ヴァージニア・ウルフ/鈴木幸夫訳
目 次
訳者あとがき
解説
[#改ページ]
陽はまだ昇ってはいなかった。海と空とのけじめはさだかでなく、ただ海には布の皺のように小波が微かにたゆとうばかり、やがて空の白むにつれて、水平線は黒い一筋となって横たわり、海と空とを分け隔てた。銀布の海には一面に色濃い横波が立ち、つぎつぎと水面を揺れ動いては、後から後からと追いすがり、追いつ追われつ不断につづいた。
渚に寄せて近づくとみれば、うねりは高まり、高く盛り上っては砕け、砂の上へ遠く白地の薄紗を打ちひろげた。波はとぎれてはまた打ち寄せ、無意識に呼吸する眠り人のように溜息をついた。徐々に水平線の暗い一筋は薄れて、古い酒罎の澱《おり》が沈んでガラスを緑色にもどすように、澄んで冴えわたった。背後の空もまた、白い澱が沈んでしまったかのように、さては水平線の下に臥せっていた女人の腕が灯火をさしかざしたかのように、すっかりと晴れわたり、白や緑や黄色のおぼろな縞《しま》が扇を開いたように空一面に拡がった。女人はさらに高く灯火をかざした。空一面は光の条に覆われたように見え、炬火《たいまつ》から燃えさかる燻《くすぶ》った炎のように赤や黄の光となってちらちらと燃えながら、緑の水面から裂かれ去るかとも思われた。しだいに燃えさかる炬火の光芒は溶けて霞となり、白光となり、羊毛にも似て重々しくのしかかっていた灰色の空を晴れ上らせ、それを無数の柔かな青い微塵と変えた。海の面《おも》は徐々に澄みわたり、小波をたたえてきらきらと光り、やがては黒ずんだ横縞もほとんど擦れ失せてしまった。灯火をかざした腕がゆるやかにさらにさらに高く上げられると、ついには大きな火炎が見えはじめた。弧をなす炎は水平線の面上に燃えて、そのあたり一面、海は金色に燃え立った。
日光は庭の木々に映え、木の葉を一つまた一つと色を透かしていった。鳥が一羽、高みでさえずった。ちょっと途絶えて、また一羽が低く。太陽は家の壁に照りつけて、白いブラインドの上に扇に似た影を投げ、寝室の窓際では木の葉の下にも青い影の指紋を落した。ブラインドが微かにそよいだが、室内のすべては漠としておぼろに霞んでいるばかりだった。戸外では小鳥たちがひたむきに歌った。
「環が見える」バーナードは言った。「僕の上の方にかかっているのが。光の輪暈《わがさ》になって、揺れながらかかっている」
「薄黄色いひら板が見えるわ」スーザンが言った。「ずっとひろがって向うで深紅の縞と一緒になってるわ」
「音が聞えるわ」ローダが言った。「ちーちく、ぴーちく、ちーちく、ぴーちく。上へ行ったり、下へ行ったり」
「球が見えるよ」ネヴィルが言った。「どこかの丘の巨きな横腹に滴りになって垂れ下ってら」
「真赤な房が見えるわ」ジニーが言った。「金の糸で綯《な》われてるの」
「なんだか足音がする」ルイスが言った。「大きな獣が足を繋がれてるんだ。ずしり、ずしり、ずしり」
「見てごらん、蜘蛛の巣を、バルコニーの隅の」バーナードが言った。「水が数珠玉になって、粒が白く光ってるよ」
「木の葉が窓のぐるりに集まって、尖った耳みたい」スーザンが言った。
「影が小径に落ちて」ルイスが言った。「肘が曲っているみたいだな」
「光のお島がいくつも草の上を泳いでいるわ」ローダが言った。「お島は木の間を洩れてできてるの」
「小鳥たちの眼が葉と葉との洞穴で光っている」ネヴィルが言った。
「茎にざらざらした短い毛茸《もうじょう》がいっぱい」ジニーが言った。「氷のしずくが沢山くっついてるわ」
「毛虫が緑の環に身を捲いて」スーザンが言った。「のそのそと跡をひいてるわ」
「灰色の殻をかむった蝸牛が小径をよぎって、草の葉を平たくしていくわ」ローダが言った。
「窓ガラスから照り返す光が草葉の上にちらちらする」ルイスが言った。
「石が足につめたいな」ネヴィルが言った。「一つ一つがわかる。それぞれ円かったり尖っていたり」
「手の甲がひりひりするの」ジニーが言った。「でも掌《てのひら》は露にぬれてつめたくて湿っぽいわ」
「やあ、鶏が鳴く。まるで潮の中で、すさまじい、赤い水がほとばしるようだ」バーナードが言った。
「小鳥たちが上でも下でも、あっちでもこっちでも私たちのぐるりで歌ってるわ」スーザンが言った。
「獣がずしり。象が足を縛られてるんだ。大きな獣が磯辺でずしん」ルイスは言った。
「おうちをごらん」ジニーが言った。「窓という窓が覆《おお》いで真っ白だわ」
「冷たい水がお勝手の蛇口から流れ出しているわ」ローダが言った。「お皿の鯖《さば》の上に」
「壁には金色のひびが入っている」バーナードが言った。「あちこちの窓の下には青い指の形をした葉の影がある」
「ミセズ・カンスタブルがぶ厚い黒の靴下をおはきだわ」スーザンが言った。
「煙が昇ると、霧のように、どんよりととぐろを巻いて屋根を離れる」ルイスが言った。
「さっき、鳥が声をそろえて歌ったわ」ローダが言った。「あら、お勝手の扉の戸じまりがはずれたわ。みんな飛んで行く。種を播きちらすみたいに飛んで行くわ。でも、一羽だけ、寝室の窓辺で歌ってるの」
「泡がお鍋の底でぶつぶつ」ジニーが言った。「あらあら、だんだん早く銀の鎖になって上の方へ膨らんでいくわ」
「女中のビディがまないたで、ぎざぎざの庖丁でお魚の鱗を落してるよ」ネヴィルが言った。
「食堂の窓が青黒いな」バーナードが言った。「空気が煙突の上の方でちらちらしている」
「燕が避雷針に止まっているわ」スーザンが言った。「ビディが台所の敷石にバケツをがちゃんと置いたわ」
「あれは教会の最初の鐘だ」ルイスは言った。「つづいて鳴っている、ひとつ、ふたつ。ひとつ、ふたつ。ひとつ、ふたつ」
「テーブル掛けをごらんなさいな、テーブルに白色を散らせ」ローダが言った。「まるい白い陶器がいくつも並んで、お皿の横には銀の縞目がついてるわ」
「やっ、蜂がぶんぶんいうぞ」ネヴィルが言った。「ここだ。行っちまった」
「焼けつくようだったり、寒気がしたりだわ」ジニーが言った。「日にあたってから影に入ると」
「みんな行っちまったな」ルイスが言った。「一人っきりだ。朝御飯に家へ入ってしまった。僕だけ残って花に囲まれて壁の傍に立っているんだ。まだ早いな。勉強はまだ始まらない。花がつぎつぎ、点々と深い緑の中に。花弁はおどけ者だ。茎は下の黒い凹んだところから出ている。花が光で作られた魚のように暗い緑の水面を泳ぐ。茎を手にとる。僕は茎だ。根が世界の深みへ入って行く。煉瓦みたいなものでからからになっている土やしめっぽい土ん中を。鉛や銀の鉱脈をくぐって。僕は全く細い根だ。ふるえでぶるぶるする、それに、土の重さが肋骨を締めつける。ここでは僕の両眼は緑の葉だ。見えやしない。僕は灰色のフランネルの着物を着た子供だ。帯がついていて蛇形の真鍮の留金で締めてある。ところで、むこうでは僕の眼はナイル河畔の砂漠に立つ石像の瞼《まぶた》のない眼だ。女たちが赤い水差しを持って川へ行くのが見えるぞ。駱駝が揺れているのやターバンを巻いた男たちが見える。まわりで、重い足音や震えや騒ぎがする。
こちらではバーナード、ネヴィル、ジニー、それにスーザンが(ローダはいない)網で花壇をすくいまわっている。頭をゆすぶっている花から蝶々をすくっているんだ。世界の表面を撫でている。網はばたばたする羽根でいっぱい。[ルイス! ルイス! ルイス]みんなが呼んでるぞ。でも見つかりやしない。生垣の反対側にいるんだもの。葉っぱのあいだに小さなのぞき穴があるだけだ。おお神様、みんな通り過ぎて行きますように。神様、砂利の上でハンカチーフに採った蝶々を並べますように。いろんなヒオドシチョウやアゲハチョウをかぞえて取り出しますように。でも、どうか見つかりませんように。僕は生垣の蔭でイチイのように緑だ。僕の毛は木の葉でできている。僕は土の真中へ根をおろしているんだ。身体は茎だ。茎をおさえつけてやる。滴りが口の穴から滲みでて、だんだんに、群がって、大きく大きくなっていく。何か薄紅色のものがのぞき穴を通ったぞ。眼の光がすき間をくぐって滑りこむ。その光が僕を射る。僕は灰色のフランネルの着物を着た子供だ。彼女が僕を見つけてしまった。項《うなじ》がしびれる。彼女が接吻をした。すっかりおじゃんだ」
「かけっこしてたの」ジニーは言った。「御飯のあとで。生垣の穴で葉が揺れてるのを見たわ。[鳥が巣にいるんだわ]と思ったの。葉をかきわけて見たら、鳥なんか巣にいやしなかったわ。でも木の葉がまだ揺れてたの。びっくりしたわ。スーザンを通り過ぎ、ローダを通り過ぎ、物置でお話していたネヴィルとバーナードを通り過ぎて走ったわ。いっそう早く走りながら叫んだの。何が木の葉を動かしたのかしら? 何が私の心臓や足を動かすのかしら? それからここへかけ込んで、灌木みたいに緑になっている貴方を見たの、枝のようにじっとしたままで、ルイスったら、目を動かさないでいたわ。[死んでるのかしら]と思ったの。それから、接吻したの。心臓が薄紅色の服の下でどきどきしたわ、木の葉のように。いつまでも揺れているの、動かすものなんて何もありやしないのに。あらゼラニュームのにおいがするわ。土のかび臭いこと。踊って、跳ねまわるの。光の網みたいに、貴方の上に身を投げかけて……。身を投げかけて横になって顫えてるの」
「生垣の隙間から」スーザンが言った。「ジニーがあの人に接吻するのが見えたの。植木鉢から頭を上げたら、生垣の隙間から見透しだったの。接吻をするのが見えたわ。ジニーとルイスが接吻しているのが見えたの。わたしの苦しさをポケット・ハンカチーフに包みこんでしまおう。くるくる巻き締めて球にまるめてしまおう。ひとりでブナの木のところへ行きましよう。お勉強はまだだもの。テーブルに坐って計算なんかしたくないわ。ジニーやルイスと並んでなんか坐らないわ。苦しみをとり出してブナの木の下の根っこに置こう。それを指にはさんでよく考えてみよう。ジニーもルイスもわたしを見つけられないわ。ナットを食べて、荊棘《いばら》をくぐって卵を見て、そしたら髪の毛がぐじゃぐじゃ、それから生垣の下で眠って、溝の水を飲んで、そこで死んでしまうんだわ」
「スーザンが通って行ったよ」バーナードは言った。「くるんで球にしたハンカチーフを持って物置の前を通り過ぎた。泣いてはいなかったけれど、眼が、きれいな眼だな、飛びつこうとしているときの猫の眼みたいに細かった。跡をつけてみるよ、ネヴィル。静かについて行って、近よって、面白半分だけれど、怒って泣いたり[独りぼっち]だなんて思うときには慰めてやるんだ。
ふらふらしながら畑を横切って行くよ。まるで無関心な様子で。僕たちにさとられないようにさ。坂下の方へ行くぞ。見られやしないと思っているんだ。握りこぶしを前にして走りはじめるよ。球にしたポケット・ハンカチーフを握りしめて。日蔭のブナの木の方へ行くよ。そこへ行くと両腕を拡げて、泳ぐように蔭へ入っていく。でも明るいところにいたもんだから目が見えないんだな。とことこ歩いて、木の下の根に倒れたぞ。光が射したり消えたり、ちらちら、喘いでいるみたいだ。枝がゆらゆら、上ったり下ったり、ここはいらいらして落ち着かない。うっとうしいな。光も気まぐれだ。ここは苦しいよ。木の根が骸骨みたいに地上に出ている。それに枯れた木の葉が隅々にいっぱいたまっている。スーザンが苦しみを撤き散らしたんだ。ポケット・ハンカチーフがブナの木の根に置いてあって。スーザンは倒れたところでくしゃくしゃになり、坐ったままで泣いているよ」
「ジニーがルイスに接吻したのを見たの」スーザンは言った。「木の葉の間をのぞいたら、ジニーが見えたの。ふりしきるダイヤモンドの光を斑らに受けて踊っていたわ。わたしはずんぐりでしょ、バーナード、背が低いのよ。でも眼はあるの。地に近づけてみれば、草の中の昆虫だって見えるのよ。ジニーとルイスがキスしているのを見たときには身体の中のやきもちやきの血が石になってしまったわ。草を食べて溝の中で枯れ葉が腐っている褐《あか》い水につかって死んでしまうの」
「君の通って行くのが見えたんだ」バーナードは言った。「物置のドアを通り過ぎるときに、[わたしは不幸だわ]って言ってるのが聞こえたよ。で、ナイフを置いた。ネヴィルと薪でボートを造っていたんでね。それに髪もくしゃくしゃだ。ミセズ・カンスタブルがブラシをかけなさいって言ったときに蝿が蜘蛛の巣にかかったもんで。[逃がしてやろうか]、[食べさせてしまおうか]って考えた。そんなことで、いつもおくれてしまう。髪はときつけてなし、それに、木の切れはしがくっついてる。君の声を聞いて跡をつけたんだよ。ハンカチーフをおろして、しぼり上げて、腹立たしそうに、憎々しそうにさ、ぎゅっとしばったね。でも、もうなんでもなくなるよ。二人の身体がこんなに近寄ってるんだもの。僕の呼吸が聞えるだろう。ほら、甲虫が木の葉を一枚背中に乗せて運んでいくのが見えるね。こっちへ行ったり、あっちへ行ったり。そんなもので甲虫を見ているうちに、たった一つばかりのものを(ルイスのことだがね)自分のものにしたいなんて気持は変ってゆくよ。光がブナの葉に射したり消えたりしているみたいにさ。胸の中に畳みこんであるうら悲しく流れる言葉の数々が、絞ったポケット・ハンカチーフの固い結び目を解きほぐすようになるよ」
「好きだけど」スーザンが言った。「嫌い。一つのものだけがほしいんだわ。わたしの眼は堅苦しいの。ジニーの眼は散って無数の輝きになるのよ。ローダの眼はここらの青い花みたい。日暮れどきには蛾が集まってくるわ。貴方のはあふれて一杯になるけれど、決して破れたりしないわ。でも、わたし、自分の追究をはじめているのよ。草に昆虫がいるわ。お母さんたらわたしに白いソックスを編んでくれてるし、上っ張りの縁つけをしているし、わたし、まだ子供なんだけど、でも、好きになったり、嫌いになったり」
「でも、こうして一緒に坐って、身近にいると」バーナードは言った。「お話をしているうちにお互いに気持がしっくりしてくる。霧にかこまれて、夢の国にいるようだ」
「甲虫が見えるわ」スーザンが言った。「黒く見えたり、緑に見えたり。親身なお話で離れられないわ。でもあなたは行っちまう、抜け去ってしまう。いろいろおしゃべりしながら上の方へ昇ってしまうんだわ」
「さあ」バーナードが言った。「探検しよう。木《こ》の間《ま》に白い家が横たわっているぞ。僕たちのずっと、あんなに下に横たわっている。泳ぐように沈んでいって踵の先をちらと地につけるのだ。木の葉の緑の空気をくぐって沈んでいくんだ、スーザン。走りながら沈んでいく。波が上の方で寄せている。ブナの葉が頭の上で触れる。うまやの時計があって、金色の針が光っている。ここは大きな家のフラット、屋根の項上だ。裏庭で、ゴム靴をはいて、しゃべり立てている厩番の子供がいるよ。あれがエルブドンだ。
さあ、木の頂をくぐって地上に降り立った。空気はもう僕たちの上で、あの長い、不幸な、深紅の波を打たせることはないんだ。土に触れる。地面を踏む。あれは淑女の園の刈りこんだ生垣だ。そこを淑女方がお昼に御散歩。鋏を持って、薔薇をおつみになる。ところで僕たちは周囲を壁で囲まれた森の中にいるんだ。これがエルブドンだ。十字路で道標を見てきた。一方は[エルブドン道]を指していたよ。誰もそこへは行ったことがない。羊歯《しだ》が激しく匂うし、その下には赤いきのこが生えている。僕たちの気配で、まだ人間の姿を見たことのない小鴉《こがらす》が眠りから覚める。僕たちは腐った五倍子《ふし》を踏んでいく。古びて赤くなり、滑り易い。壁の環がこの森の周りを囲っている。誰もここへ来はしない。おや! 下生えのところで、巨きな蟇《がま》ががさがさしているぞ。古い樅《もみ》の果実がしきりに落ちているな、羊歯のあいだで腐っていくんだ。
この煉瓦の上へ片足お上げ。壁ごしに見てごらん。あれがエルブドンだ。女の人が長い二つの窓のあいだに坐って、書きものをしているね。園丁たちが大きな箒で芝生を掃いている。ここへ来たのは僕たちが最初だ。僕たちは未知の国の発見者だ。動いちゃいけない。園丁たちが僕たちを見つけたら射殺されるよ。厩の扉へ貂のように釘づけにされちまうよ。や! 動かないで。壁の上でしっかり羊歯《しだ》をお握り」
「女の方が書きものをしてらっしゃるのが見えるわ。園丁が掃除をしているのも」スーザンが言った。「ここで死んだら、誰もわたしたちをお葬いしてくれないでしょうね」
「逃げろ!」バーナードが言った。「走れ! 黒いあごひげの園丁が僕たちを見つけたぞ。撃たれてしまう! カケスのように撃たれて、壁へはりつけられるぞ。僕たちは敵国にいるんだ。ブナの木のところへ逃げなくちゃ。木の下へかくれなきゃ。くるときに小枝を曲げておいたんだ。秘密の通路があるんだ。できるだけ低くかがんで。うしろを見ないでついておいで。やつらは僕たちを狐だと思うよ。走って!
もう大丈夫。もうまっすぐ立っていい。もうこの高い天蓋の中で、この広い森の中で、腕を延ばしていいんだ。何も聞えない。空で低い波音がしているだけ。あれは白子鳩《しらこばと》がブナの木の頂で繁みの覆いを破っているんだ。鳩が空気を羽ばたく。鳩がぎこちない羽根で空気を打っている」
「もう、あなた、行ってしまうのね」スーザンは言った。「おしゃべりしながら、風船玉の糸のように重なり合っている木の葉をくぐって、高く高く昇っていくわ。届かないわ。あら、のろくなった。スカートをしきりにひっぱるわ。ふりかえって、おしゃべりして。とうとう行ってしまったわ。ここはお庭。生垣だわ。ローダが小径にいるわ。手に持った褐色の水盤の中で花びらがあちこちに揺れてるわ」
「わたしのお舟はみんなまっ白」ローダは言った。「たちあおいやゼラニュームの赤い花びらなんかいらないわ、白い花びらがほしいの。水盤を傾けると漂うような。岸から岸へと航海する艦隊なのよ。小枝をちょっと入れてみようかしら。溺れる水兵さんに筏をやるように。石を落して泡が海の底から上るのを見てみよう。ネヴィルは行ってしまったわ。スーザンも行ってしまった。ジニーは野菜畑で、たぶんルイスと一緒に、スグリの実を摘んでるわ。ひとりきりで、ちょっと時間があるの。ミス・ハドスンが教室のテーブルでわたしたちの習字帖をひろげているの。少しばかり自由な時間があるんだわ。落ちていた花びらをすっかり拾い上げて泳がせたの。雨しずくをそそいでやったのもあるの。ここへ燈台を立ててやりましよう。スイト・アリスの頭がいいわ。端から端へ褐色の水盤を揺さぶってみよう。わたしのお舟たちが波に漂うように。何艘かは浸水。何艘かは絶壁に追突。一つだけが無事に航海。これがわたしのお舟だわ。航海をして氷におおわれた洞穴に入っていく。白熊がうなり、鐘乳石が緑の鎖をゆさぶる。波がもり上り、頂きが逆巻く。檣頭の光をごらんなさいな。みんな散り散りになり、浸水したけれど、わたしのお舟だけは別、波を乗り切り、疾風に身をかわし、お島に着けば、そこでは鸚鵡がさえずり、つたかずらが……」
「バーナードはどこだい」ネヴィルが言った。「僕のナイフを持っているんだ。僕たちは物置でボートをこしらえトいたんだよ、そしたらスーザンが扉口のところを通り過ぎたんだ。バーナードはボートをほったらかして、僕のナイフを持ったまま追いかけて行ったんだ。龍骨を切る、よく切れる奴なんだよ。あいつらはふらふら垂れている針金、こわれた鈴の引き紐みたいな奴だ、いつもからまってばかりいてさ。窓の外にぶら下がっている海草みたいだ。濡れているのかと思えば、もう乾いているよ。僕を困ったところでおっぽり出す。スーザンをおっかける。スーザンが泣けばナイフを握ってお話をしてやるんだろう。大きな草の葉は皇帝だ。破けた葉は、ニグロだ。ぶらぶら垂れているものは嫌いさ。濡れているものは嫌いだ。ふらふらしたり、混りあっているものは全く嫌いだ。ベルが鳴っている。みんな遅刻だろう。もうみんな玩具を手放さなきゃあ。一緒に入って行かなくちゃいけない。習字帖が緑の羅紗のテーブルに並べて拡げられてあるよ」
「動詞を活用させずにおこう」ルイスは言った。「バーナードが言ってしまうまでは。僕のお父さんはブリスベインの銀行家だもんだから、僕にはオーストラリア訛《なま》りがあるんだ。待っていてバーナードの真似をしてやろう。あいつはイギリス人だ。スーザンのお父さんはお坊さん。ローダにはお父さんがいない。バーナードとネヴィルは紳士の息子だ。ジニーはお祖母さんとロンドンに住んでいる。みんなぺンをなめている。習字帖をひねくって、横目でミス・ハドスンを見ながら胸衣についている紫のボタンを数えている。バーナードは髪に木のかけらをくっつけてるぞ。スーザンは眼を赤くしている。二人とも赤い顔だ。だが僕は青いな。僕は身ぎれいだ。ニッカー・ボッカーは真鍮の蛇のついているベルトでひっぱり上げてある。学課は覚えて暗記している。みんながこれから知ることよりずっとよく知ってるんだ。(格)も知っているし(性)だって知っている。知ろうと思えばこの世のことは何だって知ることができるんだ。首席になりたくはないし、学課を言いたくもない。僕の根は植木鉢の支根のように分け拡がって、この世界をぐるぐるまわる。一番になんかなりたくないし、黄色い盤をした、この大きな時計ににらまれて暮らしたくもない。チクチク言っている。ジニーとスーザン、バーナードとネヴィル、みんな革ベルトで身体を締めつけている。それで僕を打つんだ。みんな僕のきれい好きやオーストラリア訛りを笑う。さて、ラテン語をしどろもどろに言っているバーナードの真似をするとしよう」
「ラテン語は純白なきれいな言語だわ」スーザンは言った。「海岸で拾い上げる小石のようだわ」
「口にしていると語尾が左右にはねる」バーナードが言った。「尻尾を振るんだ。尻尾をぱたぱたさせる。群がって空気をくぐって動いていく。こっちへ行ったり、あっちへ行ったり。いっしょにかたまって動いてみたり、わかれてみたり、また一緒になる」
「黄色っぽいやくざな言葉だわ、火のような言葉だわ」ジニーは言った。「火のようなドレス、黄色いドレス、深黄の褐色のドレスを夕方に着てみたいものだわ」
「各々の時相は」ネヴィルは言った。「みな意味が違う。この世には秩序がある。差別も相違もこの世にはある。その縁《ふち》に僕は立っているんだ。これがほんの始まりなんだから」
「ミス・ハドスンが」ローダが言った。「本を閉じたわ。こわくなってきたわ。白墨をとって黒板に数字や、符号やら、6、7、8、それから十字を一つ、横線を一つ書いている。答えは何かしら。他の人たちが見やる。みんな、わかったふうに見やる。ルイスが書く。スーザンが書く。ネヴィルが書く。ジニーが書く。バーナードさえいま書きはじめたわ。でも私は書けないの。数字が見えるだけ。他の人たちは答えができて手を上げてるわ。つぎつぎに。今度は私の番。でも駄目なの。他の人たちは出ていってもいいんだわ。みんな扉をいきおいよく締めていくわ。ミス・ハドスンが出て行くわ。ひとり残されて答えを考えるの。数字なんてもう意味がないわ。意味がなくなってしまったわ。時計がカチカチ。二つの針は護衛隊で砂漠を通って進んでいるの。時計の面にある黒い時刻を示す筋は緑のオアシスなんだわ。長針が水を見つけに先に進んで行ったわ。短針が砂漠で死んでしまうわ。台所の扉が閉ったわ。野犬が遠くで吠えている。おや、時計面の数字の環が時間で一杯になりかけてるわ。その中に世界を支えてるの。時計の数字を一つ一つ書いてみる。世界がその中に閉じこめられるの。でも私はその数字の環の外にいるんだわ。その環を結んで――そう――封じ込んで、全体を造るの。世界は全体だわ。でも私はその外にいて[助けてください。いつまでも時間の環の外へ放り出さないでください]って言ってるの」
「ローダが坐って黒板を見つめているよ」ルイスは言った。「教室でさ。僕たちの方はぶらぶら散歩。ちょっとたちじゃこう草を摘んでみたり、よもぎの葉をつまんでみたり、バーナードのお話をききながら。ローダの肩胛骨が背中で十字に合わさってちいさな蝶の羽根のようだ。白墨の数字を見つめているとローダはその白い円の中へ入っていく。あの白い環を抜けて、虚ろの中へ入っていくんだ、ひとりで。数字はローダには無意味だよ。答えができないんだ。ローダには他のものが持っているような身体がないんだ。だから僕はオーストラリア訛りで話をしたり、お父さんはブリスベインの銀行家だけれど、他の連中ほどには彼女はこわくないんだ」
「ゆっくり歩こう」バーナードは言った。「スグリの葉の天蓋の下を歩いて、お話をしよう。この世ではない世界に住もう。秘密の国を手に入れよう。そこは多灯架のように垂れ下がったスグリで照らされてるんだ。一方は真っ赤に輝き、一方は真っ黒だ。さあジニー。くっついてとぐろになると、スグリの葉の天蓋の下に坐ることができるし、揺れている香炉も見ることができるよ。これが僕たちの宇宙だ。他の者たちは馬車道を向うへ行く。ミス・ハドスンとミス・カリのスカートが蝋燭消しのようにさっさっと揺れている。あれはスーザンの白いソックスだ。あれはルイスのおしゃれなスニーカーだよ、砂利の上にしっかりと足跡がついている。朽ち葉が枯れた草木から、温い俄雨みたいに落ちてくる。僕たちはいま沼沢地にいるんだよ。マラリアの流行るジャングルにいるんだ。蛆《うじ》にたかられて白くなっている象がいるぞ。眼に致命の矢を射られて殺されたんだ。飛びはねている鳥――鷲や禿鷹――の煌々たる眼がはっきり見える。鳥どもは僕たちを倒れ落ちた木と見まちがうんだ。虫を突っ突く。――あの虫は頭巾をかぶったようなコブラだ――。そして、それを化膿した色の傷痕をくっつけたままで、獅子にめちゃくちゃに食い荒させるんだ。ここは僕たちの世界、耿々《こうこう》たる新月やきららかな星に照らされているんだ。大きないくつもの花びらが、半透明に、深紅の窓のような隙間を塞いでいる。一切合切が不思議だ。いろんなものがひどく巨きいかひどく小さい。花の茎は樫の木のように厚ぼったい。木の葉は巨大な寺院の天蓋のようだ。僕たちは巨人で、ここに横になっているが、森をふるえさすことができるんだ」
「ここに」ジニーが言った。「こうしているけれど。でもすぐに出ていくんだわ。もうすぐ、ミス・カリが笛をふくんだもの。歩いて。お別れ。学校へ行くようになって、あなたは白ネクタイをした十字紋章をつけている先生方に教わるの。わたしは東海岸にある学校で、アレグザンドラ女王の肖像の下にお坐りの先生につくの。それがわたしの行くところなの。スーザンだってローダだってそうなんだわ。こうしているのは、ここだけの、そして今だけのこと。こうしてスグリの灌木の下に寝そべっていると、いつも軟い風がそよそよ、わたしたちはいろいろな色彩を浴びてすっかり斑ら。わたしの手は蛇の皮みたい。膝は薄紅色に島を浮かべているわ。あなたの顔は下に網をはられた林檎の木のようだわ」
「暑さが」バーナードが言った。「ジャングルから薄れていく。木の葉が上で黒い羽根を動かしているよ。ミス・カリがテラスで笛を吹いたぞ。陽除けになっているスグリの葉から這い出して真っすぐに立たなきゃ。髪に小枝がついてるよ、ジニー。首に緑の毛虫がいるよ。二人ずつ列を作らなければいけない。ミス・カリは僕たちが活発に歩いていると思っているよ。ミス・ハドスンは机に坐って決算の最中だ」
「つまらないわ」ジニーが言った。「公道を歩くなんて。見るような窓もないんだし、舗道に嵌《は》められている、青ガラスのかすんだ眼玉だってないんだもの」
「二人ずつ並んで」スーザンは言った。「秩序よく歩かなきゃいけないわ。だらしなく歩いたり、のそのそ歩いたんじゃあ駄目。ルイスが先頭で引率。機敏だし、それに他のことに気を取られたりしないんだもの」
「僕はひ弱くって、みんなについて行けないって思われてるんだし」ネヴィルは言った。「すぐに疲れて具合が悪くなるんだから、一人でいられて、話をする必要もない今のうちに、家のまわりを歩いて来よう。そしてできれば、踊り場まで半分上って同じ階段に立って、気持の悪さを鎮めよう。昨夜自在扉の方から死人のことを洩れ聞いたときにはいやな気持がしたんだから。料理人が加減弁を開けたり閉めたりしながら話していたんだ。咽喉を切られていたのを発見されたんだ。林檎の木の葉が空にくっきりと動かない。月がきらきら光っていた。階段を昇っていくのに足が言うことをきかなかった。死人は道路の横の溝の中で発見されたんだ。血が溝に流れこんでいた。その頬は死んだ鱈《たら》のように白かった。思っても身体がしびれて硬くなってしまう。こんなのを、いつまでも[林檎樹のあいだの死]と言ったらいいな。青白い灰色の雪が浮かんでいたっけ。銀色の樹皮が脛当《すねあて》みたいについている、恨めしい、執念深い木が一本。僕の生命の小波などは役にも立たなかった。どうしても通り過ぎることができなかった。とても困難だった。[このわけのわからない困難には打ち勝つことができない]と僕は思ったもんだ。それだのに他の人びとは通り過ぎて行くのだ。でも僕たちはみんな、林檎の木で、通れない執念のこもった木で、こうなるようにされてるんだ。
やっと身体のしびれも硬直もしなくなった。午後おそく、日暮れに、家の周囲の観察をつづけることにしよう。日暮れ時には、太陽はリノリュームの上に油っぽい斑点を作り、射しこんだ光が壁の上で屈折して、椅子の足がこわれているように見える」
「フロリーが野菜畑にいたわ」スーザンが言った。「散歩から帰ってきたときに見たの。身体のまわりに洗濯物をはみ出すほどかかえて、ピジャマやらズロースやら、ナイトガウンやら、しっかりかかえてたわ。そしたらアーネストがフロリーに接吻したの。アーネストたら、例の緑の羅紗のエプロンをして銀器を洗っていたんだわ。皺くちゃの財布のように口をつぼめて、フロリーをつかまえたの。ピジャマが二人のあいだでもみくちゃになっていたわ。アーネストは牡牛みたいに向う見ずだから、フロリーは苦しそうに気が遠くなって、白い頬に細い血管でやっと赤い縞がついていたくらい。このお茶の時間に、バタをつけたパンのお皿やミルクをまわしてくるけれど、わたしには土の裂け目が見えるの、熱い蒸気がしゅっしゅっと立ち昇ってるわ。それに湯壼がアーネストがわめいたようにぶつぶつ言ってるわ。わたしったらピジャマのようにもみくちゃにされるの。パタつきの柔かいパンを噛んだり、おいしいミルクを飲んだりしているときだっていうのにそうなの。暑さだって、凍りつくような冬だって怖くないわ。ローダが夢想に耽《ふけ》っているわ。パンの外皮をミルクに浸して吸ってるわ。ルイスは蝸牛のような緑の目で向う側の壁をみつめてるわ。バーナードはパンを小さな球にして、それらを[人間]だって言ってるの。ネヴィルは例によって行儀よくおしまいにしてしまったわ。ナプキンを巻いて銀の環に差しこんだわ。ジニーは指をテーブル掛けの上で遊ばせているわ。日光の中で踊っているように、爪先立ちの旋回をしているみたい。でもわたしは暑さだって、凍りつくような冬だって、ちっともこわくなんかないわ」
「さあ」ルイスは言った。「みんな立つ。みんな立ち上るんだ。ミス・カリがオルガンの上に黒い本を広々とお拡げだ。歌っていると、神様、どうか眠っておりますあいだ我等を安らかにお守り下さい、ってお祈りをして、僕たちを小さな子供たちと言っていると、どうしても涙が出てくるんだ。不安な気がして、悲しくなったり慄えがしたりするときには、一緒に歌を歌うのはいい気持だ。そっともたれ合って、僕はスーザンに、スーザンはバーナードに、手を握りあってさ、本当に怖いんだから、僕は訛りが、ローダは数字が。でも、そんなことに負けないようにするんだ」
「小馬のように階上へ行進だ」バーナードは言った。「足音高く一人ずつつぎつぎに。順番で浴室に入るんだ。打ちあったり、つかみ合ったり、固い白い寝台へ飛び上ったり飛び下りたり。僕の番が来た。さあ行こう。
ミセズ・カンスタブルが湯上げに身をくるんで、檸檬《レモン》色の水しぼりを手にして、それを水につける。チョコレートの褐色になる。しずくが垂れる。僕の頭の上の方へさし上げて、下でふるえている僕に、絞りかける。水が僕の背骨の溝を流れ落ちる。感動の鮮かな矢が身体の両側に射込まれる。僕は温い肉でおおわれているんだ。乾いた隙間という隙間が濡らされる、冷たい身体が温まる。水を流されて、ほのかに輝いているぞ。水が下って僕を鰻のように包んでしまう。ああ、温かい湯上げに僕を包んで、背中をこすると、その荒い肌ざわりが血をごろごろ言わせる。豊かな重々しい感動が心の屋根に生じる。一日が雨となって流れ落ちる――森、それからエルブドン、スーザンと鳩。僕の心のとりでを注ぎ落ち、共に流れて、この日一日が豊かに輝しく暮れる。身体にふわりとピジャマを打ちかけ、この薄い敷布にくるまって横たわる、波が僕の眼の上に描く水のフィルムのような仄かな光の中に漂って。その中から、ずっと遠く、ずっと離れて、かすかに遠く、聞こえてくる。コーラスの始まっているのが、車輪が、犬が、人が叫んでいるのが、教会の鐘の響きが、コーラスの始まっているのが」
「服や肌着を畳んでいると」ローダが言った。「スーザンのようになりたいとか、ジニーのようになりたいとか、そんなあだな望みはなくなってしまうわ。でも、寝台の端の横木に触れるほど爪先を延ばしたい。きっと横木に触れてるんだわ、なんだか固いものよ、きっと。ああ、沈めない。薄い敷布を貫いて落ちるなんてできやしない。この脆い藁蒲団の上に身体を延ばし、吊らされてぶら下っているんだわ。土地の上の方にいるの。もう立っていないので、人がやってきたり傷つけられることもないんだわ。すべてが和やかで、曲っているわ。あたりの壁も戸棚も白っぽくなって、その黄色い四角なのが曲ってるの。戸棚の上で青白い鏡がきらきらしてるわ。私の中から魂が抜け出せるわ。高い波の中を航海するわたしの艦隊を考えることができるわ。はげしい接触や衝突の心配はないわ。一人で白い絶壁の下を航海するんだわ。でも沈んでいく、落ちていく! あれは戸棚の隈だし、あれは子供部屋の鏡台だわ。でもそれらが拡がって長くなる。睡りの黒い羽毛の中へ沈んでいくんだわ。あつぼったい羽根がわたしの眼をおさえつけるの。暗闇の中をさまよってると拡がった花壇が見えるわ。ミセズ・カンスタブルがパンパス草の隈のうしろから走ってきて、伯母さんが馬車でわたしを連れもどしに来たって言いにくるわ。舞い上って、逃げるの。ばねの踵《かかと》のついた靴をはいて木の頂へ飛び昇るの。でも玄関の扉のところにいる馬車の中へ落ちこんでいくわ。伯母さんが黄色い帽子の羽根飾りをうなずかせながら坐っているわ、眼を滑かに光る大理石のようにつめたくして。ああ、夢から覚めたい! あら、衣裳箪笥があるわ。こんな海の水から逃げ出したいわ。波がどんどんわたしの上に積み重なってくるの。大きな波の肩のあいだでわたしをもみ洗い、向きを変えさせ、ひっくりかえされるの。手足が延びていくの。長い光の中で、長い波の中で、果しない小径の中で、人がどんどんつづいていく、つづいていく」
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陽はさらに高く昇った。青い波、緑の波はさっと扇を渚にひろげ、海そよごの穂花をめぐらし、煌《きら》らかに光る浅い水溜りをあちこちと砂上に残した。波が曳くと、かすかな黒ずんだ水跡が縁をつくった、今まではおぼろに和やかに見えていた岩々が、毅然として、肌の裂目が赤く見えた。
鋭い縞をつくっている影が草葉に落ち、花々の端や葉先に踊る露は、庭苑《ていえん》を、まだ一面には及ばなかったが、一様にきらきらと輝いてモザイクのような風情に見せていた。胸を斑らに鮮やかな黄や薔薇色に彩られている小鳥たちは、ひとふし、ふたふし、思うままに声をそろえて、スケートに遊ぶ人たちが互いに腕を組んで乱舞するようでもあったが、突然静寂にかえると、離れ離れに飛び散っていった。
太陽は家の上に、何枚もの前より広い葉影を落した。光が窓の隅で何か緑のものに触れると、そこは大きなエメラルドの塊りともなり、核のない果実のような澄みきった緑したたる洞穴ともなった。光を受けて椅子やテーブルの端が浮き立って見え、白いテーブル掛けは美しい金色の糸で縫われた。日射しが強くなると、蕾はここかしこでそれぞれに開いて、花々を拡げた。緑の縞をつけてふるえているのは、開花しようとする努力が花々を揺り動かしたようでもあり、白い花弁を蕊の繊弱《かよわ》い鳴子が打つときには、仄かな鐘楽器を鳴りひびかせた。あらゆるものが和やかに形を失い、磁器のお皿が流れ、鋼《はがね》のナイフは液体でもあるようだった。その間に、波のうねりは、重々しい音を立てて、丸太の落ちるように、渚に砕け落ちた。
「さあ」バーナードは言った。「待っていたときがやって来た。その日が来たんだ。馬車が扉口のところにいる。僕の大きな箱をかついでいるのでジョージのがに股が曲って一層広くなる。いやなお祝いもすんだ。お小遣いをもらって、玄関でお別れの挨拶。さて、お母さんと涙をこらえて挨拶をして、お父さんとは握手のお別れ。手を振りつづけねば、手を振りつづけていなけれは、角をまがって行くまでは。さあ、お祝いも終り。やれやれ、ありがたい。式も挨拶もみんなすんでしまってひとりになった。はじめて学校へ行こうとしてるんだ。
誰もかれも、このときのために、いろいろなことをしているみたいだ。二度とないことだ。またとないことだ。いよいよさし迫ってきて怖い。みんな僕が学校へ行こうとしていることを、はじめて学校へ上ろうとしているんだってことを知っている。[あのお子さんははじめて学校へ行かれるんですよ]女中がそう言いながら踏段を掃除している。[泣いてはいけないんだ。気にかけないふりをしてみなを見なくちゃあ。さあ、停車場のあちこちの入口が大きな口を開いている。丸顔の時計が僕を見つめているぞ]いいからおしゃべりばかりしていなくちゃ。何かうちとけぬ様子を、僕自身と女中たちの眼や時計の眼、じっと見つめている顔やそしらぬ顔とのあいだにはさんで近づかぬようにしなくては。さもないと僕は泣き出してしまう。ルイスが、ネヴィルが、長い外套を着て、手提げカバンを持って出札所の傍にいる。平気な様子でいるが、二人ともそれぞれ違って見える」
「こちらにバーナードがいるぞ」ルイスが言った。「落ち着いているな。呑気にしている。鞄を振って歩いていくバーナードに従《つ》いて行こう。心配そうでないんだから。改札口を抜けてぞろぞろプラットフォームヘ流れ出る。流れに乗って小枝や藁が橋脚のまわりへ漂っていくようだ。首がなく背と腿ばかりの、すばらしく逞しい暗緑色の機関車がいて蒸気を吐いている。車掌が笛を吹く。旗が下ろされる。わけもなく、自分の勢いで、ちよっとの衝撃で俄かに動き出す雪崩れのように、僕たちは前進をはじめる。バーナードは膝掛けを拡げてお手玉遊び。ネヴィルは読書。ロンドンが粉々に乱れ飛ぶ。ロンドンがうねり波立つ。煙突や塔が乱立している。白い教会。尖塔にまじって一本の檣《マスト》。運河。やあ、いろいろ広場があってアスファルトの道がついている。それを今ごろ人が歩いているなんて不思議だ。丘があって、赤い家が並んで筋をつけている。人がすぐうしろに犬を連れて橋を渡っている。やあ、赤い着物の少年が雉《きじ》撃ちをはじめる。青い着物の少年が彼をおしのける。[俺の伯父さんはイギリスでは第一の射撃の名手さ、従兄弟は猟犬の司《つかさ》なんだぜ]自慢が始まる。でも僕は自慢ができない。お父さんはブリスベインの銀行家だし、しゃべればオーストラリア訛りが出るんだから」
「やかましい音」ネヴィルは言った。「とっくみあいの騒音がすんで、やっと着いた。今こそ大切なときだ――今こそ厳粛なときなんだ。とうとうやって来た、指定された館におもむく君主のように。あれがここの創立者だ。名声赫々たる創立者、片足を挙げて中庭に立っている。敬意を表しておこう。高雅なローマの趣きがこの質朴な中庭の上に垂れこめている。もう明りが教室に点《とも》った。これらは研究室なんだろう。あれは図書館かな。そこで精密なラテン語を精しく研究するんだ。巧みに書かれた文章にしっかりととりつき、ウェルギリウスやルクレティウスの明確な朗々たる六脚韻詩を声に出して読み、縁どりのある四つ折り本の大冊からカトゥスルの恋愛詩を読んで、いささかも曖昧模糊たることのない、溌剌たる情熱でもって歌うんだ。また、野原で、くすぐったい草の中に横にもなろう。友だちと高く聳ゆる楡《にれ》の木の下に寝そべることもあろう。
やあ、校長だ。おやおや、僕の悪口の種になりそうだ。いやに艶々して、全くてらてらして黒っぽい、公園にある何かの銅像のようだ。それに胴衣の、きちんとした、太鼓のような胴衣の左側には十字架がぶら下っているよ」
「クレイン御大が」バーナードが言った。「立ち上って御挨拶だな。校長のクレイン御大には日暮れ時の山みたいな鼻がある。それに顎には青い割れ目がある。木の繁った峡谷といったところ。遊覧者が燃しちまったんだな。全く汽車の窓から見えた鬱蒼たる峡谷に似ている。かすかに身を振って、素敵な朗々たる言葉を吐くぞ。素敵な朗々たる言葉は好きだ。でも校長の言葉は熱誠すぎて真実味がない。でも彼はこのときばかりはそうした言葉の真実を確信しているんだ。それから彼がいかにも重々しそうに左右に身体を揺さぶって部屋を去り、自在扉を突いて出ると、先生たちもみんな、いかにも重々しそうに左右に身体を揺さぶって、御同様にまた、自在扉を突いて出ていく。これが学校での、姉妹たちから離れての、最初の夜だ」
「これが学校の最初の晩なんだわ」スーザンは言った。「お父さんと遠く離れ、おうちとも遠く離れて。眼が腫《は》れてるの。眼が涙でひりひりするわ。松やリノリュームの匂いは嫌い。風に痛んだ灌木やら衛生的なタイルは嫌いだわ。気の浮いた冗談だの、みんなのうわべばかりの様子だのは嫌いなの。わたしのリスと鳩は、世話をしてくれる男の子に置いて来たの。台所の扉がぴしゃり。パーシイがミヤマガラスを射つと弾の音が葉のあいだでぱらぱらするわ。ここではみんなまやかしものだわ。みんな飾りっ気たっぷり。ローダとジニーが褐色のサージ服を着てあんなに遠くに坐って、ミス・ラムバートが、アレグザンドラ女王の肖像の下に坐って、前においた御本をひろい読みしているのを見ているわ。誰か先の女の人が刺繍をした、お針仕事の青い渦巻形のお飾りもあるわ。唇をかみしめたり、ハンカチーフをねじったりしていると泣けてくるの」
「ミス・ラムバートの指輪の深紅の光が」ローダが言った。「祈祷書の白い頁にある黒い条《すじ》のところをあちこちへ動いているわ。葡萄酒色で、艶っぽい光だわ。わたしたちのお荷物が寄宿舎で解かれたので、みんな一緒にかたまって、世界中がかかれている沢山の地図の下に坐ってるの。沢山机があって、インク台がついてるわ。ここでインクで作文を書くんだわ。でもここじゃあ、わたしは誰でもないの。顔が、個性が、ないの。みんな褐色のサージ服を着ているこのお仲間が、わたしからわたしの正体を奪ってしまったんだわ。わたしたち、みんなつれなくてよそよそしいのだわ。顔を、個性を、落着いた目覚ましい顔を探し出して、全知全能の力を与え、お守りのように着物の下へつけておきましょう。それから(誓って)わたしの不思議な財宝の数々を見せびらかすことのできるような、森の中の峡谷を見つけましょう。きっと誓うわ、だからわたし、泣かないの」
「頬骨の高い色の黒い御婦人が」ジニーが言った。「ぴかぴか光るドレスをお持ちだわ。貝殻みたいで、縞があって、夜、着られるんだわ。あれは夏には素敵。でも冬には炎の光で輝くような、赤い糸を縫いこんである薄いドレスがいいわ。ランプが灯されると、赤いドレスを着て、それが紗のように薄くって、身体にぴったりまといつき、足先で踊るようにしてお部屋に入ってくるときには、大きく揺れるんだわ。お部屋の真ん中で金色に輝く椅子に沈みこむとそれがお花の形になるの。でもミス・ラムバートはくすんだドレスを着てられるわ。それが雪のように白い襞飾りから小さな滝になって下っているの、白い指でしっかりと頁をおさえながらアレグザンドラ女王の肖像の下へお坐りになると、さて、お祈りだわ」
「僕たちは二人ずつ、きちんと列を作って礼拝堂へ入っていく」ルイスは言った。「この神聖な建物に入ると身に浸みてくる幽暗な感じが好きだ。秩序正しい行進は好きだ。それから一列になって進んで行き、着席する。入れば差別なんてなくなってしまう。ちょっとよろめいて、それも自分のはずみでよろめくだけなんだが、ドクタ・クレインが説教壇に昇って、真鍮の鷲の背に広げた聖書から日課を読むときは、このときはいいもんだ、ほんとに嬉しい。彼の巨きな躯《からだ》や威信に夢中になってしまう。彼は、僕の震えている、見苦しいほどに動揺している心の中の、ぐるぐるまわっている埃の雲を鎮めてくれる。――クリスマスツリーのまわりを踊ったこと、お祝い品の包みを渡すときに僕を忘れてしまったこと、肥った女の人が[この子には贈り物がないのね]と言って、ぴかぴかしている国旗をツリーの上からとってくれたこと、僕が怒って泣いたこと――うら悲しく想い出される。でも、すっかり彼の威厳と十字架とが気持を鎮めてくれる。僕の下の、土地の感じをしっかりと感じるよ。根が下へ下へと下って行って、中心の何か固いものにからみつくんだ。彼が読んでいると、いろいろ思いつづけていられる。行列の中の一人、大きな車輪の輻《や》になって車輪がまわると、やっと、今、ここで、僕を直立させるんだ。今までは僕は暗闇にいたんだ。隠されていたんだ。だが車輪がまわると(彼が読んでいると)僕はおぼろな光の中へ立ち上るんだ。そこがはっきりわかる。でも跪ずいている少年たちや柱や記念の真鍮板などはよくわからない。ここには無作法なんてない。突然に接吻することなんてありやしない」
「彼が祈っていると、この粗暴な男が僕の自由を威嚇する」ネヴィルが言った。「想像で彩られることもなく、彼の言葉は舗石のように僕の頭へ冷たく落ちてくる。金色の十字架といえば彼の胴衣の上でぶらぶら揺れてるんだ。権威のある言葉はそれを口にする人びとによって腐らされてしまう。僕はこんな痛ましい宗教や、深い悲しみに傷つき震えているいろいろな画像を冷嘲し、軽蔑する。蒼ざめ、身に傷を受け、無花果の樹が影を落している白い路を歩いてくる姿なんて。そこには埃にまみれて子供たちが寝そべっている――しかも裸の子供たちが。それに山羊の皮が酒にふくらんで酒場の扉にぶら下っていたりするんだ。僕はローマにいて、お父さんとキリスト復活祭に旅行していた。すると聖母像が街通りをふらふら揺れながら運ばれていた。そこをまた、傷心したキリストの像がガラスの箱に収められて過ぎて行った。
さて、腿を掻くみたいにして横の方へもたれてやろう。そしたらパーシバルが見えるだろう。あそこに坐っているよ、小わっぱどもの中で真っすぐに。いかにも重々しく真っすぐな鼻で息をしている。青い、妙に表情に乏しい眼で、異教徒らしく冷淡に、向う側の柱を見つめている。彼は立派な教会執事になることだろう。笞を持って、悪いことをした子供たちを打ちこらしめるだろう。記念の真鍮板にあるラテン語の文句にふさわしい。何も見ていないし、何も聞いていないんだ。彼は我々から遠くかけ離れて異教の世界にいるんだ。だが、おや――手で首のうしろを叩いているぞ。そんな身振りが、人を生涯望みのない恋愛に陥すんだ。ドールトン、ジョーンズ、エドガー、それにベイトマンらが同じように手で首のうしろを叩いている。でも連中はうまくいきやしない」
「とうとう」バーナードは言った。「唸り声がやむ、説教がおしまい。彼は扉のところでの白い蝶々の踊りを切り刻んで粉々にしちまった。ざらざらした、かすれた声は、剃《そ》ってない顎みたいだ。酔っぱらいの舟乗りみたいに、よろめきながら自分の席へお帰り。そんな動作を他の先生方がみんな真似をしようとするんだ。でも、薄っぺらでぱたぱたしていて、灰色のズボンをはいているもんだから、ただ馬鹿々々しく見えるだけ。でも軽蔑はしない。そんな道化は僕の眼には痛わしく見えるんだ。将来の参考に、このことを他のいろいろなことと一緒に雑記帖に書きこんでおく。大きくなったら雑記帖を持って歩くんだ――沢山の頁でふくらんで、秩序正しく文字で分類をしたやつを。いろいろな文句を書きこむんだ。[ち]の下には[ちょうちょうの粉末]なんてなのがある。もし、小説に、窓閾《まどじきい》の太陽を描くなら[ち]の下をみると、ちょうちょうの粉末というのが見つかるわけ。こいつはうまく使える。木が[窓に緑の葉影を落す]。これはいい。だが、ああ! 僕はすぐに注意が外《そ》れてしまう。ねじれたキャディのようなちょっとしたことにでも、象牙におおわれたシーリヤの祈祷書でも、ルイスは、一時間ずつ長いあいだでも、瞬きもせず、自然を観察することができる。すぐに僕は駄目、話でもしていなくちゃ。[我が心の湖は、櫓《ろ》に乱されることもなく、おだやかにたゆたい、間もなく重い睡りに沈んでいく]これはうまく使えるな」
「いよいよこのうすら寒い寺院を出て、黄色い運動場へ行くんだ」ルイスが言った。「それに今日は半休日(公爵の誕生日)だから、僕等は長い草の中に坐りこもう。クリケットをしているのもいる。僕が[あの連中]というわけなら、それをしよう。脛当てを締めて、バッターの首将として運動場を大股で歩いて行きもしようさ。おや、なんと、みんなパーシバルについて行くぞ。パーシバルは重々しいな。運動場を不格好に歩いていって、長い草をくぐり、大きい楡の木が立っているところへ行くぞ。雄大で立派な様子は、ある中世時代の指揮官そっくりだ。光の跡が彼の通っていった草の上にあるようだ。彼のうしろから行進してゆく我々を見るがいい。忠実な家来だ。羊のように射たれるんだ、というのは彼は人のやらない困難な仕事に着手して、戦場で死ぬんだから。僕の心は荒々しくなる。それが両刃のついた鑢《やすり》のように僕の脇腹を擦りへらしていく。一つは、彼の雄大な立派さを崇拝する気持。いま一つといえば、彼のぞんざいな言葉の抑揚を軽蔑する気持。――僕はずっと彼より優れているんだが――それに僕は嫉妬深いんだな」
「ところで」ネヴィルは言った。「バーナードにはじめさせるといい。話をさせてぶつぶつ言わせるさ。僕たちは横になって休んでいるといい。今までに見てきたことをちゃんと筋の通るように述べてもらおう。常に話はある、ってバーナードは言っているんだ。僕も一つの話なら、ルイスも一つの話。長靴をはいた少年の話もあれば、一つ目男の話もあり、螺《たにし》を売る女の話もある。ぶつぶつ話をしゃべらしておくさ。そのあいだ僕は仰向きに寝そべって、揺れている草のあいだから脛当てをつけたバッターたちの足固めをした姿を見ていよう。まるで全世界が流れていたり曲っていたりしているようだ――地上では木々が、大空では雲が。木をすかして大空の方を見上げてみる。試合がそんな上で行われているようだ。柔かな、白い雲間の中で、かすかに「走れ」と叫んでいるのが、「アウトかどうか」と言っているのが聞える。そよ風に散らされて雲の白い群がなくなっていく。あの青さがいつまでもあるんなら、あの穴がいつまでも残っているんなら、この瞬間がいつまでも続いていくんならなあ……
でもバーナードがしゃべりつづけている。泡立つように浮かんでくる――いろんな心像が。[駱駝のように]……[禿鷹]。駱駝は禿鷹だ。禿鷹は駱駝だ。バーナードはもつれている針金で、だらしがないが、でもどこか憎めないところがあるんだから。そう、話をしたり、馬鹿々々しい比較をしたりしているときには、気軽な気持にさせるんだからな。その泡ででもあるように、ふらふら漂ったりもする。自由に開放されるんだ。逃げ出したんだ、と感じるんだ。丸々した子供たち(ドルトン、ラーペント、それにベイカー)でさえ同じような気儘気随《きままきずい》を感じるんだ。彼らはクリケットよりこれの方が好き。泡立つとその言葉を捕える。羽根のような草で鼻をくすぐったりする。すると僕たちはパーシバルが僕たちに交って重々しく横になっているのに感づく。彼のおかしな高笑いに僕たちの笑いがいっそう大きくなるようだ。ところで、今、彼は長い草の中で身体を転がせたぞ。彼は茎を噛みしめているらしいな。彼はうんざりしている。僕もうんざりしている。僕たちがうんざりしているのをバーナードはすぐに気がつく。彼が努力をしていろいろ無駄なことまで言っているのがわかる。まるで[ね、ほら]と彼が言ってるのに、パーシバルが[知らん]と言っているみたいだ。パーシバルは嘘を見つけるのはいつも一番なんだし、それに極度に無慈悲なんだから。文句がかすかになって消えていく。そう、バーナードの力が失せてしまうような恐ろしい瞬間がやって来たんだ。もうつづきなんてありゃあしない。彼は少しばかりの糸をたるめていたり、いじくったりしている。そして静かになって、わっと泣き出さんばかりに欠伸をしているよ。人生の苦悩と荒廃とのさなかにあるものはこれなんだよ、つまり。――我々の友だちは、彼らのいろいろな物語りを完成するなんてことはできやしないんだ」
「さて、立ち上ってお茶に行く前に」ルイスが言った。「この上ないような苦心のいる努力をしてこの瞬間を固定させてみよう。これをいつまでもつづけてやろう。僕たちは別れていく。あるものはお茶へ、ある者はネットヘ。僕は論文を見せにバーカー氏のところへ。これはいつまでもつづくだろう。気の合わないことやら、憎悪から(思っただけで好事家なんて軽蔑に価する。――パーシバルの力は全く憤慨ものだ)僕の傷に砕けた心はある突然の知覚によって共に継ぎ合わされる。僕が全き完全体である証《あかし》には木や雲を証人としよう。僕は、ルイスは、この世にこの七十年を過ごすこの僕は、憎悪から、不和から、全き姿で生れているんだ。ここの草の環の上に我々はある内部のむりやりなすさまじい力に縛られて、共にこうして坐っているんだ。木々が波打ち、雲が流れていく。こうした独言《ひとりごと》を共にさせてやるようなときが近づいてくる。一つの感動がほと走り、つづいてやってくるときには、僕等は打ち鳴らされる銅鑼《どら》のような響きを立てるとは限らないだろう。子供たちよ、僕等の生命は銅鑼を鳴らしつづけてきたんだ。狂騒と自慢。絶望の叫び。庭で項《うなじ》に受けた衝撃。
ところで、草や木、やがては元の姿に立ち返る碧空《あおぞら》のうつろな空間を吹きぬけ、吹かれては揺れかえす木の葉をゆさぶって、流れゆく風、膝をかかえて坐っている、ここの我々の環、これらはある他の秩序、しかもよりよきものを暗示し、それが永遠に原理となるんだ。これを瞬間に見とり、今宵言葉に留め、鋼鉄の指輪に造り変えてやることにしよう。もっともパーシバルが壊してしまうんだが、ついてくる小さな蝿をぴょんぴょんうしろに飛ばさせて、草をおしつぶしながら、うっかりしゃべってしまうんだから。でも僕の必要なのはパーシバルだ。詩的霊感を与えるのはパーシバルなんだから」
「何カ月というもの」スーザンは言った。「何カ年というもの、陰鬱な冬の日や冷えびえする春の日に、この階段をどれほど昇ったことかしら。もう夏のさかりだわ。テニスをするので白いフロックに着換えに二階へ行くの。ジニーとわたしと、うしろからついてくるローダと。昇りながら一段一段かぞえ、一段一段を済んでしまった何かと思いながら。だから毎晩日めくりから過ぎた日をひき裂いて、それをしっかりひねり上げて球にしてしまうんだわ。こうするのがわたしの復讐なの。それなのにベティとクレアラったら、膝まずいてお祈りしているんだわ。わたしはお祈りなんてしてやらないの。その日の恨みを晴らすんだわ。その心像に恨みを晴らしてやるんだわ。お前はもう死んでるのよ、そう、学校の生活なんて、憎らしい日なんて。みんなが六月中の日をすっかり――今日は二十五日だけれど――まぶしく、秩序正しくしてしまったわ。銅鑼や学課や、顔を洗ったり、着換えをしたり、お勉強をしたり、食事をしたりするおきまりの日課などで。中国から放送される宣教師のお話を聞くの。アスファルトの舗道をゆっくり車を走らせてホールの音楽会に行くの。画廊や絵画を見せられたりするの。
おうちでは牧場一杯に乾草が波打っているわ。お父さんが垣の横木にもたれて、煙草を吹かしていられるわ。家では、夏の風が邪魔物のない道路を吹き抜けると、あちこちの扉がばたんばたんしているわ。何か古い絵が壁に揺れていると思うわ。花びらが薔薇から花瓶に落っこちるの。畑の荷車が生垣に幾束もの乾草を撤き散らすの。みんな見えるわ。いつも見えるわ。前のジニーや、うしろからのっそりくるローダも一緒に踊り場の鏡の前を通ると。ジニーはダンス。ジニーはいつもホールで、見苦しい模様入りのタイルの上で踊ってるわ。それに運動場で荷馬車の車輪をまわしてみたり、いけないのは花を摘んで、耳のうしろに挿してみたり、そんなことをするもんだからミス・ペリの黒い眼が感嘆して燻《くす》んだりするんだわ。ジニーに感嘆しているんで、わたしにじゃないわ。ミス・ペリはジニーが好きなの。わたしもジニーが好きにはなれたんだけど、でも今じゃ誰も好きじゃあないわ。でもお父さんは別。おうちで籠に入れて、面倒を見てくれる男の子に残してきた鳩やリスも別だわ」
「階段の小さな鏡は嫌いだわ」ジニーが言った。「頭だけしか写らないの。頭を切りとってしまうのよ。それに唇ったらだだっ広いし、眼だってくっつきすぎてるわ。笑うと歯茎が沢山うつるの。スーザンの頭が、獰猛な顔つきをして、草のような緑の眼をして、詩人がこんな眼を好きなんだって、バーナードが言ってたわ。その眼が細かな白い縫いとりに落ちるからって。それがわたしの顔を追い出してしまうの。ローダの顔さえ月のように輝いて、虚ろながら、ちゃんとまとまっている。いつも水盤に泳がせるあの白い花びらみたい。だからわたしは二人を追い抜いて階段を跳び上り、次の踊りの場へ行くの。そこには長い鏡が掛っていて、すっかり全身が見えるわ。今こそ、身体も頭も一つに見えるの。こんなサージのフロックを着ていても、一つに見えるわ。身体と頭が。ほら、頭を動かすと細い身体を下の方へ、ずっとさざなみが立っていくわ。細っぽい足でさえ風に吹かれている茎のように波立つわ。わたしがスーザンの固い顔とローダのぼんやりしている顔とのあいだで見えかくれするわ。土地の裂け目と裂け目のあいだを走る焔の中の一つのようにわたしは飛び跳ねるの。動いて、踊るの。どうしたって、動いたり踊ったりするのをやめやしないわ。子供のときに生垣で動いていて、わたしをびっくりさせた木の葉のように動くの。火の明りがティーポットの上で踊るように、黄色い裾をつけた、縞のある、死んだような、狂いのきている壁の上でわたしは踊るの。女の冷たい眼からでも炎を捕えるの。読んでいると真紅の縁が教科書の黒い端を走りまわるわ。それに次つぎに変っていく言葉についていけないの。現在から過去へといろんな考えについてはいけないの。ぼんやりと立っていもしないわ。スーザンのように、おうちを想い出して眼に涙をためたりなんかして。横にもならないわ、ローダみたいに、羊歯のあいだで皺くちゃになったりして、この薄紅色の綿布の服を緑色に汚すなんて。海の下で花開く植物や、お魚がそろりと泳ぎ抜けていく岩のことでも夢想しているわ。いいえ、夢想なんてしてられないわ。
さあ、早くしましょうよ。わたしが一番にこんな品のない着物を脱ぐの。ここにきれいな白い靴下があるわ。ここに新しいお靴も。髪を白いリボンで縛って、中庭を跳んで通り過ぎるときには、このリボンがさっと靡《なび》くんだわ。それにカールも首のまわりで、そこでちゃんとしているんだわ。髪が乱れたりなんかしないようにしましょう」
「これがわたしの顔」ローダが言った。「鏡の中でスーザンの肩のうしろに。――あの顔がわたしの顔なんだわ。でも頭を下げてスーザンのうしろへ隠してしまおう。でもここにいないんだもの。わたしは顔が、個性がないんだもの。ほかの人たちには顔があるわ。スーザンにもジニーにも顔があるわ。二人ともここにいるわ。その人たちの世界は本当の世界。その人たちが持ち上げるものは重いんだわ。ええ、と言ったり、いいえ、と言ったりするわ。わたしったら、こっちやあっちへ移ってみたり、姿を変えてみたり、それにすぐに見抜かれるの。その人たちは女中に逢うと笑いもしないで見ているわ。でも女中はわたしを笑うの。お二人は声をかけられれば、言うべきことを知っているわ。本当に笑うし、本当に怒るわ。わたしったら、先ず見て、お二人がしてしまったときに他の人たちがすることをしなくてはならないの。
まあ、あんなにむきになってジニーが靴下をはいてるわ。ほんのテニスをするだけだというのに。偉いわ。でもスーザンのやり方の方がいいわ、もっとはきはきしていて、ジニーほども分け隔てをしてもらいたいとは思っていないもの。二人のすることを真似するので、二人ともわたしを蔑《さげす》んでいるの。でもスーザンは時々教えてくれるわ。リボンの蝶型の結び方なんか。ジニーときたら知ってても人には言わないんだもの。二人とも横に坐るお友だちをもっているわ。隅の方でそっとおしゃべりする、かくしごともあるわ。でもわたしは、いろいろな名前や顔におなじみというだけ。災難よけのお守りみたいにそれらをそっと胸に秘めているの。ホールを横切って、よりによって誰か見たこともない人と一緒になり、名前を知らないその人が前に坐ったりすると、わたしはお茶を飲むこともできないの。息がつまるの。はげしい感動で脇から脇へ揺すぶられるの。これらの名前のない、汚れのない人びとが、灌木のうしろからわたしを見つめているように思えるの。感嘆をしてもらいたくて高く跳んだりするんだわ。夜、床の中で、すっかり驚かせてやるの。涙してもらうために、わたしは再三矢に射たれて死ぬんだわ。みんな前の休暇にはスカーブラの海水浴場にいっていたって、みんなが言い出すにしても、わたしが荷物の荷札で知るにしても、もしそうならみんなのあで姿で街中は金色に燦《きらめ》き、舗道という舗道はみんな燦爛《さんらん》としているわ。だからわたしは本当の顔を写すような鏡なんか嫌い。ひとりで、わたしはしょっちゅう何も考えない無の中へ沈んでいくの。世界の端から無の中へおっこちないように、そっと足を突き出してなきゃいけないわ。何か固い扉を手で打って、わたし自身をこの肉体に呼びもどすようにしなくてはいけないわ」
「遅かったわ、わたしたち」スーザンは言った。「順番を待たなくちゃ。ここの長い草の中に立って、ジニーとクレアラ、ベティとメイビスの組を見ているようなふりをしよう。でも見ていたりなんかしないの。他の人がゲームをしているのを見るのは嫌いなの。一番嫌いなものをすっかり想い浮かべて、それらを土の中へ埋めてしまおう。このぴかぴかする小石はマダム・カーロだわ。うんと深く埋めてしまってやるの。へつらってみたり人に取り入ったりする様子がいやだし、音階の練習をしていると指を真っすぐするようにって六ペンス銀貨をくれたりするんだから。その銀貨は埋めてしまったわ。学校全部を埋めてしまいたいわ、体操場も、教室も、いつも肉の匂いのする食堂も、それにチャペルも。赤っ茶けたタイルやお古い方々――恩人の方々、学校の設立者の方々――の肖像など、埋めてしまいたい。好きな木がいくつかあるわ。樹皮にきれいな樹脂のかたまりをつけている桜の木。それに屋根裏から向うのどこか遠くの丘が見える景色も好き。こんなのだけは別として、桟橋があり、散歩の人が歩いているこの海岸のあたりにいつも散らばっている醜い石ころを埋めるように、一切合切埋めてしまいたいわ。おうちでは波が長く長くつづいてるわ。冬の夜にはその響きが聞えてくるの。去年のクリスマスに、男の人がひとりで馬車に腰かけたまま溺死したわ」
「ミス・ラムバートが牧師さんにお話しながら通っていくと」ローダは言った。「他の人たちは笑って、その背中が盛り上っているのを真似するの。でも一切が変って輝かしくなるわ。ミス・ラムバートが通ると、ジニーはうんと高く跳び上るの。ミス・ラムバートが雛菊を見ればそれが変るでしょう。行けばどこででも、いろんなものが彼女の眼の下で変化してしまうわ。でも行ってしまえば、また元のようにならないかしら。ミス・ラムバートが牧師さんを連れて潜門《くぐりもん》をくぐり、御自分用のお庭へ御案内している。池へ行くと木の葉に乗っている蛙を見るの。そしたらそれが変ってしまうわ。立っているところはすっかり厳めしく、すっかり蒼白で、木立の中の立像みたい。総のついた絹の上着をするりとお脱ぎになると、紫の指輪だけが変りなくぴかぴか光る、葡萄色の、紫水晶の指輪が。そのお二人がわたしたちの傍を通ると、誰にでもこんな不思議があるの。お二人がわたしたちの傍を通りすぎるときは、わたしはお二人について池へお伴し、お二人を威厳のあるようにさせてあげられるわ。ミス・ラムバートは通ると雛菊を変えてしまうの。それに肉を切って分配するときにはあらゆるものが火の閃きのように走るわ。ひと月ひと月ずついろいろなものが固さを失くしていっているの。私の身体でさえ今は光が通り抜けるわ。脊椎だって蝋燭の炎のそばで溶けている蝋のように柔らかいわ。あれやこれやと空想が、つぎからつぎに」
「試合に勝ったわ」ジニーは言った。「さあ、あなたの番よ。グラウンドに身を投げ出してはあはあするわ。走って、勝ったものだから息が切れるの。体中の一切合切がランニングと勝利のおかげでだんだん細くなって失くなってしまいそうだわ。血は真っ赤に決まってるわ。巡りが早くて肋骨に打ち当たっているわ。足の裏がひりひり。針金の環が足の中で開いたり閉まったりしているみたい。草の葉の一枚一枚がとてもはっきり見えるわ。でも脈拍が額でやら眼の後ろやらでどきどきしているので何でもかんでも踊りまわっているわ――ネットや草などが。あなた達の顔が蝶々のように跳んでいるわ。木が飛び上がったりしているみたい。この宇宙には固定しているものやじっとしているものは何もないんだわ。みんな波打っていてみんな踊っているの、何でもかんでも敏捷に動いて勝利に狂喜しているわ。でもこうして固い地面にひとりで横になり、あなたのゲームぶりを見ていると、選り抜かれたいような、呼び出されたいような、人に迎えに来てもらいたいような気がしはじめるの。その人ったら私を見つけに来て私にひきつけられ、私から離れられないの。金色の椅子に坐って着物が周りで花のように大きくうねっているところへ迎えにくるんだわ。それから四阿《あずまや》の方へ連れて出て、人気のないバルコニーに坐って一緒にお話しするの。
もう潮が干いていくわ、さて、木が大地に根をはやす。肋骨をうつ快い波がひとしお静かに揺れて、心臓は碇泊しているの。白いデッキにゆるやかに帆をおろす帆舟のように。試合もおしまい。わたしたち、もう、お茶に行かなくちゃ」
「自慢屋のやつらが」ルイスは言った。「勢ぞろいしてクリケットをしに行っちまった。大きな四輪馬車に乗って、合唱しながら出かけて行ったよ。みんなの頭が、月桂樹の藪そばの角でいっせいに振り返る。今ごろ、自慢をはじめているよ。ラーペントの兄貴はオクスフォードでフットボールの選手だった。スミスの親父はロードクリケット競技場で百点をかせいだ。アーキイにヒュー。パーカーにドルトン。ラーペントにスミス。それからまた、アーキイにヒュー。パーカーにドルトン。ラーペントにスミス。――同じ名前の繰りかえし。名前はいつまでも同じだ。彼らは義勇兵だ。彼らはクリケットの選手だ。彼らは博物学協会の職員だ。いつでも四人ずつ並んで、帽子に徽章をつけて列を整えて行進する。総監閣下の像を通りすぎるときにはいっせいに敬礼をするんだ。その秩序の堂々としていること。その従順さはなんと美しいことだ! ついて行けるなら、一緒に行けるなら、知っている限りのことは犠牲に提供するんだが。でも彼らもまた、羽根を摘みとって蝶々をばたばたさせるんだ。血の凝《かたま》りついた汚いポケット・ハンカチーフをしぼり上げて、隅の方へおっぽり出すんだ。小さな子供たちを暗い通りで泣かせたりする。彼らは大きな赤い耳をしていて、帽子の下からそいつを突き出してるんだ。でも、僕たちは、ネヴィルと僕とは、そんなになりたいんだ。みんなが行くのを羨みながらみつめている。とばりのうしろからのぞいて、彼らの同時にする動作を喜んで記入しておくんだ。僕の足がみんなにうんと助けられれば、どんなに走れることだろう! 僕が彼らと一緒にいて、試合に勝ち、大ボートレースにオールをとったり、一日中馳けたりしたなら、どんなに真夜中に大声で歌を歌うだろう。まるで奔流のように、どんなにか言葉が咽喉からほとばしることだろう」
「パーシバルが今行ったとこ」ネヴィルが言った。「彼は試合のことしか考えてやしないんだ。連中が月桂樹の藪そばの角を曲ったときにだって手なんか振りやしない。僕が弱くって試合に加われないのを軽蔑してるんだ。(いつも僕の弱さには同情してはくれているんだけれど)彼が気にしていることはともかく、連中が勝とうが負けようが、気にしないもんだから、僕を軽蔑するんだ。僕は彼に献身的になってしまう。彼は僕の気の弱い、確かに卑劣な、実のところ彼の心に対する軽蔑をも含んでいる捧げ物を受けとってくれる。というのは彼は読めないんだ。でも僕が長い草の中で寝そべってシェイクスピアでもカトゥルスでも読んでいるときには、ルイスよりも彼の方がよく解る。言葉ではないにしても――だが、言葉とはなんだ? 詩の作り方や、ポープ、ドライデン、さてはシェイクスピアさえもの模倣の仕方を、僕はすでに知っているのではないのか。しかし、ボールを見つめたままで一日中日光を浴びて立っているなんてことはできない。ボールが飛んでいくのを身をもって感じたり、ボールのことばかり考えていることなどはできっこないのだ。僕は終生、言葉の外部にばかりとらわれていることだろう。けれど僕は彼と一緒に生活をしたり、その愚鈍さに耐えることはできっこないだろう。あいつは品がなくなって、鼾《いびき》をかくことだろう。結婚をして、朝の食事には優しい綿々たるところを見せるだろう。でも、今は彼は若い。糸一筋も薄紙一重も、彼と太陽のあいだには、彼と雨とのあいだにはあり得ない。ベットに裸で暑さに転々して横になっているときにも彼と月とのあいだには、ありはしないのだ。ところで、四輪馬車に乗って本通りを進んでいくときには、彼の顔は赤や黄の斑らになる。上着を脱ぎ捨て、足をひろげて立ち、手を構え、ウィケット(クリケットの三柱門)を見つめることだろう。それから祈るんだ、[勝ちますように]って。ただ一つのことしか考えないだろう。勝とうということしか。
彼らと一緒に四輪馬車に乗ってクリケットをしに行くことなど、どうして僕にできるもんか。バーナードだけは一緒に行くことができる。でもバーナードは遅すぎるもんだから一緒に行けやしない。いつも遅れてばかりいるんだ。度しがたいほど移り気なもんだから一緒に行けないんだ。手を洗っていても、よして、つぶやく。[蜘蛛の巣に蝿がいるぞ。助けてやろうか、蜘蛛に食わせてしまおうか]いろいろ気が迷ってまごまごばかりしている。つまり一緒にクリケットをしに行き、草に寝そべって空でも見ていて、ボールを打つ音がしたら出かけていくという工合い。でもみんな彼をとがめない。みんなお話をきかせてやるもんだから」
「連中はウィケットの横木を打ち落したぞ」バーナードが言った。「僕は遅れるので一緒に行かれない。ネヴィル、お前とルイスがあんなにねたみに思っている、でもまたとてもきれいなあの悪戯連中がみんな同じ方へ頭を振り向けて横木を落した。でも僕にはこうした微妙な区別がわからない。僕の指はどれが黒でどれが白かもわからないでも鍵盤の上を滑って行く。アーキイは簡単に百点をかせぐ。僕はまぐれあたりでときに十五点をかせぐ、でも二人のあいだにどんな相違があるのか! でも、ちよっとお待ち、ネヴィル。話をさせてくれ。泡が鍋の底から銀色の泡のように立ち昇っている。幻影に加えての幻影だ。僕は、ルイスみたいに、あんなにしつこく本にかじりついていられない。小さなはね上げ戸を開けて、どんなことがあっても僕も一緒にひきずられて行く。こんなつながった文句をうっちゃらなくちゃ。そうすればばらばらになっているのに、一つのものを他のものにそっと結びあわせている一本のふらふらの糸がよくわかるんだ。僕は君に先生のお話をしてやろう。
ドクタ・クレインがお祈りのあとで、よろめきながら自在扉を通っていくときには、自分の広大無辺な優越性を確信しているらしいね。全くだよ、ネヴィル。彼が去ると、あとで何か救われたような気持がするばかりじゃなく、歯が抜けたような何か物足りない気持がしているんだ。さあ、自在扉を通って身体を大きく振りながら自分の部屋へ帰っていく彼のあとをつけよう。彼が、厩の上になっている私室で服を脱いでいるところを想像してみよう。彼は靴下留めをはずす。[とるに足らぬことも採り上げ、内々事に立ち入ろう]それから彼特有の身振りで、(こんなでき合いの文句を避けることがむつかしいんだ。それでも彼の場合には、それはいくらかふさわしい)ズボンのポケットから銀貨をとり出して、あちこちと化粧台の上に並べる。椅子の肘の上に両腕を延ばして考え込む。(これが彼の裃《かみしも》を脱いだ瞬間だ。このときにこそ、彼の本当の姿を捕えなくてはならん)薄紅色の橋を渡らせて寝室へ入らせようか、橋を渡らせないでおこうか。二つの部屋が寝台の脇のランプから輝く薔薇色の光の橋でつながれているんだ。寝台では枕に髪毛を乗せて横になり、ミセズ・クレインがフランス語の回想録を読んでいる。読んでいると、どうでもいいような、やけばちな身振りで額の上をさっと手で撫で、[これだけかしら]と溜息をつき、自分とあるフランスの公爵夫人とを比較してみる。ところで、ドクタは言っている、二年のうちには引退だろうって。西部の方の庭園でイチイでも刈ることだろう。海車大将になれたものを、もしくは裁判官にでも。校長になんかなるんじゃなかった。今までに知らなかったほどうんと肩をいからせて(そうそう、上着を脱いでいるんだった)ガスの火を見つめながら自問する。どんな力がわしをこんなにしてしまったんだ、どんな大きな力が? 肩越しに窓を見ながら、彼は考え、悠々たる壮厳な言葉の流れに陥っていく。嵐の夜だ。粟の木の枝々が上や下に押しあっている。星々が枝と枝とのあいだで煌めく。善悪のどんな大きな力がわしをここに連れてきているのか? 彼は自問して、自分の椅子が紫の絨毯のけばを損じて小さな穴を明けているのを悲しくながめる。そこにそうして腰かけて、ズボン吊りを振りまわしている。けれど、お話をして人びとの私室でのことを語るのはむずかしい。このお話もこれ以上しゃべれない。僕は一すじの糸をなぶっている。僕のズボンのポケットの中で四五枚のお金をひっくりかえす」
「バーナードの話は面白い」ネヴィルが言った。「はじめのうちは。でも話が通らなくなって消えてしまい、彼が欠伸をしたり、短い糸をいじくったりしていると、僕はしょんぼりしてしまう。彼は誰でもを曖昧に付焼き刃をして見る。だからパーシバルのことを彼には話すことができやしない。彼の同情のこもった理解に、僕の愚かな激しい情熱を曝すことはできない。これだってまたお話の材料になるんだろう。切り株に落ちる斧のように心を落すような誰かが欲しい。その人にはどんな愚の骨頂でも崇高だし、靴紐だって崇拝すべきものだ。いったい誰にこの僕の今にもほとばしるばかりの情熱を曝すことができるのか。ルイスはつめたすぎるし一般的すぎる。だれもいやしない――ここの灰色の迫持《せりもち》や悲しげに哭《な》く鳩、愉快な競技や、伝統や励み合いといった中では、そういったものがみんな、巧く作り上げられていてひとりぼっちのような気がしない。でも僕は、何かやってくるような突然の予感がして歩いていてさえ打ちのめされてしまう。昨日、私用庭園に通じている開放扉を通ると、木槌をふり上げているフェンウィクを見た。茶沸しから蒸気が芝生の真中のところで立ち昇っていた。青い花の咲き乱れた堤があった。そのとき突然、おぼろで不思議な、崇拝の感じ、混沌にうち勝った完全な感じが、僕にふり下ったのだ。僕が開放扉のところに立っていた、あの一心不乱な熟慮の姿を見たものは、誰もありはしなかった。僕の存在を一つの神に捧げねばならないその必要を推測したものも誰もなかった。滅亡と消失だ。槌が落ちた。幻想が破れた。
何かの木を捜し出さなければならないのか。これらの教室や図書館やカトゥルスを読んだ幅広い黄色の頁などを離れて、森や野原に行かなければならないのか。ブナの木の下を歩き、恋人が手を執り合っているように木々が水の中に影をうつして重なり合っている川堤を、そぞろ歩きしなければならないのか。けれど自然は単調も甚だしく一向に面白くもない。壮厳さと広大さと水や木の葉があるばかりだ。僕は暖炉の明り、隠れ家、人の手足が欲しくなりはじめる」
「夜が来ればいいにと思いはじめる」ルイスは言った。「ミスタ・ウイッカムの扉の染色した樫の鏡板に手をのせてここに立っていると、自分がルイ十三世の宰相リシュリューの友人か、王の御手へ嗅ぎ煙草入れを差し出すサン・シモン公のような気がする。これは僕の特権だ。僕の皮肉な洒落が、[鬼火のように宮廷中をかけまわる]公爵夫人たちは讃嘆おくところを知らず耳環からエメラルドを取りはずす。だがこれらの狼煙《のろし》は暗闇の中で一番よく上る。夜、僕の寝室で一番よく上るのだ。ところで僕は、ミスタ・ウイッカムの染色した樫のドアに指のつけ根をおしつけている、植民地訛りのある子供に過ぎない。この日は恐ろしい笑いにもあわず、恥辱と勝利の歓喜とで一杯であった。僕は学校では一番よくできる生徒だ。けれど夕闇がせまると、僕はこの羨むにたらぬ身体――大きな鼻、薄い唇、植民地訛り――や身を置く場所を逃げ出してしまう。それからの僕はウェルギリウスの伴侶であり、プラトンの友でもあるのだ。それから僕はフランスの名門の一つの最後の後裔なのだ。けれど僕はまた、風の吹きしく、月光に照らされた領土やこうした真夜中の彷徨や、面と向きあっている染色した数々の樫の扉などを捨てて悔いない一人でもあるのだ。僕は生涯かけて――神の恵みでその速かならんことを――僕には忌わしいほどに明白な、二つの齟齬のあいだにある偉大な一致をなしとげよう。苦しみの中から僕はそれを仕とげよう。ノックしよう。入ろう」
「五月と六月の全部、それに七月は二十日までめくり取ってしまったわ」スーザンは言った。「めくり取って、ひねり上げてしまったわ、もう在りっこないように。重さになって身についただけは別だけど。いつもいじけきった日々だったわ。羽根がちぢかんで飛ぶこともできない蛾みたいな毎日。もう八日残っているだけ。八日間の時間がたてば汽車から降りて六時二十五分にプラットフォームに立ってるわ。すると自由がよみがえり、しわくちゃの、いじけた、こんな拘束なんてもの――時間、秩序、紀律、きまった時間に正確にあちこちへちゃんといなくてはならないことなんかは――ばらばらに砕けてしまうわ。その日がとび出すわ。馬車の扉を開いて、古い帽子をかむって脚絆をつけたお父さんにお逢いすると。ふるえるわ。涙にむせぶわ。次の朝になったら夜明けに起きるんだわ。お台所の扉口から外へ出ていくの。ヒースの荒野を歩くの。幻の騎士をのせた大きな馬が沢山、うしろから足音を立てて来て、急に立ち止まるの。草を滑っていく燕が見えるの。川堤に身を投げ出して、葦のあいだに身をくねらせるお魚を見るの。手の掌には松葉の形がついてるわ。ここでこしらえたものはなんでもかんでも拡げて取り出すの。ちょっと固いもんだけど。ここでは、幾冬も幾夏も通じて、階段の上や寝室の中で、何かが私の中で生長してきたんだもの。ジニーのように讃められたいとは思わないわ。入ってくると、人びとから賞讃の目つきで見られたいとも思わないの。与えたり与えられたりしたいの。私の持ち物を拡げられるような孤独がほしいの。
それから、胡桃《くるみ》の葉のいくつも弓形になっている下を、木の葉のそよぐ小径づたいにもどってくるんだわ。薪を一杯積んだ乳母車をおしている老婦を通りすぎたり、羊飼いを通り越したりするの。でもお話はしないの。野菜畑を通って帰って来て、水晶のような露の玉を置いたキャベツの曲がった葉っぱを見るの。窓がすっかりブラインドで覆われている、庭の中の家も見えるわ。二階の私のお部屋へ行って私のいろんなものを取り出して衣装戸棚へしっかりしまい込んでおくの。貝殻や、卵や、奇妙な草の葉やらを。鳩やリスに餌をやるんだわ。犬小屋へ行って犬の毛を櫛けずってやるの。そうしてだんだん、ここで私の身内に大きくなっている固いものを拡げていくんだわ。でも、あら、ベルが鳴っているわ。いついつまでも足を引きずって歩くの」
「暗闇や睡眠や夜やらは嫌いだわ」ジニーが言った。「その日のくるのを待って寝ているの。区別なんかなくなって一週間が同じ一日になるといいのに。早く眼が覚めると――鳥が起してくれるの――横になって戸棚の真鍮が、それから金盥《かなだらい》が、それから手拭掛けが、はっきり見えてくるのを見つめているの。寝室の一つ一つの物がはっきりしてくると、心臓がとても早く動悸するわ。身体が固くなって、薄紅色に、黄色に、褐色になっていくような気がするわ。両手で足や身体を撫でるの。そのうねりや細々さがわかるわ。銅鑼が家中を響きわたり、動きが始まって――あっちでどたん、こっちでばたんといっているのを聞くのが好き。扉が閉ったり、水がほとばしったり。何か別の日なんだわ、何かちがった日なんだわ、床に足を触れて私は叫ぶの。傷のついた日、不完全な日なのかもしれないわ。私は叱られどおし、怠けたり笑ったりするもんだから可愛がられないの。でも、ミス・マシュウズが私のそそっかしい不注意にお小言を言うときでも、わたしは何か動いている景色がちゃんと目につくわ。――まだらになって絵の上に落ちている太陽の光線やら、草刈り機を曳いて芝生を歩いているロバやら、月桂樹のあいだを通っていく舟の帆やら。だもんでちっとも落胆しないわ。ミス・マシュウズのうしろでこっそりと、爪先で踊っているのを、むりにお祈りさせようたってできないわ。
それはそれとして、みんな学校を出て長いスカートをはくときが間もなくやってくるわ。夜には首飾りをつけて袖なしの白いドレスを着るんだわ。あちこちの豪奢なお部屋でいろいろな夜会があるわ。一人の男の人が私を選んで誰にもいわなかったようなことを私に言ってくれるの。その人はスーザンやローダより私が好きなんだわ。わたしにある性質、ある独得なものを見つけるの。でもたった一人の人のものになんかならないわ。決められたり束縛されたりしたくないの。身体がふるえるわ、生垣のあの葉のように、寝床の端で、やがて展開する新しい日のことを考えて、足をぶらぶらさせながら坐っていると。五十年、いいえ六十年も生きる。まだその中に足を入れてないの。これから始まるんだわ」
「まだ何時間も何時間もあるわ」ローダが言った。「それからやっと明りを消して寝床で世界の上に吊らされて横になれるんだわ。一日の幕を閉じることができるの。私の木を生長させ、頭の上の青い天蓋にしてふるえさせてやるの。でもここではそれを育てられないわ。誰かがそれをくぐって、扉をたたくの。いろいろ質問したり、邪魔したり。みんながそれをひっくりかえすの。
さあ、浴室へ行って、靴を脱いで、顔を洗うとしましょう。でも洗っているときに、首を曲げて金盥《かなだらい》の上へ差し出しているときに、肩のあたりにあのロシア女皇の面紗《ベール》を流れさせてやりましょう。王冠についている、いくつものダイヤモンドが額に燦らめくの。バルコニーへ足を運べば暴徒の叫びが聞えるの。さて、しっかりと、両手を拭いて。そんなもので令嬢は、誰だっけ、名前は忘れたけれど、激昂した暴徒に向って私が握りこぶしを振っていることなんか、思いも及ばないんだわ。[みなの者、妾《わらわ》は汝らの女皇なるぞ]私の態度は一つの挑戦だわ。でも怖れないの。征服するのよ。
でもこれははかない夢。これは紙の木なんだわ。ミス・ラムバートが吹き倒すの。彼女が廊下を向うへ消えていく様子でさえ、それに吹きつけて粉々にしてしまうの。それは固くないんだもの。ちっとも私に満足させてくれないの。――こんな女皇の夢なんて。私から離れてしまう。もうおっこちてしまっているんだもの。ここの通路の中で、いくらか震えている。いろいろな物がひときわ蒼く見えるわ。図書館へ入って何か本を取り出して、読んだり眺めたりしましょう。それからまた読んでみたり眺めてみたり。ここに生垣を詠った詩があるわ。中へさまよい入って、いろいろな花や緑の蔓草と月光色の山櫨《やまふじ》や、野薔薇や、うねった蔦を摘みましょう。それらを両手に抱きかかえて、きらきら光る机の上へ置きましょう。水の打ちよせる川端に坐ってスイレンを眺めましょう。広々と鮮かで、その生垣の上に垂れ懸っていた樫の木を月明りの糸筋のような露をふくんだ光で照らしていたわ。花を摘みましょう、その花々を花環に束ねて差し上げましょう。――おお、でも誰に? 私が生きていこうとするところには何か邪魔があるんだわ。一筋の深い流れが何か障害にぶつかるの。ぐいぐいと引いて、中心にある何かのふしが抵抗するわ。ああ、これが苦しくって。これが悩みだわ! 私は弱って、衰えていく。もう私の身体が融けて行くわ。私はむきだしのまま。わたしは白熱しているわ。流れが満々たる深い潮流となって流れこみ、閉塞を開き、幾重にも重なり合ったものを押し破り、思いのままに氾濫するの。私の温い、孔の一杯ある身体から出て。身体中を流れているものをすっかり、誰に私はあげたものかしら。私の花を集めて差し上げましょう。――おお、でも誰に?
水兵さんたちが遊歩場をぶらぶら歩いているわ。それに好き合ったお二人組も。バスが町の方へ海岸づたいに走っていくわ。差し上げましょう。飾り立ててあげましょう。この世にこの美しさをもどしてやりましょう。花々を花環にして、腕をひろげて歩いていって、お花を差し上げましょう。――おお、でも誰に?」
「さて我々はすっかり受け入れてしまった」ルイスは言った。「今日は最後の学期の最後の日――ネヴィルの、バーナードの、それに僕の最後の日なんだから――先生たちが僕たちに教えねばならなかった事はなんでもかんでもだ。序論がなされたというわけ。世界が提出されたんだ。先生たちは残る。我々は出発する。諸氏中で僕が一番崇拝している大先生はテーブルや装幀した本のあいだをあちこちへといささか身体をゆすりながら歩いて、適当に記された、ホラティウス、テニスンを、キーツやマッシュ・アーノルドの全作品を教えてくれた。僕はそれらを教えてくれた手に敬意を表する。彼は全く確信にみちた調子で語るのだ。彼にとっては彼の言葉は真理である。我々にとってはそうではないけれど。深く感動した嗄れた声で、熱烈に情をこめた口調で、我々がまさにおもむかんとしていることを我々に語った。彼は我々に[大人のように身を処せよ]と命じたものだ。(彼の口にのると聖書やタイムズからの引用が同じように素晴しいものに思える)ある者はこうするであろう。ある者はああするであろう。ある者はふたたび会うこともあるまい。ネヴィル、バーナード、それに私はここでふたたび会う事はなかろう。人生が我々を距ててしまうであろう。けれど僕たちはある縁で繋がれているんだ。僕たちの少年の、責任のない年月は過ぎ去ってしまった。でも僕たちはある鐶《わ》を作り上げて来た。とりわけいろいろな伝統を承け継いできた。これらの敷石舗道は六百年のあいだにすり切れてしまった。これらの壁には軍人、政治家、不幸な詩人たちの名前が(僕の名前もかれらのあいだに伍することになるであろう)刻まれている。あらゆる伝統、あらゆる保護、あらゆる限界に祝福を垂れたまえ! 僕は貴方がた、黒いガウンを召された方々に謝意を表する。それに、諸君、死んだ方々よ、貴方がたの指導に対して、貴方がたの守護に対して、感謝を捧げる。でも結局は問題が残されているんだ。いろいろな相違はまだ解決されていない。花々が窓の外側で頭をゆすっている。野生の鳥どもが見える。もっとも荒々しい鳥よりもさらに荒々しい衝動が僕の心に湧き上る。僕の両目は野生的だ。唇はしっかりと結ばれている。鳥が飛んでいる。花が踊っている。でも僕にはいつでも重々しい波の音が聞えるんだ。縛られた野獣が海岸を歩いている。ずしり、ずしり」
「これが最後の式だ」バーナードは言った。「これが式という式の一番最後だ。僕たちは不思議な感情で圧倒されているんだ。旗を持った車掌が笛を吹こうとしている。汽車が蒸気を吐いて今にも出発しようとしている。人はこの場に全くふさわしく、何かいいたいし、何か感じたいと思っているのだ。人の心はちゃんと用意ができている。唇はつぼめている。ところで蜂が一匹花束の花の周りをぶんぶん飛びまわっているぞ。将軍夫人レイディ・ハンプトンが受けた敬意の感謝を見せようと、香りを絶やさないようにしていられる花束だ。その蜂が彼女の鼻を刺すとしたらどうだろう? 僕たちは深く感動させられているんだ。でも、いささか礼を失してもおり、悔悟してもいる。式が早く終ればいいと思うし、別れるのもあまり気がすすまない。あの蜂が僕たちを惑わしてはいけない。たまたま偶然に飛んでいるのが熱烈な僕たちの感情を愚弄しているように思える。ぶんぶんと鈍い羽音を立て、荒々しく掠めるように通りすぎ、今はカーネーションに腰を落着けている。僕たちの大部分はもう二度と逢うこともあるまい。数々の喜びをも重ねて楽しむこともあるまい。これからは寝るのも、起きるのも勝手気ままだ。もうこれからは蝋燭の燃え残りや不道徳な文学をひそかに持ち込む必要もないのだ。蜂が今、大先生ドクターの頭のまわりをぶんぶん飛んでいるぞ。ラーペント、ジョン、アーキイ、パーシバル、ベイカー、それにスミス――僕はたまらなく彼らが好きだった。気狂い少年はたった一人しか知らなかった。ただ一人の意地悪な少年しか憎まなかった。ふりかえってみれば、トーストとマーマレイドの乗った校長のテーブルでの、あの気味の悪い不細工な毎日の朝食が懐しい。校長だけがあの蜂を気にしていない。もし彼の鼻にそれが止まったら例の荘重な態度でぱっと打ち落すことだろう。やあ、彼が冗談を言ったぞ。もうすっかり、とまではいかないが、声が破れてしまっているな。さて、我々はおっ払われるのだ――ルイスもネヴィルも僕も、永久に。僕たちは、学者らしくいささかひねくれた書風で書き込みした、まことに艶々しい書物を手にとるのだ。僕たちは立ち上る。僕たちは別れていく。おしかかっていた重々しさが除かれる。蜂などはもはや無意味な、一顧にも値しない昆虫となりおおせた。開いた窓から飛び出して暗闇に姿を消してしまったのだ。明日僕たちは出発だ」
「僕たちはもうお別れをするばかり」ネヴィルが言った。「ここに荷物があるし、辻馬車もいる。あちらに山高帽をかぶってパーシバルがいる。彼は僕のことなど忘れてしまうだろうな。僕の手紙などは鉄砲と猟犬のあいだあたりへ置き忘れたままで、返事などくれやしないだろう。詩を送ってやればたぶん絵葉書の返事くらい寄越すだろう。でも僕が彼を好きなのはそのためなんだ。逢う約束をするとする――ある十字路あたりの、時計の下で待っている。でも彼は来やしない。僕が彼を好きなのはそのためなんだ。無頓着な、というより全然といっていいほど、気づきもしないで、彼は私の生涯に影を残していく。そして僕も、信じがたいことだが、他人の生涯に入りこみもするだろう。これはおそらく、ほんの突飛な行為、ほんの序曲にしか過ぎないんだ。ドクターの物々しい身振りやごまかしの感情などには我慢がならないが、僕たちが僅かにぼんやりと会得したいろいろな事柄が身ぢかにせまっていることを、僕はもうすでに感じている。フェンウィクが木槌を振り上げていた庭へ入っていくことも勝手になろう。僕を蔑んでいた連中も僕の主権を認めるだろう。だが、我が存在のある不可知な法則によれば、主権も、権力の所有もそれで十分だとはいくまい。僕はいつも覆いの幕を突き抜けて一人となり、ひとりで私語したくなるだろう。だから僕は行くんだ。優柔不断だが、でも意気揚々と。堪えがたい苦痛を気遣いもして。でも僕は思う、己がなす冒険にあって、必ずや、大きな苦難の後に征服することを。きっと、必ずや最後に自分の願望を発見することを。最後に、あちらの、頭に数羽の鳩がとまっている我らの敬虔なる設立者の像に目をやってみる。鳩はその頭のあたりをいつまでも飛びまわって像の頭を白っぽくさせることだろう。一方ではオルガンがチャペルで悲しそうに鳴っている。そこで僕は席につく。用意せられたコムパートメントの片隅に僕の場所を見つけたときには、僕は書物で眼を蔽いかくして人に涙を見せぬようにしよう。僕の眼をかくして、よく見てやろう、一人の顔をそっと見てやろう、今日は夏休みの最初の日だ」
「夏休みの第一日目なんだわ」スーザンは言った。「でも、今日はまだ終ったわけじゃないわ。夕方になってプラットフォームヘ歩いていくまでは今日のことなんか考えたくないの。野原にはるかなつめたい緑の空気の香りをかぐまでは、この日の匂いさえ鼻にしたくないわ。でも、もうこれらは学校の畑でないし、学校の生垣でもないわ。畑の人びとは本当の仕事をしているんだわ。荷車に一杯本当の乾草をつんでるわ。それにあれは本当の牛たちで、学校の牛なんかじゃないわ。でも、廊下のコールタールの匂いや教室のチョークっぽい匂いが、まだ鼻についてとれないの。核矧板の艶のあるぴかぴかした見かけが、まだ瞼の底に残っているの。私が心待ちにしているのは、畑と生垣、森と野原、あちこちにはりえにしだの茂みのある、急な鉄道の切通し、待避線にいる貨車、トンネルや女の人たちが洗濯を干している郊外のお庭、それからまたあちこちの畑、門にぶらさがっている子供たちなんだわ。すっかり覆いをかぶせるがいいわ、深く埋めてしまうがいいわ、私の嫌いなこの学校なんか。
私の子供を学校へやったり、生涯一夜でもロンドンで過ごしたりしたくないわ。この大きな停車場ではあらゆるものが反響したり、虚ろに重々しく音をひびかせてるわ。日覆いの下では明りが黄色い光のよう。ジニーはここに住んでるんだわ。ジニーはここの舗道を散歩に犬を連れていくの。ここでは人びとが通りを静かに急いでいくわ。みんなお店の飾り窓しか見やしないの。頭は同じ高さのあたりで、ひょいと上げ下ろししているわ。街通りは電線で結び合わされているわ。お家というお家はみんなガラスずくめ、懸華装飾があって華麗なこと。ほら、正面の入口があって、それから、レースのとばりが、柱が並んで白い段々が。でも今私は通り過ぎて行くんだわ。またロンドンから離れて。畑がまた始まるわ。家々、洗濯物を干している女の人びと、木々や原つぱが。ほら、ロンドンはとばりに覆われて、消え失せて、崩れて粉々になり果てたわ。コールタールや松脂の多い松の匂いが失くなりはじめるわ。穀物や蕪菁《かぶら》の匂いがする。木綿糸で縛ってある紙の包みを開くの。卵の殻が膝のあいだの割れ目に滑りこむわ。駅から駅へと停車してミルクの罐があけられていくわ。女の人たちは接吻し合って、手をかしてバスケットを取ってあげているわ。さて窓から上体を突き出してみよう。空気が鼻や咽喉へどっと流れこむわ――つめたい空気、蕪菁畑の匂いをふくんでいる塩っぽい空気が。あそこにお父さんが背をふりむけてお百姓さんとお話しているわ。身体がふるえるの。わたしは叫ぶ。ゲートルをつけてお父さんがいるわ。お父さんが」
「ここの隅にいい気持で腰かけて北の方へ進んでいるの」ジニーは言った。「轟々いうこの急行列車に乗って。それにとってもすっすと走るもんだから、生垣が平らに見えたり、丘などが長っぽく見えたりするわ。信号柱を飛び過ぎていくの。地面をあちこちへ徴かに徴かに揺さぶってるわ。遠い景色がいつまでも一点に集まっていたり、それをまたいつまでも広く拡げてみたり。電柱が絶えずひょいひょいと顔を出すわ。倒れるように見えなくなると、お次がぽっこり起き上ってくるの。あら、唸りを立ててトンネルに飛び込んだわ。紳士の方が窓を引き上げてるわ。トンネルに線を引くぴかぴか光るガラスの上に、いろいろ反射しているのが見えるわ。あの紳士が新聞を下げるのが見える。トンネルで反射して、映っている私に笑っているわ。私の身体は、見つめられて、わざときどっているの。私の身体はそれ自身の生涯を生きているんだわ。あら。また黒い窓ガラスが緑になったわ。トンネルを出てしまったの。あの人は新聞を読んでるわ。でも私たちはお互いに姿を見合ってまずいいと思ってしまったんだわ。それで身体と身体との、お互いのすばらしい社交があるわけ。私の身体が紹介されて、金色に光る椅子の沢山あるお部屋に入ってきたんだわ。ほら――郊外邸宅の窓という窓、そこには白く張ってあるとばりが踊ってるわ。青いハンカチーフを結びつけて穀物畑の生垣に坐っている男の人たちも、私のように、激情と歓喜とに気づいているんだわ。一人が、通過すると手を振ってるわ。ここらの郊外邸宅のお庭には亭《てい》や四阿《あずまや》があるわ。シャツ裸の若い人たちが梯子に乗って薔薇の手入れをしているわ。一人の人が馬に乗って野原を走ってるわ。私たちが通り過ぎると馬が身を躍らせて走っていくわ。乗っている人がこちらを向いて私たちを見てるわ。また、轟々と暗黒の中へ。私は後ろへもたれるの。うっとりとしているの。私には思えるの、トンネルの終りで椅子の沢山あるランプの点されたお部屋へ入っていくように。みなから嘆賞されながら、その一つに身を沈ませるの。ドレスが私のまわりで大きく波立っているんだわ。でも、ほら、ごらん、不機嫌な女の人と眼が合うわ。私が有項天になっているのが不思議なんだわ。私の身体は、失礼だけれど、パラソルみたいにその女の人の顔の中で閉じるの。身体を開いてみたり、閉じてみたり、思いのまま。人生が始まってるんだわ。今、私のために貯えられている人生の中に押し入るんだわ」
「今日は夏休みの最初の日」ローダは言った。「そうして今、汽車がこれらの赤い岩々や、この青い海の傍を通っていくと、もうすんでしまった学期が私のうしろで一つの形になるわ。その色が見えるの。六月は白。野原が雛菊で真っ白。それに着物で白いのが見えるわ。それからテニスコートが白で描かれてあったわ。それから風も吹いたし、激しい雷もあったわ。ある晩、雲間にお星さまが一つかかっていたの。それで私そのお星さまに言ったわ、[私をとって食べてしまって頂戴]って。それは真夏のこと、園遊会で恥しい思いをした後でだったわ。七月を色彩ったのは風と嵐。それにまた、中ほどに、中庭には蒼ざめた、恐ろしい灰色の泥水がたまっていて、そのとき私は封筒を手にして便りを読んでいたんだわ。泥水のところへやって来たの。それを渡ることができなかったわ。泥まみれになることなんてとても駄目。私たちは無なんだわ、そう言って、気が遠くなったの、一枚の羽根のように私は風に吹かれていたの。いくつものトンネルを下へふわりふわりと飛ばされていたんだわ。そこで大事をとって、足を組んでつき出したの。手で煉瓦の壁を支えたわ。灰色の、蒼ざめた泥の面の上で私の身体に自分をとりもどしながら、本当に痛々しい様子でもどったの。ともかくこれが、私の身を委ねる人生なんだわ。
まず夏の学期とはお別れ。間をおいてつぎつぎに衝撃を与えながら、まるで虎の跳躍のように突然、人生が、その黒い頭を海からもち上げて出現してくるわ。私たちが結びつけられているのは、これに、なの。これに私たちは縛られているんだわ、身体を野育ちの馬に縛られているように。それでも私たちは多くのさけ目を埋めたり、これらの割れ目を包みかくす、色々な工夫を作り出して来たんだわ。ここに集札係がいるわ。男の人が二人いるわ。女の人も三人。バスケットに猫が一匹。私は窓に肘をついて――ここで、今のこと。近よると見れば、すっと離れていくの。かすかに音を立てる金色の穀物の畑の中を。畑にいる女の人たちはそこのうしろにとり残されて驚いてるわ、草を刈りながら、列車は今重たそうにずしりずしり、鼾をかくほどに息づいて上へ上へと昇っているんだから。とうとう荒野の頂きに来たわ。ここには野育ちの羊が数匹住んでいるだけ。もじゃもじゃの小馬が二三頭。でもわたしたちにはいろんな慰めが備えられているわ。新聞を乗せるテーブルとか、ひっくりかえらないように身体を支える輪とか。こんないろいろな用具を一緒に持って荒野の上の方へ来ているの。あら、頂上だわ。しじまが私たちの通ったあとを塞いでいくのよ。禿げた頭ごしにふり返ったら、もう塞いでいっているしじまや、虚ろな荒野の上を、お互いに追いつ追われつしている雲の影を見ることができるわ。しじまが私たちの過ぎ去って行く路をすっかり塞いでいるわ。ほら、これが今の瞬間なの。今日は夏休みの最初の日なの。これが、わたしたちの結びつけられている現われ出た怪物の一部なの」
「僕たちはこうして遠くへ離れて来た」ルイスは言った。「今僕はその器具もないのに支えられて、垂れ下っているんだ。僕たちはどこにいるわけでもない。汽車に乗ってイギリスの中を通過しているんだ。イギリスが窓の傍をかすめていく。絶えず丘から森へ、川や柳などからふたたび町へと移り変っていく。ところで僕には僕の行くべき確固とした土地がないんだ。バーナードやネヴィル、パーシバル、アーキイ、ラーペント、ベイカーなどはオクスフォードかケンブリッジヘ、エディンバラ、ローマ、パリ、ベルリンヘ、あるはどこかのアメリカの大学へ行く。僕はあてどもなく行くんだ。あてどもなく金をこしらえるためにさ。というわけで、厳しい影が、鋭い抑揚が、ここらの金色の剛い毛なみのような上に、罌粟《けし》に赤く染まった畑の上に落ちている。この流れ去っていく穀物は決してその限界からあふれ出ることはありやしない。でもその端は小波を立てて走っていくぞ。今日は新しい人生の初日、昇っていく車輪の今一つの輻《や》だ。でも僕の肉体は鳥の影のように浮浪のままに通っていく。僕は牧場に落す影のように、ほんの一時的なものに過ぎないだろう。すぐに消えてしまうような、森と出逢うところで暗くなって死んでしまうような。額のところで智慧を働かさずにおいたならだ。書かれざる詩の一行にでもいいから、今すぐ自分ではっきり述べておこう。この身丈けを、エジプトに、ファラオたちの時代、女どもが水差しをナイル河に運んでいたころに始まった、長い長い歴史に書きとめておくことにしよう。僕はもうすでに数千年のあいだ生きてきたように思える。しかし僕が今眼を閉じるなら、もし過去と現在との接続点、この休暇で帰省する少年たちを満載している三等車に僕が腰をおろしていることをはっきり意識できなければ、人類の歴史は瞬間の幻想を奪われてしまうのだ。僕をくぐって物を見る、その眼は、閉じてしまう――もし僕が、だらしなさや怯懦から眠りにおちて自分を過去へ、暗黒の中へ埋めてしまうなら。あるいはバーナードが黙って承知してお話をするようにおとなしく同意でもするなら。さてはパーシバル、アーキイ、ジョン、ウォルター、レイソム、ラーペント、ロウパー、スミスといったやからが自慢するように自慢するならだ。――これらの名前はいつも同じだな、自慢家の名前は。彼らはしょっちゅう自慢していたり、しゃべっていたり、ネヴィルだけは別だ、フランス小説の頁の端へ時おりちょっと目を走らせている。いずれはクッションの深々した火の点っている部屋へいつも沢山の本や友だちの一人と入りこむことだろう。そのときなどには僕は計算係のうしろで事務椅子へ背をもたせているんだ。それから僕は辛酸を舐めて彼らを嘲《あざけ》ることになろう。老いたイチイの影の下で安全な伝統的な路をずっとつづけている彼らが羨ましくなるだろう。僕はといえばロンドン児や店員づれと一緒になったり、町の舗道を歩いていたりするんだのに。
しかしこうして霊魂を肉体から離し、休むところもなく野原の上を走っていると――(川がある、男が魚を釣っている。尖塔がある、村道があって弓形の窓をした宿屋がある)みんな僕には夢のようでぼんやりしている。こうした苦しい数々の思い、この羨み、この辛酸、こうしたものが僕の心に休みどころを与えない。僕はルイスの幽霊、果敢ない命の路傍の人だ。その心の中では数々の夢が力を持っている。そして早朝、花びらが底知れぬ深みに漂い、鳥たちが歌うと、庭園がざわめいてくる。僕は自分に幼年時代の晴れやかな水を撥ねかし振りそそぐ。その薄い紗布《さふ》が震える。だが、鎖に繋がれた獣が海岸でずしんと足を踏んでいるぞ」
「ルイスとネヴィルは」バーナードが言った。「二人とも黙って座っている。何かに気をとられているんだ。二人には他の人びとのいることが隔離壁とでも見えるらしい。だがもし僕が他人と一緒にいることを覚れば、言葉がすぐにも煙の輪をなしていく。――いろいろな文句がすぐ僕の唇から輪を巻きはじめるのを見るがいい。マッチが炎を出すようだ。何かが燃えるのだ。老《ふ》けた、お見かけしたところ御隆昌の旅行者が今入ってくる。そこで僕はすぐお近づきになりたいと思う。我々のあいだにいて、あの冷たい、なじまない様子の感じは、どうも本能的に虫が好かないな。僕はお互いが別れ別れに分離していることを信じない。我々は単一じゃあないんだ。それにまた僕は、人生の真の性質に関する僕の貴重な観察の蒐集をふやしたいのだ。僕の書物は、知りうる限りの種類の男女を包含して、きっと大部な巻数になることだろう。インク壼の中で万年筆を一杯にするように、どんなことでも部屋の中や客車の中で起ることがらで、僕は僕の心を一杯にする。僕にはいつも同じ程度に決して満ち足りることのない渇きを覚えているのだ。今僕はあるかなしのほんの微妙な兆しで、これは何とも説明ができない、いずれ後でできるだろうが、とにかく彼の挑戦的な態度が打ち解けて来ようとしていることを感じる。彼が孤独でいることはいろいろ謂われのあることを示している。彼は田舎家について所見を述べた。煙の輪が僕の唇からほとばしり出て彼の身をとり包み、彼を接触させていく。人間の声には排他的な感情を柔げていくものがある――(我々は単一なものではなくって、一人であるのだ)僕たちが、田舎家について口数こそは少いが心優しい意見を述べ合っているうちに、僕は彼を磨き上げ、こうだと決めてしまう。彼は良人《おっと》としては寛大だが忠実ではあるまい。二、三の人を使っている小さな棟梁なんだ。地方の社交界では重立った一人。すでに議員の地位にいるし、たぶんおそかれ早かれ市長になるだろう。大きな飾りをつけているな。根こそぎ引き裂かれている二枚歯のような奴だ。珊瑚製で、時計の鎖にぶら下っている。ウォールタ・ジェイ・トラムブルというのが彼にふさわしいような種類の名前だ。彼は商用旅行に妻を連れてアメリカに行っていたんだ。それにささやかなホテルのダブルベッドのある部屋は、まさしく彼の一ヶ月分の全収入の費用がかかったもんだ。彼の前歯は金で止められているぞ。
事実をいえば僕にはあまり熟慮するといった資質は備わっていない。あらゆるものに具象の形を必要とするんだ。それだけのことで僕はこの世界を把握する。しかし優れた句は僕には独立の存在を持っているように思える。それにしても、おそらく、最も優れたものは孤独の中で作られるものであるらしい。僕がそれらに与えることのできない何か最後の熱冷ましをそれらは必要とし、いつも温かい溶解する言葉をもてあそぶ。それでもやはり、僕の方法はそれらよりある強みを持っているんだ。ネヴィルは下卑たトラムブルに嫌悪の情を感じている。ルイスは、ちらと目を向けたり、侮蔑的な様子の鶴のように大股で足早やに歩いたりして、砂糖挾みでするように、言葉の数々を摘《つま》み上げる。彼の両眼が――野生的で笑みを含んではいるが凄まじい――僕たちのみききもしたこともない何かを言っていることは確かだ。ネヴィルとルイスには精確な、厳密なものがある。それは僕が賞讃しているところのものだし、僕には決して持ち得ないものなんだ。ところで僕は動かねばならないことを知りはじめる。僕は連絡点に近づいている。連絡点で僕は乗り換えなければならない。エディンバラ行きの汽車に乗らなければ。このことについては僕はくわしく触れることができない――それは、ボタンのように、小さな貨幣のように、僕の思想の中へだらしなく潜りこんでいるんだ。ここに陽気なお人がいて切符を集めている。僕は一枚持っていた――確かに一枚持っていたんだ。でもそんなことはどうでもいい。見つけようが見つけまいが。手帖入れを調べてみる。ポケットをあちこちのぞいてみる。こんなことがいつまでも僕のやっていることを邪魔ばかりしている。即座に正確に間に合うように、何か完全な文句を見つけようと、いついつまでも僕が努力をしているさなかをだ」
「バーナードは行ってしまった」ネヴィルが言った。「切符も持たずに。彼は僕たちから逃げて行ったんだ。文句を言い、手を振って。彼は馬飼いとも鉛管工ともつかぬ男と、僕たちにするように気易く話をした。鉛管工はすっかり彼に夢中になっていた。[こんな息子があるなら]と思っていたんだ。[どうにかしてオクスクォードヘ遣《や》ってやるのに]でもバーナードはその鉛管工をいったいなんと思っていたんだろう。決してよめない独り言のあの物語のつづきをつづけたいとだけしか思わなかったか。彼はその話を子供のおり、パンを小さな球に丸めたときにはじめたのだ。一つの球は男で、一つは女だった。僕たちはみんな小さな球なんだ。僕たちはすっかりバーナードの物語の文句だし、「あ」や「い」の下の欄で、その雑記帖に書き下されたいろいろの事柄なのだ。彼は僕たちの物語を異常な解釈のもとに話をする。僕たちが最も感じているものなどは問題にならない。というのは彼は僕たちを必要としないからだ。彼は僕たちの勝手にはなりっこない。あそこにいるぞ、プラットフォームで両手を振っていら。汽車は彼を乗せずに行ってしまったぞ。連絡できなかったんだな。切符を失くしてしまったんだ。だがそんなことはどうでもいい。あいつは人間の宿命について酒場女に話して聞かせることだろう。僕たちは離れてしまった。彼はもう僕たちのことは忘れているんだ。彼からは見えなくなり、僕たちは進んでいく。いつまでも去りやらぬ感動で胸一杯だ。ほろ苦くもありほろ甘くもある。彼はどことなく憐っぽいところがあるんだから。未完成の文句でこの世界に拮抗《きっこう》し切符を失ってしまったんだからな。彼もまた愛されるべき奴だ。
さて僕はまた本を読みにかかる。本を持ち上げて、とうとうそれを眼の上一杯に持ってくる。でも、馬飼いや鉛管工どものいるところでは読めやしない。僕には自分を甘やかせる力がない。僕はそんな男を賞讃しやしない。彼だって僕を賞讃しやしないんだ。少くとも正直でありたいもんだ。このくだらぬことを言う、浮薄な自己満足の世界をうんとやりこめてやりたい、これらの馬毛の座席を。桟橋や遊歩道のこれらの色つき写真を。とり澄ました自己満足、この世の凡庸さ、もっとも、これが珊瑚の飾りものを時計鎖からぶら下げている馬飼いどもを養っているんだが、そんなものに鋭く叫んでやりたくなる。僕の中には、すっかりやつらを消滅せしめるようなものがあるのだ。僕の大笑いはやつらをその席に絡めつけてしまうだろう。僕の前でうんとわめかせるだろう。いや。やつらは不死身だ。やつらの勝利だ。やつらはいつも、僕に三等車でカトゥルスを読むことはできないようにするだろう。やつらは僕を十月にどこかの大学へ心の避難をするようにさせるだろう。大学では僕は学監なり、教師たちとともにギリシアヘ行き、パルテノンの廃墟について議義をすることになろう。馬を飼い、これらの赤い郊外住宅の一つに住む方が、ソポクレスやエウリピデスの髑髏《どくろ》を蛆《うじ》のように出入りすることよりいいことだろう。大学の女性の一人、高い教養ある妻と一緒になってさ。けれどそれが僕の運命なんだ。僕は苦しむんだ。僕はもう十八。馬飼いどもが僕を憎む、そんな侮辱には耐えうる年だ。それが僕の勝利なんだ。妥協などはしない。僕は臆病じゃない。言葉訛りもない。ルイスのように、[父がブリスベインの銀行家]ということをみんなが思っているのを恐れているような、くだらないことにはわずらわされないのだ。
さあ、文明世界の中心に近づいて来た。お馴染みのガスタンクがあるぞ。アスファルトの小径が横切っている公園がある。恋人たちが恥じらいもなく口をつけ合って焦色の草の上に横たわっている。パーシバルは今ごろはもうスコットランドにいることだろう。彼の列車は赤い荒野を通り抜けて進んでいるんだ。彼は長い線をなしている国境の丘々やローマ人の遺した城壁を見ているな。彼は探偵小説を読むんだ。でもあらゆることを知っているさ。
列車が速力をゆるめ、長々しくなり、ロンドンへ、中心へ近づいていく。僕の心臓も恐怖と歓喜とに止まるばかり。僕は逢おうとしているのだ――何に! どんな異常な冒険が、これらの郵便車や、赤帽や、タクシーを呼ぶ人びとの群れの中で僕を待っているのか。僕は自分を取るにたらぬもの、救いがたいもののような気がするが、でも欣喜《きんき》に躍っているのを感じる。柔かな衝動をうけて、僕たちは止まる。他の人たちを先に出させよう。僕は暫く静かに坐っていてから、あの混沌、あの騒乱の中へ出て行こう。僕はくるべきものを期待しないでいよう。かしましい喧噪が耳に響いている。それは海のうねりのように、このガラス屋根の下で響き反響している。僕たちは各々手提げカバンを持ってプラットフォームに投げ出される。僕たちはばらばらになってうろうろする。自分自身の感覚がほとんどなくなってしまう。僕の侮りの心が。僕は吸いこまれ、ぽいと投げ出され、空高く放り上げられる。僕はプラットフォームヘ出て行く。しっかりと持っているものをみんな握りしめて――鞄一つを。
[#改ページ]
陽が昇った。黄や緑の横波が岸辺に寄せ、廃《すて》られた小舟の肋骨を濡らして光らし、海そよごとそのいかめしい葉を鋼鉄のように青く閃かせた。陽の光は、薄い速い波を磯辺に扇のように走り寄せるごとに射通さんばかりだった。頭をふるわせ、あらゆる宝石、黄王、藍玉、さては火花のあしらいを施した水色の宝石を踊らせていた乙女は、今はその眉を露わにし、大きく眼を見開き、波立つ上を路《みち》真っすぐに進んでいった。波間に漂う鯖《さば》色の閃きもくろずんで、集っては一塊りとなり、あちこちのその緑の窪みは深まってくろずみ、さすらい泳ぐ魚の群が横切りもしよう。波がしぶきをはねて遠退くと、岸辺に小枝やコルクの黒い輪縁《りんえん》を残していった。藁もあれば棒きれもあり、ある軽い小舟が難破してその両側を破壊し、水夫は陸地へ泳いで断崖をよじ、その果かない積荷を岸辺の波に洗わせているようであった。
庭園では、明け方、あの木、あの灌木で、放逸に突如激しく歌っていた小鳥たちが、今声をそろえて甲高く鋭い。共に歌っているのを意識しているかとばかりそろってと思えば、淡い青空に聞かせようとばかり独りさえずる。黒猫が灌木のあいだを動いたり、料理人が堆《うずたか》い灰の上に燃え殻を捨てて驚かせたりすると、鳥たちは一勢に飛び立った。不安がそのさえずり声の調子にあり、苦痛を知る心、その場で素早く逃れる喜びもあった。さらに鳥たちは清々しい朝空に競って歌い、楡《にれ》の木高くかすめ飛び、追いつ追われつしながら共にさえずり、空高く舞いまわって、逃れ、追い、突っつき合った。それから追いかけたり飛びまわることに厭きてくると可愛げに舞い下り、そっと身体を傾け、すっと落ちて木の上に、壁の上に静かに止まった。明るい眼を閃かせ、頭をあちらこちらとふりむけた。気づいて、用心して。一つのことを、とくに一つのものを強く気にして。
それというのも灰色の大伽藍のように、草の中にそびえ立つ蝸牛《かたつむり》の殻、焦げたような黒いいくつもの輪をつけ、草の緑に影づけられた立派な建築物ででもあったろうか。それとも花壇に真紅の光を流す華麗な花々を見たのであろうか。花壇を縫って、真紅の陰の暗いトンネルがいくつも茎と茎とのあいだを走っている。あるいはまた、小さな明るい林檎の木の葉が、抑えられたように揺れ、薄紅色の先端をつけた花のあいだで硬張ったように閃めいているのに目をつけたのであろうか。さてはまた、生垣の雨滴れが、垂れたままで落ちもせず、家全体が曲ってそれにうつり、聳え立つ楡の木々をもうつしているのを見たのであろうか。いや、ともあれ、太陽をまっすぐにみつめていて、鳥たちの眼は金色の飾り玉になった。
こちらあちらと眼をやって、鳥たちは花々の上をずっと深く、暗い並木道をかなたへ、葉も朽ち花も散り果てた暗い世界をのぞきこんだ。そのとき、中の一羽が、美しく飛び去り、正確に降り立って、防ぐすべもない虫の柔かい奇体な身体をおさえつけ、再三|啄《ついば》んだ揚句、そのまま化膿させるばかりにして捨て去った。その下あたり、花々の朽ち果てた根のあいだには、亡び腐った臭いが風に送られ、雨滴がふくらんだ物の膨れ上った側にくっついていた。腐った果実の皮は破れ、中身は重くて流れ出しもせずにじりじりと滲み出していた。ナメクジは黄色い汚物を滲出し、折々、頭を両端につけているような定かな形を持たない身体を、あちらこちらへ緩慢に揺り動かした。金色の眼をした鳥たちは木の葉のあいだに身を走らせ、その膿汁を、その湿り気を、からかい気味に見つめた。そして時おり、嘴の端を、荒々しくそのねばっこいまじりものに突き入れた。
さて、また、陽は昇って窓に届き、赤い縁どりをしたとばりに触れて、円や線をはっきりと見せはじめた。輝きまさる光の中で、その白さは皿におさまり、草の葉はそのほのかな輝きを一杯身に集めた。椅子や食器棚はうしろでぼんやりながら大きく見え、それぞれ別々のものながら包み覆われて離し難く見えるほどだった。鏡は壁の上で面を白く輝かせた。窓閾《まどじきい》のうつつの花は幻の花を伴っていた。でもその幻は花の一部でもあったのだ。蕾の一つがのびのびと花開いたとき、鏡の中の色淡い花もまた、蕾の一つを開いたのだから。
風が立った。波が岸に轟いた。腕を高くふりまわし、獲物の群、白羊に跳りかかる、ターバンを巻いた、毒槍を持てる人びとのように、ターバンを巻いたつわもののように
「いろんな物の入り組み方がうんとこまかくなってくるぞ」バーナードは言った。「ここの大学ではだ。ここでは生命の躍動と重圧とは極端至極だ、単に生きているというだけの興奮が日毎日毎いっそう感情を馳り立てていく。一時間ごとに何か新しいものが壮大な宝探しの盛麩《もりふすま》〔つかみとり遊び〕の中で発《あば》かれる。俺は何か、とたずねてみる。これか? いいや、俺はあれだ。とくに今、部屋を出て、おしゃべりをしている人びとから離れ、敷石をひとりぼっちの足音で響かせて、それから遠い昔の礼拝堂の上を、崇高にも、よそよそしく、月が昇っていくのを見ると――そのときには、僕は一つの単一ではなくて、複合した多数であることがはっきりする。バーナードは、公然としては泡だ。内々では、打ちとけない。そんなわけでみんな理解しない。というのは、みんな今もって僕のことを論議しては、僕が彼らから逃避し、回避的だと言っている。彼らは、僕が種々さまざまな推移転換を行わねばならないこと、バーナードとしてそれぞれの役割を交互に演ずる数人の異なった人間たちの色々な出入口をふさがねばならないことなどがわかってはいないのだ。僕は並々ならずさまざまな環境に通じている。客車の中で本を読んでいれば必ず尋ねてみたくなる、彼は建築家だろうか、彼女は不幸なんだろうか、って。僕は今日は、はっとわかったんだが、ニキビづらの可哀そうなサイムズは、ビリ・ジャクスンに好く思われようとした機会が吹っ飛んじまったんで、ひどく辛い思いをしているんだ。いささか痛ましいもんだから、一緒にタ食をしようと熱心に誘ってやった。これを彼は、そうではないのだが、自分が讃美されているからだと思うだろう。それは本当だ。けれど、[女性のもつ過敏な感情と共に](ここで僕は僕の伝記者の文章を引用しているんだ)[バーナードは男性の正当な心がけをも所有していたのだ]ところで、単純な印象をなす人びと、そして大体、その印象をいいものにする(というのは簡単に徳行であるように見えるんだから)人びとは常に中流で平衡を保っている人たちなんだ。(僕はこちらで魚が鼻を出しているのが見えるかと思えば、あちらで流れがすれ違って走っているのが見える)キャノン、リセット、ピータズ、ホーキンズ、ラーペント、ネヴィル――こんな連中はみんな中流の魚だ。だが、お前はわかる、お前は、僕自身で、いつも呼び声に応じてやってくるんだが。(呼んで誰も来なければそれは感情を傷める経験であろう。それは暗黒の窪みをつくろうし、あちらのクラブにいる老人たち――彼らはやってくることのない自我を呼びよせることは断念してしまっている――の表情を説明している)そのお前は、今夜僕のしゃべっていることでは、ほんの皮相的に、僕は自分を示しているに過ぎないということを知っている。僕が自分の本質と最も相違していれば、その節、その時には、また僕は綜合されて全体にまとめられるんだ。僕はやむにやまれず同情をよせている。僕はまた蟇《がま》のように穴の中に坐って、全く冷淡に、何でもくるものを受け容れる。僕のことをとやかく論議している君たちは感じもし考えもする二重の能力などはほとんど持っていないのだ。リセットは、御存じのように、野兎を追っかけるのを無上に喜んでいる。ホーキンズは勤勉至極に午後をすっかり図書館で過ごした。ピータズは回読文庫での若い御婦人に夢中。君たちは、くるめられ、まきこまれ、ひきつけられ、全く精一杯存分に動かしまわされているんだ。――ネヴィルだけは格別で、彼の心ははるかに入り組みすぎているもんだから単純な活動力では駆り出すわけには行かない。僕も入り組みすぎている。僕の場合は何かが漂いつづけて、じっと付着していないのだ。
ところで、僕がその場の雰囲気に鋭敏であることといえば、そう、自分の部屋へ入って、明りを点け、一枚の紙や、テーブルや、椅子の背に投げやりに載っかっている寝巻きを見ると、まず自分は逸り気ではあるが反省的な人間、大胆であってしかもよろしくない人物であることに気がつくことだ。外套を軽く脱ぎ捨てると、ペンを握ってすぐに自分が夢中になっている相手の少女にかくかくの手紙を書きはじめる、といった体の人物だ。
さよう、万事が好都合。今僕は気が乗っている、今までに何回となく書きはじめた手紙をすぐに書くことができる。僕は今入ってきたところだ。帽子とステッキを投げ出した。すぐ紙に書くようにすらすらと頭に浮かんでくる初めのことを書いているのだ。それは渋滞もなく、抹殺もなく書かれた(と彼女は思うに違いない)素晴らしいスケッチになろうとしている。はて、形をなしていない下手な字だな。――うっかりして汚《し》みまでできている。早く不注意に書いたんだからこんなことはみんな大目に見てもらわなくてはならぬ。手早く、走り書きの普通字で書いて、[り]の下へ引くところをうんと大きくし、[へ]は一のように横線でよぎってしまう。日付は、十七日、火曜日とだけ、それから疑問符をつけておく。とはいうものの、僕はまた彼女に、彼は――というのはこれは僕ではない――こんなに無雑作にこんな筆使い荒く書いているのだけれど、いささか、親密で、尊敬もこもっているという様子もあるという微妙な暗示を与えねばならぬ。一緒に語り合った話をそれとなくほのめかし――思い出の場面を思い出させねば。でも僕は彼女に(これは非常に大事だ)とても移り気でたやすく次から次のものへ移っていっていると思われなければならない。溺れていた男を助けることから(その文句はちゃんとできている)ミセズ・モファトと彼女の言ったこと(これも手控えをとってある)へ、それゆえまた、僕が読んでいたある書物、ある並外れの書物について、見かけは出まかせだが、まことに深遠な、いくつかの非難(深遠な批評は出まかせに書かれている場合が多い)へと移っていくだろう。髪を手入れしているときか、蝋燭を消すときかに、僕は彼女に言わせたいのだ。[どこであれを読んだのかしら? ああそう、バーナードの手紙でだわ]って。僕が必要なのは、速度、熱い、とけた効果、文章から文章になっていく熔岩の流れだ。僕は誰のことを考えているのか。もちろんバイロンだ。僕はいろんな点でバイロンに似ている。たぶんバイロンの一節でも読めばそんな調子のつくようにさせてくれるだろう。一頁読ませてもらいたい。いやよそう。のろまなことだし、中途半端だ。いささか形式的すぎる。今僕はそのこつがのみこめて来ている。今彼の鼓動が僕の頭に入ってきているところだ(韻律は書きものには肝心なことだ)。さあ、休まずに、はじめよう。至極快活な調子の書き方で……
でも単調になってしまう。調子が衰える。ここで転換をしようにもそれだけ勢いをつけることができない。僕の真の自我が僕の佯《いつわ》りのものから離れていく。それで僕がそれを書き直しはじめるなら、[バーナードは文学者のように様子ぶっているわ。バーナードは彼の伝記の筆者のことを考えているんだわ](これは本当だ)と彼女は感じることだろう。いや、僕は明日、朝御飯のあとですぐこの手紙を書くとしよう。
ところで、心に一杯になるほど色々な情景を想像させてほしい。ラングリ駅から三マイル、キングス・ラーフトンのリストーヴァに滞在するよう招かれていると思うとしよう。僕は黄昏に着く。この見すぼらしいが一きわ目立つ家の中庭には二三匹の犬がいて、こそこそしたり遠くへ逃げ走ったりしている。玄関には色褪せた敷物が置いてあり、軍人である御主人はテラスをゆっくり歩きながらパイプを燻らしている。まず一切の調子がいたって貧乏くさく軍人くさい。狩猟馬の蹄が書きもの机の上にある。――気に入りの馬。[馬にお乗りですか][ええ、好きでございます][娘が応接間で待っていますじゃ]心臓が激しく波打ち肋骨にひびく。彼女は低いテーブルのところに立っている。狩猟をしてきたばかりだ。彼女はお転婆みたいにサンドウィッチを頬ばっている。僕は大佐にすばらしい好印象を与える。僕を利口すぎるほどではない、と彼は思う。僕はそんなに野育ちということもない。それに僕は玉突きをする。それからこの家庭に三十年もいたという立派な女中が入ってくる。お皿の模様には東洋の尾なが鳥がついている。モスリンに描かれた彼女のお母さんの肖像が暖炉の上に掛っている。僕は非常にたやすく微細な点に至るまでこの周囲のものをスケッチすることができる。だが僕はそれを利用できるだろうか。彼女の声を、あのすっきりした調子を聞きうるだろうか。その調子で、僕たちきりでいるときに、彼女が[バーナード]って言うんだ。さてそれからつぎはどうだ。
実をいえば僕は他の人びとから刺激を必要としているんだ。ただ一人では、どうも無感覚になった頭では、僕自身のいろいろな物語に出てくるあれこれのぼんやりした場処を考え勝ちだ。真の小説家は、つまり完全に単一な人間的存在であるのだから、無限に想像を進展していける。僕がするように、部分部分を綜合して完全体にするようなことはしないだろう。燃えつきた火床に残っている白い灰といった、こんな荒れ果てた場面などは書かないだろう。あるブラインドが僕の眼の中でばたばたする。あらゆるものが感じられなくなってくる。創作はやめだ。
回想させてもらいたい。ともかくあれはいい日だった。タ方、魂の屋根に形造られる滴りは、円くて、色々沢山の色彩がついている。朝はよく晴れていた。午後は散歩をした。灰色の野原を横切って先の尖った梢が並んでいる景色はいいものだ。人びとの肩のあいだをすかしてちらと見るのが好きだ。いろいろなものが僕の頭の中へぽんぽん入ってくる。僕は想像的で明敏だった。夕食のあとではドラマティックだった。僕たちの共通の友だちについてそれとなく観察していろいろなことをすっかり具象的な形のものにしてしまった。多くの転換を容易にやってのけた。しかし、今、黒い石炭のむき出しのままの隆起が残っている、この白っぽい火の上の方に腰をおろしながら、自分自身に最後の質問をさせてほしい、これらの人びとの中のどれが俺なのか? この部屋が非常にそれを左右する。自分に[バーナード]と言えば、誰がくるのか。幻滅を感じてはいるが、気を悪くしてはいない、忠実な皮肉な男だ。特別な年齢でも職業でもない男。単に、自分自身なのだ。今、火掻きを手にし、燃え殻をがらがらさせ、それらを鉄格子を通して夕立のように落そうとしているのは彼なんだ。[やあ]彼は独り言をいって、それが落ちていくのを見つめている。[なんて埃だ]それから彼は悲しそうにつけ加える。だがある慰めの気持をふくんでいる。[ミセズ・モファトが来てすっかり掃除するだろう……]僕は、生涯中、がらがらいわせたり、どんと叩いてみたりして、初めは車のこちら側を、それからあちら側を、叩いたりすると、しばしば自分にこの文句をくり返すだろうと思う。[ああ、そうだ、ミセズ・モファトが来て、すっかり掃除するだろう]というわけで、お寝みだ」
「現在の瞬間を含んでいる世界にあって」ネヴィルが言った。「なぜに差別をつけるのか。何物も名づけられてはならぬ。そんなことをすれば変質してしまうのだから。世界を存在せしめよ、この堤を、この美を。そうすれば僕はすぐ喜びに夢中になってしまう。太陽は暖かい。川が見える。木々が秋の日ざしを点々と浴びて燃えているのが見える。ボートが、赤い中を、緑の中をすれ違って通っていく。遠くで鐘が鳴る。だが死を悼む鐘ではない。あちこちの鐘が生を讃えて鳴り響く。木の葉が一枚、喜びに顫えて落ちる。ああ、僕は生に憧れきっているのだ! そら、柳がその美しい小枝を大気の中になんと元気に差し延ばしていることか! 見よ、その小枝のあいだをすかして懶惰《らんだ》な、何も考えない、力に充ちた若者たちを一杯のせて、ボートが一つ通っていく様を。彼らはレコードを聞いている。紙袋から果物を出して食べている。バナナの皮を投げている。皮は鰻のように川の中へ沈んでいく。なんでも彼らのすることは美しい。彼らのうしろには薬味瓶が並んでおり、いろいろな装飾品がある。彼らの部屋はオールや油印刷の絵で一杯だが、彼らはそれらをすっかり美しくしてしまったのだ。そのボートが橋の下を過ぎていく。他のボートがやってくる。それからまた他のが。あれはパーシバルだ、記念碑のように悠然と落着き払って、クッションに倚りかかっているぞ。いや、あれはただの彼の取巻きの一人で、彼の記念碑みたいな、落着き払った態度を真似ているんだ。彼だけはその取巻き連中のそんな癖に気づいてはいない。もし彼らがそんな様子でいるのを見つけると、彼は上機嫌に不器用な手つきで彼らを叩く。彼らもまた、橋の下を、[噴水のように垂れ下った木々]をくぐり、黄色い李《すもも》色にオールをきれいに漕いで通っていった。微風がそよぐ。窓とばりがゆらぐ。繁る木の葉のうしろには、おごそかで、しかもいつまでも嬉々とした数々の建物が見える。窓は多いようで、重苦しい感じはない。昔ながらの芝土にずっと古くから建っていながら明るい感じだ。今、身体の中になじみ深いリズムが起ってくる。横になって眠っていた言葉が今立ち上り、今そのとさかを揺り、倒れては起き、そしてまた倒れては起き上る。僕は詩人だ、そうなんだ。まごう方なく僕は偉大な詩人なんだ。過ぎゆくボートと青年たち、それに遠くの木々、[落ちている噴水のように垂れ下った木々]みんな見える。みんな感じられる。僕は霊感を吹き込まれる。両眼は涙にあふれる。しかもまさしくこんな風に感じている時でさえもだ。心の騒ぎがしだいしだいに激しくなる。それは泡立つ。それは人為的な、上面《うわつら》ばかりのものになる。言葉、言葉、言葉、なんとそれが馳せまわることか――その長いたてがみ、その長い尾をどんなに振りまわすことか。だが僕にはある欠点があってそれらの背に跨《またが》ることができないのだ。それらと一緒に飛んで、女どもや糸結びの手提などを追い散らすことができない。ある欠点が僕にあるんだ――なんだか宿命的なためらいで、僕がそれを通り越せば、泡か虚偽になってしまうといったものだ。それでも僕が偉大な詩人でないとは信じられない。もしも詩でないとすれば、僕は昨夜何を書いたのか。僕は放埒すぎるし、軽々しすぎるのか。わからない。僕はときどき自分自身がわからない。つまり、僕を現在の僕にしているいろいろな種子を、測ったり、名づけたり、数えわけたりするすべを知らないのだ。
何かが今僕から離れていく。何かが僕を去ってこちらへやってくるあの人物に逢いに行く。それに、その人物が誰であるかを僕は逢う前から確かに知っているんだ。遠く離れているにしても、一人の友だちが殖えれば人間という奴はまことに奇妙に変化するものだ。友だちは我々を想い起すときにはすばらしくいい仕事をやってのける。それにしても、想い出され、鋭さを削《そ》がれ、人の自我を他人のものと混ぜこぜにされて他人の一部になるなどというのは、とてもたまらないことだ。彼が近づいてくるにつれて、僕は僕自身でなくなって、誰かと混ぜ合わされているネヴィルになってしまう。――誰と? ――バーナードか? そうだ、バーナードだ。そして僕が質問をするのはバーナードにだ。僕は誰かって」
「一緒に見ていると」バーナードが言った。「はてさて柳は奇体な様子だ。僕はバイロンだ。その木はバイロンの木で、涙もろくもあり、タ立のように下へ垂れ、悲しんでいる。その木を一緒に見ていると、櫛で梳《す》いたような様子をして、一本一本の小枝がはっきりと別々に離れている。君の明朗さにひきずられて、僕の感じていることを君にお話しよう。
僕は君の非難を感じる。君の力を感じる。僕は、君といて、いつでも更紗染めのハンカチーフをホットケーキの脂で汚しているような、不精たらしい、衝動的な人間になる。そうだ、片手にはグレイの詩[エレジー]を持ち、片手では底にくっついているホットケーキをさらい出しているんだ。その菓子ときたら、すっかりバターを吸いこんでお皿の底にくっついているのさ。こいつあ君を怒らせる。僕は君の困惑をひしひしと感じる。そんなことで心を動かされるし、しきりに君の優れた意見をも一度聞きたいもんだから、僕はパーシバルを寝床から引きずり出した顛末を君に話しかける。僕のスリッパのこと、テーブルのこと、蝋の垂れた蝋燭のことをお話する。彼の足からも毛布をひったくってやると、彼がぶっきらぼうにぶつぶつ言っている調子や、そうしているあいだ、なんだか大きな繭《まゆ》みたいにもぐっている様子やら。こんなことをすっかりこんなふうに述べると、君はある個人的な悲しみの中心に置かれていながらも、(というのは頭巾をかぶって隠れている物が我々の邂逅を支配しているんだから)君は負け折れ、笑い、僕を喜んでくれる。僕の魅力のある言葉の流れは、まさかこれほどだとは思いもかけぬほどに流麗で、僕もまた嬉しくなる。僕は驚く、言葉でいろいろなものから面紗《ベール》を剥ぎとると、口には言われないほどはるか無限に、もっともっと観察していたものだ。僕はしゃべると心の中にどんどんと泡が立つ。心像が次から次へと湧き出る。これがつまり、僕の必要なものだ。なぜ、と自問する。僕は今書いている手紙を書き終えることができないのか。つまり僕の部屋はいつも未完の手紙でとり散らかされているからだ。僕は君と一緒にいるときは、僕は天賦の才能豊かな人たちのあいだにいるのだと気づきはじめる。僕は青春の喜びに、なしうる能力に、かつまた、くるべきものの感じに、満たされる。ぎこちないながら熱烈に、僕は自分が、花々のまわりでぶんぶん言い、真紅な蕚《がく》を蜂のように音立てて伝い下り、青い漏斗を僕のびっくりするような響きで鳴りひびかせるのがわかる。どんなにか豊かに僕は自分の青春を楽しむことか。(君は僕にそう感じさせる)それからロンドンだ。そして自由だ。だが待て。君は聞いていないな。なんとも言いようのないなれなれしい身振りで、手を膝に滑らせて、君は何か抗議をしているんだ。そんな身振りから、僕たちは我々の友だちの病気を診断する。[そんなに余裕|綽々《しゃくしゃく》として]と君は言っているようだ。[通り過ぎて行かないでくれ][待て]と君は言う。[僕がなにを苦しんでいるのか聞いてくれ]
ならば僕は君を創造するとしよう。(君はそれだけ僕につくしてくれたんだからね)君はこの好もしい、この薄れゆく、でもまだ明るいこの十月の日に、この温い堤に横たわり、柳の木の梳き払った小枝ごしにボートの漂っているのを次から次へと見つめているのだ。そして君は詩人になりたいと思う。そして恋人になりたいと思う。しかし輝かしく澄みきった君の叡智と無情なほどに素直な君の知性とが(これらのラテン語は君から教わったのだ。こんな君の性質は、多少不安ながら僕を変化させもし、僕の身につけるべきものにある色あせた斑点、細い条《すじ》といったものを目につけさせる)君に思いとどまらせるのだ。君は、ごまかしごとに夢中になったりしない。薔薇色の雲や黄色の雲に心を奪われたりはしない。
僕は正しいのか。僕は君の左手の些細な身振りを正しく読み取っただろうか。もしそうなら君の詩作を見せてくれたまえ。今ではいささか面映ゆく感じているだろうが、あれほどの激しい霊感を受けて、昨夜君が書いた、詩稿を渡してくれたまえ。というのは君は霊感を信じないからだ。君のそれをも、僕の霊感をもだ。一緒に帰ろう。橋を越え、楡の木の下を行き、僕の部屋へ。そこは壁に囲まれ、サージの窓とばりが引いてあるから、こんな気持を焦立たせる声や、しなの木の匂いや香りや、その他の生きものなどを締め出してしまえるんだ。いやに横柄ぶって足どり軽く歩いているこんな生意気な女売子どもや、これまたのそりのそり歩いている、重荷を負ったお婆さんたちとさっぱり縁が切れるんだ。それに何だかはっきりしないうちに見えなくなってしまうような人影をちらと目にすることもなくなるさ。――ところでそいつあジニーだったかもしれんし、スーザンだったのかもしれない。あるいはローダが街通りを向うへ影を消したのかな。さてちょっとかすかに筋を痙攣させるから、僕は君の感じていることを推量するんだ。僕は君から逃れてきた。僕は蜂の群のようにがやがや言い続けた。果てしもなくうろうろしていた。君のように、一つごとに情け容赦なく喰いついているような力がないんでね。だが僕は帰るとしよう」
「こんなに建物が並んでいると」ネヴィルが言った。「沢山女売子がいるんで耐《たま》らない。その連中の忍び笑いや無駄話は気にさわる。僕の静穏のさなかへ乱入し、この上ない純粋な喜びを味わっている瞬間に僕をつっついて我々の堕落を思い出させるんだ。
だが今、我々は、自転車やしなの木の匂いやこのわずらわしい街で姿を消した人物やらと、ちょっとした気持の小競り合いをやった後で、我々の領分を取りもどした。ここでは僕たちは静穏と秩序との支配者だ。誇るべき伝統を継いでいく者たちだ。あちこちの明りが広場をよぎって黄色い細長い筋をつくりはじめている。川から寄せてくる霧がこちらの昔ながらの空間にあふれていく。ものさびた石に静かにまといついていくのだ。もう木の葉は田舎の小径に降り積り、羊どもは湿っぽい原っぱで咳をする。だが、ここの君の部屋にいて、僕たちはからりとしている。僕たちは内輪に話をする。火が、はねては沈んで、何かの把手を光らせる。
君はバイロンに読み耽っていた。君自身の性格にぴったりすると思われるような節々に印をつけていたね。皮肉な、しかも熱情的な性質を表現していると思われる文章という文章にすっかり印がついているのを僕は見つける。まるで、堅いガラスに己が身をぶちつける蛾のような激烈さだ。そこへ鉛筆をひきよせて、君は考えた。[僕もまたそのようにマントを放り出す][運命をものともせず、その面前で指を鳴らしもする]それにしても、バイロンは君のような茶の入れ方はしなかったよ。君はポットに一ぱいいれるからお茶の上に蓋を入れるとあふれ出るんだ。テーブルの上に褐色の水たまりができる――それが君の本や紙のあいだへ流れている。そこで君はポケットハンカチーフでぎこちない手つきをしながら拭きとる。それから君はハンカチーフをポケットヘまたねじこんでしまう。――そんなことはバイロンじゃないさ。そいつあ君さ。そんなことはすっかり君らしいことなんだから、二十年して、僕たちが双方ともに有名になり、痛風にかかって耐えられないといったときに君のことを考えるとすれば、まずこんな場面によってのことだろう。あるいはもし君が死んでいるなら僕は嘆き悲しむことだろう。かつて君はトルストイかぶれの青年であり、バイロンかぶれの青年だ。おそらく君はメレディスかぶれの青年になるだろう。それからイースタ祭の休暇にパリヘ出かけ、黒いネクタイを締めて、まだ誰も聞いたこともないような、きざなフランス人みたいになってもどってくるだろう。そこで僕は君とは絶交ということになる。
僕は一人の人間、つまり僕自身なのだ。どうしたってカトゥルスにはなりきれない。讃美してやまないんだが。僕は一番くそ真面目な学生だ。ここに辞典、そこには奇妙な過去分詞の用法を書き込んだ雑記帖を置いてある。だが、こうした古代の銘をナイフでこれ以上はっきりといつまでも刻みつづけていきうるような人間は誰もいやしない。僕はいつでも赤いサージの窓とばりをきちんと引いて、ひと塊りの大理石のように置かれている、ランプの下で青白い、僕の書物でも見ていようか。そいつあ輝かしい生活だろうな。完全に没頭すること、文章の回転につれて、その導くところどこへでも、たとえ砂漠の中へでも、堆《うずたか》い砂の下へでも、誘惑や魅惑などには心もかけず従《つ》いていくこと、いつも貧乏で、なり振りかまわず、あるいはまた、ピカデリ通りでおかしな様子でいることはだ。
だが僕は神経質すぎて文章を完全にまとめ上げることができない。歩調を整えて歩きながら心の動揺を隠すために僕は早口でしゃべる。僕は君の脂じみたハンカチーフが嫌いだ――君はバイロンの[ドン・ジュアン]のうつしを汚すんだろう。君は僕の言うことを聞いていないね。バイロンのことを何か言っていてさ。マントやステッキで君は身振り手真似をしているが、そうだと僕は今まで誰にも話したことのない秘密を発きたい気持だ。僕は君に(こうして背をもたせて立っていると)僕の生涯を委せたいと願いもし、それに僕が愛している人びとの中で僕はいつも評判をかちうる定めになっているかどうかってことを言ってもらいたいのだ。
僕は君を背にしてそわそわしながら立っている。いや今は両手は全く静かなものだ。几帳面に書棚の空所を開いて、そこへ、僕は[ドン・ジュアン]を挿し込む。砂をくぐって完成を求めるくらいなら、僕はむしろ愛されたい、むしろ有名になりたい。しかし僕は人の気持を悪くするように定められているのか。僕は詩人なのか。そう思うさ。鉛のようにつめたく、弾丸のように凄まじい僕の唇の背後に積まれている願望、女売子どもや女どもを僕が狙うもの、つまり虚偽や俗悪な生活(というのも僕はそれが好きなんだ)が、君を射るんだ、僕が投げると――それを捕まえてくれ――僕の詩を」
「あいつは部屋から矢のように射放したぞ」バーナードが言った。「僕に彼の詩を残していった。ああ友よ、僕もシェイクスピアのソネット集に花をはさんでおすとしよう。ああ、友よ、君の投げ矢はなんと鋭いことか――そこにも、そこにも、またそこにも。彼は顔を向けて僕を見た。彼は僕に彼の詩をくれた。霧という霧が我が存在の屋根の上に渦を巻く。その信頼を僕は自分の死ぬ日まで忘れないであろう。長い波のように、重々しい海のうねりのように、彼は僕を乗り越えていった。彼の打ちひしぐような出現――僕をむき出しに曳きずり、僕の魂の岸辺に小石を露わに横たえて。それは屈辱だった。僕は小石に変えられたのだ。あらゆる見かけの相似が巻きくるめられた。[君はバイロンじゃない。君は君自身さ]他人の手で契約されて単一な存在にされてしまうこと――なんと奇体なことか。
なんと奇妙なことか、お互いのあいだに介在するさだかならぬ空間を横ぎり素晴らしい繊糸を長く引いて我々から紡ぎ出されていく、この一筋の流れを感じるなんて。彼は去った。僕はここに立って彼の詩を手にしている。我々のあいだにはこの一筋の流れがある。しかし今は、相容れぬ存在が失せ果てて、批判がましい穿鑿が暗くもなり覆いをかぶってしまったのを、どれだけ気持よく、生き生きと感じ得られることか? 窓覆いを閉ざして他の存在を許さないのはありがたい。みんな逃げ潜んだ暗い隅々から、実はむりやり彼の優れた力で彼が隠れさせた、みすぼらしい同居人どもや親しい人びとの元へ帰るのを感じるのは嬉しいことだ。目下のいろいろな危機や中傷のさなかにさえ僕に代って見張りをしていた、嘲弄好きで、目の早い魂たちが、いま群をなしてふたたび家へもどってくる。彼らが僕に加わって、僕はバーナードだ。僕はバイロンだ。僕はこれであり、あれであり、かつまた他のものでもあるのだ。魂どもは、昔ながらにおどけた身振りや批評がましい言葉で気分を陰気にし、僕を潤沢にし、僕の感動の瞬間の、あの素晴らしい純真さを曇らせる。ネヴィルが思っているよりも、僕はもっと多人格なんだからね。友だちが、我々をその必要に応じさせたいと思うほどには、我々は単純ではないのだ。だが愛情は単純だ。
やあ、みんな帰って来た、同居人たちが、新しい人びとが。ネヴィルがあいつの素晴らしく立派な細身の剣でこしらえた突き傷、僕の防禦物にできた裂傷が修理をされる。今や僕はほとんど無瑕《むきず》完全だ。僕はこんなにも歓喜に酔っている。ネヴィルが僕のことでは気にもかけなかったあらゆることを利用するのだ。ブラインドを分けて窓から見ていると、[これはあいつには嬉しくないことだろうが、僕には楽しい]と思う。(僕たちは我々の能力を測るのに友だちを利用するのだ)僕の範囲はネヴィルの及ばないものを包含しているんだ。彼らは道中猟歌を歌いつづけている。ビーグル犬を連れて走りまわったことを祝賀しているのだ。大きな四輪馬車が角をまがるとそれと同時にいつもふりむいたキャップをかぶった御連中はお互いに肩を叩き合い、自慢し合う。だがネヴィルは、そっと邪魔を避けて、こっそりと、陰謀家のように彼の部屋へ急いで帰る。低い椅子に坐りこんで、しばらくは建物のように堅固に見えた暖炉をみつめているのがわかる。人生がそのような永久に耐えうるものであり、人生がそのような秩序を持ちうるものであるならなあ、と彼は考えるのだ。――というのは、とりわけ彼は秩序を望み、僕のバイロン的なだらしなさを憎んでいるからだ。それで奴はブラインドをひく。そして扉に閂《かんぬき》をする。彼の眼は(恋をしているのだから。それに愛の不吉な像が我々の邂逅を司ったのだ)憧れに充ち、涙にあふれている。彼は火掻きをひっっかみ、一打ち強く、燃えさかる石炭のあの一時の堅固さを壊してしまう。すべてが変化するのだ。青春も恋愛も。ボートは柳のアーチをくぐって浮かんでいたが、もう橋の下にきている。パーシバル、トゥユイ、アーキイ、それに他の者らもインドへ行くだろう。もう二度と逢うこともあるまい。それから彼は手を延ばして雑記帖――交り色紙で表装されたきれいな本だ――をとる、そして、誰でもいい、そのときすっかり讃美しきっている誰かの仕方を真似て、ひどく興奮しながら長い詩を書きつける。
だが僕はじっとこのままでいたい。この窓から身を乗り出していたい。耳を澄ましていたいのだ。またまたあの陽気なはしゃぎコーラスがやってくる。彼らは陶器を壊しているんだ――それがまたしきたりなんだ。コーラスは、岩を跳び越え残虐にも古い樹木に打ちかかる急流のように、懸崖を跳り越えてまっさかさまに、素晴らしく奔放にふり注ぐ。逆巻き、馳けり続ける。猟犬を追い、フットボールを追って。彼らは粉袋のようにオールにつなぎつけられてポンプを上げ下げしている。あらゆる区別が併呑され――彼らは一人の人間のように振舞っている。十月の疾風が裂けるような音を立てて騒しく吹き荒び、静寂が中庭をよぎる。おや、また彼らは陶器を壊している――それがしきたりなんだ。よろよろしながらお婆さんが鞄を持って燃えるように赤い窓の下を足早に帰っていく。そんな窓々が上から落ちて来て自分を道傍の溝に落しこみはしないかとお婆さんはいくらか心配なのだ。それでも、閃光の幾筋もの流れや吹き飛ぶ紙きれを交えて揺らめき燃える篝火《かがりび》に、その節くれ立ったリューマチの手を暖めるかのように立ち止る。老婆は明りの点いた窓に向って立ち止る。一つの対照だ。僕が見るものとネヴィルが見ないもの、僕が感じるものとネヴィルが感じないもの。だから彼は完成へ到達するだろうし、僕は失敗し、後に残すものといっては振り撒かれた砂まじりの不完全な詩句ばかりということになろう。
今、ルイスのことが思われる。この秋の短い夕ベに、この陶器を砕く陽気な狩猟歌に、ネヴィルやバイロンやここの我々の生活に、ルイスはどんな悪意をこめた、だが見透すような光を投げようというのだろうか。彼の薄い唇はいくらかすぼめかげんで、頬は蒼い。彼は事務所で何かわけのわからない商事文書を見つめる。[僕の親父、ブリスベインの銀行家]――父のことが恥しいので彼はいつもその父のことを話す――は失敗した。そこで彼は事務所に坐っている。学校で一番よくできたルイスが。だが対照を求めている僕はしばしば我々にそそがれている彼の眼を、彼の笑っている眼を、野生的な眼を感じる。まるで我々を、彼が事務所でいつも追い求めているある総計の中の些細な内訳のように合計しているんだ。そしていつかは、立派なペンを取り、赤インクにそれを浸して、合算が完成するだろう。
ガチャン! 彼らが今椅子を壁に投げつけたのだ。なんたることだ。僕の事態も心もとない。僕は不当な感動に耽ることをしないのか。そうだ、窓から身を乗り出して煙草を落すと、それはくるくる軽くまわって地上に落ちる。ルイスが僕の煙草をさえ見つめているような気がする。そしてルイスが言うんだ、[それは何かを意味している。だがいったい何を? ]」
「人びとが通り過ぎて行く」ルイスが言った。「彼らが絶えずこの食堂の窓先を通って行く。自動車、貨物車、乗合自動車。そしてまた、乗合自動軍、貨物車、自動車――みんな窓を通り過ぎて行く。背景に店や住居のあるのがわかる。それにまた町の教会の灰色の尖塔もある。前景には菓子パンやハム・サンドウィッチのお皿が置かれたガラス棚がある。みんな茶壼から立ち昇る蒸気でいくらかぼんやりしている。牛や羊の肉、ソーセージなどの、ぷんぷんとする肉の匂いが湿った網のように食堂の中央に垂れ下っている。僕はウースタ・ソースの罎に書物を立てかけて見台よろしく見ようとする。
でも駄目だ。(みんな通り過ぎて行く、みんな不規則な行列を作って通り過ぎて行く)僕は確信をもって本を読むこともできなければ、ビーフを註文することもできない。僕は繰り返す、[僕は平凡なイギリス人だ、ただの書記なんだ]でも僕は隣りのテーブルにいるつまらない人びとを見て、その人たちがすることを僕もしているのだ、とはっきり思う。たおやかな顔つきで、小皺を浮かべ、それがまたしょっ中多種多様な感動でぴくぴく動き、お猿みたいにすばしっこく、このときとばかり油をそそがれて、彼らは礼儀正しくピアノを売る相談をしている。ピアノはホールを塞いでいる。だから売れば彼は十ポンド手にはいる。人びとが通り過ぎて行く。みんな教会の尖塔やハム・サンドウイッチの皿を背景に通り過ぎて行く。僕の意識の流れは揺れ動き、それらの無秩序にのべつに引き裂かれ悩まされる。だから食事に集中することができないんだ。[僕は十ポンド手に入れる。こいつあ素敵だ。ところでピアノはホールを塞いでいる。彼らは油じみて滑り易い羽根をした海がらすのように飛び込む。標準を越える過剰は無だ。過ぎたるは及ばざるがごとし。それは中庸、それが普通のことなんだ。その間に沢山の帽子がはね上ったり下ったりしている。扉がのべつに閉じたり、開いたりする。僕は流れを、無秩序を意識している。壊滅をも、絶望をもだ。もしこれがすべてなら、これはなんの値打もない。ところが僕はまた食堂のリズムをも感じる。それはワルツの調子のようだ。内や外に渦を巻き、まわりまわる。ウェイトレスたちが、盆を平らに持って、出たり入ったり、まわりまわって、野菜や杏やカスタッドのお皿を運び、ちょうどいいときに、当のお客へ持って行く。そこらあたりの平凡な人間が、女のリズムを自分のリズムにとり入れて([僕は十ポンド手に入れるんだ。そいつがホールを塞いでいるんだからな])野菜を、杏を、カスタッドを食べる。ところでこの連続を破るものはどこだ? 人に不幸をのぞき見せる裂け目はなんだ? この循環は破られない、諧調は完全だ。ここに中心のリズムがある。ここに普通の主|発条《バネ》が在るんだ。僕はその発条が拡がったり、縮まったり、それからまた拡がるのを見つめている。だが僕は巻き込まれはしない。それらの調子にならって僕がしゃべれば、彼らは耳をそばだて、も一度僕のしゃべるのを待っているんだ。僕をちゃんとすえつけるために。――もし僕がカナダかオーストラリアの出なら、僕は、何よりも愛情のある腕にいだかれたいんだが、とにかく僕は異人種であり外部の人間というわけだ。平凡な波打つ保護を、身近に感じたい僕は、眼尻で水平線はるかかなたの何かを捕えるんだ。いくつもの帽子が絶え間なく無秩序に跳ね上ったり下ったりしているのを感じる。私に、彷徨える惑乱した魂の悲嘆が訴えられる(歯の悪いお婆さんがカウンターでもぐもぐ言っている)[我等を羊舎へ連れもどれ、我等、心ならずまちまちに歩み行き、跳ね上り跳ね下り、ハム・サンドウィッチの皿ある窓を前景に過ぎ行くもの]よろしい。僕はお前たちを秩序正しく整えてやろう。
ウースタ・ソースの罎に立てかけた本に読み耽ろう。それは鍛えた環や完全な叙述のいくつかや、いくらかの言葉を含んでいるが、詩は全くない。君たちは、君たちみんなは、そんなことなぞ全く気にしていない。死んだ詩人の言ったことを君たちは忘れてしまっているんだ。それを君たちに翻訳して、その詩の魅力で君たちを捕らえてしまったり、君たちがこれという目的も持たない人間だということを分らせたりすることは、僕にはできやしない。それにここのリズムは安っぽくて無価値だ。諸君が自分の無目的に気づかなければ、君たちに浸み通り、まだ若いのに君たちを老衰させてしまうような、そんな退化を追い払ってしまうことだ。その詩を易しく読めるように翻訳することは僕が努力しなければならないことだ。プラトンの、ウェルギリウスの伴侶である僕は、塗り物をした槲《オーク》の扉をノックするとしよう。僕はこの使い古した鋼鉄の矢の前を過ぎて行くものに立ち向うのだ。僕はこのまるで目的もなく通り過ぎて行く山高帽子やホムバーグ帽子、さては羽根を飾った、色さまざまな、女の頭飾りなどには屈服しやしない。(スーザン、僕の尊敬するスーザンは、夏には白い麦藁帽をかぶるだろうな)軋りと不ぞろいな滴りになって窓ガラスをすべり落ちる蒸気。バスがとびはねる停止と出発。カウンターであれこれの躊躇、それにまた、人間らしい意味のない、まるで物憂いひきずるような言葉。僕はお前たちを秩序正しく整えてやろう。
僕の根は、鉛や銀の鉱脈を通し、臭いのむれる湿っぽい沼地を通し、中心で絡み合っている槲《オーク》の根でできた節のところへ下っていく。閉じこめられ、眼が見えず、土で耳を塞がれても、私は戦争の噂を耳にもし、ナイチンゲールを聞きもし、あちらこちらへと文明の探究に、人びとの群がる数多くの軍隊が、さながら夏を求めて移住する鳥の群のように忙しく動いているのを感じた。いろいろな女が赤い水差しを持ってナイル河の堤へ行くのを見たことがある。私はさっと背首《せくび》をかすめた熱い接吻、ジニーの接吻で、庭の中で眼を覚ました。人が夜中の大火の狂乱した叫びや、倒壊する柱や、赤や黒の火柱を想い出すように、このことをすっかり想い出す。僕は永久に眠ったり眼覚めたりしているのだ。今僕は眠る。今、眼覚める。ぐらぐらする茶わかしが見える。薄黄色いサンドウィッチ一杯のガラス箱が。半円形の上衣を着た人びとがカウンターの腰掛に坐りこんでいるのが、それにまた、それらのものの背後にある、永劫が。それは、赤熱した鉄をたずさえる僧帽をかぶった男によって、私の震える肉の上に焼きつけられる恥辱だ。この食堂が、ふくよかな羽根のある、折り重ねた、過去の、たばねた羽ばたく鳥の翼を背景にして見える。だから、私の唇は閉じ、私は弱々しく蒼白いのだ。いやな苦しい思いでバーナードやネヴィルに顔をむけるときは、厭わしい魅力のない様子になるのだ。二人はイチイの樹の下を逍遙い、肘掛椅子に腰をおろし、ブラインドをぴったりと引き締める。そこでランプ光が彼らの書物に落ちるのだ。
スーザン、尊敬するよ、坐って縫物をしているんだから。小麦が窓辺にそよぐ家の中で、おだやかなランプの下で縫い、僕の心を休めてくれる。というのは僕はみんなの中で一番弱虫で、それに年下なんだから。僕は足元を見ている子供で、流れが砂利にそそぎこんだささやかな小川なんだ。これは蝸牛だ、そうだとも。あれは木の葉だ。僕はいつも一番年下で、一番無邪気で、誰よりも信用できるんだ。君たちはみな防備されてるんだ。僕は裸だ。毛を環に編んだウェイトレスがすっと通り過ぎると、彼女は諸君に御註文の杏やカスタードをためらいもせず、まるで妹のように置いていく。君たちは彼女の兄弟なのだ。だが僕は立ち上って、胴衣のパン屑を払い落すと、多過ぎるチップを、一シリングを、お皿の端の下へ滑り込ませる。僕が行ってしまうまでは彼女がそれに気がつかないように、そしてそれを笑って手にとるときの彼女の嘲笑が、僕が押し戸を出てしまうまでは僕を突き刺すことのないように」
「風がブラインドを吹き上げているわ」スーザンは言った。「壷や鉢や敷物や大きな穴のあいたみすぼらしい肘掛椅子などがくっきりする。ありふれた色褪せた飾り紐が壁紙にぱらぱら当る。鳥たちも鳴きやんで、たった一羽だけ寝室のお窓のそばで歌ってるわ。靴下はいて、寝室の扉をそっと抜け、台所へ下りて、温室の横を通って庭をよぎり、野原の方へ行きましよう。まだ朝が早いわ。霧が沼地にすっぽり。今朝は堅くて硬ばって、なんだかリンネルの屍衣《しい》みたいな日。でも柔かくなるわ、暖かくなるわ。こんな時間には、こんなにまだ早い時間には、私が野原のような、納屋のような、樹木のような気になるの。私のものだわ、小鳥の群や、飛び出すこの子供の野兎などが。ひょっとすると踏みつけそうな時には、私のものは、大きな羽根を物憂そうに拡げるアオサギ、軋り声を立てて片足出して、むしゃむしゃ噛る牛、荒っぽい、さっと攫《さら》いかかる燕、空の微かな赤らみ、それが薄れて代る緑、静寂と鐘の音、野原から馬車馬を連れ出す人の呼び声――みんな私のものなんだわ。
私は別れたり離れたりできないの。学校へやられたわ。学校を終えるのにスイスヘやられたわ。リノリュームは嫌い。樅《もみ》も山も嫌い。雲のゆるやかに流れる青空の下でこの平らな広い地上を跳びまわりたい。荷馬車がこちらへくるにつれて段々大きくなってくるわ。羊が野原の真中に寄り合って。小鳥は道路の真中に集まって――もう飛び逃げることはないんだわ。木を焚く煙が昇っているわ。夜明けの固苦しさがその煙から出て行ってるの。今はもうこの日は溌剌《はつらつ》たるもの。色彩がもどって。この日は稔《みの》りで黄色く波打ってるわ。土地は私の足元に重たく掛っているわ。
でも私は誰なのかしら。この門にもたれて、ぐるっと私のセッター犬の鼻を見つめているのは誰かしら。ときどき(まだ二十にはなっていないわ)私は女でなくって、この門の上に、この地上に落ちる光のような気がするの。私は季節なの、時々そう思うわ。一月で、五月で、十一月で、泥で霧で暁なの。放り上げられたり、静かに漂ったり、他人と混り合ったりできないわ。何かがスイスの学校でできたんだわ、何か堅いものが。嘆《た》め息でも笑い声でもなく、まわり巡る巧妙な文章でもなく、私たちの肩越しに私たちを見て通る、あのローダの妙な通行でもなく、ジニーの爪先立ちに急回転する、手足や身体でもないんだわ。私が与えるものは残忍なの。静かに漂うことも、他人と混り合うことも私にはできないの。道で逢った羊飼いのじっと視つめる眼が一番好き。私が自分の子供に乳を飲ませるだろうように壕の中の荷馬車の側で子供たちに乳を含ませているジプシイの女たちが、じっと視つめている眼が大好き。もうすぐ暑いお昼になって蜂がタチアオイのまわりをぶんぶん飛びまわるころになると、私の恋人がやってくるんだもの。あの人は杉の木の下に立つでしょう。あの人がひとこと言うと私もひとこと答えるの。私の中にできたものをあの人にあげるの。子供ができて、エプロンをかけた女中を雇って、下男も使って熊手を持たせ、お台所はみんなが病気の小羊を籠に入れて温めてやるために連れて来たり、ハムが吊り下っていたり、玉葱《たまねぎ》が光っていたり、私のお母さんと同じようになって、青いエプロンをかけて、黙って食器棚の戸を閉めるの。
お腹がすいたわ、私のセッターを呼ばなくちゃ。日の当たるお部屋の、パンの皮とバタをつけたパンと白い数々のお皿が目に浮かぶ。野原を横切って帰りましょう。この草の小径を歩きましょう。強く足踏みしめて、大跨にも見えるほどに。水溜りを避けて横に逸《そ》れてみたり、草むらの方へひょいと跳びよけてみたり。湿っぽい玉滴が粗いスカートについて。靴は柔かくなって黒ずんで。固苦しさがこの日から消えてしまったわ。灰色に、緑に、それから焦茶色に染められる。小鳥たちも、もう大通りに止っていないわ。
私は帰るの。猫か狐の御帰還みたい。毛並は霜をかぶって灰色で、足は粗い地面で固く無感覚になっているような。キャベツの中を通り抜け、葉を鳴らし、葉玉をころげ落すの。私は坐ってお父さんの足音を待ってるの。指で草を摘みながら通路をぶらぶらくるんだもの。テーブルでジャム壷やお砂糖や、バタに交じってまだ開いていないお花が自分でちゃんと立っているあいだに、私はコップを次から次へと取り出すの。みんな黙ったまんま。
それから食器棚へ行き、乾し葡萄が沢山入っている湿っぼい袋をいくつも取って、重たい麦粉をきれいに洗った台所テーブルに持ち上げるの。捏《こ》ねたり、拡げたり。温かい捏粉《ねりこ》の中へ両手を入れて引っぱるの。冷めたい水を扇のように開いた指に流させる。火が唸る。蝿が輪になってぶんぶん。乾し葡萄にお米、銀色の袋や青い袋をみんな元のように食器棚へしまいこむの。お肉はオーヴンに入れられたまま。パンがきれいなタオルの下で円い頭をして立っている。午後は河まで散歩。この世のものみんなが生きているわ。蝿が草から草へ飛んでるわ。お花が花粉で一杯。白鳥が並んで流れに浮かんでる。雲がいくつも、温かく、太陽の光を浴び、あちこちの岡をよぎり、金色の影を水に残し、金色の影を白鳥の首に残していくわ。片足を片足の前に出し、牛が沢山、もぐもぐ噛りながら野原を横切ってるわ。草地をずうっと、白い円い頭の茸《きのこ》を探すの。その茎を折って、その傍に生えている深紅の蘭を摘んで、その蘭を根に土のついた茸のそばに置き、そしてそれからお茶卓の上の丁度赤い盛りの薔薇の中にいるお父さんのためにお茶を沸かしに帰るの。
でも夜が来て、ランプが灯《とも》るわ。そして夜が来てランプが灯ると、みんなが常春藤《きずた》に黄色い火を燃やすの。私はテーブルの傍で坐って縫物をするわ。ジニーのこと、ローダのことが思われるわ。農場の馬が疲れたように帰っていくときには舗道に車輪の音が聞えるわ。夕風の中を行き来する騒がしい物音が聞えるわ。私は暗いお庭の顫えている木の葉を見ていて、ふと思うの。みんなロンドンで踊っているわ。ジニーがルイスに接吻するって」
「本当に妙なことだわ」ジニーが言った。「人は眠らねばならないなんて。明かりを消して二階へ行かねばならないなんて。もうみんな着物を脱いでしまったわ。白い寝巻を着たわ。ここらのお家にはどこにも明りが点いていないわ。煙突が一列になって空にくっきり。街燈が一つ、いや二つ燃えてるわ。誰にもいらないときに灯《つ》くんだもの。通りの人ったら忙がしそうに歩く貧乏人ばかり。この通りは行く人もくる人もないわ。今日もおしまい。お巡りさんが二三人角に立ってるわ。でも夜が始まるころ。私は闇の中に光っているんだわ。絹がお膝の上にあって。絹を穿いた足がそっとすれ合ってるの。首飾りの宝石が咽喉のところで冷めたいわ。足に靴がぴったり、髪の毛が椅子の背に触らないようにまっすぐに腰かけているの。ちゃんと着飾って、用意はすっかり。ちょっと休んでいるところなの。陰気なひととき。ヴァイオリンの演奏者が弓を持ち上げたところだわ。
さあ車が滑って停車。細長い舗道のところに明りがついて。扉が開いて、閉って。みなさんがつぎつぎにお着きになる。みなさんおしゃべりしないわ。急いでお入り。広間で外套を脱ぐ音がしてるわ。これが序曲。これが始まりなの。鏡をちょっと見て、のぞいて、白粉をつけて、すっかり、ちゃんとできてるわ。髪は梳かれてカーブ一つに。唇はきちんと赤色。もうみなさんと階段で仲間入りしてもいいわ。おつき合いの方々と。みんなに見られて通るの。私がみんなに目をやるように、四角張った様子で挨拶の素振りも見せず、私たちはまるで稲妻みたいに目をやる。私たちの身体が話し合う。今夜は私の御招待なの。私の世界なんだわ。用意万端ととのって、召使いがここにもまたあそこにも立っていて、私の名を、私の新しい、まだ知られていない名を名乗り、私の前へ投げ出すの。私は登場。
誰もいない、人待ち顔のお部屋には眩《まば》ゆい椅子が沢山、生きて生えているお花よりずっと静かで壮厳な花々が、緑に拡がり白く拡がり、壁の上に。それから小さなテーブルの上に一冊の装幀した本。これはかつて夢みたもの、私が予感したものだわ。私はここの生まれ。厚い絨毯を気兼ねなく踏んで。滑らかに磨いた床を気楽に滑るの。私は開きはじめる、この香気、この光輝の中で。羊歯がその捲いた葉を拡げるときのように。私はちょっと止め、この世界の品定めをするの。知らない人の中で目をやる。艶々しい緑、深紅、真珠のような銀色の女の人たちに交じってまっすぐに立っている男の人の身体。みんな黒と白ずくめ。その服の下には深い小川で溝を彫られているんだわ。私はまたトンネルの窓に映った影を感じるわ。それが動くの。前に屈むと、黒白ずくめの知らない男の人たちが私を見るの。絵を見ようと横を向くとその人たちも横を向くの。手という手はネクタイをいじってみたり、胴衣を、ポケット・ハンカチーフを触ってみたり。みんな大変若いわ。よく見られようと思って一生懸命になってるわ。私の中には無数の能力が湧き上ってくるみたいだわ。私はかわるがわる生意気だったり、快活だったり、沈んでみたり。憂鬱になったり根づいているんだけど、流れていくの。金色におおわれて、あちらへ流れ、この人に言うの、[いらっしゃいな]黒い水波を立てて、あの人へは[いけませんわ]ガラスの飾り棚の下から一人の人が居場所を離れるの。近づいてくるわ。私を目指して。今まで知らなかったほど胸のときめく瞬間だわ。そわそわするの。小波を立てるの。川面に浮かぶ木のように、こちらへ流れ、あちらへ流れ、でも根づいているので、あの人は私のところへ来られるんだわ。[いらっしゃい]私は言うの、[いらっしゃいな]蒼白い顔色に黒い髪、こちらへくる人は憂鬱そうで、それにロマンティックだわ。それに私はいたずらで、おしゃべりで、気まぐれなの。あの人、憂鬱で、ロマンティックなんだもの。ここへ来たわ。私の横に立ってるわ。
ちよっと撞《つ》かれて、岩から剥がれた陣笠貝のように、ちぎられて。この人と一緒に落ちる。運ばれて。このゆるやかな流れのままに。このためらい勝ちな音楽の見え隠れにつれながら。岩が踊りの流れを砕くわ。揺れたり、震えたり。見えたり隠れたりして、私たちは流されて、この大きなフィギュアにとける。私たちを一緒にしたまま。その曲りくねったためらい勝ちな、乱暴な、すっかりまわりを囲んでいる壁を抜け出せないの。私たちの身体とも、彼のは固く、私のはなだらか、囲みの中におしつけられて、離れられやしない。なだらかに、幾重にもうねりをなして、長く拡がるとみればそれに挾まって揺れてはかえし、いくたびも、いくたびも。突然音楽が砕ける。血は激流しつづけていても身体はじっと立ったまんま。眼がまわってお部屋がくるくる。止まったわ。
いらっしゃい、さあ、あちこちとまわりまわって金のお椅子へ行きましょう。この身体は思ったより丈夫だわ。思いのほかに魅惑的だわ。この世に気にかけるものは何にもないわ。この人の他には誰もかまってやらないの。名は知らないけれど。私たち、似合いじゃなくって、お月様。ここで一緒に坐っているのは可愛くなくて。私は繻子の衣裳、彼は黒と白の服。お友だちが私を見るかもしれないわ。私、まっすぐ見返えすわ。あなた方を、男の方も女の方も。私はあなた方の一人。ここは私の世界だわ。さあこの細い軸のグラスを取って、一すすり。お酒はとてもきつい、舌をさすような味。びくびくしなくては飲めないわ。香りと花、光輝と熱が、溶け流れて、激しい、黄色いお酒になってるんだわ。肩胛骨のちょうど後ろのところで何か乾いたものが、見開いた眼を静かに閉じしだいに重だるくなって眠ってしまう。これが恍惚というもの。心の慰めだわ。のどの後ろの帯が下がっていくわ。言葉が群がり集い、重なり合って一つを他のてっぺんへ、突き出すの。どちらだってどうでもいいわ。押し合いへし合い、お互いの肩に登っていくの。たった一人ぼっちの仲間が、ころんでは沢山になるわ。私の言うことなどどうだっていいの。群がって、羽搏く鳥のように、一つの文句が私たちのあいだの空間をよぎり、彼の唇に止まるの。私はグラスにもう一度なみなみと。飲むの。とばりが私たちのあいだに落ちるわ。温くて秘密な今一つの魂に認められる。私たちは一緒だもの、ずっと高く、あの高山の峠で。彼は路の項きで鬱々と立ってるの。私は屈んで青いお花を摘んで、つまさきで立ってこの人に近づき、その上衣にそれを差してあげる。そこ? それが私の恍惚の瞬間、でもすんでしまったわ。
気の弛みと冷淡さが私たちに入りこんでくるわ。他の人びとがすぐ横を通って行くわ。私たち、私たちの身体がテーブルの下で結び合っていることなどもうすっかり忘れてしまっているの。青い眼をした髪の毛の立派な男の人たちも好きだわ。扉が開くわ。扉が開いて、開いて、開きつづけ。今度それが開くと私の人生はすっかり変るかもしれないわ。誰がくるかしら。あらつまんない、召使いがグラスを運んで。今度はお爺さんだわ――あの人と一緒だと私はまるで子供。つぎは大きな御夫人――この方と一緒だと私は知らぬ顔をしているわ。私と同じ年ごろの女の人が沢山。その人たちを見ると敵対心に燃える抜き放たれた立派な剣を感じるわ。みんな仲間なんだから。私はこの世界に産れたもの。ここに私の危険があるんだわ。私の冒険があるんだわ。扉が開いて。あら、いらしったわ。この人にこそ言うの、頭の先から足先まで黄金を波打たせて、[いらっしゃいな]するとその人は私の方へやってくるわ」
「みんなのうしろにもじもじ従って行くんだわ」ローダが言った。「誰か知っている人に逢ったように、でも私は誰も知らないの。ブラインドをひいてお月様を見るんだわ。あれこれと忘れていると昂奮がおさまるわ。扉口が開く。虎が跳ねるわ。ドアが開いて、恐怖がとびこんでくるの。恐怖が折り重なって、私を追いかけてくるの。別に蔵《しま》っておいた宝物のところへ私をそっと遺《や》らせてちょうだい。お池がこの世界とは別のところに在って大理石の柱を映しているわ。燕が暗いお池に羽根を浸けるの。でもここでは扉口が開いて、人びとがやってくるわ。私の方へやってくるわ。残虐と冷淡とを微笑の影にかくして、私を捕らえるの。燕は羽根を浸すのよ。お月様はお一人で青い海原を渡っていくわ。この人の手を取らなきゃ、お返事しなきゃ。でもなんと御返事していいのかしら。私は押しもどされて、この不様な、病弱な身体に虫をたぎらせつづけ、この人の冷淡と嘲笑の矢を受けるの。私、私は慕わしい、大理石の柱やお池、この世界とは異った側の、燕が羽根を浸しにくるお池が。
夜が煙突の上を少し向うへ移ってしまったわ。この人の肩越しに窓からちっとも迷惑そうでない猫が見えるわ。明りに溺れてもいず、絹に身を縛られてもいず、勝手に休み、気ままに伸び、それからまた動いて。私は個人の生活の些細なこと全部が嫌い。でもここにいて聞かねばならないんだわ。大きな重しがのしかかっているの。幾世紀にもつづいた重さを払い除けねば私は動けないの。百万もの矢が私を貫くの。嘲笑と愚弄が私を刺し通すの。私、嵐にも胸を耐え、息づまる霰《あられ》にもめげぬ私は、ここに動けなくされてるの。曝し者にされてるの。虎が跳ねるわ。言葉が鞭をつけて私の上に。いろいろに、絶えず移り変って私の上にちらつくわ。嘘を吐《つ》いて言い脱れをしたり防禦したりしなければ。この災難にはどんな護符があるのかしら。この熱を冷ますのにどんな面を呼べばいいのかしら。いろいろ考えるわ、箱についているいろいろな名前、広い膝からスカートが下がっているお母さんたちのこと、うしろに険しい丘が走りおりている林の中の空き地のこと。私を隠して。私は叫ぶの、私を救けて。一番年下で、あなたたちの中では一番露わな私だもの。ジニーは鴎《かもめ》のように波に乗っているわ。如才なくあちらこちらに流し眼を、こう言ったり、ああ言ってみたり、心をこめて。でも私は嘘を吐いてるの。言い脱れをしているの。
ただ独りで、私の水盤を揺《ゆす》って、私はわが艦隊の司令官。でもここでは私を招んでくれた女主人の窓でこの錦織りのとばりの総をねじっていて、私は砕かれてばらばらになるの。もう一つではないんだわ。なら、踊っているときジニーの持ってる知識はどんなものかしら。ランプの明りの下で静かに身を屈めて、針の目に白い綿糸を通すときスーザンの抱く確信は何かしら。みんな、ええ、と言ったり、いいえ、と言ったり。みんな拳でテーブルを叩いてるわ。でも私は心配。びくびくするの。野茨の影が荒地に揺れているのが見えるわ。
さあ、歩いて、何か目的でもあるかのように、お部屋を横切り、日除けの下のバルコニーへ行くとしよう。空がふと顔を出した月の光におぼろに輝いているわ。それにまた、広場の柵のところに顔のない人が二人、お空を背に彫像のようにもたれているわ。そうだわ、変化を受けぬ世界があるんだわ。ナイフのように私を切りぎざむおしゃべりをちらちらと浴びて、口籠らせたり、嘘を言わせたりするお客間を通り抜けてきてみると、美々しく装おった、いろいろな目鼻のない顔を見出すの。恋人たちがぼたんの木の下に蹲《うずく》まっているわ。お巡りさんが角のところに立って見張り。誰か人が通っていくわ。そう、変化を受けぬ世界があるのよ。でも私はすっかり組み立てられてはいないの。つまさきで火の縁に立って、熱い息吹きに焦されつづけ。扉が開くのも、虎が跳ねるのも怖いの。ひと言だって言えないの。私の言うことはしょっちゅう反対されてばかり。扉が開くたびごとに邪魔されるの。でも私、まだ二十一にはなっていないのよ。壊されるようにできてるの。一生愚弄されるようになってるんだわ。ここにいる男の人や女の人のあいだで、投げ上げられたり、落っことされたり、翻弄されるようになってるの。しかめ顔をされたり、嘘ばかり言われたり。まるで荒海に浮かぶコルクみたいに。ひときれの雑草のように扉が開くたびに遠くへ投げつけられるの。私は岩の端っこに流れては白くたまる泡沫なの。それに少女でもあるんだわ、ここで、この部屋で」
[#改ページ]
陽は昇り、水々しい宝玉をすかして気まぐれな一瞥を投げながら緑の褥《しとね》を離れ、顔もあらわ、波のかなたにまっすぐに見えた。波は規則正しい音を立てて崩れた。馬の蹄の競馬場に響く音さながら。波の飛沫が立って、騎士の頭上に行き交う手槍とも軽槍とも見ゆるばかり。波は鋼青色に、水先に金剛石を燦《きらめ》かして渚に拡がった。寄せては曳いて、くり返えしくり返えす機関のそれとも見ゆる力を含み。陽の光は麦畑と森に落ちた。あちこちの川は青み、ひだ一面に小波しきり。流れの縁に傾き下る芝地は、緑濃くなりまさり、静かに羽毛立てた鳥の翼のごとく。丘陵はくねるかとみれば支えられ、紐で背を縛《ばく》されたとも見え、筋肉の浮きすく肢《てあし》のよう。丘陵の側面に誇らかに生い立ち繁る森は馬首の短く刈り込まれたたてがみにも似ていた。
花壇や温室の上に樹木の鬱蒼たる庭園では、鳥たちが暖い陽ざしを浴びて、おもいおもいそれぞれ一羽でさえずっていた。一羽が寝室の窓下で啼くと、今一つはライラックの一番高い小枝の上で、また一つは垣根の縁で。どれもこれも、鋭く、切々と、激しく啼いた。歌も裂け散るばかり他の歌声を乱そうともかまいなく、ひどい破れ調子で。鳥たちはいつでも円い眼を一杯に光らせて、瓜先は小枝の柵を掴んでいた。木陰も持たず身を曝し、陽の光や大気に向って歌った。新しい羽毛も美々しく、覆いの羽軸や輝しい衣裳をつけ、おだやかな青の横縞、さてはまた、金色のあしらい、かとみれば一枚の羽根|麗《うら》らに縞あざやかに。せわしない朝に急き立てられているように歌声かしましく啼いていた。鳥たちは啼いた、存在の刀先を鋭くして、青緑の光の軟かさ、しっとりした地の湿りを切り裂かねばならぬかのように。台所から立ち上る油じみた湯気の香、羊や牛肉の温かい匂い、沢山あるお菓子や果物、台所バケツから捨てられた湿った屑やジャガイモの皮、そこからは積った屑の上に汚いものが流れ滲《にじ》んでいるのを。しめっぽいもの、湿《し》っけて汚れたもの、濡れてちぢれたものと見れば、鳥たちはところきらわず舞い下りては、乾いた吻《くちばし》でつついた、残虐に、荒々しく。ライラックの枝や垣根から突然身を跳らせて襲いかかった。蝸牛を探し出すと、その殻を石に叩きつけた。荒々しく、だが規則正しく叩きつけると、やがて殻が砕け、ねばねばしたものが割れ目から滲み出るのだ。鳥は飛び立ち、空高く舞い上って素早く翔《かけ》り、短く、鋭くさえずった。とある木の頂きの枝に止まると、下の木の葉や細茎、草のあいだに花が開いて真っ白な土地、一連隊の羽毛をつけてターバンを巻いた兵隊を振い立たす太鼓を打つような、音たてる海などを見下ろした。合流しては泡立ち、もみ合いながらしだいしだいに速度を速め、同じ水路を下り落ち、同じ幅広の木の葉を掠めてよぎる、絡み合った渓流さながらに。鳥たちの歌声は急速調に重なり流れた。だが岩がある。それらが離れる。
陽が部屋の中に切り立った楔《くさび》型に射していた。光線の触れるものは、ことごとくただならぬ様となった。皿は白い湖のようだった。ナイフは氷の短剣とも見えた。突然、お碗が幾筋もの光に支えられた姿を見せた。テーブルや椅子が、これまで水底に沈んででもいたかのように表面に浮き出し、熟れた果実の皮に吹く蝋粉のような、赤、澄、紫の薄い膜に覆われて浮かんだ。陶器の上塗りの石理、木材の木理、敷物の繊維がいっそうくっきりと刻み込まれた。あらゆるものに影がなかった。壷は緑したたるばかりで、眼は、その強烈さに漏斗から吸い上げられるとも、陣笠貝のようにそれに吸いつくかとも思われた。さまざまな型が塊りとなったり、細長く延びたり。ここは椅子の突起、ここには嵩ばった食器棚。光が強くなるにつれて、群をなす影は延びまさり、重なり合い、幾重にも襞を重ねて、背景にくっきりと映った。
「美しくもあり、奇妙な図だ」バーナードが言った。「燦爛《さんらん》と輝きながら、尖ったところもあり、円くなっているところもあるロンドンが、霧で包まれてわが前に横たわっているのは。ガスタンクに、工場の煙突に護られて、我々が近づくままにロンドンは横たわって眠っている。その胸のあたりに蟻が一杯。叫びという叫び。すさまじい喧噪が、静かに沈黙に包まれている。ローマとてこれほど壮厳ではない。だが我々はこのロンドンに向っているのだ。その母のようなまどろみも、もうすこやかではいられない。家並の並んだ棟々が霧の中から浮かび出す。工場、寺院、ガラスのドーム、学校、劇場がそそり立つ。早朝の北から来た列車がロンドンへ向って矢のように驀進する。とばりを引きあけながら、我々は通過していくのだ。ぼんやりした、物待ち顔な人びとが、駅を馳せ抜けると、我々を見つめる。みんなちょっと力を入れて新聞を握りしめる。列車の風が吹き飛ばすからだ。死に直面するのだ。だが我々は唸りつづける。我々は、どっしりした、母のような、威厳のある動物の横腹にくっついている貝殻のような、この町の脇腹に飛び出ようとしているのだ。ロンドンはつぶやき、囁く。我々を待っているのだ。
列車の窓から眺めつづけているあいだは、あんまり幸福なんで(婚約しているんだ)、妙に説得的に、町に驀進していくこの速力、この矢になりきっているように、感じる。感覚がしびれて、気もあせらず、為されるがまま。貴方、僕は言える。何をそわそわしているんですか、スーツケースをとり降して、一晩中かぶっていたキャップをおしこんだりして。何をしたって役にも立たないんだ。みんながすっかり同じような気持になっている。みんなが拡大され壮厳にされ、何か巨大な鷲鳥の羽毛のようなもので一様に擦られている。(いいお天気だが白っちゃけた朝だ)――たった一つの望みしかないんだから――停車場に着くこと。汽車ががたがたと停ってほしいとは思わぬ。一晩中いつまでもお互いに向き合って坐りつづけていなければならなかったようなお付合いもこわしたくはない。憎しみや敵対がまたまた動揺しはじめたとは思いたくない。それぞれ違った欲望を持っているとは、突進する列車に一緒にいて、ユーストンへ着くことだけを待ち望みながら坐り合っているということはまことに結構なことだった。だが、それ! もうお終いだ。我々は希望を達したのだ。僕たちはプラットフォームヘ流れていった。躁急と混乱と出入口を通り抜けてエレベーターへ真っ先に乗り出そうとする欲望とがますます輪に輪を加える。だが僕は、まっさきに出入口を通ろうとも、一個人の負担を背負いこもうとも思わない。僕は、彼女が僕を受け入れてくれたあの月曜以来、全く同化したような気持ですっかり神経が変ってしまい、ガラス箱の歯ブラシを[僕の歯ブラン][僕の……]といわなげれば見つけることもできなくなってしまったが、今は、手を離し、僕の所有物を放棄し、ただじっとこの通りのここに立って、何物にも関わりを持たず、バスをあれこれと見つめていたい、欲望も持たず、妬《ねた》みも持たず。だが、この上いくらでもその気になれば人間の運命についての果てしない好奇心ともなろう気持ちで見ていたい。だがそんな好奇心は毛頭ない。僕は着いた。喜んで迎えられるのだ。僕はなんにも欲しくない。
子供のように充ち足りて胸から離れてしまうと、私は、今こそ自由に、通り過ぎて行くもの、この普遍の、一般の人生の中に、下へ深く沈んで行くのだ。(ちょっと考えてみよう、どれほどズボンに依存しているものか。知的な頭脳もみすぼらしいスボンによってすっかり見下げられるものだ)エレベーターの扉のところで妙に躊躇しているのが目につく。こっちかな、あっちかな、それとも向うかな。それから個性がますますはっきりする。みんないなくなった。みんな何かの必要にひきずりまわされているのだ。命令を守ること、帽子を買うことといったようなみじめな事が、一度はかく結びつけられた美しい人間を離れ離れにしてしまう。私は別になんの目的もない。野心がない。普通の衝動に身を任せるとしよう。僕の心の表面は、通っていくものを映す青白い小川のように流れて行く。僕の過去も、鼻も、眼の色も、あるいはまた自己についての自分の一般的な意見がどんなものであるかも、想い出せない。ただ危急の際に、交叉点や縁石のところで、身体を保護したい欲望が飛び出して、僕を捕え、僕を立ち止まらせる。ここで、このバスの前で。我々は無理に生きている、と思われる。それからまた、なんにも気にかけない状態がくる。行き交う車の叫びや、こちらへ、あちらへと、同じような顔をした人の行き来が僕を麻酔させて眠らせる。あの顔、この顔から、鼻や眼や耳や口を剥ぎ取ってしまう。人びとが僕を通り抜けて歩いているらしい。時間のこの瞬間、自分が捕らえられていることに気のついた、この今日という日は、いったいなんだ? 行き交う咆哮は何かの叫びなのか――森林の樹木のうそぶきか、野獣の唸りか。時間が一インチか二インチ、その回転器の上を音を立てて飛びもどる。我々の短い進行が抹殺されてしまったのだ。我々の身体が実際裸にされているようにも思う。ボタンをかけた着物でわずかに覆われているだけなんだ。それにこの舗道の下の方には、貝殻や骨や沈黙があるのだ。
だが、本当に、流れの表面の下を運ばれて行かれるような、僕の夢想的な、うつつならぬ進展は、自然に湧き出る勝手ちがいの色々な感動によって邪魔され、引き裂かれ、突き刺され、引きもがれる。眠っているときのような奇妙な、貪欲な、物欲しそうな、無責任な感動で(僕はその鞄――等々が、とても欲しい)いや、僕は下へ行きたいだけだ、はるか下の深みへ行きたいだけだ。ときにはいつも効くとは限らない僕の大権を働かせてみたいし、調べてもみたいのだ。マンモスが大枝を軋らせる、大らかな祖先伝来の響きもききたいし、理解に充ちた両の腕で全世界を抱擁したいという、望んで得られぬ欲望に耽りたいのだ。――行動する人間にとっては不可能なことだ。歩いていて、僕は奇妙な心の動揺や同情に充ちた震動に顫えてはいないか。それらは、今の僕のように個人的な存在から解き放たれて、これらの心を奪う群々を僕に抱擁させようとするのだ。これらの見つめる人やぶらぶら歩いている連中を。自分の非運をも知ろうとせずに商店の飾り窓をのぞきこむ、使い走りの小僧たちやこそこそ逃げる少女たちを。だが僕は我々の果敢ない陽炎にも似た人生行路のことはわきまえているのだ。
とはいうものの、本当のところ、僕のための人生がいま不可思議にもひき延ばされているといった感じを否定することができない。それも、僕が多数の子供を持ち、この世代を、この宿命にとりかこまれた人口を超越して、広く子孫の種を播き、お互いにいつまでも競争しながら通りをぞろぞろと歩むということか。僕の娘たちは、夏ともなれば、ここにくることだろう。息子たちは新しい畑を鋤き返すだろう。されば我々はすぐにも風に乾く雨の滴ではない。庭に風を吹かせ、森林を咆哮させるのだ。我々は別々に、永遠に、生長するのだ。このことは僕の自信、心の堅固さを説明するに役立つ。さもなくば、この街路に群がる人の流れを掻きわけて、しょっちゅう人の身体をくぐり抜け、ときを見計らって横切るなどは、とてつもなくおかしな話だ。虚栄などではない。野心を持っているわけではないんだから。僕の特別な天稟《てんぴん》とか特質とか、さては我が身に帯びている特徴、目や鼻や口などは思いも及ばぬ。僕は、この瞬間には、僕ではないのだ。
でもほら、ひきかえしてくるぞ。誰もあの頑固な臭いを消すことはできないのだ。それは構造物――人間の本体――の何かの亀裂をくぐって忍び込んでくる。僕は街路の一部じゃない――違うとも、僕は街路を観察しているのだ。だから一つが分裂するのだ。例えば、そこの裏通りでは少女がたたずんで待っている。誰をか。浪漫的な物語りだ。あの店の壁に小さな鶴が描かれている。ところでどういうわけで、自問する、その鶴がそこに描かれていたのか。それにまた、六十男の汗かき亭主に手を取られ、古臭い大袈裟な馬車から引きずり出される、ところきらわず脹れ上った肥っちょの、深紅に身を包んだ淑女といったところを考えてみると、奇怪な話だ。とりもなおさず、僕は言葉の捏造者、これやあれやを種にして泡を吹く男だ。そして自らこれらの観察を打ち捨て、僕は自分を彫琢し、自分を変貌し、あてどなく歩めば聞ゆる声に耳傾ける、[そら、そのことを、ノートにとれ!]ある冬の夜、僕の観察したものすべてに意味を与えることを求められればどうだろう――筆は次から次へと流れ、総体が完成する。だが裏通りでの独り言はすぐに興ざめる。聴衆が必要だ。これは僕の破滅だ。それがいつも最後のぎりぎりの叙述をかき乱し、まとまりをつけさせない。僕はどこかのむさ苦しい食堂に腰を下ろして、毎日毎日同じ飲物を注文したり、一つの液体に――この人生に――我が身を浸らしたりはできないのだ。僕は文章を作り、それを持ってどこか飾りつけの行き届いた部屋に駆け込んで、おびただしい蝋燭の光にそれを燦爛と照し出させる。僕は自分にこれらの襞飾りや美々しい装飾を取り去る眼が必要だ。自分であるためには(僕は書き留める)他人の眼の燦めきが必要なのだ。そんなわけで自分がなんであるのか、自分ながら、しかとはわからない。信ずるにたるものは、ルイスのように、ローダのように、全くの孤独に存在しているのだ。彼らは燦めく照明を、反復を、憤慨する。彼らはひとたび描かれた彼らの絵を、顔を下に野原に投げ捨てる。ルイスの言葉によれば、氷は、厚く詰められる。彼の言葉はおしつけられ、凝縮され、止めどもなく流れ出る。
で、僕は、こう夢うつつのような状態のあとで一閃の紫光を放ちたい。わが友だちの顔の光りを浴びて、おびただしく一面|煌《きらら》かに。僕は正体の定かならぬ、陽も射さぬ領土を横切っていたのだ。見知らぬ土地を。慰めの瞬間に、満足忘却の瞬間に、寄せるにつれひくにつれ、この輝かしい光の環、この愚かしい憤怒の怒号を超えて打ち寄せる潮の嘆め息を聞いたことがある。一瞬ながらこの上なく平和なときがあった。これがおそらく幸福というのだろう。ところでいま僕は心を刺すような感動で引きもどされる。好奇心、僕でありたいという、貪欲な(腹が空いた)抗《あらが》えない欲望によってだ。僕がいろいろなことの言える人びとのことを考える。ルイス、ネヴィル、スーザン、ジニー、それにローダのこと。この人たちといると僕は沢山の面を持っている人間だ。彼らは僕を暗黒から救ってくれる。僕たちは今夜逢えるのだ。嬉しいことだ。ありがたいことだ。もう独りでいなくてもいい。僕たちは一緒に食事をする。みんなパーシバルにさよならをいうのだ。彼はインドヘ行くのだ。でもまだ時間がたっぷりある。でももう今からぼんやりとこの先ぶれ、この従者たる連中、まだ姿を見せぬ友だちの姿が感じられる。ルイスが見える。石を刻んだ、彫刻みたいだ。ネヴィルは鋏で切った紙細工、きちんとして。水晶の球のような眼をしているスーザン。涸れた地上を、燃えさかる熱い焔のように踊っているジニー。いつも湿っぽい泉の妖精たるローダ。これらは幻想的な絵姿だ――これらは虚構、おぼろで、怪奇で、水腫のようで、まことの靴の爪先にかかったら一踏みで消え失せる、ここにはいない友だちの幻影なのだ。でも彼らは僕を無理矢理に元気にさせる。彼らはこんな幻想をぬぐい消してしまう。僕は孤独を切望しはじめる――幻想の帷《とばり》が暑苦しく垂れていて、身体にはよくないような気がしはじめる。ああ、それらを投げ捨てて、生気溌剌たれ! 誰でもいいのだ。僕は気むずかしくはない。辻掃除人でもいい、郵便集配人でも、フランス料理店の給仕でもいいのだ。その上その陽気な店主に至っては、なおさらだ。彼の愛想のよさは全く人のために取って置いたみたいだ。彼は特別なお客のために、サラダを自分自身の手で交ぜる。どれがいったい特別なお客なのか、それにまたなぜだ? 耳環の婦人に彼は何を言っているのか、彼女は友だちなのかお得意なのか。テーブルに腰を下ろすとすぐ、僕は、気持よく混み合っている混乱、不安定、可能性、思索を感じる。幻想が立ちどころに湧き上る。僕は自分の豊富な想像力に当惑する。ここの椅子やテーブルや食事をしている人びとを、どれもこれも十分に自由に描写しようと思えばできる。僕の心はあちらこちらとあらゆるものに言葉の面紗《ベール》をかぶせてしゃべり立てる。物を言うことは、葡萄酒を給仕に言いつけてもそうだが、爆発させることだ。火箭《かせん》が飛び上る。その金色のつぶてが落ちてくる。稔《みの》り稔って、僕の想像の豊穣な地の上に。これは全く思いがけない性質の爆発だ――交際の愉悦だ。僕は、イタリア人の給仕と付き合っている、この僕はいったい何物だ。この世界には安定などというものはありはしない。いろんな物にどんな意味があるといったい誰が言いうるか。誰が言葉の飛躍を予言しうるか。それは樹の頂を漂う風船だ。知っていることをしゃべるのは無益な業だ。一切が実験であり冒険である。我々はいつまでも見知らぬ人びとと付き合っているのだ。来たるべきものは何か解らぬ。だがグラスを置けば想い出す。僕は婚約しているのだ。今夜は僕の友だちと会食するのだ。僕はバーナードだ、自分なんだ」
「まだ八時五分前」ネヴィルが言った。「早く来すぎたな。定刻十分前にテーブルに自分の席を取ったというのは期待に充ちた各瞬間瞬間を味わうためだ。扉の開くのを見て、[パーシバルか。違う。パーシバルじゃない]というためだ。病的な喜びを感じながら言っているのだ、[違う。パーシバルじゃない]もう扉が二十回も開《あ》いたり閉《しま》ったりするのを見た。そのたびごとに不安にどきりとする。これは彼がやってくる場所だ。これは彼の坐るテーブルだ。信じられないようなことだが、ここへ彼の生身の身体が現われるのだ。このテーブル、並んでいる椅子、赤い花が三つ差してある、この金属の花瓶といったものが異常な変化を受けようとしている。すでにこの部屋には、自在扉もあり、テーブルには果物が、冷めた大きな肉片が堆《うずたか》く置かれ、揺れ動いて、うつつならぬ場所とも見え、人一人何か起るのを今か今かと待っている。いろいろなものがまだ実在するには到らないかのように顫える。テーブル掛けの無地の白さがきらきら光る。ここで食事をしている他の人びとの敵意、冷淡さが身をつまらせる。お互いに見合っている。お互いにご存知ないことに気がついて、じっと見つめて、立ち去っていく。そんなふうに人を見るのは鞭をあてるのと同じだ。この世のことごとくの残虐と冷淡とがそうした人びとの中にあるような気がする。彼がやって来ないとすると、僕は我慢がならぬ。行かねば。だが今誰かが彼と逢っているに違いない。彼は車に乗っているに違いない。ある店の前を通過しているに違いない。瞬間瞬間、彼はこの部屋に、この射るような光、この存在の激しさを送りこんでいるようだ。だからいろいろな物が普通の役に立たなくなったのだ。――この小刀の刃は一閃の光に過ぎず、何かを切るものではない。普通のものが一切消滅だ。
扉が開く。だが彼は来ない。ルイスがあそこでぐずぐずしているのだ。自信と小心との、奴は奇妙な混合物だ。鏡を見て入ってくる。髪の毛に手を入れる。自分の様子に不満足なのだ。彼は言う、[俺はさる公爵――古い名門の後裔だ]彼は意地悪で、疑い深くて、威張り屋で、気むずかしい。(パーシバルと較べてみると)同時に奴は侮りがたい、眼では笑っているんだから。僕を見つけた。ここへ来たぞ」
「スーザンだ」ルイスが言った。「僕たちには気がつかない。着飾っていないな。役にも立たぬロンドンを軽蔑しているんだから。ちょっと自在扉のところに立って光で眩ゆいばかりの生き物のようにあたりを見まわす。動いたぞ。ひそかに、だが自信をもって動く。(テーブルや椅子のあいだでさえもだ)野獣そっくり、本能で道をみつけるように、そこら中の小さなテーブルのあいだを出たり入ったりしながらどれにも当らず、給仕にも目もくれず、まっすぐ隅の我々のテーブルにやってくる。僕たち(ネヴィルと僕)を見ると、驚くべきほどに自信たっぷりな顔をする。まるで欲しいものが手に入るように。スーザンに愛されることは、鳥の鋭い嘴で刺されること、裏庭の扉に釘づけにされることだ。でも時々はこちらから、これを限りに、嘴で刺されたり、裏庭の扉へ釘づけにされてみたいと思うときもある。
ローダが来た。どこからともなく、まるでみんなが気づかないうちに忍びこんだ。道を迂曲して、給仕のうしろに隠れてみたり、装飾柱の後ろに身をひそませたに相違ない。できるだけ長く驚かそうために、もう一度水盤の花弁を揺り動かす瞬間を確保するためにだ。僕たちは彼女を目覚めさせる。彼女を責め苛いなむ。ローダは僕たちを怖がり、軽蔑するが、すくんで小さくなっても我々の方へやってくるのは、僕たちが残虐であるにしたところで、いつもある名、ある顔があって、それが光輝を放ち、彼女の進む舗道を照らし、彼女の夢を持ちつづけていかせるからだ」
「扉が開く、扉がどんどん開きつづけているけれど」ネヴィルが言った。「彼はまだやって来ない」
「ジニーだわ」スーザンが言った。「扉に身を寄せて、いっさいが静止したみたい。給仕が立ち止る。扉の傍のテーブルにいる人たちが見つめる。ジニーは一切の中心みたい。身のまわりに、テーブルやら、並んでいる扉やら、窓や、天井やらを放ち出し、まるで砕けたガラスの真中で星が光芒を放っているようだわ。いろんなものを一点に集中して秩序づけるの。私たちを見て、動いて、あらゆる光芒が小波を立て、私たちに打ち寄せ、新しい潮の感動を起させるわ。みんな改まる。ルイスは手をネクタイに、ネヴィルは、悲痛な面持で待っていたのが、前のフォークを神経質に整える。ローダは驚いて顔を合わし、どこか遠い水平線で火が燃えたよう。そして私は、露に濡れた草、雨に湿った野原、屋根を叩く雨の音、冬ともなれば家に吹きつける烈しい風などで心を鍛え、負けぬように魂を護ってはいるけれど、ジニーの嘲笑が私の身のまわりに忍び寄り、彼女の笑いが火焔の舌ともなって渦を巻き、明らさまに私のみすぼらしい服を、鋭い先をした爪を照し出すような気がするの。すぐに爪をテーブル掛けの下に隠したわ」
「まだパーシバルは来ない」ネヴィルは言った。「扉は何度となく開くけれど、まだやって来ない。なんだ、バーナードだ。外套を急いで脱ぐと、彼は、もちろんながら、脇の下に青い肌着をちらつかせる。それからここにいる僕たちとは違って、入ってくるのに扉を衝き開けもしなければ、知らない人が一杯いる部屋へ入ってくることも一向気にはしていない。鏡をのぞいたりもしない。髪の毛は乱れているが、それにも無頓着。僕たちが変っていることも、このテーブルが行き着くところだということも一向に感じていない。ここへくるのにまごついてばかりいる。あれは誰だろうか、と彼は考える。お芝居行きの外套を着ている女をあまり知っていないからだ。誰をもそんなに知っていない。彼は誰も知らないのだ(パーシバルと較べてみてのことだが)。しかし今、僕たちに気づいて、情のこもった挨拶を送っている。彼はそうした仁慈、そうした人類愛(「人類を愛すること」が無益だという諧謔も含まれているわけだが)で圧倒する。それも、こんなものを根も葉もないものにしてしまうパーシバルがいないとすれば、他の連中がもうすでに感じているように、誰でもが感じる手合いのものだ。今は我々の祝宴だ。みんな一緒だ。それにしてもパーシバルがいないととんと締まりがない。我々は背景を持たずにおぼろに動いている影法師、中身のない幻影だ」
「自在扉は始終開いているけれど」ローダが言った。「くるのは知らない人ばかり。二度と逢うこともない人ばかり。無遠慮で冷淡で、私たちを除けものにしてもなんだか一つの世界がつづいていくような、感じの悪い人ばかり。私たちはがっかりしたり、私たちの顔を忘れたりはできないわ。顔もなく、入ってきても様子を変えたりしない私でさえ、(スーザンやジニーは身体つきや顔つきを変えるわ)うろうろとまごつくの。留められもせず、どこに錨をおろすところもなく、しっかり固められもせず、この虚ろさや連続や、ここの人びとが前で動いている壁などを、組立てることさえもできないの。ネヴィルが苦しい思いをしているからだわ。この苦しい息づかいが私の存在を粉々にしてしまうの。何もかもが落ち着けないわ。静かにじっとしておれないわ。扉が開くたびに彼はテーブルをじっと見るの――眼を上げようともしないで――それからちらちらと見て言うの、[パーシバルはまだ来ない]でもパーシバルが来たわ」
「そら」ネヴィルは言った。「僕の樹に花が開く。胸がときめく。一切の苦悩がなくなった。いっさいの障害が取り除かれる。渾沌の支配が過ぎ去った。彼は秩序を与えた。ナイフがふたたび切れる」
「パーシバルだわ」ジニーが言った。「ちゃんとした身なりじゃないわ」
「パーシバルが来た」バーナードが言った。「髪を撫でつけて。見栄からではなくて(彼は鏡をのぞいたりしない)礼節の神の御意に適うためだ。彼は因習的だ。英雄だ。少年たちが彼の後から隊を組んで運動場を横切った。彼が鼻をかむと子供たちも鼻をかんだ。だが上手というわけではない。というのも彼はパーシバルなんだから。ところで、彼が我々から離れてインドへ行こうとしているのでこうしてつまらぬ連中が集まったのだ。パーシバルは英雄だ。そうだとも。誰がなんと言ったって否定できることではない。彼がスーザンの横に坐ると彼はスーザンが好きなのだ、この祝典の最後が飾られる。お互いの踵に噛みついて豹のように吠えていた僕たちが、隊長を前にした兵士のように真面目に静かな様子になる。若いために(最年長者といえどもまだ二十五にはなっていない)離れ離れになっていた僕たち、熱心な小鳥のように各々の歌を歌い、若気の悔いるところもない野蛮な自我主義で、我々自身の蝸牛の殻をそれが砕けるまで(僕は婚約しているのだ)打ち叩き、さては誰かの寝室の窓の外に独りぼつちで坐りこみ、愛や名声や、さては嘴の黄色い、まだ羽根も生えそろわぬひな鳥には貴重なその他の単一な経験を歌っていた我々が、今こそいっそう近々しくなるのだ。みんなそれぞれの関心がかけ違っているこの料理店で、我々の棲み木の上でそろりそろりと寄り添い合い、絶え間なく人の行き来で気が散っていらいつらし、扉が絶えず開いては鏡の枠が数知れぬ誘惑を投げ、我々の自信を侮辱し傷ける――ここに坐り合っていて、我慢しながら、僕たちはお互いを愛し信頼する」
「さあ、僕たちは孤独の暗闇から出よう」ルイスが言った。
「遠慮なく、明らさまに、心に思っていることを言おうではないか」ネヴィルは言った。「我々の孤立、我々の準備もすんでしまった。秘密な、身を隠して人目を忍んだ日々。階段での啓示。恐怖と恍惚の瞬間」
「懐かしいミセズ・カンスタブルが海綿を持ち上げて暖かさを僕たちに注いでくれた」バーナードが言った。「僕たちはこの変化する、この感じ易い肉体の衣類を着せられたのだ」
「長靴を穿いた男の子が菜園で台所女中に言い寄ったわ」スーザンが言った。「風に吹き払われている洗濯物の中で」
「吹く風は虎が喘いでいるようだったわ」ローダが言った。
「人が咽喉を切られて小溝の中に蒼ざめて倒れていた」ネヴィルが言った。「二階へ行くと、硬直した銀の葉をつけている、相変らず不気味な林檎の樹に足を上げることができなかった」
「木の葉が誰も吹きはしないのに生垣で揺れてたわ」ジニーが言った。
「陽に焦げた片隅で」ルイスが言った。「花弁が緑の深淵を泳いだ」
「エルブドンでは園丁どもが大きな箒でしきりに掃き、女の人が机に向って書きものをしていた」バーナードが言った。
「堅く巻いたこうした糸の球から僕たちは今一本一本の繊糸《せんし》を手繰《たぐ》り出す」ルイスが言った。「逢えば思い出すのだ」
「それから」バーナードが言った。「車が玄関に着いて、新しい山高帽を女々しい涙をかくすために目深かにかぶり、下女までが見ている通りを通り抜け、白い文字で箱に書かれた我々の名前が世界に向って宣言するのだ、箱の中に決められた数だけの靴下やズボン下、お母さんが幾晩もかかって前もって僕たちの頭文字を縫い込んでくれたものだ、それらを持って学校へ行くんだと。我々の母親たる肉体からの今一つの隔離だ」
「それからミス・ラムバート、ミス・カティング。それにミス・バード」ジニーが言った。「思い出の淑女たち、白い襞襟を着け、石のような色をして、得体も知れずフランス語や地理や算数の頁の上を純潔な蝋燭のほのかな光やおぼろなツチボタルのように動く紫水晶の指輪を着けた方々が監督だったわ。地図や緑の羅紗を張った板、棚には靴が並んでいたわ」
「ベルが時間通りに鳴って」スーザンが言った。「女の子らがとっ組み合ったり、くすくす笑ったり。リノリュームの上で椅子を引っこめたり引き出してみたり。でも屋根裏のある所からは青い景色が見えたわ。遠くに見えるこの野原は、こんな規則ずくめの、まやかしの、嘘、いつわりで汚されてはいなかったわ」
「頭から面紗《ベール》が下ったわ」ローダが言った。「私たちはお花をしっかり抱きしめたわ。その緑の葉が花輪の中でさらさら言ったの」
「我々は変った。逢っても分らなくなった」ルイスが言った。「みんなこうした別々の光に曝されて、我々の中にあったものが(というのも我々はみんなひどく違ってるんだから)ぶざまな斑点になり、全く空虚な間隔を置いて、断続的に表面にやって来たのだ。まるで何かの酸が不ぞろいに皿の上に垂れ落ちたみたいに。僕はこれだ。ネヴィルはあれだ。ローダはまた違ったもの。バーナードもまたそうだ」
「それから丸木舟が青い色をした柳の小枝の中をくぐり抜けて滑って行った」ネヴィルが言った。「そしてバーナードは、いつものように行き当たりばったりに、緑の堤、古めかしい構造の家々に進んで行き、僕の傍で地上の堆《うずたか》い塊の中に倒れたのだ。感動がほとばしり――風は吹きつのらず、稲妻とて唐突ならず――僕は己が詩をとらえ、己が詩を投げ散らし、扉をうしろに激しく閉めた」
「でも僕は」ルイスが言った。「君たちを見失い、事務所へ坐って日暦《ひごよみ》からその日その日を剥ぎ取り、船舶業者や雑穀商や保険計算係たちの世界へ、十日金曜日とか十八日火曜日の夜明けがロンドンに来たことを報告していた」
「それから」ジニーが言った。「ローダと私は明るい服で現われて、咽喉にまわしたつめたい首環に少しばかり宝石をちりばめ、お辞儀をしたり、握手をしたり微笑みながらお皿のサンドウィッチをつまんだわ」
「虎が跳ね、この世ならぬ別世界の暗い池に燕が羽根を掠めたわ」ローダが言った。
「でもここにこうして僕たちが一緒にいる」バーナードが言った。「みんな一緒にやって来た。このときばかり、このここで。何か深い、何か共通の感情でこの親しい交わりに引き入れられているのだ。とりあえず、[愛情]とでも言おうか。パーシバルはインドへ行くんだから[パーシバルの愛情]とでも言おうか。
「いや、そんな表現は、あまりに小さ過ぎあまりに特殊であり過ぎる。我々の感情の幅や拡がりをそんな小さな特質に含めることはできない。僕たちは共に集ったのだ(北から、南から、スーザンの農場から、ルイスの商館から)、一つのことをするためだ。耐え忍ぶことではない――何を耐え忍ぶのだ。でも多くの眼で一せいに見られてはいるのだが。あの花瓶の中に赤いカーネーションが一本ある。僕たちがここに坐って待っていたときには単一な花だったが、今では七面で、沢山花弁をつけて、赤い、暗褐色の、深紅の蔭をおとし、銀色の葉をつけて硬ばったような花だ。――眼という眼がおのおのの寄与をもたらす、一つの一体の花だ」
「気まぐれな焔、青春の底知れぬ倦怠のあとで」ネヴィルが言った。「光がこうして真実の物象に落ちる。ここにはナイフやフォークがある。この世界が運行する。そして我々も。だからお話ができるのだ」
「僕たちはみんな異っている、全く真底からかもしれぬ」ルイスが言った。「説明を求むればだ。だが説明しようじゃないか。僕は入ってくるときに髪を撫でつけた。君たちとは違っているように見せたかったのだ。でも駄目だった。僕は諸君のように単一でも十全でもないからだ。僕はもうすでに無数の人生を生きてきた。毎日毎日墓から蘇えり――掘りかえす。数千年の昔、女たちが作った砂丘の中に僕は己が屍を見出す。その昔にはナイル河のほとりで歌う歌、しばられた野獣の足音を耳にした。君たちの横にいるこの男、このルイスは、ただの灰燼、かっては輝しかった何かの糟滓《かず》に過ぎない。僕はアラビアの皇子だった。この勝手気ままな挙動を見るがいい。僕はエリザベス朝の偉大な詩人だった。十四世ルイ王朝の公爵だった。僕は自惚れも自信も強い。女たちが同情して嘆息をつくような、測り知れない願望を持っている。僕は今日はお昼をまるきり食べなかった。スーザンが僕に死相のあるのを気づくように、ジニーからは同情に充ちた、その類うべくもない慰めをかけてもらえるためにだ。でも僕はスーザンとパーシバルとは崇拝しているのに、他の連中が嫌いだ。というのも、こんなおどけをしてみたり、髪を撫でつけたり、訛りを隠したりするのも彼らのためだからだ。僕は胡桃の上で喋べる小猿だ。君たちは腐った菓子パンを入れた、ぴかぴか光る鞄を抱えたひきずり女だ。それにまた僕は檻に入れられた虎だ。君たちは赤熱した鉄捧を持つ見張人だ。だがそれは亡霊だ。僕は君たちより獰猛で強い。地上に出現するのは、君たちに笑われないように恐怖しながら、煤の嵐に向う風に面《おもて》をそらしながら、明晰な詩の鋼鉄の環を作ろうと努力しながら、実は存在しない数時代が、過ごされてからの後のことだ。詩といえば、鴎や、歯の悪い女たちや、教会の尖塔や揺れ動く氈帽を結びつける。それらも、お昼を食べていて、僕の詩を――ルクレティウスだったかな――薬味瓶や肉汁のはねた勘定書にもたせかけていたときに見えるものだ」
「でもあなたは私が嫌いになったりしやしないわ」ジニーは言った。「こんど逢うときにはきっと、眩ゆい椅子や大使たちの一杯いる部屋を通ってでも、その部屋を通って同情を求めに私のところへやってくるわ。今しがたここへ入ってくると、一切合切が押し型のようにじっと動かなかったわ。給仕が立ち止まり、食事をしている人がフォークを上げて持ったまま。何か起るのを待っているような気配だったわ。腰を下すと、あなたは手をネクタイヘ持って行ったり、テーブルの下へ潜めたり。でも私は何もかくしやしないの。準備はできているのよ。扉が開くたびに、[もっと]と叫ぶの。でも私の想像は諸々の肉体なんだわ。肉体が投げかける環を越えてはなんにも想像できないの。私の身体が私の前を進んでゆき、暗い小径を照らす灯りのように、つぎからつぎと暗闇の中から円い明かりの中へ照らし出すの。あなたが眩しい。ただ眩しいばかりということをあなたに信じていただきたいの」
「だが君が扉に立つと」ネヴィルが言った。「みんなが静かになり讃嘆したくなるんだ。これは自由な交際のためには大きな障害だ。君が扉に立つと僕たちは気を曵かれる。でも君たちの中の誰もが僕がやってくるのを見たものはない。僕は早く来たのだ。僕は急いでまっすぐにここへ、好きな人の傍へ坐るようにここへ来たのだ。僕の人生は君たちには思いも及ばぬほどに迅速だ。僕は臭跡を追っかける猟犬のようだ。僕は暁からタ暮れかけて追いまわる。何物も、砂をくぐって完成を追求することも、名声も、金銭も、僕にはなんの意味もない。お金持にもなり、名声もうることもあるだろう。だが欲しいものは得られないのだ。優雅な身体つきも、それに伴う勇気も持ち合わせてはいないんだから。わが心の迅速さはわが肉体には強すぎるのだ。目的に達する前に失敗し、湿っぽい、おそらくは胸の悪くもなるような堆積に倒れるのだ。人生の危機に際して憐憫を起させはするが愛情をではない。だから恐ろしく苦しむのだ。だがルイスのようには、自分を観せ物にするために苦しまない。立派な真実の感覚を持っているのだから、こんな瞞着やこんな仮面にわが身を任すことはできない。なんでもが――ただ一つを除いて――すっかり明瞭にわかる。それが僕の救いだ。それが僕の苦悩にやむことのない激励を与えるものだ。それは、黙っているときにすら、僕に指図を与えるものだ。それにある点からすれは、僕は欺かれているのだし、人間は常に変っているのだし、もっとも願望は変らないが、それに夜になれば誰の傍に坐るのか、朝のうちには分りはしないことだし、つまり僕はじっと停滞などしてはいないのだ。僕は最悪の災害から立ち上る。回転する。変化する。武装も凛々しいこの逞しい、膨張した身体から、小石が跳び出す。こうした追求をつづけながら年を取っていくのだ」
「追求と変化とのうちに年をとることが信じられるものならば」ローダが言った。「怖いものがなくなるわ。なんにも残らないわ。一つの瞬間が他の瞬間につづかない。扉が開いて、虎が跳ねる。この人たちには私が入ってくるのがわからない。恐ろしい跳躍を避けるために椅子をずっとまわるの。あなた方みんなが怖いの。私に襲いかかる感動の衝動が怖いの。あなた方とちがってどうしていいか分らないんだもの。――一つの瞬間をつぎの瞬間に併合させることができないの。私にはみんな激烈で、みんな別々。その瞬間の跳躍の衝動をうけて倒れたら、あなたたちは私に乗っかって、粉々にひき裂いてしまうわ。何も目的だった目論みなどはないの。一分一分を、一時間一時間をどうして過ごしていいかわからないの。やがてはあなたたちが人生と呼んでいる、総体的な、分つことのできない集合になるまでは、何か自然の力によって、そうした時間を解決していくなんてことはとても駄目。というのも、あなたたちはちゃんと目的を持って目論みを立てているのだもの――横に坐る人かしら、何かの考えかしら、あなたの美しさのことかしら。わからない。――あなたたちの日々や時間時間は、臭跡を追う犬の眼に映る、森の樹枝や、滑らかな緑の馬道のように過ぎていくのだもの。でも私が従《つ》いていくただ一つの臭跡も、たった一人の人もいはしない。それに私は顔もないんだわ。私は海浜を走るうたかた。ここのこの錫の罐の上に、ここの鎧を着たそよごの穂状花に、あるいは骨片に、あるいは半ば蝕《くさ》ったボートに、まるで矢のように降りかかる月光に似ているわ。洞窟を舞い下り、果しない通廊にひらひらする紙片のようで、身体をひきもどすには壁へしっかりと手を圧しつけなければならないの。
でも何より寄りどころがほしいのだから、ジニーやスーザンの後について二階に行くときには、何かしっかりした目的を持っている風をするわ。靴下を穿くときには二人が穿くのを見ているの。お話したくて貴女《あなた》たちを待ってるの。それから貴女たちのようにお話するわ。ロンドンを横ぎって、このところ、この場所へ曳かれて来ているの。あなたや、あなたや、あなたに逢うためじゃなくもっぱらに、同じもののように、気苦労なく生きている、あなた方の全体の炎に私の火を燃やしたいからだわ」
「今夜この部屋に入ると」スーザンは言った。「足を止め、動物のように、眼を地に近づけてじっと見つめてみたわ。絨毯や寝具やいろいろな匂いに胸が悪くなるわ。露に濡れた野原を一人で歩いたり、門のところで立ち止まって、円くなったセッターの鼻を見てみたり、[兎はどこ]とたずねたりするのが好き。草をねじ曲げたり、焚火に唾を吐いたり、長い通路をお父さんのようにスリッパをはいてぶらぶらくるような人たちと一緒にいる方がいいわ。私のわかることといえば愛や憎しみや忿怒や苦悩の叫びだけなの。こんなお話は、年老いた女の人からその身体の一部になっている服を脱がせているのだわ。でも今お話していると、その女の人は下が淡い紅色になり、股や垂《たる》んだ胸に皺を寄せてしまっているわ。あなた方が黙るとあなた方はもとのように美しい。私が持つのはこれからは自然の幸福だけ。それで満足だわ。疲れて寝て。つぎつぎに豊かに稔る畑のように横たわり、夏には暑熱が私の上を踊りまわるわ。冬は寒さで一面の亀裂。望もうと望むまいと、暑さや寒さは代る代る自然にくる。私の子供たちが手数をかけさせることでしょう。噛み合ったり、泣き叫んだり、学校へ行ったり、もどってきたりするのが私の下に打ち寄せる海の波みたい。そんなくりかえしのない日とて一日だってありやしないわ。季節季節の背に乗って、あなた方の誰よりもずっと高いところに昇るんだわ。ジニーよりも、ローダよりも、ずっと沢山子供を持つの、私が死んでしまうころには。でもまたあなた方が様を変え、品を変え、ひとの考えや笑いに百万遍もえくぼを作るなら、私は不機嫌に、けわしい顔色に、どこもかしこもすっかり紫色になってしまうわ。けもののような、でも美しい母性の熱情で下等にもされ狭量にもなるわ。子供たちという財産を遠慮もなくせっせと作るの。わが身の欠点ばかり見る人は嫌いになるわ。その人たちを助けるためには卑劣なことだけど嘘も吐《つ》くわ。それらの人に私を囲んでもらって、あなたも、あなたも、あなたも近づけないわ。その上私は嫉妬で引き裂かれるの。手の赤いことや爪が傷んでいるのを気づかせるからジニーは嫌い。私の愛しているひとが逃げられるなどと口にするなら私は死んでしまうような兇悪さで恋をするの。あの人は逃げて私は頂の木の葉に見え隠れに垂れている紐にしがみついたままでいるの。言ったことなどわからないの」
「言葉がつづくものだと知らないで産まれてきていたら」バーナードは言った。「僕はおそらく何かであったかもしれん。本当のところは、どこでも連続を見出すものだから、僕は孤独の重任には耐えることができないのだ。煙の球のように僕のまわりをめぐり渦巻く言葉を見ることができなくなれば、僕は暗中摸索だ――無だ。独りでいると倦怠に陥り、炉の柵越しに燃え屑をつっ突きながら、ミセズ・モファットがやってくると陰気に独り言をいう。彼女が来てそれをすっかり掃除するだろう。ルイスは独りでいると驚くほど熱心に物を見て、僕たちよりも長く後に残るかもしれないいくつかの言葉を書く。ローダは独りでいるのが好きだ。ローダが僕たちを恐れているのは僕たちが、孤独なときにはとくに激しい彼女の存在感を打ち砕くからだ――彼女の、あのフォークの握り様を見るがいい――僕たちに対する彼女の武器だ。だが僕は鉛職工が、あるいは馬商人が、それとも誰であってもかまわないが、僕を燃え上がらせるようなことを言ってくれるときだけにしか存在の意識がないのだ。そのときには僕の言葉の煙はどんなに愛らしいことか。赤いエビや黄色い果物の上を、立ち上ったり下ったり、誇らかに翻るかと見れば舞い下りたり、それもこれもを一つの美に束ね寄せて。だがこの言葉の俗悪なさまをよく見ろ――どんな遁辞や古めかしい虚言で捏《こ》ね上げられているか。だから僕の性格はある部分は他の人びとが備えている刺激物でできている。この性格は僕のものではない。君たちの性格が君たちのものであるようにはだ。何か宿命的な脈理、うねりくねった、不規則な銀脈があって、性格を弱めているのだ。だからこそ、学校でよくネヴィルを憤らせ、彼を置いてきぼりにしたわけだ。僕は小さな帽子をかむって徽章をつけた自慢たらたらの連中と、大きな四輪馬車に乗って出かけて行った。――何人かが、今夜ここで一緒に食事をし、ちゃんとしたみなりをし、あとで仲良くそろって音楽堂へ行くのだ。僕は彼らが好きだ。君たちと同じほど確かに、僕に存在しているという意識を与えてくれるんだから。それで、また、君たちと別れ、汽車が去って行くと、君たちは思うのだ、去って行っているのは汽車ではなくて、僕なんだ、バーナードなんだ、と。無頓着で、感じもせず、切符も持たず、財布をなくしたらしいこの男なのだ。スーザンは、ブナの木の葉がくれに、垂れて見え隠れする紐を見つめながら叫ぶ、[あの人は行ってしまった。私から逃げてしまった]つかむものは何もないんだから。僕は絶えず作られ、作り直される。それぞれの人が僕からそれぞれの言葉を引き出す。
というわけで、今夜その横に坐りたいと思う人は一人でなくて五十人だ。だが僕は、無遠慮にもわたらずにここでくつろいでいる君たちの中の一人にすぎない。僕は粗野ではない。紳士ぶる俗物ではない。社交の重おに身を曝すなら、巧妙にしゃべりまくっては、何か難かしいことを挿んで成功することが多い。またたく間に、何もないところからすくい出された僕の小さな玩具を、見るがいい。なんとそれらが楽しませてくれることか。僕は貯蔵者などではない。――僕が死ねば古いテーブル掛けの入った食器棚が残るだけだ。――ルイスをひどく呵責させるあの人生の取るにたらぬ虚栄心などには無関心なのだ。だが僕は多くの犠牲を払ってきた。現在の僕は、鉄や、銀や、ただの泥の条痕などで筋をつけられていて、刺激などには頼っていない人びとが握りしめるような、堅固な拳の中へ縮まることはできない。克己が、ルイスやローダのような勇敢な行為ができない。しゃべることさえ、完全な言葉を見つけることさえ、覚束なくなるだろう。だが、君たちの誰よりも、過ぎていく瞬間に対してはずっと貢献はすることになるのだ。僕は君たちの誰よりももっと多くの場所へ、もっと違った場所へ進出するのだ。けれど、外部から来たるものがあっても、内部からくるものがないために、僕は忘れられることだろう。僕の声が黙してしまえば、君たちは僕を憶い出すことはあるまい。憶い出したところで、かつて成果をねじって言葉にした声の反響たるにすぎないのだ」
「ご覧なさいな」ローダが言った。「ほら、光が刻々に光を増していくわ。お花が開いて木の実が熟れたように、あそこにも、ここにも。この部屋中をテーブルのどれもこれもまで見渡すと、私たちの眼は、赤や橙や濃茶や妙に曖昧な色合いの帷をくぐって抜け出るようだわ。薄紗《うすぎぬ》のように撓《たわ》んで、うしろで閉まり、一つのものが他のものに溶け込むの」
「そうだわ」ジニーが言った。「私たちの感覚が拡がってしまったのだわ。薄膜が、白くぐんにゃりと横たわっている神経網が行きわたり、拡がって、繊維のように私たちのまわりに氾濫し、空気が手に触れるように感じさせ、今までは聞えなかった、ずっと遠くの音までが神経に響いてくるわ」
「ロンドンが」ルイスは言った。「我々のまわりで咆哮している。自動車、荷車、バスが絶えず行ったり来たり。すべてが併呑されて、一つの車輪が回転する単一な音を立てる。別々の音響がすべて――車輪も、鐘も、酔っぱらいやお祭り騒ぎの連中の叫び声も――撹きまわされて、一つの音響となり、鋼青色に、循環する。それから警笛が鳴る。その音で、岸壁が滑り出し、煙突は平たくなり、船は大海に向けて滑り出る」
「パーシバルは出かけて行くのだ」ネヴィルが言った。「僕たちはここに坐っていて、とり巻かれ、照し出され、あれこれと色をつけられている。あらゆるものが――手、帷《とばり》、ナイフ、フォーク、食事をしている他の人びとなどが――お互いに合体する。僕たちはここで壁にとり囲まれている。だがインドはその外部に横たわっているのだ」
「インドが見える」バーナードが言った。「その低い、長い海辺が見える。見えがくれに、倒れそうな塔と塔とのあいだに通じている、曲りくねった、踏み荒らされた泥の小径が見える。どこかの東洋展覧会で一時的に建てられた建物みたいな、脆くて腐っているような、金塗りめっきの、狭間のついた建物が見える。二匹の牛が、日に焼けた路沿いに背の低い荷車を曳いているのが見える。荷車は堪えきれないばかりに左右に揺ら揺らする。一つの車輪が轍《わだち》に嵌《はま》り込んだぞ。するとすぐ下帯をした無数の原住民がそのまわりに群がって、やっきになって喋り立てる。それでいて何もしないんだ。時間は果しなく、野心とても持ち得まい。人間の努力が無益だと誰もかれもが感じているのだ。おかしな、酸っぱい臭いがする。溝の中で老人が蒟醤《きんま》を噛みつづけ、臍《へそ》ばかり見ている。だが、見よ、パーシバルは進んで行くのだ。パーシバルは蚤にかまれた牝馬に乗って、日除けのヘルメットをかぶっている。西欧の基準にのっとり、彼のいつもの荒っぽい言葉つきで、牡牛の曵く馬車が五分もかからないで整えられる。東洋の問題が解決される。彼は乗って行く。群集が彼のまわりに群がって、彼を見つめる。まるで彼が――いや全く彼は――神様なのだ」
「秘密があろうとなかろうと、知られなくても、そんなことほどうでもいいわ」ローダが言った。「あの人はハヤが泳ぎまわわる池の中に落っこちた石みたい。ハヤのように、こちらあちらへと突き進んでいた私たちはあの人がくるとそのまわりへ走り寄ったの。ハヤのように、大きな石が現われたと知って、私たちは安心してうねってみたり、渦を巻いてみたり。みんな安らかな気持。血管を金が走るわ。一つ、二つ、一つ、二つ。心臓が穏かに、落着いて、恍惚となるほど幸福に打っているわ。それに、ほら――この地球の一番遠い端――最も遠くの水平線にさす蒼白い影、例えばインドが、私たちの眼に見えてくるわ。萎びてしまったこの世界がぐるぐるまわる。辺鄙な田舎が暗闇から生れてくるわ。ぬかるんだ道、絡み合った叢林、人の群や、むくんだ死骸を食う禿鷹が、まるで私たちの世界、立派なすばらしい田舎でのことのように見えるわ。というのも、蚤の刺した馬に一人で乗っているパーシバルが淋しい道を進んで行ったり、荒涼とした木のあいだで野営をしたり一人で坐って、大きな山々を見ていたりするんですもの」
「パーシバルだ」ルイスが言った。「そよ風が雲を分かち、かと見れば重なり合ったりしたときに、くすぐったい草の中に坐っていたときのように、黙って坐り込んでいて、[僕はこれだ。僕はあれだ]というような、まるで一つの肉体と魂の別々の部分みたいに一緒に集まり合ってできている、こうした企てが偽りのものだ、と気づかせるのは彼だ。何かが恐怖というものから取りはずされているのだ。虚栄とはすっかり違ってしまった何かがあるのだ。僕たちは各々の相違を強調しようとしてきた。別個のものでありたいものだから、我々の欠点に重点を置いてきた。それに我々に特有なものに。だが、下の方には鋼青色の環になってぐるぐる廻転する鎖があるのだ」
「憎しみなの。愛情なの」スーザンが言った。「下をのぞきこめば目も眩むばかりの逆巻く真黒い流れだわ。私たちはここで岩棚に立っているんだけれど、のぞきこめば目がまわるわ」
「愛情だわ」ジニーが言った。「憎しみだわ。スーザンが私に感じているような。私はいつかお庭でルイスに接吻したんだもの。今のようにちゃんと身仕度しているものだから。私が入ってくると、スーザンに[手が赤い]と思わせたり、隠させたりするわ。でも私たちの憎悪は私たちの愛情と少しも違ったものじゃあないんだわ」
「だがこの轟くばかりの水は」ネヴィルは言った。「その上に僕たちの気狂いじみた足場を造っているわけだが、粗暴な、弱々しい、それに辻棲の合わない叫びよりもはるかに堅固だ。しゃべろうとして立ち上っては口をつく叫び、[僕はこれだ、僕はあれだ]というような虚偽の言葉を考えたり吐き出したりするときに口をつく叫びよりもだ。言葉は虚偽だ。
だが僕は食べる。食べていると細かなことについての一切の知覚がしだいになくなっていく。食物で圧迫されていく。手ごろに野菜を添えたロースト鴨の美味しいのを頬ばり頬ばり、温かみ、重さ、甘さ、ほろにがさがつぎつぎとえも言われず、口の中を通って食道を過ぎ、胃に収まると、どうやら身体がしっかりした。落ち着き、真面目になり、調子もいい。すっかり充実した。本能的に、僕の口は美しい軽いものを欲しがり待ちのぞむ。何かちょっと甘くて溶けるようなものを。つめたい酒を。口蓋から顫えているようで(飲めば)それをひろげて、葡萄樹の葉で緑の、麝香の匂いをもち、葡萄で紫色の円蓋の洞穴にさせる、この細かい神経にぴったりふさわしいような酒を。やっとしっかりと、下の方で泡を立てている水車溝をのぞきこむことができる。どんな特別の名をつけて僕たちはそれを呼んだものか。ローダにしゃべらせるといい。その顔が向う側の鏡におぼろに映っているのが見える。褐色の水盤に花弁を浮かせて揺すっていたローダを邪魔したっけ、バーナードが盗《と》ったポケット・ナイフを尋ねたりして。愛は彼女には渦巻ではないのだ。下を向いても彼女は目が眩まない。我々の頭ごしに、はるかインドのかなたを見ているのだ」
「そうだわ、あなたたちの肩のあいだを、あなたたちの頭を越えて一つの風景へ」ローダが言った。「背を連ねた険しい丘が畳んだ鳥の羽根のように傾斜している盆地の方へ。短い、堅い芝生には灌木が黒ずんだ葉をつけていて、その暗さに浮き立って白い形が見えるの。石のものではないわ、動いているものが、きっと生きているものが。でもあなたでもない、あなたでもない、あなたでもない。パーシバルでも、スーザンでも、ジニーでも、ネヴィルでも、さりとてルイスでもないわ。白い腕が膝に置かれると三角形だわ。まっすぐ立って――円柱だわ。あら、噴水が落ちているんだわ。合図もしなければ、手招きもせず、私たちに眼もくれもしない。、そのうしろで海が響きを立ててるの。どうしたって行けやしない。でも無理にでも行ってみるの。そこへ私の虚ろさを充たせに、夜々を過ごしに、夜の夢をもっともっと豊富に積みに行くの。そして瞬く間に、今、ここでさえ、目的地に着いて言うの、[歩きまわるのもこれでおしまい、他のものなどまやかしで偽りだわ。ここが終端なの]でもこんな巡礼、出発の瞬間瞬間が、いつもあなたたちの前で、このテーブル、この明かり、パーシバルとスーザンから、ここで、今、始まるの。いつでも小さな森が見えるわ。あなたたちの頭越しに、肩と肩のあいだに、それにまた夜会で部屋を横ぎって通りを見下して立っているときの、窓から」
「だが彼のスリッパの音かな」ネヴィルが言った。「それに階下の玄関に彼の声がしているようだが。向うで気のつかないうちに彼を見つけるというわけか。待っているのにやって来ない。だんだん遅くなる。彼は忘れているのだ、誰か他の者と一緒なんだ。誠意がない。彼の愛情などは無意味だ。ああ、この苦悩――この耐えがたい絶望! ところで扉が開く、彼が来た」
「金色のさざなみを立てて、[いらっしゃい]と言うの」ジニーが言った。「そしたらやってくるわ。部屋を通り抜けて私の坐っているところへ。私の服は薄紗のように金の椅子のまわりに大きくうねっているの。手と手とが触れて二つの身体がさっと燃えて火となるの。椅子も、杯も、テーブルも――明るくないものは何もない。すべてが揺れ、輝き、きららかに燃えているわ」
「ご覧、ローダ」ルイスは言った。「二人はうっとりと、恍惚としているよ。眼は蛾の羽根のようにあまり素早く動くものだからちっとも動いているとは見えやしない」
「角笛とラッパが」ローダが言った。「鳴り響くわ。木の葉が拡がり、茂みの中で牡鹿が鳴いているわ。踊ったり、太鼓を叩いたり。槍を持った裸の男たちが踊ったり、太鼓を叩いたりしているみたい」
「蛮人の踊りのように」ルイスが言った。「焚火を巡って。彼らは野蛮だ。残忍だ。環をつくって踊っては膀胱をばたばた叩く。焔が、彼らの絵具をぬった顔の上を、生きている身体から今剥いだばかりの豹の皮や血のにじむ手肢《てあし》の上に跳ねている」
「お祭りの焔が燃えさかるわ」ローダが言った。「大きな行列が通っていって、緑の大枝や花の咲いた小枝を散りまくの。角笛からは青い煙が流れているわ。皮膚という皮膚が松明の明かりで赤く黄色く斑らになって。菫を投げたり、花環や月桂樹の葉で恋人を飾り立ててるの。あの険しい丘が傾斜している、円くなった芝土の上で。行列が通っていくわ。それが通っている中に、ねえ、ルイス、私たちは、自分の没落に気がつくの、衰頽するのが先にわかるの。影が傾いてるわ。私たちは謀叛人、一緒にひき寄せられて何か冷めたい壷にもたれかかり、深紅の焔が下へ流れていくさまを見つめているの」
「死が菫とからみ合わされている」ルイスが言った。「死そしてまた死だ」
「みんな誇り顔に坐っていること」ジニーは言った。「みんなまだ二十五にはなっていないんだわ。外では木が花をつけたり、女の人たちが散策したり、辻自動車が曲ったり急いで通って行ったり。仮の路、さだかならぬ、眩しいばかりの青春から現われ出で、まっすぐに前方を見やり、くるものを待ち構えているんだわ。(扉が開くわ。開きつづけているわ)すべてがうつつ。ちゃんとした形を具えて影や幻などはないわ。美が私たちの眉に浮かんでいるわ。わたしのも、スーザンのもあるわ。私たちの身体は堅くてつめたい。私たちの相違は盛りの陽差しを浴びた岩影のように輪郭がはっきりしているの。私の横には黄色っぽくて堅い、かりかりする巻パンが在るし、テーブル掛けは白くって。私たちの手は半ば曲がって置かれ、縮めるばかり。日が日に次いでくるんだもの。冬の日、夏の日。思い立って貯えなどしたことはありやしないわ。今は果物が葉の下で膨らんでいるわ。お部屋は金色で、あの人に言うの、[いらっしゃい]」
「彼は赤い耳をしているな」ルイスが言った。「市の書記連がお手軽食堂で急いで食事をしているときには、肉の匂いが湿った網に垂れ下がる」
「僕たちの前には無限の時間が在るが」ネヴィルが言った。「いったいどうしたものか。ぶらぶらボンド街へ出かけて、こちらを見たり、あちらを見たり、万年筆が緑だから買うとするか、それとも青い宝石入りの指輪は幾らかきいてみるか。それとも、部屋に坐って石炭の真赤になるのを見ているか。手を延ばして本を取り、こちらの頁、あちらの頁と拾い読みするか。わけもないのに大笑いするか。花の咲いてる牧場を通り抜けて雛菊の鎖でもつくるか。ヘブリディーズ島へ行く次の汽車を見つけて車室を予約でもするか。みんなこれからのことだ」
「あなたに」バーナードが言った。「昨日のことだが、歩いていて郵便函に手紙を入れた。昨日婚約したのだ」
「とても奇妙に」スーザンが言った。「積んだ砂糖がお皿の横では妙に見えるわ。それにまた斑らな色の皮をむいた梨も、あちらの鏡にうつる絹びろうどの縁どりも。こんなのは前には見たこともないわ。どれもこれも新しい一組で、一切合切、きまっているの。バーナードは婚約しているし。何か取消しのできないことが起ったんだわ。環が水面に投げられたの。鎖にからめられて。もう二度と自由に流れて行けないわ」
「ほんのちょっとのあいだだけ」ルイスが言った。「鎖が破れ、無秩序がもどる前に、動けない僕たちを見るがいい。見せものにされている僕たちを、万力におさえられている僕たちを見るがいい。
だが、今、環が破れる。今流れが動きはじめる。僕らは以前にも増して早くほとばしる。底に生える黒ずんだ雑草の中に潜んで待伏せしていた情熱がやおら立ち上って僕たちに波打ち寄せる。苦悩と嫉妬、羨みと欲望、それにまたそれらよりも根深いもの、愛よりも強く、ずっと奥底に潜むもの。行為の声が話している。お聞き、ローダ、[僕たちは謀反人で、手をつめたい壷に乗せているんだから]時を定めぬ、素早い刺激するような行為の声を、臭跡を追う犬の声を。彼らはどこで言葉を止めようかと煩いもせずにしゃべっている。恋人同志がするようにつましい言葉を話している。傲慢な残忍さが彼らにとり憑《つ》いているのだ。神経が股のなかで顫える。彼らの心臓が脇腹で波打ち騒ぐ。スーザンはポケット・ハンカチーフをねじる。ジニーの眼は炎と燃えて躍る」
「みんな」ローダが言った。「ほじっている指やさぐっている眼などには動じない。なんでもなく振り向いてちょっと眼をやったり。元気らしい誇らしい様子をしていること。ジニーの眼にはなんと生気が輝いていることか、スーザンの眼つきがなんと残忍で、溌剌としていることか、根元の昆虫を探し求めて! 髪の毛がつやつや光っているわ。眼は燃えて。餌物の臭いを追って木の葉を掠め過ぎる動物の眼みたい。環がこわされる。私たちは離れ離れに投げ出されるの」
「だがすぐ、いやに早く」バーナードは言った。「この利己的な歓喜が消え失せる。いやに早く貪欲な同化の瞬間が過ぎてしまった。幸福を憧れる欲求、幸福、なおそれにもまさる幸福を満喫する。石が沈められる。その瞬間が過ぎた。僕のまわりに冷淡な広い余白が拡がる。いま僕の眼に好奇に満ちた数千の眼が開く。今は誰かが勝手にバーナードを殺していい。婚約しているこの男を。未知の領域のこの余白、未知の世界のこの森林に触れずに置くならばだ。なぜ、僕はたずねる(慎重に囁いて)女たちだけがそこで一緒に食事をするのか、誰々だ。それに、今夜という夜、それもこの場所へ、いったい何が彼女たちを連れて来たのか。一隅の青年は、時おり手を頭のうしろにやる神経質な様子から判断すると、田舎から来たのだ。彼は哀願しているようだ。その父の友、主人役にうまく応じようとするあまり、翌る朝の十一時半にはとても喜ぶことを今のところではちっとも楽しい気持でない。それにまた、ご婦人が三度も鼻にお白粉を叩いたのが見えたぞ。夢中な話――きっと恋愛についての話、たぶん一番いとしい友だちの話のさなかにさ。[ああ、この鼻の格好ったら!]と彼女は考えて、粉白粉のパフを取り出し、人の心情の最も烈しい感情を途中でもみ消してしまう。だがしかし、片眼鏡をかけた孤独な男の解決できない問題が残る。一人で三鞭酒を飲んでいる年配のご婦人の問題が。これらの未知の人びとは、なんという人でどんな人たちなんだろう。たずねてみる。男の言ったこと、女の言ったことで十くらいの話はこしらえることができよう。――十くらいのいろいろな絵が見えるぞ。だがどんな話なんだ。玩具を作り、泡を吹き、一つの環が他の環をくぐり抜けていく。それに時々、物語があるのかないのか疑いはじめる。僕の物語とはどんなものか。ローダのはなんだ。ネヴィルのはどんな話だ。色々な事実はある。例えばだ。[灰色の服を着たきれいな若者が、控え目なところは饒舌な他の連中とは全く違った対照をなしていて、胴衣からパン屑を払い落し、即刻威厳のあるような、それでいて温和な、ちょっと特徴のある様子をして、給仕に合図をすると、給仕はすぐにやって来て、すぐにまた皿の上に丁寧に畳んだ勘定書を乗せて引き返す]といったようなものだ。これは真実だ。これは事実だ。だがそうしたもののかなたは暗闇で、推量するより仕方がない」
「ところで今一度」ルイスが言った。「勘定も払ってこれから別れるばかりのときに、みんな違っているもんだから、度々、しかもとても鋭く破ける僕たちの血液の中の環が、輪になって集り寄る。何かが造られる。そうだ、いささか神経質に、僕たちが立ち上ってそわそわしながら、手の中にこんな共通の感情を握りしめて、お祈りをする。[動くな、我々がこしらえ上げ、ここで、この明かり、この果物の皮、散乱したパン屑、通り過ぎる人びとのさなかで球になるようなものを、自在扉なんかに粉々にさせるな。動かないように行かないように。いつまでも扉をじっと支えておくように」
「それをちょっとそのままにして置きましょう」ジニーが言った。「愛、憎しみ、私たちがなんと名づけてもいいこの球を。その球の周囲はパーシバル、青春と美、私たちの内部にとても深く沈んでいるのでおそらく二度とこれから先はこんな瞬間など、一人の男の人からとても作れないような何かでできているのだわ」
「この世界の今一つの側にある森林や、遠い国々が」ローダが言った。「その中にあるの。海や叢林、豹の唸り声や、鷲が舞い上るどこかの高い峯に落ちる月の光が」
「幸福がその中にある」ネヴィルが言った。「それに普通の品々の平静さも。テーブル、椅子、紙切り小刀を頁のあいだに挿んだ書物。それに薔薇から散る花びら、黙って坐っていると、いやおそらく何かつまらないことを想い出して突然しゃべったりすると、ゆらゆら揺らぐ光などが」
「週日がその中にあるわ」スーザンが言った。「月曜、火曜、水曜。野原を馳けて行く馬、帰ってくる馬、昇ったり下ったり。緑の木に巣をかけているミヤマガラス、四月のことであろうとも、十一月のことであろうとも」
「くるべきものがその中にある」バーナードが言った。「それは最後の一滴で、我々が天上の水銀のように、パーシバルから創り出したこの高まるすばらしい瞬間の中へ落下させる最も輝かしいものだ。何がくるのか。胴衣からパン屑を掃い落しながら、僕は尋ねる。外部は何なのか。坐って食べたり、坐って話をしていて、僕たちは宝物とも言うべき瞬間瞬間を増加しうることを証拠立てた。僕たちは縛られて曲った背に絶えず、記録されない些細な殴打を受けねばならぬ奴隷ではない。主人に従《つ》いてゆく羊でもない。我々は創造者だ。僕たちはまた、過去の無数の集合を結びつけるような何かを作り上げもした。それにまた、帽子をかぶり扉を押し開けると、大跨に歩み出もするが、渾沌の中へではない、我々の自力が征服し、照らし出された果しない道路の一部となしうる一つの世界の中へだ。
ご覧、パーシバル、みんなが車をつれてくるあいだに、やがて目にできなくなるありさまを。街路は固くて無数の車輪に踏みしだかれて光っている。我々のすさまじく元気なあの黄色い天蓋が、燃える裂地《きれじ》のように我々の頭上高く垂れている。劇場、音楽堂、それに家々の灯がその明かりを作っているのだ」
「尖った雲が」ローダが言った。「磨かれた鯨の髭のように黒ずんで空を漂って行くわ」
「いよいよ苦悩が始まる。戦慄がその牙で僕をとらえてしまった」ネヴィルが言った。「車がやってくる、パーシバルが行く。彼を引き止める事がどうしてできようか、我々とのあいだの隔《へだた》りにどうして橋がかけられようか。いつまでも燃え立たせるようにどう火を扇ぐのか。街路にたって灯《ひ》の光を浴びている僕たちが、パーシバルを愛していた事を、これから先はどうして知らせるのか。もうパーシバルは行ってしまった」
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陽は中天に昇っていた。半ば隠した姿でもなく、萌《きざ》しや微光に思わせ顔をしているでもなく、少女の緑なす海の褥《しとね》に臥せて、眉を飾る水玉の宝石は、白光の槍を移ろいやすいみ空にふり下ろし閃めかせるかとも見え、跳ね飛ぶ海豚《いるか》の横腹とも、落ちる木の葉の瞬きとも見えるばかり。今や陽は容赦もなく赫々《かくかく》と燃えさかった。固い砂地に照りつけ、砦は赤熱する炉となった。水溜りという水溜りを射通して割れ目に潜むハヤを見つけたり、錆びた車輪、白骨、紐もない鉄のように黒い靴を砂地に露わにしたり、あらゆるものの紛れもならぬいろいろを浮き立たせたり。砂丘には無数の燦爛たる閃き、野生の草には照り映える緑。さては荒野の不毛の荒地に照りつけ、ここは風に苛《さいな》まれて溝となりたるところ、ここは吹き寄せられて荒れ廃《すた》れたる塚ともなったところ、ここはまたあちこちと丈延びて暗緑の叢林樹の生えるところ。陽は滑らかに光る回教寺院をも、南村のもろい紫白まだらの厚紙のような家屋をも、川床にひざまずいて皺よった衣を石に打ちつける、長い胸の白髪の女をも照し出した。ゆるやかに海のかなたを通う汽船は陽の直射を浴び、甲板の黄色い日覆いを通して、思いもかけぬ乗客に洩れる、まどろんでいたり、甲板を歩いて小手で眼に陽を除けながら陸地をながめていたり。とまれ、日に日をついで、油ににじんで震える船腹に押しつめられながら、船は彼らをのせて単調に海を渡って行った。
陽は南の丘々の聳ゆるばかりの群峰にも照り、深い、石多い川床の底にも射してきらめいた。川水は高く架《かか》った橋の下でゆるやかになり、ここばかり、温い石にひざまずく洗濯女とても、その亜麻布を濡らすこともなさそうである。痩せた騾馬《らば》が細い背に駄籃《だかご》を吊り渡し、灰色の小石が音立てる中をとくとくと歩いていった。お昼ともなれば、燃える陽は丘々を灰色に染め、爆発に削《そ》がれ焼け焦げたかともまごうばかり。とまれ、はるかの北、雲に霞み雨に煙る国々では、丘々が滑らかに板石となって鋤の背を思わせながら、中に一つ燈《あかり》を点け、監守の、奥深く、部屋から部屋へと緑の灯《ひ》を持ちまわるさまさながら。霞んだ青い空気の微塵を通して、陽はイギリスの曠野に射し、沼沢や小池、杭《くい》に憩う白鴎、それに頂の丸くつぶれた森、若い小麦、どこまでもつづく乾草畑の上をゆるやかに流れる帆のような影を照し出した。果樹園の囲い壁にも当り、煉瓦の凹み、筋目など、銀色に塗りこめられ、真紅に火と燃え、手ざわりの柔かそう、触れれば溶けて熱く焼けた粉末ともなるように思われる。乾し葡萄が壁にかかって、艶々しい赤色のさざなみを立て、小滝となって流れているとも見える。李樹《すもも》は葉をひろく張り、草葉はいずれも一つに寄り寄って滑らかな緑に輝いた。木の影は根元の黒い小池に沈んだ。陽の光はさんさんと照りくだり、別れ別れの薄片の層を溶かして、一つの緑の塚と見せた。
小鳥たちはただ一つの耳に呼びかけて激しい歌を歌い、やがて歌声を止めた。泡立ち、さえずり、わずかばかりの屑物をくわえ、高い木枝に黒い筋瘤を見つけた。
閃めいたり、紫色になったりしながら、鳥たちは庭に棲まっていた。庭にはきんぐさりの毬果や紫紅花が金色や薄紫の色をふるい落した。真昼時でもあるので、庭には花が沢山に咲き乱れ、植木の下の筒穴さえ、陽が赤い花弁を、あるいはひろく黄色な花弁を射通したり、あるいは濃い毛の生えた緑の茎に縞づけられたりしているので、緑とも真紅とも渋色ともなっていた。
陽は家に直射して、白い壁が黒い窓と窓のあいだで閃めいた。窓ガラスは、濃い緑の枝々に織りなされ、陽の透《す》かぬたまりたまりを作っていた。鋭く尖った光の楔《くさび》が窓閾《まどじきい》に届き、部屋の中の、青い環をのせている皿、曲った柄のついた洋碗、胴のふくらんだ大きな鉢、絨毯の十字模様、飾り棚や書棚の気味悪い隅や線を照し出した。それらの一群のうしろは一帯の影が垂れこめ、そこには影を除かれる、もっと遠くの形とか、さてはさらに濃い暗黒の深みがあるような様子だった。
波は砕けては岸辺に素早くその水を打ちひろげた。つぎつぎと集り寄っては落ちた。水しぶきが落ちかかる勢いに撥ねもどった。波はおそろしく深い青色をしていたが、別にただ一色、その背には、ダイヤモンドの鋭い光の模様をつけ、大きな馬の居並ぶ背が動くにつれて背肉をさざなみ立てるように、さざなみを立てた。波が落ちた。ひきかえしてはまた落ちた。大きな獣の重い足音を響かすように。
「彼が死んだ」ネヴィルは言った。「落ちたのだ。乗っていた馬が足を滑らし、彼は投げ出された。この世の船の帆が廻転し、僕の頭にからんだ。いっさいが過ぎてしまった。この世の光明が消え失せてしまった。前を通り過ぎることのできない樹が立っているのだ。
ああ、この電報を指で握りつぶし――世界の光明をもとのように氾濫させ――こんなことは起らなかったと言いたいものだ! だがなぜこなたかなたへ人を惑わせるのか。これが真実だ。これが事実なのだ。乗っていた馬がつまずいた。彼が投げ出されたのだ。雨除けの樹木も白い欄干も驟雨には役に立たなかった。波濤がうねった。彼の耳に騒がしい太鼓のような音が聞えた。それから不慮の強打だ。世界が崩れた。彼は重苦しい息を吐いた。落ちたところで彼は死んだのだ。
田舎の納屋や夏の日、我々が坐ったあちこちの部屋――一切が今では過ぎ去ったうつつならぬ世界に横たわっている。僕の過去が僕から切り離される。人びとが走ってきた。彼を大きな天幕に運んだ、乗馬靴を穿いた人、ヘルメットをかぶった人たちが。知らない人びとの中で彼は死んだのだ。孤独と沈黙とがおりおり彼をとり囲んだ。彼はよく僕をとり残した。それで、もどりながら、[彼がどこへ行くのか見てみろ]と僕は言ったものだ。
女たちが窓をぞろぞろ通り過ぎる、街路にはなんの奈落も切られていないかのように。僕たちが通り過ぎることのできない硬《こわ》ばった葉をつけた樹などは全くないかのように。だから僕たちが当然もぐら塚につまずくわけだ。僕たちは非常にみじめで、眼を閉じてぞろぞろ通り過ぎて行く。だがなぜ僕は服従しなければならないのか。なぜに足を上げて階段を昇ろうとするのか。これが僕の立っているところだ。ここで電報を手にして。過去が、夏の日や我々の坐った部屋が、赤い眼のついた焼け焦げの紙のように流れ去る。なぜ出会ったり話しをまたつづけたりするのか。なぜ他の人びとと話したり食べたり交際したりするのか。今このときから僕は一人ぼっちだ。もう誰も僕を知りやしない。三通の手紙がある。[大佐と鉄環投げをしようとしているところだ。では]それを最後の言葉にして、彼は手を振りながら群集を押し分けて進んだ。この茶番は形式的な祝賀の意味に過ぎぬ。だが誰かが、[待て]とひとこと言ったなら、革紐をもっとしっかり三つ穴引き上げていたら、確かに五十年は生き延びて、腕をふるい、法廷にも坐し、ひとり一軍の先頭に立って馬を馳せ、非道な虐政を攻撃し、そして我々のところへ帰ってきたものを。
今、歯をむき出して笑い、ごまかしを言っているものがあるぞ。僕たちの背後で嘲笑している何かがあるのだ。あの少年はバスに跳び乗るときに足がかりを失するところだった。パーシバルは落ちた。死んだ。埋められた。そして僕は人びとの通って行くのを見つめている。バスの欄干にしっかりつかまって、生きたいと思いつめている人びとを。
足を上げて階段を昇ったりしないでおこう。執念深い木の下にちょっとじっとしていよう、咽喉を切られている人とだけ一緒に。その間、階下では料理人が加減弁を開けたり開めたりしている。階段を昇りたくはない。僕たちは運命づけられているのだ、みんなが。女たちが買物袋を携《さ》げてぞろぞろ通り過ぎる。人びとが通りつづける。だが君に僕を破滅させたりはしない。この瞬間、この一瞬僕たちは一緒にいるんだから。僕は君を自分におしつける。さあ、苦痛よ、俺を食え。その牙を俺の肉に食い込ませろ。ずたずたに引き裂け。泣けてくる。涙が出る」
「こんなのは不可解な組合せだ」バーナードは言った。「事物の錯綜だ。階段を下りていて、どちらが悲しみで、どちらが喜びだかわからないなんて。僕の息子が産まれた。パーシバルは死んだ。僕は柱で持ち上げられ、両側に硬ばった感情でつっかいをされているのだ。だがいったいどちらが悲しみで、どちらが喜びなのか、自分で言ってみてわからない。必要なのはただただ黙っていて、独りでいて、外へ出て行って、一時間節約して、何が僕の世界に起り、死が何を僕の世界になしたのかを考えてみることだけだ。
これは、だから、パーシバルがもう目にし得ない世界だ。見てみよう。肉屋が隣りへ肉を届けている。年とった女が二人舗道をつまずきながら歩いている。雀が飛び下りる。それから機械が動く。僕は律動を、鼓動をノートにとる。だが僕には関係のないものとしてだ。というのも彼にはもう見えないからだ。[彼はどこかの部屋に蒼ざめて繃帯に巻かれて横たわっている]今が、何が非常に重大なものかを見つける機会だ。注意しなければいけない。嘘など吐いてはいけない。彼のことを思っていたのだ。彼はそこ、その気持の中心に坐っていたのだ。今ではもう僕はそこまでは行きはしない。その場所は虚ろなのだ。
そうだとも。確かに、中折れ帽をかぶった人びと、籠を携げている女たち――諸君は君たちにとって非常に高価なものであったはずの何かを失ってしまったのだ。諸君が後に従うべき指導者を失ったのだ。それに諸君の中の一人は幸福をも子供たちをも失ったわけだ。それを与えるはずの彼は死んでしまった。彼は寝床に、繃帯にくるまり、どこかの暑いインドの病院に横たわっている。というのにクーリーどもは床にあぐらをかいて、あんな扇を――なんといっているものか忘れたが――揺すっている。だがこれが大事なのだ。[君はうまく縁を切った]と僕は言った。それにしても鳩はあちこちの屋根に下り立ち、僕の息子が産まれた。まるで一つの事実のように。少年のときには、彼は妙に超然とした様子であったのを想い出す。それで僕は言いつづける(僕の眼は涙に溢れ、それから乾く)[だがこのほうが切望されていたことよりもいいのだ]と。並木路のはずれで、空の中で、見る眼も持たずに、僕に顔を向けている抽象物に僕は物言いかける、[これがお前のなしうる最上のことなのか]。それだから、僕たちが勝ったのだ。お前はお前の最善を尽したのだ。その色を失った残忍な顔(というのも彼は二十五歳で、八十までは生きたかもしれないのだ)に、今は無益なことながら僕は言いかけるのだ。僕は臥《ふせ》って苦労の多い人生を泣き暮そうとは思わぬ。(僕の手帖に記入されること。無意味な死に至らせる者を軽蔑せよ)かつまた、このことが大事だ、僕は彼をつまらない馬鹿馬鹿しい境遇に置きうるだろう、馬上高く乗っている自分が馬鹿らしいと彼に思わせないようにということ。僕は言いうるにちがいない、[パーシバル、おかしな名前だ]同時に僕は言いたい、地下鉄の駅へ急ぐ男も女も、諸君は彼を尊敬しなければならなかったろうと。整列して彼について行かねばならなかったろうと。うつろな眼や燃える眼を通して人生を見ながら群集の中を漕ぎ進むとはなんと奇妙なことだ。
だがもう合図が始まっている。手招きやら、僕をよび返す仕草やら。好奇心はしばらくお預けだ。人は半時間以上も機構の外に出て生きることはできない。身体があれもこれも、僕はノートする、もう尋常に見えはじめている。しかもそれらの背後にあるものが異っている――背景が。あの新聞掲示板のうしろは病院だ。長い部屋では黒い男どもが綱を曳いている。それから彼らは彼を埋めるのだ。ところで新聞には有名な女優の離婚沙汰が出ているそうだから、僕はすぐに尋ねる[どれだ]、だが僕はお金が取り出せない。新聞を買うことができない。僕はもう邪魔を辛抱しきれない。
もう二度と君には逢えなくてその個体に眼を注ぐことができないならば、僕たちのつき合いはどんな形になるだろうか。君は中庭を横ぎって、遠く遠く、僕たちのあいだに薄く細く糸曵いて行ってしまった。しかし君はどこかに存在しているのだ。君の何かが残っている。裁判官だ。つまり、僕は自分の中に新しい血管を発見するとすれば、君にそっと委ねる。僕は尋ねる、[君の判決はどうだい?]君を依然判決者にしておこう。だがどれくらいのあいだか、いろいろなことが難かしくなって説明できなくなる。新しいものが生れるだろう。もうすでに僕の息子が。僕は今一つの経験の絶頂にいるのだ。それはやがて傾く。もう既に僕は、[なんという幸運だ]とは確信をもって叫べない。有頂天、舞い下りる鳩はもう過ぎたことだ。渾沌、瑣末などがもどってくる。もう商店の飾り窓一杯に書かれた名前などには驚かない。なぜ急ぐのか、とも、なぜ汽車に乗り込むのか、とも考えない。連続が復活する。一つのものにまた一つのものがつづく。――通例の秩序だ。
そうだ、だがまだこの通例の秩序が腹立たしい。まだまだ自分をいろんな事物の連続を受け容れるようにはさせたくない。歩こう。立ち止まったり眼をやったりして心の律動を変えることはしないでおこう。歩こう。この階段をのぼって画廊へ入り、連続の埒外にある自分の心のような、いろいろな精神の影響に浸り込むとしよう。質問に答える時間はほとんど残っていない。僕の力が萎れる。感覚が鈍る。ここには沢山絵画があるぞ。そこに柱のあいだにいるつめたいマドンナたちがいる。それらに、絶えず活動している心眼、繃帯をした頭、綱を持っている男たちを休めさせるといい。そうすれば僕は下の見えないものを見つけることができると言うものだ。ここに庭園がある。ヴィナスが花に囲まれている。ここには天使たちや青いマドンナらがいる。隣れみをもって、これらの絵は何も物を言わない。肘で突っついたりしない。指さしたりしない。だからこれらの絵は僕に彼のことをいろいろと考えさせ、違ったふうに想い出させる。彼の美しいところが想われる。[見ろ、彼はどこへ行くのか]と言ったものだ。
いろいろな線や色彩が僕を説きつけるばかりだ、僕とて雄々しくありうるし、たやすく文句を作ることのできる俺が、全くたちまちにして唆《そその》かされ、次にくるものを愛し、拳を固めることはできないで、境遇に応じてあれこれと文句を作りながら弱々しく気迷いするのだ、と。今、この自分の懦弱《だじゃく》さを通じて、彼が僕にとってどんなものであったかを改めて発見する。僕とは全く対立的だった。生来誠実だったものだから、こんな数々の誇張的な点は目にも止めなかったし、生れつき身を立てる才能のせいもあって、全く処世術の大家であったものだから、彼は長く生きたようにも、無事平穏に過ごしていたようにも思われる。冷淡だと、きっと彼の出世に対して人はいうかもしれないが、彼はまた非常に憐憫の情に富んでいたことなどを無視しての話だ。遊んでいる子供――ある夏の夕――あちこちの扉が開いたり閉ったりするだろう、始終開いたり閉ったりするだろう。それらの扉を通していろんな光景が見え、涙を誘われる。というのはそれらの光景は伝えられるわけにはゆかないからだ。だから僕たちは孤独だ、寂寥《さびしさ》があるのだ。心の中のその点を振り返ればそれが空虚であることがわかる。僕自身の懦弱さが僕をおしつける。この懦弱さと対立する彼はもはや存在しないのだ。
見ろ、そら、青いマドンナが涙の筋をつけている。これは僕の葬儀だ。僕らには儀式といったものは何もない。ただ個人的な挽歌があるだけだ。結末などはなくて、各々別々の、激しい感動があるばかりだ。これまで言われてきたことは一切我々の場合にはあてはまらない。僕たちは国立美術館のイタリア室に腰を下ろして断片を拾い上げているのだ。いったいティツィアーノはこんなに鼠に噛じられたことを感じたことがあるんだろうか。画家たちは規則正しい一心不乱の生活を営み、一筆一筆画き加える。彼らは詩人――身代りの羊のようではない。彼らは岩に縛られてはいない。だから静寂があり、崇高さがあるのだ。だがあの真紅色はティツィアーノの胃で燃えたに違いない。まごう方なく彼は両腕に豊饒の角を抱いて立ち上り、そして倒れた。あの斜面で。しかし静寂が僕の上にのしかかる――絶えず懇願している眼が。圧迫が断続し、身をくるめる。僕はほとんど弁別できず、何がなんだかわからない。呼鈴が押されても、僕は騒がしく鳴りひびく筋違いの騒音を鳴らし立てはしないのだ。何か輝かしいもので僕は無茶苦茶にくすぐられる。緑の裏地に小波を立ててる真紅色、柱の行進、橄欖樹の黒い、尖った穂の背後にあるレモン色の光などが。感動の矢が僕の背柱からほとばしる、しかも秩序もなく。
でも何かが僕の解釈につけ加わる。何かが深く埋れている。ちょっとそれを掴もうと考えた。だが埋めて置け、埋めて置け。いつの日か実を結ぶまで心の奥底に潜めて育てるがいい。長い生涯の後、だらりと、啓示の瞬間に、その上に手を置くこともあろう。だが今ではその観念が手の中でこわれる。いろいろな観念が、ただの一度、それ自体で完全に球になるというために千度もこわれる。こわれる。こわれて僕の上に落ちかかってくる。[線やさまざまな色彩よりも種々な観念が生きながらえて、だから……]
僕は欠伸をしている。さまざまな感動で飽き飽きとしているのだ。緊張と長い長い時間――二十五分、半時間――器官の外部へ自分を置きつづけていたので、すっかり疲れ果てた。なんだか感覚がなくなって、硬《こわ》ばっていく。僕の情深い心を信用しないこの無感覚をどうして追い払ったものだろう。苦しんでいる人は他にもある。――多数の人びとが苦しんでいるのだ。ネヴィルが苦しんでいる。彼はパーシバルを愛していた。だが僕はもはやあれこれの極度の苦悩に耐えることができない。共に笑い、共に欠伸をし、共にパーシバルの頭を掻く様子を想い出すような誰かが欲しい。彼が気楽に一緒におれた誰か、彼が愛していた誰かが。(スーザンではない、彼は彼女を愛してはいた。だがどちらかといえぱジニーの方をだ)。彼女の部屋でも僕は罪滅しの苦行をすることができた。ハンプトン・コートの宮廷跡へあの日誘ってくれたときに僕が断った様子を彼は話したかい、と尋ねることができた。こんなことを考えれば、真夜中に苦しさのあまり跳び起きるほどだ。――頭をむき出しにして世界のあらゆる市場へ売物に出て、罪の償いをしてもいいほどの罪悪だ。あの日にハンプトン・コートヘ行かなかったなんて。
ところで、自分の周囲に生活が欲しい。書物も、ささやかな装飾品も、それにいつもの商人の呼び声も。その声にこの疲労困憊した頭をのせ、この啓示を受けたあとで眼を閉じるのだ。まっすぐ行って、さて階段を下り、まず車を呼んでジニーのところへ行くとしよう」
「水溜りがあって」ローダが言った。「向うへ越えられないの、頭がぼんやりするくらい大きな砥石《といし》がひどい勢いで廻転するのが聞えるわ。その煽《あお》りが顔に吹きつける。人生の触知できる形という形がつかめなくなっているの。手を延ばして何か堅いものにでも触ることができなければ永久に果しない通廊を吹き流されていくばかり。それじゃ何に触れるのかしら。どんな煉瓦に、どんな石に、それを頼りにこの巨大な深淵を渡り越えて自我を安全に自分の身にひき入れるというのかしら。
もう影が落ち、深紅の光が低く傾いて。美しく着飾っていた姿が今は侘びしい身なりをしているわ。険しい峰をした丘が下っている小森に立っていた姿が佗びれ果てる。階段で聞える彼の声や、その古靴や、一緒にいる折々やが好ましいとみんなが言ったときに私がお話したように。
稲妻に引き裂かれた世界を直視しながらオクスクォード街を歩いて行こう。ばらばらに裂けて、花をつけた枝の落ちたところが赤くなった槲《オーク》を見ましょう。オクスフォード街へ行って、夜会用の靴下を買おう。稲妻の閃光のしたでいつもと変らないことをしよう。草木一本ない土地で菫を摘み、それらを束ねてパーシバルに捧げたい、私が彼にあげる何かを。パーシバルが私にくれたものはどう。パーシバルが死んでしまったこの街はどうなの。家々の土台はお粗末で空気のひと流れに吹き飛ばされるわ。向う見ずに、乱暴に車が走り喚《わめ》いて私たちを猟犬のように死へと狩り立てるわ。敵地の中で私はたった一人。人の顔はぞっとするほどいや。気に入るのはこれ。世間で騒がれたり、熱烈だったり、石のようにあちこちの岩に投げつけられたいの。工場の煙突や起重機やトロッコが好き。醜悪な、無頓着な、顔、顔、顔の通って行くのが好き。きれいなものには飽き飽きしたわ。人目を避けてるのはもう沢山。荒海に乗り出して、助けてくれる人とてもなく沈んでしまうんだわ。
パーシバルは、死んで、私を今のような私にし、この恐怖を啓示し、この屈辱を受けさせたわ――さまざまな顔、いろいろな顔、スープ皿を皿洗いが配っているような。野卑で貪欲で行き当たりばったりな。包みをぶら下げて商店の飾り窓をのぞきこみ、色目をつかい、掠め通り、一切合切こわしてしまい、ほれ、汚い指で触れて、私たちの愛情をさえ汚してしまう。
ここのお店に靴下を売っているわ。確かに美しさをもう一度流れさせているんだわ。その囁きがこれらの通廊を流れてくる、これらのレースをくぐり、色とりどりの飾り紐のついた籠の中で呼吸をしているわ。ところで大騒ぎの中心に深く彫りこまれた温い洞穴もあるわ。静かな、入りこんだ場所があって、美しい翼の下で私の求めている真実から私たちが身を隠すことができるの。少女の店員がひきだしをそっと引出すと、心痛が垂れ下る、それから少女が物を言う。その声に私は目を覚ます。くだらぬ物の中を底まで探し、少女が物言うたびに羨み、妬み、憎しみ、さては敵意が砂の上の蟹のように走るのがわかるわ。私たちが伴侶にするのはこれ。お勘定を払って包みを受けとりましょう。
ここはオクスフォード街。憎しみやら妬みやら躁急やら冷淡やらが泡立って人生の荒々しい様子を見せているわ。これらが私たちの伴侶。一緒に坐って食事をしたお友だちの連中を考えてみるといいわ。ルイスといえば、夕刊の運動欄を読んでいて、嘲弄をこわがって。俗物だわ。通り過ぎて行く人びとを見ていて、私たちが従《つ》いていくなら導いてやろうなんて言うの。したいようにさせれば私たちを整頓するわ。こうして、パーシバルの死をありきたりのことにして満足し、薬昧瓶ごしに、空の十二宮の向うを見つめるの。バーナードは、その間、眼を赤くして肘掛椅子に沈んでいるの。手帖を取り出して「し」の下へ[友達の死に関して使用すべき文句]を書き加えるわ。ジニーは爪先で踊りながら部屋を横切り、彼の椅子の肘に腰をおろして、尋ねるわ、[あの人、私を愛していたのかしら][スーザンを愛していたのよりも、もっと]スーザンは田舎で農夫と婚約しているんだけれど、電報を前にして、ちょっとお皿を持ったままでいて、それから踵で蹴って、窯の扉をぴしゃんと閉めるわ。ネヴィルは涙に曇った眼で窓を見つめていて、涙ごしに目を見やって尋ねるわ、[窓を通り過ぎて行くのは誰だろう]――[どれほど可愛い奴だったか]これがパーシバルへの私の手向け、萎れた董、黒ずんだ菫が。
さてどこへ行ったものかしら。どこかの博物館へ行こうかしら。ガラス箱の中に指輪を入れてあるような、衣裳箪笥や、女皇が召されたという服があるような。それともハンプトン・コートヘ行って、赤い壁や中庭やほどよくイチイの群が花にかこまれている草地に釣合いよく黒いピラミッド型になっているのを見に行こうかしら。そこでまた美しさを見出して、私の掻き乱された魂に秩序を与えようかしら。でも孤独では何ができるの。一人きりで、誰もいない草地に立って言うの、ミヤマガラスが飛んでいる、って。誰かが手提を持って通り過ぎる。あそこでは園丁が手押車を押してるわ。乗物の人の列に並んで汗を嗅ぎ、汗のようにいやな匂いを嗅ぎ、それから、他の人びとと一緒に吊らされるの。他の大きな肉片に交じっている肉片のように。
ここが音楽堂、お金を払って入って行って、睡い人びとに交じって音楽を聴くところ。暖いお昼に食事をすましてここへ来た人たちばかりなんだから。みんな牛肉やプディンを沢山食べて、あと一週間は何も口にしなくていいくらい。だから私たちは蛆のように自分たちを背負い続けさせる何かの背に群がっているの。上品で堂々としていて――私たちの帽子の下には白い髪が波打ち、華奢な靴をはき、小さな手提を持ち、頬もきれいに滑らかで。あちこちに軍人さんの口髭。私たちのこの幅広の厚地の羅紗には、埃の汚れなど、どこにだってつけてはいない。番組を振り動かしたり開いたりして、お友だちと挨拶を交わし、腰をすえて、海豹《あざらし》が岩に坐っているみたい。身体が重くて海へよちよち行きもならぬようなありさまで、身体を浮かせてくれる波をひたすち待ち佗びているのだけれど、どうも重たすぎて、それに海へ行くまでには乾いた浜の砂利がありすぎるの。みんな物も食べ飽き、熱さに感じも鈍って横になる。脹らんで、だが滑らかな繻子《しゅす》に身をつつみ、海緑色の女人が私たちを救いにくる。その唇をふくみ、烈しい様子を見せ、狂いなく時も確かに脹らんではその身を投げる、林檎を目にしてその声は矢ともなり、[ああ]という音調に射込むかのように。
斧が木を裂き砕いて核も露わに。核は温いわ。樹皮の中で音の顫え。[ああ!]と女が恋人に叫びかける。ヴェニスで窓から身を乗り出して。[ああ、ああ!]と叫んでは、また[ああ!]と叫ぶ。彼女が私たちに用意したものは叫び声。ほんの叫び声だけ。ところで叫び声は何かしら。そら甲虫《かぶとむし》のような恰好の人たちが提琴を持って出てくるわ。待ち、かぞえ、うなずき、楽弓をおろす。水夫が、峰多い険しい丘々の裾曳いているところで小枝を唇にくわえ、岸に跳び上るとみると、さざなみ立ち、笑い声がして、橄欖樹と無数の舌を出したその灰色の木の葉が踊るよう。
[似たもの][似たもの][似たもの]――でも事物の外観の下に横たわっている物は何かしら。稲妻が木を切り裂き、花咲く枝が落ち、パーシバルが死んで私にこの贈物をくれたのだから、私はその物が知りたい。正方形があり、長方形があるわ。演奏者たちが正方形になり、それを長方形の上に置くの。ちゃんと正確に置いてるわ。身に合った居所をこしらえてるわ。ほかに残っているものは何もない。構造がはっきり見える。未熟なものがここで述べられる。私たちはそんなに多様でも卑俗でもない。私たちは長方形を造ってそれらを正方形の上に立たせたの。これは私たちの喜び。これが私たちの慰安なの。
甘美なこの満足が溢れて私の心の壁から走り落ち、分別をはたらかせる。もうこれ以上さ迷うこともいらないわ。これが終点。長方形を正方形の上に立ててしまったんだもの。螺旋形がその頂についてるの。浜の砂利を引きずられて、海へおろされてしまったの。演奏者たちがまた出てくる。だけど顔の汗を拭いてるわ。もうきちんとしているわけでなし、優雅でもないわ。行くとしよう。今日の午後もこれでおしまいにしよう。巡礼するとして、グリニッチヘ行こう。おめず臆せず電車やバスに跳び乗って。リージェント通りをぶらぶら行くと、この女、この男の人とつき当るけれど、怪我もなく、衝突しても大したことはない。正方形が長方形の上に立つ。ここはまたむさい通り。露天市ではひっきりなしに値切り声。いろんな種類の鉄棒や鉄栓や螺旋が拡がって、人が沢山舗道に群がっては厚ぼったい指で生肉をつまんだり。構造がはっきり見えるわ。私たちは居所をこしらえてしまったの。
それはそうと、これらは野原の雑草に交じって生えている花。牛に踏みしだかれ、風に折られ、形も損われておれば、果実も咲く花もない。オクスフォード街の舗道から根ごと引き抜いて私が持ってきたものなの、私の三文束、私の三文束の菫。あら電車の窓から煙突に交じって船のマストが見えるわ。河があるのよ。インドへ行く船もあるわ。河に沿って歩いてみよう。この堤防を散策しよう。老人がガラスばりの小屋で新聞を読んでいるわ。この高台を歩いて船が流れを静かに下っているのをみよう。女の人が甲板を散歩、犬がそのまわりで吠えてるわ。スカートは褐色、髪も褐色。海へ出て遠くへ行くんだわ。私たちから離れて行くの。この夏の夕べに消えていく。私も手を放そう。弛めてやろう。さあ、もう、抑えていた、はねもどる欲望を自由にして好きなように費い尽そう。私たち、荒れ廃《すた》れた丘を一緒に馬で馳けましょう。燕が暗い池に羽根を掠め、柱が完全な姿で立っている丘を。岸に打ち寄せる波のさなかへ、その白いしぶきをこの上なく遠い世界の隅々に投げかける波のさなかへ、私は菫を投げるの。パーシバルへの私の贈物を」
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陽はもはや、中天を離れていた。その光は傾き、斜めに落ちていた。雲片に射しかかると見れば、燃え立って、雲は薄く燦めきわたり、何ものも足を得入れぬ燃えさかる島ともなった。また一つ、今一つと雲はつぎつぎに光を浴び、果ては下方に横たわる波までもが、揺らぐ青い海面を所さだめず飛び交う、燃える羽毛の投箭《とうせん》に射し貫かれた。
木の葉の群葉は陽を受けて細かにちぢれ、気紛れな微風の中でぎこちなくざわめいた。小鳥たちはじっと止まりながらあちこち首だけを素早く振った。ざわめきに飽いたか、みちみちた真昼に飽き果てたか、小鳥たちはもうさえずらなくなった。蜻蛉《とんぼ》が葦の上にたたずみ、やがてその青い糸をひいて遠く空に飛び立った。はるか遠くの羽音は地平線上を上へ下へと跳ね躍る繊細な羽根のきれぎれな顫動の捲き起すものらしかった。葦は川水がまわりで玻璃《はり》と凝《こ》ったとも見えて動かなかった。とみると、玻璃はゆら立ち、葦も低く水面にゆれた。黙思するもののように首を垂れて牛は畑にたたずみ、たどたどしく一足一足と歩を運んだ。家の傍近い水桶では、水口の滴りも絶え、水も満ちたかと見れば、やがてまた一滴、二滴、三滴と、落ちてはやみ、やんでは落ちた。
窓は、気まぐれに、燃えさかる日射しの斑点を、一本の枝のうねりを、浄らかに澄む静謐な空間を見せた。日除けは窓辺に赤く垂れ、室内には匕首のような光線が射し入って椅子やテーブルに落ち、その漆塗りや光沢にひびを走らせた。緑の壷は大きく脹れ出し、そこに映る白い窓影が横に延びた。光はその前の影にも射し入り、隅々や突起などに打ち当っては溢れるばかりにほとばしった。それでも闇が形のきまらぬいくつかの線となって堆《うずたか》くもり上がった。
波はお互いに馳せ集まり、背をかがめては崩れ落ちた。ほとばしり飛ぶは石や礫《つぶて》。波は岩のまわりを洗って流れた。飛沫は高く舞い上り、これまで乾あがっていた洞穴の壁に飛び散り、さては陸地にいくつかの水溜りを残していった。波が引き去ると、打ち上げられた小魚が一匹その中で尾をはねた。
「僕は自分の署名をしるして来た」ルイスは言った。「もう二十回も。自分、そして自分、そしてまた自分。明瞭で、確固として、紛れもなく存在を明示している僕の名前。それにまた、僕も明瞭で、いささかも紛らわしいものではない。しかしながら尨大な経験の遺産を我が身に抱いているのだ。何千年の歳月を生きてきた、古色蒼然たる樫材の梁をかじっていった蛆のようなものだ。けれどいま僕は中身をつめ寄せ、この晴天の朝、寄せ集められているのだ。
陽は晴れ渡る空に輝いている。だが十二時になろうと、雨が降りもしなければ陽も照りはしない。それはミス・ジョンスンが手紙をいくつか針金で編んだ皿に載せてもってくる時刻だ。この白い紙片の上に僕は自分の名を打ちこむ。木の葉の囁き、溝を流れ去る水音、ダリヤや百日草を斑らに咲かせた縁の繁み、そうして、いまは、公爵であり、ソクラテスの仲間、プラトンでもあるこの俺。東に、西に、また北や南に移り凄む黒や黄の浮浪者たち。永遠の行列、かつてナイル河に水差しを運んだようにストランド街を書類入れを抱えて行く女たち。幾重にも折り重ねられたわが人生の、畳まれてぎっしりと束ねられた一枚一枚は、いまことごとく僕の名の中に要約される、この書面に、きちんと、しかしむき出しに書き込まれて。いまは、すっかり成長した大人だ。陽や雨にもめげずすっくと立って、僕は斧のようにどさりと落ちて、この重みだけで槲《オーク》を裁断しなければならぬ。あちらこちらと目移りして正道を逸するならば、雪のように落ちて、跡方もなく朽ちてしまうんだから。
僕はタイプライターや電話に半ば恋をしている。手紙だの外電だの、パリ、ベルリン、ニューヨークに向っての簡潔だが鄭重な電話による指令などで、僕は自分の数多い生活を一つに溶け合わしている。精励と果断とのおかげで、地図のここかしこに沢山の線を引き加え、世界のあちこちの地方が一つに結び合わされているのだ。僕はきちんと十時に自分の部屋に入ってくるのが好きだ。黒いマホガニーの紫色の輝きを愛する。テーブルとその尖った角を愛する。そしてまたするすると走る引出しを。僕は愛している、僕の囁きにその唇をさし延べる電話口を、壁の暦を、約束の覚え書を。プレンティス氏は四時、アイヤズ氏はきっかり四時半か。
バーチャード氏の私室に招じ入れられて中国への公約を報告するのも好い。肱掛け椅子を受け継ぎ、トルコ織りの絨毯を頂戴することは願わしい。僕の肩には歯車がついているのだ。目の前に闇を回転させ、世界のいや果ての混沌の地に交易を繰り拡げる。混沌から秩序を作りながら突き進むならば、僕はチャタムが立ち、ピットが、バークが、サー・ロバート・ピークが立つた位置に立つ自分自身の姿を見出すことになるのだ。このようにして僕は、いくつかの汚点を抹殺し過ぎし日の汚辱を擦り消すのだ。クリスマスツリーの頂辺から旗を取ってくれた女、僕の訛り、鞭打ちなどの責苦、ほら吹きの連中、ブリスベーンの銀行家たる父を。
わたしは食堂で愛読の詩集を読み、コーヒーを掻きまわしながら、小さなテーブルで事務員が賭けをやる喧騒に耳傾け、女たちが勘定台でためらっているのを観察した。僕はいった、茶色の紙きれがふと床の上に落ちたように、適切ならぬものは何もないはずだと。彼らの旅行には目的があるはずだ。彼らはいかめしい主人のあごに使われて、二ポンド十シリングの週給をかせがねばならぬ。ある手、ある服が夕ともなれば我々を包まねばならぬと、僕はいったものだ。これらの挫傷を癒し、怪物の正体を見届けたならば、我々の気力を萎えさせる陳謝だの弁解だのも、もはやなすに及ばず、僕は巷に、そして食堂に、彼らがこの苦難の時代に顛落し、石ころぶこの渚に打ち伏したときに喪失してしまったものを、かえしもどしてやれるのだ。僕は二三の言葉を寄せ集め、鉄槌で打ち鍛えた鋼鉄の環を我々の周囲に作り上げるわけだ。
しかしいまは一瞬の閑暇も持たぬ。ここには猶予は存しない。木の葉のわななきの作る影もなければ、太陽を避けて恋人と共にタベの静けさの中に憩いうる、人目をしのぶ場所とてもない。世界の重みは我々の肩にかかっている。その幻影が我々の眼をさし貫く。もしも目をしばたき、わき見をし、振り返ってプラトンの言葉をもてあそび、ナポレオンやその征服を回想していたりするならは、我々はこの世界にある邪悪な災厄を加えることになる。これが人生だ、プレンティス氏は四時、アイヤズ氏は四時半。エレヴェーターの軽やかな動き、外へ降り立つときにずっと止る音、そしてまた、重々しく歩いて行く毅然とした男たちの足取りが好きだ。我々はこうした団結の努力によって、世界の極地に船を送り込むのだ。化粧室や体練室を十分に設えつけて。世界の重みは我々の肩にかかっている。これが人生だ。突き進んで行くなら、僕は椅子でも敷物でも申し受けることになろう。サレーに温室つきの土地を得て、メロンや花の咲く樹など、他の商人の羨むような針葉樹の珍種を所有することにもなるだろう。
けれど僕は今もって屋根裏部屋にくすぶっている。そこでいつもの小さな手帳を開く。そこで、雨がタイルの上で、警官の防水服のように輝いて見えるのを眺める。貧家のこわれた窓を、痩せこけた猫を、自堕落女が街角に立つために額の化粧を直しながら割れた懐中鏡を横目で見ているのを眺める。その街角へはローダがときおりやってくる。僕たちは恋人同志なんだから。
パーシバルは死んでしまった。(彼はエジブトで死んだ。ギリシアで死んだ。すべての死は一つの死なのだ)。スーザンは何人かの子持ちだ。ネヴィルは急速に頭角をあらわしはじめた。人生は過ぎていく。我々の屋根の上で雲は絶えず変る。僕はあれをなし、これをなし、またあれをし、これをする。逢うては別れ、我々は異る形態を寄せ集め、異る絵模様を作り上げる。しかしもし、これらの印象を台紙の上にとらえて僕の中の多数から一人を作り出すことをしなければ、ここで、この瞬間に存在しているだけで、はるかかなたの山のそこここに点々する雪の環みたいな、縞だの斑点だのの中に存在しないならば、あるいはまた、事務所の中を通り抜けながらミス・ジョンスンに映画のことを訊ねたり、お茶を手にしたり、大好物のビスケットを受け取ったりしないなら、そのときこそは、僕は雪のように降り落ちて、跡方もなくなってしまうだろう。
でも六時になると、僕は帽子を取って守衛に会釈する。人に好かれたい僕はいつも礼儀正しく心情を吐露しすぎる。そして風に向って身を屈め、ボタンをすっかりかけて、口のあたりを青くし、眼に水を流して立ち向い、可隣なタイピストが僕の膝にぴったりと身を寄せることを願う。自分の好みの料理は、肝臓とベーコンだ、などと考える。それから僕はよく川の方へ、やたらに居酒屋が並び、船の影が街路のはしを通っていき、女連がいさかいをやっている狭斜の巷を彷徨《さまよ》っていく。しかし僕は正気をとりもどすと、プレンティス氏は四時、アイヤズ氏は四時半とひとりごちる。斧は台の上に落ちなくてはならぬ。槲《オーク》は真二つに切断されねばならぬ。世界の重みが我々の肩にかかっている。ここにペンがあり紙がある。針金編みの皿の上の手紙に僕は自分の署名をする、わたし、わたし、そしてまたわたしを」
「夏がくる、そして冬が」スーザンは言った。「季節は移っていく。梨が熟れて樹から落ちる。枯葉を端につけて。でも蒸気で窓が曇っているわ。わたしは炉辺に坐って湯沸かしがたぎっているのを眺めている。蒸気に霞んで条《すじ》のついた窓ガラスを通して梨の木が見えるわ。
お眠り、お眠り、夏でも冬でも、五月でも十一月でも。わたしは口ずさむ。眠れ、とわたしは歌う――調子はずれなこのわたしが。犬が吠えたり、鈴が鳴ったり、砂利の上での車輪の音。聞える音楽といえば、こうした牧歌的な音楽だけの、このわたしが。わたしは渚でつぶやく古い貝殻のように、炉辺で自分の歌をうたうの。眠れ、眠れ、とわたしは言いながら、ミルク罐をがたつかせるとか、ミヤマガラスを狙い打ちするとか、兎を射つとか、いずれにしても、この淡紅色の掛け蒲団にくるまって、柔らかな手足を重ねた、柳の揺籃《ゆりかご》の傍で、打ちこわすような衝動をもたらすようなものをみんな、歌声立てて近寄せないの。
わたしは昔の日の冷淡さを、虚ろな眼を、樹の根をも見透した梨のような眼を、もう今では失くしているわ。わたしはもう、一月や、五月や、あるいは他のどのような季節でもなく、揺藍のまわりに全身から細い糸を紡ぎ出し、わたしの血でできている繭の中に、わたしの赤ちゃんのかよわい手足を包んでいるの。お眠り、といいながら、わたしは身内に何か荒々しい、暗い暴力の湧き上るのを感じるわ。この部屋に押し入って来て、眠りを覚ます闖入者や強奪者などなら、一撃で打ち倒してしまうほど。
わたしは、ひがな一日エプロンにスリッパで、家のまわりを歩きまわるの。癌で亡くなったお母さんと同じよう。夏であろうと、冬であろうと、わたしはいまでは原っぱの草や荒地の花で季節を知るよすがもない。教えてくれるものは、窓ガラスにかかる蒸気か霜ばかり。雲雀が空高く放り投げる音の輪が、林檎の剥き皮みたいに宙を落ちてくるとわたしは身を屈め、赤ちゃんにお乳を飲ますの。ブナの森を辿り、カケスの羽毛が落ちてくるとき青い色に変るのに目をとめ、羊飼いや乞食の前を通り、堀の中で横になった荷車のそばにしゃがんでいる女を見つめた、そのわたしは、いま塵取りをもって部屋から部屋をまわって歩く。わたしは、お眠りと言いながら、毛布のように眠りが落ちて来てこのかよわい四肢を包んでくれるようにと願うの。人生がその爪を隠し、稲妻を巻き収めて過ぎ去ることを求めもし、自分の身体を凹ませて、赤ちゃんが眠れるような暖かい隠れ場所を造ってやるの。お眠り、わたしは言う、お眠り。でなければ、窓の所へ行ってミヤマガラスの高い巣を眺めたり、それから梨の木を見たり。[わたしの眼が閉じるとき、あの眼は見えるようになるだろう]わたしは思う。[わたしは肉体を越えて彼らとまじり合い、インドを目にするだろう。あの人は家にもどってくるわ、賞品を持って、わたしの足許に置きに。わたしの持ち物を殖やしてくれるわ]
けれどわたしは、夜明けに起きてキャベツの葉にたまる紫色の滴を目にすることはない。薔薇の赤い露も。円くなったセッター犬の鼻を眺めることも、夜、横になって星を隠す木の葉を、星は動いてもじっと垂れている木の葉を眺めることもありはしない。肉屋が呼ばっている。ミルクが酸っぱくならないように、蔭に置いとかなければいけないわ。
お眠り。湯沸しがたぎり立ち、湯気がだんだん濃くなって、口からぷうっと噴き出るのを眺めながら、お眠りと言うの。こんなふうに人生がわたしの血管に満ち、こんなふうに人生はわたしの手足から流れる。わたしはこんなふうに追いまわされるの。叫び声を立てそうになるほどに。朝早くから暮れ方まで、開いたり閉じたりして動きまわるんだもの。[もう沢山、この素朴な幸福にわたしはうんざりしてしまったわ]でもまだまだ沢山やってくるのだ、沢山の子供、沢山の揺籃、台所の籃《かご》が、熟し切ったハムの肉、ぴかぴか光る玉葱が、それからまた沢山のチシャと馬鈴薯の苗床が。わたしは木の葉のように疾風に吹き払われる。濡れた草を薙《な》ぎ、渦を巻き上げて吹いているわ。素朴な幸福にあきあき。坐って本を読んだり、針の目に糸を止めたりしながら、この飽満がかき消えて、眠っている家の重さが増えていくといいと思ったりすることがあるわ。暗い窓ガラスに街の灯がともる。蔓の繁みの奥で火が燃えている。常磐木の木立の中に燈火のついた街が見える。小径のむこうへ吹いている風のそよぎの中に、車の往来の響き、ぎれぎれな人声、笑い声が聞えてくる。そして戸が開くとジニーの叫んでいるのが、[いらっしゃい、いらっしゃい]って。
でも我が家の沈黙を破る音とてない。野原が扉口のすぐ傍でため息をつくばかり。風が楡《にれ》の木に流れ、蛾が灯をたたく。牛が啼く。桷《たるき》に物音がしだす。針に糸を通して呟くの、[お眠り]って」
「さあ今だわ」ジニーは言った。「わたしたちはいま会い、そして一緒にやって来たの。さあ、話しをしましょう、物語りをしましょう。あの人はだれ? あの女の人は? わたしは限りなく好奇心が働く。何が起ってくるか分ったものではない。もしも貴方が、はじめてお会いした貴方が[辻馬車は四時にピカデリーを出ます]とお言いになるものなら、わたしはぐずぐずと少しばかりの必要品など手箱に入れるのはやめて、すぐにもお伴するものを。
この生花の下に、絵のそばの長椅子に、さあ坐りましょう。わたしたちのクリスマスツリーにあれやこれやといろいろな事件を一杯飾り立てましょう。みんなすぐ去ってしまうわ。あの人たちを捉まえましょう。あすこの、あの飾り棚のところにいる男の人、あの人は陶磁の壷にかこまれて暮しているのですってね。一つ壊したら一千ポンドこわすってわけ。それに、ローマである少女を愛していたけれど、女に逃げられてしまってね。それで、壼だの、宿屋で見つけたか、砂漠の砂から掘り出したがらくたを可愛がるっていうわけ。で、いつも美しくあるためには美は日毎日毎打ち砕かれなくてはならないし、それにあの人は生来静的だから、陶磁におぼれて人生を腐らせているの。でもおかしな話。若い時分には湿った土に坐って、軍人さんとラム酒を飲んだこともあるんだもの。
すべからく敏捷であること、それに、玩具を木につるすように、指先を曲げて器用に事実をつけ足すことが必要だわ。彼は身を屈します。驚いたことに、たとえそれがアゼリアの花であろうと、その上に身を屈めるのです。お婆さんにだって身を屈します。だって耳にはダイアモンドを着け、小馬に曳かせた馬車に乗って領地を歩き、誰には助けの手が必要だとか、どの木は伐《き》らねばならない、明日は誰が追い出されるとか、色々と指図してまわるほどのお婆さんだもの。(貴方にこのことは申さなくてはなりません。あたしはこの年月、人生を生きて来たのです。岩から岩を飛ぶ山羊のような、きわどい冒険に、いま齢は三十過ぎました。わたしはどんな場所にも永くはとどまらず、これと決まった一人の人に自分を固着させることはしないのです。でも貴方は、もしわたしが腕を上げたら、すぐさま誰かが話を中止してこっちへやってくるのがおわかりになりますわ)それからあの男の人は判事、あの人は百万長者。そしてあの眼鏡を掛けた人は、十歳のときに家庭教師の女の心を矢で貫いたのですよ。その後あの人は急ぎの書信を携えて砂漠を横断し、いろんな革命に参加し、いまではずっとノーフォークに定住して、母方の家系の資料を集めています。あの顎の青い、小柄な人の右の腕は萎びているんですよ。でもいったいどうしてでしょう? 誰も知らないこと。あの、と貴方は慎しみ深く囁く。仏塔の形をした真珠を耳から下げている女は、政界の一人の生涯に光輝を添えた純情な恋人でしたが、彼が死んでしまった今日このごろでは、幽霊を目で見、運勢を占い、コーヒー色の青年を養子にして、救世主と呼んでいます。口髭をだらりと垂らし騎兵将校然としたあの男は、極端な酒色耽溺の生活を送っていましたが、(このことは何かの回想録に、すっかり出ています)ある日汽車の中で一人の見知らぬ男に会い、その男から、エディンバラからカーライルまで行くあいだ、聖書を読み聞かされて身持ちも直ったそうですよ。
こうやって、瞬くうちに、わたしたちは巧妙に機敏に、他人の面上に書かれた象形文字を判読する。ここに、この部屋には、渚に打ち上げられて、擦りへらされ、打ち叩かれた貝殻があるわ。扉が絶えず開けられる。部屋の中には、知識と、苦悩と、色とりどりの野望と、ひどい冷情、ある絶望が一杯。この人たちのあいだで、と貴方はいう。あるいは伽藍を構築し、政策を指令し、また人びとに死を宣し、いくつかの公務を処理することもできようと。経験の共通の基礎は極めて深い。みんなお互いのあいだに男と女の何十人の子供を持ち、これに教育を授け、麻疹になれば学校へ見舞い、成人すれば家を相続させる。あれこれと、わたしたちはこの日を、今日の金曜日を作り上げる。ある者は裁判所へ、ある者は下町へ行き、あるいは子供部屋へ行く者もあり、またある者は四列を組んで行進する。無数の手が針を動かしたり、煉瓦の入った箱を持ち上げる。活動力には際限がない。それにそれはまた明日も始まる。明日、わたしたちは土曜日を作る。ある人はフランスへ向け汽車で発ち、またある人はインド行きの船に乗り込む。中には、二度とこの部屋へやって来ない人もあるだろう。今夜死ぬ人があるかもしれない。子供を生む人もあるだろうし。わたしたちの中から、あらゆる建物が、政策が、冒険が、絵が、詩が、子供が、工場が、生れてくることだろう。人生は来り、人生は過ぎる。わたしたちは人生をつくって行く。そう貴方は言う。
でも、肉体の中に住むわたしたちは、肉体に所属する想像力で、事物の外廓を眺める。輝かしい日の光を受けた岩が見えるわ。これらの事物をどこかの洞穴に持ち込んで自分の眼を塞ぎ、それらの黄や青や土色を一つの物質にしてしまうのはとてものこと。長いあいだ坐り込んでいることなどできやしない。跳ね起きて行かずにはいられない。ピカデリーから出る馬車があるはず。わたしは放り棄てる、これらのすべての事柄を――ダイアモンドを、萎びた腕を、陶磁の壷を、その他の一切合切を。猿が裸の手から胡桃を落すように。わたしには人生はこれだともあれだとも申し上げられないわ。これからは雑多な群集の中に突進してゆくばかり。海上を行く船のように、人波を掻き分けながら、打ち上げられたり叩きつけられたりして波にもまれるばかり。
というのは、いま、わたしの肉体が、わたしの伴侶が、すばやく流れる感動の矢となって、いつも粗々しい黒の[ノー]や金色の[イエス]の信号を発しながら、招いている。誰かが動く。腕を上げたのかしら。そんな風に見えたのかしら。苺の模様をあしらったわたしの黄色い襟巻が、ひらひら揺れて合図をしたのだろうか? 彼が壁を破って跳び出して来たわ。後をついてくるわ。森の中を追跡される。すべては恍惚とした夜の世界。鸚鵡《おうむ》が木の枝を伝って金切り声を上げる。わたしは全身の感覚を逆立てる。いま押しのけて進む帷《とばり》の繊維の粗々しさを感じる。冷え冷えとした鉄の柵と泡にふくれたペンキが掌《てのひら》の下に感じられる。いま冷い闇の流れがわたしの上にその波をざわつかせる。わたしたちは戸外に出ている。夜が開く。蛾が彷徨いながら通っていく夜、冒険を求めて彷徨いあるく恋人の群を隠す夜が。薔薇が匂う。菫が匂う。姿を隠したばかりの赤と青が見える。足の下には砂利がある、草がある。燈火をつけて罪あるような家の高い背がぐらぐらかしぐ。ロンドン全体が揺らめく光のために擾《みだ》される。さあ貴方、愛の歌を一緒に歌いましょう。――いざ、来よ、いざ来よや君。わたしの金色の信号は蜻蛉《とんぼ》のようにぴんと張り切って飛んでゆく。じゃぐじゃぐ、じゃぐじゃぐ、わたしは歌う。細すぎる咽喉笛にメロディを一杯に漲《みなぎ》らせて歌うナイチンゲールのように。いまわたしに聞えてくる。大枝の砕け散り引き裂ける音、鹿の角を打ち合う激しい音、まるで野獣が追い立てられ、角を振り立て振り立て、大挙して茨の中へ跳び込んでいくみたい。誰かがわたしを射し貫いたわ。わたしの身うちにぐさりとささりこんだものがあるわ。
そして、水中に冷たさを耐えていたビロードの花が、葉が、いまわたしをすっかり洗い、香気に埋もれるばかりにわたしを包む」
「ほら、見たまえ」ネヴィルは言った。「暖炉の上で時を刻む置時計を。時は過ぎる、たしかに。そして我々は年老いるのだ。けれど君と、君と二人だけで、このロンドンの、燈火の点るこの部屋に、君はそこに、僕はここに、坐っている、それがすべてだ。そのいやはての地まで隈なく捜し求めた世界は、そしてそこに咲く花々をちぎって双の手に取り集めた丘々は、もうここにはない。あの窓掛けの金の糸の上を馳せ違う燈火の照り映えをご覧。光に取り巻かれた果実は重くうなだれている。その光は君の靴の先に落ち、君の顔に赤い隈取りを作る――おそらくそれは燈火の光で、君の顔ではないのかもしれぬ。壁を背後にしているのはたぶん書物で、あれは窓掛け、そしてあれは安楽椅子であるらしい。しかし君がはいってくると、あらゆるものが変ってしまう。今朝も君がやってくると茶椀や台皿が変ってしまった。間違いなくそうなのだ、と僕は新聞を押しやりながら考えた、我々のみすぼらしい生活は見苦しいものではあるが、愛の眼で眺められたときだけは、目も綾な光彩を帯び意義を加えてくる、と。
僕は起ち上った。朝食はとっくにすました。まる一日我々のものであった。そして麗《うら》らかに晴れて風もなく、暑くもなし寒くもなしの天気だったので、我々は散歩に出かけ中央公園を抜けてエンバンクメントヘ出て、ストランド街をセントポール寺院の方へ歩き、それから店に寄って雨傘を買い求め、絶えずしゃべりつづけ、ときおり足を止めて眺めたものだ。だがこれは永続しうるものかしらん? と僕はトラファルガー広場の獅子、いつも一度は振り返る獅子像の傍で、ひとりごちた。――ならば僕の過ぎ去った人生の、一つ一つの風景をふたたび訪ねよう。楡の木はそこに立ち、パーシバルはそこに横になっているのだ。いつまでもいつまでも、と僕は誓った。とやがて例の疑惑に襲われた。僕は君の手にしがみついた。君は僕を置き去りにした。地下鉄にもぐるのは死の苦しみだった。我々は切り離された。人びとの顔や砂漠の丸石の上を吹きすさぶかとも思われるからっ風に虐《さいな》まれた。僕は自分の部屋でじっと見張りながら坐っていた。五時になって君の不実を悟った。電話をひっつかんでみたのだが、空っぽの君の部屋でガーガー空鳴りする間抜けた響きが僕の心を打ちのめした。とそのとき、扉が開いて君がそこに立っていた。これこそ最も完璧な我々の邂逅だ。けれどこのような出合いは、別れは、結局我々を破滅さすものなのだ。
いま、僕には、この部屋が中心のように、何か永遠の夜の中から抄《すく》い取って来たもののように思える。戸外には縦横の線が交叉しもつれ合っている。だがそれが我々を外から取り巻き、包み上げる。ここにこうして我々は中心点に置かれているのだ。ここでは我々は沈黙していることができる、声を立てずに語ることも。あれに気が付いたかい、そらあれに? と二人は言う。彼が言っているのは、つまり、彼女がためらった、きっとあれは疑って居るのだぞ。それはともかく、僕は昨夜階段の上で、話し声を、啜り泣きの声を聞いた。彼らの関係は破局に来たのだ。我々はこんな工合に限りなく繊細な糸を身の周囲に紡ぎ出し、一つの現象体系を作り上げる。プラトンやシェイクスピアが包括される。それからまた全く名もない人間、何ら取るに足らぬ人びとも含まれる。僕は胴衣の左に十字架をつけている人間が嫌いだ。儀式や哀惜や、身を慄わして悲しみ嘆く人の傍に慄えているキリストの愁傷な姿が嫌いだ。そしてまた、夜会服を着飾り、勲章勲記を佩用《はいよう》してシャンデリアの下でまくし立てている連中の、虚飾、冷淡、いつも場違いのその誇張を嫌う。とは言え、生垣にはねた水しぶき、あるいは坦々たる冬の曠野に落ちゆくタ陽、さらにまた、腕を腰に肘を張りバスケットを抱えてバスに坐っている老婆――あれを見よとひとに指さすそれらの様子恰好。これ見よとひとに指さし示すにはあまりに茫漠たる慰籍ではある。だから口には出さぬこと。心の闇路をたどって過去の中に入ること、書物を訪《おとな》うこと、その枝を払いのけ果実をもぐこと。そして君はそれを手に取り驚嘆の叫びをあげる、僕が君の肉体の不注意な動作を目撃してその気軽さに驚嘆するように――窓を押し開けるその手先の何という器用さ。ああ、それも道理! 僕の心は、ちょっとした邪魔立てに合うと、たちまち倦《う》んでしまう。僕はゴールのところで、おそらく嘔吐を催しながら、気も心も挫け果てるのだ。
ああ! 僕には、陽除け帽をかぶってインドを乗りまわし、バンガローに帰ってくることはできなかった。僕は君みたいに、船の甲板でホースの水を浴びせかけ合う半裸体の少年たちのように、のたうちまわることはできない。僕はこの暖炉を、この椅子を欲する。一日の営み、それに伴う一切の苦悩が果てたおり、傾聴、待ち憧れ、疑惑の後に、わが傍に共に坐る誰かが欲しい。争いと和睦の後に親交を――君とただ二人いること、この騒擾をとりしずめることが必要なのだ。僕は猫のように小ぎれいなのが習性なのだから。我々は抗わねばならぬ、世界の荒廃と醜状に対し、へどを吐き、地を踏みにじりながら渦を巻いて群がる徒輩に対して。ペイパーナイフを小説の頁のあいだにきちんと挿み、手紙の束は緑の絹紐でゆわえ、炉掃除用のブラシで燃え屑を掃かねばならないのだ。怖るべき醜状を非難するには、一切をすましておくことが必要だ。厳格と徳性に触れたローマ作家を読もう。砂をくぐって完璧を求めよう。それはそうとして、僕はまた、君の目の灰色の輝きをあびて、高貴なローマ人の美徳と威厳から逃れ去るのを、踊る草叢、夏の微風、遊び戯れる少年たち――船のデッキでホースの水をかけ合う裸のケビン付きボーイの笑いさざめく叫喚を愛する。それゆえ僕はルイスのように砂をくぐって完成を追う私心なき探求者ではない。色どりはつねに頁を汚し、雲はその上を過ぎ去るのだ。そして詩とは、思うに君が語るその声にすぎぬ。アルキビアデスも、アキレウスも、ヘクトルも、それからパーシバルもまた君なのだ。彼らは乗馬を愛した、放恣《ほうし》な冒険に生涯を賭けた。大の読書家とはいえなかった。でも君は、アキレウスでもなく、パーシバルでもない。彼らは鼻に皺をよせたり、あの精確な手つきで額のあたりを掻いたりなどはしない。君は他ならぬ君だ。それこそは僕には、多くの欠患の――僕は醜い、僕は気弱だ――それからまた世界の堕落の、飛び去り行く青春の、パーシバルが死の、苛烈の、怨恨の、限りない羨望の、慰籍ともなるものだ。
しかし時あって君が朝食の後にやって来ないときは、さてはまたいつの日か君がどこかの鏡にうつる別の男の姿を見ているのを知ることなら、からっぽの君の部屋で電話が空鳴りするならば僕はそのとき、言いがたい苦悩の後に、僕はそのときは――人間の心の愚行には涯しがないものだから――他の人を求め、他の人を、君を見つけ出すだろう。さもあればあれ、いざや君、時劫を刻むこの音を一撃の下に破却しよう。もっと寄り添いたまえ」
陽はいまや空にさらに低く沈んでいた。雲の島々はその濃さを増し、陽面を近くよぎるとみれば岩々はたちまち黒ずみ、葉のそよぐ海そよごは青味を失って銀色に変り、影は海を蔽って灰色の衣のようにひらひらとなびいた。波はもう遠い水溜りまでには到らず、不規則に印《しるし》づけられた浜辺の黒い点線までも届かなかった。砂は真珠母色に滑らかに光り輝いた。
小鳥の群が舞い下りるかと見れば空高く旋回した。ある鳥は風のうねを疾《はし》って身体を転じ、くぐっては身を割き、さながら身の切り散れて無数の細片になったかと見えるばかり。鳥たちは落ちかかる網のように木の頂きに降り立った。ここでひとり離れた一羽が沼へと飛び立ち、白杭に止って羽根をひろげて、閉じた。
花びらがいくつか庭に落ちていた。地上に貝殻のような姿に横たわっていた、枯葉はもう梢にはなく、風に吹き払われてとび散ったり、木の根方に宿ったりした。花という花を同じ光の波が、魚が緑の鏡の湖面を切るように、煌らかにさっと通り過ぎた。今また我が物顔に吹きつける疾風がさまざまな葉をあちこちと吹き払い、風が止絶えると見れば、葉はそれぞれのもとの姿に立ちかえった。花は陽に輝く花盤を燃やしながら、風に揺らぐと、陽の光を放り棄てたが、いくつかは重い頭をもたげもやらず、また元のように静かにうなだれた。
午後の陽は野を温め、影に青さを注ぎこみ、小麦を赤い色に見せた。野の面には濃い漆のような光沢があった。荷車、馬、ミヤマガラスの一群――その中で動くものはことごとくが黄金色に揺れなびいた。牛が肢を動かすと赤まじりの金色の波紋が揺らめき、角は二条の光かとも見えた。たどたどしい足取りに古い昔のような姿で牧場からやって来た毛むくじゃらな荷馬車から、ずれ落ちた小麦の穂が、淡黄色の髪をつけて籬《まがき》の上に引っかかった。円い頭をした雲は静かに疾《はし》りながらも、さて小さくもならず、円い姿をいささかも変えなかった。いま雲の群は、通りがかりに網を投げ拡げて一村ことごとくをつつみこみ、通り過ぎると見ればまた網から解き放った。はるかかなた、地平線の上には、数知れぬ青灰色の塵の立ちこめた中にある一区画が燃え立ち、さてはまた尖塔や樹木や単一な一線がくっきりと立った。
赤い窓掛けと白い日除けが、うちそとに吹き揺れ、窓辺に翻った。平たく幅ひろく洩れる光は思い思いに褐色の色あいを持ち、風に吹かれてぱっぱっとゆれる窓掛けのすき間からさっと射し入ると、いくらか気まま気ずいだった。箪笥を褐色にしたり、椅子を赤くしたり、さては緑の壷の側面に映る白い窓のような影を波打たせたりもした。
しばらくはものみなが波立ち、定かさを失い、曖昧に曲がった。大きな蛾が室を泳ぎ抜け、ふわりと漂う翅《はね》でおそろしく堅い椅子やテーブルに影をつけたかのように。
「そして時が」バーナードは言った。「その滴を垂らす。魂の屋根の上につくられた滴が落ちる。魂の屋根の上で形になった滴りが落ちる。先週も僕が立って髭を剃っていると、滴が落ちた。剃刀を手にしてたたずみながら、突然僕は自分の動作のほんの習慣的性質(これは滴が形をなしているのだ)に気付き、剃刀を握っていることに対して、自分の手に皮肉に祝詞を述べた。剃れ、剃れ、剃れ、と僕は言った。髭剃りを続ける。滴が落ちた。その日一日、仕事をしているあいだ中、僕の心は、折りがあると誰もいない場所へ行って[何が失われたのか? 何が終ったのだ?]と言い、それから[終って片付いてしまった]とつぶやいた。[終って、片付いてしまった]と、言葉で自分を慰めた。人びとは僕の顔つきの愚鈍さを、僕の会話が目的をもたぬことに気づいた。僕の言葉じりは尾を引いて消え失せた。そして僕は外套のボタンをはめて帰宅の仕度をしながら、もっと芝居がかりに言った[俺は俺の青春を喪ったのだ]と。
あらゆる危機に際して、場違いの文句が是非にも救援に飛び出して来ようとするのは奇妙だ――手帖を携えて旧式な文明の中に住んでいる天罰だ。この滴り落ちる滴は僕が青春を喪ったこととは何の関りもない。この滴り落ちるのはときの尖《さき》が細って点になったのだ。ゆらめく光にとり囲まれたあたたかな牧草地の時、真昼どきの野の面のようにひろがった時が、宙ぶらりんになる。時の尖が細って点になる。澱《おり》がたまって重たくなった盃から滴が落ちるように、時が落ちる。これこそ本当の周期だ。これこそ真の大事件だ。それから、まるで大気のあらゆる光輝が退いてしまったみたいに僕は必ずむき出しのボタンを見る。習慣が蔽い隠しているものを見る。僕は寝床に数日間をものうく寝ている。食事をすまして、鱈《たら》のようにぽかんと口を開《あ》けている。僕は骨を折って自分の文章を書き上げることなどしない。僕の行動はいつも大いにあやふやで、機械的な精密さを必要とする。さて、いまのところ、僕は営業所の前を通りかかり、そこへ入って行くと、機械的な人間の至って泰然たる構えで、ローマ行の切符を買い求めた。
僕はいまこの永遠の都を瞰望する庭園の石の上に腰を下している。五日前ロンドンで髭を剃っていた小男はもう古着の塊としか受け取れない。ロンドンもまた崩れ失せてしまった。ロンドンはいま崩れ落ちた工場といくつかのガスタンクの街だ。しかしまた僕はこの壮観に捲きこまれてもない。僕は紫の綬《じゅ》を帯びた僧侶や絵のようにきれいな子守女を眺める。永遠なものにばかり目をとめる。僕はこうやってここに、恢復期の患者のように、片言しか知らぬ極めて単純な人間のように、坐っている。[陽は暑い]僕は言う。[風が冷めたい]僕は虫けらのように大地の上にぐるぐる連れまわされる自分を感じる。僕はここに坐りながら、大地の堅さ、その旋回運動を身に感じると誓いもできよう。僕には地球の向う側へ出かけてみようなどという欲望はない。この感覚をあと六インチ引き伸ばすことができれば、どこか奇妙な土地に届きそうなそんな予感もするのだ。けれど僕の鼻ははなはだ極限された天狗鼻だ。こういった超然たる状態をいつまでもつづけようなどとは望まない。こんな状態は嫌いだ、軽蔑さえする。五十年間を同じ場所に坐って自分の臍のことを考えているような男になろうとは思わない。僕には、荷車に、砂利道をがたがた進んでいく野菜車に輓具《ひきぐ》でくくられた馬の境遇こそのぞましい。
実際のところ、僕はある一人の人間に、あるいは無限なぞというものに満足を見出すといった型の人間ではない。私室だの、大空だのはうんざりだ。自分という存在は、その全ての刻面が多勢の人びとの前に曝されるときにこそ、はじめて光彩を発する。それが仕損じようものなら、僕は穴だらけになってめらめら燃える紙切れのように縮んでしまうのだ。おうい、モファット小母さん、モファット小母さん、ここへ来てこいつをすっかり片付けてしまってくれと僕は言う。いろんなものが僕から脱け落ちていった。ある欲望は僕よりも先に死んでしまった。僕は友人たちを失くした。あるものは――パーシバルは――死により、また他の連中は通りを渡り損ねたただそのことのために。ひところはそんな気もしたが、今の僕には格別の天分はない。僕の力量では及ばぬあるものがあるのだ。むずかしい哲学上の問題はとてもわからないだろう。ローマが僕の旅行の限界点なのだ。俺はもう、タヒチの島で赫々と輝く篝火《かがりび》をたよりに槍を構えて魚を突く現地人や、密林から飛び出してくるライオンや、生の肉を食う裸の男を見ることもあるまい、と夜床に入りながらそんなことを考えて時おり悲痛な気持になることがある。ロシア語を学ぶことも吠陀《ヴェータ》を読むこともなかろう。郵便箱にぶつかることもまず二度とあるまい。(けれどいまでも、あの激烈な震動から、僕の夜を通して幾つかの星が美しく落ちる)しかし考えに耽っていると、真理がだんだんと近づいて来ているのだ。長い年月、僕は満足な気持で口ずさんだものだ。[わが子……わが妻……わが家……わたしの犬]と。表戸の鍵をあけて身体を内へ入れながらあの行い馴れた儀式をすませて、暖かな蒲団に身をくるんだものだった。もういまでは愛すべき面紗《ベール》も落ちてしまった。僕はいま所有物を欲してはいない。(イタリアの洗濯女が一人、英国の公爵令嬢のように洗練された身体のこなしで同じこの梯子の段に立っている)
だがよく考えよう。滴が落ちる。いままでとは別の時期が到達したのだ。時期から時期への交替。ところで、そうした時期にいったいなんで終りがなければならぬのか。その一つ一つはどこへ行くのか、いかなる結末へ、それらの時期は壮厳な外袍《がいほう》をまとってやってくる。敬虔な人びとはそこでジレンマに陥ちて、僕の傍を行列をつくって通り過ぎるあの紫色の綬を帯びた肉感的なご連中に相談をかける。しかし我々はどうかと言えば、我々は教戒師には鬱憤を感じる。一人の男が起って[見よ、これぞ真理なり]と言う。すると僕はたちまち、かなたで薄茶色の猫が一尾の魚をくすねているのを認めるのだ。ほら、と僕は言う、あんたは猫のことを忘れてると。でネヴィルは学校で、あの薄暗い礼拝堂で、校長の十字架を見て激怒した。気をとり乱しがちなこの僕、猫のせいであろうと、ハンプデン夫人がいともしとやかに鼻におしつけている花束のまわりをぶんぶん飛んでいる蜜蜂のためであろうと、いつも気をとり乱してばかりいるこの僕は、たちまち一つの話をこしらえ上げて十字架の角を消してしまう。僕は何千ともなくお話しを作った、僕は何冊となくノートブックの上にいろんな語句を一杯書き溜めた。ほんとうの話を、これらの語句の一切を引用すべき一つの物語をみつけ出したときに使用するつもりで。しかしついぞそんな物語りは発見しなかった。で僕はいま疑いはじめてさえいる、いったい物語りなぞというものは在るものかと。  さあ、見てごらん。この露台から、あの下でうじゃうじゃしている群集を。どこもかしこも活発で騒々しい人びとの動きだ。見たまえあの男はロバを扱い兼ねて困っている。人の良さそうな浮浪者が五六人手伝ってやる。他の連中は見むきもせずに行ってしまう。彼らには糸一かせほどもの沢山な関心事があると見える。見たまえ、あの空のひろがり、円い白雲にころがされていくような。想っても見たまえ、数里もつづく平坦な土地を、水路橋を、破壊されたローマの舗道を、カンパニアのかなたの海を、そのかなたにつづく陸を、海を。そのつもりにさえなれば、僕にはあの眺望の中のいかなる些末な事象をも――たとえばロバに曳かせた荷車を――ちぎりとって、それをこの上ない手易さで記述することもできるのだ。けれどロバを扱い兼ねる一人の男をいったいなんの理由があって詳述するのか。それからまた、あの踏段を昇ってくる少女について物語りをこしらえ上げることもやればできよう。『彼の女は暗いアーケイドの下で彼に逢った。[もうおしまいだ]彼はそう言って支那鸚鵡がぶら下っている鳥籠から振り向いた』それとも簡単に、『それっきりの話だった』とするか。だがなぜそんな気まぐれな意匠を強いるのだ。あれやこれやと強めたりこね上げたりして、大道で皿に並べて売っている玩具のような人形をひねり出すようなことを、いったいどうしてするのだ。なぜこれを選ぶのか、あの一切のなかから――一つの些末事を?
ここで僕はこうして自分の生活の殻の一枚を脱いでいるのだが、彼らの言うことと言えばこれだけだ、[バーナードはローマに十日暮らしている]と。僕はこうやってこの露台をひとり往ったり来たりしている、あてどもなく。しかし僕が歩いているあいだに句読点やダッシュが長々とつづく行の中へ流れ込みはじめるさまを観察したまえ、それから僕のこの踏段を上って来たとき持っていた露骨な別々の個性をいろんな物が失っていくさまを。赤い大きな壷はいま黄緑色の波の中で赤い縞になってしまった。世界は僕の傍を掠めて、列車の出発していくときの生垣の土手のように、汽船が動き出すときの海の波のように、遠ざかりはじめる。僕もまた動き出し、捲き込まれはじめる、次々とものの姿がつづいて否応なしに樹木が現われ、電信柱が現われ、生垣の割れ目が見えて来ようといった全般的な事物の連続のなかに。そして、とり囲まれ、捲き込まれ、それに加わりして動いて行きながら、例の詩句が泡立ちはじめる。そして頭の中の引き窓からこれらの泡沫を解放したいと考える。そこで僕の足取りをあの男の方へ、その頭の背後はほとんど僕のお馴染みと言ってもいいあの男の方に向けるのだ。彼とは学校で一緒だった。二人は必ず落ち合うだろう。一緒に昼食をするだろう。おしゃべりするだろう。しかし待った、ちょっと待った。
こうした逃避の瞬間は軽蔑さるべきではない。そうした瞬間はほとんどやって来ないものだ。タヒチ行きも可能になる。この手摺りに寄りながら遠くかなたに一つの海原を眺める。魚の鰭《ひれ》がはねる。この露骨な眼の印象はいかなる理性の規約にも脈絡のないものだ。それは水平線の上に海豚《いるか》の鰭を見たときなどに突如として現われる。こんなふうにして眼の印象はしばしば、簡潔に記述を伝える、それを僕たちがいつか将来その覆いをとって言葉に言いくるめるのだ。だから僕は[ひ]の所に書きとめる、[わたつ海にうかぶ魚の≪ひれ≫]と。最後の記述に備えて心の余白に絶えず覚え書を書きつけてきた僕は、この記号をつけて、ある冬の夕ベを待ち望んでいるのだ。
さてどこかへ昼食をしに行くとしよう。杯を挙げ、葡萄酒を透かして見、例の超脱ぶりをそこのけに観察しよう。そして美しい女がレストランに入って来てテーブルのあいだをこっちの席へやって来たら独りごちる、[見たまえ、彼女が渡つ海を背にしてやってくるのを]無意味な観察、しかもそれは僕にとっては、厳かな、鼠色をした、崩れゆく世界と破滅に向って墜ちる水の流れの致命的な響きを伴ったものだ。
では、バーナード君(僕は君を呼び返す、さまざまな企てにいつも僕の同伴者であった君を)、我々はこの新しい章をはじめよう、そして二人してこの新しいこの未知不可思議な、全く識別しがたい、戦慄さえ覚えるような経験を――いまようやく形づくりはじめようとする新しい滴を――観察するとしよう。ラーペントというのがその男の名前なのだ」
「この暑い午後」スーザンは言った。「この庭で、息子と一緒に歩いているこの畑で、わたしはこの上なんの望むところもないくらい。門の蝶番が錆びている。彼がそれをずり開ける。子供時代の激しい感情、ジニーがルイスに接吻したあのときの庭での涙、松の匂いのする教室でのわたしの怒り、尖った蹄《ひづめ》をガチャガチャ言わせてロバが入って来、イタリアの女たちが肩かけをして、カーネーションを髪に挿して、泉のそばでおしゃべりしていた、あの外国の土地でのわたしの孤独、それらがみな今の安泰さと所有しているものとこの親密さとによって、すっかり埋め合わせをされているわ。わたしは平和な生産的な年月を送って来たのだわ。わたしの眺めるすべてがわたしのもの。わたしは種子から樹を育て上げた。金魚が大きな水蓮の葉の下に隠れるお池をいくつもつくった。オランダいちごの苗床やチシャの苗床を網でかこい、梨や梅の実を白い袋に縫い込んで黄蜂の予防もした。かつては吊床の中で果物のように網をかけられていたわたしの男の子女の子らが、網の目を破ってわたしよりも背が高くなり、わたしと一緒に、草の上に影を曳きながら歩くのを見てきた。
こうやってわたしは、自分が育てた樹の一つのようにここに植えつけられて柵で囲われている。わたしは言う、[わたしの息子]わたしは言う、[わたしの娘]と。あの釘やペンキや金網を散らかした店台から顔を上げる金物屋さんだって、戸口に置かれたみすぼらしい車に、蝶々網だの小籠だの蜜蜂の巣箱だのを積んだのを跳めれば、それを崇めるもの。クリスマスにわたしらは柱時計の上にヤドリギをつるし、黒苺やキノコを秤《はかり》にかけ、ジャムを詰めた壜を数え、毎年毎年客間の窓の窓扉に立って背丈をはかる。わたしはまた白い花をレース編みにし、死んだ人たちのためにそれへ銀色の草を編み合わせ、亡くなった羊飼いのお弔《くや》みのためや亡くなった馬車屋のおかみさんへの慰めにカードを結びつける。それからまた、今はの際《きわ》の怖れの言葉をつぶやいてわたしの手にすがりつく臨終の迫った女の人の枕許に坐ったり、わたしのような環境に育ち、小さいときからお百姓家の庭だの汚物の山だの、そこらをヒョコヒョコ歩きまわる鶏だのに馴染んで来た者でなくてはとても我慢できないような部屋を、たった二部屋のところに住んで、発育ざかりの子供たちを抱えているお母さんのところを度々訪ねて行く。わたしは熱さのために溶けてしまいそうな窓を見た。流しの溝の匂いを嗅いだ。
わたしはいま鋏をもって花のあいだにたたずみながら問い訊ねる、影の射し入ることができるようなところはいったいどこにあるかしら、精根つくして寄せ集め、冷酷におし固めたわたしの人生はどんなに激動に会おうと弛むことはよもあるまいがと。けれどもわたしもどうかするとこの飾り気のない幸福に倦《う》んで、生長していく果物だの、家の中一杯に橈《かい》や鉄砲や頭蓋や賞品の本やその他いろんな賞品を散らかして遊ぶ子供たちにうんざりすることがあるわ。わたしは肉体に倦んでしまった。自分の技巧や労役や好智に、わが子を保護し嫉妬深い眼つきでいつもわが子を一つの長テーブルに集める、母性というもののもつ無遠慮な態度に、あきあきしているのだ。
冷たい、駿雨まじりの、思いがけない黄色い花を伴う、春がやってくる。わたしが青い物かげの下で肉を跳め、紅茶や乾し葡萄の重たい銀色の袋を抑えながら、回想に耽るのはそのとき。陽が昇り、燕が草の上を掠めて飛んだ様子、子供だった時分バーナードが作った詩の語句、わたしが啜り泣きしながら坐っていた、地に浮いたブナの木の根元に、揺り動く光を投げ散らしながら、空の青さを撹乱して、二人の上で震えていたきらきら光る、一杯に繁り合った木の葉。じゅずかけ鳩が飛び立った。わたしは跳ね起きて、風船玉から垂れた糸がゆらりゆらりと枝から枝を擦りぬけて高く高く上っていくみたいに尾を引いていく言葉の後を追いかけた。するとひびの入った球のようにわたしの朝のあの不動さが砕けるの。そしてわたしは粉の袋を下に置きながら思う、水鏡が葦をぐるりと閉じこめているように人生がわたしを取り巻いていると。
わたし、エルブドンに行って腐った没食子《ふし》を踏みつけ、書きものをしている女の人と大きな箒で掃除している植木屋さんを見たわたしは、いま鋏を握ってタチアオイをちょきちょき切り刻む。わたしたちは鉄砲で撃たれて貂《てん》のように壁に釘づけされては大変と息を弾ませて逃げ帰ったものだ。いまわたしは寸法をそろえて大事に束ねる。夜になれば肘つきの椅子に坐って腕を伸ばし、編物を手に取る。そして良人の鼾を聞き、通っていく車の燈火が窓をまぶしくすると目を上げて、わたしの人生の波がしっかりと根を張られたわたしのまわりで、抛《ほう》られ砕けるのが感じられる。そうしてまた、入れたり出したり針を動かしてキャラコに糸を縫い通しながら、叫び声を耳にしたり、他人の人生が橋脚のまわりに集まった藁屑のように渦を巻いているのを見たりする。
ときおりわたしを愛していたパーシバルのことを思う。あの人はインドで馬に乗っていて落ちたのだ。ローダのことを考えることもある。夜中にわたしはただならぬ叫び声に目を覚ます。とはいっても、大概は息子たちを連れて満ち足りた思いで散歩する。タチアオイの枯れた花弁を鋏《はさ》み取る。そんな年配でもないのに腰もかがみ、もう白い髪をしているけれど、よく澄んだ梨形の眼で、あたしは自分の畑を歩くの」
「わたしがこうして立っている地下鉄の駅には」ジニーは言った。「望ましいすべてのものがまっている――ピカデリー南路、ピカデリー北路、リージェント街、ヘイマーケット。しばらくのあいだロンドンの心臓部の舗道にたたずむ。頭の真上を無数の車が輪を走らせ人びとが足を踏みつける。文明の大通りがここに集まり、あちらへこちらへと延びている。わたしは人生の中心にいるのだ。でもご覧――あの鏡にわたしの顔が映っているわ。なんて寂しそうな、なんて皺の寄った、なんて老けた顔! わたしはもう若くはないのだ。もうわたしは行列の一人じゃないんだわ。無数の人間が怖ろしいあの階段を下へ降りていく。大きな輪が容赦なくそれらの人を下へとけし立てる。無数の人が死んでしまった。パーシバルも死んだ。わたしはまだ動いている。まだ生きている。でも合図をして見たって今さら誰が従《つ》いてくるかしら。
わたしは小さな動物、こわごわ脇腹で息を弾ませて、胸をどきどきさせて身体を震わせながらここに立っている。でも怖がったりなんぞしない。脇腹に笞を打ちおろしたい。しくしく泣きながら物影へ入りこむ小ちゃな獣とは違うんだもの。おじけたりしたのもほんのちょっとのあいだ、いつもは自分の姿を見る前にその心構えをするんだけど、さっきはその用意をする暇がなかったの。ほんとにそう、若くはないわ――腕を上げても甲斐なく、合図にもならずに肩掛けが脇へ落ちてしまう、そんな日がくるのも遠くはないわ。夜中に突然の嘆息を聞くことも、暗闇の中を誰かの近づいてくる気配を感ずることもできなくなるのだわ。暗いトンネルの中で窓ガラスに影が映ることもありはしないわ。みんなの顔をのぞいて見る、するとその人たちが誰か別の女の顔を求めているのに気がつく。死人の行列が羽交い締めにされた怖ろしい奈落に落ちていくみたいに、反り返った人びとの身体が音もなくふわっとエスカレーターで降りてゆく姿やら、容赦もなくわたしたちをわたしたちみなを前へ駆り立てる大きなエンジンの激動に、ちょっと怖くなって隠れ場所を探したのは本当のこと。
しかしいま、入念に鏡の前であのささやかな心構えをしながら、わたしはもう怖れないことを誓言するの。考えてみるといいわ、キチンと時間通りに止ってはたっていく、赤と黄の立派なバスを。思ってごらん、人の歩みのように徐行するかと思うと矢のように突進するあの活発で美しい車を。装いこらし身仕度を整えて車を走らせる男を女を。これこそ凱旋の行進だわ、軍旗をかざし、真鍮の鷲印の旗をかざし、戦場で獲た月桂樹の葉を頭に戴いた勝利の軍隊だわ。あの人たちのほうが、下帯一つの土人よりもましだ、髪の毛を濡らして長い乳をぶら下げ子供たちにそれをひっぱらせている女たちよりもましなのだ。この広々とした街路――ピカデリー南路、ピカデリー北路、リージェント街、ヘイマーケット――は密林の中を突き抜けて走る勝利の砂の道だ。わたしもまた、塗り革の靴をはき、ほんの薄い紗《しゃ》のハンカチーフをもち、唇を紅くぬり、美しく眉毛をかいて、隊伍に加わって勝利へと行進する。
この地下でさえも、人びとはなんと服を次から次とまばゆいほどに見せびらかしていることか。地面をさえも虫だらけ水だらけにして置こうとはしないのだわ。ガラスの函の中で紗や絹が照り輝いている、それにまた美しい縫取りのある、無数の細かな飾りを施した下着も。深紅、緑、紫、あらゆる色に染められている。彼らが一団となり、展《の》びて滑らかになり、染料に浸り、岩を打ち砕きながらトンネルをうがつ様子を想像してごらん。エレヴェーターは昇ったり降りたりする。列車は海の波のように規則的に止まっては出て行く。これこそわたしの執着するもの。この世界に生れついたわたしはこの旗の下に従うの。どうして隠れ場所を求めに走ることができよう、彼らはあのように素晴しく冒険心に富み、勇敢で、そしてまた好奇心に燃え、努力のさなかにあっても、足を止めて自由な手ぶりで壁の上に落書きを書きつけるだけのたくましさをもっているというのに。だからわたしは顔に白粉を塗り、唇を紅くするの。眉毛の線はいつもよりはっきりと引こう。地面に出て、ピカデリー街の四つ辻に他の人たちと一緒に胸を張って立とう。鮮かな手つきでタクシーに合図すると、運転手は目にもとまらぬ敏捷さで合図を読んだことを知らせるだろう。わたしはいまだに熱意を掻き立てているのだもの。いまでも通りを行く人びとが、微風が吹くと小麦がだまって穂を垂れざわざわと赤いさざなみを立てるように、わたしの方に頭を垂れるのに気が付く。
わが家へと車を走らせよう。大きな枝をたわませている花を惜し気もなくどっさり、途方もなく花瓶に一杯に生けよう。椅子をあちらに一つ、こちらに一つ並べよう。それからバーナードか、ネヴィルか、ルイスが来たときの用意の煙草とグラスと何か華やかな装幀の新しい読んでない本を整えておこう。けれどやってくるのはバーナードでもネヴィルでもルイスでもなく、誰か新しい人、どこかの階段ですれちがい、そして行き過ぎようとした途端に[いらっしゃい]とわたしが囁いた、わたしの知らない人。その人は今日の午後やってくるわ。知らない誰か、新しいその誰かが。もの言わぬ死者の軍勢は奈落に落ち込むがいい。わたしは前進していくのだ」
「僕はいまではもう部屋はいらない」ネヴィルは言った。「壁も暖炉の明りも。もう僕は若くはないのだ。ジニーの家の前を通っても、もう羨み心もなく、何だかぎこちない手つきで、戸口の階段でネクタイを整えている若い男に微笑みかける。小ぎれいなあの青年は勝手にベルを鳴らすがよい。彼女に会うがいい。僕は会いたければ彼女に会う。気が向かなければ素通りするまでだ。ひと昔以前の腐れ縁は切れてしまった――嫉妬も術策も怨恨も、みなさっぱり洗い流した。我々はまた歓喜をも失ったのだ。若かった時分はどこへでも坐ったものだ、いつも扉がばたんばたんと音を立て、隙間風の吹きこむホールの飾りなしの長椅子にも、我々は子供のように半裸体になって船の甲板を転げまわり、ホースで水を注ぎ合ったものだ。いまでは正直なところ、僕は一日の仕事を終えたころ、地下鉄からどっと無差別無際限に押し出されてくる人びとの姿を見ることを好む。生の果実を摘み終った。僕はいまや、公平な眼で見るのだ。
つまるところ、我々には責任はないのだ。我々は判官ではない。われわれは同胞を圧拇《あつぼ》器や足枷《あしかせ》で拷問するために召し出されたのでもなければ、説教壇に立ってどんよりした日曜日の午後にお説教を聴かせるために召し出されたのでもない。それよりは薔薇の花を眺めるか、僕がいまシャフツベリ通りでそうやっているように、シェイクスピアでも読む方がましだ。それ道化がくる。ほら悪漢がくる。クレオパトラが車に乗ってやってくる。屋形船で、肌を焦がしているといったぐあい。これはまた地獄に堕ちたご連中か、軽罪裁判所の壁際に鼻を失くした男たちが火炎の中に立ちつくして泣きわめいておいでだ。書くことさえしなければ、これは我々にとっては詩なのだ。彼らは正直にその役割を演じている。そして僕は彼らが口を開くさきに何を言おうとしているかを知り、ぜひ書いておかねばならぬ言葉を彼らが口に出す神聖な瞬間を待っている。この劇のためとさえあれば、僕はいつまでもシャフツベリ通りを歩いていたいものだが。
それから、街を歩いてどこかの部屋に入ると、そこでは人びとがしゃべっている。くったくなさそうにしゃべっている。余りにも言い古された、一言でもって十分言いつくせることを、彼が彼女が、誰かが、しゃべるのだ、議論、笑い、古い苦情話――それらが空を切って落ちて来て、空気を重苦しくする。僕は一冊の本を取り上げ、何かを半頁ばかり読む。湯沸しの口などまだ誰も直してはいない。子供は母親の着物を着て踊る。
しかし、やがてローダが、それともルイスかもしれない、ある精進苦悩する魂が入りこんで来ては、ふたたび去っていく。彼らは筋書を求めるのか? 理由を欲しているのか? このありきたりの場面では、彼らにはもの足りないのだ。書かれてあるとおりに言われるのを待っていたのではもの足りないのだ。文章が整然とそのあるべき場所に軽く粘土を塗り付けて、性格を作り上げるのを見ているのは。突然空の背景に輪郭だけのある一群を見出すのなどはだ。が、もし彼らが激越を望むのなら、僕は一つの部屋に死と殺人と自殺のすべてを見たこともある。人は来たり、人は去っていく。階段では啜り泣きの声がする。糸がほぐされ結び目がからげられ、女の膝の上で白い麻布が静かに縫われつづけていく音を聞いたこともある。なぜルイスみたいに理由を求めたり、ローダのようにどこか遠い小さな森に逃れて月桂樹の葉を分けて彫像の姿を探したりする必要があろう。彼らは言う、この騒擾のかなたには太陽が輝いているのだという信念をもって、人は暴風雨が吹きまくろうと翼を休めてはならないのだ。太陽は柳の羽毛で覆われた水溜りにまっすぐに光を落しているのだと。(ここではいまは十一月、貧しい人たちが風にしみ痛んだ指先でマッチ箱を差し出している)そこに真理は完全な姿で見出されるという。この袋小路を足ひきずってのろのろ歩む徳という美質もそこでは完全に保たれているはずだと。ローダは首を伸ばし、めくら滅法な熱狂的な眼つきで我々の傍を通り抜ける。ルイスは、いまではたいそう富裕になっているが、ぶつぶつ脹れ上がった屋根のあいだにある彼の屋根裏部屋の窓際に行って、彼女の姿が消えていった方をじっとみつめる。しかし事務所ではタイプライターと電話のあいだに坐って一日中それを働かせていなくてはならない。我々の薫陶のため、矯正のため、未だ生れ出ない世界の革新のために。
けれど僕がいまノックもせずに入ってくるこの部屋では、書かれてもあったかのように、ものごとが話される。僕は書棚のところへ行く。何か選《え》り出したらそれを半頁ほど読む。しゃべる必要はない。けれど話に耳を傾ける。僕は素晴しく上手に気を配っている。実際、この詩を骨を折らずに読むことは誰にもできない。しばしばその頁は汚され、泥を塗られ引きちぎられ、枯葉や美女桜やゼラニュームの小片を挟まれる。この詩を読もうとするには百万の眼が必要だ。真夜の大西洋にいくつもの板型の水をほとばしらせるあのランプの一つのように――時に海面をつつくものとてはおそらく海草の飛沫だけ、さては突然波が大きく目を開け怪物が肩をつき上げる。反感や嫉妬は斥けねばならぬし、中断してはならぬ。辛抱と無限の配慮とをもって、木の葉の上の微かな蜘蛛の足音であろうと、あるいは見当違いの排水管の中でちょろちょろ水の流れる音であろうと、微かなものの音をも顕わすようにしなければならない。何ごとにもあれ怖れや戦慄のために拒絶してはならない。この頁(僕がしゃべっている人びとに交じって読むところの)を書いた詩人は引き下がった。そこには句点も読点もない。各行は適当な長さでつづかない。多くはただのナンセンスにすぎない。人はすべからく懐疑的であれ。けれど用心などは風にくれてしまって、扉が開いたら何でもかでも受け入れることだ。それからたまには泣くがよい。容赦なく刃の先で煤や木皮やあらゆる厄介な付着物をそぎ取ってしまうがよい。そうやって(彼らが話をしているあいだに)網をだんだん下へ降ろして行って、男の言ったこと、女の言ったことを静かに包み込み、表面に引き上げて詩を作ることだ。
ところで、いままで彼らの話に耳を傾けていた。もう彼らは行ってしまった。僕は一人だ。いま僕は炉の火が町屋根のように、鎔鉄炉のように、いつまでも燃えるのを満足した気持で見守ることもできる。いま薪にささった大きな釘が絞首台のような、墓穴のような、あるいは幸福の谷のような恰好になる。今度は白い鱗をして真赤にねじれた蛇だ。窓掛けに描かれた果実が鸚鵡の嘴の下のほうで脹《ふく》れる。ピーピー、ピーピー、森の奥で虫が啼くように、火が音を立てる。ピーピー、ピーピー、と鳴っている戸外では、木の枝が風を打ちのめし、とみるとドドッと一斉射撃のように木が倒れる。ロンドンの夜の響きが聞えてくる。それから僕は待ちかまえていた一つの音を聞く。だんだん昇って来て、近寄り、ためらい、僕の部屋の戸口で止まる。[お入り。側に腰をかけなさい。この椅子の端にかけなさい]むかしの幻覚に引きずられて僕は叫ぶ。[さあ、ずっとこっちに寄りたまえ]と」
「事務所からもどって来た」ルイスは言った。「外套をここへかけ、ステッキをあそこへおく――リシュリューがこんな杖をついて歩いたと空想して見るのが好きだ。こうやって僕は自分の権威を脱ぎ棄てる。僕はワニスを塗ったテーブルの重役の右手にずっと坐っていた。成功した我が社の事業の地図が壁の上からわたしたちと面をつき合わしている。我々は社の船で世界を結んでしまったのだ。地球は我が社の航路でつなぎ合わされている。僕は素晴しく評判がいい。この事務所のすべての婦人が僕の入ってくるのに気をくばる。いまでは僕は好きな場所で食事を摂ることができる。そうして自惚れなしに想像することができる、やがてサリーに一軒の家を、二台の車を、温室を、いくつかメロンの珍種をわがものとすることができるだろうと。けれどやはり、僕はもどる、自分の屋根裏部屋へやはり帰って来て、帽子をかけ、僕の先生の木理《もくめ》塗りの樫の扉に拳を打ち下したあのとき以来ずっとつづけて来た、あの奇妙な試みをひとりでつづける。僕は小さな本を開ける。僕は一つの詩を読む。一つの詩で十分だ。
あわれ、西風よ……
あわれ西風よ、お前は僕のマホガニーのテーブルや脚絆に敵意を抱いている。それから、ああ、僕の情人《じょうじん》の、英語を正確に話し得たことのない、まだ少女たる女優の俗悪さに対しても――
あわれ、西風よ、吹き初《そ》むるはいつのとき……
ローダさえ、あのまるでうつけたような、蝸牛の肉色の、見えないあの眼のローダさえ、西風よ、お前を滅ぼすことはあるまい。たとえ彼女が星のきらめく深夜に来ようと、最も散文的な真昼どきに来ようとも。彼女は窓辺に立って煙突の筒口を、貧しい人びとの家の破れた窓を眺める――
あわれ西風よ、吹き初むるはいつのとき……
僕の仕事、僕の負担は、いつも他の人よりも大きかった。僕の肩の上にはピラミッドが建てられていた。僕は厖大な仕事をしようとしてきた。僕は兇暴な、始末に負えぬ、奸悪な連中をあしらった。オーストラリア訛りの僕は食堂に坐り、店の者に註文をわからせようとして骨を折ったが、そのあいだにも決して忘れはしなかった。僕の厳かなきびしい所信を、解かねばならぬ矛盾を、不条理を。少年の僕はナイル河を夢見た。眼を覚ますのは嫌だったが、木理《もくめ》塗りの樫の扉に拳を打ち下した。スーザンみたいに、僕が一番尊敬する、パーシバルみたいに、運命を負わないで生れて来たほうが幸福だったろうものを。
あわれ、西風よ、吹き初むるはいつのとき、
地上に小雨を降らそうとて。
人生は僕にとって怖ろしい事件だった。僕は何か大きな吸管みたいなものの、食いしんぼうで飽くこと知らぬ粘っこい口に似ている。わたしは生きた肉から心にくっついているたねを引き出そうとやってみた。わたしはささやかな自然の幸福を知った。それにしても僕が情婦を選んだのは彼女のロンドン訛りが僕を気楽にしてくれるだろうと思ったからだ。けれど彼女は汚れたシャツを床の上に放って置くばかり。その上、雑役婦や小僧たちが一日に何遍となく背後から声を張り上げて、僕の几帳面で高慢ちきな歩きぶりを毒づいた。
あわれ、西風よ、吹き初むるはいつのとき、
地上に小雨を降らそうとて。
僕の運命はどんなものであったろう。この数年ずっと僕の肋骨を締めつけて来た鋭角のピラミッドは? ナイル河と水ざしを頭に載せて運んでいく女たちを思い出すということ、穀物をなびかせたり、小川を凍らせたりする長い夏と冬とに織りなされて来た自分を感じるということ。僕は単一な、過ぎゆく存在ではない。僕の人生はダイアモンドの表面に踊るような束の間の輝しい閃光ではない、僕は大地の底へうねくって伸びていく。ランプを携えて檻から檻をまわり歩く監守のように。僕の運命は、我々の長い歴史の、我々の嵐のような変化多い日の、薄くしかも厚い、きれぎれで、しかも限りなくつづいている、数多くの糸を記憶していること、それをより合せて一つの太い索《ロープ》を編まねばならぬということだ。常に理解さるべきより以上のことが存在する。傾聴さるべき不協和音が。懲戒さるべき虚偽が。煙突の頂蓋、弛んだスレート、こそこそ歩く猫、屋根裏の窓などのあるこれらの屋根屋根は、破れ果て煤《すす》にまみれている。僕は破れたガラスや火ぶくれのタイル張りの間をひろい歩きをして進み、飢えている浅ましい顔ばかり眺める。
仮りにそれだけのことに理由をこしらえているのだと考えてみよう。――ただ一頁に一篇の詩を残して死んでいくこと。しかしそれも不本意ではないのだということは保証してもいい。パーシバルは死んだ。ローダは僕を棄てた。けれど僕はなお生きて、憔悴し萎び果て、いや増す尊敬を払われながら、金の頭飾りの杖で街路をコツコツ叩いて歩くことだろう。おそらく僕は永久に死なず、そしてまた遂にあの恒久不易にさえ到達することもないだろう――
あわれ、西風よ、吹き初むるはいつのとき、
地上に小雨を降らそうとて。
パーシバルは緑の葉をつけた花を咲かせ、夏の風になおその枝をそよがせながら地上に横たえられた。他の人たちが話しているとき僕と沈黙を分かちあったローダ、牛や豚の群れ集い、従順なつやつやした背中をそろえて豊かな牧場を走りいくのに尻込みして脇を向いてしまう彼女も、いまは砂漠の熱気のように消えてしまった。町の屋根を陽が照りつけると僕は彼女のことを思うのだ、乾ききった葉が地面にぱたぱたと倒れ伏すとき、爺さんたちが尖った棒をもってやって来て、僕たちが彼女をそうしたように小さな紙屑を突き刺すとき――
あわれ、西風よ、吹き初むるはいつのとき、
地上に小雨を降らそうとて。
ああ、恋人をわがもろ腕にいだき
われもまた伏し床《ど》にあらば!
僕はいま僕の本にもどる。僕はまた僕の試みに帰っていく」
「ああ人生、わたしはどんなにお前を怖れてきたことか」ローダは言った。「ああ人間よ、わたしはどんなにお前たちを憎んできたことだろう! どんなにお前たちは人をこづき、邪魔をしたことか。どんなにオクスフォード街では怖ろしい様子に見えたことだろう。地下鉄の中で坐り合い見つめ合うお前たちはどんなに汚なく見えたことか! いまわたしはこの、頂からアフリカを眺められるこの山を登りながらも、褐色の紙包みとお前たちの顔を心に焼きつけている。わたしはお前たちのために汚され、堕落させられてしまった。切符を買うために戸外で行列を作っているお前たちは、またいやな匂いがした。みな、鼠と灰色のぼんやりした影に飾られて、青い羽毛一本さえ帽子にピンで止めてはなかった。誰一人として敢然と自分を守ろうとする勇気を持たなかった。一日を過ごしていくためにお前たちはどのような魂の分離を、どのような虚言を、屈従を、苦難を、能弁を、卑屈を、要求したことだろう! いかにわたしを一つの場所、一つの時間、一つの椅子に縛りつけ、お前たち自らをさし向いに坐らせたことか! いかにお前たちは時間と時間のあいだの白い空間をわたしから奪い取り、薄汚ない小球にまるめて、脂じみた掌《てのひら》で紙屑箱に放り込んだことだろう。でもそうしたものがわたしの人生だったのだ。
けれどわたしは屈服したのだわ。嘲笑と欠伸が手でおし隠された。わたしは通りへ出かけて行って腹立ちのしるしに溝で瓶を割ることなどはしなかった。激情に打ち震えながら、驚いていないふりをした。お前たちのやる通りにわたしはやった。スーザンとジニーがあんな風に靴下を引き上げると、わたしもまたそんな風に靴下を引き上げた。あまり人生は怖ろしかったので、わたしはいつも陰から陰へ避けてばかりいた。あれこれといろんなものを通して人生を眺めてごらん、薔薇の葉をそのままに、葡萄の葉にかまうな。――わたしはすべての街を、オクスフォード街を、ピカデリー・サーカスを、わたしの心の炎と波紋で、葡萄の葉と、薔薇の葉でおおった。学校が休暇になると、通路に立っているいくつもの箱もあった。わたしは名前や顔のレッテルや夢をこつそりとぬすみ読んだ。名前は忘れたがある少女が舗道に立っていると、そこには金色の栄光にハロゲートだかエディンバラだかがさざなみを立てていた。しかしそれはただの名にすぎなかった。わたしはルイスから離れた。わたしは抱擁が怖かった。羊の毛で、衣裳で、わたしは濃藍の葉身を隠そうと努めた。わたしは昼間にむかって夜に闖入《ちんにゅう》することをねがった。茶箪笥がだんだん小さくなっていくのを眺め、寝台の柔かくなり宙にぶら下って揺れるのを感じ、長く伸びた木や顔を、荒野を走る緑の堤を、悲しみにくれながら訣れを告げている二つの人影を、認めることを望んだ。わたしは地上のものの姿が見られぬとき、耕地に種を播く人がするように言葉を扇形にふりまい.た。わたしはいつも夜を繰りひろげ、夢で限りなくそれを満たしたかった。
それからどこかの公会堂でわたしは音楽の枝を押し分けて、わたしたちの作った家を、長方形の上に立っている正方形を見た。[一切を容れている家]パーシバルが死んで後、バスの中で人びとの肩にぶつかってよろめきながらわたしはそう言った。それでもわたしはグリニッチヘ出かけた。堤防を歩きながら、わたしは自分がいつも、草木などなく、ところどころに大理石の柱がある、世界の涯で叫び立てることができたらと祈った。わたしは拡がっていく波の中に花束を投げた。わたしは言った、[ああわたしを焼きつくしておくれ。遠い遠い地の果てにわたしを連れていっておくれ]波は砕けてしまった。花束は萎れた。いまではパーシバルのことはめったに考えることもない。
いまわたしはスペインのこの坂道をのぼる。そうしてわたしは思う、このロバの背はわたしの寝床、わたしは死んで横たわっているのだと。いまわたしと無限の深淵とのあいだには薄い敷布が一枚あるばかり。敷蒲団の塊りが身体の下でふわふわする。わたしたちはよろよろ登って行く――わたしたちはよろよろ進んで行く。わたしの道は高くだんだん高く、何か一本寂しく樹が立っていて、その傍に水溜りがある頂きにむかって。わたしは翼をたたんだ鳥のように丘と丘が寄り添ってくる夕暮れ、美しい河水を切り取った。わたしはときおり、赤いカーネーションを摘み、乾草の束をひろった。わたしはひとり草地に身を埋めて古い骨などをいじりながら思った、風が身を屈めてこの丘を吹き過ぎるとき、一つかみの塵のほかには何もあとに残りませんようにと。
ロバはよろよろ登り進む。丘の背が霧のように立ち昇るが、頂きに登ればアフリカが見えるだろう。いま寝床はわたしの下でたわむ。黄色い穴のあいた敷布はわたしを落し込む。白馬のような顔をした人の良い女が寝床の端で、別れの身振りをして去りかける。ではいったい誰がわたしと一緒にくるのかしら。花ばかり、カウバインドと月の光のような色をしたサンザシと。それをゆるく束ねて花束をこしらえて、くれてあげた。――ああ、いったい誰に! わたしたちはいま断崖の上に身を乗り出す。わたしたちの下にはニシン船のより集う灯がある。崖は消えてしまう。小さく灰色に泡立って、波が足下に数えきれぬほど拡がる。何にも手触りがない。何にも見えない。わたしたちは沈んで波の上に止まるのだ。海はわたしの耳許でどうどうと鳴り渡ることだろう。白い花弁は海水に黒ずむだろう。しばらく浮いているが、やがて沈んでいくだろう。波はわたしを転ばしながら水底の方へ担いでいくことだろう。すべてのものが激しい俄雨のように落ちて来て、わたしを溶かし込む。
でもあの木には枝が一杯に生えている、あのはっきりした線は小屋の屋根、赤や黄に塗られて、あのふくらんだものは人びとの顔。地面に足を踏みしめておっかなびっくり歩き、スペインの宿屋の堅い扉にあたしの手をかけるの」
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陽は沈み果てようとしていた。昼という硬石が割れて砕け、光がその裂片を通してほとばしっていた。赤や金色が飛び去る矢さながらに、闇の羽毛をつけた波を射し貫いた。放逸に光線が閃いてはゆらゆらと流れた。海底に沈み行く島からの合図とも、はばからず笑いさざめく少年たちが月桂樹の森から射ち出す投箭とも見ゆるばかり。しかし波は岸辺に寄せても今はその耀きも失せ、壁が、灰色の壁がどうと崩れ落ちるように、長い激動をつづけて砕けおち、光の割れ目も通さなかった。
そよ風が立った。木の葉にわななきが走り抜けると、動かされて葉は鳶色の濃さを失って灰色とも白色にも変わった。樹がその大いさを振り払い、眼をしばたき、天蓋の均整を崩しでもしたように、頂辺の枝にとまっていた鷹が、瞼をしばたたいて起ち上り、悠々と飛翔して遠く去って行った。沼地に啼く千鳥は逃げるように旋回すると、ひとり淋しくはるかかなたへ啼きながら、飛んでいった。汽車や煙突の烟は伸び拡がりちぎれて、海と野の面にかかる白雲おぼろな天空の一部に溶けこんだ。
もう麦は刈られていた。いまは元気のいい切株畑だけが残されて風になびきながら波打っていた。大きな梟《ふくろう》がしずかに楡の木から身を起し、垂れ下った一条の線に乗っているかのように身をゆすって杉の頂きに飛び上った。丘の上をゆるやかな影が渡りながら、拡がったり縮んだりした。荒地の高みにある水溜りが虚ろに横たわっていた。毛むくじゃらの顔も映らなければ、水を撥ねちらす蹄も、波を揺するいきれくさい鼻面もなかった。小鳥が一羽、灰色の細枝にとまって曙に冷い水を一杯流し込んだ。剪《はさみ》を動かす音も車輪のまわる音もしない。ただ風だけが思い出したように唸り声を立てて、その帆を一杯に膨らまし、草原の上を掠めて過ぎた。骨が一本、雨にうがたれ、陽に晒されて、海で磨き上げられた小枝のように光っていた。春ともなれば黄褐色に燃え、夏には南風にしなやかな葉を垂れた木は、いまは鉄のように黒ずんで裸ながらの露わな姿を見せていた。
陸地は遠く離れて、輝く屋根もきらめく窓ももう見えなかった。影を帯びた大地の途方もない重みが、もろい束縛や蝸牛の殻といった足手まといをすっかり呑み込んでしまった。いまそこにあるものは、ただ、水のような雲の影、つき進んでくる雨、ひらめく槍先のような日光、あるいは突如襲ってくる雨まじりの暴風ばかり。孤影逍然たる木立が遠くの丘々をオベリスクのように見せていた。
熱を失い、じりじりと燃える強烈な黒点を溶かし去った夕陽は、椅子やテーブルをいっそう軟かにし、褐色と黄の菱形の面を彫り込んだ。影は緑を際立たせてひとしお重々しく、色もかしいで片側に流れ込んでしまったようだった。ナイフがあり、フォークや酒杯があったが、いずれも長く伸びて脹れ上り、すさまじいありさまだった。金環を縁取った鏡はその見るところ、永久につづくかのように、その光景を不動なものに映していた。
とかくするうちにも、渚に影は伸び闇は深まった。鉄のように黒い靴は濃紺の水溜りになった。砦はその堅い線を失った。朽ちこぼれた小舟のまわりに淀んでいた水が黒ずんで、胎貝《いがい》を浸したよう。泡沫は鉛色になり、真珠のような白い輝きを霞みいく砂地のそこかしこにとどめていた。
「ハンプトン・コート」バーナードは言った。「ハンプトン・コート。これが我々の会合場所だ。ハンプトン・コートのあの赤い煙突、四角い銃眼ののぞく胸壁を見るがいい。僕が[ハンプトン・コート]と言う声の調子ででも、自分が中年であることがわかる。十年前、十五年前であったら僕は言ったかもしれぬ、疑問をこめて、[ハンプトン・コート?]――どんな所だろう。湖水だの迷路だのがあるんだろうか。それとも期待をこめて、そこでどんなことが自分の身に起るだろう。誰に会うのだろう、と。しかし現在、ハンプトン・コート――ハンプトン・コート――その言葉は、僕が幾つかの電話の通知や葉書で、粒々辛苦してとり片づけた空間に、銅羅を鳴らし、鳴り響く音の輪を次々と打ち出すのだ。そしていろんな絵が浮かんでくる――夏の午後、ボート、裾をからげる年老いた婦人たち、冬の甕《かめ》の姿、三月の水仙――これらすべてがあらゆる風景に深く淀んでいる湖の表面まで浮かび上ってくる。
我々の会合場所であるあの旅館の戸口に、もう立っている――スーザンも、ルイスも、ローダも、ジニーも、ネヴィルも。彼らはもう集まって来たのだ。わたしが加われば、すぐさま、別な配合ができあがる、新たな模様が。いまおびただしい光景を形づくりながら、虚しく流れ去るものが、しっかりと堰《せ》きとめられる。僕はその強制に悩みながら反抗もできないでいる。五十ヤードの距離からもう自分という存在の秩序が変革されるのを感じる。ぐいぐいと僕をひきつける親交の磁石が身にこたえる。僕は近寄る。彼らは僕を見ない。ローダがいま僕を見る。けれど彼女は、出逢えば受ける衝撃をおそれて、僕が知らない人でもあるようなふりをする。今度はネヴィルが振り向く。とっさに手を上げて、ネヴィルに挨拶を送りながら僕は[僕もね、シェイクスピアのソネット集に押花をしたよ]と叫ぶ。そして烈しく感情を撹きたてられる。僕の小舟は荒れ狂い、逆巻く波の上でぐらぐら揺れ動く。会合の衝撃には(記録して置こう)特効薬はない。
それにまた、ざらざらした、粗い端々を接ぎ合わせるのも、不快だ。上衣を脱ぎ、帽子を取り、一緒にのそのそと宿屋に入っていくうちに、しだいに会合が気持よくなる。いま集まっている長い、がらんとした食堂は、公園を、夕陽に映えて怪異な光の消えやらぬ木立のあいだに金色の一筋を残している緑の空間を見張らしている。我々は腰を下ろす」
「この狭いテーブルに」ネヴィルが言った。「一緒に並んで坐りながら、最初の感動が摩り減って滑らかになる前に、我々はどんな感じをもつだろうか。正直のところ、やっとの思いで昔の友だちが出逢ったのにふさわしく、あけすけにわだかまりなく、会合というものがどんなふうに感じられるだろうか。悲しみ。扉は開かぬだろう。彼はやっては来まい。そうして我々は悩みに暮れる。もうみな中年に達しているので、重荷を背負っているのだ。重荷をおろそうじゃないか。君の人生はどうだった、と我々は訊く。そして私の人生は? どうかね、バーナード。どうかね、スーザン。どうかねジニー、そしてローダ。君は、ルイス、君は? 表が扉に貼りつけてある。みながこの巻パンをちぎり、魚肉やサラダを取りわける前に、僕は内ポケットを捜り、推薦状を見つける――自分の優越を証明するために持って歩く書状を。僕は合格を認められたのだ。それを証明する書状を内ポケットに入れている。けれどスーザン、蕪や麦畑を一杯に映した君の眼が、邪魔をする。僕の内ポケットのこの書状――僕が合格したことを言い立てる叫び――が、誰もいない畑で、手を打ってミヤマガラスを嚇《おど》す男のように、甲斐ない音を立てる。それもスーザンの凝視(わたしの手を打つ音、その反響)の下に、いまはすっかり消え失せてしまって、聞えるのはただ耕された土の上を吹く風と何かの鳥の啼き声だけ――酔っているような雲雀か何かの。給仕が音をききつけたろうか、それともあの、ぶらぶら歩きしたり、足を止めて木立を、彼らの衰えた肉体を隠すだけの蔭をまだつくらぬ木立を眺めやる、いつも絶えることのない、人目を忍ぶ二人連れが。いいや、手を打つ音が衰えてしまった。
ならば、書類を引き出し、大声で推薦状を読み上げて、僕が合格したことを君に信じさすことができぬとしたら、いったい何が残っていようか。残っているのは、スーザンが彼女の緑色の意地悪い眼、水晶のような、梨形の眼の下であばき立てるものだ。我々が一緒に集まり、会合がもたらす尖鋭な感じがまだ和らげられぬとき、必ず誰かしら自分を没することを拒否する者がある。それゆえ、その人間の本性を自分のそれに屈服させたくなるのだ。いまの僕の場合は、それがスーザンだ。僕はスーザンを感動させようと話す。さあスーザン、僕の話を聞いてくれたまえ。
誰か朝食のときに入ってくると、窓掛けの果実の刺繍が鸚鵡がつっつけるほどに脹れる、人が指でちぎり取ることもできるくらいに。薄い、上澄みをすくった、朝の牛乳が、蛋白質に、青色に、薔薇色になる。そんなとき、君の亭主――脚絆をぴしゃりと敲《たた》いて、不胎の牝牛を鞭で指さす男――がぶつぶつ言う。君は何にも言わない。何も見ない。習慣が眼を盲《めし》いにしているのだ。そんなときの君と亭主との関係は、無言で、無表情で、暗褐色をしている。それが僕の場合だとそんなときは暖かで変化に富んでいる。僕にとっては繰りかえしというものは存在しない。一日一日が危険なのだ。我々は表面は滑らかでも、その下はとぐろを巻いた蛇のように骨ばかりだ。「タイムズ」を読んでいるとする、あるは議論をするとしよう。それは一つの経験なのだ。冬だとしてみる。屋根の上に雪がどっさりつもって、赤い洞穴に我々を一緒くたに閉じこめる。管が破裂してしまった。我々は部屋の真中に黄色い錫製の浴槽をおく。あわてふためいてあれこれ洗面器を取りに行く。そら、そら――またそこの書棚の上で破裂した。我々は滅亡の光景を眺めてきゃっきゃっと笑い、さざめく。固形をぶちこわせ。所有なんかやめてしまおう。それとも、夏ならば? 湖水の方へそぞろ歩きして、よたよたと平べったい肢で支那産の鵞鳥が水際に下りていくのを眺めたり、緑の若葉がその手前にそよいでいる骸骨のような町の教会を見やったりするだろう。(僕は出鱈目に選んでくる、はっきりしているものを選ぶのだ)それぞれの風景が、親交の危機と驚愕を説明しようとして大急ぎで走り書きした唐草模様だ。雪、破裂した管、錫製の浴槽、支那産の鵞鳥――これらは高く揺り上げられたそれぞれの記号だ。それらに、ふりかえってみて、僕はめいめいの愛の特質を読みとる。ああ、各々がどんなに相違していたことか。
そうするうちに、君は――僕は君の敵意を、僕の眼にじっと注がれる君の緑色の眼、それから薄汚ないその服、荒れた手、その他君の母性的優越の一切の象徴を、なくしたいと思うので――雀貝のように同じ岩にへばりついてしまっているのだ。でもほんとのところ、僕は君を傷つけたくはない。ただ、君の登場で力菱えてしまった自分に対する信念を新たにし、麿きをかけようとするのだ。変化はもはや可能でない。我々はのっぴきならなくなっている。むかしロンドンの料理店で、パーシバルと一緒に会合したときは、みながぶつぶつと泡立ち震えたものだ。どんなものにだって成り得ただろうが。いまは我々は選び取った、いやときおり我々のために選択がなされたのだという気がする――我々の肩を挾む一対の火箸を。僕は選んだ。人生の絵模様を、外面からでなく。内面から、生のままの白い無防備の、織り地にうつした。僕はさまざまの心の、顔の、そしてまた、微妙を極め、匂いや色や織目や地はあるが、しかし名のないいろいろなものの、絵模様に曇らされ、傷つけられた。君にとってのこの僕は、ただの「ネヴィル」にすぎない。自分の生の狭い限界とそれを越えることのできぬ一線をながめる、君にとってはだ。けれど自分にとっては、わたしは広大だ、世界の下へ微細に突き貫いている繊維をもつ網なのだ。僕の網はそれが取り巻くものとほとんどけじめもない。それは鯨の群を引き上げる――巨大な鯨を、白い膠《にかわ》状のもの、結晶しないで漂っているものを。僕は見抜き、看破する。僕の眼の下には開かれる――一冊の本が。僕は底の底まで読み取る。心を――奥深くきわめる。僕は知るのだ、愛がわななき震えて焔となるものを、嫉妬が緑の征矢《そや》をかなたこなたに射かけるさまを、愛と愛とが錯綜し、愛が花結びを結び、愛が無惨にそれを引き裂くさまを。僕は結ばれた、そして僕は引きちぎられた。
しかしまた我々にもかつては栄光のときがあった。扉が開くのを見守っているとパーシバルが這入って来たあのとき。居酒屋の堅い腰掛の縁から身を躍らして跳び立ったとき」
「ブナの森があったわ」スーザンが言った。「エルブドン、それに木立のあいだできらきら光る金色の時計の針が。鳩が木の葉を揺さぶった。わたしの頭の上で色の変る光がゆらゆら揺れた。光がわたしから逃げたんだわ。でもほら、ネヴィル、わたしは自分を守るためにあんたを信じないけれど、テーブルの上のわたしの手をごらんなさい。この指の関節の、この掌の健康そうな色がだんだん霞んでいくこと。わたしの身体は立派な職人に使われる道具のように、毎日、正当に無駄なく使われて来たの。刃は澄み切って、切れ心地よく、真中が減っている。(わたしたちは、原っぱで鎬《しのぎ》を削り合う野獣のように、角を打ち合う牡鹿のように、戦う)あなたの青白い柔軟な肉体を通して見られては、林檎や果物の房などでさえ、玻璃の下にでも置かれているように薄膜をつけたふうに見えるに相違ないのよ。一人の人、たった一人の人間、でも変化する人間と一緒に、ふかぶかと椅子に身を埋めながら、あなたの見るのは一インチほどの肉体、その神経、繊維、その上を緩慢に、それとも素早く流れる血だけ。けれど完全なものは何も見えない。あなたには庭の中の家が見えない。畑の馬が。じっと繕いものの上に眼を働かせているお婆さんのように、腰をかがめてばかりいて、ひろがる街の眺めが見えやしない。でもわたしは、中味をもった、おおきな、いく塊りにもなった人生を見て来たのよ。銃眼のある胸壁と塔を、工場とガスタンクを。伝統の型に倣って遠い昔の時の中から作り上げた住居を。これらのものはわたしの心に、四角く、際立ち、溶けることもないままでいるの。わたしはひねくれてもいないけれど柔和でもないわ。わたしはあなたたちのあいだに坐っている、わたしの厳しさであなたの温順さを擦り減らし、わたしの澄んだ眼の緑のほとばしりで銀白色にゆらめく蛾の翅みたいな言葉のわななきを抑えて。
いまわたしたちは角を打ち合ったのだ。これはなくてはならぬ序曲、昔馴染のあいだの挨拶だわ」
「木立のあいだの金色が褪せてしまった」ローダが言った。「背後に緑の薄片が横たわっている。夢に見るナイフの刃のように、尖が細って、誰の足も踏み入ることができない島のように、長く延びて。いま数台の車が閃めきちらつきはじめて、並木道を向うへ行く。恋人たちもいまは闇へ中に入って行くことができる。樹の幹は脹れて、恋人たちのために猥《みだ》らになる」
「かつては様子が違っていた」バーナードが言った。「かつて、僕は思いのとおりに流れを掻き乱すこともできた。我々がそれを抜けてハンプトン・コートに手を携えてやってくるこの穴を断ち切るためには、どれほどの電話の呼出しを、はがきを、いま必要とすることだろう。なんと速やかに人生は一月から十二月へと流れることか! 我々はみなすっかり慣れ切って陰影を投じることのないもろもろの事象の急流に押し流される。我々は比較も行わねば、自分のことをさえあるいは君のことをもほとんど考えもしない。こんな無意識のうちに自由の最高段階に達して軋礫を免がれ、深い水路の入口に生い繁る雑草のあいだを分けていく。ウォータールーから出る汽車に間に合うためには、我々は魚のように宙に跳ばねばならぬ。けれどどのように高く飛び跳ねたところが、ふたたびもとの流れに落ちもどるのだ。僕が南洋群島行きの船に乗ることはよもやあるまい。ローマヘの旅が僕の旅行の限界だ。僕には息子たち娘たちがある。自分の場所に楔《くさび》止めにされて、当惑しているのだ。
でも、固定されて変えられもしないものは、この僕の肉体――君がバーナードと呼ぶ、ここにいるこの中年の男――のみだと僕はそう信じたい。若い時分よりはずっと超脱した態度でものを考えるわたしだ。自我の発見のためには、子供が盛り麩《ふすま》に隠された景品を捜すように、猛烈にほじくらねばならない。[ねえ、これは何だい? それから、これは? こいつは立派な土産になるかなあ。それでみんなかい?]と言った具合さ。いまの僕には包みの中味がわかる。それに大して気にもかからない。人が種子を大きな扇形にまき飛ばすように、僕は自分の心を宙に放り投げ、紫色の入日をくぐって落ち、今は土ばかりの、圧された、きらきらする耕地に落ちる。
一つの句。不完全な句。ところで句とはいったい何か。わたしに残されたものはほとんど何もないといっていい。テーブルの上のスーザンの手の傍に置こうとしても、ネヴィルの推薦状と一緒に、ポケットから取り出そうとしても。僕は、法律だの、医学だの、財政学だのの権威ではない、僕は、湿った麦藁のように、一杯の詩句に包まれている。僕はきららかに青い光を発する。そして、口を開くと、君たちの一人一人が感じるのだ、[自分は火を点けられる。自分は輝いている]と。少年たちも運動場の楡の木蔭で僕の唇から泡のような句が立ち上ると、[素敵だな、素敵だなあ]と感じたものだった。その少年たちも泡のように立ち上り、僕の句と一緒に遁げていった。けれども僕は怏々《おうおう》として、孤独の身をかこっている。孤独は僕を堕落させるものだ。
僕は人妻や女子《おなご》らを念珠や譚詩の類いで瞞し歩いた中世の托鉢僧のように、家から家をまわってあるく。僕は旅人、旅商人、一篇の譚詩で宿賃をかせいで歩く。僕は、見さかいなく矢鱈に愛想のいい客人、極上の部屋の四本柱の寝台に寝るかと思うと、納屋の乾草山の上に横になるといったこともしばしばだ。蚤も気にしないし、絹蒲団も苦にはならぬ。僕ははなはだ辛抱がいいのだ。でも道学者ではない。僕は人生の果敢なさを、そしてまた赤いいくつもの線を引かせようとするその誘惑の手を、余りに知りすぎている。それでも僕は、君たちは僕の能弁からそう断ずるが、君たちが思うほど見境いのない人間ではない。袖の下には嘲笑と苛烈の匕首を秘めてさえいるのだ。だが、どうも気を逸らしやすい傾きがある。僕は物語りを作る。どんなものからでも筆のすさびをでっち上げる。一人の少女が、小舎《こや》の戸口に坐っている。女は待っているのだ。いったい誰を? 口説き落されてか、そうでなくてか? 校長先生が絨毯の穴を見つける。彼は嘆息をつく。彼の妻君は、まだ豊かな毛並をした髪のウェーヴを指先でかき分けながら、もの思いに耽る――などと言った具合。手の振り合図、街角でのためらい、誰かが溝に煙草を落す――ことごとくが物語りだ。ところで真の物語りとはいったいどれか? それを僕は知らないのだ。だから、服のように戸棚へ句をぶらさげて、誰かがそれを着てくれるのを待っている。このように待ち、このように思索し、これをノートに書きとめ、それからあれもノートにとり、僕は人生に執着しない。僕は蜂のように向日葵《ひまわり》から払い除けられるだろう。僕の哲学、それは絶えずつみ重なり、瞬間ごとに噴出しながら、あらゆる方向に向って水銀のようにぱっと一時に飛散する。けれどもルイスは、彼の屋根裏部屋で、事務所で、あの粗野な、しかも呵責ない眼で、知らるべき事柄の真の本性の上に、変更すべからざる結論を作り上げたのだ」
「それは切れてしまう」ルイスが言った。「僕が紡ごうとする糸は。それを切ってしまうのは君の笑い、君のその冷淡さだ。そしてまた君の美しさでもある。何年か昔、ジニーは庭園で僕に接吻したとき、その糸を切った。学校時代には自慢屋の生徒どもが僕のオーストラリア訛りを嘲笑してそれを切った。[これがその意味だ]と僕は言う。それからはっとして呵責を覚える――虚栄。[聞きたまえ]僕は言う。[ナイチンゲールの歌う声を、ほら征服と移住のあの踏みならす足のあいだで歌っているのを、信じて下さい]するとぐいと引き離される。壊れたタイルやガラスのかけらの上を僕は進んでいく。色とりどりの光が射し、いつもの豹の斑点のような異様なものを作り出す。わたしたちが相会うて一つに結ばれた、この和解の瞬間、葡萄酒と揺れ動く木の葉の、この宵の一とき、そしてクッションを携えて川から上ってくる白いフランネルを着た青年たちも、この僕には、牢獄の影と人間が人間に加える拷問と非行のために、暗く見える。僕の感覚はかくも不完全なので、こうしてここに坐っているあいだにも、理性がわたしたちに執拗に加えるひたむきな重荷を、五感が一抹の紫でかき消してしまうことなどはない。解決とは何か、と僕は自らに問うのだ、そしてまた架すべき橋は? この目眩めくほどの、踊り舞う幻の影を、どうすれば、一しょくたにして一線に繋ぐことができようか。僕はそこでとくと思案する。すると傍で君は、僕のすぼめた口を、血色をなくした頬を、相変らずの渋面を、悪意をもって観察しているのだ。
だが、僕のステッキやチョッキにも目をとめて欲しいものだ。僕は地図の掛かった部屋の堅いマホガニーの机をうけついだのだ。われわれの社の汽船は、豪奢を尽した船室で羨まれるほどの名声を獲得した。水泳所や体操場もつけたのだ。いまでは僕は白チョッキを着け、人と約束をする前には手帖を出して都合を見る。
この茶目っぽい皮肉な態度で、わななき震えている、傷つき易い、無限に幼い、庇護をもたぬわたしの魂から、僕は君たちの心を、外らしたいのだ。なぜと言っていつも僕は一番年若い。不意打ちに対しては一番愚直、不快や嘲笑に心を寄せたり理解もしながら先に立って走る男だ。――鼻に汚点がついてやしなかろうか。ボタンがはずれているかしらん。僕はあらゆる屈辱に悩まされる。しかもまた、冷酷で、大理石みたいでもある。いままで生きて来たことの仕合せをどうして君は口にしうるのか、僕には分らない。とるにたらぬ君たちの興奮、やれ薬鑵が煮え立ったの、ジニーの斑の襟巻を微風が吹いて蜘蛛の巣のようにひらひらするのと言ってはわくわくする、子供じみた心のたかぶりも、わたしに言わせれば、突進する牡牛の眼の前に尾をひいた絹リボンを投げつけるようなものだ。僕は君たちを非難する。でも心は君たちに憧れる。死の業火を突き抜けて君たちと一緒に進んでいきたく思うのだ。しかし一番幸福でいられるのは一人だけのときだ。金や紫の衣服を愉しむわたしだ。が、どちらかと言えばやはり、煙突の筒口ごしに見える風景のほうがすきだ。火ぶくれした煙突の林の中のむさくるしい辺りで、こそごそやっている猫たち、壊れた窓、それから、どこかの煉瓦造りの教会の尖塔からがらんがらんと聞えてくるかすれた鐘の音が」
「わたしは目の前のものを眺める」ジニーが言った。「このスカーフ、葡萄酒色したこれらの斑点を。この鏡を。この芥子の瓶を。この花を。わたしは手で触ったり、味をみたりするものが好き。雨が雪に変って、手に触れるようになるのが好き。そのうえ向う見ずで、あなたたちよりははるかに勇敢なわたしは、わが身を枯らさないように、自分の美しさに粗悪さを混ぜ合わせたりなどはしない。ぐいと飲み込んでしまう。肉でできているもの、がらくたでできているもの。わたしの想像は肉体に属した働き。それが描き出すものは、ルイスのみたいに、細かに紡がれて純潔な白色などはしていない。あなたの痩せ猫や、火ぶくれた煙突の筒口などは、好きでない。あなたの屋根の上の弱々しい美景には嫌気がさす。制服の男女、仮髪《かつら》にガウン、山高帽や首の所が美しく開いているテニス用シャツ、女のドレスの色とりどりの型(わたしはいつも服という服に目をとめる)、わたしをよろこばすのはそのようなもの。わたしはそれらと一緒に渦巻いて、あちらへ、こちらへ流れあるき、部屋の中へ、ホールの中へ、ここやあそこやあらゆるところへ、どこへでもくっついて行く。こっちの男は馬のように足をあげる。この男はまた自分のコレクションの抽出しを出したり入れたりする。わたしは決して一人ではいない。大勢の仲間を引き連れている。わたしの母は軍人に、父は船乗りになっていたに違いない、わたしは軍楽隊を追って路上を走っていく小犬みたい、足を止めて木の幹を嗅いだり、茶色の汚点を嗅いでみたり、だしぬけに道路を横に渡っては混血の雑種犬を追いかけたり、かと思えば、肉屋の店先からぷーんとたまらなく匂ってくる肉の香りに鼻を鳴らしながら片足を上げるのだ。わたしの取り引きはいろいろと不思議な所にわたしを連れていった。男たちが、どんなに沢山、壁から突然出て、わたしの所へやって来たことだろう。わたしはただ手を上げさえすればよいのだ。あの人たちは矢のようにまっしぐらに逢引の場所にやってくる――バルコニーの椅子だの、街角の店などに。あなたたちの人生の苦悩、分裂も、わたしの場合には夜ごと夜ごと、解きほぐされていったのだった。ある場合などは、晩餐を共にしているわたしたちのテーブルのテーブル掛けの下で一本の指に触れただけでも――わたしの肉体は甚しい流動性をもって来て、一本の指に触れても大きな滴となって垂れ下り、ぽたりとふくらみ、わなないて、きらりと輝き、恍惚としてくずれ落ちるのだ。
あなたが坐って書き物をしたり、机に向って計算をしているように、わたしは鏡の前に坐って来たの。だからわたしの寝室である聖堂の鏡の前で自分の鼻や顎を批評して来た、開きすぎてはぐきが見えすぎる唇も。わたしは見た。ようく見た。わたしは選《よ》って決めた、黄色がいいか白がいいか、明るいのがいいか暗く見せたほうがいいか、環型がいいかまっすぐがいいか、どんなのが似合うかなどと。あの人には移り気、この人にはかたくなで、銀色の氷柱のように角立ったり、蝋燭の黄金の焔のようになまめかしいわたしだわ。わたしは及ぶかぎり力一杯振りまわす鞭のように烈しく駆けまわったものだ。あの男の、あの片隅にいる男のワイシャツの胸は、真白だった。それがやがて紫色になる。煙と焔がわたしたちのまわりを包んでしまった。火も燃え盛った後で――しかしわたしたちはストーヴの前の敷物の上に坐り、眠っている家の中で誰の耳にも入らぬようにと、お互いの心の秘密のありったけを、貝殻の中へでも語るようにひそひそと語りながら、声を高めもしなかった。でもわたしは一度料理番が身を動かす気配を感じた。それから柱時計の音を二人とも足音だと思ったこともあった――二人は灰のように身を焼きつくした。遣骸もとどめず、燃えぬ骨一つも、懇《ねんご》ろの語らいのかたみにと小箱にしまいこむはずの髪の毛一つ後に残さず。いまわたしは白髪に変る。痩せ衰えた姿に変る。けれど、昼日中、あからさまな日ざしをあびて鏡の前に坐ってわれとわが顔をのぞき込み、自分の鼻を、顎を、開きすぎてははぐきの出すぎた唇を丹念に調べにかかる。でもわたしは怖れない」
「街燈の柱が」ローダが言った。「それからまた、まだ葉を落さぬ木立が停車場からくる途中に並んでいたわ。あの葉はそっとこのわたしを隠してくれたかもしれない。でもその蔭には隠れはしなかった。いつもみたいに感動の衝撃を避けようとうろうろ徘徊してなどいないで、あなたたちのところへまっすぐにやって来たわ。でもそれは肉体に、一つのたばかりをする事を教えたにすぎない。心の中にはわたしは教えられてはいないのだ。あなたたちを、怖れ、憎み、愛し羨み、さげすみ、一度だって愉しい気持で仲間入りをしたことはない。木立や郵便箱の影をしりぞけて、わたしは停車場からの道を歩いて来ながら、遠方からでも、あなたたちの外套や雨傘から知り得たのは、交じり合わさった繰りかえしの瞬間瞬間から造られた一つの実体に身を深々と埋めて立っている様子、子供、権威、名声、恋、社交などにつつまれて、一つの態度を身につけたあなたたち。それだのに、わたしは何も持ってはいない。わたしには顔がない。
この食堂の中で、鹿の角を、大きなコップを、塩入れを、テーブル掛けの黄色い汚点を、あなたたちは見る。[給仕]バーナードが言う。[パンを頂戴!]スーザンが言う。それで給仕がくる、パンを持ってくる。しかしわたしは山のようなコップの横側や、鹿の角のある一部分だけが見える。そして暗闇で物音を聞きつけたみたいに、驚きと怖れとで、あの水差しの横腹の輝きを見る。あなたたちの声は森の中で木がきしむような音を立てて響く。顔にしてもそうだ、その出張りや凹みにしても同じこと。なんとまあ美しい、広場の横垣を背景に真夜中にじっと遠く離れて立っている不動の姿! あなたたちの背後には泡のように白い三日月がかかり、世界の涯で漁夫たちは網をたぐりよせては投げている。風が立って、太古からの木の頂きの葉をそよがせる。(しかしわたしたちの坐っているのはこのハンプトン・コートなのだ)密林の強烈な静けさを鸚鵡の金切り声がかき乱す。(ここでは電車が出ていく)真夜の池に燕がその翅を浸ける。(ここでは私たちがしゃべっている)一緒にこうしてすわりながらわたしはそんな世界を周囲に把握しようとする。だからわたしは正七時半にハンプトン・コートの苦行に堪えなければならないわ。
それでも、この巻パンや葡萄酒瓶はわたしに入用なのだし、凹んだり出張ったりしたあなたたちの顔は美しいし、テーブル掛けやその上の黄色い汚点は、ついには世界全体を抱擁しうるほどに(わたしはそんな夢を見、夜、寝台が宙ぶらりんになって揺れると、地の果てから転がり落ちる)しだいに広く大きく理解の円環ともなって拡がっていくことなどはとてもできようはずはないのだから、わたしは個人という道化芝居を果さねばならないの。子供だの、詩だの、しもやけだの、その他なんでもあれ、あなたたちがしたり苦しんだりすることで、わたしをとらえるとわたしはびくつかねばならない。でも欺されはしない。あちらやこちらの叫び声、袖引き、詮索が一切果ててしまえば、わたしはこの薄い敷布をすりぬけて紅蓮《ぐれん》の淵に落ちていくだろう。それでも、あなたたちは助けには来ないだろう。昔の拷問吏よりももっと残酷にわたしをつき落し、落ちるわたしを八つ裂きにすることだろう。それでも、心の壁が薄れてくるといった瞬間もあることはある。そうしたときは、なんでもかんでも吸いこまれ、大きなシャボン玉を吹くことも空想できるわ。太陽もそこに登っては沈み、わたしたちが真昼の青さも真夜中の闇をわがものとして、ここと今から身を逃れて漂泊することのできるような」
「一滴、その上にまた、一滴」バーナードが言った。「沈黙が落ちる。心の屋根に滴をつくり、下の溜《たま》りに落ちる。永遠に孤独、孤独、孤独――沈黙が落ちて、いや果てのあたりまでその環を吹き流すその音を聞け。飽食し堪能し、中年の満足に充実してはいるものの、孤独にだけはかなわぬこの僕は、沈黙を落とす、一滴、また一滴と。
しかしいま落ちる沈黙が僕の顔に孔をあけ、雨の中庭に立っている雪ダルマのように僕の鼻を崩す。沈黙が落ちるにつれ、僕はすっかり溶かされて顔かたちを失い、他人との区別もほとんどつかなくなる。そんなことは大したことではない。構やしない。我々は十分食べた。肉、犢《こうし》のカツレツ、葡萄酒などが、エゴティズムの鋭利な刃先きを鈍らした。不安は安まった。我々の中で一番の見栄坊も、大概ルイスだろうが、他人のおもわくを意に介しない。ネヴィルの苦悶も鎮められた。他の連中を隆盛にさせてやれ――そう彼も考えている。スーザンは子供たちがみんなすやすやと眠っている息づかいを聞く。お眠り、お眠り、と彼女はつぶやく。ローダはその船を岸に休ませた。沈んでいようと、錨を下ろしていようと、彼女にはどうでもいいのだ。我々は公平無私に世界のさし示すいかなる暗示をも考慮する心構えはできている。いま僕はこんなことを考える、この地上は偶然太陽の表面からはじき飛ばされた泡沫にすぎない、そして底知れぬ空間の深淵のどこを探しても生の営みは存在しないのだと」
「この沈黙の中にいると」スーザンが言った。「木の葉一枚落ちず、鳥一羽飛び立たぬような感じがするわ」
「奇蹟が起ったみたい」ジニーが言った、「そして人生がここで今、歩みを停めたようだわ」
「それに」ローダが言った。「わたしたちはこれ以上生きるには及ばない」
「しかし聞きたまえ」ルイスが言った。「無限の空間の深淵をくぐり抜けて動いていく世界の音を。それは唸り声をあげる。歴史の輝かしい一片は過去のものだ。我々の王や女王たちも。我々は過去のもの。我々の文明、ナイル河、そしてすべての人生は過ぎ去った。離れ離れ我々の滴は溶け失せた。我々の姿は消え、時間の深淵に、闇の中に、失せてしまった」
「沈黙が落ちる。沈黙が落ちる」バーナードが言った。「しかし、まあ、聞きたまえ、カチカチ、カチカチ、ブーブー、ゴーゴー、世界は我々を呼びもどした。僕は、我々が生を越えて行ったときにも咆哮する闇の風音を一瞬聞いた。そしてカチカチ、カチカチ(時計の音)、それからブーブー、ゴーゴー(車の音)を。我々は上陸している。我々は岸にいる。我々は坐っている、我々六人は、テーブルに向って。僕を我に帰らすのは鼻の記憶だ。僕は起ち上る、[戦い]と僕は叫ぶ。[戦いだ!]自分の鼻の恰好を思い出し、このスプーンでこのテーブルを荒々しく打ち敲《たた》いて」
「この渺茫《びょうぼう》たる混沌に抗おう」ネヴィルが言った。「この形をなさない愚鈍さに。木のうしろで子守女と恋を語らうあの兵士は、すべての星屑よりも称め讃うべき存在だ。しかし時とすると、ゆらめく一つの星が澄んだ空にあらわれては、世界の美しいこと、それなのに情欲で木立さえも、醜くする我々は蛆虫のごときものであることを思わせるのだ」
「でもね、ルイス」ローダが言った。「沈黙は何てつかの間しかつづかないのでしょう。もうあの人たちは皿の縁をナプキンで撫ではじめた。[誰がくるの?]ってジニーが言う。それからネヴィルは、もうパーシバルが来ないことを思い出して、嘆息をする。ジニーは懐中鏡を取り出した。絵描きのように顔を見渡して、あの人はパフで鼻に白粉を塗りつけ、入念にじっと構えてから色褪せた唇に紅を塗った。こういう身仕度を見ると嘲笑と恐怖を感じるスーザンは、上衣の一番上のボタンをかけたり外したりする。あの人は何の準備をしているんだろう。何かの準備を、でも何か違ったことの準備」
「彼らはひとりごとを言っているのだ」ルイスが言った。「[もう時間だ、自分はまだ元気がある]と言っているのだ。[わたしの顔を無限の空間の闇に対して切りとらせよう]彼らは言葉を言い終えない。[時間]だと彼らは言いつづける、[庭は閉められるだろう]そして、ローダ、僕たちはみんなと一緒に行き、彼らの流れに捲き込まれながら、背後に滴を少しばかり落すことになろう」
「何か囁き合う陰謀者みたい」ローダが言った。
「ほんとうに、みなしてこの並木道を歩いていると」バーナードが言った。「ある王様がここで馬に乗っていてモグラ塚につまずいて落馬したというのは実際にあったことだと思えてくる。が、無限の空間の渦巻く深淵に対して金の茶瓶を頭に載っけた小さな人間の姿を置いて見るのは、いかにも奇異な感じがする。人間に対する信念はすぐ恢復もしようさ、だが人間が頭に載せる代物に対してはそうはいかない。我々の英国の過去――ちょっとの光のようなものだ。で人びとは頭に茶瓶を載っけて言うのだ、[予は王である!]と。いや違う。わたしは歩きながら、時間の観念を取りもどそうと骨を折る。けれどもあの、眼の中を流れていく闇のために、精神の把握力を失ってしまったのだ。この宮殿も束の間を空に浮かんだ雲の一片のように軽く思えてくる。心のまやかしだ――一人一人、王冠を冠せて王たちを王座にすえるのも。ところで我々自身にしたところが、こうして六人肩を並べて歩きながら、いったい何に対抗しようとするのだ。我々が脳髄と呼び感情と名づけるこの身内にひそむでたらめの閃光でもって、この間断ない流れとどうして対抗することができよう。恒久には何があるのか。我々の人生もまた、街灯の消えた並木道をかなたへ、時の一片を乗り越えて、あれこれのけじめもなしに流れ去るのだ。かつて、ネヴィルは一篇の詩を僕の頭上めがけて投げた。突如、不滅に対する確信を感じて、僕は言った、[俺にもシェイクスピアが知っていたことが分るぞ]と。だがそれも消え失せてしまった」
「理不尽な、馬鹿げた話だが」ネヴィルが言った。「我々が歩いていると、時間が舞いもどってくる。犬が跳ね上るのもその一例だ。機械が動き出す。時代というものがあの門を古色蒼然たるものにしている。三百年の歳月は、あの犬に対して消えた一瞬よりはずっとましなものにいまは思える。ウイリアム王は仮髪《かつら》をつけて馬にまたがり、宮廷の女官たちは縫い飾りのあるパニアをつけて芝生を掃除する。わたしはみんなと歩いていながら、ヨーロッパの運命の限りない重大性を確信しはじめる。それから、同じく馬鹿馬鹿しいことに思えるが、ブレンハイムの戦いに一切は由来するのだということを。そうだ、と僕はみんなとこの門を通り過ぎながら、宣言する、それが目下の大事だ。僕はジョージ王の臣下の一人にされる」
「こうやってこの並木道を」ルイスが言った。「僕がジニーに軽く寄りかかり、バーナードはネヴィルと腕を組み、スーザンは僕と手を握り合って進んでいくと、泣かないではいられなくなる。我々を子供よと呼び、安らかに眠らせたまえと神に祈る。手を握り合って、夜の闇を怖れながら、一緒になって歌うのは心愉しい、ミス・カリーの有笛オルガンに合わせてさ」
「鉄の門ががらがらともとのように閉まった」ジニーが言った。「時の牙がその貪食を止めたのだ。わたしたちは空間の深淵に打ち勝った。ルージュや、白粉や、透いて見えるハンカチーフで」
「わたしはつかむ、しつかりとつかむ」スーザンが言った。「わたしは、この手、誰かの手に、愛を、あるいは憎しみをこめて、しがみつく。どちらであっても構いはしない」
「静かな気分が、魂の脱け殻のような気分が、のしかかってくる」ローダが言った。「そうしてわたしたちは、心の壁が透明になってくるときのこの束の間の慰籍を(全く不安を持たぬといったようなことは頻繁にあるものではない)愉しむ。レンの造営した宮殿が、一等席の干からびた動きもとれない連中に演奏される四重奏曲みたいに、長方形を作る。その長方形の上に四角い場所がある。わたしたちは、[これが居住地だ。構造がはっきり見える。ほかには残っているものとてないくらい]などと言う」
「花が」バーナードが言った。「パーシバルと一緒にみんなで食事をしたとき、料理店のテーブルの花瓶に生けてあった赤いカーネーションは、いまは六面の花になった。六つの人生から造られているのだ」
「不可思議なイルミネーション」ルイスが言った。「あのイチイの木立を背景に、はっきりと見えている」
「多くの苦悩と、さまざまの痛手とから造り上げられて」ジニーが言った。
「結婚、死、旅、友情」バーナードが言った。「都会と田舎、子供だの何やかや、この闇の中から切り取られた多面な実体、多くの刻面をもった一つの花。ねえ諸君、ちょっと足を止め、我々が造り上げたものを眺めてみようではないか。イチイの木立を背景として、その光耀《こうよう》を燃え立たせよう。一つの生を。ほら、もう終りだ。消えてしまった」
「彼らはいま消えていく」ルイスが言った。「スーザンはバーナードと。ネヴィルはジニーと。そしてローダ、君と僕は、この石の甕《かめ》の傍に、しばらく立ち止まる。並木の蔭へあの恋人たちが去ってしまった今、我々の耳に聞えてくるのはなんの歌だろう。ジニーは、手套をはめた手で指さして、水蓮の花に目をとめているそぶりをし、バーナードをいつも愛しつづけて来たスーザンは、彼にむかって[わたしの破滅した人生、空しく過ごされたわたしの人生]と言っている。ネヴィルは、指の爪を桜色に染めたジニーの小さな手を取りながら、池の畔で、月光を沿びた水際で、[愛、愛]と叫び、彼女は鸚鵡がえしに[愛、愛?]と答える。我々の聞くのはどんな歌なのか」
「あの人たちは消えていく、池のほうへ」ローダが言った。「芝生のむこうへあの人たちはこっそり忍び足に去っていく。でも、確信した様子で、昔に変らぬ特恵をあたしたちに憐み乞うように――邪魔してくれるなと嘆願するように。ぽたりぽたりと、魂の中の潮の流れがかなたへ去っていく。あの人たちはわたしたちを見捨てずにはいられないのだ。暗闇があの人たちの身体をおおって閉じこめている。わたしたちの聞くのはなんの歌――梟の、ナイチンゲールの、つぐみの歌? 汽船がぽーぽーと鳴る。電車の軌道の光がちらつく。木は重たげに頭を垂れる。ロンドンの空一面に揺光が揺らめいている。音も立てず帰っていく老婆がいる。今度は男が、帰りおくれた漁夫が、釣竿を持って、テラスをおりてくる。わたしたちの耳にはどんな物音一つでも動き一つでも聞えてくる」
「鳥が一羽ねぐらに飛んでいく」ルイスが言った。「タ暮れが眼を開けて、眠りに入る前に素早い一瞥を藪に投げる。どうやって一つに組み立てたものだろう、我々に送り帰してくる混乱した寄せ集めのメッセージを。いや、そればかりではない、この場所を彷徨い歩いたあれこれの王朝の、今は死んでいる少年少女たち、六人の男女の群を」
「錘《おもり》が夜の中に落ちこんでいったわ」ローダが言った。「ずるずると曳きずりながら。あらゆる木の背後にそれではない影がつけられて大きい。人びとは腹を減らし、ぐらついた気分になっているトルコの断食の都市の屋根に、わたしたちは鳴り響く太鼓を聞く。人びとが金切り声の、去勢された牡牛みたいな声を張り上げて、[開け、開け]と叫んでいるのが聞える。ほらお聞き、電車の軋りを、軌道から発する火花の音を。ブナの木、樺の木が枝を持ち上げる音がする。花嫁が絹の夜の衣裳を落して戸口に歩み寄り、[開けて、開けて]と言うような」
「すべてが生き生きと見える」ルイスが言った。「今夜はどこにも死を聞くことができぬ。あの男の顔の愚鈍な表情、あの女の顔にあらわれた老衰の色は、呪文にさからって死を迎え入れるほどにはげしいと、考えたくなるでもあろう。だが今夜は、死はどこにいる? すべての粗製品、あれこれのがらくたのことごとくは、ガラスかけのようにくだかれて、この青い、赤く縁取られた潮の流れになり、その流れは磯に押し寄せ、無数の魚をいだいて、我々の足下に砕けるのだ」
「ああ、わたしたちが共に、昇ることができれば、十分高い所から見渡すことができれば」ローダが言った。「何の支えにも触られないままにおれるなら――けれど、あなたと、賞讃の微かな拍手や笑い声に心|擾《みだ》されるあなたと、人の口の端にのぼる妥協だの善悪の取り沙汰に忿懣を抱くわたしは、信じるものといえば孤独と死の暴虐とだけで、だからこうして分けへだてられているの」
「いつまでも」ルイスが言った、「分けへだてられて。我々は羊歯の葉かげでの抱擁を、愛を、恋を、湖畔での恋の語らいを犠牲にしてしまったのだ。何か秘密を分けもつために別々に引き出された、謀反人みたいに、甕の傍に立ちながら。だがいま、ここにこうして立っていると、水平線の上に小波が砕ける。網が高く、高く上げられる。網は水面まで上ってくる。水は銀色に砕ける、ゆらめく小さな魚のために。跳ねたり、あばれたりして、魚は岸に横たえられる。草の上に人生がその獲物を転がす。我々の方に向ってやってくるいくつかの影がある。男だろうか、女だろうか。彼らはまだ、そこに身を沈めていた潮流の、えたいの知れぬ掛け布をまとっているのだ」
「いま」ローダが言った。「あの木の前を彼らは通り過ぎながら、彼らの本来の大いさを取りもどす。ただの男、ただの女にしかすぎやしない。流れる潮の掛け布を脱ぎ棄てれば、驚きと畏れとは別の形を取る。憐れみが帰ってくる。生き残りの軍勢のように、月光の中に彼らが姿をあらわすと。夜ごと夜ごと(ここで、あるいは、ギリシアで)戦いに出かけ、夜ごと夜ごと、手負いの傷を受け、顔に血を流してもどってくる、わたしたちの代表者。いま光がふたたび彼らの上に落ちる。顔が見えてくる。それぞれがバーナードやスーザンに、ジニーやネヴィルに、わたしたちの知った連中なる。ああ、なんという収縮が起ることか! なんたる凋落、なんたる屈辱が、いま! あの人たちが投げかける鉤《かぎ》の手に身体の一個所をひっかけられるのを感じ、いつもの悪寒が、憎悪と戦慄が全身を走り抜ける。あの歓迎の身振り、会釈、指鳴らしと眼さぐり。でもあの人たちは、口を開くだけでいい。聞き馴れた調子の最初の言葉が、いつまでたっても意にそうことのない期待のはずれが、そして無限の過去の日月をふたたび闇の中に浮かび上らせる手振りの合図が、わたしの意図をゆるがすの」
「何か、ちらちらっと踊るようなものが」ルイスが言った。「並木道をこちらへ近づいてくると、幻影がもどってくる。泡立つ波紋が、穿鑿が始まる。僕は君をどう思っているか――君は僕を? 君は誰れだ。いったい僕とは。――それがふたたび我々の上に不安な気持をわななかせ、動悸が昂《たか》まり、眼は輝やきを帯び、それなくしては生が味気なく滅びる個々の存在のあらゆる狂気がふたたび始まる。それらが我々にのしかかっている。南国の太陽がこの甕の上でちらちら揺れる。我々は荒々しい酷烈な海の潮に突き入っていく。ああ神よ、つつがなく我々に我らの役割を演ぜしめたまえ、もどってくる彼らを迎い入れるとき――スーザンとバーナード、ネヴィルとジニーを――」
「我々は我々の出現によって何かを破砕し去った」バーナードが言った。「おそらく、一つの世界を」
「しかし我々はほとんど呼吸さえしない」ネヴィルが言った。「我々は疲れ果てているのだ。我々はあの、我々を切り離した母の肉体に帰ることしか願わぬときの、活気のない疲れ切った心の枠にこもっている。他のすべては厭わしく重苦しく苦痛だ。ジニーの黄色いスカーフもこの光で蛾のような色彩に見える。スーザンの眼もいまはつめたい。我々と川とのあいだにはけじめもないくらい。ただ一本の煙草の端が我々のさなかにある強調点であるだけだ。それにまた、君たちを取り残し、織り地を引き裂いたとは、悲しみの色合いに中味も染まる――何かしら、さらに苦い、ひとしおに黒い、それでまた甘美な味を持っている液汁を、ただ一人、絞り出そうという欲求に屈服して。しかしいま我々は疲れきってしまった」
「わたしたちの焔のうしろには」ジニーが言った。「小箱に入れようにも、何も残ってはいない」
「でもわたしは口を開けている」スーザンが言った。「雛鳥のように、不満を胸に、わたしから逃げてしまったものを欲しがって」
「しばらく止まっていようではないか」バーナードが言った。「出かける前にさ、他に人影もなさそうな川のほとりのテラスを歩こうよ。かれこれ寝る時刻なのだろう、人びとは家へ帰っていった。川の向う岸の、小さな商店主の寝台から洩れている明かりを眺めるのは、なんと愉しいことだろう。あそこに一つ――あちらにまた一つ。今日の彼らの売上げはどうだったろうね。家賃と、電燈料と、食物と子供の服代を支払うにようようたりるくらいのものだろう。しかしそれでいいのだ。小商人たちの寝室の明かりは、なんという生のほどのよさを我々に感じさすことか! 土曜日になれば、映画の切符を買うくらいの余裕はたっぷりあるのだ。おそらく彼らは、明かりを消す前に、小さな庭に足を入れて、木造りの小屋の中にうずくまる大きな兎を眺めることだろう。それが日曜のご馳走にしようとする兎だ。それから彼らは明かりを消す。そして眠りに入る。幾千の人びとにとって、眠りとは暖みと沈黙と空想的な夢をいだいた一瞬の戯れにほかならない。[俺は手紙を投函した]と八百屋の亭主は思う、[日曜の新聞への投書を。フットボールの試合で五百ポンドの賞金がもらえるとしてみろ。そしたら、あの兎をひねるんだな。人生って愉しいもんさ。人生はいいものだ。俺は手紙を出した。みなで兎をひねる]それから奴は眠るのだ。
それはそれとしてだ。そら、待避線で鉄道貨車の打ち当るような音がする。あれは、次から次と人生に事が続いて起こる幸福の連鎖だ。ガタン、ガタン、ガタン。ぜひとも、ぜひとも、ぜひとも。行かなければならない。眠らなくちゃならない、眼を覚まさなくちゃならない。起きなくちゃならない――陰気で、しかも慈悲深い言葉、我々は悪態をつくようなふうをするが、しっかりと心に銘記する。これがなかったら、我々はおしまいだ。待避線で貨車がぶつかり合うみたいなその音を、いかに我々は崇めることか!
川のはるか下手に、いま合唱が聞える。自慢屋の少年たち、寿司づめの汽船の上での一日の遠出を終って、大きな遊覧バスで帰ってくる少年たちの歌う歌だ。彼らはまだ歌っている――冬の夜、中庭を横切りながら、あるいはまた夏、窓をさっと押し開き酔いどれて家具を打ち壊し、小さな縞入りの帽子をかぶって、ちょうど四輪馬車が街角を曲るときそろって首をまげ、いつもよく歌ったように。自分もその仲間に入りたいと思ったものだった。
合唱だの、水しぶきだの、やっと聞えるほどの微風の囁きだので、我々はこっそり立ち去る。我々の小部分が粉々に砕ける。それ、それ! 何かはなはだ大事なものが転げ落ちたぞ。一緒に身体をしっかりと保っていることができない。僕は眠ってしまいそうだ。けれど我々は行かなくてはならない。汽車に乗らねばならない。停車場まで歩いてもどらねばならない――ならない、ならない、ならない。我々はとぼとぼと並んで行く肉体の集まりにすぎぬのだ。僕が存在するのは、足の裏でだけ、疲れ果てた腿の筋肉でだけだ。何時間も歩いたみたいな気がする。だがどこをだろう。思い出すこともできやしない。僕はいわば滝の上をするすると滑り落ちる丸太だ。僕は判官ではない。意見を述べるために呼ばれて来たのではないのだ。家も木もこの灰色の光の下では全く変りない存在だ。あれはポストだろうか。あれは女が歩いているのか、さあ停車場だ。たとえ汽車が真二つに僕を切断しようとも、遠いかなたで、見えないながらに僕はまた一つに合わさることだろう。それにしてもおかしなことに、こうやっていま、僕は右手の指のあいだに、ウォータールーへの切符の帰りのほうをしっかりといまだに握り締めている、眠りながらも」
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陽はもう沈んでいた。空と海とのけじめはなかった。波は砕けながらはるか遠い渚まで白い扇を拡げ、高く鳴り響く洞穴の奥に白影を送り込んでは磯の上を吐息をついて巻きかえした。樹が枝を顫《ふる》わせると、木の葉は舞い散って地上に落ち、やがて朽ちこぼたれる日を待つその場所に静かに従容と横たわった。一度は赤い光をふくんでいたわれた壷から黒とねずみの色が庭に射し込んだ。花茎のトンネルには黒い影が深まった。ツグミはおしだまり、蛆虫は狭いその孔の中に身体を吸い込ませた。今また、烏の古巣から白ちゃけて窪んだ麦藁が風に吹かれて、腐った林檎のさなかへ黒ずんだ草の中に落ちた。光は道具部屋の壁から失せていて、蝮《まむし》の脱殻《ぬけがら》が空っぽに釘からぶら下っていた。室内ではすべての色が一面に氾濫していた。はっきりとそれと知れる刷毛《はけ》の撫で跡がふくれて不釣合いな格好になった。食器棚や椅子の茶色の塊りが崩れて大きくおぼろな一つに溶け込んだ。床から天井までの高さが揺らめく闇の大きなカーテンとともに垂れ下った。鏡は這いまつわる蔓草に陰影深い洞穴の入口のように青白くなった。
際立った丘の固さがその実体を失っていた。移ろう光が、目に見えぬ、闇に埋もれた小径のあいだに羽毛のような楔《くさび》を打ち込んだが、翼をたたんだ丘のあいだには一条の光の閃きも見えず、どこかにひときわ孤立する木を探す鳥の啼き声のほかに聞える音とてもなかった。断崖の端のあたりで、森の中を吹き抜けて来た風と、沖の海の鏡のように静かな無数の窪みの中でつめたくなって来た水とが、同じような囁きを交わしていた。
空の中を波打つように闇は突き進んでは、沈んだ船の両脇を洗い流すように家をおおい、丘をおおい、樹末をおおった。闇は街路を流れ、ひとかたまりの影のまわりに渦巻いては呑みつくし、夏の群葉の繁る楡の木の下闇に抱き含う二人を吸い取った。闇は草生える馬道に漂い、芝生のひだを越えて波を打ち寄せ、侘びしく立つ茨やその下に転がるカタツムリの脱殻《ぬけがら》を包み込んだ。闇は高く舞い上り、滑らかな高台の傾斜に沿うて飛び、削《そ》がれた山の峰々に到り着いた。谷間を水が豊かに流れ、黄色に葡萄の葉が繁り合い、ヴェランダに腰をかけた少女たちが扇に顔を隠しながら雪を眺める季節にでも、なお溶けやらぬ雪が堅い岩の上に宿っている、あの高い峰に。それらをも闇はおおいつつんでしまった。
「ではかいつまんでお話しよう」バーナードが言った。「わたしの人生の意味をあなたに説明するとしよう。お互い識り合いというわけでもなし(もっとも、いちど、アフリカ行きの船の上でお会いしたような気がするが)、ざっくばらんの話もできようというものだ。こんな幻想がわたしに浮かぶ、何かべとべとしたものがある。しばらくすると、それが円味を持ち、重さと厚みが加わって、完全な姿を取ってくる。さし当り、これが私の人生といったような気がする。できれば、完全なままであなたにそれを手渡したいが。葡萄の房をもぐようにもぎとって、[お取り下さい。これがわたしの人生です]と言ってみたいものだ。
ところがあいにく、わたしの見るもの(さまざまの絵模様で一杯のこの球)が、あなたには見えない。あなたに見えるのは、テーブルに向き合って坐っている、陰気臭い、こめかみの蒼い、中年のわたしだ。あなたは、ナプキンを取ってひろげるわたしを、コップの葡萄酒を飲み干しているわたしを見る。それからまた、背後の扉が開いて、人びとが傍を通り抜けていくのを見る。しかし、あなたに分ってもらうために、わたしの人生を差し上げるために、一つのお話をしなくてはならない。――お話は沢山、実に沢山ある――子供のときの話、学校の話、恋の話、結婚や死の話といったふうに。どれひとつ本当のものではない。それなのにわたしたちは子供のように、お話をし合い、それを飾るために、ばかげた、けばけばしい、美しい文句をこしらえ上げるのだ。お話にはあきあきした。足並そろえて地上に美々しく降りてくる詩句には、もううんざりだ! ああ、ノートの半ピラに書かれた小ぎれいな人生図絵にいかに疑惑を抱いていることだろう。いまわたしは、恋人の用いるような可憐な言葉、舗道をひきずる足音のように途絶えがちな言葉、おぼろな言葉を欲しはじめている。ときどき必ずやってくる屈辱や勝利の瞬間にいま少し似合いの図絵をさがしはじめている。嵐の日、雨の降るなかを堀割に横になっている、するとやがて大きな雲が空をつき進んでくる、ずたずたに裂けた雲、ちぎれ雲が。そんなおりわたしを悦ばせるのは、混乱だ、極点だ、冷淡さだ、暴威ぶりだ。絶えず変化する大きな雲、そして運動だ。投げあげられて、あわてふためく何か熱狂的で不吉なもの。一直線に飛び上り、尾を曳き、打ちひしがれ、見えなくなってしまう。そして堀割の中に、忘れ去られた、つまらぬわたしだ。お話だの、図絵だのの名残りは見えない。
しかしともあれ、食事をしながら、ちょうど子供が絵本のページをめくるそばから、乳母が指で示して[あれは牛、あれはお舟]と言ってやるみたいに、あれこれと場面をひろげて見るとしよう。われわれもページをめくり、お楽しみまでに、余白に註釈をほどこすとしよう。
はじめに、庭に向って、窓を開け放った、子供部屋がある。そして庭のむこうは海だ。何かきらきらするものが見えた――もちろん、食器棚の真鍮の把手《とって》だ。それから、カンスタブル小母さんが海綿を頭上にかざして、それを絞って、背柱の上に、右左と感動の矢を射ち出した。それで、わたしたちは、生きている日の限り、それから後はいつも、椅子や、机や、女などにぶつかると、感動の矢でつねに射し貫かれるのだ――庭を散歩したり、こうして葡萄酒を飲んだりすると。まったく、ときには、子供が生まれて窓に灯のついている家の前を通りすがるときなど、生れたばかりの赤ん坊の頭の上で海綿を絞るのはやめてほしいと懇願したい気持になったものだ。それから庭があった。すべてのものを蔽いかぶすかと思われるスグリの葉っぱの天蓋があった。花々は緑の深みの奥で火花のように燃えていた。蛆がいっぱいにたかった大黄《だいおう》の葉の下の鼠。子供部屋の天井をぶんぶんいいながら飛んでいる蝿ども。汚れのないバタつきパンの皿の行列。こういった事が一瞬に起り、そして永遠につづくのだ。顔がいくつかぼんやりと現われる。馳け足で角を曲がりながら一人が言う、[やあ、ジニーがいる、あれはネヴィルだな。茶色のフランネルの服に蛇の革帯を締めているのがルイスだ。あれはローダだ]ローダは水盤を持って、白い花弁を泳がしていたっけ。わたしがネヴィルと物置小屋にいたあの日、泣いていたのはスーザンだった。でわたしは冷淡な心がなごむのを感じた。ネヴィルはなごまなかった。[してみると]とわたしは言った、[僕は自分なんだ。ネヴィルじゃないんだ]驚くべき発見。スーザンは泣いていたのでわたしは後をつけた。彼女の濡れたハンカチーフと、小さな肩がポンプの把手みたいにひくひく波を打つ様子と、ないがしろにされた啜り泣きとがわたしの神経を締めつけた。[我慢ができない]わたしは彼女の傍で、骸骨みたいにごつごつした木の根っこに腰をおろしながら、そう言った。それからわたしは、そのときはじめて、変化するがいつもその場を去らぬあの敵、われわれが挑戦する敵の存在を覚えた。唯々諾々と身を運ばれていくことなど思いもよらぬ。[世界よ、お前の道はそれだ。俺の行く道はこれだ]人はそう言う。そこで[探検に行こうよ]わたしは叫んで跳ね起きると、スーザンと坂道を馳け下り、大きな長靴をはいた厩番の小僧がことことと中庭を歩きまわっているのを見た。下の方で葉の繁みを透かすと、園丁が大きな箒で芝生を掃いていた。女の人が坐って手紙を書いていた。わたしは驚いて、その場に釘付けになり考えた、[ぼくにはあの箒の動きをたった一回でも遮《さえぎ》ることはできないんだ。園丁さんは一生懸命掃いているが。それにまた相変らず筆を動かしているあの女の人を邪魔することもできない]園丁が掃除するのを遮ることも、女の人を追い立てることもできぬとはおかしな話だ。わたしの生涯を通じて彼らはそこに留まりつづける。大きな石にぐるりと取り巻かれたあのストーンヘンジの中で眼を覚ました人みたいな感じだ、こうした敵、こうした存在にとりまかれて。それから、じゅずかけ鳩が木立から飛び立った。そしてわたしは、はじめて恋を感じ、詩句を作った――じゅずかけ鳩の詩――たった一行の詩句を。わたしの心に一つの穴が掘られたからだ。そこからのぞくと何もかもが見えるあの突如としておこる透明さの一つ。それから、バタつきパンが、子供部屋の天井をぶんぶん唸りながら飛ぶ蠅の群が次から次へとつづき、天井には光の島がわななき、襞を織り、乳色の光を放ち、かと見れば光彩の指のような突起が炉の角に青い水たまりを垂らした。わたしたちは、毎日毎日お茶どきに坐りながらこうした光景を眺めたものだ。
でもわたしたちはみな違っていた。蝋が――背骨を包んでいる汚れのない蜜蝋が融けて、めいめいにそれぞれ違った飾り斑を拡げたのだ。スグリの繁みで仲働きと逢引をする長靴の小僧のいがみ声、風に激しく吹き払われる網に並んだリンネルの衣類、溝の中の死人、月光の中に厳しく立っている林檎の樹、蛆のうようよたかった鼠ども、青い滴をしたたらす光彩――わたしたちの白い蝋はこれらによって縞をつけられ汚された。それぞれ別な風に。ルイスは人間性の本質に、ローダはわたしどもの残酷さに嫌悪を感じ、スーザンは他人と共感し得ず、ネヴィルは秩序を欲し、ジニーは恋を求めた、といった具合だ。別れ別れの肉体となるに従って、わたしたちは激しく苦悩した。
わたしはそれでも、この過剰から自己を保有し、友人の多くよりも命ながらえて、いま白髪の身でかなり頑丈だ。いわば胸甲に当って逸れたようなもの。と言うのも、わたしを悦ばすのが、屋根から眺めたのではなく、三階の窓から見える人生の眺望であって、一人の女が一人の男にむかって言う言葉ではないからだ。たとえその男がわたし自身だったにしてもだ。だからわたしは学佼でもいじめられることなどあった例しがない――誰にわたしをいたたまれなくさすことができたろう。順風に乗って戦艦を走らすように、礼拝堂へ千鳥足で入っていく博士が、メガホンで命令をどなった。偉い人はいつも大袈裟な身振りになるものだが――わたしはこの男を、ネヴィルのように憎むこともせず、ルイスのように崇めることもしなかった。礼拝堂に一緒に坐りながらわたしはノートを取った。いくつもの柱があり、影があり、真鍮の記念牌があった。そして祈祷書の陰で取っ組み合ったり、切手を取り換えっこしたりしている生徒たち。鋳びたポンプの音。永生について、男らしく身を処することについてがなり立てる博士。腿を掻いているパーシバル。わたしは物語りを書くために手控えをつくった。手帖の余白に似顔を書いた。そして、こんな風にして、ますます自己を分け隔てた。わたしが見た絵図の一つ二つは次のようなものだ。
パーシバルはその日、礼拝堂に坐ってじっと前をみつめていた。彼にはまた首すじのうしろを手で払う癖があった。あの男の動作はいつも人目を惹いた。わたしたちはみな頭のうしろを手で払った――うまくいかなかったが。彼はいかなる愛撫をも寄せつけない一種の美しさをもっていた。おませなところの全然ない彼は、わたしたちの教化のために書かれたどんな文章を読んでも一向に意見を述べず、いかなる卑劣や屈辱からも彼を保護したはずの、あのみごとな不動心(ラテン語の言葉が自然と浮かんでくる)をもって言った、ルーシーの亜麻色の弁髪と淡紅色の頬とは、女性の美の最高のものだと。このようにして保存された彼の審美眼は、のちにこの上ない素晴らしいものになった。しかし、音楽があり、何か奔放な祝典の歌があるのは当然だろう。窓越しに狩猟の歌が聞えてくるのも当然だ。どこか躁急なわれわれには理解しがたい生活の中から――丘のあいだから起って消えていく叫び声が。驚くべきもの、予期されもせぬもの、説明しがたいもの、調和の美を台なしにしてしまうようなもの――そういったものが、彼のことを思っていると、突然わたしの心に浮かんでくる。ささやかな観察の機械に狂いがくる。柱は埋没し、博士の姿が漂い去り、何か唐突な狂喜がわたしをとらえる。彼は競馬の最中に落馬した。それで今夜わたしはシャフツベリ通りにやって来ながら、地下鉄の扉の外に泡のように群がる、まるでつまらぬ、公式にもあてはまらぬ顔、顔、顔、名も知らぬインド人の群集、飢饉や疾病のために死に瀕している人びと、欺かれた女たち、鞭で追い立てられる犬や泣きわめく子供ら――これらすべてがわたしに望みを失わせたようだった。彼はその力量を十分発揮することもできたのだった、危険を防止することもできたのだ。四十年配ともなれば、当局をあっと言わすこともできたかもしれない。彼の魂を寝つかせる子守唄などは、まだわたしの心に浮かんだことがない。
それはそうと、もう一度スプーンを浸し、わたしたちが楽天的に[仲間の性格]と呼んでいる、あの瑣末な観察物のいま一つの例――ルイスをすくい上げてみよう。彼は座って説教師にじっと眼を注いでいた。彼の存在の本質はその眉間に集まり、唇はきつく結ばれていた。眼はじっと動かないが、突然ちらと笑いが浮かぶのだ。彼はまた霜焼けに、血液循環不全の罰に悩んだ。不幸せで友人もない、流謫《るたく》の彼は、ときおり、自信が浮かんだりすると、彼の故園の浜辺に波が寄せては砕けるありさまを記述する。けれど青春の呵責ない眼は、その間も彼の脹《は》れた関節に注がれたままだ。そうなのだ、がしかしまた、わたしたちは彼がどんなに痛烈で鋭敏で手きびしいか、だからまた、緑の木の蔭に寝そべってクリケットを見ている振りをしながら、まれにしか与えてくれぬ彼の賛意を待つのも道理だということを、わたしたちはすぐに覚ったのだ。パーシバルの卓越が崇拝されたのに、彼のそれは不快を与えたものだ。謹直で、邪推ぶかく、鶴のように足をあげて歩く彼だが、拳骨で扉を打ち割ったといううわさもあった。しかしあの男の峰はあまりにむき出しで、石のように固すぎて、そうした種類の霧はそこにまとわりつかなかった。人と人とを結びつける、単純なあの愛着、それが彼にはなかった。いつも超然としていて、謎のようで、あたりに何か恐るべきものを漂わせている、あの霊感を受けた正確さにも耐えうる一個の学徒だ。わたしの詩句(月をいかに描写すべきかを試みた)は彼の賞讃をうるに至らなかった。それで彼のほうでも、わたしが召使いなどと気楽に座を共にしうることを、たまらないほどに羨んだ。けれど彼自身の価値感を失くしたというのではない。それはそれで規律に対する尊敬の気持とよく釣り合っていたのだ。だから結局は彼の成功がある。彼の人生は、でも幸福ではなかった。しかし見たまえ――彼がわたしの掌に横たわると、彼の眼は色蒼ざめる。人間とはいかなるものかという意識が突然なくなる。わたしは彼が光彩をあびるであろう水溜りに、彼をもどしてやる。
お次はネヴィル――仰向けになって夏の空を見上げている。彼は一片の薊《あざみ》のようにわたしたちのあいだを漂流し、のらりくらりと運動場の日だまりを彷徨し、傾聴もしないが人と離れてもいない。彼を通じてわたしは、絶えず厳密に接触することもなしにローマの古典を嗅ぎまわり、あるいはまた我々を度し難く偏執的にするあの頑固な物の考え方の由来を探ねた――例えば、十字架とか、十字架が悪の象徴であるということなど。半ばは愛、半ばは憎しみである感情、それにこうした点の曖昧さは、彼には弁護の余地のない変節行為だったのだ。身体をゆすって音朗々と説く博士、わたしはズボン吊りをゆすっているこの男をガスの火の向うに坐らせたが、彼にとっては探究の道具以外の何ものでもなかった。だから彼は、彼の怠惰の埋め合せをする情熱をもってカトゥルス、ホラティウス、ルクレティウスにむかった。ものうげにじっと横たわり、しかも注視して、陶然とクリケットの連中を見守りながら、心の中ではアリクイのような素早い巧妙なねばっこい舌先でローマ人の文章のあらゆる紆余曲折を探り、一人の人間を、常に一人の伴侶を求めていた。
それから、先生の奥さんたちの長いスカートが、山のように、威嚇的に、颯爽と風を切ってやってくる。するとわたしたちの手先は帽子に飛んで行った。そして、無限の退屈が、絶えず、単調に落ちてきた。その鰭《ひれ》で、あの鉛色にひろがる海洋を破るものとて、何も、何も、何一つとてなかった。あの耐えがたい倦怠の重荷を除き去ってくれるような何事も起らなかった。学期は過ぎていった。わたしたちは成長した、わたしたちは変化した。もちろんわたしたちは動物なんだから。わたしたちは決していつも意識しているわけではない。わたしたちは機械的に呼吸し、食事し、眠るのだ。わたしたちは別々に生きるばかりでない、物象の無差別な水滴の中にあっても生きる。四輪馬車にぎっしりつまった生徒たちが、さっと一時に飛び去るように、クリケットやフットボールをしに出かけていく。一つの軍隊がヨーロッパを席巻して進軍する。わたしたちは公園や公会堂に集まり、孤立の存在を保っている背教者(ネヴィル、ルイス、ローダ)を、手をかえ品をかえ攻撃する。わたしも仲間にさせられるものだから、ルイスや、ネヴィルがうたう明瞭なメロディの一つ二つを聞きながらも、夜ともなれば中庭を越えて響いてくる、聞きなれた、ほとんど無言歌のような、まるで意味のない歌をうたう合唱の調べにもまた、わたしは抗し難く惹きつけられる。車やバスが劇場へ人びとを運ぶように、わたしたちの周囲でそれが喧々囂々たるのを耳にする。(聞きたまえ。この料理店の前を車が疾走して行き交っている。ときおり、川下で警笛が鳴る。汽船が海に進んでいくような)汽車の中で旅商人がわたしに嗅煙草をくれるなら、わたしはそれをもらうのだ。わたしは豊かで、まとまりのない、あたたかな、格別如才がないというでもないが、至極気楽で、むしろがさつなものの様子を愛する。クラブや居酒屋などの人びとの会話、半裸体で下穿き一枚の鉱夫たちの会話――むき出しで、全くきどらない、ご馳走と恋と金とともかく暮していくことと、題目といえばこれに尽きている会話が私は好きだ。崇高な希望とか理想とか、そういったものは全然含まれない、まあまあという程度の仕事にありつくこと以外には高い目標ももたない会話、何もかもそういった会話を愛する。だからわたしはそんな会話の仲間入りをしたものだ。そんなときにはネヴィルがふくれ面をしたり、ルイスが、わたしだって全くその気持はよくわかるが、急に踵《くびす》をかえしたりした。
こんなふうにして、決して一様に、また整然としてではないが、大きな縞をなして、わたしの蝋引きの胴衣は、ここに一滴、あちらに一滴と溶けていった。いまではこの透明を貫いて、最初は月のように蒼白く輝いていたあの素晴しい牧場、足を踏み入れたもののない牧場が、見えて来た。薔薇や花サフランの咲く牧場、また岩や蛇の、まだらな気味の悪い牧場、当惑するような、繋ぎ合わせの、足を取られそうな牧場が。寝床から跳ね起きて、窓を開け放つ。小鳥がひゅっとばかりに飛び立つ。君も知っていよう、あの翅の突然の猛進、あの叫喚、歓ばし気なさえずり、そして混乱、騒然たる声のさざめき。露という露がきらきら輝き震えている。こなごなになった寄木細工のように園が明滅し、きらめいて。まだ一つの全体を形づくるに至らない。窓際で鳥が一羽さえずる。わたしはこんな歌を聞いた。こんな幻影を追った。わたしはジョーンズだのドロシーだのミリアムだのの連中にあった。そしてそんな名前は忘れてしまって、並木道を歩き、橋の高い所に足をとめて川をのぞいた。やがてそんな幻影の中から、一つ二つはっきりした姿が浮かび上がる。窓際で恍惚たる青春のエゴティズムをもってうたう小鳥たち、蝸牛を石に叩きつけ、ねばねばした、べとべとしたものに嘴をつっ込む、残忍貪婪で無慈悲な小鳥が、ジニーが、スーザンが、ローダが。彼女たちは東部か南部の海岸地方で教育を受けた。長く弁髪を伸ばし、思春期の象徴の、あの驚いた仔馬のような眼つきを習得した。
ジニーが先頭で、こそこそお砂糖を舐めに門のところへやって来た。彼女はすこぶる手際よく人の掌からつかみ取る。けれど咬みつきそうな恰好で耳をはね上げているのだ。ローダは粗野――ローダを捕えることは誰にもできやしなかった。彼女は怖がり屋で気がきかなかった。誰よりも先ず、女に、完全に女になりきったのはスーザンだった。わたしの顔の上に、恐るべく美しい熱涙を注いだのは彼女だ、恐るべく美しい、また恐ろしくも美しくない涙を。彼女は詩人に崇められるために生れて来たのだった。詩人は安らぎを、坐って縫い物をしている誰か、[わたし好きよ、嫌いよ]と口に出して言う誰かを求めるものだ。快適でも幸福でもないが、詩人がとくに讃美する、あの純粋な様式の、高貴な落ち着いた美としっくり調和するある特質を備えている者を。彼女の父は裾をひるがえす化粧着を着て、すり切れたスリッパを穿いて、部屋から部屋を往来し、たるんだ廊下を歩きまわった。静かな晩など、一マイルも遠くの唸り声にも水盤がひっくり返った。老いさらばった犬は椅子の上に身体をひき上げるのがやっとなのだ。屋根裏部屋ではのろまな女中がミシンの輪をくるくるまわしながら笑う声が聞えた。
わたしはスーザンがハンカチーフを丸めながら[好き、嫌い]と叫んだあのとき、激しい苦悶のうちにもそれに気がついた。[つまらん女中が]わたしは言った、[二階の屋根裏で笑っている]と。そんなに取るにたらぬ脚色も、わたしたちが自分の経験に夢中になりきれないことを示すものだ。すべての苦悶の外れには誰か指さして教える観察家が控えている。あの夏の朝、麦粒があの家の窓に飛んで来たとき、[川辺の芝生に柳生い立つ。園丁が大きな箒で庭を掃き、女の人が坐って書きものをしている]とわたしに囁いたように、耳もとで囁く、あの観察家が。それがこうして生の苦渋のかなたにわたしを導いた。象徴の世界、おそらくはかくて永遠の世界へ、導いたのだ。眠り、食い、呼吸する、かくも動物的な、しかも霊的な不安動揺の人生に、もし永遠なものが存在するものならばだ。
柳の木が川の岸に生えていた。わたしは柔らかな芝生に、ネヴィル、ラーペント、ベイカー、ロムジイ、ヒューズ、パーシバル、ジニーと一緒に坐った。春ならば緑、秋ならばオレンジ色の、くっついた斑点のような小さな耳を立てているその美しい羽毛越しに、わたしはボートを、建物を見た。急ぎ足にいくよぼよぼの婆さんを見た。わたしが理解の一つ一つの過程を(それは哲学だったかもしれぬ。科学かもしれない。また私自身だったかもしれぬ)はっきり跡づけるために、マッチを芝生に次々と埋めていった。その間に、どれとつかず漂泊するわたしの知性の端は遠いかなたの感動をとらえ、それを心が吸収し、それに作用を開始するのだ。調律ある鐘の音、あたり一帯のざわめき、薄れる人影、自転車に乗った少女、走りながら、わたしの仲間や柳の木の陰に波立つ無差別雑多な生の混沌をおし隠す、あの垂れ幕の端をめくっていくような少女の姿。
その木だけはわたしたちの永遠の流転にも耐えた。わたしは変転に変転を重ねた。わたしはハムレットでも、シェリーでもあり、名前は忘れたがドストエフスキーのある小説の主人公だった。まる一学期も、信じがたい話ながら、ナポレオンだった。しか大抵はバイロンだったのだ。一時、何週間というもの、大股で部屋に入り、小言など口にしながら、手袋や上衣を椅子の後ろに放り投げるのが、まるでわたしの役目のようになっていた。わたしは書棚へ行ってあの素晴らしい特効薬をもう一すすり飲むのが例だった。それでわたしは途方もない詩の攻撃をまるで見当はずれな誰かに浴びせたのだ――いまでは結婚し、死んでしまった少女にむかって。本という本の中に、窓の腰掛という腰掛に、わたしをバイロンにした女への未完の手紙が散乱した。他人の文体で書いた手紙は書き上げにくいものだ。わたしは汗びっしょりになって彼女の家に着いた。指輪は取り換したが結婚はしなかった。もちろんそれほど熱烈な感情は熟さなかったからだ。
ここでまた音楽が入るはずだ。荒々しい狩猟の歌、パーシバルの音楽ではない。痛々しい、喉をふるわせて腹の底から絞り出すような、あるいは天翅《あまが》ける雲雀のように高鳴る歌。それこそこの――あまりにも慎重な、あまりにも分別じみた――初恋の飛翔する瞬間を記録しようとする、だらだらした愚劣な写本にとってかわるべきものだ。紫の幻燈板があの日をおおう。彼女がくる前と去った後の部屋を見たまえ。戸外を歩いていくひたすらな無心の人びとを見たまえ。彼らは見もしなければ聞きもしない。しかも彼らは進んで行くのだ。この輝かしい、しかも粘っこい雰囲気の中を動きまわりながら、人はあらゆる瞬間をいかに意識にのぼせていることか――何かしら人の手にはくっつき刺っている、新聞をさえ携えて。骨抜きにされた人間がいる――臓腑を抜かれ、蜘蛛の巣のように紡がれ、棘《とげ》のまわりで苦しんで身をよじるもの。やがて霹靂《へきれき》のような完全な無関心。光は吹き散らされ、無限の無責任な悦びがもどってくる。野原が永遠の緑に輝いているように見える。東雲の光が射し初めたかのように清らかな風景があらわれる。――例えばハムステッドの緑の野が。すべての人の顔は照り輝き、みなやさしい歓びの沈黙におちる。やがて、神秘めいた完成感が、それからあの焦らだたしい、つのざめ皮の感触のような粗野な感情――彼女が職を失ったり、来なかったりするときの、あの寒々とした感情の黒い矢。疑惑の棘毛《とげ》が、戦慄、戦慄、戦慄が走る。――しかしこのような痛々しい努力を重ねた連綿たる文章も何の効があろう。必要なのは連綿たる何ものでもない。ただ一回の吠え声が、一回の呻吟が、必要なさいにだ。そして年経て後、料理店で中年の女が外套を脱いでいるのを見ようとは。
しかし話をもどそう。も一度、人生がくるくる指でまわす球のような形をした堅い物体であると仮定してみよう。一つの事柄、例えば恋愛が片付いたら、さっさと次の事柄へ規則的に移っていけるように、明白で論理的な話を組立てることができるものと仮定しよう。柳の木がある、とわたしは口ずさんでいたのだ。降り注ぐ驟雨のように垂れ下った枝、皺が寄って曲がったその樹皮は、わたしたちの幻想の外にとどまっているが、しかしその幻想を止めることはできないで、たちまちそれによって変化させられながら、しかも始終毅然として、きびしくわたしたちの人生は中途半端だと示しているような、そんな効果がある。それゆえそれは批評をおこない、基準を与える。そんなわけで、我々が変化流動するにつれて、それが評価を加えるように思われるのだ。例えばネヴィルはわたしと芝生に坐っていた。しかしわたしは、柳の枝越しに彼の視線を追って、川の上の平底《ひらぞこ》船や、紙袋からバナナを出して食べている若い男の姿などをみつめながら、そんな風景以上に明白な何ものがあるだろうかと、言うのが例だった。その風景はくっきりと切り取られ、彼の直感力の特質がしみ渡って、一瞬間わたしもまたその風景を見ることができた。平底船、バナナ、若い男、柳の木の枝越しに見えるそれらの姿を。やがてそれは消えていった。
ローダがうつけたようにふらりとやって来た。彼女は身をうしろに隠そうと思えば、ガウンを風になびかせた学生でも、あるいは上靴を穿いて芝生を均らしているロバでも、なにをでも利用するのだ。あの灰色の、ものに怖《お》じたような、夢見るような彼女の眼の底に、どのような恐怖が波打ち、隠れ、焔を燃え立たせていたことだろう。わたしたちは残忍で執念深いが、あれほどに邪悪ではない。たしかにわたしたちは根は善良なのだ。でなかったら、わたしみたいにほとんど見ず知らずの他人になれなれしく話しかけることは不可能だろう――そうはしないはずだ。彼女の眺める柳は鳥もうたわぬ灰色の荒野の果てに生えているのだ。彼女がみつめていると葉はしぼみ、彼女が傍を通ると苦悩に身もだえした。通りで電車やバスが嗄《しゃが》れ声をはり上げ、岩を越えて、泡立ちながら、飛ぶように走り去った。彼女の荒野には水溜まりの傍に一本の柱が陽の光に照らされて立っていて、野獣がこっそりと水を飲みに降りてくることだろう。
それからジニーがやって来た。彼女は木の上にぱっと火を燃やした。彼女は熱にうなされ、ひからびた埃を飲みたがっている、しわくちゃのケシのようだ。飛ぶように、角立ち、衝動的なところが少しもなく、決然とやって来た。だから乾いた土の裂け目に小さな焔がジグザグに走る。彼女は柳の木を踊らせたが、幻想は伴わなかった。そこに現存しないものは何も目につかなかったのだ。それは一本の樹だった。そこには川があり、時刻は午後だった。わたしたちはここにいた。わたしはサージ、彼女は緑の服を着ていた。過去もない、未来もない、あるものはただ光の環にあるこの瞬間と、わたしたちの肉体、避けがたいクライマックス、法悦だった。
ルイスは、草の上に腰をおろすとき、防水外套を丹念に真四角にひろげて(わたしは誇張してはいない)彼の存在を認めさすのだ。怖るべきことだった。わたしは彼の円満さに敬意を表するだけの分別はもっていた。しもやけしてぼろ布に包まれている痩せこけた指先で不滅の真実というダイアモンドを手探る彼の努力に対してはだ。彼の足許の芝生の穴に燃やしたマッチ箱をわたしは埋めていった。冷酷苛烈な彼の舌はわたしの怠惰をとがめた。彼はその貪欲な想像力でわたしを魅した。彼の物語りの人物たちは山高帽子をかぶって、ピアノを何十ポンドかで売る相談をした。彼の風景の中を電車はきいきいと走った。工場は苦い烟《けむり》を流した。彼は汚穢の町をさまよった。クリスマスの日に、そんな町々では女どもが掛け蒲団の上で裸になって酔いどれるのだった。彼の言葉は弾丸造りの鉛のように落ちて、水に当って、ほとばしらした。彼はいつも一語を、月に対する一語を求めた。やがて彼は起ち上り去っていった。わたしたちもみな起ち上った。みなその場から去った。けれどもわたしだけは止って木を眺めた。燃えるような黄色の秋の木の葉を眺めていると何か澱《おり》ができた。わたしも形になった。ぽたりと滴が落ちた。わたしは落ちた――つまり、ある完成された経験からわたしは抜け出していたのだった。
わたしは立って歩み去った――わたし、わたし、バイロンでもシェリーでもドストエフスキーでもないこのわたし、バーナードが。わたしは一度二度自分の名を呼んでみさえした。わたしはステッキを振って一軒の店へ入って行き、ベートーヴェンの肖像の――音楽が好きなわけではないが――銀縁の額に入ったのを買った。音楽が好きなわけではない。そのときただ、人生のすべてが、人生の征服者、冒険者たちが、わたしの背後にずらりと堂々居並んで現れたからだ。そのときわたしは彼らの相続者であった。わたしは後嗣《あとつぎ》、神に名指されてその業を行うべき人であった。でわたしはステッキを振り振り、誇りのためと言うよりはむしろ卑下の気持から、眼をぼうっと霞ませて通りを歩いていった。最初の羽ばたきが打ち振られてしまっていた。歓びの歌、恍惚が。そしていま家の中へ、むくつけき、厳しい、人住む家、かずかずの伝統と目的と、廃物の山と、机上にひろげられた宝物に満ちた場所へと入って行く。わたしは伯父を識っていた遠縁の洋服屋を訪ねた。わんさわんさと人びとが現われた。最初の顔(ネヴィル、ルイス、ジニー、スーザン、ローダ)のように切りとれないで、混乱した、面ざしのない、否、面ざしをあまりに早く変えてしまうので面ざしをもたぬとしか思えぬ顔が。そして顔を赤らめ、嘲弄の色を示し、無垢の歓喜と懐疑の交じり合った割り切れぬ気持で、わたしは心の打撃、混乱した感動を受けた。あらゆる場所で、どこでも、同時に人生の上に起ってくる衝突など全く予期していない、入り組んだ、邪魔っけなものにおそわれた。なんというざまか! なんという恥辱。つづいて口にすべき言葉もわきまえぬとは! 石の一つ一つがありありと見える、乾ききった砂漠のようにきらめく、若々しい沈黙。また口にすべからざることを口にしたり、あるいは不滅の真摯という込み矢を意識しながら、人はその矢をどっさりの手ずれた小金とでもよろこんで交換はするのだが、さりとてジニーが伸び伸びと坐っているあの宴席で、金椅子に閃かすこともできぬとは。
それからある女が思わせぶりな身振りで言う、[いらっしゃいな]彼女は私室へ連れていって、親交という名誉をゆるす。苗字が名前に代わる。名前が愛称になる。インドをどう処置すべきか、アイルランドは、モロッコ? シャンデリアの下に立って、飾り立てた老紳土たちが質問に答える。驚くばかり知識は豊かになる。戸外では差別のつかぬ軍隊が咆哮する。室内でわたしたちは大いに打ちとけて胸襟を開いて、この小さな部屋でわれわれが作り出すのだと感じている、何曜日であろうとすべてをここで。金曜日でも土曜日でも。真珠母色に輝やく柔らかな魂の上に殻ができる。感動がその上で虚しく嘴をつつく。大概の人よりもわたしの魂にはそれが早くできた。じきにわたしは他の人たちが食後のデザートをすませたときに梨を切りわけることもできるようになった。みなに口をつぐませて、語り終えることもできた。完成への誘惑が手をさしのべるのもそんな時期だ。スペイン語を学ぶことができる、右足の指に紐をゆわえ、朝早く眼を覚ますなら、と人はそんなことを考える。用務手帖の小仕切りに一杯に書きつける、八時晩餐、一時半昼餐と。シャツ、靴下、ネクタイを寝床に並べて置く。
しかし間違っているのだ、こんな極端な几帳面、規則できめたような軍隊的な行進は。便宜だ、虚偽だ。わたしたちの白チョッキに儀礼を固く守って、約束の時刻に正確に到着するときでも、いつも生活の奥深いところにはつねに流れが逆巻いている。こわれた夢の、子守唄の、街の喧騒の、半ばできあがった文章や風景――楡の木、柳の木、箒をつかっている園丁、書きものをする婦人――などの。わたしたちが淑女を晩餐の席に伴っていくときでも、湧き上っては崩れる、そういったものの流れがある。フォークをテーブルの上に整えるときでも、無数の顔が顔をしかめる。スプーンですくい取ることのできるようなものはどこにも存在しない。事件と呼びうるようなものは存在しない。しかもこの流れ、それはまた絶えず流れる深い流れなのだ。わたしはその流れに浸りながら、頬ばる合間合間に口を休めてじっと花瓶を、赤い薔薇か何かが一本生けてあるのをみつめるのだ。すると道理がはたと心に浮かぶ。突然の啓示が、あるいはまたストランド街を歩きながら、何か美しい、伝説めいた幻の、鳥や、魚や、焔のように赤く縁取られた雲が浮かび上って、わたしの念頭を離れない何かの考えを、これを限りと蔽い隠してくれたときなど、[あれこそ俺の望んでいる詩]だと言いたいものだ。そんなあとで、わたしは新たな悦びに足どりも軽く、飾り窓のネクタイなどをつくづく見やりながら歩いていった。
人が言う人生という球、あるいは結晶は、触るるに堅い、冷やかなものであるどころか、きわめて薄い空気の壁でかこまれているものなのだ。押したら裂けて砕けてしまうだろう。この人生の大釜のうちからわたしが完全無欠に抽出しうる文章といえば、我が身を捕えさせる六個の小さな魚の一連だけにすぎない。他の無慮の魚群に至っては、まるで銀を煮沸するようにこの釜を泡立たせて踊り跳ねながら、この指のあいだから洩れ去るのだ。顔の行列が浮かんでくる。顔また顔――彼らはわたしの泡沫の壁に美を押しつける――ネヴィル、スーザン、ルイス、ジニー、ローダ、さらにまたその他の無数の顔が。とても不可能なことは、それを秩序正しく配列し、一つ一つを引き離し、また全体の効果を与えること――音楽のように。なんという交響楽か、その協和音と不協和音、頂点の調べ、底辺の複雑な低音、やがて高まってくる! 一人一人がめいめいの調子を出す。胡弓、フルート、ラッパ、太鼓、またいかなる楽器であろうと。ネヴィルとは[ハムレット論をやろうよ]だった。ルイスとは、科学を。ジニーとは、恋を。それから突然訪れたあの激昂の瞬間に、カンバーランドの宿屋へ、無口な男とまる一週間の逃避。窓硝子を流れ落ちる雨と、ご馳走といえば今日も羊肉、明日も羊肉だった。あの一週間は、しかし、記録されぬ感動の混乱のうちに堅い石を残している。ドミノをやったのもあのときだ。そして硬い羊肉のことで口論した。それから丘を歩いた。戸口をうろうろしていた可愛い少女が、青い紙に書いた手紙を渡してくれた。その手紙でわたしは、わたしをバイロンにした少女が田舎の地主と結婚することを知った。脚絆を巻いた男、鞭をもった男、食事のとき肥えた羊肉について演説した男――わたしは愚弄するような声を張り上げ、疾走する雲を仰いで、自分の失敗を感じた。自由への、逃亡への、束縛への、終了への、継続への、ルイスであろうとする、自分自身であろうとする、の欲求を。わたしは一人防水外套を着て出かけた。そして永遠の丘の下で、崇高どころでない憤激を感じ、帰宅して肉の不平をいい、荷造りして今一度、混乱へ、苦悩へと舞いもどったのだ。
さりながら人生は愉《たの》しい。人生は悪くないものだ。月曜には火曜がつづく。それから水曜がやってくる。心は年輪を生じ、個性は逞しくなり、苦痛は生長に吸い込まれる。開いたり、閉じたり、閉じたり、開いたり、しだいに増してくる響きと頑強さで、青春の敏速と熱が活用されて、ついには全体が時計の大ゼンマイのように伸び縮みするかと思われるほどになる。何とすみやかに時は一月から十二月へと流れることか! わたしたちは、あまり身近に生長して影もささない、もろもろの事象の急流に押し流される。わたしたちは漂い、漂っていく……
とはいえ、人間は飛躍する必要がある(あなたにこの話をするためにも)。だからわたしは、いま、この点から飛躍してきわめてありふれたものの上に飛び降りよう――例えば、火掻きと火箸、少し経って、わたしをバイロンにした女が結婚してしまってから、第三番目のジョーンズ嬢と呼びたい、ある女の部屋の燈火の下で見たもの。この少女は、正餐に客を迎えるような衣服を着けている。彼女は薔薇の花を摘む。髭を剃りながら[落着け、落着け。こいつは重大だぞ]と考えさせるような女。[あの女は子供たちにどんな振るまいをするんだろう]と訊いてみたくなるような。気がつくことだが、雨傘をもった格好はちょいと間が抜けている。けれどモグラが罠にはまったりすると気がかりな様子をする。それに結局は朝食にパンをつくろうとしないのだ。(わたしは髭を剃りながら結婚生活の果しなく続く朝食を考えていたのだ)全く散文的だ――この少女とさし向いの朝食で、パンの上にトンボがとまるのを見たからって驚く者もなかろう。彼女はまたわたしに出世する欲望を起させた。それからまたいままでは厭わしかった生れたての赤ん坊の顔などを好奇の気持でのぞき込ませるようにした。そうして、少し性急だった心の鼓動に――チクタク、チクタク――もっと魔術的なリズムを生じさせた。わたしはオクスクォード街をぶらつき歩いた。われわれは継承者だ、後嗣《あとつぎ》なんだ、息子や娘のことを考えながらわたしは言った。この感情がもしもばかげた大げさだとしても、バスに飛び乗りあるいは夕刊を買うことによっておし隠すほどのものだとしても、やはりそれは、その熱情における奇妙な一要素であることに変りはない。靴の紐をしばったり、異った経歴を歩んだ昔の仲間に呼びかけると同じことだ。屋根裏住いのルイス。いつも水に濡れている泉のニンフのローダ。二人は当時わたしには最も確実と思われた事を否認した。わたしにとっては明白に思われる事柄(みんな結婚すること、家庭に馴染むこと)に背を向けた。それゆえにかえってわたしは彼らを愛し、彼らを憐れみ、また彼らの異る運命を深く羨んだのだ。
かつてわたしは伝記者をもっていた。ずっと以前死んでしまったが。あの昔ながらのお世辞のいい熱心さでわたしの足跡を追ってくるなら、いまでもここで言うことだろう、[このごろバーナードは結婚して屋敷を買った。……仲間は彼のうちに家庭的傾向の高まりいくのを認めた……子供の誕生は彼に大いに収入を増加させたいと希望させた]伝記的文体だとそんなふうになる。ごつごつした生の素材、引き裂いて来た材料を貼っていくやりかただ。とにかく[拝啓]で手紙を書き出して[啓具]で結んでいるあいだは、伝記の文体を人は非難できない。人生の激動の上にローマの道路のように敷かれたこういう文句を軽蔑することはできない。そのお蔭でわたしたちはゆったりして、警官の足取りのようにきちんとした足取りで、文化人らしく歩かせてもらえるのだ。もっとも足取りはそうだが、口の中ではどんなばかげた言葉を口ずさんでいるかは判ったものでない――[聞け、聞け、犬が吠えている]だの、[来たれ、来たれ、死よ]だの、[真心と真心の結婚はまかりならぬは……]だのと。[彼はその方面ではかなり成功した。……彼は一人の伯父から少額の遺産をうけついだ]――こんな具合に伝記者はつづけるのだが、人間はズボンをはいてズボン吊で吊っている限りはそう言わずばなるまい。ときどき黒苺を摘みに行くのも面白く、こんな詩句で水切り遊びをするのも面白いものだが。とにかくそう言わなければならぬ。
つまり、野道を人が横切っていくように、わたしは人生の行路に足跡を印しながら、ひとかどの人間になった。わたしの靴の左のほうは少し擦れて来た。わたしが入っていくと、ある再整理が行われた。[バーナードがやって来た!]異った人たちがいかに別な調子でそう言うことだろう! 沢山の部屋があるように、沢山のバーナードがいるのだ。魅力はあるが気の弱い、逞しいが不遜な、才気縦横だが残忍な、大変いい奴だが、どう見てもはなはだ退屈な、同情心はあるが冷淡な、むさ苦しいが――お次の部屋では――おしゃれをきどり、俗臭を発揮し、過ぎたような身なりをしている男。自分自身に対してはそれが別だった。全然そんなではなかった。わたしは妻と共にする朝食のパンの前では自分というものをきちんとピンでとめてしまいたく思う。彼女はいまではわたしの妻になりきってしまって、あのころの、わたしに会おうとするとき薔薇の花か何かをつけていた、お誂え向きの緑の葉かげにうずくまる雨蛙のように、無意識のさなかに住んでいる感じを与えた、あのころの少女ではなくなっている。[皿をまわしておくれ]わたしは言うのだ。[ミルクですわ]……彼女の答はこうかもしれぬ。[メアリが来ますわ]と。――各時代時代の戦利品を、先に言ったようなものではないが、日ごと日ごと、生の満潮時において相続し、朝食の席でみち足りている人びとへの単純な言葉。筋肉、神経、内臓、血管、わたしたちの存在のコイルとバネを形づくるすべてのもの、エンジンの無意識のうたが、舌の突進と震動とともに、堂々と作用した。開いたり、閉じたり、閉じたり、開いたり、食べたり、飲んだり、ときにはしゃべったり――すべての機構が時計の大ゼンマイさながらに伸び縮みするようだ。バタつきトースト、コーヒー、べーコン、「タイムズ」紙と手紙――と突然、けたたましく電話が鳴るので、わたしはじっくりと立ち上り、その方へ行った。わたしは黒い受話器をとり上げた。わたしは心が通話に同化しようと勉める気安さを見守った――たとえ英帝国の支配を掌握することの報知(こんな空想も人はするものだ)であっても。わたしは自分の落着きを観察した。わたしは、どんなすばらしい活力で、わたしの注意力の原子が分散され、故障にたかりよらされ、通話に同化され、新しい事態に適応させられたかを注目した。そして受話器を下に置くまでには、わたしが出馬を要請された、より豊かな強い複雑した一つの世界を造り上げてしまっていたのだ。そしてもちろんわたしには、すべてなしうるだけの能力はあった。帽子をぴしゃりと頭にかぶせると、わたしはわたしよりも前にすでに帽子をぽんとかぶっている多勢の人間たちの住む世界に進んでいった。わたしは汽車や地下鉄の中で彼らと押しあいへしあいしながら敵手としての会釈をとり交わした。同時に百千の陥穽と奸策にとり巻かれながら同一の目的――生計をうるという――を成就するために進んでいく仲間として。
生は愉しい。人生はいいものだ。人生のその過程だけで充分申し分がない。健康でぴんぴんした普通の人間を例に取ろう。彼は食いかつ眠ることを好む。彼は新鮮な空気を吸い、ストランド街を元気よく歩いていくことが好きだ。あるいは田舎ならば門口で牡鶏が啼いている。野原ではまた小馬が駆けまわっている。することは必ず次に控えている。月曜には火曜がつづく。火曜の次は水曜だ。その日その日が同じ幸福の波紋をひろげ、同じリズムの曲線を繰り返す。冷気が新しい砂地をおおい、うわべはいささかゆるやかに退いていく。こうして存在は年輪を生じ、実体は逞しくなる。空中に放り投げられた麦粒のように昂ぶりながらもひそひそと、四方より吹く生の疾風にかなたこなた吹きまくられていたのが、いまは整然として秩序を得、飛ぶにも一定の目的をもって飛ばされる――というようなものだ。
ああ、なんたる愉悦! なんたる善さ! なんたる申し分なさの小売商人の生活よ! わたしは汽車が郊外を走り過ぎるとき寝室の窓に燈火が見えると、そんなふうに言うのだった。蟻の群のように活発で精力的な、とわたしは言うのだ。窓際に立って、袋を手に町へと流れ込む労働者の行列を眺めながら。なんという激しさ、手と足のなんという活気と荒々しさかと一月の雪の地面をフットボールを追いまわしていく白ズボンの人たちを眺めながらわたしは思った。些細きわまる事柄で――肉のことか何かで――腹をたてているので、とるにたらぬ波紋でわたしたちの結婚生活の大きな落ちつきを乱そうとするのは贅沢なことにも思った。落ちつきの乱れは――わたしたちの子供が生れようとしていたから――その歓びを増すものだった。わたしはご馳走のことでがみがみ言ったのだ。わたしは百万長者のような口吻で、五シリングぐらい棒に振っても構わぬかのような無理な小言を言った。名人の鳶職《とびしょく》のようにわざとフットボールの上にけつまずいた。寝床へ行きながらわたしたちは階段で仲直りをした。そして窓に立って、青い石の心のように澄んだ空を見上げながら、[神は讃《ほ》むべきかな]とわたしは言った、[この散文を韻文にしばりつけるには及ばない、ささやかな言葉で事足りるのだ]と。その眺めの拡がりとその澄明さは、いかなる妨害をもなさず、屋根と煙突の林を越えて無瑕の際涯まで限りなくひろがりいくことをわれわれの生命に許してくれそうに思えたからだ。
この墜死――パーシバルの死の中へ。[どちらがいったい幸福だろう]わたしは言った(わたしどもに子供が生れた)、[いずれが苦痛だろう]階段を降りながら自分の肉体の両側について、全く生理的な言葉をわたしは述べた。わたしまた家の中の様子を書き留めた。吹きはらわれるカーテンを、鼻歌をうたう料理番を、半分開いた扉からのぞける衣裳戸棚を。[彼(わたし自身のことだ)にいま瞬間の猶予を与えよ]とわたしは階段を下りながら言った。[彼はいまこの客間で苦しみに赴こうとしている。のがれる路はない]しかし苦痛を言うには言葉ではたりなかった。叫びが、裂け目が、亀裂が、更紗の布を走る白さが、時間と空間の感覚を持つ邪魔があってもよい。そしてまた、過ぎていくもののもつべき極度の定着性の意識が。はるか遠い、また密接した物音が。深傷《ふかで》を負った肉とほとばしる血と、突如よじられた接ぎ目が――それらすべての底に、何かすこぶる重大な、しかも遠い、孤独のうちにあってのみ守らるべきあるものが現われる。だからわたしは外へ出た。わたしは彼が決して見ることのない最初の朝を見た――雀は子供が糸にぶら下げた玩具のようだった。事物に接触せずに外側から傍観し、それ自体の美を会得すること――何という不可思議! それからまた何か重荷を除かれたような感じ。体裁、いつわり、虚妄は影を隠し、明るさが一種の透明さを伴って訪れ、本体を見えなくし、歩くにつれて、色々な事物が仕遂げられる。なんたる不可思議![さて発見はまだ他にもあるだろうか]わたしはそう言って、それをしっかり握って見るために新聞のビラから眼をそらした。そして絵画を見に出かけた。マドンナたち、柱、アーチ、オレンジの樹が飾られた最初の日から依然として変らないが、しかし新たに悲哀を知って、そこに掲げられていた。わたしはそれらを眺めた。[ここに]とわたしは言った。[邪魔もなく我々は一緒にいる]この自由、この自在は、そのとき一つの征服のように思われ、わたしの心中に歓喜をまき起したのだった。だからわたしはいまでも、歓喜とパーシバルを取りもどすためにそこへ時おり出かける。けれどそれも永続きはしなかった。心の眼の戦慄すべき活動力はいかに人をさいなむことか――彼が墜落した様子、彼の姿、かっこう、彼が運ばれていった場所、腰巻をした男たち、引き綱、繃帯、泥濘、それから怖るべき記憶の襲来。予告もなく防ぎようもなく、蘇ってくる――彼と一緒にハンプトン・コートヘ行かなかったことが。爪が引っ掻いた、牙がひき裂いた、わたしは行かなかった。彼の耐えきれなさそうな抗議にもかかわらずそんなことはどうでもいいんだ。我々の水入らずの交わりの瞬間を何で妨げ、何で台なしにしてしまうのだ。――しかもわたしは意地悪く繰り返えしたものだ、俺は行かないと。おせっかいなこの悪魔のために神殿を追っ払われたわたしは、そこでジニーのところへ行った。彼女は部屋を持っていたからだ。小さなテーブルのある、その小さなテーブルの上に細々した装飾品をとり散らした部屋を。わたしは涙とともにそこで懺悔した――ハンプトン・コートに行かなかったことを。すると彼女は、わたしにはくだらぬことだが彼女にとっては呵責の種である、他のいろんなことを思い出し、共に語り合えぬことがあるといかに人生は佗びしいものかをこのわたしに示したものだ。間もなく女中が書付を持って入って来たので彼女が返事をするために背を向けたとき、どんなことを誰に向って彼女が書いているのか知りたい好奇心を感じた。わたしは最初の一枚が彼の墓の上に落ちるのを見た。わたしたちがこの瞬間を押しのけ、永遠にわたしたちの背後に取り残していくのを見た。やがて長椅子に並んで腰かけながら、他の人たちが言ったことを余儀なくも思い出した。[かの日の百合は五月にてあらば美しさひとしおなりし]わたしたちはパーシバルを百合にたとえた――わたしがその髪の毛を失わせることを、当局を驚愕さすことを、そしてわたしと共に老いゆくことを欲したパーシバルは、彼はすでにもう百合の花でおおわれてしまったのだ。
そんなふうにその場の誠実な一瞬が過ぎ、それが象徴的になった。わたしはそれに耐えきれなくなった。願わくば、この百合のごとく美しい膠《にかわ》を滲み出さむよりは、哄笑と批評のいかなる毒舌をも我らに犯さしめたまえ、詩句もて彼をおおわしめたまえ、とわたしは絶叫した。でわたしは突然やめてしまった。そして、未来をもたず、思慮をもたず、心すこやかに目先きの瞬間を尊ぶジニーは、その身に一鞭与えると、顔に化粧を施して(そのゆえわたしは彼女を愛した)戸口の階段に立ってわたしの方へ手を振り、風が彼女の髪を乱さぬように手のさきで抑えた。彼女をあがめたくなるあの身振りで。まるでそれがわたしたちの――百合を生やさせまいとする――決意を強めようとでもするかのように。
迷いから覚めた澄明な心でわたしは街路の賤しむべき虚構を観察した。車寄せを、窓掛けを、買物をして歩く婦人たちの単調な衣服を、貪婪と自足のその面《おも》ざしを、毛の襟巻に埋まって息を吸い込んでいる老人の姿を、道を横切る人びとの慎重さを、生きつづけようとする全人類の決意を。しかも事実は、汝ら愚人よ瞞着の徒よ、とわたしは言った。いつなんどき屋根のスレートが落ちて来ようやも、車が道を外れるかもしれぬ。酔いどれが棒を手に握って千鳥足で歩いていくではないか――すれば、万事は休するのだ。わたしは楽屋へ入ることを許された、ものの効果がいかにして生み出されるかを教えられた人間も同様であった。わたしはしかし居心地よいわが家へともどり、小間使いに靴をぬいで二階へ上るようにと注意された。子供は眠っていた。わたしは自分の部屋へ入った。
これらの壁を、保護物を、子供をもうけて帳《とばり》の背後で暮していくことを、日一日と日増しに書物や絵に取り巻かれていく生活を叩き潰してくれるような剣はどこにもなかったろうか。ルイスのように生命を燃焼させて完成を追い求めるか、また私たちを去っていったローダのように砂漠に逃亡するか、あるいはネヴィルのように無数の人びとのあいだから一人を、ただ一人を選ぶほうがよい。スーザンのように太陽の熱や霜にひしがれた草を愛したり憎んだり、ジニーのように誠実な人間獣となったほうがいいのだ。全ての人間はそれぞれの狂喜を、死に対する共通の感情を、何かしら彼らの身代りになるものをもっている。そんなわけで、わたしは代わる代わる彼らのもとを訪ねて、閉じられた彼らの手箱を手さぐりにこじあけようとしたのだった。わたしは悲しみを携えて彼らのところを経めぐり――いや、わたしの悲しみではない、この我々の理解しがたい生の本質を携えて――彼らの検分を求めた。ある人びとは僧侶の許に行く。ある人びとは詩に赴く。わたしは友人のところへ、自分自身の魂に、詩句や断章のあいだに無傷なあるものを求めて行く――月や樹木には充分な美を味い得ぬわたし。他人との接触がすべてであるが、それさえも把握し得ぬわたし。余りにも不完全な、薄志弱行な、口にも言えぬほど孤独なこのわたしは。わたしはそこに坐った。
これで話が結末になるとすればどうだろうか。嗟嘆にも似て。波の最後の波紋か。どこかの溝へちょろちょろと流れてぷっと吹き上げながら消えてしまう水の運命か。テーブルに触ってみよう――そう、こんな具合に――そして、こうやって、あの瞬間の意識を恢復させよう。薬昧の瓶を並べたてた食器棚、巻パンを一杯つめた籠、バナナの皿――これはまた心なごませる光景だ。しかしそれはそうと、物語りなんてものが存在せぬとしたら、どんな結末があり発端があり得ようか。人生というものはわたしたちがそれを語ろうとするような方法でもってしては感得しうるものではないのだ。夜更けて起きていると、もう少しなんとかできないものかと不思議に思えてくる。そんなときは整理棚も大した役に立たない。水の涸れた小川の勢いがだんだん退いていくさまは奇妙だ。ひとり坐っていると、わたしたちは精も根もつき果てたような気がする。流れは海そよごの穂で微かに取り巻かれるだけの水量しかない。遠くの小石を濡らしに行くことはもうできない。駄目だ、万事は終った。だが待っていると――わたしは一晩中待った――ふたたび体内に瞬動が始まる。わたしたちは起ち上って、たてがみのように白しぶきを噴き上げる。浜辺に強く身を打ち上げる。もう閉じ込められてはいないのだ。つまり、わたしは髭を剃り顔を洗ったのだ。妻の眼を覚まさずに、朝食をすませ、帽子をかぶり、生計の資をうるために出かけたのだ。月曜の次には火曜がやってくる。
しかしある疑惑が、疑問の調子が残っていた。わたしは扉を開きながら、一杯に詰っている人びとを見出して驚いた。お茶を取り上げながら、ミルクと言ったものか砂糖と言ったものか、ためらった。すると星の光りが、ちょうどいま落ちているように、わたしの手の上に落ちていた、何百万年の旅の果てに――わたしはそのことを思って一瞬間、悪寒をさえ感じた――それが関の山、わたしの想像力は弱すぎるのだ。しかしある疑惑が残っていた。夜の部屋のテーブルと椅子のあいだを飛ぶ蛾の翅のようにわたしの心を一つの影が掠めた。例えばあの夏、わたしがスーザンに会いにリンカンシャーヘ出かけたおり、彼女がたるんだ帆みたいな、だるそうな身体つきで、妊婦のよろけた動作で、庭を横切ってこちらへ進んで来たとき、わたしは思った、[進んで行く、しかしなぜか?]と。わたしたちは庭に腰を休めた。乾草をぽたぽた落しながら農車がやって来た。田舎にはつきもののミヤマガラスと鶏の喧しいさえずり声が聞え、果実は網ですっかり包まれて、植木屋は穴を掘っていた。紫色の花のトンネルを蜜蜂がぶんぶん飛んでいった。蜜蜂は黄金色のヒマワリの楯に身を埋めていた。小さな木の枝が草の上をころころ転がっていった。それはなんと律動的で半意識的で、霧に包まれた感じの物だったことだろう。けれどわたしには憎々しく思えたのだ。人の手足を閉じこめてばたばたもがかせている網みたいに。パーシバルを拒絶した彼女はこの網目に、この外被に身を委ねたのだった。
わたしは土手に坐って汽車を待ちながら、わたしたちがいかに身を委すかを、自然の愚鈍にいかに屈従するかを思った。こんもりと繁った緑の葉に包まれた森が目の前にあった。すると神経をかすめるような香りか物音によって、むかしの映像が――箒で掃いている園丁たちと書きものをする婦人とが――立ち帰って来た。エルブドンのブナの木立の下に人影が見えた。園丁たちは掃除していた。婦人は机にむかって書いていた。けれどわたしはいまでは幼年期の直観に成熟期の寄与をもたらした――飽満と運命、われわれに不可避な宿命感、死の意識、限界についての知識、人生はかつて我々が想像した以上に冷酷非情であることなど。それに、わたしが子供だったときは、敵の幽霊が出現して来て、敵対したい要求がわたしを悩ませた。わたしは跳ね起きて叫んだ、[探検に行こうよ]その局面に対する恐怖心はやんだ。
しかしいまはやめねばならぬいかなる局面があるか。気だるさと運命。そして探検すべき何が。木も葉も森も何ものをも隠してはいなかった。鳥が飛び立とうともいまのわたしは詩など作るまい。――かつて言ったことを繰り返すだけだ。だからもし杖が手もとにあって、存在の曲線の刻み目を指し示すことができるとしたら、ここでは潮も寄せて来ない泥濘に曲線がむなしく渦を巻く、これこそ最下の線なのだ。――ここは生垣に背をもたせかけ、目深に帽子をかぶり、わたしが坐っていたこの場所だ。その傍を羊がごつごつと尖った足さきで、一歩一歩彼らの森の通路を無心に進んでいった。ところでなまくらの刃を手ごろの長さの砥石にあてるとキラリと光るものがある。――ギザギザした突角が火のように光る。これと同じ具合に、理性の欠除、無定見、紋切型に固執し、それらが、一しょくたにしてもみ合わされると、焔のように、憎悪が、軽侮がパッと燃えあがる。わたしはわたしの身を心を、古色蒼然としてまるで気の抜けてしまっているのを取り上げて打ちすえた。棒きれや藁、憎むべき漂着物の細片、脂の浮いた水面を漂う難破船から岸辺に打ち上げられたがらくたに合わせて、わたしは飛び上った。[戦え! 戦え!]わたしは繰りかえした。骨折りと努力、絶えざる奮闘、粉砕と結合なのだ。――それこそ、敗れようが勝とうが、日ごとにつづく戦い、異常に面白い探求なのだ。ばらばらになっていた木立は、整然と並んだ。こんもり繁った葉の緑は色が薄れてゆらめく光になった。わたしはとっさの詩句でそれを引っとらた。わたしは言葉でもってその無定形を救ったのだ。
汽車が滑り込んで来た。プラットフォームを長く引き延ばして、汽車は止った。わたしは汽車に乗り込んだ。こうしてふたたび夕方ロンドンに帰った。なんという心満ちたりた思い、常識とタバコの雰囲気、バスケットを下げて三等車に這い上っていくお婆さんたち、パイプの吸い心地、途中の停車場で別れ合う友人たちのさよなら、また明日の挨拶、それからロンドンの燈火――青春の燃えあがるような歓喜や、あの引き裂けるばかりに烈しく振りまわされる旌旗《はた》ではなく、やはり同じロンドンの燈火だ。オフィスの上高くすさまじく輝く電燈、乾いた舗道の上をあやおる街の燈火、町の市場の上に揺曳《ようえい》する、どよめくような焔。わたしはしばしなりと敵を克服し得たとき、これらすべてを愛するものだ。
わたしはまた、例えば劇場の中で、どよめく生存のページェントを見出すのが好きだ。野原では土くれの色をしてえたいの知れなかった動物が、ここでは意気軒昂として立ち、無限の精巧と丹精とをもって、緑の森や野や、悠々と噛みしめながら定速度で歩いていく羊たちに対抗して、天晴れな振舞いを見せる。そしてもちろん長い灰色の街の窓々には燈火がともり、細長い毛氈の片が一舗道をよぎっていた。掃き清められた飾り立てられた部屋があり、炉に燃える火があり、食物があり、葡萄酒があり、談話があった。萎びた手をした男、耳から真珠の塔を下げた女が出入りした。わたしは浮世の労苦に皺と冷笑を刻んだ老人たちの顔を見た。限りなく慈しまれて老齢においてさえも新らしく生れ出るかと思われる美を。そして愉楽にふさわしい青春を見た。愉楽は必ず存在すると思われるほどだ。緑の野もそのためには延びやかでなければならぬ。海は刻まれて小波にならねばならない。そして森には明るい色をした小鳥どもが青春のため、希望に燃える青春のために音を立てるのだ。そこでジニーとハルに、トムとベティに会った。そこでわたしたちは冗談をたたき秘密を分かち合った。そして戸口で別れるときには、どこか別の部屋で、機会が、季節がほのめかす通りに、また会うことを必らず取り決めるのだ。生は愉しい。人生はいいものだ。月曜の次には火曜がやってくる。そして火曜の次は水曜だ。
それはそうだが、少したつと変ってくる。あるいは一夜、部屋の中の様子が、椅子の並べ具合が、何かそれを暗示するのかもしれない。片隅の長椅子に身体を埋めて観察したり聞いたりするのはいい気持なのだ。すると窓に背を向けて立つ二つの人影が枝を伸ばした木の枝を背景としてひょっくりと現われる。感動に身をおののかせて人は考える、[美に装われた目鼻のない姿があそこにある]それにつづく合間、波紋のひろがる間に、話の相手をしているはずの少女はひとり言を言うのだ。[この男はふけている]と。しかし彼女は間違っている。年齢ではない。滴が落ちたということだ。またぽたりと。時は配置にまた一つの振動を与えた。わたしたちはスグリの葉っぱの緑の門から出て、もっと広い世界に這い込んだ。ものごとの真の秩序が――これはわれわれの絶えざる迷妄なんだが――いまや明瞭だ。こんなふうにしてたちまちわたしたちの生は、客間の中で、虚空をわたる荘厳な日の行進に歩調を合わせるのだ。
わたしがゴム革の靴をはいて紐を手探る代わりに、ネヴィルを探すのもこんな理由からだった。わたしがバイロンであったときのわたし、メレディスの青年、名前は忘れたドストエフスキーの本の主人公でもあった時代からわたしを知っている一番古い友人を求めた。わたしはひとりで本を読んでいる彼を見出した。整然と片付いたテーブル、真直ぐに引かれた窓掛け、フランスの書物を二つに分けているペイパー・ナイフ――何人《なんぴと》も、とわたしは思った、最初われわれの見たときの彼らの態度を、衣服を変えてはいない。彼はここに、最初逢ったとき以来、ずっとこの椅子にこの服装で坐っているのだ。ここには自由があり親密があった。炉の火が窓かけに描かれた円い林檎をちぎった。二人はそこで話し合った。坐りながら話した。あの並木道を、葉の繁みがざわざわと鳴っている、実をつけたあの木立の下を走っている並木道をあてもなく歩いた。この道をわたしたちはたびたび歩いたので、いまではあの芝生も、いくつかの木のまわりは、いくつかの劇や詩のまわりには、二人の気に入りのなにかの周囲は、すっかり裸ん坊になってしまった。――わたしたちのひっきりなしの無秩序な散策のために踏みにじられて、芝生は草もなくなってしまった。待たねばならないときは、わたしは本を読む。夜中に目を覚ますと、棚を手さぐって本を取りだしてくる。脹れ上がり、絶えず増大してわたしの頭脳には記録されぬ事柄の厖大な蓄積ができあがっている。ときどきわたしは、そこから、シェイクスピアでもいい、ペックという名の老婆であってもいいが、ひと塊りちぎり取ってくる。そして寝床の中で巻煙草を吹かしながらひとり言のように言うのだ、「あれがシェイクスピア。あれはペック」と。――確実な認識をもって、けれど限りなく悦ばしい頒つことのできぬ知識に胸をつかれながら。でわたしたちはわたしたちのペックを、シェイクスピアを頒ち合い、お互いの訳文を読み較べて、お互いの眼識でわたしたち自身のペックやシェイクスピアをもっと明るみに出そうとやってみた。それからわたしたちは沈黙の瞬間に沈みこんだ。沈黙の大海原に魚の鰭がおどるように、ときおり二三の言葉によって破られる沈黙の中に。すると鰭が、思想が水底に沈んでいき、満足と充足の小波をあたりに拡げるのだ。
そうだ、しかし突然時計の音が聞えてくる。この世界に浸りきっているわたしたちは別の世界の存在を覚ったのだ。耐えがたいことだ。我々の時間を変革してしまうのはネヴィルだ。シェイクスピアからわたしたちにまで拡がる、果てしを知らぬ心の時間で考えていた彼は、埋み火を掻き起して、ある個人の接近を告げる別の時計で生活しはじめる。彼の寛濶《かんかつ》高貴な心の拡がりは狭められた。彼は用心深くなった。わたしは彼が街上の物音にじっと耳を澄ますさまを見てとった。わたしは彼がクッションに触れる手つきを観察した。無数といっていい人類とすべての時代の中から彼はいつも特別な一人を、一瞬を選ぶのだった。玄関で物音がした。彼の言っている言葉は燃えあがらぬ焔のように風に揺らめいた。わたしは一歩一歩彼の足音がばらばらに響いて、何か確認の証拠を待ち望み、蛇のような敏捷さで戸口の把手に眼を走らす様子を見守った。(こんなところから彼の知覚の驚くべき鋭利さは来ていたのだ。彼はいつも一人の人間によって訓練を受けていたのだ)こんなふうに一点に集中された情熱が、よどんで閃めき光る液体から、異物質のように人を射ち出した。わたしは澱《よどみ》と、疑惑と、懐中手帖に記さるべき詩句や覚書とで一杯の、漠然として雲をつかむような自分の性質を知った。窓掛けの折目はじっと動かなくなった。机の上の文鎮は固くなった。窓かけの糸目がきらり輝いた。すべてのものが明確で外面的な、わたしにとって少しも関係のない場面になった。わたしはそれで起ち上った。わたしは彼と別れた。
ああ! わたしが部屋を去ったとき、いかにわたしを捕えたろう、あの昔の苦悶の毒牙が! そこに居合せぬある人間を求める欲望。誰をか? 最初は解らながった、やがてパーシバルを思い出した。もう何カ月というものわたしは彼のことを考えなかった。ああ彼と一緒に笑いたい。彼と一緒にネヴィルを笑ってやりたい――それがわたしの欲することだった。腕を組んで歩きながら笑うことが。しかし彼はそこにいなかった。その場所はからっぽだった。
街角や夢の中などで死んだ人間がわたしたちの前にひょいと飛び出してくるのは奇妙だ。
わたしの上に烈しく冷たく吹きすさぶこの気まぐれな疾風は、その夜わたしをロンドンを横断して別の仲間、ローダとルイスの許へ走らせた。交わり、確実さ、接触を求めて。階段をのぼりながらわたしは思った、あの二人の関係はどうなんだろう、二人きりのとき彼らはどんなことを話すのだろうと。わたしは湯沸しを不器用にとり扱う彼女の姿を思い描いた。彼女はスレートの屋根をじっと見ていた――いつも水に濡れて、幻想に悩まされ、夢を見つづける泉のニムフは。彼女は窓掛けをおし開いて夜を眺めた。[あんなに遠く]と彼女は言った。[月の光の下に荒野が暗くひろがっている]わたしはベルを鳴らした。わたしは待った。ルイスは猫のためにミルクを下皿にそそいでやっているようだった。ルイスは、荒れ狂う水の上で静かな苦悩に充ちた努力で身を閉ざす船渠《ドック》の両側のように、骨ばった両の手を握りしめている。エジプト人やインド人が言ったこと、頬骨の高い人種や毛皮を着込んだ世捨人の言葉を知っている彼だ。わたしはノックした。待った。返事はなかった。わたしはふたたび石の階段を重い足取りで降りた。わたしたちの仲間――全く遠く離れ、沈黙し、すっかり無沙汰を重ね、識ることも少い。それにわたしだってまた、仲間の記憶からかすれ、たまには見えることもあるが、ほとんど現われることもない幻影になってしまっている。人生はたしかに一つの夢だ。わたしたちの生の焔、数人の眼のうちに踊る狐火は、たちまち吹き払われて跡形もなく消えてしまうことだろう。わたしは仲間のことを思い出した。スーザンを思った。彼女は土地を買い込んだ。胡瓜やトマトが彼女の温室で熟れた。昨年の霜に枯れ果てた葡萄蔓が一二枚葉を出しかけた。彼女は息子たちを連れて牧場をのろのろと歩いた。彼女は脚絆を巻いた男たちにつき添われて土地を歩きまわり、杖先で、破損して修理の必要な屋根や生垣や壁を指し示した。鳩の群が彼女の後を追った、彼女が土臭い馴れた指先から落してやる麦粒を求めて歩いた。[でも、もう夜明けに起きることはありませんわ]彼女は言った。それからジニー――きまっていつも誰か新しい青年をもてなしている。彼らは紋切型の会話の破局に行きついたのだ。部屋は暗くされ椅子は片づけられるのだ。何しろ彼女は依然としてその瞬間を求めていた。幻影に捉われず、水晶のように堅く澄みきって、彼女はその日に向って胸もあらわに馬を乗り入れた。そのスパイクにわが身を貫かせた。額の縮れ毛が一本白くなっても物ともせずに他の毛のあいだに巻き込んでしまう。だから人が彼女のお葬いにやって来ても、何もかも整頓されているだろう。リボンのきれも捲かれてあるだろう。けれど扉は変りなく開けられる。誰がはいってくるのかしら、と彼女は自分に訊ね、準備をしてその男を迎えに起ち上る。こんな初春の夜には立派な市民たちが真面目に寝床に入る大ロンドンの家々の軒下にも彼女の恋を隠す一本の樹木さえありはしない。けれど電車のきしる音は彼女の歓楽の叫びと混和し、葉のざわめきが彼女の倦怠を、満足した本能の快感に鎮められて身を埋めるときの、えもいわれぬけだるさを隠してやらねばならぬ。わたしたちの仲間、全く訪ねることもなく、知ることとても少いことだ。――それは事実だが、しかし見ず知らずの人に会って、このテーブルの上にわたしのいわゆるわが人生をちぎりとってみようとすれば、振り返って見るのは一人の人生ではない、わたしは一人ではない。多勢だ。自分が誰なのかまるで分らないのだ。――ジニーなのか、スーザンなのか、ネヴィルか、ローダか、それともルイスか。否、それどころか、わたしの人生を彼らの人生から区別する方法も知ってはいないのだ。
あの初夏の一夜、わたしたちがも一度集ってハンプトン・コートで晩餐を共にしたときわたしはそんなふうに考えた。最初はわたしたちの不快は甚しかった。何しろそのときまではめいめいが声明通りにしていたのだし、あれこれの服装をし、ステッキを持ったり持たなかったりで、あの道を会合の場所にやってくる別の人間がそれに折り合わないように思えたのだ。わたしはジニーがスーザンの土臭い指を眺めてから自分の指を押し隠すのを見た。わたしは、いかにも整った端正な身装《みなり》をしたネヴィルのことを思って、こうした辞句に汚された朦朧たるわたしの人生を感じた。彼はやがて自慢話をした。それというのも彼は一つの部屋を、一人の人間を、彼の成功を恥じていたからなのだ。共謀者にして、ノートをとる卓上のスパイたるルイスとローダが感じた、[つまるところバーナードは給仕にわれわれのところへ巻パンを運ばせることもできるのだ。――我々は交渉できないのに]と。しばしの間、それになり得なかったにしても、しかし同時に忘れることのできぬ完全な人間の実体が、わたしたちのあいだに横たえられているのを見た。わたしたちがなり得たはずのものをすべて見たのだ。わたしたちが成り損ねたすべてのものを。そしてわたしたちはしばらくのあいだ一個のお菓子が、たった一つのお菓子が切り分けられるとき、子供たちが自分の分け前が減っていくのを見守っているように、他の人間がその分け前にあずかるのを厭がっていた。
けれども葡萄酒の杯をあげて、その魅惑の下にわたしたちの敵意を失くし、比較し合うことをやめた。そして、食事の途中わたしたちの周囲に外部のもの、わたしたちでないものが大きな闇となってひろがっていくのを見た。風、車輪の捲き起こす疾風は、時の唸りとなり、わたしたちは突進した――どこへか。そしてまたわたしたちとはいったい誰なのか。わたしたちはしばし沈黙して、燃えあがる紙片の焔のように走った。闇は咆哮した。時間を超え、歴史を超えてわたしたちは走った。わたしにとってはそれも一瞬しかつづかない。気が荒いためにやんだのだ。わたしはテーブルをスプーンで敲《たた》いた。コンパスでものを量ることができるものならそうもしたかった。しかしわたしの物差しといえば詩句より他にはないものだから、わたしは詩句を作る――このときどんな句を作ったかは忘れてしまったが。わたしたちはハンプトン・コートのテーブルに坐る六人の人びとになった。わたしたちは起ち上って並木道を並んで歩いて行った。仄かな夢のような黄昏の光の中に、笑いながら横町を去っていく声の反響のように途切れ途切れに、快活と肉体とがもどって来た。門の前、ヒマラヤ杉を背景に、わたしは明々《あかあか》と燃える焔を、ネヴィルとジニーとローダとルイスとスーザンとそしてわたし自身、わたしたちの人生、わたしたちの絶対同一の姿を見た。ウィリアム王は依然として架空の帝王であり彼の王冠はただの金箔としか見えなかった。しかしわたしたち――煉瓦を、木の枝を背にしたわたしたち、無慮何億の人間のあいだから選び出された六人は、過ぎ去った時とくるべき時の無限の蓄積の中の一瞬のあいだ、そこに勝ち誇って赫々と燃えた。その瞬間は一切だった。その瞬間で満ちたりたのだ。そしてやがてネヴィルは、ジニーは、スーザンは、わたしは、波が砕けるように、燃え崩れて身も心も委ねたのだ――次の木の葉に、几帳面な小鳥に、輪をもてあそぶ子供に、躍り跳ねる犬に、炎暑の森の中にこもっている熱に、水の波紋の上を白リボンのようにうねっている光に。わたしたちはてんでに別れた。木立の闇の中へわたしたちは吸い込まれていった。テラスの甕の側に立っているローダとルイスを残して。
あの耽溺からもどれば――ああ、あの甘美さ、あの奥妙さ!――表面に浮かび上り、まだそこにたたずんでいる共謀者を見たときは、わたしたちは多少良心の呵責なきを得なかった。わたしたちは彼らが大事にしていたものを失くしてしまったのだ。邪魔をしたのだ。しかしわたしたちは疲れていた。首尾はよかれあしかれ、成就しようがしまいが、わたしたちの試みの上には仄暗い面紗《ベール》が垂れこめて来ていた。川を見下すテラスの上でしばらく休んでいると、光は沈みかけていた。堤では汽船が旅行者を下船させていた。遠くの方で歓呼の声が、人びとが帽子を振って最後の唱和に加わっているような歌声がした。合唱の歌声が川水を渉って聞こえてくると、わたしはあのいつもながらの衝動の湧きあがるのを感じた。あの始終わたしを動かして来た衝動。人びとの声のどよめきに放り上げ、投げおろされて自分もその歌に加わりたい、ほとんど意味ももたない賑かな歓楽、感傷、凱歌、意欲のどよめきに身を運ばれたいというあの衝動を。しかしいまは駄目だ。それどころか! わたしは心を落着かすこと、自分というものを識別することができなかった。一分前にはわたしを熱烈に、陽気に、嫉妬深く、注意深くしたものを、その他ありとあらゆるものを水の中に放りなげてしまわずにはいられなかった。身を持することができなかった。否応言わさず懸河《けんが》の勢いで流れ出し、音も立てずに橋の拱持《せりもち》の下に渦巻き、林や島のぐるりを取り囲み、海鳥が杭にとまっているあたりを襲い、立ちさわぐ水の流れを乗り越えて、出でては海の波ともなるあの果てしない放棄と放埒から――わたしはあの放埒をなさずにはいられなかった。そこでわたしたちは別れた。
ならばこれは、スーザン、ジニー、ネヴィル、ローダ、ルイスともどものこの流れのさまは、一種の死でもあったろうか。新しい要素の結合か。はたまたくるべきものの暗示でもあったろうか。手帖は書きなぐられ、書物は閉ざされた。わたしは気まぐれな学生だから、定められた時間には決して復習などしない。ずっとたってから、フリート街を雑沓時に歩いていて、あの瞬間のことを思い出し、わたしはそれをつづけた。わたしは言った。[俺は永久にスプーンでテーブル掛けを敲いていなければならないのか。俺だっても同意してはいけないのか]バスは詰まっていた。次から次と客が乗り込んで、石の鎖に環をつなぐみたいにカチリと音をたてては足を止めた。人びとは通り過ぎた。
無数の人間が、手提げカバンをさげ、信じがたいほどの敏捷さで身をかわし、人をよけながら、洪水のように行き過ぎた。彼らはトンネルを走る列車のように唸りをたてて過ぎていった。わたしは機を見て通りを渡った。暗い通路をもぐって、散髪をしてくれる店に入った。頭をうしろにそらせ、布を巻かれた。鏡がわたしを閉じこめ、その中に羽交い締めにされた自分の身体と、立ち止っては眺め、事もなげに立ち去りゆく人の姿とを映した。床屋は鋏をあちこち動かしはじめた。わたしはその冷たい鋼の震動を止めさせる術ももたぬ自分を感じた。こうやってわれわれは刈られ、布に包まれて横たえられるのだ、とわたしは言った。こうやってわれわれは濡れた牧場に並んで横わるのだ。涸れた枝と花咲く枝に。いまはもう裸の生垣の上で風や雲に身を曝すにもあたらない。疾風が吹いて来ようと、身をまっすぐに起して重荷を支える必要はない。小鳥が枝に這い寄ろうが、露が葉の上に白くかかろうとも、声一つ立てず、あの青白い真昼時を過ごすのだ。われわれは刈られ、刈り落される。人間が走りまわっているときは眠っており、人間が眠っているときは赫々と燃えている、あの非情の宇宙の一部になるのだ。職分は打ち棄てて、いまこうして涸れてばったりと倒れている。そして何と速かに忘れられてしまうことか! そのときわたしは床屋の眼尻に、何か街上のものが興味をそそり立てているような表情を認めた。
何が床屋を興がらせたのか。床屋は通りに何を見たのか、わたしはこうして我にかえった。(なぜといってわたしは神秘家ではない。何かが必らずわたしの心をとらえる――好奇、羨望、讃嘆、床屋の関心といったものがわたしを表面につれ出す)床屋が上衣の毛を払っているあいだ、わたしは彼の本体を確め得ないことの苦痛を感じた。そしてそれからステッキを振りながらストランド街に足を入れ、我が身の反対のものとして考えるために、いつも人目を忍び、おどおどした眼つきをし、いつも砂漠の中の柱か何かを求めていたローダの姿を呼び起こした。どっちの方へ行ってしまったのかな――彼女は自殺したのだ。[待ち給え]わたしは想像ながら彼女の腕に腕をまわして(こうやってわたしたちは仲間と相交わるのだ)言った。[このバスが通ってしまうまで待ちたまえ。そんな危険な通行はよしなさい。この人たちはみんなあんたの友だちだよ]わたしは彼女を説得しながら、同時に自分の魂をも説得していたのだ。なぜと言って、これは単一の生ではない。わたしはまた自分が男であるのか女であるのかを知らない。バーナードなのか、ネヴィルなのか、ルイスかスーザンか、それともジニーか、ローダなのか、いつもわからないのだ。――人と人との接触はかくも不思議なものだ。
ステッキを打ち振り、刈りたての頭髪とひりひりする襟首を感じながら、わたしはセントポール寺院の路傍で、盆に一杯並べて男たちが差し出しながら売っているドイツ輸入の安玩具の前を通り遇ぎた――セントポール寺院、翼をひろげて雛を抱いている牝鶏といったその庇護物から、雑沓時のバスや男女の行列が走る。わたしはルイスがさっぱりした服に杖を手に抱え、角張った、少し世間離れのした足どりでこの石段をのぼる姿を思った。オーストラリア訛りで[僕の父、ブリスベーンの銀行家]彼はわたしよりもこういった古い儀式を大いに尊敬してやってくるだろう。一千年も同じ、子守歌を聞ききつづけて来た彼だ。わたしは、中へ入りながら、いつも感動する。磨き上げられた鼻形、艶々しい真鍮の器、垂扉《すいひ》、聖歌に。しかし円蓋のまわりを一人の男の子の声が道に迷ってさまよう鳩のように号泣している。死人の横臥と平安とがわたしを感動させる――懐かしい旌旗《はた》の下で憩う戦士たち。それからわたしは渦形で飾られた墓の華美と愚劣さとを嘲弄する。そしてまたラッパと戦捷と陣羽織と、あのように声高々とくりかえされる復活と永生の保証とを。絶えずさまよう詮索好きなわたしの眼はその上に見せてくれる、怖れかしこむ子供を、足をひきずる恩給生活者の群を、あるいはまた、その内容に至っては知る由もないが、痩せ細ったその胸に、敵意を一杯に、この雑沓の時刻に慰安を求めてやってくる疲れ切った女店員の礼拝を。わたしはさまよい眺め、驚異の眼を見張り、そしてときには、こそこそと他人の祈祷の箭《や》に乗って、彼らの行くところどこへでも、円蓋の中へでも外へでも、屋根を越えてでもついて行きたいと願う。しかしそんなときわたしは、道に迷って哀哭《あいこく》する鳩のように、力つきて徒らに羽ばたき、奇怪な鬼面の樋嘴《ひし》や傾斜した鼻形や愚劣な墓石の上に降り立ち、滑稽と驚異の念に打たれながら身を憩わせ、ふたたび旅行案内記を携えてのろのろ歩いている観光客を打ち眺める自分の姿を発見する。円蓋の中にはその間も少年の声が高く反響し、ときどきオルガンが重苦しい勝利の瞬間に耽溺している。こんな場合、とわたしは問うた、ルイスはいかにしてわれわれみなを屋根の下に宿らすだろうか。いかにして、彼は赤インクで、あのみごとな鵞ペンの先で、われわれを閉じ込め、われわれを一つのものにするだろうか。少年の声は円蓋の中に消えていった、号泣しながら。
そこでふたたび街に足を踏み入れ、ステッキを振りまわし、文房具店の飾り窓の針金編みの皿や植民地でできた果物の籠を眺め、『ピリコックがピリコックの丘に坐り』だの、『聞け聞け犬が吠えている』だの、『すばらしいご時世がまた始まるぞ』だの、『来れ来れ死よ』だの、鼻歌を口にする――讒言《ざんげん》と詩をごっちゃにし、流れの中をただよう。なすべきことは必らずお次に控えている。火曜は月曜につづく。水曜は火曜に。その日その日が同じ波紋をひろげる。心は樹木のように年輪を生じる。樹木のように、葉が落ちる。
ある日わたしが原っぱに通じている門に寄りかかっていると、リズムがやんでしまった。韻語や鼻歌、讒言や詩が。心に一つの空洞があけられた。わたしはそこから習慣の葉の茂みを見すかした。門に寄りかかってわたしは悲しんだ。この際限もない乱脈さ、この甚しい未完成と分離。ロンドンを横断して友人に会いに行くこともできぬ。それほどにも人生は約束で一杯なのだ。インド行きの船に乗って碧い海中で裸かの男が魚を槍で突くのを見ることもできぬ。人生とは不完全な未完の詩句だったとわたしは言った。汽車の中で会った旅商人からこうやって嗅煙草をもらって嗅ぐこのわたしには、観念の連合というものを保持することは不可能だった――世代や、ナイル河へ赤い水差しを持って行く女たちや、征服地や移住地でうたうナイチンゲールなどのあの感覚を保つことは不可能だった。余りにも茫漠とした企図であった、とわたしは言った。どうしてわたしに階段を登るために絶え間なく足を上げ続けることができよう。わたしは北極へ航海しながら人が仲間に向って話しかけるように自我に向ってそう呼びかけた。
わたしは話しかけた。幾多の大きな冒険を共にしたわたしの自我に。みなの者が寝床に去ってしまっても炉の前に坐って、火掻きで燃え屑を掻き起してくれる忠実な下僕、ブナの森であのように神秘に振舞い、突然に心を更新させてくれた男、土手の柳の木の下にも坐っていた、ハンプトン・コートのテラスの手摺にももたれていたあの男、危機の瞬間に気を取り直して、テーブルにスプーンをぴしりとたたきつけて[同意はできんぞ]と叫んだあの男に。
門にもたれて波のようにうねっている野の面《も》を見下しているわたしに、自我は答えを与えなかった。何ら反対意見も吐かなかった。詩句を作ることもしなかった。拳を固めることもしなかった。わたしは待った、じっと耳を澄ました。何も聞こえない、何にも。突然わたしは完全に見棄てられたことを感じて叫んだ。ああ、一切無だ、と。この果しない海原を擾《みだ》す鰭《ひれ》の影一つだにない。人生は俺を破滅させた。口を開いてみても反響すら帰って来ない。あれこれの言葉も浮かばない。これこそ友人たちの死よりも、青春の死よりも、真の死というものだ。俺は床屋の店であれっぽっちの空間をしか占め得ない羽交い絞めにされた人間だ。
眼下の風景は色褪せてしまった。それは太陽の姿がかき消えて、夏の群葉に飾られた大地を、凋落ともろさと虚妄のうちにとり残す、あの日蝕現象にも似ていた。わたしはまたうねった路上にわたしたちのこしらえ上げた集塊が塵埃《じんあい》にまみれて踊っているのを見た。その集い合うさま、食事を共にするさま、あの部屋この部屋で落ち合う様子を。わたしは撓《たわ》みない己れの繁忙ぶりを見た――次から次へとまっしぐらに進んでゆくさま、持ち運び持ち来り、旅に出でまた帰り、この群、あの群に加わり、ここでは接吻し、かしこでは身を退き、つねに何か法外な目的を意識し、犬のように地面を嗅ぎまわり、ときおりは頭を振り、ときおりは驚嘆絶望の叫びをあげ、またふたたび地面を嗅ぎつづけながら、孜々《しし》として倦まぬ己れを。何という騒擾、何たる紛糾――生誕があり死がある。豊穣と甘美、丹精と苦悩。そしてわたし自らいつも駆けまわりつづける。いまはそれに耐えた。もはや貪婪たる食欲も持たず、人びとの口に毒薬を投ずべき苛烈さも持たず、鋭い歯、毒手、梨や葡萄や果樹園の垣根を照らす日の光を手探る欲望、そのいずれをももたないのだ。
森は消えてなくなった。大地は広い影となった。冬景色のしじまを破る音一つしなかった。牡鶏は啼かず、烟はのぼらず、汽車は走らぬ。自我を喪くした男、とわたしは言った。門に寄りかかった重たい肉体、死んだ男。冷たい絶望と文字どおりの幻滅のうちに、わたしは塵の踊りを観察した。わたしの人生を、友だちの人生を、それから物語りめいたものの姿、箒をもった男、字を書いている女、川のほとりの柳の木を――それからまた塵でつくられた雲や幻影を、消えては現われ、金色や赤に変り、峰を崩し、かなたこなた波打つ雲のように、定めなくいたずらに変貌を重ねる塵の空なる影を。手帖を携行し、詩句を綴りながら、わたしが記録したのはただ変化ばかり。影ばかり。わたしは影を観察することには孜々として倦まなかった。今となっては、とわたしは言った。自我をもたず、重さも幻想も持たず、重さのない世界、幻のない世界の中を、歩み続けることがどうしてできるものか。
落胆の重みがわたしの寄りかかっている門をおし開いて、中年の男、白髪の陰気な男、このわたしを、色のない世界、空虚な世界につき入れた。いまは反響も聞こえず、まぼろしも見えず、妨害を魔術で呼び出す要もなく、だが、絶えて影を持たず、死の大地に足跡をとどめずして歩むことができる。羊が一歩一歩足を運びながらもぐもぐ口を動かそうとも、小鳥やまた鋤を地面に突き立てる男がいようとも、わたしの足を抄う茨の藪や、落葉が浸かってじめじめした溝があろうとも――だがいや、物寂しい小径は、地平のかなた、いや増すわびしさ、蒼白さと、相も変らぬ殺伐な同じ風景につづいていた。
それでは日蝕後の世界に光はどのようにしてもどってくるか。奇蹟のように、果敢なく。細い条となって。それはガラスの檻のように垂れ下る。小さな瓶に砕かれる輪だ。火花が散る。と次の瞬間褐色の輝き。ついで霞が、大地がいまはじめて大きく一二度呼吸をするように、やがてもの憂い鈍さの下を誰かが緑の光を手にして歩く。白い生霊がねじ切れる。森は青と緑に息づき、野の面《も》はしだいに赤を、金色を、茶を吸い込む。一瞬、川が青い光をとらえる。しずかに水を吸う海綿のように大地は色を吸い上げる。それは重みをとり、円みを帯び、垂れ下り、わたしたちの足下に止って揺れる。
そんなふうに風景はわたしに帰って来た。わたしは眼下に色の波が揺れ動くのを見た。しかし前とは事情が違っていた。わたしは肉眼に見えないものばかり見た。わたしは影もなく歩いた。先触れなしに進んで行った。古い外套、古い感応は脱げて落ちた。音を追いかえす空ろな手も。亡霊のように厚みもなく、足跡一つ残さず、知覚のみを働かせながら、ひとりわたしは人跡未踏の一つの新たな世界を歩いた。新しい花を掠め通り、子供のように片言しか語ることができず、詩句から身を逸らすこともできず――あのように幾多の詩句を作ったわたしなのだ。連れ添う人とてなく、いつも仲間を連れていたわたしが。ひとりぼっちで、誰かしらいつも空の火格子や金の輪結びを下げた食器棚を一緒に眺める相手をもっていたこのわたしが。
しかし自我なくして眺めた世界をどうして記述しよう。言葉などは存在しない。青、赤――それらでさえ散らしてしまう。光を通すこともなく、厚みで隠れるのだ。もう一度明晰な言葉で何ごとにもせよ述べ語ることがどうしてできよう。――それは消えてしまうものなのだ。しだいにそれは変質の過程を経て、ほんの短い散策のあいだにも習慣的なものに変ってしまう。――この風景にしても同様だと言えるだけ。歩いているあいだに、枚数を重ねるにつれ、蒙昧の状態が立ちもどってくる。眺めているうちに、虚ろな辞句を並べたてると、美しさは帰ってくる。人は現実の呼吸を呼吸する。汽車は煙の尾を曳きながら、野を越えて谷に入って行く。
わたしは、しかし、しばしのあいだ、森の音を下に聞き、波打つ海を高く見張らすどこかの芝生で、家を眺め、庭を眺め、砕ける波を眺めながら坐っていた。絵本の頁を繰る例の乳母は、手を止めて言った、[ほら、これは真実ですよ]と。
そんなことをわたしは今夜シャフツベリ通りを歩いて来ながら考えていた。わたしは絵本の頁のことを考えていた。そうして外套を掛けに行く場所であなたにお会いしたとき、ひとり言に言ったのだ、[誰に会ったとしても構いはしない。『生存』の小事件は一切終ったのだ。この男が誰であるのか知らない。構うものか。一緒に食事をしようじゃないか]そこで外套を掛けてしまうと、わたしはあなたの肩を敲いて言ったのだ、[席をご一緒にしましょう]と。
ところで食事はすんだ。わたしたちは果物の皮とパン屑にとり巻かれている。わたしはこの房をもいであなたに手渡そうとしたわけだが、そこに中身が、真実があるかどうかはわからない。大体わたしたちはどこにいるかさえ確実には知らないのだ。あの広々した空はいったいどこの都市を見下しているのか。パリか、わたしたちが坐っているロンドンなのか。それとも糸杉と鷲が、空翔ける高い山の下に赤い家々の並んだどこか南の国の都市だろうか。わたしは今、はっきりと感じられない。
わたしはいまや忘却しはじめる。この食事の恒久性が、ここと今の真実性が、疑わしくなり、見かけは固いらしいものの角に指の関節をこつこつと敲きつけて、[お前の手なのか]と訊きはじめる。わたしは限りなく多くのものを見、限りなく多くの文章を作った。わたしは食べ飲み、物の表面に眼を触れていきつづけてゆくあいだに、あの薄い、そして堅い、魂の箱を失ってしまった。青春のころ、人をその中に閉じ込める箱なのだ。――だからあの狂暴さが生れる。青年の呵責ない嘴がこつこつこつとつつきまわるのだ。わたしはまた訊ねる、[自分は誰なのだ]と。わたしはこれまでバーナードの、ネヴィルの、ジニーの、スーザンの、ローダの、ルイスの、話をして来た。わたしは彼らの全部だろうか。それとも明らかに一人なのか。わからない。わたしたちはここへ一緒に坐ったものなのだ。しかしパーシバルが死んでしまい、ローダが死んでしまったいま、わたしたちは別れ別れになってしまった。わたしたちは、ここにいないのだ。けれどもわたしは、わたしたちをわけ隔てるいかなる障害をも見出すことができぬ。わたしと彼らとのあいだには何の境界もない。わたしは話しながら自らこう感じた、[わたしは君だ]と。わたしたちがあのように言い立てた相違、わたしたちがあのようにのぼせ上っていとおしんだ本体も、圧倒されてしまったのだ。そうだ。カンスタブルのお婆さんが海綿をかざして、頭の上からお湯を浴びせながらわたしを抱き締めたあのとき以来、わたしは神経過敏になり、霊通者になった。額のここにはパーシバルが墜落したときにわたしが受けた打ち傷がある。この襟首にはジニーがルイスにした接吻がある。わたしの眼はスーザンの涙で一杯だ。わたしは遠くむこうに金の糸のように揺れているローダの見た柱を見る。それから彼女が身を翻して飛び込んだときの風を切る音をいまも感じるのだ。
こんなわけで、このテーブルで両手のあいだに身の上話をこしらえて、完全なものとしてあなたの前にすえようとすると、わたしは遠く去った事柄、深く沈んでしまった事柄、あの人生この人生の中に沈んでその一部ともなってしまった事柄を思い起さねばならない。そしてまた夢を、わたしを取り巻いているものや同居人を、夜も日も彷徨をつづけ、姿もそれと見える亡霊を、寝返りを打つもの、混乱した叫びをあげるもの、幻の指をさしのべて逃れようとするわたしをひっかくもの――自分がそうであったかもしれない人びとの影、未だ生れて来ない自我を。それからまた老獣が、野蛮人がいる。縄につないだ臓物に指をつっ込む、喉を鳴らしおくびを吐く毛むくじゃらの男、喉にかかったような、腹から絞り出すような声の――そうだ、彼はここにいる。わたしの中に身をひそめている。彼は今夜、鶉《うずら》とサラダと牛の膵臓の饗応にあずかった。彼はいま手に味のいい古酒の杯を持っている。わたしがそれを飲んでいると、彼は憤怒の色を示し、喉を鳴らし、背骨の先から先まで温かな戦慄を走らせる。たしかに彼は食事の前に手を洗っては来た。しかし未だ依然として毛だらけだ。彼はズボンや胴衣のボタンをかけるが、中身は同じだ。彼は食事を遅らせると、反抗する。彼は始終口を歪め唇をつき出し、意地きたない貪欲な白痴じみた身振りで欲しいものを指さしている。本当のところ、わたしはときどき彼をあつかうのに大骨を折ってしまう。あの毛だらけの猿みたいな男は、わたしの人生に一役演じて来たのだ。彼は緑の物にさらに緑の色艶を添え、濛々と猛烈な煙をあげる赤い焔の松明を手にしてきた、各頁の背後で。彼は冷たい庭にさえ輝きを添えた。彼が薄暗い街上に松明を振りまわすと、少女たちの姿が真赤な浮き立つような透明さで照り輝くように見えた。ああ、彼は松明を高く投げ上げた! 彼はわたしを奔放な踊りに誘った!
しかしいまはそれもない。今夜わたしの身体は、絨毯を床に敷きつめた、囁きがおこり祭壇からは香煙がたちのぼる、どこかの冷い寺院のように、一層一層と延び上がる。けれどわたしの静朗なこの頭には、快いメロディのそよぎ、馥郁たる香気の波のみが上ってくる。そして道に迷った鳩は哀哭し、墓の上の旌旗《はた》は打ち震え、深夜の暗い空気は開かれた窓の外で樹木を揺っている。この超絶の高所から見下すとき、ぼろぼろに砕けたパン屑さえ何という美しさだ! 梨の剥き皮が、何と美しい螺旋を作っていることか――ほっそりとして、海鳥の卵のように斑に。真直ぐに並べられたフォークさえ、明澄、整然、厳然として見え、わたしたちが残した巻パンの角も艶々と黄色を帯びてがっしりと横たわっている。わたしは自分の手をさえ崇めたいほどなのだ。青い神秘の静脈でゆわえた扇形の骨、驚くべきその適合性、柔軟性、しずかに、また、やにわに揉みしだくその業――無限の感覚力をだ。
限りなく感受性に富み、すべてを抱擁し、充実のよろこびにわななきながら、しかも明徹に抑制して――欲望ももはや烈しく駆けることなく、好奇の心も既に百千の色にそれを染めなすことがないからには、わたしの存在はそのようにも思われるのだ。それは深い底に、潮の満ち干きにもかかわりなく淀んでいる。彼は死んでしまったからだ。わたしが[バーナード]と呼んでいたあの男、懐中に手帖を持参して覚え書を書き付けていた男。――月に対する詩句を、面ざしの覚え書を、人びとがものを眺め、振り返り、煙草の燃えさしを落すさまを、[ち]の項には蝶々の粉を、[し]の項には死の呼び方を。しかしいま扉を開こう。いつも蝶番がまわっているガラス戸を。一人の女をはいらせよう。夜会服を着て口髭を生やした青年を坐らせよう。彼らが何かわたしたちにするような話はなかろうか。いいや! みんなわたしの知っている話ばかりだ。もし彼女が急に起って行くなら、わたしは言う、[もうわたしをお見捨てですね]わたしの人生を通じて鳴り響き、目が覚めれば食器棚の上に金色の輪を見えさせた、あの砕ける波の激動も、いまわたしのつかんでいるものを揺り動かすことはない。
それゆえにいま、わたしはものの神秘を担っておれば、この場を去らずとも、椅子から起ち上らずともスパイのように行くことができるだろう。わたしは土人が露営の火の傍に坐っている荒蕪《こうぶ》の地の、人の住まぬ辺境を訪れることもできる。陽が昇る。少女は水に濡れた、火のように心の輝く宝石を眉の上にかざす。陽は眠っている家の上にまっすぐに光線を向ける。波は横縞を深め、岸に身体を打ちつけ、しぶきを上げて退いてゆく。水を躍らせ引きずりながら、波は小舟や波そよごを取りかこむ。小鳥は合唱の歌を歌う。花の茎のあいだをトンネルが走る。家の姿が白んでくる。眠っていた人は身体を伸ばす。しだいしだいにすべてのものが動き出す。光は部屋に溢れ、不可思議な壁をなして掛っているところまで、影の後をどこまでも追いかけていく。真中の影は何を隠しているのだろう。何か隠しているのかしら。何も隠してはいないのか。わからない。
ああ、しかしあなたの顔がある。わたしはあなたの眼をとらえる。自分自身を、宏大な聖堂、ある寺院、最果てを知らず、どんなところの、どんな物の端にも、またここにも在ることのできる全一な宇宙と考えていたわたしは、いまはあなたの見るようなものにすぎない。――多少陰気で、眼の上に灰色を帯びた中年の男、彼は(わたしは鏡の中のわたしを見る)テーブルに片方の肘をもたせ、左の手に古いブランディの杯を握っている。あれがあなたのわたしに加えた打撃だ。わたしは歩いていてポストに自分を叩きこむ。わたしはよろける。わたしは頭に手をやる。帽子は飛んでしまった。――ステッキは落してしまった。わたしはとんだ醜態を演じた。道行く誰にでも嘲弄されるのは当然だ。
ああ、なんと人生は言いようもなく不快なのだ! なんと卑劣な奸策を弄することか! いま自由でいるかと思えばこのざまだ。わたしたちはいまここに、パン屑と汚れたナプキンのあいだにいま一度もどる。あのナイフはもう脂がこり固まっている。混乱と下劣と腐敗がわたしたちをとり囲む。わたしたちは死んだ鳥の胴体を口に入れていたのだ。わたしたちはこの脂のついたパン屑を、涎で濡れたナプキンを、小さな屍骸で、つくり上げねばならなかったのだ。必ずそれがまた始まる。必ず敵は控えている。わたしたちと視線を合わす眼が、わたしたちの脂をひっぱる指が、待っている努力が。給仕を呼ぼう。勘定を払おう。椅子から身を起さなくてはならぬ。外套を探さなくては。行かなくてはならぬ。ならない、ならない、ならない。――忌むべき言葉だ。自らを自在と考えたわたし。[さあ何もかも片は付いた]と口にしたわたしは、ふたたび波がわたしの上にもんどり打って崩れ、わたしの所有物をかきみだし、わたしに拾い集め、堆み重ね、力の限り呼び集め、起ち上り、敵に挑んで立ち向わせるのを見出す。
かくも甚しい苦悩に耐えうるわたしたちが、かくも甚しい苦悩を蒙らねばならぬとは奇妙だ。アフリカ行きの船の歩廊で一度しか会った覚えのない、ほとんど未知といっていい一人の顔に――ただの眼と頬と鼻の孔の集うた片影に――この非礼を加えうる力があろうとは妙だ。あなたは眺め、食い、笑い、欠伸し、よろこび、煙たがる。――わたしの知っているのはそれだけだ。しかも一二時間わたしの傍に坐っていたこの影、二つの眼をのぞかせた面が、わたしを押しかえし、他のあらゆる顔のあいだにわたしを縛りつけ、むし暑い部屋の中にわたしを幽閉し、蝋燭から蝋燭へと、蛾のようにわたしを追いやるだけの権能を持っているのだ。
だが待て。幕のうしろで勘定を寄せているあいだ、しばらく待て。果物の皮とパン屑と肉の切り屑のあいだで、わたしに二の足を踏ませたあの打撃に対してあなたを悪しざまに罵ったのだから、わたしは片言まじりで、あなたのあの押しつけがましい眼つきを浴びながら、あれこれの事柄を意識にのぼせはじめたしだいを記録してみよう。時計がちくちく鳴っている。女がくさめをする。給仕がやってくる。――おもむろに寄せ集まり、一つに溶け込む加速度と帰一の動きがある。聞きたまえ、口笛が響き、車輪が突進する。扉の蝶番が軋る。わたしは錯綜と現実と争闘の意識を恢復する。これもあなたのお蔭と感謝する。それからいささかの同情と羨望と大いなる好意とをもってあなたの手を握り、別れの言葉を告げる。
ああ歓ばしいこの孤独! いまやわたしは一人きりだ。あの全く見ず知らずの男は去ってしまった。汽車に乗るために。辻に待つ馬車に乗るために。わたしの知らぬどこかへ、あるいは誰かのところへ行くために。わたしを眺めていた顔は消えてしまった。圧迫は除かれた。ここにはからのコーヒー茶腕がある。かえしてはあるが誰も腰を卸していない椅子がある。ここにはからっぽの今夜は、もう食事をしにくる人とてもないテーブルが並んでいる。
いまこそ栄光の歌を歌おう。ああこの歓ばしい孤独。一人でいたいものだ。いざこの存在の仮面を、かりそめの一吹きにも変化する雲を、夜と昼を、すべての夜とすべての昼を追っ払い、かなぐり捨てよう。この場所に坐っているあいだもわたしは変化をつづけて来た。わたしは空の変化するのを眺めた。わたしは雲が星をおおい、やがて解き放つとみれば、また星をおおうのを見た。もうこの上、それらの変化に目をやらぬ。いまは誰もわたしを見るものはなく、わたしももはや変化しない。眼の圧迫を、肉体の誘いを、虚言と詩句の必要のことごとくを除き去った孤独は讃むべきかなだ。
詩句をつめ込まれたわたしの手帖は床の上に落ちた。それはテーブルの下に横わっている。紙屑や古くなった電車切符や、円く丸まって塵埃にまみれて、そこここうち棄てられ、掃き取られる紙きれなどと一緒になって、明け方ともなれば大儀そうにやってくる日傭女を待っている。月に対する詩句は何か? 恋の詩句は? いかなる名称で死を呼ぶべきか? わたしは知らない。恋人たちの用いるような可憐な語法、子供たちが部屋へ入って来て、母親が裁縫しているのを見つけ、明るい色の羊毛の屑や羽毛や更紗の小片を集めて歩きながら口にするような片言をわたしは求める。わたしは咆哮か絶叫かが必要だ。暴風雨が沼をおしわたり、人目につかず溝に横わっているわたしの上を吹きわたるときなどは、わたしは言葉を必要とはしない。小ぎれいなものは一つとして不用だ。足並そろえて床の上をこちらへくるものもいりはしない。狂乱の音楽を奏し、虚妄の詩句をうたいながら、わたしたちの胸うちの一つ一つの神経を呼びさまし、かき鳴らすあの共鳴、美しい反響なども全く無用だ。詩句はもう打ち切りだ。
沈黙はいかにそれらに優っていよう。コーヒー茶碗やテーブルをみよ。杭の上に翼をひろげる孤独な海鳥のようにひとり坐っている方がどんなにいいかもしれぬ。ああ、こうして露わな物、このコーヒー茶碗、このナイフ、このフォーク、本質のままの事物、わたしというわたしと一緒にいつまでもいたいものだ。店を閉める時間だからと急《せ》き立てるようなそぶりでわたしを悩ましに来てなどくれるな。君がわたしを乱さずに、いつまでもわたしをひとりで、ものも言わずに坐らしておいてくれるものなら、よろこんであり金全部をもさし上げたいくらいだ。
けれどいま給仕長は、食事を終って現われ、眉をしかめる。彼はポケットから首巻を取り出し、これ見よがしに出かける仕度だ。彼らは行かねばならない。鎧戸を閉ざし、テーブル掛けを畳み、テーブルの下を濡れた雑巾で一掃きしなければならぬ。
ああもうどうなろうとかまわぬ。どんなにわたしの全存在を打ちのめされ、扱われようとも、わたしは腰をあげ、とくにわたしのものになっている外套を見つけ、腕を袖に通し、夜の空気に当らぬように身を包んで出て行かねばならない。わたし、わたし、わたし、疲労したわたしなのに、困憊しきったわたしなのに、それに、絶えずものの表面に鼻を擦り合わせて、ほとんど精根尽き果て、だんだん陰気臭くなり、骨折りが嫌いになった中年者のこのわたしでさえも、この場を立ち去って、終列車に乗り込まねばならないのだ。
ふたたび眼前にわたしはいつもの街通りを見る。文明の天蓋は燃えつきてしまった。空は磨き立てられた鯨の骨のように薄黒い。しかし空の一角に、燈火の照りかえしか、東雲の光か、何か燃えているものがある。何かしらもののざわめきがする。――どこかすずかけの木の上でさえずる雀の声が。黎明のきざしが漂よってくる。それを夜明けと言うことはやめよう。路上にたたずんで目くるめく思いで空を見上げている中年の男にとって、都会の夜明けとはいったい何か。夜明けとは空が白み、ある一つの再生がおこなわれることだ。いま一つの日、いま一つの金曜日、いま一つの三月、一月あるいは九月の二十日。いま一つの全的覚醒。星はひき退き、消え失せた。波間に横縞が深められる。野の面には膜のような霧が色づく。赤らみが薔薇の花に帰ってくる。寝室の窓辺に垂れている青白い薔薇にまで。一羽、鳥がさえずる。小屋住みの人びとが朝の燈火を灯している。そうだ、これこそ永遠の復活、高まっては砕け落ち、落ちては高まる無限のくりかえしだ。
それに、わたしの内部にもまた波が高まってくる。それが脹れる。その背が弓形になる。ふたたびわたしは、誇らかな馬のように、新しい欲望、わたしの足元に盛り上ってくる何かを意識する。馬の背に乗る騎手のわたしは先ず拍車を入れ、やがて手綱を引きもどす。向ってくるいかなる敵の挑戦を、わたしたちはいま感じているのか、わたしが手綱とる汝、この舗道のひろがりをあがきながら立つ、汝とこのわたしは? 死なのだ。死こそ敵だ。槍を構えて、若者のように髪を後ろになびかせ、インドを疾駆したパーシバルのように、わたしは死に向って馬を乗り入れるのだ。いまこそ馬に拍車を加えるぞ。汝に向って突進する、征服されることなく、屈服することなく、おお死よ!」
波が渚に砕けた。 (完)
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訳者あとがき
ヴァージニア・ウルフの数ある作品のなかで、とくに象徴散文詩ともいうべき心の交響楽的傑作「波」を改訳していて、わたしはかさねがさね、この作品の翻訳を拒否するような至難さに何度か打ち負かされるのを感じた。十数年前、療養の身のつれづれに始めた業が、かえって疲労と倦怠にさいなまれる苦闘となり、当時たまたまさる書房のすすめによってこれを版にするに当って早急を余儀なくされたため、ほとんど推敲もなし得ぬままに出版したが、以来、おびただしい誤訳と誤解と無謀とを心ひそかに恥じて今日に及んだ。
このたび、角川書店の好意によって文庫に編入され、改訳の機会を与えられたのを幸いに、一行一語綿密に原文を照合して、誤りを改め不備を正して、魯鈍の身にあまる業ながら、多少の自信もなくはなく、いくらかでも忠実な翻訳に近づけようと努めてみた。しかしなお、わたしの理解に及ばぬ個所がいくつかあるにちがいない。ただこの改訳版によって不完全な初訳を抹殺できるのは何よりも嬉しいことである。初訳の序に「訳文はできるだけ日本文として独立せしめるように努力はしたが、原文独特な拘束に煩わされて恥ずかしい結果となった。しかしまた原文の流れを尊重してできる限りそれに近からしめ、原作の調子なり味わいなりから遠く離れることを懸念したが、果してこれが翻訳としての意にかなうものかどうかは大方の批判をまつよりほかはない。おそらく訳者浅学非才その任に耐えうる者でなかっただけに、世の高雅達識の眼に触れれば、思いがけない誤解や誤訳も多々あることであろう。ご叱正を得ればこれに過ぎる訳者の欣びはない」と書いたが、今もってこれを書き改める必要はなさそうである。十年前の初訳「波」の後半、第六章以下は同学の友人大沢実君の助力にあずかるところ多かった。この改訳に当っても旧訳における同君への感謝は変らない。大沢君にも独立した優れた訳業がある。ウルフには何種かの翻訳があってもいいであろう。
このあとの解説はもっぱらホウルトビー及びリードの研究によっている。ウルフに始めて接せられる読者は、この解説からあらかじめお読み願えれば幸甚である。この訳書の刊行について、角川書店編集部の及川進氏に種々お世話になったことをお礼申し上げたい。
昭和二十九年初夏
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解説
一九四一年に入って間もなく、二人の、世界的な、しかもイギリスを代表する最も特異な作家を失った。ジェイムズ・ジョイスとヴァージニア・ウルフとの死がそれである。ジョイスは一月十三日午前二時十五分、失明に近い身をチューリヒの病院でその生涯を閉じ、ウルフは三月二十八日履物とステッキとを残したままウーズ河の流れに身を投じて自らその生命を断った。
ウルフの選んだ最後の道については、以来さまざまな臆説にかこまれてはいるが、遺された遺書がその全き解決を証するに充分なものとは、いつ誰の場合にでも信じられず、あながちとりたててウルフ自らが我が生命とともに滅しつくそうとした心の秘密にまで立ち入る必要はあるまい。ただ彼女が自殺したという事実だけでウルフとその他の事情とを理解するに充分であるように思われる。
その観念の近代性とテクニックにおける実験とにおいてホイットマンとジョイスとを思わせながら、しかもこの二人とは種々な点で非常に違った面貌を持っているのが、第一次世界大戦後の女流作家のなかで最も興味ある一人ヴァージニア・ウルフである。いくらかあじけなくあったにしても高い教養ある雰囲気に恵まれたレスリー・スティーヴンの家庭に人となり、ウルフはホイットマンの作品に描かれた荒々しい自由とかジョイスの家庭にみられるあのいまわしいような陰鬱さといったものは知ることもなかった。彼女はデリケートな子供で想像ゆたかな少女ではあったが、まわりを取り巻いている健康な人々の息吹きに触れて、それらが決して埒外に出ることはなかった。
彼女はエリザベス朝や海にその情熱を寄せ、スティーヴン家に集まってくる教養高い老人運をいささか煙ったく思っていたらしい。彼女の宗教に対する態度はその家庭の長いしきたりを踏んで、超然としているところがあった。ヴィクトリア朝の伝統を代表しているのがこの家庭であり、そこに集う人々は今日よりは本を読むことは少なかったが、よく論議し、しかもよくそれらの内容に通じていた。優れた文芸批評家であり哲学者であり、歴史家でもあったレスリー・スティーヴンの娘として、ヴァージニアの批評的な才能は決してその発展を妨げられることはなかった。
空想にとらわれると多くの書を読み散らしたが、それも乱読というわけではなかった。それらに対しては一定の批評的な態度を失わなかったのである。この批評の興味と訓練との発露は、「普通の読者」という題のもとに集められた二巻のエッセイ集に見ることができる。彼女が夢中になった人々のなかには、医家でしかも奇体なスタイルを持ったサー・トマス・ブラウンやデフォー、モンテーニュなどがある。あるいはまた、流罪の人となったマーガレット・ギャバンディッシュや、スウィフトの家庭に生い育ったレティーシ・ピルキントン、その他多くの有名な婦人たちについての素晴しいスケッチがある。しかし彼女の興味はこうした過去のものにあるばかりではなかった。このエッセイから、彼女の知的生活に影響した二つの強いものを明瞭に見ることができる。
一つはベルグソンやその後の精神分析家に結びつけられる心理学の新しい発展であり、今一つはロシアの作家たちである。「彼等の作品を読めば、それ以外の小説を書くことは時間の浪費と思われる危険がある」とまで言っている。ロシアの作家たちは彼女に驚くべき自由の感じを与えたのである。イギリスでは生活は抜き差しならぬほどに組織だてられており、時間は限定され、空間は人に埋められ、社会はいろいろな階級に類別されていて、おのおの、その伝統、しきたり、性格を持っている。どことなくおしつけられ強いられている感じがある。ところがロシアの小説では主要な性格は魂なのである。ウルフの言葉を借りれば「チェーホフにおいては繊細で微妙であり、無数のユーモアや気むずかしさに支配されている。ドストエフスキーにあっては、より深刻でもあり大きくもある。それはどうかすると激しい病気や狂ったような熱病にかかってしまう」そこに踏み入れば、束縛された精神は余裕と救いとを見出すのである。
ウルフの批評的才能は書物に対してばかりでなく、実生活にも向けられていた。文明批評家としての功績も見のがすわけにはいかないであろう。当時、性的差別の撤廃、同一自由獲得を目ざして婦人参政権運動がその華々しい活動を始めていた。同時に会社官庁等への女性の進出は目ざましく、加えて第一次世界大戦の勃発によってますますその傾向が強まった。安い報酬と、機械の発達による仕事の特殊性の喪失、スポーツできたえた体力、といったものが、婦人の社会的進出を助成していったのである、芸術に専心するために孤独であろうとしていたウルフも、この運動に無関心とか中立でいるわけにはいかなかった。といっても、文学に対するはげしい情熱を犠牲にすることのできなかったウルフは、それに深い同情と興味とを有していたけれど、その前線にたって活躍することは拒絶するほかなかった。
後年、ウルフは「自分自身の部屋」(一九二九)というエッセイで、芸術の世界においてなぜ卓越せる女性が極めて少ないのか、という問題を提出し、物質的な条件、すなわち創造的な仕事に必要なだれにも妨げられることのない環境、経済的な心労の無用といったものが、女性から奪われていたからだと答えている。数世紀を通じて、そうした条件は男性には数多く許されていたが、女性にはほとんど許されていなかったのである。女性が未来の文化に充分なる貢献をするためには、その物質的な地位が改良されなければならない。ちなみに晩年のエッセイ「三ギニーズ」もまた文明批評の書であり、利己的な男性支配の文化にたいする痛烈な抗議でもある。
しかし、そうかといって、男性と女性とを相互に敵対するもの、全然違ったものと考える傾向には、ウルフは賛成していない。人生の共通の経験による男女間の類似点というものは、その性による相違より大きいのである。ところで、とくに作家にとっては、この二つの性の区別を強調することが、その宿命ともなっている。つまり人生のすべてが伝達されなければならないし、これは両性にたいする理解なしにはあり得ないのである。だから作家の精神というものは双性であり、女性的であって男性的、男性的であって女性的でなければならない。芸術的な創造が成し遂げられる前には、作家の精神にあってはこれら二つの要素の合作がなされていなければならないのである。
小説を執筆するにあたり、ヴァージニア・ウルフは、高度な自意識の道をとった。彼女の背後にある人生と書物との貴重な経験を基礎としたことはいうまでもない。彼女のなしたことはまず第一に、ウェルズ、ベネット、ゴールズワージーなどとは全く違った仕事であった。これらの作家たちの作品は、いわゆる社会的小説と呼ばれているものである。作品中にあらわれる人物を説明するためには、その人物をとりまいているあらゆる環境を事細かに描いている。つまり彼らはさして重要でないことを書いているのである。真の人生というものは、そこからは脱落してしまっている。彼らはつまらぬ一時的なものを、真実なもの永遠なものとして見せようと努力しているのである。
しかし、人生は均整を保って配列されているものではない。意識の始めから終りまで我々をとり囲んでいる、光輝を放つ暈《かさ》であり半透明なおおいである。この未知な、束縛されていない精神を、できるだけ外界との混交を避けて伝達するのが小説家の仕事なのである。始めは混乱しているように見えても、気にかけることはない。人生の息吹きがそこに描かれているならば、その芸術家の意図は読者に諒解してもらえるであろう。
ウルフが意図していることは、ベネットやウェルズなどとは違って、はるかにジョイスに近い。ジョイスは人生を心の言葉に置き換えている。その書物には行為とかプロットといったものはほとんどない。ウルフの場合においてもそうである。ウルフもまた人物の内的な発展に深く興味を寄せている。しかし彼女はジョイスに対してはかなり批判的である。ジョイスは非常に大胆な心理的先駆者であると同時に社会的作家でもあって、人物をめぐる環境の描写の徹底性においてははるかにベネットをさえ凌駕しているのである。その証左は「ユリシーズ」の数章に見られ、その記述は過度なピッチで運ばれている。ウルフには「ユリシーズ」はあまりにも脈絡を欠き過ぎているように思えた。とくにあの驚くべき一章、素晴しく大胆でひどく迷惑な、最後の播話がそうであるように感じた。
しかしウルフは理論を実践に移すときにはさほど大胆ではなく、ただちにその意図を全的に適用しようとはしていない。その最初の作品においては、かなり月並な叙述で満足している。しかしそこでは、彼女の特質の重要な一面、死というものに対する態度、それに対照される生の美しさと意義といったものを明瞭に見ることができる。死はつねに忍び足でそっと歩いているものである。
最初の小説「船出」(一九一五)はロンドンから南アメリカヘの航海に始まる。この航海は人生それ自身の象徴ともなっている。このテーマは少女レイチェル・ヴァンレイスを中心とし、彼女は遭遇しなけれぱならないいろいろな経験に対して全く用意を持たないうちに人生に出発していくのである。年長の女性ヘレン・アンブローズが彼女を導き、その指導によってレイチェルは素晴しく花開く。しかし彼女が恋を得て婚約にまで至り、意義と満足とに充ちた生活が開け初めようと思われたときに、彼女は熱病にかかって死んでしまう。
次の小説「夜と昼」(一九一九)は同じく一少女キャサリン・ヒルベリの物語である。彼女は二人の非常に異なったタイプの青年、ウィリアム・ロドニーとレイフ・ディナムとにはさまれるが、婚約をしたロドニーを去ってディナムに走っていく。アクションは「船出」より単純でありながら、五百ページにわたる長編である。ウルフはこの時にはすでに、その表現の天性の方法を感じてはいたらしい。しかし感じているというだけで、まだそれを発見するには至っていない。これまでの二つの作品は伝統的であって、それほどの特色をもっていない。彼女がはじめてその表現における独得な媒介手段を身近に感じせしめるのは、一九二二年出版の「ジェイコブの部屋」である。ちなみにこの年は、ジョイスの「ユリシーズ」が出版されている。
「ジェイコブの部屋」は連続する絵画のようなものであって、明らかに映画のテクニックの影響を受けている。人物はその外的な動作や行動を通してその内的生命を生々と見せられる。年代の順を追って真直ぐに物語が運ばれる。後年の作品を複雑な構成になるシンフォニーとすれば、これはまさしく独奏曲と言い得るであろう。不必要な素材は切りとられてしまっていて、そのテーマは「船出」を思わせはするが、「ジェイコブの部屋」では、その切りつめられた生涯は若い男のそれである。物語はジェイコブのコーンウォールに住む少年時代、スカーバラに住む時代、さらにケンブリッジの学生時代といったふうに運ばれる。さらにロンドンへ出てブルームズベリに住み、ここで女たちと接近が始まる。ボヘミアン・タイプのフローリンダは彼を失望させるが、ついで社交界に初めて姿を見せたクレアラを知る。ジェイコブは狩猟、旅行、勉学、社交と日を送り、その人生が新しく開かれようとした途端に、第一次世界大戦の勃発となり、彼もそれに巻きこまれて戦死を遂げるに至る。
ついでウルフの最初の傑作「ダロウェイ夫人」が来る。この作品の出版は一九二五年であり、人生の長さよりも、質に対する深い関心と執着が現われてくる。事実、この作品のアクションは二十四時間以内であるが、そこには数年間の事件が描かれている。クラリッサ・ダロウェイはさる国会議員と結婚して二十五年にもなる良家の婦人である。ウェストミンスターに住み、面白さと活気に満ちたロンドンを愛している。六月、戦争の始まったばかりの一夜、夜会をひらいてそれには首相も出席するはずになっている。ここに描かれているのは、朝、彼女がその夜会のために花を買いに出かけるところから、午前三時、彼女が寝床にはいるまでの記述である。なにごとも起こりはしない。しかし彼女の記憶と人との接触を通して、五十年にわたる彼女の生涯と経験とが語られる。そこには、彼女の田舎での子供の時代、彼女の賛美者たち、愛しはしたが結婚には至らなかったピーター・ウォルシュ、娘のエリザベス、失望と悔恨、趣味や好き嫌い、友だちやら心配やらがある。それだけにはとどまらず、クラリッサ・ダロウェイその人がはっきりと浮き彫りにされる。と同時に、他の人びとの内的生活もはっきりと知ることができる。そしてこの作品をさらに特色づけているのは、何よりもその管弦楽作曲に比較される表現の方法である。
「ダロウェイ夫人」の出版は「ユリシーズ」出版の三年後にあたっている。したがって、この作品は、たんなる類似というものよりも、むしろ批評としてみるほうが好ましいであろう。両書ともに二十四時間以内の事件をとりあつかい、一つはロンドン、一つはダブリンという首都における生活であり、しかもその表現の方法は心理的である。しかし意識の流れを記述するにあたって、ジョイスははなはだしく拡大した文学への再現を試みているが、ウルフでは選択と凝縮とがなされている。彼女の作品は低級な読者のものではないが、ウルフの古典的な平衡のとれた感情が、ときとしてジョイスにみられるような、気まま勝手な限度をこえた表現をとらせていない。現象界の取り扱いにおいてはウルフはまったく近代的でありながら、ジョイスにみられる粗暴な自然主義的なものには賛意をしめしていない。
「ダロウェイ夫人」につづいて「燈台へ」(一九二七)がある。この作品もまた交響楽的なものである。この二つの作品は立派な対象をなしている。一方の場面はロンドンで、しかもシーズンの高潮であり、こちらはスコットランドの西海岸から遥か離れたスカイ島である。二人の主人公のあいだにもかなりの相違がある。ダロウェイ夫人は社交的な婦人であるが、ラムゼー夫人はウルフの小説中の女性たちの中では最も温情に充ちた献身的な女性である。時間も二十四時間といった狭いものではなく数年に及んでいる。作中では、死というものについての昔ながらの関心が示されている。ここでは生き残っている人々も、すでに亡くなった人々なくしてはなすべきこともないことが暗示される。この小説にはほとんどアクションがないといっていい。島ではラムゼー家の人々、すなわちラムゼー教授夫妻とその子供たちが知己を招いて歓待している。友人たちの中の一人は、この家の絵を描いている。中の二人は婚約をする…等々。ラムゼー夫人はこの一家のくさびの役目をなしている、翌日は燈台まで出かける予定のところを雨のために止むなく延期する。それから物語は中断されるが、その間に大戦が起こる。ラムゼー夫人が死んでしまう。数年の後、同じ友人たちが集まって、延期されていた燈台への遠征がなされる。画家のリリ・ブリスコは彼女の絵を完成しようと努めているが、ラムゼー夫人がかつて坐っていた場所が今では空虚なためにその自由を奪われ、いろいろと夫人のことを考え始める。つぎつぎと記憶を辿っているうちに、彼女にはラムゼー夫人が生きてまだそこにいるように思われてくる。そして突然、目を上げて、その昔の場所に夫人が本当にいるのを見る。そして彼女は、その幻影が消え去らないうちにその絵を完成させるのである。
「燈台へ」が出版されてからわずか一年後の一九二八年には、まったく異なった性質の作品があらわれた。この作品「オーランドー」は伝記として描かれている。しかし普通の伝記ではない。主人公は、はじめはエリザベス朝の高貴な家庭の青年である。その後、ジェイムズ朝にあっては、ロシア皇女と恋におち、さらにチャールズ二世の時にはその命を受けてコンスタンチノープルへ大使として出発する。そこに滞在中、ある日彼は深い眠りに陥り、目覚めると同時に全くの女性に変わってしまう。「彼女」はしばらく近東にいて、ジプシーの仲間にはいったりするが、まもなくアディスンやポープのいるロンドンに姿を見せる。文学的なサロンを支配してみたり、数々の冒険を継続する。子供も生めば、詩を書いて名声を博しもする。ヴィクトリア朝のイギリスは厭うべきものでもあるので、所有地に身を隠して二十世紀に出現する。そこではじめてふさわしい仲間を見出すのである。時間的には三百年を経過し、男性、女性と変貌する。最初はきわめて不可解な作品に思われ、ほとんど読者の理解を越える。しかしここで、作家の作品創造というものは過去の文化的遺産の継承に立つものであり、性的には男女双性でなければならないというウルフの所論を思い合わせるならば、さらにこの作品が当代のイギリスの女流詩人で小説家でもあるサックヴィル・ウェストに捧げられ、かつ彼女をモデルとして取り入れた跡が顕著であるところをみれば、作者の意図はいっそう明瞭になるであろう。
さて、ウルフが散文の世界から、長たらしい描写を避け、同時に極端に詩の世界へ近づいていくのはこれからである。それらを理解する能力を持ち合わせていない読者には、彼女の作品を読むのは苦痛であろう。その最も驚嘆すべき実験が一九三一年に出版された「波」である。ここではすでに小説という概念はあてはまらない。彼女は普通の小説の約束からは全く自由になって飛び去っている。この作品は三人の少年と三人の少女との生い立ち、成長の物語であり、その子供の時代、夏季休暇のころからはじまる。この作品にはほとんど筋というものがない。全編を通じて六人のモノローグが交互に繰り返して置かれていく。ウルフが伝えようとしているものは、それら人物の心理的な気分と感応とである。彼らをとりまく境遇やら環境といったものは付随的にちらちらと表現されているにすぎない。この作品からは極端に心理的な流動性が残る。そしてそれは表題の「波」と関連づけられているのである。この作品には読者の想像を助けるなにものもなく、場所についても事件についても、なんら細かい描写はない。にもかかわらず、読者は六人の性格と生活とを十分に理解することができる。これは全くの散文詩的象徴詩である。この作品はふたたび「ダロウェイ夫人」と同じように、いま一度ジョイスの「ユリシーズ」を思い起こさせる。両者とも綿密に計画された、高度な自意識による創造である。ともに散文詩でありながら、じつは極度に詩的であり、読者に想像と忍耐とを要求する。そこでは、潜在意識を伝達する手段として、モノローグがユニークな重要性をもっている。そして、その潜在意識は全く空前のものである。ジョイスがその想像的な能力と範囲とに優れているとすれば、ウルフは均勢と釣合いとに優れている、といっていいであろう。ウルフは過去の偉大な伝統を、今日の大胆な実験と冒険とに持ち来したのである。
一九三三年には「フラッシュ」が出た。これは犬の心理を通して、有名な閨秀詩人ブラウニング夫人とその愛犬とを描いた一種の自叙伝的な変った伝記的作品である。
続いて一九三七年には「歳月」がある。十九世紀の終り近い八十年の頃あたりから今日に至る時代を、そこに生きる一つの家庭をとり上げて描いたものである。小説としては、ウルフが自殺の前に書き残していた作品の遺稿が死後出版され、短篇集、批評やエッセイの類も刊行されてはいるが、ここではとくに触れる必要はないであろう。
「波」について
一九三一年にウルフはエッセイと小説との二つを出版した。このエッセイは政治的な意味の著作であり、その小説がここにいう「波」であって、これは彼女のこれまでの作品にも増して微妙にして複雑、かつ純粋な美しい作品であった。単に情緒のみに止まらず、その様相においても、これは詩と考えられてよいものである。その上、この「波」は伝統的なこれまでのイギリス小説とは全く異なった範疇に属している。
そのテーマはこれまでの彼女の作品と同一である。ここでもまた、個人個人の人生や死にたいする態度、および人間の死が生き残った人たちに与える影響が取り扱われている。外面にあらわれた行為は重要視されない。物語は希薄であり、プロットはほとんどないといってもよいほどである。六人の子供、すなわち、バーナード、ネヴィル、ルイス、スーザン、ジニー、ローダが、海辺の田舎家で女教師の手にゆだねられて育てられる。彼らはもうこの頃から、その幼年時代の最初の挿話において、すでにその運命を見せる。これは彼らの個性の中に深く浸み込んでいて、終生彼らを追求してゆくものである。バーナードはすでに社交的で、従順で、同情的で、スーザシを慰める。スーザンは彼を愛してはいるが、彼は彼女をとくに愛しているというほどではない。彼はすでに詩を作りもし、時間を意識し、他人の喜びや悲しみに心を寄せるが、感動の雲がたびたび変化するので、どれが自分自身であるのかわからない。ネヴィルは几帳面で気むずかしく、文法の学科を学びながらその特質から秩序ある世界への序論を発見したりする。ルイスは自分が人より劣っているという意識に対して闘争している。というのはブリスベインの銀行家である彼の父が失敗したし、自分にはオーストラリア訛りがあり、どうしても自分を紳士だとは考えられないからである。スーザンは情熱的で憑かれたようで愛憎の念がはげしい。ジニーはダンスをし、激しい気質で、悪戯好きで、木蔭でルイスと接吻をする。ローダははにかみやで、内気で、学科ができなくて、一人はなれて夢想に耽り、花弁の小舟を水盤の中でゆすぶったりする。
この六人が生長して行く。三人の少年は学校へ行くようになり、そこでまぱゆいばかりの素晴しい崇拝者パーシバルという友人と知り合いになる。少女たちもまた共に学校へ行くようになるが、彼女たちの知り得たものは石鹸や松の木や、のしかかってくるような秩序といった雰囲気だけである。やがて、ネヴィルとバーナードはケンブリッジヘ行き、ルイスは事務所で働くようになる。ジニーとローダは社交界へデビューし、新しい人生に出発するが、スーザンは田舎に帰って、父の牧師館で静かな生活を送る。
一夜、ロンドンの料理店で会合が催され、彼ら全部がここに会して、パーシバルと訣別の宴を張る。パーシバルは印度へ赴き大事業をなそうとしている。みんなもそう感じているが、もともとパーシバルには指導者的な威風が備わっているからである。彼はスーザンを愛している。ところがネヴィルとローダがパーシバルを愛している。パーシバルは出発する。スーザンは農夫と結婚する。バーナードも結婚をし、小説を書き、以前にまして社交的になるが、いささか世帯じみてくる。気むずかしくて、いつも一人ぼっちのネヴィルは詩を書いて卓越した位置を占め、隠遁と完成とを探求している。足りることを知らぬ派手なジニーは恋したり、ダンスをしたり、冒険を楽しんだりして、素晴しい不安や勇気を抱きながら年を重ねてゆく。ルイスは、人より劣っているという複合心理にかられて偉大な実業家になる。しかし相変らずその屋根裏部屋に住みついて、そこでローダと恋をささやく仲となっている。この二人はお互いの不安だとか孤独といったもので結ばれているのであるが、やがてローダはルイスから離れてしまう。
最後にまたこの六人がハンプトン・コートで会合し、共に食事をする。そのうちローダは自殺する。他の五人もそれぞれの宿命的な道をたどることとなり、最後の一章では最年長者のバーナードが、ある料理店でブランディをちびりちびりと飲みながら彼らの人生の総括をする。
この小説の外面的な事件といえば、大体以上に尽きるので、読者は六人の人物の行動について、ほとんど知ることができないといっていい。なるほど彼らはウルフの他の小説中の人物と同じく、教養もあり生活的には裕福である。しかし彼らの外面的な生活とか、お互いの関係とかはほとんど明記されていない。にもかかわらず、読者はこの六人の人物について十分に知ることができるのである。というのは、この物語の進行はこれまでの小説に見られるような会話や行為による外的世界に行われるのではなく、潜在意識の世界、つまり明瞭な思想とか話される言葉といったものの下方の世界で行われるからである。この下方の世界、意識下の領域こそが、ウルフの作中諸人物のつねに夢見る世界であり、人間の外面的な思考の下を流れて行く記憶とか経験とか、接触や想像といったものの、奇妙な、しかし巧緻な混乱があつかわれる。この詩的現実の領域は、これまでのイギリス作家によって取り扱われたことがなく、ただわずかにジョイスやドロシー・リチャードスン、あるいはD・H・ロレンスなどが足を踏み入れたに過ぎない。しかしこの新発見の領土にむかっての彼らの雄々しい船出も、今のところまだ誰でもがこれに追従していくというところまではいっていない。いわばこの領域にはまだ完全な海図が作られておらず、非常に危険でもあって、人間行為についての、ひたすらな、洞察力の鋭い観察をなし得る作家のみが、その作中諸人物の形造られていない思考とか衝動とかを自由に扱い得るに止まっているのである。
しかしこの新しい領域においては、その外面的な行為にも優って「性格」の最も大きな秘密な部分が匿されているのである。そしてこれこそ作家が最も関心を持たなければならない「性格」の基礎だといってもいいのである。現実の最大の部分もまたここにあるので、現実についての知識の拡大はとりもなおさず作家の任務でもあるのである。考え方によっては人間は理性の法則の及ばない領域に住んでいる。作品の諸人物もまたそうであるが、しかしウルフは理性の法則を決して無視しているのではない。一口に言えば、ウルフは様々な困難を克服して、これまでの小説に許されていた限界を越え、逆巻く海面の下方の静かな部分、未知であった新しい領域を発見して勇敢に飛び入り、これをわがものとしたのである。
「波」において、この新しい世界を再創造するのに用いたウルフの方法は、決して彼女にとっては目新しいものではなく、これまでの彼女の作品にも普通に見られるものである。六人の独語はそれぞれ、「ネヴィルは言った」「ローダが言った」といった指示のみによって同一にあつかわれている。パーシバルだけは六人の眼を通して読者に知られる。六人の人物はその独白を通じてそれぞれを啓示し、その個性なり発展なりを、潜在意識的な、あるいは意識的な思考なり記憶なりの連続によって読者に伝達する。この小説でもまた、ウルフの他の作品に見られるがごとく、成熟した人間は過去の願望の影響によって幼年時代に結びつけられている。ローダは学校時代、花を集めて誰かにささげたいと思っていたが、成長するにおよんで、その愛していたパーシバルが死ぬと、オックスフォード街で菫を買い、グリニッチへ持っていって彼の思い出として川に投じる。ネヴィルは子供のころ、料理人が咽喉を切られて死んでいる男について話しているのを聞くが、成長するにおよんでパーシバルの死を聞いたとき、この恐怖がよみがえる。人間はなにものをも忘却することはできない。失われていくもの、滅び果てるものは何もない。真鍮の環は依然として食器棚で輝いている。女の人が窓のところに坐って字を書いている。子供たちは依然としてエルブドンから逃れて木々の間を走りまわる。これらの記憶はことごとく我々を悩ます幻影である。我々が生きていく限り、これらもまたつづいていくのである。
作品の人物が彼らの過去に結びつけられているように、この「波」という作品も、芸術家の精神ともいうべき不思議な合一を見せて、やはりウルフの他の諸作品とも結びつけられていて、この作品の研究のためにはそれも必要ではあるが、ここではそれに触れる余裕はない。
人物と人物との関係は、網細工のようにお互いに関連して、まことに巧妙精緻に伝達される。例えばルイスとローダとの類似は、第一章においてローダが他の四人と一緒に走ってゆかないことを観察しているルイスの言葉に暗示される。そこで、ハンプトン・コートでの最後の会合でも、彼女はルイスと一緒にのこるのである。スーザンのバーナードに対する愛の心は、スーザンの立場からではなく、ルイスの厳しい観察から伝えられる、といったふうである。
したがって、この方法は暗示と反復とを余儀なくされる。このお互いに奏でる意識のさまざまな様相からなる交響楽的効果は、ウルフの初期の実験的な作品から以来、ずっと発展してきたものである。このことはウルフ自らも認めているので、最後の第九章、バーナードが六人についての総括を試みる初めのほうに述べているところを見ればいい。ところで注意しなければならないことは、この意識下の流れを奏でる楽器では、それを演奏する人物の語法や語感や用語で演奏されていないということで、例えば第一章、ジニーに接吻されたルイスの思考の流れは、どう考えても子供の用いる言葉ではない。作中諸人物の思考の流れはことごとく、ウルフ自身の言葉に翻訳されているのである。
この書物の表題「波」が示しているごとく、この作品はつぎつぎの海の不思議な魅力のもとに書かれたものである。ウルフはその少女時代、海にはひどく深い感銘を受けたらしい。これは海の小説である。だがもちろんあらゆる事件は陸地で起こっている。人間の物語の挿話と挿話のあいだには、黎明、早朝、輝かしい朝、正午、午後、日没、黄昏、夜といった連続せる海の風景画が置かれ、これが幼年、青年、中年、来たるべき老年といった人間成長の段階に対応される。この海の風景画は厳密な観察の結果からなるものであり、まことに緻密な詩的散文を形づくっている。なお、この風景についてはウルフ自身の個人的な経験と想い合わせて関連するところが多いが、これらの考証については別の機会をまつほかはない。
波はこの作品の意匠とリズムとを通じて起伏する。それは時間にくぐりこみ、ウルフの慎重な散文の動揺やうねりの中にもぐり、男や女の心の中にまで入りこんでいる。人物は自らをその休みなき水面に委ね、やがて潮に運ばれて死の最後の挑みに出会う時が来るのである。始めから終りまで、この小説は海の中に浸り込んでいる。六人の男女の半意識的な思考の中で形づくられるイメージの中に息づいているのである。ネヴィルがケンブリッジで部屋から飛び出してバーナードに詩を投げ放った時のバーナードの感じ、ローダが水盤に花弁をゆすって海に浮かぶ船と想像するところ、ルイスがパーシバル送別の宴で一時的な感情の休止が破れるわけを考える一節、ジニーがダンスで相手に誘われて自分を岩からもぎとられるヨメガサ貝だと思う部分、いずれをとっても海との深い関連を持っている。
この海の象徴の反復、この散文のうねりとリズム、循環していく海の風景画、これらはこの作品全部に対して透明な、流動的な、異常なほどの効果を与えている。ここではあたかも人間生活は、もはや水のような世界に溶け入ったかと思われるばかりである。それのみならず、この作品はその構成も非常に緻密である。したがって読者は再読にも三読にも耐え得るであろう。読み返すたびに、読者の網には思考と観察との、あのきららかに跳ねまわる魚がかかってくるであろう。この作品ではすべてが生々としている。しかも圧縮され、詰めこまれ、豊富で豊穣である。ウルフの思考は束縛されることはなく、むしろ六人のそれぞれに異なった個性を通じて、その表現を完成するとともにさらに豊かにされてもいるのである。いわば、挑戦的なルイス、敏感なジニー、情熱的なスーザン、おしゃべりで社交的なバーナード、これらの人物がウルフに、この「波」の一編をいかに書くかということを教えたのである。
この作品に見られる美しさ、深奥さ、技巧的完成はまことに優れたものといっていい。ウルフは、そこに詩歌の音楽と巧緻とをなしとげた。詩歌と同じく、この作品は読者に訓練された注意力を要求している。しかしこの散文は、言葉の韻律なり動きなりに読者を魅する力を持ち、この長い難解な詩的作品を容易に通読させ得るであろう。翻訳ではついにこのことはかなわないが、興味ある読者は原文を再読されることを望んでやまない。
この作品の最後の一節はとくに特徴的である。これは人生を主張している。死は敵である。肉体の敵たるにとどまらず精神の敵、人間が真理を認識し得る能力の敵である。この響きは、ウルフの先の作品「夜と昼」「ダロウェイ夫人」「燈台へ」にも見られる同じ調べである。ウルフの人生擁護は、そうかと言って単なる「生命力」の賞讃をなすものではない。彼女は活力論者ではない。彼女にとっては、生きること、そしてさらに豊かに生きるということは、常に理解と認識との優れて熱烈な能力を持つことを意味しているのである。
ウルフがジョイスなりプルーストなりと異なった立場にいるのは、その方法や手法などにおけるよりも、彼女の知的な位置によるものと思われる。彼女の幻想は極度に個性的である。しかし彼女の哲学はなんら個人主義的ではない。彼女は伝統を認める。戒律を認める。共通な所信なり経験なりの統合力も認めている。彼女は観念の力強い支配を受容しているのである。