即興詩人(下)
アンデルセン/神西清訳
目 次
第二部
一 ポンティーネの沼地
二 悩みと慰め
三 ヘルクラネウムとポンペイの周遊
四 めぐりあい
五 サンタ夫人
六 ペストゥム行き
七 アマルフィでの一幕
八 帰りの旅
九 教育
十 ドメニカ婆さん
十一 あらし
十二 歌姫
十三 ポッジオ
十四 ヴェローナの旧蹟
エピローグ
解説
[#改ページ]
第二部
一 ポンティーネの沼地
ポンティーネの沼地というと、これが淀《よど》んだ泥水がひろがった陰気な場所で、ここを渡って旅をするのは憂鬱《ゆううつ》なものだ、と思う人がたくさんある。ところが反対にこの沼地は、ロンバルディアの平原によく似たところがある。たしかに似ており、そして有り余るとでも言いたいほど豊かである。いろんな草や牧草が、イタリアの北部で見られないほどみずみずしく豊かに伸び繁っている。
この沼地を通り抜ける道よりりっぱな道路も、またとあるまい。この道に馬車を走らせれば球戯用の芝生を走るかと思われ、両側には涯《はて》しないシナの木の並木がつづいて、繁った枝が焼けつくような太陽の光から護ってくれる。右にも左にも無限の平野が丈《たけ》高い草と、緑の色もすがすがしい沼地の植物を生やしてひろがっている。あまたの堀端が交叉《こうさ》して、蘆《あし》や葉の広い睡蓮《すいれん》におおわれた池や湖の水を引き出している。
ローマから来れば、左側にアグルッツィの高い連丘があり、そのあちこちにある山城《さんじょう》のような小さな町が、灰色の岩の上に白い壁をくっきり浮かびあがらせている。右手には、緑の平原が海にとどくところにチチェルロの岬《みさき》が高く見える。今は岬であるが、昔はチルチェの島で、伝説はここにユリシーズを上陸させている。
歩いて行くうちに、霧が散りはじめて、掘割が晒《さら》し台の上の亜麻布のように輝く緑の平原の上にただよった。まだ二月の末だというのに、太陽は夏の熱さで輝いた。水牛の群れが幾つも高い草をくぐり抜け、馬の集団が勝手に走り廻って後脚《あとあし》を蹴上げるので、水しぶきが四方に高く立っていた。この無遠慮な態度、この自由気ままな跳び歩きぶりやはねあがりぶりは、動物画家の研究題目になったであろう。左手にもくもくと立つ煙の柱が見えた。これは羊飼いたちが小屋のまわりの空気を浄《きよ》めるためにした大きな焚火《たきび》から立ちのぼるのだった。一人の百姓に出会ったが、その蒼《あお》黄色い病人のような様子は、沼地が見せるたくましい肥沃《ひよく》さとはおよそ似つかわしくないものだった。墓から起きあがった死人のようなこの男は、黒い馬に乗り、槍《やり》のようなものを手に持って、沼の泥のなかへはいりこんだ水牛を追い集めていた。なかの何匹かは寝そべったまま、気味の悪い目をもった陰気な醜い首をにゅっと伸ばしていた。
すぐ道端に建てられた三階あるいは四階づくりのぽつんとした駅逓《えきてい》の事務所を見ても、この沼地から有毒なガスの立ちのぼることが一目でわかった。あく洗いした壁がどこもかしこも油のような灰緑色のかびだらけだった。ここでは人間と同じく建物までが腐敗の刻印を捺《お》されていて、それが、あたりの豪華なほどの豊かさ、新鮮な緑色、暖かい日の光と奇妙な対照を形づくっていた。
ここの天地のあいだにいると、私の傷ついた心は、人の世の偽りの幸福の姿を私に見せてくれた。人間はたいていいつも感情の眼鏡《めがね》を通して世間を見るもので、そのガラスの色に応じて、暗くも見え薔薇《ばら》色にも見える。
アヴェ・マリアの祈祷《きとう》の一時間ほど前に、私は沼地を通り抜けた。黄色いごろごろした岩のある山々がいよいよ近くなり、私のすぐ前の豊沃なヘスペリアの風景のなかにテラチーナが現われた。実のついた棕櫚《しゅろ》の木が三本、道からあまり遠くないところに立っていた。山腹にひろがる広々とした果樹園が、何百万という黄金の星をちりばめた大きな緑色の敷物のようであった。レモンとオレンジの枝は低く地面にたわみ、道ばたの一軒の百姓家の前に、まるで振り落した栗《くり》のように、レモンがうず高く積み上げてあった。万年老《まんねんろう》と暗赤色の野生のアラセイトウが、絶壁の頂きのあいだまで、岩の割れ目に無数に生え、町とそのまわりの田舎《いなか》を一望におさめるその絶壁の上には、東ゴートの王テオドリックの城の壮大な遺跡がある。
私はこの美しい絵に目のくらむ思いがして、静かな夢見|心地《ごこち》でテラチーナの町にはいった。私の前に海があった。生まれてはじめて見る海があった。驚くばかりの美しさの地中海だった。無限の平野にも似て私の目の前にひろがる純粋この上ない群青《ぐんじょう》の、空そのものであった。沖合はるかになんともいえず美しい薄紫の浮雲に似た島が見え、遠い水平線では黒い煙の柱が青色に変るヴェズヴィオ山があった。海の面は完全に静かなように見えたが、青いエーテルそのもののように透明な大きな波が、私の立っている岸に砕けて、雷のように山々に反響した。
足と同じく、私の目も一ところにとどまっていた。私はうっとりとわれを忘れていた。私のなかにある肉体的なもの、心臓も血も霊気に変ってそのなかに融けこみ、無限の海とその上の空と、この二つのあいだにただよい出るのかと思われた。涙が頬をつたわり、私はわれにもあらず子供のように泣いてしまった。
私の立った場所からあまり遠くない岸に、大きな白い建物があって、波がその土台に当っては砕けていた。通りに出られるいちばん下の一階は、あけ放しの柱廊になっていて、旅行者の馬車の置き場に使われていた。ローマからナポリまでのあいだでいちばん大きくもありいちばん美しくもあるテラチーナのホテルであった。
鞭《むち》の音が岩の壁にこだました。四頭立ての馬車が一台ホテルの入口にとまった。うしろの席に武器を持った侍僕が立乗りしていた。明るい色の大きな寝衣にくるまった、顔の蒼い痩《や》せた紳士がなかに寝ていた。馭者《ぎょしゃ》は馬からおりて、新しい馬をつけるあいだ、何度も鞭を鳴らしていた。旅行者は先へ行きたがったが、フラ・ディアーヴォロ〔本名はミケーレ・ベッザ。はじめ靴下の製造人であったがのちに枢機卿ルッフォ配下の士官として勇名があった〕やチェザリの一党が、いまだに勇敢な後継ぎを持っている山を越すのに護衛の者がほしかったので、いやでも十五分は待たなければならなかった。半分は英語、半分はイタリア語で、人々のぐずさ加減や、旅行者が我慢させられる艱難辛苦《かんなんしんく》をくさしていたが、そのうちにハンカチを結んで頭巾《ずきん》を作り、頭にかぶると、馬車の隅に身を投げかけ、目をつぶって、運命に身をまかせたという様子だった。
私は彼がイギリス人で、十日間でもうイタリアの北部と中部を歩き廻ってこの国と近づきになり、一日でローマを見て、今度はヴェズヴィオに登るためにナポリへ行き、そこから汽船でマルセーユに渡り、イタリアで費したよりも短かい時間で南フランスをも知りたいと思っている、ということを知った。やがて八人のすっかり武装した乗馬の男が現われ、馭者が鞭をぴしりと鳴らして、馬車も騎馬の従者も、高い黄色い岩のあいだの門を抜けて姿が見えなくなった。
「あれだけ護衛を連れて、得物《えもの》もあれだけ持ってるが、それでもあの旅人はわしんとこの外国人みたいに安全てわけにはゆきませんぜ」と、背の低い肩の張った男が鞭をもてあそびながら言った。「イギリスの人間はよっぽど旅好きにちがいない、いつもギャロップにきまってる。妙な奴らだ。呆《あき》れ返ったもんだよ!」
「あんたの馬車には大ぜい旅行者がいるのかね?」私はきいた。
「一つの隅に一人ずつで」と彼が答えた。「ちょうど四人というわけでさ。だがわしの軽馬車《キャブリオレ》にゃ一人しかいません。もし旦那がナポリ見物をなさるおつもりなら、あさって、太陽が聖エルモに沈まないうちにおできになりますよ」
話はすぐにまとまって、私は現金が一文もないために感じていた当惑から解放された〔貸馬車で旅行する時は前金は一文も払わない。反対に馭者の方が金を渡す。これは彼らの正直さを信用して大丈夫という証拠である。この馭者は旅行中の食事と宿の世話もしてくれる。こういう金は皆、はじめにきめる馬車賃のなかにはいっている〕
「証拠金を差し上げたほうがよござんしょうな、旦那?」貸馬車の馭者はこう言って、五パオロ銀貨を指にはさんで差し出した。
「私の宿を取っといてくれ、食事つきで、それから上等のベッドもな」と私は答えた。「すると明日の朝出かけるのかな?」
「へえ、聖アントニオと私の馬に故障がなければ三時に出かけます。税関は二へん通らなきゃならないし、旅券は三べん書きこんでもらわなきゃいけないんで、あしたはわしらにとっちゃ、忙しいことこの上なしでさ」こう言って帽子を上げると、ちょっと頭を下げてこの男は行ってしまった。
私は海の見おろせる部屋に案内された。海には涼しい風が吹き波がうねって、カンパーニャの平原とは大いにちがった景色《けしき》であったが、それでもその大きなひろがりはカンパーニャの私の家と年とったドメニカを思い出させた。そして私はもっとまめに彼女を訪ねなかったことを悔んだ。彼女は心から私を愛してくれた。私にそうしてくれたのは、たしかに彼女一人きりだった。フランチェスカもその伯父《おじ》も私にある種の愛情を持ったことは持ったが、これは特別の種類のものだった。恩恵が私たちを結びつけたものであり、これが相互的でない場合にはいつもきまって、与える者と受ける者のあいだに溝が残り、年月が献身という蔓草《つるくさ》でおおうことはありうるとしても、それを埋めることは不可能だった。私はベルナルドとアヌンツィアータのことも考えた。私の唇《くちびる》は私の目から出た塩気のある雫《しずく》を味わった。それともそれは、足もとの海からだったろうか? 波は壁の上まで高くはねあがって来たから。
次の朝まだ暗いうちに、私は知らない人々といっしょに前の日の男の貸馬車でテラチーナを出発した。ちょうど夜明けに国境に来た。旅券の検査をするあいだ、みんな馬車をおりたので、私ははじめて連れの人々をよく見ることができた。そのなかに年のころ三十ばかりの、どちらかというとおとなしそうな、青い目の男がいて私の注意をひいた。どこかで見た顔にちがいなかったが、どこだか思い出せなかった。私の耳に聞こえたわずかばかりのことばから、外国語であることが知れた。
旅券のおかげでずいぶん長いあいだ引きとめられたが、これは大部分が兵士たちにはわからない外国語で書いてあったからだった。そのあいだに例の外国人はノートを出して、私たちの立っている場所をスケッチした。門のそばに二つの高い塔があり、その門を通る道のすぐほとりに絵のような洞穴《ほらあな》があって、背景には山上の小さな町が見えた。
私がそばへ寄って行くとその男は、いちばん大きな洞穴のなかで美しい群れをなしている山羊に私の注意を向けた。そのとたんに山羊が飛び出した。粗朶《そだ》を束にしてその洞穴の小さいほうの口に置いて、おり口をふさぐ戸のようにして置いたのが取り払われたので、ノアの方舟《はこぶね》から出る動物のように、二匹ずつ山羊がぴょんぴょんと出てきた。とても小さな羊飼いの若者がそのしんがりを勤めていたが、その、これも小さな、紐《ひも》を一本ぐるりと廻した尖り帽子、破れた靴下とサンダル、それにふわりと着た短かい褐色の外套《がいとう》、こういうものが彼の姿を絵に描いたようなものにしていた。山羊が洞穴の上の低い繁みのなかを身軽に動き廻れば、若者は洞穴の上に突き出た岩に腰をおろして、私たちと、彼自身とその周囲の全景を描く画家のほうを眺めていた。
「|こん畜生《マレデットォ》!」と貸馬車の馭者がどなるのが聞こえたと思うと、全速力でこちらへ飛んで来るのが見えた。何か旅券のことでうまくないことがあったのだ。「こいつはおれのだ」私はぎくりとして、頬《ほお》がかっとなった。知らない男は字の読めない兵士たちの無学さをこきおろしたが、私たちはみんな馭者について片方の塔へはいって行った。私たちの旅券が散らばったテーブルの上に五、六人の男がのしかかるようにしていた。
「フレデリックというのは誰だ?」と、テーブルを囲む男たちのなかの頭立《かしらだ》ったのがきいた。
「私です」と、例の知らない男が答えた。「私の名はフレデリック、イタリア語ならフェデリーゴです」
「するとつまり、フェデリーゴ六世というわけだな」
「ちがいますよ、それは旅券のいちばん上に書いてある私の王様の名前です」
「そのとおりだ!」と言って、その男は声を出してゆっくり読みはじめた。「神のみ恵みによりてデンマークとヴァンダル人とゴート人その他の王たるフレデリック六世は……。だがこれはどうだ?(と彼が叫んだ)おまえヴァンダル人なのか? ヴァンダル人というのは本当に野蛮人なのか?」
「そうですよ」きかれた男は笑いながら答えた。「私はハイカラになろうと思ってイタリアへ来た野蛮人です。私の名前は下のほうに書いてあります。王様と同じフレデリックです、フレデリック、でなければフェデリーゴです」
「イギリス人か?」と、書き役の一人がきいた。
「ちがう、ちがう!」別の一人が答えた。「おまえどこの国もごちゃまぜじゃないか。この男が北のほうから来たってことはおまえだって読めるだろう。この人はロシア人だよ」
フェデリーゴ――デンマーク――そういう名前が稲妻のように私の胸を打った。まったく、私の子供時代の友だちだった。私の母が部屋を貸した人、いっしょにカタコンバにおりて行った人、りっぱな銀時計をくれ、美しい絵を描いてくれたあのフェデリーゴだった。
旅券には間違いがなかったばかりか、もうこれ以上私たちを引きとめないようにパオロ銀貨が一枚握らされると、境界を護る兵士はそれが二重に正しいことを発見した。
外へ出るやいなや、私は自分を彼に紹介したが、私の思ったとおり、まさしくデンマーク人のフェデリーゴ、私たちの家にいたあの人だった。彼は私たちの再会に心からの感情のみなぎった喜びを見せて、私を呼ぶのに小さなアントニオと言った。たがいに聞いたり話したりしなければならないことは山ほどあった。彼が今まで馬車のなかで私の隣りにいた男と席を取りかえさせたので、私たちは並んで坐れた。彼はもう一度私の手を握り、笑いながら冗談を言った。
私は彼に今までの私の生涯《しょうがい》の出来事を、ドメニカの小屋へ行った日から司祭になるまでのいきさつを簡単に物語り、このあいだの大活劇には触れずに、大きく先へ一跳び跳んで、ただ、「今ナポリへ行くところです」と言って話を終った。
私たちが最後にカンパーニャで会った時、一日ローマへ連れて行こうと言った自分の約束を、彼は大変よく覚えていた。しかしその後まもなく、故郷から手紙を受け取り、その結果ながい旅をして国へ帰らなければならなくなったので、私と会うことができなくなったのだった。しかし国へ帰ってもイタリアを愛する気持は年とともに強まり、とうとうまたここまで彼を駆り立てたのであった。
「ところで今はじめて僕は本当にすべてを楽しむことができるんだよ」とフェデリーゴが言った。「このきれいな空気をぐいぐい飲みこむことも、前にいたことのある場所を片っぱしから歩くこともさ。僕の心の故郷が僕を呼び招くんだ、ここには色がある、ここには形がある! イタリアは汲めども尽きない、溢れながれる幸福の泉だ!」
フェデリーゴといっしょにいると、時間も道もどんどん進んで、フォンディの税関で引きとめられたのも長いとは思わなかった。彼はあらゆるもののなかの詩的の美しさをつかむことを完全に心得ていて、私にとって二重に懐しく興味ある人となり、私の傷ついた心の最上の慰めの天使であった。「ほらあすこが僕のイトリだ」と、彼は私たちの前にある町を指さして言った。「君はなかなか本気にしないかもしれないがね、アントニオ、どこの街《まち》もあんなに清潔で規則正しく、おまけにあんなにはっきりした北の国にいて、きたないイタリアの町を恋しがったんだよ。そこには何か特別なもの、ちょうど画描きに打ってつけの何かがあるんでね。この狭くてきたない通り、このシャツや靴下のいっぱいぶら下がった、灰色のうすよごれた石のバルコン、上についたり下についたり、おまけに大きいのもあれば小さいのもある不揃いな窓、戸口の前の一メートルそこそこの幅の踏段、そこには手で動かす紡錘《つむ》を持った母親が腰をおろしている。かと思うと、大きな黄色い実のなったレモンの木が、塀のこちら側に枝を垂れている。じっさいこれは絵になるよ! しかしね。家の並び方が兵隊のようにきちんとしていて、階段もバルコンもすべすべしたハイカラな街では、絵も何もまったくあったもんじゃない!」
「ここがフラ・ディアーヴォロの生れた町だ!」フェデリーゴが絵になる美しさだと言ったイトリの、狭いきたない町に馬車がはいって行くと、馬車のなかの人たちが叫んだ。この町は深い懸崖《けんがい》のそばの岩の上の高いところにあって、そのいちばんの大通りでさえ、馬車一台がやっと通れるところがたくさんあった。
この町の家の大部分は一階に窓がなく、その代りに大きな幅の広い入口があって、そこからのぞくと暗い穴倉のなかを見るようだった。いたるところにきたない子供と女が群れをなして手を伸ばして、施し物をねだっていた。女たちは笑い、子供たちはきいきい声を出して私たちをからかった。馬車から頭を出そうとする者は一人もなかった。馬車と突き出した家のあいだで潰《つぶ》されるのが厭だからであった。石造りのバルコンは、ところによってはずっと私たちの頭の上に伸び出していて、長いアーチを抜けて行くような気がした。右にも左にも黒い壁が見えたが、これは煙があけ放しの戸口から出て煤《すす》けた壁を這いあがるせいだった。
「すばらしい町だ!」と言ってフェデリーゴは手を叩いた。
「盗人の巣でさ」そこを通り抜けてしまうと、馭者が言った。「警察が町の人間を半分がた山の向こう側のよその町へ無理に引っ越させて、別の人間を連れて来ましたがね、てんで何にもなりゃしません。ここじゃ何を植えたってみんな雑草になっちまうんですよ。だが、貧乏人だって生きなきゃなりませんからね」
ローマからナポリへ行く大街道のこの近傍は、どこもここも、人を襲って物を盗むのに都合のよい場所である。よく繁ったオリーブの森、山の洞穴、一つ目の巨人たちの石積み〔巨大な岩石をモルタルなしで積んだ太古の遺跡を、ギリシア神話の一つ目の巨人キュクロプスの一族の作ったものとする伝説的な呼び方〕、その他さまざまな廃墟があって、いたるところに手ごろな隠れ場所がある。
フェデリーゴに注意されて見ると、忍冬《すいかずら》や蔓草におおわれた巨大な壁がぽつんと立っているのが見えた。キケロの墓で、ここで刺客《しかく》の匕首《あいくち》が逃げる者を刺し、ここで雄弁の唇が土に帰ったのだった。
「馭者はモーラ・ディ・ガエータのキケロの別荘へ案内するだろう」フェデリーゴが言った。「いちばん上等のホテルで、ナポリにも負けない見晴らしがある」
丘の形はきわめて美しく、そこに生えた植物もじつに豊かだった。やがて私たちは高い月桂樹の並木道を走って、フェデリーゴの言ったホテルの前に出た。支度のできた給仕頭がナプキンを手に持って、胸像や花を飾った広い階段に立って私たちを待ち受けていた。
「奥様でいらっしゃいましたか」かなりでっぷりした婦人が馬車から出るのに手を貸しながら彼が叫んだ。
私は彼女を眺めた。美しい、じつに美しい顔で、漆《うるし》のように黒い髪でナポリ人だということがすぐわかった。
「ええ、私よ」と彼女が答えた。「チチズベーオ〔人妻の公然の恋人。中世貴婦人に仕えた騎士〕の代りに小間使を連れて来ました。これが一行全部ですよ――男の召使は一人もなし。こんなふうにローマからナポリへ旅行する私の勇気をどうお思いになる?」
病人のようにソファーにどっかと腰をおろすと、美しい頬を丸味のある小さい手で支えて、彼女はメニューを調べはじめた。「ブロデット、チポルレッテ、ファチオーリ。御承知のとおり私はスープは全然だめですよ、カステルロ・デルローヴォみたいな恰好《かっこう》にはなりたくありませんからね。アニメルレ・ドラーテをちょっとフィノッキが少しあれば、それでもうたくさん、サンタ・アガタでまた本式の食事をするはずだから。ああ、やっと息が楽になった」帽子の紐を解きながら彼女が言った。「私のナポリの風が吹いているのがわかるわ、――きれいなナポリ!」海が見おろせるバルコニーの戸をぱっとあけて、彼女が叫んだ。そして両腕をひろげて、新鮮な空気をむさぼり吸った。
「もうナポリが見えますか?」と私はきいた。
「まだだよ」とフェデリーゴが言った。「だがアルミーダ〔イタリアの詩人タッソーの「救われたイェルサレム」の女主人公〕の魔法の園、ヘスペリアなら見える」
私たちはバルコンへ出た。これは石でできていて、下の庭が見おろせた。なんという壮観!――想像以上だった! 下を見るといちめんに実のなったレモンとオレンジの林があって、黄金色《こがねいろ》の重荷に枝が地面まで垂れている。北イタリアのポプラのように驚くばかりの高さの糸杉がこの庭の境となり、その背後にひろがって、庭を囲む塀の外側にある古代の浴場や寺院の廃墟に波をはねあげる、澄んだ空のように青い海の色のせいで、二重に暗く見えた。大きな白帆をあげた大小の船が、高い建物のあるガエータにぐるりと囲まれた平和な港にすべりこんできた。小さな山がこの町の上に頭をもたげ、その頂上に廃墟がある。
私はこの景色の堂々たる美しさに目がくらんだ。
「ヴェズヴィオが見えるかい?――すごい煙じゃないか!」とフェデリーゴが言った。彼の指さす左のほうを見ると、いいようなく美しい海の上に憩《いこ》う軽い雲のように、岩の多い海岸が浮き出ていた。
私は子供の気持で自分のまわりの豪華壮麗な眺めに恍惚《こうこつ》としていた。フェデリーゴも私と同じように幸福だった。私たちは高いオレンジの木の下まで降りて行かずにはいられなかった。私は枝からさがった金色の果実に接吻《せっぷん》し、どっさり地面に落ちているのを拾って、金のまりのように、空中高く、蒼みがかった黄緑色の湖の上へ投げた。
「美しいイタリア!」有頂天《うちょうてん》になってフェデリーゴが叫んだ。「これが遠い北の国で私の目の前に浮かんだおまえの姿だ。一息吸うごとに、いま私の吸いこんでいるこの空気が私の記憶のなかで動いていた。自分の国の柳を見ては、おまえのオリーブの森を思い、香りの芳しいクローバー畑のほとりの百姓家の庭になった金色の林檎《りんご》を見ては、オレンジの実の豊かさを夢みた。しかしバルト海の緑の水は決して、美しい地中海に似て青くはならず、北国の空は決して、暖かく光ある南国のようにこんなに高くはならず、こんな豊富な色彩もないのだ」
彼の喜びは熱狂であり、彼のことばは詩であった。
「故郷にいながら私がどんなに淋しく思ったことか!」と彼が言った。「一度も楽園に行ったことのない者は、そこにいたが追い出されて二度と帰れない者よりも幸福だ。私の国は美しい。デンマークは花園だ。アルプスの向こう側のどこと比べたって負けない。海もあればブナの森もある。しかし、天上の美とくらべたら地上の美しさが何だろう? イタリアは想像と美の国だ、二度イタリアに挨拶《あいさつ》できる者は二倍の仕合わせ者だ!」
こう言って彼が、私がしたように、黄金色のオレンジに接吻し、涙で頬をぬらしながら私の頸《くび》に抱きつくと、彼の唇が私の額に燃えるようだった。これで私はもうすっかり彼に遠慮がなくなって、彼はもはや外国人ではなく、子供のころの友人だった。私は彼にこのあいだの大騒動の話をしたが、この話で、アヌンツィアータの名を声に出し、自分の苦しみと運の悪さを訴えることで、私は心が軽くなった。フェデリーゴは、まことの友人にふさわしい同情をあらわして私の話に耳を傾けた。私は逃げる途中の話も、盗賊の洞穴での出来事も、フルヴィアのことも、ベルナルドの恢復《かいふく》について聞いたことも話した。フェデリーゴは心からの友情を見せて手を差し出し、その薄青い眼で、思いやり深く私の心のなかまでのぞきこんだ。
すぐそばの垣のうしろで、おさえきれない溜め息が聞こえたが、高く伸びた月桂樹と、実をつけて垂れたオレンジの枝とで何も見えなかった。誰かが立っていて私の言った一語一語を聞いたということも十分ありうるわけだったが、私はそれに気がつかなかった。私たちが枝を押し分けると、すぐそばのキケロの浴場の廃墟の入口を前に、あのナポリの婦人が坐って、さめざめと泣いていた。
「ああ、お若いかた」と彼女が叫んだ。「これは決して私が悪いのではありません。あなたがお友だちと二人でおいでになる前から、私はここに坐っていました。ここは本当に気持がよくて、こんなに涼しいんですもの。あなたはずいぶん大きな声でお話しになりました。途中まで伺《うかが》った時ようやく、人様のごく内輪《うちわ》の話だと気がつきました。私はあなたのお話にすっかり心を動かされました。私がそれを伺ったからといって、後悔なさることは何もありません。私の舌は死人のように物を言いませんから」
私はかなり面くらって、私の打ち明け話を聞いてしまった未知の婦人に頭を下げた。あとでフェデリーゴが、妙なことになったが先のことは誰にもわからないのだ、と言って私を慰めようとした。
「僕はね」と彼が言った。「運というものに信頼する点では全くトルコ人だ。それにまあ言ってみれば、これには何も国家の秘密があるわけじゃないし、誰だって心のなかの古文書保存所には、ずいぶん悲しい回想記があるものだ。あの婦人はおそらく君の話のなかに、彼女自身の若い時の話を聞きとったのさ。僕はたしかにそうだと信じるね。人間というものは他人の悲しみが自分自身の苦しみに似ていないかぎり、それを聞いて涙を流すなんてことはめったにしないからね。われわれはいちばん苦しい時、いちばん困っている時でさえ利己主義者だよ」
それからまもなく私たちは、また馬車に乗って先へ進んだ。私たちを取り巻く田舎の趣きは、いよいよ豊かさを増した。人の背丈ほどに伸びたすぐ道ばたの葉の広いアロエは、生垣《いけがき》がわりに使われ、大きな枝垂柳《しだれやなぎ》はたえずそよいでいる垂れた枝で、地面にうつった自分の影に触れようとしているようだった。
日の入り近くになって、ガリリャーノの川を渡った。昔のミントゥーナのあったところで、残酷なスルラ〔ローマの将軍、執政官。紀元前一三八―七八〕から逃れたマリウス〔ローマの将軍、執政官。紀元前一五五?―八六〕がここに隠れた時そのままに、蘆《あし》におおわれた黄色いリリス〔ガリリャーノ川の古名〕を私は見た。しかしサンタ・アガタはまだ遠い先だった。
夕闇《ゆうやみ》がおりてくると、あの婦人はひどく盗賊を怖がって、誰か馬車のうしろの荷物を繩を切って盗みはしないかと、しょっちゅう窓からのぞいていた。夜の暗さのほうが自分よりも足早なので、馭者は鞭をぴしりと鳴らし、「畜生!」をくり返したがむだだった。とうとう行く手に灯《あかり》が現われて、私たちはサンタ・アガタに着いた。
食事のあいだ例の婦人は奇妙に黙りこんでいたが、どんなにその目が私に向けられているかを、私は見のがしはしなかった。そして次の朝、出発まえにコップ一ぱいのコーヒー〔イタリアではコーヒーを飲むのに、コーヒーカップでなくワイングラスを用いる〕を飲みに行くと、彼女が非常に愛想よく私に近づいて来た。私たち二人のほかには誰もいなかった。彼女は手を差し出して、愛想のいいうちとけた様子で言った――
「私を悪く思っておいでではないでしょうね?本当にお恥ずかしいのですが、ああなったのはほんとに私のせいではありません」
私はもうどうぞ安心なさるようにと彼女に頼み、私は彼女の女らしい心に十二分の信頼を持っていると断言した。
「あなたはまだ私のことを何も御存じありませんが」と彼女が言った。「いずれおわかりになるでしょう。よその大きな町にいらっしゃれば、たぶん主人がお役に立つと思います。私でも主人でもお訪ねくださって結構ですわ。きっと一人もお知り合いがないことと思いますし、若いかたはよく間違ったものをお選びになりますからね」
私は彼女の思いやりに心から礼を言った。私は感動した。それはそれとして、思いがけないところに親切な人がいるものである。
「ナポリという町は危いところですよ!」と彼女は言ったが、フェデリーゴがはいって来たので、話がとぎれた。
私たちはまもなくまた馬車に乗りこんだ。窓のガラスはおろしてあった。一同に共通の目的地――ナポリが近くなるにつれて、私たち皆の親しさがました。フェデリーゴは途中で出会った絵のような一団の人々に有頂天だった。赤い外套をすっぽり頭からかぶった女たちが驢馬《ろば》に乗って行く。その胸には赤子が抱かれ、足もとの籠のなかに上の子供が眠っていた。一家族残らず一頭の馬に乗っているのもあった。妻が夫のうしろに乗り、腕や頭を夫の肩に預けて眠っているようだった。と思うと夫の前には小さな男の子が鞭を玩具《おもちゃ》にしながらまたがっていた。ピニェルリが描いた民衆の生活の美しい場面に見られるような人々だった。
空は灰色で小雨《こさめ》が降っているので、ヴェズヴィオも見えなければ、カプリも見えなかったが、葡萄《ぶどう》の蔓にからみつかれた丈の高い果樹やポプラの下に、緑の色もみずみずしく小麦が伸びていた。
「いかが」と例の婦人が言った。「私たちのカンパーニャは、パンも果樹も葡萄酒もどっさり並べたテーブルでしょう。私たちの賑《にぎ》やかな町も、ふくれあがる海ももうすぐ御覧になれますよ!」
夕方近くに私たちはそこに着いた。繁華なトレドの大通りが眼の前にあって、まるでコルソを見るようだった。どこにもここにも明るく照らされた店があり、オレンジと無花果《いちじく》を積み上げて道路に置いたテーブルを、ランプと華やかな色の提灯《ちょうちん》が照らしていた。無数の灯を宙に吊った街路はどこも、いちめんに星を撒《ま》き散らした流れかと見えた。両側に高い家が並び、その窓の一つ一つの前に、いや、時には家の隅を廻ってさえバルコンがあって、まだ楽しい謝肉祭がつづいてでもいるかのように、着飾った男や女が立っていた。馬車がほかの馬車を追い抜いて、舗装に使った熔岩《ようがん》の滑らかな板の上に馬の足がすべった。二輪の軽馬車《キャブリオレ》が走ってきた。五、六人の人がこの小さな車に乗りこんでいるばかりか、うしろにはぼろを着た若者が何人か乗り、車台の下の揺れる網のなかにはいかにも気持よさそうに、なかば裸の乞食《こじき》が眠っていた。これだけの大ぜいを曳くのはたった一頭の馬だったが、それでもギャロップで走っていた。町角の家の前に火が燃えていたが、ここでは、ズボンとたった一つボタンをかけたチョッキ以外は裸の男が、二人でカルタをやっていた。手廻しオルガンと手風琴の音に合わせて女たちが歌い、兵士もギリシア人も、トルコ人もイギリス人も皆が残らず叫び声をあげながら、入り乱れて走り廻っていた。私はまるっきり別の世界へ持って来られたような気がした。今までに息吹《いぶ》きを感じたどれよりももっと南国的な生命だった。彼女の陽気なナポリを見てあの婦人は手を叩いた。哄笑《こうしょう》する彼女の町と並べると、ローマは墓場だった。
私たちはナポリ最大の広場の一つであり、海へ通ずるラルゴ・デル・カステルロへ曲がったが、ここでもまた同じ騒がしさと同じ群集にぶつかった。ぐるりをあかあかと照らされた劇場があり、その外側にはなかで演ぜられている出し物の主な場面を描いた華《はな》やかな絵があった。高桟敷《たかさじき》の上のほうで道化の一家が景気をつけていた。細君《さいくん》が見物人に向かって大声でわめけば、亭主がトランペットを吹き、いちばん下の息子が大きな乗馬用の鞭でこの二人を叩くかと思うと、背景には小さな馬が後脚で立ちあがって、開いた本をのぞきこんでいた。一人の男が立ったまま、隅に坐った船乗りの群れのまん中で、手を振り振り歌っていた。即興詩人であった。一人の老人が本を持って朗読を聞かせていたが、「怒れるオルランド〔イタリアのルネサンス期の詩人アリオストの長篇叙事詩で騎士物語〕」だということだった。ちょうど私たちがそのそばを通った時、聴衆が喝采《かっさい》を送っていた。
「モンテ・ヴェズヴィオ!」と例の婦人が叫んだ。そしてようやく私は、街の向こう側の燈台の立っているあたりの中空にそびえるヴェズヴィオと、火のように赤い熔岩がその山腹を血の流れさながら転げ落ちるのを見た。一片の雲が噴火口の上にかかって、熔岩の照り返しで赤く光っていた。しかしこうした全容が見えたのもほんの一瞬間であった。馬車は私たちを乗せて広場を横ぎり、カーサ・テデスカ・ホテルへ連れて行った。このホテルのすぐそばに小さな人形芝居の劇場がありその前にもう一軒それより小さいのが建っていて、道化が陽気に跳ね廻ったり、ぴいぴい声を出したり、きりきり舞いをしたり、滑稽《こっけい》なおしゃべりをしたりしていた。あたりいっぱいの笑い声だった。反対の町角に立って、突き出た石段の上から説教する修道僧に注意した人はごくわずかだった。船乗りとも見える肩幅のひろい老人が、救世主の姿のついた十字架を持っていた。修道僧は人々の注意を自分の説教からそれさせた木造の人形芝居小屋に、焔《ほのお》のような視線を投げていた。
「これが四旬節なのか?」彼の言うのが聞こえた。「これが天に捧げられた時なのか? われわれが肉体を苦しめ、麻衣をまとい、灰を被ってさまようべき時なのか? まるで謝肉祭ではないか! いつも謝肉祭なのだ。夜も昼も、来る年も来る年も、おまえたちが地獄の底に落ちるまでだ! 地獄へ行ったらその池と責苦のなかで、溜め息をつこうと、にやにや笑おうと、踊り廻ろうと、お祭り騒ぎをやろうと、それはおまえたちの勝手だ!」
彼が声はだんだん高くなった。柔らかなナポリの方言は私の耳に抑揚の美しい詩句とひびき、ことばはことばと融け合って快いメロディーとなった。しかし彼の声が高くなればなるほど、道化のほうも声を高めて、いよいよおもしろおかしくはね廻り、ますます喝采を博した。すると神聖な怒りに燃える修道僧が、それを持った男の手から十字架をひったくり、ぱっと駈けだして、十字架にかかった者を見せながら、「さあさあ、これが本当の道化者だ! この姿を見ろ、その言うことを聞け! そのためにこそおまえたちに目と耳があるのだ! キリエ・エレイソン!」と叫んだ。この聖なるしるしにはっとした群集は一人残らずひざまずいて、一斉に「キリエ・エレイソン!」を叫んだ。人形使いまでが人形を倒した。この光景に茫然《ぼうぜん》として、私は馬車のそばに立っていた。フェデリーゴは例の婦人を送りとどけるため、急いで馬車を呼びに行った。礼を言いながら手を差し延べた彼女は、今度は私の頸に腕を巻きつけた。私は唇に暖かい接吻を感じ、彼女が「ようこそナポリへ!」と言うのを聞いた。彼女を運び去る馬車のなかから手が振られ投げキスが送られて、私たちはボーイの割り当てたホテルの部屋へ階段をのぼった。
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二 悩みと慰め
フェデリーゴが寝床にはいってからも、私は街に面した明け放しのバルコンで、ヴェズヴィオを前にして長いこと坐っていた。さながら夢を見ているような気のする不思議な世界が、私を眠らせなかった。下の街がだんだん静かになり、灯も消えて、もう小夜中《さよなか》を過ぎていた。私の目は山に向けられたままだった。火の柱が噴火口から、血のように赤い大きな雲のほうへ昇って行くと、雲と火とが一つになり、熔岩の流れを根にして山を抱擁する大きな火と焔の松の木に似ていた。
私の心はこの雄大な光景――しんと静まり返った夜の空から聞こえてくるように、火山のなかから流れてくる神の声に、深い感銘をおぼえた。これは時々現われるあの瞬間の一つで、こういう時に人の魂と神とが、いわば正面から向かい合うのである。私は神の全能と知と恵みの一部分が――電光も旋風もその下僕でありながら、しかもその許しがなければ一羽の雀も地に落ちることのない、神の一部分が理解できた。私の今までの生活がはっきりと目の前にあり、その全体のなかに不思議な導きと操《あやつ》りの手を見た。不幸の一つ一つさえ、悲しみの一つ一つさえ、みんな良いことに変ったのだった。あばれ馬のために母が不幸な最期をとげて、私が貧しい寄るべのない子供として残されたことも、私のためによりよい将来をつくってくれたように見えた。あのボルゲーゼ一族の紳士が、あとで私の養育を引き受けるようになった特別の気高い理由はおそらく、彼が知らず知らずに私の不幸のもととなったという事情ではなかったろうか? マリウッチアとペッポの喧嘩《けんか》と、私がペッポの家で送った恐ろしかったしばらくの時間とが、私をこの世の流れへ押し出した。私がドメニカといっしょにあの淋しいカンパーニャで暮らすことがなかったらば、あの紳士の注意も私に向けられなかったはずである。
こういうふうに今までの生涯の場面を一つ一つ心のなかで振り返ってみると、事件のつながりのなかに最高の知と恵みのあることがわかった。最後の一環に来てはじめて、すべてがばらばらになるような気がした。アヌンツィアータを知ったことは春の日にも似て、私の心のなかの花の蕾《つぼみ》を、残らず一瞬のうちに開かせた。彼女といっしょならば、私は何にでもなれたであろうし、彼女の愛が私の一生の幸福を完全なものにしたであろう。ベルナルドの彼女に対する感情は、私のように純粋ではなかった。もし彼女を失って彼がしばらく苦しんだとしても、その苦しみは長くはなかったであろうし、まもなく彼は自分を慰めることができたであろう。しかしアヌンツィアータが彼を愛したということは、私の生涯の幸福を完全に無に帰してしまった。こう考えると、私は全能の神の知がわからなくなり、すべての夢が消え去ったための苦しみ以外には、何ひとつ感じなかった。ちょうどその時バルコンの下に四絃琴の音が聞こえて、外套を肩にはねた男の姿が見えた。ふるえる愛の調べが彼の弾《ひ》く絃《いと》から流れた。まもなく向こう側の家の戸があいて、この男がそのなかへ姿を消した。――接吻と抱擁が待っている仕合わせな男だった。
私は星の明るい空を見上げた。それは熔岩と噴火の反射で赤く映える、暗青色の輝く海であった。
「輝かしい自然よ!」私は叫ばずにはいられなかった。「おまえは私の恋人だ! おまえは私を胸に抱きしめ、おまえの天をひらいて見せる。そしておまえの息は私の唇と額に接吻する。おまえを、おまえの美しさを、神々《こうごう》しい大いさを私は歌おう! おまえが私の心のなかで歌う深い旋律を、私は人々の前にくり返そう。私の心臓に血を流させよ。蝶は針に刺されてもがく時がいちばん美しく、水の流れは滝のように岩から投げ落されて、泡となって散る時に輝かしさを増す! これこそ詩人の運命だ! あの世でふたたびアヌンツィアータに会う時、彼女も私を愛してくれよう。汚れのない心は皆たがいに愛しあう。腕を組んで祝福された魂は神のみ前へ進む!」
私はうっとりと、そんなことを考えていた。すると即興詩人として世に立とうという勇気が、またそうすることの喜びが、私の心をいっぱいにした。ただ一つ心に重くのしかかるのは、フランチェスカとその伯父が、私が故郷をとび出したことや、私が即興詩人としての初舞台を踏んだことを聞いたら、何というだろうかということだった。彼らは、私がローマにいて熱心に静かに本を読んでいると信じていた。こう考えると私はいても立ってもいられなかった。そこでその晩さっそく手紙を書くことにきめた。
子供のような信頼をもって私はすべての出来事を――アヌンツィアータを思う心も、自然と芸術のなかにのみ見いだした慰めも――ありとあらゆる事がらを物語って。最後に、彼らの心が与えうるかぎりのやさしい返事をくださいと祈った。それがとどくまで私は、何もせずにいます、世間へも出ますまい、と書いた。一と月以上私を待ちこがれさせないでください、と結んだ。
手紙を書きながら、私は紙の上に涙を落したが、そのため気が軽くなった。そして書き終るとすぐ、久しぶりでぐっすり安眠した。
次の日、フェデリーゴと私は用事を片づけた。彼は新しい宿へ移った。私はカーサ・テデスカに残ったが、これはヴェズヴィオと海――私には目新しい二つの世界の驚異が見える場所だった。私は熱心にボルボニコ博物館や劇場や散歩道を訪れて、三日間の滞在のあいだに、このはじめての町をなかなかよく知っているようになった。
マレッティ教授と夫人のサンタという人から、フェデリーゴと私あてに招待状がきた。二人とも知らない人物なので、最初は何かの間違いに相違ないと思ったが、この招待状はことに私に関係があるように見えた。私がフェデリーゴを誘って行くように書かれてあったからである。人にきくと、マレッティというのはなかなかの学者であり好古家で、サンタ夫人はローマへ行っていたのが最近帰って来たのだということだった。私とフェデリーゴは、その途中で彼女と知り合いになったのだった。してみると、サンタ夫人はあのナポリの婦人というわけだった。
私とフェデリーゴは夕方から出かけた。大ぜい集まった客間はあかあかと灯がついて、磨きあげた大理石の床に映えていた。粗《あら》い鉄格子《てつごうし》のついた大きなストーブが心地よく部屋をあたためていた。
夫人は、いや、すでに私たちが知っている名で言えばサンタは、両手をひろげて私たちを迎えた。空色の絹のドレスは非常によく似合ったが、あんなにふとってさえいなければ、じつにきれいだったろう。彼女は私たちを、ほかの人たちに紹介して、自分の家にいるつもりで楽にしてほしいと言った。
「うちへいらっしゃるのは」と彼女が言った。「お友だちのかたばかりですから、あなたもすぐに皆さんと仲よくおなりになれますよ」こう言って彼女は、いろいろの人をさして幾つかの名前をあげた。
「私たちはおしゃべりをし、ダンスをし、歌も少しは歌います」と彼女が言った。「そうしていると、たちまち時間がたってしまいます」
彼女は私たちの坐る席を教えてくれた。若い婦人がピアノの前で歌っていた。アヌンツィアータが「ディド」のなかで歌ったあのアリアだった。歌はたしかに同じものだったが、歌い手の表現は全然ちがい、心をつかむ効果はずっと弱かった。しかしほかの人たちといっしょに私も喝采しないわけにはゆかなかった。やがて彼女は二つ三つ和音をひびかせると、活溌なダンス曲を弾きはじめた。二、三人の紳士が婦人の手をとって、磨かれた滑らかな床の上を軽やかに動きはじめた。私は窓ぎわに引きさがった。ひどく痩せこけた、どんよりした目をしじゅうきょろきょろさせている小男が、私の前で低く頭をさげた。私は彼が小鬼のようにぴょこぴょこと、絶えず戸口を出たりはいったりしているのに前から気がついていた。話をはじめるつもりで、私はヴェズヴィオの噴火と熔岩の流れの美しさをもち出した。
「そんなものは何でもありません」と彼が言った。「プリニウスが書いている九六年の大噴火にくらべたら、ものの数でもありゃしませんよ。あの時はコンスタンチノープルまで灰が飛んだんですからね。私たちだって前に、ナポリの町を傘をさして歩いたことがあります。灰が降るからですよ。だがナポリとコンスタンチノープルでは、だいぶ差があります。何を見たって今よりは昔のほうが上ですな。昔だったらさしあたり、『汝が天に帰る時の遅からんことを!』と祈ったことでしょう」
私がサン・カルロ座の話をすると、彼はテスピス〔前六世紀のギリシアの悲劇俳優で、ギリシア劇の祖といわれる。車の上で芝居をした〕の車のことにまでさかのぼって、悲劇と喜劇のミューズに関する一席の長講をおこない、私がほんのちょっと近衛隊《このえたい》の査閲のことに触れると、彼はたちまち昔の戦争のやり方と堂々たる方陣の指揮のことを詳説するという工合で、そのあいだに彼のほうから私にした質問は、芸術の歴史を研究したことがあるか、昔のものに夢中になったことがあるかと、この二つだけだった。私が世界じゅうに存在するもの、あらゆるものに深い興味を持っている、詩人になるのが自分の使命だと思っていると答えると、この男ははたと手を打って、私の詩の琴について、
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おお、アポロンを飾るもの、
至上のユピテルの宴《うたげ》にふさわしき琴よ!
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と朗吟した。
「とうとう、つかまっておしまいになったわね」と、サンタが笑いながら近寄って来て言った。「もう大昔のセソストリス〔古代エジプトの王〕の時代まで逆もどりなすったでしょう。でもね、あなたの時代がお待ちしていますよ。ほら、向こうにあなたがダンスの相手をなさるはずの御婦人がたがいらっしゃるわ」
「でも私はダンスはやりません、一度も踊ったことがないのです」
「そうおっしゃっても」と彼女が言った。「もし私が、――女主人が、いっしょに踊ってくださいとお願いしたら、いやとはおっしゃらないでしょう」
「いいえ、お断りします。私はまるで成ってない踊り方をするでしょうし、そうなれば私たちは両方ともつるつるした床《ゆか》の上にひっくり返ってしまいますからね」
「さぞ観物《みもの》でしょうよ!」と言って彼女は、跳ぶように向こう側のフェデリーゴのところへ行ったが、まもなく二人は身軽に部屋を踊り廻っていた。
「元気のいい女だ!」と彼女の夫は言ってから、「それにきれいだ。すこぶる美人でしょう、司祭さん」
「非常におきれいです」私は丁重《ていちょう》に答えたが、やがて、どういうわけだったかわからないが、私たちはエトルリアの花瓶の話で夢中だった。彼は私の案内人になってボルボニコ博物館に行こうと言って、これらの脆《もろ》い宝に彩色をほどこした人々がどんなに偉い大家であったかを説明した。線の一本一本が人物の表情と姿勢の美しさを増している。これを描いた人たちは、土がまだ湿っているうちに塗らなければならなかった。というのは、何ひとつ消すことができないばかりか、反対に前からある線は一本一本を残さねばならなかったからである。そんな話をした。
「まだ歴史の御研究ですの?」また私たちのそばに来たサンタが言った。「さあつづきはこの次!」彼女は笑いながら大きな声でこう言って、この衒学者《げんがくしゃ》のそばから私を引っぱって行きながら、低い声で言った。「あの人にうるさいおしゃべりを聞かされるのはおやめになって、もっと陽気になさらなきゃだめよ。賑やかなほうの仲間入りをなさらなくちゃだめよ! 気分の転換をしてあげましょう。さあ、何を御覧になったか、お聞きになったりおもしろいとお思いになったことを聞かせてちょうだい」
そこで私はどんなにナポリが気に入ったか、また何がいちばん私を喜ばせたかを話した。私はその日の午後ポジリッポの洞穴を抜けて遠足に行って来たことや、洞穴のそばの、まるで林のように葡萄《ぶどう》の繁ったなかに小さな教会の廃墟を見つけたが、これが人の住家に使われていて、人見知りをしない子供たちがいたり、葡萄酒を出してくれた美しい女がいたりしたので、ますますロマンチックな気持になったことなどを話した。
「もうそんな知り合いがおできになったのね」と彼女が笑いながら、人さし指を立てて言った。「いいえ、困ったような顔をなさることはないわ。あなたぐらいの時には、四旬節のお説教では心が楽しくなりませんものね」
その晩、私がサンタ夫人とその夫について知ったことは、これでまあ全部だった。彼女の態度にはナポリ人特有の気楽さ、無邪気さがどこかに現われていたし、不思議に私をひきつける温かさがあった。彼女の夫はなかなかの物知りであったが、これはべつに悪いことではなかった。私が博物館へ行く時の最上の案内人になっただろうから。そしてたしかにそうであった。私はたびたびサンタを訪問したが、彼女が何かと気をつけてくれるのが嬉しく、その同情が私の唇と心を開かせた。私はほとんど世間のことを知らず、いろいろの点で完全な子供だったので、やさしく自分に差し出された最初の手を受け、全心の信頼をもって握り返したのである。
ある日サンタは、私の今までの生活でいちばん重要な時、つまりアヌンツィアータとの別離のことに触れた。私はそれについて思うとおりをこの同情深い婦人に話し、そうすることで慰められもし、心も軽くなった。私がベルナルドのことを話すのを聞いたあとで、サンタが彼にいろいろの欠点を見つけたことは、私にとって一種の慰めだった。しかし彼女がアヌンツィアータにも欠点を見つけたことは、私にとって赦しがたいことであった。
「舞台に出るのにはあの人は小さすぎます」と彼女が言った。「それに、あんまりほっそりしています。それはきっとあなたもお認めになるでしょう? 私たちがこの下界に生きるかぎり、すこしは肉もなくてはなりませんよ。私はよく知っていますけれど、このナポリの若い男は、一人残らずあの人の美しさに心を奪われたものです。でも実をいうと、若い人たちを優美なものの姿の住む魂の世界へ連れて行ったのは、あの声、くらべるもののないほどきれいなあの声です。私がもし男だったら決してあんな人には夢中になりません。私は抱きしめるとたんにばらばらになりはしないかと、びくびくしなければならないでしょうからね」
私は思わず微笑したが、たぶんそれは彼女の思う壺なのだろうと思った。アヌンツィアータの才能と頭脳と清純な心については、サンタはこの上なく正しい見方をしたのである。
前の晩、私は自分のまわりの美しさと自分のたかぶった感情とに動かされて、「囚われのタッソー」「物乞いする修道僧」などの短詩を幾つかと、抒情的《じょじょうてき》な小品を三つ四つ作った。小品には私の不幸な恋と、私の胸のなかにありながらばらばらになってしまった絵の世界とが、完全に表現されていた。私はそれをサンタに読んで聞かせはじめたが、最初の一つの途中で、自分がそこに描写した自分の感情にすっかり負けて、思わず泣きだしてしまった。すると彼女は私の手をおさえて、いっしょに涙を流した。
この涙で、彼女は私を完全に俘《とりこ》にしてしまった。
彼女の家は私の家になった。私は彼女とまた話のできる時間が、待ち遠しくてならなかった。彼女のユーモアや、たびたびもち出す滑稽な思いつきに、私はよく笑ったものだが、しかしそうしながらも、アヌンツィアータの機智やはしゃぎ方がどんなにちがったものだったか、どんなに上品で清純なものだったかを、感じないわけにはゆかなかった。が、それにしたところで、私にとってはアヌンツィアータは死んだのも同然だったので、私はサンタに感謝と深い愛情をささげた。
「あれからまた、あのポジリッポのそばの」とある日のこと彼女はきいた。「別嬪《べっぴん》さんのところ――あのなかば教会になっているロマンチックな家へおいでになりました?」
「あれからたった一度」と私は答えた。
「とてもやさしくしてくれたでしょう? 子供たちは誰かに道を教えに外へ出て行ったし、亭主は湖に舟を出していて留守。用心なさらなくちゃ、ナポリの向こう側は地獄につづいているんですよ」
私は一生懸命に、自分をポジリッポの洞穴にひきつけるのは、ロマンチックな風景以外に何もないということを、彼女に信じさせようとした。
「ねえ」うちとけた調子で彼女は言った。「私のほうがよく知っています。あなたの心は恋で、あの人を思う強い初恋でいっぱいになっています。私はあの人がつまらない人だとは言いませんが、しかしあの人があなたにした仕打ちは正々堂々だとは言えません。これにはあなたも一言だって反対はなさらないはずよ。あの人はあなたの心をいっぱいにしていました。あなたはその姿から無理に自分を引き離しておしまいになった。そして御自分でおっしゃったように、あの人をあきらめておしまいになった。そのためあなたの心には、いっぱいにしてほしくて仕様のない空きができました。前にはあなたは、御自分の本と夢想のなかに一人で住んでいらしたのに、あの歌い手があなたを人間の生活の世界まで引きおろしたので、あなたは私たち皆と同じに肉と血でできたものにおなりになって、これがその権利を主張するのです。それは、ごく当りまえのことですもの! 私は若い男のかたには、決して厳しいことは言わないことにしています。私がこんなことを言わなくても、人間は自分の思うように動けますからね!」
私はこの最後に言われたことに反対した。しかしアヌンツィアータを失ったあとで私の心に残ったわびしさについては、彼女の言ったとおりだった。だが何がいったいあのなくなった姿の代りになれたであろう?
「あなたはほかの人たちとはちがっていらっしゃるのね!」と彼女はつづけた。「あなたは詩的なかたなんだわ。おわかりになる? あの理想的なアヌンツィアータでさえ、もっと現実的なものがほしかったので、そのため、心ばえはずっとあなたより劣ったベルナルドを選んだのです。けれど」と彼女はつけ加えた、「おかげで私は、女の私にはふさわしくなさそうなことまで、おしゃべりしましたわ。あなたが驚くほどすなおでいらっしゃるし、ほとんど世間のことを御存じないものだから、あなたの考え方と同じようなあけっぱなしな口のきき方をしてしまうのね」こう言うと彼女は大声で笑いだして、私の頬を軽くたたいた。
夕方フェデリーゴと二人きりになった時、陽気な、打ち明け話のしたい気分になったフェデリーゴが、ローマで過ごした、そして彼の心もまた激しく鼓動した幸福な時代の話をした。この時代の出来事には、マリウッチアも一役かっていた。
大ぜいの若い男がマレッティ夫妻の家に集まった。彼らはダンスも上手なら、社交の席での話し方もりっぱで、婦人からは好意の視線を送られ、男たちには尊敬されていた。私がこの人たちと知り合いになったのはついこのあいだのことなのに、もう彼らは心の出来事を私に打ち明ける有様だった。こんなことは私は、ベルナルドにされるのさえ、ぞっとするほどいやだったが、私の深い愛着が彼の場合には我慢させたのだった。たしかに彼らは私とはちがっていた。サンタの言ったことが本当だったのか、私はこの世で詩的なだけで、それ以外の何者でもない存在だったのか? アヌンツィアータがベルナルドを愛したことが、その何よりの証拠だった。私のなかの精神的な私は、たぶん彼女も好きだったろう。しかし実際に彼女を得ることができたのは私自身ではなかった。
もうナポリに来てから一と月になったが、彼女についてもベルナルドについても何も消息がなかった。そんな時に郵便が来て、私は一通の手紙を受け取った。胸をわくわくさせながらそれを手にとると、私は誰から来たのかを見、中身の見当をつけようと思って、封印と上書きを見た。私が見たのはボルゲーゼ家の紋章とあの老紳士の筆蹟だった。なかなかあける勇気が出なかった。
「永遠なる神の母よ!」と私は祈った。「み恵みを垂れたまえ! み心はすべてのものを最上の終りに導きます!」
私は封を切って中身を読んだ――
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「謹啓、貴殿が何物かを御習得のため、また社会の有用なる一員となられんがために拙者の提供いたせし機会をしかるべく御利用のことと確信いたしおり候いしに、万事思わざる方向に、すなわち貴殿に関して拙者の意図いたし候ところに反して動きおり候。御母上の死のもととなりし罪ほろぼしとして、貴殿に前記のことを致したる次第に候いしが、今となりては、たがいに負い目はなきものと御承知あいなりたし。
御希望の時、御希望の場所にて、即興詩人としてなり詩人としてなり、初登場とやらをなさるべく候。ただし、貴殿がたびたび言及なされ候感謝の念につきては、今後決して拙者の名を、拙者が貴殿のためにいたし候配慮を、貴殿の公生活と結びつくることなかるべしとの、この一つのあかしを頂戴いたしたく候。貴殿が何物かの習得によって拙者にいたさるべかりし|極めて《ヽヽヽ》|大なる《ヽヽヽ》奉仕は、もはや決していたさるることあるまじく、拙者を恩恵を与うる者と呼ぶ|極めて《ヽヽヽ》|小なる《ヽヽヽ》それは、拙者にとりてこれ以上腹立たしきことなく、まさに身の毛のよだつ思いに候」
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心臓の血がとまり、手がぐったり膝の上に落ちた。が、私は泣くこともできなかった、泣けば心が軽くなったであろうが。
「ああ、なんということだ!」と私は口ごもったが、そのままテーブルにうつ伏してしまった。何も耳にはいらず、何も考えず、苦しみさえも覚えずに、私はじっとそのままでいた。神と聖者に祈るべきことばもなかった。世間の人たちと同じに、彼らも私を見捨てたような気がした。
ちょうどその時、フェデリーゴがはいって来た。
「病気かい、アントニオ?」私の手を取りながら彼がきいた。「悲しいからといって、そんなに引っこんじまうものじゃないよ。アヌンツィアータといっしょだったら君が幸福だったかどうか、いったい誰が知ってるんだ? いいことというものは、いつだって出てくるもんだよ。僕だって一度ならず経験がある、もっとも、それはかならずしも非常に愉快なこととはかぎらないがね」
無言のまま、私は手紙を渡した。彼が読んでいるあいだ、とめどもなく涙が流れたが、私は泣くのを見られるのが恥ずかしかったので、彼に背中を向けた。するとフェデリーゴは私の腕を握って、「泣きたいだけ泣きたまえ。悲しみを涙で流してしまえば、あとは気持がよくなるものだ」と言った。
私が少し落ちつくと、彼は私に、何か決心がついたかときいた。そう言われると一つの考えが頭にひらめいた。聖母マリアの赦しを願うのだ。子供の時にもう、私はマリアへの奉仕に身を捧げたのだった。私は彼女を守護者と思ったし、私の未来は彼女のものであるはずだった。
「修道僧になるのがいちばんいい」と私は言った。「運命はそのために私を生まれさせたのだ。この世にはそれ以外に私のすることはない。そればかりか私は、あなたがた皆とちがって、男ではなくて、詩のなかにでも出てきそうな存在なんだ。そうだ、教会のふところにこそ安住と平和があるのだ!」
「妙なことを言うなよ、アントニオ!」とフェデリーゴが言った。「あの紳士に、世間の連中に、君のなかにどんな力があるかを見せてやれ。逆境によって自分を高めて、それに抑えつけられるな。僕は君が修道僧になるのも今夜一晩だけだと思っているし、そう望んでもいるよ。あした太陽が暖かに君の心に射しこめば、もう君は修道僧なんかじゃなくなるのさ。君はまったく即興詩人だ、詩人だ。君は魂と知識を持っている。何もかもうまく、すばらしくうまくゆくよ、あしたは一つ馬車をやとって、ヘルクラネウム〔ナポリの近くの古代ローマの都市。七九年のヴェズヴィオの噴火で埋没した〕とポンペイに遠足に出かけて、それからヴェズヴィオに登ろう。僕たちはまだ行ったことがないし、君はきっと喜んで、また元気になるぞ。そして陰気な煙がみな散ってしまえば、僕たちはこれから先のことについて、よく筋の通った相談ができるというものだ。今日は、だが、トレドへ行こう。そして愉快にやろうや。一生は飛ぶようにたって行くのに、われわれは誰も彼も、かたつむりのように、背中の上にめいめいの荷物を載せている。それが鉛でできていようと、ただの玩具だろうと、邪魔物には変りはないよ」
フェデリーゴの心づかいに私は感動した。私をまだ支えてくれる友だちがあったのだ。何も言わずに帽子を手にとると、私は彼について行った。
広場では、木造の小さな劇場の一つから音楽が陽気に流れ出していた。私たちは大ぜいの人の群れにまじって、その前に立っていた。ある芸術的な家族の全部が、いつものように舞台に立った。亭主と細君はけばけばしい衣裳《いしょう》をつけて、どなるので声がかれているし、白の衣裳に蒼《あお》ざめた顔の小さな男の子が、苦労にやつれた顔つきでヴァイオリンを弾きながら立っていれば、二人の小さな姉と妹は活溌に踊りながらくるくる廻っていた。こうしたすべてが、私には非常に悲劇的に思われた。
「気の毒な人たちだ!」と私は思った。「だが自分の運命だって彼ら同様、わかったものじゃない」私はフェデリーゴの腕にしっかりつかまったが、胸のなかから突き上げて来る吐息をおさえることができなかった。
「さあ落ちついて、しっかりするんだ」とフェデリーゴが小声で言った。「まず第一に、君の赤い目に風を当てるため少し散歩をして、それから次にマレッティ夫人を訪問しよう。彼女は笑って君をもう一度陽気にするか、君がうんざりするまでいっしょになって泣くか、どっちかだ。こういうことは僕よりは彼女のほうがうまい」
こういうわけで私たちは、しばらく大通りを行ったり来たりしてから、マレッティ家へ行った。
私たちがはいって行くとサンタは、「とうとう、いつもおきまりのお客様の晩でない時にいらっしゃったわ」と、うちとけた大きな声を出した。
「アントニオ氏はエレジー的な気分にあるのです。この気分は賑やかさによって取りのぞかなくてはなりませんが、彼を連れて行くのにあなた以上の人はありません。あした私たちはヘルクラネウムとポンペイに馬車を走らせて、ヴェズヴィオに登ります。うまく噴火にぶつかればいいと思っています」
「|現在を楽しむべし《カルペ・ディエム》!」突然マレッティが言った。「私も喜んでお伴をしたいが、ヴェズヴィオに登るのはお断りです。ただポンペイの発掘がどんな工合《ぐあい》かを見るだけが目的です。このあいだ、あすこから出たいろんな色のガラスの飾りを送って来たので、それを年代順に分類して、小さな論文を書きました。是非この宝ものを御覧にならなきゃいけません」と彼は、フェデリーゴのほうを向いて言った。「そして色について教えてください。それからあなたは」と私の肩を叩きながらつづけた。「もうそろそろ陽気におなりなさい。あとでカンパーニャの白葡萄酒を一杯やって、ホラティウスといっしょに、
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みどりなす葡萄かずらに身をよそい、
自由のわれら、香《かぐ》わしき供物《くもつ》を神にささげなん。
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とでも歌いましょう」
私はサンタと二人だけになった。
「このごろ何かお書きになった?」と彼女がきいた。「あんなに不思議に心に呼びかける、ああいう美しい詩をまた一つ書いていらしたんじゃないかしら。私は何度もあなたとあなたのタッソーのことを考えて、すっかり悲しい気持になりましたわ、私はよく御存じのように、めそめそ派の一人ではありませんけれどね。さあ、元気をお出しなさい。私を見てちょうだい。あなたは何もお世辞をおっしゃらないのね。この新しい着物もまるで御覧にならないし、何ともおっしゃらないのね。私は本当にすらりとしているのよ。とても痩せてるでしょう? そうではなくて?」
「それはすぐ目につきます」というのが私の返事だった。
「あんなお世辞を言って!」と彼女はさえぎった。「私はいつもと同じじゃないの? 私の着物は本当にふわりと私のまわりにぶらさがっているわ! あら、なぜ顔を赤くなさるのかしら? あなたは男じゃないの! もっとあなたに女と交際させて、少々教育しなくてはね。そういうことなら私たちは名人よ。さあお掛けなさい。主人とフェデリーゴは結構な骨董品《こっとうひん》ですっかり夢中よ。私たちは現在に生きましょう。そのほうがずっとおもしろいわ! うちの飛切り上等の白葡萄酒をためしてくださらなくてはだめよ、今すぐに。あとでもう一度、あの二人といっしょに召しあがってもいいわ」
それは断って、私はその日の出来事についてふつうの会話をはじめようとしたが、自分がどんなにぼうっとしているかが、あまりにもはっきりわかった。
「ここにいるとお邪魔になるばかりです」私は言って立ちあがりながら、帽子を取ろうとした。「失礼します、奥さん。どうも工合が悪いので、そのためにこんなに無愛想な態度になってしまうのです」
「お帰りになるんじゃないでしょう?」と彼女は私を元の席へ引きもどしながら、思いやりのある心配そうな様子で私の顔をのぞきこんで言った。「何かあったんでしょう? 打ち明けてちょうだい。こんなにまじめに親切に言っているのに! 私のせっかちに気を悪くなさらないでね。性分ですもの。何があったのか教えてちょうだい。いやな手紙をおもらいになったの?ベルナルドが死んだんですか?」
「いいえ、とんでもない!」私は答えた。「別の、全然別のことです」
私はあの手紙の話を持ち出さなければよかったと思ったが、悲しさのあまり何から何まで正直に話してしまった。彼女は目に涙をためて、心配しないようにと一生懸命なぐさめてくれた。
「私は世の中から押し出されました」と私は言った。「みんな私を見すてた。誰も――誰ひとり私を愛してくれる人はいないのです」
「いいえ、いますよ、アントニオ」と彼女が叫んだ。「あなたは愛されています。あなたは美しくていい人です。主人もあなたを愛しています。私もあなたを愛しています」このことばとともに、私は燃えるような接吻を額に感じた。彼女の腕が頸《くび》をしめつけて、頬と頬が触れあった。
私の血は焔のようになり、手足がわなないた。息がとまりそうだったが、こういう気持はこの時がはじめてだった。ドアがあいて、フェデリーゴとマレッティがはいって来た。
「あなたのお友だちはどこかお悪いのね」と、いつもの調子で彼女は言った。「私すっかりびっくりしてしまいました。顔が蒼いと思うとすぐ赤くなって、私の腕のなかで気を失っておしまいかと思いましたが、もう大丈夫。そうでしょう、アントニオ?」
こう言って彼女は何もなかったように、何も言わなかったような顔つきで、私をからかいはじめた。私は胸がどきどきするのがわかり、心のなかに恥ずかしい気持と激しい怒りが湧き起こった。私は彼女に背を向けた。この美しい罪の娘から。
「ああ、ヴェリアの冬はいかに。ああ、サレルヌスの谷の空《むな》しさ!」と、マレッティは得意の古詩をうなった。「心とお頭《つむ》はいかがでいらっしゃるかな? いつも光った砥石《といし》で血のついた矢をといでいるフェルス・クピド(手におえないキューピッド)が、何をしでかしたのかな?」
カンパーニャの白葡萄酒が杯のなかで泡だった。サンタは自分の杯を私のと合わせて、ふだんとはまるでちがった表情で、「よりよい時の来ますように!」と言った。
「よりよい時の来ますように!」とフェデリーゴがくり返した。「決して絶望するものではない」
マレッティも私と杯を合わせて、「よりよい時の来るように!」と言いながらうなずいた。
サンタは大きく笑って私の頬をなでた。
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三 ヘルクラネウムとポンペイの周遊
次の朝フェデリーゴが迎えに来た。マレッティも私たちといっしょになった。すがすがしい朝の微風が海のほうから吹いて来るなかを、私たちの馬車は湾を廻ってナポリからヘルクラネウムへ進んだ。
「ヴェズヴィオからすごい煙の渦巻きが出てるぞ!」フェデリーゴが山を指さして言った。「夕方がすばらしいだろう」
「前には煙の巻き方がちがっていましたな」とマレッティが言った。「紀元七十九年にはまるで雲の日覆いのように国じゅうにひろがったものです。私たちがこれから行く町も、その時の熔岩と灰で埋まったのですよ!」
ナポリの郊外が終るちょうどそこから、サン・ジョヴァンニ、ポールティチ、レーチナの町がはじまるが、あんまり接近しているので一つの町と見ることもできる。私が気のつかないうちにもう目的地に着いて、私たちの馬車はレーチナの町のとある家の前にとまった。この通りの下に、いや町の下全体にヘルクラネウムが埋まっているのだ。熔岩と灰が数時間にして町を残らずおおったのだが、今ではその町の存在が忘れられて、上にレーチナの町ができあがってしまった。
私たちはいちばん近くの家にはいった。庭に大きなあけ放しの井戸があって、螺旋形《らせんけい》の階段でおりられるようになっていた。
「御覧なさい、諸君」とマレッティが言った。「エルブーフの領主がこの井戸を掘らせたのは、一七二〇年のことですが、一メートルも掘ると立像が出てきたので、ミラビーレ・ディクトゥ(言うも驚くべきことながら)、掘るのを禁止しました。スペイン王カルロスがここへ来て、もっとその井戸を掘るように命令するまで、三十年のあいだ誰ひとり手をつける者がなかったが、さて掘ってみると、いま私たちが目の前に見ている階段の上にいたというわけなのです」
日の光はほんの少ししか射しこまなかった。この階段はヘルクラネウムの大劇場の座席だった。私たちはめいめい一本ずつ、案内人が火をつけてくれた灯《あかり》を持って、井戸の奥へおりて行ったが、やがて、千七百年前に観衆の坐った座席の上に立った。彼らはここで、舞台に現われる生活の場面を見て巨人のように、笑い、感動し、喝采《かっさい》したのだ。
すぐそばの低い小さな戸口をくぐると、大きな広々した通路に出た。私たちはオーケストラの席へおりた。めいめいの楽人にそれぞれの部屋があり、楽屋があり、舞台まであった。全体の大きさが私に深い印象を与えた。私たちが照らして見ることができたのは一部分ずつにすぎなかったが、それでも全体の大きさはサン・カルロ以上のように見えた。私たちのまわりにはすべてのものが声もなく、暗く、淋しくじっとしているのに、頭の上では世間ががやがやしていた。滅亡した種族が亡霊のように私たちの生活と活動の場面に入りこむかもしれない、と私たちが想像するように、私はこの時、自分の時代を抜け出して、幽霊のように遠く離れた古代をさまよっているような気がした。私は文字どおり日の光が恋しかった。がまもなくまた、暖かい空気を呼吸した。
レーチナの町をまっすぐに進むと、また一つ発掘した場所があったが、これは前のよりもはるかに小さかった。これで太陽に照らされるヘルクラネウムの残骸《ざんがい》は終りだった。私たちが見たのは一本の街路で、小さな狭い窓と赤や青に塗った壁のある家であったが、ポンペイで私たちを待っていたものとくらべると非常に小さなものだった。
やがてレーチナをあとにして、私たちは瀝青《れきせい》の黒い泡の立つ海が鉄の鉱滓《かなくそ》といっしょになったのかと思われる平地のまん中に出た。しかしここにも建物が立っていて、小さな葡萄園《ぶどうえん》は緑に茂り、教会がこの死の土地になかば埋もれて立っていた。
「私はこの目でここが破壊されるのを見たんですよ!」とマレッティが言った。「私の子供の時、いわば幼児期と少年期のあいだにあった時のことです。あの日のことは決して忘れませんね! いま私たちが馬車を走らせているこの鉱滓《かなくそ》は、ぎらぎらした火の川でした。私はそれがどろどろと山からトルレ・デル・グレコのほうへ流れて行くのを見ました。私は父に――|死せる者は幸いなり《ベアーティ・スント・モルトゥイ》――今はもう石のようにこちこちの黒い皮が張ったところから、熟した葡萄をとってもらいさえしました。教会のなかの灯は青く、外がわの壁は強い火の輝きで赤くなっていました。葡萄畑は埋まってしまいましたが、教会は燃える火の海に箱船が浮いているように立っていました」
ナポリの湾を囲んで町と町とがつづいている有様〔ちょうどトルレ・デル・グレコの終ったところからトルレ・デル・アヌンツィアータになる〕は、房の重みにたわんだ葡萄の枝が木から木へ揺れて、一つづきの花飾りかと見えるのに似ていた。そのあいだの道はすべて、いま言ったものさびしい一区切りは別として、トレドの通りに似ていた。いっぱい人をのせた軽馬車《キャブリオレ》、馬や驢馬《ろば》に乗った人々がたがいにすれちがい、群れをなして歩く男女の旅人が、風景をなお生き生きさせた。
私はいつも、ポンペイがヘルクラネウムのように地面の下にあるものと想像していたが、そうではなかった。山から葡萄畑の向こうの青い地中海が見おろせるところにある。一と足ごとに高くなって、やがて私たちは黒灰色の灰の塀にあいた出入口の前に立った。そばにまばらな茂みと綿の木があって、この塀をなんとかもう少し見た目に気持のよいものにしようとしていた。見張りの兵士が出て来て、私たちはポンペイの郊外にはいった。
「タキトゥスの手紙はお読みでしたな」とマレッティが言った。「それから小プリニウスもお読みになったですね。もうすぐ彼の作品のこの上なくりっぱな註釈をお目にかけますよ」
私たちの立っていた長い通りは「墓の街《まち》」という名で、記念碑がずらりと並んでいた。そのなかの二つは、美しい装飾をほどこした円いりっぱな腰掛が前に置いてある。これはその昔ポンペイの息子《むすこ》たち娘たちが、市の外へ散歩に出たとき休息した場所である。彼らは墓のあいだから花を開いた自然、道路と海の上の賑やかな動きを眺めた。やがて道の両がわに家の建ち並んでいるところへ出たが、これがみな店で、眼球の抜けた骸骨がずらりと並んで私たちを見つめるのに似ていた。すさまじい破壊の前にこの町を揺り動かしたあの地震の跡が、いたるところに残っていた。火と灰に数世紀の長いあいだ埋められることになったちょうどその時、建築の最中だったことが明瞭にわかる家もたくさんあった。未完成の大理石の蛇腹《じゃばら》が地面に転がり、そのそばにはそれを作るテラコッタの型があった。
私たちはもう町の外壁に来ていた。これを昇って幅の広い、円形劇場の段々のような階段があって、それを昇ると細長い道路がつづいていた。ナポリでもそうだったように熔岩の平石で舗装してあったが、この石は、今から千七百年前にヘルクラネウムとポンペイを廃墟と変じたのよりは、もっと昔の噴火の名残《なご》りであった。深い車輪の跡が石に残り、居住者が生前その家に彫った名もまだ読むことができた。看板の出ている家も二つ三つあって、その一つは家業が寄石細工《モザイク》屋であることを物語っていた。
部屋はどれも小さく、明りは屋根から、でなければ戸口の上の穴から取るようになっていた。四角く柱廊に囲まれた中庭は、ふつう、花壇か池を作って噴水を吹かせればいっぱいになるほどの大きさであったが、そのほかは中庭も床《ゆか》も美しいモザイクで飾られて、円や四分円やその他さまざまな芸術味ゆたかな図形が入りまじっていた。壁は深みのある赤、青、白に塗られて、光沢のある地に踊り子や神仙や水に浮くように軽やかな姿が、いちめんに描いてあった。すべてが色調といい絵といい、筆紙に尽しがたい気品を保ち、やっと昨日描いたばかりとも見える清新さがあった。フェデリーゴとマレッティは、時の移ろいにこのように異常な抵抗を示す絵具の驚くべき組成について熱心に論じていたが、私が気がついた時にはもう、「ヘルクラネウムの古記念物」というバヤルディの大版十巻物の話で夢中になっていた。二人はほかのたくさんの人々と同じように、自分の前の詩味ゆたかな現実を忘れて、批評や議論にかかりきっていた。彼らのむずかしい研究には、ポンペイそのものは忘れられていた。こういう外面的には学者らしいややこしいことは、彼らほど私をひきつけなかった。私のまわりに現にあるものは詩の世界であり、そこにいれば私の心はいと安らかであった。数世紀が溶け合って数年となり、すべての心づかいが眠る数瞬間となって、私の気持は新しい安息と霊感を得た。
私たちはサルスティウス〔ローマの歴史家。紀元前八六―三四〕の家の前に立っていた。
「サルスティウス!」と、マレッティは叫んで帽子をぬいだ。「|霊魂なき肉体《コルプス・シネ・アニモ》! 霊魂は去ってしまったが、その霊魂の抜けた肉体に、われわれは深甚なる敬意を捧げる」
ディアナ〔ローマ神話の月の女神。処女性と狩猟の守護神〕とアクテオン〔水を浴びるディアナの裸身を見たため、呪われて鹿に変えられた猟師〕の大きな画が正面の壁を占めていた。人夫たちが元気な大声で何か言いながら、二匹の堂々たるスフィンクスを脚《あし》にした、カルララ石のように白い大理石の大テーブルを、光の当る場所へ運び出していた。しかし何よりも私が感心したのは黄色の骨と、灰にくっきりと印された限りなく美しい婦人の乳房《ちぶさ》だった。
私たちは広場を横ぎってユピテルの神殿に行った。太陽が白い大理石の柱に輝き、彼方《かなた》に煙を吐くヴェズヴィオがあった。まっ黒い煙がもくもくと噴火口からのぼり、白い蒸気が雪のように、山腹を這いくだった熔岩の上にかかっていた。
私たちは劇場を見、階段式のベンチに坐った。柱のある舞台も出口のついた背後の壁も、まるで昨日ここで芝居があったばかりといったふうだった。ただ、今ではもう一つの音もオーケストラ席から聞こえて来ず、熱狂する見物人に呼びかけるロスキウスもいなかった。あたりはすべて死んだようで、自然の大舞台だけが生命を呼吸していた。みずみずしい緑の葡萄、サレルノへくだる人通りの多い道路、暖かそうな淡い空にくっきりと輪郭を浮きあがらせる背景の暗青色の山――これが、死の天使の力を歌う悲劇の合唱隊のように、ポンペイそのものの立つ一つの大きな舞台であった。私は死の天使を、まさに死の天使を見た。その翼は炭のように黒い灰であり、あふれ出て町と村の上に流れひろがった熔岩であった。
私たちは夕方になってからヴェズヴィオに登ることにした。輝く熔岩と月の光とがすばらしい効果を見せるからであった。私たちはレーチナで驢馬《ろば》をやとって登って行った。葡萄畑と淋しい畑を抜けて行くのだった。しかしいくらも進まないうちに、はえているものがだんだん小さくなりだして、小さな哀れな茂みとなり、蘆《あし》に似た葉のかさかさした草になった。風も冷たく強くなったが、こういうものさえなければ、限りなく美しい夕方であった。沈んで行く太陽は燃える火のごとく、空は黄金色《こがねいろ》に輝き、海は藍色《あいいろ》、島々は淡青の雲に似ていた。私の立っているのは神仙の世界であった。湾の端のナポリはいよいよ微かになり、遙か遠くに横たわる山は、アルプスの氷河のように雄大に輝く雪におおわれて、私たちのすぐそばに空高く、ヴェズヴィオの赤い熔岩が煌《きら》めいていた。
やがて私たちは平地に出たが、ここには道路もなければ小路《こみち》もなくて、いちめんが鉄のように黒い熔岩だった。私たちの驢馬は一歩踏み出すごとに注意深く足場をためすので、生命のない石の海から突き出た岬のような山の上のほうは、ごくのろのろとしか進めなかった。
私たちは狭い切通しを通って隠者《いんじゃ》の庵《いおり》に近づいたが、そこには蘆に似た植物以外は見られなかった。一隊の兵士が焚火《たきび》を囲んで、この地方でできる葡萄酒をらっぱ飲みしていたが、彼らはよそから来た人々を山賊から守る役をするのだった。ここで松明《たいまつ》に火をつけた。すると風が焔に襲いかかって、焔を消し火の粉の一つ一つをもぎ取ってしまうかと思われた。このゆらゆらするあぶなっかしい明りをたよりに、暗い夕闇のなかを私たちは、ぐらぐらする熔岩のかけら伝いに、深い谷のすぐふちの、石のごろごろした道を進んで行った。やがて目の前に、まっ黒な山のような灰の峰がつっ立った。私たちはこれを登るのだった。驢馬はもう役に立たないので、それを追って来た若者といっしょに置いて行くことにした。
松明《たいまつ》を持った案内人が先に立ち、私たちがそのあとにつづいたが、私たちの進むところは柔らかい灰の上であり、一足ごとに膝までもぐるので、ジグザグに歩くのだった。きちんと一列になって歩くこともできなかったが、これは灰のなかに大きなぐらぐらの石や熔岩のかけらがあって、それにつまずくと転がり落ちるからであった。二た足ごとに滑ってあともどりをし、たえず黒い灰のなかに落ちこんで、私たちはまるで鉛のおもりを足に縛りつけられたようであった。
「元気を出してください!」先に立った案内人が叫んだ。「もうすぐ頂上ですよ!」しかし山の頂きはいつまでたっても、頭の上の同じ高さにあるように見えた。しかし期待と希望が私の足に翼を与えた。私たちは一時間かかって頂上に着いたが、まっ先に着いたのは私であった。
いちめんに無数の熔岩のかけらが積み重なった広い台地が、目の前にひろがって、そのまん中に灰の山があった。これは深い噴火口の火山|堆《たい》であった。その上に月が火の玉のようにかかっていた。いつのまにかこんなに高く登っていたのだ。ようやく今、山は私たちに月を見せたのだが、それもほんの一瞬間のこと、次の瞬間にはまっ黒な煙の雲が、ひらめく考えのような速さで噴火口からぱっと湧きあがると、あたりは闇《やみ》の夜になった。山のなかがわ深く雷鳴がとどろいた。足もとの土地が震えるので、わたしたちはたがいにつかまりあって、倒れるのを防がなければならなかった。ちょうどその瞬間、百門の砲を放てばようやくまねのできそうな爆発の音がひびきわたった。煙が分かれると、高さがたしかに一キロもありそうな火の柱が青い空中を突進して、まっ赤なルビーのように輝く石が白熱の火に囲まれて打ち上げられた。それは頭上に落ちてくる花火のように見えたが、一直線に噴火口に落ちたり、灰の山を転がって行ったりしてしまった。
「永遠なる神よ!」私の心がおずおずとこう言っただけで、私は思いきって息もできないほどだった。
「ヴェズヴィオはとても御機嫌だ!」と言って案内人は、先へ進むように合図をした。私はもうここでこの小旅行が終ったのだと思っていたが、案内人は向こうの平地を指さした。見ると地平線がすっかり明るい火で、そのものすごい火を背景にして、巨大な姿が黒い影のように動いていた。これは私たちと流れ下る熔岩のあいだに立った遊覧客であった。私たちはその流れを避けるために山を廻って、反対側、つまり東側から登って来たのだった。噴火口が今のような不安な状態では近寄ることはできず、ただ熔岩の流れが泉のように山腹からほとばしり出るところに立つことが関の山だったので、噴火口を左に残して山の平地を横ぎり、道がないので、大きな熔岩の塊をよじ登った。蒼白《あおじろ》い月光と、このでこぼこの地面の上の松明の赤い光で、どの物かげもどの割れ目も、深い淵のように思われて、私たちの目に見えるのは濃い闇だけだった。
ふたたび足もとに大きな雷鳴が聞こえ、あたりすべてが夜となって、新しい噴火が目の前にぱっと光った。
やっとのことでのろのろと、一と足一と足手さぐりしながら目的地に向かったが、まもなく、手に触れるすべてのものが暖かいのに気がついた。熔岩のごろごろしたあいだから、釜《かま》から湯気のように熱い蒸気が噴き出ているのだった。
滑らかな平地が、今や私たちの前にあった。これはたった二日前の熔岩の流れで、上の層はわずか五、六センチではあったが、空気の作用でもう黒く硬い殻ができている下に、三メートル以上も深く、ぎらぎらする熔岩が横たわっているのだった。湖にがっちり張りつめた氷の上皮のように、ここには火の海の上にこちこちの殻があった。私たちはここを通り過ぎなければならなかったが、その向こう側はまだでこぼこした熔岩の塊が転がっていた。よその見物人がこの上に立って、新しい熔岩の奔流を眺めていた。これはこの場所からでなければ見えないのだった。
私たちは案内者を先頭に、一列になって熔岩の地殻の上を進んだ。靴底を通して熱が伝わってきた。まわりを見ると熱のために大きな裂け目ができて、足もとに赤い火の見えるところがたくさんあった。もし殻が割れたら、私たちは火の海のなかへほうりこまれなければならなかった。私たちは一歩ごとに足場をさぐってみたが、足に火傷《やけど》をしそうなので、早くここを通り抜けようと急いで歩いた。ここの熔岩も鉄と同じことで、冷えて黒くなりかけたのにさわると、たちまち火花を散らした。雪の上の足跡は黒く、ここのは赤かった。私たちは誰も一言も口をきかなかった。誰ひとりこの旅行がこんなに怖ろしいものとは考えていなかったのだ。
案内者を連れた一人の英国人が私たちのいるほうへもどって来て、火の見える赤い割れ目に囲まれて、島のような熔岩の塊に立っている私の近くに来た。
「あなたがたのなかにイギリス人はいませんか?」彼がきいた。
「デンマーク人が一人とイタリア人ばかりです」私が答えた。
「ちぇっ!」これが彼の言った全部だった。
やがて私たちは、よその見物人が大ぜい立っている大きな岩のごろごろした場所に来た。私も岩の一つに登ってみた。目の前の山腹を新しい熔岩の流れがゆっくり滑りおりて行った。熔鉱炉から流れ出る熔けた金属が、赤く輝くどろどろの火と見えるのに似て、下のほうでは広く長く、非常な面積にひろがっていた。どんなことばもどんな絵も、この雄大さ、この怖ろしい印象を伝えることができない。空気そのものまでが火と硫黄《いおう》に見えた。濃いガスが熔岩の流れの上に垂れこめて、強く反射する光に赤く染まっていたが、あたりいちめんは夜だった。下のほうの山のなかには雷が聞こえ、空には輝く星を伴って火の柱が立ちのぼった。自分をこんなに神に近く感じたことは今まで一度もなかった。私の心は神の全能と偉大とでいっぱいだった。私の周囲の火が、私のなかの弱さの一つ一つを焼きつくしたような気がして、私は強さと勇気を感じ、私の不死の魂は翼を振り立てた。
「全能なる神よ!」私の魂は吐息をついた。「私はあなたの使徒となりましょう。人間の世界の嵐《あらし》のなかで、私はあなたの名と、あなたの力と尊厳を歌いましょう。私の歌を淋しい僧房で修道僧の歌う歌よりも、もっと高らかにひびかせましょう。私は詩人です。力をお与えください。私の心を汚れに染まらせずにおおきください。あなたの神官と自然のそれの魂が、そうなくてはならないように!」私は手を合わせて祈った。そして火と雲のあいだにひざまずいて、その驚異と尊厳が私の心に呼びかけた神に、心からの感謝をささげた。
私たちが今まで立っていたごろごろの熔岩をおりて、ようやく五、六歩行ったかと思うと、すさまじい音を立ててその場所が破れた殻を突き破って落ちこみ、火花の雲が空高く舞いあがった。しかし私は平気だった、神が近くに在《ましま》すのを感じたからであった。これは一生のうちのあの瞬間――魂がその至福と不滅を自覚し、それ自身とその神を知るゆえに恐れも苦しみもない――あの瞬間の一つであった。
私たちのまわりの小さな噴火口は火花を投げ上げ、大きな噴火につづく小爆発がたえず起こっていた。火花の飛びあがって行く様子は、鳥の群れが一時にぱっと森から飛び立つのに似ていた。フェデリーゴも私同様に魂を奪われていて、ぶよぶよの灰の上を通って山をくだるのは、私たちの心の状態にふさわしかった。私たちの歩みは飛ぶように速かった。空《くう》を切って落ちて行った。私たちは滑り、走り、沈没した。灰は降りたての雪のように、ふっくらと山の上に乗っていた。登る時は一時間かかったのに、くだる時はわずか十分で足りた。風は静まっていた。おりて来ると驢馬が待っていた。面倒な山登りについて来るのを断った私たちの学者先生は、隠者の小屋に坐っていた。
私は自分がまた元気になったのを感じた。私はたえずうしろをふり返った。熔岩ははるか遠方に巨大な隕石《いんせき》のように横たわり、月光は昼のように明るかった。美しい湾のふちを歩いて行くと、水に映る月と熔岩とが、一つは赤く一つは青い二本の長い光の縞《しま》になって、鏡のような水の面に揺れるのが見えた。私は心が強くなり、頭がすっきりするのがわかった。もし小なるものと大なるものをくらべてよければ、私は、一つの場所の印象とその瞬間の霊感とが精神のはたらき全体を決定するという点で、ボッカチオに似ていた。ウェルギリウスの墓にそそいだ彼の涙は、やがて彼の詩人としての価値を世に認めさせることになったのだ。火山の偉大と恐怖は、意気悄沈と疑惑を追いはらった。この日の昼と夜に見たものは、私の心に非常に強い印象を与えた。だからこそ、その描写に手間どりながら、胸に刻みこまれたものをここに書いたので、さもなければこれはもっと先へ行ってから述べるべきであった。
私たちの学者先生はいっしょに家へ来ないかと誘った。はじめ私はちょっと困った、私とサンタのあいだにこのあいだのような場面があったあとで、また彼女に会うのは妙に気がすすまなかった。しかし、私の心のなかの、より大きくより重大な決心が、まもなくこの躊躇《ちゅうちょ》を消してしまった。
彼女はやさしく私の手を取り、葡萄酒をついでくれて、自然で活溌にふるまったので、とうとう私は、彼女を苛酷《かこく》に判断したことで自分自身を責めるようになった。私は不純な考えは自分のほうにあったのを感じた。彼女が明らかにあんなに強く表出した哀れみと同情を、私がつまらない情熱と間違えたのだった。そこで私は、今の気分にじつにふさわしいうちとけた態度と冗談とで、前の日の私の妙な挙動の埋め合わせをしようとした。彼女も私の心がわかったらしく、その目に誠心から出た姉の同情と愛情が見えた。
サンタ夫人もその夫も、まだ私が即興の詩を吟ずるのを一度も聞いたことがなかった。彼らは私に即吟をうながした、私はヴェズヴィオ登山を歌って、賞讚と喝采に迎えられた。アヌンツィアータの無言の視線が語ったものが今、サンタの唇から雄弁なことばとなって流れ出し、感謝に燃えるその眼《まな》ざしが私の心のなかまで見入った。
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四 めぐりあい
私が即興詩人としてはじめての舞台に立つ話がきまった。私は日に日に初舞台の勇気が増すのを感じた。マレッティの家でも、そこで知り合いになった二、三の家族のところでも、私は自分の才能によって一座の人々を楽しませるのに役立ち、心からの賞讚と激励を与えられた。これは私のくさくさした心に元気をつけてくれた。私はこれを喜ばしく思い、神のみ心に感謝した。私の心を読むことのできた人ならば誰でも、私の目に燃えた火を虚栄だとは言わないであろう。じっさいそれは汚れのない悦《よろこ》びだった! もっとも正直のところ、私に与えられた賞讚について心配なことがあった。自分はそれだけの値うちがないのではないか、いつまでもそれを受けつづけることができないのではないかと心配であった。この気持がじつに強かったので、私事ではあるが、あえてここにペンに乗せたわけである。賞讚と激励は高貴な心にとっては最上の学校であるが、反対に苛酷と不当な叱責とは人の心を臆病にするか、そうでなければ反抗心と軽蔑《けいべつ》の念を呼び起こす。私はこれを自分の経験で知った。
マレッティはいろいろ私のことを気にかけてくれた。いつもとちがって何かと私に尽してくれて、私が自分のために選んだ道で役に立ちそうな人たちに紹介してくれた。サンタも限りなくやさしく、私にたいするそぶりに愛情がこもっていたが、それでも私の心のなかの何かが、いつも彼女のそばから私をはねのけるような気がした。私はいつもフェデリーゴといっしょか、でなければ、彼女の家に客のあるのがわかっている時でなければ、彼女のところへ行かなかった。このあいだの場面のくり返しが怖かったのだった。とはいうものの私の目は、彼女の気がつかない時はじっとその顔にとどまって、私は彼女を美しいと思わずにはいられなかった。よく世間にあることが私にも起こった。誰かがあなたをからかって、あなたがある人を愛していると言う。このある人というのはあなたが今まで考えたこともない、あるいはあまり気に留めたことのない人である。あなたはしかし、この人にどんな美点があるのか、なぜ自分が選ばれてこの人と結びつけられるようになったのかを、知りたい気持になる。はじめは好奇心だったのが、やがて興味に変る。このようにして一人の人間にたいする興味が愛に変じたためしは、今までにもあったことである。私の場合には、しかし注意をそそられる以上には出なかった。今まで経験したことはなかったが、しかし心臓の鼓動を激しくするのには十分だった一種の感覚的観察の上には出ず、私を内気にして彼女とのあいだにある距離を保たせた不安な気持にとどまった。
ナポリに来てからもうふた月になった。次の日曜日に、私はサン・カルロの大劇場ではじめての舞台を踏むことになっていた。その晩は歌劇「セヴィリアの理髪師」が上演されるので、そのあとで与えられた詩題で即興詩を歌うはずだった。私はチェンチという芸名にした。自分の苗字をびらに出すだけの勇気がなかったからである。
自分の運命がきまるはずのこのいよいよという日を、この上なく待ちこがれる気持で私の心はいっぱいだったが、同時にまた不安、悪寒《おかん》に似た恐怖が、身うちを走ることもたびたびだった。フェデリーゴは私を慰めて、それは空気のせいだと言った。彼も、ほかのたいていの人も、同じことを感じていた。噴火がだんだん烈しくなってきたヴェズヴィオのせいだ、というのだった。熔岩の流れはすでに山を下って、トルレ・デル・アヌンツィアータのほうへ向かっていた。ある晩、山に雷のような轟音が聞こえて、灰が空に立ちこめ、木や花の上に厚く積もった。山頂は嵐をはらんだ雲につつまれ、爆発のたびにこの雲から薄青い光がジグザグに走り出た。サンタもほかの人々と同様、加減が悪かった。「熱があるわ」という彼女の目は、きらきらしていた。顔は蒼《あお》ざめ、彼女は非常にそれを苦にしていると言った。私のサン・カルロの初舞台には、なんとしても行きたいと思っていたからである。
「ええ行くわ」と彼女が言った。「そのあくる日熱が三倍になっても行くわ。行かずにはいられませんもの。友だちのためには命だって賭けるものよ。かりに友だちのほうでは何も知らないにしても!」
私はこのごろ遊歩場や、コーヒー店やほうぼうの劇場で時を過ごしていたが、私の落ちつかない気分はまた私を教会へ、聖母の足もとへ行かせた。私はここで罪深い思いを告白し、勇気と、私の魂の強い衝動について行けるだけの力とを祈願した。「|美しい少女《ベルラ・ラガッツア》!」と誘惑者が耳にささやくのが聞こえて、急いでそこを立ち去る時、私の頬《ほお》は火のようだった。私の精神と肉体とがたがいに抑えつけようと競争して、私は自分自身のなかに過渡期とも言うべきものを感じた。日曜日の晩が頂点だと私は思っていた。
「いっぺんぜひあの大賭博場《だいとばくじょう》へ行こう」と、フェデリーゴは何度もこう言った。「詩人は何でも知っていなけりゃだめだよ」
私たちはまだそこへ行ったことがなかったので、私はなんとなく気恥ずかしい思いがした。ベルナルドは、私があのおとなしいドメニカの家とエスイタの学校で育てられたため、私の血のなかに山羊《やぎ》の乳が少し――彼は無礼にも臆病とも言ったが――まじってしまったのだと言ったが、これもある程度は当っていた。
私はもっと決断力がなければいけなかった。世間を描写するつもりならば、もっとそのなかで生活しなければだめだった。夕方かなりおそくなってナポリのいちばん有名な賭博場へ行った時、そういう考えが強く私の心にひらめいた。
「行ってやるぞ。行くだけの勇気のないことがわかっていればこそだ!」と私は自分に言った。「自分でやらなくてもいい。フェデリーゴもほかの友だちも、私が賢明にやったというだろう」
しかし人間というものは、なんと弱くなれるものだろう! 私の胸はひっきりなしにどきどきして、まるでこれから罪を犯そうとしてでもいるようだったが、理性のほうは、なんのかまうことがあるものかと言った。入口にはスイス人の番人が立っていて、階段には煌々《こうこう》と明りがついていた。玄関には大ぜいの給仕がいて、私の帽子と杖を受け取り、ドアをあけてくれた。あかあかと明りのついた部屋が並んでいるのが見え、大ぜいの男女が集まっていた。いかにも落ちついたように見せるために、私は大急ぎで一番目の部屋にはいったが、ほんの少しでも私に気のついたものは、一人としていなかった。人々は大きな賭博台を囲んで坐り、彼らの前には、金貨銀貨が積みあげてあった。
かなりの年配の、一度は美人だったにちがいない婦人が、厚化粧に豪奢《ごうしゃ》なみなりをして、カルタをつかんで坐っていたが、その隼《はやぶさ》のような眼はじっと金貨の山に釘づけになっていた。若い非常にきれいな娘が何人も――みな罪深い美しい娘であるが――紳士たちと、いかにもうちとけた様子で話していた。隼のような眼の老婦人も昔は男の心《ハート》をとらえたこともあったが、今ではハートの札で勝つことができるだけだった。
いちばん小さい部屋の一つに赤と緑の市松《いちまつ》模様のテーブルがあった。この色の四角形の上に一枚または数枚の銀貨を置いて、球を転がし、それがきまった色の上にとまれば、賭けた金が二倍になってもどってくるのだった。勝負は私の心臓の鼓動のように早く、金貨と銀貨がひっきりなしに台の上を転がった。私も財布を出して、銀貨を一つ台の上に投げると、赤の上に落ちた。その前に立った男が、そのままにして置いていいのかどうか、目つきで尋ねた。私は思わずうなずいた。球が転がって、私の金は二倍になった。私はすっかり面くらってしまった。金はそこに置かれたまま、球は何度も何度も転がった。私は勝負運に恵まれていた。私は落ちついていられなくなった。思いきって投げたのがまさに好運の一枚だったのだ。やがて目の前にうずだかく銀貨が積まれ、金貨も同じようにたまった。私は口のなかがかさかさになったので、葡萄酒を一杯飲んだ。銀貨の山は、私が一枚も減らさないので、ますます高くなった。もう一ぺん球が転がった。親元がいかにも落ちついた様子で、この輝く山をそっくり手もとへ掃き寄せた。私の美しい夢は終りだった。そして、それで私も目が覚めた。もう勝負はしなかった。なくしたのははじめに賭けた銀貨一枚だけだった。それに慰められて私は次の部屋にはいった。
そこには若い婦人たちがいたが、そのうちの一人が私の注意をひいた。丈は少し高く、体つきはあれほどほっそりはしていなかったが、不思議なくらいアヌンツィアータに似ていた。私の目はたえず彼女の上にとまっていた。それに気がつくと彼女は私のところへ来て、小さなテーブルを指さしながら一勝負しないかとたずねた。私は断りを言って、いま出て来たばかりの部屋へ帰った。彼女の目があとを追って来た。いちばん奥の部屋では若者たちが玉を突いていた。そこには婦人たちもいっしょにいたのに、彼らは上衣をぬいで勝負をしていた。こういう仲間ではどんな自由が許されるのか、私は忘れていた。入口のところに、私のほうへ背を向けて、りっぱな体つきの若い男が立っていた。キューを構え狙いをつけると、みごとな当りを見せたので、人々の拍手《はくしゅ》を受けた。私の目をひいた婦人がやさしくうなずいて、彼に何かおもしろいことを言ったらしかった。彼が振り返って彼女にキスを投げると、彼女はふざけてその肩を叩いた。私はどきっとした。正真正銘のベルナルドだった。
私はそばへ行く勇気はなかったが、何から何までよく見てやろうと思った。私はそっと壁ぎわを歩いて、あまり明るくない大きな部屋の開いたままの入口のほうへ行った。ここなら自分の姿は見られずに、もっとよく彼を見ることができた。この部屋は全体が薄暗く、赤と白のガラスのランプが弱い光を投げていた。この部屋につづいて作り物の庭があり、美しいオレンジの木に囲まれた木かげの休み場所があしらってあったが、葉は鉛で作って色を塗っただけだった。羽の色もあざやかな剥製《はくせい》の鸚鵡《おうむ》が枝のまに揺れ、手廻しのオルガンが静かで優美な、心にしみとおるような曲を低く奏《かな》でていた。アーチ形の廊下から開いた戸口を抜けて、ちょうど程合いの涼気がはいって来た。私が一わたり大急ぎで見廻したちょうどその時、軽い足どりでベルナルドが近づいて来たので、私は機械的に木のかげの休み場所にかくれた。彼は私がそこに立っているのを見て、微笑してうなずいたが、隣りの休み場所へ急いで行ってどかっと椅子にかけると、あたりに聞こえるような鼻歌を歌いはじめた。無数の感情が私の胸をかきみだした。あの男がここにいる。自分がすぐそのそばにいる。手も足もぶるぶる震えるので、私は腰かけずにはいられなかった。香ばしい花、低い音楽、薄明り、それに柔らかな弾性のある座席が、私を一種の夢の世界へ連れて行った。このような世界でなければ、私はベルナルドに会うことは考えられなかった。私がそこに坐っていると、さっきの若い婦人が部屋にはいって来て、私のいる休み場所に近づいて来た。ベルナルドがそれを見て歌う声を大きくすると、彼女はその声で気がついて彼のほうを向いた。接吻の音が聞こえて、私の胸に焼け刺さった。
あの男を――誠心もなく移り気なベルナルドのほうを、アヌンツィアータは選んだのだ! それがもう、愛の幸福を得てまだいくらもたたない今、泥を固めた美のにせ物に唇を与えている始末なのだ。私はその部屋から、その建物から飛び出した。私の心は激怒と苦痛にわなないた。私は朝まで眠れなかった。
その晩いよいよ私がサン・カルロの劇場で初舞台を踏むべき日が来た。そのことと昨日の出来事を考えると、私の心は落ちついていられなかった。この時ほど真心こめて聖母や聖者に祈ったことは一度もなかった。私は教会へ行って僧侶《そうりょ》から秘蹟を受けた。その力によって強められ浄《きよ》められるように祈ると、その不思議な霊験《れいげん》が感じられた。たった一つ、私につきまとって、ごく大切な平静を乱す考えがあった。アヌンツィアータがここにいることがありうるだろうか、そしてベルナルドは彼女を追って来たのだろうか、という考えだった。フェデリーゴが、アヌンツィアータはここにいないという確実な知らせを持って来てくれた。ところがベルナルドのほうは、到着者のリストからわかるように、ここへ来て四日目だった。サンタは、私が知っていたとおり、熱を出していたが、それにもかかわらず、劇場へ行くと言ってきかなかった。びらが貼り出され、フェデリーゴがさかんにおしゃべりをし、ヴェズヴィオがいつもより猛烈に火と灰を噴き上げた。あらゆるものが動いていた。
私が劇場に乗りつけた時、オペラはもうはじまっていた。もし運命の女神が私のそばに坐って、その鉄の刃《やいば》のあいだに私の生命の糸があったとすれば、私は「切れ!」と叫んだにちがいない。「神はすべてのものを最上の結果にみちびきたもう!」というのが、私の祈りでもあり、考えていることでもあった。
俳優が出を待つ休憩室には、舞台の芸術家たちの一群と芸術愛好家が四、五人、それに即興詩人でフランス語の教授まで集まっていた。これはサンティーニという男で、マレッティが私に紹介してくれた。気の置けない会話のやりとりに人々は笑ったりふざけたりするし、「理髪師」に出る歌手がまるで何かの会合のように出たりはいったりした。舞台は彼らの住みなれた家だった。
「われわれが一つ題をあげましょう」とサンティーニが言った。「そう、むずかしい題だが、うまくゆくでしょう。私は今でも忘れませんが、はじめて出た時はずいぶんぶるぶるしたものです。だが成功でした。私には私のこつがあったのです。理性の許しうるちょっとした罪のない手です。恋と古代とイタリアの美しさと詩と美術、こういうものを歌った短かい詩を幾つかいつでも取り入れることができるように用意しておくのです。取っておきの詩を二つ三つ持っていなければならないことはもちろんの話で、これは言うまでもありません」
私はそういう準備をすることなどは思いも寄らなかったと断言した。
「ああ、そういう人もありますな」と、笑いながら彼が言った。「いや! 結構! 結構ですよ! あなたは若くて合理的なかただ。すばらしい大成功でしょう!」
オペラが終って、私はいよいよがらんとした舞台に立った。
「絞首台の用意ができましたよ」笑いながらこう言って、舞台監督が道具方に合図をした。幕があがった。
私は黒い深い淵しか目にはいらず、見分けることができたのはオーケストラの席と、五階もあるこの高い建物のいちばん近くの桟敷《さじき》の、いちばん前列にいる人たちの頭だけだった。重い暖かい空気が私のほうへ流れてきた。私は自分のなかに、われながら驚くほどの強い決心があるのを感じた。たしかに私の心はわくわくしていた。しかしそれはあらゆる考えに順応するのに当然なくてはならない柔軟さと感受性を持っていた。冬の厳しい寒さがしみとおるとき空気がいちばんきれいなように、私は同時に緊張と明るさを感じた。私のあらゆる精神的能力が目ざめたが、これはこの場合当然そうでなくてはならないことだった。
私の即興詩の題は誰でも紙きれに書いて私に渡してよいことになっていた。もっとも、警察の書記がまず、法律に触れるようなことが書いてないのを確かめてからであったが。幾つか出された題のなかから、私は好きなのを選ぶことができた。最初の紙には≪|Il cavaliere servente《イル・カヴァリエーレ・セルヴェンテ》≫と書いてあったが、これは今まで夢にも考えたことのない仕事だった。私はこの「カヴァリエーレ・セルヴェンテ」の別名の「チチズベーオ」がたしかに現代の騎士であり、その貴婦人のために戦うことができなくなった今日では、彼女らの忠実な付添い人であり、夫の代りになるものだと思っていた〔チチズベオの起源はジェノヴァにある。ジェノヴァの商人は商用で家を離れていることが多かったので、妻を家のなかに閉じこめないために、友人に頼んで妻の世話をする付添い人になってもらった。この友人ははじめは僧侶であった。のちにこのやり方が流行になって、チチズベオを持たないものはないようになった。チチズベオと彼が託された婦人の関係ははじめはりっぱなきれいなもので、死んだチチズベオがその墓碑銘のなかで、確実かつ忠実に義務を果たしたことを賞讚された例も幾つかある〕。私は有名な一つのソネットを思い出したが、この題で美しく歌おうという気はまるで起こって来なかった。私は大急ぎで二枚目を開いた。それには「カプリ」と書いてあったが、これも私を困らせた。私はまだこの島へ行ったことがなく、その美しい山の形をナポリから眺めただけだった。知らないものは歌いようがなかった。むしろはじめの題のほうがよかった。
三枚目の紙きれを開けると、「ナポリのカタコンバ」と書いてあった。これもまだ行ったことのない場所だったが、カタコンバということばとともに、私が命をなくしかかった出来事が目の前に浮かんだ。子供の時フェデリーゴといっしょに行った遠足で、私たちのやった冒険が今ありありと胸によみがえった。私は楽器の調子を合わせた。ひとりでに詩句が湧いて出た。私はローマの代りにナポリにしただけで、自分の感じたこと経験したことを物語った。私はふたたび幸福の糸をつかんだ。嵐のような喝采が何度も私を迎えて、シャンパンのように私の血のなかを流れた。次に私は「蜃気楼《しんきろう》」という題を出された。このシチリア島とナポリに特有の美しい空中現象も、私はまだ見たことがなかったが、あのすばらしい城に住む美しい妖精ファンタジアは非常によく知っていたので、彼女の庭も城も、そのなかにただよう私自身の夢の世界も歌うことができた。じつに私の胸のなかにこそ、この世でいちばん美しい妖精が住んでいたのだ。
私は急いでこの題を考えた。すると短かい話ができて、私の歌に新しい思いつきが生まれてきた。最初に私は、その名ははっきり出さなかったが、ポジリッポの崩れた教会を簡単に描写した。このロマンチックな家はすっかり私の心をとらえていた。私は今は漁師の住家になっている教会を歌った。小さい男の子が一人、窓の下のベッドに眠っていて、窓ガラスには聖ゲオルギウスの姿が描いてある。静かな月光の夜、美しい小さな女の子が彼のところへ来る。彼女はきわめて美しく、空気のように身軽く、肩に美しい明るい色をした翼がある。二人がいっしょに遊んでいるうちに、彼女は男の子を緑の葡萄の林のなかへ連れて行って、彼が今まで見たこともないすばらしいものを、幾つも幾つも見せてやる。二人が山へはいって行くと、山がひらいて大きなりっぱな教会となり、画と祭壇でいっぱいに飾られている。二人が煙を吐くヴェズヴィオに向かって青い海を渡って行くと、この山がガラスでできているように見え、そのなかで火が燃え、荒れ狂っているのが見える。彼らは地のなかにはいり、男の子が話に聞いたことのある昔の都会へ行く。町の人々はみな生きている。男の子の目にはいるこの人たちの富と豪華さは、その廃墟から想像できるどんなものも及ばない。彼女は翼をはずして男の子の肩につけてやる。彼女はそれがなくても空気のように軽く、それがなくてもいいからである。こうして二人はオレンジの林、山、豊沃《ほうよく》な緑の沼沢地方を越えて、死んだようなカンパーニャのなかなる古代のローマへ飛んで行く。青い海を越え、遠くカプリの島を過ぎて、二人は深紅《しんく》に輝く雲の上で休む。彼女は彼に接吻し、自分の名はファンタジアだと言って、母親の美しい城を見せる。これは空気と日光でできていて、二人はここで本当に幸福に、本当に楽しく遊ぶ。しかし男の子が大きくなると、だんだん女の子が来なくなって、月の光で緑の葡萄の葉ごしに彼をのぞいて見るだけになる。オレンジの実《み》が彼にうなずき、彼は心が重く、恋しさでいっぱいになる。もう彼は海に出て父を助けなければならず、櫂《かい》の使い方、索《つな》の引き方、嵐のなかでの舟のあやつり方も習わなくてはならないが、彼が大きくなればなるほど、その心は、今はもうまるで彼を訪れなくなった愛する遊び友だちに向けられる。月の明るい夜おそく静かな海の上にいる時、彼は漕ぐ手を休めて、深く澄んだ水の奥に大海の、海草の散らばった砂地の底を見る。するとそこからファンタジアが、黒い美しい目で彼を見上げて、手招きして自分のところへおりて来るようにと言うように見える。
ある朝、大ぜいの漁師が岸に集まっている。さしのぼる日の光のなかに漂うごとく、カプリの島からあまり遠くないあたりに、驚くばかりの美しさの新しい島が横たわっている。色は虹色で、きらめく塔、星、すきとおった紫の雲に飾られている。「蜃気楼だ!」と漁師たちは声をそろえて叫び、このうっとりするような光景に有頂天《うちょうてん》になる。しかし若い漁師はそれをよく知っている。彼はそこで遊んだことがあり、彼の美しいファンタジアと二人で住んだことがある。不思議な物悲しさと恋しさが彼の心をとらえるが、彼のよく知っている幻は涙のなかに霞《かす》んで、やがて消えてしまう。
月の明るい晴れた夜、漁師たちの立っている岬《みさき》から、輝きと空気でできた城と島がまた現われる。彼らは、ボートが一隻矢のように早く、このあやしく漂う陸地へ向かって走って行き、姿を消すのを見る。たちまち、この光でできたものが残らず消えて、そのかわり冷たい黒雲が海上いちめんにひろがり、おだやかな海面を竜巻が走って、海は暗緑色の大浪《おおなみ》にうねりはじめる。それが消えると海はふたたび静まり、青い水の上に月が輝くが、さっきのボートはもはや見えず、若い漁師の姿も見えない。美しいファータ・モルガーナといっしょに消えてしまったのだ。
私はまた前にもおとらない喝采を浴びた。私は勇気も増し、いよいよ励まされた。次に出された題は、私が語らずにはいられなかった自分の過去の思い出をもって歌うことができた。今度はタッソーについて即興詩を作るのだった。タッソーは私自身、レオノーラはアヌンツィアータで、二人はフェルラーラの宮廷で会った。私は彼とともに獄舎にあって苦しみ、ソルレントから波のうねる海を越えてナポリのほうを望んだ時、心に死を抱いてふたたび自由を呼吸し、彼とともに聖オノフリウスの寺院の樫《かし》の木のもとに坐った。カピトールの鐘は彼が冠を受ける祝いのために鳴ったが、死の天使が来て、はじめて彼の頭に不滅の冠をのせた。
私の心臓ははげしく鼓動した。私は夢中で、想像の高い羽ばたきにわれを忘れた。もう一つ歌うべき詩があった。「サッフォーの死」であった。ベルナルドを思い出すと、嫉妬《しっと》で胸が痛くなり、アヌンツィアータが彼の額に与えた接吻が魂に焼き刺さった。サッフォーの美はアヌンツィアータのそれであったが、彼女の恋の苦しみは私自身のものであった。大海の水がサッフォーを飲んで閉じた。
私の詩が涙をさそい、満場の聴衆から怒濤《どとう》のような喝采が捲き起こって、幕のおりたあと、私は二回呼び出された。幸福と名状しがたい喜びが私の胸をいっぱいにして、今にもはり裂けるかと思うばかりだった。そして、友だちや知人の抱擁と祝辞のうちに舞台をおりた時、わっと泣きだしてしまって烈しく痙攣《けいれん》したようにすすり泣いた。
サンティーニ、フェデリーゴ、それに歌手も何人か加わって、すこぶる賑やかな一晩が過ぎた。彼らは私の健康を祈って飲み、私は幸福ではあったが、唇は封をしたようだった!
「彼は真珠だ!」フェデリーゴが嬉しさにはしゃいで、私のことをこう言った。「ただ一つの悪い点は、われわれデンマーク人が間違いのないようにヤコブの子のヨセフと呼ぶことになっているヨセフ二世にそっくりなことだ! アントニオ、人生を楽しめよ! 薔薇《ばら》は凋《しぼ》まないうちに摘むものだ!」
私が家へ帰った時はもうおそかった。私は自分を見捨てなかった聖母とキリストに祈祷《きとう》と感謝をささげて、まもなくぐっすり寝入ってしまった。
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五 サンタ夫人
次の朝フェデリーゴの前に立った私は、生まれ変った人間だった。私は自分の嬉しさを表へ出すことができた。これは前の晩はできないことだった。私は周囲の生活に興味を深くしはじめ、言ってみれば、自分が気高《けだか》くなったように感じた。私の生命の木に落ちた激励の露によって、成熟の度が増したようでもあった。
サンタを訪問することも必要であった。彼女はたぶん、前の晩の私の詩を聞いたはずであった。彼女の賞めことばもぜひ聞きたかった。それを聞ける自信があった。
マレッティは非常な上機嫌で私を迎えた。しかしサンタは、劇場から帰って来てから一晩じゅう、熱が高くてひどく苦しんだということだった。今ちょうど眠っているが、眠ればあとがいいだろうとも言っていた。私は夕方もう一ぺん訪れることを約束させられた。私はフェデリーゴや新しい友人たちといっしょに食事をしたが、何度も何度も健康を祈って杯がほされ、カンパーニャの酒につづいてカラブリアの酒がつがれた。私はもうそれ以上は飲めなかった。血が燃えているようで、シャンパンで冷やさなければならなかった。
私たちは賑やかに、すっかり陽気になって別れた。外へ出た時、空はヴェズヴィオの噴火とすさまじい熔岩の流れで明るかった。いっしょにいた人たちのなかには、この恐ろしくもまた壮大な眺めを見に出かけたものもあった。もうアヴェ・マリアの祈祷の時間を少し過ぎていたので、私はサンタのところへ行った。行ってみると彼女は一人きりでいて、だいぶよくなっていた。召使の話では、眠ったので力がついたのだ。彼女は私に会うと言ったが、誰もいっしょに来てはならないという注文だった。
私は美しくて居心地《いごこち》のよい小さな部屋に通された。厚い窓に厚ぼったいカーテンが長々と引いてあり、矢をといでいる可愛らしい大理石のキューピッドの立像と、部屋をすっかり魔法の世界にありそうな色合にもしている|ほや《ヽヽ》の丸いランプが、いちばん先に目についた。サンタは軽い寝間着で柔らかな絹のソファーに横になっていたが、私がはいって行くと、彼女を包んでいる大きなショールを片手でおさえながら、片手を差し出した。
「アントニオ!」と彼女が言った。「ほんとに大成功だったわ! 仕合わせなかた! 夢中にならなかった人は一人もないわ! ああ、あなたにはわからない、あなたのために私がどんなに心配したか、どんなにこの胸がどきどきしたか。そして、私のいちばん大きな期待よりも、もっともっと大成功だとわかった時、私がどんなに喜んでほっと息がつけたか!」
私はお辞儀をして見舞いのことばを述べた。彼女は私に手を与えて、楽になったと答えた。「本当にずいぶんよくなったわ」と彼女は言って、またつづけた。「あなたは別の人のように見えるのね! あなたは美しかった、本当に美しかったわ! あなたが自分のインスピレーションで恍惚《こうこつ》として照らした姿は、何とも言いようがなかったわ! どの詩のなかでも、私の目に見えたのはあなたそのものだった。画家といっしょにいる子供、あのカタコンバのなかの子供は、あれはあなたとフェデリーゴだと思ったわ」
「そのとおりです」と私は彼女のことばの途中で言った。「私の歌ったことはみんな自分で経験したことです」
「そう」と彼女が言った。「何もかも自分で経験なさったの。恋の幸福も恋の苦しみもね。あなたにふさわしく幸福におなりになるように!」
私は自分全体がどんなに変ったように見えるか、私の目に映る人生がどんなに完全に変ったかを彼女に話した。すると彼女は私の手を取って、表情に富んだ黒い眼でまるで私の魂をのぞきこむようにした。彼女は美しかった、――いつもよりも美しかった。頬は薄くれないに輝き、つやつやした黒い髪は美しい形の額を見せて平らに掻き上げてあって、そのあでやかな姿はフィディアスほどの腕でなければ彫られない美しいユーノの姿を思わせた。
「そうだわ」と彼女が言った。「あなたは世間の人のために生きなくてはならないのよ、あなたは世間の人の財産なのよ。あなたは何百万という人を喜ばせることも感動させることもできるのよ。だからたった一人のことを思いつめて、あなたの幸福のじゃまになるようなことになってはだめです。あなたは愛される値うちがおありになる。あなたはその心とその才能で、人の魂をおつかみになれる。それに」と彼女は息を切らしたが、私を引き寄せて言った。「まじめなお話をしなくちゃいけないわ、本当に、悲しさがあなたの心をあんなに重く押しつけていたあの晩からあと、ゆっくりお話することができなかったんですもの。あの時あなたは――そうね、何と言ったらいいかしら?――何か考えちがいしてらしたようね。……」
私は思いちがいをした。そして私はそのことで幾度となく自分を責めたのだった。
「あなたに親切にしていただく値うちなど私にはありません」私は彼女の手に接吻《せっぷん》しながらこう言って、気持にも考えていることにも少しも汚れたところなしに、彼女の黒い目を見つめた。彼女の目はまだ燃えて、きっと、ほとんど刺し通すように私に向けられたままだった。もし知らない者が見たならば、清浄の光のほか何もないところに影を見つけたであろう。私の心は声を大にして誓うことができたが、言ってみれば今ここで弟と姉、目と目、考えと考えが相会したのだった。
彼女は非常に興奮していた。胸が烈しく高くなり低くなるのが見えたが、彼女は楽に息がつけるように襟《えり》のまわりをゆるめた。「あなたは愛される値うちがあるわ!」と彼女が言った。「きりっとした心の美しさはどんな女にも愛されるものよ!」
彼女は私の肩に腕をのせて、また私の顔を見つめていたが、やがてなんともいいようのない雄弁な微笑をたたえてつづけた。「あなたが理想の世界で夢ばかり見ていらっしゃる、と私は信じることができるわ! あなたは細かい感覚も頭のよさも持っていらっしゃるのね。この二つはいつも勝利を得るのよ。だから、アントニオ、あなたは私にとって大切なのよ。それだからあなたに愛されるのが私の夢、私の考えていることなんだわ!」彼女は私を引き寄せた。彼女の唇は火のように燃えて、その火が私の胸の底まで流れこんだ。
永遠なる神の母よ! ちょうどこの時、私の頭の上の壁から、あなたの像が落ちたのです。これは決して偶然の出来事ではありませんでした。そうです、あなたは私の額におさわりになりました、私があやうく情熱の渦巻《うずまき》に巻かれて沈むところをつかまえてくださいました!
「いいえ、いけません!」と、私は驚いて立ちあがりながら言った。私の血はたぎり立つ熔岩のようだった。
「アントニオ!」と、彼女が叫んだ。「私を殺して! 殺して! 殺してもいいから行かないで!」彼女の頬も、目もそのきらめきも、表情も、情熱そのものであったが、しかも彼女は美しく、焔で彩《いろど》った美の画像であった。私は神経の一本一本がふるえるのを感じ、一言も答えずにその部屋を出ると悪霊に追われてでもいるかのように、階段を走りおりた。
通りへ出ると、すべてのものが私の血と同じく燃えているようだった。空気の流れから熱が吐き出されていた。ヴェズヴィオが輝く火になり、間あいの短かい連続噴火にあたりのものすべてが明るく照らされていた。空気を、空気を! と私の心は求めた。ひらけた湾の波止場《はとば》へ急いで行って、波が岸に砕けるちょうどその場所に腰をおろした。私は目のなかへどっと血が流れこむような気がして、塩水で額を冷やし、空気のどんなかすかな動きも私を冷ましてくれるように、上着をかなぐり捨てた。しかし、あらゆるものがかっかと燃えて、海は山を流れくだる赤い熔岩の火のようにきらめきさえした。どちらを向いても私は彼女がまるで焔で彩られたような姿で立ち、あの求めてやまない焼けつくような火の瞳で、私の心のなかをのぞきこんでいるのが見えた。「殺して! 殺してもいいから行かないで!」という声が私の耳にみちみちていた。私は目を閉じて、神に心を向けた。しかし私の心はまた神を離れた。――罪の焔に私の魂の翼が焼けただれたかのようだった。
「いかがでしょう、旦那、トルレ・デル・アヌンツィアータ行きの舟は?」すぐそばでこういう声がした。アヌンツィアータという名が私をわれに帰らせた。
「熔岩の流れるやつは一分間に四、五十センチも走りますぜ」と、オールでボートが岸を離れないようにしていたこの男が言った。「三十分で行けますがね」
「海が落ちつかせてくれるだろう」私はこう思ってボートにとび乗った。船頭が岸を突き、帆を揚げると、私たちはまるで風に乗ったように、血の色の赤く輝く水の海を走っていた。冷たい風に頬を叩かせていると息も楽になり、湾の向こう岸に近づいた時には、私は自分が落ちつき、気持も楽になったのを感じた。
「もう二度とサンタには会わないぞ」私は堅く決心した。「知恵の木の実を見せる美しい蛇から逃げよう。そうすればさぞ大ぜいの人に笑われるだろうが、自分の心が悲しみに泣くよりも、むしろ人から笑われるほうがましだ。聖母マリアよ、あなたはあなたの尊い像が壁から落ちるのをお許しになり、私が罪に落ちずに済むようにしてくださいました」私は聖母が私を護る恵みを深く感じた。
すると不思議な悦びが私を満たし、すべての気高く善良なものが私の心のなかで勝利の歌を歌って、私はふたたび気持も考えも神の子になった。「父よ、すべてを私にいちばんよいようにお導きください!」私は祈り叫んだ。そして自分の幸福が永久に確かなものになったかのように、生の悦びに心をいっぱいにして、小さな都会の町々を通り抜けて街道へ出た。
あらゆるものが活動していた。大ぜいの人を乗せたいろんな馬車が私のそばを通り過ぎ、乗っている人々は大声で話し、歓呼の声をあげ、歌い、周囲のあらゆるものが焔に照らされていた。熔岩の流れが山腹の小さな町に近づいて来たので、人々がそこから逃げて来たのだった。私は小さな子供を胸に抱き、ちょっとした包みを脇にかかえた女たちを見、彼女たちの悲嘆を聞くと、誰彼の区別なしに自分の持っていたわずかの金を分けてやらずにはいられなかった。私は人の群れについて、白い塀に囲まれた葡萄畑のあいだを登りながら、熔岩の流れの向かう方向へ進んだ。そこと私たちのあいだには大きな葡萄畑があり、熔岩の流れは何メートルという深さの赤く燃える火の泥のように、行く手にあるものは建物も塀も征服しつつ押し寄せてきた。逃げる人々のわめき声、この堂々たる光景を見る他国の人々の叫び声、馬車屋のどなることば、さまざまの物売りの呼び歩く声、こういうものが異常に入りまじるかと思うと、ブランデー売りのまわりに群がり立った酔った百姓や馬に乗った人々が、どれもこれも赤い火の光に照らされて、そこに描き出された画面の完全なことは、筆にも舌にも尽しがたいものだった。はっきりした進路を進む熔岩は、すぐそばまで行くことができた。杖や貨幣をつっこんで、それに熔岩の一かけをつけて取る人もたくさんあった。
火の塊があんまり大きいので、その一部分がずるずると崩れ落ちた時は、恐ろしくもあり美しくもあった。海の砕け浪にも似ていて、舞いくだる破片は輝く星のように熔岩の流れの外側に落ちた。突き出した角がまずはじめに風に冷やされて黒くなると、全体が石炭のように黒い網に包まれた、目もくらみそうな黄金そっくりだった。葡萄の木の一本に聖母の像がかけてあった。この尊い像の前で火がとまるようにと願ったものだった。しかし熔岩の流れは相変らず前と同じ進路を変えなかった。憐みを乞うように火の塊に向かって、冠に似た頂きを曲げた高い木の葉がじりじりと焦げた。期待に満ちた大ぜいの眼が聖母の像を見つめたが、その像をつけた木は赤い火の流れの前にうなだれて、ほんのわずかのへだたりがあるだけだった。ちょうどこの時、私のすぐそばで一人のカプチーノ派の僧が両腕を高く差し上げて、聖母の像に火がついたと叫ぶのが見えた。「あの像を焼くな!」と彼が叫んだ。「そうすれば聖母が皆をこの火から救ってくださるぞ!」
皆が慄《ふる》えながらあとずさりしたが、ちょうどこの瞬間、一人の女がとび出すと、大声に聖母の名を唱えて、燃えさかる死の焔めがけて走り出した。ところがこの時、若い馬上の士官が抜身をかざして、自分のすぐそばに岩の壁のような火が迫っているのにもかまわずに、その女を追い返すのが私の目にはいった。
「気が狂ったのか!」と彼が叫んだ。「聖母はおまえなどがお助けしなくてもいいのだ! 聖母のみ心は、下手《へた》くそにでっち上げて罪深い奴の手が汚したお姿が、この火のなかで燃えてしまうことなんだ」
ベルナルドだった。私は声でわかった。彼のすばやい決断が一人の人間の命を救い、そのことばはあらゆる非難を封じた。私は彼を尊敬せずにはいられず、心から、別れなければよかったと思った。しかし私は前よりも胸がどきどきするばかりで、彼と向かいあって顔を合わせようという勇気も望みもなかった。
火の流れは樹木と聖母の姿を呑みこんだ。私は少しうしろへさがって、そうするつもりもなしに壁に寄りかかった。そこには知らない人たちがテーブルを囲んで坐っていた。
「アントニオ! 本物の君か?」と叫ぶ声が耳にはいった。私はそれがベルナルドだと思ったが、手を取られてみると、フランチェスカの夫であの老紳士の聟ともいうべき、私の子供のころを知っているファビアーニ、――しかし、私が受け取った手紙から考えれば、ほかの人々同様に私に腹を立て、ほかの人々同様に私を見捨てたにちがいないファビアーニであった。
「ここで会えるなんてまるで考えてもみなかったよ!」と彼が言った。「フランチェスカも君に会えば喜ぶよ! だが僕たちを訪ねて来ないというのはよくないぞ。カステラマーレにはもう八日もいるのにな!」
「そういうこととはまるで存じませんでした」と私は答えた。「それに……」
「そうだ、一ぺんで君はまるっきり別な人間になったんだったな、恋をして」と彼はまじめな顔になってつけ加えた。「それに決闘もやったし、そのためさっさと逃げ出しもしたし、だが僕はあまりこんなことはほめたくないね。僕たちは簡単な話をフランチェスカの伯父《おじ》から聞いて驚いたのさ。君は手紙をもらったろう。決してこの上なく親切な、などとは言えない手紙を?」
私は胸がどきどきして、むかし恩恵で私を囲んだきずなのなかへ連れもどされるのを感じた。私は恩人たちに見放されて経験した苦しみを白状した。
「いやいや、アントニオ!」とファビアーニが言った。「形勢はそれほど険悪じゃないよ。僕の馬車でいっしょに行こう! 今夜君の顔を見たらフランチェスカはびっくりするぞ。カステラマーレはすぐだ。ホテルで君の部屋を見つけよう。君の見てきたものを話してくれるんだぞ。失望は罪悪だよ。フランチェスカの伯父は気性のはげしい人だ。これは君も知ってたね。また何もかもよくなるよ」
「いいえ、それはだめです」と私は、また前の苦しい状態に落ちこんで行きながら、低い声で答えた。
「そうしてみせるよ、大丈夫さ」ファビアーニはきっぱりこう言って、私を自分の馬車のほうへ連れて行った。
彼は私が何から何まで話して聞かせることを要求した。
「ところで君は即興詩人になるんじゃないのかい?」私が逃亡の話、盗賊の洞穴のフルヴィアの話をすると、彼はにこにこしながらこうきいた。「あんまり詩的すぎて、いちばん大事な役割を勤めているのはまるで君の記憶じゃなくて、想像力みたいだな」と彼は言った。
私がフランチェスカの伯父の手紙を見せると、読み終った彼は「ひどいよ、これはひどすぎるよ! だがね、伯父がどんなに君のことを考えているか、この調子から見当がつかないかい?君のことを思うからこそ、こんなにぽんぽん言ったんだよ。ところで君は本当にまだ舞台には出ないのかい?」
「ゆうべ出ました」と私は答えた。
「そりゃなかなか思いきったね」と彼が言った。「で、どうだった?」
「成功でした! じつにうまくゆきました」と、私はにこにこして答えた。「すばらしい大喝采を受けましたし、二度も呼び出されました」
「本当か? 君が成功したって?」
このことばには疑いと驚きがあって、私はひどく気を悪くしたが、感謝しなければならない立場にいることが、私の唇をも、言いたいことをも抑えてしまった。
私はフランチェスカの前に出るのにちょっと当惑した。私はじっさい、彼女がどんなに厳しくぴしぴしやれるかを知っていた。ファビアーニはなかばふざけて、「なにも懺悔《ざんげ》をするわけでも懲罰の説教を聴かされるわけでもあるまい、もっとも君はすこぶるそれにふさわしいがな」と言って私を安心させた。
私たちはホテルに着いた。
「ああ、ファビアーニじゃないか!」りっぱな服を着て髪を縮らせた若い紳士が、こちらへ飛び出して来ながら叫んだ。「帰って来てくれてよかった。奥さんがとてもお待ちかねだ。ああ!」彼は私が目につくと、ほんの一瞬ことばを切った。「君はあの青年即興詩人といっしょじゃないか! チェンチだ、そうだろう?」
「チェンチだって?」とファビアーニがその名をくり返して、びっくりした顔で私を見た。
「聴衆の前に出る時の名です」と私が答えた。
「そういうわけか!」とファビアーニが言った。「それでよく話がわかる」
「恋の詩も歌えるんだ」と、見知らぬ青年は言った。「サン・カルロの昨日のできばえを聴かせたかったな。すばらしい名人だ!」
彼はていねいに握手を求め、私と知り合いになる嬉しさを顔に現わした。
「今夜は君のところで飯を食うぞ」と、彼がファビアーニに言った。「君の優秀な歌い手をだしに使って、自分で自分を招待するんだ。君も奥さんもいやとは言うまい」
「君はいつだって歓迎されるよ、君がよく知ってるとおりだ」と、ファビアーニは答えた。
「だが君、このかたに僕を紹介してくれなきゃいけないな」
「ここじゃ何も形式ばる必要はないさ」とファビアーニが言った。「僕たち、というのはこの人と僕はもうよく知り合っているんだし、僕の友だちをこの人に紹介することはいらない。君と知り合いになるのは大いに名誉に思うだろう」
私はお辞儀をしたが、ファビアーニの口のきき方には全然不満だった。
「では仕方がない、自己紹介をしよう」と青年紳士が言った。「あなたのことはもう存じあげる栄誉をにないました。私はジェンナーロと申します。フェルディナンド国王陛下の近衛士官です。そして」と、彼は笑いながらつづけた。「ナポリの名門の一人です。ナポリ第一の家柄だという人もたくさんいます。そうかもしれません。少なくとも私の伯母たちは大した家柄だと思っています。あなたのようなりっぱな才能をお持ちの若いかたとお近づきになれる喜ばしさは、まったく何とも申しようがありません……」
「静かにしろよ!」と、ファビアーニがさえぎった――「この人をそんな演説で面くらわせるんじゃない。さて君たちは知り合いになったと。フランチェスカが待ってるだろう。今度はフランチェスカと君の即興詩人のあいだに和解の一場があるはずだから、たぶん君がその雄弁を役に立たせるチャンスがあるだろう」
私は、ファビアーニにそんなふうに言ってもらいたくなかった。しかし二人は友だちだったし、またファビアーニが私の辛《つら》い立場になって考えるなどということは、とうていできないことだった。彼は私たちをフランチェスカのところへ連れて行ったが、思わず知らず私は二、三歩おくれた。
「ずいぶんごゆっくりね、私のりっぱなファビアーニ!」と彼女が大きな声で言った。
「ずいぶんゆっくりしたな」とファビアーニがまねをした。「お客様を二人お連れしたよ」
「アントニオ!」と彼女は叫んだが、その声がまた低くなった。「アントニオさん!」
彼女は厳しいきっとした目つきで私とファビアーニを見た。私はお辞儀をして彼女の手に接吻しようとしたが、彼女はそれに気がつかないらしく、ジェンナーロに手を差し出して食事においでいただいて何よりも嬉しいと言った。
「噴火のお話をしてくださらない?――」と彼女は夫に言った。「熔岩の流れる方向が変ったんですの?」
ファビアーニは見てきた光景と、そこで偶然私にぶつかったことを話し、私は彼の客なのだから、裁くよりもやさしくしなければならないと言って話を終った。
「そうだ」とジェンナーロが叫んだ。「彼がどんな悪いことをしたのか、僕には見当のつけようもないが、しかし天才は何をしても赦されなくてはいけない」
「いつものとおりの上々の御機嫌でいらっしゃるわ」こう言うと彼女はジェンナーロに、本当は私を赦すことなど何もありはしないのだと説明しながら、非常にやさしく私にうなずいて見せた。「何かニュースをお持ちになりました?」と彼女は彼にきいた。「フランスの新聞は何て言っていますの? 昨日の晩はどこにおいででしたの?」
第一の質問をたちまち片づけると、彼は次の問題を非常な興味をもって論じた。
「僕は劇場にいました」と彼は言った。「そこで『セヴィリアの理髪師』の最後の幕を聴きましたよ! ジョゼフィーヌの歌い方は天使が歌っているかと思うほどでしたが、一度アヌンツィアータを聴いたあとでは、満足できるものはありませんね。僕が劇場へ行ったのは即興詩人を聴くのが主な目的だったのです」
「満足なさいました?」とフランチェスカがきいた。
「僕の、いや、あらゆる人の期待以上でした」と彼が答えた。「これはお世辞のつもりで言ったのではありません。それに僕のつまらない批評なんか、取るに足りないものじゃありませんか。本当の即興詩でした! 歌い手は完全に自分の技を心得ていて、聴き手は一人残らず魂を奪われました。感情があり、想像力がありました。彼はタッソーを歌い、サッフォーを歌い、カタコンバを歌いました。後世に伝える価値のある詩でした!」
「りっぱな才能だわ!」フランチェスカが言った。「いくらほめてもまだ足りないでしょう。私も行けばよかったわ」
「ところがその人はここにいるんです」こう言ってジェンナーロは私を指さした。
「アントニオが?」いぶかりながらフランチェスカが叫んだ。「この人が即興詩を吟じたとおっしゃるの?」
「そうです、堂々たるものでした」とジェンナーロが答えた。「しかし、あなたは前からこの人を御存じにちがいないから、今までにお聴きになったことがあるはずですがね」
「ええ、ずいぶんたびたび」と、彼女はにこにこしながら答えた。「小さな男の子だった時、私たちいつも感心しましたわ」
「僕ははじめて聴いた時、自分でその子供の頭に冠をのせた」冗談めかしてファビアーニが言った。「僕たちが結婚する前のわが意中の婦人を彼が歌ったから、恋人たる僕は彼の詩のなかの彼女に敬意を表したんだ! だが飯にしよう。ジェンナーロ、君にはフランチェスカを頼む。そうするともう御婦人はいないから、僕は即興詩人の御誘導役だ。アントニオ様、お手をどうぞ!」
こう言って彼は、二人のあとから私を食堂へ連れて行った。
「しかし君は今までチェンチ、いや、名前はとにかく、この若い紳士の話は何もしなかったじゃないか」ジェンナーロが言った。
「僕たちはアントニオと呼んでるんだ」とファビアーニが答えた。「即興詩人としてデビューするのがこの人だということは、じっさいまるで知らなかったよ。これがさっき僕の言った和解の場面だということは、はっきりわかったろう? おぼえておかなくちゃいけない、この人はまあこの家の人間も同じなのさ。そうだろう、アントニオ?」
私が感謝の気持を顔に出してお辞儀をすると、ファビアーニがつづけた。「この人はりっぱな人間だ。一点の曇りもない性格だが、何も習おうとしないんだよ」
「自然という偉大な書物から、すべてのものがよりよく読み取れるとしたら、そうしたってちっともさしつかえないじゃないか」
「あまりおほめになって、この人を甘やかすのはよくありませんわ」と女主人が冗談を言った。「私たち、この人が古典と物理学と数学に夢中になっていることとばかり思いこんでいましたの。ところがこの人は、その代りにナポリの若い歌手にすっかり夢中になっていたんですわ」
「それはこの人が感情を持っている証拠でしょう」とジェンナーロが言った。「で、その人は美人だったんですか? 何という名前でした?」
「アヌンツィアータだよ」とファビアーニが言った。「非常にすぐれた才能の持ち主で、決してどこにでもいるといった女じゃない」
「僕自身も彼女に恋したことがあるよ」とジェンナーロが言った。「この人はいい好みを持っている。さあ、アヌンツィアータの健康を祈って、即興詩人閣下!」
彼は自分の杯を私のと合わせた。私は一言も物が言えなかった。私の傷をファビアーニがこんなにわけもなく他人の前であばいて見せた、ということが私を苦しめた。しかし彼はじっさいすべてを、私とは全く別の方面から見ていたのだ。
「うん」ファビアーニがつづけた。「それにこの人は、彼女のことで決闘までやって、元老院議員の甥《おい》にあたる恋がたきの横腹をずぶりとやったもんだから、逃げ出さなきゃならない羽目《はめ》になったんだよ。どんなふうにして国境を越したもんだか、わかったもんじゃない。おまけにサン・カルロの舞台に立つんだから、まったく大胆不敵な話だ。こんなことのできる人間とは思わなかったよ」
「元老院議員の甥だって?」とジェンナーロが言った。「うん、こいつはおもしろい。その男は二、三日前にここへ来て、王に仕えることになったんだよ。さっき昼からいっしょにいたがね、好男子でおもしろい男だよ。ああ、何もかもわかったぞ! アヌンツィアータがもうじきここへ来るので、恋人が大急ぎで先廻りをして、そしてここに落ちつくというわけだ。もうすぐわれわれは広告で、彼女の、最後の絶対かけ値なし最後の出演、と書いてあるのを読むだろうよ」
「そうするとあなたは、二人が結婚すると思っていらっしゃるんですの?」とフランチェスカがきいた。「そんなことになれば名家のスキャンダルでしょうに」
「そういうことは前にも例があります」と、ふるえ声で私は言った。「歌い手と結婚して自分が高められ、幸福になれたと思った貴族の例もあります」
「幸福といえば幸福でしょうが」と彼女が口を出した。「高められたなんてことは決してないわ」
「いや、奥さん」ジェンナーロが反対した。「もし彼女が私を選んだとすれば、私は自分が高められたと思いますね、そう考える人は大ぜいあると思いますよ」
彼らはいろいろ話をして、彼女とベルナルドのことも大いに論じたが、一言一句がどんなに重く私の心にのしかかるかを彼らは忘れていた。
「ところで」とジェンナーロが私に顔を向けて言った。「ぜひ一つあなたの即興詩で、私たちを喜ばせてくださらなくてはいけませんな。奥さんが題をお出しになるでしょう」
「ええ」とフランチェスカが微笑しながら言った。「恋の詩がいいわ。よくおわかりでしょう。ジェンナーロのお気に入りの題ですもの」
「そうだ、愛とアヌンツィアータ!」とジェンナーロが叫んだ。
「この次ならばお望みどおり何でもやりますが」と私は言った。「今晩はいけません。少し工合が悪いのです。外套《がいとう》を持たずに湾を渡った上、熔岩の流れのそばはあんなに暑かったのに、ここへ来る時は、夕方涼しくなっていたものですから」
私がこう言ってもジェンナーロは、ぜひとも私を説き伏せて一つやらせようと、盛んに頑張ったが、この場所では、それにこの題では、私は即吟をやるわけにはゆかなかった。
「もう芸術家の気むずかしさを見せはじめたぞ。おいそれとは動きそうもない」とファビアーニが言った。「あした僕たちといっしょにペストゥム〔イタリア南部海岸の古代都市で、ギリシア・ローマ時代の遺跡がある〕へ行かないか?それともいやかい? あすこへ行けば、君は詩の材料をうんと見つけるだろうし、少しは外へも出るもんだよ。そうナポリにばかり縛りつけられていることもあるまい」
私はお辞儀をした。やっかいなことになったとは思ったが、どう言って断ればいいかわからなかった。
「いっしょに来るとも」と、ジェンナーロが大きな声で言った。「そしてあの大寺院にはいれば、妙想立ちどころに湧きたって、ピンダロス〔紀元前五世紀のギリシアの抒情詩人〕のごとくに歌うよ」
「出発はあしたの朝だ」とファビアーニがつづけた。「道中はまる四日かかる。帰って来たらアマルフィとカプリへ行こう。君もいっしょだよ」
ここで断ったとすれば、これは先を読めばわかることであるが、私の運命が全く別のものになっていたであろう。あえて言うが、この四日間は私の青春から優に六年を奪い取ったのだ。人は自由な行動がとれる。しかり、われわれは目の前にある糸を自由につかむことができるが、しかしその糸がどんなにしっかりもつれ合っているかは見ることができない。私は礼を述べ、承知しましたと言った。そして、私の未来のカーテンのあきを狭くする糸を引いてしまったのだ。
「あしたはもっといろいろおしゃべりをしましょうよ」食事のあと私たちの別れる時、フランチェスカはこう言って、接吻のため私に手を差し出した。
「ところで僕は、今晩にも伯父に手紙を書いて」とファビアーニが言った。「和解の場面のお膳立てをしよう」
「そして僕はアヌンツィアータの夢を見るぞ」ジェンナーロが叫んだ。「だからといって決闘の申し込みはお断りしますよ」私の手を握って、笑いながら彼がつけ加えた。
私もフェデリーゴに短かい手紙を書いて、フランチェスカ夫妻に会ったこと、この人たちといっしょに南のほうへ旅行に出ることを知らせた。書き終った時、私の胸のなかには無数の感情が渦巻いていた。この一晩がなんとさまざまなことを持って来たものだろう! なんと多くの出来事がぶつかり合ったことだろう!
私はサンタを思い、燃えるマドンナの像のそばのベルナルドを思い、古いきずなで結ばれた人々といっしょに過ごしたついさっきまでの数時間をふり返ってみた。昨日は、それまで私を知らなかった数千の人が喝采して私を迎えてくれた。私は賞讚され尊敬された。今日の夕方は、魅力あふれる美しい婦人に愛の告白を聞かされたと思うと、その数時間後には知り合いの人、いな、何事についても感謝しなければならない友人たちといっしょだった。そして彼らの前の私は、感謝こそがその第一の義務である一人の貧乏な子供以外の何物でもなかった。
しかしファビアーニとフランチェスカは、本当に愛情をもって私を迎えてくれた。彼らは私を悔いあらためた放蕩息子として家に入れ、彼らの食卓に席を与えた上、翌日の遊覧旅行に加わるように誘ってくれた。恩恵に恩恵が重ねられたわけで、彼らは私を大事に思ってくれたのだ。しかし富裕な人が気軽に与えるものは、貧しい者の心の重荷となるものである!
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六 ペストゥム行き
イタリアの美しさが見られるのは、カンパーニャでもなくローマでもない。私がイタリアの美しさを知ったのはネミ湖畔の逍遙《しょうよう》と、ナポリへの旅の途中で見たものからであった。だからこそ私はその豊麗さを二層倍にも感じるので、その感じは、ほかの国の美しさを知っていて、それをイタリアの美にくらべることのできる外国人よりもずっと強いのである。したがって今度の四日間の旅行が、さながらかつての夢に見た、いや夢のなかに生きていた妖精の世界のようにも思われたのだ。とはいえ、私の心の受けた、いや言ってみれば、実際に私の血のなかにはいりこんだ感銘は、いったいどう表現すればいいのだろう?
自然の美は決して描写によって伝えられるものではない。モザイクの一こま一こまがばらばらになったように、ことばがあとからあとからつづいてはくるが、組み立てて一つになる絵の全体は、おのおのの部分を一つずつ見てもわかるものではない。自然についても同じことで、偉大な全体のうちに何かしらが、いつも抜け落ちずには済まない。全体の部分であるものを幾つか人に渡して、その人自身で一つの絵にしかるべくまとめさせるのと同じことで、もし何百人かがめいめい一枚の絵を作ったとすれば、そこにはずいぶんさまざまなちがいができるであろう。自然も美しい顔と同じで、こまかな点を列挙しただけではさっぱりわからない。よく知られた対象をとらえなくてはならない。そして、これこれの点はちがうが、これとこれが類似するということが、数学的な精密さをもって言いうる時はじめて、幾分なりとも満足すべき説明ができるのである。
もし私がヘスペリア〔古代ギリシア人がイタリアを呼んだ名。西国の意〕の美を即興詩にするとしたら、私は、私がそこで自分の目で見たものの一つ一つを、正確にありのままに描写するであろう。そして、南イタリアの美しさを見たことのない読者よ、あなたが今までに知っている自然の美しさをあなたの想像力がさらに美しくしたとしても、まだそれでは足りないであろう。自然の想像は人間のそれ以上である。
私たちがカステラマーレを出発したのは美しい朝だった。煙を吐くヴェズヴィオも、岩の多い美しい谷も、みずみずしい緑の枝が木から木へ伸びた大きな葡萄の林も、まだ目の前に見える。白い山の城は、緑の崖《がけ》の上にちょこんと置いたようなのもあれば、なかばオリーブの森に埋まったのもあった。大理石の柱と円屋根があって、今はサンタ・マリア・マッジョーレ教会になっているヴェスタの古い神殿も見える壁が一か所くずれていた。頭の骨やほかの骨がその穴を埋めていたが、緑の葡萄の若木がその上にはびこって、まるでその新しい葉で死の力と恐怖をかくそうとしているかのようだった。
山々の自然のままの姿も、群れをなして飛ぶ海鳥を捕《と》るために網を張った塔がぼつぼつ立っているのも、まだ目の前にある。暗青色の海とサレルノがはるか下のほうに見えるところで一つの行列に行き会ったが、そのため全体の景色《けしき》が私の心に二倍の強さで印象づけられた。長い角《つの》を左右に張った白い牡牛が二匹で曳く車の上に、暗い顔を恐ろしい冷笑にゆがめた泥棒が四人鎖につながれて転がっていて、黒い目のすらりとしたカラブリア人が、得物を肩に乗馬で護衛していた。
中世の学問の町サレルノまでが、私たちの第一日の行程だった。
「昔の大型本は虫に喰われてしまって」とジェンナーロが言った。「サレルノの学問の輝きは曇ったが、自然の書物は年ごとに版を新たにしている。われわれのアントニオも僕と同じで、どんなむずかしい、かび臭い本よりも、自然の書物のほうが得るところが多いと考えているんだ」
「両方ともためになります」と私が言った。「葡萄酒とパンは両方ともなければなりません」
フランチェスカは、私のことばがなかなか道理にかなっていると言った。
「しゃべるだけならいくらでも言えるだろうが」とファビアーニが言った。「実行のほうはどうして! アントニオ、ローマへ行ったら君はそれを証拠だてる機会があるぞ」
ローマへ! 私がローマへ行く? そんなことは一度も考えたことはなかった。口にこそ出さなかったが内心私は、二度とローマへ行くこともできず、行くつもりもなく、昔の関係に立ち帰ることもできなければそんなつもりもないと思っていた。
ファビアーニがしゃべりつづけ、ほかの人たちもそうしているあいだに、私たちはサレルノに着いた。まず第一番に行ったのは教会だった。
「ここなら僕は案内者になれる」とジェンナーロが言った。「これはサレルノで亡くなられました法王グレゴリオ七世の教会でありまして、法王の像が皆様の前の祭壇の上に立っております。あちらにもアレクサンダー大王が眠っております」と、巨大な石棺を指さしながらつづけた。
「アレクサンダー大王?」とファビアーニが不審そうにくり返した。
「はい、さようでございます。ちがうか?」彼が案内人にきいた。
「旦那のおっしゃるとおりです」と彼が答えた。
「それは間違いです」銘をよく見ながら私が言った。「アレクサンダー大王をここに葬るなどということは、とうていありえません。まるっきり歴史と食いちがっています。御覧なさい、石棺に彫ってあるのは大王の凱旋の行列で、そこからこの名が出てきたのです」
教会にはいるとすぐ、同じような形でバッカスの凱旋行列を描いた石棺を見せられた。これはもとペストゥムから持って来たもので、今はあるサレルノの公爵がそのなかに眠り、その上にはこの公爵の大理石造りの近代的な等身像が立っていた。私はこの棺に話をもどして、アレクサンダー大王の棺という由来もこれと同じものに相違ないという意見を述べた。自分の明察にすっかり気をよくした私は、墓というものについて少々儀式ばった演説をしたが、ジェンナーロはそっけなく「たぶんはね」と答え、フランチェスカは、ジェンナーロより利口に見せようとするのは私らしくないと耳もとでささやいた。そんなことをしてはならないのだった。黙ってうやうやしく、私は引きさがった。
アヴェ・マリアの祈祷の時、私はフランチェスカと二人きり、大きなホテルのバルコンに坐っていた。ファビアーニとジェンナーロは散歩に出かけたので、令夫人のお相手をつとめるのは私の役だった。
「あの色合いの美しさはどうでしょう!」と言って私は海を指さした。乳のように白い海が、熔岩を敷きつめた幅のひろい街路から、薔薇《ばら》色に輝く水平線に伸びひろがり、岩の多い海岸は濃い藍色《あいいろ》で、こんな豪華な配色はローマでは一度も見たことがなかった。
「雲はもう『おやすみなさい』を言いましたよ」フランチェスカがこう言って山のほうを指さした。そこには別荘やオリーブの林のはるか上のほうに、一片の雲がかかっていたが、それでも山のいただきに鳥がとまったような、塔の二つある古城よりはずっと低かった。
「あそこに住みたいものです!」私は大声で言った。「雲のずっと上のほうにいて、永遠に変化をつづける海が見られますもの」
「即興詩もおできになるでしょうね」彼女はほほえみながら言った。「でもね、アントニオ、あんなところじゃ誰も聴き手がなくて、本当にお気の毒だわ」
「そうですとも!」同じように冗談めかして私は答えた。「正直に言えば、まるっきり誰もほめてくれる人がいないというのは、太陽のないところに木がはえているようなものです。これはきっと、あの不幸な恋の苦しみと同じくらい、囚われの身のタッソーの命の花をむしばんだにちがいありません」
「あなた!」フランチェスカが少しまじめな調子で言った。「私は今あなたのことを言っているのよ、タッソーなんかの話じゃないの。今の話とタッソーとどんな関係があるんでしょう?」
「ただ例を挙げただけです」と私は答えた。「タッソーは詩人でした、そして……」
「あなたも詩人の一人だと信じていらっしゃる?」急いで彼女が私をさえぎった。「ですけどもね、アントニオ、お願いだから不滅の名前を御自分のと結びつけるのはやめてちょうだい。あなたが感じやすい気質で、その場で工夫するのが上手《じょうず》だからといって、自分が詩人だ、即興詩人だと考えるのはおよしなさい。そういうことであなたに負けない人はいくらもいます。行きすぎて自分を不幸にするのはやめてください」
「しかし何千という人が、ついこのあいだ喝采で私に報いてくれました」私はこう答えたが、頬が燃えるようだった。「私が今のように考え、確信するのはごく自然のことです。あなたが私の成功と私を仕合わせにしてくれるものを、喜んでくださることは間違いないと思います」
「それを喜ぶことならあなたのお友だちの誰よりも私のほうが上だわ」と彼女が言った。「私たちは皆、あなたのりっぱな心と気高い性質を尊いものと思っています。それがあればこそ私は思い切って、伯父はあなたを赦しますと請合《うけあ》うことができるのです。あなたは輝かしい才能を持っていらっしゃるけれど、それはもっと伸ばさなければいけません、本当よ、アントニオ、伸ばさなくてはだめです。なんだってひとりでに湧いてくるものなんてないわ! 人間は働かなくちゃだめ! あなたの才能は可愛らしい客間向きの才能よ。あなたはそれで大ぜいのお友だちを喜ばせることはできるでしょうが、一般の人に気に入るにはまだ足りないわ」
「しかし」と私は思いきって言い返した。「ジェンナーロは私を知りませんでしたが、それでも私のはじめての公演にすっかり感心してくれました」
「ジェンナーロ!」と彼女が言った。「ええ、私あの人を尊敬してはいるけれど、あの人の芸術の判断力には全然価値を認めないわ! 大ぜいの世間の人はどうでしょう? そうよ、首府では芸術家はほんのちょっとのあいだにまるっきりちがった意見を聞かされるのよ。あなたがしっしっと言って引っこまされなくて本当によかった。そんなことがあったらとてもいやですものね。こんなことはいずれみんな消えてしまって、あなたもあなたの即興詩もまもなくすっかり忘れられてしまうわ。それにあなたは変名を使ったんですもの。私たち二、三日たったらナポリへ引き返して、そのあくる日はローマへ帰るの。何もかも夢だったと思うのよ、本当にそうだったんですからね。そして落ちつきと勤勉とで、あなたの目がさめたところを見せてちょうだい。何も言わないで――私はあなたのためを思っているのよ。あなたに本当のことを言うのは私一人きりよ」
彼女は手を差し出した。私はそれに口づけた。
私たちは次の日の朝早く、夜あけの空が灰色のうちに出発した。ペストゥムへ行ってそこで数時間過ごし、その日のうちにサレルノへ帰って来るためであった。見物人はペストゥムに泊まることができず、そこへ行く途中も安全ではなかったからである。騎馬の憲兵が護衛としてついて来た。
林といってもいいほどのオレンジ畑がいたるところにあった。私たちはセーラ川を渡ったが、この澄んだ水に枝垂柳《しだれやなぎ》と月桂樹の列が映っていた。自然のままの山が、ゆたかな穀物の産地を囲んでいた。道ばたに野生のアロエとサボテンが伸びていて、あらゆるものが豊富であり豪華だった。やがて二千年以上も昔の、最も純粋で美しい建築様式の古寺院が現われた。それと見すぼらしい居酒屋、それに三軒のぼろ家と幾つかの芦を編んだ小屋――これだけが昔の有名な都会の名残《なご》りであった。一つの薔薇の生垣《いけがき》もなく、その昔ペストゥムを有名にした無数の薔薇の豊かな美しさもなかった。この時あたりいちめんが深紅《しんく》に輝いていたが、やがてそれが青く、遠い山のように無限の青さとなり、香りのよい菫《すみれ》が薊《あざみ》や茨《いばら》のあいだから頭をのぞかせて、この大きな平地にみちみちていた。豊饒《ほうじょう》な荒野が四方にひろがって、アロエや、野生の無花果《いちじく》や、サボテンがたがいにもつれ合っていた。
ここにはシチリア島の自然、――その豊饒、その荒々しさ、そのギリシア式の神殿、その貧しさが見られた。私たちのまわりにうようよしていた乞食《こじき》は、南洋諸島の土人に似ていた。毛のほうを表にした長い羊の皮衣を着た男たちは、焦茶色《こげちゃいろ》の手足をむき出しにして、長い黒い頭髪を褐色の顔のまわりにばらりと垂らしている。体つきのすらりと美しいなかば裸の娘たちは、ぼろぼろの短かいスカートを膝まで垂らしている。みすぼらしい褐色の外套のようなものを裸の肩にふわりとかけ、長い黒い髪はくるくるとまるめて、火のような眼を光らせていた。
一人の若い娘がいた。十二歳になったかならないくらいの、美の女神のようにきれいな子だったが、アヌンツィアータにもサンタにも似ていなかった。私はこの娘を見たとき、アヌンツィアータが話してくれたメディチのヴィナスを思わずにはいられなかった。私はこの美しさを愛することはできなかったが、それを讚美し、その前に頭を下げることはできた。
彼女はほかの乞食たちから少し離れた場所に立っていた。褐色の四角い布が一方の肩からだらりと垂れ、もう一つの肩と腕は、彼女の足と同じく裸だった。この娘が飾りというものを考え、またそれに趣味があるということは、平らに束ねて青い菫の花束を插した髪と、美しい額に垂らした捲毛《まきげ》を見ればわかった。はにかみと才気と苦しさの異常な強い表われがその顔つきに見えていた。何か地面の上をさがしてでもいるように、彼女は目を伏せていた。
いちばん先に彼女に気がついたのはジェンナーロで、彼女が何も言わないのに施し物をやり顎の下を撫でてやって、彼女はその仲間といっしょにいるのにはきれいすぎると言った。ファビアーニとフランチェスカも同じ意見だった。私は彼女の澄んだ褐色の皮膚の下に美しい紅《あか》らみのひろがるのを見たが、彼女が顔を上げたところを見ると、盲だった。
私も喜んで金をやろうと思ったが、思いきってそれができなかった。私の連れが小さな宿屋のほうへ行き、乞食の大群がぞろぞろとそのあとを追った時、私はくるりとうしろを向いて、彼女の手に一スクード押しつけてやった。手ざわりで値うちがわかったらしく、彼女は頬を真紅《しんく》にして、体を前へ曲げた。健康と美しさに輝く新鮮な唇が私の手に触れ、その感触が血液のなかを走り抜けるようだった。私は急いで手を振りはなして、仲間のあとを追った。
ほとんど部屋の幅いっぱいになりそうな大きな炉のなかで、薪束《まきたば》や小枝の山が焔をあげて燃えていた。煙がすすけた天井の下でぐるぐる渦を巻くので、私たちは外へ逃げ出さなければならなかった。高く伸びた影の多い枝垂柳《しだれやなぎ》の向こうに朝食の支度ができていたが、私たちは神殿へ行くほうを先にした。まったくの荒野原《あれのはら》を通り抜けなければならなかったので、ファビアーニとジェンナーロが手を取り合って腰掛けのようなものを作り、それに乗せてフランチェスカを運んだ。
「怖ろしい遊覧旅行ね!」笑いながら彼女が大声を出した。
「どういたしまして」と案内人の一人が言った。「今はこれでなかなか上等なんで、三年前にゃこのへんは茨がひどくてとても通れるどころじゃありませんでした。私が子供の時分にはあの柱のところまで砂と土がありました」
ほかの案内人もこのことばが本当だと言った。私たちが先へ進むと、乞食の大群があとからついて来て、黙って私たちを眺めていた。一人の乞食と私の目と目が合ったと思うと、たちまちその男は機械的に物乞いの手を伸ばし、|お慈悲です《ミゼラービレ》ということばが唇からもれた。美しい盲の少女の姿は見えなかった。きっと一人きりで道ばたに坐っていたのだろう。私たちは劇場や平和の神殿の廃墟をひとまわりした。
「劇場と平和か!」ジェンナーロが叫んだ。「どうしてこの二つが、こんなにくっつき合っているんだろう?」
ネプチューンの神殿が私たちの前にあった。これと、いわゆるバジリカと、みのりの神セレスの神殿の三つが、輝かしい堂々たる遺物で、それはポンペイのように、忘却と闇のなかからふたたびわれわれの時代に立ちあがったものである。
これは数百年のあいだ塵埃《じんあい》に埋もれ、草木におおわれて見えなかったが、画題をさがす外国の画家がここに来て、柱の頂きの飾りを発見した。その美しさにひきつけられて、彼はそれもスケッチした。これが世に知られると、塵埃と伸びほうだいに伸びた草木が取りのけられて、大きな壁のない広間が、まるで新しく建てられたように現われ出た。柱は黄色いティヴォリ大理石で、野生の葡萄がそのまわりに這いのぼっている。無花果《いちじく》の木が床《ゆか》から生えて、割れ目や隙間から菫や暗赤色のアラセイトウが伸びている。
私たちはとある柱の土台石に腰をおろした。乞食の群れはジェンナーロが、周囲の豪奢《ごうしゃ》な眺めを静かに楽しむために、追い払ってしまった。青い山々、近くの海、それに私たちのいる場所が私の心を強くとらえた。
「さて即興詩を聞かせてもらおうか」とファビアーニが言うと、フランチェスカもうなずいて、同じ気持をしめした。
私はすぐそばの柱によりかかって、子供時代のメロディーにのせて、いま自分の眼に映るもの、自然の美しさと輝かしい芸術の記念物を歌い、あの盲の少女を思った。彼女にとってはどんなにすばらしいものも隠されたのと同じことで、彼女は二重に貧しく二重に哀れだった。私は涙が出てきた。ジェンナーロは手を叩いて賞めてくれ、ファビアーニとフランチェスカはたがいに小声で、「よく感じが出ている」と言った。
一行は今度は神殿の階段をおりた。私はゆっくりあとからついて行った。私のよりかかった柱のかげの香りのよいミルツスの茂みの下に、頭を膝にうずめ両手を組み合わせた人間が、坐ってというよりも転がっていた。あの盲の少女だった。彼女は私の歌を、――私が彼女のせつないあこがれと彼女の不幸を歌うのを聞いたのだ。私は心の底まで打たれた。私が彼女のほうにかがみこむと、葉のさらさらいう音を聞いて彼女が頭をあげた。顔の色が前よりもずっと蒼《あお》いように見えた。私はじっと立っていた。彼女は耳をすましていた。
「アンジェロ!」彼女が低く叫んだ。
なぜかはわからないが、私は息をとめた。彼女はちょっとのあいだ黙って坐っていた。私が見たのはギリシアの美の女神で、その眼は見る力がなかったが、いつかアヌンツィアータが話してくれたとおりだった。彼女は野生の無花果の木と香りのよいミルツスの垣のあいだの、神殿の土台の石に腰かけていた。彼女は何か唇に押しあてて、微笑した。私がやったスクードだった。それを見ると夢中になって、私は思わずかがみこむと、熱い接吻を彼女の額におしてしまった。
彼女は叫び声をあげてとびあがった。身の毛もよだつ叫び声で、私は胸が死の恐怖に突き抜かれる思いがした。不意をおそわれた牝鹿《めじか》のように立ちあがったかと見るまに、もうその姿は消えていた。それきり私には何ひとつ見えず、まわりのものが何もかもぐるぐる廻っているので、私も茨や藪を抜けて逃げだした。
「アントニオ! アントニオ!」ファビアーニがずっとおくれた私を呼ぶ声が聞こえて、私は時と場所の観念を取りもどした。
「野兎《のうさぎ》でもおっかけていたのかい?」と彼がきいた。「それとも君がやってたのは、詩人の羽ばたきというやつかい?」
「この人はね」とジェンナーロが言った。「われわれがやっとのことで一と足一と足歩けるところを、飛ぶように走れるということを見せたいのさ。僕だってその気になれば負けるもんじゃないぞ」こう言って彼は、私と競走するつもりで、私のそばに立った。
「僕が奥さんをかかえて君たちについて行けるとでも思ってるのかい?」とファビアーニがどなった。ジェンナーロは立ったままだった。
小さな宿屋に着いた時、私の眼は盲の少女を捜したがむだだった。彼女の叫び声が、つづけざまに耳のなかにひびき、胸のなかにさえ聞こえた。私はまるで罪を犯したような気がした。彼女に聞かせるつもりは少しもなかったものの、彼女の不自由なところをなおはっきりさせて、その心に悩みと悲しみとを歌いこんだのはたしかに私だった。私は彼女の心に驚きと恐怖をもたらし、その額に接吻したが、これは女に与えた私の最初の接吻だった。もし彼女の目が見えたら、私はそんなことはしなかったろう。彼女の不幸、彼女の頼りなさが、私に勇気をもたせたのだ。その私が、ベルナルドのことはあんなにきびしく非難したではないか!――この私が、すべての人と同じように、彼と同じように罪の子である私が! 私は彼女の足もとに膝をついて、赦してくれと頼むこともできたが、しかし彼女の姿はどこにも見えなかった。
私たちはサレルノへ帰るため馬車に乗った。私はもう一度、彼女が見つかりはしないかと見まわした。しかし、彼女がどこへ行ったのかをきく勇気はなかった。
この時ジェンナーロが叫んだ。「あの盲の女の子はどこへ行ったの?」
「ララでございますか?」と案内人が言った。「まだネプチューンの神殿に坐っておりますよ。あれはたいていあすこにおりますんで」
「|美しい女神だ《ベルラ・ディヴィナ》!」ジェンナーロは叫んで、その神殿のほうへキスを投げた。馬車が動きだした。
ララというのがあの娘の名だった。私は馭者《ぎょしゃ》と背中あわせに坐った。神殿の柱がだんだん遠ざかって行くのが見えたが、私の心のなかには、あの少女の恐怖の叫び声と私自身の苦しみが残っていた。
ジプシーの一群が道ばたに陣どり、溝のなかで大きな焚火《たきび》をして、煮たり焼いたりしていた。一人の老婆がタンブリンを叩いていて、私たちの運勢を占おうと言ったが、私たちは馬車を進めた。かなりの長いあいだ、目の黒い娘が二人あとを追ってきた。二人とも美人で、ジェンナーロは彼らの身軽さときらきらする目をおもしろがった。しかし美しさにかけても品格にかけても、二人ともララほどではなかった。
夕方近くサレルノに着いた。次の朝アマルフィへ行き、そこからカプリへ行くはずだった。
「僕らは」とファビアーニが言った。「もしナポリへ帰ったとしても、そこにはたった一日しかいられないよ。今週の終りにはローマに帰ってなければならないからね。アントニオ、君は大急ぎで荷物をまとめられるだろう?」
ローマへ帰ることは、私にはできもしなかったし、したくもなかった。しかし、今までの私の一生を通じて貧乏と感謝の気持が私にしみこませた内気さと臆病のおかげで、私は、もしローマに帰るような大それたまねをしたら大旦那のお腹立ちを招くにきまっていると、どもりどもり言ったのが関の山だった。
「万事僕たちがしかるべくやるよ!」とファビアーニが言った。
「おゆるし願います、私にはできません!」私はこのことばもすらすらとは言えず、フランチェスカの手をとった。
「どんなにお世話になったかは、よくよく存じております」
「そんなことは言わなくていいのよ、アントニオ」彼女は答えて、私の口を手でおさえた。
ちょうどその時、私の知らない客が取次がれたので、私は自分の弱さを痛感しながら隅へ引きさがった。
私が鳥のように自由で、思うとおりに振舞えたのは、たった二日前のことだ! しかし、一羽の雀も地に落ちるがままにはなしたまわぬ神は、私のことも心配してくださったのだろう。それにしても私は、自分の足にまといついた最初の細い糸を、錨綱《いかりづな》のように太い紲《きずな》にまでならせてしまったのだ。
ローマには(と私は考えた)、おまえの本当の友人がいる。ナポリの友人ほど丁重《ていちょう》でないにしても、彼らは本当の真心のある友だちだ。私はサンタのことを考えた。もう二度と彼女に会うつもりはなかった。私はベルナルドのことも考えた。ナポリにいれば毎日でも顔を合わせることになるだろう。やがてナポリに来るというアヌンツィアータのことも、彼と彼女の相愛する幸福についても考えた。
「ローマへ! ローマへ行け! 向こうのほうがずっといい!」私の理性は私にこう言ったが、一方で私の魂は自由と独立を求めていた。
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七 アマルフィでの一幕
私たちが船でサレルノを出たのはじつに気持のいい朝だったが、海から眺めたこの町の美しさは何といったらいいだろう。六人のがっしりした男が櫂《かい》を握り、絵に描いたような美少年が舵《かじ》とりの役をした。アルフォンソという名だった。緑色の水はガラスのようにすきとおり、右手に見える海岸一帯が、空想力のゆたかなセミラミス女王〔伝説の女王。バビロンの建設者とされ、ことにその設計になる空中庭園は有名〕の設計になる豪華な吊り庭園とも見えた。大きな口をあいた洞穴《ほらあな》が柱廊のように並んで海までつづき、大浪がそのなかまで打ちこんでいた。突き出た岩の上に城があって、塔のあるその壁の下のところに小さな雲が浮かんでいた。小島《ミノーリ》が見え大島《マヨーリ》が見えたかと思うと、たちまちマサニエルロ〔十七世紀にナポリ人の先頭に立ってスペインに反抗した漁師〕とフラヴィオ・ジョイア〔航海用コンパスを発明したといわれる人〕の生地アマルフィが、緑の葡萄畑《ぶどうばたけ》のなかから現われた。
その美しさの堂々たる充溢に私は圧倒された。地球に住むあらゆる時代の人々がこの壮麗な景色を見ることができたら! その段地《テラス》を踏まえてアマルフィの立っているこの花咲く庭園には、北国や西からの嵐《あらし》が寒さや冬をもたらすことはない。ここを訪れるのは東と南から来るそよ風だけ、――美しい海を越えてオレンジと棕櫚《しゅろ》の国から来る、暖かく軟らかな風だけである。
岸に沿って、山腹の高いところに、平らな東邦ふうの屋根を持った白い家のあるこの町が、吊りさげられたように位置し、そのさらに上のほうまで葡萄が這いのぼっている。一本きりの松の木が緑のいただきを青空高く伸ばしているあたりに、山の背が塀のように囲んでいる古城があって、雲の休み場所になっている。
船から岸までの波の砕けるところは、漁師が私たちを抱いて運ばなければならなかった。絶壁の洞穴は町の下にまで伸びていて、その幾つかは水が流れこみ、ほかのはからからに乾いていた。そのそばに置いたボートのなかで大ぜいの子供が賑《にぎ》やかに遊んでいたが、たいていの子供はシャツか短かい上衣一枚きりで、これが彼らの身につけたもののすべてだった。半裸体の乞食が暖かい砂のなかに体を伸ばして、昼寝のまのいちばん大切な被い物である褐色の頭巾つきの僧衣を、耳の上までかぶっていた。どの教会でも鐘が鳴っていて、菫色《すみれいろ》の僧衣を着た若い僧侶《そうりょ》の行列が、聖歌を歌いながら私たちのそばを通り過ぎた。十字架にかかったキリストの像を囲んで、新しい花飾りがさがっていた。
左手には町よりもずっと高いところに、深い山腹の洞穴のちょうど前に、堂々たる大僧院が立っている。これはよそから来た者が誰でも泊まれる旅館である。フランチェスカは輿《こし》で運び上げられ、私たちは、澄んだ青い海をはるか下に見ながら、岩を切ってつけた道を歩いてついて行った。やがて僧院の門に着いたが、ちょうどその前の岩に深い洞穴が口をあけていた。そのなかに三本の十字架があって、救い主と二人の盗賊がかけられ、彼らの上の岩には、明るい色の衣を着て、大きな白い翼をつけた天使がひざまずいていた。これは芸術家の作ったものではなく、木を彫って塗っただけのものであったが、それにもかかわらず、そのあらけずりの姿には、神を敬い神を信ずる心の、特有の美しさが生きていた。
私たちは僧院の庭を抜けて、割り当てられた部屋へまっすぐに登って行った。私の部屋の窓から、シチリア島まで伸びる永遠の海と、遠い水平線に銀白の点のように動かない船が見えた。
「即興詩人閣下」とジェンナーロが言った。「下のほうへおりて行って、そこの美しさもこれほど大したものかどうか見ようではありませんか。婦人の美しさは、そうですな、これはもう確かです! というのは、ここでわれわれと隣りどうしになったイギリスの御婦人がたは、つんとして蒼白い顔をしていますからな。それにあなたは婦人がお好きだ! いや、これは失礼。あなたを世間へ追い出したのも、私に愉快な一晩とおもしろい相手を与えてくれるのも、これはこれまさしく御婦人じゃありませんか!」
私は岩のでこぼこした道をおりた。
「ところで、ペストゥムの盲の娘はじっさい別嬪《べっぴん》でしたな!」とジェンナーロが言った。「カラブリアの葡萄酒を取り寄せる時、使いをやってナポリに呼ぼうと思っていますよ! 娘も酒も私の心をもぽっぽっさせることでしょう」
私たちは町に着いた。こう言ってよければこの町は、独特の形で上へ上へと積み伸ばしたようなものだった。ここへ持ってくれば、あのローマの狭苦しいユダヤ街もコルソの大通りだった。街路というのは高い家のあいだの、または家のなかを通り抜ける狭い通路にすぎない。今、一つの戸口を通り抜けて、暗い部屋の入口が両側に並んだ長い廊下に出たと思うと、今度は、煉瓦の壁と岩の壁にはさまれた、きたならしい通路の薄闇《うすやみ》の迷路にはいりこむという有様で、自分たちのいるところが部屋のなかなのか道なのか、見当のつかないことがたびたびだった。たいていのところに明りがついていたが、もしそれがなかったとしたら、まだ昼間だというのに、夜のように暗いに相違ない。
ようやく楽に呼吸ができるようになった。私たちは岩の鼻と鼻をむすぶ大きな煉瓦造りの橋の上にいた。はるか下のほうの広場はたしかにこの町でいちばん大きいものだった。そこでは二人の女の子がサルタレルロ踊りを踊り、手も足も褐色の恰好《かっこう》のいい体をすっかりむき出しにした男の子が一人、ちっぽけなキューピッドのようにつっ立って、それを眺めていた。この町では凍《こお》るということがないという話だった。長い年月がたつあいだに、アマルフィの人たちの知っているいちばんの寒さは、プラス八度であった。
平らに突き出した岩の上の、小島と大島を浮かべた美しい湾の見おろせる小さな塔のすぐそばを、細い小道がアロエとミルツスのあいだを蛇のようにうねっている。これについて行くと私たちはまもなく、葡萄のからみあった高いアーチの影にはいった。私たちは焦げつきそうに咽喉《のど》がかわいたので、葡萄畑の端の、みずみずしい緑のなかからやさしく招いているように見えた小さな白塗りの家へ向かって、足を早めた。気持のいい暖かな空気は芳しい香りにみちみち、美しいぱっとした色の虫が私たちのまわりでぶんぶんいった。
私たちが足をとめたその家は、まったく絵に描いたようだった。この家の壁には、飾りの意味から、幾つかの大理石の柱頭とみごとに彫りあげた腕と足とが仕込んであったが、これはみな廃墟のがらくたのなかから見つけて来たものだった。屋根の上にまでオレンジとよく繁った蔓草《つるくさ》のはえた、ほれぼれするような庭があって、その草が緑のビロードのように壁に垂れさがっていた。家の前には苔薔薇《こけばら》がたわわに咲き乱れ、六つか七つの女の子が二人、遊びながら花環を作っていた。しかしいちばん美しかったのは、白い布を頭にのせて、私たちを迎えに入口を出てきた若い女であった。知的な目つき、長くて黒い睫毛《まつげ》、気品のある体つき――すべてが彼女を筆紙に写しがたい美しいものにしていた。思わず私たち二人とも帽子をぬいだ。
「さてはこのいとも美しき乙女が、この家《や》の主《あるじ》でいらっしゃるのですな?」とジェンナーロがきいた。「さて彼女はこの家の主人として、道に疲れた旅の男二人に疲れを休める飲み物一口を恵もうとお考えではありませんか?」
「この家の女主人は喜んでそういたしましょう」彼女がこう言うと、雪のような歯の白さに、新鮮な薔薇色の唇がいっそう美しくなった。
「ここへ葡萄酒をお持ちしましょう、私どもには一種類しかございませんが」
「あなたに持って来ていただいたら、さぞすばらしい味でしょう!」とジェンナーロが言った。「私はあなたのような美しい乙女についでもらう時ぐらい、よろこんで飲むことはないですよ」
「でございましょうが、旦那様、今日は人妻で我慢なさらなくてはいけません」と、彼女がやさしく言った。
「結婚してるの?」ジェンナーロがにこにこしながらきいた――「その若さで?」
「いいえ、お婆さんですわ!」こう言って彼女も笑った。
「お幾つですか?」と私がきいた。
彼女はおやというような顔で私の顔をのぞいて、「二十八ですわ!」と答えた。十五と言ったほうがずっとふさわしかったが、まったく美しく成熟していて、ヘーベ〔ギリシア神話の青春の女神〕を写したとしてもこれほどみごとな彼女以上にはならなかったろう。
「二十八か!」とジェンナーロが言った。「まったくあなたにふさわしい美しい年だ。ずっと前に結婚なさったのですか?」
「十年前ですわ!」と彼女が答えた。「あそこにいる娘たちにおききになればおわかりですわ」ちょうどその時、遊んでいるのを私たちが見た女の子たちがこちらへ近づいて来た。
「これはあんたがたのお母さん?」私はそうでないことは十分わかっていたが、こうきいてみた。二人は彼女を見上げて笑うと、こくりとうなずいて、彼女にからみついた。
彼女が葡萄酒を持って来た。すこぶる上等な酒で、私たちは彼女の健康を祈った。
「この人は詩人、即興詩人なんですよ」と、ジェンナーロが私を指さしながら彼女に言った。「ナポリじゅうの婦人の頭の調子を狂わして来たんですが、これは石かな、何だか妙な男ですよ。女という女は残らず大きらいで、女に接吻したことなんか今まで一度だってないんですからね!」
「そんなことあるわけがありませんわ」そう言って、彼女は笑った。
「ところが私はその反対でね」とジェンナーロがつづけた。「全然できがちがうんです。私は自分のそばにきれいな唇がくれば、片っぱしから接吻すると同時に、婦人の忠実な従者でもあって、自分の行くいたるところで世間と婦人を仲直りさせます。これは私に許されたことでもあり、私はまたこれを一人一人の美しい婦人にたいして権利として主張するのです。そして今ここでももちろん、私は自分への捧げ物を要求しますよ!」こう言いながら彼は彼女の手をとった。
「あなたにもこちらのかたにも、私はどちらのお世話にもなりませんし」と彼女が言った。「捧げ物を納めることなんか私にはまるで関係がありません、いつも夫がしていますもの!」
「でどこにいるんです?」とジェンナーロがきいた。
「大して遠くでもありません」と彼女が答えた。
「こんな美しい手は、ナポリでは一度も見たことがありませんね!」とジェンナーロが言った。「それに接吻するのは一回いくらですか?」
「一スクード」彼女が言った。
「唇はその二倍ですか?」とジェンナーロがきいた。
「唇はいけません」と彼女が言い返した。「これは夫のものですもの!」
そして彼女はまた、元気のつく強い酒をつぎ、私たちと冗談を言い、笑った。その冗談を聞いているうちに発見したのだが、彼女はほぼ十四歳で、前の年に若い好男子と結婚したのだった。亭主は今ナポリへ行っていて、明日でなければ帰らないはずだった。あの小さな女の子は彼女の妹で、亭主が帰るまでここに来ていたのだった。ジェンナーロが女の子たちに薔薇の花束を頼むと、彼女たちは急いで花を集めに行った。ジェンナーロはその駄賃に一カルリーノやる約束だった。
彼女に接吻させてほしいという彼の懇願もむだだった。彼は心をくすぐる甘いことばを並べ立て、彼女の腰に両手をまわした。彼女は彼を叱りつけながら身を振りほどいたが、それでもまたもどって来た。彼女はおもしろがっていたのだ。彼は金貨を一枚つまんで、これがあればどんなにきれいなリボンが買えるか、それで彼女の黒い髪をどんなに美しく飾ることができるか、リボンも髪の美しさも、たった一ぺん彼に接吻すれば彼女のものになるのだ、と言った。
「あちらの旦那のほうがずっといいわ!」と言って、彼女は私を指さした。私の血が湧きたった。あの男の言うことなど放っておけばいい、あれは気が狂っている、彼が誘惑の手に使う金貨なんか見ないで、彼への復讐《ふくしゅう》として|私に《ヽヽ》接吻しなくてはいけない、と言いながら、私は彼女の手をとった。
彼女は私を見た。
「彼があれだけしゃべったうちで」と私はつづけた。「たった一つ本当のことがある。私が今までどんな女の唇にも接吻したことがないということです。いちばん美しい人に会うまで自分の唇をきれいにしておいたのです。私は今あなたから自分の行いの正しさの褒美《ほうび》がいただけたらと思います」
「まったく大した誘惑の名人だ!」とジェンナーロが言った。「やりつけてることじゃ、おれよりはるかに上手《うわて》だ!」
「お金はあるけどあなたは悪い人ね」と彼女が言った。「その罰にお金もキスも私には何でもないということを見せてあげましょう。キスは詩人さんにあげるわ!」
こう言って彼女が両手で私の頬をおさえ、唇と唇がふれた。そして彼女は家のうしろへ消えてしまった。
日が沈む時、私は僧院の自分の小さな部屋に坐って、窓から海を眺めていた。海は薔薇色で、長い砕け波を岸に打ち上げていた。漁師たちはボートを砂の上に引き上げた。夕闇が濃くなるにつれて灯《あかり》の明るさが増して、波は青みがかった微光をはなった。あたりのものすべてを包む無限の静寂のなかに、海岸で漁師の合唱する歌が聞こえた。女や子供もいっしょだった。子供の声のソプラノと太く低いバスがまじり合って、私の胸は物悲しい気持でいっぱいになった。流れ星が一つ、きらりと空に光って、昼間あの元気な若い女が私に接吻した葡萄畑の向こうに、矢のような早さで消えた。私は彼女がどんなに美しかったかを思い返し、寺院の残骸《ざんがい》のなかの美の像であった盲の少女を思ったが、そのうしろにはアヌンツィアータが、――知的にも肉体的にも美しい、二重の美しさのアヌンツィアータが立っていた。私は胸がふくらみ、恋しさとあこがれに心が燃えて、失ったものを深く意識した。アヌンツィアータが私の胸にともした浄火、彼女自身がその巫女《みこ》であった祭壇の火を、彼女みずから掻きまわして行ってしまったので、今その火は建物全体に燃えひろがり燃えさかるのだった。
「永遠なる神の母よ!」私は祈った。「私の胸は恋しさでいっぱいで、あこがれと後悔で今にも張り裂けそうです!」私はコップに插してあった薔薇をつかみ、そのなかのいちばん美しいのを唇に押しあててアヌンツィアータのことを想《おも》った。
私はもう我慢ができなくなって、海岸へおりて行った。きらめく波が岸に砕け、漁師たちが歌い、風が吹いていた。私は昼間たたずんだ煉瓦造りの橋の上に行った。大きな外套《がいとう》にくるまった姿が私のすぐそばを、すっと通り抜けた。見るとジェンナーロだった。くねくねと曲った路《みち》をあの白い小さな家のほうへ登って行くので、私もあとからついて行った。やがて彼はある窓のそばをそっと通り過ぎた。なかには灯がついていた。私はそこの垂れさがった葡萄の葉かげに立ったが、はっきり部屋のなかを見ることができた。ちょうどこの家の向こう側にも同じような窓があって、何段か高い段をのぼって横の部屋へ行けるようになっていた。
寝間着に着かえたあの二人の小さな女の子が、この家の女主人であるいちばん上の姉をあいだにはさんで、キリストのついた十字架と燈明《とうみょう》を置いた小さなテーブルの前に膝をついて、夕べの祈祷《きとう》をしていた。私が目の前に見たのは二人の天使を連れたマドンナで、ラファエロが描いたかと思うような、生きた祭壇画であった。彼女の黒い目は空へ向けられ、髪はゆたかな波を打って裸の肩に垂れ、両手は若い美しい胸に組み合わされていた。
私は脈が早くなった。息がつまりそうだった。やがて三人とも立ちあがった。彼女は二人の妹といっしょに階段をのぼって横の部屋に行き、ドアをしめると表側の部屋にはいって、こまごました家の用事にとりかかった。そのうちに彼女が引出しから赤い紙入れを取り出すのが見えた。それを彼女は何度も手のなかでひっくり返しては微笑していた。今にもあけそうになったかと思うとその瞬間、またもとの引出しにほうりこんでしまった。何かにびっくりしたようだった。
そのすぐあと、向こうの窓をこっそり叩く音がした。ぎくっとした彼女は、そのほうを見て耳を澄ました。また叩く音がして人の声がしたが、言っていることは聞きとれなかった。
「昼間の旦那じゃありませんか!」と彼女が大声で叫んだ。「何の御用ですか? 何だってこんな時間にいらっしゃるんです? なんということでしょう! ほんとに腹が立つったら!」
彼がまた何か言った。
「ええ、ええ、そりゃそうです」と彼女が言った。「たしかに紙入れをお忘れになりました。お返ししようと思って妹が宿屋へ行きましたが、あなたが上の僧院にお泊まりだったので、明日の朝、妹がそっちへ行くつもりだったのです。ここにあります」
彼女はそれを引出しから出した。彼がまた何か言ったが、彼女は首を振った。
「いいえ、いいえ! 何を考えてらっしゃるんです?」と彼女が言った。「戸はあけません、入れるもんですか!」
そう言いながら彼女は窓のところへ行って、紙入れを返すために窓をあけた。彼は彼女の手をつかんだ。彼女の手から落ちた紙入れが窓のかまちに載っていた。ジェンナーロが頭をつっこんだ。若い妻は私がかげに立っていた窓のほうへと逃げてきた。こうなると私には、ジェンナーロの言う一語一語が聞きとれた。
「あなたの美しい手にお礼の接吻をすることを許してくれなければ、ほんのわずかのお礼を受け取ろうともしないし、葡萄酒一杯ももらえないのかな? 咽喉《のど》がかさかさなのに。べつに何も悪いことはないでしょう! なぜなかへはいるのを許してくれないのです?」
「いけません!」と彼女が言った。「こんな時間にあなたと話すことなんか何もありません。忘れ物を取って、窓をしめさせてください」
「あなたの手をもらうまでは」とジェンナーロが言った。「あなたが接吻してくれるまでは、私は帰りませんよ。あなたは今日私に接吻してくれないで、あの馬鹿者の若造にしてやったじゃありませんか!」
「いいえ、いけません!」と彼女は言って、腹を立てていたにもかかわらず、笑いださずにはいられなかった。「こちらじゃあげようという気のないものを、あなたは無理に取り上げようとなさるのです」と彼女はつづけた。「だから私もあげないし、そんなつもりもありません」
「もう一度だけ」と、おだやかに懇願するような口調《くちょう》でジェンナーロが言った。「ほんとにこれが最後です。手をくださるだけのことさえいけないとおっしゃられるんですか? それ以上のことは望みません。胸のなかには言いたいことが山ほどあるんですがね! 聖母は私たち人間がたがいに兄弟姉妹のように愛し合うことを、しんから望んでおいでなのです! 兄弟のように私は私の金をあなたと分けましょう! あなたは着飾って、二倍の美しさになることができますよ! 友だちはみんな羨《うらや》ましがります。誰にもわかりゃしません」こう言うと彼は身軽に跳びあがって、部屋のなかに立った。
彼女は、「神様、マリア様!」と大きな金切り声で叫んだ。
私は自分の立っていたそばの窓をがたがた揺すぶった。ガラスが、まるで見えない力に動かされるように、びりびりした。葡萄の格子棚《こうしだな》から棒を一本折り取って、私は開いた窓へ飛んで行った。何か得物《えもの》がなくては、と思ったからだった。
「ニコロ、あなた?」彼女が大声でさけんだ。
「私だ!」きっぱりした太い声で私が言った。
外套を風になびかせて、ジェンナーロが窓から飛んで出るのが見えた。ランプが叩き消されて、部屋のなかはまっ暗だった。
「ニコロ!」――彼女が窓から叫んだ。「あなた帰って来たのね! ああ助かった!」声がふるえていた。
「奥さん」私はおずおずと言った。
「おお!」そう言う彼女の声と、あわてて窓をしめる音が聞こえた。釘づけになったように、私はその場につっ立ったままだった。まもなく彼女が静かに部屋を横ぎる足音が聞こえ、横の部屋の扉が開いてまたしまった。私は彼女が、戸じまりを確かめてでもいるのか、何かを叩くのを聞いた。
「これで大丈夫だ」私はこう思って、そっと、音を立てないようにそこをはなれた。私は非常にいい気分で、奇妙に心が浮き浮きした。「これで今日の接吻のお礼ができた」と私は自分に言った。「この私が彼女にとってどんな守護天使だったかがわかったら、たぶんもう一度接吻してくれただろうに!」
私はちょうど夜食の用意ができあがったとき僧院へ帰って来た。誰も私の留守《るす》だったのに気がつかなかった。しかしジェンナーロが姿を見せないので、フランチェスカが心配しだした。ファビアーニはつづけざまに使いを出した。ようやくジェンナーロが現われた。山の上まで散歩の足をのばして(と彼は説明した)、道に迷ったが、やっとのことで運よく百姓に会って道を教えてもらうことができたというしだいだった。
「上着もぼろぼろだわ」とフランチェスカが言った。
「ええ」とジェンナーロがビスケットをつまみながら言った。「切れっぱしは茨《いばら》の藪《やぶ》にひっかかっています。私はこの目で見てきました。どうしてあんな道に迷ったのか、まったくわけがわかりませんね。きれいな夕方だとばかり思っているうちに急に暗くなってきたので、近道をしようと思ったんです。それでなきゃ迷うなんてことはありゃしません!」
私たちは彼の冒険談を聞いて笑ったが、事実は私がよく知っていた。私たちは彼の健康を祈って飲んだ。すこぶる上等の酒で、私たちはすっかり陽気になった。そのうちにめいめいの部屋に引き揚げたが、私の部屋とはあいだの戸口で往来できるようになっている部屋を当てがわれた彼が、寝間着でその戸から私の部屋に来た。笑って私の肩に手を置いて、昼間見た美人の夢を見すぎないように頼むと言った。
「ところで接吻は私がもらいましたね」と私は冗談に言った。
「いかにも、あなたがもらったね!」笑いながら彼が言った。「だからというのであなたは、私が継《まま》っ子の分け前をもらって帰って来たと思ってるんですか?」
「ええ、そうだと思っています」と私は答えた。
「ところで私はいつまでも継っ子のままじゃいません」冷たい調子で彼が言ったが、その口調にはいくらか怒りもまじっていた。しかし彼が、「もしあなたが誰にも言わないというなら、ちょっとしたことを聞かせますがね」とささやいた時には、彼の唇のまわりにふたたびわずかながら微笑がただよっていた。
「聞かせてください」と私は言った。「私は誰にもひとっかけらだって漏らしゃしませんから」私は彼が失敗に終った冒険を嘆き悲しむことばを聞かせることと思っていたのに、彼の秘密というのは次のとおりだった。――
「私は今日わざとあの美人の家に紙入れを置いて来たんです。そうすれば晩になってあすこへ行く口実ができるし、晩になれば女というものはあまり厳しいことは言いませんからね。そこが狙いです。私は行きました、そして庭の塀をよじ登ったり藪をくぐり抜けたりして上着を破いたんです」
「そしてあの美人は?」と私がきいた。
「倍も美しかった!」と、意味ありげにうなずきながら、彼が言った。「倍の美しさ、それに、やかましいことなんかちっとも言いはしません。すっかり仲よくなりましたよ。あれがあなたに進上したのは接吻が一つ――ところが私には千もくれて、おまけに心までも、といったしだいです。私は一晩じゅうこの幸運の夢を見るでしょう、気の毒なアントニオ!」
こう言って私に投げキスをして、彼は自分の部屋へ帰った。
私たちが僧院から出かけた朝の空は、さながら灰色のヴェールをかぶったようだった。例の頑丈な漕ぎ手が海岸に待っていて、また船へ連れて行ってくれた。今度はカプリへ行くのだった。空のヴェールが切れて軽やかな雲になり、空が倍も高くなり透明になって、一つの波も動かず、静かな海面のちりめんじわは波紋《はもん》のある織物を思わせた。あの美しいアマルフィも絶壁のかげに消えた。ジェンナーロはその方角へキスを投げて、「あすこで私たちは薔薇を摘みましたね」と私に言った。
「あなたは少なくとも、刺《とげ》のなかにおはいりでしたよ」と、考えながら私はうなずいた。
シチリア島からアフリカまでもつづく広大無辺の海が目の前にひらけた。左手は、独特の洞穴のあいた、岩の多いイタリアの海岸で、洞穴の幾つかの前には、まるでそのなかから出て来たような小都会があり、ほかの穴のなかには漁師が坐りこんで、砕け波の向こう側で、煮たきをしたりボートにタールを塗ったりしていた。
海はどろりとした青い油のようだった。手を入れると、手も同じように青く見えた。水に落ちるボートの影は純粋の紺色で、オールの影は濃淡のあらゆる度合いを見せて動く青い蛇だった。
「すばらしい海だ!」私はすっかり嬉しくなって叫んだ。「神をのぞけば、自然のなかにおまえほど美しいものはない!」
私は思い出した。子供のとき仰向けに寝て、際限のない青空をのぼって行く自分の姿を、いったい何べん空想しただろう! その夢が、いま実現したように見えた。
イ・ガルリと呼ばれる三つの岩でできた小島のそばを通った。一つまた一つと積み重ねた大きな石の塊でもあり、大海のなかからそびえ出た巨大な塔の上に、またほかの塔を積み上げた形でもあった。青い波がこの石の集まりにぶつかっていた。嵐の時には、吠える犬を連れた女怪スキルラとも見えるにちがいない。
むかし|海の妖女《シレーヌ》たちが住家を持っていた、草一本ない石だらけのミネルヴァ岬《みさき》のまわりは、海の表面がうとうとと眠っていた。ティベリウスが歓楽にふけりながら海の彼方《かなた》ナポリの岸を望んだ、夢の島カプリが目の前にあった。船の帆が揚げられた。風と波とに運ばれて、私たちは島へ近づいた。そして私たちはこの時はじめて、水が驚くばかりにきれいですきとおっているのに気がついた。空気かとも思えるほどの不思議な透明さだった。何メートルという深みにある石も草も一つ一つが見えるなかを、私たちは滑るように進んで行った。私を乗せた小さな舟の舟べりから、自分たちの通っている下の海の深みをのぞきこんだ時、私はくらくらと目まいがした。
カプリの島は一方から以外は近づく道がない。島を取り巻いて、けわしい絶壁の塀が垂直に立っている。ナポリに向かった側には葡萄畑もオレンジも、それにオリーブの森もあって、この塀が円形劇場のように張り出している。岸には何軒かの漁師の小屋と見張小屋があり、上のほうには緑の庭園のあいだからアナカプリの小さな町がのぞいている。ちっぽけな跳ね橋と門を通って町にはいることができる。私たちはパガーニという小さな旅館へ行って休んだ。
昼食後、驢馬《ろば》でティベリウスの別荘まで登るはずだったが、しかしそれはそれとして、私たちは朝食を待った。それと次の食事のあいだに体を休めて、午後の遠足の元気を貯えよう、というのがフランチェスカとファビアーニの希望だった。が、ジェンナーロと私にはそんな必要がなかった。私の見たところではこの島は大して大きくなく、数時間あればボートで一周した上、南側にぽつんと海中から立ちあがった高い石の門を見ることもできそうだった。
私たちはボート一隻と漕ぎ手二人をやとった。風が少しあったので、周回の半分は帆を使うことができた。波が低い岩礁にあたって砕けていた。そのあいだに魚を捕る網がひろげてあるので、私たちはそれに引っかからないように、最初にまずかなり沖へ出なければならなかった。この小さなボートで走るのはすばらしい愉快な航海だった! まもなく目に見えるのは海と、空へ伸びあがる垂直の絶壁だけになった。ところどころにあるその割れ目にはアロエやアラセイトウが生えていたが、野生の山羊《やぎ》の足がかりになりそうなところさえ一つもなかった。青い火のように吹きあげる砕け波の下に、血のように赤い海林檎《うみりんご》が岩に生えていた。波に濡れるとその色の鮮かさが二層倍も冴《さ》えて見え、波の一打ちごとに岩が血を流すかとも思えた。
やがて、ひらけた海が右手にあり、左手には島があった。いちばん高いところの口がほんの少しばかり水よりも上にある深い洞穴が、崖《がけ》に姿を見せていたが、そのほかのは砕け波のなかにぼんやり見えるにすぎなかった。この波の奥のほうに|海の妖女《シレーヌ》が棲んでいて、私たちが周囲を漕ぎまわった花咲くカプリの島は、彼女たちの岩の砦《とりで》の屋根にすぎなかった。
「はあ、あすこは悪魔の棲家《すみか》ですよ」と漕ぎ手の一人が言った。銀のように白い髪の老人だった。「あすこの水のなかは気持がいいかもしれないが」と彼はつづけた。「奴らはつかまえたものは決して逃がしゃしない。ひょっとして帰って来る者があったにしても、もうすっかり気が変になっていますて」
やがて彼は少し離れたところにある穴を指さした。ほかのよりはいくぶん大きかったが、それでもまだ、高さも幅も、帆をおろして私たちが舟のなかに寝たとしても通れないほどだった。
「妖婆の洞穴〔カプリの住民は瑠璃色の洞穴をこう呼んでいる。ここは一八三一年にフリース、コーピシの二人のドイツ人が探検して以来、南イタリアに来るすべての旅行者の訪れるところになった〕です!」若い方の漕ぎ手はこう言って、岩からボートを遠ざけた。「あのなかは何から何まで黄金とダイヤモンドでできてるんですが、はいって行く者は誰でも、ぼうぼう火が燃えていて、焼き殺されてしまいます。サンタ・ルチーア〔殉教処女の名〕様、どうぞ私どもをお護りください!」
「その|海の妖女《シレーヌ》が一匹このボートにいたらいいだろうに!」とジェンナーロが言った。「だが美人でなくちゃいけない。そうなればあとのことは文句なしだがな」
「女性にはきまって成功なさる運の強さは」と私は笑いながら言った。「ここでもきっとお役に立つでしょう」
「盛りあがった海の上こそ接吻や抱擁にもってこいの場所だ! 波はたえず接吻や抱擁をしているじゃないか! ああ!」彼は溜め息をついた。「アマルフィのあの美人がここにいてさえくれたら! 正真正銘の女だった。そうでしょう? あなたは彼女の唇の甘露をちょっと吸っただけだ! 気の毒なアントニオ! 昨夜の彼女をお目にかけたいなあ! なんというやさしさだったろう!」
「いやいや」彼の恥知らずの|ほら《ヽヽ》に少し腹を立てて私は言った。「そんなことはありませんよ。私のほうがよく知ってますね」
「それはどういう意味に取ればいいのですか?」彼はこうきいたが、非常に驚いて私の顔を見つめた。
「私は自分で見たのです」と私はつづけた。「偶然あの場所へ行きました。ほかの場所のあなたの非常な幸運なら疑いはしませんが、今度はあなたが私をからかってやろうと思っていらっしゃるだけです」
彼は黙って私を見つめるだけだった。
「『あなたが接吻してくれるまでは』」と、私は笑いながらジェンナーロのまねをした。「『あなたは私に接吻しないで、あの馬鹿者の若造にしてやったじゃありませんか』」
「あなたは! あなたは立ち聞きしていたんですね!」と彼はまじめな調子で言ったが、その顔はまっ蒼《さお》になった。「よくも私を侮辱しましたね。決闘だ、でなきゃ君を軽蔑する!」
こんな結果が私の言ったことから出てこようとは、私は思っていなかった。
「ジェンナーロ、まさかまじめで言ってらっしゃるんじゃないでしょう」こう言って私は彼の手をとった。しかし彼はそれを引っこめ、私には返事もしないで、漕ぎ手にボートを返すように言った。
「それには島をひとめぐりしなけりゃなりません」と老人が言った。「出かけた場所からでなきゃあがれませんからな」
彼らが精出して漕いだので、私たちはたちまち盛りあがる青い海のなかに高々と立った岩のアーチに近づいた。しかし怒りと当惑に私の心は落ちつきがなくなっていた。私はジェンナーロを見た。彼はステッキでぴしりと水を叩いた。
「|竜巻だ《ウナ・トロンバ》!」と若いほうの漕ぎ手が叫んだ。海面から空へ斜めに突き立った墨のように黒い雲の柱が、ミネルヴァ岬から海を越えて進んで来た。そのまわりの水は沸《わ》きあがっていた。漕ぎ手は大急ぎで帆をおろした。
「どこへ行くのだ?」とジェンナーロがきいた。
「あともどり、あともどりです」若いほうの漕ぎ手が答えた。
「また島をまわるのか?」と私がきいた。
「岸へ近寄れ、岩の壁へ近づけ。竜巻は沖のほうへ行くらしいぞ」
「砕け波が岩のあいだへ舟を引きずりこむぞ」こう言って老人は橈《かい》に飛びついた。
「永遠なる神よ!」と私は口ごもった。黒い雲の柱が疾風に乗って迫ってきて、私たちがそのそばにいたカプリの岩の壁を一薙《ひとな》ぎに薙ぎ倒さんばかりだったからである。もしそうなったら、私たちは柱といっしょに巻き上げられるか、切り立った岩の岸のそばの海中へ押し沈められてしまったろう。私は老人といっしょに橈を握り、ジェンナーロは若いほうを助けた。しかしもう風のうなりが聞こえ、竜巻の根もとの水は沸き立って、私たちを追いまくるのだった。
「サンタ・ルチーア様、お助けください!」漕ぎ手は二人とも橈を投げ出し、ひざまずいて叫んだ。
「橈をはなすな」ジェンナーロは私に向かって叫ぶと、死人のように蒼《あお》ざめて天を仰いだ。
やがて大嵐が私たちの頭の上を、ごうごうと音を立てて吹き抜けた。左手のあまり遠くないあたりに暗い夜が波の上にひろがっていて、空高く上ったと思うとボートにぶつかって、いちめんの白い泡になった。空気はひどく重苦しく、圧迫された血が両眼から流れ出そうな気がした。しんの闇――死の夜になった。私はたった一つ、海が自分の上にのしかかっている、私も私たち全部も、海の、死の餌食《えじき》になった、――ということだけを意識していたが、それきり何もわからなくなってしまった。
私が意識を取りもどした時、ふたたび開いた目に映じたその場の光景は、噴火山の力よりも恐ろしく、アヌンツィアータとの別れのように悲しく、今なお目の前に見える。はるか下のほう、上のほう、それから周囲に、青い空があった。私が腕を動かすと、電気の火花のように無数の流れ星が私のまわりに輝いた。私は電気の流れに運ばれて行った。自分はたしかに死んだのだ。そして今、青空を通り抜けて神の天国へ浮かびあがって行くのだ、と思っていたが、しかし重たい錘《おもり》が頭についていた。それは私が地上で犯した罪で、これが私の体を下へ曲げるのだった。空気の流れが頭の上を通り過ぎたが、それは冷たい海のようだった。私は無意識に両手を伸ばして、何であろうと、とにかく近くにあるものをつかもうとした。何か固いものが手にさわったので、私はしっかりそれにしがみついた。私は全身が死んだようにぐったりして、自分の体にはもう生命もなければ力もないという感じだった。私の死体は、たしかに深い海の底に横たわっていた。今のぼって行くのは大いなる裁きの場所へ向かう私の魂だった。
「アヌンツィアータ!」私は溜め息をついた。また私の目があいた。それまで私はきっと長いこと気絶していたにちがいない。私はふたたび呼吸した。元気がつき、意識がはっきりしたのを感じた。私はまるで岩の尖《さき》かと思われる冷たい硬いものの上で、無限の青空の高みに横たわっていたが、私のまわりは明るかった。私の上には空の円天井と、奇妙な球型をなして空と同じ青い色の雲があった。いっさいが静まり返って、無限の静寂があった。しかし、私は氷のような冷たさにぞっとした。私はゆっくり手をあげた。手は銀のように光ったが、それが自分の肉と骨の手であるのが感じられた。私の頭は、自分が死者の仲間か生者の仲間かを見分けようと努力した。私は手を伸ばして、私の下の奇妙に光る空気へつっこんだ。私が手を入れたのは水で、燃えるアルコールのように青かったが、しかし海のように冷たかった。すぐそばに柱が一本立っていた。みにくい形をした、青くきらめく柱で、竜巻に似ていたが、それより少し小さかった。こんなものが見えたのは私の恐怖のせいであろうか、それとも私の記憶のせいであろうか? しばらくたって、私は思いきってそれにさわってみた。石のようにかたく、冷たいことも石のようだった。手を伸ばしてうしろの薄暗いところへ入れると、手に触れたのは硬くてなめらかな、夜空のように暗青色の壁だけだった。
私はどこにいるのだろう? 下のほうの私が空だと思ったものは、黄味がかった青色に燃えながら熱を出さない、輝く海だったろうか? これが私のまわりの明るい場所だったのか。それとも、光をはなつ岩の壁、私の上のほうのアーチだったろうか? これは死の住む場所、私の不滅の霊魂のための墓穴であったろうか? 地上の住居では確かになかった。あらゆるものがあらゆる濃淡の青色に照らされて、私自身は光を放つ輝きにつつまれていた。
私のすぐそばにすばらしい階段があったが、一段一段がじつに大きなサファイヤで、全体がその無数の輝く宝石でできたようだった。私はそれを登ってみたが、岩の壁があってその先へは行けなかった。たぶん、そこより天に近づくだけの価値が私にはなかったのだろう。私はある人間の怒りを背負ったまま、地上の世間から出て来たのだった。ジェンナーロはどこへ行ったのだろう? あの二人の船頭はどこにいるのだろう? 一人きり、私はまったくの一人ぼっちだった。私は母を思い、ドメニカとフランチェスカと、すべての人のことを考えた。私は自分の想像が少しも間違っていなかったのを感じた。私の見た輝きは、私自身と同じく、精神的のものでもあり肉体的のものでもあった。
絶壁の割れ目の一つに、何か立っているのが見えた。私は手でさわって見た。大きな重い銅のコップで、金貨や銀貨でいっぱいだった。その一枚一枚にさわってみているうちに、私のいる場所がいよいよ不思議なものに思われてきた。水面のすぐそばの私のいる場所からあまり遠くないところに、明るい青い星があって、鏡のような水の上に一種特別の霊気のように浄《きよ》らかな長い光線を投げていたが、なおも見ていると、それが月のように暗くなり、黒いものが現われ、ボートが一つ燃える青い水の上を滑って行った。海のなかから浮きあがって来て、今その面《おもて》に浮かんでいるかのようであった。年とった老人がゆっくり漕いでいたが、橈《かい》の動くごとに水が真紅に輝いた。ボートのなかには彼のほかに坐った人の姿が見えたが、やがてそれが女の子であることがわかった。老人が橈を漕ぐほかは、彼らは石像のように無言のままじっとしていた。不思議に深い吐息が聞こえた。私は聞きおぼえがあるような気がした。彼らは輪をえがいて進み、私のいるところへ近づいて来た。老人が橈を引き上げると、娘は高く手をあげて、深い悲しみの声で叫んだ。「神の母よ、私を見捨てないでください! このとおり私は、あなたのおっしゃったとおり、ここにおります」
「ララ!」私は大声で叫んだ。
彼女だった、私はその声を知っていた。恰好も見おぼえがあった。それはあのララ――ペストゥムの荒れ果てた神殿にいた盲の少女だった。
「私に視《み》る力をお与えください! 神の美しい世界をお見せください!」と彼女が言った。
死んだ者が口をきいているようで、私はぞっとした。彼女は今度は、私の歌が彼女の心にあこがれを吹きこんだ人間の世界の美しさを私にたずねた。
「どうぞ――」彼女の唇がゆっくり言った。そして彼女がボートのなかでうしろに倒れ、水が火のしずくのように舟のまわりではねた。
老人は、ちょっと彼女の上にかがみこんでから、舟を出て私のいるところへ来た。その目がじっと私を見つめた。私は彼が宙に十字を切り、重い銅の入れ物をとってボートに入れ、それから自分も乗りこむのを見た。われ知らず私はそのあとについて行った。奇妙に黒い彼の目はじっと私に向けられていた。やがて彼が橈を取り上げると、私たちは輝く星へ向かって進んだ。冷たい空気の流れが突進してきた。私はララの上に身をかがめた。やがて岩の狭い割れ目が私たちを閉じこめたが、それはほんの一瞬間で、またもや無限のひろがりを持った大海が眼の前に現われ、うしろには切り立った絶壁が高くそびえていた。私たちが通り抜けたのは小さな暗い割れ目で、私たちのすぐわきに、そこここに茂みと暗赤色の花のある低い平地があった。新月が不思議に明るく輝いていた。
ララが体を起こした。私はその手にさわる勇気がなかった。彼女は亡霊だ、と私は信じていた。何もかもが亡霊だった。私の想像が作り出した姿は一つもなかった。
「あの薬草をください!」そう言って彼女が手を伸ばした。私は自分がこの霊の声に従わなくてはならないのを感じた。高い崖《がけ》の下の低い平地に、緑の茂みがあって、赤い花が咲いているのが目についた。私はボートを出て花を集めた。なんともいえぬ珍しい匂いがした。私はそれを彼女に差し出した。私は急に手足が死んだようにぐったりして、膝をついたが、老人は十字を切り、私の手から花をとり、次にララを抱き上げて、そばにあった大きなボートへ移すのに気がつかないわけではなかった。小さいほうは岸につないだままだった。
私は彼らのほうへ手を伸ばしたが、死が重く胸を押しつけて、今にも張り裂けるばかりだった。
「生きている!」というのが、私がふたたび聞いたことばの最初のものだった。目をあけると、ファビアーニとフランチェスカが、もう一人私の知らない人といっしょに、私のそばに立っているのが見えた。この人は私の手を取って、重々しい考えこんだ顔つきで、私の顔を見つめていた。
私は大きなりっぱな部屋に寝かされていた。昼間だった。私はどこにいるのだろう? 熱で血が燃えるような気がして、どうしてここへ来たのか、どういうふうにして助かったのかが、ようやく少しずつわかってきた。
ジェンナーロと私が帰って来ないので、皆が心配しはじめた。私たちといっしょに行った船頭についてもさっぱり様子が知れないところへ、竜巻が岸をまわって南のほうへ行くのが見えたので、私たちの運命がきまってしまった。ボートを二つ出して、反対の方向へ島のまわりを廻らせたが、私たちも私たちのボートもさっぱり影も形も見えなかった。フランチェスカは泣いた。私にたいする思いやりがことのほか深かったからだった。彼女はジェンナーロと二人の漕ぎ手の死んだのを嘆き悲しんだ。ファビアーニは自分で捜しに行かなければ気が済まず、私たちの誰かが泳いで助かっていはしまいか、また助かったとしても、人間がよじ登れるところは一か所もないのだから、死の最も恐ろしいもの――苦しみと飢えをこらえているのではないかと、岩の割れ目のどんな小さなのも調べることにきめた。そこで彼は朝早く四人の屈強な漕ぎ手を連れて出かけ、あの一つ離れた海上の石の門にも、岩の割れ目の一つ一つにも行ってみた。漕ぎ手たちはあの気味の悪い妖婆の洞穴に近づくのをいやがったが、ファビアーニはそこの小さな緑色の平地へボートを進めるように命じた。近づいて行くと、あまり遠くないところにぐったり伸びた人間が彼の目についた。それが私だった。私は死体のように緑の茂みのなかに転がっていた。服は風でなかば乾いていた。私をボートに運び入れた。彼は自分の外套を私にかけてくれ、手と胸を摩擦しているうちに、私がかすかに息をするのをみとめた。彼らは陸へ向かった。そして医者の手当を受けて、私はふたたび生きている者の仲間入りをした。ジェンナーロと二人の漕ぎ手はどこにも見つからなかった。
彼らは私に思い出せるかぎりの話をさせた。私はそこで、はじめ正気づいた時にいた一種特別のかがよいに満ちた洞穴のことや、老人の漁師と盲の少女の乗ったボートの話をしたが、皆はそれは私の幻想だ、夜風のなかで熱に浮かされた夢だと言った。私は私自身もそうだと思わなければならないような気がしたが、私はそうはできず、一部しじゅうがはっきり目の前に見えていた。
「すると妖婆の洞穴のあたりで見つかったんですね?」こうきいて医者は首を振った。
「でもやはりあなたは、あの場所がどこよりも強い魔力を人の心におよぼすとはお考えにならないんですね?」とファビアーニがきいた。
「自然は謎の連続ですよ」と医者が言った。「人間が解いたのはいちばんやさしいものだけです」
私ははっきり目があいたような気がした。妖婆の洞穴――船頭たちが話していた、いっさいがぎらぎら輝く火と光の世界! 海は私をそこへ連れて行ったのだろうか? 私はそこを出るのに通り抜けた狭い孔を思い出した。あれは実際にあったことか、それとも夢だったのか? 私は妖精の世界をのぞいたのだろうか? 聖母のみ恵みが私を護り私を助けたのだ。私は夢のように、ララという娘が私を護る天使として現われた輝きに満ちた美しい広間を思い出した。
じっさい、すべては決して夢ではなかった。私はそののち何年かたってようやく発見されたもの、そして今ではカプリ第一の、いやイタリア第一の美しいものになっている瑠璃色の洞窟をこの目で見たのだった。あの女の姿はたしかにペストゥムの盲の少女だった。しかし私はどうしてそれを信ずることができなかったのだろう? そうだと想像することができたのだろう? まったく、じつに不思議だった。私は両手を組み合わせて、私の守護天使のことを考えた。
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八 帰りの旅
フランチェスカとファビアーニはその後二日間カプリに滞在して、私たち三人がそろってナポリへの帰りの旅ができるようはからった。今までに私が何回となく、彼らの私にたいする物の言い方や扱い方に気を悪くしたのは事実だが、今や私は彼らの深い愛情をそそがれ、細かい心尽しを見せられたので、私は心から彼らにすがりついた。
「いっしょにローマへ行かなくちゃいけない」と二人が言った。「それが君のためにいちばん賢明で、いちばんいいことなのだ」
私が九死に一生を得たことと、あの洞穴のなかで見た奇妙な幻は、私の平静を失った心に大きな効果を現わした。私は私自身がすっかり、いっさいのものを最上の結果へと愛をもってみちびく導き手の手中にあることを深く感じたので、すべての偶然を神の支配のうちにあるものと考えて、何も文句を言わないことにした。そういうわけで、フランチェスカがやさしく私の手を握って、ベルナルドといっしょにナポリに住みたいと思うかときいた時、私はローマへ行かなければならないし、行くつもりであると言いきった。
「私たちはあなたのために、さんざん涙を流さなければならないところだったわ」と言ってフランチェスカは私の手を握った。「アントニオ、あなたはうちの子供だわ。聖母様が守護の手をあなたの上に伸ばしてくださったのね」
「伯父上に」とファビアーニが言った。「御立腹のもとになったアントニオは地中海で溺れ死んで、僕らがいっしょに帰って来るのは昔の優秀なアントニオだということを知らせよう!」
「気の毒なジェンナーロ!」フランチェスカが溜め息をついた。「心の気高い機智のある人だったのに。何をさせてもりっぱにやったのに!」
医者は何時間も私のそばに坐っていた。彼はもともとナポリの人で、カプリへはちょっと来ているのだった。三日目に彼も私たちといっしょに帰路についた。彼は私が精神的にはとにかく、肉体的には完全に回復したと言った。私は死者の国をのぞいたし、死の天使の接吻を額に感じたのだ。青春のねむりぐさはその葉を閉じてしまった。
私たちは医者といっしょに舟のなかに坐っていたが、きれいな透明な水を見ると私の胸に過去の思い出が残らず群がりよみがえって、私は自分がどれほど死の近くにいたか、自分が助かったのがどんなに奇蹟的だったかを考えた。太陽が青い海の上にあたたかく輝いていた。私は、この世はまだこんなに美しいのかと思った。両眼に涙が湧いて出た。私の連れは三人とも私のことばかりを気にかけていた。そればかりでなく、フランチェスカは私の美しい才能の話をして、私が詩人だとさえ言った。自分の聴いた即興詩人が私だと聞かされると医者は、私がどんな喜びを彼の友人すべてに与えたか、どんなに彼らが私のために有頂天になったかを話してきかせた。
風の工合が好かったので、私たちは最初の予定どおり海上をソルレントへ行き、そこから陸路ナポリへ行くかわりに、船でまっすぐナポリに帰った。宿に着いてみると手紙が三通きていた。一通はフェデリーゴからだった。彼はまたイスキアへ出かけて三日間留守にするというのだったが、私は困った。これでは彼にさようならを言うことができなかった。私たちの出発が次の日の昼ときまっていたからである。二つ目の手紙は、給仕の話によると、私の出かけたあくる日の朝とどいたものだった。私は封をあけて読んだ。――
「あなたを尊敬しあなたのためを思う忠実な心の持ち主が今晩お待ちしております」次に家の名と番地があったが、差出人の名はなく、「昔なじみより」と書いてあるだけだった。
三つ目の手紙も同じ筆蹟で、内容は次のとおりだった。――
「いらっしゃい、アントニオ! 私たちのお別れの最後の不幸な一瞬間の恐ろしさは、もう消えたことと思います。大急ぎでいらっしゃい!――あれは誤解だったとお思いください、何もかも都合よく行くでしょう。一刻も早くおいでになればいいのです」前と同じ署名だった。
この手紙がサンタからだということはわかりきったことだった。彼女が私たちの会う場所として選んだ家は、彼女自身の家ではなかったけれど。私は二度と彼女に会わないことにきめたので、彼女の夫に短かいながらていねいな手紙を書いて、私がナポリを立ち去ること、そうきまったのがまことに急だったのでお別れの挨拶にも行けないことを知らせ、彼と彼の夫人の私にたいする厚遇を感謝し、私を忘れないようにお願いすると書いた。フェデリーゴにも、ごく短かいのを書いて、ローマへ行ったらうんと長く書く、今は書けないから、と約束した。
私はベルナルドに会うのがいやだったのでどこへも出かけず、新しい友だちにも全然会わなかった。ただ一人、私が訪問したのはあの医者で、私はファビアーニと二人でその家へ馬車を走らせた。なかなかいい、落ちつける家だった。彼のいちばん上の姉で未婚の人が家の世話をしていた。どことなく非常にやさしく、真心のにじみ出るといったところのある人で、私はたちまち好きになってしまった。私は年とったドメニカを思い出さずにはいられなかった。ただこの人のほうが教養があり、才能と洗練されたところがあった。
次の朝は私がナポリで過ごす最後の朝だったが、私の目はうら悲しい気持で、これが見おさめのヴェズヴィオから離れなかった。濃い雲がその頂きを包んで、山が私に別れを告げたくないかのようであった。
海はごく穏やかだった。私は自分の夢にあらわれた絵――かがよう洞穴のララ――のことを考えていたが、まもなく私がナポリにいたあいだのいっさいのことが、夢のように思われてきた。私は給仕の持って来た「ナポリ日報」を手にとった。私の名と、私の初舞台の批評も載っていた。好奇心でいっぱいになって、私はそれを読んだ。私の詩想の豊かさと詩句の美しいでき栄えとが、ことに最大の賞讚を博していた。私はパンジェッティの流れを汲む者のように見えるが、ただ、少しその師に追随しすぎた観がある、ということだった。しかし私はこのパンジェッティなる者をまるっきり知らなかった。それは本当だった。したがって彼を手本にして自分を形づくるということはありえないことだった。自然と私自身の感情だけが私を導いたのだから。しかし非常に多くの批評家は、彼ら自身の独創性がすこぶる微弱なために、彼らが批評するすべての作者が写すべきモデルを持っているにちがいないと信じているのだ。一般の公衆のほうがこれよりもはるかに私を賞讚してくれた。もっとも新聞に批評を書いた人は、時がたてば私も大家になるだろう、今でもすでに並々ならぬ才能と豊富な想像と、それに感情と霊感を持っている、と言っていた。私は新聞をたたんで、それを取っておくことにした。これが、私がこの土地で経験したいっさいが夢でなかったことを証拠だててくれる時もあるかもしれない。私はナポリを見、そのなかを動きまわり、多くのものを得、多くのものを失った。フルヴィアの輝かしい予言はもうここで終りまで来たのだろうか?
私たちはナポリを出発した。高いところにある葡萄畑も視界から消えた。私たちは四日がかりでローマへ帰る旅をつづけた。二た月ほど前フェデリーゴやサンタといっしょに旅行したのと同じ道だった。私はふたたびモーラ・ディ・ガエータと、そのオレンジの庭を見た。オレンジの木はちょうど花が咲いて芳しい香りを放っていた。私はサンタが坐って私の生涯《しょうがい》の冒険の話を立ち聞きした小道へはいってみた。あの時以来、なんと多くの重大な出来事が交錯したことだろう! 私たちの馬車が、きたならしいイトリを走り抜けた時、私はフェデリーゴを思い出した。国境では検査のために旅券が取り上げられたが、そこには今も何匹かの山羊《やぎ》が、ちょうどフェデリーゴの絵になった時そっくりの様子で、岩の洞穴のなかに立っていた。しかしあの男の子は見えなかった。その晩はテラチーナに泊まった。
次の朝は空気がこの上なく澄んでいた。私を両腕に抱きしめ、子守歌をきかせて世にも美しい夢のなかへ誘いこんで、私の美の像ララを見せてくれた海にも、私は別れの挨拶をした。はるか彼方の晴れわたった水平線には、まだ薄青い煙の柱を立てたヴェズヴィオが見えていて、さながら輝く大空へ向かって香を焚いているようであった。
「さようなら! さようなら! ローマへ行くのだ、私の墓がそこにある」私は溜め息をついた。馬車は私たちを乗せて滑るように走り、緑の沼地を過ぎてヴェルレトリへ向かった。私はフルヴィアといっしょに行ったことのある山々にも挨拶した。私はふたたびジェンツァーノを見、母がひき殺されて子供の私がこの世のすべてを失ったその場所をも通り過ぎた。今や私は教養ある紳士としてここに来たのだ。そして馬車の窓から街《まち》をのぞいた時、乞食たちに旦那と呼ばれた。私は今ほんとにあの過ぎ去った時よりも幸福なのだろうか?
アルバーノを通り抜ける時、カンパーニャの平原が目の前にひらけた。道ばたに、木蔦《きづた》のよく繁ったアスカニウス〔昔ローマ市の母胎となったアルバ・ロンガを建設したと言い伝えられる人。エネアスの子とされる〕の墓が見えた。さらに進むと記念碑があり長い水道があって、やがてサン・ピエトロの円屋根のあるローマがあった。
「アントニオ、元気な顔になりたまえ!」と、ポルタ・サン・ジョヴァンニをくぐった時ファビアーニが言った。ラテラノ教会、高いオベリスク、コロセウム、トラヤヌスの広場、すべてが私がわが家へ帰って来たことを告げた。夜の夢のごとく、しかしまた私の生涯のまる一年のようにも、この数週間の出来事が私の前にただよった。ナポリにくらべるとここではいっさいのものが、全く生気なく死んでいた! 長いコルソの通りは決してトレド通りではなかった。私のまわりによく知った顔がまた現われた。ハバス・ダーダーがちょこちょこと通り過ぎそうになったが、私たちの馬車に気がつくと挨拶した。コンドッティ通りの角に、手に板をはめたペッポが坐っていた。
「さあ、帰って来た」と、フランチェスカが言った。
「ええ、帰って来ました!」私はくり返したが、さまざまの感情が胸のなかをかきみだした。もうすぐ私はあの老紳士の前に生徒のように立たなければならなかった。私は彼に会うことを考えると身のちぢまる思いがした。しかしそれでも私は、馬の走り方がまだのろくさいように思った。
馬車はボルゲーゼ邸の前にとまった。
最上階の小さな部屋が二つ私に与えられたが、私はまだあの紳士に会っていなかった。やがて私たちは食卓に呼ばれた。彼の前に出た私は低く頭をさげた。
「アントニオは、私とフランチェスカのあいだに坐ってよろしい」これが、私が彼の口から聞いた最初のことばだった。
気のおけない自然な会話がはずんだ。私はたえず、苦いことばが私に向けられるのを待ちかまえていた。しかし私がローマから抜け出したことについても、この家の主人の手紙にあったような立腹についても、一言も話が出ず、それを思い出させるような話もまるで出なかった。
この思いやりに私は感動した。私はこういうふうに自分を迎えてくれた心づかいを二重にありがたく思ったが、それでもなお、私の自尊心が傷つけられたと感じる時があった。――私が全然責められなかったからである。
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九 教育
ボルゲーゼ邸が今や私の家だった。私は前よりもずっと思いやり深くやさしく扱われた。しかしそれでも昔のお談義めいた調子、私の気を悪くさせる、見くびった態度がまた出てくることも時にはあった。けれど、それも私のためを思えばこそであることは私にもわかっていた。
夏の暑いさかりは主人たちがローマを離れていたので、この宏荘な大邸宅に私一人で住んでいた。冬が近くなって彼らが帰って来ると、もとの状態が再現した。ところで彼らは私が大人になったことも、聞かされる一言一言を信仰の一箇条一箇条と思ったカンパーニャの子供ではとうの昔になくなっていることも、しょっちゅう休む暇もなく教育されどおしのエスイタ学校の生徒ではないことも、忘れているように見えた。
波から波へとつづく大海にも似た六年という歳月が、今や私の前にある。ありがたいことに、私はそれを泳ぎ越すことができた。今まで私について来て、私の人生の出来事の立会人になってくだすった読者よ、急いで私について来たまえ。ここはほんの二筆三筆で大づかみに印象を物語ることにしよう。それは私の知的教育のたたかいであった。私は一人前の親方になるため徒弟として叩きこまれる、半できの職人だった。
私は才能のある優秀な若者で、ゆくゆくは何かになると思われていた。そのため誰もが私の教育に熱心だった。私はまだ独り立ちのできる人間でなかったので、私が世話になっている人々はとりわけ熱心だった。私が人が好いので、ほかの連中までがわれもわれもと乗り出した。私ははっきりと、かつしみじみと自分の立場の辛さを感じたが、それでも我慢していた。これが教育というものだった。
フランチェスカの伯父は、私が知識の根本的なものを持っていないと慨嘆した。私がどんなにたくさん読むかは問題でなく、私が書物から吸いとったのは私の職業に役だつべき甘い蜜だった。私の保護者もしじゅうこの邸に出入りする人たちも、たえず私と彼らの胸中の理想とを比較しつづけているので、おかげで私はいやでも見劣りがするわけだった。数学者は、私があまりに多くの想像力とあまりに少ない考察力を持っていると言うし、物知りぶった男は、私のラテン語の勉強が足りないと言った。政治家は、いつも客の集まった場所で、私の不得意とする政治問題について質問したが、これはただ私の知識の不足をあばき立てるのが目的だった。ひたすら自分の持ち馬のために生きているのだという若い貴族は、私の馬に関する知識の貧弱さを嘆いて、私が彼の馬よりも私自身に興味を持っているという理由で、ほかの人々といっしょになって私を哀れなる者よと呼んだ。やはりその家に自由に出入りする若い貴族の婦人がいた。彼女はその身分と非常なうぬぼれのおかげで、大の学者でもあり、鋭い批評家でもあるという評判をとっていたが、彼女が持っている振りをしているセンスなどじつはごく貧弱なものだった。彼女は私の詩を全部その美と構造の点から調べてみたい、しかし詩は一つ一つ別の紙に書いてもらいたいと言った。ハバス・ダーダーは私を、かつてはきわめて有望な才能を有していたが、今はそれが死んでしまった人間だと思っていた。この都会第一の舞踏家は、私の舞踏の形が成っていないといって軽蔑《けいべつ》した。文法家のつけた難癖は、彼ならセミコロンを置く場所に私がピリオドを打ったというのだった。フランチェスカは、|世間の人があまりちやほやするので《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》|私がすっかりいけなくなった《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》と言い、だから彼女は私に厳しくしなければならない、彼女の教訓という恩恵を与えなければならないと言った。一人一人がその毒の雫《しずく》を私の心に落すので、私は心が血を流すか、それでなければこちこちになるにちがいないと思った。
あらゆるもののなかの美と高貴さが、私の心をとらえ引きつけるのだ。静かな独り居の時、私はあの教師どもはいったい何者だろうかと考えた。私の思想も魂もひたすら自然と人間世界のために生きているのに、彼ら教師はただもうその上っ面の効果ばかりを見せつけて、職人のようにわいわい騒いでいるだけではないか? 私にとって、世界はいわば一人の美しい娘のようなものだ。私がその娘に引きつけられるのは、その心ばえ、その容姿、その身仕舞のせいなのに、靴屋が出て来て、「あの靴を御覧なさい。じつにいいでしょう。これがいちばん大事なところです!」と言う。仕立屋は、「いやいや、衣裳《いしょう》ですよ。どうでしょう、すばらしい仕立てじゃありませんか! なんといってもこれがお気に入ることは請け合いです。色も縫い方もお調べください、徹底的に御研究ください!」と言う。「いいえ」と調髪師が叫ぶ。「この編み方をよく御覧ください、ぜひ十分に御研究願わなければなりません」「いや、ことばのほうがもっと大切です!」と語学の先生が大声で言えば、舞踏の教師は「いや、体のこなしです!」と言う。「おお、なんということだ!」と私は溜め息をつく。「私をひきつけるのは全体が一つにまとまったものなのだ。私は何を見てもただ美しいものだけが目につく。人の気に入るために靴屋だの仕立屋だのになることはできない。私の仕事は全体の美しさを歌い讚えることだ。だからあなたがた親切な男女のかたがたよ、私に腹を立てず、私を悪く言わないでください」
「これは彼としては程度が低すぎる!」とか、「これは彼の詩心にくらべて十分に高級だとは言えない」とか、彼らはてんでに嘲《あなど》るように言うのだった。
しかし、どんな動物も、人間ほど残酷ではない! 私が金持であり独立した人間だったら、いっさいがあっさりその色を変えてしまったろう。彼らは誰も私より用心深く、どっしり構えて合理的だった。私は本当ならば泣くはずのところで、愛想よくにこやかに笑うことをおぼえた。私は大したものとも思っていない人たちに頭を下げ、愚人どもの内容のない饒舌《じょうぜつ》に熱心に耳を傾けた。偽りの従順と、内心の不平と、アンニュイとが、周囲の事情と人々が私に与えた教育の成果だった。人々はいつも私の悪いところを指摘した。しかし私には、知的なものも賢いところも全然なかっただろうか? これらのものを捜し出し、それを役に立てなくてはならないのは、この私自身であった。人々は私の考えを私自身に釘づけにしておきながら、私が自分のことばかり考えすぎるといって私を責めた。
政治家は私が彼の仕事だけに専念没入しないといって、私を利己主義者と呼んだ。ボルゲーゼ家の親戚《しんせき》の若い美学のディレッタントは、何を考え、詩作し、批評すべきかを教えたが、このやり方は明けても暮れても同じことだった。つまり、貧乏な羊飼いの少年に教えてやるのは貴族であって、この少年は彼が教えてやろうという気持になったことを考えれば二重に感謝しなければならない、ということがどんな知らない人にもわかるようなやり方だった。美しい馬に夢中で、あとにも先にもそれだけにしか興味を持たない人は、私には彼の駿馬《しゅんめ》を見る目がないから、人間のなかの屑だと言った。しかし、彼ら全部がかえって利己主義者なのではなかったか? それとも、彼らのほうが正しかったのか? たぶん! 私は彼らにさんざんお世話になった貧乏人の子供だった。しかし、私の名に一つも貴族の称号がついていなかったにしても、私の心は一つ一つの屈辱を、以前にも今度もいいようなく強く感じた。
全魂を傾けて人間に執着していた私は、今やロトの妻のように塩の柱に変ってしまった〔創世紀、十三章の一から十二。十九章の一〕。これは私の心に何をという気を起こさせた。時として私の自我が枷《かせ》をはめられたままで立ちあがり、高慢の鬼となって私の慎重きわまる教師たちの愚かさを見くだし、うぬぼれでいっぱいになって私の耳もとでささやくことがあった――「彼らの名がみんな忘れられてしまったのちも――あるいはただおまえによって、おまえに関係あるものとして、おまえの命の盃に落ちこんだ屑や苦い雫《しずく》としてだけ記憶されるにすぎない時になっても、おまえの名は死ぬことがなく、人の心に残るであろう!」と。
そういうとき私が思い出すのは、タッソーのこと、虚栄のレオノーラのこと、誇り高いフェルラーラの宮廷のことであった。その宮廷の貴族の名が今に伝わっているのは、タッソーのおかげではないか。その城は廃墟になったが、詩人のいた獄舎は聖地になっているではないか。私の心臓がどんなに空虚な鼓動をしたか、それは私自身にもわかっていた。しかし私のような育て方をされればそうなることは当然で、そうでなければ心臓が血を流したにちがいなかった。やさしくしてもらい励ましてもらったらば、私の考え方は浄《きよ》らかであったろう。私の心は愛情にみちみちたままであったろう。やさしい微笑とことばの一つ一つは、うぬぼれの凍った根を融かす日光であった。しかしその根には日光よりも毒の雫《しずく》の落ちるほうが多かった。
私は今ではもう、以前ほど善良ではなかったが、それでもなお私は優秀な、すこぶる優秀な若者と言われていた。私の魂は書物を、自然を、人間の世界を、私自身を研究していたが、しかし人々は、「彼は何ひとつ学ぼうとしない」と言った。
こういう教育が六年間つづいた。いや、七年といってもいいかもしれない。六年目の終りごろ私の一生という海の波に一つの新しい動きが現われた。この六年という長いあいだにも確かにいろんな出来事があった。それはここで話してもいいし、前に物語ったものよりももっと興味深いものであったかもしれないが、才能はありながらも富も地位もない人は、自分の心臓の鼓動と同じようによく知っていよう。これらの多くの出来事は融け合って、ただ一つの毒の雫になってしまった。
私は院生《アバテ》であり、即興詩人としてローマでもいくらか名を知られていた。これはアカデミア・ティベリーナで即吟や詩の朗読をするごとに、いつも嵐のような喝采《かっさい》を受けたからであったが、そこでは誰が何を朗読しようが拍手されるのだとフランチェスカが言うのは本当だった。ハバス・ダーダーはこのアカデミアの第一流人物の一人であった。というのは、彼が誰よりも多く話し、多く書いたという意味である。彼の仲間の教授連中は皆、彼はあまりに不公平、意地悪、不当でありすぎると言いながらも、やはり彼を仲間に入れておいたので、相変らず彼は書きつづけていた。
彼は私にこう語った。――私の詩――彼の呼び方に従えば水彩画――を通覧したが、かつてエスイタの学校で私が彼の意見の前に頭をさげた当時、彼が私のなかに発見した才能は一かけらの痕跡さえ見えなくなっている、と。それは生まれると同時に絞め殺されたのだ、とも言った。そして私の友だちはすべからく、生まれそこないの詩にすぎない私の作品が一つたりとも日の目を見ないようにしなければならない、と。偉大な天才たちは若いころから書いたが、私がそのまねをしたのが間違いのもとだというわけである。
アヌンツィアータのことは噂《うわさ》ひとつ聞かなかった。私にとって彼女は死んだ者も同様だったが、この死人は息を引きとる瞬間、その冷たい手で私の心をつぶれんばかりに圧しつけたので、それ以来私の心は、あらゆる苦しい感情に敏感になっていた。私がナポリにいたことも、その思い出のいっさいも、それを見ると石になるという美しいメドゥーサの頭に似ていた。シロッコが吹けば、私はペストゥムのおだやかな微風と、ララと、彼女にめぐり会った輝かしい洞穴を思った。私が生徒のように、男や女の教育者の前に立つと、思い出されるのは盗賊の洞穴での、またサン・カルロ大劇場での賞讚であった。人目につかずに部屋の隅に立って、私は、私のうしろから両腕を伸ばして、「殺してもいいから置いて行かないで!」と溜め息をついたサンタのことを思った。六年間という長い長い教訓に富む年月であった。私はもう二十六になっていた。
フランチェスカとファビアーニの娘で、まだ揺籃《ゆりこご》のなかにいるうちに法王が修道女として神に捧げた、若い尼僧院長と呼ばれるフラミニアには、彼女を私の腕にのせて踊らせたり、おもしろい絵を描いてやったりした時以来、一度も会ったことがなかった。彼女はクワットロ・フォンターネの女子修道院で修業中で、一度も外へ出なかった。ファビアーニも六年のあいだずっと彼女の顔を見なかったが、フランチェスカだけは母親であり女性であるので、彼女を訪ねることを許されていた。話に聞くと彼女は非常に美しい少女に成長し、尼僧たちは彼女の心をも同じような完全なものに仕上げたということだった。彼女が帰って来ることになった。これは昔からの習慣にしたがって、彼女が永久に俗界に別れを告げる前に、幾月かを両親の家にいて、この世のおもしろいこと楽しいことのありったけを味わうためであった。それが終った時でもまだ、騒がしい俗世間と静かな尼僧院のどちらかを選ぶことができるのだった。しかし、彼女が子供のとき尼僧の衣を着せた人形を持って遊ばせられたことから、今まで長い年月を女子修道院で修業して来たことを考えれば、いっさいは彼女の思想と魂とをその定められた生涯に固定させる計画で行われたものであった。
女子修道院のあるクワットロ・フォンターネを通るとき私はたびたび、昔この腕にのせて踊らせたやさしい子供のことを思い、どんなに彼女が変ったろうか、塀のなかの狭い場所でどんな静かな日を送っているのだろうかと考えた。たったいちど私はこの修道院の教会に行って、格子《こうし》の向こうで尼僧たちの歌うのを聞いたことがあった。あの小さな僧院長もあのなかに坐っているのだろうかと思ったが、寄宿生も歌や教会の音楽に加わるのかどうかは、思いきって聞くことができなかった。ほかの人よりもずっと高く物悲しくひびく一人の声があって、アヌンツィアータの声に非常によく似ていた。私はまた彼女の歌うのを聞くような気がして、あの過ぎ去った日の思い出が生き返る思いだった。
「次の月曜日に、うちの小さな尼僧院長がここへ来る」とフランチェスカの伯父が言った。私はことばには表わせないほど彼女に会いたかった。私は彼女が私同様の捕えられた鳥で、神の自由を楽しませるために外へ出してやる時にも、その足に紐《ひも》がついているのだと思った。
私が久しぶりに彼女に会ったのは食事の時だった。彼女は話に聞いたとおりすっかり大きくなっていたが、なんとなく顔が蒼《あお》かった。ちょっと見たところでは、誰も彼女が美しいとは言わなかったであろうが、しかしその顔には本当の心の美しさが現われていて、不思議なやさしさがみなぎっていた。
食卓にいたのは小人数の、いちばん近い親戚《しんせき》だけだった。誰も私が誰であるかを彼女に言わなかったし、彼女も私の顔がわからないらしかったが、私の言う一語一語に答えるやさしさは、私がめったに見たことのないものだった。私は彼女が私たちに差別をつけないのを感じたので、私も話の仲間にはいった。私が誰だかまるで知らないのだ、と私は思った。
そこにいた人たちはみんな上機嫌で、小話をしたり、毎日の暮らしでおかしかったことを話してきかせたりしたので、若い尼僧院長も元気よく笑った。これに勇気をつけられて、私は地口《じぐち》をいくつか紹介した。これはちょうどそのころ、この町のほうぼうの仲間で大いに受けていたものだった。しかしこの若い尼僧院長のほかは誰ひとり笑わなかった。連中はほんのちょっと微笑しただけで、つまらない洒落《しゃれ》でくり返すだけの値うちはない、と言った。私は、ここ以外の場所ではたいていどこでも、ローマの人間はこれを聞いて大いに笑わされたものだと主張した。
「ただことばの遊戯だけだわ」フランチェスカが言った。「そんな薄っぺらな洒落がどうしておもしろいと思えるんでしょう? 人間もずいぶんつまらないことに頭を使うものね!」
私はじっさい、こういうものにはほとんど興味がなかった。しかし私は私なりにこの座を賑やかにするのに役に立ちたかったのだ。そして私の話したことは、私には非常におもしろく、そして目的にかなうよう十分に考えたものと思えた。私は口をとじて不愉快な気持になった。
夕方になると知らない人が大ぜい来たが、私は慎重に構えて、うしろのほうへ引っこんでいた。たくさんの人がペリーニというりっぱな男を囲んでいた。年は私と同じくらいだったが、彼は貴族で、溌剌《はつらつ》としていて、それに実際すこぶるおもしろい人物で、あらゆる社交的の才能を兼ね備えていた。人々は彼が愉快な、機智のある人間であることを知っていたし、彼の言うことの一つ一つが愉快で機智に富んでいると思った。私は少し離れてうしろのほうに立っていたが、皆が、そのなかでもことにこの家の主人が笑っているのが聞こえた。私はそばへ寄った。今ペリーニが話したのは、昼間私がまず持ち出してあんなに失敗した、あのことばの遊戯そのものだった。彼は一語も減らさず一語も増さず、全く同じことばを全然同じ身ぶり手まねで話したのだが、それでも皆が笑っていた。
「まったく笑わせるな」と言ってこの家の主人が手を打った。「じつに滑稽だ。そう思わないかね?」と彼は、そばに立って笑っていた若い尼僧院長に言った。
「ええ、お昼にアントニオが話したとき私そう思いましたわ」と彼女が答えた。この彼女のことばには少しも腹を立てた様子も見えず、いつもと変らないやさしい調子だった。私は彼女の足もとにひざまずいてもいいと思った。
「ああ、本当にすてきだわ!」と、フランチェスカもペリーニの地口に感心した。
私は胸がずきずきした。私はカーテンのかげの窓のところへ退却して、新鮮な空気を吸った。
ここにはこの小さな例を一つだけ挙げておくが、来る日も来る日も同じようなことがあった。しかし若い尼僧院長はやさしい子供で、ほかの人たちの罪を赦してくれと祈るかのように、やさしさと愛情のこもった眼で私の顔を見つめた。私は非常に気が小さかった。虚栄心はあったが、誇りというものがなかった。これはたしかに、私の生まれの賤《いや》しさ、子供の時の育てられ方、一人立ちできないこと、恩を施されたので頭が上がらないという周囲の人々との関係――こういうものから来ているのだった。自分がどんなに周囲の人たちに感謝しなければならないかということがたえず思い出されるので、この考えが私の舌を束縛し、私の誇りが決心するのをさまたげた。これはたしかにりっぱではあったが同時にまた弱さでもあった。
もし私が完全に独立した状態にあったとすれば、何事も今とはちがった様子になっていただろう。私の責任感と非常に良心的なことは誰でも認めていたが、しかし彼らは、天才というものは地味な仕事には不向きだと言った。私にたいしていちばんていねいだった人も、それには私が精神的すぎると言った。もし彼らが本心からそう言ったのだとしたら、彼らは精神的にすぐれた人についてなんという間違った考え方をしたものだろう! この家の主人がいなかったとしたら、私は餓死しただろうと言われた。それだからこそ私はこれほど深く感謝しているではないか。
そのころ私はちょうど「ダヴィデ」という長い詩を一つ書き上げたところだった。私はこの作に全魂を打ちこんだ。前の年じゅう受けた絶え間ない訓練にもかかわらず、ナポリへの逃亡、そこでの冒険、熱烈なはじめての恋の破綻《はたん》――こういうものの日ごとの思い出が、私の詩的な傾向をますます決定的なものにした。短かくはあったが、そこに私自身が一役もった一つの生涯として、本当の詩として私の目の前に現われる時があった。無意味なもの、または日常のありふれたことと思われるようなものは何ひとつなかった。私の苦しみさえも、私に対する不当な仕打ちさえも詩であった。私は心のありたけを吐露《とろ》せずにはいられなかった。そして私は自分の要求にかなった材料をダヴィデに見いだした。私は自分の書いたものがすぐれているのをはっきり感じていた。私の心は感謝と愛そのものだった、というのは、自分でもいいと思った一節を歌いあるいは作った時、子供のような感謝の気持で永遠なる神に向かわずにいられなかったからである。この詩は私の感じたところでは、神が私の心に注ぎこんだ贈り物であり恵みであった。私の詩は私を幸福にした。そして私は自分に向かって言われる理不尽なと思われるいっさいのことを敬虔《けいけん》な心で聞いた。というのは、彼らがこの作品を聞けば、自分たちが私にたいしていかに不当であったかを感じるであろう、彼らの心が二倍の愛をもって私に暖かくなるだろう、と考えたからだった。
私の詩が完成した。私のほかにはまだ誰もそれを見た者がなかった。私はそれがヴァティカノのアポロのように、――神自身のみに知られた汚れなき美の像のように私の前に立つのを感じた。私はアカデミア・ティベリーナでそれを読む日のことを考えると嬉しくなった。それまではこの家の誰にもこの詩を知らせないことにした。しかしある日のこと、これは若い尼僧院長が帰って来てまもなくであったが、フランチェスカとファビアーニが非常にやさしく親切にしてくれたので、私は彼らには何もかくしておけない気持になってしまった。そこで私がその詩のことを話すと、彼らは誰よりも先にまず自分たちが聞かなくてはならないと言った。
私は、なんとなく胸がどきどきして心配ではあったが、喜んで二人に読んで聞かせるつもりだった。夕方、まさに読みはじめようとした時、そこに現われたのがハバス・ダーダーであろうとは!
フランチェスカは彼に、ぜひそこにいて私の詩が彼の耳にはいるという名誉を与えるようにと勧めた。私にはこれほどいやなことはなかった。私は彼の辛辣《しんらつ》なことも、妬《ねた》み深いことも、心のねじけていることも知っていた。もっとも彼以外の人にしても私は特別好きではなかったが。それにもかかわらず、私の詩がりっぱなものだという自信が、なんとなく私に勇気をつけてくれた。若い尼僧院長はまったく嬉しそうだった。私の「ダヴィデ」が聞けるというので喜んでいたのだ。はじめてサン・カルロの舞台に出た時でも、私の心臓の鼓動は今この人々の前に坐った時ほど激しくはなかった。この詩は(と私は思った)彼らの私にたいする見方を、私に対する態度を完全に一変させるにちがいない。私が彼らにほどこそうとしているのは、精神的手術ともいうべきものなのだ。それを思うと私は体がふるえた。
私のうちなる自然な感情に導かれて、私は自分の知っていることだけを描写した。詩のはじめに出てくるダヴィデの牧人の生活は、ドメニカの小舎《こや》にいた私の子供の時の思い出から取ったものだった。
「ところでこれは本当にあなたじゃないの」とフランチェスカが叫んだ。「カンパーニャに行っていた時のあなただわ」
「そうだ、それはよくわかる」と彼女の伯父が言った。「自分を入れなくてはならないのだ。この男の持っているのは全く特別の天才だ! 何かあればかならず自分が目だつようにするすべを心得ている」
「格調はもう少し滑らかにすべきだな」とハバス・ダーダーが言った。「私はホラティウスの法則を守れといいたいね、『そっと寝かしておけ、熟すまで寝かしておけ』というやつさ」
皆が寄ってたかって、私の美しい詩から腕を一本もぎ取ったようなものだった。それでも私はまた二、三節読んだ。しかし私の耳にはいるのは冷たい、ばかにしたようなことばばかりだった。私の心がそれ自身の感情を表現した個所ではきまって、私はほかの詩人から借りて来たと言われた。私の魂が暖かい霊感に満ち、私が聴く人の留意と歓喜を期待した時にはいつも、彼らは無関心に見え、冷淡なありふれた意見を述べた。私は第二歌の終りで読むのをやめた、それ以上読むことは私には不可能だった。私にはあんなに美しくあれほど崇高に思われたこの詩も、今はガラスの眼とねじれた顔の片輪の人形のように転がっていた。彼らが私の美の像に毒を吹きかけたかのようだった。
「そのダヴィデじゃペリシテ人は殺せない〔ダヴィデはペリシテ人の巨人ゴリアテを一撃のもとに倒したが、この詩のできばえではそうはゆかないと皮肉ったのである〕!」とハバス・ダーダーが言った。「しかしそれはそれとして、この詩には幾つかなかなか可愛らしいところがある。子供時代と感傷につながりのあるものなら、君はなかなかうまく表現できる」という批評だった。
私は黙って立ったまま、慈悲ある宣告を願う罪人のようなお辞儀をした。
「ホラティウスの法則だよ」と、ハバス・ダーダーはすこぶるやさしく私の手を握り、私を詩人《ヽヽ》と呼んでささやいた。ところがそれから二、三分たって、私がすっかりがっかりして部屋の隅に引き退ると、彼がファビアーニに向かって、私の詩は不細工な寄せ集めの手のつけようもない代物《しろもの》だ、と言っているのが聞こえた。
彼らはこの詩も私をも見損なっていたが、私の心はそれに耐えられなかった。私は炉に火の燃えている隣りの広間へ行って、詩を書いた紙をくしゃくしゃっと丸めてしまった。私の望み、私の夢、いっさいが一瞬にして消え去った。自分が限りなく小さなものに感じられた。――よしんば神の姿に似せて作られているとはいえ、私という人間はしょせんできそこないなのだ。
自分が愛し唇におし当てたもの、そのなかに自分の魂と生きた思想とを吹きこんだものを、私は火のなかへ投げこんだ。私は自分の詩に火がついて、赤い焔になるのを見た。
「アントニオ!」若い尼僧院長が私のすぐうしろで叫んで、さっと手を伸ばして燃える紙をつかもうとした。急に体を動かしたので足がすべって、彼女は前のめりに火の上に倒れた。見るも恐ろしい光景だった。彼女はきゃっと叫んだ。私は前へ跳び出して、彼女を引き起こした。詩は完全に燃えていた。ほかの人たちがどっと駈けこんで来た。
「おお、どうしたのよ!」とフランチェスカが叫んだ。
若い尼僧院長は死人のように蒼い顔で私の腕のなかにぐったりしていた。彼女は顔を起こすとちょっと笑って、母に言った。――
「足を滑らせたの。ちょっと手に火傷《やけど》しただけだわ。アントニオがいなかったら、もっと大変なことになるところよ」
罪人のように立ったまま、私は一言も口がきけなかった。彼女がひどく手に火傷したので、家のなかは大騒ぎだった。私があの詩を火のなかに投げこんだことは誰も気がつかなかった。私はあとになったら誰かがきくだろうと思っていたが、私がその話をしなかったので、誰ひとりこの詩の話を持ち出す者はなかった。誰ひとり? いや、一人あった。あの若い尼僧院長のフラミニア一人だった。
私の目には彼女はこの家をよくする天使だった。彼女のやさしさと、それからやがては彼女の妹のような気持のせいで、私は子供のように人に頼る心をすっかり取りもどして、まるで彼女に縛りつけられたかのようであった。
彼女の手が治るのには二週間以上もかかった。傷はひりひりした。しかし私の心のなかもひりひりした。
「フラミニア、何もかも私が悪かったのです」と、ある日私一人で彼女のそばに坐っていた時、私は言った。「私のためにあなたはこんな痛い思いをなさいました」
「アントニオ!」と彼女が言った。「お願い、何も言わないでちょうだい! この話は誰にも一言も聞かせないようにして。あなたは、罪もないのに自分を責めていらっしゃるのよ。私の足が滑ったのよ。あなたがいらっしゃらなかったら、もっとひどいことにもなったでしょう。私はあなたにお礼を言わなくてはならないんだわ。父や母もそう思っています。アントニオ、あなたが思っていらっしゃるよりも、父や母はあなたが好きなのよ」
「何もかもあのかたがたのおかげです」と私は言った。「一日たてばそれだけ、私がお返ししなければならない御恩がふえて行くのです」
「そんなことはおっしゃらないで」と、なんともいいようのない優しい調子で彼女が言った。「父や母はあなたに向かって思ったとおりのことを言ったりしていますけど、あれはそれがいちばんいいと思っているからなのよ。母があなたのことをどんなによく言ったか、あなたは御存じないでしょう! 私たちは誰だって欠点があるのよ、アントニオ、あなただってそうだわ」彼女はちょっとことばを切った。
「本当にね」と彼女がつづけた。「あの美しい詩を燃やすなんて、なぜあんなにお怒りになられたんでしょう?」
「ああするのがいちばんよかったのです」と私は答えた。「あれはもっと前に火のなかへほうりこまなければならなかったのです」
フラミニアは首を振った。「いやな、本当にいやな世の中ね!」と彼女は言った。「そうよ、静かな修道院で仲よしの姉妹たちの仲間にはいっている時のほうが、ずっとよかったわ!」
「本当です」と私は叫んだ。「私はあなたのように無邪気でもなく善人でもありません。私の心は、元気をつけてくれる恩恵の一口よりも苦い一滴のほうをはっきりおぼえています」
「あなたがたはどなたも私を可愛がってくださるけど、今のここよりも私の好きな修道院のほうが、ずっとよかったわ」彼女は私たち二人きりの時はたびたびそう言った。私は心の底から彼女に愛着を感じた。彼女が私のよりよい感情と清浄とを護る天使であるのを感じたからであった。ほかの人たちの私にたいする態度に前より以上の思いやりが見え、ことばや顔つきにも優しさが増したように思った。これは私の想像では、フラミニアの感化の現われであった。
彼女は私と、いちばん多く私の心を占めているもの――詩、輝かしく神にも似た詩について話すのが、非常に楽しいようであった。私は彼女に大家巨匠についていろいろと話したが、話しているうちに胸に霊感の湧きあがることがたびたびあった。私は両手を組み合わせて坐った彼女を前にして雄弁になり、彼女は無垢《むく》の天使さながらに私の顔を見つめていた。
「でもね、アントニオ、あなたはなんて幸福なんでしょう!」と彼女が言った。「あなたほど仕合わせでない人が何千人もいるわ! それにしても、あなたのような位置にいて、しかも世間につながっているということは、考えてみるとずいぶんおそろしいことですのね! あなたのたった一つのことばが、どんなにたくさんのいい実を結ぶかしれないと同時に、どんなにたくさんの悪いことの元になるかわかりませんものね」
詩人が常に人間の闘争と悩みを歌ったと聞くと、彼女は驚いた顔をした。彼女の考えでは、神の予言者たる詩人は、ただ永遠なる神と天国の喜びだけを歌うものらしい。
「しかし詩人は、神の創《つく》ったもののなかの神を歌うのです」と私は答えた。「詩人は、神がその栄光のために創ったもののなかにある神を讚えるのです」
「私にはわかりません」とフラミニアは言った。「私が言おうと思っていることははっきり感じられるのに、それにちょうどいいことばが見つからないのです。永遠の神と、神の世界と、私たち自分の心のなかの神性とが、詩人の歌わなければならないもので、詩人は私たちを、荒々しい世間へでなく、神の心に導かなければなりません」
彼女はそして、詩人であるというのはどんなものか、即興詩を朗吟するとどんな気がするかと私にきいた。私はできるだけよく、この精神の働きの様子を彼女に説明してきかせた。
「思想とか観念とかが」と彼女は言った。「ええ、それが魂のなかで生まれるということ、それが神から来るのだということは十分わかるのですが、あの美しい韻律、ある意識がどんなふうに表現されるかということ、それが私にはわからないのです」
「あなたは修道院で何度も」と私はきいた。「詩で書かれた美しい聖徒伝や聖歌をお習いになりませんでしたか? それからまた、こんなこともたびたびありませんでしたか? まるで思いがけない時に何かがきっかけになって、ある考えがふとあなたの心に浮かびあがる、そして聖徒伝か聖歌の一つを思い出させると、あなたがすぐその場でそれを紙に書きつけることができるといったような状態が。詩句が、韻律が、あなたにひとりでにつづきを思い出させ、思想、中身はそれと同時にはっきりあなたにわかっているというようなことがありませんでしたか?即興詩人や詩人の場合――少なくとも私の場合がそうなのです。時にはこの私の魂のなかに目をさまして、私がくり返さずにはいられないものが、別の世界の思い出、別の世界の揺籃《ようらん》の歌のような気がします」
「それに似たことは、私だってずいぶん何べんも感じたことがありますわ!」とフラミニアが言った。「けれど、それを表現することができなかったのです。――どこからともなく来て、たびたび私をとらえたあの不思議なあこがれをね! そのためずいぶんたびたび、私はこの荒々しい世間にいたのでは、とてもわが家のように落ちつけないという気がしたものです。何もかもが大きな不思議な夢のように見えるので、だから私は修道院へ、私の小さな庵室へ帰りたくてならなかったのです。アントニオ、どういうわけかはわからないのですが、私はそこでよく私の花聟のイエスと聖処女の夢を見たものですわ。このごろは前ほどたびたびではなくなりましたけれど。このごろたびたび夢に見るのは、俗世間の華麗なものと喜び、いろいろのよくないもののことです。私はきっともう、姉妹たちといっしょにいた時ほどいい人間ではなくなったのです。どうして私はこんなに長く、姉妹たちと別々にされていなければならないのでしょう? アントニオ、あなたは知っていらっしゃる? 白状するわ、私はもう心がきれいではなくなったのよ、私はお洒落《しゃれ》がとても好きで、人にきれいだと言われると本当に嬉しいの! 修道院ではこんなことを考えるのは罪の子だけだと言われましたわ」
「ああ、私の考えもあなたのように汚れがなかったら!」彼女の前に身をかがめてその手に接吻しながら、私はそう言った。
彼女は子供のとき私の腕にのせて踊らされたことや、私が彼女に絵を描いてやったことを思い出した話をした。
「あなたはそれを見てしまうと、びりびり破ってしまいましたね」と私は言った。
「本当に悪い子供でしたわ」と彼女は言った。「でもそんなこと怒ってはいらっしゃらないでしょう?」
「私はその後、私の心のいちばんいい絵がきれぎれに引き裂かれるのを見ました」と私は言った。――「しかしそんなことをした人に私は腹を立てませんでした」
彼女はやさしく私の頬をなでた。
世界じゅうの人から突き放された私の心にとって、彼女はますます大切なものになった。彼女一人が愛情のこもった同情心のある人間だった。
夏のいちばん暑いふた月を、家の人々はティヴォリで送った。私もついて行ったが、これはたしかにフラミニアのおかげと感謝しなければならなかった。壮麗な風景、豊かなオリーブの森、それに泡を立てて落ちる滝は、生まれてはじめてテラチーナで見た海にも劣らず、私の心をとらえた。ローマとその周囲の黄色いカンパーニャと、重苦しい暑さを離れることができるので、私はすっかり浮き浮きした気分になった。暗いオリーブの森のある山からの最初のそよ風が、私の胸にナポリの生き生きした姿をまたよみがえらせた。
たびたび、いかにも嬉しそうにフラミニアは驢馬《ろば》に乗った。これも驢馬に乗った女中を連れて、ティヴォリの山の谷を通り抜けるのであったが、私もいっしょに行くことを許された。フラミニアは絵のような自然の美しさが非常に好きだったので、私は豊かな周囲――地平線にサン・ピエトロの円屋根が浮かびあがる広大なカンパーニャ、よく繁ったオリーブの森や葡萄畑《ぶどうばたけ》のある肥沃《ひよく》な山腹、さらにまた、絶壁の高みにあってその下に滝また滝が泡だちながら深淵に落下するティヴォリさえも、スケッチしようとこころみた。
「まるで町がすっかり」とフラミニアが言った。「ばらばらの岩の集まった上に立っていて、今にも滝に崩されてしまいそうに見えるわ。岩の上の町にいる人は、誰ひとりそんなことは夢にも考えないで、口をあいた墓の上を軽い足どりで歩いているのね」
「じっさい私たちはいつもそれと同じことをやっているんですよ!」と私は答えた。「それが私たちの目からかくされているということは、私たちにとってはけっこう仕合わせなことなんです! 私たちがここで眺めている泡を立てて流れ落ちる滝は、見ているとなんだか不安になるものがありますが、火が水のように吹き上げられるナポリへ行って御覧なさい。もっと恐ろしいにちがいありませんから!」
それから私はヴェズヴィオのことや、私がそこへ登った話、ヘルクラネウムやポンペイの話をしたが、彼女は私の唇から出る一語一語に熱心に耳を傾けていた。家へ帰ると彼女は、沼沢地帯の向こうにあるすばらしいものを、すっかり話してくれとせがんだ。
海というものが彼女にはよくわからなかった。地平線にある銀色のリボンのような海を、山の頂上から見たことがあるだけだったから。私が海は神の天のように広く、地球の表面にひろがっていると話してきかせると、彼女は両手を組み合わせて、「神は世界を限りなく美しくおつくりになったのね!」と言った。
「ですから人間は神の創ったものの光輝に背中を向けて、暗い修道院に閉じこもってはならないのです!」私はそう言いたかったが、その勇気がなかった。
ある日のこと私たちは年をとった女占者のいる寺院のそばに立って滝を見おろした。二つの大きな滝が雲のように、深い岩の割れ目に落ちこむと、飛沫の柱が緑の木《こ》のまを青い空へ向かって立ちのぼり、太陽の光が雲にあたって虹《にじ》が現われた。小さいほうの滝の上の洞穴のなかに、鳩《はと》の一群れが巣を作っていて、はるか下の、落ちながら震えている大きな水の固まりの上を、大きく輪を描いて飛んでいた。
「本当にすばらしいわ!」とフラミニアが叫んだ。「さあアントニオ、私にも即興詩を作ってちょうだい! ここであなたの目にはいるもので、私に詩を作ってちょうだい!」
私はここの流れ落ちる水のように跡形《あとかた》もなく粉々になった私の心の夢を考えて、彼女の言うとおり歌った。生命が流れのようにほとばしり出るさまを歌ったが、その雫《しずく》の一つも日の光を吸いこまなかった。美の輝かしさがひろがるのは、ただ全体の上だけ、人間全体の上だけであった。
「いや! 悲しいことはなにも聞きたくないのよ!」とフラミニアが言った。「歌うのがおいやなら、何も歌ってくださらなくていいのよ。どういうわけか知らないけれど、アントニオ、私はあなたを私の知っているほかの男の人たちと同じだとは思わないわ。あなたはまるで父や母と同じように見えるのよ!」
私は自分が彼女に信頼していると同じように、彼女にも信頼されていたのだ。私の心をかき乱すものの多さに、私は同情にあこがれていた。ある日の夕方、私は自分の子供の時分の生活、――地下の埋葬所をさ迷ったこと、ジェンツァーノの花祭りのこと、彼女の伯父の馬車に轢《ひ》かれた私の母の死など、いろんな話を彼女に聞かせた。この母の話は、彼女はまだ聞いたことがなかった。
「おお聖母様!」と彼女が言った。「そうするとあなたの不幸は、私たちのせいだわ! お気の毒ね、アントニオ!」彼女は私の手をとって悲しげに私の顔を見つめた。彼女は年をとったドメニカに大いに興味を持った。私はたびたび彼女を訪ねるかときかれて、去年はたった二度しか行かなかったと白状するのが恥ずかしかった。私はローマにいた時にはもっと何べんも彼女に会いもし、そのたびに私の少しばかりの金を彼女に分けもしたのだが、こんなことは決してわざわざ話すべきものではなかった。
彼女がもっといろいろ話をしてくれと頼むので、私は子供の時分の生活を何から何まで話してしまい、次はベルナルドとアヌンツィアータの話をした。フラミニアはなんともいえない敬虔《けいけん》な表情で、私の魂の底までのぞきこんだ。清浄な心が近くにあることが私のことばの舵《かじ》を取った。ナポリの話をした時には、その暗い方面には軽く、ごく軽く触れるだけにしたが、それでもまだ彼女は私の話に身ぶるいし、私の楽園の美しい蛇サンタに怖気《おじけ》をふるった。
「ああいやだこと!」と彼女は叫んだ。「決して私そこへは行かないつもりよ。どんな海だって、どんな燃える山だって、その大きな都会の罪ときたならしさを完全に浄《きよ》めることはできませんもの! あなたは善人で信心深いから、だから聖母様が護ってくださったのよ!」
私は、私の唇とサンタの唇が合ったとき壁から落ちた聖母の像を思い出したが、これはフラミニアには話せないことだった。そんな話を聞いても、彼女はまだ私を善良で信心深いと言っただろうか? 私はほかの人々と同じ罪人であった。環境と聖母の恵みが私を見張っていただけで、誘惑の瞬間の私は、私の知っている誰とも同じように弱かった。
彼女はララがなんともいえず好きになった。
「本当に」と彼女が言った。「あなたの魂が神の天国にいるあいだ、あなたのところへ来たのは彼女だけじゃありませんか! 私は彼女のことも、最後にあなたが彼女にお会いになった青い輝く洞穴《ほらあな》のことも、よく想像できるわ!」
アヌンツィアータは大して彼女の気に入らなかった。「どうして彼女はそのいやなベルナルドを愛する気になったのでしょう? 私なら、アヌンツィアータがあなたの奥さんになることは不賛成ね。大ぜいの見物人の前に出られる女は――ええと、私の言おうとしていることがうまく言えないわ。そうね、彼女がどんなに美しく、どんなに利口だったか、他の女とくらべてどんなにたくさんすぐれた点があったかは感じられるけれど、彼女があなたにふさわしいとは思えないわ。あなたのためにはララのほうが、彼女なんかよりもいい守護天使だったのよ!」
次に私は、彼女に自分の即興詩の話をしなければならなかったが、彼女は山の洞穴のなかで盗賊の前にいるよりも、大劇場にいるほうがはるかに恐ろしいものだと思ったらしかった。私は自分の初舞台の批評の出ている「ナポリ日報」を見せた。あれ以来私は何べんこれを読んだことだろう!
よその国の町から来たこの新聞に出ていることは、どれもこれも彼女をおもしろがらせた。突然彼女は顔を上げて叫んだ。
「あなたがいらっしゃったのと同じ時に、アヌンツィアータがナポリにいたなんてことは、一度もあなたはおっしゃらなかったわ! 次の日に彼女が出演するとここに出ているわ。そうするとつまり、あなたが出発なさった日だわ」
「アヌンツィアータですって!」私は口ごもりながら新聞を見つめた。今まで何べんとなく見入ったことのある新聞だったが、じつは自分に関係のある場所のほかは、一度も読んだことがなかったのだ。
「まるで気がつかなかった!」私は叫んだ。そして私たちは無言で顔を見合わせた。「彼女にぶつからなくて、彼女に会わなくてよかった!彼女は私のものじゃないのだから!」
「もし今、顔を合わせることになったら」とフラミニアが言った。「やっぱり嬉しいとお思いでしょう?」
「私を苦しめるでしょう!」と私は叫んだ。「私の苦しみを大きくするでしょう! 私の心をとらえたアヌンツィアータ、今も私の胸のなかに理想として生きているアヌンツィアータは、二度とふたたび見つかるものではありません。彼女は私にとっては別の存在です。この新しい存在は、私が忘れなくてはならない、死の持ち物と思わなければならない思い出を、むざんにかき乱すでしょう!」
ある非常に暑い午後、私は広い家族共同の居間にはいった。よく繁った緑の蔓草《つるくさ》が窓に影を作っていた。フラミニアが肘枕《ひじまくら》をしてうとうと眠っていたが、その様子はまるで遊び半分に目をつぶっているように見えた。胸が波うっていた。夢を見ていたのだ。「ララ!」と彼女が言った。きっと彼女は夢のなかで私の心の幻といっしょに、私が最後に彼女に会ったあのすばらしい世界をただよい歩いていたのだ。微笑に唇がほころびて、彼女の目があいた。
「アントニオ! ここにいらしたの? 私眠ってしまって、夢を見たわ。誰の夢だかおわかりになる!」
「ララ!」と私は答えた。フラミニアが目をつぶっているのを見た時、私もララのことを考えずにはいられなかったからである。
「ララの夢を見たのよ!」と彼女が言った。「私たち二人とも、あなたのお話になった大きなきれいな海の上をずうっと飛んで行ったのよ。水のなかに岩があって、あのよくなさるとても悲しそうな顔であなたが坐っていらっしゃるの。するとララがいっしょにあなたのところまでおりて行こうと言って、自分だけ空を切ってあなたのほうへ行ってしまったの。私もいっしょに行きたかったのに、空気が私をずっと上の高いところに留めておいて、私がララについて行こうとして翼を動かすごとに、かえって遠くなるように見えたわ。そして私たちが何千キロも離れてしまったと思った時、彼女は私のそばにいて、あなたもいっしょだったのよ!」
「そういうふうに死は私たちを集めるのです!」と私は言った。「死というものは物持で、私たちの心がいちばん大切にしたものを何でも持っています」
私は彼女と、死んでしまった私の愛する人々について、そればかりでなく、死んでしまった私の考えや愛情についても話し合った。そして私たちはその後もたびたび思い出の話をした。
彼女は私に、私たちが別れ別れになった時、私が彼女のことを考えるだろうかときいた。もうまもなく彼女は修道院へ帰らなければならず、キリストの花嫁である尼になれば、私たちはもう会うことができないのだった。それを思うと私の心は深い悲しみでいっぱいになり、フラミニアが私にとってどんなに大切なものであるかをひしと感じた。
ある日、彼女とその母と私とで、糸杉が丈高く伸びたヴィラ・デステの庭園を散歩した時、噴水のところへ出る長い並木道を歩いて行った。乞食《こじき》が寝ころんで道の草をむしっていたが、私たちを見るとさっそく、一文くださいと言った。私がパオロ銀貨をやると、フラミニアもやさしく微笑して、また一パオロやった。
「聖母様がお若い旦那ときれいな花嫁さんにお報いなさいますよう!」と、彼はうしろから叫んだ。
フランチェスカは大きな声で笑った。私の血のなかを火のようなものが走った。私はフラミニアを見る勇気がなかった。私の心に一つの考えが目ざめた。今まで私はそれを自分にはっきりさせる勇敢さがなかった。ゆっくりとではあったがフラミニアは、もうしっかりと私の心に吸いついてしまっていた。私は私たちが別れ別れになる時には、この心が血を流すにちがいないと思った。彼女はいま私の魂がすがりついているたった一人の人間だった。私の考えと感情を、愛情をもって迎えてくれるたった一人の人間だった。これは恋だったろうか。私は彼女に恋していたのだろうか? アヌンツィアータが私の心に目ざめさせた感情は、これとは非常にちがっていた。ララの幻、ララの思い出のほうがはるかにこの感情に近いものを持っていた。アヌンツィアータの場合は、理知と美とが私の心を虜《とりこ》にした。はじめて見たララの姿には理想の美がまじっていて、それが私の胸を波うたせた。いや、私のフラミニアにたいする愛はそんなものではなかった。それは烈しい燃えたつ激情ではなく、友情であり、兄弟のきわめて強い愛情であった。私は彼女の家族と彼女の将来を考えて、自分が彼女とどういうつながりにあるかを知った。そして彼女と別れることを考えて絶望した。彼女は私にとってすべてであり、この世の中でいちばん大切なものだった。しかし私は彼女を自分の胸に抱きしめようとか、彼女の唇に接吻しようとかいう望みはまるで持たなかった。アヌンツィアータの時はそればかりを考え、それが目に見えない力のように、私を盲の少女のほうへいざなったのだが、今そういうものは全然私とは縁がなかった。
「お若い旦那ときれいな花嫁さん!」あの乞食の叫んだことばが、たえず心のなかにひびいていた。私はフラミニアの唇に現われる一つ一つの望みを読みとろうとして、影のように彼女につきまとった。ほかの人たちがいる時には、私は自由にできず落胆した。自分を重く圧しつける無数の束縛を感じて、私は無言になり元気がなくなった。彼女のためでなければ私は雄弁でなかった。彼女がこんなに大切なものだったのに、それを私は失わなければならないのだ。
「アントニオ!」彼女が言った。「あなたは加減がお悪いのね、それとも何か私には教えられないことが起こったの? おっしゃって、私には言えないの?」
彼女が心の底から私に頼っていたので、私は彼女の愛情と真心のある兄弟であろうと思ったが、それでもなお私の話はいつも、彼女を俗世間に引っぱり出すような事がらに触れた。私はかつては自分も僧侶《そうりょ》になろうと思った話をして、もし僧侶になっていたらどんなに不幸だったろう。おそかれ早かれ人間の心は、いずれは自分の権利を主張するものだから、と言った。
「私は」と彼女は言った。「私の信心深い姉妹たちのところへ帰るのが嬉しいわ。本当に嬉しいのよ。――あの人たちといっしょにいる時だけが、本当に自分の家にいるような気がするんですもの。帰ったら私、世間に出て来た時のことをたびたび思い出して、あなたが話してくださったことを一つ一つ考えるでしょう。美しい夢になるわ。今からもうそういう感じがしているの。私あなたのために、悪い世間があなたを悪くしないように、あなたがとても仕合わせにおなりになるように、世間の人たちがあなたの歌を聞いて喜ぶように、私たちの神様があなたにも私たち皆にもどんなに親切にしてくださるかがあなたにわかるように、お祈りするわ」
私は目から涙が流れた。「もう二度とお目にかかる時はないのですね!」私は深い溜め息をついた。
「いいえ、神様と聖母様のいらっしゃるところで!」彼女はこう言って、敬虔な微笑を見せた。「そこであなたはララを見せてくださるのよ!そこへ行けばララも眼が見えるようになるわ。そうよ、聖母様といっしょにいるのがいちばんいいんだわ!」
私たちはまたローマへ移った。私はもう二、三週間たつとフラミニアが修道院に帰って、それからまもなくヴェールをつけるということを聞いた。苦しみに私は胸がはりさける思いだったが、しかしそれを秘《かく》しておかなければならなかった。彼女が行ってしまったら、私はどんなに一人ぼっちで淋しくなることだろう! まるでよそから来た者のように、たった一人になるのだ! どんな悲しみが心を苦しめることだろう! 私は秘《かく》そうとした。元気な顔をしようとした。実際の自分と全く別なものになろうと努力した。
人々は彼女がヴェールをつける式の豪華さを、まるで歓《よろこ》びの祝祭ででもあるかのような調子で話していた。しかし本当に彼女は私たちのところにいなくなってしまうのだろうか? 彼女の心は相手にされなかったのだ。彼女の考えは無視されたのだ。美しい長い髪が彼女の頭から切り落されるのだった。生きている者が経帷子《きょうかたびら》を着せられるのだった。彼女は葬式の鐘の鳴るのを聞かされて、神の花嫁は死人として立ちあがるだけだ。私はフラミニアにこのことを言った。自分のしていることを考えるように、生きたままで墓場へおりて行くことを考えてみるように、私は死の苦悩を味わいながら彼女に頼んだ。
「アントニオ、あなたの言ってらっしゃることは誰にも聞かせてはだめよ!」と彼女は言った。その厳粛な調子は、今まで一度も彼女のことばに見られないものだった。「世間があんまり強くあなたをつかまえすぎているのよ。もっと高いものに目をお向けなさい」
彼女は顔を真紅《しんく》にして、きびしいこごとを言いすぎたとでもいうように私の手をとると、本当に心からの優しさをこめて、「アントニオ、あなたは私を苦しめようとはなさらないわね?」と言った。
私は彼女の前にひざまずいた。彼女は聖女のように私の前に立っていた。私は心の底から彼女に愛着を感じた。私はその晩どんなに涙を流したことだろう! 彼女にたいする自分の強い感情が罪深いものに思われた、じっさい彼女は教会の花嫁だったのだから。毎日私は彼女に会い、日ごとに彼女を尊ぶ心を深くした。彼女は妹のように私に話しかけ、私の顔を見つめ、私に手を差し出して、自分の心は私のための願いでいっぱいだ、私は彼女の大切なものだと言った。私は自分の魂のなかの死の夜をひたかくして来たが、それが誰にも知れなかったことは私を非常に嬉しい気持にした。私が苦しんだと同じ苦しみにある心には、神が死を送られんことを!
別離の瞬間が恐ろしい姿で迫ってきた。悪魔が耳もとで、「おまえは彼女に恋しているぞ!」とささやいたが、しかし私は正直に言って、アヌンツィアータを愛したようなふうにフラミニアを愛したのではなかった。私の心は私の唇がララの額にふれた時とは、ふるえ方がちがっていた。「彼女がいなくては生きていられないと彼女に言え、彼女もおまえに妹が兄にするように愛着している。彼女を愛していると言え、主人も家族みんなもおまえを呪って、表へ追い出すだろう。だが彼女を失えばおまえはすべてを失うのだ。どっちにきめるかはわけないじゃないか!」
幾度この告白が私の唇を出かかったことだろう! しかし私は心がふるえた。そして黙っていた。まるで熱病だった。私の血を、私の考えを引っかきまわす死の熱病だった。
この大邸宅で豪華な舞踏会をもよおす準備ができあがった。生贄《いけにえ》の小羊のための花祭りであった。私は贅《ぜい》をつくした衣裳《いしょう》をつけた彼女を見たが、なんともいいようのない美しさだった。
「さあ、みんなのように陽気におなりなさい!」と彼女が私にささやいた。「あなたがそんなに悲しい顔をしていらっしゃると、私苦しくなるわ。私はきっと、修道院に坐っていても、あなたのおかげでたびたび世間を思い出すわ。これはね、アントニオ、罪なのよ。もっと元気になると約束してちょうだい。父や母が少しひどいとお思いになっても、赦してやると約束してちょうだい。二人ともあなたのためにと思ってしているのよ。あなたがあまり世の中の辛さを気にかけないで、いつも今のように信心深い善い人でいると約束してちょうだい! そうすれば私はあなたのことを考えてもいいし、あなたのためにお祈りしてもいいことになるわ。聖母様は親切でお恵み深いんですもの」
彼女のことばは私の心に、死ぬ間ぎわの溜め息のようにひびいた。私は今でもあの最後の晩の彼女が目の前に見える。彼女は陽気だった。彼女は父と母と伯父に接吻して、別れのことばをかわしていたが、まるでほんの二、三日いなくなるような話しぶりだった。
「今度はアントニオにさよならを言いなさい」とファビアーニが言った。彼は、さほどにも見えないほかの人たちとはちがって、非常に感動していた。私は彼女のそばへ急いで行って、その手に接吻するために頭をさげた。
「アントニオ!」彼女が言った(その声は非常に低く、私はぽろぽろと涙を流した)。「どうぞお仕合わせでね!」
どう自分を引き離すべきか、私はわからなかった。見納めに私は、彼女のやさしい敬虔な顔を見つめた。
「さようなら!」やっと聞きとれる声で彼女が言った。そして私のほうへ身をかがめて、額に接吻しながら、「いろいろやさしくしていただいてありがとうございました、私の大切なお兄様!」と言った。
その後のことは覚えていない! 私は広間を飛び出すと自分の部屋へ駈けこんだ。ここならば思うさま泣くことができた。世界が足もとから崩れて行くようだった。
しかしもう一度、私は彼女を見る機会があった。その時が来て、私は彼女を見た。太陽が暖かく、いかにも楽しげに輝いていた。私は父と母に連れられて祭壇へ向かって進んで行く時の、華美と豪奢《ごうしゃ》のかぎりをつくした彼女の姿を見た。歌ごえがはっきり聞こえ、まわりにいる大ぜいの人が一斉にひざまずくのが見えたが、いま私の目の前にありありと見えるのは蒼白い柔和な顔だけである。天使だった。そして僧侶たちといっしょに高い祭壇の前にひざまずいた。
尊いヴェールが彼女の頭から取りのけられ、豊かな髪が肩に垂れるのが見え、鋏《はさみ》がそれを切り落すのが聞こえた。豪華な衣服を脱がされて、彼女は棺の台に身を横たえた。髑髏《されこうべ》を描いた棺|覆《おお》いと黒い布が彼女の上へ投げかけられた。教会の鐘は葬送の調べをひびかせ、死者のための歌がはじまった。そうだ、彼女は死んだのだ。この世から葬り去られたのだ。
修道院の内部への入口にある黒い格子《こうし》があがった。白い亞麻布の衣を着た尼僧が並んで立っていて、新しい妹のために天使の歓迎の歌を歌った。僧正《そうじょう》が手を差し出すと、神の花嫁は立ちあがった。彼女はエリザベータと呼ばれるのだった。私は彼女が最後にちらりと集まった人々を眺めるのを見た。そして彼女はすぐわきの姉妹に手をあずけて、生きながらの墓へはいって行った。
黒い格子が落ちた! まだ彼女の姿の輪郭が見えたが、やがてその僧衣が最後の一揺れを見せると、彼女はもういなかった。
[#改ページ]
十 ドメニカ婆さん
祝詞《しゅうし》を述べる人たちがボルゲーゼ家の大邸宅を訪れた。フラミニア、つまりエリザベータは、今や神の花嫁になったのだ。フランチェスカは微笑を作っていたが、心のなかの苦しさはかくせなかった。ふだん彼女の顔に見えた落ちつきは、彼女の心から消えてしまっていた。
非常に心を動かされたファビアーニが私に言った。「君はいちばん君のためを思ってくれる人をなくしたんだよ。君がそんなにがっかりしているのも無理はないね! あれは私に言っていたよ、ドメニカにやる金を君に渡すようにとね。君はあの養母のことをあれに話したね。これを届けてやりたまえ、フラミニアからの贈り物だ」
死が蛇のように私の頸に巻きついていた。私が思うのは生の倦怠だった。その前で私はわなないた。その前では自殺の恐ろしさも消えてしまうかと思われた。
「自由な空気のなかへ出て行こう!」と私は思った。「子供の時の家へ行くのだ。ドメニカが子守歌を歌ってくれた場所、私が遊び、夢を見た場所へ行くのだ」
カンパーニャは黄色く日に焦げた姿を見せていた。生きる望みをものがたる緑の葉は一枚もなく、黄色に濁ったテヴェレ川が波を海へ送りこんでいた。繁った木蔦《きづた》が屋根をおおい壁を這いくだる昔の埋葬所、私が子供のころ自分のものと呼んだ小さな世界がまた目の前にあった。入口はあけ放しだった。嬉しい物悲しさが私の心をみたした。私はドメニカのやさしさを思い、私を見た時の彼女の喜びを考えた。この前、ここに来た時からはたしかにもう一年、ローマで彼女と話をしてからは八か月たっていた。そのとき彼女はなるべく度々訪ねて来てくれと言ったのだった。私は何度も何度も彼女のことを考え、フラミニアと彼女の話をした。しかし私が夏ティヴォリにいたことと、帰ってからの心の落ちつきのなさに妨げられて、私はカンパーニャへ出かけることができなかった。
私を見た時のドメニカの喜びの叫び声が心のなかに聞こえて、私は足を速めたが、かなり家の近くまで来ると、足音が彼女に聞こえないように、ごく静かに歩いた。私は部屋をのぞいた。まん中に大きな鍋が火にかけてあって、火の上にのせた蘆《あし》を若い男が吹いていた。彼が振り向いてこちらを見た。これは私が揺り籠をゆすってやった赤ん坊――あのピエトロだった。
「これはこれは!」あまりの嬉しさに跳びあがって彼は叫んだ。「旦那でしたか! この前おいでになってからもうずいぶんと長いことになります」
私が手を差し出すと、彼はそれに接吻しようとした。
「いけないよ、ピエトロ」と私は言った。「昔の友だちを忘れたように見えるかもしれないが、決してそうじゃなかったんだよ」
「はい、うちのお袋もそう申しておりました」と彼は叫んだ。「ああ、聖母様! 旦那にお目にかかれたら、さぞ喜んだでしょうに!」
「ドメニカはどこにいるの?」と私がきいた。
「ああ!」と彼が答えた。「母が地面の下に寝かされてから、もう半年になります。死んだのは旦那がティヴォリにおいでの時でした。わずらったのはほんの二、三日でしたが、そのあいだ母は自分の大事なアントニオのことを言いどおしでした。いや、旦那、こんなふうにお名前を呼びつけにしましたが、どうぞお怒りにならないでください、まったく母はあなた様が大好きでした。『私の眼が開いてるうちにお目にかかれればねえ!』と申しまして、ぜひお会いしたがっておりました。そして、もうあしたの朝までは持たないということがはっきりすると、私は昼過ぎからローマへ出かけました。そんなことをお願いすればお怒りになるのはよくわかっていました。それでも私は、いっしょに年とった母のところへおいでいただくようにお願いするつもりでした。ところが私の着いたのはあなた様もお邸のかたがたも、みんなティヴォリへお出かけになったあとでした。私はすっかり困って帰って来ましたが、家に着いた時には母はもう眠っていました」
彼は両手を顔に当てて泣いた。
彼の言った一語一語は私の心を重く圧しつけた。彼女が死ぬ間ぎわに考えたのは私のことだったのに、その当の私の考えは遠く彼女を離れたところにあったのだ。ティヴォリに出かける前にちょっと挨拶をしておけばよかった! 私はよくない人間だった。
私はフラミニアから贈られたのにあわせて、自分の持っていたありたけの金をピエトロに渡した。彼は私の前にひざまずいて、私は彼の守護天使だと言った。このことばは私の心にふざけているようにひびいた。いわば私の心のまん中へ切りこんだ二重の苦しみを感じながら、私はカンパーニャをあとにした。どういうふうに家へ帰って来たか、私は覚えていない。
それから三日というもの、私はひどい熱のために意識を失っていた。そのあいだに私が何を言ったかは神のみが御存じだ。ファビアーニはたびたび私を訪ねてくれて、聾のフェネルラを私の看護婦にした。私の前では誰もフラミニアの名を言わなかった。私は病気になってカンパーニャから帰って来た。家に着くとすぐに寝たのだが、そのとき熱に取りつかれたのだった。
私の回復はじつにおそかった。元気よく愉快にやろうと努力したが、その努力もむだだった。私には元気もなければ陽気さも出なかった。
医者が私に外出を許したのは、フラミニアが尼になってから六週間ほどたってからだったが、自分でもどこへ足を向けているのかほとんどわからないうちに、私はポルタ・ピアに来ていた。私の眼はじっとクワットロ・フォンターネを見おろしたが、その修道院の前を通る勇気は私にはなかった。それから二、三日たって、新月の光が空に見えるある晩、やむにやまれぬ思いに引かれて、私はそこへ行った。灰色の塀、格子のついた窓が見えた。フラミニアの閉ざされた墓だ。「なぜ思いきって死者を葬る場所を見ようとしないのだ?」私は自分にこう言った。そして、そうする決心が自分のうちにあるのを感じた。
夕方になると毎日私はそこを通り過ぎた。偶然知った人たちに会うと私は、「私はヴィラ・アルバニまで散歩するのが大好きなんですよ」と言った。「こんなことをしていていったいどうするつもりなんだ?」私は溜め息をついた。「いつまで我慢がつづくものじゃない!」そしてちょうどその時、私は来るべき場所へ来ていたのだった。
暗い晩だった。一すじの光が修道院の塀を流れ落ちるように照らしていた。私はある家の角にもたれて、その明るい個所にじっと眼を向けたまま、フラミニアのことを考えていた。
「アントニオ!」という声がすぐそばでした。「アントニオ、こんなところで何をしているんだ?」
ファビアーニだった。「いっしょにお帰り!」と彼が言った。私はいっしょに歩いたが、途中私たちは二人とも一言も口をきかなかった。彼にも私自身同様に、何もかもよくわかっていたのだ。私はそれを感じた。私は恩知らずだった。私は彼の顔を見る勇気がなかった。やがて私たちは二人きりで私の部屋にいた。
「君はまだすっかり治っていないな、アントニオ」と彼が、いつにない厳格な調子を声に見せて言った。「君は何かすることがなくちゃいけない。目先を変える必要がある。もっと世間の人の仲間入りをするほうがいい。いつか君が自由を望んで翼をひろげたことがあったな。その鳥を籠へ連れもどしたのは、おそらく私が悪かったのだろう。人間というものは自分の意志のままにできれば、そのほうがはるかにいいのだ。そうすれば何かおもしろくないことが起こっても、責める相手は自分一人きりだ。君はもう子供じゃない。自分の足をどこへ向けるかは十分わかるはずだ。すこし旅行したらためになるだろう。医者も同じ意見だ。もうナポリへは行ったことがあるから、今度は北イタリアへ行きたまえ。私がしかるべくお膳立てをしよう。君にとってはこれがいちばんよくもあり必要でもある。そして」と彼は、私がはじめて彼に見るまじめな、烈しい調子でつけ加えた。「君は決して私たちが君に与えた恩恵を忘れない、と私は確信している。決して私たちを失望させたり、恥ずかしめたり、悲しませたりするようなまねはしないでほしい。無分別とか盲目的な情熱とかいうやつから、そんなことになりがちだがな。善人であるかぎり、人間は思うとおり何をやろうとさしつかえない」
彼のことばは稲妻のように私を地面へ叩きつけた。私はひざまずいて、彼の手を唇に当てた。
「私はよく知っているよ」と、なかばふざけたように彼が言った。「私たちは君に悪いことをしたかもしれない。理屈に合わないことも酷いこともあった。しかし私たちがした以上に、正直な親切な気持で君のことを考える人間がどこにいる? 気をよくさせる物の言い方、愛情の深そうなことば、そんなものはもっとたくさん耳にはいるだろうが、私たちが君に見せたような本当の正直、これはそうはゆかない。これから一年間、君はほうぼうを歩くのだ。そのあとで私たちは君の心がどんな状態にあるか、私たちが君に間違ったことをしたかどうかをみよう」
こう言って彼は私を独りにした。
世間はまだ私に与える新しい苦しみ――新しい毒の雫《しずく》を持っているのか? 神の世界を自由に飛びまわることができるというたった一飲みの慰めさえも、私の深い傷のなかに垂れる毒のように思えた。遠くローマを離れて、私の思い出の花のすべてがある南イタリアを遠く離れて、アペンニノ山脈の彼方へ、現にいま高い山に雪が積もっている北の地方へ! 冷たさがアルプスからこの暖かい血へ吹きこまれるのか? 北へ、水に浮かぶヴェネツィア、海の花嫁へ! 神よ! 私をまたとローマへ、忘れがたい思い出の墓へは帰したもうな! さらば、わが家よ、わが故郷の町よ!
馬車は荒涼たるカンパーニャを越えた。サン・ピエトロの円屋根が丘のかげにかくれた。モンテ・ソラクテを過ぎ、山々を越えて、狭いネピへ向かった。明るく月の照らす夜だった。一人の僧がホテルの入口に立って説教していたが、集まった人々は彼の唱える「サンタマリアの讚えられんことを」という文句をくり返すと、彼のうしろについて歌いながら町を通り抜けて行った。群集は私もいっしょに連れて行った。繁った蔓草のからみついた昔の水道と、あたりの暗いオリーブの森が、私の心の有様にふさわしい一枚の暗い絵を作っていた。
私はこの町へはいる時に通った門を、また外へ出た。門のすぐ外に、城か修道院のだだっ広い廃墟がひろがって、その崩れ去った広間を抜けて幅の広い大街道が走っていた。この大道から曲る小さな路《みち》を行くと、廃墟の奥のほうへ達することができた。木蔦と歯朶《しだ》が淋しい僧房の壁をおおって垂れさがっていた。私は大きな広間へはいった。崩れ落ちた柱頭や、さまざまの屑の上に草が高く伸び、からみあった葡萄の蔓が幅の広い葉をのぞかせる大きなゴチックふうの窓は、色ガラスのわずかばかりの残骸がだらりとぶらさがっているだけだった。壁の上のほうには雑多な灌木《かんぼく》の生えた茂みがあり、矢に貫かれ血の流れるままで立っている聖セバスチアノの壁画に、月の光がさしていた。低いオルガンの音がたえずこの広間にひびいているような気がしたので、音のするほうへ歩いて行くと、狭い戸口を通り抜けたとたんに、私はミルツスの茂みとよく繁った葡萄の葉に囲まれていた。すぐそばに非常な深さの切り立った崖があり、白く泡だつ滝が月光に明るく光りながら、とうとうと落ちていた。
あたりの夢幻的な光景には、誰しも驚嘆せずにはいられなかったであろうが、もしそのあとで私の目にはいったものが、痛ましくまた深く私の心に刻みつけられなかったとしたら、おそらく私は悩みに心を奪われて、その印象を忘れるにまかせておいたであろう。私は崖のすぐふちの、ほとんど草に埋まった小径《こみち》を、幅の広い大街道へ向かって行った。すると、すぐそばの月に照らされた高い白い壁の上から、鉄格子を通して三つの蒼白い首が、じっと私を見ていた。死刑になった三人の盗賊の首で、ローマのポルタ・デル・アンジェロのと同じように、ほかの仲間を怖れさせてその戒めにするため、鉄の檻《おり》に入れてあった。それを見ても私は少しも恐ろしいとは思わなかった。以前ならばこの光景は私をその場から追いのけたかもしれないが、しかし苦しみは人を哲学者にする。死と掠奪《りゃくだつ》ばかりを考えた向こう見ずな頭、勇猛な山の鷲《わし》も、今では物の言えない籠の鳥で、つかまった鳥と同じように静かにおとなしく檻のなかに坐っていた。私はすぐその前まで近寄ってみた。ほんの二、三日前にここに置いたものにちがいなかった。顔の造作がまだ一つ一つ見分けられた。しかし、まん中の首を見つめているうちに私の脈が早くなってきた。それはあの老婆の首だった! 皮膚は黄ばみ黒ずみ、両眼をなかばひらいたまま、格子の外へ垂れた長い銀白の髪を風になぶらせていた。私の目は壁の石板にとまった。それには昔からの習慣どおり、処刑された者の名と罪状が彫ってあるのだ。フルヴィアと書いてあった。彼女の生まれた町、フラスカーティの名も見えた。心の底まで驚かされて、私は二、三歩あとずさった。
フルヴィア! 私の命を救ってくれた奇妙な老婆。私がナポリへ行けるようにしてくれた彼女。私の命の謎のような守護天使。ここでまた彼女に会おうとは! この血の気のない青い唇で、彼女が私の額に接吻したことがあった。人々に占いのことばを聞かせ死と生を与えたこの唇も、今は無言で、その無言のなかから恐怖を吐き出していた! おまえは私の幸運を予言したのではなかったか? おまえの鷲は翼を切られたまま、一度も太陽まで昇って行けなかった! 不幸との格闘に、彼は人生というネミの大湖にも似た湖中へ沈んで行く! 彼の翼は折れてしまった。
私は泣きだした。くり返してフルヴィアの名を呼んだ。そしてゆっくりと、荒れ果てた廃墟のなかを元の道へひき返した。このネピの一夜を私は決して忘れないであろう。
次の朝、また旅をつづけてテールニに着いた。イタリアじゅうでいちばん大きくいちばん美しい滝のあるところである。私は馬で町を出て、よく繁った暗いオリーブの森を抜けたが、これははじめての経験だった。湿った雲が山々の頂きを囲んで垂れ、ローマから北は何もかも暗いように思えた。沼の多い地方ともちがい、緑の棕櫚《しゅろ》の生えるテラチーナともちがって、ほほえむもの美しいもの何ひとつない。すべてのものにこの暗い色調を帯びさせたのは、たぶん私自身の心であったろう。
ある庭を通り抜けた。豪華なオレンジの並木道が、片側は岩の壁、片側は矢のように流れの急な川のあいだにつづいていた。ふと見ると、岩のあいだからしぶきの雲が路上高く舞いあがって、その上に虹がゆらめいていた。ミルツスと万年老《まんねんろう》の生えた荒地を登って行くと、急傾斜の岩壁の上の、まさに山のてっぺんから、巨大な水の塊りが投げつけられるように落ちていた。そのすぐそばに幅のひろい銀のリボンのような小さな支流がゆっくり流れ、岩の集まった下で合流して幅の広い滝となり、乳のように白く、黒い深淵へ落ちて行った。私はフラミニアのために即興詩を作ったティヴォリの滝を思い出した。万尺の高さから落下する流れが私に、私の失ったものと私の悲しみの歌を、胸の底まで動かさずにはおかないオルガンの調子で歌ってくれた。粉々にされ、死に、消える――これが自然の運命なのだ!
「去年ここで」と私たちの案内人が言った。「イギリス人が一人、山賊に射ち殺されました。山賊というやつは、ローマからテールニまでなら、どこの山にも巣をかまえていると言えますが、これはサビーナの山から来た仲間でした。お上《かみ》でもこのごろは決してのんびりしてはいません! 運の悪いのが三人つかまりました。私は奴らを鎖で荷車に縛りつけて運んで行くのを見ました。町の門のところに、私たちが物知りのフルヴィアと言っている、サビーナの山から来た女が坐っていました。年よりなんですが、それでいていつ見ても若いのです。今に枢機官になるような修道僧も大ぜいありますが、あれのほうが物知りで、おまけに謎めいたことばで運勢の占いもできました。あとで、皆が言っていましたが、あれは秘密の合図で、フルヴィアも奴らの仲間だったそうです。この女も、大ぜいのほかの山賊もつかまりました。とうとう運が尽きたのです。歯をむき出してにっと笑ったあれの首が、今ネピの門の外にさらしてあります」
いっさいが、自然も人間も、私の心のなかに暗さを投げこむようであった。私は風のように速く、この土地を走り抜けてしまいたかった。暗いオリーブの森は私の心をなお暗くし、山は私をおさえつけた。海へ行こう、そこには風が吹いている! 海へ! そこでは一つの空が私たちを支え、また一つの天が頭の上に円天井を作っている! 私の血は愛に燃え、心は熱望に燃えた。私は今までに二度、浄らかな感動の焔を感じた。アヌンツィアータを仰ぎ見て、私のなかに目ざめる力の及ぶかぎり彼女にすがりついたが、彼女の愛したのはほかの男であった。フラミニアはしだいしだいに私の心から離れなくなったので、私は目が眩《くら》むとかわれを忘れるとかいうこともなく、あの心の宝石を大切にするすべてを知った。彼女が妹のように手を差し出し、私がそれを唇に当てることができるたびに、彼女が物静かに私を慰め、世間が私を損わないようにと願うたびに、彼女は私の心に立った矢を深くした。私は彼女を妻にと思って愛したのではなかったが、しかしそれでも、彼女をほかの男の腕のなかに見ることはとても我慢できまいと思っていた。もう彼女は死んでしまった。この世の人としては死んでしまった。いかなる男も彼女を胸に抱きしめることもできず、彼女の唇から接吻をうばいとることもできず、彼女をわがものとすることもできない。この地獄の苦しみだけには、私はほうりこまれずに済んだ。私はこの苦しみの姿を胸に描くことによって、自分を慰めようとした。私は今や自分の感情を恋と呼び、私の心と血の烈しい熱情と呼んだからであった。もし私が――誰も相手にしないカンパーニャの羊飼いの小僧が、豪奢な大邸宅で施し物のパンを食べている私が、若い貴族の妻となった彼女を見たとしたら、彼らの愛の幸福の日々の目撃者になったとしたら、そしてなおそのとき、彼女が少しも変らず妹のように、優しく、しかし恋ではなしに私にたいするとしたら、ああ、私は気が狂ってしまったであろう! しかし今や彼女は修道の処女であった、誰も彼女に目を向けることは許されないし、また誰も彼女の姿を見るものはない。そうだ、このほうがよかった。はるかによかったのだ。私の運命が羨むに足りるとは、この世の苦しみはよほど大きなものと言わなくてはなるまい!
海へ、驚嘆すべき海へ! それは私にとって新しい世界だ! ヴェネツィアへ、あの不思議に水に浮かぶ町、アドリア海の女王へ! しかも暗い森と左右から押しつける山を通り抜けてではなく、速かに、波の上を飛ぶようにすべって! これが私の夢だった。
まずフィレンツェに行き、それからボローニャとフェルラーラを通るというのが私の計画だった。しかし私はこれを変えた。スポレットで貸馬車を捨てて駅逓馬車に席をとり、暗い夜道を、神聖な場所を訪れることさえせずにロレットを通り抜けた。聖母よ、わが罪をゆるしたまえ!
高く登って山の道に出ると、たちまち銀のしまのようなアドリア海が地平線に現われた。山々は巨大な波のように足もとに横たわり、青い波うつ海と、それぞれの国旗や三角旗をつけた船が見えた。それを見た時、私はナポリを想った。しかし黒い雲の柱を吹き上げるヴェズヴィオもなく、その向こうにカプリの島もなかった。私は一晩ここに泊まって、フルヴィアとフラミニアの夢を見た。「おまえの運勢の棕櫚の木が緑の芽を出している!」二人はこう言って微笑した。目がさめた時、昼間の光が部屋に射しこんでいた。
「旦那」と給仕が言った。「もうすぐ出帆するばかりのヴェネツィア行きの船がございますが、何よりもまず私どもの町を御見物になりませんか?」
「ヴェネツィアへ!」と私は叫んだ。「早く、大急ぎだ! まさに望みどおりだ!」
説明のつかない感情が私を駆り立てた。私は船に乗りこみ、荷物はあとから送ってよこすように命じて、無限にひろがる海を見渡した。「さようなら、私の父の国よ!」今はじめて、私は本当に世間へ飛びこんだような気がした。私の足はもはや土を踏んでいるのではなかったからである。私は北イタリアが新しい型の風景を私の前にひろげてくれることを十分知っていた。ヴェネツィアそのものはじっさい、ほかのどのイタリアの町とも非常にちがっていた。それは豪華な粧《よそお》いをこらした力強い海の花嫁であった。翼をもったヴェネツィアの獅子《しし》が私の頭上の旗にゆらめいていた。帆が風にふくれて、私の目から海岸をかくした。私は船の右側に席をとって、青い大波のうねる海を眺めていた。遠からぬところに一人の若い男が坐って、愛の幸福と命の強さを歌ったヴェネツィアの歌を歌っていた。
「紅《あか》い唇に接吻せよ。明日はおまえも死んだ者の仲間にはいるのだから。恋せよ、心が若く血が炎と燃えるうちに。老年は死の花。血は凍り、炎は消える! 滑るように速いゴンドラに乗ろう! 屋根の下に坐って窓をしめよう。戸をしめよう、愛する者よ。誰も見やしない。私たちがどんなに楽しいか、誰も見やしない。私たちは波の上で揺られる。波が抱き合えば私たちも抱き合う! 血のなかに若さのあるうちに恋をせよ。老年は霜《しも》と雪とで殺してしまう」
歌いながら彼が、ほかの人々に向かって首を振ると、心の若いうちに接吻し恋をせよと、彼らも声をそろえて歌った。楽しい、じつに楽しい歌だった。しかし私の心には、魔法の死の歌のように聞こえた。そうだ、時はどんどん過ぎて行く、そして若さの焔が消えてしまう。私は愛の聖油を土の上に注いだが、それは燃えて明るくなることも暖かくなることもなかった。
害をしなかったことは確かだが、明るくもならず暖かくもならずに、墓へ流れこんだだけだ。どんな約束も私をしばってはいけない。どんな義務もないのだ! 飲めば生き生きするあこがれの愛の一雫を、なぜ私の唇はすばやく飲まないのだ! 私は感じていることがあった。そう、何と言ったらいいか――自分自身への不満だった。私の分別は、はたしてこの胸のなかの燃えさかる火に焼き尽されたのだったろうか? 私はサンタのそばから逃げ出した自分に、一種の腹立たしさを感じていた。聖母の像が落ちた!朽ちた釘が折れただけだ、それなのにエスイタ学校の古くさい内気さと、私の血のなかの山羊《やぎ》の乳とが、あそこから私を逃げ出させたのだ。サンタはなんという美しさだったろう! 彼女の燃える、情のこもった目が見えた。そして私は自分がいまいましくなった! 私がベルナルドと、ほかの何千という人たちと、私の若い友人の全部が同じであっては、どうしていけないのか? この人たちの誰ひとりとして、たった一人でも、私のような愚か者ではなかったろう。私の心は愛がほしかった。この感情を私の胸に植えつけた神がそう定めたのだ。私はまだ若かった。そしてヴェネツィアは、美しい女であふれるような陽気な町だった。私の道心に(と私は考えた)私の子供のような気持に、世間の人は何を報いてくれるというのか――笑いだ。そして時が、腹だたしさと白髪とをもたらすのだ。そう思って私も、心の若さの消えないうちに接吻し恋せよという、人々のコーラスに加わった。
私の心にこういう考えを目ざめさせたのは、精神の錯乱、苦悩のための狂気であった。私にこの命を与え感情を与え、私のいっさいの運命をみちびいた神が、愛においても私を導くであろう。もっとも道徳的な人でさえ思いきってことばに出すことのできない争い、いや、考えもあるものだ。つまり私たちの胸のなかの潔白の天使が、それを罪深いものと考えるからだ。自分の心の欲するままにできる人々は、この私のことばをとらえてりっぱな理屈を並べ立てるかもしれない。しかし「自分が裁かれたくなければ他人を裁くな。自分が呪われたくなければ他人を呪うな」である。私は自分自身のなかに、自分の腐った性根のなかに、何ひとつ善いもののないのが感じられた。私は祈ることもできなかった。それでもうとうとしているあいだ、船は北を指して、富裕なヴェネツィアを目ざして飛ぶように走っていた。
朝になると、帆を張った船が集まったのかと思われるヴェネツィアの白い建物と塔が目にはいった。左手に平らかな海岸を持ったロンバルディアの王国がひろがり、地平線には薄青い霧のようなアルプスがあった。ここは空が広々していた。ここなら大空の半分が心に水鏡《すいきょう》することができた。
この快い朝の空気のなかでは、私の考えも落ちつきをました。私は元気が出てきた。私はヴェネツィアの歴史を、この町の富と豪華さ、その独立と優越を思い、豪勢な総督と、そのいわゆる海との結婚を思った。船はいよいよ町に近づいて、今ではもう瀉州《ラグーネ》の彼方の家《や》なみが一軒一軒見分けられたが、それらの黄味ばんだ灰色の、古いとも新しいともつかぬ壁は、見る目に楽しいものとは言えなかった。聖マルコの塔も私はもっと高いものと思っていた。船は、くねった土塁のように海のなかへ突き出た瀉州《ラグーネ》と、陸地とのあいだを進んで行った。どこを見ても平らで、岸は水の面よりせいぜい数センチ高いかと思われるほどであった。わずかばかりのみすぼらしい家がフジナの町と呼ばれ、そこここに茂みがあるほかは、平らな陸に何ひとつなかった。私はもうヴェネツィアのすぐそばへ来たものと思っていたのだが、それはまだ一キロも先にあり、そこまでのあいだには、大きな泥土の島のあるきたない泥水の溜まった場所があるのだった。ここには鳥一羽足をおろす土も、草一本根を伸ばす土もなかった。この瀉にはいちめんに深い運河が掘ってあり、そのふちには方向を示すための大きな杭が立ててあった。ここまで来ると、私がはじめて見るゴンドラがあった。長くて幅がせまく、投げ槍のように早くて全体がまっ黒に塗ってある。まん中の小さな船室には黒い布のおおいが掛けてある。矢のような早さで通り過ぎる水上の柩車《きゅうしゃ》であった。広い外海とも、ナポリの近海ともちがって、水はもう青くはなく、よごれた緑色であった。ある島のそばを通ったが、この島の家は水のなかから伸び出したか、さもなければ難破した船の破片にかじりついたように見えた。壁の上のほうにキリストと聖母の像があって、この荒涼たる場所を見わたしていた。ところどころ水面が、緑色の動く野原のような場所があった。深い海と、軟らかな泥の黒い島のあいだの、家鴨《あひる》の池とも言えるものだった。太陽がヴェネツィアの上に輝き、町じゅうの鐘が鳴っていたが、それでも死んだような淋しさだった。ドックに船が一隻はいっているだけで、人間の姿は一つとして見えなかった。
私は黒いゴンドラに乗って、あたりいちめん水で足をおろすわずかの土地もない死んだ町を漕がせて行った。入口をあけたままの大きな建物があって、階段が水面までつづいていた。水が大きな玄関へ運河のように流れこんでいた。宮殿のような大邸宅の中庭でさえ、ゴンドラを乗り入れることはできても、まわすことはまずむずかしい四角な井戸に似ていた。水が壁の上のほうまで緑がかった泥を残して、大きな大理石の邸宅も崩れかかっているように見え、広い窓の金塗りのなかば腐った枠には、鉋《かんな》もかけない板がぶっつけてあった。誇り高い巨人の体がばらばらに崩れるのにも似ていた。あたりいちめんに沈滞の気がみなぎっていた。鐘が鳴りやむと、水をはねかす橈《かい》の音のほかには何ひとつ物音というものが聞こえなかった。まだ人の姿は一つも見えなかった。広大なヴェネツィアが、死んだ白鳥のように波の上に横たわっていた。別の通りへ曲ると、小さな狭い石造の橋が運河にかかっていた。そこまで来ると人の姿が見えた。頭の上をひょいひょいと歩いて、家と家のあいだ、壁と壁のあいだへさえはいりこんで行く。私はゴンドラの滑りこめないような街はまだ一つも見ていなかった。
「だがあの人たちはどこを通るのだろう?」と船頭にきくと、彼は橋のそばの、高い家のあいだを抜ける狭い通路を指さした。六階どうし向かいあって、住む人が両側から手を取り合える代り、三人が肩を並べて通るのはまずむずかしい、一条の日の光も射さない通りであった。ゴンドラは先へ進んだ。あたりは死んだように静かだった。
「これがヴェネツィアなのか? 富める海の花嫁なのか? 世界の女主人なのか?」
私は宏壮な聖マルコの広場を見た。「ここに生活がある!」と私は聞いて来たが、ナポリとは、いや、あの賑やかなコルソに見るローマとさえ、なんというちがいであろう! しかもなお聖マルコの広場はヴェネツィアの心臓、生活のある場所なのだ。書物、真珠、絵画などを売る店が長い柱廊を飾ってはいたが、しかしまだ人出がなく活気づいていなかった。けばけばしい服装をして長いパイプをくわえたギリシア人やトルコ人のかたまりが、コーヒー店のそとに静かに坐っていた。聖マルコの黄金の円屋根の上、玄関の上の堂々たる青銅の馬の上に、太陽が輝いていた。キプロスから、カンディアから、あるいはモレアから来た船の赤い帆柱に、旗がだらりと垂れさがっていた。何千羽という鳩の群れが広場にあふれて、取りすました恰好で広い舗道を歩いていた。
私は活気のみなぎる動脈ともいうべきリアルト橋まで行って、ようやくヴェネツィアの姿、その愁わしい姿が、私の悩みと融け合い、私の胸に影を映すのを感じた。私はまだ海にいるような気がした。ただ、小さな船から大きな、水に浮かぶ方舟《はこぶね》に移されただけだった。
日が暮れて、月の光がおぼろげな明るさと広い影をひろげると、私はわが家へ帰り着いたような気分になった。霊の世界の時間になってはじめて、私は死んだ花嫁とうちとけることができた。私は開いた窓のところに立っていた。黒いゴンドラが静かに、月に照らされた暗い水の上をすべって行った。私は船乗りの接吻と愛の歌を思い出した。そして、私よりもあの移り気なベルナルドを選んだアヌンツィアータを怨んだ。だが、なぜだったろう?――きっと彼の移り気から来る派手な感じにひかれたのだろう。それが女だ! 私は清浄で敬虔《けいけん》なフラミニアをさえ怨んだ。私の強い兄弟の愛よりも修道院の静寂のほうが、彼女には大切なものだった。いやいや、私はもう彼女たちのどちらも愛すまいと思った。いっさいが、かつては私の心の大切なものだった人たちまでが私の心を抜け出て、うつろな跡を残した。彼女たちのどちらも想うまい、と私は決心した。すると私の思いは、さまよう亡霊のように、ララとサンタ、美の像と罪の娘のあいだを、ためらいがちに歩いた。
私はゴンドラに乗って、無言の夜の街々を舟の行くままに運ばれて行った。船頭たちはたがいに歌いかわしたが、それは「解放されたエルサレム」〔ヴェネツィアが盛大なころの国家〕のなかのものではなかった。ヴェネツィアの人々は彼らの心の古い歌さえ忘れてしまったのだ、彼らの総督《ドージェ》は死に絶え、彼らの凱旋の車につけられた獅子の翼が、外国人の手で縛られてしまったからだった。
「生命をつかもう――最後の一滴まで享楽してやろう!」ゴンドラがとまった時、私は自分にこう言った。ちょうど私の泊まるホテルの前だった。私は自分の部屋に行って寝床にはいった。
これが私のヴェネツィアの第一日だった。暗い不吉な一日、そのあとに全く平和な感じの残らない一日であった。
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十一 あらし
私のたずさえて来た紹介状は、私に知り合いの人をこしらえてくれた。――彼らのいわゆる友人で、私は院生《アバテ》さんと呼ばれた。誰も私に教訓を与える者はなく、私の言うことは何にまれすこぶるりっぱなものとされ、私は才能があると言われた。私はフランチェスカとその伯父から、耳に辛いことを言われたこともたびたびあったし、非常に不愉快なこともよく聞かされた。まるで彼らがありとあらゆる私の喜ばないものを捜し出し、それによって、私のためを思うことにかけては彼らの右に出るものはないということを、私に思い知らせようとかかっているようだった。しかしここにはそれがなかった。私が真心のある友人を持たなかったということ、それは確かである。というのは、私に不愉快なことを言う人がいなくなったということだ。その一方私は、自分の一段低い身分から来る引け目を感じずにいられた。この意識はフラミニアのやさしささえも消すことができなかったのだ。
ここで私は堂々たる総督の邸宅を訪れ、人のいない豪華な広間をさまよい、おそろしい地獄の責苦の絵のある宗教裁判の部屋を見た。私は狭い歩廊を通り抜け、ゴンドラのすべって行く運河の上に、屋根よりも高いところにかかった屋根と壁のある橋を渡った。これは総督の邸から牢獄への通路であり、この橋は「溜め息の橋」と呼ばれる。そのすぐそばに「井戸」がある。通路に置いたランプの光が目のこまかい鉄格子を通って、いちばん上の土牢だけにようやく射し入る。しかしこれでさえ、しめっぽい穴倉の下の、そとの運河の水よりも低い、下のほうの土牢にくらべれば、明るくて風通しのよい広間である。しかしここでも、不幸な囚人は溜め息をつき、じめじめした壁に自分の名と訴えを刻みつけた。
この場所の身の毛のよだつ有様に胸の裂かれるような思いをした私は、「空気を! 空気を!」とあえいで、ゴンドラに乗ると矢のように走り出した。蒼味《あおみ》を帯びた赤色の古い宮殿から、――聖テオドレートの柱廊とヴェネツィアの獅子から逃げ出した私は、海の新鮮な空気を吸うために、生きている緑の水を渡り、瀉州《ラグーネ》と砂島群《リード》へ向かって走った。すると教会の墓地が見えた。
遠く故国を離れたこの場所に、一日一日と残り少ない土が減らされて行くように見えるこのほんの一つまみの波に囲まれた土地に、プロテスタントの外国人が埋められている。白い人骨が砂のなかから突き出している。彼らのために泣くのは波だけである。ここは漁師の許嫁《いいなずけ》や妻たちが、気まぐれな海へ漁に出た恋人や夫を待ちながら、たびたび坐った場所であった。嵐が強くなりやがてまた穏やかになると、女は「解放されたエルサレム」のなかの歌を歌い、男が答えるかどうか、耳を澄ました。しかし愛する者からの答えの歌は一つも聞こえない。彼女はただ一人坐って、無言の海を見わたす。やがて彼女の唇も無言になる。その目が見るのは砂のなかの死人の白骨だけである。夜が死んだ無言のヴェネツィアの上にのぼって来る時の、うつろな彼のざわめきだけが彼女の耳にはいる。
この暗い絵で私の頭はいっぱいになり、私の気分がそれに強い色調を帯びさせた。墓と、目に見えぬ聖者とを思い出させる教会のような厳粛さを、眼前にひろがる風景全体が持っていた。フラミニアのことばが耳にひびいた――神の予言者である詩人は、神を讚え神の栄光を顕わすことのみを努めなくてはならない。これに役立つ主題こそ最高のものである。永遠の魂は永遠なるものを歌わなければならない。つかのまの輝きは色のゆらめきを変えてるばかりで、生まれた瞬間に消えてしまう。情熱と霊感はぱっと燃えて私の心に火をつけるが、まもなく消えてしまう。私は無言でゴンドラに乗って、砂島群《リード》へ運ばれた。大きくひらけた海が目の前にあって、長い波を岸へうねらせていた。私はアマルフィの湾を思い出した。
すぐそばの海草と石のあいだで、一人の若い男がスケッチをしていた。たしかに外国の画家であったが、どこかで見たことのある顔だと思ったので、近寄って行くと彼が顔をあげた。知り合いどうしだった。ヴェネツィアの若い貴族ポッジオだった。私は客に行った家でたびたび彼と同席したことがあった。
「あなたでしたか」と彼が叫んだ。「あなたがここにおいでだとは! 風景の美ですか、それともほかの美しいものですか、あなたをこの怒ったようなアドリア海へ引き寄せたのは?」
私たちは手を握り合った。私はいくらか彼について知っていた。財産はなかったが、そのかわり画家としての大きな才能があった。しかし、私がこっそり聞かされたところでは、見たところは快活な屈託のない性分のようであるが、一人でいる時の彼は極端な人間ぎらいだということだった。彼と話していると、まるで浮気が人間の形になって出てきたような気がしたが、本当の彼はまじめそのものだった。彼自身が自分を説明したところによると、彼がモデルにしたのはドン・ファンであったらしいが、しかし実際の彼は聖アントニオと同じように、あらゆる誘惑と闘っていた。そのすべての原因は深い心の悲しみだ、ということも私はこっそり聞かされていた。それはどういうのだろう。財産のないことだろうか、それとも不幸な恋愛事件だろうか? 誰も本当のことは知らなかった。彼は何でもあっさりしゃべってしまい、ほんのちょっとした考えもかくしておけないように見えたし、態度も子供のように気どりのないものだったが、しかもなお、本当に彼を理解する人間は一人もいないようだった。私はそういうことすべてに興味を持っていたので、ここで彼に会ったのは非常に嬉しかった。心のなかの雲が吹き散らされてしまった。
「こういう青い波の打つ平原は」と彼は海を指さして言った。「ローマでは見られませんよ!海は地球上のいちばん美しいものです。海はヴィナスの母でもあり、それに」と彼は笑いながらつけたした。「堂々たるヴェネツィアの総督代々の未亡人なのですよ」
「ヴェネツィア人は特別に海が好きにちがいありませんね」と私が言った。「美しい娘ヴェネツィアの胎《はら》から生まれた自分たちを抱いて歩いたり、いっしょに遊んでくれたりするお祖母《ばあ》さんだと思ってるんですよ」
「今じゃ彼女ももう美しくはありません。うなだれていますよ」と彼が答えた。
「しかしフランツ皇帝の統治〔このころのヴェネツィアは、オーストリア領であった〕のもとで、とにかく幸福ではいるでしょう」
「陸の上で女人像柱《カリアティーデ》になるよりは、海の上で女王になるほうが誇るに足ることです」と彼が答えた。「ヴェネツィア人は何も文句をいうことはありませんよ。政治というものは全然私にはわかりませんがね、美のこととなれば、これは反対によくわかりますよ。私が信じて疑わないように、あなたが美の保護者でいらっしゃるなら、下宿の主人の美しい娘がやって来ます。私の貧しい食事をいっしょにしてくださるか伺いますよ」
私たちは岸のすぐそばの小さな家にはいった。酒は上等だし、ポッジオはこの上なくおもしろく話上手だった。彼の心がひそかに血を流していると言っても、誰も本当にはしなかったであろう。
私たちは二時間はたっぷりそこに坐っていた。私のゴンドラの漕ぎ手が私に帰ってはどうかとききに来た。どう見ても嵐が来そうだからというのだ。海がひどく荒れていて、ヴェネツィアと砂島群《リード》のあいだのところは波が非常に高いので、軽いゴンドラが引っくり返るのはわけのない話だとも言った。
「嵐か!」とポッジオが叫んだ。「何べん嵐が来いと思ったかわかりゃしないぞ。あなたも」と私に向かってつづけた。「こいつを逃がしちゃいけませんよ。夕方近くにはまた静かになりますがね。もしそうでなかったとしても私たちがここで一晩泊まって、波の音が子守唄《こもりうた》を歌ってくれているあいだに、のんきに嵐に頭の上を通らせるくらいの設備はありますから」
「ゴンドラならいつでも島から来てもらえるから」と言って、私は船頭を帰した。
嵐は猛烈に窓を叩きつけた。私は外へ出た。沈んでゆく太陽が暗緑色の荒れさわぐ海を照らし、白い冠毛をかぶった大浪が盛りあがってはまた下っていった。ずっと遠方には雷火に裂かれた崖のような形をした雲があり、五、六隻の船が一瞬間目にはいったかと思うと、またどこかへ消えてしまうのが見えた。波が巻きあがり、岸にぶつかって、私たちの頭から塩からいしぶきを浴びせかけた。波が高ければ高いほどポッジオは大声で笑い、手を叩いて、荒れ狂う水に向かって「ブラーヴォ!」と叫んだ。彼の手本を見ると私もかぶれた。この自然の興奮のなかのほうが、私の弱い心には居心地がよかったのだ。
まもなく夜になった。私は女主人にいちばん上等の葡萄酒を持って来るように命じた。私たちは嵐と海の健康を祝って飲み、ポッジオは私が船のなかで聞いたあの恋の歌を歌った。
「ヴェネツィアの婦人の健康のために!」と私が言うと、彼はローマの美しい婦人のために私と杯を合わせた。知らない人が見たら、私たちを二人の若い幸福な友人と思ったろう。
「ローマの女は」とポッジオが言った。「いちばん美しいということになっていますが、どうですか、あなたの正直な意見を聞かせてください」
「私もそうだと思いますね」と私は答えた。
「そうですか!」とポッジオが言った。「しかし美の女王はヴェネツィアに住んでいますよ!ぜひともここの市長の姪《めい》を御覧なさい! 彼女以上に精神的な美しさを持った女は、私は見たことがありません。もしカノーヴァ〔イタリア彫刻の再興者といわれる人。一七五七―一八三二〕があのマリアを知っていたら、三美神のいちばん若いのは彼女そのままに彫ったでしょう。私はミサの時と、それから聖モゼ劇場で一度と、これ以外は彼女を見たことはありませんが。ヴェネツィアの若い男はみんな、私も同様ですが、この劇場へ行くのです。ただちがうところは、彼らが死ぬほど彼女に夢中になっているのに、私はただ崇拝しているだけです。私のような俗っ気の多い人間には、彼女はあまりにも精神的ですよ。しかし崇高なものは、じっさい崇拝しなければなりません。そうじゃありませんか、院生《アバテ》さん?」
私はフラミニアを思い出した。すると、ほんのつかのま火のともった陽気さもそれで終りだった。
「いやにしんみりしましたね!」と彼が言った。「酒はこんなに上等だし、それにわれらの酒宴のために、波が歌いかつ踊ってくれてるじゃありませんか!」
「市長は大ぜい客を呼びますか?」と私は、何か口をきくためにきいた。
「たびたびじゃありません」とポッジオは答えた。「しかし、客をするとなるとまったくりっぱなものですよ。かの美人は羚羊《かもしか》のように内気で、私が今まで見た女とはまるで大ちがい、おそろしく恥ずかしがりなんです。もっとも」と彼は、ふざけたようににこにこしてつけ加えた。「それも人の興味をひく一つの手かもしれませんがね。実際はどういうことになってるのか、そりゃわかったものじゃありません! こうなんです、ここの市長は妹が二人ありますが、長いあいだ彼から離れていました。下の妹はギリシアで結婚して、これがあの美しい娘の母親なんですが、もう一人のほうはまだ独り者、オールドミスです。これがあの美人を四年ばかり前にここへ連れて来て……」
にわかに暗くなったので、彼の話はとぎれた。黒い夜が私たちをそのマントのなかにくるみこんだのかと思ったが、その時ちょうど、赤い稲妻があたりいちめんを明るくした。雷鳴がそれにつづいて、私はヴェズヴィオの噴火を思い出した。
自然に頭がさがって、思わず私たちは十字を切った。
「キリスト様、マリヤ様!」と言いながら女主人が部屋へはいって来た。「考えただけでもぞっとしますわ! ここでいちばん腕利きの漁師が船を出しているのです。聖母様がお護りくださるように! 貧乏なアニェーゼは五人の子持なんですから、もしものことがあったら!」
嵐のなかから聖歌の合唱が聞こえて来た。波が叩きつけ砕けて高く飛びちる海岸に、十字架を持った女や子供の一団が立っていた。一人の若い女がじっと海を見つめたまま、無言で彼らのなかに坐っていた。小さな子供が一人その乳房を吸い、もう一人の少し大きい子供が彼女の膝に頭をのせていた。
最後の恐ろしい閃光《せんこう》をきらめかして、嵐はかなり遠のいたかと見えた。地平線の明るさが増し、わきたつ海の白い泡の光るのがはっきりしてきた。
「ああ、いた!」こう叫ぶと、女はつと立ちあがって、しだいにはっきり見えてくる黒い点を指さした。
「聖母様がお恵みくださるように!」一人の年とった漁師が叫んだ。彼は厚い褐色の頭巾《ずきん》をうしろへずらせ、両手を組み、その黒い点を見つめて立っていた。その時、黒い点はまた泡だった渦巻のなかに見えなくなった。
老人の眼は狂っていなかった。絶望した小さな群れの金切り声は、海が静まり、空が明るくなるにつれて、ますます高く強くなった。子供たちは十字架を落し、砂のなかに転がしたまま、わめきながら母親にしがみついた。年よりの漁師は、十字架を拾い上げ、救い主の足に接吻すると、それを高く差し上げて聖母の名を唱えた。
夜半ごろになると空は明るく、海もしだいに穏やかになって、満月が島とヴェネツィアのあいだの静かな湾の上に長い光を投げた。ポッジオは私といっしょにゴンドラに乗り、私たちは慰めようも助けようもない気の毒な人々をあとにした。
次の晩私たちは、ヴェネツィアきっての金持の一人である銀行家の家で、また顔を合わせた。客が大ぜいいたが、婦人たちには一人も知った顔がなく、興味もなかった。
部屋にいた人々が昨夜の嵐の話をはじめた。ポッジオはきっかけをとらえて、漁師たちの死んだことや家族の不幸を物語り、彼らの災難の少なからざる部分を救済するのがどんなに楽な仕事であるか、めいめいの出す少しずつの金が積もって、不幸な取り残された家族の者にとってどんなにありがたい金額になるかを、よくのみこめるように説明したが、誰ひとりとして理解できないらしく、人々はぶつぶつ言い、肩をすくめ、ほかのことを話しはじめた。
まもなく、こういう席に向く才能のある人たちが、余興を出しはじめた。ポッジオはおもしろい舟唄《ふなうた》を歌った。しかし私は彼が歌っているあいだの慇懃《いんぎん》な微笑のうちに、気高い雄弁に感動させられなかった身分の高い人たちにたいする怒りと冷淡とが見えるような気がした。
彼が歌い終った時、この家の女主人が私に「あなたはお歌いになりませんの?」ときいた。
「私は奥様の前で即興詩を歌う光栄をにないましょう」ある考えが心に浮かんだので、私はこう答えた。
「即興詩人だ」とささやく声が、まわりで聞こえた。婦人たちの眼が輝き、紳士たちは頭をさげた。私はギターを取って、題を出してくださいと言った。
「ヴェネツィア!」一人の婦人が、無遠慮に私の目をのぞきこみながら叫んだ。
「ヴェネツィア!」と若い男たちがまねをした。その婦人が美しかったからである。
私は二、三度|絃《いと》をはじき、ヴェネツィア偉大なりし日の豪華と栄光を、かつて読んだところに従い、想像の夢みるままに描写した。なみいる人々の眼が輝いた、昔が今に帰った思いがしたのだ。私はまた、月明の夜バルコンに立つ美女を歌い、サンタを想い、ララを想った。婦人たちは一人一人、私が彼女のことを言っているのだと思って賞讚の拍手を送った。ズグリッチ〔当時の最もすぐれた即興詩人の一人〕でさえこんな大成功はむずかしかったであろう。
「来ていますよ!」とポッジオが私にささやいた。「市長の姪が」
ところが私たちは、それ以上の話ができなかった。私はもう一つ即興詩を頼まれたからである。婦人の代表と一人の老紳士が、一座の人々の希望を申し出た。私自身の希望でもあったので、私は喜んで承諾した。私はこうなることを予想していた。与えられる題のどれかを使って、この目で見た嵐と不幸な人々の気の毒な有様を描き出し、私の歌の力によって雄弁がなしえなかったものを征服する機会があればと思っていたのだ。
ティツィアーノ〔ルネサンス期の画家。ヴェネツィア派の巨匠〕讚という題が出た。彼が海洋画家であったら、今の場合わたしは彼を代弁者として登場させたかったのだが、しかし彼を讚えることばのなかには、私が表現しようと望んだ着想を持ちこむわけにはゆかなかった。とはいうものの、この題材はなかなか中身があり、私のその扱いも人々の予想以上だったので、私は偶像のように祭り上げられた。まったく私自身の讚であった。
「あなた以上に仕合わせな人はありませんわね!」とこの家の女主人が言った。「あなたのような才能があって、まわりの人を誰でも彼でも有頂天《うちょうてん》にすることができたら、さぞなんともいえないいい気持でしょうね」
「いい気持ですとも!」と私は答えた。
「それをきれいな詩にあらわしてください」彼女が頼むように言った。「あなたにとってはわけないことですもの、何度もお願いして御迷惑をおかけするのも忘れてしまうくらいですわ」
「私は一つの感情を知っています」と私は答えた。胸にあった考えが私を大胆にした。「私は一つの感情を知っています。どんな感情にも負けず、あらゆる人に詩人の心を持たせ、同じ幸福の自覚を与える感情です。そして私は自分が、あらゆる人の心にこの感情を目ざめさせるだけの力を持った偉大な魔法師だと考えています。しかしこの術は特別なもので、ただでお渡しするわけにはゆきません。買っていただかなければなりません」
「ぜひ知りたいものだ」と一同が叫んだ。
「ではこのテーブルの上に代金を集めましょう」と私は言った。「いちばんたくさん出した人がいちばんよく教えてもらえます」
「私は金鎖を出しましょう」さっそく一人の婦人が笑いながらこう言って、冗談にテーブルの上に鎖を出した。
「私はカルタに賭けるお金全部を」また一人が言って、私の思いつきに微笑した。
「いや、私は本当にまじめなんですよ!」と私は言った。「お出しになったものはお返しできませんよ」
「やってみましょう」金や鎖や指輪を出した大ぜいの人が、内心まだ私の力を疑いながら言った。
「しかし、全然どんな感情も私をとらえなかったとしても」と一人の士官が言った。「それでも私の出した金貨二枚は返してもらえないのですか?」
「無理に危険をおかす必要はありませんね」とポッジオが言った。私はいかにもと言うように頭をさげた。
みんな笑った、そして一人一人が期待にみちて結果を待った。私は即興詩をはじめた。神の焔が私をつらぬいた。私はヴェネツィアの花嫁である誇り高い海を歌い、海の子――船乗りと小舟に乗った漁師を歌った。私は嵐を、妻や恋人たちの待ちこがれる心と不安とを描き、自分がこの目で見たもの、聖なる十字架を落して母親にすがりつく子供、救い主の足に接吻する老いたる漁夫を歌った。あたかも神が私を通して語り、私はその力強いことばの道具になったかのようであった。
深い沈黙が部屋にたちこめ、大ぜいの目が泣いていた。
次に私は貧しい人々の小屋へ彼らを連れて行き、私たちの小さな贈り物によって助力と生気を不幸な人々に与え、受けるよりも与えるほうがどれだけ幸いであるかを歌い、私の胸をも、いささかなりと寄与した一人一人の心をも満たす悦《よろこ》びを歌った。これは何物にも負けない感情であり、あらゆる人の心のなかにあってそれをより浄《きよ》く、より気高くし、詩人にまで高める神聖な声であった。そして、語り行くにつれて、私の声は力強さを増し、いよいよ朗々とひびいた。
私は満座の人の心をつかんでしまった。割れるような喝采が私を迎えた。歌い終った私はたくさん集まった贈りものを、不幸な人々のところへ持って行って力をつけてやるようにと、ポッジオに渡した。
一人の若い婦人が私の足もとにひざまずいた。私の才能は今までに、これ以上の美しい勝利を得たことがなかった。彼女は私の手をとり、その美しい黒い目に涙をためて、感謝の眼《まな》ざしでじっと私の顔を見つめた。この眼ざしは不思議に私の心を動かした。いつか夢に見たことがあるような美しさの現われた目だった。
「神の母がおほめくださいますように!」と彼女が口ごもった。血が頬をさっと染めた。彼女は顔をかくして、まるで自分のしたことが怖いかのように、私のそばを離れて行った。しかし誰が、この浄らかな汚れのない心の流露を笑うほどの残酷さを持っていただろうか? 人々はみな私のまわりに集まり、私を賞めることばは尽きることがなかった。誰も彼も砂島群《リード》の不幸な人たちのことを話した。そこに立った私は彼らの恩人であった。
「与うるは受くるより幸いなり」この晩はじめて私はこのことばの本当の意味がわかった。ポッジオは私を抱擁した。
「りっぱな人だ!」と彼が言った。「私はあなたを心から尊敬します! 美の化身があなたに敬意を表するんだからな。一目で千人を幸福にする彼女が、降参して頭をさげるんですからね!」
「あれは誰ですか?」と私は小声できいた。
「ヴェネツィア第一等の美人!」と彼が答えた。「市長の姪です」
あの驚嘆すべき目、美しさそのものの姿が、そのままそっくり私の心に刻みつけられた。名状すべからざる思い出がよみがえって、「美しい!」と私も感嘆した。
「私がおわかりにならないようですね?」と、そばへ寄って来た一人の老婦人が言った。「もう何年も前にお近づきになったんですよ」彼女はにっこり笑い、手を差し出して、私に即興詩の礼を言った。
私はていねいに頭をさげた。顔はよく覚えているような気がしたが、いつどこで会ったのかははっきりしなかった。私は仕方なしにそう言った。
「ええ、そうでしょうとも!」と彼女が言った。「お目にかかったのは一度きりですもの。ナポリででした。私の兄弟に医者がありましてね、あなたはそこへボルゲーゼ家の男のかたといっしょにおいでになりました」
「覚えています!」と私は叫んだ。「そうです、わかりました! このヴェネツィアでお目にかかろうとは、夢にも思いませんでしたよ!」
「弟は」と彼女が言った。「私が家の用事を見てやっていたのですが、四年前に死にましてね、私はいま兄のところにおります。あとで召使に言って招待状を差し上げましょう。姪は子供ですが妙な娘で、ここを出たい、すぐ出たいと言っています。私はそのとおりにしてやらないわけにゆかないのです!」
老婦人はもう一ぺん手を差し出してから部屋を出て行った。
「運のいい人だな!」とポッジオが言った。「あれは市長の妹ですよ! あなたは彼女を知っている。彼女から招待を受けた! ヴェネツィアの人間の半分はあなたを羨みますね。出かける時は心臓の近くの上着のボタンをよくお掛けなさいよ、私たち皆と同じように負傷するといけませんからね。もっとも私たちは、あなたほどには敵の砲台へ接近しませんが」
あの美人は姿を見せなかった。感激の瞬間、感動にわれを忘れて、彼女は私の足もとにひざまずいたが、その同じ瞬間、また元の非常に内気な娘に返ったのだ。娘らしい恥じらいと自分のしたことの不安と恐ろしさに駆りたてられて、自分が注目の的になった大ぜいの集まりから逃げ出してしまったのだが、しかし彼女をほめ彼女を讚美する以外のことばは、一言も聞こえなかった。人々は彼女を賞讚するとともに私をも賞讚した。美の女王はすべての人を魅了した。彼女の心は(と彼らは言った)、その姿のように気高かった。
よい仕事をしたという自覚は、私の心に一すじの光を射しこませた。私は気高い誇りを感じ、歌の才能を持つ自分の幸福を味わった。自分がこれほどの賞讚と愛好に包まれると、心のなかの苦いものがすっかり融けてなくなり、しばらく気を失っていた精神の力が、いっそう浄くいっそう強くなって、われに返った気持だった。私はフラミニアのことを想ったが、少しの苦痛もなしに考えることができた。彼女はたしかに妹として私の手をとってくれたであろう。詩人は神聖なもの、神を讚えるに役だつものだけを歌わなければならないという彼女のことばが、明るい光を私の心に投げかけた。私はふたたび力と勇気を感じ、静かな落ちつきが全身にみなぎって、本当に久しぶりでまた幸福を感じた。非常に嬉しい一晩だった。
ポッジオは私と杯を合わせた。私たちはすっかり友だちになって、遠慮のない「君僕」で友情に証印をおした。
宿へ帰ったのはおそかったが、私は少しも睡《ねむ》いと思わなかった。月は運河の水に昼のように明るく輝き、空は高く青かった。私は子供のように敬虔《けいけん》な真心をこめて祈った。――「父よ、私の罪をお赦しください! 善良な気高い人間となる強さをお与えください! そうすれば私はフラミニアを忘れず、妹のように思うことが許されます。彼女の魂も強くなさってください。決して彼女に私の苦しみを想像させてくださいますな! 永遠なる神よ、私たちにお恵みを垂れ、私たちをお哀れみください!」
私は不思議に心が軽くなった。がらんとしたヴェネツィアの運河も古い宮殿も今は美しく、眠っている神仙の世界かと思われた。
次の朝、私は非常に元気だった。気高い誇りが私の胸に目ざめていた。私は自分にめぐまれた詩才という神の賜物を幸福に思い、神に感謝する気持だった。私はゴンドラに乗った。その妹の知人として市長の家を訪問に行くつもりだった。かくさずに言えば、あんなに明白に私にたいする敬意を表わした、美の女王と認められている若い婦人に会いたい、という願いも持っていた。
「オセロの宮殿が見えます!」船頭はこう言って、大運河を通って私をある古い建物へ連れて行った。漕ぎながらの彼の話によると、美しい妻デズデモーナを殺したヴェネツィアのムーア人はそこに住んでいたので、イギリス人が誰でもそれを見物に行く様子は、まるで聖マルコの教会か、造船所の遺跡へでも行くようだという。
私はまるで大好きな親戚《しんせき》といったように歓迎された。市長の妹の年よりのローザは、死んだ愛弟の話をし、もう四年間も見ずにいる生き生きと陽気なナポリの話をした。
「そうなんですよ」と彼女が言った。「マリアはナポリにもあこがれているのです。私たちは誰もがびっくりするようなときに出かけようと思っています。私はぜひもう一度、息のあるうちにヴェズヴィオとあの美しいカプリを見ますよ!」
マリアが出て来て、姉妹のようにうちとけた、しかしいっぷう変ったはにかんだ様子で手を差し出した。彼女は美しかった。まったく私は、昨日の晩わたしの前にひざまずいた時よりも美しいと思った。ポッジオの言ったことは正しかった。三美神のいちばん若い一人はこのとおりだったにちがいない。どの女性の姿も――たぶんララを除いて――こんなに完全無欠には造られていなかった。そうだ、ララは、あの貧しいなりで小さな菫《すみれ》の花束を頭に插した盲の少女は、豪華な衣裳《いしょう》のマリアに劣らぬ美しさだった。マリアの黒い眼の火のような特徴のある眼ざしよりも、ララの閉じた眼のほうが雄弁に私の心に訴えるものがあった。マリアの顔の線の一つ一つに、ララと同じような憂鬱《ゆううつ》な表情があったが、しかし開いた黒い眼には、ララが決して知らない悦びと平和とがあった。とはいうものの、二人のよく似ていることは、マリアが一度も会ったことのない盲の少女を思い出させるばかりか、すぐれた人にたいするようななんともいいようのない尊敬の念を、私の心によみがえらせるほどだった。
私の心ははずんで、私の雄弁はいっそうに内容が豊富になった。私は自分があらゆる人に気に入ったのがわかった。マリアは私の才能に、私が彼女の美しさに感嘆したと同じように感嘆したように見えた。
恋人が、その愛する女の姿を完全にあらわした美しい女人像を眺めるように、私はマリアを眺めた。ほとんど鏡を見るように、私はマリアにララの美のすべてとフラミニアの妹のような心のすべてを見た。彼女には誰でも信頼しないわけにはゆかなかった。私は私たちがもうずっと前から知り合っていたような気がした。
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十二 歌姫
私の生涯《しょうがい》の一つの大きな出来事がすぐ近くにあるので、ほかの出来事はすべて私の心から抜け出てしまうほどだ。林のなかの一本の高い松の木が目について、その下に生えているものが見えないのと似ている。だから私は、その事件までのことはごくあっさりと物語ることにしよう。
私はたびたび市長の家を訪問した。私はそこで生気の霊だと言われていた。ローザが彼女の大好きなナポリの話をすれば、私は彼女とその姪に「神曲」やアルフィエリ〔イタリア第一の悲劇詩人。一七四九―一八〇三〕やニコリーニ〔イタリアの悲劇詩人。一七八二―一八六一〕を読んで聞かせるという工合だったが、マリアの理解力と感情はこの詩人たちにも劣らず私の心をとらえた。この家の外ではポッジオが私のいちばんの親友だったが、それがわかったので彼も市長の家に招待された。彼は私に感謝して彼を紹介したのは私の美点と私たちの友情であり、おかげで彼はヴェネツィアじゅうの青年の羨望《せんぼう》の的になったと言った。
即興詩人としての才能はいたるところで賞讚されたばかりでなく、非常に尊敬されたので、どんな集まりも私が自分の力の証拠を見せて彼らの望みを満足させるまでは、どうしても私を逃がさなかった。第一流の芸術家たちが兄弟のように私に手を差し出して、公衆の前に進出するように激励した。そこで私はある晩、芸術院の会員たちを前に非公開の会合で、ダンドロ〔ヴェネツィアの総督。第四回十字軍の首将の一人〕のコンスタンチノープル遠征と、聖マルコ教会の青銅の馬を主題に、即興詩を作った。その結果わたしは証書を与えられ、彼らの仲間に加えられた。
しかし市長の家ではもっと大きな悦びが私を待っていた。ある日マリアが美しい首飾りのはいった小さな手箱を私にくれた。ごく小さな、きれいで可愛らしい、明るい色の上品な貝殻を、一本の絹紐に通したもので、私がその恩人だと言われた砂島群《リード》の気の毒な人たちからの贈りものだった。
「とてもきれいだわ」とマリアが言った。
「未来のお嫁さんのために取っておかなくてはいけませんよ」とローザが言った。「いい贈りものになりますし、あの人たちもそのつもりで贈って来たのでしょうから」
「未来のお嫁さん」と私はまじめな調子で言った。「そんなものはいません。じっさいまだいないのです」
「でも今にできるでしょう」とローザが言った。「今にお嫁さんが、それも世界じゅうでいちばんの別嬪《べっぴん》さんのが」
「決して!」こう答えると、私がどんなに多くを失ったかを感じて、私はじっと床《ゆか》を見た。
マリアも、私の元気のなくなったのを見て黙ってしまった。彼女はこの贈り物で私をびっくりさせてやろうという自分の思いつきが大いに気に入って、それを私に渡すために受け取って来たポッジオから預っていたのだ。だのに私は、自分の気持をあらわに見せ、首飾りを手に持ったまま、当惑してつっ立っていたのだ。私は喜んでそれをマリアに贈るつもりだったが、ローザのことばが私の決心をにぶらせた。マリアはきっと私の考えを見抜いていたのだ。私が彼女の顔を見ると、たちまちぱっとその顔が真紅になったから。
「このごろはめったにお見えになりませんわね」ある日わたしが訪問すると、金持の銀行家の妻が言った。「ここへはめったにお見えにならないくせに、市長さんのところへはどうでしょう! そうでしょうとも、向こうのほうがおもしろうございますよ! マリアはほんとにヴェネツィア第一の美人ですし、あなたは第一流の即興詩人ですもの。お二人でほんとに似合いの御夫婦ができますよ。あのお嬢さんはカラブリアにとても広い土地を持っているんですの。あの人が相続したものか、相続させるつもりで買ったのか、どちらかですが。大胆におなりなさい、そうすればうまくゆきますわ。あなたは全ヴェネツィアじゅうの羨望の的というところですよ」
「そんなうぬぼれの強い考えが」と私は言い返した。「どうして私の心に入りこもうなどとお思いになるのですか? マリアの恋人になるなどということは、誰でもそうでしょうが、私には思いも及ばないことです。彼女の美しさは、ほかのすべての美しいものと同じように私の心をひきつけますが、これは恋ではありません。それに彼女が財産を持っているにしても、私にはどうということはありません」
「ええ、まあよござんすよ! 私たちがいいようにしましょう!」と彼女は言った。「台所と穴倉がうまく行って、壺に入れるものが十分にあって、はじめて恋も楽しくできるんですよ。なんといっても人間は食べ物と飲み物がなければ生きられませんもの!」こう言うと彼女は笑って手を差し出した。
そんなことを考えたりしゃべったりする人間がいるということに、私は腹が立った。私は市長の家の人はみんな大好きだったが、これからは今までのようにたびたび行かないことに決心した。この日の晩も、私は彼らといっしょに過ごすつもりだったが、あんなことがあったので私は行かないことにきめた。私はむしゃくしゃした。えい(と私は思った)、くよくよすることがあるものか? 陽気にやろう。そうしようとさえ思えば人生は美しいんだ。私は自由だ、誰にも動かされはしないぞ! 自分の力と意志があるじゃないか!
夕方の薄暗がりのなかを、私は一人で、家と家とがくっつきそうな狭い小路をぶらついた。小さな部屋部屋に明るく灯《あかり》がともって、人が大ぜい集まっている。灯《ほ》かげは長い反映を大運河の水面に落し、橋の一つしかない眼鏡《アーチ》の下をゴンドラが飛ぶように走っていた。歌う声が聞こえた。接吻の恋のあの唄だった。知恵の木にまつわりついた蛇のように、美しい罪の面輪が私にあらわれた。
狭い通りを進んで行くと、ほかのどの家より灯《ほ》かげの明るい建物の前に出た。人々が群がってそのなかへはいって行く。ヴェネツィアの小さな芝居小屋の一つで、たしか聖ルカという名だった。ここでは小人数が、ちょうどナポリのフェニツェ座のように、同じオペラを一日に二回見せていた。第一回は午後の四時にはじまって六時に終り、第二回目は八時にはじまった。入場料は非常に安くはあったが、何か変ったものが見られるなどと期待してはならなかった。しかし、ここの下層社会の人たちの音楽を聴きたがる熱望と、よそから来た遊覧客の物好きとで、一日二回とも大入りになることがよくあった。
びらを見ると、「スペインの女王ドンナ・カリテア」で、作曲はメルカダンテ〔イタリアの作曲家。一七九五―一八七〇〕だった。
「つまらなかったら出てくればいいさ」と私は自分に言った。「とにかくはいって、美人の顔でも見物しよう。おれの血は熱く、心臓はまだ強く打っている。ベルナルドにもフェデリーゴにも負けないくらいだ。血のなかに山羊の乳のまじったカンパーニャの子供だからといって馬鹿にするな。今みたいにあっさりと動けたら、私はもっと大きな幸福をつかんでいたろう! そうだ、いのち短かしだ、老年は冷たさと氷をもたらす」
私はなかへはいり、きたならしい小さな切符を受け取って、舞台のそばの桟敷《さじき》へ案内された。高いのと低いのと二列の桟敷があって、平土間《ひらどま》はなかなか広かった。舞台は小さい盆のようで、大ぜいいっしょでは廻れそうもなかったが、しかも今日の出し物は馬上の試合もあれば行列もある、騎士歌劇だった。桟敷はきたならしく、塗りが剥げ、天井は頭をおさえるほど低かった。シャツ一枚の男が脚光を入れに出てきた。大声でしゃべる声が、うしろのほうの席から聞こえてきた。楽師たちが奏楽席にはいった。四人しかいなかった。
どこを見ても、これから見物させられるのがどんなものかはまず見当がついたが、しかし私は第一幕の終りまでは我慢する決心をしていた。まわりの婦人連中を見たが、一人として気に入るのはなかった。やがて隣りの桟敷に一人の若い男がはいって来た。私はある会合の席で彼といっしょになったことがあった。彼はちょっと笑って、ここで顔を合わせようとは思いもよらなかったと言いながら、手を差し出した。
「しかし」と彼がささやいた。「ここではね、すこぶる愉快な知り合いのできることがたびたびありますよ。蒼白い月の光のなかでは、皆わけなく知り合いになりますからね」
彼がもっといろいろしゃべりつづけたので、「しっ」という声がかかった。序曲がはじまったからである。貧弱な音楽であったが、幕があがった。女二人と男三人がコーラスの全員だったが、彼らはまるで畑で働いているところを引っぱってこられて、ごてごてと騎士の衣裳で飾りたてたという恰好《かっこう》だった。
「ええ」と隣りの男が言った。「ソロは相当にやることがたびたびあります。この仲間に一人、どんな一流の劇場に出してもいいような喜劇役者がいます。おお、こりゃいかん!」このオペラの女王が二人の婦人を連れて登場すると、突然彼が叫んだ。「今夜はあいつか! それじゃ一晩五文でも高いぞ。ジャネットのほうがよっぽどましだ!」
舞台に現われたのは、顔が痩《や》せてぎすぎすした、ひどくくぼんだ黒い目をした、見栄《みば》えのしない女だった。みすぼらしい衣裳が体のまわりにだらりと垂れさがっていて、女王として登場したのは貧乏神だった。しかし彼女には、私をびっくりさせるほどの上品さがあった。――ほかの連中とはじつに釣り合わない、もしこれが若くて美しい娘だったらさぞふさわしかろうと思わせる上品さがあった。彼女が脚光へ近づいた。私は胸がどきどきした。彼女の名をきく勇気もほとんどなく、私は自分の目にだまされたのだと思いこんだ。
「あれは何というんですか?」とうとう私はきいた。
「アヌンツィアータ」と、隣りの男が答えた。「歌はだめなんです。あのちっぽけな痩せた恰好を見ればわかりますがね」
この一語一語が、心をむしばむ毒の雫《しずく》となって私の胸に垂れ落ちた。私は釘づけにされたようにじっと坐ったまま、穴のあくほど彼女を見つめた。
彼女が歌った。いや、それはアヌンツィアータの声ではなかった。弱々しく、調子はずれで、あやふやだった。
「たっぷり練習した痕跡は確かにありますが」と隣りの男が言った。「力が足りませんね」
「同じ名前の」と私はふるえる声で言いだした。「若いスペイン人とは似ても似つかぬ声ですね。ナポリとローマで大の人気者だったあのアヌンツィアータとは」
「とんでもない」と彼が答えた。「そのアヌンツィアータなんですよ! 七、八年前には彼女の人気はものすごいものでした。まだ若くてマリブラン〔有名なパリの歌姫。スカラ座に記念像がある〕の声を持っていました。が今ではもう、彼女を金色《こんじき》に輝かせるものがすっかりなくなってしまいました。実際のところ、これがこういう才能の運命ですがね。何年かのあいだは昼の太陽のように輝くのですが、賞讚に眩惑《げんわく》されたその才能の持ち主は、彼らもまた傾く日のあることも、栄光が自分を包んでいるまに潮どきを見て身を引くことも、全然考えやしません。世間がまず第一に変化に気がつく、これが悲しいところです。それにこういう婦人がたは普通、あまり派手な暮らしをしすぎるので、稼いだものは片っぱしから消えてなくなり、あげくの果てはどん底へ向かって駈け足というわけです。するとあなたは、ローマで彼女を御覧になったんですね?」と彼がきいた。
「ええ」と私は答えた。「たびたび」
「じつにひどい変り方だとお思いでしょうな!彼女としたら泣いても泣ききれないにちがいない」と彼が言った。「長いあいだひどい病気をしたので、咽喉《のど》がだめになったということです、四、五年前の話ですが。が、それは世間の人の知ったことじゃありません。昔の知り合いのために手を叩きませんか? 私もいっしょにやります。年よりが喜びますよ」
彼は大きく手を叩いた。平土間で彼の例にならった者があったが、すぐあとから大きくヒスの声の湧くなかを、女王は堂々と退場した。疑う余地はなかった。アヌンツィアータだった。
「|われらトロヤびとなりき《フィムス・トロエス》!」(「われらの栄光の日は去った」の意)と彼が小声で言った。今度は女主人公が登場した。まだ若い非常にきれいな娘で、燃えるような目と肉感的な体を持っていた。歓呼と拍手《はくしゅ》が彼女を迎えた。ローマの人々がどんなにアヌンツィアータに夢中になり、どんなに歓呼と拍手を惜しまなかったか。彼女の凱旋の行列、私の熱い恋――昔の思い出がことごとく、一瞬にして私の胸によみがえった。すると、ベルナルドは彼女を捨てたのだ。それとも彼女は彼を愛してはいなかったのか?私はたしかに、彼女が彼の上に身をかがめてその額に唇を当てるのを見た。その彼が彼女を捨てた、――彼女を捨てたのだ。そして彼女は病気になり、美しさが消えてしまった。彼が愛したのは美しさだけだったのだ!
彼女はまた別の場面に登場したが、なんと苦しげで年とって見えたことだろう! 私は彩色した死骸《しがい》にぞっとした。美しさがなくなったというので彼女を捨てたベルナルドに私は腹が立ったが、しかしいちばん悲しかったのは彼女の美しさがなくなったことであった。アヌンツィアータの心の美しさはきっと、前と少しも変りがないにちがいない。
「どこかお悪いんですか?」私が死人のように蒼《あお》い顔をしているので、隣りの男がきいた。
「暑くて頭がおさえつけられるようです」私はこう言って立ちあがると、桟敷から新鮮な空気のなかに出た。私は狭い小路《こみち》を急ぎ足で歩いた。無数の感情が胸のなかへ入り乱れて、私はどこへ行ったらいいのかわからなかった。私はまた芝居小屋の前に立った。ちょうど一人の男が看板をおろして、次の日のと掛けかえているところだった。
「アヌンツィアータの家はどこですか?」と、私は彼の耳にささやいた。彼は振り返って、私の顔を見ながら言った。
「アヌンツィアータ? 旦那のおっしゃるのは、きっと男の役をやったアウレリアですよ。家は御案内しますがね、あれはまだ体があきませんよ」
「ちがう、ちがう、アヌンツィアータだ」と私は答えた。「女王の役をやった役者だ」
男は探るような目で私を見た。
「あの痩せたちっぽけの女ですか?」と彼がきいた。「あれはお客に来られるなんてことは慣れてまいと思いますが、これにはこれでちゃんとわけがあるんでしょう。旦那をお連れしましょう。駄賃はいただけますな。しかし旦那はあと一時間あれにはお会いになれませんよ。まだあの女の出場《でば》がありますからね」
「一時間たったらここで待っていてくれないか」私はそう言って、ゴンドラに乗ると船頭に、どこでもいいから漕ぎまわるように言った。私の心のなかは落ちつかなかった。もう一度アヌンツィアータに会って、彼女と話をしなければならない、彼女は不幸なのだ! しかし私は彼女に何をしてやることができよう? 苦しさと悲しさが私を駆りたてた。
私を乗せたゴンドラがふたたび芝居小屋の前にとまったのは、あれから一時間たつかたたない時分だった。さっきの男が私を待って立っていた。
狭いきたない小路を通って、彼は私を一軒の壊れかかった家に案内した。いちばん上の屋根裏の部屋に明りがついていた。彼はそれを指さした。
「あすこにいるのか?」と私は叫んだ。
「なかまで御案内申しますよ」彼はこう言って、呼鈴《よびりん》の紐を引いた。
「誰?」と、上のほうで女の声がきいた。
「マルコ・ルガーノ!」彼が答えると扉があいた。
なかはまっ暗だった。聖母の像の前の燈明は消えて、火の残った芯《しん》だけが血の一点のように光っていた。私はぴたりと男のそばに寄った。ずっと上のほうの戸があいて、一すじの光が私たちのほうへ落ちてくるのが見えた。
「ほら自分のほうから降りて来ますよ」その男が言った。
私は何枚かの札を彼の手へ滑りこませた。何べんも礼を言いながら彼が急いで降りて行くまに、私は最後の階段をのぼって行った。
「あたしのことで何か変更でもできたの、マルコ・ルガーノ?」というさっきの声が聞こえた。アヌンツィアータだった。彼女が入口に立っていた。小さな絹を頭に巻いて、大きな部屋着をふわりと着ていた。
「転ばないように、マルコ」と言いながら、彼女は先に立って部屋にはいった。私はあとからついて行った。
「どなたです? どんな用がおありなんです?」私がはいって行くのを見た彼女が、ぎくりとしてきいた。
「アヌンツィアータ!」悲痛な調子で私は叫んだ。
「おお神様!」彼女は叫び声をあげて、両手を顔におし当てた。
「友だちです!」私は口ごもった。「前にあなたが多くの喜びと多くの幸福をお与えになった昔の知り合いが、あなたを捜しているのです、思いきって手を差しのべているのです」
彼女は顔から手をはなした。死人のように蒼白く、死体が立っているのかと思われた。黒い聰明な目がきらきら光った。アヌンツィアータは年をとった。苦労の跡がありありと見えた。しかしまだあの驚嘆すべき美しさ、あの精神のこもったしかし物悲しい眼ざしの名残《なご》りをとどめていた。
「アントニオ!」彼女が言った。眼に涙が見えた。「こんなふうにしてお目にかかるなんて!私を放っておいてください! 私たちの行く道は遠く離れているのです。あなたのは上のほうへ幸福に向かって、私のは下のほう――やはり幸福に向かって。……」彼女は深い溜め息をついた。
「私をあなたのそばから追いのけないでください!」と私は叫んだ。「友だちとして、兄弟として私は来たのです。私の心がそうさせずにはおかなかったのです。あなたは、――数千の人が歓喜の喝采を送ったあなたが、数千の人を幸福になさったあなたが、不仕合わせでいらっしゃる!」
「運命の車はぐるぐる廻ります」と彼女が言った。「幸運は若さと美しさについて行きます。そして世間の人は、それが凱歌をあげて帰る車に、馬の代りをつとめます。理知と真心は自然が与えるいちばんいやな贈りものです。若さと美しさのおかげで忘れられてしまうのです。そして世間の人のすることはいつも正しいのです」
「病気だったそうですね、アヌンツィアータ」と言う私の唇がわなないた。
「病気でした。一年ばかりひどい病気をしました。けれど死にはしませんでした」悲しげな微笑を見せて彼女が言った。「しかし若さは死にました、私の恋も死にました。そして一つの体にこの二つの死骸を見ると、世間の人は唖《おし》になりました。医者はただ死んだように見えるだけだと言いました。そしてその体はそう信じました。体には着る物と食べる物が必要でした、二年という長いあいだ、それを買うために持ち物をすっかり出してしまいました。こうなるとこの体は自分に色を塗って、死んだものが生きてでもいるように人の前に出なければならなくなりました、幽霊そっくりの様子で出て行きましたが、それを見た人たちが驚かないように、灯の数も少なくて薄暗がりの小さな小屋に姿を現わしたのです。けれどもそこでもやはり、若さと美しさが死んでいる、埋めた死骸だということがわかってしまいました。アヌンツィアータは死んでしまったのです、あすこに生きている時の姿がかかっています!」こう言って彼女は壁を指した。
このみじめな部屋に、豪華な金の額ぶちに入れた一枚の絵がかかって、あたりの貧しさと奇妙な対照をなしていた。ディドに扮したところを描いたアヌンツィアータの半身像だった。今も私の心に残る彼女の姿、額に誇り高さを見せたあの知的な美しさの顔だった。私は振り返ってアヌンツィアータを見た。彼女は両手で顔をかくして泣いていた。
「お帰りください。世間が忘れたように、私のいることをお忘れください!」彼女は頼むように言って、手を動かした。
「できません」と私は言った。「このままで帰ることはできません! 聖母様はやさしく情深いかたです、私たち皆を助けてくださいます!」
「アントニオ!」重々しい口調《くちょう》で彼女が言った。「あなたは、みじめな生き方をしている私をおからかいになるんですか? いいえ、世間の人とちがって、あなたはそんなことのできるかたではありません。けれど、私にはあなたがわからないのです。世間の人が一人残らず私に賞讚の歓呼をあびせ、お世辞と賞めことばを惜しげもなく私に与えた時、あなたは私をお捨てになりました。まるっきり見向きもなさらなかったのです! だのに今、世間の人の心をとらえた私の輝きが消えてしまい、誰もがみんな、私をどうなろうとかまわない他国者と考えている今になって、あなたはこの私のところへ――私を捜しにおいでになったのね」
「あなたが自分で、私をあなたのそばから追い払ったのです!」と私は叫んだ。「私を世の中へ追い出したのです! 私の運命と境遇が」と私は、ややおだやかな調子になって、つけ足した。「私を世の中へ追い出したのです」
彼女は無言だった。しかしその目は奇妙に何かさぐるようにじっと私に向けられたままだった。何か言いたそうな様子だった。唇が動いたが、しかし彼女は口をきかなかった。深い溜め息が彼女の胸の奥から出た。彼女は仰ぐように眼をあげ、また床《ゆか》に落した。彼女の手が額を撫でた。神と彼女だけが知るある考えがちらりと心に浮かんだように見えた。
「私はまたあなたにお目にかかりました!」ようやく彼女が口をひらいた。「もう一度この世でお目にかかりました! 私はあなたが親切なりっぱなかたなのがわかります。どうぞ、以前の私よりももっと幸福におなりになるように!白鳥はもう最後の歌を歌ってしまいました! 美しさは花から消えてしまいました! 私はこの世の中で一人ぼっちです! あの幸福なアヌンツィアータの残したたった一つのもの、それがあの壁の絵です! 一つお願いがあります」と彼女が言った。「一つきり、いやとはおっしゃらないでいただきたい、お願いです。いつかお気に入ったこともあったアヌンツィアータが、どうぞとお願いするのです!」
「なんなりと、なんなりとお約束します!」私は叫んだ。そして彼女の手を唇に押しつけた。
「今夜ここで御覧になったことは」と彼女が言った。「なにもかもどうぞ夢だとお思いください! 今度この世でお会いすることがあっても、そのときはおたがい知らないどうしでいるのです! もうお別れしましょう!」彼女はこう言いながら手を差し出したが、ことばをつづけた。「もっといい世界で、またお目にかかりましょうね! この世では私たちの行く道は別々なんですわ! さようなら、アントニオ、さようなら!」
悲しさに打ちのめされて、私は彼女の前に倒れたきり、何もわからなかった。彼女は私を起こした。子供のように彼女は私を歩かせ、子供のように私は泣いた。
「また来ます! また来ます!」こう言いながら私は彼女の部屋を出た。
「さようなら!」という声は聞こえたが、彼女の姿はもう見えなかった。
階段も街もまっ暗だった。
「神よ、あなたのお造りになったものがなんと悲惨な目にあうものでしょう!」私は苦しさのあまり叫び、声を立てて泣いた。つかのまの眠りも私の眼を訪れず、私は悲しみの一夜を送った。
さまざまの計画を立てては壊し、立てては壊ししているうちに、次の日が過ぎてしまった。私は自分の貧しさを感じた。私はカンパーニャから連れて来られた貧乏な若者にすぎなかった。私の心の人なみ以上のすなおさが、私に人の世話になるという枷《かせ》をはめたのは確かであるが、私の才能はじっさいわたしに明るい前途をひらいてくれるように見えた。これはしかしアヌンツィアータのよりも輝かしいものであったろうか。そしてその末路はどうだったろう? 滝となり虹をくぐり抜けて輝きながら、泡だちへ突進した奔流も、ポンティーネさながらのみじめな沼地に終ってしまったのだ。
私はもう一度アヌンツィアータに会い、もう一ぺん話をしなければ気が済まなかった。私がふたたびあの暗くて狭い階段をのぼったのは、私たちが会ってから二日目のことだった。入口はしまっていた。叩くと一人の老婆が横の戸をあけて、あき間を見るつもりなのかときいた。「あなたには小さすぎますけどもね」と彼女が言った。
「ところであの歌う人は?」と私はきいた。
「いなくなりましたよ」と老婆は答えた。「きのうの朝どこかへ行ってしまいました。旅廻りに出かけたんだと思いますがね。なんだかとんでもない大急ぎでしたよ」
「どこへ行ったかわかりませんか?」と私はきいた。
「いいえ」と彼女が答えた。「どこへ行くのか何も言いませんでした。パドヴァだかフェルラーラだかトリエステだか、いずれはどこかでしょうよ。町はたくさんありますからね」こう言って彼女は、私に部屋を見せるつもりで扉をあけた。
私は芝居小屋へ行った。あの一座は昨日が千秋楽で、小屋は閉まっていた。
彼女は、あの気の毒なアヌンツィアータは行ってしまった。私の心は苦々しい気持でいっぱいだった。なんといってもベルナルドが(と私は考えた)彼女の不幸の原因であり、私の今までの一生にこんな道すじを取らせた元であった。彼がいなかったら、彼女は私を愛したであろうし、彼女の愛は私の心に非常な力と発展とを与えたであろう。私があの時すぐに彼女のあとを追って行って即興詩人として打って出たら、私の勝利は彼女のそれと一つになって、何もかも今とはまるでちがっていただろう! そうすれば、苦労が彼女の額に皺を寄せることもなかったであろう!
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十三 ポッジオ
ポッジオが訪ねて来て、私の意気銷沈の原因をたずねた。しかし私はそれを彼に――いや、誰にも説明することはできなかった。
「君はじっさい」と彼が言った。「たちの悪いシロッコに吹かれたみたいな顔をしているよ。この熱風が吹いてくるのは君の心からかい? 心のなかの小さな鳥が焼け死んでしまうかもしれないよ。焼けたってそいつは不死鳥とはちがうんだから、何の得にもならないぜ。時々は外へ飛び出して、畑の赤い苺《いちご》をつまみ、バルコンのきれいな薔薇《ばら》をつんで、元気をつけなければたまらないよ。僕の小鳥はそれを実行しているから、おかげでますます健康だ。元気いっぱい陽気な歌を、僕の血のなか、僕の体じゅうに響かせてくれている。僕にこの元気があるのもその賜物《たまもの》だ。君も同じことをやらなきゃいけない、ぜひやらなくちゃね! 詩人は自分の心のなかに心身とも健全な鳥を持っていなければいけない、――薔薇も苺も、酸いも甘いも、どんよりした空も澄んだ大気も、知っている鳥をさ!」
「君は詩人についてなかなかりっぱな意見を持ってるよ」
「キリストは僕たち皆と同じ人間になって」と彼が言った。「地獄の呪われた人々のところへさえ降りて行った! 天上のものは地上のものと結合しなければならない。それから生ずる偉大な結果が――いやまったく、とんでもない講義をやりだしたもんだ。じつは僕はね、講義をしなくちゃならないんだ。約束したんだからね。だが題目は僕の考えではこんなんじゃない。ある紳士がまったく突然その友人たちを見捨てる、ということにはどういう意味があるのか? この紳士は完全に三日というもの一度も市長の家へ来なかった。彼としてはけしからん、すこぶるけしからんことだ。市長の家族も非常に怒っている。明日といわずに今日すぐ君は出かけなくてはいけない。そしてひざまずいて、フェデリーゴ・バルバロッサ〔十一世紀のドイツ皇帝ハインリヒ四世のこと。この皇帝はローマ法王グレゴリオ七世に破門され、その赦免を乞うためカノッサなる法王の居城の前に、あぶみを捧げもって三昼夜、雪のなかを立ちつくした〕の再来のように、鐙《あぶみ》をささげ持たなくてはいけない。三日も市長のところへ顔を出さずにいるとはねえ! 僕はローザ夫人に聞いたんだ。いったい何がはじまったというのだ?」
「工合が悪かったんだ。それで外へ出なかったのさ」
「いや君、だめだ、そんなことを言ってもちゃんとわかってる。おとといの晩、君はオペラ『スペインの女王』を見物に出かけた。可愛らしいアウレリア騎士、つまり小さな怒れるオルランドになって出るやつさ。彼女を征服することなんか、頭に白髪一本ふやすにも及ばん。大して手のかかる代物《しろもの》じゃないからね。しかしまあ、それはそれとして、君は今日僕といっしょに市長のところへ行くことになっているんだ。僕たちは招待されてるんだよ。そして僕は君を連れて来ると約束したんだからね」
「ポッジオ」と私はまじめに言った。「なぜ僕があの家から遠のいたか、これからもそうたびたびは行くつもりがないか、君にそのわけを話そう」
そして私は、あの銀行家の妻がどんなことをこっそり私に話したか、財産もありカラブリアに土地も持っている美しいマリアを手に入れることを私がもくろんでいると思って、ヴェネツィアの人間がどんなことを言っているか、それを私は彼に話した。
「なあんだ」とポッジオが叫んだ。「僕がそんなことを言われたとすれば、僕は大喜びをするだろうね。なるほど君は、そういう理由で行かないつもりなのか? いかにも世間ではそう言っている。それに僕もそう信じている。というのは、それがまったく自然だからだ。ところで僕たちが正しかろうと間違っていようと、そんなことは君があの家の人たちに礼儀を欠く理由にはならないよ。マリアは美人だ、すこぶる美人だ。理解力もあれば感受性もある。おまけに君は彼女を愛している。これはずっと前から僕がはっきり見ていた」
「いやいや」と私は言った。「僕の心は恋などというものとはおよそかけ離れているのだ。マリアは前に見たことのある盲の娘に似ている。あの娘は子供だけができるように驚くほど僕をひきつけた。マリアがその娘に似ているのを見て僕は心を動かされて、それで彼女の顔に見とれたわけなのだ」
「マリアは盲だったことがあるんだ!」かなり真剣な調子でポッジオが言った。「ギリシアから来た時は盲だった。ナポリで医者をしていた伯父《おじ》が手術をして、そのおかげで目が見えるようになったのだ」
「僕の盲の娘はマリアじゃない」と私は言った。
「君の盲の娘だって!」ポッジオがおもしろそうに口まねをした。「君にマリアを見つめさせ、しかも類似点を発見させるところをみると、君のいうその盲の娘は、すこぶる驚嘆すべき人物に相違ない! いや、これは譬《たと》えとして言うだけだがね。昔々君が知り合いになったのは盲の愛神《アモル》で、これが君にマリアを見せたのだ。さあ白状したまえ! 思いもよらない時に結婚の発表があって、君たちはヴェネツィアからいなくなる、という寸法だろう」
「ちがうよ、ポッジオ」と私は叫んだ。「そんな言い方をするなら僕は怒るよ。僕は決して結婚しない。僕の恋の夢は終ったのだ。僕は二度とそんなことは考えないし、また考えられない。永遠なる神とすべての聖者にかけて、僕は考えるつもりもないし、また考えることもできない!」
「黙って! 黙って!」私に先をつづけさせまいとして、ポッジオが叫んだ。「そんな誓いは聞きたくない。僕は君を信じる。君がマリアを愛していて彼女と結婚するつもりだなんて言うやつは、どいつもこいつも反駁《はんばく》してやる。しかし、決して結婚しないという誓いだけはよせよ。おそらく結婚式は君が想像するより近くに迫っている。今年じゅうということさえ大いにありうるよ」
「たぶん君のがね」と私は言い返した。「だが僕のは、いつまでたってもだ」
「いやいや、君は僕が結婚できると思ってるんだな?」とポッジオが叫んだ。「だめだよ、君、僕は女房をやしなう方法がない。結婚の楽しさは僕には金がかかりすぎる」
「君の結婚のほうが僕より先だ」と私は答えた。「美しいマリアだって君のものにならないとはかぎらない。ヴェネツィアじゅうが、彼女が手を与えるのは僕だと言っているまに、君が彼女の手を取ってしまうことも、なきにしもあらずだ」
「とんでもない話だ」そう答えて彼が笑った。「そんなことはない。僕は彼女に僕よりもずっと上等の夫を与えた。賭をしよう」と彼がつづけた。「君は結婚する。マリアでも、ほかの人でもいいが、君は夫となり、僕は独身でいる。賭けるのはシャンパン二本、君の結婚する日に二人であける」
「いいとも」私は微笑しながら答えた。
私は彼といっしょに市長の家へ行かなければならなかった。ローザ夫人は文句を言った。市長も同様だった。マリアは黙っていた。私はマリアを見た――本当にヴェネツィアじゅうの人間が、彼女が私の花嫁だと言っているのだ。ローザと私は杯を合わせた。
「御婦人はどなたも、この即興詩人の健康を祝って飲むことはなりませんよ」とポッジオが言った。「彼は永遠に女性を憎むことを誓いました。彼は決して結婚しないのであります!」
「永遠の憎しみ!」私は答えた。「私が結婚しないということが何でしょう? 婦人における美しきもの、人生におけるあらゆる関係を向上させ柔らげるものを尊びあがめることが、もはや私にはできなくなるでしょうか?」
「結婚しないだと?」市長が叫んだ。「これはあなたの天才から生まれたいちばんできの悪い考えでしょう。それを暴露するということは」と彼はポッジオに向かってふざけた調子でつづけた。「決して友人としての美しい行いとは言えませんぞ」
「彼が恥ずかしいと思えばそれでいいのです!」とポッジオが言った。「ほうっておくと、彼はたちまちこのできの悪い以外の何物でもない自分の考えに夢中になるのみか、それが実もって派手なものなので、独創的なものと間違えて首ったけになるかもしれませんから」
人々は私に冗談を言い、私をからかった。私も陽気にならないわけにゆかなかった。みごとな料理ととびきり上等の酒が私の前に置かれたが、私はアヌンツィアータの貧しさを思い出し、今ごろは餓死しかかっているのではなかろうかと考えた。
「シルヴィオ・ペルリコ〔イタリアの自由のために闘った文人。一七八八―一八五四〕の書いたものを送ってくださるお約束でしたね」別れる時、ローザが言った。「どうぞお忘れなくね。それからいい子になって、毎日ここへいらっしゃいよ。私たちがあなたは毎日いらっしゃるものと思うようになったのは、あなたのせいですからね。ヴェネツィアじゅうどこをさがしても、ここほどあなたがいらっしゃるのを喜ぶ家はありませんよ」
私は繁々《しげしげ》と訪れるようになった。どんなに私が愛されているかがわかったからだった。
私がポッジオと最後に話し合った時からひと月ばかりたったが、そのあいだ私はアヌンツィアータの話をすることができなかった。そこで私は好機の到来にまかせることにした。切れた糸を、機会がうまい工合につないでくれることもたびたびあるからだった。
ある晩、市長の家へ行くと、マリアは妙に物思いに沈んでいるように思われた。その表情にも立居振舞にも、苦しんでいる様子がはっきり現われていた。私は彼女とその叔母に本を読んで聞かせていたが、そのあいだも彼女は上《うわ》の空のように見えた。ローザが部屋を出た。私は今までマリアと二人きりになったことは一度もなかった。何かよくないことが近づいて来るような、奇妙な、説明のつかない予感が私の胸をみたした。私はシルヴィオ・ペルリコについて、政治家としての生活が詩人の心におよぼす影響について話をはじめようと努力した。
「院生《アバテ》さん」と彼女は言った。心がすっかりただ一つの問題に向けられていたため、彼女は私の話していることが一言も聞こえない様子だった。「アントニオ」彼女はふるえ声でつづけた。彼女の頬がまっ赤に染まった。「ぜひお話しなければならないことがあります。死にかかっているある人と、私はそう約束したのです」
彼女はまをおいた。私は彼女のことばに不思議な胸さわぎを覚えて、無言のままだった。
「私たちは決してそんな他人行儀ではないはずですが」と彼女が言った。「この瞬間が私にはとても怖ろしいのです」こう言って彼女は死人のように蒼ざめた。
「おお神様!」と私は叫んだ。「何があったんですか?」
「神様の微妙なおみちびきが」と彼女が言った。「私をあなたの一生の出来事のなかへ引き入れて、一つの秘密、他人は一人も知ってはならない関係にかかわりをもたせました。けれども私の唇は何も言いません。死んだ人に約束したことは、私は叔母にさえ言いませんでした」
こう言って彼女は小さな包みを取り出して、私に渡しながらつづけた。「これはあなたに宛てられたものです。これがすべてを説明してくれます。私はこれをじかにあなたにお渡しすると約束しました。私は二日のあいだこれを持っていました。どうすれば自分の約束が果たせるかわかりませんでしたの。でも今やっと約束どおりにできました。誰にもおっしゃらないでください。私も黙っています」
「誰からですか?」私はたずねた。「教えてはいただけないのですか?」
「永遠なる神から!」そう言って彼女は出て行った。
私は急いで家へ帰って、その小さな包みを開いた。綴じてない紙がたくさんはいっていた。まず最初に私の目についたのは、私の書いたもの――鉛筆書きのちょっとした詩だったが、その下に、まるで墓石に書くように、黒インクの十字架のしるしが三つついていた。はじめてアヌンツィアータを見た時、私が彼女の足もとへ投げたあの詩だった。
「アヌンツィアータ!」私は深い溜め息をついた。「ああ、彼女からだったのだ!」
紙きれのなかに封をした帳面があって、「アントニオへ」という上書きがしてあった。私は封を破った。――やはり彼女からであった。はじめの半分は私が彼女に会った晩に書いたものであることがわかった。あとの半分はもっと新しいように見えた。インクの色もごくうすく、ふるえる手で書いたものだった。
私は読んだ。――
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「私はあなたにお目にかかりました、アントニオ、もう一度お目にかかりました。もう一度お顔を見たいというのが私のたった一つの望みでしたのに、ほんのちょっとのま、怖ろしい気がしました。死が結局は幸福を与えてくれるのに、それを怖れるようなものです。お目にかかってからまだ一時間しかたちません。これをお読みになるのは幾月か過ぎてから、それよりおそくはないでしょう。自分の姿を見た者はそれからまもなく死ぬと言います。あなたは私の魂の半分です――私の思い出でした。私はそのあなたにお目にかかれたのです! あなたは幸福な時の私と、みじめな時の私を御覧になりました。貧乏な、世間から見捨てられたアヌンツィアータに知らん顔をなさらなかったたった一人の人、それがあなたでした。けれども私にもそうしていただく値うちはありました。
いま思いきってこんなふうに申しあげるのも、あなたがこれをお読みになる時には、もうこの私がこの世にいないからです。私はあなたを愛していました――私の華《はな》やかだった時から最後の瞬間まで、あなたを愛していました。私たちがこの世で結ばれるのを聖母様はお望みにならず、私たちを別れ別れになさいました。
私はあなたが愛してくださることを、ベルナルドが射たれたあの不幸な晩、あなたがおっしゃる前から知っていました。私は、私たちを別れ別れにしたあの出来事に胸がつぶれ、大きな歎きに押し伏せられて、舌の根が動きませんでした。私は死んだと思った人の上に顔を伏せて、見えないようにしました。そのまに、あなたは行っておしまいになりました。――私が顔をあげた時、あなたはもう見えませんでした。
ベルナルドの傷は、死ぬほどのものではありませんでした。私はそれをはっきり確かめるまで、そばについていました。そのためあなたは、あなたへの私の愛を疑う気持におなりになったのでしょうか? 私はあなたがどこにいらっしゃるのか、知ることも捜し出すこともできませんでした。それから三、四日すると妙なお婆さんが私のところに来ました。あなたが、「私はナポリへ旅行します」と書いて署名をなさった紙きれを渡して、あなたに旅券とお金が入用だと言いました。私はベルナルドに元老院議員の伯父から手に入れるように頼みました。そのころは、私の望みは命令であり、私のことばは力を持っていました。私は入用のものを手に入れました。ベルナルドもあなたのことを心配していました。
ベルナルドはすっかりよくなりました。彼は私を愛していました。私もベルナルドの気持が正直なものだということは十分信じられましたが、私の心はあなたのことでいっぱいでした。彼はローマを離れました。私もナポリへ行かなければなりませんでした。私は婆やの病気に引きとめられて、ひと月のあいだモーラ・ディ・ガエータにいました。やっとナポリに着いた時、ちょうど私が着いた晩に初舞台を踏んだチェンチという若い即興詩人の噂を聞きました。あなただという予感がしました――私は確かめました。婆やがさっそくあなたに手紙をあげました。私たちのいる場所は書きましたが、名前は書きませんでした。あなたはおいでになりませんでした。婆やはもう一度書きました。名前こそ書きませんでしたが、誰から来たかわかっていただけるつもりでした。婆やはこう書きました。――『いらっしゃい、アントニオ! 私たちのお別れの最後の不幸な一瞬の恐ろしさは、もう消えたことと思います。大急ぎでいらっしゃい!――あれは誤解だったとお思いください。何もかも都合よく行くでしょう。一刻も早くおいでになればいいのです』
今度もあなたはおいでになりませんでした。私はあなたが手紙をお読みになったこと、それからすぐローマへお帰りになったことを知りました。私はなにを信じることができたでしょう? あなたの愛がおしまいになった、ということでした。アントニオ、私にも誇りはありました。世間が私の心を思いあがらせたのです。私はあなたを忘れませんでしたが、――私はあなたをあきらめました。あきらめるのにひどく苦しみました。
婆やが死んで、その兄さんもあとを追いました。私にとって両親のような人たちでした。アントニオ、私はあなたが愛情をこめて私を思っていてくださり、世の中の幸福が私を見放してしまった時、私の手に接吻してくださるとは知りませんでした。私は一年ものあいだ病気で寝ていました。私が舞台に立った一年間に貯えたものが消えてなくなりました。私は貧乏になりました。――二重に貧乏になりました。というのは声が出なくなったからで、病気がすっかり私を弱くしたのです。年が過ぎました。七年ぐらいもたったでしょうか。そして私はあなたにお目にかかり、あなたは私の貧しさを御覧になりました! 昔ローマの街々を勝利に輝く馬車に乗って練り歩いたアヌンツィアータを、舞台から追い払ったヒスの声を、きっとあなたは耳になすったことでしょう。私の運命のように私の心のなかも苦くなりました。
あなたがおいでになりました。私の目を見えなくしていたものが、すっかりなくなったようでした。あなたが真心こめて私を愛してくださるのが感じられました。あなたはあなたを世の中へ追い出したのは私だとおっしゃいました。あなたはどんなに私があなたを愛していたか、どんなにあなたのほうへ両腕を差し伸べていたか、御存じなかったのです! けれど私はあなたにお目にかかりました。あなたの唇が、昔と、なつかしい昔と変らず私の手に暖かく当てられました! そして私たちは、またもや、別れ別れになりました。私は元のとおりこの小さな部屋に一人ぼっちになりました。明日はこことも――そしてたぶんヴェネツィアともお別れです! アントニオ、私のために悲しまないでください。聖母様は親切で情深くていらっしゃいます! 優しく私を思い出してください。これは死んだ者――あなたを愛し、今も、天国へ行ってからも、あなたのためにお祈りするアヌンツィアータからのお願いです」
[#ここで字下げ終わり]
読んで行く私の目から涙がぼろぼろ流れた。心までが涙のなかに融けてしまうかと思われた。
手紙の残りの部分は数日おくれて書いたもので、最後の別れだった。――
[#ここから1字下げ]
「私の苦しみももうすぐ終ります! 私に贈られたすべての悦びを思えば、いっさいの歎きを考えても、聖母マリアを讚えなければなりません。死が心臓にはいって来ました! 血が流れ出てゆきます! もう一度流れればそれですべては終るのです。
ヴェネツィアいちばんの美しく気高い少女があなたの花嫁になる人だと、人々が話してくれました。どうぞお仕合わせに! これが死にかかっている者の最後の願いです。その少女のほかには、これを、私の最後のお別れのことばの取次ぎをお願いできる人を、私は世界じゅうに一人も知りません。私の心はその少女がここへ見えるのを予感しています。――その気高く女らしい心は、生と死のあいだの最後の一段に立っている女に最後の元気をつける飲み物を与えることを、よもや拒みはなさらないでしょう。その少女はここへ見えるでしょう。
さようなら、アントニオ! 私のこの世での最後の祈りと、天国での最初の祈りは、あなたのためと――あなたのおそばで私にはなれなかったものになるその少女のためにいたしましょう。私の心には思いあがったところがありました――世間の人の賞讚の置土産《おきみやげ》です。私といっしょではあなたはたぶん幸福におなりになれなかったでしょう。でなければ聖母様が私たちをお引き離しにならなかったはずです!
ごきげんよう! さよなら! 心が平和になって来ました。私の苦しみも終りました。死が近づきました!
あなたもマリアも、私のためにお祈りください!
アヌンツィアータ」
[#ここで字下げ終わり]
最大の苦痛は表現すべきことばがない。なんとも始末のならない気持で、気が抜けたように坐ったまま、私は自分の涙にぬれたアヌンツィアータの手紙を眺めた。アヌンツィアータが私を愛していた! 私をナポリへ連れて行った目に見えない霊はアヌンツィアータだったのだ。あの手紙も彼女からだったのだ。私が想像したようにサンタからではなかったのだ。アヌンツィアータは病気をし、貧苦のどん底に沈んで死んだ。――もう死んでしまったにちがいない。私がナポリへ旅行すると書いてフルヴィアに渡し、彼女がアヌンツィアータのところへ持って行った紙きれも、ベルナルドからの開封された手紙といっしょに、手紙の包みにはいっていた。この手紙でベルナルドは、彼女に別れのことばを送り、ローマを去って外国の勤務につく決心を述べていたが、どんな仕事かということは何も言っていなかった。
アヌンツィアータは私の代りにマリアに手紙の包みを渡した。そのマリアを、彼女は私の花嫁になる人と呼んだ。あの根も葉もない噂《うわさ》がアヌンツィアータの耳にもとどいたので、彼女はそれを信じて、マリアを自分の病床へ呼んだのだ。彼女はいったい何を告げたのだろう!
私はマリアが私に話した時の不安らしい様子を思い出した。――ヴェネツィアの人々が私たち二人について想像していることを彼女も知っていたのだ。そんな勇気はなかったが、私はそれについて彼女に話さなくてはならなかった。じっさい彼女は私の、そしてマリアの護り神であったのだから。
私はゴンドラに乗り、まもなくローザとマリアがいっしょに仕事をしている部屋にいた。マリアは当惑し、私は私でただ一つそれだけが心を占めているものを口に出す勇気がなかった。私は何をきかれても的はずれの返事をした。悲しみに胸がしめつけられていたのだ。すると心のやさしいローザ夫人が私の手をとって言った。――
「あなたは心に何か大きな悩みがおありですね。私たちに打ち明けてください。慰めてあげることはできないにしても、私たちは本当の友だちとして、いっしょに悲しむことはできますよ」
「何もかも御存じじゃありませんか!」と私は苦しさをことばに出して言った。
「マリアはたぶんね!」叔母が言った。「私はまるで知らないも同然です」
「伯母さん!」マリアは訴えるように言って彼女の手をとった。
「いいえ、あなたがたには私は何もかくすことはありません!」と私が言った。「何もかもお話しましょう」
そして私は自分の子供時代のことや、アヌンツィアータと私がナポリへ落ちのびた話をしたが、マリアは両手を組み合わせて――フラミニアがしたように、またもう一人の人がしたように私の前に坐っているのを見ると、私は黙ってしまった。私は、ララとあの洞穴のなかの夢の姿の話を、マリアの前でする勇気がなかった。それに、これはアヌンツィアータの話のなかには、はいらないようにも思った。そこで私はヴェネツィアで会った時のことと、最後の会話に話をすすめた。マリアは目を両手でおさえて泣き、ローザは黙っていた。
「そういうこととは、まるで知りませんでしたし、思っても見ませんでした」ようやく彼女が口を切った。「マリア看護婦会の病院から」と彼女はつづけた。「手紙が来て、ある死にかかっている婦人がマリアにぜひ、人助けと思って来てほしいと願っているということでした。私はゴンドラでいっしょに行きましたが、マリア一人でということだったので、マリアが死にかかっている人のベッドのそばにいるあいだ、私は看護婦会の人たちといっしょにいました」
「私はアヌンツィアータに会いました」とマリアが言った。「あなたにお渡ししたあの包みは、そのとき私がことづかって来たのです」
「で、何と言いました?」私は叫んだ。
「『アントニオに、あの即興詩人にお渡しください、誰にも知れないように』って。あの人は兄妹《きょうだい》のような調子で、守護天使がするような調子であなたの話をしましたが、血が――血が唇の上に見えたかと思うと、あの人は臨終の苦しみのなかで眼を天へ向けて……」ここで彼女はわっと泣きだした。
私は無言で彼女の手を唇に当て、アヌンツィアータのところへ行ってくれた慈悲と親切に感謝した。
私は急いでそこを出て、教会へ行き死者のために祈った。
市長の家でこういうことがあってから、私はそれまで以上の厚い友情と大きな親切とで迎えられるようになった。ローザとマリアは私にとって仲のいい姉妹の役どころで、私が望んでいることを言われない先に察しようと彼女たちは努力するのだった。どんな小さなことにも、私は彼女たちの心づかいの跡を見ることができた。
私はアヌンツィアータの墓へ行った。教会の墓地は、高い塀をめぐらして水に浮かべた箱船――死者の園のある小島だった。おびただしい黒い十字架を植えた緑の土地が見えた。私は自分の捜す墓を見つけた。「アヌンツィアータ」と書いてあるだけだった。その十字架に、月桂樹のまだ新しいきれいな花環がかけてあった。マリアとローザからの贈りものにちがいなかった。私はこのやさしい思いやりを二人に感謝した。
やさしさに包まれたマリアは、なんという美しさだろう! 彼女と私の美の像ララ――なんとこの二人はよく似ていることだろう! マリアが目を伏せると、そんなことがありえないのは知りながらも、私は二人が同じ人ではないかと思った。
このころ私は、ファビアーニから手紙を受け取った。私がヴェネツィアに住むようになってから、もう三月《みつき》あまりたっていた。これが彼を驚かせたのだった。彼の考えでは、私はもうこれ以上この都会に長居をせずに、ミラノかジェノヴァへ行くべきであった。しかし彼は、私が自分の思いどおり自由にすることを認めていた。
このように長く私をヴェネツィアに引きとめたのは、それが私の悲しみの町だったからである。私が到着した時、それは悲しみの町として私に挨拶した。その町で、私の生涯の最上の夢が涙に溶け去ってしまった。マリアとローザは私にとって愛情の深い姉妹であり、ポッジオは愛すべき忠実な友人だった。彼らのような人々はどこにも見つかるはずがなかった。しかしやはり、私たちは別れなければならなかった。私の悲しみは、これを糧《かて》にいっそう深くなった。そうだ、行こう――行ってしまおう! 私は固く決心した。
私は、ローザとマリアがそれを聞いても驚かないようにしておきたいと思った。彼女たちに知らせずに済むことではなかったからだ。その晩わたしは彼女たちと、運河の上へ張り出したバルコンのある大きな客間に坐っていた。マリアは召使に灯を持って来るように命じたが、ローザは明るい月の光のなかにいるほうがずっと気持がいいと言った。
「歌ってちょうだいな、マリア」彼女が言った。「穴居人の洞穴のきれいな歌を覚えたでしょう、あれがいいわ。アントニオに聞かせておあげなさい」
彼女は歌った。いっぷう変った静かな揺籃の歌で、低い不思議なメロディーであった。歌詞と曲調がたがいに融け合ってすきとおるようにきれいな波の下の美の故郷をありありと心に浮きあがらせた。
「この歌には、とても霊的なすきとおったような感じがありますね!」とローザが言った。
「魂はこんなふうに肉体のなかから現われて来るにちがいない!」と私は叫んだ。
「こんなふうにこの世の美しさは、盲の人の前にただようのよ!」とマリアが溜め息をついた。
「そうすると、目が見えるようになると、本当はそんなに美しくはないのだね?」とローザがきいた。
「たいして美しくないのよ。けれど、また、ずっと美しくもあるの!」とマリアが答えた。
そしてローザは、私が前にポッジオから聞いたあの話――つまりマリアは盲だったが、ローザの兄が見えるようにしたのだという話を聞かせてくれた。マリアは親しみと感謝をこめてその名を言い、盲だった時の自分のまわりの世界――暖かい太陽、人間、葉をひろげたサボテン、大きな寺院などについて、彼女がどんなに子供っぽい考えを持っていたかを語った。「ギリシアにはここよりもずっとたくさんいます」突然彼女がこう言った。そしてつかのま彼女の話がとぎれた。
「音の強さと美しさのように」と彼女はつづけた。「私は色を考えていました。菫《すみれ》は青くて、海と空も青いと聞いていたので、菫のいい香りが、海と空がどんなに美しいものか教えてくれました。肉体の目が死んでいる時のほうが心の目ははっきり見えるのです。盲は心の世界を信じるようになります。盲が見るものはいっさいそこから現われてきます」
私は黒い髪に青い菫を插したララを思い出した。オレンジの木の芳香は私をペストゥムへも連れて行った。そこには寺院の廃墟に菫とアラセイトウが生えていた。私たちは偉大な自然の美と海や山について語り、ローザは美しいナポリをなつかしがった。
そこで私は、私が近いうちに出発すること、二、三日じゅうにヴェネツィアを離れなくてはならないことを彼らに告げた。
「私たちを置いてらっしゃるの?」ローザが驚いて言った。「まるで思いもよらないことですわ」
「またヴェネツィアへおもどりになりません?」マリアがたずねた。「あなたのお友だちに会いに」
「もどって来ますとも、かならず!」と私は叫んだ。私の計画はそれとはちがっていたが、私はミラノから帰る時はヴェネツィアを通ってローマへ行くと言いきった。私はそう信じていたのだろうか?
私はアヌンツィアータの墓を訪れて、もう二度とここへ来ることがないかのように、そこにかけた花環から葉を一枚とった。そして私がそこへ行ったのは、ほんとにこれが最後になってしまった。墓石の下に保存されるのは骨と灰であった。ありし日の美しさは私の心の影像としてとどまり、魂はかつて彼女がその反映であった聖母のもとにあった。アヌンツィアータの墓と、別れる時ローザとマリアが私に手を差し出した小さな部屋――この二つだけが私の涙と私の悲しみを見た。
「あなたの心にあいた穴を埋めるりっぱな奥さんをおさがしになるように!」別れる時、ローザが言った。「いつかいっしょにいらっしゃって、私に抱かせてくださいね。私はきっとその人が大好きになりますよ。あなたのおかげで大好きになったアヌンツィアータと同じように!」
「元気よく朗らかに帰っていらっしゃい!」とマリアが言った。
私は彼女の手に接吻した。彼女の目は深い感情をあらわして私を見ていた。市長は泡だつシャンパンの杯を持って立ち、ポッジオは広々と自由な自然のなかの転がる車輪と鳥のさえずりをあらわした、愉快な歌を歌いだした。彼は私といっしょのゴンドラに乗って、フジナまで送ってくれた。婦人たちはバルコンから白いハンカチを振った。
また会う時までにどんないろいろのことがあることだろう! ポッジオは度はずれのはしゃぎ方だった。それが自然なことは私にはわかりすぎるほどわかった。彼は私を強く胸に抱きしめて、たびたび手紙のやり取りをしようと言った。
「君の美しい花嫁のことを知らせろよ。そしてあの賭を忘れるなよ!」と彼が言った。
「こんな時によくもそんな冗談が言えたもんだ」と私が言った。「僕の決心はわかってるじゃないか」
私たちは別れた。
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十四 ヴェローナの旧蹟
馬車は先へ先へ走った。緑のブレンタ川が見え、枝垂柳《しだれやなぎ》と遠くの山々が見えた。夕方近く、私はパドヴァに着いた。七つの堂々たる円屋根をもつ聖アントニウス教会が、澄んだ月明りのなかで私を迎えた。街の柱廊の下はいたるところ、陽気で生き生きしていたが、私は自分が他国者であり孤独であるのを感じた。
日の光で見ると、何もかも私にはいっそうおもしろくなかった。先へ、もっともっと先へ!旅は元気をつけ悲しみを追い払う、と私の考えるあいだにも馬車は走った。
あたりは目のとどくかぎり大平原で、ポンティーネの沼地のようにみずみずしい緑色だった。高く伸びた枝垂柳が大きな滝のように溝の上に垂れ、そこここに聖母の像のある祭壇があった。そのいくつかは雨風にさらされて白くなり、どの祭壇でも彩色してある横の壁の一部分は崩れ落ちていたが、ところどころに新しく描いた母と子の絵もあった。私は貸馬車の馭者《ぎょしゃ》が新しい絵には帽子をとるが、古いのと色のあせたのは目につかないらしいのに気がついた。私はこれを非常におもしろいと思ったが、何もそう感心することはなかったのではないか? 尊く浄《きよ》らかな聖母の像さえも、その地上の色があせたというので見落され、忘れられるのだ。
私はパルラッディオ〔イタリアの高名な建築家。一五一八―八〇〕の芸術さえが、私の悲しい心に一すじの光をも投げることのできなかったヴィチェンツァを過ぎて、数多い町のなかで第一に私を惹《ひ》きつけたヴェロナに着いた。円形劇場は私をローマに連れもどし、コロセウムを思い出させた。ここにあるのはその小さな可愛らしい模型で、いっそうはっきりしていて、野蛮人に荒らされてもいない。広い柱廊は倉庫に変り、闘技場の中央に布と板の小さな屋台が立っていた。ここで小さな一座が芝居をするということだった。私は夕方行って見た。ヴェロナの人たちが、かつて父親たちの坐った円形劇場の石のベンチに坐っていた。この小劇場の出し物は「ラ・チェネレントーラ」で、劇団はアヌンツィアータのいたそれだった。アウレリアがこのオペラの主要な役を演じたが、何もかもみじめで、見ていて悲しくなるばかりだった。吹けば飛ぶような屋台を囲んで、昔の、大昔の円形劇場が巨人のように立っていた。数の少ない楽器は完全にカドリールに圧倒され、観衆は拍手喝采してアウレリアの名を呼んだ。私は急いで外へ出た。表はしんと静まり返り、巨人のような大建築が強い月明りのなかに幅の広い暗い影を落していた。
私は、その争いが二つの相愛する心を引き裂いたが、死がふたたびそれを一つにしたというカプレーティ、モンテッキ両家の話――ロメオとジュリエットの物語を聞いた。私はカプレーティの大邸宅へ行ってみた。ロメオがはじめてジュリエットに会い、彼女と踊った場所である。この家は今は宿屋だった。私はロメオが恋人と死の場所へ忍んで行った階段をのぼった。壁の絵は色あせながらも、床までとどく大窓のある広い舞踏室はまだ残っていたが、あたりはいちめんの乾草と藁、石灰の樽が壁に沿って並べられ、隅には馬具や農具が床の上にほうり出してあった。これがかつてはヴェロナ第一の名門の人々が、波うつ音楽のひびきに合わせて軽やかに漂うがごとくに踊ったところである。ロメオとジュリエットが短かい恋の夢を見たのも、ここであった。私は人の世のかがよいのすべてが、いかに空《むな》しいかを感じ、フラミニアは最善の道をえらび、アヌンツィアータはすでにそこに到達したのを感じて、わが死者を幸福だと思った。
私の心はひどい熱がある時のようにどきどきした。ミラノへ! と私は考えた。そここそ今や私の住み家だ。一刻も早く、私はそこに着きたかった。その月の末近くにはそこにいた。ところが! ヴェネツィアのほうが、故郷にいたほうが、はるかによかったことがわかった。私は自分の孤独を感じたが、誰と知り合いになろうとも思わず、もらってきた紹介状もどこへも出さなかった。
覆いのある桟敷《さじき》を上下六段に並べた巨大な劇場、この今では満員になることがめったにない広大な場所は、私にとっては何か抑えつけられるような、荒涼たる感じがあった。私はそこへ行って、ドニゼッティの「トルクァート・タッソー」を聞いた。アンコールまたアンコールで、勝利の悦びを幸福な微笑にただよわせたプリマドンナに、私は不吉な魔法使いのように、この上なく悲惨な未来を予言できるような気がした。私はむしろ彼女に、今のこの美しさのまま、この幸福の瞬間に死んでもらいたかった。そうすれば世間の人々が彼女を悼《いた》んで泣くだけで、彼女は世をはかなんで泣くことはないであろう。可愛らしい子供たちがバレーに出た。私の心はその美しさに血を流した。二度とふたたび、スカラ座へは行くまい!
ただ一人、私は影の多い街《まち》を抜けて、この大都会をさまよった。ただ一人、私は部屋に坐って、悲劇「レオナルド・ダ・ヴィンチ」を書きはじめた。彼は事実ここに住んでいたのだ。ここで私は彼の不滅の作「最後の晩餐《ばんさん》」を見た。彼の不幸な恋と、修道院が彼から引き離したその恋人の物語は、そのまま私の生涯に再現されたものだった。私はフラミニアを思い、アヌンツィアータを思って、心の息吹《いぶ》くがままに筆を進めた。しかしポッジオと、マリアとローザのいないのが、私は淋しかった。私の傷《いた》む心は、彼らのやさしい心づかいと友情にあこがれた。私は彼らに手紙を出したが、何の返事もなかった。ポッジオは手紙と友情の美しい約束を守らなかった。彼もまたほかの人たち――われわれが友だちと呼び、別れる時にもう一度強く抱きしめるあの人たちと同じだった。
私は毎日ミラノの大寺院へ行った。カルラーラの岩山から裂きとった不思議な大理石の山である。私がはじめてこの教会を見たのは、澄んだ月明りのなかでだった。その頂きに近い部分は目も眩《くら》むばかりに白く、無限に青い大気のなかに立っていた。あたりいちめんどこを見ても、あらゆる隅から、いわばこの建物をおおって並ぶ小さな塔の一つ一つから、大理石の像がつき出ていた。内側は、サン・ピエトロ教会のような目を奪う明るさはなかった。不思議な薄明り、彩色した窓を通って流れこむ光、ここに現われ出た一種独特の神秘の世界――それはまことに神の教会であった。
私がこの教会の屋根へのぼったのは、私がここへ来てからひと月ほどたった時だった。太陽がその白く輝く表面に燃え、さながら大理石を敷きつめた広場のような場所に、教会か会堂のように塔がそびえていた。ミラノははるか目の下に横たわり、私のまわりのいたるところに、下の街からは見ることのできなかった聖者の像や殉教者の像があった。私はこの巨大な建物全体の頂点にある堂々たるキリストの立像のすぐそばに立った。北のほうには雲を突く暗いアルプスがそびえ、南には薄青いアペンニノの山々が連なり、そのあいだには、平たいローマのカンパーニャが咲きほこる庭に変えられたかと思われるほどの、広大な緑の平野がひろがっていた。私は東のかた、ヴェネツィアのある方角へ目を向けた。一群れの渡り鳥が長い列をつくって、波うつリボンのようにその方角へ急いでいた。私はそこにいる愛する人々、ポッジオ、マリア、ローザを思った。痛いようなあこがれが胸のなかに目ざめた。私は子供のころ、母やマリウッチアといっしょに鷲を見、フルヴィアが現われたネミの湖から帰って来た晩、アンジェリーナから聞いた話を思い出さずにはいられなかった。これはオレヴァーノの気の毒なテレーザと、すらりとしたジュゼッペの話で、山を越えて北のほうへ行ってしまった彼の恋しさと心配のあまり、彼女は毎日痩せおとろえて行く。物知りのフルヴィアが銅の器で薬草を煮て、何日も炭火にかけたままにしておく。やがてジュゼッペも恋しさに心をとらえられて、夜を日についで家路を急がずにはいられなくなる。停まりもせず休みもせずに帰って来たところに、彼と彼女の捲髪もいっしょに尊い薬草が銅の器のなかで煮えている、という話であった。
私は胸のなかに、私をここから引き離そうとする力を感じた。山岳地方の住民はこういう力を懐郷病と呼ぶが、そんなものは私にはなかった、ヴェネツィアは決して私の故郷ではなかったからだ。私は非常に心が乱れて、どこか工合が悪いような気持で教会の屋根をおりた。
部屋に帰ると手紙があった。ポッジオから来たのだった。とうとう手紙が来た! それを見ると、彼はその前に一本出したのだが、私の手に入らなかったことがわかった。ヴェネツィアでは万事申し分なく行っていたが、マリアは一時病気だった。それもひどい病気をした。みんな心配して大いに心を悩ましたが、今はもうそんなことはなく、まだ思いきって外へ出ないが、彼女はもう床を離れた。ここでポッジオは冗談を言って、誰かミラノの若い御婦人が私の心をつかまえたかときき、シャンパンと私たちの賭を忘れないようにと念を押していた。
手紙ははじめから終りまでおもしろいこと愉快なことでいっぱいで、私自身の気分とはずいぶんかけ離れたものだったが、しかし私は嬉しかった。目の前にあの幸福そうな冗談好きのポッジオが見えるようだった。人と物の正しい判断を、われわれはいったいどうすればつけることができるだろう? 噂によると彼は深い悲しみを胸のなかに畳みこんでいて、彼の快活さはただ一枚の仮面にすぎないというが、じつは彼の本性だったのだ。マリアは私の花嫁になるといわれた。しかし彼女のなんと私の心から遠かったことだろう! 私は彼女に会いたかった。私はローザにも会いたかった。それは事実であるが、私が老ローザ夫人を恋しているとは誰も言わなかった。ああ、ヴェネツィアにいさえしたら! ここにはもうこれ以上いられない! そして私はまた、胸のなかのこの不思議な声を嘲弄《ちょうろう》した。
この奇妙な考えを払いのけるために、私は町の門を出るとダルミの広場を越えて、ポルタ・センピオーネと呼ばれているナポレオン凱旋門へ出かけた。職人が仕事の最中だった。私はこの未完成の建物をぐるりと囲んでいる低い板塀の穴をくぐってなかにはいった。新しい大理石の大きな馬が二頭、土の上に立ち、土台石のずっと上まで草が伸び、あたりに大理石の塊りや彫刻のある柱頭がごろごろしていた。
一人の男が案内人といっしょにそこに立って、説明される細かいことをノートに書きこんでいた。見たところ三十くらいで、上着にナポリの勲章が二つついていた。私がそばを通り過ぎようとした時、彼は目をあげて凱旋門を見た。わかった――ベルナルドだった。彼のほうでも私を見た。とんで来て私を抱きしめ、大声で笑った。
「アントニオ!」と彼が叫んだ。「この前の別れ方のお礼を言うよ。まったく愉快な別れ方だったよ、ピストルは鳴るし、たまはぷすっと来るし! だが今はもう友だちだ――と思うがね?」
氷のような冷たいものが私の血管を走り抜けた。
「ベルナルド!」と私は叫んだ。「この北イタリアのアルプスのふもとで、また僕たちは顔を合わせるのか?」
「そうだ、僕はアルプスから来たのだ」と彼が言った。「氷河と雪崩《なだれ》の山からだ! あの冷たい山のなかで世界の果てを見て来た!」
そして彼は、夏のあいだずっとスイスにいたと言った。彼はナポリにいたドイツの士官から、スイスのすばらしさを大いに吹きこまれ、ナポリからジェノヴァまでは船に乗りさえすればわけなく渡れるし、それから先はもう何でもないと言われたのだった。彼はシャモニの谷を訪れ、モン・ブランと、彼のいわゆる「うるわしの乙女」ユングフラウに登った。「彼女は僕が知っているうちでいちばん冷たい女だ」と彼が言った。
私たちはいっしょに新しい円形劇場へ行き、そこから町へ帰った。彼は許嫁とその両親を訪問しにジェノヴァへ行く途中で、まさにまじめな夫になりかけのところだと言った。私もいっしょに来ないかと誘ってから、彼は笑いながら私の耳もとでささやいた。
「君は、あのおとなしい小鳥、われわれの歌姫のことも、あの時分のいろんな話も、さっぱり持ち出さないね! もう君も悟りを開いたろう、あんなものはどれもこれも、若き日の冒険の一つさ。僕の許嫁は何とかいうと頭が痛くなるたちでね、そこが大いに気に入ったんだよ」
彼の前でアヌンツィアータの名を出すことは私には不可能だった。彼が私のような気持で彼女を愛したのではないことがわかっていたからだ。
「さあ、いっしょに来いよ!」と彼がすすめた。「ジェノヴァにはきれいな娘がいるよ。君ももう子供じゃなし分別もあるはずだから、この方面にもいくらか趣味があるだろう。ナポリは君をきたえたよ! どうだい? 三日ばかりで僕は出かける。アントニオ、いっしょに来いよ!」
「だが僕も出発だよ、明日の朝だ」私は思わず言ってしまった。そんなことは考えてもいなかったのに、口に出てしまった。
「どこへ?」と彼がきいた。
「ヴェネツィアだ」私は答えた。
「なに日程を変えりゃいいさ!」こう言って彼は盛んに自分の日程を私に押しつけようとした。
私は自分の旅行の必要なことを一生懸命彼に呑みこませようとしているうちに、自分でも行かなければならないことがわかってきた。
私の胸のなかには平和もなければ落ちつきもなく、まるでそれがずっと前からきまってでもいたかのように、あれこれと旅行の準備をした。
私にミラノを離れさせたのは、神の摂理の目に見えない導きであった。私は夜も眠ることができなかった。ただ何時間か、短かい荒唐無稽な夢のなかと病的な覚醒の状態で、ベッドに横になるだけだった。「ヴェネツィアへ!」と私の胸のなかの声が叫んだ。
私はもう一度ベルナルドに会った。そしてその許嫁によろしくと言って、ふた月前に来た道を飛ぶように急いだ。
時々私は、毒を飲んだのでこんなに血がぶつぶつ泡だつのだという気がした。説明のできない不安が先へ先へと私を駆りたてた。どんな悪いことが近くに迫っているのだろう?
フジナに近づくと、灰色の壁と聖マルコの塔と瀉州《ラグーネ》のあるヴェネツィアが見え、そのとたんに、不思議な胸さわぎも、やるせなさも、心配もたちまち消えて、胸のなかに別の感情――何と呼んだらいいか?――自分自身にたいする恥ずかしさ、嫌悪《けんお》や不満が湧いた。ここへ来て何をどうしようと思ったのか、私は自分でもわからなかった。それと同時にまた、自分がどんなに馬鹿げた行動をとったかが胸にこたえて、あらゆる人がそう言い、あらゆる人が「またヴェネツィアへやって来て何をしてるのだ!」と私にきくような気がした。
私は前にいた宿へ行った。急いで服を着かえ、自分がどんなに疲れて興奮しているにしても、さっそくローザとマリアを訪ねなければならないと思った。
しかし、私がまた来たと聞いたら、彼女たちはなんというだろう?
ゴンドラが邸に近づいた。しかし人間の胸には、なんという奇妙な考えがはいりこめるのだろう! 歓喜と祝宴の最中にはいって行くとしたらどうする? マリアが花嫁だったらどうする? そうだったとしても、それがどうしたというのだ? 私は決して彼女を愛してはいない! と私は千度も自分に言いもし、ポッジオに断言もし、私が彼女を愛していると言った者には、一人一人に、そうでないと明言してきた。
ふたたび灰緑色の壁と高い窓が見えると、私の胸は懐しさにふるえた。私はなかへはいった。召使が無言のまま重々しい様子で扉をひらいたが、私が来たのを見ても少しの驚きも見せなかった。まるっきり別の問題が彼の心を占領しているとでもいった様子だった。
「市長様はあなた様にはいつでもお会いになります、旦那様」と彼が言った。
墓場のような静寂が広い玄関にみなぎり、カーテンはおろしてあった。ここにデズデモーナが住んでいたのだ、と私は考えた。ここで彼女は苦しんだのであろうが、しかしオセロは彼女よりももっとひどく苦しんだ。どうして今、私はこの昔の話を思い出したのだろう?
私はローザの部屋へ行った。ここもカーテンがおりていて、薄暗かった。私はまた旅行のあいだじゅう私につきまとい、私をヴェネツィアへ追い返したあの不思議な不安を感じた。ぶるりと手足がふるえて、寄りかかる物がなかったらば倒れるところだった。
市長が出て来た。私を抱いて、また私に会うのを喜んでいる様子だった。私がローザとマリアのことをきくと――彼が非常にまじめな顔をしたように私は感じた。
「この家にはいません」と彼が言った。「ある家の人たちといっしょにパドヴァへちょっとした旅に出かけたのです。明日でなければ、あさって帰ってきます」
どういうわけだかわからないが、私は彼のことばがなんとなく疑わしいような気がした。これはたぶん、私の胸の痛みがその勢いを増して、今やそのほとばしり出る時期に達した私の血のなかの熱――あの抑えがたい熱のせいであったろう。そうだ、私の心のすみずみまで作用して、ヴェネツィアへの帰り旅の元となったのはこれだった。
夕食のテーブルにマリアもローザもいないのが私には淋しかったが、市長も今日はいつもと調子がちがっていた。ある訴訟事件でちょっとむしゃくしゃしているが、べつに大したことはない、と彼は言っていた。
「ポッジオは影も形も見せません」と彼が言った。「まったく不幸というやつは、かたまってやって来るものですな、あなたまでが元気がないというんでは! まったく結構な晩だ――一ぱいやって陽気になるかどうか、物はためしだ。だがまっ蒼じゃありませんか!」突然彼が叫ぶと、私は目の前のものが皆、すうっと見えなくなるのを感じた。意識がなくなったのだ。
熱病、ひどい神経熱だった。
私が知っているのは、気がついたとき私が気持のよい暗くした部屋にいたということだけである。市長がそばに坐っていて、彼の家にいればまもなくよくなるだろうと言った。ローザが私の世話をするはずだと彼が言ったが、マリアの名は一度も口に出さなかった。
私はわれに帰ったが、まだ夢と現《うつつ》のあいだにいるような気持だった。しばらくたつと、婦人たちが帰って来たからもうすぐ会えるだろうと言うのが聞こえた。そして実際ローザに会ったが、彼女は非常に悲しげな様子だった。彼女は泣いているようだったが、それは決して私のためではなかった。私はもうだいぶ元気になっていたから。
夕方になった。不安な沈黙があたりにこめていたが、それでもなんとなくざわついていた。私の質問ははっきりした返事がもらえなかった。私は耳が鋭くなったような気がした。私の下の玄関に人の動く気配がし、何隻ものゴンドラの橈《かい》の音が聞こえた。そして私は、うとうとしているあいだに本当のことを知った。人々は私が眠っていると思っていたのだった。
マリアが死んだ。ポッジオは彼女の病気の話をして、もうなおったと言っていたが、またぶりかえして、死の原因となった。今夜埋葬のはずだったが、私には誰も何も言わなかった。マリアが死んだ、目に見えない力を私の生活にからみつかせた彼女が! 私の感じた不思議な胸さわぎは彼女のためだったのだが、私が来たのはもうおそすぎた。二度と彼女に会うことはできなかった。彼女は今や、彼女がいつもその世界の一人だった魂の世界にいる。ローザはきっと彼女の棺を菫で飾ったにちがいない。彼女が大好きだった青い香りのいい花だ。そして彼女は、その花といっしょに眠っている。
私はじっと、死の眠りのなかにいるかのように、身じろぎもせず寝ていた。それを神に感謝するローザの声が聞こえて、彼女は私のそばを離れた。部屋には誰もいなかった。夜は暗く、私は奇妙に体力が回復したのを感じた。私は市長の家の墓地がデ・フラティ教会にあり、死者がその晩一晩、祭壇の前に置かれることを知っていた。彼女に会わなくては、――私は立ちあがった。熱はなくなっていた。もう元気だった。私は外套を羽織った。誰も私を見なかった。私はゴンドラに乗った。
私の頭はマリアのことでいっぱいだった。アヴェ・マリアの祈りの時間はとうに過ぎて、教会の入口はしまっていた。私は寺男の戸口をノックした。彼は私を知っていた、前に市長の家族といっしょの私と、この教会で会ったことがあり、カノーヴァとティツィアーノの墓に案内してくれた男だった。「なくなったかたにお会いですか?」私の心を察して彼がきいた。「祭壇の前のあけたままの棺においでです。あす礼拝堂のほうへお移しします」
彼は蝋燭《ろうそく》に火をつけ鍵束を取り出して、小さな横の戸をあけた。高い静まり返った円天井に、私たちの足音がひびいた。彼はあとに残り、私は長いがらんとした通路をすすんだ。聖母の像の前の祭壇に、燈明が一つ、弱いかすかな光を見せていた。カノーヴァの墓のまわりの白い大理石の像が、死衣をきた死人のように、ぼんやりした輪郭を見せて無言のまま立っていた。いちばん大きな祭壇の前には燈明が三つともっていた。私はなんの不安も少しの苦しみも感じなかった。私自身も死者の一人であり、いま自分自身の家へはいって行くような気がした。私は祭壇に近づいた。菫の香りがあたりにただよい、燈明の光が蓋をとった棺のなかの死者を照らしていた。これがマリアだった。まるで眠っているようだった。菫を撒きちらした美の大理石像とも見まちがう姿だった。黒い髪は額にたばねて菫の花束で飾り、完全な平和と美しさの現われである閉じた眼がぐっと私の心をつかんだ。私が見たのは、寺院の廃墟に坐っていたララ、――私が額に接吻をしるした時のララだった。彼女は命も暖かみもない、死んだ大理石の像だった。
「ララ!」と私は叫んで、棺の前にひざまずいた。「ララ、おまえが見える、私は今までもマリアにおまえを見てきた。私のこの世の最後の願いはおまえといっしょに死ぬことだ!」
私の心は涙に慰めを見いだした。私は泣いた。私の涙は死者の顔に落ち、私はそれを吸いとった。
「みんな行ってしまった!」私は溜め息をついた。「おまえまでが。私の心の最後の夢だったのに! アヌンツィアータのためともちがい、フラミニアのためともちがう火が、おまえのために私の心を焼いた。神をおそれ敬う気持で私の心はおまえの前にひざまずいた。私の心がおまえになついたのは、天使の感じる浄《きよ》いまことの愛だった。そして私は、それが愛であるとは信じなかった。それが私の肉体的な考えよりも、もっと精神的だったからだ! 私は今までそれがわからなかった。一度もおまえに向かってそれを明らかにしようとも思わなかった! さようなら、最後の者よ、私の心の花嫁よ! おまえの眠りが恵まれたものであるように!」
私は彼女の額に接吻した。
「私の心の花嫁よ!」私はつづけた。「女の誰にも私はこの手を与えない。さようなら! さようなら!」
私は指輪を抜いてララの指にはめると、私たちの上の目に見えない神をふり仰いだ。このとき私はぞっと総毛だつ思いがした。死者の手が私の手を握り返したような気がしたのだ。思いちがいではなかった。私は彼女を見つめた。唇が動き、まわりのあらゆるものが動いて、私は髪の毛が逆だつのを感じた。恐怖が、死の恐怖が私の手と足をしびれさせて、私は逃げようにも逃げられなかった。
「寒い」私のうしろでささやく声があった。
「ララ! ララ!」と私は叫んだ。目の前がまっ暗だったが、静かな、心を動かすオルガンのメロディーが聞こえるようにも思えた。静かに私の額をなでる手があった。光が私の目のなかへはいって来た。あたりいちめんが非常に明るく透明になった。
「アントニオ!」ローザの低い声が聞こえ、彼女の姿が見えた。テーブルの上に灯があり、ベッドのわきにひざまずいて泣いている姿があった。やがて私は、目の前に見ているのが現実で、私の恐怖は熱に浮かされた荒唐無稽な夢のなかのものにすぎないことがわかった。
「ララ! ララ!」私は叫んだ。彼女は両手を目に当てた。私は熱に浮かされて何を言っただろう? あの夢ははっきりと私の記憶に残っていた。私はマリアの目を見て、彼女が私の心の告白を聞いたことを知った。
「熱がとれましたね」ローザが低い声で言った。
「ええ、ずっとよくなりました、ずっとよく!」私はそう言ってマリアを見た。彼女は立ちあがって、部屋を出て行こうとした。
「ここにいてください!」私は頼んだ。そして彼女のほうへ両腕を伸ばした。
彼女は行くのをやめて、無言のまま顔を紅《あか》らめて私のそばに立った。
「あなたが亡くなった夢を見ました」と私は言った。
「熱のせいですよ!」ローザがこう言って、医者の処方の薬をわたした。
「ララ、マリア、聞いてください!」と私は叫んだ。「決して熱に浮かされた夢ではありません! 私は元気を取りもどしたのがわかります! 私の今までの一生は、みんな不思議な夢だったに相違ありません。私たちは前に会ったことがあります。あなたはペストゥムで、カプリで私の声をお聞きになったことがあります。ララ、あなたにはわかるはずです! 私はそう思います。人生は短かいのです、この束《つか》のまの出会いに、なぜおたがいに手を差し出さないのですか?」
私は彼女のほうへ手を伸ばした。彼女はそれを唇に押し当てた。
「私はあなたを愛している、ずっと愛しつづけていたのだ!」と私は言った。無言で彼女は私のそばにひざまずいた。……
神話によれば、愛は、混乱に秩序を与えてこの世を作った。愛する心の前にはいつも創造がくり返される。私はマリアの目から生気と健康をのみこんだ。彼女は私を愛していた。それから二、三日たって私たちは二人きり、バルコンのオレンジの木が芳香をただよわせる小さな部屋にいた。ここで彼女は私に歌ってくれたことがあったが、今やもっと柔らかなもっと深く崇高な調子で、心のなかの最も気高い心の告白が私の耳にひびいた。私は決して間違っていなかった。ララとマリアはまさしく同一人だった。
「私はあの時からずっとあなたを愛していました!」と彼女が言った。「私が盲で、夢のほかには友だちもなく、菫《すみれ》のいい香りのほかには何も知らなかった時、あなたの歌を聞いた私の胸に、あこがれと苦しみが目をさましました。それにあの暖かい太陽! その光のようにあなたのキスは私の額に燃えささり、私の心につき入りました! 盲には魂の世界しかありません。私はその世界であなたにお目にかかりました。ペストゥムのネプチューンの寺院で、あなたの即興詩を聞いた晩、現実とまじりあった不思議な夢を見ました。ジプシーの女が私の運勢を見て、私は目が見えるようになると言ったことがありました。私はこの人の夢を見ました。この人に年とった養父のアンジェロについて行かなくてはいけない。そして海を渡ってカプリ島へ行くのだ、と言われる夢を見ました。この人はまた、妖婆の洞穴で私の目があく、生の天使が薬草をくれる、それがトビアスの薬草のように私の目に神の世界を見る力を与える、とも言いました。その夢を私は同じ晩にくり返し見ました。私はアンジェロにその話をしましたが、アンジェロは首を横に振っただけでした。
次の晩、今度はアンジェロのほうがその夢を見ました。『聖母の力の讚えられんことを! 悪霊でさえも聖母に従わなければならないのだ!』と、彼が言いました。
私たちは起きました。彼が帆をひろげ、私たちは急いで海を渡りました。日が暮れ、夕方になり、夜が来ました。私は不思議な世界にいました。生の天使が私の名を唱えるのが聞こえて、――その声はあなたの声のように聞こえました。天使は私たちに薬草と莫大な富――世界じゅうの国々から集めた宝をくれました。
私たちは薬草を煮ました。けれども私の目には何の光も来ませんでした。ところがある日、ローザの弟がペストゥムに来ました。私が寝ている小舎へはいって来て、神の世界を見たいという私のせつなる願いを聞くと心を動かされて、目が見えるようにしてやると約束しました。彼は私をナポリへ連れて行きました。そしてここで私は、人生の驚くばかりのすばらしさを見ました。彼とローザはすっかり私が好きになりました。彼らは私にもう一つの、もっと美しい世界をひらいてくれました、――魂の世界でした。私は彼らの家にいることになりました。ギリシアで死んだ彼らの大切な妹の名を取って、私はマリアと呼ばれることになりました。
ある日アンジェロがあのたくさんの宝を持って来て、それが私のものだと言いました。自分は遠からず死ぬ、と彼は言いました。最後の力を、私の受けつぐべきものを私にとどけるのに使ったのだとも言いましたが、これは死ぬ人の最後のことばでした。私は彼が――私が貧乏だった時守ってくれたただ一人の人が、息を引きとるのを見ました。
ある晩ローザが大そうまじめな様子で、私の養父のことと彼がとどけた宝のことをききました。輝く洞穴のなかの妖精からもらったのだという彼の話のほかは、私は何も知りませんでした。私は彼がいつも貧しく暮らしているのを知っていました。アンジェロが海賊であるはずはありません。信心の深い人で、どんな小さな贈りものでも私に分けてくれました」
今度は私が、彼女の生涯の冒険と私のそれとが、じつに奇妙にまじり合っていることや、私が老人といっしょにあの不思議な洞穴で彼女を見た時の様子を彼女に話した。老人が重い器を取ったことは、私はどうしても話す気にならなかったが、薬草は私が与えたのだと言った。
「けれど」と彼女が叫んだ。「あの妖精は私に薬草を渡したとたんに、地のなかへ消えたのです! アンジェロもそう言いました」
「彼にはそう見えたのです」と私は答えた。「私は衰弱していたので、足が体の重みを支えきれず、膝をつくと長い緑の草のなかで気絶してしまったのです」
私たちが出会ったあの不思議に輝く世界は、超自然と現実とをむすぶ解けない、固いきずなであった。
「私たちの愛は魂の世界のものだ!」と私は叫んだ。「私たちの愛する人々は、みんな魂の世界へ行った。この世に生きている私たちも、そのほうへ向かって進んでいる。とすれば、どうしてその存在を信じないでいられよう? それこそまさに偉大な現実そのものだ!」私はララを胸に抱きしめた。彼女ははじめて見た時と同じように美しかった。
「ヴェネツィアではじめてあなたの声が聞こえた時、私はすぐにわかりました。私の心は私をあなたのほうへ押しやりました。それが教会であろうと聖母の前であろうと、私はあなたの足もとにひれ伏したろうと思います。私はここであなたにお目にかかりました。ますますあなたを大切に思うようになりました。アヌンツィアータが私をあなたの花嫁と呼んだ時、言ってみればもう一度あなたの生活とつながりができました。けれどあなたは私を押しのけて、二度と恋をしない、――女には誰にも自分の手を与えない、とおっしゃいました。あなたの一生の不思議な運命の話をなさった時も、ララともペストゥムともカプリとも、一言もおっしゃいませんでした。それで私は、あなたは決して私を愛してくださらない、あなたは御自分の心に近くないものはお忘れになったのだと思いこみました」
私は彼女の手に和解の接吻をしるし、どんなに不思議に彼女の眼《まな》ざしが私の唇を閉じてしまったかを話した。私の肉体が、いわば墓場へ運ばれるばかりになり、私の魂が、私たちの愛とこんな不思議な結びつきのある魂の世界にただよい入るまでは、私は決して心の思いをことばにしないつもりでいた。
私たちの愛の幸福は、ローザと市長のほかは誰も知らなかった。どんなに私はポッジオにもそれを話したかっただろう! 私が病気のあいだ彼は一日に何度も訪ねて来てくれた。私が外へ出られるようになって、明るい日の光のなかで彼を胸に抱きしめた時、私は彼がまっ蒼な顔をしているような気がした。
「今夜おいでください」と市長がポッジオに言った。「ぜひおいでください。家の者とアントニオと、あと友だちが二、三人来るだけですから」
家じゅうどこもここも、祝いの飾りつけができていた。
「まるで誰かの名の日のお祝いといった様子だな」とポッジオが言った。
市長はポッジオとほかの友だちを小さい礼拝堂へ案内した。ここでララが私に手を与えた。黒い髪に青い菫の花束が留めてあった。ペストゥムの盲の少女が、目が見えるようになって、二倍の美しさで私の前に立っていた。彼女は私のものだった。
私たちは一同の祝辞を受けた。人々の喜び方は非常なものだった。ポッジオははしゃいで歌を歌い、つづけざまに健康を祝して飲んだ。
「僕は賭に負けた」と私は言った。「喜んで負けよう。負ける代りに幸福がもらえるからね」そして私はララの唇に接吻した。
ほかの人たちの悦びは騒々しい音楽のようなひびきがあったが、私とララのは無言の悦びだった。大きな悦びは大きな悲しみと同じく、沈黙にまさる雄弁な表現力を持つことばを知らない。
「人生は夢ではない」と私は言った。「そして愛の幸福は現実だ!」胸と胸を寄せ合った私たちは、神のみが人間の胸に吹きこむことのできる至福のなかに、すべてを忘れてしまった。
結婚式から二日たって、私たちはローザといっしょにヴェネツィアを立った。私たちはマリアのために買ってあった土地へ行った。結婚式の晩以来、私はポッジオに会わなかった。彼から手紙が来たが、それにはただ次のことが書いてあるだけだった。――
「賭に勝ち、しかも負けた!」
彼の姿はヴェネツィアのどこにも見えなかった。しばらくして私の推測が当っていたことがわかった。彼はララを愛していたのだ。気の毒なポッジオよ、君の唇は悦びを歌ったが、死を思う気持で胸はいっぱいだったろう!
フランチェスカはララのことを、非常に魅力のある花嫁だとほめた。私自身はこの旅行中に無限に多くのものを得た。フランチェスカも、その伯父も、ファビアーニも、みんな私の選択をほめてくれた。ハバス・ダーダーまでが、私に祝いのことばを言った時には、顔じゅうを笑《え》みくずしていた。
古くからの知り合いのなかで、ペッポ伯父さんはまだ生きている。彼はスペイン階段に坐っている。まだ何年も何年も、そこでいつもの「ボン・ジョールノ!」をくり返すにちがいない。
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エピローグ
一八三四年の三月六日のこと、カプリ島のパガーニ・ホテルに大ぜいの外国人が集まっていた。カラブリアから来た一人の若い婦人が人目をひいた。非常に美しい婦人で、そのきれいな黒い眼で、腕を貸している夫を見ていた。それは私とララだった。すでに三年間の幸福な結婚生活を送って、今ヴェネツィアへの旅の途中、カプリ島を訪れたのだった。ここで私たちの生涯の最も不思議な事件が起こったのだが同じくここで、その不思議の謎が解けようとしていた。
部屋の隅のほうに年輩の婦人がたたずんで、小さな子供を抱いていた。かなり背の高い、目鼻立ちははっきりしているがやや蒼白い顔をして、青いフロックコートを着た一人の外国の紳士が子供のそばへ寄って、いっしょに笑い、その可愛らしさに感服していた。彼はフランス語を使っていたが、子供には二言三言イタリア語を使い、剽軽《ひょうきん》に跳んで見せて笑わせ、今度は口を突き出して接吻させた。彼がお名前はときくと、年輩の婦人、私の大好きなローザがアヌンツィアータですと答えた。
「可愛らしいお名前ですね!」彼はこう言って小さな子、――私とララの子に接吻した。
私は彼のそばへ寄った。彼はデンマーク人だった。この部屋にはもう一人彼の同国人がいた。白い外套を着た、理知的な顔つきの、まじめそうな背の低い男だった。私はていねいに話しかけた。彼らはフェデリーゴやあの偉大なトゥルヴァルセン〔デンマークの彫刻家。一七七〇―一八四四〕の国の人だった。私はフェデリーゴは今デンマークにいるが、トゥルヴァルセンはまだローマにいることを知った。じっさい彼は寒くて暗い北の国よりも、むしろイタリアの人だ。
私たちは海岸へおりて、見物人を向こう岸へ渡す小さなボートの一つに乗った。この小舟は一艘に二人しか乗れなかった。一人ずつ両端に座を占め、漕ぎ手がまん中に坐る。
透明な水が目の下にあって、その大空のような明るさで私の思い出を迎えた。漕ぎ手が手早く橈《かい》をあやつって、私とララの乗ったボートは矢のように早く進んだ。緑の葡萄畑《ぶどうばたけ》とオレンジの林とで絶壁の頂きを飾られたこの島の、円形劇場に似た側はまもなく見えなくなって、今度は岩の壁が垂直に空に向かって突き立った。水は燃える硫黄《いおう》のように青く、青い大波が絶壁にぶつかり、下に生えている血のように赤い海林檎《うみりんご》の上にひろがった。
やがて島の向こう側へ廻ると、目に見えるものは切り立った崖ばかり、そしてその水面から少し上のところに、私たちのボートが通るのはむずかしいと思われるような小さな穴があった。
「妖婆の洞穴だ!」と私は叫んだ。するとその思い出が、一つ残らず私の心によみがえった。
「そうです、妖婆の洞穴です!」と漕ぎ手が言った。「前にはそういう名でしたが、今ではもうその正体は誰でも知っています」
そして彼はフリースとコーピッシの二人のドイツの画家の話をした。この二人が三年前、勇敢にもこの洞穴へ泳いではいって行って、その驚くべき美しさを発見して以来、今では遊覧客は誰でもここを見物に来るのである。
私たちは入口へ近づいた。青く輝く海面から、ほんの一メートル離れているにすぎない。漕ぎ手は橈を引き上げ、私たちはボートのなかに腹ばいにならなければならなかった。彼は手で水を掻いた、そして私たちは、広大な地中海の波に洗われる山のような岩の下なる、深く暗い洞穴へすべりこんだ。私はララが大きく息をつくのを聞いた。不思議に何か怖ろしくなるものがあった。しかしそれもほんの一瞬で、たちまち私たちは巨大な円天井の下に出た。あたりいちめん青空に似た輝きがみなぎっていた。私たちの下の水は青い焔に似て、すべてのものがその光に照らされていた。私たちは四方から囲まれた形だったが、今しがたくぐって来た穴が水の下に、深さ四十|尋《ひろ》もあるかと思われる海の底までとどきそうに延び、また同じくらいの広さにひろがっていた。そこを通って外の強い日光が、なかの洞穴の床《ゆか》に光を投げるのだ。今も青い水を通して火のように射しこんで来て、それを燃えるアルコールに変えるかと見えた。そしてすべてのものにこれが照り返って、あの岩のアーチはそもそも空気が凝り固まってできたもので、またそのなかへ融けこんでしまうかと思われた。橈の動きではね上げられた水の雫が、生き生きした薔薇の花びらのように紅くしたたった。
それは神仙の世界――不思議な魂の王国だった。ララは両手を組み合わせた。彼女の考えることも私と同じだった。ここで私たちが出会ったのだ。ここへ誰ひとり近づく者のなかった時代に、海賊が宝を残して行ったのだ。自然を超えると見えたすべてが、今や明るく晴れて現実となったのか、それともこの人の世ではいつもそうであるように、現実が魂の世界へはいって行ったのか? 人の世では、花の種子からわれわれ自身の魂まで、すべてのものが奇蹟と見えるのに、人間は奇蹟を信じようとしない。
明るい星のように光っていたこの洞穴の入口が、一瞬暗くなったと思うと、海の底から浮きあがるようにボートが現われて、なかへ進んできた。一人一人が瞑想《めいそう》にふけり、祈念をこらして、プロテスタントもカトリック教徒も、奇蹟は今もなお存在するのを感じた。
「潮がさしてくるぞ!」と漕ぎ手の一人が言った。私たちは外へ出なければならなかった。さもないと入口がふさがって、また潮が引くまで閉じこめられてしまうのである。
私たちはこの奇妙に輝く洞穴を出た。私たちの行く手に見えるのは大きくひらけた海、うしろにあるのは瑠璃色の洞窟の暗い入口であった。(完)
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解説
「赤い靴」「おやゆび姫」「みにくいアヒルの子」など、世界の子供たちにとって永遠の宝玉ともいうべき数多い童話の創作によって、ハンス・クリスティアン・アンデルセン〔本国のデンマークでは、アネルセンとよむのだそうです〕の名は、わが国でもすこぶる有名です。しかしこの人には幾つかの小説の作があって、はじめはむしろ小説で身を立てようと望んだらしいのです。しかしそれらの作品は、童話の異常なほどの成功のため、影がうすくなった観がないでもありません。もっともわが国だけは事情が別で、森鴎外が明治二十五年から十年を費して「即興詩人」を、清新で柔軟なみごとな擬古文体で移し植えて以来、この小説はあたかも自国の作品のように人々に愛し親しまれ、わがローマン派の詩文にとって長く養いの泉となってきたのでした。
「即興詩人」は、たしかにローマン派ふうの心情が小説に結晶したものとして、たぐい稀な香気と音楽的な揺曳《ようえい》とを併せ有する典型的作品にちがいありませんが、同時にそれが作者にとって、半自叙伝の意味をもっていることも忘れてはならないでしょう。アンデルセンは一八〇五年に、貧しいながら詩的空想力のゆたかな靴職人を父とし、信仰心のあつい女性を母として生まれ、一八七五年に国民詩人としての栄光に包まれながら世を去った人ですが、その少年・青年の時代は、ことのほか苦しい境遇と闘わなければなりませんでした。ようやくラテン語学校で学んだり、ついでコペンハーゲン大学を卒業することができたのも、ひとえにヨナス・コリンという庇護者のおかげでした。やがて一八三三年に国王からわずかながら給費を受けて、これを元手に最初のヨーロッパ旅行に出たことが、彼の生涯の大きな転機になったのです。
その年の初秋、シンプロン峠を越えてようやく宿願の国イタリアの地を踏んだ彼は、しだいに南へ旅をすすめて十月にはローマに着きましたが、そこで母の死の報《しら》せに接します。多感な青年にとって、異郷で受けたこの訃報《ふほう》がどのようなショックであったかは察するに難くありません。同時にまたそれが、イタリアの自然や風俗を恋いしたう詩情をどれほど深めたであろうかも、よく推測できる事がらにちがいありません。彼はローマの謝肉祭がすんでから、さらにナポリへ旅をつづけ、そのころ発見されたばかりのカプリ島の瑠璃色の洞窟を見物します。のみならずペストゥムのギリシア神殿では、ひとりの貧しい盲の娘――作中のララ――に出会い、その美しさに胸をうたれたりもします。……このアンデルセンの旅程は、彼の「自伝」の記述を、そのままに追ったものですが、これだけでももう、いかに「即興詩人」のアントニオが、作者自身の生い立ちや閲歴に、ほとんど生き写しであるかがわかりましょう。のみならず作者は、不幸な子供時代をすごした母親その人の面影を、作中のドメニカ婆さんのなかに写しこんだとも語っています。またアヌンツィアータの映像は、大学生のころ、ある慈善院を訪れて、その貧しい一室でふと見かけた肖像画(それは落ちぶれた女優の全盛時代の姿でした)と、ナポリの劇場ではじめて聴いたフランスの歌姫マリブランと、この二つの強烈な印象が一つに融け合って成ったものだった、とも語っております。
「私にとって旅は精神の若返りの泉である」と、アンデルセンは述懐しています。幼児のように永遠にしなやかで無垢《むく》な感性の持ち主であった彼にとって、いかにもそうであったろうとうなずかれることばですが、特に彼の最初のイタリアの旅について言えば、それは湧きたぎるインスピレーションの泉でもあったのです。彼は、たまたま友人ハイベルが彼について「あれは即興詩人のようなやつだ」と言ったのを耳にして、このあだ名をそのまま題名に用い、まさしく舞台上のアントニオのように感興の翼に乗って、この作品を書いたのです。すでにローマ滞在中に起稿され、やがて一八三四年の夏デンマークに帰ると、すぐ第一部が書き終えられ、ついで第二部もコペンハーゲンで完稿されるという速さでありました。そしてそのあくる年、単行本として刊行されました。
この一八三五年という年を考えれば、異国情調とロマンティックなアヴァンテュールに満ちた物語が、たちまち世に歓迎されたことは、すこぶる当然な成り行きでありました。本国デンマークでは言わずもがな、ドイツ訳も直ちに出たし、そのほかスウェーデン訳、ロシア訳、つづいてイギリス訳というふうに世界にひろまって、やがて、アメリカでまで喧伝《けんでん》されるに至りました。
当時の読書界がどんなふうにこの清新な作品を評価したでしょうか。それをうかがうため、アンデルセンがその「自伝」にわざわざ引用している詩人ハウクの評語を記してみましょう。「アンデルセンの彫琢《ちょうたく》を極めた最善の作品の中には、彼の豊かな想像力、深みある情緒、敏感な詩魂が明瞭に現われているが、なかんずくわれわれの看過してならない要点は、窮迫辛苦の境涯をよく戦い抜こうとする才能、もしくは少なくとも高潔な品性である。……この意味において彼の描く人生はじつに意義深いものとなる」この評言は、今日なおその正しさを失っておらず、「即興詩人」が永遠の青春の書として、人々の胸を打ってやまないゆえんを、よく説きあかしていると言えましょう。
〔訳者紹介〕
神西清(じんざいきよし) 一九〇三〜五七。東京生まれ。昭和三年東京外語露語科卒業。明治大学、鎌倉アカデミアの各講師をつとめるかたわら、評論、仏文学、小説などに活躍、昭和十一年池谷賞を受ける。主要著訳書に、「垂水」「恢復期」。ガルシン「紅い花」、バルザック「おどけ草紙」、シャルドンヌ「ロマネスク」、チェーホフ「桜の園」、ゴーリキイ「どん底」等。