燈台へ
ヴァージニア・ウルフ/中村佐喜子訳
目 次
一 窓
二 時は逝く
三 燈台
解説
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一 窓
「ええ、もちろんよ、あしたお天気さえよければね」と、ラムジー夫人が言った。「でも、そうすると、あなたはひばりと一緒に起きなきゃならないのよ」とつけ足した。
この言葉が子供には、息づまるような喜びをあたえた、もう遠足がまちがいなく実行されると思いこむほどに。もう長年という気がする位、待ちに待った素晴しいことが、暗い夜を今晩一つすごして、あと一日の船に乗りさえすれば、すぐ手のとどくところにあるのだ。ジェームズ・ラムジーは、まだ六つだけれども、生れのよい一連の人々にあるように、いろんな感情を分離させることができず、その先に予想する喜びや悲しみによって、現実の身近かな事どもがすべて左右されるたちであり、またそんな人々にあっては、ほんの幼い時から、めまぐるしく感じる刺激の車輪の廻転につれて、暗鬱であったり光輝にみちたりするその瞬間を、結晶させ固定させてしまう力を持つものである。だから、いま床《ゆか》にすわって、陸海軍ストアのカタログから絵を切りぬいていたジェームズは、母のその言葉をきくと、冷蔵庫の絵を、心をこめて祝福したのであった。それは喜びにふちどられた。手押しの一輪車、芝刈機、ポプラのそよぎ、雨の前の、色あせた木の葉、ミヤマガラスの鳴き声、箒《ほうき》の音、衣ずれの音、――すべてのものが、心の中であまり色あざやかにはっきりしてきたので、すでに彼は、自分だけの秘密の言葉になっている暗号で、ひそかにつぶやきはじめていた。それでも、打ち見たところは、その秀でた額と、清浄にすんだ、はげしい青い眼をして、人間の弱点をかこち顔にちょっと眉根をよせ、強情無比なけわしさを示していたので、冷蔵庫のまわりを正確に切るようにと彼の鋏《はさみ》を見まもっていた母は、イギリス高等裁判所の裁判官を連想したり、また何か国民的危機にのぞんでの、厳粛かつ重大な計画の指導者のようだと思ったりした。
「しかし」と、客間の窓の前に来て立ちどまった父が言った。「天気は、まず駄目だよ」
もし、この父の胸に一撃をあたえて殺すことのできる、手斧なり、火掻きなり、なにかそんな武器があったら、とたんにジェームズは手をかけたことだろう。ラムジー氏とは、そこにいるだけで、子供たちの心にそれほどにも激昂をよび起こす人物であった。今立っている通り、刃物のように痩せ、その刃のように尖り、そうして皮肉な笑いをうかべながら立っているというだけで。彼は、息子をがっかりさせたり、彼自身よりあらゆる点で何層倍もすぐれている妻(と、ジェームズは思っている)を愚弄したりして喜ぶだけでなく、自分の判断の正確さを誇りたい気持なのであった。
彼は真実であることしか言わない。つねに真実だけだ。真実でないものには容赦できない。事実はあくまで事実であり、人間どもの喜びや方便のために、いくら不愉快な言葉でも、ひと言も改めることはならなかった。とりわけ、自分の子供たちに対してそうであった、彼の腰より出でた〔聖書の創世紀、列王等で使われている言葉〕子供たちは、幼時より人生の難しさを知るべきであるから。事実は厳然たるもの、それに、かの物語的な土地へ行く途中の船路だ、そこでわれわれの輝かしい希望は絶やされ、われわれのはかない叫びは暗黒の中に沈む、(ここでラムジー氏は背をのばして、水平線上へ、小さい青い目を細めるようにした)とりわけ、勇気と真実と、忍耐力とを必要とする場合なのだ。
「でも、お天気かもしれませんわ、――私は、お天気のような気がするのですけど」ラムジー夫人はいらいらして、編みかけている赤茶色の靴下をちょっとねじくりながら、そう言った。今夜これを編みあげ、そしてもし、みんなで燈台へ行けたらであるが、これを燈台守の小さな男の子にやるのであった。その子は結核性の腰部関節炎をわずらっていた。これと一緒に、古雑誌の一束と、タバコと、それから、この部屋の中にちらばっていて特に必要でないものは、なんでもみんなあの気の毒な人たちに上げることにしましょう、なにかの慰みにはなるでしょうよ。一日中ただランプをみがき、その芯《しん》をととのえ、猫のひたいほどの庭をすみずみまで掃除している他には、することもなく、死ぬほど飽きあきしてなければならない人たちですもの。ひと交替に、ひと月まるまるとじこめられているなんて、あなたは面白いと思って? 嵐にでもなれば、テニスコートくらいの大きさの岩の上に、もっと長くもなるのよ? と、夫人は誰かにたずねたかった。手紙も来ないし、新聞もないし、誰に逢うということもなしに。家庭を持った人なら、その間は妻の顔も見られないし、子供たちの様子を知ることもできないで、――子供たちは病気していないだろうか、高い所から落ちて、脚や手を折っていないだろうか。来る日も来る日も、くだけ散る陰鬱な波ばかり。と、すさまじい嵐がやって来る、しぶきが窓々をおそい、鳥がランプめがけて突き当り、塔全体が震動し、そうして、今にも海に呑みこまれそうで、ドアの外へは鼻先を出すこともできない、それでも好きになれると思って? と彼女は、特に娘たちに向って言ってみた。だからみんなはできるだけのことをして、慰めてあげなきゃいけないのよ、と、やや調子をかえてつけ加えた。
「風は真西ですね」と、無神論者のタンズリーが、骨っぽい手指をひらいて、その間から風を吹き通させながら、言った。彼は、ラムジー氏の午後の散歩のお相伴で、高台《テラス》の上を登ったり降りたり、登ったり降りたりしているところであった。つまり風向きが、燈台の島へあがるためには、一番悪いということであった。そう、あのひとはわざと厭がらせを言うんだわ、とラムジー夫人は気づいた。そんなことをくり返していっそうジェームズをがっかりさせようなんて、いやな男。だがその一方夫人は、子供たちに彼を嘲笑させないようにしなければならぬと考えた。「無神論者」と子供たちは、彼を呼んでいた、「ちびの無神論者」と。ローズが彼を軽蔑した。プルーも彼を軽蔑した。アンドルーも、ジェスパーも、ロージャーも、彼を軽蔑した。歯の一本もない老犬バッジャーでさえ、彼をきらって噛みついた。と言うのは、(ナンシーが言うことには)誰も来ない方がよっぽどいい時に、このヘブリデーズまでこの一家を追ってくる人々の、彼は百十番目だったから。
「よけいなことを言うものじゃありません」とラムジー夫人はきびしく言った。夫人に似た子供たちの誇張癖、また誰かを町に泊まらせねばならぬほど夫人がお客をひきとめるのに対してのあてこすり、(それはたしかにあった)は別として、とにかくお客へ無礼にすることは、夫人には我慢ならなかったのだ。殊に教会のねずみみたいに貧乏をしている青年たちで、夫も崇拝し、夫の方でも『すばらしく有能だ』と言っている連中が、休暇でここに来る時はそうであった。実際に夫人は、異性を誰でも自分の庇護のもとに置くのである。理由は自分でよく分らないが、それは彼らの騎士道精神や剛毅さのためであり、彼らが条約の交渉をし、インドを統治し、財政を調整するという事実のためであり、さらには、青年たちの自分に対する態度、つまり言えば、年配の婦人が、威厳を失うことなしに若い男たちから得ることのできる、しかも女としては誰にかぎらず快く感じずにはいられない、あのどこか信頼にみちた、子供っぽくて敬虔な態度、のためなのであった。その尊さを、そしてその中にふくまれるすべてのものを、骨の髄まで感じることのないような女には、呪いあれ!――願わくば私の娘たちには一人もいませんように!
夫人は重々しくナンシーをふりかえった。あの方は、私たちを追って来たのじゃありませんよ、と彼女は言った、こちらからお呼びしたのですよ。
こんなことを言うのは、ほんとはまずいのだけれど。もっとあっさりと、角立てない方法がある筈なのに、と夫人は吐息をした。鏡を見て、そこに白髪の、頬のこけた五十女をみとめる時、いろんなことをもっとうまく処理してこれなかったものかしら、と思う、――夫のこと、お金のこと、夫の著書のこと。けれど彼女は、自分だけに関することでは、かつて一度も、自分の判断を後悔したり、困難なことに手をやいたり、あるいは義務をないがしろにしたりすることはないのであった。今彼女は、じっと見まもっているのが辛かった、チャールズ・タンズリーのことできびしい言い方をした後では、娘たち――プルーと、ナンシーと、ローズと、――は、お皿から上眼づかいをしながら、みんなだんまりで、ただお互いの勝手な思いの方へ走っていったからである。母親の生活をはなれて、娘たちだけで心にあたためている生活、たぶん、思いはパリだろう、必ずしも誰かれの男にかかずらうのではない放浪の生活、と言うのは、彼女たちの心には、それぞれいろんな無言の疑問があるからだ、服従や騎士道精神について、イングランド銀行や、インド帝国について、指輪をはめた指や、レース飾りについて。とは言え、彼女たちの求める美の本質の中にはやはりある何かが、つまり少女心で、男らしさと呼ぶべきものが、あるのであった。それで、今母の目の前の食卓にいて、このスカイ島まで自分たちを追いかけて来た、――あのみじめな無神論者のことでたしなめられるのは、その母の異様なきびしさの故に、また極端ないんぎんさの故に、あたかも女王様が泥の中から乞食の足を持ち上げて、それを洗うような栄光を感じさせるのであった。
「あした、燈台へあがれる見込みは無さそうですね」とチャールズ・タンズリーが、ラムジー氏にしたがって窓のところに立った時、両手を叩き合せて、そう言った。ええ、ええ、よく分りましたわ。私とジェームズのことは放って、二人だけの話をつづけてくれればいいのに、と夫人はねがった。そしてタンズリーを見た。あいつは、かんしゃく持ちで、誠意がなくて、哀れな人間の標本みたいだ、と子供たちは言った。クリケット一つ出来やしない、渋々やってまぜかえしてしまう、皮肉で下劣な奴さ、とアンドルーが言った。みんなは彼の一番好きなことを知っていた。――いつまででもラムジー氏に従って、登ったり降りたり、登ったり降りたりしながら、話すこと、誰がこれに成功し、誰があの栄誉をうけ、誰がラテン語の詩では『第一流』で、誰が『華々しいが、根底はチャチなものらしい』とか、誰は問題なく『ベイリオル(オックスフォードの一カレッジ)きっての俊才』だとか、また誰は、ブリストルだかベッドフォードだかで目下のところは埋もれているが、数学だか哲学だかの分野の、彼の序論《プロレゴメナ》がいずれ世に出た時は、かならず名をあげるにちがいない、もしラムジー氏がそれを見たいなら、自分は最初の幾ページかを証拠に持って来よう、だとか。そんなことが、彼らの話題なのであった。
時々夫人は、ひとりで笑わずにいられなかった。先日もなにかで、彼女は『山のような大波』と話した。チャールズ・タンズリーは、そう、あれは小さい荒れでしたね、と言った。「ずぶぬれになりませんでした?」と彼女は言った。「しめったんですよ、ずぶぬれではありませんよ」とタンズリーは、袖をしぼったり、靴下にさわったりしながら言った。
だが、気にさわるのは、そんなことじゃないんだ、と子供たちが言った。彼の顔でもない、態度でもない。彼のもの――彼の考え方なのだ。みんなで楽しく、世間の人たちとか、音楽とか、歴史とか、なにかそんな事を話している時、今日はいい夕方なのになぜ外へ出ないの、などとただ言っている時でさえ、みんながチャールズ・タンズリーに憤慨するのは、彼がその場を一変させてしまって、そこに何かしら自分を反映させ、他の連中をけなし、血も肉もこそぐような彼流の過酷さで、みんなをなんとなく焦ら立たせないと決して満足しない、ということであった。それでいて、あのひとは画のギャラリイなんかへ行くのよ、と彼らは言った。それに、僕のタイは気に入りましたか、なんて聞くの。まァ誰がだ、あんなもの、とローズが言った。
食事が終ると直ぐ、ラムジー夫妻の息子たちと娘たち八人は、牡鹿のようにこっそり食堂から消えて、彼らの寝室へにげ込んだ。そこはなんの議論をしようと、完全に秘密の保たれる、この家の中の彼らの城塞であった。タンズリーのタイのこと、選挙法改正案の通過のこと、海鳥や蝶のこと、人々のこと。一方この屋根部屋は、ただの板でそれぞれに区切られているだけなので、足音がはっきり聞えるし、スイス娘の女中が、グリゾン(スイス東部の州名)の谷間で、癌のために死にかかっている父をおもってすすり泣くのも、聞えた。そうして部屋々々には陽が差しこんで、バットや、フランネルや、麦藁帽子、インク壷、絵具壷、甲虫類、小さな鳥の頭蓋骨、などを照していた。また、壁にピン止めしてある、長いぴらぴらした何本かの海藻からは海のにおいが漂い、同じにおいは、海水浴の砂のついたタオルにも浸みこんでいた。
いさかい、分裂、意見の対立、偏見、が、人間の性質をゆがめてゆく、まああのひとたちは、なんて早くからそれを始めるんでしょう、とラムジー夫人は嘆息した。彼女の子供たちはまったく批判的であった。無意味なことを言い合った。夫人は、ジェームズがみんなと一緒に行きたがらなかったので、その手をひいて食堂を出た。ほんとにつまらぬことだと思うけど――どうせ人は元々十分違うようにできているのに、その上わざわざ相違を捏造するというのは。本質的に一人一人はずいぶんちがっている、ほんとに違うものだわ、と彼女は、客間の窓辺に立って考えた。瞬間、心にうかび上がった、富者と貧者、貴族と庶民とのちがい、自分の血をひいた、なかば渋りがちの、また多少尊くもある名門の出というもの。もし自分にあの血統がなかったとしたら。それはいささか神話めくが、なんでもイタリアの大へん高貴な家柄であり、その娘たちが、十九世紀のイギリスの客間に散らばって、魅惑的にたどたどしく話したり、奔放にはいり込んだりした。彼女の才知や、忍耐強さや、はげしい気性は、すべてその連中からのもので、鈍重なイギリス人のでも、冷淡なスコットランド人のでもなかった。けれど、富者と貧者とについて、彼女の想いをもっと深くとらえるのは、それより別の観点からなのだ。この土地やロンドンで、未亡人を訪れたり、手籠をさげてみずから買い出しに歩く主婦と逢ったりしながら、毎日毎週、自分の眼でたしかめる事ども。彼女は紙と鉛筆をもって、賃金と生活費、就業と失業をしらべる目的から、それらを丹念に記入していた。慈善を、なかば憤りに対する自慰と、なかば自分の好奇心を満足させるためとにやるような、ひとりよがりの婦人になることは避けたかったので、自分の尊ぶこうした職業化されない心をもって、社会問題の解明に当ろうという、研究家になったのであった。
まったくむつかしい問題だわ。ジェームズの手をひきながらそこに立って、夫人は思った。みんなの笑いものの例の青年が、彼女のあとを追って客間へやって来た。テーブルの側に立って、なんとなく臆病そうにそわそわし、所在ながっているのが、見なくとも分った。みんなは行ってしまったのだ。――子供たちも、ミンタ・ドイルも、ポール・レイリーも、オーガスタス・カーマイケルも、また夫も、――みんないなくなったのだ。それで夫人は、そっと吐息しながら、ふり返って言った。「タンズリーさん。面白くもないでしょうけど、私と一緒に外出なさいません?」
夫人は町へ、心痛む用事があった。一、二本手紙も書かねばならなかった。たぶん十分間ばかりですわ。そして、帽子をかぶってまいりますわ。十分経つと、夫人はバスケットとパラソルを持ってふたたびあらわれて、仕度ができたから、さあ散歩しましょう、と言った。けれど、テニスコートを通りすぎる時、彼女はつい立ちどまって、カーマイケル氏に声をかけずにいられなかった。彼は、彼の黄色い猫の眼と同じような、半開きの眼をして、日向ぼっこをしているところなので、その眼には、揺れる木の枝や、動いてゆく雲が映っているだけで、たとえ何かを考えたり感じたりしたくとも、心の奥はちっとも外へ現れないというようであった。
私たちは大へんな遠足をしますのよ、と夫人は笑いながら言った、街までまいりますの、「切手とか、用箋とか、タバコなどの御用は?」と、近よってたずねた。だが彼は何もほしくなかった。彼は太鼓腹の上で両手をくみ合せて、眼をしばたたいた。あたかも、そういう夫人のお愛想に(彼女は魅惑的だが、少々神経質だ)やさしい返事をしたいとは思っている、という風に。けれどそれができなかった。相かわらず、うす緑色の惰眠のとりこになっていた。口を開く要もないばかりに、それはすべてのものを、広大で自愛にとんだ、好ましい睡気につつんでいた。この家全体を、この地上全体を、そしてそこに住む人々全体を。それは、彼が昼食の時に、グラスの中に何やら数滴たらしたためで、それはミルクのように白い彼の口ひげやあごひげに、あざやかな黄色い縞をつけさせるしろものだ、と子供たちが見ているものであった。別に用はありませんね、と彼はつぶやいた。
あの方は、大哲学者になれそうだったのですけどね、とラムジー夫人が、漁村へ降りる途々言った、でも不幸な結婚をなさったのですからね。夫人は黒いパラソルをまっすぐ持ち上げて、さも角を曲ると誰かにきっと逢うと期待しているような様子で歩きながら、その話をした。オックスフォードでのある女とのアフェア、早い結婚、貧乏、インド行き、そうして、ペルシャ人かヒンヅスタン人かの少年たちを教育しようと、短い詩を『きっと素晴しいにちがいない』ように訳した。でもそれが、どれだけの効果をあげたものでしょうかね?――そしてそれからは、現に見るように、芝生の上で横たわって。
彼は満足であった。いつでも冷遇されているので、ラムジー夫人があえてこんな話をしてくれたのが、うれしかった。チャールズ・タンズリーは元気づいた。さらに夫人が、男の智力はたとえ衰退期になってもやはり偉大だということや、すべて妻は夫の仕事に服従するのがよいなどと話した時、――あの女を責めるというのではなく。二人の結婚は十分楽しかっただろうと彼女は信じている。――彼はますます、かつて知らないほどいい気持にさせられたために、もしかりに二人で辻馬車に乗るとしたら、その賃金を払いたいと思う位であった。そう言えば、夫人は小さい手さげを持っているが。それをお持ちしましょうか? いいえ、いいえ、と夫人は言った、|これは《ヽヽヽ》いつも私が持っているのですから。彼女ははなさなかった。なるほど。彼は夫人の気心を感じた。彼はいろんなことを感じた。何やら強く打たれて、どう言っていいか分らぬほど昂奮し、心が乱れた。彼は、自分が大学教授のガウンや帽子をつけて、行列の中にいるところを夫人に見せたいものだと思う。特待研究生、教授、――彼は何にでもなれる気がし、なった気でもいた。――それにしても夫人は、何を見ているんだろうか? ビラ貼りをしている男。大きなビラが自然に垂れて平らになり、のり刷毛のひとなでごとに、美しくなめらかな、赤や青に彩られた、あらわな脚、フープ、馬などがあらわれ、やがて一枚の広告が、壁半分を蔽《おお》った。騎手百人、芸をする海豹《あざらし》二十頭、ライオン数頭、虎数頭……近眼なので、彼女は前のめりになって読んだ。……『近日当地へ到着』それから叫んだ。まあ、あの人には危険な仕事だわ、片手なのに、梯子のあんな上に立ったりして。――彼の左腕は、二年前に刈禾機《リーピング・マシン》で切断されていた。
「みんなで行きましょうよ!」歩き出しながら、夫人がはずんで言った。その大ぜいの騎手や馬を見て、子供のようにわくわくし、彼への憐憫の情など忘れてしまったようであった。
「行きましょう」と彼は、夫人の言葉をおうむ返しにしたが、何か自意識が反抗している調子だったので、彼は不審におもった。「サーカスへ行きましょう」いやいや。彼はそれをはっきり言えなかった。そのことをはっきり感じることもできなかった。でもどうしてなんでしょう? と彼女はいぶかった。何かわけがあるのかしら? ふと彼に温かい情がわいた。小さい時分、あなたがたはサーカスへ連れて行って頂いたことがなくて? と彼女はたずねた。はア、一度も、と彼は答えた。まさに自分の答えたいことを引き出されたと言うように。誰もサーカスへ連れて行ってくれなかったということ、それは常日頃、彼の話したかったことなのだ。兄弟姉妹九人の大家族で、父親は勤労階級であった。「父は薬剤師でしてね、店をやっているんです」彼は十三の時から自活せねばならなかった。冬中、外套なしで通したこともしばしば。学生時代は『おごられた返し』(こういうのが彼流の味気ない、堅い言葉であった)が絶対にできなかった。いろんなものを、他の人の倍も長持ちさせねばならなかった。一番の安タバコ、波止場の老人足と同じキザミを吸った。そして猛烈に勉強した。――一日七時間。目下の研究は、何某の上に及ぼした何々の影響、ということ。――歩きながらで、ラムジー夫人は、彼の話していることを正確につかめなかった。所々でただ、『論文』『特待研究生』『講師』『講座』――そんな言葉が耳についた。彼女は、べらべらと上わすべりしてゆくだけの、そんなアカデミイ臭にみちたおしゃべりにはついてゆけなかった。けれど、心の中でうなずいた、なるほどそんなわけで、サーカスへ行くと言うと全く意気悄沈してしまったり、いきなり親兄弟のことなど話し出したりしたのだと。気の毒なひとなのね、そんな点では、みんなが物笑いにするのはよくない、プルーにもよく言っておきましょう。それでこのひとは、ラムジー夫妻とイプセンを見に行ったなどと言うのが得意なんだ、と彼女は察した。とても見栄坊よ、――まあ、なんてうんざりな人なんだろう。と言うのは、二人はもう町へ来て本通りを歩いていて、荷馬車が石ころ道をがらがら通るのに、彼はまだ喋りつづけているからであった。セッツルメントのこと、教えるということ、労働者のこと、自分たちの階級を扶けること、講義に関すること。ついに夫人は思い至った。彼がようやく自信をとりもどし、サーカスの一件から立ち直って、私と話そうとしているのだと。(ここでふたたび夫人には温かい情がわいた)――けれどその時はもう、両側に家々がなくなって、二人は波止場に来ていた。湾全体がそこにひろがって、「まあ、なんてきれいなんでしょう!」と、ラムジー夫人は声をあげずにいられなかった。青い水は大きな盆に湛《たた》えたようで、その真中に遠く、白い燈台が粛然と立っていた。右手は眼のとどくかぎり、緑色の砂丘。そのなだらかな低い起伏の上に野生の草がなびき、はるかにかすみ消えて、いかにも人住まぬ月の世界へでも通うかに見えた。
夫人は立ちどまり、灰色の眼をうっとりさせながら言った。主人はここの眺めが、とても気に入ってますのよ。
夫人はちょっとためらった。ですけど、今はこの辺に、よく画描きさんが来てますから、と言った。実際に、ほんの数歩のところに、その一人が立っていた。パナマ帽に黄色の長靴、十人ほどの少年たちにかこまれながら、その丸い赤ら顔はいかにも満足げな面持ちで、真剣に、おだやかに、くい入るように、自分の絵を見つめている、見つめ終ると、ちょっと浸した筆先を、ピンクかグリーンで描いた柔らかい色の土堤へもっていった。三年前、ポンスフォート氏がここに滞在してから、絵がみんなあんな調子になりましたわ、と彼女が言った、緑と灰色、それにレモン色の帆船と、浜辺にはピンク色の女たちが配されますわ。
けれど、私の祖母の友人たちは、ずいぶん苦労したものですのよ、と、夫人は通りすがりに慎しみぶかくちらと見やりながら、言った。最初に自分で色をまぜ合しましてね、次にそれをすりつぶして、その上から湿気を保たせるために、ぬれた布をかぶせておいたものですわ。
するとタンズリーは、夫人が、あの男の絵はつまらないとおしえているような気がした。そうなのかな? あの色は厚みがない? そうなのかな? どうもこの途々で味わってきた異様な感情のせいで、――あのまだ庭にいる時に、夫人の手さげを持ちたいと思ったのにはじまって、町で自分のことを洗いざらい話したくなったりしてからよけい、彼は自分自身も、またすべてのものも、これまでとはちがった、多少ひねくった見方をした。なんとも妙な具合だ。
さて彼は、伴われて行った小さなむさくるしい家の客室に立って、夫人を待っていた。夫人はある女に逢うために、ちょっと二階へあがって行った。せかせかした彼女の足音が上に聞こえた。彼女の声が、快活に、次いで低くきこえた。彼は、マットや、茶壷や、ガラスのシェードに眼をやった、いらいらしながら待った、早く帰路につきたかった、夫人の手さげを持とうと決心した。その時、夫人の出てくるけはいがした、ドアが締る、窓は開けてドアは締めて、などと言っている、何か欲しいものは、などと尋ねている。(夫人は誰か子供へ話しかけているにちがいない)そして、ふいに姿を現わしたと思うと、しばらく黙って立ちどまった。(あたかも、上で努めてきたので、しばらくここで息ぬきをするとでも言うように)ひととき身うごきもせず、ガーター勲章の青いリボンをかけた、ヴィクトリア女皇の肖像画を背にして立った。突然、彼の頭に、はっきりした。これだったのだ、これだったのだ。――夫人は、かつて自分が見たことのない美しいひとだったのだ。
瞳は星とかがやき、髪にかざせるシクラメン、野のすみれ、――なんてばかなことを考えるのだろう? 夫人は少くとももう五十、そして八人の子持ち。花野をわけ入り、み胸にささぐ、花の蕾を、生れ出し仔羊を。その瞳は星とかがやき、その髪は風にそよぎ、――彼は夫人の手さげを持った。
「さようなら、エルジイ」と夫人が言った。そして二人は本通りを歩いて行った。夫人はパラソルを真直ぐ持ち上げて、角のあたりで誰かに逢いそうだと期待しているように歩いた。チャールズ・タンズリーはこの時、生れてはじめての強い誇りを感じるのであった。排水溝を掘っていた男が、手をやすめて夫人を見た、腕を垂らして夫人を見た。チャールズ・タンズリーは、はげしい誇りを感じた。風と、シクラメンと、すみれを感じた。いま、自分は生れてはじめて、美しい一人の婦人と歩いているのだ。彼女の手さげを、自分が持っているのだ。
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「燈台へは行けないよ、ジェームズちゃん」窓辺に立った時に、彼が言った。じゃけんな言い方であったけれども、ラムジー夫人への敬慕から、少くとも声の調子をやわらげるようには努めていた。
いやな男、とラムジー夫人は思った。なぜいつまでも、同じことをくり返しているのかしら?
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「朝起きてみると、きっとお日さまがかがやいて、小鳥がさえずっていますよ」子供の髪をなでて、彼女はいたわりながら言った。天気はまず駄目だよ、と過酷な言い方をした夫が、この子の気持を押しつぶしてしまったのが分った。燈台行きは、この子のひたむきな心であった。そこへもってきて、天気はまず駄目だよ、という夫の過酷な言い方でもまだ足りぬと言いたげに、あの小憎らしい小男が、くり返し念を押している。
「明日はきっとお天気よ」と彼女は言った、その髪をなでながら。
彼女はいま、冷蔵庫をほめる以外に何も考えつかなかった。そして、ストアの目録のページをくりながら、切りぬくのに手ぎわがいって注意のうばわれる、尖《とが》り刃やハンドルなどのついた、レーキとか草刈機のようなものがあってくれればいいと願った。あの若い連中は、みんな夫の、ふざけた|もじり屋《パロディ》だわ、と思う、夫が雨だと言えば、連中は、まちがいなく竜巻だろうと言う。
だが、ページをくりながらレーキや草刈機をさがしていたのが、不意に中断させられた。さき程からの、ぞんざいに語り合っていたつぶやき声、パイプを口から出したり入れたりするために不規則に途切れるその声は、何を話しているか聞きとれぬまでも(彼女は窓辺に坐っていたために)男同士で愉快に話し合っていると思わせていたものであった。そしてそれは、もう半時間もつづき、彼女の上に快くおそいかかる高低音の役割を果していた。あたかも、クリケットを遊ぶ子供たちの、ボールがバットに当る音や、時々「アウトかい? アウトかい?」といきなり甲高くさけぶ叫びのように。そういう声がやんでしまったのだ。そのあとは、海岸で波が退いてゆく、単調な音だけになった。これも大方のときは、彼女の思念へ旋律的に、おだやかに打ってくる鼓音で、ちょうど、幼児の側にすわると自然に、「坊やはかわいい大事の子、――しずかにおねんねいたしましょう」などと、昔の子守唄を際限もなくつぶやいているような、心やすまる反覆なのだけれども、また不意の、思いがけぬ折々、殊に、何か一生懸命やっている仕事からひょいと心がそれたような時は、決してそんな生やさしいものではなくて、いかにも生命の時を無慈悲にきざんでゆく、妖怪じみた太鼓のようであり、いまにもこの島が亡び、海中に沈んでしまいそうな感じをいだかせ、そうして、次から次の忙しさのうちに、いつか盛りの日を過ごしてしまった彼女に、生命が虹のようにはかないものであることを警告するのであった。――その波の響きが、今まで他方の話し声にほとんどかき消されていたのが、突然すさまじく耳にひびいたので、彼女ははッとおびえて、眼をあげたのであった。
彼らはいつか話しやめていたのだ、そのためだったのかと分る。と、今の一瞬に思わず緊張させられた、その不必要な感情の浪費のつぐないとでもいうように、反対の冷静さ、物見高さ、多少の意地わるさにさえ走って、きっとチャールズ・タンズリーが気の毒にも叱りとばされたんだわ、と結論をつけたのであった。私の知ったことじゃないわ。もし夫が何か生けにえを要求するなら、(事実彼はするのだ)私は喜んでチャールズ・タンズリーを夫にささげよう、子供を傷めつけたのだから。
その次の瞬間、夫人は頭をあげて、何かききなれた、規則正しい機械的な音を待ちもうけるかのように、耳をかたむけた。するうち、高台《テラス》を登ったり降りたりする時の夫の、しゃがれた話し声と歌声との|あいのこ《ヽヽヽヽ》のような声が庭ではじまり、半ば話すように、半ば歌うように、リズミカルに聞えてきたので、彼女はふたたび心しずまり、なんでもなかったのだと安心して膝の上の本にもどり、ジェームズがよほど注意深くしないと切り取れぬ、六枚刃のポケットナイフの絵をさがし出した。
とつぜん、半分さめかかった夢遊病者のようなわめき声で、うたい出された。
『銃火の嵐ものかはと』〔アルフレッド・テニスンの詩『軽騎兵進撃』中の一行〕
それが、鼓膜もやぶれるばかりにひびいたので、夫人は、あの夫の声を誰かが聞いていなかったかと気にしてあたりを見まわした。リリー・ブリスコーだけだった、そうと分って安心した、どっちみち、大したことではないのだけれど。でも、芝生の端に立って絵を描いている彼女の姿を見て、夫人は気がついた。リリーの絵のために、夫人はできるだけ頭を動かさずにじっとしている筈なのであった。リリーの絵! ラムジー夫人は微笑した。彼女は中国人のような小さい眼で、しぼんだ顔つきで、決して結婚しようとはしなかった。誰も彼女の絵を重要にとりあげようとはしない、でも彼女は自主性をもった、いじらしい娘、ラムジー夫人は愛していた。約束を思い出して、夫人は頭を下へ向けた。
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あわや画架を突き倒さんばかりに、彼は両手を振り、『馬を駆りゆくまっしぐら』とわめきながら、彼女めがけて突進して来た。けれどありがたいことに、彼はくるりと方向を転じて勇壮に去ってゆく、まるでバラクラーバ〔一八五四年英露の戦地、クリミア半島にある村、テニスンのこの詩の舞台〕の高原で、名誉の戦死を遂げようというみたいに、とリリーは思った。あんなに変屈者の、ひとをびっくりさせる男は、他に知らないわ。だが、彼がそうして手を振り、わめいているかぎり、彼女は安全であった。立ちどまって、絵を見ようとはしないから。それをされると、リリーは閉口してしまう、いま、量《マッス》や、線や、色や、ジェームズと一緒にいるラムジー夫人を見つめている間でも、誰かが忍びよって来ないか、気づいた時は誰かに見られてしまっているのではないか、と、そわそわあたりへ気を配らずにいられないのだ。ようやく感覚が集中されはじめて、緊張し、観察する、壁の色や、遠くのジャクマナ草の色が眼にやきついてくる、と、誰かが家を出てきて、自分の方へやってくるらしいので、びくりとしなければならなかった。それでも、靴音がどうもウィリアム・バンクスのように思えたので、絵筆がふるえはしたものの、たとえばタンズリーとか、ポール・レイリーとか、ミンタ・ドイルとか、他の誰彼の場合とちがって、カンヴァスをあわてて草の上に引っ倒そうとはせずに、そのまま立てておいた。ウィリアム・バンクスが、側へやって来て立ちどまった。
二人はこの村荘の中の部屋にいるので、出入りの折や、夜ふけに靴ぬぐいのマットの上で別れる時など、スープの味や、ラムジー家の子供たちのことや、その他ちょいちょい言葉をかわすことがあるので、親しみをもっていた。いま彼がいつもの批判的な態度で、(彼は植物学者で、やもめで、リリーの父親といえる程の年齢である。石けんのにおいをさせ、細心で、清潔であった)そばに寄って来た時、リリーはそこにちゃんと立っていた。彼も同じように立った。なかなかいい靴をはいているな、と彼は見た。爪先が非常に自然な丸みにできていた。同じ家に来ているので、彼女が規則的に暮しているのを知っていた、朝食の前に起きる、やがてひとりで出てゆく、絵を描くためだと彼は信じている。おそらく貧しいであろう、ミス・ドイルにくらべると、たしかに容貌や色つやもない、それでも彼女の気立てのよさで、彼の眼にはリリーの方があっちの若い婦人より優れていると見える。いま、たまたまラムジーが、叫びながら、身振りしながら、二人の方へ迫ってきた時、ミス・ブリスコーは理解したにちがいないと彼は信じた。
『うろたえ者は誰なるぞ』
ラムジー氏は二人をみつめた。見つめるつもりはないらしいが、見つめていた。それで二人とも、あまり気持よくなかった。互いに、あえて悟るまいとしていた同じことを悟った。二人で一つの秘密を持ってしまった。そこでリリーは思った、バンクスさんが、来る早々、冷えてきたとかなんとか言って、散歩に行きましょうと誘ったのは、場所をかえるため、あの声がきこえない所へ行くためだったのだわ、と。ええ、行ってもいいわ。けれど彼女は容易に、いま見つめている画題から眼をはなせなかった。
ジャクマナはあざやかな菫色、壁は純白。ポンスフォート氏の来訪以来、すべてのものを青白く優雅に、半透明に見るのが流行になったとはいえ、自分の眼で見るあのあざやかな菫色と純白とを、みだりに変えるのが真実だなどとは、彼女には考えられぬことだ。それから、色彩のつぎに形。それは、じっと見つめていると、はっきり自信をもって感じることができる。だのに、その実景と彼女のカンヴァスとの間に、瞬時にして悪魔がしのびより、そのために彼女はしばしば、泣きたい思いにさせられるし、また、観念と実際に描くこととの間の通路を、子供たちがこわがる暗い路と同じようにおびえさせられるのだ。そうして彼女は、たえず意識させられる、――おそるべき敵に対抗して、勇気を保持しようとあがく自分を。「だってワタシにはこう見えるんですもの、こう見えるんですもの」とつぶやいている自分を。また、無数の力がよってたかってこの胸からえぐり取ってゆく幻影の、あわれな残滓を、少しでもかき集めようとしている自分を。それからまた、他のいろんなことが強い圧力でもって彼女におそいかかるのも、絵を描こうとしながら陥る、こうした冷たい風荒い時のことなのである。ブロムトン通り(ロンドン)のはずれに、父親のために世帯をかまえている自分の、至らなさ、卑小さ。そうして、ラムジー夫人の膝へ自分を投げ出して訴えかけたくなる衝動を押さえるのに、大さわぎをしなければならないのである。(ありがたいことに、それをいつもよく突っ張ってきたが)――だいいち、夫人にどう話しかけようと言うのだろうか? 「私はあなたを愛しています」って? いや、それは的確じゃないわ。垣根や家や子供たちへ手をかざして、「私はこのすべてを愛しています」と言うの? ばかばかしい、そんなことできゃしない。胸にあることなど、決して言い表わせないものだわ。さてそこで、彼女は絵筆をきちんと並べて箱にしまって、ウイリアム・バンクスへ言った。
「急に寒くなりましたわね。太陽の熱が足りなくなったようですわね」そう言って、彼女はあたりを見まわした、まだ十分に、陽はあったので。草はまだ柔らかい深緑色で、紫のジャクマナのある緑地の中に、家はくっきりと立っており、青い上空からは、ミヤマガラスが涼しい鳴き声をおとしていた。けれど空気には、銀の翼をひるがえす、なにか閃光のようなそよぎがあった。どっちみち九月、それも月|半《なか》であり、時間は夕方の、六時すぎであった。二人は歩き出し、庭を降りていつも行く方向へ、テニス・コートをすぎ、パンパス草の叢《くさむら》をすぎて行った。やがて、燃えさかる石炭の炎のようなレッド・ホット・ポーカー(穂状の深紅の花)が、番人のように立っている、厚い生垣の破け目に着いた。その間からは、湾の青い水が、とりわけ青々と眺めることができるのだ。
彼らは、毎日夕方になるときまって其処へ、何かしらの必要にせまられて足をはこんだ。あたかも、乾いた土の上で流れなくなった思念を、水によって浮び上らせ、帆走させようとするように、また水は、なにか肉体的な救いをも全身に与えてくれるというように。最初眼に打ってくるのは、湾ぜんたいをみたしている青のひと色で、それが心を大きくふくらまし、からだを軽々とさせてくれるのである、もっともすぐ次の瞬間に、ざわめく波の上に現れている、とげとげしい黒いものが眼にはいって、ひやりと興をさまされるのであるが。その黒い大きな岩のかげからは、たいてい毎夕、潮が噴き上るので、こんどはそれを待つ気になる、そうして、しばらくの間に白い噴水があがると、心楽しさに満たされるのだ。一方、それを待つ間に、蒼ざめた半円をえがく浜辺をじっと見ていると、寄せてはかえし、寄せてはかえす波が、ひと波ごとに青貝色のうす霞を、しずかに流してゆくのが見られた。
二人はそこに立って、互いにほほえんだ。二人とも波の動きを見まもる楽しさに、同じ歓びを味わっていた。また湾の中を、軽快なカーヴを切って疾走していた帆船によっても。それが止った、ゆらいだ、帆を下した。疾い動きのあとで、二人はごく自然に、本能的に、その眼の前の絵を完成させようと、遠い砂丘を眺めやった。けれど、与えられたものは、楽しさよりも、なんとないうら悲しさであった。――一つには風景があまり完全だからであり、また一つには、その遠い眺めが、それを見ている自分より百万年も生きのび、(とリリーは思う)そしてそれが、もう静かに休息に入った地上を見下している大空と、すでに溶け合ってしまったように見えたからであった。
ウイリアム・バンクスは、遠い砂丘へ眼をやりながら、ラムジーのことを想った、ウエストモーランド〔イングランド北西の州〕の路を想った。ラムジーが、彼の持ち前であった孤高の姿で、路上を大跨に歩いていたことを想った。だがあれが突然さえぎられたのだ、とウイリアム・バンクスは思い出す。(そしてあれは、現在のなんらかの出来ごとの参考になるにちがいないが)あの路上に一羽の牝どりが現れたのだ、牝どりは一群のひよこをかばうために両翼を大きくひろげた、するとラムジーは立ちどまって、ステッキでそれをさしながら、「素晴しいね、――素晴しいね」と言ったのだ。彼の単純さや、|か《ヽ》弱いものへ同情をよせる、彼の情感の奇妙な輝き、とそのときバンクスは考えた。しかしどうやら、二人の友情はあれで終りだったという気がする、あすこの、あの路上で。あれの後、ラムジーは結婚した。あれの後、何やかやで、二人の友情の芯《しん》はぬけてしまった。どっちの咎《とが》だったとも彼には分らない。ただひととき経つと、どう改まるでもなく、またずるずると続き出した。二人が逢うのは惰性であった。しかし、この砂丘相手の無言の会話で、ラムジーに対する自分の愛情は少しも失せていない、と心に言った。とはいえ、あたかも、一世紀もの間泥炭に埋もれながら、唇に新鮮な赤味を残している、若い男の亡きがらとでもいうように、二人の友情は強さや真実を持ったまま、湾の彼方の砂丘に埋められたものだった。
彼はこうした友情を思って心いため、また一つはたしかに自分自身の気持ちが干からび、萎縮したせいもあると思って、心をいためた。――なぜと言って、ラムジーは大ぜいの子供たちにかこまれて暮しているのに、バンクスは子供なしのやもめであったから。――また彼は、リリー・ブリスコーがあまりラムジーをつまらぬ男だとは考えないでほしいと思い、(彼は彼なりに偉大なのだ)だが、自分たち二人の間柄については、ありのままに理解してほしいものだと思った。遠い昔にはじまった友情は、ウエストモーランドの路上で終ったのだから。牝どりがひよこをかばって翼をひろげた時に。それからラムジーは結婚した。そして二人の途は別れ、たぶん誰のあやまちでもなく、二人が逢うのは惰性的な性質をおびた。
そう、まずそんなことだ。彼は考えやめた。景色から眼をそらした。そうして、ドライヴ路を昇ってゆく、さっきとは別の路を戻ろうと歩きはじめたのだが、もしあの砂丘によって、泥炭に埋りながらなお唇の赤味を残している友情の亡きがらを悟らなかったなら、たぶん何も感じずにすんだ筈のことどもに、彼はいろいろ鋭敏な感じを持たされた。――たとえば、ラムジーの末娘のカムに対して。カムはちょうど堤でスイート・アリスを摘んでいた。この子はあらっぽい、きかん坊であった。子守に言われても、『おじちゃまにお花をあげる』ことをしなかった。いや! いや! いや! 彼女は頑張った。手をにぎりしめた、揉みくしゃにした。それでバンクス氏は年老いたことを感じ、わびしくなり、この娘によって、友情がいくぶん損なわれた。彼は干からび、萎縮しているにちがいなかった。
ラムジー夫婦は金持じゃない、一体どうやりくっているのか不思議である。八人の子供! 八人の子供を哲学で食わせているとは! と、そこに別の子供がまた一人現れた。今度はジェスパーである。ぶらぶら行きすぎながら、鳥撃ちだよ、とすげなく言い、すれちがいざま、リリーの手をポンプの柄のように振りうごかした。それでバンクス氏は苦々しげに言わざるを得なかった、あの細君は、全く甘いばかりだから。あれでは躾けと言うものを考えなくちゃいけませんね。(たしかに。ラムジー夫人には、あのひと流の考え方がある筈だけれど)まああの成長してきた、荒っぽい向う見ずな『豪傑ども』が、毎日靴や靴下をすり切るのは仕方ありませんがね。彼は、子供たちの誰が誰やら、どんな順序で生れてきたものやら、とんと分らなかった。それで、イギリスの王や女王にならった呼び方をしていた。悪逆カム、冷酷ジェームズ、義人アンドルー、美姫プルー、――プルーは美人になることだろう、ならざるを得ない、と彼は思っている。――それからアンドルーは智者でもある。ドライヴ路を歩きながら、リリー・ブリスコーが、ええとかいいえとか合づちして彼の語るところを傾聴しているあいだ、(リリーはその人々みんなに惚れ、この世の中ぜんたいに惚れ込んでいたので)バンクス氏はラムジーの立場を考えて、彼をあわれみ、またねたんでいた。あたかも彼が、若い日の彼のものであった孤高や峻厳さを脱して、打ちふる翼や、コッコッと鳴きさわぐ家庭生活のわずらわしさの中へ、完全に入りこんだと信じるように。家族は彼に何かを与えた。――ウイリアム・バンクスはそれを認める。カムが上衣に花をつけてくれたり、父親にするように肩へよじのぼって、ヴェスヴィアスの噴火の絵を見たりしたら、自分だってたしかに嬉しいにちがいないからな。しかし、それはまた何かを破壊した、ラムジーの古い友人たちは、そう思わずにはいられないのだ。他人は、現在の彼をどう考えるのだろうか? リリー・ブリスコーはどう考えているかしらん。彼の性癖がだんだん強まるのを、気づかずにいられようか? 奇癖、おそらく弱点と言うべきもの。彼ほどの知性のある男が、現在のように、低俗さに甘んじ、――と言ってはいささか言葉が酷だな。――現在のように、人々の賞讃にあれだけよりかかっていられるのは、驚くべきですよ。
「まあ、でも」と、リリーは言った。「あの方のお仕事をお考えになれば!」
リリーは、『彼の仕事を考える』と、いつでも、大きな台所用テーブルがはっきり眼の前に現れた。これはアンドルーの仕業であった。彼女が彼に、お父さんのご本はどんなものなの、と尋ねたのだ。「主観と客観と、実在の本質」と、その時アンドルーが答えた。そんなこと聞いたって、私にはてんで分らないわ、と彼女が言った。「そんなら、台所のテーブルを考えるんだよ」と彼が教えたのだ。「自分がその場にいない時にね」
そこで彼女は、ラムジー氏の仕事について考える時はいつでも、すり減った一つの台所のテーブルを眼にうかべた。いまはそれが、梨の木の枝の中にあった。二人は果樹園へ来ていたので。そうして彼女は、非常な集中力を駆使して、銀色の斑点を打ち出したその樹の皮とか、さかなの形の葉っぱの上へではなく、台所用テーブルの幻影の上に、精神の焦点をあわせた。四本の脚を宙に浮かしたままそこに置かれてある、長年使い古された故に値打ちのある、木目や節だらけの、すり減ったテーブルの上に。たしかに、そういうむつかしい本質の追求のうちに日々を過してゆくとしたら、そして、フラミンゴ色の雲と、青と銀色の、こんなに美しい夕方を、白い樅の四脚テーブルに還元すること(それがすぐれた精神の表象であるが)に過してゆくとしたら、そういう人は当然、凡庸人と区別して判断されるべきなのだ。
バンクス氏は、『彼の仕事を考える』ことを命じた彼女が、気に入った。彼はそれを、たえず考えたものであった。彼は幾度となく言ったものであった、「ラムジーは、四十前に代表的著述をやる一人だ」と。彼は二十五の若さで小著を一冊出して、哲学に一つの明確な貢献をした、そのあとは、多かれ少かれ、それの敷衍《ふえん》や反復であった。だが、いかに些少なりとは言え、何ごとかに明確な貢献ができるという人々は、とバンクス氏は、きれいに掃除された梨の木の下に休みながら言った、いずれも非常に緻密正確であるし、厳格でありますよ。突然、彼の動かした手が作用したかのように、リリーの胸につもり積っていたバンクス氏の印象の荷がかたむき、重いなだれのように、彼に対する感情が注ぎはじめた。これが一つの刺激であった。そこへ、彼の人間的なエッセンスが、芳香を放っていた。これがもう一つであった。私はこの人を理解したと、彼女は痛いばかりに感じた、この人の厳格さを、この人の善良さを。私はあなたの何から何まで尊敬しますわ。(心の中で、彼に向って言った)あなたは見栄坊ではありません、完全に俗人ばなれしていらっしゃるわ、ラムジーさんより立派だわ、私がこれまでに知った誰よりも立派な方だわ。奥さんも子供さんもないし、(性的な感情なしに、彼女はその孤独を慰めてあげたいと熱望する)科学のために生き。(否応なくポテトのうす片《ぎれ》が眼にうかぶ)賞讃なんて、きっとあなたには侮辱でしょうね、寛大な、純粋な、ヒロイックな方! しかしこの時、彼女は思い出した、彼がここで、一人の側使いの男の子をどんなに仕込んできたか、椅子の上の犬をどんなに叱るかを、また何時間でもくどくどと(ラムジー氏がぴしゃりと戸を閉めて部屋を出てゆくまで)野菜の味かげんや、イギリスのコックがものを識らぬことについて、喋りたがるかというのを。
するとこれらは、全体として、どういうことになるだろう? 人々を判断するというのは、どうすべきだろうか? あれこれとどう考え合せ、好きだとかきらいだとか、どのようにして結論をつけるのだろうか? そして結局、こんなことを言う自体に、どれだけ意味があるだろう? 梨の樹のそばに立つリリーは腑ぬけにされた。二人の男の事どもが、つぶてのように押しよせる、自分の考えを追おうにもあまりめまぐるしく、速記しきれぬほど速い喋り声を追うようであり、しかもその声は、解決しようもない矛盾だらけなことをとめどなく喋りつづける、自分自身の声なのだ、梨の樹皮の破け目や|こぶ《ヽヽ》でさえ、永古不変の姿でそこにあるのに。あなたは偉大ですわ、と彼女はつづける、ところがラムジーさんの方はそうじゃないのよ。あの人は小人物で、我がままで、見栄っ張りで、利己的ですわ。あの人は増長しているし、暴君ですわ、ミセス・ラムジーの命をすり減らしていますわ。だけども、あの人にはまた、あなたにはないものがあるんです、(と、彼女はバンクス氏へ向けた)あのひとは、こわいみたいな世間知らず、些事には全然うとくって、犬や子供さんたちを可愛がりますわ。あの人は八人も持っている子供が、あなたには一人もない。この間の夜は上衣を二枚着て降りて来たり、ミセス・ラムジーに髪を刈らせて、それを菓子鉢でうけたりするでしょ? こうしたいろんなことどもがごっちゃになって飛びまわるのだが、それはちょうど|ぶよ《ヽヽ》の一群が、一匹ずつは勝手に飛びながらも、全体としては眼にみえぬ伸縮自在の網の中に、みごとにまとめられているかのような一団をなして、――そのかたまりがまずリリーの心の中で飛びまわり、それから梨の樹の枝のあいだや、その近くで飛びまわるのだ。そこにはなお、ラムジー氏へ対する彼女の甚大な敬意のシンボルなる、すり減った台所用テーブルが、うす気味悪く宙にかかっている。やがて遂に、たぎり立つ思いは、その緊張を爆発させた、ほっとした、銃が近くで発射されたのであった。そうして、破片をのがれたムクドリの一群が、おびえ、あわてふためきながら、そこへ一せいに飛んで来た。
「ジェスパーだ!」と、バンクス氏が言った。二人は、ムクドリが飛んで行く、テラスの彼方の見当をふりかえった。そして、空の小鳥たちのすばやい飛翔を追いながら、高い生垣のすき間を通って中へはいって行ったのだが、するとそれが、ちょうどラムジー氏のいる真正面であった。ラムジー氏は、悲劇的などら声で、こっちへ向ってどなった。『うろたえ者は誰なるぞ!』
昂奮でぎらつき、悲劇的なはげしさで挑戦する彼の眼が、一瞬二人の眼とかち合った。そして、その二人が誰々かをみとめたとたんに、彼はふるえた。だがすぐに彼は、顔のまんなかあたりまで手を持ちあげた、それはあたかも、バツの悪さに弱って、二人のおちついた視線をはらいのけ、避けようとするようでもあり、どうにも仕様がないからひととき見のがしてほしいと哀願しているようでもあり、また、不意打ちに対する子供っぽい憤激を、あえて二人に示そうとしているようでもある、しかもなお、それが誰々かと分った瞬間にも、閉口し切ってはしまわず、この貴重な感情を、この羞じ入りながらも楽しんでいる不明瞭なラプソデイを、何かにしっかり結びつけようと決心している、――彼はいきなり背をかえし、私室のドアを、二人の上でばたんと締めた。リリー・ブリスコーとバンクス氏が、落ちつかない気持で空を見上げると、ジェスパーの銃に追い立てられたムクドリの一群が、楡の樹の頂上に集っていた。
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「それに、もし明日お天気でなくとも」と言いながら、ラムジー夫人は眼をあげて、ウィリアム・バンクスとリリー・ブリスコーが通って行くのをちらりと見やった。「また今度の日があるでしょ。さあ、ちょっと」と言い、頭ではほかのことを考えている、リリーの魅力は、あのしぼんだ色白の小さな顔に、斜めについている中国人のような眼だわ、でもそれは、利口な男でないと分らないことだろう。「さあ、ちょっと立って、脚の長さを計らせて頂だいな」結局燈台へ行くことになるかもしれないから、靴下の長さがもう一二インチ要るかどうかを見なければならなかった。
まさにこのとき、すばらしい構想がひらめいたので、彼女はほほえんだ、――ウィリアムとリリーが結婚すりゃいいんだわ。――編み口に|かね《ヽヽ》の四本針をつけたままの、赤紫のはいった靴下を持って、ジェームズの脚にあててみた。
「坊や、じっとしててちょうだい」と彼女は言った、燈台守の子供のためなんかに、計らせてやりたくないやきもちから、わざと|もぞもぞ《ヽヽヽヽ》しているからだ、ちゃんとしてくれないと、長すぎるか短かすぎるか、分らないじゃないの、と彼女は言った。
そして、上を向いた、――どうしてこう悪くなったのかしら、こんなに可愛がっているこの末っ子が。――それから部屋を見まわし、椅子を見、いずれもみんな情けないほどみすぼらしくなったと思った。いつかアンドルーが言ったように、そのはらわたが床に散らばっていた。でも問題は、と夫人はひとりごちる、冬中家の中が湿ッけてひどい間、たった一人の婆さん任せに放っておく此処で、よい椅子を買うかということだわ。気にしないでおこう、地代はタダみたいなものだし、子供たちはここを好いているし、夫としても、彼の書庫や講義や弟子たちから、三千マイル、いや、正確に言うとしても、三百マイルは離れることができるのだから、それに、お客を迎えるだけの広さもあるし。ロンドンの家で勤めを果たしたマットや、軽便ベッドや、ぐらぐらの椅子やテーブル、――此処ではそんなもので十分、それに、一二枚の写真版と、書物と。書籍って自然にふえてしまうものだ、と思う。彼女にはそれを読んでいる暇がなかった。ほんとうに! 私へおくられた本、その詩人の自筆で、『敬愛をこめて』とか……『現代の幸福なヘレンへ』とか書かれたのさえも、……わるいけれど、読んでいる暇がない。それから、クルームの心理学だの、ベイツの、ポリネシアの原始風俗だの。(「坊や、じっとしててちょうだいよ」と彼女は言う)――あんなのはどっちも燈台へ持って行っても仕様がないし。時には、この家がいよいよむさくるしくなることを思って、なんとかしなければならぬと考えることがある。みんなによく足を拭いてはいること、ここを海岸とおなじにしないことを、よくおしえておいたら、――そうすると大分いいだろうけど。蟹は、アンドルーが本気で解剖するつもりなら、ゆるすより仕方がないし、またジェスパーが、海藻からスープが取れると信じているなら、叱るわけにもいかない、あるいはローズの大事なもの、――たくさんの貝殻、芦笛、小石。彼女の子供たちは、それぞれ素質にめぐまれているが、各々まったく方向がちがうのだ。あげくには、ひと夏ずつをすごすにしたがって、天井から床まで、何もかもがうすぎたなくなってゆく、と夫人は、ジェームズの脚に靴下をあてながら、吐息した。マットは色あせる、壁紙ははがれかかってぱたぱたする。その上のバラの花模様など、もはや見えないくらい。おまけに、家中のドアが開けっ放しにされて、スコットランド中の鍵屋に錠前の修繕ができないと言われたら、ものは台なしだわ。額縁のはしにかけてある、緑色のカシミヤのショールなど、どうなるでしょう。二週間もすると、豆スープみたいな色になるにちがいない。ところが事実、夫人の悩みの種になるのが、そのドアなのだ、あらゆるドアが開けっ放しのままなのだ。耳をかたむけてみる。客間のドアがあいている、ホールのドアも開いていて、それが寝室のドアがいくつも開いているような音をひびかせている、踊り場の窓が開けてあるのだから。あの窓は私が開けて来たのだ。窓は開けて、ドアを閉めて、――そんな簡単なことが、どうしてあのひとたちには覚えられないのかしら? 女中たちの寝室へ、もし夜中にはいってみたら、きっとオーヴンの中に閉め込まれたようになっていることだろう。スイス娘のマリーだけは別だけど。あの娘《こ》は、お風呂へはいるより新鮮な空気が欲しいって言うわ、それはそうね、|くに《ヽヽ》では「山々がとってもきれいなんですの」と言ってたっけ。あの娘はゆうべ、眼にいっぱい涙をためて窓の外を見ながら、それを言ったのだ。「山々がとってもきれいなんですの」と。その地で彼女の父親が死にかかっていることを、ラムジー夫人は知った。あの娘たちは、父親なしになるのだ。叱ったりおどしたりしていたとき、(フランス女のように、両の手を開いたり閉じたりしながら、ベッドはこうつくるの、窓はこう開けるの、などと言っている時)その娘《こ》がその話をするのを聞くと、夫人のまわりにざわめいていたのものがみんな、静かにおさまってしまったのである、ちょうど、太陽の中を翔《か》けていた鳥の翼が、そのあとでひとりでに静かにたたまり、青い羽毛は、きらきらした鋼青色からやわらかな紫色にかわるように。夫人は無言で立ちつくした。言葉がなにも出てこなかった。父親は喉頭癌であった。それを想いかえした時、――自分がそこに立ちつくしたことを、あの娘が、「|くに《ヽヽ》では山々が、とってもきれいなんですの」と言ったことを、また、もうそれは絶望なのだ、どうしようとも絶望なのだということを。――彼女は急に焦ら立って、ジェームズへじゃけんに言った。
「じっとなさい。ぐたぐたしちゃ駄目」ジェームズは、母のきびしさが本ものだとすぐ見てとって、脚をまっすぐにした。彼女は計ってみた。
靴下は、少くともまだ半インチは短かかった。ソーリーの子供が、ジェームズよりも発育が悪いにちがいないのを計算に入れても。
「これじゃ短すぎるわ」と夫人は言った、「こう短くちゃ、とてもだめだわ」こんなにも悲しげな様子は、誰の上にも決して見られぬものである。暗澹としてしまい、陽の当たる所から深層へ下る堅坑の中途の真暗な中で、たぶんひとしずくの涙がたまるのだ、その涙が落ちる、下の鉱水が揺れうごき、それを受け入れ、やがて静まる。そのようにも悲しげな様子は、誰の上にも決して見られぬものである。
しかしそれは、単にはたでそう感じるだけのことだろうか? と人々は言った。何のせいなのだろう――美人だから? 立派だから? あの男が自殺でもしたのだったかしら、と人々は言った、昔の恋人、なんとなく噂に立った男が、彼女の結婚の前の週にでも死んだのだったろうか? それとも、別に何もなかったのか? 彼女がたぐい稀な美人だったという以外は、心乱されるようなことが何もなかったのか? と言うのは、熱情とか、失恋、つまり邪魔された野心とか、そんな話題がひょいと出るような打ちとけた折には、彼女も一緒に、そんなことは自分も知っているとか、感じるとか、経験したとか話すのは簡単にちがいないのに、決して口にすることはないからであった。彼女はいつも黙っていた。それでいて、知っていた、――おしえられることなしに知っていた。彼女の純朴さによって、利口な人々が誤ることを会得することができるのだ。彼女の純粋さによって、ものごとの奥底深くへ真直ぐ石のように落ちてゆき、そこに鳥のように正確にとまり、自然に彼女の魂は、その深みにある真実をとらえることができるのだ、――その真実を、大方の人々がたいてい誤って喜んだり、安心したり、支持したりするのだが。
(「造物主と言えども、あなたのような女性はめったに造れませんよ」かつて、バンクス氏が、電話の夫人の声を聞いて、感動に打たれてそう言ったことがあった。夫人はただ、汽車のことで、話をしていただけであったが。彼は電話の向うに、青い眼の、鼻すじ通ったギリシャ女を見た。そのような女性と電話しているのが、いかにも不似合に思えた。アスフォデルの花咲く園〔天上のこと〕で、|美の三女神《グレーセス》が集って、その顔を造るのに力を合せたという気がする。そうです、十時半に、ユーストン〔ロンドン西南の駅〕から乗ることにしましょう。
「しかし彼女は、自分が美人だというについちゃ、子供ほどにも意識していないんだ」と、バンクス氏は受話器を置きながらつぶやいた。そして部屋の中を横切って、その彼の家のうしろ側に建ちかかっている、ホテルの工事の進捗ぶりを見に行った。まわりが未完成の中でガタゴトやっているのを見ながら、彼はラムジー夫人のことを考えた。と言うのは、彼女にはいつも、あの整った顔にはどうも不似合だと思えるようなことが多いからである。彼女は鹿狩帽をひょいと頭にのせる、子供があぶないと思うと、いきなり|うわ靴《ゴロシュ》のまま芝生の上をかけ出す。それで、もし彼女を、ただ美しい女性とのみ思っていたものは、そういう現実的な印象に、どきりとさせられるのだ、(見ていると職人たちは、小さな板|片《ぎれ》の上に煉瓦を積み上げて運んでいる)そしてそれが、彼女の美しい印象に加えられることになるし、もし単純な気持で彼女を一女性と考えていたものは、かなり特異な性格だとも知らされることになる。それとも、彼女の素晴らしい美しさによって、彼女自身も、また普通に男たちが言うすべての美しさもうんざりさせられるので、彼女はひたすら平凡な他の連中と同じになりたいと思い、自分の立派に整ったものを脱したいと熱望している、と察しるべきなのか。彼には分らなかった。どうも分らない。自分の仕事に戻るより致し方がない)
ラムジー夫人は、緑のショールを端にかけた金縁の枠と、その中のミケランジェロの傑作の絵とに、ゆがんだ頭の形をうつして、赤茶色の毛糸の靴下を編みながら、一瞬前までの不機嫌さはなごんだので、子供の顔を上へ向けて、額にキスをした。「別の切りぬき絵を探しましょうね」と、彼女は言った。
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でも何が起こったのかしら?
うろたえ者は誰なるぞ。
ひとりで考えふけっていたのを乱された時、夫人の心に長い間なんの意味もなく存在したその言葉が、急に意味を持った。『うろたえ者は誰なるぞ』――自分のほうへ近寄ってくる夫に近眼《ちかめ》を向けて、一生懸命見すえていると、やがて彼女には、夫がなぜ自分のところへ来るかが分った、(韻をふんだその詩の文句通りのことが考えられた)何事かが起こったのだ、誰かがうろついていたのだ。けれど、何をどう考えてよいやら全然分らなかった。
彼はふるえ、わなないていた。電光石火のごとく速かに、鷹のごとくすさまじく、部下の先頭に立って、死の谷を超えて乗り入るべき、武勲かがやく彼の虚栄も満足も、すべて粉砕された。銃火の嵐ものかはと、馬を駆りゆくまっしぐら、雷鳴とどろく死の谷を超えて、――いきなりリリー・ブリスコーとウイリアム・バンクスに向き合ったのだ。彼はふるえ、わなないた。
眼をそらして、ひとりで奇妙にいきまき、自分自身の裡《うち》にうずくまろうとするような、はやく均衡を取り戻すために待機したいとのぞんでいるような、そういう見なれた夫の症状から、ラムジー夫人は、彼がまた卑屈にされ、苦しめられているのだと察すると、話しかける元気が出なかった。彼女はジェームズの頭をなでた。夫に対してどうしていいか分らない気持を、ジェームズでまぎらせたかった。ジェームズは、陸海軍ストアのカタログの、紳士向き白シャツを黄色に塗っている、それを見て、もしこの子が大芸術家になるようだったら、どんなにうれしいだろうと思った。なれないと言い切れるかしら? この子はとてもいい額をしているわ。夫人はあらためて、また側を通りすぎてゆく夫を見ると、傷ついた様子が消えていたので安心した。家族の雰囲気が功を奏したのだ、日常性が、なぐさめの低いリズムをかなでている、そのため彼は、次にまわって来た時に考え考え立ち止り、窓辺にかがみ込み、そうして、ふざけてみたいのと、持ち前の奇癖と両方で、何か小枝でジェームズのむき出しの|ふくらはぎ《ヽヽヽヽヽ》をくすぐったので、夫人は、あなたはあの『気の毒な』チャールズ・タンズリーをやっつけたのでしょう、と咎め立ててみた。タンズリーは論文を書くので引込んで行ったんだよ、と彼は言った。
「ジェームズも遠からず、自分の論文を書くようになるだろうな」
小枝を揺りながら、からかうようにつけ足した。
父を憎悪するジェームズは、そのようにきびしさと人間味の混じった一風変ったやり方で、末息子の裸の脚をおもちゃにしている枝を、はらいのけた。
ラムジー夫人は、明日ソーリーの子供にやろうと思って、うんざりなこの靴下編みの仕上げをいそいでいる、と話した。
明日の燈台行きなんか、全然駄目に決まってるじゃないか、とラムジー氏は、かッとなって、ガミついた。
まあどうしてお分りになりますの? と彼女はたずねた。風はよく変るじゃありませんか。
なんたる不合理な言葉を使うんだ、女の考えることの愚劣さに、彼は激怒した。自分は死の谷間に馬を馳り、破壊され、戦慄させられたのだ、それなのに彼女は、事実をおろそかにし、子供たちに、論外な希望を持たせる、実質的には嘘をつくことだ。石の階段の上で彼は、足をふみ鳴らした。「黙れ」と言った。だが彼女は何を言ったと言うのだろう。ただ明日はお天気かもしれないと言っただけ。そして、そうかも知れないのだ。
晴雨計が下り、風が真西である限り、絶対だめだ。
これほど他人の感情を無視した真理追求や、文化のヴェールを乱暴に、残酷に引き裂くことは、夫人としては、人間的礼節に対するおそろしい暴逆としか思えないので、呆然として言い返すのも忘れ、棘々《とげとげ》の霰や汚水の雨が、罪のない自分にふりそそぐままに任せるという風に、頭を垂れてしまった。言うべき言葉がなかった。
彼は彼女の側に来て、だまって立った。非常にすまなそうにし、そのあげく、とうとう言った、もしなんだったら海上警察までちょっと行って、聞いて来てやろうか、と。
まあ、こんなにも尊敬できる人は、決してないわ、と夫人は思う。
お天気については、あなたのおっしゃる通りだと思いますわ、と彼女は言った。ただ、確かめて来ていただければ、サンドイッチをつくらなくてすみますけど、――ほんとにそれだけですわ。私が女なのだから当然と言うものの、一日中みんなであれやこれやと言いに来る、一人がこうしてほしいと言い、また一人はああしてと言う、子供たちは成長してゆく、私は人間の感情をしたたるばかりに吸い取る、たんなるスポンジだと考えることが度々だ。そこへ夫が、黙れ、と言う。明日は雨だと言う。雨でないかもしれぬ、と言う、するととたんに、彼女の前には安らかな天国が開かれる。彼以上に尊敬できる人は誰もない。私は夫の靴の紐をむすぶ値打ちもない、という気がする。
ラムジー氏はすでに、さっきの疳癪《かんしゃく》も、軍隊の先頭に立って進撃する手ぶりをも恥じ入っていたので、ひどく臆病そうにもう一度息子の裸の|ふくらはぎ《ヽヽヽヽヽ》を突き、それによって彼女の許可を得たとでも言うように、ひょいと一つの動作をした、なんとなく動物園の大きなアシカが、魚を呑んだあと仰向けにひっくりかえってのたくり、それで水槽の水があっちこっちに揺ぐのが思い出されてこっけいだったが、そのようにして彼は、夕方の空気の中へもぐり込んで行った。外はすでにたそがれかけて、木の葉や生垣の形をぼかしはじめたが、その代りというように、バラや石竹へ、日中にはない光彩を与えていた。
『うろたえ者は誰なるぞ』と彼は、テラスを大股に登り降りしてゆく時に、またしても口にした。
だが、その調子はなんと変っていたことだろう! 『六月の、調子はずれの』カッコウのよう。あたかも、この新たな気分にふさわしい詩句をうまく見つけたいと努力しながら、ついにこれがなじみなので、あまり感心しないが使っているというようだ。それにしても、おかしな調子であった、――『うろたえ者は誰なるぞ』――問いかけるように、なんの確信もなしに、ふしをつけて言っているだけだ。ラムジー夫人はほほえまずにはいられなかった。やがて間もなく、登ったり降りたりしているうちに、果してそれは鼻唄になり、それもやみ、静かになってしまった。
今は安全であった。彼は自分ひとりを取り戻した。立ちどまってパイプをつけ、窓辺の妻と子供をちらと見た。ちょうど、急行列車の中で本を読んでいる時、ふと眼をあげてそこに見える畑や樹や田舎家の集団をさし画として眺め、そして再び本に戻ると、印刷されたページの上で確証が得られ、満足させられるのと同じように、いま妻と子の区別なしにただ二人の光景を眺めたことによって、彼は確証を得、満足を感じ、そうして、彼のすぐれた精神力をもってこの時取りあげた問題を、完全明確に理解しようとする努力へ、献身的になれたのであった。
それはすぐれた精神である。と言うのは、かりに思想が、多くの音階のあるピアノの鍵盤か、むしろ二十六文字をならべたアルファベットだとすると、彼のすぐれた精神は、いささかの困難もなく、しっかりと正確に、その文字の一つ一つを辿ることができ、そして、そう、まずQのところ迄は行っているからである。彼はQに達したのだ。イギリスに於ても、Qまで達した人はまず稀である。さて彼は、ゼラニウムを植えてある石の花|甕《かめ》のそばにひととき立ちどまって、窓辺の妻と子を見た。だが今ははるかに遠ざかり、二人はちょうど、足もとの小さなものにばかり気を取られている全く無邪気な、貝拾いの子供たちのように、また、彼が知覚している一つの運命に対して全く無防備でいるように、見えた。あれらには保護が必要なのだ、自分はそれを与える。ところで、Qの後は? 次には何が来る? Qの後にはまだ沢山あって、その最後はほとんど人間の眼に見えぬが、しかし遠くで赫々《あかあか》と輝いているのだ。Zは、一時代に一人の人間が、ただ一度だけ届くものである。それにしても、もし自分がRに達したら、これはちょっとしたものだろう。少なくとも現在はQ。Qに踵を埋め込んでいる。Qは確実だ。Qは証明できる。では、QはQであるとすれば、――R――ここで彼はパイプを、花甕の柄になっている牡羊の角に叩きつけて、二ツ三ツ反響させながら灰を落した。そして先をつづけた。「さてR……」彼は姿勢を正した。緊張した。
忍耐と正義、用心深さ、熱意、熟練、――灼熱の海に出て、ビスケット六個と、フラスコ一杯の水しか持たぬ船の乗組員をも、安全にするにちがいないそれらの徳が、彼を応援した。そこでRとは――Rとは何か?
|とかげ《ヽヽヽ》のまぶたが、またもゆらゆらした。彼は|ひたい《ヽヽヽ》に青筋を立てた。花甕のゼラニウムが、おどろくばかりにはっきり見えて、その葉の間から、二種類の人間の、古い且つ顕著な差異というものが、望みもしないのに現れてきた。一方は、こつこつとアルファベット二十六文字を、はじめから終りまでたゆみなく順を追うてゆく、超人的な強さを持った、着実な実行型であり、他方は、奇蹟的に、その文字全体を一挙に一括してしまう、才能に恵まれた者、霊感をあたえられた者、――天才の道である。自分は天才ではない、天才だと主張する権利もない。だが、AからZまで順に正しく、一つずつを追ってゆく力はある、あった筈である。それだのに、Qに於いて停ったのだ。だから進もう、Rへ向って。
彼は眼の色も失せ、テラスの上を廻りあるく二分間のあいだに、その顔は紙のように白く、老人のようにしなびてしまった。もし雪が降り出して山頂がかすんで来た場合は、もう静かに横たわって、朝が来ないうちに死ぬだけだと悟っているリーダーならば、いっそ本懐でもあろう感覚が、彼におそいかかってきたのだ。だが彼は、横になって死を待ちたくはなかった。彼はむしろそそり立つ岩崖をみつけ、そこに立って嵐をにらみつけ、最後まで闇を貫こうと試みながら、立ったままで死にたい。遂に、Rには達し得ないのか。
彼は、ゼラニウムがいっぱいの花甕のわきへ、棒立ちになった。何千万という人間の中で、結局どれだけがZに達するのか、と自問する。決死隊のリーダーがそのように自問し、それに答えて「たぶん一人だけだ」と言っても、決して彼の背後にいる隊員を裏切ることにはならぬだろう。それは、一時代に一人だけなのだ。とすれば、自分がその一人になれぬと言って、なぜ責められねばならないのか? 誠実に努力し、最善をつくし、出せるべき力は出し尽したのであっても? そして自分の名声は、どれだけ続くことであろうか? たとえ英雄であろうと、死の直前に、一体自分の死後どの位の間、人々が自分の話をするかと考えるのは、許さるべきだ。まず二千年続くだろう。ところでその二千年とはなんであるか?(ラムジー氏は、生垣をみつめながら、皮肉に問うてみる)実際、もし山頂から、幾時代にわたる長い荒廃を見下しているとしたら、それはなんであるか? 誰かの靴先で蹴とばされる石ころが、たぶんシェイクスピアより長く生き残るのだ。自分自身の小さい光は、特に明るくもなくこの一、二年は輝くだろうが、やがてより大きな光に、それから又さらに大きな光に、呑みこまれてしまうことだろう。(彼は闇をみつめ、小枝の繁みをみつめた)とすれば、少くとも幾時代の荒廃や星雲の崩壊を見きわめるだけの高所に達した決死隊のリーダーが、死の直前にあたって、ほんの少し意識的に、凍えた指を額にかざし、肩を怒らせて、やがてやってくる捜索隊に、職務に殉じた立派な戦士の、死に方を示すようにしたからと言って、誰が責め得ようか? ラムジー氏は、肩を怒らせて、花甕のそばにまっすぐ突っ立った。
こうして立っている一瞬の間に、たとえ自分が、名声とか、捜索隊とか、あるいは、後につづく思慕者たちによって、遺骸の上に建てられるべき碑石とかに、思いを凝らしたとしても、誰が責めようか? 要するに、宿命の遠征のリーダーが、冒険の限界をためし、最後の力をも完全に使い果し、夢ともうつつとも知らず眠り込み、あげくに今、爪先の何かの刺激によって生きていると感じたために、生きられるならまず生きたいと思い、同情やウイスキイの要求や、またこの苦悶の経験を直ぐ誰かに話したい要求を持ったからと言って、誰が責めようか? 全くこの自分を、誰が責めようか? 英雄が甲冑をぬぎ、窓辺に立って妻や子を見つめる時、それをひそかに喜ばぬものがあるだろうか? 妻と子は、はじめは遥かに遠かったが、しだいに近くなって、ついにその唇や本や頭が、はっきり彼の前に現れてくる、もっともそれは、厳しい孤独や、年月の荒廃や、星雲の崩壊を経た者には、美しく不慣れに感じるものであったけれども、ついに彼はパイプをポケットにしまい、その崇高な頭を、彼女の前に垂れる、――たとえ彼が、煩悩世界の美に屈したからと言って、誰が責めるだろうか?
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しかし、子供は彼を憎んだ。側へ来た彼を、立ちどまって母子を見おろした彼を、憎んだ。二人の邪魔をする彼を憎んだ。尊大で極端な身ぶりをする彼を、偉大な頭脳をもつ彼を、その強制や自己本位(そこに立って彼は、自分に仕えよと命じている)を、憎んだ。だが、中でも最もジェームズが憎むのは、そのあたりに立ちこめて、母と自分が緊密にむすばれている和やかさをおびやかす、父の気分のゆらめきであった。本のページに眼をおとしたまま、なんとか追っぱらいたいものだと思う。父が立ちどまったとたんに、母の注意力が散漫になったのが分ったので腹が立ち、彼は一つの言葉を指さしながら、そこへ母の注意を呼び戻そうとした。しかし駄目だ。何ごとも、ラムジー氏を追っぱらえなかった。彼はそこに立って、同情を要求した。
ラムジー夫人は、子供を腕の中にかい寄せて気楽に坐っていたのだが、気持をひき締めた。半ばふりかえり、つとめてからだを起こすと共に、彼女の精力《エネルギー》をそのあたりへ雨と降りそそがせるように見えた。彼女自身がまた、すべてのエネルギーが力に変るかのように活々《いきいき》となり、生気に燃え、輝いてきた、(と言って、夫人はただ静かに坐り、ふたたび靴下を取りあげただけであったが)そうして、この香ぐわしい豊饒さ、この生命の泉としぶきの中に、実ることなく運命づけられた素はだかの、金属の吻《くちさき》のような男の性が、はまり込んでいった。彼は同情を求めた。おれは敗北者だ、と言った。ラムジー夫人は編針をきらりと光らせた。ラムジー氏は妻の顔から眼をはなさずに、おれは敗北者だ、とくり返した。彼女はその言葉をはね返した。「チャールズ・タンズリーが……」と言いかけた。だが彼には、それ以上のものが必要であった。彼が求めるのは同情で、まず第一に自分の天分を保証してくれること、次いで、温かく豊かな生命の圏内へ引き入れて、自分の五官を回復させ、不毛を実り多いものとし、そしてこの家中の部屋々々に生命をみたせてくれることだ、――客間と、客間の奥には台所があり、台所の上にはいくつかの寝室があり、その先には子供室もある、それらが整備されなければならない、それらが生命に満ちあふれなければならない。
チャールズ・タンズリーが、あなたをこの時代の最もすぐれた形而上学者だと信じていますのよ、彼女は言った。しかし彼には、それ以上のものが必要であった。同情を得なければならなかった。自分もまた生命の中枢に住んでいること、この地だけでなく、全世界から要望されていること、が保証されねばならなかった。編針をきらめかせている夫人は、姿勢正しく、確信ありげに、客間や台所を創造し、それらを輝かせ、そして夫に、寛いでその辺を出入りし、満足するようにと命じた。夫人は笑った、編んだ。その膝の間にこわばって立っているジェームズは、燃え上る母の力がすべて、同情を強要しながら、くり返し無慈悲に切り込んでくる、男の性の殺伐な青龍刀である金属の吻《くちさき》に、吸い取られ、消されてゆくのを感じた。
おれは敗北者だ、と彼はくり返した。そうですか、ではまあごらんになるといいわ、お感じになるといいわ。編針をきらめかせながら、夫人は、窓の外や、部屋の中や、膝のジェームズを眺めまわし、少しの疑念もない笑いや、落ちつきや、また自分の資格をもって、彼を自信づけた。(ちょうど乳母が、暗い部屋へ明りを持って行って、駄々っ子を説きつけるように)家はゆたかに満ち、庭には花が咲き、それが現実なのですよ、と。もし私を頼ってさえいらっしゃれば、あなたは何に傷つけられることもありませんのよ、どんな深淵にご自分を埋めてみたところで、どんな高い所へ登ってごらんになったって、私なしではあなたは、一瞬でも自己を捉えることなんて出来ませんのよ。それほど寛大に、抱擁や庇護を誇示するあまり、夫人は、自分をかまう余地が全然ないほど、自分を没し去っていた、すべてを与え、消耗しつくした、それで、彼女の膝の間にこわばって立っているジェームズには、母の高揚した精神が、葉も、わななく大枝もつけたまま倒された、花ざかりの果樹から立ちのぼるように感じられ、それに向って、同情を強要する自己本位な男、自分の父の、殺伐な青龍刀なる金属の吻《くちさき》が、ぶち当り、はまり込んでくると思われた。
妻の言葉に心みたされた彼は、満足してうつらうつらし出した子供のように、感謝をこめておとなしく彼女をみつめ、自分をとり戻し、気を持ち直し、ついに、ひとまわり歩いて来ようと言った。子供たちがクリケットをやっているから、見て来よう。彼は去った。
とたんにラムジー夫人は、花弁の一つ一つが、しぜんに折りたたまれてしぼんだように見えた、疲労し切って、からだ中の組織がくずれてゆくようで、疲労のやり場に絶好と思えるグリムの童話のページを繰るために、指先の力を出すのが精一杯であった。だが一方には、全身をつらぬく動悸を感じていた、創造に成功したという歓喜、あたかも泉の中に起こった波動のように、それは全面にひろがり、やがて静かにやんでしまったけれども。
この衝撃的な鼓動は、立ち去る夫と共々に与えられ、ちょうど高音と低音と、二つの違った調子が合う時に感じる慰めを、これも両方で共々に感じたような気がした。だが、その共鳴はやんでしまったので、再び童話へかえろうとすると、ラムジー夫人は、肉体の消耗だけでなく、(それはこの時に限らず、常にきまって後から感じたが)何か他の原因による、気分的に少々不愉快なための疲れも加わっているように思った。だが、その原因が何かは『漁夫とその妻』の物語を声高に読んでいる間、はっきりとは分らなかった。また、ページを繰るので読みやめて、鈍い、不吉の前兆のような波の音が耳にはいった時、あああのことだったかしら、と思いはしたものの、やはりその不満をはっきり言葉にしようとは思わなかったのだ、夫人はどんな時でも、自分が夫より立ちまさっているなどとは感じたくなかった、さらには、自分が本当に信じもしないことを夫に話すなど、堪えられなかった。大学や世間で彼が要望されていることと、多くの講義や著述や、それらの内容の非常に高い価値、――すべて彼女は、片時も疑いを持ったことはなかった、それよりも問題は、こうした夫婦のあり方なのだ、誰にでもすぐ分るように、なんの顧慮もなしに、ああしてすぐ私のところへ来ること、だからみんなは、彼が妻に依存していると言う、二人をくらべれば、もちろん夫の方が無限に重要で、私が世間へ与えるものなど、取るに足らぬことを、世間に信用させなければならないのに。けれど今はそれもまた別問題のことであった、――つまり、彼に本当を打ちあけられないことども。たとえば、温室の屋根を修繕するのに、たぶん五十ポンドかかるだろうということ、彼の著作のこと、最近出した本は決して彼としての代表的著述ではない、(と夫人は、ウイリアム・バンクスから知らされたが)それで自分が多少とも不安がっているのを、夫が悟りゃしないかということ、あるいはまた、日常の細かな事柄で、夫にかくしていること、それを知っている子供たち、そのために子供たちが背負っている重荷、――そんなことがみんな一緒になって、彼女の純粋な喜びをかき消すのだ、二つの調子が共鳴し合う完全な喜びを、そして、耳の中のその調べが絶えた今は、陰鬱な静けさであった。
本のページの上に、一つの影が落ちた、夫人は眼をあげた。オーガスタス・カーマイケルが、足を曳きずりながら通りすぎてゆく、あたかも今彼女は、人間同士の結合とは、どんなに完全のようでも、そこに間隙を持たねばならぬ不備なものだ、という考えに苦しめられていたところなのだ、夫を愛しながら、しかも真実を求める本能によって、思いめぐらすこの試問は辛いものであった。また、自分が無価値な女であるという宣告に従うことにも苦しめられていたところなのだ、それらの虚偽や誇張のために、適当な機能は押えつけられてしまう、――高揚する気持が、それほど卑小に傷めつけられていたちょうどその時に、カーマイケル氏が、黄色い上靴をはいた足を曳きながら、通りすぎてゆく、彼女の胸にひそむ幽霊《デモン》が、思わず通りすがる彼に声をかけた。
「カーマイケルさん、中へおはいりになりませんか?」
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彼は何も言わなかった。彼は阿片を吸っていた。子供たちは、そのために彼のひげが黄色く汚れてしまったんだと言う。たぶんそうだろう。夫人がはっきり知っているのは、この貧しい男が非常に不幸で、毎年この家へ逃避してくるというだけである、しかも毎年、同じことを感じた。あのひとは決して私を信用しない、と。彼女は、「これから町へまいりますの。切手や、用箋や、タバコのご用は?」という、すると彼はいすくむだけである。彼は決して夫人を信用しない。それは彼の妻のせいであった。ラムジー夫人は実際に、その小面にくい妻が、聖ジョンズ・ウッド(ロンドン)のむさくるしい小さい部屋で、彼を追い払うのを見たことがあるが、その時のその女の、石とも鉄とも化した理不尽な仕打ちがおもい出される。彼は髪ひげぼうぼうにしていた、彼は上衣のうえにものをこぼしていた、この世の中に何一つ為すこともない、老人の屈托しきった様子であった、そのとき彼の妻は、彼を部屋から追っぱらった。彼女はじゃけんな調子で言った、「ラムジーさんの奥さんとわたしだけで、ちょっと話したいことがあるんだからね」そこでラムジー夫人は、彼の生活のかぞえきれない惨めさを、すべて眼の前に見るように察したのであった。タバコを買うお金を、あの人は持っているのかしら? 一々あの妻にもらうのかしら? 半クラウン? 一八ペンス? ほんとに、彼を苦しめるあの卑賤さは、思うのもいやだ。あのために、彼は私にも尻ごみするのだ。(だって、あの女にこりているという他には、考えられないもの)あの人は決して私と話そうとはしない。でも私としちゃ、これ以上どうすればいいでしょう。あの人には、陽当りのいい部屋をあてがっている。子供たちは親切にしている。あの人を迷惑がるような素ぶりをしたおぼえはないし。事実、彼女の流儀で、親切にやっているのだ。切手はいかが、タバコはいかが? お気に入りそうな本がございますわ、等々。と言うのも要するに、――要するに、(ここで、めったにないことだが、夫人はしらずしらず、自分が美しいという意識をあらわにしていた)――要するに、人々が自分を好くようにすることが、普通には大した骨折ではないのであった。たとえば、ジョージ・マニングとか、ウォレス氏とか、そんな有名な人々も、夕方ふらりと来て、暖爐のそばで彼女と話すのを好んだ。夫人は、美の炬火《たいまつ》をかざして歩くすべを、知らずにはいられなかった。どの部屋にもそれを高くかかげてゆく、そしてつまり、場合によってそれを敝うことで、いつもさらしている単調さが加減され、その美しさが明らかになるのだ。
彼女は尊敬された。彼女は愛された。しめやかな会葬者たちの部屋へはいってゆく。と、夫人の顔を見るだけで、涙が流れる。男たちは、また女たちでも、錯雑する事どもはともかくとして、夫人によって与えられる一途な慰めにひたるのであった。彼が尻りごみするのに夫人は腹を立てた。気持を損なわれた。とは言え、何かもやもやと、腹を立てきれないのであった。夫へ不満をいだいたのと同じような気持を思わせた。カーマイケル氏が、本を小脇にかかえ、黄色い上靴をはき、彼女がかけた言葉にただうなずくだけで通りすぎた時に、自分を信じていないと思ったこの気持。結局、自分が、与えたいとか、助けたいとか思う欲望は、みんな虚栄なのだわ。なぜと言って、本能的に与えたいとか助けたいとか望むのだと言っても、要するにみんなから「ああミセス・ラムジー! 愛するミセス・ラムジー……ミセス・ラムジーにかぎりますよ」と言われながら、必要がられたり、引張りだこにされたり、尊敬されたりしたい、自己満足のためではないだろうか? ひそかに望んでいるのはそれではないかしら、それ故に、カーマイケル氏が今のように自分を避けて、ひとりで離合詩体《アクロスチック》をやりにどこかの隅へ行ってしまうと、単にしぜんの行為を無にされたと思うだけでなく、自分の心にある卑小さを思い知らされる気がし、そして、人間同士の間は、最善をつくすといううちにも、いかに|ひび《ヽヽ》の入っているものか、いかに軽蔑すべき利己的なものかをも、知らされるのであった。もう老いおとろえて、人々の眼を喜こばせるだけの容色も、たぶんないのだから、(頬はこけ、白髪になったのだ)むしろ『漁夫とその妻』の物語に専念して、感受性のかたまりみたいなジェームズ(この子ほど感じやすい子供は、他にいなかった)を、なだめてやる方がいいのだわ。
「漁夫は心がおもくなって、行きたくありませんでした」と夫人は、声を出して読みはじめた。「『それはよくないこった』とひとりごとを言いましたが、仕方なしに出て行きました。浜辺へ来てみると、海はすっかり紫いろになり、藍いろになり、灰色になり、どんよりしてしまって、もう緑と黄ではありませんが、それでもまだおだやかでした。漁夫は立ち止まって言いました――」
ラムジー夫人は、こんどは夫が立ち止まらないでくれるようにとねがった。子供たちのクリケットを見に行くと言ったのに、なぜ行かないのかしら? それでも、話しかけないでくれた、彼は、見て、うなずいて、察して、そのまま遠ざかって行った。彼は静かに歩きまわった、いつも度々立ちどまってなんらかの結論の示唆をうける生垣を、眼の前に見ながら。妻と子を見ながら。また、しばしば思索の過程を装飾づけてくれる、うつむいた赤いゼラニュウムの花と、あたかも読書の間に気ぜわしくノートする紙きれのように、その思索過程が書き止められているような葉っぱのある、花甕を見ながら。――そういうものをあれこれ見ながら、彼は自然にすべり込んで行った。年々シェイクスピアの家を訪れるアメリカ人の数について書いてあった、『タイムズ』のある論文を見て暗示をうけた思索の中へ。もしシェイクスピアが存在しなかったとしたら、と彼は自問する、世界は今日の状態とは非常に異なっていたろうか? 文明の進化とは、偉人たちに依存するものだろうか? 今日の普通人一般は、古代エジプトの君主時代よりよくなってきているだろうか? ところで、普通人一般なるものが、果して文明の尺度を計る基準なりや? と自問する。おそらく違う。おそらく至高善は、奴隷階級の存在を要求するのだ。地下鉄のエレベーターの運転手は、永遠に必要なのだ。そう考えたことは、彼の気に入らなかった。彼は頭をふった。それを遠ざけるために、芸術の優越性をやりこめる方法を見出そうとした。世間は普通人のために存在することを、論議したかった。芸術はたんに、人間生活の頂上におかれる装飾品で、人間生活を表現するものではないことを。シェイクスピアが、人間生活に必要ではない、と言ってもよい。なぜシェイクスピアをけなして、エレベーターのドアのそばに永遠に立つ男の味方をしたいのか、ということが正確に分らなくなって、彼は生垣の葉っぱを、ぐいと引きちぎった。来月カーディフ〔ウエールズ南東部の海港市〕の青年たちに、この問題を提出することにしよう、と考える。いまこのテラスでは、たんに材料あつめのピクニックをするだけにしよう、(彼は不きげんに引きちぎった葉っぱを捨てた)ちょうど、馬上から手をのばして、野バラのひとふさを折る男のように、あるいは、子供の時分から知っている田舎の小道、すべてなじみ深いもの。彼は何時間でもそうしていたかった。パイプをくわえ、ある夕べに、考え考え、昔なじみの小道や牧場を、上ったり下ったり、入ったり出たりしながら。そこには、かなたこなたに戦いの歴史があり、政治家の生活があり、詩や逸話や、肖像もあり、さらには、この思想家、かの軍人とも結びつく、すべて輝かしかった。けれどやがて、小道や野原や牧場や、胡桃の実る樹、花咲く|まがき《ヽヽヽ》の果ての、かなたの道路の角に達した時、彼はいつもそこで馬を降り、樹に馬をつなぎ、ひとりで歩き出すのである。そうして、芝生の端まで行って、下の湾を見おろすのであった。
海が徐々に侵食してくる岬の突端へこうしてやって来て、孤独な海鳥のようにひとりで立つのが、望むと否とにかかわらず、彼の運命であり、特性であった。そして彼の激しさ、天稟《てんぴん》が、ここでとたんに彼の贅肉を洗いおとし、遠ざけ、縮めてしまって、そのからだは貧相にやせこけるように見えるが、精神の強さは常のままで、だから彼は小さな岩礁の上に立つと、人間の無智による暗黒さに直面せざるを得なくなる、われわれはあまりに何も知らぬ、海は、われわれのいる地上をどんどん侵してゆく、と。――これが彼の運命であり、天性であった。それでも今こうして、馬を降りるとともにすべての身振りも虚飾も、クルミやバラの戦勝品《トロフィ》も捨て、あげくに畏縮させられて、名声を気にするのを忘れるばかりか自分の名前さえ忘れているような、この落莫としたあいだにでも、幻想とか幻影とかから全然はなれた一つの気構えがあった。それは特に、ウイリアム・バンクスと逢ったり、(間歇的に)チャールズ・タンズリと話したり、(追従されながら)また妻を見たり、する時、彼が身につける態度なのだが、今、夫人は顔をあげて、芝生の端に立つ彼を、深い尊敬と、憐れみと、感謝をこめながら見ていたのだ、それで彼は自分が、何か河のまんなかで、その河底に打ち込まれてある棒杭だと感じた。上には鴎《かもめ》にとまられ、波にあらわれながら満々とした水の中にただひとり立って、河の路の標識をしめす役目を果している、そのため、ボートにぎっしり乗ってゆく陽気な連中から感謝をささげられる棒杭だ、と。
「しかし、八人の子供の父親であることはどうにもならない……」半分声を出して言いかけたが、やめてふり向き、吐息し、眼をあげて、子供に物語を読んでいる妻を求めた、パイプをつめた。人間の無智、人間の運命、われわれの地上を侵食する海から、彼は眼をそらした、もっと落ちついて熟考できたら、何かが引き出されたかも知れなかったが、そうして日常些事の方へ慰めを得ようとすると、これはまた、いま眼前にあった高邁なテーマに対してあまりに安易すぎ、彼は慰められる以上に汚されて、拒否したいくらいに思った、いかにも、みじめな人の世の幸福に浸ることは、潔癖な人間として、この上なく卑しむべき罪悪だというように。
それはそうにちがいないのである。彼は大体幸福な部類の男なのだ、妻があり、子供たちがある、カーディフの青年たちに、六週間、ロックやヒュームやバークリー〔以上三人共、著名な英哲学者〕について、またフランス革命のいくつかの原因について、何か『駄弁《ナンセンス》』を弄する約束があった。しかし、このことも、また自分の言葉をつくり出すこと、若い熱情、妻の美しさ、スォンジー、カーディフ、エクセター、サウサンプトン、キダミンスター、オックスフォード、ケンブリッジ各地から届く賞讃、――そんな事どもに彼が喜んでいるのも、すべて否定されるべきであり、『駄弁を弄する』なかに葬り去らるべきなのである、なぜと言って、事実上、彼が為し得る筈のことをしていないからなのだ。それはまやかしであった、それは、『これが自分らしいものだ――これが自分だ』と言いきれない、自分の知覚に責任を持てぬ男の逃避であった。それゆえウイリアム・バンクスとリリー・ブリスコーとの憐れみや不快を買うことにもなるのだ。彼らはいぶかるのである、なぜそれほど隠しだてが必要なのか、なぜ絶えず賞讃されたがるのか、なぜ、思索においては勇敢な男が、生活ではあんなに臆病でなければならないのか、また、尊敬と嘲笑とをいつも同時に起こさせる、なんて奇妙な男だろうか、と。
教えるとか忠告するとかいうことは、人の力では及ばないものなのかしら、とリリーは思案した。(彼女は絵の道具をおいた)いつもあがめられ通しの人には、きっとなんらかの転落がくるにちがいないわ。ミセス・ラムジーは、あの人の求めるものを、あんまり簡単に与えすぎるわ。ですからちょっとの変化が、大騒動になるんですのよ、とリリーが言った。読書に熱中していたあの人が、ゲームをやったり無駄話をしたりしている私たちのところへ来ますでしょ。するとまあ、自分の考えている事どもと、なんたる相違、と思うでしょうね、と彼女が言った。
彼が二人の方へ迫ってきた。そしてぴたりと停り、海を眺めながら、無言で立っていた。あげくに、再び背をむけて行った。
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そうですね、とバンクス氏が、去ってゆく彼を見守りながら言った。なんともあれは、気の毒なものですね。(リリーが、なにかひどく彼におびやかされたと言ったので。――彼の気分は、だしぬけにがらりと変るのだ)そうですよ、ラムジーも、もうちょっと人並みに振まえるといいんだが、全く気の毒なものですよ、とバンクス氏が言う。(彼はリリーが気に入っていたから、ラムジーのことを他意なく話せた)若い人たちがカーライルを読まないのも、同じ理由からですよ、と彼が言った。たとえば、雑炊《ポリッジ》が冷えたと言ったとたんにカッとするような、気短かな小言屋が、どうしてわれわれを説得できるものか。この頃の若い人々が言うのは、そういう気持なのだとバンクス氏は考えている。あなたも、彼が信じるように、カーライルが人類の偉大な指導者の一人だなどと信じちゃ、つまりませんよ。リリーは学校時代にカーライルを読んだだけだと言うのが恥かしかった。けれど彼女の気持としては、ラムジー氏とは、たしかに小指の傷一つにも天地がひっくり返る騒ぎをする男だが、そこがかえって人に好かれるとも思う。気になるのは、そんな点ではないのだ。だってあの人の気持は、見えすいているじゃありません? 誰からでもお世辞や賞讃を欲しがるのが、露骨ですもの。けちなごまかしなどには、誰もだまされませんわ。あの偏狭さ、あの全然|めくら《ヽヽヽ》なところが、私いやなんですの、と彼女が、その後姿を見やりながら言った。
「少々、偽善者ですね?」と、バンクス氏が提議した、そしてやはりじっとラムジー氏の背を見ていた、その心には、彼との友情、花をくれなかったカムのこと、他の大ぜいの男の子や女の子のこと、居心地がいいとは言え、妻の死後は寂しくなりすぎてしまった我が家のこと、等々の想いが去来していたのではなかろうか? もちろん、彼には仕事があるが。とにかくリリーには、ラムジーが『少々偽善者だ』と言ったことに賛成してもらいたいと思った。
リリー・ブリスコーは、視線を上げ下げしながら、絵筆をかたづけるつづきをやっていた。視線を上げると、そこには彼が、――ラムジー氏が、――一切を忘れ、あたりに人無きように手をふりながら、こっちへ向って突進していた。少々偽善者、ですって? とつぶやいてみる。まあ、ちがうわ、――誠実この上なしの人、誰よりも信頼できる人、(彼が側に来た)最も善良な人。でも、と眼をおとして考える。自分に没入する人、暴君で、偏頗《へんぱ》な人。彼女は強いて眼をふせつづける、このラムジー家に居ながらでは、そうしていないと、確たる判断ができないからである。眼をあげてその人たちを見れば、彼女のいわゆる『惚れたくなる』ものが、そこには満ちているのだ。その人々は、恋をしている人の眼に映じる世界の、あの非現実的でしかも透徹した、感激的な宇宙の一部を成していた。大空が彼らにじかにつながる、小鳥が彼らのあいだで鳴く。さらに感激的なのは、と彼女はもうすでに感に打たれているのだ、迫り来ては去ってゆくラムジー氏と、窓辺にジェームズといるラムジー夫人と、動いている雲、曲がっているあの樹、それらを見ていると、人生とは、小さな別々の状態を生きる一つ一つがからまりつつ、なんと完全に一つになっているか、と感じることである、人を浮き上らせたり沈ませたりしながら、浜辺へ打ちよせてくる一つの波のように。
バンクス氏は彼女の答えを予期していた。彼女は何かラムジー夫人のことを批判的に言おうとしていた。夫人のやり方にもまた、びっくりさせられるものがあり、なかなか強引だというようなことを。ところがその時、バンクス氏があまり恍惚とした様子になったので、彼女は話す必要がなくなってしまった。そして思わず、六十という彼の年齢や、その清潔さや、非情さや、また彼を権威づける真っ白な実験衣を考えさせられた。その恍惚としたさまを見たリリーは、彼がそのようにラムジー夫人を眺めることは、若い男たち数十人の恋にも匹敵すると思った。(おそらくラムジー夫人は、若い男たち数十人の恋を刺激しなかったにちがいないけれども)そして、カンヴァスをうごかすふりをしながら思った、あれは、精製され浄化された恋なんだわ、と。目的をはっきりさせようと試みぬ恋、けれど、数学者が記号に執着し、詩人が語句に執着する恋情のように、それは全世界にひろがって、人類の進歩の課程になるものだわ。まことにそうであった。あの女性がなぜそう彼を喜ばせるかについて、もしバンクス氏が語ることができたら、また、あの女性が子供に物語を読んでいる光景を、あたかも回答すべき科学上の問題であるかのようにしずかに熟慮し、あげくに、植物の消化方法になにか決定的な証明ができたとでも言うように、これで野生が慣らされ、専横なカオスが征服されたと感じるのはなぜかについて、もしバンクス氏が語ることができたら、かならずや世界は、その分け前にあずかれることだろうに。
そのような恍惚――それ以外のどんな言葉を使い得よう?――のために、リリー・ブリスコーは、話そうとした言葉を完全に忘れさせられた。どっちみちつまらないことだったわ、ミセス・ラムジーについての何かなんて。その無言の凝視、その『恍惚』の前では色あせた。リリーはそれらに深い感謝の気持をいだいた、その崇高な力、その天与の才ほどに彼女をなぐさめ、生きる悩みをやわらげ、不思議なほど重荷をかるくしてくれたものはなかったのだ、それで、そういう彼を乱すことは、誰にしろ、床に落ちている陽だまりをさえぎる以上に、遠慮したくなるにちがいない、と思った。
人々がこんな風に恋すること、バンクス氏がミセス・ラムジーにこんな風に感じることは、頼もしいわ、尊いことだわ。(彼女は思いふけりながら、ちらと彼を見やる)彼女はあえて自分を卑下した様子で、絵筆を一本ずつ、ボロ切れでふいた。なんだか自分も讃美されている気になるので、全女性をつつむその敬意から逃れたのである。まあ見つめさせておきましょう。私はそっと自分の絵を見ることだわ。
彼女は泣きたいくらいだった。だめだ、だめだ、てんでだめだわ! もちろん、もっと違った風にも描けたろう。色をもっと淡くし、ぼかし、形をあいまい模糊とさせ、きっとボンスフォートが見るにちがいない見方をして。でもさっきはそんなに見えなかったのですもの。鉄骨の上で色が燃え上り、蝶の羽のような光線が、寺院のアーチの上に静かに止っているように見えたわ。それらがカンヴァスの上には、全然でたらめな筆の跡で、かろうじて残っているだけ。とても見られやしない、壁にかけてみる元気もない、タンズリーの言葉が、耳底にきこえてくる、「女に絵は描けませんよ、女にものは書けませんよ……」
その時彼女は、さっきラムジー夫人について言おうとしたことを思い出した。なぜそんなことを言う気だったか分らぬが、何か批判めいた事だったらしい。この間の晩、ある強引さに閉口させられたのだ。彼女は、バンクス氏が夫人を見つめる高さに立ってみて、女が女を尊敬するのは、とても彼が尊敬するほどにいかぬものだと思った。バンクス氏が女二人の上にひろげてくれる廂《ひさし》の下に、ただ互いにうずくまるだけである。リリーは、彼が夫人へあびせている輝かしい視線にそって、たしかに夫人は文句なしに、(本の上にかがみこんだ)最も美しい人だと思いながら、彼とはちがう自分の視線を加えた。おそらく完璧なひと。でも、そこに見る完全な外形とはちょっとちがうところがやはりあるのだ。だけど、なぜ違うのだろう、どんな風に違うのかしら? パレットをこそぎながら自問する、青や緑の絵具はみんな、今はなんの生命もない土くれにしかすぎないが、明日にはまた、これにけしかけ、否応なく動かし、溶かし、自分の命ずる通りに働かせてやろうと誓う。どんな風にあのひとは違うのかしら? あのひとの魂、あのひとの本質とは、どんなものかしら? もしもソファの片隅で手袋を一つ見つけたとしたら、そのねじくれた指からそれが明白に分りゃしないだろうか? あのひとは、速力を出している鳥のようだし、一直線に飛んでゆく矢のようだわ。あのひとは強情で、命令的だわ。(もちろん、リリーは自分を反省する、私はあのひととの女同士のかかわりを言っているだけ、それに私はずっと歳下だし、ブロムトン通りのはずれで暮している平凡な女にちがいないけど)あのひとは寝室の窓々を開ける。ドアを閉める。(そこで彼女は、ラムジー夫人の調子にはいりはじめた)真夜中おそく、誰かの寝室のドアを軽く叩いてやってくる、古ぼけた毛皮の上衣をひっかけている、(彼女の美しさの道具立てはいつもそれだ、――あわただしく、だがそれが似合うのだ)そして、いろんなことを再演してみせる、――雨傘を失くしてきたチャールズ・タンズリーとか、鼻をくすくすいわしているカーマイケル氏とか、「野菜に塩|け《ヽ》がない」と言っているバンクス氏とか。なんでもそっくりにやってみせる、多少意地わるくゆがめもする、それから、もう帰ろううとする素振りで窓の方へ行き、――それはもう暁け方なのだ、日の出が見えるはずである。――そこで半ばふり返って、一層親しげに、でもいつもの無造作な笑い方をしながら、主張するのである、あなたでも、ミンタでも、誰でもみんな、結婚しなくちゃいけないわ、たとえこの世のどんな栄冠がさずけられるにしても、(ラムジー夫人はリリーの絵なんかてんで問題にしてないのだが)また、どんな勝利を得るにしてもよ、(ラムジー夫人はおそらくその分け前を得たと言えるだろう)そう言ってそこで夫人は、さびしげに顔をくもらしながら、椅子に戻ってくる。結婚に対抗できるものはないのよ、結婚しない女は、(夫人はちょっと、彼女の手を軽くにぎる)結婚しない女は、人生の最大のものを失っているのよ。まるでこの家ぜんたいが、眠っている子供たちと、それに耳かたむけるラムジー夫人とで充満するような気がする、それに、蔽いをされた明りと、規則正しい寝息と。
まあでも、とリリーは言いたかった、私には父がいますし、家庭もありますわ、しいて言えば、その上に自分の絵も。けれど、夫人を反撥するには、いずれもみな些細で少女っぽい気がしてくるのであった。しかし、その夜が離れ去って、カーテンを開けると白光がさし、時々庭の小鳥のさえずりが聞えだすようになると、リリーは打ちくだかれた勇気をかり集め、この自分に対しては、そんな宇宙の法則なんか免除させるのだと、躍起になった、それができることを祈った、私はひとりが好きなのだ、自分自身でいたいのだ、結婚するようにはできていないのだ。そうして、計りがたい深淵から見つめる真剣な凝視を感じながら、ラムジー夫人が、リリーちゃんは、ブリスコーさんはお馬鹿さんね、とあっさりきめつけるのに立ち向うのであった。(こうなると、夫人がいかにも子供っぽく思えた)そうして、とリリーは思い出した、私はミセス・ラムジーの膝に突っ伏して、笑って笑って、笑いこけたのだわ、だって、ミセス・ラムジーが、ご自分にてんで理解できない運命をも、持ち前の落ちつきはらった態度で支配する気でいると考えると、ヒステリックに笑いたくなって、笑いつづけてしまったんだ。あのひとはそこに、単純に、きまじめに坐っていた。私は、はっとして我にかえったんだ、――これがあの手袋のねじくれた指なのだ。けれど、どんな聖堂へはいって行ったらいいんだろう? リリー・ブリスコーはとうとう顔をあげた。ラムジー夫人は、何がそんなにおかしくて笑ったか全く分らぬ様子で、同じように支配していたが、いまは強情らしい痕跡が消え、それに代って、からりと晴れわたった空のような透明さ、――月のまわりに澄む、空の小部分のような透明さであった。
それは智慧であろうか? 知識であろうか? それは、やっぱりあの美しさの魔力のためで、みんなは本当のところを見すかすまでゆかぬ途中に、光まばゆい網目にからまれてしまうというのだろうか? それとも、人々は必ずそこまで行きつかねばならぬと思われる、あの悟りの秘密を、夫人は胸の中に鍵閉めにしているのだろうか? 誰だって、私みたいにあくせくと、その日暮しをやっていたくはないわ。でもそう思ったからって、そんなことを人に言えるでしょうか? リリーはラムジー夫人の膝をかかえるようにして床に坐り、できるだけすり寄り、自分がこれほど切実な気持にかられている理由が、ラムジー夫人にはてんで分らないだろうと思ってほほえみながら、想像をめぐらせた。こうしてからだをふれ合っているこの女性の、胸の奥の部屋々々には、何があるのかしら。王様の墓の中の宝もの、神聖な銘のある小牌《タブレット》、もしそれを読み取ることができたら、さまざまなことが教えられるにちがいないが、決して外へは出されない、公開されない。その秘密の部屋々々へ押し入るには、可愛らしげにするのか、または老練にか、一体どんな術《て》を使えばいいのだろう? たくさんの水が一緒に一つの甕《かめ》へそそぎ込まれるように、恋慕する相手と入り混じり一つになるには、一体どんな工夫があるのだろうか? それを遂げるのは肉体だろうか? それとも脳髄の複雑な|ひだ《ヽヽ》と微妙に関連する、精神だろうか? それとも心だろうか? 世間で言うように、情愛が、自分とミセス・ラムジーとを一つにしてくれるだろうか? どうせ私の望みは知識でなく、一致することなのだから、小牌《タブレット》の上の銘じゃない、男たちに分るような言葉で表せるものじゃない、親密そのもの、そういう熟知と、ラムジー夫人の膝に頭をもたせかけながら、彼女はそんなことを考えつづけたのだ。
何も起こらなかった。何ごとも! ラムジー夫人の膝に頭をもたせかけていても、何も起こらないのだ。しかも、ラムジー夫人の胸の中には、知識や智慧がたくわえられているのが分るのだ。とすると、こうも堅く封じられている人々のあれこれを知るには、どうしようか、と彼女は自分に問いかける。たんなる一匹の蜜蜂、世界の国々をおおっている荒廃した空気の中に只一つドーム形の巣があって、決して触れることも味わうこともできないのに、空中にただようその甘さや芳香にひかれて、そのまわりをむなしくうろつき、あげくに、大ぜいがぶんぶんと気ぜわしくしている巣へ、一般社会へ、戻ってくる。ラムジー夫人は立ち上った。リリーも立った。ラムジー夫人は行ってしまった。数日のあいだというもの、あたかも夢からさめた後で、その夢に現れていた人に対する見方に微妙な変化を感じるように、夫人の言った事どもよりもっと生々しく、ぶんぶん言うまわりの呟《つぶや》きが感じられ、そうして客間の窓辺の、柳の肘かけ椅子に倚《よ》る夫人が、崇高な姿、ドームの形として、リリーの眼に映るのであった。
そういう射るような視線を、バンクス氏の視線と共に、いまジェームズを膝にのせて本を読みながら坐っている夫人へ、真直ぐにそそいでいたのである。けれど、リリーがまだ見つづけている間に、バンクス氏はやめてしまった。彼は眼鏡をかけた。うしろへさがった。手をあげた。そして彼が、澄んだ青い眼をちょっと細めたその時、リリーは我にかえり、彼が何を見ているかに気づくと、まるでその振りあげられた手に打たれるのだと気づいた犬のように、おじけてしまった。画架から絵を引っさらいたかった。でも、堪えなければならない、と自分に言った。誰かに自分の絵を見られる、というおそろしい試練にたえるのに懸命であった。堪えなければならない、堪えなければならない、とつぶやく。どうせ見られなければならないものなら、他の人よりバンクス氏の方がまだしもだわ。それでも、三十三年間の自分の残滓、つまりその年月の間で、自分から人に話したり示したりした以外の、なんとなく秘密めいた日々の暮しの中での沈殿物を、誰か他人の眼にさらすというのは、いかにも苦痛であった。同時にそれは、非常な興奮であった。
それにしても、なんと冷静なことだろう。バンクス氏はペンナイフを取り出し、骨の柄の方でカンヴァスを叩いた。この紫色の三角の形で、何を示したかったのですか、「これ、ここの所?」とたずねた。
ミセス・ラムジーが、ジェームズちゃんに本を読んでいるところですわ、と彼女が言った。彼の抗議は分った、――全然人間の形には見えない、と言いたいのよ。でも、もともとその通りに描くつもりじゃなかったものですから、と言った。ではどうしてあの二人を描く理由があったのですか? と彼はたずねた。あら、だって、――ただ、そちらのその隅が明るいので、こっちの、ここの所は暗くする必要があると思ったからですわ。つまり、単純、明白、常識でいいのだな、と彼は興味を持った。そこで、母と子、――世の崇敬の対象であり、とくにこの場合、美人として有名な母、――を、紫の影にしてしまってもよいのだろうか、と考えこむ。
でも、この絵はあの二人を描くのではなかったので、と彼女は言った。それとも、あなたとはちがった感じ方、と言うのかもしれません。あの人たちを尊重するにもまた、いろんな気持がありますわ。ここの影と、あすこの明るさによる方法、も、一例なんです。絵が讃美のしるしだということは彼女も漠然と感じるが、彼女の讃美はそういう形をとるものなのだ。母と子を影にしてしまっても失礼にならない。こっちの光は、あちらの影を必要とする。彼は考えた。興味をもった。彼は全くの善意で、それを科学的にうけ入れた。わたしが反対に考えていたことは、みんな偏見だったのですね、と彼は言った。彼の家の応接間にある一番大きい絵というのは、画家たちも感心するし、彼が手に入れた時より値もあがっているもので、ケネット川の堤の、満開の桜を描いたものであった。そのケネット川の堤で新婚当初をすごした、と彼は言った。そしてリリーに、ぜひその絵を見にくるように、と言った。だが、いま一度、――彼はリリーのカンヴァスを科学的に検べるために、眼鏡をあげながらふり返った。光と影との、マッスの割合についての、一つの疑問、正直なところ、それは彼がかつて考えたことのないものであったので、説明してほしいと言った。――それで、あなたはあれをどう現したかったのですか? そう言って彼は、眼前の風景を指した。彼女は眺めた。どう現したかったなんて、説明できなかった、絵筆を持ってみないことには、自分にすらそれが分らなくなっていた。彼女は、にぶい眼つき、ぼんやりした様子で、普通の女がごくふつうにのものを見るように、自分特有の印象を得る力をなくしたまま、もう一度さっきの絵を描く姿勢をとった。そしてもう一度、さきほどはっきり見た幻影の力をたよりに、生垣、母親、子供、という概念のうちに、それを模索しなければならなかった、――自分の絵を。そう、あれが問題だったのだ、と思い出した、右手のこのマッスと左手のあのマッスをどうつなぐかが。それには、あの樹の枝をかけ渡すか、でなければ、この前景の空白を何かで、(ジェームズちゃんなんかで)なくせばいいと思うんですけど。でもそれをすると、全体の統一をこわす危険があるんですの。彼女は言いやめた。彼を退屈させたくなかった。画架からカンヴァスを、無造作にはずした。
でも、それはもう見られてしまった、自分だけのものではなくなった。この男と、なにか親密さを深く分け合ったのだ。それについて彼女は、ラムジー氏に感謝し、ラムジー夫人に感謝し、この時間この場所に感謝し、また、長い途《ギャラリー》をもう一人で辿るのではなく誰かと腕を組んで歩くという、かつて思ってもみなかった力強さがこの世にあることを認め、――このえも言われぬ気分、この心の高まり。――そうして彼女は、絵具箱の掛け金を特別しっかりかみ合せた、と、その瞬間、絵具箱と、芝生と、バンクス氏と、それに側をかけぬけてゆく、野育ちの性悪のカムとが、ぐるぐる円を描いて、永遠にまわっているような気がした。
[#改ページ]
カムは画架のそばを通って、それにさわって行った、バンクス氏とリリー・ブリスコーがいるのに、立ちどまろうともしない、娘が欲しいバンクス氏は、手を差しのばしたのだけれども。カムは父親のところでも、近づいてさわっただけで、とまらなかった、また母親が「カムちゃん、ちょっと!」と呼んでも、そのまま馳けぬけた。いったい何がほしくて、誰にそそのかされて、何を目あてに、あんなに小鳥のように、弾《たま》のように、矢のように、飛んでゆくんでしょう。何かしら、何かしら? ラムジー夫人はカムを見まもりながら思案した。幻想《ヴィジョン》につかれているのかしら、――貝殻、手押し車、生垣越しの彼方のお伽の国。それとも、スピードを出すってことに夢中なのかしら、分らないわ、けれど、ラムジー夫人が二度目に、「カムちゃん!」と呼ぶと、そのまっしぐらな速力が落ちた。そしてカムは、途中で葉っぱを引きちぎりながら、のろくさと母のところへ舞い戻ってきた。
ラムジー夫人は、そばへ来たカムが何かを考えこんでいる様子なので、なにを夢みているのかといぶかりながら、言伝てを二度くりかえした、――ミルドレッドのとこへ行ってね、アンドルーとドイルさんとレイリーさんは、もう帰りましたかって、聞いてきて頂だい。――それらの言葉が、泉の底へ沈んででもゆくようだった、あんまりねじくれていたので、もし水が澄んでいたら、そのまま沈んで行って、子供の心の底にそのねじくれた形を描くのが、見えそうに思えた。カムはあの料理番に、どんな言伝てをするのかしら? とラムジー夫人は思った。そうして、まことに辛抱づよく待っていると、そのあげく、台所には頬っぺたの赤い婆さんが来ていて、スープをお皿から飲んでいたというようなことなので、とうとうラムジー夫人は、子供のオウム的本能を刺激することにした、じっと待ってさえいれば、ちゃんと正確にききとめたミルドレッドの言葉を、今に一本調子で言い出すにちがいなかったが。カムは、足の位置を交互にかえながら復誦した。「まだ皆さんお帰りになりません、お茶の後片づけは、エレンへ言っておきました、って」
じゃ、ミンタ・ドイルとポール・レイリーはまだ帰らないのね。というのは、あれの|かた《ヽヽ》がついたことだわ、とラムジー夫人は思った。ミンタが彼を受け入れたか、それとも断ったか。アンドルーも一緒に行ったとは言うものの、昼食のあとで、ああして散歩に出かけたというのは、――あれはミンタがちゃんと決心した証拠だったにちがいない、とラムジー夫人は考える、(そしてミンタはとてもとても可愛いと思う)つまり、頭はそう冴えないかもしれないが善良なあの青年を、受け入れる気になったのだわ、でもそうだとすると、とラムジー夫人は、ジェームズが『漁夫とその妻』の先を読ませようとしてしきりに引っ張るのに気づきながら、考える、そうだとすると、ミンタはいよいよ、論文を書くような利口な男、たとえばチャールズ・タンズリーなんかよりも、愚鈍な方をえらぶ決心をしたのね。とにかく、もう今までに、どうにかなっているにちがいないわ。
けれど、夫人は読んだ。「つぎの朝、おかみさんが先に眼をさますと、ちょうど夜があけたところで、眼のまえに美しい土地がひろがっているのが、ねどこの中から見えました。漁夫はまだからだをのばして寝ていました……」
でもこうなれば、ミンタが彼を断ったなどとは、とても思えないわ。こんなに午後のあいだずっと、二人きりでほっつくことに同意した以上は、――アンドルーは蟹を追いかけて離れて行ったにちがいないし、――でもそう言えば、ナンシーも一緒だったのかしら。夫人は、昼食のあとで二人がホールのドアのところに立っていた様子を、思いうかべた。二人はそこで、お天気を気にしながら空を見ていたので、夫人は、なかば二人のはにかみを除くために、なかばは出かけるようにはげますために言ったのである、(夫人はポールへとても思いやりがあったので)
「見まわしたって、どこにも雲一つないじゃないの」二人のあとから出てきた小男のチャールズ・タンズリーが、それを聞いてにたにたしたのが分った。でも夫人はわざと言ったのだ。あのときナンシーがいたかいなかったか、二人の様子を胸の中で見くらべている夫人に、それがどうもはっきりしなかった。
彼女は読みつづけた。「『なにを言うんだ、おまえ』と、漁夫が言いました。『なんだってわしらが王様になるのかね? わしは王様なんざまっぴらだ』『そんならいいよ』とおかみさんが言いました。『お前さんが王様になりたくないなら、わたしがなるよ。さ、ひらめのところへ行っておいで、わたしが王様になるんだから』」
「カムちゃん、中へはいるか、あっちへ行くかして頂だい」と夫人が言った、カムはただ『ひらめ』という言葉にひきつけられたのと、いつものように、ジェームズとちょっとこそこそやり合う気でいるだけなのが分った。カムは飛び去って行った。ラムジー夫人はほっとして読みつづけた、夫人とジェームズは全く気心が合うので、こうして二人でいるのが快よかった。
「漁夫が浜辺へきてみますと、海はすっかりくろずんだねずみ色になり、水が底からむれあがって、くさったにおいがしていました。そこで漁夫は、波うちぎわまで行って、言いました。
ひらめさん、海のひらめさんよ、
どうぞたすけに来ておくれ、
うちの女房のイルザビルは
わしの言うこと聞きませぬ。
『うむ、それでおかみさんは、何がほしいんですか?』とひらめが言いました」ところであの人たちは、いまどこにいるんでしょう? 読むのと考えるのを同時に、自在にやりながら、ラムジー夫人は思案した、『漁夫とその妻』の物語は、一つの曲に静かに伴うバスのようで、時々しらずしらず旋律の中に高まっているだけであったから。で、ミンタは、いつ打ち明けられたかしら? もしそんなことがなかったとしたら、ミンタにはきびしく言っておく必要があるわ。あのひとがこの辺をうろつき歩いてちゃいけないもの、かりにナンシーが一緒だとしても。(ふたたび、彼らが小径を降りてゆく後姿を思いうかべて、何人だったろうと考えたけれど、分らなかった)夫人は、ミンタの両親に対して責任があるのだ、――あの『梟《ふくろう》』と『火掻き』に。このニックネームは、いま本を読みながらひょっと頭にうかんできたものだった。『梟』と『火掻き』――そうよ、あの二人は、ミンタがこの私たち家族と一緒にいるあいだに見たあれこれ、あれこれを、もし聞いたら、――きっと聞くにきまっているでしょうが、――さだめし心を悩ませることでしょうよ。「あのご主人は下院でかつらをつけるし、奥さんは階段席の上から敏腕にご主人を助けますのよ」これは夫人があるパーティから帰った時に、夫も面白がらせた言葉だったが、いまあの二人を心に思い出すために、もう一度くりかえしてみた。ほんとにまあ、あの二人から、てんで似もつかないようなあんな娘が、どうしてできたかしら、とラムジー夫人はひとりごちる、穴のあいた靴下なんかはいている、あのお転婆さん。そりゃああの娘が、あの陰気くさい雰囲気の中にいられるわけはないでしょうよ、女中さんたちがしょっちゅう、あのオウムのちらかす砂を塵取りへ入れて、あっちへ運び、こっちへ運びして、お話と言えば、大方きまってあの鳥の手柄話におちてゆくんですもの、――面白いかもしれないけど、限度があるわ。当然のことで、みんなはミンタを昼食や、お茶や、晩餐に招んでやることになる、しまいにはフィンレー〔ロンドン郊外の地名〕にみんなと滞在することにもなる、するとそれが母親の『梟』と衝突する原因になるのだ、一層招きが多くなり、一層言い合いが多くなり、一層砂がはげしくなり、そして事実そのあげく、オウムどもについて、彼女の生涯つづくくらいの嘘をならべたのだ、(それであの夜、夫人はパーティから帰って、夫にはなしたのであった)けれども、ミンタは来たのだ。……そうよ、あの娘は来たのよ、とラムジー夫人は考える、それを考えると何か痛い棘を感じるし、以前ある婦人が、「あの娘さんの、お母さんへ捧げる愛情をうばった」と言って私を非難したのはこれだと思い、考えまいとするのだけれど。それに、ドイル夫人の言った言葉が思い出されて、心が重くなってくる。支配したり、おせっかいを焼いたりするのがすきで、なんでも自分の思うことを人に押しつけたがる、――そう言われるのは辛いし、自分では、およそ見当ちがいだと思うのだが。「そんな風にやりそうだ」と見られるのはどうにもならないにちがいない。別に人は、夫人があえてそうして見せると言って、非難するわけではないのだから。夫人はしばしば、自分の至らなさを羞じている位なのだ。決して支配的でも専横でもなかった。その点むしろ、病院、灌漑、酪農場に関しては言えるかもしれなかった。その方面になると夫人は特に熱心で、機会さえあれば、人々の首すじを捕らえて説くにちがいなかった。この島全体に病院が一つもない。面目ない話ですよ。ロンドンで戸毎に配達される牛乳は、まるで褐色によごれている。あれは違法にすべきですよ。模範的な酪農場と病院をここに建てること、――この二つを、夫人は自らやりたいのである。でもどんな方法で? こんなに大ぜいの子供をかかえて? もう少しみんなが大きくなれば、自分の時間も出来よう、みんな学校へ行くようになれば。
ああ、でも夫人は、ジェームズも、またカムも、もうこれ以上大きくならなければいいと思うのである。この二人は、性悪の小鬼どもか、喜びの天使たちか、どっちにしろ、もうこのままでいてほしい、足ながの怪物に成長してゆくところなど見たくなかった。その損失を補い得るものは何もない。いまジェームズに、こう読んでやっていた、「そこには兵隊たちが大ぜいいて、どら太鼓やラッパもたくさんありました」するとジェームズの眼はくもったので、夫人は、なぜみんなは成長して、こういうものを失わねばならないかと思う。この子が、子供たちの中で一番才能豊かで、感受性が強いのだ。とは言え、みんなもそれぞれ将来性にみちているわ、と夫人は考えてみる。きょうだい達に対してほんとに天使のようなプルー、このごろ時々、ことにも夜、息の根もとまるばかりに、美しいとおどろかされることがある。アンドルー、――あの子の数理的素質は、夫さえもが、ずばぬけていると折紙をつける。ナンシーとロージャーは、目下あばれたい盛りで、終日その辺をあばれまわっているわ。ローズと言えば、口が少し大きすぎるが、手先がすばらしく器用である。みんなが謎言葉《シャレイド》のあそびをやっていても、服などいろんなものをつくっているし、テーブルでも花でも、なんでもきちんと整理するのが好きだ。ジェスパーの鳥撃ちが、夫人にはいやなのだが、でもそれはほんの一時期のこと、みんなそれぞれの時期をすごしてゆく。どうして、と夫人はジェームズの頭に顎をのせながらつぶやく、どうしてみんなはそうぐんぐん大きくならなければならないのかしら? どうしてみんなは学校へ行かなければならないのかしら? 彼女はいつでも赤ん坊をだいていたかった。腕に赤ん坊をだいている時が一番幸福である。だから人々は、専横だとか、支配的だとか、我儘だとか、勝手なことを言うのかもしれない、かまやしないわ。夫人はジェームズの髪に唇をおしつけながら、この子は決して、今のような幸福を二度と味えないだろうと思う、でもその先を考えるのは止した、そんな意味のことを言いかけた時に夫が怒ったのを、思い出したからだ。だけど、それは本当のことだわ。この先どんな幸福があるとしても、今の方がそれ以上だわ。十ペニイのお茶道具で、カムは何日も幸福なのだ。夫人の寝ている頭上の床で、眼をさましたとたんの子供たちの、踏みならす足音やきゃあきゃあ声が聞こえてくる。大さわぎしながら廊下をやってくる。やがてドアが勢いよく開いて、みんなが入ってくる、バラのように活々とし、眼を大きく見ひらき、朝食をすませてこうして正食堂へ入ってくるのは毎日のことなのに、かれらにはまるで大事件でもあるかのようだった。それにつづいて終日が、なにやかやで過ぎてゆく、やがて夫人が、おやすみを言いに上ってゆく、みんなはすでに、さくらんぼやラズベリーの間にいる小鳥たちのように、それぞれの子供用寝台にはいっているが、それでも何かちょっとしたことを、大げさにしてお喋りし合っている、――ひとから聞いたこと、庭にいて自分でひろったことなどを。みんながそれぞれの宝をいだいている。……だから夫人は降りてきて、夫に言ったのだ、どうしてみんなはみるみる成長して、その宝を失わなければならないんでしょう、と。こんな幸福な日はもう二度と来ませんわ。すると夫は怒ったのだ。なぜ人生をそんなに暗く考えるんだね? と言った。分らないことを言うわ。だって、怒るなんておかしい、私より大体幸福で、希望的な夫が、考えていることと言うと、全く暗くて絶望的なんだから、と彼女は信じている。人間の苦悶への曝され方が少い、――たぶんそのせいにちがいない。彼はいつでも自分の仕事へ逃げこんでゆけるのだ。彼女がああ言ったのは、夫が非難するように「ペシミスティック」なためではなかった。ただ、人生について考えるだけである、――それと、眼前に見ることのできる、時の小さな断片、自己の五十年間について。人生、――それは彼女の前にある。人生、と考えたが、その考えをしまいまで辿るのはよした。彼女はちょっと人生へ眼まぜをしただけだった、と言うのは、彼女はそれに対して一つのはっきりした感じ方を持っているのだ、子供たちとも、夫ともかつて分ち合ったことのない、多少現実的な、多少秘密な感じ方。自分と人生とが相手になり合って、その間に一種の取引きをやり、いつでも彼女は少しでもよけいに、それが自分のものだと言うように、欲張ってみる、また時々は談判をやる、(彼女が一人で坐っている時に)大いに和解した場面もあった、と思いかえされる。けれど、彼女が人生と呼んでいるものは、大ていの場合ふしぎにも、おそろしい敵意にみちたもので、もし隙を見せようならたちまち飛びかかってくる、と感じずにはいられなかった。そこには永遠にとけない問題があった、苦悶、死、貧民。この土地にも、癌で死にかかっている女が、たえず一人はいるのだ。それなのに自分は子供たちに言ってきた、人生など苦にしなくていいのだ、と。八人の子供たちに、無慈悲にそう言ってきた、(そして温室の支払いには五十ポンド取られるのだろう)あの子供たちの前途に横たわるもの、――恋と、野心と、みじめにひとり苦杯をなめさせられることと、――それを知りつつ、そんな事を言っているので、しばしば感じずにはいられないのだ、なぜみんなは成長して、幸福を失わねばならないのだろうかと。あげくに夫人は、人生に対して自分の剣《つるぎ》をひらめかせながら、つまらぬ考えは止そう、と自分に言う。みんなは十分幸福になっていい筈なのだ。それが今、ミンタをポール・レイリーと結婚させると思うと、ふたたび、人生とはどっちかと言えば邪悪なものだと考えさせられてくるのだ、自分自身がそれとやっている取引はともかくとしても、また自分のいろいろの経験(それは一々自分でも言えなくなっている)が、かならずしも他の誰彼に起こりはしないにしても。なにしろ彼女は、自分で意識しないほど速く、まるで自分より先に言葉が飛び出すように、つい、誰でもみんな結婚すべきよ、誰でもみんな子供を持つべきよ、と言ってしまうのだったから。
私は過ちをおかしたかしら。夫人はここ一、二週間の自分の言動を反省しながら、そうして、また二十四のミンタが決心をする上に、実際何かの圧力を自分が加えたかしら、と考えまよいながら、そうつぶやいた。不安であった。私は面白半分ではなかったかしら? 自分が誰彼につよい影響をあたえることを、またしても忘れてやしなかったかしら? 結婚には必要なものがある、――ああ、あらゆる種類のものがあるわ、(温室の支払いには五十ポンドかかるし)でもその中の一つのもの、――あえて名づける必要もない、――最も根本的なもの、自分と夫の間にあるもの。それをあの二人は持っているだろうか?
「そこで漁夫はズボンをはくと、気ちがいのようにかけ出しました」と夫人は読んだ。「けれども、外では大あらしが荒れくるっているので、漁夫はほとんど立っていられませんでした。家々や木々はたおれ、山々はゆれうごき、岩は海へころげおちました。空は|すみ《ヽヽ》のようにまっ黒、かみなりが鳴り、いなづまが光り、海ぜんたいは、教会の塔のような、山のような高浪になって、それぞれのてっぺんはみんな白いあぶくになっていました」
彼女は頁をくった。もうあと数行なので、寝る時間はすぎていたけれども、この物語を読み終えることにした。だいぶおそくなったようだ。庭の光線の具合でそれが分る。花の白さと葉っぱの灰色がかったのが一緒に、彼女に何か不安をよび起こした。最初それが、何に対してとも分らなかった。やがて思い出した、ポールとミンタとアンドルーが、まだ帰らないことを。ホールのドアの前のテラスに立って、空を見上げていた小グループを、ふたたび眼の前に描いてみた。アンドルーが、網とバスケットを持っていた。あきらかに蟹や何かを捕るつもりだったのだ。もちろん海の中の岩へのぼってゆく、そして帰れなくなったのかもしれない。または、崖の上の細道を、横にならんで帰る途中で、誰かがすべったか。あの子がころがり落ちて死んだんじゃないかしら。まあ、もう真暗になってしまう。
それでも、夫人は少しも声の調子をかえずに、物語の終りへきた。そして本をとじながら、最後の文章は、自分が作ったような語調で、ジェームズの眼をのぞきながらつけ足した。「そうして、この夫婦はそこに、今でもほんとうに住んでいるんですよ」
「これでおしまい」と夫人は言った。ジェームズの眼には、物語への関心が消えるのに代って、何かほかのものへ向う色がみえた、何かがただよっている、光の反射のような、青白いものが。とたんに彼は、ぎくりとしたように見つめた。ふり返ると、たしかに、湾をよぎり、まっすぐ波をよぎって、最初はパッパッと二つ短く、次には長くしっかりと、燈台の光がさしてきた。灯がはいったのだ。
すかさずジェームズは尋ねようとした。「燈台へ行くの?」すれば夫人は答えるより仕方なかったろう、「いいえ、明日はだめなのよ。お父さんが行けないっておっしゃるから」幸いミルドレッドが子供たちを迎えにきたので、互いの気持ははぐらかされた。それでも、ミルドレッドに連れられてゆく時、ジェームズはふりかえりながらじっと見ていたので、明日は燈台へ行けない、ということを考えているのだと分った。それで夫人は思った、あの子はこれを、生涯おぼえていることだろう、と。
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十一
そう、子供は決して忘れないものだわ、夫人は、ジェームズが切り取った絵、――冷蔵庫や、芝刈機や、夜会服を着た紳士、――をよせ集めながら考える、だからおとなの話すことや、することが重大になってくる、子供たちが寝に行ってくれるとほっとするわ。もう誰にも気がねは要らない。自分だけだ、自分だけが相手だ。そして近ごろよく、その必要を感じるのだけれど、――考えること、いや、あえて考えなくともいい。黙っていること、ひとりになることである。実在と行為、拡がり、輝き、声、そういうものがみんな消滅してしまう、そして人は、荘厳な感覚のうちに、ひとには見えぬ真黒の、くさび型をした精髄《しん》である自我へ縮小してゆく。夫人は編ものをつづけながら姿勢よく坐っているけれど、自分がそんなものになってゆく感じであった。そして、贅物をとりのぞかれたこの自我は、自由にふしぎな冒険ができそうに思われた。ひととき、実生活がなくなると、経験の範囲は無限になってゆく。この無限に尽きぬ宝庫が自分にあるという感じは、誰にも常々あるものなのだ、と彼女は推測してみる、自分にしろ、リリーにしろ、オーガスタス・カーマイケルにしろ、お互いに、相手が自分だとしてみているものは、ほんの子供っぽい自分の表面を見ているのだ、と思っているにちがいない。その蔭は真黒で、無限の拡がりがあり、はかり知れないほど深い、ただ時々われわれはその表面に浮び上る、すると、それが自分として相手から見られるだけである。彼女の視界は、彼女にとっては無限に思われた。そこには、かつて見たこともないあらゆる土地がふくまれた、インド平原、ローマのある教会の、厚い革のカーテンを、自分であけている気にもなる。この真黒い精髄《しん》は、誰にも見られずにすむのだから、どこへでも行ける。誰に邪魔されることもない、と彼女は欣然としながら考える。自由だ、平和だ、とりわけありがたいのは、集中できること、落ちついて静かに休息できること。彼女の経験からすると、本当に休息できるのは、自分ひとりになるだけでなく、真黒なくさびになるときである。(ここで彼女は編み針の扱いにも、特別の器用さを得た)人格を失うと、苦悶も、焦燥も、不安もなくなってしまう、そしてものごとがすべてこの平和、この静かさ、この永遠性のうちに現れてくる時、彼女の唇にはいつも、人生に対する勝利の叫びがあがってくるのだ、ここでしばしたたずみ、燈台から射てくる、あの三番目の長いしっかりした光を目迎える。あれは私が放つ光、と言うのは、いつもこんな時間に、こんな気分でなにかを見つめていると、眼に見えるいろんなものの中の特に一つへ吸いよせられてしまうのである、その一つ、長い強い光は、私の光なのだ。しばしば彼女は、手に仕事を持ったまま、いつまでもじっと坐って見つめていると、やがて自分がそのものに、――たとえばあの光に、なっているのが分った。それが、彼女の胸にこびりついている言葉の端くれや何かを運び去ってくれるのだ、――「子供は忘れないものだ、子供は忘れないものだ」などを。――彼女はそれを繰りかえそうとしながらこう言っている、「それはもういい、それはもういい」と。「あれが来る、あれが来る」と言ったと思うと、突然彼女はそのあとにつづけた、「われわれは神の御手にある」
だがたちまち彼女は、そんなことを言ったについて、苦悶した。そう言ったのは誰だったろうか? 私じゃない、私は、言うつもりのないことを言うように、|わな《ヽヽ》にかけられたのだ。彼女は編物から眼をあげて、三番目の光を見る。すると、自分の眼で自分の眼を迎えているというような気持である、自分のみが自分の心底を探索し得ると信じるように、それは探索していた、また、いまの嘘を、またどんな嘘をも、それは浄化しようとしていた。彼女は見栄からではなく、その光を讃えることで、自分自身を讃えた。彼女は、その光のように毅然としており、探索的であり、美しかったから。独りきりになると、人は静物にたよるのは奇妙なことだ、と彼女は考える、樹々、流れ、花々、それらが自分を表現しているように感じる、それらが自分になるように感じる、それらが自分を知っている、つまり自分自身のように感じる、このように(と彼女は長いしっかりした光を見て)自分自身をいたわるような特別のやさしさを感じる。と、そこに立ち上るものがあった、彼女は編み針をやすめて、じっと見守る、人の胸の奥底からまき上り、人間のうちなる湖水から立ち上ってくるもの、それは霧、――恋人を迎える花嫁。
何がそんなことを私に言わしたのだろうと夫人はいぶかった、「われわれは神の御手にある」などと。真実の中にすべり込んで来た虚偽に、彼女は憤り、苦しんだ。ふたたび編物にもどった。神が果してこの世界を造り得たろうか、たずねてみる。この世には、道理も、秩序も、正義もない、あるのは、苦しみ、死、貧困、という事実に、たえず心は痛まされているのだ。この世の中は、悪のはびこる卑俗なものであることを知っている、幸福が決して続かぬことも知っている。夫人は、気むずかしげに編んでいた、心もち口をすぼめ、自分ではそうと知らずに、持ち前のきびしさで顔の線をこわばらせ、冷然として。そのために、ちょうど通りかかった夫は、美しい妻の心のきびしさに、気づかずにはいなかった、彼は、肥大漢であった哲学者ヒュームが、沼地にはまり込んだということを考えて、くすくす笑いをしていたところだったのが。彼は心が曇り、彼女の近づきがたさに心いため、通りすぎながら、自分は妻を保護してやれないのだと感じ、生垣に達した時、悲しみに沈んだ。まったく何も助けてやれない。実際いまいましい話だが、おれはいろんなことを妻の苦しみの種にしてしまうのだ。おれは焦ら立ちっぽい、――怒りっぽい。燈台のことでも、かんしゃくを起こしてしまった。彼は生垣の中を、その枝のからまりを、その暗さを、のぞきこんだ。
ラムジー夫人は、こうしてひとり閉じこもった後は、なにかちょっとしたきっかけ、なにかの音、なにかの眺め、そんなものを頼りにそこから逃れ出すより仕方がない、と思うのである。耳をそば立ててみたが、あたりはまことに静かであった、クリケットは終った、子供たちは浴室にいた、聞えるのはただ波の音ばかりであった。夫人は編むのをやめて、赤茶色の靴下をちょっと手でぶらさげてみた。それからふたたび光を見た。もうすっかり我にかえって眺めると、関係がちがったものになってしまい、夫人はややうとましさを眼つきにあらわしながら、その明滅のない、偉力をもった、無慈悲な光をみつめた。それは全く私であり、それでいてちっとも私ではない、それは私を意のままにしている。(夜中に眼ざめた時、彼女はその光が二人の寝台の上を通って床に落ちているのを見るのである)けれどそんな風に思いながらも、彼女はなお催眠術にかけられたようにうっとりと見つめながら、あたかもその光が、銀の指先きをもって、自分の脳にある密閉された器を突きやぶり、中にあるものをほとばしらせて、自分を喜びにみたしてくれると思う、彼女は幸福をかみしめた、妙なる幸福、打ちふるえるような幸福。やがてあたりがうす暗くなるにしたがって、その光は荒波を一段と銀色にかがやかせはじめる、海の青が去ってゆき、まるい起伏にうねりながら浜へよせてはくだける波の上を、光は純粋のレモン色をしてまろんでくる、夫人の眼は完全に魅せられてかがやき、胸の底の清純な歓喜の波は高まった、申し分ないわ! 本望だわ!
彼はふり返って、妻を見た。ああ、なんと美しいのだろう、こんなに美しいこともめずらしい、と思う。だが、言葉をかけることができなかった。邪魔をするのをおそれた。ジェームズがいなくなって、やっと妻が一人だけになったいま、彼は話しかけたくてたまらないのである。だがよそう、と決心する、邪魔をすまい、美しさと悲哀につつまれたその妻は、彼から遠いところにいた。そっとしておこう、彼は黙って通りすぎる、しかし、妻があまり距って見えること、自分の手がとどかず、自分がなんの力にもならぬと思うことには腹が立った。それで、どうせ言葉をかけずに終るのだろうが、もう一度通ってやろうと彼は思う、だが正にその時であった、彼女の方で、そんなに強いて口を閉している夫の心中を察したという態度を、すすんで示したのである、夫を呼びとめ、緑色のショールを額縁からひょいとはずして、彼のそばへ出て行った。夫が私をいたわりたがっている、というのが分ったので。
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十二
夫人は緑のショールをかけた。そして夫の腕をとった。あの男はほんとにいい顔をしてますのね、まず園丁のケネディのことから話しはじめる、その男が全くの美男なので、夫人は解雇できないのだ。温室に梯子が立てかけてある、パテがそこここにくっついて、かたまっている、温室の屋根の修繕をさせ始めていた。そうだわ、夫とならんで歩きながら、自分の心を特に重くしている原因を考える。「これにたぶん五十ポンドかかりますのよ」と、歩く途々口先きまで出かかるが、どうにもお金のことを言う元気がないので、代りにジェスパーの鳥撃ちのことを話した。彼は速座に、妻をなだめたい一心で、あれは男の子の自然だよ、じきにもっとよい楽しみを見つけるにちがいないよ、と言った。夫は心をつかっているわ、とてもまともなことを言うわ。それで合づちを打った、「ええ、子供たちはみんな、それぞれの時期があるのですわね」夫人は大きな花壇のダリアの方へ心を向けて、来年の花は何にしようなどと考えながら、夫へは、子供たちがチャールズ・タンズリーにつけた仇名をご存知? とたずねた。無心論者ですって、ちびの無心論者ですって。「あいつは洗練された男とは言えないな」とラムジー氏が言った。「ええ、全然」とラムジー夫人が答えた。
あれはあれで、希望通りにしておいたらいいんでしょうね、ラムジー夫人は、球根を深く埋めた方がいいかしらと思案しながら、そう言った、誰かが植えてくれるかしら? 「ああ、あいつは論文を書いているんだ」とラムジー氏が言った。そのことはよく知っていますわ、とラムジー夫人が言った。それ以外には話がないんですもの。なんとかの上に及ぼした誰それの影響、とかって。「うん、あれにあの男はすべてをかけているんだ」とラムジー氏が言った。「まあどうぞプルーを好きにならないでもらいたいですわ」とラムジー夫人は言った。もしプルーが彼と結婚なんかするなら、勘当だ、とラムジー氏が言った。彼は、妻が思案している花は見ずに、そのすこし上の見当を見つめていた。あの男のなかに危険はないが、と言い添え、さらに、なにしろイギリスの若い連中の中で唯一人、自分を尊敬してくれる――と言いかけたが、あとの言葉をのみ込んだ。自分の著述のことで、またも妻を悩ませたくはなかった。ここの花はなかなか見事じゃないか、ラムジー氏が視点をひくめて、赤や鳶色のを見ながら言った。ええ、でもこの仕末は私が自分でしなくちゃなりませんのよ、とラムジー夫人が言った。問題は、これを埋めこんでしまうとどうなるかですの、ケネディが植えつけてくれるかしら。手におえない怠け者ですからね、と歩きながら言った。私も一緒に鋤を持って一日そばにいれば、あれで時々はせっせと働くこともあるんですけれど。二人はレッド・ホット・ポーカーのある方へ向ってそぞろ歩いていた。「おまえは娘たちに、大げさな物の言い方を吹きこんでいるね」と、ラムジー氏は非難がましく言った。カミラ叔母さんの方が、私よりはるかに上よ、とラムジー夫人が言いかえした。「おまえのあのカミラ叔母さんを、淑徳の婦人だなんていう者は、まず誰もいないだろうよ」とラムジー氏が言った。「私、あれだけきれいなひとは見たことありませんわ」とラムジー夫人が言った。「まだ他にいるさ」とラムジー氏が言った。プルーがあの叔母さんより、ずっときれいになりそうですわ、と夫人。それは気づかなかったね、とラムジー氏。「そうですか、じゃ、今夜見てごらんなさいまし」と夫人。二人はちょっと黙った。彼が、アンドルーはもうすこし勉強してくれるといいんだが、と言った。そうでないと、スカラシップをもらいそこなってしまう。「まあ、スカラシップですってえ!」と夫人が言った。ラムジー氏は、スカラシップのような真剣なことを、そんな言い方する妻が愚かだと考える。もしアンドルーがスカラシップを得れば、おれは誇りに思うと言った。私は、そんなものを貰わなくても、あの子が誇りですわ、と彼女は答える。この点で二人はいつもくいちがうのだ、だが大したことでもなかった。彼女は、スカラシップに信を置く夫を好み、彼は、アンドルーが何をやろうと誇りにする妻を好んだ。不意に夫人は崖ぷちの細い小道を思い出した。
もう晩いのじゃありません? とたずねた。まだみんな帰りませんのよ。彼は時計のふたを無造作にあけた。まだ七時をちょっとまわったばかり。彼はさっきテラスにいて思ったことを妻に言おうと決心しながら、ひととき時計を開けたまま持っていた。あんまり神経過敏になるのはばかだ、ということから始めた。アンドルーは自分の責任くらい持てるのだ。次いで話したいのは、さっきテラスを歩いていた時に、――と思っただけで彼は落ちつきをなくした、すでにあの時の妻の、あのひそやかさ、あの高さ、あの近づきがたさへ押し入った気がしたので……。だが、彼女が促した。何をおっしゃりたいの? とたずねた、きっと燈台行きのことだわ、「だまれ」とどなったのを後悔してるんでしょう。しかし、違った。おまえがあんなに悲しそうな顔をしているのはいやだな、と彼が言った。あら、ぼんやりとつまらないことを考えていただけですわ、と、すこし顔をあからめながら、彼女は抗議した。二人はたがいにそわそわした、まっすぐ先へ進んだものか、引きかえした方がいいか迷う風に。私、ジェームズに童話を読んでやってましたの、と彼女が言った。いや、あれを言い出しちゃいけない、二人で話しあえないことであった。
かれらは、レッド・ホット・ポーカーの二つのかたまりの間にある破け目へ来た。ここでまた燈台が現れたが、夫人は見るのをさけた。もし夫に見られていると知ったら、あすこであんなに考え込みながら坐っているのじゃなかった、と思う。自分が考えふけっていたことを思い出させられるものは、何によらず厭であった。それで肩ごしに、町の方へ眼をやった。町の灯が、風にしっかりつかまっている銀の水滴のように、さざなみ立ち、流れていた。あすこの貧しさ、苦しみが、すっかり姿をかえたように見える、とラムジー夫人は思った。町の灯、港の灯、小舟の灯が、なにかそこに沈んだものを示しながら浮いている、まぼろしの網のように見える。さて、妻の考えごとの中に立ち入れないのならば、とラムジー氏はひとりでつぶやく、それでは離れて、自分の考えごとに入るとしよう。彼は、ヒュームが沼地にはまりこんだという話を自分にしながら考えたかった、笑いたかった。だがその前に、アンドルーの心配なんかするのは、ナンセンスだということだ。彼はアンドルーの年頃には、ポケットへビスケットを入れたきりで、終日この土地を歩きまわったものであった。誰もそれを苦にしなかったし、崖の上から落ちるなどと考えもしなかった。天気が持てば、一日がかりの散歩に出かけたいものだ、と声に出して言った。バンクスやカーマイケルにはあきた。すこし一人になりたい。そうですわね、と夫人が言った。反対しないな、と思うと彼はいまいましかった。おれにはもうそんなことが出来ないのを知っているくせに。ポケットにビスケットだけ入れて、終日歩きまわるにはもう齢をとりすぎた。子供たちの心配はするが、おれの心配はしないんだな。結婚前の昔には、一日一ぱい歩いたものだ、と、レッド・ホット・ポーカーの繁みの間に立って、湾を見わたしながら想った。大衆食堂で、パンとチーズだけで食事をやった。一気に十時間勉強した、時々婆さんがひょこっと頭を突き出して、火を見てくれた。向うに見えるあたりが、一番気に入った土地だった、夕暮れの中に消えて去った、あの砂丘の連らなり。終日、人っ子ひとりに逢うことなく歩けた。何マイルのあいだ、部落一つないし、人家はほとんどない。いろんなことを存分考えぬくことができる。開闢以来、人跡未踏の小さい砂浜がそこここにある。|あざらし《ヽヽヽヽ》が坐ってこっちを見つめている。時々彼は思うのだ、あすこの小さい一つの家に入って、ひとりきりで、――彼は考えやめた、吐息した。おれには権利がない。八人の子供の父親、――彼は自分にもどった。何か一つの変化をのぞもうとすれば、獣や犬になるより仕方ないだろう。アンドルーはおれよりすぐれた人物になりそうだ。プルーは美人になると、母親が言っている。かれらは多少繁栄の方向へ向うらしい。結局それがおれのやったことの多少の成果というものだ、――八人の子供たち。自分が、この哀れにも小さい宇宙を、完全に呪詛しているのではないことを、あの子供たちが証拠立ててくれるのだ。まったく今のような夕方には、と彼は、暮れなずむ国土をながめながら思う、この小さい島が特別小さくなって、半分海に呑まれてしまっているようだ。
「あわれにも小さき土地よ」と、彼は吐息まじりにつぶやいた。
夫人はききつけた。夫の一番憂鬱な言いぐさ、けれど、それを出すと彼はいつも直ちに、ふだんよりかえって陽気になるらしいのも知っていた。あんな文句をつくり出すのも、つまり遊びなんだわ、と夫人は思う。もし私だったら、このひとみたいな文句をおわりまで言わぬうちに、頭をぶちぬいてしまってることでしょうけど。
この彼の詠嘆に閉口した夫人は、現実的な調子で、とてもいい夕方ですわ、と言った。なにをそんなにぶつぶつ言っていらっしゃるの? なかば笑い、なかばなじるようにたずねた、夫の考えていることを察したからである、――もし結婚しなかったら、もっといい本が書けたと思っているのよ。
べつにぶつぶつ言ってやしないよ、と彼が言った。不平など言っていないのを知っている筈。不幸を言うべき種など何もないのを知っている筈。彼は妻の手をとり、唇のところまで持ち上げて強く接吻したので、彼女の眼がしらには涙があふれた。彼はすばやくその手を落した。
二人はそこの眺めに背をかえし、銀緑色の細長い草がはえている小道を、腕を組んでのぼりはじめた。夫の腕はまだまるで青年のようだ、細くて堅くて、とラムジー夫人は思い、もう六十を越したのに、と嬉ばしく感じた、しかも粗野で、楽天的で、このひとときたら、あらゆる種類の恐怖を信じながら、それでいて、打ち負かされるのでなくそれに鼓舞されるらしいのは、なんて不思議なんでしょう。べつに不思議じゃないのかしら、と考えてみる。実際に彼女の眼には、夫が他の人と違うと思えることが度々なのだ、世間一般のことには生れつきのめくらで、おしで、つんぼでいながら、特殊なことには鷲の眼を持っている。彼の理解力にはしばしば驚かされる。でも、花に気がつくだろうか? いや。景色をながめるだろうか? いや。自分の娘の美しさにさえも、お皿の上にあるのがプディングか、ローストビーフかも気づかないんでしょう? みんなと一緒にテーブルに向っても、自分だけは夢の中の人間のように坐っている。そして、大声に話したり、大声に詩を誦したりする癖がつのってくる、と彼女は心配する。時々それが、まずいことになるからだ――
『こよなく美しの君、来ませ!』
気の毒にもミス・ギディングズは、彼が彼女に向って言った時、とび上らんばかりにおどろいていた。だけど――。ラムジー夫人は、あの卑俗なギディング家の人々のことでは問題なくすぐに夫の味方についたのだが、だけどと考えつづける、夫の足が速すぎるので、腕を押してちょっと合図をする、それに、土手の土がもり上っているのは、新しいモグラの穴かどうかをしらべるために立ちどまる必要もある、のぞき込もうとかがみながら、彼女は考える、だけど、夫のようにすぐれた精神の人間は、あらゆる点でわれわれと違うべきなのかもしれないわ。自分がこれまでに知ったかぎりの秀でた人々は、みんなこのひとのようなところがある、と夫人は考える、ここはきっと兎がはいり込んだにちがいないと判断しながら。若い人たちには、単にこの人の声を聞くだけ、顔を見るだけでも有益なのだわ。(夫人にとって、講演の会場の空気は、重くるしく息づまるようで、堪えがたかったけれども)それにしても、兎は、鉄砲で射たずにどうやって退治するかしら、と思案する。あれは兎かしら、モグラかしら。どっちみち私の月見草を台なしにしたのは、なにか動物だわ。空を見上げると、長細い木立の上に、強くまたたく一番星が見えたので、夫にも見せたいとおもった、こんなに、刺すような喜びを自分に与えてくれるあの星を。けれど思いとどまった。このひとは決して何も見ないんですもの。もし見たとすれば、言いたくなることは分っているわ、あわれなる小さき世界よ。あの吐息をつきながら。
さっきこのひとは、私を喜こばせようとして「なかなか見事だね」と言い、いかにも花を嘆賞する様子だった。でも全然嘆賞などしないし、ほんとはそこに花があるなどとまともに考えてもいなかったのが、私にはよく分ったわ。ただ私を喜ばせるためだけに……。あら、あすこをウイリアム・バンクスと一緒に歩いてゆくのは、リリー・ブリスコーじゃないかしら? 夫人は近眼《ちかめ》を、去ってゆく二人の背へこらした。そうだわ、たしかにそうだわ。とすれば、二人は結婚する気じゃないかしら? そうにちがいない! なんて素晴しいんでしょう! 二人は結婚すべきよ!
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十三
わたしはアムステルダムへ行ったことがあります、とバンクス氏が、リリー・ブリスコーと芝生を歩きながら話しはじめた。レンブラント家の人たちに逢いましたよ。マドリッドへも行きました。あいにくグード・フライディ〔復活祭前の金曜日〕だったものですから、プラド美術館は閉まっておりましたが。ローマへも参りましたよ。ブリスコーさんは、ローマへ行ったことがない? ああ、そりゃ行かなくちゃ――。あなたには素晴しい収穫になるでしょう、――シスチナ礼拝堂、ミケランジェロ、それに、ジォットオの壁画のあるパドゥア市とかね。家内が長年病弱だったものですから、見物歩きも思うに任せませんでしたが。
私はブリュッセルへ行きましたわ。パリへも行きましたけど、それは病気の叔母を見舞うためで、ちょっとのぞいただけでしたの。ドレスデンへ行きましたわ、私の見たこともなかった絵がうんとありましたわ。けれどリリーの気持では、きっと絵なんかあまり見ない方がいい、自分の絵が情けなく見えてくるばかりだ、と思う。バンクス氏は、誰でもすぐそんな風に言いたがりすぎると思う。われわれはみんなティチアーノになれるわけではない、みんなダーウィンになれるわけではない、と同時に、われわれごときつまらぬ人間にとってはじめて、ダーウィンでありティチアーノであるのではないですかね、と彼が言った。リリーはとたんにお愛想が言いたくなった、まあ、バンクスさんはつまらない方なんかじゃありませんわ、と言いたかった。けれど彼はお世辞なんか喜ばないのだ、(大ていの男たちは喜ぶものだと思うけど)それでリリーは衝動的に思ったことが少し羞かしかったので、彼が、今言ったことは絵の方には当てはまらないことのようですね、と言い直しても、黙っていた。どっちみち、とリリーは、少し浮わずった気持をしずめながら言った、私はずっと絵を描きつづけるだろうと思いますの、面白いんですもの。結構ですよ。バンクス氏は、きっと彼女は描きつづけるだろうと思う、そして、ロンドンで画材をさがすのはむずかしいですかと尋ねかけたが、ちょうど芝生のはずれに来たので二人は向きをかえた。すると、ラムジー夫妻が眼に入った。リリーは、あれが結婚というものだ、と思った、ボール投げをやっている少女を見ている、一人の男と一人の女。あれがこの間の晩、ミセス・ラムジーが私に言おうとしたことなんだ、と思う。夫人は緑色のショールをし、夫婦は寄り添って、プルーとジェスパーのボール投げを見ていたからだ。すると突然、その二人は意義をもった、なんの理由もなく、たとえば地下鉄の入り口から出ようとする人たちや、玄関先のベルを鳴らしている人が、ほかの人々にふっと象徴的に見えたり典型的に感じたりする、それとたぶん同じように、うす暗がりに立って眺めている二人が、結婚の象徴、夫と妻、に見えてきたのである。だがこの現実の姿をこえた象徴的な輪郭は一瞬の間に消えて、また最初に見た通りの、子供たちのボール投げを見ているラムジー氏とラムジー夫人にかえった。けれどなお一時リリーは、あたりのものが吹き払われた感じ、あたりが空虚になった頼りない感じであった、もっともそのあいだにラムジー夫人はいつもの微笑をたたえて二人に挨拶するし、(ああ夫人は、私たちが結婚すると思っているな、とリリーは感じる)また今夜はバンクス氏がやっとみんなと共に食事する承諾をしていて、下男が適当に野菜料理をする自分の住いへあたふた帰らないところから、夫人は、「今夜は私の勝ちね」などとも言っていたのだが。その時、この頼りない空高くへボールが舞いあがった、みんな眼でそれを追い、見失い、一つ星と形よく枝がたたみ込まれた樹を見る。うす暗がりの中で、人々が細く尖り、漠然と、非常に遠くばらばらになって感じられる。と、プルーが、いきおいよくその広漠とした空間(実態がすべて消え失せた感じなので)を後退りしてきて、みごとにボールを捕らえた、そのプルーへ母親が言った、「あの人たちはまだ帰らないの?」すると、呪文にかけられていたようだったその場がとけた。ラムジー氏は、ヒュームについて、大声でのびのび笑えると感じた、沼地にはまり込み、『主の祈り』を彼がとなえるという条件で、ある老婦人に助けてもらったヒューム。(その沼地はエジンバラ郊外で、ヒューム晩年の話)ラムジー氏はひとりでくすくす笑いをやりながら、自分の書斎へ去って行った。夫人は、家族生活の立場を逃げ出してボール投げなどやっているプルーを、つれ戻しながら、尋ねた。
「ナンシーもあの人たちと一緒に行ったの?」
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十四
(たしかに、ナンシーもかれらと一緒であった。昼食のあと、ナンシーが、家族のあいだにいる気づまりをのがれて、屋根部屋へ行きかけた時、ミンタ・ドイルが手をさし出して、無言でそれを頼んだのだった。それでナンシーは、自分が行った方がいいのだろうと察したのである。ほんとは行きたくなかった。引きずられて行くなんて全然いやだ。と言うのは、崖へ行く途々、ミンタがずっと彼女の手を握っていたからだ。それをふりはなそうとする。するとミンタはまた握ろうとする。何を求めているのかしら? ナンシーはひとりで思った。ひとが求めているというところには、もちろん何かがなければならない、ナンシーはミンタに手を取られていると、否も応もなく、たとえば霧にかすむコンスタンチノープル、というような処を足元に俯瞰させられているような気持だ、いかに眼がにぶくても、「あれはサンタ・ソフィア寺院ですか?」とか、「あれがゴールデン・ホーン〔コンスタンチノープルの港〕ですか?」などと尋ねずにはいられない。それと同じにナンシーは、ミンタに手をとられているあいだ、尋ねている、「あなたのほしいものはなんですか? それはあれですか?」と。そして、あれとは何かしら? 霧の中にはあちこちに尖塔や、丸屋根や、名前の知らぬ聳え立ったものがある。(ナンシーは足許の世界を見下しているから)けれど、丘をかけ降りる時なんかに、ミンタが手をはなしてくれると、丸屋根も、尖塔も、霧の中から突き出ているものがみんな、その下に沈み、消えてしまった。
ミンタはなかなか足が達者な方だな、とアンドルーは気づいた。彼女はふつうの女たちより気の利いた身なりをしていた。非常に短いスカートに、黒のニッカーをはいていた。彼女はいきなり小川へ飛びこんでよろめきながら渡ったりしたがる。彼はそんなミンタの向う見ずなところが好きではあるが、しかし止した方がいいなと思う、――いつかあの調子でむざむざわが身を殺すことになるだろうから。全くこわいもの知らずらしい、――牡牛だけは別にして。野原に牡牛がいるのをひと眼でも見ようものなら、彼女は手をふりながら金切り声でかけてゆく、そんなことをするからこそ牛が怒るんだろうと思うが。けれどそういう時の彼女は、外聞などてんで気にしない、それがいいところなのだ。あたしは牛には特別臆病なのよ、と言う。赤ん坊の頃、乳母車にのせられていて牛の角につき飛ばされたにちがいない、と言う。自分の言うことにもすることにも、まるで無責任のようであった。突然このとき彼女は、崖っぷちに陣取って、歌みたいなものを歌い出した。
『なんですその眼、なんですその眼』
みんなも一緒にコーラスをしなければならなくなって、叫び出した。
『なんですその眼、なんですその眼』
だが、もし潮がさして、みんなが浜へ着く前に、折角よい獲物のある場所が水の底になっては、どうにも仕様ないじゃないか。
「そうだ」とポールが同意してはね起き、みんなでそれからずるずる滑り降りているとき、彼は案内書の文句をのべはじめた、「これらの島々は、風光名媚なることと、海の幸の変化に富みかつ豊かなることにおいて、天下に喧伝されております」しかし、こうがやがやと、お前の眼はなんだ、なんて言っている連中と一緒じゃかなわない、アンドルーはひとりで勝手に路を降りながら思う、それにうしろから背を叩いてみたり、「ねえ君」などと親しげに呼んでみたり、なんだかんだとやりきれないや。女たちと一緒に出かけると、これだからいやなんだ。浜へ来て別々になると、彼は靴をぬいで、靴下をその中にまるめこみ、二人のことは放ったらかしにして、『ポープの鼻』へ行ってしまった。ナンシーもまた、自分の好きな岩々のある方へと浅瀬をわたり、海水がたまった小池をさがして、二人を放ったらかしてしまったのだ。ナンシーはかがみこんで、岩の側面にジェリーのかたまりみたいにへばりついている、ゴムのようになめらかなイソギンチャクにさわってみた。じっと考えこんでいると、その小池が大海になり、飛びまわるヤナギバエが、鮫や鯨になってきた、それで、手をかざして太陽をさえぎり、その小さい世界を翳《かげ》らせ、自分が神になったようなつもりで、そこにいる無数の無智|もうまい《ヽヽヽヽ》な生物どもに暗黒と荒廃をもたらし、あげくに、さっと手をひいて、陽の光をあたえてやった。まわりの蒼白い交叉した砂地では、全身毛だらけな、武装した手足を持った異様な巨獣が、得々と獲物めがけてしのび寄り、(彼女は小池をまだ大海だと思っているので)やがて山腹の大きな裂け目へすっと姿をかくす。そのうちに彼女は、小池からほんの心もち視線をあげた、そして、ゆらいでいる海と空の境のあたり、ちょうど境界線上にならんだ樹幹が、汽船の煙でゆれているあたりへ眼をやっていた、すると彼女は、なんでもらんぼうにひっさらって、さっと引っこんでゆくような持ちまえの気性なのに、呆然としてしまった。そしてあの広大無辺さと、この卑小さと、(池はもう縮小されていた)二つの心がしのぎをけずり、手も足もしばりつけられてしまい、自分の肉体も、生活も、この世のありとあらゆる人間の生活は、永遠に無に帰してゆく、という感慨にうち負かされて、身うごきならなくなってしまう。そこで、彼に耳かたむけながら、池のうえにうずくまって、彼女は考えこんでいた。
するとアンドルーが、潮がさしてきたぞ、とどなった、彼女はとび上り、浅瀬の波をけ立てて、岸へ、それから、浜へかけ上り、天性のせっかちと、遮二無二からだをうごかしたい衝動と両方から、一散に、一つの岩かげまで突っ走った。するとまあ、なんと! たがいに腕を組み合って、そこには、ポールとミンタとが! 接吻していたにちがいなかった。ナンシーはカッとした、憤然となった。彼女とアンドルーとは、そのことにひと言もふれようとはせず、押しだまったまま靴下と靴をはいた。事実、二人はたがいに、相手に当っていたのだ。えびでもなんでもいいから、見つけたら僕を呼んでくれるとよかったのに、とアンドルーが小言を言った。しかしながら、あれが自分たちの過失でない、と言うことは二人ともに分っていた。ぞっとするような不快なことが起こらないでほしかったのだ。と同時に、アンドルーは、ナンシーが今に一人前の女になるのだと思っていら立ち、ナンシーは、アンドルーが今に一人前の男になるのだと思っていら立ち、二人は靴の紐をぎゅうぎゅう締めて、蝶むすびを特にきつく結んだ。
彼らはまっすぐ崖をのぼり、やがてふたたびその上に出た。と、その時になって、ミンタがさわぎ出した、おばあさまの形見のブローチを失くしたと言って、――彼女の唯一の装身具である、祖母のブローチ、――しだれ柳になっていて、それには(みんな知ってる筈よ)真珠がならんでるのよ。あなたたちも見てたでしょ、と彼女は涙を頬に流しながら言った、おばあさまが亡くなる日まで帽子《キャップ》につけてらしたブローチなのよ。それを失くしちゃったんだわ。あれの代りなら、他のものをみんな失くしたっていいのに! あたし、戻ってさがしてくるわ。彼らはみんなでもどった。そして、ほじくったり、のぞいたり、見まわしたりした。ずっと頭を低く下げ通し、短い、ぶっきら棒な言葉をかわすだけ。ポール・レイリーは、二人が坐っていた岩のあたり一体を、きちがいみたいに探しまわった。アンドルーは、「ここからあすこまでを完全に探してくれませんか」とポールに言われると、たかがブローチ一つでこんな大騒ぎするなんか、全然意味ないと思った。潮はどんどん寄せてくる。二人が坐っていた場所などたちまち海になってしまう。見つけ出せるなんて、嘘にも言えないや。「まああたしたち、帰れなくなるわ!」突然ミンタが、おびえて叫んだ。すでにその危険におそわれたかのように! 牡牛の時とおんなしだ、――全然感情を押えるってことができないんだからな、とアンドルーは思う。女ってみんなそうなんだ。傷心のポールは彼女をなだめなければならなかった。男たちは、(アンドルーとポールとは直ちに男らしくなり、非常時的になり)簡単に相談して、二人が坐った場所にレイリーのステッキを立てておき、潮が引いてからまた来ることに決めた。この場合、それ以外にやりようがなかった。たしかにあすこで失くしたのなら、朝まで必ずあすこにあるよ、と男たちは受け合ったが、ミンタはやっぱり、崖の上へ来る途々すすり泣きをつづけた。おばあさんのブローチ、あの代りなら他のものをみんな失くしてもいいのですって。ナンシーは、そのブローチを失くして悲しんでいるのは本当だと思いながらも、でもミンタが泣くのはそのためだけではないという気がした。もっと他の気持で泣いているんだわ。あたしたちも一緒に坐って泣きたい気がしてくる、と思う。けれど、なんで泣きたいのか分らなかった。
先に立ってゆくのがポールとミンタであった。ポールは彼女を慰めて、僕はさがしものの名人ですよ、と言った。少年の頃、ある金時計を探し出したこともあった。夜あけと一緒に起きていって、きっと見つけてあげますよ。もう真暗になったような気がしたのと、一人で浜に残ったりするのは少々危険かもしれないと思ったものですからね。だけど、必ず見つけてみせますよ、と彼はしきりに言うのだが、すると彼女はこう言った、夜明けと一緒になんて、とても起きられやしないわ、あれはもう見つからないわ、分ってるわ、今日の午後、あれをつける時、そんな予感がしたんですもの。そこで彼はひそかに決心した、ミンタには言えないが、夜明けに、まだみんなが寝しずまっているうちに家をぬけ出してゆき、そしてもし探し出せなかったらエジンバラまで行って、あれと同じか、それ以上に美しいのを買ってきてやろう、と。彼は自分の実行力を示したかった。やがて丘の上に来て、下の町の灯が見えはじめた時、次々にぱっぱっとついてゆく灯の一つ一つが、彼にはこれから自分の上に起ころうとしている事どものように思われた、――結婚、子供たち、家。それから、背の高い潅木のかげになっている公道へさしかかると今度は、二人きりでいたいということ、常に自分が導き役で、彼女はぴたりと自分により添って、(ちょうど今のようにして)どこまでも歩きつづけたいということを考えた。十字路を曲る時になると、彼は、自分の経験がすべて、ふるえ上るほど恐ろしいことの連続だったような気がしてきて、誰かに話さずにはいられなくなった、――もちろん、ミセス・ラムジーにだ、まったく自分がどんな態度で、何をしたかを思うだけで、息もとまりそうな位だから。ミンタに結婚してほしいと言った時なんか、自分の生涯の最々悪の瞬間だった。真直ぐミセス・ラムジーのところへ行こう。自分にああいうことをさせたのはどうもラムジー夫人だと思えたからであった。自分がなんでもやれるという自信を彼につけたのは夫人であった。他の者は誰もポールなど本気に相手にしなかった。けれど夫人が彼に、自分のしたいことはなんでも出来るものだという信念を与えたのだ。彼は今日一日中、ミンタの眼が自分を追っているような気がし、(ミンタはひと言も口にしないにかかわらず)こう言っているような気がした、「そうよ、あなたの思うとおりにしてごらんなさいよ。あたしはそれを待っているのよ。あたしはあなたを信じているのよ」と。そんな気持を自分にいだかせたのも、すべてミセス・ラムジーだった。家に帰ったら早速(彼は、湾にのぞむその家の灯をさがした)夫人のところへ行って、「僕はやりましたよ。どうもありがとうございました、ミセス・ラムジー」と言うことにしよう。そう思いながら、家へ通じる小径へ折れると、上の窓々で明りがちらつくのが見えた。ずいぶん自分たちの帰りがおくれたことだろう。みんなは晩餐に出る支度をすませているだろう。家中に明りがいっぱいで、暗い中を来た彼の眼にはまばゆいほどであった、ドライヴ路を上りながら、彼は子供っぽく、明り、明り、明りとつぶやく、家につくと、こわばった顔つきであたりを見まわしながら、くらくらするように、明り、明り、明りとくりかえした。だが、待てよ、と彼はネクタイへ手をやりながらつぶやいた、あんまりへんな格好で笑われないようにしなくちゃならない。
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十五
「そうね」とプルーは小首をかしげながら、母の問いに答えた、「ナンシーはあのひとたちと一緒に行ったと思うわ」
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十六
ではやはり、ナンシーも一緒だったのかと、ラムジー夫人は思った。夫人はいま、ブラシを置いて櫛をとり上げたり、ドアのノックに答えて「おはいり」と言ったりしていたが、(ジェスパーとローズが来た)そうしながら思案した、ナンシーが一緒だとすれば、何か起こる可能性が、大きくなったかしら、小さくなったかしら、と。どうも小さくなったと思われた、合理的ではない話だけれども、つまりただ、それだけの人数なら全滅にはならないという気がするのだ。全部おぼれるなんてこともないだろう。ここで夫人はふたたび、宿敵、『人生』と直面する。
ジェスパーとローズが、晩餐をおくらせましょうかと、ミルドレッドが聞いていると言った。
「いいえ、たとえイギリス女王様のためでも」と、ラムジー夫人は意気ごんで言った。
「たとえメキシコの皇后様のためでも、待てるものですか」と、改めてジェスパーと顔を見合せて笑いながら言った、この母の悪徳をうけついで、彼もまた誇張癖であったので。
その返事はジェスパーに頼むとして、あなたは私のつける宝石を選んで頂だい、と夫人はローズに言った。十五人も一緒に食事をする時は、そう永遠に待てるものですか。今はもう、連中がこんなにおそいことに、腹が立ちだした、ほんとに気が知れないわ、心配でやりきれないが、それが選りによって今晩こうおそいというのでむしゃくしゃするのだ。ウイリアム・バンクスもとうとう承諾したのだし、まさに特別すばらしい晩餐にしたいと思っていたのである。ミルドレッドのご自慢料理が出ることになっていた、――|煮こみ肉《ブーフ・アンドープ》。なんでもちょうど適当な時に食べなければ値打ちがない。肉でも、月桂樹の葉でも、ぶどう酒でも、――なんにしても頃合《ころあい》が肝腎なもの。待たされたりしちゃ話にならない。それだのに、今晩はむろんのこと、毎晩のように、出かけた人たちはおそくなるから、なんでもさめてしまうし、温めなければならないし。煮こみ肉は、てんで台なしだわ。
ジェスパーは母に、オパールの首飾りを見立てた、ローズは金の首飾りをを見立てた。黒のドレスにはどちらが引き立つかしら? ほんとにどっちかしら? と、ラムジー夫人は鏡の中で首から肩のあたりを見ながら(顔はしいて避けて)うわの空につぶやいた。そして、子供たちが彼女の装飾品をまぜかえしている間、窓の外の、いつも楽しむ光景をながめていた、――幾羽ものミヤマガラスが、どの樹をねぐらにしようかと試しているのだ。その時々に気が変るらしくて、すぐ飛び立つ、それというのも、私がジョゼフ親爺と名づけている、あの年寄りの親がらすが、意地わるい気むずかし屋だからだ、と彼女は思う。羽を半分失くした、見苦しい爺さん鳥、どこかの居酒屋の前で見かけたことのあった、ホーンを吹く、シルクハットの貧相な老紳士を思わせた。
「ごらんなさいよ!」と、夫人が笑いながら言った。けんかがはじまっていた。ジョゼフとメアリがけんかしているのである。どっちみち、からすどもはみんな舞い上り、それらの黒い翼があたりの空気をかきわけて、そこにみごとな青竜刀のかたちを描き出してゆく。バサバサバサと空気を打つ翼のうごき――夫人はそのさまを、自分の気のすむようにどうもうまく表現できないのだが、――は、彼女のもっとも好きなものの一つである。あれをごらんなさい、とローズに言う、ローズが、私の見る以上にあれをはっきり見てくれればいいと思いながら。子供たちは往々、親よりも一歩突きすすんだ見方をするものだから。
ところで、どれがいいかしら? 子供たちは、宝石箱の中函をみんな開けていた。イタリア製の金の首飾りか。それとも、紫水晶にしようかしら?
「さあさあ、きめて頂だい」夫人は、もうさっさとしてくれればいいのにと思いながら言った。
けれど、ゆっくり選ぶにまかせた、ことにローズには、あれこれ手にとって、黒いドレスにためすままにさせた、毎晩のこの、宝石選びのちょっとした行事を、ローズが何より好んでいるのを知っているからである。ローズには、母が身につけるものを選ぶことを特に重大視する、秘めた理由があるのだ。どんな理由かしら、ラムジー夫人はだまって立って、ローズが、選び出した首飾りをかけてくれるままになりながら考えてみる、そして、自分の過去にてらし、ちょうどローズくらいの年頃には、母親に対して深く胸に秘めた、言葉に言いあらわせぬ感情を持つものなのだと察した。それは自分自身について感じるさまざまな感情と同じに、見ていて切なくなるとラムジー夫人は思う。それには決して十分なお返しができない、ローズが感じている深さに、実際の私はとても不相応である。ローズもいまにおとなになってゆく、こんなに情が深くては苦しむことだろう、と思う。さあ仕度ができましたわ、と彼女が言った、降りてゆくことにしましょう、ジェスパーは紳士なのだから腕をかすんですよ、それからローズは淑女なんですから、ハンカチーフを持たなくちゃ、(夫人はハンカチーフを渡した)その他には? そう、冷えるかもしれないから、ショールだわ。私のショールを選んで頂だいと夫人が言う、胸のせつなさに閉されているローズには、それがうれしいことにちがいないだろうから。「おや」と、踊り場の窓に立ちどまって夫人が言った、「またこっちにいるわ」ジョゼフが別の樹にとまっていた。「あんなに翼が破れて、かわいそうだと思わないの?」とジェスパーへ言った。どうしてあのかわいそうなジョゼフ爺さんとメアリを射とうなんてしたの? ジェスパーは階段の上でちょっともじもじし、気がとがめたが、本気でもなかった、鳥撃ちの面白さは、母さんなんかに理解できやしない、母だと言ったって、まるでかけ離れた世界に住んでいるのだから。それでも母がメアリとジョゼフについていろんな話をするのは面白いと思う。つい笑わされる。だけど、どうしてあれがメアリとジョゼフだと分るの? 母さんは、毎晩同じ鳥が同じ樹に来ると思ってるの? と彼が尋ねた。だが、この時ふいと、おとなってみんなそうらしいと彼は思うのだが、母親は彼の方へ全然注意をはらわなくなってしまった。彼女は、ホールでがやがやする方へ、気をとられたのであった。「帰ってきたんだわ!」と夫人はさけんだ、するととたんに、安堵よりも胸苦しさの方を強く味わった。では、あれはどうなったかしら、と不安だった。降りてゆけば、二人が話すでしょう、――いや、いや。あんなにまわりに人がいちゃ、何も話せないでしょう。降りて行って、食事をはじめて、待つより仕方ないわ。それで夫人は、女王様然とした様子で降りて行った、臣下たちがもうホールに集まっていると知って上から眺め、次いで彼らの間に降りてゆき、無言のうちに彼らの讃美をみとめ、自分に向けられる渇仰と卑下とを受け入れる、(ポールは無表情であったが、夫人が彼の前を通りすがると、まっすぐ見つめていた)そのようにして下へ来た夫人は、ホールを横切ってゆく時、みんなが口へ出しては言い得ぬこと、つまり彼女の美しさに対する讃嘆を、受納するとでも言うように、ほんのかすかにうなずくのであった。
けれど、夫人は立ちどまった。こげ臭いにおいがした。煮こみ肉を、火にかけすぎたんじゃないかしら、と気にする、どうぞそうではないように! その時、ドラが大きく鳴りわたった、おごそかに、権威をもって。それで、屋根部屋や寝室やめいめいの小さい|すみか《ヽヽヽ》にちらばって、読んだり書いたり、髪に最後のひと櫛をあてたり、ドレスを着込んだりしている人たちが一せいに出て来なければならないし、洗面台や化粧机に取りちらしているものも、寝室のテーブルの上の小説本も、こっそり書いている日記も、みんなそのままにして、晩餐の食堂へ集まらなければならなかった。
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十七
それにしても、私は自分のこれまでの生涯で、何をしてきたかしら、ラムジー夫人は、テーブルの上座の席に着いて、白い皿の並びを眺めながら考えていた。「ウイリアムさん、どうぞわたしの側へいらして下さいまし」と彼女は言った、「リリーさんは」と疲れたような声で、「どうぞあちら側へね」あの二人はあれを持った、――ポール・レイリーとミンタ・ドイルとは。――私は、ただこれだけ、むやみに長いテーブルと、皿とナイフと。その遠い端に夫が、しかめ面をし、うずくまるように坐っている。何をおこってるの? 分らない。どうでもいいわ。自分がかつてあの人に少しでも熱情や愛情を持ったかどうか、私には理解できない。スープをよそっていると、なんだか自分が、いろんなことを過ぎ、いろんなことの中を通り抜け、いろんなことの外へ出てゆくような気持である。あたかも大きな渦がまき起こっており、――この場に、――そして人々はその中に入ってもよいし、出てもよい、自分は出たのだという感じである。もうおしまいだわ、と思う、けれどもその間にも人々が次々とやってくる、チャールズ・タンズリーだ、――「どうぞそこにおかけになって」と彼女は言う、――オーガスタス・カーマイケルだ、――そして、腰を下す。それからしばらくの間夫人は、受け身になって、誰かが自分に回答を与えてくれるのを、または何かが起こるのを待っていた。でもいま思っているのは、人が話すというようなことではないのだ、と夫人は、スープをよそいながら考えた。
自分の考えていることと、していること、――スープをよそっていることはなんという相違だろう、と夫人はおどろく、渦巻きの圏外へそれてゆくのをいよいよ強く感じる。でなければ、一つのシェードが垂れて色彩がなくなったので、物ごとがありのままに見えるような気持。部屋の中は(彼女は眺めまわしてみる)まことにみすぼらしい。美しさなど、どこにもない。タンズリー氏の方を見るのはひかえた。全然誰も打ちとけぬらしい。みんなばらばらに坐っている。打ちとけたり、もり上げたり、創り出したりすることは、すべて夫人の努力のうえにかかっているのだ。ここでまた彼女は、敵意からではなく事実として、男たちは不毛だと感じずにいられなかった、私がやらなければ、誰一人それをしようとはしないのですもの。そこで夫人は、止った時計にするように、軽く自分を振ってみる、すると時計がカチカチ言い出すように、おなじみの鼓動を打ちはじめる、一、二、三。一、二、三。さあ、もっと、もっとと、それに聴き入りながらくりかえす。また、消えそうな炎を新聞紙でかこむように、そのまだか弱い鼓動をかばい、いつくしむ。するうち、夫人の気持が、ウイリアム・バンクスに話しかけられでもしたように、彼に向ってゆき、無言のうちに、お気の毒な方! と思った、奥さんも子供さんもなく、今夜は別として、ご自分の部屋で、一人きりで食事をなさるなんて。こうして彼を憐れんでみると、生命がふたたび自分を動かすに十分なだけ強くなってきたらしいので、夫人はやるべき仕事をはじめたのである、ちょうど、疲れた水夫が、帆を孕ませるに十分な風が出たのを知り、それでもふたたび船出しようと言う意欲はほとんどないながら、いっそ途中で船が沈む時は、自分はくるくるもまれたあげくに海底で安息できるだろうと考えているような気持で。
「あなたへのお手紙はごらんになりまして? ホールへ置いておくように、申しましたけれど」と、彼女はウイリアム・バンクスへ言った。
リリー・ブリスコーは、夫人が人住まぬふしぎな国へ漂い流れてゆくのを見まもっていた、そこへ行く人を追うことは不可能である、けれど、そこへ行かれるのは、見送るものにとって、あまりに打撃なので、せめて眼だけででも後を追わずにはいられないのだ。船が沈んでゆくとき、最後の帆が水平線の下にかくれるまで、人は眼をはなすことができないのと同じように。
なんて老けてみえることだろう、なんて疲れて見えることだろう、とリリーは思った、それに、なんて遠々しいのだろう。そのうちに夫人はふりかえってウイリアム・バンクスへほほえみかけた、するとそれは、いかにも船が方向を変え、太陽がふたたびそのたくさんの帆を輝かせたようであった、リリーはほっとすると、今度は興味をもった、なぜあのひとは、バンクスさんを憐れむのかしら? と。いま郵便物がホールにあると言った時の夫人の調子が、いかにもそんな印象だったからである。お気の毒なウイリアム・バンクス、とでも言っているようだった。まるで、あのひとの疲労のなかばは人を憐れむためだというようだし、また、あのひとのいのち、ふたたび生きようという決心、は、憐情によってかき立てられるというようだ。でもそれは本当じゃない、とリリーは思う。あのひとについて判断をあやまる一つは、そこなのだわ、あのひとのはどうも本能的なもので、他人のためと言うよりはむしろ、自分自身のなにかの必要から起こるらしい。バンクスさんはちっとも憐れまれるべき人ではない。ちゃんと仕事を持っているのだから、とリリーはひとりごちる。そのとたんに、何か宝ものでも発見したかのように、彼女は思い出した、私にも仕事があったわ。一瞬、自分の絵が見えた、そうだ、と思った、あの遠くの樹を真中へ持って来よう、そうすれば、あのまずい空間をなくせる。そうと決めよう。いろいろに考えまよってきたけれども。リリーは食塩入れをとりあげ、樹を移すことを心にとめるためというように、テーブルクロースの模様の、花の上へ置いた。
「おかしなものですな、手紙が来たからって何か役に立つものを貰うわけではまずないが、誰でもたえず手紙を待っているものですね」とバンクス氏が言った。
なんとくだらぬことをみんなは喋るのか、チャールズ・タンズリーは、皿の真中にきちんとスプーンを置きながら思った。その皿が拭いたようにきれいになっていたので、リリーが思った、(彼とは向い合いで、窓の外に見る眺めのちょうど真中に彼がいた)いかにも彼は、この時とばかり食べようと覚悟しているみたいだと。彼にかかわるものは何によらず、どうにもならぬ貧相さ、あらわな憎々しさを帯びた。けれど、眼の前に見ている人は、誰にかぎらず嫌ってしまえないと言う、どうにもならないリリーの性分である。彼女は、彼の眼がいいと思う、青い、深くくぼんだ、いどむような眼。
「タンズリーさんは、よく手紙をお書きになりますの?」とラムジー夫人が尋ねた。彼をも憐れんでいる、とリリーは感じる。たしかにそれは、――男たちには何か欠けるものがあるというように、ミセス・ラムジーがたえず男を憐れんでいるのは、まちがいないことのようだ。――女を憐れむことはしない、女は何かを持っているというのかしら。タンズリー氏は短く答えた、母には書きますよ、そのほかにはそうですね、月に一本も書きませんね。
彼は、この連中が誘い入れようとするくだらない会話にまきこまれたくなかった。こんな愚かしい女たちにちやほやされたくもなかった。彼は自室で本を読んでいて、それからここへ来てみると、なんでもが愚劣で、表面的で、浅薄に見えた。なんだってみんなはそうめかすのか? 彼はふだん着のまま出てきた。礼服など一つも持っていない。「手紙が来ても何か役に立つものをもらうのではない」――それは女どもがいつも言うことだ。女どもがそんなことを男に言わせる。うん、その辺がまず真理だ、と彼は思う。女は、一年の終りから次へ持ち越すべき、何か役に立つものを決して得やしない。女どもは何もやらない、もっぱら喋る、喋る、喋る、食べる、食べる、食べる。それが女の欠陥だ。女が、その「魅力」と愚劣さでもって、文明を不可能にするのだ。
「明日、燈台へは行けませんね、ミセス・ラムジー」と、彼は自己を主張するように言った。彼は夫人を好いている、尊敬してもいる、排水溝の中から夫人を見ていたあの男の顔がまだ頭にある、だが彼は自己を主張する必要を感じたのだ。
なんて男でしょう、あんないい眼をしているくせに、とリリー・ブリスコーが思う、でもまあ、あの鼻を見るがいい、あの手を見るがいい、たしかに、あんなぶざまな人間は、見たこともないわ。そんならなぜ私は、あんな男に言われたことを気にするのかしら? 女にはものが書けない、女には絵が描けない、――あんな男に言われたって平気じゃないの、それも本気で言ったわけじゃないんだ、なにか自身に気負う必要を感じて言ったまでのことなのに? 私ときたら、まるで風にさらされた麦みたいに、全身でおじぎしてしまって、その意気銷沈から立ち直るには、われながら痛ましいばかりの大努力をしなければならないなんて、そんな話があるかしら? もう一度やり直すのだ。テーブルクロースの上の小さい食塩入れ、あたしの絵、木を真中に移すこと、それだけが大事なこと、――あとは何もない。なぜそれにだけしっかり頼り切れないのか、と自分へ言う、落ちつきを失くしたり、いきまいたりしないで。それに、この男に少々復讐したいと思うなら、からかってやることぐらいできないのか?
「ねえ、タンズリーさん」と彼女は言った、「あなた、私を燈台へ連れてって頂だいよ。ぜひ連れてって頂きたいのよ」
でたらめを言っている、と彼には分った。何か理由があって、自分を苦しめるために、心にもないことを言っている。自分をからかっているのだ。彼は古いフランネルのズボンをはいていた。ほかには持っていなかった。彼は、すさんだ、寒々とした孤独感を味わった。何かの理由で彼女が、自分をなぶりものにしようとしているのが分る、一緒に燈台へ行きたいなどとは思ってやしないんだ、あいつはおれを軽蔑している、プルー・ラムジーもそうだし、みんなそうなんだ。しかし彼は、女どもの慰みものなんかになるものかと思う、そこで椅子にかけたまま、重々しくふりかえって窓の外を見、ぶっきら棒に、きわめてすげなく言った、あなたが行くには、明日は荒れすぎますよ。船に酔いますよ。
リリーのおかげで、ラムジー夫人が聞いている前でこんなことを言わされたと思うと、彼は忌々《いまいま》しかった。本に埋った自分の部屋での、ひとりの勉強に戻れさえしたら、と思う。一番気楽になれる場所。それに、自分はまだ、一文の借金もしたことがないんだ、十五の時から、一文も父親にもらったことはない、自分の蓄えで家族たちを助けてきたし、妹の教育費も出してきた。それでもなお、ミス・ブリスコーに答えるべき適当な答え方を知っていたら。あんなにぶっきら棒に、「船に酔いますよ」という言葉がとび出して来さえしなかったら、と思わずにいられなかった。何かラムジー夫人に聞かせるようなこと、自分がそれほど、味もそっけもない気むずかし屋ではない、と示せることを考えつけたら、と思う。みんなはまさにそのように自分を見ているんだ。彼は夫人の方へふりむいた。しかし夫人は、彼が名前をきいたこともない人々の話を、ウイリアム・バンクスとしていた。
夫人は、バンクス氏との話の中途で、女中に「ええ、下げて頂だい」と短く言った。「もう十五年、――いえ、もう二十年前になりますわ、あの方に最後にお逢いしましたのは」と夫人は、話をすこしでも途切らせまいとしてすぐ彼に言った、夫人はその話にとても熱心になっていたのだ。じゃあ、さきほどのあなたへのお手紙は、あのひとからなんですのね? それでキャリーはあいかわらずマーロー〔ロンドンの一地区〕に住んでますの? 何もかも昔通りですの? まあ私、きのうのことのように覚えておりますわ、――河をのぼったのですけど、その寒かったこと。でもマニングさんとこの人たちは、いったん計画すると強引ですものね。ハーバートが堤の上で、スプーンですずめ蜂を殺しましたの、まだ忘れませんわ! 二十年前に寒くてふるえ上ったテームズ河の、あの河畔の客間のテーブルや椅子のあいだを、今なお同じ生活が幽霊のようにすべっている、と思いふける、だがいま、その人々のあいだに幽霊のようにはいりこんでいるのは彼女自身なのだ、今ではただ静かに美しかったものとしてだけ思い返される、あの特別の一日、あれがこの長い年月、自分はすっかり変った間もずっとそのままあすこに残っていた、という気がして、夫人はうっとりするのであった。キャリーがあなたへ、自分で書いてよこしましたの? と夫人がたずねる。「そうです。あの家に新しい撞球室《ビリヤード・ルーム》を造るとか書いてますよ」と彼が言った。まあ! まさか! お話にならないわ! ビリヤード・ルームを造るなんて! 夫人には信じられないことであった。
バンクス氏には、それがそれほど変なこととも考えられなかった。あの一家はいま裕福に暮しているのである。あなたからもよろしくと、キャリーへ言っておきましょうか?
「あら」と、ラムジー夫人は少しあわて気味に言い、「よろしゅうございますわ」とつけ足した、新しいビリヤード・ルームを造るなんていうキャリーは、私の知らぬひとだと思う。でもふしぎですわね、いまだにそこにあの人たちが暮しているというのは、と彼女がくり返したので、バンクス氏は興味をそそられた。夫人とすれば、この長い歳月のあいだに、自分が彼らのことをおもい出したのはせいぜい一回くらいだったろうが、その間ずっと彼らが無事に生き抜けたと考えるとふしぎな気がするのである。その同じ間の、自分の方の生活は、なんと多事だったことか。でもおそらく、キャリー・マニングは一度も私のことを想いはしなかったろう。そう考えると奇妙であり、不愉快でもあった。
「人々はじきに離れ去ってゆくものですね」とバンクス氏が言い、それでも、自分は結局マニング家ともラムジー家ともつき合っていると思って満足であった。自分は離れ去ってゆかなかったと考えながら、彼はスプーンを置き、きれいに剃ってある唇のまわりを、癇性《かんしょう》にふいた。しかし、その点で自分はいささか例外なのだろう、と思う、自分はいつも筋道どおりに行くことを避けてきた。わたしはいろんな方面に友人を持っておりまして……だがラムジー夫人がこの時、料理を冷さぬようとかなんとか女中に命じるために、話の腰を折った。これだから一人で食事する方がいい。こういう邪魔がなんとも腹立たしかった。彼は大へん礼儀正しい態度を保ったまま、ただ左手の指をテーブルクロースの上にひろげてみる、いかにも、美しくみがいた、無聊の時に使うべき道具を、職人が検査するという風に。そうしながら、これがつまり友人づき合いに要求される犠牲だと考える。自分が招待を断ったら、夫人は気を悪くしただろう。と言って、わたしにはありがた迷惑なことである。自分の手を見ながら、一人で食事をしていたら、今ごろはもう終る頃だろうと思う、勝手に仕事に就けたろうに。実におそるべき時間の浪費、と考える。子供たちはいまだに次々やってくる。「ちょっと、誰でもいいからロージャーの部屋へ、大至急に行ってきて」とラムジー夫人が言っている。こうしたことの、なんたる煩わしさ、退屈さ、他方のこと――仕事、とくらべたならば、と彼は思う。もうそれに取りかかれるかもしれぬ時に、ここで坐して、テーブルクロースの上で指をたたいている、――彼は自分の仕事を、鳥瞰的に一瞥してみる。まったくもって時間の浪費というものだ! それでも彼は、夫人がもっとも古い知古の一人であることを考える。自分は、この女性には献身的なつもりでいる。だが今、この瞬間のこの女の存在は、自分にとっては完全に無だ、このひとの美しさも無意味、小さな男の子と窓辺にいた彼女、――何もない、何もない。彼は無性に一人になりたく、本を手にしたいだけである。彼は落ちつけなくなった、背信だという気がした、夫人のすぐ側に坐りながら、彼女に対して何も感じることができないのだから。要するに、自分は家族生活を楽しめぬ、ということなのだ。こうした状態のときによく、人間は何を目的に生きるか、などと自問するものだ。なぜ人は、人類の存続のために、あらゆる労苦をしのぶのか? それは、それほどに望ましいものなのか? われわれは、一つの種として、魅力あるだろうか? それほど大したものでもなさそうだ、と彼は、あまり小ざっぱりともせぬ少年たちを見やりながら考える。自分の好きなカムは、もう寝ていることだろう。愚かしい疑問、むなしい疑問、仕事に没入していれば決して起きない疑問。人間生活とはこれか? 人間生活とはあれか? そんなことを考えている余暇が人にはないのだ。それなのに今、ここで自分はそういう疑問をもってみる、と言うのも、ミセス・ラムジーが女中たちに指図しているからだし、同時に、キャリー・マニングがまだ健在だと知るとミセス・ラムジーがびっくりしたことを思うにつけて、友情とはいかに固い場合にしろ、所詮もろいものだと思って心打たれたからである。人は離れ去ってゆく。彼はふたたび気がとがめた。ミセス・ラムジーの隣に坐っていながら、何か話そうという気持が、金輪際わいてこない。
「失礼いたしました」とラムジー夫人はやっと彼の方を向いて言った。彼は、自分が硬ばり、無能になっていると感じる、まるで、びしょ濡れにした後カチカチに乾し上げて、履けなくなった靴のように。だが無理にも足を突込まねばならない。彼はしいても話さねばならない。十分気をつけないと、夫人はわたしの謀反に気づくだろう、ほんとは毛すじも夫人を念頭においてないことに。すれば、全然愉快じゃなかろうから、と思う。そこで彼は夫人へ、丁寧に頭をさげたのだ。
「こんな、動物園で食事するようなのは、さだめしお厭でいらっしゃいましょうね」とラムジー夫人は、心みだされる時にする社交的儀礼を発揮しながら言った。これは、一つの会合で言語が入り乱れた時、それを統一するために議長が一同へ、フランス語を使うようにと提議するようなものだ。たぶんまずいフランス語だろう、フランス語では、話し手が、自分の考えを表現すべき言葉を見出せぬかもしれない、それでも、フランス語を使うことで、多少の秩序や統一が保たれるのだ。バンクス氏は、夫人に対して同じ言語をつかう態度で答えた。「いえいえ、どういたしまして」ところが、こういう言語については全くご存じないタンズリー氏は、いまのこの、ほんの短い言葉からも、ただちに虚偽を感じ取るのであった。ラムジー家の連中ときたら、無意味なことばかり喋っている、と彼は考えた。そしてこの新発見に喜んでとびついた、ノートをつくって、いつか一人二人の友人に、大声で読んでやろう。めいめい好き勝手な話のできる集まりの時に、『ラムジー家に滞在して』と風刺的に述べて、みながどんな無意味なことをしゃべっているか、おしえてやろう。一度は経験する値打ちがあるよ、と言ってやろう、だが二度とはいけない。女どもは全くうんざりだよ、と言ってやろう。もちろんラムジーは、きれいな女と結婚して、八人の子供を持って、自分をすり減らしたのさ。大要そんなことで、なんとかものになるだろう。けれど今、隣に空席を持ってじっと坐り込んでいるこの時、それが全然なんの形もとっては来なかった。つまらぬ切れはしばかりだった。肉体的にも彼は、なんともやり切れない気持になってきた。自分を主張すべききっかけを、誰かがつくってくれないかしらんと思った。それを熱望するあまり、彼は椅子の上でもぞもぞしはじめ、誰かの話に割って入ろうとして、あっちの顔、こっちの顔を見、口を開けたり閉じたりした。みんなが水産業に関する話をしていた。なぜ誰も自分の意見を求めないのか? 水産業について、みんなは何を知ってるんだろうか?
リリー・ブリスコーにはみんな分った。彼の真向いにいて見えないわけはない、ちょうどX線写真を見るように、自分を印象づけたがっているその青年の、欲望のあばら骨や大腿骨が、肉のもやの中に黒くあらわれているのが。――そのもやはつまり、会話に加わりたい熱望をおおっているお行儀なのだ。だけど、私は、このひとが満足するように助太刀をしてやる義務があるかしら、とリリーは、中国人のような眼をほそめながら思案する、だってこの男は女を軽蔑するもの、「女は絵を描けない、ものは書けない」などと。
社交法というものがあるわ、あの第七条(としておこう)に書いてあるわ、かかる場合、女性は、たとえいかなる立場にあろうとも、真向いの若い男性を助け、自己を主張したい虚栄や熱望の、あばら骨なり大腿骨なりを曝け出させてやり、満足させてやるべきである、と。それはまさに、たとえば地下鉄がいきなり炎につつまれたような場合、女を助けるのが男の義務である、と言うのと同じわけだ、彼女は老嬢らしい公平さで考えてみる。そんな時には、きっと私だって、タンズリーさんが外へ連れ出してくれるだろうと期待をかけるでしょう。でももし、お互いにどっちもそういうことはやらないとしたら、どんなものかしら、と考える。そこで彼女は、にやりとした。
「リリーさん、あなた燈台へ行こうという気じゃないのでしょうね?」とラムジー夫人が言った。
「ラングリさんが閉口してらしたの、覚えているでしょ。何回となく世界中をあちこち廻られた方ですけど、主人があすこへお連れした時ほど苦しかったことはなかったって。タンズリーさん、あなたは船にお強いの?」と、夫人はたずねた。
タンズリー氏は鉄槌をふり上げた、中空高くそれをふりまわした、けれど、この蝶々を殺すには、こういう道具ではだめだと気づいたので、だまって下におろした、そしてただ、生れてから船に酔ったことはありません、と言った。しかし、この短い言葉の中には、火薬のように、ぎっしり詰められたものがあった、自分の祖父が漁師であったこと、父が薬剤師であること、それから自分は全く独力で勉強してきたこと、それを誇りとしていること、自分がチャールズ・タンズリーであること、――その事実を、ここにいる連中は誰も悟らぬらしい。だが、いつの日か全世界の人たちが、一人のこらずそれを知るにちがいないのだ。彼は眼の前の人たちに顔をしかめた。それら微温的な教養人たちを、ほとんど憐れみさえした、やがていつか、自分の裡なる火薬によって、この連中は、羊毛の梱《こり》のように、リンゴ樽のように、空高く吹きとばされることだろう。
「タンズリーさん、私を連れてって下さる?」とリリーは、性急に、心をこめて言った。と言うのは、必ずやラムジー夫人がこう言っているだろうことを察したからなのだ、「ねえリリーちゃん、私は火の海におぼれそうよ。この苦痛になにか鎮静剤をくれなくちゃ、そしてあの青年に何かやさしい言葉をかけてくれなくちゃ、もういのちは難破しそうよ、――こうしている瞬間にも、ほんとに軋ったり、ごうごう言う音が聞えてる。私の神経は、胡弓の絃のように緊張しきっているのよ。もうこれ以上にさわられたら、切れるだけよ」――ラムジー夫人がその眼にものを言わせてそう語っているからには、これでまたしても、リリー・ブリスコーは百五十ぺん目の中止をせざるを得なかった、――もしあの男にやさしくしなかったら、どんなことが起こるかという実験の中止を。――そしてやさしくしたのである。
リリーの気分が変ったことを、――今度は自分に打ちとけてきたことを、――正確に判断したタンズリーは、ようやく自我が癒されたので、僕が赤ん坊のときには、などと、話しはじめた。よくボートから外へ投げこまれ、それから父親に、ボート用の鉤竿《かぎざお》でつり上げられ、そのようにして泳ぎを教えられたんですよ。叔父の一人が、スコットランド沿岸の、ある岩の上の燈台を守っていたので、ある嵐のとき、その叔父のところにいたことがあるんです、と彼が言った。みんながちょっと黙っていた時だったので、それが大声にひびいた。一同、否応なしに、嵐のとき叔父と共に燈台にいたという話をきかされた。こうして会話が順調になってきたので、リリー・ブリスコーはやれやれと思った、ラムジー夫人が感謝しているのも分った。(夫人はここでしばらく、ひとり勝手に思いふける自由を得たので)だけどまあ、とリリーは考えた、あなたにそれを得させてあげるために、私は犠牲をはらったと言うものよ。私は本気じゃなかったのだから。
私はいつものトリックをやったのだ、――やさしくしてみせるという。私はあの男をけっして理解しようとしない。彼も私をけっして理解しようとしない。人間同士の間柄はまずそんなもの、中でも男女の間がいけない、(バンクス氏に対してはそうでないとしても)と彼女は考える、男と女の間柄は、どうしたって全然でたらめなものになってしまうのだ。ふと彼女の眼が、物おぼえのために置いた塩の容器にとまった、あしたの朝、遠くの木を真中に移すことを思い出した、あした絵を描くのだと考えると、すっかり興奮してしまって、タンズリー氏の話していることに、いきなり大声で笑い出した。喋りたきゃ、ひと晩じゅうでも喋らせてあげましょう。
「だけど燈台守って、一体どれくらいの間、そんな所に放っておかれるんですの?」と、彼女がたずねた。彼は語った。おどろくほど詳しかった。彼はありがたがり、リリーが好きになり、すっかりご機嫌になりだしたのを見てとったラムジー夫人は、これで私もまた、二十年前のマーローの、マニング家の客間へもどってゆける、と思う、あの夢の国、現実にはないが、しかし魅力のあるあの場所へ。あそこでならば、急ぐことも心配することもなしに彷徨できる、なにしろ、苦にしなければならぬ未来というものがないのだから。あの人たちの上に、また自分の上に、何が起こるかはすでに分っている。それは気に入った本を読み返すようなもので、二十年前の事柄なのだから、話の結末は分っており、そして、いまこの食堂のテーブルからでさえ、滝のように流れ落ちてゆく生命(どこへ行くかは全然知れない!)が、すくなくともそこでは封じ込められていて、まわりの岸にかこまれた湖水のように静かなのである。――あの人たちがビリヤード・ルームを造ったと言うけど、――そんなことがあるかしら? ウイリアムは、マニングの人たちについて、もっと話してくれないかしら? 夫人はそれをのぞんだ。でもだめだわ、――なぜか彼の気分がもうさき程とはちがっていた。夫人は試みてみた。さらに反応はない。強いるわけにはいかなかった。彼女は失望した。
「子供たちが、お行儀がわるくて」と吐息しながら、夫人が言った。彼は、固苦しくふるまうことは、成人しない前の生活では必要のない、小さい徳だというようなことを言った。
「それはそうでございましょうけれど」とラムジー夫人は、ただ間《ま》を埋めるために言いながら、ウイリアムはなんと老嬢くさくなってきたことだろうと思った。彼は不実を意識し、夫人が、もっと親しく何かを話してもらいたがっているのも意識するが、気分が向かず、待たされていた間に、生活の不愉快さに打ち負かされてしまったという気がした。なにやら他の人たちは、面白い話をしているようじゃないか? 何を話しているのだろう?
漁獲期が思わしくないこと、男たちが他所へ移ってゆくこと、であった。みんなは、賃金や失業について話し合っていた。タンズリーが政府を非難していた。ウイリアム・バンクスは、私的な生活が不快な時に、そういう問題をとらえるのは大へん結構だと思いながら、「現政府の最もまずいやり方の一つは」とかなんとか言っているのを、聞いた。リリーも傾聴した、ラムジー夫人も傾聴した、みんなが傾聴した。けれど、リリーは内心あきてしまい、なにかもの足りなく感じた、バンクス氏ももの足りなく感じた。ショールを肩にかけながら、ラムジー夫人もなにかもの足りなく感じた。みんなが前こごみの、傾聴する姿勢をとりながら、「心の中を見すかされませんように」と思っている、と言うのも、めいめいが考えていたのだ、「ほかの人々はみんな関心をよせている。漁師たちに対する政府のやり方に、悲憤慷慨している。それだのに、私には少しもその気持が起きてこない」と。だがバンクス氏は、タンズリー氏を見ながら、これはまさに一人物というべきだ、と考えた。世間はたえず、人物を待望しているのだ。たえずチャンスはあるのだ。あらゆる方面におけると同様に、政治においても、天才的な男が、いつ指導者として立ち上るかもしれない。おそらくこの男は、われわれ旧弊な老人たちにとっては、およそ不愉快な人間であることだろうが、とバンクス氏は、大いに寛大になるように努めながらも、そう思わせられる、背すじに感じる悪寒のような、なにか奇妙な肉体的感覚で、しきりに自己擁護をしたくなるし、また自分の仕事や、見解や、科学を擁護したくなってくるからである。それゆえ、虚心になれず、公平な見方でもない、タンズリーは、こう言おうとしているように思えてならないのだ、あなた方は人生を浪費してきましたよ。あなた方は、いずれもみんな間違っていますよ。頭の古い、気の毒な老人がた、もう救いがたい時代おくれですよ、と。どうもこの青年は、独断的すぎる、態度もよくない。しかしながらバンクス氏は、彼には勇気のあること、才幹のあること、いろんな実情に精通していることを、認めぬわけにはいかなかった。タンズリーが政府を非難するのは、十分根拠をもって言っているのだ、とバンクス氏は考えた。
「では伺いますが……」と彼が言った。そうして二人は議論をはじめたので、リリーはテーブルクロースの模様の、木の葉を見た。ラムジー夫人は、その議論を全然男二人にまかせながら、それを聞いていると、なぜこうもうんざりしてくるのだろうと思い、テーブルの向う端の夫を見て、夫が何か口を開いてくれればいいのに、と願った。ひと言でいいのだ、と思う。夫がちょっとでも話しさえすれば、それでがらりと変るのだから。彼はものごとの核心を突く。彼は、漁師やその賃金を気にしている。それを考えると、夜も眠れないのだ。彼が話せば、とにかく違いますよ、みんながつい引きつけられるから、自分の無関心をひとに気づかれませんように、などと思わなくてもよくなるのに。次いで彼女は、自分がこんなに夫の話すことを待っているのは、つまり夫を尊敬しているからだと悟った。すると、あたかも誰かに、夫や、自分たちの結婚を讃めたたえられているような気持になることができた。そうして、夫を賞讃しているのは自分自身だということは忘れて、夫人はあたりへ燦然とかがやき出した。彼女は、自分と同じ輝きを夫の顔にも見とめたいと思って、彼を見た、さだめし立派に見えることだろう。……ところが、思いもよらなかった! 彼の顔は気むずかしく、眉根をよせ、渋面をつくり、怒りに紅潮していた。まあ一体どうしたというの? と夫人はあやしんだ。どうしてそう大問題なの? ただあの気の毒なオーガスタス老人が、スープのお代りをしただけ――全くそれだけなのに。それがとんでもない話なんだ、オーガスタスがもう一度スープをくりかえすなんか、憎悪すべきだ。(そう彼は、テーブルの向う端から、夫人へ警告してきたのである)彼は、自分がすんでもまだ人々が食べているのを、極度にきらった。怒りが、一連の猟犬のように、彼の眼や眉根をかけまわるのを見て、彼女は、今にもすさまじい爆発が起こると思った、そうすれば、――けれど、ありがたいことだ! 夫は自分を制し、車輪に歯止めをつけ、全身火花をちらしながらも、押しだまっているのであった。その場にじっとして苦りきっていた。ひと言も言わず、その様子を夫人に見せようとしていた。どうだ、えらいと思うだろう! でもつまり、なぜ可哀そうなオーガスタスが、スープのお代りをしてはいけないか、ということよ? 老人はただ、エレンの腕にちょっとさわって、「エレン、スープをもう一杯下さい」と言っただけなのに、それでラムジー氏は、あんなにも苦り切ったのだ。
なぜいけませんの? とラムジー夫人はおどした。オーガスタスが欲しいのなら、スープをお代りしても、誰もなにも言いませんよ。おれは食べ物にがつがつする人間が厭なんだ、と彼は夫人へ顔をしかめた。こんなに何時間もだらだら引きのばすものは、何もかも厭だ。それでも彼は、見ていると腹が立つものの、それをじっと自制し、そしてその自分を夫人に見てもらおうとした。だけど、なぜそれをそう露骨に出すんですの、とラムジー夫人はなじった。(二人は顔を見合い、互いに相手の気持を正確に察しつつ、長いテーブルの端と端で、これらの質問と答をやりとりした)みんなに分ってしまう、とラムジー夫人は思った。ローズが父親を見ていた、ロージャーも父親を見ていた。二人がいまにも吹き出そうとしているのが分ったので、夫人はあわてて言った。(またその時間でもあった)
「ローソクをつけてちょうだいな」それで二人は、飛びはねるように席を立って行って、食器戸棚の中を探しだした。
なぜあのひとは、感情をかくすってことが全然ナきないんでしょう、とラムジー夫人はふしぎなくらいである、オーガスタス・カーマイケルは、気がついたのじゃないかしら。気がついているようでもある、気づいてないようでもある。泰然としてスープを飲んでいる彼に、夫人は敬意を表さずにはいられなかった。スープが欲しいと思えば、スープを求める。人が笑おうが、怒ろうが、彼は変らない。彼は私を好いていない、と夫人は知っている、けれど、夫人が彼を尊敬するのも、半ばはそのためであり、いまうす暗い中で、静かな、巨大な構えでスープを飲んでいる彼の、記念物的な、瞑想的な姿を見て、夫の態度をどう感じているだろうといぶかりながら、どうしていつも満足げに、威厳を保っていられるのだろうと考えるのである。それに彼は、アンドルーを可愛がっていて、自分の部屋へ呼ぶらしく、アンドルーが、「いろんなものを見せてくれるよ」と言うのを、夫人は考える。また彼は、おそらく詩作にふけっているのだろう、終日芝生で横たわっている、やがて、小鳥どもを狙う猫についての詩想がわく、そして、それに適当な言葉がみつかると、彼は手を叩く。「気の毒なオーガスタス――あいつは本物の詩人だ」と夫は言ったが、それは夫としての最高の讃辞であった。
さて八本のローソクが順にテーブルに立てられ、最初のうつむいた炎が真直ぐ燃え立って、長いテーブル全体が明るく見わたされるようになると、その真中には、黄と紫のくだもの皿が置かれてあった。まあ、あの娘《こ》はなにをあらわしたつもりでしょう、とラムジー夫人はいぶかった。ローズが、ぶどうと梨、ピンクの縞のある尖った貝殻、バナナ、を盛り合せていて、それを見ていると、海底からの戦利品が思われ、海神《ネプチューン》の饗宴が思われ、また、金色に赤にゆらめく松明《たいまつ》や、豹の皮の上にいるバッカスの肩にかかる、蔦や葉がついたままのぶどう(何かの絵で見たのだが)が思われるからであった。……こうして急に明るみへ出されると、それが特に大きく深く見えて、あたかも一つの世界のようであり、杖をついてその上の丘を昇り、また谷間へ降りてゆくこともできる、と夫人は思った。それに、嬉しいのは、オーガスタスもまた、同じそのくだもの皿で眼をたのしませていたのだ、(それは一瞬にもせよ、二人を共感へさそった)いきなり飛び込んできて、そっちの花やこっちの房を手折り、楽しんでしまうと自分の巣へ引きあげる。彼の眺め方はそんな風で、夫人のとは違う。それでも、同じように眺めていることが、二人を結んだ。
いまや全部のローソクが輝き出すと、その光でテーブルの両側の顔々がずっと引きよせられ、たそがれの間にはなかった一団がテーブルのまわりに組み立てられた。夜を完全に窓硝子のそとに閉め出したからで、その夜は、もう外の世界の眺めを全くけじめなくすると共に、ふしぎなさざ波を立て出したので、こちらの室内が秩序立ち、陸地になり、そして外は、いろんな物を漂わせ沈めてしまう、水の幻想をあたえた。
するとたちまち、それが実際にそうなったかのように、なみいる人々に変化が起きた。みんなが、孤島の洞穴の中の一団になったことを意識したのだ、外の水に対して、みんなが当然の成り行きになったのだ。さっきから、ポールとミンタがはいってくるのを待っていたラムジー夫人は、どうにも気持を落ちつけることができなかったが、いまその不安が期待にかわってゆくのを感じた。もう二人は来るにちがいないと思ったからだ。するとリリー・ブリスコーは、夫人が何か急にいきいきしてきた原因を追求しようとし、今の場合と、さっきの、あのテニス・ローンでの一瞬とを比較した。いきなり実体が消えうせて、二人の間に広漠とした空間が横たわったように感じたあの時。今もまた、同じ効果が、この質素な家具調度の部屋のたくさんのローソクと、カーテンを閉めない窓々と、ローソクの光で見る、光った仮面のような人々の顔とによって与えられた。夫人と自分との間の、ある力が取り去られた、何かが起こるかもしれない、とリリーは感じた。もう来そうなものなのに、とラムジー夫人はドアの方を見ながら思う、とたんに、ミンタ・ドイルとポール・レイリーと、両手で大きなお皿を持った女中とが、一緒にはいってきた。いかにもおそかった。すっかりおくれてしまいまして、とミンタが言い、二人は別れて、テーブルの反対の端の席へと行った。「あたし、ブローチを失くしましたの、――おばあさまのブローチを」とミンタは、ラムジー氏の隣に腰をおろす時、悲しげな声でそう言って、大きな鳶色の眼をうるませ、伏せたり上げたりしているので、ラムジー氏は義侠心をよびさまされて、からかいはじめた。
どうしてそうお馬鹿さんなんだろう、宝石をつけたまま岩を這いまわったのかね? と彼が言った。
ミンタはどうも彼がこわかった、――なにしろおそろしく頭が冴えている、はじめて彼の側に坐った夜、彼がジョージ・エリオットについて話すので、彼女はすっかりおびえてしまったのだ、彼女は『ミドルマーチ』〔G・エリオットの小説〕の第三巻を汽車の中に忘れたなりで、結末がどうなるのやら、ついぞ知らなかったから。けれどもそのあとでは要領がよくなり、彼が、あなたはお馬鹿さんだね、と言うのが好きだと知って、実際以上に無智をよそおうことにしたのである。そこで今夜も、彼がいきなりあざけってもおそれはしなかった。そればかりか、自分が部屋へはいるとたちまち、奇跡が起こったのを知ることができた。あたしは金色の霞をまとってたのだわ。時によって彼女にそれが現れ、また時によって現われない。なぜそれが現れたり消えたりするのか、自分では一向分らないし、たとえ現れている時でも、部屋にはいってみて、誰か男が自分をみつめる様子から、はっと気づくまでは分らないのである。そう、今夜はそれを、ふんだんに身につけていたのだ、ラムジー氏が、お馬鹿さんで困るね、と言った調子から分ったのだ。彼女は、彼の側に坐って、ほほえんだ。
あのぶんでは、あのことは起こったにちがいないわ、二人は婚約したのだわ、とラムジー夫人は思った。そしてひととき、まさか今更味わうとは思いもかけなかった気持を味わった、――嫉妬。と言うのも、他ならぬ夫がやはりそれを感じていたからなのだ、――ミンタの輝きを。夫はああいう娘たちが好きなのだ、ちょっと跳ねっかえりの、ちょっと野性的で、無鉄砲な金髪娘たち。『こそぎ落したような髪』ではない、また彼が、可哀そうなリリー・ブリスコーを評して言うように、『材料がお粗末』ではない娘たち。彼女たちは、私にも欠けた素質を持っているのだ、ある種の輝き、ある種の豊かさ、それらが夫をひきつけ、夫を楽しませ、ミンタのような女はかわいいと思わせる。ああいう娘たちなら、夫の髪を刈ったり、彼の時計の紐を編んだりするでしょうし、仕事を中断させて呼び出すこともするでしょう、(夫人は現にきいていた)「出ていらっしゃいよ、ラムジーさん。今度はあたしたちがあの人たちを負かす番よ」すると彼は、テニスをやりに出て行くのであった。
けれど、実際のところ夫人はやきもち焼きではない、ただ時々、鏡に自分を映した時に、たぶん自分自身の過失によってこんなに老けてしまったのだろうと、少々腹が立つだけである。(温室の支払い、その他諸々のこと)夫人は彼女たちが夫をからかってくれるのを、ありがたがっているのだ。(「ラムジーさん、今日はパイプをどれ位お吸いになって?」などと言って)そうしていると、夫は青年のように見えてくる、女には非常に魅力のある一人の男性、生活の重荷を背負わず、自分の仕事の偉大さや、この世の悲哀や、名声、あるいは失意やに圧倒されてもいない、ちょうど二人がはじめて知り合った時の、みすぼらしいけれど鄭重な男になってくる、ボートからたすけ降ろしてくれた彼が、夫人は思い出される、あんな風に喜々とした様子になってくる。(見ると、ミンタをからかっている彼は、おどろくばかり若々しかった)ところで私の方は、――「そこへ置いて」と言い、スイス娘が夫人の前に、|煮こみ肉《ブーファウンドープ》を入れた褐色の大きな器を、静かに置く手伝いをした。――ところで私の方は、|ぬけ《ヽヽ》作さんたちが好きだわ。ポールを私の側に坐らせなくちゃ。夫人は彼の席をあけておいた。真実彼女は、往々間抜けた連中が一番好ましいと思いさえした。彼らは、議論をして人を悩ませることがない。結局、あの大へん利口な人たちは、どれだけ失うことでしょう! きっと干からびてゆくばかりだわ。ポールが腰を下ろそうとする時、そのまわりには何か非常に魅力がただよっている、と夫人は思った。彼の態度も彼女を喜ばせたし、それに、鋭い輪郭をもった鼻も、輝いている青い眼も。彼はまことに慎重であった。話してくれないかしら、――ほかの人々はまた話し合っていた。――どんないきさつだったかを? 「僕たちは、ミンタのブローチを探しに戻ったものですから」と、夫人の隣に坐りながら、彼が言った。『僕たち』ですって、――それで十分だわ。言いにくい言葉を克服しようとする声の高まり、その努力からおして、彼が『僕たち』と言うのはこれが最初だと分った。『僕たち』はこれをやった、『あたしたち』はあれをした。二人はこれからの生涯、そう言いつづけることだろう、と夫人は思う。そのときマルテが、いささか誇らしげに蓋をとったので、大きな褐色の器からは、オリーヴと油と汁の芳香が立ちのぼった。料理番が三日を費やした料理であった。ラムジー夫人は、その柔らかな牛肉の塊へ刃ものを入れながら、ウイリアム・バンクス氏には特別柔らかいところを上げるように、よく見さだめようと思う。そして、肉側がきらきら光っている器の中の、風味のしみている、切り分けられた茶色と黄の肉片をのぞき込んだ、またこれに添える月桂樹の葉と、ぶどう酒と。ふと思った。これはそのまま、二人のための祝宴になるわ。――いたずら気と情愛の両方で、夫人にはひょいと、ここでみんなにご披露してやろうかしら、と思い、胸の中では二つの感情がもつれ合うような、奇妙な気持であった。一方は厳粛なもの、――女に対する男の恋情ほどきまじめなものがあるだろうか、死の種子を奥ふかく蔵しながら、これほどにも堂々とした、感動的なものがあるだろうか。と同時に、この人たち、この恋人たちを、好奇心に輝く眼にさらし、その中で、揶揄にとりまかれ、花束にかざられながら、踊りまわらせてみたくもあるのであった。
「これは大した出来ばえですな」とバンクス氏が、ひとときナイフを置いて言った。彼はとくと味わいながら食べていた。まことに美味です、まことに柔らかです。大した料理の腕前ですな。この片田舎で、こういうものは、どんなやり方をなさるのですか、と尋ねた。このひとは素晴しい女性だ。彼の恋情と敬意と、すべてが戻ってきた。夫人にはそれが分った。
「私の祖母のお得意でしたフランス料理でございますの」とラムジー夫人が言った、よろこびにみちた声のひびきであった。もちろんこれはフランス料理ですね。イギリスの料理法ときちゃ、全く話になりませんよ。(二人の意見は一致した)キャベツは水につけておく。肉はなめし革のようになるまで焼く。野菜の、味のある皮はむいて、捨ててしまう。「その皮にこそ、野菜のねうちがあるんですがね」と、バンクス氏は言う。それに、不経済ですわ、とラムジー夫人が応じた。イギリスのコックが捨てるものだけで、フランス中の人々が食べていけますわね。ウイリアムの愛情が自分に戻ってきたこと、万事がふたたび順調になってきたこと、気がかりなことも片がついたこと、それで歓喜しようとも、嘲笑しようとも、今はもう自由だということ、そんな気持に拍車をかけられて、夫人は、声を立てて笑ったり、手ぶり身ぶりをしたりしたので、ついにリリーは、考えざるを得なかった、なんて子供っぽいんでしょう、なんて得体のしれない人なんでしょう、ふたたびその美しさを遺憾なく発揮させはじめながら、野菜の皮の話なんかに熱中したりして、と。夫人には何か人を怖れさすものがある。誰も抗しきれない。いつだって結局彼女は、自分の思うことを通してゆくのだ、とリリーは思う。とうとうあれもやり遂げたんだ、――どうやらポールとミンタは婚約したらしいもの。バンクス氏をも此処へ食事に来させるし。まったく単純に、率直に自分の希望をあらわすことで、誰も彼もを呪文にかけてしまうんだわ。リリーは、そのおそるべき迫力と、自分の貧弱な精神力とをくらべてみた。夫人のは一つには、あのふしぎな、人を威圧せずにはおかぬ、あの信念、(今の夫人の顔はまさに輝いていた、――若く見えるというのではなく、光輝をもっていた)によるのだと思う、そして、その信念の集中点にあるポール・レイリーは、ふるえおののきながらも、どこかに魂を奪い去られたような様子で、黙していた。ラムジー夫人は、野菜の皮の話をしながら、そういう彼の様子をあがめ尊んでいる、とリリーは感じた。夫人は、彼らを熱っぽくするために、彼らを庇護するために、手をさしのべるが、いったん果し終えると、なんとなく面白そうに、自分の|いけにえ《ヽヽヽヽ》達を祭壇へのぼせるのだ、とリリーは思う。するとこの時、リリーにもまた不意におそってきたのである、――あの情緒が、恋のときめきが。ポールの側で、自分がなんと卑小に感じられることだろう! 彼は輝き、燃え上っている、私はひとり離れて、冷たくかまえている。彼は冒険へと船出するところ、私は岸につながれたまま。彼はがむしゃらに出で立ってゆき、私はひとりぼっちに残される、――と思うとリリーは、たとえそれが災難にもせよ、彼の災難なら分けてもらいたい気になり、はにかみながら言い出した。
「ミンタは、いつブローチをなくしたんですの?」
彼は、思いでのヴェールにつつまれながら夢を見ているような、この上なく美しい微笑をもらした。彼は頭をふった。「浜でです」と答えた。
「僕は探しに行くつもりなんです、明日の朝早く起きるつもりです」と彼が言った。これはミンタに内緒だったから、彼は声をひくめて言い、そうして、ラムジー氏の隣で笑っている彼女の方へ視線を向けた。
リリーは、彼の手伝いをしたい欲望にかられて、黙っているのが息苦しいばかりであった。暁の浜辺で、どこかの岩かげに半分かくれているブローチを、自分がすばやく見つけ出すことを考え、船乗りや冒険家たちの一人になってみたいのだ。けれどこの人は、私の申し出になんと答えるかしら? 彼女としては稀な熱心さで言ってみた。「私も一緒に行かせてね」すると彼は笑った。イエスかノーか、――いずれはどちらかのつもりだろう。しかし実際はどう言おうつもりもなかった、――妙なにやにや笑いで、あたかも、崖の上から飛びこもうとどうしようと、お好きなように、僕は知りませんから、とでも言っているようなものだった。そして彼女の頬へ、恋の熱っぽさを、その恐怖を、残忍性を、大胆さを、返した。リリーは焼き焦がされてしまい、テーブルの向う端でラムジー氏に愛嬌をふりまいているミンタを見ながら、こうした牙に平気で曝されている彼女にはかなわないと思い、そして感謝したのだ。とにかく、ありがたいことに、私は結婚する必要がないのだからと、花模様の上の塩入れへ眼をやりながら、つぶやいた、あんな堕落にたえる必要もないわ。あんな能率低下から救われているのだ。あの木を、真中へもっとぐっと動かすことにしよう。
これが物ごとの複雑性と言うものなのだ。ラムジー家にいると特にそうだが、自分の上に起こることがすべて、同じ時に全然相反する二つのことを激しく感じさせるように出来ている、これはあなたの感じ方、というのが一方で、これは私の感じ方、というのが他方、そしてこの二つが心の中で、ちょうど今のように、しのぎを削るのだ。この恋愛は、非常に美しく感動的だから、私もまさに恋せんばかりに打ちふるえ、ふだんの私にも似ず、ブローチを浜へさがしに行きましょう、などと申し出る。ところがまた恋とは、人間の熱情の中でも、最もおそろしい、最も野蛮なものなのだ、そして、宝石のような横顔を持った一人の美青年(ポールの横顔は実にすばらしい)を、マイル・エンド〔ロンドン東部の細民街〕の路上で、鉄棒をふり上げる暴漢にかえてしまうのだ。(彼は倣岸だわ、無礼だわ)それでも、とリリーはひとりごちる、この世のはじめ以来、恋愛に捧げる頌詩がつくられてきた、花束が、バラが、積み上げられた。もし男たちに尋ねたら、十人中の九人までは、恋の他にのぞむものはないと答えるだろう。ところが女となると、自分の経験から判断して、たえず「あたしたちの欲しいものは、それではない」と感じているにちがいないのだ。恋愛ほど退屈な、子供っぽい、非人間的なものはないわ。だけども、やっぱりそれは美しいし、必要なのね。そうよ、それで、それだから? 先は誰かが議論をつづけてくれるだろうというように、彼女は尋ねた、あたかも、こんな議論では、すぐ消えるにきまっている自身の火花をちょっと散らせば、あとは残りの人々が続けるのに任すものだと思っているように。それで彼女は、この恋愛の問題の上に何か光を投げてくれるかもしれないと、みんなが話し合っていることへ、ふたたび耳をかたむけたのである。
「それに」とバンクス氏が言った。「イギリス人がコーヒーと言っている、あの液体ですがね」
「ええ、コーヒー!」とラムジー夫人が言った。ですけど、それよりむしろ、純良なバターと清潔な牛乳の方がずっと問題ですわ。(彼女はすっかり活溌になって、非常に強調的な話しぶりをしているのが、リリーには分った)熱心に、雄弁になって、イギリスの酪農制度の不当や、各家庭に配達される牛乳がどんな状態かを語り、自分が攻撃する理由にも話し及ぼうとしていた、その問題は調査してあるのだから。ところがその時、テーブルを取りまいている子供たちが、真中のアンドルーに始まって、恰度ハリエニシダの藪から藪へととび火してゆくように、笑い出した。夫も笑った、夫人は笑いの火にかこまれた、とうとう兜をぬいで、彼女は壇から降りることを余儀なくされた。わずかに彼女は、このテーブルでの翻弄を指して、これが、もしイギリス民衆の偏見を攻撃した場合は、どんなにいじめられるかの標本ですわ、とバンクス氏に言うことで、仕返しをしただけであった。
けれども夫人は、さっきタンズリー氏との時は自分をたすけてくれたリリーが、いま浮かぬ顔つきをしているのに気づいたので、あえて引きたてようと思い、「リリーはどっちみち、私と同じ意見ですわ」と言って、いささかおどろきあわてる彼女を、引っぱり込んだ。(リリーは、恋愛について考えていたのだから)ラムジー夫人は、リリーと同じにチャールズ・タンズリーも浮かぬ顔をしているのを知っていた。二人とも、あっちの一対のまぶしさに悩まされているのだ。彼はあきらかに、自分が全然度外視されたと感じている、ポール・レイリーの側では、この部屋にいる女たちが誰も、彼の方へは眼もくれないのだ。可哀そうな男! それでも彼には、何々に及ぼす誰某の影響、という論文がある、だから自分を持してもいられよう。ところがリリーは、そうはいかない。ミンタの輝きで、見るかげもない。小じんまりとグレイの服を着た、小さいしぼんだ顔や、中国人の眼は、常にもまして見すぼらしい。彼女にそなわるものは、すべてがいかにも貧弱なのだ。それでも、ラムジー夫人はリリーに助けを求めた時、(リリーは夫人を支持すればよかったのに。夫人が酪農の話をやめるとすぐ、ラムジー氏が自分の靴のことを話し出したのだ、――彼は時間のあるかぎり靴の話をしているだろう)リリーとミンタを較べながら、四十になった時の二人では、リリーの方がすぐれているだろう、と思った。リリーには何かひとすじ通っている、何か燃えるものがある、何か、ラムジー夫人の愛せずにはいられぬ、自分自身のものがある。けれど、残念ながら、それはきっと男たちには好かれぬものだろう。たしかに、ウイリアム・バンクスのような、ずっと年配の男ででもない限りは。ところが、ウイリアムの関心と言えば。実際のところ、ラムジー夫人は、妻を失って以来の彼の関心が、この私の上にあるらしいと思わされることがしばしばであった。もちろん『恋に陥る』などと言うのではない、よくある、なんと説明してよいか分らぬ愛情の一種。ああ、でも、よけいなことだわ、と彼女は思う、ウイリアムはリリーと結婚すべきなのだ。二人にはいろいろと共通するところが多い。リリーはとても花が好きだ。二人とも冷静で、孤独癖で、自分だけで事を足そうとする方である。私は二人のために、ゆっくり一緒に散歩できるように、計らわなければならないわ。
うかつにも、私はあの二人を反対側に坐らせてしまった。明日、そのつぐないをしましょう。もしお天気なら、二人でピクニックに行けばいいわ。すべてのことがうまくゆきそうに思えた。すべてのことが解決したように思えた。まさに今、(と言っても、長続きしそうにもないが、と、靴の話をしているみんなから、一瞬はなれて思う)まさに今、夫人は安心の境地であった、中空にはなたれた鷹のように飛翔する、また、高くかかげられた、歓喜を表す旗のようにはためく。その歓喜は、夫や子供たちや友人たちから湧き上ってくるものだから、自分の五体の、神経のすみずみまで十分に、甘く、けれど騒々しくはなくてむしろ厳粛に満たしてくれるのだ、と夫人は、そこで食べている人々を見まわしながら思った。この深い静穏さの中から立ち昇ってくるものはすべて、(彼女はいま、ウイリアム・バンクスのために、もうひと片《きれ》小さいのを見つけようと、陶器の鉢の中をのぞいていた)きっと煙のように、立ちのぼる香気のように、なんとなくその辺に漂いこめて、みんなを安全にまもっているような気がする。何も話す必要はない、何も話す気がしない。誰しもがそうであった。永遠なるものに連なるひととき、と夫人は、バンクス氏へ特にやわらかい肉を取りわけながら、考える。さっき午後にも一度、なんとなく特殊に感じたあの時と同じなのだ。ものごとにおける凝集性、不変性、つまり、何かが変化をまぬかれて、流転するもの、移ろうもの、夢幻的なものに対し、ルビーのように輝きを持つのだ、(彼女は、燭火を映して揺れている窓を見やった)それで夫人は今夜、昼間にも一度感じた、あの平和な感情、安息の感情を、ふたたび味わった。後々いつまでも残るようなことが得られるのは、こうした瞬間においてなのだと思う。この今は、きっと残ることだろう。
「どうぞ」と夫人は、ウイリアム・バンクスへすすめた。「他の方々の分も、十分にございますから」
「アンドルー、もっとお皿を低くしてちょうだい。でないと、こぼしそうだから」(煮込み肉は、全く成功であった)ここでスプーンを置いた時、夫人は、凝集したものごとの中心に、静かな空間があるのを感じた。そこでは動きまわることもできるし、休んでいることもできる、今は、耳をかたむけながら待っていてもいい、(みんなに肉は分け終った)あげくに彼女は、高い位置から舞い降りる鷹のように、いまテーブルの向う端で1253の平方根について話している夫の上へ、いきなり降りて行って自分の全身を托し、その夫の話を誇りとし、気楽に笑っていることにしたのだ。その数は、たまたま夫の乗車券に書いてあった番号だった。
それは一体どんなことかしら? ついぞ今日まで、夫人は知らずにいるのだ。平方根とは? なんでしょう? 息子たちは知っている。夫人は彼らの上に、立方根と平方根の上に、もたれかかる。また、いまみんなで話し出したことの上にも、もたれかかる。ヴォルテールとスタール夫人について、ナポレオンの性格について、フランスの土地保有制度について、ローズベリー卿〔イギリスの政治家〕について、また、クリーヴィー〔同〕の回想録について。そういう、男性の知識が織りなす尊いものを、夫人は後楯とし、支えとする、それは強力な織機《はたおり》の、鉄の絡《らく》棒のように、上下に動き、あちこちと交錯し、世界を支えるものであるから、文句なしに信頼できるのだ。眼をつむってしまってもいいし、また、子供が枕から眼をあげて、木の葉のかぞえきれない群がりを見ているように、ひととき眼をぱちぱちさせていることもできた。それから、やっとほんとに眼を開いた。織機《はたおり》はまだつづいていた。ウイリアム・バンクスが、ウェーヴァリー叢書を讃美していた。
六ヶ月に一冊の割でそれを読んでいます、と彼が言った。するとそれが、なぜチャールズ・タンズリーを、怒こらせたのだろう? 彼は食ってかかった。(それと言うのも、プルーが彼にやさしくしないからだ、とラムジー夫人は考える)彼はウェーヴァリー叢書など全然読みもせずに、やっつけた。たしかに読んでいないわ、とラムジー夫人は、彼の言葉を聞くよりも、ただ彼を観察しながら思った。態度を見ていれば分るわ、――それは自分を主張しようためであることが。だからそれは絶えずあの男に、ついて廻る、教授の地位を得るとか、奥さんを貰うとかして、いつも「僕は、――僕は、――僕は」と言っている必要がなくならぬ限りは。そのために、ウォールタ卿にはお気の毒な、あんな批判になる、それがジェーン・オースティンであっても、たぶん同じだろう。「僕は、――僕は、――僕は」彼が考えるのは、自分自身と、自分がひとに与える印象についてだけ。その声のひびきや、強調的な言い方や、落ちつきの無さに、はっきりと読みとれる。成功すればよくなるにちがいないのだ。とにかく二人は黙ってしまった。夫人は耳をかたむける必要がなくなった。いつまでもつづかないとは知っていたのだが、しかしこの時、すっかり眼が冴えてしまい、その眼によって、テーブルのまわりの人々が、またその思想や感情までが、次々あばき出されてゆく気がした。あたかも、水中深く浸透した一つの光が、さざ波や、そこの葦や、浮んでいるヤナギバエや、また急に静かになった鱒がとどまって震えているのや、あらゆるものをなんの努力もなく照し出すように。そんな風に夫人はみんなを見ていた、話すことを聞いていた。けれど、その話はなんであろうと、反応はやはり同じだ、話していることは一匹の鱒の動きで、さざ波や砂礫を見ている中を、右へ動き、左へ動きしてゆく、全体が一つの調和を保っている。ひとたび積極的になれば、夫人はその一つ一つを捕えてばらばらにすることができるだろう、ウェーヴァリー叢書が好きだと言ったり、または読んだことがないと言ったりするだろう、出しゃばりもするだろう、けれども今は、何も言わなかった。このひととき、夫人はよりかかって休んでいたかった。
「はあ、しかしあなたは、あれの寿命はどの位だとお考えですか?」と誰かが尋ねた。夫人はまるでゆらゆらする何本かの触覚《アンテナ》を持っていて、それが時々ある言葉をとらえてきて注意を喚起するというようであった。これはその一つであった。そして夫人は、これは夫には危険だな、とかぎつけた。こんな質問をきくと、夫はまずまちがいなく、自分の失敗をおもい知らされるような言葉を、連想するにちがいないのだ。自分の書いたものが、いつまで読まれるか、――すぐ彼はそう考えるだろう。ウイリアム・バンクスは笑っていた、(彼はそんな虚栄心からは、全然解放されているのだから)そして、流行の変化を重要視する気持はないと言った。どれ位の寿命かということは、誰に分るのですか?――文学にかぎらず、実際、他の何にしても。
「自分たちの楽しめるものを、楽しもうじゃありませんか」と彼は言った。その健康さが、ラムジー夫人にはまことに尊く思われた。でも、なぜこんなに私が感動するかについて、彼自身はてんで気づかぬらしい。けれど、もしあなたが反対の気質、人にほめられたい、元気づけられたいと願う気質を持っていたとしたら、あなたでももちろん、不安になるんですよ。(そして夫人は、ラムジー氏がほんとにそうなり出したのを知った)ああ、しかしあなたの仕事は残りますよ、ラムジーさん、とかなんとか、そんなことを誰かに言ってもらいたがっている。いま彼がだいぶいら立った様子で、どっちみちスコット(それともシェイクスピアだったかしら?)は、自分の生涯の糧《かて》だ、というようなことを言ったのは、明らかに彼が不安になった証拠であった。言い方がいかにもいら立っていた。それでみんなは、理由が分らないなりに、少々不愉快になったふうだと夫人は感じた。その時、鋭敏な感性を持っているミンタ・ドイルが、無遠慮に、無茶を言った、あたし、シェイクスピアをほんとに面白がって読む人がいるなんて、信じられないわ。ラムジー氏はけわしい顔つきで、(しかし彼の気分は直ってきた)そりゃ、みんなが好きだ、好きだと言うほど、あれをほんとに好んでいる人は少いよ、と言った。彼はつけ足した、だがそうは言ったって、あの劇のいくつかは、やっぱり大したものだよ、と。ラムジー夫人は、この分だとどうやらひとときは大丈夫だろう、と見てとった。彼はミンタをからかう、するとミンタは、彼が極度に不安がっているのを察して、面倒をみてあげなくちゃならないと思い、彼女流儀で、彼を讃めるか何かしてくれるだろう、と夫人は考える。そんなことをしてもらう必要がないことを望みたいのだが。そんな必要が生じるのも、おそらく自分の落度のせいだろうから。それはとにかく、夫人はいま、ポール・レイリーへ耳をかたむける余裕を得た。彼は、少年時代に誰もが読む本について、話そうとしていた。そんな本はいつまでも憶えていますね、と彼は言った。学校の時分にトルストイを読みました。いつも思い出すのが一つあるんですが、名前は忘れてしまいました。ロシア人の名前は、おぼえられませんわね、とラムジー夫人が言った。「ウロンスキイ」とポールがつぶやいた。たちの悪い男だのに、いい名前だといつも思ってたので、これは覚えているんです。「ウロンスキイ」とラムジー夫人が言った、「ああ、じゃ『アンナ・カレーニナ』でしょ」けれども、大した会話にはならなかった、本の話は、この人たちにとって得手なものではなかった。いや、チャールズ・タンズリーなら、たちまちこの二人をも、本についての会話らしく運んでくれるにちがいない、だがそれと共に、タンズリーの、僕が的確なことを言うでしょう? 僕がよい印象を与えるでしょう? という態度にかきまわされる、結局、トルストイについてより以上に、彼のことを知らされる、ところがポールとなると、決して自分は持ち出さず、ただその事柄だけを話そうとするのだ。愚鈍な者はみなそうだが、彼もまた謙遜である、相手がどう思っているかを考える。向きあっていて夫人は、一再ならずそれを非常に好ましいと思うのだ。いま彼が考えているのは、自分自身のことでも、トルストイのことでもなく、夫人は寒くないだろうか、隙間風が当りはしないだろうか、また梨が食べたいのだろうか、ということであった。
いいえ、梨はけっこうよ、と彼女は言った。くだもの皿を一生けんめい看視していた(そうとは気づかずに)のは、たしかであった、誰もそれに手をふれないでほしいと願っていたのだ。夫人の視線は、果物の丸みと影のあいだや、低地産のぶどうの、ゆたかな紫色のあいだを出たり入ったりし、次には、細長く尖った貝殻の、紫色に対する黄色、丸い形に対する彎曲した形を見ていた。なぜそう見ているのか、また見ているといつもそうであるように、なぜ次第に心が澄んでくるのかは知らないのだが。けれど、とうとう、――それが当然のことだというのは残念だったけれども、一つの手がのびて梨を取り、全体が台なしにされてしまった。夫人は、思いやるようにローズを見た。ジェスパーとプルーの間にいるローズを見た。人の子が、ああいうものをつくり上げるというのは、なんとふしぎでしょう!
自分の子供たちの、ジェスパー、ローズ、プルー、アンドルーが、そこに一列に並んで坐っているのを見るのは、なんともふしぎに思われた。ほとんど口を開かない、けれど、みんなの唇がぴくぴく動く具合から、なにかその連中だけの冗談があるのだと察しられる。他とは全然かかわりのないこと、自分たちの部屋へ行ってから大笑いしようとみんなでじっとしまいこんでいること。父親に関したことでなければいいが、と夫人は思う。いや、そうではないようだ。では何かしら、私が側にいなくなってから、みんなで笑うのだと思うと、なにか悲しい気持である、簡単には打ちとけようとせず、あのいささか強情に黙した、お面のような顔のかげに、いろんなものを蓄えているのだ。子供たちは、番人か検査官のように、おとなたちから遠のいたり、少し高みへ上ったりしていた。けれど今夜のプルーを見ると、それは彼女にはもう当てはまらなくなった、と夫人は思った。プルーはまさに出発点に立ち、動きはじめ、降りはじめた。その顔にはかすかな光があった。あたかも、向い側のミンタの輝きや、あの興奮や、幸福への期待が、プルーに反映しているかのように、また、男女の恋ごころの太陽が、このテーブルクロースの上に昇ったかのように。そうしてそれが何とは知らずに、プルーはその方へかがみ、それを歓迎しているのだ。彼女ははにかみながら、けれど好奇心を燃やしてミンタを見守っていたので、ラムジー夫人はその二人を見くらべてから、胸の中でプルーへ言った、いまにあなたも、あのひとと同じように幸福になれるのよ、と。それから更につけ加えた、きっとあなたの方が、もっと幸福になれるにちがいないのよ。けれど晩餐は終っていた。お開きの時が来ていた。皆はただ、皿の上のものをもてあそんでいるだけであった。夫が話している何かの話で、みんなが笑っているのを待つことにしよう。彼は賭けについて、ミンタと冗談を言っているのだ。それが終ったら、私は立つことにしよう。
不意に夫人は、チャールズ・タンズリーはなかなかいい、と気づいた、笑い方が気に入ったわ。ポールとミンタに対して、あんなに憤慨するところがいい。あの不細工なところがいい。つまりあの青年には、いいところが沢山あるんだわ。それからリリーだけれど、と夫人は、ナプキンを皿のわきへ置きながら考えた、あのひとはいつも、自分だけの何か笑いの種を持っている。リリーのことは案ずる必要がないのだわ。夫人は待った。ナプキンを皿の下へ押しこんだ。さて、みんなはもう終ったのかしら? まだ。話は別の話へ続いていった。夫は、今夜はとても上機嫌である、スープのことでひと幕を演じたあとに、カーマイケル老人と仲直りしたいと思って誘いこんでいる、と夫人は察した。――二人は、大学時代の、誰か共通の友人のうわさをしていた。彼女は窓を見た、窓硝子はもう真黒で、そこではローソクの炎が、一段と輝きながら燃えている。外へ眼をやったままで人声を聞いていると、それは奇異なひびきを持っていた。何を言っているのか聞き分けようとはしないので、何か大寺院の礼拝式の祈の声々のようである。とつぜんの爆笑、それに続く一人だけの(ミンタの)話し声、どこかカトリック教会の礼拝式の、男たちや少年たちの、ラテン語の叫びを思わされる。夫人は待った。夫が話した。何やら繰り返している。そのリズムと、紅潮した声の憂愁なひびきで、それが詩であることが分った。
そぞろ歩まむ さ庭辺に
ルリアナ・ルリリ
まがきのバラはさかりにて
黄蜂のはねの音|盛《す》なる
それらの言葉が、(夫人は窓を見ていたので)ちょうどそこの水の上に浮んだ花々のように、人々から離れて漂い流れるひびきを持ち、また、誰の口から出たものでもなく、自然に生れ出てきたようにひびいた。
すぎこし方とゆくすえの
人のいのちは、色うつる
木々の枝葉にやどるなる
彼女は、それがどういう意味とも分らなかったが、ただその言葉が、音楽のように、自我をはなれたところで自分の声で語っているもののような気がし、そしてそれが、この宵の間ずっと、他の話をしながら心の裡に持ちつづけていたことを、やすやすと自然に言いあらわしているような気がするのであった。あたりを見まわさないでも、テーブルについている一人々々が、その声にきき入っているのが分る、
さとり給うやいとし君、
ルリアナ・ルリリ
それには、彼女の安らかさ、よろこびと全く同じものがあった、自然に口から出るべくして遂に出てきたというような、またそれが、そこにいるみんなの声でもあるような。
けれど、その声はやんだ。彼女はあたりを見まわした。そしてからだを起こした。オーガスタス・カーマイケルはすでに立っていて、テーブル・ナプキンを持ち上げているので、それが長い白い礼服に見えた。そのようにして立ったまま、彼はうたいはじめた。
騎《の》りゆくは神の列王《きみたち》
みどりの芝原、ひなぎくの野を。
なびく棕櫚の葉、杉の紋章、
ルリアナ・ルリリ
そうして、夫人が側を通りかかると、彼はちょっと彼女の方へ向いて、最後の、
ルリアナ・ルリリ
を繰りかえし、敬意をあらわすように、頭を下げた。夫人はなぜともなく、彼がかつてないほど自分を好いてくれたような気がした。それで、安堵と感謝の気持をこめておじぎをかえし、わざわざ彼が開けてくれたドアを通りすぎた。
さて今は、すべてのことを一歩すすめなければならない。閾際《しきいぎわ》に足をとめ、見守るその瞬間瞬間にさえ消えてゆく情景の中で、夫人はややしばらく立ちどまった。それから歩き出し、ミンタの腕をとってその部屋を出ると、ものごとは変り、おのずから別の様相をおびた。ふり返って最後の一瞥を送りながら、それはもうすでに過去になってしまった、と夫人は知った。
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十八
いつものことながら、とリリーは思う。その時々に適切に処理すべきことというものが、たえずあるものだわ、ラムジー夫人だと、何らかの自分なりの考え方で、すぐ行動へと決めるような事柄が、いまは、ここでただ冗談口をききながら立っている人々について言えるかもしれない、みんなは、休憩室へ行こうか、客間へ行こうか、それとも屋根部屋へ上って行こうか、決めかねているのだ。すると、ミンタの腕をとってこのがやがや騒ぎのまんなかにいたラムジー夫人は、「そう、今はあれをする時間だ」と考えたのだろう、早速ひとりで何かをしようとするひそやかな様子で、はなれて行ったのであった。
夫人がいなくなるととたんに、その場はてんでんばらばらになった、みんなは動揺し、勝手な方向へむいた。バンクス氏はチャールズ・タンズリーの腕を引っ張って、食事中にやりかけていた政治上の議論を完了するために、テラスへ行く、それによってこの宵の間受けていた重苦しさを転換させ、その重さを別の見当へふり落そうというつもりなのだ、二人の後姿を見ていたリリーは、労働党の政策かなにかについて話す言葉の端を耳にしながら、あの人たちはまるで、船のブリッジを昇り、自分らの方位をたしかめようとするようだ、と思う、詩から政治への転換が、そんな強い印象を与えられたのだ。ともかくそうして、バンクス氏とチャールズ・タンズリーは去ってゆき、その一方、あとの人たちは立ったままで、ラムジー夫人がランプの灯に照らされている階段を、ひとりで昇ってゆくのを見ていた。リリーは、あんなに急いでどこへ行くのかしら、といぶかった。
実際のところ夫人は、急いでも、馳け上ってもいなかった。彼女はむしろ、ゆるゆる昇っていたのだ。お喋りをしつづけた後で、ひととき静かに立ちどまり、そして特別な事柄、特に自分に重大だと思われる事柄、を取り上げたかったのだ。それを引き出し、切りはなし、いろんな感情や、雑多な事どもを捨て去り、そしてそれを自分の前に捧げて、自己の法廷へ持ってゆく、そこでは、そうした事柄を審判するために、彼女の定めた裁判官たちが、秘密会議を開くべくならんでいる。それは善いか悪いか、それは正しいか誤りであるか? われわれはどこへ行こうとしているか? 等々。そして夫人は、今夜のこの催しからうけたショックを正したのち、全く無意識に、なんの脈絡もなしに、自分の立場を安定させる助けにしようと、外の楡《にれ》の樹々の枝を使った。私の世界は変ってゆく、あの樹々の枝は静止している。催しごとが彼女の心に、動揺する気持を与えてしまったのだ。すべてのものは秩序を保たなくてはならない。私は、あの力、あの力、を得なくてはならない、と考えながら、彼女はしらずしらず、あの樹々の静けさが示す尊厳を讃嘆し、また風が吹きあげてくればくるで、楡の枝々がそそり立つ(船の舳《へさき》が、波の上にそそり立つのと同じような)倣岸さを讃嘆した。風が出てきたのだ。(夫人はひととき、外を見ていた)風が出てきたので、時々木の葉がなびき、その間から一つの星をのぞかせる、他の星も、うちふるえ、光を走らせ、木の葉の間から閃めこうと試みているように見える。そう、ところで今夜のことは完全に終ったのだわ、過去のいろんな事どもと同じに、重要さを帯びてゆく。さて今、感情やお喋りやを拭い去ってそれを考える。それはいつもくり返えされる事と同じように見える。ただここに現されただけだ。こうして現わされるたびに、いろんなことを不変のものにしてゆくのだ。あの人たちは、と彼女は、ふたたび歩きだしながら、考える、たとえどんなに長く生きようと、みんなは今夜へ戻ってくるわ、この月に、この風に、このいえに。そしてまた、この私に。そう考えることは、夫人の甘い喜びの急所であった、どんなにみんなが長く生きようと、その人たちの胸の中に織りこまれて、私もそこに生きていると考えることが。それから、これにも、これにも、これにも戻ってくるわ、と夫人は笑い出しながら、けれどなつかしげに、おどり場のソファ(彼女の母が使ったもの)を見、安楽椅子(彼女の父が使ったもの)を見、またヘブリディーズの地図を見て、二階へ行った。それらはすべて、ポールとミンタの生活の中に、ふたたび蘇ってくることでしょう。『レイリー夫妻』――この新しい呼び方を、夫人はくり返しつぶやいてみる、そうして、子供部屋のドアに手をのばしながら、感動によって他人と感情を分ち合えると感じた、仕切りの壁が非常にうすくなるので、実際にはそれ(なぐさめの一種であり幸福であるその感情)は、全く一つの流れになる、椅子や、テーブルや、地図は、自分のものであって、また彼らのもの、どっちだろうと問題でなくなる、そうして、私が死ねば、ポールとミンタが、この感情をうけついでいってくれることだろう。
夫人は、ハンドルがきしらぬように、しっかり握って廻した。中へはいる時には、大きな声をたてぬようにと自分に警戒して、少し唇をすぼめた。だがすぐに、そんな用心は無駄だったと知って顔をしかめた。子供たちは眠っていなかった。仕様がないわね。ミルドレッドが、もっと気を使ってくれなくちゃ。ジェームズは大きな眼をあけ、カムはしゃんと坐り、ミルドレッドはベッドの側に素足でいて、もうかれこれ十一時というのに、なにか言い合っているのだ。一体どうしたって言うの? それがやっぱり、あの気味のわるい骸骨のせいであった。夫人は、それを取ってしまうように、ミルドレッドへ言いつけておいたのに、案の定ミルドレッドは忘れてしまったのだ。それで、寝る時がとうにすぎてもまだ、カムが大きな眼をあけ、ジェームズも大きな眼をあけて、けんかしているのである。こんな不気味な骸骨を子供たちにくれるなんて、エドワードはどんな了見なんでしょう。あれをあんな高い所に、釘づけにさせておくなんて、お前もずいぶん気が利かないじゃないの。とてもしっかり釘が打ってありますので、とミルドレッドが言った。カムは、あんなものが部屋にあると寝られないと言うし、あれにちょっとでも手を触れようものなら、今度はジェームズの方が、きいきい声で怒るという。
さあ、カムちゃんはねんねするのよ。(あれが大きな角を持っているから、とカムが言う)――ねんねして、きれいなお城の夢を見ましょう、とラムジー夫人は、ベッドのカムの側に腰をおろしながら言った。だって角が見えるんだもの、お部屋一ぱいに、とカムが言った。それは本当であった。どこに明りを置いても、(ジェームズは明りがないと眠れないのだ)どこかにきっと影ができるから。
「でも、あれは豚ちゃんなのよ、なんでもないじゃないの」とラムジー夫人が言った、「お百姓さんのとこにいるのと同じ、かわいい、黒い豚ちゃんなのよ」でもカムは、それが部屋中どこまでも自分に向ってのびてくる、おそろしいものだと思う。
「それじゃ、あれを蔽ってしまいましょうね」とラムジー夫人が言った。みんながじっと見ているところで、彼女は箪笥の方へ行き、そそくさと次々の抽き出しをあけたが、適当なものが見つからないので、すばやく自分のショールをはずし、それを骸骨のまわりへぐるぐる巻きつけた。それから戻って、カムの枕に低く頭をすりよせて言った。ほら、とてもかわいくなったでしょ。仙女もあんなのが大好きですって。小鳥の巣みたいね。母さんがよそのお国で見た、とてもきれいなお山のようよ。そこには谷間があって、お花がいっぱいあってね、鈴が鳴っているし、小鳥がうたっているし、ちっちゃなヤギもカモシカもいるのよ。……こうして話していると、それらの言葉がカムの胸に、リズミカルにこだましてゆくのが分る。カムは母親の言葉を口真似した、お山のようよ、小鳥の巣みたいね、お庭があるの、ちっちゃなカモシカがいるの、カムは眼をあけたり閉じたりした。ラムジー夫人はさらに、一つの声音《こわね》でリズミカルに、意味のないことを話しつづける、おめめをつむって、ねんねして、お夢を見ましょうね、いろんなお山が見えますよ、谷間があって、星がとんで来て、オウムや、カモシカや、花園や、きれいなものが次々に見えますよ。夫人は頭をゆっくりと起こしながら、だんだん機械的に話す、やがて真直ぐ起き上って見守ると、カムは眠りにおちていた。
さあ今度は、と彼女はジェームズの側へわたって行きながらつぶやき、あなたもおねんねするのよ、とジェームズへ言った、イノシシの頭はちゃんとあすこにあるでしょ、誰もさわりはしませんよ、あなたの思う通り、どこもこわれずにちゃんとしていますよ。ジェームズは、骸骨がショールのかげでそっとしているのに安心した。けれど、まだ他に聞きたいことがあった。明日、燈台へ行くの?
いいえ、明日は行かないのよ。しかし、そう言ったあとですぐ、夫人は約束した、今度のお天気の日にね。彼はすなおであった。横になった。夫人はふとんをかけてやった。でもこの子は決して忘れやしないと分っていた、それで腹立たしかった、チャールズ・タンズリーに対し、夫に対し、また自分自身に対して。私がこの子の望みをかき立てたのですもの。夫人は、ショールをどうしたかしらと手さぐりし、イノシシの骸骨をくるんだのに気づいて、立ち上った、窓を少し下におろし、風の音を聞き、いたいばかり肌に冷たい夜の空気を吸い、ミルドレッドに、おやすみと低い声で言って、部屋の外へ出た。そうして、掛け金の音を立てぬように、ゆっくりそっとドアを閉めて後、立ち去った。
夫人は、チャールズ・タンズリーが悩まされていた様子を、まだ心に浮べていて、どうぞ子供たちの頭の上の床に、書物をどさっと落さぬように、とねがった。二人とも寝込んではいないし、神経過敏な子供たちなのだから。それが、彼と言えば、燈台のことではあんな調子でものを言う男だし、まさに子供たちが寝入りかけた時に、肘で乱暴に机の上をはらって、書物のひと山をひっくり返えさぬでもないと思われる。もうたぶん、階上《うえ》へ仕事をしに戻っているでしょうから。それにしても、彼はいかにも淋しげだわ。でも彼がいなくなると、私はほっとするにちがいないけど。でも明日はせめて、もう少し彼が優遇されるといいと思うわ。でも彼の夫に対する態度は立派だわ。でも彼の態度はたぶん、もっと改めるべき点が多いと思うわ。でも彼の笑いは気に入ったわ。――そんなことを考えながら階下へ降りようとすると、階段の窓ごしに、月を眺めることができた。――黄色い中秋の明月。――それから振りむいた。すると、階段に立っているその夫人を、下ではみんなが見ていた。
「あれが、あたしのお母さま」と、プルーは考えた。そうだ、ミンタも見るがいいわ、ポール・レイリーも見るがいいわ。まさに、この世の中に、ああいうひとは只ひとりしかいないと言いたい程の、そのものの姿だ、とプルーは感じる、あたしのお母さま。プルーは、つい今しがた、ほかの人たちと話していた時は、完全におとなになっていたが、ここでまた元の子供にかえった。あたしたちの振舞いは、ただおとなごっこだったわ、お母さまはそれを認めて下さるかしら、罪だとおっしゃるかしら、といぶかった。ミンタやポールやリリーにとっても、母を見る絶好の機会だと考えるし、また自分としては、ああいう母を持った幸運を、ひしひしと胸に感じられ、そして、あたしは決しておとなになりたくない、決してこの家をはなれたくない、と考えた。プルーは子供のように言った。「みんなで浜へ降りて行って、波を見て来ようかって、言ってるのよ」
とつぜん、ラムジー夫人は、なぜとも知れずはたち娘の心になり、陽気な気分に満された。そりゃあ行ってらっしゃい、そりゃあ行ってらっしゃい、とはしゃぎながら叫んだ。そして最後の三四段をかけ降り、一人から次へと順々に向き合って、楽しそうに笑い、ミンタのコートを引っかぶせたりした、それから言った、ほんとに私も、一緒に行きたいけれど。みんなはずっとおそくなるつもり? 誰か時計を持っていて?
「ええ、ポールが」と、ミンタは言った。ポールは夫人に示そうとして、立派な金時計を、カモシカの革のケースから滑り出させた。それを夫人の前で掌にのせた時、ポールは感じた、「夫人はもうあのことをみんな知っている。何も言わなくていいんだ」そして心の中でこう言いながら、時計を見せていた、「僕はやりとげましたよ、ミセス・ラムジー。みんなあなたのお蔭です」するとラムジー夫人の方は、彼の手の上の金時計を見ながら感じた、まあ、ミンタはなんて幸せなんでしょう! と。ミンタは、カモシカ革の袋入りの金時計を持った男と、結婚するのだわ!
「私も、みなさんと一緒に行けたら、どんなにいいでしょうに!」と夫人はさけんだ。けれど彼女は何かに引きとめられており、しかもあまりに強く引きとめられているので、それがなんであるか自問することさえ忘れていた。当然みんなと一緒に行くなど、不可能なことだとしていた。けれど、あの一方の考えごとが底になかったとしたら、彼女は行きたかったにちがいないのだ。そして彼女は心にうかぶ無意味な考え、(カモシカ革の袋入りの時計を持った男と結婚するのは、なんて幸せだろう)を面白がり、口のはたに微笑をうかべながら、夫が読書している他の部屋へ行った。
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十九
その部屋へはいってゆきながら、夫人はひとりごちた、もちろん私は、自分の求める何かを得たいと思ってここへ来たのだと。最初彼女は、一つはなれたラムプの下の、一つはなれた椅子に腰かけるのが望みだという気持であった。しかし実際はもっとそれ以上のものを望んでいたのだ、それが何であるかを知らないし、考えることもできないのであったが。彼女は夫を見た、(靴下をとって編みはじめながら)夫が邪魔しないでほしいと思っているのが分る、――それは明らかであった。彼はひどく感動しながら何かを読んでいた。半笑いをし、次には感情を押えようとしているのが分る。せっせとページを繰ってゆく。自分で演じている、――おそらく書物の中の人物になっているのだろう。なんの本かしら、と思う。まあ、ウォールタ卿の小説だわ、夫人は、編みものの上に光がくるようにランプの笠を直しながら、そう見てとった。チャールズ・タンズリーが、(上の床で、書物のどすんという音がしないかと見上げる)――彼が、もう誰もスコットなど読みはしない、と言ったからだわ。それでこの人は考えたのだわ、「それはみんなが、このおれについて、今に言うようになることだ」と。そこであの叢書の一冊をひっぱり出してきたのだ。そしてもし、チャールズ・タンズリーの言ったことが「なるほど本当だ」という結論になったとしたら、スコットに関する限り、受け入れるでしょう。(読みながら夫が、評価し、熟慮し、あれこれ推論しようとしているのが分る)けれど、自分自身に関しては、そうはいかないのよ。自分のこととなると、たえずいら立っているんですもの。それが私にはやりきれないんだわ。自分の著作をいつだって気に病んでいる、――人々が読むだろうか、優れたものだろうか、なぜ値打ちが出ないのだろうか、世人は自分をどう考えているだろう? けれど彼女は、夫についてそんな風に考えるのは厭なことであったし、また、あの食事中、名声とか、書物の永続性とかの話になった時、夫が急にいらいらし出した理由を、みんなは察したろうか、とか、子供たちはあれを笑いの種にしたのだろうか、とか疑いだすと、思わず靴下をぐいと引っ張り、その唇やひたいのあたりには、はがねの器具で刻まれたような細かい彫りがあらわれた。そのあげく彼女は、震えおののいた樹が、風の落ちると共に、一葉々々静止してゆくように、おだやかになった。
そんなことは、全く問題じゃない、と考えたのだ。偉大な人間、偉大な書物、名声、――誰が言えるでしょう? 私は、そういうことは何も知らない。ただあの人のあの人たるところ、あの信頼感、――たとえばあの食事のとき、われ知らず、もし彼が何か話してくれさえすれば! と思ったような。彼女は完全に夫を信頼していたのだ。やがて夫人はそれらの思いからすべて離れて、水中へ潜る人のように、海藻や、ワラ屑や、泡沫を次々とぬけて、だんだん深みへと沈みはじめた。そして、さっきホールで人々が話している時に感じたことを再び感じた。何か私の求めているものがある、――それを得ようとしてここへ来たのだ、と。彼女は、それが何であるかは全く知らないままで、眼をつむり、さらに深くへ深くへと沈んで行った。ひと時、編んだり、思索したりしながら待っていた。するとあの食事の時にきいた詩句、『まがきのバラはさかりにて、黄蜂のはねの音|盛《す》なる』が、ゆっくりとリズミカルに、心の中を洗いはじめ、洗ったあとに、いろんな言葉が、赤い灯、青い灯、黄色い灯となって、暗闇の心を照らし出した。それから、そのたくさんの言葉が、各々の支えをはなれて、あちこちに飛び交い、叫び出し、こだまするように思えた。そこでふり向くと、かたわらのテーブルの上に、一冊の本がのっているのに気づいた。
すぎこし方とゆくすえの
人のいのちは、色うつる
木々の枝葉にやどるなる
つぶやきながら、靴下に編み針をつき刺した。それから、その本を読み出したのだけれど、ただあちこちとでたらめに読んでいると、なんだか、自分の上に曲線を描いている花びらの裏側を、下から上へ逆に昇っている感じで、ただここが白いとか、ここが赤いとかしか分らなかった。最初のうち、そこにある言葉の意味が、ぜんぜん分らなかったのだ。
『帰り来よ、汝《な》が帆を向けて、疲れたる舟人たちよ』(W・ブラウン『サイレンの歌』より)
彼女は、まるで枝から枝へ、赤白しぼりの花から花へと移るように、詩の行から行へ飛び移り、あちこちしながら読んではページを繰っていた、そのうち、小さい物音で、はっとさせられた、――夫が膝をたたいたのであった。一瞬、二人の眼が合った、けれど互いに口を開こうとはしなかった。言うべきことはなかった、それでも、何かが彼から夫人へ動いたかにみえた。夫に膝を叩かせたもの、それが生命であり、生命の力であり、限りない情味《ユーモア》だ、と彼女に分った。邪魔をしないでおくれ、何も言わないで、ただそこにじっと坐っていておくれ、と彼が言っているように見える。彼は読みつづけた。唇がぴくぴくする。熱中している。すっかり元気づけられている。今宵のちょっとした厭味や皮肉も、みんながだらだら食べたり飲んだりする間じっと坐らされた、我慢ならないうんざりした気持も、妻に対してあれほどいら立ったことも、自分の著作など存在しないかのように、誰の口にも出されないのを気に病み、腹を立てたことも、それらはきれいさっぱり忘れているのだ。今の彼は、誰がZに達しようが、(かりに思想が、アルファベットと同じくAからZまであるとして)そんなことは問題じゃない、という気持だ。誰かがそこへ達するのだ、――もし自分でなければ、いずれ誰かほかの者が。この作者の力と|まっとうさ《ヽヽヽヽヽ》、つまり、作中人物の漁夫とか、マックルバキット〔ウェーヴァリー叢書中『好古家』の中の人物〕の小屋にいる、哀れな狂った老人とか、そういう実直で単純な者たちに対する作者の心やりが、非常に力強く、また何かしらの慰藉をあたえられるので、彼は興奮し、勝ちほこった気持になり、涙をおさえることができなかった。少し本を持ち上げ、そのかげに顔をかくして涙の落ちるに任せ、頭を左右にふりながら、自分については完全に忘れているのである。(もっとも、一、二の考察は忘れなかったが。道徳性について、フランスの小説とイギリスの小説について、また、スコットの筆は束縛されているとは言え、おそらくここでの彼の意見はやはり真実にちがいない、など)可哀そうなスティーニイの溺死と、マックルバキットの悲嘆、(ここはまさに、スコットの本領である)に至っては、彼は自分の悩みも失敗も完全に忘れ去って、信じきれないばかりの喜び、頼もしさがあるだけであった。
ようし、あいつらがこれを書き改めると言うなら、やるがよい、と彼は、その章を終えて思った。彼は、誰かと議論して勝った気がした。あれこれ言うだけは言っても、これ以上のものは出来やしないのだ、おれの立場は、一層確固としたのだ。恋人たちはつまらないな、と彼は、心の中で内容を思いかえしながら考える。あれはつまらん、あれが第一級なんだ、などと、いろいろに考えてみる。だが、もう一度読む必要があった。総体的なものを捉え得なかったのだ。判断を決めずにおくより仕方がなかった。それで彼は、他の考えに戻った、――もし青年たちがこれを問題にしないと言うなら、それは当然、この自分をも問題にしないことである。青年たちが自分を尊敬しないと、妻にこぼしたくなる気持をじっと我慢して、なにもひとりでぼやいているには当らない、とラムジー氏は思う。しかし決心した、またしても妻を悩ますことは止そう、と。ここで彼は、本を読んでいる妻を見た。本を読んでいる彼女は、非常にやすらかに見えた。みんながそれぞれに去って、自分と妻とだけになった、と思うと心たのしかった。なにも女と一緒に寝にゆくだけが、人生のすべてじゃないのだ、と考えながら、スコットとバルザックへ、イギリスの小説とフランスの小説へと戻って行った。
ラムジー夫人は頭をあげた、うとうととまどろんでいるような様子で、あなたが眼をさませとおっしゃるなら、そりゃあはっきりさましますわ、でもそうでなければ、もう少し、ほんのちょっとだけ、うとうとしていていいでしょう? と言っているように見えた。彼女は、あの花この花に手をふれてみながら、あちこちの枝へのぼっているところなのだ。
『バラの濃きくれないも賞でじ』
と読み、読みながら、上へ上へと、頂上まで昇ってゆく気持である。なんという満足! なんという安らかさ! 一日中のつまらぬごたごたは、みなこのうっとりする磁気が吸い取ってくれる。そして心の裡《うち》が、ぬぐわれ、きよめられてゆく。そしてそこには、これがあるのだ、不意に彼女のものとなって完全な形をとる、美しく理性的な、清澄で完璧な、生命から抽出されてそこに示されるエッセンス、――このソネット。
けれど夫人は、夫が自分を見守っているのに気づいた。彼は、真昼間にねむたがる者をおかしがっているような、やさしい、小馬鹿にした顔つきで、にやにやしていた、だが同時に、もっと読んでいるがいい、と思っていたのだ。今はお前は、悲しそうに見えないね、と彼は思う。何を読んでいるんだろう、彼は、妻は利口じゃない、全然学問がない、と考えるのが好きだから、夫人の無智や単純さを誇張するのだ。読んでいることが、一体分るのだろうか。たぶん分ってやしない、と思う。なんという美しさ。もしそういうことがあり得るなら、妻はいよいよ美しくなってゆく、とさえ彼には見えた。
『されどなお春遠く、君去りぬ、
影をしたいつ、かなしくあそぶ』
と、彼女は読み終えた。
「ええ?」本から眼をあげて、彼の笑顔へ夢見ごこちに応じた。
『影をしたいつ、かなしくあそぶ』
彼女はつぶやきながら、本をテーブルへ置いた。
あれから何があったかしら、と、編みものを取り上げながら考えてみる、さっき夫と二人きりでいた時のあと? 思いかえしてみる、着がえしたこと、月を見たこと、食事中にアンドルーが皿を高く持ち上げすぎたこと、何かウィリアムの話したことで憂鬱になったこと、樹にいた小鳥たち、踊り場のソファ、大きな眼をあけていた子供たち、チャールズ・タンズリーが書物を落して、子供たちの眼をさまさせたこと、――いや、それは捏造だったわ。それに、カモシカ革の時計のケースを持っていたポール。何を夫に話そうかしら。
「あの二人は婚約したのよ」と、夫人は編みはじめながら言った、「ポールとミンタが」
「そうらしいと思った」と彼が言った。それについては、その上話すこともなかった。夫人の心はなお、あの詩の中を往きつ戻りつしている。彼の方はなお、スティーニイの葬式のくだりを読んだあとの、力強さ、なまなましさに打たれている。それでどちらも黙っていた。そのうちに夫人は、自分が夫に何か話してもらいたがっている、と意識しはじめた。
何か、何か、ないかしら、と編みつづけながら考える。何かいとぐちが。
「カモシカ革の袋入りの時計を持った男と結婚するなんて、素晴らしいでしょうね」と夫人が言った、それは、よく二人で言い合うような冗談に向いていたので。
彼はふき出した。彼はこの婚約についても、ほかの婚約の場合にきまって感じることを感じた、あの娘は、あの青年にはもったいないな、と。夫人の頭には、では、誰もがみんな結婚すればいいと人が考えるのは、どういうわけだろう、という疑いが、徐々にしのび込んで来た。勝ちとはなんでしょう? ものごとの意義とは何でしょう?(いま二人が語る一語々々は、真実であるにちがいなかった)ねえ、何かおっしゃって。ただ彼の声を聞きたい、と切望する。自分たちを包む、あのもの、あの影が、ふたたび自分のまわりに立ちこめ出したのを感じるからだ。何かおっしゃって。夫人は救いを求めるように、夫を見ながら哀願した。
彼は、時計の鎖についている磁石を前後に揺りながら、スコットの小説とバルザックの小説を考えているので、黙っていた。それでも、相寄る心が、二人の親密さを距てる、ぼんやりした壁を通してとつぜん接近して、夫人は、あたかも自分の上に翳をおとそうとしてかざした手というような、夫の心を感じることができた。彼は、妻の思いが好ましくない方向へ、――つまり彼が『ペシミズム』だと呼ぶ見当へ、――向いたので、いらいらしはじめ、口には出さぬが、手を額へもって行って、髪の毛をひとにぎりぐいとねじってから、また手をおろしたのだ。
「その靴下は、今夜仕上げるんじゃないだろうね」と、彼が靴下を指しながら言った。それはたしかに彼女が望んでいたものだった、――彼女をとがめるような、彼の声の不機嫌な調子。ペシミスティックになるのは間違いだ、彼が言うなら、たしかに間違いなのだわ、と夫人は思う。とすれば、あの結婚は、順調にゆくのでしょう。
「ええ、仕あがりそうもありませんわ」と、膝の上で靴下をたいらにしながら答えた。
それで、その次は何かしら? 夫はなお彼女を見守っているが、表情が変ったのを夫人は感じたからだ。夫はあることを望んでいる、――私にはとてもそれを満すことができないと、いつも思うことを望んでいる、あなたを愛しています、と私が言うことを望んでいるのだ。それが、だめだわ、私には言えないのだわ。私にくらべると、夫はずっと容易に話すことができるのだ。夫はなんでも話すことができる、――私の決して言えないことを。それで自然に、何かを話すのはいつも彼の方ということになり、ふとしたはずみに自分でそれに気づき、そして私をせめるのだ。冷い女だと彼は言う、決して私が、あなたを愛していますと言ったことがないからだわ。でも、それは違うわ、――違うわ。ただ私が、心に思うままを決して口にすることができない、というだけよ。上衣にパン屑はついていませんか? なにかご用はございません? という風に。夫人はからだを起こし、赤茶色の靴下を手にして、窓辺に立った。なかばは夫の視線を避けたいためであったが、またなかばは、夫に見られている前で燈台を眺めるのも、気がひけなくなったからであった。彼女が背を向けると共に、夫も頭をめぐらしてじっと見つめているのが、分ったけれども。お前は常にもまして美しい、と彼が心に思っているのが分る。すると自分でも、非常に美しい気がした。ただ一度でいいから、おれを愛していると言ってくれないか? 彼はそう思いつづけている、と言うのも、ミンタのこと、自分の著作のこと、今日の日も終ること、また燈台行きで争ったことなどで、彼は気が立っているからなのだ。けれど夫人にはそれができないのだ、それが言えないのだ。そのあげく、夫が見守りつづけているのを知った彼女は、何か言うかわりに振りむき、靴下を持ったまま、夫をみつめた。じっと見つめているうち、その顔は笑顔になっていった。夫に通じたからである、ひと言も言わなくとも、彼女が彼を愛している、ということが、たしかに彼には分ったのだ。もう彼は、それを疑いはしないだろう。夫人はほほえみながら、窓の外へ眼をやった、そうして、(この今の幸福に匹敵するものは、この世の中に何もない、とひそかに考えながら)言った、――
「そうね、あなたが正しかったわ。明日はきっと雨ですわ」これも夫人は、口には出さなかったけれど、しかし彼には分った。そして夫人はほほえみながら、夫を見守った。ふたたび、彼女は人生に凱歌をあげることができたために。
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二 時は逝く
「そうです、先はどうなるものか、成り行きを待つより仕方がありませんよ」と、テラスから家の中へはいりながら、バンクス氏が言った。
「もう真暗で、何も見えやしないよ」と、浜から上ってきたアンドルーが言った。
「どこが海で、どこが陸かさえ分らないくらいよ」とプルー。
「あの灯はつけたままにしておくの?」とリリーが、コートをぬいでみんなが中へはいった時に言った。
「いいえ、みんながはいっちゃったら、消すの」とプルーが言った。
そしてふり返り、「アンドルー」と呼んだ、「ちょっと。ホールの灯を消してきてよ」
一つ一つ、ランプの灯はみんな消された、カーマイケル氏のところだけを残して。彼は横になってから少しウェルギリウス〔古代ローマの詩人〕を読むのが好きなので、他の人たちよりおそくまで、ローソクをともしていた。
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こうして、ランプがみんな消え、月も沈むと共に、屋根をたたく細い雨をともなって、まっくら闇がおそってきた。このふんだんな闇の洪水からは、とうてい何ものも生き残れるとは思えなかった。それは鍵穴やすき間から這いこみ、窓のブラインドのまわりから忍びこんで、それぞれの寝室へはいり、そこの壺や鉢や、向うの赤と黄のダリヤをさした花瓶や、あるいは、箪笥のかたい線、がっしりしたその|かさばり《ヽヽヽヽ》をも、みんな呑みこんでしまった。家具のけじめをうばっただけでなく、人間に対しても、普通に「これが彼だ」「これが彼女だ」と見わけるべき肉体的精神的なものを、みんなかき消してしまった。時々一つの手が、何かを捕えようとするように、また何かを防ごうとするように、持ち上げられる、あるいは誰かがうなり、誰かが、無と興じたわむれるように高声で笑い出す。
客間や、食堂や、階段には、人影がたえた。ただ、風の主力をはなれた空気の兵隊たちが、さびた蝶番《ちょうつがい》や、海の気ですっかりしめった板壁のあいだを通りぬけ、(要するに、この家はボロ家なのだ)あちこちの隅をまわって、中へはいって来た。客間へはいった空気たちはおそらく、警戒するように、いぶかるようにあたりを見まわし、はがれかかっている壁紙をいじってみて、お前たちは、いつまでそうしてぶら下っているのか? いつ落ちるのか? と問いただしているにちがいない。次には、静かに壁を撫で、その壁紙模様の、赤や黄色のバラへ向って、お前たちはいつしぼむのか? と問いたげに、思案気な様子で通ってゆく。それからまだ、今は彼らの意のままに曝されているいろんなものがある、屑かごの中の破りすてられた手紙、花々、書籍類。それらに向っても問いかける、(おだやかに。――なにしろ、そのための時間を与えられて来ているのだから)お前たちは味方なのか? お前たちは敵なのか? 一体いつまで、お前たちは持ちこたえられるのか? と。
そこには、おぼつかない光があるにはあった。雲間からのぞく星、さまよう船の灯、あるいは、階段や靴ぬぐいの上に青白く漂う、燈台の光も。それらにみちびかれて、空気の小隊は階段をのぼり、寝室のドアのあたりで気配をうかがった。けれどここでは、彼らもかならずや思い止ることだろう。たとえ他のものは滅び、消え去るとしても、ここに横たわるものは堅固なのだ。あるいはここでは、ベッドに近づいて屈み込もうとする、隙間もる光や、うろつく空気たちに対して、誰かが言っているのかもしれない、何者も、それに触れることも、それを滅ぼすことも出来ないぞ、と。そこで、羽のように軽い指をもつが、また羽のように、執拗さは持たぬらしい彼らは、ものうげに、由々しげに、ちらっと一瞥、その閉じているみんなの眼や、ゆるく握っている手指を見るだけで、未練なげに、背をすぼめて立ち去るのだ。そうして彼らは、階段の窓へ、女中たちの寝室へ、屋根部屋の貯蔵箱へと、探ったりさわったりしながら進んでゆく。階下へおりて来ては、食堂のテーブルの上のリンゴをふるえ上らせ、バラの花弁をいじめ、画架の上の絵を検査し、靴ぬぐいをはらって、あたりの床へ少し砂をとばす。とうとう断念して、一同は中止し、集合し、そろって吐息をする、そろって、当てもなしに、一陣の悲憤の疾風を起こす、すると台所のどこかのドアが、それに応じた。さっと思い切り開き、何も通すことなく、ばたんと閉った。
〔ウェルギリウスを読んでいたカーマイケル氏は、この時ローソクを吹き消した。真夜中をすぎていた〕
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しかし、ひと夜とは、結局何であろう? 一つの短い間隙。とりわけ、闇がたちまちうすれて、すぐに小鳥がさえずり、おんどりが時を告げる日、あるいは打ち返る木の葉のように、波の谷間のうす緑がたちまち深まる日には。けれども、夜が夜につづく。冬がせっせと夜を貯えて、根気づよい手で、それを平等に、平均にくばる。夜は長くなる。暗くなる。ある夜には、輝くもの、明るい星むらを、上空高くかかげる時がある。秋の樹々は荒らされて、いかにも、冷い寺院のあのうす暗い所に、恨みをのんで立っているぼろぼろの旗を思わせる、――そこの大理石の板の上には金文字で、戦死のことや、遠いインドの砂上に曝され、炎熱に焼かれている白骨のことが記されてある、あの洞穴。――その秋の樹々へ、黄色い月光がふりそそぐ。中秋の月の光、労働力を増進し、刈り入れのあとの、刈株の畑を照らし、岸へよせる波を青める輝き。
今あたかも、人間の悔悟と数々の労苦を思いやる神が示し給うように、開かれた|とばり《ヽヽヽ》の向うにはっきりと、直立する兎の姿、静まる波、たゆたう小舟が見えた。それらは、もしわれわれ人間が受けるに値するなら、常にわれわれのものであるべきもの。しかし、ああ、神は紐を引いて、|とばり《ヽヽヽ》を閉される。神の意に添わないのだ。神は嵐の中へ宝ものをかくし、打ちくだき、ばらばらにしてしまわれる。それで平穏はふたたび帰らぬものとなり、またわれわれが、その平穏の破片から全体をつくり出すことも、散乱した断片のうちから、真理の確たる言葉を読みとることも、不可能だと思わせられる。つまりわれわれの悔悟は、ただあれを垣間見るだけにしか値せず、われわれの労苦も、ただひとときの休息にしか値しないのだ。
こうして打ち続く夜々は、風と破壊にみちた。樹々はもまれ、たわみ、木の葉は縦横無尽に吹きとばされて、やがて芝生の上を敷きつめ、溝にたまり、樋をふさぎ、ぬれた小径に乱れ落ちた。海もまた、さかまき割れる。寝床についた者が、もし浜へ行けば、自分の疑問の解答や、孤独を分け合う相手が得られるかもしれぬと思って、夜具をはねのけ、ひとり砂の上を降りて行ったとしても、この夜に秩序を与え、人間の魂の希求を反映さすべき世界を造ることに力添えになるような、神の判断も、また気やすめの曙光さえも、得られはしないのだ。差しのばす手はただ空《くう》をつかむのみ、声はただ自分の耳に怒号するのみ。寝床についた者が、解答を得たいとかり立てられる、これらの疑問。何が、何故に、どういう理由で。――しかし、この混乱の中で、こうした夜に向って、それを問うてもまず無益であるにちがいない。
〔ラムジー氏は、暗いある朝、廊下へよろめき出て、両手を差しのべた。しかしラムジー夫人は、前の晩、思いがけず突然亡くなっていた。彼は両腕を差しのべた。いつまでも、それは空しかった〕
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そこで、ドアが鍵閉めになり、敷物を巻いてしまったからっぽの家には、大軍隊の前衛となってさまよう風の兵隊たちが、騒々しく吹き入って、裸の板壁をはらい、侵食し、あおった。寝室でも、客間でも、彼らに抵抗するものは何もない、わずかに、はためく壁紙とか、きしる板とか、また、テーブルの脚や、鍋や、陶器や、いずれもすでに添え木されていたり、さびていたり、ヒビが入っていたりする、そんなものばかり。人々がぬぎ捨てたまま置いていったもの、――靴や、狩猟帽や、衣装戸棚の中の、色あせたスカートや、上衣や、――それらのみが人間の面影を保っていて、その|もぬけ《ヽヽヽ》の殻を、かつてはどのようにまとって活動していたかが思わされる、かつては、ホックやボタンを止めるのに、どんな風に手が忙しく動いたか。また、かつては鏡が、どんな風に一つの顔を映し出したか、どんな風に、一つの切り取られた世界を映し出したか、――その中で、かつて一つの姿がふりかえり、手を動かした、ドアが開いた、子供たちがわいわい押し入ってきた、そしてまた出て行った。さて今は、日毎に陽の光が、水面に映る花のように、反対側の壁の上に明るい姿を反射させていた。影と言っては、ただ風にゆらぐ樹々の影が、その壁の上で頭を下げたり、陽に映える池をひととき蔽ったり、あるいは、飛んでいる小鳥たちが、寝室の床の上に、ゆっくりと、柔らかい影の斑点を撒《ま》いてゆくくらいのもの。
こうして美しさと静かさの支配になり、二つは協力して、美そのものの姿を、いのちの消え失せた一つの型を、そこに造りあげた。その寂しさは、汽車の窓から遥か遠くに見る夕暮れの池を思わせる。あまり早くすぎ去るので、たとえ人に眺められようと、少しも乱されることのない、あの池の寂しさ。美しさと静かさが、寝室で手をにぎった。そうして、覆いをかぶせた水差しや椅子の間にいる、ぬけめのない風とか、じわじわとまといつく、湿っぽい海の気とかは、――あたりをなぜまわし、嗅ぎまわって、お前たちはまだ色あせないかね? まだ滅びないかね? としつこく問いつづける、――そういう風や湿気ではあったけれども、この平和、この虚心さ、この完璧な雰囲気には、大方手をひいたらしい、それで彼らのくり返しの問いには、ほとんど答える必要もなくなったようであった、われわれは生き残るのだ、と。
何ものも、この情景を破ったり、清浄さをけがしたり、静寂の支配をおびやかしたりすることはできないように思えた。過ぎてゆく日々、空《から》の部屋では、その静かさの中に、空から落ちる鳥の声や、船の汽笛や、草原の蜂のうなり、犬の声、人の高声などを織り込んで、それを黙した家にため込んだ。ただ一度、踊り場のはめ板がはずれた。また一度は真夜中に、あたかも、幾世紀もじっとしていた岩が自然に動き出して、山から谷底へ転落したかのような、唸りや破裂音をひびかせて、ショールの一つの|ひだ《ヽヽ》がほどけ、ゆらゆら揺れた。その後ではふたたび、平穏にかえった。影がゆらぐ、光が、寝室の壁の上のわが姿にほれぼれするように、かがみ込む。そこへ、マックナブ婆さんがやって来た。彼女は、いつも洗濯|盥《だらい》へつっ込んでいる手で、その沈黙のヴェールを引き裂き、砂利道を踏みくだいてきた靴で、その沈黙を踏みにじり、それからやにわに、あらゆる窓を開け放って、寝室に|はたき《ヽヽヽ》をかけるのであった。
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婆さんは、よろめきながら、(と言うのは、海上の船のようにからだが揺れるので)また流し目をしながら、(と言うのは、その眼は決してものをまともに見ることなく、世間の軽悔や叱責をのがれようための横目をするのだ。――彼女は利口でない、自分でそれを知っていた)また、手すりを頼りにやっと二階へあがり、部屋々々をふらふら歩きまわりながら、唄をうたった。長い姿見の硝子をみがきながら、それに映る自分の、ふらふらする姿を横目で見ていると、口をついて一つの音が流れ出すのだ、――たぶん、二十年位前のステージの上では、陽気な唄だったにちがいなく、軽快にうたわれ、踊りもしたものだろうが、いまこの歯のない、頭巾をかぶった留守居婆さんの口から出てきては、なんの意味もなく、無智な、こっけいな、頑固な声にすぎない、踏みつけられたように低くなり、かと思うと急にはね上ってゆく、それで、よたよたと、|はたき《ヽヽヽ》をかけたり拭いたりしながら、いかにも彼女が、自分の生涯は、長い、悲しい、苦しいものであったことや、それはただ朝起きて夜寝るだけのもの、何かを工夫してはまたそれを捨て去るだけのものであったことを、語っているかのようであった。七十年近くなじんだこの世の中は、生《なま》やさしい住みよいものではなかった。疲れ果て、腰もまがった。一体いつまで、と彼女は、ベッドの下に膝をつき、ふうふう言いながらはめ板の埃をはらっている時、そう思う、一体いつまで、辛抱しなきゃならないものかねえ? それでもまた、びっこを引きひき、気を取り直して、自分の顔や悲しみをまともに見るのを避ける、あの横流しの眼をして立ちどまり、鏡の前でなぜともなくぼんやり笑ってみた。敷物を持ったり陶器を置いたりで、がたがた足を運んでは、また顔をはすに見る。結局、自分にも慰めはある、と言うように。また、自分の哀歌の中にも、たしかに断ち切れぬ希望がより合されている、と言うように。喜びの幻影は、洗濯盥の中にあるにちがいない、そう、それから子供たちにも。(けれど、二人は私生児で、もう一人は彼女を見すてていたが)また、居酒屋で飲むこと、自分の抽出しの古ものをひっかき廻すことにも。暗闇とは言え、裂け目はあるにちがいない。闇の底の通路から、ある程度の光がさす時に、鏡に向ってにたりと顔をよじったり、仕事にかかりながら昔のミュージック・ホールの唄を、もぐもぐとつぶやいたりするのである。一方、例の神秘家や空想家は、浜辺を歩き、水たまりをかきまぜ、石をみつめて、「自分はなんであるか?」「これはなんであるか?」と自問する、そうして不意に、一つの答えが天から与えられる、(どういう答か、自分では口に出して言えないにしても)それで彼らは、霜凍る中にも暖かさが得られるし、荒廃の中にも慰めを持つことができるのだ。けれどマックナブ婆さんにあっては、相かわらず飲んでお喋りすることしかなかった。
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木の葉のそよぎ一つない春。純潔のゆえにはげしく、清浄のゆえに不遜な処女のように、あらわなまぶしさを持った春は、ぱっと眼をさましたが最後、まわりのもの達からどうされようと、どう思われようと全然おかまいなしに、野山全体の上にやって来た。
〔プルー・ラムジーはこの五月、父に手をとられながら、結婚生活へはいった。あんな似合いのご夫婦はまたとない、とみんなが言った。更に、プルーはまあ、なんてきれいなんでしょう、とも感嘆した〕
夏が近づいて、夕方が長くなる頃に、あの眼ざめがちな、希望的な人々には、浜辺を歩き、水たまりをかきまぜていると、最も異様な想像がわくようになった、――原子にされて風にさらわれてゆく肉体とか、各々の心の中にきらめく星とか、裡《うち》なる幻影の粉砕された断片を外で結合しようために、あえてよせ集める崖と海と雲と空とか。人間の心なるこれらの鏡、――たえず雲が動き影がうつる、これらの、かき立てられた水の上に、夢が固執した。そして、善が勝利し、幸福が普及し、秩序が支配するという啓示を、――それはかもめでも、花でも、樹でも、男でも女でも、さらには白い大地そのものが宣言していると思われる、(だが問い正すと、直ちに引込めてしまう)そういう啓示を、受けようとせずにはいられなかった。また、普通の喜びや、ありふれた徳から離れた、絶対的に善なるもの、結晶した強靭さ、の追求、つまり、家庭生活の過程とは縁遠い、たとえば砂中のダイヤモンドのように、単一で堅く、光り輝いて、それを持てば安心感が得られる、そういうものを探求しながら彷徨しようとする、激しい衝動をおさえることも不可能であった。しかも、蜜蜂がざわめき、蚊トンボが飛びまわる春なのに、その春はなだめられ言いふくめられて、その身に外套をまとい、眼を蔽い、顔をそむけ、そして、さしかかる影や、小雨の降る中で、人類のさまざまの悲しみを自分も味わっているかのような様子を見せた。
〔プルー・ラムジーはその夏のあいだに、産褥のわずらいのために死んだ。こんな悲劇はない、世の中がまっ暗になったような気がする、と人々は言った〕
そしていま、夏の暑熱の中で、風はふたたびこの家を探訪した。ハエが、陽の当る部屋々々の中を、縦横にとびまわった。窓ぎわに生えている雑草が、夜中にきまって窓硝子をたたいた。暗くなると、燈台の光が差してくる、かつては暗闇の敷物の上に、その模様をあらわしながらいかめしく差し込んだが、今は月の光と混った、柔らかな春の光として、やさしくすべり込んだ。あたかも、愛撫をあたえながら、しのびやかに漂い、眺め、愛らしくふたたび訪れるというように。けれど、そうした愛撫のなぐさめを持って、以前のベッドの上へ、長い光をのばしたとき、また岩がはなれ落ちた、ショールのもう一つの|ひだ《ヽヽ》がほつれたのだ、それが垂れ下って、揺れた。短い夏の夜々、長い夏の日々を通して、人気のない部屋々々では、野原のもの音のこだまとハエのうなりで、何かぶつぶつ言っているように聞える時に、その長く垂れたショールは静かにうごき、揺れていた。一方陽光は、部屋々々にさんさんと光の箭《や》を射て、あたりを黄色く目くらめくばかりにするので、そこへマックナブ婆さんが来て、よろめきながら|はたき《ヽヽヽ》をかけたり掃いたりしていると、まるで熱帯魚が、陽のさし込む水中をおよぎまわっているように見えた。
けれど、この眠ったような静かさのうちにも、夏の終りに近づくと共に、フェルトの上に規則正しく槌《つち》を打ちおろすかのような、不吉なひびきが聞かれ、その繰りかえす刺激のために、ショールの|ひだ《ヽヽ》は更にほころび、茶のみ茶碗にはヒビが入った。幾度となく、食器戸棚の硝子器が、がちゃがちゃと音をたてた、それが、苦悶して叫ぶ巨人の声のようにひびくので、食器戸棚の中のタンブラーも一緒にふるえた。そのあげく、ふたたび静寂にかえった。そのあとでは、夜ごとに、時には明るいま昼間、バラが美しく咲いて、陽の光が壁にくっきり姿を映している間にも、この静寂、この無関心さ、この毅然とした中に、何かの倒れかかる、どすんという物音がひびくように思われた。
〔一つの砲弾が炸裂した。二十人、あるいは三十人の若者が、フランスの国土で吹きとばされた。その中に、アンドルー・ラムジーもいた。せめてもの慰めは、彼が即死だったことである〕
こうした時期に、浜辺をさまよいながら、海と空に向って、それが伝える便りや、それらが認証する光景やを求める人々は、ふだん考える神の恩寵のしるし、――海の上の日没とか、明け方のほの白さとか、月の出、月夜の漁《いさ》り舟とか、手に一ぱい草をにぎって、ぶっつけ合う子供たちとか、――の、その愉しさ、その平穏さとは決して相容れぬ何かを考えねばならなかった。たとえば、音もなく現れては消える、一つの灰色の船の亡霊。何かが眼に見えぬ海底で煮え立ち、血を流してでもいるような、温和な海の表面に現れる、紫がかった汚染。崇高な思索をよび起こし、快い結論へと導いてくれる筈の視界の、この邪魔ものは、彼らの歩みを妨害した。それらを何気なく見のがしたり、この風景の中の、それらの意味を考えずにすましたりすることは無理であった。海沿いを歩きながら、内面の美を反映する外界の美に、ただ驚嘆だけしていることも無理であった。
自然は、人間の進歩を補ってくれるだろうか? 自然は、人間が手をつけたことを完成してくれるだろうか? 自然とは、何ごとにも心動かすことなく、人間の悲惨を眺め、卑賤を黙認し、苦悶を納得するものだ。とすれば、助力を求め、完成を求め、また、ひとり浜辺を歩きながら答を得ようとする夢想は、たんに鏡の中の反映にすぎず、しかも鏡そのものが、より高貴な多くの力が底で眠っている時は、ただ気やすめに作られた、鏡らしい体裁のものにすぎぬのではないか? いら立ち、絶望し、それでいて立ち去り難い。(美しさには人をおびく力があり、慰めがあるからなのだ)浜辺を歩いているのは不可能だった。沈思するのは耐えられなかった、鏡はこわされた。
〔カーマイケル氏はその春、一冊の詩集を出したが、それは予想外の成功であった。戦争が、みんなの詩への関心をよみがえらせた、と人々は言った〕
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夜につぐ夜、夏も冬も、嵐の苦悶と、矢のように落ちる晴天の静かさとが、何に邪魔されることもなく君臨した。この空家の上の部屋々々から耳をかたむけると、(もし耳をかたむける者がいたとして)ただ、電光をともなった巨大な『渾沌』のあばれまわる音だけが聞えたことだろう、風と波とは、あたかも、道理の光明など完全に持たぬ顔つきの、怪異な姿の巨獣どもがさわいでいるかのように、遊びたわむれ、痴鈍なゲームをやりながら、一方が他方の上にまたがり、闇か白光かの中へ突進してゆく。(と言うのは、夜も昼も、歳月も、すべて形を失って、一緒くたになってしまったから)遂には宇宙そのものが、無目的にただ、強暴な混乱と、奔放な欲情のうちに、闘い、のたうちまわっているかに思われた。
春になると、庭の花甕では、風にはこばれた種が一ぱいにのびて、いつものように美しく花咲いた。すみれが咲き、水仙も咲いた。けれど、昼間のそうした静かさ、美しさも、夜の混乱や騒々しさと同様、どこか異様で、そこに立つ樹々、そこに咲く花々は、上を見たりしているが、それでも何も見ていなかった、眼がないのだ、それはぞっとするものであった。
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これはもらっても構やしない、あの家族はもう来ないそうだし、この家も、ミカェル祭〔九月二十九日。大天使マイケルの祝日〕にはたぶん売られるだろうという話だから。そんなことを考えながら、マックナブ婆さんは、家へ持ってかえる花を摘んだ。掃除する間、その花束をテーブルの上に置いた。婆さんは花は好きだ。無駄に咲かしておいたって仕様がない。この家も売られるとすれば、(と思い、手を腰に当てて肘を張った姿勢で、姿見の前に立った)この鏡も誰かにのぞいてもらいたいことだろう、――そうですとも。もう長いこと、誰一人の姿も映さずにいるんだから。書籍や、その他のいろんなものが、かび臭かった。戦争と、人手不足とで、とても彼女の思うように、手入れが行きとどかなかったからだ。今では、家中を整えることは、一人の力にあまった。彼女は歳をとりすぎた。足の自由がきかなくなった。本はみんな、日向の芝生にひろげなくちゃならない。ホールでは漆喰が落ちている。樋が、書斎の窓のところでくさってしまい、雨水が中まではいってくる。敷物は完全にボロになった。だけど、誰かが来てもよさそうなものなのに、誰かを見によこしそうなものなのに。だって、戸棚には衣装がはいっているし、どの寝室でも、着るものがやはり残っているんだ。わたしでは、どうしようもないやね。みんな虫がついちゃったよ、――ラムジー奥さまの服に。お気の毒な奥さま! こんなものはもう二度と要らなくなったんだね。あの方が、亡くなったって話だものね、もうずっと前に、ロンドンで。そこには、夫人が庭仕事をする時に着ていた、古ぼけたグレイの上衣があった。(マックナブ婆さんは、それを持ち上げた)ほんとに眼に見えるようだ、わたしが洗濯物をかかえてドライヴ路を上ってくると、花の上にかがみ込んでいらした奥さまの姿が。(その庭も、今はみじめな眺め。荒れるにまかされ、人のけはいがすると、花壇の中から兎どもがあわてて飛び出してゆく)――また、子供さん一人を側につれて、このグレイの上衣を着ていらしたお姿も、眼にうかぶ。長靴や短靴ものこっている、化粧台の上には、ブラシも櫛も置いたまま。まるで明日にも帰っていらっしゃるおつもりのように。(なにしろ、まったく突然亡くなったんだと、みんなは言っている)そして一度、皆さんは来ようとなさったが、それがのびてしまったんだ、この戦争で、この節は旅行も容易でなくなったからね、もう何年にも来《き》なさらない、わたしのお金だけは送って下さる。それにしても、手紙一本よこすでなし、誰が来るでもなし、それでいて、残してあるものはそっくりしてるなんて思ってたら、やれまあ! 化粧台の抽出しは、なんといっぱいつまっていること、(彼女はそれをあけてみた)ハンカチーフだの、いろんなリボンだの。ほんとに、洗濯物をかかえてドライヴ路を上って来た時の、あの奥さまが眼にちらついてならないよ。
「こんばんわ、マックナブおばさん」と、いつも声をかけて下さったよ。
あの方はわたしにやさしくして下さった。嬢さんたちもみんな、わたしを好いてくれた。だけどまあ、あの頃を思うと、何もかも変っちまって。(抽出しを閉めた)どこでも、最愛の人を失った家庭が多いんだ。そうして、奥さまは亡くなった、アンドルーさまは戦死なされた、プルー嬢さまも亡くなるし、初めての赤ちゃんも亡くなったって話。だけど、この時代には、みんなが誰か彼かを亡くしてしまったんだよ。物価はめちゃくちゃに上がりっ放し、もうてんで元へは下りやしない。ああ、グレイの上衣の奥さまが思い出される。
「こんばんわ、マックナブおばさん」と言って、奥さまはわたしのために、ミルク・スープを一杯、料理女に言いつけて下さるのだ、――重い籠をさげて町から上って来たんだから、わたしがそれを欲しがっているのは、ちゃんとご存じだった。今、婆さんは、花の上にかがむ夫人を見ることができた。(ちょうど、ひとすじの光線か、望遠鏡のはしの円形のように、かすかにゆらめくように、グレイの上衣を着たひとりの婦人が花の上にかがみ、次いで、その寝室の壁のあたりや、化粧台の上の方や、洗面台を横切る辺をさまよい、去って行った、マックナブ婆さんがびっこをひきながら|はたき《ヽヽヽ》をかけたり整頓したりしている時に)
ところで、料理女の名前はなんと言ったっけ? ミルドレッド? メァリアン?――なんかそんな名だったっけが。みんなでよく笑ったもんだ。あの台所では、いつでも歓迎された。わたしがみんなを笑わせたからね、まったく。今から思うと、なんでもがよかった。
彼女は吐息した、女ひとりでは到底やりきれない仕事の量であった。彼女はあちこちと頭をふりむけた。そこは子供部屋にしてあった部屋だ。まあ、なんて湿《し》っけてるこったろう、漆喰が落ちかかっている。なんだってあんなところに、けだものの骸骨なんか吊しておいたんだろう? あれもかびだらけ。屋根裏はねずみの巣。雨はもる。だのに、誰もよこさない、誰も来やしない。いくつか錠前がなくなっているので、ドアがばたんばたん鳴った。どっちみち、薄暮にこんな所にひとりきりでいるのは、気持よくなかった。女ひとりには、仕事が多すぎる、やり切れない、やり切れない。婆さんは悲鳴をあげ、うなった。ドアをばたんと閉めた。そして、錠前に鍵をさしてまわし、鍵閉めにしたその家を、そっと残して立ち去った。
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この家は残された、この家は見捨てられた。それは、中の生命が失せたあとに乾いた塩のたまっている、砂山の貝殻のように、置き去りにされた。そこには、長い夜が住みついた、いろんなものを侵蝕してゆくすき間風や、のそのそうろつく湿気が、勝利を占めた。鍋は錆び、靴ぬぐいはボロボロに腐った。蟇《がま》が眼をつけてやってきた。ぼんやり垂れているショールが、あてもなしに揺れた。あざみが、食料庫のタイルの間で、時を得顔である。つばめが、客間に巣を営む。床にはわら屑が散らばる。漆喰が、シャベルに何杯という位落ちてくる。|たるき《ヽヽヽ》がむき出しになる。ねずみが、食い破った羽目板のかげに、あれこれのものを運び去る。ベッコウマダラの蝶が、さなぎから飛びたち、窓硝子に突きあたって死んだ。けしが、勝手にダリアのあいだに根を下した。芝生では、雑草がのびてなびいた。鬼あざみが、バラの中で見上げるばかりにそそり立った。キャベツ畑で、ふち取りのあるカーネーションが咲いた。一方、雑草が窓をたたくやさしい音は、冬の夜になると、たくましい樹々や、とげだらけのブライアのやかましい音にかわった、それらの樹や潅木も、夏のあいだは、部屋いっぱいに緑色を反映させるのだけれど。
この自然の豊かさ、無遠慮さを、今はどんな力が防げようか? マックナブ婆さんの夢見る、一人の婦人、一人の子供、一杯のミルク・スープだろうか? それは日光の斑点のように、壁の上をただよって、消えてしまった。婆さんは、ドアを鍵閉めにし、去って行った。女一人の力にはあまる、と彼女は言った。家の人たちは、誰もよこさなかった。手紙も書いてよこさなかった。抽出しの中では、ものが腐ってゆく、――ああして放っておくなんて、恥さらしだ、と彼女はつぶやいた。ここはもう廃墟であった。燈台の光が、ただひととき部屋へはいってくるだけである、冬の夜、ベッドや壁へ、不意にぱっと差しこみ、そして、あざみやつばめや、ねずみやわら屑を、だまって眺めている。今はそれらを邪魔だてするものが何もないし、文句を言うものもない。風は吹き入るまま。けしが自然に生えるのも、カーネーションがキャベツと一緒になるのもよい。つばめが客間に巣をつくり、あざみがタイルのわきからのび上り、蝶が、肱かけ椅子の、色あせた木綿更紗の上で日向ぼっこをするのもよい。芝生へ放り出された、硝子のかけらやせとものが、草や木苺とからまり合うのも勝手であった。
今やまさにあの瞬間が来ているのだ、暁が打ちふるえ、夜が足ぶみしている、あの逡巡のひととき。それはあたかも、ひとひらの羽毛によっても秤《はかり》の平衡を失いそうな瞬間である。ひとひらの羽毛、それによって、この家は沈み、倒れ、暗黒の底へ転落するにちがいなかった。滅びた部屋で、ピクニックに来た人たちが、お茶をかわすことだろう、恋人たちは、はだかの床板に横になり、ひとときの隠れ家にすることだろう、また、羊飼いは煉瓦の上に自分の食事を置き、浮浪者は、寒さをふせぐために上着で身をくるんで、そこに眠ることだろう。そのうちに屋根も落ちてしまう、ブライアや毒にんじんが、小径も石段も窓もなしに伸びひろがる、瓦解のあとの小高さはあるにしても、その上一面に、そんなものが威勢よく茂る時、やがては道にまよってきた闖入者たちが、いらくさの中の赤さびた火掻きだとか、毒にんじんにまぎれ込んだせとものだとかを見つけない限りは、かつてここに人が住んでいたこと、ここに一つの家があったことさえ気づかなくなることだろう。
もしその羽毛が落ちたなら、そして秤がかしいだなら、この家全体は深淵に落ちこみ、忘却の砂床に横たわったにちがいなかった。けれども、そこに一つの力が働きかけた、そうとははっきり意識していない、どこか横目で見、ふらふら歩きするような力、いかめしい儀式や、おごそかな讃歌などでは、少しも働く気持にかり立てられることのない力。マックナブ婆さんはうなり、バスト婆さんは悲鳴をあげた。二人とも年寄りだった、二人ともからだがこわばり、足腰がいたんだ。それでもとうとう、二人は箒とバケツを持ってやって来た、そうして仕事に取りかかった。いかにも突然に、お嬢さんの一人から、手紙が来たのであった。マックナブおばさん、家は仕度ができていますか? これをしてくれましたか? あれをしてくれましたか? 大急ぎでたのみます。夏のあいだ、皆さんで来なさるらしい、何もかもとうとう放ったらかしで、それがみんなそのままになっていると思っていなさる。のろのろと難儀しながら、マックナブ婆さんとバスト婆さんは、箒とバケツを使い、掃除したり磨いたりして、腐蝕をくいとめた。すべてのものをつつみかくしていた『時』のみずうみから、鉢を一つ、食器戸棚を一つとすくい上げた。ある朝には、ウェーヴァリ叢書を全部と、お茶のセットをよみがえらせ、その午後には、真鍮の炉格子《フェンダー》と、暖炉用具の鉄製品一式を、風や日光にあてて手入れした。バスト婆さんの伜のジョージが、ねずみを退治し、草を刈った。大工も入れた。この婆さんたちが、かがんだり立ったり、うなったり唄ったりしながら、階上へ行き、窖《あなぐら》へ降り、ドアを乱暴に開けたてすると、それと共に、蝶番がきしみ、掛け金がけたたましく音立て、湿気でふくらんだ木の部分がどたばたと鳴り、なにかひどく難しいお産でもあるように思えた。ああ、大仕事だ、と彼女たちは言った。
二人はお茶を、ある時は寝室で、ある時は書斎で、飲んだ。お昼に、よごれた顔をしたまま、ひと休みすると、年寄った手は、箒を握った形のまま硬ばっていた。さて二人は、椅子に身を投げ出して、蛇口や湯殿を見事に仕上げる方法に頭をひねる。また、さらに面倒な、どうせ完全に出きっこはない、あの書籍の、長いいくつもの列。かつてはからすのぬれ羽色をしていたのに、今は白っぽいシミがつき、青かびが生え、蔭には蜘蛛がこっそりいるのだ。マックナブ婆さんは、お茶の温かみを身うちに感じると、またしても自然に望遠鏡が眼にあてがわれ、今度はあの老紳士を見た。洗濯物をかかえて路を上ってくると、頭をふりながら、芝生の上で、どうやらひとりごとを言っているらしかった、あの草掻きみたいにやせた旦那。一度だってわたしに気づきもしないようだった。あの旦那が亡くなったんだと言う人もある。そうかと思うと、奥さまの方だと言う。どっちなんだろう? バストさんはどうせよくは知らないんだし。若旦那は亡くなった。あれはたしかだ。わたしは新聞でお名前を見たんだから。
それからあの料理女、ミルドレッドだったか、メァリアンだったか、そんな名前の、――赤毛の女で、赤毛の女らしく癇癪もちで、だけどまた親切だったよ、気心さえのみ込んでしまえばね。みんなでよく笑ったもんだ。あのひとは、マギーにスープをとっておいてくれた、時にはハムも、お残りはなんでもね。あの頃は、みんなあたふたと暮していたからね。欲しいものはなんでも手に入ったしさ。(彼女は、子供部屋の手すりぎわにある籐の肘かけ椅子で、身うちのお茶のぬくもりに、たのしそうにとめどもなく、追憶の糸たばをほぐした)いつでもすることはいっぱいあって、この家にも、時とすると二十人位もいたから、真夜中すぎまでかかって洗いものを片づけたりしたものだ。
バスト婆さんは、(彼女はその頃グラスゴーに住んでいたので、この家の人たちのことは全然知らなかった)湯のみを下に置きながら、どういうわけであんな動物の骸骨なんぞぶら下げたのだろう、とふしぎがった。どこか外国で射ってきたものにちがいないね。
そりゃぁそうだろうよ、とマックナブ婆さんは追憶にふけりながら、いいかげんに言った、東洋にもお友達があったからね、ここにも見えてたよ、奥さん方はイヴニング・ドレスでね、わたしは、晩餐の席に皆さんがいらっしゃるところを、一ぺんドアのかげから見たことがあったよ。みんな宝石をつけてね、二十人はたしかにいたね、わたしは洗いものの手伝いをたのまれてさ、たぶん真夜中すぎまでかかったよ。
まあ、すっかり変ったもんだと思いなさるこったろうね、とバスト婆さんが言った。そして窓からのぞいた。伜のジョージが、鎌で草を刈っているのを見まもった。ケネディ爺さんが庭番をしていた筈だと思って、一体どんなやり方をしていたのだと、もちろんお聞きになることだろう。あれから爺さんは荷馬車から落ちて、すっかり脚が利かなくなった。そして一年位、少くとも季節の間ずっと、誰も手をかける者がなかった。それからディヴィ・マクドナルドで、種はまいたか知らぬが、どれだけ手をかけたものか、誰も知りはしない。ずいぶん変ったものだと思いなさることだろう。
彼女は伜が草を刈るのを見守った。彼は大した働き者だ、――黙々と働く方であった。さて、あの食器戸棚の始末にかからなくちゃ、と思う。二人は、われとわが身をはげました。
こうして数日のあいだ、家の中では大掃除をやり、外では草を刈り、土を掘りかえし、そのあげく遂に、掃除道具は窓の外へほうり出された。窓々は閉められ、家中の鍵がかけられた。入口のドアも閉められた。これで終りであった。
すると今度は、こうして掃除したり磨いたり、草を刈って積み上げたりしたのが、あたりをはらったかのように、そこにははんぱな調子の物音しか聞えなくなってしまった、耳に半分とらえてもすぐ消えてしまうような、途だえがちの音楽。不規則で途だえがちな、けれど何か話そうとするような、犬の声と羊の声、別々のものなのに何か関係がありそうな、虫の声と、刈り取った草のおののき、高くなり低くなりしながら、微妙にもつれてゆくように感じる、カナブンブンの耳ざわりな音と車輪の軋り音。耳はこれらの音を一つにまとめようとして緊張し、まさに調和しそうでもあるが、しかしいずれも十分には聞きとれず、決して完全に調和しないのだ。そのうちに日暮れになる、音は一つ一つ消えてゆき、調和させるまでもなくなり、やがて沈黙におちてしまうのである。日没にも鋭さがなくなった、霧が立ちのぼるように、静寂が立ち上り、静寂がひろがり、風は凪《な》ぐ。うつらうつらと世界はしぜんに眠りにおちてゆく、樹の繁みのかげを緑にみたす光や、窓辺に近い、白い花々を蒼白く照す光のほかには、その眠りをおそう光はなかった。
〔九月のある夜ふけ、リリー・ブリスコーがこの家に旅行鞄を運び入れた。同じ汽車で、カーマイケル氏もやって来た〕
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本当に平和はおとずれていた。平和のたよりが、海から岸へ吹いてきた。もはや眠りをさまたげるものはなく、むしろ深い休息へと誘いこんでくれるし、たとえ夢想家たちがどんなに神聖な、聡明な夢を描こうと、それに確証を与えてくれるだろう、――リリー・ブリスコーが、清潔になった静かな部屋で、枕に頭をのせて海にきき入った時、ひびいてきたあのささやきは、それ以外のなんだったろうか。開いた窓から流れてくる、この世の美しさが持つ声のささやき、ほとんど正確には聞きとれない位やさしすぎる声、――その内容を、はっきり言っても決して差し支えはないだろうに?――その声は、眠っている人たち(家はふたたび大勢になっていた、ベックウィズ夫人も来ていた、カーマイケル氏も)に、懇願しているのだ、もしもわざわざ浜辺まで降りていらっしゃるのがお厭なら、せめてブラインドを上げて、外をごらん下さいまし、と。そうすれば、紫色の衣の裾をなびかせた夜が見えますよ、頭に王冠をいただいております、その王杖《セプタ》には宝石がちりばめられています、そしてまあ、幼児でもみつめるにちがいない、彼のやさしい眼! それでもまだ皆さんはためらっていらっしゃるなら、(リリー・ブリスコーは旅の疲れで、ほとんどすぐ寝入ってしまったけれど、カーマイケル氏は、ローソクの明りで本を読んでいた)またもし皆さんが、そんなことは嘘だ、夜の華々しさなんか霧にすぎない、それよりまだ露の方が力を持っている、などとおっしゃって、眠りの方をお選びになるのなら、ではおとなしく、苦情や議論はぬきにして、この声が、唄をうたってお聞かせすることにしましょう。波は、静かにくだけるでしょう。(リリーは眠りの中で、それを聞いた)光は、柔らかに差すでしょう。(それが、まぶたを通して差してきたような気がした)カーマイケル氏は、本を閉じて眠りに入ろうとする時、なにやらすべてが、以前のあの頃と同じような気がする、と思うのであった。
夜のとばりがこの家をつつみ、ベックウィズ夫人やカーマイケル氏や、またリリー・ブリスコーをもつつんで、みんながその折重なる暗さの底で眠り込んでいる時、まことにあの声は、こうくり返えしたのかもしれない、なぜこれを受け入れようとなさらないんですか、なぜこれに満足なさらないんですか、この慰めと諦めに? みんなは、島のまわりで階音をもってくだける海の吐息になだめられていた、夜の中にくるまっていた、何ものにも眠りはさまたげられなかったのだ。やがて、小鳥がさえずりはじめ、暁が、ほの白さの中でかすかに声をふるわしはじめた、荷馬車がごとごと動き、どこかで犬が吠えた。太陽が、夜のとばりを押し上げて、人々のまぶたの上の蔽いをとり除いた。リリー・ブリスコーは、まだ眠りの中で身うごきし、ちょうど転り落ちる者が、崖の芝草にしがみつくように、自分の毛布にしがみついた。それから大きく眼を見開いた。ベッドの上にまっすぐ坐って、ああ、またここにいるのだ、と思った。さあ起きよう。
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三 燈台
では、それは何を意味するか、一体何を意味することができるか? リリー・ブリスコーは自問した、ひとり取り残されていたので、台所へ行ってもう一杯コーヒーをもらおうか、それともここで待っていようかと思案しながら。それは何を意味するか?――けれど、これは何かの本にあった|見出し語《キャッチ・ワーズ》で、ただ漫然と自分の考えごとをそれに托しているにすぎない。ラムジー一家と共に迎えたこの最初の朝、リリーは自分の感情をまとめることができず、その靄《もや》が消えてゆくまでの心の空白をうめるために、わずかに一つの文句をくりかえしているにすぎなかった。まことに、この長い年月の後で、ラムジー夫人の亡い今、ここに帰って来たリリーの感慨は何だったろうか? 何もない、何もない、――少くとも、口に出して言えるものは、何もなかった。
ゆうべ、夜もふけてからやって来て、その時はなにしろ真暗だし、何も分らなかった。いま彼女はめざめて、朝食のテーブルの、なじみ深い自分の席についていた。けれど一人きりであった。時間がまた特別早く、八時前であった。遠出をするところなのだ、――ラムジー氏と、カムと、ジェームズが燈台へ行こうとしていた。ほんとはもう出かけていなければならなかった、――潮どきをとらえるか何か、そんな理由で。それが、カムはまだ支度できないし、ジェームズも仕度できないし、ナンシーはサンドイッチを言いつけるのを忘れていた。それでラムジー氏はかっとなり、ドアを乱暴にしめて、部屋を出て行ったのだ。
「今から出かけて、どうなるのか?」とどなった。
ナンシーは消え去った。怒りにふるえながら、彼は高台《テラス》を登ったり降りたり、歩きまわった。まるで家中の、あちこちのドアがばたんばたんし、いくつもの声がどなり合っているように感じられた。するとナンシーがかけ込んで来た。そして、部屋の中を見まわし、半ばうっとりしているような、半ば絶望しているような、奇妙な様子でたずねた。「燈台へはどんなものをあげたらいいの?」いかにも、自分では到底やれないと思うことを強いてやろうとしているかのように。
ほんとに、燈台へはどんなものをあげたらいいのかしら? ほかの時ならきっと、リリーは、お茶とかタバコとか新聞とか、適当におしえられただろう。それなのにこの朝は、あらゆることがあまり異様に感じられていたので、「燈台へはどんなものをあげたらいいの?」とナンシーが言ったそんな質問も、ただ胸の中のあちこちのドアをあけただけ、そしてそのドアが、音を立てながら前後にゆれているばかり、呆然とその質問を自分に問いつづけているばかりであった。何をあげたらいいの? 何をしたらいいの? 結局、なぜここに、こうして坐っているの?
一人になって、(ナンシーはまた出て行ったので)長いテーブルの上の、きれいに洗ってあるコーヒー茶碗の列を前にして、彼女は他の人々から切り離されていると感じ、ただ、みつめたり自問したり、いぶかったりし続けることしかできなかった。この家、この席、この朝、すべてが自分には無縁のものに思われた。ここにはなんの愛着もない、なにが起こってもそれは自分に関係がない、という気がする。また、いま起こっているいろんなこと、廊下の足音、叫んでいる声、(誰かが、「それは食器戸棚の中じゃないわよ、踊り場にあるのよ」とさけんでいる)なんでもが、疑いの種になる。あたかも、いろんなものをひとまとめにしていた鎖の環が切れて、それら一つ一つが宙に浮き、下へ落ち、あげくにみんな、どこかへ失くなってしまうというように。すべてが無目的だ、混乱だ、なんの実感もない、と彼女は、空《から》になったコーヒー茶碗を眺めながら考える。ラムジー夫人は亡くなった、アンドルーは戦死した、プルーもまた死んでしまった、――何かを感じようとしてくり返えす、けれどそれが、なんの感慨もよび起こさない。そうして私たちは、このようなある朝、こういう一つの家に、たまたま集まる、と、窓の外へ眼をやりながらつぶやいた、――美しい、静かな日であった。
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不意にラムジー氏が、通りがかりに頭をあげて、まっすぐリリーを見た。とまどったような、野生的な、それでいて射ぬくような鋭い視線。あたかもあなたを、ほんの一時見る、生れてはじめて見る、永遠に見る、とでも言うようだ。それで彼女は、空《から》のコーヒー茶碗をとって飲むふりをした、その彼からのがれるために、――自分に向けられる彼の要求をのがれるために、横柄に彼が強要するものを、しばらくでもそらすために。彼は彼女を見ながら頭をふって、大股に去った。(『滅ぶ』とつぶやくのがきこえた、『孤《ひと》り』〔これらはこの後にひき続き引用されるクーパーの詩『漂流者』の中の言葉〕とつぶやくのがきこえた)するとその言葉が、この異様な朝の、ほかのいろんなものと同様、そこの灰緑色の壁いっぱいに浮き出てくる表象文字となった。もしそれをまとめて一つの文章にすることができさえしたら、きっとものごとの真実をつかめるにちがいないのだが、と思う。老カーマイケル氏が、しずかな足音でやってきて、コーヒーをもらい、その茶碗をもって、日向に腰をおろすために出て行った。極度の非現実的な感じというのはおそろしい、だがまた感動的でもある。燈台へ行くこと。けれど、燈台へはどんなものをあげるの? 『滅びぬ』『孤《ひと》り』向うの壁の、灰緑色の光。空席のならび。それらがみんな断片で、それをどうまとめたらいいのだろう、と考える。そして、いまこのテーブルに築く像は、ちょっとの妨害にもすぐこわされるとおそれるかのように、ラムジー氏が見ていないかどうか、窓の外をうかがった。どうしても逃げ出さなくちゃならない、どこかでひとりにならなくちゃ。不意に彼女は思い出した。十年まえ、ここに坐っていた時、テーブルクロースに小枝だか葉っぱだかの模様があって、はっと天啓を感じながら、それを見つめたことを。ある絵の前景に苦慮していた。あの木を真中に動かそう、と私はつぶやいたのだ。あの絵は、描きあげないままで放ってしまった。あれがこの年月、なんとなく心にかかっていた。今度こそあの絵を描きあげることにしよう。絵の道具はどこへやったかしら? 絵の道具。そうよ。ゆうべ、ホールへ置いてきたんだわ。さあ、すぐ始めよう。ラムジー氏がふり返らぬうちに、彼女はいそいで立ち上った。
リリーは椅子を一脚もち出した。そうして几帳面な、老嬢らしい動作で、芝生の端に画架を立てた。カーマイケル氏に近すぎぬように、だがまた、防禦の役に立ってもらえるように、なるべく近づいて。そう、十年前に私が立っていたのも、たぶんこの辺の位置だった。あの壁、あの垣根、あの木。問題は、あれらの量《マッス》をどう関連させるかだ。それがこの年月、ずっと心にかかっていたことだった。それがいま解決されたような気持になった、自分の描きたいものが分っていた。
けれど、ラムジー氏の脅威があるので、何も手につかなかった。彼が近づくたび、――テラスを登ったり降りたりしながら歩いているので、――破壊が近づき、混乱が近づくのだ。とても絵は描けない。彼女はかがんだり、ふり向いたりしている、ボロ布をとり上げたり、チューブをしぼったりしている。けれど、それもすべて、ひととき彼をそらすためにすることであった。彼のおかげで、何をすることもできない。もし彼女がうっかりチャンスを与えようものなら、もし、ちらとでも彼を見たりして、心の隙をのぞかせたりしようものなら、直ちに彼は側へ来て、「われわれの家庭もずいぶん変りましたよ」などと、ゆうべ言ったようなことを話しかけるにちがいないのだ。ゆうべ、彼は席を立ってきて、彼女の前に立って、そう言ったのであった。子供たちもみんないた、英国の王や女王の呼び方にならって、まわりで呼んでいた六人の子供たち――『赤毛』だの、『麗人』だの、『悪逆』だの、『残忍』だのと。――けれど彼らは黙りこくり、ただ眼を見ひらいているだけで、みんなは父の言葉に腹を立てているのだと、彼女は感じた。親切なベックウィズ老夫人は、なにか気のきいたことを言った。けれど、此処は、ばらばらの激情にみたされた家だ、――それは彼女が、その夜の席のはじめからずっと、感じていたことであった。その混沌の頂点で、ラムジー氏が立ってきて、彼女の手をつよく握って言ったのだ、「われわれの家庭もずいぶん変ったことが分るでしょうな」と。誰一人、身じろぎも、口を開くこともしなかった、言いたいことは勝手に言わしておくより仕方がない、と思っているようであった。ただ、ジェームズだけが、(彼はまず『暗欝』と呼ぶべきだろう)しかめ顔をランプへ向けた。またカムは、指へハンカチをくるくる巻きつけていた。その時ラムジー氏が、明日の燈台行きを、みんなに念をおしたのだ。七時半きっかりに、ちゃんと仕度をして、ホールにいること。それから彼は、ドアに手をかけながら足を止めて、ふり返った。みんな、行きたくはないのかね? とおしつけるように言った。もしはっきり、行きたくないと答えたなら、(彼がそこへ行きたいと思うのには、理由があるのだ)彼は仰向いて、悲劇的に、絶望の淵へ身を投じたかもしれない。そういうジェスチャは、彼の得意であった。彼は、流離の王のように見えた。ジェームズが、けわしい顔つきで、行きますよ、と言った。カムはもっとみじめに、窮していた。するとまわりで言った、ええ、行きますとも、この二人が支度をしますよ。それがリリーの胸を打った、悲劇だわ、――棺の黒布や、死体や経|かたびら《ヽヽヽヽ》ではなく、強いられる子供たち、屈従させられる魂の悲劇だわ。ジェームズが十六で、カムが十七でしょう、たしか。リリーは、そこにいない誰かを求めて、あたりを見まわした、たぶんラムジー夫人を求めて。だがそこには、ランプの下で自分のスケッチを繰《く》っている、親切なベックウィズ夫人がいるだけであった。そのうち疲れが出て、心はまだ海上にいるように、上下にゆれているし、久方ぶりのこの家の味やにおい、眼にちらつくローソクの光、そんなもので|もうろう《ヽヽヽヽ》として、何も分らなくなった。星のきらめく、すばらしい夜であった。みんなで二階に上がるとき、波の音がひびいていた。階段の窓を通りすぎるときは、蒼白い月があまり大きいのにおどろかされた。彼女はたちまち寝入ったのであった。
彼女は新しいカンヴァスを、画架の上にしっかりすえつけた。防壁というには頼りないが、それでもラムジー氏と彼の強要とを撃退するのに、十分役立ってくれるようにとねがった。そうして、彼が背を向けている間、絵にするところを見つめる努力をしてみる、あすこの線、あのマッス。けれど、問題にならなかった。五十フォートは遠ざけておこう、話しかけさせまい、こっちを見させまい、としても、彼は突きやぶり、打ち勝ち、押しかけてくるのだ。彼が何もかも変化させてしまう。リリーには、色が分らない、線が分らない、彼が背を向けていても、やはりそっちへ気をとられている、またじきに近づいてくるわ、――私ではとても与えることができないものを、強要しながら。彼女は一本の絵筆をおいて、別のをとった。あの子供たちは、いつ出てくるのかしら? いつみんなは出かけるのかしら? といらいらする。あのひとは、と考えると、憤りがこみ上げた、あのひとは、決して自分から与えはしない、奪うだけだ。その一方、私は与えることを強いられる。ミセス・ラムジーが与えたのだ。与えて、与えて、与えて、死んでいった、――こんな状態をあとに残して。ほんとうにリリーは、ラムジー夫人に腹を立てた。手にした絵筆をすこしわななかせながら、垣根を、石段を、壁を見た。何もかもミセス・ラムジーのせいだわ。あのひとは死んでしまった。ここにいる私、四十四になって、何をすることもできずに時間をむだにし、ただ立ちつくし、絵と遊び、決して遊びにする気ではないのに遊び、これもみんなミセス・ラムジーの過失だわ。あのひとは死んでしまった。いつもあのひとが腰かけていた石段は空っぽだ。あのひとは死んでしまった。
でも、どうしてこんなことを何度も何度もくり返すのかしら? どうして、今までに持ったこともなかったような感情を、こうしてじっと温めようとするのかしら? 何か冒涜的なかんじだわ。味気ない、しなびた、むだなことだわ。みんなが私を呼んでくれなきゃよかったのだ、私は来るべきじゃなかったのだ。誰でも、四十四になった者は、時間を浪費してなどいられないのだ、と思う。絵を描くことを遊びにしているのがいまわしかった。一本の絵筆。闘争と、破壊と、混沌のこの世で、ただ一つ頼るべきもの、――それを、たとえ故意にでも遊び道具にすべきでない、私はする気じゃない。でも彼がさせるのだ。彼が、おどしつけながら言っているような気がする、自分が要求しているものを与えてくれぬ限りは、絶対にカンヴァスに触れてはならないぞ、と。そしてまたもや、どんらんに、もの狂わしげに近づいて来た。いいわ、リリーは右手を下におとして絶望的に考えた、いっそやってみた方が簡単なのかもしれない。こうした機会にぶつかった時、多くの女たち(たとえば、ラムジー夫人)の顔にあらわれる、あの輝き、かの狂燥、あの屈従、私だってきっとそれを思い出しながら、真似ごとくらいできるでしょう、大ていの女たちは、同情をよせることに熱狂し、それによって報いられる喜びに熱狂して輝き出す、――ミセス・ラムジーの顔の表情が、眼に見えてくるわ。――その理由が私にはのみ込めないのだけれど、それによって彼女たちは明らかに、人間として味わい得る最高の幸福が与えられるらしいのだ。彼が来た、彼女の側に立ちどまった。さあなんでも、私があげられるものは差し上げますわ。
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この女も、いささか萎びたようだな、と彼は思った。どことなく貧相で、小じんまりしている、だが魅力がないわけではない。彼は彼女を好いた。以前、ウイリアム・バンクスと結婚するような噂もあったが、実現はしなかった。家内はこの女を可愛がっておったのだ。彼は朝食の時、また少々向っ腹を立てた。だから、だから、――こんな時なのである、自分ではそうとも意識せずに、誰か女性に接近せずにはいられぬ強い欲求にかられ、みさかいなしにその欲求をおしつけて、自分の欲しいもの、同情、を得ようとするのは。
誰かあなたには、世話をみてくれる人があるんですか? と彼が尋ねた。なにか不自由していることはありませんかね?
「ええ、ありがとうございます、おかげさまで」と、リリー・ブリスコーは癇性《かんしょう》に言った。だめだ、私にはできないわ。私は思いやり深くひろがる波にのって、たちまち彼へ漂い寄ってゆかなければならないのに。頑として自分を押えつけているものがある。それでも、そのままじっと我慢した。息苦しい沈黙のひととき。二人は海の方へ眼をやった。なんだってこの女は海を見るのだ、自分がここにいるのに、とラムジー氏は思う。燈台へいらっしゃるのに、海がおだやかだとよろしいですわね、とリリーが言った。燈台だって! 燈台だって! そんなものがなんだと言うんだ? と彼はいら立った。とたんに彼は、太古の爆発のように荒々しく呻いた、(もう到底自分をおさえていることはできなかった)それは、おそらくこの世の女なら誰にかぎらず、なんとか術《て》をほどこし、なんとか言葉をかけずにはいられなくなるだろうと思われるものだった、――まったく私だけだわ、とリリーは、苦々しく自嘲しながら考える、私は女じゃなくて、たぶん癇癖な、ひねくれ者の、干からび切った老嬢なんだわ。
ラムジー氏は存分に吐息した。そして待った。この女は何も言う気がないのか? こんなにおれが求めていることが分らないかね? とうとう彼が話し出した、燈台へ行きたいと思う特別の理由について。家内があすこの連中に、いつもいろんなものをやっておったのでね。燈台守の息子に、結核性の腰部関節を患っている、気の毒なのがいるんですよ。彼は深い吐息をした。由々しげな吐息をした。リリーが心にひたすら念願するのは、この悲嘆の洪水、この同情を求める底なしの飢え、この、たとえ私が今言いなりになろうと、なお永遠に捧げつくしでもしなければ、やはり悲しんでいるにちがいない強要が、一刻も早く自分から離れてくれること、早く何かにまぎれてくれることであった、(何か飛び入りでもあってくれればいいと、家の方を見つづけた)とにかくこの洪水に、私が呑まれてしまわないうちに。
「こんな遠出は、なかなか厄介なものですよ」とラムジー氏は、靴先で地面をこすりながら言った。それでもリリーは、何も言わなかった。(この女は丸太棒だ、石だ、と彼はひとりごちた)
「全くからだが参ってしまいますよ」と彼は、思わせぶりな面持ちで、自分のすんなりした手をみつめながら言ったので、リリーはむかむかした。(この男は芝居をやっている、この偉大な男が、自分で演出している、と思う)気味が悪いわ、ぶざまだわ。どうしてみなは来ないのかしら、と思う、もう一刻もこの悲哀の大きな圧力に耐えられない、この悲しみの重い装束を支え切れない、という気がする。(彼は、老衰し切ったというポーズをし、そこに立ったまま、少しよろめいたりして見せるのだ)
それでも彼女は、何も言えなかった、そこに見渡す水平線が、話すべきことがらを洗い去ったかのようである、感じられるのはただ、そこに立つラムジー氏の眼差しがあまり暗いこと、それが陽に映える草の上に落ちると、その輝きをうばうことに驚いているだけであった。またその視線は、デッキ・チェアでフランスの小説を読んでいるカーマイケル氏の、血色のよい、うつらうつらと満足し切っている姿の上にも、黒い紗のヴェールを投げかけているように見えた、あたかも、災禍にみちた世の中に、繁栄を見せびらかすようなああいう存在は、最も不吉なあらゆる思念をかき立てずにはおかぬ、と言いたげに。あいつを見てごらん、このわたしを見てごらん、と彼は言いつづけているような気がする。実際に彼は、四六時中気にかけつづけているのだ、おれのことを考えてくれ、おれのことを考えてくれ、と。ああ、あの巨躯を、この私たちの側へよせることができさえしたら、とリリーは思う、もうほんの一、二ヤード彼の方へ近く、画架を立てればよかったのだ、男であれば、どんな男でもこの激情のほとばしりを食いとめられるだろう、この愁嘆をやめさせられるだろう。女のゆえに、こんな忌まわしさをかき立てた。女のゆえに、こういう場合をどう処理するか知っているべきなのかもしれないけど。だまって突立っているなんて、女として大いに不名誉なことなのだ。ほかの女なら言うわ、――さて、なんと言うかしら?――おや、ラムジーさん! お気の毒なラムジーさん! あのスケッチをしている、お人好しのベックウィズ老夫人なら、直ちに、上手にそう言うだろう。でもどうにもならない。いまの二人は、ほかの人たちの世界から切りはなされて、そこに立っているのだ。彼のかさにかかった自己憐憫と、同情の要求があふれ、彼女の足許へひろがって水たまりになる、すると、哀れな罪人なる彼女のなし得たことは、スカートがぬれないようにと、少し引きよせて、|くるぶし《ヽヽヽヽ》の辺へまきつけるだけであった、彼女は絵筆をにぎったまま、黙りこくって立っていた。
なんとありがたい天の救い! 家の中から、物音が聞えた。ジェームズとカムが来るにちがいなかった。ところがラムジー氏は、終りに迫ったひとときを意識したかのように、さまざまの憂鬱をひとまとめにして、孤立している彼女へ押しつけてきた、その老齢を、その脆さを、その寂寥《せきりょう》を。そして、苦悶のあまり、待ち切れなそうに頭をふった、――つまり、どんな女だって、これほどの自分を放っておけるものではない、と思うので。――その時、彼は、自分の靴紐がとけているのに気づいた。それにしても、なんて素的な靴だろうと、リリーはそれを見ながら思った、彫模様がある、ぱりっとしている、ラムジー氏の身につけているすり切れたタイや、半分ボタンのちぎれたチョッキや、その他のものと同様、まちがいなく彼のものである。たとえ彼がいなくとも、その靴がちゃんと、彼の悲哀や、横柄さや、不機嫌や、また愛嬌を表しながら、ひとりで彼の部屋へと歩いてゆくのが、眼に見えるようだ。
「なんて素晴しい靴!」と彼女はさけんだ。そしてひとりで恥じ入った。彼が、その魂をなぐさめてほしいと求めている時に、靴をほめるなんて。血を流している手や、はり裂けんばかりの胸を示して、それを憐れんでほしいと言っている時に、陽気そうに、「ええ、だけど、あなたはなんて素敵な靴をはいていらっしゃるんでしょう!」などと言うなんて。それは彼の、あのだしぬけの、癇癪の怒声や、完全な暴圧をうけるに十分だと思い、覚悟をして顔をあげた。
ところが、ラムジー氏は微笑したのだ。彼の棺を蔽う布、彼の装束、彼の弱さがはなれた。うん、と彼は言い、彼女によく見せるために、足をもち上げた。これは第一流品だよ。こんな靴を造れる者は、イギリス中にたった一人しかいないよ。靴という|やつ《ヽヽ》は人類の最たる悩みだからね、と彼が言った。「靴製造人は」と、彼はどなった、「人間の足をびっこにしたり、痛めつけたりすることを商売にしとるんだから」それに彼らは、最も頑固でひねくれた人類でもあるんだ。まんぞくに造られた靴を手に入れるために、だからわたしは青春時代の大部分を費してしまいましたよ。彼はリリーに、こんなにも形よく造られた靴はかつて見たことがない、と十分感じさせたかった。(彼は右足をあげ、次いで左足を上げた)これは、革もまた世界一のものだからね。大ていの革は、単に茶色をしている紙か厚紙だよ。彼はなお、片足を宙に浮かせて、満足そうにながめた。私たちはやっと辿りついたわ、とリリーは感じた、平和が住み、正気が支配し、太陽がつねにかがやく、日向《ひなた》の島、立派な靴のある祝福された島へ。彼に対する気持が温かくなった。「ところで、あんたはどんなに上手に靴の紐が結べるか、やってごらん」と彼が言った。彼は、その頼りないやり方をくさして笑った。そして、自分の工夫したやり方を教えた。いったんこう結んだら、絶対にほどけないからね。三度、彼は彼女の靴紐をむすび、三度それをほどいた。
こうして彼がリリーの靴の上にかがんでいる、このまことに妙なちぐはぐの瞬間に、どうして彼女はそれほどにも彼に対する同情に苦しめられたのだろう、せつなくなって自分も一緒にかがみ込むと、こんどは顔に血がのぼり、自分の薄情さが思われ、(このひとのことを役者だなどと言ったりして)眼がしらが厚ぼったくなり、涙に痛むのであった。そんなにしている彼の様子には、限りない悲愁があった。彼の紐は結んである。靴は買ってある。これから出かけようという旅行について、ラムジー氏に手伝うことは何もなかった。けれど、今リリーは何か彼に話しかけたいと思った、しかし話し出すことができたにしろ、たぶんそこへ彼らがやってきただろう、――カムとジェームズが。二人がテラスに現れた。二人はのろのろやってくる、まじめくさった、憂鬱げなひと組であった。
でも、なぜ|あんな《ヽヽヽ》様子をしているのかしら? リリーはその子供たちに心が痛んだ、もっと楽しげに、いそいそとしてもよさそうなのに。そして今私が与えようとして与えそこなったものを、あの子供たちが父親に与えてもよさそうなものなのに。リリーは不意に、空虚さと失意におそわれたのだ。私の感情のうごきはあまりのろすぎた、ようやく用意される、だがその時はもう彼は、そんなものを全然必要としなくなった。彼は非常に立派な老年の男になり、どっちみち彼女は必要でなかった。リリーは、無視されたと感じた。彼はリュックサックを肩にかけた。紙包みを分配した、――茶色の紙で不細工につつまれた包みが、いくつもあった。彼は、外套を取りにカムを行かせた。彼には、遠征の準備をするリーダーの風貌があった。やがて、くるりと背をかえすと、彼は先に立って、しっかりした軍隊の歩調で歩き出した、あの素晴しい靴をはき、茶色の紙包みを抱えて降りてゆくと、そのあとに子供たちが従った。あの子供たちはまるで、何かきびしい試練の犠牲に捧げられる、宿命を負ってでもいるようだ、とリリーは思う、そのために彼らは出かけてゆく、まだ子供だから、無言のうちに二人は、年齢の及ばぬ何ごとかに苦悶しているという気がするわ。そんな風にして出て行ったのだが、見ているうちにリリーは、それがごく普通の感情で結ばれている親子の行列であるように思えてきて、そのために、ためらいがちなばらばらの一団が、緊密により添っているような、奇妙な印象であった。歩きながら、ラムジー氏は、ていねいに、しかし非常に他人行儀に、手をあげて彼女へ挨拶した。
それにしても、なんという顔だろう。リリーは、もう求められなくなった同情のやり場に、不意に苦しめられながら、そう思った。どうしてあんな顔ができたものかしら? きっと、夜ごとに考えつづけたからだわ、――台所用テーブルの実在について。かつて、ラムジー氏は一体何を考えているか分らないと言った時に、アンドルーが教えてくれた表象物を思い出したのだ。(彼も砲弾の破片で即死してしまった、と彼女は思い沈む)台所のテーブルと言えば、形をもった単純なもの、大たい装飾的ではなくて、素はだかの堅いものだ。色は塗らないし、縁や角ばかりの、いかつく平板なものである。ところがラムジー氏は、じっとその上に眼をすえたまま、わきへ気をそらしたり、迷ったりするのを堅く自分に禁じて来たために、その顔もまたすり減り、禁欲的になり、あの深い印象をあたえられる、かざり気ない美しさを帯びるようになったのだわ。それに、と彼女は思いかえす、(彼に取り残された場所に、絵筆をにぎって立ったまま)苦悶に悩まされもしたのだわ、――あまり尊い悩まされ方でないにしても。きっとあのテーブルに対してさまざまな疑惑を持ったにちがいない、そのテーブルが本物のテーブルであるかどうか、それに対して彼の時間を費すことが、果して価値あるかどうか、結局、それを発見し得るかどうかについて。あのひとは疑惑に悩まされていたのだわ、でなければあんなに人を求めなかった筈だ、と彼女は思う。時々夫妻で夜おそくまで話し合っていたのもそのためだったのだ、そんな翌日は、ラムジー夫人が疲れているように見えるので、リリーは些細なことにも、すぐ彼に腹を立てたものだった。けれど今彼には、あのテーブルや、自分の靴や、あるいは紐の結び方について、話をする相手がなくなった。彼は、食い殺す相手をさがしているライオンのようになり、その顔には、彼女をおびえさせ、スカートを脚のまわりにたぐらせる、あの絶望や誇張の色があらわれた。そうかと思うとあの突然の蘇生、突然の輝き(靴をほめた時のような)がある、また世間一般の事柄へ、突然精力や関心を回復させてくることがある、だがそれもまた消え去り、変化する、(彼はたえず変り、それを隠しはしないのだ)そうして、更にちがった、あの奥の奥の姿を見せるのである。事実、いまの彼は、懊悩も野心も、同情されたい要求、賞讃されたい欲望、そんなものをみんな洗い流して別の世界に入り、肉親の小さな行列の先頭に立ち、相手があるのかないのか、無言の会話を胸のうちで交しながら、好奇心にかり立てられて進んでゆくように見えるのだ、それはリリーのかつて知らなかった彼で、彼女は自分の腹立ちっぽさを、恥じ入りたくなるのであった。なんという非凡な顔! 門のところで、扉の音がした。
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いよいよ行ってしまったわ、と思い、リリーは安堵と失望とで、吐息した。同情心が自分の顔へ、ちょうど茨がはね返るように返ってくる気持である。自分が奇妙に二分されたのを感じる、一方は向うへ一緒に曳きづられてゆくようだ、――靄のある静かな日、今朝、燈台は特別遠く見える。そしてもう一方は、ここのこの芝生に居すわって、頑と動かぬらしい。カンヴァスを見ると、それは宙に浮き上ってから、勝手に彼女の真正面へ来て、真白く強情に構えているような気がした。いかにも冷たい眼をして、彼女の焦燥や興奮を、また愚かな振舞いや感情の浪費を、責めているように見えた。彼女はぎくりとして我に返った。すると、乱れた感情(彼は行ってしまったわ、私は彼をほんとに気の毒だと思っていたのに、何も言わなかったわ)が、あわてて去った後で、はじめて心の中に平和がもたらされた。そしてそれに続く空虚さ。彼女は白いかたくなな凝視をつづけるカンヴァスを、ぼんやり見た、そのカンヴァスから、庭へ眼を移した。そこには何かがあった、(彼女は、小さくしぼんだ顔の、中国人のような小さい眼を細めた)そこの、真すぐのびた線と細かく刻まれている線との関係によって、また、緑の間に青や茶色の見える、垣根のマッスによって、思いうかべるものがあった、それは、彼女の心にたえずとどまっている絵なのだ。それは彼女の心に結び目をつくってあるので、たとえばブロムトン通りを歩いている時とか、髪にブラシをかけている時とか、そんなふとした折、自分がほとんど無意識に、その絵を描いていたり、見ていたり、想像の中の結び目を解いていたりするのに気づくのであった。けれど、カンヴァスを離れて、そのように空《くう》に構図するのと、実際に筆をとって、最初のひと筆をおろすのとでは、全然の相違であった。
彼女は、ラムジー氏がいる昂奮のために筆が動かなかったし、画架は、あまり焦らいらしながら地面へ突き差したので、傾斜していた。そこで改めてそれを直し、またそれを直すことによって、もろもろの雑念をおさえつけた。とかく気を散らされることども、また自分はかくかくの人間だとか、世間の人たちのつながりはかくかくだなどと、考えさせられることを。そうして絵筆をもち上げた。ひとときそれは、辛いがまた楽しい恍惚感で、宙にふるえた。どこから始めようか?――それが問題なんだ、どの見当に最初の筆をつけるかが。カンヴァスにのせる一本の線によって、無数の危険にのぞみ、後へは退けぬつづけざまの前進の覚悟をさせられるのだ。観念では単純に考えられることも、実行にうつすと、直ちに複雑化する、ちょうど、崖の上から見るとほとんど平らに見える波の形も、その中に飛び込んだ泳ぎ手には、急降下する波底と、あわ立つ波頭に分れているように。でもその危険をおかすより仕方がない、筆はおろさなければならない。
前進へかり立てられる一方、自分を遮二無二引き戻そうとするような、奇妙な肉体的の衝動によって彼女は、素早い、決定的な最初の一撃を加えた。筆は下へ動いた。それは、白いカンヴァスの上で、茶色に断続する、走る一つの絵筆の跡をのこす。二度目をやる、――また三度目。そうして休んだり描いたりすることに、ダンスのようなリズムのある動きを持った、休んでいる間も、描いている間と同じように、リズムの中に入り、全体が流れてゆく、それで、軽く敏捷に、休んだり描いたり、カンヴァスの上に、茶色の神経的な線を、つづけざまに描いてゆく、すると、それらがそこに落ちついたかと見る間に、突然つくり上げてしまったのだ、一つの空間を。(それが、自分に向って、ぼーっと現出したかのように思われた)一つの波底に落ちこんで、リリーは、次の波がぐんぐん高くそびえ立ってゆくのを見た。それと言うのも、あの空間以上におそろしいものが、またとあるだろうか? それを見つめるために、うしろへさがりながら彼女は考えた。ここでふたたび私は、無駄話や、生活や、人々との附き合いから曳きずり出されて、このおそろしい宿敵と向い合うことになったわ、――この別種のもの、この真実、この現実、これが突然私に手を下す、これが、目に映るものの背後に、強《こわ》おもてで現れて、私に注視するように命令する、彼女は半ば渋り、半ば反撥した。なぜたえず、曳きずられ、強制されねばならないのだろう。なぜ、芝生にいるカーマイケル氏と話ができるように、そっと放っておいてはくれないのだろう。いずれにしろ、不当な交渉というものだわ。他の尊敬すべきものは、尊敬さえしていれば満足しているのだ、男でも、女でも、神でも、みなこちらが平伏していればそれでいい、しかしこの交渉となると、たとえそれが、柳のテーブルの上にぼんやり見える、白いランプの笠一つだったとしても、人をたえまない格闘にかり立てるし、また戦いを挑んでくる、しかもそれはこっちの負けと決っているのだ。彼女は、絵に集中しようとして日常生活の流れを変える前にはいつも、(それは自分の性格のせいか、女であるせいか、いずれとも分らなかったが)自分が風の吹きすさぶ尖塔の上でふるえながら、なんの庇護物もなしに疑惑の嵐にさらされている、まだ生れ出でない魂、肉体を奪いとられた魂だと感じる、素裸にされた幾時かがあった。ではなぜ絵など描くのだろう? 断続する何本かの線が軽く描かれたカンヴァスへ眼をやってみる。女中部屋にかけられるのがおちかもしれない。巻いてソファの下に押し込まれるかもしれないわ。それなら、描いたとてなんの値打ちがあろう、お前に絵は描けない、お前に創造することはできない、と言っている声が聞えてくる、それはある時以来、心の中に形づくられた習慣的な流れになり、最初にそれを言ったのは誰かも考えずに、ただその言葉のくり返しを聞いているという風であった。
絵は描けない、ものは書けない、と彼女は一本調子につぶやきながら、これを反撥するのにどんな策があるだろうかと、心もとなげに思案する。と言うのも、眼前にあるそのマッスが、こっちへつめ寄って来て、自分の眼球が圧しつぶされそうに感じるからである。だがそうしているうち、彼女の機能を潤滑にする液体が、自然に湧き出てきたかのように、おぼつかなげながら、青と濃茶色に筆を染めて、あちこちと動かしはじめた。しかし、さっきよりは重々しい、おそい動きになっていた、目前に見るもの(彼女は、垣根とカンヴァスだけを見つづける)から与えられたリズムに落ち着いてきたかのようである。このリズムは、彼女の手が生の力でふるえても、その奔流に乱されない、十分強いものであった。明らかにリリーはいま、外界のことどもを意識するのを忘れてしまった。外界への意識を忘れ、自分の名前も個性も容貌も、カーマイケル氏がそこにいるかいないかも忘れた時、彼女の心は、その奥底から無数の風景や、名前や、言葉や、記憶や観念を、泉のように噴きあげはじめ、そうして、いま緑や青で描いている間でも忌まわしく不機嫌に、白々と光っているあの空間へ向って、それらを投げつづけるのであった。
チャールズ・タンズリーが、いつもそう言っていたんだ、と彼女は思い出した、女には絵は描けない、ものは書けない、と。ちょうどこの位置で描いていた時、彼はうしろから来てすぐ側に立った。私の大嫌いなことをやったのだ。「|粗きざみ《シャグ》タバコですよ」と彼が言った、「一オンスが五ペンス」と、自分の貧乏や主義をひけらかしながら。(とは言え、戦争が彼女の女らしい刺をぬき取ってしまったけど。情けないことだ。両性がそう混乱してしまっては)彼はいつも小脇に本をかかえていた、――紫色の本を。彼は『勉強』した。太陽のまぶしい下に坐って、勉強していた彼をおもい出す。食事の時は、きっとみんなの視線の集るところに坐った。それから、浜辺でのあの場面、と彼女は思った。あれは決して忘れることができない。それは、風のある朝のこと。みんなで浜辺へ出たのであった。ラムジー夫人は岩によりかかって、手紙を書いていた。せっせと書きつづけた。あげくに顔を上げ、海に浮んでいるものを見て、「おや」と言ったのだわ、「あれはえび獲りの|わな《ヽヽ》籠? あれはひっくり返っているボート?」夫人はひどい近眼だから見えなかった。そしてその後のチャールズ・タンズリーと言ったら、とてもいい人だったわ。彼は水切り遊びを始めた。それで私たちも、小さくて平らな、黒い小石をえらび、それを投げて、波の上をスキップさせていた。時々ラムジー夫人は眼鏡ごしに、跳ねてゆく石を見て面白がった。私たちがどんな話をしたかは忘れたけれど、ただチャールズと私とだけで石を投げていたので、急に二人はしっくりし、するとラムジー夫人は、じっとその私たちを見守っていたのであった。それは強く意識にのこった。ミセス・ラムジー、とリリーは考えながら、後しざりして眼をほそめた。(あのひとがジェームズと一緒に、石段の上にいてくれたら、構図はぐっと変るのだけれど。あすこに影がある筈だから)ミセス・ラムジー。リリーは、あの時の、水切り遊びをしていた自分とチャールズや、浜辺の風景全体を思いかえす時、それらがすべて、あの岩かげで、膝に便箋をのせて手紙を書いていたラムジー夫人にかかって行くような気がした。(ずいぶん沢山手紙を書いていたっけ。時々風に吹き飛ばされ、チャールズと私で、あやうく海へ行ってしまう一枚を助けたのだわ)それにしても、人間の魂には、なんという力があるものだろう、と彼女は考えた。岩かげで手紙を書きながら、ただ坐っていたあの一人の女性が、あらゆるものを単純化したのだから。憤りとか焦燥とかを、古|ぼろ《ヽヽ》のようにはらいのけてしまう、そして、これやあれや、またこれやと寄せあつめ、みじめな無思慮や執念の中から何かを造り出したのだ、(チャールズと私は、言い合い、反目し、無思慮で執念深かったわ)何かを。――たとえば、浜辺でのあの場面、友情と好ましさにみちたひととき。――それは、この長い歳月の後にも完全によみがえってくるので、それを思い出しさえすれば、彼の記憶を造りかえることもできるし、またそれは一つの芸術作品のように、胸の中にとどまっているのだ。
「一つの芸術作品のように」とくり返して、リリーは、カンヴァスから客間の石段を見、また視線を元へもどした。少し休んだ方がいいわ。そこでひと休みし、まわりのあれからこれと、ぼんやり眺めていると、魂の空をたえずかすめ過ぎているいつもの疑問が、彼女の上で止まり、腰をおろし、心を暗くしてしまった、それは今のように、緊張させていた機能を解放した瞬間、このときとばかりにやってくる、茫漠とした一般的な問題。人生の意義とは何だろうか? それだけのこと、――単純な疑問、年齢と共に身近かくなってくるもの。大悟の域にはまだ達し得ない。おそらく大悟なるものには、決して達しないだろう。ただそれに代って、暗やみの中に思いがけず光るマッチのような、日々の小さい奇跡や輝きはある、今のもその一つなのだ。あれとこれと、またその他のもの、私とチャールズ・タンズリーと、くだける波と。それらを一つにまとめてくれたラムジー夫人。「生はここに静かに立っているのよ」と言っていたラムジー夫人。その瞬間瞬間を、永遠のものにしたラムジー夫人。(リリーはちがった分野で、瞬間を永遠のものにしようと努力してきたのだ)――これは悟りの心境である。混沌のただ中に形がある、この絶え間ない推移と流転(彼女は、ゆく雲と、揺れる木の葉を見る)が、不変なものに固定される。生はここに静かに立っているのよ、とラムジー夫人は言った。「ミセス・ラムジー! ミセス・ラムジー!」と、リリーはくり返す。この悟りは、あなたのお蔭ですわ。
あたりは静寂そのものであった。家の中でも、まだ誰も動き出さない。窓に木の葉の緑や青を映しながら、朝日の中で眠ったままの家を見た。ラムジー夫人をおもうそこはかとない想いは、その静かな家や、靄や、美しい朝と調和していた。そこはかとなく、夢幻的で、まことに純粋であり、快よかった。誰も窓を開けたり、家から出てきたりしませんように、こうして一人きりで考え耽ったり、絵を描いたりしていられますように、と願う。カンヴァスをふり返ってみる。けれど、ある好奇心にそそのかされ、また、心に同情を押えつけている不快にも追われて、下の浜であの小さい一団の船が出るのが見えないかと、芝生のはずれへ一、二歩よって行った。下では、浮んでいるいくつものボートのあいだで、いま帆を捲いているのがあり、非常に波がおだやかなために、いかにものろのろと動き出してゆくのがある、また他のから少し離れたところにも一艘ある。それは今ちょうど帆をあげかけているところ。リリーは、その遠くにあるひっそりと静かなボートの中に、ラムジー氏が、カムとジェームズと共にいるのだと決めた。さて、帆は揚げ終った。そしてひとときちょっとはためき、逡巡したのち、帆はふくらんだ。深い静寂の中で、そのボートが他のボートのあいだをすりぬけ、悠然と海へのり出してゆくのを、彼女は見守っていた。
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帆が、乗っている人たちの頭上でたるんだ。かるく揺れる波が舷側《ふなばた》を叩くだけで、ボートは陽光を浴びながら、動かなくなり、まどろんでしまった。時折、微風をうけて帆はさざなみ立つが、それもひとわたり波打つだけで止んでしまう。ボートは全然動かなかった。ラムジー氏は、ボートの真中に坐っていた。お父さんは今にも癇癪を起すぞ、とジェームズは思った。カムもそう思った。二人は父を見ていた。彼は二人の間の、ボートの真中で、きちんと脚を折りまげていた。(ジェームズは舵をとっていた。カムはひとりで舳《へさき》に坐っていた)彼は愚図々々しているのがやり切れなかった。少しそわそわしてから果して、マカリスターの伜の方に、何かけんつくを言った。それで伜は、櫂《かい》をとりあげて漕ぎはじめた。だが、父は飛ぶように走らなければ満足しない、と子供たちは知っていた。お父さんは、風が立つのを待ちあぐねていらいらし、ぶつくさ呟くことだろう、それはマカリスターと伜の耳に入り、二人は凡そ不愉快にさせられることだろう。われわれを引っぱり出したのはお父さんじゃないか。無理やり連れ出したんじゃないか。二人は腹が立ち、風なんか全然出て来ないように、せいぜいお父さんが苦しめられるように、と願った、われわれの意志を無視して、無理に引っぱり出したんだから。
浜辺へ降りてゆく間ずっと、父が「急げ、急げ」とせかすのもかまわずに、二人は無言でうしろの方から、のろくさと歩いた。頭を垂れていた、頭が、ある無慈悲な強風に押えつけられていた、父と話すことなど、とてもできなかった。彼らは行かされるのだ、従わされるのだ。茶色の紙包みをかかえて、父の後から歩くより仕方なかった。けれど、そうして歩いている間に、二人は協力することを誓い合い、強力な同盟をむすんだのであった、――死んでも暴圧に抵抗するという同盟を。そこで二人はわざと、それぞれボートの端と端に、無言で坐ったのだ。全然ものを言わなかった、ただ時々、脚をまげて坐っている父が、顔をしかめたり、いらいらしたり、ふん! とか、チェッ! とか言ったり、ぶつぶつひとり言を呟いたり、じりじりと風を待ったりしているのを、見やるだけである。そして二人は、海が凪ぐのを祈った。父がやりこめられるのを祈った。この遠出が失敗に終り、包みをかかえて浜辺に戻らざるを得なくなるのを祈った。
だがいま、マカリスターの伜が少し漕いでゆくうちに、帆がゆっくりとひろがり出し、自然にボートは速くなり、自然に平らになって走り出した。たちまち、非常な緊張がゆるんだというように、ラムジー氏は脚をのばし、タバコ入れをとり出して、ぼそぼそ言いながらマカリスターに手わたした。姉弟にとっては忌々しいことながら、父がすっかり満足したのが分った。さてこうして何時間か帆走することだろう、お父さんはマカリスター老人に何か尋ねるのだろう、――去年の冬の大|しけ《ヽヽ》のことなんか、――マカリスター老人はそれに答える、一緒にパイプをふかす、マカリスターはタール塗りの綱を手にとって、結び目をつくったり解いたりする、伜の方は、誰とも口をきかずに魚を釣る。そしてジェームズは、たえず帆に眼を注いでいなければならなくなる。もし油断すると、帆がしぼんでふるえ出し、ボートがのろくなり、するとお父さんは気短かに、「気をつけろ! 気をつけろ!」とどなり、マカリスター老人が、自分の席からゆっくりこっちをふり向くのだ。案の定、父が、クリスマスの時の大|しけ《ヽヽ》について尋ねているのが聞えた。
「あの岬をまわって、やって来ましてな」とマカリスター老人は、去年のクリスマスの、その大|しけ《ヽヽ》をもの語り、十隻の船がこの湾へ避難してきて、「あすこに一隻、あすこに一隻、あすこに一隻」いるのが見えたと言った。(彼はゆっくりと湾の中をそちこち指さした。ラムジー氏は頭をめぐらしながら、その指さす方を見た)三人の男たちが、マストにしがみついているのが見えた。そして船は沈没した。「とうとうわれわれは船を出しましたよ」と彼は続けた。(だが、むっとしてボートの両端に坐り、死んでも暴圧に抵抗する同盟で黙りこくっている二人は、時たまその言葉の端々を耳にするだけであった)漁夫たちはとうとう船を出した、救命艇を出したのだ、そして、岬の外まで行った、――マカリスターは、そういう話をした。姉弟は、その話はほんの所々の言葉しか聞きとれなかったけれども、父については終始、意識していた、――前にのり出したその様子、マカリスターの声に自分の声をあわせているその調子、パイプをふかし、マカリスターの指さす通りにあちこちを見、嵐や、闇夜や、奮闘する漁夫たちを考えて非常に楽しんでいること。彼は、夜の風の凄まじい浜で、男たちが筋骨と頭脳と両方で、波や風と格闘しながら働き、汗を流すというのが好きなのだ、また、彼らがそのように働き、女たちが家をまもり、室内で眠る子供たちの側におり、一方嵐の中では溺れている男たちがある、というのが好きなのだ。それがジェームズに分った、カムにも分った、(二人は父を見、また互いに見合った)嵐に追われてこの湾へ来た十隻の船について、マカリスターにいろいろ尋ねる時の、父のからだの揺すり加減、緊張味、声のひびき、その声にまじる、ちょっと百姓臭いスコットランド訛、などによって分った。船はその中で三隻が沈んだ。
ラムジー氏は、マカリスターが指さす所を誇らしげに見た、するとカムも、なぜともなくその父を誇らしく感じた。もしお父さんがそこに居合せたら、きっと救命艇を走らせて難破船に達したわ、とカムは思う。お父さんは、勇敢で、冒険心があるから。けれどカムは気づいた。同盟があるわ。死んでも暴圧に抵抗すること。あたしたちは苦痛に押しつぶされたのだわ。強制され、命令されてきた。自分が燈台へこんな包みを持って行きたいために、あたしたちにも言うことを聞かせようと、こんな美しい朝、お父さんはまたしても、あの憂鬱と権力をふるった。死んだ人々の供養だと、自分の喜びのためにやる行事に、あたしたちも引き入れようとする、あたしたちは嫌だわ、いやいや従うだけだわ、この日の喜びは全然台なしだわ。
遂に風があらたになった。舟は傾斜をもち、水はするどく切られて、滝となり、飛沫となり、奔流となって落ちた。カムは、無限の宝石をその底に秘める海を、飛沫の中を、のぞき込んだ。スピードのためにねむ気をもよおしてきて、ジェームズとのつながりが多少ゆるんだ。少々なおざりになった。なんて早く走るんでしょう、などと考えはじめた。あたしたちはどこへ行くんでしょう? カムがそうして船の動揺にうつらうつらし出したとき、一方ジェームズは、帆と水平線上に眼をすえて、気むずかしげに舵をとっていた。だが彼は舵をとりながら、逃げ出せないだろうかと考えはじめていた、なんとかこの場をのがれるわけにはいかないものか。どこかに上陸できないかしらん、そうすればもう自由なんだが。二人はひととき顔を見合い、逃げたいと感じ合い、このスピードと気持の変化に興奮した。だが興奮と言えば、ラムジー氏もそよ風のために同じように興奮していた、マカリスター老人が、釣糸を海へ投げようとしてふりむいた時、彼は大声で叫んだのだ、「ひとは滅びぬ」またつづけて、「孤《ひと》りにて」そしてそのあとでいつものように、後悔か羞恥かにゆさぶられて気を取り直し、岸の方へ手をふり上げた。
「あのちっぽけな家を見てごらん」彼はカムに見せたいと思って、指さしながら言った。カムは、しぶしぶからだを起こして見た。でも、どれがそうなの? 向うの丘の上の、どれが自分の家なのか、もう彼女には見わけがつかなかった。どれもが、遠い、平和な、見知らぬ家に見える。岸は遥かかなたに、夢のように美しく見えた。いま帆走してきたわずかな距離でも、すでに遠くはなれ去り、岸辺は変った眺めになり、もう自分たちには縁のない、やや中くぼみの、整った眺めになっていた。あたしたちの家はどれなの? カムには分らなかった。
「さあれ我は荒海のもと」と、ラムジー氏はつぶやいた。彼には自分の家が分るので、それを見ていると、そこにいる自分もまた見えてくるのだ、ただひとりで高台《テラス》の上を歩いている自分を見た。その自分は花甕のあいだを、登ったり降りたりしている、その自分は、非常に老い、腰もまがって見える。そこですぐさま彼は、ボートの中で、自分の役割を演じるべく腰を折りまげ、うずくまった、――妻に先立たれ、取り残された男の役割。そうして、自分に同情をよせてくれる人々を、大ぜい眼の前によび集める、ボートの中に坐ったまま、自分自身のために演じられる小さな芝居だ、それには彼の老衰と、疲労困憊と、悲痛をあらわす必要がある、(彼は両手を持ち上げてみて、それがやせ細っているのを眺め、自分の夢想を保証する)そこで彼には、女たちの同情がふんだんに注がれる、その女たちがどんなに自分を慰さめ、どんなに同情してくれるかを想像し、夢想の中で、その同情によってこの上もない喜びを得た時に、彼は吐息し、静かに、かなしげに言った、
『さあれ我は荒海のもと
淵また淵の底に沈みぬ』
その悲しみにみちた言葉が、誰の耳にもはっきりと聞きとれた。カムは自分の席で、なかば飛びあがった。彼女は打撃をうけた、――蹂躙された。その動きによって、父は我にかえった、そして、からだをふるわせて突然叫んだ。「ごらん! ごらん!」それがあんまり急調子だったので、ジェームズも頭をふり向けて、肩ごしにその島を見た。みんなも見た。みんながその島を見た。
けれど、カムは何も見ることができなかった。自分たちがその島で暮してきた生活に深いつながりを持つ、あのいくつもの小径も芝生も、みんな滅びる、拭い去られる、消え去る、みんな幻だと考えつづけた。そして、いま現実のものはこれだわ、このボートと、つぎの当った帆、耳輪をしているマカリスター、波の音、――これはみんな現実。そんなことを考えながら、「ひとは滅びぬ、孤《ひと》りにて」と、ひとりで呟いている。父のその言葉が、深く押し入ってくるために。うつろにどこかを見つめているこのカムに気づいた父は、そこでからかいはじめた。お前さんには方角がてんでわからないんだろう? と彼が言った。北も南も知らないんだろう? そんな方に、自分たちの家があると、ほんとに思っているのかね? そう言って彼はふたたび指をさし、かなたの樹立の側の、我が家のある処をおしえた。もう少し正確におぼえるようにしてもらいたいもんだね。「言ってごらん、――どっちが東で、どっちが西だか」と彼は、なかば笑い、なかばたしなめるような言い方をした。彼にすれば、白痴か低能でもないのに、方角が分らぬという人間の心理状態が、理解できないからだ。それだのに、この娘にはそれが分らない。ラムジー氏は今、家もなにもない見当へ、何かおびえたような眼をぼんやり据えているカムを見ていると、自分の夢想の方は忘れてしまった、テラスの花甕の間を、登ったり降りたりする自分を見ることも、また、自分へさしのばされる、いたわりの腕《かいな》を想うことも。彼は考えた、女とは大体こんなものだな、救いがたいその|もうろう《ヽヽヽヽ》とした心理状態、おれには到底理解できん、だが、そんなものなんだ。あれもやっぱりそうだったな、――家内《あれ》も。女たちは、その心に物ごとを明確にとらえることが決してできないのだ。しかし、家内に腹を立てたのは、おれが悪かったな、しかもおれは、女のそういうあいまいさが、むしろ好きだったんじゃないか? それは女の、非常識な魅力の一つなのだ。どれ、あの娘がおれに笑顔を見せるようにしてやろう、と彼は考えた。どうもおびえているような様子だ。あまり黙りすぎる。彼は手を握りしめ、久しい間、憐れみと賞讃とを得るためのものであった、自分の声や、顔つきや、表情たっぷりのジェスチャを、すべてなくさなければならぬと決心した。あの娘をにっこりさせてみよう。何かごく単純なことを言えばいいのだ。しかし何を言おう? 彼のように、自己に没入してきた者は、人がどんな話をするものやら考えつかないのである。小犬がいたっけな。家で小犬を飼っていたのだ。あの小犬を、今日は誰が世話しているのかね? と彼は尋ねた。ジェームズは、帆を背にしている姉を見やり、容赦のない心で思った、ふん、カムは負けそうだな。僕はひとりで、あの暴君と闘うことになる。一人になったって、盟約は実行するぞ。カムの奴、死んでも暴圧に抵抗するなんてことはできゃしない、彼はいまいましげに、姉の悲しげな、むっつりした、参ったような顔を見守った。それはあたかも、往々あることだが、緑に包まれた丘の上に雲が垂れ、重苦しさが降りてきて、いくつかある丘の一つだけが暗欝や悲しみに閉され、するとまわりの丘は、その雲にとざされ暗くされた丘の運命について、憐れむのか、その狼狽を意地悪く楽しむのか、ともかく考え込む、というようであった。カムはいま、冷静な、決然とした人たちにはさまって、自分が暗く蔽われたことを感じ、小犬のことで父にどう答えようか、また、わしを許してくれ、わしの相手になってくれ、と懇願している父に、どう抵抗しようか、と思いまどうのだ、しかも一方、立法者のジェームズは、決定的な智者の書を膝にひろげて、(舵柄にかけている彼の手が、カムには象徴的に見えた)言っている。父に抵抗しろ。父と闘え、彼はそれを、公正に、的確に言っている。もちろんあたしたちは、死んでも暴圧に抵抗しなければならないわ、と彼女は思う。人間のあらゆる要素の中で、あたしは一番正義を重んじている。ジェームズはまるで神のようだわ、でも、お父さんは真剣な懇願者だわ。どっちに屈すべきか、とカムは二人の間で考え、そうして、どの方向にあるのか知らぬあの浜辺を見つめて、あの芝生や高台やわが家はいかにもおだやかで、平和だのに、と思われた。「ジェスパーよ」とカムは、むっつりしたまま言った。彼が小犬の世話をしている筈であった。
それで、あれはなんという名前にするつもりかね? と父はかさねて問うた。わたしは、子供のじぶん飼っていた犬を、フリスクと呼んだんだよ。カムは負けちまうな。ジェームズは彼女の顔付に、記憶にのこっているある表情をみとめて、そう思った。あれは、女の連中が、編物かなにかしながらうつむいていたんだ、と彼は思いかえす。そのうち、不意にみんなが顔をあげた。さっと陰鬱な空気になった、だけどそのうち、誰か僕のそばにいたひとが、負けて笑い出したんだ、それで僕は、無性に腹が立ったんだ。あれはたしかお母さんだったにちがいない、と彼は考える、お母さんが低い椅子に腰かけて、側におやじが立っていたのだ。彼は追憶の中をまさぐりはじめた。自分の脳髄の中に、一つまた一つと、たえまなく静かに時がたたみこんでいった、印象の無限のつらなり、匂いと音、しわがれ声とうつろな声と美しい声、通りすぎる光、箒の音、海の、荒くなったり静かになったりする波音、そうしたあいだで、一人の男が、どんなに登ったり降りたり、大股で歩きまわったか、自分たちの側に来てぴたりと止まり、まっすぐに突ったったか。そのうちにジェームズは、カムが指先を水につけながら、岸の方へじっと眼をすえて、何も言わずにいることに気がついた。そうだ、カムは負けやしない、と彼は思った、カムはちがうんだ、と思った。そうか、カムが返事をしたくないなら、あえてうるさく言うまい、とラムジー氏は心をきめて、ポケットの本をまさぐった。けれどカムは、返事をしたかったのだ、自分の舌をこわばらせる邪魔がなくなって、まあ、フリスクっていい名前ね、と言えることを熱望した。あたしもあれを、フリスクにするわ。また、こうも尋ねてみたかった、あの沼地を迷わずにひとりで来たって言うのは、その犬なの? しかし、そう思いはしても、あんなにかたく、同盟への忠誠をちかった以上、そんな言葉を口にすることは考えられなかった。それでも、ジェームズに気づかれぬように、彼女は、父に対して感じる愛情の、ひそかなるしるしを、かたむけていたのだ。それと言うのも、手を水にひたしながら、こんなことを考えていたからである、(この時、マカリスターの伜は、鯖を釣りあげた、それがエラに血をにじませ、板の上に尾を打ちつけていた)カムは考えていたのだ、ジェームズがただ無感動に帆を見守り、時々ちらりと水平線へ眼をやるだけなのを見て、あんたは、こんな感情の重苦しさや分裂や、はげしい誘惑にさらされるってことがないんでしょうね、と。お父さんはポケットを探している、すぐ本をとり出すでしょう。カムにとって、この父ほど素晴しいと思う人はいないのだ、父の手は美しい、それにその足、声、言葉、性急さ、その気質、奇癖、情熱、また、誰がいようとかまわず、ひとは滅びぬ、孤《ひと》りにて、などと言い出すこと、その孤独。(彼は本を開いた)だけど、我慢ならないところはやっぱりあるわ、と彼女は、姿勢よく坐り直して、マカリスターの伜が別の魚のエラから鈎針をぬくのを見ながら、考えた。お父さんのあの|がさつ《ヽヽヽ》で向う見ずなところ、あの暴君のところ、そのためにあたしの子供の時代は害なわれ、きびしい嵐が吹きすさんだ、今でも、怒りにふるえながら夜中に眼をさまして、お父さんが威をふるったのを思い出すくらい、「これをしろ」「あれをしろ」と言った傲慢さを。「父さんの言うことを聞かんのか!」とどなった制圧を。
そこで彼女は口を閉ざしたまま、強情に、悲しげに、岸の方を見るばかりであった。そこは平和の衣につつまれている、まるであそこの人たちは、深い眠りにおちているかのように、と思う、煙のような自由さ、出るのも入るのも、幽霊のような自由さ。あそこの人々にはなんの苦しみもない、とカムは思った。
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そう、あれがあの人たちのボートだわ、とリリー・ブリスコーは芝生の端に立って、そう決めた。うす茶色の帆を張ったボートで、見ているとそれがいま、水と平らになって、湾をこえて走り出したのである。あれにあの人が乗っている、子供たちはやっぱり黙りこんだまま、と彼女は考える。どっちみち、私には届かない。彼に与えなかった同情のために、胸が押しつぶされた。それで絵を描くことができなかった。
私はいつもあの人を、手におえないと思っていた。面と向って、けっしてちやほやすることができなかった、と思いかえす。だから私たちの関係は、男女の要素のない、どこか中性的なものだったわ、ミンタにだと、彼の態度はあんなに親切で、陽気でもあったけれど。ミンタには、花を摘んでやったり、本を貸してやったりした。でも彼は、ミンタがそれを読むと信じてたのかしら? ミンタは庭で、目じるしにした葉の繁みをつつきながら、そこに置いた本をさがしていたわ。
「カーマイケルさん、おぼえていらっしゃいますか?」とリリーは、老人の方を見て、そう話しかけたくなった。けれど彼は、帽子を額までかぶせていた、ねむっているか、夢想しているか、それとも横になって詩句をさがしているかなのだろう。
「おぼえていらっしゃいますか?」彼の側を通りぬけるとき、そう尋ねたく思った、リリーは、もう一度、浜辺のラムジー夫人を、浮きつ沈みつする樽や、飛んでゆく便箋を、考えていたのだ。こんなに年月がすぎて、その前後のことはもう全然記憶にないのに、どうしてあすこのところだけが丸く照らし出され、いよいよはっきりと、細かなことまで眼に見るように蘇ってくるのだろう。
「あれはボートなの? あれはコルクなの?」と彼女は言ったかしら、リリーはくりかえしながらふり向き、しぶしぶカンヴァスを見た。ありがたくも、空間の問題が残っている、と思いながら、ふたたび絵筆をとった。それが彼女を凝視している。絵の全体のマッスが、その重みによって身構えさせられている。美しく明るく、羽毛のようにとらえがたく、蝶の翅《はね》のように、一つの色が他の色に溶け込む、表面はそうであるべきで、だがその構図の底は、鉄の|かすがい《ヽヽヽヽ》でしっかりと締め合されてなければならないのだ。吹けば波立つようなものであると共に、二頭の馬によっても引きはなせないものでなければならない。彼女は、赤や灰色を使いはじめ、そこの空白へ手をつけはじめた。同時に彼女は、まだやはりラムジー夫人と浜辺にいる気持であった。
「あれはボートなの? あれは樽なの?」とラムジー夫人が言った。そして、眼鏡をさがしてまわりをきょろきょろした。さがし当てると、坐ったまま黙って海を見た。すると、せっせと絵を描いているリリーは感じた、あたかも、一つのドアが開いたので入ってみると、そこは真暗な、おごそかな、高い伽藍《がらん》のような場所で、そこから黙ってあたりを見つめているようだ、と。はるか遠くの外界から、いろんな叫び声が聞えてくる。汽船がいくつか、水平線上の煙の列の中へ消えてゆく。チャールズが、石を投げて、それをスキップさせている。
ラムジー夫人は黙って坐っていた。話をしないで、無言のうちに在る休息を喜んでいる。私たちは何であるか、私たちはどう感じるか、などと言うことが誰に分るかしら? どんなに緊密な瞬間でさえも、これが理解だ、とはたして言えるかしら? でも、こんなことを口に出してはおしまいね? とラムジー夫人は言いたいのかもしれない。(こんな風に、無言のまま一緒にいたことが、ずいぶん度々あったような気がする)こうしている方が、ずっとよくお話をしているのじゃない? 少くともその瞬間は、おどろくほど充実していた。リリーは、砂に小さな穴を掘って、この瞬間の極致を埋め、上に砂をかけた。それは、思いかえすごとに、過去の闇を輝かす、銀のひとしずくのようであった。
リリーはうしろへ退って、カンヴァスを――そう、――遠望してみた。これは、歩いてゆくには奇体な途だわ、この絵を描く途は。どこまでも、どこまでも、どんどん歩いてゆく、すると遂には、海のかなたで、完全にひとりぼっちになって、狭い板の上に乗っているような気がする。リリーは絵筆を、青い絵具に浸すと共に過去にも浸した。さて、ラムジー夫人が立ち上ったのだわ、と彼女は思いかえす。家へ帰る時間、――お昼をたべる時間がきた。みんなで浜から昇って行った、私はウイリアム・バンクスと一緒に、うしろから歩いていた、すると眼の前を、ミンタが、穴のあいた靴下をはいて歩いてゆくのだ。ピンクの踵にあいた、小さい丸い穴が、なんと眼の前でちらちらしていたことか! ウイリアム・バンクスが、なんといやな顔をしていたことか! それについて何か言った記憶はないにしても。彼にとっては、女の資格がないことを示すものだった。不潔や乱雑さ、女中に逃げられるし、昼間に片づかぬベッド、――彼の最も嫌悪するすべてを意味した。彼には、見たくないものを遮ぎるかのように、身ぶるいしながら手指をひろげて出す癖があったが、この時もやった、――前方へ、手を持ち上げた。ミンタは先に立って歩いていた。たぶんポールが迎えに来て、二人は一緒に、庭のどこかへ行ってしまったのだわ。
レイリー夫妻、とリリー・ブリスコーは、緑の絵具のチューブをしぼりながら、考えた。そして、レイリー夫妻の印象をあつめた。二人の生活が、連続する場面となってあらわれてくる。その一つは、早朝の階段の場面。ポールは早く帰って、床についていた。ミンタはおそかった。明け方の三時頃に、花を頭にかざり、厚化粧の派手な姿をしたミンタが、階段を昇って行った。ポールは泥棒の場合の用心に火掻きを握って、パジャマのまま出てきた。ミンタはサンドイッチを食べながら、途中の窓の近くの、蒼ざめた暁の光の中に立った。そこの絨毯には穴があった。でも、二人はなんと言ったのだったかしら? 眺めているとそれが聞えてくる、とでもいうように、リリーはひとりごちた。何かはげしいことを言ったわ。彼が話す間、ミンタはうんざりする様子で、サンドイッチを食べつづけた。彼は、怒りと嫉妬にもえる言葉で、なじった。子供たち、二人の男の子の眼をさまさぬように、低いつぶやき声ではあったけれど。彼はしなび、疲れていた。彼女は華やかで、向う見ずだった。最初の一年かそこらを過ごすと、万事がくずれ出した、この結婚はむしろ、失敗の方へ向っていた。
ところで、こうしてあの二人の場面を仕組むことができるのは、要するに人々を「知っている」ということ、人々を「考えている」ということ、人々を「愛している」ということだわ! リリーは筆に緑の絵具をつけながら、そう考える。どれ一つ、本当のことじゃない、私のこしらえごと。でもまた、私の知っているあの人たちに間違いはない。彼女は絵を模索しながら、過去をも掘りつづける。
ある時、ポールが、「カッフェでチェスをやる」と言ったことがあった。その言葉からもまた、一つの構想ができ上った。そう話した時の、彼の調子に察しられたのだが、彼が電話で女中にきいてみると、「奥さまはお出かけでございます」という返事だった、それで、自分もまっすぐ家へ帰るまい、と心を決めたのだ。どこかうら悲しい家の、隅っこに坐っているポールが、眼に見えるようだ、赤いフラシテン張りの座席に、煙がもうもうとたちこめ、女給がなれなれしくする処で、彼はある小男とチェスをやる、その相手の素性については、サービトン〔ロンドン南部の一地区〕に住んで、茶の商いをやっているという以外、ポールは何も知らないのだ。さて、それから家に帰ってみると、ミンタはまだであった、それで、あの階段の場面へ続くことになる、泥棒の場合の用心に火掻きを持ち、(もちろん、彼女をおどすためでもあった)君のために、僕の一生は台なしだ、などと荒々しく言い。とにかくリリーが、リックマンワース〔ロンドンの北西の町名〕に近い二人の家を訪れた時は、ひどく険悪な空気であった。ポールは、自分が飼っているベルギー産の兎を見せると言って、リリーを庭へ連れ出すと、ミンタは、唄をうたいながら後からついてきて、ポールが何かしゃべりゃしないかと、あらわな腕を彼の肩にかけるのであった。
ミンタは、兎などは見たくもないのだ、とリリーに分った。けれど、自分をあばかれたくなかった。カッフェでチェスをすることなど、決して彼女の口からもれるものではない。非常に意識的だし、用心深くもあった。けれど、二人の物語の先をつづけるなら、――現在では、もう二人は危険な段階を通りぬけたらしかった。去年の夏のひと時、リリーは彼らと過ごしたが、その間で、車が故障して、ミンタが彼に道具を渡していたことがあった。道路に坐って車の修繕をしている彼に、道具を渡すミンタの様子は、事務的で淡々として、また親しみもあって、――それが、もう今はうまくおさまったということを示していた。もう二人は『恋仲』ではなかった、それどころか、ポールは他の女と仲よくなっていた、きまじめな女性で、髪を三つ編みにし、鞄を持ち歩き、(ミンタは感謝をこめ、尊敬せんばかりにそれを語ったが)そして集会に出かけ、土地の税制とか、資本税とかに関しては、ポールの意見(それは次第にはっきりしたものになっていた)に共鳴した。この結びつきが、結婚生活を破壊するよりは、むしろ調整したのだ。道路に坐っているポールと、道具を手渡すミンタとは、明らかに、仲のよい友人同士であった。
まずこれが、レイリー夫妻の物語ですわ、とリリーは微笑した。ラムジー夫人へ報告する気持である、夫人はきっと、レイリー夫妻の成り行きを知りたい好奇心に、かられているにちがいないから。あの結婚は成功じゃなかった、とラムジー夫人に告げることで、いささか凱歌をあげたかった。
でも、死んだ人々は、とリリーは思う、なにか構図の中で停頓してしまい、筆をやすめ、一二歩退いてしばらく思案していた。ああ、死んだ人々! と彼女はつぶやく。みんなは死んだ人々を憐れむ、うっちゃってしまう、いくぶんは軽蔑さえする。死んだ人々は、われわれの思いのままだわ。ラムジー夫人は、おとろえ、消え失せた。私たちは、あのひとの希望を無視することも、あのひとの、限界のある古風な観念を改めることも、勝手だわ。あのひとは、私たちのところから、遠く遠く去ってゆく。夫人が、歳月の長い廊の、向うの果に立って、「結婚なさい、結婚なさい!」などと、理不尽なことを言いつづけるのを見つめていると、リリーはあざけりたくなる位であった。(リリーは、小鳥がさえずり出した早朝の、その庭に、端然と坐った)何もかもあなたのご希望に反するようになりましたわ、と言うべきだろう。あの二人は、あんな状態になったために、幸福なのですわ、私はごらんのとおりで、幸福ですわ。人生は完全に変ったのです。そう思った時、夫人の全人格も、その美しささえもが、ひと時、塵にまみれた、時代おくれなものになった。ひと時リリーは、背に陽光をあびて立ち上り、レイリー夫妻のあれこれを思い合せて、ラムジー夫人に対する勝利感を味わっていた、あのひとは知る由もないわ。ポールがカッフェへ行ったり、情婦を持ったりしていること、道路に坐っている彼と、道具を手渡しているミンタとの場面。また私が、けっきょくウイリアム・バンクスとも、誰とも結婚せずに、ここでこうして絵を描いていること。
バンクス氏と私の結婚が、ラムジー夫人の計画だった。もし生きていたら、さだめし強いたことでしょう。あの夏すでに、「あんな親切な男性はいない」と言っていたほどだから。「主人の話では、あの年代の、最高の科学者ですって」とも言っていた。また、「ウィリアムは気の毒よ、――あのひとの家へ行ってみると、美しいものって何一つないから、悲しくなりますわ。――花一つ生けてくれる人がないんですものね」そんなことで、一緒に散歩をさせられたし、往々人にけむたがられるあの夫人の皮肉な調子をおびた言い方で、あなたには科学精神があるわね、とか、お花が好きね、とか、あなたはとても几帳面ね、とか言われたものであった。あの結婚マニア振りは、どういうことだったのかしら? リリーは、画架に近よったり離れたりしながら、いぶかった。
(不意に、空を飛ぶ星のようにだしぬけに、真紅な光が、彼女の胸に燃え上った。それがポール・レイリーを包み、また彼からも発した。それは未開人たちが、どこか遠い浜辺で打ち上げる、祝祭の|のろし《ヽヽヽ》のように上った。その燃える唸りや裂音がきこえた。何マイルもの海全体が、赤に、金色に染った。それに混じって、酒のような芳香がして、彼女はくらくらとした、今ふたたび、浜へ真珠のブローチを探しに行って、崖から身を投げ、おぼれ死んでしまいたいと思った、前後の見さかいない絶望的な気持におそわれたからであった。あの時彼女は、その燃える唸りや裂音に、恐怖や嫌悪を感じてふるえ上ったのだ。その輝かしさや力強さをみとめる一方、またそれが、この家のあの宝を、どん欲に、いまわしく食い荒すのを見て、それを呪詛したのである。けれど、あの時のことは、リリーのあらゆる経験よりも強く、一つの情景、一つの栄光となり、この歳月を通して、あたかも絶海のほとりの、人住まぬ孤島に打ち上げられたのろしのように、燃えつづけた。他でもない、彼女は『恋に陥ちていた』のである。そして、たとえば今のような、ふとしたはずみに、突然ポールの炎は立ちのぼるのであった。やがてそれは消えた、彼女は笑いながら、「レイリー夫妻」とつぶやいた。ポールは、カッフェへ行って、チェスをやっているわ)
私はあの時、間一髪のところで逃げ出すことができた、とリリーは思った。テーブルクロースをみつめていると、不意に、あの木を真中へ動かしたらいい、と閃いたのだ、とたんに、私は誰とも絶対に結婚なんかする必要はない、と狂喜したのだわ。今度こそラムジー夫人に対抗できる、とも感じた、――人々の上にのしかかってくるラムジー夫人の威力に対して、お返しができる。こうなさい、と夫人が言えば、みんなはそれをした。ジェームズと一緒にいる夫人の影さえが、権威にみちていた。母と子が象徴する意義を、私が無視したと言って、ウィリアム・バンクスがぎくりとしていたのが、思い出されるわ。あなたは、あの人たちの美を尊重しないのですか? と彼が言った。けれど、あれは冒涜にならないこと、あすこに光があると、そこに影が必要なことなどを説明すると、ウィリアムは、澄んだ子供のような眼つきで、私の言うことを聞いてくれたっけ。それはたしかに、ラファエロが神聖に扱った画材であり、それにケチをつけるなんて気持では毛頭なかった。私はシニカルじゃない。全然反対だわ。それを理解してくれた彼の科学精神がありがたかった、――非情の叡智というものが、私にはうれしかったし、慰めだった。それでこそ男とまじめに絵の話ができるというものである。事実、彼の友情は、私の生涯の喜びの一つであった。私はウィリアム・バンクスを愛していた。
二人はよくハムプトン宮殿〔ロンドン、テムズ河に沿った豪華な離宮〕へ行った。すると彼はいつも、申し分ない紳士として、リリーが手を洗いに行けるように長い間一人にし、自分はその間河の堤を散歩していた。これは二人の間柄を端的に語るものであった。いろんなことが、口に出されないままで終った。二人はその中庭をゆっくり歩き、毎夏、調和の美や、台々を嘆賞し、また彼がリリーに、いろんなことを説明した、遠近法について、建築について、また彼は、一本の樹木、湖水の向うの景色を眺めるために立ちどまったり、一人の子供にみとれたりするが、(女の子を持たないことが、彼の大きな悲しみであった)そういう彼の様子はどこかかけ離れたもので、いつも研究室にこもりがちな男がひょいと出て来て、普通世間にめまいを感じるというのは当然のこと、彼はゆっくり歩き、眼をおおうように手を上げ、ただ空気を呼吸するだけのことにも、足をとめ、頭をうしろへ引いたりするのであった。また彼は、家政婦がいま休暇をとっているとか、階段の敷物を新しく買わなくてはならないとか言った。たぶんリリーは彼と一緒に、階段の新しい敷物を買いに行ったはず。ある時はたまたまラムジー夫妻の話になったが、バンクス氏は、はじめて逢った時の夫人が、グレイの帽子をかぶっていた、と言った。せいぜい、十九かはたちだったでしょうな、なんとも、おどろくばかりに美しいでしたね。そう言って彼は、ハムプトン宮殿で、向うの噴水の間にその彼女を見るかのように、並木路をとおして眼をやりながら立ちつくしたのであった。
リリーは今、客間の石段を見た。そしてそこに、ウィリアムの眼に映じたひとりの女性の、伏眼がちな、おだやかに黙した像を見た。その女性は、坐ってどこかを見つめ、考えふけっている。(その日はグレイの装いだったそうだ、とリリーは考える)眼をふせている。けっしてそれを上げようとしない。その姿を熱心にみつめるリリーは、そう、私もたしかにあんな夫人の面持を見たことがある、と思った、でもグレイの装いではなかった、それに、それほど静的でも、若くも、おだやかでもなかった。その姿には十分迫力があった。ウィリアムは、おどろくばかりに美しかったと言った。でも、美はすべてではない。美はおのずから咎め立てを受ける、――迫力がありすぎ、完全でありすぎるために。美は、生命を静止させる、――それを凍らせる。人はそれを見て動揺することを忘れてしまう、赤くなったり、蒼くなったり、奇妙な胸さわぎを感じたり、光や影を感じたり、そういう動揺を与えられる顔は、その場でよく分らなくなってしまうが、それらすべてを簡単におさえつけてしまうのである。それにしても、夫人が、ひょいと狩猟帽を頭にのせていた時や、芝生を突っ切って走った時や、園丁のケネディに小言を言っていた時は、一体どんな顔付だったかしら、とリリーはいぶかった。誰かおしえてくれないかしら? 誰か手つだってくれないかしら?
不本意ながら彼女は沈思からうかび上り、今眼にうかべていた絵から十分ぬけないままで、少々まぶしげに、幻を見るような気持でカーマイケル氏を見た。椅子に横たわる彼は、腹の上で手を組み、読書するでもなく、眠るでもなく、ただ生きていることに|たんのう《ヽヽヽヽ》している動物のように、日向ぼっこをしていた。彼の本が、草の上に落ちていた。
リリーはまっすぐ側へ行って「カーマイケルさん!」と呼びたかった。そうすれば、彼はいつものように、ぼんやりした、いぶった緑色の眼をあげて、慈愛ぶかく見るだろう。だけど、人を喚びさますからには、少くとも何を話したいのか分っていなければならない。リリーが話したいのは、一つのことでなくてあらゆることだった。その思索を打ち割ってばらばらにしそうな、断片的な言葉では、何も話せない。「生について、死について。ラムジー夫人について」――いや、誰かに何かを話すなんて、できることではない、と彼女は考える。その場であせってきっと的をはずす。言葉がただ周囲をうろつくだけで、肝心な事柄の程度を下げてしまう。それであきらめる、それで思念はふたたび沈んでゆく、そして大方の中年者らしく用心ぶかくなり、ひとりで憶測しがちになり、眉間に皺をよせた、いつもの思案げな顔つきになってゆく。だって、この肉体に感じてくるものを、つまりあすこのあの空虚さを、どう言葉に表したらいいだろうか? (彼女は客間の石段を見ているのだ。それは、おそろしいばかりの空虚さであった)それは、精神で感じるものでなく、肉体で感じるものだった。むき出しの石段によって起こされる生理的な衝動は、急にたえがたい不快感になった。求めて、それが与えられない、そのために、からだがこわばり、うつろになり、引きつれてくる。そこでさらに求める、さらに与えられない、――求めて、求めて、――心臓がしめつけられる、強く、さらに強く、しめつけてくる! ああ、ミセス・ラムジー! とリリーは心で叫んだ、ボートの側に坐っていたあの精髄《エッセンス》に向って。夫人からぬき取った抽象物に向って。グレイの装いの女性に向って。あたかも、それが去って行ったのをなじるように、去ってしまったと思うとまた帰ってきたのをなじるかのように。夫人について考えることは、まったく安全なことだと思っていた。亡霊であり、空気であり、無であり、夜でも昼でも好きな時に、容易に安全に遊ぶことのできる相手、夫人はたしかに今までそういうものであったのに、それが突然手をのばして、こんなにも心臓をしめつけるのだ。突然、あの空っぽの客間の石段や、部屋の中の椅子の縁かざりや、テラスで転がりまわる小犬や、庭ぜんたいのそよぎやささやきが、一つの完全な空虚さを真中にして、そのまわりをうずめる曲線となり、唐草模様となったのである。
「これはどういう意味でしょうか? あなたはこれを、どう説明して下さいますか?」と尋ねたくなって、彼女はもう一度カーマイケル氏をふり返った。というのも、この早朝、全世界は、一つの思想の池、一つの深い真実性の器の中に溶けこんでいるように感じられ、もしカーマイケル氏が話してくれたら、わずかの涙を流すことでその池の表面が破れそうだと思われたからである。破れたらどうなの? 何かが出てくるでしょう。一つの手が突き出てくる、一刃《いちじん》の剣がひらめく。もちろんそれはあり得ないことだけど。
妙な考えが浮んできた、結局彼が、自分の言いあらわせぬことどもを、ちゃんと聞いているという。彼は、黄色っぽく汚れた鬚をして、詩作と、文字の謎あそびにふけりながら、彼の欲望をすべて満してくれる世界を、静かにわたってゆく不思議な老人だから、ただ自分が横たわる芝生の上に手をのばしさえすれば、欲しいものはみんな釣り上げられるのだろう、と彼女は思う。彼女は、自分の絵を見た。彼はたぶんこんな答えをするだろうから、――「あなた」にしろ、「わたし」にしろ、「彼女」にしろ、みんな消えうせてゆきます、何も残りません、すべて変化します、ただし言葉は別、絵は別ですがね、と。でもこれは屋根部屋にかけられそうだ、と彼女は思う、巻いてソファの下に押しこめられるかもしれない、だけど、そんなことになるかもしれないこの絵についても、残るということは本当だわ。でもこんな絵の場合、おそらく『永遠に残る』と言うのは、絵そのものについてでなく、それを試みたということについてでしょうね、と彼女は言おうとした、いや言葉にすれば、そう話すことさえわれながら高慢に感じるので、無言で暗示したかった。ところが驚いたことに、見ていた筈の絵が、この時全然見えなくなったことに気づいたのだ。眼が熱い液体でおおわれた。(最初、それが涙だとは思わなかった)それは、かたく閉ざした唇を少しもふるわせもせず、ただ空気を重苦しくし、頬を伝って流れおちた。彼女はどんな場合でも完全に自制することができた、――たしかにそうだった! するとこれは、なんの不幸の自覚もなしに、ラムジー夫人を泣き求めているのかしら? 彼女はふたたびカーマイケル老人に問いかけた。ではこれはどういうことでしょう? どういう意味でしょう? ものが手をのばして人を捕えたり、剣がひとりで切りつけたり、拳がひとりで握れたりするのでしょうか? どこにも安全はないのでしょうか? この世の生き方を会得する方法はないのでしょうか? 案内もなく、庇護もなく、すべては奇蹟であり、尖塔の上から空中へ飛び下りるようなものなのでしょうか? いい歳になった人々にさえ、人生とはこんなもの、――おびやかされるもの、思いがけぬもの、未知のものなのでしょうか? ひょっと彼女は考えた、もし今この芝生の上に二人が立ち上って、生とはどうしてそう短かいのか、どうしてそう不可解なのか、と説明を求めたら、しかもそれを、絶対に隠し立てを許さぬ身構えで、十分武装した二人の人間が厳命するように、けわしい調子で言ったとしたら、美性はよろめき出ては来ないだろうか、空間は満されはしないだろうか、この充満する空虚さが、形態を保つようになりはしないだろうか。もし二人が大声で叫び立てたなら、ラムジー夫人は戻って来やしないだろうか。「ミセス・ラムジー!」と、彼女は大声をあげた。「ミセス・ラムジー!」涙が顔一ぱいに流れた。
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〔マカリスターの伜は、鈎につける餌にするために、一匹の魚の横腹を、四角に切り取った。切り取られた魚(まだ生きている)は、もとの海中へ投げ込まれた〕
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「ミセス・ラムジー!」とリリーは叫んだ。「ミセス・ラムジー!」だが、何ごとも起こらなかった。苦痛がつのった。苦悩は人間を、こんなにも弱気にしてしまう、と彼女は気がついた! とにかく、あの老人には聞えなかったのだわ。彼は、やさしい、穏かなまま、――見ようによっては、崇高でさえあった。ありがたいこと。この苦痛をなくして、なくして! と叫んだ私の、はずかしい叫びは誰にも聞えなかったのだ。人に分るほど気がちがったのじゃなかった。狭い板をふみはずして、破滅の海へ落ちこむところは、誰にも見られなかった。私は元どおり、芝生の上で絵筆をにぎっている、貧相な老嬢というだけだわ。
求めて与えられぬ苦痛とはげしい怒り、(それは、ラムジー夫人をもう悲しむまいと思うと呼び戻されるもの。朝食の時にコーヒー茶碗を眺めて夫人を恋しがるのではないか? いいや少しも)は、落ちついていった。そして、苦悶の痛みが、解毒剤として、芳香にみちた慰めを残してくれた、同時に、もっと神秘めいた、誰かがそこにいる、ラムジー夫人がそこにいる、という気持がひととき、リリーのこの世に生きる重荷を救ってくれたのである。夫人は気軽く彼女のそばに留まり、やがて、(それは申し分なく美しいラムジー夫人だったので、)白い花輪を額にかざしながら、立ち去って行った。リリーはふたたびチューブをしぼった。そして、生垣の問題に取りかかった。そんなにもはっきりと、夫人がいつもの速い足どりで、野原の紫っぽいなだらかな起伏や、ヒヤシンス、百合の花々の間をぬって行って、やがて消えるのが見える、というのは不思議であった。それは、画家の眼のトリックというものだ。夫人の死を聞いてから数日後にも、リリーはやはり夫人を見ていた。額に花をかざして、連れの影と共に、ためらうことなく野原を横切って行った。その光景、それを語るひとりごとには、おのずから慰めの力があった。ここでも、田舎でも、ロンドンでも、どこでも、絵を描いていると、その幻はあらわれる、すると彼女は、なかば眼をとじながら、その幻を確実にするためのものを探した。下を通る列車や、バスを見た。肩とか頬とかの曲線を置いた。また向い側の窓々を見たり、たそがれの、ランプの灯の並ぶピカデリイをみたりした。それらがすべて、死の野原の一部分をなした。それでも、きまって何か、――一つの顔とか、声とか、または「スタンダード!」「ニュース!」と叫んでいる新聞売子とか、――が、容赦なくその間に飛び入って彼女をはっとさせたり、眼ざましたり、強制したりして、注意の集中をやめさせるので、幻はいつまでも新たに描き直さねばならなかった。さてここでリリーは、距離と青い色の必要からほとんど無意識に、青い波が、うねりの山々をつくっている湾を見下し、また紫がかった空間にある砂丘を見やった。と、またしても彼女はいつものように、ある飛び入りで不本意に幻想はうち切られたのであった。湾の真中あたりに、褐色の点があった。ボートだ。彼女はすぐそれをみとめた。でも誰のボート? ラムジーさんのボートよ、と答える。ラムジーさん。立派な靴をはいて、行列の先頭に立って、他人行儀に手をあげながら、私からずんずん離れて行った人、私に同情を求め、それを拒まれた人。ボートはいま、湾をこえ、航程のなかばへ行っていた。
そこここにさっと吹き通る微風のほかは、まことによく晴れ渡った朝なので、海と空の区別もなしに、それは一つの織物に織り上げられたようであった。帆が空の高いところにあったり、雲が海の中へ落ちてゆくような気がする。はるかの海にある一隻の汽船が、その煙でさかんに空中になぐり書きをしているが、それがそのまま、装飾的な曲線や円形になって止まっている。あたかも、空気が精巧なうす絹になって、その中にふんわりといろんなものをとらえて保護し、軽くただあちこちとゆさぶっているというようである。それに、快晴の日には往々あることだが、まわりの断崖は、通ってゆく船舶を意識し、船舶は断崖を意識し、互いになにか彼らだけの秘密の信号を交しているかに見えるのだ。それというのも、時々は非常に岸に近づく燈台が、この朝は、はるか遠い靄の中に見えるからであった。
「みんなは今ごろどの辺かしら?」とリリーは海をながめながら思った。あの人はどこにいるのかしら、茶色の紙包みをかかえて、だまって私から離れて行った、あの老い込んだ人は? ボートは、湾の中央の見当に見えていた。
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あすこにいる人たちは、気をつかうことが何もないでしょう、とカムは、岸の方を見ながら思う、それは浮いたり沈んだりしながら、刻々に遠ざかり、いよいよ平和そうであった。カムは手で舟跡の水を切りながら、心では、その緑色の渦や縞を模様にする屍衣をまとい、喪失状態になって、想像する水底の世界をさまよっていた。そこでは、白い小枝に真珠の玉がむらがり咲き、またそこでは、緑の光の中で人の心が一変し、人のからだは緑の衣につつまれて、半透明にかがやき出す。
そうしているうちに、手のまわりの渦がにぶり出した。水のほとばしりも止まる、その世界が、こまごました軋り音でさわがしくなる。波止場で錨を降しでもしたような、舷側《ふなばた》に当ってくだける波の音がする。あらゆるものが身近かにざわめきだした感じだ。それは、ジェームズがもう親友になったろうと思うほどにじっとみつめていた帆が、すっかりたるんだからであった。そして、岸からも燈台からも何マイルかはなれたその位置に、照りつける陽の下で、そよ風を待ってはためくばかり、ボートは止ってしまった。全世界のあらゆるものが静止したかに思われた。燈台も不動になれば、はるかの海岸線も固定した。陽はいよいよ激しく、みんなは、ほとんど忘れていたお互いの存在を、ひどく身近に感じ合う気持であった。マカリスターの釣糸は、まっすぐ海中に垂れた。だが、ラムジー氏は脚を折りまげて、ただ読書をつづけていた。
彼は、千鳥の卵みたいな斑点のある表紙の、手ずれてぴかぴか光る、小さな本を読んでいた。時折、みんながこのいまわしい穏やかさに当惑げにする時に、彼はページを繰った。ジェームズは、父が自分めあてのある特別なジェスチャをしながら、一枚々々ページを繰っていると感じた。時には片意地に、時には命令的に、また時には、人の憐れみを得ようと仕組む意図を表しながら。しかもジェームズは、父がその小さい本を読み、ページを繰る間たえず、今にも眼をあげてきびしい言葉を自分へ浴びせるにちがいない瞬間を、おそれていた。なぜこんな処でぐずぐずしてるんだ? とかなんとか、無茶なことをどなるだろう。もしそんなことを言おうものなら、とジェームズは考える、僕はナイフを握って、心臓を突き刺してやろう。
ナイフを握って、父の心臓を突き刺してやる、という昔からの象徴を、彼はつねに持ちつづけていた。しかし、成長したいま、自制心なく怒り出す父を見る時、殺してやろうと思うのは、その人間、その本を読んでいる老人ではなく、彼の上にのしかかっているあるものだった、――それが何かは、おそらくジェームズにも分らないのだ、あの不意におそいかかってくる真黒い翼の、おそろしい鷲《ハーピイ》。無慈悲に、頑固にできた爪や嘴をして、獲物と見るとしつこく突っつきにくる、(子供の頃、むき出しにしていた脚を突っついたその嘴を、ジェームズはいまも感じることができる)かと思うと飛び去ってしまう、そしてそこで、非常に悲しげに本を読む一人の老人に戻る。僕が殺したいのはあれなのだ、あれの心臓を突き刺してやりたいんだ。僕が何をやろうとも、――(燈台と、遠い海岸を見ていると、自分はなんでもやれるという気がする)会社に勤めるか、銀行へ行くか、弁護士になるか、それとも自分で何かの事業を企てるようになるか、たとえ何をやろうとも、僕はあいつと闘ってやる、――暴圧、独裁、というやつ。――あれが民衆に、決してやりたくないと思うことを無理にやらせるのだ、あれが、発言する権利をうばうのだ。父が、燈台へ行け、これをしろ、あれを持って来い、と言う時、僕たちは誰が、いやです、と言えるだろう。真黒い翼がひろがり、硬い嘴が突っつく。そして、次の瞬間にはそこで本を読んでいる、それから顔を上げるかもしれない、――誰にも分らない、――全く分別ありげになって。そうして、マカリスター親子と話し出すかもしれない。街へ出れば、老婆のこごえた手に金貨を握らせるかもしれやしない、とジェームズは考える、漁師たちの何か|わざくらべ《ヽヽヽヽヽ》を見れば、大声を出すかもしれない、興奮して、腕を宙にふりまわすかもしれない。そうかと思うと、彼はテーブルの上席で、食事のはじめから終りまで、完全に沈黙することもある。ボートは焼けつく陽を浴びて、そこに空しく止ったまま。その中でジェームズは、そうなんだ、と呟きながら、荒涼としてきびしい、雪に蔽われた岩の原を考えた。近ごろ、父が誰か他の人たちを驚かすようなことを言う時、僕はすぐそんな雪の原の上に、ただ二た組の足跡だけが印されている、と感じるのだ、それが僕とおやじの足跡なのだ。それを二人だけは互いに知り合っているのだ。ところでこの恐怖、この憎悪はなんだろうか? 彼は、過去が繁らせた、自分の胸の中の葉っぱの茂みのあいだをかえりみた。この心の森では、光と影があまりにはげしく交錯するので、ものの像が全然歪められる、人はまぶしい光に眼がくらみ、かと思うと真暗な影の中にはいってしまい、ただよろめき歩くだけである。しかし彼は、あえてその中をのぞき込みながら、自分のこの感情を何か形のあるものにしずめ、切りはなし、まとめようとして、映像を探すのである。子供の頃、乳母車の中に一人放っておかれるか、誰かの膝にいるかした時、偶然荷馬車が、そうとは知らずに誰かの足を轢きつぶして行ったのを、見たことがあったのではないか? 最初草の中に、しなやかな完全な形を保った足が見えた、次いで車輪が見えた、いまの足が紫いろに潰《つぶ》れているのが見えた、と思うがいい。しかも車輪はそうとは気づかない。あれなのだ、今朝早くお父さんが廊下をどんどんやってきて、僕らを叩き起こした時、それが僕の足を轢いたのである、またカムの足を、誰かの足を。人々は坐ってそれを見守っていた。
しかし、僕の考えているあの足は誰の足で、またそんなことが全体、どこの庭で起こったのだろうか? というのは、そういう舞台には、いろんな道具立てがあるものなのだ、向うに立っている樹々、花々、なんらかの光、二、三の人物。庭であればそういうものがおのずから道具の役目をはたし、そんな陰惨さや宙にふり上げる手なんかないわけだ。人々はあたりまえの声で話している。終日、人々が往ったり来たりしている。台所では老婆がお喋りをしている、日よけが、そよ風にあおられて窓を出入りしている、あらゆるものが呼吸し、成長する、そうして夜になると、皿や鉢や、頭をたれる背の高い赤や黄の花の上に、非常にうすい黄色のヴェールが、蔓草の葉のように、蔽いかぶさるのだ。夜になると、いろんなものが一層しずかに暗くなる。それでも、葉のようなヴェールは精巧だから、いろんな光がそれを持ち上げたり、声がそれに皺をよせたりする、それを透して、彼は、一つの人影がかがみ込むのを見た、また近づいたり遠のいたりする足音や、衣服のすれる音、鎖の鳴る音を聞いた。
車輪が人の足を轢いたというのは、そういう世界で起こったのであった。ジェームズは思い出す、何かが自分の上にかぶさってきて、影をつくったことを。それは動こうとしなかった、何かが宙に向って豊かに発散された。剣のような、青竜刀のような、鋭く尖った何かが、そうした幸福な世界の葉や花の中からその場に落ちかかり、彼らをむざんに切りすててしまったのだ。
「明日は雨だ」そう父が言ったのを、彼は思い出した、「燈台へは行けないよ」
燈台は、あの頃は、銀色の神秘につつまれて見える塔で、夕暮れになると不意に静かに、黄色い一つの目を開くものであった。いまは――。
ジェームズは燈台を見た。白く洗われたいくつもの岩、殺風景にそそり立つ塔が眼に入った、それが、白と黒のまだらになっているのが分った、いくつも窓があるのも分った、岩の上に洗濯ものが乾してあるのまで眼に入った。つまり、あの燈台はこんなものだったのじゃないか?
いや、かつてのも、やっぱりこの燈台だった。これほど簡単に、同じものだといえることは他にないんだから。昔のもまた、この燈台だった。それは時々、ほとんど見えないことがあった。夕方になると人々は眺めやって、あの一つ目が開いたり閉じたりするのを見ていると、その光が、海風や陽のよく差す庭の、自分たちのいるところまで届いてくれるように思ったのだ。
しかし、ジェームズは我に返った。「人々」とか「ある人」とか言っていると、彼はすぐ誰かのくる気配や、誰かの出て行く足音が聞えるような気がし、部屋に誰かがそっと来ているかもしれぬと、ひどく敏感になるのである。今はそれが父だった。緊張で息苦しくなった。もしこの瞬間に少しでも風が出てこないと、今にも父はぴしゃりと本を閉じて、「どうしたって言うんだ? いつまでここで愚図々々しているんだ、え?」と言いそうな気がした、ちょうどあの時、あのテラスから僕たちの上に、彼の刃《やいば》をふり降したように。お母さんは全身をこわばらせてしまった、僕は僕で、手斧かナイフか、何か先の尖ったものさえあったらひっ掴んで、お父さんの心臓へ突き刺してやりたいと思ったんだ。お母さんはほんとに強直したようだった、そして腕をはなしたので、もう全然僕のことは忘れてしまった、と僕は感じた、そうして、鋏をもった、気弱の、妙な子供だった僕を床に坐らせたまま放って、ごそごそと立ち上り、出て行ってしまったのだ。
そよとの風もなかった。ボートの底で、ぴちゃぴちゃごぼごぼと水音がする、鯖が三四尾、たっぷり浸るだけの深さのない|いけす《ヽヽヽ》の中で、尾を打ちつけていた。いつ父がからだを起こし、本を閉じて、怒鳴らないでもない。(ジェームズは、まともに父を見ようとしなかった)けれど父は、まだじっと本を読んでいる、それでジェームズは、あたかも床の鳴る音で番犬を目覚まさぬよう、素足で階下へ忍び降りる時のようにこっそりと、考えごとの先をつづけた、あの日のお母さんは、どんな風だったろう、どこへ行ったのだろう、と。あれから彼は、部屋から部屋と母のあとを追って行ったのだ、そして一つの部屋へはいった、中は、まるでたくさんの陶器の皿に反射するような、青い光線で、母はその中で誰かに話していた、彼はそれに耳をかたむけた。母は女中を相手に、頭に浮ぶことをなんでも無造作に言っていた。「今夜は大きなお皿が要るのよ。あれはどこ? ――あの青いお皿は?」母だけが真実を話した、母だけに彼は真実が話せた。たぶんそれが、いつまでも彼の母を恋う源となっているのだろう、母は、誰にとっても、自分の頭にうかぶことをそのまま話すことのできる相手であった。だが、母のことを考えていると、たえずその考えごとにつきまとい、それをかげらせ、ふるえさせ、逡巡させる父の存在を、ジェームズは意識させられるのであった。
ついに彼は、考えるのをやめた、陽光の中で舵に手をかけたまま、ボートを動かすこともできず、心に次々わだかまる悲しいことどもを払いのけられもせず、燈台をみつめるだけであった。まるで一本の綱でここにしばりつけられてしまったようだ、これはおやじが結んだのだ、ナイフでその結び目を突きさえすれば、逃げ出せるんだが。……しかしこの時、帆がゆっくりゆれ出し、ゆっくりふくれ出し、ボートは身ぶるいするように見えた。半分夢うつつのように動き出し、あげくにはっきり眼ざめて、波を切って走り出した。これほどほっとしたこともなかった。ふたたびみんながはなればなれになり、それぞれに寛《くつろ》ぐことができたように見え、釣糸はボートの横腹で、ななめにぴんと張った。だが父はからだを起こさなかった。右手をなにか意味ありげに高く持ち上げ、やがてそれを膝の上におとし、なにかひそかなシンフォニーの指揮でもするようにしただけであった。
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〔一点の汚れもない海、とリリー・ブリスコーは、まだ立って海を眺めながら、思った。海は湾一ぱいに、絹のようにひろがっている。距離というものには、計り知れない力がある、みんなはあの中に呑み込まれてしまったわ、永遠に去り、天然の一部と化した、と思う。穏やかすぎる、静かすぎる。汽船も姿を消した、けれど、あの大々的な煙のなぐり書きはまだ空に残っていて、別の旗のように、悲しげにうなだれていた〕
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十一
じゃあ、あの島はあんな恰好だったのか、とカムは、手先きをまた波にさらしながら、そう思った。かつて海に出て、それを眺めたことがなかった。海の上に、あんな恰好をして浮んでいるのね、真中がへこんで、二つの切り立った断崖があって、海はその中にはいり込んでゆくし、また島の両側は、どこまでもどこまでも海ばかり。全然ちっちゃいわ、まるで木の葉が突っ立ったような形。だから私たちはボートに乗ったのだわ、カムはそう考えて、沈みつつある船から逃げ出すという、一つの冒険物語を自分に納得させようとしはじめた。けれど、指の間を流れてゆく海や、それに乗って去ってゆく海藻の小枝などを見ていると、本気でそんな物語を自分にする気もなかった。ただ、冒険とか脱出とかの気分に浸っていただけだ、と言うのも、ボートが動き出すと、父が方角を知らないと言っておこったのも、ジェームズが同盟に固執するのも、また自分自身の苦悶も、みんな滑りぬけ、過ぎ去り、流れてゆく、と考えられたので。ではその次はなにかしら? あたしたちは、どこへ行こうとしているの? 海に深く突込んでいる、氷のように冷くなった手を伝って、喜びの泉が吹き上った、この変化、この脱出、この冒険。(あたしは助かったんだ、あたしは向うへ行きつけるのだ)そしてこの不意の、思いがけぬ喜びの泉からしたたり落ちる水滴は、彼女の胸の中でまだ黒く眠っている影にすぎない、いろんな映像の上に落ちた。現実に知らないながら、暗闇のそこここで光芒の中にくりひろげられる世界の映像、ギリシャ、ローマ、コンスタンチノープル。あんなに小さくて、木の葉が突っ立ったような形で、へこんだ所にも周囲にも、金色にくだける海が押しよせても、あれでこの宇宙の一つの場所を占めてるのかしら、とカムは疑う、――あの小さな島でさえも? 書斎に集まる年をとった人々なら、説明してくれるだろう、と彼女は考えた。時々カムは、そんな問題を持って、老紳士たちをつかまえようと、庭からそっとはいって行くのであった。二人は向き合って、各々低い肱かけ椅子にかけていた。(相手はカーマイケル氏かバンクス氏だったのだろう、非常に年寄りで、非常に頑固そうだった)カムが、かつて誰かがキリストに関して言ったあることとか、ロンドンの通りでマンモスが発掘されたことがあるとか、また大ナポレオンはどんな人だったかとか、そんなことをごたまぜに考えながら、庭からはいってゆくと、彼らは『タイムズ』をぱりぱり音させながら読んでいるのだ。そこで彼らは、それらを澄んだ態度でとり上げる、(彼らはグレイの色合いの服を着、ヒースの香をさせている)そしてその断片をよせ集め、新聞を繰って膝を組み、ぽつぽつと非常に簡潔に何かを話してくれた。ここに来ると彼女は夢見心地になり、自分も書棚から本を一冊とりたくなり、そして立ったまま父を見守るのだ。父はページの端から端へと、きれいに揃った、几帳面な字で何か書いてゆく、時々咳をしたり、向い合った老紳士に時々短く話したりする。そこで彼女は、開いた本を手に持ってそこに立ったまま考える。ここでは誰でもが、自分の考えていることを、水の中の木の葉のようにふくらませていいし、そしてもし、この煙草をふかしたり『タイムズ』をぱりぱり言わせている老紳士たちの間にいて、それがうまく出来たとすれば、その考えは正しいことなのだ、と。また彼女は、書斎で何か書いている父の姿を見つめながら、(今このボートの中で)お父さんはもっとも愛すべき人、もっとも聡明な人、見栄張りでも暴君でもないわ、と思った。事実、お父さんは、もしあたしが本を読んでいることに気づけば、きっと誰にもましてやさしく、何か分らないことはないかね? と聞いてくれるのだ。
いま考えていることがまちがいでないようにと、千鳥の卵みたいな斑点のある、つやつやの表紙の小型本を読む父を、カムはみつめた。そうよ、たしかにまちがいじゃない。お父さんを見てごらんなさい、と、大声でジェームズに言いたかった。(けれどジェームズは帆に眼をすえていた)おやじは皮肉な奴だよ、とジェームズは言うだろう。自分のことと、自分の本のことを繰りかえし喋るしか能がないんだ、と言うだろう。我慢ならない利己主義者。中でも憎むべきは、暴君であること。だけど、ちょっと見てごらんなさい! と彼女はジェームズを見ながら言う。今のお父さんを見てごらんなさいよ。カムは、脚を折りまげて小型本を読む父を見守った、内容は知らないが、黄色っぽい紙のその小型本にはなじみがあった。小さくて、中にはびっしり印刷されてある。その見返しに、父が書いてあることも知っている、食事に十五フランとか、ぶどう酒がいくらとか、給仕にいくらやったとか、またその総計も、ページの下の方にちゃんと記されている。けれど、そんなに隅々が丸くなるまでポケットに入れられている本の、内容がどんなものかは知らなかった。父の考えていることは、誰も知らない。だが彼はその本に没入しているので、顔をあげても、今もちょっとあげたが、それは何かを見るためではないのだ、ある考えを、さらに的確にさせるためなのだ。それが果されると、すぐ気ぜわしげに舞いもどって、読むことに没入するのであった。お父さんは、まるで何かを操縦するように、羊の大群をおびき寄せてゆくように、でなければただ一つのせまい径を、上へ上へと分け登るように、本を読む、とカムは思う。ある時は速力を出して一直線に進み、厚い茂みをかき分け、ある時は枝に叩かれ、茨に眼つぶしされるかのよう、でもそんなことに降参する人じゃない、次々のページの上をうねりながら進んでゆく。そこでカムは、沈みつつある船から脱出する物語を、自分に語りつづけることにする、父がそうして坐っている間は安全だったから。ちょうど、庭からしのび込んで行って、一冊の本を棚から取り、またあの老人が、ひょいと低めた新聞ごしに、ナポレオンの性格について簡潔に話してくれた、あの時に感じたのと同じ安全感であった。
カムはふり帰って、海上はるかに島をみつめた。けれど、木の葉形は鮮明さを失っていた。あまり小さく、あまり遠かった。もうあの海岸より、海の方が重要であった。まわりはすべて、上へ下へと揺れる波また波、その一つの波には丸太が身をまかせ、また一つの波には、かもめが乗っている。このあたりで、船が一隻沈んだのだわ、とカムは、指を水に浸しながら考えた、そうして、少しうとうとしはじめ、夢見心地で、ひとは滅びぬ、孤《ひと》りにて、と呟いた。
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十二
距離というものは、とリリー・ブリスコーは考えている、ほとんど一点の汚れもない海、あまり穏和で、その青の中に帆も雲も溶けこんだかと思われる海をながめて、その人が近くにいるか遠くにいるかというその距離は、大きな影響がある、と彼女は思う。と言うのも、ラムジー氏が湾のかなたへ次第に遠ざかるにつれて、彼女の気持が彼に対してかわって来たからだ。どこまでものびて追いかけようとする、彼がさらに、さらに離れてゆくような気がする。あのひとと子供たちとはあの青の中に、あの距離の間に呑み込まれてしまった気がする。ところがここでは、この芝生の上では、すぐ側のカーマイケル氏が不意にぶつぶつ言い出す、リリーは笑った。彼は草の上から本を拾い上げた。そしてふたたび椅子におさまり、海の巨獣のように、ふーっと息を吐いた。なんとも異様だが、これは彼があまり近くにいるからなのだ。あたりはまた元の静かさに返った。もうみんなは起きたにちがいない、と思って、リリーは家の方を見たが、なんの気配もなかった。でもそう、みんなはいつも、食事を終えるとすぐ各々の仕事に取りかかるのだったと思い出す。その静かさ、その空虚さ、早朝の、その非現実的な感じは、すべてそのまま保たれた。時々こうした感じがあるものだが、と、陽を反射させている長窓や、空にうかぶ青い煙の装飾をながめながら、ひととき考えた、なんでもが非現実的になることが、旅行から戻った時、病気のあとなんかそうだ、習慣が軌道にのり出さないでいる時、これと同じの、はっと驚くような非現実感を味わう、なにか浮かび出ている感じである。こんな時は、生命が最も活々する。身勝手にふるまうことができる。ありがたいことに、何も言わなくてもすむ、もしベックウィズ老夫人が腰かける場所をさがしながら来ても、挨拶するために芝生をかけ出したり、快活げに、「お早うございます、ミセス・ベックウィズ。なんていいお天気でしょう! まあ、そんな日向じゃ、毒ではありません? ジェスパーちゃんが、みんな椅子をかくしましたのよ。私、探してきて差しあげますわ!」などと言うことも、その他の、いつものお喋りも、しなくてすむ、全然何を話す必要もない。ただ、いろんなものの間をすべり、その上を超えて、帆をはためかせてゆくだけ。(湾には動きが多くなった、ボートがいくつも疾走していた)それは空虚ではなく、あふれるばかり充実している、何かの実体の中に唇まで浸って立っている気持、またその中を動きまわり、漂い、沈んでゆく気持、そう、この私のいる海は底知れず深いのだわ。この中には沢山の生命がそそぎ込まれている。ラムジー夫妻のも、その子供たちのも、さらにいろんな種類のがらくたまでも。籠をさげた洗濯女、ミヤマガラス、赤さびた火掻き、花々の紫や灰緑の色、またこれら全体をひとまとめにする、ある共通した感情。
十年前、ちょうど今のこの辺に立って、自分はきっとこの場所に恋をしているのだ、とつぶやいたのは、たぶんこうした、これで完全だという感情のせいだったのだろう。愛には無数のかたちがある。恋人たちの中には、その恋の力でいろんなものの要素をぬき出し、ひとところにあつめ、そして、自分たちの実際生活のものとはなし得ない完成をその方に与えて、ある情景とか、人々の集まり(今はみんなが別れ去った)を造りあげる、つまり、そこに思想が漂い、恋がたわむれるあの緊密にまとめられた一つの世界を造りあげる、と言うのもあるかもしれないのだ。
リリーの眼は、茶色の斑点になっているラムジー氏の帆船にとまった。あの人たちは、お昼までに燈台へ着くだろう。けれど風が出て、空がやや変り、海もやや変り、いくつかのボートの位置も変ったので、つい今しがたまで、奇蹟的に静止していると見えた風景が、今は不満なものになった。風が煙の跡を吹きちらした、船舶の配置はなにか不快な感じであった。
その不均衡さによって、心の調和がみだされた。えたいの知れない苦痛を感じた。それが、自分の絵をふり返ってみてはっきりした。朝の時間を無駄にしてしまったからだ。理由は何だろうと、二つの相反する力、ラムジー氏と絵との間にきわどい調和を保ち得なかった、それをやらなくてはならなかったのに。たぶん、構図がどこか悪いんでしょうね? あの壁の線を切った方がいいのかしら? あの樹木のマッスが重すぎるのかしら? リリーは皮肉な笑いをうかべた、これに取りかかった時、問題は解決されてた筈じゃなかったの?
では、その問題とは何? 私を避けてまわるあるものを、しっかり捕えなければならないと言うことだ。ラムジー夫人を考えた時、それが私を避けた、いまこの絵について考えると、それが私を避ける。いろんな言葉は浮ぶ。いろんな幻影も浮ぶ。美しい絵、美しい言葉。でも、私がほんとうに捕えたいのは、神経に受ける衝撃、つまり、まだなんのかたちも取らぬ以前のものなのだ。それを捕えてやり直しだわ、それを捕えてやり直しだわ。彼女はふたたび画架の前にしっかりと居を定めながら、絶望的につぶやいた。絵を描くための、ものを感じるための、人間の器官は、なんとみじめな機械、なんと無能な機械だろう、と思う。肝心のところで必ず故障する、神わざ的にそれを駆使するほかはない。彼女は顔をしかめて見すえた。あすこには、たしかに生垣がある。でも、あせって求めても、何も得られはしない。壁の線を見つめていても、また、――あのひとはグレイの帽子をかぶっていた、とか、あのひとはおどろくほど美しかった、とか考えていても、ただ目にひとすじの閃光が得られるにすぎない。もし来る気があるなら、それはひとりで来るでしょう、と彼女は思う。人には往々、考えることも、感じることもできない瞬間があるものだから。でもそんなに、考えることも感じることもできないときは、人はどこへ行ってしまうのかしら?
この草の上に、この土の上に、とリリーは、そこに坐って、|おおばこ《ヽヽヽヽ》の小さいひとむらをブラシでかき分けながら思った。芝生は雑草だらけであった。ここにこうして、この世界に腰かけて、と考える、それはその朝のすべてが、初めて出逢うことであり、またおそらく最後になるだろうという感じがぬけぬからだった。ちょうど旅人が、半分うつらうつらしながらも、列車の窓から眺めて、あの町も、あの驢馬の曳く車も、畑ではたらいている女たちも、二度とは見られないから今見ておかねばならないと思うような気持である。芝生はその外界。そして二人がこの高くなった場所に一緒にいる、彼女は、同じ考えごとを分け合っていると思えるカーマイケル氏(ずっとひと言も交さなかったけれども)を見ながら考えた。そしてこの人とも、たぶん二度と逢わないんだわ。彼は年老いてゆく。同時に、彼は有名になってゆく、と、その足からぶら下っているスリッパを見てほほ笑みながら思った。彼の詩は「非常に美しい」と世間では言った。彼が四十年も前に書いた詩を、みんながわざわざ出版した。カーマイケルという名前の、今は有名人がここにいる、彼女はほほ笑み、そして、一人の人間はどれだけいろんな姿をとり得るのだろうか、新聞紙上の彼はそうでも、ここにいる彼は、昔と少しも変らない、と思った。見かけも昔のまま、――やや白髪はふえたようだが。そうよ、見かけは変らない、けれど、アンドルー・ラムジーの死を聞いた時、(彼は砲弾で即死した、彼は大数学者になれたにちがいなかった)カーマイケル氏は、「人生のあらゆる興味を失った」とか言ったのですってね、とリリーは思い出した。それはどういう意味かしら、――その期待? といぶかった。彼は大きな杖をにぎって、トラファルガー広場を行進したかしら? 聖ジョンズ・ウッドの自室にひとりこもって、目に入らぬ本のページを、空しく繰っていたかしら? アンドルーの死をきいた時の彼が、何をしたかは知らないが、心中は十分察することができた。あの二人はただ、階段の上で互いに低声《こごえ》で、言葉を交すだけのことであった。また空を見上げて、明日は天気だとか天気でないとか言うだけのことであった。でも、それは人を知る一つの途なのだ、とリリーは考える。細部でなく輪郭を知ることである。誰かの庭に腰をおろして、遠いヒースの繁みまで裾をのばす、丘の傾斜を見下すことである。リリーが彼を知っているのも、その要領であった。彼がどことなく変ったことも分った。彼の詩は一行も読んだことがない。けれど、それがゆるやかに朗々と書かれているのを、知っているような気がするのだ。円熟した芳醇さ。砂漠とラクダをうたい、棕櫚の樹と日没をうたう。極度の非情さ。死については多少ふれるが、愛についてはほとんど語らぬ。彼には超越したところがあるのだ。他人に対して求めることはほとんどない。彼は新聞を小脇にかかえて、なぜかあまり好かなかったラムジー夫人を避けるようにしながら、いつもいささか不細工にひょいとからだをかたむけて、客間の窓のところを通って行ったわね? それで夫人は当然、よけい彼を呼び止めたがったのだわ。彼は夫人におじぎをした。しぶしぶ足をとめて、鄭重に頭をさげていたわ。夫人は、ちっとも自分を必要としてくれないのを気に病んで、彼に声をかける。(リリーにもそれが聞えた)外套はお要りになりません? 膝かけは? 新聞は? 彼は何も要らない。(ここで彼はおじぎをする)彼のどうにも好きになれない性質が、夫人にはあったのだ。たぶんあの、専横さ、積極性、実質本位というようなものだったろう。夫人はたしかに、直情径行的だった。
(物音がしたので、リリーは客間の窓を見た、――蝶つがいのきしる音だ。そよ風が窓にたわむれている)
たしかに、夫人をひどく嫌っていた人々もあったにちがいない、と彼女は思う。(そう。リリーは、客間の石段が空《から》なのに気がついたが、なんの影響もうけなかった。今はラムジー夫人を求めていなかった)――夫人はあまりはっきりしすぎる、あまり激しすぎると考えていた人たち。またおそらく、夫人の美しさも不興の種だったろう。なんと単調だろう、いつだって同じだ! と人は言った。そんな人々は、別のタイプを好んだ、――無能な、快活な。その点で夫人は、夫に対して弱かったわ。彼にあんな、いろんな場面を演じさせた。そして夫人は、口をつぐんでいた。夫人の上に起こったことどもを、正確に知る者は誰もいなかった。誰も、(カーマイケル氏の嫌悪に考えをもどして)ラムジー夫人が午前中ずっと芝生で、絵を描いたり、寝ころんで本を読んだりするとは想像できなかった。考えられないことであった。ひと言も言わずに、ただ用足しに行くしるしのあの手籠を腕にして、夫人は町へ、貧しい人々の許へ、またどこかの窮屈な、息ぐるしい寝室へ、見舞いに出かけた。なにかゲームや議論などしている最中に、彼女が手籠をさげ、まっすぐな姿勢で出てゆくのをリリーはよく見かけたものだ。そして、帰宅した夫人を観察した。半分笑い出しながらも、(夫人がコーヒー茶碗については、ひどくやかましく言うので)半分は感に打たれ、(彼女の美しさは息もとまるばかりなので)リリーは、苦痛にさいなまれている眼が、この人にじっと向けられていたのだと考えた。あなたはそういう人たちの側に、今までいらしたのね。
それからラムジー夫人は、誰々の帰りがおそいとか、バタが古いとか、コーヒーポットが欠けたとかで気をもみ出す。そして、彼女が、バタが新鮮じゃないなどと言っている間、ほかの人たちはギリシャの寺院などを考えようとし、それのあるあたりは実に美しいなどと思っていた。夫人は自分のする事について決して話さない、――時間通り、まっすぐ出かけてゆく。出てゆくのは彼女の本能であり、燕が南に向い、朝鮮あざみが太陽に向うのと同じ本能で、自分を人類全体の方へあやまりなく向わせ、その心臓部に巣をいとなむのだ。これはあらゆる本能と同様、それを共有しない者には少々わずらわしいものであった。おそらく、カーマイケル氏にはそうだし、リリーにもまた明らかにそうだった。この二人には、行動を無益だと考え、思考を至上のものとする傾向があった。夫人の外出は彼らへの非難となり、世間へ一つの異なった撚《よ》りを与えるものだったので、二人は自身の偏愛する信念があやうくされるのに、抗議的にならざるを得なかったし、また消え去ろうとするその信念にすがりつきもしたのだ。チャールズ・タンズリーもその点似ていた、それが彼の嫌われる理由の一つであった。彼は、人各々の持つ世界の均衡をみだした。ところで、あの人はどうしたかしら、とリリーは、漫然とおおばこのむらがりをブラシでかきまわしながら思った。彼は特待研究生の資格をとり、結婚し、今はゴールダス・グリーンに住んでいた。
リリーは戦争中のある日、ある公会堂へ行って、彼の講演をきいたことがあった。彼は何ごとかを弾劾していた。誰やらを誹謗していた。彼は同胞愛を説いていたのだ。リリーが感じたことはただ、大体あの男に自分の同胞を愛せるのだろうか、ということだった、あの絵の見分けもつかなかった男、私のうしろに立って、安タバコをふかしていた男、(「一オンスが五ペンスですよ、ブリスコーさん」)女にものは書けない、女に絵は描けない、と、そうはっきり信じるというより、何かひねくれた原因から、そうあることを望んで口ぐせに言ってたあの男に? やせた、あから顔の、しわがれ声の彼が、演壇から愛を説いていた。(ブラシでかきまわすおおばこの間を、蟻が這いまわっている、――赤くて精力的で、どこかチャールズ・タンズリーを思わせる蟻ども)半分も入りのないホールの、一つの席を占めたリリーは、その寒々とした空間へ愛を注ぐ彼を、皮肉にみつめていた、すると突然、空樽か何かが波間に浮きつ沈みつするのや、小石の間で眼鏡のケースを探すラムジー夫人が現れた。「まあ、仕様がないわ! また失くしちゃって。いいんですのよ、タンズリーさん。どうせ私は毎夏、何千となく失くすのですから」それを聞くと彼は、カラーが引きつるほど無理に顎をひいた、そんな誇張はやりきれぬが、好きな夫人のことだから我慢すると言いたげに。そして魅力ある笑顔をしたのであった。彼は、みんなでよくやった遠足のある折に、他の人々と離れ、夫人とだけになった時にでも話したのだろう。あのひとは妹さんに学資を出してあげているのよ、とラムジー夫人が話したことがあった。それは彼への絶大な信用であった。彼に対する私の見方はまっとうではなかった、とリリーは、ブラシでおおばこをかきまわしながら、それを認めた。人が他人に対していだく想いは、結局大方まっとうじゃないんだ。自分自身のひそかな目的に役立てようとする。私にとって彼は、ウィッピング・ボーイ〔貴族の子弟の学友で、その子弟が懲罰を受ける時は身代りになる少年〕の役目であった。腹が立つと私は、彼のあのやせた横腹を笞打っていたのだ。もし彼についてまじめに考えようとするなら、ラムジー夫人の言っていた事どもを取りあげなくてはならぬし、夫人の眼を通して、彼を見なくてはならない。
リリーは、蟻に乗り越えさせてみようと、小さい山をつくった。それは蟻どもには、天地創造の妨害だったから、思案あまって狂乱状態になった。あるものはこっちへ走り、あるものは向うへ走り去った。
何かを見るには五十人分の眼が必要だ、とリリーは思う。五十組の眼でも、あの一人の女性を十分見るには足りない位だ。その中には、夫人の美しさには全然盲目だというのも必要だろう。一番欲しいのは、空気のように精巧に出来た、人には見つからぬ感覚である、それをもって鍵穴からしのび込み、編みものをしたり、話したり、黙ってひとり窓辺に坐っていたりする夫人をとりまく、そしてその感覚がのびひろがって、汽船の煙を保存する空気のように、夫人の考えごとや創造や欲望を貯えておく。あの生垣が、彼女にはどんな意味を持っただろう? あの庭が、彼女にはどんな意味をもっただろう? 波がくだける時は、どんな意味を持っただろう?(リリーは、かつて夫人が見上げていた通りに見上げた、また夫人と同じようにして、浜辺へ寄せる波を聞いた)あるいは、子供たちがクリケットをしながら、「アウトかい? アウトかい?」と叫んでいる時は、彼女の胸がどんなにざわめきふるえたろうか? ちょっと編む手をやめたにちがいない、熱心に見たにちがいない。そしてまた編もうとする、と、歩きまわっていたラムジー氏が、眼の前でぴたりと止る、彼女は怪しい感動に打たれ、そうして、蔽いかぶさるように立った夫に見つめられると、奥底からの胸さわぎに抱かれて、ゆさぶられるような様子になってくるのだ。リリーはそのラムジー氏をも、眼にうかべることができた。
彼は手をのばして、椅子から彼女を助け起こした。いかにも、以前にもやったことのあるある動作、というようだ。どこかの島で、岸と少し離れているボートから陸へ上るのに、男が女へ手を貸すというような時、ちょうど今のように、彼はボートの方へかがんで、きっと彼女をたすけたのだわ。それはクリノリーン〔タガの入ったスカート〕や、ペッグ・トップ〔上が広くて下がすぼまるコマ形ずぼん〕が似つかわしい、旧時代的な情景。彼に手をとられながら、ラムジー夫人は、いよいよ時が来たと考えたんだわ、(とリリーは推測する)そうだわ、今それを言うべきだ。ええ、あなたと結婚しますわ、と。彼女はゆっくり静かに岸へ上った。まだ手を任せたまま、たぶんひと言だけ言った。手を握る彼に、あなたと結婚しますわ、と言ったにちがいない、でもそれ以上は言えなかった。その時と同じ深い感動を、二人はその後も味わった。――それはもちろんだわ。蟻の通路を平らにしてやりながら、リリーは考える。彼女は創作をしているわけではなかった。昔見たことや、胸の中に積みかさなっていることを、ただ平らにのばそうと試みているだけである。と言うのも、あの大ぜいの子供たちがうろついたり、大ぜいお客があったりした、騒然とした生活の日常では、たえず同じことをくり返している気持、――何か一つのものが、すでに落ちている何かの上に落ち、そのこだまでまわりの空気全体が振動し、鳴りひびいているような気分だったから。
でも二人の関係を、それほど単純化するのはきっと誤りだわ。リリーは、緑色のショールをした夫人と、タイをなびかせた彼が腕を組み、温室のそばを通って行った様子を浮べながら考えた。決して幸福だけの連続ではなかった、――衝動的で、機敏な彼女と、物ごとに戦慄し、憂鬱症におちいる彼。幸福の連続なんてとんでもないわ。朝っぱらから、寝室のドアが乱暴に閉る。いきなり彼がカッとなって食卓の席を立つ。窓から皿をほうり投げる。するともう家中のあちこちでドアがバタンバタン鳴ったり、ブラインドがはためいたりするような、ちょうど、不意の大風に、みんなが大あわてに戸締りしてまわったり、ものの整頓をしたりする時の騒ぎになる。ある日に起こったそんな騒ぎの時に、リリーは階段で、ポール・レイリーと顔を合せた。二人は子供みたいに笑いころげた。事の起こりは、朝食のとき、ラムジー氏のミルクにはさみ虫がはいっていたので、容器ごと外のテラスへ投げとばしたのであった。「お父さんのミルクにはさみ虫がはいっていたのよ」と、プルーが青くなってささやいた。ほかの人なら、むかででもまだよかったのに。ところがラムジー氏は、自分のまわりに神聖な垣をめぐらし、その中で威光を示して構えているのだから、ミルクの中の一匹のはさみ虫も、怪物にひとしかった。
けれど、あれがラムジー夫人を疲れさせ、多少おびえさせたのだわ、――お皿が飛んだり、ドアが鳴ったりするのが。そして二人は時折、長いけわしい沈黙におち入った。そんな時夫人は、その嵐をおだやかに切りぬけることも、みんなと一緒になって笑うこともできないらしく、何かをじっと押しかくしているらしい疲労の色を見せながら、あのリリーを悩ませた、なかば訴えるような、なかば怒りにもえるような心の状態でいるのであった。彼女は考え込み、黙然と坐っている。そのうちに彼が、夫人のいるあたりを、こっそりうろつきはじめるのだ、――窓の下を通ってみると、妻は手紙を書いたり、話したりしている、彼女の方で、夫が通ると思うとわざと忙しそうにして、彼を近づけまいとし、彼に気づかぬふりをするからなのだ。だんだん彼の方が絹のように柔和になり、うやうやしく上品になり、そうやって妻を籠絡しようと試みる。だが彼女はそっぽをむいたままで、ふだんは全然見せぬ、美貌を鼻にかけたような、誇らかで尊大な素振りをひととき保っている、おもむろに頭をめぐらし、必ずミンタかポールか、ウィリアム・バンクスかを側において、肩ごしに見やる。遂に、仲間はずれで外にいる、まさに飢えた狼犬《ウルフ・ハウンド》そのままの彼は、(リリーは叢《くさむら》を離れて立ち、そういう彼をかつて見かけた石段や窓の辺をながめた)いかにも雪の中で咆哮する狼のように、ただ一度、彼女の名前を呼んでみた、だがまだ知らぬ振りである。それで彼は、もう一度呼んでみる。すると今度は、その調子の中に何か動かされるものがあったのだろうか、彼女は仲間を放ったらかしていきなり彼のところへ行く、そして二人は、梨の樹や、キャベツ畑や、イチゴ畑の間の路を歩いてゆくのであった。互いにそれには触れないようにした。でもどんな態度で、どんな話をしたのだろうか? こういう状態の間でも、二人には威厳があったので、リリーにしろ、ポールにしろ、ミンタにしろ、みんなは好奇心や不快さを押しかくし、二人の方を見ないようにし、そして夕食になるまで、花摘みや、ボール投げや、お喋りをはじめるのであった。食事になると、テーブルの一方の端にラムジー氏が、他方の端に夫人が、いつものように坐っていた。
「なぜお前さんたちは、誰も植物学をやらんのかね?……そんなにちゃんと脚や腕があってどうして一人くらい……?」子供たちにかこまれた二人は、そこで常のように冗談まじりに話し出す。すべてはいつもの通り、ただその場にはある感動が漂っている。梨の木やキャベツ畑でそうして過ごしてきた二人の眼には、スープ皿を前にしてならぶ、見なれた子供たちの姿が、いかにも新鮮に映りでもするような、二人の間にかわされる、空中の刃のひらめきに似たものであった。特にラムジー夫人は、ちらちらとプルーを見ている、とリリーは感じた。プルーは弟妹たちの真中にいて、みんなに粗相がないようにと気をうばわれているので、自分の話など満足にするひまがないのであった。プルーは、ミルクの中の|はさみ《ヽヽヽ》虫で、なんと気を病んでいたことだろう? ラムジー氏が窓から皿を投げとばした時は、なんと蒼ざめたことだろう! 父母がいつまでも口をきかないので、なんと萎れていたことだろう? けれど母親は今、それらのつぐないをしていた。万事うまくおさまったのよ、と安心させているように見えた。いまに、私たちのこの幸福と同じものが、あなたのものになるのよ、と保証してやっているように見えた。それなのにプルーは、一年もそれを満足に楽しまずに終った。
あの娘《こ》は、自分の籠の中の花々を落してしまったんだわ、とリリーは考え、あたかもそれが自分の描いた絵であるかのように、眼をほそめ、後|退《しざ》りして眺めようとした、けれど、彼女のすべての機能が、その底ではすさまじい勢いで流れているのに、表面はかちかちに凍った麻痺状態になっていて、何も感じることのできない絵であった。
リリーもまた籠の花々を落してしまった、みんな草の上にひっくり返し、散らばしてしまった、そしてしぶしぶ、――私はとてもあきらめがよかったのじゃないか? と考えたり呟いたりするのは忘れて、――一緒に去って行った。真白い、花のまき散らされた野を降り、谷を超えて。――まあ、これが私の描きたかったものだわ。連らなる丘はけわしかった。岩山であり、急坂である。下の石ころの床では、波が嗄れた音をたてている。みんなで歩いて行った、同行三人、ラムジー夫人が先に立ってやや足早にあるく、あの角を曲ると、誰かに逢うかもしれないと期待しているように。
不意に、リリーが眼をやっていた窓が、なにかその中のふわりとしたもののために、白っぽくなった。ではとうとうあの客間に、誰かはいって来たのだわ、誰かが椅子に腰を降したわ。誰にしろ、どうぞそこにじっとしていて下さい、ふらりと出て来て私に話しかけたりしないで下さい、と彼女は祈る。ありがたいことに、誰か知らぬがじっとしている、しかも好都合なことには、石段へ奇妙な三角形の影を落す位置にいてくれる。そのために、絵の構成が少々変った。これは面白いわ。おかげでうまくゆくかもしれないわ。ふたたび気のりがしてきた。さあ、この緊張した気分を、一瞬もゆるめず、この決心をのばしたり、ごまかしたりしないで凝視しなくちゃ。この情景をとらえること、――そう、――がっちりと|まんりき《ヽヽヽヽ》で締めて、いろんなものが割り込んで来ないように、あれを無駄にしてしまわないように。肝心なことは、と彼女は、慎重に筆を浸しながら考える、ごく平常に経験する心で、あれが椅子だ、あれが机だ、と単純に感じ、しかも同時に、これは奇蹟なのだ、これは夢幻境なのだ、と感じることである。問題はけっきょく解決されるかもしれないわ。だのに、あら、これはどうしたこと? なにか白い波が、窓硝子を超えてくるわ。あの部屋の中の空気が、何かを狂い立たせたにちがいない。あのひとの魂が、私におどりかかってくる、私を捕える、私を八ツ裂きにする。
「ミセス・ラムジー! ミセス・ラムジー!」と、リリーは叫んだ、すぎ去った恐怖がまたもどって来そうだ、――求めて、しかも得られぬ苦悶が。あのひとは、まだ私を苦しめようとするのかしら? そのうち、おだやかに、夫人の方でひかえてくれたかのように、その恐怖も、椅子や机を感じるのと同じ平常の経験の一部となっていった。ラムジー夫人は、――リリーに対する何よりの好意を示して、――まことに無造作にそこの椅子に坐り、編み針を前後に動かして赤茶の靴下を編み、石段の上に影を落している。夫人はそこに坐っていた。
するとリリーは、さっきから他に気がかりでならないことがあるのに、この画架からも離れるわけにはいかないといいたげな、頭に考えていることと眼に見ていることで、胸をつまらせながら、絵筆を持ったままカーマイケル氏の側を通りぬけて、芝生の端へ行った。あのボートは、いまどの辺かしら? ラムジーさんは? リリーは彼を求めた。
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十三
ラムジー氏は、ほとんど本を読み終えるところであった。一ページ読み終える途端にそれを繰ろうと、待ちかまえた片手が、そのページにかけられている。帽子なしで、髪は風になびかせたまま、なにごとにも一切無防備の姿だ。ひどく老いこんで見えた。まるで砂の上に横たわる、年代を経た石みたいだな、とジェームズが、頭を燈台に向けたり、広い海へ流れ去る排水へ向けたりしながら思った。ラムジー氏は肉体的にも、この父子の心の奥に常に存在するもの、――そして二人にはものごとの真実と思えるもの、――孤独、そのものになってきたかに見えた。
彼は終りをいそぐように、非常な速さで読んでいた。事実、燈台はもう直ぐであった。白と黒に輝く、頑固に突立った姿をそこに現しており、岩にあたってくだける波が、硝子の細片のような白い飛沫をあげるのが見える。岩々の線やひだも見える。いくつかの窓もはっきり見えるし、その一つについている白い斑点や、岩の上の小さい草むらも見える。男が一人出てきて、こっちを望遠鏡で眺め、また中へはいって行った。長年、湾の彼方に眺めていたあの燈台が、つまりこれだ、とジェームズは思う、裸の岩の上に立つ、殺風景な塔。それが彼を満足させた。それが、自分の性格に関していだくある漠然とした感じ方を裏書きしてくれた。彼は、わが家の庭の芝生で、椅子をひきずってゆく老婦人たちを思い浮べる。たとえば、あの婆さんのベックウィズ夫人は、いつも口にするのだ、なんて美しいでしょう、なんていいんでしょう、あるいは、さだめしお得意でしょうよ、とか、さだめしお幸せでしょうよ、とか。しかし、実際はみなあんなものなのだ、とジェームズは、岩の上の燈台を見ながら思った。彼は、膝をきちんと折って、すさまじく読んでいる父を見た。二人のそういう考え方は相通じていた。
「われわれは疾風《はやて》に追われる――沈まねばならぬ」と彼は、父がそう言う時のように大声を出して、ひとりごとを言った。
誰ももう、幾久しく口をきかないでいる気がした。カムは海を見ているのに飽きた。黒いコルクのきれ端が流れてゆく。舟底の魚は死んだ。父はまだ読んでおり、ジェームズは父を見ており、カムも父を見た。二人は、死んでも暴圧と闘う約束をしているが、父は二人の考えていることを全然知らずに読んでいる。お父さんが逃げ出す時はこんな風にして、とカムは考える。そうよ、あの広いひたいと大きな鼻をして、まだら模様のある小さい本をしっかり前方にささげながら逃げてゆく。手をかけようとしたって、その時は小鳥のように翼をひろげて飛び去って、誰も追ってはゆけぬどこか遥か遠くの、寂しい切株の上にとまるのだわ。カムは、涯《はて》もなくひろがる海をみつめた。島はもうあまり小さくて、木の葉形もほとんど分らなかった。大波にすぐ洗われる、岩の頂きのようだ。でもあの危うげな所に、いくつもの小径や、テラスや、また寝室や、――数えきれないいろんなものがあるのだわ。けれど、眠りに入る前はいろんなものが単純化して、無数のこまごましたものの中から一つだけが大映しになってくるが、そのように、今ねむたげに島を見ていると、小径もテラスも寝室も、次第に色あせ、消え去って、後にはただ一つ青白い香炉が残り、それが心の中を、あちこちと快い調子でゆれていた。それは吊ってあるお庭。それは谷間、小鳥がたくさんいて、お花があって、カモシカがいて……カムは眠ってしまった。
「さあ、やろう」とラムジー氏が、いきなり本を閉じて、言った。
まあ、なにを? どんな素晴しい冒険を? カムははッとして眼をさました。どこかへ上陸し、どこかへ登るの? どこへみんなを連れて行く気だろう? 黙りつづけたあげくのその言葉に、みんなはびっくりしたのだ。しかし、たわいないことだった。腹がすいたよ、と彼は言った。昼食の時間になっていた。それにほら、と彼が言った。そこに燈台があった。「もう着いたようなものだ」
「坊ちゃんは、なかなかお上手ですね」と、マカリスターがジェームズをほめた。「舵の扱い方が、どうして大したものだ」
だが、お父さんは絶対に僕を讃めやしない、とジェームズは、心に憤慨した。
ラムジー氏は包みを開いて、みんなにサンドイッチを分けた。漁夫の親子と共に、パンとチーズを食べていると、彼は楽しかった。お父さんは小屋に住んで、他の老人たちと魚を乾したりしながら、港でのんびり暮したがっている、と思いながらジェームズは、父がナイフで、チーズを薄切れにするのを見守った。
これでいいのだ、これはあの時と同じだ、とカムは、ゆで卵をむきながら感じつづける。今彼女が感じるのは、あの書斎で『タイムズ』を読んでいる老人たちの間で得たのと同じ感情であった。今は自分の好き勝手な考えごとにふけっていられる、お父さんはここであたしに気をつけていてくれるから、崖から落ちることも溺れることもない、と思う。
一方ボートは、岩壁に沿って快速力で走っているので、素晴しかった、――みんなが二ツの事をいちどにやっているようだ。陽を浴びながらこうして昼食を食べ、同時に、難破船をのがれ、嵐をついて避難してゆくところ。飲料水は間にあうかしら? 食糧は大丈夫かしら? 彼女は、冒険物語をすると共に現実をも忘れず、そんなことをつぶやいていた。
われわれの先はもう知れているが、とラムジー氏が、マカリスター老人へ話していた。しかし子供たちは、いろいろ変ったことに出あうだろうよ。マカリスターは、今年の三月で七十五だったと言った。ラムジー氏は七十一。マカリスターは、まだ医者にかかったことがないと言う、歯も、一本も欠けていなかった。自分の子供たちにもそういう生き方をさせたい、――お父さんはそう考えているのだわ、とカムは悟った。それと言うのも、カムがサンドイッチを海へ投げようとすると父がとめて、いかにも漁師たちの生活ぶりを考え合すように、食べたくないなら元の包みへしまっておきなさい、と言ったからだ。そんな無駄をしてはいけないよ。父の口調が、世間に起こるできごとをすべて知っている人のように、もっともらしかったので、カムは言われるままに、すぐもとへ返した。すると父は、自分の包みから、生姜入りの菓子パンを出して、渡してくれた。なんだか、窓辺の貴婦人に花をささげるスペイン貴族みたいだ、とカムは思う。(それほど父は鄭重であった)でもお父さんはみすぼらしい恰好だし、パンとチーズを食べて卑賤だわ。それでも大遠征にみんなを指揮するけれど。その果てはきっとみんなが溺れてしまうにしても。
「あすこが船の沈んだところですよ」だしぬけに、マカリスターの伜が言った。
「ちょうどここらあたりで、三人死にましてな」と老人が言った。彼は、三人がマストにしがみついていたのを目撃したのだ、その地点を見つめるラムジー氏が、今にも叫び出しそうで、ジェームズとカムははらはらした、
『さあれ我は荒海のもと』
と、もし彼がはじめたら、二人はやりきれないだろう、自分たちも叫び出したくなるだろう、父の胸に煮えたつ激情が、つづいて爆発するのが耐えられないのである。だが驚いたことに、彼はただ「ああ」と言っただけで、いかにも、しかしなぜそういうことで大騒ぎするのだろうか? と彼はひとりで考えているようだった。嵐のために人々はあっさり溺れる、だがそれは完全に明白な事件なのだ、それに、海の深さと言うものは、(彼はサンドイッチの紙に残った屑を、海中へ散らした)結局、水がすべてなのだ。彼はおもむろにパイプに火をつけて、時計を出した。注意深くみつめて、何か数学的な計算をしている様子。あげくに、凱歌をあげるように言った。「うまくやったぞ!」ジェームズは、生れながらの水夫のように舵をとってきた。
ほーらね! カムは、無言のうちにジェームズへ言った。とうとうあんたは讃められたわ。それがジェームズの欲しかったものであることを、カムは知っていた。いまそれを得た彼が、うれしさのあまり、カムをも父をも、誰をも見ようとしないでいるのも分った。彼は舵に手をかけ、背を真直ぐに坐っており、むっつりと、少し眉をしかめてさえいた。うれしさで一ぱいで、その喜びを誰にも、ひとかけらも取られたくないと思ってるのね。お父さんが讃めて下さっている。みんなはあんたが、なんとそっけない顔をしてる、と思っているでしょう。でもあんたは今、それを大切に持っているのね、とカムは考えた。
帆船は上手《うわて》まわしにかわって、快走していた。岩礁に近い、長くうねる波の一つ一つに迎えられて、その上を走る軽快さと興奮は、たとえようもない。左手には水中に、岩の連なりが茶色に見え、水は浅く、次第に緑色をました。少し高い岩ではたえず波がくだけ、小さい水柱を噴き上げ、それが水しぶきとなって落ちた。水の打つ音、落ちてくる水滴のざわめき、また、波が岩の上をころがり、跳ねまわり、打ち当りする、ひそかにきしるような音、それらに耳をかたむけていると、いかにも自由奔放な野獣が、永遠に跳ねたりひっくりかえったりして、たわむれているように思われた。
さて燈台では、二人の男が、こっちを見守りながら出迎えの用意をしているのが分った。
ラムジー氏は、上衣のボタンをかけて、ズボンをたくし上げた。そして、ナンシーの用意した、不器用にくるんだ大きな茶色の紙包みを膝にして、坐った。こうしてちゃんと陸へ上る支度をしてから、彼は島をふりかえった。遠視の眼には、金色のお盆の上に突っ立っている、あの小っぽけな島がたぶんよく見えるのだろう。何が見えるかしら? カムはいぶかった。彼女にはただ模糊としているだけである。お父さんは今、何を考えているのかしら? と思う。あんなに眼をすえて、あんなに熱心に、あんなに黙りこくって、一体何を探しているのかしら? 姉弟は、二人ともに父を見守った、帽子なしで、膝に包みを置いて、何かが燃えつきたあとの水蒸気のような、はかなく青いあの島影を、じっと凝視しつづけている父を、何が欲しいのですか? と二人は尋ねたい気がする。なんでも言って下さい、そうすればそれを差し上げますよ、と言いたい気がする、けれど父は二人に、何も要求しなかった。彼は坐って、島を見つめている。ひとは滅びぬ、孤《ひと》りにて、と考えているのかもしれないし、あるいは、自分はやっとそこへ辿りついた、と考えているのかもしれない。自分は悟った。しかし、何も言わなかった。
彼はそこで、帽子をかぶった。
「この包みをみんな、持っておいでよ」と、燈台行きのためにナンシーがまとめたものを、彼は眼顔で示して、「燈台の人たちへ渡す包みだからね」と言った。彼は起き上り、ボートの舳《へさき》に立った。真直ぐに、偉丈高であった。どう見ても、「神は存在しない」と言っているようだな、とジェームズは考えた、またカムは、虚空へ飛び上ろうとするようだ、と考えた。二人は立ち上り、紙包みをかかえた父が、若い人のように身軽く岩の上へ飛んだ後に、続いた。
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十四
「あの人はもう着いたにちがいない」と、リリー・ブリスコーは大きな声で言い、急に疲労し切った気分になった。燈台はほとんど見えなくなり、青い靄の中にとけ込んでしまったために、それを見つめる努力と、彼がそこに上陸しただろうと考える努力と、この二つは一つになり、同じ努力と思われたが、それがリリーを心身ともに、極度に緊張させていたのであった。ああ、でも、これで気が楽になったわ。今朝、あの人が私から離れて行く時、あの人にあげたいと思ったものを、とうとうみんなあげてしまったもの。
「あの人は陸に上ったわ」と彼女は大声で言った。「これですんだわ」その時、カーマイケル老人がからだをゆり起こし、やや尊大な構えでリリーの側に立った。毛むくじゃらの、年老いた異教の神というように見える、髪に海草をつけ、手には三叉《さんさ》槍を持って。(これはただ、あるフランスの小説だが)そうして、芝生の端にいる彼女の側に立った彼は、その巨体を少しゆすぶり、手をひたいにかざしながら言った。「あの人たちは、もう陸に上ったでしょうな」それを聞いたリリーは、自分が感じていた通りだったと思った。お互いに話し合う必要はなかったのだ。二人は、全く同じことを考え、リリーが何も尋ねなくとも、彼はちゃんと答えをしてくれていたのであった。彼は、人類のあらゆる弱さや苦しみの上に、両手をひろげてそこに立った。彼は人類の決定的な運命を、寛大に、慈愛ぶかく測っているのだ、と彼女は考える。いま彼は、この機会を王座につけようとしている、と思う、その手がゆっくり降りた時、リリーには、彼のいる非常に高い所から、彼がすみれとアスフォデルとの花環を落すのが見えたように思われ、またそれが静かに舞い降りていって、ついに地上にとどいたのも、見えたように思うのであった。
とたんに、かなたの何かに呼び戻されるように、彼女は自分のカンヴァスの方をふり向いた。そこにはあった、――自分の絵が。そう、緑と青の色彩、縦横に走る線、何かしらを現わそうとするその試み。あれは屋根部屋へかけられるかもしれない、と彼女は思う、あれは棄てられてしまうかもしれない。でも、それがなんだと言うの? とつぶやいて、彼女はふたたび絵筆をとりあげた。石段を見る、そこは空っぽだ。自分のカンヴァスを見る、それは漠然としている。不意にわいた確信をもって、リリーは、一時はっきりそれを見たかのように、一本の線を、その真中に描いた。できたわ、これで終ったわ。極度の疲労のうちに絵筆を置きながら、彼女は思った、これでいいんだ、私は、私の幻影《ヴィジョン》をとらえたわ。 (完)
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解説
ヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf 一八八二〜一九四一)の代表的な小説『ダロウェイ夫人』『燈台へ』『波』等は、かつて出版されるとともに、いち早く日本でも紹介されて、一部には愛読者や讃仰者をもち、また研究の対象とはされてきたけれども、しかし全般的には敬遠され、むしろ食わずぎらいをされすぎているようで、私にはいささかふしぎであり、残念な気もするのである。
たしかにヴァージニア・ウルフは、男性作家たちに伍しても、最高水準と言える教養を持っていたにちがいないし、その文学はいわゆる『意識の流れ』で、解りにくいところも多いことは多い。さらにその教養が非常にイギリス的で、私どもには親しみかねるという点もあるにはある。けれど、ヴァージニア・ウルフは、すぐれた知性を持つと同時に、この上ない豊かな感性の持ち主であり、弱く内気な、謙遜な、いかにも女性らしい女性でもあったのだ。たえまない病苦とも闘わなければならなかったし、たえず打ちふるえているような、繊細鋭敏なその感性は、女の哀歓を、誰よりもきびしく感じ続けねばならなかった。そうして、実際に彼女は小説の中で、自分の魂をゆさぶる、その悲しみ喜びの詩をうたいながら、人間存在の深奥を探って行ったのであった。
彼女の小説世界は、おおかたが平凡な家庭環境だと言うことができる。親友の批評家や作家たちは、ヴァージニアが、評論を書くときに示す高い知性を捨てて、小説の中ではあまりに日常茶飯事にこだわりすぎると非難した、と言われるくらい、些細な日常を取り上げた。彼女がとり組んだのは、平凡な時の平凡な心、そのような、表面何ごともない一瞬の間の意識の世界、ないしは意識下の世界であった。その底へ深くふかく沈んでゆくことによって、人間を、生と死を、世界を、宇宙を、描き出そうとあがき、そしてついにそれを描き上げたのである。彼女は、第一次大戦以前の小説手法をやぶる、独特のスタイルを打ち建てたが、それはもちろん新奇さを意図して試みたのではなく、そういう彼女が書きたいと思うことどもの、もっとも適切な表現を求めて、苦悶しながら創造していったものであった。それによって、おどろくほど的確に、明快に、錯綜するムードをときほぐし、分析しながら、特異な事件をつみかさねるよりもさらに瞠目《どうもく》するような人間像や、人間関係や、生と死ということなどを、読者の前に示してくれたのだ。
ヴァージニア・ウルフの『日記』(一九五四)を開くと、一作ごとに、心身をすり減らすまでに悪戦苦闘する様子が、胸にせまるように記されている。作品の難解な部分の多くは、その苦渋の跡とも言えるだろう。その中で、この『燈台へ』を書いている間では、流れるようにおそろしいばかりペンが進む、という風の言葉が、幾度か見られる。流れるように、と言いながらも、遅筆の彼女は、この作品にも結局、一年半以上の年月をかけているけれども、おそらく彼女としては、これが一番喜びを味わいながら書き得た作品ではないかと思われる。ここでは表現のために苦渋した跡など、ほとんど分らない。この時までに築き上げてきた彼女の手法を、自由に駆使して、よどみなく書いてゆく。でき上がった原稿を読んだ夫のレナード(政治評論家で、またヴァージニアが最も信頼した、彼女の小説の批判者)は、これは『傑作』だと言い、新しい Psychological Poem(心理詩)だと言っている。同時に、構成の上でも『燈台へ』は、彼女の作品中、髄一の完璧さを持ったものであった。(ヴァージニア・ウルフの最高傑作は、レナードをはじめ多くの批評家が言うように、これの次に書かれた『波』であろうが、しかし少くとも構成の点では『燈台へ』よりも破綻があると思われる)
さて、『燈台へ』の構想について、『日記』(一九二五・五・一四)にはこう記されている。
「私はいま、新聞批評をやめて、『燈台へ』に取りかかろうと、気が張っている。これはおおかた短いものになるだろう。その中で、父上の性格を完全に描くこと。それから母上の性格も。また、セント・アイヴズと、子供時代と、それに例の事ども、――生、死、等々を取り上げる。けれど、中心にするのは、ボートの中に坐って、死にかけた鯖を押さえつけながら、『ひとは滅びぬ、孤《ひと》りにて』と詩を口ずさんでいられた、父上の性格」
少しこれに説明を加えると、このヴァージニアの父なる人は、レズリー・スティーヴン(一八三二〜一九〇四)と言い、ヴィクトリア朝の碩学者の一人に数えられる人であった。ケンブリッジに学び、特待研究生となり、聖職者としてとどまったが、しかし八年の後、彼は宗教に対して懐疑的になり、文筆生活に入るべくロンドンへ出た。そして『コーンヒル・マガジン』の主筆となり、『大英人名辞典』の編|さん《ヽヽ》に当った。そういう仕事の関係からも、彼はその時代の第一級の知識人たちと、広い交友を持つようになったのであるが、性格的にはかなり風変りの人物だったようで、この作中の、日常生活で相当奇矯な言動をするラムジー氏は、まさに彼レズリーを完全に描いたものと受け取ってよいようである。それから、ヴァージニアの母は、レズリーの二度目の妻で、フランス人の血をひく、美貌でやさしい婦人だったらしいが、ヴァージニアが十三歳の時に急死している。『燈台へ』を読んだ姉のヴァネッサが、興奮しながら「素晴しいお母さんの肖像だ」と言っているから、作中のラムジー夫人もまた、母にちがいない。けれど、ラムジー夫人の中には、あきらかに作者自身がかなりはいり込んでいるとおもわれる。そのことはいずれ後から、もう一度触れようと思う。
次に、セント・アイヴズと言うのは、コーンウォールの、セント・アイヴズ湾にのぞんだ、風光明媚な海浜で、スティーヴン家ではそこに『タラント・ハウス』と呼んだ別荘を持っていて、毎夏をすごした場所であった。ヴァージニアは、子供の頃にその家でなじんだ波の音を、限りなく愛した。それは常に、彼女の思索の伴奏となり、彼女の想いをギリシャへ、ギリシャの詩へと通わせ、そうして、典雅な、詩的な作品を次々と生み出させる原動力ともなったのだ。
このように、『燈台へ』は作者の子供時代の環境からできたことは事実であるけれども、しかし、自伝小説とか私小説とかいうたぐいに見ることはできないものである。現に舞台も、作品の中では、セント・アイヴズでなくて、北へかけはなれたスコットランドの、ヘブリディーズ諸島のスカイ島となっているし、作者自身は作中人物の誰に相当するであろうか、あえて言うなら、作者は分散されて、登場人物の幾人かの中へ随時にはいっていると見ていいだろう。要するにこれは、少女時代の材料から、象徴的に、みごとに創りあげられたフィクションなのである。しばらくモデルをはなれて、作品へ移ることにしよう。
ヴァージニア・ウルフは常に、眼前にある印象の強いもの、あるいはその時の最も強い感情をいきなり描いて、その説明なり、関連なりを後まわしにする方法を用いる。『燈台へ』でもいきなり、ラムジー夫人と幼児ジェームズとのムードから始まる。そうして次々に、どういう関係とも、どういう様子をしているともよく分らない人物があらわれる。それでまず、その場所だとか、それらの人物だとかのご紹介をしようと思う。
場所はさきに言ったスカイ島、小さな漁村をはずれ、坂路をのぼった上にある、ラムジー家の夏の家が、舞台である。起伏のある、高台《テラス》になった広い庭がまわりにあって、家も大きいが、しかしそれは古び、荒れたものである。第一部『窓』は、この家における、ある年、ある夏、ある日の、昼食の頃から夜ふけまでの、半日間である。
ラムジー氏は哲学者で、若い時代にはまわりから、大いにその前途を嘱望された俊才であったが、しかし結局大成するまでには至らず、齢《よわい》すでに六十に達している。彼はもうとうにきびしい探求心を失い、家庭生活に慰めを求める凡俗の老人になっているのだけれども、それと共に虚栄心や名誉欲をも捨てることはできず、人に忘れられ、名声のなくなってゆくことに、たえず懊悩している。頑固で気短かで、年齢と共に、その性格は奇矯さをましてゆく。彼はほとんど一日中、思索しながら高台を歩きまわり、その間で時々突然、わめくように大声で詩を誦しはじめたりする。今も彼は、若い弟子のチャールズ・タンズリー――頭はよいが、容貌がみにくく、性質は狷介《けんかい》、それに貧乏で、みんなのきらわれ者。――と、高台を散歩しているところである。
家の中では、窓辺に、ラムジー夫人と、末息子の六つになるジェームズとがいる。ラムジー家では、毎夜海上かなたから、美しく神秘的に光を投げてくる燈台へ、明日出かけようということになっている。それでジェームズは狂喜しながら、そのことをおもっているのである。ところが、庭にいたラムジー氏が窓辺へ近づいて来てだしぬけに、明日は雨だから燈台行きは駄目だ、という。その思いやりも何もない過酷な言い方に、とくべつ感受性のつよいジェームズは、ひどい打撃をうけてしまう。おそらく、生涯忘れ得ないだろうと思えるほど、幼児の魂に深い痛手を負わせたことが、側にいるラムジー夫人には分るのだ。彼女もまた暗い気分にさせられてしまう。今さらに、夫について考える。一体ジェームズをどうやっていたわったらいいかと悩む。そうしたラムジー夫人の気分が、第一部の底を流れてゆく、心理的なテーマなのである。
一方、ラムジー夫人は、親切で世話好きで、自分を頼ってくる者は、誰でも庇護してやろうとする。この夏の家には、チャールズ・タンズリーをはじめ、幾人かが食客になったり、遊びに来ていたりして、その人々がそれぞれ勝手に行動しながら、この半日の間にも、夫人の意識の中にさまざまな影を落すのである。
リリー・ブリスコーは、三十を過ぎた独身の画家。彼女は決して才能に恵まれた方ではないが、自分の絵に精魂をかたむけ、いじらしいばかりに努力をしている。今も彼女は、庭の芝生に画架を立てて、そこから、窓辺の母子を画材に、一心に描いている。彼女は、魅せられているようにラムジー夫人を愛し、尊敬し、唯一人の心の頼り手としている。
ウィリアム・バンクスは、ラムジー氏の古くからの親友で、すぐれた生物学者である。妻と死別し、子供もなく、寂しい境涯だ。このバンクス氏とリリーとが、恋愛というにはあまりに潔癖で礼儀正しい情愛を感じ合う。ラムジー夫人は、二人が結婚すれば丁度よいのにと思い、気をもんだり、取りもちをしたがったりしているのである。
オーガスタス・カーマイケルもまた、孤独な老人で巨躯の持ち主。人生の敗残者とも見えるような貧しい姿だが、しかし崇高な精神を持った詩人で、宇宙へ広大無辺な愛をそそぎ、自分の生に満足しているのだ。彼は、ラムジー夫人の保護を受けながらも、夫人が神経過敏で、気性も、女としては少し激しすぎると思い、なんとなく毛ぎらいをしている。それをラムジー夫人は、時々気に病み、いまいましくも思っている。
また、一組の若い男女、ポール・レイリーとミンタ・ドイルがいる。ミンタは、美貌でいきいきとした、おてんば娘である。ポールは彼女を恋しているが、非常におとなしい、気の弱い青年で、それが言えない。けれどラムジー夫人に元気づけられて、この日海岸へ散歩に出た時に、ついに恋を打ちあけ、そして二人は婚約者になるのである。
滞在しているお客は以上の人々だが、ラムジー夫妻はまた、八人の子福者なのである。十九か二十歳くらいをかしらに、男が四人(アンドルー、ロージャー、ジェスパー、ジェームズ)と、女が四人(プルー、ナンシー、ローズ、カム)である。この中で、末の幼い二人、カムとジェームズを除いては、年齢も順序も明記されていないし、全篇を通じて特に重要な役割を果してはいないけれども、当然この大ぜいの子供たちが、いつもラムジー夫人の意識の中をうろついている。
ところでこの日は、ラムジー家では、たまたま晩餐会が開かれることになっていた。常々ひとり静かに食事をするのを好む、生物学者バンクス氏も、めずらしくラムジー夫人の招宴に応じたので、早目に寝る幼児のほかは、家族とお客と、この家にいる全部が食堂に集まることになるのだ。ラムジー夫人は非常に楽しみにし、ご自慢のフランス料理の煮込み肉を料理人につくらせて、ご馳走することにする。だが、いよいよ食卓のまわりに集まってみると、偏屈者の夫をはじめ、それぞれに気むずかしい人々だったり、落ちつかぬ子供たちだったりして、一座が容易に、打ちとけた楽しいものとはならない事に気がつく。ここでもやはりラムジー夫人が中心となり、努力してそれを盛り上げてゆかねばならないのだ。彼女は、自分の神経に、手にとるように伝わってくるみんなの感情に気を使い、その人々の性格だとか過去だとか、あるいは自分の生涯だとか、さまざまの想いが、乱れとぶ閃光のように心をおそってくるのを、まともに浴びながら、しかもみんなの気持を融和させるために努力しなければならないので、神経はずたずたに引き裂かれてしまう。
しかしながら、あげくにラムジー夫人は、今日のこの晩餐会が、成功だったと言う確信を得た。たとえ自分は死んでも、きっと今日ここに集まった人々の心の裡《うち》に、自分は生き残ることができるだろう。将来、この人々が散り散りになり、各々の生活に別れ去っても、その心はきっと常に、今日のこの日に戻ってくるだろう。たえず変転し、流れすぎてゆく人生の、ある一瞬を、永遠なものに固定し得たという確信。――それは、妻として母として、五十歳の今日まで、平凡な家庭生活をつづけながら、常に人生というものを探って来たラムジー夫人の、凱歌であった。――第一部はそれで終っている。
第二部『時は逝く』は、いっそう美しい詩的散文によって、その後の十年の推移が、暗示された部分である。作者自身の言葉を聞こう。(『日記』一九二六・四・三十)
「きのう『燈台へ』の第一部を終えた。今日から第二部に取りかかる。どう書いたものか。――ここが、一番むずかしい抽象的な部分。――人物は一人も描かず、一軒の空家をもってくる。時の推移。すべてが、眼を持たないもの、姿を持たないもの。しかも、よりかかる何もない。さあ、一気にやっちまおう。とたんに二頁書きとばす。それはナンセンスかしら? それは素晴しいかしら?」
この十年の間に、戦争がある。またラムジー家では、大事な三人の家族を失う。まずラムジー夫人の急死。長男アンドルーの戦死。次いで、結婚した長女プルーが、初産で死ぬ。けれど、こうした現実の事件は、カッコへ入れて、処々に短く挿入されるにすぎない。悲劇の十年は、全く象徴的に、一夜の悪夢として描かれる。第一部の終りで更けた夜が、第二部へはいって、嵐の夜になってゆく。そうして、『さて、一夜とはなんであろうか』という言葉がある。誰一人来なくなったラムジー家の夏の家は、雨や風や、時には勝手に、燦々とふりそそぐ美しい陽光や、それら自然の手にゆだねられ、荒れるにまかされ、崩壊寸前の廃屋となってゆく。すべてが悪夢。――やがて十年ぶりのある夜にやって来たリリー・ブリスコーが、この家のベッドの上で、朝眼をさますと共に、その破壊と理不尽にみちた、陰惨な長い『一夜』もついに明ける。そうして第三部の、今度は午前中の半日間へと移ってゆくのである。
こうした構成を、ジョンスタンは、『ダロウェイ夫人』のそれと対照させた。「ヴァージニア・ウルフは、『ダロウェイ夫人』では、一日を大方一生涯に拡大し、『燈台へ』では、十年間を一日の形に凝縮した」(一九五四)
それで、第三部は、妻を失ったラムジー氏が、すっかり老人になり、幼児であったカムとジェームズが、十七と十六に成長し、まさに十年後であるが、同時にそれは翌朝なのである。かつて中止されたままになっていた燈台行きを、この日にこの親子三人によって決行されるというほかには、新たな事件や、話の筋の発展はない。三人が乗っているボートの中の状景と、他方芝生の上で絵を描きながら、そのボートを見送っているリリー・ブリスコーの心理とが、交互に描かれる。リリーはバンクス氏ともついに結婚せず、四十をすぎて相かわらず独身で、描こうとする絵もなかなか描けずに苦悶している。彼女の心には、ラムジー夫人のことどもがきのうのように生きている。狂気のようにラムジー夫人を呼び求め、幾度か夫人の亡霊が立ち上ってくる幻覚におそわれている。また、主にこのリリーの独白のかたちで、第一部の人々に関する説明があらたにつけ加えられ、その後の彼らの消息も伝えられる。その中には、第一部で述べられた事柄と重複して、多少冗漫な感じを与えられる箇所があるし、また先に、ラムジー夫人があまりに鮮やかに印象づけられてしまう読者としては、夫人の死後のこの部分は、なんとなく補足的部分のような気がしないでもない。
けれど、はじめに引用したように、『中心にするのは、ボートの中に坐る父上の性格』であれば、作者の目的がこの部分にあったことは明らかであり、この作品の生命もまた、実際はやはりここにあると見るべきであろう。ヴァージニアは、評論『現代小説』(The Common Reader 第一集の中)で、こういうことを述べている。
「生は、つり合いよく整えられた、一連の馬車ランプの光ではない。生は、意識をもったその最初から終局に至るまで、われわれをとり巻いている半透明な暈《かさ》、|燦然と輝く光彩《リューミナス・ヘイロウ》、である。この定まらぬ、未知の、捉えがたい精《スピリット》を書きあらわすことが、小説家の仕事ではないだろうか? できるだけ、余分な皮相的なものを混えるのを避けることによって、たとえそれが、畸形に、複雑に表わされるかもしれないにしても」
彼女は、次々に書いた諸作品において、まさにくり返しくり返し、その『リューミナス・ヘイロウ』の中なる、人間実在の象徴を追い求めたのである。決して捉えることのできない、捉えたかと思う瞬時に、逃げ去る幻影《ヴィジョン》。作中の人物は、常にそれを追いつづける。それはリリーが、死んだラムジー夫人をせつなく呼び求め、夫人が達した悟りの境地へ、自分は絵を通して達したいとあがく姿である。そうして『燈台へ』は、一篇の悲劇であり、哀歌であるが、それにもかかわらず、明るさと救いが与えられるのは、あきらかに作中の人々が、各々そのヴィジョンを感知し得たことが分るからだと思う。最後にはっきり、それを得たと言うリリーだけでなく、燈台の島に一歩をふみ出すラムジー氏にしても、また子供たちにしても、ラムジー夫人への追憶に圧しつぶされていた人々が、自分自身に立ち直ってゆくという心象を読者は受けることができる。そして『燈台へ』という題名そのものが、非常に象徴的なことが分るのである。
以上で、この作品の性格を大体承知して頂ければ、再びここでモデルの詮議に戻る必要もないかもしれないが、『作者が分散されて、登場人物にはいっている』というのをもう少し補うことにしよう。それによって、いっそう作者とも親しくなって頂けるかもしれないから。
まず、カムとジェームズの二人はともに、子供から少女時代にかけての、作者の分身と見ることができるだろう。ヴァージニアは、その時代の良家の風習として、教育はすべて家庭で受けた。そして、母の死後は、姉と共に、もっぱら父の薫陶の下に置かれたのである。レズリーは娘たちに対しては、自分がかつて与えられなかった方針を取った。即ち、自分がケンブリッジを去った時からの、キリスト教的信条をはなれて自由に物を考えること、とりわけ、人間関係について深く思いを馳せること、を教えた。で、娘たちは、何ものにも拘束されずに思索する、最高の自由の精神をつちかわれ、やがて姉は画家として、彼女は作家として、輝かしい船出をすることになるのだが、半面、レズリーのような性格では、まだ未熟な、感受性のつよい少女たちを躾《しつけ》るには、決して適任者でなかった、というのは十分察せられることだ。彼は、自分の所信に少しでもさわるようなことがあれば、容赦なく、手振りをともなった激しい言葉で、制したり、叱ったりした。またしばしば、自分の思索の中に没入してしまい、あげくにいきなり顔を上げて、眼をかがやかせながら、むずかしい問題を語り出したと言う。だからヴァージニアには、この父は非常に重圧的な存在で、深い尊敬をもって誇りにしながら、また激しく憎悪した。それはそのまま、ボートの中のカムとジェームズの感情である。(なお、ヴァージニアには姉のほかに兄と弟もあった。兄もケンブリッジに学んだ秀才であったが、惜しくも若くして亡くなっている)
リリー・ブリスコーが絵ととり組むいたましいばかりの苦闘。これもまたそのまま、ヴァージニア・ウルフの文学における苦闘であったにちがいない。リリーがカンヴァスを見つめながら独りで呟く。『それは、吹けば飛ぶようなものでなければならない。そしてそれは、一団の馬によっても引き離せないものでなければならない』表面ふわりとしていて、そのかげではがっちりと引き緊められている。それはヴァージニア・ウルフが師と仰いだ、美術批評家ロージャー・フライの美の理論で、小説を書くに当って常に彼女が心していたもの、ことにこの『燈台へ』で、みごとに試みられたものであった。
最後に、ラムジー夫人の意識の流れの中に、作者のそれが入りこんでいることは当然と言えようが、その肖像の中にも、非常に作者が彷彿としているように思われるのである。ウルフ夫妻が始めたホガース出版社の、マネージャーをしていたジョン・レイマンの回想記によると。
――発送などの忙しい時は、ヴァージニア・ウルフも奥の書斎から出てきて、一緒に手伝っていたが、すると、高名な、容易に逢えぬあの作家が、果して原稿を読んでくれるだろうかと、不安にかられながら社を訪れてくる若い詩人たちは、眼の前にいる地味な、ひかえめな婦人が、まさにその人であるとは決して気づくことがなかった。
また別の、ジョン・レイマンに強く残っている印象として。
――ウルフ夫妻の自宅で夕食のあと、片がわに果樹林、片がわに池のある、小さい庭にのぞんだ部屋の暖炉のそばで、彼女は強い手巻きタバコを吸いながら、楽しげに、ウイットにとんだ雑談をしていた。彼女は、誰のことでも、またどんなことでも知りたがった。若い誰々は、何を書いているの? 誰某が、親友の結婚をぶちこわしたと言うのは、ほんとう? アメリカからせっせと私に、仰々しいファン・レターを送ってくるあのうんざりな人には、一体なんと返事をしたらいいんでしょうね?――等々。
こういう記事を読むとき、この作家のイメージが、私の頭の中では、どの作品中の女性にもまして、一番ラムジー夫人へとつながってゆくのである。
一言終りに、訳者としての言いわけを言わせていただきたい。私は、もし折があったらこの小説を訳してみたいと、心ひそかに考えていたので、その機会を新潮社の沼田六平大さんが与えて下さった時は、大へんうれしく思い、原作のすべてをできるだけそっくり生かしたいという悲願のもとに、努力したのではあるけれども、しかしそれが、どこまで遂げられたろうか。私にとっては、まさしくこの作品そのものが『リューミナス・ヘイロウ』であり、訳すとたんに、その高貴な精神も、知性に陶冶された繊細な情感も、むざんに輝きを失ってゆくような不安にかられ続けた。私には身の程しらずな望みだったのかもしれない。けれど、それはひとえに、自分がこの作品から受ける喜びや感銘を、一人でも多くの方々とわかちたいと願うあまりに、犯したあやまちなのである。何卒ご寛恕下さって、この中から原作のそういう光彩を汲みとるようにして下さることを、切にお願いしてペンを置くことにする。
一九五五年十一月 中村佐喜子