即興詩人(上)
アンデルセン/神西清訳
目 次
第一部
一 生いたち
二 地下の納骨堂
三 ジェンツァーノの花祭り
四 ペッポ伯父さん
五 カンパーニャの平原
六 ボルゲーゼ邸を訪れる
七 学校のころ
八 うれしい再会・いやな再会
九 ユダヤ娘
十 一年ののち
十一 救いの神のベルナルド
十二 四旬節
十三 画廊
十四 ロッカ・デル・パーパの農夫たち
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登場人物
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アントニオ……即興詩人
ペッポ……アントニオの伯父、いざりの乞食
フラ・マルティーノ……カプチーノ寺の修道士
フェデリーゴ……デンマーク人の若い絵かき
マリウッチア……モデルを業とする田舎娘
ベネデット……羊飼の老人
ドメニカ……ベネデットの妻
フランチェスカ……ボルゲーゼ家の若い貴婦人
ファビアーニ……その夫、法王庁の若い士官
フラミニア……右二人の娘、幼い尼僧院長
ハバス・ダーダー……エスイタ学校の先生
ベルナルド……アントニオの学友、元老院議員の甥
アヌンツィアータ……ユダヤ人にそだてられた歌姫
フルヴィア……占い婆さん、盗賊の頭目
ララ……ペストゥムの盲目の娘
サンタ夫人……ナポリのマレッティ教授夫人
ポッジオ……ヴェネツィアの若い貴族
マリア……ヴェネツィア市長の姪
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第一部
一 生いたち
ローマに行ったことのある人なら、バルベリーニ広場をよく知っているはずだ。あの美しい噴水のある大きな広場である。半人半魚の海神トリトーンが、ほら貝を吹いて、水を何尺も噴き上げている。ローマに行ったことのない人でも、少なくも銅版画でこの広場を見ているはずだ。ただ残念なことにこの画には、ヴィア・フェリーチェ街の角にある高い家が出ていない。壁に通した三本の管から、下の石の鉢へ水が流れ落ちるあの街角《まちかど》の家である。この家は私にとって特別なつかしい。というのは、これが私の生まれた家なのだから。
幼いころを振り返ってみると、輝かしい思い出があとからあとから湧きあがってきて、どれから先に話したものか迷ってしまう。ましてや今までの生涯《しょうがい》に起こったさまざまの事を静かに考えてみると、どれを取り出して語ればよいのか、どれを重要でないとして省けばよいのか、どの点が全景のかなめになるのか、ますますわからなくなってくる。私にとっては魅力があっても、ほかの人にはそうでないかもしれない。私はこの長い物語をありのまま気取らずにするつもりであるが、それでも虚飾が――人の気に入ろうと望むうとましい虚栄心が、まぎれこんでこないとはかぎらない。この虚栄心こそは、私がまだ子供のころ早くも心のなかに芽ばえて、あの福音書《ふくいんしょ》〔マタイ伝十三の三十一〕の辛子種《からしだね》のように空へ枝をのばし、やがて大木になって、その枝々に私の喜怒哀楽の情が巣をかけたのである。
それは、私のごく小さいころの思い出の一つを見てもわかる。六つの時のこと、私はカプチーノ寺のそばで、年下の子供たちと遊んでいた。寺の扉には、黄銅の十字架が打ちつけてあった。それは扉のちょうどなかほどで、私が手を伸ばせばとどく高さであった。私たちが母親に連れられてここを通るごとに、私たちは抱き上げられて、この聖なるしるしに接吻《せっぷん》したものである。ある日、私たちが遊んでいると、年下の子供の一人が「子供のエス様は、どうしておりて来ていっしょに遊ばないんだろう?」ときいた。私は知ったかぶりをして、そりゃキリストは十字架に縛りつけられているのだもの、と答えた。私たちは寺の入口まで行って、実際にはキリストの姿が彫ってあるわけではなかったが、母に教えられたとおり聖なるしるしに接吻しようとした。しかしとても背がとどかなかったので、代る代る抱き上げてすることにしたが、上の子供が接吻しようと口を尖らせるとたんに、抱き上げているほうの子供の力が抜けて、接吻しかけていた子供は、見えない子供のキリストに今や唇がとどくというところで落ちてしまった。ちょうどその時、私の母が通りかかって、子供たちのしていることを見ると、さも満足そうに両の手を組み合わせて、「あなたがたは本当に神様の天使ねえ!」と言い「そしてあなたは、わたしの大切な天使ですよ!」とことばをつづけて、私に接吻した。
母が隣りの小母《おば》さんに向かって、私がどんなに罪のない天使であるかを話すのを耳にして私は大いに得意だったが、そのため私の無邪気さが減って、虚栄心の辛子種がはじめての日の光を吸いこんだのである。生まれつき私は、おとなしい信心深い性質であったが、それに気づかせてくれたのは、ほかならぬ私の母であった。ところが母は、私の本当の長所だけでなく、想像で作りあげた長所をまで、いっしょに私に見せてくれたのだ。子供の無邪気さが、自分の姿を見ると死ぬと言われるあのバジリスク〔ギリシア・ローマ神話に出てくる動物で、蛇ともトカゲとも竜ともいわれ、その息に触れたりその眼ににらまれたりした者は死ぬといわれる〕と同じであろうとは、母は思いおよばなかったのである。
フラ・マルティーノというカプチーノ寺の修道士が、私の母の聴罪師であった。その人に母は、私がどんなに信心深い子供であるかを話した。私は意味などさっぱりわからないままに、祈祷《きとう》の文句をどっさり空《そら》で覚えていたのである。フラ・マルティーノは私を大そう可愛がって、あるとき聖母マリアが大粒の涙を流している画をくれた。その涙が雨だれのように地獄の燃えさかる火のなかへ落ちると、呪われた亡者たちが、この慈雨をわれがちに受けようとしている。またフラ・マルティーノは、私を自分の僧院〔骸骨寺。正式の名は「受胎の聖母寺」〕へも連れて行った。糸杉が二本とオレンジの木が一本はえている小さな四角形の馬鈴薯畑《ばれいしょばたけ》を囲んで、あけ放しの柱廊がめぐっており、それが私に深い印象を与えた。このあけ放しの通路には死んだ修道士の古びた肖像が並べて掛けてあり、僧房の扉の一つ一つには、殉教者の伝記から採った絵が貼ってあった。私はこの絵や肖像を、のちにラファエロやアンドレア・デル・サルトの傑作を前にした時と同じ神聖な敬虔《けいけん》な気持で、じっと眺めたものである。
「あなたは本当に感心な子だ」と修道士は言った。「どれ死んだ人たちを見せてあげようかな」
そして彼は柱廊から二、三段おりたところにある地下廊の小さな扉をあけた。踏み段をおりて行くと、ぐるりはいちめんに積み重ねられた髑髏《されこうべ》の山で、それが壁をなし、やがては幾つもの礼拝堂を形づくっている。それらの礼拝堂には一つひとつ本式の壁龕《へきがん》があって、そのなかには傑出した修道士たちの五体そろった骸骨《がいこつ》が納めてある。みんな褐色の頭巾《ずきん》つきの僧衣に包まれ、腰に繩をまき、手には日課祈祷書や、しおれた花束を持っている。祭壇も燭台もさまざまの飾りつけも、関節がおのずからなる薄浮彫をなした肩の骨や脊椎骨《せきついこつ》でできていて、全体の思いつき同様、ぞっとするほど殺風景なものであった。
私が修道士にかじりつくと、彼は小声で祈祷の文句を唱えてから私に言った――
「私だっていつかはここで眠るのさ。今のように訪ねて来てくれるかね?」
一言も答えずに私は呆《あき》れて彼を眺め、それから私の周囲に集まった奇妙な恐ろしいものを見まわした。私のような子供をこんな場所へ連れて来たのは馬鹿なことである。そこにあるもの全体から私は一種異様な印象を受けたので、美しい黄色いオレンジが窓のなかまではいって来そうな彼の小さな僧房にもどって、天使たちが輝かしい日光のなかへ聖母マリアを運んで昇って行き、下のほうには彼女が眠っていた墓の穴が無数の花で埋められている、あの明るい色の画を見て、ようやくほっと息をついたのだった。
この日の生まれてはじめての僧院の訪問は、そののち長いあいだ私の心を占めて去らなかったが、今でもなお驚くばかり生き生きと目の前に浮かんでくる。この修道士は私の知っている誰ともまるでちがった人間のように思われた。あの褐色の長い衣を着て、この修道士そっくりの死んだ人々の近くに住んでいることや、彼がおぼえていて話して聞かせてくれた神に身を捧げた人々や不思議な奇蹟の数々の物語や、それに彼の高潔に対する私の母の深い尊敬の念や、――そういうものがいっしょになって、私自身もこういう人になれないものかと考えるようになった。
母は夫に先だたれて、生計を立てるのには針仕事の手間賃と、前には私たちが自分で使っていた大きい部屋代とだけが頼りであった。私たちは屋根裏の小さな部屋に住み、私たちが広間と呼んでいた部屋は、フェデリーゴという若い画家が借りていた。彼はいかにも生きているのが楽しそうな、きびきびした若者で、母の話では、聖母マリアのこともその子キリストのことも誰ひとり知る者のない遠い国から来たのであった。彼の国はデンマークであったが、そのころ私はよその国語があるなどとは思ったこともなく、だから私の言うことが彼にわからないとフェデリーゴを聾《つんぼ》だと思い、したがって彼に話しかける時はできるだけ大声を出した。彼はそれを笑ったが、たびたび果物《くだもの》をくれたり、兵隊や馬や家の画を描いたりしてくれたりした。私たちはまもなく近づきになった。私は彼が大変好きだったし、母は彼がなかなか気だてのいい人だとくり返し言うのだった。
ところがある晩のこと、私は母とフラ・マルティーノが話しているのを聞いた。そのため私の胸には、この若い画家の身の上について悲しい感情が生じた。母は、この外国人がほんとに永遠に地獄で呪《のろ》われるのか、と尋ねているのであった。
「あの人ばかりでなく他にも外国の人で」と母は言った。「本当に気だてのいい、決して悪いことをしない人がたくさんあります。貧しい人たちには親切で、お金はきまった時にきちんと払ってくれます。いえ、そればかりでなく私はたびたび、この人たちは数多い私たちの仲間とはちがって、そんなに罪が深くないようにも思います」
「そうです」とフラ・マルティーノが答えた。「ほんとにおっしゃるとおりです。外国人がいい人たちであることもよくありますが、どうしてそうなるのかおわかりですか? それはこうなんです。世界じゅうを歩き廻っている悪魔は異教徒たちがいずれは自分の物になることを知っているので、決して彼らを誘惑しないのです。それだから異教徒たちは楽々と正直になることもできれば、罪になることをせずに済ますのも造作《ぞうさ》ないのです。ところが反対に、りっぱなカトリックの信者は神の子であり、であればこそ悪魔がさまざまな誘惑を並べたてて神に刃向かうことになり、私たち弱き者が負けてしまうのです。しかし異教徒は、まあこう言ってもいいでしょうが、肉体にも悪魔にも誘われることがないのです」
母は何とも答えることができず、気の毒な若者のことを考えて深い溜め息をついた。私は泣きだした。彼が未来|永劫《えいごう》、地獄の火で焼かれるなどというのは、むごたらしくも罪深いことに思われたからであった。彼はほんとに親切で、あんなにきれいな画を描いてくれたではないか。
私の子供時代に重要な役割をつとめた三番目の人はペッポ伯父《おじ》さんで、ふつうは「悪者ペッポ」とか、その毎日の居場所から「スペイン階段〔スペイン広場からモンテ・ピンチオまで、広い石段がある〕の王様」とか呼ばれていた。生まれつき二本の脚がなえていて、体《からだ》の下で十文字になっていたので、彼はまだほんの子供の時から、驚くほど楽々と両手を使って前へ進むことができた。両方の手を板に結びつけた革ひもにつっこんで、この道具を使って彼は、健康で丈夫な足を持った誰にも負けないほど楽々と前へ進むのである。前に言ったように彼は毎日スペイン階段に坐っていたが、物乞いは決してせず、通り過ぎる人にずるそうな微笑を浮かべて「|今日は!(ボン・ジョルノ)」と叫ぶだけ、それを日が沈んでからもつづけていた。
母はあまり彼が好きでなかったばかりか、じつはペッポとの続き柄を恥ずかしく思っていた。しかし、これはたびたび母から聞かされたことであるが、私のためを思って彼と仲たがいしないようにしているのであった。彼は蓋《ふた》つきの大箱のなかに、私たち他の者がほしがるに相違ない物を持っていた。そして私が彼と仲よくすれば彼がそれを教会に寄付しないかぎり、私がただ一人の相続人となるはずであった。彼も彼なりに私をある程度可愛がってくれたが、私はそのそばにいて本当に仕合わせに思ったことは一度もなかった。ある日のこと、私は一つの場面にぶつかった。そのため私は彼を恐ろしくも思い、彼の気質をはっきり呑みこめもしたのであった。階段のいちばん下のところに、盲で年よりの乞食《こじき》が腰をおろして、銅貨《バヨッコ》を入れてもらうつもりで鉛の箱をごとごといわせていた。私の伯父のずるそうな微笑にも、彼が帽子を動かしているのにも気がつかずに、大ぜいの人がそばを通って行った。盲のほうは何も言わずにいるのに得をした。通行人は盲のほうに施しをしたからである。三人通り過ぎ四人目がやって来て小銭を投げた。ペッポはもう我慢がならなかった。彼が蛇のように這い降りて来て、盲の老人の顔を殴りつけ、盲が金も杖もなくなってしまうのを私は見た。
「この泥棒野郎!」と伯父が怒鳴りつけた。「おれの金を取ろうっていうのか。一人前のいざりでもねえくせに! 目が見えねえって? 工合《ぐあい》のよくねえなあそれだけだ! それだけでおれの口のパンを、ふんだくろうとしやがる!」
私はそれ以上見ても聞いてもいず、買いに行かされた葡萄酒《ぶどうしゅ》の瓶を持って、急いで家へ帰った。大きな祭の日にはいつも、母といっしょに私は伯父の家のほうを訪ねなければならなかった。私たちは何かしら土産物《みやげもの》を持って行った。上等の葡萄か、さもなければリンゴの砂糖漬といった物で、これは彼がいちばんの大好物であった。こういう日には私は彼の手に接吻して、伯父さんと呼ばなければならなかったが、そうすると彼は妙な微笑を浮かべて半|銅貨《バヨッコ》くれて、これは目で眺めるためにしまっておくので菓子を買うためではない、菓子は食べてしまえばなくなるが、金をしまっておけばいつも何か持っていることになる、という訓戒を付け加えるのがきまりであった。
彼の家は暗くてきたなく、片方の小さな部屋には窓というものが全然なかった。もう一つの小部屋の窓は、ほとんど天井にとどきそうであったが、そのガラスは割れていたり、つぎがあたっていたりした。家具と名のつくものは、大きな幅の広い蓋つきの、ベッドの代りになる箱と、着物の入れ物に使われる桶《おけ》が二つのほかには何もなかった。この家へ行かなくてはならない時、私はきまって泣いたものだった。というのは、これは本当のことであるが、母は私にペッポにやさしくするようにとたびたび言いきかせながら、私に罰を加える時にはいつもペッポに食べられてしまうなどと言ったからで、そういう時には母は私をあのきたない伯父さんのところへやって、並んで石段に腰かけて歌を歌わせる、そうすれば少しは役に立って銅貨《バヨッコ》の一つももらえるだろうと言った。しかし私には母が口ほどには私を悪く思っていないのがわかっていた。私が母の掌中の珠《たま》だったからである。
向かいの家にはマリアの像があって、その前には燈明《とうみょう》の消えたためしがなかった。夕方アヴェ・マリアの鐘が鳴る時、私も近所の子供たちもその前にひざまずいて、神のおん母と、リボンと珠《たま》と銀のハート形で飾った子供のキリストをたたえる歌を歌った。ゆらめく燈明の光で見ると、マリアもキリストも動いて、私たちにほほえみかけるかと思われた。私は高く澄んだ声で歌ったが、みごとな歌い方だと言われた。ある時イギリス人の家族が居合わせて、私たちの歌うのを聞いていたが、私たちが立ちあがると私に銀貨を一枚くれた。「あなたの声がいいからですよ」と母が言った。しかしこのためにあとになって、どんなに私の気が散るようになったことだろう! その像の前で歌う時にも、私はもはやマリアのことばかり考えていたのではなく、それどころか、誰か自分の美しい歌声に耳を傾けているかな、と思うのだった。しかしこう思ったあとには、きまって燃えるような後悔がつづいた。私は聖母の怒りに触れることが恐《こわ》くなって、この哀れな子供をお守りくださるようにと、心から邪心を捨てて祈祷するのだった。
ところでこの夕方の歌は、私と近所の子供を一つところに集めるただ一つのものであった。私は自分で作った夢の世界だけに静かに住んでいた。窓のほうに顔を向けて、あの驚くべき輝かしいイタリアの青い空や、太陽が沈んでいく時、雲がその紫色の端を黄金色《こがねいろ》の地面に垂らして見せる色の動きに見とれて、何時間となく仰向けに寝ていた。幾度となく私は、家やクィリナーレの広場を越えて、焔のように赤い地平線を背景にして黒い影絵のように立っている大きな松の木のほうへ飛んで行けたら、と思った。私たちの部屋の反対側では、これとまるでちがった景色《けしき》が見えた。そこには私の家や隣りの家の庭があったが、どれもみな小さな狭い地面で、四方から高い家に囲まれ、上のほうは大きな木造のバルコンでほとんど蓋をされた有様であった。そうした中庭には、まん中に石だたみの井戸があって、井戸と家の壁のあいだの地面は、一人の人間がやっと廻ることができるほどだった。だから私がのぞきこむことができると言えるのは、深い井戸が二つきりで、この二つとも「ヴィナスの髪」と私たちが言っていた細い植物がいちめんにはびこって、垂れさがった部分は奥のほうの暗さにまぎれて見えなかった。私は、地面の奥のほうまで見えるような気がした。そういう時、私の空想はひとりでにこの上もなく奇妙なものを創《つく》り出した。ところが母は、この窓に太い棒を取りつけてしまった。どんなに果実がなっているかを見ても、私が落ちて溺《おぼ》れないようにとの心づかいからであった。
しかしここで私は一つの出来事を語ろうと思う。それは、これといった波瀾《はらん》も起こらないうちに、私の一生の物語をあっさり幕にしてしまったかもしれないほど、危い出来事であった。
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二 地下の納骨堂
うちに下宿していた若い画家は、時おり町の外への散歩に私を連れて行ってくれた。彼がスケッチをする時、私は邪魔をしなかった。それが済むと、もうイタリア語がわかるようになっていたので、私のおしゃべりをおもしろがった。
私は前に一ぺん彼といっしょに、大昔遊技のための猛獣を飼ったり、罪もないのに捕えられた人々が兇猛《きょうもう》なハイエナやライオンに投げ与えられたりした暗い洞穴《ほらあな》の奥深くおりて、クリア・ホスティリア〔ローマの元老院が会議を開いた建物〕へ行ったことがあった。暗い通路、赤い松明《たいまつ》をたえず壁にぶつける案内の修道士、鏡のように澄んだ水をたたえた深い水溜まり(この水はあんまり澄んでいるので松明で動かして見るまでは、ふちまでいっぱいにはいっているのに、まるで空っぽのように見えるのだった)――こういうものすべてが私の空想をそそりたてた。恐ろしいという気持は全然なかった。危険というものを知らなかったからである。
「洞穴へ行くの?」街はずれに出て、コロッセオの頂きが見えたとき私はきいた。
「いいや、もっと大きな洞穴へ行くのさ」と彼が答えた。「いいものがあるんだ。そこへ行ったら、君にも画をかいてあげるよ」
こうして私たちは先へ先へ、白い壁、垣をめぐらした葡萄畑、昔の浴場の跡などを通り抜けて、ローマの町の外までぶらぶら歩いた。太陽は燃えるように照りつけ、百姓《ひゃくしょう》たちは荷車に緑の枝で屋根をつけて、その下で眠っていた。手綱《たづな》を放された馬はのそのそと歩きながら、わざと傍《かたわら》にぶら下げてある束から乾草をくわえ取っていた。とうとう私たちはエジェリア〔伝説上のローマ第二代の王ヌーマ・ポンピリウスに信仰を教えたといわれるニンフ〕の洞窟《どうくつ》に行き着いて、そこで朝飯を食べ、ごろごろした岩のあいだから流れ出る清水《しみず》を葡萄酒にまぜて飲んだ。洞窟全体は壁も円天井もいちめんに、絹とビロードで織った綴《つづ》れ錦のような細かい草でおおわれ、その大きな入口のまわりには、カラブリアの谷の葡萄の葉のように生き生きと木蔦《きづた》が繁っていた。
洞窟から何歩と離れないところに、小さな荒れ果てた家が、|地下の納骨堂《カタコンバ》へおりる坂の一つの上に立っている。いや、立っていたと言うほうがよい。というのは、そこにあるのはこの家の少しばかりの残骸だけだからである。この下り坂は大昔ローマと周囲の町々を結んでいたものであるが、しかしその後ある部分は陥没し、ある部分は盗人や密輸入者の隠れ家《が》になったので塞《ふさ》がれてしまった。聖セバスティアノ教会の円天井の埋葬所を通り抜ける道と、今いった荒れ果てた家を抜ける道だけが、今日まで残っている二つだけの入口であった。そして私は、この道をおりたのは私たち二人が最後だと思う、それは私たちの冒険からしばらくたつと、通れなくなってしまったからである。修道士の案内がついて、教会を抜ける道だけがよそから来た人たちに開かれている。
ずっと下ったところで軟らかなプッツォラーナという火山灰性の土をくり抜いて、通路が交叉《こうさ》しているが、その数のやたらに多いこと、またその一つ一つがよく似ていることは、おもな方角を心得ている人にさえ道を間違えさせるのに十分であった。私は全体がどうなっているのかまるきり知りもせず、画家はすっかり安心していたので、私のような小さな子供を連れて降りて行くのを少しも躊躇《ちゅうちょ》しなかった。彼は一本の蝋燭《ろうそく》に火をつけ、もう一本はポケットに入れて、より糸の玉を私たちのはいった降り口に結びつけた。こうして私たちの地下旅行がはじまったのである。通路は私がまっすぐに立って歩けないほど低くなるかと思うと、ところによっては高い円天井があって広々しており、通路の交叉するところでは大きな長方形にひろがっていた。私たちはまん中に小さな石の祭壇のあるロトンダを通り抜けた。ここは異教徒に迫害された初期のキリスト教徒が隠れて礼拝《らいはい》を行った場所である。フェデリーゴは、ここに葬られている十四人の法王やそのほか何千人もの殉教者の話をしてくれた。蝋燭の光を墓の大きな割れ目へ近づけると、内側に黄色になった骨が見えた。それからまた何歩か進むと、そこで糸が終りになったので、それきり私たちは進めなくなった。するとフェデリーゴは糸の端をボタンの穴にとめ、蝋燭を石のあいだに立てて、この深く地にもぐった通路のスケッチをはじめた。私はそのすぐそばの石に腰をおろしたが、彼は両手を組んで顔を上へ向けてくれと言った。蝋燭はもうすぐ消えそうであったが、真新しいのがもう一本そのそばにあった。そのほかにまだフェデリーゴは、ほくち箱も持っていたので、急に蝋燭が消えたとしても、それでもう一本のに火をつけられるはずであった。
私の想像力は、目の前にひらけて見通しのきかない闇《やみ》を見せている果てしない通路のなかに、数多くの奇妙な姿を描き出した。あたりは全くひっそりして、滴《したた》り落ちる雫《しずく》だけが単調な音を立てていた。こうして自分の考えごとに夢中になって腰かけているうち、連れの画家が妙な溜め息をつくのにぎくりとなった。彼はあちこち跳《と》び廻るが、いつも同じ場所から離れない。何か拾い上げるつもりでいるらしく、彼は絶えず地面に身をかがめていたが、そのうちに太いほうの蝋燭に火をつけて捜し廻りはじめた。この奇妙なやり方に私はすっかり怖気《おじけ》づいて、立ちあがりざま泣きだしてしまった。
「後生《ごしょう》だから泣かないでくれ」と彼が言った。「お願いだ!」そして彼はまた地面を見つめはじめた。
「外へ出たいよ!」と私は叫んだ。「こんなとこはいやだ!」私は彼の手をつかんで自分のほうへ引っぱろうと頑張った。
「君、君、君はとてもいい子だろう」と彼が言った。「画もお菓子もあげる……ほら、お金をあげよう!」彼はポケットから財布を出して、中身を全部くれたが、その手は氷のように冷たく、体のふるえているのが感じられた。そうなるとますます怖くなって、私は母を呼んだ。ところが今度は彼はぎゅっと私の肩をつかんで、私を激しく揺り動かしながら言った。「静かにしなきゃ殴るぞ!」そして私の腕に自分のハンカチを縛りつけて私をしっかり抑えたかと思うと、次の瞬間には、私のほうに身をかがめて強く接吻し、私を大事な可愛らしいアントニオと呼んで、「さあ、いっしょにマドンナにお祈りしておくれ!」とささやいた。
「糸がなくなったの?」と私はきいた。
「見つけるよ、――見つけるとも!」こう答えて彼はまた捜しはじめた。そのうちに小さいほうの蝋燭は燃えつきてしまい、大きいほうはたえず動かされるので融けて彼の手を焼き、ますます彼を困らせるばかりであった。あの糸がなくては帰り路《みち》を見つけ出すことは全然できなかったであろうし、一歩動くごとに私たちは、誰にも助けてもらえないいっそう深いところへ迷いこむだけだったであろう。
捜してもむだだったので、フェデリーゴは体を投げ出すように地面に倒れると、私の頸《くび》を抱きしめて、「可哀そうに!」とささやいた。それを聞くと、私はもう家へは帰れないような気がして、ひどく泣きだした。地面に寝たまま彼があんまりぎゅっと私を緊めつけたので、私の手は彼の体の下へすべりこんだ。思わず砂を掴《つか》んだが、見ると指の間により糸があった。
「あった!」と私は叫んだ。
彼は私の手を握って、嬉しさにまるで気が狂ったようだった。じっさい、私たちの命は、このたった一本の糸にかかっていたのである。私たちは助かった。
ああ、自由な空気のなかへ出て来た時の太陽の暖かい輝き、空の青さ、木立《こだち》や叢《くさむら》の楽しい緑色、あれを何といったらいいだろう! 気の毒にフェデリーゴはもう一ぺん私に接吻し、ポケットからきれいな銀時計を出して、「これをあげよう!」と言った。
私はこれが本当に心から嬉しかったので、今までのことはまるで忘れてしまった。しかし、それを聞いた母は忘れることができないで、二度とふたたびフェデリーゴが私を連れ出すことを許そうとしなかった。フラ・マルティーノも、私たちが助かったのは私のおかげだ、マドンナが糸をお授けになったのは私にだ、異端者のフェデリーゴにでなくて私にだ、私は信心深いよい子供だ、決してマドンナのやさしさとみ恵みを忘れてはならない、と言った。このことと、もう一つ、私が母以外の女性は嫌いな性質だから僧籍に身を置くために生まれたのだという知り合いの誰彼の冗談半分の主張とが、母の頭のなかに私を教会に勤めさせなければならないという決心を吹きこんだ。どういうわけか自分にはわからなかったが、私はどんな女にも反感を持っていて、遠慮なしにこれを顔に出すと、母を訪ねて来た娘や女たちは誰でも私をからかうのであった。彼女たちは誰も彼も私に接吻しようとしたが、なかでもひどいのはマリウッチアという百姓の娘で、いつも私をからかっては泣かせた。なかなか元気のよい剽軽《ひょうきん》な娘で、モデルになって生計をたてていたので、いつも派手なきれいな服を着て、頭には白い大きな布をのせていた。彼女はたびたびフェデリーゴのモデルになり、母のところへも来たが、その時にはきまって、自分が私の花嫁だ、私は彼女の小さな花婿だから彼女に接吻しなければならないし、ぜひそうさせてみせると言った。私は一度でもそんなことはいやだったが、彼女は無理に私から接吻を奪った。
ある時この娘に、私が赤ん坊みたいな泣き方をするし、様子もまだ乳《ち》のみ児そっくりだから、乳を飲ませてやらなければと言われて、私は部屋を飛び出して階段を駈けおりたが、彼女は私をつかまえ両膝のあいだに抑えつけて、気持を悪くして私が脇へ向けようとする顔をぐいぐいと自分の乳房《ちぶさ》に押しつけた。彼女の髪に插してあった銀の矢を私が抜くと、彼女の髪はふさふさと波うって、私の顔の上また彼女の裸の肩に垂れかかった。母が炉の前に立って、笑いながら彼女をそそのかす一方では、フェデリーゴが戸口の人に見えないところに立って、私たち皆を画いていた。
「お嫁さんなんかいらないやい、奥さんが何だい!」私は母に向かって怒鳴った。「僕は坊さんになるんだ、でなきゃフラ・マルティーノみたいに、カプチーノ派の修道士になるんだ!」
私が幾日もつづけて夕方じゅう妙に考えこんでいるのを見た母は、それを私が聖職につくことのしるしだと考えた。そのころ私は坐りこんで、偉くなり金持になったらどんな城と教会を建てようか、金ぴかのお仕着せを着た従者を大ぜい従えて、どんなふうにして枢機官のように赤い馬車を走らせてやろうかと考えたり、フラ・マルティーノから聞いたたくさんの話から新しい殉教者の物語を組み立てたりしていた。この物語の主人公はもちろん私自身で、マドンナが助けてくださるので身に受ける苦しみは少しも感じないのであった。しかし、とりわけ大きな望みはフェデリーゴの生まれた国へ旅をして、そこの人々を改宗させ、神のみ恵みを少しでも知らせることであった。
それを準備したのが母であるか、フラ・マルティーノであるかは知らないが、とにかく母はある朝早く私に短かい上衣を着せ、その上に縫いとりのあるやっと膝までの白法衣《コッタ》を着せて、鏡の前へ連れて行って姿を映させた。私はもうカプチーノ寺の聖歌隊員だった。大きな吊り香炉をさげ、ほかの連中といっしょに祭壇の前で歌わなければならなかった。お勤めのことは何もかもフラ・マルティーノが教えてくれた。こういうことはどれもこれも、私をいいようもないほど幸福にした! 私はまもなくあの小さくはあるが気持のよい教会にすっかり馴れ、祭壇のうしろや上の天使の顔も一つ一つ見分けられるようになり、柱の飾りの渦巻《うずまき》模様も残らずおぼえてしまった。そればかりでなく、目をつぶっていても、竜と戦うあのりっぱな聖ミカエル〔大きな翼を持つ天使長ミカエルが、悪魔の頭を踏みつけて突き刺す有名な絵〕を、画家が描き出したその姿のままに思い浮かべることもできたし、敷石に彫った額のまわりに緑の木蔦の飾りをつけた髑髏《されこうべ》について、いろいろすばらしいことを考えたりもした。
万霊節に私は「死者の会堂」へおりて行った。フラ・マルティーノといっしょにはじめて僧院へ行ったとき連れて行かれた場所である。修道士たちは揃ってミサを歌い、私は同い年の二人の男の子といっしょに、髑髏でできた大きな祭壇の前で香煙の立ちのぼる吊り香炉を揺り動かした。人の骨で作った枝形の燭台には蝋燭がともり、骸骨になって立っている修道士の額《ひたい》には新しい花冠と、その手には生花《せいか》の花束があった。いつものようにたくさんの人が集まっていたが、一同がひざまずくと、合唱隊が厳粛なミゼレーレ〔詩篇第五十一篇で、ミゼレーレ・メイ・デウス(神よ、吾を憐れみたまえ)ではじまる〕を詠唱した。私は長いあいだ薄黄色の髑髏と、奇妙な形になってそれと私のあいだに漂う香の煙をじっと眺めていた。すると何もかも私の目の前でぐるぐる廻りはじめて、すべての物が大きな虹《にじ》の向こう側に見えるようでもあり、耳のなかで無数の祈祷の鐘が鳴っているようでもあった。水の流れに乗って行くような気がして、なんともいえない気持のよさであったが、――それから先はおぼえていない。意識がなくなって、倒れてしまった。
大ぜいの群集で重苦しくなった空気と、私の興奮した想像とがこの卒倒のもとであった。気がついた時、私は僧院の庭のオレンジの木の下で、フラ・マルティーノの膝に寝かされていた。
私が見た幻覚のこんぐらかった話を、フラ・マルティーノも仲間の修道士たちも天啓だと解釈して、天国に昇った人々の魂が私の上に舞いおりてきたので、私はその栄光と尊厳に打たれて目をあけていられなかったのだと言った。これがきっかけとなって、私はまもなく数々の奇怪な夢を見るようになったが、それをつなぎ合わせて母に話すと、母がまたそれを友だちに話して聞かせたので、日がたつとともにますます私は神の子だと思われるようになった。
そのうちに楽しいクリスマスが近づいた。山の羊飼で横笛を吹く連中、いわゆるピッフェラーロたちが、短かい外套《がいとう》を着て、とんがり帽子にリボンを巻きつけてやって来た。聖母の像のある家の前には一々立ちどまって、救い主の降誕の時の近づいたことを風笛《ふうてき》を吹いて知らせた。私は毎朝この単調で物悲しい調子で眼をさましたが、その次に第一番にすることは、教えられたことの復習であった、というのは私も選ばれた子供「童男童女」の一人であり、この子供たちはクリスマスから元日《がんじつ》までのあいだに、「天の祭壇」教会のキリストの像の前で説教をすることになっていたのである。
まだ九つの子供の私が、大ぜいの人の前で話をするということは、私と母とマリウッチアばかりでなく、画家のフェデリーゴにも嬉しいことであった。私は母たちには内証にして彼の前で、テーブルの上に立って練習したことがあった。本物の時も同じようなテーブルの上に立つのであったろうが、ただちがうところは、テーブル掛けをかけること、私たちが教会にいること、そこで私たちの暗記した血の流れるマドンナの心臓と子供のキリストの美しさについての話を、大ぜい集まった人たちの前でくり返さなければならないという点であった。
心配というものは全然しなかった。進み出て人々の眼が自分に注がれているのを見た時、あんなに心臓の鼓動が激しかったのは、嬉しさからにほかならなかった。子供たちのうちでいちばん人々の気に入ったのが私だということは、動かしがたい事実と見えたが、そのとき小さな女の子が一人テーブルの上へ抱き上げられた。なんともいえぬ上品な姿をした、驚くばかり明るい顔の女の子で、その声も音楽のように美しいので、人々はみな天使のように可愛らしい子供だと大きな声で驚嘆した。私の母までが、棕櫚《しゅろ》の葉はぜひ私に渡したかったはずなのに、この女の子は大きな祭壇の飾りのなかの天使の一人にそっくりだと、大きな声で人々の前で言った。びっくりするほど黒い目、鴉《からす》のように黒い髪、子供子供してはいるがいかにも利口そうな表情、じつにきれいな小さな手、――母がこういうものをほめすぎたような気が私はした、もっとも母は、私も神の天使だとつけ加えはしたけれど。
夜鶯《ナイチンゲール》の歌がある。まだごく若いとき巣の中にいて、ちょうど蕾《つぼみ》ができかかっているのに気がつかずに、薔薇《ばら》の青葉をついばんだ。幾月かたって花が開くと夜鶯は、その花の歌ばかり歌って茨《いばら》のなかを飛び廻ったので怪我《けが》をしたというのである。私はあとで、たびたびこの歌を思い出した。しかし「天の祭壇」教会にいた時は、それを知らなかった。私の耳も心もそれを知らなかった。
その後わたしは家で、母やマリウッチアやさまざまの母の知り合いの前で、この時の話をくり返さなければならなかったが、これは少なからず私の虚栄心を喜ばせた。しかしやがて、私がくり返しに興味を失う前に、この人たちは私の話を聞いてもおもしろがらなくなった。こうなると聴衆の御機嫌をとるために、自分の頭で新しい話をこしらえようと思った。ところがこれは本当のクリスマスの説教というよりも、むしろ教会の祭りの描写になってしまった。これを聞いたのはフェデリーゴが第一番で、彼は笑いはしたが、この話はどこから見てもフラ・マルティーノが私に教えた話に劣らないとか、私のなかには詩人がかくされているとか彼に言われた時は、やはり私はいい気持であった。彼が最後に言ったことは、私にわからなかったのでいろいろのことを考えさせたが、私の考えでは詩人というのはよい天使にちがいない、たぶん私が眠っている間に楽しい夢やあんないろいろの美しいものを見せてくれるあの天使にほかならないだろう、ということだった。この年の夏、偶然のことから詩人というのがどんなものかがはっきりすると、私自身の魂の世界に新しい考えが目ざめた。
母が私たちの住居のあるあたりから遠くへ出かけることは、めったにないことであった。それだからある日の午後、私を連れて母がトラステヴェレ〔テヴェレ川の高いほう、すなわち右岸にあるローマの部分〕の友だちのところへ行くと言った時には、お祭りが来たような気がした。私はよそ行きの着物を着せられ、ふだん胴衣の代りにしていた派手な絹の布は、短かい上衣の下の胸のところでピンで留められた。頸巻《くびまき》は大きな蝶形《ちょうがた》に結ばれ、頭には刺繍《ししゅう》のある帽子をかぶって、特別の上品さであった。
訪問が終って帰って来たのは少しおそくなってからであったが、月は煌々《こうこう》と冴えわたり、空気はすがすがしく青く、糸杉は松や近くの丘の上に不思議なほど輪郭をくっきりさせて立っていた。これは人の一生にただ一度だけある晩の一つであった。それをきわだったものにする生涯の大事件が起こったのでもないのに、少しも生彩を失わずに思い出に刻みこまれる晩であった。その時以来、テヴェレ川を思い出すとかならず、その晩のことが目蓋《まぶた》に浮かんだ。月の光に照らされた土にごりした黄色い河水。大きな水車が勢いよく廻っている流れから、濃い影を落しながら伸びあがる毀《こわ》れた橋の黒い石の脚《あし》。いや、タンブリンを鳴らしながら跳びかいサルタレッロ〔ごく単調な曲に合わせて踊るローマでは誰でも知っているダンス〕を踊っていた娘たちまでが、ほうふつと目の前に浮かぶのだ。
サンタ・マリア・デッラ・ロトンダ寺院の近くの通りは、まだいたるところ活気と人々の動きでざわめいていた。肉屋と果物《くだもの》売りの女が前にして坐っているテーブルには、彼らの商品が月桂樹の花冠にまじり、裸の灯がつけてある。栗《くり》を炒《い》る鍋の下には火がちらつき、人々の会話にはやたらに叫び声と物音がまじるので、よそから来て一言もわからない人には命がけの争いとも思われるかもしれない。魚の店の並んだあたりで出会った母の昔の友だちが、私たちを引き留めて長話しをしたので、私たちがふたたび歩きだすころには、人々はもう灯を消しはじめた。しかも母は友だちを戸口まで送って行ったので、町はもうコルソ通りでさえ死んだようにひっそりしていた。ところがあの美しい噴水のあるピアッツァ・ディ・トレヴィまで来ると、ここは反対にまだ賑《にぎ》わいの盛りだった。
月はちょうど古い宮殿の、ただあっさりと積み上げたように見えるごろごろした土台の巨石のあいだから水の流れ出るあたりを照らしていた。海神ネプチューンが重い石のマントを風になびかせて見張るがごとくに立ちはだかる大きな滝の両側には、ほら貝を吹くトリトーンが海馬をあやつっている。その下には大きな水盤がひろがり、まわりの芝生には月光のなかに長々と体を伸ばして農夫たちが休んでいる。四つ割りにした大きな西瓜《すいか》の赤い汁の流れ出るのがまわりに転がっている。身につけたものといえばシャツ一枚と、だらしなく垂れ下がった、膝のところのボタンもかけてない短ズボンだけの、肩の張った男が腰をおろして、抱えたギターを陽気に鳴らしていた。歌を歌うこともあればギターを弾《ひ》くこともあったが、百姓たちはみな手を叩いた。母は立ったままでいた。そのとき私が聞いた歌は、しっかりと私の心をとらえてしまった。それまでに聞いたどの歌とも、くらべものにならなかったからである。じっさいその男が歌ったのは、私たちが見たり聞いたりした事がらで、私たち自身が歌のなかに、――それも韻を踏み美しい旋律をした歌のなかにいた。彼は、二人のピッフェラーロが風笛を吹く時、石を枕に青空を衾《ふすま》とする眠りがどんなにすばらしいかを歌い、歌いながら笛を吹くトリトーンを指さした。また、今はまどかな眠りに入って、サン・ピエトロの円屋根や法王の都をさまよい歩く恋しい男を夢に見ている、恋女の健康のために、百姓たちが西瓜の血をそそいで杯を挙げる有様も歌うのだった。「そうだ、いざ飲もう、それもまだ矢の開いていない娘たち〔農家の女が頭に插す矢は、未婚者ならばその先に球があり、婚約した者と結婚した者ならば先が開いている〕みんなのために」そして彼は母の横腹をちょっとつついて、「そうだ、まだある、口の下にまだ黒いうぶげも生えない若者を恋人にしているお母さんがたのために!」と付け加えた。
「上手だこと!」と母が言うと、百姓たちがみな手を叩いて、「うまいぞ、ジャコモ、すてきだ!」と叫んだ。
そのうちに小さな教会の階段の上に、知っている顔が見つかった。私たちのフェデリーゴで、鉛筆を持ってこの賑やかな月下の場面をスケッチしていた。帰る途中フェデリーゴと母は、あんなおもしろい歌を歌った百姓を元気な「即興詩人」だと言って笑い話の種にした。
「アントニオ」とフェデリーゴが私に言った。「君も即興詩を作るんだな。君だって、たしかに少年詩人だよ!」
そこで私は、詩人が何であるかをさとった。つまり、見たもの感じたものを美しい歌にできる人のことだったのである。ほんとにすばらしいことにちがいない、と私は思った。ギターさえあればわけはない、とも。
私がはじめて歌に作ったのは、まさに通りの向こう側の食料品屋そのものであった。それまでの長いあいだもこの店の、ことに外国人の眼をひく品物の珍しい取り合わせが私の気に入っていた。美しい月桂樹の花環のまん中には、大きな駝鳥《だちょう》の卵のような白いチーズがぶらさがっているかと思うと、金紙に包んだ蝋燭がオルガンのパイプのようにずらりと並び、柱のように立てたソーセージが、黄色く琥珀《こはく》のように輝くパルマ産のチーズを支えている。夕暮れすべてが灯《あかり》に照らされ、ソーセージとハムの壁にかけたマドンナの像の前に、赤いガラスのランプがつくと、私はさながら魔法の世界をのぞくような気がした。店台の上の黒い猫も、きまっておかみさんをつかまえて長いこと値切っているカプチーノ寺の修道士も、私の詩にとり入れられた。この詩は長いあいだ想を練ったので、フェデリーゴの前で大声に一語もちがえずくり返すことができ、彼にほめられるとたちまち家じゅう全体に、いやそれどころか当の店のおかみさんにまでひろまったが、そのおかみさんは手を叩いて笑いながら、本当にりっぱな詩だ、まるでダンテの神曲だと言った。
それからというもの、あらゆるものが私の歌になった。私は完全に空想と夢のなかに生きていた。――教会で吊り香炉を振る時も、通りのがらがらと走る馬車や大声にどなる商人のあいだにいる時も、マリアの像と聖水入れの下の自分の小さなベッドにいる時も。……冬のあいだは何時間も家の前に腰をおろして、鍛冶屋《かじや》が銑《ずく》を熱し百姓が体を煖めるとおりの大きな火を見つめることができた。私はこの火のなかに私の想像と同じように燃える世界を見た。冬の山の雪が、あのきびしい寒さを私たちのいる低い土地まで送ってきて、広場のトリトーンに氷柱《つらら》を下げると、私は嬉しくて大声をあげた。が、残念なことは、そういう寒さがごく珍しいということだった。そんな時には百姓たちも喜んだ。この寒さは彼らにとって、豊年の前ぶれだからである。手をつなぎ合わせ大きな毛織りの外套を着て、彼らがトリトーンのまわりを踊り廻ると、高く噴き上げる水にきらきらと虹《にじ》が映った。
しかし私は子供の時の、他人には私ほどに深い意味もすばらしい魅力も持ちえない、つまらない思い出に長いあいだかかずらわりすぎた。一つ一つの出来事を思い出し、しっかりそれを握りしめていると、もう一度全部をやり直しているような気がする。
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子供心は私の夢には海であった、
絵のボートの浮かぶ音楽の海!
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ここで急いで、私は私と家庭の楽園とのあいだにはじめて茨の垣を作り、私を他人のあいだに引き入れ、かつはまた私のいっさいの未来の萌芽《ほうが》ともなった出来事に話を移すことにしよう。
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三 ジェンツァーノの花祭り
六月のことだった。毎年ジェンツァーノ〔ローマから沼沢地方へ行く街道にあるアルバーノ山脈中の町〕で盛大に行われる有名な花祭りの日が近づいた。ここに母にもマリウッチアにも友だちに当る女がいて、夫と二人で宿屋兼一品料理屋〔オステリア・エ・クチーナというのがイタリアの安い宿屋兼料理屋につきものの看板である〕を開いていた。母もマリウッチアもずいぶん前からこの祭りに出かけようと思っていながら、いつも何かしら故障ができて行かれなかったのが、今年は何も邪魔がなかった。遠いところだというので、花祭りの前の日に出発するはずだった。その前の夜は一晩じゅう私は嬉しくてまんじりともしなかった。まだ日の出ないうちに辻馬車《つじばしゃ》が迎えに来て、私たちは出発した。私はまだ一度も山のなかへ行ったことがなかったので、さまざまな期待と近づく祭りの嬉しさに胸がおどった。もし成長してからも私が自分の周囲の自然と人生とを、あの時と同じ生き生きした感じで眺めることができたとしたら、それこそ不朽の詩ができたであろう。町々の静まり返った静けさ、鉄鋲《てつびょう》を打った城門、何マイルとなくつづく広々したカンパーニャの平原、そこに立つ淋《さび》しい墓標、遠くの山々の麓《ふもと》をおおう深い靄《もや》――何から何まで私には、やがて見る壮麗な祭りの神秘的な前ぶれのように思われた。罪もない人がここで殺され、その犯人がここで罰せられたというしるしに、殺人者の白ちゃけた骨を掛けて道ばたに立てた木の十字架までが、私にとっては並々ならぬ魅力があった。私はまず、山からローマへ水を引いた無数の石のアーチを数えようとしたが、これにはすぐあきてしまったので、墓石を積み上げた周囲で百姓が燃やしている大きな焚火《たきび》について、次から次へと他の人たちを質問攻めにしだした。また、あちこち歩き廻る羊追いが、垣根のように漁師の網をぐるりとまわりに張りめぐらして、一ところに集める途方もなくひろがった羊の群れについても、きちんとした説明を聞かなければ承知しなかった。
アルバーノから先のわずかではあるが美しい残りの道のりは、アルリッチアを通って歩かなければならなかった。道ばたには野生の木犀草《もくせいそう》や、ニオイアラセイトウが生え、みずみずしいオリーブの木が繁って、香りのよい木《こ》かげをつくっていた。遠くの海がちらりと見えたかと思うと、道ばたの十字架の立っている山の斜面では、賑やかな女の子たちが踊り跳ねながら、それでも神聖な十字架に接吻するのは忘れずに、私たちのそばを通り過ぎた。アルリッチアの教会の円屋根を私は、こんもりしたオリーブの木のあいだの青い空に天使が下げたサン・ピエトロのそれだと思っていた。往来では集まった人たちに囲まれて、熊《くま》が一匹後足で立って踊っていたが、その綱を持った百姓は、クリスマスにマドンナの前でピッフェラーロになって吹いたあの曲を風笛で吹いていた。
この百姓が「伍長」と呼んでいる軍服姿の可愛い猿が、熊の頭や頸の上でとんぼ返りをして見せていた。私はジェンツァーノへ行くよりも、ここにいるほうがずっとよかった。花祭りはまだ翌日のことだったのに、母はどうしてもジェンツァーノまで行って、友だちのアンジェリーナが花環《はなわ》や花の壁かけを作る手伝いをするのだと言った。
まもなくわずかばかりの残りの道のりも歩きつくして、私はアンジェリーナの家に着いた。ジェンツァーノの郊外、ネミ湖の見おろせるところに立った小ぎれいな家で、清らかな泉の水が壁から石の水盤へ流れこみ、驢馬《ろば》が水を飲みに集まっていた。
宿屋にはいると、がやがやわさわさしていた。炉の上では料理が煮えて、じりじり音を立てているし、長い木のベンチには百姓や町の人がかたまって、葡萄酒を飲んだりハムを食べたりしている。この上もなく美しい薔薇の花が青い水差しに插されてマリアの像の前に置いてあったが、煙がそのほうへなびくので、蝋燭がよく燃えなかった。猫はテーブルの上のチーズを飛び越して走り、牝鶏《めんどり》は私たちが踏んづけそうになると、驚いて床《ゆか》の上を跳ね廻った。アンジェリーナは私たちを喜びむかえた。どうぞと言われて、煙突のそばの急な階段を上がると、私たちだけで使える小部屋があって、私の考えでは王様の召しあがるような御馳走を食べた。何から何まですばらしく、葡萄酒の瓶にまで飾りがしてあって、コルクの代りに満開の薔薇が插してあった。アンジェリーナは私たち三人に一人残らず接吻した。私も否応なしに接吻された。アンジェリーナが私のことを可愛らしい子供だと言うと、母は片手で私の頬をなでながら、片方の手で私の身なりを直してくれた。私には小さすぎるジャケツを手首のところまで引っぱるかと思うと、今度はきちんと身につくように肩と胸のほうへ引っぱり返した。
食事の次に待っていたのは、本当のお祭り騒ぎだった。私たちは花冠を作るため花や葉を取りに行くはずだった。低い戸口から庭へ出た。これはこじんまりした、いわば一つの木かげのようなものだった。それを囲む簡素な木の柵には、ひとりでに大きくなったアロエの広いしっかりした葉がからみついて、生垣ができていた。
湖は大きな丸い噴火口に眠っていた。ここは昔天に向かって火の噴き出したところである。私たちは円形劇場のような岩のごろごろした斜面を降り、大きなブナの林とよく繁ったプラタナスの茂みを通り抜けたが、ここには蔓草《つるくさ》が木の枝にまでからみついていた。湖の向こう側の斜面にはネミの町があって、青い湖に姿を映していた。私たちは歩きながら花飾りを編んだ。濃い緑のオリーブの葉や、生き生きした葡萄の葉を、野生のニオイアラセイトウと編み合わせるのだ。深々と横たわる青い湖と頭上の明るい空とが、繁った枝や葡萄の葉にかくれたかと思うと、また、二つのものが一つの青色に融け合って果てしなくつづいてでもいるように、きらりときらめいた。あらゆるものが私には目新しく輝かしく、私の心は静かな喜びにふるえた。今でもなお時とするとこの時の感情が、さながら埋没した都会の美しいモザイクの破片のように思い出される。
太陽がかんかん照りつけるので、プラタナスが古い幹を水の上に突き出して、蔓草にからまれて重くなった枝を鏡のような水面に垂れている湖の岸まで来て、はじめて涼しさにほっとして仕事をつづけることができた。ここでは美しい水草が深い日かげで夢みるように首を動かしていたが、これも私たちの花飾りの一部になった。しかしやがて日の光はもう湖まではとどかず、ネミとジェンツァーノの町の屋根にちらつくだけになった。こうなると私たちの腰をおろしている場所へ暗闇《くらやみ》がすっと降りてきた。私は少しほかの連中から離れたが、それはほんの二、三歩だった。水が深く、岸にも急なところがあるので、私は落ちはしまいかと母が心配したからである。月の女神ディアナに捧げられた昔の寺院の小さな石の廃墟から、あまり遠くないところに、大きな無花果《いちじく》の木があったが、もう木蔦で地面へ縛りつけられかかっていた。私はこの木に登って花飾りを編みながら、歌謡曲の一節を歌った。
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ああ、紅《あか》い、紅い花、
菫《すみれ》の花たば!
愛のジャスミン……
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すると急に私の歌は、奇妙に口笛を吹くような声にさえぎられた。
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恋びとに捧げようとして!
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私の前にひょっこり現われたのは、背の高い老婆であった。異様なほどすらりとした体つきで、フラスカーティの農家の女が愛用する服を着ていた。頭から肩へ垂れた白いヴェールのせいで、顔と頸すじが本当の色よりもなお、白人と黒人の混血児のような黄褐色に見えたらしい。顔は縦横に皺《しわ》が寄っているので、くしゃくしゃの網のようだったし、黒い瞳は目のくぼいっぱいに満ちていた。彼女は笑ったが、それと同時にまじめな顔つきでしげしげと私を見つめた様子は、まるで誰かが木に立てかけたミイラのようだった。
「万年老《まんねんろう》の花は」と、ようやく彼女が口をきいた。「おまえさんが持つとなおきれいだよ。おまえさんの目には幸福の星が見えるね」
私はびっくりして彼女を見た。そして編みかけの花冠を唇に押しつけた。
「月桂樹〔付近の山の中に野生のものがたくさんある〕のきれいな葉には毒があるからね、花飾りを編むのはいいが、葉をなめるんじゃないよ」
「ああ、フラスカーティのフルヴィア巫女婆《みこばあ》さんだ」アンジェリーナが茂みのなかから出て来ながら、大きな声を出した。「あなたも明日のお祭りの花飾りを作ってるの? それとも」――彼女は声を殺してつづけた。「カンパーニャに日が沈まないうちに別の花環をこさえるの?」
「利口そうな目だね」そのあいだもじっと私を見つめながらフルヴィア婆さんがつづけた。「この子が生まれた時は、太陽が金牛宮を通り抜けて、その牡牛の角《つの》には黄金と栄光が懸かっていたんだよ」
「そうですわ」とマリウッチアといっしょに近寄って来て母が言った。「この子が黒い衣《ころも》を着て鍔《つば》の広い帽子をかぶるようになれば、吊り香炉を振って神様にお仕えするか、茨《いばら》の垣をくぐらなければならないかが、わかるでしょう」
こういうことばで母が、やがて私が僧職に就くことを仄《ほの》めかしたということは、この占いをする女にもわかったらしいが、その返事の意味はその時私たちの予期したこととはまるで違っていた。
「鍔の広い帽子は」と婆さんは言った。「その子が人々の前に立つ時、――その子の話が音楽のように、格子《こうし》のうしろの尼さんの歌よりも美しく、アルバーノの山々の雷よりも力強くひびく時、額にあたる日をさえぎりはしまいよ。幸運の女神の座は、山の上に休む雲が羊の群れのなかにはいるほど高いカーヴォの山より、まだもっと高いからね」
「おお!」母はこの輝かしい予言を聞くのが嬉しいにはちがいなかったが、なんだか信じられないといった様子で首を振った。「この子は貧しい子供なんです。……先がどうなるかマリア様だけが御存じですわ! 幸運の馬車はアルバーノの農家の車よりも丈が高いし、その車はいつも廻っているのに、どうして貧しい子供がよじ登れましょう?」
「百姓の車の大きな二つの輪が廻るのを見たかね? いちばん下の矢がいちばん上になったかと思うと、また下へ降りて行く。下のほうに来たとき百姓が足をかけると、廻って行く車が押し上げてくれる〔百姓たちは昇って行く本輪の矢に足をかけて高い車によじ登るならわしである〕。けれど時には道に石が転がっていて、そうなるととんだ見世物になる」
「私もこの子といっしょにその幸運の馬車に乗れないものでしょうか?」と母が冗談半分にたずねたが、そのとたんに大声で叫んだ。大きな猛鳥が私たちのすぐそばの水面に舞いおりたと思うと、大きな翼で水を叩いた力で私たちの顔にしぶきを跳ねとばしたからである。空高く飛びながらその鋭い眼が、湖水の面に蘆《あし》のように動かずにいる大きな魚を見つけたのだった。矢のような勢いで獲物にとびかかり、鋭い爪をその背に突きたてて、また舞いあがろうとした時、水の揺れ工合でそれと知れたのだが、体の大きさも力の強さも敵に劣らないその魚は、反対に相手を引きずって沈もうとした。ところが猛鳥は、爪が魚の背中に堅く刺さっているので獲物から離れられない。そこでたちまち、静かな湖が大きな波紋《はもん》を見せて荒れるほどの闘争がはじまった。ぎらぎらする魚の背が見えたかと思うと、鳥がひろげた翼で水を叩いて降参するようにも思われた。争いは数分間つづいた。二枚の翼が一休みしてでもいるように、水の上にひろがって一瞬間しずかになった。かと思うと二枚が突然ぶつかってぴしっという音が聞こえ、片方の翼が沈むと、もう一枚は水を叩いて泡だてたが、やがて見えなくなった。魚は敵もろとも波の下へ沈んだが、そこで両方とも死んでしまったにちがいない。
私たちはみな無言のままこの光景を眺めていたが、母がほかの人たちのほうへ振り向いた時には、巫女婆さんはもういなかった。先へ行ってわかるように、これは何年もたってから私の運命に影響を及ぼし、私の記憶に深く深く刻みこまれることになるのであるが、とにかくこの出来事を胸にきざんで、私たちはことばすくなに急いで家へ帰った。こんもり繁った木の葉から暗闇が湧き出るように思われ、火のように赤い夕雲は鏡のような湖水に映《は》え、水車が単調な音を立てて廻っていて、何もかもが何かしら悪魔的な影を宿しているように見えた。私たちが歩いているまにアンジェリーナは、毒薬や媚薬《びやく》の調合の仕方を知っているあの老婆から聞いたといういろいろ不思議なことを、声をひそめて私たちに話して聞かせた。そして哀れなオレヴァーノのテレーザの話をした。北のほうへ山を越して行ってしまったすらりとしたジュゼッペ恋しさと心痛とで、毎日毎日をなすこともなく暮らすテレーザ。銅の器《うつわ》で薬草を煮て、火にかけたきり何日もぶつぶつ煮えるままにして置く老婆。やがてこれも恋しさにとらえられて日もなく昼もなく、休みもせず眠りもせずに急いで帰らなければ気の済まなくなったジュゼッペ。その帰りついたところにはありがたい薬草と彼とテレーザの髪が一房あの銅の器のなかで煮えていたのだ。……私は静かにアヴェ・マリアの祈祷をしたが、アンジェリーナといっしょに家のなかへはいってしまうまでは心が静まらなかった。
私たちの編んだ花飾りに囲まれた真鍮《しんちゅう》のランプには、四本の芯《しん》に火がついていて、夕食の仔牛《こうし》のトマト煮が並べられ、葡萄酒の瓶とともに私たちを待っていた。私たちの下の部屋では、農夫が酒を飲みながら即興の歌を歌っていた。それは彼らのうちの二人が歌う二重唱のようなもので、合唱のところはほかの連中も声を合わせたが、火を焚いている大きな煙突にかかったマリアの像の前へ、私が他の子供たちといっしょにおりて行くと、一同そろって私の美しい声に耳を傾けほめてくれたので、私は暗い林のことも、私の運勢を占ったフルヴィア婆さんのことも忘れてしまった。そのとき私も喜んで百姓たちと張り合って即興の歌を作っただろうが、母は私に、教会で吊り香炉を振る私が、そしていつかはたぶん人々の前で神のことばを説かなければならないはずの私が、ここで馬鹿みたいにはしゃぎ廻るのは見っともなくはないかとたずねて、私の虚栄心と望みをおさえた。まだ謝肉祭が来たわけではなし、母はそんなことは許せないというのだった。しかし夜になって寝室にはいり、私が大きなベッドに這いあがると、母は私をやさしく胸に抱きしめて、私を自分の慰め、自分の喜びと呼び、私がその腕を枕にするのを許してくれた。私はそのまま、太陽が窓からのぞきこんで美しい花祭りを見に行くように起こしてくれるまで夢路をたどった。
はじめて街路に目を向けた時の気持、そのとき見た鮮かな絵模様を、どういうふうに言ったらいいだろう。ゆるやかな登り坂になった長い街路が、いちめんに花でおおわれていた。地《じ》の色は青かった。この街路をおおうだけの同じ色の花を集めるには、庭という庭、花畑という花畑を裸にしたのかと思われた。花の上には長い縞《しま》が、葉で作った緑の筋と薔薇色の筋と一本おきに並んでいた。少し離れたところに、また同じような縞模様があり、このあいだに濃い赤色の花でうずめたところがあって、いわば敷物全体の縁を取っていた。そのまん中のところは星と太陽をあらわしていたが、これはみな黄色で丸く星に似た花を、びっしり集めたものだった。それよりも手間のかかったのは名前の文字をあらわしたところで、ここには花と花、葉と葉が重ねてあった。見わたすかぎり生きた花の絨毯《じゅうたん》であった。その色彩の壮麗なことは、あのポンペイにあるというモザイクの床《ゆか》をもしのぐかと見えた。そよとの風もなく、無数の花は重いしっかりとはめこんだ宝石のように動かなかった。窓という窓からは、葉と花で作って、聖書の物語をあらわした大きな絨毯がさがっていた。ここではヨゼフがマリアとその子を乗せた驢馬《ろば》を曳いていて、顔と手足は薔薇の花、ひらひらする衣裳《いしょう》はアネモネとアラセイトウで作られ、冠になったのはネミの湖から採ってきた睡蓮《すいれん》であった。かと思うと聖ミカエルが竜と戦い、神に身を捧げたロザーリアが暗青色の地球の上に薔薇の花を振りかけている。どこを見ても花が聖書のなかの物語をものがたり、それを取り巻く人々はみな私と同じく浮き浮きしていた。山の向こうからやって来た金持の外国人が、お祭りにふさわしい服を着て、バルコンに立っている。建ち並ぶ家々の前を大ぜいの人の群れが動いて行く。一人一人がめいめいの土地の慣習どおりの祭礼の衣裳をこらしている。母は大噴水を囲む石の水盤のそばの、ちょうど街路の広くなるところに席を取り、私は水のなかからのぞいている半獣神の頭のすぐ前に立っていた。
太陽は燃えるように照りつけ、ありたけの鐘が鳴るなかを、行列が美しい花の絨毯の上を進んで来た。いとも美妙な音楽と歌声がその近づくのを知らせた。聖歌隊の少年たちが聖体顕示台の前に吊り香炉を振り、近くの村々の花のように美しい少女が花飾りを持ってそれにつづくと、裸の肩に翼をつけた貧しい子供たちは行列が大祭壇に到着するのを待ちながら、天使のように讚美歌を歌っていた。若い男たちは、マドンナの絵姿をつけた尖り帽子のまわりにリボンをひらひらさせ、頸のまわりの鎖には金銀の環をかけつらね、黒ビロードのジャケツには明るい色のりっぱな襟飾りがみごとだった。アルバーノやフラスカーティの娘たちが来た。編んで銀の矢を插した黒い髪に、薄手のヴェールが上品にかかっている。ヴェルレトリの娘たちは反対に頭のまわりに花飾りをつけ、いきなネッカチーフは思いきり低く結んで、美しい肩と丸い胸とが見えるようにしている。アブルッツィから、沼沢《しょうたく》地方から、近くの土地のいたるところから、誰も彼もがそれぞれの土地の衣裳で集まって来て、目も綾《あや》な印象を与えた。枢機官が銀を織りこんだ衣をまとって、花を飾った天蓋をさしかけられて進んで来るあとには、めいめいが燃える蝋燭を持ったさまざまの階級の僧侶《そうりょ》がつづいた。行列が教会を出ると、おびただしい群集があとを追った。私たちも引きずられて行ったが、はなればなれにならないように、母はしっかりと私の肩をつかまえていた。こうして人々に取り囲まれて歩いて行ったので、目に見えるのは頭の上の青空だけだった。突然、耳を刺すような叫び声がしたと思うと、たちまち四方へ伝わった。暴れ馬が二匹、矢のように走り過ぎた、――と思っただけで、あとは何もわからなかった。地面に押し倒された私は目の前がまっ暗で、頭の上から滝が落ちて来るような気がした。
おお、聖母マリア、あの時の悲しさ! 思い出すたびごとに怖ろしさにぞっと冷たいものが背すじをつたわる。気がつくと私はマリウッチアの膝に頭をのせて寝ていた。マリウッチアはすすり上げたり、大声で泣いたりしている。そばには母がぐったりと横になり、まわりには顔も知らない人たちが小さな輪をつくって立っていた。あばれ馬が私たちを飛び越すと、車が母の胸を轢《ひ》いたのだった。血がどくどくと口から流れて、――母は死んでいた。
私は母の重たそうに閉じた目を見た。そして、ついさっきまであんなに優しく私を守ってくれた母は、今はぐったりとなって両手を組ませられた。僧侶たちが母を僧院へ運んだ。私はちょっと擦《す》り剥《む》いた程度で、ほかにどうということもなかったので、マリウッチアが、昨日は私があんなに浮き浮きして花飾りを作り、母に抱かれて眠った宿屋へ連れて帰った。自分がどんなに独りぼっちになったのかはわからなかったが、私はほんとに悲しかった。玩具や果物《くだもの》や菓子をくれたり、明日になれば母に会わせると約束する人たちもあった。今日は母は聖母マリアのところにいて、そこにはいつまでも終ることのない花祭りと悦《よろこ》びがあるということだった。しかしマリウッチアの言ったほかのことも、私の注意をひかずにはいなかった。私にはマリウッチアが低い声で昨日のいやらしい鷲のこと、フルヴィアのこと、また母が見たという夢のことを話しているのが聞こえた。母が死んだ今となってみると、不幸の来るのは誰にもわかっていたのだった。
一方あばれ馬のほうはまっしぐらに町を突き抜けて、木にぶつかるとようやく止まった。そして四十を越したりっぱな紳士が、怖ろしさで半分死んだようになって馬車から助け出された。人の話によると、この紳士はボルゲーゼ家〔十六世紀から十九世紀のはじめにかけてイタリアの政界・社交界に重きをなしたシエナ共和国出身の名家〕の一人で、アルバーノとフラスカーティのあいだにある別荘に独り暮らしをしていて、あらゆる種類の植物や花を集めるのに気違いのように夢中になっているので有名だった。そればかりでなく魔術や占いのことも、フルヴィア婆さんに劣らずよく知っていると信じられていた。りっぱなお仕着せを着た召使が、この紳士から母を失った子供へといって二十スクーディ〔単数はスクード。昔のイタリアの金貨または銀貨〕とどけて来た。
次の日の夕方、アヴェ・マリアの鐘が鳴る前に、私は僧院へ連れて行かれたが、これが母の見納めであった。狭い木の柩《ひつぎ》に寝かされた母は、祭りの装いのままで、昨日の花祭りの時とそっくりだった。私が母の組んだ両手に接吻すると、女の人たちが涙を流した。
入口にはもう、柩をかつぐ人たちとその付き添いが立っていた。みんな白い長上衣を着て、頭巾を顔まで垂らしている。この人々が棺台を肩にかつぎ上げると、カプチーノ僧が蝋燭に火をともし、死者のための歌を歌いはじめた。マリウッチアは私といっしょに柩のすぐあとにつづいた。赤い夕空が母の顔に映って、母はまるで生きているようだった。町の子供たちは元気よく私のまわりを駈け廻りながら、僧侶の蝋燭から落ちる滴《しずく》を小さな紙袋に集めていた。
私たちは、きのう祭りの行列が進んだ街路を通った。そこには花と葉がいっぱいに散らかっていたが、数々の絵も美しい模様も一つ残らず、私の子供時代のしあわせのように、過ぎ去った日の幸福のように消え去っていた。教会の墓地へ来ると、死体を納める円天井のある地下室の大きな石の蓋が、片寄せてあるのが見えた。私は柩が下りて行くのを見、前からある柩の上に置かれた時の鈍い音を聞いた。やがてほかの人たちはみな行ってしまったが、残ったマリウッチアは私を墓石の前にひざまずかせて「オーラ・プロ・ノービス」(われらがために祈りたまえ)をくり返させた。
私たちはその日の晩、明るい月の光に照らされてジェンツァーノから帰って来た。フェデリーゴとよその人が二人いっしょだった。黒い雲がアルバーノの山々にかかっていた。薄い霧が月明りのなかをカンパーニャへ飛んで行くのが見えた。誰もほとんど口をきかなかった。まもなく私は眠ってしまった。そして聖母マリアと花飾りと母を夢に見た。母は生きていて優しく笑って私に話しかけた。
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四 ペッポ伯父さん
ところで、一体全体この子はどうしたものだろう? ということが、私たちがローマへ、そして母の家へ帰って来た時まっ先に問題になったことであった。フラ・マルティーノが勧めたのは、私をカンパーニャにいるマリウッチアの両親のもとへやることだった。この両親というのは正直者の羊飼いの夫婦で、二十スクーディといえばこの人たちには一財産であろうし、私を引き取ってわが子同様にするのに何の文句もあるまい、というのだった。しかし私は、この時もう半分は教会の一員のようなものだったし、もしカンパーニャへ行ってしまえば、教会で吊り香炉を振ることももうできなくなるわけだった。やはりローマにいて、誰かちゃんとした人のところで暮らしたほうがよい、というのがフェデリーゴも考えたことで、私ががさつな愚か者の百姓になるのはありがたくないという意見であった。
フラ・マルティーノが僧院で相談しているあいだに、ペッポ伯父さんが例の木片をぺたぺたさせながらやって来た。私の母の死んだことと、思いもよらない二十スクーディが私のものになったことを聞いたので、それではと自分の意見を述べに来たのだった。そして、自分が世界じゅうでたった一人の私の親類なのだから、自分が引き取るのが当然だ。私は自分について来なければいけない、そしてこの家のなかにあるものは皆、二十スクーディももちろん自分のものだと宣言した。マリウッチアは非常に熱心に、もうフラ・マルティーノと二人で何もかもいちばんうまく納まるようにしておいたと主張して、いざりで乞食のペッポは自分のことだけで手いっぱいなのだから、今度のことには全然口を出す権利がない、ということを呑みこませようとした。
フェデリーゴが部屋を出ると、残った二人はめいめい私のためという勝手な理屈を持ち出して、たがいに文句を言い合った。ペッポ伯父さんが有りたけの毒舌を吐き出すと、マリウッチアは形相《ぎょうそう》すさまじくその前に立って、もうペッポにも私にもかまわない、どんなことが起ころうと知るものかと言った。私を連れて行ったら木の松葉杖を作ってやって、いざりのまねをさせて自分の財布をいっぱいにする手伝いをさせるだろう、連れて行きたければ連れて行くがいい、だがお金はフラ・マルティーノが帰って来るまで自分があずかって、一かけらだってその腐れ眼に見せてやるものか、とマリウッチアが言えば、ペッポは、手にはめるいざり板でピアッツァ・デル・ポポロ〔人民広場〕ほどの穴をどたまに明けてやると、マリウッチアをおどかした。私は泣きながらそのそばに立っていたが、マリウッチアが突きのけるとペッポが引き寄せるのだった。自分について来なければいけない、自分になつかなければならない、だが荷物を担ぐのならお礼ももらうのが本筋だ、と彼は言った。ローマの裁判所は正直な人間の正当な権利をみとめるはずだとも言って、いやがる私を戸口から引きずり出すと、そこにはぼろぼろの服を着た若者が驢馬といっしょに立っていた。というのは何か事があると、そして急がなければならない時には、いざり板を捨てて、なえた脚《あし》で駅馬にしがみつくのがペッポのやり方だったからで、そうすると彼と驢馬がぴたりと一体になるのだった。彼が私を自分の前に乗せると、若者が一鞭くれた。駅馬は速足《はやあし》で走りだしたが、途中ペッポは彼なりのやり方で私にやさしくしてくれた。
「どうだい、坊や」と彼が言った。「すごくりっぱな駅馬じゃないか。飛ばすことだってできるんだぞ、競馬馬がコルソの大通りをすっ飛ばすみたいにな。いい子だな、おれのところへ来れば、極楽の天使みたいな、いい毎日が送れるぞ!」そのあとにつづいたのはマリウッチアに浴びせる果てしない罵詈《ばり》と呪詛《じゅそ》だった。
「そんないい子をどこから盗んで来たんだい?」と、途中で会ったペッポの知り合いがきいた。そして私の話は人から人へと、いたるところでくり返された。レモン水売りの女は、私たちの長い物語のお礼に、いっぱいはいったコップを差し出し、パイナップルを一つ持たせてくれたのはいいが、中身はまるでなくなっていた。ペッポの家に着かないうちに日が沈んでしまった。私は一言も口をきかず、顔に手を当てたまま泣いていた。ペッポは私に二つ並んだ部屋の小さいほうの隅にあるベッドを見せたが、それはトウモロコシの葉で、というよりも乾かした殻でできていた。これが私の寝る場所だった。私は腹がすいているはずはない、咽喉《のど》もかわいてはいるわけはない、あの上等なレモン水を飲んだんだから、と伯父は言って、私がいつもあんなに気味悪く思っていたいやらしいにこにこ顔で私の頬を撫でた。そして財布のなかには銀貨が何枚あるか、マリウッチアはそのなかから馬車屋に払ったのか、金を持って来た時あの召使が何と言ってたか、ときいた。私は何も説明したくなかった。涙を流しながら、私はいつまでもここにいなければならないのか、明日家へ帰れないのか、と問い返した。
「大丈夫帰れる、きっと帰れる」と彼は言った。「さあ寝な、だがアヴェ・マリアを忘れずにな。人間が寝てるあいだは悪魔が起きてる。十字を切れよ、荒れ狂ったライオンだって破れない鉄の壁だからな。ていねいにお祈りするんだぞ、マリア様が病気と破滅であの嘘つきのマリウッチアを罰してくださるように。あいつめ、おまえが何も知らないのをいいことにして、おれたちから何もかも巻き上げちまうぞ。さあ、もう寝な。そこの上の小さい穴はあけといてもいい。いい空気は夕飯の半分ぐらいの値打があらあ。蝙蝠《こうもり》なんか恐《こわ》がるんじゃないよ、あいつらなかまではいって来やしないから。よく寝るんだよ、可愛い坊や!」これだけ言って、彼は閂《かんぬき》をかけてしまった。
ペッポは長いこと隣りの部屋で何かしていたが、やがてほかの人たちの声がして、壁の隙間からランプの光がさしこんできた。私は体を起こしたが、乾いたトウモロコシの葉はがさがさと大きな音を立てるし、ペッポが聞きつけてはいって来るのがいやなので、ごくこっそりと起きあがった。隙間からのぞくとランプには二本の芯《しん》に火がともり、テーブルにはパンや大根が並んで、葡萄酒《ぶどうしゅ》の瓶が手から手へと廻っていた。全部が一人残らず乞食で片輪で、表情は私の見なれたのとはちがっていたものの、みんな知っている顔だった。熱病やみで半死半生のロレンツェが、陽気な落ちつかない様子で腰かけて、ひっきりなしにしゃべっていたが、これが昼間私が見た時には、いつもモンテ・ピンチオ〔ここには公園があって、スペイン階段からポルタ・デル・ポポロに及んでいる〕の草の上にぐったりと伸び、ぐるぐる繃帯《ほうたい》を巻いた頭を木の根にもたせかけて、いかにも半死半生の病人のように口をもぐもぐさせると、その女房が熱病にかかって苦んでいる亭主を、通行人の目を惹《ひ》くように指さしていた――あの男なのである。指なしのフランチアは、指のない拳で太鼓でも叩くように盲のカタリーナの肩を叩きながら、「カヴァリエーレ・トルキーノ」の一節を低声《こごえ》で歌っていた。まだ二、三人ほど戸口のそばに坐っていたが、暗いものかげにいるので顔がわからなかった。私は恐ろしくて胸がどきどきした。彼らが私のことを話しているのが聞こえた。
「その子は何かやれるのか?」と一人がきいた。「どこか片輪のところがあるのかい?」
「いや、マリア様はそんなに御親切じゃなかった」とペッポが答えた。「あの子はほっそりしたいい体《からだ》つきで、うんと上流のお坊ちゃんみたいだ」
「そいつは大した困りもんだ」と一同が言った。盲のカタリーナは、私をちょっと片輪にしたらいい、そうすればマリア様が天国のパンをくださるまで、この世のパンを稼ぐ助けになるだろうに、と言った。
「そうよ」とペッポが言った。「あの姪《めい》が利口だったら、あの子も一山もうけたろうによ。あの子は、なあ、まるで天使のような声をしてるんだ。法王様のお堂へやられるはずだったんだ。りっぱな歌うたいにだってなれたにちがいない!」
彼らは私が幾つだとか、これからどんなふうに仕込めるだろうとか、そんなことを話し合っていた。私は自分がどうされるのかわからなかったが、この人たちの考えているのが善くないことぐらいは察しがついたので、恐ろしくて身ぶるいが出た。だが、いったいどうしたら逃げ出せるか? そのことで私の頭はいっぱいだった。どこへ行ったらいいのか? ところがそれは考えていなかった。私はあいたままの穴のところまで床《ゆか》を這って行って、あり合わせの木の塊に乗って穴からのぞけるようにした。通りには人っ子ひとり見えず、扉は皆しまっている。地面へ降りるには、思いきって飛び降りなければならなかったが、飛ぶだけの決心がつかないでいるうちに、戸口で人の声がするような気がした。あいつらがやって来るのだ。ぞっと寒気がして、壁を滑り落ちると、どしんと倒れたが、そこは地面と緑の芝生だった。
立ちあがった私はでたらめな方角に、狭い曲りくねった通りを走った。大きな声で歌を歌いながら、杖で歩道の石を叩いている男のほかには、誰にも出会わなかった。とうとう私は大きな四辻に来た。月が明るく輝いていたので見分けがついた。フォールム・ロマーヌム〔イタリア語ではフォーロ・ロマーノ。古代ローマ市の中央にあった大広場〕、私たちの呼び方では牛市であった。
背面から月に照らされたカピトリウム〔ローマ七丘の一つ〕は、まっすぐに切り立った岩壁のように、ローマの家並《やなみ》の建てこんだ部分をもっと広々とした部分から仕切っているように見えた。セプティミウス・セウェルス帝のアーチの高い石段には、大きな外套《がいとう》にくるまった乞食がごろごろ寝ていたし、昔の寺院の名残《なご》りの高い柱は、長い影を這《は》わせていた。日が沈んでからここへ来たのは、これがはじめてだった。どこを見ても幽霊でも出て来そうな気がして、長い草のなかに転がっている大理石の柱頭につまずいた。起きあがった私は、皇帝の都の廃墟を眺めた。生い繁った木蔦は黒い壁をいっそう黒々と染め、黒い影をなした糸杉は不気味な姿を高々と青空へ伸ばしているので、私はいよいよ不気味になった。倒れた柱と大理石の砕片《かけら》にまざって生えた草むらの、牝牛が二、三匹寝ているところで、驢馬が草をはんでいた。私に何も害を加えない生きものがそこにいたのは、私にとって一つの慰めだった。
輝く月の光であたりは昼のように明るく、何もかもはっきりと見分けられた。人の来る足音がした――誰かが捜しに来たのだろうか? 恐ろしさに私は、大きな岩の塊のように目の前に横たわる巨人のようなコロッセオへ逃げこんだ。私はこの建築物のなかばをとり巻く円天井が二重になった通路に立ちどまった。ここは広々していて、つい昨日落成したばかりといったふうに完全無欠だった。まっ暗で氷のように冷たかった。柱のあいだから二、三歩出てみたが、自分の足音を聞いても恐ろしさが増すので、静かに、ごく静かに歩いた。地面に火が燃えているのが見え、そのまわりに三つの人間の姿が見分けられた。この闇夜にさびしいカンパーニャを横切らなくて済むように、一夜の宿りを見つけた百姓だったか、あるいはコロッセオを見張る兵士だったか、それともまた、盗賊だったかもしれない。彼らの得物ががちゃがちゃ鳴ったような気がしたので、私は音を立てないように高い柱のあいだの、屋根といっては藪《やぶ》と蔓草のほか何もない場所へあともどりした。月明りのなかに、奇妙な影が高い壁にうつっていた。切石が元の場所からずり出して、ときわ木におおわれたのが、今にも落ちそうに見えながらも、繁った蔓草だけでもっていたのだった。
上を見ると、まん中の柱廊を歩いている人々があった、この驚くべき廃墟を夜おそく美しい月の光のもとに眺めにやって来た旅行者にちがいなかった。白い服を着た貴婦人が一人そのなかにいた。この珍しい姿が現われて、見えなくなったかと思うとまた、月と松明《たいまつ》に照らされて柱のあいだに出てきた有様が、今もはっきり目に見える。空は無限の深さの暗青色、木々も茂みも黒のビロードで作ったようで、葉の一枚一枚が夜の空気を吸っていた。私は旅行者の姿を見送っていた。その姿がすっかり見えなくなってからも、あかあかと赤い松明《たいまつ》の光がまだ見えていた。が、これも見えなくなると、あたりはすべて死んだようにひっそりしてしまった。
廃墟のなかには、少しずつあいだを置いて木の祭壇が幾つもあり、十字架への途中で救い主の休んだ場所を示していたが、私はその一つのうしろの草のなかに落ちていた柱頭に腰をおろした。石は氷のように冷たかったが、私の頭は燃えるように熱く、血に熱があった。眠れずにいると、いろんな人から聞いたこの古い建築物に縁のある話が、――捕えられてあの強大なローマ皇帝のためにここにある大石をかつがされたユダヤ人のこと、これだけの広さのなかでたがいに、いや人間とさえ戦った猛獣のこと、地面からいちばん上の柱廊まで階段の上に並んだ石のベンチに腰かけた観衆のことなどが、それからそれへと思い出された。
頭の上の茂みのなかががさがさした。見上げると、何か動いているような気がした。じっさい私の想像には、まわりで石を切ったり積み上げたりしている蒼《あお》ざめた陰惨な姿が現われ、その一打ち一打ちがはっきりと音を立て、黒ひげの痩《や》せたユダヤ人が草や藪を引っこ抜き、一つまた一つと石を重ねて、とうとうそこに新しい巨大な建物ができあがる有様が現われた。かと思うと今度は、見わたすかぎり群集に埋まり、頭の上に頭が重なって、全体が果てしなく大きな生きている巨人の姿になった。
ヴェスタ〔ローマ神話で炉と火をつかさどる女神〕の神に仕える乙女《おとめ》たちが長い白衣の裾《すそ》を引いて現われ、皇帝の壮麗な宮廷、血を流している裸の闘士が見えたかと思うと、いちばん下の柱廊のあたりいちめんに吼《ほ》えたり唸《うな》ったりする声が聞こえた。虎とハイエナが群れをなして四方八方から飛び出し、私の寝ているそばを走って行くので、私はその燃えるような息を感じ、赤い火のような眼を見た。私は腰かけていた石にしがみついて、聖母マリアの救いを祈願したが、あたりの騒ぎは激しくなるばかりだった。しかしその喧騒《けんそう》のうちに、そばを通るたびにいつも私が信心をこめて接吻《せっぷん》していた聖なる十字架が、今も立っているそのままの形で見えた。私はありたけの力を出した。そして両腕でそれを抱いたのをはっきり感じた。と、周囲のものすべてが、石も、人も、獣も、がらがらと崩れた。意識がなくなって、私はもう何もわからなかった。
ふたたび眼をひらいた時、熱はもうなかったが、私は力が抜けてしまって、ひどい疲労でへとへとの有様だった。
私の寝ていた場所は、まさしくあの大きな木の十字架の階段だった。私はまわりのものを一つ一つ眺めたが、そこには何も恐ろしいものはなく、深い厳粛さがたちこめていた。夜鶯《ナイチンゲール》が一羽、壁の上の藪のなかで鳴いていた。私は子供のキリストを思った。その母は、母をなくした私にとっても母であった。私は十字架に両腕を投げかけ、それに頭をもたせかけてまもなく安らかな、元気を取りもどさせる眠りにはいった。
私は何時間も眠りつづけたにちがいない。聖歌の声で目がさめた。太陽は壁のいちばん高いあたりを照らし、カプチーノ僧が手に手に燃える蝋燭《ろうそく》を持って「キリエ・エレイゾン」(主よ、あわれみたまえ)を誦《ず》しながら、美しい朝を祭壇から祭壇へと歩いていた。やがてその人たちが私の寝ていた十字架のまわりに立ちどまった時、私はフラ・マルティーノが自分の上にかがみこんでいるのに気がついた。フラ・マルティーノは私のみじめな姿や、顔の蒼さや、それにこんな時間にこんなところにいるのを見て心配した。それまでの出来事の一部始終を彼に話して聞かせたかどうかは覚えていないが、ペッポ伯父さんをこわがる私の気持と、みじめな様子だけで十分だった。彼の褐色の上衣をしっかりつかんで、置いてきぼりにしないでと頼んだので、いっしょにいた修道士たちも私の不仕合わせに同情した様子だった。
フラ・マルティーノが私といっしょに僧院まで帰ってくれたあの時の嬉しさ、そして、昔の木版画が壁に貼ってあり、オレンジの木が香りゆたかな緑の小枝を窓から差しこんでいるフラ・マルティーノの庵室《あんしつ》に腰をおろすと、それまでの苦しみもきれいさっぱり忘れてしまった! それにフラ・マルティーノは、二度とペッポのところへは帰さないと約束してくれた。「乞食の」と彼が、ほかの人たちに言っているのが聞えた。「乞食のいざりで、私たちの施しものを待ちながら往来に転がっていたんです。あんなものにこの子をすることは絶対にできません!」
昼になると大根とパンと葡萄酒を持って来てくれたが、その時の彼のことばの重々しさは、私の心をおののかせた。「可哀そうに! お母さんが生きていれば、私たちも別々にならずに済んだのに。教会も君にいてもらえたろうし、君だってその平和と守護のなかで大きくなれただろうに。これから君は頼りない板に揺られて、静まることのない海へ出て行かなくてはならないが、しかし血を流しておいでの救い主と聖なる処女とを思いたまえ。しっかりとこの二人につかまりたまえ! 世界じゅう捜しても、ほかには誰ひとりいないのだ!」
「そうすると私はどこへ行くのでしょう」と私はきいた。すると彼はカンパーニャのマリウッチアの両親のところへ行くのだと言って、この二人を父と母のように敬い、どんなことでも二人の言うことをきき、お祈りと自分に習って覚えたことを決して忘れてはならないと、頼むように言いきかせた。
夕方、マリウッチアが父親といっしょに、僧院の門まで私を迎えに来た。フラ・マルティーノが二人のところへ私を連れ出した。着ている物のことをいえば、私を引き受けることになった羊飼いよりも、ペッポのほうがまだましな有様だった。破れた革の長靴、むき出しの膝、花のついたヒースの小枝をさした尖り帽子、これがまず私の目に映ったものだった。ひざまずいてフラ・マルティーノの手に接吻してから、彼は私をきれいな子だとほめ、自分も妻もほんの少しの食べ物でも、きっとこの子と分け合おうと言った。マリウッチアが私の全財産のはいった財布を父親に渡してから、私たち四人は教会へはいって行った。マリウッチアたちが無言で祈祷《きとう》をすると、私もひざまずいたが、祈れなかった。私の目は大好きな画の一つ一つを捜した。入口の扉の上のほうの帆を揚げた船に乗ったキリスト、祭壇のうしろの大きな画のなかの天使たち、信心深い聖ミカエル――木蔦《きづた》の冠をかぶった髑髏《されこうべ》にも私はもう別れを告げなければならなかった。フラ・マルティーノは私の頭に手を置いて、別れぎわに「ミサ聖祭の勤行法《ごんぎょうほう》」という木版画のはいった小さな本をくれた。こうして私たちは別れた。
バルベリーニ広場を通り過ぎた時、私は母のいた家のほうを見上げずにはいられなかった。窓は一つ残らずあけ放されて、部屋は新しい住み手を待っていた。
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五 カンパーニャの平原
古都ローマを取り囲む広大な荒野が、いまや私の住家であった。芸術と古代の面影《おもかげ》を伝えるものへの愛好心に胸をふくらませて、山の彼方《かなた》からはじめてこのテヴェレ川の都に近づく異国の人は、この乾ききった荒地に世界の歴史の広大な一ページを見る。散在する丘の一つ一つが、世界史の貴重なしるしであり、語りつきせぬ一章なのである。画家が水道の廃墟のわびしく立つアーチを写せば、その下に羊の群れとともに坐る羊飼いも画面に描かれ、前景に枯れた薊《あざみ》を描き入れれば、もうそれだけで見る人は美しい画だという。なんと完全に別々な感情で私と私の案内人がこの広大な平野を眺めたことだろう! 日に焦《こ》げた草、カンパーニャの住民に熱病や悪性な病気をもたらさずにはいない不健康な夏の空気、これは私を案内しながら牧人の考えた暗い面であったにちがいない。ところが私にとっては、あらゆるものに新鮮さがあった。平原の一方を囲んで、菫色《すみれいろ》の無数の色合いをおびた美しい山々、野生の水牛、岸辺では角の長い牡牛が軛《くびき》のもとで体を曲げて流れにさからって船を曳《ひ》く黄濁りしたテヴェレ川、――どれを見ても私は嬉しかった。私たちも川上のほうへ行くのだった。
あたりに見えるのは、短かい黄色の草と、丈の高いなかば枯れた薊《あざみ》だけだった。私たちは一つの十字架のそばを通った。これはここで人が殺されたというしるしに立てたもので、殺した者の体の一部、手と足とがその近くにぶら下げてあった。私はぎょっとした。そしてそれが今度の家から遠くもないと聞かされると、ますます怖くなった。今度の家というのは荒れ果てた墓そのもので、ごく大昔からこのあたりに無数に残っているうちの一つだった。たいていのカンパーニャの羊飼いは、こういうところを住家としている。というのは雨風を防ぐのに必要なもの、いや、気持よく暮らすのに必要なものさえ、残らずここにあったからである。地下の埋葬所を掘り出し、幾つか穴をあけ、蘆《あし》を並べて屋根を載せれば、それで住家ができあがる。私たちのは丘の上にあって二階建てだった。狭い入口のコリント式の柱二本が、この建物の古さを証明すると同時に、三つの大きな控え壁が、あとから修繕したことを物語っていた。中世紀には砦《とりで》に使われたらしく、戸口の上の穴が窓の役をつとめていた。屋根の半分は芦や細枝をまぜて作ってあったが、あとの半分は生えたままの茂みで、毀《こわ》れた壁の上に忍冬《すいかずら》がこんもり垂れさがっていた。
「ほら着いたぞ!」とベネデットが言ったが、ここへ来るまで彼が私にものを言ったのはこれが最初だった。
「ここが家なの?」私はこうきいて、陰気な家のなかを眺めたり、盗賊の手足だけがぶら下がっていたほうを振り返ったりした。私には返事もしないで、彼は「ドメニカ、ドメニカ」と呼んだ。そこへ現われたのは、着たものといえば粗《あら》い布の肌着《はだぎ》一枚、腕も脚《あし》もむき出しで、髪の毛をばらばらに垂らした年よりの女だった。私は接吻と愛撫のことばを浴びせられた。ベネデット爺さんが黙り屋だったとすれば、ドメニカはその分だけしゃべり屋だった。そして私を野生の薊の大きくなる荒野に追われて来た自分の小さなイシマエル〔創生記十六の十一。世間ののけ者をさす〕と呼んだ。
「だがあんたは、ここにいたって飢《かつ》える心配はないよ」と彼女は言った。「ドメニカ婆さんがあんたのいいお母さんになって、いま天国であんたのために祈っていなさる人の代りをするからね。寝る場所もちゃんとこさえといたし、豆も煮えてるし、おじいさんとあんたはいっしょに食卓につくんだよ! ではマリウッチアは、あんたがたといっしょに来なかったんだね? 神父様にお目にかかったかい? ハムは忘れなかったかい? それから真鍮の釘とマリア様の新しい絵もね。前のと並べて扉に貼るのにさ。今のはもうあたしたちの接吻で黒くなっちまったもの。なあに大丈夫さ、ねえ、あたしのベネデット、あんたはものを覚えていられるし、考えられる人だもの」
この調子で彼女は流れるようにしゃべりつづけて、私たちをあまり広くない仕切った場所へ連れて行った。部屋と呼ばれてはいたが、この場所はあとになってみるとヴァティカノ宮の広間にも負けないほど広いような気がした。私はこの住家が私の詩的気分に大いに影響を与えたと、本気で信じている。この小さな場所は私の想像力にとっては、抑えつければ抑えつけるだけ伸びあがるあの棕櫚《しゅろ》の若木につけた重りと同じであった。この家は前にも言ったように、ごく大昔にはある家族の埋葬所で、一つの大きな部屋であった。そこにはたくさんの小さな壁龕《へきがん》が縦にも横にも順々に並んで二列になり、いたるところきわめて芸術的なモザイクで飾ってあった。その壁龕は今それぞれ全くちがった用途に使われていて、貯蔵室になったのもあれば鍋や壺の置き場所と変ったのもあり、そうかと思うと壁炉になって豆が煮られるという有様であった。
ドメニカが食事の用意をすると、ベネデットが食物を祝福した。たっぷり食べると円天井が毀《こわ》れてできた壁の穴を抜けて、私は老母に二階へ連れて行かれた。ここに昔は墓だった大きな壁龕が二つあって、私たちは皆そこで寝るのだった。いちばん奥の壁龕に私の使うベッドがあり、その近くにもう一つのベッドを支える二本の棒があって、帆布で作った小さい子供の揺り床といったふうのものが下がっていた。たぶんマリウッチアの子供のであったろうが、少しも動かなかった。私は横になった。壁石が一つ抜けていて、この穴から外の青い空と、鳥のように風のなかで動いている木蔦が見えた。横になっていると、ぎらぎらした色の太った蜥蜴《とかげ》が壁を這って行ったが、ドメニカは私が蜥蜴を怖がる以上に、蜥蜴のほうで私を怖がっているのだと言って、私を安心させた。何もしやしないよと言って、私のために「アヴェ・マリア」をくり返してから、揺り床を自分とベネデットの寝る壁の凹みへ持って行った。私は十字を切って、母の聖母マリアや新しい両親や、また家の近くで見てきた処刑された盗賊の、血だらけの手足のことを考えた。そして何もかもが奇妙にもつれ合って、このはじめての夜の私の夢に現われた。
あくる日起きて見ると雨だった。この雨はまる一週間もつづいて、私たちを狭いところにとじこめた。風が逆の方向へ雨を吹き飛ばす時には、扉が明け放しになったが、それ以外はなかば夕方のような薄暗さだった。私は揺り床の赤ん坊を揺り動かさなければならなかった。ドメニカは紡錘《つむ》で糸を紡《つむ》ぎながら、彼女たちには何も悪い事をしないというカンパーニャの盗賊の話をしてくれたり、聖歌を歌ったり、新しい祈祷を教えてくれたりした。今まで私が聞いたこともない聖者の新しい物語も聞かせてもらった。玉葱《たまねぎ》とパンが毎日の食べ物で、私はうまいと思ったが、狭いところにとじこめられるのにはうんざりしてしまった。そうするとドメニカが、入口のすぐ外に小さな溝を掘ってくれた。黄色い水がゆっくりと流れるうねった小さなテヴェレ川である。小さな棒きれと芦が私の船で、それを私はローマを過ぎてオスティアまで走らせた。しかしあんまり雨が降りこむと入口を閉めなければならず、私たちはほとんどまっ暗なところでじっとしていた。ドメニカは糸を紡ぎ、私は僧院の美しい画のことを考えた。ボートに揺られて私のそばを通り過ぎるキリストが見え、天使が差し上げる雲に乗った聖母マリアが見え、墓石と花飾りをつけた髑髏が見えるような気がした。
雨の季節が過ぎると、空は何か月もつづけていつも同じ青い色を見せた。こうなると私は外へ出てもよいことになったが、あまり遠くへ行っても川に近寄りすぎてもいけなかった。岸の軟らかいところはすぐ崩れて私を引きずりこむし、川の岸では水牛が草をはんでいる、とドメニカは言ったが、そう言われても私は、荒々しくて危険だといわれる水牛に一種特別の不思議な興味を感じた。水牛の目つきのなかのあの悪魔的なもの、あの眼玉にぎらぎらする不思議な赤い火が、毒蛇の牙のあいだにふっと吸いこまれる鳥の気持に似たものを私の心に呼び起こすのだった。馬よりも速い乱暴な走りよう、力と力のぶつかり合う水牛どうしの戦いがすっかり私を夢中にした。私は砂にいろんな形を描いた。今まで見たものをあらわしたつもりだったが、それをもっとわかりやすくするために、自作の歌詞を作り、自作の節に合わせて歌うと、年よりのドメニカはすっかり喜んで、私が賢い子供で天国の天使のように美しい歌い方をすると言った。
一日一日と太陽の照りつけようが強くなって、その光はカンパーニャをおおう海のようだった。流れない水は空気まで腐らせそうで、朝と夕方のほかは外へ出られなかった。こんな暑さはローマのモンテ・ピンチオでは一度もぶつからなかった。もっともそこでも、乞食がパンでなく一杯の氷水を買うために小銭をねだるような暑い時のあったのを、よくおぼえているが、私がとりわけ思い出したのは、あの甘い緑色の、二つに割ったのを順々に積み上げて、黒い種のある赤紫の肉を見せている西瓜《すいか》だった。考えただけで私は倍も唇がかさかさになった。太陽が頭の上からまっすぐ照りつけるので、影が足の下で消えてしまうほどだった。水牛は死肉のかたまりのように、焼けた草の上にぐったりするか、さもなければ気が狂ったようにいきりたって、矢のような速さで大きく輪をえがいて走り廻った。私は灼熱《しゃくねつ》のアラビアの砂漠の旅人が、どんな苦しみを味わうかがわかったような気がした。
二た月のあいだというもの私たちは、世界という大海で難破した船のような暮らしをした。用事を片づけるのはすべて夜、でなければ朝早いうちで、不健康な空気と焼くような暑熱は、私の血にひどい熱を持たせた。元気をつける冷たいものは一滴も手に入らず、沼という沼はからからになり、むっとする黄色い水が眠そうにテヴェレ川の底を流れた。西瓜の汁も暖かくなり、葡萄酒までが、石や土砂の中に埋めておいたのに、すっぱくなかば煮え立ったようになった。雲はほんの一かけも地平線に見えず、明けても暮れても相変らずの、まるで変化のない青空ばかりだった。来る日も来る日も、朝に夕べに私たちは雨が降るように、でなければ涼しいそよ風が吹くように祈った。来る日も来る日もドメニカは、雲が湧いてはいないかと、朝に夕べに山のほうを眺めた。しかし夜が暗さを、それも蒸し暑い暗さを持って来るだけで、二た月もの長いあいだ、シロッコ〔北アフリカから南ヨーロッパへ吹きつける熱風〕が暑い大気を吹き抜けるだけだった。
日が出る時と沈む時だけ、ほんのひととき空気がせいせいしたが、暑さから来る気分のもやもやと死んだような不活溌さ、そのための恐ろしい退屈に、私はすっかり抑えつけられてしまった。さまざまの煩《うる》さい虫も暑さにやられてしまったかと思われたが、ちょっと涼しい空気の動きがあれば、たちまち二倍の元気を取りもどして生き返り、雲霞《うんか》のごとくに群がって毒針をつきつけて襲って来た。このぶんぶんいう大群がまっ黒に水牛にたかり、腐肉をむさぼるように攻め立てるので、苦しさに気の狂いそうになった水牛がテヴェレ川へ逃げて行って、黄色い水のなかを転げ廻ることもたびたびだった。夏の暑い日に今にも息を引きとりそうな街《まち》で呻吟《しんぎん》し、壁の投げる影を飲みほそうとでもするように家から家へ這って行くローマの人にはまだ、吸う一息一息が硫黄《いおう》を含んだ毒のある火であり、さまざまの虫や這い廻る動物が悪魔のごとくに、この焔《ほのお》の海に住まなければならない呪われた人々を苦しめるカンパーニャの夏の辛《つら》さがどんなものだか、見当もつくまい。
九月とともにいくらか楽な日が来て、フェデリーゴもある夕方、焼け焦げた風景をスケッチしにやって来た。彼は私たちの風変りな家と絞首台と野生の水牛を描いた。私も画を描くようにと紙と鉛筆をくれて、今度来た時は一日ローマへ連れて行こうと約束した。マリウッチアやフラ・マルティーノや、まるで私のことを忘れてしまったらしい友だち全部を訪ねるはずであったが、忘れるといえばフェデリーゴだって私を忘れていたのだ。
もう十一月だった。私がここにいたあいだでいちばん美しい時である。涼しい空気が静かに山から流れて来て、夕方になると毎日、南の国でなければ見ることのできない、そして画家もその画に写すこともできなければ、写そうという勇気も出ない、あの豊かな色彩が雲に現われた。灰色をバックにした特徴のある黄緑色の雲は、私にとっては極楽の庭から漂い出てきた浮島《うきしま》であった。夕空の焔の色のなかに、松の木の頂きのように垂れた暗青色の雲は、それとはちがって、その谷に美しい天使が遊びたわむれ、白い翼で涼しいそよ風を送ってよこす幸福の山に見えた。
ある日の夕方、じっと考えこんで坐っていた時、木の葉にごく小さな穴をあけてそこから太陽を眺めることができるのに気がついた。ドメニカはそんなことをすると眼が悪くなるといって、この遊びをやめさせるために戸をしめてしまった。なかなか時間がたたない。私は外へ行かせてくれるように頼んだ。ようやく許してもらった私が、嬉しさにとびあがって扉をあけたちょうどその時、思いも寄らず一人の男が猛烈な勢いで飛びこんで来たので、私は床《ゆか》につき倒されてしまった。その男は同じ猛烈な勢いで扉をしめたが、私がやっとその血の気のない顔に気づき、せっぱつまった調子で聖母の名を呼ぶのが聞こえたと思うか思わないうちに、すさまじい衝突がひどく扉を動かしたために、持ちこたえられない扉は内側へ倒れた。ぽかりとあいた穴をいっぱいにしたのは水牛の頭で、気味の悪い火のような眼をこちらへ向けてぎらつかせていた。
ドメニカは金切り声を立てて私の腕をつかむと、上の部屋へ行く梯子《はしご》を何段もかけのぼった。男は死人のような蒼白《あおじろ》い顔で、びくびくしながらあたりを見廻していたが、夜のまに襲われた時の用意に、いつも弾丸をこめたまま壁にかけてあるベネデットの銃に気がつくと、たちまちそれを手に取った。銃声がひびき、雲のような煙のなかに、額を射ち抜かれた獣が見えた。それは突っ立ったまま動かなかった。せまい戸口にはさまれて、前へ出ることもうしろへ退《さが》ることもできないのだった。
「あれまあ!」とドメニカが叫んだ。「なんてことでしょう。ほんとにこいつを殺してしまったんですね!」
「ありがたいことに!」その男が答えた。「マリア様がお助けくだすったのだ。それにあんたは、私の親切な天使だった!」と言って、彼は私を抱き上げた。「あんたが私に救いの扉をあけてくれたのだ!」顔にはまだ血の気がなく、冷汗《ひやあせ》の玉が額ににじみ出ていた。
この人の口のきき方ですぐわかったが、彼は決して外国人ではなく、ローマから来た身分の高い人にちがいなかった。彼はまた、花や植物を採集するのが楽しみだとも言ったし、そのためモルレ橋に馬車を待たせておいて、テヴェレ川の岸を歩いていたのだとも言った。私たちの家から大して遠くないところで水牛の群れにぶつかると、そのなかの一匹がすぐうしろからついて来た。それを助かったのは私たちの家が近かったのと、まるで奇蹟のように急に入口の扉があいたおかげだと言った。
「聖なるマリアよ、われらのために祈りたまえ!」とドメニカが大きな声で言った。「ほんとにマリア様が。ありがたい神のおん母が、あなたをお助けになったのです! それにこの小さなアントニオがお選びにあずかった一人でした! アントニオをマリア様は可愛がってくださいます! 旦那様はこの子がどんな子供か、まるで御存じないんですよ! 書いたのだろうが印刷したんだろうがみんな読めますし、絵をかけばまた本物そっくりなので、何が描いてあるのか一目でわかります。サン・ピエトロのみ堂も水牛も、それどころかアンブロジォ神父様まで絵に描いたんでございますよ。それにまあ、この子の声といったら! 旦那様、ぜひこの子の歌をお聞きなさいまし、法王様のところの歌い手だってこの子にはかないません。そればかりかこの子は気だてのいい子で、めったにない子供でございます。この子の前でほめたくはございません、子供はほめられれば落ちついちゃいられませんものね。でもやっぱり、この子はほめるだけの値うちがあるんでございますよ!」
「するとあなたの息子さんではないのですな?」と、そのよその人がたずねた。「どうりで年が行かなすぎる」
「そして私は年をとりすぎておりますよ」とドメニカが答えた。「いいえ、年とった無花果《いちじく》の木から、こんな可愛らしい芽の出るわけはございません。この子は可哀そうに私とベネデットのほかには、世界じゅうどこへ行っても父も母もないのでございます。私どもは、たとえ一文なしになっても、この子を手放すつもりはございません。それはまあそれとして、やれやれ」と、彼女は自分で自分をさえぎった。そして頭から部屋のなかへ血を流している水牛の角をつかむと、「こいつをどけなくちゃねえ! はいることも出ることもできやしない。ほんとにまあ、すっぽりはまりこんじまってさ。ベネデットが帰って来なきゃ、私たち外へは出られませんよ。こいつが殺されたからっていやな目にあうのはお断りですよ!」
「何もそう心配しなくてもよろしい」と、よその人が言った。「おかみさん、私がいっさい引き受けます。たぶんボルゲーゼという名を御存じでしょうな?」
「おお、公爵様!」ドメニカは大きな声でそう言って、彼の上衣に接吻した。彼はしかし彼女の手を握り、それから私の手を両手に持って、あくる日の朝私をローマのボルゲーゼ邸へ連れて来てほしい。そこが自分の家で、自分もボルゲーゼ家の一人だと言った。私の年とった養母の両眼はこの、彼女のことばで言えばえらい御親切なおことばのため、涙でいっぱいになった。私が紙きれに描いた恐るべきなぐりがきを、ドメニカはまるでミケランジェロのスケッチのようにいとも大切に取っておいたが、それを持ち出さなければならなくなった。公爵閣下はドメニカの気に入ったものなら何でも見なければならなかったが、にこにこ笑いながら私の頬を撫でて、子供のサルヴァトール・ローザ〔ナポリの画家、彫刻家、詩人、音楽家。一六一五―七三〕だと言ってくれた時には、私は大いに得意だった。
「さようでございますとも」とドメニカが言った。「子供にしては大したものじゃございませんか? それに本物のとおりに描いてあるので、ちょっと御覧になれば何の画だかおわかりでしょう? 水牛にボートに私どもの小さな家。御覧ください、これが私なんでございますよ! 本物そっくりじゃありますけれど、色はつけてございません。鉛筆ではそりゃ無理でございますよ。さあ、今度は一つ歌をお耳に入れなさい」と彼女は私に言った。「できるだけ上手にね、自分のことばで歌うんだよ。ええ、この子はお話でもお説教でも、どんなお坊さんにも負けずにまとめられるんでございますよ! まあ一つお聞きになってくださいまし。公爵様はお恵み深い旦那様だよ、そのかたのお望みなんだから、しっかりして調子はずれにならないようにね」
その人はにこにこ笑いながら、私たち二人をおもしろがっていた。ドメニカが私の即興作品を、まったくの傑作だと思ったのはもちろんのことであるが、私はどんな文句を、どんな節で歌ったか覚えていない。ただ、公爵と聖母マリアと水牛と三つのテーマを歌にしたことだけは、はっきり思い出せる。公爵は無言で聴いていたが、ドメニカはその沈黙のうちに私の天才に対する驚きをみとめた。
「その子を連れておいでなさい」というのが彼の最初のことばだった。「明日の朝早く待っています。いや、夕方おいでなさい、アヴェ・マリアの一時間前に。あなたがたが見えたらすぐお通しするよう指図をしておきましょう。それはいいとして、どうやって表へ出たものだろう? この水牛が寝ている戸口のほかに、どこか出られる口がありますか? それから、すこしも水牛の心配をしないでモルレ橋の馬車のところへ行くのにはどうしたらいいでしょう?」
「いえ、外へ出ようとお考えになったって」とドメニカが言った。「旦那様にはそれは御無理でございますよ。私ならば確かに出られますし、私どもの仲間だって出られますが、おりっぱな旦那様がたのお通りになれるようなところじゃございませんよ! この上に穴がございましてね、そこから這い出せばあとはもう楽々すべりおりられます。それくらいならこの年よりの私でさえいたしますがね、さっきも申し上げましたように、とてもよそのかたやりっぱな旦那様がたのおできになれる芸当じゃございませんよ!」
りっぱな紳士はそのまに狭い梯子をのぼって、壁の穴から頭をつき出したが、まるでカピトリウムのユピテルの神殿の階段のように登りやすかったと断言した。水牛はとっくにテヴェレ川へ行ってしまって、百姓の一群が近くの道をのろのろと眠そうな様子で、大道に沿って歩いていた。この人たちといっしょに行こう、芦を積んだ車について行けば、もしまた水牛がかかって来ても大丈夫だ、と彼は考えた。あくる日アヴェ・マリアの一時間前に来るようにと、もう一度ドメニカに念を押すと、接吻のために手を差し出し、私の頬を撫でてから、茂った木蔦につかまって滑りおりた。まもなく荷車に追いつくのが見えたが、彼の姿はその向こう側にかくれてしまった。
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六 ボルゲーゼ邸を訪れる
あとになってベネデットが、二人の羊飼いと力をあわせて戸口の死骸《しがい》を片づけた。それからそれへといろいろの話やおしゃべりがつづいたが、私のはっきり覚えているのは、その翌朝まだ夜も明けないうちに目をさまして起きてしまったということである。何しろ夕方近くには、ドメニカといっしょにローマへ行くはずだったのだ。何か月ものあいだ錠をおろし鍵をかけたままになっていた私のよそ行きの着物が持ち出され、小さな帽子にはきれいな花がつけられた。身なりのうちでいちばんみすぼらしいのは靴だった。これが名前どおりのものであったか、それとも大昔のローマ人のサンダルだといったほうがよかったか、これはきめにくいことだったろう。
カンパーニャを横ぎった道のりの長さと、そのまた太陽の照りつけようはどうだったろう!ピアッツァ・デル・ポポロ〔北の方からローマにはいる道はポルタ・デル・ポポロを通る。これをくぐると広い美しいピアッツァ・デル・ポポロに出る。これはテヴェレ川とモンテ・ピンチオのあいだにあって、どこを見てもアカシアや糸杉のかげに近代的な立像や噴水が見える。広場の中央、有名な四頭のライオンの噴泉のあいだにラムセス二世時代のオベリスクが立っている〕の石造りのライオンの口からほとばしり出た水! あとになってファレルノ産やサイプラスものの葡萄酒も飲んだが、あれほどうまかった飲み物は一つとしてない。私はライオンの顎に熱い頬を押しつけて、頭の上から水が振りかかるにまかせた。おかげで服はびしょびしょ、頭はくしゃくしゃになったので、ドメニカはびっくり仰天した。
やがて私たちはボルゲーゼ家の邸をめざして、ヴィア・リペッタを歩いていた。それまでに私もドメニカと同様、もう何度となくこの建物のそばを通っていながら、ほかのつまらないものと同じく目もくれずにいた。ところが今度は足をとめて、無言でそれを見廻した。何から何までりっぱで堂々としていて、いかにもぜいたくに見えたが、幾つもの窓にかけた長い絹のカーテンは特別にそうだった。私たちはここに住んでいるあのりっぱな紳士を知っていたし、その人が昨日ほんとに私たちの家へ来ているので、すべてが特別に興味をひいた。この邸宅とその部屋部屋のあまりの壮麗さに一種特別の身ぶるいが出たのを、私は決して忘れないだろう。きのう私はその人とごくなれなれしい口のきき方をしたのだ。その人だって本当は私たちと同じ人間なのに、この財産、このりっぱさ!――このとき私は、聖者と人間とを区別する栄光に気がついた。立像や半身像をたくさん並べてそそり立つ四つのまっ白な柱列が、この邸宅の中央の小さな庭園を囲んでいた。丈の高いアロエとサボテンが柱の近くに伸び、オレンジの木がまだ萌黄色《もえぎいろ》の、やがて太陽が黄金色に染めなすはずの実をつけていた。バッカスの神の巫女《みこ》が二人、踊りながら水がめを高く差し上げていたが、斜めに持っているので水が肩にかかっていた。その上に丈の高い水草がみずみずしい緑の葉を垂らしかけていた。あの不毛の、焼けこげた、燃えるようなカンパーニャとくらべて、ここではなんとすべてのものがひえびえして、緑色で、気持がよかったことだろう!
私たちは広々した大理石の階段をのぼって行った。美しい立像が壁龕《へきがん》に並んでいたが、その一つの前でドメニカはひざまずいて、ていねいに十字を切った。彼女は聖母マリアだと思ったのだが、あとで聞くとこれはヴェスタという、やはり神聖な処女ではあるが、マリアよりもずっと昔のものだった。りっぱな仕着せの召使たちが迎えに出た。その様子が非常にやさしいので、玄関さえあんなに広くて堂々としていなかったらば、私の怖気《おじけ》ももっと治まったであろうに。床は鏡のように滑かな大理石で、壁には美しい絵がかけつらねてあったが、絵のない壁面は全体が鏡で、それには花のついた小枝や花飾りを持った天使と、広い翼を拡げて赤と金色の木の実を啄《ついば》む美しい鳥とが描いてあった。こんなすばらしいものを見るのは生まれてはじめてであった。
二、三分ほど待たされたが、やがてあの紳士が白い衣裳《いしょう》をつけた美しい貴婦人といっしょに現われた。大きな生き生きした眼の婦人で、その眼で私たちをじっと見つめた。一種特別の鋭さをふくんだ優しい眼《まな》ざしを私に向け、額の毛を掻き上げてくれてから、この人は昨日の紳士に言った。
「ほんとにわたしの言ったとおり、天使に助けておもらいになったのよ。賭をしてもよろしいわ。このよごれた、つんつるてんのジャケツの下に翼があるのです」
「いや」と彼が答えた。「私がこの赤い頬《ほっ》ぺたを見たところでは、翼が生えるまでにはテヴェレ川がまだまだたくさんの水を海のなかへ流しこまなければなるまい。年とったお母さんにしてみれば、飛んで行ってしまわれるのはいやだろうしね。どうです、そのとおりでしょうな?この子と別れるのはいやでしょう?」
「いやでございますよ。そりゃまるで私どもの小さな家の窓も戸も閉め切ってしまうのも同じことで、そうなれば暗くてひっそりしてしまって。いいえ、こんないい子と別れるなんて、できないことでございますよ」
「でも今夜一晩だけ」と貴婦人が言った。「三、四時間わたしどものところにいてもいいでしょう。そのあとであなたが呼びに来ればいいのよ。帰り道にはいいお月様が出るし、あなた泥棒なんか怖くはないでしょう?」
「そうだ、この子を一時間ここに置いて、そのあいだにあなたは家で入用な品物をいろいろ買って来ればいい」こう言って紳士は、ドメニカの手に小さな財布を滑りこませた。私はそれ以上何も聞こえなかった。貴婦人が私を広間へ連れて行って、彼とドメニカを二人きりにしたからだった。
豪奢《ごうしゃ》な壮麗さと身分の高い人々の集まりに、私はまったく眼がくらんでしまって、壁の上の緑の葡萄の葉のあいだからのぞいているにこにこした小さな天使を眺めたり、紫の靴下の元老院議員や赤い脚の枢機官の姿を見たりしていた。枢機官といえば、私はいつもなかば神様のような気がしていたのに、とうとうその仲間に入れてもらえたようにその時の私は思った。しかし何よりも私の眼を惹《ひき》つけたのは、醜い海豚《いるか》にまたがった、可愛らしい子供のようなきれいな愛の神であった。海豚が二筋の太い水を吹き上げると、それが広間の中央の海豚の泳いでいる水盤へ落ちて来るのだった。
身分の高い人々、いな枢機官や元老院議員までが微笑をもって私を歓迎してくれた。法王の護衛隊の士官の服装をした一人の若い好男子は、若い貴婦人が私を彼女の伯父の大切な天使だといって紹介すると、私に手を差し出した。人々がさまざまな質問をすると、それに私がてきぱきと返事をして、たちまち笑い声と拍手《はくしゅ》の音がひびきわたった。あの紳士がそばに来て、皆さんの前で何か歌わなければならないというので、私は喜んで言われたとおりにした。若い士官は私に泡立つ葡萄酒のグラスを渡したが、若い貴婦人は頭を横に振って、私が空っぽにしないうちに取り上げてしまった。火と焔のように私の血のなかを葡萄酒が駈けめぐった。士官が、私のそばに微笑をたたえて立っている美しい貴婦人の歌を作って歌わなくてはいけないと言うので、喜んで私は彼の言うとおりにした。私が何をごちゃまぜにつなぎ合わせたかは神様だけが御存じのはずだが、私のおしゃべりは雄弁と認められ、私の無鉄砲は機智と思われた。それに私がカンパーニャの貧しい子供だったので、何もかもが天才の刻印を押された。誰も彼も私をほめちぎったが、若い士官は自分で広間の隅にあった胸像から月桂冠をはずして来て、なかば笑いながら私の頭にのせた。これは冗談ではあったが、しかし私はしんからまじめに、私に示す敬意のしるしとして行われたものと思った。すると私はすっかり嬉しくなって、この瞬間が生涯《しょうがい》でいちばん輝かしいものになった。私は人々の前でマリウッチアやドメニカに習った歌を歌い、水牛のいやらしい眼と毀《こわ》れた墓所のなかの私たちの部屋の話をした。
時はのこり惜しいほどに早くたって、私はもう年とった養母といっしょに家へ帰らなければならなかった。菓子や果物《くだもの》やたくさんの銀貨を荷物に、私は母のあとにつづいた。彼女も私におとらず幸福で、衣類や台所用の品物や葡萄酒の大瓶まで、いろんなものを買いこんでいた。その夕方の美しさは限りがなかった。木や藪《やぶ》の上には夜がまどろんでいたが、ずっと上のほうには満月が輝いて、遠くひろがった暗青色の空の海に浮かんだ美しい金色のボートのように、焼けきったカンパーニャ一帯に涼気を送ってよこした。
私はあの豪華なサロン、やさしい貴婦人、それにたびたびの賞讚の拍手に思いを馳《は》せ、寝ても覚めても同じ甘い夢を見たが、たちまちこれが現実に――美しい現実になることになった。
私は何度もローマへ連れて行かれた。あのきれいな親切な婦人は私のいっぷう変った気性をおもしろがって、私に話をさせたり、年よりのドメニカに言うとおりの調子で自分にものを言わせたりした。彼女はそれを大そう喜んで、あの紳士に私のことをほめて話した。彼も私に親切だった。二倍も親切だった。知らないこととは言うものの、私の母の死は彼がもとで、あばれ馬が母の頭を飛び越えた時あの馬車に乗っていたのが彼だったからであった。あの美しい婦人はフランチェスカという名で、ボルゲーゼ家の邸内にある豊富な画廊に何度も私を連れて行ってくれた。輝かしい絵についての私の無邪気な質問や観察は彼女をほほえませたが、彼女がそれをほかの人たちにくり返して聞かせると、みんな彼女といっしょに笑った。朝のうちの画廊は山の向こうから来た異国の人でいっぱいだった。この時間には画家たちもいろんな絵を模写していたが、午後になると数多くの絵は彼らのひっそりした場所に取り残された。そうするとフランチェスカと私がはいって行って、絵ができる因《もと》になったさまざまの話を彼女が私にしてくれるのだった。
フランチェスコ・アルバーニ〔ボローニャ生まれのイタリアの画家。弱々しい優雅な画風で、絵画のアナクレオンと呼ばれる〕の「四季」は、ほかのどの絵よりも私の好きな作品だった。あの美しい嬉しそうな小さな天使のことを、フランチェスカは「愛」という名の天使だと教えてくれたが、まるで私自身の夢が創《つく》り出したものかと思われた。「春」の部の彼らがたがいによちよち追い廻すさまの甘美さ! 彼らの一群が矢を研《と》いでいると、そのうちの一人が大きな砥石《といし》のまわりをぐるぐる廻り、別の二人がその上を泳ぎながら水を振りかけている。「夏」のところでは緑の木々のあいだを飛び廻って、枝もたわわの果実を摘み取っている。さわやかな水のなかを泳ぎ、水と戯れている。「秋」になれば狩りの楽しみがあった。松明《たいまつ》を持った愛の神が小さな馬車に乗り、二人の仲間がそれを曳いて行けば、いっぽう愛の神は勇ましい猟人に合図をして、自分のわきのあいた席で休むように招いている。「冬」はこの小天使たちを残らず眠らせてしまった。彼らはあちこちにぐっすり眠りこけている。ニンフたちが矢と箙《えびら》をこっそり取り上げて火のなかへ投げこみ、この危険な得物《えもの》を一つもなくしてしまう。
どうして天使を「愛」というのか、なぜ矢を射ながらほうぼう飛び廻るのか、この時のフランチェスカの説明より、もっとわかりやすく説明してもらいたかったことがたくさんあった。
「そういうことは自分で本を読まなければだめです」と彼女が言った。「あなたはこれからさき覚えなければならないことがたくさんあるけれど、はじめはおもしろくないのよ。一日じゅう本を持って坐っていなくてはならないから、カンパーニャで山羊《やぎ》と遊んだり、ほうぼう友だちのところを歩き廻ったりするわけにはゆかないわ。あなたがいちばん喜ぶのは何でしょうね。兜《かぶと》をかぶって剣を吊って、あなたも会ったことのあるあのファビアーニのように、頭の先から足の先までりっぱに身支度して、馬にまたがって法王様の馬車のおそばを守るのがいいか、ここにある美しい画が残らずみんなわかったほうがいいか。それともまた、あなたのまわりの世界じゅうのことで、わたしがしてあげたのよりもっともっと美しい話をたくさん知っていたほうがいいと思う?」
「でもそうすると、もうここへは来られなくなるんですか?」と私はきいた。「やさしいドメニカのところにもいられなくなるんでしょうか?」
「あなたはまだ覚えているでしょう。お母さんのことも、お母さんといっしょに住んだ懐しい家のことも? そこにいた時はいつまでもそこにいられるようにと思って、ドメニカのことも私のことも考えなかったでしょう? ところがドメニカも私も、今ではすっかりあなたと仲よしになってしまったわ。しばらくたつとまた、こんな事があるかもしれない。人の一生というものは、いつもそんなものなのよ」
「でもあなたがたは、お母さんのように死んだ人じゃありません」眼に涙をためて私は答えた。
「死ぬか別れるかは、あたしたちが誰でもしなければならないことなのよ。いつかはわたしたちが、今のようにいっしょにいられなくなる時が来るけれども、その時もあなたが元気で仕合わせだということを聞きたいものね」
滝のような涙が私の答えだった。なぜとははっきり説明できなかったが、私は非常に不幸な気持だった。フランチェスカは私の頬を撫でながら、私があんまり感じやすすぎる、それは世の中に生きて行くのには決してよいことではないと言った。あのりっぱな紳士と、はじめて私が即興詩を聞かせた時に頭に冠をのせてくれたあの若い士官がはいって来た。士官はファビアーニという名で、この人も大そう私を可愛がってくれた。
「婚礼があった、ボルゲーゼの別荘ですばらしい婚礼があった」という噂《うわさ》がカンパーニャのドメニカの貧しい家までつたわって来たのは、それから三、四日たってからだった。フランチェスカがファビアーニの花嫁で、もうしばらくするとフィレンツェの近くの彼の土地へいっしょに行くことにきまっていた。婚礼の式はローマのすぐ近くのボルゲーゼ家の別荘で挙げられたが、ここは月桂樹と常緑の樫《かし》のよく繁った森に囲まれ、冬でも夏でも高い松の木が永遠に緑の頂きを青い空に伸ばしていて、この森は今と同様にそのころも、ローマ人にとっても外国人にとっても気晴らしの場所になっていた。豪奢な馬車が、こんもりと繁った樫の並木道を走り、まっ白な白鳥の泳ぐ静かな湖には枝垂柳《しだれやなぎ》が姿をうつし、人工の滝が岩にかかっている。胸の高くふくらんだ眼のきらきらしたローマの婦人たちが、祝宴に馬車を走らせながら、大道で自分のタンブリンにあわせて踊っていた、さも生きていることが楽しそうな百姓娘を、傲然《ごうぜん》と見おろして行った。ドメニカは自分たちも恩人の婚礼に出るために、私を連れてはるばるカンパーニャを横ぎった。白い塀に沿って高いアロエが垣根のように立ち並んだ庭の外側に立つと、幾つもの窓に燈火の輝くのが見えた。フランチェスカがファビアーニと結婚したのだ。音楽のひびきが広間から私たちのほうへ流れてきた。円形劇場のできている緑の野原では打上げ花火があがり、青い空はきれいな仕掛け花火に彩られた。高い窓のカーテンに貴婦人と紳士の影がうつった。「あのかたたちだよ!」とドメニカが言った。二人の影はなかば暗くなった窓でたがいに近寄って、一つになって接吻しそうに見えた。私は年とった養母が両手を組んで祈るのを見た。私も思わず暗い糸杉の前にひざまずいて、大好きな親切な彼女のために祈った。ドメニカも私といっしょにひざまずいていた。「どうぞ仕合わせにお暮らしなさいませ!」数知れぬ星が落ちるように、天が祈りをよみしたしるしのように、ばらばらと花火の火が落ちてきた。しかし年よりのやさしい養母は泣いていた、もうすぐ彼女のそばからいなくなる私のことを考えて泣いたのだった。あのりっぱな紳士が私にエスイタ派の学校に生徒の椅子《いす》を買ってくれたので、私もそこでよその子供たちといっしょに育てられ、ドメニカとカンパーニャが私に与えるよりも、もっとりっぱな暮らしをすることになっていた。
「これがいちばんおしまいだね」と年とった母が言った。「あたしの眼があいているうちに、こうやってあんたといっしょにカンパーニャを歩くのもね。あんたの足は磨いた床やきれいな敷物の上を歩くようになるよ、このドメニカ婆さんがお目にかかったこともないようなね。あんたはいい子供だった。これからもいい子になって、あたしのことも可哀そうなベネデットのことも決して忘れないでおくれ! でも、今のところはまだ、あんたは焼栗《やきぐり》の一皿あれば大喜びに喜ぶだろうね? あんたが坐って火を吹くだろ、蘆が燃えてちっぽけな栗が焼けてくる時のあんたの眼のなかの神様の天使を見るんだよ。あんなつまらないものをもらって、あんな喜びようをするなんて、もう二度とないことだろうよ。カンパーニャの薊《あざみ》はあれでも赤い花が咲くけれど、お金持のぴかぴかの床には藁《わら》一本生えないし、足もとがつるつるで、滑って転ぶのは造作もないことだからね! あたしの小さなアントニオや、自分が貧乏な子供だったことを決して忘れるんじゃないよ。見なければならないことと見てはならないこと、聞かなければならないことと聞いてはならないことがあることを覚えておおき、そうすれば世の中が渡って行けるよ。いずれ神様があたしもベネデットもお召しになって、あんたが揺り籠をゆすってやったあの小さな赤ん坊もカンパーニャの貧乏な仲間といっしょに、なんとかその日を暮らすことだろうが、たぶんその時分あんたは自分の馬車か、でなければりっぱな馬に乗ってこの近くを通るだろう。そしてあんたが寝たり遊んだり、あたしたちと暮らした昔からのお墓の部屋の前に立ちどまってみると、そこには見たこともない人たちが住んでいて、ていねいなお辞儀をするよ。威張らないでね、昔のことを考えておくれ、ドメニカ婆さんを思い出しておくれよ! 家のなかを見ておくれ、栗を焼いた場所、あんたが赤ん坊を揺り動かしてやった場所をね。そうすると、あたしの大事な坊や、あんたが貧乏だった子供の時を思い出すよ」こう言ってドメニカは私に接吻し、ぎゅっと胸に抱きしめて立った。私は胸が張り裂けそうな気がした。
この日の帰り道とドメニカの言ったことは、それからしばらくたってからの別れよりももっと辛かった。いよいよ別れる時には彼女は何も言わずに泣くばかりで、私たちが敷居をまたいだ時ドメニカは家のなかへ駈けもどって、扉の内側に貼ってあった昔からのなかば黒くなった聖母マリアの画像をはずして私に持たせた。それはこれまで幾度となく接吻したもので、これが彼女にもらったただ一つの形見になった。
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七 学校のころ
奥様になったフランチェスカは夫とともに旅行に出てしまい、私はエスイタ派の学校の生徒になり、新しい勉強に時間をとられ、新しい知り合いが現われて、私の生涯《しょうがい》の劇的な部分が展開されることになった。ここでは何年もの歳月が一つに圧縮されて、一時間一時間が変化に富んで、次から次と現われる画の連続に似ていたが、いま遠くから眺めれば「学校生活」という題の一枚の大きな画に融けこんでしまう。はじめて山に登って、高いところから雲や靄《もや》の海を見おろし、その海が高まってきたり切れたりすると、ある時は町のある山の頂きがのぞき、ある時は谷の日の当った部分が現われるのを眺める旅人、――私もその一人になったように、私の心の世界が浮かび出てきては変化する。カンパーニャを囲む山の向こうには、私が夢にも思ったことのない国や町があった。私にとっては土地の一かけら一かけらに昔の名残《なご》りがあって、不思議な伝説や出来事を歌ってくれたし、花一輪、草一本にもそれぞれ意味があったが、何よりも美しいと思ったのは生まれ故郷の、光輝あるイタリアであった。私はローマ人であることを誇りとし、自分の生まれたこの都のあらゆる点に懐しさと興味をおぼえるのだった。狭い通りの隅石にまで落ちぶれた柱頭の残骸《ざんがい》は、私にとっては神聖な遺品であり、不思議に私の心に歌いかけるメムノン〔エジプトのテーベ付近の巨像。朝あけの最初の光が当たると音を調べるという〕の柱であった。テヴェレの岸の蘆《あし》はロムルスとレムス〔ローマ古伝説中の双生児。ロムルスはローマの建設者〕の物語をささやき、凱旋門《がいせんもん》も柱も立像もいよいよ深く私の心に祖国の歴史を刻みこんだ。私はその古典時代の大昔に生きていた。それが私の現在にほかならなかった。そのため、私は歴史の先生から賜暇《しか》と賞賛の言葉をもらった。
人の集まりにはすべて、それが政治家の集まりであろうと宗教家の集まりであろうと、また居酒屋に来合わせた人たちであろうと、金持のカルタ卓を囲む上流の人々であろうと、道化役《どうけやく》のいない場合は一つもない。今なおこの道化役は、あるいは権標、あるいは頸輪《くびわ》、あるいは記章といったものを身につけて、わが身を愚弄《ぐろう》の的にする。これは学校だからといって変りはなく、若者の眼は楽々と物笑いの種を見つけ出す。私たちの仲間もよそと同じく道化役を持っていたが、それは道化役のうちでもいちばん荘重《そうちょう》で、いちばん口やかましく説教ずきで、したがってとびきり上等の代物《しろもの》だった。血統からいえばアラビア人であるが、ごく小さな時分から法王の支配下なるカトリックの教育を受けたハバス・ダーダー神父は、ちょうどそのころ、私たちの趣味の指導者でもあり舵《かじ》とりでもあって、エスイタ学校のみならず、アカデミア・ティベリアナの美学主任であった。
あとになって私は詩というあの言うに言われぬ神聖な霊感について考えたことがあるが、これは山にある豊富な金鉱のように思われる。躾《しつ》けとか陶冶《とうや》とかいうものは、いかにそれを純粋にすべきかを心得た老練な職人である。時としては全然まじり物のない金粉に出会うことがある。すなわち生まれながらの詩人の即興の抒情詩である。ある鉱脈からは金が採《と》れ、ある鉱脈からは銀が出る。しかしまた錫《すず》もあり、もっとありふれた金属が見つかることもあるが、これとても軽蔑《けいべつ》すべきものではなく、磨きをかけ美しくすれば金や銀にも見えることもある。このさまざまの金属にちなんで、私はいま詩人を黄金の人、銀の人、銅の人と鉄の人に分けてみる。ところがそのあとに来るもう一つの組がある。陶土をこねくるにすぎないくせに、本当の職人の組合にはいろうなどと大それたことを望む連中、つまり、へっぽこ詩人である。ハバス・ダーダーもこの一人であった。その才能は鍋か壼の一つも作れば精いっぱいであったが、それをいわば詩人の気ままさをもって、感情の深さから見ても詩心という点から見てもくらべものにならない人々に投げつけるのだった。軽薄な器用な詩句、実在の物、心、そのほか何やかやと眼の前に並べるだけの詩句の巧妙な作り方、こういうものが彼の感嘆と賞讚の的であった。
したがって、彼がペトラルカに惹《ひ》きつけられたのも、この詩人のソネットのきわめて特異な調子のよさだけによるのかと思われる。さもなければ、彼の病的な考えのなかにひらめく風俗とか固定観念とかいうもののせいかとも思われる。というのは、ペトラルカとハバス・ダーダーは極端にちがった二人の人間だからである。彼はむりやり私たちにあの長大な叙事詩「アフリカ〔ペトラルカの史詩〕」の四分の一ほどを暗記させたので、スキピオの栄光のとばっちりで塩からい涙と笞打《むちう》ちの雨が降ったのである。
ペトラルカの奥深さということが、毎日私たちに向かって強調された。「水彩画だけしか描かない薄っぺらな詩人は」とハバス・ダーダーは言うのだった。「幻想の子供で、腐敗の産物だ。この仲間の最大のものが、|かの《ヽヽ》ダンテだ。彼はペトラルカがすでにわずか一片のソネットをもって得た不朽の名を得ようとして、天と地とそれに地獄までも動かした――唾棄《だき》すべきだ、まことに唾棄すべきだ! なるほどダンテは詩に巧みではあった。あのバベルの塔を今の世まで伝えたのは、その音の波だ。もし彼が最初の計画どおりラテン語で書いたとしたら、学問のあるところが見せられたろうに。ところがそれが苦手なので、俗語《ヴォルガーレ》で書いたのだ。『ライオンが泳ぎ小羊が歩くことのできる流れだ』とボッカチオはほめている。私にはそんな深さ、そんな純真さは見えない。彼はなんらしかるべき基礎がない、過去と現在のあいだの永遠の動揺だけだ。しかるにペトラルカは、あの真理の使徒は、ペンによってその憤激を示すのに、死んだ法王や皇帝を地獄へおとすようなことはしなかった。彼はギリシア悲劇のコーラスのごとくその時代のなかに立った。法王や王侯を戒めかつ責める男性のカサンドラ〔ホメロスの「イーリアス」に出てくる女予言者。トロイの敗滅を予言したが、誰も耳を傾けなかった〕だ。面と向かって臆するところなく、彼はカルル四世に向って言った、『あなたを見ると、徳の遺伝しないことがわかる!』と。ローマとパリとが彼に冠を捧げようと申し出た時、彼は崇高な気弱さを見せて、同時代の詩人たちに、自分が詩人として冠を加えられるにふさわしいかどうか、はっきり公言せんことを求めた。そして三日間にわたって、まるで君たちと同じ生徒のように彼は試験を受けてから、ようやくカピトリウムの丘に登った。ナポリの王は彼の緋の衣を着せかけ、ローマの元老院は決してダンテのものにはならなかった月桂冠を彼に与えた」
ハバス・ダーダーのペトラルカを讚えダンテを貶《けな》すための講義は、いつもこういった調子のもので、かぐわしい菫《すみれ》の花と咲きほこる薔薇《ばら》の花を並べて賞《め》でるように、このりっぱな二詩人を並べることを決してしなかった。私たちはペトラルカのソネット全部を暗記させられたが、ダンテは一語も読まなかった。ハバス・ダーダーの非難のおかげで、私はダンテが天国と煉獄と地獄を扱ったことを知ったが、これは何ものにもまして私の心をひきつけ、彼の作品を知るようになりたいという強い願望を吹きこんだ三つのものであった。しかしこれは公然とはできないことで、私がこの禁断の木《こ》の実に手を出すことはハバス・ダーダーが絶対に許さなかったであろう。
ある日ピアッツァ・ナヴォーナ〔ローマで最も大きい広場〕のオレンジの山、地面に置いた金物、古着類、ごたごたと並べられた襤褸《ぼろ》がらくたのあいだを歩いていると、古本や版画をのせたテーブルにぶつかった。ここにはマカロニを食う男のポンチ絵だとか、血の流れ出る心臓に刀の刺さった聖母マリアだとか、縁もゆかりもないものが雑然と並べてあった。メタスタージオ〔イタリアの詩人。一六九八―一七八二〕の一巻が私の注意をひいた。ポケットには私にとっては大金の一パオロ〔一スクードは一〇パオロで、一パオロが一〇バヨッコ〕があったし、半年前にあのりっぱな紳士からもらったかなりたくさんの小遣い銭も、まだいくらか残っていた。メタスタージオに何バヨッコか出すのは少しもかまわなかったが、一パオロ全部とられるわけにはゆかなかった。談判がほとんどまとまりかけた時、ある表題のページに目がとまった――「ダンテの神曲」――あの善悪の知識の木の禁断の木の実であった。私はメタスタージオを投げ出してこちらを取った、しかし値段が高すぎた。三パオロはどうしても出せなかった。私は手のなかの金を熱くなるまでもぞもぞさせたが、それは二倍になるはずもなく、値ぎってそこまでまけさせるより仕方がなかった。イタリアの一番いい本だ、世界第一等の詩作だ、と売り手が言った。そしてダンテを、――ハバス・ダーダーにあんなにこきおろされたあのダンテを讚える雄弁の流れが、この正直者の唇からほとばしり出た。
「どこを開けて見ても、説教のようにりっぱだ」と彼が言った。「ダンテは神の予言者だ。その案内で地獄の火のなかも、永遠の楽園のなかも歩いて行ける。あなたは失礼ながらまだダンテを御存じない、もし御存じだったら私が一スクードくださいと言っても、すぐその値でお買いになるはずだ! 一生の終りまで自分の国のいちばんりっぱな本が手もとに残るというのに、それもたった三パオロというはした金で済むのに!」
ああ、ただありさえしたら三パオロだって喜んで出しただろうが、この時の私はあのエソポ〔イソップ〕の物語にある葡萄はすっぱいと言った狐と同じだった。自分の賢明なところを見せてやろうという気もあって、私はハバス・ダーダーのダンテ弾劾《だんがい》演説の一部を受け売りし、同時にペトラルカをほめ上げた。
「そう、そのとおりだ!」と本屋は、すこぶる興奮して自分の詩人を熱烈に弁護してから言った。「あなたは若すぎるし、私はあんまり俗人すぎて、こういう人たちの判断はできかねる。二人ともそれなりにすぐれているのかもしれない。あなたはまだダンテを読んだことがない!読んだはずがない! 若くて血の暖かい人間は、世界の予言者にたいして苦々しい感じなどとうていもてるものではない!」
そこで私が白状して、私の意見はただ先生の判断をもとにしただけだと言うと、彼は自分の詩人の作品に対する熱狂のあまり、その本をつかんで私にほうってくれた。そして足りない一パオロの代りに要求したのは、きっとその本を読むことと、イタリアの誇り、イタリアの愛する尊いダンテを悪く言わないことだけだった。
ああ、この本のおかげで私がどんなに幸福だったか! もう自分のもの、いつまでも自分のものだった。私はいつもハバス・ダーダーの酷評に疑問を持っていたが、私自身の好奇心と本屋の熱狂とは少しも私をじっとさせておかないので、他人の眼に触れずにこの本の開けられる時が待ちきれない有様だった。
今や私の前に新しい人生が開けた。私の想像はダンテのなかに、自然が私の今まで見たこともない大規模なぜいたくな営みをし、山もいっそう高く、色もいっそう豪奢華麗な未発見のアメリカを見いだした。私はそこにくりひろげられる偉大な全体を吸いこみ、不滅の歌い手と共に苦しみ共に喜んだ。彼とともに冥界《めいかい》をさまよった時、地獄の入口の銘は私の心のなかで最後の審判を報ずる鐘の音のようにひびいた――
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ここ過ぎてかなしみの都《まち》へ、
ここ過ぎてとわのなやみに、
ここ過ぎて、ほろびの民へ人はゆく、
正義はいと高き造物主をうごかした、
聖なる力、こよなき智慧、
元始の愛これをつくった。(上田敏の訳による)
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暴風に吹きまくられる砂漠の砂のように、永久に黒い空間のうちに、秋の木の葉のように落ちて来るアダムの子たちを私は見た。嘆き悲しむ魂が、疾風《しっぷう》のなかで吼《ほ》えるのを私は聞いた。キリスト教徒でなかったためにここにとどまらなければならない高貴な偉大な人々を見て、私の眼は涙でいっぱいになった。ホメロス、ソクラテス、ブルートゥス、ウェルギリウス、そのほか大ぜいの古代の最もりっぱな最も優れた人物が、永遠に楽園から遠ざけられてここにいた。ダンテは地獄としてできるかぎりは、いっさいを気持よく不自由のないように図らったが、それでも私は不満足だった。そこにいることはなんといっても、苦痛はなくても悲しみであり、望みのないあこがれであった。この人たちは呪われた者の国を出ることができず、呪われた人々の溜め息が一つまた一つと、有毒な疫病をひろめる蒸気の泡を吹き上げる深い地獄の沼に囲まれていた。なぜキリストは地獄から父の右手へ昇天した時、彼らをみんな渇望の谷から連れて行ってやらなかったのだろう? みな同じく不幸な者のあいだに、愛は区別をつけることができたのかしら? すべてが物語であることを私はすっかり忘れていた。わきかえる松脂《まつやに》の海からの溜め息が私の胸を刺し、私は彼らの姿を、――這いあがって来る「聖物売買の罪びと」たちと、鋭い熊手で彼らを突きもどす悪鬼とを見た。目《ま》のあたり見るような描写は、深く私の心に刻みこまれて、昼間の考えにも夜の夢にもはいって来た。私はたびたび寝言に「パペ・サタン・アレップ・サタン・パペ!〔この文句は「神曲」地獄篇第七歌に出ているが、意味不明とされている〕」と叫ぶのを人に聞かれた。人々は私が悪魔と戦っているのだと思ったが、私のくり返した文句は、読んだものが頭に残っていたのだった。
授業のあいだも私は心に落ちつきがなく、さまざまの考えが私に群がり集まって、どうしても追い払うことができなかった。友だちがてんでに、「アントニオ、何を考えてる!」と大声を出すので、恥ずかしさと恐ろしさにくたくたになった。自分が何を考えていたかは、よくわかっていたからである。しかしダンテを捨てることも、遍歴をやめることも、私にはできない相談だった。
昼間の長さと重苦しさは、ダンテの地獄の偽善者が着なければならなかった鉛に金を被せたマントに似ていた。不安な気持で禁じられた果実に忍びよって、自分が犯したと想像した罪に加えられる報いの恐ろしさをむさぼった。そればかりでなく私は、ひとたび咬《か》むと焔のなかをのたうち廻り、やがてまた不死鳥のように新たな生命を得て、毒を吐くために這いあがって来る、地獄の蛇に咬まれる感じをさえ味わった。
私と同じ部屋で寝る連中は、眠っているところを何度も私の叫び声で起こされたので、地獄や呪われた人々について私が妙な筋の通らないことを言うと言いだした。年とった監督者はある朝、私がベッドの上に起きあがって、ぐっすり眠っているくせにかっと両眼を開き、魔王を呼び出して彼と格闘すると、すっかりくたくたになって枕の上に仰向けに倒れるのを見て、恐ろしく思ったことがあった。
私が悪魔と格闘したというのはもう、あらゆる人が認める見方だった。私のベッドは聖水を撒《ま》かれ、私はベッドに横になる前にきまった回数だけ祈祷をくり返すように申し渡された。こういう取扱いを受けるほど、私の健康に有害な影響を与えるものはほかになかった。私の血はそのためなおさら強く掻き乱されるだけであり、私自身はなおさら不安な状態に落されるだけだった。というのは、すべての原因も、いかに私がそれを知らず知らず他人に見せたかも、私にはわかっていたからであった。だが、ようやく私は過渡期に達して、嵐《あらし》のなかから静けさのなかへ出た。
才能から言っても生まれのよさから言っても、ベルナルド、――陽気でほとんど放埒《ほうらつ》といってもよいベルナルドの、右に出る生徒は一人としてなかった。五階のずっと上に突き出た樋《とい》に馬乗りになると、屋根のすぐ下の二つの窓に渡した板の上で平均を取るのが、毎日彼がきまってする慰みだった。私たちの小さな学園に起こった騒ぎは全部彼のせいにされたが、これはたいていの場合あたっていた。僧院の静かさと落ちつきが、私たちの上にも建物全体にもひろがることが望まれていたが、ベルナルドが掻き廻し役の小妖精をつとめたのだった。とは言うものの、彼には少しも悪意といったものがなかった。このベルナルドが意地の悪いちょっかいを出したのは、ハバス・ダーダーにだけで、そのためこの二人はいつも仲が悪かった。しかしベルナルドはそんなことは気にしなかった。彼はローマの元老院議員の甥《おい》で莫大《ばくだい》な財産があり、前途は明るく洋々たるものであった。ハバス・ダーダーに言わせれば、「けだし幸運の女神が、洞《うつろ》になった木に真珠《しんじゅ》を投げこんで、まっすぐに立つ松の木を見過ごして行ったから」だった。
ベルナルドはすべての物事にはっきりした意見を持っていて、学校友だちのあいだで自分のことばがきき目をあらわさないと見てとると、その手が御用をうけたまわって、彼の青くて未熟な考えを、反対する者の背中へ植えこんだ。そのため彼は常に仲間の牛耳《ぎゅうじ》をとっていた。彼と私とは性質が極端にちがっていたが、それでも私たちのあいだにはいつも最善の理解があった。譲歩するのはたしかにいつも私のほうだったが、これがまた彼に私をからかうきっかけを与えた。
「アントニオ!」と彼が言った。「棒でぶん殴ったらちょっとでも君を怒らせられるというんなら、そうしてみたいけどね。君だって性根《しょうね》があるというところを一度でも見せたいというのなら――僕が君を馬鹿にしたら、拳骨《げんこつ》を固めて僕の顔を殴りつけろよ。そうすりゃあ僕は君のいちばんの親友になるんだがなあ。だが今じゃ僕も、そんなことは諦めているよ!」
ある朝二人だけが大広間にいた時、彼は私の前のテーブルの上に坐って、笑いながら私の顔をのぞきこんで言った――
「だが君のほうが僕より上手《うわて》の悪者だぞ! じっさい君はりっぱな喜劇をやってるよ! おかげでみんなのベッドは聖水を撒かれるし、御自分は煙でいぶされたというわけだ。君は知らないとしても、僕は知ってるんだ。君はダンテの『神曲』を読んでるな!」
私はまっ赤《か》になった、そして、なぜそんなことを言って私を責めるのだと問い返した。
「君はゆうべ寝言のなかで、悪魔のことを言ってたじゃないか?『神曲』に出てるとおりにさ。いい話を聞かせようか? 君は想像力が豊富だから、こういう話を喜ぶだろう。地獄には君もダンテでよく知ってるとおり、火の海や疫病の沼があるが、まだそのほかにいちめんに氷の張った大きな池がある。どこを見ても氷ばかりで、そのなかに魂が永遠に堅く閉じこめられている。ここを通り過ぎると地獄のいちばん深いところへおりて行くのだが、そこには恩人を裏ぎった奴らがいる。だからわれわれのいちばんの恩人の神にそむいたルシフェルも、そこにいるわけだ。胸まで氷につかって立ったまま、かっと開いた口にカシウス、ブルートゥス、イスカリオテのユダをぎゅっとくわえている。ユダはぐったりと頭を垂れ、恐ろしいルシフェルはものすごい蝙蝠《こうもり》のような翼をばたばたさせている。いいかい、一度こいつを見たら、そうすぐには忘れられない。僕はこいつをダンテの『地獄』でおぼえたんだが、ゆうべ君が寝言に言ったことは全然これと同じだ。だからこそ僕は君がダンテを読んでいると言えるんだ。だがそれにしても、君は僕より正直だったよ。僕に黙っていろと言ったし、われわれの愛すべきハバス・ダーダーの名前も出てきたからな。白状しろよ、君は今、目がさめているんだから! 誰にもしゃべりはしない。とうとう君にも見どころのあることが、わかったというもんだ。ほんとだとも、前から僕は、君には何か望みがあると思っていたんだ。だがどうやって手に入れたんだ? 僕のやつを持って行けばよかったのに。ハバス・ダーダーが悪口を言った時、これは読む値うちがあると思ったから、僕はすぐ手に入れたんだよ。本の厚さを見るとすっかり恐れをなしたが、笑ってやるのにはまずと思って取り上げたのが、いま読んでるのが三回目だよ。『地獄』はすごいだろう? 君はハバス・ダーダーがどっちへ落ちると思う? 火の地獄へか、氷の地獄へか」
私の秘密はついにばれてしまった。が私はベルナルドはしゃべらないと安心していることができて、二人のあいだはますますうちとけたものになった。私たちの話は、ほかに人がいなくなるとたちまち「神曲」のことになった。「神曲」は私の心を占領し私を感激させた。私は自分の考えたり感じたりしたことを語らずにはいられなかった。「ダンテとその不朽の作品」というのが私の書いたはじめての詩だったのもそのためである。
私が手に入れた版の「神曲」には、作者の伝記がついていた。ほんのスケッチ程度のものではあったが、私にはそれで彼特有の性格を理解するのに十分だった。私はダンテとベアトリーチェの浄《きよ》らかな精神的な恋愛を歌い、「黒王」党と「白王」党〔ともに十二世紀から十五世紀にかけてドイツ皇帝派と争った法王派の分派〕の争いに捲きこまれたための苦しみ、除名されて山また山と歩き廻る人のわびしさ、そして知る人もない異境での死を歌った。私がいちばん生き生きと写し出したのは、解き放たれたダンテの魂が飛んで行く有様――振り返って地上を、またその下の地獄を眺める眼《まな》ざしであった。全体が彼の不滅の詩の形を借りて、それを小形にしたものだった。煉獄がダンテの歌ったとおりにふたたびひらけると、奇蹟の木が枝もたわわな黄金色の実《み》に輝き、永遠にやむことのない雨がそれを濡らした。彼の乗っているボートには天使が帆の代りに大きな白い翼をひろげ、浄められた魂が天国へ昇って行くとき周囲の山々が震動した。天国には太陽とすべての天使が鏡のように永遠不変の神の光を反映し、すべてが幸福であり、最も賤しい身分の人も、最も高貴な生まれの者も、それぞれの心が受けられる度合に応じて、一様に幸福を分け与えられた。
ベルナルドは私の詩を聞いてまったく傑作だと言った。「アントニオ!」と彼が言った。「お祭りの時ぜひもう一ぺん朗読するんだな。ハバス・ダーダーのやつ面くらうぜ。こいつはすてきだ。そうさ! これだよ、なんていったってこれでなくちゃだめだ!」
私は、いやだという身振りをした。
「どうしてだ?」と彼が大きな声を出した。「やらないのか? そんなら僕がやる。永遠のダンテでもって奴《やっこ》さんをいじめてやろう。輝かしきアントニオよ、君の詩を僕にくれ。僕が朗読してやる。がそれには本当に僕に渡さなけりゃだめだ! あの烏《からす》みたいにうるさい奴に飾りをつけてやるんだから、君の美しい羽毛を諦めたっていいだろう? ほんとに君はこの上なく気立てのいい男だよ、それにこれは君自身のりっぱな行いになるんだ。いいだろう」
私はどんなに彼の言うとおりにしてやろうと思ったことだろう! 私はハバス・ダーダーがからかわれる場面を、何があっても見物したいと思ったので、長く口説《くど》かれることもなく承知した。
そのころのエスイタ学校には、ちょうど今のスペイン広場の宣教《プロパガンダ》学校と同じように、一月の十三日には、「神聖にして偉大なる諸賢のために」生徒の大部分が公開の席で詩を朗読する習わしがあった。ことばはそのころ学校で教えていたさまざまなことばの一つでも、自分の生まれた土地や国のことばでもよかった。題目は生徒が自分で選んでもよかったが、教師の認許だけは受けなければならず、それが済んでから仕上げが許されるのであった。
「ねえベルナルド」と私たちがめいめい題目を発表した日にハバス・ダーダーが言った。「ベルナルド、君は何も選ばなかったらしいな。だが、もともと君のがらには合わないことだ。君が抜けてもべつだん困りはしないさ」
「ちがいます」と彼が答えた。「今度はやってみます。詩人を題にして詩を作ろうと思ったんです。もちろんいちばんえらい詩人なんかじゃありません。そんな勇気はないんですが、いちばんへっぽこな詩人を一人考えました。ダンテです!」
「おい、おい」とハバス・ダーダーが言い返した。「出るというのか! しかもダンテとはね! こいつは傑作だぞ! 喜んで拝聴しよう! だが、枢機官も残らず来られるだろうし、あらゆる世界の隅々から外国人も集まることだから、君のせっかくのおもしろい作品は謝肉祭まで取っといたほうがずっといいんじゃないか?」そしてなおもそんな調子で説きつづけたが、それではと引きさがるベルナルドではなく、他の教師たちから許可をもらってしまった。
こうなると皆それぞれに題目ができたが、私のは「イタリアの美しさ」であった。
自分が選んだ題目の仕上げは全部自分でするということになってはいたが、ハバス・ダーダーをうまく味方にして、その悪い天気のような顔に太陽の光らしいものをぱっとひろがらせる確実な方法は、詩に眼を通してもらって、助言と忠告を頼むことであった。こうすればたいていの場合、彼は生徒の詩の全体に手を加える。というのはあちらを直しこちらをいじくるのだったが、さてできあがりを見ると、まずいことは最初のとおりで、ただそのまずさの種類がちがうだけだった。そしてたまたまその詩をほめる人があったとすると、そのなかには二、三自分の機智の閃きがあって、それが荒削りな地肌にすっかり仕上げを加えたのだ、といったような意見を述べ立てるのであった。
私のダンテを歌った詩はもうベルナルドのものであったが、ハバス・ダーダーはまだそれを見ていなかった。
やがてその日になった。馬車が続々と校門に着いた。裾《すそ》をひいた赤い長上衣を着た枢機官たちがはいって来て、めいめい堂々たる肘掛椅子《ひじかけいす》に着席した。私たちの名が、それぞれ詩を書くのに使ったことばで書いてある札がくばられ、ハバス・ダーダーが開会の辞を述べ終ると、次から次へ詩の朗読がつづいた。シリア語、カルデア語、コプト語があると思えば、サンスクリット、英語そのほかのさまざまな外国語もあって、そのことばが耳になじまない妙なひびきがすればするほど、賞讚の声もブラーヴォの叫びも、いとも朗らかな笑い声とまじった拍手の音も、ますます大きかった。
私は胸をおどらせながら進み出て、「イタリア」の二、三節を朗読した。私は何回も何回も喝采《かっさい》を送られた。年とった枢機官たちは賞讚のしるしに手を叩き、ハバス・ダーダーは彼としては精いっぱいのやさしさで微笑を浮かべて、手のなかの花冠を意味ありげに動かしていた。というのは、イタリア語ならば私の次にはベルナルドがいるきりで、その次の英語の詩が褒美をもらうなどということは考えられなかったからである。
次はベルナルドが椅子を離れた。私は眼をみはり耳をそばだてて彼の一挙一動を追った。大胆に堂々と彼は私のダンテの詩を暗誦した。広間はしんと静まり返った。彼がその詩に与えた不思議な力が、聴衆の一人一人の心をぐっととらえたようであった。私は一語もあまさずその詩を覚えていたが、それが私の耳には、音楽の翼にのせられて舞いあがる詩人のことばとひびいた。満場の人が一人残らず拍手喝采した。枢機官たちが立ちあがった。そしてそれで終りだった。冠はベルナルドに与えられた。形式をととのえるために残った番組も朗読され、それぞれにほめられはしたが、それが済むと、すぐにまたダンテを歌った詩の美しさと気力とが、人々の心に帰ってきた。
顔は火のように熱く、胸は高鳴って、私は限りない幸福をおぼえ、ベルナルドに捧げられた讚美の嵐に酔ったような気持だった。私は彼のほうを見た。今までに見てきた彼とはまるで別人のようで、死人のように蒼《あお》ざめ、じっと床《ゆか》を見つめて立っている様子は罪人にも似ていた。いつもはあんなに平然と誰の顔でも見ていた彼がである。ハバス・ダーダーもその好一対《こういっつい》といった様子で、夢中で手のなかの花冠を粉々にむしってしまいそうだったが、あたかもそのとき枢機官の一人が彼の手からそれを取って、ベルナルドの頭に載せた。彼はひざまずいて両手に顔を埋めた。
祭典が終ってから、私はベルナルドを捜し出したが、「明日!」と大声で言ったきり、振り切るようにして行ってしまった。
次の日私は、彼が私を避けるのに気がついた。私は悲しかった、彼に限りない愛着をいだいていたからである。私の心は、この世の中で、頼りにできる人を捜していた、そして彼を選んだのだった。
二晩過ぎた。彼は私の頸に抱きつき、私の手を握ってこう言った。「アントニオ、君に、言わなきゃならないことがある。もう我慢できないし、我慢しようとも思わない。僕は頭に冠をのせられた時、千本もある刺《とげ》を差しこまれる気持がしたんだ。ほめることばも嘲笑《ちょうしょう》するように聞えた! 名誉は君のものだったのだ。僕には君の眼のなかの喜びが見えた。だのに僕は、わかるかい、君を憎んでいた! 君はもう僕にとっては以前の君じゃなかったんだ。これは悪い感情だ、頼むから僕をゆるしてくれ。だが僕たちは別れなきゃならない。僕はもうここにいても安らかな気持にはなれないんだ。僕は行ってしまう。来年になって、僕が盗んだ羽毛を身につけたことが見あらわされて、物笑いの種にならなくて済むようにね。伯父《おじ》が僕の世話をしてくれるはずだし、当然しなくちゃならないんだ。僕は手紙を出した。そうしてくれと懇願したのだ。僕は自分の性質とは反対のことをした。そして僕には、まるで君が何もかもの原因のような気がするんだ! 僕は君を苦々しく思っているんだが、それがまた僕を心の底まで苦しめるんだ。完全に新しい環境でなければ僕たちは友だちにはなれない。またいつか友だちになろうよ。約束してくれ、アントニオ!」
「君はひどいよ」と私は言った。「君は自分にたいしても間違っている。もうあのくだらない詩や、それにつながりのあることはいっさい考えないことにしようじゃないか。握手しよう、ベルナルド、そして妙なことを言って困らせないでくれよ」
「いつまでも友だちでいよう」こう言って彼は行ってしまった。そして自分の部屋に帰って来たのはもう夜おそくなってからであった。次の朝、別の職業につくため彼が学校をやめたという発表があった。
「流星のごとく見えなくなった」とハバス・ダーダーが皮肉な言い方をした。「きらりとしたかと思ったら、とたんに消えてしまった! すべてがいんちきだ――あの詩だってそうだ。わしはあの宝物がなくならないように保管しているが、いやどうもはやだよ。よく見りゃいったい何だ、あれは? あれが詩なのか。あのごたごたした、形もなければまとまりもない代物《しろもの》が? はじめは花瓶ぐらいに見えた。フランスの葡萄酒のコップか、でなければメデア人のサーベルかなと思った。ところが、引っくり返したり引っ張ったりして見れば、出てくるものはあいも変らぬ無意味な、かさかさできまりきった紋切型《もんきりがた》だけだ。韻脚《いんきゃく》のはみ出しが三か所、恐ろしい母音《ぼいん》の連続があるかと思えば、『聖なる』ということばが二十五も出てくる。こいつをくり返せば詩までが『聖なる』になるというのかね。感情、そしてまた感情、これ一つで詩人になれるもんじゃない。あの空想との取っ組みあいはどうだ、今ここにいるかと思えば、たちまちあっちだ! 思想じゃない、慎重さ。どっしりとした慎重さがなくちゃだめだ! 詩人は自分の題材に引きずられてはならない。冷たくなければいけない。氷のように冷たく、心に宿ったものを粉々に砕かなくてはいけない、端から端まですっかりわかるようにだ。そうしなければ芸術品のできあがるはずがない。こんな追っかけたり追い廻したりみたいな態度は、捨てなければいけない。この飛びつきそうな熱狂もだ! これでもあの子の頭に冠が載ったとは!史実の間違い、母音の連続、あのくだらない作品の罰にうんと笞《むち》を喰わせればよかったんだ!わしは腹が立ってならん。これはわしの体には毒なのだ! あの碌《ろく》でなしのベルナルドめ!」
ハバス・ダーダーの賞讚の辞は、およそこうであった。
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八 うれしい再会・いやな再会
私たちは皆、あのいたずら者でわがままなベルナルドがいなくなったのを淋しがったが、私ほど淋しがった者もいなかった。私は自分の周囲がすべて空っぽで荒漠《こうばく》とした感じがして、本を読んでも楽しくなく、魂のなかの不協和音を弱めることもできなかった。音楽だけがほんの束《つか》の間ながら心の調和をもたらした。楽音《がくおん》の世界で、やっと私の生活も希望も明るみへ出ることができ、ここに私はどんな詩人が表現したよりも、ダンテが表現したよりも多くのものを発見した。それは単に感性が魂の像をとらえるばかりでなくて、耳がじかにその官能のうちに生の実在を汲みとることであった。毎日夕方になると聖母の像の前で歌う子供たちの声が、私自身の子供のころを思い出させたが、そのひびきはピッフェラーロたちの物悲しい風笛が吹く子守歌に似ていた。私はたしかにそのなかに、母の柩《ひつぎ》を運んで行った人々が単調な低い声で歌った歌を聞いた。私は過去と、いずれは来るはずの日々のことを考えはじめた。私の心は妙に狭すぎるような気がして、私は歌を歌わずには済まない気がした。昔のメロディーが胸に浮かぶと、ことばは声となって唇をもれたが、あんまり声が高くなりすぎて、幾つか向こうの部屋のハバス・ダーダーの邪魔になったとみえて、ここはオペラハウスでもなければ唱歌の学校でもない、エスイタ学校では例えば聖処女の栄光を讚えるような場合のほかは、そんなに声をふるわして歌ってはならないのだ、と言ってよこした。私は黙って窓わくに額を押しつけて表通りを眺めたが、心はあらぬほうに向かっていた。
「フェリチーッシマ・ノッテ(最も幸福な夜を)、アントニオ!」という声が聞えた。美しいりっぱな馬が窓の下におどり出て、その堂々たる乗り手と共に馳せ過ぎた。法王づきの士官であった。若者らしく、いとも身軽に馬の背で体をかがめて、見えなくなるまで何度も何度も手を振っていた。しかし私にはわかった――ベルナルド、あの運のいいベルナルドだった。彼と私の生活は、こうもちがってしまったのだ! いや、私はそんなことは考えてはならないのだった!私は帽子を眼深《まぶか》にかぶって、まるで悪い魔物に追いかけられているように表へとび出すと、足の向くままに歩きだした。エスイタ学校、宣教院、そのほか法王の管下の学校の生徒が建物の外へ出るのには、自分と同年または年長の生徒といっしょでなければならない、特別の許可を得ないかぎり一人で出かけてはならないという規則も思い出すひまがなかった。こんな誰でも知っている規則が、私たちの頭には十分たたきこまれてなかったのだ。自分の自由が制限されていることを忘れていたので、私は平気の平左で外へ出ることができた。
コルソ通りは馬車でごった返していた。ローマ人や外国人をいっぱい乗せた乗り物があとからあとからつづいて来た。夕方のドライヴに出て来た人々だった。版画を売る店の窓に集まって版画をのぞきこむ人々には、銅銭をねだる乞食が近寄ってきた。馬車のあいだを通り抜けるだけの勇気がないと、先へ進むことはできなかった。私もそうやって、やっとすべり抜けたとたんに、誰かが私の上衣をつかんだと思うと、聞きなれたいやらしい声が「アントニオ、今日は!」とささやいた。私は下を見た。そこには私の伯父が、あのぞっとするペッポが、なえた脚《あし》を横腹へ結びつけ、前へ進むとき使う例の板に手をはめて坐っていた。こんなに近くで顔を見合わせることは、もう何年もないことだった。私は彼に出会わないようにいつも大変な遠廻りをして、彼の坐りこんでいるスペイン広場は通らないことにしていた。行列に加わるとか他の生徒がいっしょにいるとかして、どうしても通らずにはいられない時は、私はできるだけ顔をかくしていた。
「アントニオ、私の血を分けた子供!」私の上衣をぎゅっとつかんで彼が言った。「おまえには母親の兄のペッポがわからないのかい? 聖ジュゼッペ〔ペッポはジュゼッペをイタリアふうに縮めた形〕のことを考えりゃおれの名が出て来るじゃないか! だがずいぶん大人《おとな》らしく背が高くなったな!」
「放してください!」まわりの人が見ているので私は叫んだ。
「アントニオ」と彼が言った。「おまえ、二人でいっしょに小さな驢馬《ろば》に乗ったのを忘れたのか? 可愛らしい子供のおまえがさ。そうだろうよ。今じゃおまえはもっと大きな馬に乗ってるから、貧乏な伯父さんなんか知らんふりをしたいんだ。石段に坐ってるおれのそばへ来ようともしないんだ。だがな、おまえはおれの手に接吻もしたし、おれの見すぼらしい藁の上で寝たんだぞ。恩を忘れるんじゃないよ、アントニオ!」
「もう放してください!」と私は叫んで、彼の手から上衣をもぎ取ると、行きかう車のあいだを抜けて横町へはいった。私の心は恐ろしさ、いや何と言ったらいいか、自尊心の傷手《いたで》にふるえた。私たちを見たすべての人に、馬鹿にされそうな気がしたが、この感じの強かったのはほんの一瞬間で別のもっと苦いものがそれに代った。ペッポの言ったことは一言一言ほんとだった。まさしく私は彼の妹のただ一人の子だった。私は自分が彼につらく当ったのを感じて、神にも自分自身にも恥ずかしく思った。心のなかは燃えるようだった。もしその時ペッポと二人きりだったなら、私はあの醜い手に接吻して、赦《ゆる》してくれるように願ったであろう。私は心の奥底まで打ちのめされた。
ちょうどこの時、聖アゴスティーノ教会の鐘がアヴェ・マリアの祈祷の時を知らせた。私の心に自分の罪が重くのしかかっていたので、私は教会へはいって行って、神の母に祈ろうとした。大きな建物のなかはがらんとしてまっ暗だった。ほうぼうの祭壇の燈明は、ほのかに眠そうにともっていて、その光は湿っぽい熱風が吹く晩の火《ほ》くちにも似ていた。私の心は慰めと宥恕《ゆうじょ》を吸いこんだ。
「アントニオ様」と呼ぶ声が、すぐそばで聞こえた。「旦那様が見えていらっしゃいますよ、お美しい奥様もごいっしょにね。お二人はフィレンツェからおいでになりました、天使のようなお子様もごいっしょ。すぐおいでになりませんか、お訪ねになって御挨拶をなさいましよ」
それはフェネルラ婆さん、――ボルゲーゼ邸の門番の細君《さいくん》だった。私の恩人が夫と子供もいっしょにローマに来ていたのだった。私はもう何年も彼女に会っていなかった。嬉しさに胸をいっぱいにして私はそこへ急いだ。まもなくあの親しい顔がふたたび私を迎えてくれた。
私を見た時、ファビアーニはやさしく上品であったが、フランチェスカは母親のように喜んだ。まだ小さな娘のフラミニアを連れて来たが、これは驚くほど眼のぱっちりした心のやさしい子供だった。すぐさま接吻のために唇を差し出し、喜んで私のそばへも来るので、二分もたつと私たちは昔からの友だちのようだった。彼女は私の腕に腰かけ、私がいっしょに広間を踊り廻り、昔の陽気な歌の一つを歌ってきかせると、大声を立てて笑った。
「その小さな尼僧院長〔イタリアの家族の習慣であるが、娘の一人が子供のうちに将来僧院に入れることにきめられると、その娘の将来の身分を示す名誉称号、例えば「イエスの花嫁」「尼僧」「女僧院長」などが与えられる〕を俗人にしては困りますよ」と、ファビアーニがにこにこしながら言った。「この子がもう名誉のしるしをつけているのに気がつきませんか?」そして子供の胸に紐で吊った、小さな銀の十字架を見せてくれた。
「法王がこの子に授けられたのです。この子はもう魂の花婿を胸に持っているというわけです」
若い夫と妻はたがいに愛する幸福を思って、その最初の娘を教会に捧げる誓いを立て、法王は揺り床のなかの小児にこの聖なるしるしを授けたのだった。富裕なボルゲーゼの一族として、その子供はやがて、ローマの尼僧院での最高の地位に着くはずであったので、両親も周囲の人たちも今から「幼い尼僧院長」と呼ぶわけだった。そのために彼女にきかせる話の一つ一つも、彼女にさせる遊びのどれもこれも、彼女自身の属する世界と彼女を待っている幸福に、その心をしっかり結びつけるものが選ばれていた。
私は彼女の幼児キリストの像と、白い衣をつけて毎日ミサに行く小さな尼僧たちの人形を見せてもらった。彼女はそれを乳母が教えたとおりテーブルの上に二列に並べて、彼女たちが上手に歌を歌い、幼いイエス様に祈る様子を話してくれた。私は彼女に、長い毛織の外套《がいとう》を着て石のトリトーンの周囲を踊り廻る愉快な百姓と、順々に肩車をした道化の絵を描いて渡した。彼女はこの新しい絵をいいようもなく喜んで、何度も何度も接吻したが、そのうちに調子に乗りすぎて破ってしまったので、私はまた新しいのを描かなければならなかった。やがて乳母が彼女をベッドへ連れに来たので私たちは別れなければならなくなった。彼女の寝る時間はもうとうに過ぎていたのだった。
ファビアーニとフランチェスカは、エスイタ学校のこと、私が元気でいるか、満足しているかどうかをたずねて、いつまでも私に親切にしてくれる約束をし、できるだけ幸福に暮らすようにと言ってくれた。
「私たちはぜひ毎日会いましょう」と彼らが言った。「私たちがここにいるあいだにたびたび訪ねてください」
彼らはカンパーニャの年とったドメニカのこともきいた。ごくたまにではあったが、春か秋に私が会いに行くたびにどんなに彼女が大喜びをしたか、栗を焼いてくれて、いっしょに暮らしたことの話をする時どんなに若返って見えたか、また昔私の寝床だったあの狭い引っこんだ場所も、珠数《じゅず》や古い祈祷書といっしょにしまってある私の絵も、行くごとにきまって見せられるという話もした。
「なんという妙なお辞儀の仕方でしょう!」その晩帰ろうとして私が頭を下げた時、フランチェスカがファビアーニに言った。「心を養うのは大そうりっぱなことにはちがいないけれど、体だって粗末にしてはいけないわ。この世の中ではみんな体だって大切にするのよ。でも今にあなたもそうなるでしょう、どう、アントニオ?」ほほえみながら彼女は私が接吻するように手を伸ばした。
私が学校へ帰ろうと思ってまた外へ出た時は、そんなに晩《おそ》い時間ではなかったが、それでも一寸先も見えないほど暗かった。その時分ローマにはまだ街燈がなく、それがついたのは人も知るとおりごく近ごろのことである。狭い舗装の悪い通りで灯《あかり》といえば、聖母マリアの前にともした燈明《とうみょう》だけであった。つまずくまいとすれば手さぐりで歩くより仕方がなかったので、この日の午後の出来事で頭をいっぱいにして、私はのろのろと進んで行った。
歩いて行くうちに私の手が何かにぶつかった。
「えい!」と耳なれた声がした。「おれの眼を叩き出すのはやめてくれ、ただでさえ碌に見えないんだからな!」
「ベルナルド!」喜んで私は叫んだ。「またぶつかったな」
「アントニオ! 親友アントニオ」と叫んで、彼は私の腕をつかんだ。「こんなふうにぶつかるなんて愉快じゃないか。どこへ行ったんだ?ちょっとした冒険かい? そんな君とは思わなかったが、君は闇《やみ》の小路《こみち》でとんだ伏兵にぶつかったというわけだ。お供の奴隷というか、なんというか、まあ名前なんかどうでもいいが、君の忠実なお伴《つ》れさんはどこにいるんだ?」
「僕は誰ともいっしょじゃないよ」と私は答えた。
「独りきりなのか?」と彼が言った。「まったく君も相当なもんだ。法王の近衛隊《このえたい》にはいればよかったな、そうすりゃ君もひとかどの男になれるぞ」
私は簡単にフランチェスカとファビアーニが来ていることを話し、この思いがけない再会の嬉しさを口に出した。ベルナルドの喜び方も私に劣らなかった。二人はあたりの暗さも忘れ、自分たちのいる場所も行く方角も考えずに歩きながら話した。
「いいかい、アントニオ」と彼が言った。「僕はようやく世の中というものがわかったが、君はまだ何も知らないんだ。学校のこちこちの腰掛に腰かけてハバス・ダーダーのかびの生えたおしゃべりを聞いて日を送るには、世の中はちょいとばかりおもしろくできすぎてるよ。僕が馬を乗り廻せるのは、君も今日《きょう》見たろう。きれいな奥さんが何人も秋波を送るんだ、ああ、こんなふうに燃えるようなのをだ! 僕はたしかに制服の似合う好男子なんだが、このいまいましい暗闇じゃ君には見えないな。僕の新しい仲間が世の中へ連れ出してくれたんだ。奴らは君みたいな世捨人《よすてびと》じゃない。僕たちは国家の安泰を祈って杯を干したり、猊下《げいか》のお耳が静かにお聞きになれない種類のちょっとした冒険をやったりする。アントニオ、君はまったく馬鹿だよ! この二、三か月で僕は十年分の経験をした。僕はいま自分の若さを感じている。若さが血のなかでわき返り、心臓のなかで泉のように噴き出てくる。それを僕は享楽しているんだ。唇がひりひりすれば、ごくごく飲んで享楽しているんだ。がそれでもこの追い立てるようなかわきは鎮《しず》まらない」
「友だちがよくないんだよ、ベルナルド」と私が言った。
「よくないって!」彼がさえぎった。「お説教はまっぴらだよ! 僕のしてることで君は何が言えるんだ? 僕の仲間は皆ローマでいちばん純粋な昔からの貴族の血統だ。僕たちは法王猊下の近衛隊だ。猊下の祝福があれば僕たちのちょっとした罪ぐらい消えてしまうんだ。学校をやめたころには僕にもまだそんな尼さんじみた考え方が少しは残っていたが、仲間にそれを気づかせなかったのは僕もなかなか利口なものだ。僕は仲間のやるとおりにした。僕の血も肉も、僕というもの全体が喜びと生命でぞくぞくした。そして僕はこの衝動に従った。それがいちばん強かったからさ。だがそれと同時に、自分のなかの厭《いや》らしい、聞きたくもない声も聞えたさ、――『おまえはもう子供の無邪気さをなくしたね!』という、宣教院の躾《しつ》けや善良な子供心の最後の名残《なご》りだ。今じゃ僕はそれを嘲笑《ちょうしょう》している。すっかりその正体がわかったんだ。僕はもう一人前の大人だ、子供くさいところなんか振り捨てちまったぞ。あんなめそめそした声は、独り歩きのできない意気地なしの弱音《よわね》さ。いや、それはそうと、うまい工合にキアーヴィカの前へ出た。ここは芸術家が集まるいちばん上等な料理屋なんだよ。さあはいろう。われらの楽しき再会のためだ、いっしょに一本あけなくちゃならない。はいろうよ。なかにはおもしろいことがあるぞ」
「君は何を考えてるんだ?」私は言い返した。「法王の近衛士官とともにここにいたことが学校に知れてみたまえ!」
「そりゃとんでもない大事件だろうさ! だが一杯の酒を飲み、外国の歌い手が自分のことばで歌うのを聞くのは、――ドイツ語もあればフランス語もあり、英語もあればちんぷんかんぷんもある! おもしろいぞ、君だってわかるだろう?」
「君に向いたことは僕にはだめなんだから、そんな話はもうよそう。ところで……」私は言いかけてやめた。狭い横町から高笑いと、わあっという叫びが聞こえたし、話をほかのことに持って行きたかったからだった。「あんなに大ぜい集まってる、いったい何だろう? 聖母マリアの像の前で何かおもしろいことをやってるらしい」こう言いながら、私は彼をそっちへ引っ張って行った。
いちばん下層社会のがさつな男や子供で、通りがふさがっていた。彼らが大きくぐるりと描いた輪のなかに、一人の年とったユダヤ人がいたが、私たちがそこへ来たのはちょうど、彼らの一人が棒を持ち、ユダヤ人が街《まち》から出ようとしたというので、それを飛び越えさせようとして責めているところだった。
これはよく知られていることであるが、キリスト教徒の第一の都ローマでは、ユダヤ人は割り当てられた区域、すなわち狭くてきたないゲットー以外には住むことを許されず、その門は毎日夕方には閉ざされ、誰も出入りができないように番兵が立つことになっていた。ユダヤ人の最年長者は一年に一度カピトリウムの丘へ行き、ひざまずいて、さらに一年間ローマに住む許しを願わなければならなかった。この許可が与えられるのは、謝肉祭の費用を彼らが負担するという約束と、すべてのユダヤ人が毎年一度カトリックの教会へ行って改宗を勧《すす》める説教を聴くという約束、この二つの代償としてであった。
私たちがここで見た老人はこの暗い夕方、子供が遊び廻り大人の連中がモーラ〔一人が右手を上げ指をひろげて急におろし、相手がそのひろげた指の数をあてる遊び〕をしている通りを、一人で歩いて来たのだった。
「ユダヤ人じゃないか?」一人がこう言って老人をからかったり馬鹿にしたりしはじめたが、彼が黙って歩いて行くので、野次馬が集まって来て道をふさいでしまった。そのなかの一人、肩幅の広い太った男が長い棒を突き出して、「こらユダヤっぽう、これを飛び越してみろ。早くしないと門が閉まるぞ、今夜は帰れないぞ。おまえの足がどんなに達者か見てやる!」
「跳ねろ、ユダヤっぽう!」子供たちが揃って叫んだ。「アブラハムの神様が助けてくれるだろうよ!」
「私があなたがたに何の悪いことをしました?」と老人が言った。「年よりを放して帰らせてください。あなたがたが自分で赦しを願いなさるその人の前で、白髪の私をなぶり物にするのはおやめなさい」こう言って彼は、すぐそばのマリアの像を指さした。
「マリア様が」と、棒を持った男が言った。「ユダヤ人なんかの心配をなさるとでも思ってるのか? 飛ぶか、老いぼれ犬め?」
彼が拳骨をかためて老人の鼻先へ突き出すと、子供が輪を小さくしてまわりを取り巻いた。
これを見るとベルナルドは躍り出て、そばにいた者を押しのけると、あっというまに男の手から棒を引ったくり、その男の頭の上で軍刀を振り廻し、いま奪いとった棒を彼の前へ突き出して、しっかりした男らしい大声で言った。「貴様が飛べ。飛ばなければ首が飛ぶぞ! ぐずぐずするな! 飛び越えないなら、頭からまつ二つだぞ!」
その男は、驚き呆れる群集のまん中に、天全体が落ちでもしたような顔つきで突っ立っていた。雷のような大音声《だいおんじょう》、抜身《ぬきみ》の軍刀、法王づき士官の制服、こういうものにびっくり仰天した男は一言もなく、さっきまでユダヤ人に突きつけていた棒を大きくみごとに飛び越した。野次馬もみな度胆《どぎも》を抜かれたらしく、一言も口をきこうとする者もなく、ただ眼の前の出来事を呆然《ぼうぜん》と眺めるばかりだった。
その男が飛び越すや否や、ベルナルドはその肩をつかみ、軍刀の平で頬を軽く叩いて、こう言った。
「よし、犬め、うまく飛んだぞ! だがあの早業をもう一度見せろ、そうすれば貴様も犬の芸当に堪能《たんのう》するだろう」
男は飛ばないわけにはゆかなかったが、今ではおもしろがるほうへ廻った群集は「ブラーヴォ!」と叫んで拍手を送った。
「ユダヤ人、どこへ行ったんだ?」とベルナルドがきいた。「出てこい、いっしょに行ってやろう!」しかし誰も返事をしなかった。ユダヤ人はもういなかった。
「さあ」人だかりの外へ出たとき私が言った。「なあに、言いたい奴は何とでも言うがいい。僕は君と一本飲むよ、君の健康のために飲もう。どんなにまわりが変っても、僕たちがいつまでも友だちでいられるように!」
「君は馬鹿だよ、アントニオ」と彼が答えた。「正直のところ、僕だってあんなあばれ者にかまったのは利口じゃない。だがまあ、ここ当分はあいつも、誰かをつかまえて飛べなんて難題は吹っかけないだろう」
私たちは料理屋にはいったが、騒いでいる客は誰ひとり気がつかなかった。部屋の隅に小さなテーブルがあった。私たちはここに坐って、葡萄酒《ぶどうしゅ》を命じ、愉快な会合を祝い友情の永続を祈って飲んだ。やがて私たちは別れた。
学校へ帰って来ると、私と特別に仲のよかった老人の管理人が、こっそりとなかへ入れてくれた。まもなく私は寝入って、その晩のさまざまな出来事を夢に見ていた。
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九 ユダヤ娘
許可なしに一晩出かけたばかりか、ベルナルドと料理屋で葡萄酒を飲んだことは、後悔の種にはなったものの、運よく誰ひとり私の不在に気がつかなかったか、あるいはついたとしても、あの年とった管理人と同様、私が許可を得たものと思っていた。まったくのところ学生のなかでいちばんおとなしくて良心のあるのは、私だと考えられていたからだった。べつだんのこともなく何週間が過ぎたが、そのあいだ私は熱心に勉強したり、身分の高い恩人を訪問したりした。この訪問は何よりも私の心を慰めてくれた。日がたつにつれて私はますますあの幼い尼僧院長が好きになって、自分が子供のとき描いた絵を持って行ったが、彼女がしばらくそれを持って遊んだあとは、きれぎれになって床《ゆか》に散らばった。私はそれを拾い集めて、また彼女に持って行くために貼り合わせた。
そのころは私はウェルギリウスを読んでいた。クーメー〔イタリアの西南部カンパーニャ海岸の古都、ここの女予言者は古代の巫女《みこ》の中でも有名である〕の女予言者がエネーアス〔トロイ戦争の勇士でローマの建設者。ウェルギリウスに同名の長篇史詩がある〕を案内して冥府《めいふ》へ降る第六巻は、ダンテの「神曲」にもよく似ていたので大いにおもしろかった。読んでいるうちに思い出したのは私の詩であったが、それにつれてもう長いこと会わなかったベルナルドがはっきり思い出された。私は彼に会いたかった。あたかもこの日はヴァティカノの画廊が公開される、一週に何日かの一つであった。私はりっぱな大理石の像や美しい画を見に出かけるといって外出の許可をとったが、じつは私の目あては懐かしいベルナルドに会うことだった。
ラファエロの最も美しい胸像が立ち、天井がこの偉大な巨匠とその弟子たちが描いた聖書に取材した精巧な画におおわれている、この大きな広々した柱廊には、前にも来たことがあった。壁の不思議な唐草《からくさ》模様も、アーチの一つ一つにひざまずいたり無限の大空に広い翼をひろげたりしている天使の群れも、私にははじめてのものではなかった。しかし私は長いあいだそこをぶらぶらしていた。熱心に見ているふりはしていたが、じつは思いがけない幸運がベルナルドを連れて来てくれるかもしれないと思っていたのだ。石造りの欄干《らんかん》から乗り出すようにして、私は壮大な山脈、カンパーニャの彼方《かなた》の堂々たる起伏を眺めたが、同時に私の眼は、下にあるヴァティカノ宮の中庭をのぞいて、広い石だたみにサーベルが鳴るたびに、ベルナルドではないかとそのほうを見た。しかし彼は来なかった。
私は拱廊《きょうろう》を通り抜けてラオコーンのところへも、ナイルの女神の群れのところへも行ってみたがむだで、さんざん捜したのも何にもならず、私は腹が立ってきた。ベルナルドは見つからない。トルソを見ても、すばらしいアンティノウスを見ても少しもおもしろくなく、私はいい加減に帰ったほうがましだと思った。
その時、兜《かぶと》をかぶった軽快な姿が、拍車《はくしゃ》を鳴らしてすっと通路を通った。私はそのあとを追った。ベルナルドだった。彼も私と同じくらい喜んで、ぐんぐん私を引っぱって行った、話さなければならないことが山ほどある、ということだった。
「僕がどんなに苦しんだか、今もどんなに苦しんでいるか、君にはとてもわからない! 僕の医者になってくれ。魔法の草でもって僕を助けることのできるのは君だけだ」
こう言って彼は私を引っぱって、法王つきのスイス兵が番兵に立っている大広間を通り抜けると、当直士官の宿泊の設備のできている大きな部屋へはいった。
「君は病気じゃないんだろうな?」と私がきいた。「いや、そんなはずはない。君は眼も頬も、生き生きして燃えるようだからね」
「そうだとも、燃えてるさ」と彼が言った。「頭の先から足の先まで、かっかっしてるんだが、そんなことは何でもない。君は僕の幸運の星だ、君はすばらしい冒険とうまい考えを持って来てくれるよ。ぜひ応援してくれたまえ。――まあ坐ろう。君といっしょだったあの晩以来、どれほど僕がいろんな事にぶつかったか、君にはわかるまいな。が、今みんな話すよ。君は嘘いつわりのない友だちだからね。そして君も一つ冒険の仲間入りをしなけりゃいけない」
彼は私には口をきかせなかった。私は、彼がそれほど興奮しているその原因を聞かずにはいられなかった。
「君はあのユダヤ人を覚えているかい? 棒を持った奴に飛び越えろと責め立てられていたくせに、僕が騎士にふさわしい助け方をしてやっても、礼を言わずに逃げてったユダヤ人の爺《じじ》いさ。僕はあの後まもなくあいつのことも、どんなことがあったかもまるで忘れてしまったんだが、五、六日たつと偶然ゲットーの入口のそばを通った。門のところで歩哨《ほしょう》に立っていた兵士に敬礼されるまで気がつかなかった。ああ、僕はもう位の高い連中の一人なんだよ。で答礼すると、ちょうどそのとき門のなかに、ヘブライ人の子孫の眼の黒い娘が、美しい一かたまりになっているのが眼についたのさ。すると、君にも察しがつくだろうが、僕はもうあの狭いきたない街を通り抜けて見たくてしようがなくなったんだ。はいってみるとなかは文字どおりシナゴーグ(ユダヤ教会)そのものだ。家々が押し合いへし合い空へ伸びて、その窓の一つ一つから『ベレシト・バラ・エローヒム!』(神つくり出したまえり!)という祈りが聞こえる。頭と頭を突き合わせて、これから紅海《こうかい》を渡ろうとしてるみたいだ。どっちを見ても古びた着物、ぼろ傘、がらくた市《いち》の売り物がぶら下がっている。金物だとか画だとかのあいだを、いやもちろんごみのあいだもだ、はねるようにして歩いて行くと、商売はしないのか、売りませんか買いませんかと、わんわんきいきい言う声の凄《すさ》まじいこと。戸口のところでこっちを見て笑った黒目のきれいな子供の姿も、あやうく見落すところだったよ。僕の言うことを信用して可なりだ。ダンテに書かせたっていいような、なんともいえない地獄めぐりのひとときさ。突然一人のユダヤの爺いが僕の前へとび出した。そしてまるで僕が法王ででもあるかのようなお辞儀をした。
『旦那様』と、そいつが言うんだ。『私をお助けくださったおりっぱなお方、私の命の恩人様、なんといい時にお目にかかれたことでしょう!この老いぼれのハノックが恩知らずだなどとお思いくださいますな』まだくどくど言ってたが、僕にはわかりもしなかったし覚えてもいない。そんなふうに言われてわかったが、あの棒を飛び越えろと責められてたユダヤの爺いだ。
『ここが私の貧しい住まいでございますが』と爺いがしゃべりつづけた。『あなた様におはいり願うのにはむさ苦しすぎます』こう言って奴は僕の手と上衣に接吻した。近所の連中がみんな僕たちを眺めているので、爺いから離れようと思ったが、ちょうどそのとき家のほうを見ると、今までに見たこともない美しい顔が目にはいった。――頬に暖かい血の通っている大理石のヴィナスだ。目といったらアラビア娘そっくりだ。こう言えば、僕がユダヤの爺いについてなかへはいったことは察しがつくだろう。まったく僕は招待されたんだからね。通り道は狭い上に暗くて、まるでスキピオの墓へ行けそうだったし、石の踏み段とすばらしい木の廊下ときたら――さしずめ、そうだ、歩きながら安定の保ち方と綿密な慎重さとを教えるため、特別の作り方がしてあったに相違ない。部屋そのものはさほどむさくるしくは見えなかったが、ただあの娘がいなかった。ほかに何の見たいものがあったろう? そこで僕は坐って感謝の長広舌を拝聴するの余儀なきにいたったというわけだが、そのなかにたびたび出て来た東邦風の大げさな言い方は、てっきり君の詩情を有頂天《うちょうてん》にしたことだろうよ。もういい加減に現われるだろう、と思いながら勝手にしゃべらせておいたが、娘は出て来なかった、そのうちに爺いは、あることを思いついた。この考えはこんな場合でなかったら、すこぶる上等だったろう。僕も浮世《うきよ》に暮らす若い男の一人であれば金がほしいだろう。ほしいはほしいとしても、たっぷりは持っていまい。時々は二割か三割の利息でキリスト教徒の愛を見せる同情心の豊富な人のところへ駈けつける必要もあるだろう。ところで自分は(ユダヤ人の国じゃ奇蹟だが)この男に全く無利子で貸してやろう、というのが奴の考えたことなんだよ。いいかい? 利息は全然いらない! 僕は身分の高い若者だ! だからその誠実に信頼する、というわけだ。僕はイスラエルの幹から出た小枝を一本護ってはやったが、そのかけら一つにだって自分の服を破らせはしないぞ!
僕は金に困っていなかったから借りなかった。すると今度は、ぜひ自分の酒の味を見てくれというんだ。奴の持っている一本きりのをさ。何と答えたか忘れたが、ただ一つ、東邦人の血筋のこの上なく美しい娘がはいって来たのだけは覚えている。姿といい顔色といい――それに髪の毛といったら、黒檀《こくたん》のような艶《つや》があって黒々としている。娘は僕にキプロスのすばらしい葡萄酒を出した。彼女の幸福のためにと僕が杯を干した時、ソロモンの流れの王者の血がその頬をくれないに染めた。彼女の口のきき方――あらためて言うほどのことでもないのに父親のために礼を言う彼女の口ぶりを、君にも聞かせてやりたかったよ。僕の耳には音楽のようにひびいた、――この世のものではなかった! 彼女はまた姿を消して、老人だけが残った」
「何もかもまるで詩のようだ」と私が叫んだ。「美しい詩になるな」
「君にはわかるまいが」と彼がつづけた。「それから僕はじつに苦しんだ。頭のなかであれこれと計画をたてては、またそれをぶち毀して、なんとかしてあのユダヤ娘に会いたいと思った。考えてもみたまえ、いりもしない金まで借りに行った。銀貨で二十スクーディを八日のあいだ借りたが、娘には会えなかった。その金は三日目にそっくりそのまま返しに行った。爺いめ、にこにこ顔で両手をすり合わせやがった。口ではほめたくせに、僕の正直さをあまり当てにしてなかったわけだ。僕は奴のキプロスの葡萄酒をほめたが娘が持って来ずに、爺いがかさかさの震える手でついでくれた。部屋じゅう隅から隅まで見廻したが、娘はどこにもいない。とうとう会えなかった。踏段を降りてくる時、あけ放しの窓のカーテンが動いたような気がしただけだ。彼女だったかもしれない。
『さようなら』と僕は大声で言ったが、誰ひとりうんともすんとも言わず、まるっきり何も見えない。それで、この冒険は行きづまりだ。――ひとつ知恵を借してくれ、諦めるなんてことはできないし、誰がそんな気になるもんか! いったいどうすればいいんだ? 君は僕の親友だ、何かすばらしい考えをしぼり出してくれ!エネーアスとリビアの娘を淋しい洞穴《ほらあな》に案内したユーノとヴィナスになってくれ」
「僕に何をしろと言うんだ? どうすればお役に立てるのか、僕には見当がつかないよ」
「その気になれば君は何だってできる。ヘブライ語というのはきれいなことばだ、詩のような絵の世界だ! 君これを習えよ、ユダヤ人を教師にしてさ。授業料は僕が出すから。ぜひあのハノック爺さんに習ってくれ、僕の見たところではゲットーの連中のうちじゃ学問のあるほうだ。君のまじめなやり方が奴の心をつかんじまえば、その次は娘と知り合いになれる、そうして今度は僕も連れて行かなくちゃいけない。だが全速力でやってくれ、すっ飛んで行く勢いで! 僕の血のなかには体を燃やす毒がある、焼けるような恋の毒だ。今日にも君はあのユダヤ人のところへ行かなければいけないよ」
「そりゃだめだ」と私は言い返した。「君は僕の立場をまるで勘定に入れていない。いったい僕にどんなことをしろというんだ? ベルナルド、どうして君はそんな、ユダヤ娘相手の恋愛沙汰なんて品位を下げることができるんだろう?」
「ああ、それは君にはわからない」と彼がさえぎった。「ユダヤ人だろうとなかろうと、いい娘なら何も問題じゃない。さあ、わが最愛の若者よ、わがすぐれたるアントニオよ、ヘブライ語の勉強をはじめてくれ。いや、二人とも勉強するんだが、やり方は別々だ。軽はずみなまねはやめて、君がどれだけ僕の幸福を助けられるかを考えてくれ」
「僕がどんなに」と私は答えた。「心の底から君に惹《ひ》かれているかは、君も知っているとおりだ。君も知ってのとおり、君の圧倒する力は僕の考えをも意志をも捕えている。君が怒ったとすれば、僕をめちゃめちゃにやっつけることもできるだろう! 僕は無理にも君の魔法の輪のなかへ引きずりこまれもしよう。僕は、君の世間にたいする見方を、自分の見方からかれこれ言おうとは思わない、誰だって自分の性質に従うほかはないんだから。君が幸福をつかもうとするやり方が罪深いなどとも思いはしない、それが君の気質に合っているからだ。だが僕は全然ちがう。もしうまくいったとしても君の幸福にはなりそうもない企てに、無理に引っぱりこむのはやめてくれ」
「いいよ、わかった!」と、彼は私をさえぎったが、このとき私はあの冷たい傲岸《ごうがん》な眼つき、ハバス・ダーダーが至上の権力をにぎっていた当時でさえ、ベルナルドがあんなにたびたび彼に向けたと同じ眼つきを見た。「いいんだよ、アントニオ、いま言ったことは何もかも冗談だ。僕のために罪障消滅の苦行《くぎょう》なんかしなくたっていいよ。だが君が少しぐらいヘブライ語を、それもあのユダヤ人に習ったからといって、べつに不都合なことはないと思うがね。しかし、その話はもうやめだ!――来てくれてありがとう! 何か食べるかい? それとも飲むかね?いつでも出せるようになってるよ」
私は黙っていた。ことばの調子、態度全体から、私には彼が腹を立てたのがわかった。氷のような冷たさと形式ばった丁重《ていちょう》さが、私の心をこめた握手に答えた。私は気づまりになって、しょげて帰りを急いだ。
ベルナルドが間違っている、自分は義務としてしなければならないことをしたまでだ――とは思ったものの、それでも自分のやり方に親切が足りなかったような気のする瞬間があった。こういう自分との戦いの一つの時期に私は、幸運の星のみちびきで何か冒険にぶつかって、それが親友ベルナルドのためになればいいと思いながら、ユダヤ人街を通り抜けた。しかしあの老人には一度も会わず、知らない顔が窓や戸口から表をのぞき、きたない子供たちがありとあらゆる古金物や古着の類に埋まって踏段の上に寝ころがり、売りませんか買いませんかと絶え間なく怒鳴る声で、聾《つんぼ》になりそうなだけだった。二、三人の娘が往来ごしに窓から窓へ羽子をついていた。そのなかの一人はすこぶる美人だったが、あれがベルナルドの恋人かと思うと、思わず私は帽子をぬいでしまった。しかし次の瞬間には恥ずかしくなって、まるで帽子を取ったのは暑いからで決してその娘のためではないといったふうに、手で額をこすった。
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十 一年ののち
もしベルナルドの恋と、私のユダヤ人街の彷徨《ほうこう》とを結びつける糸を、ここで中断せずに辿《たど》って行くとなると、私は自分の一生のうちのまる一年というものを飛び越さなければならない。しかし一日一日とたって行ったこの一年間は私にとって、十二か月だけ年をとるという以上の意義があった。
ベルナルドにはめったに会わなかったが、会うことがあれば彼はいつも、以前のとおりの快活で大胆な若い友人だった。しかし以前のとおりのうちとけたところは、もうないように見えた。友情の仮面の下から冷たい育ちのよい態度がすけて見えた。そのため私は気づまりになって、例の恋愛事件がどうなっているのか聞いてみる元気もなかった。
ボルゲーゼ家の邸へは、ずいぶんたびたび行った。あのりっぱな紳士、ファビアーニ、それにフランチェスカ、こういう人々といっしょにいると、本当の自分の家にいるような気がしたが、やはりそれでも深い悲しみを味わうことがたびたびあった。この人々から与えられたあれほど多くのものを考えると、私の心はその一人一人に向かって感謝の気持でいっぱいだったので、その誰かからむずかしい顔を見せられると、私のこの世の幸福に影がさすのだった。フランチェスカは私の美点をほめてくれたが、今では私を完全なものにしたがった。私の態度と口のきき方を彼女はとがめた。――それも厳重に、すこぶる厳重にと言ってさしつかえないとがめ方だったので、もう十七歳の背の高い若者らしくもなく、私は両眼に涙をためたほどだった。私をドメニカの小舎《こや》から豪華な邸宅へ連れて来てくれたあのりっぱな紳士も、はじめて会った時と少しも変らず心からやさしくしてくれたが、この人もまたフランチェスカが私に用いた教育法に従った。私は彼ほどには植物や珍しい花に興味がなかった。これを彼は私が実質的なものに興味を持たないせいだと考えた。彼の考えによると、私は自分のことばかりに心を占められて――自分自身から外へ出たがらず、世間という大きな円周と自分の心の半径とを交わらせないのだった。
「よく考えてみるがいい」と彼が言った。「ちぢくれる葉はしなびてしまうものだということを」
しかし私を相手に激しいことばを吐いたあとでは、私の頬を撫でて、皮肉な調子で、自分たちはいやな世の中に住んでいる、もし聖母マリアが自分たちのりっぱな見本を手に入れようと思ったとすれば、人間は一人残らず押し花のように圧《お》しつぶされなくてはならない、と言って慰めてくれた。ファビアーニは何でものんきに解釈するたちで、悪気《わるげ》のない二人のお説教を笑って、この子は決して閣下のような学者にもならず、フランチェスカのような皮肉屋にもならない代りに、これも同じくこの世のものであり決して軽蔑《けいべつ》すべきではない第三の人物になるだろう、と言って彼らを安心させた。そして彼が幼い尼僧院長を連れて来させると、彼女と遊んでいるうちにまもなく私は小さな苦しみを忘れてしまうのだった。
この家族は次の年を、夏の暑いあいだはジェノヴァ、冬はミラノというふうに、イタリアの北のほうで暮らそうと考えていた。同時に私も一つの大きな前進をするはずだった、というのは一種の試験を受けて教区づき司祭の位に進み、したがって身分も今までとくらべて高くなることになっていた。
ボルゲーゼ家の人々が出発する前に、その邸で大舞踏会が開かれて、私も招待を受けた。邸の前には瀝青《れきせい》が輪の形に燃え、客の車の前を照らして来た松明《たいまつ》は塀につけた鉄の支えに插されたので、その有様はまるで火の滝のようだった。法王つきの兵士が門のところに立っていた。小庭園は色あざやかな提灯《ちょうちん》で飾られ、大理石の階段は煌々《こうこう》と輝き、その一段一段の壁ぎわに花や小さなオレンジの木を生けた花瓶が置かれて、芳しい香をあたりにみなぎらせていた。兵士たちは扉に肩でよりかかり、堂々たる仕着せの召使が歩き廻っていた。
フランチェスカは眼のさめるような美しさだった。頭につけた極楽鳥《ごくらくちょう》の羽毛の高価な髪飾りも、豊かにレースをつけた白繻子《しろじゅす》の服も、じつによく似合っていたが、彼女が私に手を差し出した時こそ、私が彼女を何よりも美しいと思った時であった! 二つの広間には、それぞれ本式のオーケストラがいて、踊る人たちが軽やかに動いていた。
この人々のなかにベルナルドがいた。彼は美しかった。緋《ひ》の地《じ》に金の刺繍《ぬいとり》のある制服も、ぴったり体についた白いズボンも、はじめから彼の上品な姿の一部分ででもあるかのようによく似合った。彼の踊りの相手はいずれも絶世の美人ばかりで、彼女たちは彼を見てやさしくうちとけたほほえみを送った。腹が立ったのは私の踊れないことだった。誰ひとりとして私のいるのに気づかなかった。自分の家とも思う場所にいながら、私は他人のなかでもいちばんの他人になったような気がした。しかしベルナルドが私に手を差し出すと、私の不機嫌もどこかへ消えてしまった。
あけ放した窓のそばの、長く垂れた赤いカーテンのうしろで、私は彼と泡だつシャンパンを飲んだ。彼はうちとけた態度で私と杯を合わせた。美しいメロディーが耳から心へ流れこんで、私たちの友情が昔ほど厚くはなくなったなどという考えはすっかり消えてしまった。私はユダヤの美少女の話を持ち出すほど大胆になった。ベルナルドは笑った。そして深い傷はもうすっかり治った様子であった。
「もう一羽可愛らしい金の小鳥が見つかった。このほうがおとなしいし、その歌を聞いて僕の気まぐれはどこかへ吹っ飛んでしまった。だから前のは放してやったってかまわない。じっさいどこかへ行ってしまって、もうユダヤ人街にはいない。いや、僕の聞いたことが本当なら、もうローマにもいないよ」
また私たちは杯を合わせた。シャンパンと浮かれ立たずにはいられない音楽とが、私たちの血に二倍の生気を吹きこんだ。ベルナルドはまたダンスのまん中へ出て行ったので、私は一人で立っていたが、私の心のなかには、嬉しさに世界じゅうを抱きしめたくなるような大きな幸福の海があった。下の通りでは貧しい子供たちが、輪になった瀝青から火花が飛ぶのを見ては、わっと大声をあげていた。私は自分自身の貧しい子供時代を思い出した。そのころ私も彼らと同じような遊びをしたものだが、今はローマの一流の人々にまじって、この豪奢《ごうしゃ》な舞踏室が自分の家であるかのごとくに立っている。こんなに親切に世の中へ導き出してくださった神の母にたいする感謝と愛で、私の心はいっぱいになった。私はマリアを礼讚してひざまずいた。長い厚いカーテンが人々の眼から私をかくしていた。私は限りなく幸福だった。
その夜が終って二日たつと、家族はみんなローマを出発した。ハバス・ダーダーはたえず、この年が私にもたらすはずのもの――司祭の名と尊厳とについて説ききかせた。ベルナルドにも、ほかの知り合いにもほとんど会わずに、私はこつこつと勉強した。週が重なって月となり、やがて厳重な試験のあとで、いよいよ私が黒の法衣と短かい絹のマントを着る日がきた。
あらゆるものが私のために勝利の歌を歌った。丈の高い松も、芽が出たばかりのアネモネも、町を呼び歩く物売りも、青空にただよう片雲も!
短かい絹の司祭のマントを着た私は、別人のように気高《けだか》くなった。フランチェスカは百スクーディの手形を、入用の品々と気晴らしのために送ってくれた。嬉しさのあまりスペイン階段を駆けのぼって、スクーディ銀貨をペッポ伯父さんに投げてやると、「旦那様、アントニオの旦那様!」というほかは、彼が何を言ったか耳にも入れず、急いで帰ってきた。
二月のはじめだった。扁桃《からもも》の花が咲き、オレンジの木はだんだん黄色が濃くなって、私が司祭の位に進んだのを祝うかのように、謝肉祭が間近に迫った。らっぱとりっぱなビロードの旗を持った乗馬の布告官が、すでにその日の近づいたことを知らせていた。私は今まで一度もしみじみその喜びを味わったこともなく、「馬鹿騒ぎをやるほどおもしろい」というその時の気分にわれを忘れたこともなかった。
私が小さな子供のころは、母が人ごみのなかで怪我《けが》をさせまいと思ったので、母が私を連れてどこか安全な町角に立つ時、この大した賑《にぎ》わいの一かけらを覗《のぞ》き見しただけだったし、エスイタ学校の生徒になってからは、仲間の生徒といっしょにドーリア宮殿の付属の建物の平屋根に立つのが許された時、子供の時と同じような見物の仕方をしただけだった。ところが今度は、前には思っても見なかったことであるが、一人で町の端から端まで歩くことも、カピトリウムの丘に登ることも、トラステヴェレへ行くことも、――一言でいえば、自分の行きたい場所へ行き、そこにいることができるのだ。であるから、私がまるで子供のように、興奮した人の流れと歓楽のなかにわれから身を投じたとしても、なんの不思議があろう。自分の生涯《しょうがい》の重大な冒険がこの時からはじまるなどとは、ほとんど考えてもいなかった。全く予想もしないことだったが、なくした一粒の種子が忘れられ見失われているうちに、いつしか芳しい緑の植物になるように、一度ははっきりと完全に私の心を占領したことのある一つの出来事が、結局は私自身の生涯という木にしっかり巻きつくことになった。
私の考えるのは謝肉祭のことばかりだった。朝は早くから競馬の準備を見物にピアッツァ・デル・ポポロへ行き、夕方はコルソへ出かけて行って、つるさがっている華《はな》やかな謝肉祭の衣裳や、仮面をつけてすっかり身支度をした人々を眺めた。私はいちばん陽気な人物の一つとして弁護士の服装を借りたが、自分の勤める役をどうしたら上手《じょうず》にやってのけられるかと考えて、一晩じゅうほとんど一睡もできなかった。
夜が明けるとその日が神聖な祭日のような気がして、私は子供のように幸福だった。まわりの横町では、いたるところにコンフェッティ〔これは豆粒ほどの赤や白の石膏の玉であるが、時には中に麦粒を入れることもある。謝肉祭のときたがいに顔にぶつけ合う〕売りが屋台をひろげテーブルを据えて、陽気な売り物を並べていた。フランス流の時の計り方〔イタリアでは日没が時間を数えはじめる時で、この時アヴェ・マリアの鐘が鳴る。日が沈んでからの最初の一時間が一時、次のが二時というふうに数えて二十四時まで行く。毎週太陽を見て、十五分時計を進めまたはおくらせる。ふつうの時の計り方をローマ人はフランス式という〕によると三時ごろ、私ははじめて謝肉祭のはじまるのを見るために、カピトリウムへ出かけた。バルコンは外国の高位の人々でうずまり、深紅《しんく》の服の元老院議員がビロードの座席におさまり、これもビロードの帽子に羽毛を飾った小さな可愛らしい小姓がその左側の、法王つきのスイス人の哨兵《しょうへい》の前に立っていた。やがてよぼよぼに年とったユダヤ人の一組がはいって来て、かぶり物を取って元老院議員の前にひざまずいた。私はそのなかの一人を知っていた。ハノック。その娘があれほどベルナルドの興味をそそった、あのユダヤの老人だった。
この老人が話す役だった。その演話のようなもののなかで、彼は昔からの慣習に従って、自分自身とその仲間のために、さらに一年ローマの彼らに指定された地域に住む許可を懇願し、その一年のあいだに一度はカトリックの教会のなかへはいることを誓った。彼はまた、これも昔からの習慣に従って、ローマの人々に先立って自分たちがコルソの大通りを走り抜けること、競馬の費用と同時にそれに賭けた賞金も払うこと、美々しいビロードの旗を用立てることの許可を願い出た。元老院議員は優渥《ゆうあく》な会釈《えしゃく》を与え――請願者の肩に足をのせるという昔の習慣はなくなっていた――、行進する音楽隊のひときわ華《はな》やかな演奏のうちに立ちあがって、階段を降りると、小姓の陪乗《ばいじょう》する豪奢な馬車に乗った。これで謝肉祭がはじまったのだ。喜びを呼ぶカピトリウムの大鐘が鳴ったので、すぐにも弁護士の衣裳を付けなければと、私は大急ぎで引き返した。これを着ると、全く別の人間になった気がした。
一種の自己満足を感じながら、急いで通りへ下りて行くと、もう大ぜいの仮面をつけた人に挨拶《あいさつ》された。これは、この日はいちばん金持のように振舞うのだが、いつもは貧しい労働者であった。彼らの派手な服装はどこからどこまで、どこにも見られないほど独創的であると同時に、またいちばん金のかからないものであった。ふだんの着物の上にごわごわのシャツを着て、いちめんにレモンの皮をつけていた。これは大きな飾りボタンのつもりだった。肩と靴には緑のサラダ菜の一束、茴香《ういきょう》のかつら、オレンジの皮を切り抜いた大きな眼鏡もあった。
私は彼らを法廷に訴えるとおどかし、法律の本をあけて、彼らのようなぜいたくな服装を禁止する条項を示した。そして彼らの拍手喝采に送られて急いでコルソに着くと、ここはもう道路から仮装舞踏会の広間に変っていた。どの窓からも、まわりにぐるりと並んだ急ごしらえの露台やボックスの一つ一つからも、色あざやかな毛氈《もうせん》が垂れていた。建ち並ぶ家々の前には、端から端まで数えきれないほどの椅子《いす》が置いてあった。貸す人のことばによると「特別上等の見物席」であった。あとからあとからつづく馬車は、ほとんどみな仮装の人でいっぱいで、二列になったうちの一つは町を上って行くもの、一つは下って行くものだった。馬車のなかには車輪まで月桂樹の枝で飾ったのがあったが、こうなると四阿《あずまや》が動きだしたようで、そのあいだあいだに陽気な人の群れがうごめいていた。どの窓も見物人で鈴なりだった。美しいローマの女たちが士官の制服を着、可愛い口の上にひげをつけて、知り合いの人にコンフェッティを投げおろしていた。私は彼らを法廷に召喚して一場の演説を行った。彼らがコンフェッティを私の顔にぶつけたばかりでなく、私の心に火のような視線を投げたからであったが、彼らは演説の褒美《ほうび》として花を投げてくれた。
私は愛人を連れた満艦飾の小さな老婦人にぶつかった。道化の一群れが争っていたので、しばらく道をふさがれたそのあいだに、親切なこの婦人は私の雄弁に耳を傾けなければならなかった。
「奥さん」と私は言った。「これでもあなたは誓いを守るとおっしゃるのですか? これでもあなたは、ローマ・カトリック教のしきたりを守っているとおっしゃるのですか? タルクィニウス・コラティヌスの妻ルクレチアのような感心な婦人は、今どこにいますか? ルクレチアとはちがってあなたも、ほかの多くのローマの婦人も、謝肉祭のあいだあなたがたの尊敬すべき御主人をトラステヴェレへ送り出して、そこの僧侶《そうりょ》たちといっしょに勤行《ごんぎょう》をおさせになります。あなたがたが家にいて静かに神を恐れる生活をすると約束され、そこで御主人がたは歓楽の時にも肉欲を殺して、夜も昼も僧院の壁のなかで祈祷《きとう》と勤労に時を送られる。しかるにあなたがたは自由に遊び廻り、コルソででもフェスティーノででも、婦人に慇懃《いんぎん》なあなたがたのお相手とじゃれ合うのです。さて奥さん、法律第二十七条第十六項によって、私はあなたを法廷に召喚します」
顔に飛んできた扇の猛烈な一撃が、私のもらった返事であった。全く知らずにではあったが、つい本当のことを言い当てた、というのが真の原因と考えてよいであろう。
「君は気でもちがったのか?」彼女の案内者がこうささやくと、二人ともギリシア人や巡査や羊飼いのあいだへ逃げこんだ。この二言三言でわかったが、それはベルナルドだった。だがあの婦人はいったい誰だったろう。
「ルオジ、ルオジ、パトロニ!」(お椅子はいかが、旦那がた!)と貸椅子屋がどなりたてた。私は考えあぐんでしまったが、謝肉祭の日に物を考える者もあるまい。道化の一群れが肩や靴に小さな鈴をつけて私のまわりを踊り廻っているところへ、人の丈ほどの竹馬に乗ったもう一人の弁護士が人々をまたいではいって来て、私を法律学校の卒業生と思った様子で、私の低い地位をからかい、どんな訴訟事件にでも勝てるのは彼一人きりだ、なぜといえば私がしっかり根をおろした地上には正義などというものがない、正義はただ天上のみにあるのだと断言した。そして澄みわたった空の高みを指さすと、えらそうな様子で行ってしまった。
ピアッツァ・コロンナには楽隊がいた。はしゃいだ博士や羊飼いが陽気に踊り廻って、秩序を保つために馬車の群れや人ごみのあいだを縫って、通りを行ったり来たりしている兵士のたった一つの隊のなかへまではいって行った。ここでも私は深遠な演説をはじめたが、作家がやって来て私はどうにもならなくなった。というのは、大きな鐘を持ってその前を走っていた従者が、私の耳のそばで猛烈にがんがん鳴らすので、私は自分の言うことさえ聞こえなくなったからである。ちょうどこの時、大砲の音が聞こえた。馬車は全部通りから出て行くこと、この一日の謝肉祭が終ったことを知らせる合図だった。
私は木造の高桟敷《たかさじき》に席を取った。見おろすと人の群れがごそごそ動いて、別に仕切りがあって特別の道ができているわけでもない街を、まもなく猛烈な勢いで走り抜けるはずの馬に道をあけるようにと注意する兵士たちの制止を聴こうともしなかった。
その通りの端、ピアッツァ・デル・ポポロの近くの出発点には、もう馬が引いて来てあった。どの馬もあばれ馬らしかった。背中には燃える海綿、耳のうしろには小さな花火が結びつけられ、脇腹には刺《とげ》のある鉄板がゆるくぶら下げてあった。いざ走りだしたとなると、この刺で血の出るまで横腹をつつかせるためだった。馬丁もほとんど抑えきれないほどだった。号砲が鳴った。出発点の繩が降りた。馬は一斉《いっせい》に嵐《あらし》の勢いで、コルソの大通りを疾駆しながら私の前を過ぎた。薄い金物の飾りがきらめき、たてがみと鮮かなリボンが風にはためき、蹄鉄《ていてつ》は火花を散らした。黒山のような群集がうしろから大声をかけたが、馬が通り過ぎたその瞬間に、あいている道のまん中へどっと溢れ出す有様は、走る船の艫《とも》へ左右から集まる波に似ていた。
この日の祭りは終った。仮装を脱ごうと急いで帰ると、私の部屋ではベルナルドが待っていた。
「ああ、君か!」と私は叫んだ。「あの御婦人は? いったいどこに置いてきたんだ?」
「しっ!」彼は冗談に指でおどかすまねをした。「われわれの名誉にさわるような話は持ち出さないでくれ。だが、さっき言ったようなことを言うとは、君もどうかしているぞ。なんだってあんな突拍子《とっぴょうし》もないことを思いついたんだ?――まあいいさ、今夜だけは特に赦《ゆる》してやるとしよう。君は今日これから、僕といっしょにアリベルト座へ行かなくちゃいけない。今夜のオペラは『ディド』なんだ。すばらしい音楽が聞けるはずだし、一流の美人も大ぜい出るはずだ。そればかりじゃない、外国人の歌手が主役をやるんだが、もうナポリでは町じゅうを火のように興奮させて来たそうだ。声といい表情といい身のこなしといい、われわれが今まで思いも及ばなかったものだし、それに美人、すこぶる美人だということだ。鉛筆を忘れちゃいけないぞ。僕の聞いたことが半分でも本当ならば、彼女の霊感で君は何よりすてきなソネットを書いてやれるからだ。彼女が僕を夢中にしたら捧げてやるつもりで、菫《すみれ》の花束の最後の一つを残しておいたんだ!」
私は喜んでいっしょに行くことにした。私は陽気な謝肉祭を一滴もあまさず飲みほしたかったのである。これは私たち二人にとって重大な晩だった。私の「ローマ日記」にも、この二月三日という日には二重丸がついている。ベルナルドにも同じことをするだけの理由があった。
私たちがディドに扮する新しい歌姫を見ることになっていたのは、ローマ第一のオペラハウス、アリベルト座であった。空に舞うミューズの神々を描いた豪華な天井も、オリンパス山の全景をあらわした幕も、客席の一つ一つの金色の唐草模様も、そのころは皆まだ新しかった。一階から五階まで、劇場はぎっしり人で埋まった。ボックスの一つ一つのランプに火がはいって、場内は火の海のような明るさだった。ベルナルドは美しい婦人が自分のボックスにはいるたびにそのほうへ私の眼を向けさせ、美しくない婦人だとさんざん悪口を並べ立てた。
前奏曲がはじまった。これは音楽で説明するこのオペラの発端《ほったん》の部分であった。すさまじい暴風が海上を荒れ狂って、エネーアスをリビアの海岸へ押しながす。嵐の恐怖は敬虔《けいけん》な聖歌のうちにだんだん消えて、歌ごえが勝ちほこるように高まる。フルートの静かな調べに乗って、ディドの胸に目覚める愛の夢にも似た感情が、それまで私が自分でも気のつかなかった感情が、そっと私に近寄ってきた。猟人《かりゅうど》の角笛がひびき、ふたたび嵐が起こって、私が恋人たちといっしょに秘密の洞穴にはいると、そこではすべてのものが愛を、深い不協和音に爆発する強い騒がしい熱情を高らかに歌って、ここで幕が上がった。
エネーアスが出発しようとしている。アスカニウスのためにヘスペリア〔「西国」の意。ギリシア詩人がイタリアを、ローマ詩人がスペイン、時にはイタリアを指して呼んだ名〕の王国を征服するためである。彼は自分のために名誉も幸福も犠牲にしてくれたディド、他国の男である彼を迎え入れた彼女を捨てようとしている。彼女はしかしまだそれを知らない。「しかしやがてテウクルスの軍勢が獲物を持った黒蟻《くろあり》の群れのように岸に進んで来れば、夢はたちまち消えてしまうだろう」と彼が言う。
ここでディドが登場した。その姿が舞台に現われるや否や、深い沈黙が場内にひろがった。彼女の、威厳はあるが猛々《たけだけ》しくはなく、魅力のある身のこなしがすべての人の心をとらえた。私も例外ではなかったが、ディドはあらかじめ私が想像していたのとはちがっていた。舞台に立った彼女は品位があって情深く、限りなく美しくもまた聡明な、ラファエロでなければ描くことのできないような女性であった。黒檀《こくたん》のように黒い髪が、美しいアーチ形の額をふちどり、黒い眼には溢れるばかりの表情があった。割れんばかりの拍手喝采が起こった。この敬意は美しさ、ただ美しさだけに払われたものだった。というのは彼女がまだ音符の一つも歌っていなかったからである。私はただ彼女の額がすうっと赤らむのを見ただけだった。彼女が、驚嘆している観衆に頭をさげると、彼らは咳《せき》ひとつせずに彼女の朗咏調の美しい抑揚に耳を傾けた。
「アントニオ」と、ベルナルドが小声で呼んで私の腕をつかんだ。「あの娘《こ》だ! 僕が気がちがったのか、あれがあの娘、あの逃げて行った小鳥なんだ! いやいや、僕は間違ってはいないぞ、あの声だってそうだ、忘れようたって忘れられるもんじゃない!」
「誰のことだ?」と私がきいた。
「ゲットーのユダヤ娘さ」と彼が答えた。「だがそんなことはありえないような気もするな。いやちがう、人ちがいだった」
彼は黙ったなり、不思議な美しさの妖精かと思われる存在を見つめて、われを忘れていた。彼女は自分の恋の幸福を歌った。人間の胸から、調べ妙《たえ》なる音の翼に乗って流れ出る深い純粋な感情を、調べ美しく吐き出す心の声であった。今まで知らなかった悲しみが私の心をとらえた。私はその歌の調子が私の胸に、いちばん奥底に埋もれていた思い出を呼びさますような気がした。私もベルナルドといっしょに「彼女だ!」と叫びそうになった。そうだ、今までもう何年となく、考えたことも思い出したこともない彼女が、驚くほどはっきり私の前に立っていた。私がまだ子供の時クリスマスに「天の祭壇」教会でいっしょに説教をした彼女、私の褒美を横取りにして行ってしまったびっくりするほど声の美しい、あのくらべものもない美少女だった。私は彼女のことを考えた。そしてこの晩、見れば見るほど、聞けば聞くほど、私の心に「彼女だ、彼女だ、ほかの誰でもない!」という印象が深くなった。
やがてエネーアスが彼女に、自分は行ってしまう、自分たちは結婚したのではない、二人の婚礼の松明《たいまつ》は見たこともないと言った時の、彼女のその胸を過ぎたものすべて――驚き、悲しみ、激怒の表情は、なんと驚嘆すべきものだったろう! そして彼女が、その堂々たるアリアを歌った時には、大海の波が雲に打ちつけるのかと思われた。全く、彼女がひろげて見せたメロディーの世界は、いったいどういうふうに言い現わしたらいいのだろう! 人間の胸から出るものとは思われないこの調子を、形に表わすものはないか、と私が考えあぐねていると、ひろげた翼の先で広い大空を切り、深い海に落ちたかと思うと、ふたたび舞いあがろうと波を切り分けて、歌いながら息を引きとる白鳥が見えた。一斉に拍手が起こって、満場にひびきわたった。
「アヌンツィアータ! アヌンツィアータ!」と叫ぶ声に、二度、三度、彼女は熱狂した観衆の前に姿を現わさなくてはならなかった。
しかしこのアリアも、二幕目の二重唱とはくらべものにならなかった。ここで彼女は、今すぐ行くのは思いとまってほしい、そなたのためにリビアの民を、アフリカの諸侯を、自分の純潔と義務とを汚したわたしを捨てないでくれ、とエネーアスに哀願する。「私は一隻の船もトロイへは送りませんでした。あなたのお父上アンキアスの亡魂も遺骨も騒がせるようなことはしませんでした」彼女の表情には真実と悲痛があって、私は両眼に涙がいっぱいになった。周囲を支配する深い沈黙は、一人一人の心が私と同じ思いであることを物語っていた。
エネーアスは彼女を残して去る。あとに立っている彼女はニオベ〔ギリシア神話中の人物。よい子をたくさん持ったことを自慢しすぎたため、子供をみんな殺され、自分は石にされたが、なお泣きやまなかったという〕のように、大理石のように冷たく蒼《あお》ざめたが、それもほんの一瞬のこと、たちまち血管の血がわきたって、彼女はもはやディド、――心の暖かな、夫を愛するディドではなく、捨てられた妻、怒りの女神《めがみ》であった。その美しい目や鼻は、毒と死を吐くのだった。アヌンツィアータは、いかにして全体の表情を変えるか、恐怖の氷のような戦慄《せんりつ》をどういうふうに呼び起こすかを、みごとに心得ていたので、見る人はひとりでに彼女とともに呼吸し、彼女とともに苦しまなければならなかった。
レオナルド・ダ・ヴィンチはメドゥーサの頭を描いたが、これはフィレンツェの博物館にある。見る者は不思議にその囚《とりこ》になって、その前から離れることができない。大洋が泡と毒とでこの上なく美しい形を造りあげたのかとも、深淵《しんえん》の泡がメディチのヴィナスを造ったのかとも思われる。その顔つき、その口つきさえが死を吹きかける。そのとおりのディドが私たちの前に立っていた。
私たちは彼女の妹アンナが積み上げた、火葬のための薪を見た。中庭は黒い花飾りと夜の影におおわれている。遠景にはエネーアスの船が荒れさわぐ海を急いで行く。ディドは彼の残した武器を手にして立ち、その歌は深く重くひびき、やがて高く力づよく盛りあがって、堕天使の悲嘆を思わせる。薪の山に火がつけられて、彼女は胸の張りさける思いを歌う。
嵐のような拍手が起こった。幕が下りた。この偉大な女優の美しさ、筆紙に尽しがたい美妙な声を讚嘆して、私たちはみなわれを忘れていた。
「アヌンツィアータ! アヌンツィアータ!」
と呼ぶ声が、平土間《ひらどま》からも桟敷からも聞こえた。幕が上がると彼女が立っていた。内気で可愛らしく、眼には愛情とやさしさが溢れている。まわりには花の雨が降り、婦人たちが白いハンカチを振れば、紳士は酔ったように彼女の名を連呼した。幕が下りたが、喝采は激しくなるばかりのように見えた。彼女がふたたび姿を見せた。今度はエネーアスの役を勤めた歌手がいっしょだったが、人々は「アヌンツィアータ!」を何度も何度もくり返した。彼女はその勝利を助けた全員といっしょに現われたが、今度も人々は嵐のように彼女の名を呼んだ。四たび彼女は現われた。今度はただ一人で、彼女の努力に与えられた熱心な激励を、ことばすくなに心から感謝した。私は興奮のあまり紙片に数行をしたためたが、この紙きれは花や花飾りにまじって彼女の足もとへ飛んでいった。
そののち幕は上がらなかったが、まだ何度も何度も彼女の名が呼ばれた。人々は幾たび彼女を見ても見あきず、幾たび敬意を表してもまだ気が済まなかった。もう一度彼女は幕の横から出てきて、フットライトの前を横ぎり、大喜びの観衆にキスと感謝のことばを投げなくてはならなかった。眼は喜びに輝き、顔にはなんともいえない嬉しさの色があって、彼女にとって一生でいちばん幸福な瞬間に相違なかった。そして私にとっても同じことではなかったか? 私は彼女と喜びをともにし、ほかの人々におとらず喝采を送った。私の眼も私の胸も、彼女の美しい姿をむさぼり飲んだ。私はアヌンツィアータだけを見まもり、思いふけった。
観衆は劇場から流れ出た。流れる人の群れに運ばれて、私は行くともなく、歌姫の馬車の待っている角まで行ってしまった。誰も彼もがもう一度彼女を見たがったので、私は建物の壁に押しつけられてしまった。一人残らず帽子を脱いで、彼女の名を叫んだ。私もその一人であったが、そのとき私の心は奇妙にふくれた。ベルナルドはぐんぐん前のほうへ出て行って、彼女のために扉をあけた。私は、あっというまに馬が外され、夢中になった若い人たちが自分で馬車を曳いて彼女を送ろうとしているのを見た。それまで黙っていた彼女が口を開いて、そんなことはしないでほしいと震え声で哀願した。しかし、彼女の名だけが、無性に嬉しそうな叫び声に乗って町にひびいていった。ベルナルドは馬車が動きそうになった時、彼女を安心させるためステップに登り、私は轅《ながえ》をおさえた。私はほかの人々と同じく幸福だった。美しい夢のように、すべてはあまりにもあっけなく終っていた。
この時の私にはベルナルドと並んで立つのが幸福だった。彼は本当に彼女と口をきいたし、あんなにそばまで寄ったのだから!
「ところでどうだい、アントニオ!」と彼が大きな声で言った。「胸がどきどきしてやしないか? もし君がだ、骨まで、骨の髄まで冷静でいると言うのなら、君は男といわれる値うちはないぞ。僕が君を彼女のところへ連れて行くと言った時、君は自分で自分の邪魔をしたのがまだわからないかい。ヘブライ語を習っておけばよかった、あんなすばらしい女と同じ腰掛に坐ればよかった、とは思わないかい? ほんとだよ、アントニオ、どんなに不可解に見えても、彼女があのユダヤ娘だということは絶対に疑いなしだ。彼女こそ一年前にあのハノック爺いの家で見た娘だ。彼女こそ僕にキプロスの葡萄酒を持って来て、それっきり姿を見せなかったあの娘だ! またつかまえたぞ。彼女はここにいる。輝かしい不死鳥のようにその巣から、あの憎むべきユダヤ人街から飛び立って来たんだ!」
「そんなことはありえないよ、ベルナルド」と私は言い返した。「彼女は僕にも昔のことを思い出させたが、それを考えると彼女がユダヤ人だなんてことはありえない。正真正銘あの女は、ただ一つの祝福された教会に属する一人だ。僕と同じように観察すれば、あの体つきがユダヤ人じゃないことは君だって気がついただろう。あの顔だちには、あの不幸な、世間に馬鹿にされる国民のカインのしるしがどこにもない。彼女の口のきき方、その調子、あれがユダヤ人の唇から出てくるものか。ああ、ベルナルド、僕はとても幸福な気持だ。彼女が僕の魂に吹きこんだ音楽の世界で、すっかり感激してるんだ!だが、何と言ってたの? 君はほんとに彼女と話をしたし、馬車のすぐ脇に立っていたんだ。彼女はとても幸福だったかい、彼女が僕たち全部をそうしたように?」
「ものすごく感激したじゃないか、アントニオ」と彼がさえぎった。「さあ、エスイタ学校の氷が融けるぞ! 彼女が何て言ったって? うん、びっくりはしていたが、気ちがいじみた餓鬼どもに街《まち》なかを引っ張り廻させないだけの誇りはなくなさなかった。彼女はヴェールにぎゅっと顔をかくして、馬車の隅に小さくなっていたよ。僕は彼女を落ちつかせようとして、美しさと汚れなさの女王に僕の心が言えるかぎりのあらゆることを言った。それだのに、僕が馬車から扶《たす》けおろそうとしたって、僕の手を取ろうともしないんだ!」
「だがどうしてそう大胆になれたんだ? 彼女は君を知らなかったんだろう。僕にはとてもそんな思いきったことはできないな」
「そうだろう、世間のことも何も知らなきゃ、女のことだって君は何も知らないんだから。だが彼女は僕を見ていたよ。そうなったらもう、何かなくては済むまいさ」
私はここで、さっきの彼女のために作った即興詩を読んできかせた。それをすばらしいものだと考えた彼は、ぜひとも「ローマ日報」に出さなければいけないと言った。私たち二人は彼女の健康を祈って杯をあげた。そのコーヒー店の誰も彼もが彼女のことを話し、誰も彼もが私たち同様に、彼女を賞讚して倦《う》むことを知らなかった。ベルナルドと別れた時はもうおそかった。私は急いで帰ったが、眠るなどということは思いもよらなかった。もう一度、心のなかであのオペラ全体のおさらいをするのは私にとって喜びであった。アヌンツィアータの最初の登場、アリア、二重唱、すべての人の魂をあんなに不思議な力でとらえた幕ぎれの場面。夢中になった私は口に出して彼女を讚え、彼女の名を呼んだ。それから自分の小さな詩を思い返して紙に書きつけた。自分でもよくできたと思って、何回か独り言のようにくり返したが、正直なところを白状すれば、この詩のために彼女に寄せる思いがつのるような気がした。それから何年もたった今では、私がそれを見る眼はちがっている。が、あのころの私には傑作に見えたのだ。彼女は確かに紙きれを拾った、と私は考えた。そして今、なかば衣裳をぬいで軟かな絹のソファーに坐り、美しい腕に頬をのせて紙の上に流れ出た私の心を読んでいるに相違ない。……
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ひとりダンテのみ踏みし小径《こみち》に
君を慕いてさまよい行けば
現《うつ》そ身の、あわれ眼《まなこ》はくらみぬ。
さあれ、君が妙《たえ》なる歌ごえと眼《まな》ざし
われをみちびきて天地《あめつち》のあわいなる
いみじき調和の頂きに至らしめぬ。
ダンテが言葉もて石に刻みしことを
君は歌ごえもてわが胸に彫りたまえり。
[#ここで字下げ終わり]
私はダンテの詩に描かれたよりも豊富で美しい霊の世界を知らなかったが、この時この世界がより生き生きと、いっそう明らかに私のまえに開ける思いがした。心も融《と》かすような彼女の妙《たえ》なる歌、その顔つき、彼女の表現した悲痛と絶望――これらのすべてを私は、完全にダンテの精神にしたがって歌いあげた。彼女は私の詩を美しいと思ったにちがいない。私は彼女の思い、作者を知りたいという彼女の望みを想像した。しかし今になって振り返ると、私は寝入る前に、あんなにいろいろ彼女のことを想像しながらも、やはり自分自身と自分の小さなつまらない詩のことをいちばん多く考えていたような気がする。
[#改ページ]
十一 救いの神のベルナルド
次の日の午前中は全くベルナルドに会わなかった。さがしてもむだだった。何べんも何べんもピアッツァ・コロンナを横ぎったが、これはアントニヌスの記念柱を見るためではなくて、アヌンツィアータがここに住んでいたので、せめてその袖《そで》のはじでも見たいと思ってのことだった。彼女の家には客があった。幸福な人たちだ! ピアノの音がしたので耳を澄ましたが、アヌンツィアータの歌はさっぱり聞こえず、深いバスがいくつかの音を聞かせただけだった。楽団の指揮者でなければ、彼女の一座の歌手だったにちがいない。なんという羨《うらや》ましい人だろう! 彼女とともにエネーアスを演じた男に代われたら! そして彼女の眼を見つめ、その愛の眼《まな》ざしを吸いこみ、賞讚と名声をかち得ながら彼女とともに町から町へ行くことができたなら! 私はすっかり考えこんでわれを忘れていた。鈴を持った道化役者や、ふざけ役や魔法使いが、あたりを踊りまわった。今日も謝肉祭だということも、今これから今日の騒ぎが始まるところだということも、私はすっかり忘れていた。
けばけばしい群衆や騒音と叫び声が、私に不快な印象を与えた。馬車が通り過ぎた。馭者《ぎょしゃ》はほとんどみな貴婦人のような服装をしていたが、私にはたまらなく不愉快だった。女の帽子の下の頬ひげも、ごつごつした身のこなしも、私にとっては奇怪至極な色彩で彩《いろど》られたもの、いや、見るにたえないものに感じられた。昨日のようにすっかり喜びにひたりきる気分になれなかった。私がそこを立ち去ろうとして、アヌンツィアータの住む家を最後に一目見たその時、ベルナルドが戸口から飛んで来て、笑いながら叫んだ――
「おい、こっちへ来いよ、そんなところにぼやんと突っ立ってるのはよせよ。アヌンツィアータに紹介してあげよう。彼女も君を待ってるんだ。どうだい、これが僕の友情の一片だとは思わないか?」
「アヌンツィアータ!」耳のなかで血がぐらぐら煮えるようで、私はすらすら口がきけなかった。「あの人がだって! からかっちゃいけない! どこへ連れて行くつもりなんだ?」
「君が歌にした彼女のみもとへさ」と彼が答えた。「君も僕も、あらゆる人間を熱狂させた彼女のところへさ。あのすばらしいアヌンツィアータのところだよ!」
そして、こう言いながら、彼は私を家のなかへ引きずりこんだ。
「だが説明してくれ、君自身はどうしてここへ来たのだ? どうして僕を紹介できるんだ?」
「待て、待て、今にみんなわかるよ」と彼が答えた。「さあ、景気のいい顔をしろよ」
「でもこの身なりじゃ」と吃《ども》りながら、私は急いで身づくろいをはじめた。
「なあに君、それでたくさんだよ、魅力満点だ! ほら、もう入口まで来たじゃないか」
ドアがあいた。そして私はアヌンツィアータの前に立った。彼女はごくぜいたくな黒い絹の服を着ていたが、これがゆるやかな襞《ひだ》をなして彼女のまわりに垂れるとともに、そのあっさりした飾りのない仕立てが、なんともいえず美しい胸と華奢《きゃしゃ》な肩のなだらかさを、この上なくよく生かしていた。黒い髪は気高《けだか》く秀でた額を見せて掻きあげ、私には古代の宝石のように思われたやはり黒い髪飾りがその額をかざっていた。彼女から少し離れた窓ぎわに、少し古びた濃い褐色の服の老婆が坐っていた。その眼、その顔だちを見れば、一目でユダヤ人だということがわかった。私はベルナルドがアヌンツィアータとユダヤ人街の美人が同一人物だと言い張ったことを思い出した。しかし、アヌンツィアータを見たとき私は、そんなことがあるものかと、もう一ぺん心のなかでくり返した。まだほかに、私の知らない紳士が一人その部屋にいた。彼が立ちあがると彼女も座を立って、ベルナルドが私を案内しながら冗談に、「お心やさしき奥方、私はここに私の友人であり詩人であり、ボルゲーゼ家のお覚えめでたきアントニオ司祭を御紹介いたす光栄を有するものであります」と言っているまに、私たちのほうへ、なかば微笑しながら進んで来た。
「おゆるしくださいますわね」と彼女が言った。「わたくしがどんなにお近づきになりたいと願っておりますにしても、誰かさんが無理にあなたをここへお連れになるのは、わたくしの罪ではございませんのよ! あなたは御自作の詩でわたくしに名誉を授けてくださいました」とことばをついで、彼女は頬を赤らめた。「あなたのお友だちが、あなたがあの詩をお作りになったかただとおっしゃって、ぜひ紹介させてくれと言っておいでの時、思いがけなくあなたが表にいらっしゃるのを御覧になりましたの。そして、『今すぐお会いになれますよ』とおっしゃると、お返事をする暇もおとめするまもないうちに出て行っておしまいになって――いつもこうなんですの、あのかたは。でもあなたのお友だちのことは、あなたのほうがよく御存じですわね」
ベルナルドは彼女のことばを、うまく冗談にまぎらわした。私は紹介されてどんなに嬉しく幸福であるかを言おうとしたが、二言三言もぐもぐ言っただけだった。
私は頬が燃えるようだった。彼女が手を差し出すと、私は夢中でそれを唇に押しつけた。彼は私の知らなかった紳士を紹介した。楽長、つまり彼女の一座の楽団の指揮者だった。彼女が養母と言った老婦人はベルナルドと私を、きつい、ほとんど睨《にら》むような眼で見たが、アヌンツィアータのうちとけた様子と機嫌のよさのおかげで、まもなくそんなことは忘れてしまった。
楽長は私の詩がありがたかったと言い、私に手を差し伸べて、彼のためにオペラの歌詞を書いてほしい、それもすぐにとりかかってもらいたいと言った。
「その人の言うことをお聴きになってはいけませんよ」と、アヌンツィアータが彼をさえぎった。「その人があなたをどんなひどい目にあわせるか、御存じありませんもの。作曲家というものは自分の犠牲になる者のことなど何とも思いはしませんし、見物の人はなおのことですわ。今晩の出し物は、『ある歌劇の舞台稽古』というのですけれど、それを御覧になれば、作者というものがどんなひどい目にあわされるものか、そのりっぱな見本を御覧になれるでしょう。もっとも、それだってまだ十分に強烈な絵具で描いてあるわけではありませんわ」
作曲家は何か例外を設けようとしたが、彼女はほほえみながら私のほうを向いた。
「あなたが何かお書きになって」と彼女が言った。「そのりっぱな詩のなかであなたの心のありたけをお歌いになったとしましょう。全幕を通しての統一にも登場人物にも十分に気をくばった上でね。そこへ作曲者が出てきます。この人がぜひとも入れなければならない考えを持っていて、あなたのお考えはどうしても押しのけられなければならなくなります。こうなれば作曲者が笛を吹き太鼓を叩くにつれて、踊らされるのはかえってあなたなのです。プリマドンナは、引っこみぎわを引き立てるアリアを入れなければ歌わないと言います。彼女は何が何でも『マエストーゾ・フリオーゾ』(荘厳に)がほしいので、それが成功するかしないかは作者の責任だというわけです。第一テナーも同じような要求をします。あなたは主役女優から端役の女優、バスからテナーと走り廻って、お辞儀をし、お世辞を言って、どんなに私たちに苦しめられても我慢なさらなければなりません。そしてそれがまた、ちっとやそっとのことではないのです」
楽長が脇から口を出そうとしたが、アヌンツィアータはかまわずにつづけた――
「その次には楽長がいて、秤にかけたり寸法を測ったり削り取ったりするようなことをします。つまらないことや馬鹿馬鹿しいことがあったとしても、あなたはこの上なくぺこぺこした召使にならなくてはなりません。道具方の親分は、この劇場の力ではこういう配置やこういう装飾はやりきれない、かといって新しく塗りかえるわけにもゆかない、だからあなたが作品のこことここを直さなければ、玄人《くろうと》のことばで言えば『板にのるように』しなければいけないと言います。舞台装置をする人は、この海の部を自分の新しい装置に入れることは我慢できない、ほかのもそうだがこれも直さなくてはいけないと言います。その次はプリマドンナが、行の終りにこんな音節があったのではルーラードが歌えない、アの音でなくてはだめだから、何としてもアで終らせなければいけない、と言います。あなたは御自分を曲げ歌詞を曲げなくては済まなくなります。さてこうして、全体が別の作品に生まれ変って舞台にかかったとしても、あなたはその上まだ口笛を吹いてけなされ、作曲者には『こんなに何もかも滅茶苦茶になったのも歌詞が成ってないからだ! おれのメロディーの翼には化物《ばけもの》を支える力がなかった、ぐたりとなったのも無理はない』とどなられるというお楽しみが待っているかもしれません」
下の通りから陽気な音楽が聞こえてきた。謝肉祭の仮面をつけた人々が、がやがやと広場を横ぎったり、街路を抜けたりした。わっとあがった歓声が拍手の音にまじって、私たち皆を窓のほうへ呼んだ。こんな近くでアヌンツィアータを見ることができ、こんなに突然に心の願いが聞き入れられたので、私はいいようもなく幸福だった。そして謝肉祭も、私が一役もった昨日と同じく楽しいものに思われた。
窓の下では五十人ばかりの道化《どうけ》が集まって、彼らの王様を選んでいた。この王様は、けばけばしい旗や、リボンかレースのようにひらひらする月桂樹の枝やオレンジの皮をいちめんにぶらさげた小さな車に乗ったが、彼が乗りこむと、残る連中がその頭に、金色やあくどい色に塗りたてた卵の王冠を載せ、王権のしるしとしてマカロニをいちめんにつけた玩具のがらがらの特別大型のを握らせた。一同が周囲を踊り廻ると、王様は万遍なく優渥《ゆうあく》なる御会釈を賜わった。次に彼らは自分たちの体を車につないで、町じゅうを引いて歩こうとしたが、ちょうどこの時アヌンツィアータの姿が王様の眼にはいった。彼女だとわかるとなれなれしくうなずいて、曳かれて行く車の上から、「昨日はあなた、今日はわし、車を曳くのは生粋《きっすい》のローマっ子だ!」とはやした。
私はアヌンツィアータがまっ赤になってうしろへ退るのを見た。しかし彼女は次の瞬間には立ち直って、バルコンから乗り出すようにして、大声で彼に答えた。「御自分の運のよさをお楽しみなさい。私だってあなただって、そんな値うちはありはしませんよ」
人々は彼女の姿を見、そのことば、その答えを聞いた。「万歳!」の声が空にひびき、彼女のまわりに花束の雨が降った。その一つが彼女の肩に当って、私の胸に飛んできた。私はそれをしっかり抱きしめた。どんなことがあってもなくしたくない宝物であった。
ベルナルドは(そのことばを借りると)道化どもの図太さに憤激して、すぐにおりて行って彼らをこらしめようとしたが、楽長もほかの人たちも彼をとめて、すべてを冗談にまるめてしまった。
召使が第一テナーを取次いだ。一人の司祭と外国人の画家がいっしょで、二人ともアヌンツィアータに紹介してもらいたがっているというのだった。かと思うと、またすぐ新しい訪問者が現われた。これも外国人の芸術家で自己紹介をし、彼女に敬意を表した。何かの集会とも見えるほどの人数になった。人々は昨日のアルジェンティナ劇場での愉快だった晩餐会《ばんさんかい》、さてはまた「ミューズを率いるアポロ」「剣闘士」「円盤を投げる人」などのりっぱな像をまねた芸術的な仮装の話をしたが、私がユダヤ人だと思った老婦人一人だけは決してその仲間にはいらずに、靴下を編むのに忙がしく、話のまに何べんかアヌンツィアータが話しかけたのに軽くうなずいたほかは、黙って坐ったきりだった。
しかし、前の晩その歌を聞き姿を見たとき私が胸のなかに描いた人と、今のアヌンツィアータのちがいはどうだろう。本当の彼女は人生を楽しむ、ほとんどわがままな人間に見えたが、それがまたなんともいえずよく似合って、不思議に私を引きつけた。彼女は気のおけないおもしろい言いまわしや気の利いた頭のいい身のこなしで自分を表現して、私ばかりでなく一同の心をとらえる術《すべ》を知っていた。
急に時計を見て、急いで立ちあがった彼女が、今晩は「ある歌劇の舞台稽古」に出ることになっているし、もう支度の時間なので失礼すると言って、愛想よくちょっと頭をさげて、次の部屋へ姿を消した。
「ベルナルド、君は僕をなんて幸福にしてくれたんだ!」表へ出るか出ないうちに私は大きな声で言った。「まったくすてきだ、舞台で歌っている時にも負けないすばらしさじゃないか!だが一体君はどうしてあの家へはいれるようになったんだ? どうやってあんなに急に知り合いになったんだ? 僕にはわからないな。何もかも、僕自身が彼女のそばにいたということだって、まるっきり夢みたいだ!」
「どうしてはいれたって?」と彼が言った。「なあに、ごく簡単だよ。ローマの青年貴族の一人として、法王|猊下《げいか》の儀仗隊《ぎじょうたい》の士官として、かつまたすべての美なるものの讚美者として、僕は彼女を訪問して敬意を表するのが自分の義務だと考えた。愛にはこんな理屈なんか半分だっているものか。僕が自分を紹介したのはこういう次第だが、君が自分の眼でさっき見た、取次ぎもなければ玄関番にも断らずにやって来た連中とまさに同様、自己紹介ができたということは疑う余地もないさ。恋をしてる時の僕はいつもおもしろい人間なんだ。だから僕が彼女をおもしろがらせたということは、君にもよくわかるだろう。まず三十分もするうちに、僕たちは仲のいい知り合いどうしになったから、それで君の姿が眼につくが早いか、楽々と君を引っぱりこむことができたというわけさ」
「君は彼女を愛してるのか?」と私がきいた。「ほんとにまじめに愛してるのか?」
「そうとも、今まで以上にだ!」彼が叫んだ。「いつか話しただろう。ユダヤ人の家で葡萄酒を出してくれた娘、その娘が彼女だということは僕はもうこれんぱかりも疑わない。向こうでも僕がわかった。僕が彼女の前に出て行った時だ――僕にははっきりわかったよ。あの年よりのユダヤ人のお袋だって黙って坐ったきり、こっくりこっくり首を振ってるだけだったのが、編み棒を落っことしたということは、これは君、僕の推測の正しさをソロモンが証明してくれたのと同じことだ。だがアヌンツィアータはユダヤ人じゃない。僕が間違ったのはあの黒い髪と黒い眼、それにはじめて会った場所とその環境のせいだ。君の考え方のほうが正しい。彼女は僕たちと同じ信仰を持ってる、同じ天国へ行けるんだ」
私たちは晩に劇場で会うはずだった。大変な混みようだった。さがしたがむだで、ベルナルドは見つからなかった。私は席を一つ見つけたが、まわりはどこもここもいっぱいの人で、重苦しい暑さが頭を抑えつけるようだった。私の血はもう前から妙に熱っぽく騒いでいて、この二日間にぶつかったことがなかば夢のような気持だった。やがて幕が上がったが、この作品ほど私の落ちつきのなくなった心に平静を取りもどさせるようにできた作品は、またとありえなかった。「ある歌劇の舞台稽古」という笑劇は、誰も知っているように、この上もなくふざけた空想的な気分の産物で、全体をまとめあげる筋などというものはないと言ってもいい。詩人も作曲者も、唯一の狙いとするところは、わっと笑わせることと、歌い手を光らせる機会をつくることだった。ここにあるのは情熱的で気まぐれなプリマドンナ、それとおなじ気持でさまざまに変化する作曲者、それに芝居者という奇妙な、殺すも生かすも盛り加減ひとつという毒薬に似た人種の、気まぐれにつづく気まぐれであった。気の毒な詩人は彼らのあいだを、苦しめられ軽蔑された犠牲の者としてあちこち跳ねまわる。
喚声《かんせい》と花環がアヌンツィアータを迎えた。彼女の見せた上機嫌と活溌さを、ほかの人々は最高の芸術と呼んだが、私は本来のものと呼んだ。それは彼女が家にいる時そのままであったからである。そしていま彼女が歌っていると、無数の銀の鈴がいとも楽しいハーモニーの変化を伝えて鳴り、彼女の目から輝き出る喜びを一人一人の心にしみこませるかと思われた。
彼女とイル・コンポジトーレ・デルラ・ムージカ〔その音楽の作曲者〕との二重唱であった。わざと彼女が男声部を歌い、それと取りかえて作曲者が女声部を歌ったこの二重唱は、二人の名人の大成功であったが、誰もが特別に感嘆したのは、いちばん低いカウンター・テナーからいちばん高いソプラノへの移り変りの妙であった。軽やかに優美な踊りを見せる姿はエトルリアの花瓶に描かれたテルプシコレの女神〔舞踏と舞台合唱を司る女神〕に似ていて、その動きの一つ一つが画家なり彫刻家なりの研究の資料になったであろう。全体が上品に、しかも生気の躍動するところは、その日私が知るようになった彼女の個性が現われたものであった。私に言わせればディドの演技は芸術的な研究であり、この晩のプリマドンナは完全にありのままの素顔を現わしたものだった。
歌劇の筋とはべつに関係なしに、ほかのオペラの華麗なアリアがそこここに入れてあったが、それを歌う彼女のいたずらっぽさのせいで、少しも不自然には見えなかった。彼女を動かしてこういうすばらしい演技をさせたのは、わがままと茶目っ気だった。
劇の終りのところで作曲者が、すべて上々のできばえだった、もう序曲をはじめてもよろしいと言って、本当のオーケストラに楽譜を分けると、プリマドンナがそれを手つだう。指揮棒が動くと、ものすごい、耳も心臓も引き裂けそうな不協和音が起こる。二人は手を叩いて、「ブラーヴォ! ブラーヴォ!」と叫びながらオーケストラに和し、観衆がまたそれに和する。笑い声で音楽も消されるほどであった。私は心の底までうっとりしてしまって、嬉しさになかば気が遠くなりそうな気がした。
アヌンツィアータはお転婆《てんば》なわがまま娘であったが、そのわがままなところがいちばん可愛らしかった。彼女の歌はバッカス神の巫女《みこ》の熱狂した歌に似ていた。賑《にぎ》やかな点でも私は彼女に追いつくことはできなかった。そのわがままさは気品があって、美しく堂々としていて、私は彼女を眺めながらグイード・レーニ〔イタリアの有名な画家。一五七五―一六四二〕のみごとな天井画を思い出さないわけにはゆかなかった。「時」の女神が太陽の戦車の前で踊っている、あのオーローラの画である。この女神の一人がベアトリーチェ・チェンチの肖像画にじつによく似ているが、それはもちろん彼女の生涯のいちばん華やかなころのものである。この表情を私はアヌンツィアータにも発見した。もし私が彫刻家だったら、私は大理石で彼女の像を作ったであろうし、世界の人々がこれを「無邪気な喜び」の像と呼んだことであろう。
乱暴な不協和音を掻きたてながら、オーケストラはいよいよ高く鳴りひびいた。作曲者とプリマドンナも声を合わせた。「すてきだ!」やがて二人が叫んだ。「序曲は終りだ、幕を開けろ!」すると幕が降りて、笑劇は終った。しかしアヌンツィアータは前の晩と同様に、また姿を見せなければならなかったし、花飾りや花や詩が、リボンをひらひらさせて彼女めがけて飛んで行った。
私くらいの青年が数人で、その晩彼女に夜曲《セレナーデ》を捧げる準備をしておいた。彼らのなかには二、三人私の知っているのもいて、私も仲間に加わることになっていた。私が人前で歌を歌ったのも、もうずいぶんと昔のことになった。
笑劇が終って一時間たち、彼女が家に着いたころ、私たちの小さな楽団がピアッツァ・コロンナに向かった。楽士連中は、まだカーテンのうしろに灯《ほ》かげの見えるバルコンの下に陣どった。私は魂の底までわくわくして、彼女のことばかり考えていた。私の歌はすらすらとほかの連中の歌にとけこんだ。私は一人でアリアも歌ったが、私は自分の胸から抜け出て行くあらゆるものを感じ、世の中のいっさいが私の目の前から消えてしまった。私の声には前には全く思ったこともない力と柔らかさが加わって、仲間の人々は思わず小声で「ブラーヴォ!」と言わずにはいられなかった。これは低声《こごえ》ではあったが、私の注意を自分自身の歌に向けさせるのに十分であった。不思議な嬉しさが私の胸へ忍びこんだ、そして私は自分のうちに動く神を感じた。アヌンツィアータがバルコンに現われ、ていねいなお辞儀をして私たちに感謝した時、私にはそれがみな自分一人に向けられたもののような気がした。私は自分の声がはっきりほかの連中より立ちまさっているのを感じ、それが偉大な調和の核心のような気がした。私は興奮の渦巻《うずまき》につつまれて帰って来た。私のうぬぼれの強い心は、自分の歌を聞いてアヌンツィアータが喜んでいる姿ばかりを空想した。私は自分で自分の成功に驚嘆していた。
あくる日彼女を訪ねると、ベルナルドと数人の彼女の知り合いが来ていた。彼女は前の晩のセレナーデのなかで聞いた、美しいテナーに夢中になっていた。私はまっ赤になった。居合わせたうちの一人が、それは私だったかもしれないとほのめかすと、彼女は私をピアノのところへ引っぱって行って、ぜひ二重唱の相手になってほしいと頼んだ。私はこれから宣告を受ける者のように突っ立ったまま、私にはそんなことはできないと一同の前で頑張った。一同は私に承知させようとし、ベルナルドは、私が相手を勤めなければアヌンツィアータの歌を聞く楽しみを奪われると言って私を責めた。彼女は私の手を取った。私はつかまった鳥も同然であった。いくら翼をばたばたさせても何にもならず、結局私は歌わなければならなかった。二重唱は私も知っている曲だった。アヌンツィアータが伴奏を弾《ひ》きはじめ、声を張りあげた。ふるえる声で私は自分のアダージオを歌いだした。「勇気を出して、勇気を出して、私について私のメロディーの世界へはいっていらっしゃい!」とでも言うように、彼女の目がじっと自分に向けられているので、私はそのことと、アヌンツィアータのことばかりを夢見心地《ゆめみごこち》で考えた。恐れが消えて、私は大胆に歌い終った。嵐のように湧き起こる喝采が私たちを迎え、あの黙りこんだ老婆までが私のほうを向いて、やさしくうなずいて見せた。
「ひどい奴だ」とベルナルドが小声で私に言った。「すっかり驚かしたじゃないか!」そして彼はそこにいる人々に、私がもう一つ輝かしい才能を持っている――私は即興詩人でもあるのなら、その証拠を見せて皆さんを喜ばせなくてはならないと言った。私はすっかり興奮していた。さっきの歌で気をよくしていたし、自分の力に相当の自信があったので、ただアヌンツィアータがそうしてほしいとさえ言えば、それだけで私はもう、青年になってからはじめてのことではあるが、即興詩を作るだけの勇気を出すことができた。
私はアヌンツィアータのギターを手に取った。彼女が「永遠」という題をくれた。私はこの内容の豊富な題に急いでひととおり考えをめぐらし、二つ三つ絃《いと》を弾いて、心のなかに生まれ出るままの詩を誦《ず》しはじめた。私は詩の霊の導くままに、青く光る地中海を越えて、自然のままに豊饒《ほうじょう》なギリシアの谷を訪れた。アテネは廃墟となって横たわり、野生の無花果《いちじく》が崩れた柱頭の上に伸びて、詩の霊も吐息をもらした。やがてペリクレスのころにさかのぼれば、堂々たるアーチのもとに喜び騒ぐ群集があった。美の祭典であった。ライース〔美しく多芸なギリシアの遊女。この名の有名な者は二人ある〕のように人の心を誘う女たちが、花飾りを手に町を踊って行けば、詩人は声高らかに、美と喜びは決して滅びない、と歌った。しかし今、美の女神の気高い娘たちは一人残らず、どれが誰とも見分けのつけない灰となり、仕合わせな時代の人々の心をそそった姿も忘れられた。詩の霊がアテネの廃墟を悼《いた》み悲しんでいるとき私の前に、彫刻家の手になる壮麗な像が地中から浮きあがってきた。大理石の衣裳をつけてまどろむすぐれた女神たちであった。これが美しさのために神に高められて、白大理石がのちの世のために残しておいたアテネの娘たちであるのを見ると、私の詩の霊は、「永遠の生命は美にあり、俗世の力や権勢にはない」と歌い、海を越えて世界の都イタリアへ飛んで、カピトリウムの廃墟から無言で古代のローマを見おろした。テヴェレ川はその黄色い流れをうねらせ、昔ホラティウス・コクレスの戦いの跡を、油や材木をオスティアへ運ぶ舟が通り過ぎる。かつてはクルティウスが壇上から猛火の淵へ飛びこんだところには、高く伸びた草のなかに家畜が寝ている。アウグスティヌス、さてはまたティトゥス! この偉大な名前も、崩れた凱旋門《がいせんもん》と破れた寺院だけが伝えているにすぎない。ユピテルの強大な鳥、ローマの鷲《わし》も巣のなかで死んでしまった。ローマよ、どこにお前の永遠があるのだ? 鷲の眼がきらりと光った。破門の宣告が立ちあがるヨーロッパにくだされると、くつがえされたローマの王座はサン・ピエトロ〔十二使徒の一人。ペテロのこと〕の座席となって、諸国の王が裸足の巡礼のごとくに神聖な都、全世界の女主人ローマに参向《さんこう》する。しかし何百年かが矢のように過ぎて死の鐘が聞こえ、人の手のつかみうるすべてのもの、人の目の見分けうるすべてのものに死が来た。サン・ピエトロの剣がはたして錆《さ》びるであろうか? 鷲は東から西へ飛ぶ。教会の力の降《くだ》り坂になる時がはたして来るであろうか? ありえないことが起こりうるであろうか? ローマは今もなお誇り高くその廃墟に立ち、そこには太古の神々があり、不朽の芸術によって世界に君臨する神聖な絵画がある。お前の丘陵をこそ、おおローマよ、エウローパ〔エウローパは、ユピテル神に愛されたフェニキアの王女。ヨーロッパという地名はこの名から出る。ここではこの意〕の子孫が永遠に巡礼のように訪れるであろう。東からも西からも、寒い北の国からもやって来て、「ローマよ、おまえの力こそ永遠だ!」と心のなかでうなずくであろう。
ここで一節を終ると、すさまじい喝采が送られた。しかしアヌンツィアータ一人は手一つ動かさず、ヴィナスの像のように無言で美しく、じっと私の眼を見つめた。その信じきった目の色は、心のありたけをことばなしに伝えることばで、この瞬間うけた霊感から産まれたことばが、ふたたびすらすらと詩になって私の唇から流れ出た。
世界というような大きな舞台ではなく、今度はもっと場面を狭くして、その演技と歌とであらゆる人の心をひきつける一人の美しい女優を歌った。アヌンツィアータは目を伏せた。――私が考えていたのは彼女であったし、私の詩を聞けば、それが彼女だということがわからずには済まなかったからである。「そして」と私は歌いつづけた。「最後の音が消え、幕がおり、拍手のひびきも静まってしまうと、彼女の美しい技も死んで、観衆の胸に美しい遺骸《いがい》となって横たわる。しかし詩人の心は聖母マリアの墓に似ている。すべてのものが花と、かぐわしい香に変わり、死者は美しさを増して立ちあがり、詩人の力強い歌は彼女のために『永遠なるものよ!』と叫ぶ」
私はじっとアヌンツィアータを見た。私の心も唇も言いたいことを言ったのだ。私はていねいに頭をさげた。人々は皆、礼を述べたりお世辞を言ったりしながら私を取り巻いた。
「おかげさまで、本当に心から喜ばせていただきましたわ」と言ってアヌンツィアータは、すっかり信頼した様子で私の眼を見つめた。私は思いきってその手に接吻した。
私の詩才は彼女の心に、今まで以上の私に対する興味を呼びさました。私自身はあとになってやっと気がついたことであるが、私が彼女にいだいた愛情に惑わされて、彼女の芸術とそれを示す彼女自身とを、ともに手のとどかない永遠の領域に置いたことに早くも彼女は気がついていたのだ。舞台の芸術というものは虹《にじ》に似たもので、天上の輝きであり、天と地をむすぶ橋である。人々が感嘆したのち消え去れば、その美しい色の一つも残らない。
私は毎日彼女を訪問した。わずかの日数の謝肉祭も夢のように終ろうとしていた。しかし、私は徹底的に楽しむことができた。アヌンツィアータのところにいれば、これまで一度も知らなかった生の喜びをごくりごくりと飲みこめたからであった。
「君もいよいよ一人前になりかけたな」とベルナルドが言った。「僕たち並みの一人前にだ。だが君はまだやっと杯に唇をつけただけだ。僕はあえて断言するが、君はまだ一度も女の子にキスをしたことも、女の子の肩に頭をのせたこともない! アヌンツィアータが君を愛してるとしたらどうする?」
「なんてことを考えてるんだ」私はなかば怒って言い返したが、頬の血が燃えるようだった。「アヌンツィアータが、僕なんかよりずっと上のほうにいるあのりっぱな人が!」
「なあに君、上のほうだか下のほうだか知らないが、あれは女で、君は詩人だ。二人の関係がおたがいにどうなってるかは誰にも判断はつかない。一つの心に詩人というものが第一の場所を占めれば、その愛する者を閉じこめる鍵も持っているわけだ」
「僕の心にいっぱいになっているのは彼女に対する賞讚だ。僕はあの可愛らしさ、物わかりのさとさ、彼女が陶酔している芸術を崇拝しているんだ。彼女を愛するだなんて? そんなことは今まで夢にだって考えたおぼえがない」
「いや、まったくまじめなおりっぱなことだ」と、ベルナルドが笑いながら言った。「君は恋をしてないと言うがね、これだけのことは確かに本当だ。君は、自分が生きものの世界に属するのか夢の世界に属するのかの区別がつかない知的|両棲類《りょうせいるい》の一種だ。――君は恋をしていない、いや少なくとも僕と同じようには、ほかの誰でもがするようにはしていない。まあ君が自分でそう言うんだから僕は信用しよう。が君は君自身の特別な恋の仕方をしてるかもしれない。彼女が話しかけると頬を赤らめたり、あんな火のような眼で彼女を見たり、そんなことはよさなくちゃいけない。彼女のために僕は忠告するんだ。ほかの連中がどんなことを考えるか、君はどう思う? だがそれはそれとして、あさって彼女はここにいなくなるよ、彼女の言っているように、復活祭が済めばまた帰って来るかどうか、わかったもんじゃないよ」
アヌンツィアータは五週間という長いあいだ私たちのそばからいなくなるはずだった。フィレンツェの劇場と契約ができて、四旬節のはじめの日に出かけることになっていた。「むこうへ行けば新しい崇拝者がわんさとできる!」とベルナルドが言った。「そして前の連中はじきに忘れられてしまうのさ。君の美しい即興詩だってそうだ。あの詩を聞いて彼女は、あれほど皆がびっくりするような情愛のこもった目つきで君を眺めたがね。だが、たった一人の女のことを考える奴は馬鹿だよ! 美人はみんなわれわれのものだ!――野にはいちめんに花が咲いているんだ、どこでだって手にはいるよ」
夕方私たちは劇場でいっしょになった。出発前の彼女の最後の出演だった。私たちはまた彼女のディドを見た。歌も演技もこの前の時におとらなかった。これ以上は彼女にはできない――芸術の極致であった。ふたたび彼女は私にとって、あの晩私が胸に浮かべた清純この上ない理想であった。あの笑劇で、いや実生活でさえ彼女の見せた陽気な気まぐれやふざけた気の短かさは、私には彼女の着けたけばけばしい俗世の衣裳に見えた。これは非常によく似合いはしたが、しかしディドで彼女が示したのは、彼女の全心全霊、彼女のみが持っている精神的な彼女そのものであった。熱狂と喝采が彼女を迎えた。カエサルとティトゥスを歓迎する興奮したローマ市民も、よもやこれほどではなかったであろう。
感動した心の正直な感謝の気持で、彼女は私たち一同に別れのことばを述べ、まもなく帰って来ると約束した。「ブラーヴォ!」の叫び声が、溢れんばかりの劇場にどよめいた。人々は何度も何度も彼女を見たがり、この前の時と同じように、彼女の馬車を引っぱって町じゅうを練り歩いた。私は先頭の一人だった! 私たちが、気高い心にふさわしい幸福にアヌンツィアータがほほえんでいる馬車に飛びついた時、ベルナルドも私に負けず夢中になって大声をあげた。
あくる日は謝肉祭の最後の日であり、アヌンツィアータがローマで過ごす最後の日でもあった。私は別れの訪問に出かけた。彼女は自分の才能に示された敬意に大そう感動し、美しい田舎とりっぱな絵画館のあるフィレンツェは自分としては喜んで住んでいたい町ではあるが、復活祭のあとで帰って来ることを思うと大変に嬉しいと言った。彼女のことば数は少なかったが、眼の前に見えるような生き生きした町やその近傍の描写は、いちめんに別荘をばら撒《ま》いたような森の多いアペンニノ山脈や、ピアッツァ・デル・グラン・ドゥーカや、そのほかの名所旧跡を、一つ一つはっきり見せてくれた。
「またあのりっぱな美術館が見られますわ」と彼女が言った。「私が彫刻が好きになったのも、そこで刺激を受けたのがもとですし、プロメテウスのように死んだものに生命を吹きこむことのできる人間の心の偉大さがはじめてわかったのも、やはりそこででした。今あそこの部屋の一つにあなたをお連れできたらばねえ! それはたくさんあるうちのいちばん小さな部屋ですけど、私にはいちばん懐しい部屋、思い出すだけでも楽しい気持になるんですの。この小さな八角形の部屋にかかっているのは、選り抜きの傑作ばかりです。メディチのヴィナス――あの生きた大理石の像の前に出せば、ほかのものはみな光も色もあせてしまいます。私は今まで石にあんなに生き生きした表情を見たことがありません。ふつうならば視力のない大理石の目が、あの像では生きているのです。彫った人の腕前で、さながら物を見ているように、私たちの魂をのぞきこんでいるように見えるのです。私たちの前に立っているのは大海の泡から生まれた女神そのものです。そのうしろにティツィアノの、えもいわれぬヴィナスが二枚かかっています。二枚とも、その生きていることも色の工合いもたしかに美の女神ですが、ただ地上の美、豊艶《ほうえん》な美しさというだけのこと、――あの大理石の女神の神々しさには及びません! ラファエロのフォルナリーナにも、人間を超えたマドンナの画にも、私は心も魂も動かされますが、それでも私はきまってあのヴィナスのところへ帰って行きます。作りものとは見えず、光と生命にみちみちて、その大理石の目で私の心のなかをのぞきこんで立っています。単独の像でも群像でもこんなふうに私に話しかけてくるのは、今までに見たことがありません。あのラオコーンでさえそうです、たしかにあの大理石は苦痛にあえいでいるようには見えますけれど。このヴィナスと一対《いっつい》になるのは、あなたもきっと御存じのヴァティカノのアポロだと思います。彫刻家がこの詩人の神に与えた力と知的な偉大さが、この美の女神ではずっと女らしい優雅さで現われています」
「そのりっぱな像は石膏《せっこう》のを知っています」と私は答えた。「よくできた石膏の複製を見たことがあります」
「いいえ、それ以上に不完全なものはありません」と彼女が言った。「死んだ石膏は表情を死んだものにしてしまいます。大理石は生命と魂を与えます。大理石ならば石が肉になります。薄い皮膚の下に血が流れているのかと思われます。あなたも私といっしょにフィレンツェにおいでになればいいのに。あなたにもあれを感嘆したり崇拝したりしていただきたいわ。私が帰って来たら、あなたが私のローマの案内人になってくださるように、私があなたのフィレンツェの案内役をお引き受けしますのに」
私はていねいに頭をさげた。彼女の希望を聞いて幸福でもあり得意でもあった。
「この次お目にかかれるのは復活祭が済んでからですね」
「ええ。サン・ピエトロ教会のイルミネーションと花火の時にね」と彼女が答えた。「それまでのあいだ私をお忘れにならないで。私もフィレンツェの美術館でたびたびあなたを思い出して、あなたもいっしょにいらっしゃってあの宝物を御覧になれたらと思いつづけますわ。何か美しいものを見ると、私はいつもそうなんです。お友だちが懐しくなって、ここにいて私といっしょに喜んでくれればいいのに、と思うのです。これが私ふうのホームシックですの」
彼女は手を差し出した。私はそれに接吻して、「この接吻をメディチのヴィナスにお伝え願えますか?」と、なかば冗談にして、思いきって言った。
「ではこれは私にくださったのではないのね?」とアヌンツィアータが言った。「でもいいわ、きっとおっしゃるとおりにしますわ」彼女はこの上なくうちとけた様子でちょっと頭をさげて、私の歌と即興詩が彼女に過ごさせた楽しい時のお礼を言った。
「またお目にかかりましょう」と彼女が言った。夢のなかのような気持で私は部屋を出た。
戸口を出るとあの老婦人に出会った。彼女がいつにない親しみを見せて挨拶するので、興奮した私はその手に接吻した。彼女がやさしく私の肩をたたいた時、「いい人だ!」と言うのが聞こえた。通りへ出た私は、アヌンツィアータの友人であることを幸福に思い、彼女の心と美しさとに有頂天になっていた。
私の気持は、この謝肉祭の最後の日を楽しむのに打ってつけだった。アヌンツィアータがローマからいなくなりかけているとは思えなかった、私たちの別れはごく些細《ささい》なことだ、また会う日がもうすぐ明日のこととしか思えなかった。私はまるっきり仮装していなかったが、コンフェッティのぶつけっこには大いに奮闘した。通りの両側は端から端まで、どの席も皆ふさがっていた。バルコンというバルコン、窓という窓は人でいっぱいで、馬車が行きかうそばを陽気な人々の群れが、波だつ流れのように動いていた。もう少し楽に息をしたいと思えば、大胆に馬車のどれかの前へ飛び出さなければならなかった。馬車のあいだの狭い隙間が、いくらかでも自由に体を動かせる唯一の場所だったからである。音楽がひびき、陽気な仮面が歌い、とある馬車のうしろでは|船長さん《イル・カピターノ》が海の上また陸の上での自分の勇敢な行いを吹聴《ふいちょう》していた。木馬《もくば》にまたがった腕白小僧たちが馬車のあいだの狭い隙間へ割りこんで来て、混雑をますますひどくした。この木馬は頭と尻が見えるだけで、その他の部分は派手な色の敷物でかくされ、馬の四本の脚《あし》の代りの乗り手の二本の脚もその下にはいっていた。私は立ったきり、前にもうしろにも動けなかった。うしろにいる馬の吹く泡が、私の耳のまわりへ飛んできた。進退きわまった私は一台の馬車の後部へ飛び乗った。仮装した人が二人この馬車に乗っていて、見たところ一人はナイトキャップに化粧着を羽織った太った老紳士、一人はきれいな花売り娘であった。娘はすぐに、私の飛び乗ったのが無作法からではなく、むしろ恐怖のためであるのに気がついて、私の手を撫でて、元気をつけるようにコンフェッティを二つくれた。ところが老紳士のほうは、籠にいっぱいあったのを私の顔へ浴びせかけた。馬車のうしろの場所がちょうどこの時いくらか空《す》いたので、娘のほうも同じ攻撃にかかった。同じ種類の武器をまるっきり持っていない私は、頭のてっぺんから足の先まで粉だらけになって、大急ぎで退却の余儀なきにいたった。二人の道化がおもしろがって杖で私を払ってくれたが、この馬車も通り過ぎてしまうと、同じ嵐がふたたび襲ってきた。そこで私もコンフェッティで応戦|防禦《ぼうぎょ》することに決心したが、ちょうどこのとき大砲が鳴り、馬車はみんな横町へ入れられて競馬馬の疾走する道をあけ、例の二人の仮装者もどこかへ見えなくなってしまった。
彼らは私を知っているようだった。いったい誰だったろう? ベルナルドはその日は一日じゅうコルソに姿を見せなかった。化粧着とナイトキャップの老紳士が彼ではなかったか、そしてきれいな女羊飼いが彼のいわゆる|おとなしい《ヽヽヽヽヽ》小鳥《ヽヽ》ではなかったか、ふとそんな気がした。私はぜひともあの娘の顔が見たかった。私が曲り角の近くの椅子に席をとると大砲がひびいて、疾走する馬がヴェネツィア広場へ向かってコルソの大通りを通り抜けた。そのあとは、すぐにまた群集で埋められたが、ちょうど私が椅子からおりようとした時、「馬だ!」という恐ろしい叫び声が聞えた。
馬のなかの第一番にゴールにはいった一頭をうまく抑えなかったので、あっというまにくるりと向きを変えて、もと来た道を走って来たのだった。押し合いへし合いの人ごみと、レースが済んだので前へ出て行く人々がめいめい安心していることを考えれば、どんな椿事《ちんじ》が起こりそうであるかは誰にも容易に想像できることであった。母の死の記憶が稲妻のように私の頭を通り過ぎて、あばれ馬が私たちの上を踏み越えた恐怖の瞬間が感じられるような気がした。私の目はじっと前方を見つめたきりだった。魔法の杖でひと打ちされたかのように群集は両側へ逃げて、まるで小さく縮んでしまったようだった。鼻あらしを吹き、横腹からは血を流し、やけにたてがみを振り立てて、さっと通り過ぎる馬が見えた。蹄《ひずめ》から散る火花が見えたと思った瞬間、一発命中したかのように、地面に倒れて死んでしまった。誰も彼もがそばにいる人に、何かあったんではなかろうかと心配そうにきいていた、しかしマリアは人々の上に守護の御手をさしのべたまい、幸い一人の怪我人もなかった。そして全く何事もなく過ぎ去った危険が、人々の心を前よりももっと陽気にし、いっそう熱狂させた。
合図があって、もうきまった順に馬車を進めなくてもよいことを知らされ、謝肉祭のすばらしい終曲、あの豪勢なモッコロ遊びがはじまった。こうなると馬車が入り乱れて進むので、混雑と喧騒《けんそう》は前よりもものすごくなった。闇がだんだん濃くなって、誰も彼も小さな蝋燭《ろうそく》に火をつけた。なかには一束そっくり持っている人もあった。窓という窓には灯《あかり》が置かれ、家も馬車も皆この静かな輝かしい夕方、きらめく星をばらまかれたように見えた。通りをまたぐように差し出した高い棒には、提灯《ちょうちん》や光のピラミッドが揺れていた。めいめいが自分の蝋燭を消されずに、そばの人のを消そうと張り合っている間、「蝋燭のない奴は叩き殺せ!」という叫び声がますます熱狂の度を加えて響いた。
私は自分の蝋燭を守ろうとしたが何にもならず、つけるそばから消されてしまった。私はそれを投げ出して、まわりの人たちにもそうさせた。家のすぐわきにいた婦人たちは、自分の灯をうしろの地下室の窓へつっこんで、「蝋燭がない!」と笑いながら私に呼びかけた。彼女たちは自分の灯は大丈夫と思っていたのだが、子供が内側から窓へよじ登って、吹き消してしまった。小さい紙風船や火のついたランプが、揺れながら上のほうの窓から降りて来た。この窓には、通りの上へ突き出した長い竿に数百の小さな火のついたランプをつけた人々が坐っていて、たえず「蝋燭のない者はどいつもこいつも死んじまえ!」とどなっていた。すると一方では別の人たちが、ハンカチを長い棒に結びつけて樋《とい》をよじ登って来て、自分の灯は高く差し上げて護りながら、他人の灯を片っぱしからそのハンカチで叩き消して、「蝋燭がないぞ!」とどなっていた。はじめて見る他国の人には、この耳も割れそうな騒音も混雑も群集も、何がなんだかさっぱり見当がつかなかった。大群集と燃える灯とで、空気は重苦しく熱かった。
何台かの馬車が暗い横町へはいって来た。すると思いがけなくさっきの二人の仮装人物が私のすぐ目の前にいるのが見えた。化粧着の紳士の蝋燭はみんな消えていたが、若い花売り娘の方は四、五尺もある長い棒の先に一束の蝋燭を花束のように付けたのを高々と持っていた。誰のハンカチもそこまではとどかない嬉しさに彼女は大声で笑い、化粧着の紳士は近づこうとする者には誰彼の容赦なく頭からコンフェッティを浴びせかけていた。私はそんなことでは少しも怯《ひる》まず、瞬くまに馬車のうしろへ飛び乗ると、その棒をつかんだ。哀願するような「いや!」という声が聞こえ、彼女の連れは石膏の弾丸を盛んに、というどころか遠慮会釈もなしに浴びせてきたが、私は火を消そうとぎゅっと握った棒を放さなかった。棒が折れると明るい花束が人々の喚声のうちに地面へ落ちた。
「だめよ、アントニオ!」と花売り娘が叫んだ。その声は私の骨の髄までしみわたった。アヌンツィアータの声だった。彼女はありったけのコンフェッティを、おまけに籠までも私の顔へ投げつけた。私が驚いて飛びおりると、馬車は先へ進んで行ったが、仲直りのしるしででもあるかのように、香り高い花束が私のほうへ投げられるのが見えた。飛んでくる花束を受け取って、私は彼女たちのあとを追いかけたかったが、人ごみを抜け出すわけにはゆかなかった。馬車がすっかりごちゃごちゃにかたまって、あるいは行こうとし、あるいはもどろうとしてもみ合うものだから、何とも名状すべからざる混雑ぶりだった。ようやく私は横町へ逃げこんだが、前よりも気楽に呼吸ができるようになると、自分の心に重くのしかかるもののあるのに気がついた。「アヌンツィアータといっしょに乗っていたのは誰だろう?」
彼女がこの謝肉祭の最後の一日を楽しく過ごしたいと思ったのは、私にもごく自然のことと思えたが、しかしあの化粧着の紳士は? ああそうだ、私の最初の想像が正しかったにちがいない、あれはきっとベルナルドだ! 私は確かめようと決心した。横町から横町を抜けて、アヌンツィアータの住んでいるピアッツァ・コロンナへ大急ぎで走って行って、戸口のところに立番をして彼女の帰って来るのを待った。まもなく馬車が乗りつけられた。私はまるでこの家の召使いにでもなったように、馬車めがけて飛び出していった。アヌンツィアータは私には気がつかない様子でするりと馬車を出た。今度は化粧着の紳士だったが、そのおり方はベルナルドにしてはのろのろしすぎていた。「御苦労さま!」と紳士が言った。その声で、私はそれがアヌンツィアータといっしょに暮らしている老婦人であることがわかり、彼女が車からおりるとき化粧着の下に垂れた褐色の衣裳と足とを見て、私の推量がどんなに見当はずれであったかを思い知った。
「おやすみなさい、奥さん!」と、私は嬉しくなって大声で叫んだ。
アヌンツィアータは笑いながら、私は悪い人だ、だから自分がフィレンツェへ行ってしまうのだと冗談を言ったが、しかしその手は私の手を握りしめた。
幸福な浮き浮きした気持で彼女と別れた私は、「蝋燭のない奴らは片っぱしから打ち殺せ!」と夢中になって大声を出したが、そのくせ自分は一本も持っていないのだった。そのあいだずっと私が考えていたのはアヌンツィアータのことと、当人には性に合いそうもない謝肉祭のおもしろさを楽しむために化粧着をまといナイトキャップを着けたあの親切な老婦人のことばかりだった。そしてアヌンツィアータが、よその人といっしょに馬車を乗り廻さなかったこと、自分の車の席をベルナルドに、いな楽長にさえ与えなかったことが、この上もなく美しく、いかにも彼女にふさわしいと思った。彼女を見つけたとたんにあのナイトキャップに嫉妬《しっと》を感じたのは、自分でも認めたくない事実であった。幸福で陽気な気分になったが私は、謝肉祭が夢のように過ぎてしまうまでの残りの数時間をも、歓楽のうちに過ごそうと心をきめた。
私はフェスティノへ行った。劇場は隅から隅までランプや蝋燭が花飾りのように飾り立てられ、桟敷《さじき》という桟敷は仮面をつけた人々と仮面をつけない外国人とで埋まっていた。一階席のうしろから舞台まで、せまいオーケストラの席をかくして幅の広い高い段ができていて、優美な襞《ひだ》のある掛布と花飾りで舞踏室のような装飾がしてあった。二つのオーケストラが交《かわ》る交《がわ》る演奏し、辻馬車《つじばしゃ》の馭者《ぎょしゃ》の仮面をつけた人々が、バッカスとアリアドネ〔ギリシア伝説中のクレタの王女〕のまわりを陽気に踊りまわった。彼らは私も仲間に引っぱりこんだ。心から嬉しくなった私ははじめて踊りをやってみたが、じつに愉快なのでそれだけでおしまいにはできなかった。かなり夜おそくなって帰りを急ぐ途中で、私はもう一ぺん陽気な仮面の連中といっしょに踊り、いっしょになって「愉快この上なしの謝肉祭のあとで、できるだけよくお寝みなさい!」とどなった。
私はごく少ししか眠らなかった。美しい朝の光のなかで私は、今、もしかするとちょうどこの瞬間にローマを立って行くアヌンツィアータを思い、私のために新しい人生をつくってくれたかと見えたが今はもうその喧騒《けんそう》も興奮もいっしょに永久に消えてしまった謝肉祭の数日を思った。さっぱり落ちつくことができないので、私は自由な空気のなかへ出て行かなくてはならなかった。町の様子はがらりと変っていた。家々の入口も店もみんな閉まっていて、町に見える人影はごくまばらだった。昨日は喜び集まった人の山で、ほとんど身動きもできなかったコルソの大通りも、今そこにいるのは、太い青縞《あおじま》のはいった白服を着て、あられのように道に散らかったコンフェッティを掃き寄せる二、三人の囚人と、横腹にぶらさげた乾草の束をかじりながら、町のごみを投げこんだ小さな車を曳いて行く見すぼらしい馬一匹だけだった。辻馬車が一軒の家の戸口にとまり、屋根に旅行|鞄《かばん》と紙箱を結びつけ、その上から大きなマットを掛けると、うしろに付けたたくさんの箱のまわりに鉄の鎖をまわして、しっかり鈎《かぎ》で留めた。横町からも同じように荷を積んだ車が出て来た。やがてどれも行ってしまった。ナポリかフィレンツェへ行くのだった。そしてローマは灰の水曜日から復活祭まで五週間という長いあいだ、まるで死んだようになるのだった。
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十二 四旬節
静かに、死んだもののように、ものうい日々が過ぎていった。私は謝肉祭の光景と、アヌンツィアータが主役を演じた私自身の生涯《しょうがい》の大事件を、胸のなかに呼び返し生き返らしたが、明けては暮れる毎日は、昨日と同じ単調さと墓場のような静寂をもたらすのだった。私は書物では満たしきれない空虚を感じた。前には私にとってベルナルドがすべてであったのに、このごろでは二人のあいだに溝があるような気がした。彼のいるところではのんびりした気持になれず、アヌンツィアータだけが私の心を占めていることがしだいにはっきりしてきた。
そう気がつくとしばらくは幸福だったが、私が愛する前にアヌンツィアータを愛したベルナルドのことの考えられる日も夜もあった。私を彼女に紹介したのも、たしかに彼だった。私は彼に、この昔からの友人に、あんなに何度も自分の心のまことを誓った彼に、彼女にたいして私が抱いているのは賞讚の気持で、決してそれ以上のものではないと断言した。私は間違っていた。正しくなかった。私の心のなかには悔恨の火が燃えたが、しかもなお、私の思いは彼女を振りきることができなかった。彼女の思い出、彼女とともに過ごした最も幸福な時の思い出の一つ一つが、私を底しれぬ憂鬱《ゆううつ》のなかに沈めた。人はこういうふうに、死に別れた愛する者の、生きている時のように美しい、微笑する面影《おもかげ》をしのび懐しむ。そしてその姿がありありとしていればいるほど、親しげにほほえめばほほえむほど、われわれをとらえる悲しみは強いのだ。学生時代あんなにたびたび聞かされた人生の大きな争闘というもの――私はそれを、宿題のむずかしさか、でなければ教師の不機嫌か無理難題か、そんなものぐらいにしか想像していなかったのだが、この時になってやっと身にしみて感じはじめた。私のなかに目ざめたこの熱情を抑えつけたら、はたして以前の平静がもどって来るものだろうか? それにまた、この愛はどういうことになるのだろう? アヌンツィアータは芸術の世界に高い地位を持ってはいたが、それでも彼女のあとを追って私の道を捨てたなら、私は世間の呪詛《じゅそ》を免れないであろうし、聖母マリアも怒りたもうであろう。なにしろ私は聖母の僕《しもべ》として生まれ、育てられて来たのだから。ベルナルドだって私を赦しはしまいし、それに私はアヌンツィアータが愛してくれるものかどうか、まるでわからなかった。本当はこの考えがいちばんつらいものだった。私は教会のマリアの前に身を投げたが、それもむだだった。大きな苦闘のなかにいる私の魂に、力を与えたまえと願ったのだがむだだった。祈りながらも、まだ私が罪を重ねたからである――聖母の顔も私にはアヌンツィアータに似ているように見えたのだ。美しい婦人の一人一人が、アヌンツィアータの顔にある知的な表情をやどしているようにも思えた。いや、こんな気持は胸のなかから叩き出してやるぞ! もう二度と彼女には会うまい!
私はこの時になって、前には決してわからなかったことが、はじめて十分にわかった。私の仲間は、肉体を苦しめなくてはならない、肉の苦しみによって精神の戦いが打ち克《か》たれるものと思っていた。燃える唇《くちびる》で聖母の冷たい大理石の足に接吻《せっぷん》したその時だけは、私の心にも平和がもどって来た。私は懐しい母がまだ生きていた子供のころを思った。そのころ私は本当に幸福だった。そして復活祭前のこの死んだような時にも、じつにさまざまな楽しみがあった。
まったく何もかもあの時分そっくりであった。あの時分と同じように、町の角にも広場にも金や銀の星で飾った小さな緑色の木の葉の小屋があって、そのまわり一帯に、四旬節のおいしい御馳走がここで買えるという意味の詩を書いた、看板代りの美しい楯《たて》がかかったままだった。緑の枝の下の灰色の紙提灯《かみちょうちん》に、毎晩あかりがともったものだ。子供の私はそういうものをどんなに喜んだことだろう! 四旬節になると夢の世界のように輝かしくなったあのすばらしいベーコン屋の店で、どんなに幸福な気持だったことだろう! 可愛らしいバタの天使が踊っているお寺には、銀紙を巻いたソーセージが柱になり、パルマ・チーズが円天井になっていた。私の最初の詩はたしかこの壮麗な光景を歌ったものだった。そしてベーコン屋のおかみさんは、それを「ダンテの神曲」だと言ってくれた! そのころ私はまだアヌンツィアータはおろか、専門の歌い手など一人も知らなかった。ああ、アヌンツィアータを忘れることができたら!
私は行列といっしょにローマの七つの尊い寺院をめぐり、巡礼の人々と声を合わせて歌ったが、私の感情は深い真剣なものだった。ある日のこと、ベルナルドが気味悪くにやにやしながら「コルソの陽気な弁護士先生、悔い悩む目と灰色の頬《ほお》の大胆な即興詩人さん! おい、何もかもじつにうまいぜ! 何をさせても心得たもんじゃないか! 君のまねはとてもできっこないよ、アントニオ!」と私の耳にささやいた。このことばには嘲《あざけ》りがあった。しかしまた同時に明らかな真実があって、私はひどく胸を傷つけられた。
四旬節もすでに最後の週にはいって、外国人は続々とローマへ帰ってきた。ポルタ・デル・ポポロとポルタ・デル・ジョヴァンニから、一台また一台と馬車が乗りこんで来た。水曜日の午後システィーナ礼拝堂でミゼレーレがはじまった。私の心は音楽にかつえていた、旋律の世界に、私は共感と慰めを見いだすことができた。大変な人出で、礼拝堂のなかまでぎっしりだった。前のほうの席はもう婦人たちで満員であった。王族や外国の宮廷から来た貴賓のために、ビロードに金糸《きんし》を縫いとった掛布をかけたりっぱな桟敷が、礼拝堂の内部と婦人たちとを隔てる豊かな彫刻のある柵の向こうまで見おろせるほどの高さに、しつらえてあった。スイス人の法王親衛兵が美々しい礼装で立ち、士官たちは軽い鎧《よろい》をきて、兜《かぶと》にはゆらゆら動く羽毛をつけていた。これがベルナルドには特別よく似合って、彼はその姿で知り合いの若い美しい婦人たちの挨拶を受けていた。
私は柵のすぐ内側の、法王つき聖歌隊の席からほど遠からぬところに席をとった。私のうしろには数人のイギリス人がいた。私は謝肉祭の時この人たちがけばけばしい仮装をしたのを見たが、ここでも彼らは同じ服装でいた。彼らは士官でとおしたいのであった。それどころか、十歳の少年でさえそう見られたのだ。一人残らずこの上もなく金のかかった制服を着ていたが、その色ときたらものすごくけばけばしい、調和など全然ないものだった。たとえば一人は、上衣は薄青色で銀の刺繍《ししゅう》があり、軽い上履《うわばき》には金の飾りをつけて、羽毛と真珠をつけたターバンのようなものを頭に巻く、という有様だった。しかしこんなものはローマの祭礼には決して珍しくはなかった。制服を着た人はよい席が取れたからである。近くにいる人々は見て笑っていたが、私はまもなくそんなものは気にしなくなった。
老人の枢機官たちが、董色《すみれいろ》のビロードの堂々たる長上衣に、白鼬《しろいたち》の毛皮襟巻をまとって入場した。彼らが大きな半円をえがいて柵の内側に着席すると、曳裾《ひきすそ》を捧げていた僧侶《そうりょ》たちがその足もとに坐った。やがて祭壇の横の小さな戸口から、紫の袍《ほう》に銀の冠をいただいた法王が現われた。法王が玉座につくと、僧正《そうじょう》たちがそのまわりに香炉を振り、一方では真紅《しんく》の衣をつけた若い司祭たちが、燃える松明《たいまつ》を手に持って、法王と祭壇の前にひざまずいた。
連祷《れんとう》〔ミゼレーレのはじまる前に十五節の長い連祷があって、その一つ一つが済むごとに大燭台の火が消される。最初の火の数は連祷の数と同じである〕がはじまった。しかし祈祷書の死んだ文字に私の目をひきとめておくのは不可能だった。私の心も目も、ミケランジェロの画筆が天井と壁に描き出した絢爛《けんらん》広大な宇宙に向けられた。私はそのなかの偉大なアポロの巫女《みこ》たちや、威風あたりを払う予言者たちの姿をじっと眺めたが、その一人一人がそれぞれ美術論の好題目であった。私の目は美しい天使の群れの壮麗な行列をむさぼり眺めた。彼らは絵に描いたものではなかった。すべてのものが私の前に生きていた。――エヴァが果実を取ってアダムに渡した豊かな知恵の木も、昔の巨匠がよく描いたように天使たちに担がれるのではなく、自分の体にもはためく衣にも大ぜいの天使を乗せて海上をかける全知全能の神も。こういう絵を見るのは、もちろんこれが最初ではなかったが、こんなに深く心をとらえられたのははじめてだった。人が群れつどっているため、また私の考えが抒情的《じょじょうてき》に傾いていたせいで、とりわけ私の詩的の印象が研ぎすまされたのだろう。私と同じように感じた詩人の心は古来おびただしい。
奔放な遠近の縮め方、それに人物の一つ一つが躍り出てくるかと疑われる力づよい筆力は、まさに圧倒的で、見る人の心をぐいとつかんでしまう。これは色と形をもってあらわされた山上の垂訓《すいくん》である。ラファエロと同じくわれわれは、ミケランジェロの力の前に驚嘆して立たされる。予言者の一人一人が、ミケランジェロが大理石に彫りあげたあのモーゼそのものである。われわれが部屋へはいるとたんに、目を奪い心をつかむこれらの姿のなんと堂々としていることよ! しかしこの眺めに酔った眼を、さらに礼拝堂の奥へ向けてみよう。そこは壁の全体が、芸術と思想の高い祭壇である。床から天井までの大きな混沌《こんとん》たる絵は、まさしく一顆《いっか》の宝石で、残りのすべてはただそれを置く台にすぎないように見える。ここに見えるのは「最後の審判」である。
キリストは雲の上の審判者の席に立ち、使徒たちと聖母は、哀れな人類のために嘆願しながら手を差し延べている。墓穴に横たわっていた死者は墓石をもたげ、祝福された魂が拝しながら上空へ、神のおそばへ昇って行く一方では、地獄がその深淵へ犠牲者を呑みこんでいる。昇天する魂の一つが、すでに地獄がとらえて蛇をからませている呪われた自分の兄弟を助けようとしている。絶望の子らは拳で額を叩きながら地獄へ沈んで行く。大胆な短縮法によって、天と地のあいだに無数のものが浮きあがりまた落ちてくる。天使たちの同情、相会う愛人の表情、らっぱの音を聞いて母の胸にすがりつく子供――すべてが自然で美しく、見る人は自分も裁きを待つ群れの一人だと思いこむ。ダンテが見、地上の人々に歌ってきかせたものを、ミケランジェロは色彩で現わしたのだ。
ちょうどこの時、沈んでゆく太陽の最後の光が、いちばん上の窓から射しこんだ。キリストとそのまわりの祝福された者たちが強く照らし出されると、その反対に、死人が立ちあがり、呪われた者たちを乗せた舟を悪魔が岸から押し出している下のほうは、ほとんど闇《やみ》に包まれた。
日が沈んだ時、ちょうど連祷の最後の部分も終った。残っていた最後の蝋燭の火が消えると、私の前の絵の世界もすっかり消え失せてしまった。しかしその瞬間、音楽と歌声がわき起こった。色彩が形をもって現わしていたものが、今度は音になって盛りあがり、裁きの日が、――その絶望もその歓喜も、頭上にひびきわたった。
豪華な法王の袍《ほう》を脱いだ公教会の父が、祭壇の前へ進んで聖なる十字架に礼拝した。らっぱのひびきに乗って震え声の合唱が「ポプルス・メウス・クイド・フエキ・ティビ」(わが人々よ、われは汝に何をなしたるか〕を歌った。静かな天使の声が荘重《そうちょう》な歌をおさえて聞こえた。――それは人間の胸から出る声ではなかった。男の声でもなく女の声でもなく、それは霊魂の世界のもので、メロディーに溶けこんだ天使の涙かと疑われた。
この調和の世界で私の心は力を吸いこみ、生気に充溢した。私は朗らかに強くなった感じがしたが、これは久しぶりのことだった。アヌンツィアータ、ベルナルド、私の恋のすべてが目の前を通り過ぎた。この瞬間の私の愛は、祝福された霊魂の与えうるそれであり、祈祷に求めて得られなかった平和が、今この声とともに私の心に流れこんできた。
ミゼレーレが終って、人々がみんな帰ってしまった時、私はベルナルドといっしょに彼の部屋にいた。私は心をこめて握手し、興奮した心の命ずるままに何もかも話した。私の唇は雄弁に動いた。アルレグリのミゼレーレ、私たちの友情、私の奇妙な生活のありとあらゆる出来事が話題を提供した。私は音楽がどんなに私を精神的に強くしたか、それ以前にはどんなに私の心が重かったか、四旬節のあいだの苦悩、不安、憂鬱《ゆううつ》を物語った。しかし、それらのことすべてに、私とアヌンツィアータがどんなに深い関係があったかは白状しなかった。これは私が開いて見せなかった唯一の心の小さな襞《ひだ》であった。彼はあざ笑って、私がじつに気の毒な男だと言った。ドメニカやお邸の奥さんといっしょの牧歌的生活、何から何まで女の子のような教育、そして最後にエスイタ学校が私を毒してしまったのだ、私の熱いイタリア人の血が山羊《やぎ》の乳で薄められてしまったのだ、トラピストの隠棲《いんせい》生活が私を病気にしたのだ、などと言った。私をその歌で夢の世界から呼び出してくれるおとなしい小鳥を持たなくてはならない、ほかの人のように私も男にならなければならない、そうすれば心も体も両方とも丈夫になる、とも言った。
「僕たちはおたがいずいぶんちがいはあるがね、ベルナルド」と私は答えた。「しかし僕は心から君に愛着を感じているんだ。時々僕はいつもいっしょにいられたらいいのにと思うね」
「そんなことになったら、僕たちの友だちづきあいはうまくゆくまい」と彼は答えた。「いや、いっしょにいたら、われわれが気のつく前にすっかりだめになっちまうだろうよ! 友情も恋愛みたいなものだ、別々にいればそれだけ強くなるよ。僕は時々、結婚というものはじっさいどんなに退屈だろうかと思うね。年がら年じゅう顔と顔をつき合わせている、それがほんのつまらないことにもだ。結婚した連中はたいていおたがいいやで仕様がないんだが、双方を抑えているのは結局は外聞と人の好《よ》さなのだ。僕は自分の心にはっきり感じているんだが、僕の心がいつも強く燃えていて、僕の愛する女の心も同じように燃えているとしてもだ、この火はその心と心が会えば消えてしまうよ。愛というものは欲望だ。欲望は満たされれば消えてしまう」
「だが待てよ、もし奥さんの美しさも頭のよさも、あの人のよう……」
「アヌンツィアータのようだったら、だろう?」名前を言わずに私がためらうのを見たベルナルドが言った。「そりゃ、アントニオ、新鮮なうちは僕だって美しい薔薇《ばら》を眺めるだろう。だが花びらがしなびてかぐわしい香りがなくなってしまえば、僕がどんなことを考えるかわかるものか。だが、いま僕はじつに妙なことを考えているんだが、これに似たことは前にも感じた経験がある。僕はね、アントニオ、君の血がどれくらい赤いか見たいんだ! しかし僕は理性のある人間だし、それに君は僕の友人、誠実な友人だ。まかり間違って鞘当《さやあて》ということになっても、決闘なんかはまっぴらだ!」こう言って彼は大声で笑い、荒々しく私を胸に抱きしめて、なかば冗談のように、「僕のおとなしい小鳥を君に譲るよ。僕には感情をむき出しにしすぎるようになったが、君にはきっと気に入るだろう! 今夜いっしょに行こう。親友どうしは何もかくし合うことはない、一晩愉快にやろうじゃないか! 日曜になりゃ、猊下《げいか》がありったけの祝福を授けて、罪を赦してくださるよ!」
「僕は行かないよ」私は答えた。
「卑怯だよ、アントニオ!」と彼が言った。「山羊の血が君の血を完全に征服しないように気をつけろよ。君の眼は僕のと同じように燃えることができる、断然できる、僕は見たぞ! 四旬節のあいだの君の苦悩、不安、憂鬱――それがどこから来たか、遠慮なしに言ってみようか? 僕はよく知ってるよ、アントニオ、かくそうと思ってもだめさ! さあ、美しき者を胸に抱きしめるんだ。――だが君には勇気がない。君は弱虫だ、でないというなら――」
「ベルナルド、君の言い方は」と私は言い返した。「僕の気にさわるね」
「だとしても君は我慢しなくちゃいけない」これを聞くとさっと血が頬へ上ったが、両眼は涙でいっぱいになった。
「そんなふうに君は僕の友情を玩具《おもちゃ》にできるのか?」私は叫んだ。「君は、僕が君とアヌンツィアータの邪魔をしたと思ってるのか、彼女が君よりも僕のほうに心を傾けたというのか?」
「いや、ちがうよ!」彼がさえぎった。「僕にそんな生き生きした想像力のないことは、君がよく知ってるじゃないか。だが彼女の話は持ち出さないことにしよう。君がいつも言っている君の僕にたいする献身だが、これは僕には理解できない。われわれはたがいに手を握り合う、われわれは友人だ、物のわかった友人どうしだ、君の考え方は大げさだ、僕という人間を君はありのままに受け取るべきだ」
これはたぶん私たちの会話の刺《とげ》であったろう――この部分は私の心まで、いや言ってみれば血のなかまで突きとおった。私は腹を立てたが、しかしなお別れぎわの彼の握手には何かしら心からのものがあった。
あくる日は聖木曜日で、私はサン・ピエトロ寺へ呼ばれた。外国人にはこれが教会全体かと見ちがえられそうなほど巨大な堂々たる玄関には、街路やサンタンジェロ橋の上の群集にも劣らないほど大ぜいの人が集まっていた。群集が堂に満ちれば満ちるほど、いよいよ広くなりまさるかに見えるこの建物の大きさに、外国人にも負けない好奇の眼をみはるため、さながらローマじゅうの人間が押し寄せて来たような騒ぎだった。
たちまち頭上に歌ごえがひびいた。左右の内廊に分かれて陣どった二つの大合唱隊が、たがいに受けこたえて歌うのである。今はじまったばかりの洗足の儀式〔聖木曜日には法王が老若十三人の僧の足を洗う。彼らは法王の手に接吻し、法王は彼らに青いアラセイトウの花束を授ける〕を見ようとする人々が群れ集まった。手すりの向こう側には外国の婦人たちが坐っていたが、そのなかの一人が私を見てやさしく会釈した。アヌンツィアータだった。彼女が帰って来た。――この寺院に来ていた。私の心臓は高鳴りはじめた。私は彼女のすぐ近くにいたので、お帰りなさいを言うことができた。彼女は前の日に帰って来たのだが、アルレグリのミゼレーレには間に合わなかった。しかしサン・ピエトロ寺のアヴェ・マリアの祈祷には列席できたという話だった。
「ゆうべはまっ暗だったので」と彼女が言った。「何もかも今のような昼間よりもずっと重々しい感じでした。サン・ピエトロのお墓の幾つかのランプのほかは、灯が一つもついていませんでした。そのランプが、きらきらする冠のようでしたが、それでもいちばん近くの柱を照らすほどの明るさもありません。まわりの人がみな無言でひざまずいたので私も同じようにしましたが、無というもののなかにどれほど多くのものが含まれるものか、そしてまた、宗教的な無言のなかにどれほど力がこめられるものかが、しみじみわかったような気がしました!」
長いヴェールをかけていたので、私がその時まで気がつかなかったアヌンツィアータの付添いの老婦人が、私を見て親しげに愛想よくうなずいた。そのうちに厳粛な儀式は終って、彼女たちは馬車のところへ案内するはずの召使を捜したが見つからなかった。若い男の一団がアヌンツィアータのいるのに気づいていた。彼女は不安になって帰りたがった。私は思いきって、いっしょに寺院を出て馬車まで案内しようと申し出た。老婦人はすぐ私の腕を取ったが、アヌンツィアータは私たちのそばを歩いて行った。私は腕を差し出す勇気がなかった。しかし出口に近くなって人の流れに押されはじめた時、私は自分の腕のなかに彼女の腕のあるのを感じた。血のなかを火が突き抜ける思いだった。
私は馬車を捜し当てた。席に着いた時アヌンツィアータは、その日彼女たちのところへ夕食に来てくださいと言った。「あいにく四旬節ですから」と彼女が言った。「何にもありませんけれど」
私は幸福だった。老婦人は少し耳が遠かったが、それでもアヌンツィアータの表情で、彼女が私を誘ったのを察した。しかし老婦人は私がいっしょに馬車に乗るようにすすめられたのだと思っていたので、さっそく向かいあった席に置いたショールや外套《がいとう》を隅へ押しのけて、「さあどうぞ、司祭様、たっぷりお掛けになれますよ」と言いながら、手を伸ばして私を誘った。
しかし、これはアヌンツィアータの考えたこととはちがっていた。私は彼女の頬が薄く染まったのに気がついたが、彼女と正面に向き合って坐った。馬車が動き出した。
御馳走はないが、すこぶる楽しい夕食が待っていた。アヌンツィアータはフィレンツェの彼女のすまいや今日の祭りのことを語り、ローマの四旬節のことや、そのあいだどんなことをしたかなどと私にたずねた。これは私にはありのままの返事のできない質問だった。
私は「復活祭の日曜日にはきっとユダヤ人の洗礼を御覧になるでしょうね?〔復活祭の日には毎年何人かのユダヤ人またはトルコ人が洗礼を受ける〕」ときいたが、きいたとたんに、今まで忘れていた老婦人のほうをちょっと見た。
「聞こえやしませんよ」とアヌンツィアータが言った。「聞こえたにしても気になさらなくてよろしいの。私はこの人にいっしょに行ってもらえない場所へは行かないことにしていますし、コンスタンティヌス帝の洗礼教会のお祭りに行くのは、この人には向かないでしょう。それに私もあまり興味がありません。ユダヤ人やトルコ人が本当の信仰から洗礼を受けるなどということはめったにないからです。今でも忘れませんが、子供の時あの光景を見て、ほんとに不愉快な思いをしたことがあります。七つぐらいのユダヤ人の男の子がいました。ひどくきたない靴と靴下をはいて、髪の毛に櫛《くし》も入れないままで出て来ました。そういう身なりと、この子が教会からもらったりっぱな絹のガウンの対照は、見ていて本当に胸が痛くなりそうでした。子供にもおとらずみすぼらしい両親がついて来ましたが、この人たちは自分たちの知らなかった幸福と交換に魂を手放したのです」
「あなたはそれを子供のころローマで御覧になったんですね?」と私はきいた。
「そうですわ!」顔を赤らめながら彼女が答えた。「それはそうですが、しかし私が生まれたのはローマではありません」
「はじめてお目にかかってお歌いになるのを伺った時」と私は言った。「どこかでお目にかかったことがあるような気がしました。どういうわけかわからないのですが、今でもそう思っています。もし死後の霊魂が別の動物や人間に変るという話を信ずるとしたら、私は私たちが二人とも前には鳥で、一本の枝の上をぴょんぴょん跳ねていて、おたがいにずいぶんながいあいだの知り合いだった、と考えてもいいでしょう。あなたのお心には何か思い出されることがありませんか? 私たちが前に会ったことがある、とあなたに語るものは何もないでしょうか?」
「いいえ、何も!」こう答えてアヌンツィアータはじっと私の顔を見つめた。
「子供のころローマにいたことがあるとおっしゃると、私の考えていたのとはちがって、子供時代ずっとスペインにいらっしゃったのではない、ということになるので、私の心にある思い出が生き返ったのです。これは、あなたがディドになってはじめて私の前にお立ちになった時と同じ思い出です。あなたはいつか子供の時のクリスマスに『天の祭壇』教会で、ほかの子供と同じように、子供のキリストの前で話をなさったことがないでしょうか?」
「ありますとも!」と彼女が大きな声で言った。「そしてあなたが、アントニオ、あの時の可愛らしい坊っちゃん! みんなが謹聴していた……」
「けれど、あなたにはかなわなかった」と私は言い返した。
「あなたでしたの、アントニオ!」私の両手をつかみ、筆には尽せないやさしさで私の顔を見つめながら、アヌンツィアータは大声で言った。老婦人が椅子をこちらへ引き寄せて、むずかしい顔で私たちを見た。アヌンツィアータが一部始終を話して聞かせると、彼女は私たちのこの再会の場面に微笑した。
「うちの母もほかの誰彼も、ずいぶんあなたの話をしたものです」と私が言った。「あなたの優美な、ほとんど地上のものとは思えないほどの姿も、美しい声も、そうだ、私は焼餅《やきもち》をやいていたのです。私の虚栄心は、あんなにきれいさっぱり誰かに負かされるのが我慢できなかったのです。人が生きているあいだに通る道は、まったく思いもよらないところでぶつかるものですね!」
「ああ、はっきり覚えていますわ!」と彼女が言った。「あなたは、白いボタンのたくさんついた小さな短かいジャケツを着てらしたでしょう。あの時はあれがいちばん私の興味をひいたのよ」
「あなたは」と私が答えた。「きれいな赤いスカーフを胸につけていらした。けれど何よりも私が夢中になったのはそれではなくて、あなたの目と、漆《うるし》のような黒い髪でした! そうです、あなたがわからずにいるなんて、できない相談です。あなたは昔のとおりですもの、ただ目鼻立が大人《おとな》らしくなっただけです。もっと変ったとしても私にはわかるでしょう。私はすぐベルナルドにそう言ったんですが、ベルナルドはちがうと言うんです。あなたを全然別の人だと思っているんです」
「ベルナルド!」と彼女が叫んだ。私はその声がふるえているような気がした。
「そうなんです!」少々困って私が答えた。「彼もあなたを知っている、いや、あなたにお目にかかったことがあると思っていました。私の推察とはくいちがった行きがかりで、お目にかかるようになったと言うのです。あなたの黒い髪、あなたの目――いや、どうぞお怒りにならないでください、ベルナルドはすぐ自分の意見を捨てました。はじめ彼はあなたが……」私は言いよどんだ。「あなたはカトリック信者ではない、だから私が『天の祭壇』教会であなたの話を聞くはずがない、と言ったんです」
「そしてたぶん、私がここにいるお友だちと同じ信仰を持っている、というんでしょう?」と、老婦人を指してアヌンツィアータが言った。心ならずも私はうなずいたが、そうしながら彼女の手を取って、「私を怒っていらっしゃるでしょうか?」ときいた。
「あなたのお友だちが私をユダヤ娘だとお思いになったから?」と、ほほえみながら彼女がきいた。「妙なかたね!」
私は子供の時のつながりが、私たちをうちとけさせるのに気がついた。あらゆる悩みが、――二度と会うまい、もう彼女を愛さないという決心さえが、すっかりどこかへ消え失せた。そして私の胸は彼女だけのために燃えた。
復活祭の前二日間は、どこの美術館も休館していた。もしこのあいだに、完全に気の向くままになかを歩き廻ることができたらば、どんなにいいだろうと彼女は言ったが、これはまず不可能であった。が、彼女の唇を出ることばは、私にとって命令であった。ローマでいちばん興味のあるコレクションの一つを持っているボルゲーゼ邸の、管理人も門番も、そのほかここに働いている人々も、私はみんな顔見知りだった。そこは私が子供の時フランチェスカといっしょに見て歩いて、フランチェスコ・アルバーニの「四季」のなかの小さな愛の神の一人一人と知り合いになった場所であった。
次の日アヌンツィアータと老婦人を、そこへ案内させていただきましょうと私は申し出た。彼女が承知したので、私は限りなく幸福だった。
自分の部屋に帰って一人きりになると、私はまたベルナルドのことを考えた。いや、彼は彼女を愛していない、と考えて私は自分を慰めた。「彼の愛は肉欲的なだけで、自分のように純粋でもなく大きくもないのだ!」先日の二人の会話は前よりもいっそう不愉快に思われた。私は彼の傲慢《ごうまん》さだけが目につき、ひどく侮辱《ぶじょく》されたのを感じて、今までついぞなかったほど腹が立ってならなかった。アヌンツィアータが明らかに私のほうに好意を見せたのが、彼の誇りを傷つけたのだ。私を彼女に紹介したのはなるほど彼であったが、その目的は私を愚弄《ぐろう》しようというだけだったのだろう。だから私が歌い、即興詩を朗読すると驚きの色を顔に出したのだ。私が彼の美しさ、自由で大胆な態度を負かそうなどとは、夢にも彼は思っていなかったのだ。いま彼の考えているのは、二度とふたたび私が彼女を訪問しないようにすることだった。しかし親切な天使はそうならないことを望んだ! 彼女の目も、そのやさしさもすべて、彼女が私を愛している、彼女が私に好意を、いやそれ以上のものをいだいていることを知らせてくれた。彼女のほうでも、私が彼女を愛していることはわかっていたに相違ないからだ。
嬉しくて私は枕に熱い接吻を押しつけた。しかしこの愛の幸福な感情とともに、ベルナルドにたいする苦々しさが私の心のなかに強まってきた。私は自分の気の弱さ、熱と憎しみの足りなさに腹が立った。せんだって子供あつかいにされた時、叩きつけてやったらばと思われるすばらしい返事が幾つも幾つも頭に浮かんできた。彼から受けた侮辱が、些細なものまで一つ一つ、はっきり目の前にあった。生まれてはじめて私は自分の血が、本当に血管のなかで煮えくり返るのを感じた。火のような怒りと醜い苦々しさをまじえた、最も純粋で善良な感情が、私から眠りを奪ってしまった。ようやく少しうとうととしたのは、朝も近くなってからであった。目がさめた時は元気がついて、気は軽くなっていた。
私は管理人に外国の婦人を連れて絵を見に行くと言っておいて、アヌンツィアータのところへ行った。私たちは三人いっしょにボルゲーゼ邸へ馬車を走らせた。
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十三 画廊
自分が子供の時に遊んだ場所、フランチェスカが絵を見せてくれて、私の無邪気なことばや質問をおもしろがったその画廊へ、アヌンツィアータを案内するのは、私には一種特別の気持がした。私はどの画も知っていたが、アヌンツィアータはどの作品も私以上によく知っていたし、その評語もきわめて適切だった。肥えた目と天賦《てんぷ》の趣味とで、彼女はあらゆる美を見つけ出した。私たちはジェラルド・デル・ノッティの傑作「ロトとその娘たち」の前に立っていた。ロトの雄々《おお》しい顔つき、彼に葡萄酒《ぶどうしゅ》を差し出す嬉しげな娘、暗い木《こ》のまに光る赤い夕空――私はこの偉大な効果を賞讚した。
「魂と熱とで描いた絵ね!」と彼女が叫んだ。「色と表現ならば私はこの画家の腕に感心しますけれど、彼の選んだ主題〔ロトはその娘と通じた。その住んだ地ソドムは、姦淫の罰でほろびた〕が気に入りません。私は絵にだって主題の選び方に一種の適切さ、気高《けだか》い清らかさがなくてはいけないと思います。ですからコレッジオの『ダナエ〔美少女ダナエに思いを寄せた大神ゼウスは、黄金の雨となってこれを犯し、ペルセウスを生ませた〕』も大して気に入りません。ダナエは美しいし、寝台の上に坐って黄金を集める手つだいをする明るい色の翼を持った小さな天使も神々しく描けていますが、私にはこの主題は下品に思われ、言ってみれば、私の心のいだいている美の感情を傷つけます。こういうわけで私の評価ではラファエロのほうがずっと偉大です。今まで私の知っている作品のどれを見ても、彼は清純の使徒で、それだからこそ私たちに聖母の像を残してくれることができたのです」
「しかし芸術作品として美しければ」と私は彼女をさえぎって言った。「主題の高貴ということがなくても見のがせましょう」
「とんでもない!」と彼女が答えた。「芸術はそのどんな部門にしろ、気高く神聖なものです。精神の清純ということは形の清純よりも人の心を動かします。ですから昔の大家の邪気のない聖母の取扱いが、形が荒削りで、すべてが固くこちこちの中国の画に似ていることがたびたびあるにしても、私たちをこんなに深く感動させるのです。画家の描く絵に清らかな精神がなくてはならないことは、詩人の歌の場合も同じことです。それが根本にありさえすれば、たとえ少しは玉にきずのような踏みはずしがあろうとも、それでも私は全体として楽しむことができます」
「しかし」と私は声を大きくした。「主題に変化があるからおもしろいので、いつも同じ……」
「あなたは誤解していらっしゃるわ」と彼女が答えた。「私はなにも、誰も彼もがマドンナを描くようになんて望んでいるのではありません。そんなことではないのです! りっぱな風景画も、人間の生活の生きている場面も、嵐のなかの船も、サルヴァトーレ・ローザの盗賊の絵も、みんな喜んで見ます。けれど私は、芸術の領域に不道徳なものは何ひとつゆるせないのです。シアーラ宮にあるシドーニの巧みなスケッチも、私はその一つだと思います。お忘れじゃないでしょう? 百姓が二人|驢馬《ろば》に乗って、髑髏《されこうべ》をのせた石の塀のそばを通っているあの絵。髑髏のなかに鼠《ねずみ》と虻《あぶ》と蛆虫《うじむし》が一匹ずついて、≪エト・エゴ・イン・アルカディア≫(私もアルカディアにいた。「私は何もかも知っている」の意)ということが塀に書いてあるのです」
「知っています」と私は答えた。「ラファエロのすてきなヴァイオリン弾きの絵と並べてかけてありますね」
「そうです」とアヌンツィアータが答えた。「あのことばが隣りのいやらしい絵でなく、その絵の下に書いてあればいいのに!」
やがて私たちはフランチェスコ・アルバーニの「四季」の前へ来た、この画廊を遊び廻った子供のころ、私がこの小さな愛の神たちから、どんなに深い感銘を受けたかを私は彼女に話した。
「あなたは子供のころ、幸福な時をお楽しみになったのね!」と彼女は、自分の子供時代に関係のあるらしい吐息をおさえて言った。
「あなたもきっと同じでしょう」と私は答えた。「はじめてお目にかかった時、私はあなたが仕合わせな、みんなに大事にされている子供だと思いました。二度目にお目にかかった時のあなたはローマじゅうを魅了して、幸福そうに見えました。ほんとに心からお仕合わせだったのですか?」
私は上半身をかがめて、彼女をのぞきこんだ。彼女はなんともいえない憂鬱な表情で、じっと私の顔を見返した。
「あなたのおっしゃるその甘やかされた幸福な子は、父もなければ母もありませんでした。葉の落ちた枝にとまっている塒《ねぐら》のない鳥でした。世間にさげすまれるあのユダヤ人が拾ってくれて、すさまじい荒海を越えて飛んで行ける日まで、寝場所と食べ物をくれなかったら、飢え死にしてしまったでしょう」
彼女は口をつぐみ、やがてまた首を振りながらつづけた。「けれどもこんなことは、他人にはおもしろくはありませんことね。どうしてこんなおしゃべりをする気になったんでしょう」
彼女は先へ行こうとしたが、私はその手をおさえてきいた。「そうおっしゃると、私もそんなに他人なのですか?」
彼女はちょっと無言のまま宙を見つめていたが、やがて物悲しい微笑を見せて答えた。
「そうですわ、私だって今までに楽しい時もありました。それで」と、いつもの陽気な彼女にもどって言った。「私はそのことばかり考えていたいものです。子供のころお目にかかったこと――あなたがあんまり昔の不思議な夢の話ばかりなさるものだから、私もつい釣りこまれて、まわりの芸術品を忘れて、自分の胸の画像にばかり気をとられてしまったのよ!」
画廊を出て彼女のホテルに帰ってみると、留守のあいだにベルナルドが訪ねて来たということだった。彼はアヌンツィアータと老婦人が馬車で出かけたこと、私もいっしょに行ったことを聞かされたわけだ。それを聞いて彼がどんなに不快に思うかは、あらかじめ私にはわかっていた。しかし今までとはちがって私は、彼の気にさからうことを悲しくは思わなかった。アヌンツィアータへの愛情は私の心に、彼に反抗する気持と彼を憎む気持を目覚めさせた。よしんば彼には済まない仕儀になったとしても、もっと意地と決断力を持ってもらいたいもんだとは、彼自身がかねがね私に言ってきかせたことだった。今こそ彼は、私がそれを二つとも持っていることを思い知ったろう。
世間にさげすまれているユダヤ人が、塒《ねぐら》のない小鳥を、その翼の下にかばってくれたというアヌンツィアータのことばは、たえず私の耳にひびいていた。彼女はベルナルドがハノック老人の家で会った娘に相違なかった。これは私には限りなくおもしろいことだったが、もう一度彼女をこの話に連れもどすことはできなかった。
あくる日私が訪ねた時、彼女は自分の部屋で新しい曲を練習していた。私は長いこと老婦人を相手に話したが、彼女は私の思ったよりももっと聾《つんぼ》で、私が話相手になったのを感謝しているように見えた。私のはじめての即興詩このかた彼女が私に好感を持っているらしかったことを私はふと思い出した。そうすると彼女にはあれが聞こえたのだ、と私は思った。
「ええ聞きましたよ」と、彼女ははっきりと言った。「あなたの顔色と、私に聞こえた幾つかのことばで、私は全体がわかりました。きれいでしたね。私はいつもこういうふうにして、表情だけでアヌンツィアータの朗詠調がわかるのです。私は耳が利かなくなるにつれて、それだけ目がよくなりました」
彼女は、昨日私たちが出かけたあとで訪ねて来たベルナルドのことを聞き、彼が来ないのを残念がった。彼女のことばにはベルナルドにたいする異常な好意と深い関心が現われていた。私がそれに賛成すると、「そうですよ」と彼女が言った。「あの人はりっぱな性質を持っています。私はあの人の長所をひとつ知っています。それに賞《め》でて、ユダヤ人の神様もキリスト教の神様も、どうぞあの人をお護りくださるように!」
だんだん彼女は雄弁になった。アヌンツィアータにたいする彼女の愛情の深さは、人の心を動かすものだった。私は次のようなことを彼女のとぎれとぎれの、なかば不明瞭な話しぶりのなかから知ることができた。アヌンツィアータはスペインで生まれ、両親はスペイン人であったが、幼いころローマに来て、そこで急に両親に死に別れると、若いころ彼女の生まれ故郷に行ったことがあり、彼女の両親を知っていたハノック老人が彼女を助けるただ一人の人であった。その後、まだ子供のころ、彼女は生まれた国のさる貴婦人のところへ送られ、この人の手で声楽と舞台教育とを仕込まれた。非常に勢力のあるある男が、この美少女に恋したが、彼女の冷たさに腹を立てたこの男は、力ずくで彼女をわが物にしようとかかった。この恐ろしい時期をおおうヴェールを持ち上げるのには老婦人は反対だった。どうやらアヌンツィアータは命も危なかったらしい。彼女は年とった育ての父と二人でこっそりと、なかなか追手《おって》に見つかりそうもないイタリアへ逃げ、ローマのユダヤ人街に身をかくした。それは今からやっと一年半前のことだった。ベルナルドが彼女に会い、例の葡萄酒をふるまわれたのはその間《かん》のことだったのだ。よその男の前に姿を現わすとは彼女もずいぶん軽はずみな! と私は思った。知らない人間の一人一人が自分の命を狙っていると思ってもいいのに。彼女はベルナルドがそんな人間でないことを知っていた。じっさい彼女が聞いたのは、彼の勇敢さと気高い行為にたいする賞讚だけであった。その後まもなく、彼女を苦しめる男が死んだので、神聖な芸術に動かされてじっと坐っていられなくなった彼女は飛び出して行って、彼女の演技と美貌《びぼう》とで人々を有頂天にした。老婦人は彼女についてナポリへ行き、彼女が最初の月桂冠を頭上に飾るのを見て以来、ずっといっしょにいたのだった。
「そうですよ」と、雄弁になった老婦人がつづけた。「それにあの子は神の天使ですよ。女はそうでなくてはなりませんが、あの子はなかなか信心深いばかりでなく、この上なく正しい心を持った人にも負けないほど、考え方もしっかりしています」
私が表へ出ると、ちょうど祭りの爆音がはじまった。どの通りにもどの広場にも、ありとあらゆるバルコンと窓に、小さな大砲とピストルを持った人が立っていた。四旬節が今終ったという合図であった。四十日という長いあいだ教会や会堂の絵にかぶせてあった黒い幕も同時にはずされて、いたるところに復活祭の歓《よろこ》びが湧きあがった。悲しみの時は過ぎ去り、明ければ復活祭、歓喜の日、私にとっては二倍の歓喜の日であった。私はアヌンツィアータから、教会の祭礼と円屋根のイルミネーションを見物にいっしょに行こうと誘われていたのだ。
復活祭の鐘が鳴った。枢機官たちが、うしろに侍僕の立乗りする華やかな馬車で現われた。金持の外国人の馬車と徒歩の人の群れで、狭い道路がどこもいっぱいだった。サンタンジェロの城に揺れ動く大きな旗に、法王の紋章とマリアの聖像が見えた。サン・ピエトロ広場では音楽が演奏され、あたりでは薔薇の花飾りや、祝福を分かち与える法王の姿の木版画が売られていた。噴水は巨大な水柱を噴き上げ、柱廊のそばにはぐるりと座席やベンチがあったが、これも広場と同様ほとんど空席がなかった。
まもなく同じくらいの群集がぞろぞろと教会から出て来た。そこで人々は、行列や聖歌、キリスト受難の時の槍の破片や釘などの聖なる遺物を拝観して、敬虔《けいけん》な心を元気づけられたのである。広々とした広場はまるで人間の海で、頭と頭が鉢合わせするほどだった。馬車の行列もだんだんあいだがつまり、百姓や子供たちは聖者の像の台によじ登る始末だった。ローマ全体が今この場所一つに集まって息をしてるかのようであった。
法王が行列にかつがれて教会から出て来た。その壮麗な肘掛椅子を、薄紫の衣をつけた六人の僧侶の肩が高々とかつぎ上げている。その前を進む二人の若い僧は、長い柄をつけた巨大な孔雀《くじゃく》の尾羽の団扇《うちわ》を揺り動かし、その前には吊り香炉を振る大ぜいの僧侶が先導をつとめた。行列の最後は聖歌を歌う枢機官の一組だった。
行列が玄関を出るやいなや、聖歌隊が一斉に歓呼の歌ごえをはりあげて迎えた。法王は高い階段をのぼって回廊へ運ばれ、まもなくそのバルコンに枢機官に囲まれた姿を見せた。兵士の長い列も、年よりも子供もみなひざまずいた。プロテスタントの外国人だけは立ったままで、老人の与える祝福にも頭を下げようとしなかった。アヌンツィアータは車のなかでひざまずいて、魂のこもった眼《まな》ざしで法王をふり仰いだ。あたりはしんと静まり返って、祝福が、目には見えない焔《ほのお》のように、人みなの頭上にただよった。
次には二枚の紙が、法王のバルコンからひらひらと落ちて来た。一枚にはすべての罪にたいする赦免のことばが、もう一枚には教会の敵すべてにたいする呪詛《じゅそ》のことばが記してあった。どんな小さな切れはしでも手に入れようとして、人々はたがいに押し合いへし合いした。
ふたたびすべての教会の鐘が鳴り、人々の歓喜の声に音楽が和した。私もアヌンツィアータにおとらず幸福だった。私たちの馬車が動きだしたちょうどその時、ベルナルドが馬で近づいて来た。二人の婦人には挨拶したが、私には気がつかないふりをした。
「なんという蒼《あお》い顔でしょう!」と、アヌンツィアータが言った。「病気なのかしら?」
「そんなことはないでしょう」私は答えたが、彼の頬から血を引かせたのが何であるか、私にはよくわかっていた。
これが私の決心をいよいよ固いものにした。自分がどんなに彼女を愛しているかを思い、もし彼女がその愛を私に与えるならば、私は何物たりとも捨てることができると感じた。私は彼女について行くことに心をきめた。私は自分の舞台の才能を疑わなかった。歌はどうか。私は自分の歌の示した効果を知っていた。ひとたび意を決して一歩を踏み出せば、りっぱに舞台をつとめられる自信があった。もし彼女が私を愛しているにしても、ベルナルドがどういう文句をつけられるのか? 彼の愛が私に負けず強いものならば、彼もまた彼女の愛を求めるがいい。そしてもし彼女が彼を愛するのなら――そうだ、その時はすぐ私は自分の要求を撤回しよう。
私はこれだけのことを残らず手紙に書いて、その日のうちに彼に送った。この手紙に暖かい誠の心が現われていることを、私はあえて信じることができる。私たちの以前の交際について語り、私の心がいつもどんなに彼を頼りにしていたかを述べた時、幾たびも涙が紙の上に落ちたからである。手紙が送り出されてしまうと、アヌンツィアータを失うという考えが、プロメテウスの禿鷹《はげたか》のように、鋭いくちばしで私の心をつつき破りはしたものの、とにかく私は気が軽くなった。とはいえまだ私は、永久に彼女とともにいること、彼女のそばにいて名声と歓喜とを得ることを夢みていた。歌い手として、即興詩人として、いま私は自分の生涯のドラマをはじめるはずだった。
アヴェ・マリアの祈祷のあとで、私はアヌンツィアータと老婦人のお伴をして、彼らの馬車でサン・ピエトロ教会のイルミネーションを見物に出かけた。高々とそびえる中央の円屋根の両側にも、少し小型な円屋根があり、広々と伸びた正面を持ったこの教会が端から端まで、絵燈籠《えどうろう》と紙提灯《かみちょうちん》で飾られていた。その無数の光は、巨大な建物が青い空にきらめく輪郭を浮かびあがらせるように配列してあった。近くに集まった群集は昼前よりもすさまじいらしく、一足動くのもやっとだった。はじめ私たちはサンタンジェロの橋から、このイルミネーションをほどこした巨大な建物を眺めた。その姿がテヴェレ川の黄色い水に映って、ボートに鈴なりの見物客はこの一幅の絵にうっとりした。
ものみなが音楽と鐘の音と歓声に化したサン・ピエトロ広場に着いたのは、イルミネーションを変える合図があったばかりのところだった。何百という人数が、教会の屋根や円屋根に散り散りになったかと思うと、たちまちこの人たちが瀝青《れきせい》の環《わ》の燃える大きな鉄の揚げ鍋を突き出した。提灯が一つ残らず燃えはじめたかと思われ、巨大な建物の全体が焔々《えんえん》たる神殿と化し、ベトレヘムの揺籃《ようらん》の上に輝いた星のように、ローマの上に輝いた。人々の歓呼の声は刻一刻と大きくなって、アヌンツィアータはあたりの光景に圧倒された。
「でも恐ろしいことだわ!」彼女が叫んだ。「あの気の毒な人のことを考えて御覧なさい。大きいほうの円屋根の十字架によじ登って、いちばん上の灯を縛りつけて火をつけなければならないんですよ。考えただけで目がまわるわ!」
「エジプトのピラミッドと同じほどの高さがあります」と私は言った。「繩を縛るため、あそこまで体を揺りながら登って行くのには勇気がいりますね。だから登る前に、法王が終油の秘蹟をお授けになるのです」
「こんなふうに人間の命を危険にさらさなければならないなんて」と、彼女は溜め息をついた。「それもほんの束《つか》のまの華やかさと楽しみのためだけにね」
「しかしこれは神をあがめるためにすることです」と私は言い返した。「もっとずっと小さなことにさえ、どんなにたびたび私たちは命を賭けるでしょう!」
馬車が勢いよく私たちのそばを通り過ぎた。たいていはモンテ・ピンチオへ行く人たちで、そこまで離れて照明に包まれた教会と、光輝のなかに浮かぶローマの全景を眺めるためだった。
「しかし、都全体を照らす光が」と私は言った。「全部御堂から射し出るというのは、なかなかおもしろい思いつきです。コレッジオがあの『不滅の夜』を思いついたのも、たぶんここからじゃないかしら?」
「失礼ですが」と彼女が言った。「その絵のほうがこの御堂よりも先にできたのをお忘れになったの? コレッジオは自分の考えだけで、あれを描こうと思い立ったのですわ。そしてあの絵のほうが、私はずっと美しいと思います。それはそれとして、この全景は、やはりもっと離れた場所から見なくてはね。あまり人ごみのひどくないモンテ・マリアへ行きましょうか。それともモンテ・ピンチオ? もうじき門ですわ」
柱列のうしろを通って、まもなく広々した市外へ出た。丘の上の小さな宿屋の前で馬車がとまった。ここから見る円屋根はじつにみごとで、燃える太陽で作ったものかと思われた。なるほど正面こそ見えないけれど、そのためいっそう効果が増していた。照らされた空に散りひろがる輝きは、おびただしい星で燃えるばかりの円屋根が光の海に浮いているような印象を与えた。音楽と鐘の音はここまで聞こえて来たが、あたり一面は二重の夜であった。星は青空の高いあたりにただ白い点のようにしか見えず、華やかなローマの復活祭の火の上でその光を弱められでもしたようだった。
私は馬車を出て、何か軽い食べ物でもと思って宿屋へはいった。聖母マリアの像の前に燈明《とうみょう》のともっている狭い通路を帰って来ると、ベルナルドが私の前に立った。エスイタ学校で花環をもらった時そっくりの蒼《あお》い顔だった。熱に浮かされでもしたように目をぎらぎらさせて、狂人のような力と荒々しさで私の手をつかんだ。
「アントニオ、僕は君を殺しに来たのじゃない」と彼が、妙に押し殺した声で言った。「でなければ裏切者の君の心臓にサーベルを突き刺してやるところだ。だが君は僕と決闘するんだ。君の臆病虫が何と言おうとだ! さあ、いっしょに来い!」
「ベルナルド、君は気が狂ったのか?」と言って私は、力まかせに手を振りほどいた。
「大きな声でどなれ」と彼は、さっきと同じように声を殺して答えた。「そうすりゃ、誰かやって来て助けてくれるだろう。一人で僕に向かうなんて勇気は君にはないからな。この手が縛られる前に君の命はなくなってるぞ」
彼は私にピストルを差し出した。「さあ、決闘するんだ、しなきゃ君を殺すぞ!」と言いながら、彼は私を引っぱって行った。私は自分の身を護るために、彼の差し出したピストルを取った。
「あの女は君を愛している」と彼は低い声で言った。「そして君はうぬぼれて、ローマじゅうの人間に、いや僕にまでそれを見せびらかしたがっている。そうされる身のおぼえは何もないのに、いんちきな偽善者のことばで君にだまされたこの僕にまでだ」
「ベルナルド、君は病気なんだ」私は叫んだ。「君は気が狂っているんだ。あまりそばへ寄らないでくれ!」
彼は私にとびかかってきた。私は押し返した。ちょうどその時ピストルの音が聞こえた。私の手はふるえていた。あたりいちめんの煙だったが、妙に深い溜め息が――これは叫び声というようなものではなかった――私の耳に、心に聞こえた。私のピストルの弾丸が出たのだった。ベルナルドが血にまみれて私の前に倒れていた。
私はピストルを握ったまま、夢遊病者のようにそこにつっ立っていた。やがて、自分のまわりに宿屋の人たちの声がするのに気がつき、アヌンツィアータが「まあこれは!」と叫ぶのが聞こえ、彼女と老婦人の姿が目の前に見えたが、その時になってようやく私は、不幸な出来事の一部始終がわかったのだった。
私は今でも彼女の蒼い顔と、じっと私に向けられて動かない視線が目の前に見える。私は根が生えたようにその場所に立ったままだった。
「お逃げなさい! お逃げなさい!」と老婦人が、私の腕をつかんで叫んだ。
「私には罪はありません!」苦悶《くもん》にくたくたになって私が叫んだ。「神に誓います、私に罪はありません! ベルナルドが私を殺そうとしたのです。彼が私にピストルを持たせて、それがはずみで弾丸が出たのです!」そして絶望のあまり、ほかの場合だったなら口に出して言うだけの勇気はなかったろうに、「ねえ、アヌンツィアータ、私たちはあなたを愛していました。あなたのためなら私もこの男のように死んだってかまいません! 私たち二人のうち、どっちがあなたには大事だったのです? もうどうにもならない私です。おっしゃってください、私を愛してくださるかどうか、それを伺ってから逃げるつもりです」
「向こうへ!」死人の世話をしていた彼女が、手振りをしながら口のなかで言った。
「お逃げなさい!」と老婦人が叫んだ。
「アヌンツィアータ!」すっかりみじめな気持になって私は哀願した。「あなたには私たち二人のどっちが大切だったのですか?」
彼女は死者のほうへ顔を伏せた。私は彼女の泣くのを聞き、ベルナルドの額に唇を当てるのを見た。
「憲兵だ!」誰かが私のすぐそばで叫んだ。「逃げろ、逃げろ!」そして私は、見えない手が働いてでもいたのか、その場から押し出された。
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十四 ロッカ・デル・パーパの農夫たち
「彼女はベルナルドを愛している!」私の胸にこのことばが鳴りひびいた。これは私の血管くまなく毒を廻し、私を駆り立て、「おまえは兄弟同様の友人を殺したのだ!」という心の叫びをさえ沈黙させた死の征矢《そや》であった。
私は本能的に藪《やぶ》を抜け灌木《かんぼく》をくぐり、丘の斜面の葡萄園を仕切っている石垣を登って、どんどん走った。サン・ピエトロの円屋根がはるか遠方まで空を照らしていた。弟殺しのカインが逃げた時にも、カインとアベルの祭壇はこのように輝きわたっていたのだろう。
何時間もぶっつづけに、私は前へ前へと足にまかせて歩いた。黄色い水のテヴェレに行き当って、それより先へ進めなくなるまで私は一休みもしなかった。ローマから地中海まで、私は向こう岸に渡してくれそうな橋はおろか、小舟一そう見つからなかった。この思いがけない障害はナイフの一突きにもひとしく、私の心をかむ虫を、ほんの一瞬ではあったが、断ち切った。しかし虫は、またもぐんぐん大きくなりはじめて、私は自分の不幸が二倍になるのを感じた。
私はかなり近くに墓の跡があるのに気がついた。子供の時ドメニカといっしょに住んでいたのよりは構えは大きかったが、荒れ方はそれ以上だった。ひっくり返った石の一つに三匹の馬が繋がれて、頸《くび》に結びつけた乾草の束から草をはんでいた。
広い入口から二、三段おりると、円天井の墓穴に出た。そこには火が燃えていた。毛のほうを表にした羊の革外套にくるまり大きな長靴をはいて、聖母の像をつけた尖り帽子をかぶって、がっしりした体つきの百姓が、火の前に寝ころんで短かいパイプをふかしていた。もう一人の背の少し低い百姓が、大きな灰色の外套にくるまり、鍔《つば》の広い帽子を目深《まぶか》にかぶって、壁によりかかったままで、お別れに無事な再会を祈って、瓶から葡萄酒を飲んでいた。この光景をひとわたり見廻すか見廻さないうちに、私のほうが彼らに見つかってしまった。まるで襲撃を恐れでもするように、そばに置いてあった武器を取ると、急いで私のほうにやって来た。
「何を捜しに来たんですね?」と彼らがきいた。
「向こう岸へ渡してくれる舟をです」私は答えた。
「せいぜい捜すがいいや」と彼らが言った。「誰かが持って来なけりゃ、ここには橋も舟も一つだってありゃしないさ」
「だが」と、彼らの一人が頭のてっぺんから足の先まで私を眺めながら言いだした。「旦那、あなたはずいぶん街道から外《そ》れなさったわけだが、夜分外へ出なさるのは危うがすよ。法王様は、きっと手が痛くなったろうと思うほど、せっせと鋤《すき》を使いなすったが、山賊チェザリの一味はまだなかなか根絶やしにゃなりますまいからな」
「とにかく旦那は」と、別の男が口を出した。「何か得物《えもの》をお持ちになりゃよかった。わしらを御覧なさい――鉄砲は三身銃だし、こいつでやりそこなったら、腰にピストルがありまさあ」
「そうよ、おれは上等な鞘《さや》入りナイフも持って来た」と最初に口をきいた男が言った。そしてバンドから、いかにも切れそうなぎらぎら光るナイフを引き抜いて、いじくりまわした。
「鞘《さや》に入れとけよ、エミディオ」と二人目の男が言った。「よその旦那が蒼くなんなさるぞ。お若いんだ、そんな気の利いた得物を見せられちゃたまるまい。最初にぶつかったろくでもねえ野郎が、大してたくさんもない有り金を取り上げちまうだろうさ。おれたちなら、そうやすやすとやられやしないがね。どうですね、旦那、わしらに金をお預けになりゃ、親船に乗ったつもりで安心できますぜ」
「私の持ってるものは、みんなあげてもいいがね」と、生きるのにも飽き、苦しみで鈍感になった私が言った。「大した金高じゃない」
私が今どんな連中といっしょにいるのかはもう明らかだった。私は大急ぎでポケットをさぐった。そこに二スクーディあるのを知っていたからであるが。驚いたことには、財布がはいっていた。引き出してみると、女の手で作ったものだった。前にアヌンツィアータのところで、あの老婦人が持っているのを見たことがあった。不幸な逃走の万一の用意にもと、最後の瞬間に彼女が投げこんでくれたに相違なかった。百姓たちは三人とも、このふくらんだ財布に飛びつこうとした。私は火の前の平たい石の上に中身をぶちまけた。
「金貨と銀貨だ!」ピアストルのあいだにまじって白いルイ・ドールの光るのを見て、彼らは叫んだ。「こんなきれいなお宝が泥棒の手にはいるとしたらもったいねえ話だな」
「さあ」と私は言った。「殺すなら殺してもらおう。そうなれば私の苦しみもおしまいになる」
「南無三《なむさん》!」最初の男が叫んだ。「旦那はわしらを何だと思ってらっしゃるんだ? ロッカ・デル・パーパの正直な百姓ですよ。わしらは兄弟のキリスト教徒は殺しやしません。いっしょに一杯おやんなさい、そしてどういうわけでこの旅に出なくちゃならないのか聞かせてください」
「それは私の秘密だ」と私は言ったが、何か元気になる飲み物がほしくて唇がかさかさだったので、出された酒を引ったくるようにして受け取った。
彼らはこそこそ話し合っていたが、鍔《つば》の広い帽子の男が立ちあがった。気さくな様子で仲間にちょっと首を振ると、おどけた顔で私の顔をのぞきこんで、「宵のうちは暖かでおもしろかったが、そのあとの夜中は寒いってわけですな」と言った。彼は出て行った。まもなく、全速力で走って行くのが聞こえた。
「テヴェレ川を渡りたいということでしたが」と一人が言った。「わしらといっしょにおいででないと、うんと待たなくちゃなりませんぜ。わしの馬のうしろにお乗んなさい、奴の尻尾《しっぽ》にくっついて泳ぐなんてのは、旦那はあまりお好きじゃありますまい」
今の場所にいるのは安全でなかった。私は自分の住むべき場所が、法律の保護を奪われた連中の棲家《すみか》であることを思い知った。その男は私を、たくましい張り切った馬に扶《たす》け乗せると、私の前にまたがった。
「この繩を体のまわりに廻さしてもらいますよ」と、その男が言った。「でないと滑り落ちて、それっきりですからね」そして彼は、私の背中にも腕にも、同時に自分の体にもしっかりと繩を巻いて、二人が背中合わせに乗るようにした。私は手を動かすこともできなくなった。馬はゆっくりと、用心深く一歩一歩を踏み出しながら、水へはいって行った。水はやがて鞍《くら》の前輪までの深さになったが、馬は頑張りに頑張って、ついに対岸に着いた。岸に着くとすぐ彼は、私を彼に縛りつけていた繩を解いたが、これは私の手を前よりももっときつく馬の腹帯に縛りつけるためだった。
「落っこって頸を折るかもしれませんよ」と彼が言った。「せいぜいしっかりつかまってらっしゃい、今度はカンパーニャをつっ切りますぜ」
彼は馬の腹に踵《かかと》を叩きこんだ。連れの男も同様だった。そして彼らは、いかにも熟練した乗り手らしく、広々と不気味なカンパーニャの平原を横ぎって馬を飛ばせた。私は手と足でしっかり自分を支えていた。風がその男の長い黒い髪の毛を吹き流して、私の頬にはためいた。私たちは倒れた墓石のそばを矢のように通り過ぎた。廃墟となった水道も見えた。血のように赤い月が地平線にのぼり、薄い白い靄《もや》が通り過ぎた。
自分でベルナルドを殺したことも、アヌンツィアータからも生まれ故郷からも引き離されて、盗人《ぬすっと》の馬に縛られてがむしゃらな勢いでカンパーニャの野を飛ばしていることも、すべてが夢、恐ろしい夢のような気がした。早く目がさめてくれればいいのに。そしてこの恐ろしい幻影が消えてくれればいいのに! 私はしっかり目を閉じた。すると山から吹きおろす冷たい風が、頬に当るのだけが感じられた。
「さあもうすぐ|婆さんの下袴《ヽヽヽヽヽヽ》の麓だ」山に近づくとその男が言った。「どうです、こいつはいい馬でしょう? おまけに今年は聖アントニオの祝福を受けましたよ。うちの餓鬼《がき》が体いっぱい絹のリボンの房をつけてね、こいつの前に聖書をあけて聖水を振りかけたんでさ。悪魔だろうが悪の眼だろうが、今年はこいつをどうすることもできませんよ」
山に着いた時、地平線に夜明けの明るさが見えていた。
「夜が明けるな」と、もう一人の馬上の男が言った。「旦那は眼が痛くなるかもしれないからね、ひとつ日傘を進上しよう」このことばとともに彼は私の頭に布を投げかけて、それをしっかり縛ったので、何ひとつ見えなくなってしまった。私の手は縛られていた。こうして私は完全に彼らの俘《とりこ》になったが、心の痛み悲しむ私はされるままになっていた。
しばらく坂道を登って行くのがわかったが、そのうちにまた急な下り坂になって、私は藪や小枝に顔を叩かれた。私たちの通っているのはまるで人の使わない路《みち》だった。ようやく私は馬からおろされた。彼らは先に立って案内したが、誰も口をきく者はなかった。やがて私たちは狭い通路を抜けて階段を一つ下りた。私の心は自分のことばかり考えすぎて、山へはいったのがどの方角からだったかわからなかった。しかし、まだあまり山奥にははいっていないはずであった。この場所がどういうところかわかったのは、それから何年もたったのちのことだった。大ぜいの外国人がそこを訪ね、いろいろの画家がその形と色調を画布に写している。私たちがいたのは昔のトゥスクルムであった。この古い都の跡は、フラスカーティの北、丘の斜面がすべて栗林《くりばやし》と、高々と伸びた月桂樹の森におおわれたあたりにある。丈の高い山査子《さんざし》と野薔薇が、円形劇場の階段に伸びている。この山のここかしこに、円天井に煉瓦を張った深い洞穴《ほらあな》があるが、草や灌木が勢いよく繁っていて、ほとんど見えない。谷の向こう側に、アブルッツィの高い丘が沼沢地《しょうたくち》の境をなして、全景をこの大昔の都の廃墟から眺めると二重に印象深い荒涼索莫《こうりょうさくばく》たるものにしているのが見える。枝を垂らしたときわ木や、からみ合った草になかば隠されて、山腹に開いている入口の一つを抜けて、彼らは私を連れて行った。ようやく立ちどまったと思うと、低い口笛が聞こえた。まもなく落し戸か扉のあく音がした。また何段か降りて行くと、今度は数人の話し声が聞こえた。目かくしの布がはずされた時、私は天井の円い広々した部屋にいた。手足のがっしりした男たちが、私の案内者と同じように羊の革外套を着て、長いテーブルを囲んでカルタの勝負をしていた。テーブルの上には芯《しん》の何本もある真鍮《しんちゅう》のランプが幾つか置かれて、彼らの表情に富んだ黒い顔をはっきり照らし、その前には大瓶の葡萄酒があった。私がはいって行っても、べつに誰も驚いた様子はなく、テーブルに私の坐る場所をあけて、一杯の葡萄酒と腸詰を一片くれたが、そうしながらも、私にはわからない方言で話をつづけていた。その話は私とは無関係なものらしかった。
空腹だとは全然思わなかったが、ただ焼けそうに咽喉《のど》がかわくので、私は出された葡萄酒を飲んだ。あたりを見廻すと、壁いちめんに武器と上着やズボンなどがかかっていた。この部屋の一隅に、なお奥深い部屋があって、その天井からなかば皮を剥いだ兎が二匹ぶらさがっていたが、その下にまた別のものがいた。やせこけた老婆が一人、いっぷう変ったほとんど若者のような様子で、じっと坐ったまま手廻しの紡錘《つむ》で亜麻糸を紡いでいた。彼女の銀白の髪の毛は束がほぐれて、頬と黄褐色の頸すじに垂れさがり、暗い眼はじっと紡錘《つむ》に向けられていた。パルケー〔運命を司るローマ神話の三女神〕の一人が生きているとしか思えなかった。足もとには炭火の山が、彼女とこの世を隔てる魔法の輪とでもいったように置いてあった。
私はいつまでも一人で放っておかれはしなかった。男たちは私について――というのは私の身分や、境遇と家族に関係のあるすべてのことについて、一種の訊問《じんもん》をはじめた。私は彼らがすでに私の持ち物をすっかり取り上げたこと、もし彼らが私の身代金《みのしろきん》を要求したところで、ローマには一スクードでも出そうという人間は一人もいないこと、私が即興詩人としての才能をためすため、前々からナポリへ行きたがっていた貧乏烏《びんぼうがらす》にすぎないことをはっきり言った。私は自分が逃げ出すようになった風変りな原因、偶然とはいえ不幸にも弾丸が飛び出したピストルのこともかくしはしなかった。しかし、直接それに関係のある事情は説明しなかった。
「まず私の代りに取れそうな身代金は」と私は付け加えた。「私をその筋に引き渡した褒美《ほうび》にもらえる金以外にない。そうしなさい、私自身こうなっては、べつにこれという望みもないんだから」
「そいつはおもしろい望みだ!」男のなかの一人が言った。「だがたぶんあんたは、あんたが自由になるんなら金の耳環を出そうという可愛い娘《こ》がローマにいるんじゃないかね。まあいい、ナポリへ行って即興詩とやらをやるのもいいだろう。わしらでなきゃあんたに国境は越させられませんぜ。身代金が出ないというなら、わしらの仲間にはいるという証拠が手付け金だ。ほらこのとおり、わしは手を出してる。今はわかるまいが、ここにいるのは大した奴らですぜ!だが今夜はまあ寝なさい、考えるのはあとのことだ。ここが寝床だ、掛ける物をあげよう。冬のからっ風もシロッコ季節の雨も通り抜けて来た奴をね。あの釘にかかってるわしの褐色の外套だ」
それを投げてよこし、テーブルの端の藁《わら》ぶとんを教えてくれると、「降りて来よ、おお、恋びと!」というアルバニアの民謡を歌いながら行ってしまった。私は一人きりになった。
私は眠れるなどとは思わずに寝台に転がったが、くたくたに疲れていたのでぐっすり眠りこんだ。目が覚めて、頭がはっきりして来るにつれて、あんなに私の心をかき乱したさまざまのことが、夢のように思いなされた。しかし私のいる場所、まわりにある暗い顔色がたちまち、私の追想が現実であることを教えた。
帯にピストルを差し、長い灰色の外套をふわりと肩にかけたはじめて見る男が、ベンチにまたがって、ほかの盗賊どもと何か熱心に話していた。部屋の隅にはまだあの黄褐色の皮膚をした老婆が、暗い背景をつけて描いた絵のようにじっと坐ったまま、紡錘《つむ》をくるくる廻していた。新しい炭火が彼女の前に置かれて、まわりを暖めていた。
「弾丸が脇腹に飛びこんだ」はじめて見る男の言うのが聞こえた。「少しは血が出たが、ちょっとのあいだにまた正気づいたのさ」
「どうです旦那」と、私がもう起きているのを見ると、私を馬に乗せた男が言った。「十二時間の眠りって奴はなかなかいいでしょう! グリゴリオがローマから、あんたを喜ばせるにちがいない便りを持って来てますぜ。あんたは元老院議員の長裾を、こっぴどく踏んづけたんだ。そうだ、たしかにあんただ! 何もかもすっかり辻つまが合う。本当にあんたは元老院議員の甥《おい》にぶっぱなしたんだ! よく思いきってやんなすったな!」
「あれは死にましたか?」と言うだけが、私がおずおずと口に出したことばだった。
「いや、死んでしまうどころか!」――今日はじめて会った男が言った。「今になりゃたぶん死にゃしまい。とにかく医者はそう言っている。鶯《うぐいす》みたいに歌のうまい外国人の別嬪《べっぴん》が、夜っぴて床《とこ》のそばで看《み》とっているもんだから、とうとう医者が怪我人《けがにん》を静かにさせとかなきゃだめだとか、もう危いところは通り過ぎたとか、言ってきかせる始末だ」
「あんたは的をはずしたんだ」もう一人の男が叫んだ。「男の心臓も女の心も二つともだ。鳥は飛ばしておきなさい。一つがいになるだろうが、あんたはわしらといっしょにいなさい。ここの暮らしはおもしろくて自由だ。ちょっとした殿様くらいになれるかもしれないし、危いことと言ったって、王様めいめいの頭の上にぶらさがっている奴より大きくはない。酒もあれば冒険もある。あんたを袖にした奴の代りになるきれいな女も、一人や二人じゃない。世の中という奴はぽつぽつちびちびやるよりは、ぐいぐいあおるほうがましさ」
「ベルナルドが生きている! おれは彼を殺したんじゃなかった!」こう思うと私の心は新たに元気がついたが、しかしアヌンツィアータを失った悲しみは消えようもなかった。静かに、しかしきっぱり私はその男に、私をどう扱おうとそれは彼らの思うとおりにするがよい、しかし私の性質、今までに私の受けた教育、それにこれからこの世でしようと思っていることは、おまえの言うようなつながりを持つことを許さない、と言い切った。
この男は陰気くさいまじめな調子で、「あんたの自由の代金としては六百スクーディが最低のところだ! もし六日のうちにこの金ができなければ、生きたままであろうと死んでいようと、あんたはわしらのものだ。あんたのりっぱな顔も、わしのあんたにたいする親切も、何の役にも立たない! 六百スクーディが来なければあんたは、ここの仲間の一人になるか、下の井戸のなかに腕を組み抱き合って寝ている大ぜいの仲間の一人になるか、どちらか一つを選ばなければならない。その友だちに、でなければあの美人の歌うたいに手紙を書きなさい。二人とも心の底ではあんたをありがたく思っているにちがいない、二人のあいだの話し合いはあんたがつけてやったんだからな。こればかりのはした金は、きっとあんたのために出すだろう。今までにこんな安い代金でこのわしらの宿を引き払った者は一人もいない。まあ考えてみなさい」と彼は笑いながら付け加えた。「あんたがここへ来るには一文もかからなかったが、今となっては六日間の部屋代と食事の代がいる。理屈に合わないなどとは誰にも言わせないぜ」
私の答えは前と同じだった。
「つむじの曲った男だ!」と彼が言った。「だがあんたのそこが気に入った。あんたの心臓に一発ぶちこまなくちゃならないとしても、やっぱりわしはそう言うね。ところで、わしらの愉快な暮らしは、若い者の心をとりこにするはずなんだが、あんたは詩人、即興詩人のくせに、危険を承知で逃げ出して来てけろりとしてる!さて、わしがあんたに『岩間なる誇らかな力』という題でやってもらいたいと言っても、今あんたはこの暮らしを馬鹿にしているようだが、一つそれをほめあげ、ほめちぎるというわけにはゆかないものかね? 一口飲んで、あんたの作を聞かせなさい。あんたが詩にしなきゃならないのは、わしがいま言ったこと、この山が見ている男らしい戦いだ。りっぱにやってのけたら、さっきの日限をもう一日のばしてあげよう」
彼は壁のキターラを取って私に渡した。盗賊たちは、歌え歌えと言いながら私のまわりに集まって来た。
私はしばらく考えた。私が歌えと言われているのは森のこと、岩山のことであったが、当の私がそういうもののなかへは、じつは今まで一度も行ったことがなかったのだ。前の晩の旅は目かくしをされた上のことだったし、ローマにいるあいだにはボルゲーゼの別荘とパムフィーリの別荘の松林だけしか行ったことがなかった。山はたしかに子供の時の私の心をとらえたことがあるが、これはただドメニカの小屋から見ただけのものだった。たった一度私が山へ行ったのは、あのジェンツァーノの花祭りに出かけた時だった。森の暗さと静けさは、私の思い出に残るそぞろ歩きの絵のなかにある。ネミ湖のほとりの丈の高いプラタナスの下を歩き、夕ぐれに花飾りを編んだ。こういうことが皆もう一ぺん目の前に現われて、幾つかの詩想が胸に浮かんだ。それらの映像は、それを話すのに必要な時間の半分のあいだに、次々と私の前を過ぎて行った。
私は二つ三つ和音をひびかせた。胸に浮かんだものがことばとなり、ことばは波うつ詩句となった。私は森のなかに封じこまれた深い静けさと高く雲間にそそり立つ絶壁を歌った。鷲の巣に母鳥が坐って、若鳥に嘴《くちばし》の強さを教え、太陽を見よと言って、鋭い目のならし方を仕込んでいる。「おまえたちは鳥だよ」と彼女が言う。「おまえたちの目はするどく、爪は強い。母を離れて飛んでおいで。私の目はおまえたちを見送り、私の心は死に抱かれる白鳥の声のように歌を歌おう。『誇らかな力』を私は歌おう!」若鳥は巣をあとに飛び去る。一羽はすぐ隣りの絶壁まで飛ぶと、じっと坐る。太陽の光に目を向けて、その焔を飲もうとするかのようである。また一羽は雄々しくも、悠々と輪を描きつつ、絶壁とはるか下の湖を見おろして高々と舞う。湖の面《も》に、木の繁った岸と空とが映る。大きな魚が動かずにいる。水面にただよう蘆かとも思われる。電光石火、獲物めがけて飛びおり、するどい爪を背に突き立てれば、母鷲の胸は喜びにふるえる。しかし魚と鳥とは互角の強さである。するどい爪は、引き抜くにはあまりに堅く突き立っている。闘《たたか》いがはじまり、大きな波紋を描いて水が乱される。一瞬間、ふたたび元の静けさにもどる。巨大な翼は蓮《はす》の葉のように、ひろげられたまま水面に浮かぶ。またも高く羽ばたくと、突然ぴしりという音がして、片羽が水にかくれ、残る片羽が湖面を泡だて叩きつけて、やがて消えてしまう。魚も鳥も水中深く沈みこんだ。母鷲の悲嘆の叫びが聞こえ、彼女は、そそり立つ絶壁に翼を休めていた次の息子《むすこ》に目を移す。しかし彼はそこにいない。はるか遠く太陽の方向に、黒い斑点《はんてん》が陽光のなかを上昇しながら、消えて行くのが見える。母の心は喜びに波うち、誇らかな力――それが追い求める目的の気高さに、いよいよ偉大さをます誇らかな力を歌い讚える。
私の歌は終った。嵐のような喝采《かっさい》が湧き起こったが、私の目は老婆にばかり向けられていた。じっさい私は歌の途中で、彼女が手にした紡錘《つむ》を落し、暗いするどい視線でじっと私を見つめているのに気がついた。私はその時、私の歌に出てくる子供のころの一場面が、ふたたびくり返されているに相違ないという気がした。彼女は立ちあがった。そして、しだいに足早に私に近づきながら叫んだ――
「おまえさんの身代金は今の歌でもうたくさん、音楽のひびきは金貨の音よりも強いよ! 魚と鳥が深い湖の底に沈んで死んだ時、おまえさんの眼に幸運の星が見えた! 私の勇ましい鷲よ、恐れずに太陽のほうへ飛んでおいで! 婆さん鳥は巣のなかに坐って、おまえさんの飛んで行くのを喜んでいるよ。誰だっておまえさんの翼をしばることなんかできるものか!」
「物知りのフルヴィア!」と、私に歌えと言った男が呼んだ。そして並々ならぬ丁重さで彼女に頭を下げると、「この旦那を御存じだったんですかい? 前にも即興詩を読むのをお聞きでしたか?」
「私はこの人の目にあの星を見たよ。仕合わせな子供のまわりに、目に見えない輝きがきらめくのを見たよ。この人は花飾りを編んだ。もう一つもっと美しいのを、今度は自由な手で編まなければならない。おまえはこの人が魚の背中に爪を突き立てないからと言うので、六日たったら私の若鷲を射ち殺すつもりかい? 六日のあいだこの人はここの巣にいなくてはいけない。そのあとで太陽のほうへ飛んで行かなくてはいけない!」
彼女は壁に作った戸棚をあけて紙を取り出し、書こうとした。
「インクが固まっている」と彼女が言った。「乾いた岩みたいだ。おまえさん、黒い水をたっぷり持ってたね、コズモ。おまえの手をお引っ掻き。フルヴィア婆さんはおまえの仕合わせも考えてるよ!」
盗賊は何も言わずにナイフを取って、皮を剥がすと、血でペンを濡らした、老婆はそれを私に渡して、「私はナポリへ旅行します」と書かせた。
「その下に自分の名を!」と彼女が言った。「法王の印判と同じだよ」
「こいつはどういうわけなんです?」若い者の一人が怒った眼付でちらりと彼女を見ながら言うのが聞えた。
「虫は口をきくかい?」老婆が言った。「おまえを踏みつぶす幅の広い足には用心するんだね」
「物知りのおっかさん、わしらはあんたの分別に頼りきってますよ」と、年かさの一人が口を出した。「あんたの考えは、わしらにとって闇夜《やみよ》の燈台だ」
もう誰も口をきかなかった。
以前の生き生きした気分がもどって来て、酒の瓶が席をめぐった。彼らはなれなれしく私の肩をたたき、テーブルに出された鹿肉のいちばんいいところを切ってくれた。しかし老婆は前と同じようにじっと坐って、紡錘《つむ》を動かしていた。若い者の一人が、「寒いでしょう、おっかさん」と言いながら、新しい炭火を足もとに置いた。
彼らの会話から、また彼らが老婆を呼ぶ名から、私が子供のころ母やマリウッチアといっしょにネミ湖のほとりで花飾りを編むのを見て、私の運勢を占ったのがこの老婆であることに気がついた。私は自分の運命が彼女の手に握られているのを感じた。彼女は私に「私はナポリへ旅行します」と書かせた。これは私の望みであったが、通行証なしでどうして境界が越せるだろう? 誰ひとり知りびともないよその町で、私はどうやって暮らして行けるだろう? 近くの町からの逃亡者でありながら、即興詩人として初舞台を踏むのは、私のあえてなしえないことだった。しかし私の外国語の力と聖母に寄せる私独特の子供のような信頼が、私の心に力をつけてくれた。アヌンツィアータの思い出さえが、不思議な憂愁に融けこんで、私の心に平和をもたらした。船が沈んだあと、ただ一人小さなボートに乗って、未知の海岸へ流されて行く水夫を訪れる、それに似た平和であった。
一日また一日と過ぎた。男どもが出たりはいったりした。フルヴィアまでがまる一日どこかへ行っていた。そして残ったのは、私と盗賊の一人だけだった。
これは二十一か二の若者で、目鼻立ちは人なみだったが、その表情の憂鬱なことは狂人のそれと紙一重とも言えるほどだった。その顔と、肩まで垂れた黒く美しい髪が、彼の外見の特徴だった。腕で頭をささえて、彼は長いあいだ口をきかなかった。ようやく私のほうへ向き直ると、「あなたは字が読める、この本にある祈祷の文句を一つ読んでください」と言って、小さな祈祷書を渡した。私は読んでやった。すると本当に心の底からの信頼が、その大きな暗い眼に輝いた。
「どうしてここを出て行くのですか?」おとなしく私に手を差し出しながら彼が聞いた。「嘘とごまかしは町にも森にもありますがね、さっぱりした空気があって人間が少ないのは森のなかだけですよ」
おたがいの信頼と言ったような感じが私たちのあいだに湧いた。私は一方では彼の乱暴な態度にぞっとしながら、一方ではまた彼の不幸に心を動かされた。
「あなたはたぶん」と彼が言った。「サヴェルリの殿様の伝説を御存じでしょう。アリッチアの賑やかな婚礼の話です。本当は貧乏な百姓とつまらない田舎娘《いなかむすめ》なんですが、娘は別嬪で、その娘の婚礼だったんです。サヴェルリの金持の大旦那が花嫁のために舞踏会を開いたのはいいが、自分のうちの庭へ来ないかと誘ったんです。娘がそれをお聟さんに話したので、そいつが娘の着物を着て、花嫁のヴェールをかぶって、代りに出かけて行きました。伯爵が娘を胸に抱きしめようとすると、その気高い心臓に匕首《あいくち》がぐさりと突き通りました。私も同じような伯爵と花聟を知っていますが、花嫁のほうはこんなにあけすけじゃありませんでした。金持の伯爵は婚礼の夜を祝ったが、花聟は娘の葬式の宴会をやったというわけです。蒼《あお》光りのするナイフが心臓に刺さる時の花嫁の胸は、雪のように艶《つや》がありました」
私はじっと彼の顔を見つめたが、気の毒に思う気持を表現すべきことばが見つからなかった。
「私が一度も恋を知らなかった、蜜蜂のように芳しい香の杯《さかずき》から飲んだことが一度もない、とあなたは思っておいでだ」と彼が叫んだ。「身分の高いイギリスの婦人がナポリへ旅行していました。きれいな腰元を連れてましたが、つやつやした頬と火のような眼を持っていました。仲間の奴らは彼女たちを馬車からおろして、掠奪するあいだ、黙って地面に坐らせときました。女二人と若い男一人――どっちかの恋人だったんでしょう――を引っぱって山を登りました。男を木に縛りつけました。若い娘は美人だし年ごろでした。私だってサヴェルリ伯爵になれたんです! やがて三人の身代金が来たころには、娘の頬には赤味が失せ、眼の輝きも減っていました。山のなかにはものかげがたくさんありますからね!」
私は横を向いた。すると彼はなかば弁解するように、「娘はプロテスタントでした。そんな奴らはキリスト教徒じゃない、悪魔の娘ですよ!」
二人ともしばらく押し黙った。
「もう一度祈祷書を読んでください」と彼が言ったので、私はそのとおりにしてやった。
夕方フルヴィアが帰って来た。手紙を一本渡したが、読んではならないと言った。
「山が白い頭巾《ずきん》をかぶっている、もう飛んで行ってもいい。食べたり飲んだりしておおきよ。あたしたちは長い旅をしなけりゃならないし、それに裸岩の上を歩いて行けばパンなんか生えてないからね」
若い盗賊が急いで食べ物をテーブルの上に置いたので、私が食べると、フルヴィアは外套をひっかけて、岩をくり抜いた暗い路《みち》を通って大急ぎで私を連れ出した。
「その手紙のなかにあんたの翼があるんだよ」と彼女が言った。「私の若鷲よ、国境の兵隊は一人だってあんたの羽をむしれやしない! 翼のそばに魔法の杖も入れてある。あんたが自分の宝をつかむまで、金貨でも銀貨でも出してくれるよ」
やせこけた裸の腕で彼女は、洞穴の入口に幕を下げたように垂れている繁った木蔦《きづた》を押し分けた。そとは闇夜で、濃い霧が山をつつんでいた。私はしっかり彼女の着物につかまったが、暗いなかの踏みならしてない路では、彼女の早い足に歩みを合わせるのはほとんど不可能だった。魔物のような速さで、両側の繁みも藪もうしろに残して進んだ。
こうしてしばらく歩きつづけると、今度は山間の狭い谷に出た。あまり遠くないところに、このあたりの沼の多い地方によくある藁小屋が立っていた。壁はなくて、蘆《あし》の屋根が地面まで伸びていた。低い戸口の割れ目から光が洩れていた。なかにはいると大きな蜂の巣にいるような気がしたが、どこもかしこも、低い戸口よりほか逃げ道のない煙でまっ黒だった。柱や梁《はり》ばかりか屋根の蘆までが黒光りしていた。床のまん中に煉瓦造りの、長さが四メートルあまり、幅がその半分ほどの高くなったところがあって、その上に炭と灰があった。ここで煮たきをして、小屋を煖《あたた》める役にも立たせていたのだ。奥の方の壁に口があって、ちょうど玉葱《たまねぎ》の親に子がくっついているように、この小屋につづいたもっと小さな小屋に出られた。一人の女が四、五人の子供といっしょに眠っていた。その上から首を出して、驢馬《ろば》が一匹じっと私たちを見ていた。ぼろぼろの山羊皮《やぎがわ》のズボンをはいた、ほとんど裸の老人がこちらへ出てきて、フルヴィアの手に接吻すると、たがいに一言も口をきかずに、裸の肩に羊の毛皮を引っかけ、驢馬を引き出して、私に乗れという合図をした。
「幸福の馬はカンパーニャの驢馬よりぐんぐん走るよ」フルヴィアが言った。
百姓は驢馬を曳いて私を外へ出した。私はこの風変りな老婆のありがたさに深く感動した。私はその手に接吻しようとして体をかがめたが、彼女は首を振って、私の額の髪をうしろへ掻き上げた。冷たい接吻を感じ、彼女が手で合図をするのがもう一度見えたが、繁みと木の枝が私たちをたがいに見えなくしてしまった。百姓は驢馬を叩いて、そばについて走りはじめた。話しかけてみたが、彼は低い音を出したきりで、手まねで自分は唖《おし》だと教えた。私はフルヴィアがくれた手紙を読んでみたくて、ちっとも落ちついた気持でいられなかったので、それを取り出して開けてみた。いろんな紙がはいっていたが、いかにも暗いので、どんなに目をはたらかせても一字も読めなかった。
明るくなったとき私たちのいたのは、少しばかりの蔓草《つるくさ》と、灰色がかった緑色をして香りのいい蓬《よもぎ》の生えたほかには、裸の花崗岩《かこうがん》ばかりの場所だった。空はきれいに晴れ渡って、いちめんに星が輝いていた。海に似た雲のひろがりが下のほうに見えたが、これはアルバーノの山々から伸びて、ヴェルレトリとテラチーナのあいだでアブルッツィと地中海に仕切られる沼沢地《しょうたくち》であった。下のほうにはまた、低い波のような霧が雲のような輝きを見せていたが、私はたちまち無限の青さの空が薄紫に変り、それから薔薇色になると山までが淡青のビロードになるのを見た。私は色調のすばらしさに目がくらんだ。山腹に火が燃えて、明るくなった地面の上に星のように輝いた。私は両手を合わせて祈った。頭はおのずと自然という大きな教会のなかの神の前にさがって、口には出さなかったが私は(み心のままにならせたまえ!)と祈った。
朝の光はもう、あの手紙の中身が楽に読める明るさになっていた。それはローマの警察が私のために出した旅券で、ナポリの大使のヴィザがあり、もう一通はナポリのファルコネット商会あての五百スクーディの為替《かわせ》で、なおその他に、「ベルナルドの命はもう心配がないが、しかし二、三か月はローマに帰るな」と書いた小さな書付が添えてあった。
フルヴィアの言ったことは本当だった、ここに私の翼と魔法の杖があった。私は自由の身だった。私の心からぐっと感謝の吐息がこみあげた。
まもなく私たちは、もっとよく踏み固められた路に出たが、二、三人の羊飼いが坐って朝食をしていた。ここで私の案内人は立ちどまった。彼らはこの男を知っているらしかった。私の案内人は指を動かして、彼らが私たちを朝食の仲間に入れなければならない、ということを呑みこませた。この朝食というのはパンと水牛のチーズで、それに彼らは驢馬の乳を飲んでいた。私も三口四口お相伴にあずかったが、これで元気を取りもどしたのがわかった。
私の案内人が一つの路を指さすと、羊飼いたちはその路は沼沢地のそばを通って山を降りテラチーナに出る、そして夕方までにはそこに着けると説明してくれた。山の左側を通ってどこまでもこの路を行くと、二、三時間のうちに私は一本の掘割にぶつかる、これは山のなかから街道へ来ているもので、霧がはれればすぐ、その岸の並木が眼にはいるということだった。その掘割について行くと、荒れ果てた僧院のすぐ脇のところで街道に出るが、今はそこにトルレ・ディ・トレ・ポンティという宿屋があるはずだった。
私は喜んで案内人にちょっとしたものをやりたかったが、私は何も持っていなかった。しかしふと思い出してみると、私はまだ二スクーディ持っていた、ローマを出る時にポケットにあったのだ。私があきらめたのは、途中入用だからと言って私にくれた金のはいった財布だけだった。この二スクーディはだから、この時の私の有り金全部だった。半分は案内人にやってもよかったが、残りの半分はナポリへ着くまでの入用にとっておかなくてはならなかった。例の為替はナポリへ行ってはじめて役に立つのだったから。私はポケットに手をやった。が、いくらさがしてもむだだった。とっくの昔に私はわずかばかり持っていた物の全部を盗まれていたのだった。私は無一物だった。そこで私は頸に巻いてあった絹のハンカチを外して案内人にやり、他の連中には手を差し出して、ただ一人沼沢地へ降りて行く道を歩きはじめた。(つづく)