転身物語(下)
オウィディウス/田中秀央・前田敬作訳
目 次
巻九
一 アケロウスとヘルクレス
二 ネッススに誘拐されたデイアニラ
三 ヘルクレスの最期/十二功業
四 アルクメナのお産とガランティスの転機
五 ドリュオペとロティス
六 イオラウスの若返り/テバエの乱
七 ビュブリスの不倫の恋
八 男に変身したイピス
巻九の註
巻十
一 伶人《うたびと》オルペウスとエウリュディケ
二 キュパリッススの悲しみ
三 美少年ガニュメデス
四 花になったヒュアキントゥス
五 春を売るプロポエティデス/ケラスタエ
六 象牙の人形に恋したピュグマリオン
七 没薬《もつやく》になったミュラ
八 アドニスの誕生
九 アタランタ/アドニスの転身
巻十の註
巻十一
一 オルペウスの死
二 ミダス王のかがやかしい厄難
三 アポロとパンとの歌合戦/ミダス王の耳
四 ラオメドン/トロイアの築城
五 プロテウスの予言/ペレウスとテティス
六 ケユクスのもとに身をよせたペレウス/ダエダリオンの転身
七 石になった狼
八 ケユクスの難破
九 夢
十 アルキュオネとケユクスの転身
十一 潜水鳥になったアエサクス
巻十一の註
巻十二
一 アウリスのイピゲニア
二 キュクヌスの転身
三 カエネウスはどうして男になったか
四 ラピタエ人とケンタウルス族との戦い
五 ネレウスの十二人の息子たち
六 アキレスの死
巻十二の註
巻十三
一 アキレスの武具をめぐる争い
二 王妃ヘクバの最期
三 メムノンの遺灰からうまれた鳥たち
四 アニウスの客となったアエネアス
五 スキュラ
六 アキスとガラテアの恋物語
七 グラウクス
巻十三の註
巻十四
一 スキュラと魔女キルケ
二 猿になったケルコペス
三 クマエのシビュラ
四 アエネアスに救出されたアカエメニデス
五 風神アエオルスの贈物/ウリクセスとキルケ
六 ピクスとカネンス
七 鳥になったディオメデスの仲間たち
八 アエネアスの船/アルデア
九 アエネアスの神化
十 ポモナとウェルトゥムヌス/アナクサレテの転身
十一 ロムルスとヘルシリア
巻十四の註
巻十五
一 ミュスケルス/クロトン
二 ピュタゴラスの教え
三 エゲリアの転身/ヒッポリュトゥスの蘇生
四 タゲス/ロムルスの槍/キプス
五 ローマの疾病を救ったアエスクラピウス
六 カエサルの昇天
七 跋詞
巻十五の註
解説
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巻九
一 アケロウスとヘルクレス
ネプトゥヌスの息子である英雄(1)は、河神アケロウス(2)にむかって、なぜ嘆声を発したのか、また、どうして額の角が一本だけになってしまったのかをたずねた。そこで、もじゃもじゃの髪を葦でたばねたカリュドンの河神(3)は、つぎのように語りはじめた。〔一〜三〕
「あんたの質問は、どうもありがたくありませんな。敗軍の将は兵を語らずといいますからな。しかし、まあ詳しく聞いていただくことにしよう。それに、戦いに敗れたということは不名誉にちがいないが、それでも戦ったということは、むしろ誇りにおもってよいことだからな。それはともかく、わしに勝った男があれほどの豪の者だったということは、わしにとって大きな慰めじゃったといえよう。たぶんあんたも、デイアニラ(4)という名前は噂に聞いて知っておいでだろうが、かの女は、かつては世にも美しい乙女で、多くの求愛者たちの羨望の的だった。わしも、その仲間入りをして、将来は舅《しゅうと》とよびたいかの女の父親の家におしかけて、『パルタオンのご子息(5)、どうか、わたしを婿にしてください』といったものだ。アルケウスの孫(6)も、おなじことを願いでた。で、ほかの連中は、わしらふたりにゆずることになった。アルケウスの孫は、自分の妻になったらユピテル大神を舅にもつことになるのだとか、かれがその手柄によってかちえたかがやかしい名声だとか、継母(7)から課せられた数々の冒険をみごとにやりのけた話などを、乙女に物語ってきかせた。それにたいして、わしはこういったものだ。『神が人間に負けるとは、恥さらしなことだ(かれは、そのころはまだ神ではなかったからな)。よく見てください。わたしは、あなたの国をうねり流れる河の主です。だから、とおい国からやってきた一面識もない他国者があなたの婿になるわけではありません。わたしは、あなたの同国人であり、あなたの臣下のひとりなのです。それに、これはどうか不利に解さないでいただきたいが、わたしは、あの神々の女王ユノから憎まれたこともなければ、罰として難業を課せられたこともありません。アルクメナの子(8)よ、きみは、ユピテルの子だと自慢しているが、ユピテルはきみの父なんかではない。あるいは、ほんとうに父だとすれば、それは不義によるのだ。きみがユピテルを父だというのは、自分の母親をふしだらな女だというようなものだ。だから、きみは、ユピテルはほんとうの父ではないという方がよいか、それとも、自分は母親の不義によってうまれた子だという方がいいか、そのどちらかに決めるがよい』〔四〜二六〕
こう話しているあいだも、かれは、おそろしい眼つきでわしをにらんでいたが、ついに胸にもえあがる怒りを制しかねて、次のように反駁してきた。『おれは、口よりも腕の方がつよいのだ。腕ずくとなったら、みごとに負かしてやる。きさまは、いくらなりと口で勝つがよい!』というなり、猛然とわしの方に詰めよってきた。こちらは、大きな口をきいた手前、逃げだすわけにもいかん。そこで、緑いろの衣裳をぬぎすてると、腕をつきだし、手をひろげて胸のまえで拳闘の姿勢にかまえ、さあ来いとばかり待ちかまえた。かれは、両手のたなごころに砂ぼこりをつかむと、わしをめがけて撒きちらした。わしも負けずに褐色の砂をあびせ、かれを黄いろくしてやった。すると、かれは、あるいは首を、あるいは手足をめがけてつかみかかってきた。というか、すくなくともつかみかかるような恰好をして、ところかまわずわしのからだをいじくりまわした。しかし、わしの重たいからだは、よくわしを守ってくれて、ちょうど大きな岩がいくらはげしく波にうたれても、その重さに守られてびくともしないのとおなじように、かれの攻撃も徒労におわった。そのうち、ふたりはちょっとはなれたが、ふたたび近づいてつかみあい、どちらも負けじとばかり、一歩もその場を引かなかった。足と足がからみあった。わしは、胸をぐっと前のめりにし、指で指を、額で額を押しつけた。それは、ちょうど二頭のいさましい牡牛が牧場小町《まきばこまち》の美しい牝牛をわがものにしようとはげしく渡りあい、ほかの牛どもは、いずれが勝利をえて、このような栄誉にみちた支配権を手に入れるであろうかと、はらはらしながら見まもっているありさまにそっくりであったといえようか。アルケウスの孫は、かれを押しつけているわしの胸を三度突きはなそうとしたが、だめじゃった。しかし、四度目にやっと、かれをだきしめているわしの腕をふりほどいて、手でわしのからだを押しのけると――ほんとうのことを話すつもりだから、かくさずに白状するが――あっというまにわしを後ろむきにし、全身の力をこめてわしの背中をおさえつけた。いまさら嘘をいって、名誉をもとめようなどという気はないが、わしは、まるで山におさえつけられているような気がした。しかし、やっとのことで、おびただしい汗でぬらぬらした腕をふたりのからだのあいだにすべりこませ、わしの胸をしめつけている金縛《かなしば》りからなんとかのがれることができた。だが、かれは、喘いでいるわしにまたもつかみかかり、力をとりもどす隙もあたえず、頭をしめつけてきた。わしは、とうとうがっくり膝を地面につけ、口に砂をかまされてしまった。〔二七〜六一〕
そこで、わしは、とてもちからではかなわぬと見てとって、自分の忍術に助けをもとめることにした。そして、一匹の蛇に化けて、相手の手をのがれようとした。わしは、ぐるぐると大きなとぐろを巻いて、おそろしい毒気をはきながらさけた舌をつきだした。が、ティリュンスの勇士(9)は、からからとうち笑い、わしの術をあざけって、こういったのだ。『蛇を退治することなどは、赤ん坊のときにやったことだ(10)。それに、アケロウスよ、たとえきさまがほかの大蛇にはまさっていても、たかだ一匹の蛇では、あのレルナの大蛇ヒュドラ(11)の何分の一にあたろうか。このヒュドラは、斬られたら斬られただけ増え、その百の頭のどれひとつとして、斬られたままにはなっていない。ひとつ斬れば、そこからすぐにまた代りがふたつ出てきて、首っぷしはますます強くなるばかりだ。斬り口からまたうまれてくる蛇によってまるで小枝をつけたようになり、痛手《いたで》を受けることによってますます大きくなっていくこの怪物をさえ、おれはみごとに仕止めたのだ。蛇などといういつわりの姿をかりて、慣れない武器をふりまわしたりするきさまなどに、どんな運がむいてくるとおもっているのだ。借りものの姿に身をかくそうなどと、なめた真似をするものじゃないわ』そういうと、かれは、すぐさまわしの首のつけ根をつかんで、絞めつけおった。わしは、まるでやっとこではさまれたみたいに息ぐるしくなって、なんとかかれの指から喉をはなそうとけんめいになった。けれども、ついにこうして蛇の姿ででも負けてしもうたわけだが、まだ第三の姿がのこっている。それは、猛牛の姿だ。そこで、牡牛に化けると、ふたたび戦いをいどんだ。すると、かれは、左側から両腕でわしの頚の下の垂れ皮をつかみ、けんめいに逃げるわしをぐんぐん引っぱりよせながら追ってくる。そして、ついにわしの両方の角をとりおさえ、かたい土のなかに突きさし、わしをふかい砂のなかにねじ伏せてしまいよった。いや、そればかりではない。おそろしい右手でわしの片方の角をにぎると、それをへし折って、わしの額からひき抜いて、片輪にしてしまいよったのだ。ナイス(12)たちは、この角に果実や香りの高い花々を盛って、神々にささげた(13)。それ以来、慈悲ぶかい女神のコピア(14)は、わしの角のために裕福になったのだ」〔六二〜八八〕
河神の話がおわると、召使いたちのひとりで、ディアナ女神のスタイルをまねて衣の裾《すそ》をからげ、髪を両肩にながく垂らしたひとりのナイスが、りっぱな角にその秋のすべての収穫、おいしそうな果物やデザートを盛ってあらわれた。――やがて夜があけ、日輪の最初の光が山々のいただきを照らすと、若い勇者たちの一行は出立した。河が平和としずかな流れをとりもどし、その水がふたたびもとの河床にもどるのを、かれらは待たなかった。アケロウスもまた、そのひなびた顔と片方の角をもがれた頭とを、河波のなかに没しさった。〔八九〜九七〕
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二 ネッススに誘拐されたデイアニラ
しかし、河神アケロウスは、敗れたといっても、もぎとられた飾り(15)をひとつうしなったにすぎず、それ以外は、からだのどこにも怪我はなかった。額の傷も、柳の葉冠や葦でつくった冠で見えないようにしてあった。ところが、猛きネッスス(16)よ、おまえは、おなじこの乙女(17)にたいする恋慕のために、すばやい矢に背中を射ぬかれて死んでしまったのだ。ユピテルの子(18)は、新妻をつれて故郷の町へ帰る途中、エウエヌスの激流のほとりにさしかかった。あいにく、冬の雨によっていつもよりずっと水量のました河は、数しれぬほどの渦をつくりながら滔々《とうとう》とながれ、とても歩いて渡ることなどできなかった。かの英雄は、かれ自身はすこしも怖れることはなかったが、妻のことが心配であった。と、この河の浅瀬のことをよく知っているネッススが近づいてきて、こういった。「アルケウスの孫(19)よ、奥さんをむこう岸に渡すことは、わたしがひき受けましょう。あなたは、ご自身の力で泳いで渡られたらよいでしょう」
そこで、アオニア(20)の英雄は、こわくて青くなっているカリュドンうまれの妻をネッススに託した。かの女は、流れも、運んでくれる男もこわくてしかたがなかったのである。ヘルクレスは、着のみ着のままで、おまけに箙《えびら》もかけ、獅子の皮衣《かわごろも》もつけたまま(21)、鉄棒とまがった弓だけは先にむこう岸へ投げておいて、こういった。「やりはじめた以上は、きっとこの流れを渡ってみせるぞ!」そして、すこしもためらわず、どこが流れのゆるやかなところかをさぐりもしなければ、なだらかな水流に運ばれようとも考えなかった。こうしてむこう岸に泳ぎつくと、先に投げておいた弓をひろいあげたが、そのとき妻の叫びごえが聞えた。見ると、ネッススがあずかったかれの妻を奪いさろうとしていたのである。「この大ばか者め、脚がはやいとうぬぼれおって、どこへつれていこうというのだ! こらっ、ふたつ姿のネッスス(22)、きさまのことをいっているのだぞ! よく聞け、おれのものを盗むなというのだ! たとえきさまがおれの力を怖れないとしても、きさまの父親がいましめられている火の車(23)のことを考えたら、そんな大それた欲望などとても起こせなかったはずだ。馬の脚力をもっていると安心していても、のがすものか。おれは、脚できさまに追いつこうというのじゃない。矢で射とめようというのだ!」
そうさけぶなり、かれは、ただちにその言葉を実行にうつした。手をはなれた一本の矢は、逃げていくネッススの背にみごとに突きささり、鉤《かぎ》になった矢尻は、胸までつきぬけた。かれがその矢を引きぬくと、血は、レルナの怪物の毒にそまって(24)、前後ふたつの傷口からほとばしりでた。ネッススは、流れる血潮を手にうけると、「この怨みをはらさずに死ぬものか」とうめきながら、まだあたたかい血にそまった衣をぬぎ、愛欲をそそるまじないだと称して、それを自分が拉致しようとした女にあたえた。〔九八〜一三三〕
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三 ヘルクレスの最期/十二功業
それから、ながい年月がながれた。偉大なヘルクレスの功績は、その名声を地上あまねくひろめ、継母(25)の憎しみをもやわらげた。オエカリア(26)の地を平定すると、かれは、ケナエウム(27)のユピテルに祈願成就の犠牲をささげようとした。このとき、それに先だって、真実につくり話をつけくわえることを好み、はじめのうちは小さいが、しだいにみずからの嘘で大きくなっていくお喋りずきなファマ(28)が、デイアニラよ、おまえの耳にこっそり忍びこんだのだ。それは、アムピトリュオンの息子(29)がイオレの姿に胸を焦がしているというのであった。良人《おっと》を愛するデイアニラは、この噂を信じた。良人のあたらしい愛の噂におどろいた不幸な妻は、はじめのうちは涙をながし、泣いてわが身の不仕合せをかなしんでいたが、やがてこういった。「なぜ泣いたりなどしているのであろう。あの恋仇の女は、わたしの涙を見たら、よろこぶにちがいない。その女がいずれここにやってくるのなら、いまのうちに――わたしの臥床《ふしど》を寝とられないうちに、いそいで新しい手段をなんとか考えださなくてはならない。わたしは、わが身の不幸をなげくべきだろうか、それとも、このままだまっているべきだろうか。いっそのこと、カリュドンの地に帰ってしまおうか、それとも、ここにとどまっていようか。この家を出ていこうかしら、それとも、いさぎよくあの女と愛を争おうかしら。おお、メレアグロス(30)よ、わたしがあなたの妹であることを思いだして、堂々と勝負にでて、棄てられた女の怨みがどんなものであるかを、あの恋仇を殺すことによって思い知らせてやったならばどうかしら」
かの女のこころは、あれこれと思いまよったが、結局、あらゆる方法のなかで、冷《さ》めた良人の愛にあらたな生命を吹きこむために、ネッススの血にひたされた衣を良人に贈るという手段をとることにした。かの女は、自分の贈物がどんなものであるかも知らずに、自分の悲嘆のもとになる衣をなにも知らぬリカス(31)に託し、あわれにも甘い言葉の数々をそえて、この贈物を良人にわたしてくれるようにと命じたのであった。ヘルクレスは、なにも知るよしもなく、その贈物を受けて、レルナの大蛇の毒を肩にまとった。〔一三四〜一五八〕
こうしてかれは、点じたばかりの火に香をふりかけ、祈りの言葉をささげ、皿のぶどう酒を大理石の祭壇にそそぎかけたが、そうしているあいだに、おそろしい毒の力は、しだいにあたためられ、炎によって本性をあらわし、ヘルクレスの五体のいたるところにひろがっていった。かれは、できるかぎり日ごろの勇気をふるって呻きごえをこらえていたが、ついに苦痛に堪えかねて、祭壇をつきたおすと、オエタ(32)の森をそのわめき声でなりひびかせた。かれは、すぐさまおそろしい衣をやぶりすてようとした。しかし、かれが衣をひきさくと、衣はその下にある皮膚をひきさいた。そして、語るもおそろしいことだが、いくらぬぎすてようとしても、衣はかれの手足にまといついてはなれず、かとおもうと、ひきさかれた手足や大きな骨をあらわにむきだした。血は、ちょうどつめたい水をはった槽《おけ》に赤熱した刃《やいば》を入れたような音をたてて、毒の熱気によってたぎりたった。それだけではなかった。飽くことを知らぬ炎は、肺臓をも焼きつくし、全身からまっ黒な汗がふきだし、焼かれた腱は、ぱちぱちと音をたてた。眼に見えぬ毒気が骨の髄まで溶かしだしたとき、かれは天空に両手をさしのべて叫んだ。
「おお、サトゥルヌスの娘(33)よ、わたしの不幸を見ておたのしみになるがよい。残忍な女神よ、天上からわたしの苦しみようを見おろして、むごいこころを満足させてください。敵から見ても、というのは、あなたから見ても、このわたしがかわいそうにおもえるなら、おそろしい苦悩の餌食となったこの命、ただ苦しむためにのみ生をうけたこのいとうべき命を、どうぞ奪いとってしまってください。死こそは、わたしにとってお慈悲です。それこそ、継母にふさわしい贈物というものです。わたしは、その神殿を他国人の血でそめるブシリス(34)を殺し、あの残忍なアンタエウス(35)からその母にやしなわれた強い力をうばいましたが、その報いがこのような死だというのですか。また、わたしはヒベリアの三つの姿をもつ羊飼い(36)も、ケルベルス(37)よ、おまえの三つの体躯をも怖れなかった。おお、わが両手よ、おまえたちは、たくましい牡牛(38)の角《つの》を土にまみれさせたし、エリスの地(39)や、ステュムパルス(40)の水や、パルテニウス(41)の森も、おまえたちの功績を眼《ま》のあたりに見た。おまえたちの勇敢さは、テルモドンの黄金で打出し細工をほどこした剣帯(42)や、眠りを知らぬ竜にまもられた果実(43)を取ってきた。さらに、半人半馬のケンタウルスたち(44)や、アルカディアの地をあらす野猪(45)も、おれには歯が立たなかったし、斬れば斬るほどふえて、二倍の力を得ていくヒュドラ(46)も、どうすることもできなかった。また、人間の血によって肥えるトラキア人の馬どもと、こま切れにした人肉をいっぱい入れた秣桶《まぐさおけ》とを見るなり、それを投げすて、飼主もろともこの馬どもをみなごろしにしたのも(47)、このおれではなかったか。おれはまた、この腕でネメアの獅子をしめ殺し(48)、この首であの大空をささえたのだ(49)。それらの報いがこの死だというのか。ユピテルのあの残忍な妃《きさき》は、ついに命令することに疲れてしまったが、おれは、それらの命令をはたすことにすこしも疲れはしなかった。ところが、こんどは勇気によっても、槍や弓矢によっても抵抗することのできないあたらしい厄難がおそってきたのだ。おれの胸の奥には、からだを蚕食《さんしょく》する火がうろついていて、おれの全身を喰いほろぼしていく。これにひきかえて、あのエウリュステウス(50)は、無事に生きながらえておる。これでもまだ、神々の存在を信じるようなおめでたい人びとがいるのだろうか」
こういうと、かれは、狩人から受けた槍をからだに突きたてたままあばれ狂う牡牛のような恰好で(傷を負わせた狩人は、すでに逃げてしまった)、オエタの山の頂上を傷ついた身でさまよい歩いた(51)。かれがときにはうめき、ときには怒りに身をふるわし、ときにはなおも衣を引きさこうとし、ときには大木の幹を打ちたおし、ときにはその怒りを山々にむけたり、父のいる天に両手をさしのべたりするありさまが、きっと見られたにちがいない。〔一五九〜二一〇〕
そのとき、かれは、岩穴のなかにふるえながらかくれているリカスを見つけた。そして、苦しみのために怒りをさらにはげしくして、こういった。「やい、リカス、おれにこのおそろしい贈物をもってきたのは、きさまだったな。おれの死は、きさまのせいだな」リカスは、ぶるぶるとふるえ、まっ蒼になって、びくびくしながら言いわけをした。そして、弁明をしながら、両手でヘルクレスの膝にすがりつこうとしたとき、ヘルクレスはかれをとらえるなり、三、四度ぐるぐるとふりまわして、投石器よりもすごい力でエウボエアの海に投げこんだ。ところが、風をきって空中をとんでいくうちに、リカスのからだは固くなってしまった。雨滴が冷たい風にあって凍結し、雪くずとなり、雪くずが空を舞っているあいだにそのやわらかい全体がさらに固まって、まるい、かたい霰《あられ》になるといわれるように、むかしからの言いつたえによると、リカスはものすごい力で空中に投げだされるや、おそろしさでまっ蒼になり、全身の血がすっかりなくなり、ついに一個のかたい岩に化したということである。いまでもかれは、エウボエアの海で深い淵から小さな岩礁となって頭をつきだし、人間のすがたの名残りをとどめている。舟人たちは、いまでも生命あるもののように、この岩にのりあげることをおそれ、リカスの岩とよんでいる(52)。〔二一一〜二二九〕
さて、音にきこえたユピテルの子よ、おんみは、オエタの山にしげる樹木を伐り、それをつみあげて火葬の用意をすますと、愛用の弓、大きな箙《えびら》、さらにトロイアの国をふたたび見ることになる矢をとって、ポエアスの息子に贈った(53)。みなが尻ごみしているのに、かれだけは、薪に火を点じてくれたからである。こうして、飽くことを知らぬ炎が高々とつみあげられた薪をつつむと、おんみは、そのいちばん上にネメアの獅子の皮を敷き、おんみの棍棒を枕がわりにおき、さながら饗宴《うたげ》の席に招かれてぶどう酒をなみなみと注《つ》いだ杯のそばに冠をかぶって身をよこたえる(54)ように、従容としてその上に身をよこたえたのであった。〔二三〇〜二三八〕
すでにして火は、音たかく燃えたって、四方八方にひろがり、従容としてよこたわったこの火をもおそれぬ勇者の肢体をつつんだ。神々は、地上をいくたの厄難から救った英雄にいたくこころをうごかした。かのサトゥルヌスの子ユピテルは、これを見るや、顔つきをはれやかにして、つぎのようにいった。「おお、天上に住む神々よ、諸君が息子のことをいろいろ心配してくださるのは、わしにとって大きなよろこびである。わしは、自分が恩を知る者たちの王とよばれ、父とされていることを、また、わしの息子も諸君の好意によって炎の力から守られていることを、こころからうれしくおもう。息子がこのような好意をうけるのは、むろん、かれ自身がたてた数々の偉業のゆえではあるが、わしとしても、諸君にお礼を申しあげなくては気がすまないようにおもう。しかし、諸君の誠実なこころからよけいな心配をとりのぞいて、あのオエタの山に燃えている炎のことは気にとめないがよい。あらゆるものを征服した息子は、諸君の見るあの火をも征服するであろう。かれは、その全存在のうちで母からうけた部分(55)においてのみ、ウゥルカヌス(56)の威力を感じるにすぎぬ。かれがこのわしからうけたものは、死をまぬがれ、死をこえて、いかなる炎にもおかされることなく、永遠に生きつづけるであろう。もはやこの存在は地上におけるその生涯を全うしたのであるから、わしは、それを天上界に呼びあげようとおもう。そして、わしは、すべての神々がこの処置をよろこんでくれるにちがいないと自負しておる。けれども、諸君のなかには、ヘルクレスが神となることをこころよからずおもう者もあるかもしれない。そして、わしの子にこのような特恵があたえられることを納得しようとしないかもしれぬ。しかし、わしとしては、かれがそれに値いする者であることをみとめさせ、いやでもわしの処置を是認させるつもりである」神々は、この言葉にたいして喝采をした。天の女王ユノでさえも、すなおに他の部分には賛成したが、ただ最後の言葉には、不快な顔つきを見せ、これは自分のことをあてこすっているのだと、気色ばんだようであった。〔二三九〜二六一〕
そうしているあいだに、ムルキベル(57)は、炎が焼きつくしうるすべてのものを焼きつくし、それとみとめられるヘルクレスの姿は、もはやなにものこらなかった。というのは、かれが母からうけついだものは、ことごとく焼滅し、いまはもう父ユピテルから授けられたものしかのこっていなかったからである。ちょうど蛇がその皮とともに老衰をぬぎすて、ますます若々しさを発揮し、あたらしい鱗に全身をかがやかせるのがつねであるように、ティリュンスの英雄(58)もまた、人間としての五体をぬぎすてて、自分の存在のよりよい部分にあたらしい生命を得、以前にもまして偉大に見え、神々しい威厳によって世の尊崇をうけるにふさわしい者となった。全能の父は、四頭だての馬車にかれをのせ、雲間をつらぬいて、かがやかしい星群のなかにくわえたのであった(59)。〔二六二〜二七二〕
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四 アルクメナのお産とガランティスの転機
アトラス(60)は、このあたらしい星の重みを感じた。しかし、ステネルス(61)の子エウリュステウスの怒りは、おさまらなかった。かれは、父親にむけた和《やわ》らげられぬ憎しみを息子(62)にたいしてむけた。さて、アルゴスのアルクメナ(63)は、うちつづく心痛になやまされていたが、老いの繰言《くりごと》をのべたり、世界じゅうに知れた息子の偉業と自分の不幸とを物語ったりする相手としては、いまはあのイオレ(64)があるばかりだった。ヒュルスは、ヘルクレスの言いつけにしたがって、このイオレを妻にむかえ、こころから愛し、かの女は、かれの高貴な胤《たね》をやどしていた。そこで、アルクメナは、かの女につぎのようにいった。
「せめておまえにだけは、神々が恵みぶかくしてくださいますように。そして、月満ちて、おまえがお産をおそれる妊婦たちを守りたまうイリテュイア(65)さまにおすがりする日に、どうかおまえの陣痛の期間をみじかくしてくださいますように。わたしのときは、女神さまもユノ女神をはばかってか、たいへんつらくあたられた(66)。というのは、やがてたくさんの難業を成就する運命をになったヘルクレスがうまれる日が近づいて、太陽が天の第十宮をかすめようとしていたとき、胎児の重さはお腹をはちきらんばかりにふくらませ、人並みはずれて大きかったものだから、それがユピテルの胤《たね》であることは、だれの眼にもあきらかだった。わたしは、もうこれ以上苦しさをこらえていることができなかった。その話をしているいまでさえ、全身につめたい戦慄がはしるし、思いだすだけでも、あの苦しさがよみがえってくるほどですよ。七日七夜というもの、苦しみどおしに苦しんだあげく、もうへとへとに疲れきって、天にむかって両腕をさしのべ、大きな声をあげてルキナ(67)やニクシ(68)の御名をよびました。ルキナさまは、すぐに来てはくださったけれど、以前からわたしに悪意をいだいておいでだったものだから、かえってあの意地わるいユノ女神にわたしの命をささげようとされたんだよ。それで、わたしの呻き声をきくなり、産室の戸口のまえにあった祭壇にあぐらをかいてすわり、指を櫛《くし》のようにくみあわせて(69)、お産の邪魔をなさった。おまけに、ひくい声で呪文をとなえ、その呪文のおかげで分娩が中途でやんでしまうのです。わたしは、けんめいになってりきみ、薄情者のユピテルさまにむかってつまらぬ愚痴をこぼしたり、もう死にたいとわめいたり、石をもやわらげることができるかとおもえるような泣き言をならべたりしました。カドムスの町(70)の母親たちは、わたしを助けにきてくれて、おなじように天に祈りをささげ、苦しむわたしをはげましてくれました。そのころ、わたしが使っていた召使いたちのひとりに、ガランティスという、ひくい身分の出の金髪の娘がいて、こちらの言いつけることはなんでもすぐにしてくれて、骨身を惜しまず仕えてくれるので、とてもかわいがっていたんですよ。この子が、なんだかユノ女神の憎しみのためにこんなことになったらしいということに気がついてね、なんども戸口を出たり入ったりしているうちに、ルキナさまが祭壇にすわって、両腕を指先でくみあわせて膝の上においている(71)のを見つけると、こういったのだよ。『どなたか存じませんが、奥さまのためによろこんであげてください。アルゴスのアルクメナさまのお産は、もうおわりました。すでにお母さまになられて、日ごろの祈願がかなえられました』すると、お産の女神は、はっとおどろいて、そのはずみにくみあわせていた手をほどいてしまったんだよ。と、同時に、わたしの呪縛《いましめ》もとけて、すっかり楽《らく》になったの。なんでもガランティスは、女神がまんまと一杯くわされたのを見て、笑いだしたということですよ。すると、おこった女神は、笑っているガランティスをとらえると、髪の毛をつかんで引きずり、起きようとするところをおさえつけて、とうとう両手を獣の前足に変えてしまわれた。かの女は、むかしの軽快さをのこし、背中の色ももとのままだったけれど、姿だけは変ってしまった。そして、口で嘘をついてお産を助けたものだから、口から子供をうむようになったの(72)。かの女は、以前とおなじように、いまでもよくわたしたちの家をたずねてくれるのだよ」〔二七三〜三二三〕
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五 ドリュオペとロティス
アルクメナは、こう語りおわると、むかしの召使いのことを思いだして、ためいきをついた。嫁のイオレは、アルクメナの悲しみようを見て、つぎのように語った。〔三二四〜三二五〕
「でも、おばあさま、あなたがこころを痛めていらっしゃるのは、ご一家とは血のつながりのない女の転身です。わたくしの姉妹のふしぎな身の上をお話し申したら、なんとおっしゃることでしょう。でも、涙と悲しみにさまたげられて、思うように言葉が出てきそうにありません。ドリュオペ(73)は、かの女の母親のひとり娘で(わたくしとは、腹ちがいなのです)、オエカリアの女たちのなかでもその美しさはとびぬけておりました。かの女がアンドラエモン(74)の妻になったのは、デルピとデロスとを治めたまうアポロ神のために処女の誇りを力ずくでうばわれたあとのことでしたが、アンドラエモンは、この妻をえて幸福であるとおもわれていました。さて、ある湖がありまして、そのなだらかな岸は、海の浜辺をおもわせ、岸の上の方には、桃金嬢《ミルテ》がいちめんにはえていました。ドリュオペは、どんな運命が待ちうけているかも知らずに、この湖のところへやってきました。それどころか、かの女がうけた運命からすると気の毒千万なことなのですが、じつは妖精たちは花環を贈ろうとおもってやってきたのです。うまれてまだ一年もたたない子供(75)をやさしい荷物として胸にだき、あたたかい乳をのませていました。湖からほど遠からぬところに、水の友である蓮が、テュルス(76)の緋いろにまがうばかりの花をいちめんに咲かせ、やがてゆたかにみのるにちがいない実を約束していました。ドリュオペは、子供のおもちゃにしようとおもって、その花を二つ三つ摘みました。わたくしも、おなじように摘みとろうとしましたが(ええ、その場にいっしょにいたのです)、ふと見ると、その花からはまっ赤な血がしたたり、茎は、身ぶるいしてふるえているではありませんか。といいますのは、あとの祭ながら土地の人たちから聞いたところによると、これは妖精のロティスであって、プリアプス(77)のみだらな行為をのがれて、名前だけはそのままにして(78)、もとの姿からこの植物に変ったのでした。〔三二六〜三四八〕
むろん、姉は、そんなこととはゆめにも知りませんでした。すっかりこわくなって、花にのばした手をひっこめ、妖精たちに礼拝をささげたのちこの場を立ち去ろうとしましたところ、足に根がはえて、土にしっかりとくっついてしまいました。なんとか足をひっこ抜こうとしましたが、うごくのは上半身だけでした。そして、足の方からしだいにやわらかい樹皮が上の方まで生えてきて、胴をすっかりつつんでしまいました。これを見ると、姉は両手で髪の毛をかきむしろうとしましたが、その手には葉がいっぱいに生《は》え、さらに頭も葉におおわれてしまいました。おさないアムピッスス(これは、この子のおじいさんにあたるエウリュトゥスがつけた名前です)は、母の乳房が固くなっていくのを感じ、いくら吸っても乳が出てきません。ああ、お姉さま、わたくしは、こんなおそろしい出来事を眼のまえにしながら、あなたをすこしもお助けすることができませんでした。わたくしは、力のかぎり幹と枝をしっかりとだきしめて、それらが大きくなるのをすこしでもくいとめようとしました。ほんとうのことを申しあげますと、自分もいっしょにおなじ樹皮のなかにとじこめられてしまいたいとさえおもいました。すると、そこへ良人のアンドラエモンと気の毒な父親のエウリュトゥスとがやってきて、ドリュオペをさがしもとめました。わたくしは、ドリュオペの姿をもとめるふたりに、ひともとのロトゥス(79)の樹を指さしました。ふたりは、まだあたたかいその幹に接吻をし、根もとに身を投げてしかとだきしめました。お姉さま、あなたは、もうすっかり木になってしまって、顔だけが残っていました。気の毒なからだから生じた木の葉の上には、はらはらと涙が落ちかかりました。そして、口がまだものを言うことができるあいだに、姉はつぎのような悲しい思いを大気のなかにもらしました。〔三四九〜三七〇〕
『不幸な人間の言葉でも信用していただけるならば、わたしは、神々にちかって、自分がこんなおそろしい目にあわされるおぼえのないことをはっきりと申しあげます。わたしは、なんの罪もないのに罰をうけるのです。これまで清浄潔白な生活をしてきたわたしです。それが嘘だというのなら、この身が枯れはてて、生《お》いしげる葉をうしない、斧に伐《き》りたおされて、炎に焼きつくされてもかまいません。けれども、どうかこの子だけは、小枝となった母の手からひきはなして、いい乳母をつけてやってください。そして、坊やがしばしばこの木の下で乳をのみ、わたしの木かげで遊ぶようにしてください。この子がものを言えるようになったら、母に挨拶をし、悲しげに「ぼくのお母さんは、この木のなかにいるんだ」といわせるようにしてください。しかし、池や沼をおそれ、けっして草木から花を摘みとらないようにし、やぶや木立はすべて神々のご聖体であると考えるようにしてください。では、ごきげんよろしく、いとしい良人よ、それに妹とお父さま! あなたたちがまだわたしを愛していてくださるなら、どうかわたしの枝葉がするどい利鎌《とがま》に傷つけられたり、家畜どもの餌食になったりすることがないようにおまもりください。わたしはあなたがたの方に身をかがめることはできませんから、あなたがたが身をのばして、まだわたしの唇にふれることができるあいだに、この唇のところまで来てください。それから坊やもここまでだきあげてください。ああ、もうこれ以上口をきくことはできません。やわらかい樹皮は、わたしの白い首のところまで伸びてきて、そこから上も、梢のなかにかくれていきます。どうかわたしの眼にさわらないでください。あなたがたのお手をわずらわさなくても(80)、樹皮がひとりでにあがってきて、死んでゆくわたしの眼をとじてくれるでしょう』やがて、姉の口は、語るのをやめるとともに見えなくなってしまいました。そして、こうして姿が変ってしまってからも、姉のあたらしい小枝は、まだしばらくはからだの温《ぬく》みをたもっていました」〔三七一〜三九三〕
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六 イオラウスの若返り/テバエの乱
こうしてイオレがふしぎな物語を涙とともに語り、アルクメナもまた涙をながしながら、やさしい手でエウリュトゥスの娘の涙をぬぐってやっていたとき、またひとつのふしぎな出来事がおこって、ふたりの悲しみをやわらげた。というのは、たかい敷居のところにイオラウス(81)が、ほとんど少年のような姿で立っていたのである。その頬は、かすかなうぶ毛におおわれ、顔はふたたび若々しい色をとりもどしていた。これは、ユノの娘ヘベ(82)が、良人ヘルクレスの頼みによって、この恩恵をあたえたのである。かの女が、これからはもうだれにもこんな恩恵をほどこすまいと誓おうとしたとき、テミス(83)はそれをとめて、こういった。
「テバエの町は、いさかいのために戦乱の巷となっています(84)。カパネウスは、ユピテルのお力を借りなければ、打ち負かすことができないでしょう。ふたりの兄弟は、たがいに果《はた》しあって死に、あの未来を予見する能力をもった男は、地底にのみこまれ、生きながらおのが亡霊を見るでしょう。息子(85)は、母の血によって父の仇をはらし、おなじ行為によって孝養をつくすと同時に非道の罪をおかすでしょう。そして、罪のおそろしさのために、かれは正気と故郷をうしない、エウメニデス(86)の顔と母の亡霊とに追われてさすらいの身となり、ついにその妻は不吉な黄金の頚飾りをかれにねだり、ペゲウスの刃《やいば》は血縁者の胸をえぐるでしょう(87)。このときになって、アケロウスの娘カリロエは、偉大なるユピテル大神にむかって、そのおさない子供たちにこのイオラウスのような若々しさをさずけ、復讐者(88)の死がいつまでも罰せられないままになっていないようにと、切に祈るでしょう(89)。ユピテルは、これにこころを動かされ、その継娘(90)で嫁であるそなたの恩恵をまえもってあたえて、カリロエの子供たちをりっぱな若者にしてやられるでしょう」〔三九四〜四一七〕
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七 ビュブリスの不倫の恋
未来を予知する女神テミスが予言する口でこのように語ったとき、神々のあいだからいろんなざわめきの声がおこった。そして、ほかの者にもおなじような恩恵をあたえることがどうしてゆるされないのであろうか、と一同はつぶやいた。パラス(91)の娘は、自分の良人《おっと》が老いゆくことをなげき、温和なケレスは、イアシオン(92)の髪が白くなっていくのをかこち、ムルキベル(93)は、エリクトニウス(94)のために新しい生命をもとめ、ウェヌスでさえ、将来のことを心配してアンキセス(95)の若返りを主張しようとした。そのほか、ひとりとしてだれかのために心をつかわぬ神はなく、それぞれ自分の愛する者の肩をもって、さわぎはますます大きくなった。そこで、ユピテルは、つぎのようにいった。
「諸君にすこしでもわしを尊敬する気持があるのなら、いったい、その勝手な言い草はなんだ。諸君のなかに、運命にうち勝つ力があるという自信のある者がいるだろうか。イオラウスにかれがすでに経てきた年齢にふたたび戻ることをえさせたのは、運命の意思なのだ。カリロエの息子たちが一足とびに若者になれたのも、運命のしわざであって、奸策や武力によったことではない。そして、諸君がこの事実をもっと平気で堪えていけるように申しておくが、諸君をも、さらにこのわしをさえ、運命は支配しておるのだ。その証拠に、もしわしにこの事実を変える力があるとすれば、いとしいアエアクス(96)が老齢のために腰がまがるようなことはなかったであろうし、ラダマントゥス(97)も、永遠の青春を味わうことができたであろうし、また、老いのにがい重荷ゆえに人びとに軽蔑され、もはや以前のようにきびしい法律によって政治をすることができなくなったあのミノス(98)も、おなじことであろう」
このユピテルの言葉は、神々のこころをやわらげた。そして、ラダマントゥスやアエアクスやミノスが老いさらばえているのを見ると、だれももう不平をこぼそうとしなかった。壮年のころには、その名前を聞いただけで諸国の民を震駭させたミノス王も、いまではもうすっかり弱りはてて、若さをほこり、ポエブスを父としていることを自慢にしているデイオネの子ミレトゥス(99)をひどくおそれていた。だから、ミレトゥスが自分の王座をおびやかしていると知りながらも、かれをその故郷から追放しようともしなかったのである。〔四一八〜四四六〕
しかし、ミレトゥスよ、おんみは、みずからすすんで故郷を去ったのだ。そして、快速の船でアエガエウス(100)の波濤をよぎり、小アジアの地にひとつの都市を建設した(その町は、いまも建設者の名をおびている)。そこで、おんみは、美しいキュアネエ(101)と相知った。かの女は、いくどとなくおなじ場所にうねり帰ってくるマエアンデル(102)の河神の娘で、父なる河のまがりくねった岸辺を散策しているところを、おんみに見そめられたのだ。やがてかの女は、おんみのために美しいビュブリスとカウヌスとの双生児をうんだ。〔四四七〜四五三〕
ビュブリスは、ゆるされた恋のみをなすべきであることを、世の乙女たちに身をもって教えている。かの女は、アポロの孫である兄(103)にはげしい愛着をおぼえ、世間の妹が兄を愛する限度をはるかに越えて、また、必要以上に愛していた。はじめのうちは、べつに情欲を感じもしなければ、しばしば兄に接吻をしたり、腕を首にまきつけたりしても、それが罪であるともおもっていなかった。こうして長いあいだ兄妹愛といういつわりの形にだまされていたのだった。しかし、だんだんにその愛は、道ならぬものになっていった。兄に会いにいくときは、美しい装おいをこらし、兄に美しいとおもわれたいと、おかしいほど気をつかった。そして、自分より美しい女性が兄のそばにいると、その女に嫉妬をおぼえた。といっても、かの女は、自分で自分の気持がまだはっきりとはわかっていなかったし、なんの欲望もいだいていなかった。しかし、胸の底はすでにたぎりたっていたのである。そして、兄をすでに主人とよび、血をわけた兄妹という名をきらい、かれから妹とよばれるよりも、ビュブリスとだけよばれることをよろこんだ。それでも、さすがにめざめているあいだは、そのこころに不純な欲望をけっしてしのびこませなかった。ただ、やすらかな眠りにつつまれているときは、しばしば愛する者に抱かれている夢をみた。そして、自分のからだが兄のからだとぴったりひとつになったような気がして、眠りのなかにあっても、顔をあからめるのであった。やがて、眠りからさめると、ながいこと押しだまったまま、夢にみたまぼろしを思いおこし、さまざまな思いにまどいながら、こういうのであった。
「ああ、わたしは、なんという不幸な女かしら。夜の静けさのなかにあらわれたあの幻影はなにかしら。あんなことは、ほんとうにあってはならない。だのに、どうしてあんな夢をみたのかしら。カウヌスは、敵意の眼で見てさえも美しい。ほんとうに好きだわ。もし兄でなかったら、きっと恋におちてしまうところだわ。かれなら、わたしにぴったりの恋人になれる。妹だなんて、なんという因果なことだろう。眼がさめているかぎりは、けっしてあんなおそろしいことをしようとはおもわないから、せめて眠っているときは、あのような夢がいくどでもおとずれてくれるといい。夢なら、だれにもわかりはしないし、快楽《よろこび》に変りはない。おお、ウェヌスさま、やさしい母とともにいるクピド(104)よ、なんというよろこびをわたしは味わったことでしょう! なんというすばらしい歓喜に身をさらわれたことでしょう! この臥床の上にあって、わたしの全身はもう骨の髄までとろけてしまいそうだったわ。思いだすだけでも、うっとりとなるわ。もっとも、よろこびの時間は、あまりにみじかく、夜はあっというまに過ぎていって、まるでわたしたちがやりはじめたばかりのことをねたんでいるかのようだった。おお、自分の名前を変えて、カウヌスよ、あなたの妻になることができたら、わたしはあなたの父上の、どんなにしあわせな嫁になることができるでしょう。そして、あなたも、わたしの父の幸福な婿となれるでしょうに。ああ、わたしたちが両親をのぞいてすべてのものを共有できるように、神々がとりはからってくださらないものかしら。あなたがわたしより高貴な家のうまれだったらよいのにとおもいます。そうすれば、あなたの母は別のひとになっていたでしょうから。不幸にもおなじ両親からうまれたわたしにとっては、あなたはいつまでもただの兄にすぎない。わたしたちがいっしょになることを妨げているものこそ、わたしたちが共有する唯一のものなのだわ。それにしても、あの幻影は、なにを意味しているのかしら。あのような夢にどんな価値があるのかしら。いったい、夢などというものに価値があるのだろうか。神々よ、どうかこのようなことが起らないようにしてください! むろん、神々は、自分の妹を妻にしておられる。サトゥルヌスが血をわけた妹オプス(105)をめとったのもそれだし、オリュムプスの支配者はユノを、オケアヌスはテテュス(106)を妻にしている。だけど、神々には、神々の特権というものがあるのだわ。神々の世界に通用する別な法則で人間の行為をはかることなんかできないわ。禁断の情熱をこの胸から追いだすか、もしそれができなければ、せめて間違いのおこらないうちに死んでしまいたい。そして、棺の上にのせられて、かれの接吻を受けたいとおもう。それはともかく、ああいうことは、ふたりの合意がなければ、どうしようもないことだわ。わたしひとりがしたいとおもっても、かれは罪悪だとおもうにちがいない。けれども、あのアエオルスの息子たち(107)は、その妹たちの閨房に入ることをすこしもおそれなかったではないか。だけど、わたしはどうしてそんなことを知ったのかしら。どうしてこんな例をあつめたりするのかしら。わたしは、どこまで夢中になるつもりかしら。おお、不純な炎よ、わたしの胸から出ていくがよい! わたしは、もう兄にたいして妹としてゆるされたやさしい愛情だけをもつつもりなのだから。けれども、かれの方が先にわたしにたいして欲情におそわれたら、わたしは安心してかれの要求に身をまかせてしまうことだろう。だから、どうせかれの要求をこばむことができないのなら、いっそのこと、こちらから思いをうちあけようかしら。だが、おまえは、それを口にすることができるかしら。かれに告白できるかしら。愛がわたしの後押しをしてくれるにちがいない。やってできないことはあるまい。恥かしさのために口では言えなくても、秘めた恋文が胸の思いをかれにつたえてくれるにちがいない」〔四五四〜五一六〕
ビュブリスは、ついにこのような決心に達した。そう決心してしまうと、胸のためらいも消えさった。かの女は、半身をおこすと、左の肘に身をささえて、「そうだわ。この狂おしい思いをうちあけよう。ああ、わたしは、どこまで運ばれていくのだろう。この胸を焦がすのは、どんな火なのかしら」そういうと、ふるえる手でこころにうかぶ言葉を書きつづった。右手には鉄筆をとり、左手にはあたらしい蝋板をもった(108)。書きだしたかとおもうと、ためらい、つづけるかとおもうと、文句が気に入らず、書いては消し、消しては書き、ああでもない、こうでもないとまよいながら、蝋板を置いたり、また手にとったりした。自分がなにをのぞんでいるのかわからなくなり、自分が書こうとおもうことは、どれも気に入らなかった。かの女の顔には、恥かしさと大胆さが入りまじっていた。いちどは「妹」という文字を書いてはみたものの(109)、それをまた消しさって、なめらかにした蝋板につぎのように書きつけることにした。〔五一七〜五二九〕
「あなたがあたえてくださらなければ自分のものにならない幸福を、あなたをお慕いするひとりの女があなたに捧げます。恥かしい――ええ、恥かしくて、わが名を申しあげることもできないほどです。あなたがわたしの望みをお知りになりたいなら、どうぞ名前を知らないことにして、そうしてください。胸の思いが確実にかなえられるとわかるまでは、ビュブリスであると知られたくないのです。これまでからも、わたしの顔色、やつれたからだ、しばしば泣きぬれた眼、なぜともわからずにほっと洩らすため息、いくどとなくくりかえされた抱擁、それに、お気づきになっていたかもしれませんが、妹らしくないとおもわれるあの接吻、これらのことが、わたしの胸の疼《うず》きをあなたに告げていたはずです。しかし、こころにふかい悩みをいだき、あつい炎に胸をやかれてはいましたが――どうか神々もご照覧ください――なんとかしてこころを入れかえようと、わたしはあらゆる試みをつくしました。悲しい思いで、どうにかしてあのクピドの無慈悲な矢をのがれようと、ながいあいだ戦ってきました。若い乙女にはとても無理だとおもわれるほどに、この残忍なこころの悩みに堪えてきました。けれども、もう駄目です。わたしは、自分がうち負かされたことを告白し、あなたに助けていただきたいと、おそるおそるお願いせずにはおれません。恋におちたわたしをお救いくださることができるのも、また、破滅におとし入れることができるのも、あなただけです。どちらでも、あなたの好きなようになさってください。これは、あなたの敵の女がお願いしているのではありません。いままでもあなたの近くにいましたが、さらにいっそう近い存在になって、いっそう密接な関係によってあなたとむすばれたいとのぞんでいる女がお願いしているのです。いろいろな掟のことは、お年寄りたちにまかせておきましょう。これはしてもよいとか、これは罪悪だ、いや、これは罪悪ではないとか詮索したり、法律をただしく守ったりするような仕事は、あの人たちにまかせておきましょう。ひたむきなウェヌスのやり方こそ、わたしたちの年齢にふさわしいのです。なにがゆるされ、なにがゆるされていないかというようなことは、わたしたちはまだ知りません。わたしたちには、どんなことでもゆるされているようにおもわれます。わたしたちは、偉大な神々のお手本にしたがえばよいのです。父のきびしさも、世間の噂にたいする心配も、また不安もわたしたちの妨げとはならないでしょう。じっさい、なにをおそれることがありましょう。兄妹という関係が、ふたりの人目をしのぶ恋をうまく隠してくれるでしょうから。あなたとふたりきりで甘い語らいをするのも、自由です。だれはばかることなく抱きあったり、接吻したりすることもできるのです。そのほかにまだ、どんなにたくさんしたいことがあるでしょう。どうかこの愛の告白をあわれだとおもってください。胸のもだえに責められなかったら、けっしてこんなことはうちあけなかったでしょうに。わたしの墓碑銘のなかにわたしの悲しい死をつくった人としてあなたの名前がきざまれるようなことは、どうかしないでください」〔五三〇〜五六三〕
これらのむなしい言葉を書きつづると、もう蝋板に余白がなくなって、最後の行は、いちばん下のすみまで来てしまった。ビュブリスは、すぐさまこの罪ぶかい手紙を涙でぬらした印章指輪(110)で封印した(舌はかわききっていたのである)。それから、顔をあからめて召使いのひとりをよび、はにかみながらやさしい声で、「すまないけれど、この手紙をわたしの……」と、ここでながいこと言いよどんでから、「お兄さまのところへとどけておくれ」といった。ところが、手紙をわたそうとしたとき、どうしたはずみか手からすべりおちた。かの女は、この不吉な前兆に胸さわぎがしたが、おもいきってそれをわたした。召使いは、よい折をみてカウヌスに近づき、内緒の手紙を手わたした。〔五六四〜五七三〕
ところが、マエアンデルの血をひく若者(111)は、受けとった手紙を途中まで読むと、突然ぶるぶると怒りだし、手紙を投げすててしまった。そして、おどろいている召使いの顔を打とうとした手をかろうじて押しとどめて、こうさけんだ。「道ならぬ恋の使いをする悪党め、足もとの明るいうちにさっさと退散しろ! きさまの死がおれの恥を世間にさらすのでなければ、死によって罪のつぐないをさせてやるところだぞ!」使いの者は、びっくりして逃げだし、カウヌスのおそろしい言葉を女主人に報告した。
ビュブリスよ、この拒絶の返事をきくと、おまえはまっ蒼になり、おまえの全身は、氷のようにつめたいものが走るのを感じ、ぶるぶるとふるえた。しかし、やがて気をとりなおすと、狂おしい情熱がまたぞろもえあがってきて、聞きとれないほどの声でつぎのようにいった。
「ああ、こうなるのも当然だった。かれに胸の悩みをうちあけるなんて、なんという馬鹿なことをしたのだろう! ひそかに胸に秘めておかねばならないことだったのに、なにをあわてて手紙に書き、すぐにとどけさせたのだろう。かれの気持をまえもってそれとなくさぐってみればよかったのだわ。順風にまもられて走るには、まず片帆をあげて風むきをしらべ、大丈夫とわかってから沖にのりださねばならなかった。だのに、いまわたしは、暗礁にのりあげて、海の底ふかくにのまれてしまった。こうなったら、わたしの船は、もうひきかえすこともかなわない。それに、たしかな前兆によって、この恋に深入りしてはならぬとひきとめられたのではなかったかしら。あの手紙をもっていくようにと言いつけたとき、手紙が手からすべりおち、それといっしょにわたしの望みもだめになったのではなかったかしら。あのとき、日をあらためるか、計画そのものを変更すべきではなかったかしら――いや、やっぱり日をあらためるべきだった。神みずからが、わたしに警告を垂れ、もしもわたしの眼が恋にくらんでいなかったらはっきりとわかる前兆をあたえてくださったのだ。それにまた、せめて自分の口から言うべきだった。思いを手紙などに託さないで、自分で出かけていって、直接に愛を告白すべきだった。そしたら、かれに涙を見せることもできたし、恋する女の顔を知ってもらうこともできたであろう。そして、手紙では書けないいろいろなことを話すこともできただろう。かれがいやがろうとも、この腕を首にまきつけることもできるし、それでもこばまれたら、死んでしまうふりをすることもできるし、かれの足にだきつき、足もとに伏して命乞いをすることもできただろう。あれやこれやの方法では情《つれ》ないこころをうごかすことができなくても、あらゆる方法を一度にもちいれば、なびかせることもできたにちがいない。もしかしたら、わたしのやった使いの者がへまをしたのかもしれない。かれのそばへいったときの様子がまずかったのかもしれぬし、時機がわるかったのかもしれぬ。また、かれのこころがなごやかなときをねらわなかったのかもしれないわ。あれやこれやで、こんな情《なさ》けない始末になってしまった。だって、かれといえども、まさか虎の子ではあるまいし、かたい燧石《ひうちいし》や鉄やはがねをこころに宿しているわけでも、獅子の乳をのんで育ったわけでもあるまい。だとすると、いつかは情にほだされるにちがいない。わたしは、もう一度ぶつかってみよう。命があるかぎり、途中で匙《さじ》をなげるようなことはすまい。だって、いったんやりはじめたことを取り消すことができるのなら、なにもしなかったのが一番よかったということになってしまうんだもの。やりはじめたかぎりは、最後までやりぬくのが次善の策というものだわ。じっさい、たとえわたしがこの望みをあきらめても、かれはいつまでもわたしのしたことを忘れないにちがいない。そして、わたしは途中であきらめたのだから、これはほんの一時の出来ごころにすぎなかったか、でなければ、かれのこころをためしたり、罠《わな》にかけたりするためにしたことだったとおもわれてしまうだろう。あるいは、わたしはこころをはげしくかきたて、燃えたたせる恋の神さまに負かされたのではなく、ただ情欲のとりこになっただけだと、考えられるにちがいない。つまるところ、わたしが恥かしいことをしたということは、もうどうにも取り消しようがないのだわ。手紙に書いてまで求愛をしたわたしだもの。もうこころは汚れてしまっている。もうこれ以上なにもしなくても、いまさら汚れない女だというわけにもいかない。だから、いまわたしに残されていることといえば、山ほどの願いがあるだけで、これ以上犯すような罪はないのだわ」〔五七四〜六二九〕
ビュブリスは、このように語った。さだまらぬ胸の乱れは、こんなにも大きかったのである。しかし、一度試みたことを後悔しながらも、もう一度その試みをくりかえそうとした。こうして、あわれなビュブリスは、節度というものをふみにじり、いくども拒絶の憂き目をみることになったのである。〔六三〇〜六三三〕
一方、カウヌスは、妹にあきらめさせることができないと見てとると、ついに祖国を出て、罪からにげ、異郷の地にあたらしい町(112)をきずいた。これを知って、ミレトゥスの娘(113)は、悲嘆のあまりすっかり正気をうしなったと伝えられている。かの女は、胸の衣をひきさき、やけくそになって腕をうち、いまはもうはっきりと狂気にとりつかれて、不倫の思いをはばかることなく公言し、もはや望みの消えた祖国といまわしい館《やかた》をすてて、逃げていった兄のあとを追っていった。
おお、セメレの子なるバックスよ、イスマルスの巫女《みこ》たち(114)がおんみの神杖《テュルスス》に幻惑されておんみの三年ごとの祭をふたたびとりおこなう有様にも似て、ビュブリスが狂ったようにわめきながら広い野原を駈けぬけていくのを、ブバスス(115)の女たちは見たのだった。しかし、やがてこの地をもあとにすると、カリア人の国や、武装をおこたらぬレレゲス人(116)の国や、リュキア(117)の地をさまよい歩いた。すでにクラグス(118)やリミュレ(119)やクサントゥス(120)の流れをあとにし、牝獅子の頭と胸と蛇の尾とをもち、体内に火を宿しているキマエラ(121)の住む山々をすぎていった。そして、もう森もなくなったところで、ビュブリスよ、おまえは、兄を追うことに疲れはてて、ついにばったりと行き倒れると、かたい地面に髪をみだして伏し、顔を枯葉の上によこたえた。レレゲスの妖精たち(122)は、いくどとなくやさしい腕でかの女を抱きおこそうとしたり、恋の火を消すようにすすめたり、もはや聞えぬたましいに慰めの言葉を語ったりした。ビュブリスは、だまってよこたわったまま、爪で青々とした草をしっかりとつかみ、とめどもなく流れる涙で草原をぬらすばかりであった。
伝説によると、ナイスたち(123)は、泣きぬれるかの女をけっして涸れることのない泉に変えたということである。ナイスたちにすれば、これ以上の情けをどうしてかけることができたであろうか。やがて、傷をつけられた樹皮から樹脂《やに》がながれだすように、どっしりと重い大地の底からねばっこい瀝青《れきせい》がにじみでるように、また、おだやかな西風がその息吹を送ってよこす時節になると、寒さのために凍てついていた河水があたたかい陽光にとけはじめるように、ポエブスの血をひくビュブリスは、涙にかきくれて、ついにひとつの泉となってしまった。この泉は、いまでもその谷間にあって、かの女の名前をとどめ、小暗い樫の木かげから湧きでている(124)。〔六三四〜六六五〕
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八 男に変身したイピス
もしクレタの島がごく最近イピス(125)の変身によって身近な不思議を経験しなかったとすれば、ビュブリスのこの新しい転身の噂は、おそらくクレタの百の町々(126)をにぎわしたことであろう。〔六六六〜六六八〕
グノスス(127)の都に隣接したパエストゥム(128)の地に、むかしリグドゥスという男が住んでいた。自由な庶民のうまれにちがいないが、たいして名も知られていなかった。うまれがうまれだけに、財産もたいしたものではなかったが、その生活にも品行にも、やましいところはすこしもなかった。かれの妻は妊娠していたが、いよいよ出産の日がせまってくると、かれはつぎのように言ってきかせた。「わたしは、ふたつの願いをもっている。ひとつは、おまえのお産ができるだけ楽《らく》にいくようにということであり、もうひとつは、男の子をうんでもらいたいということだ。女の子は、手にあまる厄介者だ。われわれの資力では、とても女の子を幸福にそだててやることはできない。だから、そんなことにならないですめばよいが、万一女の子がうまれたら、たいへんむごい、父親としては申しわけない言い草だけれど、その子の命はないものとおもってもらいたい(129)」〔六六九〜六七九〕
そういうと、語る者も聞いている者も、ともに涙で頬をぬらした。それでも、妻のテレトゥサは、自分の希望にそんなふうに制限をつけないでほしいと、くりかえしたのんだが、むだであった。リグドゥスは、あくまでその決心をひるがえさなかった。やがて、あわれな妻が大きくなった胎児をほとんどもうもちこたえることができなくなったころ、真夜中に、夢かうつつかわからないが、イナクスの娘である女神(130)が多くの従者たちをしたがえてかの女の枕もとに立った――すくなくとも、そういう気がした。女神は、その額に三日月形の角と、金いろにかがやく穂冠《ほかんむり》と、王者の飾りをつけていた。そのかたわらには、犬の頭をしたアヌビス(131)、聖なるブバスティス(132)、まだらな色をしたアピス(133)、声を制し、指を口にあてて沈黙を命じている神(134)、鳴子(135)、人びとが探しもとめてやまぬオシリス(136)、さらに、人を眠りこませる毒をもった外国種の蛇(137)などがひかえていた。テレトゥサは、まるで眠りからさめて、これらの光景を眼のあたりに見ているような気がしたが、やがて女神はつぎのように語りかけた。「わたしをあがめてくれるテレトゥサよ、そなたの苦しい心痛をすて、良人の命令にも知らぬ顔をするがよい。ルキナ(138)がそなたを身軽にしてくれたならば、男の子であろうが、女の子であろうが、その子をためらわずに育てるがよい。わたしは、救いの女神であり、懇願する者には助けを惜しまない(139)。そなたは、空《から》頼みの女神をあがめたなどと後悔することはないであろう」こういうと、女神は部屋を出ていった。〔六八〇〜七〇一〕
そこで、クレタの女(140)は、大いによろこび、床から起きあがると、けがれなき両手をうやうやしく天にむかってさしのべ、どうぞ夢が正夢でありますようにと祈った。やがて陣痛がひとしおはげしくなると、胎児はおのずとこの世にうまれでてきた。それは、女の子であったが、父親にはまだそれと知らされていなかった。母は、いつわって男の子だといいふらし、育てるようにいいつけた。人びとは、その言葉を信じた。というのは、乳母のほかには、だれひとりとしてこの秘密を知らなかったからである。父は、自分の願いがかなったことをよろこび、その子に祖父の名前をとって、イピスとなづけた。この名前は、母をもよろこばせた。なぜなら、それは男にも女にも使える名前で、そのためにだれにも嘘をつくことがなかったからである。こうして悪意のないたくらみのおかげで、この嘘は発覚しないですんだ。子供は、男の子の服装をさせられ、顔だては、少年にも少女にも似つかわしく、どちらにしても美しかった。〔七〇二〜七一三〕
こうしてイピスが十三歳になったとき、イピスよ、おまえの父親は、ディクテ(141)のテレステスの娘で、パエストゥムの乙女たちのあいだでも天与の美貌で知られた金髪の少女イアンテを、おまえの許婚者《いいなずけ》にえらんだ。ふたりは、おない年であり、容姿も似ていて、おなじ先生から最初の授業を、つまり児童教育をうけていたのである。このようにして、ふたりの無邪気なこころに愛がめざめはじめ、たがいの胸におなじ悩みを植えつけた。けれども、ふたりのいだく望みは、おなじではなかった。イアンテは、結婚と定められた華燭の日とを待ちのぞみ、男だとおもっているイピスが自分の良人になってくれるものと信じこんでいた。これに反して、イピスの方は、おなじく愛してはいても、愛する者を自分のものにできる望みはなく、そのことがかの女の情熱をよけいにつのらせ、乙女の身がおなじ乙女である相手に胸をこがしていたのである。涙もおさえやらず、かの女はひとりごちた。「いままでだれも知らなかったような、ふしぎな、奇妙な恋の悩みにとりつかれたわたしは、いったい、これから先どうなることかしら。もし神々がわたしに恋の悩みなどあたえまいとお考えなら、そうしてくださった方がありがたかったし、人なみにわたしにも恋の悩みを味わわせてやろうというおつもりなら、自然の掟にも人の道にもかなったような悩みをあたえてくださるべきだった。畜生だって、牝牛が牝牛に、牝馬が牝馬に恋い焦れるようなことはない。牝羊は牡羊に胸をこがし、牝鹿は牡鹿のあとを追っていくとしたものだ。鳥たちだって、おなじことだわ。生きとし生けるもののなかで、女がおなじ女のために憂き身をやつすようなことは、ひとつとしてないものだわ。ああ、いっそのこと、うまれてこなければよかった。このクレタの島は、ありとあらゆる怪物をうみだしたところだが、あのソルの娘(142)の場合もそうで、かの女は牡牛を愛した。しかし、それでもやはり女性が男性を愛したのだった。わたしがほんとうのことをあかせば、わたしの愛は、かの女の恋よりもまだもっと気ちがいじみていることになるわ。だって、かの女は、なんといってもウェヌスの喜びを(143)味わいたいという望みに負けたんだもの。それで、一策を案じ、牝牛にばけて、あの牡牛の愛撫をうけたのだった。それでも、かの女にだまされた相手は、やはり男性の情人だった。たとえ全世界の天才がすべてこの地にあつまって来ようとも、あるいは、あのダエダルス(144)が蝋でかためた翼をのべてもう一度とんで来ようとも、どうしてくれることができるだろうか。ダエダルスのあらゆる技術をかたむけても、わたしを乙女から若者に変えることができるかしら。あるいは、イアンテよ、あなたを男に変えることができるかしら。ああ、イピスよ、勇気をだして、気持をしっかりとさせ、こんな道ならぬ、おろかな恋をふりすてておしまい。自分で自分をあざむいたりなどしないで、自然がつくってくれたおまえのほんとうの姿をよく考えてみるがよい。おまえにゆるされた相手をもとめ、女が愛すべき者を慕うがよい。恋をうまれさせるのも、それをはぐくむのも、相手と愛のよろこびをともにすることができるという希望だわ。しかし、自然は、おまえにその希望をゆるさない。おまえから甘美な抱擁をさまたげるのは、けっして世間のうるさい眼でもなければ、疑いぶかい良人の嫉妬でもなく、父親のかたくなな厳格さでもない。おまえが求めれば、あの娘自身もこばみはしないだろう。だのに、おまえは、あの娘を自分のものにすることができない。この世のあらゆる手だてをつくしてみても、たとえ神々や人びとがおまえのために力をあつめてくださっても、おまえは幸福にはなれないのだわ。いまでさえ、わたしの願いは、ひとつとしてかなえられなかったものはない。神々は、わたしにできるかぎり慈悲ぶかく力をかしてくださった。わたしの望むことは、そのまま父の望みであり、同時にあの娘と未来の舅との望みでもある。だのに、自然は、これらすべての人たちよりもつよい力をもつ自然は、それを望まない。自然だけが、わたしの幸福をはばんでいる。ああ、待ちのぞんだ時がせまってくる。婚礼の日が近づいて、やがてイアンテはわたしの妻になるだろう。しかし、あの娘は、どうしてもわたしのものになることができないのだ。わたしたちは、水のなかにいながら渇きにくるしまなくてはならない。おお、結婚を統《す》べたまうユノ女神(145)さま、ヒュメナエウス(146)さま、女どうしが結婚をして、花婿のいないこの式礼に、あなたがたはなんのためにおいでになるのでしょうか」〔七一四〜七六三〕
イピスは、口をつぐんだ。もうひとりの乙女の方も、おなじようにはげしい情火のとりこになって、ヒュメナエウスよ、おんみが早く来てくれたらよいのにと祈っていた。さて、母親のテレトゥサは、イアンテの熱望を非常におそれて、日どりをおくらしたり、仮病をつかって日のべをしたり、また、しばしば不吉な前兆があるとか夢見がよくないとかいう口実をつかったりした。しかし、そのうちに嘘をつく材料もつきはて、のびのびにしてきた婚礼の日もまぢかにせまり、ついにあと一日をあますだけになった。そこで、テレトゥサは、自分と娘との頭にむすんだリボンをときすて、髪をふりみだして(147)イシス女神の祭壇にぬかずいた。
「おお、イシスさま、パラエトニウム(148)の地、マレオティス(149)の原、パロスの島(150)、さては七つの支流をもつニルス(151)の河を愛《め》でたまう女神さま、おたすけください。どうぞわたしたちの心配をとりのぞいてください。女神さま、むかしわたしは、あなたも、あなたがおもちの神聖な器具をも見たことがございます。鳴子《なるこ》のひびきも、それにつづく青銅の楽器も、みんな知っております。それから、女神さまのご命令も、しっかり記憶にとどめております。この子がこの世の光を見、しかもわたしの嘘がばれなかったのも、すべて女神さまの思召しとお力添えのおかげでございます。どうぞわたしたちふたりにお情けをたまわり、お助けをお垂れくださいませ」テレトゥサは、涙とともにこういった。
すると、女神は、祭壇をうごかしたようにおもえた。いや、おもえただけでなく、女神は、ほんとうに祭壇をうごかしたのであった。そして、神殿の扉も、ゆれうごき、月をかたどった角《つの》飾りは、きらきらとかがやき、鳴子がたからかに鳴りひびいた。イピスの母親は、すっかり心配が消えたわけではなかったが、それでもこの吉兆をよろこんで神殿から出ていった。いっしょに来ていたイピスも、母のあとを追ったが、いつもより大股で歩いていった。そして、顔は白さをうしない、たくましさがみなぎり、眼つきはいかにも凛々しく、ふりみだした髪の毛は、みじかくなった。それに、体内に女らしくない活力が感じられた。というのは、いままで女であったイピスよ、いまやおまえは青年となったのだ。おまえたちは、神殿に供物をささげ、女神を信じて喜びおどるがよい。事実、ふたりは、神殿に供物をささげ、それに書き札をそえた。それは、みじかい文句で、「かつて乙女として約せし捧げものを、いまここに青年としてはたしたてまつる イピス」としるしてあった。〔七六四〜七九四〕
あくる日が地上をあまねくその光で照らすやいなや、ウェヌスも、ユノも、ヒュメナエウスも、婚礼の炬火《たいまつ》のもとにあつまり、若者イピスは、かれのイアンテを妻としたのであった。〔七九五〜七九七〕
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巻九の註
(1)テセウスのこと。かれは、海神ネプトゥヌスの子であるという伝承がある。それによると、アエトラは、海神に犯され、おなじ夜に父の客人となったアエゲウスと交わったという。→巻七(95)
(2)→巻五(125)
(3)アケロウス。
(4)→巻八(55)(123)
(5)オエネウスのこと。→巻八(55)
(6)ヘルクレス(ギリシア語訓みではヘラクレス)のこと。ユピテルがテバエ王アムピトリュオンの妻アルクメナにうませた子だとされている〔巻六(27)〕。生後八ヵ月目に嫉妬したユノは、二匹の蛇をおくってかれを殺させようとしたが、かれは両の手に一匹ずつ蛇をつかんで絞めころした。その後、アムピトリュオンに戦車の操縦を、アウトリュクス〔巻八(147)〕に相撲を、エウリュトゥス(26)に弓術を、カストル〔巻八(100)〕に武器の使い方を、リノス(アポロの子とされる楽人)に音楽を学び、かくて、ユピテルの子にふさわしい偉丈夫に成長し、その射る矢と投げる槍は必中といわれ、ギリシア神話上最大の英雄となる。
(7)ユノ女神をさす。女神は恋仇アルクメナの息子を苦しめるため一時かれを狂気におとしいれるが(エウリピデスの悲劇『狂えるヘラクレス』がある)、のちミュケナエ王エウリュステウスに仕えさせ、王は女神の命によりかれに十二の難業を課する。これが有名なヘルクレスの十二功業である。→(50)
(8)ヘルクレス。
(9)ヘルクレスのこと。かれの父アムピトリュオンは、ティリュンスの王である。→巻六(27)
(10)→(6)
(11)テュボエウスとエキドナとの子で〔巻三(42)〕、レルナ〔巻一(110)〕の沼沢地に住んでいた水蛇。九つの頭をもち(その数については、五から百までの諸説がある)、八つは殺すことができるが、中央のひとつは不死であった。しかも、ひとつの頭を斬ると、そこからふたつの頭が生じてくる。ヘルクレスは、ひとつの頭を斬りおとすたびに、甥で馭者のイオラウス〔巻八(75)〕にその傷口を焼きふさがせて、あたらしい頭が生じる隙をあたえず、不死の頭は切断して地中に埋めて巨岩の下敷きにし、ついにこれを退治した。さらに自分の矢をヒュドラの血にひたして、毒矢とした。十二功業の第二番目。
(12)水の妖精。→巻一(115)
(13)天恵・豊饒のしるしとされるいわゆる宝角《たからづの》である。
(14)「充満」の擬人化女神。
(15)角《つの》のこと。
(16)ケンタウルス族〔巻二(13)、巻四(91)〕のひとり。アエトリアのエウエヌス河の岸辺にいて、神々より渡しの権利をさずかったと称して、通行人から渡河料をとりたてていた。
(17)デイアニラ。このときすでにヘルクレスの妻となり、息子ヒュルスの母となっていた。
(18)ヘラクレス。
(19)→(6)
(20)→巻一(65)。その英雄とは、ヘルクレスのこと。これの父アムピトリュオンは、ティリュンス(アルゴリス)の王であるが、ボエオティアの都テバエに亡命していて(61)、ヘルクレスはそこでうまれた。
(21)ヘルクレスは、十八歳のとき、キタエロン〔巻三(96)〕の山中に住むライオンを退治し、以後その皮衣を身にまとった。また、これはネメアのライオン(十二功業の第一番目)の皮であるとの説もある。その他かれは、メルクリウスより剣を〔巻五(32)〕、アポロより弓矢を、ウゥルカヌスより黄金の鎧を、アテナ(ミネルウァ)から長衣をさずかったという。
(22)ケンタウルス族のひとりであるネッススは、半人半馬の姿をしている。
(23)→巻四(91)
(24)ヘルクレスは、レルナのヒュドラを退治したさい、その毒血に矢をひたした(11)。かれの矢は致死的な毒をふくんだ二重に怖ろしい矢となった。
(25)ユノ女神。
(26)エウボエア島〔巻七(49)〕の町。この町の王エウリュトゥスは、弓の名人で、弓試合で自分および自分の息子たちに勝った者には娘のイオレをあたえると約束していた。ヘルクレスは、かれらを破ったが、約束のものをあたえられないので(息子たちがヘルクレスを怖れて反対したためという)、エウリュトゥスとその息子たちを殺して、イオレを奴隷として連れ去った。イオレは、デイアニラの嫉妬をまねき、それが英雄の死因になるが、その遺言によりヘルクレスの息子ヒュルス(17)の妻となる。
(27)エウボエア島の西北部にある岬。
(28)→巻八(50)
(29)ヘルクレス。
(30)ディアニラの兄。→巻八(55)
(31)ヘルクレスの従者。
(32)南部テッサリアの山脈、エウボエア島と対峙している。
(33)ユノ女神。レルナのヒュドラも、ヘルクレスを苦しめるためにユノが飼育したものだったといわれる。
(34)エジプト王、ネプトゥヌスの子という。その国に来る外国人をとらえてユピテルの神殿にささげていたが、ヘルクレスは、ヘスペリデスの園にゆく途中(43)、これを退治した。以下、ヘルクレスの武勲談が回顧される。
(35)ネプトゥヌスとガエア(大地)との子、リビュア〔巻二(56)〕に住む巨人。旅人に相撲をいどみ、負かしては、父の神殿にささげていた。その足が母なる大地からはなれると力をうしなうという秘密を見やぶったヘルクレスは、かれを空中に持ちあげて絞めころした。これもヘスペリデスの園への途中のこと。
(36)クリュサオルとカリロエとの子ゲリュオンのこと〔巻四(145)〕。ヒベリア〔巻七(64)〕のエリュテイア島(赤い島、すなわち夕陽の沈む西方の島の意)に住む三頭の怪物で、多くの牛を飼っていた。エウリュステウス(7)からこの牛たちを持ちかえることを命じられたヘルクレスは、牛飼いのエウリュティオンと番犬オルトルス〔テュポンとエキドナとの子。→巻三(42)〕とを棍棒で殺し、ゲリュオンを弓で射殺した。十二功業のひとつ。
(37)→巻四(86)。ケルベルスを地上へ連れだすことは、十二功業の最後のもので、最も困難な仕事であった(巻七の四〇九行以下)。ヘルクレスは、メルクリウスとアテナの先導で冥界に下っていったが、カリュドンの英雄メレアグロス〔巻八(55)〕に会い、その最期の様子を聞いて同情し、かれの妹デイアニラを妻にする約束をしたといわれる。また、冥界にとらわれていた英雄テセウスを救いだしたのもこのときである。→巻十二(54)
(38)海神ネプトゥヌスがクレタ島に送った猛牛で、ミノス王の妻パシパエが恋した牡牛と同一視される〔巻八(21)〕。ヘルクレスが生捕りにしたこの牛をエウリュステウスはユノ女神にささげようとしたが、女神がこれを拒否したので、牛を放った。牛は、スパルタとアルカディアをへてコリントゥス地峡を通ってマラトンの野に来て、住民を悩ました。テセウスが退治したのは、この牛であるという〔巻七(104)〕。十二功業のひとつ。
(39)エリスのアウゲアス王〔巻八(71)〕の牛小屋には三千頭の牛がいて、三十年間も掃除したことがなかった。その掃除を命じられたヘルクレスは、アルペウス河〔巻二(75)〕の水を牛小屋に引いて、わずか一日で清掃を完了した。十二功業のひとつ。
(40)アルカディアの湖。そこに青銅の鉤爪と嘴とをもった猛禽ども(ステュムパリデスという)が棲んでいて、住民を苦しめていた。ヘルクレスは、ウゥルカヌス神のつくった青銅の鳴子をアテナ女神からさずかり、その音で鳥どもをおどろかせて、とびたったところを矢で射殺した。十二功業のひとつ。
(41)アルカディアの山。ディアナ女神の聖獣で、ケリュネイア山中に住む、黄金の枝角と青銅の足をもった牝鹿を生捕ることを命じられたヘルクレスは、一年間追いまわした末、ついにパルテニウスの森でとらえた。十二功業のひとつ。
(42)小アジアの東北部、黒海に沿ったポントゥスの地(あるいは、北方の未知の地)に、アマゾン族とよばれる好戦的な女人国がある。軍神マルスを祖とする女戦士ばかりの国で、他国の男たちと交わって子供をうむが、男子は殺してしまう。弓をつかうのに邪魔にならないよう右の乳房を切除しているので、アマゾン(乳なし、の意)と呼ばれた。その女王ヒッポリュテは、中央に三つの星をちりばめた剣帯(マルスの贈物)をしていた。ヘルクレスは、テルモドン河畔〔巻二(71)〕にアマゾン軍をやぶって、剣帯を手に入れた。十二功業のひとつ。
(43)ユピテルとユノとが結婚したとき、ガエア(大地)が黄金のりんごの木を贈った。この木は、さいはての西の国、ヘスペリスたち〔巻四(122)〕の住む園にあり、ラドンという眠りを知らぬ百頭竜が番をしていた。ヘルクレスは、天を担ってやるからといって、巨人アトラスにこのりんごを取りにやらせた〔巻四(118)(121)〕。十二功業のひとつ。
(44)エリュマントゥスの猪退治に行く途中(次注)、ヘルクレスはテッサリアでケンタウルス族のひとりであるポルスのもとに立寄ったが、ケンタウルス族の共有のぶどう酒をむりに飲もうとしたことから争いになり、弓を取ってケンタウルス族の大半を射殺した。このとき賢者キロンも流れ矢をうけて死んだ。→巻二(138)
(45)エリュマントゥス〔巻二(65)、一説によるとテッサリアの山ともいう〕の山中に棲む巨大な猪がアルカディアの野を荒らしていた。ヘルクレスは、山頂の雪のなかに追いつめて、生捕りにした。十二功業のひとつ。
(46)→(11)
(47)トラキアのピストネス人の王ディオメデスは、マルスの子といわれ、四頭の火をはく牝馬をもっていて、異国人を殺しては、その肉を喰わせていたが、馬もろともヘルクレスに殺された(あるいは、馬たちは生捕りにされた)。十二功業のひとつ。
(48)アルゴリスのネメアの谷にテュポエウスとエキドナとの子といわれる不死身の大ライオンがいた。不死身であるため弓では殺せないので、洞穴に追いこみ、一方の入口をふさぎ、他方の口から入っていき、素手で首をしめて窒息死させた。十二功業の第一番目で、ヘルクレスはこの最初の手柄を記念して、この獅子の皮衣を死ぬまで身につけていた〔一説では、キタエロンの獅子の皮であるともいう。→(21)〕
(49)→(43)。巨人アトラスがヘスペリスたちの園に黄金のりんごをとりにいっているあいだ、ヘルクレスが代りに天を担っていた。帰ってきた巨人は、ふたたび天を担うことをいやがって、自分がりんごをエウリュステウスのもとへ届けてやると言いだしたが、ヘルクレスはプロメテウス〔巻一(17)〕の助言によって、頭に円座をのせるあいだだけ天を支えていてくれとたのみ、その通りにした巨人を置き去りにした。プロメテウスは、人間に火をあたえた罰としてカウカスス山上につながれ、テュポエウスとエキドナとの子である大鷲に毎日肝臓をついばまれていたが、ヘルクレスはヘスペリスたちの園へ行く途中で、鷲を射落としてかれを解放してやったのである。
(50)ユノ女神の命によりヘルクレスに十二の難業を課したミュケナエの王。なお、「ヘルクレスの十二功業」は、普通つぎの順序で成就されたとされている。(一)ネメアの獅子(48)、(二)レルナのヒュドラ(11)、(三)ケリュネイアの牝鹿(41)、(四)エリュマントゥスの野猪(45)、(五)アウゲアスの牛小屋(39)、(六)ステュムパルスの猛禽(40)、(七)クレタ島の牡牛(38)、(八)ディオメデスの人喰馬(47)、(九)アマゾン女王の剣帯(42)、(十)ゲリュオンの牛(36)、(十一)ヘスペリデスの園の黄金のりんご(43)、(十二)地獄の番犬ケルベルス(37)
(51)ヘルクレスの息子ヒュルス(17)が父を介抱してエウボエアからオエタの山(32)へつれていった。
(52)エウボエア島の北岸にある三つの小島(リカデス群島)のことだという。
(53)アポロとネプトゥヌスは、ラオメドン王〔巻十一(41)〕治下のトロイアの城壁を報酬をもらう約束で築いたが、王が約束を守らなかったので、アポロは疫病を、ネプトゥヌスは、洪水と海の怪物をおくった。ヘルクレスは、ユピテルがラオメドンにあたえた牝馬をもらう約束で怪物を退治してやったが、ラオメドンが報酬をあたえなかったので、後日テラモンらとともに遠征して、トロイアを征服した。さて、いまヘルクレスは、みなが尻ごみをしているなかで、ただひとり火葬用の薪に火を点じてくれたピロクテテス〔ポエアスの息子。→巻十三(14)〕にその矢を贈ったのである。ソポクレスの悲劇『ピロクテテス』の主人公として有名な名射手ピロクテテスは、この必殺の矢をもってトロイア戦争に参加する。
(54)古代ギリシア・ローマ人は横臥の姿勢で食事をした。
(55)死すべき人間としての肉体のこと。
(56)火神、ここでは火のこと。
(57)→巻二(2)。ここでは火のこと。
(58)→(9)
(59)ヘルクレス座。天上に召されたかれは、ユノと和解し、その愛娘ヘベ〔巻七(52)〕を妻とした。なお、かれの地上での妻デイアニラは、みずから縊れて世を去った。この経緯は、ソポクレス『トラキスの女たち』に描かれている。
(60)→巻一(119)
(61)英雄ペルセウスとアンドロメダとの息子、エウリュステウス〔(7)(50)〕の父。ヘルクレスの父アムピトリュオンがあやまってかれの兄弟エレクトリュオン〔巻六(27)〕を殺したのを口実にして、アムピトリュオンを追放して、ミュケナエとティリュンスの支配権を手に入れた。
(62)ヘルクレスの息子ヒュルスのこと(17)。父の死後、かれは兄弟たちとともにトラキン(テッサリアの町)の王ケユクス(アムピトリュオンの甥、ヘルクレスの従兄弟で友人)のもとに身をよせ、ひそかにヘルクレス一族のペロポネスス帰還をはかっていたが、エウリュステウスに追われて、アテナエに逃げた。エウリュステウスは、アテナエに戦いをいどみ、敗れて逃げる途中ヒュルスに殺された。エウリピデスに悲劇『ヘラクレイダイ』(ヘルクレスの子供たち、の意)がある。
(63)ヘルクレスの母。→巻六(27)
(64)→(26)
(65)エイレイチュイアともいわれ、ユピテルとユノとの娘で、お産の女神。ローマのルキナ〔巻五(56)〕にあたる。
(66)ヘルクレスの出産がせまったとき、ユピテルは、この日にうまれるペルセウスの子孫〔ヘルクレスの両親はともにペルセウスの孫である。→巻六(27)〕はアルゴスの王となり、地上を支配するであろうと告げた。これを知ったユノは、イリテュイア(前注)に命じて、ヘルクレスの誕生をおくらせ、エウリュステウス〔かれもペルセウスの血を引いている。→(61)〕をまだ七ヵ月であったにもかかわらず先にうまれさせたという。
(67)→巻五(56)
(68)ローマの、産婦をまもる三体の守護神。
(69)産婦のいる家で指をくみあわせたり、あぐら坐りをするのは、分娩をさまたげる悪い振舞いだと信じられていた。
(70)テバエのこと〔カドムスはその建設者→巻三(3)〕
(71)東洋の坐禅の姿勢に似ているが、これも産婦には不吉であると見なされた。→(69)
(72)いたちになったのである。古代人は、いたちは口から仔をうむと信じていた。
(73)オエカリアの王エウリュトゥス(26)の娘、イオレの異母姉妹。ただし、普通の伝承では、ペラスギ族にぞくするドリュオペス人の祖でリュカオン〔巻一(33)〕の孫にあたるドリュオプス王の娘とされる。ドリュオペス人は、エウボエアやテッサリアやペロポネススに移動したため、各地で類似の伝説をうんだらしい。
(74)ゴルゲ〔デイアニラの姉妹、巻八(119)(123)〕の子オクシュルスの息子。
(75)アポロとドリュオペとの子で、アムピッススという。
(76)→巻六(66)
(77)小アジアに起源をもつ生殖・豊饒の神、ぶどう畑や果樹園の守護者。生産力をしめす男根の上体、それにみにくい人間の胴体のついた姿(あるいは、巨大な男根をもった人間の姿)で考えられた。
(78)ロティスは、蓮の意。
(79)その実は美味で、これを食べた者は、自分のうまれた国を忘れるという。なつめに似た木だといわれる。蓮になったという説もある。
(80)近親者が死者の眼をとじてやる習慣をさしている。
(81)→巻八(75)。かれは、ヘルクレスの最初の妻メガラ(テバエ王クレオンの娘)と結婚し、ヘルクレスを神として敬った最初の人とされる。ヘルクレスの多くの子供たち(ヘラクリダエという)とアテナエ人たちをつれてサルディニアに移住し、多くの都市を建設し、非常な高齢まで生きた。かれがヘベのはからいで若返ったのは、一日だけで、(62)でのべたエウリュステウスとの戦いに参加するためであった(エウリピデス『狂えるヘラクレス』を参照)
(82)→(59)
(83)→巻一(70)
(84)以下にテミス女神の予言として簡単にのべられるのは、アイスキュロスの『テーバイを攻める七将』で有名なテバエ戦争である。テバエ王オエディプス〔巻七(152)〕が盲目になって王位を追われたあと、その双子の息子エテオクレスとポリュニケスは、一年交替でテバエの統治をすることにきめたが、前者は協定をやぶり、最初の一年がすぎても政権をゆずらなかった。ポリュニケスは、国を出て、テバエ王家につたわるハルモニアの長衣と頚飾り〔巻三(17)〕をたずさえてアルゴス王アドラストゥスに助けを求めた。アドラストゥスは、娘をかれにあたえ将軍をあつめる。アドラストゥスの姉妹エリピュレの良人アムピアラウス〔巻八(87)〕は、予言の能力を有し、この戦いが自分に死をもたらし、失敗におわることを予言して反対したが、ポリュニケス(あるいはアドラストゥス)は、エリピュレをハルモニアの頚飾りで買収して良人を出征させる。かくて、テバエ征討に参加したのは、この三人とメッセニアの勇士カパネウス、テュデウス(カリュドン王オエネウスの子、メネアグロスの兄弟)、アルカディアの勇敢な美青年パルテノパエウス、ヒッポメドン(アドラストゥスの甥でレルナの城主)の七将たちである。七人は、テバエの七つの市門をそれぞれ攻めた。その結果、ピッポメドンとパルテノパエウスは戦死し、城壁によじのぼったカパネウスは、ユピテルの雷電に打ち殺され、テュデウスは敵将のひとりに撲殺され、ポリュニケスは、エテオクレスと王座をかけて戦い、相討ちで死ぬ。アムピアラウスは、ユピテルの稲妻がひき裂いた大地に呑まれ、アドラストゥスのみは、駿馬アリオン〔巻六(36)〕にのって逃げのびる。十年後に七将の子供たち(エピゴニと総称される)が、アルクマエオン(アムピアラウスとエリピュレとの息子)にひきいられてふたたびテバエにむかい、これを攻略する。
(85)妻のエリピュレにだまされたアムピアラウス(前注)は、息子のアラクマエオンに、母を殺して仇をはらすようにと命じてテバエに出征した。それから十年後に、エピゴニ(七将の子供たち)は、亡父たちの仇討ちをすべく神託をうかがうとアルクマエオンの指揮により勝利をえるであろうと告げられた。アルクマエオンは出征をためらったが、テルサンドルス(ポリュニケスの子)に、ふたたびハルモニアのペプロス(長衣)で買収されたエリピュレは、息子に出征を強要した。アルクマエオンは、父の遺志を重んじて母を殺した上、テバエを攻め、ラオダマス(エテオクレスの子)を殺して、テルサンドルスを王位につけた。
(86)→巻六(104)
(87)母殺しの罪を問われたアルクマエオンは、諸国を放浪した末、プソピス〔巻五(131)〕の王ペゲウスのもとに身をよせて、その娘アルシノエと結婚し、母がもっていたハルモニアの長衣と頚飾りをあたえる。しかし、安住できないので、デルピの神託にしたがい、河神アケロウス〔巻五(125)〕のもとに行き、母を殺したときまだ存在していなかった土地、すなわち、たぶんエキナデス群島〔巻八(135)および五七七行以下〕で罪を清められて、河神の娘カリロエ〔巻四(145)とは別人〕を妻とする。カリロエは、ハルモニアの長衣と頚飾りをほしがる。かれは、ふたたびペゲウスの国に帰り、デルピの神(アポロ)にささげるのだといつわって、宝物の返却をもとめるが、かれの従者の口から真相を知ったペゲウスは、ふたりの息子にかれを殺害させる。
(88)アルクマエオンのこと。母エリピュレを殺して父の仇をうったのでかくいう。→(85)
(89)その後カリロエは、ユピテルに祈って、幼いふたりの子供アカルナンとアムポテルスとを一時に成人させ、ペゲウスとその息子たちを殺させて、アルクマエオンの復讐をする。そして、ハルモニアの頚飾りとペプロスを、アケロウスの忠告にしたがってデルピのアポロに奉納する。
(90)ヘベは、ユピテルとユノとの娘であるが〔巻七(52)〕、一説によると、ユノの娘ではあるが、父はユピテルではないといわれる。かの女は、ヘルクレス(ユピテルとアルクメナとの子)の妻であるから、ユピテルの嫁でもある。
(91)ティタン神族〔巻一(1)〕のひとり。アストラエウス〔巻二(15)〕の兄弟。その娘とは、曙光の女神アウロラのこと。普通にはヒュペリオンの娘とされているが、パラスの娘とする伝承もある。アウロラは、トロイア王ラオメドン(53)の子である美少年ティトヌスを誘拐して良人とし、かれのためにユピテルに乞うて不死をかちえたが、永遠の青春を願うのをわすれてしまった。ふたりのあいだに息子メムノンがある。→巻一三(131)
(92)ユピテルとエレクトラ〔プレイアデスのひとり、巻一(117)〕との子、ケレス女神〔巻五(74)〕の愛人で、ふたりのあいだに富の神プルトゥスがある。
(93)→巻二(2)
(94)→巻二(120)。かれは、ウゥルカヌス神の子だという説もあり、死後天上に召されて、星になった。
(95)トロイアの近くのイダ山麓にあるダルダニアの王。イダ山中で家畜を追っているところをウェヌスに見そめられ、ふたりのあいだに英雄アエネアス(ウェルギリウスの『アエネイス』の主人公)がうまれた。
(96)→巻七(119)
(97)ミノス王の兄弟、ユピテルとエウロパとの子、クレタ島の立法者。→巻七(114)
(98)→巻七(114)。以上三人は、いずれもユピテルの息子で、死後冥界の裁判官となった。
(99)イオニア(小アジア)のマエアンドルス河口にある港町ミレトゥス(ミレトス)の建設者、ポエブス(アポロ)とデイオネ(詳細不明)との子。普通には、ミノスの孫娘アカカリスとアポロとの子で、ミノスの怒りを怖れた母親が森に棄てたのを牝狼が育て、羊飼いに拾われ、成人してからミノスがその美貌に惹かれて、それと知らずに犯そうとしたので、サルペドン〔巻七(114)〕の忠言で小アジアに遁れたとされる。
(100)アエガエウムにおなじ(エーゲ海)。
(101)妖精、マエアンドルス河神の娘。ミレトゥスとのあいだにビュブリスとカウヌスの双生児をうむ。
(102)マエアンドルスのラテン語形。→巻二(68)
(103)カウヌスのこと。
(104)→巻一(84)
(105)ローマの古い豊饒の女神で、サトゥルヌス〔巻一(22)〕の妻。サトゥルヌスがギリシアのクロノスと同一視されたので、オプスもレア(クロノスの姉妹で妻)と同一と考えられた。
(106)→巻二(11)
(107)ホメロス『オデュッセイア』第一〇歌七行によると、風神アエオルス〔巻四(124)〕は、その六人の息子たちを六人の娘たちと結婚させたという。
(108)古代人は、ふつう蝋板をつかって、尖筆で字を書いた。この尖筆は、先にとがった鉄芯がついていて、もう一方の端は平べったく、蝋板の文字を消すのにもちいた。
(109)手紙の冒頭には差出人の名前を書き、そのつぎには挨拶の形で受取人の名前を書く。たとえば、ビュブリスは、つぎのように書いたのであろう――「妹がカウヌスに挨拶をお送りいたします」と。
(110)封をするのに印章指輪をもちいるが、印章に蝋がくっつかないように、捺すまえに印章を水や唾液でぬらすのが普通である。
(111)カウヌス。
(112)カリア(小アジアの南西部)にあるカウヌスという町。
(113)ビュブリス。
(114)トラキアのイスマルス山では、バックスの女信者たち(バッカエ)が狂乱的な神事をおこなった。→巻六(117)
(115)カリア(112)の町。
(116)→巻八(4)。古くはおそらくカリアの住民(または、その同族)であったらしい。
(117)→巻四(64)
(118)リュキアの山脈。
(119)リュキアの町。
(120)→巻二(66)
(121)→巻六(79)。このような地名の列挙のしかたは、たいていの場合、地理的な位置関係を度外視している。
(122)カリアの妖精たちの意。
(123)→巻一(115)
(124)ビュブリスの泉は、ミレトゥスの近くにあった。
(125)クレタ島のリグドゥスの娘。男に変身した。
(126)ミレトゥスは、クレタ島からの移民の町である。クレタには多くの町があったので百の町々という。→巻八(23)
(127)→巻三(31)
(128)クレタ島の町(ギリシア語訓みでは、パイストス)
(129)父親は、うまれてきた子供の生殺にかんする絶対的な権利をもっていた。
(130)エジプトの豊饒の女神イシスをさす。オシリス神(136)の妻、角のある牝牛の頭をしていると考えられた。ユピテルに愛され牝牛に変えられたアルゴス王イナクスの娘イオ〔巻一(108)(109)〕は、ユノ女神に追われてエジプトに落ちのび、おそらく牝牛を媒体としてイシスと混同されるにいたったので〔巻一の五八三行以下および(134)〕、イシスをイナクスの娘とよんだのである。豊饒女神としてのイシスは、ケレス(デメテル)とも同一視される。
(131)エジプトの死者の神。犬(ジャッカル)の頭をしていると考えられた。イシスがオシリス神をさがし出すのを助けた。
(132)エジプトの月の女神。山猫の頭をしていると考えられ、ディアナ(アルテミス)と同一視される。
(133)エジプトの牛神で、メムピス市〔巻一(135)〕がその崇拝の中心。黒毛の牡牛であるが、額に白い斑毛があり、右腹にも三日月形の斑毛があるので、「まだらな色をした」といわれた。
(134)オシリスとイシスとの息子ハルポクラテスのこと。指をくわえた童児の姿であらわされるので、ギリシア人やローマ人は沈黙の神と考えた。この神は、長じてホルスとよばれ、太陽神となる。
(135)イシス女神がオシリスをさがすときに打ち鳴らした金属性の大きな鳴子(打楽器)で、魔祓いの力があると考えられた。
(136)エジプトの冥府の神、イシスの良人〔豊饒の女神が地下神と関係をもつ点は、ケレス・プロセルピナとプルトとの神話と似ている。→巻五(74)〕。かれにはセト〔ヘブライ語の「サタン」と同語源といわれ、ギリシアではテュポエウスと同一視される。→巻三(42)〕という弟があったが、セトは兄を殺して、その屍体を八つ裂きにしてナイル河に投じた。オシリスの姉妹で妻でもあるイシスは、長い探索のすえ良人の死体をあつめて葬り、その子の太陽神ホルス(134)と力をあわせて、多くの困難ののち王国をうばっていたセトを殺して復讐する。殺されて、ふたたび見いだされるオシリスは、穀物の年ごとの凋落とよみがえりをあらわすのであろう。
(137)古代エジプトでは、蛇は神聖視されていたが〔テバエの建設者カドムスにまつわるスパルトイ伝説にその影響が見られる。巻三(14)〕、毒蛇は犯罪人の処刑につかわれた。
(138)→巻五(56)
(139)イシスは、恵みの女神として、とりわけ病人たちに崇拝された。
(140)テレトゥサのこと。
(141)→巻三(1)
(142)海神ネプトゥヌスがミノスにおくった牡牛に恋して、怪物ミノタウルスをうんだパシパエのこと。→巻四(30)、巻八(21)
(143)性愛の快楽。
(144)→巻八(25)
(145)ユノは、結婚をつかさどる女神でもある。→巻六(102)
(146)→巻一(88)(男神)
(147)神頼みをするときは、苦悶の表現として髪をときみだした。
(148)アフリカ北岸の海港。
(149)北エジプトのマレオタ(マレア)湖の周辺地域。アレクサンドリア市もここにある。
(150)アレクサンドリア市の近くにある小島、のちプトレマエウス・ピラデルス王の建てた灯台で有名になった。
(151)ナイル河。
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巻十
一 伶人《うたびと》オルペウスとエウリュディケ
ヒュメナエウスは、この地(1)からサフラン色(2)の衣をまとって無限の大空をよぎり、キコネス人(3)たちの住む岸辺におもむき、そこでオルペウス(4)に呼ばれたが、なんの役にもたつことができなかった(5)。かれは、たしかに婚礼に立会いはしたが、おごそかな喜びの歌ごえも、うれしげな顔も、めでたい瑞兆ももたらさなかったのである。かれが手にする炬火《たいまつ》も、涙をもよおす煙をあげてたえずくすぶり、いくら振りまわしても明るい焔にはならなかった。しかし、結末は、前兆よりもさらにもの悲しいものであった。というのは、新妻(6)がナイスたちの群につきそわれて草原を散歩していたとき、踵《かかと》を蛇にかまれて、死んでしまったからである。〔一〜一〇〕
ロドペ(7)の伶人《うたびと》は、妻をいたんで地上で十分泣きつくすと、こんどは亡霊たちの国へいこうとおもい、タエナルス(8)の門をとおって、大胆にも黄泉《よみ》の国へと降りていった。かれは、埋葬の礼をうけた亡霊たちのむらがるなかを通りぬけて、ペルセポネ(9)とその良人《おっと》である悲しみの国の支配者・亡霊たちの王(10)のもとへとすすんでいった。そして、歌にあわせて弦をかきならしながら、つぎのようにのべた。
「地上に生をうけたわたしたちがみないつかは落ちゆく地下の国を統《す》べたまう神々よ、わたしが作り話などをやめて、真実を語ることがあなたがたの禁制にふれないならば、おゆるしをえて申しあげます。わたしがここに降りてまいりましたのは、うす暗いタルタルス(11)を見物するためでもなければ、メドゥサの血をひく怪物(12)の、蛇髪をはやした三つの喉くびをしばるためでもありません。わたしは、妻をさがしにまいったのです。妻は、足でふみつけた一匹の蛇のために毒を注入され、女ざかりの年で死んでしまいました。わたしは、この不幸をじっと堪えぬく力があるとおもい、事実また堪えようとつとめました。しかし、アモル(13)がわたしをうち負かしてしまいました。これは、地上の世界ではよく知られた神なのです。当地でもそうであるかどうかは存じませんが、たぶん知られているだろうとおもいます。といいますのは、世につたわる昔の誘拐事件が嘘でないならば、あなたがた(14)も、このアモルの神のおかげでむすばれたのですから。
わたしは、この恐怖にみちた国、空漠としたこの大きな混沌《カオス》、この広大な国の沈黙にかけてあなたがたにお願いします。どうかあまりにも早く絶えたエウリュディケの運命の糸を、もう一度解いてやってください。わたしたちは、あらゆることをあなたがたに負うております。現世のみじかい旅をおわれば、わたしたちはみなこのおなじ居所にいそぐのです。わたしたちのめざすところは、ここなのです。こここそ、わたしたちの終《つい》の棲家です。ですから、人間をいちばん長いあいだ支配されるのは、あなたがたです。妻もまた、十分に年をとり、墓に入るにふさわしい年齢になって天命を全うすれば、かならずあなたがたの配下に入るでしょう。どうか妻をもう一度人生を楽しむことができるよう、お恵みを垂れてください。もし運命が妻にこの恩恵をこばみますなら、わたしは地上に帰らぬ決心をしております。どうぞわたしたちがふたりとも死ぬのを見てたのしんでください」〔一一〜三九〕
かれがこのようにうたい、それにあわせて弦をかきならすと、血の気のない亡霊たちもみな涙をながした。タンタルス(15)は、どうしても口にすることのできない水を追いもとめることをやめ、イクシオンの火の車はとまり、はげ鷹どもは、その犠牲者の肝臓をひきさくことをわすれ、ベルスの孫娘たちは、その水甕をすて、さらに、シシュプスよ、おまえもまた、おまえの岩の上に腰をおろしてしまった。エウメニデス(16)も、この哀切きわまりない歌にこころをうごかして、このときはじめて頬を涙でぬらしたという。
こういうわけで、冥府の王妃も王者も、オルペウスの願いをしりぞけることができなかった。そこで、かれらは、エウリュディケをよびにやった。かの女は、あたらしい亡霊たちのあいだにいたが、傷のために足をひきずりながらやってきた。ロドペのオルペウスは、アウェルヌス(17)の谷を出るまではけっして後ろをふりかえらない、さもないと、この恩恵は水泡に帰してしまうであろう(18)、という約束のもとに妻をとりもどした。〔四〇〜五二〕
ふたりは、濃い霧におおわれた、くらい、急な坂道をふかい沈黙につつまれてのぼっていった。そして、地表の縁《へり》からそう遠くないところまで来たとき、やさしい良人は、妻がおくれはしまいかという心配と妻の様子を見たいという気持から、つい後ろをふりかえってしまった。すると、妻は、たちまち後ろへひきもどされた。あわてて腕をのばし、良人につかまえてもらい、また、良人をつかまえようとやっきになったが、つかまえることのできたのは、あわれにもつかまえどころのない空気ばかりであった。こうしてふたたび死の国へつれもどされながらも、かの女は、良人のことをすこしも怨まなかった。というのは、自分が愛せられていたということ以外に、なにを怨むことがあったであろうか。かの女は、良人に最後の挨拶をつげた。しかし、それはもう良人の耳にとどいたかどうかわからない。かの女は、ふたたびもとの場所へ落ちていったのであった。〔五三〜六三〕
オルペウスは、妻がふたたび死の国にうばい去られたのを見ると、呆然として立ちすくんでしまった。それは、ちょうど三つの頭をもち、その真中の首が鎖につながれているあの地獄の番犬(19)を見てふるえおののき、そのからだが石と化するまで恐怖がおさまらなかったというあの臆病な男(20)とおなじようであったといえようか。また、妻のあやまちをわが身にひきかぶり、罪人とおもわれようとしたオレヌス(21)と、おのが美貌を誇りすぎたその不幸な妻レタエア、おまえたちのかたくむすばれたこころは、いまは水の多いイダ山中(22)のふたつの岩となっているが、このときのオルペウスは、おまえたちのように石に化するかとおもわれたのであった。かれは、祈った。そして、もう一度下界に降りていこうとしたが、渡し守(23)に追いかえされてしまった。それでもかれは、七日のあいだケレスの恵みである食物も口にしないで、喪服のまま岸辺にすわっていた。かれが口にした食物といえば、おのが恋心と心痛と涙だけであった。やがて、地獄の神々は無慈悲であると恨みながら、ロドペへ、北風の吹きすさぶハエムス(24)へ帰っていった。〔六四〜七七〕
すでにティタン(25)は、水に棲むピスケス(26)におわる一年の旅を三度終えていた。オルペウスは、女とのすべての交渉を断ってしまった。それは、かれが女ゆえに不幸な目にあったためかもしれぬが、あるいは、自分の誠実を誓ったためであったのかもしれない。この詩人に思いをよせ、恋こがれた女たちは多かったが、みな拒絶の憂き目を味わわねばならなかった。トラキアの人びとに、少年を愛し、まだ大人にならぬうちに人生の春と最初の花とを摘むことを身をもって教えたのは、じつにオルペウスその人だったのである。〔七八〜八五〕
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二 キュパリッススの悲しみ
さて、ここにひとつの丘があって、その頂上は、青々とした草におおわれた広い高原になっていた。そこには木蔭というものがまったくなかった。ところが、かの神々の血をひいた伶人《うたびと》(27)がここに腰をおろして、高鳴る弦を弾じると、たちまち鬱蒼たる木蔭ができた。そこにあらわれた樹々は、かのカオニアの名木(28)、ヘリアデスの木(29)、鬱蒼としげる柏、やわらかい菩提樹、ぶな、乙女の月桂樹(30)、しなやかな榛《はしばみ》、投げ槍をつくるのによいとねりこ、節《ふし》のない樅《もみ》、実をいっぱいつけた樫《かし》、こころをたのしませるすずかけ、とりどりな色になる楓《かえで》、さらに川辺に生いたつ柳、水の友であるロトゥス(31)、常緑の黄楊《つげ》、ひょろながい御柳《ぎょりゅう》、ふたつの色をもつ桃金嬢《ミルテ》、黒ずんだ実のなる潅木《かんぼく》などであった。さらに、蔓《つる》の足をもった蔦《つた》よ、おまえたちも引きよせられてきたし、それとともに、ふさふさとした実をつけた葡萄、葡萄にまきつかれた楡《にれ》、満那《まな》の木、えぞ松、赤い実のなる楊梅《やまもも》、勝利の飾りとなるすらりとした椰子、さらに、神々の母なるキュベレ女神(32)の寵をうけたアッティス(33)が女神のために人間の姿をうしなってそのかたい幹となり、そのために女神の愛木となったといわれる、梢に髪の毛のような葉をしげらせた松――これらの木たちもやってきた。〔八六〜一〇五〕
これらの木たちのなかには、円錐形をした糸杉もいた。この糸杉というのは、いまでは木であるが、かつては七弦琴の糸と弓の弦《つる》とをたくみにあやつる神(34)に愛されたひとりの少年(35)であった。というのは、むかしカルタエア(36)の町に住む妖精たちにささげられた一匹の大鹿がいた。みごとにひろがったその角は、頭上にふかい影をおとし、金いろに燦然とかがやいていた。まるい首には、宝石をちりばめた首飾りが肩まで垂れさがっていた。額にも、小さな革紐でとめた銀のブローチがうまれたときから垂れていた。また、両耳には、真珠がぶらさげられ、こめかみのあたりにかがやいていた。かれは、もの怕《お》じせず、うまれつき臆病さがなく、よく人里にやってきては、見知らぬ人の愛撫にも首をさしだすのであった。
しかし、キュパリッススよ、ケオスの民のなかで最も美しい少年よ、おまえほどこの鹿をかわいがった者はいなかった。おまえは、あたらしい草のところへ、きよらかな泉の水のほとりへと、この鹿をつれていった。とりどりな色の花をその角にむすんでやったり、またその背にまたがって、やわらかな口を緋《ひ》の手綱であやつりながら、ここかしこに騎《の》りまわしたりした。
ある夏の日ざかりのころ、太陽の酷熱は、浜辺に住む巨蟹《おおがに》(37)のまがった腕にじりじりと照りつけていた。鹿は、熱さに疲れて草原に身をよこたえ、樹蔭のすずしい空気をたのしんでいた。このとき、キュパリッススは、あやまって鋭い投げ槍をこの鹿につきさしてしまった。自分があたえたむごい傷のために鹿が死にかかっているのを見ると、かれは、自分も死んでしまいたいとおもった。ポエブスは、どんなにか慰めの言葉をかけ、あまりふかく悲しまないように、悲しみをほどほどにしておくようにと、どんなにか言ってきかせたことであろうか。けれども、少年の悲嘆はおさまらず、ついに神々にむかって、最後の贈物として永遠に悲しみつづけることをおゆるしください、と懇願するにいたった。そのうちに、とどめなき涙のために血が涸れはてると、手足が緑いろに変りはじめた。そして、いままで雪のような額にたれていた髪の毛は、こわい毛になり、そのまま硬くなって、先のとがった形をして星のきらめく天空を仰ぎみた。ポエブスは、これを悲しんで、こういった。「わたしは、いつまでもおまえのために泣こう。おまえは、ほかの人びとのために泣き、また、悲しむ人たちに仕えるがよい(38)」〔一〇六〜一四二〕
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三 美少年ガニュメデス
楽人は、このように多くの樹々をひきよせ、野獣の群やたくさんの鳥たちの中央に坐した。そこで、拇指《おやゆび》ではじいて弦の調子をしらべ、それぞれの音が異なった調べを発しながらも和音をかなでるのをたしかめると、つぎのようなことを歌いはじめた。〔一四三〜一四七〕
「おお、母なるムサ(39)よ、わたしの歌をユピテルからはじめさせてください。なにごとも、ユピテルの支配下にあるのですから。わたしは、なんどもユピテルの力をうたった。しらべ高き歌で、巨人《ギガス》たち(40)やプレグラの野に投げつけられたすさまじい雷電《いかずち》をうたった。けれども、いまはもっと軽やかな歌がよい。きょうは、神々に愛された少年たちや、禁じられた恋に狂い、欲情のゆえに罰せられた乙女たちのことをうたおうとおもうのだ。〔一四八〜一五四〕
神々の王者は、かつてプリュギアの少年ガニュメデス(41)にたいする恋に胸をこがした。そこで、ユピテルは、自分以外の姿に身をやつしたいとおもい、ここにひとつの姿がつくりだされた。しかし、ユピテルが姿をかりるとすれば、あの稲妻をはこぶことのできる鳥(42)よりもふさわしいものはなかった。こうして大神は、すぐさまかりそめの翼をはばたいて大気をよぎり、イルス(43)の孫をさらってしまった。いまもなお酒盃の用意をととのえ、ユノの意にさからってユピテルに神酒《ネクタル》をすすめているのは、この少年である」〔一五五〜一六一〕
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四 花になったヒュアキントゥス
「おお、アミュクラスの息子(44)よ、もしままならぬ運命がその時間をあたえてくれたならば、ポエブスは、きっとおまえをも天上に引きあげてくれたことであろう。しかし、それでも、ゆるされた範囲内では、おまえも不死の存在である。春が冬を追いはらい、白羊宮《はくようきゅう》が雨をふくむ魚座とかわるたびに(45)、おまえはよみがえって、緑なす草原に美しい花をひらく。わたしの父(46)は、おまえをこよなく愛し、父がエウロタス(47)の河辺と城砦なきスパルタ(48)の町におまえを訪ねていっているあいだは、世界の中心デルピ(49)は、その守護神をうしなったのである。かれは、その七弦琴も弓矢もすててかえりみなかった。それどころか、自分が神であることもわすれて、おまえのために網をもち、犬をひき、けわしい山の頂きをおまえの伴侶《とも》となって歩きまわり、こうしてながいあいだおまえの身のまわりにいることでその情熱をさらにもやすのだった。〔一六二〜一七三〕
すでにして太陽は、来るべき夜とすぎさった夜との中間にかかり、両方からひとしい距離にあった(50)。ふたりは、着ていた衣をぬぎ、油をぬった肢体をひからせながら、大きな円盤を投げて腕をきそいあった(51)。まずポエブスが円盤をもってはずみをつけ、空たかく投げあげ、行手をさえぎる雲をその重みで切りさいた。しばらくたってから、円盤はどさりと地上に落下してきて、投げ手の力と技《わざ》をしめした。これを見ると、向うみずなタエナルス(52)の少年は、負けるものかと夢中になって、すぐさま円盤を拾おうとして駈けよった。ところが、円盤は、落下のはずみでかたい大地からはねかえり、ヒュアキントゥスよ、おまえの顔にあたったのだ。少年も神自身も、おなじようにまっ蒼になった。神は、たおれた少年をだきおこし、からだをこすったり、かなしい傷口からながれる血潮をぬぐってやったり、薬草をあてがって去りゆくたましいをひきとめようとしたりした(53)。しかし、これらの介抱は、なんの効果もなく、傷はついに癒《いや》すことができなかった。ちょうど水をひいた花園ですみれや罌粟《けし》や黄いろい花粉をつけた百合の花などを手折ると、すぐにしぼんでぐったりとまがり、身をささえきれなくなって頭を地にむけるのとおなじように、死にゆくヒュアキントゥスも、顔をぐったりとうなだれ、力のぬけた首は、重たげに肩の上にのけぞった。そこで、ポエブスは、こういった。
『おお、オエバルスの息子(54)よ、青春の花をうばわれて、おまえは死んでいく。わたしは、おまえの傷のなかにわたしの罪を見る。おまえは、わたしの悲しみであり、罪である。おまえを死にいたらしめたのは、わたしのこの右手だ。わたしこそは、おまえの死の下手人なのだ。だが、いったい、わたしはどんな罪をおかしたというのだろう。競技をしたことが罪といえるだろうか。愛したことが罪であろうか。せめてその報いとしておまえといっしょに死ねたらよいとおもう。しかし、運命のさだめがそれをゆるさない以上は、おまえが永遠にわたしのそばにいて、おまえの名がいつまでもわたしのこころから消えないようにしよう。わたしのかきならす七弦琴とわたしの歌は、いつもおまえのことをうたいつづけるであろう。そして、おまえは、あたらしい花となって、その花びらの文字によってわたしの嘆きを真似るであろう(55)。また、いつの日にか、たぐいなく勇猛なひとりの英雄(56)がおなじ花となって、その名をおなじ花びらの上にのこすであろう』〔一七四〜二〇八〕
アポロがまごころあふれる口でこのようにのべているうちに、見よ、地上に散って草を染めていた少年の血は、もはや血ではなくなって、テュルス(57)の緋衣よりもさらにかがやかしいひとつの花が咲きでてきた。その恰好は、百合によく似ているが、百合が銀白いろであるのにたいして、これは深紅であった。しかし、ポエブスは、これだけでは満足せず(というのは、このような恩恵をあたえたのはかれ自身であるから)、その花びらの上にみずからの嘆きの文字をも書きしるした。それで、この花は、いまでもAI・AIという文字をつけていて、この文字は、悲しみの文字とよばれている(58)。スパルタの町は、ヒュアキントゥスをうんだことを恥とはおもわなかった。スパルタがかれにささげる尊崇は、今日にまでつづいていて、年ごとにヒュアキントゥスの祭典(59)が、昔ながらのしきたりにしたがって華やかにくりひろげられるのである。〔二〇九〜二一九〕
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五 春を売るプロポエティデス/ケラスタエ
「これにひきかえて、あの金属に富むアマトゥス(60)の町に、この町がプロポエティデス(61)をうんだかどうかとたずねるならば、ケラスタエ(62)とよばれる、額に二本の角をはやした怪物たちをうんだことと同様、これらの乙女たちをうんだことを否定するにちがいない。ケラスタエの門口には、客人守護の神ユピテル(63)の祭壇が設けられてあった。もしだれか他国の人が血にそまったこの祭壇を見たならば、まだ母の乳房をはなれぬ仔牛かアマトゥスの小羊が犠牲にささげられたのだとおもうことであろう。だが、かれらが殺したのは、客人であったのだ。やさしいウェヌスでさえ、この無道な犠牲に憤激して、かの女の愛する町々(64)とオピウサ(65)の野を去ろうとしたが、思いなおして、『だけど、このおだやかな国とわたしの町々がどんな悪いことをしたというのだろう。それらにどんな罪があるというのだろう。むしろこの恥しらずの住民ども(66)に追放か死によって、あるいは、そのどちらでもないような罰によって罪のつぐないをさせてやる方がよいかもしれない。そのためには、かれらの姿を変えてしまうこと以外にどんな罰があろうか』こういって、どんな姿に変えてやろうかと思案しているうちに、ふとかれらの角が女神の眼にとまって、この角をそのままのこしてやろうと思いついた。そこで、女神は、かれらの巨大な体躯を狂暴な牡牛に変えてしまったのだった。〔二二〇〜二三七〕
けれども、破廉恥なプロポエティデスは、不遜にもウェヌスの神性を否定した。このためにかの女たちは、女神の怒りにふれて、みずからの美しい肉体を売る最初の女たちになったといわれる。こうしてかの女たちは、羞恥心をうしない、その顔の血もかたくなり(67)、ついにわずかばかりの変化によってかたい燧石《ひうちいし》になってしまったのである」〔二三八〜二四二〕
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六 象牙の人形に恋したピュグマリオン
「ピュグマリオン(68)は、かの女たちがこのような恥しらずな生活をおくっているのを見ると、自然が女たちのこころに数多くあたえている弱点につくづくいや気がさして、妻をめとる気がせず、独身生活をつづけ、ながいあいだどんな女とも臥床《ふしど》をともにしなかった。そのうちに、かれは、おどろくべき神技をふるって、雪のように白い象牙で自然がうみだしたいかなる女もおよぶまいとおもわれるような美しい女体《にょたい》を彫刻した。そして、みずからつくりだしたこの女像にふかい恋ごころをおぼえた。それは、まるで血のかよった乙女そっくりで、とても拵《こしら》えものの人形とは見えず、女ごころのはにかみに妨げられなければ、いまにも動きだすかとおもえるほどであった。人工の技とはおもえないほどの、それは名技であった。ピュグマリオンは、すっかり有頂天になって、この見せかけの女体に胸をこがした。そして、それが肉でできているのか、それとも象牙でできているのかをたしかめるために、しばしばおのが作品に手をふれてみるのだった。それでもなお、象牙でできているとは信じられなかった。かれは、人形に接吻をした。すると、接吻をかえしてくるようにおもわれた。また、話しかけ、抱きしめてみた。すると、指におされて肉がへこむような気がした。かれは、つよくおさえたところに蒼い痣《あざ》がのこりはしまいかとおそれた。かれは、この恋人を愛撫したり、若い乙女がよろこぶような貝がらや、なめらかな小石や、小鳥や、色とりどりな草花や、百合や、いろんな色にぬりあげた毬《まり》や、樹から滴《したた》ったヘリアデスの涙(69)などを贈ったりした。また、美しい着物を着せ、指には宝石の指環をはめ、首にはながい頸飾りを、耳にはかるい真珠を、胸には鎖をかけてやった。それらは、みなよく似合ったけれども、一糸もまとわぬ姿も、それにおとらぬ魅力にとんでいるようにおもわれた。かれは、かの女をシドン(70)の紫紅でそめた褥《しとね》の上に寝かせ、閨房の伴侶《とも》とよび、そのかしげた頭を、まるで感覚をもったもののように、やわらかい羽根枕の上にのせてやった。〔二四三〜二六九〕
そのうちに、キュプルスが全島をあげてウェヌスを盛大に祭る日がやってきた。まがった角に黄金をかぶせた牡牛の白い頚部に斧の一撃をあびせて屠《ほふ》り、香《こう》が焚かれた。ピュグマリオンは、供物をささげおわると、祭壇のまえに立って、はにかみながら、『もしあなたがた神々がどんなことでもかなえてくださることができるならば、どうぞあの象牙の乙女に似た女を(さすがに、あの象牙の乙女を、とはいえなかった)妻としてあたえてください』と祈った。すると、金色にかがやくウェヌスは、みずからこの祭りに臨席していたので、ピュグマリオンの祈りがなにを意味しているかをさとり、同意のしるしに、炎を三度あかるく燃えたたせ、その火先を空たかく燃えあがらせた。
ピュグマリオンは、家に帰ると、象牙の乙女のそばへいって、臥床に身をかがめて接吻した。すると、人形のからだにあたたかさが感じられた。かれは、もう一度唇を近づけ、手で胸のあたりをなでてみた。すると、象牙はやわらかくなって、いままでの固さをうしない、指でおさえると、へこんだ。ちょうどヒュメトゥス(71)の蜜蝋が陽光をあびてやわらかくなり、指でひねればさまざまな形になり、使えば使うほど使いやすくなるのとおなじであった。かれは、大いにおどろき、よろこびながらも半信半疑で、もしや思いちがいではなかろうかと心配しながら、この憧れの対象を手でいくども撫でいとおしんだ。それは、まぎれもなく生《い》き身《み》の女体であった。脈うつ血管のうごきが、指にはっきりと感じられた。
そこで、パポス(72)の英雄は、ウェヌスに心から感謝のながい祈りをささげた。そして、かれの唇は、ついに生きた唇にふれた。乙女は、その唇を感じると、まっ赤になった。そして、おずおずと眼をあけて太陽の方をむいたとき、空と同時に愛する者の姿を見たのであった。ウェヌス女神は、みずからまとめあげたふたりの結婚式に立会った。こうして月が九度かけては満ちたとき、新妻はパポスをうんだ。そして、その町は、この名前でよばれるようになった(73)」〔二七〇〜二九七〕
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七 没薬《もつやく》になったミュラ
「この娘から、キニュラス(74)という息子がうまれた。もしかれに子供がなかったならば、キニュラスは、幸福な人たちのひとりに数えられたことであろう。わたしの口は、いまその怖ろしい物語をうたおうとおもう。世の娘たちよ、また父親たちよ、ここを遠くはなれるがよい。さもなければ、わたしの歌がおんみらのこころを惹くことがあっても、けっしてこの話に信をおいてはならないし、このような大罪があったとおもってもならない。しかし、もしそれをほんとうだと信じるならば、その罪にくわえられた罰をも信じなくてはならない。けれども、自然がこのようなおそろしい出来事を生じさせるものであるならば、わたしは、このようなおそろしい怪物をうんだ土地から遠くはなれているがゆえに、イスマルス(75)の民とわれわれの住むこの土地を幸運だとよびたい。パンカイア(76)の地は、バルサム、肉桂《にっけい》にとみ、コストゥス(77)樹からとれる香油、その他のいろいろな草木を生じるがよい。なにしろ、没薬《もつやく》の樹をも生じる土地なのだから。この没薬という新しい樹は、たいして価値のある樹ではなかったのだ。〔二九八〜三一〇〕
おお、ミュラ(78)よ、クピド(79)は、かれの矢がおまえを射たのでないことをみずから確言しているし、かれの炬火《たいまつ》がおまえの大それた罪になんのかかわりもないと弁明している。それは、あの三人の姉妹(80)のひとりが、地獄の炬火棒と毒にふくらんだ蛇とでもっておまえにその罪をふきこんだのだ。父親を憎むことは、たしかに罪であるが、おまえのようにおのが父を愛することは、それ以上に大きな罪である。四方八方からえりぬきの男性たちがおまえをもとめ、東方のすべての国々からでさえ、若者たちがおまえの寝床をかちえようとして集まってきた。ミュラよ、これらすべての人たちのなかからひとりをえらんで、良人《おっと》と定めればよいのだ。ただし、ひとりだけ、これらの求婚者たちのなかに加えてはならぬ人物(81)がいる。〔三一一〜三一八〕
ミュラも、このことはよくわかっていて、道ならぬ恋とたたかい、つぎのようにひとりごちた。
『わたしの情熱は、わたしをどこへ引きずっていくのだろう。わたしの内心には、どんな考えが巣くっているのであろう。おお、神々よ、孝心よ、親の神聖な権利よ、どうかわたしの道ならぬこころをおしとどめてください。それがほんとうに罪であるならば、どうぞこの罪を妨げてください。けれども、子が親をおもう気持は、かならずしもこのような愛と相反しはしない。動物たちは、みな相手かまわずに平気で交わっている。その父親を背にのせることを、牝牛はすこしも恥かしいことだとはおもっていない。牡馬は、その娘を妻とし、牡羊は、自分が生命をあたえた牝羊をはらませ、鳥は、自分をやどしたとおなじ胤《たね》によってみごもる。このようなことを享楽できる者たちは、ほんとうに幸福だわ。人間だけが、いろいろとよけいな心配をして、意地のわるい掟をつくりあげてしまった。自然がゆるしていることを、嫉《ねた》みぶかい戒律が禁じている。けれども、人間たちのなかにも、母がその息子の肉体とまじわり、娘が父と通じている種族もあるということだわ。そこでは、血のつながりが二重の愛によっていっそう緊密になる。そういう人たちのあいだに生を享《う》けなかったことは、なんとも不運だったとしか言いようがない。わたしは、この土地をわたしの故郷にしてくれた運命の不親切をうらまずにはおれない。
――しかし、わたしとしたことが、なぜなんどもこんな考えにおちこんでいくのだろう。ああ、いまわしい欲望よ、去ってしまうがよい。あのひとは、ほんとうにわたしの愛にふさわしい方だけど、それは父としてなのだ。ああ、強大なキニュラス王の娘でさえなかったら、わたしはキニュラスと寝床をともにすることができるのに! ところが、父はわたしのものであるばかりに、かえってわたしのものにならない。肉親であるということが、かえって近しくなることを妨げているのだわ。これが赤の他人であれば、望みはらくに叶えられていたにちがいない。いっそのこと、この罪からのがれるために、故郷の山河をすてて、どこか遠い土地へいってしまいたい! けれども、おそろしい情熱は、わたしの後髪をひっぱり、わたしは、キニュラスのもとにとどまってしまう。そして、それ以上のことはゆるされないにしても、あのひとをながめ、あのひとにふれ、接吻するのだ。
ああ、不幸な乙女よ、おまえにそれ以上の期待がもてるというのか。大義をも名分をもどんなにふみにじった振舞いであるかということが、おまえにはわからないのか。おのが母の恋仇になり、おのが父の隠し女になるのではないか。自分の子の姉とよばれ、自分の兄弟の母とよばれるのではないか。おまえは、あの黒い蛇髪をした三人の姉妹たち(82)がこわくないのか。こころにふかい罪を宿した者には、あの三人がおそろしい炬火をもって顔や眼におそいかかってくるのが見えるはずだ。おまえのからだがまだ罪にけがれていないうちに、こころに罪をいだき、不倫の快楽によって全能の自然の掟をけがすようなことをしてはならない。たとえおまえが望んでも、それはできないことなのだ。なぜなら、あのひとは、敬虔で、人の道をふみはずさないひとだから。ああ、あのひとの胸にもわたしとおなじ願いがもえているのだったらよいのだが……』〔三一九〜三五五〕
ミュラは、このようにひとりごちた。一方、キニュラスは、いずれもりっぱな求婚者たちのうちのだれを婿にえらぶべきか決めかねて、娘にむかってかれらの名前を順にあげ、だれの妻になりたいかとかずねた。かの女は、はじめはなにもいわずにだまっていたが、じっと父の顔を見つめているうちに、こころが湧きたってきて、眼はあつい涙にぬれた。キニュラスは、これを処女らしい恥らいのためだとおもい、泣くのじゃないと言いきかせ、娘の頬をふいてやって接吻した。ミュラは、父の接吻を受けてはげしい喜びをおぼえたが、どんな良人をえらびたいかという質問にこたえて、『お父さまのようなひと……』といった。キニュラスは、それがどんな意味であるかを知るよしもなく、娘の答えをほめて、『いつまでも変らぬ孝行をつくしてくれるがよい』といった。この孝行という言葉をきくと、乙女は、おのれの罪をふかく恥じ、おもわず面《おもて》をふせた。〔三五六〜三六七〕
やがて夜はふけて真夜中になり、眠りは、人びとの心労と五体をやすませた。しかし、キニュラスの娘は、おさえがたい情炎のとりこになって寝もやらず、たえず狂おしい情欲になやまされていた。絶望したかとおもうと、どうしても望みをとげたいとおもう。欲望と羞恥との板ばさみになり、どちらについてよいかわからない。ちょうど斧に傷つけられた巨木の幹が、最後の一撃をあびせられるまでは、どちらへ倒れるかきまらず、周囲の者をはらはらさせるのとおなじように、かの女の気持も、いくどとなく反復する打撃にゆすぶられて、ふらふらと動揺し、右にかたむいたかとおもうと、また左にうごくのであった。
死よりほかには、もう胸のうちをやすめる方法はないようにおもわれた。かの女は、ついに死をえらんだ。そして、われとわが首をくくろうと決心すると、寝床から起きあがって、帯を柱の上にむすびつけて、こういった。『さようなら、いとしいキニュラス! どうぞ、わたしがなぜ死んだのかをわかってください』そういいながら、帯をとって、血の気のうせた首にまきつけた。しかし、伝えるところによると、かの女のひとりごとは、育て子の部屋のまえで夜番をしていた乳母の忠実な耳に聞こえたということである。乳母は、いそいでとび起き、扉をあけ、自殺の道具がそろっているの見ると、大声をあげると同時に胸をうち、着物をひきさき、ミュラの首をしめつけている紐をはずし、それをこまかくひき裂いた。それからやっと涙をながしながら、ミュラをしっかりと抱きしめ、どうして首を吊ろうなどという真似をなさるのですか、とたずねた。乙女は、なにもいわずにじっとうつむいたまま、ながいあいだかかってやっと決心のついた死出の仕度がみつかってしまったことを悲しくおもった。老婆は、なんどもたずねた。自分の白髪を見せたり、しなびた乳房をしめしたり、ゆりかごの思い出を語ったり、子供のころなにくれとなく世話したことを話したりなどして、どんな悲しいことも苦しいことも、自分にだけはうち明けてほしいとたのんだ。しかし、いくらたずねても、ミュラは、背をむけて、ただすすり泣くばかりであった。そこで乳母は、どこまでも問いただそうと決心した。そして、自分の変らぬ忠節心を約束するだけでは気がすまなくなって、
『さあ、お話しになってください。そして、どうぞわたしのお力添えをおゆるしください。年はとりましても、まだまだお役にはたちましょう。お気でも狂いましたか。それならば、まじないと薬草で狂気を治してくれる女を存じております。それとも、だれかの呪いにかかっておいでなのでしょうか。それならば、魔祓《まばら》いの術できよめておもらいなさいませ。また、もし神々のお怒りにふれたのでございましたら、犠牲をささげて神々をなだめることもできましょう。わたしには、このほかのことは想像もつきません。ご家運も、すこしもおとろえず、いよいよ隆盛をきわめておりますし、お母さまもお父さまも、どちらもおそろいでいらっしゃいますものを……』
ミュラは、この「お父さま」という言葉をきくと、胸の底からふかいため息をついた。それでも、乳母は、まさか道ならぬ恋とはゆめにもおもわなかったが、それが恋の悩みであるらしいことは察しがついた。それで、はじめの決心を変えずに、なにごとであれ、つつみかくさずにうち明けてくださいませ、と懇願した。そして、いつまでも泣きぬれている乙女を老いしなびた胸にひきよせ、あぶなっかしい腕で抱きしめると、『わかりました。どなたかに思いをかけておいでなのですね。それならば、ご心配なさいますな。この婆やがかならずお力になります。けっしてお父さまなどにわからないようにしてさしあげます』ミュラは、狂ったように相手のからだからとびのくと、顔を枕におしあてて、『お願いだから、あっちへ行って! この恥かしい胸のうちをこれ以上いじめるのはやめて!』それでも乳母がせがみつづけるので、『なにがわたしを苦しめているか、もう聞かないで! おまえが知りたがっていることは、とてもおそろしいことなんだから』これを聞いて、老婆は、おもわず身ぶるいした。かの女は、老いと怖ろしさにふるえる両手をさしのべ、自分が育てた乙女の足もとにひれふし、なだめたり、すかしたりし、もしどうしてもうち明けてくれないのなら、首をくくって自殺をはかったことをみんなに喋ってしまいますよ、といっておどし、そのかわり、もしその恋をうち明けてくださったら、きっとお力添えをいたしましょうと約束した。
ミュラは、頭をあげて、あふれる涙で乳母の胸をぬらした。思いきってなにもかも話してしまおうかと、なんども考えるのだが、そのたびに言葉がつまった。それでも、ついに恥かしい顔を着物にかくして、『あのひとを良人にしていらっしゃるとは、お母さまはなんと幸福なかたでしょう!』といったが、それ以上は涙でかき消されてしまった。乳母は、すべてが呑みこめたが、戦慄がかの女の冷たくなった手足や骨のなかまでしみわたった。まっ白な髪の毛は、こわばって頭から逆《さか》だった。かの女は、できることならこんないまわしい恋をあきらめさせようと、口をすっぱくして言いきかせた。乙女も、乳母の忠告がもっともであることはよくわかっていたが、それでも愛する者と添えない以上は、死んでしまいたいという気持をあくまで変えなかった。そこで、乳母は、『それならば、いたしかたありません。あの方をあなたのものにしてあげましょう』といった(かの女は、あえて「お父さまを」とはいわなかった)。そして、神々の名をあげて、約束の証人とした。〔三六八〜四三〇〕
さて、この町の母親たちは、ケレス女神にささげる年に一度の祭りを敬虔にとりおこなっていた。かの女たちは、雪のように白い衣をまとい、麦穂であんだ花環をその年の初穂としてささげたが、第九夜がおわるまでウェヌスの快楽を禁じられ、良人にも肌をゆるさぬ習わしであった。王妃のケンクレイスも、女たちの集まりにくわわって、神聖な秘儀にしばしば足をはこんだ。そこで、乳母は、妃《きさき》が王の寝床をあけているのをよいことにして、あやまった忠節心から、王が酔っぱらっているときにでまかせの名前をいって、その女が王をこころから愛していると告げ、美しい女性だとほめたたえた。王が女の年齢をたずねると、『ミュラさまとおない年でございます』と答えた。王は、すぐにつれてくるようにと命じた。乳母は、ミュラのそばへ帰ると、『お嬢さま、およろこびなさいまし。万事うまくまいりました』と告げた。不幸な乙女は、こころからよろこぶことはできなかった。なにか不吉な予感が胸をふさいだのだが、それでもやはりうれしかった。それほどこころが千々にみだれていたのである。〔四三一〜四四五〕
草木もねむる丑満時《うしみつどき》であった。牛飼い(83)は、北斗のなかを牛車の轅《ながえ》を下にむけてくだっていった。ミュラは、罪の道を歩んでいった。金いろにかがやく月は、天より姿を消し、星たちは、まっ黒な雲間にかくれ、夜はすっかり光をうしなってしまった。イカルス(84)よ、まず最初におまえが姿をかくした。すると、孝心のゆえに星となったおまえの娘エリゴネも、姿を消した。ミュラは、三度つまずいた。この不吉な前兆は、思いとどまれという警告であったし、不吉な梟《ふくろう》も、三度死をつげる啼き声によって警告をあたえた。しかし、かの女は、歩みをとめなかった。濃い夜闇のために、羞恥心がにぶくなったのである。左手で乳母の手にすがり、右手で暗い夜道をさぐっていった。
ついに、かの女は、部屋の入口にふれた。扉があけられ、室内につれこまれた。と、急に脚がひきつり、膝がふるえ、血の気がうせて、前にすすむ勇気がなくなってしまった。罪業に近づけば近づくほど、おそろしい気持でいっぱいになり、自分の向うみずを悔い、できればこのままこっそりひきかえしたいとも願った。しかし、乳母は、ためらうかの女の手をひいて寝台に近づけ、かの女をその父にひきわたすと、『さあ、キニュラスさま、お受け取りくださいませ。この娘は、あなたさまのものでございます』といって、ふたりの呪われた肉体をむすびあわせた。
父は、おのが血をわけた娘を不倫の床にひき入れ、こわがるのをなだめ、おののくのを元気づけた。かれは、おそらく年のせいでかの女を「娘や」とよんだであろうし、かの女の方でも、「お父さま」といったことであろう。こうして、この不倫のいとなみには、父娘の名前さえ欠けていなかったのである。ミュラは、父の胤《たね》をうけて部屋から出ていき、その呪われた体内におそろしい胤をやどし、恥ずべき罪の子をはらんだのであった。〔四四六〜四六九〕
ふたりの罪業は、翌晩もまたおこなわれた。しかも、それが最後ではなかった。キニュラスは、いくどかその腕に娘を抱いたのち、自分の相手がどんな女かを知りたいとおもうあまり、ついに炬火をもってきて、おのれの罪とおのれの娘とを見てしまった。かれは、痛恨のあまり口もきけず、そばにかけてあった剣をきらりと引きぬいた。ミュラは、逃げだしたが、あやめも分《わ》かぬ夜陰のおかげであやうく死をまぬがれた。そして、広い山野をあちこちさまよい歩いたあげく、ついに棕櫚《しゅろ》のしげるアラビアとパンカイア(85)の地とを去った。こうしてあてどなき流浪の旅のあいだに九度、月の盈虚《えいきょ》を見たが、ついに疲れはててサバ(86)の地に足をとめたとき、胎内にやどした子をこれ以上もちこたえることもならないありさまであった。かの女は、死をおそれながらも、生きることに倦《う》みはてて、なんと祈るべきかもわからないままに、つぎのように祈った。
『神々さま、もしどなたか罪を悔いる者の祈りにも耳をかたむけてくださる神さまがございましたら、わたしの願いをお聞きくださいませ。わたしは、自分の運命に甘んじております。どんな悲しい罰もいといませぬ。けれども、生きながらえてこの世の人びとを怒らせ、死んではあの世の人たちの怨みをまねいたりすることがないように、どうぞわたしをどちらの国からも追いはらってください。どうかわたしを別な姿に変えて、生きるとも死ぬともつかぬ状態にしてくださいませ』
さいわいにして、悔いる者の祈りにも耳をかたむけてくれる神があった。すくなくともかの女の祈りの最後の言葉は、神々のこころをうごかしたにちがいない。その証拠に、かの女が祈っているあいだからすでに、足は土におおわれ、足指のさけた爪《つめ》からは、すらりと高い幹をささえる根がななめに伸びだしたからである。骨は、かたい木になり、その中心に髄をのこしたまま、血は樹液となり、両腕はふとい枝になり、手の指は小枝と化し、皮膚は樹皮につつまれてかたくなった。すでに幹はしだいに伸びて、みごもった腹部をつつみ、胸をおおい、さらに首のところまで伸びていこうとしていた。かの女は、これ以上待っていることができず、しだいに伸びあがってくる木質の方にむかってわれとわが身をめりこませ、樹皮のなかに顔をうずめてしまった。こうして、ミュラは、その肉体とともにこれまでもっていたすべての感覚をうしなったが、それでもなお涙をながしつづけていて、樹皮のあいだからそのあたたかい滴流《しずく》がしたたりおちた。この涙こそ、貴重なのである。この木からにじみでる没薬《ミルラ》は、いまもかの女の名前をもっていて、人びとは世々かの女のことを語りつたえていく(87)。〔四七〇〜五〇二〕
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八 アドニスの誕生
「さて、罪の子(88)は、木のなかで育っていった。そして、自分のやどっている腹をやぶって出ていく口をさがしていた。母親の重たい腹は、幹のなかでふくれ、母は胎児の重さではちきれそうになった。しかし、その苦しみを口に出すことは、もはやできなかった。分娩にあたっても、ルキナ女神(89)に助けをもとめる声も出なかった。それでも、木が一生けんめいになっている様子はわかった。木は、身をくねらせ、いくどとなく呻き声を発し、とめどもなく涙をながした。慈悲ぶかいルキナは、苦しんでいる木に近づき、その枝に手をふれ、産婦の苦しみをのぞいてやる呪文をとなえた。すると、たちまち木がさけて、そのさけ目から生きた赤ん坊が、いさましい産声《うぶごえ》をあげてとびだした。ナイスたち(90)は、この男の子をやわらかい草の上にねかせ、かぐわしい母の涙をふりかけた。この子の美しさは、かのリウォル(91)でさえもほめたたえざるをえないほどであった。なにしろ、画布にえがかれた裸身のアモルたち(92)にそっくりだったからである。しかし絵に描くときは、せっかく瓜《うり》ふたつであるのに服装によって見分けがついてしまってはまずいから、この子にもかわいらしい箙《えびら》をもたせるか、さもなくば、アモルたちからその箙をとりあげるようにするとよい。〔五〇三〜五一八〕
こうして、光陰は、矢のようにすぎていった。まことに、歳月ほど早いものはない。みずからの姉と祖父との子であるこの少年、ついこのあいだまで木のなかにやどっていて、やがて木からうまれ、最近までかわいい赤ん坊であったこの少年は、まもなくりっぱな若者となり、やがて大人になった。いまや、かれの美しさは、以前にもまして輝かしかった。ついにウェヌスにさえ見そめられるようになって、女神がかれの母にふきこんだ情炎の仕返しをしたのであった。というのは、ある日、かの箙《えびら》をもった童神(93)が母のウェヌスに接吻をしたさい、知らぬまに突き出ていた矢の先で母の胸を傷つけたのである。女神は、傷におどろいて、手でわが子をおしのけた。しかし、傷は外見よりも深くて、初めのうちは女神もそのことに気がつかなかった。〔五一九〜五二八〕
こうして、女神は、若者の美しさにまよい、いまやキュテラ(94)の浜辺をわすれ、ふかい海にかこまれたパポス(95)にも、魚の多いグニドゥス(96)にも、鉱物にとんだアマトゥス(97)にも、ほとんどいくのをやめてしまった。それどころか、天上に昇ることさえわすれてしまった。天上にもまして、この若者アドニスを愛したからである。片時もかれからはなれず、かれの行くところなら、どこへでもついていった。これまでは樹蔭のしずかな休らいなどをこのみ、いろいろな化粧でその美しさをいやがうえにも高めていた女神なのに、いまは山の峯をこえ、森をよぎり、潅木の多い絶壁をわたって、まるでディアナ(98)のように衣を膝までまくりあげて、あちこちを跋渉した。そして、犬どもをけしかけ、頭をさげて逃げていく兎や、大きな角《つの》をはやした鹿や野呂鹿のような、危険なしに狩れる獣どもを追いかけた。そのかわり、兇暴な猪には近づかず、貪欲な狼、するどい爪をもった熊、牛の血をすする獅子などはさけた。
女神は、忠告すればなにか役にたつこともあろうかとおもって、アドニスよ、おまえにもこれらの動物をおそれるように言ってきかせた。
『こちらの姿を見て逃げていくものにたいしては、勇敢にふるまってもよいでしょう。けれども、向うみずな相手にたいして向うみずな真似をするのは、あぶないことです。おお、若者よ、わたしを悲しませるような無鉄砲な振舞いはしないでおくれ。自然が武器をあたえた動物にたいしては、手向いをしてはいけません。でないと、あなたの勇名が、わたしにとってあまりに高価なものになりかねないからです。あなたは、若くて、美しく、このウェヌスをさえ魅惑するあらゆる美点をそなえている。けれども、獅子や剛毛のさかだった猪どもを魅惑するわけではないし、野獣たちの眼やこころはとらえることができません。獰猛《どうもう》な猪は、その反《そ》った牙に雷電のようなおそろしい力を秘めているし、黄いろい獅子は、兇暴な気性とはげしい怒りをもっています。わたしは、こういう動物はいちばんきらいです』
アドニスがそのわけをたずねたので、女神は答えて、『じゃ、話してあげましょう。このふるい罪の物語の不思議さに、あなたもおどろくことでしょう。だけど、慣れない荒仕事のおかげで、わたしはもうすっかり疲れてしまいました。ちょうどいい具合に、白楊《ポプラ》の木が、その葉蔭にわたしたちを招いてくれているし、草地も、やわらかい褥《しとね》を用意してくれている。さあ、ここでいっしょに身をのべて休みましょう』そういうと、女神は、腰をおろして、草の上に身をのばし、若者の胸を枕にして仰向きになったまま、ときどき接吻のために話をとぎらせながら、つぎのような話をはじめた。〔五二九〜五五九〕
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九 アタランタ/アドニスの転身
『むかし、脚のはやい男たちと競走して、みごとにかれらをうち負かした乙女がいたことは、たぶんあなたも聞いているでしょう。この話は、けっして作りごとではありません。かの女は、ほんとうに男たちを負かしたのです。けれども、かの女の脚の早さと容姿の美しさのどちらがまさっていたかは、きめかねたほどでした。ある日、かの女が良人《おっと》をもつべきかどうかを神さま(99)にたずねたところ、神さまはこう答えたの。「いや、アタランタ(100)よ、おまえに良人は必要でない。結婚はさけるがよい。しかし、おまえは、それをさけきれなくなって、生きながらおまえ自身をうしなうことになろう」アタランタは、このお告げにおどろいて、独身のまま小暗い森のなかで日を送るようになり、それでもおしよせてくる求婚者たちを無茶な条件をもちだして追いはらったの。その条件というのは、こういうのです。「わたしは、まず競走をして負けてからでなければ、だれの妻にもなりません。わたしと駈けっこをなさい。わたしより早い人がいたら、褒美にこの身を妻としてさしあげましょう。もしわたしに負けたら、死がその褒美です。これが、競走の条件です」ずいぶん残忍な条件であったけれど、アタランタの美しさはたいへんなもので、向うみずな求婚者たちは、つぎつぎとこの条件をうけいれたの。〔五六〇〜五七四〕
ヒッポメネス(101)は、勝負にならぬこの試合を初めのうちは見物していて、「たかが女ひとりを手に入れるために、だれがあんな危険なことをするものか」といって、若者たちの無分別な恋をあざけっていたの。ところが、アタランタの顔やむきだしの肌を見ると、それはちょうどわたし(102)のからだのような、いいえ、もしあなたが女だったら、きっとそうにちがいないような美しい肌だったのだけれど、ヒッポメネスも、たちまちこころをうばわれて、手をあげてこう叫んだの。「ああ、いまさっきまでわたしがあざけっていた諸君よ、どうかゆるしてくれ。わたしは、諸君が手に入れようとしている褒賞を知らなかったのだ」かれは、アタランタをほめたたえているうちに、すっかり胸が火となり、若者たちのなかにだれもかの女より早く走るものがいないようにと願い、嫉妬のためにやきもきしながら、「しかし、なぜおれもこの競走にくわわって、一か八かやってみようとしないのか。思いきってやれば、神さまも見方になってくださるというものだ」
かれがこんなふうに考えているあいだに、アタランタは、まるで翼にのったような早さで駈けすぎたの。かの女は、スキュティア(103)人の矢のような早さでアオニア(104)の若者の眼のまえを掠《かす》めすぎたようにおもえたけれど、かれはその美しさにますます眼をうばわれてしまいました。走っていくさまが、かの女をなおさら美しく見せたのです。風は、かるやかな足に打ちつけられる下衣をなびかせ、髪は、象牙のような首すじに波うち、色あざやかな縁《ふち》どりのついた鞋紐《くつひも》(105)は、膝の下にはためいているの。その肢体は、まばゆいほどの白さに赤味をただよわせていて、まるで広間の大理石の白さが、戸口にかけた深紅のカーテンにほんのり照りはえているみたい。こうして見とれているうちに、決勝点に走りこみ、勝ちほこったアタランタは、額に勝利の栄冠をいただきました。一方、負けた青年たちは、嘆息をつき、さだめられた罰をうけました。〔五七五〜五九九〕
けれども、ヒッポメネスは、若者たちのこうした悲運を見ても尻ごみをしないで、競走場の中央に歩みでて、乙女の方をじっと見つめて、こういいました。「あなたはなぜこんな他愛もない連中をやっつけてはつまらぬ名声を得ているのだ。あなたは、わたしと勝負すべきだ。だが、運命がわたしに幸いしても、あなたは、わたしのような男に敗れたことをすこしも恥じるにおよばぬ。わたしの父メガレウスは、オンケストゥス(106)のうまれで、ネプトゥヌスを祖父にしている。だから、わたしは、海神の曾孫にあたるのだ。しかも、わたしの能力も、わたしの血統をはずかしめない。もしわたしが敗れたら、このヒッポメネスに勝ったということで、あなたは偉大な不滅の名声をかちえることができるだろう」
かれがこう語っているあいだ、スコエネウスの娘は、やさしい眼ざしをじっとかれにそそぎかけて、この相手に勝利と敗北のどちらをあたえようかと思案していました。「このような若者の美しさを憎むあまり、かれをほろぼそうとし、大事な命をかけてまでわたしとの結婚をもとめざるをえない気持にさせる神さまは、いったい、どんな神さまなのかしら。わたし自身の眼から見ても、自分にそれほどの値打ちがあろうとはおもえないもの。――それにしても、わたしのこころをとらえるのは、かれの美しさではない(それは、むろん、わたしのこころをずいぶんうごかせはするけれど)。それは、むしろかれがまだ少年であるということなのだ。わたしのこころをうごかすのは、かれ自身というよりも、かれの年齢なのだわ。それに、かれは勇敢で、死をもおそれないではないか。さらに、海の大神の血をうけた四代目ではないか。しかも、わたしを愛し、わたしとの結婚に大きな価値をおいて、もし苛酷な運命がわたしをかれにあたえなければ、いさぎよく死のうとさえしているではないか。おお、他国の若者よ、いまのうちに立ち去って、わたしとの血なまぐさい結婚などあきらめなさい。わたしとの結婚は、おそろしいものです。あなたとなら、どんな女性でもむすばれたいと願うでしょうし、分別のある女でも、あなたになら夢中になってしまうでしょう。――それにしても、すでにあれほど多くの若者たちが死んでいってわかっているはずなのに、わたしとしたことが、あなたのことをなぜこんなに心配しなくてはならないのでしょう。いっそのこと、思い知るがいいわ。あれほど多くの求愛者たちの死も、ついにかれにはなんの教訓にもならなかったのだし、生きている有難さがすこしもわかっていないのであれば、勝手に自滅するがよい。しかし、それでは、かれはわたしと生涯をともにしようとのぞんだがために死ぬことになり、自分の愛の報いとして非業《ひごう》の死をとげることになりはしないかしら。そうなると、わたしの勝利は、わたしに堪えがたい恨みをあたえることになりかねない。だけど、そうなっても、わたしの罪ではない。ああ、どうかあなたの決心をひるがえしてくださいませんか。それとも、もうすっかり正気の沙汰ではなくなっていらっしゃるのだから、せめてわたしより早く走ってください。ああ、その子供らしいお顔の表情は、なんとういういしいことでしょう。お気の毒なヒッポメネス、わたしなんかにお会いにならなければよかったのに! あなたは、りっぱに生きていくべきひとです。それにしても、わたしがもっと幸福な女で、意地わるな運命に結婚を禁じられているのでなかったら、あなたこそは、わたしが夫婦の契りを結びたいとおもうたったひとりの男性であったでしょうに」アタランタは、このように言いました。はじめて恋におちた乙女は、自分のしていることもわからないもの――かの女は、恋におちながら、その恋に気がつかなかったのです。〔六〇〇〜六三七〕
とかくしているうちに、人びとも、かの女の父親も、例の競走をはじめるようにと要求しました。ネプトゥヌスの血をひいたヒッポメネスは、このとき、なにか落着かぬ声でわたし(107)の名をよんで、こういったのです。「キュテラの女神(108)がわたしの計画をたすけ、わたしの胸におつけになった炎をまもってくださるよう、せつにお願い申しあげます」折りよくそよ風が、このいじらしい言葉をわたしのところまではこんできました。正直なところ、わたしは、それにこころをうごかされました。そして、さっそくと助け舟をだしてやりました。土地の人たちがタマスス(109)の野とよんでいるひとつの野原があります。そこは、キュプルス全土のなかでもいちばん肥沃な土地で、むかしこの土地の祖先たちがここをわたしにささげ、これをわたしの神殿の財産のなかにくわえるようにさだめたのです。この野原のまんなかに一本の樹があって、その葉も金いろにかがやき、枝も金いろの林檎をつけてざわめいていました。わたしは、ここから黄金の林檎を三個もぎとって、それをもっていきました。そして、ヒッポメネスよりほかのだれにも姿が見えないようにして近づくと、かれにその林檎の使い方をおしえてやりました。やがて、合図のラッパがたからかに鳴りひびくと、ふたりの競走者は、のめるように身をつきだして柵からとびだし、早い足で砂地をかすめるように走っていきました。ふたりは、足をぬらさずに海の波をわたり、穂先をふみにじらずに黄金いろの麦畑の上を走ることもできそうにおもえました。若者は、「それ、いまだ! いそぐのは、いまだ! 走れ、ヒッポメネス! がんばるのだ。油断するな! 勝てるぞ!」という人びとの声援にはげまされて、元気百倍しました。けれども、この声援をいちばんよろこんだのは、メガレウスの息子の方ではなく、かえってスコエネウスの娘だったかもしれません。ああ、かの女は、ひきはなそうとおもえばひきはなせるのに、いくどもわざと足をおくらせ、かれの顔をしげしげとながめては、いかにも惜しげに眼をはなすのでした。しかし、さすがに疲れたのか、ヒッポメネスのあえぐ口は、からからにかわいてしまいました。しかも、決勝点は、まだはるか遠くです。そこで、ネプトゥヌスの血をひいた若者は、ついにわたしの木からとれた三つの林檎のうちの一個をとりだして、それを投げました。乙女は、びっくりしましたが、きらきらひかる林檎がほしくてたまらず、競走中なのに道草をくって、地上にころがる黄金の果実をひろいあげました。その隙に、ヒッポメネスはかの女を追いこしました。見物の人たちは、やんやと喝采をおくりました。これを見ると、アタランタは、駿足をとばして、おくれた距離と道草の時間をとりもどし、ふたたび若者のまえに出ました。そして、つぎに投げられた第二の林檎のためにまた道草をくいながらも、ふたたび追いついて、相手のまえに出ました。こうして、いよいよ最後の走路にさしかかりました。そこで、ヒッポメネスは、「おお、この賜物《たまもの》をくださった女神さま、いまこそ力をおかしください!」とさけぶと、戻ってくる時間ができるだけおそくなるようにと、野原の横の方にむかって渾身の力をこめてかがやく林檎を投げつけました。乙女は、それをひろいにいったものかどうか、ためらうように見えました。しかし、わたしは、むりにもひろいにいくようにしむけ、ひろいあげられた林檎をさらに重たくし、寄り道によってだけでなく、荷物の重さによってもおくれるようにしました。それから先のことは、話が競走の時間よりながくならないように、かいつまんでいいますと、乙女はずっとひきはなされてしまい、勝ったヒッポメネスは、その褒賞である妻を故郷につれて帰ったというわけです。〔六三八〜六八〇〕
ねえ、アドニス、これだけのことをしてやったわたしは、かれから感謝され、香をささげてもらって当然ではなかったかしら。だのに、恩しらずのかれは、お礼参りどころか、わたしに香もささげなかったのです。そこで、わたしの善意は、たちまち怒りに変りました。かれから侮辱されたことに腹をたてたわたしは、これから先も人間たちがおなじような無礼な仕打ちをしてはこまるとおもって、見せしめにするためにふたりにたいして断乎たる処置をとることにしました。あるふかい森の奥に、その昔有名なエキオン(110)が大願成就のお礼として神々の母(111)のために建立《こんりゅう》したお堂がありました。ふたりは、このお堂のそばを通りかかり、長途の疲れのために休息することにしました。
そのとき、ヒッポメネスは、わたしがひそかにふきこんだ時ならぬみだらな欲情にとらえられました。このお堂の近くに、天然の凝灰岩の円屋根におおわれた、洞穴のような小暗い場所があって、むかしから聖所としてあがめられていました。そこには、祭官がはこんできた古い神々の木像がたくさん安置してありました。ヒッポメネスは、この神聖な場所に入りこんで、けしからぬ振舞いでけがしてしまったのです。神々の像も、おもわず面をそむけました。塔の冠をいただいた神々の母(112)は、この罪ぶかいふたりをステュクス(113)の流れに投げこんだものかどうかと思案されました。しかし、それだけでは、まだ罰が軽すぎるようにおもえました。すると、ついいままではあれほどきれいであったかれらの首に、褐色のたてがみがはえ、指はするどい鉤爪《かぎづめ》にかわり、肩からは前趾《まえあし》の腿《もも》が生じ、全身の重みは胸部にかかり、砂地を掃くような尻尾がはえました。眼は、おそろしい憤怒をあらわし、言葉のかわりに咆哮し、家のかわりに森に棲むようになりました。こうしてふたりは獅子となって、ほかの者にはおそろしく見えるけれども、口に轡《くつわ》をかまされて、おとなしくキュベレの車を索いています。〔六八一〜七〇四〕
いとしいアドニス、こうした獅子や、背を見せて逃げることなく、面とむかってとびかかってくるあらゆる種類の野獣たちには、よく気をつけてくれなくてはいやですよ。でないと、あなたの軽はずみな勇気が、わたしたちにとってとりかえしのつかないことになりますからね』〔七〇五〜七〇七〕
ウェヌスは、このように言いきかせると、白鳥のひく車にのって、天空はるかに翔けさった。けれども、アドニスの勇気は、女神の忠告とは反対の方向にむかったのである。あるとき、犬どもは、野猪の足跡を正確につけていって、ついにそれを寝所《ねや》から追いだした。そして、野猪が森からとびだそうとするところを、アドニスは、側面から投槍を命中させた。いきりたった野猪は、すぐさまそりかえった鼻づらで血にそまった槍をはらいおとすと、おどろいて逃げ場をさがしているアドニスに追いすがり、かれの股に牙を根もとまで突きさし、褐色の砂の上に息もたえだえのかれをおし倒した。軽やかな白鳥の車にのって天空をとんでいたキュテラの女神は、このときまだキュプルスの島に到着していなかったが、はるかに瀕死の若者の呻き声を聞きとめると、すぐさま白鳥たちの頭をもとの方向にむけた。そして、空からすでに意識をうしなって血のなかをころげまわっているアドニスを見つけると、いそいで地上に降りたち、胸をはだけ、髪をむしり、はげしくわれとわが胸を打った。そして、運命をうらみ、こういった。『しかし、なにもかもおまえたち(114)の言いなりにはさせないぞ。おお、アドニス、わたしの悲しみの記念がいつまでも残るようにしましょう。あなたの死が年ごとにくりかえされ、そのたびにわたしの悲しみをも人びとが真似るようにしましょう(115)。しかし、あなたの血は、やがてひとつの花となるでしょう。ペルセポネ(116)よ、そなただってすでにある女を香りたかい薄荷《はっか》に変えることをゆるされたというが、このわたしがキニュラスの若い息子にあたらしい姿をあたえたとて、どうして嫉《ねた》まれることがあろう』
こういうと、女神は、若者の血の上に芳醇な神酒《ネクタル》をそそぎかけた。血は神酒にふれると、ちょうど褐色の泥沼の底から透明な気泡がたちのぼってくるように、ふくらんだ。やがて一時間もたたないうちに、その血からおなじ色の花が咲きでた。それは、かたい外皮の下に種子《たね》をかくしている柘榴《ざくろ》の花に似ている。しかし、この花をながいあいだ愛《め》でることはできない。というのは、この花はくっつき方がよわくて、あまりにも華奢なので落ちやすく、その名前のもとになった風(117)に散らされてしまうからである(118)」〔七〇八〜七三九〕
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巻十の註
(1)クレタ島。巻九の終りでヒュメナエウスは、クレタ島のイピスとイアンテとの結婚式に立会った。
(2)サフラン色(鮮黄色)は、祝祭のよろこびをあらわす色とされ、婚姻の神ヒュメナエウスだけでなくバックスやウェヌスやクピドらの諸神も、この色を身につけているとされた。
(3)→巻六(129)
(4)ギリシア最古の詩人にして音楽家。オエアグルス〔巻二(39)〕を父とし、ムサエのひとりであるカリオペ〔巻五(45)〕を母としたと伝えられる。アポロに竪琴をさずけられ(一説では、それをみずから発明して)、詩歌と音楽の巨匠となった。その歌には野のけものや樹や岩も聞きほれたという。『アルゴナウタエ遠征譚』や『神統記』など、かれの作と称する詩歌が多いが、いずれも後代の偽作。かれの生きた時代は、トロイア戦争以前で、アルゴナウタエの遠征〔巻六(134)〕に参加したといわれ、またオルペウス秘教(オルフィック教)の創始者とされる。かれの死については、巻十一の冒頭を見よ。かれの父をアポロとする伝承もある〔巻十一(5)〕
(5)ヒュメナエウスは、オルペウスとエウリュディケとの結婚式に立会ったが、その結婚は幸福なものではなかった、の意。
(6)オルペウスの妻エウリュディケをさす。かの女はドリュアス〔巻三(60)〕で、ある日トラキアの野をナイスたち〔巻一(115)〕と歩いていたときに蛇にかまれて死んだ。
(7)→巻二(45)。ここではトラキアの意で、その伶人とはオルペウスのこと。
(8)タエナロンともいわれ、ペルポネスス半島の最南端の岬。ここに冥界への入口があるとされ、ヘルクレスもここから下界へ下っていってケルペルスを連れだしたといわれる。→巻七(99)(100)
(9)冥府の女王プロセルピナ〔巻五(89)〕のギリシア名。
(10)プルトのこと。
(11)→巻一(23)
(12)冥府の番犬ケルベルスのこと〔巻四(86)〕。普通はテュポエウスとエキドナの子だとされるが、一説によると、ゲリュオン〔巻九(36)〕とおなじく、クリュサオルとカリロエとの子で〔巻四(145)〕、したがってメドゥサ〔巻四(113)〕の血をひいていることになる。
(13)→巻一(84)
(14)プルトとプロセルピナ。→巻五の三五九行以下。
(15)タンタルス〔巻四(89)〕、イクシオン〔同(91)〕、はげ鷹の犠牲者ティテュオス〔同(88)〕、ペルスの孫娘たちダナイデス〔同(92)〕、シシュプス〔同(90)〕
(16)→巻六(104)
(17)→巻五(120)
(18)ふりむかない(わき見をしない)というのは、ひとつの行為へのひたむきな熱中・自己傾注をあらわし、奇蹟や呪術をおこなう場合の必須条件とされた。
(19)ケルベルス。
(20)だれであるかは知られていないが、このような伝説があった。
(21)プリュギアの伝説。オレヌスの妻レタエアは、美貌をほこって女神たちを見くだした。女神たちが罰をくだそうとしたとき、オレヌスはかわりに自分を罰してほしいと申し出、ふたりはイダ山中の岩に変えられた。
(22)トロイアのイダ山中には泉が多い。
(23)冥府の河の渡し守カロンのこと。みすぼらしい服装をした、ひげの長い老人であると想像された。
(24)→巻二(40)
(25)太陽神ソル、または太陽そのものをさす。→巻一(1)
(26)魚座《うおざ》。「水に棲む」は枕詞にすぎない。太陽が魚座に入るのは、二月であって、一年の終りにあたる(古代ローマの暦では、三月から新しい年がはじまる)。なお、ピスケスは複数形で、単数形(ピスキス)で用いられることもある。
(27)オルペウスをさす。
(28)ドドナの近く、エピルスの西北部にあるカオニアの名木とは、ユピテルの神木とされる樫のこと。→巻七(133)
(29)ヘリアデス(太陽神ヘリオスの娘たち)が兄弟パエトンの死を悲しんで変身した、白楊樹のこと。→巻二の三四〇行以下および(91)(93)
(30)処女ダプネが変身した木ゆえに「乙女の」という。→巻一の四五二行以下および(95)
(31)草ならば蓮であるが、木としては、なつめに似たもの。→巻九(79)
(32)プリュギアを中心として崇拝された豊饒多産の女神、プリュギアの主神。ギリシア・ローマ世界に移入されて、あらゆる神々の母として「大母神」(マグナ・マテル)とよばれ、ユピテルの母レア〔巻一(24)〕と同一視された。
(33)プリュギアの植物神、キュベレの愛した美少年。
(34)アポロ(ポエブス)。
(35)ケオス島(アエガエウム海にある)の人テレプスの息子キュパリッススのこと。のち糸杉に変身する(キュパリッススは糸杉の意)。
(36)ケオス島の西海岸の町。
(37)蟹座、巨蟹宮。「浜辺に住む」は(25)の場合とおなじ枕詞。太陽が巨蟹宮に入るのは、七月である。
(38)糸杉は、悲しみ・哀悼の象徴として、墓地や喪家の門口などに植えられた。。
(39)オルペウスの母カリオペはムサたち〔巻二(38)〕のひとりである(4)。詩歌や物語の初めに神々、とくにムサたちに呼びかけ、その加護を願うのは、古来詩人たちのならわしで、この『転身物語』も、神々にささげる序詞をもってはじめられている。
(40)→巻一(28)。かれらは、プレグラ(またはプレグラエ)の野にうまれたとされ、そこから天上の神々に反逆し、ユピテルの投げる雷電にほろぼされた(巻一の一五一行以下)。プレグラは、イタリアのヴェスヴィオ山の近くなど諸説があるが、いずれも火山に関係した場所で(火のもえる場所、の意)、したがって巨人たちとは、火をふく山(火山)の神話化であろう。
(41)トロイア王ラオメドン〔巻九(53)、巻十一(41)〕の息子、または、その祖父でトロイア王家の始祖トロス〔巻十一(124)〕の息子。すべての人間のなかでもっとも美しい少年といわれた。ユピテルは鷲の姿になってイダ山中からかれを天上へ拉し去った。
(42)鷲。
(43)→巻十一(124)。トロスの子、ラオメドンの父。
(44)美少年ヒュアキントゥスのこと。アミュクラエ(スパルタの近くの町)で崇拝されたので、スパルタ王アミュクラスの息子とよばれた。スパルタ王オエバルス〔巻八(65)〕の子とする説もある。
(45)太陽が白羊宮に入るのは、三月の終り、つまり春の始まりである。→(26)
(46)オルペウスの父アポロ(ポエブス)。→(4)、巻十一(5)
(47)→巻二(69)
(48)スパルタの立法者で、その軍隊組織の創始者であるリュクルグス(なかば歴史時代の人)は、町に城壁をきずくことを禁じ、すべての市民が町をまもる砦となるべきことを定めた。また、地形上天然の要塞にかこまれたスパルタは、城壁を必要としなかった。
(49)ユピテルが世界の東と西のはてから鷹を放ったら、ちょうどデルピで出会ったといわれ、ここが世界の中心部だとされた。そこの神殿にオムパルス(へその意)とよばれる円錐形の岩があり、これが世界のへそ(中心)と考えられた。アポロがこの町の守護神である。→巻一(79)(80)
(50)真昼間の意。
(51)運動や体育のさいは、身体にオリーヴ油その他の油をぬった。円盤は、石や鉄でつくった、真中に穴のあいた円型の盤で、定めた目標にむかって投げたり、上に投げてその高さをきそいあったりする。
(52)→(8)。ここではスパルタの意で、その少年とは、ヒュアキントゥスのこと。
(53)アポロは医術の神でもある。→巻一(79)
(54)→(44)
(55)→(58)
(56)サラミスの王テラモン〔巻八(72)〕の息子である大アヤクス(ギリシア語訓みでは、アイアス)のこと。トロイア戦争でアキレスに次ぐ英雄であったかれも、ヒュアキントゥス(ヒヤシンス)の花と化した〔(58)、巻十二(130)、巻十三の三九四行以下および(101)〕
(57)→巻六(66)
(58)aiは、「ああ(痛い、悲しい)」という意味のギリシア語の間投詞であるが、それはまた英雄アイアス(アヤクス)の頭文字でもある(56)。なお、ギリシア人がヒュアキントゥスとよんだのは、トルコ原産のいわゆるヒヤシンス(ゆり科)ではなく、イリス(あやめ科)の一種であるイリス・ゲルマニカであろうという説がある。この花には、ギリシア文字のAIに似た斑点が見られるという。
(59)アミュクラエの町で夏至のころ三日間にわたっておこなわれ、第三日は競技会(とくに円盤投げ)が催された。
(60)キュプルス島〔巻六(22)〕の南海岸にある町。ウェヌス崇拝がさかんで、銅の産地としても有名。
(61)ウェヌスの神性を侮辱したために、女神のおくる欲情のとりこになって最初の娼婦となり、のち石に化したアマトゥスの乙女たち。
(62)「角のある者たち」の意、キュプルス島の伝説上の原住民。
(63)ユピテルは、客人守護の神でもある(いわゆるゼウス・クセニオス)。
(64)キュプルス島の町々。
(65)キュプルスの古名。「蛇の国」の意で、この島には白蛇が多くいた。
(66)ケラスタエ族。
(67)顔をあからめない、の意。
(68)キュプルス島の王。みずから作った象牙の人形に恋した。
(69)琥珀のこと。→巻二の三四〇行以下および(93)
(70)→巻二(173)。ここではポエニケの意で、テュルスの緋色というのとおなじ。→巻五(6)、巻六(66)
(71)→巻七(145)。「時をわかたず花の咲いている」山といわれ蜜蜂で有名であった。
(72)キュプルス島の町、ウェヌスの有名な神殿があった。その英雄とは、ピュグマリオンのこと。なおこの町の名は、のちにうまれるピュグマリオンの子供の名前から来ている。
(73)→前注。初めは男であったのが、のちウェヌスによって女に変えられたという説もある。
(74)→巻六(22)
(75)→巻九(114)。その民とはトラキア人。
(76)アラビアの東方にある島で香料の産地として知られる。
(77)Costus Arabicus といい、その根から芳香のある髪油がとれる潅木(インド原産)。
(78)キニュラスとケンクレイスとの娘、アドニスの母。没薬(ミルラ)の木に変身する。
(79)→巻一(84)
(80)復讐の三女神フリアエのこと。そのひとりとは、ユノにたのまれてアタマスとイノを破滅におとしいれたティシポネであろう。→巻四(87)および四五〇行以下。
(81)父親。
(82)フリアエ。→巻一(52)
(83)星座の名。
(84)→巻六(41)
(85)→(76)
(86)いまのイェーメン地方、ここが没薬の原産地とされている。
(87)ミルラ(ミュラ)は、アラビア産の潅木で、その樹液は芳香にとみ、とくに頭髪油につかわれる。その樹脂は、薬用に供せられ、傷にぬったり、ミイラをつくるさいに用いたりする。したがって、アドニスがミュラの子であるというのは、けっして死滅せず、ふたたびよみがえる力をもっていると言うことであろう。→巻五(7)
(88)キニュラスとミュラとの不倫の恋からうまれた美少年アドニスのこと。
(89)→巻五(56)
(90)→巻一(115)。ここでは森のニュムペ(妖精)たちのことであろう。
(91)→巻六(43)
(92)→巻一(84)。複数で考えられることもあった(とくに絵画において)。
(93)クピド、あるいはアモル。
(94)→巻四(35)
(95)→(72)
(96)小アジアのカリアの南西端の海岸にある町で、ウェヌス崇拝の町として知られていた。「魚の多い」は、海辺の町にたいする枕詞のようなもの。
(97)→(60)。以上は、いずれもウェヌス崇拝のさかんな土地。
(98)狩猟の女神。→巻一(87)
(99)神託の神アポロ。
(100)ボエオティアの王スコエネウスの娘。のちキュベレ女神(32)の神域をけがしたために牝ライオンに転身させられた。カリュドンの野猪狩りに参加したアルカディアの女傑アタランタ〔巻八(89)〕も脚がはやく、しばしば同一視されるけれども、一応別人物である。
(101)メガラ市〔巻八(6)〕にその名をあたえた英雄メガレウス(海神ネプトゥヌスの孫とされる)の息子。
(102)語り手であるウェヌス自身をさす。
(103)→巻一(13)
(104)→巻一(65)。その若者とは、ヒッポメネスのこと。
(105)ギリシア人は、サンダルをはき、それに革紐かリボンをつけて、くるぶしの上にくくった。
(106)ボエオティアの町。
(107)ウェヌス女神。
(108)→巻四(35)
(109)キュプルス島の古い町。
(110)スパルトイのひとり。→巻三(14)
(111)キュベレ女神(32)
(112)キュベレが頭にいただいている塔(あるいは、城壁)の恰好をした冠は、この女神を崇拝する町をあらわしている。
(113)→巻一(25)
(114)運命の三女神フリアエのこと。→巻四(87)
(115)これは、アドニス祭のことをいっている。毎年七月末におこなわれ、アドニスとウェヌスの像をもちだし、アドニスの死とウェヌスの悲しみ、さらにアドニスの蘇生を象徴する神事をとりおこなう。本来は、ポエニケ(フェニキア)のビュブルスという町(近くにアドニスという河があった)に発祥し、アッシリア、キュプルス、さらにギリシアやローマにひろまった。アドニスは元来は農業神で、植物の芽ばえと繁茂と冬のあいだの死滅を象徴し、とくに女性間で崇拝された。
(116)冥界の女王プロセルピナのギリシア名〔巻五(89)〕。良人のプルトがコキュトゥス河神〔巻一(38)〕の娘のメンタという妖精を愛したので、これを薄荷(メンタ)に変身させたという。
(117)アドニスは、アネモネになった。アネモネは、風を意味する「アネモス」から来ている。
(118)以上で、一四八行目からはじまったオルペウスの歌物語がおわる。
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巻十一
一 オルペウスの死
トラキアの伶人《れいじん》(1)がこのような歌物語によって森の樹々や野獣たちのこころやみずから慕いよる岩などをまねきよせていたとき、見よ、狂った胸を動物の毛皮でおおったキコネス族(2)の女たち(3)は、とある丘の頂きから、七弦の琴のしらべにあわせてうたうオルペウスの姿をみとめた。かの女たちのひとりが、髪をそよ風になびかせながら、さけんだ。「ごらんよ、あそこにわたしたちの悪口をいっている男がいる(4)!」そして、手にした酒神杖《テュルスス》を、アポロの血をうけた楽人(5)のうたっている口めがけて投げつけた。しかし、杖にはぶどうの葉がまきつけてあったので、怪我をさせるほどのことはなく、ほんのかすり傷をのこしただけだった。そこで、別の女が石を投げた。しかし、石は、空をきってとんでいるあいだに歌声と琴の諧音に魅せられて、まるでこんな無礼な仕儀におよんだことを詫びるかのように、かれの足もとにぽとりと落ちてしまった。
これを見ると、女たちの狂噪は、油をそそがれたようにとどまるところを知らず、気ちがいじみた憤怒にすっかリ身をまかせた。かの女たちが投げつけたものは、どれもかれの歌声によって力を弱められたが、ものすごい喚声や、まがりくねったベレキュントゥス(6)の笛、太鼓、手拍子、バッカエの発する奇声などは、竪琴の音をかき消してしまった。こうなると、ついに歌人の声もきこえなくなり、矢のようにとんでくる石は、血にまみれて赤くなった。〔一〜一九〕
数かぎりない鳥や蛇や多くの野獣たちは、それでもなお歌人の妙声に聞きほれていた。これこそ、オルペウスの音楽のかがやかしい勝利の図であったが、マエナデス(7)は、まず最初にこれらの鳥獣におそいかかった。ついで、血にまみれた手でオルペウスに鉾先を転じ、まるで真昼間にまよいでた一羽の夜の鳥(8)を見つけた多くの鳥たちのように、むらがって押しよせた。そして、円形競技場で朝その砂地を血にそめる運命にある餌食の鹿をめがけて犬どもが殺到するように、女たちはオルペウスにひしひしと迫り、本来こういうことのためにつくられたのでない、みどりの葉をまきつけた酒神杖《テュルスス》を手に手に投げつけた。また、土くれを投げつける者もあれば、折りとった木の枝や、石を投げる者もあった。
あらゆるものが、かの女たちの狂気を満足させる武器となる。たとえば、このときたまたま牛たちが重い鋤をひいて土をおこしていた。その近くには、秋の収穫を目あてに汗水たらしてかたい畑をたがやしている腕っぷしのたくましい農夫たちもいた。かれらは、狂女たちの群を見ると、たちまち道具をすてて逃げてしまった。だれもいなくなった畑には、熊手や重たいつるはしや長い柄のついた鍬《くわ》などが散乱している。マエナデスは、これらのものをうばいとり、おそろしい角《つの》もものともせずに牛どもを八つ裂きにしたのち、歌人を殺すためにひき返してきた。
オルペウスは、女たちの方に両手をさしのべ、嘆願の言葉をのべたが、かれの言葉がむなしく終ったのはこのときがはじめてで、かれの妙声もなにひとつ動かすことができなかった。狂える女たちは、かれに止《とど》めの一撃をくわえた。おお、ユピテルよ、岩も耳をかたむけ、野獣たちのこころをもうごかしたその口から、こうして最期の吐息が空にまいあがったのであった。〔二〇〜四三〕
オルペウスよ、鳥たちも、あまたの野獣たちも、かたい岩たちも、さらに、おんみの歌声にしばしばひきよせられた森たちも、みなおんみのために悲傷の涙をながした。樹々は、頭を剃《そ》って葉を落としておんみを悼《いた》んだ。河たちも、みずからの涙によって水嵩《みずかさ》を増したという。ナイスたち(9)やドリュアスたち(10)も、くろい喪《も》の衣をまとい、髪をたれて悲しんだ。
オルペウスの肢体は、あちこちにちらばっていた。その頭部と七弦琴は、ヘブルス(11)よ、おまえの流れが受け入れた。すると、ふしぎなことに、七弦琴は、流れの中央をながれながら、かすかな悲しみの調べをかなで、死んだ舌も、なげきの歌を口ずさみ、両方の岸辺が、悲しみながらそれにこだまを返した。こうして、頭と琴は、海へとながれくだり、ふるさとの河と別れて、メテュムナ(12)のあるレスボス島の海岸にたどりついた。すると、見知らぬ浜辺に打ちあげられ、海水に髪がじっとりとぬれたこの首をめがけて、一匹のおそろしい大蛇が這いよってきた。けれども、このときついにポエブス(13)があらわれて、まさに噛みつこうとしていた大蛇をはばむと、そのあいた口を岩と化し、喉もともあいたままの恰好で石に変えてしまった。
一方、オルペウスの霊は、地の底におりていった。まえに見たことがあるので、あらゆる場所の勝手がわかっていた。浄福な霊たちの住んでいる野原をさがして、妻のエウリュディケを見つけだすと、熱愛にもえる腕でしっかりと抱きしめた。こうして、いまふたりは、ときには肩をならべ、ときには後になったり、前になったりして、仲良くこの野原を逍遥している。いまではオルペウスは、安心してエウリュディケの方をふりかえれるのである。〔四四〜六六〕
しかしながら、かのリュアエウス(14)は、このような犯罪を罰せずにはおかなかった。かれは、自分の祭儀を讃美してくれた歌人をうしなったことをふかく悲しみ、ただちにこの大罪を目撃したエドニ人(15)の女たちを、森のなかでからみあった根によって大地につなぎとめてしまった。というのは、オルペウスにおそいかかったさいにめいめいがいたその場所で、かの女たちの足の指をのばし、その先をかたい土のなかに入りこませたのである。ちょうどたくみな猟師のしかけた罠に足をとられた鳥が、とらえられたことに気づいて、ばたばたと翼をうごかしてさわぎたてると、かえってますます網のなかにしっかりしばられてしまうのとおなじように、地面に根をはやした女たちは、夢中になってのがれようとしたが、なんの甲斐もなかった。しなやかな根は、かの女たちをしっかりととらえ、身うごきすらゆるさなかった。指や足や爪はどこへいったのかと見まわしたときには、すでに木質がまるい腓脹《ふくらはぎ》にそってしだいに上ってくるのが見えた。あまりの悲しさに自分の腿を手で打とうとしたが、かの女たちが打ったのは、腿ではなく、木であった。いまはもう胸も木になり、肩まで木に化した。葉をつけた腕は、だれが見ても、ながい枝としかおもえなかったであろうが、それはけっして見あやまりではなかった。〔六七〜八四〕
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二 ミダス王のかがやかしい厄難
しかし、バックスは、これだけでは満足しなかった。かれは、ついにこれらの女たちの住む土地(16)をも見すて、善良な人びとの一群を引きつれて、かれの愛するティモルスのぶどう山とパクトルスの河(17)へとむかった。もっとも、この河は、このころまだ黄金をながしていず、高価な砂によって人びとの欲心をそそってもいなかった。バックスは、いつものように、サテュルスたちやバッカエの一群にとりまかれていたが、シレヌス(18)だけは同伴していなかった。かれは、よる年波と酒酔いのためにふらふらと歩いていたところを、プリュギアの農夫たちにつかまり、花環でしばられて、ミダス王(19)のまえにつれていかれたのである。このミダスというのは、あのトラキアのオルペウスと、ケクロプスの町(20)にうまれたエウモルプス(21)とからバックス祭の饗宴《オルギア》を伝授された人である。ミダスは、酒神の友でありその祭儀の立会人であるシレヌスを見ると、大いによろこび、ただちにこの珍客の到来を祝って、十日間にわたって夜となく昼となく酒宴を張った。こうしてルキフェル(22)が十一回目に星たちの群をひきいて天から消え去ると、王は、うれしげにリュディアの野におもむき、シレヌスをその養い子である若い神(23)にひき渡した。
神は、育て親に再会できたことを非常によろこび、そのお礼として、なんでも望みのものを取らせようという、ありがたくも危険な恩恵をあたえた。ミダスは、やがてはこの賜物のために厄介を背負いこむことになるのだが、こう答えた。「どうかわたしのからだにふれるものが、ことごとく山吹いろの黄金になるようにしてください」リベル(24)は、この願いを聞きとどけ、やがては禍《わざわい》のもとになる恩恵をゆるしてやったが、ミダスがもっと賢明な望みをしなかったことを残念におもった。〔八五〜一〇五〕
ベレキュントゥス(25)の英雄は、よろこんで帰っていった。かれは、この不吉な恩恵に有頂天になって、二、三のものに手をふれて、約束がはたして真実であるかどうかをためしてみた。自分でも半信半疑ながら、まずあまり高くない樫の木から葉のついた小枝を一本折りとってみた。枝は、たちまち金の小枝となった。ついで、地面から小石をひろいあげると、小石もまた黄いろい金となった。一塊の土にふれてみた。ふしぎな接触によって、土塊はすぐに金塊となった。ケレスの熟した穂《ほ》(26)をつみとると、黄金の穂になった。枝からもぎとったばかりの林檎を手にしてみた。すると、それはヘスペリデス(27)の贈物かとおもわれた。かれの指が宮殿の高い門にふれると、門は金いろに光りかがやいた。また、きよらかな水に手をひたすと、手からしたたる水は、かのダナエ(28)をあざむくこともできたであろう。
かれは、あらゆるものが金になる有様を想像して、自分の幸福の大きさをほとんどはかりかねた。召使いたちがたくさんのご馳走と山盛りのパンをならべた食卓に、かれは上機嫌で腰をおろした。ところが、かれの手がケレスの恵みにふれるやいなや、たちまちそれらはかたい金になった。また、飢えた歯で料理を咀嚼しようとすると、かれの歯にふれたために、料理は金の板におおわれてしまった。この恩恵をあたえてくれた神の酒(29)をきよらかな水で割って口にふくむと、かれの唇からは黄金の液がながれ落ちるばかりであった。〔一〇六〜一二六〕
こうして、ゆたかでありながら悲惨になったミダス王は、やがて前代未聞の不幸におどろいて、この巨万の富からのがれたいと願い、喉《のど》から手が出るほどほしがっていたものを、いまは憎んだ。これほどの富にとりかこまれながら、飢えをしのぐことさえできないのであった。喉は、はげしい渇きのためにやけついたようであった。当然のことながら、かれは、呪わしい黄金のために苦しめられたのである。そこで、手と黄金にかがやく腕を天にむかってさしのべた。「おお、父なる神レナエウス(30)よ、どうぞおゆるしください。わたしが悪うございました。どうぞ憐れに思召《おぼしめ》して、このかがやかしい厄難からわたしをお助けください」
神々のなかでもやさしいバックス神は、ミダスがこのようにみずからのあやまちを告白すると、かれをもとどおりにしてやり、約束どおりにあたえた恩恵をとりあげた。「おまえが自分からあやまって望んだ黄金にもう苦しめられないですむように、あの大きなサルデス(31)の町の近くを流れる河のほとりに行くがよい。そして、山の高みからながれくだる河筋をさかのぼって、源泉までたどりつくのだ。そこの泉の水が最もよく湧きでるところで、頭を泡だつ水にひたし、同時にからだも洗って、罪を浄めるのだ」
王は、命じられた泉に身をひたした。すると、すべてのものを黄金にしてしまう魔力は、みるみるうちに泉の水を黄金にそめたが、魔法の力は、ミダスの五体からはなれて、流れにのりうつった。いまも、このあたりの土地は、昔のふるい鉱脈の種子を内部に蔵しているために、かたい黄金になり、しめった土壌の上にほのかな輝きを投げている。〔一二七〜一四五〕
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三 アポロとパンとの歌合戦/ミダス王の耳
さて、ミダスは、金銀財宝をにくみ、森や野山を愛するようになり、いつも山中の洞穴を棲家とするパン(32)を崇拝した。しかし、かれの間抜けさ加減は、すこしも治らず、おろかな想念にみちたかれのこころは、またぞろわが身をそこなう因になったのである。〔一四六〜一四九〕
トモルスの山は、峻嶮な嶺をそばだててひろびろとした海にのぞみ、左右の裾を、ひとつはサルデスの町に、ひとつは小さなヒュパエパ(33)の町にのばしている。あるとき、この山でパンは、若い妖精《ニュムペ》たちをあつめて、自分の音楽の上手なことを自慢し、蝋でつぎあわせた葦笛でつまらぬ曲をかなでていたが、しまいには不遜にも、アポロの歌も自分の歌にはおよぶまいなどと、大きな口をきくにいたった。そして、トモルスを審判官として身のほど知らずな歌合戦をすることになった。〔一五〇〜一五六〕
審判官にえらばれたトモルス老人は、みずからの山上の審判席に陣どって、森の樹々をおしのけて耳をすました。青味がかった髪には、樫の葉の冠だけをいただき、平たいこめかみのあたりには、樫の実がたれさがっていた。かれは、家畜の群をつかさどる神(34)の方を見おろして「審判の用意はできたぞ!」と告げた。パンは、ひなびた牧笛を吹きならしはじめた。その粗野な歌は、ミダス王のこころをすくなからずうごかした(というのは、ミダスもこの歌合戦の場に居合わしたのである)。かれの歌がおわると、神のごときトモルス翁は、顔をポエブスの方にむけた。すると、顔といっしょに、かれの森もその方をむいた。ポエブスは、金髪の頭にパルナッスス山(35)の橄欖《かんらん》の葉冠をいただき、テュルス(36)の緋色にそめた衣で地をはらい、左手に宝石とインドの象牙をちりばめた七弦琴をもち、右手には撥《ばち》をにぎっていた。いかにも芸術の神にふさわしい、それは容姿であった。やがて、かれのたくみな指は、弦をふるわせた。トモルスは、すっかりこの妙なる調べに魅せられて、パンの葦笛はとてもこの神琴にかなわないと言いわたした。
聖なる山のこの判定は、すべての者から賛成されたが、ミダスだけは異をとなえ、その判定はまちがっていると主張した。これを聞くと、デロスの神(37)は、こんな間抜けた耳が人間の耳のかたちをしているのは不都合だとして、すぐさまそれを引きのばし、灰いろの毛を一面にはやし、つけ根のところをやわらかくして、自在に動くようにしてしまった。耳以外の部分は、人間の姿のままであった。つまり、ミダスは、耳にだけ罰をうけて、のろのろと歩く驢馬《ろば》の耳になってしまったのである。〔一五七〜一七九〕
かれは、これを人に見られないようにとおもって、恥さらしな耳のついている額を深紅の頭巾(38)でかくそうとした。ところが、いつも彼の頭髪を鋏で刈る役目をしていた召使いが、とうとうそれを見てしまった。召使いは、自分が見つけた主人の恥部をだれかに喋りたくてたまらないのだけれど、まさか主人を裏切るわけにはいかず、かといって、このままだまっていることもできず、重いあまって人里はなれた場所にいき、そこの土に穴を掘ると、その穴にむかって、主人がどんな耳をしているかをそっと小声でささやいた。それから、またもとのように土をかぶせ、自分の声の痕跡を消して、穴をうずめつくすと、なに喰わぬ顔で立ち去った。すると、この場所に、風にそよぐ葦の叢林が密集しはじめ、やがて一年たって成熟すると、ここの土を掘りかえした人を裏切ってしまった。というのは、おだやかな南風が葦のあいだをそよそよと渡るとき、葦は、召使いが埋めておいた言葉をくりかえして、主人の耳がどうなったかをあかしてしまったからである。〔一八〇〜一九三〕
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四 ラオメドン/トロイアの築城
ラトナの息子(39)は、こうしてミダスを罰しおわると、トモルスを去り、すみわたった大空をとんで、ネペレの娘ヘレの海峡(40)のてまえにあるラオメドンの国(41)に来てとまった。ここにシゲウム(42)の入江の右方、ロエテウム(43)の湾の左方に予兆を送る雷神(44)をまつった古い祭壇があった。そこからアポロは、ラオメドンがかれの新しい都トロイアの城壁の建設に着手しているのをながめ、この大事業を進捗させるためには容易ならぬ努力と莫大な資金が必要であることを見てとった。そこで、アポロは、三又《みつまた》の鉾《ほこ》をもつ深海の支配者(45)とともに人間の姿に身をやつし、相当の謝礼金をだすという約束のもとに、このプリュギアの王のために城壁をきずいてやった。
ところが、仕事が完成しても、王は賃銀を支払うことをこばんだばかりか、不誠実きわまることには、嘘言を弄して背信の罪までおかした。「そういうことなら、思い知らせてやるぞ」と、海神はいった。そして、世界じゅうの水をこの強欲なトロイアの岸にあつめ、陸地を海と化し、農夫たちの家屋敷を押しながし、田畑をことごとく水底に沈めてしまった。しかも、罰はそれだけではなかった。王はさらに、自分の娘(46)をも海の怪物の犠牲《いけにえ》として出さねばならなくなった。娘は海岸の岩にしばりつけられたが、これを助けてやったのは、アルケウスの孫(47)であった。かれは、褒賞として約束してあった馬(48)を要求した。しかし、王はこのような大手柄にたいしても褒賞をこばんだので、アルケウスの孫は、トロイアを攻めて、二度までも偽誓の罪をおかしたこの町の城壁を占拠してしまった。
かれの戦友のテラモンも、大いに武者ぶりを発揮し、王の娘ヘシオネを妻にした(49)。というのは、かれの兄弟のペレウス(50)が神の娘を妻にして有名だったからである。ペレウスは、その祖父(51)の名前と同様、舅《しゅうと》の名前をも誇りとしていた。つまり、ユピテルの孫としての栄光をうけた者は、かれだけではなかったが、女神を妻とする幸運にあずかった者は、かれひとりであったからである。〔一九二〜二二〇〕
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五 プロテウスの予言/ペレウスとテティス
というのは、こういう次第である。あるとき、年老いたプロテウス(52)は、テティスにむかってこういった。「おお、水の女神よ、子種をみごもるがよい。やがてそなたは、若者の母となるであろうが、息子は数々の手柄により父親の手柄をしのぎ、父親まさりの勇者だと人びとから讃えられるであろう」それでユピテルは、この世に自分よりも偉大な者があらわれては困るので、胸にはげしい恋情を感じていたにもかかわらず、ついに海の女神テティスを妻にすることをあきらめた。そして、自分の孫にあたる、アエアクスの息子(53)が自分のかわりにこののぞましい結婚をし、海の処女神を抱擁することを命じた。〔二二一〜二二八〕
ところで、ハエモニア(54)の地に、鎌のような恰好に彎曲して、左右の腕をつきだした入江があった。もし水がもっと深かったら、そこは湾になったであろうが、海水は、ただ砂地の上を浅くおおっているにすぎなかった。岸辺は、かたい土で、歩いても足跡がつかず、足をとられることもなく、藻もはえていなかった。近くには、桃金嬢《ミルテ》の森があって、二色の実が鈴なりにたれさがっていた。森のまんなかあたりに、ひとつの洞穴があった。自然にできたものか、それとも人手によってつくられたものか、よくはわからないが、たぶん人工のものであるらしい。
テティスよ、おんみは、轡《くつわ》をつけた海豚《いるか》にのって裸身でよくここへやってきたものだ。ある日、おんみがここに身をよこたえて眠っているところを、ペレウスにおそわれた。ペレウスの切なる願いにもかかわらず、おんみは応じなかったので、かれは両腕をおんみの首にまきつけて、力ずくでものにしようとした。このときおんみがさまざまなものに姿を変えて、いつもの術に逃げ場をもとめなかったら、かれはその大それた欲望をとげていたことであろう。けれども、おんみは、ときには鳥の姿になった。しかし、ペレウスは、その鳥をしっかりとつかまえていた。おんみは、つぎに大きな樹になった。それでも、かれはやはりその樹を抱きしめていた。それで、おんみは、三度目には縞模様の虎になった。アエアクスの子も、これにはびっくりして、虎のからだから腕をはなしてしまった。〔二二九〜二四六〕
そこで、ペレウスは、酒を海にそそぎ、仔羊の内臓をやき、香をたいて、海の神々をあがめた。すると、深い淵の底からカルパトゥス(55)の予言者があらわれて、こういった。「アエアクスの息子よ、おまえは、のぞむ女を妻にすることができるであろう。あの女が岩穴のなかでまどろんでいるあいだに、気づかれないように丈夫な綱と紐ですばやくしばりあげるがよい。おまえの眼にかの女がどんな姿に見えようとも、それにだまされてはならぬ。どんな姿にかわろうとも、もとの姿にもどるまでは、けっしてはなしてはならぬぞ」こう告げると、プロテウスは、ふたたび海のなかに姿をかくして、その最後の言葉を波音で消してしまった。すでに太陽は西にかたむき、その日輪の轅《ながえ》を下にむけてヘスペルス(56)の海に行きついた。そのとき、ネレウスの美しい娘は、ふたたび海底からもどってきて、洞穴のなかのいつもの寝床に身をよこたえた。ペレウスがまだ汚れを知らぬその肉体におそいかかるやいなや、かの女は、つぎからつぎへと姿をかえたが、ついに自分のからだがしっかりとおさえつけられ、腕を左右にひろげられているのを感じた。そこで、とうとうため息をもらしながら、「あなたがわたしに勝ったのは、きっと神々の思召しなのにちがいありません」こういうと、テティスはもとの姿にかえった。すると、ペレウスは、ほんもののテティスを抱きよせ、ついに望みをとげて、かの女にあの偉大なアキレスをみごもらせたのである。〔二四七〜二六五〕
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六 ケユクスのもとに身をよせたペレウス/ダエダリオンの転身
ペレウスは、こうして息子と愛妻をえて幸福にくらしていたが、もしかれにポクス(57)を殺した罪がなかったならば、運命のあらゆる恩寵にめぐまれた人間となっていたことであろう。かれは、兄弟の血をあびたまま父の家を追われて、トラキン(58)の地にその住まいをもとめた。ここは、ルキフェルの息子ケユクス(59)が、顔に父からうけた輝きを見せながら、無事太平に治めていた。しかし、このころのケユクスは、悲しみにやつれて別人のようになり、兄弟(60)をなくしたことを悲しんでいた。〔二六六〜二七三〕
アエアクスの息子は、心痛にやつれ、旅につかれてこの地にたどりつき、数人の従者《とも》だけをつれて町に入った。ひきつれてきた牛や羊の群は、城外の木蔭のある谷間にのこしておいた。かれは、王に拝謁をゆるされるやいなや、嘆願者のしるしとして羊毛をまきつけた橄欖の小枝(61)を手にもち、自分がどういう者であるか、自分の父はだれであるかを名のった。しかし、自分の罪にはふれず、故郷を追われた理由については、架空の話をしておいた。そして、城内でも城外でもよいから、住む場所をあたえてほしいと嘆願した。これにたいして、トラキンの王は、こころよく答えた。
「ペレウスどの、どんなに賎《いや》しい人たちでも、わしの恩恵をうけることがゆるされている。わしの国は、客人にたいして門戸をとざしたりはしない。わしのこうした方針にたいして、あなたはさらに力づよいふたつの動機をあたえてくれる。音にきこえたあなたの勇名(62)と、祖父にユピテル大神をもっておいでだという血統とがそれだ。だから、そのような嘆願でよけいな時間をつぶされぬがよい。望みのものは、なんでもかなえてあげよう。この国であなたの眼にふれるものはなんでも、あなたにわけて進ぜよう。それにしても、もっとよい状態にあるわが国をお見せできるとよかったのだが……」そういうと、王は、はらはらと涙をながした。ペレウスとその従者たちは、なぜ王がこんなに悲しむのかと、たずねた。そこで、ケユクスは、つぎのように物語った。〔二七四〜二九〇〕
「あなたがたはたぶん、他人のものをかすめて生活し、鳥仲間から非常におそれられているあの鳥(63)は、昔からあのように羽根がはえていたものと、おもっておいでだろう。しかし、あれは、もとはれっきとした人間で、じつはわしの兄弟だったのだ。いまでもその気性がそのままのこっておるが、戦いにのぞんでは勇猛、喧嘩好きで、その名をダエダリオンといった。朝ごとにアウロラ(64)をよびさまし、いちばん最後に空から消えていくあの星(65)を父としてこの世にうまれたのだ。わしは、うまれつき平和を愛した。そして、平和と夫婦生活の幸福を擁護することが、わしのなによりの念願だ。が、兄は、血なまぐさい戦争にばかり興味をもっていた。かれの勇気は、方々の王たちや国々を征服した。もっとも、姿が変ったいまでも、ティスベ(66)の鳩どもをこわがらせておるが……。
かれには、キオネ(67)という娘があった。この娘は、たいへんに美しかったので、一四、五歳の年頃にもなると、たくさんの求婚者たちがあらわれた。ところが、ある日、ポエブスとマイアの子(68)とが、一方はデルピからの、他方はキュレネ(69)の山からの帰り道で、ふたりとも同時にこの娘を見て、同時に恋心にとらえられてしまったのだ。ポエブスは、恋の希望を夜の時刻までのばしたが、メルクリウスの方は、とても待ちきれず、眠りをさそうあの杖(70)で娘の顔にふれた。すると、娘は、魔法の力にたぶらかされて眠りにおち、神の意のままにされてしまった。やがて夜になって、星が空いっぱいにかがやいた。ポエブスは、老婆のすがたに化《ば》けて娘に近づき、二番手のよろこびを味わったのだ。みごもったキオネは、やがて月みちて、足に翼のある神(71)の子であるアウトリュクス(72)をうんだ。さすがに父の流儀をはずかしめず、あらゆる種類の詐術に長《た》け、白を黒にし、黒を白にするようなペテンにたくみな子であった。ところが、もうひとり、ポエブスの子もうまれた(つまり、キオネは、双子《ふたご》をうんだのだ)。美しい歌と竪琴の演奏によって名を謳われるようになったピラムモン(73)がそれだ。
だが、キオネにとっては、同時にふたりの息子をうみ、ふたりの神を魅惑し、勇猛な父の娘であり、かがやかしい祖先(74)の血をひいているということが、いったい、なんの役にたとうか。栄誉というもののために、かえって不幸におちいる人びとが多いのではあるまいか。すくなくともキオネにとっては、栄誉は破滅のもとだった。かの女は、不遜にも自分はディアナにもまさる美人だとうぬぼれ、女神の美しさにけちをつけたのだ。女神は、たいへんに怒って、『そんなら、わたしの力のほどを見せてやる!』とさけぶや、弓を引きしぼって、弦をはなすと、矢はみごとにキオネの罪ぶかい舌を射抜いてしまった。舌は、うごかなくなり、いくらもがいても、声も言葉も出てこなかった。それでもなんとか口をきこうとやっきになっているあいだに、その生命は血とともに消えてしまった。これを見ると、わしはかの女をかき抱いて、叔父のこころをもって悲嘆をしのび、親しい兄に慰めの言葉をかけたものだった。けれども、岩が波のひびきに耳をかさないように、兄はわしの慰めを聞こうとせず、うしなった娘をなげくばかりであった。娘の亡骸《なきがら》が焼かれるのを見ると、かれは、四度も火中にとびこもうとした。そして、四度ともまわりの者に引きとめられると、えらく興奮して走りだした。まるですずめ蜂にさされて、頭をさげて走る牡牛のように、道もなにもかまわずに駈けていったのだ。
とても人間が走っているとは見えないほど早く、足に翼でもはえたかとおもえるほどだった。こうして、すべての追手からのがれ、死の望みにかりたてられて、とうとうパルナッスス山の頂上まで来てしまった。が、かれをかわいそうにおもったアポロは、ダエダリオンが高い岩の上から身を投げた瞬間に一羽の鳥にしてやった。そして、あたらしく生じた翼によって空中にうかばせ、まがった嘴と、鉤爪《かぎづめ》と、昔のままの勇猛さと、図体以上の力とをあたえた。こうして兄は、いま鷹となっているわけだが、だれにたいしても温情を見せるということがなく、あらゆる鳥たちにたいして猛威をふるい、自分自身が不幸でありながら、他人にたいしても不幸の因《もと》になっておるのだ」〔二九一〜三四五〕
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七 石になった狼
ルキフェルの息子がその兄弟のふしぎな身の上話をしていたとき、ペレウスの家畜番でポキス(75)のアネトルという男が、息をきらして駈けこんできて、「ペレウスさま、ペレウスさま! たいへんなことが起こりました」と、さけんだ。ペレウスは、どんなことでもよいから申してみよ、と命じた。トラキンの王(76)も、非常に心配して顔色を変えた。〔三四六〜三五一〕
番人は、報告をした。「ちょうどお天道《てんとう》さまが天のまんなかの一番高いところまでお昇りになって、いままで通っていらっしゃった路程《みちのり》が、これからお辿りになる路程とちょうどおなじになったころ、わたしは、つかれた牛どもをまがりくねった岸辺のあたりにつれてまいりました。牛どもは、砂に膝をついて寝そべり、ひろびろとした海をながめているものもあれば、そのあたりをのそりのそりと歩きまわっているのもあり、また、水のなかを泳ぎながら頸だけを水面に出しているのもありました。そこの海辺の近くに、ひとつのお堂がございますが、べつに大理石や黄金でかがやいているようなものではなく、太古からの小さな社《やしろ》がしげった木々で蔭をつくっているだけです。ここには、ネレイデス(77)とネレウスを祀《まつ》ってあるので、なんでも岸で網を干しておりました漁夫の話では、これは海の神さまたちだということでございます。このお堂のそばに、柳が幕のように密生してまわりをとりかこんでいる沼がございまして、海の水があふれて出来たものだそうです。
そこから、あたりにひびきわたるようなおそろしい唸り声がしたかとおもうと、突然、一匹の大きな怪物がとびだしてきました。沼の葦のしげみのなかから、泡だらけの狼がとびだしてきたのでございます。牙をむきだした口には、血が一面にこびりつき、眼は、炬火《たいまつ》のようにまっ赤にもえておりました。兇暴さと空腹のためにあばれまわっていたのでございましょうが、どちらかと申しますと、狂暴さの方がまさっていたように見うけられました。と申しますのは、牛の二、三匹でも殺してはげしい空腹をみたしたら、それで満足するのではなくて、手あたりしだいどの家畜にもおそいかかり、むごたらしくもみな殺しにしてしまったからでございます。わたしどもの仲間にも、防ぎとめようとして噛みつかれ、傷ついて死んでしまった者もございます。海岸も、その近くの海も、家畜どものおびえた声をひびかせている沼も、みんな血でまっ赤になってしまいました。けれども、ぐずぐずしてはおれません。尻ごみをしている場合ではございません。まだすこしは家畜ものこっておりますあいだに、さあ、みんな勢ぞろいをして、弓矢を、武器をとって、あの狼めをやっつけなくてはなりません!」〔三五二〜三七八〕
牧人は、このように語った。しかし、ペレウスは、この厄難にたいしてほとんどおどろきの色をしめさなかった。かれは、かつての自分のおかした罪のことを思いだし、これは、かれに息子を殺されたネレイデスのひとり(78)がポクスの霊をなぐさめる供物としてこれらの家畜どもの命をうばったのだ、と察しがついたのである。オエタの山の王(79)は、ただちに鎧をつけ、するどい投槍をとるようにと兵士たちに命じ、みずからも兵士たちといっしょに出かけようとした。ところが、王妃のアルキュオネ(80)は、このさわぎを聞きつけて、結《ゆ》いかけていた髪もそのままにして駈けつけてきた。そして、結いかけの髪をふりみだして、良人の首にとりすがり、加勢を送るのは結構だが、ご自分は出かけないでください、ご自分の命はわたくしたちふたりの命だとおもってください、と涙ながらに哀願した。すると、アエアクスの子(81)は、こういった。
「おお、王妃さま、あなたの美しい、やさしいお心遣いは、ご無用です。あなたがたの好意にみちたお申し出にたいしては、ふかくお礼申しあげます。けれども、このような前代未聞の怪物にたいして人びとが武器をとってくださることは、わたしの望むところではありませぬ。むしろ、海の神さまにお祈りをささげることこそ必要なのです」
この地方のいちばん高い城砦の上に、ひとつの塔があった。それは、航海につかれた船にとって、よろこばしい目じるしになっていた。一同は、そこへ登っていった。見ると、牛どもは呻き声をあげながら瀕死のからだを浜辺によこたえ、家畜の群をおそったおそろしい掠奪者は、口をまっ赤にそめ、ながい毛を血まみれにしている。ペレウスは、両手を大海の岸の方にさしのべ、青い肌をした(82)プサマテにむかって、どうか怒りをしずめて、自分を救ってくれるようにと祈った。しかし、プサマテは、アエアクスの子の祈りにもこころを動かさなかったが、テティス(83)が良人のためにとりなしたために、やっと赦しが得られることになった。けれども、狼は、呼びもどされはしたものの、血の味に興奮して、なおも狂おしい殺戮をつづけた。そこで、さらに一頭の牡牛の首にかみついたとき、プサマテは、ついにかれを大理石に変えてしまった。それは、からだの色をのぞけば、すべてもとの姿のままであった。しかし、その岩の色を見れば、これはもう狼ではなく、すこしもおそれる必要がないのだということがわかる。とはいえ、運命は、追われゆくペレウスに、この国に安住の地を見いだすことをゆるさなかった。かれは、追放の身を今日は東に、明日は西にとさすらわせつつ、ついにマグネシア(84)の地に来た。そして、この地でハエモニアの王アカストゥス(85)の手によって、ついに殺人の罪を淨《きよ》められたのであった。〔三七九〜四〇九〕
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八 ケユクスの難破
さて、ケユクスは、兄弟の身におこったふしぎな運命と、それにつづくふしぎな出来事のために、なにかしら不安な胸さわぎをおぼえて、不幸な人びとをなぐさめるために神託に伺いをたててみようとおもって、クラロス(86)の神のもとに出かけようと旅の支度をととのえた。というのは、デルピへいこうにも、無法者のポルバス(87)がプレギュアエ人たち(88)といっしょになって道中をおびやかしていたからである。ところで、出発に先だって、貞淑なアルキュオネよ、かれは、おまえに事情をうち明けた。これを聞くと、アルキュオネは、骨の髄まで凍りつくかとおもわれるほどの悪寒《おかん》におののき、顔は黄楊《つげ》のように蒼白になって、涙はとめどもなく頬をぬらした。かの女は、三たび口をひらこうとしたが、そのたびに頬をぬらす涙にさえぎられた。そして、嗚咽にむせびながらも、やさしい嘆きを訴えた。
「愛するあなた、いったい、わたくしにどんな過《あやま》ちがあって、あなたのおこころがこのように変ってしまったのですか。いままでずっとかけてくださっていたお情けは、どこへいってしまったのですか。このアルキュオネを平気で見すてて、遠いところへいっておしまいになれるのでございますか。ながい旅路が好きになられたのでございますか。わたくしがおそばにいない方がよいと思召すのでございますか。でも、たぶん、あなたは陸路をおとりでございましょうね。それなら、わたくしは、お別れを悲しみこそすれ、怖れはいたしません。心配はいたしましても、怖れる必要はございません。わたくしが怖れるのは、海でございます。海のおそろしい姿でございます。先日も、渚で波に打ちあげられた難破船の板子《いたこ》を見ましたし、いくども遺骸のない墓に多くの名前を読みました。はげしい風を牢屋にとじこめて、思いのままに波をしずめるという、あのヒッポテスの子(89)があなたの舅だから大丈夫だろうなどと、あだな望みにまよわされてはなりません。風たちは、いったん縛《いまし》めから解きはなたれ、大海原をわがものにすると、なんでもやりたい放題で、陸といわず、海といわず、すべて思うがままです。かれらは、空の雲たちをさえかきみだして、そのはげしい衝突によって赤い稲妻を生じさせるのです(90)。かれらのことをよく知れば知るほど(と申しますのは、わたくしはかれらをよく知っていますし、子供のころ父の屋敷でなんども会ったことがあるものですから)、かれらを怖ろしいと思います。どのようにお願いしても、お気持をひるがえすことができませんのなら、そして、どうしても出かけるとおっしゃいますのなら、いとしい方よ、どうかわたくしもいっしょにお連れいただきとうございます。そうすれば、すくなくとも、ふたりいっしょに波にもてあそばれることになりましょうし、また、わたくしは、自分が受ける苦難だけを怖れればよいわけですから。どのようなことが起ころうとも、ふたりいっしょに堪え忍びましょう。そして、いっしょにはてしない海原の上をはこばれて参りましょう」〔四一〇〜四四三〕
アエオルスの娘アルキュオネのこうした言葉と涙は、明星(91)の子である良人のこころを動かさずにはおかなかった。かれの愛情もまた、妻のそれにおとらなかったからである。しかし、かれは、いったん決めた海路の旅をあきらめようともしなかったし、かといって、アルキュオネを危険の道づれにしようという気にもなれなかった。かれは、妻の心配をなだめるために、いろいろ説明をしてやったが、どうしても妻を納得させることができなかった。そこで、さらにつぎのような慰めの言葉をつけくわえて、やっと妻の気持をなだめることができた。
「わたしだって、おまえと別れておれば、ずいぶんと待ちどおしい気がする。しかし、わしの父の光にかけて約束するが、もし運命の加護が得られたら、月が二度満ちるまでに、かならずおまえのもとに帰って来よう」〔四四四〜四五三〕
この約束によって妻のこころにかならず帰ってくるという希望をもたせると、ケユクスはただちに船を造船台からおろして進水させ、必要な船具をとりつけるようにと命じた。これを見ると、アルキュオネは、まるで未来のことを察したかのように、またも身をふるわせ、あふれる涙をながし、良人をしっかりと抱きしめて、悲しそうに「さようなら!」ともらすなり、その場に気をうしなって倒れてしまった。ケユクスも、なんとか出発をおくらせようとしたが、若い水夫たちは、はやくも二列にならんで、頑丈な胸に力いっぱい櫂《かい》をひいた。櫂は、そろって波をかいた。アルキュオネは、涙にぬれた眼をあげて、良人が高くそりかえった船尾に立って、かれの方から先に手をふって合図をしているのを見つけた。かの女も、手をふってそれに答えた。陸地からしだいに遠ざかり、もう良人の顔もよくわからなくなっても、かの女はいつまでも消えゆく船を見送っていた。やがて、船がはるかな沖に去って、もはやさだかに見きわめがつかなくなってからも、なお檣頭《しょうとう》たかく風にはためく帆を見つめていた。ついにその帆も見えなくなると、かの女は、不安な思いにふけりながら、ひとりきりの閨房に帰り、寝台《ねだい》に身をよこたえた。臥床《ふしど》を見るにつけ、部屋のなかを見まわすにつけ、アルキュオネは、またもあたらしい涙にさそわれ、去っていった良人のことを思いだすのであった。〔四五四〜四七三〕
船が港から出ていくと、そよ風が帆綱をうごかしはじめたので、水夫長は、船べりにのせてある櫂をかたづけ、帆柱の上に帆桁《ほげた》をあげて、すべての帆を張り、折からの風をいっぱいにはらました。こうして、船は波をきり、航程のほとんど半分をおえ、両方の陸地からはるかに遠ざかったころ、夜が近づくにつれて、海はしだいに白波だちはじめ、はげしい東風が、だんだんに強くなりだした。「上の帆桁をおろせ! さあ、大いそぎだ! 帆をみんな帆柱に巻きあげろ!」と、舵手がさけんだ。かれは、そう命令したのだが、真っ向から吹きつける嵐は、その命令を吹きとばし、怒涛のひびきは、その声を消してしまった。しかし、水夫たちはみな自分たちの独断で、ある者はいそいで櫂をあげ、ある者は船腹をまもり、ある者は帆を巻きあげた。船艙《せんそう》の水を汲みだして海にすてる者もあれば、風にさらわれないように帆桁をおろす者もあった。こうした仕事でごったがえしているあいだに、嵐はますます猛威をたくましくし、四方に吹きまくる風は、おそろしい戦いをいどんで、荒れくるう海をわきたたせた。舵手でさえも、おそれおののき、もう船がどうなっているのか、なにを命じ、なにを禁じたらよいのか、わからなくなったと、弱音をはいたほどであった。
それほど危険は大きく、ほどこす術もないほど切迫していた。水夫たちはわめき、索具はうなり、海は風になぐられて咆哮し、空は雷鳴のためにとどろいた。波浪は、巨山のように盛りあがって、天にもとどき、低くたれこめた雲を洗うかとおもわれた。ときには、海底からすくいあげた土砂とおなじ色になり、ときには、ステュクス(92)の流れよりもさらにどす黒い色になり、また、水位を低めたかとおもうと、ざわめく泡で白くなったりした。トラキン(93)の船も、こうした波の激動に翻弄され、めくるめくような高みにもちあげられたときは、高山の頂上から足下の谷底やアケロン(94)の底をのぞきこむような気がし、波と波とのあいだの谷をわたるときは、地獄の淵からはるかな蒼穹を仰ぐかのようにおもえた。船腹は、大波にうたれて、しばしばめりめりと震動し、まるで鉄の衝角(95)か弩《いしゆみ》が城壁を打ちくだこうとしてぶつかったときのように鳴動した。また、おそろしい獅子どもが助走によってしだいに力をつけつつ、かれらの方につきだされた槍や刀にむかって頭から突進していくときのように、荒れくるう嵐に駆りたてられた大波は、すさまじい勢いで船の索具におそいかかり、索具よりもはるかに高く跳ねあがった。
すでに、楔《くさび》はゆるみ、槙皮《まいはだ》をつなぐ蝋がはげて接《つ》ぎ目がはなれ、そこからおそろしい水が侵入してきた。そのうちに、雲がさけて、滝のような雨が降ってきた。それは、まるで空全体が海まで落ちてきたか、あるいは、もりあがった海が天までとどいたかとおもわれるほどであった。帆は、雨にびしょ濡れになり、海の水は、天の雨とまじりあった。空には、一点の星もなく、暗い夜の上には、夜自身の闇と嵐の闇とが重くのしかかっていた。しかし、ひらめく稲妻は、この闇をもつきやぶって光を投げた。その稲妻の閃光に、波は赤く燃えたった。
すでに、水は船体の内部に跳梁《ちょうりょう》していた。全軍のなかでも最も勇敢な兵士が守りをかためた町の城壁によじ登ろうとなんども突攻をくりかえしたあげく、ついにめざす地点に達し、功名心にかられて幾千の味方をしりめに単身よくその城壁を占拠することがあるが、それとおなじように、大波は、つぎからつぎへと九度もくりかえして高い船腹をなぐりつけたが、十度目の攻撃は、さらにはげしい勢いで打ちかかってきた。そして、いわば船を攻めおとして、その城壁のなかになだれこむまでは、あわれな船体にくわえる攻撃の手をゆるめなかった。こうして、海水の一部は、すでに船のなかにあったし、また、船のそとにある水も、なんとか侵入する隙をうかがっていた。ちょうど町を包囲した敵が城壁を倒そうとしてその下を掘りすすみ、一部はすでに内部に侵入して城壁を占領しようとしているときの町の住民たちのように、すべての乗組員たちはおそれおののいた。〔四七四〜五三六〕
もはやほどこす術もなく、勇気もつきはててしまった。山のような大波が押しよせてくるたびに、あわれな水夫たちは、いまわしい死神がおそいかかってくるような気がするのだった。おろおろと泣きわめく者もあれば、呆然とたちすくんだままの者もある。なかには、葬礼をうけて死ねる連中は幸福だとうらやむ者もあれば、祈りをささげながら神々の名をよび、見えない空に腕をさしのべて救いをもとめる者もあり、また、兄弟や両親のことを、あるいは家や子供たち、さらに自分が故郷にのこしてきたすべてのものを思いだす者もあった。ケユクスは、アルキュオネのことを思った。かれの口にのぼるのは、アルキュオネの名ばかりであった。そして、アルキュオネひとりをあこがれたが、それでも妻がこの場にいないことをよろこんだ。故郷の岸辺の方をふりかえって、わが家の方に最後の一瞥《いちべつ》をおくりたいとおもったが、故郷がどちらにあるのか、それさえもわからなかった。それほど海は荒れくるい、巻きかえっていたのである。
空は、瀝青《れきせい》のように黒い雲にすっぽりとざされ、夜のすがたは、ひとしお濃かった。そのとき、雨をふくんだ旋風が、帆柱を折り、舵《かじ》をくだいた。この戦利品に得意になった波は、さながら勝利者のように居丈高《いたけだか》にのびあがり、頭をまげて後につづく波を見おろした。そして、だれかがアトス(96)かピンドゥス(97)を根こそぎ引っこぬいて、大海のなかに投げこんだかとおもわれるような猛烈な勢いで、その波は落ちかかり、その重みと力で船を海底ふかく沈めてしまった。水夫たちの大部分も、船もろともはげしい渦巻きにまきこまれて、ふたたび水面にあがってくることなく、海の藻くずとなってしまった。しかし、なかには、くだけた船板にしがみついている者もあった。
ケユクスも、日ごろは王杖をとる手で一枚の板子につかまりながら、舅と父(98)の名をよび、救いをもとめたが、その甲斐がなかった。波間にただよっているあいだも、とくにアルキュオネの名前をなんども口にした。かれは、くりかえしかの女の名をよび、波が自分の遺骸をかの女の眼のまえにはこんでいって、妻の手でねんごろに埋葬されたいと願った。海上をただよいながら、波が口をあけることをゆるしてくれるかぎり、アルキュオネの名をよびつづけ、波にもぐったときでさえ、その名をつぶやいたのだった。しかし、ああ、ついに真っ黒な水の巨山は、波頭のまっ只中でふたつに割れ、くだけた水流でケユクスを頭からまっ逆さまに呑みこんでしまった。その夜あけ、ルキフェルは、雲にかくれて、見わけることができなかった。かれは、空をはなれるわけにはいかないので、厚い雲で悲しみの顔をおおったのである。〔五三七〜五七二〕
一方、アエオルスの娘(99)は、このような大きな不幸を知るよしもなく、良人の帰る日を指折り待っていた。帰ってきたら、良人に着せようとおもう着物と、自分も着ようとおもう着物を、いそいでつくった。こうして、帰らぬ人の帰国をむなしく待ったのである。かの女は、あらゆる神々に敬虔な香をささげて祈ったが、とりわけユノの神殿(100)にはうやうやしく参拝し、もはやこの世にいない良人のためにその祭壇にぬかずいた。そして、良人が無事で、生きて帰ってくるように、また、ほかの女にこころを移さないようにと祈った。しかし、かの女がささげた多くの祈願のなかで叶えられたのは、この最後の祈りだけであった。〔五七三〜五八二〕
しかし、ユノ女神は、すでに死んだ人間のためにささげられる祈りを、もうこれ以上聞くにしのびなくなった。そして、喪にけがれた手(101)に祭壇をふれられないように、こういった。「イリス(102)や、わたしの声の忠実な使者よ、いそいでソムヌス(103)の住む眠りの城館へいっておくれ。そして、なくなったケユクスの姿をかりた夢をアルキュオネのもとに送り、不幸な出来事をつつみかくさず教えてやるように、言いつけておくれ」そこで、イリスは、美しい七色の衣をまとい、空に弓形の橋をかけ、ユノの命じた王(104)が住む雲にかくれた館へとおもむいた。〔五八三〜五九一〕
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九 夢
キムメリイ人(105)の住む国の近くに、山の中腹にふかく入りこんだ洞穴があって、このうつろな山が怠け者のソムヌスの館《やかた》であった。ポエブス(106)は、空をのぼりはじめるときも、中天にあるときも、沈むときも、けっしてこの館に光を投げ入れることができなかった。
闇とまじりあった霧が地面からたちのぼり、黄昏《たそがれ》をおもわせる薄明がひろがっていた。ここでは、眼ざとい、頭に鶏冠《とさか》をいただいた鳥(107)が歌でアウロラ(108)をよぶこともなく、注意ぶかい犬や、犬よりもさらに耳ざとい鵞鳥の声が静けさをやぶることもない。野獣や家畜や風にそよぐ葦がもの音をたてることもなければ、人間の話し声がひびくこともなく、無言の静寂がつねに支配している。しかし、ただひとつ、岩の根もとからレテ(109)の水となる小川が湧きでて、そのせせらぎが小石にあたって音をたて、眠気をさそっていた。
この洞穴の入口には、たくさんの罌粟《けし》や数しれぬ草花が咲きみだれていて、しめっぽい夜は、これらの草の汁《しる》から眠りをあつめて、それを夜の国々にまきちらすのである。蝶番《ちょうつがい》がうごいて音をたてたりしないように、館じゅうのどこにも扉というものがなく、入口には門番もいない。しかし、この洞穴の中央に黒檀の高い寝台《ねだい》があって、その蒲団には羽根をつめ、模様がなく黒一色で、さらに黒い色の掛布がかけてあった。この寝台に眠りの神が、ものうく手足をだらりとのばして寝ている。
かれのまわりには、あちらにもこちらにもいろいろな姿をした幻のような夢たちが、秋の麦穂か森の木の葉か浜の真砂《まさご》の数ほどもたくさんごろごろ横たわっている。かの乙女神(110)がここに入ってきて、邪魔になる夢どもを手でかきわけると、この神の館じゅうがかの女の衣のまばゆい光輝であかるくかがやいた。眠りの神は、重たくとじた瞼をやっとのことであけたかとおもうと、またぞろ白河夜舟《しらかわよぶね》に舞いもどって、こくりこくりと舟をこぐ顎《あご》で胸のあたりを打つのであった。それでも、ついに気をとりなおすと、片肱をついて身をおこしイリスの方をむいて、なんの用で来たのか、とたずねた(かれは、イリスを知らなかったのである)。イリスは、こたえた。
「おお、ソムヌス、万物の安息よ、神のなかで最もおだやかな神、ソムヌスよ、たましいの平和、こころの悩みを追いはらう神、はげしい労働に疲れた身体をやすめ、ふたたび新しい仕事にとりかかる力をよみがえらせる眠りよ、実在の姿を上手に真似る夢をヘルクレスにゆかりの町トラキン(111)に送り、そこの王の姿になってアルキュオネのもとにいき、難破の模様を教えさせるがよい。これは、ユノさまのご命令なのです」
イリスは、使命をはたすと、いそいでここを去った。というのは、たちこめる眠りの靄《もや》にこれ以上耐えておれなくなったからである。それで、すでに眠気が自分の五体にしみこんでくるらしいのを感じると、いそいで逃げだし、来るときに通ったとおなじ虹のかけ橋をわたって帰っていった。〔五九二〜六三二〕
眠りの神は、おびただしい子供たちのなかから、人間の姿を上手にまねるモルペウス(112)をゆすぶり起こした。かれほど注文どおりの歩きぶり、顔つき、声色《こわいろ》をたくみに真似てみせる者はいなかった。その上、着物や口ぐせまで、ほんものそっくりにしてみせるのであった。けれども、かれが真似るのは、人間にかぎっていた。ほかにもうひとり、野獣や鳥やながい図体をした蛇などに化ける者がいた。これを神々はイケロス(113)とよび、人間たちはポベトル(114)といっている。さらに、パンタソス(115)といって、またちがった技術の持ち主もいた。これは、土、石、水、木などに、およそ生きものでないものならなんにでも化けてみせた。また、夜になると、国王や将軍たちの枕辺にあらわれるものもあれば、身分のひくい庶民たちのあいだをうろつきまわっている者もある。しかし、ソムヌス老神は、これらの夢たちはそのままにしておいて、タウマスの娘(116)がもたらした使命をはたすために、すべての兄弟たちのなかからモルペウスだけをえらんだのである。そして、ふたたびものうい睡気におそわれるままに頭をおとして、ふかぶかとした褥《しとね》のなかにうずめた。〔六三三〜六四九〕
モルペウスは、音のしない翼にのって闇のなかを飛び、またたくまにハエモニアの町(117)に着いた。そこで翼をはずして、ケユクスの姿になった。そして、ケユクスの姿で、死人のように蒼ざめた顔をし、身になにもまとわずに、あわれな妻の枕もとに立った。しっとりと濡れ、ずぶぬれの髪の毛からは、水がぽたぽたとしたたっているようにおもわれた。かれは、臥床《ふしど》の上にかがみこむと、涙にぬれた顔でこういった。
「不幸な妻よ、このケユクスがわかるか。それとも、死のためにわしの顔が変ってしまったか。わしをごらん。おまえが見るのは、おまえの良人ではなく、そのまぼろしなのだ。アルキュオネ、おまえの祈りも、ついにわしを救ってはくれなかった。わしは、もはやこの世のものではない。おまえも、わしが帰ってくるだろうというあだな望みを棄てなくてはならない。船がアエガエウムの海(118)にさしかかったとき、嵐をよぶ南風《アウステル》がおそってきて、船を思うさま翻弄したあげく、ついにはげしい暴風雨でうち砕いてしもうたのだ。むなしくおまえの名をよぶ口も、波にふさがれてしまった。この知らせをおまえにもってきたのは、けっしてあやしい使者ではない。また、おまえが聞かされているのは、根も葉もないような噂ばなしではない。わしは、海の藻くずとなりはてたが、この身の上話は、自分でここへ知らせにやってきたのだ。さあ、起きて、わしのために泣いておくれ。喪服をつけて、わしがあの荒涼たるタルタルス(119)へ降りていくのに、だれにも涙をながしてもらわずに行かねばならぬような目にあわさないでおくれ」モルペウスは、これらの言葉にケユクス王の声色をつけくわえた。アルキュオネは、それをまったく良人の声だとおもいこんだ。それに、かれは、いかにもほんとうに涙をながしているように見え、手ぶりまで、ケユクスにそっくりであった。〔六五〇〜六七三〕
アルキュオネは、うめき声をあげ、涙をながし、眠ったまま腕をあげて、良人のからだをとらえようとしたが、ただ空気をつかんだだけであった。「ああ、待ってください! どこへいらっしゃるのですか。わたくしも、ご一緒にまいりましょうものを……」と、さけんだが、自分の声と良人の幻影とにおどろいて、はっと眼をさましてしまった。そして、いましがたあらわれた人がまだいるかどうかと、まっ先にあたりを見まわした。というのは、かの女のさけび声におどろいて、召使いたちが灯りをもってきたからである。
しかし、人影は、もうどこにもなかった。かの女は、手で顔を打ち、胸もとから着物をひき裂き、われとわが胸を傷つけた。髪をほどく間《ま》もあらばこそ、いきなりかきむしった(120)。そして、なぜこのようにお悲しみになるのですかという乳母(121)の問いに、こう答えた。
「アルキュオネは、もうだめです。もうおしまいなの。アルキュオネは、ケユクスさまといっしょにあの世へいってしまったの。もう慰めの言葉などかけないで頂戴。あの方は、嵐で難破して死んでおしまいになったの。わたしは、見たの。あの方だとわかったし、行っておしまいになるとき、ひきとめようとおもって腕をさしだしたわ。むろん、ただのまぼろしだったけど、はっきりと見えたし、ほんとうにあの方のまぼろしだった。でも、よく見ると、いつものお顔ではなく、それに顔色も、もとのような晴れやかさがなかったわ。わたしのまえにあらわれたあの方は、まっ蒼な顔をし、裸のままで、髪の毛からは水がしたたっていた。そんないたましい姿で、あの方はちょうどそこのところに立っていらっしゃったのよ」そういって、もしや足跡でものこっていはすまいかと、かの女はさがしてみた。「ああ、わるい虫のしらせのとおりになってしまいました。わたくしひとりを残して、風まかせの船旅などなさらないようにと、わたくしはあれほどお願いしました。しかし、それでもあなたが生きて帰れそうにもない旅にどうあってもお出かけになる以上は、わたくしもご一緒させていただきたかったのです。ご一緒させていただいたら、どんなによかっただろうかと思います。そうすれば、生きているかぎり片時もおそばをはなれることはなかったでしょうし、死ぬときもはなればなれでなくてすんだでしょうに。いまとなっては、あなたからはなれたところで死ぬしかありません。あなたからはなれたところで波にもてあそばれ、海に呑まれるしかありません。わたくしの余命をさらにのばそうとしたり、このような大きな悲しみのあとも生きつづけようとしたりするようでは、海よりもまだ情けしらずの女になってしまいましょう。いいえ、わたくしは、けっしてこのさき生きながらえようなどとはしないでしょうし、お気の毒なケユクス、あなたを見すてもしないでしょう。せめてあなたの死出の旅のお伴をさせていただきます。墓のなかでは、たとえおなじ骨壺に入れられなくても、おなじ墓石に名をつらねてむすばれましょう。たとえわたくしの骨があなたの骨にふれることができなくても、わたくしの名前があなたのお名前にふれることでしょう」悲しい思いのために、これ以上は口をきくことができなかった。こう語っていたあいだも、いくどとなくわが胸をたたき、悲しみに顛倒したその胸からは、くるしいうめき声がもれてくるのであった。〔六七四〜七〇九〕
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十 アルキュオネとケユクスの転身
朝になった。アルキュオネは、家を出ると、海岸におもむき、かつて良人の船出を見おくった場所に悲しい思いで歩みをはこんだ。そこに立つと、「あの方が纜《ともづな》をおときになったのは、ここだった。別れの接吻をしてくださったのも、この岸辺だった」などと、ありし日のことをいろいろと思いだしながら海の上を見つめていると、突然はるか沖合いに、なにか人間のからだのようなものが波間にただよっているのが見えた。最初、それがなんであるか、さだかにはわからなかった。しかし、波にはこばれてしだいに近づいてくると、人間の屍体であることが、遠いながらもはっきりとわかった。だれの屍体であるかということまではわからないが、それでも難破して死んだ人であることにまちがいないので、かの女は、この前兆にいたくこころを打たれ、まるで見知らぬ人に涙をそそぐかのように、
「どなたかは知りませんが、ほんとうにお気の毒におもいます。そして、あなたに奥さまがおありなら、その方にも……」といった。そのうち、屍体は、波に打ちよせられて、だんだんと近づいてきた。その方をじっと見ておればおるほど、かの女はこころが乱れてきた。屍体は、いまや岸のすぐそばまで流れてきた。かの女は、見紛《みまが》うこともできないものを見た。それは、良人であったのだ。
「あの方だわ!」とさけぶなり、かの女は、顔を打ち、髪をかきむしり、着物をひきさいた。そして、ふるえる手をケユクスの方へのばして、「いとしい方、お気の毒なあなた、こんなお姿になってでも帰ってきてくださったのですか」
ここの海辺には、人工の堤防がきずいてあって、うちよせる波の最初の衝撃をくじき、その勢いをよわめる役目をしていた。かの女は、その堤防の上にとびあがった。まったくふしぎというほかはないが、とびあがったのである。いや、じつをいうと、かの女は飛んだのだ。そして、いまはえたばかりの翼でかるい空気を切りながら、可憐な一羽の鳥となって海の面をかすめた。飛びながら細い嘴で鳴くその口は、哀泣にも似た、もの悲しげな声をもらした。かの女は、もの言わぬ、血の気のうせた良人の屍体にふれると、あたらしい翼で愛する者のからだをかきいだき、かたい嘴でむなしくも冷たい接吻をした。ケユクスは、それを感じたのであろうか。それとも、波にうごかされ、頭をもたげたように見えただけだったのであろうか。これは、どちらともわからないとされている。しかし、ほんとうは、かれはそれを感じたのだ。そして、神々の同情を得て、ふたりは、ついにいっしょに鳥になったのである(122)。
こうしておなじ運命の下におかれても、ふたりの愛は変らなかったし、鳥となってからも、夫婦の情はすこしも冷めなかった。いまでも、ふたりは、夫婦のいとなみをして、子供をうんでいる。そして、冬のうららかに晴れわたった七日のあいだ、アルキュオネは、波の上にただよう巣にこもって、卵をあたためる。このあいだ、海は荒れない。アエオルスが風を制して、吹くことをやめさせ、その孫たちのために海を静かにしておくからである。〔七一〇〜七四八〕
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十一 潜水鳥になったアエサクス
さて、ふたりがひろびろとした海の面を仲よく飛びまわっているのを見て、ある老人は、最後までゆるがなかったふたりの愛情をほめたたえた。すると、そばにいたもうひとりの老人は(あるいは、おなじ老人だったのかもしれないが)、首のながい潜水鳥《もぐりどり》(123)をさして、つぎのようにいった。「あそこに見える、水面をかすめて飛んでいる、足の細長い鳥も、もとは王家の血筋だったのです。かれにいたるまでの系図を順にたどってみると、イルス、アッサラクス、ユピテルにうばわれたガニュメデス、年老いたラオメドン、それから、トロイアの最後を見る運命をになったプリアムス(124)などの英雄がかれの祖先になります。かれは、ヘクトル(125)の兄弟でした。もし年少のころにふしぎな運命に見舞われなかったら、かれもヘクトルにおとらぬ名声を博しておりましたろう。しかし、ヘクトルがデュマス(126)の娘を母としてうまれたのにひきかえて、このアエサクスは、二本の角《つの》をもったグラニクス(127)の娘アレクシロエによって森蔭の多いイダの山中でひそかに生みおとされたといわれております。かれは、都会をきらい、父のはなやかな宮廷を避け、このんで淋しい山中や華美を知らぬ野原に住んでおりました。したがって、イリオン(128)の人たちの集まりに顔を出すこともまれでした。かといって、恋も感じないような野暮なこころの持ち主ではなく、すでに以前から森のなかでケブレン(129)の娘ヘスペリエをしばしば追いかけておったのですが、ある日のこと、かの女が父の岸辺で髪の毛を肩の上までたらして陽に乾しているところを垣間《かいま》見ました。水の乙女は、かれに見られたことを知ると、褐色の狼からおののきながら逃げる牝鹿か、棲みなれた沼をはなれたところで隼《はやぶさ》におそわれた水鴨のように、一目散に逃げだしました。トロイアの勇者は、あとを追いました。恐怖は乙女の足を早めましたが、恋は若者の足をいっそう早めました。ところが、そのとき、草むらにひそんでいた一匹の蛇が、まがった歯で乙女の足にかみつき、全身に毒がまわりました。命がつきるとともに、逃げる足もとまりました。アエサクスは、われを忘れて、息たえた乙女のからだを両腕に抱きあげると、こう叫びました。『しまったことをした! あなたを追いかけるのじゃなかった。しかし、こんなことになろうとはおもいもしなかったし、これほどの代価をはらってまであなたをわがものにしようなどというつもりはなかったのに! ああ、かわいそうに! あなたを死なせた罪の一半は、ぼくにある。傷をあたえたのは蛇にちがいないが、その原因はぼくなんだ。いや、ぼくの方が、蛇より罪がおもい。ぼくも死んでしまおう。そして、あなたの死の、せめてもの慰めをあなたにささげよう』〔七四九〜七八二〕
こういうと、かれは、怒涛が響きをたてて根もとを洗っている大岩の上から、海中めがけて身をおどらせました。しかし、テテュス(130)が落ちていくかれを不憫におもって、やわらかく胸に受けとめてやり、かれが海の上を泳いでいるあいだに、からだを羽毛でつつんでやりました。こうして、かれは、望む死をゆるされなくなってしまいました。恋するかれは、こころならずも生きつづけなくてはならなくなり、憂き世に別れをつげようとしたたましいをひきとめられたことに、腹をたてました。そこで、肩に翼がはえるやいなや、わずかに水面からとびあがって、もう一度水のなかにとびこみました。しかし、羽毛は、かれのからだを軽くして、沈ませてくれません。アエサクスは、ぷりぷり憤慨して、頭から深みにもぐって、なんども死のうとしました。恋は、かれのからだを痩《や》せ細らせました。脚は、節々のあいだが長くなり、首も長くなって、頭と胴とがずいぶんはなれてしまいました。あいかわらず海が好きで、いつも水にもぐるので、潜水鳥《もぐりどり》とよばれているのです」〔七八三〜七九五〕
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巻十一の註
(1)オルペウス。→巻十(4)
(2)→巻六(129)
(3)バックス神の女信者たち(バッカエ)。→巻四(3)
(4)トラキアの女たちがオルペウスに反感をもったのは、エウリュディケの死以来かれが女性を侮蔑し、少年への愛をすすめたためとも(巻十の七八行以下)、冥府から帰ってから秘教会(いわゆるオルペウス秘教)を創立し、これに女性を加入させなかったからだともいわれている。つぎの酒神杖については、→巻三(72)
(5)オルペウスは、そのすぐれた楽才のゆえにしばしば音楽の神アポロ(ポエブス)の息子であるといわれる。
(6)プリュギアの山、キュベレ女神〔巻十(32)〕の聖山。ベレキュントゥスの笛とは、キュベレ女神の祭儀に使われる、現今のホルンに似た(まがりくねった)笛。ここでは、プリュギア風のまがった笛をさす。
(7)バッカエ(バックスの女信者たち)におなじ(単数形マエナス)。
(8)ふくろう属。
(9)→巻一(115)
(10)→巻三(60)
(11)→巻六(290)
(12)レスボス島〔巻二(127)〕の東北岸にある町。
(13)→(5)
(14)バックス神の異名〔巻四(4)〕。オルペウスは、その歌によってバックス祭をたたえたといわれ、それで神はかれの殺害者たちを罰するのである。
(15)南トラキアのエドヌス山に住む種族。ここでは、トラキアの女たちの意。
(16)トラキア。
(17)→巻六(9)(10)
(18)→巻四(18)。サテュルスについては、→巻一(42)
(19)プリュギアの伝説的な王。シレヌスを歓待した話と、アポロとパンとの音楽合戦のへまな審判役をつとめた話とで知られるユーモラスな人物。
(20)アテナエの町。→巻二(121)
(21)海神ネプトゥヌスとキオネ〔北風神ボレアスとオリテュイアとの娘、ボレアダエの姉妹→巻七(142)〕との息子。オルペウスの同時代人で、たぶんその弟子、ケレスやバックスの秘教の創始者、エレウシスの秘教〔巻五(106)(141)〕をつかさどる神官職の家エウモルピダエ氏の祖とされる。
(22)→巻二(16)
(23)バックス。
(24)バックスのこと。→巻三(67)
(25)→(6)。その英雄とは、プリュギアの王であるミダスのこと。
(26)麦をはじめ農作物はすべて五穀の女神ケレスの恵みであるからこのようにいった。
(27)→巻四(122)、巻九(43)
(28)→巻四(111)
(29)バックス神の酒、すなわちぶどう酒。
(30)バックスの異名。→巻四(7)
(31)リュディアの都。その近くをながれる河とは、パクトルス河のこと。→巻六(10)
(32)→巻一(127)
(33)→巻六(8)
(34)牧神パン。
(35)→巻一(66)
(36)→巻六(66)
(37)アポロ(ポエブス)
(38)ギリシア人やローマ人は、ふつう帽子類をかぶらなかったが、小アジアのプリュギア人は、ふかい縁なし帽子をかぶり、紐をあごのところでくくっていた。ミダス王のろばの耳の物語は、本来このプリュギア帽を揶揄するためにギリシア人が考えついた笑話であろう。
(39)アポロ。→巻一(125)
(40)ヘレスポントゥス(現今のダーダネルス海峡)のこと。→巻七(9)
(41)トロイア(小アジアのトロアス地方の都、別名イリオン)の王。イルス(124)とエウリュディケ〔アドラストゥスの娘→巻九(84)。むろん、巻十(6)とは別人〕との息子、プリアムス(124)、ガニュメデス〔巻十(41)〕、アンティゴネ〔巻六(20)〕、ヘシオネ(46)らの多くの子供があった。アポロとネプトゥヌスとの助力をえてトロイアの城壁をきずいたといわれる。→巻九(53)
(42)(43)いずれもトロイアの近くにある岬の名。
(44)ユピテル。
(45)海神ネプトゥヌス。ふたりの神は、ユピテルから、一年間人間のために奉仕するようにと命じられたのである。
(46)ヘシオネのこと。→(41)
(47)ヘルクレスのこと。アマゾン国からの帰途トロイアに立寄った〔巻九(42)(53)〕。ラオメドンの違約に憤慨してトロイアを攻めたのは、後日(いわゆる十二功業を成就してから)のことで、このときはテラモン〔巻八(72)〕らとともに一八艘の船をしたてて遠征した。
(48)この牝馬は、ユピテルがガニュメデス〔巻十(40)〕を天上へ拉致した代償としてラオメデンにあたえたものである。
(49)テラモンは、このときトロイアの城内に一番乗りをし、その功績のためにヘルクレスはヘシオネをかれにあたえた。ふたりのあいだに息子テウケル〔巻十三(42)〕がうまれた。
(50)→巻八(73)。海神ネレウスの娘テティスを妻として、英雄アキレスの父となる。テティスは、人間と正式に結婚した唯一の女神であろう。なお、ふたりの結婚式に天上のすべての神々が出席したが、不和の女神エリスだけは招待されなかったので、エリスは黄金のりんごを神々のあいだに投げこみ、これがトロイア戦争の原因となった。→巻十二(4)
(51)ペレウス(およびテラモン)の父アエアクスは、ユピテル大神とアエギナとの息子である。→巻七(119)
(52)→巻二(4)。予言の能力あった。
(53)ペレウス。
(54)→巻一(98)
(55)アエガエウムの海の、クレタとロドスとのあいだにある島(現在のスカルパント島)。その予言者とは、プロテウスのこと。オウィディウスは、ウェルギリウスにしたがって、プロテウスの住居をこの島にした(ホメロスではナイル河口のパロス島になっている。→巻九(150)
(56)→巻一(11)、巻四(118)。その海とは、世界の西の涯にある海で、太陽は一日の路程を終えてそこに沈み、テテュス女神〔巻二(11)および六九・七〇行〕がこれを受けとめると考えられた。
(57)ペレウスおよびテラモンの異母兄弟〔巻七(120)〕。かれが父の愛を独占する(あるいは、競技にすぐれている)のをねたんで、ペレウスとテラモンに殺される。その罪を問われてテラモンはサラミス島へ逃げ〔巻八(72)〕、ペレウスはまずエウリュティオンのもとへ遁れ、罪を清められてその娘アンティゴネを妻にしたが、カリュドンの野猪狩りで誤ってエウリュティオンを殺したため〔巻八(76)〕、ふたたび放浪の身となり、ケユクスのもとに身をよせることになる。
(58)テッサリアの町。
(59)巻九(62)のケユクスと同一人物かもしれないが、このケユクスは、ルキフェル〔巻二(16)〕の息子となっていて、一応別人であろう。妻アルキュオネ(80)とともに、かわせみに変身する。
(60)ダエダリオンといい、ケユクスとおなじくルキフェルの子。鷹に変身した。
(61)橄欖樹の小枝に、羊毛の紐(あるいは、ふさ)を、その他端が手の上にふりかかるように巻きつけてある。これは、その枝の所持者が戦意をもたぬ者、助けをもとめにきた者であることをあらわすしるしである。→巻七(125)
(62)ペレウスは、アルゴナウタエの遠征〔巻六(134)〕にも、カリュドンの野猪狩り(巻八の二七三行以下)にも参加している。
(63)鷹《たか》。
(64)曙光《あけぼの》の女神。→巻二(15)
(65)暁の明星ルキフェル。→巻二(16)
(66)ボエオティアの海岸にある町、鳩の多いことで有名であった。ここでは、鳩にたいする枕詞のようなものだと考えてよい。
(67)ダエダリオンの娘〔(21)のキオネとは別人〕、メルクリウスによってアウトリュクス(ウリクセスの母アンティクレアの父)の、アポロ(ポエブス)によってピラムモン(73)の母となる。ディアナ女神の矢に射られて死ぬ。
(68)メルクリウス神。→巻一(117)
(69)→巻二(169)
(70)メルクリウスがユピテルの伝令としていつももっている枝には催眠の力がある。→巻一(117)
(71)メルクリウス。
(72)→巻八(147)
(73)アポロとキオネとの子、アウトリュクスの双生兄弟、トラキンの有名な予言者・音楽家・詩人となる。少女たちからなる合唱団をはじめて組織し、レルナ〔巻一(110)〕のケレス(デメテル)秘教を創設したという。おなじく有名な伶人タミュラス(またはタミュリス)の父。
(74)暁の明星ルキフェルをさす。
(75)→巻一(63)
(76)ケユクス。
(77)→巻一(62)
(78)ペレウスとテラモンが殺した異母兄弟ポクスの母プサマテ〔巻七(120)〕のこと。
(79)ケユクスのこと。オエタはヘルクレス臨終の地として知られる南部テッサリアの山。
(80)アエオルスとエナレテとの娘、シシュプス〔巻四(90)〕、アタマス〔巻三(77)〕、デイオン〔巻七(123)〕、クレテウス〔同(33)〕、カナケ〔巻六(32)〕らの姉妹。良人ケユクスとともにかわせみに変身する。→(89)
(81)ペレウス。
(82)海や河川に住む神々や妖精たちは、青い(水いろの)肌をしていると考えられた。
(83)ペレウスの妻テティス(50)も、ネレイデスのひとりであって、プサマテの姉妹にあたる。
(84)アエガエウム(エーゲ)海に面するテッサリアの一地方。
(85)→巻八(66)(76)。ペレウスは、かれに言い寄ったアカストゥスの妻を拒んだため、いろいろな厄難にあい、ここでも安住できなかった。
(86)→巻一(90)
(87)ポキスのパノペウス〔巻三(7)、巻八(79)〕にいた有名な盗賊で、プレギュアエ族の頭目。デルピへの道中で旅人に拳闘をいどみ、負けた相手を殺した。のち子供の姿に身をやつしたアポロ神に撲殺された。
(88)テッサリア(あるいは、トラキア)からボエオティアに移住した種族。好戦的で、無法な掠奪によって怖れられていた。
(89)風神アエオルスのこと〔巻四(124)〕。かれは、アルキュオネの父で、したがってケユクスの舅にあたる。むろん、このアエオルスは、本来は風神と別人物であったが〔巻四(93)〕、同名ゆえに混同されたのである。
(90)古代人は、風にかきみだされた雲がたがいに衝突して雷鳴や稲妻が生じると考えた。→巻六の六九三行以下。
(91)ルキフェル。
(92)→巻一(25)
(93)ケユクスは、トラキン(58)の王。
(94)→巻一(38)。ここでは冥界・地獄の意。
(95)城壁などを打ちやぶるために用いられた攻め道具。長い太い木の一端に牡羊の頭のような恰好をした鉄部をとりつけてあって、これを城壁に突きあてた。
(96)→巻二(33)
(97)→巻一(100)
(98)アエオルスとルキフェル。
(99)アルキュオネ。
(100)ユノは、結婚・夫婦生活の守護女神である。→巻六(102)
(101)死者の身内の者や葬儀に参列した者は、けがれていると見なされ、一定の手順によってけがれを清めなくてはならなかった。
(102)→巻一(59)
(103)ローマの「眠り」の擬人化神(ソムヌスは、眠りの意)、ギリシアのヒュプノスにあたり、神話的にはニュクス(夜)の子、タナトゥス(死)の兄弟とされる。
(104)ソムヌス。
(105)ホメロス『オデュッセイア』第十一歌十四行以下によれば、世界の西の涯、冥界の入口に近い、太陽の昇らない常闇の国に住むとされる神話的種族。
(106)太陽神。
(107)にわとり。
(108)曙光の女神。
(109)→巻七(32)
(110)イリス。
(111)トラキンは、英雄ヘルクレス臨終の地であるオエタ山のふもとにある。
(112)ギリシア語で「造形者、模像者、姿をまねる者」の意。ソムヌスの息子たちのひとり、夢の神。
(113)「瓜ふたつ」の意。
(114)「恐怖をあたえる者」の意。
(115)「幻影、まぼろし」の意。
(116)イリスのこと。→巻一(59)
(117)トラキン。ハエモニアは、テッサリアの古名。
(118)エーゲ海、多島海。
(119)→巻一(23)
(120)→巻二(92)
(121)→巻六(110)
(122)かわせみになったのである。アルキュオネは、かわせみの意。
(123)とくに、あび・あいつぶり。
(124)以上は、いずれもトロイア王家の男子たち。トロイアのそもそもの始祖は、ユピテルとエレクトラ〔プレイアデスのひとり。→巻一(117)〕との息子ダルダヌスで、かれはサモトラケ島(アエガエウム海の北部にある島)に住んでいたが、デウカリオンの大洪水(巻一の二五三行以下)のために小アジアに渡り、スカマンドルス河神〔巻二(66)〕の子テウケル王からその娘と領土の一部をあたえられ、この地をダルダニア〔巻九(95)〕と名づけた。ただし、イタリアの伝説では、かれはコリュトゥス(ユピテルとエレクトラの子、エトルリアのコルトナ市の建設者)の息子で、イタリアからトロイアへ移ったといわれる。かれの息子がエリクトニウス〔巻二(120)とは別人〕で、エリクトニウスの息子がトロイアの町の建設者といわれるトロス王で(ただし、町そのものはダルダヌスが建てた)、町の名はかれの名前に由来する。トロスにはイルス、アッサラクス〔アエネアスの父アンキセスの祖父。→巻九(95)〕、ガニュメデス〔巻十(41)、かれはラオメドンの子ともされる〕の三人の息子があった。トロイアの別名イリオンは、イルスから来ている。イルスの子がラオメドン(41)で、ラオメドンの多くの子供たちのうち、ヘシオネとともにヘルクレスに殺されずに生き残ったのが、トロイア戦争のときのトロイア王でトロイア最後の王となったプリアムスである。プリアムスは、最初の妻アレクシロエにより一子アエサクスを得、さらに二度目の妻ヘクバ(126)により英雄ヘクトル(次注)、パリス〔巻十二(4)〕、デイポブス〔同(96)〕、へレヌス〔巻十三(29)〕、カッサンドラ〔同(108)〕などの多くの子供の父となった。
(125)トロイア戦争における、トロイア方の最大の英雄。→巻十二(3)
(126)プリュギアの王。その娘とは、プリアムスの正室となったヘクバ(ギリシア語訓みではヘカベ)のこと。ただし、ヘクバの父については諸説がある。
(127)ミュシア(小アジアの北西部、トロイアのある一地方)をながれる小さな河、またその河神。河口近くでふたつの流れにわかれているので、「二本の角をもった」という。イダ山中〔巻四(61)〕に発するこの河は、のちアレクサンデル大王がペルシア軍をやぶったところとして有名になった。
(128)トロイアの別名。→(124)
(129)トロイア付近の河。
(130)海の女神、海神オケアヌスの妃、世界じゅうのすべての河川の母とされる〔巻二(11)〕。したがって、アエサクスもヘスペリエもその子孫にあたる。
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巻十二
一 アウリスのイピゲニア
プリアムス(1)は、かれ(2)が鳥になって、いまも生きているとは知るよしもなく、息子の死をいたく悲しんだ。名のみきざまれた墓には、ほかの兄弟たちとならんでヘクトル(3)も、必要もないのに霊前の供物をささげた。この悲しい弔《とむら》いの式に、パリス(4)だけは参加していなかった。
このパリスは、その後、奪いさらった妻(5)とともに長期にわたる大戦争を祖国にもちこんだのである。かれの後には、連合軍の千を数える船舶とペラスギ人(6)の全軍勢とが追いせまってきた。もしはげしい風が海を荒れ狂わせず、まさに出発しようとしていた船をボエオティアの地の魚の多いアウリス(7)に足どめしなかったならば、復讐はただちにとげられていたことであろう。ギリシア人たちは、このアウリスで、父祖伝来の習慣にしたがって大神ユピテルに犠牲をささげることになったが、ともされた聖火が祭壇にかがやきはじめるやいなや、一匹の青ぐろい蛇が祭儀のおこなわれている場所のすぐ近くにあった一本のプラタナスの木によじのぼっていくのが見えた。この木のてっぺんには、鳥の巣があって、八匹の雛がいた。蛇は、これらの雛をおそい、危険におちいった子供たちのまわりをとびまわっていた親鳥もろともに、貪欲な口に呑みこんでしまった。すべての人びとは、あっけにとられてこれを見ていた。すると、真実を予見するテストルの子(8)は、こういった。
「われわれは、かならず勝利を得るであろう。ペラスギ人たちよ、よろこべ! トロイアは、陥落するであろう。しかし、われわれの苦労も、けっして短期間にはおわらないであろう」
そして、九羽の鳥は戦争のつづく年数をあらわしているのだ、と説明した。すると、蛇は、みどりの枝にまきついた姿のまま石になってしまった。その石は、いまでも蛇のかたちをして残っている。〔一〜二三〕
しかし、ネレウス(9)は、あいかわらずアオニアの海(10)に猛威をふるい、ギリシア軍の渡海をはばんでいた。人びとのなかには、海神ネプトゥヌスはトロイアの城壁をきずいたのだから(11)、トロイアの肩をもつのであろう、と考える者もすくなくなかった。しかし、テストルの息子は、そうは考えなかった。かれは、処女神(12)の怒りをなだめるには処女の血が必要であることをよく知っていて、そのことをみんなに言ってきかせた。こうして、公の利益が私情を制し、王たるの地位が父の情に勝って(13)、イピゲニアがその清らかな血を犠牲としてささげることになり、涙にむせぶ祭官たちにかこまれていよいよ祭壇のまえに立ったとき、さすがの女神も、ふかくこころをうたれ、雲をおこして人びとの眼をくらますと、神聖な儀式や人びとの雑沓や祈りの声にまぎれてひそかにミュケナエの乙女(14)を一頭の牝鹿とすりかえたといわれる。
ディアナは、自分にふさわしい犠牲にこころをやわらげ、こうしてポエベ(15)の怒りも同時にしずまったので、千をかぞえる船は、順風に帆をあげ、いくたの困難をのりこえて無事プリュギアの岸辺にたどりついたのである。〔二四〜三八〕
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二 キュクヌスの転身
さて、宇宙のまん中、大地と海と空とのあいだ、ちょうどこの三つの世界の境界のところに、ひとつの場所がある。そこからは、どんなに遠い国であろうと、およそこの世にあるものはなんでも見え、どんな話し声でも耳にきこえる。ここに、かのファマ(16)が住んでいる。
かの女は、高い峯の上に居をかまえ、館《やかた》には、数知れぬほどの門や幾千もの入口がもうけられ、どの門にも、これをとざす扉というものがない。夜といわず、昼といわず、この館は開けっぱなしなのである。建物は、すべてよく鳴りひびく青銅でできていて、家全体が共鳴して、声を反響し、聞えてくるすべての物音をくりかえす。家のなかには、静寂というものがなく、どこにも沈黙がない。かといって、耳を聾《ろう》するような騒音にみたされているわけでもない。そこには、遠くにきこえる海の音にも似た呟《つぶや》きの声や、ユピテルが黒雲を打ちあわせたときの遠雷の消えゆく音にも似たかすかな物音があるばかりである。これらの声や物音たちは、大広間にひしめきあっている。吹けばとぶような連中が、たえずちょこまかと往《い》ったり来たりしている。
多くのあらぬ噂が、本当のことと入りまじって四方にひろがり、いろいろの言葉が飛び交《こ》うている。これらのなかには、閑人の耳をお喋りでみたす者もあれば、聞いたことを他に言いふらす者もある。話は、ますます大きくなり、新たな聞き手は、自分が聞いたことにかならず尾びれをつける。ここにはまた、「軽信」や、無思慮な「とんちんかん」や、「ぬかよろこび」や、粗忽な「あわてふためき」や、唐突な「寝がえり」や、出所のあやしい「耳うち」なども住んでいる。ファマ自身は、天と地と海に起こることをひとつのこらず見張っている。宇宙全体にさぐりを入れているのである。〔三九〜六三〕
さて、ファマは、ギリシアの船隊が勇敢な兵士たちをのせてやってきたという知らせをひろめた。したがって、トロイア側は、敵が武器をもってあらわれたときは、すでに承知のことだったのである。トロイア人たちは、上陸をくいとめ、海岸線をまもった。そして、プロテシラウス(17)よ、まず第一におまえが運命によって(18)ヘクトルの槍の血祭にあげられたのである。この緒戦は、ギリシア軍にとって、すくなからざる痛手であり、ヘクトルは、勇敢な武将をたおしたことによってその名をあげたのであった。しかし、プリュギア人(19)たちも、かなりの損害をこうむり、アカイア軍(20)の力のほどを知らされた。すでに血は、シゲウム(21)の浜辺をまっ赤に染めた。ネプトゥヌスの息子キュクヌス(22)は、すでに幾千のギリシア兵を死にいたらしめ、一方アキレス(23)も、その戦車(24)を駆ってトロイア軍を蹴ちらし、ペリオン(25)の槍で一群の兵士たちを薙ぎたおした。かれは、寄せくる軍勢のなかからキュクヌスかヘクトルの姿をさがしもとめたが、結局、キュクヌスと出会った(ヘクトルとの出会いは、十年後に持ち越されることになった)。
かれは、戦車をひく白い首の馬に鞭をあてると、まっしぐらに相手の方に突進し、腕にきらめく槍をふりかざしながら、「あいや、若武者よ、きさまがだれであろうと、ハエモニア(26)のアキレスの槍にかかって死ぬことを冥土《めいど》へのせめてもの土産にするがよい」アエアクスの孫(27)は、このように叫んだが、言いおわるやいなや、重たい槍をはっしと投げつけた。手練《しゅれん》の槍には寸分の狂いもなかったけれど、その槍先はなんの戦果もあげることができず、なまくらな打撃のように相手の胸にあたったにすぎなかった。キュクヌスは、「おお、噂にきく女神の子(28)よ、おれが傷つかなかったからとて、なぜおどろくのだ」といった(じっさい、アキレスはおどろいていたのである)。
「そら、馬の栗毛のたてがみをつけたこの兜も、左の腕にもったこの楯も、わが身をまもる武具ではない。これらは、ただ飾りとしてつけているにすぎない。飾りとならば、軍神マルスでさえ、いつも甲冑を身につけているではないか。たとえこの物具《もののぐ》をぬごうと、かすり傷ひとつ負いはせぬ。ネレウスの娘の子(29)であることなど、たいしたことではあるまい。そのネレウスやネレウスの娘たち(30)はいうにおよばず、世界じゅうのすべての海の上に君臨しているネプトゥヌスの息子であることこそ、いささか自慢の値打ちがあろうというものだ」こういうなり、キュクヌスは、アエアクスの孫めがけて、槍をとばした。槍は、楯の凸面に突きささり、青銅の表面と九枚の牛の皮をつらぬいたが、十枚目でやっとのことで食いとめられた。アキレスは、それを引きぬくや、たくましい腕でびゅんびゅんと振りまわして、相手に投げかえした。しかし、敵のからだは、こんども傷つかず、怪我ひとつなかった。三度目の槍も、あいかわらず身をさらして、すこしもかくれようとしないキュクヌスを傷つけることができなかった。アキレスは、ちょうど円形闘技場でさそいかけるようにうち振られる赤い布めがけておそろしい角を突っかけながら、ついにそれを突きやぶることのできない牡牛のように、はげしい怒りにもえたった。もしや槍の穂先が落ちたのではないかと疑ぐってみたが、穂先はちゃんと柄についていた。
「それでは、おれの力が弱すぎるのであろうか。この相手にたいしてだけ、おれの腕は以前の力をうしなってしまったのだろうか。おれが一番乗りでリュルネッスス(31)の城壁をくつがえしたときも、テネドス(32)とエエティオン(33)の都テバエとをその住民の血潮でいっぱいにしたときも、カイクス(34)の流れをその住民の血で朱《あけ》にそめたときも、テレプス(35)に二度までもおれの槍の威力を思い知らせてやったときも、たしかにおれは力にあふれていた。ここへ来てからも、岸辺にころがっている、おれがつみ上げてやったあの累々たる屍体の山を見れば、おれの腕は強かったのだし、また、いまでも強いはずなのだ」
こういうと、かれは、これまでの武勲を疑うかのように、たまたま眼のまえにいたリュキア人(36)のメノエテスにむかって槍を投げた。槍は、みごとに鎧と胸とを同時につらぬいた。相手がどうとばかり地上に昏倒するや、かれは、そのまだあたたかい傷口から槍を引きぬいて、こうさけんだ。「これこそ、かずかずの敵に勝ってきたおれの腕、おれの槍だ。このふたつを、あの男にたいして働かせるのだ。おお、神々よ、あいつにたいしてもおなじ成功を得させたまえ!」こういうと、ふたたびキュクヌスめがけて槍を投げた。とねりこの槍は、体をかわす間もない相手の左肩に狙いたがわず音をたてて命中した。しかし、城壁か、かたい岩にあたったかのように、はねかえされてしまった。だが、キュクヌスのからだの、槍のあたった個所に血がついているのを見て、アキレスは大いによろこんだが、ぬか喜びであった。そこには傷はなく、メノエテスの血がついているにすぎなかった。〔六四〜一二七〕
いまや怒り心頭《しんとう》に発したアキレスは、いきなりその高い戦車からとびおりると、きらめく剣を抜きはなって、まっしぐらに不死身の敵に打ってかかり、みごとに剣が相手の楯と兜をつらぬくのをみとめたが、同時に、相手のかたいからだにあたって刃がこぼれ落ちるのをも見た。かれは、もう我慢ができなくなり、楯で敵の顔を真正面から三、四度、さらに剣の柄でこめかみを滅多打ちにした。そして、キュクヌスがおもわずたじたじとなると、すかさず踏みこみ、突きとばし、打ちかかり、息をととのえる暇をあたえなかった。キュクヌスは、おじ気づいて、眼のまえがまっ暗になるような気がした。歩一歩と後退していくうちに、畑のまんなかで石につまずいてしまった。アキレスは、その石の上にキュクヌスをおしつけると、怪力をふるって仰向けに投げたおし、地面におさえつけた。そして、楯とかたい膝とで相手の胸を圧し、兜の緒《お》をしめあげた。紐は、ちょうどしめつけられた顎の下にあったので、喉をしめ、息をとめ、生命の道を断ってしまった。
かれは、すぐさま相手の甲冑をはぎとろうとした。が、かれの手にのこったのは、ただ甲冑だけだった。海の神(37)は、キュクヌスのからだを一羽の真白い鳥に変えてしまったのである。この鳥は、いまでもかれの名前(38)をとどめている。〔一二八〜一四五〕
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三 カエネウスはどうして男になったか
この苦戦、この合戦のあとには、数日の休戦があった。両軍とも、鉾《ほこ》をおさめて、戦いをしかけなかった。不寝番がトロイアの城壁を見はり、夜警がギリシア軍の塹壕を監守しているだけであった。
やがて、祭の日となった。この日、キュクヌスをうち負かしたアキレスは、パラス女神(39)に一頭の牝牛をささげ、その血で恩寵を感謝した。そして、その内臓を祭壇の聖火の上にのせ、神々のよろこぶ、うまそうな香りが空たかく立ちのぼると、肉の一部は犠牲としてささげ、残りは一同の食卓をにぎわした。
諸将たちは、床《とこ》の上に身をのべ(40)、焼肉で腹をみたし、酒で日ごろの心労をやすめ、渇をいやした。人びとは、七弦琴を弾じたり、歌をうたったり、黄楊《つげ》の長笛をふいたりするような余興はしないで、よもやま話で夜をすごしたが、話の種となると、武勇談にかぎられていた。かれらは、おのが手柄を語り、敵の武勇をのべ、また、自分たちが遭遇し、切りぬけた数々の危険をこもごも披露しあってはたのしんだ。
なぜなら、アキレスにとって、このようなこと以外にどんな話の種があったであろうか。諸将たちにしても、偉大なアキレスのいる席上では、ほかにどんな話題があったであろうか。とりわけ、キュクヌスを負かして得た最近の勝利は、恰好の話題となった。あの若武者のからだがどんな武器によっても貫くことができず、傷によってはうち負かせず、かえって鉄の刃の方がこぼれてしまったことを、一同はふしぎにおもった。これは、アキレス自身もふしぎにおもい、諸将たちも頭をひねったのであった。〔一四六〜一六八〕
このとき、ネストル(41)が口をひらいた。「諸君の時代では、いかなる刃もはねかえし、どんな打撃にも不死身な者は、あのキュクヌスひとりであった。けれども、かつてわしは、ペラエビア(42)のカエネウス(43)といって、幾千の槍先をうけても傷ひとつ負わないからだをもった男を、この眼で見たことがある。オトリュス(44)の山に住み、かずかずの武勇で名だかい、あのペラエビアのカエネウスだ。しかも、この豪の者にしてはまことに奇態な話なのだが、かれは、元来は女としてうまれたのだ」
このふしぎな奇蹟は、居合わせたすべての人びとの興味をそそり、一同は、ネストルにその話をしてほしいとせがんだ。なかでもアキレスは、「さあ、その話をしてください。当代随一の賢者にして雄弁なご老人よ、われわれ一同は、あなたの話を聞きたいとのぞんでいるのです。いったい、そのカエネウスとは何者ですか。なぜ女から男に変ったのですか。そして、いつの戦いに、どこの戦場で、あなたはその男を知ったのですか。また、もしかれがだれかに負けたとすれば、だれに負けたのですか」〔一六九〜一八二〕
すると、老人は、「どうもこう年をとると、いろいろと|がた《ヽヽ》がきて、若いときに見たことをずいぶんと忘れてしもうたが、それでもまだおぼえていることの方が多いようだて。けれども、平時のことにせよ、戦時のことにせよ、さまざまな出来事のなかで、この話ほどふかく記憶にのこっているものはない。長生きをしたおかげで多くの出来事の証人になれる人があるとすれば、わしこそその資格があるというものだ。なにしろ、わしはもう二百年も生きたし、いまは第三の人生にかかっておるのだ。〔一八三〜一八八〕
さて、エラトゥス(45)の娘カエニスというのは、美しいことで有名で、テッサリアじゅうのどの乙女よりも魅力にとんでおった。それで、近隣の町々はいうにおよばず、あんたの住んでいる地方の町々からも(というのは、おお、アキレスどの、あんたもかの女の同国人なのだから)、多くの求婚者たちがあだな望みをいだいて言い寄ってきたものだった。たぶんペレウス(46)なども、かの女となら結婚したいとおもっただろうが、そのころはもうあんたの母上(47)がお嫁にきていたか、あるいは許嫁《いいなずけ》としてきまっておったのだ。けれども、そのカエニスという娘は、どの縁談にも首をたてにふらなかった。ところが、ある日、人里はなれた海岸を歩いていたとき、海の神にむりやりに手籠《てご》めにされてしまった、という話だ。ネプトゥヌスは、あたらしい恋のよろこびを味わいおわると、娘にむかって、『どんな願いでもかなえてやるから、なんでも好きなことを望むがよい』といった(と、これもおなじ噂がつたえていることだ)。
そこで、カエニスが答えて、『あなたがこんなひどいことをなさいましたので、とてつもないお願いかもしれませんが、もう二度とこのような辱しめをうけないようになりたいとおもいます。どうぞ、わたしを女でないようにしてくださいませ。わたしのお願いは、それだけです』といったが、その最後の方の言葉は、すでに太い声になっていて、まるで男の声かとおもえるほどだった。そして、実際、それはもう男の声だったのだ。というのは、海の神は、さっそくかの女の願いをききとげてやり、おまけに、どんな槍にも傷つけられず、どんな刀にも殺されない不死身のからだをあたえてやったのだ。テッサリア人は、この賜物《たまもの》に有頂天になってその場を立ち去り、それからは男の仕事にはげみ、テッサリアの山野をかけめぐるようになった。〔一八九〜二〇九〕
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四 ラピタエ人とケンタウルス族との戦い
「さて、話は変るが、かの大胆不敵なイクシオン王(48)の息子(49)は、ヒッポダメ(50)と結婚をし、鬱蒼たる樹々におおわれた洞窟に多くの食卓をならべて、野育ちの雲の子たち(51)を招待した。ハエモニア(52)の王侯たちも招かれ、わしたちもその席に出ておったのだ。はなやかに飾りたてた王宮には、ごったがえす賓客たちのざわめきがひびきわたっておった。やがて、祝婚の歌がうたわれ、神前にささげる聖火の煙は、大広間にたちこめた。すると、女房たちや若い娘たちの行列にとりまかれて、かがやくばかりに美しい花嫁があらわれた。わしらは、こんな美しい妻をもらうピリトウスはなんと果報者だろう、と言いあった。
しかし、この果報のしるしは、見かけどおりにはうまくいかなかったのだ。というのは、粗暴なケンタウルス族のなかでもとびきりの荒くれ者のエウリュトゥス(53)という男がおって、美しい花嫁を見たためと、それに酒の酔いもてつだって、胸をもえあがらせ、みだらな欲情のために油をそそがれた酒乱のとりこになってしまったのだ。たちまち食卓をひっくりかえして、饗宴を混乱におとしいれ、花嫁の髪をつかんで、むりやりに引きずっていった。
@こうしてエウリュトゥスは、ヒッポダメを手ごめにするし、ほかの連中も、それぞれ気に入った女を、あるいは、手あたりしだいの相手を凌辱しだした。まるで敵軍に占領された町とおなじだった。宮殿じゅうに、泣きわめく女たちの声がみちわたった。わしらは、みないそいで腰をあげたが、テセウス(54)がまっ先に口をきった。『やい、エウリュトゥス、おれの眼の黒いうちにピリトウスを侮辱し、おまけに、知らずにとはいえ、かれを侮辱することによって友人のこのおれをも侮辱するとは、なんという狂気の沙汰だ』
この豪雄は、自分の言葉を空口上《からこうじょう》にしないために、おしよせてくる男たちをはねのけて、かれらの手から気の毒な女たちを救ってやった。エウリュトゥスは、一言もいわなかったが(こんなひどい暴行には弁明の言葉もなかったのだ)、いきなり臆面もなくテセウスの顔をなぐりつけ、この高貴な英雄の胸ぐらに打ってかかった。たまたまその近くに、人間の姿を浮彫りにした古い瓶《かめ》があったが、アエゲウスの息子(55)は、この大きな瓶をとって眼よりも高くさしあげると、相手の顔めがけて投げつけた。エウリュトゥスは、その傷と口とから血の塊りを脳漿《のうしょう》や酒といっしょに吐きだし、ぬれた砂の上に仰向けにたおれて、手足をばたつかせた。仲間がやられたことで、ふたつの姿をもった怪物ども(56)は、大いにいきりたち、異口同音に『武器だ、武器だ!』とさけんだ。酒が、かれらに蛮勇をあたえた。初めのうちは、杯や、われやすい酒壺や、まるい料理皿などが、飛び道具としてみだれとんだ。それまでは酒宴の道具であったものが、人殺しの兇器に早変りしたのだ。〔二一〇〜二四四〕
まずオピオンの息子でアミュクスというケンタウルスが、この家の神棚(57)に飾ってあった供物を平気でうばいとり、たくさんの神灯のかがやいている灯明台をまっさきにとりはずすと、ちょうど犠牲をささげる神官が牡牛の白い首を斧で打ちおとそうとするときのように、それを高々ともちあげて、ケラドンというラピタエ人の男の額めがけて投げつけ、顔の相も骨もめちゃめちゃにくだいてしまった。眼はとびだし、顔の骨がくだけたために鼻はへしゃげて、喉の奥までめりこんだ。これを見ると、ペラ(58)のペラテスというのが、楓《かえで》の食卓の脚をへし折って、それでアミュクスを地面に打ちのめし、顎と胸までめりこませた。そして、まっ黒な血と歯を吐きだしている相手にとどめの一撃をくわえて、ついに黄泉の客にしてしまった。ちょうどその近くにグリュネウスというケンタウルスがいて、おそろしい眼でまだ香煙のたちのぼっている祭壇を見ると、『こいつを使わぬ法があるものか』というなり、そのでかい祭壇を聖火もろともにもちあげて、ラピタエ人たちの群のなかに投げこみ、ブロテアスとオリオスの両人をおしつぶしてしまった。ついでながら、このオリオスの母親は、ミュカレという女で、しばしば呪文によって月をむりやりに地上に引きおろした(59)といわれておる。さて、『おれに武器さえあったら、きさまのようなやつを生かしてはおかぬわ』とさけんだのは、エクサディウスという男で、高い松の木の上にさらしてあった奉納物(60)の牝鹿の角をとって、これを武器がわりにした。グリュネウスは、この角のふたつの枝で眼を突きさされ、両眼ともえぐりだされた。すると、片方の眼玉は、角の先に串ざしになり、もう一方は、頬ひげのところまでころがり落ちて、血糊《ちのり》のためにぶらさがった。〔二四五〜二七〇〕
そのとき、ロエトゥスというケンタウルスは、祭壇の中央から火のついた李《すもも》の燃え木をひきぬいて(61)、カラクススという男の金髪におおわれたこめかみを右側からなぐりつけた。はげしい炎にとらえられた髪の毛は、まるで枯草のようにもえはじめ、傷口の血がそれに焦がされて、ものすごいしゅっしゅっという音をたてた。ちょうど鍛冶屋がまっ赤に焼けた鉄をまがったやっとこで引きだして手桶のなかに突っこむと、鉄がじゅっという音をたてて水を熱くし、しばらくしぶきをはねとばすのに似ておった。傷ついたカラクススは、さかだつ髪をふるっておそろしい炎を消すと、馬車にでも積むような重い門の台石を地面から引きぬいて、肩にかついだ。しかし、あまり重すぎて、敵にはとどかず、巨大な石塊は、かえって近くにたっていた味方のコメテスをおしつぶしてしまった。これを見ると、ロエトゥスは、小踊りしてよろこび、『きさまの戦友どもも、きさまのような剛の者ぞろいだとよい!』とからかった。そして、半分燃えさしの薪をふるってふたたびカラクススに打ってかかり、滅多打ちに打ちすえて、とうとう頭蓋の継ぎ目を割ったので、こなごなになった骨は脳漿のなかに入りまじった。
勝ちほこったロエトゥスは、さらにエウアグルス、コリュトゥスおよびドリュアス(62)の三人にむかっていった。三人のうちのひとり、頬にまだうぶ毛ののこっているコリュトゥスがやられたのを見ると、エウアグルスは、ロエトゥスにむかって、『こんな子供を殺して、どんな名誉になるのだ』といったが、ロエトゥスは、それ以上いわせなかった。燃え木をいきなり相手の喋っている口にねじこむと、喉から胸まで突きとおしてしまった。かれは、さらに勇猛なドリュアスに肉薄して、燃え木を顔のまわりにぶんぶん振りまわした。しかし、こんどは相手がわるかった。かれが相次ぐ勝利にいい気になっている隙に、ドリュアスは、焼け杭《ぐい》でかれの首と肩との境い目のところをえぐった。ロエトゥスは、うめき声をあげて、かたい骨からやっとのことで杭を抜きとると、われとわが血にまみれながら逃げだした。すると、オルネウス、リュカバス、右肩を傷つけられたメドン、ピセノル、タウマスなどのケンタウルスたちも逃げだした。それに、最近の競技会ですべての走者たちに勝ったメルメルス(ただし、このときは負傷のために駿足をとばせなかったが)、ポルス(63)、メラネウス、野猪猟師のアバス、占者のアスボルスなどがいっしょになって逃げた。このアスボルスは、仲間のケンタウルスたちに喧嘩をしないようにと説いたのだが、甲斐がなかったのだった。かれはまた、傷をおそれているネッスス(64)にむかって、『きみは逃げなくても大丈夫だ。後日ヘルクレスの矢先にかかる日までは死なない運命にあるんだから』といった。しかし、エウリュノムス、リュキダス、アレオス、イムブレウスなどの面々は、死をまぬがれることはできなかった。ドリュアスの右手が、かれらをすべて真正面から打ちのめしたからである。クレナエウスも、敵に背をむけて逃げだしたのであるが、やはり正面から傷をうけてしまった。というのは、ふとふりむいた瞬間、両眼のあいだの、ちょうど鼻柱の上部と額の下端とが接しているあたりに、剣の一撃を見舞われたからである。
しかし、阿鼻叫喚《あびきょうかん》のなかにあって、アピダスだけは、ぐでんぐでんに酔っぱらって、ぐっすり眠りこみ、オッサ(65)の山の熊のふさふさとした毛皮の上に長々と身をのべ、ぐったりとした手にまだ水割り酒(66)を入れた杯をもっていた。ポルバスは、かれがだらしなくも戦いの仲間にくわわっていないのを見ると、投槍の革紐に指をかけながら、『きさまの酒にステュクス(67)の水を割って飲むがよい!』というなり、すかさずこの若者めがけて槍を投げつけた。とねりこの柄に鉄の穂先をつけた槍は、たまたま仰向けに寝ていたかれの喉《のど》もとをつらぬいた。かれは、死の苦しみも感じないで息絶えた。黒い血が、喉いっぱいに充満し、どくどくと毛皮の褥《しとね》の上にながれだし、杯のなかにまで入りこんだ。〔二七一〜三二六〕
さて、わしが見ると、ペトラエウスというケンタウルスは、実のついた樫《かし》の木を大地からひき抜こうとやっきになっておるではないか。木に両腕をまわして、前後にゆすぶり、根もとのゆるんだ幹をゆりうごかすのだが、そのとき、ピリトウスの投げた槍があばら骨に突きささり、もがく胸をかたい樫の木の幹に釘づけにしてしまった。ピリトウスは、このほかにもリュクスとクロミスをその猛勇によって倒したというが、それよりもさらにかれの勇名を高めたのは、ディクテュスとヘロプスを倒したことであった。ヘロプスは、かれの投槍にこめかみを射ぬかれ、槍は右の耳から左の耳に貫通した。ディクテュスは、追いすがるイクシオンの子(68)をおそれて逃げまどっているうちに、けわしい山の頂上から足をすべらせて、谷底めがけて転落し、自分のからだの重みでとねりこの巨木をへし折り、その臓腑を折れた木の株にひっかけた。こんどは、アパレウスというケンタウルスが、仲間の仇をとろうとして、山から引っこぬいた大岩を投げつけようとした。が、アエゲウスの息子(69)が、まさに投げようとするかれの機先を制して、樫の大木で相手の腕のいかつい骨を打ちくだいた。しかし、かれは、もう戦えなくなったこの敵のからだにとどめの一撃をくわえる暇もなく、また、その気もなく、つぎの相手に大柄なビエノルをえらび、これまでに自分以外のだれをも乗せたことのないその背にとびのり(70)、膝を両脇におしつけ、左手で髪の毛をつかんでしっかりとにぎり、右手にもった樫の幹で顔を滅多打ちにし、おそろしげに噛みつこうとする口とかたいこめかみの骨とをくだいてしまった。かれは、さらにネデュムヌス、投槍の名手リュコタス、長いひげが胸まで垂れさがっているヒッパスス、森の梢よりもまだ背のたかいリペウス、ハエモニアの山々で熊をとらえては、生きたまま力ずくで引っぱって帰るテレウスなどを、おなじ樫の幹で打ちのめした。
ケンタウルスのデモレオンは、敵を総舐めにするテセウスの奮戦ぶりにもう我慢ならなくなった。かれは、怪力をふるって年をへた樫の大木を下草もろとも引きぬこうと苦心しておったが、やがてそれが叶わぬと見るや、その木をへし折って、テセウスめがけて投げつけた。しかし、テセウスは、パラス女神(71)に教えられて(これは、かれ自身が信じてもらいたいといったことだ)、遠くから身をかわして、飛んでくる一撃をさけた。けれども、木は、むなしく地面に落ちたのではなかった。というのは、大男のクラントルにあたって、胸と左肩を首から切断してしまったからである。おお、アキレスどの、このクラントルは、あなたの父上の扈従《こじゅう》をつとめていた者で、かつてドロペス人(72)の王アミュントルが戦いにやぶれたとき、アエアクスの子(73)に和平のしるしとして贈った人質だったのだ。ペレウスは、クラントルが無残な傷をうけて倒れたのを遠くから見ると、『わしが若者たちのなかで一番かわいがっていたクラントルよ、せめてわしの餞別《はなむけ》を受けとってくれ!』とさけぶなり、たくましい腕と怒りの力とでデモレオンめがけてとねりこの槍を投げつけた。槍は、肋骨をつらぬき、骨につきささって、こまかく震えていた。デモレオンは、やっとのことで槍を引きぬいたが、それは柄ばかりで、穂先は肺臓のなかに残ったままだった。苦痛が、かれの怒りにかえって力をあたえた。この深傷《ふかで》にもめげず、相手に立ちむかうと、その蹄にかけてペレウスをふみにじろうとした。が、ペレウスは、蹄のたからかな一撃を兜と楯ではっしと受けとめて肩をまもり、槍をかまえてぐっと上に突きあげた。そして、ただのひと突きで肩をえぐり、ふたつの胸(74)を貫いてしまった。
ペレウスは、それまでにも、プレグラエウスとヒュレスを遠くから、また、近くに寄ってはイピノウスとクラニスとを倒していたのだが、さらにドリュラスをもおなじ運命にくわえた。ドリュラスは、左右のこめかみを狼の毛皮でおおい、手には槍のかわりにすでに血にまみれた牡牛のまがった角をもっていた。わしは、かれにむかってこうさけんだ(わしだって、怒りのためにだまっていることができなくなったのだ)。『やい、きさまの角など、わしの槍に歯がたつものか』そういって、わしは槍を投げつけた。ドリュラスは、身をかわす暇がなかったので、右手をあげて額をおおったが、その手は、額のうえに釘づけになってしまった。かれは、ぎゃっと叫び声をあげたが、そうして身うごきもならず、深傷に力をうしなっているところを、すぐ近くにいたペレウスが剣をふるって腹をまともにえぐった。ドリュラスは、とびあがった。そして、はみだした臓腑をだらりと地上にひきずり、それを自分の蹄でふみちぎり、足をそれにからませて、そのまま腹をからっぽにして死んでしまった。〔三二七〜三九二〕
ケンタウルスどものような怪物にも美しさというものをみとめざるをえないとすれば、キュラルスの姿がそれであった。しかし、かれの美しい容姿も、戦いにのぞんでは命の綱にならなかった。かれは、ひげが生えはじめた年ごろであった。ひげは、金色であった。おなじく金色の髪の毛が、肩から脇腹のまん中あたりまでふさふさと垂れさがっておった。その顔は、優美で若々しく、首、肩、腕、胸、そのほか人間の姿をしたところはすべて、名匠の傑作をおもわせ、また、その下につづく馬の姿をした部分も、非の打ちどころがなく、人体の部分におとらず美しかった。もしこれに馬の首と頭をつけたならば、あのカストル(75)の乗馬にもふさわしいものであったろう。それほどかれの背は乗りごこちがよさそうであり、胸は筋肉が隆々ともりあがっていた。かれの全身は、まっ黒な瀝青よりも黒かったが、尻尾は白く、脚の毛も白かった。同族の多くの若い娘たちが、かれの意をむかえようと願っていたが、かれのこころをとらえたのは、ヒュロノメという娘ひとりだけであった。ケンタウルス族の棲家である高い森々のなかに、このヒュロノメほど美しい娘はひとりもいなかった。かの女は、そのあでやかなもの腰と愛情と愛の告白とによって、ただひとりキュラルスのこころをひきつけたのである。かの女は、半人半馬の姿にできるかぎり身だしなみに気をつかい、その毛なみを櫛でていねいになでつけたり、迷迭香《まんねんろう》やすみれや薔薇の花で花環をあんで首にかけたり、ときには白い百合の花をさしたりした。日に二度パガサエ(76)の山の木のしげった頂きから湧きでる泉の水で顔をあらい、日に二度流れにつかって水浴をした。また、えりぬきの動物の、それもよく似合う毛皮ばかりを、肩や左の脇腹にはおっていた。ふたりは、おなじように愛しあっていて、よくいっしょに山々を駈けめぐったり、いっしょに洞穴などで休んだりした。だから、このときも、ふたりいっしょにラピタエ人の館に来ていて、いっしょにこの乱暴な喧嘩沙汰にまきこまれたのだ。
そのうちに、だれが投げたともわからぬが、投槍が左のほうからとんできて、キュラルスの胸と首との境目のところに突きささった。それは、心臓をわずかにかすめたにすぎなかったが、槍を抜いてみると、心臓は全身とともに冷たくなっていた。ヒュロノメは、すぐさま冷たくなっていくかれのからだを抱きかかえ、手を傷口にあててあたため、自分の口をキュラルスの口におしつけて、逃げ去るたましいをひきとめようとした。それでも、かれが息たえたのを見てとると、戦いの叫び声に消されてわしの耳にはとどかなんだが、いきなりなにやら絶叫すると、キュラルスの肩をえぐった槍の上にうつ伏せになり、絶命しながら愛する良人を抱きしめたのであった。〔三九三〜四二八〕
さらに、六枚の獅子の毛皮を結び目をこしらえてつなぎあわせ、それで自分の人身馬体をおおっていたあのパエオコメスの姿が、いまでも眼のまえに見えるようだ。かれは、四頭の牛に引かせてやっと動くほどの重たい丸太を投げつけて、オレヌスの子テクタプスの頭をおしつぶした。頭蓋骨は、丸太の重みのためにめちゃめちゃにくだけ、鼻の孔や口や目や耳からやわらかい脳漿がながれでた。それは、簀《すのこ》の網目から凝乳が出てき、あるいは、たくさんの孔をあけた油こし器をおさえつけると、そのつまった目から油がぽたりぽたりと滴りおちる有様にも似ておった。パエオコメスは、殺した相手が身につけているものを剥ぎとろうとした。そこでわしは――これは、アキレスどの、あなたの父上もよくご存じのことだが――剣をふるって、やつの腹の底まで突きさしてやった。わしの剣は、まだこのほかにクトニウスとテテレボアスを薙ぎたおした。クトニウスは、ふた又《また》になった木の枝をもっておったが、テレボアスは、投槍をあやつっていた。その槍をうけて、わしも負傷した。そら、これがそうだよ。むかしの傷あとがまだはっきり残っておるだろうが。わしは、そのころにこのペルガマ(77)攻略に派遣してもらえればよかったとおもう。そのころなら、このわしでも、ヘクトルに勝つことはどうだかわからんが、すくなくともわしの武器でかれの武器をくいとめることぐらいはできたろう。しかし、そのころはヘクトルなどはまだうまれていなかったか、せいぜい子供だったろうし、わしの方も、いまではあのころの力はなくなってしまった。ところで、半人半馬のピュラエトゥスに勝ったペリパス(78)や、山ぐみでつくった、穂先のない投槍で四足《よつあし》のエケトルスの顔を真正面から突きさしたアムピュクスらの手柄話は、はぶかせていただくことにしよう。
マカレウスは、ペレトロニア(79)のエリュグドゥプスの胸に梃子《てこ》棒で打ってかかって、かれを打ちのめした。それから、ネッスス(80)の投げた狩猟用の槍が、キュメルスの股ぐらふかくに突きささったこともおぼえておる。また、アムピュクスの子モプスス(81)は、未来のことを語る能しかない男だとおもってはいけない。かれの投げた槍によって、人身馬体のホディテスは地面にたおされ、口をきこうとしたが、どうにもならなかった。なにしろ、舌は顎に、顎は喉に串刺しになってしまっておったのだから。〔四二九〜四五八〕
さて、例のカエネウスのことだが、かれは五人の敵をやっつけた。ステュペルス、ブロムス、アンティマクス、エリュムス、それに斧をもっていたピュラクムスの五人が、それだ。わしは、かれがこの五人を血祭にあげたときの模様はわすれてしまったが、人数と名前だけは、いまでもおぼえておる。このとき、手足も図体もずばぬけてでかいラトレウスというケンタウルスが、いま討ちとったばかりのエマティア(82)のハレススという男からうばいとった武器をひっさげて駈けつけてきた。かれは、年配からすると、ちょうど青年と老年の中程であったが、その力は、若者のようであった。こめかみのあたりには、もう白髪がちらほらしていた。かれは、手にした楯と剣とマケドニアの長槍(83)とで大いに人目をひいた。そして、敵と見方をこもごも見やりながら、これ見よがしに武器をうち鳴らし、一定の円をえがいてぐるぐる歩きまわっていたが、やがて大音声を中空《なかぞら》に張りあげて、つぎのようにさけんだ。
『やいやい、カエネウス、きさまのようなやつをのさばらせておくおれだとおもうのか。きさまなんぞは、おれの眼から見れば、あいかわらず女だ。もとどおりのカエニス(84)だ。きさまは、うまれたときのことを忘れたのか。どんなことをして褒賞をもらったか、どんな代償をはらって借りものの男の姿を手にいれたか、よもや忘れはすまい。うまれたときはどっちで、どんな目に会わされたか、思いだすがよい。きさまなんぞは、さっさと家に帰って、糸巻き竿と籠を手にとり、拇ゆびで糸でも撚《よ》っておるのがいいのだ。戦《いくさ》ごっこは、男にまかしておけ!』しかし、カエネウスは、このように大言壮語している相手めがけて槍を投げつけ、ぐるぐる走りまわっている脇腹の、ちょうど人体と馬身のつなぎ目になっている個所をみごとに突きやぶった。ラトレウスは、痛手のあまりたけり狂って、ピュルス(85)の若武者のむきだしの顔に長槍を投げつけた。しかし、槍は、屋根の上にあたった霰《あられ》か、太鼓にむかって投げつけられた小石のように、はねかえってしまった(86)。ラトレウスは、こんどは肉薄攻撃をこころみ、相手のかたい脇腹を剣でえぐろうとした。しかし、剣の通るような個所は、ひとつもなかった。『小癪な! 逃がすものか。切先がだめなら、刃で殺してやる!』そういうと、剣を横にふりまわし、腕をのばしてカエネウスの胴を薙ぎはらった。しかし、まるで大理石の岩に切りつけたようなひびきをたてて、剣は皮膚にあたってこなごなにくだけてしまった。カエネウスは、あっけにとられている敵に不死身のからだを思うがままにさせておいてから、『さあ、こんどは、おれの剣できさまのからだをためしてみるか』というなり、そのおそろしい剣を、柄《つか》も通れとばかり敵の馬腹に突きさし、内臓ふかく手もかくれるほどえぐり、傷口にまた新しい傷をつくった。これを見ると、ふたつの姿をもつ怪物どもは、あらあらしい喚声をあげて猛然と押しよせ、カエネウスひとりにむかって、みんなで槍や武器を投げつけた。しかし、それらの武器は、どれもへなへなと下にはねかえされた。エラトゥスの子カエネウスは、どんな武器によっても、あいかわらずかすり傷ひとつ負わず、一滴の血もながさなかったのだ。〔四五九〜四九七〕
このふしぎな現象に、ケンタウルスたちは呆然としておったが、モニュクスというのが、『ああ、なんというざまだ!』とさけんだ。『おれたちみんなで寄ってたかって、こんな男かどうかわからないようなやつひとりに勝てないのか。こんな意気地のない有様じゃ、まるでやつの方が男で、おれたちがこいつの前身の女みたいなものではないか。おれたちのこのたくましい四肢は、なんのためにあるのだ。おれたちの二重の力(87)は、なんのためにあるのだ。おれたちが二重の自然《さが》によって万物のなかで最も力づよいふたつの存在を一身に兼ねているのは、なんのためだ。これでは、おれたちは女神の子でもなければ(88)、あの尊大なユノをわがものにしようとしたほど偉いイクシオンの息子でもなくなってしまうというものだ。男のできそこないみたいな野郎に負けるなんて、恥さらしもいい加減にするがよい。岩や樹や山を根こそぎにあいつの上にころがすのだ。森をなげつけて、あいつのしぶとい息の根をとめてしまうのだ。森なら、あいつの喉をおしつぶせるし、傷には不死身でも、重さには勝てまいぞ!』
モニュクスは、こういうと、たまたまはげしい南風《アウステル》のために吹きたおされた大木が見つかったので、それを強敵めがけて投げつけた。すると、ほかの連中も、これを見ならった。またたくまに、オトリュス(89)の山は丸裸にされ、ペリオンの山にも樹陰がなくなってしもうた。カエネウスは、ものすごい樹木の山の下敷きになり、その重みにもがき苦しみながら、巨木の堆積を頑丈な肩でじっと支えていた。しかし、その堆積が顔や頭の上にますます重くのしかかってきて、息をする空気もなくなると、いくどかそのまま気をうしないそうになり、なんども空気のあるところまでむなしくも這いあがろうとし、投げかけられた樹木をはねのけようとした。また、いくどとなく、あそこに見えるイダ(90)の山が地震でうちふるえるように、からだの上の大木をゆりうごかした。
それからどうなったのかは、だれにもよくわからない。カエネウスのからだはこの巨木の山におしつぶされて、黄泉の客になってしまったと伝える者もおったが、アムピュクスの子(91)は、それを否定した。かれは、積みかさなった大木のあいだから褐色の翼をした一羽の鳥が澄みわたった大空に飛びたつのを見とめたのだ。わしも、そのときこの眼でたしかに見たが、このような鳥を見たのが、このときが最初で、また最後だった。モプススは、この鳥がゆっくりと輪をえがきながら戦友たちを見おろし、あたりに大きな鳴き声をひびかせているのを見ると、こころと眼で鳥の姿を追いながら、こう語った。『おお、ごきげんよう、ラピタエ族の誉れよ、かつてはすぐれた英雄であり、いまは類なき鳥となった者よ、カエニウスよ!』モプススのような人がいったことだから、一同はこの言葉を信じないわけにはいかなかった。悲しみは、わしらの怒りを湧きたたせた。たったひとりの人間がこんなに多くの敵どもにやっつけられたことに、わしらは憤りをおぼえたのだ。そして、敵の一部が殺され、残りが闇にまぎれて逃げうせるまで、悲憤の剣をおさめなかったのだ」〔四九八〜五三五〕
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五 ネレウスの十二人の息子たち
ピュロスの老人(92)がラピタエ人たちと半人半馬のケンタウルスたちとの戦いについて以上のように語ったとき、トレポレムス(93)は、この話のなかで父なるアルキデス(94)のことが黙視されているのを遺憾におもい、だまっておれなくなって、「おお、老人、あなたがヘルクレスの手柄に一言もふれないのは、どうもおかしい。父はよくわたしに、あの雲の子たち(95)をやっつけたときの話をきかせてくれたものだった」〔五三六〜五四一〕
すると、ピュロスの老雄は、悲しそうな面持で答えた。「なぜあなたはわしにむかしの悲しみを思いださせ、せっかく長い年月のおかげでふさいでいた傷口をまたほじくり、わしがあなたの父上にたいして抱いていた怨みや、かれから受けた悲しい侮辱を喋らせるようなことを訊ねるのだ。たしかに、父上は、信じられないほどの偉業をなしとげ、その名声は、全世界になりひびいた。わしは、それを否定できたらよいとおもうが、事実は事実だ。しかし、われわれは、デイポブス(96)やポリュダマス(97)はもちろん、あのヘクトルをさえ、ほめたたえようとはすまい。だれだって、自分の敵をほめたりしないものだ。あなたの父上は、むかしメッセネ(98)の城をやぶり、なんの罪もないエリスやピュロスの町を破壊し、わしの家にも剣と炎をもって侵入したのだ。かれに殺されたほかの人たちのことは言わないことにするが、わしら兄弟――わしらは、ネレウスの十二人の息子たちで、みんなりっぱな若者ぞろいだったが――この十二人のうち、わしをのぞいて、ほかの十一人は、のこらずヘルクレスに殺されてしまったのだ(99)。ほかの兄弟たちがやられたことは、わからぬでもないが、ペリクリュメヌス(100)の死だけは、なんともふしぎなことだった。ネレウスの父ネプトゥヌス(101)は、自分の好きな姿になったり、また、いつでもその姿をやめたりすることのできる能力を、この兄弟にあたえておったのだ。このときも、ヘルクレスの攻撃をのがれようとしていろいろな姿に身をかえたが駄目なので、ついに一羽の鳥になった。神々の王者に愛され、いつも爪で雷電をはこぶあの鳥(102)の姿になったのだ。そして、翼とまがった嘴と鉤爪とで、全力をふるって敵の顔めがけておそいかかった。しかし、ティリュンスの英雄(103)は、手練の弓をひきしぼって、この鳥が翼をはばたいて空たかく雲のなかをとんでいるところをめがけて矢をはなち、翼のつけ根のところを射たのだ。傷そのものは、たいしたことはなかったが、筋肉がこの一撃に傷《いた》められてうごかなくなり、飛ぶ力がなくなってしまった。弱った翼では空気を十分に抱きこむことができないので、かれは地上に墜落してしまった。そのさい、かるく翼にささっていただけであった矢が、傷ついたからだの重みでなかに押しこまれ、胸部をつらぬいて、矢先を左の喉くびのところに突きだした(104)。ロドスの艦隊のすぐれた提督よ、これでもまだ、わしがあなたの父ヘルクレスの手柄をほめたたえなくてはならぬとおもわれるか。わしがかれの手柄にわざとふれなかったのは、それで兄弟たちの復讐をしようとおもったにすぎない。あなたにたいするわしの友情は、そんなことぐらいでどうなるものでもないのだ(105)」〔五四二〜五七六〕
ネレウスの息子がたくみな弁舌でこのように語り、その物語がおわると、諸将たちは、ふたたび酒杯をあげた。そして、やがて宴席からはなれると、それぞれ夜の残りの時間を眠りにすごしたのであった。〔五七七〜五七九〕
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六 アキレスの死
しかしながら、三|叉《さ》の鉾をもって海の波を統《す》べる神(106)は、わが子(107)がパエトンの愛する鳥(108)になってしまったことを、父としての情愛からふかく悲しみ、残忍なアキレスをいたく怨んで、尋常の域をこえてまで和らげがたい怒りに身をゆだねた。すでに戦争は、かれこれ十年ほどもつづいていたが、このときかれは、ゆたかな髪をもった神スミンテウス(109)にむかって、つぎのようにいった。
「おお、わしの兄弟(110)の息子たちのなかで最も愛する者よ、おまえは、わしといっしょに只働きでトロイアの城壁をきずいたが(111)、その城壁がまさに崩壊しようとしているのを見て、悲しい気がしないか。この城壁をまもろうとして多くの人間が死んだのを見て、こころが痛まないか。いや、それらの人間みんなをあげるまでもなく、なつかしいペルガマ(112)の城壁のまわりを引きずりまわされているあのヘクトルの亡霊(113)がおまえの眼にあらわれてはこないか。これにひきかえ、わしらの仕事の破壊者であり、戦争そのものよりもなお残忍なあの猛々しいアキレスは、まだぴんぴんしておるではないか。かれがこのわしの眼のまえにあらわれて来ようものなら(114)、わしの三叉の鉾の威力をぞんぶんに思い知らせてやるのだが……。しかし、わしはあいつのそばへいって眼にものを見せてやるわけにはいかないから、おまえが不意をおそって、眼に見えぬ矢であの男をたおしてくれないか」〔五八〇〜五九六〕
デロスの神(115)は、これを承知し、叔父の怒りと同時に自分自身の憎しみにもうながされて、ひとむらの雲に身をかくしてトロイア軍の戦線に降りたった。そして、凄愴な血の雨のふるなかで、パリス(116)が名もなきギリシアの兵にむかってあちこち矢をはなっているのを見ると、神の姿をあらわして、「なぜ雑兵《ぞうひょう》どもの血をながすためにおまえの矢を無駄づかいしているのだ。おまえに味方のことを思う気がすこしでもあるならば、あのアエアクスの孫(117)にたちむかって、死んだ兄弟たちの仇《あだ》をむくいるがよい」こういうと、剣をふるってトロイアの兵士たちを薙ぎたおしているペレウスの子を指さし、パリスの弓をその方にむけ、死をもたらす手をもってその狙い確かな矢をみちびいた(118)。これは、老王プリアムス(119)にとって、ヘクトルの戦死このかた初めて味わうよろこびであった。アキレスよ、多くの人びとを討ちとったおんみは、こうしてギリシアの人妻を盗みとった臆病者(120)のためにあえなくたおされた。こういう女々しい男に殺されるくらいならば、むしろあのテルモドン(121)の戦斧にかかって死んだ方がましであったであろう。〔五九七〜六一一〕
プリュギア人たち(122)の恐怖の的であり、ペラスギ人たちの誉れであり宝であった常勝の英雄アキレスは、すでに焼かれてしまった。かれの武具をつくったとおなじ神が、かれを焼いたのである(123)。すでにかれは一握の灰と化してしまった。偉大なアキレスからは、いまや小さな骨壺をみたすにも足りないほどのものしか残っていない。しかし、かれの名前は、永遠に生きて、いまも全宇宙にみちわたっている。宇宙の広大さこそ、この稀有の英雄にふさわしい。このペレウスの息子は、全宇宙のなかにおのれに似合った安住の地を見いだし、あの荒涼たるタルタルス(124)には降りていかないのだ。かれの楯さえ、その持主がだれであったかを思いださせるために、諍いをひき起こしたし、かれの武器を手に入れようとして、人びとは武器を手にとって争ったのだ(125)。とはいえ、テュデウス(126)の子も、オイレウスの子の小アヤクス(127)も、アトレウスの子(128)も、かれより武勲も年齢もまさっていたその兄(129)も、そのほかの多くの武将たちも、さすがにその武器をほしいとはいわなかった。ただ、テラモンの子(130)とラエルテスの子(131)のふたりは、自分こそかかる栄誉を受けるにふさわしと自負しておった。そこで、タンタルスの子孫(132)は、怨みをまねくかもしれないこの厄介な責任をのがれ、アルゴリスの諸将(133)を陣営の中央にあつめて、一同をこの争いの審判官としたのであった。〔六一二〜六二八〕
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巻十二の註
(1)トロイアの王、アエサクスの父。→巻十一(124)
(2)アエサクスをさす。
(3)アエサクスの異母兄弟、プリアムスとヘクバとの長子〔巻十一(124)〕。トロイア戦争におけるトロイア軍最大の知勇兼備の英雄。ギリシア軍の英雄アキレス(23)とならんでホメロス『イリアス』の主人公。のちアキレスとの一騎打ちで敗れる。妻アンドロマケ(33)とのあいだに一子アステュアナクス〔巻十三(110)〕があった。なお、つぎに「必要もないのに」とあるのは、アエサクスは潜水鳥《もぐりどり》になり、まだ死んではいなかったから。
(4)プリアムスとヘクバとの息子、ヘクトルの弟、たぐいなき美貌の持主。巻十一(50)のようないきさつで、不和の女神エリスは、黄金のりんごを神々のあいだに投げ、最も美しい女神にあたえるといった。ユノとアテナ(ミネルウァ)とウェヌスの三女神がこれを争い、パリスが審判官にえらばれた。かれは地上最高の美女ヘレナ(次注)を妻にあたえるとの約束につられて、ウェヌスに軍配をあげた。その後、パリスはウェヌスの指図にしたがってギリシアに渡り、スパルタ王メネラウス(128)の妻となっていたヘレナを誘拐して、トロイアに連れて帰り、これが原因でトロイア戦争が起る(次注)。『イリアス』ではパリスは怯懦な男として描かれているが、アポロの助けによってアキレスの踵を射て殺す。なお、かれには、オエノネ〔巻七(70)〕という妻があった。
(5)白鳥に化けたユピテルによってテュンダレウスの妻レダがうんだ絶世の美女ヘレナのことで、ディオスクリおよびクリュタエムネストラの姉妹〔巻六(25)〕。この美女に求婚するために全ギリシアから多くの王たちや英雄たちが集まったとき、テュンダレウスはすべての求婚者たちに、婿はヘレナの選択にまかせること、そして、だれがえらばれても万一婿の身にトラブルがふりかかるようなことがあったら、すべての求婚者たちが一致して婿を助けることを誓約させ、メネラウスが婿にえらばれた。テュンダレウスにこの策をさずけたのは、知恵者ウリクセス(オデュッセウス)で、そのためにテュンダレウスはイカリウスの娘ペネロペ〔巻八(84)〕をウリクセスの妻として世話してやった。トロイアの王子パリスに誘惑されたヘレナは、九歳になる娘をすて、多くの財宝をたずさえて、メネラウスのもとを出奔した。メネラウスとその兄アガメムノン(13)は、かつての求婚者たちにその誓約の履行を求めた。かくてギリシアじゅうから王たちや英雄たちが手兵をひきいて、アウリス(7)に集結し、アガメムノン王を総帥として、トロイアに出征する。船が一〇一三隻、将が四三人、司令が三〇人という大軍勢であった。ときに紀元前一一八四年であったと伝えられ、ホメロスの長編叙事詩『イリアス』および『オデュッセイア』の主題となった十年間にわたる長期戦争がはじまる。以下、このトロイア戦争にまつわる挿話的な物語が点描される。なお、この戦争によってふたたびギリシアに帰ったヘレナは、その後メネラウスと仲むつまじく暮らしたといわれ、まことにふしぎな夫婦である。→(54)
(6)ギリシアの先住民族、転じてギリシア人一般をさす。
(7)ボエオティアの海岸にある港町。トロイアにむかうギリシア連合軍の集結地。「魚の多い」については、巻十(96)
(8)トロイア遠征に参加した最も偉大な予言者・神官であるカルカスのこと。トロイア戦争中に多くの重要な予言をした。
(9)→巻一(37)。海の嵐をよびおこす海神とも考えられた。
(10)ボエオティアの海。→巻一(65)
(11)→巻九(53)、巻十一の一九九行以下。
(12)ディアナ女神のこと。ギリシア軍の総大将アガメムノンが、ディアナの神獣である牝鹿を殺したので、女神はギリシア軍に悪意をいだき、出発をはばんでいるのだ、と考えたのである。
(13)ギリシア軍の総大将としての、またイピゲニアの父としてのアガメムノン王のことをいっている。かれは、アトレウス〔巻六(88)〕の子、したがってペロプス〔巻六(85)(87)〕の孫、ヘレナの夫メネラウスの兄。テュンダレウスの娘でヘレナの姉妹であるクリュタエムネストラ〔巻六(25)〕を妻としてイピゲニア、エレクトラ、オレステス〔巻十三(61)〕らの父となる。『イリアス』では、ギリシア軍の総帥としては、勇敢ではあるが決断力に欠け、利己的な人物として描かれている。ミュケナエの王。
(14)イピゲニアのこと。かの女の父アガメムノンはミュケナエ〔巻十五(72)〕の王であった。このあとディアナは、イピゲニアをタウリス(いまのクリミア半島)につれていき、そこにあるみずからの神殿の斎女《いつきめ》にしたといわれる。エウリピデスに悲劇『アウリスのイピゲネイア』および『タウリスのイピゲネイア』がある。
(15)ディアナの別名。→巻一(87)
(16)→巻八(50)。なお、その住居とされる「三つの世界の境界のところ」という表現は、海につきでた高い山のようなものを考えているのであろうか。
(17)テッサリアの王イピクルスの息子、手兵と四〇隻の船とをもってトロイア戦争に参加、最初にトロイアの海岸に上陸し、ヘクトル(3)に殺された。
(18)最初にトロイアに上陸する者は戦死するであろう、と予言されていた。プロテシラウスは、それを知りながら一番乗りを敢てした。
(19)トロイア人のこと。
(20)本来は、テッサリアおよびペロポネスス北部に住む種族のこと〔そのどちらにも、アカイアという地名がある。→巻三(63)〕。ホメロスにおいては、英雄アキレス〔(23)、かれはテッサリア出身である〕にひきいられた軍勢を、さらに転じて、アガメムノン配下のギリシア連合軍の全体をさす。ここでもその意。
(21)→巻十一(42)
(22)ネプトゥヌスの息子で、トロアス(トロイア市周辺の地方)の町コロナエの王、ラオメドン〔巻十一(41)(124)〕の女婿。不死身のからだをしていた。巻二(94)および巻七(78)のキュクヌスとは別人物。
(23)ペレウスとテティス女神との息子〔巻十一(50)〕。母テティスは、かれを不死にしようとして冥府の河ステュクスに浸したが、かの女がにぎっていたかれの足の踵の部分だけが水に浸らず、不死にならなかった。賢者キロン〔巻二(133)〕に教育され、トロイア戦争におけるギリシア軍最大の英雄となる。ホメロス『イリアス』の主人公。ギリシア語訓みではアキレウス。
(24)トロイア戦争では、英雄たちは小型の二輪戦車にのった。
(25)→巻一(31)。その山中の樹でつくった槍の意。アキレスは、テッサリアの出身である。
(26)→巻十一(117)
(27)アキレスの父ペレウスは、アエギナ島の王アエアクスの息子である。→巻七(119)
(28)アキレスは海の女神テティスの子である。→巻十一(50)
(29)アキレスの母テティスは、海神ネレウスの娘である。
(30)ネレイデス。→巻一(62)
(31)トロアス(22)の町。アキレスはこの町を占領して、そこのアポロの神官プリセウスの美しい娘プリセイスを手に入れ、ふかく愛しあった。かの女は、のちアガメムノンとアキレスとの不和の原因になる。→巻十三(117)
(32)→巻一(91)
(33)ミュシア〔巻十一(127)〕の町テバエの王〔ボエオティアの都テバエと混同しないこと。巻三(4)〕。ヘクトルの貞節な妻アンドロマケの父。その七人の息子とともにアキレスに殺されたが、かれを尊敬していたアキレスは、その武器とともに手あつく葬った。
(34)→巻二(63)
(35)ヘルクレスとアウゲ(アルカディアの町テゲアの王アレウスの娘)との息子、ミュシアに移住し、そこの王となる。アキレスの槍によって受けた傷が治らないので、神託をうかがうと、この傷をあたえた者のみがこれを治すことができるであろうと告げられた。一方、ギリシア軍も、テレプスの道案内がなければトロイアに到着できないであろうとの神託を受けていたので、両者は和睦し、アキレスはその槍の錆でテレプスの傷を治し、テレプスはトロイアへの道を教えた。→巻一三の一七一行。
(36)→巻四(64)
(37)キュクヌスの父である海神ネプトゥヌス。
(38)キュクヌスは、白鳥の意。
(39)パラス・アテナ(ミネルウァ)女神は、トロイア戦争を通じてアキレスの守護者であった。
(40)→巻九(54)
(41)エリスのピュロスの王。ネレウス王の十二人の息子たちのひとり、ほかの兄弟たちはヘルクレスに殺されたが、かれのみは生きのこった〔巻二(148)、または五四二行以下〕。非常な長命にめぐまれ、アルゴナウタエの遠征〔巻六(134)〕やカリュドンの野猪狩り〔巻八(82)〕にも参加し、トロイア戦争にもそのふたりの息子とともに九〇隻の船をひきいて加わった。『イリアス』によると、円満な知恵で人びとの和をはかり、過去の自慢話を披露するのが好きな老人であった。
(42)北部テッサリアの一地方。
(43)→巻八(64)
(44)→巻二(44)
(45)テッサリアのラピタエ族の王。
(46)アキレスの父。
(47)テティス女神。
(48)→巻四(91)
(49)イクシオンの妻ディアがユピテルによってうんだ英雄ピリトウスのこと。→巻八(60)
(50)テバエにむかう七将の総帥アドラストゥス〔巻九(84)〕の娘。美人の聞こえたかく、以下に物語られるようにラピタエ族とケンタウルス族との戦いの原因になる。ペロプスの妻になる同名の女性〔巻六(87)〕とは別人。
(51)イクシオンがユノの似姿をした雲とまじわってうまれたとされる半人半馬のケンタウルス族のこと〔巻二(13)、巻四(91)〕。ピリトウスとケンタウルス族とは、父も母も異なるが、イクシオンとの関係から半兄弟のような間柄になる。
(52)→巻十一(117)
(53)ケンタウルス族のひとり。巻八(70)、巻九(26)のエウリュトゥスとは別人。
(54)アテナエの英雄〔巻七(95)〕。ピリトウスの親友として〔巻八(60)〕この婚宴に招かれていたもの。なお、ふたりは、この事件のあとそれぞれユピテルの娘を妻にしようと約束し、まずテセウスのためにヘレナ〔(5)、ユピテルとレダとの娘〕を誘拐し、これをテセウスの母アエトラのもとにあずけ、つぎにピリトウスのために、プロセルピナ〔巻五(89)、ユピテルとケレスとの娘〕を手に入れるために冥界にくだっていったが、冥界の王プルトにまんまと捕らえられてしまった。そのあいだにヘレナの双生兄弟のディオスクリ〔ポルクスとカストル、巻六(25)〕がアッティカに攻めこんで、へレナを奪いかえした(ヘレナがメネラウスの妻になったのは、その後のことである)。テセウスは、十二功業の最終課題としてケルベルス犬を連れだしにきたヘルクレス〔巻九(37)〕のとりなしで救いだされたが、ピリトウスをも救いだそうとすると大地がはげしく震動したので、ついに断念のやむなきにいたり、ピリトウスは冥界にとどまって永久にその罪をあがなわねばならなかったという。
(55)テセウス。
(56)ケンタウルスたちは、半人半馬の姿をしている。
(57)ペナテス〔家の神、巻一(51)〕をまつった神棚。
(58)→巻五(53)
(59)妖術によって月を地上に引きよせ、かくしてしまうことができる、と信じられていた(月蝕)。また月を空から引きおろして、薬草の上に月の妖力が露となって降りかかるようにしたり、月の色を赤くしたり、自由に月の位置を変えたりするのがとくにテッサリアの魔女たちの特技であるとされていた。このような妖術や異変をふせぐために、人びとは大声でわめいたり、打楽器をならしたりするのがつねである。
(60)狩人たちは、獲物を獣のからだの一部(頭とか足)を森の樹の上や家の切妻などにぶらさげて、狩猟の女神ディアナへの捧げものとした。
(61)この日は特別な祝祭なので、かまどがいくつも設けてあったと考えられる。
(62)巻八(68)と同一人物か。
(63)→巻九(44)
(64)→巻九(16)および九八行以下。
(65)→巻一(32)
(66)ぶどう酒は、水でうすめて飲んだ。
(67)→巻一(25)
(68)ピリトウス。(49)
(69)テセウス。
(70)ケンタウルス族は、半人半馬の姿をしている。
(71)→巻三(12)
(72)→巻八(69)
(73)ペレウス(アキレスの父)。
(74)半人半馬のケンタウルスの人間としての胸と、馬としての胸のふたつという意味。
(75)→巻六(25)、巻八(58)(100)。有名な名騎手で、かれの乗馬もキュラルスという名であったという。
(76)→巻七(2)。付近に森山が多い。
(77)ペルガムスともいわれ、トロイアの城壁。また、しばしばトロイアの町そのものをもさす。
(78)ラピタエ人のひとり。むろん鷲に転身したペリパス〔巻七(92)〕とは別人。
(79)ペリオン山〔巻一(31)〕にある渓谷部、またそこにある町の名。
(80)→(64)
(81)→巻八の三一五行および(86)
(82)→巻五(65)
(83)マケドニア人は、ふつうより長い槍を使った。
(84)カエネウスがまだ女であったときの名前(一八九行以下)
(85)テッサリアの町。カエネウスはここでうまれた。
(86)カエネウスの身体は、(武器にたいしては)不死身である(二〇五・六行)
(87)人と馬との。
(88)ケンタウルスたちは、ユノの姿に似た雲からうまれたにすぎないが、みずからをユノ女神の子であると誇称している。→(51)
(89)→巻二(44)
(90)トロイアの近くの山。
(91)予見者モプススのこと。→巻八(86)
(92)ネストルのこと。→(41)
(93)英雄ヘルクレスとアステュオケ(テスポロティアのエピュラ市の王ピュラスの娘)との息子、ロドス島の王。ヘレナの求婚者たちのひとりで(5)、九隻の船をひきいてトロイア戦争に参加した。
(94)アルケウスの孫の意で、ヘルクレスのこと。→巻九(6)
(95)ケンタウルス族のこと。
(96)トロイア王プリアムスとヘクバとの息子〔巻十一(124)〕。ヘクトルの兄弟で、トロイア軍第二の英雄。ヘクトルの死後、ギリシア軍に最も勇猛な抵抗をしめした。パリス(4)の死後、ヘレナを妻としていたが、メネラウス(128)に討たれる。
(97)トロイアのアポロの神官パントゥス(または、パントウス)の息子。ヘクトルとおなじ夜にうまれたといわれ、その親友。聡明さと能弁とにかけてトロイア随一の知将であった。ヘクトルの戦死後、ヘレナをギリシアに返すことを建策したが、容れられなかった。
(98)→巻六(92)
(99)ヘレクレスがピュロス王ネレウス〔巻二(148)〕の息子たちを殺したのは、かれが奪ってきたゲリュオンの牛たち〔巻九(36)〕をかれらがぬすもうとしたためで、ネストルだけは、これを諫止したために死をゆるされたという。また別説によれば、ヘルクレスがオルコメヌス〔巻五(130)〕の町を攻めたとき、ピュロスがオルコメヌスに味方したためだともいわれる。
(100)ネレウス王とその妻クロリス(オルコメヌス王アムピオンの娘)との長子、じつは海神ネプトゥヌスとクロリスとの子だともいわれる。海神より思いのままに変身する能力をさずけられていた。
(101)ネレウスの母テュロ〔巻二(148)〕は、娘のころテッサリアのエニペウス河神に恋し、その水流に胸の思いを打明けていたが、ネプトゥヌスは、エニペウスの姿に身をやつしてかの女と交わった。テュロは、ネレウスおよびペリアス〔巻七(63)〕という双生児をうんだ。かの女は、継母シデロ(サルモネウスの後妻)に虐待されたので、ふたりの子供を盥《たらい》に入れて河に流した。動物たちや牧人たちに育てられたふたりは、母に再会し、シデロを殺して仇をうった。オウィディウスは、ギリシア神話のなかでもとくに美しいこのテュロの物語を、どうしてか語り忘れてしまった。ソポクレスの有名な悲劇『テュロ』は、断片しか残っていない。
(102)ユピテルの聖鳥である鷲をさす。
(103)ヘルクレスのこと。→巻九(9)
(104)一説によると、ペリクリュメヌスは、最後に一匹の蜂になってヘルクレスの馬の軛にとまった。敵が近くにいることをアテナ女神に教えられたヘルクレスは、蜂をみつけて、指で圧し殺したともいう。
(105)しかし、実際は、ラピタエ人とケンタウルス族との戦いにヘルクレスは参加していなかった。かれがケンタウルス族と戦ったのは、エリュマントゥスの猪退治に行く途中のことである。→巻九(44)
(106)海神ネプトゥヌス。
(107)キュクヌス。→(22)
(108)白鳥のこと。かつて太陽神の息子パエトン〔巻一(137)〕の親友で、パエトンの死を悲しんでおなじく白鳥に化したリグリアのキュクヌス王の古事〔巻二(94)および三六七行以下〕にちなんだ表現。
(109)トロアス地方におけるアポロ神の別称。
(110)ユピテルのこと。アポロは、ユピテルの息子である。
(111)→巻十一の一九四行以下、巻九(53)
(112)→(77)
(113)オウィディウスは、ホメロスの『イリアス』によって周知のこととして述べていないが、トロイア最大の英雄ヘクトルは、アキレスとの一騎打ちに敗れ、死にのぞんで自分の死体を両親のもとに返すように頼むが、アキレスは、これを聞き入れず、死体を戦車にむすびつけてトロイアの周囲を三度引きずりまわしたのち、野ざらしにしてはずかしめた。
(114)かれが海のなかへやってくるならば、の意。
(115)アポロ。→巻一(79)
(116)→(4)
(117)アキレス。→(27)
(118)この矢は、アキレスの唯一の急所である踵(23)に命中した。
(119)→巻十一(124)
(120)パリスのこと。ホメロスは、『イリアス』においてかれを臆病者として描いている。
(121)→巻二(71)。ここではテルモドン河の付近に住むとされる女人戦士アマゾン族〔巻九(42)〕のことをいう。ヘクトルの戦死後、アマゾン族は女王ペンテシレアにひきいられて、トロイアの援軍に来ていた。アキレスは、これを討ち、ペンテシレアの右乳を刺してたおしたが、その死にぎわの顔の美しさに打たれたという。ドイツの劇詩人クライストに傑作『ペンテジレア』がある。
(122)トロイア軍。ペラスギ人たちは、ギリシア軍をさす。→(6)
(123)火と鍛冶の神ウゥルカヌスは、アキレスの母テティスの願いによって、かれのために立派な鎧をつくったが、いまその火によってかれの遺体を焼いた。
(124)冥界。→巻一(23)
(125)アキレスの遺品の武具をめぐって、ウリクセスと大アヤクスとのあいだに争いが起こった。詳しくは、巻十三の一行以下を見よ。
(126)アドラストゥスとともにテバエを攻めた七将のひとり〔巻九(84)〕。その子とは、アルゴス王ディオメデスのこと〔巻九(47)とは別人〕。アルゴス兵とともに八〇隻の船をもってトロイア戦争に参加。『イリアス』では、アキレスにつぐ英雄で、知勇兼備の将として描かれ、つねに智将ウリクセスと行動をともにしている。トロイア戦争後のかれについては、→巻十四(102)(103)および四五七行以下。
(127)ロクリス〔巻八(78)〕の町オプスの王オイレウスの息子(ギリシア名はアイアス)。アキレスにつぐ駿足をほこっていたが、その性格は、残忍で不遜であった。のちトロイアの王女カッサンドラを凌辱した〔巻十三(108)〕。小柄であったため、テラモンの子の大アヤクスにたいして小アヤクスとよばれる。
(128)アトレウスは、ペロプスとヒッポダメとの息子〔巻六(85)(87)(88)〕、アルゴリスのミュケナエ〔巻十五(71)〕の王、ピッテウス〔巻六(96)〕の兄弟。ミノス〔巻七(114)〕の子カトレウスの娘アエロペを妻としてアガメムノン(13)およびメネラウスの父となる。ここでアトレウスの子というのは、メネラウスをさす。かれはスパルタの王で、ヘレナの良人(5)。パリスがヘレナをうばったのは、メネラウスが母方の祖父カトレウスの葬礼に参加していた留守中のことであるといわれる。六〇隻の軍船をひきいて参戦し、兄アガメムノンの片腕として副大将格であった。宿敵パリスに一騎打ちをいどんだがウェヌス女神(4)に妨げられて相手を倒すことができなかった。ホメロス『オデュッセイア』によると戦争がすんでから八年の漂流ののち故郷に帰りつき、ヘレナと幸福な余生をおくったことになっている。
(129)ギリシア軍の総大将アガメムノン。
(130)サラミス王テラモン〔巻八(72)〕の子アヤクス(ギリシア名ではアイアス)をさす。十二隻の軍船をひきいて参戦、アキレスにつぐ闘将として有名。知と情にとぼしい欠点はあったが、アキレスの不参加によって危地におちいったギリシア軍を支えた功績は大きい。(127)の小アヤクスと区別して、大アヤクスとよばれる。詳しくは、巻十三の叙述を見よ。
(131)ラエルテスとアンティクレア〔巻八(84)〕との子ウリクセス(ギリシア名はオデュッセウス)のこと。イタカの王。妻ペネロペとの結婚については、(5)を見よ。ギリシア軍きっての智将で、また勇敢な戦士、ディオメデス(126)といつも作戦行動をともにした。巻十三に詳しい叙述がある。トロイア戦争後は、ホメロス『オデュッセイア』の主人公として世界各地を遍歴し、数々の冒険をかさねる。
(132)アガメムノン王のこと。かれの父アトレウスは、ペロプスの子であり、ペロプスはタンタルスの子であるから、かれはタンタルスの曾孫にあたる。→巻四(89)、巻六(85)(88)
(133)総大将アガメムノンはアルゴリス北部の町ミュケナエの王であったので、転じてアガメムノン配下の全ギリシアの将たちをアルゴリスの諸将といった。
[#改ページ]
巻十三
一 アキレスの武具をめぐる争い
さて、諸将が定められた席につき、そのまわりに群集がぐるりと円をえがくと、七枚皮の楯をもつ英雄アヤクス(1)は、やおら立ちあがった。こみあげる怒りを制することができず、くらい視線をシゲウム(2)の海岸とそこに碇泊している軍船とにむけていたが、やがて手をあげると、口をひらいた。〔一〜五〕
「わたしは、おお、ユピテル大神の名にかけて、ここに見えるわれわれの軍船のまえでわたしの言い分をのべようとおもう。この係争の相手は、あのウリクセスだ。かれは、ヘクトルの炬火《たいまつ》がはなった炎々たる焔に怖れをなして、いちもくさんに逃げることをいささかもためらわなかったような男だが、わたしは、その焔を喰いとめて、わがギリシアの艦隊をまもりぬいたのだ(3)。してみると、身を挺して戦うよりも、美辞麗句をならべたてて争っている方が、わが身は安全なのかもしれない。しかし、わたしは、どうも喋るのが得手ではない。かれが実戦を苦手とするのとおなじだ。わたしの真価は、マルス(4)の業《わざ》と戦いの庭において発揮されるのだが、かれは舌先三寸を身上《しんじょう》とする男だ。しかし、ギリシアの諸将よ、わたしは、自分の武勲をいまさら諸君に思いだしていただく必要はあるまいとおもう。諸君は、それを眼のあたりに見てくれたのだから。だが、ウリクセスには、かれのたてた手柄を語らせる必要があろう。それは、だれも目撃者がなく、夜だけがその証人だからである。わたしのもとめている褒賞が大きいものだということは、もとよりわたしも承知である。しかし、このような相手と争うのでは、せっかくの値打ちも半減するというものだ。ウリクセスごとき男がほしがったものを手に入れたとて、このアヤクスにとってなにほどの名誉になろう。この争いでは、かれは初めから得《とく》をしている。というのは、かれが負けても、なにしろ大アヤクスが相手だったから、と人びとはいうであろうからだ。〔六〜二〇〕
また、かりにわたしの勇気に疑いをもつ人があるとしても、わたしは、素姓の点においても、かれよりまさっておる。わたしは、かつてあの勇猛なヘルクレスの下にあってトロイアの城壁を占領し(5)、パガサエ(6)の港で造った船にのってコルキス(7)の浜までいったテラモンの息子なのだ。そして、テラモンの父は、アエアクスだ――アエオルスの子シシュプス(8)がたえず重たい岩に苦しめられているという地獄で物言わぬ亡者たちの裁判官(9)をつとめているあのアエアクスなのだ。偉大なユピテル大神も、このアエアクスをわが子とみとめ、おのが血をうけた者であることを公言している。だから、このアヤクスは、ユピテルから四代目にあたるわけだ。〔二一〜二八〕
だが、ギリシア人たちよ、もしあの偉大なアキレスもわたしとおなじ血統にぞくしているのでなかったならば、こんなことは、いまの係争になんの役にもたちはしないであろう。まことに、アキレスはわが兄弟(10)であった。わたしは、わたしの兄弟の遺品をもとめているのだ。いったい、シシュプスの血をうけて(11)、父親そっくりな奸智に長《た》けた、ウリクセスごときが、なんの資格があって縁もゆかりもない家柄をわがアエアクス一門にむすびつけようとするのだ。それとも、わたしはかれよりも先にこの戦いに馳せ参じ、しかも、だれかに仮面を剥がれるようなぶざまな狂言を演じなかったからといって、わたしにこれらの武具をこばむ理由になるであろうか。だれよりもおくれて武器をとったような男、かれよりも智謀にとんでいたが、かれほど利己主義者でなかったあのナウプリウスの子(12)に卑怯千万な策謀をあばかれ、いやいやながら戦場に引っぱられてくるまで、狂気をよそうて軍務をさけていたような男――こういう男の方が、わたしよりもこれらの武具を受けるにふさわしいと考えられるであろうか。かれは武器をとるのをいやがったから、最良の武器をもたせてやろうというわけであろうか。そして、わたしの方は、最初から数々の危険に身を挺して戦ったのに、名誉はさずけず、従兄弟の遺品も取りあげてしまおうというのか。いっそのこと、かれの狂気がほんものか、あるいは、ほんものと信じられておればよかったのだ。こんなけしからぬことばかり唆《そその》かす男はわれわれといっしょにプリュギアの城(13)へ来なければよかったのだ。そうすれば、おお、ポエアスの息子(14)よ、われわれは、きみをレムノスの島に置き去りにするような失態をやらかさなくてすんだのだ。聞くところによると、きみは、いまでも森の洞穴にかくれて、その呻き声で岩をもうごかし、ラエルテスの子(15)の上に自業自得の罰がくだされることを祈っているということだが、この世に神々がいますかぎり、きみの祈りはけっして徒《あだ》にはなるまい。そうなのだ、諸君、かたい誓いをたててわれわれとともにおなじ戦いに参加した勇者、わがギリシア軍の一方の旗頭、ヘルクレスの矢の相続者――かれは、いま病いと飢えとに憔悴し、鳥をとっては衣や食とし、トロイアをほろぼすべき運命をになった矢(16)を鳥を射るために使っているのだ。しかし、かれがまだともかくも生きておるのは、ウリクセスといっしょにいないからだ。あの不運なパラメデスも、どこかに置き去りにされた方がよかったとおもったにちがいない。そうすれば、いまも生きておれるか、すくなくとも罪人の汚名を着せられて(17)死ぬようなことはなくてすんだであろう。というのは、ウリクセスは、佯狂《ようきょう》をあばかれた怨みを執念ぶかく根にもって、かれがギリシア軍の機密を売ったと吹聴し、この事実無根の大罪の証拠として、あらかじめ自分がかくしておいた黄金をとりだしてきたのだ。こうして、ウリクセスは、罪もない同志を追放したり(18)死刑に追いやったりすることによって、二度までもギリシア軍の戦力を弱めた。つまり、ウリクセスは、こんなふうな戦い方をする、こんなふうにえげつない男なのだ。〔二九〜六二〕
たとえかれが弁舌にかけて誠実なネストル(19)にまさろうとも、かれがネストルを見すてた(20)ことがいかなる罪でもないなどとわたしを言いくるめることはできまい。あのとき、ネストルは、馬がやられて身うごきがとれなくなり、それに老齢のために疲れていて、ウリクセスに助けをもとめたのだが、ウリクセスは、戦友甲斐もなくかれを裏切ったのだ。わたしが無根の罪をウリクセスになすりつけようとしているのでないことは、テュデウスの子(21)がよく知っているはずである。かれは、なんどもウリクセスの名をよび、臆病な友にむかって卑怯な弱腰を詰《なじ》ったのだ。ネストルの救いをこばんだかれは、こんどは自分が救いをもとめる番になり、友を見すてたために、自分が見すてられる破目になってしまったのだ。自分で自分の判決をくだしたようなものだ。かれは、大声で味方をよんだ。わたしが駈けつけてみると、かれはぶるぶるとふるえ、怖ろしさのために蒼白になり、眼前にせまった死におびえているではないか。わたしは、すぐさま大きな楯をさしだして、たおれているかれを擁護し、この臆病者の命を救ってやったのだ(22)。いや、べつにたいした手柄でもないことだが、ウリクセスよ、これでもまだわたしと争おうというのなら、もう一度あの場所へ引返してみようじゃないか。敵もきみの傷もいつもの臆病心もあのときのとおり復元して、わたしの楯のうしろにかくれ、そのかげでわたしと争ってみるがよい。ところが、わたしが危機を救ってやるやいなや、いままで傷のために腰もあげられなかったこの男は、まるで傷なんかどこにもなかったみたいに、どんどん走って逃げだしたのだ。そこへ近づいてきたのが、ヘクトルだった。しかも、かれは、この戦いに神々の後盾を得てあらわれたのだ(23)。かれが突き進むところ、ウリクセスよ、きみだけでなく、勇敢な人びとでも怖れおののいた。それほどかれは恐怖の的だったのだ。しかし、わたしは、かれが血なまぐさい勝利に得々としているのを見ると、遠くから大きな岩を投げて仰向けに倒してやった。そして、かれが一騎打ちをいどんできたとき、敢然としてその相手になったのは、このわたしひとりだった。アカイア人たち(24)よ、諸君は、籤《くじ》がわたしにあたるようにと祈ってくれたし、神々もその祈りを聞き入れてくださった(25)。この一騎打ちの結末はといえば、わたしは断じてヘクトルに負けはしなかった。すると、トロイア軍は、ユピテル大神をともない、手に手に剣や炬火をもってわれわれの軍船めがけて押しよせてきた。このとき、能弁屋のウリクセスは、いったいどこにいたのだろうか。むろん、わたしは、諸君の帰国の希望である幾千の軍船をこの胸でまもりぬいた。諸君、かくも多くの軍船の代償としてでも、この武具をわたしにあたえてもらいたい。ほんとうのことをいえば、それは、わたし自身よりもこの武具にとってより大きな栄誉になることなのだ。この武具の栄誉は、わたしの栄誉ときりはなすことができない。この武具にとってアヤクスが必要なのであって、アヤクスがこの武具をもとめているのではない。〔六三〜九七〕
このようなわたしの手柄と張り合うために、イタカの男(26)は、あのレスス(27)や臆病なドロン(28)を殺した話でも、プリアムスの子ヘレヌス(29)を捕えた話でも、あるいはパラスの神像(30)をぬすみだした話でも引き合いにだすがよい。かれのしたことは、なにひとつとして昼間におこなわれたことはないし、ディオメデスの協力なしでなされたこともない。もし諸君がこのようなとるにたりない手柄にたいしてアキレスの武具をあたえようというのであれば、せめてそれを二分して、大きい方をディオメデスにあたえるがよい。それにしても、いつもこそこそと人目をしのんで武器をもたずに行動をし、不注意な敵を策略にひっかけることしかしらぬイタカ野郎に、このアキレスの武具がなんの役にたつだろうか。燦然と黄金にきらめくこの兜をかぶっていたら、その輝きのために待伏せを見やぶられ、隠れ場所を見つかるだけのことではないか。それに、ドゥリキウム男(31)の頭なんぞがアキレスの兜をかぶれば、とても重くてやりきれまいし、ペリオン(32)の山の樹でつくったその槍は、かれの軟弱な腕には厄介な重荷以外のなにものでもないし、無際限な宇宙の森羅万象《しんらばんしょう》を彫りつけたこの楯(33)は、奸策にだけ役だつような臆病な手には不釣合いでしかあるまい。この恥しらずめが、きさまの力を弱めるにすぎないようなものをなぜほしがるのだ。たとえアカイア人たちがまちがってこれらの武具をきさまにあたえたとしても、それはきさまが敵に剥ぎとられる理由にはなっても、敵を怖れさせるには役だつまい。あわれな卑怯者よ、逃げることにかけてはだれにも負けなかったきさまだが、こんな重たい荷物をひきずっていたのでは、これからは自慢の逃げ足もおそくなるぞ。それにまた、そこにもっているきさまの楯は、ほとんど戦いに使ったことがないから、まだすこしも痛んでいないではないか。ところで、おれの楯は、槍をふせぐために幾千となく傷をうけてやぶれてしまったから、新しいのととりかえなくてはならんのだ。いや、もうこれ以上無駄口を弄していることはない。われわれに実際に腕くらべをやらせてみればよいのだ。この英雄の武具を敵のまっ只中に投げこみ、ふたりにそれを取って来させ、首尾よく取ってきた者に褒美としてあたえたらよいではないか」〔九八〜一二二〕
テラモンの息子は、このように語りおわった。かれの最後の言葉に一同はざわめきたった。このとき、ラエルテスの子なる英雄は、やおら立ちあがった。しばらく眼を伏せていたが、やがて将軍たちの方に視線をむけると、口をひらいて、一同が待ちかまえている演説をはじめた。そのみごとな弁舌には優雅なおもむきさえ欠けていなかった。〔一二三〜一二七〕
「おお、ペラスギ人(34)たちよ、もし神々がわたしや諸君の切なる願いを聴許されていたならば(35)、この偉大な武具をだれが受けつぐかというような争いはけっして起こらなかったであろうし、おお、アキレスよ、きみはこの武具をいまなおもっていたであろうし、われわれもきみを失うことはなかったであろう。しかし、苛酷な運命がわたしからも諸君からもかれを奪いさってしまった以上は」と、ここでかれは、まるで涙がこみあげてきたかのように眼をぬぐった。
「この偉大なアキレスの武具を贈らるべき者は、偉大なアキレスをギリシア軍に贈った者以外にだれがあろうか。ただ、わたしの相手がいかにも愚鈍に見え、事実またそうであることが、かえってかれの取柄《とりえ》になったり、わたしが、ギリシアの人たちよ、諸君のためにつねに役立たせてきた才覚が逆にわたしの損失《あだ》になったりするようなことのないようにしてもらいたい。そして、かりにわたしが弁舌に長《た》けているとするならば、わたしはその雄弁をこれまでは諸君のために生かし、いまそれをわたし自身の弁明のために活用しようとしているのだが、どうか嫉《ねた》みごころからわたしの雄弁にけちをつけるようなことはやめていただきたい。だれにしても、おのれの長所を堂々と発揮できなければ嘘ではないか。門地だとか、素姓だとか、およそわれわれがみずからなしとげたのでないものは、わたしにいわせれば、ほんとうに自分のものではないのだ。とはいえ、これはアヤクスがユピテル四世の孫だなどと名のるからあえていうのだが、わたしの家系も、ユピテルの血をうけているのであって、わたしも、アヤクスとおなじくユピテルから四世目にあたるのだ。つまり、わたしの父はラエルテスであるが、ラエルテスの父はアルケシウス(36)であり、アルケシウスの父こそユピテルにほかならない。しかも、このなかには、ひとりとして罪の宣告を受けたり、追放に処せられたような者はいない(37)。それに、母方からも、キュレネの神(38)がもうひとつの高貴な血筋としてこれに加わっている。だから、わたしの両親は、それぞれ神を祖父としている。けれども、わたしが母方の血統においてアヤクスよりもすぐれているからとか、わたしの父がその兄弟の血をながさなかったからというような理由で、わたしはこの問題の武具を得ようというのではない。この係争は、各人の功績に照らして判定してもらいたい。ただ、テラモンとペレウスとが兄弟であったというようなことは、なにもアヤクスの功績ではないのであるし、この武具の相続人をきめるにあたって配慮すべきは、血の遠い近いではなく、あくまで個人の価値でなくてはならない。血の濃さや近親の相続者をもとめるのならば、アキレスの父ベレウスがいるし、また息子ピュルス(39)がいるではないか。アヤクスごときにどんな権利があるというのだ。これらの武具は、プティア(40)かスキュルス(41)に送りとどけるがよい。それに、テウケル(42)もアヤクスとおなじようにアキレスの従兄弟にあたるが、かれはこの武具をのぞむであろうか。また、たとえのぞんだとしても、はたして手に入れることができるであろうか。だから、つまり、この争いにおいて大事なのは、わたしたちがどのような手柄をたてたかということであるから、わたしの業績は枚挙にいとまがないほど多いけれども、とにかく順序を追って話すことにしよう。〔一二八〜一六一〕
アキレスの母であるネレウスの娘(43)は、わが子の死の運命をあらかじめ知っておったので、息子に女の服装をさせてごまかしておいた(44)。すべての人びとは、アヤクスもそのひとりだが、このいつわりの服装にすっかりだまされた。そこで、わたしは、女持ちのいろんな品物のなかに男の子の気持をそそるような武器をまぜておいた。すると、この英雄は、まだ若い女の着物をきたままでいたのに、手をのばして楯と剣をとりあげたので、わたしはこういったのだ。『女神の息子よ、ペルガマ(45)はあなたの手にほろぼされようとして待っている。あの強大なトロイアを抜くのに、なにをあなたはぐずぐずしておるのだ』こういって身柄をあずかると、この英雄を戦いの庭に送りこんだのだ。だから、かれの武勲は、とりもなおさずわたしの手柄だといってよい。戦場で槍によってあのテレプス(46)をたおし、かれの願いによってその傷を治してやったのも、わたしだといってよい。テバエ(47)の町が落ちたのも、わたしの力だし、レスボス(48)、テネドス(49)、クリュセ(50)、キラ(51)などのアポロの町々、さらにスキュルス(52)をおとしいれたのも、わたしだといえる。リュルネスス(53)の城壁を破砕したのも、わたしの手だと考えてもよい。また、ほかの勇士たちのことはさておき、あのおそるべきヘクトルをたおすことのできた英雄を諸君にあたえたのは、わたしであり、したがって、勇名とどろくヘクトルが敗れたのも、わたしによってだといえる。だから、アキレスを見つけだすのに用いたあの武器の代償として、わたしはこれらの武器を要求するのだ。生前のかれにわたしは武具をあたえた。かれが死んだいま、わたしはそれをとりもどすのだ。〔一六二〜一八〇〕
ただひとりの男の心痛(54)がすべてのダナイ人(55)のこころにのりうつり、一千艘もの軍船がエウボエアの島をのぞむアウリス(56)の港に勢ぞろいしたとき、待てど暮らせど風は吹かず、たとえ吹いても、船出する方向にたいして逆風ばかりであった。このとき、苛酷な神託は、アガメムノンがその罪のない娘(57)を情けしらずのディアナ女神にささげることを要求したのだった。しかし、アガメムノンは、これをこばみ、神々にたいして怒りをおぼえた。王は、父としての私情をどうしてもすてることができなかったのだ。この父を説きふせて、公事のために私情をすてさせたのは、じつはわたしであった。率直にいって(アトレウスの子(58)も、この率直さをゆるしてくれるとおもうが)、自分の利Qがそれにかかっているような審判官(59)に是非をわきまえさせるというのは、なみたいていの苦労ではなかった。しかし、民衆の利益を考えさせ、かれの弟(60)の不名誉およびかれにゆだねられた総指揮権のことをもちだして、ついに名誉をあがなうためにその血をわけた娘をささげる決心をさせたのだ。しかし、わたしはまた、娘の母(61)のもとに使者として派遣されたが、これは説きふせるのでなく、策略をもってだまさなくてはならなかった(62)。もしこのときわたしでなくアヤクスが使者になっていたならば、わが軍の艦船は、いまになってもまだアウリスから順風に帆をあげることはできないでいることだろう。また、わたしは、勇敢な軍使としてイリオンの城に派遣され(63)、高いトロイアの都の議事堂をおとずれ、そこに足をふみ入れた。堂内には、まだたくさんの勇士たちがひかえていた。わたしは、臆することなくギリシア軍の総連合がわたしに託した使命をのべ、パリスを責め、かれが奪いさったものとヘレナとの返還をもとめ、プリアムスおよびかれの同心であるアンテノル(64)を説得した。しかし、パリスとその兄弟たち、さらにさきの掠奪に手をかした連中は、いまにもその罪ぶかい手でわたしたちに打ってかかろうとしていたのだ。メネラウスよ、あなたは、このことをよくご存じのはずだ、そして、これは、わたしがあなたとともに危険をしのいだ最初の日であった。〔一八一〜二〇四〕
この長期にわたる戦争のあいだにわたしが智謀と実行とによって諸君のためにつくした数々のことがらを語るには、ながい時間が必要であろう。そもそも敵は、初期の会戦以来長いあいだ城内にたてこもって、堂々と雌雄を決する機会がまったくなく、ついに戦いは十年目をむかえるにいたったのである。アヤクスよ、戦うことよりほかになにも知らないきみは、このあいだ一体なにをしていたというのか。どんなことに役だったというのか。わたしがなにをしたかと反問するならば、わたしは答えよう。わたしは、たとえば、敵方に伏兵をはなち、わが方の陣営の塹壕のまわりに堡塁《ほうるい》をきずき、長期戦の労苦を冷静に耐えぬくよう味方の将兵をはげました。糧食をととのえ、装備をかためる方法も教えたし、また、そのときどきの必要に応じて、方々に使者として出向きもした。ところが、そのうちにわれわれの王(65)は、ユピテルの神意によってあらわれたという夢にたぶらかされて、われわれがせっかくこれまでもちこたえてきた戦いをやめるようにとの命令をくだしたのだ。愚劣きわまる命令ではあったが、王にすれば、ユピテルの神意にもとづいてしたことのなのだから、それなりに筋が通っていた(66)。しかし、アヤクスは、これに同意してはいけなかった。かれこそは、ペルガマ攻略を要求して、あくまで戦うべきであったのだ。なにはできなくても、戦うことだけはできる男なのだから。なぜかれは浮き足だった味方をとめなかったのか。なぜみずから武器をとって、尻ごみをする兵士たちに範をしめさなかったのか。日ごろ大きな口ばかりたたいている男にすれば、こんなことぐらい朝飯まえのことではなかったか。ところが、なんとしたことか、かれもおなじように逃げ仕度をはじめたではないか。アヤクスよ、わたしは、きみが敵に後を見せて、おめおめと帆をととのえているのを、この眼で見たのだ。そして、それを見たことを恥かしくおもった。そこで、すぐさまこう叫んだ。『きみらはなにをしているのだ。戦友たちよ、きみらはなにを血迷って、すでにわれわれの掌中にあるトロイアを放棄しようとしているのだ。十年もかかったあげく、不名誉のほかになにを故国への土産にしようというのか』悲憤そのものがわたしを雄弁にさせたこれらの言葉や、またそのほかの言葉によって、わたしは、まさに出帆しかけていた艦船から逃げ腰の連中をつれもどしたのだ。アトレウスの子は、おびえた将兵たちに集合を命じた。このときになっても、テラモンの子は一言も口をひらかなかった。テルシテス(67)が悪態《あくたい》をついて王たちに喰ってかかったとき、すぐさま罰をくらわしてやったのも、わたしであった。わたしは、立ちあがって、臆病風にとりつかれた味方の敵愾心をあおりたて、いろいろ言葉をつくして沮喪《そそう》した士気をふたたびとりもどさせたのだ。それ以後この男(68)は、いろいろと勇ましい手柄をたてたように見えるが、もとをただせば、それらはみな逃げ足だっていたこの男をつれもどしたわたしの功績ということになるのだ。それはそれとして、わがダナイ人たちのなかに、きみをほめ、きみを仲間にしたがっている者があるだろうか。これにひきかえ、わたしはというと、テュデウスの子(69)は、なにをするにつけてもいつもわたしを相棒にし、わたしを真友とおもい、戦友ウリクセスをつねに信頼してくれた。ディオメデスが幾千のギリシア人のなかからただひとりわたしだけをえらびだすというのは、それだけのわけがあるからだ。それに、わたしがトロイアの城に忍びこんだのも、べつに籤びきなどによってきめられたことではない(70)。わたしは、夜と敵との二重の危険をもものともせずに出かけていって、途中でわれわれとおなじく斥候に出ていた敵方のプリュギア人ドロンを殺した。しかも、相手に秘密をすっかり白状させ、狡猾なトロイアがたくらんでいることを探知した上で、殺したのだ。これで、わたしはなにもかも知った。だから、これ以上探らねばならないようなこともなく、約束された名誉を身につけてひきかえしてもよかったのだ。しかし、わたしは、それだけでは満足せず、さらにレススの陣屋にまで押し入って、かれを従者もろともその寝床のなかでやっつけた。こうして首尾よく所期の目的をはたすと、分捕った戦車にうち乗って、まるで意気揚々と凱旋でもするように帰ってきたのだった。敵方の斥候は、夜の仕事の褒賞にアキレスの馬どもを要求していたというが(71)、諸君がいまおなじアキレスの武具をわたしにこばむとしたならば、諸君よりまだしもアヤクスの方がわたしに親切であるというものだ(72)。〔二〇五〜二五四〕
あのリュキアのサルペドン(73)の一隊をわたしの剣で薙《な》ぎたおしたときのことは、いまさら述べるにもおよぶまいが、あのときわたしは、イピトゥスの子コエラヌス(74)、アラストル、クロミウス、アルカンデル、ハリウス、ノエモンおよびプリュタニスらを血の海のなかにたおし、さらにケルシダマス、トオン、カロプスおよび情けしらずの運命に追われてきたエンノムスを血祭にあげ、そのほか名もない多くの雑兵どもが城壁のまえでわたしの手によって冥界に送りこまれた。おお、戦友諸君、わたしもまた、勇士としてけっして恥かしくない場所にいつくかの傷をうけたのだ。諸君は、けっしていたずらな言葉だけで判断してはならない。さあ、これを見てくれたまえ」そういって、ウリクセスは、手ずから衣の胸をひらいてみせ、「これこそ、つねに諸君の利益のために活躍してきた胸だ。しかるに、あのテラモンの子のごときは、このながい歳月のあいだ味方のために一滴の血も流さず、一個所の傷も受けていない。かれは、ペラスギ人の艦隊をまもるためにトロイア軍とユピテル(75)とにたいして武器をとったと自慢しておるが、そんなことがなにになろう。わたしは、かれが武器をとったことはみとめる。なにしろ、わたしは、他人の功績を悪意をもって傷つけるようなことはできないたちだから。しかし、かれは、みんなの手柄を自分ひとりだけのもののようにいうべきではない。諸君にもいくらかの名誉をみとめるのが当然というものだ。わが軍の艦船がこれをまもる兵士もろともあわや焼きはらわれようとしたとき、トロイアの軍勢を追いはらったのは、アキレスに変装したアクトルの孫(76)であったのだ。また、アヤクスは、武器をとってヘクトルと渡りあったのは自分ひとりであるような顔をしておるが、われわれの王や諸将、さらにこのわたしのことをまるで忘れてしまっている。かれがこの一騎打ちの候補に名のりでたのは、九人目であって、しかもかれが選ばれたのは、まったく籤運がよかったからにすぎない。しかし、ギリシア最強の勇士とやら、きみの一騎打ちの結果はどうだったのだ。ヘクトルは、傷ひとつ受けなかったではないか(77)。〔二五五〜二七九〕
ああ、ギリシアの砦《とりで》ともいうべきアキレスが討死をとげたときのことを思いだすと、わたしの胸は、はげしい悲しみにみたされる。わたしは、あのとき、涙も悲しみも恐怖もわすれて、すぐさま地面からかれの死体をだきあげて帰ってきたのだった。この肩、そうだ、この肩にアキレスの遺体を武具もろともにかついできたのだ。そして、その武具をいまもなお身につけたいと願っているのだ。わたしには、このような重たい武具に耐えられるだけの力があり、また、諸君がわたしにあたえてくれるこの褒美の価値を相応に感じとることのできるこころがあるのだ。いったい、あの海の女神であるアキレスの母(78)は、武骨で血のめぐりのわるい戦士が着るようにとあの天の贈物、あの神技によってつくられた逸品の武具を、わが子のために所望したのであろうか。このアキレスの楯にきざまれたみごとな宇宙の諸相――大洋、大地、天空にかがやく数々の星辰、プレアデス星団、ヒュアデス星団、けっして海に沈むことのない熊星座、さまざまな都城、オリオンのかがやかしい剣など、あの男は、これらのものを理解する能力をまったく持ちあわせていない。かれは、自分にすこしも理解できないものをほしがっているのだ。それだけではない。かれは、わたしが戦争のつらい勤務をいやがって、すでにはじまった戦争におくれて参加したといって非難しているが、それがあの偉大なアキレスをも侮辱していることになるのだということに気づいていないのであろうか。もしきみが偽装を罪だというのならば、わたしだけでなく、アキレスもこの罪をおかしたことになる(79)。また、もし遅参が落度だとしても、わたしはアキレスよりは早く来ているのだ。わたしは愛する妻に、アキレスはやさしい母にひきとめられていたのである。しかし、妻や母にささげたのは、この戦争の最初の期間だけであって、それからあとの期間は、すべて諸君のためにささげたのだ。おそらくこの申し開きは立つまいが、それでもあのような英雄といっしょに非難されるのであれば、わたしはすこしもいとわない。とにかく、アキレスの変装を見やぶったのは、ウリクセスの炯眼であったが、ウリクセスのそれを見ぬいたのは、けっしてアヤクスの炯眼ではなかったのだ。〔二八〇〜三〇五〕
われわれは、アヤクスがわたしにたいして数々の愚かしい中傷の言葉を投げつけたことに、おどろいてはならない。かれは、諸君にたいしてもいろいろと無礼な言葉を吐いたからだ。いったい、無根の罪をなすりつけてパラメデス(80)を告発したことが、わたしにとっては恥ずべき行為であり、そのかれを断罪したことが、諸君にとってはりっぱな振舞いであったというようなとんちんかんなことがありえようか。しかし、あのナウプリウスの子(81)は、自分のゆゆしい、明白な大罪をついに釈明することはできなかったのだし、諸君にしても、たんに風聞によってかれの裏切りを知ったのではなかった。諸君は、それをわが眼で見たのであって、証拠は歴然としておったのだ。また、ポエアスの子(82)がウゥルカヌス島レムノス(83)に置きざりにされたことについても、わたしがとやかく非難がましいことをいわれるのは心外である。諸君は、諸君の行為の弁明をするがよい。なぜなら、諸君はそれに同意したからである。わたしは、戦争と軍旅のつかれから解放され、安静にしてそのはげしい痛みを癒すようつとめるがよいとかれにすすめたことを、否定しようとはおもわない。かれは、わたしの忠告にしたがった。それで、いまでも生きておるのではないか。わたしの忠告は、たんに善意であったばかりではない。善意であったというだけでも十分な弁明になるわけだが、それは有効でもあったのだ。ところで、予言者たちは、ペルガマを陥落させるにはピロクテテスをつれて来なければならぬといっているが(84)、かれを迎えにいく役目は、どうかわたしに指名しないでもらいたい。それよりも、テラモンの子が出かけていって、病苦と憤怒で狂いたっている男をその雄弁でなぐさめるなり、なにか巧妙な策略でおびきだすなりする方がよさそうだ。けれども、シモイス(85)の水がさかさまに流れ、イダの山に木の葉が一枚もなくなり、アカイア(86)がトロイアに助太刀を約束するようなことにでもならないかぎり、わたしの才覚が諸君の利益のためにはたらかなくなり、逆にアヤクスの弱い頭がダナイ人たちのために役だつような日は、けっして来ないであろう。怨みにもだえるピロクテテスよ、きみは、戦友たちや王(87)やわたしをいくらでもはげしく憎むがよい。いくらでもわたしを怨み、わたしの頭上にたえず呪《のろ》いをふりかけるがよい。わたしが怒れるきみの手にかかって血をながし、また、きみがわたしの思うがままになったように、わたしもきみの自由になればよいと、いくらでも願うがよい。しかし、それでも、わたしは、きみのもとを訪れて、きみをいっしょに連れもどすために万策をつくすであろう。そして、もし運命が味方してくれるならば、なんとしてでもきみの矢を手に入れてみせるであろう。それは、わたしがダルダニア(88)の予言者をとらえて捕虜にし、神々のお告げとトロイアの運命を聞きだし、また、敵中ふかく潜入して神殿の最奥に安置してあったプリュギアのミネルウァ像(89)をまんまと手に入れたのとおなじく、まったく確実なことだ。アヤクスは、このようなわたしと比肩できるというのだろうか。いまさらいうまでもないことだが、この女神像を手にいれなければ、運命は、われわれがトロイアを陥落させることを許してくれなかったのだ。あのとき、勇敢なアヤクスはどこにいたのだ。この勇ましい英雄のご立派な言葉は、どこへいったのだ。アヤクスよ、きみはいまなにをそんなに不安顔をしているのだ。大胆にも敵の歩哨線を突破し、闇に身をかくして、おそろしい剣にも臆せず、トロイアの城壁のみか、城の頂上にまでしのびこみ、そこの神殿から女神の像をうばいとり、ふたたび敵中をくぐって味方の陣営までもちかえる――このウリクセスは、なぜこのような不敵千万なことをやってのけたのか。もしわたしがみごとにそれをやってのけなかったとしたならば、テラモンの子が左の腕に七枚の牛皮をはった楯をもっていたところで、なんの用をなそうか。トロイア征服は、あの夜わたしがかちとったものなのだ。あの夜わたしが陥落のお膳立てをこしらえあげたとき、ペルガマはわたしに征服されたのだ。〔三〇六〜三四九〕
妙な眼くばせをしたり、ぶつくさ内緒話しをしたりしていまさらわたしの友人であるテュデウスの子(90)のことを教えてくれなくともよい。むろん、栄誉の一半は、かれのものだ。しかし、きみだって、わが軍の艦船をきみの楯でまもったときは、けっしてきみひとりではなかった。きみのそばには、大勢の味方の軍勢がいたのだ。が、わたしの場合は、味方はたったひとりだ。もしこのディオメデスが、武勇も才智にはおよばず、たんに無敵の腕前だけではこの褒賞に値せぬことを知らなかったならば、当然かれも名のりをあげてこれを要求するであろう。いや、かれだけではない。きみよりもずっと謙虚な、もうひとりのアヤクス(91)も、勇猛なエウリュピュルス(92)も、有名なアンドラエモンの息子(93)も、またおなじようにイドメネウス(94)も、かれと故郷をおなじくするメリオネス(95)も、あるいはアトレウスの弟息子(96)も、ひとしくそれをのぞむであろう。というのは、これらはみな勇敢な戦士であり、マルスの業《わざ》にかけてはわたしに劣らぬ人たちばかりだからである。しかし、かれらは、わたしの才智に一歩ゆずったのだ。きみの右腕は、戦争には役だつであろう。しかし、きみの頭は、わたしが操縦してやらねばならない。きみには力はあるが、その力には頭脳が欠けている。わたしには、先のことまで見通す聡明さがある。きみは、戦うことはできる。しかし、戦う時機をアトレウスの息子たち(97)がきめるのは、わたしに相談してのことだ。きみは、たんに肉体によって役だつだけだが、わたしは知力によって役だつのだ。船の舵《かじ》をとる者が漕手よりも上役であるように、また、指揮官が兵卒よりもすぐれているように、ちょうどそれとおなじだけわたしの方がきみよりもまさっているのだ。およそ人間のからだにおいて、頭は手よりも重要だ。すべての生命力は、頭から来るのだ。〔三五〇〜三六九〕
諸将たちよ、諸君は、諸君の忠実な見張り役に、いまこそ褒賞をあたえるべきである。わたしが長年のあいだ身心をすりへらしてきた労苦にたいして、その功績の当然の褒美としてこの名誉をどうかわたしにさずけてほしい。いまや、われわれの辛苦も、終りに近づきつつある。わたしは、運命のさまざまな障碍をすでに排除した。こうしてペルガマの城壁が陥落するための条件をととのえたことによって、それはすでにわたしの力によってわが軍の掌中におちいったも同然なのだ。いまのわれわれに共通な希望と没落を目捷《もくしょう》にひかえたトロイア軍の城壁とにかけて、わたしが最近敵の手からうばってきた神々(98)にかけて、また、これから賢明に処置しなくてはならないすべてのことにかけて、わたしは諸君にお願いするが、危険をおかして敢行されねばならないような冒険がひとつでも残っているならば、諸君がトロイアの滅亡になお欠けているものがひとつでもあるとおもうならば、どうかわたしにそれを指摘していただきたい。もし諸君がこれらの武具をわたしにくれないというのならば、むしろそれはこの女神にささげるがよい」そういって、ウリクセスは運命を左右するミネルウァの像を指さした。〔三七〇〜三八一〕
なみいる将領たちは、ウリクセスの言葉にこころをうごかされた。雄弁の力は、みごとに成功をおさめた。偉大な英雄の武具をえたのは、能弁を誇る男であった。しかし、ただひとりでヘクトルと渡りあい、剣戟や火焔やユピテルにさえいくども抵抗した男(99)は、内心の憤怒には抗することができなかった。この無敵の英雄も、こころの苦痛には敗れたのである。かれは、剣をつかむと、「すくなくともこの剣は、おれのものだ。いかにウリクセスでも、これまでほしいとはいうまい。この剣は、おれがおれ自身のために必要なのだ。プリュギア人たちの血をいくどとなく吸ったこの剣は、いまその持主の血を吸おうとしている。見よ、アヤクスを倒すことのできる者は、アヤクスのほかにはないのだ!」こうさけぶと、かれは、これまでかすり傷ひとつ受けたことのないその胸に、するどい剣先を刃《やいば》のとどくかぎり突きさした。このふかく突きささった剣をだれの手もひきぬくことができなかったが、ほとばしる血潮がそれをおしだした。血に赤くそまった大地は、みどりの芝生のなかから、むかしオエバルス(100)の子の傷口からうまれでたとおなじ真紅の花を咲かせた。その花弁のまん中には、かの少年にもこの英雄にも共通な文字(101)があらわれていた。この文字は、少年の場合は嘆きの声をあらわしているが、この英雄の場合はその名前のはじめの文字をあらわしている。〔三八二〜三九八〕
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二 王妃ヘクバの最期
さて、アキレスの武具をめぐる争いの勝利者は、ティリュンスの矢(102)をもちかえるために、かのヒュプシピュレ(103)と有名なトアス王との故郷、つまり、むかし男たちをみな殺しにしたことによって悪名のたかい土地へと船で出かけた。そして、かれがその矢とともにその持主をもギリシア軍のもとにつれかえったとき、ついにこの長い戦争に最後の決着がつけられることになった。
トロイアとともに、その王プリアムスもほろびた。不幸なプリアムスの妃(104)は、すべてのものを失ったのち、人間の姿をも失って(105)、ヘレスポントゥスのながい海峡が両岸にせばめられているあたりで、これまで発したこともない吠え声を異国の空にひびかせた。
イリオン(106)は、炎上した。猛火は、なおもつづいていた。ユピテルの祭壇は、老プリアムスの乏しくなった血をすすった(107)。ポエブス神の巫女《みこ》は(108)は、頭髪をつかんで引きずりだされ、手を天にむかってさしのべたが、助けは来なかった。ダルダニア(109)の女たちは、炎につつまれた神殿にあつまって、祖国をまもる神々の像に最後の瞬間までとりすがっていたが、やがて勝ちほこったギリシア兵たちは、かの女たちを戦利品としてこれ見よがしにひきたてていった。アステュアナクス(110)は、かれのために戦い、父祖の国をまもってくれる父の奮戦ぶりをよく母に教えられつつ塔の上から眺めたものであったが、そのおなじ塔のてっぺんから投げおとされた。〔三九九〜四一六〕
すでに北風《ボレアス》は、出帆をうながしていた。順風になぶられて、帆布ははたはたと音をたてていた。船人は、この風を利用することをすすめた。「トロイアよ、さようなら! わたしたちは、遠い国につれていかれるのだ!」と、トロイアの女たち(111)はさけびながら、大地に接吻をし、祖国のもえさかる家々から別れていった。見るもあわれなヘクバは、最後に船にのったのであるが、自分の子供たちの墓にいるところを見つけだされたのだった。悲しい墓石を抱きかかえ、その遺骨に接吻しているところを、ドゥリキウム兵(112)の手がひきずっていった。しかし、かの女は、ヘクトルの灰だけを土のなかからすくいあげ、それをふところに入れてたずさえていった。そして、ヘクトルの墓の上には、自分の頭から抜きとった白髪をのこし、髪の毛と涙をまずしい供物としたのであった。〔四一七〜四二八〕
トロイアのあるプリュギアの地の対岸に、ビストネス人(113)たちの住む国があり、ポリュメストル王(114)の豪華な宮殿がそびえていた。ポリュドルス(115)よ、おまえの父は、ひそかにおまえをこのポリュメストルにあずけて養育をたのみ、プリュギアの戦禍からおまえを遠ざけたのであった。そのさい、ポリュドルスの父が犯罪のもとになり、貪欲なこころをそそるような莫大な財宝をつけてよこさなかったならば、賢明な心づかいというものであったにちがいない。というのは、プリュギアの運命が終りを告げるやいなや、この強欲なトラキア人の王は、剣をとって、育て子の喉につきさしたからである。そして、大罪が露見するのをおそれて、その遺骸を高い岩の上から脚下のさかまく怒涛のなかに投げこんでしまった。〔四二九〜四三八〕
さて、アトレウスの子(116)は、海がしずまり、順風がおこるのを待つために、トラキアの浜辺に船をつないでいた。そのとき、突然、大地が大きく裂けると見るまに、アキレスが、生きていたときいつもそうであったようなおそろしい姿をし、威嚇するような顔つきであらわれた。それは、かつてかれに不正な仕打ちをしたアガメムノンにむかって、怒りにかられて剣をふるおうとしたとき(117)の顔つきにも似ていた。かれは、こういった「アカイア人たち(118)よ、きみたちは、こうしてわしのことなどわすれて出発するのか。わしの勇猛さにたいする感謝の念は、わしの遺骸といっしょに葬りさったというわけか。それはやめたまえ、諸君。わしの墓が栄誉なき墓とならないように、ポリュクセナ(119)をいけにえとして、アキレスの墓をなぐさめてくれたまえ」
ギリシア連合軍は、この無慈悲な亡霊の言葉にしたがったので、いまはほとんどただひとり残ってやさしく母をいたわっていた娘は、母の胸からひきはなされた。女とはおもえないほどけなげな、このあわれなポリュクセナは、アキレスの墓につれていかれ、おそろしい墓石の上に犠牲《いけにえ》としてささげられたのであった。しかし、かの女は、みずからの身分をわすれず、いよいよ残酷な祭壇のまえにひきだされ、自分がむごたらしい犠牲としてささげられるのを知ると、かたわらに剣をもって立ち、かの女の顔をじっと見つめているネオプトレムスの方をふりかえって、
「さあ、早くわたしのけがれない家柄の血をながしなさい。覚悟はできています。喉なりと、胸なりと、あなたの剣をつきたてなさい」そういって、喉と胸をあらわにすると、「ほんとうのことを申しますと、ポリュクセナは断じてだれの奴隷にもなりたくありません。こういう考えでいる人身御供《ひとみごくう》では、あなたがたはどんな神さまもなぐさめることはできないでしょう。それはとにかく、これだけはお願いしますが、どうかわたしの死を母に知らせないでください。母のことを考えると、たまらない気持になって、死ぬよろこびさえ消えてしまいます。もっとも、母をくるしめるのは、わたしの死ではなく、ご自分が生きながらえていらっしゃることです。わたしは、ひとりの自由な人間としてスチュクス(120)の亡霊たちのもとへ降りていきたいとおもいます。あなたがたがこの願いをもっともだとおもわれるなら、どうかもっと離れてください。そして、乙女のからだに男の手でふれないでください。あなたがたがわたしをささげてなぐさめようとしていらっしゃるのは、だれの霊であるかは知りませんが、みずからすすんで流す自由な人間の血は、その人をよけいによろこばせるでしょう。もしあなたがたのなかにわたしの口が語るこの最後の言葉にこころを動かされたひとがあったら、捕虜の女としてではなく、プリアムス王の娘としてお願いします――どうぞわたしの遺体を、身代金などといわずに、母に渡してください。わたしの墓をたてるという悲しい権利を母がお金ではなく、涙であなたがたに支払うことをゆるしてあげてください。母は、お金でつぐなうことのできたころには、お金で払ったこともあったのですが」かの女は、このようにいった。
かの女は、涙ひとつ見せなかったが、なみいる人びとは、かえって涙をおさえることができなかった。祭官でさえも、涙をながし、けなげにもさしだされた胸に不本意ながら剣をつきさした。乙女は、膝の力をうしない、がっくりと地面にたおれたが、最期の息をひきとるまで毅然たる表情をくずさなかった。たおれたときでさえ、人びとに見られたくない部分をかくし、きよらかな、つつましい女のみだしなみをうしなわないように気をくばったのであった。トロイアの女たちは、かの女の遺体をだきあげて、これまで幾人のプリアムスの子らが殺されたかを涙ながらに数えあげ、このただひとつの家族がながした血の多さを思いだした。そして、乙女よ、かの女たちは、おんみのために嘆きの声をあげ、また、ヘクバよ、おんみのためにも悲しみの涙をながした。
ヘクバよ、おんみは、かつて王妃とも、太后《たいこう》とも、さかえゆくアジアの象徴ともよばれた身でありながら、いまはあわれな囚《とら》われの女にすぎない。もしおんみがヘクトルの母でなかったならば、勝利者のウリクセスも、おんみのような老いさらばえた女を自分のものにしようと望みはしなかったであろう(121)。ヘクトルの母なればこそ、おんみはかろうじて所有主にありつけたのである。さて、かの女は、あの雄々しかったたましいの抜けきった屍体をしっかりとだきしめ、祖国のため、子供たちのため、良人のためにいくどかながした涙を、いままたこの娘のためにもながした。その涙をいたましい傷口にそそぎ、その口をわが唇でおおい、いくどか叩きなれたわが胸を打った。そして、かたまった血のなかに白髪をおよがせながら、とりわけつぎのように胸をたたいて語った。〔四三九〜四九三〕
「おお、娘よ、おまえの母の最後の悲しみよ(というのは、わたしにはもうあとになにが残っていよう)、わたしの娘よ、おまえも、とうとう冷たいむくろになってしまった。おまえの傷は、わたしの傷だよ。おまえも傷つけられたことによって、わたしの子供たちのうち、ひとりとして殺害されない者はなくなった。わたしにすれば、おまえは女だからきっと剣をまぬがれることができるとおもっていたのに、女の身でありながら、おまえも剣にたおされてしまった。おまえの兄弟たちの多くを殺したとおなじ男が、おまえをも死に追いやったのだ。それは、トロイアを滅ぼした男、わたしの一族をみな殺しにした男、あのアキレスだ。かれがパリスとポエブスの矢にたおされたとき、『ああ、これでやっとアキレスはこわくなくなった!』と胸をなでおろしたものだった。ところが、死んでからも、かれはわたしにはおそろしい男となった。地中にうめられて灰となってさえ、わたしたちの一家を苦しめつづけ、墓のなかからさえ、あいかわらずわたしたちはかれにおびやかされねばならなかった。わたしが子供たちをうんだのは、まるでアエアクスの孫(122)に殺されるためのようであった。大イリオンも、ついに陥落し、国民の不幸は、悲しむべき大団円とともに幕をとじた。悲しいけれど、すでに幕はおりたのだ。しかし、わたしにとってだけは、ペルガマはまだ残っている。わたしの苦しみは、依然として幕がおりない。ついこのあいだまでは栄華の絶頂にあり、婿や息子や嫁や良人にかこまれて絶大な力をほこっていたわたしであったのに、いまはひとりの寄るべもなく、子らの墓からもひきはなされて、ペネロペ(123)の土産となるべく敗残の身を異国にひかれていくのだ。ペネロペは、わたしに糸つむぎの仕事をさせておいて、それをイタカの女たちにしめしながら、『これがヘクトルの名だかい母、これがプリアムスの妻』というにちがいない。血をわけた多くの者たちをうしなったあと、ただひとりのこの母の嘆きをやさしくいたわっておくれだったおまえも、いま敵の墓をなだめる人身御供となってしまった。わたしは、敵への捧げものをうんだもおなじだ。ああ、鋼鉄のように気丈夫なわたしとしたことが、なぜいつまでも生きながらえているのか。なにをぐずぐずとためらっているのか。おお、寄る年波よ、なぜいつまでもわたしを生かしておくのか。無慈悲な神々よ、この老いさらばえた老婆をいつまでも死なせてくださらないのは、まだまだ新しい屍体を見せてやろうとの思召しですか。ペルガマが滅んでプリアムスは幸福だったといえば、だれも信じてはくれまい。しかし、あの方は、死んだだけ幸福だった。ああ、娘や、父上は、おまえの遺体をごらんにならないですむ。父上は王位と生命を同時におうしないになったのだから。姫よ、もしかしたら、トロイアの王女にふさわしい葬礼をおこなって、先祖代々の墓におまえを埋めてあげることができるかもしれない。いいえ、そんな幸福は、もうわたしたちの一家には縁のない望みというもの。おまえに供えてやれるものとては、母の涙と異国の一握の砂とがあるばかり。わたしたちは、もうなにもかもなくしてしまったのだもの。しかし、それでもこの先しばらくでも生きていこうとおもうのは、いまではたったひとりになってしまった、母のこころには一番いとおしかったあの子、兄弟たちのなかで一番小さかったポリュドルスが、このあたりの岸辺に送られてきて、イスマルス(124)の王のもとで生きているからなのだ。しかし、わたしは、なにをぐずぐず手間どっているのだろう。このむごたらしい傷と人でなしの手にかかって血によごれた顔とを、早くきよらかな水で洗ってやりましょう」〔四九四〜五三二〕
ヘクバは、こういうと、老いの足どりもあぶなっかしく、白髪をかきむしりながら、浜辺の方に歩いていった。「トロイアの女たちや、わたしに水甕をとっておくれ」と、不幸な女は、清らかな水を汲みとろうとしていった。がそのとき、かの女は、浜辺に投げすてられていたポリュドルスの屍体と、トラキア人の剣によってえぐられた大きな傷口を見たのだ。トロイアの女たちは、おもわず叫び声をあげた。しかし、ヘクバは、悲しみのあまり声もでなかった。悲しみそのものが、声とともにこみ上げてきた涙をも呑みこんでしまったのである。かの女は、まるでかたい岩と化したようにじっとその場に立ちつくし、足もとの地面に眼をそそいでいたかとおもうと、おそろしい形相《ぎょうそう》で天を見あげたり、眼のまえによこたわっているわが子の顔や傷をこもごもながめたりした。とくに、傷口をつくづくと見ていたが、やがて武器を手にとるや、憤怒に身をかためた。〔五三三〜五四四〕
憤怒がもえあがるやいなや、いまだに一国の王妃であるかのように、かの女は復讐を決意し、どのような罰をくだそうかと思案をめぐらした。まだ乳ばなれもしない仔をうばわれた牝獅子が怒りに狂いたち、敵の足跡を見つけだしては、姿を見せぬ相手のあとをつけていくように、ヘクバは、怒りと悲しみとをまぜあわせ、気だけはたしかにもち、老いの身もわすれて、この無残な殺人の下手人であるポリュメストルのもとにいき、面会をもとめた。そして、わが子にわたしてもらうつもりでひそかに隠匿しておいた黄金をお眼にかけたいと、口上をのべた。オドリュサエ人(125)は、かの女の言葉を信じ、もちまえの強欲な気持から人里はなれたところへ出かけていって、狡猾にも猫なで声で、「さあ、ヘクバどの、早くあなたの息子にわたす黄金をだしなさい。あなたがいまおわたしになるものも、これまでおわたしになったものも、すべてあの子のものになるでしょう。わたしは、天上の神々にかけてそのことを誓います」
ヘクバは、こころにもない誓言をする男をじっと見つめていたが、たぎりたつ怒りは心頭に発し、いきなり相手にとびかかると、おなじ捕虜の身であるトロイアの女たちを呼び、悪逆無道の男の両眼に指をつっこんで、眼玉をえぐりだした(怒りがかの女に力をあたえたのである)。そして、さらにその傷口に指をつき入れると、罪ぶかい男の血にそまりながら、眼ではなく(というのは、もう眼はなかったからだが)、眼のあった場所をかきまわした。トラキア人たちは、かれらの王の不慮の死に憤激して、このトロイアの女めがけて槍や石を投げはじめた。ところが、かの女は、しわがれた唸り声をあげて、人びとの投げつける石を追いかけて噛みついた。そして、大きな口をあけて、なにか叫ぼうとしたが、出てくる言葉は、吠え声ばかりであった。この場所は、いまでものこっていて、このふしぎな出来事にちなんだ名をもっている(126)。ヘクバは、むかしの不幸の思い出をわすれることができず、それからもなお長いあいだシトニア(127)の野に吠え声をひびかせていた。
かの女のあわれな運命は、トラキアの人たちだけでなく、敵方のペラスギ人たちや(128)、すべての神々のこころをさえうごかした。それは、文字どおりにすべての神々であって、ひとりの例外もなかった。ユピテル大神の妻にして妹であるあの女神(129)ですら、ヘクバがこんな不幸な目に会わせられるのはあんまりだ、といったのであった。〔五四五〜五七五〕
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三 メムノンの遺灰からうまれた鳥たち
けれども、神々のなかにあって、アウロラ(130)だけは、おなじトロイア軍に応援をしていたにもかかわらず、そのトロイアとヘクバの不幸や没落にこころをうごかされる余裕がなかった。というのは、息子のメムノン(131)をうしなったために、身近な悲しみと身内の不幸にこころをふさがれていたのである。
ばら色にかがやく母は、わが子がプリュギアの野でアキレスの槍先にかかって死ぬのを見たのである。かの女がこれを見るや、あけぼのを染めるそのあかね色がたちまちあせ、空は雲におおわれてしまった。不幸な母は、わが子の遺骸が火葬の薪の上におかれるのを見ているにしのびず、みだれた髪もそのままに、恥もかまわずに大神ユピテルの足もとにひれ伏して、涙とともにこういった。
「わたくしは、黄金いろの天上に住む女神たちのなかでも、いちばん身分のひくい者にちがいございません。地球上にわたくしのために建てられた神殿は、ほんのわずかしかないからです(132)。それでもやはり、女神としてここに参上しましたのでございます。と申しましても、神殿や祭日や聖火のもえる祭壇をお願いにきたのではございません。けれども、わたくしがかよわい女の身ながら、日ごとに新しい光で夜がその境界をふみこえようとするのをふせいで、どれだけあなたのためにはたらいていますかをお考えくださいましたならば、わたくしにもいくらかの報酬をやってもよいとお思いになるでございましょう。しかし、いまわたくしのこころを悩ましているのは、そのことではございませんし、また、自分に当然あたえられるはずの名誉をもとめることができるようなアウロラの心境でもございません。わたくしがここに参りましたのは、かわいいメムノンを失ったからでございます。あの子は、その叔父(133)のために勇敢な手にむなしくも武器をとり、あなたがたのご意思なのでございましょうが、あたら花の盛りを猛々しいアキレスの槍にかかって散ってしまいました。おお、大神さま、どうぞあの子になにほどかのお慈悲のしるしをたまわり、あの子の死をなぐさめ、また、その母の傷ついたこころをなだめてくださいませ」〔五七六〜五九九〕
ユピテルは、この願いをききとどけてやった。炎々と天をも焦がす火焔でメムノンの遺体をやく薪の山は、突如としてくずれ落ち、濛々たる黒煙の渦は、陽の光をおおった。それは、ちょうど川面よりたちのぼった靄《もや》が地上に達しようとする太陽の光をさえぎるのにも似ていた。黒い灰が舞いあがり、やがてそれはひとつに凝集し、形らしきものになり、火から温度と生命を得、その軽さは翼を生ぜしめた。
初めは鳥に似た姿に見えたが、やがてほんものの鳥となり、羽音たかく翼をはばたいた。それと同時に、おなじ灰から無数の姉妹たちがうまれてきて、おなじように羽音をたてた。これらの鳥は、火葬場の上を三度とびまわり、三度声をそろえて啼き、あたりの空気をつんざいた。そして、四度目に火葬場の上をとんだとき、ふたつの群にわかれた。と、このふたつの好戦的な群は、たがいにはげしい喧嘩をはじめた。嘴や鉤爪《かぎつめ》で狂暴な攻撃をくわえ、たがいに翼や胸を力つきるまでぶっつけあった。ついに、これらの同族の鳥たちは、亡きメムノンの遺灰にささげられた犠牲《いけにえ》となって地上に墜《お》ち、こうして自分たちが、ひとりの英雄からうまれたのだということを記念したのである。
これらの突如としてこの世にあらわれた鳥たちは、その産みの親から名をえて、メムノニデスとよばれている。かれらは、太陽が十二宮の旅をおわるたびに(134)、またも戦いを再開しては、その父の霊をなぐさめる犠牲となって死ぬのである(135)。こういうわけで、ほかの神々はみなデュマスの娘(136)の咆哮をきいて同情の涙をもよおしていたのに、アウロラひとりは、自分だけの悲しみにふけっていたのであった。かの女は、いまでもなおやさしい涙をながし、地上のすべてを露でぬらしている。〔六〇〇〜六二二〕
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四 アニウスの客となったアエネアス
しかしながら、運命は、トロイアの落城とともにその希望までも無に帰してしまうような目にはあわせなかった。キュテレア(137)の子である英雄は、数々の聖像(138)と、いまひとつの聖像としてその父親というたいせつな荷物とを肩に背負っていった。孝心のあついかれは、数ある財宝には眼もくれず、この父とわが子アスカニウス(139)だけを救いだしたのである。そして、避難民たちとともにアンタンドルス(140)の港から船出した。
トラキア人たちの住む罪ぶかい浜辺とポリュドルスの血にそまった土地とをあとにし、順風と都合のよい海流とにのって、やがて一行の船はポエブスの町(141)に着いた。すると、王としては国民の幸福を願い、祭官としてはポエブスに仕えているアニウス(142)は、アエネアスをその神殿と宮殿に迎え、町を案内したり、有名な神殿や、むかしラトナがお産をするときにだきしめていたといわれる二本の樹(143)を見せたりした。こうして聖火に香をくべ、香に酒をそそぎ、また、そのころの習慣にしたがって犠牲にささげた牝牛の内臓をやいたのち、かれらは王宮におもむき、敷物をしいた高い寝台に身をのべて、一同にケレス(144)の贈物とバックスの酒がふるまわれた。すると、信心ぶかいアンキセスは、口をひらいて、「おお、ポエブスのすぐれた宮司《ぐうじ》よ、あるいはわたしの思いちがいかもしれませんが、わたしが初めてこの町を訪れたときは(145)、たしかあなたにはご子息がひとりと、それに、四人だったとおもいますが、お嬢さまがおられたのではありませんか」〔六二三〜六四二〕
すると、アニウスは、白い飾り紐(146)をまいた頭をふって、悲しげに答えた。
「すぐれた英雄よ、あなたのおっしゃるとおりです。あのときは、五人の子供の父でしたが、人の世の有為転変とはこんなものなのでしょうか。いまはごらんのとおり、ほとんどひとりの子もいないも同然です。息子はおることはおるのですが、遠くにはなれていては、なんの助けになりましょう。といいますのは、自分の名をつけたアンドロス(147)の島に住み、父にかわってその地と住民を治めておるのです。デロスの神(148)は、息子に未来を占う力をさずけてくださいましたが、娘たちの方はまた、リベル(149)から自分たちの願い以上の、とてもほんとうとはおもえないほどの贈物をさずかっておりました。つまり、娘たちがふれるものはなんでも、たちまち麦やぶどう酒やうす緑色のミネルウァの果実(150)に変ってしまうのです。それから得られる利益は、莫大なものでした。ところが、トロイアをほろぼしたあのアトレウスの息子(151)は、このことを聞きおよぶと(このことからお察しいただけますように、わたしたちも、あなたがたをおそった嵐の余波を受けずにはすまなかったのです)、いやがる娘たちを武力に訴えて父の膝下《しっか》からうばいさらい、天からさずかった能力によってアルゴリス(152)の艦隊を養えと命じたのです。娘たちは、それぞれ逃げられるところへ逃げおちました。ふたりは、エウボエアにのがれ、他のふたりは、兄の治めているアンドロスに逃げこみました。ところが、そこへ敵兵がやってきて、もし娘たちの身柄を出さなかったら、武力に訴えるぞといっておどかしました。いかに妹思いの兄も、このおどしには勝てず、ひどい目に会わせられるとわかっていながらも、みすみす妹たちをひきわたしてしまいました。しかし、どうか息子の弱腰は大目に見てやってください。かれの配下には、十年間もあなたがたのトロイアをもちこたえさせたアエネアスどのやヘクトルのような、あくまでアンドロスの島を守りぬくほどの英雄はいなかったのですから。それで、捕えられた娘たちの腕にいよいよ鎖がかけられようとしたとき、娘たちは、まだしばられていない両手を天にさしのべて、『おお、父なるバックスさま、どうぞお助けください!』とさけびました。かつてかの女たちに贈物をさずけられた神は、いままた助けの手をだしてくださいました。しかし、助けてくださったといっても、それは、ふしぎな力で人間の姿を消してしまわれたのです。娘たちがどんなふうにして人間の姿を失ったかは、もちろん、わたしが知るよしもなく、いまもお話し申しあげることができません。ただ、この出来事の結末がどうなったかということだけは、わかっております。娘たちは、翼がはえて、あなたのご令室(153)の愛鳥である、雪のように白い鳩になってしまったのです」〔六四三〜六七四〕
このような話や、またその他のよもやま話で食卓はにぎわったが、やがて食卓は片づけられ、一同は眠りについた。翌朝、トロイアの客人たちは、日の出とともに起きだし、ポエブスの神託をうかがいにいった。ポエブスはかれらの古い母国(154)とその同族が住む岸辺に行け、とかれらに命じた。アニウス王は、かれらに同行し、いよいよ別れにあたって、アンキセスには王笏《おうしゃく》を、その孫アスカニウスには外套と箙《えびら》を、アエネアスには酒器を、それぞれ餞別としておくった。この酒器は、かつてアニウスの客となったイスメヌス(155)の人テルセスが、アオニアの国から王のもとにとどけさせたものである。このように贈り主はテルセスであるが、これをつくったのは、ヒュレ(156)のアルコン(157)という男で、かれは、みごとな絵によってひとつの長い物語をこの酒器にきざみこんだ。
そこには、ひとつの町(158)があって、七つの門がみとめられた。これらの門は、名前のかわりをして、これがどこの町であるかをあらわしていた。町のはずれに埋葬の行列と墓と火のついた薪の山があり、それに髪をふりみだし、胸をあらわにした女たちが見られ、あきらかに喪の情景をあらわしていた。妖精たちも、涙をながし、泉が干《ひ》あがったのを嘆いているようであった。あちこちには、葉のなくなった樹が裸で佇立《ちょりつ》しており、山羊たちは、草一本ない岩山をかじっている。さらによく見ると、作者は、テバエの町の中央にオリオンの娘たち(159)を描いていた。ひとりは、男まさりの雄々しさであらわな喉をかき切り、他のひとりは、戦具ならぬ武器(160)を胸につきさして、祖国のために死んでいくところである。そして、盛大な葬列は、ふたりの遺体をはこんで町をねり歩き、人びとの多く集まった広場で火葬に付している。しかし、その血筋がたえてしまわないように、乙女たちの灰のなかからふたりの若者がうまれでた。伝承によると、ふたりはコロナエ(161)とよばれているが、かれらが母たちの灰を埋葬する行列の先頭に立っていく有様も描かれている。古い青銅に彫られているのは、以上のようなみごとな情景であったが、酒杯の上部には、金めっきをしたアカンサスの葉飾り(162)が浮彫りにしてあった。〔六七五〜七〇一〕
トロイア人たちも、アニウスにこれにおとらぬ立派な贈物の返礼をした。かれらは、この祭官に香炉と供物皿、それに黄金と宝石をちりばめた冠を贈ったのであった。〔七〇二〜七〇四〕
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五 スキュラ
さて、それから一行は、トロイア人がテウケル(163)の血筋をひいていることを思いだして、クレタ島にむかって船をすすめた。しかし、かれらは、この地の気候にながくは耐えていることができず、百におよぶ町々(164)をすてて、アウソニア(165)の港をめざして船出した。
ところが、嵐がおこって、戦士たちの船を波のまにまに翻弄した。かれらは、ストロパデスの島(166)のあやしい港に立寄ったが、鳥の姿をしたアエロ(167)のためにさんざん悩まされた。そこで、ここをも去り、策謀家ウリクセスの支配する国、すなわちドゥリキウム(168)の港、イタカ、サモスの島々、ネリトゥス(169)の家々をすぎ、かつて神々のあいだで争いの的になったアムブラキア(170)、変身させられたそのときの審判官の姿をした岩(いまでは、ここはアクティウムにあるアポロの神殿で有名である)、樫の樹によって予言をするドドナ(171)の地、カオニア(172)の湾などをあとにした。このカオニアの湾というのは、むかしモロッスス人たちの王の息子たちが鳥になって業火をのがれたところである(173)。〔七〇五〜七一八〕
かれらは、パエアケス人(174)たちの、みごとな果実におおわれた野が近くにあるので、ここを訪れ、さらに、エピルスにむかい、プリュギアの予言者(175)が治めている、トロイアを真似てつくったブトロトゥスの町に着いた。そして、プリアムスの子ヘレヌスの信ずべき予言によって将来のことを教えられ、ここを去ってシカニア(176)に着いた。この島は、三つの岬が海につきでている。すなわち、パキュヌスは、雨をもたらす南風《アウステル》にむかい、リリュバエオンは、そよふく西風《ゼピュルス》になぶられ、ペロルスは、けっして波に沈まぬ熊座の星たちと北風《ボレアス》とをにらんでいる。トロイア人たちが上陸したのは、ここであった。櫂《かい》の力と潮の流れを利用して、夜のはじまるころ全船隊は無事ザンクレ(177)の砂浜についた。
この島の右側には、スキュラ(178)がのさばり、左側は、休むことを知らぬカリュブディスにおびやかされていた。カリュブディスは、そこを通る船をとらえて呑みこみ、それをまた吐きだす。スキュラは、若い女の顔をしているが、腰には獰猛《どうもう》な犬の帯をしめていた。もし詩人たちがのこしてくれた物語にいつわりがないとすれば、スキュラは、かつてはほんとうにひとりの乙女であったのだ。多くの求婚者たちが言い寄ったが、かの女は、それをことごとくはねつけて、日ごろ自分をかわいがってくれる海の妖精たちのところへ逃げていき、若者たちの愛をはねつけた話をした。ある日のこと、ガラテア(179)という妖精は、かの女に髪を櫛けずってもらいながら、ふかいため息まじりにつぎのように語った。
「スキュラ、あなたに言い寄ったのが乱暴な人たちでなかったから、そんなふうにはねつけてきても、なにも怖ろしいことがなかったのよ。だけど、わたしは、海神ネレウスを父とし、水いろのからだをしたドリス(180)からうまれ、おまけに大勢の姉妹たちにとりまかれていながら、悲しい思いをしないではあのキュクロプス(181)の愛をのがれることができなかったわ」そういって、涙に声をつまらせた。
スキュラは、大理石のように白い拇指《おやゆび》でその涙をふいてやりながら、妖精をなぐさめて言った。「さあ、いとしい方、なにがそんなに悲しいのか、つつみかくさずに話してください。けっしてあなたを裏切ったりはしませんから」そこで、ネレウスの娘は、クラタエイス(182)の娘につぎのように話してきかせた。〔七一九〜七四九〕
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六 アキスとガラテアの恋物語
「ファウヌス(183)を父として、シュマエトゥス(184)の流れに棲む水の精からうまれたアキス(185)は、その両親にとって大切なよろこびでしたが、わたしにとってはさらに大切な人でした。というのは、アキスこそ、わたしのこころをとらえたただひとりの人だったのですもの。かれは、十六歳になったばかりの、うっとりとなるような美少年で、やさしい頬には、やわらかいうぶ毛がかすかにはえていました。わたしは、たえずかれのあとについてまわり、そのわたしのあとをまたキュクロプスがつけまわしていました。このキュクロプスをきらう気持とアキスにたいする愛とのどちらが強かったかと問われたら、わたしはどちらとも答えられないでしょう。どちらもおなじくらいだったのです。けれども、やさしいウェヌスさま、あなたのお力はなんと強いことでしょう! だってね、森でさえも怖れ、どんな他国の人でもかれに会ったら最後二度と生きて帰れないとさえいわれた男、あの偉大なオリュムプスの山をもそこに住む神々をも軽蔑していた男、こういう札つきの乱暴者ですら、愛のなんたるかを感じ、はげしい情熱のとりこになり、自分の家畜の群や洞穴(186)のこともわすれはてて、ただもう胸の炎をもやしつくしたのですから。
ポリュペムスよ、いまではおまえは、身なりに気をつかうようになり、なんとかしてわたしの気にいられようと、熊手でごわごわした髪をとくやら、ざらざらのひげをけんめいに鎌で刈るやら、おそろしい顔を水鏡《みずかがみ》にうつしてお化粧をするやら、それこそやっきになりだした。そのために、人殺しや狼藉や底しれぬ吸血欲はおさまり、ここをとおる船は、なんの危険もなく去っていくことができました。ところが、ある日のこと、テレムス(187)がこのシキリアのアエトナの山麓に漂着しました。エウリュムスの息子のテレムスで、鳥占いにかけては一度もまちがったことのない男ですが、かれは怖ろしいポリュペムスを訪れると、『おまえの額の中央にある一眼は、きっとウリクセスにつぶされよう』と告げました(188)。すると、ポリュペムスは、からからと大笑して、『この阿呆|易者《えきしゃ》め、たわごともいい加減にしろ。この眼はな、もうとっくに別の女につぶされているんだ』と答えました。こうして、せっかくほんとうのことを教えてくれた予言者の言葉を馬耳東風《ばじとうふう》とばかり聞きながして、大きな足どりで砂浜をふみつけながら歩きまわったり、歩くのに疲れると、うすぐらい洞穴に帰っていきました。〔七五〇〜七七七〕
さて、ここにながい岬となって海のなかにつきでたひとつの楔《くさび》形の丘があって、その両側の麓は、波にあらわれていました。乱暴なキュクロプスは、この丘によじのぼって、その中央にすわりました。家畜の羊たちは、だれも追っていく者がないので、勝手にかれのあとについていきました。かれは、杖につかった、帆柱にでもなりそうなでかい松の大木を足のまえに置き、百本の葦をあつめてつくった笛をとりだすと、四方の山々や海の波にその牧笛の音をひびかせました。わたしは、とある岩かげにかくれて、アキスの膝のあいだにもたれていましたが、遠くからかれの言葉が耳にきこえてきました。その言葉は、いまでもよくおぼえています。それは、こういうのです。
『おお、ガラテアよ、雪のようないぼたの木(189)の花びらよりも白く、牧場よりもはなやかで、高いはんの木よりもすらりとし、水晶よりもかがやかしく、かわいい仔山羊よりも剽軽《ひょうきん》なガラテア、たえず波にみがかれる貝殻よりなめらかで、冬の陽ざし、夏の木蔭より心地よく、果物よりもさわやかで、高いプラタナスよりもみごとで、氷よりもきらやかで、熟《うれ》たぶどうよりも甘く、白鳥の綿毛、凝乳よりもやわらかいガラテア、それに、もしわしを避けなかったならば、たっぷりと水をやった花園よりもすてきなガラテア。だけど、このガラテアはまた、手におえない猛牛よりも猛々しく、年をへた樫よりかたく、波よりも気ごころが知れず、柳の小枝、瓜の蔓より折りにくく、この岩よりもかたくなで、急流よりも気性がつよく、人びとのたたえる孔雀よりも傲慢で、焔よりもはげしく、茨よりもとげとげしく、仔《こ》もちの母熊よりもあらあらしく、海よりも耳つんぼで、ふみつけた蛇よりもおそろしく、最後に、これはとくにやめさせたいとおもう欠点だが、吠えたてる犬におびやかされた牝鹿かはげしい疾風《はやて》よりも早く逃げていく。しかし、もしわしというものをよく知ったならば、おまえは、きっとわしから逃げまわったことを後悔し、わしをこばんだことをすまないとおもい、わしをひきとめようと努めるようになるだろう。
わしは、山の中腹に、自然の岩を天井にした洞穴をもっている。そこでは真夏の太陽のはげしい暑さも、冬のきびしい寒さも知らずに暮らせる。枝もたわわにみのった果物もあれば、ながい蔓のさきにぶらさがった黄金いろや紫紅のぶどうもある。これらはみな、おまえにやるためにとっておいたのだ。おまえは、森の木蔭にはえているふくらんだ苺《いちご》や、秋にみのるやまぐみや、すももの実や、それも黒い汁で青ずんだものだけでなく、あたらしい蝋のように透明なものも、どれでも自分の手で摘みとることができる。もしわしの妻になってくれたら、栗でも楊梅《やまもも》でもどっさりあるし、どの木も、たくさんの贈物をおまえにくれるだろう。また、ここにいる羊の群は、みんなわしのものだ。このほかにも、谷間をさすらっているのや、森でやすんでいるのや、洞穴の小舎《こや》に入れてあるのなど、たくさんの家畜がいる。何匹いるかと訊かれても、わしにも答えられやしない。
自分の家畜の数をかぞえるのは、貧乏人のすることだ。わしの家畜どもがどんなにりっぱなものか、わしのいうことを信じるのがいやなら、かれらがはちきれそうな乳房のためにどんなに歩きづらそうにしているかを、自分の眼でたしかめに来てみるがよい。このほかにもまだほんの小さな家畜ももっていて、仔羊はあたたかい羊小舎に、また、おなじくらいの仔山羊は別の小舎に入れてある。わしの家には、いつだって雪のように白い乳がある。その一部は、飲むためにとっておき、残りは、仔牛の胃液でかためて、凝乳にするのだ(190)。わしがおまえにやるのは、鹿や兎や山羊や番《つがい》の鳩や、樹の梢からとってきた鳥の巣のような、わけなく手に入るご馳走やつまらぬ贈物などではない。わしは、山の頂上で毛のふさふさした牝熊がつれていた双生の仔熊を見つけたが、これはおまえの遊び相手にもってこいだ。二匹ともあんまりよく似ているから、おまえにはどれがどれだか見わけがつくまい。わしは、これを見つけると、「こいつは、わしのかわいい奥さんにとっておこう」と、ひとりごとをいったものだ。
さあ、ガラテアや、青い海から美しい顔をだして、ここへ来ておくれ。わしの贈物をいやがらないでおくれ。わしは、自分をよく知っている。このあいだも、きれいな水にわが身をうつしてみたが、その姿は、わしの眼に気に入った。ごらん、わしのからだは、こんなに大きくて、りっぱだ。天にいるユピテルとやらも、こんな大きな身体をしてはいまい(こんなことをいうのも、この世界はユピテルとかいう男が支配していると、おまえたちがよく話しているからだ)。ふさふさとした髪は、わしのまじめな顔をおおい、森のような肩をかくしている。わしのからだには、濃い剛毛《こわげ》がはえているからとて、それを醜いなどとおもってはいかん。樹に葉がなく、馬に栗毛の首をつつむたてがみがなかったら、ずいぶん変なものだろう。そればかりか、鳥は羽毛をまとい、羊毛は羊のからだを飾っている。だから、ひげや身体にはえた剛毛ほど、男にふさわしいものはない。
なるほど、わしは、顔の真中にひとつの眼しかない。しかし、それは大きな楯のようなものだ。しかも、ひとつの眼ではいけないだろうか。あの太陽は、大空から全世界を見おろしている。しかし、太陽は、ひとつしか眼がないではないか。それに、わしの父は、おまえが住んでいる海の王者(191)だ。わしは、海の大神をおまえの舅にしてやろうというのだ。どうかわしを不憫におもって、切なる願いをきいておくれ。わしがこんなに腰を低くするのは、おまえにむかってだけだ。おお、ネレウスの娘や、ユピテルも天上もすべてをうち砕く雷電をも見くだすわしが、おまえだけはこわくてならぬのだ。おまえの怒りは、雷光よりもおそろしい。おまえがすべての男たちを寄せつけないというのなら、このような冷たい仕打ちをされても、まだ我慢できよう。しかし、なぜこのキュクロプスをきらって、アキスを愛するのだ。なぜわしの抱擁よりもアキスの方をえらぶのだ。だがな、アキスのやつは、せいぜい得意になっているがよい。そして、ガラテアや、わしにはつらいことだが、おまえもせいぜいあの男に首ったけになっているがよい。しかし、あいつを見つけたら最後、わしにはこの身体にふさわしい力があることを思い知らせてやるからな。生きながら腹わたをひきずりだし、手足をばらばらにひき裂き、野原やおまえの住む水のなかにまきちらしてやる。そうしておまえといちゃついているがいい。わしの胸は、たぎりたち、傷つけられた恋の焔は、なおさらはげしく燃えあがっているのだ。まるでアエトナの火山がそのはげしい噴火の勢いでわしの胸のなかにとびこんできて、そのまま居すわってしまったような気持だ。それなのに、ガラテアや、おまえの仕打ちは、あいかわらず情《つれ》ない!』〔七七八〜八六九〕
こんな役にもたたぬ口説《くぜつ》をいって、かれは立ちあがりました(ええ、わたしは、みんな見ていたのです)。そして、牝牛をうばわれたために猛りたった牡牛のように、とてもそのままじっとしていることができず、歩きなれた森や草原をあちこちさまよい歩きました。ところが、アキスとわたしは、まさか出くわさないだろうとたかをくくっていたところを、不意にこの怪物に見つかってしまいました。すると、かれはさけびました。
『さあ、見つけたぞ。これがおまえたちの最後の逢いびきにしてやるからな』それは、ほんとうにいきりたったキュクロプスならではとおもえるような、おそろしい声でした。その叫びは、アエトナの山をもふるわせました。わたしは、怖ろしさのあまりすぐ近くの海にとびこんでしまいましたが、シュマエトゥスの流れからうまれた若者は、背中をむけて逃げながら、『おお、ガラテア、どうか助けておくれ! おお、お父さん、お母さん、助けてください。あなたがたの国にかくまってください。でないと、殺されてしまいます』と叫びました。
キュクロプスは、そのあとを追っかけ、山から大きな岩を抜きとると、それを投げつけました。そして、岩のほんの角《かど》っこがかすめただけだったのに、アキスはめちゃめちゃにくだかれてしまいました。そこで、わたしたちは、運命がゆるしてくれるただひとつの手段をえらびました。つまり、アキスがその祖父(192)とおなじ力をもつようにしたのです。
かれを殺した大きな岩の下からは、まっ赤な血がながれていましたが、たちまちのうちにその赤い色が消えはじめました。そして、初めのうちは夕立ににごった河のような色をしていましたが、やがてしだいに澄んできました。そのうち、投げつけられた岩は、ふたつに割れ、その割れ目から青々とした長い葦がはえ、岩のくぼみから水が音たかく噴きだしてきました。と、突然、水のなかからひとりの若者が、腰のあたりまで姿をあらわしました。生えたばかりのその角(193)は、編んだ葦で飾られていました。それは、体躯がずっと大きくて、顔の色が蒼いという点をのぞけば、アキスそっくりでした。でも、こんな姿をしていても、それはやっぱりアキスで、河になっただけなのでした。その河は、もとの名前をそのまま残しています」〔八七〇〜八九七〕
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七 グラウクス
ガラテアの話は、おわった。ネレウスの娘たち(194)は、別れ別れになって、それぞれ静かな海に泳ぎに出かけた。スキュラだけは、浜辺にもどった。沖に出て海に身をまかす気になれなかったのである。そして、素裸でやわらかい砂の上を歩きまわったり、歩くのに疲れて、たまたま人里はなれた入海に出くわしたりすると、その入江の波で手足をひやした。と、海面に水音がして、たちまち姿をあらわしたのは、深海のあたらしい住人であるグラウクス(195)であった。かれは、つい最近エウボエアに近いアンテドン(196)で姿を変えられたのである。
かれは、この若い娘を見ると、たちまちこころをうばわれて、恋の炎に胸をこがした。そして、逃げだした娘をひきとめることができる(と、かれが考えた)いろんな言葉を話しかけた。それでも、かの女は、逃げだし、まるで怖ろしさのために翼がはえたかのように、たちまち海岸の近くにそびえる山の頂上にたどりついた。この山の大きな、森にかこまれた峯は、しだいに尖端がほそくなって海に突きだし、はるかに海上を見おろしていた。スキュラは、ここまで来て立ちどまると、ここからなら大丈夫とおもって、相手が怪物なのか、それとも神なのかとあやしみながら、かれの皮膚の色や、肩から背までたれさがっている髪の毛や、腰から下についているやわらかい魚の尾を、おどろきの眼で眺めた。
グラウクスは、かの女をみとめると、すぐそばにあった岩にもたれかかって、こういった。「おお、乙女よ、わたしは、怪物でも怪獣でもない。わたしは、海の神なのだ。海のことにかけては、あのプロテウス(197)やトリトン(198)も、アタマスの子パラエモン(199)も、わたし以上の権力はもっていないのだ。しかし、もとは、わたしも人間であった。が、そのころから深い海に身をゆだねて、そこを仕事場としておった。というのは、魚をとらえる網をひいたり、岩にすわって竿にさげた釣糸をあやつったりしていたからだ。とある牧場のそばに、一方を波にあらわれ、他方を草原にふちどられた岸辺があった。その草原は、まだ一度も角のある牝牛の歯にあらされたこともなければ、おとなしい羊たちや毛ぶかい山羊たちよ、おまえたちが草を喰《は》んだこともなかった。働き者の蜜蜂も、そこからはまだ花の蜜をあつめていったことがなく、だれひとりとして祭の花冠を編みにきた者も、鎌で草刈りにきた者もなかった。この草原にすわったのは、わたしが初めてで、ぬれた網をかわかしながら、獲物をかぞえるために、たまたまわたしの網にすくいあげられた魚や、軽率にも釣針にくいついた魚を順に草原の上にならべはじめた。
すると――こんな話は、つくりごととおもえるかもしれないが、つくり話をしたとて、なにになろうか――わたしのとらえた魚は、草にふれるやいなや、たちまち動きだし、ぴんぴんとはねながら、まるで水のなかにいるように地面の上を泳ぎはじめたのだ。そして、あまりのふしぎさに唖然としているあいだに、魚どもは、あたらしい主人と岸辺をすてて、古巣の水のなかに逃げてしまった。
わたしは、呆然自失となり、ながいこと半信半疑の気持で、これはどこかの神さまのしわざであろうか、それとも草の汁液のせいだったのであろうかと、その原因をいろいろ考えてみた。『それにしても、こんな力をもっているとは、なんという草であろうか』と、ひとりごとをいいながら、その草をひきちぎって、噛んでみた。と、このなんだか知らない草の汁が喉をとおるやいなや、急に心臓がどきどきおどりはじめ、なんだか土とはちがったものが恋しくてならないような気持がしはじめた。そして、もう長くはこらえていることができなくなって、『おお、土よ、もう二度とおまえのところには帰ってこないぞ。さようなら!』とさけぶと、そのまま海のなかにとびこんでしまったのだ。
海の神々は、わたしを迎え入れて、仲間にくわえてやってもよいと考え、わたしがもっている人間的なところをみんな消し去るようにと、オケアヌスとテテュス(200)にたのんでくれたのだ。このふたりから、わたしは浄《きよ》めの式をうけた。穢《けが》れをはらう呪文を九度となえ、百の河の水に胸にひたすようにと命じられた。すると、いろいろな地方からすぐさま河たちが流れてきて、わたしの頭に水をそそいでくれた。わたしの身におこったことで、おまえに話してやることができるのは、これだけだ。わたしは、ここまでしかおぼえていない。というのは、そのとき気をうしなってしまったのだ。そして、我にかえったとき、わたしは、姿も以前と別なものになっていたし、こころもすっかり変ってしまったことに気がついた。このとき初めてわたしは、緑青《ろくしょう》いろのひげ、波の上をすべっていく髪の毛、頑丈な肩、水いろの腕、鰭《ひれ》のある魚のようなまがった尾におわっている太腿などを見たのだ。けれども、おまえが気にもとめてくれなければ、こんな新しい姿もなにになろう。海の神々の気に入られたことも、なんの役にたとう。いや、わたしが神であることさえ、なにになろうか」〔八九八〜九六五〕
神は、このように語り、なおも語りつづけようとしたとき、スキュラは、身をひるがえして逃げだした。かれは、この情《つれ》ない仕打ちにいたく憤慨して、ティタンの娘キルケ(201)の魔法の館をたずねた。〔九六六〜九六八〕
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巻十三の註
(1)大アヤクス〔巻十二(130)〕は、テュキウスという名革師のつくった牛革七枚をかさねた大楯を自在にあやつるほどの怪力をもっていた。→(156)
(2)→巻十一(42)
(3)アガメムノン王との不和のため戦闘に参加していなかったアキレスがいよいよ腰をあげたとき(117)、ヘクトルははげしくギリシア陣営に攻めかかり、陸に引きあげてあったギリシアの艦船を焼きはらおうとしたが、アヤクスは一歩もしりぞかず防戦につとめた。かれの最大の手柄のひとつである。
(4)軍神マルスのこと〔巻三(8)〕。その業とは、武術をさす。
(5)→巻十一(49)
(6)→巻七(2)
(7)黒海の東部および南部地方。これは、アルゴナウタエの遠征のことをいっている。→巻六(134)
(8)→巻四(90)(93)。一説によると、アンティクレア(ウリクセスの母)の父アウトリュクス〔巻八(147)〕に家畜を盗まれたシシュプスは、家畜をさがしてアウトリュクスの家に来て、アンティクレアと交わり、その後かの女は、ラエルテスに嫁いでウリクセスをうんだ。そのため、ウリクセスはシシュプスの子であるともいわれる。アヤクスはこの巷説を暗にほのめかして、ウリクセスに侮辱をあたえようとしたのである。さらに後の個所では、ウリクセスを公然とシシュプスの息子とさえよんでいる。
(9)→巻七(119)
(10)正確には従兄弟である。アキレスの父ペレウスとアヤクスの父テラモンとは兄弟である。→巻七(119)
(11)→(8)。この巷説は、策謀にとんだウリクセスを奸智にたけたシシュプスにむすびつけるために作られた創作であろう。
(12)エウボエア島のナウプリア市の王で有名な航海者ナウプリウスとクリュメネ〔巻十二(128)〕との息子パラメデスのこと。ウリクセスは最初トロイア戦争に参加するのをいやがり、畑に種子のかわりに塩を播いたりして狂気をよそおっていた。パラメデスは、ウリクセスの幼い息子テレマクスを鋤のまえに立たせ、ウリクセスが鋤をとめたのを見て、その偽りをあばいた。以来ウリクセスは、このときのことを怨み、パラメデスが大いに戦功があったにもかかわらず、謀略でかれを死にいたらしめた(17)。パラメデスは聡明で、しかもウリクセスと異なってその知恵をつねに善用する人とされ、また、ギリシア文字の正書法・盤上遊戯・骰子ゲーム・尺度法・記数法・さまざまな戦術などを発明した人だといわれる。
(13)トロイアの意。
(14)ピロクテテスのこと〔巻九(53)〕。弓の名手で、かつて臨終のヘルクレスから贈られた必殺の弓と矢〔巻九(24)〕をもってトロイア戦争に参加したが、途中テネドス島〔巻一(91)〕で毒蛇に咬まれ、その傷がくさって悪臭をはなったので、ウリクセスの発議で、レムノス島〔巻二(163)〕に置き去りにされた。ところが、神託は、トロイアを攻略するためにはピロクテテスのもっている矢が不可欠であることを告げた。→三十三行以下、三九九行以下、(16)(29)(102)
(15)ウリクセス。
(16)トロイアの予言者ヘレヌス(29)は、ヘルクレスの弓矢がギリシア軍にないかぎりトロイアは陥落しないであろう、とギリシア軍に告げた。→(14)
(17)→(12)。ウリクセスは、パラメデスの従者を買収して、トロイア王プリアムス〔巻十一(124)〕のにせ手紙と黄金とをパラメデスの寝台のなかに入れておき、トロイアに買収されたのだと吹聴した。ギリシアの軍法会議は、売国奴として石による撲殺の刑をかれに下した。→三〇八行以下。
(18)ピロクテテスをレムノス島に置き去りにしたこと。
(19)→巻十二(41)。ウリクセスとならぶ雄弁家であった。
(20)ネストルの馬がパリスの矢にたおされ、ヘクトルが戦いをいどんできたとき、ディオメデス〔巻十二(126)〕はネストルを助けてやったが、ウリクセスは助太刀をしようとしなかった。
(21)ディオメデスのこと。かれは、ウリクセスととくに親しく、つねに行動をともにしていた。
(22)ウリクセスは、負傷してトロイア兵に包囲されたので、大アヤクスとメネラウスが助けた。
(23)ギリシアの艦船のそばまで攻めよったヘクトルは、アヤクスの投じた石にあたって戦場からしりぞいたが(3)、ユピテルの命によりアポロ(かれは医術の神でもある)がその傷を治してやった。
(24)ギリシアの将兵をさす。→巻十二(20)
(25)ヘクトルは、ギリシア軍の第一の勇士を相手として要求した。そこで、ギリシアの九人の勇将が選出され、籤でアヤクスにきまった。この一騎打ちは、日没のため引分けにおわった。
(26)ウリクセスはイタカ〔巻八(84)〕の王。
(27)トラキアの王。トロイア戦争十年目にトロイアに来援したが、到着の夜にその陣営にしのびこんだウリクセスとディオメデスとに部下とともに寝首をかかれ、名馬をぬすまれた。エウリピデスの作と称する劇『レソス』が伝わっている。→二四九行以下および(70)
(28)トロイア軍の斥候。ギリシア軍の内情を夜偵してきたなら、アキレスの神馬をつけた戦車をあたえるとヘクトルに約束され、狼の皮をまとって出かけたが、ウリクセスとディオメデスに捕えられ、逆にトロイア軍の事情を聞かれた上、殺された。→二四四行以下。
(29)プリアムスとヘクバとの息子〔巻十一(124)〕、カッサンドラ(108)の双生兄弟で、すぐれた予言の能力があった。パリスがヘレネを奪いに出かけるときすでにトロイアの運命を予言した。パリスの死後デイポブス〔巻十二(96)〕とへレナをあらそって敗れ、イダ山中に引っこんでいたが、夜中ウリクセスに捕えられ、ペロブスの骨〔巻六(85)〕がギリシア軍の手にはいり、ネオプトレムス(39)が味方し、トロイア城内にあるパラディウム(次注)が盗みだされ、ピロクテテスがヘルクレスの弓矢をもって参戦したならば(14)、トロイアは陥落するであろうと予言した。一説によると、有名な木馬の計を教えたのもかれであり、また、かれは自発的にギリシアの陣営に来たのだともいわれる。→(110)
(30)パラディウム(ギリシア語ではパラディオン)とよばれるパラス・アテナ(ミネルウァ)女神の神像で、それを所持する町を保護する力があると信じられ、トロイアのアテナ神殿に安置されていた。この神殿を建立中に天から降ってきたもので、木彫であるといわれ、また、ペロプスの肩の骨から彫られ、ヘレナがパリスとともに出奔するときにスパルタから持ってきたものともいわれる。ヘレヌスの予言にしたがって(前注。かれはヘレナをディポブスにうばわれた腹いせに、この神像の秘密をギリシア軍に洩らしたという)、ウリクセスとディオメデスがトロイア城内から盗みだした。→三三六行以下。
(31)ドゥリキウムは、イタカの近くにあるイオニア海の小島で、ウリクセスの領土。
(32)→巻十二(25)
(33)→二九二行以下。
(34)ギリシア人。→巻十二(6)
(35)アキレスが死ななかったならば、の意。
(36)→巻八(84)。ただし、その父母にかんしては諸説があって一定しない。
(37)アヤクスの父テラモンと伯父ペレウス(アキレスの父)とが兄弟のポクスを殺した罪を問われて、アエギナ島より追放されたことを諷している。→巻八(72)、巻十一(57)
(38)メルクリウス神のこと〔巻二(169)〕。ウリクセスの母アンティクレアは、メリクリウスの子アウトリュクス〔巻八(147)〕の娘である。
(39)「赤髪の男」の意、またネオプトレムス(若武者の意)ともよばれる。アキレスとデイダミアとの子(44)。母の父リュコメデス(スキュルス島の王)のもとにいたが、アキレスの死後、ヘレヌスの予言により(29)、ウリクセスがつれてきて、戦いに参加させた。
(40)テッサリアの町、アキレスの生誕地。また、父ペレウスが住んでいた。
(41)エウボエア島の東方にある島。→(39)(44)
(42)テラモンとヘシオネ(ラオメドンの娘)との息子。→巻十一(41)(49)。大アヤクスの異母弟、ギリシア名はテオクロス。すぐれた射手で、勇名をとどろかした。→巻十四(165)
(43)テティス。→巻十一(50)
(44)テティスは、アキレスがトロイア戦争で死ぬ運命にあることを知って、スキュルス島(41)のリュコメデス王のもとにあずけ、女の服装をさせて、王の娘たちといっしょに暮らさせておいた。アキレスが参戦しなければトロイアは陥落しないとの予言にしたがって、ウリクセスは商人に化けてスキュルス島にのりこみ、王の娘たちに衣裳や装身具をならべて見せ、そのなかに武器もまぜておいたところ、アキレスのみは武器に手をだしたので、正体を見やぶられてしまった。なお、このときアキレスは、リュコメデスの娘たちのひとりデイダミアとのあいだに一子ネオプトレムス(ピュルス)をもうけた。→(39)
(45)→巻十二(77)
(46)→巻十二(35)
(47)→巻十二の一一〇行および(33)
(48)→巻二(127)
(49)→(14)、巻一(91)
(50)トロイアの海港、アポロの神殿があった。
(51)トロアスの町、アポロ崇拝が盛んであった。
(52)小アジアの町。(40)のスキュルス島とは別。
(53)→巻十二(31)
(54)妻へレナをうばわれたメネラウスの心痛をいう。
(55)本来はダナウス〔巻四(92)〕の子孫たちをいうが、転じてギリシア人の総称(ギリシア語ではダナオイ人)
(56)→巻十二(7)
(57)イピゲニア。→巻十二の二四行以下および(14)
(58)アガメムノン。
(59)アガメムノンは、ギリシア軍の総大将として神託にたいして最後の可否をきめる立場にあった。
(60)メネラウス。
(61)アガメムノンの妃クリュタエムネストラをさす。テュンダレウスとレダとの娘、したがって、ディオスクリやヘレナの姉妹〔巻六(25)〕。アガメムノンの留守中にアエギストゥス(アガメムノンの父アトレウスの兄弟テュエステスの息子)と密通し、アガメムノンがトロイアから凱旋したときに、これを殺害した。のち息子のオレステスとむすめエレクトラ〔巻十二(13)〕とが母を殺して、父の復讐をとげた。この骨肉の相殺の物語は、アイスキュロスの三部作『オレステイア』によって名高い。これは、ギリシア悲劇中で完全に現存している唯一の三部作で、『アガメムノン』『コエポロイ(灌奠を運ぶ女たち)』『エウメニデス(仁慈なる女神たち)』よりなる。→巻十五(87)
(62)ウリクセスは、アキレスと結婚させるのだといつわって、クリュタエムネストラからイピゲニアをもらい受けてきた。
(63)ギリシア軍がトロアスの海岸に上陸したとき、ウリクセスはメネラウスとともに、ヘレナ返還の交渉のためトロイアに派遣された。イリオンは、トロイアの別名。→巻十一(124)
(64)トロイア王プリアムスの重臣で、聡明な相談役。反戦論者で、ウリクセスとメネラウスを自宅でもてなし、ヘレナ返還に同意した。
(65)アガメムノン。
(66)この部分は、ホメロス『イリアス』第二歌冒頭の記述といくらかくいちがっている。ホメロスによると、ユピテルは、夢を通じてアガメムノンに会戦をはじめるようにと命じた。アガメムノンは、味方将兵の士気をためすために、いったん帰国を提案した。すると、戦意をうしなっていた将兵たちは、これに賛成して逃げ足だった。ウリクセスだけは、その弁舌によって味方をひきとめた。
(67)『イリアス』によると、はげ頭でびっこの、ギリシア軍中で最もみにくい、最も口のわるい男。ギリシア軍の退却を主張し、アガメムノンに侮辱的な言辞をはいたので、ウリクセスは、王杖でたたきのめした。
(68)アヤクス。
(69)ディオメデス。
(70)ディオメデスは夜間トロイア陣営に偵察にいくことを引受け、ウリクセスを道づれにえらんだ。途中でトロイア方のはなった密偵ドロン(28)をとらえて殺し、さらに敵陣営にしのびこみ、トラキア王レスス(27)の陣屋をおそった。
(71)→(28)
(72)せめてディオメデスとウリクセスとに二分するがよいとのべたアヤクスの言葉をさしている。→一〇一・一〇二行。
(73)『イリアス』では、ユピテルとラオダミア(シシュプスの孫で怪物キマエラを退治した英雄ベレロポンの娘)との息子、リュキアの王。ギリシア軍の堡塁を最初にやぶった勇将、のちパトロクルス(76)に討たれた。ただし、ホメロス以後の作者たちの説では、ユピテルとエウロパとの子〔巻七(114)〕、兄弟のミノスと支配権を争って敗れ、リュキアに逃げ、ユピテルから人間三代(あるいは六代)の長寿をあたえられたという。
(74)以下にあげられる人名は、いずれも『イリアス』第五歌六七七行、第十一歌四二二行以下からとられている。
(75)このときヘクトルにはユピテルが味方していた。→(23)
(76)パトロクルスのこと。ユピテルによりアキレスおよびアヤクスの祖父にあたるアエアクスをうんだアエギナ〔巻六(29)〕は、その後テッサリアにおもむき、英雄アクトル〔巻八(70)〕の妻となって、メノエティウスをうんだ。メノエティウスの子がパトロクルスで、したがってかれは、アエギナを通じてアキレスと血縁の関係にあり、小さいときからプティア(40)のペレウスのもとでアキレスとともに育てられ、その親友であった。ギリシア軍がヘクトルに追いつめられたとき、かれは、アガメムノンとの不和(117)のために出陣しないアキレスの許可をえて、その甲冑を身につけ、手兵を借りうけてトロイア軍を撃退し、船の火災を消しとめ、トロイアの城壁ちかくまで敵を追いつめた。が、トロイアに味方するアポロに妨げられ、ヘクトルに討たれた。
(77)『イリアス』第七歌二六一行によると、ヘクトルは、アヤクスの槍によって頸部に負傷したことになっている。
(78)テティス。→巻十二(123)
(79)→(12)(44)
(80)→(12)(17)
(81)パラメデス。
(82)ピロクテテスのこと。→(14)
(83)→巻二(163)
(84)→(29)
(85)トロイアの平野をながれる河。
(86)ギリシア。→巻三(63)
(87)アガメムノン王。
(88)トロイアのこと〔巻十一(124)〕。その予言者とは、ヘレヌスをさす。→(29)
(89)トロイアの運命をにぎるパラディウム(パラディオン)のこと。→(30)
(90)ディオメデス。
(91)小アヤクス。→巻十二(127)
(92)テッサリアのペリオン山麓にある町オルメニオンの王。ヘクトルとの一騎打ち(25)に志願した九人の英雄のひとり。巻七(72の同名の人物とは別人。
(93)アエトリアの王トアスのこと。その父アンドラエモンは、カリュドンの王で、オエネウス〔巻八(55)〕の娘ゴルゲ〔同(119)(123)〕の良人〔巻九(74)のアンドラエモンの祖父にあたることになるが、伝承の混同があるらしい〕。父子ともにトロイア戦争に参加していた。
(94)ミノス〔巻七(114)〕の孫にあたり、クレタ島の王。
(95)前者の血縁者、その戦車の馭者として、また片腕として活躍した。
(96)メネラウス。
(97)総指揮官アガメムノンとその弟メネラウス。
(98)複数形になっているが、パラディウムのことをさしている。→(30)
(99)大アヤクス。
(100)ヒュアキントゥスをさす。→巻十(44)(58)
(101)アイアス(アヤクスのギリシア名)の頭文字であるAI〔巻十(58)〕。なお、ソポクレスは、『アイアス』においてこの英雄の悲劇的な末路を劇化している。
(102)レムノス島に置き去りにされた、ピロクテテスが所持しているヘレクレスの矢のこと〔巻十四。ティリュンスについては、→巻九(9)〕。ウリクセスは、ディオメデスあるいはネオプトレムス(39)とレムノス島に赴き、ピロクテテスを帯同して矢をギリシア陣営にもち帰った。このいきさつは、ソポクレスの『ピロクテテス』に描かれている。ピロクテテスは、この矢でパリスを射殺した。
(103)レムノス島(14)の王トアス〔バックス神と、テセウスに棄てられたアリアドネとの子。→巻八(29)(32)。(93)とは同名異人〕の娘。この島の女たちは、ウエヌス女神の崇拝をおろそかにしたため、女神はかの女たちが臭気を発するようにした。そのため男たちは、女たちを棄てて、トラキアの女たちを連れてきた。怒った女たちは、レムノスのすべての男たちを殺してしまった。このとき、ヒュプシピュレだけは、父を助けた。その後、かの女はこの島の女王となった。アルゴナウタエの一行〔巻六(134)〕は、この島に立寄り、女たちと交わり、ヒュプシピュレもイアソン〔巻七(6)〕の子をうんだ。
(104)ヘクバ。→巻十一(126)
(105)犬になったのである。→五六六行以下および(126)
(106)→(63)
(107)プリアムスは、守護神ユピテルの祭壇でネオプトレムス(39)に殺され、悲運の最期をとげた。
(108)プリアムスとヘクバとの娘で、数多いトロイアの王女たちのなかでもっとも美しいといわれたカッサンドラのこと〔巻十一(124)〕。ヘレヌスの双生の姉妹。アポロ(ポエブス)に求愛され、予言の能力をさずけられたが、身をまかすことを拒んだので、その予言を人びとに信じてもらえないという罰をうけた。事実、トロイアの運命について多くの正しい予言をあたえたが、だれもそれを信じなかった。トロイア滅亡のときアヤクスの神殿に逃げこんだが、小アヤクス〔巻十二(127)〕に捕えられ、凌辱された〔巻十四(109)〕。捕虜としてアガメムノン王の女奴隷となり、ギリシアにつれていかれたが、ミュケナエに上陸したとき、王とともにクリュタエムネストラに殺された。→(61)
(109)トロイア。
(110)ヘクトルとアンドロマケとの幼い息子。→巻十二(3)。アキレスの息子ネオプトレムスに城壁から投げおとされた。なお、アンドロマケは、ネオプトレムスの奴隷となってプティア(40)につれていかれ、ネオプトレムスの死後、その王国をゆずられたヘレヌス(29)の妻となり(175)、ヘレヌスの死後、ネオプトレムスとのあいだにうんだ息子とともにミュシア〔巻一(127)〕に帰り、ペルガモン市を建設したという。エウリピデスに悲劇『アンドロマケ』がある。
(111)トロイアの女たちは、女奴隷としてギリシアにつれていかれた。エウリピデスの『トロイアの女たち』は、ヘクバを中心としたかの女たちの身の上を描いている。
(112)ウリクセス配下のギリシア兵(31)。ヘクバは、捕虜分配のさい、ウリクセスのものに決められた。
(113)トラキアのふるい住民の名。ここでは、トラキア人のこと。
(114)トラキアのケルソネスス半島の王。プリアムス王とヘクバとの長女イリオネの良人。
(115)プリアムス王とヘクバとの末子。プリアムスは、トロイアの運命が絶望的なのを知って、かれを莫大な財宝とともにポリュメストルにあずけた。以下にのべられるかれの、またポリュクセナ(119)の物語は、エウリピデス『ヘカベ』において劇化されている(ヘカベは、ヘクバのギリシア名)。ただし、ホメロス『イリアス』の叙述は、これとまったく異なり、ポリュドルスはプリアムスの側室の子で、プリアムスは弱年のかれを戦場に出さなかったが、足の速いことに自信をもってアキレスに戦いをいどんで殺されたことになっている。
(116)アガメムノン。
(117)アキレスは、リュルネッススの町を攻略したとき、そこの神官ブリセウスの美しい娘プリセイスを奴隷とし、ふかく愛しあったが、アガメムノン王が総大将の権限でこれを召しあげたため、激怒したアキレスは王に斬ってかかろうとした。アテナ女神のいさめでアキレスは譲歩したが、以後戦陣にくわわらなかった〔→巻十二(31)。『イリアス』は、この不和の場面からはじめられる〕。ヘクトルのためにギリシア軍が危地に追いつめられたときも、友人パトロクルスを代理にたてただけであった(76)。パトロクルスがヘクトルに討たれたとき、かれはその復讐のためにはじめて武器をとった。
(118)→(24)
(119)プリアムスとヘクバとの末娘。以下の物語は、エウリピデス『ヘカベ』に出てくるが、『イリアス』には名前も出て来ない。
(120)冥界。→巻一(25)
(121)→(112)
(122)アキレス。
(123)ウリクセスの妻。→巻八(84)
(124)→巻九(114)。転じてトラキアの意。
(125)トラキアの一種族。ここでは、ポリュメストルをさす。
(126)ヘレスポントゥス海峡にのぞむ、セストゥスの町に近いこの土地は、キュノスセマとよばれ、これは「犬の墓」の意である。
(127)トラキアのこと。
(128)ギリシア人たち。→巻十二(6)
(129)ユノ女神。かの女は、アルゴスの守護神で、ギリシア軍に味方していた。
(130)曙光の女神。
(131)アウロラとアエティオピア(エティオピア)の王ティトヌス(ラオメドンの子、プリアムス王の兄弟)との息子〔巻九(91)〕。トロイアの援軍に来ていたが、アキレスに討たれた。
(132)アウロラは、いかなる土地でも崇拝されていなかった(もともと詩的擬人神である)。
(133)プリアムス王。
(134)一年がたつごとに、の意。
(135)メムノンは、夭折の美少年として各地で崇拝されていた。この鳥たち(メムノニデス)は、メムノンの墓があったヘレスポントゥスの付近へ秋ごとに渡り鳥として飛来する黒鷹のことであろうといわれている。
(136)ヘクバのこと。→巻十一(126)
(137)キュテラの女神、すなわちウェヌスのこと〔巻四(35)〕。その子とは、女神がアンキセス〔巻九(95)〕とのあいだにもうけた英雄アエネアスのこと。『イリアス』では、かれは特別重要な役割を演じていないが、トロイア没落後もトロイア方でただひとり神々の加護をうけた、未来ある英雄とされた。のちローマ人たちがかれをローマの建設者に仕立て、さまざまな神話的粉飾をほどこした。それを文学的に形象化したのが、ウェルギリウスの長篇叙事詩『アエネイス』である。以下物語はローマ建設神話にうつっていくが、オウィディウスの叙述は、むろん、この同時代人のそれに従っている。
(138)アエネアスが持ちだした、神々の像のなかには、パラディウム(30)もふくまれていたという。
(139)イウルス(またはユルス)ともよばれ、アエネアスとクレウサ(プリアムス王の娘)との子。父の事業をたすけ、アルバ・ロンガ市を建設、ユリウス家(カエサルおよび初期のローマ皇帝を出した一門)の祖とされる。
(140)トロアスの海港。
(141)デロス島。→巻六(24)
(142)デロス王。アポロ(ポエブス)とロエオ〔スタピュルスの娘、巻八(32)〕との息子。普通には、オエノトロピ(ぶどう作り、の意)とよばれるかれの娘たちの数は、三人であったとされている。
(143)→巻六の三三五行。
(144)→巻五(74)
(145)トロイア戦争以前に、アンキセスはプリアムスとともにデロスに詣でたことがある。
(146)神官のしるし。→巻五(17)
(147)キュクラデス群島中の、いちばん北にある島。
(148)ポエブス(アポロ)。
(149)バックス神の別名。→巻三(67)
(150)オリーヴの実。→巻六(16)
(151)アガメムノン。
(152)ここでは、ギリシアの意。→巻十二(133)
(153)アンキセスにむかっての言葉であるから、ウェヌス女神をさす。
(154)ローマの伝説によると、トロイア人の祖であるダルダヌスはイタリアからトロイアへ移ったとされる。→巻十一(124)
(155)→巻二(64)。転じて、テバエ市(ボエオティアの)をさす。アオニアはボエオティアの別称。→巻一(65)
(156)ボエオティアの小邑。大アヤクスの大楯(注一)をつくった有名な革師テュキウスもこの町の出身である。
(157)ウェルギリウスのある詩によると、高脚杯や浮彫細工の名人であったという。テルセスについては伝不詳。
(158)七つの門をもつといわれたテバエのこと。
(159)美男の猟人オリオン〔巻八(38)〕には、メティオケおよびメニッペというふたりの娘があり、アテナ女神から機織りの天才を、ウェヌス女神から美貌をさずけられていたが、テバエ(あるいは、ボエオティアのオルコメヌス)にペストが流行し、ふたりの処女が自発的に犠牲として身をささげたら悪疫はおさまるであろうという神託が下されたとき、機織の筬《おさ》で命を断って町を救った。冥府の神プルトとプロセルピナは、ふたりをあわれみ、天上の流星に変じた。
(160)機織の筬《おさ》のこと。
(161)灰からうまれたこのコロナエの物語は、オウィディウスにのみ出てくる。普通には、オリオンのふたりの娘たちを女性形でコロニスたち(複数形コロニデス)とよぶがこれはコロヌスの娘たちの意で、コロヌスはオリオンの別名であるという。
(162)アカンサス(アカントゥス)は、あざみ属の植物、その葉をからみあわせた図柄は、コリント式柱頭などに見られるもの。
(163)→巻十一(124)。かれは、父スカマンドルスとともに、本来クレタ島の出身であるといわれる〔クレタにもトロイアにも、イダという名の山がある→巻四(54)〕。アエネアスの一行は、ポエブスの神託(六七八行)にしたがって、まずクレタ島に上陸し、そこに町を建設しはずめたが、悪疫になやまされて、結局これを放棄してイタリアにむかう。
(164)クレタ島には町が多い。→巻八(23)
(165)イタリアの古名。→巻五(77)
(166)メッセニア〔巻二(144)〕の沖にあるふたつの島。ウェルギリウスの『アエネイス』以来、怪鳥ハルピュイアエ〔巻七(5)〕の棲家があるとされた。
(167)疾風《はやて》の意で、ハルピュイアエのひとり。かの女たちの数は、ふたりとも三人ともいわれる。
(168)→(31)
(169)オウィディウスは、『アエネイス』第三歌二七一行を踏襲してネリトゥスを島と考えているようであるが、じつはイタカ島〔巻八(84)〕の山の名である。
(170)南エピルス〔巻八(57)〕の町。この町の所有をめぐってアポロ、ディアナおよびヘルクレスのあいだに争いが起り、審判者にえらばれたクラガレウスというドリュオペス人〔巻九(73)〕は、これをヘルクレスにあたえたために、アポロの怒りを招いて、石に変身させられたという。なお、この近くのアクティウム岬には、有名なアポロの神殿があった。
(171)→巻七(133)
(172)→巻五(30)
(173)モロッスス人〔巻一(50)〕の王ムニクスは、信心ぶかい予言者で、三人の息子があった。あるとき盗賊におそわれ、家に火を放たれた。ユピテルの助けにより、王と息子たちは、鳥に変身して焼死をまぬがれた。
(174)スケリアという島に住むとされた伝説上の種族。『オデュッセイア』第五歌以下にあるように、ウリクセス(オデュッセウス)は、この島に漂着し、王女ナウシカアに救われ、アルキノウス王に歓待される。この国のゆたかで平和な生活については、『オデュッセイア』第七歌一一二行以下に語られている。
(175)ヘレヌスのこと(29)(110)。トロイア滅亡後かれは、ネオプトレムス(39)とともに陸路エピルスに移住し、ネオプトレムスの死後その領土をゆずられ、アンドロマケを妻とし、カオニアを支配し、トロイアを真似てブトロトゥスの町づくりをした。さらに、死にさいして、王国をネオプトレムスの息子のひとりモロッススにゆずった〔巻一(50)〕。『アエネイス』では、かれはアンドロマケとともにアエネアス一行を歓待したことになっている。
(176)シキリア(シチリア)島の古名。
(177)シキリア島の町メッサナ(メッシナ)の古名。
(178)→巻七(19)(20)
(179)「乳白の女」の意で、海の妖精、ネレイデス〔巻一(62)〕のひとり。牧歌詩人たちが好んで題材にするアキス(185)との恋によって知られる。
(180)→巻二(6)。「水いろのからだ」という表現については、→巻一(60)
(181)→巻一(53)。ここではそのひとりであるポリュペムスのことで、かれは海神ネプトゥヌスと妖精トオサ〔ポルキデスのひとり、巻四(133)〕との子とされる。ウリクセスとの有名な戦いについては、巻十四の一六七行以下および(50)を見よ。
(182)スキュラの母。→巻七(20)
(183)→巻一(41)
(184)シキリア島の東海岸の河(現今のジァレッタ河)
(185)ファウヌスとシュマエトゥス河の妖精との子、アエトナ火山の近くを流れる同名の河の河神となる。
(186)ポリュペムスは、アエトナ山中の洞穴に住み、家畜を飼ってくらしていた。
(187)『オデュッセイア』第九歌五〇九行に出てくるすぐれた予言者・鳥占者
(188)テレムスのこの予言は実現する。→巻十四(50)
(189)いぼたの木は、もくせい科のかん木、真白い花をひらくので白色の比喩に使われる。
(190)仔牛の胃に凝乳酵素がふくまれているので、これを使って凝乳《チーズ》をつくる。
(191)海神ネプトゥヌス。→(181)
(192)シュマエトゥスの河神である祖父とおなじく、アキスも河に転身するのである。
(193)河神は、牡牛の姿で想像された。オケアヌスやネプトゥヌスのように、全身が牡牛のこともあれば、牡牛の胴体に人間の頭をして、ひげと角をはやしていることもあり人間の胴体に牡牛の頭をつけていることもある。
(194)→巻一(62)
(195)→巻七(51)。なお、この名前は、「青緑いろの、灰色の、するどい眼の」という意で、同名の人物が多い。
(196)→巻七(50)
(197)→巻二(4)
(198)→巻一(71)
(199)→巻四(100)(104)
(200)→巻二(11)
(201)→巻四(41)。ティタン神族にぞくする太陽神ソル〔同(30)〕の娘で、アエアエアという伝説上の島に住むとされた。→巻十四(8)
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巻十四
一 スキュラと魔女キルケ
さて、白波たつエウボエアの住人(1)は、むかし巨人(2)の喉の上にのせられたというアエトナの山と、股鍬《またぐわ》や鋤《すき》の効用も知らなければ、軛《くびき》につながれた牛たちの恩恵をうけたこともないキュクロプスたちの土地(3)とをあとにして、ザンクレ(4)の町やその対岸にあるレギウム(5)の城壁、また、アウソニア(6)とシキリアとのふたつの岸にはさまれて両方の国の境界になっている、多くの難船で名高い海峡をすぎていった。
グラウクスは、そこからテュレニア(7)の海を力づよい腕で泳ぎきり、太陽神ソルの娘キルケの住む、草しげき丘とかりそめの姿の野獣たち(8)のたくさんいる館《やかた》へと近づいていった。かれは、キルケを見ると、たがいに挨拶をすませてから、こういった。
「おお、女神よ、どうかひとりの神をあわれんでください。といいますのは、わたしにそうしていただく値打があるとお考えになりますなら、わたしのこのはげしい恋の焔をやわらげてくださることができるのは、あなただけだからです。おお、ティタンの娘(9)よ、薬草の力がどんなに大きいものか、そのおかげで姿の変ったわたしほどよく知っている者はありますまい。どうかわたしの胸をもだえさせているわけを聞いてください。メッサナの町の城壁にむかいあったイタリアの海岸で、わたしはスキュラを見そめたのです。わたしがスキュラにあたえた約束、懇願、やさしい言葉、さてはかの女が耳もかさなかった恋のささやきなどは、とても恥かしくてここにくりかえすことはできません。しかし、もし呪文というものにいくらかでも、力があるのなら、それをあなたの神聖な口でとなえてください。それとも、薬草の方が有効だというのなら、よく効く薬草の折紙つきの力を使ってみてください。わたしは、自分の苦しみをしずめてくれとか、こころの痛手をなおしてくれとか、たのんでいるのではありません。この恋の火を消してほしいというのではなく、わたしを焦がしているこの恋の焔をスキュラも感じるようにしてほしいのです」〔一〜二四〕
キルケのうまれつきの性質がそうだったのか、あるいは、かの女の父親に秘密をあばかれて怒ったウェヌス(10)がかの女をそんなふうにしてしまったのかもしれないが、キルケほどこのような恋の情火にもえやすいこころをもった女はいなかった。そこで、かの女はこう答えた。
「あなたは、そんな女を追いかけるよりも、あなたに気があって、あなたとおなじことをもとめ、おなじ情熱にとらえられている女をおさがしになる方がよいとおもいますわ。あなたほどの方なら、女の方から先に言い寄るのが当然です。あなたなら、きっとそうなれたはずですわ。いまだって、望みがあるとほのめかしてさえくだされば、きっと女の方から言い寄りたくなります。いいえ、お疑いにならないで。あなたがご自分の美しさに自信をおもちになるように申しあげますが、女神であり、かがやかしい太陽の娘であるわたし、呪文によっても薬草によってもおそろしい力をあらわすことのできるわたしでさえ、あなたのものになりたいとこころからおもいますもの。あなたをきらう女なんか、こちらから棄てておやりなさい。そして、あなたに首ったけの女に愛をむくいてくださいな。そうすれば、ふたりの女にそれぞれ望みのものをあたえることになるわけで、一石二鳥とはこのことですわ」
この誘いの言葉にたいして、グラウクスは答えた。「いや、海の底に樹木の葉がはえ、山の頂上に海藻がしげろうとも、スキュラの生きているかぎり、わたしの愛は変りません」〔二五〜三九〕
女神は、ひどく腹をたてた。そして、グラウクスを傷つけるわけにはいかないし、惚れていたから傷つけてやろうという気にもならないので、自分をさしおいて男のこころをとらえたスキュラにその怒りをむけた。こうして、愛をこばまれたことに憤慨しつつ、すぐさま猛毒をふくんだ汁液によって知られている薬草をこまかく切りきざみ、それをすりつぶしながら、ヘカテ(11)の呪文をとなえた。それから、水いろの衣をまとい、じゃれつく野獣たちのあいだをぬけて館から出ると、ザンクレの岩の対岸にあるレギウムにむかって立ちさわぐ波の上をすすんでいった。まるで固い土をふむように波の上に足をのせ、足をすこしもぬらさないで海面を渡っていった。
さて、岸辺が弓のようにまがったひとつの入江があって、スキュラはいつもここに来て休むのが好きであった。海が荒れて泳げないときとか、太陽が行程の半ばに達して暑さが最もきつく、その垂直の光をうけて物影が最も短くなるようなとき、暑気をさけてこの静かな入江に来るのであった。
女神は、まずおそろしい毒をまきちらしてこの場所をけがし、草の根からしぼった毒液をふりそそぎ、聞いたこともないような言葉をつなぎあわせた、わけのわからない呪文を、魔力をもった口で九度ずつ三度となえた。
しばらくすると、スキュラがあらわれた。そして、胴のまん中あたりまで水にひたるやいなや、犬のような吠え声をあげる怪物たちがからみついて、腰が世にもみにくい恰好になってしまったことに気がついた。初めは、それがからだの一部であるとはおもわず、逃げたり、追い払おうとしたりして、おそろしい犬どもの口をこわがっていたが、逃げても逃げても犬どもはつきまとってきた。かの女は、ふとももや脚や足はどうなったのだろうかとさがしまわったが、それらはどこにも見あたらず、ケルベルス(12)のそれにも似たおそろしい犬どもの口があるばかりであった。かの女のからだは、足で立っているのではなく、これらの猛犬どもが足のかわりをしているのだった。そして、胴は腰のところでなくなり、その上に上体がのっかり、それが下半身をなす猛犬たちの背中とくっついていた。〔四〇〜六七〕
スキュラを愛していたグラウクスは、このありさまを見て涙をながし、薬草の魔力をあまりにも無残な使い方をしたキルケの求愛から身をもって逃れた。スキュラは、その場所に居をさだめ、機会を見つけて、キルケにたいする怨みからウリクセスの仲間をうばいとった(13)。
かの女が今日でもなお波の上にそびえている岩に姿を変えられなかったとしたら、ウリクセスらのすぐあとからやってきたトロイア人たち(14)の船も、おそらくその餌食になっていたことであろう。岩になってからでも、船人たちは、ここを避けて通るようにしている。〔六八〜七四〕
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二 猿になったケルコペス
さて、トロイア人たちの船(15)は、このスキュラの岩と貪欲なカリュブディスの渦をうまく漕ぎぬけ、アウソニアの海岸に近づいていったが、そのとき風がおこって、リビュア(16)の海岸に吹きながされてしまった。ここで、シドン(17)うまれの女王(18)が、アエネアスにその愛と宮殿をささげたが、かの女は、このプリュギア人の良人から別れの悲しみを味わわねばならなくなった。そして、悲しみのあまり、犠牲をささげるためと称してつくらせた薪の山の上でみずから抜いた剣の上に身を投げ、すべての人びとを欺くことによって自分の欺かれた愛に終止符を打った(19)。〔七五〜八一〕
アエネアスは、この砂の多い国のあたらしい城下をのがれると、ふたたびエリュクス(20)の町と誠意のあついアケステス(21)のもとに帰り、犠牲をささげて亡父(22)の墓をまつった。それから、ユノに派遣されたイリスのためにあやうく焼きはらわれるところであった船(23)の錨をあげて、あつい地底から濛々たる硫黄の煙をふきあげているヒッポテスの息子(24)の王国や、アケロウスの娘たちのシレネス(25)の岩をすぎ、舵手をうしなったまま(26)イナリメ(27)、プロキュタ(28)、不毛の丘で出来ていて、そこの住民の名をとってピテクサエ(29)と呼ばれている島々に沿うてすすんでいった。むかし神々の父は、ケルコプスたち(30)の欺瞞と偽誓とこのような小ざかしい民の罪とをにくみ、かれらを人間に似てはいないようでありながら似ているようにも見える不恰好な動物(31)に変えてしまった。神は、かれらのからだを短くし、鼻を顔からへこませて上にまげ、老婆のように顔じゅうを皺だらけにした。さらに、全身を褐色の毛でつつんで、この住地に送った。もちろん、そのまえに言葉とおそろしい偽誓に適した舌とを使えないようにしておいた。かれらにのこされたのは、ただしわがれた鋭い叫びごえで悲しみを訴える能力だけであった。〔八二〜十〇〇〕
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三 クマエのシビュラ
アエネアスは、この地をすぎ、パルテノペ(32)の城壁を右に、喨々《りょうりょう》と喇叭《らっぱ》をかなでるアエオルスの子(33)の墓と沼沢の多い海岸とを左に見て、やがてクマエ(34)の岸につき、長生きをしているシビュラ(35)の洞窟に入っていった。そして、アウェルヌス(36)を通って父の亡霊に近づくことはできまいかとたずねた。シビュラは、ながいこと地面をじっと見つめていたが、やがて視線をあげると、たましいにのり移った神のために興奮しながら(37)、
「その右腕は剣により、その孝心は炎によって(38)折紙をつけられた武勲かがやかしき英雄よ、なんじの願いは、尋常のことではない。されど、トロイア人《びと》よ、怖れることはない。なんじの願いは叶えられるであろう。なんじは、わが導きによりエリュシウム(39)の家々、世界の最後の部分をなす国(40)、およびなんじの父のなつかしき亡霊を見るであろう。善徳にはいかなる道もとざされることはないのだ」
こういって、かの女は、アウェルヌスのユノ(41)にささげられた森のなかにある黄金にかがやく小枝をしめして、それを幹から折りとれと命じた。アエネアスは、そのとおりにした。すると、おそろしいオルクス(42)の宝(43)や、かれの先祖たちや、また高潔の士であったアンキセスの年老いた霊が見えた。また、かれは、父からこの国の風習や制度、さらに、あらたに起こる戦争でかれがどんな危険に身をさらさねばならないかなどを教えられた。やがて、かれは眼のまえにある胸をつくような急な坂道を疲れた足どりでひきかえしながら、案内してくれたクマエの巫女《みこ》と言葉をかわして疲れをまぎらした。〔一〇一〜一二一〕
かれは、おそろしい道をたどって薄くらがりのなかを抜けていきながら、「あなたがほんとうに女神でいらっしゃるにせよ、神々の寵愛をうけられた人間であるにせよ、わたしにとっては、あなたはいついつまでも女神でいらっしゃるでしょう。わたしの命があなたのおかげであることを、わたしはよろこんで告白します。なぜなら、あなたはわたしを死の国に案内し、わたしが死の国を見てからも、無事そこから生きて帰れるようにしてくださったからです。地上に出ましたならば、この大恩にむくいるために、あなたにお社《やしろ》をたてて、香をささげましょう」
すると、巫女は、かれの方をふりかえって、ふかいため息をつくと、こう答えた。「わたしは女神ではないし、あんたも、人間の頭を香をたいて祀《まつ》る値打ちがあるなどと考えてはいけない。なにも知らぬあんたが考えちがいをしないように教えてあげるが、わたしはな、もしポエブスさまの愛にわたしの処女のからだをささげていたら、あるいは永遠の、かぎりなき生命をあたえられておっただろう。ポエブスさまは、わたしをなんとか自分のものにしたいとおもい、いろいろな贈物で誘惑しようと懸命になって、こうおっしゃったのじゃ。『クマエの乙女よ、なんなりと好きなことをのぞむがよい。その願いは、かならず叶えられるであろう』そこで、わたしは、片手にいっぱいの砂をつかんで、それをさしだすと、この一握りの砂つぶの数とおなじだけの寿命がつづきますようにとお願いしたまではよかったが、おろかなことに、同時に若さをもあたえてくださいとおたのみするのを忘れてしもうた。もっとも、神さまは、わたしが言うなりになれば、砂の数だけの寿命はもちろん、永遠の青春もさずけてくださるおつもりだった。ところが、わたしは、せっかくの贈物も恩に着ないで、とうとう独身でおしとおした。だがな、そのうちに楽しい青春時代もすぎさり、よぼよぼの老年が、ふるえる足どりでやってきたのじゃ。そして、この先まだまだ長いことそれに耐えていかねばならん。それというのも、ごらんのとおり、わたしはもう七世紀も生きてきたが、砂つぶの数とおなじだけの年齢になるためには、まだ三百回の収穫、三百回のぶどう摘みを見なければならないのでな。このような長い年月のためにこれだけ立派なわたしのからだもしだいに小さくなり、手足も老衰のためにすりへって、吹けばとぶくらいの重さしかなくなってしまうような日が来るだろう。そうなったら、むかし神さまに愛されたとか、気に入られたことがあるなどとは、とても信じてもらえんだろう。ポエブスさまご自身だって、わたしだとはお気づきになるまいし、たとえお気づきになったとしても、わたしを愛したことを否定なさるにちがいない。それほど見る影もない姿になりはてるじゃろう。しかし、だれの眼にも見えないほど小さくなっても、声を聞いてもらえば、わたしだとわかるだろう。運命も、声だけは残しておいてくれるにちがいないからな(44)」〔一二二〜一五三〕
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四 アエネアスに救出されたアカエメニデス
シビュラは、けわしい坂道を歩きつづけながらこのように語ったが、やがてトロイアのアエネアスは、ステュクスの国をあとにして、ふたたびエウボエア人の町(45)へ出てきた。そして、しきたりにしたがって犠牲をささげて約束をはたすと、そのころはまだかれの乳母(46)の名前がついていなかった海岸へと出かけた。ここは、知恵者ウリクセスの仲間であったネリトゥスのマカレウス(47)がながい艱難辛苦の末に住みついていた土地であった。マカレウスは、かつてアエトナの岩の多い山中に置き去りにされたアカエメニデス(48)がアエネアスの一行のなかにいるのをみとめ、はからずも生きてかれに再開できたことをおどろきながら、こうさけんだ。
「アカエメニデスよ、いったい、どうしためぐりあわせで、いや、どんな神さまのおかげで、きみは救われたのだ。ギリシア人が、異国の船に乗りこんでいるとは、どうしたわけだ。きみたちの船は、どこの国をめざしていくのだ」
こう訊かれて、アカエメニデスは答えた。かれは、もうぼろぼろの衣はきていず、以前のようにちゃんとした身なりをし、衣を茨のとげでとめておくような見苦しい恰好(49)ではなかった。「おれが故郷の家やイタカをこの船よりもなつかしくおもい、アエネアスをおれの親父よりも軽んじるようになったら、おれは自分からすすんであのポリュペムスと人間の血がしたたる奴の口とをもう一度見に出かけるだろう。たとえアエネアスのために水火も辞さないほどの働きをしても、かれにたいする感謝の気持は、とうていあらわしつくせないだろう。こうして話をし、息をし、空と太陽の光を見ることができるのも、すべてかれに助けられたおかげだ。それにたいして、どうして恩知らずになれよう。どうしてそれを忘れられよう。かれのおかげがあったればこそ、命の綱をキュクロプスの歯に断ちきられないですんだのだ。いまなら、たとえこの世の光とわかれることがあっても、ちゃんと墓に埋めてもらえるし、すくなくともあんな怪物の腹のなかに葬られずにすむだろう。ただひとり置き去りにされ、きみたちの船が沖に出ていくのを見たとき、もう怖ろしさのために感情も考える力もなくなってしまっていたが、もしそうでなかったら、あのときどんな気持がしたことだろう。おれは、叫びたいとおもった。が、そのために怪物に居場所を知られるのがこわかった。ウリクセスの叫び声でさえ、あやうくきみたちの船を沈めてしまうところだったのだ(50)。おれは、キュクロプスが山から大きな岩をひきぬいて、海中めがけて投げ込むところを見ていたのだ。かれが巨人のような腕で二度目に投げた大岩は、まるで大きな投石器から発射されたようなすごい勢いでとんでいった。おれは、自分が船にのっていないことも忘れて、きみたちの船が波と風のあおりをくらって沈みはしまいかと身ぶるいしたものだった。きみたちが無事虎口を脱してしまうと、キュクロプスは、うなりながらアエトナ山中を歩きまわった。行手にある樹々を手さぐりしていくんだが、なにしろ眼が見えなくなってしまったものだから、岩にぶつかることもあった。そして、血まみれになった手を海の方にのばしながら、アカイア人(51)全体に呪いの言葉をあびせた。『おお、もしなにかの都合でウリクセスか、その仲間のだれかでもここにもどってくるようなことがあれば、おれはそいつにこの怒りを爆発させてやるぞ。はらわたを食いちぎり、右手でいきながら手足を引っこぬき、その血で喉をうるおし、四肢を噛みくだいて、歯のあいだでぴくぴく痙攣させてやるぞ。そうすれば、光をうばわれた不幸ぐらい、なんでもなくなるだろう。すくなくとも、大した損害とはおもわなくなるというものだ』怪物は、このようなことや、そのほかにもまだいろんなことをわめいた。おれはというと、まだ血にぬれたかれの顔、おそろしげな手、光をうばわれた眼の穴、巨大な図体、人血のこびりついたひげなどを見て、怖ろしさのためにふるえあがってしまった。死は、眼のまえにあった。しかし、これはまだおれの怖れている不幸のうちでいちばん小さいものだった。いまにかれにつかまって、手足もろとも腹のなかに呑みこまれてしまうだろう、とおれは観念しておった。仲間ふたりのからだが三、四度地上にたたきつけられたのを見た、あのときの様子(52)がまざまざと眼のまえにうかんだ。あのとき、ポリュペムスは、毛をさかだてた獅子のようにふたりの死骸の上にかがみこんで、はらわたや肉やら白い髄のある骨を呑みこみ、まだぴくぴく動いている手足までも貪欲な腹につめこんでしまったものだ。おれは、怖ろしさに全身ががくがくした。かれがこの血まみれのご馳走を噛みくだくと、それを口から吐きだして酒とまぜて、一気に呑みくだした有様を思いだすと、もう゜しくて血の気もなくなり、その場に立ちすくんだ。そして、哀れなおれにもおなじ運命が待ちかまえているのだ、とおもった。このようにして何日ものあいだ、おれはじっとかくれていて、ちょっとした物音にもぎくりとおびえながら、死をおそれると同時に、いっそのこと死んでしまいたいとも願った。樫の実や草を木の葉とまぜてわずかに飢えをしのぎ、ただひとり救いの手もなく、希望もなく、死と復讐にさらされておった。こうして長いことたったある日、はるか遠くにこの船の姿が見えたのだ。おれは、手ぶり足ぶりで助けてくれと哀願し、海岸まで走っていった。人びとは、おれに同情してくれた。こうして、トロイアの船がギリシア人を拾いあげてくれたのだ。だが、むかしの仲間よ、きみもまた、きみの身の上を聞かせてはくれまいか。そして、きみの指揮官(53)や波のまにまにただよう仲間たちのことを話してくれたまえ」〔一五四〜二二二〕
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五 風神アエオルスの贈物/ウリクセスとキルケ
そこでマカレウスは、ヒッポテスの子アエオルスがトゥスクスの海(54)を治め、風たちを牢獄にとじこめているという話をはじめた。ドゥリキウムの王(55)は、アエオルスから牛の皮袋にとじこめた風を大切な贈物としてもらった(56)。そして、順風にのって九日間走りつづけたあげく、やっと待ちのぞんだ故国(57)が見えるところまで近づいた。
ところが、九日目の夜がすぎて、翌朝のあけぼのが白みはじめたころ、仲間の者たちは、袋のなかには黄金が入れてあるのだろうと邪推して、不満と欲心とにたまらなくなって、風をとじこめてある袋の結び目をほどいてしまった。すると、たちまち船は、いままで走ってきた海上を逆に吹きもどされて、ふたたびアエオリア島の王(58)の港に帰りついた。「それから」と、マカレウスはつづけた。
「おれたちは、ラエストリュゴネス族(59)の王ラムスがきずいた古い都に着いた。いまは、アンティパテスがこの国を支配しておった。おれは、ふたりの従者をつれて王のもとに派遣された。おれと従者のひとりは、やっとのことで命からがら逃げだすことができたが、残ったひとりは、このラエストリュゴネス族の王の神をおそれぬ口をその血でいろどったのだ。アンティパテスは、おれたちを追いかけ、その手下をよびあつめた。かれらは、大勢あつまって、岩や材木を投げつけて、味方の船をみな沈めてしまった。けれども、おれたちがウリクセスといっしょに乗っていた船だけは、逃げだすことができた。おれたちは、失った仲間たちのために涙をながし、声高く嘆きながら、やがていまここからもはるか彼方に見えているあの土地(60)に到着した。自分で行ったから言うのだが、あの島は遠くから眺めているのがよいとおもう。おお、トロイア人のなかで最も正しい人、女神のおん子、アエネアスよ、もはや戦争もすんで、あなたを敵と呼ぶ理由もなくなったからご忠告しますが、キルケの住む岸辺は避けなさるがよい。わたしたちも、船をキルケのいる岸にとめたとき、アンティパテスやキュクロプスのことを思いだして、だれもみな出かけていくのをいやがりました。ところが、未知の館に入っていく役を籤できめることにしたのです。すると、なんとしたことか、籤は、このおれにあたって、忠実なポリテス、エウリュロクス、なみはずれた酒飲みのエルペノル、そのほかに十八人の仲間をつれてキルケの宮殿へのりこむことになってしまったのだ。
さて、出かけていって、宮殿の入り口までくると、たくさんの狼やら牝熊や牝獅子やらがたむろしていて、おれたちはすっかりこわくなってしまった。しかし、これらの獣どもは、どれもこわいことはなく、おれたちをすこしも傷つけようとしないばかりか、尻尾さえふりながら、召使いの女たちがおれたちを迎えて、大理石を敷きつめた大広間をよぎって女主人のところへ案内していくときまで、甘えながらついて来た。キルケは壮麗な部屋の奥のりっぱな王座にすわり、眼もくらむばかりの衣裳をつけ、その上に黄金をちりばめた薄帛《うすぎぬ》をかぶっていた。そのまわりには、ネレイデス(61)やその他の妖精たちがいた。かの女たちは、せわしげな指先で羊の毛をえりわけたり、しなやかな糸をつむいだりはしないで、薬草の整理をしたり、ちらかった花や色とりどりの草を籠《かご》によりわけたりしておった。キルケは、かの女たちの仕事をみずから監督しているわけだが、これらの葉の使い道や、それらをまぜあわせたものの効用は、かの女だけしか知らないのだった。そして、重ねわけられたこれらの草を丹念にしらべておった。〔二二三〜二七〇〕
キルケは、おれたちを見、たがいに挨拶をかわすと、いかにも晴れやかな顔つきを見せ、いかにもおれたちの願いに応じてくれそうな様子であった。かの女は、すぐさま炒《い》り麦と蜜と、つよい酒を凝乳にまぜる(62)ように命じ、みずからそれに毒液をひそかにたらしたが、甘味に消されてそれとわからなかった。おれたちは、女神みずからさしだした杯をうけた。そして、かわききった口でそれを飲みほし、残忍な女神が杖でおれたちの頭髪をなぜるやいなや、口にするのも恥かしい話だが、おれはたちまち全身に剛毛《こわげ》がはえはじめ、口がきけなくなり、言葉のかわりに、しわがれた唸り声が出てくるばかりで、顔は地面の方にさがりだした。さらに、口はかたくなって、そりかえった豚の鼻づらになり、首には肉がもりあがり、いままで杯をもっていた両手は、前趾《まえあし》にかわってしまった。そして、おなじ憂《う》き目にあった仲間たちといっしょに(この魔薬の力は、それほど強かったのだ)、豚小屋にとじこめられてしまった。見ると、ただひとりエウリュロクスは、豚の姿になることをまぬがれた。かれだけは、さしだされた杯に唇をふれなかったんだ。かれがもしそれを辞退しなかったならば、おれはいまでも剛毛につつまれた家畜どもの仲間入りをしていることだろうし、ウリクセスも、かれからこの大きな災難の注進をうけて、キルケのもとへ復讐に来てくれることもなかっただろう。
ウリクセスは、平和の使者であるキュレネの神(63)から一輪の白い花をもらった。神々がモリュとよんでいる花で、まっ黒な根から咲きだしたものだ(64)。この霊草と神からさずかった忠告とのおかげで、ウリクセスは臆することなくキルケの宮殿に足をふみ入れ、例の魔酒の杯をすすめられると、キルケが杖でかれの髪の毛をなでようとするのをおしのけ、剣を抜きはなって、ふるえるかの女をおどしつけた。そこで、ふたりは、握手をして、誓いをとりかわした(65)。それから、キルケと床入《とこい》りをすることになったとき、ウリクセスは、婚資のかわりに仲間のおれたちをもとの姿にもどすことをかの女に要求した。そこで、おれたちは、なにやら知らぬ草の霊液をふりかけられた。キルケは、杖を逆さにしておれたちの頭をうち、まえにとなえたのとは反対の呪文をとなえた。ところが、その呪文がすすむにつれて、おれたちはしだいに身をおこし、地面から立ちあがった。全身の剛毛《こわげ》はぬけ、ふたつに裂けた足の蹄はなくなり、肩がもとのようにあらわれ、肱のところから前腕が出てきた。おれたちは、うれし涙をながし、おなじように泣いているおれたちの統率者をだきしめ、かれの首にいつまでもしがみついていた。おれたちが最初に口にした言葉は、こころからの感謝をあらわす言葉以外のなにものでもなかった。〔二七一〜三〇七〕
おれたちは、この土地に一年間腰をすえておった。このながい滞在中に、じつにさまざまなことをこの眼で見たり、この耳で聞いたりしたものだ。つぎの話も、そのうちのひとつだが、このような秘法の密儀に立会った侍女のひとりがこっそり話してくれたものなんだ。
ある日のこと、キルケがおれたちの頭目と水入らずでいる隙に、この侍女は、まっ白な大理石できざまれた若者の像を見せてくれた。若者は、頭の上に啄木鳥《きつつき》をいただいて、お堂のなかに安置され、たくさんの花環がかざってあるんだ。この若者は、だれなのだろう。なぜお堂にまつられているのだろう。鳥を頭にとまらせているのは、どういうわけがあるのだろう。そうおもって訊ねると、その侍女の妖精は、こういった。『まあ、お聞きなさい、マカレウスさん。わたしの女主人さまの力がどんなに大きいか、この話からでもわかりますわ。でも、これから申しあげることを注意ぶかく聞いてくださいね』〔三〇八〜三一九〕
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六 ピクスとカネンス
『むかし、このアウソニアの地は、サトゥルヌス(66)の子ピクス(67)が治めていたのです。かれは、たいへんに軍馬が好きでした。ここにごらんになっているのが、かれの姿ですわ。どんなに美しい人であったかは、ごらんになっておわかりでしょうし、この像からもとの本人を想像することができましょう。こころばえの立派さも、美しい姿にふさわしいものでした。かれは、ギリシアのエリスで五年ごとに催される競技(68)にまだ四度しかめぐりあっていませんでした。しかし、ラティウム(69)の山々からうまれたドリュアス(70)たちは、すでにかれの容姿に眼をひかれていましたし、泉に住む妖精《ニュムベ》たちも、かれに胸を焦がしていました。また、アルブラ(71)、ヌミキウス(72)、アニオ(73)、非常に流れのみじかいアルモ(74)、激流岩をかむナル(75)、木蔭の多いファルファルス(76)などの流れのナイスたち、さらに、森のなかにあるスキュティアのディアナの池(77)やその近くにあるいくつかの湖に住む妖精たちも、みなおなじようにピクスにあこがれていました。けれども、かれは、かの女たちをみなきらって、ただひとりの妖精だけを愛していました。この乙女は、かつてウェニリア(78)がふたつの顔をもったヤヌス(79)の胤《たね》をやどしてパラティウム(80)の丘でうんだのだということです。かの女は、年ごろになると、ほかのすべての求婚者たちをさしおいて、このラウレントゥム(81)のピクスの妻になりました。
かの女は、まれに見る美しい女でしたが、それにもまして歌をうたうことが上手でした。カネンス(82)という名をつけられていたのも、そのためでした。かの女は、その歌で森や岩をうごかし、野獣たちを馴らし、川の流れをとめ、空とぶ鳥たちをひきとめたものでした。
ある日のこと、かの女が美しい声で歌をうたっているあいだに、ピクスは、この土地の猪を仕止めようと、館《やかた》を出てラウレントゥムの森へ出かけました。はやりたつ駿馬にまたがり、左手に二本の投槍をもち、紫紅の上衣には黄金の止め金をとめていました。このとき、あのソルの娘キルケさまも、おなじ森にやってきました。ここの緑なす丘で新しい草を摘むために、ご自分の名前にちなんだキルカエアの野(83)からやってきたのでした。ところが、木蔭にかくれてこの若者の姿を見るやいなや、はっと息をのんで、つみとった草を手からおとしてしまいました。あつい焔が全身の髄のなかまでかけめぐるような気がしたのです。そして、このはげしい情炎からわれにかえると、すぐさま胸の思いをうちあけようとしました。しかし、馬はとぶように走っているし、供の者たちがぐるりととりまいているので、若い王に近よるわけにもまいりません。
「でも、たとえ風がおまえを運びさろうとも、このわたしが見そめたかぎり、わたしの草のあらゆる力が消え去らず、わたしの呪文がわたしを裏切らないかぎり、おまえはのがれることができないであろう」キルケさまは、こういうと、実体のない猪のまぼろしをつくり、それが王の眼のまえを走りすぎて、森のなかでもいちばん樹のしげった、馬も通れないような密林にとびこんだように見せかけました。すると、たちまちピクスは、たくらみとは知らずにまぼろしの獲物を追いはじめ、泡だらけの馬の背からいそいでとびおりると、むなしい希望を追いもとめて、徒歩《かち》で森の奥へとわけ入りました。そこで、キルケさまは、祈りの言葉を口にし、魔法の呪文をとなえました。いつも白い月の顔をくもらしたり、父なる太陽の頭を雨雲でかくしたりするときにお使いになるふしぎな呪文をとなえて、人の知らない神々に祈られたのです。このときも、呪文をとなえているうちから一天にわかにかき曇り、大地からは濃い霧がたちのぼって、供の者たちは、まっ暗な小径を右往左往し、護衛の者も、王の姿を見うしなってしまいました。女神さまは、ちょうどよい場所と時を見はからって、こういいました。
「おお、この世で最も美しい若者よ、わたしの眼をとらえてしまったあなたの眼にかけて、また、女神であるわたしを魅惑し、あなたのそばへ惹きよせてしまったその美しい姿にかけてお願いしますが、どうかこの胸の情炎をしずめてください。そして、すべてを見そなわす太陽(84)をあなたの舅《しゅうと》にして下さい。ティタンの娘であるこのキルケをすげなくこばむようなことはしないでください」
けれども、王は、キルケさまをも、その願いをもすげなくしりぞけて、「あなたがだれであろうとも、わたしはあなたのものになることはできない。ほかの女性がすでにわたしのこころをとらえてしまっているし、わたしの方でも、かの女がいつまでもわたしをとらえていてくれるようにと願っているのだ。運命がヤヌスの娘カネンスをまもっていてくれるかぎり、よこしまな情事によって夫婦のきずなをけがすようなことは、とうていできないのだ」ティタンのお姫さまは、いくども懇願をくりかえしましたが、どうしてもだめだとわかると、
「よし、そのままではすまさぬぞ。そして、二度とカネンスのもとへは帰らさないぞ。恋をしりぞけられた女がどれだけの力をもっているか、事実をもって思い知らせてやる。恋をしりぞけられたのは、キルケであるぞ」こういうと、西に二度、東に二度ふりむいて(85)、その杖で若者に三度ふれ、三つの呪文をとなえました。かれは、逃げだしました。ところが、いつもより早く走れるのに、われながらびっくりしました。見ると、自分のからだに翼がはえているではありませんか。
かれは、自分が突然うまれた新しい鳥としてラティウムの森に棲むようになったことに憤慨して、かたい嘴で樹々の幹をつつき、怒りにまかせて長い枝をきずつけました。その羽毛は、かれの緋の上衣の色をうけつぎ、衣をとめていた止め金の黄金は、羽毛となり、黄金いろの輪となって首筋をとりまいていました。もとのピクスのもので残っているのはその名前(86)ばかりとなってしまいました。〔三二〇〜三九六〕
一方、ピクスの供の者たちは、野原をかけめぐりながらなんども主人の名前をよびましたが、その姿はどこにも見つかりませんでした。が、そのとき、かれらは、キルケさまと鉢合せをしました。といいますのは、キルケさまは、たちこめた霧をうすれさせ、風と太陽が雲を吹きはらうことをおゆるしになったからです。かれらは、当然の非難をキルケさまにあびせて、王を返せとつめより、腕力にさえ訴えて、おそろしい槍を投げつけかねない様子でした。そこで、キルケさまは、毒草や毒汁をあたりにまきちらすと、夜と夜の神々とを暗黒《エレブス》と混沌《カオス》(87)から呼びだし、ながい気味のわるい喚《わめ》き声でヘカテに祈りをささげました。すると、語るもふしぎなことですが、森は地面からはねあがり、地鳴りがおこり、あたりの樹々は蒼ざめ、草は血しぶきに赤くそまり、岩はものすごい唸りを発し、犬どもは吠え、地上には黒々とした蛇どもがのたうち、空中にはもの言わぬ亡霊どもがとびまわるような気がしました。人びとは、この怪異におどろきおそれて、立ちすくんでしまいました。キルケさまは、立ちすくんでいる人びとの呆然とした顔を杖でふれました。すると、若者たちは、いろいろなふしぎな動物の姿にかわってしまい、もとの姿のままでいる者は、ひとりもいなくなりました。
やがて、西に沈みゆくポエブスがタルテッススの岸辺にその光をそそぐころになりました(88)が、カネンスは、良人の帰りをいまやおそしと首をながくして待っておりました。召使いや臣下の者たちは、手に手に炬火《たいまつ》をかざして、方々の森に手わけして捜索に出かけました。カネンスは、涙をながし、髪の毛をかきむしり、悲しみのために胸を打つだけでは気がすまず、むろんこれらのことをしましたが、家からとびだすと、気が狂ったようにラティウムの野を駈けめぐりました。六日六晩のあいだ、一睡もせず、なにも食べず、山をこえ、谷をわたり、足のおもむくままに歩きつづけました。あげくのはてに、テュブリス河(89)は、悲しみと疲労のためにやつれきったかの女がその広い河岸に行きだおれているのを見ました。かの女は、哀傷きわまりない嘆きの歌をかすかな声で涙ながらにうたいました。それは、たとえば瀕死の白鳥がうたう辞世の歌のようでした。そのからだは、ついに悲しみのために骨の髄までとけていって、しだいに軽い空気のなかに消えうせてしまいました。けれども、その悲話は、昔のカメナたち(90)がこの妖精の名前にちなんでカネンスと名づけたこの土地にいつまでも残っているのです』〔三九七〜四三四〕
まあ、こんなふうないろんな話を、ながい滞在中に聞いたり、見たりしたものだった。こうしてのらくらと毎日をすごし、仕事をしないのでからだがなまってしまったころ、ふたたび海に出かけて、船に帆をはるようにと命令をうけたのだ。ところが、ティタンの娘(91)は、不安な長い旅路やかずかずの海の危険がおれたちを待ちうけていると、教えてくれたんだ。それで、正直なところ、おれは急におそろしくなった。そして、この海岸までくると、そのままここにとどまったというわけだ」〔四三五〜四四〇〕
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七 鳥になったディオメデスの仲間たち
マカレウスは、かれの身の上を語りおわった。アエネアスの乳母(92)は、大理石の壺におさめられて墓に葬られたが、その墓石には、つぎのようなみじかい碑文がきざまれていた。「孝心の誉《ほま》れ高きわが育て子は、かのギリシア人《びと》の放ちたる業火よりわれカイエタを救いしが、いまここに葬火もてわれをあつく弔《とむら》いたり」
こうして、この草ぶかい海岸に船をつないでいた索《なわ》はとかれた。一行は、悪名たかい女神(93)の妖術と館を遠くあとにし、木蔭の濃いティブリス河が黄いろい泥水(94)を海にそそいでいるあたりの森をめざしていった。アエネアスは、ファウヌスの息子であるラティヌス王(95)の家にむかえられ、その娘(96)をも手に入れたが、それはけっして平和裡におこなわれたことではなかった。ある勇猛な種族(97)とのあいだに戦端がひらかれ、トゥルヌスは、自分の許婚者をとりもどそうとして、猛然と戦った。テュレニア(98)じゅうのすべての人びとは、ラティウムを敵にして立った。両軍は、長期にわたって必死に攻防をつくしたが、勝敗は容易にきまらなかった。〔四四一〜四五三〕
両軍は、それぞれ兵力を増強するために、ほかの国々に援軍をもとめた。多くの国々が、あるいはルトゥリ人(99)たちに、あるいはトロイア軍に味方した。アエネアスは、エウアンデル(100)の城下に助けをもとめにいった。これは無駄ではなかったが、ウェヌルス(101)が亡命者ディオメデス(102)の町に援助を乞いにいったのは、徒労におわった。ディオメデスは、イアピュギアのダウヌス(103)の保護をうけて盛大な都を建て、かれの娘と結婚し、妻の婚資としてこの地方をあたえられたのであった。しかし、ウェヌルスがトゥルヌスから託された用向きをのべて援助を乞うと、アエトリアの英雄(104)は、自分の戦力が貧弱であることを口実としてのべ、舅《しゅうと》の部下たちを戦争に投入することはしたくないし、自分の配下には武器をとれるような兵力がないといって、さらにつぎのようにつけくわえた。〔四五四〜四六四〕
「いや、いい加減な口実だとおもわないでください。思いだすだけでもこころの痛む話なのですが、それをしのんで申しあげましょう。壮麗なイリオン(105)の町が炎上し、ペルガマ(106)がギリシア軍のはなった火焔の餌食になったときのことです。あのナリュクスの英雄(107)が処女神(108)のもとからひとりの乙女(109)を奪いさらったがために、かれひとりがうけるべき罰がわれわれみんなの上にふりかかってきました。われわれは、ちりぢりになって、怒りくるう波の上を風に吹きまくられ、雷光や夜や暴風雨など、海と空とのあらゆる怒りを受け、さらに、われわれにとって不幸の極みとなったあのカパレウス岬(110)の災難に見舞われたのです。そして、このいたましい出来事を逐一お話しても退屈でしょうから簡単に申しあげますと、このときのギリシア軍の悲惨な有様を見たら、あのプリアムス(111)でさえ涙を催したにちがいありません。けれども、わたしは、さいわいにして武装した女神(112)ミネルウァの加護によって助けられ、怒りくるう波間からのがれることができました。ところが、わたしは、ふたたび故郷の土地から遠くひきはなされてしまいました。おまけに、あの親切なウェヌス(113)は、以前にわたしがあたえた傷をいつまでも根にもって、償《つぐな》いを要求しました。それで、あるときは深い海の上で、あるときは陸上の戦場で数かぎりない厄難に見舞われ、これくらいならあの暴風雨と危険なカパレウス岬とのためにだれかれの見さかいもなく海の藻屑となってしまった仲間たちの方がまだしも幸福だったとおもい、自分もそのひとりであればよかったのにとさえ願いました。〔四六五〜四八二〕
戦争と波濤のために散々ひどい目にあった部下たちは、もう勇気も沮喪《そそう》し、流浪の旅を一日もはやく終りたいと願いました。しかし、生来の激しやすい性質の上に、いくたの試練によって気性のあらくれていたアクモン(114)は、こういいました。『つわ者たちよ、諸君がもはや堪えきれないような苦しみがまだ残っているだろうか。たとえキュテラの女神(115)がもっと意地わるいことをしようとしても、もう種切れではないか。もっと怖ろしいことがあるだろうなどとこわがっていると、かえってそれが弱味になって、相手につけこまれるが、もうこれ以上の不幸はあるまいと腹をくくると、恐怖もなくなって、この上ない災難に出くわしても、平然としておれるのだ。いや、女神が聞いておったってかまうものか。ディオメデスのすべての部下が憎くければ、いくらでも憎むがよい(実際、女神はおれたちがよほど憎いと見える)。だが、おれたちは、女神の憎しみなんぞなんともおもわぬ。それがおれたちのなによりの強みなのだ!』
プレウロン(116)のアクモンは、このような大それた言葉で女神のはげしい怒りを買い、またぞろ復讐心に油を注ぎかける結果になってしまいました。かれの言葉をもっともだとおもう者もすこしはおりましたが、わたしたち仲間の大多数の者は、かれに非難の言葉をむけました。かれがそれに応酬しようとして口をひらくと同時に、声が急に弱々しくなり、喉が細くなりました。髪の毛は、羽毛に変じ、新しい形にかわった首から胸や背中にいたるまで、すっかり羽毛につつまれ、腕にはさらに大きな羽毛がはえ、肱はまがって、かるやかな翼になりました。足の大部分は、足趾《あしづめ》になり、口は、角《つの》のようにかたくなり、その先端がとがった恰好になりました。リュクス、イダス、レクセノル、ニュクテウス、アバラス(117)らは、この有様をあれよあれよと眺めていましたが、おどろいているうちに、かれらもおなじような姿になってしまいました。こうして、わたしの兵士たちの多くは、いっせいに飛びたつと、はばたきながら櫂のまわりを舞いはじめました。突然にうまれたこれらの鳥たちがどんな姿をしていたかといいますと、白鳥とはちがいますが、それでも白鳥によく似た姿をしていました(118)。このようにして、わたしは、残った部下もごく少数で、なみなみならぬ苦労をしてこの町とイアピュギアのダウヌスの荒れはてた領地とをかれの婿として統治しておるのです」〔四八三〜五一一〕
オエネウスの孫(119)は、このように語りおわった。ウェヌルスは、ついにむなしくカリュドン人の国(120)とペウケティアの岸辺とメッサピアの野をあとにした。このメッサピアで、ウェヌルスはひとつの洞穴を見た。それは、こんもりとした森におおわれ、かるやかな葦のしげみにかくまわれ、いまは山羊の足をしたパン(121)が住んでいた。しかし、昔は妖精たちがここに住んでいたのだった。ところが、ある日、アプリアのひとりの羊飼いが妖精たちを追いたてた。不意打ちをくらった妖精たちは、おどろいて逃げだしたが、やがて気がおちつくと、追いかけてくる男を馬鹿にし、足拍子をそろえて輪舞をはじめた。羊飼いは、かの女たちの踊りをあざけり、野卑な身ぶり足ぶりでその真似をしては、えげつない悪態《あくたい》をあびせてからかった。すると、急に口がきけなくなったかとおもうと、喉が木にふさがれてしまった。というのは、一本の樹に化してしまったのである。いまでも、その果汁によってかれの性質を知ることができる。すなわち、それは野生オリーヴで、そのにがい実は、神をおそれぬ舌を思いださせる。かれの言葉の乱暴さがこのにがい味になったのである。〔五一二〜五二六〕
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八 アエネアスの船/アルデア
さて、この地から使者たちが帰国して、アエトリア人たち(122)が援軍をこばんだという報告をもたらしたが、ルトゥリ軍(123)は、すでに用意のできた戦いを助勢なしにはじめた。両軍とも、おびただしい血をながした。ところが、トゥルヌスは、もえさかる炬火《たいまつ》を敵艦の船胴に投げこんだ。水難を逃れてきた人びと(124)は、こんどは火難をおそれねばならなくなった。すでに火は、松脂《まつやに》といわず蝋といわず、およそ炎の餌食となりうるすべてのものを舐めつくし、高い檣柱《ほばしら》をのぼって帆のところまで這いあがった。まがった船の漕台も、煙につつまれた。このとき、神々の大母神は、これらの船をつくった松材がイダの山の頂きから切りだされたものであることを思いだして(125)、銅鑼や黄楊《つげ》笛のひびきを大空いっぱいにひびきわたらせ、みずからは飼いならした牡獅子のひく車にのって、軽やかな大気のなかを渡り、つぎのようにいった。
「おお、トゥルヌスよ、おまえが罪ぶかい手でいかに燃えさかる炬火を投げつけようとも、所詮、なんの役にもたたぬぞ。わたしがあの船を助けて見せよう。かつてはわたしの森にしげっていた樹を飽くことを知らぬ炎の餌食にするにしのびないのだ」
女神がそういっているうちに、にわかに雷がなりだし、雷鳴につづいて霰《あられ》まじりの大雨が沛然として降りはじめた。アストラエウス(126)の息子たちは、突然喧嘩をはじめて大気と海を激動させ、はげしくぶつかりあった。やさしい大母神は、風たちのひとりを使って、プリュギアの艦船をつないであった麻の綱をきりはなった。そして、船を沖の方へ吹きながすと、海のまん中で沈めてしまった。
ところが、かたい木材がたちまちやわらかくなり、木組みが生きた人体にかわったかとおもうと、そりかえった船首は人間の頭になり、櫂は指や泳ぐ脚となり、船体は胴に、竜骨は背骨に、帆索はやわらかい髪に、帆架は腕にかわった。色だけは、もとのように空いろをしていた。そして、以前にはおそれていた水と、子供のように嬉々としてたわむれた。船たちは水の妖精になったのである。
山々のかたい岩に根をおろしてうまれでたかの女たちではあるが、いまではやわらかい海を住家にして、むかしの身分など気にかけようともしない。けれども、かの女たちは、自分たちがおそろしい海の上で冒してきた多くの危険をけっして忘れず、嵐に翻弄されている船を見ると、ギリシア人が乗っていないかぎり、手でその船体を下からささえてやるのであった。かの女たちは、いまでもプリュギアの滅亡をおぼえていて、ギリシア人をにくみ、難破したネリトゥス(127)の船の残骸をうれしそうに眺め、また、アルキノウス(128)の船が石のようにかたくなって、その木材が岩に化したのを見たときも、いい気味だとおもったのである。〔五二七〜五六五〕
こうして船が海の妖精となって新しい生命をあたえられると、トゥルヌスはこの奇蹟に怖れをなして戦いをやめるだろうという期待がもてたが、かれはあくまで決戦をいどんだ。両軍は、それぞれ味方に神をもち(129)、さらに神々にも匹敵するほどの力である勇気をもっていた。もはや婚資となった国も、舅の王権も、乙女ラウィニアよ、おまえさえも眼中になく、かれらがめざすのは、勝利をおさめることだけであった。そして、武器をおさめるという不名誉をまぬがれたいためにのみ、戦いをつづけたのである。しかし、ついにウェヌスは、わが子の武器が勝利にかがやくのを見た。トゥルヌスは、たおれた(130)。そして、トゥルヌスが生きているあいだは権勢をほこっていたアルデアの町も、陥落した。
トロイア人のはなった火焔がこの町を舐めつくし、家々がまだあつい灰燼のなかに埋没したとき、その廃墟のなかから一羽の見たこともない鳥がとびたち、その羽ばたきによって灰をとびちらした。その叫び声といい、やせた姿や蒼白い色といい、その他のすべてのものも、この落城した町にふさわしく、その名前も、この町の名をとどめている(131)。まことに、アルデアの町は、みずからの翼でとむらいの歌をうたったのである。〔五六六〜五八〇〕
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九 アエネアスの神化
いまやアエネアスの赫々たる武勲は、すべての神々、とりわけユノにさえ、むかしの怨み(132)を忘れさせるほどのものとなった。育ちゆくユルス(133)の力も、ゆるぎなき礎《いしずえ》の上に立つにつれて、キュテラの女神(134)の雄々しい息子も、いよいよ天国に入るべき年齢に近づいた。そこで、ウェヌスは、あらかじめ神々の同意を得ておいてから、父なる神(135)の首に腕をまきつけて、こういった。
「おお、父上、いままでわたくしには一度もこわい顔をお見せになったことのない父上、どうか今日は、とくべつやさしくしてくださいませ。わたくしの血をうけてあなたを祖父と仰いでおりますアエネアスにどうか神格をさずけてやってくださいませ。さずけてやってくださりさえすれば、どんな取るにたりない神格でも結構でございます。あの子は、陰気な国は一度見ればそれで沢山ですし、ステュクスの流れも、二度とわたる必要はありますまいから」
神々は、この言葉に賛成し、大神の妃も、いつもの冷たい顔をやめて、やさしい面持でうなずいた。そこで、神々の父は、こう答えた。「おまえたちふたりは――それを願うおまえも、おまえに願ってもらっているおまえの息子も、この天国の恵みをうけるに値いしよう。さあ、娘よ、望みのものを受けとるがよい」ウェヌスは、よろこんでやさしい父に礼をのべた。そして、鳩のひく車に乗って軽やかな大空をわたり、ラウレントゥム(136)の浜辺に降りたった。そこは、生いしげる葦にかくれてヌミキウス(137)の流れがうねうねとその水を近くの海にそそいでいるところであった。女神は、この河に、アエネアスからその死すべきすべての部分を洗いおとし、しずかに流れくだって海の底に沈めてしまうようにと命じた。
額に角をはやした河神(138)は、ウェヌスの命令を実行にうつして、アエネアスの身体にあるすべての死すべき部分を水で洗いきよめた。それで、最もすぐれた部分だけがあとに残った。母なる女神は、この浄められた体に神聖な香料をふりかけ、その唇に甘美な神酒《ネクタル》をまぜたアムブロシア(139)をふくませて、かれを神とした。クゥイリヌス(140)の民たちは、かれをインディゲスと名づけ、神殿を建て、祭壇をもうけてこの神をあがめた(141)。〔五八一〜六〇八〕
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十 ポモナとウェルトゥムヌス/アナクサレテの転身
そこで、アルバ(142)とラティウム国とは、ふたつの名前をもつアスカニウス(143)の治めるところとなった。そのあとをシルウィウス(144)がついだ。かれの息子ラティヌス(145)は、ふるい王権とともに祖先の名前を復興した。有名なアルバ(146)がラティヌスのあとを襲い、エピュトゥスがこれにつづいた。エピュトゥスのあとをついだのは、カペトゥスとカピュスであるが、カピュスの方が先であった。このふたりから王位をうけついだのは、ティベリヌスであったが、かれはトゥスクス(147)の流れにおぼれて死に、この河にその名前をあたえた。かれにはレムルスと決断力にとんだアクロタというふたりの息子があったが、兄のレムルスは、雷の真似をしていたとき雷光に打たれて死んだ。兄よりも思慮ぶかかったアクロタは、王位を勇猛なアウェンティヌスにゆずった。この王は、かれの宮廷のあった山の上に葬られて、その山(148)に名前をのこした。〔六〇九〜六二一〕
こうして、プロカがパラティウム(149)の民を治める代となった。この王の治世のころ、ポモナ(150)という妖精がいた。かの女は、ラティウムに住んでいるすべてのハマドリュアデス(151)のなかで最も園芸に堪能で、だれよりも果実にたいして深い趣味をもっていた。かの女の名前も、そのことに由来しているのであった。かの女が好んだのは、森や小川ではなく、野原とたわわに果実をつけた小枝であった。かの女の右手は、投槍などというものを持ったことがなく、いつも反《そ》った剪刀《せんとう》をもち、それで茂りすぎた樹を刈りこんだり、四方にのび放題になった枝をはらったり、樹皮を裂いて別に芽を接《つ》ぎ、その養い子に樹液をあたえたりした。また、木の根のほそい足が水に不足しないように、引き水をしてうるおしてやったりした。こういうのが、かの女にはなによりも楽しみで、大好きな仕事であった。ウェヌスなどにはけっしてかまけることがなかった(152)。
そして、野山の神々に乱暴されるのをおそれて、果樹園のなかにとじこもり、男たちが近づけないように避けていた。かの女をわがものにしようとして、踊り好きな若いサテュルスたち(153)、松の枝冠を角にかけた牧神《パン》たち(154)、いつも年より若く見えるシルウァヌス(155)、鎌やみごとな一物《いちもつ》で収穫泥棒たちをふるえあがらせる神(156)などがあらゆる手をつくした。だが、愛情の深さの点でこれらの神々をしのいでいたのは、ウェルトゥムヌス(157)であったが、かれとてもみんなより幸福であったわけではない。
おお、かれはいくど屈強な刈り手の衣をまとい、麦穂を籠《かご》に入れてかの女のところへもっていったことであろうか。そのときのかれの様子は、ほんとうの刈り手そっくりであった。また、額に新しい乾草をまきつけては、いましがた刈り草をひろげかえしてきたというふうに見せることもあった。あるときは、まめだらけの手に牛追い棒をもち、いかにも疲れた牛を軛《くびき》からはずしてきたところだと思いこませることもできた。また、鋏をもてば、植木の葉を刈りこむ職人か、ぶどうの刈込み人となり、梯子《はしご》をかつげば、果実をとりにいくところかとおもわれ、剣をもてば兵士に、竿をかつげば猟師に見えた。こうしていろいろな姿に身をやつしては、しばしば憧れのひとに近づいて、その美しさをあかず眺めるのであった。また、ときには額にはでな色の布をまきつけ、こめかみに白髪をたらし、ながい杖にすがって老婆の姿になり、手入れのゆきとどいたポモナの庭園に入っていっては、その果実を賞讃して「まあ、なんとおみごとなことでございましょう!」といった。そして、いろいろお世辞をならべながら、いくどもポモナに接吻をしたが、それは、ほんとうの老婆のものとはおもえないほど熱烈な接吻であった。それから、秋の幸《さち》でたわわにしなった枝を見あげながら、地面に腰をおろした。
ちょうどその向いに一本の楡《にれ》の木があって、かがやかしい色のぶどうの房がみごとにぶらさがっていた。かれは、この木とそれにからみついたぶどうをほめてから、「けれども、この幹がぶどうの房もなにもなしで立っていたら、わたしたちに葉しか見せるものがありますまい。この楡に安心してまといついているぶどうとてもおなじことで、もしこの木にからませてもらえなかったら、地面にうずくまっているしかありますまい。ところが、あなたときたら、この木の例を見てもなんともおもわず、愛のよろこびを避けて、お嫁にいこうともなさらないのですね。ほんとうに、あなたくらいのひとなら、その気にさえなれば、ヘレナはおろか、ラピタエ人たちの戦争の因になった女(158)や、あの臆病で大胆なウリクセスの妻(159)でさえもおよばないほど多くの求婚者にとりまかれることは請合いです。いまだって、いくらあなたが言い寄る男たちを斥けたり、こばんだりしても、多くの男たちが、半神(160)といわず、神といわず、およそアルバの山中(161)に住むすべて神々しい者たちがあなたを求めています。でもね、あなたが賢いひとで、よい結婚をしたいとおもうなら、そして、こういう男たちのだれよりも、また、あなたが信じていらっしゃるよりもあなたをかわいい方だとおもっているこの年寄りの言うことを聞いてやろうとお考えなら、くだらぬ縁談には眼もくれずに、ウェルトゥムヌスを良人におえらびなさい。あの人ならば、わたしも太鼓判を捺しますよ。
といいますのは、あの人のことは、わたしの方が本人よりもよく知っているくらいなのです。あの人は、いつも世界じゅうをあちこちさすらい歩くような男ではありません。それに、あの人の住んでいる土地は、広くはありません。また、あなたに言い寄る多くの男たちのように、女と見れば、手あたりしだいに愛するような男でもありません。あの人にとっては、あなたが最初にして最後の恋人なのです。あなたにだけ命もささげているのです。それに忘れてはならないのは、あの人は若くて、うまれつき優雅で、しかも、いつでも自由に姿を変えることができるということです。なんでも命じてごらんなさい。すぐにあなたの思いどおりの姿になってみせますよ。その上、あなたと趣味がまったくおなじです。あなたが丹精をこめて作っていらっしゃるこれらの果物《くだもの》は、かれの第一の好物で、あなたの贈物をきっとよろこんで受取るでしょう。
けれど、かれがいまのぞんでいるのは、あなたの樹からとれた果実でもなければ、あなたの庭に咲く甘い汁のある草でもなく、あなた自身なのです。恋の炎に胸をこがしているあの人をかわいそうに思ってやりなさいよ。これは、あの人がわたしの口を通じて望みをうち明けているのだとおもってください。ねえ、よく用心しないと、神々はすぐに仕返しをしますよ。イダリウム(162)の女神は、情《つれ》なくされるとはげしい憎しみをいだくし、ラムヌスの女神(163)は、いったん怒ると宥《なだ》めることができないというではありませんか。あなたがすこしは気をおつけになるように、キュプルスの島じゅうに知られている話をひとつしてあげましょう(なにしろ、この年になると、ずいぶん多くのことを知っていますのでね)。この話は、きっとあなたの気持を変え、ときほぐしてくれるでしょう。〔六二二〜六九七〕
貧しい家にうまれたイピス(164)は、あるとき老テウケル(165)の血をうけた貴族の娘アナクサレテを見ました。そして、たちまち恋の炎が全身にしみわたるのをおぼえました。ながいことわれとわがこころと戦っていましたが、ついに狂おしい情熱には理性も勝てなくなって、乙女の家に嘆願に出かけ、乳母に自分のかなしい恋をうち明けて、どうか自分につれない仕打ちをしないでほしいと、乳母がその養い子にかけているすべての希望にかけてたのんだり、大勢の召使いたちにお世辞をつかっては、あわれっぽい声でどうか自分の味方になってほしいと哀願したりしました。しばしば恋文をとどけてほしいと託したり、ときには涙にぬれた花環を門口にかけたり、かたい敷居の上にやわらかい脇腹をのべて、つれない閂《かんぬき》をうらんだりしました。
けれども、仔山羊座(166)が沈むときに荒れはじめる海よりも無情に、ノリクム(167)の炉にきたえられた鉄よりもかたくなに、また、大地にしっかりと根をおろした岩よりも冷たく、アナクサレテはかれをさげすみ、あざけり、つれない仕打ちばかりか、高慢ちきな言葉をあびせて、恋するもののすべての望みを断ちきってしまいました。イピスは、ながい心痛の苦しみをじっと堪えていることはできなくなり、かの女の門のまえに立って、つぎのように最後の言葉をいいました(168)。
『アナクサレテよ、おまえの勝ちだ。ぼくは、もうこれ以上おまえを悩ましはすまい。さあ、たのしい勝利を祝う用意をし、パエアン(169)をよび、かがやかしい月桂樹の冠をかぶるがよい。なぜなら、おまえは勝ったのだから。ぼくは、よろこんで死んでいこう。さあ、木石の乙女よ、よろこぶがよい。だけど、ぼくの愛には、おまえも褒めずにはおれないなにかがあるはずだ。しかし、おまえにたいするぼくの恋は、ぼくの命よりも先に消えなかったのだということ、そして、ぼくはふたつの光(170)を同時に失うのだということ、このことは忘れないでほしい。ぼくの死をおまえに知らせるのは、町の噂ではない。ぼくは、自分で知らせにいくんだ。これは嘘じゃない。そして、生気のなくなったぼくの亡骸《なきがら》を見ておまえのむごい眼をよろこばせるように、眼《ま》のあたりおまえのそばにあらわれよう。おお、神々よ、あなたがたが人間のすべての行ないをごらんになっているのであれば、どうかぼくのことも忘れないでください。ぼくの舌は、もうこれ以上ながいお祈りをする力がありませんが、どうか人びとが末代までぼくのことを語り草にするようにしてください。そして、あなたがたがぼくの命からお取りあげになる長い歳月を、ぼくの思い出のためにあたえてください』〔六九八〜七三二〕
かれは、こう言いおわると、これまでいくどか花環をかざったことのある門口の方に涙にぬれた眼と蒼ざめた腕をあげ、扉のいちばん上に輪縄をかけると、こういいました。『おお、誠意のないむごい女よ、この花環を見てたのしむがよい』そういうと、縄の輪に自分の首をつっこみ、それでもなお愛する乙女の方に眼をむけながら、この不幸な男は、だらりと宙づりになって死んでしまいました。
その拍子に足が扉にあたって、なにか怖れおののくような音をたてて開き、この出来事を人びとに知らせました。召使いたちは、大きな叫び声を発し、甲斐もなく命はてたイピスの遺体をはずして、その母親のもとにとどけました。(父親は、すでに死んでいましたので)。母親は、かれを膝にだきあげ、わが子の冷たくなった手足をじっとだきしめました。そして、不幸な親としての悲嘆の声をあげ、あわれな母としての悲しみの仕草をしました。それから、泣きながら葬いの列をつくって町をとおり、血の気のなくなった遺骸を担架にのせて焼き場まではこんでいきました。
たまたまアナクサレテの家は、この悲しい行列の通り道に面していました。それで、悲しみの行列のざわめきは、すでに復讐の神に追いかけられていた無情な乙女の耳にも入りました。かの女は、こころを動かされました。『さあ、あの悲しそうなお葬いを見にいこう』そういって、窓のあいている上の部屋にあがっていきました。ところが、担架の上に寝かされているイピスの姿を見るやいなや、かの女の眼はかたくなり、全身からあたたかい血が消えるとともに、からだ全体が蒼白になりました。かの女は、いそいで踵《きびす》をかえそうとしましたが、足はしっかりとくっついて離れません。顔をそむけようとしましたが、それもできません。そして、かの女がすでにこころのなかにもっていた石が、しだいに身体じゅうにひろがっていきました。
この話を作りごとだなどと考えてはいけませんよ。その証拠に、サラミスにはいまでもこの乙女の姿をした石像がのこっています。そこには、『前を見つめるウェヌス(171)』とよばれる神殿もあるのですよ。〔七三三〜七六一〕
かわいいニュムペさん、よくこの話をおぼえておいて、あなたの愚かな冷淡さをすてて、あなたを愛している男性と結婚しなさるがよい。そして、晩霜《ばんそう》があなたの若い果実の芽を傷つけたり、はげしい嵐があなたの木に咲いた花を散らさないようにしたいものですよ」〔七六二〜七六四〕
しかし、老婆に身をやつしたこの狂言もなんの効き目もないと見てとるや、ウェルトゥムヌスは、たちまちもとの若者の姿にかえり、老婆の扮装をかなぐりすてて、ちょうどかがやかしい太陽がそれをさまたげる雲間をやぶって、さんさんとその光をふりそそぐように、乙女のまえに美しい姿をあらわした。かれは、力ずくで望みをとげようとしたのだが、暴力をふるう必要はなかった。というのは、乙女はこの神の容姿にこころをうばわれて、おなじように胸のときめきをおぼえてしまったからである。〔七六五〜七七一〕
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十一 ロムルスとヘルシリア
ついで奸悪なアムリウス(172)が、武力によってアウソニアの地を支配するようになったが、老王ヌミトル(173)は、孫たちの助力によって失った王権をふたたびとりもどすことができた。そして、パリリア(174)の佳日に、ローマの城壁は築きあげられたのである。その後、タティウス(175)とサビニの長老たちは、戦いをしかけてきた。このとき敵のために城壁の道をひらいたタルペイア(176)は、当然罰せられるべき生命を積みかさねられた武器の下敷になって失った。クレス(177)の民たちは、音もたてずに忍びよる狼のように声をころし、眠りこけているローマ軍を攻撃し、イリアの息子(178)がかたく閂をかけておいた城門に押しよせた。ところが、サトゥルヌスの娘(179)は、音もたてずに蝶番をまわして、城門のひとつを開いてやった。ウェヌスだけは、この城門の閂がはずされたことに気がついた。もしほかの神々がしたことを取消すことができないという神々どうしの掟がなければ、かの女はきっと門をもとどおりに閉めたことであろう。
ヤヌス(180)の神殿の近くの、つめたい泉にうるおされた土地に、アウソニアの水の精たちが住んでいたが、ウェヌスはかの女たちに助力をもとめた。妖精たちは、女神の正当な願いをこばむことができず、自分たちの泉の水脈や流れを呼びあつめた。開いたままになっているヤヌス神殿の門は、当時はまだ出入りが自由で、水が道をふさいでもいなかったのである。そこで、かの女たちは、あふれる泉の底に蒼味をおびた黄いろい硫黄を投げ入れ、黒煙をあげる瀝青でふかい水脈に火を点じた。こうした手段や、その他いろいろな方法で、熱は泉の奥まで入っていった。そして、ついさきほどまではその手をきるような冷たさをアルペス(181)の水ときそっていた流れよ、おまえたちは、火そのものにも劣らないほど熱くなってしまった。
この炎の流れに洗われて、神殿のふたつの門柱は煙につつまれた。勇猛なサビニ人たちのために開かれていたせっかくの城門も、この新しい流れにふさがれて、そのうちにマルスの後裔であるローマの勇士たち(182)は武器を手にした。ロムルスは、まっ先に武器をとって敵に打ってかかり、ローマの土は、たちまちサビニ兵の屍体でおおわれたが、味方の兵士たちもすくなからずたおされた。おそろしい剣が婿《むこ》の血を舅《しゅうと》の血とまぜあわす(183)にいたって、ついに平和条約によって戦争を終結させるべきであり、最後まで剣をもって争うべきではないということになった。そして、タティウスにも王権の一部があたえられることにきまった。〔七七二〜八〇四〕
やがてタティウスが死んで、ロムルスよ、おんみは、両国の民をおなじ法によって治めるようになった。このとき、マルスは、兜をぬいで(184)、神々と人間との父(185)にむかってつぎのようにいった。「おお、父なる神よ、いまこそ、ローマの国力は確乎とした基盤の上におかれ、もはや支配者のいかんによって左右されるようなことはなくなりましたから、わたしとあなたのすぐれた孫(186)に約束された褒美をあたえ、かれを地上より召しあげて、天国に住まわせてやるべき時がまいりました。かつてあなたは、集まった神々の面前でわたしに、『青い天上へひきあげてやることができるような男子がおまえにうまれるだろう』とおっしゃいました。わたしは、それを忘れずに、記憶のなかにちゃんとしまっておいたのでございます。どうかあのときのお言葉を実行にうつしてください」
全能の神は、うなずいて同意した。そして、すぐさま真っ黒い雲で大気をおおい、雷鳴と稲妻で全世界をふるえあがらせた。豪胆なグラディウゥス(187)は、この徴《しるし》を見て、いまこそ約束どおり息子をつれてくることができるのだとさとり、すぐさま槍を杖がわりにして血のついた軛《くびき》につながれた馬のひく戦車にうち乗り、ひと鞭あてると、眼にもとまらぬ早さで空を翔けて地上に馳せ降り、樹木のしげったパラティウムの丘の頂上に車をとめた。ちょうどこのとき、イリアの息子(188)は、その民であるクゥイリテス人(189)たちに法のさばきをあたえようとしているところであったが、神はたちまちかれを拉し去った。かれの人間としての肉体は、強力な弩《いしゆみ》ではじかれた鉛弾が雲のなかに消えさるように、大空のなかで溶けてしまった。そして、そのかわりに、高い天上に住むにふさわしい美しい容姿になった。それは、礼服《トラペア》(190)をまとったクゥイリヌスの神像にそっくりな姿であった(191)。〔八〇五〜八二九〕
ロムルスの妃(192)は、良人を亡きものとおもって悲しみ泣いた。そこで、神々の女王であるユノは、イリス(193)に命じて、虹の橋をわたってヘルシリアのもとに行き、この気の毒な寡婦に自分の命令をつたえるようにと言いつけた。「おお、ローマ人のみならず、サビニ人の最もすばらしい飾りである妃よ、おんみは、まことに偉大な人物の妻であったが、いまではクゥイリヌス(194)の妻であるにふさわしい。嘆くのをやめるがよい。もし良人に会いたいと願うなら、わたしのあとについて、クゥイリヌス丘(195)の上に青々としげり、ロムルス王の神殿をとりかこんでいる森に来るがよい」
イリスは、命令にしたがって、かがやく七彩の橋をわたって地上に降り、ヘルシリアに言いつけられたとおりの言葉をつたえた。ヘルシリアは、うやうやしい様子で眼をわずかにあげて、こう答えた。「おお、女神さま、あなたがどなたでいらっしゃるかは存じませんが、女神さまでいらっしゃることだけは、よくわかっております。どうぞわたしをおつれくださいませ。どうぞわたしをつれて、ひと目なりとも良人に会わせてくださいませ。もし運命がひと目なりとも良人に会うことをゆるしてくださいますならば、それこそ天にものぼったような気がすることでございましょう」
こういうと、すぐさまタウマスの娘(196)とともにロムルスの丘(197)に登っていった。すると、天からひとつの星が流れるように地上に墜ちてきて、その光のためにヘルシリアの髪の毛は燃えあがり、かの女は星とともに空たかく消え去った。ローマの創始者は、かの女をなつかしい腕にだきよせ、姿とともに名前も変えて、かの女をホラとよんだ。ホラは、今日でもクゥイリヌスといっしょに祀られる女神なのである。〔八三〇〜八五一〕
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巻十四の註
(1)グラウクス。かれの故郷アンテドン〔巻七(50)〕はエウボエア島に近い。
(2)テュポエウス(あるいは、テュポン)のこと。→巻三(42)
(3)ホメロス『オデュッセイア』第九歌一〇八行によれば、キュクロペスは、土地そのものが肥沃で、おのずから穀物やぶどうを産したので農耕を知らず、牧畜にのみ従事していた。
(4)→巻十三(177)
(5)イタリア半島南端の、メッシナ海峡にのぞんだ町(いまのレッジョ)。
(6)→巻五(77)。ここにのべられているのは、メッシナ海峡のことである。
(7)エトルリアのこと。→(98)、巻三(78)
(8)じつは、野獣の姿に変えられた人間たち。なお、キルケの住むアエアエア島〔巻十三(201)〕は、名前の類似から中部イタリアのキルケイイ岬(イタリア語ではチルチェーオとよばれ、ローマとナポリの中間にある)であろうと考えられた。『オデュッセイア』では、たんに西方のオケアヌスの流れ〔巻七(20)〕のなかにあるとされている。
(9)→巻十三(201)
(10)キルケの父にあたる太陽神ソルは、ウェヌスとマルスとの密通を見つけ、これをウゥルカヌス神に告げた。→巻四の一六九行以下。
(11)魔法の女神〔巻六(46)〕。その呪文とは、魔法の呪文の意。
(12)頭の三つある、地獄の番犬。→巻四(86)
(13)『オデュッセイア』によると、ウリクセスは、メルクリウス神〔巻十三(38)〕にもらった霊草のおかげで魔法にかからずにキルケの館にのりこみ、そこに一年間滞在、キルケに愛された。帰途、キルケはウリクセスに、スキュラを避けて通るように忠告したが、仲間のひとりがさらわれた。詳しくは、二四七行以下のマカレウスの物語にのべられる。
(14)アエネアスの一行。
(15)巻十三の七三〇行の、ザンクレ到着のところで中断されたアエネアス一行の物語が、ここからまたはじまる。
(16)北アフリカのリビア。
(17)→巻二(173)
(18)カルタゴの女王ディドのこと。ポエニケ(フェニキア)の王ベルス〔巻四(45)〕の娘。リビュアに移住し、カルタゴを建設した。
(19)アエネアスがディドをすてたのは、かれがローマを建設すべき運命をになっていることを知ったユピテルの命によるものであるが、後年のローマ・カルタゴの宿敵関係はここに端を発しているという。なおカルタゴは、ユノ女神の町でこの事件以後ユノはアエネアスをにくむ。
(20)シキリア島西部の町エリュクス〔巻二(42)〕の建設者。ウェヌスの子とされ、したがってアエネアスの異父兄弟にあたる。
(21)トロイアが怪物におそわれたとき(巻十一の一九四行以下)、ラオメドン王〔同(41)〕は、娘のアエゲステ(またはセゲステ)を救うためシキリア島に送った。アエゲステが同島の河神クリムニススとのあいだにうんだのがアケステスで、セゲスタ市を建設、前後二回にわたってアエネアス一行を厚遇した。
(22)アンキセスは、その前年にシキリアで歿した。
(23)トロイア人をにくむユノ女神は、一行がイタリアへいけないようにするために、イリス〔巻一(59)〕を派遣してその船を焼かせようとしたが、ユピテルは雨をふらせて、すでに炎上した四隻以外の船を救った。
(24)風神アエオルスのこと〔巻四(124)〕。その国は、シキリアの北にあるアエオリア(いまのエオリエ・オ・リパリ)諸島とされ、火山があった。
(25)その妙なる歌ごえで船人たちをおびきよせる乙女の上半身をした怪鳥〔巻五(125)〕。三人あるいは四人姉妹。その岩は、カムパニア(イタリア半島の南部、ナポリのある地方)の沖にある三つの小さい岩島。
(26)ウェヌスは、一行に航海の安全を約束したが、人身御供をひとり求めた。これにあたったのが、一行の舵手パリヌルスで、眠りの神におそわれて、後甲板より海に転落した。
(27)(28)いずれもカムパニア海岸の小島。
(29)ギリシア語のピテコス(猿)から由来している。猿島。ナポリ湾頭のふたつの島。
(30)海神オケアヌスの娘テイアの子といわれるふたり兄弟。むかしユピテルがティタン神族と戦ったとき〔巻一(24)〕、ユピテルを助けると約しながら、それを実行しなかった。ふつう複数形でケルコペスとよばれる。ピテクサエ島に住む。
(31)猿。
(32)ネアポリス(ナポリ)の古名。
(33)ミセヌスのこと。もと英雄ヘクトルのラッパ手であったが、その死後アエネアスの従者になった。一行の船がカムパニア(25)に碇泊していたとき、かれは自分の吹奏の技術は神にもまさると誇示したため、ほら貝をふく神トリトン〔巻一(71)〕のために海に突きおとされた。かれが葬られた岬は、ミセヌム岬とよばれた。
(34)ネアポリス(ナポリ)の西にある古い町。
(35)アポロの神託をつげる巫女《みこ》。最初は、ダルダヌス〔巻十一(124)〕の予言にすぐれた娘の名前であったが、のち同種の巫女をよぶ普通名詞となった。古代世界には約十人のシビュラエ(複数形)がいたとされ、このクマエのシビュラが最も有名であった。かの女は、リュディアのエリュトラエの出身で、アポロから九〇〇年の寿命をあたえられて、クマエに移った。→一三〇行以下。
(36)→巻五(120)。いまもアヴェルノ湖とよばれている。
(37)かの女はその予言をヘクサメトロス詩形でのべたといわれる。
(38)アエネアスが炎上するトロイアから父アンキセスを救いだしたこと。→巻十三の六二五行以下。
(39)神々に愛された人たち(英雄などの至福者)が死後に住むとされた野、極楽。
(40)地下の世界、冥界。
(41)冥界の女王であるプロセルピナ〔巻五(74)(89)〕。天上の女王ユノをもじった表現。
(42)ローマの死の神、また冥府のこと。
(43)冥界は、死と闇の国ではあるが、天上や水界にも比すべき強大で豪壮な王国である。
(44)事実、みずから予言したとおり、シビュラは、しだいに小さく蝿のようになり、子供たちに「なにがほしい」とたずねられると、「死にたい」と答えたといわれる。
(45)クマエのこと。クマエは、エウボエア島の町カルキスの植民地であった。
(46)カイエタ。→(92)
(47)ウリクセスの部下。この地(カイエタ)に置き去りにされた。ネリトゥス〔巻十三(169)〕は、ここではイタカの意。
(48)ウェルギリウス『アエネイス』第三歌五九〇行以下に出てくるウリクセスの部下。ウリクセスがポリュペムス〔巻十三(181)〕に会い、酒を飲ませてその一眼をつぶし、アエトナ山から逃げだすとき、つい忘れてアカエメニデスを山中に置き去りにしてしまった。
(49)『アエネイス』第三歌五九三行によると、アカエメニデスはアエネアスに助けられたとき、そういう恰好をしていた。
(50)ウリクセスとその十二名の仲間は、ポリュペムスの洞穴にとじこめられ、六人が食い殺されたが、ウリクセスは相手に酒を飲ませ、酔っぱらったところを、火のついた棒杭をその一眼に突きさして、ポリュペムスがいつも洞穴から牧場へ追っていく羊の群のなかにかくれて逃げだした。船にのりこんだかれは、この成功をよろこんで叫び声をあげると、怒った怪物は、山から大きな岩を引きぬいて投げつけたので、あやうく船に命中するところであった。なお、ポリュペムス(多くの声をもった者、の意)は、アエトナ火山の擬人化で、かれが追う羊たちは噴煙のことであろう。
(51)ギリシア人。→巻十二(20)
(52)ポリュペムスは、洞穴内にウリクセスの一行を見つけたとき、まず、そのうちのふたりをつかまえて、地面にたたきのめした。
(53)ウリクセス。
(54)トゥスクスは、いまのトスカナ、すなわちエトルリアのこと。その海とは、エトルリア海(シキリアとサルディニアとのあいだの海、ティレニア海ともいう)。
(55)ウリクセスのこと。→巻十三(31)
(56)ウリクセスは、一ヵ月ほど風神アエオルスの客となり(24)、別れにさいして風神は、航海中の必要なときに使うようにとの心づかいから、風を入れた皮袋をかれに贈った。
(57)イタカ島。
(58)アエオルス。→(24)
(59)古代イタリアの人喰い巨人族。その国は、カムパニア(25)のフォルミアエ(いまのフォルミア)あるいはシキリア島にあったといわれる。その都をきずいたラムス王は海神ネプトゥヌスの子とされる。アンティパテス王のことにかんしては、『オデュッセイア』第一〇歌八〇行以下に出てくる。
(60)キルケの住むアエアエア島。→(8)
(61)→巻一(62)。なお、妖精たちは、ふつうの人間の娘たちとおなじく、糸つむぎを主な仕事としていると考えられた。
(62)これは、ギリシア古代で最も愛好された飲物である。
(63)メルクリウス。ウリクセスは、この神の血をうけている。→巻十三(38)
(64)玉葱ぐらいの大きさの、まるい黒い球根からはえ、海葱に似た葉をもつとされたこの植物は、にんにくの一種であろう。モリュという名前は、ギリシア語の動詞 molyo(感覚をにぶらせる、の意)から来ている。
(65)ウリクセスは魔酒を飲んだが、それが効かないのを見てとったキルケは、愛の契りを申し出る。ウリクセスは、それに応じるまえに、自分に危害をくわえないことを誓わせた。
(66)ローマの古い農耕の神。→巻一(22)
(67)「啄木鳥」の意。牧神ファウヌス〔巻一(41)〕やラティヌス(95)の祖父にあたる。カネンスの良人。
(68)古代オリュムピア競技のこと。五年ごとに(ただし、現代式の数え方をすれば、四年ごとに)行われたから、ピクスは二十歳未満であったことになる。
(69)イタリア半島の中部、ローマ市のある地方(いまのラツィオ)。ここに住んでいたラティニ族の言葉が、いわゆるラテン語である。
(70)→巻三(60)
(71)アペニヌス(アペニン)山脈に源を発し、ローマ市を流れる大河ティベリス(ティブリス)の古名。ギリシア語あるいは詩語ではテュブリスといい、いまのイタリア語ではテヴェレとよばれる。
(72)ラウィニウム(のちアエネアスが建設したラティウムの町)の近くを流れる小川。
(73)ティベリス河の一支流(いまのテヴェローネ河)。
(74)ローマの南を流れる、ティベリス河の小支流。
(75)アニオとともに、アペニヌス山脈に発してティベリスにそそぐ河(いまのネラ河)。
(76)サビニ地方(ローマの北東にあたる、サビニ人の住む地方)を流れるティベリスの支流(いまのファルファ河)。
(77)ラティウムの町アリキアの近くにある森の池。イタリアの伝説によると、母クリュタエムネストラを殺して父の復讐をとげたオレステス〔巻十三(61)〕は、国を追われてタウリスに行き、そこのディアナ神殿の斎女をしている姉イピゲニア〔巻十二(14)〕に再会し、このタウリス(あるいはスキュティア)のディアナ像を盗みだして、アリキアの森に移し、タウリス風のディアナの祭儀をこの地にはじめたという。
(78)ピルムヌス(産婦と赤児とを守るローマの神)の娘とされる妖精。『アエネイス』第一〇歌七〇行では、トゥルヌス王(97)の母とされている。
(79)ローマの古い神。本来は門の神で、門はすべての始まりであるとともに、すべての終りでもあることから、正反対の方向をむいたふたつの顔をもっているとされ、その象徴的性格のために祈りや祭儀にさいしてはつねに神々の先頭におかれ、ローマ暦は一年の始まりである一月にかれの名を冠してJanuariusとよんだ。
(80)いわゆるローマ七丘のひとつ〔パラティーノ。→(100)および巻一(36)〕
(81)ラティウムの港町。
(82)「歌う者」の意。
(83)キルケイイ岬(8)のある野のことであろう。
(84)キルケは、ティタン神族にぞくする太陽神ソルの娘。
(85)たんに祈り、犠牲をささげるときは、東の方だけを向くのがならわしであった。西の方をも向いたのは、キルケの魔性をしめしている。
(86)→(67)
(87)→巻五(122)、巻六(46)
(88)夕刻になったの意。タルテッススは、スペイン南部の海岸町、ポエニケ(フェニキア)人の植民地。
(89)→(71)
(90)とくにラティウムで崇拝された泉の妖精たち(複数形カメナエ)で、予言の能力をもち、のちギリシアのムサたち〔巻二(38)〕と同一視された。カメナも、カネンスとおなじく、動詞 canere(歌う、予言する)から由来している。
(91)キルケ。
(92)アエネアスの乳母カイエタのこと。この地に葬られ、以後その町はカイエタとよばれた(いまのガエータで、ナポリとローマとの中間にあるガエータ湾にのぞむ)。
(93)キルケ。
(94)ティブリス河(71)はいまでもビヨンド・テヴェレ(ビヨンドはブロンドに同じ)とよばれ、いつも黄いろく濁った水がながれている。
(95)ラティニ族(69)にその名をあたえた祖、ラティウムのラウレントゥム(81)の王。ここではウェルギリウスに従ってファウヌス〔巻一(41)〕の子とされているが、ギリシアの伝承では、ウリクセスとキルケとの子であるともいわれる。
(96)ラティヌス王とその妃アマタとの娘ラウィニアのこと。アエネアスの妻となり、アエネアスは新市を建設して、妻の名にちなんでラウィニウム〔巻十五(145)〕と名づけた。
(97)ラティウムの町アルデアを都とするルトゥリ族のこと。その王トゥルヌスは、ダウヌス(103)とウェニリア(78)との子で、ラウィニアとは許婚者の間柄であった。
(98)エトルリアの一地方、転じてエトルリアのこと。エトルリアの諸族はアエネアスを助け、ラティウムの諸王はトゥルヌスに味方して、外来者のアエネアスを妨害しようとした。
(99)→(97)
(100)アルカディア〔巻一(33)〕の町パランティウム(ギリシア語では、パランティオン)の英雄。若いころトロイア王プリアムス〔巻十一(124)〕とアンキセス(アエネアスの父)をその町に歓待したことがあり、トロイアとは縁が深かった。イタリアに移住し、ティブリス河畔の丘のひとつに町を建て、パンティウムと命名したが、これがのちのパラティウム(パラティヌス)丘である。アエネアスの求めに応じて、かれの息子パラスが騎兵四百をひきいて援軍にくわわった。
(101)トゥルヌスの使者。
(102)→巻十二(126)。トロイア戦争後(『オデュッセイア』では帰国して幸福に暮らしたことになっているが)、不貞の妻と故国アルゴスをすてて多くの冒険ののちイタリアに来て、アプリア地方(イタリア半島南東部、いまのプリア州)に多くの町をつくった。ここにいうのはアルギュリッパの町のこと。
(103)イタリア半島の最南端のダウニア、メッサピア、ペウケティアの三地方(イアピュギアと総称する)の王、トゥルヌスの父。祖国を追われたディオメデスを迎えて、娘エウヒッペと領土(アプリア)をあたえた。
(104)ディオメデス。
(105)トロイア。→巻十一(124)
(106)→巻十二(77)
(107)小アヤクスのこと〔巻十二(127)〕。かれは、ナリュクス〔巻八(78)〕のうまれである。
(108)アテナ(ミネルウァ)女神。
(109)トロイア王女カッサンドラのこと〔巻十三(108)〕。トロイア陥落のさい、かの女はアテナ神像のもとに逃げたが、小アヤクスはこれを引きずりだして犯したため、ギリシア軍に女神の怒りがふりかかり、帰国の途中で嵐におそわれた。
(110)エウボエア島の東南端の岬。トロイアから帰途のギリシア船団は、ここで嵐におそわれ、その多くが難破し、小アヤクスも、アテナ女神の投げたユピテルの雷電に打たれて死んだ。
(111)トロイア最後の老王。
(112)アテナ(ミネルウァ)は、戦いの女神としてつねに武装した処女神と考えられた。→巻二(119)
(113)トロイア戦争のとき、ウェヌスは、その息子アエネアスを助けようとして、ディオメデスのために手に傷をうけた。「親切な」というのは、むろん反語である。
(114)アエトリアの戦士、ディオメデスの部下。
(115)ウェヌス。→巻四(35)
(116)→巻七(82)
(117)いずれもディオメデスの部下。
(118)『アエネイス』第十一歌二七一行以下によると、これらの部下たちは、ディオメデスの死を悲しんで鳥になったことになっている。
(119)ディオメデス。かれの父テュデウスは、オエネウス〔巻八(55)、巻九(84)〕の子。
(120)アプリアのこと(102)。この地を支配するディオメデスは、ギリシアの町カリュドン〔巻六(89)〕の王オエネウスの孫にあたる。なお、つぎの地名は、いずれも(103)を見よ。
(121)→巻一(127)
(122)ディオメデスとその部下たち。
(123)→(97)
(124)海路トロイアから移ってきたアエネアスの一行をさす。
(125)プリュギアのすべての山々とおなじく、トロイアのイダ山も大母神キュベレ〔巻十(32)〕のものであると考えられていた。
(126)→巻二(15)、巻六(127)。その息子たちとは、西風ゼピュルス、北風ボレアス、南風アウステルの三人をさす。
(127)→巻十三(169)。その船とは、ウリクセス一行の船で、二度海難にあった。
(128)→巻十三(174)。その快速船でウリクセスを故郷に送りとどけたが、その帰路ネプトゥヌスのために船は岩礁に変えられた。
(129)アエネアスにはその母であるウェヌス女神が、トゥルヌスにはユノ女神〔(19)(132)〕が味方した。
(130)トゥルヌスは、アエネアスとの一騎打ちに敗れた。
(131)アルデアは「アオサギ」の意。
(132)ユノは、いわゆる「パリスの審判」事件〔巻十二(4)〕以来、トロイア人たちに怨みをいだき、トロイア戦争でもつねにギリシア軍に味方していた。→(19)
(133)アエネアスの息子アスカニウスの別名。→巻十三(139)
(134)ウェヌスのこと。その息子とは、アエネアスをさす。
(135)ユピテル。
(136)→(81)
(137)→(72)
(138)→巻十三(193)
(139)→巻二(19)
(140)ユピテル、マルスとともにローマの三主神のひとり。ローマの始祖ロムルス(172)と同一視される(八二九行)。その民とは、ローマ人をさす。→(189)
(141)アエネアスは、トゥルヌスの死後も抵抗をつづけていたルトゥリ族との戦闘中、ヌミキウス河畔で行方不明になり、神となって昇天したのだと考えられた。この土地でインディゲスなる呼称で崇拝されていたある土着の神が、かれと同一視されるようになった。
(142)ローマ祖市にあたるアルバ・ロンガ市。→巻十三(139)
(143)→(133)
(144)アエネアスとラウィニア(96)との息子。アスカニウスの異母兄弟。
(145)このラティヌスは、(95)のラティヌス(ラウレントゥム王でラウィニアの父)の曾孫にあたる。
(146)以下、トロイアの滅亡からローマ建国までの時間的空白をうめるために神話的に創作された王たちの名前が列挙されるが、ラテン風の名前とプリギュア(トロイア)風の名前が入りまじっている。
(147)→(54)。その流れとはティベリス河のこと。
(148)ローマ七丘のひとつであるアウェンティヌス丘(いまのアヴェンティーノ丘)。
(149)→(100)。その民とはローマ人のこと。
(150)ここでは森の妖精となっているが、本来はローマの果実の女神で、その名前は poma(果実)から来ている。
(151)→巻一(121)
(152)色恋沙汰にこころをむけなかった、の意。
(153)→巻一(42)
(154)ギリシアのパン神〔巻一(127)〕と同一視されるローマの牧神ファウヌスのこと〔同(41)〕。本来はひとりの神であったが、のち複数で考えられるようになった。
(155)→巻一(43)
(156)プリアプスのこと。→巻九(77)
(157)季節による植物(果樹)の推移(たとえば、木から花、花から果実、果実からまた木への推移)をつかさどる神で、トゥスクス(54)に起源をもつらしい。さまざまな姿に身を変えてポモナの愛をもとめた。
(158)ラピタエ人たちとケンタウルス族との戦いの原因になったピッポダメのこと。→巻十二(50)
(159)ペネロペ〔巻八(84)〕。ウリクセスの留守中、百人をこえる求婚者たちに悩まされたが、よく貞節を守りぬいた。
(160)→巻一(39)
(161)アルバ・ロンガ市にある山の意。
(162)キュプルス島の東部にある町、ウェヌス崇拝で有名。その女神とはウェヌスのこと。
(163)→巻三(56)。復讐の女神ネメシスのこと。
(164)クレタ島のイピス〔巻九(125)〕とは別人物。
(165)→巻十三(42)。かれはトロイア戦争後、異母兄弟の大アヤクスの仇討ちをしなかったというので父テラモンから勘当され、キュプルス島にわたってサラミス市を建設した。
(166)馭車座の左手にあるふたつの星。この星が夜明けに沈むときは(冬至のまえ)、嵐の季節とされた。
(167)ダヌビウス(ドナウ)河とアルペス(アルプス)山脈とのあいだにある地方(いまのオーストリア)。製鉄で有名であった。
(168)以下は、いわゆる「パラクラウシテュロン」(とざされた戸口のまえでの哀歌)のひとつ。
(169)治療の神、とくにアポロの別名。また、この神にささげられる讃歌。パエアンをよぶとは、喜びの歌をうたうの意。
(170)生命と恋人と。
(171)ウェヌス・プロスピキエンス(Venus Prospiciens)。
(172)前出のプロカ(またはプロカス)王の息子。兄ヌミトルを追放してアルバ・ロンガ王となり、兄の息子ラウススを殺し、娘イリア(または、レア・シルウィアともよばれる)をウェスタ女神の巫女にした(子供をうませないため)。が、イリアは、軍神マルスによってロムルスとレムスという双子をうんだので、かれは、子供をティベリス河に流した。ふたりは生きのびて、牧人に育てられ、長じてアムリウスを殺して、王権を祖父ヌミトルに返した。その後ふたりはローマ市を建設したが、仲たがいをし、レムスは殺された。
(173)プロカの長子、アムリウスの兄。プロカは遺産を財宝と王国とに二分し、アムリウスは財宝をとったが、王国を相続した兄を追放した。ヌミトルは、アエネアス家の十六代目のアルバ・ロンガ王である。
(174)ローマの家畜保護の女神(あるいは、男神ともいわれる)パリスの祭をパリリアという(四月二十一日)。この日が、ローマ建国の記念日とされている。
(175)サビニ人(76)の王。
(176)ローマの乙女。サビニ王タティウスに恋し、かれおよび兵士たちが左手にもっているもの(金の腕輪など)をもらう約束で、ローマを裏切って敵軍を城内に入れた。サビニ兵たちは、左手にもっていた楯をかの女の上につみかさねて圧殺した。
(177)サビニ人の首都。
(178)ロムルス。
(179)ユノ女神。アエネアスに対するユノの憎しみ〔(19)(132)〕は、その子孫の上にまでおよんだ。
(180)→(79)
(181)アルプス。
(182)マルス〔巻三(8)〕は、古代イタリアの主神で、ローマ人の祖神とみなされた。なお、この事件以来ヤヌス神殿の扉は、戦時には開かれ、平時には閉じられる習慣が生じた。
(183)ローマ人たちはサビニ族の娘をうばって妻としたので(しかし、実際は婚礼の儀式として掠奪婚の外観をとっただけであろう)、ローマ人はサビニ人の婿というわけである。
(184)平和のしるし。
(185)ユピテル大神。
(186)マルスはユピテルの子であるから、マルスの子であるロムルスは、ユピテルの孫にあたる。
(187)マルスの異名。→巻六(101)
(188)ロムルス。
(189)「クゥイリヌスの民」の意で、本来はサビニ人のことであったらしいが、ローマ人とサビニ人が合併して以来、ローマ人の意に用いる。クゥイリヌスは、もとサビニ人の神で、合併のときローマの三主神に加えられた。→(140)
(190)ローマの神々や王侯の正装である長衣。
(191)ロムルスは、クゥイリヌス神と同一視されるようになった。→(140)
(192)ヘルシリア。サビニ人の名門の娘で、ロムルスの部下がさらってきたという(183)。ローマ人がサビニ人と戦ったとき、熱心に両者の和平につとめた。死後、クゥイリヌスの妃ホラと同一視された。
(193)→巻一(59)
(194)神となってクィリヌスと同一視されたロムルス。
(195)ローマ七丘のひとつ(いまのクイリナーレ丘)。クゥイリヌスの神殿があった。
(196)イリス。
(197)クゥイリヌス丘。
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巻十五
一 ミュスケルス/クロトン
こうしてロムルスの死後、このような重い責務をはたすことができ、かくも偉大であった王の後継者となりうるような人物が探しもとめられた。しかし、真実の予告者である噂《ファマ》は(1)、有名なヌマ(2)こそ王権に即《つ》くにふさわしいと推した。
かれは、サビニ人の文化を熟知するだけでは満足せず、該博な精神を駆使してより高いものにむかって努力し、事物の本質をきわめようとした。この研究にたいするはげしい熱意のあまり、ついに故国とクレスの町をあとにして、かつてヘルクレスを歓待した町(3)へおもむいた。そこで、このイタリアの海岸にだれがこんなギリシア風の町をきずいたのかとたずねると、昔のことをよく知っている土地の老人のひとりが、つぎのような話をした。〔一〜一一〕
「ユピテルの息子(4)は、ヒベリアの牛どもをうばって大きな富を手に入れると、大洋をわたって、海路つつがなくこのラキニウム(5)の浜辺にやってきました。そして、牛どもがやわらかい草をはんでいるあいだに、かれ自身は、偉大なクロトン(6)の邸宅と親切な宮殿をおとずれて、ゆっくりと休息して長旅の疲れを癒《いや》しました。そして、いよいよこの地を去るにあたって、『われわれの孫の時代には、かならずこの土地に都が建つであろう』といいました。この予言はみごとに的中いたしました。と申しますのは、アルゴスのアレモンの子にミュスケルスという者がおりまして、その当時では神々にいちばんかわいがられておりました。ある晩、ふかい眠りにおちていると、棍棒を手にした英雄(7)がかれの上にかがみこんで、こういいました。『さあ、故郷を去って、遠いアエサル(8)の小石の多い流れを求めて行くがよい』そして、もしこの言いつけにしたがわなかったら、いろいろな怖ろしい目にあわすぞとおどかしました。やがて、眠りが消えるとともに、神も去りました。アレモンの子は、いま見たばかりの夢をひそかに思いかえし、どうしたらよいものかと長いこと考えあぐねました。神は出発せよと命じたが、国の掟は、国外に出ることを禁じ、祖国を替えようとする者は死をもって罰せられることになっておりました。かがやかしい太陽は、そのまばゆい頭を大洋のかなたに没し、やがてぬばたまの夜が、星をちりばめた頭をもたげました。その夜も、おなじ神があらわれて、おなじことを命じ、もし言ったとおりにしなければ、さらにひどい罰をむくいるぞとおどしました。ミュスケルスは、すっかり怖ろしくなって、祖先伝来の聖物をはこびだす準備にとりかかりました(9)。すると、たちまち町じゅうに噂がひろまって、法律違犯のかどで訴えられてしまいました。予審がおわり、証人の陳述がなくても、すでにかれの罪は明白となりました。このとき見すぼらしい衣をまとったかれ(10)は、天の神々の方を向き、手をさしのべて、『おお、十二の偉業によって天国に入る資格を得られた方(11)よ、どうかお助けください! わたしが罪を犯すようになったのは、あなたのせいなのですから』とさけびました。
むかしの習慣では、白と黒の小石をつかって採決し、黒石は有罪を、白石は無罪をあらわすことになっていました。このときも、不幸な判決は、この方法できめられました。そして、人びとが無情な壺のなかに投じた石は、黒石ばかりでした。ところが、いよいよその壺を逆さまにして、出てくる石の数をかぞえようとすると、どの石もみな白石に変ってしまっていました。こうしてヘルクレスの神助によって、判決は白になり、アレモンの子は無罪を言い渡されました。かれは、自分を護ってくれたこの慈父のごとき神、アムピトリュオンの息子(12)に感謝し、順風にめぐまれてイオニアの海に船を走らせ、ラケダエモン(13)の人たちが建てたタレントゥム(14)の町、シュバリス(15)、サレンティニ人の町ネレトゥム(16)、トゥリイ(17)の入江、クリミサ(18)、さらにイアピュギア(19)の海岸をすぎていきました。そして、海ぎわの土地をあちこちとさまよったあげく、ついに目的の地であるアエサルの河口にたどりつきました。そこから遠からぬところにひとつの墓がありまして、その下の土のなかには、クロトンの聖骨が埋められておりました。ミュスケルスは、神の言いつけにしたがって、ここに都城をきずき、その下に埋められている人の名をとって、この新しい町の名前にしたのです」〔一二〜五七〕
このイタリアの土地とそこに建てられたギリシアの町の起源がこのようなものであることは、たしかな伝承によって明白なことであった。〔五八〜五九〕
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二 ピュタゴラスの教え
この町にサモスうまれのある人物(20)が住んでいた。かれは、サモスの島とその支配者たちのもとを去り、圧政にたいする憎しみからみずからもとめてこの地に亡命したのである。神々が天界のかなたのどんなに遠いところにいようとも、かれは精神の力でそこに達することができたし、自然が人間の眼にかくしているものをも悟性の眼で見ることができた。そして、宇宙の一切をその天才と飽くことなき探究とによって認識しては、それを多くの人びとに教えた。かれのもとに集まって、驚嘆の面持でかれの講義を黙々と聞いている弟子たちにむかって、かれはこの広漠たる世界の起源や万物の根源を語り、自然とはなにか、神とはなにか、雪はいかにしてできるか、雷の正体はなんであるか、雷鳴をとどろかせるのはユピテルであるか、それとも風が雲をひき裂く音であるのか、星辰の運行にはどのような法則があるのか、そのほか一般には未知とされているあらゆることを、説ききかせた。また、獣肉で食卓を賑わすことを非難したのも、かれが最初であった。かれが最初に、学識のふかい言葉で(しかし、人びとはそれを信じようとはしなかったが)つぎのように主張したのである。〔六〇〜七四〕
「おお、人びとよ、諸君は不浄な食物で身体をけがしてはならない。諸君には穀物もあれば、枝もたわわにみのった果実や、蔓にぶらさがった汁気の多いぶどうもある。甘味な草もあれば、火にかけてやわらかく煮ることのできる野菜もある。乳を飲むこともできれば、麝香《じゃこう》草の花の香りのする蜜を舐《な》めることもできるではないか。ゆたかな大地は、その宝物とおだやかな食物をあたえてくれる。それを手に入れるのに、殺戮や流血をおかさなくともよい。なるほど、動物たちは、肉によってその飢えをみたしておる。が、すべての動物がそうだというわけではない。馬や羊や牛は、草をたべて生きているのだ。血にまみれた食餌をこのむのは、アルメニアの虎や兇暴な獅子や、また狼や熊のような、兇暴で残忍な性質をもった獣どもである。ああ、臓腑《はらわた》をもって臓腑をみたし、肉体を喰ろうて肉体をこやし、ほかの生物を殺して生命をやしなうのは、なんというむごい罪悪であろうか。世にも恵みぶかい母なる大地がこんなにもゆたかな賜物をあたえてくれているのにもかかわらず、おそろしい歯で切り裂かれたあわれな肉片を喰らい、あのキュクロプスどもの喉を真似ないではどうしても気がすまないのか。ほかの生物の命を犠牲にしないでは、貪婪《どんらん》で下司な腹の飢えをみたすことができないのであろうか。われわれが黄金の時代とよんでいるあの太古の人びとは、大地があたえてくれる木の実や草だけで結構幸福であって、その口を生血でけがすようなことはしなかったのだ。そのころは、鳥たちは、安んじて空をとびまわり、兎たちも、なに怖れることもなく野原であそんでいたし、魚たちがだまされて釣針にかかるようなこともまだなかった。生きとし生けるものが、罠《わな》もなければ、欺かれる心配もなく、平和にみちていた。
けれども、何者であったかは知らぬが、悪業の発起人があらわれて、獅子どもの食餌をうらやましくおもい、肉食を貪婪な腹につめこんだ。そして、これが罪業の発端となったのだ。冷たい剣が血ぬられてあたたかくなったのは、おそらく最初は野獣を殺したためであったろう。しかし、殺すだけで十分であったはずだ。われわれの生命をおびやかす野獣どもを殺したとて、けっして神聖な義務をけがすことにはならぬ。けれども、その場合でも、殺しさえすればよいので、なにもそれを食う必要はなかったのだ。こうして、罪業の雪だるまは、しだいに大きくなっていった。最初の犠牲獣となった豚は、そりかえった鼻で畑の種子を掘りくりかえし、秋の希望を台なしにしてしまうので、殺すのが当然だと考えられ、また、山羊は、ぶどうの葉を喰いあらすからというので、罰をもとめるバックスの祭壇にそなえられるようになったといわれておる。たしかに、このふたつの動物の場合は、自業自得だといえよう。だが、羊たちはどんな罪をおかしたというのか。おとなしい羊たち、おまえたちは、人間の生活を助けるためにうまれ、乳房には甘い乳をいっぱいにたたえ、おまえたちの毛はわれわれのやわらかな衣服となり、死ぬよりも生きていてこそ役に立つのではないか。
また、牛たちは、どんな悪いことをしただろうか。いつわりも悪だくみを知らず、従順で無邪気な、つらい労働をもじっと堪えていくためにうまれた動物ではないか。まことに、おのが畑をたがやしてくれた働き者からまがった鋤の重荷をはずしてやるやいなや、これを殺してしまうような輩《やから》、秋の収穫の準備をしてくれたのに、労働ですれたその首に無情な斧を打ちこむような輩は、恩知らずの徒というべく、大地の実りなど受ける値打ちのない連中である。
しかも、このような罪悪をおかすだけにとどまらなかった。人びとは、この犯行を神々のせいにして、この孜々《しし》として働く牛の殺戮を天上の神々がよろこばれるのだとすら考えた。汚れのない、ひときわ美しい犠牲獣は、まったく見込まれたのが災難というものだが、黄金と花環にかざられて祭壇のまえに引きだされる。そして、おのが運命も知らずに祭官たちの祈りを聞き、自分が苦役をして作りだした穀物(21)が額の角のあいだにふりかけられるのをじっと見ている。やがて最後の一撃が振りおろされると、おそらくつい先ほど清らかな水(22)のなかに光っているのが見えていたにちがいない剣を、みずからの血で赤く染めるのである。すると、人びとは、まだぴくぴくとうごいている胸からすぐさま内臓をぬきとり、そこにあらわれた神々の御心を判じ(23)、そして――ああ、禁じられた食物にたいするこんなにもはげしい欲求は、どこからうまれたのであろうか――人間たちよ、諸君は、それをあえて食べようとするのか。わたしは、諸君にお願いする。どうかそんなことはやめてもらいたい。わたしの忠告をきいてほしい。諸君が家で殺した牛の肉を口にするときは、自分たちの畑の耕作者を食うのだということを忘れてはならない。〔七五〜一四二〕
ところで、ある神がわたしをして語らせているのだから、わたしは当然その神にしたがおう。つまり、いわばわたしの胸のなかにあるデルピ(24)を、さらには天国そのものをも開いて、崇高な霊の言葉を聞かせようというわけだ。わたしは、われわれの祖先たちのうちの天稟《てんぴん》にめぐまれた者もついに究めえず、長いあいだ闇のなかに隠されていた偉大な英知を、これから告知しよう。まことに、はるかな星辰のあいだをめぐり歩くのは、なんという喜悦であろうか。この地上のものぐさな住まいを去り、雲にはこばれて、あの強力《ごうりき》の巨人アトラスの肩に立ち、さだめなく右往左往している理性のない人間たちをはるかに見おろし、こうして不安と死の恐怖とにおののいているかれらを励まし、世界の運行を説きあかすのは、なんという悦びであろうか。〔一四三〜一五二〕
おお、人類よ、冷たい死をおそれている人びとよ! 諸君は、なぜステュクス(25)のごときものをおそれるのか。実在性をもたないたんなる名前にすぎないようなものを、たんなる詩人の妄想であり、架空の世界の危険でしかないようなものを、なぜおそれるのか。肉体というものは、葬薪《そうしん》の炎によって焼かれようが、経年の腐敗によって滅ぼされようが、死んでからはもういささかの苦痛も受けないのだ。これに反して、霊魂は、けっして死ぬということがない。それは、もと住んでいた宿を去ると、つねに新しい住家をもとめ、そこに住みついて生きつづける。いまでもよくおぼえているが、このわたしにしても、あのトロイア戦争のときは、アトレウスの弟息子(26)の重たい投槍を胸にうけて倒れたパントゥスの息子エウポルブス(27)であったのだ。最近アバスの町アルゴスのユノ神殿にある楯を見たが、わたしは、それがあのころ自分の左手がもっていた楯であることを見わけたものだった。すべてのものは、たえず変転するが、なにひとつとして消滅するものはないのだ。生命の息ぶきは、転々とめぐり、甲から乙へ、乙から丙へ移りゆき、つぎつぎに肉体に宿をもとめる。動物のからだから人間の身体に移ることもあれば、人間の身体から動物のからだに居をかえることもある。しかも、けっして死ぬことはないのだ。ちょうどやわらかい蝋がいったん新しい形をあたえられると、もはやもとの形ではなくなり、また、もとの形をすこしもとどめていないにもかかわらず、依然としておなじ蝋であるように、わたしの説によれば、霊魂もまたつねにおなじものであって、たださまざまな姿に移り住むにすぎない。だから、わたしは声を大にしていおう――人間としてのみちを悪食《あくじき》によって汚してはならない。諸君のたましいとおなじ絆《きずな》にむすばれているたましいを罪ぶかい殺戮によってその住家から追いだすようなことは慎むがよい。血をもって血をやしなってはならない。〔一五三〜一七五〕
わたしの言葉は、さらに大海にのりだし、満帆に風をうけて疾走する。この宇宙のなかには、ひとつとして固定しているものはない。すべては、流れうごき、あらゆる現象は、つぎつぎにその形姿《すがた》をかえていく。時そのものも、さながら流水のように、たえず動きながら推移する。というのは、流水も光陰も、静止するということができないからだ。ひとつの波は、ほかの波に押しやられ、たがいにあとからきた波に流されつつ、さらに前をいく波を押し流していく。これとおなじように、時も逃げ去り、たがいにつながり、たえず更新されていく。というのは、いままで存在したものは、後方にしりぞき、いままで存在しなかったものがあらわれてきて、すべての瞬間がみずからを新しくするからである。夜がその行程を終れば、昼にかわり、かがやかしい太陽がくらい夜のあとにつづくではないか。万物がぐっすりと深い眠りにおちているときと、あかるいルキフェル(28)が白馬にまたがって昇りそめるときでは、空の色もおなじではないし、さらに光の前駆《さきがけ》であるパラスの娘(29)が世界を色どって、それをポエブス(30)にゆだねようとするときは、またちがった色になる。ポエブスの楯(31)にしても、あさ地平線をはなれるときは赤く、地の涯に沈んでいくときも赤いが、天頂に達したときは、白くかがやいている。天頂では、空気の性質がいっそう清浄で、大地の汚染からまぬがれているからである。夜の炬火であるディアナ(32)も、おなじ形をたもつことはけっしてできない。盈《み》ちていくときは、きょうの形は、かならず明日の形よりも小さく、逆に虧《か》けていくときは、明日のそれよりも大きい。〔一七六〜一九八〕
さらに、諸君は、一年がわれわれの一生を真似て、順々に四つの季節を経ていくことに気づかないだろうか。あたらしい春の季節では、年は乳呑み児のようにかよわく、いわば少年の年輩にそっくりである。あたらしい、弱々しい草が萌えでてくる。まだしっかりした力はないが、農夫たちに希望のよろこびをあたえる。やがて、すべての植物は、花をひらく。恵みゆたかな大地は、とりどりの花の色とたわむれる。けれども、葉にはまだいかなる力もたくわえられていない。そのうちに春は去り、世は溌剌たる夏に入る。年は、たくましい若者になったのである。というのは、これ以上力づよい、これ以上ゆたかな、これ以上熱烈な季節はないからである。つづいて秋がくる。それは、青春の情熱こそすでにもっていないが、成熟して、おだやかで、青年と老年との中間にあって、過激さがない。額《ひたい》には、白いものがちらほらとまじりはじめる。こうして最後に、老人のような、骨だらけの冬がよろめく足どりでやってくる。髪の毛は、もうなくなるか、たとえ残っていても、白くなってしまっている。〔一九九〜二一三〕
われわれ自身の身体も、たえず休むことなく変っていく。かつてあったわれわれ、いまあるわれわれ、しかし、明日はもうそれではないのだ。かつてわれわれはひとつの種子として、やがて人間となるべき希望の最初の芽として母の胎内にひそんでいた日があった。自然は、そのたくみな手を貸してくれて、われわれがいつまでも窮屈な母の胎内に小さくなっていることをのぞまず、そのせまい住家からわれわれの身体を広びろとした大気のなかへ出してくれた。こうしてこの世の光は見たものの、幼児はまだなんの力もなく寝ているだけである。やがて動物のように四つ足になって這いまわり、まだしっかりとはしていないがしだいに膝膕《ひかがみ》で立つようになり、腱も弱々しいながらもふんばる力ができてくる。やがて丈夫になり、すばしこくなると、青春時代を元気よく走りぬけ、中年の時代を経て、死に近づく老年の坂道をすべるように降りていく。老年は、いままでの時代の力を弱め、衰えさせてしまう。ミロン(33)でさえ、老境に入ると、かつてはヘルクレスの腕のように筋肉が隆々と盛りあがっていた自分の腕がぶよぶよに萎えてしまったのを見て、さめざめと涙をながす始末である。テュンダレウスの娘(34)も、鏡のなかに老いの皺を見て泣きだし、こんな自分がどうして二度も誘拐されたのだろうといぶかしんだ。おお、一切を併呑する時間よ、嫉みぶかい老年よ、おまえたちは、すべてのものを破壊する。おまえたちは、すべてのものを時間という歯牙にかけて噛みくだき、忍びよる死の手によってそれを徐々に消滅させてしまうのだ。〔二一四〜二三六〕
われわれが元素とよぶものも、けっして固定不変のものではない。よく聞くがよい。諸元素がどのような変化をするかを、諸君に教えよう。永久なる宇宙は、四つの元素をふくんでおる。そのうちのふたつは重く、その重たさによって低いところに沈んでいる。土と水がそれだ。あとのふたつは、重さをもたず、上から押さえつけるものがないので、高いところに昇っていく。それは、空気と、空気よりもさらに純粋な火である。これらは場所的には別々に離れているけれども、万物は、これら四元素からうまれ、また四元素に復帰するのである。土は、ばらばらにくだけると、水に分解し、水は、蒸発すると、風と空気になり、さらに空気は、あらゆる重さをうしなって、稀薄になってすばやく高みにある火のところへ上昇していく。さらにそこからこれらの元素は、逆行をして、おなじ順序を逆にたどっていく。すなわち、火は凝《こ》って濃くなると、空気となり、空気は水になり、水はまるく凝固して土になる。いかなる事物も、その形体をいつまでも保持することはない。万物をたえず更新する自然は、ひとつの形からさらに新しい形をつくりだす。まことに、この世界じゅうに、滅び去るものはなにひとつないのだ。すべては、流転し、その姿をかえるだけである。われわれが生れるといっていることは、ひとつのものが異なった存在となってあらわれることであり、死ぬといっていることは、そのおなじ形が終ることなのである。これがあちらへ、あれがこちらへ移されることはあっても、全体として見れば、つねに不変である。わたしは、なにものもおなじ形を長く保っていることはない、と信じる。さればこそ、時代も黄金から鉄に移り、さまざまの土地の運命も、いくどとなく変ったのだ。わたしは、かつては堅固な陸であったところが海となり、逆にまた海が陸となったのを、この眼で見た。海から遠くはなれたところに海の貝がらがあったり、高い山の頂上に古い錨が見つかったりする。また、かつては畑であったところが、洪水のために谷になり、氾濫した急流が山を平野にかえてしまったこともあり、以前には沼沢地であったところが、いまでは水がかわいて、砂漠となっていることもあれば、水気のまったくなかった土地が、満々と沼の水をたたえていることもある。自然は、ここで新しい泉を湧出させたかとおもうと、かしこではそれを涸渇させる。地震のために大地の底からあたらしく流れだす河もあれば、地上からまた姿を消してしまう河もある。たとえば、リュクス(35)がそうである。この河は、大きく開かれた大地の底にいったん呑みこまれるが、やがてまた離れたところに姿をあらわし、別な口から流れ出している。おなじような力づよいエラシヌス(36)も、一度は地中に吸いこまれたり、地底を流れたりするが、やがてアルゴスの地にあらわれる。ミュシアの河カイクスは、その水源ともとの河床をきらって、いまは別の河床をながれているといわれる。アメナヌス(37)は、あるときはシキリアの土砂をころがせて滔々《とうとう》とながれているかとおもうと、ときには水源も涸れはてて、河床が干あがってしまう。また、むかしはアニグルス(38)の水を飲用に使ったのだが、詩人たちの言葉に信用がおけるとすれば、ふたつの姿をもった怪物が棍棒を手にした英雄ヘルクレスの矢によって受けた傷を洗ってからというものは、はげしい臭気をおびて、だれもこれに手をふれようともしない。
さらにまた、スキュティアの山中に源を発して、甘露のような水をはこんでいたヒュパニス(39)は、にがい塩水にかわってしまったではないか。アンティッサ(40)も、パロス(41)も、ポエニケのテュルス(42)の町も、もとは海にかこまれていたのだが、いまではもう島ではなくなっている。これに反して、レウカス(43)は、古代の人びとが住んでいたころは陸つづきであったが、いまは海にかこまれている。ザンクレ(44)もまた、もとはイタリアと地つづきであったのに、海がそのつながりを断ちきり、割りこんできた波が陸地を押しのけてしまったのだといわれる。また、諸君がアカイアの町ヘリケやブリス(45)をさがそうとすれば、それらを波の下に見いだすであろう。船乗りたちは、いまでも城壁もろとも海に沈んだこれらの町の廃墟を教えてくれる。ピッテウスの治めていたトロエゼン(46)の近くに、ひとつのはだか山があるが、ここは昔は広びろとした野原であった。すなわち、語るも怖ろしい話だが、真暗な洞穴のなかにとじこめられていた獰猛《どうもう》な荒々しい風どもが、どこか出口をもとめて、自由な天界を思うぞんぶんに駈けめぐろうと長いあいだやっきになってもがいていたが、どうにもならなかった。この獄舎《ひとや》には、ひとつの割れ目もなく、吹き出す口がなかったのだ。そこで風どもは、ちょうどわれわれが紙袋か角のある山羊の皮袋を吹いてふくらますように、大地の表面を張りふくらました。地面のふくれあがったところは、そのまま残って、高い丘のような恰好になって、時とともに固まったのである。〔二三七〜三〇六〕
わたしは、いままでに見たり聞いたりしたことがもっとたくさん思いだされるけれど、もう二つ三つ例をあげるだけにとどめよう。ところで、水もまた新しい姿をあたえたり、受けたりするではないか。おお、頭に角をはやしたアムモン(47)よ、おんみの泉の水は、真昼には冷たいが、日出と日没のころには熱くなる。世人の話によると、アタマネス人(48)たちは、虧《か》けていく月がいちばん細くなったとき、かれらの泉の水に木材をつけて火をともすといわれる。また、キコネス人(49)たちの国には、その水を飲めば内臓が石と化し、その水をかけると事物が大理石におおわれる河がある。タラティス(50)やわれわれの国(51)から遠くないシュバリスの流れは、人間の髪を琥珀や金色にする。さらにおどろくべきは、人間の肉体のみならず、たましいまでも変えてしまう水があるということだ。人間を軟弱にするあのサルマキスの泉(52)のことや、アエティオピアの湖の話は、だれでも耳にしたことがあるはずだ。このアエティオピアの湖というのは、だれでもその水を飲むと、気が狂うか、からだがだるくなって、ふしぎな眠りにおそわれるのである。また、クリトリウム(53)の泉で喉をうるおすと、たちまち酒ぎらいになって、一生酒盃を手にすることがなく、ただ清らかな水ばかりを好むようになる。それは、こころを燃えあがらせる酒とは正反対の力がこの泉のなかにひそんでいるためか、あるいは、土地の人びとが語るところによると、アミュタオン(54)の息子が狂気におとし入れられたプロエトゥスの娘たちを呪文と魔法の草とによって救いだしたとき、かの女たちを正気にもどらせた秘薬をこの泉に投げ入れたので、今でもその水に酒ぎらいにする性質が残っているのかもしれない。
しかし、リュンケスタエ人たち(55)の河は、これと正反対の力をもっていて、この河の流れで渇きをいやした者は、それがほんの少量であっても、たちまち生《き》のままのぶどう酒でも飲んだように千鳥足になってしまう。また、アルカディアには、昔の人たちがペネウスとよんでいた湖があるが、その水の二重の性質のために怖れられている。夜分は、この水に気をつけなくてはならない。昼間はなにも害がないのだが、夜それを飲むと害があるのである。このように湖も河も、さまざまな作用をもっている。かつてはオルテュギア(56)の島が波間にただよっていた時代もあったが、いまではしっかりと固定している。かつてアルゴ号(57)は、打ちあってはくだける波のしぶきに濡れるシュムプレガデス岩(58)をおそれたが、いまではこれらの岩々もそれぞれの位置に固定し、風が吹いてもびくともしない。いま硫黄の坩堝《るつぼ》に火をもやしているアエトナの山も、永久に火を吹きつづけるとはかぎるまい。というのは、それはずっと火を吹きつづけてきたわけではないからだ。もし大地が生きものであって、生命をもっていて、いろんな場所に炎を吹きだす風穴をもっているとすれば、いくらでもその吐息の出口をかえることができるわけだ。そして、震え動くたびに、ある穴をふさぎ、別の穴を新しく開けることができる。あるいは、かるやかな風が洞穴の奥にとじこめられていて、それが岩と岩を、さらに火のもとになる物質をかち合わせて、その衝撃によってこの物質が発火するのだとしても、いったん風がおさまると、この噴火口も冷えてしまうであろう。さらに、燃えやすい瀝青が急に燃えだして、黄いろい硫黄が煙をあげてくすぶるのだとしても、いったん大地が炎に食物や養分をあたえなくなり、ながい年月のあいだにその力を使いはたし、炎の貪婪《どんらん》な本性にふさわしい食餌が尽きてしまうと、炎もついに飢えには勝てなくなって、その荒涼とした穴を出ていかざるをえなくなるであろう。はるか北方の地パレネ(59)には、九度トリトンの湖にとびこんで、全身がかるやかな羽毛におおわれた人たちがいると伝えられている。さらに、わたし自身は信じない話だけれど、スキュティアの女たちは、魔法の薬を手足にそそぎかけて、おなじような不思議をおこなうといわれている。〔三〇七〜三六〇〕
しかし、確実な事実によってさらに証明をすることが必要とあれば、時の力と熱の腐触作用とによって解体された肉体は小さな動物に変るという事実に諸君は気づいていないであろうか。たとえば、よく肥えた牡牛を屠殺して、溝にうずめて土をかぶせておくがよい。これは経験によってよく知られた事実だが、牛の腐敗した内臓からは、蜜蜂がうまれてきて(60)、四方八方へと花をもとめて群れとび、産みの親とおなじように畑を好み、労働をよろこび、収穫をめあてにせっせと働くであろう。土にうめられた勇ましい駿馬からは、馬蜂がうまれてくる。また、浜辺に棲む蟹《かに》のまがった腕をもぎ、あとの部分を土にうずめると、そのうめられた部分から蠍《さそり》が出てきて、まがった尾で人びとを怖れさせるであろう。白い糸で木の葉や草などを巻きこんでいる畑の青虫は、農夫たちがよく見知っているように、やがて姿をかえて不吉な蝶となる。泥のなかには、青蛙などをうみだす物質がふくまれている。初めにうまれてくるのは、手足もないものだが、やがて泳ぐのに適した手足が生じ、しかも、よく跳べるように、後足が前足よりも長い。熊の赤ん坊は、うまれたばかりのときは、まだ仔熊ともいえず、ただ生きている一個の肉塊にすぎないが、母熊はそれを舐めまわして手足をつくりだし、やがて自分とおなじ姿に仕上げる。諸君はまた、蜜蜂の巣をのぞいてみると、その幼虫は六角形の蝋房のなかにいて、手足のないものなのに、やがてそれに足が、さらに羽が生えてくるのを知っているであろう。また、これはだれでも知っていて、いまさらふしぎでもなんでもないことだが、尾に星の飾りをつけたユノの愛鳥(61)といい、ユピテルの武器をはこぶ鳥(62)といい、あるいはキュテラの女神(63)の愛する鳩といい、およそ鳥というものはすべて、卵のなかの黄身からうまれてくるのである。さらに、人間の背骨が墓のなかで腐敗すると、その髄は蛇になると信じている人びともいる。〔三六一〜三九〇〕
けれども、以上の動物たちは、その種族の起源をすべて他の動物に負うている。ところが、自分で自分を新しくうみだす鳥がひとつだけいる。アッシュリアの人たちは、この鳥をポエニクスとよんでいる。このポエニクスは、けっして果実や草をたべないで、香木《こうぼく》の樹脂(64)と茗荷《みょうが》の汁を食物とする。かれは、定められた五百年の生涯を全うするやいなや、ただちにふるえる椰子の木の最も高い枝に爪と汚れない嘴とで巣をつくる。そして、カシア(65)と軽やかな甘松《かんしょう》の穂(66)と桂皮と褐色にひかる没薬《ミルラ》(67)とをそこに敷くと、その上に横たわって、馥郁《ふくいく》たる芳香につつまれて往生する。やがて、この親の遺体から一羽の小さなポエニクスがおなじ年数だけ生きる運命をもってうまれてくる、ということである。そのうち歳月を経て力がつき、重い荷物をはこぶことができるようになると、梢から巣をはずし、自分の揺籃であると同時に父の奥津城《おくつき》でもあるこの巣をかるやかな大気を切ってうやうやしくヒュペリオンの町(68)まではこんでいき、そこにたどりつくと、ヒュペリオンの神殿の神聖な入口のところにそれを置いておく。この話が奇異におもわれるならば、ヒュアエナが性を転換する話も、おなじようにふしぎなことといわねばなるまい。すなわち、いままで雄を上にのせていた雌のヒュアエナが、こんどは自分が雄になるのである(69)。また、風と空気を食って生きているあの動物(70)は、自分が触れたものとおなじ色にすぐさま変ってしまう。ぶどうの葉冠をかぶったバックス神に征服されたインド(71)は、この神に山猫を献じたが、伝えるところによると、この動物の尿《いばり》は、空気にふれると、固まって石になるといわれる。おなじように、珊瑚も、海のなかにあるときはしなやかな植物であるが、空気にあたると、たちまち固くなる。〔三九一〜四一七〕
こうして新しい姿に変身したあらゆるものを逐一あげていったら、話しおわらないうちに日がくれて、ポエブスは、あえぎ疲れた馬どもを深い海のなかに沈めてしまうことだろう。とにかく、われわれの眼にもあきらかなように、すべてのものは、ひとつの例外もなく変化していくのだ。諸国の民にしても、力づよく栄えゆくものがあるかとおもえば、滅亡していくものもある。たとえば、かつてはその富と兵力によって強大さを誇り、十年間も血みどろの戦いをつづけることができたトロイアも、いまは土にまみれて、ただ往昔の廃墟と、財宝のかわりに祖先たちの墓とを見せているにすぎない。かつてスパルタの名は、世界にとどろきわたっていた。偉大なミュケナエ(72)も、隆盛を誇っていたし、ケクロプスの城砦(73)や、アムピオンの都城(74)も同様であった。しかし、今日では、スパルタは、一個の見すぼらしい土地にすぎないし、誇り高きミュケナエも滅び去った。オエディプス王(75)の町テバエも、伝説以上のなんであろうか。パンディオン(76)の町アテナエは、その名前のほかになにが残っているであろうか。しかし、一方では、ダルダニア(77)系のローマが興隆して、アペニヌスの山に源を発するティベリスの河岸に大規模な工事を起して世界支配の礎《いしずえ》をきずいているという噂だ。この町は、しだいに大きくなることによってその姿を変え、いつかは広大な世界帝国の首府となるであろう。これは、予言者たちや運命を啓示する神託の教えるところだという。わたしがおぼえているかぎりでは(78)、かのプリアムスの子ヘレヌス(79)は、トロイアの運命が旦夕《たんせき》にせまり、アエネアスが涙にくれて祖国の行末をあやうんでいるのを見て、つぎのようにいったものだった。『女神の息子(80)よ、おまえはわたしの予言をよく胸に留めておいてくれるから教えるが、おまえが生きのびているかぎり、トロイアが完全に滅亡してしまうことはないであろう。火と剣がおまえのために道をひらくであろう。おまえは、この地を去り、同時にペルガマ(81)をも救い出して、ついにおまえとトロイアは、祖父の国以上に親しみのもてる未知の土地にたどりつくであろう。それのみか、わたしの心眼が予見するところによれば、プリュギア人(82)の子孫たちは、ひとつの都をうちたてる使命をになっておる。その都は、いまも将来も、また過去においても比肩しうるものがないほど大きなものとなろう。おまえ以外の諸将たちが、幾世紀にもわたってこの都を強大なものにするために力を尽すであろうが、やがてイウルス(83)の血筋をうけたひとりの人物(84)の手によって、この都は世界の女王となるであろう。この人物が地上での生涯を全《まっと》うするとき、天国はかれをよろこび迎え、そこがかれの最後の安住の地となるであろう』ペナテス(85)をたずさえて故郷を去るアエネアスにヘレヌスがこのように予言したのを、わたしはいまもはっきりとおぼえている。そして、わたしは、わたしにも縁のある(86)この都が日ましに栄えていくのをよろこぶとともに、ギリシアが勝利を得たことがかえってトロイアの幸いになったことをうれしくおもっている。〔四一八〜四五二〕
けれども、目的にむかって邁進するのを忘れている馬どもに引かれて道草を食うのはこれくらいにして、もう一度本題にもどると、空も、その下にあるすべてのものも、みな姿をかえる。大地や、その上にあるすべてのものも、おなじことだ。われわれも、この世の一部であって、たんに肉体であるだけでなく、霊魂でもある以上は、野獣の体内に宿ることもあれば、家畜の五体に住みこむこともあろう。だから、われわれの両親や兄弟たちの、あるいは、なにかの血縁につながる者たちの、すくなくともおなじ人間の魂が宿っているかもしれないこれらの動物たちを、平安に、大事にいたわってやらねばならない。そして、テュエステス(87)式の食事でわれわれの腹をふくらまそうなどとすべきではない。力をふるって仔牛の喉をえぐり、その哀れな呻きを聞いても平気でいるような人間、幼児の泣きごえにも似た声で鳴く仔山羊の首をしめたり、手ずから餌をやっていた鳥を食膳にのせることができるような人間――こういう人でなしは、なんといういまわしい習慣になずんでしまったことであろうか。まことに、日ごろから人間の血をながす予行演習をしているようなものではないか。こういう連中は、人殺しの大罪まであと一歩だといってよい。落ちゆく先は、考えるだにおそろしい。
牛には畑を耕させるがよい。そして、年老いたら、自然死をさせるがよい。羊たちには、おそろしい北風からわれわれを守ってくれる衣類をつくらせるがよい。山羊には十分に食物をあたえて、その乳をしぼるがよい。網や罠や落し穽《あな》や、動物たちをあざむく道具類は、ことごとく棄ててしまうがよい。もち竿で鳥をだましたり、おそろしげな羽根で鹿をおどしたり(88)、まやかしの餌のなかに曲った釣針をかくしたりすることはやめるがよい。害をあたえる動物は殺してもよいが、それも殺すだけにしておくべきだ。それを口に入れてはならない。口は、温和な食物だけを食べるべきだ」〔四五三〜四七八〕
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三 エゲリアの転身/ヒッポリュトゥスの蘇生
ヌマは、このような教えや、その他の教えを胸にきざんで祖国に帰ると、ラテン民族の総意によってえらばれて、その国の主権を掌中にしたといわれている。さいわいにもかれは、ひとりの妖精(89)を妻とし、カメナたちに指導されて、臣下たちに犠牲の儀式を教え、野蛮な戦争に慣れた国民を平和な諸芸術にみちびいた。かれが高齢になって長い生涯とともにその治世の幕をとじると、ラティウムの女たちも、貴族や庶民たちも、こぞってその死を悼《いた》み悲しんだ。かれの妻は、都を去って、アリキア(90)の谷の鬱蒼たる森のなかに姿をかくした。
かの女の嘆き悲しむ声は、オレステスが伝えたディアナの神聖な祭をさまたげた。ああ、森や湖の妖精たちは、いくど哀泣をやめるように忠告し、なぐさめの言葉をかけたことであろうか。涙にくれるかの女にむかって、テセウスの息子(91)はいくどつぎのように言ったことであろうか。「いつまでも嘆き悲しむのはやめるがよい。あなたの運命だけが悲しいのではないのだから。おなじような不幸がほかの多くの人たちの上にも起こっているのだということを考えてみるならば、あなたの不幸がもっと堪えやすくなるでしょう。わたし自身のでない例によってあなたの悲しみをなぐさめることができればよいのだが、いまは我慢してわたしの身の上をお聞かせしましょう。〔四七九〜四九六〕
たぶんあなたは、父親の軽はずみな早合点と非道な継母の奸計とによって命をおとしたヒッポリュトゥスという男のことを話に聞いたことがあるでしょう。あなたは、きっとびっくりなさるでしょうし、わたしにしても、あなたにそれを信じさせるのは容易なことではありませんが、わたしこそ、そのヒッポリュトゥスなのです。あるとき、パシパエの娘(92)は、わたしに父の寝床を汚させようとして失敗したので、罪をわたしに転嫁して、自分が望んだ不義のくせに逆にわたしの方から言い寄ったのだと吹聴して(それは、父に告げ口されるのを怖れたためか、あるいは、わたしに拒まれた腹いせのためかもしれませんが)、あらぬ濡衣《ぬれぎぬ》をわたしに着せたのです。むろん、わたしは無実でしたが、父はわたしを町から追放し、去っていくわたしにおそろしい呪いの言葉を浴びせました(93)。わたしは、亡命者となって、車を駆ってピッテウス(94)の町であるトロエゼンにむかい、コリントゥス湾の浜辺にさしかかったとき、急に海がふくらみ、大きな波が山のように高まったかとおもうと、ものすごい咆哮を発して、その波頭が割れたようにおもえました。と、割れた怒涛のなかから一匹の角のはえた牡牛があらわれ、胸もとまであらわして空中に立ちはだかると、鼻と大きな口から海水をいっぱい吐きだしました。部下たちのこころは、怖ろしさにわななきました。わたしのこころは、すこしもたじろぎませんでした。自分の流浪の身の上を考えることで手いっぱいだったからです。ところが、きおい立ったわたしの馬どもは、首を海の方にむけ、耳をそばだててふるえおののき、この怪物にたいする恐怖のあまりすっかり落着きをうしない、車を大きな岩に打ちつけてしまいました。わたしは、白い泡をかんでいる馬どもの轡《くつわ》をなんとかひきしめようとし、身をのけぞらせて丈夫な手綱をひっぱりましたが、力が足りませんでした。それでも、もし車輪の、たえまなく回転している心棒のまわりの部分がおおきな樹の幹にあたってくだけなかったら、馬のはげしい勢いも、わたしの力で制することができたかもしれません。
わたしは、車から投げだされました。そして、手綱に足をとられましたので、内臓は生きたまま引きさかれ、腱は樹の幹にひっかかり、四肢の一部は前にひきずられ、一部は後のほうにひきちぎられ、骨はくだけて、にぶい音をたて、精根つきはてたたましいは、息たえてしまいました。わたしのからだには、わたしだということがわかってもらえるような部分は、もはやひとつも残っていませんでした。全身がずたずたになってしまったのです。おお、妖精《ニムペ》よ、これでもあなたは、あなたの不幸をわたしの不幸とくらべることができますか。くらべられるものなら、くらべてごらんなさい。わたしは、光明のない国も見たし、ひきさかれた五体をプレゲトン(95)の流れに浸《つ》けもしました。もしアポロの息子(96)のあらたかな療法をうけなかったならば、わたしは、二度と命をとりもどすことはできなかったでしょう。
しかし、ディス(97)の反対をおしきって、わたしは霊草とパエアン(98)の医術とのおかげでふたたび生命をとりもどしました。ところが、キュントゥスの女神(99)さまは、わたしがこのような恩恵に浴したことにたいする世人の嫉みをこれ以上増大させることを心配して、わたしを黒雲につつみ、あらゆる危険をのがれ、安心して姿をあらわせるようにと、わたしを老人の姿にし、顔かたちを変えてしまいました。そして、わたしの住む場所としてクレタとデロスのどちらをあたえようかと長いあいだ思案したあげく、結局デロスもクレタもやめにして、この地につれてきてくださったのです。さらに、馬を思いださせるような名前(100)を棄てるようにと命じて、『これまではヒッポリュトゥスであったが、これからはウィルビウス(101)という名前にするがよい』とおっしゃいました。それ以来、わたしはこの森に住み、下級の神のひとりとなって女神さまのご庇護をうけ、その従者として奉仕しているのです」〔四九七〜五四六〕
けれども、他人の不幸は、エゲリアのこころをなぐさめることができなかった。かの女は、ある山の麓に身を伏せて、とめどなく涙にかきくれていたが、ついにポエブスの妹(102)は、亡夫を思うこのやさしい情愛にこころを動かされて、かの女のからだを冷たい泉にし、その手足を溶かして尽きることのない水に変えた。妖精たちは、このふしぎな奇蹟にこころを打たれた。アマゾンの息子(103)も、茫然としてこれを見つめているばかりであった。〔五四七〜五五三〕
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四 タゲス/ロムルスの槍/キプス
そのおどろきの様子は、テュレニア(104)の一農夫があるとき畑のまん中で、外部からなにも力をくわえないのに一塊の土くれがむくむくとひとりでに動きだしたかとおもうと、人間の姿になり、土の姿をすてて、やがて出来たばかりの口をうごかして、未来を予言しはじめたのを目撃したときのおどろきとおなじであった。土地の人びとは、この予言者をタゲスとよんだ。これは、エトルリア人たちに未来の秘密を知る術をはじめて教えた者である(105)。〔五五四〜五五九〕
また、ロムルスは、ある日パラティウム丘の上につき立ったかれの投槍に、突然、葉が生えだしたのを見ておどろいた。その槍は、やがて大地のなかに突きささった穂先によってではなく、あたらしく生えだした根によってしっかりと立ち、もはや武器ではなくなり、しなやかな若枝のある樹となり、あっけにとられている人びとの上に思いがけない蔭をつくったのであった(106)。〔五六〇〜五六四〕
また、キプスは、河の流れにうつった自分の頭に角があるのを見て、大いにおどろいた。ほんとうに角が見えたのである。なにか眼の迷いにちがいないとおもって、なんども額に手をやってみたが、手にふれるのは、やっぱりかれの眼が見たものであった。それは、ちょうど敵をうちやぶって、意気揚々と凱旋してくる途中であったが、もはやおのれの眼を疑うことをやめて、その場に立ちどまると、眼をあげ、腕を天にのばして、こうさけんだ。「おお、神々よ、このふしぎな出来事がなにをあらわしているにせよ、もしそれがよろこばしいことの前兆でありますならば、どうかわたしの祖国とクゥイリヌスの民(107)とのためになりますように。また、もしこれが不吉の兆でありますならば、どうかわたしひとりの不幸となりますように!」そういうと、かれは、みどりの芝生を積みかさねて草の祭壇をもうけ、香煙たちのぼる聖火をうやうやしく点じ、供物をささげる皿でぶどう酒の潅奠《かんてん》をおこない、犠牲にささげた羊のぴくぴくとうごく臓腑に神々の御心を読みとろうとした(108)。テュレニア人の卜占《ぼくせん》師は、これを見ると、まだはっきりとはわからないが、やがて大きな変革が起こるにちがいないと判じとった。そして、犠牲獣の臓腑からするどい視線をキプスの角の方にあげると、
「王よ、おめでとうございます。キプスさま、あなたとあなたの角に、この国もラティウムの城も従うでありましょう。しかし、寸刻も猶予はなりませぬ。開かれている城門からいそいでお入りなさいませ。運命がそう命じておりますのじゃ。城下にお入りになりますれば、あなたは王となられます。そして、末ながく安泰に王杖をおとりになることができるでありましょう」〔五六五〜五八五〕
これを聞くと、キプスは、おどろいて後ずさりをし、ローマの城壁からその暗い顔をそむけて、こうさけんだ。「どうか神々がこのような運命の予兆をこの都から遠ざけてくださいますように! カピトリウムの丘が王となったわたしを見るくらいなら、わたしは一生を流浪の身でおわった方がふさわしいのだ」こういうと、かれは、すぐさま平民たちと元老院とを召集した。しかし、頭の角は、あらかじめ平和の象徴である月桂樹の冠でかくしておいた。やがて、勇敢な兵士たちがきずいた一段とたかい塚の上に立つと、型のごとく祖先の神々に祈りをささげてから、こういった。
「諸君、もし諸君が都から追放しなければ、王となる男がここにおる。それがだれであるかを、わたしは名前によってではなく、その特徴によって告げよう。その男は、額に角をもっておる。卜占師によれば、もしかれがローマに入れば、奴隷にたいするような法律を諸君におしつけようとしている。城門はみな開かれていたから、かれはわけなく城内に入りこむことができた。けれども、わたしは、かれとはだれよりも親しい仲であるにもかかわらず、身をもってかれに反対した。クゥイリヌスの民よ、今度は諸君が反対して、かれが都に入りこむのを防がなくてはならぬ。あるいは、かれにそれだけの罪があれば、重たい鉄鎖にしばりつけるのもよかろうし、さもなければ、運命が告げているこの暴君を殺して、諸君の恐怖心をなくするのもよかろう」
はげしい東風《エウルス》がうなりを立てて吹きすぎるとき、梢に葉のある松林がうなるように、また、遠くから聞く海の波が鳴りどよむように、人びとのあいだにざわめき声がおこった。しかし、ざわめく群集の入りみだれた話し声のなかから、ひと声高く叫ぶ者があった。「それは一体だれなのだ!」人びとは、たがいに額を見て、キプスのいう角がありはしないかとさがしあった。キプスは、ふたたび口をひらいて、「諸君のさがしている男は、ここにおるのだ!」というなり、部下たちがとめるのもかまわずに、頭にかぶった冠をとって、二本の角がはっきりと見える額をしめした。すべての人びとは、眼を伏せてため息をもらした。そして、かずかずの偉業にかがやいたこの頭を――だれがそんなことを信じることができよう――不本意ながら眺めた。しかし、これ以上名誉の飾りである月桂冠をぬがせておくにしのびず、ふたたび栄誉の冠をかぶらせた。長老たちは、キプスよ、おんみが城内に入ることを許すわけにはいかないので、おんみが牛をつないだ鋤で夜明けから日没までのあいだに耕すことのできる城外の土地を名誉の贈物としておんみにあたえることにした。さらに、このことを末長く記念するために、かれらは城門の青銅の扉の上に、ふしぎな恰好をしたこの角を彫りつけさせたのだった。〔五六八〜六二一〕
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五 ローマの疾病を救ったアエスクラピウス
おお、詩人たちを守ってくださるムサたち(109)よ、どういうわけでテュブリス河(110)の流れに洗われる島がコロニス(111)の息子をローマの神々の列に招き入れたかを語ってください。まことに、おんみたちは、その物語をよく知っているし、また、どんなに遠い過去のことでも、おんみたちの知らないことはないのですから。〔六二二〜六二五〕
その昔、おそろしい疾病がラティウムの空いっぱいに蔓延して、瘴気《しょうき》は血をおかし、人びとの肉体を見るも無残にむしばんだ。ローマ人たちは、あいつぐ葬儀に意気銷沈し、人間の努力も医術もなんの役にもたたないと見てとると、天の神々に助けをもとめ、世界の中心(112)であるデルピにおもむき、ポエブスの神託をもとめた。そして、ありがたいご神託によって神がこの災いに救いの手をさしのべ、広大な都の不幸をのぞいてくださるようにと懇願した。すると、たちまち神殿も、月桂樹も、神ご自身のもっておられる箙《えびら》もいっしょに振動して、やがて祭壇の奥から三脚台(113)がつぎのような言葉を発して、人びとのおののく胸をゆすぶった。「ローマ人よ、汝がここに求めにきたものは、もっと近くに求めるべきであったぞ。いざ、今度はもっと近きところに求めよ。悲しみをのぞくために汝が必要とするのは、アポロにあらずして、アポロの息子であるぞ。いざ、このめでたき占いを持ち帰り、わが息子を招くがよい!」〔六二六〜六四〇〕
賢明な元老院の長老たちは、こうした神のお告げを聞くと、いったいアポロの息子はどこの町にいるのであろうかと調査した。そして、代表を派遣して、順風にのってエピダウルス(114)の岸におもむかせた。使者たちは、胴張りの船にのってめざす岸辺につくと、このギリシア人の町の長老たちの集会におもむいて、その出現によってアウソニア(115)の民たちの死病を終らせてくれるはずの神をおゆずりいただきたい、たしかな神託によってそういうお告げがあったのですから、とたのんだ。
エピダウルスの長老たちの意見は、まちまちで一致しなかった。この援助を拒むわけにはいくまいという意見もあったが、多くの者は、この神をあくまで町にとどめておこう、自分たちの守護神を他の町へ送ってはならない、神をゆずるなどとはもってのほかだ、という意見をのべた。こうして容易に結論が出なかったが、とかくしているうちに、黄昏《たそがれ》は夕方の残光をしだいに追いはらい、夜の闇がすっかり地上をつつんでしまった。このとき、ローマ人よ、神は、助けをもたらすためにおまえの夢枕に立たれたようにおもわれたのだ。それは、いつも神殿のなかに立っておられるのとおなじ姿で、左手には粗末な杖をつき、右手で長いひげをしごきながら、おだやかな胸のなかからつぎのような言葉を語られたのだった。
「心配しないでよい。わたしは、行くであろう。ここの神像から離れるであろう。わたしの杖に巻きついているこの蛇を見よ。しかと見きわめることができるように、この蛇をよく眼にきざみこんでおくがよい。わたしは、この蛇に姿を変えるであろう。しかし、その形は、これよりも大きくなろう。わたしは、神々のからだにふさわしい大きさであらわれるであろう」こう語りおわると、たちまち神の姿は消え去った。
神とその声が消えるとともに、眠りも消えうせた。そして、眠りが去ったあとに、さわやかな朝の光がおとずれた。あたらしい曙紅は、かがやく星たちを追いはらった。どう決めてよいか分らぬままに、町の長老たちは、求められている神の壮麗な神殿におもむき、神はどこに住むことをのぞまれますか、聖徴《みしるし》によってお告げください、と祈った。その祈りの言葉がおわるやいなや、神は、金いろにかがやく鶏冠《とさか》のような角をいただいた大蛇の姿になり、予言をあらわす口音を立てた。そして、神の降臨とともに、像も、祭壇も、門も、大理石の床《ゆか》も、黄金をかぶせた破風《はふ》も、みな一様に揺れうごいた。神は、神殿の中央に胸まで高く立ちあがると、燃えるような眼であたりをぐるりとにらみわたした。一同は、恐怖にふるえあがったが、きよらかな髪を純白の紐(116)でむすんだ神官は、すぐに神だと知って、こういった。「神さまだ! 神さまのお成りだ! みなの方がた、こころも口も敬虔でなくてはなりませぬぞ。おお、美しい神さま、お姿をあらわしたもうたことが、どうかわたくしたちにとりまして瑞兆でありますように。あなたを崇《あが》めます者たちを、どうかお守りくださいますように!」
一同は、言われたとおりに、眼のまえにあらわれた神をおがみ、めいめい神官とおなじ言葉をとなえた。ローマ人たちも、こころも口も敬虔に祈った。神は、この祈りを嘉《よみ》したまい、その証拠に冠角をうごかし、舌をふるわしてなんども口音を立てた。やがて大蛇は、かがやく大理石の階段《きざはし》を滑りおり、去りゆくにあたり、なじみぶかい祭壇をふりかえり、なつかしい住家、住みなれた神殿に別れを告げた。ついで、人びとの投げかける花におおわれた地上にその巨体をすべらせ、うねうねとまがりながら町の中央をとおって、防波堤をめぐらした港の方へすすんでいった。港のところでしばらく立ちどまると、随伴者たちやうやうやしく見送ってきた人びとにやさしそうな顔つきで別れを告げるしぐさをしたが、やがてローマ人の船にするすると乗りこんだ。船は、神の重みを感じた。その重みで竜骨がじんわりと圧された。〔六四一〜六九四〕
ローマ人たちは、大いによろこび、岸辺で牡牛を殺して神にささげ、花を飾った船の纜《ともづな》をといた。かるやかな微風は、船を走らせつづけた。神なる大蛇は、いっぱいに伸びあがり、首をまがった艫《とも》にのせて、青々とした海をながめていた。船は、おだやかな風にはこばれてイオニアの海を走り、パラスの娘(117)が六度目に空にあらわれたころイタリアに着いた。そして、女神の神殿で名だかいラキニウムの岬(118)とスキュラケウム(119)の海岸の近くをとおり、イアピュギアを後にし、左にアムプリシアの岩(120)、右にコキントス(121)の断崖を避け、ロメティウム、カウロン、ナリュクス(122)の岸にそって走り、シキリア島のペロルス(123)のせまい瀬戸を無事にすぎ、ヒッポテスの息子(124)の王宮のある島、テメセ(125)の鉱山、レウコシア(126)、薔薇の花咲くあたたかいパエストゥム(127)に着いた。そこからさらにカプレアエ(128)、ミネルウァ岬(129)、ぶどう畑の美しいスレントゥム(130)の丘、ヘルクレスの町(131)、スタビアエ(132)、閑暇につくられたパルテノペ(133)、クマエ(134)のシビュラの住む神殿を後にし、あつい温泉地(135)、乳香樹《マスチック》のしげるリテルヌム、多くの砂をながすウォルトゥルヌス河、白鳩のたわむれるシヌエッサ(136)、健康にわるいミントゥルナエ(137)、かつてひとりの英雄が乳母の遺骸を埋めたといわれる土地(138)、アンティパテスの住んでいた土地(139)、沼地にかこまれたトラカス(140)、キルケの地(141)をすぎて、アンティウム(142)のかたい浜辺に着いた。
水夫たちが帆をあげたままの船をこの浜につけると(というのは、海が荒れ模様になってきたからである)、神蛇はとぐろを解き、しなやかな体躯をうねらせながら黄いろい砂浜につづく父神(143)の神殿に入っていった。しかし、やがて海がおだやかになると、このエピダウルスの神は、父神の祭壇を出て、血縁の神の客としての歓待を受けたのち、浜辺の砂をきらめく鱗の歩みでかきわけ、舵をつたってふたたび船にのりこみ、高い艫の上に頭をやすめた。そこで、船はカストルム(144)、ラウィニウム(145)の聖なる土地をへて、ついにティベリスの河口に到着した。
そこでは、庶民たちが家ぐるみ、母親たちも父親たちも、神を出迎えに集まった。さらに、トロイアのウェスタ(146)よ、おんみの火を守る乙女たちも、これに加わった。一同は、よろこびの声をあげて神をたたえた。いまや船足もかるく船が流れをさかのぼっていくにつれて、両岸に立ちなら祭壇には薫香がたちのぼり、かぐわしい煙はあたりにたちこめ、犠牲の獣は、そのあたたかい血で刃をぬらした。船は、世界の都ローマに入った。神蛇は、やおら身をおこすと、帆柱の頂上にやすめていた首をうごかして、恰好な住家はないものかと四方を見まわした。ちょうどティベリス河の流れがふたつにわかれるところに、人びとが「島(147)」とよんでいる場所がある。河は、ひとしい長さの二本の腕でこの土地を両側から抱いている。ポエブスの血をうけた神蛇は、ラティウムの船を出て、この島に入っていったのである。そして、ふたたび神の姿にかえると、ローマの厄難《やくなん》をおわらせ、こうして神の到来が町を救ったのであった。〔六九五〜七四四〕
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六 カエサルの昇天
しかしながら、所詮、これは、われわれの殿堂に祭りあげた異国の神にすぎない。ところが、カエサル(148)は、自分の都において神となったのである。マルスの業である戦いにおいても平和な政治《まつりごと》においても卓越したこの人物が新しい星に、ひとつの彗星になりえたのは、たんに勝利におわった幾多の戦争や、平時の業績や、急速に得られた名声のためばかりではなく、かれの息子に負うところもすくなくないのである。というのは、かれのかずかずの業績のうちで、かれがその息子(149)の父となったことより偉大な業績はないからである。一体、海に跋扈《ばっこ》するブリタニア人(150)どもを征服し、勝ちほこった艦隊をひきいて紙草《パピュルス》の生いしげるナイルの七つの河口をさかのぼったこと、叛逆するヌミディア人(151)たちや、キニュプス(152)の王ユバや、有名なミトリダテス王を擁するポントゥス(153)を征圧してローマの領土としたこと、多くの勝利をおさめ、そのいくつかを凱旋行列をもって祝ったこと(154)、これらは偉大なことにちがいないが、このように偉大な人物(155)を生んだことよりも偉大だといえるだろうか。というのは、おお、神々よ、おんみたちがこのような人物(155)を世界の支配者になさったということは、おんみたちが人類にあふれるばかりの慈愛をおしめしくださったということの証左にほかならないからである。
そこで、このようにすぐれた人物が人間の血をうけてうまれたというのでは困るから、その父(156)を神にすることが必要になった。アエネアスの黄金を身にまとった母(157)は、このことを知ったとき、この大祭官(158)の身の上に悲しい死がせまり、陰謀の兇器がふりあげられていることをも同時に見てとった。かの女は、おどろきに色をうしない、あらゆる神々をつかまえては、こういった。
「ごらんなさい。わたしにむかってなんと大仕掛けな罠が用意され、ダルダヌス(159)の血をうけたイウルスの家系のなかでわたしにただひとり残された男子の生命がなんというおそろしい陰謀にさらされていることでしょう。いつもわたしだけがいろんな心配に悩まされなくてはならないのでしょうか。しかも、それが根も葉もない心配であったことは、一度もありません。たとえば、わたしは、テュデウスの子(160)カリュドンの穂先に傷つけられましたし、守りの十分でなかったトロイアの城壁のために悲嘆の憂き目にもあいました。また、わたしの息子(161)が長いあいだ流浪の身となり、波濤にもまれたり、陰惨な死人の国にいったり、トゥルヌス(162)と――いや、ほんとうのことをいえば、ユノ(163)と争ったりするのを見なければなりませんでした。しかし、わたしの一族にふりかかった昔の厄難をいまさら思いだしてもしかたありますまい。目下のこの心痛は、昔のことを思いだすことすらゆるしてくれません。あなたがたもごらんのように、非道な剣先がわたしにむかって研《と》ぎすまされているではありませんか。お願いですから、あれを止めてください。このおそろしい非行をやめさせてください。大祭官の血でウェスタの火(164)を消さないようにしてください」〔七四五〜七七八〕
ウェヌスは、心配のあまり天上のいたるところでこのようにさけんだが、その甲斐がなかった、しかし、これらの言葉は、神々のこころを動かした。神々といえども、年老いた三人姉妹(165)の鉄のごとき決定をどう変えることもできなかったが、それでも起ころうとしている不幸を確かな徴《しるし》によって人びとに示すことはできた。
伝えるところによると、黒雲のなかに鳴りわたる武器の音、おそろしいラッパのひびき、天から聞える角笛などが、悪業を予告した。太陽の悲しげな姿も、おびえる大地に鉛のような光りを投げ、星群のなかには、いくども炬火のように赤い火がもえるのが見られた。驟雨にまじってしばしば血の滴りが降ってきた。ルキフェル(166)は、暗い色になり、その顔は青ぐろい錆《さび》色におおわれ、ルナ(167)の車は、血にまみれていた。いたるところで地獄の鳥である梟《ふくろう》が、不吉な予兆を告げた。多くの場所では、象牙の神像が涙をながし、神聖な杜《もり》では、哀泣の声やおそろしげな叫びが聞えたといわれる。いくら犠牲をささげても、よい兆《きざし》はあらわれず、その臓腑は、大きな変事が近いことを予示し、なかでも肝臓の先端(168)は、剣のために切りつぶされていた。フォルム(169)や、民家や神殿のまわりでは、夜になると犬が遠吠えをし、幽霊が徘徊《はいかい》し、しばしばローマに地震があったと伝えられている。
しかし、神々の警告も、陰謀や近づく運命をくいとめることはできなかった。神聖な場所(170)に抜身の剣が持ちこまれた。というのは、このような兇行、このような残忍な人殺しをおこなうのに、ローマでは元老院より都合のよい場所はなかったからである。キュテラの女神(171)は、両手で胸を打ち、かつてパリスをアトレウスの息子(172)の憤怒から救い、アエネアスをディオメデスの剣(173)から遁れさせたときとおなじように、雲をおこしてアエネアスの子孫(174)をかくまおうとした。しかし、父なる神(175)は、ウェヌスをさとして、
「娘よ、だれも変えることのできぬ運命をおまえだけが動かすことができるとおもっておるのか。あの三人姉妹(176)の住家へ自分でいってみるがよい。そこには、青銅と硬い鉄とでできた、世界のあらゆる運命をしるした巨大な記録板が見られる。それは、天の振動も、雷火の怒りも、その他のどんな破壊力も怖れず、永劫の安泰を誇っている。そこの磨滅することのない鋼鉄の板面には、おまえの一族の者たちの運命がちゃんと彫りつけられている。わしは、それをこの眼で読んで、しかとおぼえておいたのだ。おまえに未来のことを教えてやるために、その内容を話してやろう。キュテラの女神よ、おまえが心配してやっている人物は、すでに地上で果すべき歳月を生きつくしたので、かれの寿命はおわったのだ。おまえとかれの息子(177)との尽力によって、かれは神となって天上に召され、神殿に祀られるだろう。かれの息子は、その名前を相続し(178)、自分に課せられた任務を独力でやりとげ、父の殺害にたいする勇猛な復讐者となり、敵どもと戦うにあたってわれわれを味方にするであろう。かれは、ローマの偉大な指導者となり、包囲されたムティナ(179)の城壁は、媾和を乞い、パルサリア(180)は、かれの力のほどを知るであろうし、フィリッピ(181)は、エマティア(182)における戦いでふたたび血にまみれ、ひとつの偉大な名前(183)は、シキリアの海に没し去るであろう。ローマの一将軍の妻となったエジプトの女(184)は、その契《ちぎ》りを信じたあまり、ついに倒れるであろう。そして、この女がわれわれのカピトリウム(185)をかの女のカノプス(186)に隷属せしめようとしたことも、ついに徒労となるであろう。そのほか、夷狄《いてき》の国々や大洋の両岸(187)に住んでいる種族どものことは、いまここにあげつらう必要もあるまい。およそこの地球上に住むありとあらゆるものは、この英雄のものとなるであろう。こうして世界に平和をもたらしたならば、かれはひるがえって市民たちの権利に思いをいたすであろう。そして、この上なく公正な立法者としてかずかずの法律を制定するとともに、みずから範をたれて道義の規矩《きく》をしめすであろう。さらに、将来と来らんとする子孫の時代とをおもんばかって、貞淑な妻の息子(188)に、その名をつぎ、負荷《ふか》の重責を全うするように命じるであろう。やがて老境に入り、あのピュロスの王(189)にも比肩する高齢に達すると、天井に住むことを許され、血縁の星(190)の仲間に加わるであろう。しかし、いまはすでに殺されたこの肉体(191)からその霊魂を助けだし、これを星に転身させ、こうして神となったユリウスをして、その天上の住家からわれわれのカピトリウムと元老院の議事堂を永遠に見守らせようではないか」〔七七九〜八四二〕
ユピテルが語りおわると、仁慈のウェヌスは、眼に見えない姿となって元老院の中央に降りたち、いとしいカエサルのからだからたましいを抜きとった。そして、肉体から離れたばかりのたましいを、空中で消えないようにして星たちのもとへ運んでいった。しかし、まだ運んでいる途中からすでにきらきらと燃えだしたので、女神は、おもわず胸からそれを放してしまった。すると、たましいは、月よりもさらに高くまで翔けあがり、空中に長い炎の尾をひいて、ひとつの輝かしい星となった(192)。
この星は、天上からかれの息子(193)のかずかずの偉業をながめ、それらが自分の功績よりもまさっていることをみとめたが、息子に凌駕されたことをかえって嬉しくおもった。息子は、自分の偉業が父のそれよりも上に置かれることをこばんだけれども、いかなる命令にもしたがわない自由な噂《ファマ》は、かれの意に反してかれの方を上位に据え、この点でだけはかれの意思にそむいた。ちょうどアトレウスが偉大なその子アガメムノンの名声におされ、テセウスが父アエゲウスより、アキレスが父ペレウスよりまさっていたのとおなじようなものだが、さらにカエサルとアウグストゥスとにふさわしい例をあげるならば、サトゥルヌスがユピテルにおよばなかったのとおなじだといえようか。
このようにして、いまやユピテルは、天の宮城と三つの姿(194)にわかれた宇宙の王国とを治め、アウグストゥスは、地上の世界を支配している。どちらもその配下にある国の父であり、支配者なのである。〔八四三〜八六〇〕
おお、火も剣もおよばぬ、アエネアスの伴侶《とも》なる神々(195)よ、インディゲテスの神々(196)よ、われわれの都の父であるクゥイリヌスよ、敗北を知らぬクゥイリヌスの父グラディウゥス(197)よ、カエサルの家をまもる神々の中心に祭られているウェスタよ、またウェスタとならんでカエサル家の家神としてあがめられているポエブスよ、タルペイア(198)の丘にそびえる神殿に住みたまうユピテルよ、さらに詩人が加護を祈るにふさわしい多くの神々よ、アウグストゥス陛下がその治めたまう地上の国をすてて天に昇り、はるかな高みから仁慈をもってわたくしどもの祈りをお聞きくださるようになる日が、ずっとおそく、わたくしどもの生きております時代よりもはるかに後にやってくるようにおはからいください!〔八六一〜八七〇〕
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七 跋詞
さて、いまこそわたしは、ユピテルの怒りも火も剣も貪婪《どんらん》な時間の歯牙も滅ぼすことのできないこの作品を仕上げた。わたしの肉体にしか力をおよぼすことのできない運命の日は、いつでも欲するときに、この不確かな現世の道を断ちきるがよい。しかし、わたしのより良き部分は、時を越え、天上の星のかなたに運ばれ、わたしの名前も、永遠に消えることがないであろう。ローマの国威がその版図の国々にひろがるかぎり、わたしは人びとの口によって読まれるであろう。そして、詩人の予感のなかにも一片の真実がふくまれているものならば、わたしは、世紀のつづくかぎり名声によって生きつづけるであろう。〔八七一〜八七九〕 (完)
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巻十五の註
(1)→巻八(50)、巻十二の三九行以下。この表現は、ヌマの世評・人望が高かったの意。
(2)ヌマ・ポムピリウスのこと。クレス〔巻十四(177)〕にうまれたサビニ人、えらばれて第二代のローマ王となる。ローマの最も古い宗教上の法制は、かれの制定したものとされ、「ヌマの法典」とよばれる。平和を愛する哲人王であったとされ、ギリシアの哲学者ピュタゴラスの門下であったといわれる(ただし、ピュタゴラスはもっと後代の、紀元前六世紀ごろの人であるから、この伝承はアナクロニズムである)。
(3)クロトンのこと。ブルッティウム(イタリア半島の最南端、いまのカラブリア地方)の東海岸にある町(いまのクロトーネ)。ヘルクレス云々の古事については、以下の物語に出てくる。
(4)英雄ヘルクレスのこと。以下の物語は、ヘルクレスの十二功業の第十番目にあたる、怪物ゲリュオンの牛をうばっての帰途の出来事である。→巻九(36)
(5)クロトンの町の南にある岬、ユノの神殿があった。
(6)クロトンの町の王で、町にその名をあたえた英雄。アルキノウス王〔巻十三(174)〕の兄弟とされることもある。
(7)このときすでに神となっていたヘルクレス(かれは、いつも棍棒を手にしている)。
(8)クロトンを流れている河。
(9)移住者は、祖先の神々をたずさえていくのがつねであった。→巻三(71)
(10)被告は、一般の同情をあつめるために、古い、ぼろぼろの服装をして法廷にあらわれた。
(11)ヘルクレス。
(12)ヘルクレス。→巻六(27)
(13)スパルタを都とする地方、ラコニアの別名。→巻二(69)
(14)南部イタリアにあるスパルタ人の植民市(いまのタラントで、タラント湾にのぞむ)。南部イタリアにはギリシア人の建てた多くの植民地があったが、これらを「マグナ・グラエキア」(大ギリシア、の意)と総称した。
(15)マグナ・グラエキアの町(および河)、タレントゥムの近くにある。
(16)タラント湾の東に突きでた半島にある、サレンティニ族の町《(いまのナルド)。
(17)シュバリス(15)の町は、クロトン人(3)にほろぼされ、あとにできた新しい町をトゥリイとよんだ。
(18)クロトンの北にある町。
(19)→巻十四(103)。以上の地名は、このような場合につねにそうであるように、地理的順序にしたがって列挙されてはいない。
(20)オウィディウスはどこにも名前をあげていないが、この人物はいわゆるピュタゴラス学派の祖と仰がれる有名な哲学者・数学者ピュタゴラスのこと。紀元前五五〇年ごろギリシアのサモス島〔巻八(39)〕にうまれ、五三〇年ごろマグナ・グラエキアに移住し、とくにクロトンとメタポントゥムの町で教えた。以下ピュタゴラスの教説、とくに霊魂輪廻説が均衡をやぶってまで長々とのべられるが、オウィディウスは、「転身」というライト・モティーフによって歌ってきたこの神話物語にいわば哲学的基礎づけをあたえようとしたのであろう。
(21)犠牲獣の額には粗びきの麦粉と塩(パンをあらわす)がふりかけられた。
(22)祭壇のまえの聖水。
(23)→(108)
(24)→巻一(79)(80)。ここでは、天啓・霊感の意。
(25)→巻一(25)
(26)メネラウス。→巻十二(128)
(27)トロイアのアポロの神官パントゥスの息子、したがってポリュダマス〔巻十二(97)〕の兄弟。アキレスの甲冑を身につけたパトロクルス〔巻十三(76)〕を最初に傷つけたのはかれであったが、のちメネラウスに討たれた。メネラウスは、分捕ったその楯をアルゴスのユノ神殿に奉納した。つぎのアバスについては、→巻四(110)
(28)暁の明星。
(29)曙光の女神アウロラ。→巻二(15)、巻九(91)
(30)太陽神。
(31)日輪のこと。
(32)月。
(33)クロトンうまれの闘技者。力持ちとして有名であったが、老年になってから若い闘技者たちが鍛錬にはげんでいるのを見て、自分の腕を撫でつつ、「この腕も死んでしまった」と涙したという(キケロ『老年について』九の二七)。
(34)トロイア戦争の因となった美女ヘレナ〔巻十二(5)〕。かの女は英雄テセウスにまず誘拐され〔同(54)〕、のちさらにトロイア王子パリス〔同(4)〕に誘拐された。
(35)プリュギアの河、マエアンドルス〔巻二(68)〕の支流。一度砂中に姿を没し、やがてかなり離れたところにまた姿をあらわす。
(36)アルゴスの河。
(37)シキリア島のアエトナ山の南面をながれる河。
(38)エリスの小さな河。その水は、きたなくて臭いという。半人半馬のケンタウルス族のひとりがこの河の水でヘルクレスの毒矢に射られた傷を洗ったからだという。
(39)サルマティアの河。
(40)レスボス島の南岸の町。
(41)エジプトのナイル河口にある島。→巻九(150)
(42)→巻二(175)
(43)アカルナニアの沖、イタカの北にある島。
(44)→巻十三(177)。ここではシキリア島の意。
(45)大地震のためアカイア(ペロポネスス半島の北部地方)の海岸町ヘリケは地中に埋没し、ブリスは海中に沈んだ。ただし、この大地震があったのは、紀元前三七三年で、紀元前六世紀の人であるピュタゴラスにこれを語らせるのは、アナクロニズムである。
(46)→巻六(96)
(47)→巻四(126)。ここにいわれている泉は、シウァのオアシスの泉のことである。
(48)エピルスの一地方の住民。
(49)→巻六(129)
(50)マグナ・グラエキアの、タラント湾にそそぐ河。河口近くでシュバリス河(15)に合流する。
(51)クロトン。→(3)
(52)ヘルマプロディトゥスの物語で有名な泉。→巻四(59)および二八五行以下。
(53)アルカディア北部の町。
(54)クレテウスとチュロとの息子、したがってアルゴナウタエの英雄イアソンの父アエソン〔巻七(33)〕の兄弟。かれは、テッサリアからメッセネ〔巻六(92)〕に移住していた。その息子とは、有名な予言者メラムプスのことで、ティリュンス王プロエトゥス〔巻五(38)〕の娘たちがユノ女神のために狂気になったのを治療してやり、娘たちのひとりと結婚し、領土をもらってアルゴスに住んだ。
(55)マケドニアの一種族。
(56)デロス島の古名〔巻六(24)〕。もとは浮島であった。
(57)金羊毛皮をさがしに出かけたアルゴナウタエの乗船。→巻六(134)、巻七(2)
(58)→巻七(18)
(59)マケドニアの半島。そこにトリトン〔巻一(71)〕にささげられた湖があった。
(60)古代人は実際にこのように信じていた。以下の事例もおなじ。
(61)孔雀。→巻一の七二一行および(131)
(62)鷲。
(63)ウェヌス〔巻四(35)〕。鳩のひく車にのって空をとぶと考えられた。
(64)いわゆる乳香のこと。
(65)肉柱の一種。
(66)おみなえし科の芳草。
(67)→巻十(87)
(68)→巻四(36)。その町とは北エジプトの町ヘリオポリス(太陽の都、の意)のこと。太陽崇拝で有名。
(69)ヒュアエナ(ハイエナ)は、雄としての一年をすごすと、雌になり、この雌は雄と交尾しなくても仔をうむことができると信じられた。
(70)カメレオン。
(71)→巻四の二一行。山猫は、バックス神の車をひいている。→巻三(91)
(72)アルゴリス平野の北西部の丘にあった町。紀元前十六世紀から十三世紀にかけてギリシアの一大中心地として栄え、けんらんたるミュケナエ文化をつくりだした。トロイア戦争におけるギリシア連合軍の総大将の栄誉をになったアガメムノンは、この町の王であった。
(73)アテナエ市のこと。→巻二(121)
(74)テバエ市のこと。→巻六(50)
(75)→巻七(152)
(76)→巻六(100)
(77)→巻十一(124)。ここではトロイアの意で、ローマ人が祖と仰ぐ英雄アエネアスは、トロイア出身である。
(78)ピュタゴラスは、前世においてトロイアの英雄エウポルブスであった。→(27)
(79)→巻十三(29)
(80)アエネアスは、アンキセスとウェヌス女神との息子である。→巻九(95)
(81)→巻十二(77)。ここではトロイアを守るもの、すなわちトロイアの守護神たちの意。
(82)トロイア人の意。
(83)アエネアスの息子アスカニウスの別名。→巻十三(139)
(84)ローマ帝政初代の皇帝アウグストゥス。
(85)→巻一(51)、巻三(71)
(86)→(78)
(87)ペロプス〔巻六(85)(87)〕とヒッポダメとの息子、したがってアトレウス〔巻一二(128)〕、ピッテウス〔巻六(96)〕の兄弟。アトレウスの妻アエロペと密通したので、アトレウスは、その復讐として、テュエステスが水の精とのあいだにもうけたといわれる三人の子供たちを殺して、その肉料理をかれにたべさせた。なお、アトレウスの息子であるアガメムノン王を王妃クリュタエムネスタラと密通して殺したアエギストゥスは、このテュエステスの息子である。→巻十三(61)
(88)猟師は、木立に長い網をはりめぐらし、それに鳴子や色とりどりに染めた白鳥の羽根をぶらさげ、音と色で鹿をおどして、網のなかに追いこんだ。
(89)カメナたち〔巻十四(90)〕のひとりである、エゲリアという妖精。ローマのカペーナ門外の泉のところで夜ごとヌマと会ったといわれる。ヌマの妻であるとともに、その祭事と政治上の相談役であった。
(90)→巻十四(77)
(91)英雄テセウス〔巻七(95)〕と、アマゾン族の女王ヒッポリュテ〔巻九(42)〕との息子ヒッポリュトゥスのこと。狩猟を愛し、陶酔的なディアナ崇拝者であった。継母パエドラ(次注)の不倫の恋を拒んだことから死に追いやられたが、医神のアエスクラピウス〔巻二(132)〕に蘇生させられ、ディアナのはからいでウィルビウス(101)という名前になってアリキアにつれてこられたという。エウリピデスに悲劇『ヒッポリュトス』がある。
(92)→巻八(21)。その娘とはミノスとパシパエとの娘パエドラのこと。テセウスの後妻となったが、継子ヒッポリュトゥスに言い寄って拒絶されたので、テセウスにこれを讒訴し、テセウスはそれを信じた。
(93)テセウスは、かねて海神ネプトゥヌスから三つの願いを叶えてやろうと約束されていたので、ヒッポリュトゥスの死を海神に願った。
(94)→巻六(96)
(95)→巻五(123)
(96)医神アエスクラピウス。→巻二(116)
(97)→巻四(85)
(98)→巻十四(169)
(99)ディアナ。→巻二(43)
(100)ヒッポリュトゥスという名の前半は、「ヒッポス」(馬の意)から来ている。
(101)「二度生きる者」の意。
(102)ディアナ。
(103)ヒッポリュトゥス。→(90)
(104)→巻十四(98)
(105)土からうまれて、エトルリア人に卜占の術(108)を教えたというこのタゲスという予言者のことは、キケロの『卜占術について』にくわしく語られている。
(106)この樹は、ローマの運命を象徴し、ある建築工事のさいに根を傷つけられて枯れはじめるとともに、ローマも衰亡にむかった、とプルタルコスはその『対比列伝(英雄伝)』のロムルス伝のなかでのべている。
(107)ローマ人。→巻十四(189)
(108)犠牲獣の内臓によって神意を判じる術は、エトルリアが発祥地であった。エトルリアでは、この術が学問のように教えられ、この種の卜占者は、たいていエトルリア人であった。→(168)
(109)→巻二(38)
(110)ティベリス河。→巻十四(71)
(111)→巻二(116)。その息子とは、かの女とアポロ(ポエブス)とのあいだにうまれた医神アエスクラピウスのこと。
(112)→巻十(49)
(113)アポロの神託をつげる女祭司(ピュティアという)は、三脚台にすわっていた。ここでは、ピュティア自身をさす。
(114)→巻三(38)。アエスクラピウス神の有名な神殿があった。
(115)イタリア。
(116)神官のしるし。
(117)曙光の女神アウロラ。→巻九(91)
(118)→(5)
(119)ブルッティウム(3)の東海岸の町。
(120)ブルッティウムの岬。
(121)同前。
(122)いずれもイタリア半島南部の町。
(123)シキリア島のメッシナ海峡にのぞむ岬。
(124)風神アエオルス。その島とは、アエオリアのこと。→巻十四(24)
(125)→巻七(37)
(126)パエストゥム(次注)の近くの小島。
(127)カムパニア〔巻十四(25)〕南部にある海岸町。ここの薔薇は、春と秋と一年に二回咲くので有名であった。
(128)カムパニア海岸の島(いまのカプリ島)。
(129)カムパニアの岬(いまもカーポ・デラ・ミネルヴァとよばれている)。
(130)ナポリ湾にのぞむ町(いまのソレント)。
(131)紀元七九年のヴェスヴィオ火山の大噴火でポンペイとともに壊滅したヘルクラネウム。
(132)ヴェスヴィオ山の南麓にある海岸町。
(133)ネアポリス(ナポリ)の古名。
(134)→巻十四(34)(35)
(135)カムパニアの海岸にある有名な温泉の町バイアエ。
(136)いずれもカムパニアの町および河。
(137)クマエの北方にある海岸町、沼沢が多い。
(138)カイエタのこと。→巻十四(92)
(139)フォルミアエのこと。→巻十四(59)
(140)ガエータ湾にのぞむラティウムの町。この付近は大きな沼沢地である。
(141)アエアエア、すなわちキルケイイ岬のこと。→巻十四(8)
(142)ラティウムの海港。
(143)アポロ。
(144)ラティウムの海岸町。
(145)アエネアスが建設したラティウムの町〔巻十四(96)〕。ラティウムの宗教的中心地、とくにアエネアスがトロイアから移したペナテス〔巻十三の六二四行)を安置したウェスタの神殿があった。
(146)ローマのかまどの女神、ギリシアのヘスティアにあたる。各家庭の神であると同時に、国家の守護神として大いに崇拝された。この女神には神像がなく、火が神体である。これに仕える女祭司は、ウェスタリスとよばれた。なお、ウェスタ崇拝は、アエネアスがトロイアからもたらしたものといわれ、そのため「トロイアのウェスタ」とよばれた。
(147)いまのティベリーナ小島。
(148)ガイウス・ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)はアエネアスの子イウルス〔巻十三(139)〕の子孫で、その先祖であるウェヌス女神によって天上に召されて星になったとされている。
(149)ローマ初代の皇帝となったアウグストゥスのこと。叔父にあたるカエサルは、かれを養子にし、自分の名前をつぐようにと遺言書に指定した。このことをカエサルの最大の功績だとするのは、アウグストゥヌス帝にたいする作者オウィディウスの追従である。
(150)イギリス人。
(151)北アフリカの、いまのアルジェリアに住んでいた一種族。
(152)リビュア(リビア)の河およびその周辺の地方。その王ユバは、タプススでローマ軍と戦ってやぶれ、自殺した。
(153)小アジアの東北部の、黒海沿岸の王国。ミトリダテス大王にひきいられ、紀元前六三年ローマに征服された。
(154)古代ローマでは、とくに大きな戦勝をおさめた場合(ふつう五千人以上の敵をやぶった場合)、その将兵は盛大な凱旋行列をくんでカピトリウムのユピテル神殿(185)に詣でることをゆるされた。
(155)いずれもアウグストゥス帝をさす。
(156)カエサル。
(157)ウェヌス女神。
(158)カエサルをさす。大祭官は、あらゆる国家的祭事や暦法をつかさどるローマ最高の宗教上の地位で、カエサルは大祭官をかねていた。
(159)→巻十一(124)
(160)ディオメデス。→巻十四(113)
(161)アエネアス。
(162)→巻十四(97)
(163)→巻十四(129)
(164)ローマのフォルム(169)にウェスタの神殿があり、その神体である聖火(146)は、国家の危急存亡のときに消えると信じられていた。なお、ここでウェヌスが心配しているのは、ブルトゥス、カッシウスらの一味のカエサルにたいする暗殺計画のことである。
(165)運命の三女神パルカエのこと。→巻二(139)
(166)暁の明星。
(167)月。→巻七(36)
(168)肝臓右葉の先端にある突起部をいう。犠牲獣の内臓をひらいて、この部分が大きすぎも小さすぎもしないと、吉兆とされ、それがすっかりつぶされていると、大凶のしるしとされた。
(169)ローマのエスクゥイリヌス、パラティヌス、カピトリヌスの三丘にはさまれた低地部にあった広場で、ローマ市民生活と政治の中心地であった。いまもフォーロ・ロマーノとして、その遺跡がのこっている。
(170)元老院の集会所にあてられていた「クリア・ポムペイア」という建物のこと。カエサルは、紀元前四四年三月十五日ここで暗殺された。
(171)ウェヌス。
(172)メネラウスのこと。→巻十二(128)
(173)トロイア戦争で、アエネアスがディオメデスの投石器で負傷したとき、ウェヌスは、かれをヴェールでかくして、戦場から遁れさせた。
(174)カエサル。
(175)ユピテル。ウェヌスは、その娘にあたる。
(176)→(165)
(177)アウグストゥス帝。
(178)かれは、カエサルの養子となり、ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌスと名のった。以後ローマの皇帝は、カエサルという名を称号として冠するようになった。
(179)北イタリアの、ボローニャ北西にある町(いまのモデナ)。紀元前四三年、アウグストゥスは、ここでアントニウスに包囲されていたデキムス・ブルトゥスを助けだした。
(180)テッサリアの町パルサルス周辺の地方。紀元前四八年ここでカエサルは、大ポムペイウスを破った。
(181)マケドニアの町。ここでアウグストゥスは、カエサル殺害の張本人マルクス・ブルトゥスを討った。
(182)マケドニアの一地方。かつてカエサルはパルサリアでポムペイウスを破ったことがあるので(180)、「ふたたび」といったのであるが、パルサリアとフィリッピとはずいぶん離れているから、いささか無理な表現である。
(183)大ポムペイウスの子セクストゥス・ポムペイウスは、紀元前三六年にシキリアのメッサナでアグリッパ(アウグストゥスの忠臣)に討たれた。「偉大な」は、大ポムペイウスにひっかけたもの。
(184)マルクス・アントニウスの妻となったクレオパトラ。
(185)カピトリヌス丘の頂上カピトリウムに、ローマの主神ユピテルの大神殿があった。
(186)ナイル河の西河口にある町。
(187)世界の東のはてと西のはて、の意。
(188)アウグストゥス帝の後妻リウィアの連れ子ティベリウスのこと。アウグストゥスの養子となり、ユリウス・カエサル・アウグストゥスの名をつぎ、帝位につく。(189)ネストルのこと。→巻十二(41)
(190)すでに天に召されて星となっているであろうカエサル。
(191)カエサルの肉体。
(192)カエサルの死後七日間、空に彗星があらわれたという。
(193)アウグストゥス帝。
(194)天地・海洋・地下界。
(195)アエネアスがトロイアより移入したギリシアの神々。
(196)故郷の神々の意で、ローマ固有の神々にあたえられた総称。ヤヌス、ファウヌス、アエネアス、クゥイリヌス(ロムルス)などがふくまれる。
(197)ローマ三主神のひとりである軍神マルスの異名。→巻六(101)
(198)→巻十四(176)。カピトリヌス丘の南西の断崖(ここから罪人をつき落として処刑した)をこの乙女にちなんでタルペイアとよんだ。転じてカピトリヌス丘そのものをさす。
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解説
ギリシアとローマ――このふたつの文化世界について、われわれのあいだにある種の根づよい固定観念ともいうべきものが存在するようにおもわれる。それは、無知にもとづくものとして片づけ去るにはあまりに由々しい偏見であって、そのような文化意識からはいかなる文化創造も期待できないとさえいえるほどである。すなわち、ギリシア文化の方がより根源的・本質的であり、したがって第一級の文化であって、ローマの文化は、それを輸入したものであり、第二級の模倣文化にすぎないという考え方が、それである。この考え方は、非常に古い日付をもっていて、おそらく「征服されたギリシアは、その猛き勝利者を征服し、文化を粗野なラティウムに移入した」というラテン詩人ホラティウスの言葉あたりにその起源をもっているらしい。ホラティウスは、世界文学の星空に燦然とかがやく長編叙事詩『アエネアス』の作者ウェルギリウスとならんでラテン文学の黄金期を代表する大詩人であるが、かれの言葉自体は、けっして間違いではない。にもかかわらず、この言葉が二千年後の今日にいたるまで価値判断の尺度となっているとすれば、おろかしいアナクロニズム以外のなにものでもない。
というのは、ローマの偉大さをつくりだしたのは、じつはローマそのものというより、それ以後の歴史であって、しかもこの歴史は今日もなおつづいているのである。たしかに、ローマ人は、その芸術的哲学的資質においては、あの壮麗な神話、雄渾な叙事詩と悲劇、さらには精緻な哲学体系をつくりだしたギリシア人の足もとにもおよばない。ローマが創造したものは、わずかにその国家、あの巨大な世界帝国だけである。そして、国家は文化ではない。すくなくとも、国家をつくるなどという政治的能力は、文化創造の能力よりは次元の低いものだ、といわれる。一般論としては、その通りかもしれぬ。が、ローマにかんしては、この公式は通用しない。
たとえば、ヨーロッパ。世界歴史がうみだした最も卓越したこの文化共同体「ヨーロッパ」は、いかにして成立したか。ヨーロッパ世界をささえる二本の大きな柱は、ギリシア文化とキリスト教である。われわれは、ともすればこの柱の立派さにのみ眼をうばわれて、この構築物をつくった建築家のことをわすれがちだ。ギリシア文化とキリスト教は、ローマにおいて一体となった。ということは、ヨーロッパは、ローマにおいて成立したのである。ギリシアは、まだいかなる意味でもヨーロッパではなかったし、ギリシアだけでは、けっしてヨーロッパを形成することができなかったであろう。キリスト教は、いうまでもなく、ヨーロッパとはまったく別種なユダヤ世界の宗教であり、ナザレトの神の子は、なによりもまずイスラエルの民の救世主であった。このまったく異質な両者をローマがその世界帝国のなかに包括したとき、ヨーロッパが成立したのだ。ネロ皇帝らによるキリスト教迫害にもかかわらず、ローマは、やがてその国家によってキリスト教を保護するようになり、その国家によってヨーロッパの父となったのである。ローマがなければ、ギリシア文化もキリスト教もついに歴史的遺物におわっていたであろうし、のちのヨーロッパ文化もうまれていなかったかもしれぬ。これでもまだ、国家は文化ではないといえるであろうか。政治的能力は、文化創造の能力に劣るであろうか。このように考えるとき、そもそも文化的とか政治的とかいう規定の仕方が、はなはだ曖昧で、意味のないものにおもえてくる。ローマを第二級の文化だと見るような感覚こそ、じつは非文化的なのである。ギリシアとローマは、武蔵と小次郎というようなものではない。そういう講談本的な性急な優劣論からは、なにもうまれてはこないものだ。ローマは、ヨーロッパという文化共同体を容れ、それが現代にいたるまでの発展の道をたどるべき一個の容器を創造した。われわれは、ローマとその文化をあらためて認識しなくてはならない。
ヨーロッパの創始者であるローマが古代末期において達した絶頂期は、皇帝アウグストゥス(紀元前二七〜紀元一四)の時代であり、これはまた、ラテン文学の黄金時代でもあった。ここで忘れてはならないことがある。さきに引用したホラティウスの言葉からもあきらかなように、ラテン文学は、ギリシア文学の研究・摂取の上に成り立っていた。その当然の結果として、ローマにおいては、文学は学問ときりはなすことのできないものとなった。すべてのローマ詩人は、ギリシアの文学を熱心に研究した。しかし、これをラテン文学の致命的な弱点と考えるのは、それ以後のヨーロッパ文学の本質的な特徴をただしく把握していないのである。ヨーロッパ文学は、それ以後現代にいたるまで学問・知識とつよくむすびついてきた。
突飛な例かもしれないが、ダンテの『新曲』とT・S・エリオットの『荒地』をあげれば、事態はあきらかである。知識的要求を抜きにしては、ヨーロッパ文学を理解することは不可能である。この意味においても、ローマの文学(ラテン文学)は、ヨーロッパ文学の性格を決定づけたという名誉をになっている。このようなラテン文学の黄金時代を代表しているのが、前述のように、ウェリギリウス(Vergilius)とホラティウス(Horatius)である。そして、オウィディウスも、この両詩人の同時代人であり、かれらと肩をならべる名詩人なのである。
オウィディウス(Ovidius)は、イタリア半島を縦走しているアペニヌス山脈の谷にあるスルモの町に、富裕な騎士の息子として紀元前四三年にうまれた。ローマで高等教育をうけ、父の希望で弁護士になるために修辞学をならい、法律をおさめて、政界に入ろうとした。が、かれの天賦は、そこにはなく、ついに身を文学にゆだねて、詩人となった。伝えるところによると、かれがときに散文をつくろうとつとめても、できあがったものは詩であったという。かれは、当時のローマ文化人たちの憧憬の地ギリシアへおもむき、アテナエで文学を研究し、またアジアやシチリアへも旅行した。ローマでしばらく二、三の官職についていたが、やがてそれを辞して、詩作に専念するにいたった。同時代の詩人ホラティウスやプロペルティウスとは友人どうしであったが、ウェルギリウスとは言葉をかわしたことがなかった。詩人としての肌が、おたがいに合わなかったのであろう。
オウィディウスは、愛嬌のある、快活な、才知にとんだ、運のよい、有福な人であった。両親のもとめるままに若いころ二度結婚したが、どちらもあいついで離婚した。三度目の結婚はうまくいって、妻(ファビア?)は貞節であった。娘がひとりあった。しかるに、この幸福な生活も、最後までつづくことができず、紀元八年に突然にくずれた。すなわち、かれは、ローマ初代の皇帝アウグストゥスの激しい不興をこうむって、遠く黒海沿岸のトミス(いまのコンスタンツァ)に流竄の身となったのである。この追放の理由がなんであったかは、いまもって不明であるが、オウィディウス自身は、かれの詩『恋のてくだ』と、ある過失とのためであったとのべている。
この過失がなにをさすのかは明らかでないが、おそらくそれで皇帝の感情を直接ひどくそこなうようなことであったのであろうと推定され、あるいは皇帝の放埓な娘ユリアとなにか関係があったのだともいわれている。それはとにかく、この追放令の実行がはなはだ急であったので、荷拵えをする時間もなかったと伝えられている。妻も同伴を請うたが、かれはそれを許さず、居残って、さいわいに没収されなかった財産の管理にあたらせた。かれは、『哀詩』のなかで、ローマにおける最後の夜のこと、寒村トミスへの苦渋にみちた道中のこと、この荒涼たる寒冷の僻地における屈託・不自由・未開人のもとでの寂しい生活についてのべている。かれは、この異境のはてからローマの友人たちにあててたえず手紙をおくり、呼び戻してもらえるようにと尽力を請い、八方手をつくして皇帝に嘆願したけれども、ついにその効なく、追放十年にしてトミスで寂しく逝った。その荒涼とした異境の風物、あわれにも落莫とした心境は、晩年の詩に切々とうたわれていて、読む者のこころを打たずにおかない。
オウィディウスは、かなり多くの詩をつくったが、さいわいにその大部分は保存されて、現代に伝わっている。それらは、『転身物語』だけが長短々脚六韻格の詩型(dactylic hexametre)で書かれ、他はすべてエレギア二句一連の型(elegiac hexametre)である。事実、かれは、アウグストゥス時代の、エレギア詩型を使用した多くの詩人たちのなかで最も偉大な詩人であるばかりでなく、この詩型を恋の詩型とし、それに優美さと巧妙さとをあたえることに成功したのである。しかも、ローマの詩型といわれるこの詩型は(といっても、本来はギリシアのエレゲイア詩型から出ているのだが)は、およそあらゆる詩型のなかで最も短命なものであって、オウィディウスとともに栄え、かれとともに滅びたといわれている。
かれの詩作活動は、大体これを三期にわけて考えることができる。第一期、すなわち青年期に属するものとしては、次のようなものがある。『恋愛』(Amores)全三巻四十九歌。単純で誠実な恋人の愛から、たえず恋をあさる不心得者の愛にいたるまで、さまざまな気分の恋愛の研究であり、描写である。『名婦』(Heroides)、または『名婦の手紙』(Heroidum Epistulae)。これは、手紙の形式で書かれた二十一篇の恋愛詩であって、第二十一篇のほかは、すべてギリシアの神話・伝説中の著名な女性の名をかりて、かの女たちがその恋人や良人にあてて想いをのべるという体裁をとっている。オウィディウスは、これらの詩によって新しい文学形式を発明したと自称している。人物は、かなり注意ぶかく性格づけられ描写されているが、全体としては、いかにもわざとらしく、単調のそしりをまぬがれえない。そこに盛られた感情や道徳は、むろん、出てくる人物たちの時代のそれではなく、かれの時代のローマのものである。『婦人の美顔剤』(Medicamina Faciei Femineae)は、婦人の化粧術についての詩であるが、現存する原典は、きわめて不完全なものである。『恋のてくだ』(Ars Amatoria)は、全三巻二三三〇行よりなる詩で、さまざまな恋愛技巧をのべている。最初の二巻は、尻がるい女の愛を得るてくだを教え、第三巻は浮気な男をたらす方法を女に教える。恋愛のコミックや魅惑にとんだ作品で、当時のローマの社会生活、たとえば競技場や浴場などの精彩ある風俗描写としてもみごとである。この詩は、当時非常にもてはやされたが、良風美俗に悖《もと》る描写がすくなくなく、前述のように、アウグストゥス帝がオウィディウスを追放する原因のひとつになったと考えられている。『恋の治療法』(Remedia Amoris)は、八一四行の詩であって、『恋のてくだ』のパロディーで、不幸な恋や誤った恋を狩猟・旅行・農耕・禁酒によって、あるいは恋愛詩人を遠ざけることなどによってまぎらし、傷手を癒す方法をのべている。
これら青年期の作品があたえてくれる詩人像は、今日のいわゆる流行作家のそれに近似しているといえる。感覚的な美しい詩句と軽妙でゆたかな幻想。その反面で、表現の緊密性を欠き、天分にめぐまれた青年の放縦さをしめしている。かれは、早熟児しか味わいえない目ざましい名声を若くして得、成功の美酒に酔ったのである。
第二期、すなわち壮年期のものとしては、全十五巻一二九九五行からなる大作『転身物語』(Metamorphoses)をまず挙げねばならない。かれの創作力が最高潮の時期の作品であり、代表作でもある。紀元七年にはほぼ出来あがっていたが、かれは未完成だと言っていた。ふしぎな転身・変形を物語るというのがその趣旨であるが、しばしばそのような物語は、この作品の一部にすぎず、全体はギリシア・ローマの神話・伝説の一大蒐集であり、宝庫であって、その百科全書ともいえるほどである。太初の混沌《カオス》が秩序ある世界に変形する天地創造の物語から筆をおこし、ギリシアの神話・伝説のなかからさまざまな物語をつぎつぎに引きだして陳述し、また、アエネアスとディド、ヌマとエゲリアとの話のような伝説をも語り、あるいはピュタゴラスの教養をものべ、ユリウス・カエサルの死とその神格化のことにまでおよんでいる。さらに、たとえばピュラムスとティスベとの有名な恋物語のようなパビュロンの伝説までふくんでいる。これらの物語には、ほとんどひとつとして退屈なものはない。しかも、それを物語る詩人オウィディウスの手腕は、その巧妙さに唖然とするばかりである。トロイア戦争にかんする部分においても、ホメロスの『イリアス』という偉大無比な先蹤《せんしょう》の卑小な模倣になることを避け、英雄アキレスの武器の相続をめぐる大アヤクスとウリクセスとの論争という形でそのみごとな要約をのべる巧妙さは、現代の文学技法から見ても、ひたすら心憎いばかりである。ドイツ人好みの言い方をすれば、これはKoennenの作品であって、詩的霊感からうまれたMuessenの作品ではないということになるかもしれない。しかし、世界文学上の第一級の絢爛《けんらん》艶美な Koennen の文学であって、その点にこそこの作品の真骨頂《しんこっちょう》があり、オウィディウスの詩的天才のすべてがあますところなく発揮されているのである。
あの『アエネイス』の蒼古ともいうべき荘重さとくらべてみるとき、文学史家がむしろ下位におくこの『転身物語』の方が、ふしぎに若やいだ、現代においてもすこしも色あせることのない文学の愉悦を読者にあたえてはくれないであろうか。これをたんに Koennen の作品であり、二流文学だからという理由で頭からしりぞけるのは、文学とは無縁なむくつけき人間のする冷酷な仕業《しわざ》である。まことに、オウィディウスは、古代文学が知る最もすぐれた二流作家であった。「すぐれた二流作家」というのは、もう一歩のところで大詩人や一流作家になれる作家という意味ではない。大詩人には絶対に書けないようなすてきに面白い作品を書き、しかも、すてきに面白い作品しか絶対に書けないことによって二流である詩人である。
おどろくべき流暢さと軽快さ、たくみな機知、ゆたかな空想のひらめき、優雅で明快・的確な叙述。泣かせ、唸らせ……どうも二流作家というものは、古今の別なく読者にたいしてサーヴィスが行きとどきすぎるものらしい(こういう涙ぐましい美点が、むくつけき文学史家の手にかかると、かえって弱点になってしまうのだから、二流作家とは、よくよく浮かばれない存在である)。われわれは、壮麗で複雑なギリシア神話がこのような詩人の天才によって集大成され、現代に伝えられたことを、かのムサ(ミューズ)たちに感謝しなくてはならない。事実、ラテン文学のなかでも、この『転身物語』ほど後世に多く読まれ、多く翻訳された作品はないのである。また、いわゆるギリシア・ローマ神話を叙述した読物のたぐいも、その多くが本書を下敷きにし、それを再説話しているのである。後世のヨーロッパ人は、本書によってギリシア・ローマ神話を知ったといっても過言ではない。しかも、どんなによく書かれた再説話よりも、その原典である本書の方がはるかに魅力にとんでいるのである。
第二期には、このほかに『行事暦』(Fasti)がある。全六巻四九七二行の詩で、本来は三月にはじまるローマ暦の各月に一巻をあてて書く予定であったが、その途中で追放に処せられたために最初の六巻だけに終わってしまった。古い年代記に照らして暦日を研究し、その各日にどのような出来事が記念せられたかを語り、あわせて種々の祭典の起源をのべ、ときにはギリシアの古い神話・伝説や、ローマの口碑や信仰にもふれている。
第三期、すなわち晩年の作品としては、『哀詩』(Tristia)全五巻五十篇、『黒海からの書簡』(Ex Ponto)全四巻四十六篇のふたつがある。前者は、追放初期の、後者は、その末期ごろのものであって、多くは書簡の形で妻や知人に送ったもので、不運をなげくとともに、罰の軽減を願っている。晩年の生活や思想がうかがわれ、また、従来のものに見られない表現や文体上の深化と広がりが出ている。これは、黒海周辺のゲタ語やサルマティア語を習得したために、かれのラテン語に新しい表現の可能性がひらかれたのであろう。
本書は、物語文学の愉悦にみちた傑作『転身物語』の日本語への最初の完訳である。
原作は、前述のように、長短々脚六韻格の詩型をもちいた長篇詩であるが、本書はこれを散文訳にした。これは、けっして便宜上のことではない。オウィディウスという詩人は、もし現代に生きていたならば、すくなくともこの『転身物語』はかならず散文体で書いたにちがいないからである。これを行分け訳にすることによって原作への忠誠の義務をはたしたとするような、とんちんかんな非文学的良心は、最初からもちあわせなかったし、また、行分けをしても意味がないとか、ページ数が多くなるという理由で行をつづけたというような妥協の産物でもない。原作を徹底して散文精神をもって読み、散文訳によってしか原作にたいする責任をはたしえないと信じた上での散文訳である。翻訳についてこれ以上のことは、訳者みずからが語るべきではあるまい。
原作には段落も章分けもないが、読みやすいように適当に区切りを設け、物語ごとに章をわけ、内容をあらわす表題をつけた。これは、近代語訳の多くがおこなっていることである。各段落の末尾の数字は、原作の行数をあらわしている。
周知のように、ギリシアの神々は、ローマに移入されると、ローマの神名でよばれるようになったので(たとえば、ゼウスがユピテルとなった)、本書でもギリシア名でなくラテン(ローマ)名で出てくるし、そうでない固有名詞も、ラテン語読みで出てくる(たとえば、アキレウスがアキレス、アテナイがアテナエとして)。訳文では、若干の例外をのぞいて、原作どおりラテン名およびラテン語型にしてある(ただし、ナイルやエジプトのようにわが国で親熟したものは、この限りではない)。ギリシア名およびギリシア語型は、巻末の索引において示した。〔この、脚注の記述内容まで丹念に拾い上げた詳細な索引は、本デジタル版では省略せざるをえなかった〕
固有名詞の表記法は、共訳者である田中先生の従来の意見と一致しないものであるが、一般読者の便宜を考えて、長音記号(音引き)を使用しなかった。たとえば、シーレーネースのように一語のなかにふたつ以上も長音記号をもった語は、日本人にはほとんど発音不可能であると思われ、物語を味読する愉悦感がそこなわれることを怖れたからである。しかし索引においては長音を明示しておいた。
ギリシア・ローマ神話の集大成であり、百科全書であるという本書の特徴を考えて、かなり詳しい脚注をつけた。脚注と索引をうまく利用していただければ、本書は神話辞典の役割をもはたすはずである。また、本書は、一度は最初から順を追って読まれることがのぞましいが、内容上途中から一部だけを読まれる場合にもそなえて、必要な個所には脚注の重複をいとわず、参照個所をも指示しておいた。
翻訳のテキストとして使用した原典は、メルケルの校訂したもの(Ovidius: Metamorphoses. Hrsg. Von R. Merkel. Bibliotheca Teubneriana. Leipzig 1909.)およびミラーの校訂した対訳版(Ovid : Metamorphoses with an English Translation. Edit. and transl. by Frank Justus Miller. The Loeb Classical Library. London 1925.)である。その他、翻訳および脚注作成のために参照した近代語訳と参考文献の主なものをあげておく。
Ovid: Metamorphoses with an English Translation by F. J. Miller.
Ovid: Metamorphoses. Translated by Rolf Humphries. Bloomington 1955.
Ovid: Metamorphosen. Ubersetzt von R. Suchier. Langenscheidtsche Bibliothek. Berlin o. J.
Ovid: Metamorphosen. Hrsg. und ubersetzt von Hermann Breitenbach. Zurich 1958.
Ovide: Les Metamorphoses. Texte etabli et traduit par George Lafaye. Paris 1930.
William Smith: A Classical Dictionary of Greek and Roman Biography, Mythology and Geography.
Hans Lamer: Woerterbuch der Antike. Leipzig 1933.
Otto Hiltbrunner: Kleines Lexikon der Antike. Bern 1946.
Herbert Hunger: Lexikon der griechischen und roemischen Mythologie. Wien 1959.
高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』岩波書店。一九六〇年。
最後に、本書の出版に熱意をしめされ、訳者たちの我儘を許容された人文書院編集部、また、索引作成の繁雑な仕事をこころよくお引き受けくださった安味京子さんにふかく感謝の意を表しておきたい。
一九六六年四月二〇日 前田敬作