あしながおじさん
ジーン・ウェブスター/北川悌二訳
目 次
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くらい水曜日
ジールシャ・アボット嬢があしながおじさんのスミス氏に出した手紙
九月二十四日 ファーガスン寮二一五号にて
四月四日 病院にて
土曜日の夜、ロック・ウィロウ農場にて
十二月三十一日 マサチューセッツ州、ウスター、「ストーン・ ゲイト」にて
八月三日 ロック・ウィロウ農場にて
九月六日 マクブライド家のキャンプにて
四月四日 ロック・ウィロウにて
解説
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くらい水曜日
毎月の第一水曜日は「ほんとうにおそろしい日――びくびくしながら待ち、勇気をふるいおこしてじっとがまんし、おおいそぎで忘れてしまおうとする日でした。床という床はしみひとつないようにし、腰かけからはほこりをはらい、ベッドにはぜんぶ小じわひとつあってもいけないのです。少しもじっとしないで動きまわっている小さな孤児たちを、ごしごしと洗い、髪をとかし、きちんとのりづけした服に着がえさせてやらなければなりません。そのうえ、この九十七人の子供たちに、それぞれ、お行儀をよくするようにいってきかせ、評議員さんたちになにかいわれたら、「はい、そうです」、「いいえ、そうではありません」と返事するように、教えこまなければならないのです。
その日はとてもつらい一日でした。かわいそうに、ジールシャ・アボットは、孤児のなかでいちばん年上だったので、すっかりひどい目にあってしまいました。でも、今日のこの第一水曜日も、いままでの水曜日と同じように、やっと終わりに近づいてきました。ジールシャはこの孤児院のお客さまに出すサンドウィッチを台所でつくっていたのですが、そこをぬけだして、ふだんきめられている自分の仕事をしに、二階に上がっていきました。ジールシャの受持ちはF号室で、そこには、四つから七つまでの十一人の子供たちが、一列にならんだ十一のベッドに寝ているのです。ジールシャはこの子供たちを集め、そのしわだらけの服をのばし、鼻をかんでやり、きちんとおとなしく一列になって食堂のほうにいかせました。これは、そこで子供たちが、三十分のあいだ、楽しくパンとミルク、それにすもものプディングをごちそうになるためだったのです。
そうしてから、彼女はぐったりと窓ぎわの腰かけにすわりこみ、ズキズキいたむこめかみを冷たい窓ガラスにおしつけました。いままで朝五時から立ちずくめで、みんなからいわれるとおりに飛びまわり、いらいらしている院長さんにしかられたり、追いつかわれたりしていたのです。リペット院長さんは、評議員さんや女のお客さまの前では、静かに堂々とりっぱな態度をしていたのですが、かげではいつもそうとはかぎりませんでした。ジールシャが外をながめると、凍《こお》りついたひろびろとした芝生《しばふ》、孤児院のまわりに立っている高い鉄の柵《さく》、別荘《べっそう》があちらこちらに散らばっているうねうねとした丘、葉が散ってしまった木のあいだにそびえ立ってみえる教会の塔が目にはいってきました。
その日は、彼女が知っているかぎりでは、大成功で終わったのでした。評議員さんや視察委員さんたちは、なかを見てまわり、報告を読みあげ、お茶をごちそうになって、いまいそいで楽しいわが家にもどり、このやっかいな小仕事を一月のあいだ忘れようとしていました。ジールシャは窓からからだをのりだし、ものめずらしそうに――そしてちょっとさびしい気分になりながら――孤児院の門から出ていく馬車や自動車の流れを眺めていました。ジールシャは空想のなかでつぎからつぎへと走っていく車のあとについていって、丘に散らばって立っている大きな邸《やしき》にもどることを考えていました。ジールシャは、毛皮の外とうに身をくるみ、羽毛でかざった帽子をかぶり、座席にふんぞりかえって、ぎょ者にむぞうさに「うちへ」と小声で命じている自分の姿を、想像してみました。でも、こうした空想は、家の戸口のところで、ぼやけたものになってしまったのです。
ジールシャは空想力のある子でした。リペット院長さんの話によれば、気をつけないとたいへんなことになる空想力の持ち主でした。でも、それがどんなに鋭いものにせよ、それだけでは、彼女がはいっていこうとしている邸の正面玄関から奥のほうは、もうだめでした。かわいそうなことに、熱心で冒険《ぼうけん》ずきな子供のジールシャは、この十七になるまで、ふつうの家には一度もいったことがなかったからです。面倒《めんどう》な孤児なんぞいない、毎日のくらしをしているほかの人たちの日常生活を、ジールシャは空想してみることができませんでした。
ジールシャ・アボット
およびだよ
事務所でね
いそいでいったほうが
いいようだよ
聖歌隊《せいかたい》にはいっているトミー・ディロンが、歌いながら階段をのぼり、ろうかを歩いてきて、F号室に近づくにつれてその歌声は大きくひびいてきました。ジールシャはふしょうぶしょう窓からはなれ、またつらい日々の生活に顔をつきあわせました。
「だれがよんでるの」とても心配そうな声で、ジールシャはトミーの歌声をさえぎりました。
事務所のリップ院長さん
どうやらカンカンにおこってるよ
アーメン
トミーは賛美歌ふうにふしをつけて歌っていましたが、その調子は、いじわるのものともいいきれないものでした。ひどくすねているおさない孤児でも、なにかへまをして、ごきげんななめな事務所の院長さんのところによびつけられている姉さんを、気のどくに思っているのでした。ジールシャはときどきじゃけんに腕をひっぱり、むしりとるようないきおいで鼻をふいてやっていたのでしたが、それでもトミーはこの姉さんがすきだったのです。
ジールシャはなにもいわずにでていきましたが、そのまゆにはたてじわが二本よせられていました。どんな失敗をしたのかしらと、ジールシャは考えていたのです。サンドウィッチがあれでもあつすぎたのかしら? くるみ入りのおかしに|から《ヽヽ》でもはいっていたのかしら? 女のお客さまがスージー・ホーソンの靴下に穴を見つけたのかしら? それとも――まあ、たいへん――あたしが受持っている天使のようなちびちゃんたちのだれかが、評議員さんに|おなま《ヽヽヽ》なことでもいったのかしら?
下の長いろうかにはまだあかりがついていませんでした。ジールシャが階段をおりていったとき、最後にのこった評議員さんが、帰ろうとして、車よせにつうじる開いた戸口のところに立っていました。ジールシャは通りすがりにその人を見かけただけで、ただせいの高い人としかおぼえていませんでした。この男の人は、カーブした車よせの道に待っている自動車に腕をふっていました。車がきゅうに動きだし、ほんの一|瞬間《しゅんかん》、頭をこちらにむけて近づいてきたとき、ギラギラかがやくヘッドライトが、おくのかべに、この人のかげをくっきりと照らしだしました。このかげは長くのびた足と腕をうつしだし、それは床の上を走り、ろうかのかべにまでとどいていました。それは、ほんとうに、とても大きなユラユラ動いているあしながおじさんのめくらぐもそっくりでした。
ジールシャの心配そうなしかめっつらは、きゅうに笑い顔にかわりました。ジールシャは生まれつきあかるい気持ちの子で、いつもちょっとしたことにも笑いのたねを見つけていました。もし人が、評議員さんというような重苦しいものからなにかおかしなものでもひろいだすことができたら、それは思いもかけぬもうけものです。このちょっとした事件で陽気さをとりもどしたジールシャは、事務所のほうに歩いていきリペット院長さんに笑顔《えがお》でむかいあいました。おどろいたことに、院長さんも笑顔はしていないにしても、ちょっとごきげんなようすでした。院長さんは、お客さま用のほがらかな顔をしているといってもいいくらいでした。
「おすわり、ジールシャ、あんたにちょっと話したいことがあるのよ」
ジールシャはすぐそばの腰かけにすわり、ちょっと息をころして待っていました。自動車が窓にさっと光を投げて通りすぎていき、リペット院長さんは、それをチラリと見送りました。
「たったいまお帰りになったお客さまのこと、あんた、気がついていたこと?」
「うしろ姿は見ました」
「あのかたは、いちばんお金持ちの評議員さんのひとりでね、この孤児院のために、たくさんのお金をくださったかたよ。あのかたのお名前をいうわけにはいかないの。名前を出してはいけないと、はっきり断わられているのでね……」
ジールシャはちょっと目をまるくしました。それというのも、事務所によび出されて、院長さんの口から評議員さんたちのふうがわりな話をきくようなことは、まだ一度もなかったからです。
「このかたは今までいく人か男の子のことを考えてくださってね、あんたもチャールズ・ベントンやヘンリ・フリーズのことは知っているでしょう? あの子たちはふたりとも、あの――ええと――この評議員さんのおかげで大学を出していただき、いっしょうけんめいに勉強し成功して、しんせつにも払ってくださったそのお金のご恩返しをしたのですよ。あのかたはそうしたお礼だけしかお望みでないの、いままでのあのかたは、慈善《じぜん》を男の子にしかしてくださらなかったのよ。少しでも女の子のことを考えてくださるようにとやってはみたけれど、どんなりっぱな子でもだめ。あのかたはまあ、女の子ぎらいなのね」
「そうですわ、院長さま」ジールシャはつぶやくようにしていいましたが、これは、ここでなにか返事をしなければならないように感じたからなのです。
「きょうの定例会議《ていれいかいぎ》で、あんたのこれから先のことが話にでたのよ」
リペット院長さんはここでしばらく口をつぐみ、それからゆっくりと静かな調子で話をつづけましたが、聞くほうではきゅうに心が緊張《きんちょう》してしまったので、その話しぶりはとてももどかしいものでした。
「あんたも知っているとおり、ふつう子供は十六になるとここにはいられないのですけれどね、あんたのばあいだけ、例外《れいがい》がみとめられたのよ。あんたはここの学校は十四のときに卒業、そして勉強をとてもよくしたので――たしかに、お行儀のほうではいつも満足というわけではなかったけれど――あんたを村の中学校にだしてあげようということになったの。いまあんたはそこを卒業しようとしているのだけど、あんたのお世話は、むろん、これ以上この孤児院ではできないわけ。いまだってもう、ふつうの人より二年も長くいることになるんですものね」
リペット院長さんは、この二年間ジールシャがいっしょうけんめいはたらいて自分の食費をかせぎ、孤児院のつごうが第一で、ジールシャの教育は二のつぎだったこと、きょうのようなばあいにはよく学校を休まされたことを、すっかり忘れているのでした。
「いまいったとおり、あんたのこれから先のことが話にでて、そして、あんたの経歴《けいれき》を考えてみたんです――いろいろとこまかにね」
リペット院長さんは、被告席《ひこくせき》の罪人にするどい目を投げ、罪人はおそれいったかっこうをしていましたが、これはそうしなければいけないようだからそうしたまでのことで、ジールシャが自分の経歴になにかうしろめたいものがあると考えていたためではなかったのです。
「むろん、あんたのような立場の人には、ふつう、はたらき口を見つけてあげさえすればいいのだけど、あんたは課目《かもく》によってはいい成績をあげていることね。国語の成績はすばらしいといってもいいほどよ。視察委員《しさついいん》でもあり、学務《がくむ》委員もしておいでのミス・リチャードは、あんたの作文の先生とお話をしてくださってね、あんたのためになるような演説をしてくださったのよ。そしてそのうえ、題は『くらい水曜日』というあんたの作文を朗読なさったの」
ジールシャのおそれいったようすは、こんどはみせかけではなく、本物《ほんもの》でした。
「あたしは思うんだけど、この孤児院を笑いもののたねにするなんて、いろいろとあんたの世話をみてあげてきたここを、あんたはちょっともありがたいとは思っていないのね。あの作文はおもしろく書いてあったからよかったものの、そうでなかったら、たいへんなことになったことでしょうよ。でも、あんたにとってさいわいなことに、あの――ええ、たったいまお帰りになったおかたが、ユーモアをおどろくほどよくおわかりのかたでね、あのなまいきな作文がお気にいりで、あんたを大学に入れてやろうといってくださったの」
「大学へ?」ジールシャは目をまるくしました。
リペット院長はうなずいて、「あのかたは、あたしと条件をいろいろ相談するために、残っておいでだったのだけど、その条件がちょっと変わっているわ、どうやら、あのかた変人《へんじん》のようね。あんたに創作力《そうさくりょく》があると信じこみ、あんたを教育して作家にしようと、お考えになっておいでなの」
「作家に?」ジールシャの頭はボーッとなってしまい、リペット院長さんのことばをそのままくり返すことしかできませんでした。
「これが先方《せんぽう》のお考え。それから先どうなるかは、いまからはなんともいえないわね。たくさんのお金、まだお金をいじったことがない娘には、まあ、多すぎるほどのお金を、あんたにくださるのよ。でも、こまかな計画をたてておいででね、あたしが横から口出しはしないほうがいいと思ったの。あんたは夏じゅうここにいるのよ、ミス・プリチャードが、ごしんせつにも、あんたの支度《したく》の世話はみてやるとおっしゃってくださってるわ。あんたの食費と授業料は直接《ちょくせつ》大学に送られ、そのうえ、大学にいる四年のあいだは、毎年三十五ドルのお小遣いをいただけるのよ。これだけあれば、ほかの学生にひけをとることはないでしょう。このお金はね、このかたの秘書から毎月送ってきますから、あんたはそれにお礼の手紙を毎月書いて出すのです。といっても、それはお金のお礼じゃなくてね、あのかたはそんなお礼はほしがっておいででないの。勉強がどんなに進んでいるかとか、毎日の生活のこまかなことを書いて、お伝えすればいいんです。親が生きていたら、その親に書くような手紙を書きさえすればいいわけ。
その手紙はジョン・スミスさまあてにして、秘書のところにお出しなさい。その方のお名前はジョン・スミスではなくて、名をかくしておくことをご希望なのです。あんたはただそのかたをジョン・スミスさんと思っていさえすればいいのよ。手紙をおのぞみのわけは、手紙を書くことがなによりことば使いをうまくしてくれると、そのかたがお考えになっておいでだからなの。あんたには手紙を出そうにも家族の人はいないわね。だからこそ、あのかたがそうはからってくださったのよ。それに、あんたが進歩していくようすを知りたいとも、お思いなのね。あんたの出した手紙には返事もこず、どんなことを書いても、どうにもなりませんよ。手紙を書くのがおきらいなかたで、あんたに手紙を出す義理《ぎり》はお断わりというわけね。なにかぜひ返事をいただかなければというようなこと――たとえば、そんなことはまさかないと思うけど学校を退学させられたというようなこと――がおきたら、秘書のグリッグさんに手紙をお出しなさい。毎月の手紙は、ぜったいに出さなければいけないものですよ、それがスミスさんがお求めのただひとつのもの、だから、かんじょうを払っているように、きちんとそれを出さなければいけないことよ。手紙のことば使いもていねいにして勉強していることがよくわかるようにしなさい。しっかり忘れないでいるんですよ、あんたが手紙を書いている先方のかたは、ジョン・グリア孤児院の評議員さんなんですよ」
ジールシャは、出ていきたそうに、ドアのほうを眺めていました、頭のなかは興奮でうずがまき、ただもう、リペット院長さんのつまらないお説教から逃げだして、考えにしずみたかったからです。ジールシャは立ちあがり、ちょっとうしろに退ってみましたが、リペット院長さんは身ぶりでそれを止めてしまいました。これは院長さんにしては弁舌《べんぜつ》をふるうまたとないいい機会だったからです。
「あんたにおきたこのめったにない幸運を、あんたはちゃんとありがたく思っていることでしょうね? あんたのような境遇《きょうぐう》の子には、世の中に出るこんなにいい機会は、ざらにおきることじゃないのよ。しっかり忘れないでいるんですよ――」
「あの――はい、ありがとうございます。もしご用がそれだけでしたら、失礼してフレディ・パーキンズのズボンのつくろいをしてやらなければならないのですが……」
ジールシャが出ていったあとでドアがしまると、リペット院長さんは、ポカッと口をあけたまま、その戸口を見まもっていました。院長さんのお説教の結びの文句がちゅうぶらりんになってしまったからです。
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ジールシャ・アボット嬢があしながおじさんのスミス氏に出した手紙
九月二十四日 ファーガスン寮二一五号にて
孤児を大学に入れてくださったやさしい評議員さん
とうとう着きました! きのうは汽車旅行を四時間しました。胸がワクワクするような感じですわね。汽車に乗ったことは、一度もなかったからです。
大学はとっても大きく、びっくりするようなところです――自分のお部屋を出ると、いつも迷子《まいご》になってしまいます。もう少し落ちついたら、そのようすをお伝えしましょう。授業のこともそのときお知らせするわ。学校は月曜日の朝からはじまります。いまは土曜日の夜です。でも、おじさまとお友だちになりたいので、なにより先に手紙を書きたかったのです。
知らない人に手紙を書くなんて、へんな気がするわ。わたしがいったい手紙を書くなんて、へんな気がするわ――だって、生まれてから手紙を書いたことは、三度か四度しかないんですもの。だから、型破りの手紙を書いても、どうか許してくださいね。
きのうの朝出発する前に、リペット院長さんとわたしは、とてもだいじなお話をしました。これからわたしがどんなふうにふるまわなければいけないか、ことに、わたしのためにつくしてくださるしんせつなかたにたいしてどうしなければならないかを、院長さんはわたしに教えてくださいました。わたしは気をつけて、とても、うやうやしい態度をとることを、忘れないようにしなければなりません。
でも、ジョン・スミスと呼んでもらいたがっておいでのかたに、どうしたらとてもうやうやしい態度ができるのでしょう? ちょっとでもつかみどころのある名前を、どうして選んでくださらなかったのです? これでは、馬つなぎの柱さんや、ものほしざおさんあてに、手紙を書いているようなものです。
この夏、おじさんのことをいろいろと考えてみました。生まれてはじめて、自分のことを考えてくださるかたにであって、家族の者にであったような感じがします。これで身よりの者ができた気分がわいてきて、とてもうれしいのです。でも、たしかに、おじさんのことを考えるとき、わたしの空想の土台になるものは、ほとんどないのです。わたしの知っていることといえば、三つしかありません。
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一、せいの高いかただということ。
二、お金持ちだということ。
三、女の子をきらいだということ。
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わたしはあなたを、女の子ぎらいさんと呼んでもいいかしら、と思っています。でも、その名は、なんだかわたしをばかにしたような名だわ。さもなけりゃ、お金持ちさん。こんどはおじさんをばかにしたような名になるわ、おじさんで大切なものはお金だけのようになってしまいますものね。そのうえお金持ちなことは、心とはぜんぜん関係のないことですわ。あなたは、もしかすると、一|生涯《しょうがい》はお金持ちでいられないかもしれません。ウォール街(アメリカ、ニューヨークの株式取引所のある通りの名)の頭のいい人たちでも、破産してしまう人はずいぶんいますもの。でも、どんなことがあっても、あなたは一生せいの高いかたでしょう! だから、わたしはあしながおじさんと呼ぶことにきめました。どうかおこらないでちょうだいね。それはないしょの親しいよび名なの――リペット院長さんにはだまっていましょうね。
もう二分すると、十時の鐘が鳴るわ。ここの一日は、鐘の音で区分けされています。食べるのも、眠るのも、勉強も、みんな鐘でそれをするのです。それで気分も、とてもひきしまります。一日じゅう消防《しょうぼう》の馬のようですわ。ほら、鳴りだしました! 消燈《しょうとう》です。おやすみなさい。
どんなにきちんと規則をまもっているか、これでおわかりでしょう――ジョン・グリア孤児院できたえられたおかげです。
かしこ
ジールシャ・アボットより
あしながおじさんのスミスさまへ
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十月一日
あしながおじさん
わたしは大学がだいすき、わたしをここに入れてくださったおじさんをだいすきです――とてもとても幸福で、一日じゅう胸をおどらせていて眠れないほどです。ここがジョン・グリア孤児院とどんなにちがうかは、おじさんには見当もつかないことでしょう。この世の中にこんなに楽しいことがあるとは、考えてみたこともありませんでした。女の子に生まれてこないで、ここに来られなくなった人は、お気のどくだこと。おじさんがまだ子供のころにいった大学も、きっと、こんなにいいところではなかったでしょう。
わたしのお部屋は、塔《とう》の高いところにあります。この塔は以前、新しい病室がたつ前には、伝染病患者《でんせんびょうかんじゃ》の病室だったものです。わたしとおなじ階《かい》には、ほかに三人の女の子がいます――ひとりは四年生で、めがねをかけていて、いつももう少し静かにしてくださらないことといってばかしいる人、それにサリー・マクブライドと、ジュリア・ラトリッジ・ペンドルトンというふたりの新入生です。サリーは赤毛で、鼻がそりかえり、とてもやさしい人です。ジュリアはニューヨークのりっぱな家柄の人で、まだわたしのことを相手にもしてくれません。ふたりはおなじお部屋にいて、四年生とわたしはめいめいのお部屋を持っています。新入生は、ふつう、ひとり部屋にははいれません。ひとり部屋はとても少ししかないからです。でも、おねがいもしないのに、わたしはひとり部屋にはいれました。庶務《しょむ》係りの人たちが、育ちのいい娘はみなし子といっしょにいてはよくない、と考えたからなのでしょう。かえって得《とく》をしてしまったんです!
わたしのお部屋は西北のすみにあって、窓はふたつ、見晴らしがききます。二十人が同じお部屋にはいっていた寮ぐらしを十八年もしてきた後で、ひとりでくらすことはとてもほっとします。これではじめて、わたしはジールシャ・アボットとお友だちになれたのです。きっとジールシャをすきになることよ。
おじさんはどうかしら?
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火曜日
いま、新入生のバスケットボールのチームを編成《へんせい》ちゅうで、ひょいとしたら、わたしもそれにはいれそうです。わたしは小柄だけど、とても体がよく動き、やせてはいても強いの。ほかの人がとび上がっているまに、わたしは足の下をかいくぐって球をつかんでしまうの。練習はとってもおもしろいわ、午後運動場に出てそれをするのですけれど、木はすっかり赤と黄に染まり、落葉《おちば》をやくにおいがあたりにただよっていてみんな笑ったり大声で叫んだりしています。この人たちは、わたしがいままで見た人のなかでいちばん幸福な人たち――そして、わたしはそのなかでもいちばん幸福なの!
長い手紙を書き、いま習っていることを全部お知らせするつもりだったんですけど(リペット院長さんから聞いたのですけれど、おじさんはそれをおのぞみなのね)、たったいま七時間目の鐘がなり、十分したら、体操着で運動場にいかなければなりません。おじさんも、わたしがチームにはいれたらいいな、とお思いでしょう?
かしこ
ジールシャ・アボットより
追伸(九時)
サリー・マクブライドがわたしのお部屋のドアのところにちょっと顔を出して、こういいました。
「あたし、お家《うち》がこいしくってたまらないわ。あんたもそう?」
わたしはちょっと笑って「いいえ」と答えました。がまんができると思ったからです。ホームシックだけは、わたしがかからずにすむ病気です! だって、孤児院をこいしがっている人なんて、聞いたこともありませんものね、おじさんはお聞きになったことある?
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十月十日
あしながおじさん
ミケランジェロという人、ごぞんじ?
その人は、中世紀にイタリアに住んでいた有名な人です。英文科の人たちはこの人のことをみんな知っているのに、わたしがそれを大天使《アケインジェル》とかんちがいしていたので、クラスじゅう大笑いでした。ミケランジェロとアケインジェル、音《おん》が似ているわね、どうお思い? 大学で困ってしまうことは習いもしないいろんなことをもう知っていると考えられていることなの。ときどき、ほんとうにどぎまぎしてしまうわ。でもいまは、お友だちがわたしの聞いたこともないことをいうと、だまっていて、百科辞典《ひゃっかじてん》をひくことにしています。
最初の日、大失敗をしてしまいました。誰かがモーリス・メーテルリンクといったので、「それ、新入生の名?」ときいてしまったのです。この失敗は学校じゅうにひろがってしまいました。でも、とにかく、わたしはクラスの誰ともおなじくらい勉強はできます――その点なら負けもしない人がいるわ!
わたしのお部屋をどんなふうにかざっているか、おじさんききたいこと? それはこげ茶と黄をうまくくみ合わせたお部屋です。壁はうすい黄色で、あや織《お》りの黄色のカーテンとクッション、それにマホガニーの机(中古で値段《ねだん》は三ドル)、藤《とう》いす、真中にインクのしみのあるこげ茶のじゅうたんを買いました。しみのところにはいすをおくことにしました。
窓は高いところにあって、ふつうの腰かけに坐ったのでは外が見られません。でも、たんすの裏についていた鏡はねじをひねってはずし、その上に布をかけ、窓のところにそのたんすを移しました、窓にぴたりの高さです。ひきだしを階段式《かいだんしき》にひっぱり出して、それを登っていくのです。とてもいい気持ちよ!
サリー・マクブライドは、四年生の競売《きょうばい》で、わたしの買物のおてつだいをしてくれました。サリーはずっとふつうの家でくらしてきたのでかざりつけのことは知っています。買物をして五ドルのお札《さつ》を出し、おつりをもらうことがどんなにおもしろいことか、おわかりにはならないでしょう――いままでほんのわずかのお金しか持ったことがないんですもの。ほんとに、おじさん、お小遣いをうれしく思っています。
サリーはほんとにおもしろい人です――そしてジュリア・ラトリッジ・ペンドルトンはその逆《ぎゃく》です。庶務係りのする部屋の人の組みあわせときたら、ほんとにみょうだこと。サリーはなんでもみんな――落第まで――おもしろがっているしジュリアはなんでもいやでしょうがないの。この人は人と仲よくしようなんて、少しもしません。ペンドルトン家の人でさえあれば、それだけでなんの文句《もんく》もなく天国にゆけると、思いこんでいるんです。ジュリアとわたしは、生まれながらの敵同志です。
わたしがなにを習っているか、おじさんはもう、それを知りたくってじりじりしておいででしょうね?
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一、ラテン語。第二ポエニ戦役《せんえき》。ハンニバルとその軍勢がきのうの晩、トラシメナス湖のほとりに陣をはりました。伏兵《ふくへい》となってローマの軍勢を待ちうけ、けさ四時戦争がはじまりました。ローマ勢はいま退却《たいきゃく》中。
二、フランス語。「三銃士」を二十四ページ。不規則動詞の第三変化。
三、幾何。円筒《えんとう》を終わり、円錐《えんすい》の勉強中。
四、国語。解釈《かいしゃく》を習っています。わたしの文章は、日ましに明瞭簡潔《めいりょうかんけつ》になっています。
五、生理学。消化器《しょうかき》のところまで進みました。つぎは胆嚢《たんのう》と膵臓《すいぞう》です。
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かしこ
勉強をはじめた
ジールシャ・アボットより
(追伸)おじさん、お酒は飲んでおいでではないでしょうね? 肝臓《かんぞう》にとても悪いんです。
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水曜日
あしながおじさん
わたしは名前を変えました。
大学の名簿では前どおり「ジールシャ」ですけど、そこ以外のところではどこでも「ジューディ」なの。たったひとつの親しい呼び名を自分自身でつけなければならないなんて、ほんとに情けないことだわね? でも、それはわたしひとりでつくったものではないんですよ。フレディ・パーキンズがまだ舌のよくまわらないとき、いつもわたしをそう呼んでいたんですものね。
赤ちゃんの名をつけるとき、リペット院長さんが、もう少し工夫《くふう》してくださるといいんだけど……。院長さんは姓《せい》のほうは電話帳《でんわちょう》から取り――アボットは電話帳の最初のページにあるものです――名のほうは手当りしだいひろっているんです。ジールシャはお墓の石から取ったものなの。その名はだいきらいなんだけど、ジューディはちょっとすきよ。それはとても大変な名なの。だって、それはわたしとはちがった女の子の名なんですもの。家じゅうの人からかわいがられあまやかされて、なんの苦労もなく一生を楽しくすごす青い目をしたかわいい女の子の名なのよ。そんなにしてくらせたらすばらしいことでしょうね? わたしにどんな悪いところがあるにしても、家の人にあまやかされているなんて、人にしかられることだけはないことよ! でも、あまやかされてきたようなふりをすることは、とても愉快《ゆかい》よ。これからはいつも、わたしをジューディと呼んでちょうだい。なにかもっと聞きたいな、とお思いかしら? わたしは小|山羊《やぎ》の皮の手袋を三つ持っているの。前にクリスマス・ツリーから小山羊の皮の指なしの手袋をいただいたことはあるけど、五本の指のついた本物の手袋は、こんどがはじめてよ。ちょっとでもひまさえあれば、それをひっぱり出して、はめてみています。それを教室にはめていきたくってしかたがないんですけど、一生けんめいがまんしています。
(ごはんの鐘がなりました。さようなら)
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金曜日
おじさんはどうお思いかしら? 国語の先生が、この前に出したわたしの作文はものをつくりだしていく力をおどろくほどあらわしているとおしゃったの。ほんとよ。このとおりに先生はおっしゃったの。わたしが受けた十八年間の教育を考えてみても、そんなことはないと思うの、どうかしら? だってジョン・グリア孤児院の目的は(それはおじさんもごぞんじで、大賛成でいらっしゃるんでしょうが)、九十七人の孤児を九十七人のそっくりなふた子にすることなんですもの。
わたしがみせたおどろくほどの絵の力は、子供のときリペット院長さんの絵をまき小屋の戸に白ぼくでかいていたためです。
自分の子供時代の孤児院のことを悪くいっても、おじさんは気を悪くはなさらないでしょうね? でも、おじさんの方が、いつも強いことね、わたしがあまりなまいきなことをいうと、小切手《こぎって》の仕送《しおく》りをとめられてしまいますもの。ずいぶん失礼なことをいってしまったけど――わたしにお行儀をよくしろとおっしゃったてむりだわ。孤児院はお嬢《じょう》さまの花嫁《はなよめ》学校じゃありませんもの。
ねえ、おじさん、大学でつらくなりそうなのは、勉強じゃないわ。お遊びの時間よ。友だちが話していることは、わたしにはほとんどわかりません。じょうだんだって、わたし以外に誰でも知っているいままでのことに関係があるらしいの。わたしはこの世界では外国人、そこの言葉がわからないのです。悲しいわ。悲しいのはいままでもそうなんだけど……。中学校のときには、女の子たちはかたまって、わたしのほうをじろじろ眺めていました。わたしがみょうな変わり者で、みんながそれを知っていたからです。自分の顔に「ジョン・グリア孤児院」という字が書かれてあるのが、よくわかりました。すると、情けぶかい人がほんのわずか近づいてきて、やさしい言葉をかけようとするんです。わたしは|誰もかれも《ヽヽヽヽヽ》だいきらいだったわ――とりわけ情けぶかい人だちは。
ここの人は、誰も、わたしが孤児院で育ったことは知りません。サリーには、お母さんとお父さんは死んでしまい、しんせつな老人のかたがわたしを学校に出してくださっていると、話しておきました――ここまではみんなほんとうのことよ。臆病《おくびょう》者とおじさんに思われたくはありません。ただ、ほかの人なみになりたいだけで、みんなとちがう大きな点は、わたしの子供時代にくらいかげを投げているあのおそろしい孤児院だけなんです。あれに背中をむけ、それを忘れることさえできたら、わたしだって、ほかの女の子のように、人にすかれる子になることでしょう。土台からのほんとうのちがいがあるとは、考えていません、どうでしょう?
とにかく、サリー・マクブライドはわたしをすきなのです!
かしこ
ジューディ・アボットより(旧姓ジールシャ)
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土曜日の朝
いまこの手紙を読みかえしてみましたけれど、ちょっといやな手紙だわ。でも、おわかりかしら、月曜日の午前までに出さなければならない臨時《りんじ》の宿題《しゅくだい》があり、幾何の試験がひかえ、その上、かぜをひいちゃって、くしゃみばかりしているんです。
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日曜日
きのうこの手紙を出すのを忘れてしまったので、プリプリおこっている追伸をそえます。きょう監督《かんとく》さんがおみえになったんですけど、そのお説教がどんなものだったか、おわかりになるかしら?
「聖書の中でわれわれにさずけられたもっともありがたい約束はつぎの言葉、『貧しき者は常になんじらとともにあり』(ヨハネ伝十二・八)です。貧しき者がこの世にあるのは、われわれに慈悲の心を持たせるためなのです」
いいですか、貧しき者は一種の役にたつ家畜《かちく》になっているんです。もしわたしがこんなりっぱな貴婦人になっていなかったら、礼拝《らいはい》のあとで監督さんのところにゆき、わたしの考えをぶちまけてしまったことでしょう。
[#改ページ]
十月二十五日
あしながおじさん
バスケットボールのチームにはいれました。左肩の打ちきず、おじさんにお目にかけたいくらいだわ。その傷は青色とマホガニー色をしていて、オレンジ色のすじがはしっています。ジュリア・ペンドルトンもチームにはいりたがっていたんですけど、だめでした。ばんざあい!
わたしがどんなに悪い子か、おわかりになったでしょう。
大学はだんだん楽しくなってきました。お友だちも、先生も、クラスも、校庭も、食堂も、みんなすきです。週に二回アイスクリームが出ます。とうもろこしのおかゆなんか、一度も出たことはありません。
おじさんは、月に一ぺん手紙をくれさえすればいい、とおっしゃっておいででしたわね。それなのに、五、六日おきにどんどん手紙を書いているなんて! でも、珍しい事件がつぎからつぎへと起きて、わたしはもうワクワク、誰かにそれを話さずにはいられないんです。わたしの知っている人はおじさんだけなの。どうかこのわたしのじっとしていられない気持ちをゆるしてください。しばらくすれば、落ちつくことでしょう。もしわたしの手紙がうるさかったら、紙くずかごにすててください。十一月のなかばまでもう手紙を出さないことを、お約束します。
おしゃべりのジューディ・アボットより
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十一月十五日
あしながおじさん
きょう習ったことをきいてください。
正角錐体の側面積は、両底面の周の和と傾高《けいこう》の積のなかばなり。
うそのような感じがするけれど、本当よ――わたし、その証明ができるの!
まだ自分の着物のことはお話していなかったわね、どう、おじさん? 服が六着もあって、しかもみんな新しくきれいで、わたしのため買ったものなの――おさがりじゃないんです。それが孤児にとってはうちょうてんになるほどうれしいことだということはきっとおじさんにはおわかりでないでしょうね? それはみんなおじさんのくださったもの、ほんとうに、ほんとうに、ほんとうにありがたくてなりません。教育していただくことは、たしかに、うれしいことだけど――新しい服を六着も持つ目もくらみそうなよろこびにくらべたら、それはものの数ではありません。それを選んでくださったのは、視察委員のミス・プリチャードで――ありがたいことに、リペット院長さんではありません。ピンクの紗《しゃ》をかぶせた絹の夜会服《やかいふく》(それを着ると、わたし、とてもすてきよ)、青い教会用の服、東洋ふうのかざりのついた赤いうす絹の食卓用の服(これを着ると、ジプシーそっくりです)、ばら色のチャリス織の服、灰色の外出着、それに、学校にいくときのふだん服です。ジュリア・ラトリッジ・ペンドルトンの目からみれば、それはべつにたいしたものでもないでしょうけど、ジールシャ・アボットにとっては――ああ、ほんとに!
おじさんは、なんて心の浅はかなつまらぬ子だろう、女の子を教育するなんて、お金をすてるようなものだ、ときっとお考えでしょうね?
でも、おじさん、もしおじさんが生まれてから縞もようのはいったギンガム服しか着たことがなかったら、このわたしの気持ち、きっとおわかりになることでしょう。中学校にはいってから、縞もようのギンガム服よりもきっといやな目にあったのです。
慈善箱なの。
あのひどい慈善箱の服を着て学校にいくのがどんなにおそろしかったか、おじさんにはとってもわからないでしょう。その服の前の持ち主の女の子のわきにクラスで坐らされ、その子がひそひそ話をしてニヤニヤ笑い、それをほかの生徒に指でさして教えることは、もう、まちがいなしのことでした。自分の敵のすてた服を着なければならないつらさは、心の底までくいこんでくるものですわ。これから先、一生のあいだ、絹の靴下をはくことができたとしても、この古傷《ふるきず》は消えないことでしょう。
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最新の戦況だより
前線よりの報告
十一月十三日、明方《あけがた》四時、ハンニバルはローマ軍の前衛部隊《ぜんえいぶたい》を潰走《かいそう》せしめ、カルタゴ軍をひきいて山越えをおこない、カシリナム平野に進出。軽装せるネミデア人の部隊は、クウィンタス・フェイビアス・マクシマスの歩兵隊と交戦《こうせん》。二回の戦闘と、小規模《しょうきぼ》の衝突《しょうとつ》あり。ローマ軍、大損害《だいそんがい》を受けて撃退《げきたい》さる。
おじさんの栄誉《えいよ》ある前線記者《ぜんせんきしゃ》、
J・アボットより
(追伸)おじさんからお返事をいただかないことは知っています。そしていろいろおたずねしてごめんどうをかけてはいけないとも、注意されています。だけどおじさん、これだけは教えてちょうだい――おじさんはとてもお年よりのかた、それとも少しお年より? 頭はすっかりはげているの、それともちょっとはげているだけ? 幾何の定理《ていり》みたいに、雲をつかむようにしておじさんのことを考えること、とてもむずかしいことよ。
女の子はきらいだけど、ひどく|おなま《ヽヽヽ》な一人の女の子にだけはとても鷹揚《おうよう》な、せいの高いお金持ちの人ありとせば、その男の容貌《ようぼう》はいかなるものか?
お返事を待つ。
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十二月十九日
あしながおじさん
お返事はいただけなかったけど、あれはなかなか大事なことなんです。
おじさんの頭ははげてますか?
おじさんがどんなかたかをきちんと考えてみて――トントン拍子《びょうし》だったんですが、頭のてっぺんのところにきてはたと困ってしまいました。おじさんの髪《かみ》の毛が白か黒か、ごましおか、それともツルツルか、どうしてもわからないんです。
おじさんの絵をお目にかけましょう。
でも、問題は、毛をかくべきかどうかにあります。
おじさんの目の色がなにか、お知りになりたいこと? 灰色です。そして、まゆ毛は玄関のやねのように突きだし(小説では突出《とっしゅつ》という言葉を使ってます)。口は直線で、両はしのところでちょっとさがっています。さあ、おわかりでしょう、わたし知ってることよ! おじさんはかんしゃく持ちのがみがみじいさんよ。
(礼拝の鐘がなりました)
九時四十五分
絶対に破らない新しい規則《きそく》をつくりました。つぎの朝どんなにたくさん試験があろうとも、夜は絶対に、絶対に勉強をしないことです。そのかわり、ただふつうの本を読むのです――それはしなければならないこと、だって、いままでの十八年間がからっぽなんですもの。おじさん、わたしの心がどんなに深い無知《むち》の淵《ふち》か、とてもおわかりにはならないでしょう。わたし自身その深さがわかりかけてきたところです。みんなきちんとそろった家族、家庭、お友だち、図書を持ったたいていの少女が自然におぼえることを、わたしはきいたこともないのです。たとえば、
「マザー・グース物語」や、「ディヴィッド・カパーフィールド」も、「アィヴァンホー」も、「シンデレラ」も、「青髭《あおひげ》」も、「ロビンソン・クルーソー」も、「ジェーン・エア」も、「ふしぎの国のアリス」も、ラディヤード・キプリングの作品も、ぜんぜん読んでいません。ヘンリー八世がなんかいも結婚したことも、シェリーが詩人であることも、知りませんでした。むかし人間がお猿さんだったことも、エデンの園《その》が美しいつくり話だったことも、知りませんでした。R・L・Sがロバート・ルイス・スティーヴンスンの頭文字《かしらもじ》であり、ジョージ・エリオットが女だったことも知りませんでした。「モナ・リザ」の絵は一度も見たことがなく、(これはほんとうのことなんですけど、おじさんは信じてくださらないでしょうが)シャーロック・ホームズなんて聞いたこともありませんでした。
いまは、それはみんな知っているし、ほかのいろんなことも知っているわ。でも、みんなに追いつくのにどんなにがんばらなければならないか、おわかりでしょう。ああ、でも楽しいことよ! 一日じゅう夜がくるのをじりじりしながら待っていて、夜がくるとドアに「勉強中」と札《ふだ》を出し、あのきれいな赤い湯あがり着をきて、あたたかそうな毛のついたスリッパをはき、長椅子《ながいす》の背にはクッションをぜんぶかさね、ひじのところにある真鍮《しんちゅう》の学生用のスタンドのあかりをつけグングン、グングン読みとばすんです。一冊だけじゃものたりないの。一度に四冊読んでいます。いま読んでいるのは、テニソンの詩と、「虚栄《きょえい》の市《いち》」と、キプリングの「プレイン・ティルズ」と――笑わないでちょうだいね――「若草物語」です。「若草物語」を読まないで大きくなった娘なんて、大学ではわたししかいないの。でも、これはだれにもないしょ(それが知れたら、おしもおされぬ変人《へんじん》にされてしまいますものね)。ただすーっと出かけていって、先月のお小遣いから一ドル十二セント出して、それを買ってきました。塩《しお》づけの果物のライムの話がでても、もうわたしにはわかることよ!(「若草物語」の中にある話)
(十時の鐘がなりました。これはずいぶんじゃま入りの手紙になってしまいましたわね)
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土曜日
拝啓
謹《つつし》みて幾何学の分野《ぶんや》における新開拓《しんかいたく》をご報告いたします。金曜日に従前《じゅうぜん》の平行六面体の研究を打ちきり、截頭《せっとう》三|稜形《りょうけい》に進みました。行路嶮《こうろけん》にしてきわめて急なり。
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日曜日
クリスマスのお休みが来週にはじまるので、トランクがもちこまれてきました。ろうかはそれでいっぱいで、ほとんどとおれないほどです。みんなは胸をときめかしてもうワクワク、勉強にもあまり身がはいりません。お休みは楽しく愉快におくれそうです。新入生でおうちがテキサスにあって、学校にのこる人がもうひとりいるの。ふたりで遠くまで散歩にでかけ――もし氷がはったら――スケートを習おうと、計画ちゅうです。読まなければならない本がたくさんありますが――それができるお休みが三週間もあるの!
さようなら、おじさん、わたしのようにおじさんも幸福なように。
ジューディより
(追伸)わたしのおたずねしたこと忘れずにお返事をしてちょうだいね。もしそれを書くのがめんどうでおいやだったら秘書の人が電報をうつようにしてください。その文句は、
スミス氏まるはげ
か
スミス氏はげにあらず
か
スミス氏|白髪《はくはつ》
でいいんです。
電報代の二十五セントは、わたしにくださるお小遣いからさしひいてください。
一月まで、さようなら――そして、楽しいクリスマスをお迎《むか》えになるように!
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クリスマスの休暇のおわりのころ――正確《せいかく》な日づけは不明
あしながおじさん
おじさんのいらっしゃるところでは、雪がふっているかしら? わたしの塔から見渡すとどこも雪げしょうしていて、ポップコーンくらい大きな雪が、チラチラまっています。いま、夕方ちかい時刻《じこく》です――太陽が(つめたい黄色の太陽ですが)もっとつめたい山のむこうに沈んでいくところで、わたしは窓の座席にのぼっていって、かすかな最後の光をたよりにこのおじさんあてのおたよりを書いています。
金貨を五枚もいただいて、わたし、もうびっくり! いままで、クリスマス・プレゼントをいただいたことなんて、ないんですもの。いろんなもの――わたしの持っているものはみんな――おじさんからいただいたもの、こんなよけいのものまでいただいてしまって、いいのかしら? でも、うれしいことはうれしいんです。あのお金でなにを買ったか、お知らせしましょうか?
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一、革のケースにはいった銀時計。これは腕につけて授業におくれないようにするためです。
二、マシュー・アーノルドの詩集。
三、湯タンポ。
四、ひざかけ。(わたしの塔は寒いのです)
五、黄色の原稿用紙《げんこうようし》五百枚。(やがて作家になるつもりですから)
六、類語辞典《るいごじてん》。(作家として使う言葉をゆたかにするため)
七、(これはお知らせしたくないんですが、いってしまいましょう)絹の靴下一足。[#ここで字下げ終わり]
さあ、もうほんとに、ぜんぶいってしまったわけよ!
ほんとをいうと、どうして絹の靴下なんか買ってしまったかには、あまりよくないわけがあるの。ジュリア・ペンドルトンは幾何の勉強をしに夜わたしの部屋にくるんですけど、そのとき長いすに足をくんで腰かけ、いつも絹の靴下をはいているんです。でもこんどはだいじょうぶ、休暇が終わってあの人が帰ってきたら、こちらから出かけていって、長いすに腰をかけ、絹の靴下を見せてやるわ。おじさん、おわかりでしょう、わたしはいやな子ねえ――でも、少なくともうそだけはいわないことよ。おじさんはわたしの孤児院時代のことはごぞんじ、わたしが悪いところひとつない子ではないことは知っておいでだわね?
ようするに(これは英語の先生が、ひっきりなしに使う言葉)、この七つのプレゼントは、|心から《ヽヽヽ》うれしく思っています。これは、カリフォルニアのわたしの家族から箱にはいって送られたものと、考えてます。時計はお父さまから、ひざかけはお母さまから、湯たんぽはおばあちゃまから――おばあちゃまは冬わたしがかぜにかからないかと、しょっちゅう心配しています――そして、黄色の原稿用紙は弟のハリーからのおくりものです。おねえさんのイザベルが絹の靴下をくださりマシュー・アーノルドの詩集はスーザンおばさんからのものです。ハリーおじさん(弟のハリーの名はおじさんの名をとったものなんです)は辞書をくださいました。おじさんはチョコレートをくださるつもりだったんですけど、わたしが辞書のほうがいいとがんばったためです。
家族ひとまとめの役はまっぴらだよ、なんて、おじさんはおっしゃらないでしょうね?
では、お休みの話をしましょうか? それとも、勉強|そのもの《ヽヽヽヽ》の話のほうがいいかしら? 「そのもの」という言葉のいい味《あじ》、おじさんも味わってちょうだい。これはわたしが最近おぼえた言葉なんです。
テキサスからきた女の子は、レオノーラ・フェントンという子です。(ジールシャとおなじくらい変ちくりんな名だわね?)わたし、この人をすきだけど、サリー・マクブライドほどではありません。サリーほどすきな人は、これからもいないでしょう――でも、おじさんは別よ。おじさんはなんといったっていちばんすきな人、家族をひとまとめにした人なんですもの。レオノーラとわたしと二年生の人ふたりは、お天気のいい日に、郊外散歩をして、この町の付近をすっかり調べました。短いスカートにセーター、それに帽子をかぶりシニー(ホッケーを簡単にした競技の名)用のバットを持っていきました。これはなんでもピシャピシャとたたくためなんです。一度町にいき――これは四マイルはなれたところにあるんですが――女子学生がよくいく食堂にはいってみました。食べたものは、えびのてり焼き(三十五セント)、デザートにはそば菓子とメープル・シロップ(十五セント)でした。滋養《じよう》があって安いものです。
とても楽しかったわ! とくにわたしは! 孤児院とはぜんぜんちがうんですもの――校庭からでるといつも、のがれだした罪人《ざいにん》のような感じがします。それと気づかないうちにそのときの自分の気持ちを人におしゃべりしてしまうの。猫が袋からはいだしてしまって、あわててその尻尾《しっぽ》をつかんでひきもどす、といったようすです。自分の知っていることをなんでも、だまっていわないでいることって、とてもつらいことね。わたしは、生まれつき、おしゃべりやさんなのね。おしゃべり相手のおじさんがいなかったら、わたし、きっと破裂《はれつ》してしまうことでしょう。
この前の金曜日に糖蜜《とうみつ》の会が開かれました。これはファーガスン寮の舎監《しゃかん》さんがほかの寮にいのこっている人のために開いてくださったものです。ぜんぶで二十二人、新入生、二年生、三年生、四年生が仲よくあつまりました。台所は広くて、そこには銅のおなべや、やかんがずらり石の壁にかかってならんでいます――いちばん小さなシチューなべでも、湯わかしのおかまくらい大きさがあるの。ファーガスン寮には四百人の学生がはいっています。白い帽子とエプロンをつけたコック長が二十二の帽子とエプロンを持ってきて――いったい、こんなにたくさんのものをどこから持ってきたんでしょう?――わたしたちもコックにはやがわりしました。
とってもおもしろかったわ、キャンディーはもっとおいしいのをたべたことはあるけど……。会がとうとう終わり、わたしたちと台所とドアのとってが、ぜんぶすっかりベトベトになってしまったとき、帽子とエプロンすがたのままで行列をくみ、手に手に大きなフォークやスプーンやフライパンを持って、ガランとしたろうかを職員談話室《しょくいんだんわしつ》のほうに行進しました。そこでは五、六人の教授や先生がたがしずかな夕方のひとときをすごしていらっしゃったの。一同は大学の歌をうたい、お菓子をさしだしました。先生がたはそれをていねいに受けとってくださったけれど、ふにおちないような顔をしていらしったわ。わたしたちがひき上げたとき、先生がたは糖蜜のお菓子のかたまりをたべてベトベトになり、口もきけないようすでした。
ほらお分りでしょう、おじさん、わたしの勉強は進んでいるのよ!
作家になるより画家になったほうがいいと、おじさん、ほんとうにお考えにならないこと?
二日たつと休暇も終わり、帰ってくるお友だちが楽しみだわ。わたしの塔はちょっとさびしいの。四百人の人のためにたてられたおうちに九人しかいないと、なんだかガランとした感じよ。
もう十一枚になってしまったわ――お気のどくに、おじさん、もうあきあきでしょう! ただちょっとお礼の手紙を書くつもりだったんですが――書きだすと、筆がするするはしってしまうの。
さようなら、あたしのことを忘れないでいてくださって、ありがとう――空のかなたのかすかな一本の糸のような雲さえなかったら、わたし、ほんとに幸福なんだけど……。試験が二月にあるのです。
愛情こめて
ジューディより
(追伸)愛情こめてなんて、おかしかったら、ゆるしてちょうだい。でも、わたし、だれかを愛さずにはいられないんです。そして、その相手はおじさんとリペット院長さんだけ。だから、おわかりでしょう――おじさんにがまんしていただかなけりゃならないの、だって、リペット院長さんはとても愛せませんもの。
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試験前夜
あしながおじさん
みんなが勉強しているすがた、おじさんに見ていただきたいわ! お休みのあったことも忘れてしまいました。わたしは不規則動詞を五十七も、この四日間に、頭につめこみました――試験がすむまでこれが頭からにげださなければいいのですが!
教科書がおわると、それを売ってしまう人がありますが、わたしはそれをとっておくつもりです。そうすれば、卒業したあとでも、自分の受けた授業を本棚に一列にならべておけるし、なにかこまかなことを調べたいときにも、サッとそれをひきだすことができるんですもの。頭のなかにしまっておこうとするより、これのほうがずっとらくで正確だわ。
ジュリア・ベンドルトンが今晩ちょっとあいさつのためにわたしのお部屋にきて、まるまる一時間もいました。自分の家族のことを話しだして、こちらでとめようにも、とめられませんでした。あの人ったら、わたしのお母さんのお嫁にくる前の名前はなんていったの、なんてきくの――孤児院からきたものにそんなこときくなんて、ずいぶんひどいことと、おじさんはお思いにならない? 知らないとはいいきれず、みじめな気持ちでわたしは頭にうかんだ最初の名をいきなりいってしまいましたけど、それはモンゴメリーという名でした。するとあの人は、わたしがマサチューセッツのモンゴメリーかそれともヴァージニアのモンゴメリーか、ときくんです。
ジュリアのお母さんはラザフォード家の人です。それはノアの箱舟でわたってきて、ヘンリー八世とも結婚でつながりのある家柄《いえがら》です。ジュリアのお父さんのほうは、アダムよりか古い家柄だそうです。ジュリアの系図《けいず》でいちばん古い祖先《そせん》は、やわらかいふさふさした銀色の毛をはやし、とても長い尻尾《しっぽ》をした高級《こうきゅう》な猿だったそうです。
きょうの晩は、あかるくておもしろい、いい手紙を書くつもりだったんですけど――わたし、眠くってたまらないの――それに、おそろしいの。新入生の運命は、幸福なものではないものよ。
試験をひかえた
ジューディ・アボットより
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月曜日
だいすきなあしながおじさん
とても、とても、とてもおそろしいことをお知らせしなければなりませんがそれでこの手紙を書きだしたくはないの。まず、おじさんのごきげんをよくするようにしましょう。
ジールシャ・アボットは作家になる第一歩をふみだしました。「わが塔より」という詩が「マンスリー」という学校の雑誌の二月号に出ました――巻頭《かんとう》第一頁、これは新入生にとってはとても名誉なことです。きのうの夜、礼拝堂からでていこうとすると英語の先生によびとめられ、とてもいい詩だけれど、六行目のところで韻《いん》の脚《きゃく》が多すぎて残念だった、といわれました。もしお読みになりたければ、それをお送りします。なにかほかにおもしろい話がないかしら?――ああ、あります! いま、わたし、スケートを習っているんですけど、ひとりでちゃんとすべれるようになったわ。それから、体育館の屋根からなわにつたわっておりることも、習いました。高とびは三フィート・六インチできます。もうじき四フィートとべるようになるでしょう。
けさはアラバマの監督さんのお説教をききましたが、つよく心を打たれました。その題は「なんじら、人をさばくな、さばかれざらんためなり」(マタイ伝七・一)です。他人のあやまちをみのがしてあげ、ひどいことをいってがっかりさせないようにすることが必要だというお話でした。おじさんにもおきかせしたかったわ。
きょうはとても陽がさし、まばゆいほどの冬の午後、つららがもみの木からさがり、見渡すかぎりのものが、雪のおもみでしなっています――わたしはちがうわ、わたしは悲しみのおもみでしなっているんです。さあ、いよいよお知らせよ――ジューディ、がんばれ!――お話しなければいけませんよ。
おじさん、ごきげんは|ほんと《ヽヽヽ》にだいじょうぶだこと? 算術とラテン語の散文《さんぶん》を落第《らくだい》してしまいました。いま、このふたつの個人教授《こじんきょうじゅ》をうけていますが、来月にもう一度試験をうけるつもりです。おじさんをがっかりさせちゃって、わたし悲しいんですけれど、そうでさえなけりゃ、ほんとは平気なの。だって課目以外《かもくいがい》のことをどっさり習ったんですもの。小説を十七と、詩をたばではかるほどどっさり読みました。「虚栄の市」と、「リチャード・フェヴァレル」と、「ふしぎの国のアリス」のようにほんとに必要な小説ばかりです。それから、エスマンの「論文集」と、ロックハートの「スコット伝」、ギボンの「ローマ帝国《ていこく》」の第一巻、ベンヴェヌトー・チェリニの「自叙伝《じじょでん》」も読みました――チェリニはおもしろいことね? この人は朝ごはん前にブラリと出かけて、なんでもないのに人を殺していたんです。
これでおわかりでしょう、おじさん、ただラテン語をガリガリ勉強していたのより、わたしはずっとおりこうになったのよ。これからは落第なんか決してしませんと約束したら、おじさんは許してくださること?
悔《く》いあらためた
ジューディより
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あしながおじさん
これは月のなかばでよけいな手紙ですけど、きょうの晩はとてもさびしいので、書きはじめました。外はあらしがひどく、雪がわたしの塔に打ちつけています。校庭ではあかりがすっかり消えていますが、ブラックのコーヒーをのんだので眠られません。
今夜晩さん会をしましたが、お客さまはサリーとジュリアとレオノーラ・フェントン――そして出たものは、いわしと軽焼きパンとサラダとお菓子のファッジとコーヒー。ジュリアは楽しかったとあいさつしただけでしたが、サリーは残ってお皿洗いを手つだってくれました。
今夜はラテン語をやろうと思えばずいぶんできたのですが――たしかに、わたし、ラテン語はなまけやさんだわ。クラスでは、リヴィと「老年論《ろうねんろん》」をおわり、「友情論《デ・アミキティア》」にかかってます(わたしたちはそれを「|いまいましい《ダム》イキティア」と呼んでいるのです)
ちょっとのあいだ、おじさんのことをおばあちゃんにしたてたいんですが、いいかしら? サリーにはひとり、ジュリアとレオノーラには、ふたりずつおばあさんがいて、今夜それぞれ、おばあさんのことをくらべていました。おばあちゃんほどほしいものは、ほかに思いあたりません。ほんとに尊《とおと》い親類なんですもの。だから、おじさんがほんとうにだめだとおっしゃらなかったらなんですけど――きのう町にいったとき、ラヴェンダー色のリボンのついた、とてもきれいなクラニー・レイスの帽子があったので、それを八十三のお祝いに、おじさんにおおくりしたいと考えてるの。
! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! !
これは十二時を打った礼拝堂の塔の時計の音です。どうやら、眠くなったらしいわ。
おばあちゃん、おやすみなさい
おばあちゃんをだいすきな
ジューディより
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三月十五日
おじさん
いま、ラテン語の作文を勉強してます。いままで勉強していました。これからも勉強するでしょう。いまに勉強していたことになることでしょう。(ここでラテンの未来形を作者がうつしている)再試験《さいしけん》はつぎの火曜日の七時間目におこなわれます。ぶじ合格《ごうかく》するか、くだけてしまうか、どっちかです。だから、つぎのおたよりのときは、わたしが、元気でよろこび勇んで仮及第《かりきゅうだい》からのがれているか、もうこなごなになっているか、どっちかです。
試験がおわったら、しっかりしたおたよりをするつもりですが、今夜は、ラテン文法の奪格《だっかく》独立《どくりつ》句という急な用事で契約ずみです。
とりいそぎ
J・A
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三月二十六日
スミスおじさん
あなたはわたしの質問には、なんにも答えてくださいません。わたしのしていることには、すこしも注意してくださってないのです。おじさんは、きっと、あのいやな評議員さんのなかでもいちばんいやな人なんだわ。そして、わたしを教育してくださるわけは、わたしのことをちょっとでも思っていてくださるためじゃなくって、義務心からなのね。
おじさんについて、わたしはなんにも知っていません。名前さえ知っていないんです。物を相手に手紙を書くなんて、つまらないことよ。きっとわたしの手紙なんぞ読みもせず、紙くずかごにほうりこんでいるんでしょう。これからは、勉強のことだけしか書きません。ラテン語と幾何の試験は、先週おこなわれました。ぶじパス、仮及第ではなくなりました。
敬具
ジールシャ・アボット
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四月二日
あしながおじさん
わたしは「けだもの」です。
先週出したあのおそろしい手紙のこと、どうか忘れてください――あれを書いた夜、とてもさびしく、みじめで、のどがいたくてしょうがなくなってしまったの。自分じゃ気がつかなかったけど、扁頭腺炎《へんとうせんえん》や流行性感冒《りゅうこうせいかんぼう》やいろんなものにかかりかけていたのです。いま病院にはいっていて、きょうでもう六日になります。きょうはじめて、起きあがって書くことをゆるしていただきました。看護婦長《かんごふちょう》さんはとてもいばってるの。でも、あたし、あのことばっかし考えていて、おじさんにゆるしていただけるまで元気になれそうもありません。
わたしのようすを絵でお目にかけましょう。ほうたいが頭にぐるぐるまきつけられていて、うさぎの耳のように結《むす》んであります。
これを見て、かわいそうだとお思いになりません? 舌下腺《ぜっかせん》がはれているんです。一年じゅう生理学を勉強していたけど、舌下腺なんて聞いたこと、一度もないわ。教育って、ほんとにむだなものだこと!
もうこれ以上は書けません。あまり長く起きているとなんだかふらふらしてきます。|おなま《ヽヽヽ》な、恩知らずなことをいって、ごめんなさい。わたしは育ちの悪い子です。
愛をこめて
ジューディ・アボットより
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四月四日 病院にて
だいすきなあしながおじさん
きのうの夕方くらくなりかけたころ、わたしはベッドに坐って外の雨をながめ、大きな病院でのくらしにあきあきしていたとき、看護婦さんがすがたをあらわして、|とっても《ヽヽヽヽ》きれいなつぼみのばらがいっぱいはいった細長い白い箱を持ってきてくださいました。そして、もっとうれしかったことに、そのなかには、変《へん》ちくりんな小さな肩あがりの字で(それでもなかなかふうかくのある字です)しんせつなおみまい状を書いた紙がはいっていました。おじさん、ほんとに、ほんとにありがとう。この花は、わたしが生まれてはじめていただいたほんとうに心のこもったおくりものです。わたしがどんなに赤ちゃんか、おつたえしましょうか? わたしはなきふしてしまいました。あんまりうれしかったんですもの。
わたしの手紙を読んでいてくださっていることがもうわかったんですから、赤いひもでしばって金庫にしまっておいてもいように、もっともっとおもしろい手紙を書きましょう――でも、どうか、あのおそろしい手紙だけはぬきだして焼いてしまってください。それを読まれたかと思うと、もうたまらないんです。
病気がおもく、ごきげんななめで、みじめな気持ちになっていた新入生を元気にしてくださってありがとうございます。きっとおじさんにはやさしい家族のかたやお友だちがおありで、ひとりでいるのがどんなものか、おわかりにはならないでしょうね。でも、わたしにはわかります。
さようなら――二度とふたたび、あんないけないことはいいません。おじさんがほんとうの人間なことが、わかったんですもの。それから、うるさくあれこれとたずねたりすることもしません。
いまでも、おじさんは女の子がおきらい?
かしこ
ジューディより
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月曜日 八時間目
あしながおじさん
おじさんはまさか、ひきがえるの上に坐った評議員さんではないでしょうね? わたし聞いたんですけど、ポンと音がしてそれがつぶれちゃったそうよ。きっと太った評議員さんだったんでしょうね。
ジョン・グリア孤児院の洗濯場《せんたくば》のそばの桟《さん》の上に小さな穴のあったことごぞんじかしら? 春がきて、ひきがえるの時期《じき》がくるといつも、わたしたちはひきがえるを集めて、それをこの窓ぎわの穴にいれておいたものよ。ときどきお洗濯の日にそれが洗濯場にころげこんできて、すごくおもしろい騒ぎがおきたの。こんなおいたをしてひどくしかられましたけど、どんなにおこられても、かえるは集まっちゃうのよ。
そしてある日――そう、こまかなお話はぬきにして――とにかく、いちばん太って大きく水気のありそうなかえるが、評議員さんのお部屋の大きななめし皮のひじかけいすのところにはいりこみ、その日の午後、評議員会で――でも、おじさんはそこにいらっしゃっていて、それから先のことはごぞんじだわね?
しばらく時間をおいて、いま冷静《れいせい》にふりかえってみると、あの罰《ばち》は受けてもしかたがないものだったし――わたしの記憶にまちがいないとすると――当然のものだったのだわ。
どうしてこんなにむかしのことを想いだす気分になってしまったのかしら? 春がきてかえるがすがたをあらわすと、いつも、ものを集めようとする本能《ほんのう》がめざめてくるからなんでしょう。いまどうしてかえる集めをしないかというと、そのわけはかんたん、それをしてはいけないという規則がないからです。
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木曜日 礼拝のあとで
わたしがすきな本、なんだかおわかり? いまはよ。だって、わたし、三日ごとにそれが変わってしまうんですもの。「嵐が丘」なの。それを書いたとき、エミリー・ブロンテはまだとても若くって、ハワースの教会|墓地《ぼち》から外には一歩も出たことはなかったのよ。生涯《しょうがい》男の人はだれも知らずにすごしました。|どうして《ヽヽヽヽ》ヒースクリフのような男を考えることができたのでしょう?
わたしには、そんなことできません。わたしはまだ若く、ジョン・グリア孤児院の外へは一歩も出たことはありません――こう考えてみると、チャンスはいくらでもあったわけね。ときどき、自分は天才じゃないのだというおそろしい心配が、おそいかかってきます。もしわたしがすぐれた作家にならなかったら、おじさんはひどくがっかりなさるんじゃないこと? 春になり、すべてのものがとても美しく緑《みどり》になり芽をふきだすと、わたしは授業をほっぽりだしにして、外にかけだし、春といっしょに遊びたくなります。野原には、たくさんいろんな冒険があるんですもの! 本を書くより、本のなかのようなくらしをするほうが、ずっと楽しいわ。
キャッ! ! ! ! ! !
この悲鳴《ひめい》で、サリーとジュリアと(きまりが悪いことにちょっとのあいだ)四年生が、ろうかのむこうからかけてきました。それは、こんなむかでのためだったんです。
いいえ、もっとおそろしいものよ。最後の文を書きおえ、つぎになにをいおうかと考えていたちょうどそのとき――パタッ! といってそれが天井《てんじょう》から落ちてき、わたしのわきにとまったんです。逃げだそうとしてテーブルからコップを二つ落としてしまいました。サリーはわたしの毛の|はけ《ヽヽ》でそれをピシャリとたたき――もうこのはけは二度と使う気にはなれないでしょう――前のほうを半分殺しましたが、それは、うしろの五十本の足でたんすの下に逃げこんでしまいました。
この寮は、古い上に、壁につたがはっているので、むかでがたくさんいるんです。おそろしい虫だこと! ベッドの下に虎《とら》がいたほうが、まだましだわ。
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金曜日 午後九時半
ああ、困ったことばっかし! けさ起床の鐘がきこえず、起きてから急いで着がえをしているあいだに靴のひもをきってしまうし、カラーのボタンを背中のなかに落としてしまいました。朝ごはんにも、一時間目の授業にも、遅刻《ちこく》です。すいとり紙を持っていくのを忘れ、万年筆はもるときているんですもの。三角法では、教授とわたしは、対数《たいすう》のちょっとしたことで意見がちがってしまいました。調べなおしてみると、教授のほうが正しかったことがわかりました。ひるごはんは羊のシチューとパン・プラント――二つともわたしだいきらいよ、孤児院の味がするんですもの。郵便できたものは、広告ばかり(といっても、ほかのものはたしかにわたしにはこないんですけど。わたしの家族は手紙を書かない人たちです)思いがけす、午後の国語では筆記試験がありました。問題はつぎのとおりです。
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わたしはほかのものを求めなかった、
ほかのものはなんでもいけないとはいわれなかったが、
わたしはそれと交換《こうかん》に生命《せいめい》を提供《ていきょう》した。
偉大《いだい》な商人《しょうにん》は微笑《びしょう》した。
ブラジル? こちらをちらりとも見ずに
彼はボタンをひねくり廻した。
でも、奥様、きょうお見せする品は
ほかにございませんでしょうか
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これは詩です。誰がそれを書き、それがどんな意味のものか、わたしにはわかりません。教室にはいると、それが黒板の上に書いてあり、その解釈《かいしゃく》をせよと命じられました。第一|節《せつ》を読んだときには、見当がついたと思っていたのでした――偉大な商人とは、よい行《おこな》いにたいして祝福《しゅくふく》をまいてくださる神様なわけ――ところが第二節に進んで、その人がボタンをいじくりまわすとなると、わたしの考え方はおそれ多いことになり、いそいでその考えはすててしまいました。ほかの人たちもわたしと同じことで、四十五分坐っていても、答案用紙も心も白紙のまんまです。教育を受けるなんていうこと、ほんとうにうんざりすることね!
でも、これで一日が終わりとはなりませんでした。もっと悪いことがもっとおきたのです。
雨がひどかったので、ゴルフはできませんでしたが、そのかわり、体育館にいかねばなりませんでした。となりの女の子が体操用の棒でわたしのひじをガーンとたたいたの。寮にもどると、春の青い新しい服のはいった箱がとどいていましたが、スカートがあまりきついので、坐ることができなかったわ。金曜日はお掃除《そうじ》の日で、女中さんがわたしの机の上の書いた紙をみんなごちゃまぜにしてしまったの。デザートではお墓石(ミルクとゼラチンにヴァニラでにおいをつけたもの)を食べました。女らしい女についてのお話で、礼拝がふだんより二十分も長くなってしまったの。それがおわってやれやれこれでようやくおしまいになったとため息をついて「ある婦人の肖像」を読みはじめたとき、アッカリーといういくじなしのつまらない、いつも間《ま》のぬけている女の子がはいってきて、月曜日のラテン語の授業が六十九節からはじまるか。七十節からかときくんです。この人は名がAではじまっているので、ラテン語のときにはわたしのとなりに坐ってる人なんです(リペット院長さんがわたしの名をザブリスキにしてくださればよかったのに!)そして一時間《ヽヽヽ》もぐずぐずしていて、たったいま帰ったところなの。
こんなにいやなことばかし続けざまにおきるなんて、こんなことがあるでしょうか?
人間にしっかりした性格が必要なのは、人生の大きな不幸のときではありません。危機《きき》にのぞんで立ちあがり、勇気をふるっておそいかかる悲劇《ひげき》に立ちむかうことは、誰にだってできることです。でも、笑いながら日々のつまらぬできごとを片づけていくこと――これこそ本当の勇気がなくてはできぬことでしょう。
こうした性格を、わたしはのばしてゆきたいと考えています。人生はわたしがじょうずに、しかも正しくなければならないゲームにすぎない、と考えてみようと思っています。負けたら、肩をすくめて笑うだけ――勝っても同じです。
とにかく、スポーツマンらしい人間になるつもりです。ジュリアが絹の靴下をはいていようが、むかでが壁から落ちてこようが、おじさん、もうブツブツ不平をいうことは絶対にしませんよ。
かしこ
ジューディより
お返事、はやくちょうだい。
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五月二十七日
あしながおじさん殿
拝啓、リペット院長より手紙を拝受《はいじゅ》しました。お行儀《ぎょうぎ》も勉強もしっかりやりなさいとのお言葉で、この夏にはゆくところもないのだろうから、孤児院にきて、学校がはじまるまで食費《しょくひ》がわりに働きにきたらというお話です。
|わたしはジョン・グリア孤児院がだいきらい《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》。
あそこへ帰るくらいなら、死んでしまいます。
敬具
ジールシャ・アボット
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あしながおじさん
おじさんはいいかただわ!
農場のこと、とてもうれしいです。いままで一度も農場へいったことはありませんし、ジョン・グリア孤児院にいって夏じゅう皿洗いなんて、たまらないわ。きっと大変なことがおきちゃうわよ。以前のおとなしいところが消えてしまっていつか孤児院じゅうのお茶わんやお皿をすっかりたたきこわしてしまうでしょうから。
手紙が短いこと、おゆるしください。わたしのいろいろなことはお知らせできません。いまフランス語の授業で、もうじき先生がわたしの名をおよびでしょう。
ほら、よばれました!
さようなら
あなたをとても愛してる
ジューディより
〔訳者――これはフランス語まじりで書いた手紙〕
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五月三十日
あしながおじさん
この学校の庭を、ごらんになったことがあって?(これは修辞疑問《しゅうじぎもん》にすぎませんから、どうぞご心配なく)五月にはここはすばらしい場所になります。しげみというしげみは花でおおわれ、木という木はとてもきれいな若々しい緑色になります――松の老木《ろうぼく》などみずみずしく新しい感じです。草の生えているところは黄水仙《きすいせん》がまきちらされ、何百という女の子は青、白、ピンクの服を着ています。みんな楽しくあかるい気持ちです。休暇が近づいたんですものね。こんなよろこびが目の前にあると、試験なんて物の数ではありませんわ。
これこそ幸福な気持ちというものね? それに、ああ、おじさん! わたしだれより幸福なの! だって、もう孤児院にはいないし、子守りやタイプや帳簿《ちょうぼ》つけをしなくてもいいんですものね(おじさんがいらっしゃらなかったら、わたしはそれをしていたことでしょう)
わたしはいままでの悪かったことを悔《く》いています。
リペット院長さんにたいしていおなまだったことを悔いています。
フレディ・パーキンズをピシャリとたたいたことを悔いています。
お砂糖のつぼに塩を入れたことを悔いています。
評議員さんたちのうしろの見えないところでイーンって顔をしたことを悔いています。
わたしは幸福なんですから、誰にもちゃんとやさしく親切にしてあげるつもりです。そしてこの夏には、書いて書いて書きまくり、りっぱな作家の第一歩をふみだすつもりです。とてもすごい決心でしょう? ああ、わたしは美しい性格をいまのばしているのです。寒さと霜にあってそれはちょっとしぼんでしまいましたけど、太陽がかがやくと、それはぐんぐんと大きくなってゆきます。
これは、誰の場合もおなじです。不幸と悲しみと失望《しつぼう》が心の強さをましてくれるということですが、わたしはそうは思いません。幸福な人は親切な心でわきたっているものです。わたし、厭世的《えんせいてき》な考え方なんて、信用しません。(厭世的とはりっぱな言葉ね! たったいま習ったばっかしです)おじさんは厭世的な人ではないことね、どう、おじさん?
この手紙、校庭のことではじまったんですけど、おじさんにちょっときていただき、あちらこちらをご案内して、「あれが図書館。これがガス装置《そうち》なの、おじさん。左手のゴシックふうの建物は体育館よ。そのわきのチューダーふうのロマネスク式のは、新しい病室よ」なんていってみたいものだわ。
ああ、わたし、案内するのがじょうずなの。いままでずっと孤児院でそれをやっていたし、ここできょう一日じゅうそれをやっていたんです。ほんとうよ。
しかも、相手は男の人!
とてもすばらしい経験《けいけん》でした。わたしはいままで男の人に話したことは一度もありません(ときどき評議員さんには話したことはありますけど、それは問題じゃありません)おじさん、ごめんなさいね。評議員さんの悪口をいったって、べつにおじさんにどうというわけじゃないんですから。わたしは、おじさんがほんとに評議員の仲間だとは、考えていません。おじさんは偶然《ぐうぜん》評議員になっておしまいになったまでのことです。評議員そのものは、太って堂々《どうどう》とし慈悲ぶかい人です。人の頭をかるくたたき、金の懐中時計《かいちゅうどけい》の鎖《くさり》をつけている人です。
これではまるで「こふきこがねむし」そっくりだわ。でもこれは、おじさん以外の評議員さんの絵のつもりです。
だけど――もとの話をつづけましょう。
わたしいままで、男の人といっしょに歩き、お話をし、お茶をのんでいました。それがとってもりっぱなかたで――ジュリア家のジャーヴィス・ペンドルトンというかたなの。みじかくいえば、ジュリアのおじさんです(たぶん「ながくいえば」といわなくちゃいけないでしょう、だって、おじさんくらいせいの高い人ですもの)。このかたは、お仕事で町においでになって、ちょっとでかけて姪《めい》に会ってこよう、とお考えになったのでした。このかたはジュリアのお父さんのいちばん下の弟なんですけど、ジュリアはよく知っていないんです。このおじさんは、ジュリアが赤ちゃんのときにちょっと顔をながめて、いやな子だなと思いこんでしまい、その後ずっと気にもとめずにいたらしいのです。
とにかく、そのかたがおいでになりました、帽子とステッキと手袋をわきにおいて応接間にきちんと坐って……。ところがジュリアとサリーはどうしても七時間目の授業がぬけられないんです。そこでジュリアはわたしの部屋にとびこんできて、このおじさんに校庭のあたりを案内してあげ、七時間目がおわるまでなんとか話相手をしてくれるようにと、わたしに頼みこみました。「いいわ」とわたしは答えたものの、それはしかたなしでしたこと、あまり気のりがしませんでした。ペンドルトンの家の人って、たいしてすきじゃないんですもの。
でも、お会いすると、このかたはとてもやさしいかたでした。あのかたはほんとの人間、ペンドルトン家の人ではぜんぜんありません。とても楽しかったわ。それからというもの、わたしはおじさんがほしくなりました。おじさんをわたしのおじさんに仕立てて考えてみていいこと? おじさんのほうがおばあちゃんよりずっといいと思ってます。
おじさん、ペンドルトンさんは、ちょっと二十年前のおじさんを想わせる人です。いいこと、わたし、おじさんをよーく知っているんです。一刻もお会いしたことはなくってもよ!
ペンドルトンさんはせいが高くて、どちらかというとやせがた、いちめんしわだらけの浅黒い顔をし、とてもみょうなふうに、はっきりとおもてにあらわれない笑いかたをするかたで、ただ口のはしにちょっとしわをよせるだけなの。そして、会うとすぐ長いこと知りあっている人のように感じさせるかただわ。とても感じのよい人です。
わたしたちは中庭から運動場まで校庭をあちらこちら残らず歩きまわりました、すると、疲れたからお茶を飲みたい、大学の食堂にゆきましょう、とおっしゃるんです――食堂は校庭からほんのすぐ、松|並木《なみき》のわきにあります。わたしは、ジュリアとサリーのところにもどらなければといったのですけど、姪たちにはあまりお茶を飲ませないほうがいい、とおっしゃいました。お茶を飲むと神経がたかぶるからなんですって。そこで、わたしたちはひとかけして、バルコニーのかわいいきれいなテーブルで、お茶と軽焼きパンとマーマレードとアイスクリームとお菓子をいただきました。食堂はつごうのいいことに、がらあきでした。月末でみんなのお小遣いが心細くなっているからです。
ほんとうに楽しかったこと! でも、もどるとすぐ、汽車に間にあうようにと、ペンドルトンさんはとんでゆかねばならなくなり、ジュリアと会っているひまは、ろくにないくらいでした。わたしがおじさんをさらってしまったといって、ジュリアはもうカンカンでした、とてもお金持ちでいいおじさんらしいわ。お金持ちなのを知ってわたしはほっとしました。だって、お茶やいろんなものはみんな、一つ六セントもするんですもの。
けさ(月曜日なんですが)チョコレートのはいった箱が三つ、速達《そくたつ》でジュリアとサリーとわたしに送られてきました。おじさんはこのことをどうお思いになって? 男のかたからお菓子をいただくなんて!
わたしは、みなしごじゃなくって、娘のような気持ちをもちはじめています。
いつかおじさんがここにきてくださって、いっしょにお茶をのみ、おじさんをすきになれるかどうかみせてくださったらいいなあ、と思ってます。でも、すきになれなかったら大変なことになるわね? だいじょうぶ、わたしわかっているわ、きっとすきになれることよ。
とにかく、つつしんでごあいさつを申しあげます。
いつまでもおじさんのことを忘れぬ
ジューディより
(追伸)けさかがみをのぞきこむと、いままで見たこともない新しいえくぼを見つけました。へんだこと。それがどこからきたと、おじさんはお思いになる?
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六月九日
あしながおじさん
うれしい日です! たったいま、最後の試験の生理学がおわったところなの。これでもう、農場で三月くらせるのだわ!
農場というものがどんなものか、わかってはいません。いままで一度もそこへいったことがないんですもの。それをながめたことさえ(汽車の窓からはべつですけど)まだありません。でも、そこをだいすきになりそうなことは、わかっています。自由《ヽヽ》になることは、とてもうれしいことでしょう。
わたしはまだ、ジョン・グリア孤児院から出たことを、本気に考えられません。あそこのことを考えると、いつも胸がワクワクして背すじがゾクゾクするんです。そのときわたしの気持ちは、ずんずんいそいで走らなけりゃ大変、ふりかえってみて、リペット先生がわたしをつれもどそうと手をのばして追っかけてきていないことをたしかめずにはいられない気持ちです。
この夏は、だれのことも気にしなくていいんでしょう、どう?
おじさんの名だけの御威光《ごいこう》なんて、ちっともこわくはありません。おじさんは遠くはなれていて、なんにもできませんものね。わたしに関するかぎり、リペット先生は死んだも同然《どうぜん》、そしてセムプルのおじさんとおばさんだって、わたしのおぎょうぎの監督はしないんでしょう、どう? ええ、そう、そんなこと、ありはしないわ。わたしはもう完全におとななんですもの。ばんざあい!
これでおわかれです、トランクの荷づくりをし、やかん、お皿、ソファーのクッション、それに本を三つの箱につめこまなければなりませんから。
かしこ
ジューディより
(追伸)生理学の試験問題を同封します。おじさんがお受けになったら、パスするとお思いになって?
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土曜日の夜、ロック・ウィロウ農場にて
だいすきなあしながおじさん
たったいま着いたばかりで、荷ほどきもまだしていないんですけど、わたしが農場をどんなにすきかお知らせせずにはいられなくなってしまいました。ここはとっても、とっても、とってもすばらしいところです! おうちはちょうどこんなふうに四角なんです、そして|古い《ヽヽ》ものなんです。百年かそこいらたったものでしょう。横にはヴェランダがあるのですけど、絵ではとてもそれをかけません。正面にはきれいな玄関がついてます。この絵と本物とは段ちがいです――羽《はね》のはたきのようなものはかえでの木で、車のとおる道の両側に立っているとげだらけのものは、風の音をたてている松と|つが《ヽヽ》の木です。この家は丘の上に立っていて何マイルもつづく牧場を見くだし、むこうのべつの丘まで見晴らしがききます。
これがコネクティカットの地形の特徴で、マルセル・ウェイヴ(髪を波形にちぢらせた型)のようにうねうねつづいています。そしてロック・ウィロウ農場はその波のちょうじょうの上に立っているんです。もとは納屋《なや》が道のむこうにあって、見晴らしのじゃまをしていたんですが、ありがたいことに雷が空から落ちてきて、それをぜんぶもやしてしまいました。
ここにいる人はセムプルおじさんとおばさん、女中さん一人と下男の人が二人です。やといの人たちは食事を台所でしますが、セムプルおじさんとおばさんとジューディは、食堂で食べます。わたしたちが夕食で食べたものは、ハム、卵、ビスケット、蜜、ゼリー菓子、パイ、漬《つ》けもの、チーズ、それにお茶で――いろいろたくさん、おしゃべりをしました。こんなに人を楽しませたことは、生まれてはじめてのことです。わたしのいうことはなんでも、おかしいようなのよ。たしかにおかしいのかもしれないわ。だって、わたしはいなかにきたことは一度もないし、なにをたずねても、それでもうわたしがなんにも知らないことがわかってしまうんですものね。
×のしるしのついたお部屋は、人殺しがあった場所ではなくて、わたしのいるところです。このお部屋は大きくて四角でガランとしていて、すばらしいむかしの家具《かぐ》があり、棒でささえて開く窓がついていて、さわるとたれてくる金色にかざった緑の陽よけがあります。それに、大きな四角のマホガニーの机があるんです――ひじをこの上にのばし、小説をかきながら、この夏をすごすつもりです。
ああ、おじさん、わたしもうワクワクなの!あたりを歩きまわってみたくって、夜明けまでじっとしてはいられません。いま八時半、ろうそくを消して寝ようとしているところです。ここでは五時に起床です。おじさんはこんな楽しさをごぞんじかしら? このわたしがほんとうにジューディだとは、どうしても信じられません。おじさんと神様は、わたしにはもったいないほどのものをくださいました。そのお礼に、わたしはとても、|とても《ヽヽヽ》いい人にならなければなりません、そうなろうと思ってます。みていてください。
おやすみなさい
ジューディより
(追伸)かえるや子|豚《ぶた》のなき声をおじさんにお聞かせしたいわ!――それに、新月をお見せしたいわ! それが右肩ごしに見えます。
〔訳者――右肩ごしに新月を見ると幸福がおとずれると信じられています〕
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七月十二日 ロック・ウィロウにて
あしながおじさん
おじさんの秘書さんがどうしてロック・ウィロウのことを知ったのでしょう?(これは修辞疑問ではありません。それを知りたくてしかたないのです)だって聞いてちょうだい。ジャーヴィス・ペンドルトンさんがこの農場の前の持ち主で、それを|うば《ヽヽ》だったセムプルおばさんにあげたんです。こんなにおかしな偶然って、あるものでしょうか? おばさんはいまでもあのかたを「ジャーヴィ坊ちゃま」と呼んでいて、子供のときどんなにかわいい坊やだったかを、話してくださいます。おばさんはあのかたが赤ちゃんのときのまき毛を箱のなかにしまってありますが、それは赤毛――すくなくとも赤みがかったものです!
わたしがジャーヴィさんを知っていることがわかると、おばさんはわたしをぐっと見直してくださいました。ペンドルトン家の人を知っていることは、ロック・ウィロウではなににもまさる紹介状《しょうかいじょう》で、ペンドルトンの家の花形《はながた》は、ジャーヴィ坊ちゃんなんです。ジュリアが格《かく》が下の分家《ぶんけ》なことは、うれしいことだわ。
農場はだんだんおもしろくなってきました。きのうは乾《ほ》し草《くさ》をはこぶ馬車に乗りました。ここには親豚が三びき、小豚が九ひきいますが、そのえさを食べているようすときたら、おじさんに見ていただきたいくらいよ。まったく豚だわ! かわいいひよっこや、あひるや、七面鳥や、ほろほろちょうが、わんさわんさいます。農場にすむことができるのに町にすんでいるなんて、気ちがいざたよ。
卵を集めるのが、わたしの毎日の仕事です。きのう納屋《なや》の屋根裏のはりからおっこちてしまいました。黒いおんどりがしのびこんだ巣にわたしがはいよっていこうとしたときのできごとです。きずだらけのひざで家にはいると、セムプルおばさんは草の葉でそれにほうたいをしてくださいましたが、そのあいだじゅう「まあ、まあ、ジャーヴィ坊ちゃまがちょうど同じはりからおっこち、ひざのちょうど同じところをすりむいたのは、ついきのうのような気がしますよ」とぶつぶつつぶやいていました。
このあたりの景色は、ほんとうにきれいです。谷もあるし川もあるし、木の茂った丘もあるし、ずっと遠くには、口のなかにいれたらもうとけてしまいそうな青い高い山がそびえています。
ここでは週に二回ミルクをかきまわしてバターつくりをします。クリームをしまっておくとこは、石づくりで、下には川が流れている貯蔵《ちょぞう》小屋です。この近くの農家で分離器《ぶんりき》を持っている家もありますが、わたしたちは新式のものはほしくはありません。お鍋《なべ》でクリームを分離するのはちょっと骨がおれる仕事ですけど、それのほうがとくなんです。子牛が六頭いますが、わたしはそれにみんな名をつけてあげました。
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一、シルヴィア、森で生まれたから。
二、レスビア、カタラスにでてくるレスビアにちなんで。
三、サリー、
四、ジュリア――まだらの|えたい《ヽヽヽ》のしれないけだもの。
五、ジューディ、わたしにちなんで。
六、あしながおじさん、おじさんはおこらないことね、いかが? この牛は純粋《じゅんすい》のジャージー種《しゅ》で、やさしい気性《きしょう》の持ち主です。そのかっこうはつぎの絵のとおり――この名がどんなにふさわしいものか、これでおわかりでしょう。
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不朽の名作を書きはじめるひまがまだありません。農場のほうがいそがしくって……。
かしこ
ジューディより
(追伸)ドーナッツのつくり方を習いました。
(追伸二)おじさんがもし、にわとりをかうおつもりだったら、バフ・オーピントン種をおすすめします。これにはうぶ毛がすこしもありません。
(追伸三)きのうわたしがつくったおいしくて新しいバターをお送りしたいものです。乳しぼりは、わたしうまくてよ!
(追伸四)これは、未来の大作家たるジールシャ・アボット嬢が牛を小屋に追いこんでいる図です。
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日曜日
あしながおじさん
おかしなことじゃないこと? きのうの午後おじさんに手紙を書きはじめたんですけど、いままで書いたものって、最初の「あしながおじさん」という言葉だけ、そのとき夕ごはんに黒いちごをつんでくる約束を思いだして、部屋を出てゆき、便箋《びんせん》は机の上にそのままほっぽりだしにしておきました。もどってきたとき、便箋のまんなかになにが坐りこんでいたとお思いになること? 本物の「足ながぐも」なんです!
その足を一本そーっと静かにつまんで、窓の外に逃がしてやりました。足ながぐもは絶対にいじめたくはありません。それを見るといつもおじさんのことを思いだすんですもの。
けさ、ばねつきの荷馬車に馬をつけ、みんなで中央通りの教会にいきました。その教会は美しい木造《もくぞう》のかわいい教会で、尖塔《せんとう》が一つあり、正面にはドリア式の柱(イオニア式かもしれません――どうもそれがごっちゃになってしまうので)が三本立っています。
気持ちのいい、ねむくなるようなお説教があり、みんなねむたそうにしゅろの葉の扇をつかっていました。耳にはいってくる音といえば、牧師さんの声以外には、外の木にとまっているせみの声ばかり。ハッと目がさめると、わたしは立って賛美歌《さんびか》を歌っていました。お説教を聞いていなかったことがそのときとても気になりました。こんな賛美歌をえらぶなんて、どんな気持ちでそれをするのか、ふしぎだわ。賛美歌の言葉はつぎのとおりです。
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いざ来《きた》れ、浮世のなぐさめ、楽しみをすて、
われと加《くわ》わり天上《てんじょう》のよろこびをともにせよ。
しからずば、友よ、とわに別れん。
なんじ地獄に沈むとも、われは助けず。
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セムプルおじさんとおばさんといっしょに宗教の話をすることは、けんのんなことがわかりました。セムプルさんの神様は(セムプルさんはむかし清教徒《せいきょうと》の祖先の人たちからそっくりそのままこの神様を受けついでいるんですが)、心のせまい、わけわからずの、よこしまで、心のいやしい、復讐心《ふくしゅうしん》の強い、がんこものです。ありがたいことに、わたしはだれからも神様を受けついではいません! わたしは、すきなとおり神様を自由につくりあげることができます。わたしの神様は、親切で、おもいやりがあり、空想する力とゆるす力と理解《りかい》する力を、そろえて持っておいでのかた――その上、ユーモアまでわかってくださるかたなんです。
わたしはセムプルおじさんとおばさんをだいすきよ、その考えよりじっさいの行《おこな》いのほうがりっぱなんですもの。おじさんとおばさんのほうが神様よりえらいわ。わたしがそういったら――おじさんもおばさんも、とてもこまった顔をしていました。わたしが神をけがしていると思われたのです――でも、神をけがしているのはおじさんとおばさんのほうよ! それからは、わたしたちのあいだでは神様のはなしをしないことにしました。
いまは土曜日の午後です。
紫のネクタイをしめ、あかるい黄色の鹿皮の手袋をはめたアマサイ(やとい人)が、顔をまっかにし、きれいにひげをそって、たったいまキャリー(やとい人)と車ででかけていきました。キャリーは赤いばらでかざった大きな帽子をかぶり、青のモスリンの服を着て、髪はものすごくカールさせています。アマサイは午前ちゅう四輪馬車にすっかりかかりっきりでそれを洗い、キャリーはお料理のためだといって教会にも、ゆきませんでしたが、本当はモスリンの服にアイロンをかけるためだったのです。
もう二分してこの手紙を書きおえると、わたしは本を読みはじめるつもりです。これは屋根裏部屋でみつけたもので、題は「追跡」、とびらのところには、子供っぽいおかしな字でこんな文句《もんく》が書いてあります。
[#ここから1字下げ]
ジャーヴィス・ペンドルトン
もしこの木がうろつきだしたら
横面《よこずら》をひっぱたいて連れ帰っておくれ
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ペンドルトンさんが十一歳ぐらいのとき、病気をしたあとで夏をここですごしたことがあり、「追跡」をここにおいていったのです。くわしく読んだらしく――小さなよごれた手のあとが、ところどころにあります! また、屋根裏部屋のすみには、水車や風車や、弓や矢がいく本かあります。セムプルおばさんはひっきりなしにペンドルトンさんのお話をしているので、あのかたが本当にここにいらっしゃるような気がしてなりません――でもそれは、絹の帽子をかぶりステッキをついた大人《おとな》のペンドルトンさんではなく、大きな音を立てて階段をかけあがり、あみ戸を開けっぱなしにしていき、いつもお菓子のおねだりをしているかわいい、よだれだらけの、頭の毛をもじゃもじゃにした坊やです。(セムプルおばさんならきっと、お菓子をどんどんあげたことでしょう!)ペンドルトンさんは冒険ずきな――そして勇敢でうそをいわない――子供だったらしいわ。あのかたがペンドルトンの一族だなんて、わたし残念なの。もっとりっぱな家の人になるかただったのだわ。
あしたから、からす麦打ちがはじまります。蒸気《じょうき》機関と臨時《りんじ》やといの人が三人きます。こまったことにバターカップ(角が一本あるぶちの牛のことで、レスビアお母さんです)が大変なことをしでかしてしまいました。金曜日の夕方にこの牛が果樹園にはいりこみ、木の下でりんごをむしゃむしゃたべにたべて、とうとうそれが頭にきてしまったんです。二日間この牛はもうぐでんぐでんに酔《よ》っぱらっていました! これはうそではありません。こんなにひどいこと、おじさんはお聞きになったことあって?
孤児、ジューディ・アボットより
(追伸)第一章にはインディアンのこと、第二章には、追いはぎのことが書いてあります。息をのむようなおそろしさです。第三章にはなにがでてくるかしら? 「赤鷹《あかたか》がさっと空中に二十フィートとびあがり、ばったり地上に落ちてきた」が、口絵《くちえ》の説明の文句です。ジューディとジャーヴィは楽しくくらしているでしょう?
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九月十五日
おじさん
きのう角《かど》の雑貨屋《ざっかや》さんの小麦粉をはかるはかりで体重をはかってみました。九ポンドも太ったわ! ロック・ウィロウは、たしかに、健康にいいところだわ。
かしこ
ジューディより
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あしながおじさん
見てちょうだい――わたしもう二年生よ! この前の金曜日に帰ってきました。ロック・ウィロウとのお別れは悲しかったけど、また校庭が見られるのを楽しみにして……。いつも親しんでいるものにもどっていくことって、うれしいものね。大学の生活にすっかりなじみ、ものおじする気も消えてきました。じっさい、世間にすっかりなじんだ感じ――まるでわたしがほんとに一人前の人間で、お情けでそこにはいりこませてもらったんじゃないような感じがしはじめてきました。
わたしがなにをいおうとしているか、おじさんはおわかりではないでしょう? 評議員のようなえらいかたになれる人は、孤児のつまらない人間の気持ちなんて、わかりっこありませんものね。
そこで、おじさん、聞いてちょうだい。わたしが誰といっしょに部屋にいるとお思い? サリー・マクブライドとジュリア・ラトリッジ・ペンドルトンよ。うそではありません。勉強部屋がいっしょで、小さな寝室が三つあるんです――ほうら、ごらんなさい!
この春、サリーとわたしはお部屋をいっしょにしたいなあと考えていたのですけど、ジュリアがサリーといっしょになると決めこんでしまいました――どうしてなのか、わたしにはわかりません。だって、二人はぜんぜん似ていないんですものね。だけどペンドルトン家の人たちは生まれつき保守的《ほしゅてき》で、変化に敵意(りっぱな言葉だこと!)を持っているんです。とにかく、こんなふうになりました。以前にはジョン・グリア孤児院の子だったジールシャ・アボットがペンドルトン家の人とお部屋をいっしょにするなんて、考えてもごらんなさい! アメリカは民主的な国だわね。
サリーは級長に立候補《りっこうほ》していますが、特別なことがおこらないかぎりそれに選挙されることでしょう。選挙運動の気分があたりにあふれています――わたしたちがどんなにすごい政治家か、おじさんに見ていただきたいものだわ! ああ、おじさん、お忘れなくね、わたしたち女性が選挙権を得たらおじさんたち男の人は自分の権利を守るのにうかうかしてはいられなくなりますよ。選挙がつぎの土曜日におこなわれ、誰が級長になろうと、夕方にはたいまつ行列をすることになっています。
化学の勉強をはじめました。とても変わった勉強です。こんなものは、いままで見たこともありません。教材《きょうざい》は分子《ぶんし》と原子《げんし》なんですが、来月になったらそのことをもっとしっかりお話ができるようになるでしょう。
討論法《とうろんほう》と論理学《ろんりがく》の講義を受けています。
世界史も。
ウィリアム・シェイクスピアの劇も。
それに、フランス語も。
こんな調子で何年も勉強したら、わたしはとてもりこうな人間になることでしょう。
フランス語より経済学をやりたかったんですけど、それをやる勇気がでませんでした。それというのも、フランス語を続けなかったら、教授はそれを及第にしてくださらないでしょうから――じっさいのところ、六月の試験はかすかすのところでパスしたのです。それにしても、わたしの中学校時代の準備《じゅんび》は十分なものではありませんでした。
英語とおなじようにフランス語がペラペラな人が、わたしのクラスに一人います。子供のころ両親といっしょに外国にいき、三年間|修道院《しゅうどういん》の学校で勉強した人です。ほかの人とくらべて、この人がどんなにすごいか、おじさんにもおわかりでしょう――不規則動詞なんておちゃのこさいさいです。親がまだ子供のわたしをすてたとき、孤児院にではなくフランスの修道院にすててくれたらよかったのに! いいえ、ちがいます、わたしは、それもいやだわ! そうなったら、おじさんとお知りあいにはなれなかったでしょうものね。フランス語よりおじさんを知ることのほうが、わたしにはうれしいことよ。
さようなら、おじさん。ハリエット・マーティンのところにいき、化学問題を論じてから、次期《じき》級長のことでちょっとした考えを一、二さりげなく述べてこようと思っています。
選挙運動中の
J・アボットより
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十月十七日
あしながおじさん
体育館のプールがレモンのゼリーでいっぱいになったと仮定《かてい》したら、人はそのなかで浮かんでいられますか、それとも、沈んでしまいますか?
デザートでレモンのゼリーを食べているときに、この問題がでました。三十分みんな夢中《むちゅう》になってこれを議論したのですけど、まだ結論《けつろん》はでていません。サリーは自分は泳げると思っていますが、わたしはどんなうまい泳ぎ手だって沈んでしまうにちがいないと、かたく信じています。レモンのゼリーのなかでおぼれるなんて、みょうなことね?
まだほかに二つの問題が、食堂の注意を集めています。
一、八角形の家では部屋がどんな形をしているか? それが四角だという人もあります。でも、わたしは、それがパイのひときれのような形になるだろうと思っているんです。おじさんもそうお思いでなくって?
二、鏡でできたなかがからの大きな球があって、そのなかに人が坐っているものと仮定します。鏡にうつる顔がどこでおわり、背中《せなか》がどこではじまるでしょうか? 考えれば考えるほど、わからなくなってしまいます。ひまなときにわたしたちがどんなに深遠《しんえん》な哲学的瞑想《てつがくてきめいそう》にふけっているか、これでおわかりでしょう!
選挙についてお話しましたっけ? それは三週間前におこなわれましたが、ここでは時がどんどんすぎてゆくので、三週間なんて古代史みたいな感じがします。サリーが当選し、わたしたちは「マクブライドばんざあい」のすかし文字をおし立てて、たいまつ行進をしました。楽隊は十四の楽器(ハーモニカ三、コーム十一)でへんせいしたものでした。
二五八号室でわたしたちはいまや重要人物《じゅうようじんぶつ》です。ジュリアとわたしは、名誉のおすそわけにあずかっているわけです。級長さんと同じ家にいることはなかなか気のはることです。
おやすみなさい、おじさん
わたしの敬意をお受けください
十分な敬意をささげ
おじさんのジューディより
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十一月十二日
あしながおじさん
きのうバスケットボールで、わたしたちは新入生をまかしました。もちろん、うれしかったわ――でも、ほんとに、三年生をまかすことができたら! 体じゅうあざだらけになり薬草のしっぷをして一週間寝なければならなくなってもいいくらいだわ。
サリーはクリスマスのお休みに遊びにこないかとさそってくれました。サリーの家はマサチューセッツのウスターにあります。サリーは親切と、おじさんもお思いにならないこと? とってもいきたいの。いままでわたしは家族というものを知らないのです。ロック・ウィロウは別ですけど、そこではセムプルのおじさんもおばさんも大人で老人、だから問題にならないわ。マクブライド家には子供がいっぱいいて(とにかく二人か三人はいます)それにお母さんとお父さんとおばあさん、その上アンゴラ猫までいるんです。これこそ完全に道具だてのそろった家族というものです! 荷づくりし、でかけるほうが、のこっているのより楽しいわ。わたしはうれしさで胸がワクワクしています。
七時間目――劇の練習にとんでいかなければなりません。感謝祭《かんしゃさい》の劇にわたしもでます。ビロードの上着をきこみ、黄のまき毛をした塔のなかの王子さまが、わたしの役です。すばらしいでしょう?
かしこ
J・Aより
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土曜日
わたしがどんなすがたをしているか、おじさんごらんになりたいこと? レオノーラ・フェントンがとってくれた三人の写真を同封《どうふう》します。
笑っているあかるい人はサリー、つんと鼻をそらしているせいの高いのがジュリア、髪が顔にかかっているおちびさんが、ジューディです――ジューディはほんとはもっときれいなんですけど、まぶしかったのです。
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十二月三十一日 マサチューセッツ州、ウスター、「ストーン・ゲイト」にて
あしながおじさん
ずっと前にお便りをして、いただいたクリスマスの小切手のお礼をするつもりだったんですけど、マクブライド家の毎日はとても楽しくて、二分間と机にむかって落ちついていられないほどなのです。
新しいガウンを買いました――べつに必要だったわけではなかったんですけど、ただほしかったんです。今年わたしがいただいたクリスマス・プレゼントはあしながおじさんからのもの、わたしの家からはただ元気でとだけいってきました。
サリー家でとてもすばらしい休暇をすごしています。サリーの家は通りからちょっとはいったところにあって、大きなむかしふうの、白いかざりのついた煉瓦建《れんがだ》ての家――わたしがジョン・グリア孤児院にいたころ、なかはどんなだろうと考えながらじろじろ眺めていた家とそっくりのものです。それをこの目で見られるなんて、思いもかけてはいませんでしたが――いまわたしはここにちゃあんといるんです。すべてのものが気持ちよく、ゆったりとし、家庭的です。わたしは部屋から部屋へと歩きまわり、むさぼるように家具を眺めています。
ここは子供を育てるのには満点の家です。かくれんぼにもってこいの暗いすみ、とうもろこしを焼いてはじく暖炉《だんろ》、雨の日にはねまわる屋根裏部屋、いちばん下に気持ちのいい平たいこぶのおさえがあるつるつるすべる手摺りなどがあり、大きく広い台所は陽当《ひあた》りがよく、ここに十三年もいるやさしい太った、陽気なコックさんはいつも、子供たちがパンやきができるようにと、ねり粉《こ》もすこしとっておいてくれます。こんな家をみると、誰でも子供時代にもう一度もどりたくなるほどです。
それに、おうちの人たちときたら! こんなにやさしい人たちとは、考えてもいませんでした。サリーにはお父さんとお母さんとおばあさん、それから、もうとってもかわいいまき毛がぐるぐるしている三歳の赤ちゃんの妹、いつも足をふくのを忘れている中ぜいの弟、プリンストン大学の三年生のジミーという大きな美しいお兄さんがいます。
食事のときには、もうすごくおもしろいです――みんないちどきに笑い、じょうだんをとばし、話しだすのですもの。ここでは食前のお祈りはしなくていいんです。一口食べるごとに誰かにお礼を言わなくちゃいけないなんて、たまらないことだわ。(きっとわたしは神様をけがす人間なのね。でも、わたしほど感謝のお祈りをむりやりさせられてきたら、おじさんだってきっとそうなることよ)
ずいぶんいろいろなことをしました――どれから先に話したらいいか、わからないほどです。マクブライドおじさんは工場の持ち主で、クリスマスの前の晩には、やとっている人たちの子供のために、クリスマス・ツリーを立ててあげました。その場所は、細長い荷づくり部屋で、ときわ木やひいらぎでかざってありました。ジミー・マクブライドがサンタクロースの服装をし、サリーとわたしがプレゼントをわけてあげるお手伝いをしました。
まあ、おじさん、変な気持ちだったことよ!わたしは、自分がジョン・グリア孤児院の評議員さんみたいに慈悲《じひ》深くなったような気分になってしまったんですもの。一人かわいいべとべとした坊やに、わたしはキスをしてあげました――だけど、誰の頭でも、なでなんかしなかったと思うわ!
そして、クリスマスの二日後に、この「わたし」のためにダンスの会を開いてくださったのです!
これはわたしが出席したはじめての舞踏会《ぶとうかい》でした――女の子どうしで踊《おど》る大学のダンスなんて、問題じゃありません。わたしは新しい夜会用のガウン(おじさんのプレゼントです――ほんとにありがとう)を着こみ、長い白い手袋をはめ、白いしゅすの上ぐつをはきました。わたしのこの完全で、十分な、絶対的な幸福にただ一つのきずは、ジミー・マクブライドといっしょにコティヨンの先頭をきっているわたしのすがたを、リペット院長さんに見ていただくことができなかったことです。このつぎジョン・グリア孤児院におじさんがおいでになったとき、どうかこのことを院長さんに話してあげてください。
かしこ
ジューディ・アボットより
(追伸)わたしが大作家にならずに、ただの「ありきたりの娘」になったら、おじさんはおこっておしまいになるかしら?
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土曜日 六時半
きょう町に歩いてでかけたところ、おどろいたことに、ざんざんの大雨にあってしまいました。冬は冬らしく、雨より雪が降ったほうがいいわ。
ジュリアの例の感じのいいおじさんがまた今日の午後おいでになり――五ポンド入りのチョコレートの箱をおみやげに持ってきてくださいました。ほれこのとおり、ジュリアと部屋をいっしょにすると、いろいろな得《とく》があるのです。
あのかたはわたしたちのむじゃきなおしゃべりがおもしろかったらしく、乗る汽車をのばして、勉強部屋でいっしょにお茶を飲んでおいでになることになりました。許可《きょか》をもらうのにほんとに大汗をかいてしまいました。父親や祖父《そふ》でもいっしょにお茶を飲むとなると大変なこと、ましておじさんとなると、ますます始末《しまつ》が悪いのです。兄弟やいとこともなれば、まあだめといってもいでしょう。ジュリアは公証人《こうしょうにん》の前でこのかたが自分のおじであることをちかい、それに郡役場《ぐんやくば》の証明書をつけてださなければなりませんでした(法律のこと、わたしずいぶんくわしいでしょう)。こんな手続きをふんでも、このジャーヴィスおじさんがどんなに若く美しいかを生徒監《せいとかん》に見つかったら、お茶を飲むことができたかどうかわかりませんわ。
とにかく許可をもらい、スイス製のチーズをはさんだ黒パンのサンドウィッチを食べました。おじさんはそれをこしらえる手伝いをしてくださり、四つもお食べになったわ。わたしは夏をロック・ウィロウですごしたことをお話し、セムプルおじさんやおばさんのこと、馬や牛やにわとりのことをおしゃべりして、楽しい一時《ひととき》を送りました。あのかたがごぞんじの馬は、グロウヴァーをのぞいて、一頭のこらず死んでしまっているのです。このグロウヴァーという馬は、この前おいでになったときには、まだ赤んぼうの馬だったそうですが、かわいそうに、いまはただびっこをひいて牧場をうろつきまわることしかできなくなっています。
ペンドルトンさんは、いまでもあそこではドーナッツを、食料室のいちばん下の棚の黄色のつぼに入れ、青いふたをしているか、とおたずねになりましたが――まさにそのとおりなんです! また、夜間用の牧場の岩を積みかさねた下に、まだやまねずみの穴があるかどうか、とおききでしたが――それもまさにそのとおりです! アマサイが今年の夏、太った大きなねずみをそこでつかまえましたが、それは、ジャーヴィスさんがまだ子供のころにつかまえたものの二十五代目の孫なのです。
わたしは面とむかって「ジャーヴィ坊ちゃま」と呼んだんですけど、あのかたはべつに気を悪くなさらなかったようです。こんなに愛想《あいそう》のいいおじさんの姿を見たことはない、とジュリアはいっています。ふだんちょっと親しみにくいかたなんだそうです。でも、ジュリアは機転《きてん》ときたら、ぜんぜんきかず、わたしにはわかっているんですが、男のかたは機転がとても必要なものなの。うまくなでてあげればよろこんで喉をゴロゴロ鳴らし、それをしないと、おこってうなりだすんです。(これは大して上品な比喩《ひゆ》ではありませんが、ただたとえばのことです)
わたしたちはいま、マリー・バシュカーチェフの日記を読んでいます。すばらしいものですことね? これを聞いてください、「昨夜わたしは絶望の発作《ほっさ》におそわれ、それはうめき声の形をとってあらわれ、最後には、わたしは食堂の時計を海に投げこまずにはいられなくなった」
これを読むと、天才でないほうがいいような気になってきます。天才なんて、身につけているととてもやっかいなもの――それに家具をひどくこわしてしまうものなのね。
まあ、なんてひどく雨が降りつづくことでしょう! 今夜礼拝にいくのに、泳いでいかなければならないでしょう。
かしこ
ジューディより
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一月二十日
あしながおじさん
おじさんは、赤ちゃんのころゆりかごから盗まれた、かわいい赤ちゃんの娘をお持ちなんですか?
もしかすると、その赤ちゃんがわたしかもしれないわ! もしおじさんとわたしが、小説のなかの人物だったら、それでめでたし、めでたしになるわけ、そうじゃないかしら?
自分が何者《なにもの》かわからないなんて、ほんとうにすごくみょうなことよ――ちょっと胸をはずませ、ロマンティックね。いろいろな場合を考えることができますもの、ひょいとするとわたしはアメリカ人じゃないかもしれないわ。そうじゃない人はたくさんいますものね。わたしはローマ人|直系《ちょっけい》の子孫か、ヴァイキング(八〜一〇世紀のころ欧州の北と西の海岸をあらしていたスカンジナビア人)の娘か、亡命《ぼうめい》ロシア人の子供で当然シベリアの監獄に投げこまれていなければならない人物か、どれかわかりません。さもなければ、わたしはジプシーかもしれないわ――きっとそうよ。だってわたし、放浪精神《ほうろうせいしん》を多分に持ちあわせているんですもの、たしかにそれをのばす機会には、まだめぐまれていませんけれど……。
わたしの経歴にある一つのよごれ――お菓子を盗んでしかられたために、孤児院を逃げだしたときのこと――を、おじさんはごぞんじですか? これは書類に書きこまれていて、評議員さんなら誰でも読むことができるはずです。でもほんとに、おじさんはどうお思いになる? おなかのすいた九歳の女の子が台所でナイフみがきをさせられ、そのわきにお菓子をいれたつぼがあり、その子を一人ぽっちにして人がでていってしまい、それから急にもどってきたとしたら、その子がすこしくらいパンくずをつけていたとしても、当然のことではありません? その子のひじをぐいっとひっぱり、横面《よこっつら》をなぐり、プディングがでたときに食堂から追いだし、どろぼうをしたからこうなるのだとほかの子供にまで知らせたら、その子が逃げだすのも当然のこととお思いになりませんか?
たった四マイル逃げただけでわたしはつかまり、つれもどされてしまいました。それから一週間は、毎日、まるでいたずらものの子犬のように、裏庭のくいにしばりつけられていたんです。ほかの子供たちは休みで外《そと》に遊びにいっているときに……。
まあ、大変! 礼拝の鐘が鳴っています。礼拝のあとで、わたしは委員会《いいんかい》に出なければなりません。この手紙はとてもおもしろいものにしようと考えていたんですけど、こんなものになってしまって、ごめんなさいね。
さらば、さようなら
おじさん
安からんことを!
ジューディより
(追伸)わたしがこれだけはまちがいなしと考えていることがあります。わたしはシナ人ではぜったいにありません。
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二月四日
あしながおじさん
ジミー・マクブライドがお部屋のはしからはしまでとどくほど大きなプリンストン大学の旗を送ってくださいました。わたしのことを忘れないでいてくださったことはとてもうれしいのですけど、いったいそれをどうしたらいいのか、途方にくれています。サリーとジュリアはそれをお部屋にかざらせてくれません。わたしたちのお部屋は今年赤い色でかざってあるのですが、それにオレンジと黒を加えたら、それがどんな効果《こうか》をあげるか、おじさんにもおわかりでしょう。それにしても、これはとてもりっぱな、あたたかい、厚いフェルト生地《きじ》でできたもので、それをむだにしてしまうことは、いかにも残念です。それを湯上がりにつくりかえてもらったら、おかしいでしょうか? わたしの持っているのは、洗ったらちぢんでしまいました。
ちかごろ、わたしがなにを勉強しているか、なんにもおじさんにはお伝えしてはいませんことね。手紙からはとても見当がつかないことでしょうが、わたしの時間はもう勉強にすっかりとられてしまっています。同時に五つものことを勉強するなんて、誰もがもうへんてこになってしまいそうです。
化学の教授は「真の学者であるあかしは、どんなこまかなことでもたゆまず調べようとする熱意《ねつい》にある」とおっしゃておいでです。
歴史の教授は「こまかいことに目をうばわれないように注意すること、全体を見渡せるように、はなれて遠くに立っていなければならない」とおっしゃっておいでです。
どんなにうまく帆をあやつって化学と歴史のあいだをわたしたちがくぐりぬけなければならないか、これでおじさんもおわかりでしょう。わたしがいちばん気に入っているのは、歴史的方法です。たとえウィリアム征服王《せいふくおう》が一四九二年に英国に渡ったといい、コロンブスがアメリカを発見したのは一一〇〇年か一〇六六年かいつかかだと、どんな年をいってもそれは、歴史の教授だったら見のがしてくださるこまかなことなんですものね。これが歴史の授業に安心感とゆとりを与えてくれるんですが、化学となるとそうはいきません。
六時間目の鐘です――実験室《じっけんしつ》にいって、酸《さん》と塩《えん》とアルカリのこまかなことを調べてこなければなりません。わたしは化学の実験室にお皿ほどの大きなこげ穴をこしらえてしまいました、塩酸《えんさん》をかけてしまったためです。理論どおりにいくものだったら、強いアンモニアでその穴を中和《ちゅうわ》することができるはずなんですが、そうじゃないでしょうかしら?
試験は来週です。でも、誰が恐れるもんですか!
かしこ
ジューディより
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三月五日
あしながおじさん
三月の風が吹きわたり、空には重くるしい黒雲がぐんぐんと流れて飛んでいます。松の木ではからすがカーカーと鳴いてすごいさわぎ! 心もそぞろ、うきうきしてしまう|さそい《ヽヽヽ》の声です。読んでる本は閉じてしまって、丘を越えて風と競走したくなります。
この前の土曜日に、どろだらけの郊外を五マイル、紙まきの鬼ごっこをしました。鬼のきつね(一ブシェルかそこいらの色紙《いろがみ》を持った三人)が、二十七人のかりうどより三十分前に出発しました。わたしはこの二十七人のなかの一人になりました。途中でへとへとになってやめた人が八人、最後は十九人になったわけです。きつねの足あとは丘を越え、とうもろこしの畠を走り、沼をとおっていましたが、ここでは足がめりこまないようにと、小高いところをピョンピョンはねて渡っていかなければなりませんでした。もちろん、わたしたちのうちで半分の人たちはくるぶしまで泥《どろ》だらけ、きつねの足あとはひっきりなしにわからなくなるし、この沼のところで二十五分もつぶしてしまいました。それから足あとは森をつっきって丘をのぼり、ある納屋《なや》の窓のところまでつづいているんです! 納屋の戸はどれも錠《じょう》がかかっているし、窓は高いところにあって、かなり小さなものなんです。これではちょっとずるいと思うわ。
だけど、わたしたちはなかにはいらずに、ぐるりと納屋をまわり、足あとが低いさしかけ小屋の屋根をつたわってかきねの上に出ているのを見つけました。きつねはここでわたしたちをまいたと考えていたんですが、こちらではその裏をかいてやったんです。それからうねうねした牧場をまっすぐ二マイル追いかけたんですけど、その大変なことといったら! まいてある色紙がだんだんすくなくなっているんですもの。規則ではどんなに間をおいても六フィートをこえてはいけないんですが、このきつねの六フィートときたら、まだお目にかかったことがないほど長いものなんです! 二時間せっせと歩いてから、とうとうきつねくんがクリスタル・スプリングの台所にもぐりこんでいるのを、さぐりあてました。(このクリスタル・スプリングというのは、わたしたちが|そり《ヽヽ》や乾草車《ほしくさぐるま》ででかけていって、ひなどりやワッフルのごちそうになるところです)なかにはいってみると、三人のきつねくんたちは、ゆうゆうとミルクと蜜とビスケットをむしゃむしゃ食べていました。まさかここまではこないだろうと、たかをくくっていたわけ、あの納屋の窓のところで動けなくなったものと思っていたんです。
きつねもかりうども、自分のほうが勝ったのだといいはりました。わたしはやっぱり自分のほうが勝ちだと思うんですけどどうかしら? きつねが校庭にもどる前に、こちらがつかまえてしまったんですもの。とにかく、わたしたち十九人のものはみんな、せみのようにいすやテーブルに坐りこんで「蜜をちょうだい、蜜をちょうだい」とわめきたてました。蜜はぜんぶにいきわたるほどはありませんでしたけど、クリスタル・スプリングおばさん(これはわたしたちがここのおばさんにたてまつった親しみをこめたあだ名、本当はジョンソンさんという名の人です)は、つぼにはいったいちごジャムとかん入りのメープル・シロップ――これは先週つくったばっかりのもの――それに、黒パンを三つ持ってきてくださいました。
大学にもどったときはもう六時半――夕食に三十分おくれてしまったわけです。わたしたちはそのままの服装ですぐ食堂にいきました。おなかはもうちゃんとぺこぺこになって! それからみんなで礼拝をさぼってしまいました。どろだらけのくつで十分に申しひらきができるからです。
試験のことはなんにもお話しませんでしたわね。ゆうゆうらくらくとみんなパスです――もう要領《ようりょう》がわかったんですから失敗なんかしません。でも、優等で卒業することは、望みうすです、一年生のときにあのしゃくにさわるラテン語の散文と幾何をしくじってしまったので……。けれど、わたしは平気よ。幸福なればくやむことなし(ジョージ・ルイス・パルメラ〔一八三四〜九六〕のことば)ですわ。(これは引用文《いんようぶん》です。わたしは英国の古典を勉強しています)
古典といえば、「ハムレット」をお読みになったことあります? まだでしたら、すぐお読みになったほうがいいことよ。|ほんとにすばら《ヽヽヽヽヽヽヽ》|しい《ヽヽ》ものだわ。シェイクスピアのことはいろいろと聞いていましたけれど、こんなにうまく書く人だとは、思ってもいませんでした。評判《ひょうばん》だおれなのじゃあないか、と考えていたのです。
わたしの頭のなかには美しい劇が一つあるのですが、これはずっと前に本が読めるようになったときに思いついたものです。わたしは毎晩そのとき読んでる本のなかの人物(いちばん重要な人物)になったつもりになってねむっています。
いま、わたしはオフィーリアです――おりこうなオフィーリアだこと! わたしはいつもハムレットを楽しませたり、かわいがったり、しかったりして、かぜをひいたときには、喉《のど》にしっぷをしてあげています。ハムレットのいん気さをすっかりなおしてしまいました。王さまとおきさきは、両方とももうお亡《な》くなりです――航海《こうかい》ちゅうのできごとで……。お葬式《そうしき》をだす必要はありません――そこでハムレットとわたしはなんの心配もなくデンマークの国をおさめています。この王国はきちんと動いています。ハムレットは政治に、わたしは慈善事業《じぜんじぎょう》にいっしょうけんめいです。つい最近、わたしは一流の孤児院をつくりました。おじさんなり、評議員さんのどなたでもきてごらんになりたければ、よろこんでごあんないします。ここで、ためになることをたくさん、きっとお気づきになることでしょう。
デンマークの女王
オフィーリアより
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三月二十四日(もしかすると二十五日)
あしながおじさん
わたしはどうも天国にはのぼれそうもありません――この地上《ちじょう》でとても楽しいいろいろのことがあるんですもの。死んでからもこんな調子だったら、ばちがあたってしまいそうです。まあ、話をきいてください。
ジールシャ・アボットは、交友会雑誌《こうゆうかいざっし》の「マンスリー」が毎年している短編小説《たんぺんしょうせつ》の懸賞《けんしょう》に当選(賞金二十五ドル)しました。しかも当選者は二年生なんです! 応募者《おうぼしゃ》は大部分四年生でした。自分の名がはりだされているのを見たとき、夢《ゆめ》ではないかとそれを信じられませんでした。けっきょく、わたしは作家になるらしいわね。リペット院長さんがわたしにこんなばかばかしい名をつけてくださらなかったらよかったのに――いかにも女流作家くさい名前ですものね、いかが?
それから、春の戸外劇の「お気にめすまま」にも選ばれてでることになりました。わたしの役はロザリンドの実のいとこ、シーリアです。
そして最後に――ジュリアとサリーとわたしは、こんどの金曜日にニューヨークにいき、春の買物をし、その晩はとまって、つぎの日には「ジャーヴィ坊ちゃま」といっしょに芝居《しばい》見物をします。ジャーヴィ坊ちゃまのご招待《しょうたい》なんです。ジュリアは自分のうちに帰るはずですが、サリーとわたしはマーサ・ワシントン・ホテルにとまります。こんなにうれしいことって、あるかしら? わたしはまだホテルにも劇場にもはいったことがありません。なるほど、カトリックの教会のお祭りで孤児がまねかれたことはありましたけれど、あんなものはほんとの劇ではなく、問題になりませんわ。
それから、見る芝居は、なんだとお思いになること? 「ハムレット」なの。すばらしいこと! これはシェイクスピアの授業で四週間も勉強したもので、わたしはそれをぜんぶ暗記《あんき》しています。
あれこれとこうした先の楽しみのことを考えると、もうねむれなくなってしまいそうです。
さようなら、おじさん。
この世はとても楽しいことね。
かしこ
ジューディより
(追伸)こよみをちょっと見たら、きょうは二十八日です。もう一つ追伸、きょう、電車の車《しゃ》しょうさんでかた一方の目が茶色、もう一つのほうが青い人をみかけました。探偵《たんてい》小説で悪漢《あっかん》にもってこいじゃないかしら?
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四月七日
あしながおじさん
まあ、ニューヨークって、大きなとこね! ウスターなんてくらべものにもならないわ。おじさんはほんとうに、こんなにごちゃごちゃしたところに住んでいらっしゃるんですか? わたしは二日そこにいてもう頭がフラフラ、これがなおるのには何カ月もかかりそうです。わたしが見たすごい、いろいろなこと、どこからお話していいのか、見当もつきません。おじさんはそこにおいでなんですから、そんなことはもうごぞんじですことね。
それにしても、町はすばらしいわ。それに人も、お店も。ショー・ウィンドウにかざってあるあんなにきれいなもの、わたしは見たこともありませんでした。あんなの見ると、おけしょうにうき身をやつしてしまいたくなります。
土曜日の朝、サリーとジュリアとわたしは連れだって、買物にいきました。ジュリアはわたしが見たこともないすごくりっぱなお店にはいっていきました。壁は白と金色、青のじゅうたんがしいてあり、青の絹のカーテンがかかっていて、いすは金めっきしてありました。一点|非《ひ》のうちどころのない女の人が愛想《あいそう》よく笑いながらわたしたちを迎えてくれましたが、この人は黄色の髪をし、長い黒の絹のガウンのすそをひいた人でした。それはまるでごあさつの訪問をしているような感じで、わたしは握手《あくしゅ》をしようとしましたが、どうやらわたしたちは買物をしにいっただけだったらしいのです――すくなくともジュリアはそうでした。ジュリアは鏡の前に坐って、つぎからつぎへとだんだん美しくなる帽子をかぶってみ、なかでもいちばん美しいのを二つ買いました。
鏡の前に坐って、値段《ねだん》のことにおかまいなしですきな帽子を買えるよりうれしいことって、いったいこの世にあるものかしら? まちがいなし、それがいちばんうれしいことだわ、おじさん。ジョン・グリア孤児院でみっしりとしこみを受けたあのりっぱな物をほしがらぬ美点も、このニューヨークではひとたまりもなくくずれさってしまいそうです。
買物をすませてから、わたしたちはジャーヴィ坊ちゃまとシェリーでお会いしました。おじさんはシェリーにいったことがおありでしょうね? あのお店のようすを想像し、それから、油布《あぶらぬの》のかかったテーブル、どうしたってこわれそうもない白い陶器、木のえのついたナイフとフォークのあるジョン・グリア孤児院の食堂を考えてみてください。わたしがどんな気持ちになったか、想像してください!
わたしはお魚を食べるのにフォークをまちがえてしまいましたけど、給仕の人が親切にも、べつのを渡してくれたので誰にも気づかれずにすみました。
そしておひるごはんがすむと、劇場にいきました――目もくらむばかり、すばらしく、この世のものとも思えません――毎晩それを夢にみています。
シェイクスピアは、ほんとにすばらしいことね!
「ハムレット」は授業でそれを分析《ぶんせき》したときより、舞台にのせるとずっとひきたちました。前からこの作品をいいものとは考えていたんですけど、いまはもう、ほんとうに……!
おじさんがゆるしてくださったら、わたし作家より女優《じょゆう》になりたいわ。大学をやめて俳優《はいゆう》学校にはいっちゃいけないかしら? そうしたら、わたしが上演するたびにおじさんに座席をとってあげ、フットライトごしにおじさんに微笑を投げてあげるんだけど……。胸のボタンの穴に赤いばらをつけていてちょうだい、ちゃんとおじさんに微笑を投げられるようにね。まちがってべつの人にそんなことをしたら、それこそ大あわて、こまってしまいますもの。
土曜日の晩に学校へ帰りました。夕食は汽車のなか、小さなテーブルにはピンクのあかりがついていて、給仕をしてくれたのは黒人でした。汽車でごはんが食べられるなんて、わたしは聞いたこともなく、うっかりしてついそのことを口にだしてしまいました。
「あんたはいったいどこで育ったの?」こうジュリアはたずねました。
「いなかの村なの」わたしはおだやかにジュリアに答えました。
「でも、旅行はぜんぜんしなかったの?」ジュリアはかさねてたずねました。
「ええ、大学にくるまではね。そのときもたった百六十マイルの旅行でしょう。だから食事はしなかったの」とわたしは答えました。
わたしがあんまりみょうなことばっかりいうので、ジュリアはすっかり興味をもってしまいました。注意はしていながらも、はっとすると、ついみょうなことをいってしまうのです――しかも、そのはっとするときが、ひっきりなしにあるんです。おじさん、ジョン・グリア孤児院で十八年すごし、急に世間《ヽヽ》に投げこまれて、もうわたし、フラフラだわ。
でも、だんだんなれてはきました。前みたいなひどい失敗はしていません。お友だちといっしょにいても、もう不安になるようなことはありません。以前は人がこちらを見ると、なにか気まりが悪くなったものでした。新しいみせかけの服をとおして縞模様のギンガムの下着を見すかされたような気がしたからです。でも、いまは、ギンガム服のことなんか気にしてはいません。「きのうの苦労はきのうのにてたれり」(マタイ伝六・三四の言葉を少しもじったもの)ですわ。
わたしたちの花のことをお話するのを忘れていました。ジャーヴィ坊ちゃまは、わたしたちみんなにそれぞれ、すみれとすずらんの大きな花たばをくださいました。ほんとうにやさしいかたね。男の人はあんまりすきではありませんでしたけれど――評議員さんたちをみていたので――いまその気持ちは変わりかけています。
十一ページ――これでも手紙かしら! ごくろうさま。もうやめにしましょう。
かしこ
ジューディより
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四月十日
お金持ちの方へ
いただいた五十ドルの小切手、同封いたします。ありがたくお礼は申しますが、それをそのままいただく気にはなれません。わたしがほしい帽子をそろえるのには、いただいているお小遣いで十分です。帽子屋さんのことであんなばかばかしいことを申しあげたことを、いまはくやんでいます。あれはただ、あんなお店を見たことがなかったというまでのことなのです。
だけど、おねだりをしていたんではありません! 必要以上のお慈悲はいただきたくはないのです。
かしこ
ジールシャ・アボット
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四月十一日
だいすきなおじさん
きのうあげましたわたしの手紙、ゆるしていただけないでしょうか? あれをだしてから、後悔《こうかい》し、とりもどそうとしたのですけど、ひどい郵便局の人ったら、どうしても返してくれなかったんです。
もう真夜中《まよなか》です。何時間もねむらずにいて、自分はなんという虫けらだろう――足が千本もうじゃうじゃ生えている虫けらだろう、と考えていました。千本足の虫けら以上に自分の悪口をうまくいえないんです! ジュリアとサリーの目をさまさせないようにそーっと勉強部屋のドアを閉め、いま床の上に坐って、おじさんあてのお便りを歴史のノートからちぎった紙に書いているところです。
いただいた小切手のことであんな失礼なことを書いてしまったことを後悔しているとだけ、お伝えしたかったのです。おじさんがやさしいお気持ちでそれをしてくださったことは、わかっています。帽子のようなつまらないことにまでこんなに心配してくださるなんてほんとうにありがたいことです。お返しするにしても、もっともっとていねいにしなければいけませんでした。
でもとにかく、お返しすることだけは、しなければならないことでした。わたしの場合はほかの人とはちがうのです。ほかの人だったら、ものをいただくにしても自然にいただけます。父親や兄弟やおばさんやおじさんがいるのですもの。わたしは誰ともそうした関係を持てない人間なのです。おじさんがわたしの家族のようなふりをすることはすきなんですけど、これは、そう頭のなかで考えて楽しんでいるまでのこと、もちろん、じっさいはそうでないことを知っています。ほんとはわたし、一人ぽっち――追いつめられ、壁を背にして世間と戦っているんです。そう考えると胸がいっぱいになってしまいます。それを心から追いはらい、そうじゃないふりをしつづけてはいます。でも、おじさん、おわかりじゃないかしら? わたしは必要以上のお金をいただくわけにはいきません。それというのも、将来いつかそれをお返ししようという気になったとき、たとえ希望どおりの大作家になれたとしても、ものすごく大きな借金はとてもお返しできないことでしょうから。
きれいな帽子やいろいろのものはほしいにはほしいのですけど、将来を抵当《ていとう》にしてまでその支払いはすべきではありません。
あんな失礼《しつれい》な態度をしたこと、ゆるしてくださることね、どう? わたしは頭にものがうかぶと、前後のみさかいなくそれを手紙に書き、ポストに入れて動きがとれなくなってしまうというおそろしい習慣《しゅうかん》の持ち主なんです。でも、ときに考えなしな恩知らずに見えることはあっても、べつにそのつもりでしているわけではないんです。おじさんが与えてくださったこの生活と自由と独立《どくりつ》にたいしては、心のなかではいつもありがたく思っています。わたしの幼少時代はひとつづきのすねた長い反抗《はんこう》の期間《きかん》でしたが、いまはいつも幸福そのもの、これが本当のこととは信じられないくらいなんです。まるでおとぎばなしにでてくる女主人公のような感じだわ。
いま二時十五分すぎ。そーっとしのび足ででていってこれをポストに入れましょう。きのうだしたお便りのつぎの配達《はいたつ》でこれがおじさんのところにとどくことでしょう。そうすれば、おじさんがわたしのことを悪くお思いになるのも、そう長い間でなくてすむわけですわね。
おじさん、おやすみなさい。
わたしはいつもおじさんがだいすきです
ジューディより
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五月四日
あしながおじさん
先週の土曜日には運動会がありました。とてもはなやかなもよおし。最初にみんなが白のリンネルの服を着て全校生徒の行進、四年生は青と金の日本のかさ、三年生は白と黄の旗を持っていました。わたしたちのクラスは深紅《しんく》の風船《ふうせん》で――ひっきりなしに、それは手からはなれてゆらゆらとまいあがっていくので、特別人の目をひきました――一年生は長い吹流《ふきなが》しのついた緑の薄葉紙《うすばがみ》の帽子をかぶっていました。それにまた、町から頼んだ制服姿のバンドもきていました。それに、サーカスの道化役《どうけやく》のような十二、三人のひょうきんな人もいましたが、これは競技の合間にお客様さまを楽しませるためのものです。
ジュリアのいでたちは、太ったいなかの男の人、リンネルのちりよけを着こみ、ほおひげをつけ、だぶだぶのかさを持っていました。背が高くてやせたパッチ・モリアーティ(本当はパトリシアです。こんな名前を聞いたことがおあり? リペット院長さんでもこれをうわまわることはできなかったことでしょう)が、途方《とほう》もない緑のふちなし帽をすごく斜《しゃ》にかぶりこんで、ジュリアの奥さんになりました。行進ちゅう二人がとおったあとには笑いの波がわきおこっていました。ジュリアは見事《みごと》な演出《えんしゅつ》ぶりでした。ペンドルトンの人がこんなに喜劇精神《きげきせいしん》を発揮《はっき》できるとは、夢にも思っていなかったわ――ジャーヴィ坊ちゃまには悪いけど。だけど、ジャーヴィ坊ちゃまはほんとうのペンドルトン家の人とは思っていません、ちょうど、おじさんのことをほんとうの評議員さんと考えていないようにね。
サリーとわたしは競技のほうにでるので、行進には参加しませんでした。おじさんはどうお思いになること? 二人とも勝ったんです! すくなくともあるものでは。わたしたちは、走り幅《はば》とびをやったんですけど、だめでした。でも、サリーは棒高《ぼうたか》とびで勝ち(七フィート三インチ)、わたしは五十ヤードの競走で勝ちました(八秒)。
最後のところで、かなり息がきれてしまいましたけど、とてもおもしろかったわ。クラスじゅうの人が風船をふり、ワーワーいって応援してくれたの。
ジューディ・アボットどうしたの?
だいじょうぶよ。
だいじょうぶって誰が?
ジューディ・アボットよ。
これは、おじさん、ほんとに名誉なことなのよ。それから着がえのテントへ小走りでゆき、アルコールでこすってもらって、レモンのきれをしゃぶりました。これでおわかりでしょう、万事本式《ばんじほんしき》でやっているんです。クラスのために勝つことって楽しいことよ、いちばん勝星をあげたクラスがその年の優勝カップをいただけるんですもの。ことしは四年生が優勝カップをとりました、七|種目《しゅもく》で勝ったから。競技部《きょうぎぶ》では優勝者全員のために、体育館で晩さん会をもよおしてくれましたが、でたお料理は、やわらかい|かに《ヽヽ》のフライとバスケットボールの球の形をしたチョコレート・アイスクリームでした。
きのうの晩、夜半まで「ジェーン・エア」を読みふけってしまいました。おじさんは六十年むかしのことをごぞんじなほど、お年よりかしら? もしそうだとすると、人はそのころあんなふうに話をしていたのでしょうか?
ごうまんなブランチュ夫人は下男にむかって「これ、むだくちはたくはやめて、こちらの申すことをやるのじゃ」といい、ロチェスター氏は空のことを「金属性の蒼空《そうくう》」とよんでいます。ハイエナ(アジアやアフリカにいる動物で、その吠え声は悪魔の笑いにたとえられています)のような笑い声をたて、ベッドのカーテンに火をつけ、婚礼の衣裳《いしょう》をひきさき、人に|かみつく《ヽヽヽヽ》あの狂人の女となると、もうまごうかたなきメロドラマですが、それにしてもグングンとひきつけられて読むのをやめられなくなってしまうんです。女の人が、それも教会のなかで育った女の人が、どうしてこんな本を書けたのだろうと、ふしぎでなりません。ブロンテ姉妹にはなにかわたしの心をひきつけるものがあります。その書いた本も、生涯《しょうがい》も、魂《たましい》も。この魂をどこで身につけたのでしょう? 慈善学校で味わった子供のジェーンの苦労を読んでいるとき、もうしゃくにさわって部屋にいられなくなり、散歩にでかけたくらいです。わたしにはジェーンの気持ち、よーくわかるの。リペット院長さんを知っているので、ブロックルハースト氏のことが想像つくんです。
おじさん、どうかおこらないでちょうだいね。ジョン・グリア孤児院がローウッド学校とそっくりだなんて、いっているんじゃありません。ジョン・グリア孤児院では食べるものも十分、着るものも十分、おふろの水も十分あり、地下室では炉《ろ》がもえていました。でも一つすごく似たところがあるんです。あそこの生活はぜんぜん単調で、変わったことひとつおこりませんでした。楽しいことはなんにもなく、日曜日にでるアイスクリームにしても、日曜日にはかならずでるものときまっていました。わたしがあそこにいた十八年のあいだにたったひとつ、はらはらするおもしろいことがありました。それはまき小屋が火事になったときのことです。子供たちは夜なかに起こされて、おもやに火がうつったらすぐ逃げだせるよう着物をきこんでいなさい、といわれました。だけど、そうしたことにもならず、またベッドにもどったのでした。
思いがけないことがたまにおきるのは、誰にとってもうれしいことよ。それは人間の持って生まれた自然の願いなの。わたしがそれをはじめて味わったのは、リペット院長さんに事務所へよびだされ、ジョン・スミスさんがわたしを大学にだしてくださると教えていただいたときのこと、それまでは変わったことなんて一度もなかったわ。あのときにしても、院長さんったらそろそろ、そろそろと話をきりだすので、びっくりぎょうてんなんていう感じがほとんどしなかったくらいなの。
いいこと、おじさん、どんな人にとってもいちばん必要なものは想像力だ、とわたしは考えているの。それがあると、ほかの人の気持ちにもなれますものね。そうなれば、やさしい人にもなれるし、同情深く理解ある人にもなれるわけよ。それは子供のときに習っておかなければならないことだわ。それなのに、チラリとでもそれがあらわれると、ジョン・グリア孤児院ではそれをふみつぶしてしまったの。あそこで教えこまれるのはただひとつ、義務心だけ。この言葉の意味なんて子供は知っていなくたっていいものだと、わたし思うわ。それはたまらなくいやらしい言葉ね。子供はどんなことでも愛情でしなければいけないんだわ。
わたしが院長さんになって、いまに孤児院をつくりますから、おじさん。みていてちょうだいね! これは、わたしがねむりにつく前によく空想する楽しみなんです。いちいち細《こま》かなところまで――食事、服、勉強、遊び、罰《ばつ》――ちゃんと計画《けいかく》してあります。どんなおりこうの孤児だってときにはおいたをすることがありますから、罰は必要です。
だけど、とにかく、わたしのとこの孤児は幸福になることよ。大人になってからはどんなに苦労するにしても、思い出になる幸福な子供時代は、誰でも例外なく与えられなければならないと、わたしは思うわ。そして、もし自分に子供ができたら、わたし自身はどんなに不幸でも、子供には大人になるまではなんの心配もさせないつもりよ。
(礼拝の鐘が鳴っています。またいずれ、この手紙のしめくくりをします)
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木曜日
今日の午後、実験室からもどってくると、りすがお茶のテーブルの上に坐って|はたんきょう《ヽヽヽヽヽヽ》を断《ことわ》りなしにむしゃむしゃ食べていました。気候が温かくなったために窓をあけておくので、こうしたお客様がこのごろちょいちょいおみえになります。
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土曜日の朝
きのうの夜は金曜日、そして今日は授業がないのですから、賞金で買ったスティーヴンスン全集に読みふけって楽しい静かな夜をわたしがすごしたものと、おじさんはきっとお考えでしょうね。もしそうお考えになったら、おじさんは女子大というところをごぞんじないわけよ。六人のお友だちがファッジ(お砂糖、ミルク、チョコレートでつくったやわらかいキャンディ)をつくりにやってきて、それがまだどろどろでかたまっていないとき、ひとりの人がいちばん上等なじゅうたんのまんまんなかにそれをこぼしてしまったんです。このしみはどうしたってとれないでしょう。
このごろ勉強のほうのお話はしませんことね。でも、毎日授業を受けています。それにしても、授業からひきあげてきて、人生問題をいろいろと話しあうと、ほっとするわ――おじさんとわたしがしている話は一方的な議論《ぎろん》ね、でもこれはおじさんがわるいからなのよ。いつでもいいかえしをしてくださったら、大歓迎よ。
この手紙は、三日間書いたりやめたりしてしあげたものですが、きっとおじさんはもううんざりでしょうね!
さようなら
ジューディより
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あしながおじさんのスミスさま
弁論《べんろん》の講義を終わり、論題《ろんだい》を項目《こうもく》に細分《さいぶん》する方法を学びましたから、手紙を書くのに、次の方式《ほうしき》を採用《さいよう》することに決定いたしました。そこには必要な事実はすべて網羅《もうら》されてあり、不必要な冗語《じょうご》は一切|省《はぶ》かれています。
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一、今週受けた筆記試験
A、化学
B、歴史
二、新寮増設中
A、材料
(a)赤れんが
(b)灰色の石
B、収容人員
(a)舎監一名、教師五名
(b)学生二百名
(c)寮母一名、料理人三名、給仕婦二十名、女中二十名
三、今夜のデザートは|あまい凝乳《ジャンケット》
四、わたしはシェイクスピアの劇の出典《しゅってん》についての特別論文を執筆中《しっぴつちゅう》。
五、今日の午後ルー・マクマホンがバスケットボールで足をすべらし転倒《てんとう》しました
A、肩はねんざ
B、ひざは打撲傷《だぼくしょう》
六、新しく帽子を購入《こうにゅう》、かざりは
A、青のビロードのリボン
B、青いはね二本
C、赤いふさ三つ
七、ただいま九時半
八、おやすみなさい
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ジューディ
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六月二日
あしながおじさん
楽しいことがあったんですけど、おじさんにはそれがなんだか、見当もつかないことでしょうね。
マクブライドのおうちの人たちが、この夏のアディロンダック山のキャンプにこないかとさそってくださったんです! 森のまんなかにある美しい小さな湖水のへりにクラブのようなものがつくられていて、マクブライドのおうちでは、それにはいっているんです。クラブ員たちはそれぞれ丸木小屋をつくっていて、それが木の間《ま》にちらばっています。みんなカヌーで湖水をこぎまわったり、小道ぞいに遠足にでかけてほかのキャンプを訪問し、週一度はクラブの建物でダンスをします――ジミー・マクブライドは、夏のあいだしばらく、大学のお友だちをひとりそこによぶんですって、だから、ダンスの相手の男の人にはことかかないわけです。
マクブライドおばさんがわたしをよんでくださるなんて、ほんとに親切なことじゃない? この前クリスマスにいったとき、わたしをすきになったらしいの。
この手紙はみじかいけれど、ゆるしてちょうだいね。これはほんとの手紙ではありません。ただちょっと、夏休みちゅうの身のふりかたがついたということを、お知らせするだけのものです。
かしこ
|すっかり《ヽヽヽヽ》いい気持ちになっている
ジューディより
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六月五日
あしながおじさん
秘書のかたがたったいま手紙をくださって、スミスさんはわたしがマクブライドおばさんのおまねきをお断わりして、去年の夏と同じようにロック・ウィロウにいくことをお望みだと、伝えてきました。
どうして、どうして、|いったい《ヽヽヽヽ》どうしてなんです、おじさん?
おじさんはおわかりじゃないのよ。マクブライドおばさんはわたしがいくことを、ほんとに、心から希望なさっておいでなんです。わたしはそこでちっともじゃまにはならないんです。お手だすけになれるんです。あそこでは召使がたくさんいないので、サリーとわたしはいろいろと役にたつことができるの。家事を勉強するのに絶好《ぜっこう》のチャンスだわ。女である以上、家事は学ばねばならず、わたしが知っているのは、孤児院のやりくりだけなんですもの。
キャンプには、わたしたちぐらいの娘はいないので、マクブライドおばさんは、サリーの相手としてわたしをよびたがっておいでです。いっしょにたくさん本を読むことを、二人して計画しています。来年の国語と社会の本をぜんぶ読みきってしまうつもりです。夏のあいだに読むほうをすませてしまったらとても都合《つごう》がいいだろう、と教授もいっておいでです。その上、いっしょに読んでそれを話しあったら、おぼえるのにとても楽です。
サリーのお母さんといっしょにくらすことだけでも、それで十分に教育になるんです。あのかたはこの世で類のないほどおもしろく、楽しく、話相手によく、魅力的《みりょくてき》なかたです。なんでも知らないものはありません。わたしがリペット院長さんと何年夏をすごしたか、そして、サリーのお母さんがこうもちがっているのをどんなにありがたく思っているかを、考えてみてもください。わたしがいって人が多くなりすぎはしないかと、心配なさることもありません。あそこのおうちはゴム製で、お客さまが多くなると、森のあちこちらにテントをはって、男の人をそっちに追いだしてしまうのです。はじめからおわりまで、楽しくて健康的な夏の戸外運動になりそうだわ。ジミー・マクブライドは馬の乗りかたとカヌーのこぎかたと射撃のしかた、それに――ああ、知らなくてはいけないいろいろなことを教えてくださるはずです。こんな生活は、いままでわたしの味わったこともない楽しくておもしろい、のんびりとした生活なのです。どんな女の人でも生涯《しょうがい》に一度はこうしたものを味わってもいいはずと、わたしは考えています。もちろん、わたしはおじさんのおっしゃるとおりにします。でも、おじさん、どうか、|どうか《ヽヽヽ》わたしにいくのをゆるしてちょうだい、おねがいです。いままでこんなにおねだりしたい気持ちになったことは一度もありません。
いまお便りしているのは、未来の大作家ジールシャ・アボットではありません。それは一人の女の子、ジューディなのです。
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六月九日
ジョン・スミスさま
七日づけのお便りいただきました。秘書のかたを通じていただきました仰《おお》せどおり、きたる金曜日に出発、夏をロック・ウィロウ農場でおくります。
(ミス)ジールシャ・アボット
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八月三日 ロック・ウィロウ農場にて
あしながおじさん
この前お便りしてから、もうだいたい二月になりますわね。こんなことをしてわたしがいけないことは、わかっているんですけど、ことしの夏は、わたし、おじさんをそんなにすきじゃなかったのです――ええ、遠慮《えんりょ》なんかしませんわ!
マクブライドのキャンプにいけなくなってわたしがどんなにがっかりしたか、おじさんにはおわかりにならないでしょう。おじさんがわたしの保護者《ほごしゃ》で、どんなことでもおじさんのおっしゃるとおりにしなければならないことは、もちろんわたし知っています。でも、わたしには|そのわけ《ヽヽヽヽ》がわからなかったんです。あれがまたとないいいチャンスだったことはもうまちがいないことです。もしわたしがおじさんで、おじさんがジューディだったら、わたしは「よーし、いって楽しくくらしておいで。たくさんの新しい人と会い、たくさんのことを勉強するんだよ。一年間のきつい勉強にそなえ、戸外に出て、しっかり体をきたえ、休んできなさい」といったことでしょう。
ところが大ちがい! いただいたのは、秘書さんからのそっけないロック・ウィロウゆきの命令だけ。
わたしが気を悪くしたのは、おじさんの命令に人間味がかよっていなかったためです。わたしがおじさんに持っている気持ちのほんのちょっぴりでもおじさんが持っていてくださったら、あんないまいましいタイプライターで打った秘書さんの手紙なんかくださらなくって、おじさんが自分の手でお書きになったお便りをわたしにくださるだろうと思うんです。わたしのことを心にかけておいでのことをすこしでも知らせてくださったら、わたしはおじさんをよろこばすために、なんでもすることでしょう。
お返事はぜんぜんあてにしないで、長くこまかい愉快なお便りをださなければならないことは、知っています。おじさんは、とりきめの約束どおりになさっておいで――わたしはいま教育を受けているのですから――それなのにわたしのほうは、約束をまもっていないと、おじさんはお考えなんでしょうね!
でも、おじさん、これはつらいお約束よ。ほんとだわ。わたし、とてもさびしいんです。わたしがすきな人はおじさんだけ、それなのにおじさんは、かげのように誰だかわからないんです。おじさんはわたしがつくりあげた空想上の人――ほんとのおじさんはわたしが空想しているおじさんとは似てもつかない人でしょう。でも一度だけ、わたしが病気になって病室にはいっているとき、おじさんは手紙をくださいましたっけ。いま、忘れさられたような感じがひしひしとするので、わたしはそのときのお手紙をだして読みかえしました。
この手紙を書きだしたときにお話しようと思っていたことは、まだなにもお話していませんことね。それはこうです。
なるほど、わたしはまだ気を悪くはしています。勝手で、高飛車《たかびしゃ》で、わけわからず、万能《ばんのう》で目に見えない神様につまみあげられて動かされているなんて、とてもいまいましいことですものね。おじさんが、いままでわたしにしてくださったほど親切で寛大《かんだい》で思いやりがあれば、その人は勝手で、高飛車で、わけわからず、目に見えない神様になろうと思ったら、そうなる権利は持っていると、わたしは思います。だから――わたしはおじさんをゆるしてあげ、またほがらかになりましょう。でも、サリーからキャンプでみんなと楽しくくらしている手紙がくると、つまんなくなってしまうわ。
それにしても――そのことには幕《まく》をおろしてしまい、新しい出発をしましょう。
ことしの夏は書いて書いて書きまくりました。短編《たんぺん》を四つ書きあげ、それぞれを四つのちがった雑誌社に送りました。これでおわかりでしょう、わたしは作家になろうと努力しているんです。わたしの仕事部屋は屋根裏の隅《すみ》にありますが、ここは、ジャーヴィ坊ちゃまが雨の日に遊び場にしていたところです。そこは涼しくて風通しのよい片隅の部屋で、あかり取りの窓が二つつき、かえでの木がかげをそこに投げていますが、この木の穴には赤いりすの一家が住んでいます。
四、五日したらもっと愉快なお便りを書き、農場のことをすっかりお話しましょう。一雨《ひとあめ》ほしいものです。
かしこ
ジューディより
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八月十日
あしながおじさんさま
このお便りは、牧場の池のわきに立っているやなぎの木の二番目のまたのところからのものです。下ではかえるが鳴き、頭の上ではせみがミンミンと歌い、かわいい|きつつき《ヽヽヽヽ》が二羽幹をかけあがったりおりたりしています。わたしはここにもう一時間いました。ここはなかなか坐り心地のよい木のまたです、特にソファーのクッションを二つ備えつけてからは……。ここにペンと便箋《びんせん》を持ってきてありますが、それは短編の不滅《ふめつ》の傑作《けっさく》をここで書くつもりがあったからなんです。でも、女主人公には大骨おり――それをこっちの思うように動かすことができないためです。そこでこの女主人公はしばらく放りだしにして、おじさんにお便りしているわけです。(でも、大して息ぬきにもならないことね。おじさんをこっちの思うように動かすこともできないのですから)
もしおじさんがあのおそろしいニューヨークにおいでになるのでしたら、陽がかがやいてそよかぜが吹きわたるこの美しい景色を、ちょっとお送りしたいものだわ。一週間の雨のあとでは、いなかはまさに天国です。
天国といえば――去年の夏おじさんにお話したケロッグさんのこと、おじさんはおぼえておいでかしら?――町角の小さな白い教会の牧師さんです。ええ、かわいそうにこのおじいさんは死んでしまいました――去年の冬、肺炎で。わたしはそのお説を六回聞きにいったことがあるので、この牧師さんの考え方はすっかりつかめました。この人は最初とそっくりおなじことを最後まで信じつづけていたんです。考えひとつ変えずに四十七年もものを考えつづけられる人なんて、珍品《ちんぴん》として陳列室に納《おさ》めておかなければいけないんじゃないかしら? いま天国で琴《こと》をかなで、黄金のかんむりをかぶっておいでだといいんですが……。それをあの人はかたく信じていたんです! その後任《こうにん》にはひどくもったいぶった若い人がきました。信者はこの牧師さんをあまり信用していません。ことにカミング執事さんのひきいる人たちは、そうです。教会はいまにふたつに割れそうなようすです。このへんでは、宗教上の新しいことをあまりよろこばないのです。
一週間の雨のあいだ、屋根裏にこもり、読書ざんまいにふけりました――大部分はスティーヴンスンです。この作者の本にでてくるどの人物より、作者自身のほうが、ずっとおもしろいです。物語のなかにこの人をいれたら、きっとりっぱな人物ができあがると思うわ。お父さんが残してくれた一万ドルを投げだしてヨットを買いこみ、それに乗って南海《なんかい》まででかけるなんて、ほんとにすてきな人物とお思いにならないこと? この人は自分の持っている冒険心に生きぬいた人でした。もしわたしのお父さんが一万ドル残してくださったら、わたしもそうすることよ。ヴェイリマ(スティーヴンスンが南洋で住んだ家の名)のことを考えると、わたしは夢中になっちゃうの。南洋を見たいなあと思います。世界じゅうを見たいのです。いつかそれをするつもりよ――ほんとよ、おじさん、わたしが大作家、芸術家、女優、劇作家――さもなけりゃ、どんなえらい人になってもすぐね。わたしはすごい放浪癖《ほうろうへき》の持ち主なの。地図を眺めただけでも、もう帽子をかぶり、かさを持ってでかけたくなるんですものね。「わたしは死ぬまでに南洋のしゅろの木と寺院をかならず見ます」
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木曜日のたそがれどき、
戸口の階段に坐って
この手紙にお知らせを書くことのむずかしさときたら! ジューディはこのごろ哲学的な傾向をおびはじめ、日常生活のつまらないことをいじくるより、人生|全般《ぜんぱん》について論じたがっているのです。でも、おじさんがぜひなにか知らせをとおっしゃるのでしたら、つぎのとおりです。
この農場の九匹の子豚が火曜日に川をわたって逃げだし、八匹しかもどってきませんでした。いわれのない悪口はべつにいいたくもありませんが、後家《ごけ》ぐらしをしているダウドさんのところによけいなのが一匹いるんじゃないか、と考えられています。
ウィーバーさんが納屋と二つのサイロにペンキを塗りましたが、色はけばけばしいかぼちゃ式の黄色――とてもいやな色なんですけど、ウィーバーさんの話では、それのほうが長持ちするそうです。
ブルーアさんのところに、今週、お客さまがおいでです。オハイオからきた奥さんの姉妹《きょうだい》と、二人のめいです。
ロード・アイランド・レッド種のにわとりが|ひな《ヽヽ》をかえしましたけれど、十五も卵をかかえていたのにたった三匹しかかえりませんでした。これがどうしたわけか見当もつきません。わたしの見たところでは、ロード・アイランド・レッド種は大したものではありません。バフ・オーピントン種のほうがいと思います。
ボニーリッグの四つ角の郵便局に最近やとわれた局員が、しまってあったしょうが入りのジャマイカ酒をぺろりと飲んでしまったところを見つかりました――お金にすると七ドルもするほどの分量だそうです。
おじいさんのアイラ・ハッチがリューマチになり、働けなくなってしまいました。よいかせぎをしていたときにちっとも貯金をしておかなかったので、町でせわをみてあげることになりました。
土曜日の夜、小学校でアイスクリームの懇親《こんしん》会があります。お家族づれでどうぞ。
郵便局で二十五セントだして帽子を買いました。これが最近のわたしの姿、まぐさかきにいく図です。
暗くてものが見えなくなりました。とにかく、お知らせする話の種は使いつくしてしまいました。
おやすみなさい
ジューディより
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金曜日
おはようございます! お知らせがあるんですけど、おじさんは、それを、なんだとお思いになること? ロック・ウィロウにどなたがおいでになるか、どう頭をひねったって、おじさんにはわかりっこないわ。ペンドルトンさんからセムプルおばさんのところにお便りがきたんです。バークシャー地方を自動車旅行しているが、つかれたので、どこか気持ちのいいしずかな農場で休みたくなった――そのうち夜ふらりとたちよったら、とめともらえるだろうか? ということです。きっと一週間はおいでになるでしょう、もしかしたら二週間ひょいとしたら三週間になるかもしれません。おいでになってみれば、ここでどんなにほっとなさるか、おわかりでしょう。
わたしたちがあわてたことといったら! 家じゅう大掃除をし、カーテンもすっかり洗ってしまいました。入口のところにひく油布と、ろうかや階段裏にぬるゆか用の茶色のペンキを二《ふた》かん買うために、けさ、わたしは馬車で町の四つ角までいってきます。あしたは窓洗いのためにダウドおばさんにきてもらいます(こんなさわぎになったので、例の子豚のことはもうおあずけです)。こうしてわたしたちが大さわぎをしているのをお聞きになって、おじさんは、家がまだかたづいていないんだなとお思いでしょうね。ところがどうして、そんなことはありませんよ! あれこれ文句《もんく》はつけても、センプルおばさんは主婦《ヽヽ》としてはもう満点なんです。
でもねえ、おじさん、このお話、いかにも男の人らしいお話じゃないこと? 戸口に姿をあらわすのがきょうのことか二週間さきのことか、うんともすんともいっていないのよ。おいでになる日まで、いつもハラハラしていなければならないわけよ――はやくきてくださらなかったら、お掃除はもう一度やりなおしということになってしまうわ。
下では、アマサイが馬車にグロウバーをつけて待っています。わたしはひとりでいきます――でも、グローブおじさんの姿をごらんになったら、おじさんだって心配はなさらないことでしょう。
胸に手をあて――さようなら
ジューディより
(追伸)終わりの言葉、すごいでしょう? スティーヴンスンの手紙のなかにあった言葉です。
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土曜日
もう一度、おはようございます! このお便りを封筒《ふうとう》にまだいれないうちに、郵便屋さんがきてしまいました。ですから、もうすこし書きたします。ここでは毎日十二時に一回、手紙がきます。いなかの郵便屋さんって、農家にとってはほんとにありがたいものよ! 郵便を配達してくれるばかりでなく、用一つ五セントのわりで、町の買物までしてくれるんですもの。きのう、わたしが買ってきてもらったものは、靴ひも、クリームのコールドをひとつ(帽子をまだ買わないとき、陽《ひ》やけで鼻の皮がむけてしまったため)、青いウィンザー式のネクタイ、それに靴ずみでしたけど、お礼は十セントですみました。いろいろなものを頼んだので、特別におまけしてくれたのです。
この郵便屋さんは、その上、世間《せけん》でおこっていることを教えてくれます。配達先の人で新聞をとっている人がいるんですが、郵便屋さんはテクテク歩きながらそれを読み、新聞をとっていない人にその話をしてくれます。だから、アメリカと日本が戦争をはじめ、大統領《だいとうりょう》が暗殺《あんさつ》され、ロックフェラーさんがジョン・グリア孤児院に百万ドルのこしてくださっても、おじさんはわざわざお便りをくださらなくてもいいことよ。いずれ、わたしの耳にはいるんですから……。
ジャーヴィ坊ちゃまのあらわれる気配《けはい》は、まだとんとありません。でも、このうちがどんなにきれいになったか――家にはいる前に靴の底をどんなにせっせとふいているか、おじさんに見ていただきたいくらいだわ。
はやくきてくださればいいのに。わたし、話相手がほしくてしかたがないの。ほんとのこというと、セムプルおばさんはあんまりおもしろくないの。すらすらとよくお話はするんですけど、途中で考えるということをしないのね。これがこのへんの人たちの変わったとこなの。世界はこの丘の上だけと考えているの。みょうな言いかただけど、広く全体をという気持ちがないのね。ジョン・グリア孤児院とそっくりだわ。あそこでわたしたちの考えは、ぐるりにめぐらした鉄のかきねでとりまかれていました。わたしがそれを気にしなかったのは、まだ若く、その上すごくいそがしかったためにすぎません。ベッドをぜんぶかたづける、赤ちゃんたちの顔を洗う、学校にいって帰る、また赤ちゃんの顔洗い、靴下のつくろいとフレディー・パーキンズのズボンなおし(あの子は毎日ズボンを切っていました)、その合間に勉強――これでもう寝る時間になってしまって、人との交際《こうさい》どころのさわぎじゃありませんでした。でも、おしゃべりの盛んな大学で二年もすごしてみると、それがないとさびしいわ。だから、自分の言葉で話すことができる人にあえたら、うれしいことでしょう。
おじさん、これでもうすっかりお話したと思います。いまのところ、思いあたることはべつにありません――こんどはもっと長いお便りを書くようにしましょう。
かしこ
ジューディより
(追伸)今年|ちさ《ヽヽ》はぜんぜん不作でした。はじめのころ、陽でりがつづきすぎたためです。
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八月二十五日
おじさん、ジャーヴィ坊ちゃまが、とうとうおいでになりました。そしてほんとに楽しい毎日です! すくなくともわたしはそう――多分あのかたもそうでしょう――おいでになってから十日もたつのに、お帰りになる気配はぜんぜんありませんもの。セムプルおばさんがあまやかすこと、あまやかすこと、ほんとうにびっくりするほどです! 坊やのときにあんなにあまやかされていたのに、どうしてあのかたがあんなにりっぱになったのか、わたしには見当がつきません。
あのかたとわたしは、家のわきのヴェランダか、ときには木陰《こかげ》のかわいいテーブルで食事をしています――雨が降って寒いときは、いちばん上等な客間でしていますけど。坊ちゃまは、自分が食事をしたい場所を、えらびさえすればいいんです。キャリーはテーブルをかかえて、小走《こばし》りで坊ちゃまのあとを追いかけています。もし大変なことになって、お皿をはるばる運ばなければならなくなると、キャリーはお砂糖いれの下に一ドル見つけるということになるんです。
ちょっと見ただけではおわかりにならないでしょうが、あのかたはとっても思いやりのあるかたよ。ちらっと見たところはいかにもペンドルトン式ですけど、ぜんぜんそうじゃないの。ほんとにざっくばらんで、気どらず、やさしいかたです――やさしいなんて男のかたにはみょうな言葉なんですけど、ほんとにそうなんですもの。このへんのお百姓《ひゃくしょう》さんにとても親切で、まあ仲間《なかま》どうしのようなようすで話しかけるので、相手の気持ちもすぐほぐれてしまうのです。ここの人たちは最初とても用心していたの。あのかたの服が気にいらなかったんだわ! その服がちょっとびっくりするものだったことは、たしかよ。だって、ニッカーボッカー、ひだのついたジャケット、白いフランネルのズボン、ふくらんだズボンの乗馬服なんかを着ているんですものね。新しい服を着こんであらわれると、セムプルおばさんは得意になって顔をかがやかし、まわりを歩きまわって、四方八方からためつすかしつ眺《なが》め、坐るときには注意なさいよって、いっています。服をよごしたら大変というわけなんです。ジャーヴィ坊ちゃまはこれがとてもうるさいらしく、いつもおばさんにいっています。
「リジー、むこうへはいって仕事をしたらどうだい。ぼくにさしずをしようったって、もうむりさ。ぼくだって大人になったんだからね」
この大きな、せいの高い足ながの人が(坊ちゃまはおじさんくらいの足ながです)、むかしはおばさんのひざの上に坐り、顔を洗ってもらったのかと思うとへんな感じがします。あのひざを見ると、ますますもってへんです。いまのおばさんには、ひざがふたつ、あごが三つもあるんですものね。坊ちゃまの話では、このおばさんもその昔はやせて、しまって、すばしっこく、あのかたよりかけっこもはやかったそうなんですけど……。
わたしたちはたくさんの冒険をしています!何マイルもあたりを歩きまわり、羽《はね》でつくった小さなみょうな蚊針《かばり》で釣りをすることもおぼえました。それから小銃やピストルで射撃することも。その上、馬乗りも――馬のグローブおじさんはびっくりするほどの元気ものです。三日間|からすむぎ《ヽヽヽヽヽ》をごちそうしてあげたんですけど、子牛におどろいて、わたしを乗せたまんま、逃げだすところでした。
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水曜日
月曜日の午後に、わたしたちはスカイ・ヒルにのぼりました。それはこのちかくの山の名で、まあ高いとはいえぬものなのでしょうけど――頂上《ちょうじょう》に雪はありませんから――のぼりきったときには、もうハアハアになってしまいます。山のすそは森におおわれていますが、てっぺんは岩がごろごろしていて、ひろびろとした荒れ野原です。二人は陽が沈むまでそこにいて、たき火をして夕ごはんをつくりました。お料理はジャーヴィ坊ちゃまがしてくださいました。あのかたは、きみよりぼくのほうがお料理はずっとうまいよ、といっておいででしたが、ほんとにそのとおりでした。よくキャンプをしておいでだからなの。それから月あかりをたよりに山をくだり、暗い森の小道では、あのかたがポケットにいれておいでの懐中電気《かいちゅうでんき》をたよりに歩きました。楽しかったことったら! あのかたは道じゅうずーっと笑ったり冗談《じょうだん》をとばしたりして、いろいろおもしろいことを話してくださいました。わたしが読んだ本ばかりか、ほかのたくさんの本もお読みになっています。たくさん、いろいろなことをごぞんじときたら、ほんとにびっくりするほどです。
けさ、遠くまで散歩にでかけ、あらしにあってしまいました。家に帰りつくまで二人の服はもうびっしょり――でも、気分はからりと晴れています。二人が服をポタポタさせながらお台所にはいったときのセムプルおばさんの顔ときたら、おじさんに見せてあげたいくらい。
「まあ、ジャーヴィ坊ちゃま――ジューディさん! びしょぬれじゃないの。まあ、まあ! どうしたらいいでしょう? 新しい上着ももうだいなしになって!」
おばさんったら、ほんとに変わった人よ。まるでわたしたちが十歳の子供のよう、おばさんは気がくるった母親のようでした。わたしは、どうやらこれでお茶のときはジャムにありつけそうもないなと、ちょっと心配でした。
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日曜日
この手紙はずっと前に書きだしたものなんですけど、それを書きつづけるひまがぜんぜんありませんでした。
スティーヴンスンのつぎの言葉はりっぱなものと、お思いじゃありませんこと?
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この世にはじつに多くのものがある。
誰もが王さまのように幸福になるべきだろう。
[#ここで字下げ終わり]
たしかにそうよ。この世は幸福でみちあふれていて、自分の進む道にあらわれるものを受けとる気にさえなったら、それは、みなにゆきわたるほどあるのです。その秘訣《ひけつ》は、けっきょく|すなお《ヽヽヽ》になることにあるのだわ。いなかでは、ことに楽しめるものがたくさんあります。わたしはみんなの土地を進んでいき、みんなの景色を眺め、みんなの川で水遊びをすることができます。まるで、その土地がわがもののように楽しめるのです――しかも、なんの税金《ぜいきん》も払わずに!
***
いまは日曜日の夜で、十一時ごろ。こころよいねむりを味わっているものと、みんなは思っていることでしょう。ところが、夕ごはんのときにミルクをいれていないコーヒーを飲んでしまったので――その結果、こころよいねむりはお流れです!
けさ、センプルおばさんはすごくきりっとした調子《ちょうし》でペンドルトンさんに申しわたしました。
「十一時までに教会にいくために、十時十五分にはここをでなければいけませんよ」
「ああ、わかったよ、リジー」ジャーヴィ坊ちゃまは答えました。「馬車を用意しておくれ。もしぼくの支度が間にあわなかったら、待たずに先にいっていいよ」
「お待ちしますよ」がおばさんの答え。
「そりゃどっちでもいいけれどね、馬をあんまり長く立たせておかないようにね」
それから、おばさんが支度しているあいだに、あのかたはキャリーにおひるのおべんとうをつくるようにいいつけ、わたしには散歩服に着がえるようにとおっしゃいました。そして二人は裏の道をこっそりぬけだし、魚釣りにいってしまったのです。
家の人たちはひどいあわてようでした。ロック・ウィロウでは、月曜日の正式のごはんは、二時ときまっているからです。ところが、あの方はそれを七時にせよとお命じになったのです――坊ちゃまの食事の命令はいつでるかわからないのです。これでは、まるでレストランで食事をするのと同じこと――おかげでキャリーとアマサイはドライヴにいけなくなってしまいました。ところが、このときの坊ちゃまの言葉は、「それのほうがよろしい、二人が監督《かんとく》もなしででかけるのはよろしくないぞ」です。とにかく、坊ちゃまは、わたしをつれだすのに、馬が必要だったのです。こんなおかしなことって、あるものでしょうか?
ところで、セムプルおばさんはかわいそうに、「日曜日に釣りをする人間はあの世で沸きたっている熱地獄《ねつじごく》におちる」と信じているんです。坊ちゃまがまだいたいけな子供でまだどんなふうにでも教育ができるとき、もうすこしきちんとしつけをしておけばよかった、とおばさんはひどくくやんでいます。それに――おばさんは教会であのかたを見せびらかしたかったのです。
とにかく、二人は釣りをし(あのかたは四匹小さなお魚を釣りました)、おひる用にとたき火でお魚をやきました。お魚はとがらせてつくった|くし《ヽヽ》から落ちてばかりいるので、ちょっと灰っぽい味がしましたけど、二人はそれを食べてしまいました。それから四時に家にもどり、五時にはドライヴに出発、七時に夕食、十時にベッドに追いたてられ――そしていま、お便りしているわけです。
けれど、少しねむくなってきました。
おやすみなさい
これは、わたしがつかまえたたった一匹のお魚の絵です。
おーい、そこの船やーい、あしなが船長やーい!
待て! 止めーい! ほいこら、ほい、ラム酒が一本。わたしがいま読んでいるものがなにか、おわかりになる? この二日間のふたりのおしゃべりは航海もの、海賊ものでした。「宝島」はおもしろいことね。おじさんはそれをお読みになって? それとも、おじさんが子供のときには、まだそれが書かれていなかったのかしら? この続き物を書いてスティーヴンスンがもらったお礼はたった三十ポンド――大作家になることはあまり|とく《ヽヽ》じゃないらしいわね。ひょいとしたら、わたし、学校の先生になることよ。
お便りにスティーヴンスンのことばかり書いてごめんなさいね。わたしの心はいま、この作家にひかれているのです。ロック・ウィロウの本はこの作家のものだらけです。
このお便りは二週間がかりのもの、もう長さは十分でしょう。これでもうおじさんは「あの子はこまかな話をしてくれなくてこまる」とはおっしゃらないことね。おじさんもここにおいでになればいいのになあ、とつくづく思います。そうすれば、みんなでとても楽しい日をおくれることでしょう。わたしは自分がべつべつにおつきあいしているお友だちが、知りあいになることが楽しみなの。ペンドルトンさんが、ニューヨークでおじさんをごぞんじかどうか、たずねてみようかと考えました。きっとごぞんじなのよ。おふたりともおなじ上流社会《じょうりゅうしゃかい》のかたでしょうし、おなじように改革《かいかく》とかいろんなことに関心《かんしん》をお持ちなんですから……。でも、わたしにはそれができませんでした。おじさんのほんとうの名前を知らないんですもの。
おじさんの名前を知らないなんて、こんなばかげたことはまだ聞いたこともありません。リペット院長さんは「このかたは風《ふう》がわりなかたなのよ」と注意してくださいましたけど、どうもそうらしいことね!
かしこ
ジューディより
(追伸)これを読みかえしてみて、スティーヴンスンのことばかり書いているわけでもないことに気づきました。ジャーヴィ坊ちゃまのことにちょっとふれたところも一、二ありますものね。
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九月十日
あのかたはいってしまい、みんなとてもさびしがっています。人や場所やくらしかたになじんできたとき、それが急にうばいさられると、心がひどくうつろになり、食いいるような苦しみを受けるものです。セムプルおばさんのおしゃべりも、味気《あじけ》ないお料理といった感じがしてなりません。
大学は二週間たつとはじまりますが、また勉強にとりかかるのが楽しみです。だけど、今年の夏も、ずいぶん勉強しました――短編小説六つと詩を七つも書いたんですもの。雑誌社に送ったものは、とてもていちょうなあいさつ状をそえて返送《へんそう》されてきました。でも、わたしは平気よ。いい練習になりますもの。ジャーヴィ坊ちゃまはそれを読んでおしまいになり――配達の郵便を持ってきてくださったので、かくしておくことができませんでした――|おっそろしい《ヽヽヽヽヽヽ》|もの《ヽヽ》だとおっしゃいました。わたしは自分が書いているものをすこしもわかっていないのだそうです。(ジャーヴィ坊ちゃまは遠慮してうそをいうようなことはなさらぬかたです)だけど、最後のものは――大学を舞台《ぶたい》にしたちょっとしたスケッチふうのものなんですが――まんざらでもない、と批評《ひひょう》してくださいました。そこでそれを坊ちゃまにタイプしていただき、雑誌社に送りました。それからもう二週間にもなるのですから、社のほうでも考えてくれているのでしょう。
この空、お目にかけたいわ! とってもみょうなオレンジ色の光があたりを染めています。きっとあらしになるのでしょう。
***
ここまで書いてきたときあらしが大つぶの雨ではじまり、鎧戸《よろいど》という鎧戸がガタガタなりだしました。わたしはとんでいって窓をしめ、キャリーは牛乳いれの鍋を一かかえ持って屋根裏にかけあがっていきました。雨もりがするところにそれをおくためです。それがおわってまた手紙を書きだすと、果樹園《かじゅえん》の木の下にクッションとしきものと、マシュー・アーノルドの詩集をおき忘れてきたのを思いだし、それをとりにとんでいきましたが、みんなぐしょぬれになってしまいました。詩集の表紙の赤い色がなかにしみこんでしまったので、「ドーヴァの岸」(アーノルドの詩)は今後《こんご》はピンク色の液に洗われることになるでしょう。
いなかでは、あらしって、ほんとにやっかいなものです。外にだしておいたいろいろのものが台無しになることを、いつも気にしていなければならないんですものね。
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木曜日
おじさん! おじさん! まあ大変よ! 郵便屋さんがたったいま手紙を二通持ってきてくださいました。
一、わたしの小説がパスしました。お礼は五十ドルです。さあ! これであたしも一人前の作家《ヽヽ》です。
二、大学の庶務《しょむ》からの手紙、奨学金《しょうがくきん》をいただけることになりましたが、これで食費と授業料はまかなえます。これは、「全課目がよくできて、特に国語が優秀」な人に与えられるものです。わたしがそれをいただいたなんて! ここにくる前に一応《いちおう》、志願《しがん》はしておいたんですけど、いただけるなんぞとはぜんぜん思ってもいませんでした。一年生のとき、数学とラテン語をしくじっているのですものね。でも、どうやらそのとりかえしは、できたらしいの。わたし、とってもうれしいわ、おじさん、これでおじさんのひどい重荷《おもに》にならずにすむのですものね。月々のお小遣いだけでもう十分です。ひょっとすると、本を書いたり家庭教師かなんかして、それもいらなくなるかもしれません。
学校にもどって、はやく勉強したいと、|むず《ヽヽ》|むず《ヽヽ》しています。
かしこ
ジールシャ・アボット
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九月二十六日
あしながおじさん
ふたたび大学にもどり、上級生になりました。こんどのわたしたちの勉強部屋は、前のよりすばらしいです――大きな窓がふたつあって、南むき――それにまあ、家具のりっぱなことときたら! お小遣いをいくらでも持っているジュリアが二日前にきて、まるでうなされたようにして、お部屋のかざりつけをしてくれたためです。
新しい壁紙と、東洋ふうのしきものと、マホガニー製の腰かけがあります――去年は大よろこびしていた、ぬりもののまがいではなく、本物のマホガニーなんですのよ。とてもどっしりとして、きれいなのですけど、わたしはなんだか、しっくりしません。失敗してインクのしみをつけはしないかと、いつもハラハラしています。
それから、おじさんのお手紙――失礼――秘書さんのお手紙がきていました。
あの奨学資金をどうしていただいてはいけないのか、わたしになっとくできるわけを教えてくださいませんこと? どうしておじさんがそれをいけないとおっしゃるのか、わたしにはわかりません。でも、とにかく、いくら反対なさってももうだめよ、わたしはそれを受けてしまったのですから――そしてこの決心をかえる気は、ぜんぜんありません! こんなことをいってちょっと|おなま《ヽヽヽ》にひびくかもしれませんけど、そんなつもりでいっているのではないんです。
おじさんはわたしの教育をおはじめになった以上、それをしっかりやりおえ、最後には卒業《そつぎょう》証書《しょうしょ》の形で、きれいにかたをつけようとお考えになっておいでなのでしょう。
でも、ちょっとわたしの立場にもなってみてください。わたしは自分が教育を受けたことを、ぜんぶお世話になったのとおなじように、おじさんのおかげと思うことでしょう。でもわたしはそんなにまでごめいわくをかけたくないのです。おじさんが金なんぞ返してほしくはないというお気持ちなことは、わたしも知っていますけれど、やっぱり、わたしとしては、できることならそれをお返ししたいと考えています。そうだとすると、こんど奨学資金を受けられるようになったことは、それをとても楽にしてくれるのです。お借《か》りしたお金を返すのに、これからさき一生かかるものと覚悟《かくご》していましたが、これでそれをするのに半分ですむことになりました。
おじさんもわたしの立場がわかって、おこらないでくださったら、うれしいのですけど……。お小遣いはほんとにうれしくいただきます。ジュリアに負けないくらしをするには、お小遣いが必要です! あの人がもっと質素《しっそ》なそだちの人かわたしとおなじ部屋でなかったらなあ、と思います。
これでは、まあ、手紙とはいえませんわね。たくさんいろいろと書くつもりだったんですけど――でも、窓かけのカーテン四枚と仕切《しき》りの幕三枚のふちぬいをし(縫目《ぬいめ》の長さがおじさんにみられないので大助かり)、机の上においてある真鍮《しんちゅう》の品物を歯《は》みがき粉《こ》でみがき(とても骨のおれる仕事)、マニキュアのはさみでがくぶちの針金を切り、木箱四つにつめこんだ本をだし、トランクふたつにいっぱいはいった服をかたづけ(ジールシャ・アボットが二トランクの服を持っているなんて、とてもほんとうのこととは思えませんが、たしかにそのとおりなんです!)、その合間《あいま》には帰ってきた五十人のお友だちにあいさつをしていたんですものね。
始業式《しぎょうしき》の楽しいこと!
おやすみなさい、おじさん、そして、|ひな《ヽヽ》が自分でえさをあさりはじめたからといって、どうか気になさらないでください。この|ひな《ヽヽ》は、すごく元気のいいめんどりになろうとしているのです――きりっとした声の、美しい羽をたくさんつけためんどりに(これもみんなおじさんのおかげです)。
かしこ
ジューディより
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九月三十日
おじさん
おじさんはまだあの奨学資金のことを、くどくどおっしゃっているんですか? おじさんほどがんこで強情《ごうじょう》でわけわからず、がんばりやでブルドッグ式、人の立場がわからない人には、わたしはいままで、一度も会ったことがありません。
見ずしらずの赤の他人からお世話にならないことを、おじさんはご希望なのですね。
見ずしらずの赤の他人だなんて!――そういうおじさんはどんな人かしら?
おじさんほどわたしが知らない人って、この世にいるでしょうか? 町の通りでお会いしたって、わたしはおじさんがわからないでしょう。いいこと、もしおじさんがまともで分別《ふんべつ》がある人で、愉快で楽しい、父親のような手紙をちびのジューディにくださり、頭を軽くたたいて、いい子でいてくれてうれしいなあ、とでもいってくださったら――そうしたらきっと、ジューディは年老いたおじさんをばかにするようなこともいわず、はじめにそうなろうと心がけていたおとなしい娘のように、おじさんのおっしゃることにはなんでも、はい、はいと従っていたことでしょう。
赤の他人だなんて、まあ! スミスさん、そちらだって、うしろめいたところがぜんぜんないわけじゃないことよ。
その上、こんどのことは人のお世話になるのじゃないのよ。それは賞金のようなもので、一生けんめい勉強したのでいただいたものなのです。国語のよくできる人が誰もいなかったら、委員会《いいんかい》はそれをくださらなかったでしょう。じっさい、くださらなかった年もいままでによくあったんです。そればかりか――でも、男の人を相手にして議論《ぎろん》したって、なんにもならないことね。スミスさん、あなたは論理《ろんり》の感覚《かんかく》を持っていない男性の一員よ。男の人にいうことをきかすには、たったふたつの方法しかありません。相手をあまやかすか、こっちがふくれてしまうか、どっちかです。男の人にうまいことをいって、ねがいをかなえてもらうなんて、わたし我慢《がまん》ならないわ。そうなると、わたしにのこされたただひとつの道は、ふくれあがることだけになるわけです。
奨学資金を辞退《じたい》することは、お断わりいたします。もしこれ以上うるさくおっしゃるのでしたら、毎月お送りいただいているお金はいただきません。神経衰弱《しんけいすいじゃく》になってもかまいません、低能《ていのう》な一年生を教えてお金をかせぎます。
これがわたしの最後通牒《さいごつうちょう》です!
それから、いいですか――わたしはもっと先のこともちゃんと考えています。おじさんが心配しておいでのことは、わたしがこれを受けたら、ほかの人が教育を受けるじゃまをするのではないかということですわね。そのご心配をなくす方法があります。わたしにくださるつもりだったお金を、ジョン・グリア孤児院の、べつの女の子の教育に使ってください。うまい考えでしょう? だけど、おじさん、ひとつおねがい! その新しい子をどんなに教育なさってもかまいませんけど、どうかわたしよりすきにならないでちょうだいね。
手紙に書いてあるとおりに、わたしがふるまわないからといって、秘書さんがおこることはないでしょうね。たとえおこられても、わたしにはどうにもしようがありません。おじさん、あの人は、あまやかされた赤ちゃんみたいよ。いままであのかたが気まぐれをおこしても、わたしはおとなしくそのいうことをきいていましたけど、こんどというこんどは、ぜったいに、|おれません《ヽヽヽヽヽ》。
かしこ
完全に不退転《ふたいてん》の決意《けつい》にもえ上がれる
ジールシャ・アボット
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十一月九日
あしながおじさん
きょう町へ靴ずみとカラーをいくつか、新しいブラウスのきれと、においいりのクリームと、カスティール石けん(オリーブ油とソーダのはいった石けん)をひとつ買いにいきました――みんな必要なものばかりで、これがなくては一日もしあわせにはなれません。そして、電車のお金をだそうとすると、さいふをもうひとつの上衣のなかに忘れてきたことに気がつきました。そこで、わたしはその電車を降りて、つぎのに乗ったため、体操におくれてしまいました。
記憶力《きおくりょく》がないのに上衣をふたつ持っているなんて、おそろしいことだわ!
ジュリア・ペンドルトンは、クリスマスのお休みに遊びにいっらしゃい、とまねいてくれました。スミスさん、これをいかがお考えでございますか? ジョン・グリア孤児院|出《で》のジールシャ・アボットが、お金持ちの食卓に坐るなんて! ジュリアがどうしてよんでくれたのか、わたしには見当がつきません――このごろあの人ったら、わたしをすきになったらしいのよ。ほんとのところ、サリーのお家のほうがずっといきたいわ。でも、ジュリアのほうが先によんでくれたのですもの、どこかにいくとしたら、ウスターじゃなくて、ニューヨークにいかなければならないわ。ならんで坐っておいでのペンドルトンさんの家のかたがたとお会いするなんて、考えただけでもこわくなるわ。それに着物を新しくたくさんつくらなければならなくなるでしょう――ですから、おじさん、じっとしずかに大学にのこっていなさいとお手紙をくだされば、わたしは、いつものとおり、おとなしく、おじさんのいうことをききます。
ときおりひまをみて「トマス・ハクスリーの伝記と手紙」を読んでいます――ちょっとしたひまに、ひろい読みするには、おもしろくて軽い読物です。アーキオプテリックスがどんなものか、おじさんごぞんじ? これは鳥なんです。それから、ステリオナサスは? わたしもはっきり知っているわけじゃありませんけど、どうやらそれは中間的《ちゅうかんてき》な存在らしいんです、歯のある鳥とか翼《つばさ》のあるとかげのようにね。ちがうわ、そのどっちでもないの。ちょっと本をのぞいてみたんですが、それは中世代《ちゅうせいだい》の哺乳動物《ほにゅうどうぶつ》でした。
今年は経済学《けいざいがく》をやることにしました――とてもためになる学問です。それがすんだら、慈善《じぜん》と感化《かんか》に進むつもりです。それがおわったら、評議員さん、わたしは孤児院をどんなふうにしてやっていったらいいか、わかることでしょう。もしわたしに選挙権《せんきょけん》があったら、わたしはきっとすばらしい有権者《ゆうけんしゃ》になるだろうと、おじさんはお考えにならないこと? 先週わたしは二十一歳になりました。わたしのように正直で、教育があり、良心的《りょうしんてき》で、頭のいい市民をすてておくなんて、この国もずいぶんもったいないことをしていると思うわ。
かしこ
ジューディより
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十二月七日
あしながおじさん
ジュリア訪問をおゆるしくださって、どうもありがとうございます――だまっておいでのことを、ご承諾《しょうだく》あったものと考えます。
わたしたちは社交《しゃこう》のうずのなかにまきこまれていました! 創立記念《そうりつきねん》のダンス・パーティが先週ありましたが――この会にでることは、わたしたちとしてははじめてのことでした、上級生しかでることを許されていないのですから。
わたしがよんだ人はジミー・マクブライド、サリーはプリンストン大学で、ジミーとおなじ部屋にいる人をよびましたが、この人はこの夏サリーのところのキャンプにいった人で――赤毛のとてもいい人です。ジュリアはニューヨークからお友だちをまねきましたが、これはべつにすばらしくもないけれど、社交的には非《ひ》の打ちどころがなく、ド・ラ・メイター・チチエスター家の縁《えん》つづきの人です。このことはきっと、おじさんには大したものなんでしょうが、わたしにはちっともピンときません。
とにかく、お客さまがたは金曜日の午後、四年生の寮のろうかで開かれたお茶の会に間にあうようにおいでになり、それがすむと、夕食のためにホテルにとんでお帰りになりました。ホテルは満員で、お客さまは玉突台《たまつきだい》の上にならんでねているそうです。こんどこの大学の会によばれるようなことになったら、アディロンダックに登るときのテントを持ちこんで校庭にねることにしよう、とジミー・マクブライドはいってます。
七時半、学長の歓迎会《かんげいかい》とダンスに出席するためにお客さまはもどってきました。ここの行事《ぎょうじ》は、はやくはじまるのです! わたしたちは男のかたのふだを前からつくっておき、ダンスがおわるたびに、お客さまの名前をしめしてある字の下のところで、おわかれすることにしました。こうしておけば、つぎにおどる人にはすぐそれと相手がわかるわけです。たとえば、マクブライドはじっとMの下に立っていて、相手をたのまれるまで待っているわけです。(すくなくともあの人はじっと立っていなければならなかったんですけど、いつもフラフラあちらこちらと歩きまわり、RやSやいろんな字のひととごっちゃまぜになってしまいました)あの人はずいぶんあつかいにくいお客さまよ。わたしと三回しかおどれなかったからといって、もうプリプリなの。自分が知らない女の子とおどるのは、はずかしいんですって!
つぎの日の午前には合唱団のコンサート――そして、この日のためのあのおかしな新しい歌を、誰がつくったとお思い? ほんとうなの、作者はあの子です。ほんと、たしかにおじさんのあのみなしごは、学校で人気者《にんきもの》になっているんです!
とにかく、あの陽気な二日間はとてもおもしろかったし、男の人たちも楽しんだと思うわ。千人の娘がいるというわけで、最初はだいぶどぎまぎしているかたもいましたけれど、そうした人たちもすぐなれてしまいました。わたしたちがおよびした二人のプリンストンの大学生もすばらしく楽しんでいました――すくなくともそうあいさつはしてくださり、来年の春のプリンストン大学でのダンス・パーティに、わたしたちを招待《しょうたい》してくださいました。わたしたちはこの招待を受けることにしましたが、おじさん、どうか、反対なさらないでちょうだいね。
ジュリアとサリーとわたしは、みんな新しい服をきました。その服のこと、おききになりたいこと? ジュリアのはクリーム色のしゅす、金のししゅうのはいったもので、それに紫色のらんの花をつけていました。まるで夢のように、パリからとりよせたもので、百万ドルもしたそうです。
サリーのは、ペルシャししゅうのついた薄青《うすあお》の服、赤い髪ととてもよくつりあいました。百万ドルはしなかったのですけど、ジュリアにおとらず目をひくものでした。
わたしのは薄いピンクのクレープ・デシン、黄のかかった茶色のレースとばら色のしゅすかざりのついたものでした。そして、ジミー・マクブライドの贈物の真紅《しんく》のばらをつけました(これはサリーがどんな色がいいかを、ジミーに知らせてあったからです)。わたしたちはみんな、しゅすのダンス・シューズと絹の靴下をはき、それとつりあいに、紗《しゃ》のスカーフをつけました。
こうした身をかざる道具のこまごました話で、おじさんはさぞびっくりなさっておいででしょうね?
おじさん、紗や、ヴェニスふうのレースや、手|縫《ぬい》のししゅうや、アイルランドのクローセあみが、男の人にとって意味のないことばでしかないと考えると、男ってなんという味気ない日ぐらしをしなければならないのだろうと、考えずにはいられませんわ。ところが、女はといえば――赤ちゃん、ばい菌《きん》、夫、詩、召使、平行《へいこう》四辺形《しへんけい》、庭、プラトー、ブリッジ遊びのどれに興味をよせていようと――根本的《こんぽんてき》に、そしていつも興味を持っているものは、身につけるものなんです。
全世界をひとつの血でつながったものにするのは、この自然の感情です。(これはわたしのつくった言葉ではありません。シェイクスピアの劇からひいたものです)
しかし、話をもとにもどしましょう。おじさんは、わたしが最近見つけた秘密の話をおききになりたいかしら? みえぼうなやつだとお思いにならないこと、約束《やくそく》してくださる? では、どうか聞いてください。
わたしは美しいんです。
ほんとうに、そうです。部屋に鏡が三つもありながら、それに気がつかないとしたら、わたしはひどいおばかさんよ。
友より
(追伸)これは小説によくある、あの名をかくして書いた、たちのよくない手紙です。
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十二月二十日
あしながおじさん
ほんのちょっとしか時間がありません。授業にはふたつでなければならず、トランクとスーツケースの荷づくりをし、四時の汽車で出発しなければならないのです――でも、送っていただいたクリスマスの贈物を、どんなにわたしがよろこんでいるか、ひとことでもお知らせせずにはいられないの。
毛皮の服、ネックレース、ちりめんえりまき、手袋、ハンカチ、本、それにさいふは、どれも気にいりましたが――なかでもわたしのいちばんのお気にいりは、おじさんよ! でも、おじさん、おじさんはわたしをこんなにあまやかしてくださることはないと、わたし思うの。わたしだってやっぱり弱い人間――しかも、女の子です。おじさんがこんなふわついた気持ちをおこすつまらないもので、わたしも心をゆがめてしまうとき、どうして勉強生活ばかりかじりついていられましょう?
クリスマス・ツリーと日曜日のアイスクリームをくださっていたかたが評議員さんの誰だったかが、いまになってだいたいはっきり見当がついてきました。そのかたは名こそだしてはいらっしゃいませんでしたけれど、そのしていることで誰かがわかるわけです! いままで積《つ》んでおいでの善行からも、おじさんはしあわせになってもいいかたよ。
さようなら、そして、楽しいクリスマスをおむかえになるように。
かしこ
ジューディより
(追伸)つまらない記念品をお送りします。その送り主をごらんになったら、おじさんはすきになってくださるかしら?
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一月十一日
おじさん、ニューヨークからお便りするつもりでいたんですけど、あのニューヨークっていう町は、人の心をすっかりうばってしまう町なのね。
たしかにおもしろい――ためにもなる――毎日を送っていましたが、わたしはああした家族の人間じゃなくって、よかったと思っているのよ! 身分がどうのこうのというのだったら、ほんとうに、ジョン・グリア孤児院のほうがまだましだわ。わたしの育ちにどんな悪い点があるのにせよ、体裁《ていさい》だけをつくろうようなことはすくなくともなかったんですもの。物質《ぶっしつ》の重荷《おもに》におしつぶされるということばの意味、こんどはじめてわかったつもりよ。あの家の物質的《ぶっしつてき》な雰囲気《ふんいき》ときたらおしつぶされてしまうほどなの。帰りの急行列車にのりこむときまで、息がつまりそうだったわ。家具はどれを見てもほりものがしてあり、かざりのおおいをつけていて、重々しくりっぱなものでした。会う人はみんなきれいな服を着こみ、高い声はださず、上品な人たちばかりでしたけど、おじさんこれはほんとよ、あそこに着いてから帰るときまで、ほんとうの話って、一言だって耳にしなかったの。どんな考えひとつだって、あのお家の玄関《げんかん》から奥へ一歩でもはいったことはないと思うわ。
ペンドルトン夫人の考えていることといったら、ただもう宝石と、仕立屋《したてや》さんと、おつきあいのことばかり。サリーのお母さんとはぜんぜんべつの種類のお母さんよ! わたしが結婚して家族を持つようになったら、わたしはマクブライドのおうちとそっくりなものをつくるつもりだわ。お金を山とつまれたって、子供をペンドルトンのおうちの人のようにするのは、もうまっぴら。よばれていたうちの人の悪口をいうなんて、きっと失礼なことでしょうね? もしそうだったらどうかゆるしてちょうだい。これは内々《ないない》のここだけの話なのですから……。
わたしがジャーヴィ坊ちゃまとお会いしたのは、たった一度だけ、お茶のときにおいでになったときのことでしたが、そのときでさえ、ふたりだけでお話することはできませんでした。去年の夏の楽しさを思うにつけ、ほんとうにがっかりしました。あのかたは自分の親せきのかたをあまりすきじゃないようよ――相手のほうも、どうもそうらしいのですけど! ジュリアのお母さんによると、あの人はへんくつ者、ありがたいことに、毛をぼうぼうに生やしたり、赤いネクタイをつけたりはしていないけど、社会主義者なんですって。先祖代々、英国国教会派の人ばかりなのに、どこでそんな奇妙な考えをひろってきたのか見当もつかない、ヨットとか、自動車とか、ポロの小馬といったようなまともなものにはすこしもお金を使わずに、いろいろな気ちがいじみた改革にばかり、そのお金を使っているわ! だって、あのかたはジュリアとわたしに、クリスマスの贈物をくださったんですもの。
いいこと、おじさん、わたしも社会主義者になろうと思っているのよ。いいでしょ、どう、おじさん? 社会主義者は無政府主義者《むせいふしゅぎしゃ》とはちがうことよ。爆弾《ばくだん》で人を殺すようなことは考えていません。わたしはそういう人になってもおかしくないわ、無産階級《プロレタリア》の人間ですものね。どっちになろうかとまでは。まだ考えていません。この問題は日曜日にじっくりと考え、つぎのお便りで、わたしの主義を宣言《せんげん》することにしましょう。
劇場、ホテル、美しい邸宅《ていたく》は山ほど見ました。|しまめのう《ヽヽヽヽヽ》や、めっきや、寄木細工《よせきざいく》の床や、やしの木で、わたしの頭はいまごったがえしています。いまでも、まだ息苦しい感じはぬけていませんけど、大学と本にもどってきて、ほっとしています――たしかに、わたしは学生なのね。ニューヨークよりこの静かな学校の雰囲気《ふんいき》のほうが、わたしを元気にしてくれますもの。大学でくらしていると、ほんとうに心が満ちたりるわ。本と勉強と規則的な授業が心をいきいきとさせ、つかれれば体育館あり、戸外の散歩ありで、その上、自分とだいたいおなじことを考えている気の合ったお友だちがいくらでもいます。一晩じゅう、もうおしゃべりの連続でつぶしてしまい、ねむりにつくときは意気揚々《いきようよう》、まるで世界の重大問題《じゅうだいもんだい》をしっかりと解決《かいけつ》したような気分なんです。そしてその合間《あいま》をうめているのが、いろんなたわいもないこと――そのときどきのちょっとしたことについてとばすばかげた冗談《じょうだん》――なのですが、これもまたいい気持ちなのよ。自分自身のしゃれにうっとり酔《よ》っているわけ!
なににもまして大切なのは、大げさな目立つよろこびではなく、ささやかなよろこびから大きなよろこびをつくりだすことね――おじさん、わたしは幸福のほんとうの秘訣《ひけつ》を見つけました。そして、それは|いま《ヽヽ》に生きることなの。すぎさったことをくよくよしたり、先のことを考えたりしないで、いまの瞬間瞬間をこの上なく楽しくすることなの。これは農業とおなじだわ。おなじ農業をするにしても、大きく荒っぽくやる方法と、せまくひきしめてやる方法とふたつあるけど、わたしはこれからは後のほうをやるつもりだわ。一刻一刻《いっこくいっこく》を楽しみ、それを楽しんでいるときに、自分はいま楽しんでいるのだとさとるの。たいていの人の生活は、生活なんてとうていよべないものね。ただかけっこをしているだけよ。地平線のかなたの目標《もくひょう》にむかってせっせと歩きだし、途中であつくなって息もつけずにふうふうし、まわりの美しい静かないなかの景色に気がつかず、ハッとわれに返ったときには、もう年をとってよぼよぼ、目標につこうがつくまいが、どっちでもいいことになってしまうわけ。わたしは道のわきに腰をおろし、ささやかな幸福をつみあげていきたいと思ってるの。大作家にならなくたってかまいはしないわ。わたしがいまなろうとしているような女|哲学者《てつがくしゃ》のこと、おじさんはいままでにお聞きになったことあって?
かしこ
ジューディより
(追伸)今夜は、外はどしゃぶりの雨です。子犬が二匹と小猫が一匹、窓のしきいのところにあがってきました。
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同志へ
ばんざあい! わたしはフェイビアン党員《とういん》(社会主義をゆっくりと平和な手段で実行しようと考えている人たち)になりました。
これはゆっくりと待っている社会主義者のことです。わたしたちは、あしたの朝すぐ革命《かくめい》がおきることなんて、ねがってはいません。そんなことになったら大変だわ。わたしたちの心がまえができて、びくともしないようになった遠い将来《しょうらい》のときに、革命がゆっくりゆっくりときてくれればいいと考えています。
そのあいだに、わたしたちは、産業、教育、孤児院の方面の改革に手をつけて、その準備をしなければなりません。
同志の愛情をこめて
ジューディより
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十一日 金曜日
あしながおじさん
このお便りがみじかくとも、気を悪くなさらないでください。これはお手紙でなく、間もなく試験がおわりますから、そのときにはお便りします、というお知らせの、はしりがきにすぎないものです。試験にパスするばかりでなく、|見事に《ヽヽヽ》パスすることが必要です。奨学資金の手前もありますもの。
一生けんめい勉強ちゅうの
J・Aより
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三月五日
あしながおじさん
きょうの夕方、現代《げんだい》の青少年《せいしょうねん》が軽はずみで浅はかなことについて、カイラー学長さんの演説がありました。まじめな努力をして、ほんとうの学生になろうとしていたむかしの理想を、わたしたちが忘れかけている、この堕落《だらく》した気持ちはとくに、れっきとした権威《けんい》をないがしろにしているわたしたちの態度にあらわれている、目上の者にたいしてきちんとした敬意をはらっていない、とおっしゃいました。
拝意がおわってでてきたわたしの気持ちは、深刻《しんこく》なものでした。
おじさん、わたしの態度はなれなれしすぎるかしら? もっとおもおもしく、もっとよそよそしく、おじさんをあつかわなければいけないのかしら?――そう、そうしなければいけないのだわ。お便りをもう一度やりなおします。
***
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スミスさま
これをお聞きになったら、およろこびのこととぞんじますが、わたしは中間《ちゅうかん》試験をぶじにとおり、新学期の勉強をはじめております。化学は――定性分析《ていせいぶんせき》がおわりましたので――もうやめにして、生物学にはいろうとしているところです。この項目ではみみずや、かえるを解剖《かいぼう》するそうなので、いささかへきえきしております。
先週礼拝堂で、「南フランスにおけるローマの遺跡《いせき》」と題して、おもしろく有益《ゆうえき》な公演《こうえん》がおこなわれました。この問題でこれほどためになるお話は、まだ聞いたことがございません。
英文学の授業との関係で、いまワーズワースの「ティンターン寺院」を読んでいます。なんとりっぱな詩、ワーズワースの考えている汎神論《はんしんろん》が、なんとみごとにそこにあらわされていることでしょう! 前世紀《ぜんせいき》の初期《しょき》のローマン運動はシェリー、バイロン、キーツ、ワーズワースといった詩人たちの作品にあらわれていますが、その前の古典主義《こてんしゅぎ》時代より、わたしの心に訴えるものを持っています。詩といえば、テニスンの「ロックスリ・ホール」というかわいらしい小品《しょうひん》を、お読みになったことがおありでしょうか?
最近、体育の授業には、まじめにでています。学生監制度《がくせいかんせいど》がもうけられ、規則をやぶると、とてもこまったことにいろいろとあうのです。体育館にはとてもきれいなセメントと大理石づくりのプールがありますが、これはある卒業生からの贈物です。おなじ部屋仲間のマクブライドさんが水着をくださいましたので(ひどくちぢんでしまったので着られなくなったため)、水泳の授業を受けるつもりでいます。
昨夜、デザートにとてもおいしいピンクのアイスクリームがでました。食事の色つけには、植物性《しょくぶつせい》のものしか使われていません。大学では、美しさと衛生《えいせい》の立場から、アニリン色素《しきそ》を使うことには強く反対しています。
ちかごろは、申し分のないほどのうれしいお天気がつづいています――かがやく陽の光と雲、ときにその合間にうれしい吹雪《ふぶき》が訪れてくるのです。わたしとお友だちは教場へのいき帰りを楽しんでいます――とくに帰りのほうは。
スミスさま、このお便りがお手もとにとどきますとき、お元気でありますように。
あらあらかしこ
ジールシャ・アボット
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四月二十四日
おじさん
春がふたたびめぐってきました! 校庭がどんなに美しくなったか、おじさんにお目にかけたいわ。おじさんがおいでになって、それを目で見てくださればいいのに! ジャーヴィ坊ちゃまがまた、この前の金曜日に立ちよってくださいました――でも、とてもつごうが悪かったの。サリーとジュリアとわたしが汽車に乗ろうと、ちょうどかけだしていくところだったんですものね。ところで、わたしたちがどこへいこうとしていたのか、おわかりになるかしら? 教えてあげましょうか? プリンストンへなの、そこのダンス・パーティと野球の試合を見るためにね。そこにいっていいかどうか、おじさんにおたずねしなかったのは、秘書さんがだめというだろうと思ったからです。でも、学校をずる休みしたわけじゃありません。学校から欠席のおゆるしはいただいたし、サリーのお母さんがつきそいになってくださったんですもの。とてもすばらしかったけど――いろいろこまかなことはお話できません。だって、楽しいことばっかりで、とても簡単にはいえないんですもの。
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土曜日
夜あけ前に起床! 巡視《じゅんし》の人がわたしたち六人をおこしてくれ、こんろでコーヒーをわかし(そのかすの多かったこと!)日の出を見るために、二マイル歩いて、一本木の丘にのぼりました。最後のところはよじのぼりなの! 太陽にもうすこしでまけるところだったわ! そして、おなかはもうぺっこぺこ!
まあ、おじさん、きょうのわたしのお手紙は「!」だらけね。ページじゅうにそれがまきちらされていますわ。
きょうのお便りで、芽をふきはじめた木、体操場にできた新しい石炭がらをしいていた道、あした受けるおそろしい生物学の授業、湖水に浮かんだ新しいカヌー、肺炎《はいえん》にかかったキャザリン・プレンティス、プレクシーのかっているアンゴラ小猫などのことをいろいろお話しようと思っていました。この子猫はうちから迷子《まいご》になって、女中さんの知らせがあるまで、ファーガスン寮に二週間もねとまりしていたんです。それから、わたしがこんどつくった三着の着物――白とピンクと青い水玉|模様《もよう》のついた服で、それに似合う帽子もいっしょなんです――のことも書くつもりでした。でも、わたしねむくてねむくてしかたがないの。ねむいというのが、わたしのいつもの逃《に》げ口上《こうじょう》ね、どう? でも、女子大《じょしだい》っていうところはいそがしいとこで、一日おわると、もうぐったりしてしまうの! 夜あけ前におきた日なんて、格別《かくべつ》そうよ。
かしこ
ジューディより
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五月十五日
あしながおじさん
電車に乗ったとき、前のほうばっかりにらんでいて誰ともあいさつしないなんて、そんな法あるかしら?
とてもきれいなビロードの服を着たすごく美しい女の人がきょう電車に乗って、表情《ひょうじょう》ひとつ動かさずに、前にかかったズボンつりの広告を十五分もにらんでいました。えらい人はわたしだけよといったような顔をして、ほかの人のことなんかぜんぜん気にもとめずにいるなんて、礼儀《れいぎ》にかなったこととは、どうしても思えないわ。とにかく、御当人《ごとうにん》もずいぶん損《そん》するわね、この人があのばかばかしい広告をにらんでいるあいだに、電車にいっぱい乗りこんでいるいろいろのおもしろい人を、わたしは観察《かんさつ》していたの。
つぎの絵は、ここではじめてごひろうするものよ。ちょっと見たとこ、糸にさがった|くも《ヽヽ》のように見えますが、さにあらず。体育館のプールで水泳を練習しているわたし自身の図です。
わたしのバンドの背中に|わ《ヽ》がついているんですが、先生はこの|わ《ヽ》になわをひっかけ、そのなわを天井《てんじょう》の滑車《かっしゃ》にとおします。先生をすっかり信用していたら、これは申し分のないやりかたなんでしょうが、先生がそのなわを放しはしないかと、わたしビクビクです。だから、わたしは片目で先生のほうをにらみ、残りの目で泳いでいます。水泳が上達しないのも、こうして気をちらしているためなのでしょう。このごろのお天気はとっても気まぐれです。このお便りを書きはじめたときに雨が降っていたのですけど、いまは陽がカンカンさしています。これからサリーとわたしはテニスをしにいきます。――これで体操はしなくていいわけ。
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一週間後
とっくのむかしにこの手紙を書きおえるところだったんですが、だめでした。おじさん、あたしがあんまりきちんきちんとしなくたって、おじさんはおおこりにならないわね、どう? おじさんにお便りすることはだいすきよ。自分にも家族がいるのだという、まともな感じがするのですもの。おじさんはわたしから、なにかお話をしてほしいの? わたしが手紙をだす人は、おじさんだけじゃなくなったの。ほかにふたりいるんです! 今年の冬はずっと、ジャーヴィ坊ちゃまからすばらしい長い手紙をいただいていました(封筒《ふうとう》はタイプで打ってあるので、ジュリアにはそれと気づかれません)。こんなにおどろいたことって、おじさんお聞きになったことあって? それに週に一ぺんかそこいら、いつも黄色の便箋《びんせん》にぬたくり字で書いた手紙が、プリンストンからきています。こうした手紙に、わたしは事務的《じむてき》にてきぱきと返事を出しています。だからおわかりでしょう――わたしのとこにだって、だいたい人なみに――手紙はきているのです。
四年生の演劇部《えんげきぶ》にわたしが選ばれたこと――もうお知らせしたかしら? これはなかなかはいれない部なんです。千人のうちから、七十五人しかとらないんですもの。心がわりせぬ社会主義者として、おじさんはわたしがこの部員《ぶいん》になってもいいとお考え?
社会学《しゃかいがく》でいまわたしの注意をひきつけているもの、何だとお思い? わたしはね、いま(びっくりなさるでしょう!)「みなしごの教育《きょういく》について」という、論文を書いているのです。教授はわりあての課題《かだい》をごちゃまぜにして、それを手当りしだいに配ってくださったのですが、わたしに当ったのがこの課題なんです。おかしなことね。
夕食のどらが鳴りだしました。途中の郵便箱でこれをだします。
かしこ
J
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六月四日
おじさん
いそがしいこと、いそがしいこと――十日先に卒業式、あすに試験をひかえているんです。勉強も、荷づくりも、うんざりするほどあります。しかも、外は楽しい春、家のなかにいるのがゆううつになってしまいます。
でも、だいじょうぶ、休暇が目の先にあるのですから。ジュリアは今年の夏外国へいきます――これで四度目だそうです。どうみてもおじさん、財産のわけかたって公平じゃないことね。サリーは例によってアディロンダック山ゆきです。わたしがなにをしようとしているか、おわかり? おじさんが見当をつけられるものは、三つあることね。ロック・ウィロウ? ちがいます。サリーといっしょにアディロンダック?ちがいます。(二度とそんなことをしようとは思いません。去年でもうこりましたから)ほかになにか見当がおつきになる? おじさんはあまりものを考えだせる人ではないから、教えてあげましょう。でも、おじさん、それにあまり反対なさらないことを約束してね。わたしがもうしっかりと決心していることを、先手《せんて》を打って、秘書さんにお知らせしておきますよ。今年の夏はね、チャールズ・ペイターソン夫人というかたと海辺《うみべ》にいって、秋に大学にはいろうとしているそのお嬢さんの家庭教師《かていきょうし》をするつもりなの。この夫人には、マクブライドのおうちの紹介《しょうかい》でお会いしましたがとても感じのいい方です。
妹さんのほうにも、国語とラテン語を教えてあげるはずですが、自分のことをする時間も、ちょっとあります。お礼は月に五十ドル! けたはずれなことだと、おじさんはおどろくことでしょうね! でもほんとよ。二十五ドル以上は、とてもむずかしくていいだすことはできなかったのですけど……。
この仕事は九月一日にマグノリア(これはこの夫人の住んでおいでのところです)でおわりますから、残りの三週間はたぶん、ロック・ウィロウですごすことになるでしょう――セムプルのおじさんやおばさん、それに仲よしのけだものたちと会いたくてしかたがないので……。
おじさん、このわたしの計画をどうお考え?おわかりでしょう、わたしは、だんだんひとりだちできるようになりました。おじさんはわたしを立たせてくださったのですけれど、どうやらこれで、ひとりで歩けそうです。
プリンストン大学の卒業式とここの試験が、ぴったりぶつかっています――これには大こまりです。サリーとわたしはその式に間に合うようにでかけていきたかったのですが、むろん、それはできぬ相談となってしまいました。
さようなら、おじさん。楽しい夏をすごし、もう一年仕事ができるように、ゆっくりと体を休めて秋にもどってきてください。(これはおじさんがわたしにくださってもいい言葉だわ!)おじさんが夏になにをなさるのか、どんな遊びをなさるのか、わたしにはぜんぜん見当もつきません。おじさんのまわりの事情がよくわからないからです。ゴルフをなさるの? 狩《か》りをなさるの? 馬にお乗り? それとも、ただ陽の当るところに坐って考えこんでおいでかしら?
それがどうであろうとも、とにかく、楽しく日をおすごしになり、ジューディのことを忘れないでください。
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六月十日
こんなに苦しい手紙を書いたことはありませんが、自分のすべきことをわたしははっきりと決心したのですから、いまさらそれを変えるわけにはいきません。今年の夏わたしにヨーロッパにいくようにとおっしゃってくださったことは、ほんとにやさしく気前がよく、うれしいお言葉で――一時はわたしも、うちょうてんになってしまいました。だけど、われに返って考え直してみるといけないことに気がつきました。わたしを大学にいれてくださるおじさんのお金をお断わりしたあとで、それをただの遊びに使ってしまうなんて、ずいぶん筋のとおらぬことになります。おじさんはわたしを、あんまりぜいたくになれさせてはいけませんよ。人は自分が持ったことがないものがなくとも平気なんですが、それが当然自分のもの――彼女のもの(英語では二つの単語がここでいります)――と思いこみだすと、それがないことが、とてもつらくなってきます。サリーやジュリアといっしょにくらしていることは、質素にくらしたいと思っているわたしの気持ちにはとても苦しいものです。ふたりとも赤ちゃんのときから、ゆったりとくらしてきていて、幸福を当然のものと考えています。ふたりは、自分のほしいものを世間が当然くれなければならない、と考えているんです。たぶん、それはそうなんでしょう――とにかく世間は借りをみとめ、その支払いをしているようですからね。でも、わたしにたいしては世間はなんの借りもないのです。そして、そのことは最初からはっきりと知らされています。わたしには、信用でものを借りる権利はありません。世間がわたしのねがいをきいてくれないときが、いずれくるでしょうからね。
なんだか、たとえばっかりいいつづけて、それにおぼれているようですわね――だけど、わたしのいおうとしていることはおわかりでしょう? とにかく、今年の夏にわたしのしなければならないことは、家庭教師をして自分でくらしを立てる方向に歩きだすことだ、と心からかたく信じています。
***
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四日後、マグノリアにて
ここまで書きつづけたとき――なにがおこったとお思いになります? ジャーヴィ坊ちゃまの名刺《めいし》を持って、女中さんが姿をあらわしたのです。あのかたも今年の夏には外国においでになるのですけど、ジュリアやその家の人とはいっしょではなく、完全にひとりだけでそれをなさるそうです。わたしは、おじさんが、若い娘たちの一行のつきそいになる女の人といっしょに外国にいってみたら、とすすめてくださったことを、あのかたにお伝えしました。おじさん、あのかたはおじさんのことを知っていますよ。というのは、わたしが父も母もなくしてしまい、親切な紳士のかたがわたしを大学にだしてくださっていることをごぞんじなのです。ジョン・グリア孤児院のことやいろいろのことをお話する勇気は、どうしてもでませんでした。あのかたは、おじさんのことをわたしの保護者で、むかしから家どうしでおつきあいをしているれっきとしたかただと、思っておいでです。おじさんはわたしの知らないかただとは、わたしは一言も言いませんでした――だって、そんなこと言ったら、とてもみょうに聞こえますもの!
とにかく、坊ちゃまはわたしにヨーロッパ行きをぜひせよと、強くおっしゃいました。それがわたしの教育にはぜったいに必要、断わろうなんて考えてもいけない、というわけなのです。それに、坊ちゃまもちょうどおなじときにパリにいく、ときどきはつきそいの人をまいてふたりして逃げだし、きれいで変わった外国のレストランで食事をしよう、ともおっしゃいました。
ええ、おじさん、たしかにわたしは、グラリとしてしまいました! もうすこしで、気持ちを変えてしまうところでした。坊ちゃまがああ高飛車《たかびしゃ》にでなかったら、決心を変えてしまっていたかもしれません。わたしの心を動かそうとしたら、ゆるゆるそれをしなければだめ、むりやりなんてまっぴらだわ。あのかたはわたしのことを考えなしの、ばかな、わけわからずの、ドンキホーテ式の、頭のいかれた、強情《ごうじょう》な(これはあの人の使った言葉のほんの一部だけ、それ以外は忘れてしまいました)子供だ、自分にとってなにがためになるかを知っていないのだ、目上の者のいうことはきかなくちゃいけないとおっしゃいました。そのときのふたりのようすは、けんかも同然《どうぜん》――どうやら、同然じゃなくて、すっかりおなじと言いなおしてもよさそうだわ!
とにかく、わたしはさっさと荷づくりして、ここにやってきました。このお便りを書きおえぬうちに、もうもどることができないようにわたしのうしろの橋をもやしてしまったほうがいい、とねがっていましたが、いまはもうすっかりそれが灰になってもえつきてしまいました。わたしは「断崖荘《だんがいそう》」(これはペイターソン夫人の別荘の名です)に荷物をほどいて落ちつき、フローレンス(小さなお嬢さんの名)は第一変化の名前にとりかかっています。仕事はどうやら、きついものになりそうです! このお嬢さんはめずらしいほどあまやかされた娘さんで、勉強のしかたからまず教えこまなければならないでしょう――この人は生まれてこのかた、熱心になってとりかかったものといえばせいぜい、アイスクリームソーダくらいなものらしいですからね。
わたしたちが勉強している場所は、がけのかたすみのしずかな場所ですが――これは子供たちを戸外にだしておきたいという夫人のお考えによるものなのですが――前に青い海がひろがり、近くを舟がとおっているので、熱心になれないのは、わたしのほうです。それに、いまごろは船に乗って外国の旅にでていたのかもしれないと考えると――でも、わたしが考えなくちゃいけないことは、ラテン語の文法だけです!
前置詞 a または ab, absque, coram, cum, de, e または ex, prae, pro, sine, tenus, in, subter, sub, super は奪格を支配する。
これでおわかりでしょう、おじさん、わたしは自分の目を誘惑《ゆうわく》からしっかりとそむけて仕事にとりくんでいるのです。どうか、わたしのことをおこらないでください、そして、おじさんのご親切を忘れているなんぞとは思わないで。だってわたしはいつも――いつも、ご恩は感じているんですもの。おじさんにおむくいできるただ一つの道は、わたしが役に立つ市民(女は市民かしら? どうも市民じゃないらしいわ)になることです。とにかく、役にたつ人にね。そして、わたしをごらんになったとき、「わたしはあのとても役にたつ人間を世に送ったのだ」とおっしゃれるようになることです。
この言葉、すてきだわ、おじさん、どうかしら? でも、わたし、買いかぶられるようなことはいいたくありません。ときどき、自分はたいしたものではぜったいにないのだ、という不安がおそってきます。将来のことをあれこれと計画《けいかく》することは楽しいことですけど、おそらくわたしは、ほかのありきたりの人と、ちっともちがわぬ人になってしまうことでしょう。ひょいとしたら葬儀屋《そうぎや》さんと結婚して、その仕事で新工夫《しんくふう》を教えてあげるくらいでおわってしまうかもしれませんわ
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八月十九日
あしながおじさん
わたしの窓から見えるものは、とてもすばらしい風景《ふうけい》――海景といったほうがいいでしょう――で、水と岩ばかりです。
夏はすぎていきます。午前中は、ラテン語と国語と代数と頭のよくない二人の娘相手で終わってしまいます。マリオンがどうしたら大学にはいれるか、またぶじにはいったとしても、そこでぶじにすごせるか、わたしは気がかりでなりません。フローレンスのほうは、もうどうしてもだめです――それにしても、すごくきれいな子供なんですが! 女の人は美しくありさえすれば、頭がどうであろうとかまいはしないとは思うものの、運よく頭のよくない夫を見つければいいのですけど、そうじゃない場合、夫になる人たちがどんなにたいくつするだろうと、考えずにはいられません。でも、男で頭のよくない人を見つけることは、楽なことよ。世の中は、そうした男の人であふれているようですもの。今年の夏、わたしはそういう男の人にたくさん会いましたもの。
午後は、みんなでがけの上を散歩します。潮《しお》のぐあいがよかったら、水泳もするつもりです。塩水《しおみず》で泳ぐのだったら、もう楽々です――おわかりでしょう、わたしはもう自分の受けた教育をじっさいに使っているのです!
ジャーヴィス・ペンドルトンさんから手紙をいただきましたが、それは短くて簡単なもの。あの方のご注意どおりにしなかったことを、まだおこっていらっしゃるのです。でもはやくお帰りになれれば、学校がはじまる前にロック・ウィロウに何日間か、きてくださるそうです。わたしがおとなしくやさしく、よくいうことをきいたら、またきっとお気にいりになれるでしょう(と手紙からわたしは察しています)。
サリーからも手紙がきました。九月に二週間サリーのところのキャンプにおいでなさい、と誘《さそ》ってくれました。おじさんのおゆるしをいただかなければならないのでしょうか? わたしはまだ自分のすきなとおりにできる立場にはないのでしょうか? そう、わたしはもうそれができると思うわ――いいこと、わたしはもう四年生なのよ。夏じゅう働いたら、ちょっとくらい元気づけの気晴らしはしたいわ。アディロンダックという山も見たいの。サリーとも会いたいの。サリーのお兄さんにも会いたいわ――カヌーのこぎかたを教えてくださるそうよ――それに(ここであまり感心できないわたしの本音《ほんね》になるわけですけど)わたしロック・ウィロウにおいでになるジャーヴィ坊ちゃまをすっぽかしたいの。
わたしをあごで使おうとしたってだめなことを、わたしはなんとしてもあの方に知らせたいのです。おじさん、このわたしに命令できる人はおじさんだけよ――でも、おじさんだって、いつもできるとはかぎらないわ! もう自分の道をきり開きはじめたのですから。
ジューディより
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九月六日 マクブライド家のキャンプにて
おじさん
おじさんのお手紙は間にあいませんでした(ありがたいことなのですが)。もしおさしずのとおりわたしを動かしたいのでしたら、秘書さんがそれを二週間以内にわたしに伝えるようにしなければだめです。おわかりのとおり、わたしはいまここにきています。そして、きてから五日もたっているんです。
森はすばらしく、キャンプも、お天気も、マクブライドさんたちも、それに世界全体も、すばらしいです。ほんとに、わたし幸福よ!
カヌーをこぎにこないかと、ジミーがわたしをよんでいます。さようなら――いうことをきかなくて、ごめんなさい。それにしても、どうしておじさんはいつも、わたしに遊んじゃいけない、遊んじゃいけないとおっしゃるのでしょう? 夏じゅう働いたのだったら、二週間くらい息ぬきをしてもいいと思うわ。おじさんはとっても意地悪よ。
だけど――やっぱりおじさんはだいすきよ、いろいろと欠点はあるにしても。
ジューディより
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十月三日
あしながおじさん
学校にもどってきて四年生になりました――そして校友会雑誌の「マンスリー」の編集長《へんしゅうちょう》にも。こんなに世なれた人物が、三年前には、ジョン・グリア孤児院にいたのだと、おじさんはお考えになれて? アメリカって、動きのはやい国だわね!
おじさんはつぎのことを、どうお思いになること? ロック・ウィロウあてのジャーヴィ坊ちゃまの手紙が、ここに廻送《かいそう》されてきました。残念だけれど、友人からヨットででかけないかと誘われてしまったので、今年の秋には、ロック・ウィロウにはいけない、楽しく夏をすごし、いなか生活をおもしろくすごすように、というお手紙でした。
しかも、坊ちゃまはわたしがマクブライドさんのところにいっていることを、ちゃーんとごぞんじなんですのよ、ジュリアがそれを話してあるんですもの! かけひきのことだったら、おじさんたち男のかたは、それを女にまかせておかなけりゃいけないことよ。おじさんたちは軽くあざやかにものをやる力がないのですもの。
ジュリアは、もううっとりするほどきれいな着物をトランクにいっぱい持っています――虹《にじ》色のちりめんの夜会服は天国の天使にきせてもはずかしくないほどのすばらしさです。しかも、わたしは今年の自分の服を前例《ぜんれい》無比《むひ》の(こんな言葉ってあるかしら?)美しいものを思いこんでいたのです。安い仕立屋さんにたのんでペイターソン夫人の服とそっくりのものをつくらせ、その結果は夫人のものそっくりとまではいかなくとも、ジュリアが荷をほどくまでは、わたしはもう悦《えつ》にいっていたの。でもいまは――一度でいいからパリを見たいものだわ!
おじさんは、ああ、女に生まれなくってよかった、とお思いじゃないこと? わたしたち女が着物のことをワーワーさわいでいるのをごらんになって、ほんとにばかげたことだとお考えでしょうね? じっさい、そのとおりよ、まちがいなしだわ。でも、これはもうまったく、おじさんたちがいけないからなんだわ。
ある学問のある教授先生がおいでになって、必要のないかざりを軽蔑《けいべつ》し、軽はずみでない、実用的《じつようてき》な婦人服をおすすめになった話、おじさんはごぞんじかしら? その奥さんはおとなしいかたで、ご主人のおっしゃるとおりの「改良服」を着たの。するとどういうことになったとお思い? この教授はコーラス・ガールとかけおちをしてしまったんです。
かしこ
ジューディより
(追伸)わたしたちの寮の女中さんは、青い縞《しま》模様《もよう》のギンガム地のエプロンを着ています。わたしは茶色のエプロンをこの人にあげて、もとの青いエプロンは湖水の底に沈めてしまうつもりよ。それを見るたびに、むかしを思いだしてぞーっとするんですもの。
[#改ページ]
十一月十七日
あしながおじさん
すごい|しみ《ヽヽ》がわたしの文学上の経歴《けいれき》につけられました。おじさんに申しあげていいのかどうかはわかりませんけれど、わたしになにか同情を――物言わぬ同情を――ほしくてたまらなくなりました。このつぎにくださるお手紙でそのことにふれて、わたしの古傷《ふるきず》にさわるようなことは、なさらないでください。
わたしは小説を書いていました。冬のあいだ夜はずっと、そして頭のよくない子供たちにラテン語を教えていた夏にもひまなときにはそれを書きつづけていたのでした。この小説を書きあげたのは、学校がはじまるちょっと前のことでしたが、それをある出版社に送ったのです。二カ月たってもそれが返ってこなかったので、わたしはてっきりもうだいじょうぶと思いこんでいました。ところが、きのうの朝、速達で(しかも三十セント送り先払いで)それが送り返され、出版社からの手紙が、それに添えられてありました。とても親切で父親のような手紙なんですけど――だいぶ手きびしいものなんです! そこには、宛名から察して、きみは学生だろうと思うが、もしわたしの注意を考えてもらえたら、せっせと勉強にはげんで、小説を書くのは大学をでてからのことにしたらどうだろう、と書いてありました。そこには、原稿を読むかかりの人の意見が同封してありましたが、その文面はつぎのとおりです。
「すじはひどくでたらめで、性格描写《せいかくびょうしゃ》は大げさ。会話は不自然。ユーモアたっぷりだが、必ずしも上品なものとはいえない。しっかり勉強するように伝えていただきたい。いずれ将来はすばらしいものを作りだすかもしれません」
あんまりありがたいものではないことね、どう、おじさん? しかも、自分としてはアメリカ文学にひとつ傑作《けっさく》を添えたつもりでいたんです。ほんとうにそう思っていたの。卒業するまでにひとつすばらしい小説を書いて、おじさんをびっくりさせてあげようと計画していたの。その材料は、この前のクリスマスにジュリアの家にとまっていたとき集めておきました。でも、きっと、出版社の考え方のほうが正しいのよ。大きな都市の風俗や習慣を知ろうとしても、二週間ではちょっとむりですものね。
きのうの午後散歩にでたとき、わたしはその原稿を持ちだし、ガス会社のところをとおったとき、そこにはいっていって、炉《ろ》を借りていいかどうか技師《ぎし》の人にきいてみました。そのかたが親切にも炉の扉《とびら》を開けてくださったとき、自分の手でこの原稿をなかにほうりこんでしまいました。そのときの気持ちときたら、まるで自分を火葬《かそう》にしたような感じでした。
きのうの夜は、すっかりうちひしがれた気分になって、床にはいりました。世間でみとめられるようは人には、もうぜったいになれない、おじさんがお金をだしてくださったのも、けっきょくむだになってしまった、と考えたからです。でもこれはどうでしょう? けさ目をさますと、美しいすじが新しく頭に浮んでいるのです。そして、今日は一日じゅう、えもいわれぬほどの幸福感にひたりながら、登場人物のことを思いめぐらしてすごしました。わたしが悲観《ひかん》論者《ろんしゃ》だなんて誰にも言わせはしないことよ! 夫と十二人の子供が突然|地震《じしん》にのまれてしまっても、わたしはつぎの朝にはにこにこしながら立ちあがり、もう一組べつの夫と子供をさがしはじめることでしょう。
かしこ
ジューディより
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十二月十四日
あしながおじさん
きのうの夜、ほんとにおかしな夢をみました。夢のなかで本屋さんにはいってゆくと、「ジューディ・アボットの生涯《しょうがい》と手紙」という新しい本を出されたんです。それがはっきりと目にうつったのです――赤い布の装幀《そうてい》で、表紙《ひょうし》にはジョン・グリア孤児院の絵がかいてあり、口絵《くちえ》のところにはわたしの肖像《しょうぞう》がでていて、その下に「ほんとうにあなたのものであるジューディ・アボットより」と書かれてありました。自分のお墓の上にきざんである文字を読もうとして最後のページをめくっているとき、ハッと目をさましたのです。とってもくやしかったわ! 誰とわたしが結婚するか、いつわたしが死ぬかがもうすこしでわかるところだったんですもの。
自分の一生の話――どんなことでも知っている作者がありのまんまに書いたもの――をほんとうに読むことができたらさぞおもしろいだろう、とお考えにならないこと? そして、それを読むことができる条件《じょうけん》は、つぎのとおりだとするの。読んだことは、ぜったいに忘れずにいて、自分のするすべてのことがどんなものになるかを前からちゃんと知り、いつ死ぬかも、時間まできちんとわかっているとするのよ。そうしたら、この本を読む勇気のある人が何人いると、おじさんはお思い? それからまた、自分の好奇心《こうきしん》をしっかりおさえて、希望もおどろきもなくこの世を送るなんてまっぴら、そんな本は読みたくない、とがんばれる人は、何人いるかしら?
人生《じんせい》っていうものは、どうみたって退屈《たいくつ》なものよ。食べたりねむったり、何度も何度もそれをくり返さなければならないんですものね。でも、食事のあいだに思いがけないことがぜんぜんおこらなかったら、人生がどんなにおそろしく退屈なものになってしまうか、ちょっと想像してみてください。まあ大変! おじさん、インクのしみをつけてしまったわ。でも三頁まで書いてしまったんですから、新しく書きなおすことはできません。
今年は生物学をつづけるつもりです――とてもおもしろい学課だわ。いま消化組織《しょうかそしき》を勉強ちゅうです。猫の十二|指腸《しちょう》の横断面《おうだんめん》を顕微鏡《けんびきょう》の下で見ると、どんなにきれいなものか、おじさんにも見ていただきたいくらいよ。
それから哲学の勉強もはじまります――おもしろいけど、なんだかたよりないものね。生物学のほうがすきだわ、問題になっているものが、はっきりとつかめるんですもの。あらまた! あっ、またもうひとつしみをつけてしまいました! このペン、ずいぶんなき虫ね。ペンの涙をゆるしてやってください。
自由意志というもの、おじさんはお信じになる? すべての行為がずっと遠くのかけはなれた原因の集まったもので、その結果はどうしてもさけられもせず、自動的なものだといっている哲学者《てつがくしゃ》がいるけど、わたしは賛成《さんせい》できないわ。こんなに不道徳な考えって、聞いたこともないわ――どんなことをしても、誰も責任がないことになってしまいますもの。もし人が宿命論《しゅくめいろん》を信じたら、その人は当然坐りこんで、「神さまのみ心のままに」とのべ、たおれて死んでしまうときまで、坐りつづけることでしょう。
わたしはぜったいに、自分の自由意志と、がんばってものをやりぬく自分の力を信じています――それが山をも動かす信念となるんです。わたしがりっぱな作家になるのを、どうか見ていてください! わたしが今度とりかかった本は、四章はもう書きあげ、五章分の考えはまとまっています。
きょうはずいぶんむずかしいお便りになってしまいましたことね――おじさんの頭、いたくなってしまったのではないかしら? このへんでやめにして、お菓子のファッジをつくることにしましょう。それをひときれお送りできないこと、残念だわ。すごくおいしいのができることよ。ほんもののクリームと、バタボールを三つも使うのですもの。
かしこ
ジューディより
(追伸)体操の時間に仮装会用《かそうかいよう》のダンスを習っています。つぎの絵で、わたしたちがどんなに本式のバレエそっくりか、おわかりでしょう。いちばんはしっこで、いともうるわしき旋回《せんかい》をしているのが、あたし――わたしです。
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十二月二十六日
だいすきなおじさん
わたし、おじさんの常識《じょうしき》をうたがうわ。一人の娘にクリスマスの贈物を十七もくださるなんて、それがいけないことだっていうこと、おわかりにならないの? わたしは社会主義者よ、このことはどうぞお忘れなくね。おじさんは、わたしを金持ち政治家にかえてしまおうとなさっておいでなの?
わたしたちが仲たがいしたら、どんなにいやなことになるでしょう! いただいたものをお返しするのに、引越の馬車をやとわなければならなくなりますもの。
お送りしたネクタイがくたくたのもので、ごめんなさい。あれはわたしの手であんだものなんです(実物そのものをごらんになっただけで、それはおわかりでしょうが)。あれをつけるのは寒い日、そして、その上にボタンをしっかりとかけて上着を着てください。
おじさん、ほんとに、ほんとに、ありがとう。おじさんはとっても、とっても、やさしいかた――そして、この上なしのおばかさんよ!
ジューディより
マクブライドさんのところのキャンプからとってきた四つ葉のクローバをお入れします。これでお正月に、幸運がおじさんをおとずれますように!
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一月九日
おじさん、それで、魂《たましい》が永久《えいきゅう》に救われるようなことを、なさりたくはない? ほんとにどうにもしようのないほどこまりぬいている一家の人たちがいるのです。お母さんとお父さんといまは四人の子供たち――上の二人の兄さんは、世のなかで一旗《ひとはた》あげるといって姿をけしてしまったんですけど、なんの仕送《しおく》りもしていません。お父さんはガラス工場ではたらいていましたが、肺病《はいびょう》にかかり――この仕事は健康にとてもよくありません――いま入院ちゅうです。これで貯金はすっかり使いはたしてしまい、家の柱になっているのは、二十四になったいちばん上のお姉さんだけです。お裁縫《さいほう》でかせげるお金は、一日一ドル五十セント(それも仕事があった日だけ)、夜は、テーブルかけのししゅうをしています。お母さんはたいして丈夫でなく、ぜんぜん役にたたずで、信仰《しんこう》にこっている人です。このお母さんは、まるであきらめそのものの姿といったようすで、手を組みあわせて坐っているだけ、このお姉さん一人が、仕事のつかれと責任と心配で身を細らせ、これから先冬をどうしてすごしたものかと、途方《とほう》にくれています――わたしも途方にくれるばかりです。百ドルあれば、石炭と靴を買え、子供たちも学校にいけ、その上すこしはお金が残って、仕事が何日かなくても、このお姉さんは、死ぬほどの苦しみを味わわなくても、すむことでしょう。
おじさんは、わたしの知っている人のなかでいちばんのお金持ちです。百ドルのお金、なんとかつごうしていただけないでしょうか? このお姉さんのほうが、わたしよりずっと、助けてあげなければならない人です。この人がいなかったらおじさんにこんなおねがいはしなかったことでしょう。お母さんのほうはどうなろうと、わたしはたいして気にはしていません――だって、クラゲのような人ですもの。
目をギョロギョロさせて天をあおぎ、そうでもないことをちゃんと知っていながら、「これも神様のおぼしめし」なんていつもいっている人があるけど、それを見ると、わたしムカムカしてしまうの。へりくだった態度とか、あきらめとか、まあどんなふうによんでもいいけれど、それはけっきょく能《のう》なしの無精《ぶしょう》なんだわ。もっと戦う宗教のほうがいいと思うわ!
哲学ではうんざりする講義がつづいています――あしたは一日ショーペンハウエル(一七八八〜一八六〇、ドイツの哲学者)のお話だけ。この教授には、わたしたちがほかの課目もやっているのだということが、おわかりでないらしいわね。変わった老人で、頭を雲のなかにつっこんで歩きまわり、ときどき固い地面にぶつかると、目をパチパチさせてうろたえています。ときには、気のきいたじょうだんをとばして講義をあかるくしようとなさることがあり――わたしたちも一生けんめい、にっこりしようとするのですが――この先生のじょうだんは、たしかに、声を立てて笑うことができぬしろものです。先生は授業の合間の時間を使って、物質とはほんとうにあるものか、それともそれがあると自分が考えているだけのことなのか、という問題にとりくんでおいでです。
あの裁縫をしているお姉さんだったら、もうなんの疑いもなく、物質はあると答えるでしょうにね!
わたしがこんど書きだした小説、おじさんはそれがいまどこにあるとお思い? くず箱のなかなの。自分自身で、もうこれはだめだとわかりました。愛情をそそいでいる作者自身がそう考えた場合、うるさい世間の人は、この小説をどう考えることでしょう?
あとで
苦しみの床から、おじさんにお便りします。扁桃腺《へんとうせん》がはれてもう二日間寝ています。のどにとおるものは、温めた牛乳だけです。「赤ちゃんのときに切ってしまわなかったなんて、きみのお父さんや、お母さんは、なにかを考えていたんだろうね?」と、先生がおっしゃっておいででした。これはたしかに、当人のわたしにもわからぬこと、きっと親たちは、わたしのことなんぞ、気にもとめてはいなかったんでしょう。
かしこ
J・A
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つぎの朝
この手紙の封《ふう》をする前にもう一度読みかえしてみました。|どうして《ヽヽヽヽ》あんなに暗い考え方をしていたのか、自分でもわかりません。急いでいいそえますが、わたしは若くて幸福で、はりきっています。おじさんも、きっとそうでしょうね。若さはとった年には関係がなく、魂がいきいきしていることが若さというもの。ですから、たとえおじさんの髪が灰色になっていても、まだ十分少年になれるわけです。
かしこ
ジューディより
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一月十二日
慈善家のおじさん
あの一家の人たちにくださった小切手、きのういただきました。ほんとうにありがとうございます! 体操の授業をサボって、おひるごはんがすむとすぐ、それを持っていきました。あのお姉さんの顔ったら、おじさんに見せてあげたかったわ! すっかりおどろいてしまい、うれしがり安心して、顔が若がえったような感じでした。たった二十四なんですけど……。気のどくでしょう?
とにかく、あの人はいま、うれしいことが一度にどっとおしよせたような気になっています。これから先二カ月はまちがいなく仕事はあるんですって――誰か結婚する人がいて、お嫁《よめ》入りの衣裳《いしょう》の仕立てを頼まれているわけです。
あの小さな紙きれが百ドルのお金だということがわかると「神様、ありがとうございます!」と、おばさんは叫びました。
「神様じゃなくて、あしながおじさんよ」とわたしはいってやりました(おじさんではなく、スミスさんなんですが)。
「だけどね、それをスミスさんに思いつかせてくださったのは、神様さ」が、おばさんの答え。
「そんなことないわ。それをしたのはわたしだことよ」とわたしはいいかえしました。
だけど、とにかく、神様はきっと、おじさんにはちゃんとむくいてくださると思います。おじさんは煉獄《れんごく》入りを一万年へらしていただけることでしょう。
深く感謝しつつ
ジューディ・アボットより
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二月十五日
いともかしこき陛下《へいか》のお許しを得て、言上《ごんじょう》いたします。
今朝|七面鳥《しちめんちょう》の冷肉《れいにく》パイと、がちょうで朝食をしたため、いまだ飲みたることなき一杯の茶(シナ茶)を所望《しょもう》せり。
おじさん、心配はご無用――気が狂ったのではありませんからね。ただサミュエル・ピープス(一六三三〜一七〇三、英国の日記作家として有名)の文を引用したまでのことです。英国の歴史の勉強で、もとの本に当って調べるものとして、いまピープスを読んでいるのです。サリーとジュリアとわたしは、いま一六六〇年当時の言葉で話しあっています。ちょっとこれを聞いてください。
「チェアリング・クロスにおもむき、ハリスン少佐が絞首刑《こうしゅけい》に処《しょ》せられ、臓腑《ぞうふ》をぬかれ、四つ裂《ざ》きにされしところを見る。かかる立場にありし者としては、実に暗きところを示さざる人物なり」また、こんなのもあります。「奥方《おくがた》と晩さんのお相手をつとむ。美しき喪服《もふく》を召《め》されたり。弟君《おとうとぎみ》昨日|脳脊髄膜炎《のうせきずいまくえん》にて死去されしためなり」
お客さまをよぶなんて、ちょっとはやすぎるんじゃないかしら? くさって古くなった食料を貧乏な人たちに売りつけて、王さまの借金《しゃっきん》を払うとてもずるいやり方を、ピープスの友だちが考えだしました。社会改革者《しゃかいかいかくしゃ》のおじさんは、このことをどうお思いになる? いま生きている人たちは新聞で書かれているほど悪くはない、とわたしは思うわ。
サミュエルが着物に夢中だったようすは、女の子に負けずおとらずだわね。この人は自分の衣裳に、妻の分より五倍もお金をかけていました――どうやら、そのころは、亭主族《ていしゅぞく》にとって黄金時代《おうごんじだい》だったらしいわ。つぎの記事には心を打たれないこと? ほんとにこの人は正直者だったわけね。「本日金ボタンづきの見事なる余《よ》のらくだのマントとどく。高価《こうか》なるものなり。神よ、この支払《しはら》いのできまするように」
ピープスのことばっかりおしゃべりして、ごめんなさい。いまわたしは、ピープスについて特別論文を書いているところなのです。
おじさん、どうお思いになる? 学生自治会は十時|消燈《しょうとう》をとりやめにしました。これで、わたしたちは、一晩じゅうでもあかりをつけていいことになったわけです。その条件《じょうけん》はただ、他人のじゃまにならないようにすることだけ――ここでは大げさな騒《さわ》ぎはしないことになっています。この結果は、人間の持っている性格を、みごとに物語ることになりました。すきなだけおきていてよいとなると、それをしなくなってしまうのです。九時になると、みんなコックリコックリといねむりをはじめ、九時半には、ペンをにぎった手もゆるんでしまいます。いま九時半です。おやすみなさい。
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日曜日
教会よりもどりたるところ――ジョージア州よりきたれる説教者、曰《いわ》く、感情的性格《かんじょうてきせいかく》を犠牲《ぎせい》にして、知性《ちせい》を伸ばさざるよう注意すべし、と――ただし、これ粗末《そまつ》にして味気《あじけ》なき説教なり(またピープス流がでてきました)説教者がアメリカ、カナダのどこからこようと、また、どの宗派に属《ぞく》していようとかまわないのですが、わたしたちのきくお説教は、みなおなじことばかりです。こういう人たちは、どうして、男の大学にいって、男らしさまで殺して勉強するにはおよばない、とお説教しないのでしょう?
きょうは晴れわたった美しい日です――地面はカチカチで氷がはり、すみきっています。ひるごはんがすんだらすぐ、サリー、ジュリア、マーティ・キーン、エリナー・プラット(おじさんはごぞんじありませんが、二人ともわたしのお友だちです)それにわたしは、短いスカートをはき、郊外《こうがい》の道を歩いて、クリスタル・スプリング農場にいき、あげた|ひな《ヽヽ》とワッフルの夕ごはんを食べ、帰りは、クリスタル・スプリングのおじさんに馬車で送ってもらうつもりです。七時に大学に帰ることには一応きめられていますが、きょうそれをちょっとのばして、八時に帰ろうと考えています。
やさしききみよ、さらば、
かたじけなくも貴下《きか》の最も忠実、誠実、信義ある従順なるしもべ
J・アポットより
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三月五日
評議員さま
あしたは第一水曜日――ジョン・グリア孤児院ではいやな日です。五時になり、あなたがたが、孤児の頭をなで、お帰りになったとき、みんなは、ほんとにホッとすることでしょう! おじさんは(ご自分で)わたしの頭をなでてくださったことあります? どうもないらしいわね――わたしの思いだす人は、みんな太った評議員さんばかりですもの。
どうかあの孤児院によろしく――心からよろしくお伝えください。四年の年月という|もや《ヽヽ》をとおしてふりかえってみると、あの孤児院に持つわたしの気持ちはなつかしさだけです。最初大学にきたとき、わたしはあそこに、強い腹立たしさを感じていました、ほかの女の子たちが味わう子供時代を、あそこのおかげで、味わえなかったと考えていたからです。でも、いまは、そんなふうにはぜんぜん思っていません。あそこの生活をめったにない冒険だったと考えています。おかげである都合のいい立場に立つことができ、そこからは、はなれて人生をながめることができます。すっかり大きくなってからあそこをでたので、わたしは世間を広く見わたす力を持っていますが、これは、世間のまんなかで育ったほかの人たちには、ぜんぜんかけているものです。
自分が幸福であることに気づいていない娘(たとえばジュリア)は、ここにはたくさんいます。こうした人たちは幸福になれきってしまっていて、それを感じなくなっているのです。でも、わたしはといえば――日々のひとときひととき、自分が幸福なことをかたく信じています。どんな不愉快なことがおきようとも、その気持ちを持ちつづけるつもりです。不愉快なことは(歯の痛みでも)おもしろい経験と考え、それがどんなものか知ったことを、よろこぶつもりです。「わが頭上《ずじょう》、空模様《そらもよう》いかにあるとも、運命に立ちむかう勇気、われにあり」(バイロン〔一七八八〜一八二四〕の詩「マリー氏によす」のなかの言葉)です。
でも、おじさん、ジョン・グリア孤児院にたいするこの新しい愛情を、あまり文字どおりにお考えにならないでください。もしわたしに子供が五人いても、その子供たちが素朴に育つために、ルッソーのように、それを孤児院の入口のところにすてる気はないのですから……。
リペット院長さんには、くれぐれもわたしの好意をお伝えください(好意くらいがほんとのところでしょう。愛情とまでいうといいすぎです)。それに、わたしがどんなに美しい性格をのばしてきたかお伝えすることも、どうかお忘れなくね。
かしこ
ジューディより
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四月四日 ロック・ウィロウにて
おじさん
この消印《けしいん》にお気づきですか? 復活祭《ふっかつさい》のお休みちゅう、サリーとわたしは、ロック・ウィロウにいろどりをそえています。ふたりで、十日間のお休みのいちばんの利用法は静かなところにいくことと、話がきまりました。わたしたちの神経はつかれはてて、ファーガスン寮ではこれ以上食事はできないほどまでになってしまいました。四百人の学生といっしょにおなじ部屋で食事をすることは、疲れた人間にとって、とてもつらいことです。食事どきのすごい騒ぎときたら、テーブルのむこう側の人が口に両手をメガホンのようにあててどならなければ、こちらにその声がとどかぬくらいです。うそではありません。
丘を歩き、本を読み、ものを書いたりして、ふたりは楽しく、ゆったりとすごしています。けさ、スカイ・ヒルのてっぺんまで登ってみましたが、ここは、ジャーヴィ坊ちゃまといっしょにむかしお料理をしたところです――それからもう二年もたってしまったかと思うと、まるで夢のようですわ。焚火《たきび》の煙で岩が黒くなったところは、まだ残っていました。ある場所がある人たちと縁《えん》があるようになるなんて、考えてみるとみょうだこと。そこにもどると、きっとその人たちのことを思いだすんですものね。あのかたがおいでじゃなくてわたしとてもさびしかったわ――ちょっとのあいだね。
おじさん、わたしの最近の活動はなんだとお思い? 性《しょう》こりのないやつときっとお考えになることでしょうね――本を書いているのです。三週間前にそれをやりだし、いまそれをぐんぐん進めています。秘訣《ひけつ》がわかったのです。ジャーヴィ坊ちゃまと、あの編集者《へんしゅうしゃ》のいうとおりでした。自分が知っていることを書くと、いちばん人を納得《なっとく》させるものですわね。そして、こんど書いているものは、わたしが――よーく――知っているものです。場所はどこかおわかり?ジョン・グリア孤児院です! いい作品よ、おじさん、ほんとなの――毎日おきている、つまらぬ小さなことについてのお話なの。こんどは写実派《リアリスト》でいきます。ローマン主義はやめにしました。自分の冒険を味わう未来の生活がはじまったとき、またローマン主義にもどるつもりではいますけど……。
この新しい本はすっかり書きあげ――出版されます! 見ていてごらんなさい! ひとつのことを一生けんめいに望み、努力をつづければ、最後にはその望みはかなえられるものです。おじさんからお手紙をいただこうと、わたしはこの四年間努力してきました――まだその希望はすてていませんことよ。
おなつかしきおじさん、さようなら。
(おなつかしきおじさんと、おじさんのことを呼ぶこと、わたしすきです。おが重なっていますから)
かしこ
ジューディより
(追伸)農場のお知らせをするのを忘れていました。でも、とても悲しいことばかり。静かな気持ちでおいでになりたいのでしたら、この追伸は読まないで、とばしてください。
かわいそうに、老グローヴは死にました。ものが噛《か》めないようになってしまったので、射ち殺さなければならなくなったからです。
九羽のひよこが、先週、いたちか、スカンクか、ねずみに殺されました。
牝《め》牛が一頭病気になり、ボニリッグの四つ角から獣医《じゅうい》さんを呼ばなければならなくなりました。この牛に亜麻仁油《あまにゆ》とウィスキーをやるために、アマサイは一晩じゅうおきていました。この病気の牛は、亜麻仁油のほかにはなにも食べていないのじゃないかと、わたしたちはとても心配しています。
センチなトミー(三毛猫《みけねこ》のこと)はゆくえ不明です。わなにかかったのではないかと気がかりです。
世の中には、いやなことばかりたくさんあるものね!
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五月十七日
あしながおじさん
ペンをながめただけで、もう肩が痛くなるので、このお便りは短いものになりそうです。昼は昼でノートにかかりっきり、夜は夜で不滅《ふめつ》の傑作ときているんですから、ヘトヘトです。つぎの水曜日から数えて三週間たつと、卒業式です。いらっしゃってわたしのお客さまになってくださってもいいはずだわ――きてくださらなかったら、わたし、おじさんだいきらい! ジュリアは親類《しんるい》なのでジャーヴィ坊ちゃまを、サリーはお兄さんなのでジミー・マクブライドをお呼びします。でも、わたしがお呼びするかたって、どなたがいるのかしら? おじさんとリペット院長さんだけ、でも、院長さんはごめんだわ。どうかおいでになってください。
愛情を書きすぎての指のひきつりをこめて
ジューディより
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六月十九日 ロック・ウィロウにて
あしながおじさん
わたしの教育はおわりました! 卒業証書《そつぎょうしょうしょ》は、晴《は》れ着《ぎ》ふたつといっしょに、たんすのいちばん下のひきだしにしまってあります。卒業式はいつものとおりでした、かんじんのときになると、ときどきにわか雨が降ってきましたけど……。つぼみのばら、ありがとうございました。きれいでしたわ。ジャーヴィ坊ちゃまとジミー坊ちゃまと、ふたりともばらをくださいましたけど、それはおふろおけにつけておいて、卒業の行進のときにはおじさんからいただいたものを持っていきました。
いまロック・ウィロウにきています。夏の間だけなんですけど――いつまでも、住みつくことになるかもしれません。食費《しょくひ》は安いし、あたりも静かで、創作《そうさく》生活にはもってこいです。世にでようと一生けんめいの作家が、これ以上なにをもっと望むことができましょう? わたしは自分の本に気ちがいのようにとりかかっています。おきている間じゅう、それは頭にこびりついていて、夜はそのことを夢に見ています。望みねがっているものといえば、安らかさと、静けさと、仕事のできる時間(それに栄養のある食事をまぜて)だけです。
ジャーヴィ坊ちゃまは、八月に一週間かそこいらここにおいでになり、ジミー・マクブライドは、夏いつか立ちよってくださるはずです。ジミーは、いまある証券会社《しょうけんがいしゃ》と関係していて、あちらこちらととび歩いて、証券を銀行に売りつけています。四つ角の「国立農民銀行《こくりつのうみんぎんこう》」とわたしを、おなじ出張で片づけるのだそうです。
おわかりでしょう、ロック・ウィロウにだって、社交《しゃこう》生活がないとばかりはいいきれませんのよ。自動車でおじさんにきていただきたいところなんですけど――そんな希望はむだなことが、いまははっきりしました。卒業式にきてくださらなかったとき、わたしはおじさんのことを自分の心からひきちぎり、永久に土のなかに埋めてしまったのです。
文学士 ジューディ・アボット
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七月二十四日
あしながおじさん
仕事をするということ、楽しいことね?――それとも、おじさんは仕事をなさったことが一度もないのかしら? 自分のしている仕事が、ほかのどんなものよりもしたくてたまらないものの場合、その楽しみはまたかくべつです。この夏毎日、わたしは筆のつづくかぎり書いて書いて書きまくりました。この世で不満なただひとつのことは、一日が短すぎて自分の頭のなかにあるきれいで、ためになり、おもしろい考えが書ききれないことだけです。
わたしの小説の二回目の下書きはおわり、あしたの朝七時半に三回目にとりかかるつもりです。とってもすばらしい小説です――本当にそうよ。頭はこのことでいっぱいです。朝仕事にかかる前に着がえをし、食事をするのも、もどかしいほどなの。それからグングン、グングン書きに書いて、急に疲れがでて、ぐったりしてしまいます。そういうときには、コリン(今度飼うことになった羊用の犬)をつれて原っぱを散歩し、つぎの日に書くものをいろいろと考えだすわけ。この小説はとってもすばらしいものよ――あらっ、失礼――このことはもうお話しましたっけ。
こいつはうぬぼれ屋だな、なんぞとはお思いにならないことね、どう、おじさん?
ほんと、わたしはそんな人間じゃありません。ただ、ちょっといまは、夢中の状態になっているだけなんです。いずれきっと、もっと落ちつき、不満をいい、鼻の先であしらうようになるでしょう。いいえ、そんなふうにはぜったいにならないことよ! こんどこそ、ほんとうの小説を書いているんですもの。まあ、見ていてちょうだい。
しばらく、なにかほかのお話をすることにしましょう。この五月にアマサイとキャリーが結婚したこと、まだおつたえしませんでしたわね、どう? ふたりはまだここで働いていますけど、いままでわたしの見たところでは、結婚ですっかり、二人ともだめになってしまったらしいわ。アマサイがどろのなかを歩き、床に灰を落としたりすると、キャリーは声をたてて笑ったものですが、いまは――あの人のブーブー文句《もんく》をいうようすを、おじさんに見ていただきたいものだわ! それに、髪をカールさせることもやめてしまいました。いつも気持ちよく敷物《しきもの》をたたき、まきを運《はこ》んでくれたアマサイは、そんなことをちょっとでもいいつけようものなら、不平をこぼしつづけています。それにアマサイのネクタイはとてもきたならしいの――黒と茶で、前には赤と紫《むらさき》のものだったのに……。ぜったいに結婚はしまい、とわたしはかたく決心しましたわ。結婚って、たしかに、人を堕落《だらく》させるものね。
農場のことでお知らせするようなものは、たいしてありません。獣のほうは、みんなピンピンしています。豚はびっくりするほど太り、牝牛は満足|気《げ》、にわとりはよく卵を生んでいます。おじさんはにわとり類に興味をお持ち? もしそうだったら、『にわとり一羽に年二百の卵を生ませる法』というあのすばらしい小さな本をお読みになることを、おすすめしたいわ。わたしは来年の春に孵卵器《ふらんき》をつかって焼肉《やきにく》用のにわとりをかってみようと考えています。わたしは、このロック・ウィロウにいつまでも住んでいるつもりなんですもの。アンソニー・トロロープ(一八一五〜八二、英国の小説家)のお母さんのように、百十四の小説を書きあげるまで、ここにいようと思っています。それがすめばわたしの一生の仕事がおわったわけ、仕事をやめて旅行にでかけることができるようになるでしょう。
ジェイムズ・マクブライドさんが、この前の日曜日にここにおいでになりました。昼ごはんは、フライドチキンとアイスクリーム、両方ともよろこんでくださったようです。あのかたとお会いして、とてもうれしかったわ。おかげで、忘れていた世間のことをしばらく思いだすことができたんですものね。かわいそうに、ジミーは骨をおって債券を売り歩いています。四つ角の「国立農業銀行」では、六分、ときには七分の利息がつくのに、債券のことをとりあおうとしないのです。きっと最後にはウスターの自分の家にもどり、お父さんの農場に債券を売りつけてけりになることでしょう。あの人は率直で、なんでも話してしまい、心がやさしいのでお金を動かす人間には、うまくなりきれないのです。だけど作業衣《さぎょうい》の製造工場の支配人だったら、打ってつけよ、どうでしょう? いまは作業衣のほうにはふりむきもしていませんが、いずれはそういうことになるでしょう。
書きすぎで指にひきつりをおこしている作家からの便りにしては、これは長くて感心、とおじさんはこの手紙をよろこんでくださいますわ。いまでもやっぱり、おじさんはだいすき、そして、わたしは幸福です。あたりはどこを見ても美しい景色ばかり、食べものはいくらでもあるし、ねるのに気持ちのいい四本柱づきのベッド、ひとつづりの原稿用紙《げんこうようし》、それにびんにはいったインク――これ以上なにを望むことがありましょう?
かしこ
ジューディより
(追伸)郵便屋さんが新しい知らせを持ってきてくれました。ジャーヴィ坊ちゃまがこのつぎの金曜日においでになって、一週間おとまりです。とても楽しみだわ――ただ、小説の進みのことが気になります。なにしろ、ジャーヴィ坊ちゃまは一人でおとなしくしていないかたですから……。
[#改ページ]
八月二十七日
あしながおじさん
おじさんはどこにおいでなのかしら?
おじさんが世界のどこにいらっしゃるのか見当もつきませんけど、このすごい暑さをニューヨークでおすごしではないのでしょうね? どこかの山の上で(それもスイスの山ではなく、もっと近いどこかの山)雪をながめながら、わたしのことを想ってくださっているといいなあ、と思っています。どうかわたしのことを想っていてちょうだい。わたし、とってもさびしくて、人に想ってもらいたいの。ああ、おじさん、おじさんとお会いしたいわ! そうしたら、悲しいときには、おたがいになぐさめあえますもの。
ロック・ウィロウはもう我慢《がまん》できそうもありません。どこかにいこうと考えています。サリーは、この冬、ボストンで社会事業をするそうです。サリーといっしょにいったほうがいいとお思いにならない? そうしたら仕事部屋はいっしょに持つことができますもの。サリーが仕事にでているあいだわたしは小説を書き、夕方はいっしょになれるでしょう。
話をしようにも、セムプルのおじさんとおばさん、キャリーとアマサイだけしかいないと、夜はとても長くてたいくつです。この仕事部屋の計画が、おじさんのお気に召さないことは、もうわかっています。秘書さんのお手紙はきっとこうよ――
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ジールジャ・アボット嬢
拝啓
スミス氏はロック・ウィロウに貴下《きか》がおいでのことをご希望です。 敬具《けいぐ》
エルマー・H・グリッグズ
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おじさんの秘書さん、わたしだいきらいよ。エルマー・H・グリッグズさんという名の人、きっといやな人にちがいないわ。でも、おじさん、わたしほんとうにボストンにいかなければならないと思います。ここにはいられないんです。なにかどうにかならなかったら、やけになって、飼料庫《サイロ》の穴に身を投げてしまうことでしょう。
まあ、それにしても暑いこと! 草という草は、からからになり、川はひあがり、道路はほこりだらけです。もう何週間も何週間も、雨がないんですものね。
このお便りだと、わたし恐水病《きょうすいびょう》にかかっているような感じね。でも、そんなことはありません。家族の人がほしいだけなんです。
なつかしいおじさん、さようなら。
おじさんと会いたがっている
ジューディより
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九月十九日 ロック・ウィロウにて
おじさん
あることがおき、どうしたらいいか教えていただきたいのです。おじさんのお考えをきけたらいいのですけど……。ほかの誰とも相談したくはありません。わたしがおじさんとお会いすること、ぜんぜんだめなのでしょうか? お便りするよりお話したほうが、ずっとうまくお伝えできるからです。秘書さんがきっとこの手紙を開いてみることでしょうね。
ジューディ
(追伸)わたし、とても悲しいんです。
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十月三日 ロック・ウィロウにて
あしながおじさん
おじさんが自身が書いてくださった――ちょっとふるえた字の!――お便り、けさとどきました。ご病気だったそうでいけないことをしたとくやんでいます。それとわかっていたら、あんなめんどうなお便りをしなかったことでしょうに……。ええ、わたしの心配ごとはおつたえしますわ。でも、それは、書くのにちょっとめんどうなことで、わたしだけに関係のあることなの。どうかこの手紙はとっておかないで、もやしてしまってください。お話の前に――千ドルの小切手をお受けとりください。わたしがおじさんに小切手をお送りするなんて、おかしなことじゃないこと? どこからこのお金を持ってきたと、おじさんはお思い?
おじさん、わたしの小説が売れたのです。つづきもので、七部にわけて出版され、それがおわると本になるんです! うれしさで気がくるったようになっているだろう、とおじさんはお考えでしょうね? でも、そうではないのです。なんの感じもわいてきません。むろん――おじさんにお返しできるようになったことはうれしいことです――これ以外に二千ドル以上もまだお借《か》りしているわけです。それは、いずれ、すこしずつわけてお返しします。どうか、気持ちよくこれを受けとってください、お返しできることがとてもうれしいのですから……。おじさんから受けたご恩は、お金だけではとてもお返しできぬものです。残りのお金は、感謝と愛情をこめて、一生のあいだにお返しするつもりです。
では、おじさん、ここでべつのお話にうつります。わたしの気持ちにはおかまいなく、おじさんの世なれたお考えを、どうか聞かせてください。
わたしがいままで特別な気持ちをおじさんに持ちつづけてきたことは、おじさんもごぞんじです。おじさんは、いわば、わたしの家族ぜんぶになっていてくださったからです。でももうひとりの男の人に、もっともっと特別な気持ちを持っていたことをおじさんにお知らせしても、おじさんは、気を悪くはなさらないことね、どう? その人が誰か、苦もなく見当がおつきと思います。ずいぶん長いこと、ジャーヴィ坊ちゃまのことをいろいろとお便りに書いていたのですもの。
あのかたがどんなかたか、それに、ふたりがどんなに気がぴったりとあっているか、おじさんによーくお知らせできたならばと、ほんとに思います。すべてのことについて、ふたりの考えはおなじなんです――あのかたの考えにあわせようとして、こちらが考えを変えるきらいはちょっとあるようですけど! でも、あのかたの考えは、たいていのとき、正しいのです。でも、それは当然のことね、十四もわたしより年上なんですもの。だけど、ほかのこととなると、あのかたはもう大人になった坊やちゃん、世話をやいてあげなければならないのです――雨が降っていても、長靴をはく考えもないほどですもの。あのかたとわたしがおかしいと思うものはいつもおなじものばかり、しかもそれがたくさんあるのです。二人の人間のおもしろいと思っていることがくいちがっているなんて、とてもおそろしいことだわ。そのみぞに橋をかけようとしても、それはできないことでしょう!
そしてあのかたは――ああ、やめましょう!あのかたはあのかたなんですもの。あのかたがおいででないので、わたしはさびしくって、さびしくってしかたがありません。世界じゅうがうつろで、病気にかかっているような気がします。わたしは月の光がにくらしくなります。それが美しいのに、あのかたがここにいて、それをわたしといっしょにながめてくださらないからです。でも多分おじさんは誰かを恋したことがあって、この気持ち、おわかりでしょう? そうでしたら、これは説明しなくてもいいことです。そうでないとしても、これはとても説明できないことです。
とにかく、これがわたしの心――それでいて、あのかたと結婚することをお断わりしてしまったのです。
そのわけは、あのかたにおつたえしませんでした。ただだまりこくって、みじめな気持ちになっていました。なにかいおうにも、それを考えることができなかったからです。そしてあのかたはお帰りになってしまいました、わたしがジミー・マクブライトと結婚したがっているとお思いになって……。ところが、わたしにはそんな気持ちはぜんぜんなく、ジミーと結婚することなんか、考える気にもなりません。ジミーはまだ大人じゃありませんもの。それにしても、ジャーヴィ坊ちゃまとわたしのあいだにはひどい誤解《ごかい》のみぞができ、おたがいに気持ちをきずつけあってしまいました。わたしがあのかたをお帰ししたのは、わたしがあのかたをすきでないためではなく、逆にとってもすきだからなのです。将来いつかそれを後悔なさるときがくるのじゃないかと心配でしたし――それはたえられぬことだったからなのです! どこの馬の骨かわからぬわたしのような女が、あんなりっぱなかたと結婚することなんて、まちがったことと思いました。あのかたに孤児院のことはぜんぜんおつたえしませんでしたし、自分がどんないわれの人間か知らないなんぞとお話することは、たまらぬほどつらいことでした。わたしは|おそろしい《ヽヽヽヽヽ》素姓《すじょう》の人間かもしれません。それに、あのかたのおうちのかたたちは、ほこりをお持ちです――そして、わたしにも、ほこりはあるのです!
それから、おじさんへの義理もちょっと感じました。作家になるために教育をしていただいた以上、すくなくとも作家になろうとつとめることだけは、しなければいけません。教育だけは受けさせていただいて、それでさよなら、教育にはもう用はないでは、すまないことと思います。でも、これでお借りしたお金はお返しできそうになったので、心の重荷はすこしばかり軽くなったような気持ちです――その上、たとえ結婚したとしても、作家はやめなくともよいでしょう。この二つの職業はいっしょにできないわけではないのですから。
わたしはこのことをいろいろと考えてみました。むろん、あのかたは社会主義者で、なににもこだわらない新しい考えをお持ちです。無産《むさん》階級《かいきゅう》の者と結婚することも、多分、ほかの人ほど気になさらぬことでしょう。二人の男女が気がよくあい、いっしょにいればいつも幸福、わかれていればさびしくなるのだったら、ほかのことを考えて結婚しないでいるなんていうことは、いけないことかもしれません。もちろん、それを|信じたい《ヽヽヽヽ》気持ちは、わたしにもありますわ! でも感情をぬきにしておじさんのお考えを聞かせていただきたいの。おじさんもきっと家柄のあるかたでしょうし、同情のあるやさしい立場からではなく、世間的な立場から、それをごらんになるでしょう――こうしたことをおじさんの前に持ちだすなんてどんなにわたしが勇敢か、これでおわかりでしょう。
わたしがあのかたのところへいって、問題はジミーにあるのではなく、ジョン・グリア孤児院にあるといったとしたら――それはとんでもないことかしら? ずいぶん勇気がいるわ。それくらいなら、一生ずっとみじめに暮らしたほうがいいくらいだわ。
これは二月ほど前のことです。それからはぜんぜんなんの便りもいただいていません。わたしはこのきずついた気持ちにまあだんだんとなれはじめてきたのですが、そのときジュリアからの手紙がとどいて、わたしの気分をまたかきみだしてしまいました。そこには――いかにもさりげないふうに――「ジャーヴィおじさま」がカナダで狩りをしておいでのときに、一晩じゅうあらしに打ちのめされて、その後肺炎で寝ておいでになっている、と書いてありました。これはわたしがぜんぜん知らなかったことでした。あのかたがなにもいわずにすーっと消えてしまったので、わたしはなにかきずつけられたような気がしていました。あのかたはきっとずいぶんわびしい気持ちになっておいででしょう。そして、これはよく自分にわかっていることですけど、わたしもわびしいのです!
わたしはどうしたらいいのでしょう?
ジューディより
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十月六日
あしながおじさん
ええ、おうかがいしますとも――水曜日の午後四時半に、もちろん道はわかります。ニューヨークにはもう三回もいったことがありますし、赤ん坊のわけでもないんですから。おじさんとこれからお会いするということ、ほんとうとはどうしても考えられません――長いことおじさんのことを|頭のなかで《ヽヽヽヽヽ》えがきつづけていたので、おじさんが血のかよったほんとうの人間なことが、ふしぎになってしまいました。
おじさん、お体が悪いのにもかかわらず、わたしのことを心配してくださって、ほんとうにありがとうございます。注意してかぜをひかないようになさってね。このごろの秋の雨はとてもじめじめしていて、体によくないのです。
かしこ
ジューディより
(追伸)たったいま、おそろしいことに気がつきました。おじさんのところには召使|頭《がしら》がいますか? わたしは召使頭がこわくて、ドアをそんな人に開かれたら、入口の階段で気絶《きぜつ》してしまうことでしょう。その人になんといったらいいのかしら? おじさんのお名前、まだ知らせていただいてはいませんことね。スミスさまにお会いしたいで、いいのでしょうかしら?
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木曜日の朝
とてもなつかしいジャーヴィ坊ちゃまの、あしながおじさんの、ペンドルトン・スミスさま
ゆうべはおやすみになれましたこと? わたしはだめでした。ウトッともしませんでした。びっくりし、興奮《こうふん》し、どぎまぎして、うれしかったので……。これからさき一生、ねむることも――食べることも、できそうもありません。でも、あなたはおやすみになれたでしょうね。おねむりにならなければいけませんわ。そうすればはやくよくなり、わたしのところにきていただけますものね。
あなたのご病気がどんなに重かったか、考えただけでも、たまらなくなります――しかも、そのあいだじゅう、わたしはなんにも知らなかったのです。お医者さまが、自動車のところまでわたしを見送ってくださったとき、三日間はあなたのことをだめだとあきらめていたとおっしゃっておいででした。まあ、そんなことに万一なっていたら、わたしにとって、この世は光のないものになっていたことでしょう。いつか――これからずーっと先のいつか――わたしたちのうちどちらかが、先に旅立つことになるでしょう。でも、そのときは、ふたりはしあわせを味わい、心の友となる思い出が残っているわけです。
わたし、あなたに元気をつけてあげるつもりだったんですけど――自分を元気づけなければなりませんわ、夢のなかでも考えられないほどのしあわせを味わいながらも、前にもまして、深刻《しんこく》な気持ちにもなっているからです。あなたの身になにかおこるのじゃないかという懸念《けねん》が、黒い影のように、わたしの心にのしかかっています。いままではいつも、わたしは陽気でほがらかな、なんの心配もなく暮らすことができました。なくそうにも、大切なものはなにも持っていなかったからです。でも、いまは――これから一生のあいだ、「大きな心配の種《たね》」ができてしまいました。ふたりがはなればなれになっているときはいつも、あなたをひいてしまうかもしれない自動車のこと、あなたの頭の上に落ちてくるかもしれない看板《かんばん》のこと、あなたの口にはいるかもしれない、のたくりまわるきたならしいばい菌《きん》のことを、わたしは考えつづけることでしょう。これで心の静けさは永久に消えさってしまったわけです――でも、いずれにしても、わたしがねがっていたものは、ただおだやか一点ばりの心の静けさだけではなかったのです。
どうか元気になってください――はやく――はやく――はやく。あなたが身近においでになり、あなたの体にさわって、あなたがほんとうにおいでになるのだということを、たしかめたいのです。お会いしたあの三十分の短かったこと! 夢かしらと心配になってきます。わたしがあなたの親類(遠い、遠いまたまたいとこ)だったら、毎日お訪ねして、本を読んであげたり、枕をふくらませたり、ひたいのあの小さな二本のしわをのばしてあげたり、にっこりとくちびるをほころばせることも、できるのですけど……。でも、もう気持ちはあかるくなっておいでだわね、どう? きのうおわかれする前には、そうでしたわ。お医者さまは「あなたはなかなか大した看護婦さんですね、患者《かんじゃ》さんが十も若返りましたよ」といってくださいました。愛情を持つものがみんな十も若返るんじゃ、ちょっとこまるわ。わたしがたった十一の女の子になってしまったら、それでもわたしを愛してくださること?
きのうはこれまでにないすばらしい日でした。たとえ九十九のお婆《ばあ》さんになっても、このことだけは、どんなこまかなことでも、忘れることはないでしょう。夜明けにロック・ウィロウを出発した少女は、夜もどってきたとき、まったく別人《べつじん》になっていました。セムプルおばさんは四時半にわたしをおこしてくださいました。暗やみのなかでぱっと目をさましたとき、最初に頭に浮かんだことは、「これからあしながおじさんにお会いするのだ!」ということでした。ろうそくの光をたよりに台所で朝ごはんをすませ、それから駅までの五マイルの道を、すばらしくかがやく十月のいろどりにつつまれながら、馬車をはしらせました。途中で太陽がのぼり、ぬまに生えるかえでや、みずきが、真紅《しんく》とオレンジ色にかがやき、石の壁と、とうもろこし畠は、そこにおりた白い霜でキラキラ光っていました。空気はピリッと冷たく、こころよく澄《す》んで、希望にあふれていました。なにかがおこりそうな予感がしてなりませんでした。汽車のなかではずっと、鉄道が「あしながおじさんに会うのだ、会うのだ」と歌いつづけて、わたしの気持ちを落ちつけてくれました。「おじさんなら、きっといい考えを教えてくださる」と、わたしは信じきっていたからです。そして、どこかでべつの男の人――おじさんよりなつかしい人――がわたしと会いたがっていることを、わたしは知っていましたし、この旅行がおわるまでにそのかたとお会いするだろうという感じが、とにかく、していたのです。そうしたら、ほんとうにそのとおりでした!
マジソン街《がい》のお宅《たく》に着いたとき、それはいかにも大きく、茶色で、人をよせつけないように見えたので、わたしはなかにはいる気になれず、勇気をふるいおこそうと、そのへんをひとまわりしてきました。でも、ビクビクすることはなかったのです。召使頭の人はとってもやさしい、お父さんのようなおじいさん、わたしはもうすぐゆったりとした気持ちになってしまいました。あの人のほうから「アボットさんでいらっしゃいますか?」とたずねかけ、こちらでは「そうです」と答えたのですから、「スミスさまはおいででしょうか?」なんぞといわなくてすんでしまいました。それから「どうぞ応接間《おうせつま》にお待ちください」といわれました。そこはとてもいん気な、堂々とした、いかにも男の人のようなお部屋でした。わたしはしっかりとした大きないすのはしに腰をおろし、「これからあしながおじさんとお会いするのだ! これからあしながおじさんとお会いするのだ!」と心のなかでいいつづけていました。
それから間もなく、召使頭の人がもどってきて、「どうか書斎《しょさい》におあがりください」とつたえました。わたしは心がもうすっかりワクワクしてしまって、ほんとうに、文字どおり立つことができないほどでした。入口の外で召使頭はわたしのほうにむいて、「とても重いご病気で、きょう床の上でおきあがるおゆるしがでたばかりでございます。興奮なさるといけませんから、あまり長くおいでにならないよう、おわかりでございますね?」とささやきました。あの話しぶりから、あの人がどんなにあなたを大切にしているかがわかりました――ほんとにいいおじさんだわ!
それからこのおじさんがノックをして、「アボットさまでございます」とつたえ、わたしはお部屋のなかにはいって、ドアをしめました。
あかるい電灯のついたろうかからはいると、このお部屋はいかにも暗い感じ、そのためちょっとしばらくのあいだは、何も目にはいりませんでした。それから目に浮かんだものは、暖炉《だんろ》の前の大きな安楽《あんらく》いすと、ピカピカの茶卓、それにそのわきにある小さないすでした。ついで、男のかたが枕で支えられ、ひざに毛布をまいて、この大きないすに坐っておいでのことがわかりました。わたしがおとめするひまもあたえず、そのかたは――よろよろっと――立ちあがり、いすの背によりかかって、なにもいわずに、ただじっとわたしをごらんになりました。そして、そのとき――そのときになって――あなたということがわかったのです! でも、これだけでは、わたし、どうしてものみこめませんでした。おじさんがわたしをおどろかしてやろうと、あなたをそこにお呼びしたものと考えたからです。
それから、あなたは声をたててお笑いになり、手をさしだして、おっしゃいました、「かわいいジューディ、ぼくがあしながおじさんだったことが、わからなかったの?」
たちまち、すべてのことがさっと|いなずま《ヽヽヽヽ》のように心にひらめきました。まあ、それにしても、わたしはおばかさんでしたわ! すこしでも頭があったら、いろいろのことを考えあわせて、それとわかったはずですのに……。わたしはどうやら名探偵にはなれないらしいわね、どうかしら、おじさん?――ジャーヴィ? あなたのことをなんて呼んだらいいのでしょう? ただジャーヴィだけだと失礼な感じがひびきます。あなたに失礼なことなんてできませんわ!
お医者さまがおいでになって、わたしが追いだされるまでの三十分は、とても楽しいひとときでした。駅に着いたときには、頭がもうボーッとしてしまって、すんでのことでセント・ルイスゆきの汽車に乗りちがえるところでした。でも、あなたも相当ボーッとなっておいでだったことよ。わたしにお茶をだしてくださることを、お忘れでしたもの。でも、ふたりとも、とても、とても幸福だったわ、どう? わたしは暗やみにつつまれて、車でロック・ウィロウに帰りましたが――まあ、星がキラキラかがやいていたことときたら! けさはコリンといっしょに散歩にでかけ、あなたとわたしがつれだっていった場所をぜんぶ見てまわり、そのときのあなたのお話や、ようすを思いだしてみました。きょうの森はみがきあげた青銅のよう、空気は寒さでピリピリしています。山のぼりには、うってつけのお天気です。あなたがここにおいでになって、いっしょに山へいけるといいのですが……。ジャーヴィ、あなたがおいでにならなくて、わたしとてもさびしいわ。でも、そのさびしさは幸福なさびしさだわ。ふたりはまもなくいっしょになれますものね。もうふたりはほんとうに、まちがいなく、おたがいどうしのもの、見せかけだけではありません。わたしにもとうとう家族ができたなんて、なんだかおかしくないかしら? でも、とても、とてもしあわせです。
それに、これから先は、ただのひとときでも、あなたに後悔なんかさせないつもりです。
いつまでもいつまでもあなたの
ジューディより
(追伸)これが生まれてはじめて書いた、わたしのラブ・レターです。その書きかたを知っているなんて、おかしなことですわね? (完)
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解説
『あしながおじさん』と『続あしながおじさん』は両方とも、孤児院をあつかった小説で、手紙の形をとり、しかもそれが一方からだされた手紙だけなのに、筋がちゃんとわかるようになっている珍らしい型の小説です。孤児院のことばかりいろいろとくわしく書いてあるので、作者はきっと孤児院出身の人だろう、と考える読者のかたも多いことと思います。
ところが、事実はそれとはまったく反対、女流作家ジーン・ウェブスターはニューヨークの近くのフレドニアというところで、一八七六年にお金持ちの娘として生まれた人で、孤児院とはおよそ縁がなく、孤児院の知識は、大学時代に経済の勉強をしながら得たものなのです。父親のチャールズ・ウェブスターは出版業を手広くしていた人で、ジーン・ウェブスターはめぐまれた環境につつまれながら、土地の私立小学校、ニューヨークのレイディ・ジェイン・グレイ校、ついでヴァッサーという大学を卒業し、文学士の資格を得ました。大学卒業後は世界旅行をし、イタリアを訪ねたりなどしてそのかたわら小説を書いていました。みなさんは『トム・ソーヤーの冒険』や『ハックルベリ・フィンの冒険』をお読みになったことがあるでしょうが、その作者のマーク・トウェーンはウェブスターの母方のおじに当る人で、父親チャールズはマーク・トウェーンの作品を出版し、自身でも相当に筆が立つ人でした。ウェブスターの母親は陽気なやさしい気持の人で、ウェブスターが子供のころには、おもしろい話をいろいろと聞かせてくれたそうです。
こうした両親とおじのことを考えてみただけでも、ウェブスターが子供時代にどんなに文学的な雰囲気につつまれて育ったかが、わかるでしょう。大学時代の思い出は『あしながおじさん』のジールシャ・アボットの生活にその一部があらわれているものと考えて、だいたいまちがいはないでしょう。ジールシャとおなじように、作者も大学時代には校友会雑誌に投稿したりなどして、文学少女ぶりを大いに発揮していました。
しかし、大学時代をいちばんよく示している作品は『女学生パッティ』で、これはウェブスターがはじめて書いた作で、一九〇三年に出版されました。とても愉快な小説です。『女学生パッティ』の後では『小麦姫』(一九〇五年)、『ジェリー』(一九〇七年)などを書き、どれもおもしろいものにはちがいありませんがウェブスターの名を世界的にした作品は、なんといってもこの『あしながおじさん』(一九一二年)です。これは大学時代の友だちをモデルにして書いたものとされていますが、これまでずっと世界じゅうの人たちに愛され親しまれている作品です。映画にも二度なっています。また、この作品は作者自身の手で劇化され、いまでもいろいろな場所で上演されています。
『あしながおじさん』の文章は、作者がそれを書くときにはとても苦心したそうですが、そうした跡はぜんぜん見受けられず、じつに軽快で弾力のあるピチピチしたもので、ぜひ英語で読んでみてください(※)。簡単でわかりやすく、しかも非常に力強い文体です。きかん気ながらも心やさしく清い少女のジールシャ・アボットが、こうした筆で、まるで目の前に浮かぶようにいきいきと描かれています。この小説は、お説教はなにもしていないのですが、読んでいくうちに読者の心がしらずしらずのうちに洗い清められてしまう、ふしぎな力を持った小説です。
※ グーテンベルク21の原書文庫で手に入ります。
『続あしながおじさん』(一九一五年)は原題を『なつかしい敵さん』といい、『あしながおじさん』の立役者だったジールシャ・アボットは結婚して孤児院の有力な後援者になり、一応表面から姿をかくし、それにかわって大学時代の親友、赤毛のサリー・マクブライドが孤児院の院長さんになって大活躍、「敵」と呼んでいるがんこ者のお医者さんと力をあわせ、孤児院を改革して、それを明かるいものにしていくのが話の主な筋で、これも手紙の形で話が進められています。前の小説とおなじように、ユーモアにあふれた、しかも強い正義感をうたったもので、グングンと人の心をひきつけずにはおかない小説です。『あしながおじさん』と『続あしながおじさん』の両方にはすばらしいさし絵がたくさんはいっていますが、これはウェブスター自身が描いたもので、気分的にいっても、内容といかにもぴったりしたものです。
こんなに美しい作品をつぎからつぎへと書いたジーン・ウェブスターは、どんなに心のやさしい、正しくてきれいな気持を持った人だったことでしょう。ところが、一九一五年にグレンフォード・マッキニーという人と幸福な結婚をした翌年、まだ四十にもならない若さで病気にたおれ、この世を去ってしまいました。楽しい、明るい、愉快な小説をもっともっとたくさん書いてくれたらよかったのにとても残念ですね。でも、ジールシャ・アボットとサリー・マクブライドのふたりは、いつまでも読者のみなさんの心のお友だちとして残ることでしょう。
原文ちゅう、ことに『続あしながおじさん』では、英国北部の方言のスコットランド語が多くでてきますが、特別の場合は別として、ふつうの日本語に訳しました。日本の方言に訳すと、なにかうつらない感じがしてならなかったからです。スコットランド語といえば、このふたつの小説に出てくる人の名前にマック何々という名の人がとても多いことにお気づきでしょう。これはスコットランドに多くある名前で、スコットランド人は山国育ちで、なかなかのがんばりや、意地っぱりで有名な人たちです。そして、この人たちのうちには、うわべがこうしてがんこのようにみえても、心のやさしい人が多いのです。
『あしながおじさん』の翻訳は日本では大正のころからでていますが、村岡花子、中村能三、松山恒見各氏のものは手元において、いろいろと参考にさせていただきました。この場を借りてあつくお礼を申しあげます。(訳者)
〔訳者紹介〕
北川悌二(きたがわていじ、一九一四〜八四)東京生まれ。東京大学、ついで獨協大学教授となる。『オリヴァ・トゥイスト』『クリスマス・カロル』などディケンズの本を多数翻訳した。