ダロウェイ夫人
ヴァージニア・ウルフ/大澤実訳
目 次
ダロウェイ夫人
解説――ウルフの人と作品
[#改ページ]
主要登場人物
[#ここから1字下げ]
リチャード・ダロウェイ……下院議員
ダロウェイ夫人(クラリッサ)……神をもたぬ神秘家
ピーター・ウォルシュ……若き日のダロウェイ夫人の恋人。印度から五年ぶりに帰英
サリー・セットン……同じく、少女時代の女友達
エリザベス……ダロウェイ家の一人娘
ミス・キルマン……その家庭教師
セプティマス(ウォレン・スミス)……青年書記
ルクレチア……その妻。イタリア生まれ
ホームズ博士……セプティマスの主治医
サー・ウィリアム・ブラッドショー……有名な精神科医
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
ダロウェイ夫人
ダロウェイ夫人は、お花を買って来よう、と言った。
ルーシイはもう、あてがわれた仕事で、手いっぱいなのだ。ドアの蝶番《ちょうつがい》も具合が悪いけれど。ランペルメイアから職人を寄越すはずだわ。それにしても、とクラリッサ・ダロウェイは思った、素敵な朝だこと――浜辺に出た子供らに吹きつけて来る空気のように新鮮だわ。
何てまあ素晴らしい! 身を躍らす折のこころよさ! その音が今でも耳許に残っているけれど、蝶番を少しばかり軋《きし》らせて、フランス風の窓をおしあけ、ブアトン〔イングランド中部、グロスター州の山峡にある小都市〕の外気に跳び込んだとき、いつもきまって、そんな感じを味わったのだった。早朝の空気はいかにも新鮮で、穏やかで、そしてもちろん、これよりはどれほどか静かだったわ。まるで波のひた打ちのように、また波のくちづけにも似て、ひんやりとして、するどく、しかも(当時十八歳の少女だった彼女にとっては)おごそかで。開け放った窓にむかって立っていると、何か怖ろしいことでも起こってきそうな気がして。花をながめ木立をながめ、木々を取り巻いては消え去ってゆく煙をながめ、高く低く飛んでゆくミヤマガラスの群れをわたしはながめていた。立ちつくして眺めていると、しまいにピーター・ウォルシュが言葉をかけた――「野菜畑のご瞑想ですか」――こうだったかしら――「僕には花野菜よりも人間のほうがいいですね」だったかしら。ある朝の食事どき、テラスに出ていったわたしに、あの人はそう言ったにちがいない――ピーター・ウォルシュは。一、二ヵ月うちに彼は印度から帰るだろう。六月だか、七月だか、忘れてしまった。彼から来る手紙はおそろしくだらだらしているから。思い出されるのはあの人の言った言葉だわ。その眼つきも、懐中ナイフも、微笑も、癇癪《かんしゃく》も、それ以外の限りないことがらは、みんなとうに忘れてしまったというのに――何て奇妙なことだろう! 甘藍《かんらん》についてのそんな言葉が思い出されてくる。
彼女は鋪道のふち石のところに身を硬くしてしばらく立ち、ダートナル会社の馬車が通りすぎるのを待っていた。チャーミングな女だわい、スクロープ・パーヴィスは彼女のことをそう考えた(ウェストミンスター区に隣り合って住んでいるもの同士が見知っているという程度に、彼女の存在を知っていたのだ)。彼女は五十の坂を過ぎ、病いの果てにだいぶ白髪《しらが》を増しはしたが、どこか小鳥のような、青緑いろで軽快溌剌とした|かけす《ヽヽヽ》のような印象を与えた。彼女は男のほうを見ず、その場に御輿《みこし》をすえたように、直立しながら、横断する折を待っていた。
ウェストミンスター〔ロンドン市中央の自治区。ウェストミンスター寺院、国会議事堂、バッキンガム宮殿などを含んでいる〕に住んでいると――今ではいったい何年になるだろう? 二十年以上にもなるのだ――往来の真ん中であろうと、夜中に眼が覚めたときであろうと、ビック・ベン〔国会議事堂の大時計〕が鳴ろうとするその直前、一種特別な静けさ、あるいは厳めしさの感じにおそわれ、名状しがたい合間を、危惧を(だがしかし、それはインフルエンザに冒された彼女の心臓のせいだろうと人々は批評した)感じるのだ、と、そうクラリッサは信じて疑わなかった。そら! 鳴り出す。最初は予告、音楽的に。おつぎは時報、もう取り消しがきかぬ。鉛の圏がいくつも空中に溶ける。ばかげた話じゃあるけれど、と彼女はヴィクトリア街〔ビック・ベンを右手に見る、ウェストミンスターの大通り〕を渡りながら思った。だってわたしたちは何という理由もなしに、あの姿を愛したり、眺めたり、勝手にそれを組み立てて自分のまわりに建てめぐらしたり、倒したり、絶えずまた新しく造りなおしたり、そんなことをしているのだ。でも、この上なくうすぎたないお婆さんたち、悲惨のどん底におちてどこかの戸口に腰をおろしている連中だって(その連中の没落を祝して杯をあげよう!)同じことをしているわけ。だからこそ議会の協賛を経た法律はあってもどうにも処置できないんだわ、と彼女ははっきりそう感じた、人生を愛している以上は。人々の眼差し、素早い、たどたどしい、重々しいその足どり、怒号、叫喚、馬車、自動車、バス、荷馬車、のろのろと調子をとって歩いてゆくサンドイッチマン、ブラスバンド、手風琴、頭の上を飛ぶ飛行機の奏でる凱歌、爆音、ふしぎな高唱――そんなものを、私は愛しているの。人生を。ロンドンを。六月のこの瞬時《とき》を。
今は六月の中旬なのだ。大戦は終わりを告げた。かわいい息子を殺されたために、住み馴れた邸宅を従弟の手に渡さなくてはならないと言って、昨夜も大使館で悲嘆に暮れていたフォクスクロフト夫人、あるいは、愛児ジョーンの戦死の電報を、バザーを主催する間も片手から離さなかったとかいう、ベクスブラ夫人は例外だけれど。ともあれ戦争は終わった。やれやれ、済んだのだ。いまは六月。両陛下はいま、宮殿〔バッキンガム宮殿〕にお住まいだ。そして至るところに、早朝だというのに、ポロ馬の鞭音や地を蹴る音や、クリケットのバットの音が聞こえる――ロード〔ロンドン北西部、セント・ジョーンズ・ウッドにあるクリケット場〕、アスコット〔ロンドンの西郊、バーク州のウィンザー宮殿近くにある競馬場。例年六月のレースはロンドンの一大行事〕、ラニラア〔ロンドン南西部、チェルシーにあるポロ競技場〕、その他のどこでもかでも。薄青い朝もやの網目にふんわりと包まれているが、陽が高くなるにつれその網の目はほぐれて、前脚を地につき当ててぽんと跳ね上がる、活溌な小馬の足が、芝生やつなぎ場所にはっきりと現れる。さらに、身をひるがえす青年たちや、透きとおる綿モスのドレスを着て笑いさざめく少女たちの姿が。少女たちは夜どおし踊ったその翌る日の、今朝だというのに、羊のようにおかしな毛並をした犬を走り競べさせに連れ歩いているのだ。そして、こんな時刻にもう、要人堅固な未亡人らは内密の用件で車を疾《はし》らせている。店主たちは、アメリカ人の気を惹こうと、擬《まが》いのダイヤモンドや、十八世紀式嵌め込みの、美しく、古風な、海緑色のブローチだのを並べたてた飾り窓に立って、そわそわもじもじしている(けれど経済が肝心、エリザベスへの御土産でも、考えなしに買ってしまっては駄目だわ)。そしてこのわたしだって、その昔、ばかげたひたむきの情熱をこめて愛したように、今でもそれを愛し、それに関心をそそいでいるし、身寄りのあるものはむかしジョージ王朝時代〔一七一四〜一八三〇〕に宮廷に出入りしていたことがあるしするので、またしても今夜、わたしは、まばゆく燭火を飾り立てようとしているのだ。が、公園〔セント・ジェイムズ公園〕に入ったとたん、何とまあふしぎなこの静けさ。霧。遠い雑音。のそのそ泳いでゆく、幸福そうな鴨の群れ。よたよたと歩く、袋を垂らした鳥たち〔ペリカンのこと〕。それからあの、ひどく気取って、王室の紋章を押した状箱を手に、諸官庁の建物を背にこちらへやって来るのは、いったい誰? 余人ならぬヒュー・ウィトブレッドだわ。幼友達のヒュー――立派なヒュー!
「お早う、クラリッサ!」少し大袈裟な調子でヒューは言った、二人は子供のときからの識り合いだったので。「これからどちらへ?」
「わたし、ロンドンを歩くのが好きなの」とダロウェイ夫人は言った。「ほんとに、田舎の散歩よりは愉しいわ」
出京したばかりですよ――残念ながら――診療を受けにね。よその連中は、絵を見たり、オペラを見たり、娘を連れて出かけるために、上京しているのに、ウィトブレッド一家は「診療を受けに」来たのか。数えればきりのないほど、クラリッサはイーヴリン・ウィトブレッドをさる私立病院に訪ねていた。イーヴリンはまたいけないのかしら。イーヴリンは大分調子がよくないんでしてね、とヒューはそう言って、大そうよく肥えていて、いかにも男らしい、すこぶる恰幅《かっぷく》のいい、装いりゅうとしたその身を突き出すようにあるいは脹らますようにしながら(彼はいつでも度過ぎるくらいに着飾っていたが、宮中におけるささやかな職分上おそらく当然のことに違いなかった)、妻が精神的疾患に悩んでいること、とはいえ重症というほどではなく、古馴染のクラリッサ・ダロウェイ夫人にとっては、詳しく述べなくとも充分納得してもらえる程度のものであることを物語った。そりゃもう、そうですけれど。困ったわねえ。ほんとうに姉妹のような同情を寄せながら、同時に彼女は妙に自分の帽子のことが気がかりだった。朝早くからこんな帽子をかぶって似合わなくはないかしら、と。急いで行きかけながらヒューは、大袈裟に帽子をあげた。そして、まるでもう十八の娘さんに見えますよとうけあったり、今夜の会には、イーヴリンもぜひ伺うようにと言っていますから、宮中のほうにも会がありそちらへもジムの息子の一人を連れて出席するはずですが、済んだら必ず参ります、と確言したりしながら、終始、彼女にそんな気がかりを感じさせたのだ。――彼女はしきりに、彼と較べるとわたしは少し貧相で女学生じみている、と思った。でもわたしは、彼に親密さをおぼえる。それは一つには、長年の知己であることにもよるが。見方しだいではこの人はよい人間なのだ、とそうわたしは考えている。リチャードは大分悩まされているし、ピーター・ウォルシュときたら、わたしがこの人に好感をもっていることを、いまだに容赦しようとしないのだが。
彼女はブアトンでのいろいろな光景をつぎからつぎと想いめぐらすことができた――火のように怒ったピーターを、また、どの道ピーターに敵《かな》いっこはないが、さりとてピーターが立証するほど、まるきりの低能でもなし、木石漢《ぼくせきかん》でもなかったヒューのことを。年寄ったお母さんが、遊猟を止めてこの私をバース〔イングランド南西部、サマセット州にある古来著名な温泉場〕へ連れていって頂戴、とそう言えば、黙ってその通りにしてあげた。まったく利己心のない人なのだ。ピーターの言い草では、心臓もなければ脳髄も持たず、持ち合わせているのは英国紳士の作法と躾《しつけ》だけだというのだけれど、そんな言い草はわたしのピーターのあくどい皮肉にすぎない。鼻持ちもならぬ人間にも、始末のならぬ人間にもなりかねないといったら、たしかにそうだけれど。こんな朝、散歩相手にするには素敵な人だわ。
(六月は樹々の枝葉を残るくまなく拡げていた。ピムリコ〔ヴィクトリア街の西方にある下層街〕に住む母親達は赤ん坊に乳を含ませた。艦隊から海軍省〔セント・ジェイムズ公園の北東端に接して建つ〕にむかって通信が飛んでいた。アーリングトン街とピカディリー〔著名の劇場、ホテル、クラブ、料理店が並ぶロンドンの目抜き通り。ペル・メル街をへだててセント・ジェイムズ公園の北西に伸びる〕に大気を擦《こす》られ暖められて、公園の枝葉は燦爛としてかがやき、クラリッサの愛する神聖な活力の波に揺さぶられているかに見えた。ダンス、乗馬、そういったもの一切を彼女は熱愛した。)
二人はもう何百年も別れ別れになったままと言ってもよかったのだ、わたしとピーターとは。こちらからは一度だって便りをしなかったし、彼の手紙は愛想気のないものだった。それでもだしぬけに考えることがあった、もしいまここに居合わせたらあの人は何と言うだろう、と。ある日の出来事や、ある光景が、むかしの苛烈さを拭い去って、静かに彼のことを回想させてくれた。それはおそらく、いろんな人々を愛して来たことのむくいなのだ。それは、ある心地よい朝、セント・ジェイムズ公園の真ん中にもどって来る――ほんとにもどって来る。でもピーターは――その日が、樹々が、芝生が、そしてピンク色の服を着た少女がどんなに美しくとも――ピーターという人はそんなものには目もくれない。わたしにそう言われて、はじめて眼鏡をかける。そうして眺めるのだ。彼の関心をそそるのは世界情勢なのだ。いつもワグナーとか、ポープ〔英国擬古典派詩人〕の詩とか、人間の性状とかを論じ、わたしの魂の欠陥を非難するのだった。どんなにか彼はわたしを責めたことだろう! どんなにか二人は議論しあったことだろう! 君は総理大臣の奥さんになって、階段の上に立とうっていうのか。まったく申し分のない奥様ぶりだ、そう彼はわたしに言った(それでわたしは、寝室に引きこもって泣いたのだった)、一点の非もない奥様になれるよ、とそう言った。
そんなふうに彼女は、なおもセント・ジェイムズ公園で口論をしている自分を、そして、彼と結婚しなかったことは正しかった――事実そうなのだ――と言い張る自分に気づくのだった。結婚に際しては、少しばかりのわがままと、少しばかりの自立心とが、同じ屋根の下に毎日暮らすもののあいだにも許されねばならぬ。リチャードはそれをわたしに許し、わたしはまた彼にそれを許している。(たとえば、今朝、彼はどこにいるのか。どこかの委員会だか、何の委員会なのか訊ねもしなかった)ところがピーターといっしょだと、何から何まで語り合わなくてはならない。介入しなくては済まないのだ。そしてそんなことは堪えられないことだ。それで最後に、噴水がそばを流れる小庭でのあの騒動に達したとき、止むなく彼と仲たがいしなければならなくなったのだ。さもなかったら、二人は破滅し、ともに零落の途をたどったことだろう。きっと、そうなったに違いなかった。もっともその後何年間も、心臓に悲哀と苦悩の矢を射込まれたように、痛手をこらえていたのだが。そのまた後で、誰だったかに、音楽会の席で、あの人が印度に行く船の中で知りあった女と結婚したと告げられた、あのときの戦慄! あのときのことはいつまでも忘れられないだろう。冷淡無情な淑女ぶった女、と罵《のの》しられたわたしだが。彼の愛情がどうにもわたしには理解できない。けれど、印度の女どもにはたぶん理解できたのだろう――愚かで、可愛くて、見え透いた|うすのろ《ヽヽヽヽ》には。わたしはただ無駄に憐れみを注いでいたのだ。だってあの人は幸福なのだ、たしかにそうなのだ――二人で語り合ったようなことは何一つせず、生涯失敗者でとおして来たけれど、この上なく幸福なのだ。そう思うと、なおさら腹が立つ。
彼女はすでに公園〔セント・ジェームズ公園に西接するグリーン公園か〕の入口に来ていた。彼女はしばしのあいだ、ピカディリーに群がる乗合自動車《バス》を見やりながら立っていた。
わたしはいま、この世の中の誰かについて、あれこれ言いたくはない。わたしはとても若いようにも感じ、また、言いがたいほど老人だとも感じる。あらゆるものにむかってナイフのように切り込むと同時に、外部から傍観しもする。タクシーの群れを眺めながら、遠い、遠い、はるか遠い海の上に、ひとりぼっちでいるような、そんな感じをたえず抱いているのだ。たった一日でも、生きていることがとても、とても危険であるように、いつも感じて来た。でも自分のことを、賢いとか、あるいは非常に並外れているとか考えることは、とてもできない。フロイライン・ダニエルズ〔少女時代の家庭教師ででもあったろう、未婚のドイツ婦人〕が与えてくれた僅かばかりの知識の小枝を頼りに、どうやってこの人生を渡って来たものか、考えもおよばない。何もわたしは知りはしない。語学だろうと、歴史だろうと。寝床で読む伝記のたぐいは別として、今ではほとんど本一冊読むことはない。しかしわたしにとって絶対に面白くてたまらないものなのだ――こうしたすべては、通過するタクシーの群れは。そしてわたしはいま、ピーターのこと、自分のことを口にしたくはない。ああです、こうです、と言いたくはないのだ。
唯一つのわたしの天分は、ほとんど本能にもちかい人間観察力なのだ。歩みをつづけながらクラリッサはそう思った。誰かと同室に封じ入れられると、わたしの背は猫のように伸びる。さもなかったら、喉を鳴らすのだ。デヴォンシア・ハウス〔ピカディリーの大通りとT字形に交叉する街路の一つ、バークレイ街の角に立つビル〕、バース・ハウス〔同じくピカディリーに建つビル〕、支那鸚鵡のいる例の家――いつだったか、燈火まばゆいそれらの建物の姿を見たとき、わたしは思い出したのだ――シルヴィアやフレッドやサリー・セットンのことを――多勢の人々のことを。夜どおしダンスをしたこと、重い足どりで市場にむかう買出し車のこと、それから公園のなかをドライヴして家に帰ったことなどを。いつか蛇池《サーペンタイン》〔ピカディリーの西方の大公園ハイド・パークと、更にその西のケンジントン植物園にまたがる蛇形の池〕に一シリング銀貨を投げ入れたことをおぼえている。けれど思い出は誰にだってある。わたしが愛するのは、現にここに、眼の前にある、このもの。タクシーに乗ったこの肥った貴婦人なのだ。そうとすればどうでもいいことではないかしら、ボンド街〔前記バークレイ街から東へ数えて三つ目、ピカディリーとオクスフォード街を横につなぐ繁華街〕にむかって歩きながら彼女はそう自問した、やがて否応なしに絶滅の日がわたしをおとずれるということも。こうした一切のものは、たとえわたしがいなくなろうと継続してゆくに相違ない。そのことにたいして、怒るべきだろうか。それとも、死は絶滅を意味すると信じることが、かえって心の慰めとならないかしら。このロンドンの街上の、あらゆるものがあなたこなた満干するあたりで、わたしはまだ生きている、ピーターも生きている、おたがいの心の中に生き永らえていると信じることが。そしてわたしはすでに、たしかに、故郷の樹々の一部なのだ。うねりくねって、いかにも細かく煩わしいあの屋敷の一部分、逢ったこともない人々の一部分なのだ。そうしてわたしは、わたしがいちばんよく知りつくしている人々のあいだに、霧のようにひろげられて、その人たちはわたしをふわふわと持ち上げるのだ。樹々が霧をはこぶのを見たことがあるが、あのように。いやとおくひろがるのだ、わたしのいのちは、身は。だがしかし、ハッチャード書店の窓をのぞきこみながら、彼女が夢想しているのは何事であったろう。彼女は何を回想しようとしているのか。ひろげられた本の上に、
いまはな恐れそ日ざかりを、
はた狂乱の冬のあらしを
〔シェイクスピア『あらし』第四幕第二場〕
と読みとりながら、彼女が描くのはいかなる田園のほの白む曙の姿か。うつし世の体験を重ねてあとのこの老いらくは、人みなの、ありとしある男女の心に、涙の泉をやしないそだてたのだ。涙と悲しみを。勇気と忍従を。また厳正そのものの、克己的態度を。彼女が賞讃して止まぬ女性、バザー主催者たるベクスブラ夫人の例を見るがよい。
店頭には『ジョロックスの遊山と愉楽』〔狩猟狂の食料雑貨商たるジョロックスを主人公とする小品集。一八三八年刊行。作者はロバート・スミス・サーティズ〕があり、また『慇懃なるスポンジ』〔同じサーティズの作。一八五三年刊〕や、アスクィス夫人〔第一次大戦初期の宰相ハーバード・ヘンリ・アスクィスの夫人〕の『回想記』や、『ナイジェリアの大狩猟』〔不詳〕などが、ページをひろげて置かれてあった。実に沢山の本がそこにはあったが、しかし私立病院にいるイーヴリン・ウィトブレッドにほんとうに気に入りそうな本は一冊もなかった。彼女をよろこばせるような、クラリッサのいわゆる乾からびきった小女を、見舞ったときだけでも――例によって、二人が、女の病気についてとめどないおしゃべりを始めるその前に――彼女を浮々した顔にさせるような、そんな本は見あたらなかった。どんなに私は望んでいることだろう――わたしが入っていったとたん相手の人々が愉快な顔つきになることを。クラリッサはそう考え、足を返すと、いら立たしい気持ちでボンド街のほうへ戻りかけた。行動するための理由をあれこれと探し求めるなんて、ばかげた話だったから。むしろリチャードのように、自分の好きなようにしか行動しない、そうした人間の仲間であったほうがずっとましだわ。ところがわたしときたら――彼女は通りを横断する時期を待ちながらそう思った、大ていわたしは、ただ、そのことがらのために行動するのではなくて、他人にあれやこれやのことを思わすためにそうしているんだもの。まったくわたしはばか者だわ(そして今しも警官は片手を上げた)、誰だってすぐと分かることだわ。ああ、もいちど人生をやり直せたら! 鋪道の方へと歩を運びながら彼女は思った、違った顔かたちになれたら!
彼女はまず最初に、ベクスブラ夫人のように浅黒い色をして、皺くちゃの革のような肌と美しい眼とをもっていたらいいのに、と思った。あのような、おっとりして堂々たる態度でいられたらいいのに。むしろ大柄で、男のように政治に興味をもち、田舎に別荘があって、威厳と誠実さに徹していたらいいのに。わたしにはこうした点がなくて、その代わり、ひょろひょろと細く、おそらく小柄な顔で、鼻はまた鳥のように尖っている。いちおう立派に見えることは確かだわ。きれいな手足、そして金をかけないわりには整った身装《みなり》で。でも、たえずわたしは、自ら担っているこの肉体が(彼女はオランダ画家の絵を眺めるために立ちどまった)、この肉体が、あらゆる機能をそなえながらも無であるとしか――けっきょくは無としか感じられない。わたしは自分が透明で、誰からも見られず、知られることのない存在だという奇態な感じがしている。結婚してもいないし、子供もすでにない、ただ人々とともにボンド街を歩む、このおどろくべき、むしろ厳めしい行進。ダロウェイ夫人というだけのこの存在。クラリッサですらもない、リチャード・ダロウェイの妻というだけの存在。
ボンド街は彼女の心をうばった。社交季節《シーズン》〔ロンドンの六月のこと〕の朝まだきのボンド街。風にひらめく旗波。立ちならぶ店々。けばけばしいもの、ぎらつくものは何一つない。彼女の父親が三十年間も洋服を作らせていた店のスコッチ織りの一巻き。いくつかの真珠。氷塊の上の鮭。
「それだけよ」魚屋の店をのぞきながら彼女は言った。そしてさらに「それだけよ」と繰り返しながら、大戦前にはまず極上の手袋が買えた手袋店の飾り窓にちょっと足を止めた。叔父の老ウィリアムが、貴婦人かどうかは靴と手袋でわかるよ、とよく言ったものだ。大戦の際中のある朝、寝返りを打ってそのまま死んだ叔父。「わたしはもう満足だよ」と叔父は言った。手袋と靴。わたしは手袋には夢中だけれど。ところが娘は、エリザベスは、そのどちらにもまるっきり気がないのだ。
まるっきり、と考えながら彼女は、夜会で使う花を取って置いてくれる店にむかってボンド街を歩いていった。まったくエリザベスは何よりも自分の犬を可愛がっている。今朝ときたら、家じゅうタールの臭いがした。でもミス・キルマンよりはグリッヅルのほうが増しだわ。むっとするような寝部屋に祈祷書といっしょに閉じこもっているよりは、ジステンパーやタールの臭いのほうが! 何だってあれよりはいい、そう言いたいくらいだわ。でもあれは、リチャードが言うように、若い娘の誰でもが経過する状態の一つにすぎないのかもしれない。恋のようなものかもしれない。でも、なぜまたミス・キルマンなんかと? あの女はもちろんひどい目にあった。そのためにも、斟酌してやることが必要だ。リチャードも、非常に才能があって歴史によく通じている女だと言っている。どのみち二人は離れられない仲になっていて、一人娘のエリザベスは教会通いをしているのだ。そうして、あの子の服装はまあどうだろう。お昼に招んだお客を応対する仕方さえまるで心得ていやしない。宗教的法悦が人間を素気なくすることはわたしの経験ずみ(主義、目的とはそういうもの)。そして感情を鈍らせるのだ。ミス・キルマンはロシア人のためなら何でもしようなんて思ったり、オーストリア人のために進んでひもじさを忍んだりしているが、私生活の面では、他人にむかって明らかに苦痛を与えているわ。無感覚な女ったらないわ、緑色の防水外套なんか着て。いつでもあの外套を着ているのだ。そうして汗を流して、ものの五分も同じ部屋にいたら、きまって自分の偉さを押し売りし、こちらにはひけめを感じさせずにはおかないわ。私は貧乏でございます、あなた様はお金持ちです、といった具合に。クッションも寝台も毛布も何もない、裏街の一室があの女の住居なのだ。魂のどこもかも愚痴がこびりついて銹《さ》びきっている。戦争中に学校を免職《くび》になったためだ――可哀そうに、難渋して不幸な女! 憎らしいのはあの女自身じゃなくて、あの女の幻像なのだから。そうしてその像は、まぎれもなく、ミス・キルマン本来のものでないものを多分に含んでいる。それはもちろん増大して、夜中にいどみかかり、人の背中に馬乗りになって生き血の半ばを吸ってしまう亡霊のようなもの、主権者や暴君のたぐいになってしまっているのだ。もちろん骰子《さいころ》の投げしだいで、白でなく黒が出たら、わたしはミス・キルマンに愛情を感じることもできたろう! でもしかしこの世界では。駄目なことだ。
けれど、わたしの感情をいら立たせるものだわ――自分のなかにこの狂暴な怪物を跳梁させておくことは! 葉のおいかぶさった森、魂の奥家《おくが》に、小枝がぱちぱちと裂ける音を聞き、ひずめが地の根深く喰いいる様子を感じることは! 心ゆくばかりの満足、安心はとうてい得られやしないわ。いつ何時、怪物が動き出すかもわからないから。とりわけあの患いをして以来、この憤怒という怪物は自由気ままに振舞っている――背骨をこすり立て、じーんと疼《うず》かせたりして。それは肉体的苦痛を与え、美とか友情とか健康とか、人から慕われ、あるいはわが家をよろこびの場所とすること、そうしたことがらに見いだす心愉しさの一切を根拠なきものに思わせ、屈服を強いるのだ。まるで身内に、現に一匹の怪物が隠れて、奥底の土を掘りかえしているかのように、ありとあらゆる満足もけっきょく自己愛以外の何ものでもないというかのように! この憤怒は!
下らない、愚にもつかぬことだわ! 彼女は花屋のマルベリー店の回転式ドアを押しながら、心にそう叫んだ。
軽快ですらっとして背の高い姿で進んで来る彼女を、ボタンのような円い顔をしたミス・ピムはいそいそと出迎えた。その手は花といっしょに冷たい水に浸っていたように、いつも真紅だった。
いろいろな花が並んでいた。飛燕草、スイートピー、群がり咲くライラック。カーネーション、大束のカーネーション。薔薇があったり、|いちはつ《ヽヽヽヽ》があったり。ええ、そう――彼女は立ったままミス・ピムと語り合いながら、この地上楽園の妙なる香りを呼吸した。ミス・ピムは、自分を贔屓にし、長年親切をつくしてくれる夫人の心づくしを感謝した。とても親切なお方だ。けれど今年はずっとお老けになって。眼を細め、|いちはつ《ヽヽ・・》や薔薇や、頭を垂れたライラックの花の束をつぎつぎと眺めわたし、街路の喧騒を忘れて、えもいわれぬ香気を、冷たさを呼吸している姿は、たしかにそう見えた。やがて彼女が眼を見ひらくと、柳細工の籠に入れられた、洗濯屋から届いたばかりの襞つきのリンネルのように、薔薇の花がいかにも新鮮に映じた。赤いカーネーションは黒ずんで、端然としてその頭をもたげている。スイートピーはすみれ、白、薄青、色とりどりに壺の中に花をひろげ――あたかも夕べが訪れて、綿モスの上衣を着た少女たちが、あのほとんど濃藍にも近い空の下、飛燕草やカーネーションや海芋《かいう》百合が咲きみだれ、目もあやな夏の一日を送ったあと、スイートピーや薔薇を摘みにやって来る、そんな情景をしのばせて。そしてそれはあらゆる花――薔薇、カーネーション、|いちはつ《ヽヽヽヽ》、ライラック――が燃えるように輝く、六時と七時のあいだの時刻なのだ。白に、菫に、赤に、濃いオレンジ色に。すべての花は霞みゆく花壇にやさしく、清らに、自ずから火と燃えるかとも思われて。そしてわたしは、ヘリオトロープの上を、宵待草の上を、縦横に飛びまわるほの白い蛾の群れを、どんなに愛したことだろう!
それから彼女は、ミス・ピムといっしょに花|甕《かめ》から花甕をわたり歩いて、ふたたび花を選りながら、愚にもない、愚にもない、と独語しつづけた。その調子はしだいに緩やかになっていった。あたかもこの美と、この香気と、この色彩と、そして彼女を頼りにし彼女を慕っているミス・ピムとをあわせて一つの波とし、自らの上にそれをひろげ、あの憤怒、あの怪物を打ち破り、征服してしまったかのように。そしてその波が、彼女をはこんで高みへ高みへとおし上げるかと思われたとき――おや! 外の通りでピストルの音が!
「まあ、あの自動車ったら」――窓辺に歩みよったミス・ピムは、スイートピーを両手にいっぱい抱えてもどって来ると、言い訳のように微笑しながら、そう言った。まるで自動車が、タイアの一件が、|自分ひとりの《ヽヽヽヽヽヽ》咎ででもあるかのような口調だった。
ダロウェイ夫人をどきりとさせ、ミス・ピムを窓辺に引き寄せ言い訳をさせた、だしぬけのその爆音は、マルベリー花店の飾り窓の真向かいの鋪道ぎわに停まった、一台の自動車から出たものであった。通行人はもちろん立ちどまって、眼を見すえたが、誰か高貴の人の顔が薄鼠いろの装飾窓に寄りかかっているのを目撃したとたん、男の手で目隠しが直ぐにおろされ、薄鼠の硝子板のみが衆目にさらされた。
だが噂はたちまちにしてボンド街の真ん中からオクスフォード街の片側へ、さらにその反対側のアトキンスン香水店へと伝播し、見えわかず、聞き得ぬままに伝わってゆくさまは、薄紗《ヴェール》のごとく丘々の連なりの上を飛ぶ雲にも似て、まったく飛雲のように突如として厳粛と静寂の気をただよわせ、ついさっきまでは無秩序そのものに他ならなかった行人の顔のうえに噂は落ちかかった。けれど彼らはいましも神秘の翼に掠《かす》められ、権威あるものの声を聞いたのだった。崇敬のこころは、目隠しされ、唇をぽかんと開いたまま、あくがれ出たのである。しかし誰の顔が見えたのか、知るものはない。皇太子だったろうか? 皇后だったろうか? それとも首相か? あれは誰の顔だったのか? 知るものはなかった。
鉛管を腕にまきつけたエドガー・J・ワトキスは、聞こえよがしに、もちろんおどけ半分に言った、「首相《すしょう》の自動車《づどうしゃ》だわい」
向こう側にわたることもできぬと知りながら、セプティマス・ウォレン・スミスはその言葉を耳にした。
セプティマス・ウォレン・スミスは年の頃三十前後、蒼白な顔、鉤鼻、赤靴をはき、みすぼらしい外套をまとい、その薄茶いろの眼は、見ず知らずの人間をも気づかわせるほどに不安の色をたたえていた。振り上げられたこの世の鞭、それはどこに向かって落ちるのか?
一切の交通が杜絶してしまった。モーター・エンジンの鼓動は、五体のととのった身体から不規則に発する脈膊のようにひびいた。自動車がマルベリーの店の飾り窓の外側に停まったために、陽ざしは非常に暑くなった。バスの二階に乗っている老婦人たちは黒い日傘を開いた。こちらでは緑、あちらでは赤と、ぽんぽん音を立てて日傘は開いた。スイートピーの花をいっぱい腕にかかえたダロウェイ夫人は、飾り窓のほうに歩をはこびながら、好奇心に口をすぼめたピンク色の小柄な顔で外を見やった。みんなが自動車を眺めている。セプティマスが眺めている。自転車に乗っていた少年たちも飛び下りて来る。往来はごった返し、自動車は目隠し窓を引いたままそこに停まっていた。目隠しの上に樹みたいな妙な模様があるな、とセプティマスは思った。そして何かしら怖ろしいものがほとんど地表まで現れて来て、いまにも焔となって燃えでもするように、彼の見ている前ですべてのものが一つの中心にむかって引きよせられてゆく、この光景は彼を戦慄させた。世界はゆらめき、震動し、いまにも火と燃えようとする。破滅の道を防止するのはこの自分なのだ、とセプティマスは思った。俺は注目され、指名をうけたのではなかったか。重荷を担って、この鋪道にへばりついているのは、目的あってのことではないのか。だが、何の目的のためか。
「さあ行きましょうよ、セプティマス」そう言ったのは彼の妻で、血色の悪い尖った顔に大きな眼をした、小柄のイタリア娘だった。
しかしそう言うルクレチア自身、自動車や目隠し窓の樹の模様を見ずにはいられなかった。皇后が乗っておいでなのかしら――皇后がお買物においでなのかしら。
何かを開いたり、まわしたり、閉めたりしていた運転手が、ボックスにとび乗った。
「さあ、あなた」ルクレチアは言った。
しかし彼女の良人《おっと》は、結婚して四、五年にはなるのだが、はっとおどろいた様子をし、邪魔立てされたとばかりに、腹立たしい口調で「うん、よし!」とだけ言った。
この人たちに気づかれてしまう、見られてしまうわ。この人たち、と彼女は考えながら、自動車をみつめている群衆を眺めやった。英国人、この国の子供ら、馬、衣裳――ある程度わたしは賞讃している。でもいまは「人々」にすぎない。だってセプティマスは「俺は自殺する」って言うのだもの。なんてまあ怖ろしい言葉。あの言葉をみんなが聞いたとしたら。彼女は群集をながめた。助けて、助けて! 肉屋の小僧や女たちにむかって、彼女はそう叫びたかった。助けて! つい昨年の秋のことだわ、わたしとセプティマスが同じあの外套にくるまって|河岸通り《エムバンクメント》〔ヴィクトリア街の延長で、テームズ河畔に公園のように伸びている大通り〕に立っていたとき、セプティマスは黙ったまま新聞を読んでいた。わたしはその新聞を引ったくり、年とった男がこちらを見ているのもかまわず笑ったっけ! でも首尾の悪いことは隠すものだ。この人を、どこか公園へ連れて行かなければならないわ。
「さあ渡りましょうよ」と彼女は言った。
彼女は彼の腕をとる権利がある、感覚のこもらぬ腕にしても。彼は差し出すであろう――純真で情に走りやすく、二十四の身空で英国に一人の身寄りもない、彼のためにイタリアを棄てて来た彼女に、一片の骨のような腕を。
目隠しを引き、謎めいた隠蔽ぶりをしめして、自動車はピカディリーの方向へ進んだ。が、依然として人々の目迎《もくげい》をうけ、皇太子か皇后か、あるいは首相かわからないままに、両側に行く人々の表情を、ひそかな畏敬の念をもって一様に波立たせるのだった。顔そのものは二人の人間が数秒間目撃しただけである。男か女かということすら、今では議論の的となった。けれど高貴の人が乗っていたということは疑問の余地がなかった。おしのびでボンド街を通過した高貴の人は、いまこれを最初で最後の機会に、恒久の国家の象徴、陛下に拝顔できる近さに達しえた平民どもから、咫尺《しせき》の差をのこして去っていった。ロンドンが草むす径となり、水曜日のこの朝、鋪道をいそぐ人々のすべてが骸骨と化し、結婚指輪と無数の朽ちた歯の金環のみが塵ひじにまみれて残ったとき、時の破片を篩《ふるい》にかける物見高い好古家によって知られるであろう。車中の人は、そのとき判明するであろう。
おそらく皇后だろう、ダロウェイ夫人は花を手にマルベリーの店を出ながら考えた。皇后だわ。そして花屋のかたわらに日ざしを浴びて立ちながら、彼女は目隠しを引いた自動車がおもむろに走り出すと、一瞬ひどく厳めしい表情をした。どこかのホテルにいらっしゃる皇后、バザーにご臨席の皇后、とクラリッサは思った。
この時刻にしてはひどい雑沓ぶり。ロード、アスコット、ハーリンガム〔テームズ河北岸にあるポロ競技場〕――どこに行くのかしら。彼女はひしめきあう街の様をいぶかしんだ。包みと雨傘を手にバスの二階に横向きに腰かけている英国の中産階級は、ほんとに、こんな日に毛皮まで着込んで、と彼女は考えた。笑止千万、とてももう考えも及ばないほどだわ。皇后ご自身も立ち往生なさって、御通りになられずにいる。クラリッサはブルック街〔ボンド街と十字に交わり、西の方、ハイドパーク際に至る幅広の横町〕の片側で足を止めた。例の自動車をへだてて、通りの反対側には、老判事ジョーン・バックハースト卿がいた(サー・ジョーンは年久しく判事をつとめて来たが、身装のいい婦人が好きだった)。やがて運転手がほんの軽く頭を下げ、警官にむかって何かしらしゃべるか見せるかすると、警官は会釈して片手を上げ、ぐっと頭を動かして、乗合バスを脇によけさせた。自動車は行き過ぎた。ゆっくりと、音もなく去っていった。
クラリッサは臆断した。クラリッサはもちろん了解した。彼女は運転手の手の中に、何か白い、ふしぎな円い形をしたものを、名前の入った一枚の平たい板を見たのだ。皇后か、皇太子か、首相か? その名は自らの威光で燃えながら、立ち去るのだ(クラリッサは小さくなって消えてゆく車を眺めた)、今宵バッキンガム宮殿で、枝つき燭台や、きらめく星章や、樫葉いかめしい胸〔チャールズ二世が樫の木に隠れて身を救ったことを記念し、その誕生日に樫葉をつけて祝う慣例をほのめかす〕や、ヒュー・ウィトブレッドとその同僚たちのあいだで、光彩を発揮するために。そしてクラリッサもまた夜会を催すはず。彼女は思いなし身を硬くした。彼女はそうやって自分の家の階段の真上に立つのだ。
自動車は去ったが、あとに残したささやかな波紋は、帽子店や手袋店や洋服店をつたって、ボンド街の両側を流れた。三十秒というものはすべての者の頭が同じ方向にむきがちだった――窓のほうへと。手袋を選りながら――肘までのがよいかしら、それとももっと長目のが? レモン色、それとも鼠色? ――貴婦人たちは手を止めた。選択が済んだ頃には、何事かが発生していたのだ。些細きわまる数瞬の出来事。支那の地震は伝ええても、この振動はいかなる数理的手段をもってしても計上しえない何かが。しかもそれを全部合わせたなら、むしろ怖るべき力となり、一般大衆の感情に訴えるところもまた大きい、何かが。なぜならあらゆる帽子店、洋服店で、見も知らぬ者同志が顔を見あわせ、死者のこと、国旗のこと、帝国のことを思いうかべたのだった。とある裏街の居酒屋では、一人の植民地の男がウィンザー家〔英国現王室の称〕を辱め、はては侮言を弄し、ビールのコップをこわし、お定まりの喧騒となり、その声は通りを越えて、それぞれの結婚式用の純白のリボンを縫いとった白亜麻の肌衣を求めている少女たちの耳に、異様にこだました。通りすがりに自動車が人心に与えた動揺は表面上のものながら、消え去るそのさいには、奥深いあるものを掠めていったのだ。
ピカディリーを静かにわたった車は、セント・ジェイムズ街に折れた。背の高い男たち、たくましい体躯をした男たち、何故かしらぬホワイト館〔十八世紀いらいの有名なクラブ〕の張出し窓に服の背後に手をやって立っている、燕尾服に白スリップのいでたちで、髪をうしろに撫であげた男たちは、その方を眺めやると、本能的に高貴の人のお通りとさとった。クラリッサ・ダロウェイの場合と同じように、彼らのうえにも、不滅の存在から発する青い光が落ちかかったのだ。たちまち彼らは身を正し、手を動かして、すすんで君主に仕えまつり、祖先同様、一旦急あらば砲火のただ中に飛びこむことをも辞せぬ心底のほどを示したのだった。白い半身像やその背の、「タトラー」紙〔一七〇九年から三年間つづいた週三回の刊行物〕を積み重ね、あるいは炭酸水の壜を並べた小机の行列はそのことを証しし、穂波打つ麦と古英国の荘園屋敷を暗示するかに見えた。また、一すじの音がさわさわと風に鳴る廻廊の壁にこだまし、大伽藍全体の威力をもって拡げられて、朗々たる響きを増し加えられるように、かの自動車の車輪のか細い口ごもりの音を返すかに思われた。ショールに身を包んだモル・プラットは、鋪道に花の束を置いたまま、愛する青年の健勝を祈念した(あれは皇太子さまにちがいないよ)。アイルランド生まれの老婆の忠誠心を挫く警官の眼が彼女にそそがれてさえいなかったら、ビール一杯の飲み代――薔薇一束――に気軽な気持ちと貧乏に対する侮蔑とをこめて、セント・ジェイムズ街にそれを抛り投げていたかも知れない。セント・ジェイムズ宮殿〔長らく皇居であったが、今は離宮〕の衛兵たちは捧げ銃をした。アレグザンドラ太后〔デンマーク王女。一八六三年、時の英国皇太子エドワード七世に嫁す〕護衛の警官はそれにおうじた。
そのあいだに、少数の人群が、バッキンガム宮殿の鉄門の前に集まって来ていた。ぽかんとして、けれど確信ありげな様子で、いずれ変わらぬ貧しい人々は待ち構えていた。国旗はためく宮殿の姿を仰ぎ、ヴィクトリア〔ヴィクトリア女王記念塔のことで、バッキンガム宮殿正面にある〕を打ち眺め、築山に押しよせ、流れる小川の砂洲を、ゼラニュームの花壇を嘆賞した。メル〔ヴィクトリアの前から海軍省まで、セント・ジェイムズ公園の樹蔭につづく大幅の散歩道路〕を行くあの自動車、この自動車に注目をおくり、ドライヴに出かける一般庶民にいたずらなる感慨をよせ、あの車この車が通りすぎるあいだ、なお衰えることなく保たれている礼讃の情を喚びかえすのだった。そしてそうしながら、絶えずこころのうちに、彼らの上にしろしめす王権や、皇后の答礼や、皇太子の会釈を想起し、また、神の手によって王者らに与えられた楽園的生活に、別当職に、叩首叩額《こうしゅこうがく》に、皇后〔メアリ皇后〕の古式の人形部屋に、英国人に嫁がれたメアリ女王〔ジョージ五世の唯一人の王女〕に、皇太子〔ジョージ五世の長子、のちのエドワード八世〕に彼らの思いを馳せながら、さまざまの取り沙汰に血を湧かせ、腿の神経をふるわせた。――ああ、皇太子様! ふしぎなほどエドワード老王〔エドワード七世〕に似て、と彼らは言った。でもずっと細っそりしていらっしゃる。皇太子様の御住居はセント・ジェイムズ宮殿だ。でも朝のうちに母后をお訪ねになるかもしれない。
そんな風なことをしゃべりながら、赤ん坊を抱いたセアラ・ブリッチリーは、ピムリコの住居でストーヴの灰除けのそばにいるときのように、あっちこっち足を動かしながら、たえずその眼をメルの路上にそそいでおり、エミリ・コーテスはまた、宮殿の窓々を眼で追いながら、殿内の侍女たちを、数えきれぬ侍女たちを、寝部屋を、数えきれぬ寝部屋を思いうかべていた。アバディーン系テリアを連れた初老紳士や失業者達も加わって、群衆の数は増した。小柄なボウリー氏はアルバニー館〔ピカディリーにある高級ホテル〕に数室を擁し、性根ふかく蝋づけられて非情の身ながら、かかる者共――皇后の通過を待つあわれな女ども――哀れな女ども、可憐な子供ら、孤児たち、未亡人たち、大戦、を思うと――ええ忌々しい――だしぬけに、柄にもない感傷に駆られて、生活の封印を解き、真実の涙をうかべた。メルの疎《まば》らな木立越しに生暖かな一陣の微風が誇り顔に吹きつけ、青銅づくりの英雄たち〔トラファルガー広場に立つ将軍らの像〕の前を抜け、老紳士は心中に英国魂の旗めくのをおぼえて、自動車がメルにむかって滑りこんで来るや脱帽して、近づく車のほうに高く帽子をかざした。そしてピムリコ住まいの貧しい母親たちが身をすり寄せて来るのもいとわずに、直立の姿勢で立っていた。自動車は迫って来た。
とつぜん、コーテス夫人は空を見上げた。飛行機の音響が群衆の耳に不吉にこだました。並木の上に飛んで来た飛行機が機体の後方から白い煙を吐き出すと、その煙はねじれて輪をなしながら、実際に何かを書きはじめた! 宙に文字を書きはじめたのだ! 一同は空を見上げた。
飛行機はぐっと降下してはまた、真っ直ぐに宙高く舞い上がり、輪を描いてカーヴし、疾走し、体を落とし、体を起こし、自由自在に動き、転じ、後部からもくもくと吐き出された棒状の白煙は、ねじれ、絡みあって、空中に文字をあらわした。だが何という文字をか。AとCと? E、それからL? ほんの一瞬しかそれは止まってはいず、いつの間にか動き出し、溶けて、あとかたもなく空に消えた。飛行機がはるか彼方に急過し去ると、またも真新しい空間に書きはじめたのはKか、Eか、Yか知らん?
「グラクソー」〔砂糖菓子の架空名で「牛乳入り」の意〕コーテスのおかみさんはじっと仰ぎ見ながら、せっぱつまったような恐怖にうたれたような声を出して言った。腕の中に固くなって、白衣に包まれて抱かれている赤ん坊も、じっと仰向いていた。
「クリーモ」〔これも架空の菓子名で「クリーム入り」の意〕――ブリッチリーのおかみさんは夢遊病者のように呟いた。帽子をきちんと握りしめながらボウリー氏はじっと仰向いていた。メルの至るところの路上で人々は立ちつくして、空を見上げた。そうやって眺めているうちに、全世界はまったく静まりかえり、鴎《かもめ》の一群が、一羽を先頭に他の鴎がそれに従って空を渡って過ぎた。そして、この異常な静けさと平和、この蒼さ、この浄らかさのうちに、十一たび鐘は時を鳴らし、その音は空とぶ鴎の群れのまにまに薄れていった。
旋回し、疾駆し、あやまたず飛ぶ飛行機は、スケートをする人のように――
「あれはEだわ」ブリッチリーのおかみさんが言った――あるいはまた、ダンスする人にも似て――
「砂糖菓子だ」ボウリー氏はつぶやいた――
(その間に自動車は門の中へ入ったが、誰も見てはいなかった)、そして煙を切り刻みながらそれは遠く、遠く疾走し去り、煙もまた薄れて、幅広い白雲の姿の周囲にむらがった。
機影は没した。機影は雲の背後に隠れた。爆音もしなかった。EやGやLなどの文字をまつわらせた雲は、思いのままにたゆたった。あたかも、けっして洩らされることのない、けれどたしかにそうに違いない重大使命を帯びて、ロンドン上空を西から東へと渡らねばならぬかのように。やがてとつぜん、列車がトンネルの中から立ち現れるように、飛行機はふたたび雲間をついてあらわれ、メルや、グリーン公園や、ピカディリーや、リージェント街や、リージェント・パークにいるすべてに人々の耳に爆音をとどろかせ、たなびく煙の曲線を背後に、舞い下り舞いあがり、つぎつぎと文字を書きつけた――だが何という言葉をか?
ルクレチア・ウォレン・スミスは、リージェント・パークの広小路《ブロード・ウォーク》のベンチに良人《おっと》と並んで坐りながら、空を見上げた。
「ほら、ほら、セプティマス!」彼女は叫んだ。ホームズ博士から、御主人が(少しばかり気色がすぐれないというだけで、別に大したことはありませんよ)自分以外のことがらに興味を持つよう仕向けなさい、と言われたから。
ああやって、とセプティマスは仰向きながら考えた、俺にむかって合図しているのだ。実際の言葉でじゃない。けっきょく、俺にはあの言葉は読みとれない。しかしはっきりよく分るのだ、この美しさ、この何ともいえない美しさが。そして、かすれて空に消える煙の文字を眺めているうち、彼の眼がしらは涙にあふれた。尽きぬいつくしみを彼の上にそそぎ、想像に絶した美の形相につぐ形相をもって笑いかけ、何のためにというのでもなく、とこしえに、ただ見せようがために、美を、あまたの美を、与えようとするその意向をほのめかす煙の文字! 涙が彼の頬をつたって流れた。
砂糖菓子《トフィー》、あれは砂糖菓子《トフィー》の広告ですよ、と子守女がレチアに言った。二人はいっしょになって文字を綴りはじめた。T……O……F……
「K……R……」子守女が言った。セプティマスは、冴えたオルガンのように深くこもって優しい「ケィ……アール」という声を耳に聞いた。しかもその声には蝗《いなご》の声のような粗野な感じがこもって、彼の背骨をこころよくさすり、脳裡に送りこまれた音波はくだけながら震動した。まったくすばらしい発見――人間の声はある種の雰囲気の下に置かれると(なぜと言ってわれわれは科学的、何はさておき科学的でなければならぬ)、樹木にも生あらしめるのか! さいわいレチアが途方もない力を出して彼の手を膝におしつけてくれたので、身体に重心がつき、その場に居すわることができたが、さもなかったら、葉という葉を燃え立たせて上下に揺れうごく楡《にれ》小立が、また、誇らかに目もあやに舞いあがり揺れなびく、馬のたてがみか貴婦人の頭上の羽根飾りにも似て、薄青から濃緑へと中空に様を変える色の波が、彼の頭を狂わせていたであろう。だが狂うものか。眼を閉じて、もう何も見まい。
だがしかし手招いている。葉は生きている、樹木は生きている。そうして葉は、何百万の繊維によってこの身体とつながって、俺の坐るこのベンチを煽り立てているのだ。枝が葉をひろげて来るとき、俺もそのことを声明する。羽ばたきし、舞いあがり舞い下りて、噴水のようにじぐざぐ状に群がる雀らも、構図の一部なのだ。黒い木の枝にかこまれた、白と黒の構図。音は予考と調和する。音と音との合間も、音と同じく意味深長だ。子供が叫んでいる。ほどよく彼方に角笛が鳴りひびく。一切合切がはるか新しい宗教の誕生を暗示して――
「セプティマス!」レチアが言った。彼はひどくおどろいたふうだった。みんなに知れてしまうにちがいない。
「わたし噴水のとこまで行って来るわ」と彼女は言った。
だってもう、わたしには我慢がならない。ホームズ博士は、何でもないですと言うかもしれないけれど。いっそ死んでくれたほうがいいんだわ! ああしてじっと眼をすえて、こちらの方は見向きもしない。そんなそばにいっしょに坐っていると、怖ろしくて。空も木も、遊んでいる子供も、曳かれてゆく荷馬車も、鳴る警笛も、奈落に落ちこんでゆくよう。怖ろしいものだらけだわ。でもあの人は自殺しようとはしない。そしていまのわたしには語る相手もない。「セプティマスは労働がすぎたの」――お母さんにも、それだけしか伝えられない。愛って人間を孤独にするものなのだ、と彼女は思った。もう誰にも言えやしないわ、セプティマスにだっても。そして、振り返りながら彼女は、見すぼらしい外套を着た彼が、しょんぼりとベンチに坐り、肩をかがめて、何かをみつめている姿を見やった。それに、自殺を口にするなんて男として卑法なことだ。でもセプティマスは戦ったのだわ、勇敢に。あの人はもうセプティマスじゃないわ。わたしはレースの襟《カラー》をしている。新しい帽子をかぶっているのに。あの人はいっこう気づかない。わたしがなくても幸福なんだわ。わたしは、でも、あの人なしでは幸福にはなれない! どうしても! あの人は利己的だわ。男ってものはそうなんだわ。病気ってわけじゃないのに。ホームズ博士は、何でもないですよって言ったわ。彼女はセプティマスの方に片手を広げた。ほら! 結婚指輪が抜け落ちて――こんなに痩せてしまったのよ。苦しいのはわたしよ――それなのに語る相手もないなんて。
遥かかなたのイタリア、白い家々、彼女が姉妹たちと帽子作りをした部屋、そして、夕べごとに街々につどい集まり、高らかに笑う人々は、椅子車《バース・チエア》に押しこまれて鉢植えの醜い花の二、三本を眺めて、半分死んだようなこの国の人間とは人種がちがう!
「ミラノ植物園を見ないことにはねえ」彼女は大声で言った。しかし誰に言ったのか。
誰も居合わすものはなかった。彼女の言葉は消えていった。火箭《ひや》もそんなふうにして消える。火花が夜空をかすめて登ってゆき、やがて闇に呑みこまれると、暗黒が舞いおり、家や塔の輪郭のうえに氾濫する。荒涼たる山腹は線を和らげ崩れる。しかしたとえ消え去ろうとも、夜空はそれらの火花に満たされている。色を奪われ、窓をふたがれてなお、それらは一そう重々しく君臨し、白日の光も伝え得ないことがら――暗黒裡に凝集し、暗黒裡にひしめき合い、和らぎを奪われたものどもの懊悩を、不安を放射する。そして、和らぎが暁とともによみがえると、仄白く壁を染めて窓硝子を一枚々々ひろい出し、野の面の霧をはこび、安らかに草食む赤褐色の牝牛の姿をあらわし、ありとしあるものを今ひとたび人目に飾り立てる。再び存在が始まるのだ。わたしはひとりだ、ひとりぼっちだ――リージェント・パークの噴水のほとりで(印度人と十字架の像を見つめながら)彼女は叫んだ。恐らく真夜中、あらゆる境界線が没し、国民は、上陸したローマ人たちが朦朧として横たわるその姿をうち眺め、丘は名をもたず、川はいずかたともなくうねり流れていた太古の頃の形状に復した、真夜の時――彼女の心の闇はかくのごときものであった。そのとき突如、ぬっと突き出た岩棚の上に身を置いたかのように、彼女は言い出した。わたしはあの人の妻、数年前ミラノで結婚した妻だもの、けっして、けっして、あの人が気が狂ったなどと私は言うまい! 振り返ると岩棚の姿はなく、彼女は深く落ち込んでいった。あの人はいってしまった、と彼女は思った――いってしまったのだ、するぞするぞと言っていたように、自殺をしに――荷馬車の下に身を投げに! 否、彼はその場にいた。相変らずひとりぼっちで腰をおろしていた。見すぼらしい外套をまとい、眼をすえて、大声で物を言いながら。
人間は樹を切り倒してはならない。神様が宿っているのだ(彼はこんな啓示を封筒のうらに書きつけた)。世界を変革せよ。憎悪によって人を殺めるものはない。そのことを知らせよ(彼はその言葉を書きつけた)。彼は待った。彼は聴き耳を立てた。向こうの柵にとまった一羽の雀が、セプティマス、セプティマスと四、五回繰りかえしさえずり、ついでその啼き声を引き伸ばして、爽やかな鋭いギリシア語で、罪なるもののありえぬ次第を歌った。するともう一羽がこれに和し、二羽の雀が、引き伸ばされた鋭いギリシア語の歌声で、死者の歩む河〔ギリシア神話に出る「忘れ河」〕の彼方の生の牧場〔不老不死の国、エリューシオン〕の木立から、死なるもののありえぬ次第を歌った。
これは俺の手だ。死者はあそこにいる。白い影が向こうの柵のうしろに集まっている。しかし見たくない。エヴァンズ〔戦死した彼の上官〕が柵のうしろにいる!
「あなた、何を言ってらっしゃるの」だしぬけにレチアがそう言って、彼のそばに腰をおろした。
また邪魔をする! しょっちゅう、こいつは、邪魔ばかりしているんだ。
みんなから離れて――みんなから離れてあっちへ行くんだ、彼は言った(ぱっと立ち上がりながら)、ずっと向こうのほうへ。その方向には一本の樹蔭に椅子があり、公園の長い斜面が、青とピンクの煙幕を高く張りながら、一枚の長い緑いろの織物のようにスロープを描き、また、遠く煙に霞む不規則な家並みが塁壁をかたちづくり、行き交う車馬は巴《ともえ》をなして唸りをあげ、さらに右手には、焦茶色の動物たちが動物園の囲い越しに長い頸をさしのべ、吠えたりわめいたりしていた。二人は一本の樹蔭に腰をおろした。
「ご覧なさい」彼女は哀願するように言いながら、クリケットの柱をはこんでゆく少年の一団を指さした。少年の一人は寄席の道化役者の真似でもするように、足を引きずっては踵でくるりとまわり、また足をすって歩いていった。
「ご覧なさいな」ルクレチアは彼に懇願した。ホームズ博士が、彼の関心を現実のことがらに向けさせ、寄席に行かせ、クリケットをやらせよと忠告したからだった。クリケットは恰好のゲームです、とホームズ博士は言った。恰好の戸外ゲームです、御主人には恰好のゲームですよ。
「ご覧なさいな」彼女はくりかえした。
見よ、と見えざるものが命じたのだ。その声は、人類のもっとも偉大な者、生から死へと移されたばかりのこのセプティマス、社会改革のためにおとずれ、掛布団のごとくまた、太陽以外の何ものも滅ぼしえぬ雪の白布のごとく横たわり、とこしえに朽ちず永遠に悩む神、贖罪羊〔旧約聖書レビ記第十六章参照〕、永遠の受苦者たる俺と語り合おうとするのだが。だが俺は嫌だ、彼は呻くように言って、その永遠の苦悩、その永遠の孤独を手を振って払いのけた。
「ご覧なさいな」彼女はくりかえした、戸外で彼にひとりごとを語らせてはならなかったので。
「ね、ご覧なさいってば」彼女は懇願した。だが、見るべき何があるか。数匹の山羊。それっきりだ。
地下鉄のリージェント・パーク駅に出る道を教えて下さいな――メイジー・ジョンスンは地下鉄駅に出る道を知りたかったのだ。彼女は二日前にエディンバラから出て来たばかりだった。
「こちらでないわ――あちらよ!」レチアはセプティマスの姿を見られまいとして、少女を手のさきで追い払うようにしながら叫んだ。
二人とも妙な様子をして、とメイジー・ジョンスンは思った。何もかもが奇妙だった。生まれて初めて、レドンホール街〔ロンドン東端にあって英国海運業の中心をなし、肉や家畜の市場でも有名〕の伯父の家で働くために上京し、いまリージェント・パークの朝の散歩にやって来た彼女に、椅子に並んだこの夫婦づれは一転機をすら与えたのだった。若い女は外国生まれらしく、男の方は奇妙な様子をしている。わたしが、非常な年寄りになっても、五十年前のある晴れた夏の朝、リージェント・パークを散歩したことが忘れられず、思い出の一つとして嫌な後味を残すだろう。わたしはまだ十九で、ようよう念願かなって上京したところだ。ところで、いま道を訊ねたあの夫婦は、なんて奇妙なんだろう。少女はぎょっとして手を引っ込めた。あの男は――とっても変な様子をして。たぶん喧嘩をしたのだろう。夫婦別れをするのだろう。何かあったんだわ、彼女は察しをつけた。すると、あらゆる人々が(彼女は広小路に戻っていたので)、石でかこった溜池が、清楚な花が、大ていは椅子車《バース・チェアー》に乗った病人である年老いた男たち女たちが――一切が、エディンバラを見馴れた眼には奇妙きわまるものに映じた。そしてメイジー・ジョンスンは、静かに道をたどり、ぼんやりと前をみつめ、微風に顔をなぶらせているあの一隊に加わりながら――栗鼠《りす》は木に棲《すま》って身づくろいし、群がる雀は羽ばたきながらパン屑を探しもとめ、犬どもは柵の根をほじくり、また犬同志でたわむれ合い、そうしながらまた彼らは、そよ吹く生暖かい風から貸し与えられた泰然不動のまなざしで気狂いじみた人生に対し、これを和らげていた――ああ! とメイジー・ジョンスンは叫ばずにはいられないことを心底から感じた(腰掛に坐ったあの男は彼女に一転機を与えたから。何かあったんだわ、きっと)
ああ、怖い! 怖いわ! 彼女は喚き立てたかった。(彼女は家を出て来たのだった。何が起こるか分らないよ、と家族のものは警告したのに)
なぜわたしは家にじっとしていなかったのだろう、と彼女は、鉄柵の握りにしがみつきながら叫んだ。
あの娘は、とデンプスタのおかみさんは思った(彼女は栗鼠《りす》のためにパン屑を貯めて置いては、よくリージェント・パークにやって来て、昼食をとるのだった)、まだねんねえなんだね。ほんとにあの娘は少し体が肥えていて、動作がにぶくて、あまり物事をあてにしないほうがいいのに。パーシーは飲み助だけど。そう、息子をもつといいのに、とデンプスタのおかみさんは思った。さまざまの苦労を経て来た彼女は、そんな娘を見ては微笑を禁じえなかったのだ。お前さんはずいぶん綺麗だから、いずれ結婚するだろうよ、とおかみさんは考えた。結婚したなら、おかみさんは考えた、思い知るだろう。ああ、料理番だの何だの。男ってみな勝手なものさ。でも、もしそうと知っていたら、わたしはこの通りの道を選んでいたろうか。デンプスタのおかみさんはそう思い、メイジー・ジョンスンに一言耳打ちしてやりたいと思った。皺くちゃにふくれあがり、擦りきれて古びたその顔に、あわれみのキスをしてもらいたかったのだ。何しろつらい生活だったものね、おかみさんはそう思った。そのためにみんな犠牲にしてしまったわ。薔薇いろの肌を。容姿を。足までもねえ。(彼女はごつごつした両足を裾の下に隠した)
薔薇の肌だなんて、彼女は嘲弄的に考えた。まったくばかげてるわよ、あんた。実際、食べたり、飲んだり、くっついたり、悪い日だのよい日だのがあったりして、人生なんて薔薇いろどころのさわぎじゃなかったさ。だけど、断って置きますがね、キャリー・デンプスタは、ケンティッシ町〔ロンドン北端、セント・パンクラス区にある町〕のどんな女とだって、この運命をとりかえっこしようとは思わないわよ! でも、と彼女は哀願した、あわれんで頂戴。薔薇いろを失くしたわたしをあわれんで。彼女はヒアシンスの花壇のそばに立つメイジー・ジョンスンにあわれみを求めた。
あら、あの飛行機! わたしったら、いつもよその土地にあこがれていたわねえ! わたしには、宣教師の甥があるのさ。飛行機は舞いあがり、いっきに飛んだ。わたしはいつもマーゲート〔ロンドンの東、ドーヴァー海峡にのぞむ著名の海水浴場〕の海に出かけたわ。それは陸が見えないほどの沖合いでもなかったけど、水を怖れるような女には我慢がならなかったねえ。飛行機は急降下した。彼女は叫天した。機体はふたたび上昇した。あれには立派な青年が乗っているのだよ、おかみさんはそう確信した。飛行機はどんどん飛んでいった。見る間に影を小さくしながら、それは遠くとおく疾駆して去った。グリニッジ〔ロンドンの東郊、テームズの対岸にある港市〕に立ちならぶ船橋《マスト》の上空を飛び、小島のようにつらなる灰色の教会の上、セント・ポール寺院〔ゴシック建築の均整美で知られた大伽藍〕その他の上空を飛んだあげく、ロンドンの両側に打ちひらけた野を、黒鼠いろの森を――冒険ごのみのつぐみが大胆にはねまわり、素早く眼をはしらせ、ひっさらった蝸牛《かたつむり》を両三度も石の上に叩きつけたりしているその森の上を、飛行機は飛翔した。
遠く遠く疾駆した飛行機は、ついにはまったく光った一つの点、憧憬、心を専らにするもの、人間の魂の象徴(そんなふうに、グリニッジの芝生で元気にローラーを転がしていたベントリー氏には思われた)となった。あれは、とベントリー氏は杉の樹のまわりをぐるっと回りながら考えた、思想により、アインシュタインにより、数学により、メンデルの法則によって、肉体の外に、我が家の外に出ようとするわが決意の象徴だ――飛行機は疾駆し去った。
そして一方、セント・ポール寺院の階段うえでは、見すぼらしい、得体の知れぬ男が、革の鞄を下げて、ためらいながら立っていた。この内部にはいかなる芳香が、いかに大きな歓待が、旌旗《せいき》たなびくいかに多くの墓があることか。旌旗はしかし敵軍にたいする勝利の象徴ではない、とその男は考えた。そのために現在自分が失業のままに置かれている、厄介極まる真理探求の精神の弾圧を象徴するものなのだ。そればかりでなく、この伽藍は交わりを提議し、と彼は考えた。お前に入団をもとめる。偉大な人々がその団体の会員なのだ。殉教者らはそのために死んだ。なぜ入らないのだ? 彼は考えた。なぜ入って聖壇に、十字架の前に、探求と論争の彼方に高翔し、精神と化し、肉体を脱し、霊的なものとなったあるものの象徴の前に、パンフレットを詰めこんだこの革鞄を置かないのだ――なぜ入ろうとしないのだ? 彼がそう考えて、なお寺院の外でためらっているあいだに、飛行機はラドゲイト広場〔セント・ポール寺院の正面入口で、フリート街はここで終わる〕の上空を飛んだ。
異様なまでに静かであった。往還のうえに爆音が聞こえて来ることもなかった。まるで操縦者をもたず、自分の自由意志で飛んでいるようにそれは見えた。そして今度は、上へ上へと、真っ直ぐに、純粋な歓喜のうちに、恍惚として昇ってゆくもののようにカーヴを描き、機体の尾部から輪をなしてT・O・Fと書きつづってゆく白煙を吐き出した。
「何を眺めているの、あの人たちは?」ドアを開けてくれた女中にむかって、クラリッサ・ダロウェイは言った。
玄関はあなぐらのようにひんやりとしていた。ダロウェイ夫人は片手を眼の高さまで上げた。そして、女中のルーシイがドアを閉め、スカートでひゅーと風を切るのを聴いたとき、彼女はまるで、俗界を棄てた尼僧が、なつかしいヴェールや、昔ながらの信仰にもどろうとする心構えが、身のまわりを包むのを感じるときのような、そのような気持ちを味わった。台所で料理女が口笛を吹いた。タイプライターがかちゃかちゃ鳴る音が聞こえて来る。これがわたしの生活なのだわ。そして彼女は玄関の置きテーブルに身をかがめながら、生活の権力にむかって頭を垂れ、わが身が祝福され浄められるのを感じ、さらに、電話の伝言をしるした用箋を手にとりながら、このような瞬間こそ生の樹に咲く蕾であり、闇にひらく花であることを思った(美しい薔薇が彼女のためにのみ花咲いたかのように)。ただ一瞬も、わたしは神を信じようとは思わない。けれどそれだけに、と彼女は用箋を手にしながら考えた、日ごろの感謝がなおさら必要だ。召し使いに、そうだ犬やカナリヤに、とりわけリチャードに感謝することが。彼こそ生活の源泉なのだ。――陽気な物音の、緑の光や、口笛すら吹く料理女の。ウォーカーのおかみさんはアイルランド生まれで、一日じゅう口笛を鳴らしている。このえもいわれぬ瞬間をひそかに貯えて、その償いを返さなくては、と彼女が用箋を取り上げながら考えていると、傍らのルーシイが説明しかけた。
「奥様、あの、旦那様は――」
クラリッサは電話のメモを読みくだした、「ブルートン夫人はダロウェイ氏と本日昼餐をともに致したし」
「旦那様はあの、外でお昼食を召しあがると、そう奥様に申し上げるよう、おっしゃいました」
「まあ!」とクラリッサにそう言われて、ルーシイは、クラリッサの下心どおりに、同じ失望の色を(悲嘆をではないが)あらわし、二人のあいだの感情の一致を感じ、胸中を推察し、上流階級の愛情とはこんなものかと考え、自らの未来を静かな夢でいろどった。そして、夫人の日傘を受け取り、戦場で天晴れな振舞いをしめした女神がやがて捨て去る神聖な武器〔軍の女神ミネルヴァは鎧をつけ楯を構えている〕ででもあるかのように、それをあやつり、傘立ての中に差しこんだ。
「な怖《おそ》れそ」とクラリッサはつぶやいた。いまは、な怖れそ、日ざかりを〔前出、シェイクスピアの詩句〕。ブルートン夫人が自分をさし置いてリチャードだけを昼餐に招んだという心の激動は、彼女の立ちつくしている瞬間をふるえおののかせた。河床に生えた草が通りすがる魚の鰭にぶつかっておののくように。そのように彼女はゆらぎ、そのように彼女はおののいた。
ミリセント・ブルートンのランチ・パーティはとても面白いという評判であったが、彼女は招待をうけなかった。しかしどのような卑しい嫉妬も、彼女とリチャードを分けへだてることはできないのだった。むしろ、時そのものを怖れる彼女は、ブルートン夫人の面輪《おもわ》に、まるでそれが非情の石に刻まれた日時計ででもあるかのように、生の衰えを読んだ。年一年と彼女の分け前は削り取られ、残された余白は乏しく、若い時代のように生の色彩を、風趣を、音色をひろげ、吸いとる能力はせばめられてゆく。若い日の彼女なら、そのようにして、彼女が入ってゆく部屋を満たすことができた。また自分の客間のしきいの上で一瞬ためらうときなど、あたかも、足下の海が暗くなったり明るくなったりし、波は砕けるかと見えてただその表面をやわらかに裂くのみで、海草を転ばし、隠し、やがて逆巻きながら真珠をそこにちりばめて見せる、そんな様子を前に、いまし水中に跳び込もうとする潜水夫がたじろぐのにも似て、言いがたい危惧を感じることがしばしばであった。
彼女は用箋を玄関のテーブルの上に置くと、手摺に手をかけて、ゆっくりと階段を昇りはじめた。彼女の表情、彼女の声に反照してくれるあの友この友をあとに、宴の席を離れ、ドアを閉め、外に出て、すさまじい夜空の下にただ一人立ったように。否むしろ正確に言うなら、この現実の六月の朝のけざやかさの下に。開け放たれた階段の窓辺にしばらく佇んだ彼女は、薔薇の花の色つやに心なごませる人々もあるだろうことは承知の上で、更にまた、日除けが風にはためく音や犬の吠え声をはこび入れるその窓に立ついま、そのことを実感しながらも、急に自分の身体が萎び、老い、乳房をも失ったような、そんな感じにおそわれ、流れ入る今日のつとめ、花開く今日のはなやぎが、逆に戸外に、窓の外に、いまや衰えた自分の肉体と脳髄の外に流れ去るのを感じたのだ。ブルートン夫人はとても面白いと言われているランチ・パーティに招んでくれなかったから。
引きさがる尼僧のように、さもなければ塔を探検にゆく子供のように、彼女は二階にのぼり、窓際でちょっと立ちどまってから、浴室にやって来た。緑いろのリノリウムが敷かれ、栓からは雫が垂れている。生の中心に一つの空所がある。それは屋根裏部屋だ。女どもは豪奢な衣裳を脱がねばならぬ。彼女は針山にピンをつきさし、羽毛飾りのついた黄色の帽子を寝台の上に置いた。敷布《シーツ》は幅広の白い平紐で両端にぴんと張られていて清潔だ。だんだん寝台は狭くなってゆくだろう。蝋燭はなかば燃えつきている。マルボー男爵〔フランスの将軍。一七八二〜一八五四〕の『回想録』に読み耽ったためだ。夜更けにモスコー退却の章を読んでいたのだった。議会が長くかかるのでリチャードは気をつかって、病気あがりだから静かに寝なくてはいけないよ、としきりにそう言った。でも実際、わたしはモスコー退却の章を読みたいのだ。彼もそのことを了解してくれた。そんなわけで、部屋は屋根裏だし、寝床も狭いのだ。寝つきの悪いわたしは、横になって本を読みながら、お産を経ながらもなお保存され、シーツのようにつきまとう処女性を、払いのけることができなかった。愛らしい少女時代にも、急にそんな瞬間を経験したのだ――たとえば、クリーヴデン〔ロンドン西方、テームズ河畔のマーローにある有名な邸宅か〕の森蔭の川辺で、冷たい精神の収縮作用から、彼を拒んで去ったのだ。それからコンスタンチノープルで、そしてまた再三再四。自分にはなにが欠けているのか、それは了解できる。美ではない。精神でもない。浸透してゆく何か中心的なもの。表皮を破壊し、男と女の、また女同士の冷やかな接触に波紋をまき起こす温かみ。そういったものなのだ。おぼろげに|それ《ヽヽ》と承知してはいる。わたしはそのことを無念に思い、いずかたともなく拾い上げた、いやわたしの感想では自然(自然はつねに賢明である)から享けた、ためらいを感じたのだ。けれどわたしは、時とすると、少女ではない婦人の魅力を、いつもよく聞かされる窮状だの愚かな行為だのを告白する女のもつ魅力に、どうしてもわたしは抗しきれぬ場合があった。そして、あわれみのためか、相手の美しさのためか、あるいは自分が年を取ったためか、何かの偶然のためか――たとえば酔うような香りとか、隣りから流れて来るヴァイオリンなど(ある瞬間には音はそんなにふしぎな力をもつものだ)――いずれにせよあのとき、はっきりと、男たちが感じるところのものを感じたのだった。ほんのもう一瞬。でもそれで充分だった。とつぜんの啓示か、頬の紅潮のようなものだった。一旦は抑えようとするが、やがて拡がってしまうと、拡がりに屈して、はるかな果てまでつき進み、そこで身を震わせ、世界が目覚ましい意義をおび、恍惚の圧力によって膨れながらせまって来るのを感じているうちに、その薄皮は裂けてどっと噴き出し、ひびや擦傷《すりきず》の上に途方もない慰藉《いしゃ》の雨をそそぐのだ! そんなとき、束の間ながらわたしは見た、光明を、サフランの中に燃えるマッチの火を、ほとんど外にまで現された内の意味を。でも近いものは遠のき、固さは和らげられる。終わったのだ――その瞬間は。そうした瞬間(女の場合は尚更だけれど)と対照をなしているものが(彼女は帽子を下に置いた)、寝台とマルボー男爵と半ば燃えつきた蝋燭となのだ。眼を開けたまま横になっていると、床がぎしぎし鳴って、明るい家の中が急に暗くなる。頭を上げたら、リチャードができるだけ静かにまわす把手の音がかちりと聞こえるだろう。リチャードはよく、靴を脱いで、忍び足で階段を上がって来て、それからよく、お湯の壜を落っことしては罵るのだった! どんなにかわたしは笑ったことか!
ところで恋の問題だけれど(彼女は上衣を脱ぎながら考えた)、女同士が恋愛するというこの問題だけれど。たとえばサリー・セットン、あの昔のサリー・セットンとの関係。あれはけっきょく、恋愛ではなかったろうか。
サリーは床の上に坐っていた――それが彼女の第一印象の姿だった――床の上に膝をかかえて坐りながら、煙草を喫っていた。いったい、あれは何処だったろう。マニング家? キンロック・ジョーンズ家? いいやどこかの夜会でのことだ(場所は曖昧だが)、傍らに居合わした男に「|あれ《ヽヽ》はどなた」と訊ねたことがはっきり記憶にあるから。すると男の人はしゃべり出し、サリーの両親はうまく折り合いがつかないのだと語った(どんなに驚いたことだろう――喧嘩をする両親があるなんて!)。けれどその晩じゅうサリーから眼をそらすことができなかった。それはもうわたしが嘆賞してやまないような、すばらしい美しさで、黒味がちな大きな眼をして、それに、自分にはないのでいつも羨ましく思っているあの性質――何でもしゃべり何でもやってのける、一種の蓮っ葉な性質――英国の女よりは外国の女にありがちな性質をそなえているのだった。いつもサリーは、わたしにはフランス人の血が流れていてね、御先祖の一人はマリー・アントアネットといっしょに首を斬られ、ルビーの指輪を形見に残していったのよ、などと言っていた。たぶんあの夏だわ、あの人がブアトンへ泊りに来たのは――ある晩、食事も済んだあとへ、まったくだしぬけに、懐中無一物で踏みこんで来たので、気の毒にヘリーナ叔母さんはびっくり仰天してしまって、いらい、彼女を容赦しようとしなかった。あの人の家でひどいいざこざがあったのだ。 わたしの家へ来た晩、まったく文字どおり一文なしだった――ブローチを質に入れてやって来たのだ。夢中で飛び出して来たのだった。二人はその晩を語り明かした。このわたしに、生まれてはじめて、ブアトンの生活がいかに浮世離れしているかを感じさせてくれたのは、それはサリーだった。わたしは、性に関して無知識だった――社会問題についても無知識だった。どこかのお婆さんが原っぱでばたりと倒れて死ぬところを見たことはある――お産が済んだばかりの牛を見たことも。でもヘリーナ叔母さんは何事によらず議論がきらいだった。(サリーがわたしにウィリアム・モリス〔英国の詩人、工芸美術家、社会思想家。一八三四〜九六〕の本をくれるにも、茶色の紙で包んで渡したほどに)。二人は何時間でも、屋根裏にあったわたしの寝部屋に坐っておしゃべりをした。人生について、いかに世界を改革すべきかについて、おしゃべりをした。私有財産を廃した社会の建設を計画し、建白書を実際に書いたが、送らずにしまった。もちろんこれはサリーの思いつきだが――すぐにわたしも夢中になってしまって――朝食まえ、寝床の中でプラトンを読み、モリスを読み、シェリーを読んで何時間もつぶしたのだ。
サリーの精力ときたら呆れるくらい、天分も、個性も。たとえば花の扱い方がそうだ。ブアトンの家ではいつも、テーブルに、武骨な小さな花瓶をずらりと並べてあった。サリーは摘んで来た|たちあおい《ヽヽヽヽヽ》やダリアを――そんな取り合せは聞いたことがないようなあらゆる花を――頭をちょん切って、水盤におよがせた。効果はすばらしかった――夕がた食事にやって来て見ると。(もちろんヘリーナ叔母さんは、草花をそんな扱い方をするなんて飛んでもないことと考えた)それからまたあの人は、海綿を忘れたと言って、裸のまま廊下をはしった。おっかないばあやさんだったエレン・アトキンズが、うろうろしながら苦情を言った、「殿方のお眼に入ったらどうしますか」って。ほんとにみんなをびっくりさせる人だった。だらしがないなあ、父さんはそう言った。
振り返って見ると、サリーにたいするわたしの気持ちの純情さ、高潔さといったらふしぎだった。それは人間が人間にたいして持つ感情とは違っていた。まったく私心のないもので、その上にそれは、女同志の、ようやく大人になった女同志のあいだにだけ存在する、一種の特性をそなえていた。わたしのほうが保護者の立場だった。一種の同盟的な気持ちが、無理矢理二人を引き離そうとする何かへの予感が(いつも二人は結婚なんて破滅よと話し合っていた)、この騎士道的精神となり擁護的感情となったわけで、それはサリーよりはこちらのほうがずっと強烈だった。何しろあの頃のサリーはまったく向こう見ずで、強がりからほんとうに狂人じみたことを仕出かし、テラスの欄干を自転車で乗りまわし、煙草をぷかぷかふかした。ばかだったのだ――ひどいおばかさんだったのだ。けれど魅力たるや圧倒的だった、少なくともわたしにとっては。屋根裏で、お湯入れの缶を手にして佇みながら、「あの人はこの屋根の下にいる……あの人はこの屋根の下にいる!」と、そう叫んだことをおぼえているほどに。
でもいやその言葉は、現在のわたしには、まったく意味をもたない。昔の感慨の反響をさえ味わうことはできないのだ。しかしいつまでも忘れはしない、昂奮のあまり肌寒さをさえ覚えたことを。一種の恍惚感にひたりながら髪を整えていると(いま彼女が実際にヘアピンを抜いて、それを化粧台の上に横たえ、髪の毛をなおしはじめると、昔日の感情がよみがえって来るのだった)、ピンク色の夕明かりのなかをミヤマガラスが、これ見よがしに飛びまわっていたことを。そしてドレスを着て階下《した》に降り、広間を横切りながら「いま死んだら、このうえもない幸福だろう」〔『オセロー』第二幕第一場〕と思ったことを。それがわたしの感情――オセロー的感情であり、わたしはそのように感じまた確信したのだ、シェイクスピアがオセローに感じさせようとしたと同じように強烈に、一途に。白のドレスを着てサリー・セットンに会うというそのことのために!
彼女はピンクの紗《うすぎぬ》をまとっていた――ありそうにない話だが。とにかく彼女は|まるで《ヽヽヽ》軽快そのもののように輝いていた。漂い流れてしばし茨の上に身を置く風船玉か、それとも鳥か何かのように。けれど他の人間には目もくれずに恋に夢中でいることほど(あれが恋でなくて何だろう)ふしぎなものはない。ヘリーナ叔母さんは晩餐のあとの散歩に出ていた。父さんは新聞を読んでいた。ピーター・ウォルシュが居合わしたかもしれない、お年寄りのミス・カミングスも。ヨゥゼフ・ブライトコップもいたはずだわ。あのお爺さんは毎夏、何週間も来ていて、わたしといっしょにドイツ語を読むふりをしながら、実は、ピアノを弾いては小声でブラームスを歌っていたのだ。
こうしたことはみんな、サリーの背景をなすことがらにすぎない。サリーは煖炉のそばに立って、あの人の言葉の一切を愛の抱擁のようにも思わせる美しい声で、我にもなく彼女の魅力に惹かれはじめている父さんに(彼女に貸した本がテラスの上にびしょ濡れになっているのを見つけたときは、容赦できなかったのに)話しかけていた。やがて、とつぜんのようにあの人が「家の中にいるなんてみっともないわ!」と言うと、みんながテラスに出て、テラスをぶらつきはじめた。ピーター・ウォルシュとヨゥゼフ・ブライトコップは、ワグナーについて話をはずましていた。わたしとサリーは少し後れて歩いた。そしてやがて、花を生けた石甕《いしがめ》の前を通ったとき、わたしの生涯の最も美しい瞬間がおとずれたのだ。サリーは立ちどまった。花を一本引き抜いた。わたしの唇に接吻した。全世界が顛倒するかと思えた! 他の人間の姿は消えてしまった。サリーと二人っきりだった。わたしは、包みこまれ、しまって置いて窺いてはならないという断り文句つきの贈り物を――もう限りなく貴重な、固く包まれたダイアモンドを、与えられたような気がした。そして二人して歩きまわりながら(とめどなく、あちらこちらと)、わたしはそれを開いた。いいえ、開かずとも、包みを透かして燃え輝いたのだ、啓示が、法悦感が! ――とそのとき、ヨゥゼフ老人とピーターにばったり出会った。
「星をながめておいでですか」ピーターが言った。
暗闇で御影石の塀に顔をぶつけたような感じだった! びっくりした、ぎょっとした! 自分のためではなかった。ただ、サリーが早くもひどい仕打ちをうけ、いためつけられたと感じたのだ。気づいたのだわたしは、彼の怒りに、彼の嫉妬に、二人の仲を引き裂こうとする決意に。わたしは一瞬にして風景をとらえるように、一切を悟ったのだ――が、サリーの態度は(こんなにも彼女に敬服したことはなかった!)きっぱりしたものだった。わたしは笑った。ヨゥゼフ老人に星の名前を教えてもらっていた。老人は真面目になってそれを語るのが道楽だったのだ。わたしはそこに佇んでいた、じっと聞いていた。星の名前を聞いていた。
「まあ、この身慄い!」彼女はそうひとりごちた。彼女の幸福の時をさまたげ悩ますものの存在を、いまもなお忘れずにいるかのように。
でも、けっきょく、その後のわたしはどんなにか彼の影響をうけていることだろう。なぜかしら彼のことを考えるといつも、二人がした口論のことを思い出す――好意的な意見を切望しているからだろう。「感傷的」だの「文化的」だのいった言葉は彼の影響なのだ。毎日のようにそうした言葉が浮かんで来る。まるで彼に看視されてでもいるみたいに。やれ感傷的な書物だとか、やれ生活態度が感傷的だとかいった言葉づかいが。過去のことを思うわたしも、おそらく「感傷的」なのだろう。どう考えるかしら、と彼女は思った、あの人が帰国したら?
わたしが年を取ったと考えるかしら。あの人はそう言うだろうか。それとも帰国した彼が、この女も老けたなあと考えていることが、感じでそれと分かるだろうか。きっとそうだわ。病気をしてからというもの、ほとんど白髪《しらが》になってしまって。
ブローチをテーブルに置きながら彼女は、もの思いに耽っているところを氷のような爪先で羽交い締めにされたように、とつぜんの痙攣におそわれた。まだ老人ではない。ようよう五十二歳に入ったばかりだ。まだ何ヵ月かは手をつけられていない。六月、七月、八月! どれもまだ完全に残されている。そして、落ちる滴をとらえようとするように、クラリッサは(化粧台に歩みよりながら)瞬間の奥家《おくが》におどりこみ、そのままそれを、あらゆる他の日の朝の圧力の下にあるこの六月の朝の瞬間《とき》を刺しつらぬき、鏡や化粧台や香水瓶やを新たな眼でながめ、(鏡をみつめながら)全身を一点に集中し、当夜宴会を開こうとする女の、クラリッサ・ダロウェイみずからの、弱々しいピンク色の顔をのぞきこんだ。
何百万遍この顔をのぞいたことだろう、いつも同じようにかすかな収縮をおぼえながら! わたしは鏡をのぞきながら、唇をすぼめるのだ。それはこの顔に尖《とが》りを与えるため。それがわたしの自我だ――尖った、投げ槍に似た、明確な。ある努力が、己をつらぬこうとする欲求がわたしのうちにはたらいて、部分々々を合わしたとき、そこに生まれるのがこの自我なのだ。わたしだけは知っているが、その各部分は実際はさまざまに相違し、矛盾し、ただ体裁上折り合って一つの中心を、一個のダイアモンドを、一人の女を形成しているのだ。己の応接間に坐って集合点となり、無聊《ぶりょう》な生活を送る人々を集めて、そこにまぎれもない光輝を放ち、孤独なものの訪《おとな》うべき慰安所を提供する女を形成しているのだ。わたしは若いひとたちに助力をあたえ、彼らから感謝されている。わたしはいつも同じような態度であろうと努力し、わたしの反面を毛ほども示すまいとする――失策を、嫉妬を、虚栄心を、また、猜疑の情を。たとえば、わたしを昼餐に招ばなかったブルートン夫人にたいするそれのような。そんな感情は、と彼女は考えた(髪の仕上げをしながら)、卑劣きわまるものだわ! ところで、ドレスはどこだったかしら?
イヴニング・ドレスは衣裳戸棚にかかっていた。クラリッサは柔らかななかへ彼女の手をつき入れ、静かに緑色のドレスを外すと、それを窓際にはこんだ。ドレスは裂けている。裾を踏まれたのだ。大使館の宴会で襞《ひだ》のさきを踏まれるのを感じた。人工の光の下では緑も映えて見えるが、いま日の光にさらすと色褪せて見える。繕《つくろ》っておこう。女中たちは手いっぱいなのだ。今夜これを着るとしよう。絹糸と鋏をもって――それから何かしら――指貫《ゆびぬき》だわもちろん――応接間に行きましょう。書きものもあるし、いつもの通り、いちおうそこらを片付けさせなければ。
妙だわ、わたしだけが、彼女は中休み段に立ちどまりダイアモンドの模様を集めながら考えた、妙だわ主婦だけがこの家のこの時間を、この気分を知っているなんて! 階段うらの螺旋仕掛けのなかでかすかな音がする。雑巾箒《ぞうきんぼうき》の音。こつりこつりいう音。とんとんいう音。正面の扉を開ける騒々しい音。地下で申し送りの言葉をくりかえす声。盆の銀器がちんと鳴る音。宴会のために磨いた銀器。すべてみんな宴会のためなのだ。
(そしてルーシイは、盆を前に捧げて応接間に入って来ると、大きな燭台をストーヴの飾り棚にのせ、銀の小凾《こばこ》を中央に、水晶でできた海豚《いるか》の置物を柱時計のほうに寄せて置いた。おいでになったお客様がたはここにお立ちになって、そう、こんなふうに、おしとやかにお話しなさるだろう、殿方や奥様がたが。うちの奥様はいちばんお美しい――銀器とリンネルと陶器にかこまれていらっしゃる奥様。そう思ったのは、差し入る太陽が、銀器が、蝶番の外れたドアが、ラペルメイアの職人が、ペイパー・ナイフを嵌め込みテーブルの上に置こうとした彼女に、成就感に似たものを与えたからだった。ほうら、ご覧! 彼女は鏡の中をしきりにのぞきこみながら、そんなひとりごとを言って、彼女がはじめケィタラム〔ロンドンの南、サレー州にある小都市〕でパン屋に奉公していたときの同僚に話しかけていた。わたしはアンジェラ姫、メアリ女王さまづきの女官よ。と、そのとき、ダロウェイ夫人が入って来た。)
「ああら、ルーシイ」彼女は言った、「銀の器が素敵にうつるわ!」
「それから」と彼女は、水晶の海豚の位置を真っ直ぐに直しながら言った、「昨夜のお芝居は面白かって?」「それが、他の人たちは途中までしか見られませんでしたの!」ルーシイは言った。「十時には戻らなくちゃなりませんでしたから!」彼女はつづけた。「筋ものみこめないような始末でしたわ」と彼女は言った。「それは気の毒だったわねえ」と夫人は言った。(家の召し使いなら、そう頼めば、もっと遅くまでいられるのだから)「これちょっとみっともないわ」彼女はそう言って、長椅子の真ん中の使い古して擦りきれたクッションを取り上げ、そのままそれをルーシイの腕に押しこみ、相手の身体を押し出すようにしながら彼女は叫んだ、――
「持っておゆき! わたしからよろしく言って、ウォーカさんに上げなさい! さ、持っていって!」彼女は喚き立てた。
が、ルーシイは、クッションを抱えたまま応接間の戸口に立ちどまると、おずおずと、少し顔を赤くしながら、お繕いのお手伝いはよろしいのですか、と訊ねた。
でも、とダロウェイ夫人は言った、お前はもう手一杯よ、それでなくても過ぎるほど用事があるのだから。
「でも有難う、ルーシイ、わたしはほんとに感謝してよ」とダロウェイ夫人はそう言って、有難う、有難う、と繰りかえした(ドレスを膝に、鋏と絹糸を手に、長椅子に坐りながら)。有難う、有難う、とくりかえしながら彼女は、いつもこうして手伝ってくれ、思うとおりにしてくれ、気立てが優しくて親切な女中たちに感謝した。女中たちはみなわたしを慕ってくれるわ。ところでこのドレスだけれど――裂け目はどこかしら。さあ、針に糸を通さなくては。これは私の気に入っているドレスの一つで、サリー・パーカーの仕立てだが、これがほとんど最後の品になった。サリーは、いまでは店を辞めて、イーリング〔ロンドンの西方にある住宅都市〕に住んでいるから。もし折があったら、とクラリッサは思った(しかしそんな折があろうはずはないだろうが)、イーリングに訪ねて見よう。だってあの人は人格者で、とクラリッサは思った、本当の芸術家だわ。ちょっとデザインが変わっているけど。でも仕立てはちっともおかしくはない。ハットフィールド〔ハットフィールド荘。ロンドン北西約二十マイルの同名の町にある古い館〕でも着られる、バッキンガム宮殿だっても。現にわたしは着たんだわ、ハットフィールドでも、バッキンガム宮殿でも。
静けさが彼女のうえに――絹糸をするすると、静かに休止まではこびながら、針先が緑の布襞をかきあつめ、そっとそれをベルトに縫いつけるとき、こころ凪《な》いで満ち足りている彼女のうえに落ちかかった。かく、夏の日に波は寄せ集まり、よろめき、崩れる。寄せてはまた砕ける。そして全世界がいとも荘重な口調で「それだけだ」と告げているように思われ、果ては浜辺の日陽に臥《ふ》す肉体のなかで、心までが、それだけだ、と語るようになる。な恐れそ、とこころは言う。な恐れそ、重荷をいずこかの海に委ねつつこころは言う。その海はなべての悲哀に代わって嗟嘆《さたん》し、そしてよみがえり、湧き起こり、寄せ集まり、また崩れてゆく。そして肉体のみ、飛過する蜜蜂にひとり耳を傾ける。波は砕け犬は吠える、おちかたに、しきりに。
「あら、玄関のベルが!」クラリッサは叫んで、針をはこぶ手を休めた。起ち上がって彼女はじっと耳を澄ませた。「奥様はお会い下さる」玄関で中年の男の声がした。「そうだとも、|わし《ヽヽ》に会って下さるとも」と男はくりかえし、ルーシイを優しく押しのけると、素早く階段をのぼって来る。「そうとも、そうとも」階段を駆けあがりながら男は呟いた。「会ってくれるとも。五年ぶりで印度から来たのだ、クラリッサは会ってくれるとも」
「まあ誰が――何用あって?」ダロウェイ夫人はいぶかしんで(宴会を開こうとする当日の午前十一時に邪魔に来るなんて何と失礼なことだろうと考えながら)、階段の足音に耳を向けた。ドアに手をかける音が聞こえた。彼女はドレスを隠そうとした。処女が操《みさお》をまもり、秘密を犯されまいとするように。真ちゅうの引手がはずれた。いよいよドアが開いて入って来たとき――その名がとっさには思いうかばなかった! その姿にいたくおどろいた。思いがけなく午前中からピーター・ウォルシュの訪問をうけ、彼女はいたくよろこび、いたくはにかみ、いたく戸惑いした!(彼からの手紙は読んでいなかったのだ)
「やあ、お達者ですか」ピーター・ウォルシュはそう言いながら、明らかに身を慄わせ、彼女の両手をとり、その手に接吻をあびせた。この女も年をとったなあ、腰をおろしながら彼は思った。が、そのことは言わないで置こう、と彼は思った。何しろ年をとったものだ。じっと俺を見ているな。そう思うと、既に両手に接吻を与えながら、急に気後れにおそわれた。彼はポケットに片手をつっこむと、大きな懐中ナイフを取り出し、半分だけ刃を開いた。
そっくりそのままだわ、とクラリッサは思った。昔のままの変わった顔つき。昔どおり碁盤じまの服。ちょっと曲がった顔をして、やせぎすで、何だかうるおいのない態度で。でもひどく丈夫そうで、以前とそっくりだわ。
「お目にかかれて、わたしとってもうれしいわ!」彼女は叫んだ。ナイフを出して来た、この人らしい癖なのね、と彼女は考えた。
ゆうべこちらへ着いたばかりです、と彼は言った。早速田舎へ行かなくちゃならないでしょう。お変わりはありませんか――いかがですか、みなさんは――リチャードは? エリザベスは?
「ところで、これはどうしたわけです?」言いながら彼は、懐中ナイフで、彼女の緑いろのドレスをつついた。
ずいぶんいい身なりをして、とクラリッサは考えた。でもいつもこの人は、|わたし《ヽヽヽ》を批判の的にするのだ。
ここでドレスを繕っているのか、型のごとくドレスの繕いってわけだな、と彼は思った。こんなふうにして、俺が印度にいるあいだ、ずっとここに坐って来たのだ。ドレスを繕い、遊びまわり、宴会に出席し、議院にかけつけ、そして戻って来る、そんなことをつづけて来たのだ。考えているうちに彼はしだいに焦立ち、しだいに昂奮していた。何しろある種の女どもにとっては結婚ほど悪いものはない、と彼は思った。それから政治がそうだ、リチャードのようにお偉い、保守党所属の御亭主をもつということが。そうだ、そうなんだ、ナイフをぱちっと閉めながら彼は思った。
「リチャードは達者よ。いまは委員会ですの」クラリッサは言った。
それから彼女は鋏をひらくと、失礼してこのドレスを片づけてしまいますわ、今夜宴会をしますので、と言った。
「その会にはお招びしないわ」彼女は言った。「ねえ、ピーター!」彼女は言った。
だが、彼女の声を聞いていると楽しいな――ねえピーター、と言うあの声! ほんとに、とっても素敵だな――銀の器、椅子、とっても素敵だな!
なぜ招んでくれないんですか、彼は訊ねた。
そうらこの人、とクラリッサは思った、何て魅惑的! まったく魅惑的だわ! いまでも忘れはしない、決心するのがどんなにつらかったか――なぜわたしは決心なんかしたのだろう――あの怖ろしい夏、この人との結婚を止めることを。
「でも今朝いらっしゃるなんて、思いがけなかったわ!」彼女はそう叫び、両手をドレスの上で重ねあわせた。
「おぼえていらっしゃる?」彼女は言った、「ブアトンで、窓の日よけがいつもぱたぱた揺れていたこと?」
「そうでしたね」と彼は言った。そして彼は、彼女の父親と二人だけで、手持ち無沙汰な朝食をともにしたことを思い出した。その人も今はいない。クラリッサにも便りをしなかったし。でも俺はいつも話が折り合わなかった、パリイ老人とは。あの癇癪持ちの、気の弱い老人、クラリッサの父親のジャスティン・パリイとは。
「お父さんとうまく折り合うことができたら、と、よくそう思うんですよ」彼は言った。
「でも父は誰をも好いていませんでしたわ――お友達の誰をも」――クラリッサは言ったが、はっとして舌を噛む思いだった。こんなことを言ってピーターに、わたしと結婚したがっていたことを思い出させてしまって。
もちろん俺はそうしたかったのだ、とピーターは思った。そのためには断腸の思いをさえしたのだ。そして、沈む陽の輝きで物凄いほど美しい、テラスの上から見た月のように、立ちのぼって来る悲哀に圧倒されたのだ。あれからあと、あんな惨めな思いをしたことはなかった、と彼は考えた。そしてまるで、ほんとうにテラスの上に腰かけているかのように、クラリッサのほうに少し詰め寄ると、片手を差しのべ、上にかざし、下に垂れた。二人の上にかかっていたのだ、あの月は。彼女もやはり、月光を浴びて彼とふたり、テラスに腰をおろしているような感じだった。「ハーバートがいまは住んでますの」彼女は言った。「いまではまるで行きませんわ」彼女はまた言った。
やがてあたかも、あの月明かりのテラスの上で、一方は既に倦《う》み果てた自分の心を恥じかけているのに、相手のほうはおし黙って、まんじりともせず、悲しそうに月を眺めて坐っており、しゃべろうともせず、足をうごかしたり、咳ばらいをしたり、テーブルの脚の鉄の渦巻模様に目をやったり、葉っぱをいじったりはするが、口を開こうとはしなかった、あのときのように――現在のピーター・ウォルシュはそんなふうにしていた。なぜそうやって過去にまで遡ろうとするのだ、と彼は思った。なぜ俺は、もういちど、あのことを考えさせようとするのだ。なぜ俺を苦しめるのだ。あんなむごい責苦にあわせておきながら。なぜに?「おぼえてらしって、湖のこと?」そう言う彼女の声はだしぬけな調子を帯びており、感動に胸をしめつけられ、喉の筋を硬ばらせ、「湖のこと」と言いながら痙攣的に唇を縮めていた。いまの彼女は、両親に護られながら家鴨《あひる》にパンを投げあたえている子供でもあり、同時にまた、人生をその腕にかかえながら、池のほとりに立つ両親の許にやって来た、もう成人した一人の女性でもあった。両親の前に近づくにつれて、腕のなかで人生はしだいしだいに大きくなり、やがては完全な生となり、まったき生となったそれを両親の前に置いて、「わたしは一生をこんなにしてしまいましたわ! こんなに!」と言うのだ。いま、ところでどんな人生を作り上げたろう? どんなふうに? ここでピーターと並んで縫物をしているわたしは?
彼女はピーター・ウォルシュを見やった。彼女のまなざしは、あの時、あの感動の一切をくぐりぬけて、覚束なげに彼にまで達し、涙ぐみながら彼を見すえ、それから、木の枝にとまった小鳥がやがて飛び立ち羽ばたき去るように、まなざしは外れ、しばたたいた。何気ないような様子で彼女は眼を拭った。
「ええ」とピーターは言った。「ええ、おぼえていますとも」と彼は言った、まるで、明らかに彼を傷つけずにはおかぬ何かを、いま彼女が表面に引き上げようとしているかのように。止めて! 止めてくれ! 彼は叫びたかった。俺はまだ老人じゃない。俺の人生は終わってはいない、けっして終わってはいない。五十を過ぎたばかりで。話してしまおうか、彼は思った、それとも止そうか。俺としては何もかもしゃべってしまいたいのだ。だがこの女は年をとりすぎている、と彼は思った、鋏をあつかいながら縫物をしている姿は。クラリッサと較べたらデイジーなんか十人並以下だろう。そして俺のことを失敗者だと思うだろうが、彼らのいう意味では俺はたしかにそうだ、と彼は考えた。ダロウェイ家的意味では。たしかにそうだ、それに相違はないのだ。俺は失敗者だ、こうしたすべてと比較したら――嵌め入りのテーブル、飾りのついたペイパー・ナイフ、海豚の彫物、燭台、椅子カヴァー、値の張った淡彩古版画――そんなものと比較したら一人の失敗者だ! 小奇麗なやり口の一切が俺は嫌いだ、と彼は思った。クラリッサのやり口じゃない、リチャードのやり口がだ。彼と結婚したことは別問題だが。(そこへルーシイが、更に銀器をはこびながら、部屋へ入って来た。そしてそれを下ろすために彼女が足を止めたとき、チャーミングですらっとして淑やかそうな女だな、と彼は考えた)それに、いつでもこういった具合なんだ! と彼は思った。来る週も来る週も、クラリッサの生活ときたら。ところが俺は――彼は思案した。すると途端にあらゆるものが彼の身内から発散してゆくように思われた。旅行が、遠乗りが、論争が、冒険が、カルタ会が、恋愛沙汰が、そして仕事、仕事、仕事が! そして彼はナイフを――ここ三十年来彼が肌身離さずにいることはクラリッサも保証しえたはずの、角《つの》の柄のついた古ナイフをいっぱいにひろげると、上から拳でたたいた。
何て突飛な癖だろう、と彼女は思った。いつもナイフをおもちゃにして。いつも相手に、他愛のない、頭の空っぽな男と思わせてばかりいて。じっさい、ばかなおしゃべりな人間にすぎないことがよくあったのだ。けれどわたしだって、と彼女は考え、そして針をとりあげると、護衛の臣下たちが居眠ってしまい、誰でも勝手に入り込んで来て、茨にかこまれて横たわるその姿〔「眠り姫」の童話も仄めかすか〕を見ることができる、そうした状態にとりのこされた女王か何かのように(彼女は訪問にすっかりまごついてしまっていた――それは彼女を狼狽させたのだ)――彼女は自分の所業に、自分の嗜好に、良人《おっと》に、エリザベスに、彼女の自我つまり現在のピーターがほとんどど関知せぬところのものにむかって呼びかけ、みんなでやって来て彼女をとりかこみ、敵を退散させてくれるよう、助太刀をもとめた。
「それで、あなたにはどんなことがありまして?」彼女はたずねた。このようにして、戦いの開始に先立って、馬は地を蹴り、頭を揺すり、横腹をきらめかせ、頚《くび》を振り動かすのだ。このようにしてピーター・ウォルシュとクラリッサとは、長椅子に並んで坐りながら、たがいに挑戦しあった。彼の軍勢は、彼の心のなかで擦りあい揉みあった。彼は四方八方からあらゆる事実を寄せあつめた――称讃を、オクスフォード生活を、彼女が露知らぬ彼の結婚を、彼の愛欲生活を、職にあぶれて困っている事実を。
「数え切れないほどのことがね!」彼はそう叫び、そして彼方此方と攻め立てる軍勢に励まされながら、また、人々の肩のうえを風を切って突進し、もう彼らの姿も目に入らぬほどの素早さに、ひとしお爽快の気をおぼえるとともに戦《おのの》きながら、両手を額のうえにかざした。
クラリッサは泰然として坐り、息をころしていた。
「私はいま、恋愛をしています」と彼は言った。それは彼女にではなく、闇の中に立ち現れるが、暗がりの草の上に花環を投げるのみで体を捉《とら》えることはできない誰か〔後出のデイジーを秘かに恋の祭壇に祀り上げる〕にむかって言っているのだった。
「恋しあっているのです」と、今度はクラリッサにむかって、少し冷淡な口調で彼はくりかえした、「印度住まいの娘と」俺は花環を托したのだ。さあクラリッサよ、どうなりと御勝手に。
「恋を!」と彼女は言った。こんな年頃にもなりながら、小ちゃな蝶ネクタイのまま、あの怪物に身をしゃぶらせるなんて! 頚すじは少しもたるんでいなくて。手といえばまだ赤いわ。わたしより半年だけ年上だというのに! 彼女はちらりと自分を見返した。けれどやはり、この人は恋をしているのだと心に感じた。この人はそうなのだ、と彼女は思った。恋をしているのだわ。
しかしながら、歯むかう軍勢をたえず馬蹄にかける不屈の自負心が、進め進めと言い立てて、目標のありえぬことはたとえ承知しながらも、なお、進め進めと言い立てる川が、この不屈の自負心が彼女の頬を色づかせた。ドレスを膝に坐っている彼女の面持ちをひどく若やがせ、紅くし、きらきら輝く眼にした。そして彼女の針は心もち震えて、緑の絹布の端に進んでいった。この人は恋している! わたしをではない。もちろん、どこかのもっと若い女を。
「で、その女の人ってどんな方?」彼女はたずねた。
いまこそ像は高所から下ろされ、この女の前にすえられねばならぬ。
「生憎それが、人妻で」と彼は言った、「印度軍の少佐の妻君です」
そして彼はこんな、なぶりものにするような口吻で、クラリッサの面前に女をすえながら、妙な皮肉まじりのやさしさで微笑んだ。
(でもやはり、この人は恋しているのだ、とクラリッサは思った)
「女には」彼は分別めいた調子で話をつづけた、「子供が二人あります。男と女です。で私は、離婚の件について、弁護士と相談をするためにやって来たのです」
さあ、どうぞ! と彼は考えた。御存分になすってください、クラリッサ! さあ、どうぞ! そして刻一刻と、印度軍の少佐の妻(彼のデイジー)とその二人の子供の姿が、クラリッサにみつめられているうちに、愛らしさを増してゆくように、そんなふうに彼には思えた。皿の上の灰色の小さな球に彼が火を点じると、そこに彼らの親交の(なぜなら、ある意味ではクラリッサほどに彼を理解し、彼に同情をよせるものはなかったから)――いみじき親交の、磯の香に似る昧爽《まいそう》さのなかから、美しい樹のひともとが生い出たというかのように。
その女は御追従を言って、この人を騙したのだ。クラリッサは思念の|のみ《ヽヽ》を一振り、二振り、三振りして、その女を、印度軍の少佐の妻の姿を描き出しながら、そう思った。何たる無駄ごと! 何たる愚痴! 一生涯をピーターはそんなばかげたことに費やしてしまったのだ。最初のオクスフォード放校。おつぎは、印度行きの船の上での、あの娘との結婚。今度はまた陸軍少佐の妻――ああ、こんな人と結婚しなかったことを感謝するわ! それにしても、恋をしているのだ。わたしの昔の友達、親愛なるピーターは、いま恋をしているのだ。
「で、どうなさるおつもり?」彼女は問いかけた。ええ、それは事務弁護士が、リンカン法学会《イン》〔ロンドンにある四つの法廷弁護士会の一つ〕のフーパー・グレィトリー弁護事務所で処理してくれるはずです、と彼は言った。そして彼は懐中ナイフでほんとうに爪を剪《き》り出した。
お願いだから、ナイフを棄てて! 彼女は抑えきれぬいらだちを感じながら心に叫んだ。鈍感な非常識、この人の弱点なのだ。わたしを悩ませ、いつも悩ませて来たのはそのことなのだが、他人の感情には金輪在《こんりんざい》お構いなしのやり口。この年になって、なんてまあばかな!
よく承知してますよ、とピーターは思った。誰を相手にやっているのかは承知のうえだ、ナイフの刃さきを指で撫でながら彼は思った。クラリッサとダロウェイとその一味徒党がそうさ。クラリッサに思い知らせてやろう――と、そのとたん、まったくだしぬけに、風を切って飛来したような制御しがたい軍勢に攻め立てられて、思わず涙にむせび、啜り泣いていた。長椅子に坐ったまま、恥かしさを忘れて泣く、その頬から涙は流れおちた。
それからクラリッサは前にのり出し、手をとって彼の身体を引きよせると、接吻を与えた――熱帯の疾風に揺れ動くしろがね葦《よし》のように彼女の胸中にさっと銀色に光る羽毛のきらめきを鎮めうるまで、まざまざと自分の顔の上に彼の顔を感じていた。それが鎮まると、握った手をはなし、彼の膝を軽く打ち、そして元の姿勢にもどりながら、彼とともにいることの異常な心やすさを、気楽さを味わった。そのときふっと、一抹の思いが彼女の心をかすめた。もしこの人と結婚していたなら、こうした愉しさをいつでも味わうことができたのに!
しかしもう一切は終わった。シーツはぴんと張られ、寝台は狭いのだ。わたしはひとりで塔にのぼっていった、日陽《ひなた》で黒|苺《いちご》をとっている連中をあとに。扉が閉ざされると、崩れ落ちた漆喰の埃と小鳥の巣から散らばったわら屑にまみれて、眺めはいかにも遠く、物の音が微かに冷たくひびいて来た(――いつかリース〔ロンドンの南方にある山で、塔上の眺めは雄大〕の丘で、と彼女は追想した)。そして彼女は、眠っている人が夜中にはっと目覚め、暗がりに手を伸ばして助けを乞うように、リチャード、リチャード! と叫んだ。ブルートン夫人の昼餐会にいっているのだったわ、我に返って彼女は考えた。リチャードはわたしを置いてきぼりにしたのだ。わたしは永遠にひとりぼっちだわ、膝の上に両手を重ねながら彼女はそう思った。
ピーター・ウォルシュは身を起こすと、窓際に歩いてゆき、彼女に背中を向けて立ったまま、更紗染めのハンカチをしきりに動かした。やせた肩の骨で上衣を微かにゆすり上げながら激しく鼻をかむ彼の姿は、堂に入っており、赤裸々でしかもわびし気であった。わたしを連れていって頂戴、と彼女は思った。いま彼が、どこか遠い航海に旅立とうとでもしているように。しかし、一瞬が過ぎ去ると、非常に刺激的で扇情的な五幕物がいま終わりを告げたような、彼女がそのなかに生きつづけピーターと生涯をともにして来たその五幕が終わったような、まるでそんな感じであった。
さあ腰を上げなければ。クラリッサは長椅子から身をおこし、ピーターのほうに歩いていった。外套や手袋やオペラ・グラスなど、身のまわりの物をかきあつめて起ち上がった婦人が、劇場から街中に出てゆくように。
とてもふしぎだ、と彼は思った、この女は衣ずれ音を立ててやって来ながら、こちらへ歩いて来ながら、俺の大嫌いなあの月を、ブアトンの夏の夜空のテラスの上に昇らせる力をいまだにもっているなんて。
「ねえ」――女の肩を捉えながら彼は言った。「あなたは幸福ですか、クラリッサ? リチャードはあなたを――」
ドアが開いた。
「わたしのエリザベスですわ」クラリッサは感情をこめ、芝居じみた口調でそう言った。
「いらっしゃいませ」エリザベスは進んで来ながら言った。
三十分を知らすビッグ・ベンの鐘声《しょうせい》が、あたかも頑強で無頓着で無鉄砲な青年が亜鈴をぶんぶん振りまわすような、異常な力強さで、二人のあいだに打ち出された。
「やあ、エリザベス!」とピーターは叫ぶと、懐中ナイフをポケットにおしこみ、急いで彼女のほうに歩みより、しかしその顔は見ずに「ご機嫌よう、クラリッサ」と言いのこして、素早く部屋の外に出、階段を駆け下り、玄関のドアを開けた。
「ピーター! ピーター!」クラリッサは叫んで、階段の中休み段まで追いかけた。「今夜のわたしの宴会! わたしの夜会を忘れないでね!」叫びながら彼女は、戸外のどよめきのために声を高めなければならなかった。そして、往来のひびきといまし時を告げるすべての時計の音に圧されて、「わたしの夜会を忘れないでね!」と叫ぶ声のこだまは弱く微かに、ピーターがドアを閉めると、すっかり遠くなってしまった。
わたしの夜会を忘れないでね、わたしの夜会を忘れないでね。ピーター・ウォルシュは街路を歩きながら、音の流動にあわせて、三十分を告げ鳴らすビッグ・ベンのむき出しで露骨な音の流動にあわせて、心の中で調子をつけながら繰りかえした。(鉛の圏が空中に溶けてゆく)ああ宴会の連続、と彼は思った。クラリッサの宴会。なぜ彼女はそんな宴会を開くのだろう、と彼は思った。別に彼女を責めたり、燕尾服を着て、カーネーションをボタン穴にさしてこちらへ歩いて来る、偶像然たるあの男を責めてるのじゃないが。俺のような、恋のできる人間なんて世の中に一人っきりだ。そうしてこの不幸な人間、俺は、ヴィクトリア街の自動車製作所の窓の板硝子に姿を映して立っている。俺のうしろには印度全体がある――平原が、山が、コレラ病が、アイルランドの二倍もある郡が、俺ひとりの果断なふるまいの数々が――ピーター・ウォルシュ自身が。その俺はいま生涯にはじめての真剣な恋をしているのだ。クラリッサは優しさがなくなったな、と彼は思った。おまけに少し感傷的にさえなって。そう思いながら彼は大型の自動車の群れをながめやった――何ガロンで何マイルぐらい走れるかな? 俺は機械技師にむいた性質をもっているのだ。地方でめずらしい鋤を考案したり、英国から一つ輪の手押し車を取り寄せたりした。苦力《クーリー》どもはそれを使おうとはしなかった。が、こうした一切はクラリッサの関知しないことだ。
あの女が「わたしのエリザベスですの」と言うその言い方――あれが厭なのだ。なぜ簡単に「エリザベスです」と言ってはいけないのか。不真面目だ。エリザベスだってそれを嫌っているのだ。(なおもうつろに響く大きな鐘の音の余韻が、あたりの空気をゆるがせた。半《はん》の鐘だ。まだ早い。十一時半にしかならない)若い人間の気持ちは分かる。俺は若い人間が好きだ。クラリッサはいつも何となく冷たい、と彼は思った。あの女はいつもそうだが、娘のときでさえもどことなく内気で、それが中年になって紋切型になったのだ。ああなってはおしまいだ、もうおしまいだ。そう思いながら彼は硝子の奥をどこかわびし気な眼つきで見つめ、こんな時刻に訪ねてうるさがらせはしなかったろうかと考え、にわかに羞恥の念に圧倒された。ばかな真似をしたものだ。泣いて、情に打ち負け、例によって例のようにあの女に洗いざらい話してしまったりして。
一きれの雲が太陽にかかると、しじまがロンドンの上に落ちる。そして、人の心のうえにも落ちる。気の張りは熄《やす》む。時はマストにはためく。そこでわれわれは停止する、われわれは立ちどまる。習慣という骸骨のみが、なおかたくなに人間の体躯を支えている。何ものもなきところ〔詩人イェーツに同題の散文劇がある〕か、ピーター・ウォルシュは独語した。感情をえぐりとられ、中は空っぽだ。クラリッサは俺を拒んだのだ、と彼は考えた。彼は佇みながら考えた、クラリッサは俺を拒んだのだ。
ああ、とセント・マーガレット教会〔ウェストミンスター寺院にぞくする教区教会。同寺院の北翼に立つ〕は叫んだ、時鐘の音を聞くと同時に女主人が応接間に入って見ると、すでにそこには客人が集まっていたとでもいうように。あら、私は遅れてしまった。いいえ、いまちょうど十一時半だわ、と女は言う。しかし正にそうには違いないが、その声は女主人の声なので、特異な響きを立てることをきらう。過去にたいする一種の悔恨が、それを抑える。また現在にたいする不安が。十一時半、と女は言う。そして、人の心の奥に、つぎつぎと鳴りわたる音となって自らを打ち鎮めてゆくセント・マーガレット教会の鐘は、自己を吐露し、自己を散じ、よろこびに震えながら憩いをもとめる、何かしら生あるものに似ている――クラリッサ自身に、とピーター・ウォルシュは思った。時鐘の音に白衣のまま階下に降りて来たようだ。あれはクラリッサなのだ。彼はおもいがけなく明瞭なしかも不可測な、彼女への追憶と、ふかい感銘に包まれながらそう思った。あたかもこの鐘は彼ら二人が、こよなく親密な幾ときをそこにともに坐し、また、かなたこなた歩きまわったそのあとで、蜜はこぶ蜂のように時の重荷を負って立ち去った、過ぎし歳月のかの部屋から響いてでも来るかのように。だがそれはどのような部屋、どのような時なのか。そしてなぜ、時計が打っているそのあいだ、かくも深い幸福を味わったのか。それからやがてセント・マーガレット教会の鐘が杜絶えると彼は思った、彼女は病んでいたので、あの音は倦怠と苦悩をあらわしている。あれは彼女の胸中だったのだ、と彼は思いかえした。そして最後に打つ唐突な高音は生のさ中に襲い来る死を報じた。クラリッサはその場に、自分の客間に倒れ伏す。いや! いや! 彼は叫んだ。彼女は死にはしない! そして彼は、俺もまだ老人ではないと叫びながら、ホワイトホールを進んでいった。そこに彼の未来が、たくましく無限にうち展《ひら》けてゆくかのように。
俺は老いぼれでも、頑固でもなく、けっして乾燥無味な人間ではない。あいつらが俺のことをどう思おうと――ダロウェイ、ウィトブレッド、そんな手合いなんか、いっこうに気にならない――いっこうに(いずれそのうちリチャードに、就職を世話してもらえるかどうか、かけあって見なければなるまいが)。大股に歩をはこびながら彼は、ケンブリッジ公の銅像のほうを睨みつけた。俺はオクスフォードから放校された――たしかに。かつての日の俺は社会主義者であり、ある意味では敗北者だった――正にたしかに。しかし文明の将来を担うのは、と彼は考えた、そうした青年だ。かつて三十年前に俺がそうだったような青年なのだ。抽象的原理を愛したり、ロンドンからヒマラヤの峯まではるばる書物を送らせたりし、科学を勉強したり哲学を勉強したりする、そうした青年の手中に将来は横たわっているのだ、と彼は思った。
森の木の葉のぱらぱら散るような音が背後に聞こえ、つづいて衣摺れのような、また規則的にどさりどさりという音がした。通りすぎるその音にホワイトホールを進んでゆく彼の足どりはひとりでに力を帯び歩調を帯びた。制服の少年たちは鉄砲を肩に、前をみつめながら進んでいった。肘を張って行進する彼らの面上には、銅像の土台石のぐるりに書きつらねられた碑銘さながら、義務と感謝と忠誠と祖国愛への讃辞が読みとられた。
これはまた大そう見事な訓練ぶりだ、ピーター・ウォルシュは彼らと歩調を合わせながら考えた。だが活溌な様子が見えない。大抵はひょろひょろしているこの十六歳の少年たちは、明日は帳場に立ち、皿に入れた米を売り石鹸を売る身だろう。だがいまは肉体的快楽や日ごろの偏見をうち忘れて、フィンズベリ通り〔セント・ポール寺院の東方を走る。海軍義勇兵予備隊、空軍補助部隊、兵器庫などがある〕からはこんで来た厳粛の花環を、あの主なき墓〔ホイトホールに建つ第一次大戦戦死者の記念塔〕に捧げにゆく。彼らは誓約を捧げたのだ。交通機関はそれに敬意を表する。荷馬車も止まる。
俺には歩調を合わすことができない、ピーター・ウォルシュはホワイトホールを行進する彼らにむかって言った。たしかに行列は、彼を追いこし、すべての人を追いこし、乱れぬ歩調で行進した。まるで一つの意志が彼らの手足を均一にはたらかせ、生とその多彩と騒擾とは記念碑と花環の鋪道の下に埋め伏され、魔薬をかけられて、硬直しながら眼を見すえている訓練という屍に化してしまったかのようだ。われわれはそれに敬意を表すべきだ。笑って済ますこともできるかもしれぬが、しかし敬意を表すべきなのだ、と彼は思った。彼らはあそこを進んでゆく、ピーター・ウォルシュは鋪道のはしに立ちどまって考えた。そうしてあらゆる崇高な像たち――ネルソン、ゴードン、ハヴロック、これら偉大な将軍たちの、壮観そのものの黒づくりの像は、彼らの前方を睨んで立っている。彼らもまた同じ抛棄をあえてし(――ピーター・ウォルシュは自らもそれを偉大な抛棄と認めたように感じた)、同じ誘惑の下に屈し、最後に冷たい大理石の凝視をかち得たのだ、というかのように。だがピーター・ウォルシュ当人はいっこうにあの凝視を欲しいとは思わぬ。ただ他人のそれを尊敬しうるのみだ。また、少年たちのそれを尊敬することもできる。彼らはまだもろもろの肉体のわずらいを知らない、と彼は少年たちの行進がストランドの方向に消えてゆく様子をながめながら思った――俺がいままで経て来たことの一切を知らないのだ。そう思いながら彼は道路を渡ると、ゴードンの像の、少年時代の彼が崇拝していたゴードンの下に立った。片足をあげ、腕を組んでひとり立っているゴードン――気の毒なゴードン、と彼は考えた。
そして、クラリッサ以外はまだ誰も、彼がロンドンにいることを知るものはなく、また、航海のあとの大地がなお一つの島のように思われてならない、正にそんな理由のために、ひとり生きながら、知る人もなく、十一時半のトラファルガー広場に立っていることの異様さに、彼は圧倒された。一体どうなのだ? 俺はどこにいるのだ? そして、要するに何のわけでそんなことをするのか? 彼はそう考えた、離婚なんてたわごとのようにも思われて。そして心のわだかまりは消失して、沼地のような平滑さに変わり、大いなる三つの感動が彼のうえを走った。理解と、茫漠たる博愛と、そして最後に、二つのものの結果としてのように、抑えがたい絶妙な歓喜が。彼の脳裡に他人の手で糸が引かれ、啓示の戸が開かれ、しかも彼自らは一切これに介入せずに、はてしない大道の発端に立っており、そこを逍遥することも意のままであるとでもいうように。かくも心に若やぎを感じたことは年来たえてなかった。
俺は逃げおわせた! 完全に自由なのだ――習慣が頽落《たいらく》して、精神が監視の目のとどかぬ裸火にも似て垂れ屈したあと、付け根から吹き消されて飛んでしまうみたいに。こんなにも心の若やぐのをおぼえたことは、数年来なかったことだ! とピーターは思った。正真正銘の自分を脱した気分は(もちろん一時間そこいらの間だが)、戸外に走り出て、自分のいないその窓で子守婆さんが手を振る姿をながめながら走り去る男の子のような気持ちだ。だがあの女はひどく魅惑的だな、と彼は考えた。一人の若い女がトラファルガー広場をヘイマーケットの方向にむかって歩いてゆく。そしてゴードンの像の前を通り過ぎるとき、ピーター・ウォルシュの想像のなかで(彼は多感であったので)、その女はヴェールをつぎつぎと脱いでいって、彼がいつも心に描いて来た、若々しいが、品があり、陽気だが分別があって、肌黒いが婀娜《あだ》っぽい理想の女になってしまうように思われた。
姿勢を正し、そっと懐中ナイフを指先でもてあそびながら、彼がその後を追いはじめると、この女、この刺激的な代物は、彼に背を向けながらも、彼を名ざして、二人をむすびつける一条の光を放射するかと見えた。きまぐれな車馬の唸り声が、うつろな手を通して彼の名を、ピーターではなくて彼が自らの想念のなかでそう名づけている秘密の名をささやいたとでもいうように。「あなた」と女は言った、ただ「あなた」とだけ言った、その白い手袋と肩で。それから風に揺れるその薄い長外套は、コックスパー街のデント〔有名な時計店〕の店頭を通り過ぎるとき、疲れたものを抱き入れる腕のように、包みこむような優しさとうら哀しい愛情をこめてひるがえった――
だが女は独身だ。この女は若い、ごく若いのだ、と彼は思った。トラファルガー広場を渡って来るときに見た赤いカーネーションが、ふたたび彼の眼に燃えるように映じ、彼女の唇を赤くいろどった。しかし女は辺石《ふちいし》のところでぐずついている。なかなか品があるな。クラリッサみたいに俗物ではない。クラリッサみたいに金持ちではない。この女は、女が動きだすと彼は考えた、家柄はいいのだろうか。才智があり、蜥蜴《とかげ》のようにちらちらうごく舌をそなえていて、と彼は思った(なぜって創作することが必要だ、多少の気晴しは許されねばならない)――冷たい即妙の機智、ひらめく機智、それも騒々しさをともなわない機智を。
女は動き出す。女は通りを渡る。俺はその後にしたがう。抱擁なんぞちっとも望んではいない。でも女が立ちどまったら、「アイスクリームを召し上がりませんか」と言うのだ。俺がそう言うと、女はあっさりと言うのだ、「頂戴しますわ」と。
しかし道行く人々があいだに割りこんで来て、彼を押しのけ、女の姿を吸い取ってしまった。彼は追跡した。女の様子が一変する。頬は紅を帯び、眼には嘲笑がうかんで。俺は向こう見ずな冒険家なのだ、と彼は思った、素ばしこくて勇敢で、まったく(昨夜印度から帰って上陸したばかりだから)ロマンティックな海賊である俺は、黄色い化粧着だの、パイプだの、釣竿だの、店の飾り窓に並んでいるそんな碌でもない道具には眼もくれぬ。虚飾や晩餐会の類やチョッキ下に白いスリップをのぞかせた気取り屋の老人だのには眼もくれないのだ。俺は海賊なのだ。どんどん女は歩いて、ピカディリーを渡り、リージェント街を、俺の前を進んで行き、女の外套、手袋、肩は、飾り窓に並ぶレースや毛皮の襟巻と結託して、華やかさとむら気を発散するが、その精も、夜の燈火が暗い籬《まがき》の上をたゆたうように、店頭から離れると、鋪道の上に消えてゆくのだ。
うれしそうに笑いながら、女はオクスフォード街、グレイト・ポートランド街を過ぎ、小路の一つを曲がり、いま、いまこそすばらしい瞬間は近づいた。いま女は、足をゆるめ、ハンドバッグをひらき、こちらに一瞥を、それもまともにではなく、さようならの一瞥をおくると、いまのいきさつを回想して、勝ち誇った様子をし、あっと言う間に合鍵をあて、ドアをひらき、消えてしまった! クラリッサの声が、わたしの夜会を忘れないでね、わたしの夜会を忘れないでねと叫ぶその声が、耳朶《じだ》に鳴りひびいた。女の家は、花籠を下げてあるが何となくいかがわしい、赤い平割住宅《フラット》の一つであった。
さてこれで慰みができた、慰みができたわけだ、と彼は考えながら、ゼラニュームを投げ入れた花籠を見上げた。そして微塵になったのだ――俺の慰みは。たしかに、それは半ば企んだものだ。空想なのだ、この若い女に対するいたずら行為は。たくらんだのだ、人生の大部分は空想であるように、と彼は思った――自らを空想し、彼女を空想し、いみじき快楽を空想し、それ以上の何かを空想しながら。だがそれは異常なものだ、しかもきわめて真実な。これら一切は人に頒かちえないのだ――微塵に砕け去って。
彼は向きを転じた。リンカン法学会《イン》が――フーパー・グレィトリー弁護事務所が開くまでのあいだどこに腰をおろそうかと考えながら、通りを進んでいった。どこに腰をおろそう。どこでもいいさ。じゃあ、この通りをリージェント・パークのほうへ。彼の靴音が鋪道のうえに「どこでもいいさ」と響いた。まだ早いのだ、大そう早かったのだ。
それにすばらしい朝でもある。完全な心臓の鼓動と同じように、さっと生命が街々を貫きとおったような感じで。やり損じなど存在しない――ためらいなどは。さっと風を切って曲がって来ながら、正に刻限どおりに、音もなしに、自動車は時間ぴったりに戸口にとまった。絹靴下をはき、羽飾りをつけた少女が降り立つ。ちらり見えた姿は俺には別に魅惑的とは思われぬ(彼は悪口をたたいた)。立派な執事たち、茶いろの支那犬、黒白の菱形の硝子窓にしろい日除けがぱたぱた鳴っている玄関。――ピーターは開け放たれた窓ごしにそれをながめ、それらをよしと考えた。とにかく、独自の風格をそなえた見事なものといっていいだろう、ロンドンは、社交季節《シーズン》は、文明は。少なくも三世代にわたって一大陸を統べ治めて来た、英領インドの名家の出にすぎぬ身には(妙な話だ、と彼は思った、印度を嫌い帝国という奴を嫌い、軍隊を嫌いながら、こんな感傷に打たれるなんて)、こうした種類のものにもせよ、文明がまるで個人の所有物のように懐かしく思われる瞬間がある。英国や、執事や、支那犬や、安穏な生活を送る少女のように、誇りを感ずる瞬間が。はなはだ滑稽ではあるが、たしかにそうなのだ、と彼は思った。そして医者とか、実業家とか、頭のきく婦人とか、すべて自分の仕事とするところを几帳面に、敏捷に、活溌に進めてゆく連中が、わが生命を託するに足りるような、まったく立派な、褒むべき人間のように思われ、いざという時の頼みになりそうな、この世の道連れと思われもするのだ。あれこれ思いあわせて、まったくこの見せものは甚だたのしいものだ。さあ俺は樹蔭に坐って、煙草をふかすとしよう。
リージェント・パークに来たのだ。そうだ。子供のときリージェント・パークを歩いたことがある――妙だなあ、と彼は思った――子供時代の思いがしきりによみがえって来るなんて――クラリッサに会ったせいだろう、たぶん。女というものはわれわれよりも、より多く過去に生きるものなのだ、と彼は思った。女たちは場所に執着をもつのだ。そして父親を――自分の父親をつねに自慢するのだ。ブアトンは気持ちのいい所だった。とても、愉しい場所だったが、しかしあの老人とはどうもうまく行かなかった。ある晩などは一騒動やった――何かのことで論争を演じたのだが、それが何かはおぼえていない。たぶん政治の話だった。
そう、リージェント・パークの思い出がよみがえる。長い一本道の散歩だった。風船玉を売っている小さな店が左手にあった。それからどこかそこいらに碑文を刻んだおかしな像が。彼は空席をさがした。時間を訊ねる人間なぞに悩まされたくはないな(実際彼は少し眠かったので)。乳母車に眠った赤ん坊を乗せた、中年の灰色の服の子守女――まあ、あれくらいは我慢もしよう。あの子守女の坐っているベンチのはしに腰かけよう。
あの娘は奇妙な表情をしていたな。と彼は、部屋に入って来て母親のそばに立ったときのエリザベスの姿を思いうかべながら考えた。大きくなったものだ。もう完全に大人だが、可愛いのとはちょっと違う。だがちょっと美人だな。十八歳を越してはいまい。おおかた、クラリッサとはうまくいっていないだろう。「これがわたしのエリザベスですの」か――あの口調ったら――「エリザベスですの」となぜ言わないんだ――世間に多い母親同様、うらはらのことをまるでそうであるかのように言おうとしている。あの女はあまりに自分の魅力を頼みすぎる、と彼は思った。誇張がひどすぎるのだ。
色濃い、やわらかな煙草の烟が、冷たく渦を巻きながら彼の喉を伝った。それを再び環にして吐き出すと、その環はしばらくのあいだ雄々しく空気に抗《さか》らっていた。青く円形を描き――今夜エリザベスと二人だけで話を交わすようにしよう、と彼は思った――やがてゆらゆらと揺れると、砂時計のような形になって消えた。妙な恰好を作るものだな、と彼は思った。急に彼は眼を閉じ、片手を力をこめて上げると、重い葉巻の喫《す》いのこしを投げ棄てた。大きな刷毛《ブラシ》のようなものが彼の心を滑らかに掠めとおり、掠めながら同時に、揺れうごく枝を、子供らの声を、引きずりながら行く人の足を、その姿を、唸りごえをあげる車馬を、往き交う車馬を消していった。下へ下へと落ちていった彼は、眠りの羽毛のなかに落ちこみ、そして包みこまれてしまった。
灰色の服の子守女は、傍らの日陽《ひなた》のベンチでピーター・ウォルシュが鼾《いびき》をかきはじめると、ふたたび編物をはじめた。灰色の服を着て、一心にしかし静かにその手をはこぶ女の姿は、眠っている人々の権利の擁護者のように、また黄昏どき森のなかに立ち現れる、空と木の枝とから成る幽霊のようなものとも見えた。孤独な旅の人、小径をさまようもの、羊歯をみだすもの、大きな毒人参の根を荒らすものは、ふと顔を上げて、森のなかの騎馬道路に巨人のような影をみとめるのだ。
信念上は無神論者であるだろう人間も、思いがけなく異常な昂奮の瞬間に捉えられることがある。外に在るものはすべてわれわれの心境にほかならない、と人は考える。慰藉とか救済とかの欲求であり、この哀れな一寸法師、この微弱な、この醜い、この臆病な人間男女以外の何ものかへの欲求であると。だがもし彼女を想像することができるとしたら、そのときはある意味で彼女は存在する、と彼は考え、空と木の枝を見つめて道を進んでゆきながら素早くそれらに女の性を賦与する。そしておどろきの眼で眺めるのだ、それらがいかにも荘重な姿を帯びて来るのを。微風がそれらを揺るがすとき、それらは木の葉のほの暗いゆらめきとともに慈悲と理解と決意とを与え、そして突如、高く身をひるがえしながら、敬虔な様相に燥宴の荒々しさを混《こん》じて来るのだ。
かくのごときが、この孤独の旅人に、果物であふれた大いなる豊饒の角《つの》〔ゼウスが幼い時に授乳した山羊の角で、花や果物や穀物があふれている〕を差し出し、あるいは緑の波の上をものうげに歩み去る|海の精《サイレン》のように彼の耳にささやきかけ、あるいはまた薔薇の花束のごとく彼の面《おも》を打ち、また満潮のなかに相抱こうとしてもがきあう漁師らの蒼白な顔のように浮かび上がって来る、幻の数々である。
かかる幻、それは現実の事物のうえに浮かび上がり、そのかたわらを静かに歩み、その前に顔をさらすのだ。それはしばしば孤独な旅人を圧倒し、地の観念を、生還ののぞみを彼からうばい、その代償としてあまねき和らぎを与えるのだ。まるで(と、そう彼は、森の騎馬道を進んでゆきながら考える)生きようとする狂熱の意志のすべては多愛ないものにすぎず、百千の事象も帰すれば一であるというかのように。そしてこの姿は、空と木の枝とから成るものではあるが、波間から吸い上げられた一つの形象が、華やかなその手から憐れみと理解と罪障消滅の託宣をふりそそぐそのように、波立ちさわぐ海から立ちあらわれた〔ボッティチェルリの名画によって知られる、快楽と美の女神ヴィーナス誕生の伝説を仄めかすのであろう〕とでもいうように(――俺はすでに五十の坂を過ぎ、初老にちかい身なのだ)。だからもう戻りたくはない、とそう考える、燈火の下に、あの居間に。本を読み終えることも、パイプを敲《たた》くことも、ターナー夫人を呼んであと片付けをさせることもしたくない。それよりはむしろ、この大いなる姿にむかってひたむきに歩きたい。頭をゆするその頭上に翻る吹き流しにこの身を乗せ、他のものといっしょに虚空に吹き散じてくれるであろうその姿に。
かくのごときが幻想である。孤独の旅人はたちまち森を過ぎ去る。とそこに、おそらく彼の帰りを待ちあぐねてか小手をかざした中年の女が、両の手をあげ、白い前掛けをひるがえしながら、戸口にあらわれて来る。女は(この妄執はかくもたくましいのだ)荒野を越えて、失われた息子をたずね、殺された騎手をさがしもとめているように、うつし世の戦いに死んだ子らの母親の姿のように思われる。かくて孤独の旅人が、女たちは佇んで編物をしており、男たちは畑を耕している村の通りを進んでゆくと、夕べは不気味な静けさを帯びてせまる。人々の影は動かなくなる。まるで、彼らがそれと知りつつ恐れる色もなく待つ、厳めしいある運命が、いましも彼らを完き空寂《くうじゃく》のなかに掃滅《そうめつ》し去ろうとしているかのように。
家うちの日常の事物、戸棚、テーブル、ゼラニュームの花の置かれた窓じきいのあいだで、腰をかがめて卓上の布をとろうとしている下宿のおかみの姿が、急に燈火に輪郭の線を和らげられ、崇《あが》むべきものの象徴となる。ただ、冷たい人間同志の交わりの思い出がわれわれに抱擁することを許さない。おかみはマーマレードを取り上げる。おかみはそれを戸棚にしまいこむ。
「今夜はもう、御用はございませんか、旦那様?」
だがしかし、孤独の旅人は、誰にむかって答えようとするのか。
そのようにして中年の子守女はリージェント・パークで眠る赤ん坊を見守りながら編物をしていた。そのようにしてピーター・ウォルシュは居眠っていた。彼はだしぬけに眼を覚ますと、「魂の死滅」とひとりごちた。
「おお、これは!」彼は眼を見開きながら、大声で独語した。「魂の死滅」この言葉は、ある場面、ある部屋、いままでに夢に見ていたある過去に関係があるのだ。だんだんはっきりして来た――その場面、その部屋、その過去が。
それは、クラリッサに俺が夢中で恋していた、九十年代の初めの、あの夏のブアトンでのことだ。ずい分沢山の人間が、お茶のあとのテーブルをかこんで談笑していて、その部屋は黄いろい光を浴び、煙草の烟でいっぱいだった。みんなの話題になっていた、女中と結婚したという男は、名前はもう記憶にないが、近隣の田紳の一人だった。その男は女中と結婚し、その女をブアトンに連れて来た――それはもう大変な訪問だった。その女は――クラリッサはその恰好を真似ながら「鸚鵡《おうむ》みたいに」と言ったが、おそろしくめかし立てていて、とめどなくしゃべりつづけた。懸河《けんが》の弁をもって女はまくし立てた、とめどなく。クラリッサがその真似をした。やがてのことに誰かが言った――それはサリー・セットンだった――結婚するまえにあの女にはもう赤ん坊があったことが知れたとして、知った人の気持ちに実質上の変化があるだろうか、と。(あの時代に男女の集まりの間で、そんなことを口にするのは大胆なことだった)クラリッサがぱっと顔を赤らめた様子が、いまも眼にうかぶ。眉をちょっとしかめて、彼女は言い出した、「あら、わたしだったら、二度とあの女に話しかけることもできないわよ!」そこで、茶テーブルをかこんで座っている一同の気分が白けてしまったように見えた。とても気まずいものになってしまった。
そんな事実を気にしたからといって、俺は彼女を責めることはしなかった。あの頃としては、彼女のような箱入り娘が何を知るものではない。俺をいら立たせたのは、臆病で無情で、そして尊大で、つんと澄ました、彼女のその態度だったのだ。「魂の死滅」本能的に俺はそう口走ったのだ、よくそうしたように瞬間をメモしながら――彼女の魂の死滅と。
みんなが動揺した。彼女がしゃべるあいだ、みんなは首を垂れている様子だったが、前とかわった表情で起ち上がった。サリー・セットンが、いたずらをした子供のように、うつむいて、少し顔を赤らめ、しゃべろうとしながらびくびくものでいる姿が、眼に見えるようだ。クラリッサはほんとうに人を怖がらせた。(彼女はクラリッサの大の仲良しで、たえずあの場所に来ていて、魅力的な人間で、美貌で浅黒く、あの頃大そう勇敢だという評判だったが、彼女によく葉巻をやると、それを寝部屋で喫い、そして誰かと婚約しているか或いは家のものと仲違いしているかどっちかだったが、パリイ老人はわれわれ二人を嫌っていて、そのことが大いに二人を結びつけたのだ)それからクラリッサは、なおも一同の感情を害うような態度をつづけながら、座を立つと、何か言い訳を言って、ひとり去っていった。彼女がドアを開けたとき、羊のあとを追っかける大きなもじゃもじゃの毛の犬が入りこんで来た。彼女は犬に跳りかかると、いかにも嬉しそうな叫び声をあげた。それはまるでピーターにこう言っているのも同じであった――すべてはこの自分をめあての行動なのだ、と彼は察した――「あの女のことで、ついさっき、わたしがばかな真似をしたと考えておいでのことは分かります。でもほら、わたしとても思いやりがあるでしょ。わたしのロッブをこんなに可愛がって!」
二人はいつも、こうして言葉には出さずに感情を伝えあえるという、ふしぎな能力をもっていた。彼女は自分が批判されたことを、すぐそれと悟る。やがて彼女は自分を弁明するために、この犬とのじゃれ合いのように、何かしらすぐ底が知れるようなことをやった――だが彼はいつもそれに欺かれなかった、いつもクラリッサの心中を看破した。もちろん、何か口に出して言うようなことはない。ただむずかしい顔をして坐っていただけだ。二人のいさかいはこんな具合にして始まるのだった。
彼女はドアを閉めてしまった。とたんにひどく憂鬱になって来た。すべてが徒労のように思われた――恋愛をつづけてゆくこと、いさかいをつづけること、仲直りをつづけることが。そうして、ひとり納屋や馬小屋のあいだを、馬をのぞきながらぶらつき歩いた。(それは至極お粗末な場所だった。パリイ一家はいつも財政不如意だった。それでも、いつも馬丁がいたし、馬小屋番の小僧たちがいた――クラリッサは乗馬を好んだ――そして馭者の老人がいて――名前は何と言ったろう――それから、年寄りの乳母は不機嫌《ムーディー》ばあやだったか、|むっつり《グーディー》ばあやだったか、そんな名前でみんなは呼んでいたが、写真と鳥籠でいっぱいの小部屋にわれわれを連れこんだっけ)
あれは怖ろしい晩だった! 俺はだんだん不機嫌になっていった。単にそのことのためばかりではなしに、あらゆることがらに対して。そして彼女に会うこと、釈明すること、かたをつけることができなかった。いつも他人がそばにいた――彼女は何事もなかったように澄ましていた。それが彼女の実はいけないところだったのだ――このよそよそしさ、この頑固さ、今朝話しかけていながらもそれと感じた、あの何か底の知れぬような態度、とっつきにくさといったものが。しかもどうしたわけか、彼女を恋してしまった。彼女は人の神経をきいきい鳴らす、そうだ、神経を胡弓の絃にしてしまう奇妙な力をそなえていた。
人目につくようにという、ばかげた考えからだが、かなり遅れてから晩餐の席に出、パリイ老嬢――ヘリーナ叔母さんのそばに坐った。パリイ氏の妹であるこの婦人が主人役を勤めていると思われた。白いカシミア織りの肩掛けをした彼女は、窓際に頭をよせかけて坐っていた――恐ろしそうな老婦人だが俺には親切だった。というのは何か珍しい花を見つけて来てやったからで、あの女は非常な植物研究家であり、厚ぼったい靴をはき、黒いブリキの採集箱を肩にしょっては元気に出かけていった。俺は側に坐りはしたものの、話をしかけることができなかった。あらゆるものが俺の前を掠めてゆくように思われた。ただもうそこに坐って食事をしているだけだった。やがて晩餐が半ば済んだころ、はじめてテーブル越しにクラリッサの方向に眼をむけた。彼女は自分の右手に坐っている青年に話しかけていた。俺はにわかに心にひらめくものを感じた。「彼女はあの男と結婚するだろう」そう自分は独語した。その名前すら知らないのだったが。
なぜって、ダロウェイがやって来たのは、もちろんその午后、その当日の午后のことだ。そしてクラリッサは彼を「ウィッカム」と呼んだ。それが、いきさつの始まりだった。誰かがこの男を連れて来た、そしてクラリッサはその名前を間違えたのだ。彼女は誰にむかってもウィッカムさんと紹介した。さいごに男は「私の名前はダロウェイです!」と言った――それがリチャードとの初対面だった――甲板椅子《デッキ・チェア》に腰かけながら「私の名前はダロウェイです!」とだしぬけに言い出した、少し頓馬な美青年どの。サリーはそのことを取り上げて、それからはいつもこの男のことを「私の名前はダロウェイ」さんと叫んだ。
あのときはさまざまの心の暗示に悩んだ。この暗示――彼女がダロウェイと結婚するであろうという暗示――それこそ目の眩むような暗示――とたんに俺は圧倒されてしまったのだ。一種の――何と言ったらいいか――一種の気軽さをもって彼女はその男に対していた。どこか母親のような、優しい態度で。二人は政治のことを話しあっていた。晩餐のあいだじゅう俺は、二人が話していることを聞きとろうとして骨を折った。
そのあと応接間でパリイ老嬢の椅子のそばに立っていたことをおぼえている。クラリッサは、ほんとうに女主人らしい、実にもう天晴れな態度でやって来て、俺を誰かに引き合わせようとした――まるで一度も会ったことがないような口っぷりなので俺は立腹した。しかしそのときでさえ俺はやはり彼女を偉いと考えた。彼女の勇気、彼女の社交的な才能には敬服した。物事を処理してゆく手腕に敬服したのだ。「申し分のない奥様ぶりだな」そう言ってやると、縮み上がった様子だった。しかし俺はわざとそうしたのだ。ダロウェイといっしょにいるところを見てしまった以上、いくらでも彼女の気持ちを傷つけるようなことをしてやりたかったのだ。で彼女は俺をのこしていってしまった。そうして俺は、みんながより集まって――談笑しながら――背後で――何か自分にたいする陰謀を企んでいるような感じだった。俺はミス・パリイの椅子のうしろに、森から切りとって来られた木みたいな恰好で立ちながら、野生の花のことを話していた。こんな、こんなひどい苦悩を味わったためしがあるだろうか! 聞いているふりを装うためにも苦しみを忘れる必要がある。そこで、やっと俺は生気をとりもどした。ミス・パリイが少しあわてた様子で、少し憤慨した様子で、飛び出たその眼をじっと見すえているのに気づいた。お相手なぞできませんよ、地獄の苦しみを味わわされているんですから! そうも叫びたかった。一同は部屋から去りはじめた。外套を取ってきましょうとか、水の上は冷たいとか、そんなことを話しているのが聞こえた。月明かりの湖にボートをうかべようとするのだった――サリーの突飛な思いつきの一つだった。彼女が月のことを言っている言葉が耳に入った。そしてみんなは出掛けていった。俺はひとりぼっちで取り残された。
「いっしょに生きたくはないんですか」とヘリーナ叔母さんが言った――気の毒なお婆さん! ――それと察したのだった。そして俺が振り向くと、クラリッサがまた来ていた。俺を連れて行こうとして戻って来たのだ。俺は寛大さに負けた――彼女の親切に負けた。
「いらっしゃい」と彼女は言った。「みんな待っていてよ」
あんなにも幸福を感じたことが生涯にあったろうか! 一言も交わさずに二人は仲直りをした。二人で湖のほうへ歩いていった。二十分のあいだ俺は完全に幸福だった。彼女の声、彼女の笑い、彼女の衣服(何かふわふわした、白に深紅色の)、彼女の気力、彼女の冒険心。彼女はみんなを上陸させ、島を踏査させた。彼女は牝鶏をおどろかした。彼女は笑った。彼女は唄った。そうして、そのあいだじゅう俺はちゃんと気づいていた。ダロウェイが彼女を恋しはじめたこと、彼女がダロウェイを恋しはじめたことを。がしかし、そんなことはどうでもいいように思えた。何もかもどうでもよかった。二人は地べたに坐って話をしていた――俺とクラリッサは。二人は無雑作にお互いの心中を汲みあった。やがてたちまちそれは終わってしまった。みんながボートに乗りこむとき、「彼女はあの男と結婚するのだ」と俺は独語した。もの憂そうに、何らかの遺趣遺恨《いしゅいこん》もこめずに、ただ紛れもない事実として。ダロウェイはクラリッサと結婚するのだ、と。
ダロウェイがボートを漕ぎ寄せた。彼は黙っていた。しかし、それはともあれ、ぱっと飛び出していった彼が自転車に跳び乗り、森の中を二十マイルも乗りまわしたり、身を揺すりながら馬路を走り、手を振りながら消えてゆく姿をみんなが見守っている間に、はっきりと心に、本能的に、ちゃんと一切を見抜いていた。あの夜、あのロマンス、そしてクラリッサ。彼女を獲得する資格があったのだ。
俺はどうかというと、たわけていたのだ。クラリッサに対する俺の要求は(今にして、そのことを知ることができるが)たわけたものだった。不可能なことを求めたのだ。怖るべき場面の数々をやってのけたのだ。でも彼女は俺の愛を受け入れることができたかもしれない。たぶん、俺がもう少し頓馬でなかったら――サリーはそう考えたのだ。彼女はあの夏のあいだたえず俺に便りを寄せ、いかにみんなが俺のことを話し合い、いかに彼女が俺のことを賞讃したかを、いかにクラリッサが涙にむせんだかを伝えて来た。とんでもない夏だった――すべての手紙、情景、電報――早朝くブアトンに着いて、召し使いたちが起きて来るまであたりをうろついたこと、朝食でパリイ老人と|差し向かい《チタ・テート》になってびっくりしたこと、おっかないけれど親切だったヘリーナ叔母さん、野菜畑に俺を引っ張っていったサリー、頭痛で寝こんでしまったクラリッサ。
さいごの場面、一生涯のいかなる他のことがらよりも重大だと俺が思いこんだ(それは誇張かもしれない――でも今となってはそう思える)、あの怖ろしい場面はあるひどくむし暑い日の午后三時に起こった。そんな羽目になったのも、もとは詰まらぬことからだった――サリーが昼食のときダロウェイになにか言いかけて、「私の名前はダロウェイさん」と呼んだのだ。するとクラリッサはにわかに憤然とし、例のごとく色をなして、つっけんどんにどなった、「そんなへろへろな冗談は聞きあきたわ」それっきりだった。けれど俺にとってはこう言われたも同然だった――「あなたがたとは遊んでいるだけ。でもわたし、リチャード・ダロウェイとはちゃんと理解しあっているのよ」そんなふうに俺は解釈した。俺は幾晩も眠れなかった。「どっちかに片を付けなければ」俺はひとりごちた。俺はサリーに託して彼女に、三時に噴水のところで逢ってくれと書き送った。「きわめて重大なことが起こりました」――そう俺はさいごに書きなぐった。
噴水は灌木|喬木《きょうぼく》にかこまれ、屋敷から遠い小さな林の中にあった。そこに彼女はやって来た、時間より早目に。そして二人は噴水孔《それはこわれていた》から絶えず水を垂らしている噴水をあいだに挿んで坐った。そのときの光景が心にくらいついて離れもしない! たとえば、あの鮮やかな緑の苔だ。
彼女は動かなかった。「ほんとうのことを言って下さい、ほんとうのことを言って下さい」俺は言いつづけた。額が焼けるような思いだった。彼女は眉をしかめ、まるで化石のようだった。彼女はじっとしていた。「ほんとうのことを言って下さい」俺がくりかえし言った、とたんにブラィトコップ老人が「タイムズ」を手にひょっこり現れた。じっと二人を見たが、目を円くして立ち去った。二人はどちらも動かなかった。「ほんとうのことを言って下さい」と俺はくりかえした。何かしら固い物体に圧しつぶされてゆくような感じだった。彼女は強情だった。鉄のように、火打ち石のように、背骨を硬直させていた。そして彼女が「もう無駄。無駄ですわ。万事はおしまいよ」とそう言ったときは――それは俺が何時間とも思われるくらい、頬から涙をとめどなく流しながら訴えつくしたあとのことだが――まるで顔を張られたのも同じであった。彼女は身をひるがえして、俺から離れ、立ち去ってしまった。
「クラリッサ!」俺は叫んだ。「クラリッサ!」しかし彼女は戻ろうとはしなかった。すべては休した。その晩俺は立ち去った。いらい彼女に会わなかった。
怖ろしいことだ、と彼は叫んだ、怖ろしい、怖ろしいことだ!
だが、陽は暑い。だが、人は耐えてゆく。だが、人生は日に日をつぐのが習いである。だが、と彼は思った、欠伸をしてあたりに気を配りはじめながら――リージェント・パークの様子は子供のとき以来ほとんど僅かしか変わっていないな、あの栗鼠《りす》は別として――だが、思うにそこには償いというものがある――とそのとき、子供部屋のストーヴの飾り棚に兄と作りかけている小石の蒐集を更に増やそうとして小石を拾っていた、赤ん坊のエイーズ・ミッチェルが、子守女の膝の上にどさりと一握りの小石を落とし、また出掛けようとしてよその婦人の足許にぶつかった。ピーター・ウォルシュは笑い出した。
しかしルクレチア・ウォレン・スミスはひとりごとを言いつづけた。意地悪、何でわたしは苦しまなくちゃならないの? 広小路を歩きながら彼女は自問していた。いいえ、もう我慢がならないわ。つれない、残酷な、意地悪なことばかり言っている、ひとりごとを言っている、死人にむかって話しかけている、もうセプティマスでなくなったセプティマスを、むこうのベンチに残して来た彼女は、そうつぶやいた。そのとき子供が彼女にぶつかって、倒れ、わっと泣き出したのだった。
むしろそれは慰めになった。彼女は子供を起こし、上衣の塵を払い、キスをしてやった。
でもわたしのほうは何も悪いことはしなかった。セプティマスを愛していたし、幸福だったわ。美しい家があって姉妹たちはいまもそこに住んで帽子作りをしている。だのになぜ|わたし《ヽヽヽ》は苦しまなくちゃならないのだろう。
子供はいっさんに、乳母のもとに駆けもどった。レチアはその子が、編物の手を止めた乳母に叱られ、慰められ、抱き上げられる様子をながめていた。親切そうな男が時計を貸し、ぱちっとそれを開けて慰めてやっている――だのに|わたし《ヽヽヽ》はなぜこんな目に遭わなくちゃならないの? どうしてミラノに残らなかったのだろう? なぜひどい苦しみにあうの? なぜ?
涙のために微かに広小路が揺れて、子守女が、灰色の服の男が、乳母車が、彼女の眼前にちらついた。このむごい責苦に翻弄されるのがわたしの運命なのだ。でもなぜ? わたしは木の葉の薄い凹みに隠れて、葉っぱが揺れると太陽をながめては目ばたきし、枯枝がぴしっと裂ける音にもおどろいて飛び上がる、一羽の小鳥みたいだ。よるべもないわたしで。とても大きな木立にかこまれ、知らぬ世間の大きな雲にかこまれ、よるべもなく、苦しめられている。なぜ苦しまなくてはならないの? なぜに?
彼女は眉をしかめた。足を踏みならした。かれこれもうサー・ウィリアム・ブラッドショーを訪ねる時間なので、彼女はまたセプティマスの許に戻らなければならなかった。戻っていってそう言わなければ――あの木の下の緑の椅子に坐って、ひとりごとを言うか、わたしが店で一度会ったきりの、死人のエヴァンズにむかってものを言うかしている、あの人のところに戻らなければ。上品でおっとりとした男のようだったけれど、セプティマスの親友は、戦死したのだった。でも、そんなことは誰にだってあることだわ。誰だって戦死した友達をもっているわ。結婚した以上は、誰だって何かをあきらめなくてはならない。わたしは家を棄てたの。ここで、この怖ろしい都会で暮らすためにやって来たの。でもセプティマスは、いろいろと、怖ろしいことばかり考えようとしている。わたしだってそうしようと思えばできるけど。あの人はだんだん妙なふうになってゆくわ。寝室の壁のうしろで人間が話しあっていると言ったりして。フィルマー夫人は変ねえと言っていたわ。それに何かの姿が見えるの――羊歯の繁った真ん中にお婆さんの顔が。でも幸福になろうとさえ思えばなれるのだ。バスの二階に乗ってハムプトン離宮にいったときは、二人はほんとうに幸福だった。赤と黄いろの小さな花がいっぱい草の上に咲いて、まるでランプが浮いているようだとあの人は言って、語ったりしゃべったり、つくり話をして笑ったりした。とつぜん「さあ二人で自殺しよう」と言ったのは川のそばに二人で立っていたときで、列車かバスが通るのを眺めるときの目つきで見おぼえのある、そんなような目つきで川を眺めていた――何かに魂を奪われてゆくような目つきで。そうしてわたしから離れてゆきそうに思えたので、わたしは腕をつかんだの。でも家に戻るとまったく平静だった――まったく正気だった。よくわたしと自殺について議論したわ。そうして、人間はよこしまなものだとか、街を行きながら嘘をたくらんでいるのが自分にはわかるとかわたしに言って聞かせた。奴等の考えはみんな分かっている、とあの人は言ったわ、何だって分かるんだって。世間の底意が分かるんだ、そう言ったわ。
それから、帰って来ると、歩くのももう大儀になって、長椅子に横になって、落ちないようにわたしに手をつかませたわ。落っこちる、落っこちる、とあの人は叫んだの、焔の中へ落っこちる! そうして、壁の中から沢山の顔が出て来て、笑いかけたり、怖ろしいぞっとするような言葉で呼びかけたり、つい立ての蔭から手が伸びて指さしているのが見えたりして。でもたった二人しかいないのだ。それでもなお大声でわめき出し、その人達に答えたり、議論したり、笑ったり、叫んだり、ひどく昂奮したり、わたしに何かを書きとめさせたりしたわ。それがまた、まったく無意味のことがら、死についての、イザベラ・ポールさんについての。もう我慢できない。帰ってしまいたいわ。
いま彼によりそいながら、彼女は彼が空を見つめたり、何かつぶやいたり、両手を握りしめたりする様子を見ることができた。しかしホームズ博士は、何でもありませんよと言ったのだ。すると一体どうしたわけなのだろう――じゃあ、なぜ気が狂ってしまったのだろう。なぜわたしがそばに坐っていると、はっとしたり、わたしを見てむずかしい顔をしたり、あっちを向いてしまったり、わたしの手を指さしたり、わたしの手をとったり、怖そうに眺めたりするのだろう。
結婚指輪を外してしまったからだろうか。「こんなに手が痩せてしまって」――彼女は言った。「お金入れの中にしまってしまったわ」――彼女は説明した。
彼は握った手を放した。われわれの結婚生活は終わったのだ、苦悶と開放感をこめて彼はそう考えた。索《つな》は切れたのだ。俺は舞い上がる。俺は自由だ。万人の主であるセプティマス、俺は自由を宣せられたのだから。ただひとり(妻は結婚指輪を棄ててしまったから、俺を見棄てたのだから)、俺セプティマスはただひとり呼び出されて、全人類に先んじて行こうとする、真理に聴き、真義を会得するために。その総体はあげて、いまようようにして、あらゆる文明の――ギリシア人、ローマ人、シェイクスピア、ダーウィンそしていま俺自身の――労苦のはてに、与えられ……「誰の手に?」と彼は大声で訊ねた。「総理大臣の」――頭の上でがさがさいう声が答えた。最高の秘密は閣議において述べられねばならぬ。まず第一に、樹木は生きている。つぎに、世の中に罪悪は存在しない。つぎに愛は、宇宙的な愛は――彼は呟きながら喉をつまらせ、身を震わせ、痛々しい努力のはてに、あまりに深くあまりにも難解で、説き語るには無限の努力を要するが、それによって世界は一新されるはずの深遠な真理の数々を彼は引き出した。
罪悪は存在せず。愛。カードと鉛筆をさぐり求めながら彼がそうくりかえしたとたんに、一匹のスカイ・テリアが彼のズボンをくんくん嗅いだ。彼は恐怖に身もだえながら飛びのいた。あ、人間に変わってゆく。どうなるのか、とても見てはいられない! 怖ろしいことだ。犬が人間になってしまうのを見るなんて、ぞっとする! たちまち犬は走り去った。
天はこよなく慈悲にみち、限りなく恵みふかい。天は己を免じ、欠けたるところを赦したもうのだ。だが科学的説明を加えるとどうなるか(何はさておき科学的でなくてはならぬ)。犬が人間になってしまおうとするとき、なぜ俺は肉体を透視したり、未来を直視したりできるのだ? おおかたそれは、進化の何十世紀によって過敏にされた脳髄に熱波が作用するのだろう。科学的に言うと、肉体が世界の彼方に融け去ったのだ。俺の身体は神経繊維だけを残してとろけ去った。それは岩のうえに、ヴェールのように展《ひろ》げられるのだ。
彼は腰掛けたままふんぞり返った、疲れてはいたがぐっとこらえて。再び精進し苦悶しながら人類にむかって解明をこころみる時を待って、俺は休養しているのだ。またがっている所は非常に高い、世界の背部なのだ。大地は下の方で顫えている。赤い花が俺の肉体を通して生い出でる。硬い葉っぱが、頭のあたりで、かさかさと鳴る。言葉がこの高みの岩に当たってがんがん鳴り出す。街上の自動車の警笛だ、と彼はつぶやいた。だがこの高所の岩から岩にぶつかり、裂け、また合して轟き、真っ直ぐな柱となって立ちのぼり(音楽が目に見えるというのは一つの発見だ)、そして讃歌に、いま牧童の吹きならす笛の音の纏絡《てんらく》する讃歌となり(それは一人の老人が居酒屋のそばで一文笛を鳴らしているのだが、と彼はつぶやいた)、少年がじっと立っていればそれは笛から泡立って出て来るが、少年がさらに高所に昇るなら、下界を車馬が通ってゆくときも、えも言われぬ嘆きの調べをつたえる。この少年の哀歌は往還のあいだで奏されるのだ、セプティマスはそう思った。さて今や白雪の中に引き退くと、薔薇の花がまわりにまつわって――俺の寝室の壁に咲いている濃紅色の薔薇、と彼は我に返って思った。音楽は止む。男は喜捨をうけ、それをたしかめ、そして次の居酒屋へと去っていく。
しかしこの身は岩の高みにとどまっている、溺れた水夫が岩の上にひとり残されたように。俺はボートの端に取りすがり転落するのだ、と彼は思った。俺は海水に沈んだ。俺は一旦死んだ。しかもいまや生をえた。けれど静かに休ませてほしいのだ、と彼は懇願した(またひとりごとを言っているのね――怖ろしい、怖ろしいこと!)。そして、目覚める前に小鳥の声と車輪の音が奇妙な調和をなしてひびき、しだいしだいにその響きは高まって、眠っている人はいま生の岸辺に引き寄せられるのを感じる、そのように彼は生の方に身を牽かれるのを感じ、しだいに熱してゆく陽を、高まってゆく声を、何か途方もない事件が持ち上がろうとするのを感じた。
ただ眼を開けさえすればよいのだ。しかし瞼に重みがあった、一つの恐怖が。彼は努力し、おし開け、ながめた。眼前のリージェント・パークを見やった。長い日光の流れが彼の足許で戯れていた。木立はゆれ、打ちなびいた。われら歓び迎えん、全世界がそう言っているように思われた、われら応ぜん、われら創り出さん、美を、と世界が言うように思われた。そしてそのことを証《あかし》するかのように(科学的にだが)、彼の目に入るあらゆるところに、家並みに、手摺に、柵の上に身を伸ばす翔羊《かもしか》に、美はたちどころに現じた。微風にあおられてわななく一ひらの葉を見ることはいみじいよろこびではある。空の上では燕たちが舞い下りるかと見ると体を変じ、彼方に此方に、しかもゴム網に包まれているかのようにけっして外れてゆくことはなく、ぐるぐる飛びまわり、蝿の群れも入り乱れて飛翔し、太陽は嘲弄気味にあの葉この葉とスポットを転じ、真底から上機嫌そうに柔らかな金色を浴びせてその目をくらませ、そして時折どこかの鐘の音が(それは自動車の警笛であったかもしれない)草の茎のうえに神さびて鳴りわたり――これらのすべては、もの静かでそして法外でなく、ありきたりのことがらから成るものであるにもせよ、いまこそそれは真理である。美、それはいまや真である〔英国の詩人キーツの数々の問題をはらんだ一行――「美こそ真、真こそ美」――のパロディ〕。美はあまねく存在する。
「もう時間よ」とレチアが言った。
「時間」という言葉はその外皮をひき裂き、秘宝を雨のごとく彼のうえにふりそそいだ。そして彼の唇をついて介殻《かいかく》のように、鉋《かんな》の削りくずのように、労せずに、勁《つよ》く、白く、不滅に、言葉は落ちて、飛散し、時間の頌詩《オード》となった。時間をたたえる不滅の頌詩《オード》に。彼は頌《うた》った。エヴァンズが樹の蔭から和した。死者はテッサリア〔ギリシア北東部の古代ギリシアの一州で、神々の座オリュンポスを始め最古の遺跡を残す〕に、とエヴァンズは蘭の繁みから唄った。かれらそこにあり、戦《いくさ》果つるを待つ。して、いま死者が、エヴァンズ自らが――「お願いだから来てくれるな!」セプティマスはどなった。死者の姿を見るのは耐えられなかったので。
しかし枝が左右に分かれた。灰色の衣の男がほんとうにこっちへ歩いて来る。エヴァンズだ! だがちっとも泥がついていない、傷を負ってもいない、変わった様子がない。俺は全世界に語らねばならない、セプティマスはそう叫んで手を上げた(灰色の服を着た死人が近づいて来たので)。ひとり沙漠にあって、両の手を額に押しあて、また双の頬に絶望の皺を寄せながら、人間の運命を悲しんで来た巨大な像〔エジプトのテーベ近くにあるメムノンの巨像。曙の光が射すごとに絃を断つような音を発したとつたえられる〕は、いまし沙漠のはてに、光をみとめ、その光りは漆黒のその像に打ち当たり、ひろがり(セプティマスは腰掛から半分立ちかけた)、ひれ伏すあまたの人々をしりめに、彼、哀哭《あいこく》する巨人は、しばしのあいだ、その面上いちめんに光を浴びる――
「でもわたしとっても悲しいのよ、セプティマス」レチアは彼を坐らせようとつとめながら言った。
数知れぬ人間が慟哭する。幾年月のあいだ彼らは哀しんで来たのだ。俺は振り向きたい、ちょっとの間でいい、ほんのちょっとでいいから語ってやりたい、この慰藉、この歓びを、このおどろくべき啓示を――
「時間よ、セプティマス」レチアはくりかえした。「時間はどうなの?」
何だかしゃべっている、びくついている。あの男の人にきっと気づかれてしまうわ。こっちを見ているわ。
「時間を教えてやろうか」セプティマスはおもむろに、ゆっくりと、灰色の服を着た死んだ男にむかって不可解な微笑を送りながら、そう言った。彼が笑ったまま坐っていると、十五分の鐘が打った――十一時四十五分が。
あれもまあ若いからなのだ、ピーター・ウォルシュは彼らの前を通り過ぎながら思った。凄まじい場面を演じているな――気の毒にあの娘はまったく絶望しきっている様子だな――こんな朝っぱらから。だがどうしたというのだろう、と彼は思った。あの外套を着た青年は一体何をしゃべって、あんな表情にさせたのだろう。どんな怖ろしい羽目に彼らは落ちこんだというのだろう――気持ちのいい夏の朝だというのに、二人ともあんな絶望した顔つきをして。五年ぶりに英国へ戻って見て、面白いと思うのは英国の現状だ。とにかく一両日しか経たないが、見たこともなかったような状態が目につく。木の下で痴話喧嘩をする恋人同志。あちこちの公園での家庭生活の場面。ロンドンがこんなに楽しそうに見えたことはない――遠くの眺めの和やかさ、豊かさ、瑞々《みずみず》しさ。印度にいたものの目には、と彼は思った、文明そのものが芝生を散歩しているようだ。
印象にたいするこの敏感さは俺を損なうものだった、たしかに。だが、この歳になっても、まるで少年か少女のように、こんなに気分がくるくる変わる。なぜということもなくよろこび、悲しみ、美人の顔を眺めれば楽しく、うすぎたない老婆を見ては露骨に不愉快だ。印度にいたあとだと、もちろん会う人ごとに愛情を感じるのだ。彼らの様子には溌剌さがある。この上なく貧しい服装でもたしかに五年前よりはずっと増しだ。そして流行衣裳がこんなにぴったりして見えたことを知らない。長い黒の服、華奢づくり、あでづくり、それから香り美しく隅々まで行きとどいた白粉《おしろい》化粧。すべての女が、やんごとなき際《きわ》にいたるまで、フレーム咲きの薔薇みたいに紅つけて。ナイフで切ったような唇。そうして眉墨。いたるところ意匠をこらし、技巧をこらして。ある種の変革がまぎれもなく行われたのだ。若い連中はどんなことを考えているのだろう。ピーター・ウォルシュはそう自問した。
この五年間は――一九一八年から一九二三年までの期間は――ともかくも、と彼は思った、きわめて重要である。人間が別人に見える。新聞も別物と思えるのだ。たとえば堂々たる週刊誌に、便所のことをのけのけと書く人間がいる。十年前にはようしなかったことだ――堂々たる週刊誌に便所のことをのけのけと書くなんて。それから紅だの白粉|刷毛《はけ》だのを取り出して、人前で化粧直しをする。帰国の船の中には沢山の若い男女がいて――ベティ、バァティの二人をとくにおぼえている――まったく開放的に振舞っていた。年を取った母親は坐って編物をしながら、泰然自若として彼らを眺めていた。あの娘なら誰の前だろうと立ち止まって鼻をぱんぱん敲《たた》くだろう。しかも彼らは婚約なんかしない。ただ面白く時間をすごし、おたがい感情を傷うこともない。あの娘は釘みたいに堅固だ――ベティなにがし嬢とやらは――だがほんとに性質《たち》のいい娘だ。三十になったらほんとにいい妻君になるだろう――結婚したほうが好都合となれば結婚もするさ。誰か金持ちの男と結婚して、マンチェスター近郊の大きな邸宅に住むのだ。
ところでさて、その通りにした人間がいたが、誰だったろうな。ピーター・ウォルシュは広小路に曲がりながら自問した――金持ちの男と結婚してマンチェスター郊外の大邸宅に住んでいるのは? つい最近「青あじさい」について長い、行々しい手紙を寄越した誰かだ。青あじさいを見ていたら、この自分のことや過ぎた昔のことを思い出したというのは――そう、サリー・セットンにきまっている! サリー・セットンだ――金持ちの男と結婚してマンチェスター郊外の大邸宅で暮らすなんて思いも寄らなかった人間、野生的で無鉄砲でロマンティックだったサリー!
だが、あの昔の連中、クラリッサの友人たちのなかで――ウィトブレッド、キンダースレー、カニンガム、キンロック・ジョーンズ、といった連中のなかでは――サリーはおそらく一番いい人間だった。ともかくも彼女は、物事を正しい目的によって把握しようとした。ともかくもヒュー・ウィトブレッドという人間を見抜いたのだ――天晴れなヒューを――クラリッサその他がしきりに彼を奉っていたにもかかわらず。
「ウィトブレッド家ですって?」彼女が言った言葉をいまでもおぼえている。「ウィトブレッド家がどうしたの? 石炭商人よ。ご立派な小売り商人だわよ」
なぜかしら彼女は大へんヒューが嫌いだった。あの男ったら自分の見てくれしか考えないのよ、と彼女は言った。とうぜん公爵になって然るべき人間よ。きっと王女様の一人とでも結婚するでしょうよ、と。そしてもちろんヒューは、およそ行き会ったかぎりの貴族の誰にたいしても、最も法外な、最も自然な、最も極端な尊敬を払ったのだ。クラリッサさえもそのことは認めないではいられなかった。ああ、それにしても非情に愛すべき、非情に利己心のない男だ。老母をよろこばすために狩猟を止めにしたり――伯母の誕生日を忘れなかったり、といった具合に。
正邪を明らかにしようとするサリーは、そうした一切のことをよく見てとった。いちばんよく覚えていることの一つは、ある日曜日の朝のブアトンでの、女性の権利(あの古めかしい話題)についての議論で、急にサリーは立腹して眼をむいてヒューに喰ってかかり、英国中流階級の生活の最も厭うべき面の一切を代表しているのねと言った。あなただって「ピカディリーの哀れな娘たち〔いわゆる、夜の天使たち〕」の現状には道徳的責任があると思うけれど、と言ったのだ――ヒュー、完璧なる紳士、気の毒なヒュー! ――あんなにびくついた男を見たことがない! 後で彼女は、わざとああしてやったのと言った(野菜畑でよく二人はいっしょになり、覚書の比較をしあったから)。「あの男は何にも読まず、何にも考えず、何にも感じていないのよ」そう言って声を強めて、彼女の知らぬ領域のことがらをまでも語ったのを思い出す。馬小屋番の小僧の生活だってヒューよりはましだわ、そう彼女は言った。パブリック・スクール〔上中流子弟のために大学進学の予備教育をほどこす英国独特の寄宿制私立学校。後出のイートンは、ハロー校と並んで伝統を誇る〕型の完全な標本よ、と彼女は言った。英国でしか生まれない代物だわ、と。彼女は実際執念深かった、どうした理由からか。彼にたいして遺恨を含んでいた。何かあったのだ――内容は忘れてしまったが――喫煙室で。あの男が彼女に無礼をはたらいた――キスだったかな。まさか! ヒューにたいしての悪口はどうも眉つばものだ。喫煙室で、サリーにキスした! 相手が貴族令嬢のエディスとかヴァイオレット夫人とかだったら、まあね。だが肩書ばかしで文なしの、父親だか母親だかがモンテ・カルロで賭博をやっている、浮浪児のサリーだったらそれは違うな。何しろヒューときたら、これまでに会った男のなかで最大の俗物だ――権門|阿諛《あゆ》の徒の親玉だ――いや、阿諛とは少し違うようだ。それにしてはあの男は気取り屋でありすぎる。第一流の下男と言ったら瞭然《りょうぜん》たる譬《たと》えになる――スーツ・ケースをさげて尻をついてまわる男、安心して電報を打たせられる男――奥様がたには絶対重宝という代物だ。そうして彼はその職にありついた――貴族令嬢イーヴリンと結婚し、宮廷にちっぽけな地位を得、王室の酒蔵の番人となり、王様の靴の締め金を磨き、宮廷ズボンにレースの襞とり姿で立ち廻っているのだ。ああ、人生のつれなさよ! 宮廷の小役人か!
彼はこの婦人と、令嬢イーヴリンと結婚して、ここらあたりに住んでいるのだったな、と、ピーター・ウォルシュはそう思った(公園を見下ろす豪壮な邸宅街をながめながら)。いつか自分はある邸で昼食を食べたが、そこにはヒューの所蔵品そっくりの、他家には容易にはなさそうな品があった――麻服専用の戸棚だったかもしれない。一見に値する代物ですぞ――ともあれ、日ねもす嘆賞して来るだけの価値ありさ――麻服専用という戸棚、枕おおい、古樫の家具、そうして絵、これなんか三文市場からヒューが掘り出して来たものだ。だがヒュー夫人はときどき無能無才を暴露して見せる。大きな人間様を褒め上げる、卑しき二十日鼠然たる小女の一人だ。彼女はほとんど無視されている。と、やがて突如として、思いもかけぬことがらを口にするのだ――何かぴりっとしたことを。おそらく上流の風習の遺物を秘めているのだろう。機関用石炭はちょっとばかし烟が強すぎ――空気が濁りますとおおせられる。そんな具合で彼らはあそこに、麻服専用の戸棚や、いにしえの名作や、本物のレースの縁取りの枕おおいといっしょに、年に五千から一万の賃を払って暮らしているが、ヒューよりは二つ年上の俺は、職を求めて歩いている始末。
五十三にもなって俺は、彼らのところへ頼みこみにやって来たのだ、どこか書記の口を世話してくれ、ラテン語を生徒に教える助教師の職を見つけたい、どこかの官庁の役人にあごで使われて、年に五百ぐらいの収入のある何かを、と。もしデイジーと結婚したら、恩給はあっても、それ以下では食ってゆけないのだから。ウィトブレッドなら何とかしてくれるだろう。でなければダロウェイが。ダロウェイに頼むということは念頭になかった。あの男はまったく良い人間だ。少し世界が狭いし、ちょっと頭が鈍いが、まったく好人物だ。何事をなすにもつねに変わらぬ平凡な常識的方法をもってする。すこしも、想像力を働かせたり、才幹をほのめかしたりせず、彼一流の不可解な精密さをもってする。彼は田園紳士になるべきだったのだ――政治で一生を浪費してしまったのだ。戸外で馬や犬を相手に過ごすのが一番性に合っている――どんなに彼は適任だったろう、たとえばあの、クラリッサが飼っていた、毛がもじゃもじゃの大きな犬が罠にはまって足が千切れそうだったとき。あのときクラリッサは気が遠くなってしまって、彼が一切の世話をしたのだ。繃帯をしてやり、副木《そえぎ》を当ててやった。しっかりしなくちゃ駄目ですとクラリッサを叱った。それで彼が好きになったのだ、おそらく――彼女はそれを求めていたのだ。「さあ、ぼんやりしていちゃ駄目ですよ。こっちを持って――そっちをつかんで」そう言いながらたえず犬に、人間に対するように話しかけていた彼。
それにしてもなぜ彼女は、詩に関するあんなたわごとを真に受けてしまったのだろう? シェイクスピアについてのあの公言を許したのだろう? 真顔で真面目になってリチャード・ダロウェイは起ち上がると、およそ紳士たるものシェイクスピアのソネット集〔シェイクスピア青春期の友情と恋愛讃歌〕を読むべきではない、鍵穴に聴き耳を立てるようなものだから、とそう言った(それにあの関係〔シェイクスピアと恋人とパトロンとの三角関係〕が是認しがたい、と)。紳士たるもの後妻が死んだ先妻の妹と交際するのを許してはならぬ、か。そんなばかな! 砂糖漬けの巴旦杏でも投げつけてやるところだ――夕食の時だったから。ところがクラリッサはそれを鵜呑みにして、正直さをたたえ、見識があると考えたのだ。こんな独創的な人物がいるかしら、と、そう考えたかもしれたものじゃない!
サリーとこの自分とを結びつけたのは、そんなことも原因の一つだった。どこかの庭を二人でよく散歩した。墻《かき》をめぐらした場所で、薔薇のしげみがあり、丈の高い花野菜もあって――サリーが薔薇の花をむしったり、月の光りに照らされたキャベツの葉っぱの美しさに足を停めて見ほれたことなどをおぼえている(幾歳月というもの、思ってもみなかったことがらのすべてが、ありありと回想にうかんで来るのにはおどろく)。そうしながら彼女は、もちろん半ば冗談だが、クラリッサをさらっていってくれと嘆願したのだ。「彼女の魂をしめつけ」(サリーはあの頃やたらに詩を書いていた)一介の主婦に仕上げようとし、彼女の俗物根性を助長しようとしている、ヒューの輩、ダロウェイの輩、その他あらゆる「完璧なる紳士たち」から救い出してほしい、と。しかしクラリッサに対しては正しい判断を下すことが必要だ。ともかくも、ヒューなどと結婚しようというわけではない。自分の欲するものを彼女はちゃんとわきまえていたのだ。感情的とはいっても表面だけだ。心底はしっかり者だ――言ってみればサリーなどよりはずっと目が高いのだが、それにもかかわらず、まったく女らしいのだ。どこであろうと自分の世界にしてしまうあの異常な天分、女性の天分をそなえていて。彼女が部屋に入って来る。すると、よくそんな姿を見かけたように、戸口に立ちながらもう多勢の人間にかこまれている。しかし忘れえないのはあの姿だ。人目を惹くというのではない。美人ではないし、絵のような美しさなんて備えてない。特に悧口な口をきくことも。だがやはり存在している。たしかに。
いや、いや、いや! 俺はもうクラリッサに恋してなぞいない! ただそう感じるだけだ。今朝、鋏と絹糸を相手に夜会の用意をしている彼女に会ったので、彼女への思いを抑えかねているだけだ。列車のなかで居眠っている人が揺られながら寄りかかって来るそのように、しきりに彼女の存在がよみがえって来る。もちろんそれは恋などというものではない。彼女のことを考えたり、彼女を批判したり、三十年ぶりに彼女をおどろかしたり、彼女という人間を説明しようとしたりする、ただそれだけだ。彼女に関してはっきりと言えるのは、彼女が俗物であることだ。地位とか上流社会とか出世とかを気にしすぎる――ある意味では確かにそうだ。彼女自身が俺にむかってそうと認めたこともあるのだ。(その労を惜しまなければきっと彼女に白状さすことができよう。根は正直なのだ)自分でよくそう言ったが、彼女は薄汚い老婆や時勢遅れの人間や、たぶん俺のような人生の失敗者が嫌いで、人間はポケットに手を突っこんでうつむいて歩いていてもいい権利なんかない、何かしなくちゃいけない、重要な人間にならねば駄目、と考えている。そうしてあのお歴々が、俺にとってはどうでもいいどころかほとんど無縁な、応接間でお目にかかる公爵夫人や白髪の老伯爵夫人連中が、彼女にとっては真実なあるものを意味しているのだ。ベクスブラ夫人はしゃんとしていらっしゃるわ、彼女はいつかそう言った(クラリッサもその通りだ。けっして所在なく過ごすというようなことをしない。投げ槍のように真っ直ぐで、まったく少し頑固だ)。彼らは一種の勇気をそなえていて、自分は歳をとるに従って尊敬の念が増し来たる、と彼女は言った。もちろん、こうした一切にはダロウェイの分子がよほど混じっている。多量の公共的精神、英帝国、関税改正、支配階級気質、それらが世のためしに洩れず心中に根を張っているのだ。ダロウェイの二倍の機智をそなえながら、彼の眼を通して物を見なければならぬ――結婚生活の悲劇の一つだ。自分の精神をもちながら、しかもいつもリチャードを引用することが必要なのだ――今朝リチャードが「モーニング・ポスト」〔保守系の大新聞〕を読んで考えたことを知るものはないとでもいうように! 宴会などにしてもみんな彼のため、でなければ彼のためにと考えてのことだ(リチャードを正当に批判したら、ノーフォーク〔イングランド東端の州〕で園芸をやっていたほうがはるかに幸福というものだ)。彼女は応接間を一種の集会所にしている。その点にかけては天才なのだ。何度も何度も俺は見ているが、彼女はうぶな青年をとらえ、絡め、転がし、目を覚まさせ、そして動き出させる。頓馬な人間が数えきれぬほどおおぜい群がり集まることは言うまでもない。しかし一風変わった、思いがけないような連中も訪ねて来る。ときには画家、ときには作家といったように、あの雰囲気のなかでは変わり種の人間が。そしてそうした一切の背後に、網細工のような雑事が控えている。やれ訪問、やれ名刺訪問、やれ誰々の世話。花束や小さなプレゼントをもって走りまわる。誰それがフランスに行く――それ、空気枕を買わなければ。まったくの精力の消耗。彼女の類いの女どもが絶えずつづけなければならぬ果てしない交際の一切。けれどそれを誠実にやってのけるのは、生得の本能からだ。
はなはだ妙だが、彼女はいままでに出会ったかぎりの、最も徹底的な懐疑主義者の一人なので、そしておそらく(これは彼女を説明しようとするときいつも組み立てる、ある点では明々白々な、またある点ではきわめて不可思議な理論だが)、おそらく彼女は自分にむかってつぎのように言っただろう。わたしたち人間は沈んでゆく船に縛りつけられ、命数すでに尽きた身ではあるけれど(彼女の少女時代の愛読書はハックスリー〔自然科学者としては友人ダーウィンの進化論を擁護し、かたわら哲学者としては知識を経験事実に限定する不可知論的実証論を説く〕とティンダル〔自然科学者として哲学者を兼ね、自然科学的知識を形而上学化して一種の物活論を唱えた〕だが、彼らは好んでこのような船乗りの陰喩を用いる)――一切はつまらぬ冗談事にすぎないけれど、ともかく各自の職分を尽くしましょう、と。わたしたち囚人仲間の(またしてもハックスリー調だ)苦悩を和らげ、花と空気枕とでこの土牢を飾り、力のおよぶかぎりにおいて正しく生きましょうよ、と。悪魔みたいな神々に、勝手な真似をさせては置かないわ――と言うのはつまり、彼女の考えでは、神々は機会あるごとに人間の生命を害し、挫き、そこなおうとしているが、それにもかかわらずわれわれが淑女のごとく立派に振舞うならば、神々をほんとうに駆逐することができようというのだった。そうした心境の変化はシルヴィアの死の――あの怖ろしい事件の直後に到来したのだ。見ている前で自分の妹が、樹が倒れかかったために死んだとしたら(まったくジャスティン・パリイの失策《へま》――まったくの不注意のためだった)、それもいま正に蕾を開こうとする、きょうだい中でいちばん天分豊かだとクラリッサはいつも言っていたのだから、悲痛な気持ちもしようというものだ。その後の彼女はもっと実際的になり、神なんて存在しない、罪ある人間はいないと考え、善のために善をなすという、この無神論者の宗教理論を発展させていったのだ。
もちろんしかし彼女は人生を限りなく享楽した。享楽は彼女の本性なのだ(とは言うものの彼女は、なぜかは知らぬが、沈黙の領域を保っている。要するに見取図《スケッチ》にすぎない、としばしば感じさせられたものだ。この自分でさえ、こんなに長い年月を経ながら、クラリッサからとらえ得たのは彼女の見取図にすぎないと)。とにかく彼女には少しも苛烈さはない。善良な女によくある、むかつくような道徳観念が少しもない。彼女はあらゆるものを実際に享楽する。彼女とならんでハイドパークを散策するとしたら、チューリップの花壇が、乳母車の中の赤ん坊が、あるいは彼女がもののはずみに演じ出す途方もない小劇と言ったものが彼女の享楽の対象なのだ。(不幸そうだと考えたら、道行く恋人づれに話しかけることもしかねまい)彼女は絶妙な喜劇的感覚をそなえているが、それを実践するために人間を、たえず人間を必要とし、その当然の結果として彼女は彼女の時間を浪費するのだ。昼食を供し、正餐を供し、絶え間なく夜会を開き、たわごとを語り、こころにもないことがらを口にし、精神の刃先を鈍らせ、弁別力を失くしながら。無限の苦痛を感じながら食卓の隅に坐っている彼女の相手の、どこかの老いぼれは、ダロウェイのためには役立つかも知れない人間だ――ヨーロッパ第一級の恐ろしく退屈な連中と付き合っているのだから――でなければ、エリザベスがそこへ割りこんで来れば、|あの娘《ヽヽヽ》ひとりに関心一切を集中させる。ハイスクールの生徒で、このまえ訪ねたときはまだ碌に口もきけぬ年頃で、つぶら眼《まなこ》の、蒼白い顔をした少女だったエリザベスには、あの母親の面影はまったく見られない。無口でもっさりとして、いっこう物に動ずる様子もなく、母親がやきもきし出すと、まるで四歳の子供みたいに「あちらへいってもいい?」と訊ねる。そしてクラリッサは、おそらくダロウェイによって目覚まされたらしい楽しみと誇りの混合した態度で、ホッケイをしに参りますのとそう説明を加えるのだ。おそらくもうエリザベスは「見参《アウト》」〔若い娘が社交界に顔を出すことをアウトという〕ずみだろう。俺を旧弊家と考え、母親の友人どもを笑っているのだ。いいとも御勝手にだ。老年のむくいとは、ピーター・ウォルシュはリージェント・パークを出、帽子を片手に歩きながら思った、要するにこうだ。依然として情熱ははげしい。が、いまや獲得されるのだ――ああ、ついに!――生活に最高の風韻を添えるところの能力が――経験を把握し、把握したそれを静かに光の下で転ばし味わうちからが。
怖るべき告白ではある(彼はふたたび帽子をかぶった)、しかしいま、五十三歳となっては、もうほとんど人間を必要としない。生そのもの、そのあらゆる瞬間、あらゆる滴り、此処に、この瞬間、今、陽を浴びて、リージェント・パークにいる――それで充分だ。まったく充足しすぎるくらいだ。この能力を得たいまは、全生涯をもってしてもなお短く足りぬことを思わせられる――その風韻を完たく味わうには、よろこびの全量と意味の一切の陰鬱を抽《ひ》き出すためには。いまやその何れもがひとしお堅実さを加え、個人的要素を遥かに減じているから。クラリッサによって味わわされたような苦悩をふたたび悩むことは不可能だ。もうずっと何時間も(神よこの告白を洩れ聞かしめ給うな!)、何時間も何日間も、デイジーのことを思ってもみない。
ならば、あの頃のみじめな気持ちを、苦悩を、異常な情熱を思いかえすが、いまあの女を恋することが果して事実と言えようか。いや全く別だ――はるかに好ましいことなのだが――実は彼女《ヽヽ》が俺《ヽ》を恋しているのだ。たぶんそんなわけで、いよいよ船が走り出したとき、俺はただならぬ心の気軽さを感じ、ひたすら孤独を願ったのだ。船室の中に女の細やかな心やりの品々――葉巻、手帖、航海用毛布――を見てうんざりしたのだ。正直な人間ならばみんな、同じことを言うだろう。五十を過ぎたらもう人間なぞ要らぬ、女にむかってあなたは美人だとしゃべりつづけるのはもう御免だと。五十男の大抵がそう言うだろう、とピーター・ウォルシュは思った、もし正直な人間なら。
それにしても意外な激情の発作――今朝のむせび泣き、あれは一体どうしたことか。クラリッサはこの俺を、なんと考えただろう。たぶんばか者と考えただろう、それも今度が最初のことではないか。底にひそんでいるのは嫉妬心――人間のあらゆる情熱を越えて生き残る嫉妬心だ。ピーター・ウォルシュは差し伸べた手に懐中ナイフを握りしめながら、そう思った。オード少佐にお会いしていますわ、とデイジーは最近の便りのなかで言ってよこした。わざとそう言っているのだ、きっと。俺の嫉妬心をかき立てようとして言ってよこしたのだ。書きながら額に皺をよせ、何と書いたら嫉妬心を起こさせることができるかと思案している女の姿が見えるようだ。だが矢張り、俺は腹が立つ! わざわざ帰国して弁護士に会おうとするのも、あの女と結婚しようためではなく、俺以外の誰かと結婚しないよう、予防線を張るためだ。俺を苦しめるのはそれなのだ。いかにも落ち着いた冷静な様子をして、ドレスだか何かに余念ないクラリッサの姿を見たとき、ふと心に浮かんだのはそれだ。もう少し優しくしてくれたらよかったのに、彼女は俺をあんな――鼻をすすりあげて泣く老阿呆にしてしまって。だが女どもには、と彼は懐中ナイフを閉じながら考えた、情熱の何たるかが解らないのだ。男にとって何を意味するかが解らないのだ。クラリッサは氷柱《つらら》みたいに冷やかだ。長椅子に並んで坐り、その手を取らせ、頬にキスを与えながら――ここまで考えたとき彼は交叉点に来ていた。
一つの音調が彼を遮《さえぎ》った。か細い顫えるような音、いずこともなく、力なく、始めもなく終わりもなしに湧き起こり、力なげにしかもするどく、一切の人間的意味を欠いて、
ee um fah um so
foo swee too eem oo----
と流れゆく声、年齢の、性の区別も伴わぬ声、大地から迸《ほとばし》る古き泉の声が。その声の主、リージェント・パーク地下鉄駅の真向かいにゆらぎ立つ丈高い姿は、煙突か、錆びついたポンプか、風に打たれ、とこしえに葉は枯れた樹にも似て、
ee um fah um so
foo swee too eem oo
と歌いながら、吹く風に枝をしなわせ、永遠の微風の中に揺らぎ、ひしめき、呻く。
あらゆる時代にわたり――この鋪道が草地であった頃、沼地であった頃を通じ、象やいのししやマンモスの跳梁時代、東雲《しののめ》かそけき時代を通じて――この老いぼれの女は、スカートをしているから女であろう、右手をさしのべ、左手で脇腹を抑えて立ちながら、恋の歌をうたった――百千年《ももちとせ》続く恋、と女はうたった、やがては勝利をほこる恋。百千年《ももちとせ》むかし、逝きてかえらぬわが恋人《ひと》は、と女はくちずさんだ、五月の野辺をこのわれと打ち連れてそぞろ歩きぬ。さあれ夏の日のごと長けく、はた、燃えぞ出ずる、|しおん《ヽヽヽ》さながら花くれないに、歳月《としつき》めぐるそのひまに、わが恋人《ひと》は逝きつ。死神の大いなる鎌はるかなる丘々を薙ぎたおし、老いさらばう霜白のこのこうべ、さながらに氷の滓《おり》となり果てて地に横たうるその折は、枕辺に、陽の残映《なごり》ただよう丘の奥津城に、神に乞うらく、紫のヒースひともと置きたまえ。うつせみの世の野外劇《わざ》のすえはかくこそ。
リージェント・パーク地下鉄駅の向かいから古歌が沸きたぎると、大地はなお花咲くさ緑の野かと見えた。かくも鄙《ひな》びた口から、泥にまみれ、草や根の繊維《すじ》をからませた、さながら地の穴から洩れながら無限の幾世経て節くれた根や骸骨や金属から滲《にじ》み出、泡立ちたぎる古歌は、鋪道を流れて小川をなし、メーリルボーン街一帯を流れ、地を饒《ゆた》かにし、濡らしながら、ユーストンの方に流れ去った。
そのかみ、原始時代のある五月に恋人とともにした散策のことをなおも追想しながら、この錆びたポンプ、老いぼれの老婆は、施しを乞うて片手を差しのべ、もう片方の手でわき腹をおさえて、百千年《ももちとせ》そこに居るであろう。かつての五月、いまでは海が通うあたりを彼女がそぞろ歩いた相手は誰であろうと構わないが――おおそうだ、その相手は一人の男、彼女を愛した一人の男だ。しかし時世《ときよ》の推移はあの太古の五月のひと日の晴朗をかげらせ、目もあやに花びらを開いた花も、銀の白髪を頂いた。彼にむかっていま「汝がうるわしの眼もてわがまなこ切《せち》に見よかし」と訴えながら(彼女はいま紛れもなくそう訴えた)、彼女が眺めているのは鳶色の眼でも、黒い髯でも、日焼けした顔でもなく、おぼろに浮かび出た人影、黒い影にすぎない。その影にむかって彼女は、年経たもののもつ鳥にも似た清新さをもって、しきりにさえずりかけた、「汝が手をとりて優しく握らん」(タクシーに乗りこもうとするピーター・ウォルシュは哀れな老婆に金を与えずにはいられなかった)。「人目をしのぶことやある」彼女は強要するような口調でうたった。そして、握りこぶしで横腹をつかみながら、片方の手でシリング銀貨をポケットにしまい、にっこり笑った。じっと見すえる周囲すべての人々の眼ざしはかき消され、通り過ぎるひとびとも――鋪道には中流階級の人間たちがひしめき雑沓していた――木の葉のように散じ、果ては
ee um fah um so
foo swee too eem oo
と沸きたぎる久遠の泉に踏みにじられ、吸いこまれ、浸され、土と化したかと見えた。
「気の毒なおばあさんね」――レチア・ウォレン・スミスは言った。
まあ気の毒に、可哀そうに! と彼女は横断の時を待ちながら言った。
雨の晩だったらどうだろうか。父親か、落ちぶれるそのまえの知りあいの誰かが通りがかり、車道の溝に立つそんな姿を見たとしたら。それに、夜になったら女はどこで寝るのだろう?
楽しそうに、陽気と言ってもいいほどに、眼に見えぬ糸ひくその音は、ちょうど田舎家の煙出しから立ちのぼる煙が、すんなりとしたぶなの木立をうねりながら昇ってゆき、てっぺんの葉かげから青いふさとなって出て来るように、うねりながらのぼっていった。「人目をしのぶことやあるべき」
来る週も来る週も不幸の底にあったので、レチアはいろいろな出来事から意味を汲みとろうとしていた。もし道行く人々が善良で優しい人間に見えると、「わたしは不幸なの」とただそう言うために、彼らの足をとどめさせずにはいられぬほどに感じることがよくあった。で、いま彼女は人通りに立って「人目をしのぶことやあるべき」と歌っているこの老婆によって、万事はうまく運ぶということをとつぜん確信させられたのであった。二人はサー・ウィリアム・ブラッドショーを訪ねてゆくところで、ブラッドショーという名の優しい響きはまた、セプティマスをさっそく癒してくれるであろうことを思わせた。そこにはまた醸造工場の荷馬車がとまっていて、鼠色の馬の尻尾からちょっぴりしかない剛毛《あらげ》が逆立っていた。新聞ビラがならんでいる。人間が不幸であることなぞは、ばからしい、ばからしい夢なのだ。
そこで二人は、セプティマス・ウォレン・スミスとその妻は通りを渡った。二人の姿には、注視の眼を向けさすような、そんな様子があったろうか。この世における最も重大な託宣を秘め、さらにまたこの世でもっとも幸福な人間であり、もっとも悲惨な人間である一人の青年がここにいると、通行人に気づかせるような何かが? たぶん二人の足どりは他の連中よりはのろく、男の歩みにはためらうような、疲れた足を引き摺っているような感じがあった。それにしても、平日のこんな時刻に、ウエスト・エンド〔ロンドン西部の目貫きの地域。中心はピカディリー〕に来たのは実に久し振りの、どこかの事務員だとしてみれば、その彼がしきりに空を見上げているのは――あたかも家人の留守に、シャンデリアがオランダ麻のふくろに包まれて天井から垂れている一室に、身を入れたとでもいった様子で、ここポートランド広路の彼方此方をうち眺めているのも、まことに道理である。管理女はいま長いよろい戸の一端を上げ、坐る人もない、奇妙な恰好をした肘掛椅子の行列の上に埃っぽい光線を長々と射しこませ、いかにすばらしい場所であるかを訪客たちに説明してみせる。何てまあ素晴らしい、と彼は思うのだ、でもまた何てふしぎな場所だろう。
一見、彼は事務員と受けとれそうだが、もっとましな地位にあるのだろう。赤靴をはいてはいるし、教養ある感じの手だし、それにまた彼の横顔は――骨ばった、鼻の大きな、インテリ風な、神経質らしい横顔だが、唇はまったく違う、たるんだ感じである。そして眼は(とかくありがちなように)、ただ眼であるというだけ。赤茶いろで大きい。だから全体としての感じはあれかこれか定め難いその中間で、末はやがてパーリィ〔ロンドンの南郊にある町〕に邸宅を構え、自動車をそなえるようになるかも知れず、裏街のアパート暮らしで一生を果てるかもしれない。よくある中途半端な教育をうけた人間、知名の著者に手紙で指導を仰ぎ、図書館から借り出し、つとめが済んだあとで夜中にひもどく書物から学んだのが教育のすべてである、独学者の一人なのだ。
それ以外の経験といえば孤独の体験を、寝室で、勤め先で、野を歩みながら、ロンドンの街上で、それぞれ人が体験するところのものを彼は得た。ほんの子供の時分、母親のために彼は家出したのだった。母親はうそをつかなければならなかった。なぜなら彼は、お茶の席に出るのに性懲りなく手を洗わなかったから。それにストラゥド〔グロスター州にある小織物都市で、クラリッサの生地ブアトンに近い〕では詩人になれそうにもなかったから。そこで彼は妹に秘密をうちあけたうえ、世の偉人たちが書きしたため、彼らの苦闘があまねく評判となったあとで世人に読まれたような、そんな途方もない手紙をのこして、ロンドンに出奔したのだ。
ロンドンではスミスを名のる幾百万の青年を呑みこんだ。両親が他のスミスたちとそれで区別しようとした、セプティマスという風変わりな洗礼名はまるで考慮してくれなかった。ユーストンの横町に下宿生活をおくっている間に、またしても体験が、二年間のうちにピンク色の無邪気な丸顔を、痩せこけて挑戦的なしかめ顔に変えてしまうほどの、さまざまな体験があった。しかしそれらに関しては、いかに観察力のするどい友人にしたところで、花造りが朝、温室の戸を開けてみたら新しい花が咲いていたというくらいのことしか言えないだろう。――とまれ、花咲いたのだ。虚栄、野望、理想主義、情熱、孤独、勇気、怠惰といったおきまりの種子が開花し、これら一切が混淆して(ユーストン街の横町の一部屋で)、彼を内気にし、口を重くし、自己啓発を切望させて、ウォータールー街でシェイクスピアの講話をしていたイザベル・ポール嬢を恋慕させた。
あなたキーツはお嫌い? と彼女は訊ねた。そして、どうしたら彼に『アントニオとクレオパトラ』〔シェイクスピア晩年の悲劇。クレオパトラの性格描写は最も傑出したもの〕その他に対する鑑賞眼を授けることができようかと考え、いろいろと本を貸しあたえ、短信の幾つかを書き送って、彼の内心に点火したのだ。生涯にただ一度、しかも熱することなしに燃え、限りなく霊妙で非現実的な赤い焔をただよわせる情火を。その焔はミス・ポールにたいし、『アントニオとクレオパトラ』にたいし、ウォータールー街にたいして燃えた。彼は女を美人だと考え、限りなく賢いと信じた。女のことを夢に見、詩を書きおくった。すると女はその主題を無視して、赤インクで添削した。彼はある夏の夕べ、緑のドレスで広場を散歩している女を見た。「花咲いた」――戸を開けた花造りは言ったかも知れない。戸を開け部屋に入ったら、といってもつまりこの時期の夜中にであるが、彼が書きものをし、書いたものを引きちぎり、明けがたの三時に傑作を草しおわり、飛び出していって大道を歩き、教会の門を敲き、ある日は断食をし、ある日は酒をあおり、シェイクスピア、ダーウィン、『文明史』〔歴史家ヘンリ・トーマス・バックルの名著『英国文明史』〕、バーナード・ショー〔アイルランド生まれの英国の劇作家、批評家、社会思想家〕などにむしゃぶりつく、そんな彼を見出しただろう。
何かあったな、とブルーアー氏は察した。公売評価土地財産差配業、シブレー・アンド・アロウスミス商会の支配人ブルーアー氏は、何かあったなと考えた。そして、かねがね父親のように若い連中の世話を見、スミスの手腕を高く買っており、十年十五年のうちには、「もし健康に気をつけたなら」奥のほうの室の天窓の下で革の肘掛椅子に腰をおろし書類箱にかこまれる身分に昇進するであろうと予言していたのに、それがどうやら危うくなり――元気なく見えて来たので、ブルーアー氏は彼にフットボールをすすめ、食事に招き、昇給推薦をも考慮しようと考えていた。その矢先に、ブルーアー氏のいろいろな目算をくつがえし、手下の最も有能な若者たちを引っこぬかれ去るような不慮の事件が出来《しゅったい》し、せんさく好きで陰険なヨーロッパ大戦の触手は、マスウェル・ヒル〔ロンドン北郊〕のブルーアー氏の自宅にあったセレス〔ローマ神話における穀物、実りの女神で、ギリシア神話のデメーテルに当る〕の石膏像を粉砕し、ゼラニュームの花壇に穴をあけ、料理女の神経を破壊した。
セプティマスは真っ先に義勇兵に志願した一人であった。ほとんどシェイクスピアの脚本と、緑の服で広場を散歩するイザベル・ポール嬢とから形成されている英国を救うべく、彼はフランスに渡った。フランスの塹壕の中で、ブルーアー氏がフットボールをすすめたとき希望した変化がたちまち現れた。彼は剛勇ぶりを発揮し、階級を進められ、エヴァンズという名の上官の注目を、まったくその愛情をさえかちえた。炉ばたの絨緞で戯れている二匹の犬も同じだった。一匹は紙を丸めたのを噛り、うなり、喰いつき、ときどき相手の耳を噛む。そして、相手の老犬は眠たそうに横になり、じっと眼を細めて火をみつめ、片脚をあげ、転がって、心地よさそうに唸りごえを立てるのだ。二人はそんなふうにしていっしょに暮らし、おたがいにわかちあい、噛みあい、口論しあわねばならなかった。ところでエヴァンズが(一度しか会ってはいないレチアは「物静かな人」と呼んだが、女の前では慎みぶかい、がっしりした赤毛の男だ)、このエヴァンズが休戦の直前にイタリアで殺されたとき、セプティマスはいっこう感動を示さず、ああ友情はこれで終わったとも思わず、むしろほとんど感慨をおぼえず、あたり前のことのように考えている自分を祝福した。大戦は彼を教育してくれた。戦争は崇高であった。彼は友情、ヨーロッパ大戦、死を残る隈なく経験し、昇進をかち得、なお三十歳に足らぬ若さで余儀なくも生き残った。この点ではたしかにそうだった。最後の榴弾は彼を外れたが、さく裂する榴弾を他人事のようにながめていた。平和が来たとき彼はミラノに居た。指定宿所である旅館の主人の家には中庭があり、鉢うえの花があり、表には小さなテーブルがあって、その家の娘たちは帽子作りをしていたが、ある晩彼は、あの恐るべき状態――何も感じることができない状態におかれていたとき、妹娘のレチアと婚約した。
というわけは、一切が済んで休戦が承認され、死者が葬り去られたいまに及んで彼は、とりわけ夜に、こうした突然の霹靂《へきれき》に似た恐怖を感じるのだった。物に感じることができないのだった。イタリア娘らが帽子作りをしている部屋のドアを開けたとき、その姿を見たり、声を聞いたりすることができなかった。女たちは台皿に入った色つきの数珠玉にかこまれて針金をこすったり、硬布《バックラム》の型をくるくる廻したりしている。テーブルの上には羽毛や留金や絹やリボンがちらばっている。鋏がテーブルの上でかちゃかちゃ音を立てている。だが彼はどうしたと言うのだろう、何も感じることができないのだった。それでも鋏の鳴る音や、娘たちの笑い声や、帽子つくりの作業が彼を庇護してくれた。彼は安全を保証され、避難所を得た。だが夜どおしそこに坐っているわけにはいかなかった。夜あけに目を覚ますようなことがあった。寝台が落ちてゆく。俺は落っこちる。俺は欲しい、鋏が、ランプの光りが、硬布《バックラム》の型が! 彼は年下のほうのルクレチアに結婚を申し込んだ。彼女は快活で他愛がなく、小さな芸術家らしい指をかざして言うのだった、「すべてはここにあるのよ」絹布も羽毛も何もかもその指さき一つで生きて来るというわけなのだ。
「いちばん大事なのは帽子よ」彼女は二人で散歩するときよくそう言った。通りすがるすべての女の帽子を彼女は吟味した。それから外套を、ドレスを、身のこなし方を。下手な服装、過ぎた服装を彼女は非難したが、それもがむしゃらにではない。人を瞞《だま》すつもりはないにしても、それにしても安物のまがい絵を、払いのけようとする画家のように、とてもたまらないといった調子で手を振りながらそう言うのだった。それから、寛大ながらいつも批評家の眼を忘れぬ彼女は、女店員が大した代物でないものをしゃれて着こなしているのを見てはよろこび、あるいはチンチラの毛皮、ローブ、宝石に身を固めて自家用車から降り立つフランス人の貴婦人を見ては、熱狂的なしかも職業的な意識をもって、真底から賞讃した。
「うつくしいわ!」セプティマスにも見せようとして肘でつつきながら、彼女は呟くのだった。しかし美は硝子越しの背後にあった。味覚さえも(レチアはアイスクリームやチョコレート菓子やボンボンが好きだったが)彼は嗜《たしな》まないのだった。彼は大理石の小テーブルに彼の帽子をのせた。外の通りの人々を眺めていると、通りの真ん中に群がって叫んだり笑ったり詰らぬことで喧嘩したりしているその様子はいかにも幸福そうに見えた。だが彼は味わう事も感じる事もできなかった。喫茶店でテーブルと給仕女のおしゃべりにかこまれていると、あの凄まじい恐怖が襲いかかった――何ものにも感動できないのだった。推論することならできるのだ。読むことだっても。たとえばダンテを造作なしに(「セプティマス、どうぞ御本を止めてちょうだい」レチアは言いながら『地獄篇』〔ダンテの『神曲』第一部〕の頁をそっと閉じた)、それに勘定を寄せることも。頭脳は完全なのだ。とすると世間のほうが悪いのだ――感動できないというのは。
「英国の人ってとても静かね」レチアは言った。好きだわわたし、と彼女は言った。彼女はこの英国人を尊敬し、ロンドンや英国の家庭や服屋仕立ての服を見たいと願った。結婚してソフォーに住んでいる叔母から店々の素晴らしさを聞いたのを思い出すことができた。
そういうこともありうるのだ――セプティマスは二人してニューヘヴン〔ロンドンの南五十マイルにある海港〕を発ったとき、車窓から英国の野を眺めながら思った。世界そのものが意味をもたなくなるということもありうるのだ。
勤め先では相当責任のある地位まで昇進した。みんなが彼のことを誇りに思った。十字勲章を幾つももらったのだ。「君は君の義務を果たした。われわれもとうぜんの義務として――」ブルーアー氏は語り出したが、しまいまで言葉がつづかなかった。それほど感動したのだ。二人はトテナム小路のはずれに立派な住まいをもった。
この家で彼はふたたびシェイクスピアをひもどいた。あの少年の日の業であった言葉にたいする陶酔――『アントニオとクレオパトラ』――はどこかに消散してしまった。シェイクスピアはどんなに人間を嫌ったろう――衣服を着ること、子供を産むこと、口腹の欲を! このことをいまセプティマスは知らされた、言葉の美の背後にひそむ託宣を。時代から時代へと仮託の下に伝えられる秘密の暗号は嫌悪であり、憎しみであり、絶望である。ダンテしかり。アイスキュロス〔前五世紀ギリシアの悲劇作者。三部作『オレスティア』は最大の傑作〕だって(翻訳ながら)同じことだ。レチアは此処でテーブルに坐って帽子つくりをした。フィルマー夫人の友達の帽子に飾りをつけた。時間ぎめで飾りつけの仕事をした。蒼白く神秘的で水の底の百合のように見えるな、彼は妻のことをそう思った。
「英国の人ってとても真面目なのね」――彼女はセプティマスの身体に腕をまわし、頬に頬をすりよせながら言うのだった。
男女間の恋はシェイクスピアにとってはいとわしいものだった。交接のいとなみは晩年の彼にとっては卑猥なことがらであった。でも、とレチアは言うのだ、どうしても赤ん坊が欲しいの。結婚して五年になるというのに。
二人は連れ立って塔《タワー》〔ロンドン塔の略称〕に行き、ヴィクトリア・アルバート記念博物館に行き、群集にまじって開院式に臨む国王の姿も見た。それからさまざまの店――帽子屋、洋服屋、革のハンドバッグをならべた店があり、彼女はよくその前に立ってじっと眺めた。でも、何としても男の子がほしい。
どうしてもセプティマスみたいな男の子が欲しいわ、と彼女は言った。けれどセプティマスのような人間がほかにありようがないわ。とても優しくて、とても真面目で、とても悧口で。わたしにもシェイクスピアを読むことができないかしら。シェイクスピアってむずかしい作家かしら。そう彼女は思った。
こんな世界に子供を生み出すことは許されない。苦悩を末代まで残し、この淫奔な動物の種属を殖やそうとしてはならない。永続的な感動を知らず、気まぐれや見栄をあちこち渦のようにただもうおし流すだけの種属を。
小鳥が草の中でぴょいと跳ねすっと飛んでゆく様をながめながら、敢えて触手を動かそうとしない人のようなそんな態度で彼は、レチアが布を剪《た》ち、型どってゆくのを見守った。実のところを言えば(彼女は知らずともよい)人間どもは、瞬間の快楽を増やすのに役立つ以上には、仁愛も信仰も慈悲も持ち合わせていない。彼らは豺狼《さいろう》のごとく漁《あさ》る。その群れは獲物をもとめて不毛の地を駆けめぐり、荒蕪《こうぶ》のはてに絶叫しながら消えてゆく。落伍者は置き去りだ。顔じゅうを渋面にしているのが彼らなのだ。事務所にはブルーアーがいて、蝋で固めた口髯、珊瑚のネクタイ・ピン、白スリップのいでたちで、愉快そうにしている。内心はしかし冷淡とねばっこさだけだ。――あいつのゼラニュームは大戦でめっちゃめちゃになった――料理女は気が狂った。それから、いつも五時になるときまったようにお茶を配ってあるくアミーリア何とか言ったな――ながし目とせせら笑いを送る淫蕩強欲な小娘が。そして身に着けた糊つきシャツから悪徳をぽとりぽとりと滴らすトムやバーティ〔太郎花子の類い〕の手合い。彼らのふざけた裸体姿が俺の手帖に描かれるのを彼らは御存知ないのだ。馬車が唸りごえをあげながら前の通りを行きすぎる。獣性が新聞ビラに麗々しく書き立てられる。男は炭鉱に埋まり、女は生きながら焼かれるのだ。あるときなどは、野次馬の慰みのために、運動に駆り出された(大声を立てて彼らは笑うのだ)、狂人の廃疾者の行列が、トテナム小路をのろのろと、首を振り振り、げたげた笑いながら通っていったが、半ば弁明するような、しかも得意げな彼らのその様子は、彼の救いのない苦悩を一そうはげしくした。ああ、|俺も《ヽヽ》発狂するのだろうな。
お茶のときレチアが、フィルマー夫人の娘に赤ん坊が生まれるそうだと俺に告げた。子供を産まずに歳をとるなんて|わたし《ヽヽヽ》いや! ほんとにわたしはひとりぼっちで、ほんとに不幸だわ! 彼女は結婚以来はじめて泣いた。遠くのほうで彼女が泣いているのを俺は聞いた。たしかに聞いた、はっきりそれと知った。俺はそれをピストンの音に比較した。けれど、何にも感じなかった。
妻は泣いているのに、俺は何も感じない。ただ彼女があんなにも真底から、あんなに静かに、あんなに絶望的なしぐさで泣くたびに、奈落の底に墜ちてゆくだけだ。
ついに彼は大仰《おおぎょう》な身振りで、真剣でないことは充分意識しながらそうしたのだが、両手の中に頭をうずめた。さあ降参したのだ。さあ他人に助けてもらわなくてはならぬ。人々を呼ばねばならぬ。俺は参ってしまったのだ。
何ものをもってしても起ち上がらすことはできなかった。レチアは彼を寝床に連れていった。彼女は医者を迎えた――フィルマー夫人のかかりつけのホームズ博士を。ホームズ博士は彼を診察した。何でもありませんよ、とホームズ博士は言った。ああ、ほっとしたわ! なんて親切ないい人だろう! とレチアは思った。そんな気分のときは私なら寄席に参ります、とホームズ博士は言った。妻を相手に一日を休み、ゴルフをして遊びます。床に就くとき鎮静剤二錠をコップ一杯の水で溶かして用いるのも、もちろんよろしいでしょう。あの古風なブルームズベリ〔大英博物館とロンドン大学を含む文化地区〕の家々では、とホームズ博士はこつこつ壁を敲きながら言った、非常に美しい鏡板《パネリング》づくりが多いのですが、愚かにも持ち主どもはそれに壁紙を張ってしまうのです。つい先頃も、ベッドフォド広場〔大英博物館に西接した広場〕のサー・なにがしを診察に参ったところが――
だからして弁明の余地はない。何も問題とするには足りないが、ただあの罪によって人間性は俺に死を宣告するのだ、感動を失ったという罪によって。俺はエヴァンズが殺されたとき平気だった。それが一番悪いことだ。しかし他の罪も頭をもたげ指をふるわせ、朝まだきの寝台の手摺ごしに、いましも自らの堕落を感じつつ伏し横たわる肉体を嘲笑愚弄する。貴様は愛してもいない女と結婚した、その女をあざむきそそのかした。イザベル・ポール嬢を辱めた。だから、通りで女どもが貴様を見たら身震いするだろうような悪徳のあばたをつけられたのだ、とそんなふうに言って。かかる哀れな存在にたいして、下されるべき人間性の判決は死なのだった。
ホームズ博士はふたたびやって来た。大柄で、生々とした顔をし、好男子である彼は、靴をはたき鏡をのぞきながら、万事をあっさり片付けた――頭痛、不眠症、恐怖、妄想――神経衰弱の徴候だけです、と彼は言った。ホームズ博士は自分の体重が十一ストン六よりも半ポンドでも減っているの知ると、朝食のポリッジ〔オートミルを水か牛乳でどろどろに煮たもの〕のお代わりを妻に請求するのだった。(レチアはポリッジのこしらえ方を習おうと思った)しかし、と彼は言葉をつづけた、健康というものは大体がわれわれの自制力の問題です。外部のことがらに関心をもつようになさい。何か道楽をつかまえなさい。彼はシェイクスピアを開いた――『アントニオとクレオパトラ』を。そのシェイクスピアを脇に押しやった。何か道楽をね、ホームズ博士は言った。私のこの有難い健康にしても(彼はロンドン中の誰にも負けぬほど働いたのだが)いつも患者のことから古道具へとすぐ関心を転じることができたという、そのことから来ているのではありますまいか。ところで失礼ですが、奥様の櫛《くし》は大そう美しいですね!
この忌々しい頓馬がまた訪ねて来たとき、セプティマスは面会を拒んだ。おやそうですか、ホームズ博士は愉快そうに微笑しながら言った。まったく彼はこの魅力ある小柄の婦人、スミス夫人を馴々しげに押しのけてから、やっと彼女の良人《おっと》の寝室に入ることができたのだった。
「じゃあ、あなたは、びくびくしていなさるのですね」明るい口調でそう言って、患者の脇に腰をおろした。あなたはほんとうに自殺のことをおっしゃいましたね、まだ年端もゆかぬ奥様に。たしか外国の方だったでしょう? 英国人の良人というものに対する甚だ妙な観念を、奥さまに植えつけることになりはしませんか。われわれは妻に対して、おそらく、義務を負ってはいないでしょうか。床に臥せっていないで、何かなさったほうがいいでしょう。四十年の経験から申して居るのですから。そこでセプティマスも、ホームズ博士の言葉を納得することができた――御主人は何ともありませんよという言葉を。そしてホームズ博士は、今度往診に来たときはスミスがもう床を離れ、あの魅力的な小柄の彼の妻に心配をかけないでいてほしい、と希望した。
つまり人間性が俺にのしかかって来たのだ――鼻の孔の真赤な、胸くその悪い畜生が。ホームズがのしかかって来るのだ。ホームズ博士はきちんきちんと毎日訪ねて来た。一旦つまずいたら、とセプティマスは葉書の裏に書きつけた、人間性がお前にのしかかって来るぞ。ホームズがのしかかって来るぞ。唯一の僥倖はホームズに知られずに逃亡することなのだ。イタリアへ――どこかへ、どこへでも、ホームズ博士からのがれて。
しかしレチアには彼の言うことが理解できなかった。ホームズ博士はとても親切な人だわ。セプティマスに大変関心をもってくれている。ただお二人をお助けしたいと思うだけですって、あの人は言うの。四人のお子さんがあってね、とセプティマスに彼女は言った、わたしをお茶に招んでくれたわ。
こうして俺は見棄てられるのだ。全世界が叫んでいる、自殺しろ、自殺しろ、われわれのためにと。だがなぜ俺は彼らのために自殺しなければならないのだ。食物はこころよい、太陽は暑い。ところでこの自殺だが、どうやって仕事にとりかかろう。見苦しくも卓上ナイフで、血をいっぱい流して――ガス管をくわえて? いや俺は衰弱しきって、手をあげることもやっとなのだ。それに、死んでゆく人間はひとりぼっちだが、こうしてまったくひとりぼっちで、見放され打ち棄てられていると――一種の愉しさが、崇高さにみちた孤独が感じられるのだ。他人にへばりついてばかりいる人間にはわからぬ自由感が。ホームズはもちろん勝った、鼻の孔が真赤なあの畜生は得意なのだ。しかしそのホームズだって、この世界の際涯《さいはて》をさまよう最後の遺物に――人住むあたりを見返ってじっと眺めている、溺れた水夫のように世界の岸辺に横たわるこの流竄《るざん》の人に、手を触れることはできないのだ。
正にその瞬間だった(レチアは買いものに出掛けていた)、あの偉大な天啓があらわれたのは。つい立てのかげから呼ぶ声が聞こえた。エヴァンズが語っているのだ。死人たちがいっしょだった。
「エヴァンズ、エヴァンズ!」彼は叫んだ。
スミスさんが大声でひとりごとを言っていますわ、と女中のアグネスが台所にいたフィルマー夫人に叫びかけた。
「エヴァンズ、エヴァンズ!」女中がお盆をはこんで行くと、そう言っていたのだ。ほんとうに彼女はびっくりした。彼女はあわてて階下へ走った。
それからレチアが花を持って入って来て、まっすぐに部屋を横切っていって、陽が直射している花瓶に薔薇を生けると、部屋の中をぐるぐる動きまわりながら笑った。
薔薇の花を買わされてしまったの、とレチアは言った、通りにいたお婆さんから。でももうほとんど枯れてしまってるわ、彼女は薔薇の花を整えながら言った。
じゃあ誰かが外にいるのだ。たぶんエヴァンズだろう。そして薔薇は、レチアが半分枯れていると言った薔薇は、ギリシアの野で俺が摘んだのだ。霊的交渉は健全だ、霊的交渉は幸福だ。霊的交渉、と彼はつぶやいた。
「何を言ってらっしゃるの、セプティマス?」レチアの声は怖ろしさに昂奮していた、彼はひとりごとを言っていたから。
彼女はアグネスに頼んで、ホームズ博士を呼びにいってもらった。良人は気が狂ったんだわ、と彼女は言った。ほとんどもうわたしが分からなくなってしまって。
「畜生め! こん畜生め!」セプティマスは人間性つまりホームズ博士が部屋に入って来るのを見ながら叫んだ。
「一体どうなさったのです?」ホームズ博士は世にも物柔らかな調子で言った。「奥様を怖わがらせるような、そんなうわごとをしゃべって?」しかし何か眠れるような薬を差し上げましょう。で、もし余裕がおありでしたら、とホームズは言いながら部屋の中を皮肉そうに見まわした、ぜひともハーレー街へいらして下さい。もしこの私を御信用なさらぬなら、とホームズ博士は、あまり親切ではなさそうな口調で言った。
十二時きっかり。ビッグ・ベンの十二時だった。鳴りひびくその音はロンドンの北部一帯をただよい、他の時計の音とまざり合い、エーテルのように雲や煙の断片と融けあって、鴎《かもめ》の群れのあいだに消えていった――十二時は、クラリッサが緑のドレスを寝台の上に横たえたとき、そしてウォレン・スミス夫婦がハーレー街を歩いていったとき、鳴りわたった。十二時が彼らの約束の時間だった。たぶん、とレチアは思った、鼠色の自動車がその前に停まっているのがサー・ウィリアム・ブラッドショーの家だわ。(鉛の圏がいくつも家中に溶けていった)
実際そうだった――サー・ウィリアム・ブラッドショーの自動車だった。車体は低く、がっしりしていて、まるで紋章飾りは不釣合だとでもいうように、鏡板の上に単調な頭文字を組み合わせた鼠色の車が。この男は魂の救済者であり、科学の司祭であったから。そして自動車が鼠色なので、その落ち着いた荘重さと調和さすために、鼠色の皮ごろも、銀鼠の膝掛けが車内に重ねられて、待つ間の令夫人の膝を暖めていた。しばしばサー・ウィリアムは悩める金持ちどもを往診して、六十マイルあるいはそれ以上もの田舎に出掛けたからである。こうした連中は、サー・ウィリアムが助言の当然の代償として請求するきわめて高額の報酬を支払うことができたのだ。令夫人は車の後ろに寄りかかり、ときには患者のことを思い、ときには、これも恕《ゆる》しうることではあろうが、待つ間の刻一刻、高まってゆく黄金の壁のことを考えながら、膝のまわりに膝掛けを巻いて一時間以上も待つのである。彼ら夫妻のあいだにうず高く築かれる黄金の壁のこと、一切のやりくりと心配(彼女は勇敢にそれに耐えた、夫妻は奮闘これつとめた)――そんなことを考えているうちに彼女は、香わしい風のみが吹く静かな大海の上にじっと身を横たえているような気がして来た。尊敬され、賞讃され、羨望され、ただ彼女の身の肥満を遺憾とするのみで、ほとんどもう望むこともないように感じるのだった。それから、同業者のために毎木曜日に催す盛大な夜会のこと。時におうじて開くバザーのこと。王室に伺候のこと。良人といっしょの時間が、残念ながら、仕事がだんだん忙しくなるのできわめて僅かしかないこと。イートン〔パブリック・スクール〕でしっかりやっている息子のこと。別に女の子を一人欲しいが、しかし株はいろいろ沢山持っていること。子供の幸福のこと。癩癇病患者のあとあとの世話のこと。それから写真のこと。教会の建物かその廃墟でもあると、待つ間に役僧に袖の下を使って鍵を借り、本職はだしの出来の写真を撮ったこと――等々を彼女は考えた。
サー・ウィリアム自身はもう若くはなかった。大いに精出して働き、その地位を独力でかちえ(小商人の倅《せがれ》であったから)、自分の職業を愛しており、儀式のときはご立派な面相をさらして巧みにしゃべり――それすべてが合して、彼が勲爵士《ナイト》〔一代限りの栄誉で、サーの称号を与えられる〕に叙せられた頃には、陰鬱な相貌、疲労した相貌を彼に与え(患者の行列はひきもきらず、職業上の責任と特権とは、実にもう大したものだった)、この疲れは灰色の頭髪と相まって、風采に異常な卓越さを加え、てきぱきした処置とほとんどあやまたぬ診断の正確さと同時に、同情深く、如才なく、人間の魂によく通じているとの評判を得させた(これらは神経病者を扱う際にはもっとも大切である)。二人が入って来た(二人はウォレン・スミス夫妻と言って呼びこまれた)とたんに彼は了解した。男を見るとすぐ、これはきわめて重い症状であると確信した。完全傷害の病症――肉体的ならびに精神的の完全傷害で、あらゆる症状が昂進状態にある。二、三分間で彼はそう確信した(考え深そうに呟いて、ピンク色のカードに解答事項を書きこみながら)
ホームズ博士にはどのくらいかかっていますか。
六週間。
少量の鎮静剤を指令した? 何でもありませんよと言った? ふむ、そうですか(仕様のない町医者め! サー・ウィリアムは思った。あいつらの手ぬかりを取りもどすためには、手間の半分もかかってしまう。ある場合にはもう取り返しがきかないのだ)
「従軍して大そう手柄を立てられたそうですね?」
患者はこの「大戦」という言葉を不審そうにくりかえした。
言葉に象徴的な意味をつけているな。カードに記入すべき重大な症状だ。
「大戦ですって?」患者はたずねた。ヨーロッパ大戦――煙硝のあげっこをした、小学校生徒らの小さな喧嘩のことか。俺が手柄を立てたって? もうすっかり忘れてしまった。大戦そのものに傷害をうけたのだ。
「そうです、大へん手柄を立てましたの」レチアは医者に保証した。「そのため進級したんですわ」
「そうしてお勤め先でも、みんなから敬服されておるというのですね?」サー・ウィリアムは言いながら、ブルーアー氏の言葉を尽くした書状にちらりと眼をくれた。「するともう、何ら御心配になることはないわけですね。財政上の不安はまったく?」
俺は怖ろしい罪を犯し、人間性によって死を宣告されたのだ。
「私は――私はあの」と彼は言いかけた、「ある罪を犯して――」
「主人は何も悪いことは致しませんわ」レチアは医者にむかって証言した。スミスさんにはお待ち願って、とサー・ウィリアムは言った、別室で奥さまとご相談いたしたいのですが。御主人は大へんひどくお悪いですね、とサー・ウィリアムは言った。自殺のそぶりでもなさいますか。
はい致しますの、彼女は叫んだ。でもそんな積りはないのですわ、と彼女は言った。もちろん、ありません。単に安静の問題ですよ、とサー・ウィリアムは言った。安静、安静、安静ですよ。寝床で長いこと安静にしておるのですね。申し分なく御主人のお世話ができるような快適な療養所が田舎にあります。わたしと離れてですの? 彼女は訊ねた。お気の毒ですが、さようです。最も愛しておる人間が病気になった場合には、一緒におるのはよくありませんから。でも主人は発狂してはおりませんわ、でしょう? サー・ウィルアムは、「発狂」という言葉はけっして使わない、均衡の観念が欠けているとそう言うのだと言った。でも主人はお医者を嫌っております。そちらへ参ることを納得いたさないでしょう。かいつまんで親切に、サー・ウィリアムは彼女に症状を説明した。自殺のそぶりを示すのだ。他に手段といってはない。法規上の問題だから。田舎の美しい家で寝ているのがよい。看護婦たちは堂に入ったものだ。サー・ウィリアムは週に一度往診するであろう、と。もし奥さまのほうに、これ以上御質問がございませんければ――けっして患者をお急がせ申すことは致しませんが――御主人のところへ戻りましょう。彼女はもう質ねようとは思わなかった――サー・ウィリアムなんぞに。
そこで二人は戻っていった、この世でいちばん意気軒昂たる人間、審問者と向かい合っている罪人、絶壁に晒された生贄、流竄の人、溺れた水夫、不朽の頌歌《オード》を書いた詩人、生より死へとわたりゆく神のもとへ――天窓の下の肘掛椅子に坐り、参内服を着けたブラッドショー夫人の写真をみつめながら、美に関する託宣をつぶやいているセプティマス・ウォレン・スミスのもとへ。
「ちょっとお話をして来ました」とサー・ウィリアムは言った。
「あなたは大そう、大そうお悪いのですって」レチアが叫んだ。
「療養所へ入っていただく御相談を致しました」サー・ウィリアムは言った。
「ホームズのやっている療養所《ホームズ》にでしょう?」セプティマスは愚弄するように言った。
こいつ、いやな印象を与える男だな。小商人を父親にもつサー・ウィリアムは、育ちとか服装とかに対して生まれながらの尊敬心を抱いていたので、目前のぼろ姿に腹立ちを感じたのだ。そう思ったのはまた、読書の暇をもつことのないサー・ウィリアムは、教養ある人種が部屋に入りこんで来て、あらゆる最高の機能を不断に緊張させていることをつとめとする医者にむかって、医者なんて教養のない人間にすぎないと仄めかすことに対し、深い遺恨を含んでいたからでもあった。
「|わたくし《ヽヽヽヽ》のやっておる療養所にですよ、ウォレン・スミスさん」と彼は言った、「安静ということをお教えする場所なのです」
そして彼にはまだ一つ、言うべきことがあった。
ウォレン・スミスさんがお直りになったら、かならずや、奥さまを怖がらすようなことは決してなさらないでしょう。でも主人は、自殺のことを申しますの。
「誰にしても意気銷沈を感じる時はあるものです」サー・ウィリアムは言った。
もしも屈したら、とセプティマスは自分の心にくりかえした、人間性にやられてしまうぞ。ホームズとブラッドショーにやられてしまうぞ。奴らは不毛の地をあさりあるく。やつらは絶叫しながら荒蕪のはてに消えてゆく。手枷足枷が用いられるのだ。人間性って、残忍な代物だ。
「ときどき衝動が来るのですか」サー・ウィリアムはピンク色のカードの上に鉛筆をはしらせながら、訊ねた。
あなたなんかの知ったことじゃありませんよ、とセプティマスは言った。
「自分一人のために生きている人間はありません」サー・ウィリアムは言いながら、参内服を着けた妻の写真をちらり見た。
「それに、あなたの前途には、輝かしい御生涯があるのです」とサー・ウィリアムは言った。ブルーアー氏の手紙が卓上にあった。「大いに輝かしい御生涯が」
だがもし俺が告白したら? 知らせたとしたら? そうしたら、俺を放免するだろうか、ホームズは、ブラッドショーは?
「私は――私は――――」彼は口ごもった。
だが罪というのは何だろう。それを思い出すことができない。
「ええ?」サー・ウィリアムは彼を励ました。(だがもう時間が遅くなる)
恋、樹木、罪は存在せず――託宣というのは何だったろう。
思い出すことができない。
「私は――私は――――」セプティマスは口ごもった。
「なるべく御自分のことは考えないようになさることですね」――サー・ウィリアムは優しく言った。たしかに、起きていては悪いな。
何か別にお伺いすることはありませんか。サー・ウィリアムは一切の手はずをして(彼はレチアにささやいた)午後五時から六時のあいだに彼女に通知するであろう。
「万事は、この私にお委せ下さい」彼はそう言って、二人を去らせた。
こんな、こんな苦しみをレチアはいままで味わったことがなかった。助力を願いながら、見棄てられたのだ! 二人をがっかりさせて! サー・ウィリアム・ブラッドショーはいい人じゃなかったわ。
自動車の修繕だけでも大したかかりだろうな、セプティマスは連れ立って通りに出たときそう言った。
彼女はその腕にすがりついた。見棄てられてしまったのだ。
だが、これ以上の何を彼女は望むのか。
患者たちに対してサー・ウィリアムは四十五分の時間を与える。そしてもし、けっきょくは誰にも判らないことがら――神経組織、人間の脳髄――に関係してゆかねばならぬ、この厳格な科学において、もしも医者が均衡の観念を失うようなことがあったとしたら、医者としては落第なのだ。健康をわれわれは保持しなければならぬ。そして健康とは均衡のことだ。で、ある人間が部屋へ入りこんで来て我はキリストなり(よくある妄想だが)と名のり、大ていのものがそうするが、託宣を語り、よくやることだが、自殺すると言って脅かすとしたら、そのときは均衡を呼びもとめ、床に入って安息しろ、独居して安静し、沈黙して安静し、友もなく、書物もなく、託宣もなしに安静にしておれと、六月間の安静を命じる。すると最後に、入るときは七ストン六の体重だった男が十二ストンになって出て来るのだ。
均衡、サー・ウィリアムの女神である神聖な均衡――病院をまわり歩き、鮭を釣り歩き、また、彼女自身も鮭をとらえ、ほとんど本職はだしの写真を撮るブラッドショー夫人によってハーレー街で一人の息子を得た、サー・ウィリアムは均衡の術を習得したのだ。均衡を崇めつつサー・ウィリアムは、自ら栄えたばかりでなく英国を繁栄させ、英国の狂人どもを隔離し、子供を産むことを禁じ、絶望を罰し、不適存者に対しては、彼の――もし男であるならば彼の、もし女であるならばブラッドショー夫人の(彼女は刺繍をし、編物をし、七晩のうち四晩は息子といっしょに家にとどまっていた)均衡の観念をわけもつまでは、その託宣を伝達することを不可能にした。かくして同業者から敬われただけでなく、彼の配下から恐れられただけではなく、彼の患者の友人縁者からは、世界の終わりを予言し、神の再臨を予言するキリストや女キリストたちも、サー・ウィリアムの命令どおり寝床でミルクを飲まねばならぬと主張したことにたいし、最も強い感謝をささげられた。こうした種類の患者にたいする三十年来の経験と、これは狂気これは正気と判断を下す誤またない本能と、均衡の観念とをそなえた、サー・ウィリアムとはかかる存在であった。
しかし均衡には笑うことのより稀な、怖ろしさにおいてはさらに優る姉妹があり、この女神はいまもなお――印度の炎熱と流沙のなか、アフリカの泥濘と沼沢のなか、ロンドンの郊外など、要するに気候や悪魔が人を誘惑して、真の信仰つまり御自分の信仰から堕落させる、そんな至るところの場所で――いまなお神殿の粉砕に、偶像の破棄に、それらの代わりに彼女の厳しい面相を飾りすえることに余念がない。転換というのがこの女神の名で、彼女は弱者の意志をむさぼり喰い、感銘と強制を与えることを好み、大衆の面上に刻まれた自らの相貌を自ら崇める。彼女はハイドパーク・コーナー〔公園南西入口の広場で、政治デモや各種の街頭演説で有名〕で樽の説教壇に立って説教する。身に白衣をまとったこの女は、教誨師《きょうかいし》のごとく、同胞愛を装って、工場や議会を歩きまわる。進んで助力を与えるが、権力を要求する。不承諾者は容赦なくぶった斬り、然らざれば満足しない。俯仰して彼女の眼差しから彼らの光明をひたすらとらえるものどもに対し、彼女の祝福を与えるのである。この婦人はまた(レチア・ウォレン・スミスはそのことを看破した)サー・ウィリアムの心中に宿るが、いつも大ていそうであるようにまことしやかな変装の下に隠され、若干の敬すべき名をもっている。愛、義務、自己犠牲がそれである。彼はどんなに働くことか――財源を起こし、改革をひろめ、公共機関を建てるためにいかに骨折ることか! しかし転換は、択り好みをする女神は、煉瓦よりも生血《いきち》を愛し、人間の魂をいとも狡猾に喰いつづける。たとえばブラッドショー夫人を。五十年前に彼女の存在は失せた。今やそれと指示することもできぬ無である。その際、何の騒動も激変も伴わなかった。ただおもむろに水浸しになって、彼女の意志が彼のそれの中に沈んでいったのだ。彼女の微笑は甘美であり、彼女の服従はすみやかだ。八品から九品にわたり、十人から十五人の同業者を馳走するハーレー街の晩餐は、|そつ《ヽヽ》なくしかも|いんぎん《ヽヽヽヽ》だ。ただ夜が更けて、少しばかりの重苦しさ、窮屈さが、顔面筋肉のわななきが、不手際が、|へま《ヽヽ》が、動揺の色が示されると、そう信ずることはまことに心痛の至りであるが――気の毒に夫人は嘘をついた。かつて遠い昔には、鮭を自在に捕えたこともあるのだが、いまや彼女は、良人の眼にぎらぎらと燃える支配と権利に対する渇望を満足させようと躍起になり、身を締めつけ、しぼり、削り、はぎ、身を引き、様子をうかがうのだ。そのために、何がこの夜を不愉快なものにするのか、何が頭に圧しかぶさって来るのか(それは専門にわたる会話か、あるいはブラッドショー夫人の言い分によれば、一生を「自分のものとしてでなく、患者のために送って来た」偉大な一人の医者の疲労状態のせいと言ってもよかった)、はっきりとは分からないながら、一座の空気は不快なものになり、客人たちは、時計が十時を打つと、ハーレー街の夜気を夢中で吸いこむのだった。この息抜きはしかし、彼の患者たちに対しては拒まれたのだ。
壁にいくつかの絵を懸け、貴重な家具を置いているその鼠色の部屋の、磨《すり》硝子の天窓の下で、彼ら患者は己の罪科のほどを教えられ、肘掛椅子に押しこまれたまま、彼が彼らのために行う奇妙な腕の運動を見守った。腕を伸ばしてそれを強く腰にもどすこの運動が数えているのは(患者が頑固である場合だが)、サー・ウィリアムは患者とはちがって自己の行動の主体であるということだった。この場所にあるものは力なく泣きくずれた。涙に咽《むせ》んで屈従した。あるものは得体の知れぬ狂気に励まされてサー・ウィリアムを罵倒し、憎むべきペテン師呼ばわりした。さらに慎みを忘れると、生きるというそのことまで疑った。何で生きるのか、と彼らは詰問した。サー・ウィリアムは人生とはよきものであると答えた。炉棚の上の写真の、駝鳥の毛皮に包まれたブラッドショー夫人は確かにそうであろうし、彼の年収はといえば正に一万二千ポンドだった。でもわれわれには、と彼らは抗議した、人生はそんな恩恵はまったく与えてくれない。彼はそのことを承認した。彼らは均衡の観念を喪失しているのだから。それなら、けっきょく、神なんて存在しないでしょう? 彼は肩をそびやかした。要するに、生きるか死ぬかのこの大事はわれわれ自身の問題でしょう? いや、その点ではあなたのほうが間違っています。サー・ウィリアムはサレー〔ロンドンに南接し、全体がロンドン郊外の感のある風光明媚の一州〕に仲間を持っていた。この療養所で教えているのが、サー・ウィリアムが率直にむずかしい技術であると見とめるところのことがら――均衡の観念だった。否、まだある。家庭の愛情が、名誉が、勇気が、輝かしい生涯が。これらすべてをサー・ウィリアムは断然支持するのだった。それでも相手が従わないなら、社会の治安と福祉の念に訴えるほかない。かかる考えに立脚してわたくしどもは、と彼はもの静かな口調で言った、サレーの田舎において、何よりもまず良き血統の不足から生ずる非社会的衝動の抑制に努めるのですと。さらに、隠れ場所を出て王座に復した女神は、渇望の発するところ反対を無視し、自らの姿を他人の心の聖所に消しがたく刻みつける。裸で防ぐ術も知らぬ、疲れて友もなき人々は、サー・ウィリアムの意志の極印を受ける。彼は跳びかかりむさぼり喰う。人々を幽閉してしまう。サー・ウィリアムがその犠牲の縁者どもからかくも切に慕われるのは、この果断と仁愛の結合によってであった。
しかし、レチア・ウォレン・スミスはハーレー街を歩いてゆきながら、あんな人は嫌いだわと叫んだ。
きれぎれに裂き、刻み、切り分け細分しながら、ハーレー街の各所の時計は六月のこの一日にいどみかかり、服従せよと勧告し、己が権威を確認し、声を和しながら、均衡の観念の至高の卓絶さを告げ知らせた。やがて時の球がはるか小さくなり消えてゆくと、オクスフォード街の一店鋪に吊るされた広告時計が、愛想よく、親しげな調子で、無料で時刻をお知らせ致すことはリグビイ・ラウンディス合名商会のよろこびでございますとでもいうように、一時半を告げた。
仰向いて見ると、経営者の名前の各文字が時間を表象しているかのように見えた。リグビイ・ラウンディス商会がグリニッジ標準時を教えてくれることを無意識裡に人は感謝する、そしてこの感謝が(飾り窓の前をぶらつきながら、ヒュー・ウィトブレッドはそんなことを思いめぐらした)自然の結果としてリグビイ・ラウンディスで靴下か靴を買うという形をとるのだ。そう彼は思いめぐらした。これが彼の癖だったのだ。彼は徹底することをしなかった。うわっつらを掠めるだけだった。死語やら生きた言葉やらを、コンスタンチノープルやパリやローマでの生活を。乗馬、狩猟、テニス、かつての道楽はそうだったが。意地悪い連中の証言によれば、現在彼は絹靴下に膝までのズボンをはいて、バッキンガム宮殿で得体の知れぬものの番人をしているのだった。しかし勤めぶりはきわめて能率的であった。彼は五十年のあいだ英国の上流社会を浮遊して来た。歴代の首相を識って来た。彼は愛情の深さによって知られて来た。そして、彼が重大な時の動きにいっこう役割を演じたことがなく、重要な官職に就いたこともないことが事実だとしても、一、二のささやかな改善は彼の栄誉にぞくしていた。公共避難所の改良はその一つ、ノーフォク州における梟《ふくろう》の保護制度もその一つだった。世の女中らは彼に感謝すべき理由があった。さらに、各種の基金を要求し、擁護だの保護だの塵埃の清掃だの煤煙の緩和だの公園の純潔保証だのを大衆に訴えかけた、「タイムズ」紙への投書の結びの彼の署名は尊敬を買った。
また、しばし立ちつくしながら(三十分の時鐘が消えてゆくあいだ)靴下や靴を批判の眼で厳然と眺めている、彼の風采は堂々としたものだった。およそ欠点がなく、がっしりとして、どこか世界の高所から見下ろしているような感じで、その地位相応の服装をしていた。しかも彼は手腕と富と健康とが課する責務を果たし、絶対的に必要でない場合ですら些細な儀礼や古風な法式をきちんと守り、その態度にある種の特性を、模倣し易いものを、彼の存在を記憶にとどめさせるようなものを与えていた。たとえば、二十年来の知己であるブルートン夫人の昼餐会に列するのに、かならずカーネーションの一束を腕のさきに差し出すのを例とし、夫人の秘書であるミス・ブラッシにむかって、南アフリカの彼女の兄の消息を訊ねないことはなかった。ところがミス・ブラッシは、女性の魅力となるべきあらゆる性質を欠いていたが、ひどく立腹した調子でこれにおうじ、実は彼女の兄は六年間もポーツマス〔イングランド南海岸、ハンプ州にある軍港都市〕でひどい暮らしをしているにもかかわらず、「お蔭さまで、南アフリカで達者でおります」と言うのだった。
ブルートン夫人としても、同じ時刻に到着したリチャード・ダロウェイのほうを好んでいた。実際、二人は玄関口でばったり出会ったのだ。
ブルートン夫人がリチャード・ダロウェイのほうを好んだのは当り前だった。彼のほうがずっと立派な人格的要素をもっていた。けれど彼女はそのために、気の毒な愛すべきヒューをけなすようなことはしなかった。この男の親切を忘れることはできなかった――まったく彼は珍しく親切だった――どんな場合にかは正確にはおぼえていなかったが。しかし彼は――珍しく親切だった。とにかく、人間的な相違は大して問題にならなかった。彼女はクラリッサ・ダロウェイのように人を酷評するつもりはなかった――こき下ろしておいてまた持ち上げるような気持ちは。六十二歳ともなればそうした気持ちは毛頭なかった。彼女はヒューの差し出すカーネーションを、歪んだいかつい微笑で受け取った。他にはどなたもいらっしゃらないのよ、と彼女は言った。|うそ《ヽヽ》の口実を設けてお二人をお招びしたのですよ、むずかしい仕事のお手伝いを願おうと思って――
「でも、まず御食事に致しましょう」と彼女は言った。
そこで、白い帽子にエプロン姿で回転式ドアを音もなく出たり入ったりする女中たちの絶妙な動作が始まった。おらずもがなの侍女たちはしかし、メイフェア〔貴族的な住宅地区としてロンドン随一〕の奥様がたに仕込まれて、一時半から二時までの霊妙さと荘重な瞞着に精通しているのだ。手の一振りでその往来が止まると、まず最初に食物に関する深刻な妄念が生じる――代金を払わないでいいのだろうか、と。やがて卓上にはひとりでに盃や銀器が、小さな皿敷きが、赤い果物の台皿が並び、褐色のクリームが薄っすらと|かれい《ヽヽヽ》を包みこみ、|蒸し煮鍋《カスロール》の中では鶏肉の切り身が泳いでいる。ストーヴは色づき、はげしく燃える。さらに葡萄酒とコーヒーと(無料なのだ)によってよろこばしい幻影が立ちあらわれるのだ――沈思の眼のまえに。静かに思いをこらす眼、人生を音楽的とも神秘的とも見る眼、ブルートン夫人が(その動作はいつも角張っていた)彼女の皿の前に置いた赤いカーネーションの美しさを愛想よく見守る、輝きを帯びた眼のまえに。そんなわけでヒュー・ウィトブレッドは、全宇宙との調和を感じると同時に、自分の地位の揺るぎなさをば真底から信じて、フォークを置きながら言いかけた、――
「あなたのレースに素敵にお似合いでしょう?」
ミス・ブラッシはこの馴々しい口調をひどく憤った。何と不躾な男だろうと考えた。そんな彼女の態度にブルートン夫人は笑った。
ブルートン夫人はカーネーションを取り上げ、背後に懸かっている、巻物を握った将軍の絵姿とよく似た、すこしぎごちない手つきでそれを握りしめていた。彼女は夢うつつの様子でじっとしていた。彼女はどちらだったろう、将軍の曾孫かな? 曾々孫かな? リチャード・ダロウェイは自問した。サー・ロデリック、サー・マイルズ、サー・トルボット――ああ、それだ。この一門の女系のほうに容貌の酷似がつづいているのは珍しいことだ。彼女自身竜騎兵の将官になっていたらよかったのだ。そうすればリチャードはよろこんで彼女の下に仕えただろう。彼は夫人に最大の尊敬をささげていた。名門の出の、かっぷくのいい老婦人に対しロマンティックな考えを抱いている彼は、彼流の気さくな態度から、自分の識り合いの、性急《せっかち》な青年たちを彼女の昼餐会に連れて来てやりたいと思った。彼女のようなタイプの人間は、愛すべき社交好きの熱狂家から仕込みをうけるのがいいとでもいうように! 彼は夫人の生国を知っていた。親類を知っていた。いまでも実のなる葡萄の木があり、ラヴレイス〔小曲で知られた英国の抒情詩人〕だかヘリック〔英国の抒情詩人〕だかが――彼女自身は一行も詩を読んだことはなかったが、伝聞によれば――その下に坐ったことがあるとかいう。自分が困っている問題(世論に訴えるべきか、訴えるとすればどんな文句で、等々)を言い出すのは待ったほうがいい、二人がコーヒーを飲み終わるまで待ったほうが、とブルートン夫人は思った。で彼女はカーネーションを自分の皿のわきに置いた。
「クラリッサはお達者?」彼女はだしぬけに訊ねた。
クラリッサはいつも、ブルートン夫人はわたしが嫌いなのだと言っていた。実際ブルートン夫人は、人間よりも政治に関心をもっているという評判を得ていた。男のような口をきくとか、いまでは思い出話になろうとしている八十年代のある有名な陰謀に関係していたとかいう評判を。たしかに彼女の応接間には凹室《アルコーヴ》があり、その凹室《アルコーヴ》にはテーブルがあり、そのテーブルにはサー・ウィリアム・トルボットの写真がかかっているが、死んだこの将軍はここで(八十年代のある晩に)ブルートン夫人の面前で、彼女の承認、たぶん助言の下に、ある歴史的事件にあたって英国軍に進発を命ずる電報を書いたのだ。(彼女はいまもそのペンを保存し、そのことを語り草にした)で、夫人から例の素っ気ない調子で「クラリッサはお達者?」といわれたばあい、女性に対する彼女の関心のほどをその妻たちに信じこますことは、良人たちにとって困難であり、事実どのように夫人に心を献げていたにしても、彼ら自身もひそかにそのことを疑問に思うのだった。しばしば良人たちの邪魔をし、海外在勤を承諾することをさまたげ、流行感冒をなおすために議会開期なかばに無理矢理海岸へ連れて行かせる、そうした妻たちに対する彼女の関心を。しかし、「クラリッサはお達者?」という彼女の質問を、間違いなしに女たちは、好意を寄せてくれる人からの、ほとんど音沙汰のない友人からの愛情のしるしとして受け取るのだ。彼女のこうした発言(生涯においておそらく四回ほどの)は女性間の一種の友情の承認を意味し、それは男性ばかりの昼餐会の下をかいくぐり、相会うこと稀なブルートン夫人とダロウェイ夫人を結び、いざ両人が冷淡な態度で、敵意をさえ抱いて会ったその際に、ふしぎな紲《きずな》となってあらわれるものなのだ。
「今朝公園でクラリッサにお会いしましたよ」ヒュー・ウィトブレッドは|蒸し煮鍋《カスロール》にフォークを入れながら言った。ロンドンに出て来たとたん、多勢の人間にいちどに会った彼は、この小さな讃辞を何としても献げたかったのである。でもこせこせして、こんなにこせついた人間はめったにいないわ、とミリー・ブラッシは思った。何ものにもひるまぬ公正さをもって男を観察し、永遠の愛情を特に彼女の同性にたいして献げる彼女ではあった。というのは、彼女は瘤《こぶ》やすり傷でもあるようにごつごつしていて、まったく女性の魅力を欠いていたから。
「誰がロンドンにいるとお思い?」ブルートン夫人がふと思い出したように言った。「それが、お馴染みのピーター・ウォルシュなのよ」
みんなが微笑した。ピーター・ウォルシュ! ダロウェイさんはほんとによろこんでいらっしゃる、とミス・ブラッシは思った。そしてウィトブレッドさんは、御自分の鶏肉《チキン》のことばかし考えて。
ピーター・ウォルシュ! 三人みんなが、ブルートン夫人も、ヒュー・ウィトブレッドも、リチャード・ダロウェイも、同じことを思いうかべた――ピーターが熱烈に恋をし、撥ねつけられ、印度に行き、へまをやり、元も子もなくしたことを。リチャード・ダロウェイはまたこの親愛なる昔の仲間を大へん好いていた。ミリー・ブラッシはそれに気づいた。彼の茶いろい瞳が蔭るのをみとめ、彼がためらい、思案しているのをみとめた。そしてダロウェイ氏はいつも彼女の興味を誘うのだが、いまもそのことに興味をもった。何を思っていらっしゃるのかしら、と彼女はおもった、ピーター・ウォルシュのこと?
ピーター・ウォルシュがクラリッサを愛していたことを。昼餐が済んだらすぐ帰っていってクラリッサに会おうということを。彼女にやたらに言葉を浴びせかけ、彼女を愛していることを知らせようということを。そうだ、俺はそう言ってやろう。
ミリー・ブラッシはむかしだったらこうした沈黙に夢中になれたかもしれなかった。いつもダロウェイ氏は甚だ頼もしく思われた。それにまた立派な紳士だったから。しかし四十歳になったいまは、ブルートン夫人が首をうなずかせただけで、すこしだしぬけに頭を振っただけで、ミリー・ブラッシはどんなに超脱した気持ちでもの思いに耽っていてもその合図を読みとることができた。彼女の捲き毛、微笑、唇、頬、鼻、何でもあれ、こうしたものにかりそめの価値すら与えなかった人生は、一面、この清い魂を迷わせることもできなかったけれども、ともあれブルートン夫人が首をうなずかせただけで、ミリー・ブラッシはパーキンズにコーヒーを急ぎ持参するよう命じた。
「そうなの、ピーター・ウォルシュが帰国したんですよ」とブルートン夫人は言った。それは一同にとってほのかなよろこびを与えることがらだった。彼は戻って来たのだ、失敗し尾羽うち枯らして、平安無事な彼らの岸辺に。だが彼を救うことは、と一同は思った、それは不可能だ。あの男の性格には一種のひびが入っているのだ。ヒュー・ウィトブレッドは、もちろん誰彼に話をしてみるのは結構だと言った。「旧友ピーター・ウォルシュ」に関して諸官庁の長官連に宛てて書く手紙のことなどを考えながら、彼は悼ましげに、勿体ぶって、額に皺をよせた。しかし、どうにもならないだろう――永続的な結果をもたらすことはあるまい、あの性格では。
「さる女とトラブルを起こしているの」ブルートン夫人は言った。|あのこと《ヽヽヽヽ》が主因なのだろうと一同は推察した。
「でも」とブルートン夫人は、この話題はもう中止しようと考えながら言った、「いずれピーター・ウォルシュからいちぶ始終を聞くことになるでしょう」
(コーヒーはなかなか来なかった)
「居所《アドレス》は?」ヒュー・ウィトブレッドがつぶやいた。するとたちまち、朝な夕なブルートン夫人をめぐって、押し寄せ、堰きとめ、彼女を精緻な織物に封じこめる、灰色の奉仕の漣《さざなみ》が立った。彼女を包みこみ、激動を鎮め邪魔を和らげるこの織物は、ブルック街の邸宅を細かな網でとりかこむ。この網に委ねられたもろもろのことがらは、直ちに白髪のパーキンズによって抄《すく》い上げられるのだ。ブルートン夫人の許に三十年来仕えているパーキンズが、いまその居所を書きとめ、それをウィトブレッド氏に手渡すと、彼は手帳を取り出し、眉をあげて、いとも重要な書き込みのあいだにそっと滑らせながら、イーヴリンに話して昼餐にでも招ばせましょうと言った。
(ウィトブレッド氏がこの動作を終えるまで、召使いたちはコーヒーを運びこむのを待っていた)
ヒューはいやに悠長ね、とブルートン夫人は思った。だんだん肥ってゆくわ、と彼女は思った。リチャードはいつも絶好の健康状態を保っているのに。彼女は我慢ができなくなって来た。彼女の全存在はいま絶対的に、まぎれもなく、断乎としてこの不必要な些末事の一切(ピーター・ウォルシュに関する事柄)を払いのけて、彼女の関心を惹きつけるところのことがら――単に関心を惹くだけではなくて、彼女の魂の背骨をなすあの繊維組織を、それなくしてはミリセント・ブルートンのミリセント・ブルートンたる所以を失うであろう、存在の肝要部分をそこに引きつけていることがらに、すなわち、立派な両親の下に生まれた男女の青年たちをカナダに移民させ、将来繁栄しうる充分な望みをもってそこで暮らさせようという計画に集中した。彼女は大袈裟に述べ立てた。おそらく均衡の観念を失くしていたことであろう。移民は、彼女以外の人間にとっては、明白な救治策でも雄大な着想でもなかった。またそれは、彼らにとっては(ヒューやリチャードのみならず、忠実なミス・ブラッシにとってさえ)、閉じこめられた自我中心思想の気晴らしですらなかったが、栄養満点で家柄がよくて、むき出しの衝動やうちつけな感情や、あるかなきかの省察力(素朴闊達――なぜ誰もが素朴闊達になりえないのだろう、と彼女はいぶかしむのだった)を具え、たくましい尚武の気持ちをもつ女性が、ひとたび青春を過ぎ去ったとき内心に昂《たか》ぶって来るのを感じるこの思想は、とうぜん何らかの問題にむかって噴出するのだ――その問題とは移民であるかもしれず、解放であるかもしれない。だがたとえそれが何であろうと、彼女の魂の精髄を日毎そこに分泌し出すこの問題は不可避的に、プリズムのごとく七彩の輝きを帯びたもの、なかば映像、なかば宝石のごときものとなる。人々の愚弄をおそれて入念に包み隠されているかと思うと、たちまちそれは誇らかに披瀝される。移民とは、詮ずるところ、おおむねブルートン夫人自らなのだ。
しかし彼女は起草しなければならなかった。そして「タイムズ」に投書したある手紙などは、と彼女はミス・ブラッシによく語って聞かせた、南アフリカの遠征隊を組織する以上に骨が折れた。書き出し、引き破り、また書きはじめ、午前中いっぱい苦闘したあげく、彼女は他の場合なら感じたこともない女性たることの空しさをしばしば感じ、「タイムズ」に投書する術を心得ている――誰もそのことを疑うものはなかった――ヒュー・ウィトブレッドの助けを乞うのだった。
彼女自身とはひどく素質を異にし、言葉を駆使する術をわきまえ、編集者がそうのぞむようなことがらを表現することができるこの人間は、単に貪欲とは言いきれぬ情熱をそなえている。女性には不可能なのに、ふしぎにも宇宙の大法則に和合しており、表現のすべを心得て、他人の言葉を了解することができる男性にたいし、ブルートン夫人はしばし決定的判断を中止した。そして、リチャードが彼女のために忠告し、ヒューが代筆をしてくれた場合など、ともかくも自分のとった処置は正しかったと確信できた。だから彼女はヒューにスフレ〔ホワイトソース、魚肉、チーズなどを加えて卵の白身を泡立ててつくる〕を饗応し、気の毒なイーヴリンへの見舞いの言葉を述べ、彼らが煙草をふかすあいだ待って、言い出した――
「ミリーや、新聞を取って来ておくれな」
そこでミリー・ブラッシは出てゆき、戻って来ると、新聞を卓上に置いた。ヒューは万年筆を、銀いろの万年筆を取り出した。二十年間も御奉公してくれましたよ、と言いながら彼はキャップをひねった。まだちゃんとしたものです。業者に見せたことがありますが、耗《へ》らないのは当り前だと言われましたよ。そしてそのことはいささかヒューにとっての栄誉であり、同時にまた彼のペンが書きあらわすところの意見にたいしても栄誉を与えるものであった(リチャード・ダロウェイはそう感じた)ヒューは花文字の輪形を欄外にはみ出させながら入念なはこびで書きはじめ、かくしてブルートン夫人のもつれた思いを観念にうち変え、標準語法にうち変えて、このおどろくべき変化を見守っているブルートン夫人に、「タイムズ」主筆もとうぜん尊敬を払うに相違ないことを感じさせた。ヒューは緩慢だった。ヒューは執拗だった。リチャードは思いきって述べるべきだと言った。ヒューは人々の感情を考慮して、いろいろと修正を提案し、リチャードが笑うと、少し烈しい調子で「ぜひ考慮すべきだ」と言い、「したがってわれわれはその時機は正に熟したと考えるものであるが……不断に増加しゆく人口により過剰となれる青年は……われわれが故人に負うところのものを……」と読み上げた。すべて下らぬ人気取りの言説だ、もちろん他に害を及ぼすことはないが、とリチャードは考えたが、ヒューはチョッキの上の煙草の灰を払い、ときおりはまた進行状況を数えながら、最大の高潔さを盛った意見を順序正しく起草しつづけた。そして最後に、彼が手紙の草案を読み上げると、ブルートン夫人はこれは傑作だと確信した。わたくしの最初の考えだったらそんなふうに伝えることができるかしら。
ヒューは編集者がこれを採択するかどうか保証はしかねた。しかし午餐の席で誰かに会うでしょう。
すると、優雅な振舞いとはおよそ無縁のブルートン夫人は、ヒューのカーネーションを彼女のドレスの正面に抱えこみ、両手を振りながら「わたしの総理大臣!」と彼に呼びかけた。お二人がいなかったら一体何が出来たでしょう。二人は起ち上がった。そしてリチャード・ダロウェイは例のごとくゆったりと歩を運んで、将軍の肖像を眺めやった。余暇ができたらブルートン夫人の一門の歴史を書こうと思っていたからである。
そしてミリセント・ブルートンは自分の一門を大へん誇りにしていた。でも急ぎません、急ぐことはないわ。彼女が絵姿を眺めながらそう言ったのは、軍人や役人や海軍将官から成る彼女の一門が、彼らの義務を果たした行動人であったということを含んでいた。リチャードの第一の義務は国に対してなのだ。でも立派な顔ですわ、と彼女は言った。そしてリチャードのために書類一切を、オルドミクストン〔ブルートン夫人の生地であろう〕に用意しましょう。時節がきたなら。彼女は労働党内閣〔この翌年に保守党内閣が倒れて最初の労働党内閣が成立〕のことを言ったつもりだった。「ああ、印度からの情報〔印度の政情は本国の政変を早めるであろうということ〕!」と彼女は叫んだ。
やがて二人して玄関に立って孔雀石のテーブルのはめこみから黄色の手袋を取り、ヒューがまったく不要の礼をつくして、捨て札にも似たお世辞をミス・ブラッシに述べ立て、それを彼女が腹の底から憤って顔を真赤にしているあいだに、リチャードは帽子を手にブルートン夫人のほうに向き直って言った、――
「今夜の私どもの会でお目にかかれましょうね?」この言葉を聞くとブルートン夫人は、手紙を書くことのために失っていた厳しさをふたたび取り戻した。参るかも知れませんし、参れないかも分かりませんわ。クラリッサはすばらしい精力家ね。わたしは宴会には辟易しているのに。それにだんだん老けてはゆくし。見事な姿勢で、しゃんとして戸口に立ちながらも、そのことを彼女は仄めかした。その間に彼女の支那犬はうしろで背を伸ばし、ミス・ブラッシは紙きれをいっぱい抱えこんで裏庭に消えていった。
そしてブルートン夫人は重々しい、堂々たる足取りで、自分の居間にあがってゆき、長椅子の上に片腕を伸ばして横になった。彼女は吐息し、まどろんだ。居眠ったのではない、まどろんだのだ。うつらうつらとまどろんだのだ――この暑い六月の日に蜜蜂や黄いろい蝶を飛びまわらせながら日光を浴びているクローバーの野のように。いつも彼女の心はデヴォン州〔イングランド南西の半島部にあり、風光明媚〕の田園の、モーティマー、トムの兄弟と子馬のパティに乗って小川を渉ったあの野辺に帰っていった。そこにはまた、何匹かの犬が、鼠がいた。お茶を飲みながら彼女の父と母とが樹蔭の芝生に坐る姿、花壇のダリア、たちあおい、しろがね葦《よし》。そして彼女ら子供たちはいつも悪戯《いたずら》をしていた! 何か悪戯をしたあげくびしょ濡れになり、見つからないようにこっそりと灌木林を抜けて帰った。乳母のばあやがどんなに彼女の上衣のことで叱言を言ったことか!
あらあら、彼女は我に返った――水曜日のブルック街だったわ。あの親切な、人のいいリチャード・ダロウェイとヒュー・ウィトブレッドは、長椅子に横になっているわたしのところまで騒音が響いて来るあの通りを、この暑さの中を帰って行くのだ。権力はわたしのもの、地位も、収入も。わたしは時代の先頭に立って生きて来た。良き友人を持ち、当代の最も有能な人士と知り合ったのだ。ロンドンのざわめきがここまで通って来た。そして、長椅子に仰向きになった彼女の手は、彼女の父祖が持ったでもあろう空想の司令杖を抱えこみ、うつらうつらまどろみながらそれを振りしめる彼女は、カナダにむかう移民団を率い、いまロンドンを、彼らの領土を、小さなじゅうたん地を、メイフェアを横切って歩いてゆく、あの親切な、いい人間たちを指揮しているように思いこんだ。
そしてしだいに遠のいてゆく二人は、細糸によって彼女に結ばれ(二人は彼女と昼餐を共にしたのだから)、その糸はどこまでも伸びひろがり、ロンドンを縦断するうちにしだいしだいに細くなってゆくのだ。あたかもある人間が友人らがこれと昼餐を共にしたあと、彼らの身が細い一条の糸によってこれと結ばれるように、その糸が(彼女がそこにまどろむ間に)一本の蜘蛛の糸が雨滴に吸われ重くなって垂れ下がるのにも似て、時を打ちあるいは礼拝のために鳴る鐘の音によっておぼろに霞んでゆくように。このようにして彼女は眠った。
そしてリチャード・ダロウェイとヒュー・ウィトブレッドの両人は、ミリセント・ブルートンが長椅子に寝て、糸をぷっつりと切ってまどろんだ瞬間、コンディト街の角で二の足を踏んだ。逆風《さかかぜ》が街角に吹きつけて来た。二人はとある店の飾り窓をのぞいた。買い物をするためでも、話をするためでもなく、街角に吹きつける逆風、肉体の潮の疲れ、旋風となって相打つ午前午後の二つの力と袂をわかつために、彼らは立ちどまった。新聞ビラが宙に舞い上がり、最初は凧《たこ》のように勇ましく、やがてたゆとうかと見ると、急に舞い下り、ひらひらと飛んだ。そしてどこかの婦人のヴェールがだらりと垂れた。黄色の日よけ布がゆらいだ。朝方の速度はすでにゆるんで、半ば人通りのたえた街上を一頭立ての荷馬車の列だけが無造作に続いていた。リチャードが半ば心に描いているノーフォークでは、生暖かな風が花びらを吹きなびかせ、水面をみだし、花を咲かせている草をゆるがせた。籬《まがき》の下に腰をすえ午前中の仕事疲れを一眠りして忘れようとしていた乾草作りたちは、緑の草の葉をかきわけ、風にゆらぐ|やまにんじん《ヽヽヽヽヽヽ》の花をゆすって、空の姿に眺め入るのだ。青い、どっしりとして動かぬ、赫灼《かくしゃく》たる夏空。
両方に手の付いたジェイムズ一世朝製の銀の湯呑を自分が眺めていることも、ヒュー・ウィトブレッドがおおように、鑑識家ぶって、値段を訊いてみようかな、イーヴリンの気に入るかもしれない、と考えながらスペイン製の頚飾りを眺めていることも、とくと承知しながら――なおリチャードは無感覚状態にあり、考えることも動くこともできずにいた。生の流れがこの漂着物を岸に打ち上げたのだ。飾り窓には色つきの人造宝石が一杯あって、佇んで眺め入るものの心は硬く、老人のような|けだるさ《ヽヽヽヽ》、老人のような硬直感に誘いこまれる。イーヴリン・ウィトブレッドはこのスペイン渡りの頚飾りを欲しがるだろう――たぶんそうだろうな。ああ、俺は欠伸をしそうだ。と、ヒューは店内に入っていった。
「当ったな!」リチャードは後から続きながら叫んだ。
神かけて彼はヒューといっしょに頚飾りを買おうとは思わなかった。しかし肉体を流れる潮というものがある。午前は午後と相会うのだ。深い、深い上げ汐に運ばれてゆくこわれ易い川舟のように、ブルートン夫人の曽祖父とその言行録とその北米従軍とは、漂いそして沈んでいく。ミリセント・ブルートンとてもそうだ。彼女は沈み去った。リチャードは移民のことなぞまったくどうでもよかった。あの手紙のことも、主筆が採択しようがしなかろうが、どうでもよかった。頚飾りはヒューの立派な指のあいだに垂れひろがった。女の子にでもくれたらいい、どうしても宝石を買わなくてはならないなら――どこかの娘に、通りすがりの娘に。この人生のつまらなさがリチャードを烈しく動かしたのだ――イーヴリンのために頚飾りを買うなんて。俺に男の子があったら言うだろう、仕事だ、仕事だと。だがエリザベスがいる、俺はエリザベスが大好きだ。
「デュボネさんにお会いしたいが」ヒューは簡明な世馴れた口調で言った。デュボネという男がウィトブレッド夫人の頚まわりを知ってでもいるような、あるいは、なおさら妙だが、この男がスペインの頚飾りにたいする彼女の意見をわきまえており、そうした方面に関する彼女の持ち物の範囲を(ヒューにはそれが思い出せなかった)承知しているような口吻だった。こうしたすべてのことがリチャード・ダロウェイにはおそろしく妙に感じられた。彼がクラリッサに贈り物をしたのは、二、三年前の腕環の例があるだけで、それの首尾はよくはなかったから。彼女は一度もその腕環を付けなかった。一度も付けてくれなかったことを思い出すのは、彼にとって苦痛だった。そうして、一本の蜘蛛の糸がぶらりぶらり揺れたあげく木の葉の尖端にくっつくように、リチャードの心はけだるさから恢復して、いま、彼の妻のことに、ピーター・ウォルシュが夢中になって愛していたクラリッサのうえに定着したのだった。リチャードは昼食を摂っている彼女の姿をにわかにまぼろしに見た。彼自身とクラリッサの姿を。彼ら二人の生活を。そして古い宝石をならべた盆を手もとに引きよせた彼は、このブローチあの指輪と手にとって眺め、「あれはいくら?」と問いかけながら、彼自身の鑑識眼をあやしんだ。応接間のドアを開けたとき、何かを持参しながら入って行きたい。クラリッサへの贈り物を持って。ただ、何をとなると? しかしヒューはまだ勿体ぶっている。あの態度は言いようもなく物々しい。まったく、二十五年間もこの店と交渉をもって来た彼としては、商売上の事柄も碌に知らぬ一介の若僧から簡単にあしらわれるつもりはなかった。デュボネはどうやら不在であったが、ヒューは、デュボネ氏がちゃんと在店しないかぎり何も貰おうとは思わないと言った。すると青年は顔を赤くして、軽く行儀のいいお辞儀をした。まったくもう完璧な行儀正しさだ。しかしリチャードはどんなことがあろうとも、そんな言葉を吐くことはできなかったろう! なぜ、こうした連中は、思いもよらぬ、あの憎むべき不遜さを忍ぶことができるのだろう。ヒューは度し難い愚物になろうとしている。リチャード・ダロウェイは一時《いっとき》以上もこんな男と相手になっていることには耐えられなかった。でリチャードは、別れの挨拶に山高帽を振ると、彼自身とクラリッサとの間のあの愛情の蜘蛛の糸を追うことを望みながら、そうだ、切望しながら、コンディト街の街角を曲がっていった。ウェストミンスターの彼女の許へ、真っ直ぐに帰るとしよう。
しかし何か持っていってやりたい。花か? そうだ、花を。貴金属類を見る眼はいっこうなさそうだから。薔薇でも蘭でもいい、どっさり花を。思ったとおりを言うなら正に一つの事件と言ってよかったが、ピーター・ウォルシュのことが昼餐の話題にのぼったとき彼女にむかって発した感情を祝福するために。あのことが二人の話題になったことなんてなかったのだ。長年のあいだ話題にも上らなかった。およそ、と彼は赤白の薔薇(薄織りのような紙に包んだ大束)を握りしめながら思った、これほど間違ったことはありえないのだが。しかしわれわれの口に出されなくなってしまう。恥ずかしくて言えないのだ。そう思いながら彼は釣銭に受け取った一、二枚の六ペンス銀貨をポケットに収め、花束を身に抱き締めると、ウェストミンスターにむかって歩き出した。彼女に花を差し出しながら、率直にありったけの言葉を用いて(彼女がそれをどう考えようと)「お前を愛しているよ」と言おう。言ったっていいだろう。まったく、戦争のことを考えると奇蹟のようだ。そうして、前途有為の身を、無差別に土の下に埋められて眠っている、気の毒な連中のことは、忘れられようとしている。一つの奇蹟が起こったのだ。こうして俺はロンドンの街を歩いている。クラリッサに、彼女を愛していることを言葉を尽くして訴えようとして。誰もよう言わないことなのだ、と彼は思った。一つには不精のため、一つにはまた恥ずかしさのために。それからクラリッサだが――彼女のことを考えるのは骨が折れる。ただ衝動的に、昼餐のときのように、ありありと彼女の姿を思い描くことがある。またわれわれ二人の生活の一切を。彼は交叉点で立ちどまった、そして繰り返した――生まれつき彼は単純で、野山を闊歩し突進し、悪にけがされず、根気強く頑固で、下院では虐げられた者を擁護し本性にしたがって行動し、淡白さを保ちながら、しかも以前にくらべれば口数少なにそして強情になっていたのだが――彼は繰りかえした、クラリッサと結婚するようなことになったのは、それは一つの奇蹟だったのだ、と。奇蹟だ――俺の生涯は一つの奇蹟だったのだ、彼は横断することをためらいながらそう思った。しかし五つか六つの小さな子供がひとりでピカディリーを渡ろうとするのを見ると、彼は激昂した。警察はただちに交通遮断を行うのが当然だ。俺はロンドンの警察を、いっこう立派だとは思っていない。いや実は、警官どもの非行の証拠を集めてさえいる。屋台店で道を塞ぐことを禁じられてしまった果物売り。それから、淫売婦たち。ああ彼女らに咎《とが》はない、また若い男たちにもない。ただ憎むべきわれわれの社会組織その他のなかにあるのだ。こうしたすべてのことがらを彼は考えた。妻にむかって彼女を愛していることを告げようとして公園を横切って歩いている、半白の、頑強な、きりっとした、身綺麗なこの男は、そう考えているらしく見えた。
部屋に入ったら、そのことを沢山の言葉でもって言ってやりたいのだ。なぜって心に感じていることを言わないなんて遺憾千万だ。いまグリーン・パークを横切ってゆく彼は、家族総出の、貧しい人々が木蔭に寝そべっている姿をよろこばしそうに眺めながら、そう思った。子供らは足をはね上げたり、乳をしゃぶったりしている。紙の袋が投げ散らかされる。しかしそれは、仕着せを着た肥っちょの人間がすぐと拾いあげてしまうことができる(たとえ行楽の客が拾わなくとも)。夏の幾月かはすべての公園、すべての広場を子供らのために解放すべきだ。というのが、俺の持論なのだ(公園の芝生は、まるで黄いろいランプが底で揺れてでもいるように、ウェストミンスターの哀れな母親と四つんばいに這っている赤ん坊たちを照らし出しながら、日に輝いてはまた翳《かげ》るのだった)。だが、あそこで片肘を伸ばしている(あらゆる覊袢《きはん》を忘れて大地に身を投げ出し、好奇の眼で眺めたり、勝手に推測したり、厚かましく口をだらりと開け、そんなひょうきんな態度で、何故とかどうしてとかいうことを思考してでもいるみたいな)あの哀れな女みたいな、宿無し女たちをどう処置すべきか。俺には判らないのだ。何かの武器のように花束を握りしめて、リチャード・ダロウェイは女に近寄り、夢中でその前を通り過ぎた。しかし一瞬、両者のあいだにぱっと火花が散った――女は彼の姿を見て笑い、彼も宿無し女の問題を考えながら愛想よく笑った。およそ二人が話をとりかわすことなどなかろうが。しかし俺はクラリッサに、彼女を愛していることをありったけの言葉で言ってやろう。そのむかし俺はピーター・ウォルシュを嫉《ねた》んだ。彼とクラリッサのことを嫉んだ。けれど彼女はよく、ピーター・ウォルシュと結婚しないのは正しいことだったと言った。そのことは、クラリッサの人間を知ってみれば、明らかに真実なことだ。彼女は支柱を必要としたのだ。彼女が弱いからではない、ただ支柱を求めたのだ。
バッキンガム宮殿に関しては(純白の衣装を着て聴衆に対している老いたる歌姫《プリマ・ドンナ》を思わせて)そこに一種の気品がただよっていることを否定できない、と彼は考えた。それから数百万の民にたいして(少数の群集が王の出御を観ようとして門のあたりで待っていた)一個の象徴として立っていることも、ばかげてはいるが否定できない。積木細工を持った子供だって、まだましな建物が造れようが。彼はそう思いながら、ヴィクトリア女皇の記念塔――角縁《つのぶち》眼鏡をした女皇がケンジントン〔ロンドン西部の貴族的住宅地区〕を馬車で通過する様を彼は思い出すことができた――白い築山、巨浪のような母性的風格〔女皇像そのものと、それを囲む母性群像を、更に頂きに勝利の女神の黄金像が白亜の壇上高く立つのをいう〕を眺めた。しかし彼はホーサ〔ジュート族の首領で、四四九年、フランスの対岸クント州に上陸、王国を建てたが、四五五年の戦いでブリトン族に敗れ殺された。現王室と血縁はない〕の末裔に治められることを好しとした。彼は血統連綿たることを、過去の伝統の継承という観念を愛した。正に偉大な一時代を俺は経過して来たわけなのだ。まったく、俺自身の生涯が一つの奇蹟だった。それをして誤りなからしめたいものだ。こうして俺は、クラリッサに彼女を愛していると告げるためにウェストミンスターのわが家に戻ってゆきながら、人生の盛りの時期をいま生きているのだ。幸福とはこのことだ、と彼は思った。
正にこれなのだ、と彼はディーンズ・ヤード〔大司教の中庭の意で、ウェストミンスター寺院北翼にある〕に足を踏み入れながら思った。ビッグ・ベンが鳴りはじめた。最初は予告、音楽的に。おつぎは時報、もう取り消しがきかぬ。昼餐会で午後を丸つぶしにしてしまったぞ、自宅の門口に近づきながら彼は思った。
ビッグ・ベンの音はクラリッサの応接間に流れこんだ。彼女は書きもの机に坐って、すっかり気を腐らせていたのだ。懊悩し、気を腐らせていた。エリー・ヘンダスンを夜会に招ばなかったことは確かに事実だった。しかしそれはわざとそうしたのだった。ところがマーシャム夫人は言ってよこした、クラリッサに願ってみてあげると「エリー・ヘンダスンにそう申しました――エリーはとても出たがっていますの」
でもなぜロンドンじゅうの頓馬な女たちを宴会に招ばなくちゃならないのだろう。なぜマーシャム夫人は差し出た真似をするのだろう。そうしてエリザベスは、ずーっとドーリス・キルマンと籠りっきりなのだ。こんなに胸のむかつくことはありはしない。あの女とこんな時間にお祈りなんかして。するとベルの音が陰鬱な波動を伴って部屋の中に流れこんだ。その音は一旦退いたが、戸口を撫でまわすように、引っ掻くようにして、また押し返して来た。こんな時刻に誰かしら? 三時だわ、あきれた! もう三時! 威圧するように露骨に、勿体ぶって、時計が三時を打ったのだった。そして他に音はしなかったが、ドアの握りが外れて、入って来たのはリチャード! あら、驚いた! リチャードが花をかかえて入って来るなんて。わたしは彼を拒んだことがあった、いつかコンスタンチノープルで。それから、午餐会が非情に面白いという評判のミリセント・ブルートンもわたしを招待しなかった。でもまあ花をかかえて――薔薇の花を、赤と白の薔薇を。(しかし彼は、お前を愛しているよと言い出すことができなかった。沢山の言葉を用いてそう言うことが)
でもまあ、何てきれい。彼女は花を受け取りながら言った。察してくれたのだ、言わなくとも察したのだ、俺のクラリッサは。彼は炉棚の花瓶にそれを生けた。まあ何てきれい! 彼女は言った。でも愉快でして? と彼女は訊ねた。ブルートン夫人は、わたしによろしくっておっしゃって? ピーター・ウォルシュが戻って来たわ。マーシャム夫人が手紙をよこしたの。エリー・ヘンダスンを招ばなくちゃならないかしら? あの女は、キルマンは二階よ。
「だが五分ばかし坐っていようよ」リチャードが言った。
まるでがらんどうみたいだ。椅子はみんな壁に寄せてある。どうしようっていうの? ああ、宴会のためだった。いや宴会のことは忘れやしない。ピーター・ウォルシュが戻って来たよ。ええそうよ、あの人、訪ねて来たわ。離婚を計ろうとしているの。あの人、あちらで、ある女と恋をしているの。それにちっとも変わっていなかったわ。わたしはここで、ドレスを繕いながら……
「ブアトンのことを考えたの」彼女は言った。
「ヒューが午餐に来ていたよ」とリチャードが言った。わたしもあの人に会ったわ。そう、あの男は益々度し難い人間になってゆくよ。イーヴリンの頚飾りを買ったよ。前よりも肥って。度し難い愚物だ。
「そうして『この人と結婚していたかもしれない』ってふっと考えたの」彼女はそう言いながら、小さなネクタイを締めてそこに腰掛けていたピーターを思った。あのナイフを開いたり閉じたりしている姿を。「昔そうだったとおりよ、ほんとに」
午餐会の席で彼の話が出てね、とリチャードは言った。(しかし彼は、お前を愛しているとは言えなかった。彼は彼女の手をとった。これが幸福なのだ、と彼は思った)。ミリセント・ブルートンが「タイムズ」に投書する手紙の代筆を二人でしたのさ。ヒューには打ってつけの仕事だ。
「ところで親愛なるミス・キルマンはどうしている?」彼は訊ねた。クラリッサはほんとに薔薇がきれいだと思った。最初はいっしょに束ねてあったけれど、いまはばらばら勝手になって。
「キルマンはちょうどお昼を済ませた頃に来るの」と彼女は言った。「エリザベスは言うことを聞かなくなって。二人で閉じこもってしまうのよ。たぶんいま、お祈りしてるんでしょう」
やれ! 感心しないな。しかし放って置けばそのうち、そんな時期は過ぎるさ。
「防水外套を着て雨傘をもって」クラリッサが言った。
彼は「お前を愛している」と言わずにしまった。しかし彼は妻の手をとった。これが幸福なのだ、これが、と彼は思った。
「でもなぜわたしは、ロンドンじゅうの退屈な女たちを、宴会に招ばなくちゃならないのかしら?」クラリッサは言った。マーシャム夫人が宴会を開いたとして、|あの女《ヽヽヽ》は私を招ぶだろうか。
「気の毒なエリー・ヘンダスン」リチャードは言った――クラリッサが自分の宴会のことをそんなふうに考えるのはずいぶん妙な話だ、と彼は思った。
でもリチャードは部屋の様子なんていっこう気にもしない。けれど――何を言おうとしているのかしら。
こうした宴会を苦にしているなら、もう宴会なんか開かせないようにしよう。ピーターと結婚していたら、と考えていたのだろうか。でも俺は行かなくちゃならない。
出掛けなくちゃならないのだ、と彼は座を起ちながら言った。しかし彼はまだ何か言うことがあるような様子で、しばらく立っていた。そしてクラリッサは、なぜだろうと訝しんだ。なぜだろう? そして、この薔薇の花。
「何かの委員会ですの?」彼女はドアを開けようとする彼に問いかけた。
「アルメニア人問題のさ」と彼は言った。それとも「アルバニア人」と言ったかしら。
人間には威厳ということがある。孤独ということがある。良人と妻とのあいだにも深淵が存在するのだ。そうしてそれを尊重しなければならないのだ、クラリッサはそう思いながら、ドアを開ける彼の姿を見守った。なぜってわたしたちはそれを抛棄しようとは思わない、また良人の意志に反してそれを良人から取り上げようとは思わない、そうすれば自分の独立心を失い、自尊心を失うことになるから――要するに金では買われぬあるものなのだ。
彼が枕と掛蒲団をもって戻って来た。
「さあ、昼食後の一時間の完全な休養だよ」と彼は言った。そして去っていった。
ほんとにあの人らしいやり方だわ! あの人はたえず「昼食後の一時間の完全な休養」を唱えつづけるのだ、いつか医者がそう言ったので。医者たちの言葉を文字どおり受け入れるなんて、ほんとにあの人らしい。誰だってああまではなれない、愛すべき単純さ。それが、わたしとピーターが口論に時間をつぶしているあいだにも、あの人を行動に赴かせるのだ。身体の半分はもう下院に、アルメニア人問題に、アルバニア人問題に飛んでいるのだ。わたしをこの長椅子に坐らせ、あの人が買ってきた薔薇を見させておいて。やがて世間の人は「クラリッサ・ダロウェイは甘やかされている」と言うだろう。私はアルメニア人よりも薔薇のほうにずっと関心をもっている。生存をおびやかされ、不具にされ、凍えた、残忍と非道の犠牲(リチャードが繰りかえしそう言うのを聞いたが)――いいや、わたしはアルバニア人にはいっこう同情をよせない、それともアルメニア人だったろうか。でもわたしは薔薇を愛している(それがアルメニア人を救済することになりはしないだろうか)――切り花にして眺めることができる唯一つの花を。でもリチャードはもう議会に行ってしまった。わたしのさまざまの難問題を片付けて、自分の委員会に。いいえそうじゃない。残念ながら、そうじゃないわ。エリー・ヘンダスンを招ぶことをことわる理由を認めてくれなかったもの。もちろんわたしはそのようにしよう、あの人の希望どおりに。枕を持って来てくれたからには、横になろう。……でも――でも――なぜ急にわたしは感じたのだろう、そんなふうに感じるだけの理由もないのに、ひどく不幸だなんて。真珠かダイアモンドの小粒を草の中に落とした人が念に念を入れてあっちこっち丈の高い葉の間を分けて探したが無駄だったあげく、最後に根っこのところに見つけ出すそのように、彼女はあれこれと詮索をこころみた。いやそれは、リチャードは二流の頭脳だから閣僚などにはなれっこないとサリー・セットンが言ったことではない(そのことが思い出されて来た)。いいえわたしはそんなことは気にかけない。エリザベスともドーリス・キルマンとも関係はない。事実はもう事実なんだから。それは感情、ある不愉快な感情なのだ、おそらく午前の。ピーターが言ったあることが、寝室で帽子を脱いでいるときのわたしの憂鬱感と結びついた。そしてリチャードの言葉がその感じをいっそう強めたのだ。けれど何を言われたのだろう。この薔薇の花。わたしの宴会! それだったのだ。宴会のことだわ! 二人とも宴会のことで、わたしをとっても不当に批判し、非道に嘲《あざけ》った。そうだ! そのことだった!
そうだ、何で自己を弁護しようとすることがあろうか。その正体が判明したいま、彼女はすっかり幸福を感じた。みんなそう思い、少なくともピーターはそう思っているのだ、わたしは人前に出しゃばるのが好きだと。有名な人間に取り巻かれるのが好き、名声が好きだと。要するに一個の俗物だと。そう、ピーターはそう思っているのだわ。リチャードはまた、わたしが心臓によくないと知りながら刺戟を愛しているのは愚かなことだと思いこんでいる。子供じみた真似と考えている。そうして二人とも全然間違っているのだ。わたしが愛しているのは、単に人生なのだ。
「だからわたしはそうするのだ」彼女は大声を出して、人生にむかって言った。
とじこもり、身をのがれ、長椅子の上に横たわっているいま、紛れもなさを彼女に感じさせるところのこの存在が、実体を帯びて迫って来た。暑いきれのする表通りから囁きかけ、日よけを吹き払う音響を長衣として。しかしピーターにもし「なるほどそうでしょうが、しかしあなたの宴会の――あなたの宴会の存在意義は一体何です?」と言われたら、わたしにはこうとしか答えられないだろう(そして誰にもその意味を理解してはもらえなかろう)――それは寄進なのだと。しかし恐ろしく漠然とした言葉だ。でも、人生は単調な航海だと称するピーターは一体どうなの――ピーターはいつでも恋をし、いつも悪女に恋をしているんだわ。あなたの恋愛って何ですの? 彼にそう言ってやりたい。そして彼の答えはもう分かっている。この世でいちばん重大なもので、このことはたぶんどんな女にも分かっていないだろう、と。ごもっともだわ。けれど、わたしの言おうとすることだって、男に理解できるかしら。人生についてだけれど。ピーターなりリチャードなりが、格別の理由もなしに宴会を開くとはとても考えられないもの。
しかし立ち入って、人の取り沙汰を離れて(――こうした判断は、それはいかに軽薄で、いかに断片的なものだろう)、自分の心の底をのぞいて見るとして、一体どんな意味をもっているのだろう、わたしのいわゆる人生は。ああ、それは非常に奇妙なものなのだ。南ケンジントンに誰それがいる。ベイズウォータには誰それがいる。また、たとえばメイフェアには誰それがいる。そしてわたしは始終たえずその人たちの存在を意識している。そうして何という索漠さかと感じる。非常に残念さを感じる。そしてもしこれらの人々を一緒に集めることができたらと感じる。そこでわたしはそうするのだ。だからそれは一つの寄進なのだ。結合し、創り出そうとしての。だが誰への寄進だろう。
寄進のための寄進、そうなのだろう。ともあれ、それがわたしの天賦なのだ。他のどんなことであろうと、わたしはかりそめの重要さをも与えない。考えることも、書くことも、ピアノを弾くことさえも、わたしにはできない。わたしはアルメニア人とトルコ人を混同し、成功を愛し、不愉快さを憎み、是が非でも人から好かれたがり、仰山なたわごとをしゃべり、いまだに昼夜分岐線とは何かと訊かれても答えができないのだ。
それにしてもやはり今日は明日へと続くのだ。水曜日、木曜日、金曜日、土曜日と。朝、目を覚まし、空を眺め、公園を散歩し、ヒュー・ウィトブレッドに会った。それから急にピーターが入って来た。それにまたこの薔薇の花。それで充分。その後に来る死はいかにも信じがたいほどだわ――終わりがあるなんて。わたしがどれほど生のすべてを愛したかを、この世の中の誰もが知らなくなるなんて。ああ、どんなに刹那ごとに……
ドアが開いた。エリザベスは母親が休息していることをさとった。彼女はそって中に入った。彼女は身動きもせずに佇《たたず》んだ。ノーフォークの海岸に漂着したある蒙古人が(ヒルベリー夫人が言ったように)、ダロウェイ家の女系にその血が混じったのだろうか、おそらく百年もむかし? ダロウェイ家の人間は概して美しい髪をし碧眼だった。ところが逆にエリザベスの毛は浅黒く、蒼白い顔で、支那人のような眼をしていた。東洋風な神秘を漂《たた》えて、優しく慎重で物静かだった。幼いころは、彼女にも剽軽さはちゃんとあった。ところが十七歳の今はどうだろう、クラリッサにはどうも訳がわからなかったが、ひどく真面目になってしまった。ようやく蕾が色づいたばかりの、つやつやした緑の鞘に包まれたヒアシンス、陽に当ったことのないヒアシンスみたいで。
彼女は音も立てず立ちながら母親を見やった。しかしドアが少し開いていて、その外側にミス・キルマンがいることをクラリッサは悟った。防水外套を着て、何でも聞き洩らすまいとしているミス・キルマンが立っていることを。
そうだ、ミス・キルマンは中休み段に立ち、防水外套を身に着けていた。しかしそれにはいろいろの理由があったのだ。第一にそれは廉価だった。第二に、彼女はもう四十を過ぎていた。要するに、身を飾って人に好かれようなどとは思わなかった。その上に貧乏だった、どん底の貧しさだった。さもなかったら、ダロウェイ家のようなところに職を求めはしなかっただろう。親切ぶった金持ちの家なんぞに。ダロウェイ氏は、正当に見て、親切だった。しかしダロウェイ夫人はそうではなかった。単に親切ずくをしたまでのことだった。あらゆる階級のなかでいちばん下らない階級――生半可《なまはんか》な教養をもった金持ち階級の出なのだ。そこらじゅうに贅沢な代物を並べ立てて。絵だの、敷き物だの、大勢の召使いだの。ダロウェイ家でしてもらったことなんか至極当然のことと思っている。
わたしは欺されていた。そうだ、そう言っても誇張ではない。少女にだってたしかに何らかの幸福をつかむ権利はあるじゃないの? それだのにわたしは幸福であったためしがない、こんなにお粗末で、あまりにも貧乏で。そこへもって来て戦争が始まったのだ、ドルビイ女学院で幸福の機会がやっと得られそうになったときに。元来が嘘のつけない性分なので、ミス・ドルビイからこう言い渡された。ドイツ人にたいしてあんたと同じ意見の連中を相手にしたほうが幸福でしょう、とそう言われた。わたしはそこを出なければならなかった。わたしの家がドイツ人の系図をひいていることはたしかだし、十八世紀にはキイルマンと名を綴ったのだ。でもわたしの兄弟は戦死したのだ。ドイツ人だってみんながみんな悪人じゃないと言ったというので、わたしは学校を追われた――だってわたしにはドイツ人のお友達があるし、それに一生でただ一度の幸福な時代はといえばドイツで暮らしたときだけだわ! でもまあ、わたしは歴史に通じていた。生きるためには選りごのみせずに働かなくてはならなかった。ダロウェイ氏はわたしがフレンド教会のために働いているところを目にとめたのだ。わたしは彼の許しを得て(それはまったく彼の寛大によるものだった)その娘に歴史を教えることになった。それにまたわたしは少し大学公開講座などで教えたりしている。さてそれからわが主がわたしのもとにお下りになった(そう言うとき彼女はいつも頭を垂れた)。わたしは二年と三月まえに霊光を見た。いまとなってはクラリッサ・ダロウェイのような女たちを羨みはしない。かえって憐れんでいるのだ。
彼女は柔らかな敷き物の上に立って、マフで手を暖める少女の古い版画を眺めながら、真底から彼女らを憐れみそしてさげすんだ。こんな贅沢をつづけていたのでは、よりよき状態の実現はとうてい望めない。長椅子に寝そべっていないで――「母は休んでいますわ」とエリザベスは言った――工場へでも行くべきだ、売場のうしろに立つべきなのだ、ダロウェイ夫人みたいなご立派な女連中は!
苦々しい激烈な感情で、ミス・キルマンは二年三月前、とある教会に入っていった。彼女はエドワード・ウィテイカー師の説教を聞き、少年たちの讃美歌を聞き、厳かな霊光の下るのを見た。そしてその音楽のためかそれとも物音のためか(彼女は夕方ひとりのときヴァイオリンを奏いて自ら慰めた。しかしその音はひどく聞き苦しいものだった。彼女は聞く耳を持ち合わせなかった)、心中にたぎり波立っていた、熱した烈しい感情が、そこに坐っているあいだにしだいに鎮められた。そして彼女はさめざめと泣いて、ケンジントンの私宅に、ウィテイカー氏を訪ねていった。それは神の御業です、と彼は言った。主があなたに道をお示しになったのですと。それで、熱した苛烈な感情が、ダロウェイ夫人に対する憎しみが、世の中に対する鬱憤が、心中にたぎり沸くといつも、彼女は神のことを思った。ウィテイカー氏のことを考えるのだった。すると憤怒のあとに鎮静が来た。なごやかな香気が彼女の血脈をみたし、唇はほぐれ、いま彼女は防水外套を着て中休み段に恐ろしい恰好で立ちながらも、娘といっしょに出て来るダロウェイ夫人を、どっしり構えた底意地悪い平静さで眺めることができた。
エリザベスは、手袋を忘れて来たわと言った。それというのもミス・キルマンと彼女の母親とが互いに憎みあっていたためだ。彼女は手袋を探しに二階へ走った。
しかしミス・キルマンはダロウェイ夫人を憎みはしなかった。|すぐり《ヽヽヽ》のようにどんよりとして大きな眼をクラリッサに向け、その小柄なピンク色の顔を、きゃしゃな身体を、粋で溌剌とした風采を眺めながら、ミス・キルマンは心中にこう感じた。ばか! 阿呆! 哀しみもよろこびも知らず人生を無駄に過ごしたお前さんなのだ! そして彼女の内心には、この女を負かしてやりたい、仮面を引き剥いでやりたいという、抑え難い欲望が起こった。はり倒すことができたら、胸がすっとするだろうに。でも身体ではない、こころなのだ、嘲弄的なあの態度なのだ――征服してやりたいのは、わたしの力を思い知らせてやりたいのは。もしこの女を泣かしてやることができたら。叩きのめし、恥じ入らせ、わたしの足許に跪かせて、あなたの仰せのとおりです、と泣きながら言わせることができさえしたら。しかしながらそれは神のみこころであり、ミス・キルマンの意志でなしうべきことではなかった。宗教による勝利であらねばならない。そう思って彼女は相手をねめつけた。そう思って睨みつけた。
クラリッサはほんとにぞっとした。まあ、これがクリスチャン――この女が! わたしの娘を奪ってしまった女! この女が眼に見えぬ霊と接しあうなんて! でっぷりと肥えて、醜くくって、平々凡々で、親切気もなければ上品さもない、この女が人生の意義を知っているのだって!
「エリザベスを百貨店へ連れてって下さるの?」ダロウェイ夫人は言った。
ミス・キルマンは左様ですと言った。二人はその場に立ちつくした。ミス・キルマンは御機嫌をとろうなどとは思わなかった。いつも自分は生活の資を自分で得ている。自分の近代史の知識はごく完全なものだ。乏しい収入のなかからは、自ら信ずる主義主張のために多くの額を割いている。ところがこの女は何にもしていない、何も信じていない。娘を育てるのにも――しかしそこへ、エリザベスが現れた、少し息を切らして、美しい少女が。
それじゃあ二人は百貨店に出かけるのだわ。奇妙なことにはミス・キルマンは、そこに立っているうちに(そして彼女は有史以前の怪物が原始太古の戦いのために甲冑を着けたように、力と沈黙を武器として立っていた)、刻々と、彼女の相手に対する観念は消え、憎しみは(心に作り上げた姿に対してなので、人間そのものに対してではない)崩れてゆき、先刻の害心は消え、身の丈もうすれて、刻一刻と、ただのミス・キルマンに、クラリッサがほんとうに助けてやりたいと思うような、防水外套姿のミス・キルマンになっていった。
こうして怪物がしだいに縮まってゆく様を見て、クラリッサは笑った。さようならを言いながら、彼女は笑った。
二人はいっしょに出かけていった、ミス・キルマンとエリザベスとは、階段を下りて。
この女が自分の娘を奪ってゆこうとしているのに対し、とつぜんの衝動とはげしい苦悩とを感じたクラリッサは、手摺の上に寄りかかって叫んだ、「宴会を忘れないでね! 今夜の会を忘れないでね!」
しかしもうエリザベスは玄関のドアを開けたあとだった。荷馬車が通っていった。彼女は答えを返してよこさなかった。
恋愛と宗教! 身体をひりひりさせて応接間にもどりながらクラリッサは思った。この二つはまあ何ていやな、いやらしいものだろう! そう思ったのは、ミス・キルマンの肉体が彼女の前から消えたので、かえって彼女を圧倒して来たのだった――ミス・キルマンの映像が。およそ世の中でいちばん残酷な代物だわ。不恰好で、ぷりぷりしていて、横柄で、偽善的で、人の話を立ち聞きし、嫉み深く、どこまでも因業《いんごう》で図々しく、防水外套を着た、愛と宗教そのものの姿を、中休み段に眺めながら彼女はそう考えた。いままでに、わたしは他人の心を変えようなどと思ったことがあるかしら。すべての人間がどこまでもそのままの人間であることを望まなかったろうか。そして彼女は窓ごしに、向かい合いの老婦人が階段をのぼってゆく姿を見守った。昇りたいなら段をのぼるがよい。休みたければ休むがいい。それから、クラリッサが度々見ているように寝部屋に入り、カーテンをおしあけ、また奥のほうへ消えるがよい。どうということもなしに尊敬が生じるのだ――他人から見られているとは知らずに窓から外を眺めているあのおばあさんに対しては。何かしら厳かな感じがただよっている――ところが恋愛や宗教は破壊してしまうのだ、それが何であれ、魂の隠れ家を。あのいやらしいキルマンはそれを破壊しようとするのだ。しかもわたしにはこれが、涙ぐましいほどに感動的な情景なのだ。
恋愛もまた破壊する。およそ美しいもの、およそまことのものは、そのために消し去られる。ピーター・ウォルシュのことを考えてみよう。魅力あり、悧口で、万事を心得た一人の男。たとえばポープとかアディスン〔英国の擬古典主義詩人〕について知りたいと思うなら、あるいは単にあの人間はどうとかこのことはどうとかといった多愛のない話でも、ピーター・ウォルシュだったら誰よりもよく知っている。わたしの力になってくれたのもピーターだし、書物を貸してくれたのもピーターだけれど、でもあの人が恋した女を見るがいい――下品で、くだらない、平凡な女ども。恋愛をしているピーターを考えてごらん――久し振りに会いに来たのに、あの人の話すことといったら何? 自分のことだ。いやらしい情熱! と彼女は思った。品の悪い情熱! と思いながら彼女は、陸海軍百貨店に向かうキルマンと娘のエリザベスのことを考えた。
ビッグ・ベンが三十分を打ち鳴らした。
何て異様な、ふしぎな、だが何と感動的な情景だろう。あのおばあさんは(二人は長い間の隣同士であった)、まるであの音、あの絃につながれてでもいるように、窓から離れてゆく。途方もない音だがそれがあのおばあさんと何か関係を持っているのだ。下へ、下へと、瞬間を厳かなものにしながら針先は日常茶飯事の奥底に落ちてゆく。おばあさんはそう強いられているのだ、とクラリッサは空想した、あの音のために、動くことを、立ち去ることを――でもどこへ? 老人が曲がって消えてゆく姿を眼で追おうと努めたクラリッサは、寝室の奥になお動く白い帽子を認めることができた。老人はまだあの部屋の向こうの端で動きまわっていた。教義が、祈祷が、防水外套が、一体何だと言うの? とクラリッサは思った、箪笥から化粧台のほうへ歩いてゆく姿がまだ見えるあのおばあさん、あれこそ奇蹟であり神秘であるのに。まだあの姿が見える。そして至上の神秘――キルマンはそれを解いたと言い、あるいはピーターは解いたと言うかも知れないが、このクラリッサには二人ともそれを解いたとはいっこうに信じられない至上の神秘。それは単にこうだ、ここに一つの部屋がある、あそこにもまた一つあると。宗教にそれが解けるかしら。それとも恋愛に?
恋愛は――しかしそうと思ったとき、別の時計が、いつもビッグ・ベンより二分おくれて打つ時計が、前垂れにいろいろと寄せ集めを抱えこんで、あたふたとやってきてどさり投げおろし、ビッグ・ベンが威容堂々と、荘重にまた厳正に断を下すのは結構だけれど、自分としてはこまごました雑事の一切、マーシャム夫人とかエリー・ヘンダスンとかアイスクリームのコップとかを忘れるわけにはいかないと言わぬばかりに――こまごました一切の物事が、海面にべたっと横たわる金の延べ棒のようなあの厳粛な時を打つ音のこだまに乗って、氾濫し蔽いかぶさり舞いおどりながら入りこんで来た。マーシャム夫人、エリー・ヘンダスン、アイスクリームのコップ。私はすぐ電話をかけなければ。
滔々《とうとう》と、物さわがしく、鳴りおくれた時計はビッグ・ベンの響きに乗って、前垂れにがらくたをいっぱい包みこんで乗りこんで来た。殺到する乗用車、乱暴な貨物自動車、無数のいかついた男たち、きらびやかな女たち、我先勝ちの前進、官庁病院の円屋根や尖塔、それらによって襲われ砕かれ散らされて、この前垂れに寄せあつめたものを一杯にした時計の音の最後の余韻は、力尽きた波の飛沫のように、しばし往来にじっと立ちつくして「肉の誘いだ」とつぶやくミス・キルマンの身体の上に砕け散ったかと見えた。
肉の誘いを克服しなくちゃならないのだ。クラリッサ・ダロウェイはわたしを凌辱した。もちろんそれは覚悟していた。でもわたしは凱歌を奏することができなかった。肉に打ち克てなかった。醜く不恰好で、と、クラリッサはそう言って笑ったのだ。そうしてあの女は肉の欲望をふたたびよみがえらせた。なぜならわたしはクラリッサの傍らでそうしたように、こうして自分の姿を気にしている。でもあんなふうな口をきくことはできない。でも、何であの女に似たいと思うか? 何で? わたしは腹の底からダロウェイ夫人を軽蔑してやる。あの女は真面目でない。親切気がない。あの女の生活は虚栄と欺瞞の連続だ。それだのにドーリス・キルマンは負かされてしまったのだ。クラリッサ・ダロウェイに笑われたときは、ほんとうに涙にむせびそうだった。「肉の誘いだ、肉の誘いだ」と彼女はつぶやきながら(声に出して言うのが彼女の癖だったので)ヴィクトリア街を歩いてゆき、そうすることによってこの湧きかえる苦痛の感情を鎮圧しようとした。彼女は神に祈った。不恰好なのは仕方がない。美しい着物を買うだけの余裕はないのだから。クラリッサ・ダロウェイは嘲笑した――でもあのポストに近づくまでは、何か別のことに心を集中しよう。とにかくエリザベスは手に入れたのだ。しかし、何かほかのことを考えよう。ロシア人のことを考えよう。ポストのところに行きつくまでは。
田舎にいたらどんなに素敵だろう。そう思いながら彼女はウィテイカー氏に教えられたように、この侮辱――見るに耐えない彼女の無愛嬌な肉体にくわえた罰を手始めとして、彼女を侮蔑し冷笑しそして抛り出した世の中に対するあのはげしい鬱憤と戦おうとした。髪をどんなに工夫してみても、額は卵のようにつるつるで白いまんまだ。どんな着物を着たって似合いはしない。何を買ってみたところで同じことだ。そうして女にとって、もちろんそのことは、異性との接触がないことを意味している。どんな男とも近づきになることはないだろう。このごろときどき、エリザベスのことを別としたら、ただ食物のために生きているような気がすることがある。飲食の慰め、夕食、お茶、夜中の茶沸かしのために。しかし戦わなくちゃならない。打ち克って、神への信仰をもたねばならない。ウィテイカー氏は、あなたは無駄に生きているのではありませんよと言った。でもこの苦悶は誰にもわかりはしない! あの人は十字架のキリストを指さしながら、神はご存じですよと言った。でもなぜわたしは、クラリッサ・ダロウェイのような、他の女どもが苦しまずに済むことを苦しまねばならないのだろう。知識は受苦ののちに得られるものです、とウィテイカー氏は言うのだけれど。
ポストはもう通りすぎていた。そして彼女が、知識は受苦ののちに得られると言ったウィテイカー氏の言葉や肉の誘いについてなおひとりつぶやいているあいだに、エリザベスは陸海軍百貨店の涼しげな褐色をした煙草売り場に入りこんでいた。「肉の誘い」と彼女はつぶやいた。
何売り場へいらっしゃるの? エリザベスは彼女をさえぎった。
「ペティコートよ」彼女はだしぬけに言って、まっしぐらにエレヴェーターのほうへ大股に歩みよった。
二人は昇っていった。エリザベスはあちらへこちらへ引きまわし、大きな赤ん坊か、扱いに骨が折れる軍艦か何かのように放心状態でいる彼女を案内した。そこには鳶色のや、上品なのや、條の入ったのや、下らないのや、作りがしっかりしたのや、安っぽいのや、種々様々のペティコートが並んでいた。そして彼女はまだぼんやりした様子で、しかつめらしい様子で品選びをした。相手の女店員は気狂いかと思った。
エリザベスは店員が包みをこしらえているあいだ、ミス・キルマンは一体何を考えているのだろうと、少しばかり気になった。お茶を飲まないことには、ミス・キルマンは元気をとりもどし我に返りながら言った。二人はお茶を飲んだ。
エリザベスは、ミス・キルマンはお腹が空いているのかしらと、少し気になった。猛烈に吸いあげ、それから再度ならず隣のテーブルの皿に載った砂糖入りケーキを眺める、その態度。そして婦人と子供が腰かけ、その子供がケーキを口に入れたとき、ミス・キルマンはほんとうにあれが食べたいのかしらとエリザベスは思った。そう、ミス・キルマンはそれが欲しかったのだ。彼女はそのケーキを食べたかった――ピンク色のケーキを。食べる楽しみが彼女に残されたほとんど唯一の楽しみであり、だからそんなことにも気持ちが乱れるのだ!
幸福な場合に人間は貯えをするのです、と彼女はエリザベスに言ったことがあった、利子を生もうとしてね。ところがわたしときたらタイアのない車輪みたいに(彼女はそんな譬喩を好んだ)どんな石ころにでもがたがた揺られて――そんなふうにレッスンのあとで居残って、彼女はよく語った。「学生カバン」と自ら称している書物入れを持ったままストーヴの飾り棚の前に佇みながら、火曜日の午後のレッスンが終わったあとで。そして彼女はまた戦争のことも話題にした。要するに、英国人はいつも正しいとは考えていない人間もこの世の中にはいるのですよ。いろいろな書物があり、いろいろな会合があります。別の見方だって存在するの。誰々(きわめて風変わりなある老人)の話を聞きにいっしょに行かないこと? そう言ってミス・キルマンは彼女をケンジントンのある教会に連れて行き、牧師といっしょにお茶を飲んだ。彼女はエリザベスに書物を貸し与えた。法律、医学、政治、あらゆる職業があなたの年代の女性のために開放されているのだ、とミス・キルマンは言った。でもわたしはと言えば、わたしの一生は台無しだったけれど、それはわたし自身の咎かしら? あらまあ、とエリザベスは言った、そんなことなくってよ。
そして彼女の母は、ブアトンから詰め籠が届きましたとか、ミス・キルマンは何か花がお好きでしてとか、そんなことを言いにやって来るのだった。ミス・キルマンに対していつも非常に、非常に優しくした。ところがミス・キルマンは貰った花をみんないっしょくたに束ねてしまい、一寸した話もしようとせず、ミス・キルマンが興がることはすべて母をうんざりさせた。そしてミス・キルマンと母がいっしょだと空怖ろしかった。そうしてミス・キルマンは肥えていて、とても不器量だ。でもミス・キルマンはおそろしく頭がいいのだ。エリザベスは貧乏人のことなぞは考えたことがなかった。何一つ不自由のない生活なのだ――母は毎朝寝床で朝食をとり、ルーシイがそれを運んでいく。そうして母は年寄りの女が好きだ、公爵夫人であるとか実家が貴族だとかいう理由で。でもミス・キルマンは言った(火曜日のあるレッスンが済んだあとで)、「わたしの祖父はケンジントンで油絵具商をしていました」ミス・キルマンはわたしの識り合いの誰ともまるっきり違っている。相手に肩身の狭い思いをさせるのだ。
ミス・キルマンはもう一杯紅茶を飲んだ。エリザベスは東洋的な挙止に測りがたい神秘さをたたえて、真っ直ぐに坐ていた。いいえ、わたしもう何も欲しくないわ。彼女は手袋を探した――彼女の白い手袋を。それはテーブルの下にあった。あら、でも行ってしまっては駄目! ミス・キルマンは彼女を行かせたくなかったのだ! このきわめて美しい青春を。彼女がほんとうに愛しているこの少女を。彼女の大きな手がテーブルの下で開いたり閉じたりした。
でもそれじゃああんまり露骨だろう、とエリザベスは感じた。ほんとうに行きたいのだけれど。
「でも」とミス・キルマンは言った、「まだ済まないのよ」
もちろん、それなら、エリザベスは待つわ。でもここは少し息がつまるわ。
「今夜の会に出るのでしょう?」ミス・キルマンは言った。エリザベスは出ることになるだろうと思った、母が出したがっているから。宴会に夢中になっては駄目よ、ミス・キルマンはそう言いながら、チョコレート入りエクレアの食べ残しをつまみ上げた。
わたしは宴会はあまり好きじゃないわ、とエリザベスは言った。ミス・キルマンは口を開け、軽く顎をつき出してエクレアの食べ残しを呑み下すと、指を拭い、そして茶碗の中のお茶をゆすぶった。
わたしはばらばらに千切れてしまいそうだ、と彼女は思った。こんなにもひどい苦悶を味わわされて。この娘をしっかりつかまえられたら。抱き締めることができたら。この娘を絶対永久に自分のものにして、それから死ねたら。それだけがわたし望みなのだ。でもわたしはここに坐ったまま、何にも言うことができずにいる。エリザベスが反抗しようとするのをただ眺め、この少女にさえも嫌われていることを感じさせられて――あんまりだわ。とても我慢ができない。太い指さきが内側に曲げられた。
「わたしは宴会に行ったことがありません」ミス・キルマンは、エリザベスに行かせたくない一心で言い出した。「誰も宴会に招んでくれないのです」――彼女はそう言いながらも、この自我中心主義こそ自分を滅ぼすものであることを承知していた。ウィテイカー氏にも警告を受けたことがある。でもわたしにはどうにもならないのだ。こんなにもひどく苦しんで。「どうしてわたしを招んでくれるでしょう?」と彼女は言った。「わたしは不器量です、不幸な人間です」ばかげた真似であることは承知の上だった。しかし通行人たちのせいなのだった――彼女を軽蔑して通る、買い物包みを持った人たち――彼らが彼女にそれを言わせたのだ。でも、わたしはドーリス・キルマンだ。学士号もとっている。独力で自らを築き上げた女なのだ。近代史の知識は相当以上のものだ。
「わたしは自分を憐れとは思いません」と彼女は言った。「憐れと思うのは」――「あなたのお母様です」と言いたいが。でもできない、エリザベスにそう言うことは。「わたしはそれ以上に、わたし以外の人間を憐れみます」
訳も知らずに門口に連れて来られた唖の動物が、走り去ってしまいたいと思いながら立ちつくしているように、エリザベス・ダロウェイは黙って坐っていた。ミス・キルマンはまだ何か言おうとするのかしら。
「わたしのことを忘れっきりにしないでね」とドーリス・キルマンは言った。彼女の声は震えていた。一散に野の果てめざして唖の動物は戦慄しながら走り去るのだ。
大きな手は開かれたり閉じられたりした。
エリザベスは頭を振った。給仕女がやって来た。お勘定はデスクですのよ、とエリザベスはそう言って起ちかけた。ミス・キルマンは自分の肉体の最奥部が引き出され、部屋を横切りながら少女が、それをひろげてゆくように感じた。それから少女は、美しい身を一ひねりすると、きわめて丁寧に頭を下げ、そして去っていった。
いってしまった。ミス・キルマンは大理石のテーブルにエクレアに囲まれて坐りながら、一度、二度、三度までも襲いかかる苦悩に悩まされた。いってしまった。ダロウェイ夫人に凱歌はあがった。エリザベスは去ってしまった。美は去った、青春は去ってしまった。
彼女はそうやって坐っていた。やがて座を立ち、あちらこちらよろめきながら、小さなテーブルの間をうろつき歩いていると、誰かがうしろから彼女のペティコートの包みを持って追っかけて来た。彼女は道に迷って、印度行きに特別に製造された旅行鞄のあいだに閉じこめられ、つぎには分娩セットと赤ん坊用リネン類のあいだにはまりこみ、ありとあらゆる日用品、消耗品や永久品、ハム、薬品、花、文房具、匂いのいい香り、酸い香りのあいだをよろめき歩き、帽子を斜めに持ち、顔を真っ赤にして、よろめき歩く自分の全身が鏡にうつるのを眺め、さて最後に通りに出た。
ウェストミンスター伽藍の塔が、神の宮居《みやい》となって立ちあらわれた。往来の唯中に神の宮居があった。彼女は包みを下げてどたどたと、第二の聖所である教会堂〔これがウェストミンスター寺院〕にむかい、そこに着くと、テントのように両手を前に上げ、ここに追いやられた人々の傍らに自らもその一人として坐った。ごっちゃに寄り集まった参詣者たちは、いまや身分の高下を失い、ほとんど性別さえ失くして、手で顔をおおっていた。がしかし、一旦動きはじめると、一瞬敬虔だった中産階級の英国男女も、あるものは蝋細工〔寺院北門寄りにあり、英国諸王をかたどる〕を見物しようと望みはじめるのだった。
しかしミス・キルマンは顔をテントで蔽っていた。彼女ひとり取り残されたと思うと、また仲間が加わった。新しい参詣人が散歩者に代わって通りから入り込んで来たが、彼らがなおあたりを見まわし、無名戦死者の墓の前をそろそろと行き過ぎる頃にも、なお彼女は指さきで目を蔽い、この二重の闇のなかで、というのは教会堂の霊光には実体がなかったからだが、彼女は自ら虚栄、欲望、凡俗を越えて高くあこがれ、憎しみや愛から身を脱しようと努めていた。彼女は急に手を引いた。なおも努力しているように見えた。しかも他のものにとっては神は近づき易く、その道は平坦だった。退職大蔵官吏フレッチャー氏や、有名な勅選弁護士未亡人ゴーラム夫人は、易々と神に近づき、祈りを済ませると、そり返って、言葉を愉しみ(オルガンは美しく響いた)、そして席の端に、なおしきりに祈って彼らの冥府の入口になお佇んでいるミス・キルマンを見いだし、同じ境をさまよう霊魂の一人としてこれに同情をそそいだ。物質的要素から切り離された霊魂として。女ではなく霊魂として。
しかしフレッチャー氏は去らねばならなかった。彼女の前を通らなければならなかったが、寸分の隙もないほどにさっぱりした服装をしていたこの男は、この貧しい婦人の乱脈な様子、ばさり垂らした髪、床の上の包みをながめ、些か悲しまずにはいられなかった。彼女はすぐに彼を通してはくれなかった。しかし、立ちどまった彼が自分の周囲を眺め、白い大理石を眺め、鼠色の窓硝子を眺め、うず高い珍宝を(彼はひどくこの教会堂を誇りにしていたのだった)眺めていると、彼女の巨体、彼女の逞しさ、ときおり膝を移しながらいつまでも坐っているその精力が(彼女の神への接近はかくも粗野で――彼女の欲望はかくも一徹であった)、いま彼に感動を強いるのだった。さきにダロウェイ夫人を感動させ(夫人は午後じゅうずっと彼女のことを考えずにはいられなかった)、エドワード・ウィテイカー師を感動させ、エリザベスをも感動させたように。
そしてエリザベスはヴィクトリア街でバスを待っていた。外出しているのはとても楽しかった。たぶんまだ家に戻らなくてもいいだろうと彼女は考えた。大気の中にいることはとても楽しかった。だから彼女はバスに乗ろうと思った。そして仕立ての立派な服を着て彼女がそこに立っていると、もう既に始まっていた。……行人は彼女をポプラの木に、東雲《しののめ》に、ヒヤシンスに、小鹿に、流れる水に、庭さきの百合の花になぞらえ始めた。それは彼女に生活を重荷と感じさせることがらだった。彼女は田舎にひとりでいて、好き勝手なことをしているのが好きなのに、人々は彼女を百合になぞらえようとしたから。そしてまた宴会にも出なければならず、田舎で父と犬とだけを相手に暮らしているのにくらべ、ロンドンはきわめて殺風景だったから。
バスは急にやって来て停車し、また走っていった――赤と黄いろのワニス塗りがつやつや光る、美装したキャラヴァンの群れは。でもわたしはどこ行きに乗ろうかしら。別に希望はなかった。もちろん、彼女は押し合ったりはしなかった。ともすれば受身になりがちだった。彼女に欠けているのは表情だったが、眼は美しく、支那的で、東洋的で、そして母親が言ったように大そうきゃしゃな肩つきで、すらっとしていて、いつも彼女を眺めるものを魅惑した。そして近頃は、ことに夜なぞ、彼女が何かに心をひかれていると、昂奮の色なぞいっこう示さなかったが、ほとんど美人と言ってもよく、非常に品があり落ち着いて見えた。一体何をこの娘は考えているのだろう。彼女を見る誰もがうっとり眺め入っているので、彼女はまったくうんざりさせられた。あれが始まったのだ。彼女の母親にはそれがわかった――お世辞が始まったということが。彼女がいっこうそれに対し心を用いないことは――例えば着る物がそうだが――ときどきクラリッサを当惑させた。しかしそれはおそらく犬ころや天竺鼠《てんじくねずみ》のジステンバーと同じことで、かえってそれが彼女に魅力を添えた。ところでミス・キルマンとの間の奇妙な友情ということがある。そうだ、とクラリッサは午前三時ごろ、眠られぬままにマルボー男爵に読みふけりながら思った、それはあの子に愛情のある証拠なのだ。
急にエリザベスは足を踏み出し、正当の権利をもってみんなに先立ってバスに乗った。彼女は二階に席を占めた。慓悍《ひょうかん》な動物――海賊船――は走り出し、疾走した。彼女は身を落ち着けるために手摺を持たなければならなかった。何にしても海賊船であって、向こう見ずで、無遠慮で、容赦なく襲いかかり、危険な出し抜きをやり、大胆に乗客をひっさらい、あるいは通行人を無視し、鰻のように押し進み、強引に割りこみ、やがて帆をいっぱいにはらんでホワイトホールめざして傲然と突進していった。しかしエリザベスは、嫉妬心をまじえずに彼女を愛し、彼女を野の小鹿とも、林間の小径を照らす月とも考えている、貧しいミス・キルマンのことを、少しでも考えただろうか。自由であることは彼女にとってよろこばしかった。爽やかな空気はとても愉しかった。陸海軍百貨店はとても息づまりがした。ところが今は馬に乗ったように、ホワイトホールに突進してゆくのだ。バスが揺れるたびごとに、鹿毛色の上衣を着た美しい体躯は、騎手のように、船の船首飾りのように、微風になぶられながら軽く揺りうごいた。熱気は彼女の頬に白塗りの木材のような蒼白さを与えた。そして彼女の眼は視線を合わす人もないままに、事もなげに、晴れやかに、彫刻のように信じがたいほどの無垢な凝視をもって、前方を見つめていた。
ミス・キルマンがあんなに気むずかしいのは、しょっちゅう自分の苦しみの事を話題にしているからだわ。でも間違っていないかしら。委員会に出て毎日々々何時間も費やして貧しい人たちを救うことを考えることだったら、お父様は(ロンドンにいるとほとんど顔を見ることもない)いつもそうしているわ、ちゃあんと――もしミス・キルマンがクリスチャンたることの資格はそうだというならば。でもむずかしくて分からないわ。ああわたし、もう少し遠くまで行きたいな。ストランドまではもう一ペニィ出せばいいの? じゃあ、もう一ペニィ。ストランドまで行くことにしましょう。
わたしは病気をしている人が好き。それにミス・キルマンは、あらゆる職業があなたがたの年代の女性の前に解放されているって言ったわ。だからわたし、医者にもなれるわ。お百姓にだっても。動物はよく病気をするわ。一千エーカーの土地を持って、大勢の人を使うの。小屋へ訪ねていってやりましょう。あら、マサセット会館ね。わたしたちはとっていいお百姓にだってなれるんだわ――そう思えたのは、大へん妙な話だが、ミス・キルマンも関係はあったが、ほとんど全くサマセット会館を眺めたせいであった。とても素晴らしくとても荘厳に見えたのだ、その鼠色の大きな建物が。そして彼女は人間が歩いているという感じが好きだった。彼女はストランドの流れにそって立つ、灰色の紙細工のような形の教会の連なりが好きだった。ここはウェストミンスターとはまるで感じが違うわ、と彼女はチャンセリ・レイン〔法院横町の意〕で車を降りながら考えた。とっても真面目で、とっても忙しそうで。要するにわたしは一つの職業をもちたいのだ。医者になりたい、お百姓になりたい、必要と考えたら議会にも出たい、それもストランドがあるがために。
忙しく活動している人々の足どり、石を敷く人々の手つき、つまらぬおしゃべりでなしに(女をポプラになぞらえたりして――ちょっと面白いけれど、大へん愚かなことだ)たえず船や商売や法律や行政に心を用い、しかも厳めしく(彼女はいまテムプルの中にいた)、陽気に(そこにはテームズ河が流れていた)、敬虔に(そこにはまた教会があった)そうしたことに専念している人々は、彼女に固く決心させるのだった。お母様がどう反対しようとお百姓か医者になろう。しかしもちろん、どちらかというとわたしは怠け者なのだ。
それについては何も言わないほうがましだろう。きわめてばかげたことなのだ。時として、人がひとりでいるとき、そんなことがあるものなのだ――設計者の名前のないビルディングや、都心から戻って来る人々の群れが、ケンジントンの一介の牧師よりも、ミス・キルマンが彼女に貸し与えたどんな書物よりも強い力をもって、心の砂底にいぎたなく内気に眠りをむさぼっているものを刺戟し、子供がとつぜん両手を伸ばすように表面をかき乱す、おそらくちょうどそれと同じことで、吐息や差し伸べた腕や、衝動や啓示などは、永久的な効果をもつにはもつが、やがてそれは力衰えて、砂底に沈んでしまったのだ。わたしはもう戻らなくちゃ。夜会のためのドレスを着なくては。でも一体何時だろう――時計はどこかしら。
彼女はフリート街を見上げた。セント・ポール寺院に向かってほんの少し歩いた。内気に、ちょうど夜中に蝋燭をもって不思議の家を探険に行き、寝室のドアを蹴って飛び出した家の主に何しに来たと詰問されるのを怖れて、爪先立って歩く人のように。そして彼女はあえて奇妙な露路や心惹かれるような横町に迷いこもうとはしなかった、不思議な家で、寝室のドアか茶の間のドアかそれとも食物置き場に通じるドアが開いても、そこから入って行こうとしないように。ダロウェイ家の人間でストランドに毎日通って来るものはいなかったから。彼女は先駆者であり、冒険と空想を胸に抱いた迷児であったから。
いろいろの点で、と彼女の母親は感じていた、この子はひどく未熟で、まだほんの子供で、人形やスリッパのお古に愛情を感じている。まったくのねんねえで、それがまた魅力的なのだ。だがもちろん、ダロウェイの一門には公共奉仕の伝統があった。尼僧院長、女学長、女学院長、女の社会のいろいろの顕職――どれにしても華々しいものではなかったが、こうした地位に就いていた。彼女はセント・ポール寺院の方向にいま一歩侵入していった。彼女はこの喧騒のもつ温かさ、姉妹らしさ、母親らしさ、兄弟らしさが気に入った。それが彼女にとっては楽しいものに思えた。騒音は非常なものだった。だしぬけに喇叭《らっぱ》の音がし(失業者の)、この喧騒の中に鳴りわたり鳴りひびいた。それから軍隊の音楽。人々が行進しているみたいに。けれども死んでゆく人々もあったのだ――ある女が最後の息を引き取ったとすれば、看護をつづけて来たものが誰にもせよ、女がいま最も荘厳な行為をなし終えた部屋の窓を開け放って、フリート街を見下ろしたなら、あの喧騒、あの軍隊音楽が、慰問するようにしかもよそよそしげに、凱歌のひびきとなって耳に聞こえて来るのを感じることだろう。
あのひびきには意識はない。人間の運命や宿命を認識していない。だが、そのためにかえって、死んでゆくものの面上にうかぶ最後の意識のわななきを見終えてなおも眼を霞ませている人にも、慰めを与えることができるのだ。
人間の忘却はこれを害《そこな》い、忘恩は蝕《むしば》むかもしれぬ。〔シェイクスピア作『お気に召すまま』第二幕第七場〕けれど年とともに絶え間なく流れ出るこの声は、何ものにもあれ一切を、この誓いを、この馬車を、この生命を、この行進を、引きさらってゆくのだ。逆巻く氷河の流れのなかを氷が、骨のかけらを、青い花びらを、樫の木を抱きこみ、それらを押し流してゆくように、すべてを巻きこみさらってゆくだろう。
しかし時間は思ったよりも遅い。お母様はこんなふうにひとりでぶらついているのを気持ちよく思わないだろう。彼女はストランドのほうに足を返した。
一陣の風が(この暑さにもかかわらず、たしかに風があった)薄い黒のヴェールのように、太陽にむかい、ストランドにむかって吹きつけた。行人の顔は曇り、バスはとつぜん光沢を失った。雲は白銀の嶺のような姿を帯び、手斧をふるってその堅い感じを削りとったかとも思われ、またその山腹のあたりには広々とした黄金いろの斜面が、天上楽園の芝原を思わせて伸びひろがり、そして天上の神々の会議のために構築されたかのようなあらゆる永久的な外観を呈していたにもかかわらず、雲間にはたえず動きが見られたのだった。合図が交わされると、すでに取りきめられているある計画を成就しようとするかのように、ある頂上がくずれたり、いままでは不変の位置を保って来た大きなピラミッド型が中央部に突進したり、またあるいは第二のかかり場を求めて荘重に前進したりした。一見雲はそれぞれの位置に固着し、完全な合意の下に安定しているように見えたが、雲のように白くまた金色に輝くその表面ほどに、溌剌として自由であり、敏感さをよく表すものは凡そありえず、この厳かな集合を変えること、去らせること、解体することも即座に可能ではあった。そして厳めしい不動と層なす強健さと堅固さとにもかかわらず、雲はときにおうじて光をまた影を大地に投げかけた。
静かに順序にしたがって、エリザベス・ダロウェイはウェストミンスター行きのバスに乗りこんだ。
眼の前の壁を灰色にし、バナナを鮮黄色にし、またストランドの街上を灰色にし、バスを鮮黄色にする光りと影は、居間の長椅子に坐っているセプティマス・ウォレン・スミスの眼には、それが絶えず去来してはさしまねき合図をしているもののように映じた。薔薇の花のうえに、壁紙のうえに、何か生きたもののようにおどろくばかりの感度をもって明滅してみせる、おぼろな金色の光線を彼は眺めていたのだ。戸外の木々は深い大気のなかに、網打つようにその葉を引きずっていた。水音が室内に起こり、波動をとおして小鳥のさえずり声が聞こえて来た。あらゆる力が彼の頭上に秘宝を降りそそいだ。その片手をいま、波頭に乗って泳ぎ漂いながら見たそのように、長椅子の背に横たえていると、遥かな岸辺から犬どもの遠吠えの音がしきりに聞こえる。な恐れそ、と肉体のなかで心が言う、な恐れそ。
俺は恐れはしないぞ。刻一刻ごとに造物主は示顕の意志を表示するのだ――そら、そら、そら――壁のぐるりをめぐって踊るあの金色の斑点のように、可笑しな暗示を用いて。羽根飾りを打ち振り、髪の毛をゆるがし、美しく、たえず美しく、身にまとうマントをうちひろげて。そして寄り添いながら、うつろなその手をとおして、シェイクスピアの言葉を、造化みずからの意図を囁きかけるのだ。
レチアはテーブルに向かって手さきで帽子を編みながら、彼を見守り、彼の微笑をながめた。じゃあ幸福なのね。でもわたしはこの人の微笑を見るとたまらない気がするわ。そんなのって結婚生活じゃないわ。あんなふうにふしぎな様子をして、しょっちゅうおどろいたり、笑ったり、何時間も黙って坐っていたり、わたしにしがみついたり、口で言うことを筆記させたりするなんて。そんなの良人らしいとは言えないわ。テーブルの抽き出しにはそうした書きものがいっぱい詰まっている。戦争のことだの、シェイクスピアのことだの、偉大な発見のことだの、死は存在しないだのといったことについての。この頃は訳もなく急に昂奮し出して(ホームズ博士もサー・ウィリアム・ブラッドショーも、昂奮するのは一番悪いことだって言ったわ)、両手を振りながら、俺は真理を知っているぞ! 何でも知っているぞ! と叫び立てるのだ。あの男が、戦死した仲間のエヴァンズがやって来た、と言うのだ。あの男がつい立の蔭で歌っているって。わたしは言うとおりの言葉を書きとめた。とても美しい言葉もあった。まるっきりのでたらめもあった。そうしていつも気が変わって、途中で止めてしまう。そうして何か言い足そうとする。何か新しいことを聞きつける。手を上げてじっと耳を澄ます。でもこのわたしには何にも聞こえないのに。
いつだったか、部屋を掃除する娘が紙切れの一枚を読んでどっと噴き出しているところを見つけた。とんでもない不幸だった。セプティマスは人間の残酷さ――お互いをずたずたに裂きあう悲惨を喚き立てた。落伍した者は、とそう言うの、引き裂かれてしまうって。「ホームズがのしかかって来る」とそう言って、ポリッジを啜るホームズとか、シェイクスピアを読むホームズとか、ホームズについていろいろな作り話をして聞かせた。――自分で自分を笑わせたり、かっと怒ったりしたのは、ホームズ博士が何か怖ろしいものの象徴に思えたからなんだわ。「人間性」とあの人のことを呼んでいるの。それからまた、いろいろの幻を見た。溺れてしまう、とよく言ったわ、溺れ死んで鴎が頭の上で鳴き立てている崖の上に横たわっているのだって。断崖と思いこんで長椅子から下の海をのぞきこんだりして。でなければ、音楽が聞こえて来たり。実は手風琴だったり、通りで誰かが叫んでいるだけなのに。それでもよく「すばらしい!」と叫んで、頬に涙を伝わらせるのだけど、これほど怖ろしいことはないわ。戦争をして来た、勇敢な、セプティマスのような人が泣くなんて。そうして横になりながら聞き耳を立てているうちに、急に叫び出す。落っこちる、焔の中に落っこちてしまう! 実際、焔はどこかと思わずきょろきょろするほど、真に迫った叫びだわ。でも、何にもありはしない。部屋の中に二人でいるだけ。夢なのよって言いきかせて、しまいには鎮まらせるけれど、ときにはわたしまで怖くなってしまうわ。彼女は坐って縫い仕事をしながら、吐息をついた。
彼女の吐息は、戸外《そと》の森を吹いてすぎる夜風のように優しく、魅惑的だ。鋏を下に置くかと思うと、こんどはテーブルの上の何かを取ろうとして振り向く。かすかな気配、かすかな衣擦《きぬず》れの音、かすかにことこという音が、あそこに、彼女が坐って縫い物をしているテーブルの上に何かを築いてゆく。彼女のぼんやりした輪郭、小柄な黒服姿、顔と両手、テーブルに坐りながら身を動かして糸巻きを取り、あるいは絹布をさがす(彼女はものを忘れて失くしがちだ)そんな動作が、睫毛ごしに霞んで見える。いま造っている帽子はフィルマー夫人のもう結婚した娘のだ――名前は忘れてしまったが。
「フィルマー夫人の結婚した娘さんは何て言ったかな?」
彼は訊ねた。
「ピーターズ夫人よ」レチアは言った。小さすぎなければいいけれど、と彼女は帽子をつき出しながら言った。ピーターズ夫人は大柄なの。でもわたしあんまり好きじゃないわ。ただフィルマー夫人がとても二人によくしてくれるので――「今朝ね、葡萄を頂戴したわ」と彼女は言った――レチアは何か二人の感謝の意をあらわしたかったのだ。先だっての晩、部屋に戻って見ると、二人が不在だと思ってピーターズ夫人は蓄音機をかけていたわ。
「それ本当かい?」彼は訊ねた。あの人が蓄音機をかけていたって? そうよ。彼女はそのときのことを話して聞かせた。ピーターズ夫人が蓄音機をかけていたことを。
彼は用心深く目を見開いて、蓄音機が実際にその場にあるかどうかたしかめようとした。しかし実在のものは――実在のものは刺激が強すぎるのだ。用心しなくては。気狂いになるのは困る。最初、彼は低いほうの棚の型紙を眺め、それからだんだんと緑いろのラッパのついた蓄音機のほうに目を移していった。これ以上確かなものはない。そこで彼は勇気をふるって脇戸棚を眺めた。バナナの入った皿、ヴィクトリア女皇と皇婿の版画、薔薇の花瓶を置いてあるストーヴの飾り棚。どれ一つ動いてはいない。みんなじっとしている、みんな実在している。
「あの女ったら口が悪いのよ」とレチアが言った。
「ご亭主は何をやってるんだい?」セプティマスは訊いた。
「ええっと」とレチアは言って、思い出そうとつとめた。フィルマー夫人の話だと、どこかの会社の外交員だったと思うわ。「いまちょうどハル〔イングランド北東部、ヨーク州にある港市〕にいるのよ」と彼女は言った。
「いまちょうど!」イタリア調だ。自然に訛りが出たのだ。彼は眼をおおって、彼女の顔が、鼻、それから額というふうに、ほんの一部分だけが見えるようにした。不具に見えたり、怖ろしい傷痕でも見えたら大変だと思って。しかし彼女は自然のままの姿で、女が縫い物をしているときよくやるように唇をすぼめて、じっと動かない憂鬱な表情をして、そこにいた。しかし何も怖ろしい感じはない。彼女の顔を、手を、二度三度みつめて、彼はそう確信した。昼日中坐って縫い物をしている彼女の姿に、怖ろしげな、むかつくような感じがあるだろうか。ピーターズ夫人は口の悪い女だ。その亭主はいまハルにいる。腹を立てたり予言を述べたりすることはないじゃないか。鞭打たれ追われて、逃げ出す道理があるだろうか。雲を見て震えたり泣いたりする必要があるか。なぜ真理を求めたり託宣を語ったりするのか。レチアは着物の胸にピンをさして坐っているし、ピーターズの亭主はハルに行っているのに? 奇蹟、啓示、苦悶、孤独の数々は、海に転落し、火焔の中に墜落し、燃えつきてしまうのだ。ピーターズ夫人の麦藁帽子に縫い飾りをしているレチアを眺めながら、俺は花模様の上掛けのことを考えているのだ。
「ピーターズ夫人には小さ過ぎるよ」セプティマスは言った。
何日目かで、やっといつもの調子で話し出したわ! もちろんそうね――ばかに小さいわ、と彼女は言った。でもピーターズ夫人の御註文なの。
彼は妻の手からそれを受け取った。風琴ひきが連れている猿の帽子みたいだと彼は言った。
どんなにその言葉を彼女は悦んだことか! 何週間というもの、二人はこうして笑い、夫婦らしく内密で何かを嘲笑してよろこぶことをしたためしがなかった。彼女はこう思ったのだった――もしフィルマー夫人が入って来ても、娘のピーターズ夫人が入って来ても、セプティマスと二人で何を笑っているのか見当がつかないだろうと。
「ほうらね」彼女は帽子の片側に薔薇の造化をピンでとめながら言った。こんな幸福を味わったのは始めてだわ! 生まれてはじめてだわ!
それじゃなお可笑しいよ、とセプティマスは言った。可哀そうにあの女、今度は市場の豚みたいに見えるぜ。(セプティマスほどにわたしを笑わせてくれる人はないわ)
その針箱には何が入っているんだい? リボンと数珠玉と総《ふさ》と造り花とが入っているの。彼女はテーブルの上にそれをざあっとあけた。彼は風変わりな色を組み合わせはじめた――手さきが利かず、包みを結ぶことさえもできなかったが、すばらしく彼は眼が利いて正しい眼識ぶりを見せ、もちろん時にはばかげた真似もするが、時おりはすばらしく当を得ていた。
「美しい帽子ができるぜ!」帽子のあちこちをつまみながら呟くそばに、レチアは膝をつきながら、肩ごしにのぞいた。出来たぞ――と言っても下図だが。縫い合わせなければいけない。でもよほどよく注意しなきゃ駄目だよ、と彼は言った、僕がしてやったとおり動かないようにさ。
そこでレチアは縫いはじめた。縫っている音が、と彼は思った、炉格子《ろごうし》にかけた薬缶《やかん》の音と似ているな。ぶくぶく、ぶつぶつ、いつも忙しそうに、頑丈なその小さな指さきで摘んだりつついたり。針は真っ直ぐにさっと通る。太陽は総《ふさ》の上や壁紙の上に差したり消えたりするかもしれないが、しかし俺は待っていよう。彼は両脚をひろげ、長椅子のはしの、横縞の入った自分の靴下を眺めながら、そう思った。俺はこの暖かな場所、静かな気流のなかで待とう。ときおり夕方などに森のはずれにやっと来ると、地盤の沈下か、それとも木と木の配合の具合のために(何はさておき科学的であることが大事だ)、暖かさがなお消えやらず、小鳥の翅のように空気が頬を打ってくる、あれに似た場所で。
「ほら出来上がった」レチアは言って、ピーターズ夫人の帽子を指さきでくるくる廻した。「さしあたりこれでいいわ。いずれあとで……」彼女の言葉は、出っぱなしの栓口からまだ垂れ残っている雫のように、ぽたぽた、ぽたぽたと泡を立てて消えた。
すばらしい。こんな得意な出来栄えは始めてだ。正に本物だ、実に大したものだ、ピーターズ夫人の帽子は。
「まあちょっと、ご覧よ」彼は言った。
そう、この帽子を見るたびにわたしは幸福な気持ちになるだろう。この帽子を造ったとき、あの人は自分にかえったのだ、あのとき笑ったのだと考えて。二人っきりでいられたのだと考えて。いつまでもわたしはこの帽子が気に入るだろう。
試しにかぶってご覧、と彼は言った。
「でも、きっととても変に見えてよ!」彼女は叫んで、鏡に走ってゆき、あっちこっちと映して見た。やがて戸口でこつこついう音を聞きつけると、彼女はぱっと帽子を脱いだ。サー・ウィリアム・ブラッドショーかしら? もう呼びに寄越したのかしら?
いや! 小さな娘が夕刊を届けて来ただけだった。
いつもどおりのことが行われたまでだ――二人の生活で毎夕起こることが。女の子は戸口で指をしやぶっている。レチアは膝をつく。レチアは甘い言葉をかけ、キスをしてやる。レチアはテーブルの抽き出しからお菓子の袋を出して来る。いつもきまってそうするのだから。まずああして、それからこうして。そうやって彼女は造り上げるのだ、まずあれをしそれからこれをして。踊りはねながら、ぐるぐる部屋の中を二人はまわった。その間に彼は新聞を取り上げた。サレー軍みんなアウト、と彼は読み上げた。熱波襲う。レチアは、サレー軍みんなアウト、と繰りかえした。熱波襲う、彼女はその言葉をフィルマー夫人の孫娘との戯れの一部として繰りかえし、二人してその戯れを笑い、同時にぺちゃくちゃまくし立てた。彼はひどく疲れた。そしてまたひどく幸福だった。眠りたかった。彼は眼をつぶった。しかし何も見えなくなると、すぐ、遊戯する音声はしだいに薄れて、姿を求めても見つからず遠のいてゆく人々の叫びのように、微かになっていった。ああ、俺は打ち棄てられた!
彼はぎょっとして飛び上がった。何が見えたか? 脇戸棚のバナナの皿が。誰もいない(レチアは子供を母親の許へ戻しにいったのだ、もう床に就く時間だったので)。これがそうなのだ、永遠の孤独というのは。ミラノであの部屋に入り、姉妹たちが鋏で型紙を切り抜いているのを見たとき、俺に下された宿命なのだ。永遠の孤独というやつは。
俺は脇戸棚とバナナを相手にひとりぼっちだ。ただひとり、この荒涼たる高所に身をさらし、身を伸ばしている――だが丘の頂きではない、そそり立つ峰でもない、フィルマー夫人の家の居間の長椅子にだ。さっきの幻、人々の影、死者の声、みんなどうしてしまったのだろう。眼の前にはつい立がある、黒い葦と青い燕の絵が描かれて。前には山が見えた場所、顔が見えた場所、美を見ることができた場所、そこについ立が立っている。
「エヴァンズ!」彼は叫んだ。答えはなかった。二十日鼠がききーと鳴いた、それともカーテンの摺れる音であったか。あれは死人の声だ。つい立が、石炭入れが、食器棚がまだ残っている。よし、では、つい立に、石炭入れに、食器棚に立ち向かおう……しかしそのときレチアが何かしゃべりながら部屋に馳けこんで来た。
何か手紙が来たのだ。すべて人間の計画は変更される。フィルマー夫人はけっきょくブライトン〔ロンドンの真南、サセックス州にある海浜リゾート〕には行けないだろう。ウィリアムズ夫人にそのことを知らせている間はないし。レチアはほんとうにとても、とても困ったことだと思った矢先に、帽子を見つけて考えた……たぶん……もうちょっと……何とか……言葉じりは満ち足りた調子となって消えていった。
「えい、忌々しい!」彼女は叫んだ(彼女の毒舌は二人が好んで口にするおどけ文句の一つだった)。針が折れたのだ。帽子、子供、ブライトン、針。彼女は造り上げる、これからあれをというふうに縫いつけて、それを造り上げるのだ。
薔薇の花を除けたらそれで帽子がよく見えるかどうか、教えてくれないかしらと彼女は思った。彼女は長椅子のはしに坐った。
わたしたちはいまほんとうに幸福だわ、彼女は帽子を下に置きながらだしぬけに言った。それは、どんなことをでもこの人に言えるからだ。頭に浮かんだことを何でも言うことができるからだ。英国人の仲間といっしょにあのカッフェに入って来たあの晩いらい、そんな感じをこの人に抱くことができたのはこれが最初だ。あのときは少し恥ずかしそうにして、あたりを見廻しながら入って来たのだ。そして帽子を掛けようとしたとき、その帽子が下に落ちた。そのことを思い出すことができる。わたしは英国人であることに気づいた。姉が褒めていた大柄の英国人は英国人だとは思わなかったけど。この人はいつも痩せていたから。でも美しい、生々した顔だった。そうして大きな鼻、明るい眼、少し身体を曲げた坐り方、よくあとで話したように、はじめて会った晩、若い鷹のような感じを思わせた。あの晩みんなでドミノをやっているとき、この人が入って来たのだった――若い鷹が。でもわたしといっしょにいると、いつもとても優しくしてくれた。乱暴したり酔っぱらったりしたのを見たことはない。ただ時々あの怖ろしい戦争のことで悩まされたが、そんなときでもわたしが入って行くと、すっかり悩みを忘れるのだった。どんなことでも、世の中のどんなことでも、仕事の上でのつまらない厄介事でも、しゃべりたいと思うことはなんでもわたしは話したし、それをすぐ理解してもくれた。肉親だってもそうはいかなかった。わたしよりも七つ年上で、とても頭がよく――何て真面目だったろう、英語のお伽噺さえ読めないうちからわたしにシェイクスピアを読ませようとしたりして!――経験だって積んでいたから、とても助けになってくれた。わたしもまた、助けになることができた。
でもこの帽子が問題だわ。そうしてそれから(時間はだんだん経ってゆく)サー・ウィリアム・ブラッドショーのこともある。
彼女は頭を手で抑えながら、この帽子が彼の気に入ったかどうか言ってもらいたいと思って待っていた。そして彼は、枝から枝へといつもねらい違わず飛びうつる小鳥のように、そうやってうつ向きながら待っている彼女の気持ちを察することができた。いつもの自然な、ゆったりとした気楽な姿勢で坐っている彼女の気持ちに従ってゆくことができた。そして彼が何か口にすると、彼女はすぐ微笑でそれに答えた。すべての爪先を緊張させて大きな枝の上に降り立つ小鳥のように。
しかし彼はあることがらを思い出した。ブラッドショーは言ったのだ――「いちばん愛している人間が病気になったら、いっしょにいてはいけない」ブラッドショーは安静を学ぶ必要があると言った。ブラッドショーは別居する必要があると言った。
「必要」――「必要」――なぜ「必要」なのか? ブラッドショーにはそんな権力があるのか? 「いったい、ブラッドショーは、俺にむかって『必要』を説く権利があるのかい? 」彼はいどむように言った。
「自殺するなんておっしゃるからよ」レチアは言った。(有難いことに、わたしはいま腹蔵なしにセプティマスにものが言えるわ)
すると俺は、奴等の意のままにされてしまうのだな! ホームズとブラッドショーがのしかかって来るぞ! あの鼻の孔の赤い畜生はどんな秘密の場所でも嗅ぎ出してしまうんだ!「必要」を説くことができるのだ! 書類はどこにある? 俺の書きものは?
彼女は書類を、彼の書きものを、彼女が筆記した書類を、取って来た。彼女はそれを長椅子の上にばさりと転がした。二人はいっしょに書類を見た。いろいろな表や図案。武器代わりに棒切れを振り廻し、背中に翅《はね》――翅だろう――をつけている男や女の姿。シリング銀貨や六ペンス銀貨の跡を円くなぞった――いくつもの太陽と星。まるでナイフかフォークのような突端から登山者がロープを身につけて降りて来る、じぐざぐした絶壁。たぶん波らしいものの間から顔が笑っている海の絵。それに世界地図。焼き棄ててくれ! 彼は叫んだ。さて今度は原稿だ。死者が石南《しゃくなげ》の繁みのかげで歌ったこと。時に寄せる頌詩《オード》。シェイクスピアとの対話。エヴァンズ、エヴァンズ、エヴァンズ――死者の国からのエヴァンズの消息。樹木を斬るな。首相に告げよ。宇宙的な愛。世界の意義。焼き棄ててくれ! と彼は叫んだ。
しかしレチアはそれを手で抑えた。とても美しいものもあるのに、と彼女は思った。いっしょにして絹紐で(状袋がなかったので)しばって置くわ。
もしあなたを連れてゆくなら、と彼女は言った、わたしもいっしょにいくわ、わたしたちの意志に反してまで二人を引き離すことはできないはずよ、と彼女は言った。
彼女は紙の角を真っ直ぐにそろえて書類を整理し、ろくろく見もせずにそれを結わえこんだ。ぴったりと彼に身を寄せながらそうしている彼女を見ながら、まるで花びらをぴたっと畳みこんだみたいだなと彼は思った。彼女は花咲く樹なのだ。そしてその枝ごしに、およそ怖れを知らぬ彼女の聖所に立法者の顔が近づいて来てぬっとのぞいた。ホームズではない、ブラッドショーではない。奇蹟が、勝利が、究竟のそして最大のものが。彼はよろめきながら彼女が怖ろしい階段をのぼってゆく姿を見た。ホームズとブラッドショーを背に負って。七ストン六以下に体重が落ちたことがなくて、妻を宮廷に送り出すことができる連中。年に一万ポンドの金をかせぎ、均衡について語り、裁決においては相違するが(ホームズがこうだと言えば、ブラッドショーはああだと言うのだ)、いずれにしても裁判官であることに変わりはなく、幻と脇戸棚とをいっしょくたにし、何もはっきり見ることができぬくせに、差し出た真似をし、人を罰する連中。彼女はこうした連中に対して凱歌を奏するのだ。
「ほら!」と彼女は言った。書類の束はきっちりと結わえられた。誰にも手を触れさせやしないわ。どこかに蔵《しま》いこんでしまうわ。
そうして、と彼女は言った、誰もわたしたちを引き離すことなんてできやしないわ。彼女は彼のそばに坐り、鷹だの鴉《からす》だのいう名前で彼に呼びかけた。意地悪で大へんな破壊家である点がちょうど彼と似ていたので。誰にも二人を引き離させやしないわ、と彼女は言った。
それから彼女は起ち上がり、荷づくりをしようとして寝室に行きかけたが、階下に人声がするのを聞きつけると、ホームズ博士が来診に来たのだろうと考え、昇って来るのを制しようとしてかけ下りた。
セプティマスは、階下で、彼女がホームズに何か言っているのを聞くことができた。
「奥さま、わたくしは友人としてあがったのです」ホームズが言っていた。
「いいえ、良人にお会わせすることはできません」と彼女は言った。
彼女が小さな牝鶏のように翅をひろげて相手を阻もうとしている様子が目に見えるようだ。しかしホームズは執拗だった。
「奥さま、失礼ですが……」ホームズは言って、彼女を押しのけた(ホームズは頑丈な体格をした男だ)
ホームズが上がって来る。ホームズがドアをこじ開ける。ホームズは言う、「怖じ気がついたんですか、え?」ホームズは俺を捕えるだろう。いやなこったホームズなどに、ブラッドショーなどに。少しよろけながら起き上がると、ひょこひょこ飛ぶようにした歩きながら、とっさに彼は、フィルマー夫人が「パン用」と握りに刻んだ、きれいなパン切りナイフを思った。ああ、でもあれを汚しちゃ悪い。ガス管は? だがもう手遅れだ。ホームズはやって来る。剃刀ならあるだろうが、レチアはいつもの伝《でん》で、包みこんでしまった。残っているのは窓だけだ、ブルームズベリの素人下宿の大きな窓。窓を開けて身を躍らすなんて、ちょっと大芝居めいた所作だ。世間ふうの悲劇の観念であって、俺やレチアには通用しない(二人の考えは同じだ)。ホームズやブラッドショーはそんなのが好きだ。(彼は窓敷きに腰をかけた)しかし俺はどんずまりの瞬間まで待つのだ。死ぬなんて厭だ。人生は愉しい。陽は暖かだ。ただ人間だけは?――奴等《ヽヽ》は一体何がほしいのだ? 向こう側の家の階段を下りて来る老人が、立ちどまって彼をみつめた。ホームズは戸口に来ていた。「さ、これでも喰らえ!」彼は叫んで、がむしゃらにフィルマー夫人の家の前の空地の柵に身を投げた。
「腰抜け!」ホームズ博士がドアをこじ開けながら叫んだ。レチアは窓際に馳けよって、見た。彼女は了解した。ホームズ博士とフィルマー夫人が鉢合わせをした。フィルマー夫人はエプロンをぱっと上げ、寝室にいる彼女の眼をおおった。何度となく階段の上り下りがはじまった。ホームズ博士は入って来た――顔を蒼白にし、ぶるぶる震えながら、コップを手に握って。気を確かに持って何かお飲みにならなくちゃいけません、と彼は言った(何を? 何か甘いものを)。御主人はひどい怪我をされました。意識をとり戻すことはむずかしいでしょう。ご覧になっては駄目です。できるだけいたわってあげなければ。検屍に立ち会っていただかなくてはね。お気の毒に、若い身空で。まったく意外でしたな。とつぜんの衝動です、誰にも責任はありません(彼はフィルマー夫人にはそう言った)。一体なぜこんな真似をしたのか、ホームズ博士には見当がつかなかった。
彼女は甘い薬剤を飲みながら、自分も長窓を開けて、どこかの庭に身を投じてゆくような気がした。でも、どこへだろう? 時計が鳴っているわ――ぼん、ぼん、はっきりとよく聞こえる。どしんどしんいう音やひそひそ声よりもはっきりと。まるでセプティマスの声みたい。彼女は眠りかけた。しかし時計はなお、ぼん、ぼん、ぼんと鳴りつづけ、前掛けを飜《ひるがえ》すフィルマー夫人の姿が(死体をここへ運ばないつもりかしら)その庭の一部分のように見えた。でなければまた旗のように。いつか叔母とヴェネツィアに泊まっていたとき、マストの上にはためく旗を見たことがあった。戦争で死んだ人はそうやって迎えられるが、セプティマスは大戦では無事だったのだ。わたしの思い出のうち、大抵は幸福だった。
わたしは帽子をかぶり、麦畑をかけぬけ――あれはどこだったかしら――登った丘はどこか海の近くだった。そこには船があり、鴎や蝶々が飛んでいたから。二人は崖の上に腰かけた。ロンドンでも二人で腰をかけ、夢見心地でいると、寝室のドアを越えて、雨の晩だったが、かわいた麦の間で囁くこえ、ざわつく音、愛撫するような海の調べが聞こえて来た。アーチ形に反りかえる貝殻のなかにうつろに響き、囁きかける波の音を、浜辺に横になっているつもりのわたしは、どこかの墓の上に撒《ま》かれて風に舞っている花のように感じていた。
「あの人は死んだのよ」彼女はそう言って、正直そうな薄青い眼を床に落としながら彼女を見守っている気の毒な老婦人に微笑を送った。(ここへ運ばないのかしら?)しかしフィルマー夫人はかぶりを振って言った。とんでも、とんでもないこと! いま運び出すところなのだ。話してあげてはいけないかしら。夫婦ってものは一体であるはずなのに、とフィルマー夫人は思った。でも、医者の指図には従わなくてはいけないわ。
「寝せておいてあげなさい」ホームズ博士は彼女の脈を診ながら言った。彼女は窓にむかって仄暗く彼の大きな体の線が浮き出ているのを認めた。じゃ、あれがホームズ博士だわ。
文明の勝利の一つだ、とピーター・ウォルシュは思った。病人救急車の軽快なベルが高く鳴りひびくのを聞きながら、これが文明の勝利の一つだと考えた。敏速で手際も鮮やかな救急車は、あっという間に、人情的に、哀れな奴をさらいこんで病院に急行する。頭をうった奴、病気に打ちのめされた奴、いつ誰がそんなことになるかもわからないが、ついさっきこんな交叉点の一つで轢かれた奴をさらいこんで。文明とはそうしたものだ。東洋から戻って来た俺を悩ますものはそれだ――ロンドンの能率ぶり、統制ぶり、公共精神というのがそれだ。あらゆる荷馬車、自動車が進んで道をよけて、病人運搬車を通してやる。どことなく病的だ。それともむしろ悲愴といったらいいかな、犠牲者を中に入れたこの救急車にたいして示す敬意ぶりは――家路に就く男たちは心せきながらも、車が通りすがると、とたんにどこかの妻君のことを思いうかべる。あるいは、医者と看護婦に見守られ担架に乗せられて、どんなに気楽なことだろうなんどと。……ああ、だが医者や死体のことを想像しはじめると、たちまち考えが病的になり、感傷的になって来る。目に見える印象に対して湧きおこるほのかな快感、ほとんど一種の渇望は、そんなことにかかずらうのは止めにするがいい――芸術にとっては致命的な、友情にとって致命的なことだと警告する。正にしかりだ。がしかし、とピーター・ウォルシュは思った――救急車は街角を曲がってしまったが、なお軽快なベルの音は隣の通りに高く鳴りひびき、遥かとおくトテナム小路を横切りながらもたえずベルは鳴りつづけた――それは孤独の特権だ。独りのとき、人は好き勝手に行動することができるのだ。誰も見ていないと知ったら泣くこともできる。俺の破滅の原因だったのだ――この感受性は――印度住まいの英国人社会にあっては。正当なときに泣かず、また笑わないことは。俺はいまそれを身に感じる、と彼はポストの傍らに立ちながら考えた、涙に溶けてしまいそうな感情を。いやもう、なぜともなしに。一種の美に打たれてかも知れぬ。今日この一日の重荷が、クラリッサを訪ねたことから始まって、熱と烈しさとで俺を疲らせ、印象につぐ印象の滴りが、どことも知れず穴蔵のような深所に沈んで、ほの暗く湛えられたためか。半ばはそのため、完全にして侵しがたい内密さのために、人生とは曲がり目と角とにみちた、そうだ驚嘆すべき、未知の花園であることを俺は知らされたのだ。実際、思わず息を呑むほどの美しさだ、生のそれぞれの瞬間は。大英博物館の向かいのポストの傍らでいま訪れたのだ、そうした瞬間の一つが。さまざまのことが結合して生まれる瞬間。この救急車、生と死、そういったものが結合して。まるで、あの感情の奔流のために、どこかの高い屋根に吸い上げられてしまい、肉体は白い、介殻《かいかく》がばらまかれた渚のように残骸となってしまったようだ。印度の英国人社会では俺にとっての破滅的要素だったのだ――この感受性という代物は。
クラリッサはいつか、どこかで、いっしょにバスの二階に乗りこんで、あの頃のクラリッサは少なくともうわすべりな女で、やたらに感動したり絶望したり上機嫌になったりし、親しい仲間同志でいるとしょっちゅう身を震わしていたが、バスの二階から奇妙な小さな場面や名前や人間やを見つけ出した。と言うのは二人はよくロンドンを探検し、カレドニア市《いち》〔ロンドンの北東の端、カレドニア街で金曜日ごとに開かれる古物市〕から掘り出し物をいっぱい袋に入れて持ち帰ったが――あの頃のクラリッサは理屈家だった――二人で矢鱈に議論し、若い人間らしくしょっちゅう理屈をこねていた。それは不満の感情を説明することだった、他人を知ることができない不満や他人から知ってもらえない不満を。どうしたらお互い理解し合えるだろうか。毎日会っているかと思うと、半年でもまた何年でも会わずにいる。どうにも不満だ、二人はそう言い合った、ほとんど人間同士は理解し合えないのだから。しかし彼女はシャフツベリ通り〔チャリング・クロス街と新オクスフォード街をつなぐ横町で、洋裁店や夫人帽子店の著名なものが多い〕を走るバスに腰をおろしながら、あらゆる場所に自分を感じるのだと言った。「此処、此処、此処」じゃない。そう言って座席のうしろをこつこつ叩いた。そうでなくあらゆる場所に。彼女はシャフツベリ通りを進みながら、手を振った。わたしはあのすべてなの。だから彼女という人間を知るためには、誰を知るにしても、同じことなのだが、そのすべてのものを作り上げたところの人たちを探り出さねばならない。場所さえもだ。奇妙な親和力を彼女は感じたのだ、路上のどこかの女に、帳場のうしろに立っている男に――樹木だの納屋だのにまで。あげくの果ては超験的な理論に発展し、それが死の恐怖と相まって彼女をそう思いこませ、あるいは信仰を(彼女の懐疑精神にもかかわらず)表明させたことはといえばこうだった。われわれの現身《うつしみ》、つまりはわれわれという人間の外見にあらわれた部分は、もう一つのもの、広々とひろがっていて目に見えぬ部分と比較したら、ほんの束の間のもので、この目に見えぬ部分はわれわれの死後もなお生き残り、何らかの形であれやこれやの人間に付着し、あるいはある場所を徘徊して生きつづける、と、そう彼女はいうのだった。おそらく――おそらくは。
ほとんど三十年にもわたる長い友情関係を振り帰って見ると、彼女の理論はこんなにも深い作用を及ぼして来たのだ。二人の実際の邂逅は、他国にいたり、種々の障碍《しょうがい》にさまたげられたりしたために(例えば今朝も、いよいよクラリッサに語り出そうとしたとき、長い肢をした馬の仔のような、美しくて無口なエリザベスが部屋に入って来た)、束の間の、断続的な、多くは苦痛を伴ったものではあったが、それにしても俺の人生に与えた効果は測りがたいものがある。何かそこには神秘めいたものがある。鋭い、烈しい不愉快な種子の一粒が与えられる――それが実際の邂逅だった。しばしば怖ろしいほどの苦痛を嘗《な》めさせるものだった。しかもそれは、会うこともなくている間に、思いがけぬような場所で、蕾をひらき、花を咲かせ、芳香をはなち、知らずして過ぎた幾歳月ののちに、そのものに触れさせ、味わわせ、顧みさせ、全き感触と理解を許したのだ。そんなふうにして彼女の思い出はよみがえるのだった。船の上で、ヒマラヤの峯で、奇妙なことがらに暗示されて(それでサリー・セットンも、あの太っ腹の熱狂屋さん! 青あじさいの花を見ながら俺《ヽ》のことを思い出したのだ)。彼女ほどに俺の生活に影響を及ぼした人間を知らない。そしていつもこんなふうにして、彼女の姿が俺が望みもしないのに立ちかえって来たのだ。冷たい、貴婦人然とした、批判的な態度で。でなければ魅惑的な、ロマンティックな、どこかの野辺か英国の初秋を思わせる姿をして。彼女に会ったのはたいてい田舎で、ロンドンでのことは少なかった。ブアトンでの情景がつぎからつぎと浮かんで来る。……
彼は宿所に辿り着いていた。赤い椅子や長椅子が山と積まれ、穂のような葉をした植物が枯れたような感じで並んでいるホールを、彼は横切っていった。彼は釘に懸かった鍵を外した。若い女が手紙を何通か手渡した。彼は二階に昇った――彼女に会ったのは大抵ブアトンで、季節は晩夏だった。あの頃は誰もそうだったが、一週間から二週間ものあいだ泊っていた。まず思い出すのは、彼女がよく、髪の毛を両手でおさえ、マントをひらひらさせながら、どこかの丘の頂きに立ち、みんなにむかって指さしたり叫んだりしていた姿だ――彼女は足の下を流れるセヴァーン河〔ウェールズ中部に発しグロスター州北部を貫く大河〕を眺めたのだ。あるいは森で、湯沸かしを沸かした――でも彼女は指さきがとても不器用だった。烟《けむり》が曲がってみんなの顔に吹きつけ、烟ごしに彼女のピンク色の小さな顔が見えた。百姓屋のお婆さんから水を貰ったら、戸口まで出て来てみんなの行方を見送っていた。われわれはいつも散歩した。他の連中は馬車に乗った。彼女は馬車にはうんざりで、犬以外の動物一切をきらった。われわれは何マイルもてくてく歩きつづけた。彼女は方角を確かめるためによく足を停め、みんなを嚮導《きょうどう》して田舎道を帰った。そうして散策のあいだたえず議論し、詩を論じ、人間を論じ、政治を論じた(あの頃の彼女は急進論者だった)。あたりの様子にはいっこう頓着しないのだが、ときどき立ちどまっては眺め、ただ一本の木などにむかって叫び声をあげ、相手の自分にも見させようとするのだった。それからまたどんどん歩きつづけ、叔母さんのために摘んだ花を手に、切り株だらけの野を、先頭になった歩き、弱そうに見えて疲れを知らなかった。薄暗くなってからブアトンにへとへとで帰り着いたのだった。それから晩食のあとで、ブライトコップ老人がよくピアノを弾き、声に出さずに歌をうたった。こちらは肘掛椅子に身を埋めながら、笑うまいとじっと努めるのだが、いつも駄目で、笑ってしまう――何でもないのに笑ってしまう。ブライトコップはしかし、気づかないような様子をしていた。そうして、朝が来ると、家の前をセキレイのようにふざけまわった。……
ああ、彼女からの手紙だった! この青封筒――彼女の筆蹟だ。読まないわけにはいかないだろう。またしても、苦い思いに駆り立てられる邂逅の一つが行われようとするのか! 彼女の手紙を読むためにはまことに厭な努力を必要とする。「お会いできたらどんなに嬉しいでしょう。そうと申し上げないわけには参りません」――それっきりだ。
しかし彼は狼狽した。いらいらさせられた。書いて寄越さなければよかったのに。せっかく思想が高潮に達しようとするいま、肋骨を突かれたも同じことだ。なぜ俺をほって置いてくれないのだろう。けっきょく彼女はダロウェイと結婚し、ずっときょうの日まで完全に幸福な生活を送って来たのではないか。
こういうホテルは慰めを与えるような場所ではない。凡そそんな場所ではない。おおぜいの人間があの釘に帽子をかけている。蝿までもが、考えて見れば、他人の鼻の上にとまっている。俺をはっとさせるような清潔さも、実は清潔さではなくて、むしろ露骨さ、冷酷さなのだ。万事型どおりという奴だ。明けがたになると、何だかかさかさした女管理人が、嗅ぎまわったり、窺きこんだり、鼻の青ざめた女中たちにそこらを擦《こす》らせたりする。まるで今度来る客が真綺麗になった木皿に盛られる輪切り肉か何かのようだ。眠るための寝台一つ。腰掛用に、肱掛椅子が一つ。歯を磨き顎を剃るための水呑みと姿見。書物と手紙と化粧着が、怪しからぬ出しゃばり者みたいに、いっこう特色のない|ばす《ヽヽ》織りの椅子の上に転がっている。まったく、こんなものに気づいたのもクラリッサの手紙のせいだったのだ。「ぜひともお会いしたい。そう申し上げずにはいられません!」彼は手紙を摺《たた》んで、むこうへ押しやった。何としても、もう二度と読むのは御免だ!
六時までに手紙が届くようにするためには、彼女は俺が帰るとすぐに机にむかって書かねばならなかったはずだ。そして切手を貼り、誰かに投函させたのだ。人がよく言うように、いかにも彼女らしいやり方だ。俺の訪問をうけてどぎまぎした。大いに心動かされた。俺の手に接吻したときは、しばらくそのことを悔い、俺を嫉妬さえしたのだ、たぶん(彼女は俺を眺めていたから)俺がむかし言った言葉を思い出して――もし俺と結婚していたら、まるで別の世界を作り出すことができただろうにと思ったのだ。しかるに、現実はかくのごとし。中年の身で凡庸なる生活をかこっている。そう思いながらも、彼女はしかし、強情なねばり強さで一切の感慨を無理矢理払いのけようとした。彼女の内心には比類を絶した、一条の、粘り強く忍耐強い生命の糸が張られていて、障碍を克服しみごとに切り抜けることを彼女に許したのだ。しかし俺が部屋を出てしまうと、すぐ反動がやって来た。ひどく俺のことを気の毒に思い、どうしたら俺をよろこばすことができるかと考えたのだ(いつも唯一のことがらは例外だが)。涙を頬に伝わらせながら書きもの机に行き、俺の意をむかえようとして書いたとしか思われぬ、あの一行を彼女が書きなぐる姿がうかんで来る。……「ぜひともお目にかかりたい!」彼女はたしかにその積りなのだ。
ピーター・ウォルシュはすでに靴の紐を解いていた。
しかし成功してはいなかったろう、二人が結婚したとしても。けっきょくは、別のあの関係のほうが遥かに当然であったということになるだろう。
奇妙な話だがほんとうだ。大勢の人間がみんなそう感じているのだ。ピーター・ウォルシュはいちおう振舞いが立派で、ふつうのつとめを充分果しうる、愛すべき人間だが、しかし考えがすこし気まぐれで、それに気取りがある、と。妙な話だが|あの男《ヽヽヽ》は、髪の毛が白くなったこの頃は特に、満足しきったような、貯えでもありそうな顔付きをしている、と。そんなわけで俺は女どもに魅力があるのだ、女は男らしさを多少欠いた男を好むのだ。俺はどうも一風変わったところを持っている、あるいは隠しているらしい。本好きであることがそれかもしれない――訪問した先できまってテーブルの上の書物を取り上げるといった態度が(彼はいま床の上に靴の紐を曳きずらせたまま本を読んでいた)。それともまた、パイプの灰の落とし方とか、女に対する態度にももちろんあらわれている、紳士的な態度がそうなのかもしれない。いっこう思慮もない少女でさえ指の先ひとつで簡単に俺をあしらうことができるのだから、ずい分愛嬌のある、しかしばかげた話だ。が、そのために女の側は危険を賭ける必要がある。つまり俺はきわめて御し易い人間で、陽気さとたしなみのよさとで魅惑を感じさせるかもしれないが、いずれもただ、ある点までのことだ。女が何かを言うとする――いやいや、俺は女の腹を読んでしまう。どうにも我慢がならない――まったくの話が。それから男の仲間と、大声で叫んだり、冗談に身を揺すって大笑いすることもできるのだ。印度では料理にかけては一番口やかましい男だった。俺は男には違いない。しかし否応なしに他人の尊敬をうけるような、そういった種類の人間じゃない――有難いことだが。たとえばシモンズ少佐〔これがデイジーの良人〕のような男とは違うのだ。ちっとも似ていないとデイジーも考えたのだ。二人の子供があるにもかかわらず、彼女はよくわれわれを比較した。
彼は靴を引っ張って脱いだ。ポケットの中味をさらけ出した。懐中ナイフといっしょに、ヴェランダの上で撮ったデイジーの早取り写真が出て来た。白づくめの服装で、膝の上にフォックス・テリヤを乗せているデイジー。非常に愛嬌があって、非常に浅黒い色をした彼女。いままで見たなかでは一番上等の写真。けっきょくきわめて自然な関係、クラリッサとの関係よりは遥かに自然な関係として生じたのだ。大騒ぎもなければ、煩わしさもない。あくどさも、何やかやと気を揉まされることもない。全く淡々としたものだ。ヴェランダの上から、浅黒く愛らしく美しい女は少女のように叫んだのだ(その言葉がいまも聞こえるようだ)、もちろんだわ、もちろんわたしはあなたにすべてを捧げるわ! 彼女はそう叫んで(思慮も分別もあったものではない)、あなたの欲しいものすべてを! と彼女は叫んで、走りよって俺を迎えた。人目など構わずに。そうして彼女は二十四歳にしかならない。しかも子供が二人あるのだ。やれ、やれ!
よくまあ俺はこの歳でこんな窮境に飛びこんだものだ。夜中に無理に目が覚めてしまうと、そのことが急に思いにうかんで来る。もし結婚したなら? 俺にとってはいっこう構わない。が、女のほうは? バージェス夫人は好人物で、おしゃべりでなくて、信用の置ける人間だが、弁護士に会うことを口実とした今度の帰国は、デイジーに再考の余地を与え、事の意味をよく考えさせることになるだろう、とそう言った。あの人の立場が問題ですよ、とバージェス夫人は言った、社会上の障碍、子供を棄てるということなどがね。いずれはいわくつきの未亡人となる日が来ますよ、郊外でだらだらと、あるいはそのほうがありそうなことですが、場所を選ばぬような生活を送る日が(分っておいででしょう、と夫人は言った、ああした女どもが白粉を厚く塗り立てて何をやり出すか)。しかしピーター・ウォルシュは一笑に付したのだ。まだ死ぬつもりはない。とにかく、彼女は自分で身の始末をつけるべきだ。自分で自分を判断すべきだ。靴下のままで部屋の中をぶらぶら歩き、礼服のワイシャツを撫でつけながら、彼はそう思った。クラリッサの夜会に行ってもよし、どこかの寄席へ行ってもいいが、宿にとどまって、オクスフォード時代によく知っていたある男が書いた、素敵に面白い本を読んでもよい。もし俺が隠退したら、やりたいと思うことはそれだ――本を書くことだ。オクスフォードに行って、ボドリー図書館〔一四五四年に初めて開かれたオクスフォード大学付属の図書館〕を読みあさりたい。あの色の黒い、愛すべく美しい小娘がテラスの端に走りよっても無駄だ。手を振っても無駄だ。世間が何と言おうと構わないと叫んでみても、やはり無駄だ。こうやって俺は、彼女が夢中になり、申し分のない紳士と考え、魅惑的な、立派な人と考えている男は(年齢のことなぞ彼女は問題にしてもいない)、ブルームズベリのホテルの部屋をぶらぶら歩き、髯を剃り、顔を洗い、湯入れの器を持ち上げたり剃刀を置いたりしながら、ボドリー図書館の蔵書を漁り、興味ある小問題の一つ二つの真相をさぐろうとしているのだ。そうして俺は相手構わず談笑し、昼餐の正確な時間をだんだん無視するようになり、約束を反故《ほご》にしがちになっている。例によってデイジーが接吻を求めても、一喧嘩吹っかけようとしても、よし来たとおうじることができないで(しかし彼女をほんとうに愛してはいるのだが)――けっきょく、バージェス夫人の言葉どおり、彼女は俺の存在を忘れたほうが幸福になれるだろう、あるいはただ、一九九二年八月に存在した人間として思い出すにすぎなくなったなら。黄昏の十字路に立った人影が、後向きの坐席に彼女の身体をしっかりとくくりつけた馬車が疾走するにつれ、しだいしだいに遠ざかって、両腕を伸ばしてみてもどうにもならないのと同じことで、姿がだんだん小さくなり消えてゆくのを見ながら、なおも彼女は、わたし何でもしますから、と叫ぶのだ、何でも、ああ何でも。……
俺は他人の思惑なぞ考えたこともない。だんだん心を集中することが困難になってゆく。何かに夢中になり、自分のことがらに心を奪われがちだ。不機嫌でいるかと思うとたちまちはしゃぎ出す。女どもに依存し、放心状態になったりふさぎこんだりし、だんだん愚痴っぽくなって来る(彼は顔を剃りながらそう考えた)、クラリッサはどうして下宿ぐらい探してくれないのか、デイジーに優しくしてくれないのか、受け入れてくれないのかといった具合に。そうして俺にできることは――できることは何だろう? ただ徘徊し、さまよい歩き、(いま彼は実際にいろいろの鍵や紙片を区分けしていた)、とびついて味わい、つまりは孤独を愉しんで自ら足れりとするのだ。けれどもちろん、俺ほど他人に依存する人間はおよそいないので(彼はチョッキのボタンをかけた)、それこそ俺を破滅さすものだったのだ。喫煙室から遠ざかることが俺にはできず、大佐連中を好いたり、ゴルフを好いたり、ブリッジ遊びを好んだりし、とりわけ女の社会を好み、女との交際の繊細さを、女の愛情の誠実さを、大胆さを、激しさを愛した。その愛には不都合さもあるにはあるが、しかも俺にとっては(そして例の浅黒い、愛すべく美しい顔が封筒の上に載っていた)まったく素晴らしいもの、人間生活の頂点に生い出た、いとも見事な花とも思われた。けれど、それにもかかわらず、積極的に行動にでようとはせず、いつも何やかやと気兼ねをし(クラリッサは絶えず彼の心内の何かを絞りとった)、無言の愛情にたちまち倦んで、恋愛の変化を求めがちだった。だがもしデイジーが別の男を愛したら、定めし立腹するに違いない! 俺は嫉妬ぶかい男だ、持ち前の性質として手に負えぬほど嫉妬ぶかいのだから。堪えがたい苦しみにいろいろ悩まされる俺なのだ! ところで、ナイフはどこにある? 時計はどこだ? 印章は? 札入れは? おそらく二度とは読むまいが、好もしい思い出となるはずのクラリッサの手紙は? そうしてデイジーの写真は? さて、これから晩食だ。
一同は食事の最中だった。
花瓶をかこんだいくつかの小テーブルに腰をおろし、ショールやハンドバッグを傍らに置いている盛装の客や略装の客。こんな沢山の料理の出る晩餐には馴れていないところから来る、偽りの沈着。しかもそれを支払うだけの余裕があるための自信。終日買い物や見物にロンドンをかけまわったあとの気疲れ。角縁《つのぶち》眼鏡をかけた立派な風采の紳士が入って来ると、きょろきょろそちらを眺めやる、彼らの地金の好奇心。時間表を貸してやるとか有益な知識を提供するとか、些細な奉仕の労を惜しまない人の善さ。たまたま郷里が同じだったり(リヴァプールが一例だが)同じ名前の友人がいたり、そんなことでもいいから、何とかして親睦になろうとして無意識にはたらきかける、内心に脈打つ欲望。ひそかに送って来る流し目。ふしぎな沈黙。急に家族同士のみで始まる冗談やおしゃべり。客たちはウォルシュ氏が入って来て、カーテンの近くの小テーブルに坐ったとき、そんなふうにして晩餐をとっていた。
彼のほうから話しかけたわけではなかった。ひとりで坐っている手前、給仕にしか物を言うことはできなかったから。しかも彼が尊敬をかち得たのは、メニューを眺め、人差し指で何か別製の葡萄酒を指さし、テーブルに身体を押しこみ、真面目に、がつがつとした様子もなく晩餐にとりかかる、そうした彼の態度であった。そして食事の終わりに、ウォルシュ氏が「バートレット梨〔一七七〇年頃に英国で作られた大型朽ち葉色の品種〕を」と言ったのを聞いたとき、食事時も果てようとするまで表明されずにいた尊敬心が、モリス一家のテーブルに燃えあがったのである。なぜウォルシュ氏はそんなふうに控え目なしかもしっかりした調子で、正義に立脚する権利の範囲をよく守ってこれを越えぬ訓練主義者らしい態度でそう言ったのであろうか。チャールズ・モリス青年にも、チャールズ老人にも、娘イレーンにもモリス夫人にも、その理由はわからなかった。けれど彼がひとりテーブルに坐ったまま「バートレット梨を」と言ったとき、モリス一家は彼が、合法的要求にもとづいて彼らの支持を求めているもののように、直ちに彼ら自身の主張であるところのある主張の擁護者であるように感じたのだ。そして同感的な彼らの視線が彼の視線とかち合い、時を同じくして喫煙室にたどり着いたとき、多少の会話のやりとりが避け難いものになったのである。
会話は別に奥行きのあるものではなかった――ロンドンが賑やかだとか、三十年間に様子が一変したとか、リヴァプールのほうがモリス氏の好みには合うとか、モリス夫人はウェストミンスターの花卉《かき》共進会を例年見に来るとか、皇太子のお姿を家中で拝んだとかいったことで。しかし、とピーター・ウォルシュは思った、モリス一家に匹敵しうる家庭は世の中にない。どこにもいない。家族同士の関係は完全なもので、上流階級のことなぞ歯牙にもかけず、自ら好むところを守り、イレーンは家事見習にしたがい、息子はリーズ〔ヨーク州の同名の工業都市にある大学〕で奨学金をうけ、老夫人は(年配は俺と同じくらいだ)家にもう三人子供がある。自動車が二台あるが、いまだにモリス氏は日曜になると靴を自分で手入れする。結構だ、ほんとに結構なことだ。リキュールの杯を手にしたピーター・ウォルシュは赤い毛の椅子と灰皿の間で身体を揺らせ、モリス一家が好意をよせてくれたことに満足を感じながら、そう思った。そうだ、彼らは「バートレット梨を」と言った男に好意を感じたのだ。俺に好意をもってくれたのだ、と彼は思った。
クラリッサの宴会に行くことにしよう。(モリス一家は去ってしまった、またお目にかかりましょうと言って)クラリッサの宴会に行くとしよう。リチャードに、印度で何をやろうとしているのか訊いてみたいから――保守党のばか者どもが。ところで今月の演《だ》し物は? それから音楽。……ああそうだ、それから全くの無駄話。
なぜと言うにわれわれの魂の真相とはこうだからだ、と彼は思った。われわれの自我、それは魚のように深海に棲み、朦朧たる世界をしきりに動きまわり、大きな雑草の茎の間を押しわけ、日の光ゆらぐ場所を越えて、冷たく深く測り知られぬ闇の中へ進んでゆく。そしてとつぜん水面にぱっと跳り出ると、風に褶《しわ》うつ波のうえにたわむれるのだ。つまりは、無駄話を重ねながらも、身を擦り、磨きたて、自ら燃えようとする、積極的な欲求をいだいているのだ。政府は一体どうするつもりなのか――リチャード・ダロウェイは知っていようが――印度をどう処理しようとするのだ?
むし暑い晩であり、行き過ぎる新聞売子は暑気襲来と赤字で大書きしたビラを持って居り、ホテルの階段には柳枝の椅子がすえられて、紳士たちは三々五々に腰をおろして、飲み物を啜り煙草をくゆらしていた。ピーター・ウォルシュもそこに腰をおろした。一日は、ロンドンの一日はいまこれから始まろうとしているのだと想像することもできる。プリント地の服を脱ぎ白前掛けをはずして、青衣裳と真珠に身を飾るように、昼はいま身支度を変え、毛織衣裳を脱ぎ棄て、紗をまとい、夜に変わり、女がペティコートを床に脱ぎ捨てながら洩らすような浮々した吐息を洩らして、埃や熱やいろどりを流し去る。往来はまばらになり、警笛を鳴らして突進する自動車が馬車のがたがたの音に代わり、そこかしこ広場のみどり濃い葉かげには強烈な電燈の光が垂れる。我はしりぞく、と日暮れが言っているように見える。ホテルや平割住宅《フラット》や商店街の、四角い胸壁や凹出部の上にうすれて消え失せながら、我はうつろう、夜は始まれり、我は消えゆく、と、そう言っているように見える。しかしロンドンはいっかな聞き入れず、空にむかって銃槍をつき出し、夜を羽交締めにし、歓楽の仲間入りを強いたのだ。
それはピーター・ウォルシュがこのまえ帰国した後での一大改革、ウィレット氏の夏時間〔一九一六年より施行〕のためだ。長々しい日暮れは真新しい感じだ。むしろ、こころに生気を与えるものだ。なぜなら、書類入れの鞄をかかえた青年たちが、これで自由になれることがひどく嬉しそうに、そしてまた、この有名な鋪道を歩むことを暗黙の裡に誇りながら通りすがるとき、安っぽい、言うならば金ぴかの、しかし有頂天のよろこびであることに変わりはない、そんな一種のよろこびが彼らの顔を赫くしているから。彼らはまた身装《みなり》をととのえて、絹の靴下に美しい靴をはいている。彼らは二時間を映画に過ごそうとするのであろう。彼らを敏感にし、洗練された姿にしている青黄色の暮れがたの光。そして広場の木の葉に赤白く鈍《にび》色に照り映えるのは――まるで深海の底にあるもののような――水中に沈んだ都市の枝葉だ。その美しさには驚嘆する。それはまた勇気を与えてくれる。印度帰りの英国人が当然のように(そんなのは|ざら《ヽヽ》だが)東洋倶楽部〔オクスフォード街の近くにある有名な交歓場所〕に坐りこみ、むずかしい顔をして世界の滅亡について要約しているのに、俺はこうして相変わらず若々しい気持ちでいられるのだ。若い人たちを見れば夏時間やその他の一切を羨ましく思い、一少女の言葉や女中の笑いからは――それは手を触れることもできぬものながら――青春期には不易不変と思われた、ピラミッドのような全累積の変動を痛感するけれども。その重荷は重くのしかかり、われわれを重圧し、とりわけ女どもを重圧する。クラリッサのヘリーナ叔母さんが夕食後よく燈火の下に坐りながら、灰色の吸取紙の間に押しつけて、リトレ〔フランスの医学者、言語学者で、一八七二年に『フランス語辞書』四巻を完成〕の辞書をその上に載せたあの花のように。あのお婆さんも今は死んでしまった。クラリッサから聞いた話では、片眼が見えなくなっていたそうだ。きわめて似合いの話だ――自然の一つの傑作と言うべきだ――老嬢パリイが硝子入りの眼になったとは。あの女は、棲木《せいぼく》にしっかりかじりついた霜の日の小鳥のように死んだのだろう。時代こそ異なった時代にぞくしていたが、きわめて完全で、きわめて円満で、いつも水平線の上に石のように白く、そびえ立っていたのだ。この波瀾に富んだ、長い、長い航海、この涯も知れぬ――(彼は新聞を求めサレーとヨーク両軍の対抗試合の記事を読もうと思って銅貨をまさぐった。すでに彼は何遍となくその銅貨を握りかえしたのだった――サレー軍再度の大敗)――この涯知らぬ人生の、過ぎ去った一段階をしめしながら、燈台のように。しかしクリケットは単なる競技ではない。クリケットは重要だ。クリケットのことを読まざるをえない。彼はまず特別記事の得点表を読み、つぎに暑気の記事を読み、それから殺人事件を読んだ。何百万遍となく繰りかえすことによって経験を豊かにするのだ、表面を掠めるだけだと言えるかも知れないが。過去は豊かにされ、経験も豊かにされ、一人か二人の人間に心を傾け、そうすることによって、若い人間には欠けているところの――簡潔に語り、好むままを行い、人の意見など歯牙にもかけず、ことさら大なる期待をもって動きまわるようなことはしないという、そうした能力を身に獲得するのだが(彼はテーブルに新聞をもどし起ち上がった)、このことはしかし(そして彼は帽子と上衣を探した)自分に関しては、今夜に関するかぎりは真実ではない。なぜならいま、この歳になりながら、一つの経験をしに行くのだ、という確信をいだきながら、これから夜会に出かけようとするのだから。しかし、その経験とは何か?
ともあれそれは美なのだ。あらわな、眼の美ではない。純粋で無雑な美とは言えない――ラッセル広場〔大英博物館と対するブルームズベリの大広場〕に通じるベッドフォド街は。もちろんそれは、一直線の空虚さだ。通廊のような斉一ぶりだ。しかしそこには燈火ともる窓があり、ピアノや蓄音機が響いて来る。お祭り騒ぎの気分は隠れているが、ときおりそれが浮かび上がるとカーテンの降りていない窓から、開け放たれた窓から、テーブルに坐る人々の群れが、静かに踊っている若い連中が、男女の語らいが、ぼんやり外をのぞく女中たちが(仕事が済むと、彼女たちの奇妙な品評がはじまる)、屋根の出っ張りに乾かしてある靴下が、鸚鵡が、植木の幾つかが見えるとき、それは現れる。きわめて面白い、神秘に富んだ、無限の豊かさの、この人生。そしてタクシーが疾駆し急過する大きな広場では、そぞろ歩きの二人連れの群れが、いちゃつき合い、抱擁しあい、木の葉のにわか雨に身を縮める。感動的なながめだ。あまりにも静かであり、全く余念がないので、あたかも何か神聖な儀式を前にして不敬にわたらぬよう身を控えるように、慎ましくおそるおそる人は通りすぎる。興趣ある光景。よし、では揺光と閃光の中へ。
彼の着ている軽い外套がひらひらとひるがえった。彼は名状しがたい恰好で、すこし前こごみになり、軽快な足どりで、両手をうしろにまわし、両眼はなお小鷹のように光らせながら歩いた。彼は観察をつづけながら、ロンドンの街中をウェストミンスターさして急いだ。
するともう、誰もが食事を済ませたのか。ここの家では、玄関のドアが従僕によって開けられ、締め金でとめた靴をはき、紫いろの駝鳥の羽を二、三本髪に挿した老貴婦人が気取った足取りであらわれる。明るい花のついたショールにミイラのように身を包んだ婦人たち、帽子なしの婦人たちのために、ドアが開けられてある。そして漆喰の柱が小さな前庭に通じている立派な住居から、軽い装いで髪には櫛をさして(子供たちの床入りを見届けて)女どもはあらわれる。男たちは上衣をひらひらさせながら女たちを待ち、やがて自動車は出てゆく。こうして開かれた家々のドアと、降り立つ人々と、そして出発とのために、まるでロンドン全体が堤につながれた小舟に乗って水の上を揺られてゆくような、全市をあげての謝肉祭に漂い流れてゆくような、そんな感じだ。そしてホワイトホールいちめんはスケート場で、銀光に踏みならされ、その上を蜘蛛が縦横に行き通うようで、アーク燈に群がる|ゆすり《ヽヽヽ》蚊に似た感じをただよわせている。そしてここ、ウェストミンスターの一角には、たぶん退職判事ででもあろうか、白づくめの服装で、わが家の戸口にどっかと腰をおろしている。印度帰りの役人でもあるのか。
ここではまた、わめきちらす酔いどれ女の喧嘩さわぎ。ひとり立つ警官、おぼろに霞む家並、高い家々、円蓋のある家々、教会、議事堂、さらに、河上にうかぶ汽船のサイレン、うつろにかすんだ叫び。しかし、これが彼女の街なのだ、これが、クラリッサの。タクシーは疾駆して街を曲がるが、橋の脚のまわりを流れる水のように、やがては再び集まるように思われる。あれらはみんな彼女の夜会に、クラリッサの夜会にむかうのだから。
眼に映じる印象の冷たい流れを捉えつくすことは困難だ。眼は杯であるが、満ちあふれた器の両側から、とどめかねた一切をそのままこぼし去ったかのように。いまこそ、脳髄は目を覚まさねばならぬ。肉体はいまや収縮し、あの家に、燈火のついたあの邸に、ドアは開け放たれ、自動車がたえず停まり、きらびやかな女たちが車から降り立ってゆく邸に、入ってゆかねばならぬ。魂は耐えるべき勇気をふるい起こさなければ。彼は懐中ナイフの大きな刃を開いた。
ルーシイは応接間にとびこんで、カヴァーを撫でつけ、椅子をなおし、ちょっと足を停めて、この美しい銀器や、真ちゅうのストーヴ具や、真新しい椅子カヴァーや、黄更紗のカーテンをご覧になったら、どんなお客様だってそうお思いだろう、まあ何てきれい、何てぴかぴかして、何てよく手がゆき届いてとお思いだろうと考え、それぞれの品を自らほめそやしていたが、唸り声のようなものを聞きつけ、夕食を済ませた方々がもう上がっていらっしゃる、さあ大変! とばかりに、まっしぐらに階下に馳け下りた。
総理大臣がいらっしゃるのよ、とアグネスは言った。食堂でそう噂していらっしゃるのを聞いたわ、と、彼女は杯を伏せたお盆を持ちこみながら言った。それがどうなの、どうでもいいわよ、総理大臣の一人ぐらい多くても少なくても! 夜中のこんな時刻に、お皿や、シチュー鍋や、水|濾《こ》しや、フライパンや、鶏肉のジェリーや、アイスクリームの機械や、削ったパン皮や、レモンや、スープ皿や、プディング皿の間に坐っているウォーカーのおかみさんには、いっこう何でもなかった。流し場でどんなに精をこめて洗ったにせよ、これらの食器はみんな依然として肩の荷になって、調理机や椅子の上に、並んでいるような気がしたのだ。それに、炉の火は唸り叫んでおり、電燈はぎらぎら輝いている。そうして夜食だってやはり仕度しなくてはならないのだ。彼女が感じたことといえばただ、総理大臣の一人ぐらい多くても少なくても、ウォーカーのおかみさんたるものいっこう動じないということであった。
奥様がたはもう二階においでになるわ、とルーシイは言った。奥さまがたはひとりひとり二階へあがってゆき、うちの奥様は一番後からつづき、いつも台所に何か言伝てを言ってよこす。ある晩のは「ウォーカーのおかみさんによろしくね」だった。朝が来るとお皿の料理をいちいち吟味した――スープだの、鮭だの。ウォーカーのおかみさんは承知だったが、鮭がいつも生煮えだった。いつもプディングにひどく気をつかって、ジェニーに委せっきりだったから。だからそうなったので、いつも鮭は不出来だったのだ。でも、とルーシイは言った、美しい髪をして銀の飾りをつけたある奥様が、アントレ〔焼肉の前に出す脇付料理〕を召しあがって、ほんとうにおうちの品ですかっておっしゃってよ。しかし、お皿をぐるぐる廻して、しめりをつけしめりを拭きとっているこのおかみさんにとっては、悩みの種は鮭のことだった。それから食堂からどっという笑い声が聞こえた。話し声がし、やがてまた爆笑になった――婦人たちが引き上げたので、紳士たちが歓談しているのだ。トーケイ葡萄酒〔ハンガリーのトーケイ地方に産する甘口の葡萄酒〕よ、ルーシイは馳けこみながら言った。ダロウェイ氏は宮中の酒蔵から、宮中のトーケイ葡萄酒を頂戴したのだ。
情報は台所じゅうに伝わった。ルーシイは肩ごしに、エリザベスお嬢さまがとてもお美しく見えたと報告した。眼を外らすことも出来なかったわ、ピンク色のドレスを召して、旦那様から頂いた頚飾りをおつけになって。ジェニーは犬の世話を忘れまいと思った、エリザベス嬢さまのフォックス・テリヤのことを。人に噛みつくので閉じこめられているこの犬が、何か欲しがっているだろうとエリザベスは考えたのだ。ジェニーは犬の面倒を忘れてはならないのだった。しかしジェニーは、大勢人が集まっている二階へ上がっていこうとはしなかった。もう玄関では自動車の音がしている! ベルが鳴っている――旦那様がたは食堂でトーケイ葡萄酒を召し上がっていらっしゃる!
そうら、二回へ上がっていらっしゃるわ。あれが最初のお客様で、これからはどんどん続いていらっしゃるから、パーキンスン夫人(夜会のたびに雇われる)は玄関の戸を半開きにしておくのだ。そして玄関は、婦人たちが廊下わきの部屋で外套を脱ぐのを待っている紳士たちでいっぱいになるのだ(彼らは髪の毛を撫でつけながら、そこに待っていた)。その玄関わきに控えている婦人、いまは年とったエレン・バーネットは、四十年間もこの家に仕えた女で、夏のシーズンにはきっと手伝いにやって来たが、母となった人々の娘時代をおぼえていて、ひどく恐縮しながら婦人たちと握手を交わした。「奥様」と言いかける口調は慇懃をきわめ、しかもどこかユーモラスなところがあって、令嬢たちの様子を眺めやったり、下《した》ボディスがどうかして困っているラヴジョイ夫人に馴れた調子で手を貸したりした。ラヴィジョイ夫人も、娘のアリスも、この老女を知っているために、ブラシと櫛を貸してもらうという、多少の特別扱いを与えられたことを感じないわけにはいかなかった――「奥様、三十年にもなりますわ」老女バーネットは補足するように言った。むかしは若い人も紅を使わなかったわ、とラヴジョイ夫人は言った、むかしわたしどもがブアトンに泊っていたころは。アリスお嬢さまも紅など要りませんわ、バーネット老女はその顔を優しく見ながら言った。この老女はいつも携帯品預かり所に腰をすえ、毛皮を脱がせたりスペイン製のショールを撫でたり、化粧机を整頓したりしていたので、身にまとう毛皮や装飾品はぬきにして、立派な婦人とそうでない婦人とを完全に区別することができた。懐かしい婆やね、とラヴジョイ夫人は階段を昇りながら言った、クラリッサのお守りだったお婆さん。
やがてラヴジョイ夫人は身を硬くした。「ラヴジョイ夫人と娘ですの」と彼女はウィルキンズ氏(これも夜会のたびに雇われる)に伝えた。腰をかがめ腰を起こす彼の態度は見事で、腰をかがめ腰を起こしながら、まったく公正な調子で披露するのだった、「ラヴジョイ夫人ならびにラヴジョイ嬢……ジョン・ニーダム卿御夫妻……ウェルド嬢……ウォルシュ氏」彼の態度はみごとであり、その家庭生活は非の打ちどころのないものであるにちがいなく、青味がかった唇をし頬を剃り上げている男が矢鱈に子供を作るというへまを敢えてしたとはどうにも信じかねた。
「まあようこそお越し下さいました!」クラリッサは叫んだ。彼女は誰にむかってもそう言った。ようこそお越し下さいました! 彼女の一番いけない面をさらしている――くどくどと感情を述べ立て、誠実さを忘れてしまって。やって来るなんて大間違いだった。宿に残って本でも読んでいればよかったのだ、とピーター・ウォルシュは思った。寄席へでも行けばよかった。宿にいたほうがよかったのだ、識り合いなんて誰もいないのだから。
ああ、今夜の会は失敗だわ、完全に失敗だわ。クラリッサはサー・レクサムを招じ入れながら、この愛すべき老人の口から、バッキンガム宮殿の園遊会で風邪を引いたため妻が来られないことの詫びを聞くと、心中からそう感じた。彼女はピーターが背後の片隅にいて批判の眼を光らせていることを感じとった。そもそも何の理由があってこんなことをするのか? 権勢の絶頂を求め、やがて劫火に包まれるような真似をするのは? いずれは身を焼きつくすのだ! 燃滓になるまで身を焦がすのだ! いいえ、どうなろうと増しだわ。エリー・ヘンダスン流に尖が細って縮んで、消えてしまうよりは、松明をかざして地上にさっと投じるほうが! 途方もないことだが、ピーターはただやって来て片隅に立っただけで、こんな破目にわたしをおとしいれてしまう。わたしに自分というものを見つめさせ、誇張させるのだ。ばかげているわ。あの人は、じゃあ、なぜ来たのだろう。ただ批判するために? なぜいつも奪ってばかりいて、与えることをしないのかしら。なぜ、思いきって、ちっぽけな自己流儀の見解を捨ててかかろうとはしないの? あそこでうろうろしているあの人は、わたしは何か話をしなければいけないのだが。でもその機会をつかまえることはないだろう。人生ってそうしたもの――屈辱と抛棄となのだ。サー・レクサムの話題というのは、彼の奥さんが園遊会のとき――「ねえ、御婦人ってみんなそうですよ」――毛皮を着ようとしなかったことだ。レクサム夫人はかれこれ七十五にはなるはずだのに! 好ましい限りだわ、あの老人御夫婦が、おたがいに甘やかし合って暮らしているのは。レクサム老夫人にはほんとに好感がもてるわ。わたしにとっては重大な宴会であることを思うと、万事が|へま《ヽヽ》ばっかりで退屈なものになりそうだと知っては、気がむかむかして来るわ。どんなことだって、爆発だろうとぞっとする事件だろうと、まだ増しだわ。あてもなくうろうろし、あのエリー・ヘンダスンのように隅っこにたむろして立っているだけで、いっこう自分を引き立たせようとしない連中よりは、増しだわ。
楽園を飛びかう小鳥をいちめんにあしらった黄色いカーテンがやさしく揺れると、まるで室内に羽ばたきの音が起こって、ぱっと飛び立ち、またふたたびカーテンに吸いこまれるかとも見えた。(なぜなら窓はみんな開け放たれていた)風が入って来るのかしら、とエリー・ヘンダスンは思った。彼女はいつも寒気がした。しかし明日になって|くさめ《ヽヽヽ》をしながら床を出ようと構わないが、彼女が気になるのは肩を露わにした少女たちのことだった。それというのは、生前ブアトンの教会の牧師だった、病身の老父のことを思う習慣がついていたからである。しかしその父は死んだし、彼女の悪感も胸にまではこたえまい、けっして。彼女が、心配するのは少女たちのこと、肩を露出した少女たちのことであり、彼女自身はいつもまるで線香のようで、髪の毛は薄く、肉のこけた横顔をしていた。五十の坂を越した今は、何かやさしい光が、自己抛棄の幾年月に浄められたあるものが高尚さとなって輝いていたが、あたらその輝きも、彼女が傷ましげな上品ぶり、年収三百ポンドの境遇から来る抑えがたい恐怖、さらにはまた無防備状態そのもの(彼女は自分では一文もかせぎ出すことはできなかった)によって再び曇らされて、彼女は小胆になり、年とともにしだいに、身裝のよい連中と顔を合わせる資格を失いつつあった。彼女らは女中たちに「どれどれの服にするわ」と無造作に言いつけて、社交季節《シーズン》の毎夜をこうして苦労なしに過ごしているのに反し、エリー・ヘンダスンはびくびくしながら駆け出していって、安物の石竹《せきちく》を五、六本買いこみ、古ちゃけた黒のドレスにショールを掛けるのだった。クラリッサの夜会への招待状はぎりぎりの時間に届いたから。だから、完全な幸福感を味わうというわけにはいかなかった。クラリッサは今年は招んでくれるつもりはなかったのじゃあるまいか、と、そんな感じもしたのだった。
でもそんな権利があるのか? ほんとに権利なんてないのだ、ずっと識り合っているということ以外には。実は従姉妹同志の間柄だった。けれど自然と、いずれかといえば疎遠になってしまった、クラリッサはみんなの引っ張り凧だったから。わたしにとっては一つの事件なのだ、宴会に出るということは。美しい衣裳を眺めるということだけでも大した御馳走なのだ。あれはエリザベスじゃないかしら――大きくなって、髪を流行風に束ねて、ピンク色のドレスを着て。でも十七を越えてはいないはずだわ。とっても、とっても綺麗だわ。でもこの頃の女の子って、始めて社交界に出るとき白服を着ないらしい。(エディスに話してやれるように、何でもよくおぼえて置きましょう)身体にぴったり合って、足首から遠い、裾の長くなくない服を着て。似合っていないわ、と彼女は思った。
そう思いながら、眼の弱くなったエリー・ヘンダスンはすこし頚を前に伸ばした。誰も話相手がないことは、あまり苦にはならなかった(ほとんど誰も彼女の知己は居合わせなかった)。なぜなら彼女がいま眺めているのはきわめて興味ふかい人々であることを感じていたから。たぶん彼らは政治家であり、リチャード・ダロウェイの友人であるのだろう。だがこの気の毒な女を一晩じゅうひとりで立たして置くのは忍びないことだ、と感じたのは、かえってリチャードのほうだった。
「おや、エリー、|あんた《ヽヽヽ》一体どうしたというんです?」快活な調子で彼にそう言われて、エリー・ヘンダスンは昂奮し、紅潮し、このわたしに話しかけてくれるなんて、まあ何て思いやりのある人だろうと感じて、まったく寒さよりも暑さが身にこたえるお方が多勢いらっしゃいましょうねと言った。
「まったく、そうですね」とリチャード・ダロウェイは言った。「まったく」
しかし、今度は何と言うべきだろう?
「やあ、リチャード」と、誰かが彼の肘をとらえながら言いかけた。何とまあ、御馴染のピーターが、ピーター・ウォルシュが立っていた。君に会えたことは嬉しいね――実によろこばしい限りだね! ちっとも変わっていないなあ。そして二人は、お互いの肩を敲きあいながら部屋を横切って真っ直ぐに歩み去った。久しぶりで会ったような様子だけれど、とエリー・ヘンダスンは後姿を見送りながら考えた、あの男の顔にはたしかにおぼえがあるわ。背の高い、中年の、ちょっと素敵な眼をした、色が黒くて、眼鏡をかけて、ジョン・バローズにどこやら似た男。エディスならきっと知っているだろう。
極楽鳥の飛翔図をあらわしたカーテンがふたたびはためいた。そしてクラリッサは見た――レイフ・リヨンがカーテンを押しかえして再び話をつづける姿を、彼女は見た。してみると、けっきょく失敗じゃなかった! いまは万事うまく運んでいる――私の夜会は。始められたのだわ。始まったのだわ。でも、まだ続いてやって来る。しばらくはここに立っていなくては。詰めかけて来る様子だわ。
ギャロッド大佐御夫妻……ヒュー・ウィトブレッド氏……ボウリー氏……ヒルベリイ夫人……メアリ・マドックス夫人……クィン氏……ウィルキンズは節をつけながら披露した。彼女は誰とも数語をまじえ、そうして彼らは進んでいった。彼らは室内に、レイフ・リヨンがカーテンを敲きかえしてからは、も早空虚な場所ではなくなったなかへ、進んでいった。
それでもなお彼女としては、大変な気苦労だった。まだ彼女は楽しんではいなかった。いわば異彩を放ってはいなかった――その場の誰かれと同然で。誰にだってできることをしているので。しかもこの異彩なき存在を彼女は些か賞讃し、ともあれこれは自分の所業なのだ、とにかく一応のことはできた、いわばこの柱になり得たのだ、とそう感じないではいられなかった。甚だ妙だが彼女は自分がどんな様子をしているかをすっかり忘却して、階段の頂きに打ちこまれた一本の杭のようにわが身を感じたから。宴会を催すごとに彼女は、自分でありながら自分でないと感じ、誰もがそれぞれその人なりに非現実化して、しかもある点でははるかに現実的な姿に変わっているのだと感じたのだった。それというのは、と彼女は思った、衣裳のせいもあるけれど、一つには日常の風習を忘れるからで、また一つには場所的背景にもよるのだ。他の場合だととても言えないこと、努力なしには言えなかったことが、言えるようになるのだ。深い接触ということが可能になるのだ。しかしまだわたしにはそれができない。とにかく、まだなのだ。
「まあ、ようこそおいで下さいました!」彼女は言った。親愛なるサー・ハリー! この御老人なら誰とも顔見知りでしょう。
そして、甚だ妙な話ではあるけれど、つぎからつぎと階段を昇って来る誰にたいしても感じることなのだ。マウント夫人とシーリア、ハーバート・エィンスティ、デイカーズ夫人――それから、あら、ブルートン夫人!
「ほんとにまあ、よくお越し下さいました!」彼女は言った。それがわたしの感想なのだ――妙な話だけれど、ここに立っているとそんな気がして来るのだ、みんながどんどん進み続け、あるものはひどく歳を取り、あるものは……
|どんな《ヽヽヽ》名前? ロセッター夫人? 一体、ロセッター夫人って誰かしら。
「クラリッサ!」あの声! サリー・セットンだ! サリー・セットン! こんなにしばらく振りに! 彼女は霞む眼を見すえた。|あんな《ヽヽヽ》様子をしてはいなかった、クラリッサがお湯の入った缶をつかんだあの頃のサリー・セットンは。この屋根の下で彼女を見ようとは、この屋根の下で! でも、あの頃とは違うわ。
互いに感きわまって、まごついたり笑ったりしながら、言葉があわてふためいて転《まろ》び出た――ロンドンを通りすがり、クレアラ・ヘイドンからそれと聞きました。お会いできる絶好の機会だわ! そこでまかり出た次第よ――御招待も受けずに。……
お湯入れの器を平然と下に置くこともできるわ。この人に昔の輝きはもうないもの。でも、年を取って、美しくはなくなっても幸福になった彼女と再開できるなんて、素晴らしいことだわ。二人は応接間の入口で、あの頬この頬と接吻を交わしあった。そしてクラリッサは、サリーの片手を両の手で捉《とら》えて振り返りながら、どの部屋にも一杯の人々をながめ、がやがや語り合うその声を聞き、燭台を見、ひらひらするカーテンを見、リチャードから贈られた薔薇の花を見た。
「わたしね、大きな男の子が五人もあるの」とサリーが言った。
彼女はただもう自分を中心にして考え、いつも第一番と思われたいという至極率直な欲望を持っていたが、クラリッサはいまも彼女が昔どおりであるのを見て好ましく思った。「とても信じられないわ!」過去を回想して、満面によろこびをみなぎらせながらクラリッサは叫んでいた。
しかし彼女はウィルキンズに気づいた。ウィルキンズは彼女の注目を求めた。ウィルキンズは全会衆を戒め、女主人を浮薄な振舞いから引き戻そうとするように、命令的な威厳のある調子で、一つの名前を吐き出した――
「総理大臣か」とピーター・ウォルシュは言った。
総理大臣? ほんとうかしら? エリー・ヘンダスンはあっけにとられた。エディスへの素敵な土産話になるわ!
笑ってはいけないのだ。ごく平凡な様子をしている。帳場のうしろでビスケットを売らせてもいっこうおかしくはない――可哀そうに、金モールで飾り立てて。そして公正に判断して彼は、最初はクラリッサに、そのあとはリチャードに付き添われ、ひとわたり廻って歩くあいだ、甚だ巧みに演じてのける。名ある存在らしく見えるように努めている。観察していると興味があるぞ。誰もそちらを見ようとはしない。お互いの話をつづけるだけだが、しかも閣下の通過を、彼ら一同が代表しているもの即ち英国社会のこの象徴の通過を意識していることは、彼らがはっきり意識していることはきわめて明白だ。ブルートン老夫人もやはり非常に立派に見えたが、頑丈そのものの身体をレースに包んで、滑るように足をはこび、こうして彼らが小部屋にしりぞくと、そこではたちまち見つけ出され、護衛され、ざわめきと衣摺れの音が一座すべての人々のあいだにはっきりと聞こえた。総理大臣!
ああ、ああ、英国人の俗物根性! ピーター・ウォルシュは片隅に立ちながら考えた。金モールで飾り立てたり、うやうやしく敬意を表したりすることが何て好きなのだ! おや! あれは確かに――誓って――ヒュー・ウィトブレッドだ。御歴々の裾を嗅ぎまわり、少し肥り気味になり、少し白くなった、天晴れなヒューだ!
あの男はいつも急務を忘れかねた様子をして、とピーターは思った、特権を笠に打ちとけぬ人間だ。死を賭しても擁護しようといった秘密を胸に蔵しているように見えるが、実は明日の新聞にみんな載るはずの、宮廷の別当職から洩れた下らぬばか話にすぎない。あの男のおしゃべりの種といったらそんなもの、安ぴかの玩具同然で、それを弄《もてあそ》びながら白髪を加えてゆき、こうしたパブリック・スクール型の英国人と知ることを特権と心得た連中が彼に捧げる、尊敬と愛情を享楽しながら、やがて老年に達しようとするのだ。ヒューに関しては必然的にそう結論を下さざるを得ない。それが彼の流儀なのだ。このピーターが海をへだてた何千マイルの地で「タイムズ」紙で読んだ見事な手紙の数々の流儀がそれであり、狒々《ひひ》のやかましいおしゃべりや苦力《クーリー》どもが女房を打擲《ちょうちゃく》する音を聞かされる破目に終ろうと、あの有毒無益なぺちゃくちゃから逃れることができた幸福を、神に感謝したのだった。どこかの大学から来たオリーヴ色の肌をした青年が、傍らに立ってぺこぺこやっている。彼はあの青年をひいきし、手ほどきし、処世の術を教えこむのだろう。なぜってあの男が何よりも望んでいるのは、親切をほどこして、寄る年波や身の憂さを忘れさせ、老婦人たちの胸によろこびの波を打たすことなので、自分はすっかり忘れられたと思っているところへ、ヒューは車を走らせてやって来て、一時間も費やして過去を語ったり、つまらぬことがらを回想したり、お手製のケーキを褒め上げたりしてやるのだ。そうしようと思うなら、毎日でも、公爵夫人を相手に御菓子を食べていられるはずのヒューが。彼の顔を見ていると、どうやらそうした愉快なつとめに時間の大半を過ごしているらしいが。全てを裁きたもう慈悲の権化ならば、これを赦すかも知れぬ。ピーター・ウォルシュには慈悲はない。悪党はいろいろといるに違いないが、いずくんぞ知らん、列車内で少女の脳天を叩き割って絞首刑に処せられるごろつきでも、大局的に見ると、ヒュー・ウィトブレッドとあの男の親切よりは弊害が少ないかも知れぬ! 見るがいい、いま爪先立って踊るように前に進んだ彼は、現われ出た総理大臣とブルートン夫人にむかって頭を垂れ、足を後ろにすらせ、行きかけるブルートン夫人に何ごとか内密な言葉をささやいて、全世界に己の特権をほのめかそうとするのだ。彼女は足を止めた。立派なその老顔を揺すっている。おそらく一片のお追従にたいして彼に感謝しているのだろう。彼女は阿諛《あゆ》追従の徒を、彼女のためとあらばつまらぬ仕事にもかけずりまわる諸官庁の木っ葉役人どもをもっていて、奉仕への報いとして彼らを昼餐に招んでやるのだ。ともあれ彼女は十八世紀以来の家柄にぞくしている。彼女は至極壮健だ。
そしていまクラリッサは総理大臣に付き添って得々と歩をはこび、光彩を発揮し、半白の髪に荘重さをただよわせながら、別室に彼を招じ入れる。彼女は耳輪をつけ、銀緑の人魚模様のドレスを着けている。波の上に見え隠れし、房なす髪を束ねるあの姿を思わせて、いまなおあの天賦の能力を失わずにいるのだ。生きる能力、存続する能力、通りすがりにたちまち一切を洞察しうる能力を。身を飜し、スカーフを他の女のドレスにからませ、それを解いて笑う、動作の一切が本然の棲家を漂うあの生きものに似て、完全な心安さをただよわせている。だが寄る年波は彼女を掠めたのだ、冴えわたる暮れがた沈む夕陽を水鏡に映じて眺める人魚さながらに。一抹の優しさが感じられる。彼女の酷烈さ、彼女の分別心、いかつさの感じはいまやまったくなごめられて。勿体ぶって見せようとて――おお、しっかりやってくれ――精一杯の努力をしている、あの太い金モールをつけた男に別れを告げる彼女の姿には、えも言われぬ気品が、申し分ない温情がただよっている。全世界の安穏を願いながらも、いまや身は終局《はて》に達して、訣れを告げようとするかのように。そんなふうに俺に感じさせる。(しかしいまは恋してなぞいない)
ほんとうに、クラリッサは感じた、総理大臣が来て下さってよかったわ。そして、いまその彼と共に歩み、サリーやピーターや、非常に喜んでいるリチャードや、おそらく羨望の念に傾いているであろう他の総ての人々の前を通りぬけて別室に向かいながら、彼女は己の心臓の全神経が拡充し滲みとおり真っ直ぐにわななくかと思われるほどの、束の間の陶酔を感じた。――しかしそれに相違はないのだが、けっきょくは他人が感じているものと同じなのだ、この感じも。なぜならわたしはよろこばしく、刺されて疼《うず》くほど切に感じはするものの、こうした見せかけの勝利観は(たとえば昔馴染みのピーターもまこと天晴れと考えてくれたが)うつろさを含んでいる。手をのべれば届くところにありながら、真底から感じられない。そして、年老いたためもあろうけれど、いずれにせよいつものような満足は与えられなかったのだ。と突然階段を下りてゆく総理大臣の後ろ姿を見送りながら、ジョシュア卿〔ジョシュア・レノルズ。英国の肖像画家、初代美術院長〕作のマフをつけた小さな女の子の像の金縁にふと目をとめたとたん、キルマンを思い出した。旧敵キルマン。納得がついた。真実そうだわ。ああ、憎らしいったらない――怒りっぽく、偽善的で、汚らわしくて。あらゆる権力を行使する、エリザベスの誘惑者。奪いとり潰すために入り込んで来たあの女(ばかなことを! とリチャードはよく言うけれど)。あの女が憎らしい、あの女がいとしい。必要なのは敵だ、友ではない――デュラント夫人やクレアラではなく、サー・ウィリアムも、ブラッドショー夫人も、トルゥロック嬢も、エリナ・ギブスンも(二階に昇って来るその姿が見える)違うのだ。わたしに会いたいなら、あの人達のほうからいらっしゃい。わたしは夜会のために生きているの!
旧友のサー・ハリーが現れて来た。
「まあ、あなたでしたの!」彼女がそう言って、近づいていった立派な老人は、セント・ジョンズ・ウッドに住む美術院会員仲間の、どの二人の絵を合わせたよりも沢山の下手な絵を描きつづけて来た男だった(彼の絵といえばいつも、夕暮れの池に立ってしめり気を吸っている牛か、あるいは彼流の暗示的方法で、前脚の片方を上げ角を振っている姿勢によって「見馴れぬものの接近」をあらわしている牛にきまっていた――彼の活動のすべて、食道楽と競馬道楽とは、夕暮れの池でしめり気を吸っている牛を財源としていた)。
「何を笑っておいでですの?」彼女は問いかけた。ウィリー・ティトコゥムとサー・ハリーとハーバート・エインスティの三人が笑い興じていたのだ。どうも困りましたな。サー・ハリーは寄席の舞台のいきさつをクラリッサ・ダロウェイに語ることができなかった(大そう彼女を好いて、この種の女性の完全な典型とも考え、そのうち描かしてもらいますよなどと言っていたのだが)。そこで彼は今夜の会のことで冗談を言った。ブランデーがなくては寂しいですね。こうした御連中は、と彼は言った、私にはお偉すぎますよ。しかし彼は、呪うべき、厄介至極な、上流階級独特の品のよさは、クラリッサ・ダロウェイにむかって、どうぞこの膝にお掛け下さいと戯れかけることを不可能にしていたけれども、それでもなお彼女に好意をよせ、尊敬を捧げていたのだ。さてそこへ、揺らめく鬼火のような、さまよう不知火のようなヒルベリイ老夫人が、哄笑している(さる公爵とその令嬢のことで)彼にむかって両手を差しのべながら近づいて来た。部屋の片隅でその笑い声を聞きつけた彼女は心に確信を得たような気がしたのだった。朝早く目は覚ましはしたが一杯のお茶を女中に所望するのもいとわしい、そんな感じのとき、時折彼女を不安がらすことがらに関して。人間が死なねばならぬことの確実さに関して。
「みなさんで一体何をお話になっているのか、洩らして下さらないんですのよ」――クラリッサは言った。
「まあクラリッサ!」ヒルベリイ夫人は叫んだ。今夜のあなたは、と彼女は言った、わたしが初めてお見掛けしたときの、鼠色の帽子をかぶってお庭を歩いていらっしゃったお母様とそっくりですよ。
するとクラリッサの眼にはほんとうに涙があふれて来た。庭を歩いている母! でも、残念ながら、こうしてはいられない。
というのはブライアリ教授が来合わせていて、ジム・ハットン青年(こうした夜会にも、彼はネクタイやチョッキを工面できず、髪をととのえることもできなかった)を相手にミルトン〔英国の古典詩人〕の講釈をし、こんな近いところに立ちながら口論をしているのを彼女は知ったからだ。ブライアリ教授は非常に風変わりな人物だった。あらゆる学位を備え、栄誉を備え、|へぼ《ヽヽ》文士相手の講演を事としながら彼は、博大な学識と小心、暖かみを欠いた冷たい魅力、俗物根性を含んだ無邪気さ、といった様々の矛盾をはらんだ彼の奇妙な性格に適合しない雰囲気にたちまち気づき、婦人の乱れた髪や青年の深靴を見ては、立派には違いないが最下等の社会を、反逆者を、熱烈な青年を、自称天才をそこに感じて身を震わし、微かに首を振り、ふふん! と鼻を鳴らして、中庸の徳をほのめかすのだった――未熟な古典的教養をもってミルトンを鑑賞しようとするそんな態度に対して。ブライアリ教授は(クラリッサは悟ったが)ミルトンに関してジム・ハットン青年と(彼が赤い靴下をはいているのは、黒のは洗濯に出してあったからだった)折り合うことができなかった。そこで彼女はくちばしを挿んだ。
彼女は、わたしバッハが好きですわと言った。ハットンは、僕もそうですと言った。このことが二人を結びつける紲《きずな》になった。それにまたハットンは(非常に下手な詩人だが)いつもダロウェイ夫人を、芸術に関心を持っている立派な婦人の中で最もすぐれた人であると感じていた。彼女の態度のいかつさは奇妙なくらい。音楽に関してはまったく個人的な意見も吐かない。むしろ彼女は|ぶり《ヽヽ》屋なのだ。しかし何てチャーミングなのだろう! 彼女は自分の家を素敵なものに作り上げている、教授連中には閉口だが。ところで、クラリッサのほうは、彼の頸筋をつかんで、奥の部屋のピアノの前に坐らせたいとさえ思った。彼は非常に巧みにピアノを弾いたから。
「でもまあ、あの騒々しさ!」彼女は言った。「騒々しいこと!」
「夜会の成功をしめすものですよ」慇懃にうなずきながら、教授は静かな足取りで去っていった。
「ミルトンのことなら何だって御存知のお方よ」とクラリッサは言った。
「へえ、そうですか?」ハットンは言った。彼はハムステッド〔リージェント・パークの北にひろがる住宅地〕じゅうを、この教授、ミルトンを講義する教授、中庸を語る教授、静かに歩み去る教授の真似をして歩いてやろうと思った。
でもわたし、あのお二人とお話しなければなりませんから、とクラリッサは言った、ゲイトンとナンシー・ブロウのお二人と。
夜会の騒々しさをきわ立たせているのが|あの《ヽヽ》人達ってわけじゃないのだ。あの二人は黄色いカーテンのそばに立ちながら(際立つほどには)おしゃべりしてはいない。じきにどこか他の場所へ行ってしまうだろう、連れ立って。いつだってあんまりおしゃべりはしない。見ているだけ、ただそれだけなのだ。二人は大そう清潔に、そして健康に見える。女はあんず色に塗り立てているが、男のほうは清潔でさっぱりしていて、前方を掠めるボール一つ見のがさず、どのような打撃にも動じない、小鳥のような眼つきをしている。彼は打ち当て、跳びこえる、あやまつことなく、ねらい違わずに。小馬の口が彼のさばく手綱さきで震える。彼は、いろんな栄誉をにない、祖先の遺品を、旗指物を、故郷の墓所に飾っている。いろんな義務を控え、小作人を擁し、母と姉妹たちを持ち、終日ロード〔クリケット場の名〕で暮らしている。そして二人が話し合っていたのはそんなこと――クリケットや従兄弟や映画のことだったが――そのときダロウェイ夫人が近づいて来たのだ。ゲイトン卿は、私はあの人が好きですよと言った。ミス・ブロウは、わたしもそうですわと言った。とても魅力的な様子をしてらっしゃって。
「ようこそ――ほんとにようこそおいでくださいました!」クラリッサは言った。彼女は貴族《ロード》〔クリケット場の名前にかけて〕が好きなのだ。若い人々が好きであり、そして、パリ一流の裁縫店仕立ての、途方もなく費用のかかったドレスを着けているのだが、緑のその襞をひろげるためにだけあるように身にぴったりとそれが合っている、そんな姿のナンシーが好きだった。
「わたし、ダンスもしていただくつもりだったのよ」クラリッサは言った。
若い人達には、おしゃべりはできないのだから。そうして、それはあたりまえだ。叫び、抱擁し、身を揺すり、夜明けに起き、小馬に蔗糖《しょとう》をはこび、可愛い支那犬の鼻を撫で、キスを与えるのがあの人達のつとめだ。それから、寒さに耳をひりひりさせ、髪を風になびかせながら、身を躍らせて泳ぐことが。けれど尨大な英語の富源は、けっきょくはそれが感情を伝達する能力を与えてくれるのだけれど(あの年頃にはわたしもピーターも一晩じゅう議論をしたものだった)、あの人達にとってはふさわないのだ。あの人達は若いうちから固まろうとする。領地に住む人たちに対してはとっても愉快な存在かもしれないが、二人っきりで置かれたらたぶん、いささか退屈するだろう。
「残念だわ!」彼女は言った。「ダンスをして頂きたかったのに」
来てくれたことはとても有難いけれど! でもダンスをしようなんて。どの部屋も一杯なのだ。
ヘリーナ叔母さんが肩掛けにくるまっているわ。ああ、わたし、行かなければならない――ゲイトン卿とナンシー・ブロウをのこして。叔母の老嬢パリイが来ていたのだ。
老嬢ヘリーナ・パリイは死んではいなかった。ミス・パリイは存命だった。彼女はもう八十を過ぎていた。彼女は杖にすがって階段を昇って来た。彼女は椅子に坐りこんだ(リチャードが用意をしておいた)。七十年代のビルマ事情を知るほどの人々は必ず彼女に惹きよせられた。ピーターはどこへ行ってしまったのだろう? 二人はむかし、あんなに仲よしだったのに。印度の話が出ると、セイロンの話であっても、彼女の双眼は(片方だけが義眼だった)しだいに色が濃くなり、青味を帯び、そして人間をではなく――彼女は大守とか将軍とか暴動とかに関しては、やさしい思い出も誇らかな幻影も懐いてはいなかった――彼女は蘭の姿をながめ、山路をながめ、寂しい峰を苦力の背に乗ってゆく六十年代の彼女自身の姿をながめるのだった。あるいはまた、その花を水彩画に描いたことがあるが、蘭(かつて見たこともないような、驚くべき花)を根こぎにしようとして降りていった自分を。たとえば戦争で彼女の部屋の戸口に爆弾が投げられたとき、せっかく蘭の花だの六十年代の印度を旅している自分の姿だのを思い描いていたのを邪魔されたといって癇癪を起こした、強情我慢なこの英国婦人。――だがそこへピーターが現れた。
「こちらへ来て、ヘリーナ叔母さんにビルマのお話をなさいな」クラリッサは言った。
ところで俺は、今夜、彼女とまだ一言もしゃべってはいない。
「わたしたちの話はあとにしましょうよ」クラリッサはそう言って、白い肩掛けをし杖を握っているヘリーナ叔母のほうに彼を連れていった。
「ピーター・ウォルシュよ」とクラリッサは言った。
その言葉は通じなかった。
クラリッサに招びよせられて来たのだ。退屈で騒々しいのに、クラリッサは出て来るようにと言ってよこした。それで出掛けて来たのだ。ロンドンで暮らしているのは残念なことだ――リチャードとクラリッサが。クラリッサの健康のことだけを考えたら、田舎暮らしのほうがずっとよいのに。けれどクラリッサはいつも社交界を好んでいる。
「この人はビルマに住んでいたのよ」クラリッサは再び言った。
まあ、そうなの! 彼女はチャールズ・ダーウィンがビルマの蘭のことを書いた彼女の小さな本について言った言葉を、思い出さずにはいられなかった。
(クラリッサはブルートン夫人と話を交わさねばならなかった)
もちろん今では忘れられてしまったけれど、私がビルマの蘭について書いた本は、一八七〇年までに三版出たのですよ。彼女はピーターにそう語った。彼女はいま彼の存在を思い出していた。ブアトンに来たことのある人だわ(そして俺は、とピーター・ウォルシュは回想した、クラリッサがボート漕ぎに誘いに来たあの晩、このお婆さんを残して一言も言わずに応接間を出てしまった)
「リチャードは午餐会を大そうよろこんでいましたわ」クラリッサはブルートン夫人に言った。
「リチャードはほんとうに頼み甲裴のある方です」とブルートン夫人は答えた。「手紙を書くのを手伝ってくれました。ところで、あなたはお元気?」
「はい、至極達者でおります!」クラリッサが言った。(ブルートン夫人は、政治家の妻たるものが病気をすることを嫌っていた)
「あら、ピーター・ウォルシュがいるわ!」ブルートン夫人は言った(彼女はクラリッサを愛していたにもかかわらず、いつもしゃべる材料が思いつかなかった。立派な性質を沢山に備えていることは承知だが、二人の間には共通性がないのだ――わたしとクラリッサとの間には。彼女ほどの魅力はなくとも、仕事の手助けになるような女と結婚していたほうが、リチャードにとっては幸福だったかもしれない。入閣の機会をふいにしてしまったのだ)。「ピーター・ウォルシュだわ!」と彼女は言って、厭味のない悪者で、成し得たはずなのに名を成さなかった(いつも女の問題で面倒を起こしている)非常に有能な男と握手を交わし、もちろんパリイ老嬢とも握手した。すばらしいお婆さん!
ブルートン夫人は黒づくめの姿で、擲弾《てきだん》兵の幽霊然として、ミス・パリイの椅子の傍らに立ち、ピーター・ウォルシュをわが家の午餐にさそった。その態度はねんごろだったが、しかし印度の植物や動物についてはいっこうおぼえがない彼女は、あまり会話を交えなかった。もちろん彼女は印度へ行った経験はあった。三人の大守の許に滞在したことがり、印度の文官の誰彼を珍しく立派な男だと思ったこともあったが、それにしても何という悲劇であろう――印度の現状は! 先刻も総理大臣はそのことで彼女に話してくれた(肩掛けに身を埋めたパリイ老嬢は、総理大臣がどう語ろうが気にとめていなかった)。そしてブルートン夫人は、問題の中心地から帰国したばかりのピーター・ウォルシュの意見を聞きたがり、サー・サムプスンに引き会わせたいと思った。印度での愚策は、それは非道徳と言ってもよいのだが、軍人の娘である彼女を、まったく夜の眠りからさまたげるものでさえあったから。わたしはいまは老人であり、大した仕事もできません。しかしわたしの家、わたしの召し使いたち、そうしてよき友人であるミリー・ブラッシ――あなたの御記憶にありますかしら――いつでもみんなお役に立たせることができますよ――つまり、もしお役に立つならですが。彼女は英国については語らなかったが、この人々の島、愛すべきこの島のことは彼女の血脈を流れていた(シェイクスピアを読まずとも)。女にもかぶとをかぶり弓を射ることができるなら、軍勢を率い襲撃をこころみ、磐石に似た正義心をもって異人の辺境を支配し、鼻を失い楯に乗せられて墓所におくられ、あるいは原始以来の丘腹《きゅうふく》に緑草の塚の主となって眠ることができるなら、その女とは正にこのミリセント・ブルートンである。性の障碍にさまたげられ、また、論理的能力の欠除にさまたげられながら(彼女は「タイムズ」紙への投稿をしたためることが不可能だと知った)、彼女はたえず英帝国への関心を失わず、あの鎧を着た女神〔楯と三又戟《さんさほこ》をもち、英帝国を象徴し、貨幣によく使われる〕への連想から彼女の支柱たるべき忍耐力を得、強健な動作を得たのである。したがって彼女が死んでもなお、地上から去ったその姿を思いえがくことはできまい。たとえ霊界でもユニオン・ジャックがはためくことがない、そんな領界をさまよう姿は。死者の列に加わり、英国人でなくなる――いや、いや! そんなことはありえない!
でもあれはブルートン夫人(むかしを知っているあの人)だろうか? あれはピーター・ウォルシュの白髪の姿かしら? ロセッター夫人(かつてのサリー・セットン)はいぶかしんだ。あれはたしかにミス・パリイ――わたしがブアトンに泊ったときとっても御機嫌斜めだったお婆さんだわ。裸のまま廊下を走って、ミス・パリイに呼びつけられたことが忘れられない! それからクラリッサ! まあ、クラリッサが! サリーは彼女の腕をとらえた。
クラリッサは彼らの席の傍らに足をとめた。
「でもこうしてはいられないの」彼女は言った。「あとで来ますわ、待っててね」と言いながら、彼女はピーターとサリーを見つめた。ぜひ待っていて、と彼女は言いたかったのだ、この人達がみんな帰るまで。
「戻って来ますからね」彼女は昔馴染みのサリーとピーターを見つめながら言った。二人は握手を交わしていた。サリーはもちろん過去を追想してであろう、笑いを含んで。
でも、あの声は昔の、人をうっとりさせるような冴えた響きを出そうとしてもがいている。あの眼にはありし日の輝きがないわ。煙草をふかし、海綿を忘れたといって一糸もまとわずに廊下を走り、エレン・アトキンズから、殿方のお眼に入ったらどうしますと言われたあの頃の。でも誰も彼女を非難するものはなかった。あの人は夜中にお腹が空いたといっては肉部屋から鶏肉を失敬し、寝室で煙草をふかし、平底船の中へ高価な本を置き忘れた。けれど誰でもが彼女をひどく好いた(たぶん父さんは例外として)。彼女の熱烈さが、生気がそうさせたのだ――絵も描ければ筆も立ったのだ。村のお婆さん連中は「赤い上衣を着てとても元気がよさそうなお友達」のことをいまでも訊ねることを忘れない。人もあろうに、ヒューの罪を鳴らした(その彼は、旧友のヒューはあそこでポルトガル大使に話しかけている)。女も選挙権をもつべきだとわたしが言ったら罰だといって喫茶室で接吻したのよ、俗悪な人間のすることだわ、とそう言うのだった。クラリッサは、家族礼拝のとき彼を告発しようとする彼女をいさめなければならなかったことを思い出した――そんなことをしようとするのも、彼女の無謀さ、あらゆることがらの中心になって事件を巻き起こすことが好きなメロドラマ的精神から来ていた。クラリッサはいつもそう思ったが、あげくの果ては、怖ろしい悲劇とか、横死とか、苦難とかに終わりそうだった。がそうはならずに、まったく思いがけなく、マンチェスターに紡績工場を持っているとかいう、ボタン穴の大きな、禿頭の男と結婚したのだった。そうして、五人の男の子まである!
あの人とピーターはいっしょに坐りこんでいる。何か語り合っている。いかにも打ちとけて見える――二人の語り合っている姿は。むかしのことを語り合っているにちがいない。わたしはあの二人とは(リチャード一人との場合よりも)、沢山の過去の生活をともにしているのだ。あの庭、あの木立、声を出さずにブラームスを口ずさんでいたブライトコップ老人、応接間の壁紙、|ござ《ヽヽ》の匂いなど。このサリーが演じる役割は必ず存在しなければならない。ピーターの役割もかならず。でもいまは二人を残して行かなくてはならない。あそこへ、わたしの嫌いなブラッドショー夫妻が来たから。
是が非でもあのブラッドショー夫人の(鼠色の服を着こみ、銀で飾り、水槽のへりに立った|あしか《ヽヽヽ》のように身の釣り合いをとり、招待状を寄越せと公爵夫人たちにむかって吠えかける、典型的な成り上がり者の奥さん)、ブラッドショー夫人のところへ行って、挨拶をしなければ……
しかしブラッドショー夫人はその先手を打った。
「ひどく遅れまして、ダロウェイの奥さま。もうとても伺えないかと思っておったのでございますよ」と彼女は言った。
そして灰色の髪に青い眼をして、ひどく立派に見えるサー・ウィリアムは、これに相槌を打った。夜会の席に出たいという誘惑を押えかねた人達なのだ。たぶん、リチャードを相手に、下院を通過させたいと願っているあの法案について話しているのだろう。しかしなぜ、リチャードに話しかけるあの姿を見て、わたしはぞっとしたのだろう。彼は実際どおりの人間に、有名な一人の医者に見えるのだ。同業界での首位を占める、きわめて有力な、そして少し疲労の色を見せた男に。だって考えて見るがいい、彼の前にあらわれる患者たちを――悲惨の底に沈んだ人々、精神錯乱の境にある人々、良人と妻の群れを。彼はこの上もなく困難な問題をも解決しなければならないのだ。そうだ――わたしの感想を言うなら、不幸になった自分の姿をサー・ウィリアムには診せたくないということだ。御免だわ、あんな人なんぞに。
「イートンにおいでのお坊ちゃんは御達者?」彼女はブラッドショー夫人に訊ねた。
クリケット・チームに入りそこねましてね、とブラッドショー夫人は言った、耳下腺炎を患いまして。主人のほうが当人よりも残念がりましたわ。「ほんとうに」と彼女は言った、「あの年をして、子供もおんなじでして」
クラリッサはリチャードに話しかけているサー・ウィリアムを眺めやった。子供のようには見えないわ――いっこう子供には。
いつだったか、誰かあの人の診察を受ける人に従《つ》いていったことがある。彼の言葉はまったく妥当だった、非常に気がきいていた。でも、まあ――再び街の人となったときは、何て気楽な気がしたことか! どこかの気の毒な人が啜り泣いていたっけ、あの待合室で。でもわたしはサー・ウィリアムをどう考えていいのかわからない。彼が嫌いなことの確かな理由が。ただリチャードは同じ意見だった、「あの男の趣味がいやだ、あの臭味がいやだ」と。しかし彼は異常な手腕家だ。二人はいま法案のことを話している。サー・ウィリアムは声をひそめながら、ある病例について述べている。その法案は彼がいま述べている、弾震盪《だんしんとう》の長期的影響に関係しているのだ。法案には多少の規定条項が必要だから。
声をおとし、ダロウェイ夫人を女同志の気楽な気分にさそい、良人の優秀さの数々や傷ましい過労の傾向に対する月並みな自惚れに引きずりこみながら、ブラッドショー夫人は(気の毒な阿呆――彼女を嫌うものはいない)囁いた、「ちょうど出掛けようとしたところへ、大そう哀しい事件のことで、主人に電話がかかって参りました。ある青年が(サー・ウィリアムがダロウェイ氏に語っていたのは実はこのことだった)自殺したんですの。戦争がえりの人なのです」ああ! とクラリッサは思った、わたしの宴会のさ中に、ここに死がある。
彼女は先刻総理大臣がブルートン夫人といっしょに退いた小部屋に入っていった。誰かあそこにいるだろう。しかし誰もいなかった。椅子はなお総理大臣とブルートン夫人の坐った跡をとどめていた、恭々しく身体を向けている夫人と、厳めしく真四角に腰掛けている総理大臣の跡を。二人は印度のことを語り合っていたのだった。でも今は誰もいない。宴会の華やかさはあとかたもなくなって。ひとり美服をまとって入って来るのは何というふしぎさか。
わたしの宴会にやって来て死んだ人の話をするなんて、ブラッドショー夫妻はどうしたいというのだろう。ある青年が自殺をした。そしてあの人達は夜会でその話をした――ブラッドショー夫妻は死を話題にした。青年は自殺したのだ――一体何故に? たえず肉体に死を体験したのだ――最初、とつぜんあの出来事を語られたとき。ドレスは火を吐き、肉体は燃えた。その人は窓から身を投じたのだ。地上にぱっと火を吐くと、つまずき傷ついたその肉体を銹びた大釘がつらぬき通った。彼はそこに脳天をぐさ、ぐさっと砕きながら横たわった。やがてそれから暗黒の窒息状態。そんなふうにわたしは思い描いた。でもその青年はなぜ死んだのだろう。そしてブラッドショー夫妻は宴会の席でそれを語ったのだ!
いつかわたしは蛇池《サーペンタイン》にシリング銀貨を投げこんだことがあった。が、しかし、それはそれだけのことだ。その青年は身をなげうったのだ。わたしたちは生きつづける(わたしは戻らなければなるまい。どの部屋もまだ客で一杯だ。引きつづき詰めかけて来る)。わたしたちは(終日わたしはブアトンのこと、ピーターのこと、サリーのことを考えていた)、わたしたちは年老いてゆく。しかし重大なものが一つある。おしゃべりで飾り立てられ、わたし自らの生活のなかで汚され、曇らされ、頽廃と虚偽とおしゃべりのうちに日毎に顛落《てんらく》してゆく、あるものが。このものを、彼は、護ったのだ。死は挑戦だ。死は伝達への一つの企てなのだ――中心に到達することのむずかしさを、ふしぎにも中心が逃れ去ってしまうことを、感じている人間にとっては。近しさはやがて離れ、歓喜は色褪せ、人は孤独だ。死のうちには抱擁がある。
けれど自殺したこの青年は――秘宝を抱いて身を投じたのだろうか。「いま死んだら、いちばん幸福だろう」――白服を着て二階から降りながら、わたしはそうひとりごちたことがあった。
あるいは、詩人や思想家という存在がある。青年がそうした情熱をもっていたとしてみよう。その彼が、名高い医者ではあるけれど、わたしから見れば隠れた悪であり、性も情欲も持ち合わさず、女に対してきわめて丁寧だが、言いがたい侮辱を人に加える――つまり、魂を威圧することを心得た、サー・ウィリアム・ブラッドショーを訪ねたとしよう。もしこの青年が彼のもとを訪ね、そしてサー・ウィリアムが例によって彼の権力を印象づけたとしたら、青年はそのとき言わなかっただろうか(まったく今もわたしはそう感じているのだ)――人生が耐え難い気がする、人生を耐えがたくするのだ、ああいう連中は、と。
それから(今朝もそう感じたのだが)恐怖感というものが、圧倒的な無力感がある。親に与えられたこの生命を、教えのとおり最後まで生き、静かに歩むことのむずかしさが。心の奥にはおそろしい畏怖がある。このごろでもよく、「タイムズ」を読んでいるリチャードの姿が見当らないと、小鳥のようにすくむのだ。そのあとやがて生気をとりもどし、無限のよろこびを燃え立たすために、枯枝と枯枝を、あれとこれとを擦り合わすことができなかったとしたら、身を滅ぼしていたにちがいない。私は難を逃れたけれど。しかし青年は自殺したのだ。
ともかくもそれは、わたしの災厄――わたしの恥辱なのだ。底知れぬ闇のそこかしこで男や女が沈んで失せて行く姿を見るのは、わたしに与えられた懲罰であり、しかも夜会服を着て立つことも強いられてのことだ。わたしは謀りごとを企み、ひそかに掠めとった。完全に成功を収めたためしはなかった。わたしは成功を求めたのだった――ベクスブラ夫人だの、何だのかだのを。かつてのわたしはブアトンでテラスの上を歩いたこともあるのに。
奇妙で信じられないが、こんな幸福を感じたことはない。こんなに悠々たる感じ、恒久的な感じを味わったのは初めてだ。これほどの快楽はない。彼女は椅子を直し、一冊の本を棚にさしこみながら、そう思った。青春の勝利感を清算して生活の過程に没頭しながらも、陽がのぼり陽が沈むとき、よろこびに震えながらわたしはそれを見いだすのだった。いく度となくわたしは、ブアトンでみんなが話をしあっているとき、空を眺めに外へ出た。あるいは晩餐のとき、人々の肩ごしに空を見た。ロンドンでは、眠られぬ夜に眺めたのだった。彼女は窓際に歩みよった。
ばかげた考えではあるが、その田舎の空、ウェストミンスターの上の空は、わたしそのものの一部を含んでいる。彼女はカーテンを開け、そして眺めやった。ああ、でもびっくりした!――向かいの家のお婆さんが真っ直ぐこちらを見つめている! 床に就こうといるのだ。そうして空は。厳かな空になるだろう、そうわたしは思ったのだ、美しい片頬をそむけて仄暗い空になるだろうと。しかし今は――灰白色に変わり、尖塔のような形をした大雲が走っている。目新しい感じだ。風が起こったにちがいない。お婆さんは寝に行く、向かい側のあの部屋で。動きまわる姿を、部屋を横切ったり窓に歩みよったりするお婆さんの姿を見ていると、とても魅力的だ。こちらの姿も見えるかしら。応接間でまだ笑ったり叫んだりしている人たちを放って置いて、あのお婆さんが、ひとり静かに、床に就こうとする姿を眺めているのは魅力的だ。いま日よけ窓をおろした。時計が鳴りはじめる。青年は自殺した。でも彼を憐れまない。一つ、二つ、三つと時を打ったのだが、わたしは彼を憐れまない、こうして人生はつづいてゆくが。そら! お婆さんが灯火を消した! 家じゅうが暗くなった、人生はつづくのに、と彼女は繰りかえした。すると例の言葉がうかんで来た――いまは、な恐れそ、日ざかりを。あの人達のところへ戻らなくてはならない。でも何という異様な晩だろう! 何がなし自分がひどく似ているように感じる――自殺したあの青年に。彼がそれを敢えてしたことを、わたしたちは生きてゆくのに、生を擲《なげう》ったことを、よろこばしく感じるのだ。時計は打ちつづけられる。鉛の圏がいくつも空中に溶ける。しかしわたしは戻らなくてはならないわ。集まりの場所に行かねばならない。サリーとピーターを探さなくては。そして彼女は小部屋から戻っていった。
「でもクラリッサはどこにいるのだろう?」ピーター・ウォルシュは言った。彼はサリーと長椅子に腰をおろしていた。(いまになっても彼は、サリーに「ロセッター夫人」と呼びかけることができなかった)「彼女はどこへ行ったのです?」彼は訊ねた。「クラリッサはどこです?」
サリーはつぎのように言い、ピーターも、それはそうだなと言った。この会には、画報ででもなければ見たこともないが、クラリッサにとっては優しくもてなし話相手とならねばならぬ重要な人物たち、政治家たちが来ている。彼女はその人たちといっしょなのだ、と。でもリチャード・ダロウェイは入閣しなかった。政治家として成功しなかったのだろうか、とサリーは想像した。わたしは、新聞なんてめったに読まない。でも時折、彼の名前が出ているのを見たわ。ところで――そうだわ、わたしはごく寂しい生活を送っているの、荒蕪の土地でとクラリッサは言うでしょうが、大商人とか、大工場主とか、つまり企業家たちの間で。そのわたしにだってやはり事業があったわ!
「男の子が五人あるの!」彼女はピーターに語った。
ああ、ああ、何たる変化がこの女をおそったことだろう! 母性のやさしさ、そしてまた母性の自己中心主義。このまえ会ったのは、とピーターは回想のなかで言った、月光に輝く花野菜の間のことで、彼女はその葉っぱを「未完成の青銅彫刻みたい」と文学的に形容し、そして薔薇の花を摘んだのだ。あの怖ろしい晩、あの噴水の場面があったあと、俺を引っぱってあちこち歩きまわった。夜行列車に乗らなければならなかった。ああ、泣き悲しんだのだ。
この人の昔からの癖なんだわ、懐中ナイフを開けて、とサリーは思った。昂奮するといつもナイフを開けたり閉めたりするんだわ。とても、とても仲良しだった、わたしとピーター・ウォルシュは――クラリッサに恋をしていた時分。そして昼餐のときリチャード・ダロウェイのことでおそろしいばか騒ぎが起こった。リチャードを「ウィッカム」とそう呼んだ。リチャードを「ウィッカム」と呼んだらなぜ悪いの? クラリッサは眼をむいて怒った! まったく二人はそれ以来会ったことがなかったのだ、わたしとクラリッサとは。そう、最近十年間に会ったのはたぶん五、六回ぐらいだわ。そうしてピーター・ウォルシュは、印度に渡り、不幸な結婚をしたとだけ仄《ほの》かに洩れ聞いたが、子供があるかないのかもわたしは知らない。しかし、変わり果てた彼にむかって、そのことを訊ねることもできない。すこし皺が寄って昔よりも優しく見えるわ、と彼女は思い、そして偽《いつわり》ならぬ愛情を彼に感じた。だってこの人は、わたしの青春と尽きせぬ関係があるし、いまだに、贈りものに貰ったエミリー・ブロンテ〔唯一の長篇『嵐が丘』によって不朽な英国の女流作家〕の文庫本を持っている。たしか著述するつもりだったのだわ。あの頃はそのつもりだったわ。
「著述をなさって?」彼女はその手を、堅い美しい手を、彼に昔を思い出させるような仕草で彼の膝の上に伸ばしながら訊ねた。
「いや、全然!」とピーター・ウォルシュが言うと、彼女は笑った。
この女はなお牽引力を失わない、いまなお個性ある存在だ、サリー・セットンは。しかしロセッターとは何者だろう。結婚式の日に椿の花を二つ付けていた男――ピーターが知っていることはただそれだけだった。「あの人達は数えきれないほどの使用人をかかえ、何マイルもあるような温室を持っています」とクラリッサは書いて来ました。そんなふうな文面でしたよ。サリーは嬌声をあげながら、それが事実であることを認めた。
「そうよ、わたしの年収は一万ポンドよ」――税こみか税ぬきかはおぼえていなかった。というのは、「ぜひ会ってほしいけれど」「あなたの気に入ると思うけれど」彼女の良人がちゃんと始末してくれたからだ。
そのサリーはむかしぼろみたいな服をまとっていた。あなたはブアトンに来るために、マリー・アントアネットから曽祖父の方がもらった指輪を――そうでしたね?――質入れしたのでしたね。
ええそう、サリーは思い出して言った。まだ持っているわ、マリー・アントアネットが曽祖父にくれたルビーの指輪は。あの時分のわたしは無一文で、ブアトンに行くときはいつもせっぱ詰まった時だったの。でもブアトンへ行くのはとても有難かった――たしかに気持ちを健康にしてくれたわ、自分の家にいると不幸でたまらなかったわたしを。でもすべては過去になったわ――いまでは昔の夢よ、と彼女は言った。クラリッサのお父様が死んでミス・パリイが生き残るなんて。こんなに驚いたことは始めてですよ! とピーターは言った。あの人は死んだとばかり思っていました。そうして結婚は、とサリーは思った、うまくいったのかしら? ところであの、とても美しい、とても落ち着いたお嬢さんはエリザベスだわ。むこうのカーテンのそばに赤い服を着ているのは。
(彼女はポプラのようだ、川のようだ、ヒヤシンスのようだ。ウィリー・ティトコウムはそう考えていた。ああ、もし田園に住んで、好き勝手な生活が送れたら、どんなにか素晴らしさが増すことだろう! 可哀そうにわたしの犬が吠えているのが聞こえるわ、エリザベスはそう信じた)ちっともクラリッサに似てないですね、とピーター・ウォルシュは言った。
「まあ、クラリッサ!」サリーが言った。
サリーが感じたのはただこんなことだった。クラリッサの感化は莫大なものがある。二人は友達同志、単なる識り合いでなく朋友だったので、いまでも両手を花で一杯にして家のまわりを歩いていた白づくめのクラリッサの姿が眼にうかんで来る――いまだに煙草の葉を見るとブアトンのことを思い出す。でも――ピーター、あなたにはわかるかしら――いまのあの人には失われて無いものが。失われたのは一体何かしら? むかしは魅力をそなえていたわ、素敵な魅力を。でも正直なところ(そして彼女はピーターを昔馴染みの本当の友達だと感じた――離れていたって、それが何なの? 会わないでいたって? ときどきは手紙を書きたいと思い、しかし書き棄ててしまったが、この人はわかってくれるだろう。人間は年老いることを自覚すると同じように、何にも言わずとも理解するものなのだわ。わたしもいまは年老いて、今日の午後はイートンへ面会に行って来た、耳下腺炎にかかっている子供らに)、率直に言って、クラリッサはどうしてあんなふうにできたのかしら――リチャード・ダロゥエイと結婚するなんて? スポーツマンで、犬ばかり可愛がっている男と。まったく、あの男が入って来ると馬小屋の臭いがしたわ。そして一切をこんなふうに? 彼女は手を振った。
ヒュー・ウィトブレッドだ――白いチョッキを着て、眼をたるませ、肥って、あてどなく、自惚れと愉快さ以外のあらゆるものを素通りさせながら歩いてゆく。
「あの人ったら|わたしたち《ヽヽヽヽヽ》に気がつかないのよ」サリーは言ったが、じつのところ言葉をかけるだけの自信はなかった――じゃ、あれがヒュー! 立派なヒュー!
「ところであの人は一体、何をしているの?」彼女はピーターに訊ねた。
あの男は王の靴を磨いたりウィンザー〔ロンドンの西二十マイル、テームズ河畔にある離宮〕で酒瓶を数えたりしているんです、とピーターは答えた。ピーターは相変わらず毒舌を振るうのね! しかしサリーも正直に言ってしまいなさいよ、ピーターは言った。さああの接吻、ヒューの接吻の一件を。
唇にしたのよ、と彼女は証言した、ある晩喫茶室で。わたしは腹を立ててすぐクラリッサのところへ行ったわ。ヒューがそんなことをするはずないわ! クラリッサは言ったの、あの立派なヒューが! ヒューの靴下は例外なしにわたしが見たなかでは最上の品よ――それから今のあの夜会服。完全だわ! 子供はあるのかしら。
「ここにいる誰もがイートンに学んでいる息子を六人もっているのさ」ピーターは彼女に言った。例外は僕だが。有難いことに一人もない。息子もないし、娘もなし、妻もない。そう、あなたはいっこう平気なのね、とサリーは言った。あなたのほうが若く見えるわ、どうやら、ここにいる誰よりも。
しかしばかげた真似ですよいろいろな意味で、とピーターは言った、あんな結婚をするなんて。「あの女は完全な阿呆ですよ」と言いながら、「すばらしい生活でしたよ」とまた言うのは、どうしてなのだろう。サリーは訝《いぶか》しんだ、どういう意味なのだろう。彼の人間を知っていながら、彼の身に起こった唯一の事件を知らないなんて、妙だわ。彼はただ傲慢さからああ言ったのだろうか。ありそうなことだ。けっきょくは彼を苦しめているのだ(たとえ彼が変わり者であり、仙人じみていて、いっこう普通の人間らしくなくとも)、あの年になって家庭もなく行くべきところもないということは、寂しいことにちがいないのだ。でも何週間でも構わない、ぜひわたしたちのところへ泊りに来て下さいな。伺いますとも。よろこんで伺いますよ。そんな会話の間にこういうことがわかった。今まで、ダロウェイ夫妻はいちども訪ねたことがない。何遍となく招待はしたのだが。クラリッサが(もちろんクラリッサだ)来ようとしないのだ。だって、とサリーは言った、クラリッサは本心は俗物なのよ――何て言ったって俗物よ。そんな気持ちが疎遠の原因なのよ、きっと。クラリッサはわたしが身分ちがいの結婚をしたと思っているのよ。なぜって私の主人は――わたしは自慢に思っているけど――炭鉱夫の倅《せがれ》なの。みんな稼いで得た財産なのよ。子供の時から(彼女は声を落とした)主人は大きな石炭|俵《だわら》を運んだの。
(こうして彼女はまくし立てるのだ、ピーターは思った、何時間でも。やれ炭鉱夫の倅とか、世間では身分違いの結婚と思うでしょうとか、五人の息子とか、その他何やかやと――あじさいとか、|ばいかうつぎ《ヽヽヽヽヽヽ》とか、スエズ運河から北にはけっして生えないとても珍しい木芙蓉《もくふよう》百合とかの植物のことを。しかし彼女はマンチェスター郊外に庭師を一人やとって花壇を、歴とした花壇を作らせている! ところが今のクラリッサにはそうした気持ちが全然ない、擁護的感情を失ってしまったのだ)
俗物だって? なるほど、いろいろな意味でね。彼女はどこにいるんです、さっきからずっと? 時間は更けてゆくのに。
「でもね、わたし」とサリーは言った、「クラリッサの宴会と聞いて、どうしても出なくては|いられない《ヽヽヽヽヽ》と思ったの――もう一度会いたいってね(それにわたしはヴィクトリア街に、お隣り同様のところに宿をとっているの)。だからわたし、招待状もなしで来たのよ。でも」彼女は声をひそめた、「どうぞ教えて。あそこの方、一体誰なの?」
それはヒルベリイ夫人が出口を探しているのだった。だんだん遅くなるわ! そうして、と夫人は呟いた、夜がだんだん更けて、お客が散ってゆくと、昔友達が見つかるのだ。静かな部屋の隅が、美しい光景の数々が。あの人たちは知っているかしら、と彼女は思った、こんな魔法にでもかけられたような庭に囲まれていることを? 光、樹々、素敵に輝いている池の水と空。ほんとに妖精がランプをともしているようですわ、とクラリッサ・ダロウェイは言ったっけ、裏庭の眺めは! でもあの人はほんとに魔法使いだわ! そう、遊園なんだわ!……ところであの二人の名前は知らないけれど、たしかに友達同志だ。名前のない友達、言葉のない歌〔メンデルスゾーンの小曲、『無言歌』にかけていう〕、それがいつもいちばん美しいわ。でも随分沢山の戸口があって、思いがけない場所があって、道が分からなくなってしまった。
「ヒルベリイ老夫人ですよ」とピーターは言った。ところであれは誰だろう、一晩じゅうあのカーテンのそばに黙って立っている婦人は? 顔には見おぼえがあった、ブアトンとの関係において。たしかにあの女はよく、窓ぎわの大きなテーブルにむかって肌衣を裁断していた。デイヴィドスン――そんな名前じゃなかったかな?
「まあ、あれはエリー・ヘンダスンよ」サリーは言った。クラリッサはほんとにあの人には冷たいのね。貧乏はしていても従姉妹なのに。クラリッサは|ほんとに《ヽヽヽヽ》無情だわ。
相当そうですね、とピーターは言った。でも感情に走ると、とサリーは言った、ピーターはそのためにあの人を愛し、いまではかえってそれを多少怖れているけれど、あの熱狂的気分に駆られると、とっても真情を吐露するの――クラリッサは友達にたいしてどんなに優しかったことでしょう! そして彼女の友情は珍しい美点を含んでいたわ。ときとして夜中に、あるいはクリスマスの日などに、自分の幸福を数えてみるとき、わたしはまず最初にあの友情に指を折ったわ。わたしたちは若かった、そのためだわ。クラリッサは汚れのない心をもっていた、それも原因だわ。ピーターは感傷的だと言って笑うでしょうね。そのとおりだわ。だってわたしは、語るに値するのは心から感じたことがらだけだって、そんなふうに思いつめていたのよ。小悧口はばかよ、ただ感じたことだけを言わなくてはいけないわって。
「でも私にはわかりませんよ」とピーター・ウォルシュは言った、「心から感じることっていうのが」
気の毒なピーター、とサリーは思った。なぜクラリッサは来て、話をしようとしないのだろう。それがこの人のこがれ求めるものなのに。わたしにはわかるわ。いつもクラリッサのことばかし考えて、ナイフをもてあそんでいるのが。
私は人生が割り切れるものだとは思いませんでしたよ、とピーターは言った。私とクラリッサとの関係は割り切れるようなものではありませんでした。それは私の一生を損なったのですから、と彼は言った。(二人は非常に親密だった――俺とサリー・セットンは。とすれば、言わずにいるのはばかげている)二度と恋はできませんよ、と彼は言った。だからと言ってわたしには何が言えましょう? でも恋したことはしないよりはましよ(けれど彼は感傷家扱いした――よく毒舌を弄したのだわ)。マンチェスターのわたしたちの家にぜひ泊りに来てね。きっと伺います、と彼は言った。きっと。ロンドンで果たさなければならぬ用事が終えたらすぐ、よろこんで泊りに行きましょう。
それにクラリッサは、リチャードよりはずっとあなたのことを思っていたのだわ。サリーはそう信じて疑わなかった。
「いや、いや、いや!」ピーターは言った(サリーはそんなことを言ってはいけない――話がきわど過ぎる)。あのお人善し――あの部屋の隅に、例のとおり大いに話しまくっている、なつかしいリチャード。話相手になっているのは誰、とサリー訊ねた、あの大そう立派な風采をした男は? 彼女みたいに荒蕪の土地に住んでいると、あの人間は誰かといった飽くなき好奇心を感じるのだろう。しかしピーターはその男を知らなかった。様子が気に喰わないな、と彼は言った、たぶん閣僚の一人でしょうが。みんなのなかでリチャードがいちばん立派に見えますよ、と彼は言った――いちばん清廉な人間に。
「でもあの人は何をしたでしょう?」サリーは訊ねた。公共の仕事を、たぶん。そして二人は幸福なのかしら、とサリーは訊ねた(彼女自身はきわめて幸福だった)。だってわたしはあの二人のことは何も知らず、ただ誰もがするように、一足飛びに結論に急ぐだけだわ。毎日いっしょに暮らし合っている人間だって、一体何を知っているでしょう? わたしたちはお互い囚人同志なのよ。監房の壁をガリガリ引きむしった男のことを書いた素晴らしい芝居を読んだことがあるけれど、それこそ真実の人生の姿だと感じたわ――人間って壁を引きむしるのよ。人との関係に絶望すると(人間ってとても気むずかし屋よ)、わたしはよく庭に出て、男からも女からも与えられない平和を花から与えてもらうの。いや御免ですよ、キャベツは好きません。人間のほうが私は好きですね、とピーターは言った。ほんとうに若い人達はきれいね、サリーはエリザベスが部屋を横切ってゆくのを眺めながら言った。あの年頃のクラリッサとはまあ何て相違して! あなたにはあの子の気持ちが少しは分かって? あの子は口をききたがらないわ。まだ大してはね、ピーターは承認した。まるで百合ね、とサリーは言った。池の畔りに生い立つ百合。しかしピーターは、人間は何も知っていないという意見には反対だった。われわれは何もかも知っているのです、と彼は言った。少なくとも、私はね。
それはそうとあの二人、とサリーは囁きかけた、こちらへ歩いて来る(クラリッサがすぐ来ないようなら、わたしも、ほんとにもう出掛けなければ)、あの立派な風采をした男と、リチャードに話しかけていた少し俗っぽいその奥さん――ああした人間について何がわかるでしょう?
「彼らが憎むべき山師であることがですよ」ピーターはちらりそのほうを見ながら言った。サリーは笑い出した。
しかしサー・ウィリアム・ブラッドショーは戸口に足をとめて、一枚の絵をながめた。版画作者の名前を見ようとして彼は絵の端をのぞきこんだ。彼の妻ものぞいた。サー・ウィリアム・ブラッドショーは美術にはひどく熱心だった。
若い時分には、とピーターは言った、人間を知ろうとして躍起になるのです。それが年を取って、満五十二歳にもなると(わたしは五十三歳だけれど、それは肉体のことで精神は二十の少女同然よ、と彼女は言った)、そうなるともう分別がついていて、観察したり、理解したりできるのです。しかもまた感じる能力を失うことはありません、と彼は言った。そう、それはほんとうね、とサリーが言った。わたしも一年ごとにだんだん深く、烈しく物を感じるようになったわ。年ごとに増大するのですよ、と彼は言った、おそらくね。しかしむしろそのことをよろこぶべきでしょう――私の経験から言っても増大してゆきますね。印度にこれこれの人間がいます。その女のことをお話ししたい。サリーにその女を知ってもらいたいのです。彼女は結婚しているのです、と彼は言った。小さな子供が二人あります。みなさんぜひマンチェスターにいらっしゃい――お別れする前に約束して下さらなきゃ。
「エリザベスがいますよ」と彼は言った、「まだ彼女は、われわれの半分も感じてはいないでしょうね」「けれど」サリーは父親のほうへ歩いてゆくエリザベスを見守りながら言った、「あの二人がお互い、愛情で結ばれていることは確かだわ」エリザベスが父親のほうに歩みよる様子によって、それと感じられたのだった。
なぜなら父親は、ブラッドショー夫妻と立ち話をしながら彼女のほうを眺めて、あの大そう美しい娘は一体誰だろうと密かに考えていた。そして急にそれが娘のエリザベスであると知ったのだ。気がつかなかった、ピンク色の服を着てとても美しく見える! エリザベスはウィリー・ティトコゥムと話をしながら、親の眼が注がれているのを感じた。そこで彼女はそのほうに歩みより、二人して立ちながら、今や宴会がほとんど果てて人々は帰途につき、床の上にいろいろなものが散らかった部屋々々が、しだいに閑散になってゆく様を眺めていた。エリー・ヘンダスンさえもが、ほとんど客の最後になって帰りかけた。話しかける相手もなかったが、エディスへの語り草に何も彼も見て行こうと考えていたのだ。そしてリチャードもエリザベスもむしろ宴が果てたことをよろこんだが、リチャードは娘のことを誇りたい気持ちだった。そのことを当人に言いたくはなかったが、彼は黙っていることができなかった。お前を眺めてね、と彼は言った、あの美しい少女は誰だろうって思ったのさ。そうしたら自分の娘だった! この告白は彼女を幸福な思いにさせた。でも可哀そうに、わたしの犬が吠えているわ。
「リチャードは立派になったわ。あなたの御意見どおりよ」とサリーは言った。「行って話しをして来るわ。お別れを言って来るわ。脳味噌なんかどうでもいいわ」ロセッター夫人は起ち上がりながら言った、「問題なのは心よ」
「行きましょう」とピーターは言ったが、しばらく座ったままでいた。この戦きはどうしたのか? この恍惚感はどうしたのか? 彼はひそかに考えた。ただならぬ昂奮にこの身を包むのは、何者だろう。
クラリッサなのだ、と彼は言った。
なぜなら、彼女がそこに来ていた。 (完)
[#改ページ]
解説――ウルフの人と作品
「小説家の芸術はたしかに時間と歳月を改めて新しく描くことにある。そこでは一切が目ざめの状態、発見の状態――しかも同一の対象のなかでの――でなければならぬ」
――アラン『文学語録』
一、「船出」まで
一八八二年一月二十五日、ヴァージニア・ウルフは文芸批評家、哲学者レズリー・スティーヴンを父として、ロンドンの貴族的住宅地区、ケンジントンに生まれた。十七世紀いらいの名門である家系は、ダーウィン家、ストレイチー家、メィトランド家など、精神的にすぐれた血統につながり、彼女に卓抜な才能の種子と、これを美しく育成すべき豊沃な土壌とをあたえた。レズリーの最初の妻はヴィクトリア朝の大作家サッカレーの三女であったが、不具の一子を残して一八七五年に死んでいる。越えて一八七八年、彼は友人であった弁護士ダックワースの未亡人と再婚、やがて二男二女を挙げた。アディライン・ヴァージニアは次女で、長じてからは、母方の祖々母にちなむヴァージニアの名のみを名乗った。彼女が生まれた年、父は「コーンヒル雑誌」主筆を辞して、「大英人名辞典」編輯主任に転じているが、「コーンヒル雑誌」が世紀末英文壇に占めた重要な役割上、彼の客間には大小無数の文学者の訪問が絶えなかった。代表的な例だけを挙げても、詩人にブラウニング、メレディス、ロバート・ブリッジズがあり、批評家にアーノルド、ラスキン、ペイターがあり、小説家にハーディー、スティーヴンスンなどがある。かかる芸術的、学的雰囲気が、幼い魂にいかに豊かな、けれど「いささか重圧的な」感化を及ぼしたかは、第二の長編『夜と昼』(Night and Day, 1919)の冒頭に、多少の戯画的潤色を加えて回想されている。
ヴァージニアが伝記作者ホルトビィに語った思い出の一つは、南英コーンウォールの海岸で、父親から寄せ来る波のなかに放りこまれ、浮きつ沈みつしている裸の子供の姿であった。コーンウォル州セント・アイヴズには一家の別荘があり、夏が来るたびここに暑さを避けたのである。『波』(The Waves, 1931.)の間奏楽《インタルード》をはじめとし、海は彼女の作品の隠微なモチーフとなって、絶えず立ちかえる。『燈台へ』(To the Lighthouse, 1927)の舞台面も、地理的にはセント・アイヴズの海ではないが、作者はここで若い日に自らの眼をかぎりなく愉しませ、肉感的なよろこびと生きることの誇りを感じさせた海の息吹きと光りを再現している。こうした海への憧れと親近感とが、幼い魂のなかに、拭い去りえぬ無限の孤独感を、活動的な諦念をはぐくんだ。なぜなら海は魂に、自らを抑制し、その抑制の意識のうちに確かめられた自己意識を味わうことを教える。『波』のバーナードの人生の美とリズムへの不断の愛、あらゆる災厄に欣然として対処しようとする心構えも、おそらくはこの不断の海への接触に胚胎する。少女レイチェルの生への出帆は南アメリカへの『船出』(The Voyage Out, 1915)にはじまる。さらに『ジェーコブの部屋』(Jacob's Room, 1922)のコーンウォールにおけるあの異常な発端と主人公の海上での休暇生活、『燈台へ』の舞台面のすべて、『波』における海辺風景の間奏楽と作品全体の構想、そして一切がついに陸上に終わるそれ以外の作品にさえ海の幻想はしばしばあらわれ、たとえば『ダロウェイ夫人』(Mrs. Dalloway, 1925)の女主人公はロンドン街上を歩みながら、はるか遠く海上に、ただひとりあるような不安――否、むしろ不安を越えた酔い心地をすら味わう。数かぎりない海の思い出は、無名の影響となって迫り、譬喩すらやがて海の音色を帯びる。「わが詩の基調は海の教えた死にある」と言ったホィットマンの場合のように、作者はあの青の色調にはげしいよろこびを見いだしているように思われる。
少女時代の彼女は、「十九世紀の後半における富裕な家庭の娘たちの大多数とおなじく」(The Voyage Out)姉ヴァネッサとともに家庭で教育を受けた。一八九五年に母が死んでからは、もっぱら父が薫陶の任にあたった。ヴァージニアは生来、『燈台へ』の巻頭に置かれた、ジェームズ・ラムジーの六歳の肖像に素描しているように、いかに幼少の時期にであろうと、感動の輪の些細な一めぐりにも、瞬間のうちにやどる翳りと耀きを結晶化し、射とおすはたらきをそなえた、繊細な魂たちにぞくしていた。賦才《ガーベ》はやがて負債《アウフガーベ》である。すべての天才と同じく、自己のこのような稚い心の白紙に塗抹された宿命的な疾患を、彼女は生涯の努力をとおして償った。ところで、このような特殊の魂の形成のためにはおそらく一種の怠惰――積極的な怠惰が必要であろう。無為と静かな読書に宛てらるべき自由な時間が許されるとき、そこにかれは異常に効果的な修練を積むことができる。ヴァージニアが受けた教育方法も、「考えるための時間を惜し気なく彼女に豊かに残してくれた」(同.)そして彼女の前には、決定的な影響を及ぼすべき精神的風土として、文学史家スティーヴンの万巻の書を蔵した、選り抜きの、見事な書庫があった。かくして、正規の教育を受けぬかわりに、文学修業の道程はあくまで正統的であることができた。書物は若い日の彼女の唯一の伴侶であった。彼女はまた、いつもペンを握っていた。後年『青年詩人への手紙』にその主張を繰りかえしたように、二十歳から三十歳までは矛盾と発酵の時期であることを確信しつつ、輝かしい活動期への準備と、それにたいする精神の発酵が、このようにしてはじめられた。準備は徹底的であり、そのあいだに認知されたものは、何一つとして棄てられなかった。
一九〇四年、父の死と同時に、スティーヴン姉妹は、兄弟とともに、ロンドンの文化的中心ブルームベリのゴンドン・スクエア四六番地に小さな家を構えた。姉妹はいま極度の自由と、独立しうるだけの財力とをあたえられた。度重なる海外旅行がくわだてられ、実行され、さらに、ヴァネッサは絵を、ヴァージニアは小説を、すでに競作しはじめていた。弟エイドリアンの親友であった画家ダンカン・グラントの記憶によれば、一九〇七年に書き上げられた『船出』の原稿は七年かかって完成した。とすれば、一九〇一年に着手したことになる。しかし心中深く期するところあった彼女は、ブルームズベリの最初の十年間に、一篇の創作をも世に問うことをせず、やがて「タイムズ」文芸付録の論文寄稿者として出発した。匿名を鉄則とするこのつとめは、慎ましい表現意欲によく合致したであろう。そして後年、「感情昂揚」の時代にある若い詩人にむかって試みた彼女の忠言は、「天に誓って、三十歳に達するまでは断じて作品を公表なさいますな」ということであった。
一九〇七年、すでに女流画家として名があった姉ヴァネッサが美術批評家クライヴ・ベルと結婚すると、間もなくヴァージニアはケンブリッジ在学中の弟とともに、同じブルームズベリのフィッツロイ・スクエア二九番地に移り住んだ。ダンカン・グラントは新居の模様を詳しく報告している。まず一階は書物のぎっしりつまったエイドリアンの書斎で、その背後に食堂がある。二階は全部客間になっていて、世紀末の名匠ワッツが描いた、父レズリーの肖像が掛っている。ヴァージニアの居室は三階である。雑然と書物のつまれたこの部屋に、招じ入れられるのはごく親しいひとびとに限られる。そして高いテーブルにむかって立ちながら、毎日午前中、二時間半だけ筆をとるのが彼女の奇妙な慣わしである。それ以上の精神の集中は過重の負担であったらしい。二重窓も、外部からの騒音にきわめて敏感なためである。
いわゆる「ブルームズベリ・グループ」が形成されたのは、いちばん賑やかなこの家の一階――エイドリアンの部屋においてである、とダンカン・グラントは言う。ただし木曜の晩に毎週友人たちが集まることは、ゴードン・スクエアいらいの習慣である。晩の十時ごろからぼつぼつ集まり、午前二時ごろになって漸く帰り出す。チャールズ・サンガー、シアドー・L・デイヴィス、デズモンド・マッカーシィ、リットン・ストレイチーなどが常連である。やがてはそのリストを『オーランドー』(Orlando, 1928)の序文に記されたおおくの人々――E・M・フォースター、J・M・ケインズ、ヒュー・ウォルポール、オズバート・シットウェル、ハロルド・ニコルスン、レイモンド・モーティマー、F・L・ルーカス、年長者としてのロウジャー・フライ及びアーサー・ウェイリー、等々――にまで引き伸ばさねばならぬ、真に文化的なサロンはこうした内輪な集まりがもとであった。われわれは、銀色の靄が立ちこめた、明るい部屋のなかに、輪郭の整った楚々たる風姿の若い一人の女性が、ほとんど口を開くことなく、静かな眼をあげて、ケンブリッジに学ぶ青年たちの活溌な会話に耳を傾けているのを見いだす。けれど彼らは、彼女のやや硬《こわ》ばった美しさの背後に、いかなる形における妥協をも肯んじない性格の激しさが隠されていることを知っていた。なぜなら一旦口をひらくと、思いもかけぬ辛辣な言葉が、きまってそこから流れ出たから。彼女はジェイン・オースティンとともに最もよく青年を、しかも最高の教養を身に帯びた青年たちを知り、完全に彼らを理解した。客間で人物観察を重ね、感情教育を受けることは、『自分だけの部屋』(A Room of One's Own, 1929)にも記されている通り、英国女流作家の伝統である。この時代の追憶は後年の諸作品に完全に活用され、惜し気なく撒き散らされている。
やがて彼女の世界に登場する男性は、老若の別なくみんなインテリゲンチャである。著作し、絵を描き、講壇に立ち、古典を校異し、大英博物館に通う人々のみである。総じて男女の別なく、スポーツや映画について語る、現代小説通有の人間はほとんど顔を見せない。ラファエル前派風の服装と、純粋に知的な雰囲気のうちに、貴族的に生長した彼女は、その「精神と美と健康の尊重」(The Mark on the Wall)の範疇内に、無知な人々を容れることができない。「肉屋の倅に生まれることは幸せで、文字なぞ読めないほうが恵まれているなぞとは決して信じなかった」(Orlando)エリザベス朝文化への憧れのごときも、貴族的衿持に由来するもののように見える。そして労働婦人の精神や気力を讃えたあとで、彼女は臆面もなく公言する、「それにしても、それと同時に、レディであることはなおさら結構である。レディはモーツァルトを、アインシュタインを欲する――すなわち、手段ではなくて、それ自体目的であるところのものをもとめる」
けれど人間の物質的境遇への、ややひろい知識がやがて彼女にあたえられる。一九一二年、彼女は評論家レナード・ウルフと結婚した。ケンブリッジを出てしばらくセイロン島に役人生活を送ったこともある彼は、政治と経済にもっぱら関心を注いでいた。文明批評家レナードの妻にとって、いつまでも社会の現実に無関心でいることは許されなかった。結婚のあくる年、ウルフ夫人は北部工業地帯の視察に同行、ニューカスルでは婦人協同組合の協議会に列なった。彼女の前にはまた、全英国女性の関心を否み難く惹きつける、大きな運動の流れがあった。パンカースト夫人の娘シルヴィアが著した戦闘的婦人参政権運動史をひもどくなら、感受性に加えて公共の精神をひとなみに備えた、当時の女流芸術家たちが、何を感じ、何を夢見たかが判然とする。一九〇五年に始まる「戦闘的」運動は、年を閲するにつれて熾烈さを加えて来た。しかし彼女は、芸術の神の嫉み深いことを知っていた。その圏内にありながら芸術家以外であろうと欲するものには復讐し、芸術のうちにおいてすらも失墜せしめることを。ヴァージニア・ウルフは行動よりも思索において明敏であろうとした。加えて肉体の繊弱さが、彼女の決定を容認した。恋を失った哀しみを仕事にたいする深い永久の満足によって償われる、『夜と昼』の婦人参政権運動者メアリは、作者による美しい補償行為であった。芸術と政治とに関する彼女の判断は、『自分だけの部屋』や『三ギニー』においてつねに公正であり、社会改良への関心を作中人物に語らせるにさいしては、つねに両性のために配慮している。彼女の遺稿のひとつに、「芸術家と政治」と題する苦悩にみちた小論があるのも故なしとしない。
二、「船出」以後
一九一五年、ウルフは、五たびにわたって徹底的に稿を改めた処女作『船出』を漸く公刊した。盟友フォースターがエミリー・ブロンテの名篇『嵐ヶ丘』にせまる均斉美をたたえたこの物語は、一少女の愛と死に関したものである。題名は三重の意味を含む――ユーフロジニー(歓喜)号の南アメリカへの旅立ちと、女主人公の生の冒険への旅立ちと、そして最後に、彼女の生より死への旅立ちと。古典学者アンブローズとその妻は、義兄の持ち物で、はじめて航海に就く運送船に乗って、避寒の旅に出る。船の持ち主ヴィンレース氏も娘レイチェルといっしょに乗りこむ。途中リスボンから、後の小説の中心人物となるダロウェイ夫妻が――ここではしかしやや戯画的副人物として――二、三日の予定で同乗する。ダロウェイ氏とのちょっとした感情の交流に、「仕上げのできていない少女」はひどく動揺する。けれど、彼女がよい素質を具備しているのを知ったアンブローズ夫人は、父にかわって、その人生教育を引き受けることになる。四週間の船旅が果て、サンタ・マリーナに上陸すると、少女は丘のうえの父の別荘で叔父夫妻と暮らしはじめる。幼くして母を失い、老嬢である二人の叔母に育てられたレイチェルは、自己の周囲の人間を、それぞれ単に老年とか美とか母性とかの象徴としてしか見ていなかった。しかしやがて、アンブローズ夫人の薫陶によって、人々が個性ある存在として映じ来るにしたがって、象徴は破壊され、ほろびる。「航海の終わりは彼女のパースペクティヴの根本的変化を意味するものであった」その後の彼女における精神的発展は、作者の公平な眼によって充分に描写されている。そして町のホテルに滞在する本国人とまじわり、遠出やら舞踏会やらに参加し、川を遡って土人部落を訪れなどするうち、しだいに青春の体験が繰りひろげられてゆく。青年テレンスにたいする真の愛情の目醒めが、作の後半の重要部分を占める。やがて、青年との婚約が成立し、ようやく生きることの自信に酔ったとき、あわただしくも死がその二十四歳の生涯に終止符を打つ。生への教育は一個の冒険であるがゆえに、レイチェルは叔母とともに経験の海へ旅立った。そしてその最後の寄航地は生であると同時に死である。
つとに作者の抱懐する個性への強烈な関心は、人間性の内奥をさぐることに彼女を熱中させる。主要な人物はみな、ジュリアン・バンダのいわゆる近代人の特質――自他の直接な接触へのデスパレートな渇望によって動かされている。とりわけ感興をそそる人物は、小説家志願の青年テレンス・ヒューエットである。いかなる人間もけっきょく他人を理解しえないこと――それが人間の言葉に投げかけられた呪いであり、会話は沈黙とおなじようにわれわれを苦しめる、と彼は言う。われわれはすべて闇の中にいるのだ。しかし、そのゆえにこそわれわれは「ものの背後にあるもの」を見いだそうとするのではあるまいか。たしかに現象はすべてそれ自ら一個の教えではある。けれど、この現象の背後のものを追い求め、光のように迫って来るくさぐさの事実を一つに纏め上げてみてはどうか。これが彼の主張である。彼はまた言う――「自分の考えでは、過去というもののなかにはある美しい特質がある。それを普通の歴史作家は、愚劣な常套手段をもちい、すっかり台無しにしてしまうのだ」(The Voyage Ou)このようにしてすでに、過去――「喪われた時」の探求は、ここに開始されている。また、レイチェルが、音楽にたいする彼女自身の傾倒から発して、むしろ音楽的小説を書くべきであると彼にすすめているのも面白い。後年の『波』は作者によるその実践ではなかろうか。ウルフにおいて肝要な主題は、すべてその発現の長い以前からこうしてすでに揺曳し、つねに形式におうじ年代を異にしながら、ながくその余韻を保った。
第一次大戦が引き続き戦われているあいだ、ウルフはロンドン郊外のリッチモンドに住んで、テレンスの主題――「ものの背後にあるもの」に思いを凝していた。彼女はまず試みに、軽いスケッチ形式でそれを追求しようとした。ともに一九一七年に私家版として出た『壁の汚点』(The Mark on the Wall)と『キュウ植物園』(Kew Gardens)がその成果である。この二掌篇の出版は、ウルフが現代文学にもたらした、より現実的な寄興にわれわれを結びつける。この年、ウルフ夫妻は、リッチモンドのホガース館(Hogarth House)に手刷印刷機をすえて、小さな書物の刊行を企てたのである。やがてこの仕事は拡大されてホガース書店となり、キャサリン・マンスフィールドの処女作『序曲』(一九一七年)から、T・S・エリオットの名を不朽にする詩篇『荒地』(一九二二年)や、彼女自身の『ダロウェイ夫人』その他のごとき、現代の代表的作品を出版書目に加えることになった。
一九一九年には第二の長篇『夜と昼』が、これは『船出』と同様ダックワース社から出、姉のヴァネッサに捧げられた。これの執筆中、ウルフは大患を経験した。そして、病に打ち勝とうとして筆をふるったためか、出来上ったものは彼女の作品中最大の長篇となった。当時、マンスフィールドは新刊批評欄に否定的口吻をもらし、人物は作者の思想にあやつられた傀儡的存在であるとしている。ヴィクトリア朝の大詩人を外祖父とするキャスリン・ヒルベリーを中心に発展するこの物語には、たしかに文学サロン通有の類型的人物が多すぎる。けれど決して形態万能の伝統的作品ではなく、冗長のきらいはあるにしても、無意識の領域は拡大されている。少なくとも女主人公キャスリンは魅力ある活きた人間像である。彼女は最初、自分の住む世界を濃霧だと感じていた。そして、この窒息的な雰囲気から脱出しようとして、高等数学などという「淑女らしからぬ研究」に耽ったあげくに、なかば捨て鉢な気持から、衒学的なダンディである富裕な青年と結婚しようとする。もちろん相手は彼女を熱狂的に崇拝している。しかし意識の底にひそむ、より高い精神的な自我は、ふと識り合った他の男と無意識裡に離れがたい関係にむすびつけられてゆく。レイフ・デナムもまた、不自然な「スパルタ的自己抑制」によってロマンティックな衝動を抑え、夢の中で真実の生活を生きて来たのである。彼女はレイフの苦悩の告白を聞きながら、はじめて異様な心の平静さをもつ。彼女を欺瞞して来た「ストイックな人生享受」は「事実への愛」の前に根拠をうしなう。知性を武器に、作者はいわば、『ダロウェイ夫人』のブラッドショーよりも確実な精神分析医の役割をはたしたのである。そして、あのようにしつこく纏わって来た濃霧が霽れ上がってゆくのを感じながら、街を一人歩いているキャスリンは、しきりにドストエフスキーの『地下室の手記』の主人公の言葉を繰りかえす――「問題なのは人生であって、人生以外の何ものでもない――発見の経緯《プロセス》、永久に続いてゆくその経緯にあるので、全く発見そのものにはない」
これはあたかも作者のその後の歩みを象徴しているかのようである。なぜなら一九二一年に公けにされた試作集『月曜日か火曜日』は、作家ウルフの第二の船出であると同時に、発見のプロセスへの第一歩であった。それは既刊の二篇に六篇の実験的小品を収めてホガース書店から刊行された。今後の作品はすべてホガースから出版されるのである。表題はこの種の実験の最高潮をしめす集中の一篇から取られたが、ウルフ芸術の合言葉をしめすことは、一九一九年に書かれたはずの小論「現代小説」のなかの、つぎの主張によって明らかであろう。――「人生とはかくのごときものであろうか。小説はかくのごときものであらねばならないのか。内観してみると、人生は『かくのごときもの』とは格段の相違があるようである。ちょっとの間、普通の日の普通の心を調べてみよ。精神は無数の――些細な、狂気じみた、はかない、あるいははがねのような鋭さをもって刻みつけられた――印象を受けとる。あらゆる方面からそれらは、無数の原子となってやって来る。そしてそれらが落ちるに際し、あるいは月曜日の生活となり、また火曜日の生活となりするので、強調は以前とはちがった場所に置かれて来る。重要な瞬間は此処になくて彼処にあったのだ。したがってもし、作家が奴隷でなく自由人であり、書かねばならぬことがらでなくて書きたいと思うことがらを書き、慣例によらず己の感情にもとづいて創作しうるものであるとしたら、プロットもなく喜劇もなく悲劇もなく、異論のない形式にしたがった恋愛事件も破局もなく、ボタン一つでも、ボンド街の仕立屋がつけるような具合にはなっていないはずである。人生は左右相称的に列んだ馬車ランプの連なりのような形をしてはいない。人生は光まばゆい暈輪《うんりん》である。意識の始めから終わりまでわれわれを取り巻く半透明な包被である。この変化に富んだ、この未知無辺際の精霊を、それがいかに常規を逸脱し紛糾をしめそうとも、できるだけ異質のもの、外面的なものの混入を避けて伝達するということが、小説家たるもののつとめではなかろうか」「ウルフ夫人のいくつかの小篇は」――T・S・エリオットは『月曜日か火曜日』の書評において言う、「対象と、対象が誘発する感情との間のつながりが無限にくいちがうという点に、その魅力の隠れた理由が潜んでいることがおおい。ウルフ夫人は微に入り細をうがった既知のことがらを読者にあたえ、そこに揺曳する心象や感情の継起を、きわめて意識的に踏査せしめようと誘う。その結果としてあらわれるものは、ウォールター・ペイターをソフィストケートせられない合理主義者に見せているところのものであって、この作品はしばしばいちじるしい特性を示している。要するに本書は断想の経過を描いたもっとも興味ある実例の一つであり、この方面ではおそらくこれを凌ぐものはあるまいと思われる」
そして、あくる一九二二年、ジェイムズ・ジョイスは『ユリシーズ』を書冊の形式で世に問い、この方面における最大の成果を収めたが、ウルフも同じ年、第三の長篇『ジェーコブの部屋』によって、美と新奇への実験の輝かしい結晶をしめした。ウルフ芸術がジョイスのそれの模倣的所産でなく、むしろ同時的な現象にほかならないことの例証でもあった。この小説がわれわれに知らせるのは、けっきょく、ジェーコブ・フランダースという愛すべき一青年が、未亡人の母に育てられ、ラグビー校を経て、一九〇六年にケンブリッジに入り、業を終わってロンドンに出、数年の人生体験を重ねたのち、大戦に応召して死んだというだけのことにすぎない。彼が文学青年であり、現代作家を嫌ってエリザベス朝詩人やフィールディングに読みふけり、ウィッチャリーの削除版に憤慨し、ギリシア文化を熱狂的に崇めていることなどは、直接作者から聞く。が、それ以外はほとんど一切の資料を作中人物に仰がねばならない。ヘンリー・ジェイムズの創始にかかる帰納的人物描写をもっと心理的にしたものである。作者はまたコンラッドのように、彼らの報告に直接の効果を期待しない。なぜなら、観点は無数に存在する。「われわれは同胞人間にたいして深い、公平な、また絶対的に公正な意見をいだくことはできぬものらしい。男にせよ、女にせよ、冷静な傍観者にもせよ、主観的な感傷家にもせよ、青年にせよ、老人にせよ、いずれの場合にあっても、人生はいわば影の行列にすぎない」
おのずとこの作品はもっぱら速記風な体裁を帯びる。ばらばらの暗示をあたえるのみで、読者に、自己の心裡に作者の意図するところを、いわば創造させる。作者は全智全能の説話者たることを止め、いまや彼女自らをも周囲の人物や事件との関係において現象的に記述する。観照者としてのありようが、その観察の立脚点が、時、ところにおうじてたえず移動するその変化を、作品のなかに織りこもうとするのである。いま、彼女の文体と他との比較を求められるなら、われわれは直ちにスターンに赴くであろう。スターンの『感傷旅行』を解説した彼女の文章は、やがて自作の解題である。――「それはいかなることでも起こりうる世界である。この軽快な筆が、英国散文の繁みの、垣根のなかに、切りこんだ間隙から、いつ、いかなる冗談が、いかなる嘲笑が、またいかなる詩の閃きがとつぜん飛び出さないものとも分からない。一体、作者はこのことに気づいているのであろうか。いま神妙に構えている作者が、つぎに何を言おうとするか、自分で分かっているのであろうか。あの取りとめもない文章は、まるで能弁家の口から出る句のように、すこぶる敏速で、すこしも制約を受けていないように見える。句読点がすでに会話のそれである。それはけっして書きものの句読点ではなく、話し声の響きと連想をともにつたえる。観念の排列も、その急激さ、唐突さにおいて、文学にたいするより、生活にたいしてより多く忠実である。この異常な文体の力で、作品全体が半透明を帯びる。読者と作家をへだてている通例の格式やしきたりは消えてしまっている。われわれは可能なかぎりにおいて人生に接近しているのである」
ひっきょう、この作品はプラトンとシネマとの融合である。対話篇的なふかい思想の究極への発展と、シネマに似て動きのおおい情景展示の方法――このふたつを一致融合せしめたところに作者のユニークな巧みさが存する。読者はしかし、最後におよんで、この書の主人公が、生のもつあらゆる魅惑と奇異を痛感する作者がその独自の人生観照を伝えようがために選び出した、影うすい存在であることを知るであろう。それゆえアーノルド・ベネットが批評して、「まことに精妙な筆で書かれ、ほとんどはち切れるばかりに独創性で充満しているが、生々溌剌たる人物を創造するという点では失敗している」と考えたことは、いちおう首肯しうる。この書は生の複雑な真相のいまだ見取図にすぎない。けれどレベッカ・ウェストが言うように、「まがいものならぬ詩であって、魂の認知をひそめている」こともまた確実である。そして、この新鮮な樹液にみちた力づよい萌芽のうえに、やがてつぎつぎに二つの壮麗な花がひらく。――『ダロウェイ夫人』と『燈台へ』とである。
『ダロウェイ夫人』の最初の部分は一九二二年に『ダイアル』詩に載ったが、二四年五月にはウルフはケンブリッジの文学団体に招かれ、『ベネット氏とブラウン夫人』の草稿を読み、間もなくこれを上梓した。五年前の現代小説論の敷衍であり、世紀初頭の三大作家――ベネット、ウェルズ、ゴールズワージーにたいする抗議文である。と同時に、ウルフにあってはめずらしい、謙遜の背後に矯激さをかくした、新文学のためのマニフェストであった。さらに、『ダロウェイ夫人』と前後して出た、『普通読者』はウルフ最初の試論集である。「タイムズ」文芸付録ほか英米の各誌に寄せた二十一篇を収め、リットン・ストレイチーにささげられた。一九三二年に出た続巻とあわせて言いうることは、ひたすら美を追う芸術至上主義者ウルフが、同時に、しばしばサント・ブーヴに擬せられるように、相対主義に徹した、真に二十世紀的な批評精神の持ち主であったと言うことである。そして、芸術家ウルフを内部から規制し、パセティックな主題に知的な白光を揺曳させることをたえず忘れない批評意識は、批評活動そのものにおいて、一そう明瞭な姿をとる。
ウルフの文学論を支配する知性主義は、最も厳粛な題目を語るときにも、しばしば、軽やかさ、明るさへのある偏愛を垣間見せ、彼女本来の沈鬱な暗さにたいし、それ自ら独立した魅力を発揮し、いつも座談的な、ときに簡勁《かんけい》な、ときには冗舌めいた口調が聞かれる。機智的な解釈にみちた『自分だけの部屋』は一九二八年十月、ケンブリッジの女子学寮での講演をもとにしているので、そうした感銘がとくに深い。もと「女性と小説」に関したものであるが、その直前、ウルフは奇抜な伝記『オーランドー』で、三世紀半を生きてなお不滅の一詩人を描き、友なる女流詩人ヴィクトリア・サクヴィルウェストに献じている。十七世紀末に突如、主人公は女性に転化する。作者はただ精神分析医的に「性のよろめき」によるものと記して、多く語らない。そこで伏せておいた理由を改めて『自分だけの部屋』で語ったと言ってもよかろう。男性の横暴のもとに無智のまま隷属していた英国夫人が、物質上の独立を僅かながら保証され、女流作家をはじめて生んだのは十七世紀末であるから。しかし、文学は知的自由なくしては成立せず、知的自由はまた物質条件に依存するという、彼女自身の幸福な境遇の回想から来るにもせよ、「甚だ無粋な結論」から出発したウルフは、辛辣な諷刺を連発して女性読者を酔わせ、男性読者をおそらく嘔吐させたあげく、にわかに調子をあらためて、性を黒白視するのは迷妄であり、男性の造形的意志と女性の自己表出の衝動を無意識裡に結合した、プラトンやコウルリッジのいわゆる「両性具有的」精神だけが高い創造をなしうるはずと、暗示的な主張をかかげて読者双方に満足をあたえようとする。その手際の鮮やかさ! これは結局、抽象概念や歴史的データの羅列ではなく、いわば眼で読みうる評論、一個の芸術品である。
三、「ダロウェイ夫人」
慣習や社会的制約に黙従している自動機制的存在は別として、人心に及ぼす時の意識の効果はまさしく複雑奇妙である。記憶と忘却は昼と夜のように、それぞれ絶対的に他を必要とする。僅か一日の生といえども、それの含む一切の微妙な事件や感覚や情緒や意欲やにより、記憶の全体をもおおうほどに拡大され、他のすべてのものを押し流すことができる。われわれの二元的生活にあっては、たとえ、再び忘却の底に沈んでゆくのではあっても、稀な偶然によって記憶のうちに一切がよみがえることがありうる。『ジェーコブの部屋』の外面的行動は紛れもなく二十余年の歳月を包含していたが、『ダロウェイ夫人』はその女主人公が、今夜の宴会の花を買って来ようと心に決める、詳しくは一九二三年六月のある水曜日の朝から、大詰めの夜会で彼女が総理大臣を送り出し、小部屋に戻って昔の求婚者ピーター・ウォルシュに近づくまでの、十二時間そこそこの短期間に万事が終わるのである。けれど、四囲を封じられたこの小さな時の水盤の中には、過去と未来とが渦を巻いて揺れている。すなわち過去はブアトンの荘園での少女時代に溯り、日よけ窓を敲《たた》いた早朝の空気から、みやまがらすの羽ばたきや、また客間の壁紙やござの匂いまでも偲ばせ、未来は彼女のうつしみが、鍾愛《しょうあい》した木や石や日光の一部としてしか存在しなくなるであろう永劫の彼方まで伸びてゆく。作者は、ある瞬間が、しばしば過ぎ去って久しい後にはじめて意味を生じることを信じつつ、束の間に把握せられた意識の断面からこの作品を作り上げ、生の流動そのものを伝えようと試みる。筋らしいものはほとんどなく、プロットの発展は、人物の思想のとめどない継起と連鎖とに取って代わられている。外面的にはここでは、中年の一女性が生涯に重ね来った経験の総約が物語られる。避けがたい末期へと移り進む彼女が、当面に持つべき日の、歓喜と危機の交錯をしめしたものである。
下院議員夫人クラリッサ・ダロウェイは、良人リチャードのために盛大な政治上の交歓の宴を催そうとする。彼女がその準備をしている間に、とつぜん、五年ぶりで印度から帰ったピーターが訪ねて来る。彼女は、貧乏で不幸せな家庭教師の老嬢と、偏執的なその信仰の感化の下にある一人娘エリザベスのことで、奇妙な葛藤を演ずる。午後になってピーターはリージェント・パークで、弾震盪のため痴呆症におちいったセプティマス・ウォレン・スミスがイタリア人の妻と一緒にいる姿を目撃する。(彼らは朝方、ボンド街で、高貴の人の乗用車がパンクしたとき、クラリッサの近くに立っていたのである)やがて夜に入り、有名な精神病医がダロウェイ夫人の宴会に遅れて来る。嘲《わら》うべきその職業的自信が、セプティマスの自殺の原因となったことを彼は自覚しない。しかし優雅な幸福感にひたる夫人は、一瞬、自殺したこの青年にたいし直観的な和合と共感を味わう。それから再び彼女の宴会に対処し、ピーターに再会するが、彼の率直な冒険的愛情におうじようとはしない。
『ジェーコブの部屋』とは異なり、ここではさまざまの人間の意識作用を通じて種々の小事件がひろがってゆく。と同時に、すべての喪われた時物が主人によって、各自の記憶のなかで探求される。最初の二、三十ページは、イメージの飛躍や、人物導入の方法や、事件の展開速度や、そうした手法的なものがわれわれの脳裡をはげしく往来する。意識、感覚、記憶、連想、情緒、衝動、引照、外面的行為、それぞれの楽器が奏でるいわばオーケストラである。しかしやがて、もっと圧倒的な調子が挑みかかる。傾聴をせまるメロディは、単に音の継起ではなく、時間的多様性そのもののうちには指摘しがたいが、にも拘らずなおそれを規定してゆく特殊なある統一である。意識の流れが事件の継起にしたがい、人物の会合の場面にあっては夢想と会話がまじりあい、おしなべて言葉と意識とから精妙な和音が生まれ出る。帰宅したダロウェイ夫人が緑のドレスを繕いながら坐っているとき、鎮魂のひびきとなって、彼女の心を揺すりまた和らげる「な恐れそ」の一句は、朝がたボンド街の書店の飾り窓で読んだ、シェイクスピアの悲歌の想起である。この句は全巻を通じて五回くりかえされ、彼女のみならず、暮れがたの光と影を愉しむセプティマスの「肉体の中で心が言う」などの特例も見られる。また、全巻をその上に組み立て、過去現在のことごとくをそれ自らの中に引き入れる非個人的契機として、時計の音響がある。街上のクラリッサはビッグ・ベンが鳴ろうとする直前、名状しがたい合間を感ずる。「そら! 鳴り出した。もう取り返しがきかぬ。鉛の圏がいくつも空中に溶ける」この句は四度くりかえされ、微妙なフーガ的効果を生む。ピーターはクラリッサの家を出たとたん、流れ来る寺院の鐘の音にいや深い幸福を味わうが、やがて消え入るその音には倦怠と苦悩を読みとり、そして最後の唐突の高音は、クラリッサの生の盛りに襲い来る死を予感させる。精神感応が電磁波のように空間に伸びひろがり、さらに遠隔作用として、次元を越えて他人の魂に融け入る例は、なお随所に見いだされるのである。
神を信じないが、それだけに日常生活の神話的性質をいや増しに信ずる、神をもたぬ神秘家クラリッサは、わが家を修養の場所とし、また彼女の芸術作品とすべく、天賦の才を折々に催す宴会に寄託する。「寄進のための寄進」という彼女の動機づけは、文字どおりヴァレリーの「無への寄進」に似ている。けれど作者は、つぎに、たしかにそれは異常に愉しい、いみじき気品に溢れた生活かも知れぬが、しかし肝要なものが彼女には欠けている、とでも言うように、第二の楽旨を呼び出す。ダロウェイ家の秩序ある洗煉、凡ゆる対立を平均化させた明るい調和の世界が、セプティマスの精神錯乱と対照されるばかりでなく、クラリッサはもちろんピーターと対比される。両者のテーマを並立させ、前者の変奏をセプティマス・ヴァリエーションと呼ぶことができよう。強烈に代置された保存と安立の調子、暗い世界への誘惑をとり鎮めようとする市民性にたいし、沸騰し透徹するような高い調子、年齢と逆行する若々しさの殺到、絶えず揺れるロマンティック精神は、真向から対立するものである。しかし、作者が厳密に性格に関心することを忘れてしまっている証拠には、あきらかにクラリッサの対画であるべきピーターまでが、「神秘的な、かぎりない豊かさにみちた人生」を痛感している。生の果実を摘みつくさぬと感じたときしばしば人の心を訪れる、昂められた情熱の作用は、クラリッサを駆って「時の奥家に躍り入り、それを突き通」させようとする。生きる日の限りつきまとう不安な陶酔にひたりながら、彼女はあらゆる場処に同時に身を置きたいという、不可能なしかしはげしい希みをいだいている。すでに早く、おのれが入りこむ部屋を生の音色でみたした青春時代にはじまるこの危惧は、中年のいま、ひとしお熾烈である。そして、ピーターにとってもまた、もっとも切なる悲しみは、時は慌だしく傍らを過ぎてゆくのに、押し寄せる波が足下にひろげる豊かな潮を堰きとめる術をもたぬことである。彼はクラリッサの深い孤独感を理解しその「超験的理論」をわれわれにむかって補足するのみではない。滅しがたい影響を人心に及ぼす愛の体験を彼女と共有する彼は、三十年にも及ぶ長い友情を回顧して「するどい、劇しい、不快な一粒の種子」にたとえ、「不在のあいだに、もっとも思いがけない場所で蕾をふくらませ、花をひらき、香を放ち、喪われて過ぎた歳月ののち、それに触れしめ、味わしめ、思いに耽らしめ、その全感触と理解とを可能にする」ふしぎな効験を語っている。
夜会のさ中にいまわしい自殺の報知を受けたクラリッサに、やがて気力を取りもどさせ、挑戦を、交感への企てをそこに容認させ、ある意味では彼の災厄は彼女の災厄であり、彼の汚辱は彼女の汚辱にほかならず、その死は彼女にたいする生命を賭けての贈与であると感じさせる、この結びつけは、形而上学的統一とも称しうるものである。死を決意せずして生きのびる人は、刹那の法悦を知らぬ人であろう。「死と愛とを措いて何が美しかろう」というホイットマンの問いは、トーマス・マンが解釈しているように、美への愛、完全なものへの愛は死への愛にほかならないという答えを予想する。死は『魔の山』の作者にとってと同様、この物語の作者にとっても、「教育的な原理」である。なぜなら、生のみあって死なきところには時間はなく、時間は死と生との統一である。死への関心によってはじめて生と人間への愛が生じ、時間と死のイデーのうちに美は顕現する。「時間はそれみずから完成していない精神の運命であり、必然性である」とヘーゲルは言ったが、死への共感――死の形而上学は、とおくウルフの最初の小説『船出』に胚胎する。生は死において自己を完結するにしても、たえず死に触れ死に親昵《しんじつ》しなければならない。かくて死を含めて一切が生に内在する。ここには死を通じて観ることのできた世界像がある。しかも自殺の恐怖や狂気のほとばしりさえもが、華麗な宴会に結びつけられることによって幾分か和らげられ、一人の清粋な貴婦人をめぐる六月の夜の白銀の風雅に死と紛擾を伴奏させて、ふさわしい社交図絵を描き出している。
『燈台へ』の詳細に関しては別稿に譲るが、これもまた同じく日常生活の神話化であり、刹那の抒情である。美しいリズムに富んだ生の流動の、時空的な、しかも同時に超時空的な歴史がある。本来、ウルフのおこなう心理研究には、ジョイスにおける、人物の特殊性とか、思想体系への発展とか、ないしは社会的範疇とかは顕著には見出されないが、『ダロウェイ夫人』には政治や社会にたいする微温的ならぬ諷刺があった。しかし『燈台へ』の感銘は、『ユリシーズ』への連想をまったく去って、いまやプルーストの尨大な連作にわれわれを接近させる。プルーストの最終巻『見出されし時』が同じ一九二七年に発表されているのは、同時的生起としてはなはだ興味ふかい。具体的類似の一例としては、プルーストにおける天職の啓示の章に相当するような絵画のテーマがある。非常に壮大な感情や達しがたく崇高な観念、またジョイス的な存在の形而上学はウルフの手にも余る。しかし心の響きならば、プルースト同様に十分に、十二分に聴きわけることができる。そして、現実を直視せしめるのではなく、われわれをして強いて現実を止揚し、「些々たる日常の奇蹟」(To the Lighthouse)のうちに魔術的な生の最上の瞬間を出現せしめることにより、美的経験の純粋な高みにみちびく。ここにはしかし、プルーストが熱中した病理学的興味も見いだされない。作者は日常生活に全意義を集中して、豊饒的というよりはむしろ収穫的な契機をとらえたのである。
『燈台へ』の新しい魅力は、溌剌たる女主人公の創造である。『ダロウェイ夫人』では、生きながら死者の間を歩むクラリッサが示された。けれどここでは、ラムジー夫人が死後も自由な精霊として家族や友人達への影響のうえに生き、クラリッサがそれに併合されてしまうのだと考えた生存者の生を吸収している。彼らを故人に近づける最も確かな道は、彼女と同様に死ぬことではなく、その強い影響の下に生きることにある。彼女は彼らの生によって生き、彼らの死ぬるまでは死ぬことがない。私は木の枝に持ちはこばれる霧のようになってしまうだろう、とクラリッサは考えた。けれどラムジー夫人の死は、果てしない波紋を生存者の間にひろげ、彼らの孤立を互いに融合させる。それは生の永久の終滅ではなく、ただ瞬間の休止にすぎない。親しい者の記憶に高く支えられて、もう永遠に逝ってしまったのだと画家リリーが考えた後までも存在を主張し、失われた芸術的自信を恢復させ、未完成の絵を完成させるのである。たしかにここには、ベルグソンのいう「持続の相の下に」見られた、過去の直観的把握がある。
中心人物の死ということは、普通の小説では、内面からまた最初から必然的なものではなく、純粋な生の法則から発展し来るところの種々の事件に面接して、けっきょく死のほかの何ものも残されていないということになるのである。かれは死を自ら伴うのではなく、ただ、かれの道がそこに導いたところのある一点にいたって始めて死にぶつかる。この悲劇のヘロインはしかし、生と、生の世界に関する関係とのなかに、そのアプリオリーの規定のように死を含んでいる。それは彼女の創造のさいの条件であり、且つ彼女の存在の一部である。彼女は生の中にあるとともに死の中にもあった。いかなる幸福も永続しないことを痛感した彼女は、燈台の明滅にリズムを合わせるかのように、「終わりは近い」と呟くのであった。運命の成熟は同時に彼女の死の成熟である。類型は死なないが、個性はほろびる。人物は個性的であればあるほど、一そう可死的になる。それはわれわれを取り巻いて離れぬ、死の底ふかい神秘を喚起する。画家リリーが生と死の問題をかつてなく深刻に考え、ラムジー夫人は確かに生存していると感じ、そこに一種不滅の広大な霊の存在を信ずるにいたったのもそのためである。われわれはここで、もう一つの興味ある同時的生起について語ってよいであろう。ウルフとベルグソンの親縁関係はしばしば語られて来た。しかし、単に『燈台へ』のみならず、ウルフ芸術全般に瀰漫する生の悲劇的限界状況は、おそらく直接の関係はないにしても、スタール夫人のいわゆる「より暗欝な雲と霧におおわれた」「北方の想像力」から生れた別途の時間哲学を連想させる。ハイデッガーは『燈台へ』と同年に出た彼の主著『存在と時間』のなかで、終始、時間と死について語っているのである。
熟することをもって果実は自己を完成する。しかし生存がやがてそれに至るところの死は、この意味での完成であろうか。むしろ生存はそれが在るかぎり不断にその終わりでもある。死は生存が始まると同時に担うところの存在の一様式である。生が問題であって、死もまた考慮せられる――これがわれわれの生一般である。そして可能なものとしての死は、けっして手許にあるもの、もしくは眼前にあるものではなく、生存の存在可能性あるいは存在規定としてとどまるが、個々の人間の側においては、死は一つの目前に立っているもの――であるから、存在の可能としての死の可能性を追いこすことはできぬ。ある可能性への存在として「死への存在」である人間は、本質的に不安である。しかもこの際不安の対象はなおそこにあるものであり、すなわち生存自らなのである。むしろ不安は生存そのもののなかから湧き出る。かくして、世にありうるものを根拠とする不安は、世にあるものとしての生存の根源的自己了解である。死の定めなさは根源的には不安のなかで開示せられる。しかるに根源的不安は決意性を要求する。Entschlossenheit――決意性が先駆としての死の可能性をその存在可能に喚びいれるとき、死をつねにたしかめていること、即ちつねに先駆けていることにおいて、人は真の意味での実存となる。かくてこそ死は可能なる実存的様相であるということができる。生存は、ある点まで行きつくことによって終わるというようなものではなく、有限的にたえず実存しているのである。実存するかぎり人はたしかに死ぬ。けれどまず、死に「投ぜられる」という形によって、死ぬのである。
ハイデッガーのいわゆる時間的顕現構造――Zeitungsstruktur は以上によって要約されるが、ウルフ芸術にあっても、根源的時間――Ursprungliche Zeit が日常的時間体験のなかで、そのようにして生きられるのである。そこでは世界そのものすら、眼前にあるもの、手許にあるものではなくて、時間性のなかで、時間的に顕現される。
四、「波」と晩年と
一九三一年に出た第六の長篇『波』は、『燈台へ』とならんでもっとも精妙な、審美的純粋さを保つ作品であった。作者はここに、一切の外界を遮断し、小説・詩・劇を総合折衷した室内楽的構成のなかに、死と時間の奏でる不断のメロディを歌っている。スティーヴン・スペンダーがこれを評して、ウルフ芸術中もっとも独創的で、すぐれた作品であると言ったことは興味ふかい。象徴詩人イェーツもこれに特殊な意義をみとめた。この言葉の世界は、公認された虚構の世界であるというよりは、むしろ詩人が読者と共有する、詩的に真なる想像の世界であり、その美の受け入れられるのは悟性ではなく、純粋観照としての想像力である。六人の男女の意識の流れを海洋の波動に象徴させて語りながら、ここには、意味に満ちていてしかもたしかにただそれ自体であること以外には何の意味ももたぬようなおおくの場面がある。われわれは、幼年から中年にいたる八つの時期において、彼らの日常のふるまいをほとんど知らず、相互の関係は僅かに暗示されるのみで、また第七の性格――共通の友人パーシヴァルは、彼らの感想においてのみ存在する。彼らは普通の会話では伝達されえぬ内密な思いを自己にのみ洩らす。しかも単なる独語とは相違した、スペンダーのいわゆる「内的対話」であり、彼らに関して必要なほとんど一切のことを語っているのである。作者は彼女自らエリザベス朝の詩劇に感じたような「意味と音調のまったき合体」をめざす。文体の内在力によってそれ自らをささえ、もはや解説を許さぬこの作品は、フロベールが芸術の極致とした、あの、「何ものについて書かれたのでもない書物」のなかに数えられてよいであろう。ウルフはここに芸術理想として、純粋な情緒の統一をあらゆる知的要素のうえに置こうとする。真の『波』の芸術的内容は最後の一行まで全体につき忠実に味わわるべき情緒的内容でなければならない。
かくして、第九章のバーナード一個人の回想を含め、ここに展開されるのは、観念に先行して、観念以上に出ながら、しかも自己を肉化しようとする場合にはとうぜん観念に発展するであろう、知性以上の情緒である。この独自の対情緒、それは作者と主題との合一、すなわち純粋な直観から生まれ出る。芸術について語るとき、人はしばしば漠たる概念から出発し、思想とは明確なもので、情緒とは模糊たるものであると言う。しかしわれわれはここにも――T・S・エリオットが言うように――事実は明確な情緒と模糊たる情緒としかないことを認めるであろう。作者は三年後、絵画芸術を論じたなかで、彼女が到達した芸術境をはからずも約説している。――「描叙というものはまことに常套的で、皮相である。だから、声に出して読みうることは滅多にない。しかるに情緒は明瞭で、力づよく、満足をあたえるものである。」
正しくこれは「言葉の世界」の美しさである。ただしミドルトン・マリーが散文を論じて言ったように、「言葉の」勝利ではなく、「言葉のための」勝利と言うべきである。なぜなら、これは言葉にたいする不毛の遊戯ではない。ウルフの文章に音楽性をあたえるものは言葉の朦朧性ではない。シュールレアリストが言語をくつがえし、またジョイスが後に『フィネガンズ・ウェイク』に結晶すべき諸断片において英語を解体し、彼みずからの創造語を綴って夢と潜在意識のなかに没頭するとき、彼女は客観的構成の標準にしたがい、英語が「音調と色調にかけては無双の、比喩と想像の力においては類い稀れな言語」であることを疑わない。二〇年代文芸における独自の地位をウルフ芸術にあたえた所以のものは、一方において、充満する生命力をもって溢れ出ようとするまったく直接的な感情が表現をえようともがいているのにたいし、他の一方に最初から自発的な、効果の充分に予測された典型的形式が存することにほかならない。世紀的な文学精神と時間哲学とをよく包含しながら、それは控え目で慎しみぶかく、古典楽曲の高い美しさをさえ失ってはいない。つとにウルフは伝統の外にさまようごとくに見えたが、それは然るのちに持ち帰るべきものを発見するためであったから。
各楽章のまえに置かれた海辺風景の文体は、そのすべての影響が明らかな感覚としてもっぱら眼と耳とをとおして働きながら、しかも一面においては生そのもののリズムと、さらに永久に絶ちがたい、超脱への作者のあこがれに応えるという、特殊な性質をもつ。バラッドいらい物語詩に従属的にもちいられて効果を発揮したリフレインなどとは異なり、主題とはまた別個の有機的生命がそこには見いだされる。それは全身を眼とし耳とするほどの緊迫した期待を持って秒、一秒の経過を見守り、いかなる微動や響きをも逸しない画家的心構えによってのみ捉えられる。このイタリア字体のインテルメッツォの意図はまさに文字を描くことにある。色と形にたいする特殊な天分なくしては、かかる絵画は描きがたいのである。そしてこの海景描写をつつむ全体の基調は、ウルフ本来の時間感である。時間と空間の感じをもろともによく捉えていること――それが『燈台へ』の二つの主部をつなぐ「時は逝く」の間奏とおなじく、この間奏の特色である。それは作品全体に背景的効果をあたえることを果たしながら、また、描写自体にたいして見事な効果と独立した性質を賦与する。六人の魂の独語に耳かたむけ、意識の仄闇《そくあん》に佇まされつづけた読者は、いまやひらかれた自然の秘奥の扉の彼方に、寄せては返す水のささやきを聞き、鳥と植物の微妙な対話に加わって、中天とおく日の落ちるのも忘れ、絵のごとく美しい光と影のこの世界をたのしみたいと願うであろう。
ウィルヘルム・シュレーゲルは、相離れた芸術をふたたび相互に接近せしめ、一者より他者への過渡段階をもとめるべきである、と言った。音楽、文芸、および絵画の交流はまた、ルードウィヒ・ティークの愛好題目であった。いま、この繊細な手さきは『波』の一巻に、近代的意匠のうちにこの課題をはたした。ウルフが創り出した独自の形式は、端然として無比の品格をたもち、観照の静けさをしめしつつ、甘美なメランコリーと明るい翳りとも言うべきロマンティック美を蔵している。その古典的とさえ呼びうる形式も、ただ内容の生動にのみおうじる。かかる連帯性において、まさに形式は素材とともに一度かぎりの生を生死すべきである。とりわけ、スペンダーが「現代文学における真に忘れがたい描写」と名づけた、パーシヴァルの送別宴とハムプトン離宮での会合の章において、静けさと緊張の変化交替のうちに、いかに間断なき自発的構成がわれわれの眼のまえに発生することか! この遁走曲《フーガ》形式に確定した精神過程の叙述を求めることは、もとより迷妾である。書いてゆく作者とともにつねに発展してゆく精神のうごき、それが内容である。ただこの、主人物バーナードのいわゆる「快いメロディのそよぎ、馥郁たる香気の波」のなかに、時間の美学を感じとればよい。由来、音楽は音楽として傾聴されることを欲し、ただそれ自身からのみ理解され、それみずからにおいてのみ鑑賞されることをもとめる。
一九三一年以後のウルフには軽妙流麗な筆で、女流詩人エリザベス・バレットとブラウニングとの愛の歴史を愛犬の嗅覚に托して描いた中篇『フラッシ』のごとき、小さな業績があるが、彼女の芸術の正統的展開をしめすべき本格的作品はあらわれなかった。編年史的大作『歴年』は、死にむすばれた時間を生きる老いたる女主人公において、『ダロウェイ夫人』の主題をさらに追求してはいるが、過去の実験の集大成のまえに新たな技法は阻まれ、ウルフ芸術プロパーとも言うべきものはいくぶん解体の徴候をすら見せている。『ジェーコブの部屋』以後の一作ごとに、時間に内在する美の高い展相をしめした驚異的な十年と、『波』の後に来た比較的不毛な十年とのあいだに、われわれはある因果関係を認めることもできそうである。
なぜなら、まったく自己の究極の源から製作する場合、その作品は生活の動揺に支配される。観照の人ウルフにあっても、ヴァレリーの言う事実の世紀に住む以上は、生の微風は起こりうるのである。生活理想は、それが芸術家の亜流にあっては外部から生活課程に加えられるのに反し、彼女にあっては過程そのものと一致する。それがためには、また、生活の沈滞状態やその避けがたい疲労期をも通じて形影相伴わざるをえない。彼女の作品はすべての瞬間において彼女自らの生の脈博である。その芸術において現実に成長しうべき思想は、まず作者自身によって生きられたものである。生きられたとは、みずからの愛する仕事に日毎に適用され、また終始この特殊な技術に型どられているということである。けれどウルフは、沈滞状態をそのままに放棄するがごとき主観的生活過程のみに従ったのではなかった。否、かくのごとき箇所にあってもなおそれは客観的意義を有し、瞬間的な魂の表出以上のものを示している。むしろ彼女はこの生活過程の結果にたいして、同時に批評家としてこれと対立し、精神のあの明晰と軽やかな沈静とを保った。みずからのうちに批評家を有し、かれをたえず身近に引きよせていたウルフは、まさに一個の古典主義者《クラシック》だとさえ言いうる。かくも徹底した豊かな主観的生活が、かくも客観的な規矩の下に生き、きびしい完成にむかったためしは、女流作家にあってはけだし稀であろう。
第二次大戦が勃発すると、ウルフは南英サセックスの片田舎に難を避けた。そしてやがて、ヨーローッパ全土をおおう苦渋の現実のなかから、先師の伝記『ロウジャー・フライ』のあとをうけて、新作品にとりかかった。『ダロウェイ夫人』とおなじく中年女性の意識を主軸に、田園の疎開地での初夏の一日、ページェントに打ち興ずる諸人物の意識の流れを描きつくそうとするもので、彼女は例によって、厳しい自己批判に発する、あたらしい実験をこころみ、意匠をこらしながら、一九四一年はじめ、いちおうこれを書き上げた。その後も早朝ごとに机にむかって、推敲をほどこすことを怠らずにいた。良人をはじめ、親しいひとびとの何人かは推賞の言葉を述べた。しかし作者がうちに育てて来た批評家は、これにたいして酷しかった。とくに、終わりの部分がいつまでも彼女に満足をあたえてはくれなかったのである。三月二十八日、早朝、いつものとおり仕事机にむかっていた彼女は、やがてそこを離れ、これも毎日の慣わしである、ウーズ河の堤の散歩に出かけた。十一時ごろ、レナードは家の近くの河ぞいをいつものように歩いている姿をみかけた。しばらくして彼女の部屋に行って見ると、姉ヴァネッサと彼にあてた二通の手紙があった。ふたたび後を追って、彼が河岸にたどりついたときには、堤に彼女のステッキが落ち、泥濘の上に彼女のものらしい靴の跡があるのが見いだされた。ひとびとが手をつくして捜索した結果、翌日になって遺骸が発見された。直接のまた間接の原因に関する揣摩臆測を越えて、いまや彼女の死はまったく確実である。遺作『幕間』は未完のまま同年末に刊行。試論と小品の拾遺である『蛾の死』『瞬間』『大佐の臨終』の三書がこれにつづいた。他に『月曜日から火曜日』から六篇を、新たに十二篇を選んで編まれた短篇集『幽霊屋敷』があり、近くは日記抄の刊行が予定されている。
ウルフ芸術全般は、その作者の悲劇的な死をふくめて、個性主義のもっとも深刻な一様式をあらわすものであり、すべては彼女の生活過程におけるよろこびや悲しみの蓄積にほかならなかった。異常な制限の下に置かれながら、なお漂渺《ひょうびょう》たるひろがりをあたえられるのは、描叙の精妙、技巧の複雑、文体の典雅の背後に、全ウルフが立っているからである。技法への不断の実験と、ひたすらな美の追求とは、ともにフロベールを彷彿せしめるものをもつ。そしてエリオットが、彼女の死によって後代の人には理解しがたいあるものが、ヴィクトリア朝中流階級の教養を継承する一つの文学的伝統が喪われたと追想しているのは、世紀末においてとうぜん滅びたはずの芸術至上主義の最後の開花がそこにあったことの暗示である。ジョイスと並んで「意識の流れ」の文学を代表しつつ、時間のうちに移ろう美の様相を、もっとも流麗な英語で語りつくした生涯の努力にたいし、ジョン・レーマンによる最大級の讃辞が存在するのもまた至当であろう。――「彼女は時間にたいする感受性を拡大し、イギリス文学を変革した」
一九五三年六月二十七日 (訳者)