アンデルセン童話集(下)
アンデルセン作/山室静訳
目 次
「きれいな人!」
砂丘の物語
人形つかい
ふたりの兄弟
古い教会の鐘
馬車で来た十二人のお客
コガネムシ
とうさんのすることにまちがいはない
雪ダルマ
あひる小屋で
あたらしい世紀のミューズ
氷ひめ
チョウ
プシケ
解説
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「きれいな人!」
彫刻家《ちょうこくか》のアルフレッドさんを、知っていますか。わたしたちは、みんな知っていますがね。
この人は、金メダルをもらって、イタリアに旅をして、また国へかえってきました。そのころは、まだわかい青年《せいねん》でした。そりゃ、いまでもまだわかいけれど、あれからでも、もう十年になります。
国へかえってくると、シェルランド島のある小さな町をたずねました。その町では、町じゅうの人が、この人がどういう人だか知っていました。町のいちばんお金持ちの家で、この人のかんげい会がひらかれました。いくらかでも地位《ちい》のある人や物持《ものも》ちは、のこらずしょうたいされました。
この町としては大事件《だいじけん》でした。たいこでふれまわらなくとも、町じゅうの人が知っていました。見ならいの職人《しょくにん》や、まずしい家の子どもたちは――中にはおとなも二、三人まじっていましたっけ――、みなその家の外に立って、しめきったカーテンのほうを、ながめていました。カーテンは、あかあかとてらし出されていました。
そんなにおおぜいの人が道に立っていたので、夜まわりは、じぶんたちで宴会《えんかい》をやっているような気持ちになりました。あたりには、おまつりめいた気ぶんがただよっていました。家の中ではなおさらでした。それもそのはず、彫刻家のアルフレッドさんが来ていたのですから。
アルフレッドさんは、いろいろと話しました。みんなはそれを聞いて、よろこびと感激《かんげき》にひたりました。中でもいちばん感激していたのは、ある中年《ちゅうねん》のお役人《やくにん》の未亡人《みぼうじん》でした。そのおくさんは、アルフレッドさんのことばにたいしては、まるでなにもかいてない白紙《はくし》でした。いわれたことは、すぐすいとってしまって、もっともっと話してくださいとたのみました。このうえもなくお人よしで、また信じられないほど物を知らない、いわば女のカスパル=ハウザー〔一八二八年五月二十六日、ドイツのニュルンベルクで洗礼《せんれい》をうけた、身もとのわからないすて子で、なぞめいたことをいったり、したりしたといわれる〕といったふうの人だったのです。
「ローマに行ってみたいですわねえ! さぞかしすばらしい町でしょうもの。それはどっさり、外国人《がいこくじん》が見物《けんぶつ》にまいるそうじゃありませんか。ねえ、ローマのことを話してくださいな。ローマの町の門をはいると、そこはどんな光景《こうけい》ですの」
こう、おくさんはいいました。
「ひとくちでいうのは、むずかしいですねえ。そこには大きな広場《ひろば》があって、そのまん中には、一本のオベリスク(神殿《しんでん》の前などにある石の柱で、頂上《ちょうじょう》はピラミッド形になっている)が立っていますが、これは、四千年もむかしのものなのですよ」と、わかい彫刻家《ちょうこくか》はいいました。
「オルガニストですって」と、おくさんは、思わず声をはりあげました。
おくさんはいままで、オベリスクということばを聞いたことがなかったのです。いく人かは、思わずわらいだしそうになりました。彫刻家もそのひとりでした。
ところが出かかったわらいは、たちまちおどろきにかわりました。というのは、おくさんのすぐそばに、海のように青い色をした一ついのつぶらな目を見つけたからです。
それは、おしゃべりのおくさんのむすめでした。このようなむすめをもっている人が、どうしてばかなはずがありましょう。
おかあさんは、なんでも聞かずにいられない質問《しつもん》のいずみでした。むすめさんは、そのいずみに住む美しい水の精《せい》でした。ほんとに、なんてきれいなむすめさんでしょう。彫刻家にとっては、見ても見あきることのないなにかでした。けれども、ことばをかわす必要《ひつよう》はありませんでした。それに、むすめさんはなにもいいませんでした。いったとしても、ほんのひとこと、ふたことでした。
「法王《ほうおう》さまは大きな家庭《かてい》をおもちですか」と、おくさんはたずねました。
青年はこの質問をよいいみにとって、こうこたえました。
「いいえ、法王は豪家《ごうか》の出ではありません」
「わたしがおたずねしたのは、そういういみじゃありません。法王さまには、おくさまやお子さんがおありかってことですわ」と、おくさんがいいました。
「法王は、結婚《けっこん》してはならないのです」と、青年はこたえました。
「それはおきのどくな」と、おくさんはいいました。
おくさんはたぶん、もっとかしこい質問や、おしゃべりをすることも、できたかしれません。しかし、もしあのような質問をしたり、おしゃべりをしなかったとしたら、はたしてむすめさんが、あんなふうにおかあさんのかたにもたれかかって、まるでなきだしそうな、あんな微笑《びしょう》をうかべておかあさんを見つめたでしょうか。
そこでアルフレッドさんは、イタリアのすばらしい美しさについて、話しに話しました。
青みがかった山々、青い地中海《ちちゅうかい》、南国の青空について。そして、あの美しさにまさるものは、北の国ではただ北欧《ほくおう》の女の人の、青い目の中に見いだされるだけだといいました。
それは、めあてがあっていったことなのです。ところが、そのいみがわからなければならないはずの人は、すこしもわかったようすを見せませんでした。これもまた、すばらしいことでした。
「イタリアか」
こういって、いく人《にん》かがためいきをつきました。
「旅《たび》をしたらいいだろうな、すばらしいだろうな」と、ほかのいく人かがためいきをつきました。
「そうですよ、もし、わたしに五万リグスダラー(デンマークの貨幣単位)の富《とみ》くじがあたったら、わたしたち、旅に出かけますわ、わたしとむすめとでね。そうしたら、アルフレッドさん。あなた、あんないしてくださいましね。三人で行きましょうよ。それから、ほかに二、三人、なかのよいお友だちもさそってね」
こういって未亡人《みぼうじん》のおくさんは、さもうれしそうに、みなにうなずいてみせました。だれもかれもが、じぶんこそ、そのときさそわれる友だちにちがいないと思いこみました。
「ええ、わたしたち、イタリアヘまいりますとも。でも、追いはぎのいるようなところはごめんですわ。わたしたちはローマにいて、大きな国道だけ歩きましょうよ。それなら安全ですわ」
するとむすめさんは、小さなためいきをつきました。小さなためいきの中にでも、どれほど多くのものがふくまれていることでしょう。また、ふくませることができるでしょう。
アルフレッドさんは、その中に多くのいみをふくませて考えました。そんなわけで、その晩、この青年のためにかがやいたその二つの青い目の中には、あるたからものが――ローマのすべての栄光《えいこう》にまさるともおとらない、魂《たましい》と心のたからがかくされていたのです。やがて会がおわったとき、青年がどこへ行ったかといえば、そのむすめさんのところへ行ったのでした。
その未亡人の家が、彫刻家アルフレッドさんが町で訪問《ほうもん》した、ただ一けんの家でした。
といって、それがおかあさんのためでないことは、だれにもわかりました。話しあいてになるのは、いつもおかあさんだけでしたけれど、彫刻家がたずねてくるのは、むすめさんのためにきまっていました。
むすめは、カーラといいました。ほんとはカーレン=マレーネというのですが、二つの名まえがつづまって、カーラとなったのです。カーラは、美しいむすめでした。だけれど、いつでもなんだかねむたそうにしている、と、人にいわれました。朝もすこしおねぼうのほうでした。
「それはこの子の、赤ちゃんのときからのくせですのよ。この子はいつまでも、子どものビーナス(美《び》の女神《めがみ》)なんです。だから、じきつかれるんですの。朝もすこしおねぼうですけれど、おかげで、あんなすんだ目をしていますわ」
こう、おかあさんはいいました。
このすんだ目には、なんという力《ちから》がこもっていたことでしょう。この、海のように青い二つのひとみの中には。底のふかい、しずかにたたえた水の中には。そのふかい底に、どんぶりとおちこんだ青年には、そのことがよくわかりました。
青年はいろいろな話や、物語《ものがたり》をしました。そしておかあさんは、はじめのときとおなじく、いつもほがらかで、いきあたりばったりののんきな質問をしました。
ほんとに、アルフレッドさんの話を聞くのは、たのしいことでした。話の中には、ナポリやベズビオ火山のことも出て、火山のばくはつをかいた色つきの絵まで、いくまいも出してみせました。
未亡人は、これまでそんな話は聞いたこともなく、まして、考えたことはありませんでした。
「まあ、おどろいた。火をふく山ですって? それで、だれもけがはしないんでしょうか」
こう、おくさんはさけびました。
「町ぜんたいがほろびたのですよ。たとえば、ポンペイやヘラクラネウムなんか」
「まあ、なんてきのどくな人たちでしょう! あなたはじぶんで、それをすっかりごらんになったのね」
「いいえ、この絵にかかれているばくはつは見ませんでした。だが、ぼくのかいたスケッチを、一まいお目にかけましょう。ぼくが見たばくはつを、そのままかいたんですよ」
こういってアルフレッドさんは、えんぴつのスケッチを一まいとり出しました。すると、強い色をぬった絵に見とれていたおかあさんは、色のうすいえんぴつ画《が》に目をうつして、おどろいたようにいいました。
「あなたがごらんになったのは、こんな白い色の噴火《ふんか》なのね」
一|瞬間《しゅんかん》、このおくさんにたいするそんけいの気持ちが、きえてしまいました。けれどもすぐ、カーラさんからかがやき出る光にてらされて、おかあさんには、色のセンスがないのだと知りました。そのかわりおかあさんは、いちばんいいもの、いちばん美しいものをもっていました。それはカーラ嬢《じょう》でした。
やがて、カーラとアルフレッドは婚約《こんやく》しました。それは当然《とうぜん》なことでした。この婚約の記事《きじ》は、町の新聞《しんぶん》に出ました。おかあさんはその新聞を三十まいも買いこんで、その記事を切りぬいて、手紙《てがみ》の中へ入れて、友だちや知人《ちじん》におくりました。
婚約したふたりは幸福《こうふく》でしたし、おかあさんも、しあわせでした。おかあさんは、まるでトールワルセン(デンマークの生《う》んだ世界的《せかいてき》な彫刻家)と親類《しんるい》になったような気でいました。
「だって、あのふたりは、まあトールワルセンのあとつぎですもの」
これがおかあさんのいいぐさでした。アルフレッドさんもこんどは思いました。――おかあさんもうまいことをいったものだと。カーラはなにもいいませんでした。でも、その目はかがやき、ほほえみが口もとにうかび、一つ一つの動作《どうさ》が、なんと美しかったことでしょう。まったくカーラは美しいむすめでした。このことは、いくどくりかえしていっても、多《おお》すぎはしません。
アルフレッドは、カーラと母親《ははおや》の胸像《きょうぞう》をつくりました。ふたりは彫刻家の正面《しょうめん》にこしかけて、アルフレッドさんの指がやわらかいねんどをこねたり、すべらかにしたりするのを見ていました。
「そんなことをなさるのも、やっぱり、わたしたちのためなんでしょう。おでしにもまかせないで、あなたがじぶんで、そんなつまらないしごとをなさるのは」と、母親はいいました。
「いや、このねんどをこねるしごとが、ぼくのやらなくちゃならんことなのですよ」と、アルフレッドはこたえました。
「まあ、あなたはなにをなさってもお上品《じょうひん》ね」と、こんどはおかあさんがいいました。
カーラは、ねんどのこびりついたアルフレッドの手を、そっとにぎりしめました。
アルフレッドはそんなふたりのために、この世界の美しさについて説明《せつめい》しました。――なぜ、生きているものは死んだものよりも、植物《しょくぶつ》は鉱物《こうぶつ》よりも、動物《どうぶつ》は植物よりも、そして、人間は動物よりも上にあるか。
また、精神《せいしん》と美《び》が、どういうふうに形をとおしてあらわれているか。そして彫刻家がどうやってそういうあらわれのいちばんすばらしいものを、地上のすがたにあたえるかを。
カーラは、だまって聞いていました。いまいわれたことを、頭の中でくりかえしながら。
ところが、母親はいいました。
「あなたのおっしゃることは、よくわかりません。でも、わたしはゆっくりあとからついていくことにしましょう。いくら頭の中がこんがらかったって、いつかしっかりつかまえてみせますよ」
ところで、美はアルフレッドをしっかりつかまえていました。それはかれの心をみたして、かれを支配《しはい》してしまいました。美は、カーラのすがたぜんたいから、その目から、口もとから、指のうごきからさえ、かがやき出ていました。
そのことをアルフレッドは、口にも出しました。彫刻家でしたから、そういうことはよくわかっていました。
アルフレッドはカーラのことばかり話し、カーラのことばかり考えました。こうしてふたりは、一体《いったい》になりました。そうするとカーラのほうでも、いろいろと話しました。なにしろアルフレッドが、むやみにしゃべりましたから。
それは婚約時代《こんやくじだい》のことでしたが、やがて結婚式の日が来ました。花よめにつきそう女や、お祝《いわ》いのおくりものが、どっさり来ました。それから、結婚を祝うことばがのべられました。
母親は新婚の家のテーブルの前に、しごと着を着ているトールワルセンの胸像をおきました。この人にもお客になってもらうというのが母親の考えだったのです。みんなは歌をうたい、かんぱいをしました。ほんとにたのしい結婚式であり、美しい花よめ花むこでした。『ピグマリオン〔ギリシアの伝説的な王。じぶんでつくった女の人の像ガラテアに恋し、女神アフロディテに命をあたえてもらい、その像と結婚したといわれる〕、うるわしきガラテアを得《え》たり』という歌がうたわれました。
「これでは、神話《しんわ》そのままね」と、母親はいいました。
あくる日、わかい夫婦《ふうふ》は、コペンハーゲンヘ旅立ちました。そこで、新家庭《しんかてい》をつくるのです。おかあさんも、水しごとをひきうけるのだといってついていきました。けれども、じつは家事《かじ》をきりまわすつもりだったのです。カーラはお人形《にんぎょう》のように、ガラスばこの中にすわっていなければなりませんでしたから。なにもかもあたらしく、ぴかぴか光ってきれいでした。
こうして三人は、いっしょにくらしました。――それで、アルフレッドがどんなふうだったかというと、まず、ことわざでいう「ガチョウの巣《す》の中の僧正《そうじょう》さま」〔ぜいたくにくらすことをいう〕でした。
形の魔法《まほう》が、アルフレッドをめくらにしていたのです。外ばこばかりを見て、中にあるものは目にうつりませんでした。これは、不幸なことでした。わけても結婚生活にとっては、たいそう不幸なことでした。
外ばこがぼろぼろになって、外がわの金めっきがはげてしまうと、人は、じぶんがえらびそこなったことに気がついて、後悔《こうかい》します。
人々のあつまっている席で、両方のズボンつりのボタンがなくなっているのに気がついたり、とめ金がなくて、ベルトがしめられないのを知ったら、それこそ、うんざりすることでしょう。
しかし、大きな会合の席で、じぶんのおくさんとその母親が、ばかなことをしゃべるのを聞かされながら、そのおろかさをふきとばすような、気のきいた思いつきもうかばないとしたら、なおさらくさってしまうでしょうね。
わかい夫婦《ふうふ》は、よく手をとりあってすわっていました。夫がなにか話をすると、妻はときたま、ひとこと口をはさみました。そのひとことは、いつもおなじメロディーでした。――まるでとけいが、おなじ調子《ちょうし》で二時をうち、三時をうつように。
ただ、ソフィーという女の友だちがたずねてくると、やっと精神《せいしん》のそよ風がふきました。
ソフィーは、けっして美人ではありませんでしたが、といって、どこにも非《ひ》のうちどころのないむすめでした。もっとも、カーラにいわせれば、すこし意地《いじ》まがりだとのことでしたけれど、この女友だちがいうほどではありませんでした。
かの女は、たいそうものわかりのよいむすめでした。けれども、じぶんが、この家にとってきけんなものになるだろうとは、ゆめにも思いませんでした。とにかくかの女は、お人形のガラスばこの中にふきこむ、すがすがしい風でした。そういうすがすがしい風が必要《ひつよう》だということは、だれでも気がついていたのです。
わたしたちも、風にふかれなければいけない。――というわけで、みんなは、風にふかれに出かけることになりました。母親とわかい夫婦は、こうしてイタリアヘ出かけたのです。
「やれやれ、ありがたいことに、やっとまた、わが家にかえれましたよ」
母親とむすめは、一年たってアルフレッドといっしょに国へ帰ってくると、こういいました。
「旅なんて、ちっともたのしいもんじゃないね。しょうじきにいえば、たいくつですよ。こんなことをいっては、もうしわけないけれどさ。わたしはほんとうにうんざりしました。じぶんの子どもがいっしょだというのにね。それに、お金のかかることといったら! 旅って、なんてお金がかかるんでしょう! 美術館《びじゅつかん》という美術館は見なけりゃならないし、そこらじゅう、かけずりまわってさ! 国へかえってくればきたで、人に聞かれれば、なんとかいわなくてはなりません。しかも、たまたまわすれて見おとしたものが、いちばん美しいものだったなどと聞かされるのですからね。どこへ行っても、マドンナ、マドンナで、わたしゃ、しまいには食傷《しょくしょう》しちまいましたよ。これじゃ、じぶんがマドンナになってしまいます」
こう、母親はいいました。
「それに、あのたべものときたら!」と、カーラはいいました。
「一度だって、ちゃんとした肉入りスープの出たためしがなかったね。あちらの料理法《りょうりほう》は、なっていませんよ」と、おかあさんはいいました。
おまけにカーラは、旅づかれが出て、しかもわるいことに、そのつかれがいつまでもぬけませんでした。ソフィーがてつだいに来てくれたので、たすかりましたが。
「ソフィーさんが、家事《かじ》にも芸術《げいじゅつ》のことにもあかるい、なんでもできないことがなくて、しかもよく気のつく、信用《しんよう》のできるむすめさんだということは、これはみとめなくちゃなりません」
こう、おかあさんはいいました。
しかも、カーラが日ごとに病《や》みおとろえていくにつれて、そのことがいよいよはっきりしていきました。
外ばこがぜんぶなら、せめて、その外ばこだけはしっかりしていないと、ぜんぶがだめになってしまいます。ところが、その外ばこがだめになりました。
カーラは死んだのです。
「あれはきれいなむすめでしたよ。美術館にならんでる、こわれかけたこっとう品なんかとは、まるでちがいます。カーラは、どこもかけていませんでした。美しいものは、こうでなくてはいけません」と、おかあさんはいいました。
アルフレッドはなきましたし、母親もなきました。ふたりは、黒い喪服《もふく》を着ました。黒い服は母親ににあいました。そこで母親はいつまでも黒い服を着て歩いて、いつまでもかなしんでいました。ところが、またべつのかなしみをあじわいました。というのは、アルフレッドが再婚《さいこん》して、そう見かけのよくないソフィーをおよめにしたからです。
「あの人は極端《きょくたん》ですよ!」と、義理《ぎり》のおかあさんはいいました。
「いちばんきれいなものから、いちばんみにくいものへ走ったのですもの。さいしょの妻をわすれることができるなんて。どうして男の人には、こう、実《じつ》がないんでしょう。わたしの夫はべつでしたよ。それに、あの人はわたしよりもさきに死にましたわ」
「ピグマリオン、うるわしきガラテアを得たり、か」と、アルフレッドはいいました。
「うん、結婚の歌の文句《もんく》にあったっけなあ。ぼくはやっぱり、ぼくのうでが生命《せいめい》をあたえた美しい像《ぞう》に、恋《こい》してしまったのだ。
しかし、天がわれわれにさずけてくださるじぶんとよくにた魂《たましい》、じぶんとともに感《かん》じ、じぶんとともに考え、じぶんがくじけそうなときには、たすけおこしてくれる、そのような天使《てんし》を、いまこそぼくは見つけて、手に入れたのだ。
ソフィー! きみは形の美しさや、光りかがやくようなすがたは、もってこなかった――だが、よろしい。それでも、ぼくに必要な以上には美しいよ。かんじんな点は、どこまでもかんじんさ! きみは彫刻家に、かれのつくるものはただのねんどで、ちりであること、ぼくらがもとめなければならない、ほんとうのしごとはあの内部の核《かく》をうつし出すことだけであることを教えてくれた。
かわいそうなカーラ! ぼくらのこの世の生活《せいかつ》は、まるで旅のようなものだった。気の合うものどうしがいっしょにくらすあの天国《てんごく》では、たぶんぼくたちは、はんぶん他人《たにん》みたいになるかもしれない」
すると、ソフィーはいいました。
「それは、愛情《あいじょう》のあることばとはもうせませんわ。キリスト教徒《きょうと》らしくもない! 天国《てんごく》では、結婚することはゆるされません。でも、あなたがいまおっしゃったように、魂はたがいにひかれあって出あうのですわ。あそこでは、すべての美しい芽《め》が花をひらき、いちだんと高められるのよ。あのかたの魂も、きっと、力いっぱいに歌声《うたごえ》をあげるのではないかしら。わたしの魂のひびきをもうちけしてしまうほどに。そしてあなたは、――あなたは、きっと、そのときもう一度、あの、さいしょのときの愛のさけびをおあげになるのでしょうよ。
『おお、きれいな人、きれいな人』って」
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砂丘の物語
これはユラン半島の、砂丘の物語です。しかし、お話はそこではなくて、はるか遠くの南の国、スペインではじまります。海は、国と国とをつなぐ大ききなかい道です。ではどうぞ、海のむこうの、スペインの国を思いうかべてください。
そこはあたたかな、美しい国です。うすぐらいゲッケイジュの林の中に、ザクロの花が、火のように赤くさいています。すがすがしい風が、山からふいてきて、オレンジ畑の上や、金色のまる屋根と色美しいかべとをもった、ムーア人のすばらしい宮殿《きゅうでん》の上をふいていきます。
子どもたちが、ろうそくとひらひらするはたとを持って、行列《ぎょうれつ》をつくりながら町をねり歩いていく上には、星のきらめく空が、高くすんでいます。歌声や、カスタネットの音が聞こえて、わかものやむすめたちが、花ざかりのアカシアの木の下で、くるりくるりとおどっています。
そうかと思うと、こじきが、切り出されたままの大理石《だいりせき》にこしかけて、しるの多いスイカでのどをうるおしては、うつらうつらと一生《いっしょう》をすごしています。ぜんたいがまるで美しいゆめのようで、そのゆめに身をまかしています。
そうです、まったくそういうにふさわしい、結婚《けっこん》したてのわかい夫婦《ふうふ》がいました。この夫婦には、この世の、すべてのたからがめぐまれていました。――健康《けんこう》、ほがらかさ、富《とみ》、そして名誉《めいよ》。
「わたしたちほど、しあわせなものはない」
夫婦は心の底から、こう信じきっていました。けれども、しあわせの階段《かいだん》をもう一段のぼることも、できないわけではありません。それは神さまがこの夫婦に、身も心もそっくりの、むすこをさずけてくださるときでしょう。
その幸運児《こううんじ》は、きっとよろこびのさけびでむかえられることでしょう。このうえない愛と心づかいをうけ、一家の富と地位とがあたえうるかぎりの、あらゆるしあわせをうけることでしょう。
一日一日がこの夫婦には、おまつりのようにたのしくすぎていきました。
「人生というものは、考えられないほど大きな愛のたまものなのね。こんなにみちあふれているしあわせが、あの世ではなおいっそう大きくなって、それが永久《えいきゅう》につづくのね。――そんなことは、わたしにはよくわからないけれど」と、わかい妻はいいました。
「そういう考えは、たしかに人間の思いあがりから出たものだ。人間が永遠《えいえん》に生きるとか、神のようになるとか信じるのは、おそろしいうぬぼれさ! あのうそつきの親分《おやぶん》のヘビのことばが、やっぱりそうだったじゃないか」と、わかい夫はいいました。
「でも、あの世での生命《せいめい》は、おうたがいにはならないでしょうね」
わかい妻はこうたずねました。太陽にあかるくてらされていた心に、はじめてかげがさしたかのように。
「もちろん、信仰《しんこう》はそれをやくそくし、ぼうさんたちも、そういってるよ。だが、いまこのようなしあわせにひたっているぼくにとっては、この世の後《のち》に、なおあの世があって、このしあわせが永久《えいきゅう》につづくことをのぞむのは、どうも、思いあがった考えとしか思われないのだ。――この世でもうわれわれは、まんぞくして生きるだけのものをあたえられてはいないだろうか」と、わかい夫はいいました。
「ええ、おっしゃるとおりですわ。でも、何千という人にとって、この人生は、くるしい試練《しれん》です。どれだけ多くの人が、この世の中へ、いわば投げ出されて、びんぼう、はずかしめ、病気、不幸《ふこう》などをなめたことでございましょう。
いいえ、もしあの世というものがなければ、この世でのすべては、あんまり不公平《ふこうへい》ですわ。それでは、神さまも正しい方《かた》ではなくなります」
こう、わかい妻はいいました。
「あそこにいるこじきにだって、よろこびはあるんだ。それは、りっぱな宮殿《きゅうでん》にいる王さまのそれにくらべたって、けっしておとりはしないのだ。それにまた、むちでうたれ、ろくに食うものもなくよたよたからだをひきずっていく馬車《ばしゃ》ウマだって、じぶんの、つらいくらしを感じていると思わないかね。
そんならかれらだって、やっぱり、あの世の生命を要求《ようきゅう》できるわけだ。じぶんが、そんなひくい身分《みぶん》に生まれてきたことを不公平だとしてね」
こう、わかい夫はいいました。
「『わが父の家には、すまい多し』(ヨハネによる福音書第十四章第二節)と、キリストはおっしゃいましたわ。天国は、かぎりないのでございます。ちょうど、神さまの愛がかぎりないように。――動物だって、神さまのおつくりになったものです。そして、わたしは信じますけれど、どんな生命だって、けっしてほろびてしまうことはなく、みんなそれぞれ分《ぶん》におうじて、じゅうぶんなだけの祝福《しゅくふく》をうけるのですわ」と、わかい妻はこたえました。
「それにしても、ぼくにはこの世だけでじゅうぶんだね」
夫はこういいながら、美しい愛らしい妻にうでをまきつけました。それから、ひらけたバルコニーに出ていって、たばこをふかしました。
ひえびえする空気は、オレンジやカーネーションのにおいで、あふれていました。音楽とカスタネットの音が、往来《おうらい》からひびいてきました。空には、星がまたたいていました。そして、愛にみちた二つの目――それはおくさんの目でした――が、永遠《えいえん》の生命をもつ愛のひとみを夫にむけていました。
「このような瞬間《しゅんかん》のためにこそ、生まれてきたかいがあるというものだ! それをじゅうぶんにあじわって、そうして――きえていくのさ」
こういって、夫はほほえみました。妻はやさしくとがめるように、手をあげました。――けれども、雲のかげはふたたびきえてしまいました。それほどふたりはしあわせでした。
こうして、なにからなにまでが力を合わせて、ふたりの名誉《めいよ》と、よろこびと、しあわせとを、おしすすめようとしているように見えました。
ところが、そこに一つの変化がおこりました。もっとも、ばしょがかわるだけで、生きるよろこびとたのしみをあじわうには、なんのかわりもないはずでしたけれど。
それは、わかい夫が王さまから、ロシアの宮廷《きゅうてい》に大使《たいし》として、つかわされることになったのです。これは、たいそう名誉な役目でした。この人の生まれがよくて、知識《ちしき》のゆたかなことが、こんな役につく資格《しかく》をあたえたのでした。この人はもともと大きな財産《ざいさん》をもっていたところへ、わかい妻が、それにおとらないほどの財産をもってきたのでした。かの女は、町でいちばん金持ちで、いちばんそんけいされている商人のむすめだったのです。
ちょうどこの年、この商人のもっている、いちばん大きいいちばんりっぱな船が、ストックホルムヘ行くことになりました。
そこで、ふたりのかわいい子ども――というのはむすめとむすめの夫のことですが――を、その船でぺテルスブルグ(いまのサンクトペテルブルグ)にやることにしました。船の中は、とてもりっぱにかざりたてられました。船室《せんしつ》のゆかには、やわらかいじゅうたんをしき、まわりには、はなやかなきぬのとばりをめぐらしました。
デンマーク人なら、だれでも知っているむかしの歌に『イングランドの王子』というのがあります。この王子も、りっぱな船に乗って船出《ふなで》をしたのでした。いかりには金《きん》がかぶせてあるし、帆づなはすべて、きぬをないあわせたものでした。
いましも、スペインの港を出ていく船を見た人は、この王子の船を、思い出さずにはいられなかったでしょう。ここにもおなじようなはなやかさと、おなじようなわかれの思いがありましたから。
「神よ、いつの日かよろこびもてわれらをまたあわしめたまえ!」
風は陸のほうから、強くふいていました。ですから、わかれはあっけないほど、みじかいものになりました。このぶんでは、二、三週間で目的地《もくてきち》につきそうに思われました。
ところが船が大海原《おおうなばら》に出ると、風がぱったりやんで、海はかがみのようにしずかになりました。海のおもては、空の星をうつして、きらきらかがやいていました。美しくかざりたてた船室の中は、まるでおまつりの晩《ばん》のようなにぎやかさでした。
しかし、しまいには人々《ひとびと》は、どうか風が出るように、そして、追い風になるようにとねがいはじめました。けれども、風はちっともふいてくれません。それでも、とうとうふきはじめましたが、それはいつでもむかい風でした。こうして二、三週間どころか、まる二月《ふたつき》がすぎてしまいました。
そこではじめて追い風になりました。それは、南西からふいてきました。船がスコットランドとユラン半島とのまん中あたりに来たとき、風は強くなりました。
ちょうどむかしの歌『イングランドの王子』でうたわれているとおりに。
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風ふきつのり、空はくらく
岸も港も見えわかず
かくて船人《ふなびと》は、いまはさいごといかりを投げぬ
されども風はデンマークの西岸《せいがん》へとふきおくりぬ
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それは遠《とお》い遠い、むかしのことでした。クリスチャン七|世《せい》が、まだわかくて、デンマークの王位《おうい》についていられるときでした。
そのときから今日《こんにち》まで、いろいろのことがありました。多くの変化《へんか》がおこりました。湖《みずうみ》やぬまが、青々とした牧場《まきば》になり、あれ野が、よくたがやされた畑になりました。そして西ユラン地方の家の風《かざ》かげには、リンゴの木やバラのかぶさえも、はえています。もっとも、それらはさがさなければ見つかりません。強い西風をさけて、家のかげにちぢこまっていますから。
そこらの人たちは、クリスチャン七世のみ世《よ》よりも、もっと遠い時代のことだって、ちゃんと思い出すことができます。
そのころとおなじく、いまでもユラン半島には、大むかしの巨人《きょじん》のつかや、ふしぎなしんきろうや、たて横に走っているずぶずぶのすな道を見せて、赤茶けたあれ野が、何マイル(一マイルは約一・六キロメートル)にもわたってひろがっているのですから。
西のほうの大きな川がフィヨルドにながれこんでいるあたりには、牧場とぬま地がひろがって、そのさきは、高い砂丘でかぎられています。アルプスを見るようなその砂丘は、のこぎりの歯のようなとっさきを海にむかってそびえ立たして、ただここかしこでねんどのがけが、そのくさりをたち切っているだけです。それは海が、巨人のような口をいっぱいにひらいて、一年一年とかみ切ったものです。そのために、がけのふちといただきとが、じしんでくずれたみたいに、まっすぐに海におちこんでいます。
それが今日《こんにち》の、このあたりのながめです。そして、あのふたりのしあわせものが、りっぱな船に乗って海をこえてきた遠いむかしも、やはりこのとおりでした。
九月もすえのことでした。よく晴れた日曜《にちよう》で、ほうぼうの教会《きょうかい》の鐘《かね》の音《おと》が、ニッスム=フィヨルドぞいに入《い》りまじりました。このあたりの教会堂《きょうかいどう》は、切り出したままのかこう岩のようにそびえて、その一つ一つが、大きな岩山《いわやま》みたいに見えます。
たとえ北海《ほっかい》のあら波が、その上を乗りこえようと、それは、どっしりと立っているでしょう。たいていの会堂には塔《とう》がなくて、鐘は建物《たてもの》の外の、二つの梁《はり》の間にぶらさがっています。
さて、礼拝《れいはい》がおわって、会堂から出てきた教区の人たちは、墓地《ぼち》にはいりました。墓地にはそのころもいまも、木もしげみも見られません。お墓《はか》の上には、花もうわっていませんし、花輪《はなわ》もおいてありません。ぶかっこうなおかが、死んだ人をほうむったばしょをしめしているだけです。
とげとげした草が、風にむちうたれながらも、墓地いちめんにはびこっています。二、三のお墓には、墓碑《ぼひ》が立っているかもしれませんが、墓碑といっても、それはただ、棺《かん》の形に切ったくさりかけた材木《ざいもく》なのです。この材木は、「西のほうの森」――それはあら海のことなんですが、――からとってきたものです。
この森には、材木や船板《ふないた》やまる太《た》がはえていて、海岸《かいがん》の人たちのために、それを、波が岸にはこんでくるのです。岸にうちあげられた材木は、まもなく、風と海のきりとでさらされてしまいます。
そんな材木の一つが、ある子どものお墓の上に、おいてありました。そしていましも、教会から出てきた女の人のひとりが、そのお墓のほうへ、歩いてきました。女の人は立ちどまって、半分くさりかけた木を、じっと見つめました。すこしおくれて、夫もやってきました。ふたりは、ひとことも口をききませんでした。
しばらくすると、夫は妻の手をとってお墓をはなれました。それからふたりは、赤茶けたあれ野に出ると、ぬま地をこえて、砂丘のほうに歩いていきました。長いことふたりは、だまって歩きました。
「きょうのお説教《せっきょう》は、いいお話だったな。神さまというものがなかったら、人間にはなにもありゃしないんだ」
こう、夫はいいました。
「そうです。よろこびもかなしみも、神さまのお心のままなのですわ。――わたしたちのぼうやも、生きていれば、あすで満《まん》五さいでしたのに」と、妻はこたえました。
「いまさらなきごとをいったって、はじまらんよ。あの子は、うまくこの世の苦労《くろう》をのがれたというものだ。いずれは、わしらもそこへ行かねばならないのさ」と、夫はいいました。
それきり、ふたりはもうなにもいわないで、砂丘の間にあるじぶんの家のほうに、歩いていきました。
とつぜん、すなをまだしっかりとスズメムギがおさえていない砂丘から、こいけむりのようなものがたちのぼりました。突風《とっぷう》がふいて、砂丘をほりおこし、こまかいすなつぶを、空にまきあげたのでした。またもや、突風がふいてきました。ひもにとおしてぶらさげてあるさかなが、いっせいに家のかべにぶつかりました。それからまた、すべてがひっそりとして、太陽があたたかにかがやきました。
夫と妻は家の中にはいると、すぐにはれ着をぬいで、いそいで砂丘の上にやってきました。砂丘は、巨大なすなの大波が、きゅうに立ちどまってしまったかのように、そこに立っていました。ハマオギとスズメムギの青みどりのするどい茎《くき》だけが、白いすな地に、いくらか色らしいものをそえていました。
近所の人も二、三人かけつけて、小船をすな地の高いところにひきあげるのをてつだってくれました。風が、なお強くなって、身を切るようにさむくなりました。みんなが砂丘をこえてかえっていくころには、すなや小さな石つぶが風にふきまくられて、顔にぶつかりました。
海は白い波頭《なみがしら》を、高くもたげました。その波頭を強い風が切るたびに、さっとしぶきがまいあがります。
日がくれると、空のざわめきは、いよいよひどくなりました。それはまるで、わめきながら、なきながら、絶望《ぜつぼう》したゆうれいの一隊《いったい》が、空をかけてでもいるようでした。漁師《りょうし》たちの家は、はまべのすぐそばに立っていたのに、海鳴りも、この空中《くうちゅう》の物音《ものおと》にかきけされて聞こえませんでした。すながガラスまどにぱらぱらあたり、そのあいまには、家を土台からゆすぶるかのように、突風がふきつけました。あたりはまっくらやみでした。それでもま夜中《よなか》になれば、月が出るはずでした。
空はすこしあかるみましたが、暴風《ぼうふう》はいよいよ力いっぱいに、黒ずんだ、ふかい海の上をふきまくっていました。漁師たちは、もうとっくに、ねどこについていましたが、こんなおそろしい夜に、目をつぶるなんてことは思いもよりません。そのとき、まどをたたく音がしました。戸があいて、だれかがさけびました。
「大きな船が、いちばんはずれの浅瀬《あさせ》に乗りあげたぞ!」
夫婦《ふうふ》は、がばとねどこからとびおきて、着物《きもの》を着ました。
月が出ていました。もしすなつぶてにむかって、目をあけていることができさえすれば、ものの見わけがつくほどには、あかるかったのです。問題《もんだい》は風でした。人々は、前のめりになるようにして、ふきつける風と風との間をはいながら、やっとのことで、砂丘の上までたどりつきました。
そこから見るとしおからいあわやしぶきが、ハクチョウのわた毛のように海から空にまい立ち、海は、どうどうととどろいてたぎりおちるたきのように、岸にむかってさかまいていました。遠くはなれた船に、すぐさま気がつくには、よほどなれた目をもっていなければなりませんでした。
それは、二本マストのりっぱな船でした。いましも浅瀬を乗りこえて、いかりづな三、四本ほどの距離《きょり》だけ、波止場《はとば》からはなれたところまで来ました。ところが、船は陸に近づこうとして、べつの浅瀬にぶつかり、そこに座礁《ざしょう》してしまいました。
たすけ船を出すことなんか、とてもできません。海はあれくるい、波は船にぶつかって、その上をこすしまつでしたから。
たすけをよぶ声や、断末魔《だんまつま》のさけびが聞こえるように思われました。のぞみをたたれた人々が、船の上をあたふたと、走りまわっているのが見えました。とたんに、どっと大波がおしよせてきて、なにものをもうちくだいてしまう岩山のように、船首《せんしゅ》の上にくずれおちました。やりだし(船首から前方へななめにみじかく出た帆柱《ほばしら》)はくだけとんで、船尾《せんび》《とも》が水の上に高くつっ立ちました。
そのとき、ふたりの人間が、海の中にとびこむのが見えました。ふたりのすがたは波間《なみま》にきえましたが、――一瞬のちに――大波が、砂丘にぶつかってくだけたと思うと、はまべには人間のからだが一つ、うちあげられていました。それは女の人でした。もう死んでいるものと、人々は思いました。
ところが、女たちがかけつけてかいほうしてみると、まだ命があることがわかりました。
そこで、砂丘をこえて、漁師の家にはこびこみました。その女の人の、なんときれいで上品だったことでしょう。たしかに、上流の貴婦人《きふじん》にちがいありません。
みんなはその人を、そまつなねどこにねかせました。ねどこには、しきふ一まいありませんでした。からだをくるむ、あらい毛布が一まいあるきりでした。それでも、じゅうぶんあたたかでしたけれど。
女の人は、息をふきかえしました。けれども熱が高くて、じぶんになにがおこったのか、いまどこにいるのか、すこしもわかりませんでした。でも、それがかえってよかったのです。
なぜといって、いとしい人も持ち物も、みんな海の底にしずんでしまったのですから。海の上では、むかしの『イングランドの王子』がうたっているとおりのことがおこったのでした。
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そは大いなるかなしみなりき
船は千々《ちぢ》にくだけてしずみぬ
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木切れや船板などが、岸にうちあげられました。船にのっていた人たちのうちで、たすかったのは、この女の人、ただひとりだったのです。
風はあいかわらず岸の上を、ビュー、ビューほえながらふいています。女の人は、しばらくしずかにしていましたが、きゅうにくるしみだしてさけびました。そして、美しい目を大きく見ひらいて、なにかいいましたが、だれにも、そのことばはわかりませんでした。
ところで、こうしてくるしみもがいたはてに、かの女のうでには、生まれたばかりの赤ちゃんがだかれていたのです。
この赤ちゃんは、ほんとうならば、お金持ちの家の、きぬのカーテンにかこまれた、りっぱな寝台《しんだい》の上にねかされるはずでした。よろこびの声とともに、この世のあらゆるたからにめぐまれた人生にむかえられるはずでした。
それがいま、神さまはこの子を、まずしい家のかたすみにうまれさせたのです。しかも、おかあさんのキスひとつうけることさえできませんでした。
漁師のおかみさんは赤んぼうを、母親のむねの上におきました。赤んぼうは、心ぞうのそばにねていましたけれど、その心ぞうは、もううっていませんでした。おかあさんは死んでいたのです。
富としあわせとにはぐくまれるはずだったこの子は、こうして、世の中に投げ出されてしまいました。まずしい人の運命《うんめい》と、つらい日々とをあじわうために、海から砂丘へ、投げ出されたのでした。
わたしたちの心には、いつでもあの古い歌がうかんできます。
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なみだは王子のほおをつたわれり――
われはボウビェルグヘとふきながされぬ!
いまは身をまもるすべもなく
ブッゲどのの領地《りょうち》に来《こ》しところ
騎士《きし》の部下《ぶか》どもめ
よってたかってはぎとりぬ
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ニッスム=フィヨルドのすこし南の、ブッゲ氏がむかしじぶんの領地とよんでいた海岸で、船はなんぱしたのでした。
この西海岸の人たちが、難船《なんせん》した人たちにひどいしうちをした、と歌の中でうたわれている不人情《ふにんじょう》な時代《じだい》は、もうとっくにすぎさりました。
難船した人たちへの、あたたかい心づくしとしんせつな世話《せわ》とが、それにかわりました。わたしたちの時代になると、それが人々の上品《じょうひん》な顔にあらわれています。ですから、死にかかった母親と、かわいそうな赤んぼうとは、どこへ風にふきおくられようと、あたたかい看護《かんご》と、世話とをうけたことでしょう。
それにしても、このまずしい漁師のおかみさんの家ほど、心のこもったしんせつがしめされたところはなかったでしょう。
おかみさんはついきのうも、かなしい心をいだいて、じぶんの子どもをうずめたお墓の前に立ったのでした。その子は、もし神さまが生きていることをおゆるしになったなら、きょうでちょうど五さいになるはずでした。
死んだ外国《がいこく》の女の人がだれなのか、またどこから来たのか、知っているものはだれもありませんでした。なんぱした船の木切れも板も、そのことは教えてくれませんでした。
スペインのあのお金持ちの家には、むすめからもむすめの夫からも、まるっきり手紙《てがみ》も使いも来ませんでした。ふたりは目的地《もくてきち》につかなかったのだ、と、人々は思いました。この一、二週間、はげしい暴風《ぼうふう》があれくるいました。人々はいく月もまちました。
「なんぱしたのだ。みな死んでしまったのだ」と、さいごには知りました。
さて、フースビイ砂丘のそばの漁師の家には、いまやひとりのちびさんができました。
神さまが、ふたりの人間にたべものをおさずけになるときには、三人めのものだって、そのおこぼれにありつけるものです。まして海の近くでは、おなかのすいた口に入れる一《ひと》さらのさかなくらいは、いつだってあります。男の子は、ユルゲンとよばれることになりました。
「あれは、たしかにユダヤ人の子だ。あんなにはだが黒いもの」と、人々はいいました。
「あの子はイタリア人か、でなければスペイン人かもしれない」と、牧師《ぼくし》さんはいいました。
そんな三つの民族《みんぞく》の名まえも、漁師のおかみさんにとってはおなじことでした。ですから、子どもにキリスト教の洗礼《せんれい》をうけさせただけで、おかみさんはまんぞくしました。
男の子は、命をつなぎました。あつい貴族《きぞく》の血がつたわっていたので、そまつなものをたべてもぐんぐん力をまして、まずしい家の中でも、すくすくとそだっていきました。
デンマーク語、それも西ユラン地方のデンマーク語が、この男の子の話すことばになりました。スペインのザクロのたねから、ユラン半島西海岸のスズメムギがはえたのです。そういうことがひとりの人間に、おこったのです。
男の子は、命の長い根でもって、しっかりとこのあたらしい故郷《こきょう》にしがみつきました。うえとさむさや、貧乏人《びんぼうにん》の辛苦《しんく》にたえなければなりませんでしたが、またいっぽうでは、まずしいもののよろこびをもあじわいました。
どんな人間でも、子どものときには光りかがやくおかをもっていて、そのおかは、その人の一生を通《つう》じて、あかるくかがやくのです。どんなにそれが、よろこびやたのしみでみたされていることでしょう。何マイルもひろがった海岸は、おもちゃでいっぱいです。見わたすかぎり、サンゴのように赤いのや、こはくのように黄色いのや、鳥のたまごのように白くてまるい小石をちりばめたモザイクです。
そこにはあらゆる色があり、そしてどの石もみな、海の波でみがかれて、すべすべになっています。からからにかわいたさかなのほね、風にふきさらされた海草《かいそう》、小石にまじってひらひらしている、リボンのように細長い白く光ったツノマタ、こんなものでさえ、みな目をたのしませ、心をよろこばせました。
男の子はきびきびした子でした。いろいろの大きな才能《さいのう》が、この子の中にひそんでいました。一度聞いた話や歌は、けっしてわすれませんでした。
また、手先が器用《きよう》で、石や貝がらをあつめて船をつくったり、絵をかいたりして、それでへやをかざりました。なおふしぎなことに、あの子はじぶんの考えを木切れにきざみつけることもできる、とのことでした。
そだての母親のいうところでは、それにしても少年はまだほんの子どもでした。その声はきれいで、すぐにメロディーになってながれ出ました。むねの中にはいく本もの絃《げん》がはられていたのです。もしこの子が、北海の岸べの漁師の家とはちがった家にそだったなら、その絃の音は、遠い世界へまでもひびいたことでしょう。
ある日、一そうの船が近くで座礁《ざしょう》して、めずらしい花の球根《きゅうこん》をつめたはこが、岸にうちあげられました。人々は、そのうちのいくつかをつぼにうえました。そうしておけば、いまにたべられる、と思ったからでした。のこりはみなすなの上にすてられて、くさってしまいました。
そんなわけで、その球根たちは、美しい花をさかせるはずの、もって生まれてきた運命《うんめい》を、はたすことができなかったのです。――
ユルゲンの運命は、もっとうまくいくでしょうか。花の球根は、すぐだめになりましたが、ユルゲンは、なお何年もたえしのばなくてはなりませんでした。
毎日の生活がどんなにさびしく単調《たんちょう》なものであるかということは、ユルゲンはもとより、あたりの人たちも考えたことはありませんでした。したり、聞いたり、見たりすることがいっぱいあったからです。
海そのものが一つの大きな教科書《きょうかしょ》で、日ごとにあたらしいページを見せてくれました――なぎ、うねり、そよ風、暴風。難船はわけても、最高潮《さいこうちょう》の場面《ばめん》でした。教会におまいりするのは、おまつりに行くことでした。
それにしても、漁師の家に来るお客のうちで、いちばんよろこばれたのは、年に二度ずつたずねてくる、おかみさんの弟《おとうと》でした。この人は、北のほうのボウビェルク町の近くの、フィヤルトリングに住んでいるうなぎ商人で、いつもウナギをいっぱいつめた、赤い車に乗ってきました。
車はふたのついた、大きなはこになっていて、ふたには青と白でチューリップの絵がかいてあり、その車をあめ色の雄《お》ウシが、二|頭《とう》でひいてきました。ユルゲンはよく、この車に乗せてもらいました。
うなぎ商人は頭《あたま》のいい、陽気《ようき》なお客さんで、いつも、ブランデーの小さなたるをいっしょに持ってきては、めいめいに一ぱいずつのませました。コップがたりないときには、コーヒー茶わんについで。小さなユルゲンまで、指ぬきに一ぱいもらいました。
うなぎ商人のいうところによると、これをのむと、あぶらっこいウナギにもあたらないのだそうです。それからこの人は、いつもきまっておなじ話をしましたが、それを聞いてみながわらうと、すぐにもう一度、その話をおなじ人たちに話して聞かせるのでした。おしゃべりの人というものは、みなそうですがね。
さてユルゲンは、ずっと大きくなってからまで、この話の中の文句《もんく》やいいまわしを、よくつかいました。ですからわたしたちも、それを聞いておきましょう。
「外の川にウナギがあそんでいたんだ。さて、ウナギのむすめたちが、じぶんたちだけで川をもうすこしのぼっていきたいというと、ウナギのおかあさんはいったのさ。
『あんまり遠くへ行くんではありませんよ。でないと、わるいうなぎとりがやってきて、おまえたちをみんなつかまえてしまうからね!』
ところが、みんなはいうことを聞かないで、遠くまで行った。そして、ウナギのおかあさんのところへかえってきたのは、八人のむすめのうち、たった三人きりだった。三人はなきながらいった。
『わたしたちが戸口《とぐち》からすこし出たと思うと、わるいうなぎとりがやってきて、五人のねえさんをつきさしてしまったの!』
『いいよ、いまにかえってくるから』と、ウナギのおかあさんはなぐさめた。
『いいえ。その人はねえさんたちの皮《かわ》をはいで、小さく切って、やいてしまったの』と、むすめたちはいった。
『きっといまにかえってきますよ』と、ウナギのおかあさんはいった。
『でも、たべられてしまったのよ!』
『なあに、きっとかえってきますとも』と、おかあさんはくりかえした。
『でも、そのあとでブランデーをのんだわ!』と、むすめたちはいいました。
『やれ、やれ。それじゃ、もうかえってきやしないよ! ブランデーをのまされちゃ、ウナギはおだぶつだもの』と、ウナギのおかあさんはいってないたんじゃ。
まあ、こういったわけで、わしらはウナギのあとには、ブランデーをのまなければならんのさ」
こう、うなぎ商人はいいました。
この話が、ユルゲンの一生《いっしょう》をつらぬいてかがやくほがらかさの、金《きん》の糸になったのです。かれもまた、戸口に出て「川をすこしばかりのぼりたく」なりました。というのは、船で広い世間《せけん》へ乗り出してみたくなったのです。すると母親が、ウナギのおかあさんのようにいいました。
「世間には、うなぎさしのように、わるい人がたくさんいますよ!」
それでも、砂丘をちょっとこえて、あれ野へすこしばかりはいるくらいは、ユルゲンもできました。
そのうちに、そこをとおらなければならない用事ができました。
かれの少年の日の思い出の中で、いちばん光りかがやくたのしい四日間が、そこにくりひろげられました。ユラン地方の美しさ、故郷のよろこびと日の光が、その四日間の中にかがやいていました。少年は宴会《えんかい》にまねかれたのです。――もっとも、それはおそうしきの宴会でしたがね。
漁師の、裕福《ゆうふく》な親類の人が死んだのです。そのやしきは、このあたりの人にいわせれば「東のかた、やや北より」の、海から遠い内地《ないち》にありました。
おとうさんとおかあさんは、ユルゲンをつれて出かけました。砂丘をこえ、あれ野をよこぎり、ぬま地をすぎて、青々とした草原《くさはら》に出ると、そこにはスギェルム川が、ふかく川どこをほってながれています。それはウナギのどっさりいる川で、あのウナギのおかあさんが、わるい人間につきさされて、ぶつ切りにされたむすめたちといっしょにすんでいた川でした。
いや、おなじ人間にたいしてだって、ときにはおなじような、ひどいしうちをしないわけではありません。あのむかしの歌にうたわれている騎士《きし》ブッゲも、わるい人にころされました。この人だって、じぶんでは善人《ぜんにん》と名のってはいましたが、かれのために塔とあつい城壁《じょうへき》のあるお城をたててくれた棟梁《とうりょう》(大工さんの親方)を、もうすこしでころすところだったのですよ。
それはちょうど、いまユルゲンがそだての両親といっしょに立っている、スギェルム川がニッスム=フィヨルドにそそぐあたりでした。城壁はまだのこっていて、赤いかべのくずれが、あたりにちらばっていました。ここで騎士ブッゲは、棟梁が旅立ったあと、手下《てした》のものにいったのです。
「棟梁を追いかけていって、『おやかた、塔がたおれそうです!』というんだ。もし、おやかたがふりむいたら、ころしてしまえ。そして、わしがやった金をとりもどしてこい。だが、ふりむかなかったら、そのまま行かせるがいい!」
手下はいわれたとおりにしました。すると、棟梁はこたえました。
「あの塔がたおれるものか! だが、いつか西のほうから青いマントの男がやってきて、その男があの塔をたおすだろうよ」
それから百年たつと、そのとおりになりました。西のほうから北海がおしよせてきて、塔はついにたおれたのですから。そこで、そのときの城主《じょうしゅ》プレビェルン=ギュレンスデルネが、草原のはずれに、前よりも高く、あたらしい城をたてました。この城は、いまもなお立っています。北ボスボルの城です。
ユルゲンは、冬の夜長《よなが》に話に聞いていたこれらのばしょを、いま、養父母《ようふぼ》といっしょにとおりました。
お城には、二重の堀《ほり》がめぐらしてあり、木がしげって、その中に、シダにおおわれた城壁がそびえていました。けれども、なによりもみごとだったのは、屋根のむねまでもとどきそうなほど高くそびえて、あたりの空気を、あまい花のにおいでいっぱいにしているボダイジュでした。
庭の西北のすみにも、花をぎっしりつけた、大きな灌木《かんぼく》が立っていました。その花は、夏のみどりのさなかに、雪がふりつもっているように見えました。それは、ニワトコでした。こんなみごとなニワトコの花を見たのは、ユルゲンは、はじめてでした。
このニワトコとボダイジュとは、いつまでも思い出の中に生きのこりました。それは、「年とった人たちに、子ども心をよびさましてくれる」デンマークのかおりと美なのです。
旅はすぐまたつづけられましたが、いままでよりも、ずっと楽になりました。というのはニワトコのさきみだれていた、北ボスボルの城を出たところで、かれらは、おなじおそうしきに行くお客たちと出あって、その人たちの車に乗せてもらうことになったからです。もっとも、車のおくにあった鉄《てつ》の金具《かなぐ》をうった小さな木ばこの上に、三人でこしかけなければなりませんでしたが。それでも歩くよりはましだ、と、かれらは思いました。
車は、でこぼこのあれ野の上を行きました。車をひいている雄ウシは、ヒースの間にちらばった青々とした草地に出るたびに立ちどまりました。太陽があたたかくてっているのに、ふと、ふしぎなものが見えました。
はるか遠くにけむりのようなものがたなびき、しかもそれが空気よりももっとすんで、すきとおっていました。まるで光の波が、あれ野の上をころがったり、ダンスをしたりしているようなのです。
「あれはロキ(北欧神話《ほくおうしんわ》の火の神)がヒツジのむれを追っているのだ」と、みなはいいました。
ユルゲンにとっては、これだけでじゅうぶんでした。少年には、これだけで、もうお話の国にはいっていくように思われたのです。それでも、やっぱり現実《げんじつ》の世界にいるのでした。それにしても、ここはなんとしずかなところでしょう。
あれ野はひろびろと大きく、一まいのすばらしいじゅうたんのようにひろがっていました。ヒースは花ざかりでした。イトスギを思わせるみどり色のネズの灌木《かんぼく》と、みずみずしいカシワのわか木が、ヒースの間から、花たばのようにうき出ていました。
思わず、そこへころがってみたくなるようなけしきです。ただ、どくのあるヘビがいなければいいのですが。みんなはそのどくヘビのことや、むかしこのあたりに多かった、オオカミのことを話しました。そのためにここの領主《りょうしゅ》のやかたは、オオカミのやかた(ウルブボル)とよばれたものです。
ぎょ者の老人《ろうじん》が、じぶんの父親のころの話をしました。
このあたりではよく、ウマが、いまでは根だやしになった野獣《やじゅう》とはげしくたたかったものでした。ある朝もここへ来ると、一|頭《とう》のウマが、一ぴきのオオカミの上に乗って、これをふみころしていましたが、かわいそうに、ウマも足の肉をすっかり食い切られていたそうです。
あれ野のでこぼこ道やふかいすな地の旅も、ぐんぐんすぎていきました。やがてみんなは、不幸のあった家の前につきました。
そこにはもう、たくさんのお客が、出たりはいったりしていました。車がぎっしりならんで、ウマやウシはとぼしい草地で草をたべていました。大きな砂丘が、ちょうど故郷の北海の岸べで見るように、やしきのうしろから、遠くのほうまでつらなっていました。
三マイルも海岸からはなれているところへ、しかも海岸でとおなじような、こんなに高いどうどうとした砂丘が、どうしてできたのでしょうか。それは、風がすなをふきあげて、ここまではこんできたのでした。砂丘だって、じぶんの物語《ものがたり》をもっているのです。
おそうしきの歌がうたわれると、年《とし》よりの中には、なみだをながす人もありました。そのほかはユルゲンにとっては、なにもかも、たいそうたのしいものでした。たべものものみものも、ふんだんにありました。とびきりおいしいあぶらっこいウナギをたべては、それからブランデーをのまされるのでした。
「これでウナギがおさまるのさ」
こう、うなぎ商人は、つねづねいっていましたが、このことばは、ここではたしかにききめがありました。
ユルゲンは、家を出たりはいったりしました。
三日めには、ここの家にもすっかりなれて、いままでくらしてきた漁師の家や、砂丘の上にいるのと、すこしもかわらぬ気持ちになりました。もちろんここのあれ野には、あそことはちがったものがたくさんありました。ここにはヒースの花や、コケモモや、スノキなどがむらがっていて、大きなあまい実があふれこぼれるほどもりあがり、足でふみつぶさなければ、歩いていけないほどでした。すると赤いしるが、ヒースからぽたぽたしたたりました。
ここかしこに大むかしの巨人塚《きょじんづか》がよこたわり、しずかな空には、けむりのはしらがのぼっていました。野火《のび》だよ、と人々はいいました。夕《ゆう》がたになると、それが美しい色にかがやきました。
さて、四日めには、おそうしきのあつまりもおわりました。――みんなはふたたび、あれ野の砂丘から海岸の砂丘へかえることになりました。
「わしらのところの砂丘が、ほんものだ。ここの砂丘には力がない」と、おとうさんはいいました。
それから、どうしてここに砂丘ができたか、という話になりました。それを聞くと、いろいろのことがわかりました。
あるとき、海岸で一つの死がいが見つかったので、お百姓《ひゃくしょう》さんたちは、それを墓地にはこんでほうむりました。すると、そのときからすなあらしがあれくるい、海がどっと、しんにゅうしてきました。
とうとう教区《きょうく》のかしこい人が、お墓をひらいて、死人《しにん》が親指《おやゆび》を口にくわえていないかどうか、しらべてみるようにいいました。というのは、もしそうだったら、みんなのほうむったのは海男《うみおとこ》だから、海はその海男をとりもどすためにおしよせるのだ、ということでした。
さっそくお墓をひらいてみると、なるほど、死人は親指を口にくわえて、よこたわっていました。そこでさっそく、死人を車に乗せて二頭のウシをつなぎました。
すると、ウシはまるでクマバチにさされでもしたように、あれ野をつっきりぬま地をすぎて、まっしぐらに海の中へ走りこみました。すなのあらしは、たちまちおさまりましたが、砂丘はそのまま、あとにのこったというのでした。
この話はユルゲンの心に、ふかくのこりました。かれの少年時代の、もっともしあわせな日、おそうしきの宴会の日の思い出として。
家からはなれて、あたらしい土地や、あたらしい人を見るのはたのしいものでした。ユルゲンは、もっと遠くへ出かけたいと思いました。まだ十四さいにもならない少年でしたけれども、船に乗りこんで、広い世間《せけん》を知ることになりました。
ひどい天気や、あれた海や、わるい心や、ひどい人間を知りました。ユルゲンは、船のボーイになったのです。まずしい食事とつめたいねどこ、むちとげんことをあじわわねばなりませんでした。
少年の中にながれている、スペイン人の高貴《こうき》な血は、ときによるとわきたって、いかりのことばが口のまわりにあわ立ちました。けれども、そんなことばはまたのみこんでしまうのが、いちばんかしこいことでした。そのときの気持ちは、皮をはがれぶつ切りにされて、なべに入れられるウナギの気持ちそっくりでした。
「だがぼくは、ウナギじゃないから、もう一度もどってくるぞ」と、少年の心の中でこんな声がしました。
スペインの海岸、両親《りょうしん》の祖国《そこく》、両親がゆたかにしあわせにくらしていた都会《とかい》をも、ユルゲンはじぶんの目で見ました。けれども、これがじぶんの故郷であり、ここに身うちのものがいるということは、すこしも知りませんでした。むこうでは、なおさら少年のことは知りません。
むさくるしい船のボーイは、上陸することさえゆるされませんでした。――ところが、船がいよいよ出帆《しゅっぱん》するという前の日に、うまく上陸することができました。みんなが買いこんだものを、船まではこばなくてはならなかったからでした。
ユルゲンは、まるでどぶであらって、えんとつの中でかわかしたようなよごれた服を着ていました。この砂丘の少年は、はじめて大都会《だいとかい》を見たのでした。家々《いえいえ》はなんと高く、往来《おうらい》はなんとせまく、人間がなんとこみあっていることでしょう!
こちらへ来る人のむれ、あちらへ行く人のむれ。町の人やいなかの人、ぼうさんや兵隊《へいたい》などが、まるでうずをまいてながれていきました。人々のさけぶ声やわめく声、ロバやラバの首にさげたすずの音、その間には、ほうぼうの教会でならす鐘のひびきがまじりました。
こちらでは歌や音楽《おんがく》、あちらではハンマーや金《かな》づちの音――なにしろ商売人《しょうばいにん》も、じぶんの仕事場《しごとば》を家の戸口や歩道《ほどう》にひろげていたからです。おまけに、太陽がかんかんてりつけて、空気はおもくるしく、まるで、コガネムシやカブトムシや、ミツバチやハエやらが、ぶんぶんとびまわっている、パンやきがまの中にはいったようでした。
ユルゲンは、歩いているのか立っているのか、むがむちゅうでした。
ふと気がつくと、大きな寺院《じいん》の、りっぱな門の前に出ていました。あかりが、うすぐらいまるてんじょうの中からさして、香《こう》のかおりがただよってきました。ぼろに身をつつんだあわれなこじきまでが、おそれげもなく階段《かいだん》をのぼって、中にはいっていきました。ユルゲンをつれてきた水夫《すいふ》も、寺院の中をつっきっていきます。
こうしてユルゲンは、こうごうしいお寺の中に立ちました。色どりの美しい絵が、金地《きんじ》の上にかがやいていました。おさなごイエスをだいた聖母《せいぼ》が、花とろうそくにかこまれて、祭壇《さいだん》の上に立っていました。
おごそかなころもを着たぼうさんが賛美歌《さんびか》をうたい、着かざったかわいらしい少年合唱隊《しょうねんがっしょうたい》が、銀《ぎん》の香炉《こうろ》をふっていました。そのすばらしい、美しいながめが、ユルゲンの魂《たましい》をつらぬき、かれを圧倒《あっとう》しました。
かれの両親《りょうしん》のお寺と、信仰《しんこう》とにだかれて、少年の魂の中には、なにかふれあうものがあったのです。そのために、思わず少年の目には、なみだがうかびました。
お寺を出ると、そこは市場《いちば》でした。そこでユルゲンは、すいじ道具《どうぐ》や食料品《しょくりょうひん》などをもたされました。道は遠く、おまけにつかれきっていましたので、ある大きな、りっぱなおやしきの前でひとやすみしました。そこには大理石《だいりせき》のはしらや、彫刻の像や、はばの広い階段がありました。少年はかたの重荷《おもに》を、かべにもたせかけました。
するとそこへ、金モールの服をつけた門番《もんばん》が出てきて、銀のかざりのついたつえをふりあげて、少年を追いはらいました。少年はこのりっぱな家の、まごむすこだったのですが、それは、だれも知りませんでした。少年自身はわけても。
そこで少年は船にもどって、また、こづかれたり、どなられたりすることになりました。そして、わずかなねむりと、多くのしごと――これが、少年のなめなければならなかった試練《しれん》でした!
わかいときには苦労《くろう》しておくのがよい、と人はいいます。――なるほど、年をとってから、しあわせになれるものならばね。
ユルゲンの契約期限《けいやくきげん》はおわりました。船はふたたびリンキェービング=フィヨルドにはいり、かれは上陸《じょうりく》して、フースビイ砂丘の家にかえってきました。ところがおかあさんは、少年が海に出ている間に、死んでいました。
まもなく、きびしい冬がやってきて、ふぶきが海にも陸にもあれくるい、もう、一歩も歩けませんでした。なんとこの世界は、ばしょによってちがったすがたをしていることでしょう! ここでは、身を切るようなさむさとふきまくる雪。ところが、スペインではやけつくようなあつさ――そうです、強すぎるほど太陽がてりつけています。
けれども、いつかはこの故郷にも冬晴れの日がやってきて、ハクチョウたちが大きなむれをなして、海のほうからニッスム=フィヨルドをこえて、北ボスボルの城のほうへ、とんでいくのが見られるようになります。
するとユルゲンは、こここそ、世界でいちばんよい空気がすえるところだし、ここにはまた夏の美しさだってあるのだ、と思いました。
そういうとき、ユルゲンの目には、ヒースの花がさき、じゅくしたしるの多い実のむらがっているあれ野が、うつっているのでした。北ボスボルの城のボダイジュとニワトコの花もまっさかりでした。そこヘユルゲンは、やがてもう一度、行かなければならなかったのです。
春が近づいてきました。漁《りょう》がはじまると、ユルゲンは、それをてつだいました。この一年の間に、ユルゲンはすっかり大きくなって、動作《どうさ》もきびきびとしてきました。
命が、からだじゅうにみちあふれていました。およぎもじょうずで、水の底にもぐることも、水の中でぐるりとむきをかえたり、ちゅうがえりすることもできました。ときおり人から、サバのむれに気をつけるんだよ、と注意《ちゅうい》されたほどです。サバたちはいちばんおよぎのうまいものをつかまえて、海の底にひきずりこんで食いころしてしまうので、よくおよぎの名人がいなくなるのでした。でもユルゲンは、そんなめにはあいませんでした。
おなじ砂丘の近くの家に、モルテンという少年がいました。ユルゲンはこの少年となかよしで、おなじ船にやとわれて、いっしょにノルウェーにも行けば、オランダにも行きました。その間《あいだ》、ふたりのなかに気まずいことはすこしもありませんでした。
ところが、とかくなかたがいはおこりやすいもので、生まれつき気性《きしょう》がいくらかはげしいと、思わず手あらな動作《どうさ》に出てしまいます。あるときユルゲンは、船の上でついそれをやってしまいました。あらそいは、なんでもないことからはじまりました。それはたまたまふたりが後甲板《こうかんぱん》のすみにあるへやで、一つの陶器《とうき》のおさらを間にして、食事《しょくじ》をしていたときでした。
とつぜん、ユルゲンはジャックナイフをにぎりしめて、それをモルテンにつきつけました。顔はまっさおになり、目はいかりにもえていました。
するとモルテンは、ただひとこと、こういいました。
「じゃあきみは、すぐにナイフをふりまわすような人間なんだね」――
これを聞くと、たちまちユルゲンの手はぐったりとたれました。それきりひとことも口をきかずに食事をすますと、しごとに出ていきました。しごとがすむと、モルテンのところに来ていいました。
「さあ、顔をはりとばしてくれ! ぼくは、なぐられるねうちがあるんだ。ぼくの中には鉄なべみたいなものがあって、そいつがにえくりかえるんだ」
「まあ、いいさ」と、モルテンはいいました。
それ以来、ふたりは前より倍もなかのよい友だちになりました。
やがてふたりは、ユラン半島の砂丘の家にかえってくると、航海中《こうかいちゅう》のできごとを人々に話しました。しぜん、ユルゲンがにえたったこと、けれどもしょうじきな鉄なべだったことも話に出ました。
「どうもあいつは、ほんとのユラン人じゃないな。ユラン人とよぶわけにゃいかないね」
モルテンのこのことばは、たしかにまとをついていました。
ふたりともわかくて健康《けんこう》で、からだも大きく、手足はがっしりしていました。けれども、ユルゲンのほうがいくらか上品《じょうひん》でした。
北のほうのノルウェーでは、お百姓たちは山の牧場《セーテル》に家畜《かちく》をひっぱっていって、そこで草をたべさせますが、ユラン半島の西海岸では、おなじような小屋を砂丘の間にたてます。小屋はなんぱした船の板切れでつくり、すきまにはあれ野の泥炭《でいたん》や、ヒースの層《そう》をつめこむのです。
寝ばしょは、へやのぐるりのかべにつくりつけられます。この小屋に、漁師たちは春早くからうつり住んできて、寝起きするのです。
どの小屋にも、「まかない女」とよばれるむすめがいます。むすめのしごとというのは、かぎばりにえさをつけること、漁師たちが船からあがるときに出むかえて、あたためたビールをさし出すこと、そして、つかれてかえってきたら、食事のしたくをしてあげることです。そのほかにも、ボートからさかなをおろしたり、それを切ったり、用事《ようじ》はなかなかありました。
ユルゲンと父親と、ほかに二、三人の漁師と、みんなでやとったまかない女が、小屋にいました。モルテンは、となりの小屋にいました。
さて、むすめたちのうちにエルセという子がいました。
ユルゲンとは、小さいときから知りあいで、ふたりはたいへんなかがよく、性質《せいしつ》もよくにていました。ただ、見かけはまるで反対でした。わかものは色が黒かったのに、むすめは色白で、かみはアマ色でした。そして目は、太陽の光をうけた海の水のように青い、青色《あおいろ》をしていました。
ある日、ふたりがいっしょに歩いていたとき、ユルゲンがむすめの手をとって、心をこめてにぎりしめると、むすめはいいました。
「ユルゲンさん! わたし、お話があるの。どうかわたしを、あなたの家のまかないむすめにしてください。だって、あなたとわたしはきょうだいみたいなものでしょう。
ところがモルテンさんは、わたしあの人にやとわれたのだけれど、わたしと恋人《こいびと》どうしなの。――でも、どうぞこのことを、ほかの人にはいわないでくださいね」
ユルゲンにとっては、砂丘が足もとからくずれたような気持ちでした。かれはひとことも口をきかないで、ただうなずくだけでした。それは、いいよ、というのとおなじいみでした。それ以上は、なんにもいう必要《ひつよう》はなかったのです。
けれども、きゅうに、心の中で、モルテンをゆるすことはできない、と思いはじめました。――前にはエルセのことを、こんなにまで思ったことはけっしてなかったのです。ところが、いまよく考えれば考えるほど、モルテンが、じぶんのたいせつにしているたった一つのものをぬすんだのだということが、はっきりしてきたのです。このたった一つのものがエルセだということが、いまこそはっきりわかったのでした。
海があれぎみのときに、漁師たちがどうやって浅瀬《あさせ》をのりこえてかえってくるか、見てごらんなさい。漁師のひとりが、船のへさきにまっすぐにつっ立ち、ほかのものはこのひとりに、じっと目をこらして、かいをにぎっています。そのかいを、浅瀬にかかるすぐ前に横のほうへ水平《すいへい》につき出して、船をもちあげる大波《おおなみ》が来たあいずが出るのを、かたずをのんでまちかまえます。
そら、船は波にもちあげられました。岸で見ていると、船の龍骨《りゅうこつ》《キール》までが見えるほどです。あっと思うまに、船ぜんたいが大波につつまれてしまいます。船も、人も、マストも見えません。なにもかも、海にのみこまれてしまったのでしょうか。
その瞬間《しゅんかん》に、船は大波をかきわけてくる巨大な海のかいぶつのように、ふたたびすがたをあらわします。かいが、かいぶつのすばしっこい足のようにうごきます。第二、第三の浅瀬でも、おなじことです。さいごに、漁師たちは水の中にとびこんで、船を岸にひっぱりあげます。大波が一つ来るごとに、それにたすけられて、船はだんだん高いところにおしあげられ、とうとうあんぜんなばしょにたどりつくのです。
浅瀬をのりこすときのさしずが、ちょっとでもまちがうとかおくれるとかしたら、たちまちなんぱです。
「そうなれば、ぼくもモルテンも、さっそくおだぶつだな」
こんな考えが、海の上でユルゲンの頭の中にひらめきました。ちょうど、そだてのおとうさんはおもい病気《びょうき》にかかって、熱にくるしんでいました。
いましも第一の浅瀬にさしかかろうとする前に、ユルゲンはとび出していいました。
「おとうさん、ぼくにやらせてください!」
こういってユルゲンは、モルテンと海のほうへ、目を投げました。しかし、みんなが力いっぱいにかいをうごかしているのや、大波がおしよせてくるのや、おとうさんの青白い顔を目にすると、よこしまな考えにしたがうことはできませんでした。
船はうまいぐあいに浅瀬をのりこえて、岸につきました。けれども、よこしまな考えは、いつまでも、かれの血の中でもえていたのです。それが、船のボーイ時代の思い出の中におりこまれている、にがい繊維《せんい》の一本一本を、にえたたせ、わきあがらせました。
けれども、それを糸によりあわせるすべは知りませんでしたので、そのときはそのままになりました。でも、モルテンがじぶんを破滅《はめつ》さしてしまったこと、そのことだけは、はっきりと感じました。このことだけで、モルテンをにくむにはじゅうぶんでした。
漁師たちのうちには、そのことに気のついたものもありました。ところがモルテンは、すこしも気がつかないで、いままでとおなじように、あいかわらず気がるにてつだったり、おしゃべりをしたりしていました。
このごろでは、すこし度がすぎるくらいに。
ユルゲンの養父《ようふ》は、とうとうやまいのとこについて、一|週間《しゅうかん》のちには死にました。
そこでユルゲンは、砂丘のうしろの家を相続《そうぞく》しました。それは、小さな家ではありましたが、それでも、とにかく財産《ざいさん》でした。モルテンには、それだけのものさえありませんでした。
「ユルゲン、もうおめえさんは、よその船にやとわれんでもいいだよ。いつまでもおいらのところにいなせえ」
こう、年よりの漁師はいいました。
けれども、ユルゲンには、その気はすこしもありませんでした。かれはもう一度、すこしばかり世の中を見たい、と思っていたのです。
フィヤルトリングの、あのうなぎ商人には、もっと北のほうの「ガメル=スカゲン」(もとのスカゲン)の町に、ひとりのおじさんがありました。おじは漁師でしたが、またお金持ちの商人で、じぶんの船ももっていました。この人は、とてもしんせつな年よりで、その家ではたらくのは、はたらきがいがあると思われていました。
ガメル=スカゲンは、ユラン半島の北のはずれにある町ですから、フースビイ砂丘からは、たいそう遠かったのです。けれども、これがユルゲンには、かえってありがたく思われました。二、三週間すると、エルセとモルテンが結婚するはずでしたが、それまでここにいる気には、どうしてもなれませんでしたから。
この土地を去るのはばかな考えだ、と年よりの漁師はいってくれました。ユルゲンにじぶんの家ができたからには、エルセも、いっそユルゲンといっしょになる気になるかもしれない、といいました。
ユルゲンは、はっきりしたへんじをしませんでした。だから、どういうつもりでいるのかよくわかりません。それでも老人は、さっさとエルセをつれてきました。エルセはあまり口をききませんでしたが、これだけはいいました。
「あなたは、家をおもちになったのね。そんなら、よく考えてみなければ」
そんなわけで、ユルゲンはいろいろ考えさせられました。
海にはあらい波が立つことがありますが、人間の心には、いっそうあらい波が立つものです。ユルゲンの頭とむねの中には、力強いのやよわよわしいのや、さまざまの思いがいりみだれました。かれはエルセに、こういって聞きました。
「でも、もしモルテンくんが、ぼくとおなじように一けんの家をもったとしたら、あなたはぼくたちのどっちをえらぶかね」
「だって、モルテンさんは家をもっていませんし、またもつようにもならないと思うわ」
「しかし、もつものとして考えてごらんよ」
「そう、そのときはモルテンさんにします。だって、もともとそうだったのですもの! でも、そんな仮定《かてい》だけじゃ生きていけないわ」
ユルゲンは一晩《ひとばん》じゅう、このことばを考えました。心の中には、どうにもじぶんでこたえることのできないものがありました。けれども、エルセにたいする愛よりも、もっと強い一つの考えが、ユルゲンの心を支配《しはい》しました。――そこでユルゲンは、モルテンをたずねていくと、よくよく考えていたことを実行《じっこう》しました。
それは、じぶんの家をとびきり安いねだんでゆずって、じぶんはふたたび、船乗りになって出かけるということでした。この考えは、モルテンをもよろこばせました。エルセはこれを聞くと、ユルゲンの口に、かんしゃのキスをしました。なんといってもエルセは、モルテンのほうがすきだったのです。
できるだけ早く、ユルゲンは家を出ようと思いました。その前の晩、もうじこくはおそかったのですが、もう一度モルテンにあいたくなったので、たずねていきました。
と、とちゅうの砂丘で、ユルゲンの旅立ちをよろこばない、あの年よりの漁師にあいました。老人はいいました。――あのモルテンという男は、カモのくちばしをズボンにぬいこんで歩きまわっているにそういない。そのせいで、むすめたちがあんなにほれこんでしまうのだと。
ユルゲンは、その話を聞きながしてわかれをつげ、モルテンの住んでいる小屋の近くまで来ました。
ところが、小屋の中から、高い話し声が聞こえました。だれかお客が来ているのです。ユルゲンは思案《しあん》しましたが、エルセにあうのは、どうしても気がすすみません。それに、よく考えてみると、モルテンにもう一度お礼をいわせるのも、いやなことでした。そんなわけで、かれはひきかえしてしまったのです。
あくる日の夜あけ前に、ユルゲンは小さなにもつをしばり、べんとうを入れた小ばこを持って、はまべのほうへ砂丘をおりていきました。こちらをとおるほうが、すなだらけの道を行くよりも歩きやすかったし、ボウビェルグのそばのフィヤルトリングヘ行くには、近かったのです。その村にいるうなぎ商人には、前々から一度たずねるやくそくをしていました。
海は、青々とかがやいていました。あたりにちらばった貝や貝がら――それは、かれの少年時代のおもちゃでした――が足の下でくだけました。
しばらく行くうちに、きゅうに鼻血《はなぢ》が出てきました。なに、たいしたことではありません。しかし、ちょっとしたことでも、いちだいじになることがあります。
大きな血のしたたりが二、三てき、そでの上におちました。かれはそれをふきとって、鼻血をとめました。鼻血が出たために、かえって頭も心も前よりさっぱりしたような気がしました。かたわらのすなの中に、はまキャベツがさいていたので、一《ひと》えだ折《お》ってぼうしにさしました。
自由な、はればれした気持ちで行こうぜ。いよいよ、広い世間《せけん》へ乗り出すのだ。ウナギのむすめたちのように「戸口を出て、川をすこしばかりのぼろう」というわけだ。
「わるい人間に気をつけなさい。わるい人間はおまえたちをつきさして、皮をはぎ、ぶつ切りにして、おなべに入れてしまいますよ!」
こう、口の中でくりかえしていると、思わず、ほほえみがうかんできました。なに、かれは皮をはがれることもなく、世間をとおりぬけるでしょう。「勇気《ゆうき》こそ、最上《さいじょう》のまもり」です。
北海とニッスム=フィヨルドをつなぐ、せまい入り江についたときは、太陽はもう高くのぼっていました。うしろをふりかえってみると、ずっと遠くにウマに乗ってくる人がふたりあり、そのあとを追って、五、六人の人が、走ってくるのが見えました。その人たちは、ひどくいそいでいるようすです。でも、ユルゲンには関係《かんけい》のないことでした。
わたし船は、入り江のむこう岸にありました。ユルゲンは船をよんで、それに乗りこみました。
ところが、船頭《せんどう》が入り江のなかばまでこぎ出したとき、いそいで来たさっきの人たちが到着《とうちゃく》して、どなるやら、おどすやら、はてはおかみの名まえまでもち出して、船をよびました。
ユルゲンには、なんのことかわけがわかりませんでしたが、ひっかえすほうがよかろうと思いました。そこで、じぶんでもかいをにぎって船をもどしました。船が岸につくが早いか、その人たちはとびこんできて、あっというまもなく、かれの両手になわをかけてしまいました。
「おまえのやった悪事《あくじ》は、死けいにあたいすることだぞ。とにかく、おまえをつかまえることができてよかった」と、その人たちはいいました。
ユルゲンがおかしたつみというのは、ほかでもない、人ごろしだというのでした。モルテンが、首にナイフをつきさされて死んでいるのが見つかったのです。
昨夜《さくや》おそくモルテンの家へ行くとちゅうで、ユルゲンは、ひとりの年とった漁師に出あっていました。それに、かれがモルテンにナイフをふりあげたのは、これがさいしょではないことも人々は知っていました。
それやこれやで、ユルゲンがころしたにそういない、ということになったのです。そこで、かれをつかまえて、ろう屋に入れることになりました。
ほんとうは、リンキェービングの町につれていかなければならなかったのですが、そこは遠すぎました。ちょうど風はま西でしたから、スギェルム川のほうヘフィヨルドをわたるには、三十分もかかりませんし、そこから北ボスボルの城までは、たった四分の一マイルです。それは、城壁《じょうへき》と堀《ほり》とをめぐらした堅固《けんご》な城でした。
わたし船の中に、城の代官《だいかん》の弟が乗りあわせていました。その人がいうには、とうぶんの間はユルゲンを、ジプシー女の「のっぽのマルグレーテ」が、死けいになるまではいっていたあな倉へ入れておけばよい、ということでした。
ユルゲンのもうしたては、すこしも聞きいれられませんでした。シャツについていた二、三てきの血が、うごかぬしょうことなりました。ユルゲンはじぶんにつみがないことを、かたく信じていましたが、どうしても、もうしひらきすることができませんでした。こうなっては、運命《うんめい》にまかせるほかありません。
みんなは、古い城壁のそばで船をおりました。そこは、むかし騎士ブッゲの城が立っていたところで、また少年ユルゲンが、養父母《ようふぼ》といっしょにおそうしきの宴会に、あのかがやかしいしあわせな四日間をすごすために、とおっていったところでした。
かれはいまもまた、そのおなじ道を草原《くさはら》をこえて、北ボスボルの城へ行くのです。
そこにはニワトコの花がまっさかりで、たけ高いボダイジュが、いいにおいをたてていました。この前ここへ来たのは、ついきのうのことのように思われました。
城の西やかたには、地下へおりる長い階段があって、そこをおりていくと、中はてんじょうのひくいあな倉になっていました。ここからのっぽのマルグレーテは、けい場にひき出されたのでした。この女は五人の子どもの心ぞうをたべて、もう二つ心ぞうをたべれば、とぶことだってじぶんのからだを見えなくすることだって、できるのだと信じていたのです。
ガラスのはまっていない小さい空気ぬきのあなが、かべにたった一つあけてありましたが、まどの外でかおっているボダイジュも、そのすがすがしいにおいをここまでおくることは、さすがにできませんでした。あな倉の中は、すべてがカビくさく、あれはてていて、ただ一つそまつな木の寝台《ねだい》がおいてあるだけでした。
けれども、「良心《りょうしん》にとがめなければ、ねむりはやすらかなり」、そうです、ユルゲンはやすらかにねむることができました。
あつい木のとびらがしまって、鉄のかんぬきがとおされました。しかし、迷信《めいしん》の悪夢《あくむ》は、領主さまのお城だろうが、漁師の家だろうがおかまいなしに、かぎあなからしのびこんできます。
ユルゲンもいまここにすわっていると、のっぽのマルグレーテの、かずかずのわるいおこないを思い出さずにはいられませんでした。かの女のさいごのうらみが、いよいよ死けいになる前の晩には、このへやをみたしてしまったのでした。
ユルゲンはまた、むかしここに領主《りょうしゅ》のスワンウェーデルが住んでいたころ、さかんにおこなわれたいろんな魔法《まほう》の話を思い出しました。たとえば、これはだれでも、知っていることですが、ここの橋番《はしばん》をしていた、くさりにつながれたイヌは、毎朝きまって、くさりごとらんかんの外にぶらさがっていたものです。
このようないろいろのいいつたえが、ユルゲンの心をいっぱいにして、思わず身ぶるいさせました。
けれども、こんなところにいても、ひとすじの日の光が、ユルゲンの心ふかくさしこんできました。それは、花ざかりのニワトコと、かぐわしいボダイジュの思い出でした。
ここにはユルゲンは、長くはいませんでした。まもなくリンキェービングヘうつされたのです。そこでも、きびしいろう屋がまちかまえていました。
その時代は、わたしたちの時代とはちがっていました。まずしい人にとっては、つらい世の中で、百姓のやしきがひとかたまり、ときには一|部落《ぶらく》ぜんたいが、あたらしい領主のものになることもふしぎではありませんでした。そうしたばあいにはよく、領主のぎょ者やめし使いなどが、百姓たちの差配《さはい》(領主にかわって管理する人)になりました。
この人たちは、ちょっとした過失《かしつ》をいいがかりに、まずしい人たちの財産《ざいさん》をとりあげたり、さらし柱にしばりつけてむちうったりしました。
そのころは、この国でもあちこちで、そんなことが見られたものです。わけてもユラン地方のような、王さまのいらっしゃるコペンハーゲンから遠くはなれた土地では、なさけのあるひらけた領主もすくなくて、法律《ほうりつ》なんかも、ずいぶんかってにかいしゃくされたものでした。ユルゲンの事件がのびのびになったのなどは、まだまだなんでもないほうでした。
さて、ユルゲンの入れられたところは、それはそれはさむいろう屋でした。いったい、このくるしみはいつおわるのでしょうか。なんのつみもないのに、このようなかなしみと不幸の中に投げこまれてしまったのが、かれの運命《うんめい》だったのです! ユルゲンはたっぷり時間があるままに、いろいろと考えてみました。
どうしてこの世でじぶんはこんなにひどいめにあわねばならないのか。なぜこんなところへ入れられたのか。そうだ、それはみんながかならず行かねばならぬ「あの世《よ》」で、はっきりするにちがいない!
こうした信仰《しんこう》は、あの砂丘のまずしい家で、しっかりとかれの心に根をおろしたのでした。あかるいスペインの太陽と富のもとでも、かれの父親の心の中には、どうしてもさしこまなかった光が、このさむさとやみの中で、ユルゲンのなぐさめの光となりました。それはけっしてあざむくことのない、神さまのたまものでした。
とかくするうちに、春のあらしのけはいがしてきました。北海《ほっかい》の海鳴《うみな》りは、何マイルもはなれたところまで聞こえることがあります。もっとも、それはあらしがしずまったときのことですが。そんなときの海鳴りは、ちょうどかたい地下道《ちかどう》を何百という車が走っているようにひびきます。
ユルゲンはこの海鳴りをろう屋の中で聞きましたが、それを聞いていると気がまぎれました。どんななつかしいむかしのメロディーも、このひびきほど、かれの心ふかくしみとおるものはありませんでした。
このゴーゴーと鳴る海! 風といっしょに、世界《せかい》のはてまでもはこんでくれる、ひろびろとした海! そして、かれはどこへ行こうと、カタツムリのように、いつもじぶんの家といっしょにいられるのです。たとえ外国《がいこく》へ行こうと、いつも故郷の上に立っていることができるのです。
どんなに、ユルゲンはこの底力《そこぢから》のあるとどろきに、耳をかたむけたことでしょう。どんなにいろいろの考えや思い出が、むねの中にわきあがったことでしょう。
「自由だ、自由だ。自由であることの、しあわせよ。たとえくつの底はやぶれ、シャツの糸はぼろぼろになっていようとも」
こう思うたびに、ユルゲンの心はもえあがって、こぶしをかためては、むなしくかべをうつのでした。
いく週もいく月もすぎて、とうとうまる一年がすぎました。そのとき、「どろぼうニールス」、またの名「ばくろう(ウマの売り買い・仲介《ちゅうかい》をする人)ニールス」というわるものが、つかまりました。
そこで、――やっとよい時節《じせつ》がむいてきて、ユルゲンがどんなに大きい不正をうけていたかが、あきらかになったのでした。
リンキェービング=フィヨルドの北で居酒屋《いざかや》をいとなんでいる、ひとりの商人がいましたが、ユルゲンが故郷をたった前の日の午後、つまり、あの人ごろしのあった前の日の午後、ばくろうニールスとモルテンとが、その店でおちあって、二、三ばいコップをかさねました。
けっして、お酒が頭にのぼるほどの量ではありませんでした。けれど、そのためにモルテンのしたは、ふだんよりすこしよけいにすべりました。かれは気が大きくなって、やしきを買いこんだことや、近く結婚《けっこん》することなど、ほらをしゃべりました。
ニールスが、どこにそんな大金を持っているのかと聞くと、モルテンはいばってポケットをたたいてこたえました。
「あるべきところにあるさ」
このじまん話が、命をうしなうもとでした。モルテンがそこを出ると、ニールスはあとをつけていて、金をうばうためにナイフを首につきさしたのです。でも、金は見つかりませんでした。
事件《じけん》の解決《かいけつ》までには、まだいろいろのことがあったのですけれど、ユルゲンが自由の身になったことだけ知れば、わたしたちにはじゅうぶんです。しかし、まる一年というもの、人間の世界からほうり出されて、ろう屋とさむさのうちにすごしたくるしみのうめあわせに、なにを得《え》たでしょうか。
そうです。かれはいわれました。――つみがなくてしあわせだった。さあ、どこへでもすきなところへ行くがよい、と。
市長《しちょう》は旅費《りょひ》として、十マルクくれました。ビールやおいしい食事《しょくじ》をしてくれた町の人も、二、三人はありました。
世の中には、しんせつな人もあるのです! みながみな「つきさして、皮をはいで、なべに入れる」わけではありませんでした。
けれども、中でもいちばんうれしかったのは、ユルゲンが、まる一年前にやとってもらおうと思っていた、スカゲンの商人ブレンネさんが、たまたま数日前《すうじつまえ》から商用《しょうよう》で、リンキェービングの町に来ていたことでした。
ブレンネさんは、この事件をすっかり聞いて、もともとなさけぶかい人でしたから、ユルゲンがどんなにくるしんだか、よくわかってくれました。そこで、かれのためにもうすこしつくして、世の中には、しんせつな人間もいるのだということを、知らせてやりたいと思ったのでした。
事情《じじょう》は、ろう屋から自由《じゆう》へ、天国《てんごく》へ、愛とまごころへとなりました。そうです、こうした変化も、あじわわなければなりません。生命《せいめい》のさかずきも、ニガヨモギばかりとはかぎらないのです。たとえそうであっても、あたたかい心の人なら、どうしてそのようなさかずきを、人の子にさすことができるでしょう。
まして、愛そのものである神さまが、どうしてそのようなことをなさいましょう。
「いままでのことは、みなほうむって、わすれてしまうんだ。この一年の上には、ふとい線をひいてしまおうじゃないか。こよみもやいてしまうのだ。そして、ふつかたったら、あの平和でしあわせな、たのしいスカゲンに、旅立とうじゃないか。あすこは国のかたすみだと、みんなはいっている。まったく、あれはめぐまれただんろのかたすみさ。しかも、広い世界にむかって、まどがひらかれているんだよ」
こう、商人のブレンネさんはいいました。
それは、まことにたのしい旅でした。つめたいろう屋の空気から、あたたかな太陽の光の中へ出て、思うさま息をすいこむことでした。
あれ野はヒースの花ざかりで、まるで、花のじゅうたんでした。ひつじ飼《か》いの少年が、巨人塚の上にこしかけて、ヒツジのほねをきざんでつくったふえをふいていました。
あのさばくにあらわれる美しいまぼろしのしんきろうが、庭や森などのけしきを、空にうかびあがらせました。ヒツジのむれを追うロキとよばれる、あのふしぎな、かるい空気の波もあらわれました。
旅は、ベンド族《ぞく》の住んでいた国をとおって、リム=フィヨルドにむかい、そこからさらに北の、スカゲンにむかってつづけられました。そこからはむかし、長いひげをはやした、ランゴバルド族がさすらいの旅に出たのでした。それは、ひどいききんのあったスニオ王の時代で、子どもや老人《ろうじん》たちは、みなころされることになったのです。そのとき、領主のけだかいガムバルク夫人《ふじん》が、わかいものたちは、すべて国外《こくがい》へ出たらどうかと提案《ていあん》されたのでした。ユルゲンは本でよんで、そのことを知っていました。高いアルプスのむこうのランゴバルドの国(いまのイタリアのロンバルディア)へは行ったことはありませんが、そこがどんなようすをしているか、想像《そうぞう》がつきました。少年のころ南の国スペインへ行ったことがあったからです。
ユルゲンは、そこで見たうずたかくつまれたくだものの山、まっかなザクロの花、都会《とかい》という大きなハチの巣の中の、ざわめきやどよめきや鐘《かね》の音などを思い出しました。
それにしても、いちばん美しいのはやはり故郷の土地でした。そして、ユルゲンの故郷はデンマークでした。
とうとうふたりは「ヴェンディスカーガ」につきました。
古いノルウェー語やイスランドの本では、スカゲンはこうよばれていたのです。砂丘や畑をまじえて、そのころすでに東西《とうざい》の二つの町をあわせたガメル=スカゲンは、グレネン岬《みさき》のそばの燈台《とうだい》のところまで、何マイルにもわたってひろがって、ふきよせられたすな山――それは、風がふくたびに、すがたがかわりました――の間に、いまとおなじ民家《みんか》や農家《のうか》が、ちらばっていました。それは、風がさらさらしたすなをふきまくるさばくで、カモメや、アジサシや、野生《やせい》のハクチョウなどが、こまくのやぶれるほどやかましく鳴いています。
グレネン岬から南西一マイルほどのところに、一つのおかがありますが、これがガメル=スカゲンです。
ユルゲンが、これからくらすはずのブレンネさんの家は、ここにありました。家はタールぬりで、小さななやにはどれもこれも、ひっくりかえしたボートが屋根がわりにのっけてあり、ぶた小屋は、なんぱ船の板切れをうちつけたものでした。
このやしきには、かこいというものがありません。なぜなら、かこう必要《ひつよう》がなかったからです。ただ何段《なんだん》にもひもを長くはって、それに、はらをさいたさかながたくさん、ひものにするためにさがっていました。
はまべにはいちめんに、くさったニシンが、つんでありました。地びきあみを水の中に入れるか入れないうちに、ごっそりとニシンが、はまにひきあげられます。あんまりとれすぎるので、人々はまた海へほうりこんだり、その場につんで、くさらせたりするのでした。
商人のおくさんとむすめさんはもとより、めし使いたちまでが、おとうさんがかえったというので、大よろこびで出てきました。あくしゅやら、大声でよんだり話をしたり、たいへんなさわぎです。
それにしても、むすめさんは、なんという愛らしい顔と、美しい目をもった人でしょう!
家の中は、ひろびろと気持ちよくできていました。さかなのおさらが、テーブルにはこばれてきましたが、王さまでもびっくりされるような、すばらしいカレイの料理でした。ぶどう酒は、スカゲンの大海《たいかい》というぶどう園からとれたものでした。それはどこかでしぼられて、たるやびんにつめられて、それから岸にうちあげられるのです。
それからおかあさんとむすめさんとは、ユルゲンがどういう人間で、またつみもないのに、どんなにつらいめにあったかを聞きました。するとふたりの目は、いままでよりもいっそうやさしくかがやきましたが、ことにむすめの、美しいクララ嬢《じょう》の目は、このうえもなく、やさしくかがやきました。
こうしてユルゲンは、ガメル=スカゲンに幸福《こうふく》な家庭《かてい》を見いだし、心をなぐさめられたのでした。ユルゲンの心は、なんと多くのことをたえしのんできたことでしょう。愛の、にがいしおからい水さえもです。それは人の心をかたくしてしまうか、なみだもろくします。
でも、ユルゲンの心は、まだまだやわらかでわかわかしく、そこには、まだみたされないかたすみがありました。それを思えば、三週間後にクララ嬢が、船でノルウェーのクリスチャンサンへ行くことになったのは、ユルゲンにとっては、たしかにしあわせなことでした。クララ嬢はその町のおばさんをたずねて、冬じゅうを、そちらですごすはずでした。
旅立《たびだ》ちの前の日曜日には、みんなで| 教会《きょうかい》へ聖餐《せいさん》をいただきに行きました。その教会は、スコットランド人とオランダ人が、数百年前《すうひゃくねんまえ》にたてた、大きなどうどうとした教会で、いま町があるばしょから、すこしはなれたところにありました。もう建物はいくらかいたんでいました。
ふかいすな地《じ》の道をあがったりおりたりしてそこまで行くのは、たいそうほねがおれましたけれど、神さまの家におまいりして賛美歌《さんびか》をうたい、お説教《せっきょう》を聞くためには、そのくらいのことがなんでしょう。
ふきつけるすなが、もう、墓地《ぼち》をかこむかべの上をこすほどになっていましたが、中のお墓《はか》はまだうまってはいませんでした。
これはリム=フィヨルドの北では、いちばん大きい教会でした。金のかんむりを頭にいただいた聖母《せいぼ》マリアが、おさなごイエスをうでにだいて、聖壇《せいだん》の上にまるで生きているように、立っていらっしゃいました。
聖使徒《せいしと》たちの像《ぞう》が、内陣《ないじん》のまわりのかべにほられ、かべの上のほうには、スカゲンのむかしの市長《しちょう》さんや参事会員《さんじかいいん》の肖像《しょうぞう》が、名まえといっしょにかいてありました。説教壇《せっきょうだん》は、美しい彫刻でかざってありました。太陽が、会堂の中にあかるくさしこんで、ぴかぴか光っているしんちゅうのシャンデリアと、てんじょうからさがっている、小さな船の模型《もけい》とをてらしていました。
ユルゲンは、少年のころ、スペインのりっぱなお寺の中に立ったときのように、純《じゅん》な子どもらしい、こうごうしい気持ちにうたれました。ただちがうところは、じぶんはたしかにこの教区のものなのだという意識《いしき》が、いまでははっきりしていたことです。
お説教のあとでは聖餐式があって、ユルゲンも、ほかの人といっしょにひざまずいて、パンとぶどう酒とをいただきました。そのとき、かれはぐうぜんに、クララ嬢のとなりにひざまずいたのです。
ところが、心はひたすら神さまと、神さまの聖《せい》なるおしごとのほうにばかりむけられていたので、ふたりが立ちあがったときにはじめて、ユルゲンはじぶんのとなりにいたのがだれだか、気がつきました。そのとき、むすめさんのすべらかなほおを、なみだがころがりおちるのが、目にうつりました。
それからふつかたって、むすめさんはノルウェーへ旅立ちました。
ユルゲンは家の中ではたらいたり、漁に出たりしました。そのころは、いまよりもさかながたくさんとれました。サバのむれは、くらい夜にもきらきら光をはなって、そのいるばしょをしめしました。追いまわされると、ホウボウはうなるし、カニはかなしい鳴《な》き声をたてました。
さかなというものは人々のいうほど、おしではありません。ユルゲンのほうが、むしろむねの中のくるしみを、口には出しませんでした。けれども、いつかはそれが外にあらわれることでしょう。
日曜日に教会の中にすわるごとに、ユルゲンの目は、じっと祭壇の上の聖母《せいぼ》マリアにこらされましたが、やがてその目は、しばしの間、クララ嬢がいつか、じぶんとならんでひざまずいていたばしょにそそがれました。そして、かの女がどんなにじぶんにたいしてしんせつだったかを、考えるのでした。
秋が、みぞれまじりの雪をともなってやってきました。海の水があふれて、スカゲンの町ぜんたいをひたしました。いくらすなだって、これだけの水をすうことはできません。人々は、往来《おうらい》をボートをこいでいくか、でなければ、水の中を歩いていくしかありませんでした。
あらしは、死の浅瀬《あさせ》に、あとからあとから船を投げつけました。雪のあらし、すなのあらしがあれくるって、すなが家のまわりをうずめると、人々は、えんとつをとおって外へ出るほかありませんでした。でも、このあたりでは、これくらいは、べつにめずらしいことではありません。
それでもへやの中は、気持ちよくほかほかしています。泥炭《でいたん》となんぱした船の板切れとが、パチパチもえるストーブの前で、商人ブレンネさんは、むかしの年代記《ねんだいき》を大きな声でよみました。あのデンマークの王子、ハムレットのことを。ハムレットは、イギリスからかえってくると、ボウビェルグの近くに上陸《じょうりく》して、そこでたたかったのでした。
ラムメの近くに、そのお墓がありますが、そこは、あのうなぎ商人の住んでいるところからは、ほんの二、三マイルです。そのあたりのあれ野は、一つの大きな墓地で、巨人塚《きょじんづか》が、何百となくそびえていました。
ブレンネさんは前にじぶんで、そこのハムレットのお墓を、たずねたということでした。そのほかいろいろとむかしのこと、イングランド人や、スコットランド人のことも話に出ました。こんどはユルゲンが、『イングランドの王子』をうたいました。そのりっぱな船は、どういうふうにかざられていたでしょうか。――
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船べりと船べりの間は金にぬられ
その上に主《しゅ》のみことばぞ、しるされたり
へさきには、わかき妻《つま》をいだける
王子のすがたぞかかれたり
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この一節をユルゲンは、とくに思いをこめてうたいました。それにつれて、生まれつきつややかな黒い目が、いっそういきいきとかがやきました。
そんなわけで、この家には歌もあれば、ろうどくもあり、くらしはゆたかで、家庭《かてい》の幸福《こうふく》は、家畜《かちく》にまでおよんでいました。なにもかもが、たいせつにされました。すずのおさらはきれいにみがかれて、ずらりとならんで光り、てんじょうからはソーセージやハムがぶらさがって、冬のたくわえもじゅうぶんでした。
ええ、ええ、こうした光景《こうけい》は、いまでも西ユラン半島のゆたかな農家へ行くと、よく見かけますよ。たべものはたっぷりそなえ、へやの中は、きれいにかざりたてている、分別《ふんべつ》があって、ほがらかな人たちです。
こういう人たちがいまの時代では、のしあがってきたのですね。気まえよくお客をもてなすことといったら、アラビア人のテントそっくりです。
ユルゲンは、子どものときおそうしきに行ってすごした、あの四日間このかた、こんなたのしいくらしをしたことはありませんでした。ただ、クララ嬢だけはいませんでしたけれど、みなはそのうわさをしたり、心の中でしのんだりしていました。
四月になると、ノルウェーにむけて船が一そう出るはずで、そのときは、ユルゲンも乗っていくはずでした。
ユルゲンはたいそうほがらかになり、かっぷくもよくなりました。ブレンネのおくさんは、見ていても心がはればれするといいました。
「そういうおまえさんだっても、そうさ」と、老商人はいいました。
「ユルゲンはわしらの冬の夜に、命をふきこんでくれたのだよ。うちのおっかさんにまでね。おまえさんはことしはわかがえって、きれいになったよ。もっとも、あのころも、ビボルの町で、いちばんきれいなむすめだったがね、おや、これはいいすぎたかな。なにしろわしには、あの町のむすめさんたちは、いつでもとびきりきれいに見えたからね」
それにたいしては、ユルゲンは、なにもいいませんでした。そんなことは、がらにもないことでしたから。ただ、心の中で、スカゲンの町の、いちばんきれいなむすめさんのことを思っていました。しかも、いましもユルゲンは、そのむすめさんのほうへ航海《こうかい》しているのでした。船は、クリスチャンサンの港にはいりました。追い風だったので、わずか半日でつきました。
ある朝、商人のブレンネさんは、ガメル=スカゲンの町からだいぶはなれたグレネン燈台《とうだい》のほうに歩いていきました。燈台の回転台《かいてんだい》の上の火は、もうきえていました。燈台につくころには、太陽は空高くのぼっていました。
砂州《さす》は、みさきのいちばんはずれから、たっぷり一マイルさきまで、水の下にのびています。そのまたさきのほうに、きょうは船がいくそうも見えましたので、望遠鏡《ぼうえんきょう》でのぞいたら、それらの船の中に、じぶんの持ち船の「カーレン=ブレンネ」も見えるかもしれないと、ブレンネさんは思いました。思ったとおり、船は帆《ほ》いっぱいに、風をうけて走っていました。
クララ嬢とユルゲンは、甲板《かんぱん》に立っていました。
スカゲンの燈台と教会の塔《とう》とが、目の前に、まるで青い水の上にうかんでいる、アオサギとハクチョウのように見えました。クララは船べりにすわって、砂丘が、だんだん大きくうかびあがってくるのを見ていました。そう、風がこのままかわらないでくれれば、一時間たたないうちに故郷につくことができるでしょう。
それほど故郷にかえりつくよろこびに、近づいていたのです。――それだけ、死と、死の不安にも近づいていたのですが。
とつぜん、船板が一まいくだけて、海水がどっとおし入《い》ってきました。人々はあなをふさいで、ポンプで水をくみ出しました。ありったけの帆をあげ、非常信号旗《ひじょうしんごうき》をかかげました。
陸までは、まだたっぷり一マイルありました。漁船も見えましたが、ずっとはなれていました。風は船を岸のほうへはこび、海の波もそれをたすけました。しかし、力がたりません。船はしずみはじめました。ユルゲンは右手で、しっかりとクララをかかえました。
神さまのみ名《な》をとなえながら、クララをだいて海へとびこんだ瞬間《しゅんかん》、かの女はどんな目をして、ユルゲンを見つめたことでしょう! クララは一声《ひとこえ》、するどいさけびをあげました。でも、ユルゲンのうでがじぶんをはなすことはない、と信じることはできたでしょう。
あのむかしの歌はうたっています。
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へさきには、わかき妻をいだける
王子のすがたぞかかれたり
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ユルゲンが、このきけんと不安《ふあん》のうちにしたことは、この歌のとおりでした。いまこそ、およぎの達人《たつじん》であることがやくにたちました。かれは、足とかたほうのうでとをつかっていっしょうけんめいにおよぎ、もういっぽうのうででは、しっかりとわかいむすめをかかえていました。つかれると足をうごかして、波の上でやすんでは、陸におよぎつくだけの力をたくわえるために、知っているかぎりの手だてをもちいました。
クララがためいきをつくのが聞こえ、けいれんのおののきが、そのからだを走るのが感じられました。ユルゲンは、いっそうかたくだきしめました。二、三度ふたりは、波をかぶりましたが、しおのながれがふたたびかれらを持ちあげてくれました。
海はたいそうふかく、そして、すみきっていました。一瞬《いっしゅん》、水の底に、ぎらぎら光るサバのむれを見たように思いました。あるいは、ふたりをのみこもうとしている海のかいぶつだったでしょうか。
雲《くも》が、水面《すいめん》にかげを投げました。それからまた、太陽のまばゆい光が、さしてきました。鳥が大きなむれをなして、鳴きながら、頭の上をとんでいきました。ねむたそうに、のろのろと水の上をただよっていた野ガモたちが、およいで来る人のすがたにおどろいて、とび立ちました。やがてユルゲンは、力がつきてきたのを感じました。――陸までは、まだいかりづな二、三本の距離《きょり》がありました。
でも、そのときたすけが来ました。一そうのボートが、近づいてきたのです。
――ところが、そのときユルゲンは、水の下にはっきりと見たのです。じっと、こちらをにらんで立っている白いすがたを。――波がそのときかれを持ちあげて、その白いすがたが、近づいてきました。
とたんにユルゲンは、どすん! と、なにかにぶつかったのを感じたと思うと、たちまちあたりはまっくらになって、なにもかも見えなくなってしまいました。
そこの浅瀬に、波の下になっていたけれど、なんぱした船が一そうよこたわっていたのです。白いみよしかざり(船首のかざりのこと)の像がいかりの上にのっかって、そのするどい鉄《てつ》のはしが水面のすぐ下につき出ていました。
ユルゲンは、それにぶつかったのです。おまけに波が、うしろからおしました。ユルゲンは気が遠くなって、その荷物《にもつ》といっしょにしずみました。それでも、つぎにやってきた波が、かれとわかいむすめとを、また水の上におしあげました。
漁師たちがふたりをつかまえて、ボートにひきあげました。ユルゲンの顔には血がながれて、もう死んだようになっていました。それでもむすめのからだをしっかりとだいていたので、むすめのからだをひきはなすには、無理《むり》をしなければならないほどでした。むすめは息《いき》がたえたように青ざめて、ぐったりとボートの中によこたわりました。ボートは、スカゲンのみさきをめざしていそぎました。
クララを生きかえらせるために、あらゆる手だてをつくしましたが、むすめはもうとっくに、死んでいました。ユルゲンは長い間、死がいをだいておよいで、死んだ人のために根《こん》かぎりたたかっていたのです。
ユルゲンには、まだ息がありました。人々はユルゲンを、砂丘のいちばん近い小屋にかつぎこみました。たまたまいあわせた一種《いっしゅ》の外科医《げかい》――ふだんは、かじ屋や行商人《ぎょうしょうにん》もしていました。――が、かりの手あてをして、つぎの日、ヒョーリングの町から、医者《いしゃ》をよびました。
病人《びょうにん》は脳《のう》をやられていて、ねたままあれくるい、すさまじいさけびをあげました。三日めには昏睡状態《こんすいじょうたい》におちて、生命《せいめい》は、ただ一本の糸にかかっているかと見えました。この糸が切れたほうが、ユルゲンのためにはいっそのぞましいのだ、と医者はいいました。
「この人を手もとにおめしになるように、いっそ、神にいのろうではありませんか。この人は、もうけっして人間にもどることはないでしょう」
けれども、生命はユルゲンを見はなさず、その糸は、切れようとしなかったのです。それにしても、記憶《きおく》の糸はぷっつりと切れ、精神《せいしん》の力《ちから》もたち切られてしまいました。これは、おそろしいことでした。生きたしかばねだけが、のこりました。健康《けんこう》をとりもどしたのは、ただ肉体《にくたい》だけだったのです。
ユルゲンは、ひきつづき商人ブレンネさんの家にのこりました。
「あの男の不治《ふち》のやまいも、もとはといえば、わしらのむすめをすくおうとしたためなのだ。ユルゲンはいまではわしらのむすこさ」
こう、老人《ろうじん》はいいました。
ユルゲンは、白痴《はくち》とよばれましたが、これは正しいよびかたではありません。かれはただ、絃《げん》がゆるんだために、音を出す力のない楽器《がっき》のようなものでした。
それでも、ほんのときたまでしたが、二、三分の間、絃をはって音をひびかせるときが、ないではありませんでした。――古いメロディーがくちびるにのぼり、一つ、二つ、ひょうしをとります。なにかの場面《ばめん》が、目の前にうかんでいるのでしょう。
しかし、たちまちまたきりがかかったようになって、かれはふたたびじっと空《くう》を見つめたまま、ぼんやりとすわっているのでした。そんなユルゲンが、べつにくるしんでいるのでないことはさっしられました。あの黒い目はいまはつやをうしなって、黒くくもったガラスのようになっていましたから。
「かわいそうな、ばかのユルゲン!」と人々はいいました。
これがそのむかし、おかあさんのおなかにあったときは、この世《よ》の富《とみ》と幸福《こうふく》にめぐまれそうだった、あの子どものすがたでした。
この世で、ありあまる幸福にひたっていたものですから、あの世の生命をのぞんだり、ましてや、それを信ずるのは「ごうまんであり、おそろしいうぬぼれ」であるとした、あの人の子どもでした。
では、かれの魂の中にひそんでいた、すべての偉大《いだい》な力はうしなわれてしまったのでしょうか。つらい日々と、くるしみと、幻滅《げんめつ》のみが、ユルゲンのわけまえでした。たとえば、りっぱな花をさかせる球根《きゅうこん》が、こえた土地からひきぬかれて、すな地に投げすてられて、くさってゆくのが、かれの運命《うんめい》だったのです。
神の似《に》すがたとしてつくられた人間には、もっとましなねうちがないのでしょうか。すべては、ぐうぜんの単《たん》なるもてあそびものにすぎないのでしょうか。いいえ。愛《あい》そのものである神さまは、ユルゲンが、この世でくるしみうしなったものを、あの世で、あたえてつぐなってくださるにちがいありません。
「主《しゅ》は万人《ばんにん》にたいしてやさしく、そのあわれみは、あらゆるみわざの上にあまねし」(詩編第百六、百七、百十八、百三十六編など)
このダビデの賛美《さんび》のことばを、信心《しんじん》ぶかい老商人の妻は、信仰《しんこう》となぐさめのうちにとなえては、心の中で、どうか早くユルゲンが神のおめしをうけて、神のめぐみの永遠《えいえん》の生命の中にはいっていけますようにと、おいのりするのでした。
かこいのかべまでこえてすなのふきこむ、あの教会の墓地に、クララはほうむられました。ユルゲンは、べつになんとも感じていないふうでした。過去《かこ》のがらくたばかりでできているかれの思考《しこう》の世界には、それは、縁《えん》のないことでした。
日曜日ごとに、ユルゲンは家の人について、教会に行っては、ただぼんやりした目つきで、そこにすわっていました。
ある日のこと、賛美歌《さんびか》がうたわれているさいちゅうに、ためいきを一つもらしました。かれの目はきゅうにかがやいて、祭壇《さいだん》にむけられ、ついで、一年あまり前に死んだ、あのむすめといっしょにひざまずいたばしょにむけられました。そして、その女友だちの名をよんだかと思うと、顔色《かおいろ》がまっさおになって、なみだがほおをつたってまろびおちました。
人々はユルゲンに手をかして、外につれ出しました。するとかれは、気持ちがいいといっただけで、なにかで心をいためたようすは、見えませんでした。そんな記憶《きおく》は、なにひとつのこっていなかったのです、――この、神にこころみられて、投げすてられた男には。
しかし、わたしたちをつくられた神は、知恵《ちえ》と愛にみちみちたお方《かた》です。だれが、それをうたがいましょう。わたしたちの心ぞうと、わたしたちの理性《りせい》が、それをみとめ、聖書《せいしょ》がそれをあかしています。――「主《しゅ》のあわれみは、あらゆるみわざの上にあまねし」
スぺインの国の、あたたかなそよ風がそよぐ、オレンジとゲッケイジュの林の中に、ムーア人の宮殿《きゅうでん》の金のまる屋根がそびえ、歌とカスタネットが、鳴りひびくところ、ある豪華《ごうか》な家の中に、子どものないひとりの老人《ろうじん》が、すわっていました。
この人は、町いちばんの金持ちの商人でした。町の子どもたちが、ろうそくとひらひらするはたとを持って、行列《ぎょうれつ》をつくって通りをねってきました。老人は、じぶんの子ども――むすめでも、むすめの子どもでも――がとりもどせるものならば、どれだけじぶんの財産を出してもかまわない、と思っていました。それにしても、むすめの子はたぶん、ついにこの世の光を見ることは、できなかったのでしょう。そうとしたら、どうして永遠の光、天国《てんごく》の光をあおぐことができるでしょうか。「あわれな子よ」
ほんとに、あわれな子でした。いまではもう、三十さいにもなっていましたが、まったくの子どもでした。――ユルゲンはいつか、ガメル=スカゲンの町で、こんな年になっていたのです。
風にふきまくられたすなが、墓地のお墓の上にあつくつもりました。教会のかべも、うずまるほどです。それにしても人々は、じぶんの先祖《せんぞ》や、身うちのものや愛するものがねむっているそばに、じぶんもほうむってもらいたい、とねがいましたし、ほうむらなければなりませんでした。商人ブレンネさんとおくさんとは、いまではこの白いすなの下で、むすめのかたわらに、やすらかにねむっています。
ちょうど、春さきのあらしの季節《きせつ》でした。砂丘はすなけむりをあげ、海は、高い波を岸に投げつけていました。わたり鳥が、大きなむれをなして、あらしの雲のように、砂丘の上をさけびながらとんでいきました。なんぱする船が、スカゲンのみさきからフースビイ砂丘にかけて、あとからあとからつづきました。
ある日の午後、ユルゲンはただひとり、へやの中にすわっていました。ふと、心の中に一条《いちじょう》の光がさすと同時に、少年のころ、よく砂丘やあれ野のほうへかれをかりたてた、あのおちつかない気持ちにおそわれました。
「ふるさとへ、ふるさとへ行こう!」と、ユルゲンはいいました。
だれも聞いている人は、いませんでした。かれは家を出て、砂丘へやってきました。すなや小石が顔にぶつかり、風がかれのまわりにうずをまきました。
ユルゲンは、ふらふらと教会にむかって歩いていきました。すなはかべをうずめ、まども半分かくれていましたが、正面の入り口のすなはふきとばされていました。会堂のとびらには、じょうがおろしてなくて、おすとすぐひらきました。ユルゲンは、中にはいっていきました。
あらしは、ヒューヒューうなりながら、スカゲンの町の上を走っていきました。だれの記憶にもないほどの、おそろしいあらし、それこそ、ほんものの台風《たいふう》でした。
けれども、ユルゲンは神の家の中にいました。外はまっくらな夜になりましたが、ユルゲンの中には、あかるい光がさしていました。けっしてきえることのない、魂の光明《こうみょう》です。
かれの頭をおさえつけていた、おもたい石が音たててくだけるのが、はっきりと感じられました。オルガンのひびきが、聞こえるように思いました。けれども、それは、あらしと海鳴りのとどろきでした。ユルゲンが席《せき》につくと、ろうそくが、ともされました。
一本また一本と、数かぎりなく、ちょうどいつか、スペインの国で見たのとそっくりに。そして、むかしの市長や参事会員たちの肖像《しょうぞう》が、みな生きかえって、いままで、何百年と立ちつづけていたかべの中から出てきて、内陣《ないじん》の中の席につきました。
会堂のとびらというとびらがひとりでにひらいて、死んだ人たちがみな、その当時のはれ着を着てはいってきて、美しい音楽の鳴りひびくうちに、めいめいの席につきました。
そのとき、まるで海のとどろきのような、賛美歌がおこりました。
ふと見ると、フースビイ砂丘の年とった養父母《ようふぼ》がそこに来ていました。年よりの商人ブレンネさんとおくさんも、それからそのそばには――それはユルゲンの、すぐそばでしたが――、あのやさしい、愛らしいむすめさんまでが来ていました。むすめさんはユルゲンに手をさし出しました。そしてふたりは、むかしいっしょにひざまずいた、祭壇の前に行きました。おぼうさんがふたりの手をかさねあわせて、ふたりの愛の生活《せいかつ》を祝福《しゅくふく》しました。
たちまち、大らっぱのひびきがわきおこりました。あこがれと、よろこびにあふれた子どもの声のようなそのふしぎなひびきは、いよいよふくれあがって、オルガンのとどろきになり、ついには、荘厳《そうごん》なひびきをもつ、音のあらしにまで高まりました。それは、やさしく人の心をなぐさめると同時に、墓石《ぼせき》をうちくだく力をもっていました。
内陣《ないじん》のてんじょうからさがっている小さな船が、ふたりの前におりてきて、みるみるうちに大きく美しくなりました。きぬの帆に金色の帆げた、いかりは、赤みをおびた金色で、帆づなは、どれもきぬをないあわせたものでした。ちょうどむかしのあの歌にうたわれているとおりです。
花よめ花むこがその船に乗りこむと、教区の人がみな、あとにつづきました。船の上にはみなのために、りっぱな席がしつらえてありました。会堂のかべやせりもち(アーチのこと)は、あのニワトコと、いいにおいをたてていたボダイジュの木のように、ぎっしり花をつけて、しずかにみどりのえだと葉をそよがせました。それが頭《あたま》をたれて、左右にわかれた中を、船は帆をはってすべり出し、みんなを乗せたまま、空中をとび、海をわたっていきました。
会堂のあかりの一つ一つが、小さな星になりました。風が賛美歌《さんびか》に合わせてうたいました。なにもかもがうたっていました。
「愛の中へ。栄光《えいこう》の道へ」
「生命はだんじてほろびることなし!」
「よろこばしきかな、このさいわい、ハレルヤ!」
そしてこのさいごのことばがこの世での、ユルゲンのさいごのことばになりました。不死《ふし》の魂をしばっていたいましめは、ときはなたれたのです。――死んだ肉体《にくたい》だけがただ一つ、まっくらな教会の中に、ころがっていました。その上をあらしはたけり、すながうずをまいてとんでいました。
つぎの日は、日曜日でした。教区の人たちやぼうさんが、礼拝《れいはい》のために、教会へやってきました。
道は、ひどく歩きにくくなっていました。すながふきたまって、ほとんどとおれなくなっていたのです。いよいよ、教会の前に来てみると、とびらの前にも、大きなすなのおかができていました。おぼうさんは、みじかいおいのりをささげてから、いいました。――神さまは、このごじぶんの家をとざしてしまわれた。わたしたちは、どこかよそへ行って、そこにあたらしくたてなおさなくてはなるまい、と。
そこで、みんなは賛美歌をうたって、それぞれ家路《いえじ》につきました。
ユルゲンは、スカゲンの町の中にも、砂丘にも、どこをさがしても見つかりませんでした。たぶん、はまの上までおしよせてきた大波にさらわれたのだろう、と人々はいいました。
ユルゲンのからだは、偉大《いだい》な石の棺《かん》、教会そのものの中にほうむられていたのです。神さまがあらしの夜、この棺の上に、手ずから土をふりかけられたのです。おもいすなの層《そう》がその上をおおい、いまもなお、おおっています。
とんでくるすなが、どうどうとしたまるてんじょうの上につもりました。砂丘にはえるサンザシや野イバラが、いまでは会堂の上にもはえて、旅人はその上をとおって、塔のところまで歩いていくことができます。
この塔は、巨大《きょだい》な墓標《ぼひょう》のようにすなの中からそびえ立って、何マイルも遠方《えんぽう》から、ながめることができます。どんな王さまだって、これほどりっぱな墓標を立てられたことはありません! だれも、この死人の平和をみだすことはできません。だれも今日《こんにち》まで、そのばしょを知っているものはありません。――ただあらしが、砂丘の間で、わたしにうたって聞かせてくれたのです。
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人形つかい
汽船《きせん》の中に、とてもみちたりた顔《かお》をした、男の客《きゃく》が乗っていました。もし、その顔つきにうそがないとすれば、この人はこの世で、いちばん幸福《こうふく》な人だったかしれません。いや、この人はじぶんでそのようにいっていましたっけ。わたしはこの人の口から、じかに聞きましたがね。
この人は、デンマーク人でした。つまり、わたしとおなじ国の人間で、旅《たび》まわりのしばいのかんとくさんでした。このかんとくさんは、一座《いちざ》のものを、いつも手もとに持っていました。それは、大きなはこの中にはいっていました。というのは、この人は人形つかいだったのです。
いうところによると、この人は生まれつき陽気《ようき》なたちでしたが、それが、ある工科大学《こうかだいがく》の学生《がくせい》によって浄化《じょうか》されて、おかげでほんとうに幸福になったというのでした。
わたしは、そのわけが、すぐにはのみこめませんでした。するとその人は、その話《はなし》を、すっかり話してくれました。これがそのお話です。
あれはスラゲルセの町でしたが、とその人は話しはじめました。――わたしは駅舎《えきしゃ》で、ひとしばいやっていました。すばらしいぶたいと、すばらしいお客、――もっとも、二、三人のおばあさんをのぞいては、みな堅信礼《けんしんれい》前の小さな人たちでしたがね。するとそこへ、黒い服を着た、学生ふうの人がはいってきて、こしをおろしました。しかもその人は、急所急所《きゅうしょきゅうしょ》でいかにもおもしろそうにわらったり、手をたたいてくれました。ほんとに、めずらしいお客さんでしたよ。
いったい、この人がどういう人だか、わたしは知りたくなりました。人に聞いてみると、いなかの人たちを指導《しどう》するために派遣《はけん》された、工科大学の学生だとのことでした。
八時きっかりに、わたしのしばいはおしまいになりました。ええ、子どもたちは、早くねどこにはいらなくてはいけないし、お客さまのつごうも考えなくちゃいけませんからな。
九時にその学生さんは、講演《こうえん》と実験《じっけん》をはじめました。こんどは、わたしが聞き手になりました。
こうして、聞いたり見たりしているうちに、わたしはすっかり感心《かんしん》してしまいました。たいていのことがらは、わたしにはむずかしすぎて、よく人のいうように、頭の上をとおりこして、ぼうさんの中にはいってしまいました。けれども、これだけのことは、いやでも考えさせられましたね。――いったいわれわれ人間《にんげん》が、こんなことまで考え出すことができるとすれば、われわれは地の中にうめられるまでに、もっと長生きができなくてはならないはずだ、と。
学生さんのやったことは、ほんの小さな奇蹟《きせき》でした。しかし、すべてがやすやすと、まるでズボンに足をつっこんで、自然《しぜん》の中から、ひょっくり出てきたように見えました。モーセや預言者《よげんしゃ》の時代でしたら、さっそくこの学生さんは、国の賢者《けんじゃ》のひとりにされたでしょう。もしまた中世《ちゅうせい》でしたら、火あぶりにされたことでしょうよ。
その夜は、一晩《ひとばん》じゅう、わたしはねむれませんでした。あくる晩、わたしがしばいをやりますと、学生さんがまた見に来たので、わたしはすっかりうれしくなりました。
ある役者《やくしゃ》から聞いた話ですが、恋人《こいびと》の役《やく》をやるときには、その人はお客の中の、ただひとりの女性だけを思いながら、その人のために役を演《えん》じて、ほかのことは小屋もなにも、ぜんぶわすれてしまうのだそうです。
その工科大学の学生さんは、わたしにとって、そういう「女性」――わたしがそのためにしばいをしてみせる、ただひとりのお客になったのです。
やがてしばいがおわりますと、人形たちはみな、ぶたいによび出されました。そしてわたしは、その学生さんから、ぶどう酒《しゅ》を一ぱいごちそうになりました。学生さんは、わたしのしばいについてしゃべり、わたしは、学生さんの学問《がくもん》についてしゃべりました。どうも、わたしの思うところでは、ふたりとも大《だい》まんぞくでしたっけ。
ところで、そのときの学生さんのことばで、いまだにわすれられないのがあります。なにしろ、その学生さん自身《じしん》にもせつめいできないことが、たくさんあったのです。
たとえば、鉄片《てっぺん》がコイルの中をとおると、じしゃくになるというようなことがらです。ほんとにこれはどういうわけなのでしょう。霊気《れいき》が、のりうつるわけです。
そんなら、その霊気は、どこから来るのでしょう。たぶんこの世の人間が、やはりおなじではないでしょうか。神さまがにぶい人間を、「とき」のコイルの中を通過《つうか》させます。すると霊気がのりうつって、ナポレオンのような、ルーテル(ドイツの宗教改革者《しゅうきょうかいかくしゃ》、一四八三年―一五四六年)のような、もしくはそれとにた人間ができあがるのです。
「全世界《ぜんせかい》は、ひとつづきの奇蹟《きせき》なんです。ところがわれわれは、それになれっこになって、なんとも思わなくなっているんですよ」
こう、学生さんはいって、いろいろ話したり、せつめいしたりしてくれました。とうとう、わたしは頭のふたをあけられたようになって、しょうじきにはくじょうしたんですよ。こんな年よりでなければ、わたしもさっそく工科大学へはいって、この世の秘密《ひみつ》の見ぬきかたをならうんですがね。それにしても、わたしはいちばん幸福な人間のひとりですよって。
「幸福な人間のひとりですって?」
こう、学生さんはいって、そのいみをあじわうようにしていましたが、きゅうにまたたずねました。
「あなたはほんとに、幸福なんですか」
「そうですとも。わたしは幸福ですさ。一座のものをつれていくと、どこの町でも、かんげいしてくれます。もっとも、わたしには一つのねがいがあって、それがときたま、ばけものか夢魔《むま》(ゆめにあらわれるあくま)みたいにおそってきては、わたしの上《じょう》きげんをぶちこわしてしまいます。そのねがいというのは、生きた人間の一座の、つまり、ほんものの人間社会《にんげんしゃかい》のぶたいかんとくになることなのです」と、わたしはこたえました。
「では、あなたは人形が生きてうごくことを、あれたちが、ほんとうの役者になることをねがわれるのですね。そして、あなた自身が支配人《しはいにん》になれば、それで完全《かんぜん》に幸福だと、こう、あなたはお信《しん》じになるのですか」と、学生さんはいいました。
学生さんは、そんなことは信じませんでした。ところがわたしは、信じました。そこでわたしたちは、その点について、あれこれと議論《ぎろん》しました。
そして意見《いけん》も、まあほとんど一致《いっち》したので、グラスをかちあわせて、かんぱいしたのです。ぶどう酒は、かなり上等《じょうとう》でしたが、きっと中に、なにか魔法《まほう》の薬《くすり》がはいっていたんですね。なぜなら、いつもはいい気持ちによっぱらうきまりでしたのに、このときばかりは、そうではありませんでしたから。わたしの目は、かえってさえてしまいました。
へやの中に、お日さまが光ってるみたいで、しかも光は、その工科大学の学生さんの顔からさしているんです。わたしは思わず、地上を永遠《えいえん》のわかさで歩いていたという、大むかしの神々を思わずにはいられませんでした。
そのことをいいますと、学生さんは微笑《びしょう》しました。ちかってもいいんですが、この学生さんは、へんそうした神さまか、すくなくとも神さまの親類《しんるい》すじだったのですね。
いや、ほんとうですよ。――だからわたしの最高のねがいは、きっとかなえられて、人形どもが生きてきて、わたしは、生きた人間の一座のかんとくになるでしょうよ。
わたしたちは、その日を祝《いわ》ってかんぱいしました。学生さんはわたしの人形を、のこらず木ばこの中につめて、はこをわたしのせなかにくくりつけました。それからわたしを、ドスンとばかりコイルの中に入れました。いまでも、そのときのドスン! とおちた音が、耳に聞こえるようですわい。
わたしは、ゆかの上にぶったおれました。そりゃまちがいのない話ですて。すると、一座のものがのこらずはこからとび出してきました。霊気《れいき》がみんなの上に、のりうつったのですね。人形という人形が、すばらしい芸術家《げいじゅつか》になりました。じぶんで、そういうのですよ。そこで、わたしはかんとくさんです。
もうすっかり、第一回の上演《じょうえん》の用意《ようい》がととのいました。ところが、一座のものたちがわたしに話があるというのですね。お客にもですよ。
女のダンサーはいいました。――わたしがかた足で立たないと、劇場《げきじょう》はつぶれます。わたしが、ぜんたいの花形《はながた》なのだから、それだけのたいぐうをしてもらいたいとね。
女王《じょおう》さまの役を演《えん》じる人形は、いうんですね。――ぶたいの外でも女王として、とりあつかってもらいたい。さもないと、役をわすれてしまうからとね。
手紙を持って登場《とうじょう》する役の人形は、一座きっての色男役《いろおとこやく》のように気どっていました。――なにしろ、芸術《げいじゅつ》の世界では、小さいものも大きいものとおなじ重要《じゅうよう》さをもっているんですからね。とその男はいいました。
主人役は、じぶんの出る場面《ばめん》は、ぜんぶ幕切《まくぎ》れでなければいけない、お客さんが拍手《はくしゅ》をするのは、そこなのだから、というし、プリマドンナは、赤い照明《しょうめい》が、わたしにはにあうから、その中でだけうたいたい。青い照明では、いやだというのです。
いやまったく、みんなのいうのを聞いていると、びんの中で、ハエがブンブンいっているようでした。しかも、かんとくのわたしは、その中にいなければならなかったのです。呼吸《こきゅう》がつまって、頭がくらくらしました。いやもう、このうえもなくみじめな気持ちでしたよ。
わたしはまったく、あたらしい種類《しゅるい》の、とんでもない人間の中にはいってしまったのです。みんなをまた、はこの中に入れてしまいたいと思いました。かんとくはもう、こりごりでした。
そこでみんなに、しょうじきにいってやりました。――しょくんは、なんのかのいったって、ようするに人形にすぎないんだぞと。するとみんなは、やにわにわたしにうってかかるじゃありませんか。
いつのまにか、わたしは、わたしのへやのベッドの上に横になっていました。どんなふうにして、そこにもどってきたか、それはあの工科大学の学生さんには、わかっていたでしょうが、わたしはなにも知りません。
月が、ゆかの上をてらしていました。見ると、人形のはこがひっくりかえっていて、大きいのも小さいのも、人形がのこらず、つまりわたしの商売道具《しょうばいどうぐ》がそっくり、そこに投げ出されているのでした。
ぐずぐずしちゃいられません。わたしはすぐさま、ベッドからとび出しました。するとみんなは、ぞろぞろとはこの中にはいっていきましたっけ。あるものは頭のほうから、あるものは足のほうからね。
わたしは、はこにふたをして、その上にこしかけてしまいました。ちょっと、絵にかいておきたいながめでしたよ。あなたにはそのようすが、目に見えますかな。わたしには見えますがね。
「さあ、おまえたちは、そこにはいっていなさい。おまえたちが、血と肉とをもつことを、わたしはもう、ねがわないよ」
こう、わたしはいいました。
わたしはとても気持ちがかるくなって、世にも幸福な人間になりました。あの工科大学の学生さんが、わたしの心を、きよめてくれたのです。わたしはなんともいえない幸福感《こうふくかん》にひたって、はこにこしかけたままねむってしまいました。そして朝になっても、――いや、ほんとうはもう正午《しょうご》でした。とんでもなくおねぼうしてしまったのです――まだあいかわらず、はこの上にこしかけていました。とても幸福な気持ちでね。なにしろ、以前《いぜん》にわたしのいだいていた、ただ一つのねがいが、ばかなものだったことがわかったからです。
工科大学の学生《がくせい》さんのことをたずねてみると、学生さんはもう、どこかヘ行っちゃっていました。まるで、ギリシアやローマの神さまみたいにね。
このときからずっと、わたしは世にも幸福な人間なのです。なんのりくつもいわない、一座をひきいた幸福なかんとくさんというわけです。お客もりくつをいわないで、ただ心の底《そこ》からよろこんでくれます。
わたしは自由に、わたしのしばいを組み立てることができます。いろんなしばいから、わたしの気にいったいちばんよいところをとってきても、だれも文句をいやしません。
いまでは、大劇場《だいげきじょう》では見むきもされないけれども、三十年前まではひっぱりだこで、おおいにお客のなみだをしぼったような作《さく》がある、そういうのをわたしはとりあげて、小さいお客さんたちに提供《ていきょう》するんです。
すると、ぼっちゃんじょうちゃんたちが、むかしおとうさんやおかあさんがないたように、ないてくれる。わたしゃ「ヨハンナ=モンフォーコン」や「ダイヴェケ」を上演しましたよ。ただし、つづめてね。なにしろ小さい人たちは、くどくどした愛のかたらいなんか、不幸《ふこう》にもこのみませんものね。なんでも、てっとり早いのがいいんです。
いままでわたしは、デンマークは、すみからすみまでまわって、あらゆる人間を知り、また人にも知られました。
それで、こんどは、スウェーデンにわたるところです。もしそこでも運《うん》がよくて、お金がたっぷりもうかったら、わたしはスカンジナビアの名士《めいし》というわけです。それとも、だめですかな。いや、こんな話は、あなたがお国の方だからもうしあげるのですよ。
そこで同国人《どうこくじん》であるわたしは、この人から聞いた話をそのまま、さっそくみなさんに、おつたえするわけです。ただお話をしたいばっかりにさ。
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ふたりの兄弟
デンマークの島々には、よくむぎ畑や、大きなブナの森の間に、むかしの法廷《ほうてい》のあとが、小高くそびえていますが、そうした島の一つに、赤い屋根をもった、ひくい家《や》ならびの小さな町があります。
その町の一けんの家の中で、あかあかとおこったへっついの炭火《すみび》の上で、いま、みょうなものがつくられていました。ガラスのうつわの中で、なにかをにたり、まぜたり、またじょうりゅうしたりしているのです。すりばちの中では、薬草《やくそう》がすりくだかれていました。中年の男の人が、それを見まもっていました。
「人はほんとうのことを、もとめなければならない。そうなんだ、あらゆるものの中にある、ほんとうのもの、正しいもの、真理《しんり》、これをわれわれは認識して、それにしたがわなければならないのです」
こう、その人はいいました。
へやの中には、けなげなおかあさんのそばに、ふたりのむすこがすわっていました。ふたりともまだ、小さい少年でしたが、考えることはなかなかすすんでいました。なにが正しいか、まちがっているかについては、おかあさんから、いつもおしえていただいていました。
「わたしたちは、真理をとうとばなければなりません。真理はこの世にあらわれている、神さまのお顔ですもの」と、こう、おかあさんは、おっしゃいました。
にいさんのほうは、見るからに、すこしいたずらっぽいきかぬ気の少年でした。いちばんのたのしみは、自然の力や、太陽や星のことを本でよむことで、どんなおとぎ話をよむよりもおもしろいと思いました。
――ああ、発見の旅に出かけられたら、どんなに幸福《こうふく》だろう。でなければ、鳥のつばさのようなものをつくって、空をとべるようになったら、どんなにうれしいだろう。そうだ、これこそ、ほんとうのことを見いだすということだ。おとうさんの、おっしゃるとおりだ。おかあさんの、おっしゃるとおりだ。真理が、この世界を支配《しはい》しているのだ。――こんなふうに、少年は思いました。
弟は兄よりもものしずかな性質《せいしつ》で、いつも本ばかりよんでいました。そして、ヤコブの話(聖書の創世記第二十八章)をよんで、ヤコブが子ヤギの皮をからだにつけて、エサウににせ、兄から家督《かとく》の権をうばってしまうところへ来ると、ふんがいして小さい手をにぎりしめて、このペテン師《し》につきつけるのでした。
また、暴君《ぼうくん》の話や、この世でおこなわれた、あらゆる不正やわるいおこないの話をよむと、きまって目になみだをうかべました。そんなときには、正義と真理が、ついには勝つにそういない、いや、勝たなければならないという考えが、強く少年の心をみたしたのです。
ある晩のこと、少年はもう、ベッドにはいっていましたが、寝台《ねだい》のカーテンは、まだすっかりひかれていなかったので、あかりが、中までさしこんできました。少年は一さつの本を手にしたまま横になって、ソロンの物語をおしまいまでよむことができました。
すると、心が高まってきて、少年を、はるか遠くまではこんでいきました。まるでベッドが船になって、帆《ほ》をいっぱいにふくらませたかのように。
ゆめを見たのでしょうか。それとも、なんだったのでしょう。少年は、波うつ海の上をすべっていきました。それは、時の大海《たいかい》でした。ソロンの声が、聞こえてきました。それは外国のことばでしたが、はっきりと、デンマークの格言《かくげん》をつげていました。
「国をおさめるには、法《ほう》をもってせよ」と。
そのとき、人間をまもる精霊《せいれい》が、このまずしいへやの中にあらわれて、ベッドの上に身をかがめると、少年のひたいにキスをして、いいました。
「名誉《めいよ》をおもんじ、力強く人生のたたかいにのぞめ! 真理をむねにいだいて、真理の国へとんでいくがよい」
にいさんのほうは、まだベッドにつかないで、まどぎわに立って、牧場《まきば》からたちのぼるもやをながめていました。牧場でおどっているのは、前に年よりのめし使いが教えてくれたような、妖精《ようせい》のむすめたちではありませんでした。いまでは、少年のほうがよく知っていました。それは、空気よりもあたたかいために、地めんからたちのぼっていく、水《すい》じょうきでした。
そのとき、流れ星が一つ、尾をひいておちました。少年の心は、たちまち地上のもやから、かがやく流星《りゅうせい》にむかって、とんでいきました。空の星は、きらきらまたたいていました。それはちょうど長い金の糸が、そこから地の上まで、たれさがってきたかのようでした。
「ぼくといっしょに、とんでいかないか」
そんな歌声が、まっすぐに少年のむねにひびいてきました。
そして、人間をまもる精霊が、鳥よりも早く、矢よりも早く、この世のなにものよりも早く、少年を空高く、星から星へ達する光が天体《てんたい》をおたがいにむすびつけているところまではこんでいきました。わたしたちの地球は、うすい空気の中で、町と町とをついとなりあわせのように見せながら、まわっていました。天体の間には、こんな歌がひびきわたりました。
「大いなる精霊の、なんじをはこぶとき、遠いも近いもありはしないのだ」
少年はまだまどぎわに立って、外を見ていました。弟はベッドの中に、横になっていました。
そのとき、おかあさんが、ふたりの名まえをよびました。
「アンネルスに、ハンス=クリスチャン!」
デンマークは、この兄弟を知っています。世界も、このふたりを知っています。――それはエールステッド兄弟〔兄ハンス=クリスチャン(一七七七年〜一八五一)は物理学者。電磁気学《でんじきがく》の創設者。弟アンネルス(一七七八年〜一八六〇)は政治家〕でした。
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古い教会の鐘
(シラーの記念帳に)
アカシアのなみ木が、かい道ぞいに美しく花をつけ、秋になるとリンゴやナシの木がじゅくした実をたわわにみのらせる、ドイツのヴュルテムベルクに、マールバハという、小さい町があります。ごく小さいけれど、ネッカーのながれにのぞんだ、とても美しい町です。
このネッカー川は、多くの町々や、古い騎士《きし》の城や、みどりのぶどう山のかたわらをすぎて、あの名高い、ライン川にそそいでいるのです。
秋もすえのころでした。ブドウの葉は赤く色づいて、つるにさがっていました。しぐれがふって、風はだんだん、つめたく強くなってきました。まずしい人たちにとっては、ありがたくない季節でした。
日は一日一日と、くらくなっていきます。古い小さい家の中は、なおさらくらくなりました。
さて、こうしたまずしい家の中に、破風《はふ》を往来にむけた、まどのひくい、見たところいかにもみすぼらしい、一けんの家がありました。
その家に住んでいる家族は、家におとらずまずしかったのですけれど、心がけのよいはたらきものでした。しかも心の中は、神さまをうやまう気持ちでいっぱいだったのです。
神さまはいましも、この家にもうひとり、子どもをおさずけになろうとしていました。いよいよお産のときが来て、おかあさんはいたみにくるしんで、ねていました。そのとき、教会の塔《とう》から鐘《かね》の音が、ひくく、そしておごそかに、ひびいてきました。
ちょうど、おいのりの時間でした。その鐘の音は、おいのりするおかあさんの心を、神さまを思う気持ちと信仰《しんこう》でみたしました。おかあさんはねっしんに神さまのほうへ、心をむけました。
そのとたんに、小さいむすこが生まれましたので、おかあさんは、かぎりないよろこびにひたりました。塔の上の鐘は、かの女のよろこびを、町にも野にも鳴りひびかせているように思われました。
赤ちゃんのすんだ二つの目は、おかあさんのほうを見ていました。かみの毛は、金色にかがやいていました。
こんなふうに、この子は十一月のある暗い日に、鐘の音にむかえられて、この世に生まれてきたのです。おかあさんもおとうさんも赤ちゃんにキスして、それから聖書《せいしょ》の中に、こうかき入れました。
「一七五九年十一月十日、神さまより男の子をさずかる」
その後、この子に洗礼《せんれい》をうけさせて、ヨハン=クリストフ=フリードリヒと名をつけたことを、そこにかきくわえました。
この小さい子――小さなマールバハの町で生まれた、このまずしい男の子は、それからどうなったでしょう。
そのときはもちろん、だれもそれを知りませんでした。高い塔の上にかかっていて、さいしょにこの子のために鳴ったりうたったりしてくれた、あの古い教会の鐘さえもね。
ところがこの子こそ、のちに「鐘」について、いちばん美しい歌をつくることになったのです。
子どもは大きくなり、それにつれて、かれの世界もひろがっていきました。両親はほかの町へひっこしましたが、小さなマールバハの町には、したしい友だちが何人もいましたので、ある日、おかあさんはむすこをつれて、その町をおとずれました。
そのとき、男の子は、たった六さいでしたが、もう聖書の中の一部と、賛美歌《さんびか》のいくつかを知っていました。それまでにもいくどか、夜、おとうさんがゲレルト(ドイツの詩人、一七一五年―一七六九年)の「寓話《ぐうわ》」や、クロプシュトック(ドイツの詩人、一七一五年―一七六九年)の「救世主《きゅうせうしゅ》」をおよみになるのを、かわいいとういすにすわって、聞いてもいました。
そして、二つ年上のねえさんといっしょに、わたしたちみなのすくいのために、十字架《じゅうじか》で死なれたお方のことを聞いて、あついなみだをながしたものでした。
はじめて、マールバハをおとずれたときは、町は、そうたいしてかわってはいませんでした。
一家がひっこしてから、まだあまりときがたっていなかったからです。とがった破風《はふ》とかたむいたかべとひくいまどとをもった家が、前とおなじようにならんでいました。
けれども、教会の墓地《ぼち》にはあたらしいお墓が、いくつかふえていましたし、墓地の石かべのすぐそばには、古い鐘が草の中にころがっていました。それは高い塔からおちたために、ひびがはいって、もう鳴らなくなっていたのです。かわりのあたらしい鐘が、はやくも、もとのばしょにさがっていました。
おかあさんと子どもとは、墓地の中にはいって、その古い鐘の前に立ちました。おかあさんは小さいむすこに話して聞かせました。この鐘は何百年となく、みなの役にたって、かずかぎりない子どもの洗礼のときに、結婚のお祝いに、おそうしきに、鳴りひびいてきた鐘であることを。
これはまた、おまつりの日のよろこびや、火事のおどろきをもつげ知らせました。まことにこの鐘こそ、人の一生を、うたいつづけてきたようなものでした。
こんなおかあさんの話を、男の子は、けっしてわすれませんでした。それは、かれのむねの中に鳴りつづけたのです。――この子がおとなになって、それを詩にうたい出すまで。
おかあさんはまた、男の子が生まれた、あのくるしいときに、この古い教会の鐘が、どんなによろこびとなぐさめとを、かの女の心にうたってくれたかを話しました。
それを聞いて男の子は、神さまにおいのりするような気持ちで、その大きな、古い鐘をじっと見つめていましたが、やがて、からだをこごめてそれにキスしました。もう古くなり、ひびがはいって、こうして、草やイラクサの中に投げすてられている鐘でしたけれど。
まずしい中にも、すくすくと成長《せいちょう》した、この少年の思い出の中に、この日のことは、いつまでものこりました。
のっぽで、やせていて、かみの毛は赤く、顔にはそばかすがある。――そうです、かれはそんな少年でした。けれども、その二つの目はふかい湖《みずうみ》のようにあかるくすんでいました。
さて、少年はどうなったでしょうか。たいへん、運がむいてきました。うらやましいほどよい運が。とのさまのとくべつのおことばで、士官学校《しかんがっこう》の、上流《じょうりゅう》の子どものはいるクラスに入学をゆるされたのです。
これはたいした名誉《めいよ》で、またしあわせでした。いまや少年は長ぐつをはき、かたいえりかざりをつけ、かみ粉《こ》をふったかつらをつけて歩きまわりました。
「すすめ!」
「とまれ!」
「気をつけ!」
こういった号令《ごうれい》のもとに、いろいろと教育をうけました。きっと、ひとかどのものになることでしょう。
あの古い教会の鐘は、そのままわすれられていましたが、それでも、いつかは鋳物《いもの》工場へ行くことでしょう。さてそこでこんどは、なにになるでしょう。さあ、それはなんともいえないことでした。
また、この少年のむねの中の鐘が、どうなるか、それはなおさら、だれにもいえないことでした。でも少年のむねの中にある青銅《せいどう》の鐘は、いつも鳴りひびいていたのです。
いつかは広い世界へ鳴りわたるにそういありません。
さて、学校のかべの中がせまくなればなるほど、また、「すすめ! とまれ! 気をつけ!」の命令《めいれい》が、きびしくなればなるほど、わかもののむねの中の鐘のひびきは、ますます強くなっていきました。
わかものがなかまのあつまったところで、それをうたいあげると、その歌は、国の外までひびいていきました。けれども、わかものはそんな歌のために、学校へ入れてもらったり、衣服《いふく》や食事をいただいているのではありませんでした。
わかものには、もう、ちゃんと番号《ばんごう》がついていて、大きなとけいじかけの中に、組みこまれているのでした。わたしたちもみな、めいめいの役わりをもって、こんなとけいじかけの中に組みこまれているのではないでしょうか。
わたしたちにはじぶんでじぶんのことが、まるでわからないものです。まして他人《たにん》に、たとえそれが、どんなかしこい人だろうとも、わたしたちのことが、いつでもちゃんとわかるなんてことがありましょうか。
けれども、宝石《ほうせき》ができるのは、強く外からあっぱくされるためです。この学校には、強いあっぱくがありました。いつかは世界が、この宝石をみとめるような日が来るでしょうか。
この国の都に、大きなお祝いがありました。何千というあかりがかがやき、花火が、空高くうちあげられました。このときのはなやかさが、いまもって人々の記憶《きおく》に生きているのは、かなしみとなみだのうちに、人知れずよその国へのがれようとしていた、このわかもののおかげです。
わかものはじぶんの生まれた国を、おかあさんや、すべての愛する人たちを、見すてていかねばなりませんでした。でなければ、つまらない日々のながれのうちに、うずもれてしまったことでしょう。
マールバハの教会のかべのそばに、わすれられてひっそりころがっていた、あの古い鐘は幸福でした。
風はその上をふいていくときに、その青年が生まれたときに鳴らされたこの鐘に、きっとかれのことをかたったことでしょう。つい近ごろも、どんなにつめたくかれの上をふいてきたか、そのことを話したことでしょう。
そのとき、青年は、となりの国の森の中に、つかれはててうずくまっていたのでした。かれの財産《ざいさん》といえば、また将来《しょうらい》の希望といえば、ただ「フィエスコ」の原稿《げんこう》があるだけでした。
風はまた、この青年のゆいいつの保護者《ほごしゃ》であるはずの芸術家《げいじゅつか》たちのことを、かたったかもしれません。ところがこの人たちは、青年に原稿をよませておきながら、みんなこっそりぬけ出して九柱戯《きゅうちゅうぎ》(ボーリングとにた、たまころがしのあそび)にふけったのでした。
それからまた、いく週もいく月も、みすぼらしいはたご屋(旅館のこと)にとまっている、青い顔をした逃亡者《とうぼうしゃ》のことをかたることもできました。宿屋《やどや》の主人が酒をのんで、どなりちらしているとき、人々がくだらないばかさわぎをしているとき、この青年は理想をうたっていたのでした。
くるしい一日一日、くらい一日一日でした。この人の心も、いつの日か高らかにうたい出すところのものを、まず、たえしのばなくてはならないのでしょう。
くらい日とつめたい夜とが、古い鐘の上にすぎていきましたが、鐘はそれをなんとも感じませんでした。
しかし人間のむねの中の鐘は、じぶんのくるしみを感じます。この青年はどうなったでしょう。古い鐘はどうなったでしょう!
そうです。鐘は遠いところへ、たとえあの高い塔の上で鳴っても、とうていその音の聞こえないほど遠いところへ、はこばれていきました。
では青年のほうは? そうです、青年のむねの中の鐘は、青年の足がまだふんだこともない、かれの目が、まだ見たこともない遠くまでひびいていきました。それは海をこえて、世界じゅうにひびきわたり、いまもなおひびいています。
さて、わたしたちはまず、鐘の話のほうから聞くことにしましょう。
それは、マールバハからはこび出され、古銅《ふるどう》として売られて、バイエルンの国(西ドイツ南部の州)で溶鉱炉《ようこうろ》の中へ、投げこまれることになりました。
いつ、また、どうして、そういうことになったのでしょうか。ええ、それは鐘がじぶんで話すでしょう。もし、できることならばね。でも、それは、たいして重要《じゅうよう》なことではありません。
けれども、鐘がとにかくバイエルンの都に来たことだけは、たしかなんです。この鐘が塔からおちてから、多くの年月がたちましたが、こんどいよいよとかされて、名誉《めいよ》の大記念碑《だいきねんひ》の型に、ながしこまれることになったのでした。
それはドイツの国と国民がほこりにする、ある偉人《いじん》の像でした。
では、どうしてそうなったか、お聞きなさい。この世界には、まことにふしぎなおもしろいことがあるものです。
北のデンマークの国の、ブナの森がしげり、巨人塚《きょじんづか》がいくつもそびえているみどりの島の一つに、ひとりのとてもまずしい男の子がいたのです。
その子は、木ぐつをはいて歩きまわったり、昼の食事をぼろぬのにくるんで、おとうさんのところへ持っていったりしました。おとうさんはホルメン(コペンハーゲンの港町)で、船《ふな》大工《だいく》のしごとをしていたのです。
このまずしい男の子は、のちに、この国のほこりとなりました。そして、かずかずのすばらしい大理石像《だいりせきぞう》をきざんで、世界の人をおどろかしたものです。
さて、この人がバイエルンの王さまから、ある偉大《いだい》な人、美しい人のすがたを、ねんどで型どってほしいという、名誉《めいよ》の依頼《いらい》をうけました。その型へ青銅《せいどう》をながしこんで、像をつくりあげるわけです。
それはむかし、おとうさんが「ヨハン=クリストフ=フリードリヒ」という名まえを聖書にかきつけた、あの人の像でした。
鋳型《いがた》の中へ、まっかにとけた銅、あの古い教会の鐘が、ながれこみました。――いや、その鐘の故郷《こきょう》のことや、鳴りわたったひびきのことなどは、だれも考えませんでした。
古い鐘は型の中へながれこんで、銅像の頭になり、むねになりました。
それはもう除幕式《じょまくしき》をすまして、いまでは、シュツットガルトの旧王宮《きゅうおうきゅう》の前に立っています。
その広場を、この銅像の主人公は、世間のあっぱくになやみながらも、たたかいと努力のうちに、わかわかしく歩きまわったはずです。
それというのが、あのマールバハの少年で、カルル学校の生徒で、逃亡者で、スイスの解放者《かいほうしゃ》ウィルヘルム=テルをうたい、神のおつげをうけたオルレアンのおとめ(ジャンヌ=ダルクのこと)をうたった、ドイツの偉大《いだい》な不朽《ふきゅう》の詩人でした。
美しく、晴れた日でした。シュツットガルトの町の塔や屋根には、旗がひるがえり、教会の鐘という鐘は、お祝いのよろこびを鳴らしていました。
ただ、一つの鐘だけは、もう鳴りませんでした。そのかわりにその鐘は、あかるい太陽の光をうけながら、あの記念像の顔とむねからかがやき出ていました。
その日は、その鐘がマールバハの塔から、くるしんでいるおかあさんに、よろこびとなぐさめとをおくってあげたあの日から、そう、あのまずしい男の子――その子はのちには、富《と》んだ人になり、世界はその人のたからを祝福《しゅくふく》するようになりましたが――が生まれた日から、ちょうど百年たっていました。
それは、婦人のけだかい徳《とく》をうたった詩人、偉大《いだい》なもの、荘厳《そうごん》なもののうたい手、ヨハン=クリストフ=フリードリヒ=シラー〔ドイツの詩人、劇作家〕のたんじょう日でした。
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馬車で来た十二人のお客
ミシミシいうようなさむさでした。空には星がきれいに光って、風ひとつない、しずかな晩《ばん》でした。
バン。
と、人々はドアにつぼを投げつけました。
ポン、ポン。
と、花火をあげて、新年をむかえました。今夜は、お年《とし》とりの晩なのです。いま、鐘《かね》が十二時をうちました。
「トラ、テラ、トラー」と、駅馬車《えきばしゃ》がやってきました。
その大きな馬車は、町の門の外でとまりました。見ると、十二人のお客が乗っています。この人たちだけで、席はいっぱいになって、それ以上は、ひとりも乗せることはできませんでした。
家々の中では、
「ばんざい、ばんざい!」とさけんでいました。
みんなで、お年とりのお祝《いわ》いをしていたのです。そして、いまちょうど、お酒をいっぱいついだコップを持って立ちあがって、新年を祝って、かんぱいしたところでした。
「あたらしい年を、おげんきで。かわいいむすめさん、お金をどっさり! むだ話は、もうたくさん」と、人々はいいました。
そうです。こんなふうに、人々は希望《きぼう》をのべて、それから、コップをうちあわせるのでした。
そこへ、十二人の見なれないお客さまを乗せて、駅馬車《えきばしゃ》が町の門《もん》の前にとまったのです。この人たちは、いったいどういう人たちでしょう。
みんな、旅券《りょけん》と手荷物を持っていました。そうです。あなたにもわたしにも、それから町じゅうのみんなにも、おみやげを持ってきたんです。この見なれない人たちは、いったいだれでしょうね。この人たちはどんなことをしようとしているのでしょう。また、なにを持ってきてくれたのでしょうか。
「おはよう」と、この人たちは、門のところにいた番兵《ばんぺい》にいいました。
「おはよう」と、番兵もいいました。
もうこのときは、鐘が十二時をうっていました。
「あなたのお名まえは? あなたの職業《しょくぎょう》は?」と、番兵は、いちばんさきに馬車からおりてきた人にたずねました。
「まあ、この旅券を見てください。ぼくがぼくですよ」と、その人はいいました。
見ると、その人はクマの毛皮のがいとうを着て、毛皮の長ぐつをはいた、りっぱな紳士《しんし》でした。
「ぼくはね、じつにおおぜいの人たちから、のぞみをかけられているものなんです。あしたいらっしゃい。そうしたら、きみに新年をあげましょう。ぼくは銀貨《ぎんか》や金貨《きんか》をまいたり、おくりものをしたりするんです。ダンス=パーティーだってひらきますよ、ぜんぶで三十一かいです。
それ以上は、ぼくには夜がないんでね。ぼくの船は、すっかり氷にとじこめられているけれど、事務所《じむしょ》はあたたかですよ。ぼくは、おろし商人で、一月というものです。もってるのは、いろんな予定表だけですがね」
つづいて二番めの人が出てきました。この人は、道化《どうけ》もので、喜劇《きげき》や仮装舞踏会《かそうぶとうかい》のせわをしたり、そのほかゆかいなことなら、なんでもじょうずにやってのける人でした。荷物は、大きなたる一つです。
「謝肉祭《しゃにくさい》のときにゃあ、ネコなんかたたくよりゃ、このたるをうんとたたきましょうぜ」と、この人はいいました。
「わたしゃ、みんなをよろこばせて、じぶんもいっしょにゆかいにくらしたい。なにしろわたしは、家族の中で、いちばん寿命《じゅみょう》がみじかいんですからね。たった二十八日っきりですよ。
もっとも、たまには、一日ふやしてもらうこともありますがね。いずれにせよ、たいしたことじゃありません。ばんざあい!」
「そんなに大きい声でさわいではいけません」と、番兵がいいました。
「なに、かまうもんですか。わたしゃ、カーニバルの王さまで、二月という名まえで旅をしているものですからね」と、その人はいいました。
つぎには三番めの人が出てきました。この人は、これこそ断食節《だんじきせつ》そのまま、といったふうに見えました。が、それでも、頭はしゃんとおこしていました。
それというのも、この人は「四十人の騎士《きし》」の一族で、おまけに天気|予報《よほう》をする人だったからです。といっても、これはそんなに、みいりの多いしごとではありません。そんなわけで、断食節のことばかりほめていました。
この人がつけているかざりといえば、ボタンのあなにさしている、ひとたばのスミレだけでしたが、それは、とても小さいものでした。
「三月くん、すすみたまえ。番小屋の中へ、すすみたまえ。ポンスがあるぜ。においがするじゃないか」と、四番めの人が、大きな声でいいながら、三番めの人を前へおしました。
ところが、それはほんとのことではありませんでした。四月ばか(エイプリル=フール)をいって、三月さんをだまそうとしたのです。
こんなことをして四番めのわかものは出てきました。見たところこのわかものはいかにもげんきそうに見えましたが、そのくせ、しごとはあんまりやらないのです。そのかわり、祭日《さいじつ》はたくさんもっていました。
「きげんよくなったり、わるくなったりですよ。雨がふったり、日がてったり、とび出したり、ひっこんだりさ。ぼくはまた、出《で》かわり(ひっこし日のこと。一年に四回ある)のせわ役や、結婚式やそうしきの係りをしてるんですよ。わらうこともできれば、なくことだってできますさ。
このかばんの中には、夏服が入れてあるんですが、いまこれを着たら、とてもおかしいでしょうね。ほら、これがわたしです。おめかししていくときには、きぬのくつしたをはいて、マフをしていきますよ」と、この男はいいました。
こんどは、女の人が馬車からおりてきました。「ミス五月です」と、その女の人はいいました。
この人は夏の服装をしているくせに、オーバーシューズをはいていました。ブナの葉のようなみどりのきぬの服を着て、かみにはアネモネの花をさしていました。おまけに、ぷんぷんクルマバソウのにおいをさせましたので、番兵は思わずくしゃみをしてしまいました。
「あなたに、神のおめぐみがありますように」と、この女の人はいいました。
それが、この人のあいさつなのでした。なんてきれいな人でしょう。この人は、歌ひめでした。といっても、ぶたいの上ではなくて、森の中でうたう歌ひめです。それも、テントの中でうたうのではありません。すがすがしいみどりの森の中を歩きながら、思いのままにうたうのでした。
手さげの中には、クリスチャン=ウィンター(デンマークの詩人、一七九六年―一八七六年)の詩集「木版画《もくはんが》」を入れていました。というのは、この詩集は、ブナの森そっくりだったからです。それから「リカルドの小詩集」(リカルドはデンマークの牧師、詩人、一八三一年―一八九二年)――これまた、クルマバソウそのままでした。
「こんどはおくさんですよ、わかいおくさんですよ」と、馬車の中でさけぶ声が聞こえました。
そうして、ほんとにおくさんがおりてきました。わかくて、上品《じょうひん》な、つんとすましたきれいな人です。この人が「七人のねむり聖者《せいじゃ》」〔キリスト教の七|聖徒《せいと》。迫害《はくがい》をのがれるために紀元二五一年ほらあなにかくれ、四四六年までねむりつづけたといわれる。その祭日は六月二十七日。この日に雨がふると、七週間ふりつづくといわれる〕を祝うために生まれてきたということは、ひとめでわかりました。
おくさんは、一年のいちばん長い日にパーティーをひらきます。というのは、いろんなおさらにもったごちそうを、みんなにゆっくりとたべてもらいたいと思うからです。
このおくさんは、じぶんの馬車で来ることもできたのですが、ほかの人たちとおなじように、駅馬車で来ました。じぶんがこうまんちきでないことを、みんなに見てもらいたかったのです。でも、ひとりで旅をしているわけではありません。弟の七月がおともをしていました。
この弟はがっしりしたからだつきで、夏服を着て、パナマ帽をかぶっていました。荷物は、ほんのわずかしか持っていません。なにしろ、あついときには、荷物はとてもやっかいですからね。持ってきたのは、海水帽と水泳パンツだけでした。このくらいなら、たいしたことはありません。
つぎにはおかあさんが出てきました。八月夫人です。大きなくだもの商《しょう》で、いくつもの養魚場《ようぎょじょう》の持ち主で、すそのひらいた大きなスカートをはいたお百姓《ひゃくしょう》さんでもありました。
おくさんはふとっていて、あつがりでしたが、どこへでも顔を出しました。じぶんでビールの小だるを持って、畑ではたらいている人たちのところまで、出かけていくのです。
「『ひたいにあせして、パンをたべなさい』こう、聖書にはかいてありますよ。まずはたらいてから、森でダンス=パーティーをひらいたり、秋のおまつりをしましょうね」
こう、おくさんはいいました。なるほど、この人はおかあさんです。
つぎに出てきたのは、また男の人でした。絵かきさんで、色彩《しきさい》の大家《たいか》でした。
森はこのことを知って、葉の色をかえなければなりませんでした。といっても、この絵かきさんがそうしたいと思いさえすれば、美しい色にかわるのです。森はみるみる、赤や茶色のすがたになりました。
この絵かきさんは、黒いムクドリみたいに口ぶえをふきましたし、いったいに手まめな人で、じぶんののんでいたビールのコップにまで、茶色とみどりのホップのつるをまきつけました。それはみごとなかざりでした。
かざりについても、この人はいい目をもっていたのです。いま、この人はえのぐばこを持って、馬車をおりました。この人の荷物といえば、これっきりでした。
そのあとにつづいて、地主《じぬし》さんが出てきました。この人は、たねまき月のことや、畑をたがやしたり、手入れをすることばかり考えていました。そうそう、猟《りょう》のたのしみのことも、すこしは考えていましたっけ。
地主さんはイヌをつれて、てっぽうを持っていました。ポケットには、クルミがはいっていて、カチン、コツンと、鳴っていました。おまけに、荷物をおそろしくたくさんもっているのです。イギリス製のすきまで、一ちょうもっていました。
この人は農業《のうぎょう》のことをいろいろと話したのですが、どうもよく聞きとれませんでした。それというのも、しきりにせきをしては、くるしそうにあえぐ人がいたからです。――それは、いま馬車をおりてきた十一月でした。
この人は、鼻かぜをひいていたのです。
それもひどい鼻かぜでしたので、ハンカチのかわりに、しきふをつかっているほどでした。そのくせ、「そうだ、女中たちの手だすけをしてやらなけりゃなあ。まあ、たきぎを切りはじめれば、かぜはたぶんなおるだろう」
なんていうのでした。
そしてまた、じっさい、そのつもりでいるのでした。なにしろこの人は、木《こ》びき組合の親方《おやかた》でしたものね。夜はスケートぐつをつくってすごしました。何週間もたたないうちに、このゆかいなくつを、みんながつかうようになることを知っていたからです。
さいごに、火つぼを持ったおばあさんが出てきました。おばあさんは、さむさにふるえていましたが、その目は、二つのあかるいお星さまのように、きらきらかがやいていました。そうして、小さいモミの木のうわった植木《うえき》ばちをもっていました。
「わたしは気長《きなが》にこの木のせわをして、クリスマスまでには、ゆかからてんじょうまでとどくくらい、大きくしてやりましょう。
そうして、あかりのついたろうそくや、金色《きんいろ》にぬったリンゴや、きれいに切りぬいた色紙《いろがみ》やらで、かざりたててやりましょう。この火つぼだって、ストーブみたいにあたたかいんだよ。
それからわたしは、おとぎ話の本をポケットからとり出して、高い声でよむのです。すると、へやの中の子どもが、みんなしいんとしてしまいます。
けれども、木につるしてある人形はいきいきしてくるし、木のてっぺんにいる、ろうでつくった小さい天使《てんし》は、金紙《きんがみ》のつばさをひらひらさせながら、みどりのこずえからとんできて、へやの中にいる子どもにもおとなにも、キスをするのです。
いいえ、そればかりか、家の外に立って、ベツレヘムの空にかがやくお星さまをたたえてクリスマスの歌をうたっている、まずしい子どもたちにもキスをしてやります」
「ではこれで十二人そろったから、馬車はもう行ってよろしい。さあ、あたらしい馬車を一台よこしてくれたまえ」と、番兵はいいました。
「まず、その十二人の方に乗っていただきましょう。ひとりずつ、じゅんに、旅券《りょけん》はわたしがおあずかりしておきます。
みなさん、一月《ひとつき》ずつですよ。一月たったら、みなさんのおやりになったことを、わたしがかきとめますからね」
「では一月さん、まずお乗りになってください」と、番兵の親分がいいました。
そこで、一月が乗りこみました。
一年たったら、この十二人の人たちが、あなたやわたしや、それからわたしたちみんなに、どんなことをもってきてくれたか、お話しましょう。いまはまだ、わたしは知らないんです。この人たちだって、じぶんでもきっと知らないでしょう。
なにしろわたしたちは、ほんとうにふしぎな時間というものの中に生きているのですから。
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コガネムシ
王さまのウマが、金《きん》のくつをいただきました。一本一本の足に、金のくつをはくわけです。
いったいどういうわけで、王さまのウマは、金のくつをもらったのでしょうか。
このウマは、すらりとした足と、とてもかしこそうな目と、きぬのべールみたいに首のまわりにたれさがったたてがみをもった、このうえもなく美しいウマでした。
そして王さまを乗せて、もうもうたる火薬《かやく》のけむりや、たまの雨の中を走って、ヒューヒューうなるたまの音を聞いたこともありました。敵《てき》がおしよせてくると、そこらじゅうかみついたり、けりつけたりして、たたかいもしました。
また、王さまを乗せたまま、たおれた敵のウマをひととびでとびこえて、王さまの金のかんむりをすくったこともありましたし、金よりももっととうとい王さまの命を、おたすけしたことさえあったのです。だからこそ、王さまのウマは、金のくつをいただいたわけです。一本一本の足にね。
そこへ一ぴきのコガネムシが、はい出してきていいました。
「はじめには大きいもの、つぎには小さいもの。――そういったからって、大きいばかりが能《のう》じゃないがね」
こういって、じぶんのほそい足をつき出しました。
「なにをおまえは、ほしいんだね」と、かじ屋さんが聞きました。
「金のくつでさ」と、コガネムシはいいました。
「おまえ、どうかしているぞ。おまえも金のくつがほしいんだと」と、かじ屋さんはいいました。
「ぼくだって、そこにいる大きい動物くらいりっぱじゃありませんか。そいつだけがだいじにされて、ブラシをかけてもらったり、たべものやのみものをもらっていいんですかね。ぼくだって、おなじ王さまのうまやのものじゃないの」
こう、コガネムシはいいました。
「そんなこといったって、このウマはなぜ金のくつをいただいたのかね。おまえにはそれがわからんのか」と、かじ屋さんはいいました。
「わからないって。ぼくにたいするそんけいがたりないことくらいわかるさ」と、コガネムシはいいました。
「ふん、ばかにしてやがる。――そんならぼくは、広い世界へ出ていっちまうぜ」
「さっさと出ていきな」と、かじ屋はいいました。
「いやなやつ」コガネムシはこういって、外へとび出しました。
すこしとんでいくと、きれいな小さい花園《はなぞの》があって、バラとラベンダーがいいにおいをたてていました。
「ここはきれいでしょ」と、赤いよろいのようなはねに、黒いぼちぼちをつけてとびまわっていたテントウムシがいいました。
「なんていいにおいなんでしょう。なんてここはきれいなんでしょう」
「ぼくはもっと上等《じょうとう》のばしょになれてるんだ。こんなとこがきれいだって? ここにはこやしの山さえないじゃないか」と、コガネムシはいいました。
そして、なおもさきへ行くと、大きなアラセイトウのかげに来ました。その葉っぱの上には、一ぴきのケムシがはっていました。
「なんてこの世界は、すばらしいんだろう。お日さまはぽかぽかてってるし、なにもかもがよろこんでるんだ。しかもぼくは、一度ぐっすりねむりこんで、みんなのいう死から目をさまそうものなら、そのときは、はねがはえて、チョウになってるんだぜ」
こう、ケムシはいいました。
「うぬぼれちゃいけないよ」と、コガネムシはいいました。
「そんならいまふたりで、チョウみたいにとんでみようじゃないか。ぼくは王さまの馬小屋から来たんだがね、あそこじゃ、そんなゆめみたいなことを考えてるものは、ひとりだっていやしないぜ。ぼくのはき古しの金のくつをはいている、王さまのウマだってさ。はねがはえて、とぶんだって! そんならいまふたりで、とぼうじゃないか」
こういってコガネムシは、とび立ちました。
「はらをたてたくはないが、ついたっちまうよ」
やがてコガネムシは、広い草原《くさはら》にまいおりました。そこでしばらくじっとしているうちに、ぐっすりねむりこんでしまいました。
おやおや、きゅうに夕立《ゆうだち》になりました。なんというふりようでしょう。コガネムシは、雨の音を聞いて目をさまし、いそいで土の中にもぐりこもうとしましたが、そうはいきません。はらばいになったり、ひっくりかえったりして、水の中をはいまわったり、およいだりしました。
こうなっては、とび立つなんてことは、思いもよりません。とてももう、生きてこの場をのがれることは、できそうもありませんでした。そのままそこにころがって、じっとしていました。
そのうち、雨がすこし小ぶりになってきました。そこでコガネムシは、目をぱちくりやって水をはらいのけました。すると、なにやら白いものが目にはいりました。
それは、ぬのほし場にひろげてあったしきふだったのです。そこでコガネムシは、やっとのことでそこへたどりつき、ぬれたしきふのひだの中にもぐりこみました。といっても、馬小屋のほかほかした馬糞《ばふん》の中でねるようなぐあいにはとてもいきません。ただ、さしあたりこれ以上のばしょが見つからなかったのです。
こうしてコガネムシは、一日|一晩《ひとばん》、ここですごしたわけですが、その間じゅう、雨はずっとふりつづいていました。朝になると、コガネムシははい出しましたが、この天気にはすっかりはらをたてていました。
しきふの上には、カエルが二ひきすわっていましたが、そのあかるい目は、いかにもまんぞくそうにかがやいていました。その一ぴきがいいました。
「ありがたい天気だねえ。じつにせいせいするじゃないか。おまけにこのしきふが、うまいぐあいに水をためてくれてさ。ぼくはなんだか、あと足がむずむずして、およぎたくなってきたぜ」
「ぼくはあのツバメくんに聞いてみたいね。あの人たちはずいぶん遠くまでとんでいくけど、いくら外国を旅行してまわったって、われわれの国ほど気候《きこう》のいいところが見つかるかってさ。
どうだい、この雨、このおしめり。まるでじくじくしたみぞの中にいるみたいじゃないか。これをよろこばないなんてやつがいたら、そいつはたしかに、じぶんの祖国《そこく》を愛していないんだぜ」
こう、もう一ぴきのカエルはいいました。
「きみたちは、王さまの馬小屋に行ったことはないのかね」と、コガネムシは聞きました。
「あそこは、しめっぽい上に、あったかで、いいにおいがするんだ。ぼくがすみなれてるのは、そういうとこなのさ。つまり、ぼくに適した気候なんだ。だけど、まさかそれをもって旅に出るわけにはいかないものな。ぼくみたいな身分《みぶん》のいいものがはいりこんで、のびのびできるようなこやしの山がさ」
けれどもカエルたちには、コガネムシのいうことがわかりませんでした。でなければ、わかろうとする気が、さいしょからなかったのです。
三度、こういって聞いてみても、へんじがないので、とうとうコガネムシはいいました。
「もう、二度と聞くもんか」
それからまたすこし行くと、かけたつぼがころがっていました。もともとこんなものが、こんなところにころがっているはずはないのです。ところが、とにかくころがっていたので、雨《あま》やどりにはもってこいでした。
中には、ハサミムシ〔原語では耳虫《みみむし》となっている。この虫は人間の耳にはいって、頭をおかすと信じられていた〕の家族が、いく組もすんでいました。ハサミムシは、そんなに広いへやを必要としないので、なかよく共同《きょうどう》でくらします。女のハサミムシは、ことに母性愛《ぼせいあい》にとんでいましたから、めいめいじぶんの子どもがいちばんきれいで、いちばんかしこいと、思っていました。
「うちのむすこは、婚約《こんやく》しましたのよ」と、ひとりのおかあさんがいいました。
「あの子は、とてもむじゃきでかわいいんですよ。いちばんののぞみは、いつか牧師《ぼくし》さんの耳の中にもぐりこむことなんですって。それほどむじゃきで、子どもっぽいの。でも、婚約したんだもの、ほっつきまわることは、なくなるでしょうよ。母親にとって、こんなにうれしいことはありませんわ」
「うちの子はね、たまごから出てくるなり、すぐあそびはじめましたの。まるで火花でもちらすみたいにとびはねて、つのを折ってしまいましたの。母親にとっては、なによりもうれしいことですわ。そうでしょ、コガネムシさん」と、もうひとりのおかあさんはいいました。
ハサミムシたちは、形を見ただけで、この見なれない人がコガネムシだと、知ったのでした。
「おふたりのおっしゃるとおりです」と、コガネムシはいいました。
そうすると、さあどうぞおはいりください、つぼのかけらの下を、すうっとおくまでおはいりなさい、といって、しょうたいされました。
「さあ、わたしのかわいい赤ちゃんを見てやってちょうだい」
こう、二番めと四番めのおかあさんが、口をそろえていいました。
「こんなかわいらしい子って、あるでしょうか。それに、とてもおもしろいのよ。おなかがいたいときのほかは、おいたなんか、すこしもしませんの。でも、これくらいの年ごろには、じきにおなかをこわしましてねえ」
こうして、ひとりひとりのおかあさんが、じぶんの子どものじまんをするのです。子どもたちもなかまにはいって、いっしょにおしゃべりをしました。そうして、しっぽについているかわいいフォークで、コガネムシのひげをひっぱろうとするのでした。
「まあ、いたずらっ子ちゃんは、なんでも考えつくのね」
こう、おかあさんはいって、母性愛のあまり、ぼうっとなってしまいました。
でも、コガネムシはこれでいやけがさしてしまって、こやしの山があるところは、ここから遠いかどうか、たずねました。
「みぞのむこうの、世界のはてのほうですわ」と、ハサミムシはいいました。
「とても遠いんですもの、どうか子どもがひとりだって行かないようにと、わたし、ねがっていますの。そんなことになったら、わたし、死んでしまいますわ」
「いくら遠くたって、ぼくは行ってみますよ」
こう、コガネムシはいって、さよならもいわずに出かけてしまいました。こんなのがいちばんの礼儀《れいぎ》でしょうかね。
みぞのそばで、いく人かのなかまに出あいました。もちろん、みんなコガネムシです。
「ぼくらは、ここにすんでるものです。ここはとってもあたたかですよ。どうです。このこえた土の中にもぐりませんか。さぞかし、旅行でおつかれでしょう」と、そのれんじゅうはいいました。
「たしかにつかれましたね」と、コガネムシはいいました。
「ぼくは雨の中をしきふの上でねたんだが、せいけつなのが、とくにこたえましたね。おまけに、はねのつけねのところが、リューマチになっちまった。なにしろ、つぼのかけらの下で、ふきさらしの中に立ってたものでね。こうして、やっとじぶんのなかまのところへ来られて、ほんとに生きかえる思いですよ」
「あなたはたぶん、あそこのこやしの山からいらしたんでしょう」と、いちばん年よりのコガネムシがたずねました。
「なに、もっと上等《じょうとう》のとこからですよ。王さまの馬小屋から来たんです。あそこでぼくは、金のくつをはいて生まれましてね。いまは、ひみつの用事をいいつかって旅をしているのです。それについては、なにも聞かないでください。どうせぼくは、なにもいいませんからね」
こういってコガネムシは、こえた土の中へおりていきました。そこにはわかいコガネムシのむすめが三人いました。むすめたちは、どういっていいかわからないもので、ただくすくすわらってばかりいました。
「王さまのうまやでだって、これほどの美人《びじん》には、お目にかかったことがありませんね」
こう、旅のコガネムシはいいました。
「むすめたちにいたずらをしてはいけませんよ。まじめな気持ちからでなかったら、話しかけないでください。――でも、あなたはまじめな方のようだから、祝福《しゅくふく》してあげますわ」
「ばんざあい」と、みんながいいました。
そこで、コガネムシは、婚約《こんやく》しました。まず婚約、それから結婚《けっこん》です。そのほかに、なにもまつべきものはありませんものね。
つぎの日は、たいそうたのしくすぎました。そのつぎの日も、どうにかすぎました。けれど三日めには、おくさんのたべもののことを、それからたぶん子どもたちのことも、考えなくてはなりません。
「こいつは一ぱいくわされたぞ」と、コガネムシはいいました。
「そんならこっちでも、一ぱいくわしてやるさ――」
そこで、そのとおりにしました。出ていってしまったのです。一日まっても、一晩じゅうまっても、かえってきません。――おくさんは、やもめになってしまいました。
ほかのコガネムシたちは、あんたがたはとんでもないごろつきをおむこさんにしたのだ、といいました。やもめになったむすめは、みんなの重荷《おもに》になってしまいました。
「そんなら、またむすめになればいいさ。もう一度、わたしの子どもになってるんだね。ちょっ、こんなむすめをすてるなんて、ほんとにひどいやつだ」と、おかあさんはいいました。
その間に、コガネムシのほうは、船に乗っていました。キャベツの葉っぱに乗っかって、みぞをわたっていたのです。
朝になると、ふたりの人間がやってきました。その人たちは、そのコガネムシを見つけると、すぐにつまみあげて、ひっくりかえしたり、ぐるぐるまわしてみたりしました。ふたりとも、たいした学者《がくしゃ》でしたが、とくに、男の子がそうでした。
「アラーの神は、黒い山の黒い岩の中に、黒いコガネムシを見たまえり。と、コーラン(回教の聖典)にはかいてなかったかい」
こう、男の子はいって、コガネムシの名まえをラテン語になおし、その種類《しゅるい》と性質《せいしつ》について、演説《えんぜつ》をぶちました。
年とった学者のほうは、このコガネムシを家にもってかえることには、反対でした。家にも、これとおなじ標本《ひょうほん》があるじゃないか、というのです。
――なまいきいってらあ。
こう、コガネムシは思ったので、その人の手からさっととび立って、かなり遠くまでとびました。はねも、もうすっかりかわいていたのです。
そのうち、温室《おんしつ》が目にはいりました。ありがたいことに、まどが一つあいていたので、さっそくコガネムシは中へすべりこんで、新鮮《しんせん》なこやしの中にもぐりこみました。
「こりゃ、気持ちのいいとこだ」と、コガネムシはいいました。
じきにコガネムシはねむりにおちて、ゆめを見ました。王さまのウマがたおれてしまって、このコガネムシ閣下《かっか》が、あの金のくつをいただいた上に、もう二つもつくってもらうやくそくをしていただいたのです。まったく気持ちのいいゆめでした。
そこでコガネムシは、目がさめると、のこのこはい出してきて、あたりを見まわしました。
まあ、この温室のりっぱなことといったら。大きなシュロの木が、いく本も高々とおうぎの葉っぱをひろげていて、それがお日さまの光に、すきとおって見えました。
その下には、いちめんのみどりの中に、火のように赤い花や、こはくのように黄色いのや、ふったばかりの雪みたいにまっ白い花が、色とりどりに光りかがやいています。
「ここの植物のりっぱなことといったら、まずもうしぶんがないぞ。これがみんなくさったら、さぞいいあじになるだろうなあ」と、コガネムシはいいました。
「ここはすばらしい食料べやだ。きっと一族のものが、だれかすんでいるだろう。ぼくのつきあえるようなやつがいるかどうか、ひとつさがしに行ってみよう。そりゃ、ぼくはほこりが高いさ。これがぼくのほこりなんだものなあ」
こうしてコガネムシは、出かけていきました。王さまのウマが死んで、じぶんが金のくつをいただいた、さっきのゆめのことを考えながら。
と、いきなり人間の手につかまって、ぎゅっとおさえつけられ、ひっくりかえされたり、ぐるっとまわされたりしました。
植木屋《うえきや》さんの小さいむすことひとりの友だちとが温室の中にいて、コガネムシを見つけるとそれをつかまえてあそぼうとしたのです。こうしてコガネムシは、ブドウの葉っぱにくるまれて、あたたかいズボンのポケットにおしこまれました。
コガネムシは、むちゅうになってもがいたり、ひっかいたりしましたが、子どもの手で、またぎゅっとつかまれてしまいました。そして男の子は、庭のはずれにある大きな池へかけていくと、つまさきがとれてしまっている、古いわれた木ぐつの中へ、そのコガネムシを入れたのです。
木ぐつの中には、マストがわりに、細いぼうが一本立ててありました。そうしてコガネムシは、毛糸でそのマストにつながれました。こんどは船頭《せんどう》さんになって、船出《ふなで》をしなくてはならないわけです。
その池は、とても大きかったものですから、コガネムシの目には、まるで大きな海のようにうつりました。ですから、すっかりおどろいてしまって、あおむけにひっくりかえって、足をばたばたやりました。
木ぐつの船は、水の上をただよっていきました。池の水がながれていたからです。でも、船がすこし遠くへ行きすぎると、すぐさま男の子のひとりが、ズボンをめくりあげて水の中へはいっていって、船をつれもどしました。
ところが、船がもう一度ながれだしたとき、子どもたちをよぶ、きびしい声が聞こえました。男の子たちは、木ぐつの船はそのままにして、あわててかけていきました。
木ぐつはながれにながれて、岸からはいよいよ遠くはなれました。コガネムシは、こわくてこわくてたまりません。でも、とび立つことはできませんでした。なにしろ、マストにしっかりとくくりつけられていたのですもの。
そこへ、一ぴきのハエがたずねてきました。
「いいお天気ですね。ここでひとやすみさせてもらいますよ。日なたぼっこもできますもの。あなたもさぞ気持ちがいいでしょうね」
こう、ハエはいいました。
「ばかをいうなよ。きみの頭のていどがわかるぜ。ぼくのしばられているのが、きみには見えないのか」
「わたしはしばられてなんかいませんよ」
ハエはこういって、とんでいってしまいました。
「これが世間《せけん》ってものか」と、コガネムシはいいました。
「なんて世間のやつらは、いやしいんだ。しょうじきなのはぼくひとりだけなんだ。やつらはまず、ぼくに金のくつをくれなかった。だもんだから、ぼくはぬれたしきふの上でねなくちゃならなかった。すきま風のふくところに立たされたあげくにゃ、おくさんまでおしつけられちまった。
だからぼくは、いそいで世間へとび出して、世間がどういうものか、そしてぼくはどうしたらいいのか、知ろうとしたんだ。そうしたら、そこへ人間のがきどもがやってきて、ぼくをしばりあげて、あれくるう海にながしたんだ。
しかも、ぼくがこうやっている間にも、あの王さまのウマのやつは、金のくつをはいて歩きまわってるんだからなあ。これほどしゃくにさわることはない。
だがこの世の中では、人の同情《どうじょう》をあてにしたってだめなんだ。ぼくの一生は、そりゃとてもおもしろいものだけど、だれもそれを知らないとなりゃ、なんにもなりゃしない。ところが、世間のやつらは、それを知るだけのねうちがないんだ。
でなけりゃ、王さまの馬小屋でウマのやつが、足をつき出して金のくつをもらったとき、ぼくにも金のくつをはかせてくれたはずだもの。
もしぼくが金のくつをもらっていたら、ぼくはあの馬小屋の名誉《めいよ》になっていたろうに。いまじゃ馬小屋もぼくをなくしてしまい、世間もぼくを見うしなってしまったんだ。なにもかも、もうおしまいだ」
でも、まだなにもかもおしまいになったわけではありませんでした。そこへ、わかいむすめさんが二、三人乗ったボートが、やってきたのです。
「あそこに木ぐつがながれてるわ」と、ひとりのむすめがいいました。
「なんだか小さい、生きものがしばりつけられてるわよ」と、もうひとりがいいました。
じきにむすめたちは、そばへやってきて、木ぐつをひろいあげました。そうして、むすめのひとりは小さいはさみをとり出すと、コガネムシにきずをつけないように気をつけながら、毛糸を切ってやりました。それから岸につくと、草の中にコガネムシをはなしてやったのです。
「さあ、はってらっしゃい、はってらっしゃい。とべるんならとんでおいで。自由っていうのは、すばらしいものよ」と、そのむすめはいいました。
そこでコガネムシは、そこにあった大きな建物《たてもの》の、あけはなしたまどにむかってとんでいって、中にとびこみました。そして、その馬小屋の中にいた王さまのウマの、ふさふさした長いたてがみの上につかれきってとびおりました。
そうです、そこは、このウマとコガネムシとがすんでいた、もとの馬小屋だったのです。コガネムシは、しっかりとウマのたてがみにすがりついて、しばらくじっとしていてから、つぶやきました。
「ぼくはいま、王さまのウマに乗ってるんだぜ、騎士《きし》として。まあ見てくれたまえ。いまこそぼくには、わかったぞ。これはたしかにいい考えだ。正しい考えだ。
なぜこのウマが金のくつをもらったか知ってるかって、かじ屋のやつが聞いたっけな。いまこそわかったぞ。このぼくのおかげで、ウマは金のくつをもらったのさ」
そこで、コガネムシは気持ちがよくなって、いいました。
「旅に出ると、頭がよくなるんだな」
お日さまがさしこんで、コガネムシをてらすと、コガネムシはとても美しく光りました。
「世界って、やっぱりそうわるいもんじゃないな。ただ、それをどう見るか、その見かたを知ることがかんじんだがね」と、コガネムシはいいました。
この世界は、コガネムシにとって、いまはいかにも美しいものでした。というのも、王さまのウマが金のくつをいただいたのは、このコガネムシが騎手《きしゅ》になったからだ、とわかったからでした。
「さあ、ひとつウマをおりて、ほかのれんじゅうのところへ行って、みんながどれだけぼくのためにつくしてくれたか話してやろう。最近の外国旅行であじわったゆかいな思い出も、のこらず話すとしよう。
そうして、みんなにいっておこう。――こんどは、もう、ウマが金のくつをすり切らしてしまうまで、この家をはなれないつもりだって」
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とうさんのすることにまちがいはない
さあ、これからわたしが小さいときに聞いたお話をしてあげましょうね。このお話は、そののちもそれを思い出すたびに、ますますおもしろくなってくるような気がするのです。
お話というものは、たいていの人とおなじに、年をとるにつれて、ますますおもしろくなっていくものなんですね。ほんとにたのしいことではありませんか。
あなたは、いなかへ行ったことがあるでしょう。そのとき、わらぶき屋根の古い百姓家《ひゃくしょうや》を見たでしょうね。屋根にはコケや草が、ひとりでにはえていて、むねの上には、コウノトリの巣があります。コウノトリは、百姓家にはつきものですからね。
かべはかしいでいて、まどはひくく、そうです、そのまどのうち、あけたてできるのは、たった一つだけなんです。パンやきがまが、まるで小さいふとったおなかみたいに、出っぱっています。
ニワトコのしげみがかきねの上におっかぶさり、そのそばの、ふしくれだったヤナギの木の下には、小さな池があって、アヒルとアヒルの子がおよいでいます。それからまた番犬《ばんけん》がいて、だれにでもほえつくんです。
ちょうどそんなふうな百姓家が、あるいなかにあって、そこにお百姓とおかみさんの夫婦が住んでいました。持ち物といっては、ほんのわずかでしたけれど、それでも、なければないですむものが一つありました。
それは一頭のウマなんです。このウマは、いつもかい道のみぞのふちへ行っては草をたべていました。
お百姓が町へ行くときには、このウマに乗っていきましたし、近所の人がかりに来て、お礼になにか持ってくることもありました。それにしても、売ってしまうか、または、もっととくになるものととりかえたほうが、ずっとましだと思われました。でも、そのとくになるものとは、いったいなんでしょうかね。
「それは、とうさん、あんたがいちばんよく知ってることですよ」と、おかみさんはいいました。
「きょうはちょうど、町に市《いち》の立つ日じゃないの。ウマに乗ってって、売ってしまうか、なにかよいものととりかえておいでよ。とうさんのすることにゃ、いつもまちがいはないで。さあ、市へ行ってらっしゃい」
こういっておかみさんは、首まきをむすんでやりました。というのは、首まきのむすびかたなら、おかみさんのほうが、よく知っていたからです。それは、たいそういきに見える、二重《にじゅう》ちょうむすびというむすびかたでした。それから、てのひらでぼうしのほこりをはらってやり、とうさんのあたたかい口にキスをしました。そこでとうさんは、ウマに乗って出かけました。売ったものか、とりかえたものか。そうです、とうさんはそれをよく知っていました。
お日さまはかんかんてっていて、空にはすこしも雲がありません。道には、ほこりが立っていました。市へ行く人たちがたくさん、車に乗ったり、ウマに乗ったり、じぶんの足で歩いたりしていたからです。とてもあつい日でしたのに、道には、ちっとも日かげがありませんでした。
すると、ひとりの男が雌《め》ウシをひっぱって歩いていましたが、その雌ウシは、雌ウシとしては、たいそうりっぱなものでした。
「あのウシなら、きっといい牛乳がとれるにちがいない」と、お百姓は思いました。
あれととりかえたら、まず、もうけものでしょう。そこでお百姓はいいました。
「もし、ウシをつれてる人。ちょっくらそうだんしてえだが、まあ、このウマを見ておくんな。こいつは、ウシよりゃ、ねうちもんだと、おらは思うだがの。そんなことはどうでもいい。おらはウシのほうがいいだで、ひとつ、とりかえっこしねえかね」
「うん、よかろう」と、雌ウシをつれた男はいいました。そこでふたりは、ウマとウシとをとりかえました。
こうして、とりひきがすんだからには、もう用事はすんだわけで、お百姓は家へかえってもよかったのです。でもお百姓は、いったん市へ行くつもりで、出てきたのですから、見るだけでもいいから、市へ行ってみようと思いました。そこで、こんどは雌ウシをひっぱっていきました。
お百姓が道をいそぎますと、雌ウシもせっせと歩きました。まもなく、一頭のヒツジをつれた男に追いつきました。そのヒツジは、よくこえた、毛なみもりっぱなヒツジでした。
「あんなヒツジがほしいもんだなあ」と、お百姓は思いました。
「おらの家のどぶのふちじゃ、草にことかくことはねえだろう。冬にゃ、家ん中へ入れてやればいい。つまりおらたちは、雌ウシよりヒツジを飼《か》ったほうがいいわけだ。――どうだね、おまえさん、とりかえっこしねえか」
もちろん、ヒツジをつれていた男はしょうちしました。そこで、とりひきがなりたって、こんどはお百姓は、ヒツジをひっぱってかい道を行きました。
すると、畑のほうから、大きなガチョウをうでにかかえてくる男を見かけました。
「えらくおもそうなやつを、おめえさんは持ってるじゃねえか」と、お百姓はいいました。
「はねも、あぶらもうんとこさあるべえ。ひもをつけて、おらのとこの池にはなしておきゃ、見たとこもいいだ。あれになら、ばあさんも食いのこしをあつめてやる気になるだろう。ちょくちょく『ガチョウが一わいたらねえ』といってたからな。
それがいま手にはいるんだ。どうかして、ばあさんの手に入れてやりたいもんだな。
――どうだね、とりかえっこしねえか。おまえさんにこのヒツジをやるから、かわりにそのガチョウをくれりゃ、おら、お礼《れい》をいうだよ!」
もちろんあいては、大さんせいです。そこでふたりはとりかえて、お百姓はガチョウを手に入れました。
やがて町の近くに来ると、往来《おうらい》のこんざつはますますひどくなって、人間や家畜《かちく》が、うようよしていました。そこでみんなは、道の上でも、みぞの上でもかまわず歩いて、中には通行税《つうこうぜい》をとりたてるお役人《やくにん》のじゃがいも畑にまで、はいりこむものもいました。
その家にはめんどりが、人ごみにおびえてどこかへにげていってしまわぬように、ひもでつないでありました。それは尾のみじかいニワトリで、かたほうの目をぱちぱちさせて、いかにもかわいらしいようすをしていました。そして、コッコ、コッコと、鳴くのです。
なにを考えて、鳴くのでしょうね。それはわたしにはわかりません。けれどもお百姓は、それを見ると、こう思いました。――こんないいニワトリはまだ見たことがない。ぼうさんとこのニワトリより、もっといいぞ。あいつをひとつ手に入れたいものだ。ニワトリというやつは、どこでも一つぶや二つぶ、こくもつを見つけて、じぶんでどうにかたべていくもんだ。もし、このガチョウのかわりにあいつをもらったら、たしかにいいとりひきというもんだ。
そこでお百姓は、聞いてみました。
「どうだね、とりかえっこしねえかね」
「とりかえっこだと。うん、わるくないな」と、あいてはいいました。
そこでふたりはとりかえっこをして、お役人はガチョウを、お百姓はめんどりをうけとりました。
町へ行くまでにこれだけ、たいしたしごとをしたのです。しかもあつさはあついし、すっかりつかれてしまいました。
そこでお百姓は、ブランデーを一ぱいひっかけて、パンも一きれ二きれ、たべたいものだと思いました。そこで、ちょうどそこに居酒屋《いざかや》があったのをさいわい、中へはいろうとしました
ところが、そのとき店のわかいしゅうが、なにか一ぱいつまったふくろをかかえて、外へ出てきましたので、お百姓とその男とは、戸口《とぐち》でばったりと出あいました。
「おまえさんの持ってるのはなんだね」と、お百姓はたずねました。
「いたんだリンゴよ。ひとふくろブタにやるのさ」と、わかものはこたえました。
「えらくたんとあるだなあ。うちのばあさんに、一目見せてやりてえもんだ。きょねん、おらが家の炭《すみ》小屋のわきの古い木にゃ、たった一つきりならなかっただ。
そのリンゴは、だいじにとっておかなきゃなんねえってわけで、くさるまで、たんすの上にかざっておいただ。これがしあわせってもんだ、とばあさんはいってたっけ。これがありゃ、ほんまのしあわせが見られるだになあ。そうだ、どうかして見せてやりてえもんだが」
「じゃ、おまえさん、なにをかわりにくれるね」と、わかものはたずねました。
「なにをくれるかって。おら、このめんどりをかわりにやるだ」
こういってニワトリをやって、そのかわりにリンゴをもらうと、お百姓は店の中にはいっていきました。それからすぐに酒場のところへ行って、リンゴのつまったふくろを、せともののだんろに立てかけました。だんろに火がもえていることなどは、ちっとも考えなかったのです。
へやには、たくさんのお客がいました。馬商人や牛商人のほかに、イギリス人も、ふたりいました。このイギリス人はお金持ちで、ポケットを金貨《きんか》ではちきれそうにふくらましていました。さて、このふたりのイギリス人がかけをするのです。まあ、聞いてください。――
だんろのところで「ジュー、ジュー」いっているのはなんの音でしょうか。
リンゴがやけはじめたのでした。
「なんだね、あれは」
もちろん、みんなにはすぐ、それがなんだかわかりました。
それから、まずウマをウシととりかえた話から、だんだんくだって、とうとうくさったリンゴになるまでの話を、すっかり聞かしてもらいました。
「へえ。おまえさん家にかえったら、おかみさんに、どやされるよ。さぞ大さわぎになるだろうな」と、イギリス人がいいました。
「おら、どやされやしねえ、キスされるだよ。うちのばあさんはいうにきまってるだ。――とうさんのすることにゃ、まちがいはないってな」
こう、お百姓はいいました。
「じゃ、かけをしよう」と、ふたりのイギリス人はいいました。
「たるいっぱいの金貨! 一たるで百ポンドだぜ」
「おら、大ますいっぱいでいいだ」と、お百姓はいいました。
「おら、大ますに一ぱいのリンゴしか出せねえだで。だから、おらとおらのばあさんまでいっしょにかけるだ。でも、ますかきでならしたますじゃなくって、山もり一ぱいでがすぜ」
「よしきた。山もり、山もり」と、あいてはいって、これでかけはきまりました。
居酒屋の主人の馬車が来ました。ふたりのイギリス人が乗り、お百姓も乗り、くさったリンゴも乗って、こうしてみんなはお百姓の家につきました。
「ばあさんや、いまかえったよ」
「おかえんなさい、とうさん」
「おら、とりかえっこしてきただよ」
「そうかい、あんたはちゃんとこころえてるからねえ」と、おかみさんはいって、お百姓をだきしめると、ふくろのこともお客さんのことも、すっかりわすれてしまいました。
「おら、ウマを雌ウシととっかえただよ」
「そりゃ、ちちがとれてありがたいねえ」と、おかみさんはいいました。
「これからは、ちち入りのおかゆや、バターやチーズがたべられるだよ。ほんとに、うまいとりかえっこだったねえ」
「うん、だが、その雌ウシをまた、ヒツジととりかえただよ」
「そりゃ、なおさらよかったね」と、おかみさんはいいました。
「あんたは、いつだって、考えぶかいからねえ。ヒツジにやる草なら、原っぱにいっぱいあるだもの。これからは、ヒツジのちちとヒツジのチーズと毛糸のくつしたと、おまけに毛糸のジャケツまでとれるだよ。こんなことは雌ウシなんかにゃできません。雌ウシにゃ毛なんかないもの。あんたはほんとに考えぶかい人だよ」
「だが、そのヒツジは、ガチョウとかえちまっただよ」
「まあそれじゃ、ことしこそほんとうに、聖マルチンさまのおまつりに、やきがちょうがたべられますよ。あんたはいつでも、わたしのよろこぶことばかり考えてくれるのね。ほんとにすばらしい考えじゃないの。ガチョウは、ひもにつないでおきさえすりゃ、聖マルチン祭《さい》までには、もっとこえるだよ」
「でも、そのガチョウはめんどりとかえちまっただ」と、お百姓はいいました。
「めんどりだって。そりゃまた、うまいとりかえっこだったねえ」と、おかみさんはいいました。
「めんどりはたまごをうむし、そのたまごをかえすでしょ。ひよこがどっさり生まれたら、にわとり小屋をたてましょ。それこそ、わたしが、心からのそんでいたことですよ」
「うん、だがそのめんどりは、いたんだリンゴ一ふくろと、とりかえっこしただ!」
「なんですって、それじゃいよいよ、あんたにキスしなけりゃ」と、おかみさんはいいました。
「ありがとうよ、おまえさん。じつはこういうわけなの。
けさあんたが出かけたあと、なにかあんたのために、うんとおいしいものをつくってあげようと思ってね。――そら、ねぎ入りのたまごやきさ。
ところが、たまごはあるけれど、ねぎがなかったもんだから、おむかいの学校の先生のところに行ったんだよ。あすこにゃねぎがあるってことを、わたしゃちゃんと知ってるだものね。
ところが、おくさんときたら、そりゃしみったれなんだよ。
わたしがかしてくださいってたのんだら、あのあまったれのとんちきめ、『かすんですって。おたくの畑には、なんにもできないじゃないの。くされリンゴ一つありゃしないんだもの、おかしすることは、まっぴら』と、こうなのさ。
こうなりゃ、わたしゃおくさんに十《とお》だって、なに、ふくろ一ぱいだってかしてあげられるわね。おもしろいじゃないか、とうさん」
こういって、お百姓の口の上にキスしました。
「こいつはゆかいだ。どんどんそんをしていきながら、いつもほがらかときてる。こりゃたしかに、金《かね》をはらうねうちがあるよ」
こう、イギリス人はいって、むちではなくてキスをもらったお百姓に、百ポンドの金貨をはらいました。
まったくの話、いつでもおかみさんが、うちのとうさんほどかしこい人はない、とうさんのすることにはまちがいがないと信じて、またそういっているならば、たしかにそれだけのむくいはあるものです。
さあ、これがそのお話です。わたしはこのお話を小さいときに聞きました。あなたもいまこのお話を聞いて、とうさんのすることにはまちがいがないことが、よくわかったでしょうね。
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雪ダルマ
「ぼくのからだの中で、ミシミシ音がするぞ。まったく、すばらしくさむいや。風さんが、きっと命をふきこんでくれるんだ。だが、あのぎらぎら光ってるやつは、いったいどこへ行くんだろう。えらく光ってるなあ」
こう、雪ダルマがいったのは、お日さまのことでした。お日さまは、いまちょうど、しずもうとしていたのです。
「あんなやつが、いくらまばたきさせようったって、するもんか。まだこのかけらが、しっかりと目にくっついてるんだからな」
雪ダルマの目になっていたのは、大きな三角の形をした、二まいの屋根がわらのかけらでした。口は、古いこわれた草かきでできていました。だから、歯だってはえていました。
この雪ダルマは、
「ばんざあい」という男の子たちのさけび声といっしょに生まれたのです。そりがたてる、すずやむちの音も、あいさつでもするように、雪ダルマをむかえてくれました。
お日さまがしずみました。すると青い空に、まんまるい大きなお月さまが、あかるく美しくのぼりました。
「こんどはまた、あんなちがったほうから出てきたぞ。でも、あいつがぼくをぎらぎらにらむのだけは、やめさしてやったぞ。さあ、いくらでも高いとこにぶらさがって光るがいい。そうすりゃ、ぼくはじぶんのからだがよく見えるというもんだ。でも、どうしたらみんなはうごくことができるんだろう。それがわかったらなあ。
ぼく、とてもうごいてみたいんだ。もしうごくことができたら、あそこで男の子たちがやってるように、ぼくも氷の上をすべってみたいんだけどなあ。だけど、ぼくにはどうしても走りかたがわからないんだ」
こう、雪ダルマがいいました。
「ワン、ワン」
そのとき、くさりにつながれている、年とったイヌがほえました。その声はいくらかしゃがれていました。もっとも、まだへやの中で飼《か》われて、ストーブの下にねころんでいたときから、しゃがれ声だったのです。
「いまにお日さまが、走りかたをおしえてくれるさ。ぼくはな、きょねん、おまえのご先祖《せんぞ》がおそわったのを見たよ。ワン、ワン。そうして、みんな行っちまったのさ」
「きみのいうことは、ぼくにはちっともわからないね」と、雪ダルマがいいました。
「じゃあ、あんな上のほうにいるやつが、ぼくに走りかたをおしえてくれるんだね。ほんとだ、さっきぼくがじっとにらんだら、あいつどんどん走っていったっけ。ところが、こんどはまたべつのほうから、そっと出てきたんだものな」
雪ダルマがこういったのは、お月さまのことでした。
「おまえはなんにも知らないんだね。もっともおまえは、さっきつくってもらったばかりだからなあ。おまえがいま見ているのは、お月さまというものだし、さっき行ったのは、お日さまさ。お日さまは朝になるとまた出てきて、ほりの中へすべりこむやりかたを、きっとおまえにおしえてくれるよ。
おや、じきに天気がかわるぞ。ぼくは、左のあと足でそれがわかるんだ。こいつがずきずきいたむんでね。さあ、お天気がかわるぞ」と、くさりにつながれているイヌがいいました。
「あの人のいうことは、ちっともわからない。だけど、どうもいってることはよくないことらしいぞ。さっきぎらぎら光ってしずんでいったのは、あの人はお日さまだといったが、あいつはぼくのいい友だちじゃなさそうだ。どうもそんな気がする」
こう、雪ダルマはいいました。
「ワン、ワン」
くさりにつながれたイヌがほえました。それから、三べんまわって、じぶんの小屋にはいってねむってしまいました。
やがて、ほんとうにお天気がかわってきました。あけがたになると、こい、しめっぽいきりが、あたりいちめんをとじこめ、お日さまの出るころは、風がふきはじめました。風は氷のようにつめたく、さむさはいよいよ本式《ほんしき》になりました。
ところが、お日さまがのぼると、なんというすばらしいけしきになったことでしょう。木もやぶも、みんなしもでおおわれて、まるでまっ白なサンゴの林のように見えました。どのえだにも、きらきらとかがやく、まっ白な花がさいているようなのです。
かずかぎりないほそい小えだが、夏には葉がしげっていたために見えなかったのに、いまは一本一本くっきりとうき出していました。
そのながめは、まるできらきら光る白いレースもようのようで、その一つ一つのえだから、まばゆい光がながれ出ているのです。
シラカバはゆらゆらと風にゆれて、まるで夏の木々そっくりに、いきいきとしていました。ほんとうに、なんともいえない美しさです。
そこへお日さまがさすと、ぜんたいが、まるでダイヤモンドのこなをふりまいたように、きらきらきらめき、地めんにふりつもった雪は、まるで一まいの大きなダイヤモンドの板《いた》か、でなければ、白い雪よりもまだまっ白い、かずしれない小さい火がもえているのかと思われるほど、まぶしくかがやきました。
「まあ、なんてきれいなんでしょう」
ひとりのわかいむすめが、わかい男の人といっしょに庭へ出てきて、雪ダルマのすぐそばに立ちどまると、きらきら光っている木々のほうをながめていいました。
「こんなきれいなながめは、夏にはとても見られないわ」
こういってむすめは、目をかがやかしました。
「それから、ここにいるこんなやつだって、夏にはとても見られませんね。こりゃよくできてる」と、わかい男はいって、雪ダルマをゆびさしました。
むすめはわらって雪ダルマにうなずいてみせ、それから雪の上を、お友だちといっしょに、おどるようにして歩いていきました。すると、まるで、でんぷんの上でも歩くみたいに、足の下で雪がギシギシと鳴りました。
「あのふたりは、だれなの。きみは、このおやしきでは、ぼくより古いんだから、あの人たちを知ってるだろ」と、雪ダルマは、くさりにつながれているイヌに聞きました。
「そりゃ知ってるさ。あのむすめさんは、ぼくをなでてくれたし、男の人はほねをくれたんだ。だからあのふたりには、かみつかないことにしてるのさ」と、イヌはいいました。
「だけど、あのふたりは、いったいなにをしてるの」と、雪ダルマはたずねました。
「いいい……いいなずけだよ。これから犬小屋へ行って、いっしょにほねをかじろうってのさ、ワン、ワン」
こう、くさりにつながれているイヌはいいました。
「じゃ、あの人たちも、きみとぼくのようなものかい」と、雪ダルマはたずねました。
「おやしきのかたにきまってるじゃないか。まったく、きのう生まれたばかりじゃ、なんにも知らないっていうが、おまえがそのしょうこだよ。ぼくは年も、経験《けいけん》もつんでいる。このおやしきのことなら、なんだって知ってるんだ。いまでこそ、さむいとこにくさりでつながれてるが、もっとむかしのことだって知ってるんだぞ。ワン、ワン」と、イヌはいいました。
「さむいのは気持ちがいいじゃないの。話してよ、もっと話してよ。だけど、そんなにくさりをガチャガチャさせないでね。からだの中まで、びんびんひびいてくるんだもの」
こう、雪ダルマはいいました。
「ワン、ワン」と、くさりにつながれたイヌは、またほえました。
「まだそのころは、ぼくは子イヌだった。ちっちゃくてかわいいって、みんなにいわれたものよ。そのころは、おやしきのビロードをはったいすの上にねたり、ご主人《しゅじん》のひざの上にだいてもらったりしたものさ。口にキスをしていただいたり、ししゅうをしたハンカチで足をふいてもらったこともある。ぼくは、『きれいな子』だとか、『かわいい、かわいい子』だとかよばれていたんだぜ。
ところが、そのうちに、ぼくはちっと大きくなりすぎたんだね。そこで、おてつだいさんのところへやられてしまって、地下室でくらすようになったんだ。そら、おまえの立ってるとこから見えるだろ? あれが、ぼくが主人だったへやさ。ぼくにはおてつだいさんがついていたんだからね。
上にいたときより、へやは小さかったけれど、かえってすみごこちはよかったよ。上にいたときみたいに、子どもたちにこづかれたり、ひっぱりまわされたりしないでもよかったからね。たべものだって、前とおなじように、いいものがもらえたよ。いや、前よりいいくらいだった。
それから、ふとんもじぶんのがちゃんとあったし、ストーブだってあったんだ。このストーブってやつは、いまみたいにさむいときは、世界一すばらしいものなんだぜ。そのストーブの下にはいこむと、すっかりぼくのからだがかくれてしまうんだ。ああ、いまでもぼくは、あのストーブのゆめを見るよ。ワン、ワン」
「ストーブってそんなにきれいなの、じゃあ、ぼくににてる?」と、雪ダルマは聞きました。
「おまえとはまるで反対さ。炭みたいにまっ黒で、長い首と、しんちゅうの胴《どう》をもってるんだ。まきをたべちゃ、口から火をはき出しているのさ。ぼくらはそのそばにいてもいいし、その上か下にもぐりこんでいてもいいんだ。そうすると、なんともいえないほどいい気持ちなのさ。おまえの立っているところから、まどごしに見えるはずだよ」
そういわれて、雪ダルマがのぞいてみると、そこにはほんとうに、しんちゅうの胴をした、ぴかぴかにみがきあげられた、まっ黒いものが立っていました。そして、赤い火が、下のほうからのぞいていました。
それを見ているうちに、雪ダルマはへんな気持ちになりました。なんといったらいいか、じぶんでもわかりません。なんともわけのわからないものが、こちらへむかってやってくるのです。しかし、雪ダルマでない人には、それがなんだかわかりますね。
「じゃあ、どうしてきみは、その女の人のところから出てきてしまったの? どうして、そんないいとこから出てきたんだね」と、雪ダルマはいいました。
雪ダルマは、ストーブが、女の人にちがいないと思ったのです。
「そうさせられてしまったのさ。ぼくは外へ追い出されて、こんなとこに、くさりでつながれてしまったんだよ。いちばん下のぼっちゃんが、ぼくのかじってたほねをけとばしたから、足にかみついてやったんだ。ほねにはほねでかえせ、というわけでね。
ところが、それをみんなにわるくとられてしまって、そのときから、こうしてくさりにつながれたのさ。おかげで、ぼくのいい声もだめになってしまった。ほら、ずいぶんしゃがれてるだろ。ワン、ワン。もうおしまいだよ」と、イヌはいいました。
雪ダルマは、もうイヌのいうことなど聞いてはいません。ただ、じいっと、地下室のおてつだいさんのへやをのぞいていました。そこにはストーブが鉄の四本足で立っていて、ちょうど、雪ダルマとおなじくらいの大きさに見えました。
「ぼくのからだの中が、いやにミシミシいうぞ。なぜぼくは、あそこへはいってはいけないんだろう。これはほんとうに、罪《つみ》のないねがいで、つみのないねがいというものは、きっとかなえてもらえるものなんだがなあ。これはぼくのいちばんのねがい、たった一つのねがいなんだ。
もしこのねがいが聞いてもらえないとすれば、そりゃあどうも、不公平《ふこうへい》というものだ。よし、どうしてもぼくは、まどガラスをやぶってでもはいっていって、あのストーブによりそってみなくちゃ」
こう、雪ダルマはつぶやきました。
「おまえは、あんなとこへはいっていけやしないよ。それに、もしストーブのそばへなんか行けば、おまえは、とけてきえちまうぞ。ワン、ワン」と、くさりにつながれているイヌがいいました。
「とけたってかまやしない。ぼくは、まるで、むねがはりさけるような気持ちだ」と、雪ダルマはいいました。
一日じゅう雪ダルマはそこに立って、まどからのぞきこんでいました。あたりがくらくなってくると、へやの中はますますたのしそうになって、雪ダルマの心をいよいよひきつけるのでした。
ストーブからは、とてもおだやかな光がさしてきます。それは、お月さまの光ともちがいますし、お日さまの光ともちがっていました。ほんとうにそれは、ストーブの中になにかがはいっているときに、ストーブだけが出すことのできる光でした。
口がひらかれるたびに、ほのおの舌《した》をさっと外につき出しましたが、それがストーブのいつもやるくせでした。するとほのおは、雪ダルマの白い顔にまっかにうつり、むねの上まであかあかとてらし出しました。
「ああ、もうとてもたまらない。ああして舌を出すようすは、なんてあの人ににあってるんだろう」と、雪ダルマはいいました。
その夜《よ》はたいそう長かったけれど、雪ダルマには、それほどにも思われませんでした。雪ダルマは、じぶんのたのしい空想《くうそう》にふけっていたのです。そこらはつめたくこおりついて、ミシミシいいました。
朝になると、地下室のまどはいちめんにこおりついて、雪ダルマの大すきな氷の花が、それはそれは美しくさいていました。
でも、おかげでストーブはかくれてしまいました。まどガラスの氷はいっこうとけてくれず、雪ダルマはストーブのすがたを見ることができません。あたりでは、ミシミシ、パチパチと音がしています。それはいかにも雪ダルマのよろこびそうな、きびしいさむさでした。
ところが、この雪ダルマはちっともよろこびません。ほんとうなら、きっとしあわせに感じたでしょうし、しあわせに感じるはずだったのですが、すこしもしあわせとは思いませんでした。ただもうストーブを恋《こい》しがっていたのです。
「雪ダルマにとっちゃ、そりゃあわるい病気だよ。前にぼくも、この病気にかかったことがあるがね。でもいまでは、すっかりなおってしまったんだ。ワン、ワン。おや、またお天気がかわるぞ」と、くさりにつながれているイヌがいいました。
すると、ほんとうにお天気がかわってきました。だんだん雪がとけるようすです。
ますますあたたかくなってきて、雪ダルマはとけはじめました。もうなにもいいません。不平もこぼしません。こうなると、いよいよほんものです。
ある朝、雪ダルマは、とうとうくずれてしまいました。いままで雪ダルマの立っていたところには、ほうきのえのようなものがつっ立っていました。それをしんにして、子どもたちは雪ダルマをこしらえたのです。
「なるほど、これでやっと、あいつがあんなにストーブを恋しがった、わけがわかった。雪ダルマのからだの中には、ストーブの火かきぼうがはいっていたんだ。それが、あいつのからだの中でうごいていたんだ。でも、もうおしまいさ、ワン、ワン」
こう、くさりにつながれているイヌはいいました。
こうして、まもなくさむい冬もすぎてしまいました。
「ワン、ワン。行っちまった。行っちまった」と、くさりにつながれているイヌがほえました。
そして、おやしきでは、小さい女の子たちがうたいました。
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クルマバソウよ 青々と芽《め》をお出し
ヤナギは毛糸の手ぶくろをおぬぎ
カッコウもヒバリも来てお鳴き
二月のすえは もう春ですよ
わたしもいっしょにうたいましょう
カッコウ
やさしいお日さま 早く来てよ
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いまはもう、雪ダルマのことを思い出すものもありませんでした。
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あひる小屋で
一わのアヒルが、ポルトガルからつきました。スペインからだ、という人もありましたが、それはどちらでもよろしい。とにかくそのアヒルは、ポルトガル種《しゅ》とよばれました。それはたまごをうんで、ころされて、料理されました。これがそのアヒルの一生でした。
そのたまごからはい出してきたものは、みなポルトガル種とよばれました。もうそれだけで、そうとうのことでした。
さて、その一族のもので、いまこのあひる小屋にのこっているのは、ただ一わきりでした。このあひる小屋には、ニワトリたちもはいってきました。それもおんどりなんかは、いばりくさって歩きまわりました。
「あのおうへいな鳴き声には、いやになっちまうよ。見たところがきれいなのは、うそとはいいませんがね。アヒルの種類でないのが、玉にきずだけれどさ。もうすこし、ていよくするといいのにね。でも、ていよくするというのは、ひとつの芸術《げいじゅつ》で、高い教養《きょうよう》がなくてはできないことです。おとなりの庭のボダイジュにいる歌うたいの小鳥たちには、それがありますよ。
ほんとに、なんてかわいいうたいかたをするんでしょうね。あの歌の中には、なにか心にふれるものがありますね。それがわたしにいわせれば、ポルトガル調《ちょう》ですよ。ああいう歌をうたう小鳥が、わたしの子どもになったら、わたしはそりゃやさしい、しんせつなおかあさんになってやるつもりよ。それがわたしの血、つまりポルトガル種の血の中にある性質《せいしつ》ですもの」
こう、ポルトガル種のアヒルはいいました。
そんな話をしているところへ、その小さい歌うたいがおちてきました。屋根から、まっさかさまにおちてきたのです。ネコに追いかけられて。
でも、かたほうのはねをおられただけで、うまくにげることができて、あひる小屋の中へおちたのでした。
「まったくネコらしいやりかただよ。あのならずものめ! あいつは、わたしの子どもたちが生きていたときから、ああなんだからね。
あんなやつが生きていることをゆるされて、しゃあしゃあと、屋根の上を歩きまわっているなんて。ポルトガルでは、こんなことはないと思うわ」
こう、ポルトガル夫人はいって、その小鳥に同情《どうじょう》しました。ポルトガル種でないほかのアヒルたちも、ふびんがりました。
「まあ、ちっちゃな子ね」と、みんなはあとからあとからやってきて、口々にいいました。
「そりゃわたしたちは、歌をうたうことはできないけど、わたしたちだって、からだの中には、歌の下地《したじ》といったようなものはあるのよ。口に出してこそいわないけれど、わたしたちみんな、それは感じているんです」
こう、そのアヒルたちはいいました。
「わたしは口に出していいますよ」と、ポルトガル夫人はいいました。
「それから、この小鳥のために、なにかしんせつをしてやりたいの。それがわたしたちの義務《ぎむ》ですもの」
こういってポルトガル夫人は、水そうの中にはいって水をぱちゃぱちゃはねとばしました。おかげで小鳥は頭から水をかぶって、もうすこしでおぼれそうになりました。でも、それはしんせつから出たことでした。
「これがしんせつなおこないというものです。ほかの方も、これを見ならうといいわ」と、ポルトガル夫人はいいました。
「ピー、ピー」と、小鳥は鳴きました。
かたほうのはねがおれていましたから、からだをふるって、水を切ることもできませんでした。けれども、しんせつから水をあびせられたのだということは、よくわかりました。
「おくさま、ほんとにありがとうございました」
こう、小鳥はいいましたけれど、水あびはもうこりごりでした。
ポルトガル夫人はいいました。
「わたし、じぶんの性質がどうだかなんて、考えたこともないの。でも、すべての生きものをわたしが愛《あい》しているってことは、じぶんでもよく知っているわ。ただ、ネコは例外《れいがい》よ、ネコを愛せと、わたしにいったって、そりゃ無理だわ。あいつはわたしの子どもを、二わまでたべてしまったんだもの。
さあ小鳥さん、じぶんの家にいるつもりで気らくになさいよ。なあに、わけないことです。この身ごなしや、はねのぐあいでおわかりだろうけれど、わたしはもともと、外国生まれなのさ。
もっとも、わたしの夫《おっと》は土地の生まれで、わたしの血すじはひいていません。だからって、わたしゃなにもいばりはしませんよ。――ただ、おまえさんの気持ちのわかるものが、ここにだれかいるとしたら、それははばかりながら、このわたしです」
「あのおくさんの頭の中には、ほらふき貝があるのさ」と一わの小さいふつうのアヒルが、いいました。
このアヒルはとんちがあったのです。ほかのふつうのアヒルたちは、「ホラフキガイ」ということばが、「ポルトガル」と音《おん》がにているので、とてもおもしろがりました。そしておたがいにからだをぶっつけあって、
「ガー、ガー。この人はほんとうに気がきくわね」といいました。
そんなふうで、みんなは小鳥となかよしになったのです。
「ポルトガル夫人はまったくおしゃべりの名人だ。そりゃあたしたちのくちばしは、大きなことばはもちあわさないけれど、同情心《どうじょうしん》にかけちゃ、わたしたちだって、まけはしません。あんたのためになにもしやしないけれど、しずかにしているの。これがいちばんよいことだと思いますからね」
こう、みんなはいいました。
「おまえさんはいい声をもっていなさる。おまえさんのように、おおぜいのものをよろこばすことができたら、さぞじぶんでも、うれしいだろうね。わたしにゃ、そういうことはできません。だからわたしは、口をつぐんでいるのだよ。ほかの多くのれんじゅうが、おまえさんにいって聞かせるばかげたことよりは、このほうがいつだって、ずっといいのですよ」
こう、いちばん年かさのひとりがいいました。
「その子をいじめちゃいけませんよ。しずかにやすませて、看病《かんびょう》してやらなくちゃ。ねえ、やさしい歌うたいさん、もう一度水をあびせてあげましょうか」と、ポルトガル夫人はいいました。
「いえ、いえ、それよりどうぞ、はねをかわかさせてください」と、小鳥はたのみました。
「水あびが、わたしによくきくただ一つの療治《りょうじ》だがねえ。それから、気ばらしもときにはいいものよ。もうじき、おとなりのニワトリさんがたずねてきなさるよ。その中に、中国のめんどりさんが二わいるの。マメルック(回教奴隷《かいきょうどれい》)とつきあってたものだから、たいへん教育もあるし、だいいち、はくらいものですもの、どうしてもそんけいしたくなっちまうのよ」
こう、ポルトガル夫人はいいました。
そこへ、そのめんどりたちがやってきました。おんどりもやってきました。おんどりは、きょうは失礼《しつれい》にならないようにと、たいそうぎょうぎよくしました。
「きみはほんとにかわいい、歌うたいの小鳥だ。そしてきみは、そのかわいい声でもって、そのかわいらしい声|相応《そうおう》のことをやっている。しかし、男らしいところを人に聞いてもらうためには、もっと機関車《きかんしゃ》的な力をもたなきゃいけないね」
こう、おんどりはいいました。
二わのチュウゴクニワトリは、小鳥を見て、むちゅうになってしまいました。
小鳥は水をあびせかけられたので、はねがくしゃくしゃになっていましたが、そのために、チュウゴクニワトリのひよこににているように見えました。
「なんて、かわいい子でしょう」
こういって小鳥に近づくと、上流《じょうりゅう》の中国人たちのやるような、ひそひそ声で、ぺちゃくちゃやりはじめました。
「わたしたちは、あなたの親類《しんるい》なのよ。アヒルさんたちはね、あのポルトガル夫人だって、みんな水鳥《みずどり》なの。それはあなただってわかったわね。
わたしたちのことを、あなたはまだごぞんじがない。でも、いったいわたしたちのことを知ってるものが、また知ろうとつとめるものが、どれだけあるでしょう! だれもありゃしないのよ。めんどりでさえもね。たいていのニワトリよりか、わたしたちはいちだん高い横木《よこぎ》にとまるように、生まれついているのにさ。
でも、そんなことはどうでもいいの。わたしたちは、ほかのものの間にまじって、しずかに、じぶんの道を行くんです。ここで通用《つうよう》している意見は、わたしたちの考えとはちがいます。でもわたしたちはいい方面ばかり見て、いいことだけをかたりあうことにしているの。
それにしたって、なにもないところに、なにか見いだせといったって無理《むり》でしょ。わたしたちのにわとり小屋の中で、才能《さいのう》があって、しかもしょうじきなのは、わたしたち二わとおんどりさんをのぞいたら、だれもほかにいやしませんわ。このあひる小屋の人たちときたら、話にもなりません。
歌うたいの小鳥さん、あなたに忠告《ちゅうこく》しとくけれど、あそこにいる、おしりの切れたのを信用しないほうがいいわ。あの人、ずるさんよ。はねの上に、ゆがんだまだらもようをつけているまだらさんは、こんじょうまがりのりくつ屋で、だれにもまけたがらないの。そのくせいうことは、いつもけんとうちがいなの!
あのふとっちょのアヒルさんは、なんにでもけちをつけるけど、わたしたちの性質は正反対よ。よいことがいえなかったら、口をつぐんでいるべきですよ。
ポルトガル夫人だけは、すこしは教養《きょうよう》もあり、つきあっているけれど、じきとのぼせるたちでね、おまけに、ポルトガルのことばかりもち出しすぎますよ」
「あの二わのシナニワトリさんたら、なにをぺちゃくちゃやってるんだろう。ほんとに、うんざりする人たちだよ。わたしゃ一度だって、話したことはないけどさ」と、アヒルの夫婦《ふうふ》がいいました。
そこへ、おすのアヒルがやってきました。そして、この歌をうたう小鳥を見て、スズメだと思いこみました。そしてそれを注意されると、おすのアヒルはいいました。
「へえ、ぼくにはくべつがわからないね。どっちにしたって、おなじことさ。どっちみちおもちゃの一種で、おもちゃはやっぱり、おもちゃだけのものさ」
「あの人のいうことは、気にかけないがいいよ」と、ポルトガル夫人がささやきました。
「あの人はしごとにかけちゃ、感心《かんしん》なほどねっしんで、なによりもしごと第一なんだから。
ところで、さあ、わたしはひとやすみしますよ。まるまるとふとるのが、わたしたちのつとめだからね。そうすれば、死んでからリンゴやスモモをつめてもらって、おさらの上に乗っかれるのですよ」
こういって夫人は日なたにすわりこんで、かたほうの目をぱちぱちやりました。
ねぐあいは上々《じょうじょう》、気分も上々、そして、ねむりも上々でした。小鳥は折れたつばさをそろえながら、しんせつなおくさんのそばにくっついてねました。お日さまはあたたかく美しくてっていました。そこはほんとに気持ちのよいばしょでした。
おとなりのニワトリたちは、あいかわらずそこらを歩きまわって、ひっかいていました。ほんとうのことをいえば、このニワトリたちは、ただ、えさがほしくてここへやってきたのです。
シナニワトリがまず出ていき、それからほかのニワトリたちも出ていきました。とんちのあるわかいアヒルが、ポルトガル夫人を見ながら、あのおばあさんはじきにきっと、「アヒルっ子」にかえるよ、といいました。すると、ほかのアヒルたちはまた大さわぎをしました。
「アヒルっ子だって。この人はほんとに気がきいてるよ」
それから、みんなでまた、前のじょうだんの「ホラフキガイ」をくりかえしました。いや、ほんとにおもしろそうでした。それからみんなで、ねむりにつきました。
こうしてしばらくの間、みんなはじっとしていましたが、そのときふいに、あひる小屋の中になにか、たべものが投げこまれました。バシャリ! いままでねむっていたれんじゅうが、みんな一|時《じ》におきあがって、はねをばたばたさせました。ポルトガル夫人も目をさまして、かけだしましたが、とたんにあの小鳥を、いやというほどふんづけました。
「ピー! おくさん、いたいじゃありませんか」
「なぜ、とおり道なんかに、ねているのさ」と、おくさんはいいました。
「そんなに感じやすくちゃ、しようがないね。わたしだって神経《しんけい》はあるよ。だけど、わたしは一度だって、ピーなんて鳴き声を出したことはないよ」
「ごめんなさい。思わず『ピー』ってくちばしから出てしまったのです」と、小鳥はいいました。
ポルトガル夫人は、もうそんなことには耳をかしていません。いそいでたべもののほうにかけ出していって、おいしいごちそうにありつきました。
たべおわって横になったところへ、あの小鳥がやってきて、うたいだしました。
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ピー チク ピー
あなたのお心をたたえて
わたしはいつでもうたいましょう
空を遠く遠くとびながら
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しかし、おくさんはいいました。
「これからわたしゃ、食《しょく》やすみをするところだよ。おまえもここにいるつもりなら、ここの習慣《しゅうかん》をおぼえなくちゃ。さあ、あたしゃねむるよ」
おくさんをよろこばせようとしてやったことでしたのに、こんなふうにいわれて、小鳥はびっくりしてしまいました。
しばらくしておくさんが目をさましてみると、小鳥は見つけてきた小さなムギのつぶをくわえて、じぶんの前に立っているではありませんか。そして小鳥は、そのむぎつぶをおくさんの前にさし出したのです。
ところがおくさんは、ねむりがたりなかったものですから、気ぶんがむしゃくしゃしていました。
「そんなものは、ひよっこにやったらどう。そんなところにつっ立って、わたしのじゃまをしないでおくれ」と、おくさんはいいました。
「おくさんはぼくのことを、おこっていらっしゃるのですね。ぼくがなにかやったんでしょうか」と、小鳥はいいました。
「やった? そういうことばづかいは、上品じゃないよ。気をつけなさい」
「きのうはお天気がよかったのに、きょうはくらくくもっている。まったくかなしいなあ」と、小鳥はいいました。
「おまえさんは、ときの数えかたも知らないんだね。まだ一日たっていないんだよ。そんなばかな顔をして、つっ立っているんじゃないったら」と、ポルトガル夫人はいいました。
「おお、こわい目つき。ぼくがこの小屋におちたときに、ぼくをにらんだあの目とそっくりだ」
「このはじ知らずめ。このわたしを、あのどろぼうネコとくらべようっていうのかい。わたしのうちには、悪党《あくとう》の血は、一てきだってありゃしません。おまえをひきとった以上は、ぎょうぎをみっちりしこんでやらなくては」
ポルトガル夫人は、こういって小鳥の頭をつつきました。
おかげで小鳥は、死んでしまいました。
「おや、どうしたんだろう!」と、ポルトガル夫人はいいました。
「あれくらいのことで、まいってしまうなんて。そんなこっちゃ、まるっきりこの世間にはむかないね。わたしはこの子にとっちゃ、母親のようなものだった。そうですとも。なんてったってわたしにゃ、愛情《あいじょう》があるんだもの」
そのとき、おとなりのおんどりが、こちらの小屋の中へ頭をつっこんで、機関車《きかんしゃ》めいた力で鳴きました。
ポルトガル夫人はいいました。
「あなたの鳴き声を聞くと、命がちぢみますよ。こんなことになったのも、みんなあなたのせいですよ。この子は気が遠くなってしまったし、わたしだって、もうすこしでそうなるところでしたよ」
「なに、そんなのはたおれていたって、たいしたばしょふさぎにゃならないさ」と、おんどりはいいました。
「そんなばかにしたもののいいかたは、よしてくださいよ。この子は、声をもっていました。歌もうたえたし、高い教養《きょうよう》も、もっていました。それにしんせつで、やさしい気持ちをもっていました。これは動物はもとより、いわゆる人間にとっても、ふさわしいことですよ」と、ポルトガル夫人はいいました。
そんなわけで、すべてのアヒルが、死んだ小鳥のまわりにあつまりました。アヒルたちはみな、はげしい情熱《じょうねつ》をもっています。それもいつでも、しっとか同情《どうじょう》かの、どっちかをもっているのです。ところで、ここには、しっとするようなものは、なにもありませんでしたから、しぜんとみんなは、同情をもつことになりました。
あの二わのチュウゴクニワトリまでがそうでした。
「こんな歌うたいの小鳥が、わたしたちのなかまになることは、もう二度とないわ。この子はほとんど中国生まれに見えたわ」
こういって中国のニワトリたちは、クックッと鳴きました。するとぜんぶのニワトリがクックッと鳴きました。
いっぽう、アヒルたちは目をまっかにして歩きまわっていました。
「わたしたちは、ハートをもっているんだものね。それはだれも、否定《ひてい》するわけにはいきません」
こう、みんなはいいました。
「ハートだって!」と、ポルトガル夫人はいいました。「そうさ、わたしたちは、ハートをもっていますよ。ポルトガルでもっているのと、おなじくらいにはね」
「たべものをひろうことでも、考えようじゃないか。そのほうがだいじだ。おもちゃのひとつくらいこわれたって、まだいくらだってかわりがあるさ」と、おすのアヒルがいいました。
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あたらしい世紀のミューズ
あたらしい世紀のミューズ(詩・劇・音楽・美術をつかさどる女神の総称)は、いったい、いつあらわれるのでしょうか。それはわたしたちではなくて、わたしたちのまごの、そのまた子どもの時代、いやおそらくもっと後《のち》の時代の人々が、はじめて知ることになるのでしょうけれど。
そのミューズは、どんなようすをしているでしょうか。なにをうたうでしょうか。魂《たましい》のどの絃《げん》を鳴らそうとするでしょうか。どれだけ高く、その時代を高めるでしょうか。
このいそがしい時代に、こんなにいろいろ質問してみたところでなにになりましょう。
いまの時代では、詩はほとんど、人のじゃまにさえなっています。そして、現代の詩人のかく、多くの「不朽《ふきゅう》の作品」も、将来はおそらく、ろう屋のかべに炭《すみ》の文字としてのこるだけで、わずかに少数のものずきな人たちの目にふれ、よまれるにすぎないことを、いまの人は、はっきりと知っているのではないでしょうか。
詩は、人生のたたかいに参加しなければなりません。すくなくとも、血やインクをながしている党派《とうは》のあらそいに、人をさそいこまなければなりません。
そんなのは一面的な考えだ。詩は、いまの時代でもわすれられてはいない、という人もあります。
そうです。いまでも「月曜上人《げつようしょうにん》さまのご命日」〔勤労者が日曜日に大酒をのんで、月曜日にやすむと「きょうは月曜上人さまのご命日だ」という〕には、詩がよみたくなるような人がおります。
そういう人は、じぶんの心の高尚《こうしょう》な部分に、そういう魂の飢《う》えを感じると、さっそく使いを本屋にやって、四シリングですいせん図書の中で、いちばんいい詩集を買ってこさせます。
中には、ふろくについてくる詩集でたくさんだという人もあるし、かんぶつ屋のかみぶくろにのっている詩の一ぺんをよんで、まんぞくする人もあります。
これは安いやりかたです。しかも、安いということは、このいそがしい時代では、考慮《こうりょ》しなくてはならないことです。
さて、こうした欲求《よっきゅう》は、わたしたちの手近《てぢか》にあるものにむけられます。それはそれでいいのです。未来の詩などいうものは、未来の音楽とおなじく、ドンキホーテ式のものであって、それについてかたることは、まあ天王星《てんのうせい》の探検《たんけん》旅行についてかたるようなものですから。
この時代は、想像をもてあそぶには、あまりにもみじかく、また貴重《きちょう》です。
いったい詩とは、理性《りせい》にかなったいいかたをするならば、なんでしょうか。それは感情《かんじょう》と思想《しそう》とが、鳴りひびく音となって外にあらわれたもので、神経のふるえと運動にすぎません。すべてのかんしゃ・よろこび・かなしみ、さては物質的な努力さえも、神経のふるえであると、学者はわたしたちにおしえています。わたしたちはひとりひとりが、――つまり一つの絃楽器《げんがっき》なのですね。
では、この絃を、だれがかなでるのでしょう。だれがそれを、振動《しんどう》させるのでしょう。
それは、精神《せいしん》です。目に見えない神の精神です。神はそれらの絃をとおして、ごじぶんの感動を、情緒《じょうちょ》をひびかせます。すると、それが他《た》の絃楽器によって理解され、一つにとけあった協和音《きょうわおん》となるか、反対に強い不協和音《ふきょうわおん》となって鳴りひびくのです。人間の自由の意識の、大きな進歩のあとを見るとき、むかしもそうであったし、いまもそうであることがわかります。
また、百年ごとに、千年ごとに、その時代の偉大《いだい》さが、詩の中にあらわれるといってもよいでしょう。前の時代のおわりに生まれた詩は、つぎのあたらしい時代にすすみ出て、それを支配《しはい》します。
それならば、わたしたちのこのいそがしい、機械《きかい》のうなっている時代のまっただなかにおいて、かの女、すなわち、あたらしい世紀のミューズは、すでに生まれているのです。
わたしたちのあいさつを、このミューズにおくりましょう。かの女はそれを聞くでしょう。あるいは、さきほどいったように、おそらくはいつか、炭の文字の間に、それをよんでくれるでしょう。
かの女のゆりかごは、世界のいちばんはずれ、人間の足が、北極探検の旅でふんだところから、遠く肉眼《にくがん》が極北《きょくほく》の空の「黒い石炭ぶくろ」(銀河の黒点のこと)をのぞきこむあたりまで、すすんでいきます。ガタガタいう機械の音や、するどく鳴る機関車のきてきや、岩山《いわやま》のばくはや、精神の古いきずなの切れる音などのために、そのすすむ音はわたしたちには聞こえませんけれど。
現代の大きな工場の中で、かの女は生まれました。そこでは、じょうきが力をふるい、「血のない親方《おやかた》」(機械を指す)が、でしたちといっしょに昼も夜もはたらいています。
かの女は愛《あい》にみちた女性のひろやかな心をもっています。ベスタ(ローマのいろりの神)の処女《しょじょ》の火と情熱のほのおとともに。
また知力《ちりょく》のひらめきを、手に入れましたが、そのひらめきは数千年をとおして、さまざまにかわっていくプリズムの色を見せ、それが、そのときそのときの流行色にしたがって評価《ひょうか》されるのです。想像の力強いハクチョウのつばさが、そのかざりであり、力であります。
それを追ったのは学問で、「根源《こんげん》の力」が、それにとび立つ力をあたえました。
父親のがわから見ると、かの女は、民衆《みんしゅう》の子です。母親は上流の生まれで、大学教育をうけた亡命者《ぼうめいしゃ》のむすめです。金色《きんいろ》のロココ(フランスのルイ十五世時代、一七二三年―一七六〇年の装飾模様)時代の思い出をもっています。あたらしい世紀のミューズはこのふたりの血と魂とを一身《いっしん》にそなえているのです。
洗礼式《せんれいしき》の数々のりっぱなおくりものが、ゆりかごの上におかれました。自然のひめられたなぞが、解答《かいとう》とならんで、ボンボンのように、まきちらされていました。
潜水器《せんすいき》で海の底から、ふしぎな「おしゃぶり」がとり出されました。それぞれが一つの世界である、無数の島をうかべた、しずかな大洋《たいよう》のような天体図が、ゆりかごのおおいになって、その上におかれました。かの女のために、太陽は絵をかき、写真はかの女に、おもちゃをあたえることになるでしょう。
うばはかの女のために、エイビンド=スカルダスピレル(古代ノルウェーの詩人)やフィルダウスィー(ペルシアの詩人)や、中世ドイツの愛の歌人《うたびと》の詩をうたい、またハイネのほんとうの詩人魂からながれ出た、子どもらしい歌をうたいました。
それからまたうばは、多すぎるほどどっさりいろんな話をしてくれました。うばは、エッダ(古代北欧の神話や伝説の本)のお話も知っていました。これは遠い遠い先祖《せんぞ》のころの、すさまじい伝説で、そこでは血のつばさをもったのろいが、はばたいているのです。
東洋の「千一夜物語」のぜんぶを、ただの十五分で聞いたこともありました。
あたらしい世紀のミューズは、まだ子どもです。けれども、もうゆりかごからとび出しました。なにをしたらよいかわからないながら、やる気だけはじゅうぶんもっていました。
まだかの女は、大きな子どもべやであそんでいます。そのへやには、いろんな芸術品や、ロココ式の美術品がたくさんありました。ギリシアの悲劇《ひげき》や、ローマの喜劇《きげき》が、大理石にきざまれて立っています。
いろんな国の民謡《みんよう》が、ひからびた草花のように、かべにかかっていて、ちょっとキスしさえすれば、すぐいきいきとふくらんできて、よいにおいをはなつのでした。
ベートーベン、グルック、モーツァルト、そのほか偉大《いだい》な人たちの、音になった思想が、永遠の諧音《かいおん》をだして、かの女のまわりで鳴りひびいています。
本だなには、それが出た当時は不朽《ふきゅう》だといわれた、たくさんの本がならべてありましたが、まだまだたなには、たっぷりとよゆうがあります。
それらの本の名は、不朽という電線をつたわって、宣伝されるのですが、電線といっしょに死んでしまいます。
かの女は、おそろしく多くのものをよみました。まったく、多すぎました。なにしろ、いまの時代に生まれたのですもの。だからまた、すばらしく多くのものを、わすれてしまわなければなりません。ミューズは、わすれることをおぼえるでしょう。
かの女は、じぶんがうたう歌のことなんか考えませんが、その歌は、モーセの詩のように、またピドパイ(古代近東の寓話詩人)のキツネの知恵と幸運の寓話のように、あたらしい一千年ののちまでも生きつづけるでしょう。
かの女はまだじぶんの使命《しめい》のことも、じぶんの鳴りひびく未来のことも考えません。まだ、国々のたたかいの中であそんでいます。そのたたかいは空気をふるわし、がペンと大砲《たいほう》の音画《おんが》を、たてよこ十文字にえがき出しています。それはよみとくのがむずかしい、ルーネ文字です。
かの女はガルバルジ帽をかぶっています。
ときにはシェークスピアをよんで、わたしも大きくなったら、かれのしばいを演じてみようなどと、ちょっとの間《ま》思ったりします。カルデロン(スペインの大詩人)が、じぶんの作品の石棺《せきかん》の中にいこっています。
かの女は名誉《めいよ》の碑銘《ひめい》をきざんだホルベーア(デンマークの劇作家)を、モリエール、プラトウス、アリストファネスと合わせて、一巻にまとめました。いや、ほんとに、ミューズは世界人です。
けれども、いちばん多くよむのは、モリエールなんです。
かの女は、アルプスのカモシカをかりたてる不安からは、まぬかれています。けれどもかの女の魂は、カモシカが山の塩を恋《こ》いしたうように、人生の塩に、あこがれています。かの女のむねの中には、むかしのヘブライの物語の中にある、平和がいこっています。
それは、しずかな星月夜に、みどりの野をさまよう遊牧《ゆうぼく》の民の声です。けれども、歌の中でかの女の心は、古代ギリシアの、テッサリヤの山の感激にもえる兵士《へいし》の心よりも、強く高まるのです。
そのことは、かの女のキリスト教と、どういう関係になっているのでしょうか。――かの女は哲学《てつがく》の大きな表と、小さな表とをまなびました。この世の元素《げんそ》が、かの女の乳歯《にゅうし》を一まい折りましたけれど、またあたらしい歯がはえました。知恵の実を、かの女はゆりかごの中でかじって、りこうになりました。
そのため、「不死」ということが、人間のいちばん人間らしい考えとなって、かの女の目の前にかがやいているのです。
詩のあたらしい世紀は、いつあらわれるのでしょうか。ミューズは、いつすがたをあらわすのでしょうか。かの女の声は、いつ聞かれるのでしょうか。
ある美しい春の朝、かの女は機関車のダイジャの上に乗って、トンネルや陸橋《りっきょう》の上を、風を切ってすすんでいくでしょう。もしくは、おだやかな大海原《おおうなばら》を、鼻息あらいイルカの背にまたがってこえていくか、空中をモンゴルフィエ(フランス人、気球の発明家)の鳥に乗ってとんでいきます。そして陸地におりたって、こうごうしい声で、はじめて人類にあいさつするでしょう。
その陸地はどこでしょう。あのコロンブスの発見した、自由の国でしょうか。そこは土着《どちゃく》の民が野獣《やじゅう》のように追いたてられ、アフリカ人がどれいにされた国で、そこからは、「ハイアワサ」(インデアンの英雄詩)の歌が聞こえてきます。ではそれは、地球の反対がわにある、南太平洋の黄金の国でしょうか。
そこはわたしたちの国とはうらおもてで、わたしたちの夜は、そこでは昼であり、黒いハクチョウがミモザの森で歌っています。
もしくはそれは、メムノンの巨像《きょぞう》(エジプトにある巨大な石像)がひびきを発する国でしょうか。しかし、このさばくの中のスフィンクスの歌は、わたしたちには理解できません。
またそれは、石炭の島、エリザベス時代このかた、シェークスピアの支配している国でしょうか。またそれは、故郷にいれられなかったティコ=ブラーエ(デンマークの天文学者)の祖国でしょうか。もしくは、世界の森の王ともいうべきウェリントン樹が、その樹冠《じゅかん》をそびえ立たしているおとぎ話の国カリフォルニアでしょうか。
いつあの星は、ミューズのひたいの上の星は、かがやくのでしょう。その花びらの一つ一つに、あたらしい世紀の、形と色とにおいの美のあらわれが刻印《こくいん》されている、あの花は?
「あたらしいミューズの目的はなにかね。かの女はなにがほしいのだろう」
こう、現代のえらい国会議員さまはたずねます。
むしろ、かの女はなんであることを欲《ほっ》しないか、それを聞くべきです。
かの女は、きえさった時代のゆうれいとなって登場することを欲しません。また時勢《じせい》おくれの、はなやかな場面で劇をまとめあげることも、劇の構成の欠陥《けっかん》を、叙情詩《じょじょうし》のまばゆいタペストリでおおいかくすようなことも欲しません。
かの女がわたしたちの前へとんでくるのは、テスピス(ギリシアのさいしょの喜劇作者)の車から、大理石の円形劇場まで来るようなものでしょう。かの女は健全《けんぜん》な人間のことばを、こなごなにしたうえで、それをつぎあわせて、トルバドゥール(中世の吟遊詩人《ぎんゆうしじん》)の歌合戦の、こびるようなしらべをもつ、人工的な鐘の歌につくりあげよう、というのではありません。
かの女は、韻文《いんぶん》を貴族とし、散文《さんぶん》を平民とすることも欲しません。この両者は、ひびきでも、ゆたかさでも、力の点でも、ならびあって立つのです。かの女はアイスランドのサガ〔十一世紀前後、北欧でさかんだった歴史・伝説を中心とした文学〕の岩石から、古い神々をきざみ出そうとは思いません。あの神々は、もう死んでいます。あたらしい時代には、それに同情をもつものはいません、親類のものもおりません。
かの女はまた、同時代の人々をまねいて、その人たちの思いを、フランスの小説の料理屋に入りびたらせることも欲しません。
かの女がねがうのは、生命《せいめい》の霊薬《れいやく》をもたらすことです。かの女の歌は、韻文にせよ、散文にせよ、みじかく、はっきりしていて、ゆたかであることを欲します。
それぞれの国民の心の鼓動《こどう》は、一つ一つではこの大きな発展のアルファベットの中の、一文字《ひともじ》にすぎませんけれど、かの女はその一つ一つを、おなじ愛情でもってとらえて、それをことばにならべ、そのことばにリズムをふきこみ、それをあたらしい時代の賛歌《さんか》にするのです。
では、そのときは、いつ来るのでしょうか。
それは、ここにまだのこっているわたしたちにとっては、遠いさきのことです。さきだってとんでいったものにとっては、そう遠いことではないでしょうが。
まもなく、万里《ばんり》の長城《ちょうじょう》も、くずれるでしょう。ヨーロッパの鉄道は、アジアのとざされた文化のくらに達して、二つの文化のながれが出あうのです。
そのときおそらく、おもたいひびきをたてて、たきはたぎりおち、その力強いひびきに、わたしたち現代の古い人間どもは、ふるえおののいて、そこに古い神々の没落《ぼつらく》、ラグナロック(古代北欧神話にあらわれた世界の滅亡)を見ることでしょう。この世では、時代も民族もきえさらねばならないことをわすれて。
そして、それぞれの時代や民族の、ごく小さなすがたが、からにとじこめられて、永遠のながれの上を、スイレンの花のようにただよいながら、わたしたちに、それらすべては、身につけているよそおいこそかわれ、むかしもいまも、わたしたちの肉の肉であり、またあったことをかたるでしょう。
ユダヤ人のすがたは、聖書の中から、ギリシア人のすがたはイリアスとオデュッセイアから、かがやき出てはいないでしょうか。
では、わたしたちのすがたは――?
それは、あたらしい世紀のミューズに聞いてください、あたらしい世界が、浄化《じょうか》と理性《りせい》の中にのぼってくるラグナロックのときに。
あらゆるじょうきの力、あらゆる現代の圧迫《あっぱく》が、|てこ《ヽヽ》だったのです。
わたしたちの時代の力強い支配者とも見える、「血のない親方」とはたらきもののでしたちは、わたしたちの大広間をかざるめし使い、黒いどれいにすぎないのです。かれらはそこにたからものをそなえ、大きな饗宴《きょうえん》のためのテーブルを用意します。
そこに、子どもの純潔《じゅんけつ》と、処女のあつい思いと、主婦のおちつきと知恵をもったミューズが、詩のふしぎなランプを高くかかげるのです。――このゆたかにみちあふれた、神のほのおをもった人間の心を。
ようこそ、あたらしい世紀のミューズ! わたしたちのあいさつは高らかにひびいて、ミューズに聞きとどけられます。
ちょうど、ウジ虫のささげるかんしゃの賛歌――あたらしい春が、かがやきわたり、すきが畑のうねをほりかえすとき、すきのはにひきさかれながらもささげる、そのかんしゃの賛歌が、聞きとどけられるように。
そのように、わたしたちウジ虫も、来たるべきあたらしい時代を前にして、祝福《しゅくふく》のいやまさるように、ひきさかれるのです。
あたらしい世紀のミューズよ、ようこそ!
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氷ひめ
一 小さいルーディ
さあ、スイスの国へ出かけて、すばらしい山国のけしきを見物しましょう。あそこでは、山の上のけわしい岩壁《がんぺき》のところまで、森が青々としげっています。まばゆい雪の高原へのぼっていって、またみどりの牧場《まきば》におりましょう。そこには、いくつもの川や谷川が、音たててながれています。――できるだけ早く海へ行って、その中にすがたをかくしたがっているかのように。
まばゆい太陽の光が、深い谷底をも、ふかぶかとつもった雪の上をも、てらしています。そのため、いったんとけた雪は、何年かたつと、きらきら光る氷のかたまりになって、ついには、なだれになってころがりおちたり、氷河《ひょうが》となってそびえ立つのです。
さて、このようにしてできた氷河が二つ、グリンデルワルトという小さな山の町の近くの山、シュレックホルンとヴェッターホルンの間にはさまれた、岩だらけのひろい谷間によこたわっています。
この氷河のながめは、まことにすばらしいものですから、毎年夏になると多くの外国人が、世界の国々から見物に来ます。
ここへ来るまでには、雪におおわれた高い山をいくつもこえ、ふかい谷間をのぼってこなければなりません。
のぼりは何時間もかかりますが、のぼるにつれて、谷はしだいにふかくしずんでいき、下を見ると、まるで軽気球《けいききゅう》に乗って見おろすようです。見あげると、高い山のいただきを、ときおりこいきりが、おもたいけむりのカーテンのようにとりまいています。
けれども、下の谷あいの、茶色の木づくりの家がたくさんちらばっているあたりには、まだ日の光がさしていて、そこにひとところ、すきとおるようなかがやかしいみどり色を見せて、うき出しているところがあります。
水はあわだちながら、ザワザワとながれくだっていきます。上のほうでは、水はちろちろさらさらとながれおちて、まるで銀色のリボンが、だんがいからひるがえっているように見えます。
道の両がわには木づくりの家がならんで、どの家にもちょっとしたじゃがいも畑がついています。これはなくてはならぬものです。なにしろ、どの家にも人間がどっさりいましたから。ことにここは、たべざかりの子どもでいっぱいでした。
この子どもたちは、旅行者《りょこうしゃ》のすがたさえ見れば、どの家からもむれをなして出てきて、その人のまわりにおしよせます。歩いてきた人だろうが、馬車《ばしゃ》で来た人だろうがおかまいなしに、そうやって商売《しょうばい》をするのです。
この子どもたちが売る品というのは、木できざんだ、かわいらしい家なのです。それは、この山国で見かける家そっくりに、できています。雨がふっても日がてっても、子どもたちはじぶんたちの商品《しょうひん》をもってとび出してきます。
さて、いまから二十年あまり前のこと、この道にときどき、いつもほかの子どもたちからすこしはなれて、ひとりの小さい男の子が立っていました。この子もやはり、商売をしようとしていたのです。
この子は、それはしんけんな顔つきで、まるでこの木のはこを手ばなしたらたいへんとばかりに、両手でしっかりだきかかえていました。ところが、このしんけんさと、この子がいかにもちびさんだったのとが、かえって人目をひきました。
そこで、よく客によばれて、じぶんでも、なぜだかわかりませんでしたが、ときにはだれよりも、よい商売をすることさえあったのです。
ずっと山の上のほうに、この子のおかあさんのおとうさん、つまりおじいさんが、住んでいました。
みごとなできの、このかわいい家をきざんだのは、このおじいさんでした。おじいさんのへやには、そのような木できざんだ品物が、いっぱいつまった古い戸だながありました。クルミわりや、ナイフや、フォークや、またカモシカのはねている、美しい森をきざんだはこもありました。どれもこれも、子どもの目をひきつけずにはおかないものばかりです。
ところが、この小さい男の子は、ルーディという名まえでしたが、そんなものよりも、はりにかけてある古いてっぽうのほうが、もっとほしそうで、そのほうばかりながめていました。
すると、おじいさんはいいました。
「あれはいつかは、おまえのものになるのだ。だから、あれがつかえるように、大きく強くならなければいけないよ」と。
それほどこの子は、まだ小さかったのです。それでも、もうヤギの番をしなければなりませんでした。
もし、ヤギといっしょに山をよじのぼることのできるものが、よいやぎ飼いだとしたら、ルーディはまったくよいやぎ飼いでありました。少年は、ヤギよりも、もすこし高くのぼることさえできました。高い木のこずえから、鳥の巣をとってくることがすきだったのです。
このようにこの子はだいたんでげんきでした。けれども、この子がわらい顔を見せるのは、たぎりおちるたきのそばに立っているときとか、なだれのとどろく音を聞いたときくらいのものでした。
少年は、ほかの子どもたちとはすこしもあそびませんでした。ほかの子どもたちといっしょになるのは、ただ、おじいさんに、山のふもとへ品物を売りにやられるときだけでした。ルーディは、それをあまりうれしがりませんでした。
それより、岩山をよじのぼったり、または、おじいさんのそばにすわって、むかしの話や、ここからそう遠くない、おじいさんの故郷《こきょう》の、マイリンゲンの村の人たちの話を聞いたりするほうが、ずっとたのしみでした。
おじいさんの話によると、その村の人たちは、この世のはじめからそこに住んでいるのではなく、よそからうつってきたのでした。はるか遠い、北の国からです。その北の国には、この村の人たちの親類《しんるい》が住んでいて、その人たちは、「スウェーデン人」とよばれているということでした。
これだけでも知っていれば、たいしたもの知りですが、ルーディはそれを知ったのです。
ところが、まだまだいろいろの知識《ちしき》を、ルーディはべつのよい友だちから、おしえてもらいました。その友だちというのは、家族《かぞく》のうちにかぞえられている動物たちでした。
家には、ルーディのおとうさんのかたみの、アヨーラという大きなイヌがいました。また一ぴきのおすネコがいましたが、このネコはルーディにとって、とくにだいじないみをもっていました。なぜといって、よじのぼりかたを教えてくれたのは、このネコでしたから。
「いっしょに、屋根の上に出ようじゃないか」と、おすネコがいいました。
しかも、はっきりと、わかりやすくです。というのは、人がまだ赤んぼうで、口がよくきけないじぶんには、ニワトリやアヒルやネコやイヌなどのいうことが、それはよくわかるからです。みんなは、ちょうどおとうさんやおかあさんが話すように、わかりやすく話しかけてくれるのです。
ただ、ごく小さい赤んぼうでなくてはいけませんがね。そのころだとおじいさんのつえでさえも、頭も足も尾もちゃんとそろった、りっぱなウマになって、ヒヒーンといななくことがあります。子どもによっては、これを聞きわける力が、ほかの子どもよりもあとまでつづく子があります。
すると、この子はたいへんおくれている、いつまでも子どもっぽい、などといわれます。人間はほんとに口うるさいものですね。
「ルーディぼうや、屋根の上にまでついておいで」
これがおすネコのいったことばで、ルーディにわかった、さいしょのことばでした。
「おっこちるなんていうのは、みな空想《くうそう》だよ。こわがりさえしなければ、おちやしないさ。さあ、来たまえ。きみのそのいっぽうの足を、こうおいて、こんどはこっちの足を、こうおいて、前足で、からだのちょうしをとるんだ。目はまっすぐ前へむけて、手足はしなやかに。われめがあったらとびこして、しっかりつかまること。そら、ぼくのようにさ」
そこでルーディは、いわれたとおりしました。そんなわけで、少年はしばしば、ネコといっしょに屋根の上にすわったり、木のてっぺんにのぼったりしました。しまいには、ネコも行けないような、高いがけっぷちまで行きました。
「もっと高く。もっと高く。ごらんよ。ぼくたちがどんなに高くのぼったか。こんなに高くのぼって、こんなにしっかりつかまっているよ。こんなにとんがった岩山のさきにさえ」と、木ややぶがいいました。
そこで、ルーディは山のいただきにのぼりました、ときには、お日さまの光がまだそこまでとどかないうちに。そして、そこで朝ののみものをのみましたが、それは力をつける、すがすがしい山の空気で、ただ神さまだけが、おつくりになれるのみものでした。
人間には、その処方《しょうほう》がわかりますが、そこにはかいてあるのです。――高い山の上の草と、谷間のハッカソウと、タチジャコウソウのすがすがしいにおい。そのおもおもしくただよっているにおいを、たれている雲がすっかりすいこみます。風がそれを、モミの木の森でこします。するとにおいの精は、かるくすがすがしい山の空気になり、ときがたつほど、いよいよすがすがしくなっていきます――これがルーディの朝ののみものでした。
お日さまのむすめのめぐみをもたらす光たちが、ルーディのほおにキスしました。そのため「めまい」がそばに立って、ルーディをねらっていましたが、近づくことができませんでした。
おじいさんの家のツバメたち――そこにはいつもツバメの巣が、七つよりすくないことはありませんでした――が、ルーディとヤギのいるところへとんできて、うたいました。
「ぼくたち、きみたち! きみたち、ぼくたち!」
それが、家からもってきたあいさつでした。二わのニワトリまで、あいさつをよこしました。飼っているのはこの二わのニワトリだけでしたが、ルーディはどうもまだ、なかよしにはなれませんでした。
年はまだいきませんでしたが、ルーディはもう、ひとかどの旅行家《りょこうか》でした。しかも、こんなちびさんにしては、けっして、小さい旅行ではありませんでした。
ルーディの生まれたバリス州から、いくつも山をこして、ここまでつれてこられたのです。
つい近ごろも、歩いてシュタウプバッハのたきを見に行きました。そのたきは、まっ白に雪におおわれた、まぶしいユングフラウの峰を前にして、銀色のベールが、空にひるがえっているように見えます。
また、グリンデルワルトの近くの、大氷河《だいひょうが》にも行きました。けれども、そこにはかなしい物語《ものがたり》がありました。ルーディのおかあさんは、そこで死んだのです。
「あそこで小さいルーディは、子どもらしいほがらかさをふきとばされてしまったのだよ。生まれてまだ一年もたっていなかったが、なくよりもわらっているほうが多い、とあの子のおっかさんはかいてよこしたものだ。
それが、氷河のさけめの中におっこちてからというもの、すっかり性質《せいしつ》がかわってしまってな」
こう、おじいさんはいいました。
おじいさんは、この話はめったにしませんでしたけれど、このあたりの山で、それを知らない人は、ひとりもありませんでした。
ルーディのおとうさんは、わたしたちも知っていますが、駅馬車《えきばしゃ》のぎょ者でした。おじいさんの家にいる大きなイヌは、シンプロン峠をこえてジュネーブ湖にくだる旅のおともを、いつもしていたものです。
バリス州のローヌ川の谷には、いまでもルーディの父かたの親類が住んでいます。おとうさんの弟は、かもしか猟《りょう》の名人で、またよく知られた山の案内人《あんないにん》でした。
ルーディがおとうさんをなくしたのは、満一さいになったばかりのときでした。おかあさんは赤んぼうをつれて、ベルン高地の、身うちの家にかえろうと思いました。グリンデルワルトから二、三時間の道のりのところに、おかあさんのおとうさんが住んでいたからです。この人は、木をきざんで、それを売ってくらしをたてていました。
六月に、おかあさんは赤んぼうをだいて、グリンデルワルトヘかえろうと、ふたりのカモシカの猟師《りょうし》とつれだって、ゲミ峠をこえにかかりました。はやくもみんなは、いちばんつらい道をあとにして、山の背をこえて、雪の高原に出ました。
もう、見おぼえのある木づくりの家のちらばった、故郷の谷が見えてきました。あとは、もう一つ大きな氷河をよこぎるのが、やっかいなだけです。
ところが、あたらしくふった雪で、さけめの一つが、おおいかくされていました。そのさけめは、はるか下のほうの水のざわめいている底までとどくような、ふかいものではありませんでしたが、それでも、人間の背がとても立たないふかいさけめでした。
わかいおかあさんは、赤んぼうをだいたまま、足をすべらして、そのさけめにおちて、見えなくなってしまったのです。さけび声ひとつ、うめき声ひとつ聞こえませんでした。ただ、赤んぼうのなくのだけが聞こえました。
ふたりのつれが、もしかしたらすくい出せるかもしれないと思って、ふもとのいちばん近い家から、つなやぼうを持ってきたときは、もう一時間以上もたっていました。
ひじょうなほねおりをしたあげく、やっと氷のさけめから二つのもう死体《したい》のようになったものをひきあげました。できるだけ手をつくしたすえ、赤んぼうは生きかえりましたが、おかあさんのほうはだめでした。
こうして、年とったおじいさんは、むすめのむすこを、むすめの身がわりとして、家にむかえることになったのです。なくよりもわらっているほうが多い、といわれたあの子どもが、いまでは、わらうことをわすれてしまったように見えました。
その変化《へんか》は、たぶん氷河のさけめの中で、あのつめたいふしぎな氷の世界で、おこったのでしょう。そこには、スイスのお百姓《ひゃくしょう》の信じるところによると、のろわれたものの魂が、さいごの審判《しんぱん》の日(世のおわりにはすべての人間が神にさばかれるというキリスト教の思想)までとじこめられているのです。
氷河はさかまくながれに、どこかにています。こおりつき、おしかためられたみどり色のガラスのかたまりとなったすがたをしてよこたわり、大きな氷のかたまりが、上へ上へとつみあげられていきます。
ふかい底のほうでは、雪や氷のとけた水が、音をたててながれ、そこには、ふかいほらあなや巨大《きょだい》なさけめが、口をあけています。
それはふしぎなガラスの宮殿《きゅうでん》で、そこに氷河の女王の、氷ひめがすんでいるのです。
人をうちくだき、おしつぶすこの氷ひめは、なかば空気の子で、なかばはながれのたくましい支配者《しはいしゃ》です。ですから、もっともだいたんな登山者《とざんしゃ》でさえ、足場を氷の上にきざみつけてのぼっていかねばならないような高い雪の山の頂上にさえ、氷ひめはカモシカのように、かるがるととんでいくことができました。また、ほそいモミの小えだに乗って、急流《きゅうりゅう》をくだっていくこともあれば、切り立った岩から岩へもとびうつります。
そんなときには、雪のように白い長いかみと青みどりの着物とが、ひらひらひるがえって、ふかいスイスの湖《みずうみ》の水のようにきらめきます。
「うちくだけ! しっかりつかまえろ! 力はわたしのもの」と、氷ひめはさけびます。
「美しい男の子を、わたしからうばったものがいる。わたしは、あの子にキスしてやったが、死ぬまでキスすることはできなかった。
あの子はふたたび、人間の中にいる。山でヤギの番をしている。高い峰《みね》にのぼっていく。ほかのものたちからはなれて、いつでも高く高くのぼっていく。でも、にがすものか。あの子は、わたしのもの。わたしはあの子をきっと、とりもどしてみせる」
氷ひめはそのしごとを、「めまい」たちにいいつけました。なぜなら、ハッカソウのしげるみどりの草原《くさわら》は、氷ひめにとって、夏はあまりにもむしあつかったからです。
めまいたちはそのへんで、うかんだり、しずんだりしています。そのうちのひとりが来ました。また三人来ました。めまいには、たくさん姉妹がありますから、みんなあつまると、そうとうのむれになります。
氷ひめはそのむれのうちから、家の内と外とをおさめる、いちばん強そうなめまいをえらびました。この姉妹たちは、階段の手すりの上や、塔《とう》のてっぺんの手すりの上にすわったり、また、リスのように、がけっぷちを走ったりしています。
そして、そこから空中にとんで、水およぎをする人が水をふむように、空気をふみます。そうやって犠牲者《ぎせいしゃ》をおびき出して、ふかいふちにさそいこむのです。めまいと氷ひめとは、ちょうどヒドラがじぶんのまわりにうごくものには、なんにでもからみつくように、人間にからみつきます。いま、めまいはルーディをつかまえるように、いいつかったところです。
「はい、あの子がつかまえられましたらねえ。ところが、わたしの力にはおよばないんですよ。あのわるいネコのやつが、術《じゅつ》をおしえたのです。
それであの人間の子は、わたしをつきぬける、一種の力をもっているんです。あのいたずらこぞうが、ふかい谷の上に出ている木のえだにのぼっているときにでも、そばへ行くことさえ、できないのです。あの子の足のうらをくすぐって、空中にもんどりうたせてやったら、どんなにかうれしいでしょうに」
こう、めまいはいいました。
「わたしたちには、できるはずだよ。おまえかわたしなら。いえ、わたしなら、わたしなら」と、氷ひめはいいました。
「いいえ、いいえ」という声が、教会《きょうかい》の鐘《かね》のこだまのように、ひびいてきました。
それはべつの自然《しぜん》の精《せい》たちのうたう歌でした、話し声でした、一つにとけあった合唱でした。うたっているのは、おとなしい、やさしい、しんせつな、お日さまの光のむすめたちでした。このむすめたちは、毎日夕がたになると、山の頂上に輪になってあつまって、ばら色のつばさをひろげます。つばさはお日さまがしずむにつれて、いよいよ赤くもえあがります。すると、高いアルプスの山々がまっかにもえます。人間は、これを「アルプスやけ」とよびます。
太陽がすっかりしずんでしまうと、むすめたちは岩山の頂上や、白い雪の中へひっこんで、太陽がまたのぼるまで、そこでねむります。そして太陽がのぼると、また出てくるのです。そのむすめたちは、花やチョウや人間が、とてもすきでした。人間のうちでも、ちいさいルーディがことにすきでした。
「おまえさんたちには、つかまらないよ。おまえさんたちには、つかまらないよ」と、むすめたちはいいました。
「もっと大きな、もっと強いものだって、わたしゃつかまえたことがあるんだよ」と、氷ひめはいいました。
すると、お日さまのむすめたちは、つむじ風にがいとうをひきはがされて、とばされてしまった人の歌をうたいました。
「風は、がいとうは持っていったけれども、その人を持ってはいけなかったよ。おまえさんたち、らんぼうな力の子は、あの子をつかまえることはできても、つれていくことはできないよ。あの子はわたしたちより、もっと強いのよ。もっと霊《れい》の力だって、もっているのよ。
わたしたちのおかあさまのお日さまよりも、高くのぼるんだわ。風と水とをしばる、魔法《まほう》のことばだって知ってるのよ。だから風や水だって、あの子につかえなければならないのよ、おまえさんたちが、下へひくおもたい力をのぞいてやれば、あの子は、もっと高くのぼっていくのよ」
こんなふうに、鐘の音のような合唱は、美しくひびきわたりました。
そして毎朝、お日さまの光は、おじいさんの家のたった一つしかない、小さいまどからさしこんできて、しずかにねむっている、この子の上をてらしました。
お日さまのむすめたちは、その子にキスしました。まるで奇蹟《きせき》のようにすくい出されたこの子が、死んだおかあさんのひざにだかれて、あの、ふかい氷のさけめにいたとき、氷河の王のむすめの氷ひめからもらった、氷のキスを、このむすめたちはどうかしてとかして、あたためて、とりのぞいてしまいたい、と思っているのでした。
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二 あたらしい故郷への旅
ルーディは、いまでは八さいになりました。山のむこうの、ローヌ川の谷に住んでいるおじさんが、この子をひきとりたい、といってきました。そこの土地のほうが、勉強もさせられるし、さきのためにもよいから、というのでした。おじいさんも、それはそうだと思いましたので、ルーディを手ばなしました。
いよいよ、ルーディは出かけるのです。さよならをいわなくてはならないものは、おじいさんのほかに、たくさんありました。まず、あの年とったイヌのアヨーラでした。
アヨーラはいいました。
「あなたのおとうさんは、駅馬車のぎょ者で、ぼくはそのイヌだったのですよ。ぼくは、山をのぼったりおりたりしました。ぼくは山のむこうに住んでいる、イヌや人を知っていますよ。
ぼくは、おしゃべりはとくいじゃないんだ。だけど、もうこれからは、いっしょにお話することもないでしょうから、きょうはいつもより、ちっと長くお話しましょう。この話は、いつかぼっちゃんに話したいと思って、いつも心の中に、もちまわっていたものなんです。
ぼくには、この話はわけがわからないのです。あなたにも、きっとわからないでしょう。
でも、それはどうでもかまやしない。この話で、世間《せけん》にはイヌにとっても人間にとっても不公平《ふこうへい》なことが、たくさんある、ということだけは、はっきりわかるんですからね。
みながみな、ひざの上にだかれたり、牛乳をなめさせられたりするとはかぎりません。すくなくともぼくは、そんなことをされたおぼえはありませんね。けれども、よその子イヌが駅馬車に乗って、人間の席にすわっているのは、見たことがあります。
その女が子イヌの主人なのか、または子イヌが主人なのかしらないが、女の人が牛乳のびんを持っていて、子イヌにのませてやりました。子イヌはビスケットももらいましたが、たべようともしないで、ただちょっと、かいでみただけです。するとおくさんが、じぶんでそれをたべてしまいました。
その間、ぼくのほうは、馬車について、どろんこの中を走っていたのです。おなかはイヌらしく、ぺこぺこでしたけれど、ただ、じぶんの考えをかみしめているほかなかった、これは不公平というものです。――だけど、こんなことは、まだいくらもあるんですよ。
ぼっちゃんはどうか、ひざの上にだかれて、車で行くことができますように。だけど、こればかりは、じぶんでどうすることもできませんからね。すくなくともぼくには、どうしようもありませんでした。――いくらほえたり、ないたりしても」
これがアヨーラの話でした。
ルーディはアヨーラの首にだきついて、そのしめっぽい鼻の上に、キスしてやりました。それからこんどは、ネコをだきあげました。ところが、ネコは身をもがいて、こういいました。
「きみはぼくには、強すぎるようになっちゃった。そうかって、きみにぼくのつめは、つかいたくないしね! いいから、どんどん、山をのぼっていきたまえ。のぼりかたは、ぼくがおしえてあげただろ。おちるなんてことは、考えないこと。そうすりゃ、しっかりと立っていられるんです」
こういってネコは、走っていってしまいました。じぶんの目に不安《ふあん》な思いが光っているのを、ルーディに見られたくなかったからです。
ニワトリたちはゆかの上を、ほっつきまわっていましたが、その一わは尾がありませんでした。それは、ある旅人が猟師のまねをして、その尾をいおとしてしまったのです。その人はニワトリを、タカかワシかにまちがえたのでした。
「ルーディさんが、山をこしていくんですって」と、一わのめんどりがいいました。
「あの人、いつもせかせかしているのさ。それに、わたしゃおわかれいうのがきらいでね」と、もう一わがいいました。
そんなわけで、二わとも、よたよた歩いていってしまいました。
ヤギたちにもルーディは、おわかれをつげました。ヤギたちは「メー メー メー」といいました。
それは、たいそうかなしそうでした。
ちょうどそのころ、村のげんきな案内人がふたり、山のむこうへ行く用事ができました。ふたりはゲミ峠をこえて、むこうの谷におりる道をえらびました。ルーディは、この人たちにつれていってもらうことになりました。
しかも、歩いていくのです。それはこんな小さい少年にとっては、きつい旅でした。けれどもルーディには、力がありました。つかれることを知らない勇気ももっていました。
しばらくの間は、ツバメがあとをつけてとんできて、「ぼくたち、きみたち。きみたち、ぼくたち」とうたいました。
道は、あわだちながれるリュッチネ川にそっていました。この川はグリンデルワルト氷河の、黒々としたさけめから、たくさんの小さなながれになって、たぎりおちてくるのです。根こそぎになった木のみきや岩が、橋のかわりになっていました。
それから、ハンノキのやぶをふみこえて、氷河が、山からずりおちているすぐそばまで、のぼりにのぼっていきました。そこから氷河の上に出て、大きな氷のかたまりをこえたり、そのまわりをまわったりして、氷河のはずれまで行くのです。
ルーディはすこしの間は、はって歩かなければなりませんでした。けれども、目はよろこびにかがやいていました。鉄をうった登山ぐつを、まるでじぶんの歩いたあとに足あとをのこしていこう、と思ってでもいるように、一歩一歩とふみしめていきました。
川のながれが氷河の上まであふれて、そこにのこした黒い土くれが、しみのように氷河の表面についていました。けれどもよく見ると、その下からは、青みどり色のガラスのような氷が、きらめき出ていました。
よれまがった、氷のかたまりとかたまりとの間に、小さい池ができていて、人々はそれをまわらなければなりませんでした。そういうまわり道をするとき、氷のさけめのはずれにぶらさがっている、大きな石のそばをとおることもありました。つりあいをうしなって、そういう石がころがりおちると、氷河のふかいほらあなの中から、ぶきみな反響《はんきょう》がとどろきました。
のぼりは、どこまでもつづくように思われました。氷河そのものが、けわしい岩と岩との間におしこめられて、あらあらしくつみあげられた氷のかたまりのながれのように、ずっと上のほうまでのびていました。
ルーディはふと、人から聞いた話を、思い出しました。――じぶんとおかあさんとは、このような、つめたい息をはいているさけめの一つにいたのだということを。でも、こんな考えは、すぐまたきえていきました。そんな話も、少年がいままでに聞いた、いろいろの話の一つにすぎませんでしたから。
一度か二度、のぼりが、小さな少年にとって、すこしつらそうに見えたときは、おとなが手をかしてやりました。少年はつかれもせず、すべりやすい氷の上に、カモシカのようにしゃんと立ちました。
やがて三人は、岩山の上に出ました。そしてコケのはえていない石の間や、ひくいハイマツの間をいくどもとおって、もう一度、青々した草地に出ました。
風景は一刻一刻と、あたらしくかわりました。まわりには雪をいただいた山々が、そびえていました。それらの山の名は、この土地の子どもなら、だれも知らないものはありません。「ユングフラウ」「メンヒ」「アイガー」です。
さすがのルーディも、いままで、こんな高いところまでのぼったことはありませんでした。こんなにひろびろとした雪の海の上は、歩いたことがありませんでした。その雪の海は、うごかない雪の波をうって、風がふくたびに、海がしぶきをふきあげるように、こまかい雪のつぶをとばしていました。
氷河と氷河とが、たとえていえば、おたがいに手をのばしてあくしゅしていました。これらの氷河の一つ一つが、氷ひめの水晶《すいしょう》の宮殿《きゅうでん》で、氷ひめのねがいというのは、生きものをつかまえて、ほうむってしまうことなのです。氷ひめには、その力があるのです。
お日さまはあたたかくかがやき、雪はまばゆいほど白く、まるで、青白くきらめくダイヤモンドをふりまいたようでした。
かぞえきれないほどの昆虫《こんちゅう》、ことにチョウとミツバチが、雪の上にかたまって、死んでいました。あまり高いところまでとんできたためか、でなければ、風にはこばれてきて、このつめたい空気にふれたために、死んだのでしょう。
ヴェッターホルンの峰には、ぶきみな雲が、こまかにすいた黒い羊毛のように、かかっていました。その雲は、さがってくるにつれて、その中にふくまれている「フェーン」(あたたかい、空気のかんそうした日にアルプス地方でおこる、山からのふきおろし)で、しだいにふくらんできました。このフェーンが、雲をやぶって出てくるときは、ひどい力をあらわします。
こうした道中のながめや、山の上でとまったことや、それからさきの道や、考えただけでも気が遠くなりそうな長い年月《としつき》かかって、水が岩にあけたふかいくぼみやが、みなルーディの思い出に、わすれることのできない印象《いんしょう》をのこしました。
雪の海をわたったところにあった、人の住んでいない石の小屋が、その夜の宿になりました。小屋の中には木炭《もくたん》と、モミのえだがありました。
さっそく火をもやして、ねどこもここちよくつくりました。おとなたちは、たき火のまわりにすわって、たばこをふかしたり、薬草《やくそう》を入れたあたたかいのみものを、じぶんでつくってのんだりしました。ルーディもわけてもらいました。
それからおとなたちは、アルプス地方の、いろいろのふしぎな話をはじめました。――ふかい湖《みずうみ》の底にいる、めずらしいダイジャの話、水の上にうかぶふしぎなベネチアの町へ、空をとんでねむっている人をはこんでいく、ゆうれいのむれの話、牧場《まきば》の上の空を、黒いヒツジを追っていく、おそろしいひつじ飼いの話。
その黒いヒツジは、人間の目には見えないけれど、そのすずの音やぶきみな鳴き声は、はっきり聞こえてくるということでした。
ルーディは、ねっしんに耳をすまして聞いていましたが、すこしも、おそろしいとは思いませんでした。おそろしいということを、知らなかったのです。話を聞いているうちに、そのぶきみなうつろな鳴き声が、聞こえてくるような気がしました。
そうです。その声はだんだん、大きくなってきました。おとなたちも、それを聞きつけて、話をやめて、耳をすましました。そしてルーディに、ねむってはいけないよといいました。
それは、フェーンがふいてきたのでした。山から谷底へふきおろす、すさまじい突風《とっぷう》です。その力は、木々を、アシかなにかのようにへし折り、木づくりの家を、川のこちら岸からむこう岸にはこんだりします。――ちょうどわたしたちが、チェスの、こまでもうごかすように。
一時間ばかりすると、おとなたちは、ルーディにいいました。――もうすんだから、ねむってもいいよ、と。
山歩きでつかれていたルーディは、まるで命令《めいれい》でもされたように、さっそくねむりました。
あくる朝早く、三人は出発しました。お日さまは、きょうはルーディのまだ見たことのない、山や氷河や雪の原をてらしました。まもなくバリス州にはいりました。ここはもう、グリンデルワルトのほうから見える山のうしろがわでした。
けれども、少年のあたらしい故郷へは、まだ遠くはなれていました。いままでとはべつの谷間、べつの牧場や、森や、石ころ道やが、目の前に、ひらけてきました。いままでとはちがった形の家、ちがったすがたの人たちに出あいました。
その人たちは、だれもかれもみな、かたわみたいでした。きみのわるいくらい白っぽい、黄色くむくんだような顔と、だらりとおもそうにたれさがった、肉のかたまりみたいな首とをしていました。
この人たちはクレタン〔クレチンともいう。甲状腺《こうじょうせん》の欠如による発育不良の白痴《はくち》をいう。とくに南ドイツ、スイスの山岳地方に多い。クレタンとは「キリスト教信者」の意で、白痴はとくに神のあわれみをうけるという考えから、こうよばれる〕でした。歩きかたも、いかにもよわよわしくのろのろとしていて、よそから来た人たちを、ぼんやりとした目で見るのでした。女はことにみにくいようでした。
これから行く、あたらしい故郷の人たちも、こんなふうでしょうか。
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三 おじさん
ルーディがはるばるやってきた、おじさんの家の人たちは、ありがたいことに、ルーディの見なれたとおりのようすをしていました。ひとりだけクレタンがいましたが、それは、かわいそうな白痴少年《はくちしょうねん》でした。この少年は、まずしいうえに、たよりのない身の上のため、いつもバリス州を、家から家へさまよい歩いて、それらの家で一、二か月ずつやっかいになっている、あわれな人間のひとりでした。
このあわれな少年サペルリが、ルーディがついたとき、ちょうどおじさんの家にいたのです。
おじさんはまだはたらきざかりの猟師《りょうし》で、おまけにおけをつくることもじょうずでした。おかみさんは小がらなきびきびした人で、顔は鳥ににていました。目はワシのようで、長い首にはわた毛がはえていました。
ルーディには、なにもかも目あたらしいことばかりでした。――服装《ふくそう》も、習慣《しゅうかん》も、風俗《ふうぞく》も、ことばまでが。
けれども、ことばだけは、子どもの耳は、すぐ聞きおぼえてしまいました。おじいさんの家からみると、ここの家はずっとゆうふくに見えました。
家の人たちのいるへやも、ずっと大きく、かべにはカモシカのつのや、ぴかぴかにみがいた銃《じゅう》が、かざってありました。戸口の上には、聖母《せいぼ》の像がかけてあって、生き生きしたシャクナゲの花が、その前にそなえてあり、ランプがもえていました。
前にもいったように、おじさんはこのあたりで、いちばんうでのいい、かもしか猟師のひとりで、また、いちばんたしかな、いちばんよい、山の案内人《あんないにん》でした。
さて、ルーディはこの家で、みんなの秘蔵《ひぞう》っ子になりました。もっともこの家には、前からもう秘蔵っ子みたいなものが、ひとりいたのです。
それは年とった、目も見えず、耳も聞こえない猟犬《りょうけん》でした。いまでは、もう役にたたなくなっていましたけれど、いままでにじゅうぶんその役目をはたしていました。家の人たちは、このイヌのむかしのはたらきをわすれませんでした。ですから、いまでも、このイヌは家族のひとりにかぞえられて、毎日、安楽な日をおくっているのでした。
ルーディは、イヌをなでてやりました。けれども、イヌのほうではもはや、よその人と近づきになろうとはしませんでした。ルーディはまだ、よその人だったのです。
けれども、それは長いことではありませんでした。まもなくルーディは家の中にも、みんなの心の中にも、根をおろしました。
おじさんはいいました。
「このバリス州だって、そんなにわるいところではないよ。ここにはカモシカがいる。こいつらはアルプスヤギのように、そう、じきに死にたえるということはないさ。
むかしにくらべると、このあたりはずっとよくなった。そりゃ、むかしのほうがよかった、というものもあるけれど、いまのほうがやっぱりいいね。
いわば、ふくろにあながあいたんだ。まわりを山にかこまれたふくろのようなこの谷へ、それで風がふきこんできた。古い時代おくれなものがたおれるたんびに、いつもなにかもっといいものが、やってくるんだ」
こう、おじさんはいって、いよいよ調子がついたものか、こんどは、じぶんの少年時代の話をはじめました。おじさんのおとうさんが、男ざかりのころです。当時このバリス州は、おじさんのことばをかりていえば、口のしまったふくろみたいなもので、きのどくな病人のクレタンが、たくさんいました。
「ところが、そこヘフランスの兵隊が、やってきたのだ。この兵隊たちはみな、りっぱな医者で、さっそく、わるい病気をうちころした。それといっしょに、人間もころしたがね。
なにしろフランス人てやつは、うつことをこころえているんだ。そのうちかたも、一とおりや二とおりじゃない。むすめどもまで、うつことができるんだからな」
こういっておじさんは、フランス生まれのおかみさんのほうをむいて、うなずきながらわらいました。
「フランス人はまた、石をうってくだくのもうまいんだ。シンプロンかい道を、岩山の間に切りひらいたのも、あのれんじゅうさ。
こうして、りっぱな道路ができたもので、いまじゃ三つの子どもでも、いうことができる。――イタリアに行ってみよう。このかい道についていきさえすりゃいいんだからってな。なにせ、このかい道に、ついていきさえすれば、その子は、ひとりでにイタリアヘ出るんだから」
そんなわけで、おじさんはフランスの歌をうたい、ナポレオン=ボナパルトのばんざいをとなえました。
このときはじめてルーディは、フランスや、ローヌ川にそった大都会、リヨンの話を聞かされました。このリヨンの町に、おじさんは、もといたことがあったのです。
「おまえが、すばしこいかもしか猟師になるには、たいして年月《としつき》はかからないだろうよ。その素質《そしつ》があるからな」とも、おじさんはいいました。
そして銃の持ちかたや、ねらいかたや、うちかたをおしえました。猟の季節には、いつもいっしょに山につれていって、あたたかいカモシカの血ものませました。これをのむと、猟師はめまいにかからない、といわれていたからです。
また、いろんな山腹《さんぷく》で、なだれがおちる時刻を見わけることもおしえました。なだれがおこるのは、太陽の光のかげんで、昼ごろのこともあれば、夕がたのこともあるのです。
また、カモシカによく注意していて、そのとびかたから、どうしたらとびおりてもたおれないで、しゃんと立っていられるか、それをならうようにいい聞かせました。
岩のさけめなどで、足場になるささえが見つからないときには、ひじで、からだをささえなければならない。ふくらはぎと、ももの筋肉で、よじのぼらなければならない。いざというときには、首でもってかじりついていなければならない、などとおしえました。カモシカはりこうな動物で、いつも見はり番を立てているから、猟師はもっとかしこくふるまって、けはいをかぎつけられないようにしなければならない、ともいいました。
おじさんはカモシカに一ぱいくわすことも、知っていました。それは、がいとうとぼうしとを、登山づえにかけておくのです。すると、カモシカは、がいとうを人間と思うのでした。
ある日のこと、おじさんはこのなぐさみをしようと、ルーディをつれて猟に出かけました。
岩山の道はたいそうせまく、いや、道らしいものはなかったのです。目のくらむような、ふかいがけっぷちにのぞんで、あるかなしかの、ふちかざりがついていただけです。雪はとけかけているし、足をのせるたびに、岩はぼろぼろくずれました。
そこで、おじさんははらばいになってすすみました。くずれおちる石は、岩につきあたり、はねあがってまたころがりおち、岩壁から岩壁へ、ぶつかりながら、おちていきます。そうして、ついにはまっくらな谷底にすがたをけして、ようやくしずまるのでした。
おじさんから百歩ばかりおくれて、ルーディは、しっかりと出ばった岩の上に立っていました。
ふと上を見ると、一わの大きなハゲタカがおじさんの頭の上の空に、円をえがいてまいながら、その力強いつばさで、このはらばいになっている、虫けらのような人間を谷底へうちおとして、えじきにしようとしているではありませんか。
おじさんは、そのときちょうど、岩のさけめのむこうがわに、おさない子をつれてあらわれた、カモシカのほうにばかり、気をとられていました。
ルーディは、鳥から目をはなしませんでした。その鳥がなにをしようとしているかがわかったので、銃を手にして身がまえました。そのとき、カモシカがとびあがりました。とたんにおじさんは、ひき金《がね》をひきました。カモシカの親は、たまにやられました。けれども、一生にげたり、あぶないめにあったりするのになれている子のほうは、走っていってしまいました。
おそろしい鳥は、てっぽうの音におどろいて、とびさりました。おじさんはじぶんの身がきけんだったことには、すこしも気がつきませんでした。ルーディから話を聞いて、やっとそれを知ったのでした。
ふたりは上きげんで、家路《いえじ》につきました。おじさんは少年時代の歌を、口ぶえでふきました。
だしぬけに、あまり遠くないところで、へんな音がしました。ふたりはあたりを見まわし、上のほうを見ました。とたんに、上の岩だなをおおっていた雪が、まるで、しきふの下に風がふきこんだように、むくむくと持ちあがりました。
そのもちあがった波が、まるで大理石の板のようにくだけて、水けむりをあげるたきになって、おちてきました。――にぶいかみなりのようなひびきをあげながら、なだれがおちてくるのでした。ルーディやおじさんの頭をめがけて、おちてくるのではありませんでしたが、すぐ近くに、つい近くにおちてくるのでした。
「ルーディ! しっかりつかまるんだ。ありったけの力で、しっかりつかまれ」と、おじさんはさけびました。
ルーディは、かたわらの木のえだにしがみつきました。おじさんは、かれのせなかをこして、上のえだにかじりつきました。その間になだれは、ふたりからかなりはなれたばしょに、なだれおちました。
それでも、なだれのまきおこした強い風が、近くの木や草むらを、かれたアシかなにかのようにおしたおし、へし折って、あたりいちめんに投げとばしました。
ルーディも、地めんにたたきつけられました。かれのしがみついていた木のみきは、のこぎりで切られたようにぎざぎざに折れて、すこしはなれたところに投げ出されました。そのへし折れたえだの間に、おじさんが頭をくだかれて、たおれていました。手はまだあたたかかったけれど、顔は見わけがつきませんでした。
ルーディはおそろしさに、ぶるぶるふるえながら、青くなって立っていました。これがかれの生涯で、はじめての恐怖《きょうふ》でした。はじめて経験した、おそろしいひとときでした。
ルーディは、その夜おそくなってから、かなしみの知らせをもって、家にかえりました。家はかなしみの巣になりました。おかみさんは口をきくこともできず、なみだも出ませんでした。死がいがはこばれてきたとき、はじめてかなしみがばくはつしました。
あわれなクレタンは、ねどこにもぐってしまいました。あくる日も、一日すがたを見せませんでしたが、夕がたになると、ルーディのところにやってきて、いいました。
「おらのかわりに、手紙かいておくれ。サペルリは手紙かけねえ。サペルリは、郵便局さ手紙持っていくことはできるだ」
「手紙を出すの? だれにさ」
「キリストさまによ!」
「それはいったい、だれのことなの」
すると、世間の人たちからクレタンとよばれている、この半ばかの少年は、うったえるような目を、ルーディにむけていましたが、やがて手を合わせて、おごそかな、信心ぶかい口調でいいました。
「イエス=キリストさまだよ。サペルリはあの方に手紙を出して、おねがいするだ。――サペルリが死んで、うちのだんなが死なねえようにって」
ルーディはその手をにぎりしめて、いいました。
「手紙はとどきはしないよ。手紙を出しても、おじさんはかえってこないよ」
どうしてかえってこないか、それを説明するのは、ルーディにはできないことでした。
「ルーディや、これからはおまえがこの家のはしらだよ」と、義理《ぎり》のおかあさんはいいました。
そしてルーディは、ほんとにそうなったのです。
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四 バベット
バリス州でいちばんの射手《しゃしゅ》は、だれでしょう。カモシカたちはもちろん、それをよく知っていました。
「ルーディに気をおつけ」と、カモシカたちはいいました。
「いちばん美しい射手はだれ」
「もちろん、それはルーディさんよ」と、人間のむすめたちはいいました。
けれども、むすめたちは、
「ルーディさんに気をおつけ」とはいいませんでした。
やかましやのおかあさんたちでも、いいませんでした。それは、ルーディがわかいむすめたちにするように、おかあさんたちにも、やさしくあいさつしたからです。
ルーディは、だいたんでほがらかでした。ほおはとび色で、歯は気持ちのいいほどまっ白で、目は黒々と、かがやいていました。まだやっと二十さいの美しいわかものでした。
氷のようにつめたい水の中でおよいでも、へいきでした。水の中でさかなのように身をくねらすことができました。よじのぼることにかけては、だれにもまけず、まるでカタツムリみたいに、岩壁にへばりつくこともできました。
りっぱな筋肉と強い腱《けん》をもっていることは、とぶところを見ればわかりました。そのとびかたは、はじめはネコから、つぎにはカモシカからならったのでした。
ルーディはまた、いちばんたよりになる、いちばんよい、山の案内人でした。それだけでも一財産《ひとざいさん》つくることができたでしょう。もう一つおじさんからおそわった、おけつくりのしごとのほうは、あまり気がすすみませんでした。
かれのたのしみであり、またあこがれだったのは、カモシカをうつことでした。この猟からも、そうとうのお金がはいりました。じぶんの身分よりも高いところを望みさえしなければ、ルーディはしあわせな縁《えん》をむすぶだろう、とみんながいいました。
ダンスにかけても一人前でした。むすめたちはルーディのことを、ゆめに見ました。目をさましても思いつづけるむすめも、ひとりやふたりではありませんでした。
「あの人、ダンスのときに、わたしにキスしたのよ」と、校長先生のむすめのアネットが、なかよしの友だちにいいました。
たとえいちばんなかよしの友だちにでも、こんなことは、いわないほうがいいのです。けれども、そういうことを、じぶんの心にしまっておくのは、むずかしいのです。それはちょうど、あなだらけのふくろにすなを入れたようなもので、じきにもれてしまいます。
まもなく、ぎょうぎのよい、感心なわかものと思われていたルーディが、ダンスでキスをしたということが、知れわたってしまいました。けれども、ルーディにしてみれば、じぶんがいちばんキスしたかったむすめに、キスをしたわけではなかったのです。
「気をつけろよ! あいつはアネットさんにキスしたんだぞ。|A《アー》からはじめて、アルファベットをぜんぶ、キスしていくつもりなんだ」
こう、年よりの猟師はいいました。
ダンスで一度キスしたということが、それでもまだ、ルーディのうわさをする人たちのいうことのできる、ぜんぶでした。そりゃ、アネットにキスしたのは事実ですが、アネットはけっして、ルーディの心の花ではありませんでした。
谷の下のほうにあるベックスの町に、お金持ちの水車屋が住んでいました。大きなクルミの木にかこまれて、あわだちながれる小さい谷川にのぞんで。
すまいは三階だての大きな家で、屋根には小さな塔がいくつかついていました。塔は屋根板でふき、その上に、ブリキがはってありました。そのため、お日さまや月の光に、きらきらかがやきました。
いちばん高い塔には、きらきら光る矢が、リンゴをつらぬいている形をした風見《かざみ》がついていました。きっと、ウィルヘルム=テルのリンゴのまとをあらわしたものでしょう。
この水車屋はいかにもゆたかそうで、また美しいので、よく絵にかかれたり、文章にかかれたりしました。
けれども、水車屋のむすめは、とても絵にうつしたり、文章にかいたりすることはできません。すくなくとも、ルーディにはそう思われました。それにしても、かれのむねの中には、むすめのすがたが、はっきりとかかれていたのです。
むすめの二つの目が、まばゆくさしこんだため、かれのむねの中は、まるっきり火事のようでした。その火事は、ふつうの火事とおなじに、だしぬけに、ぱっともえあがったのでした。
ところが、ふしぎなことには、水車屋の美しいむすめバベットは、そのことをゆめにも知りませんでした。なにしろ、むすめとルーディとは、まだ二ことと、ことばをかわしたことがなかったのですから。
水車屋の主人はお金持ちでした。そのためにバベットは、近づけないほど高いところにいるように見えました。けれども、どんなに高くたって、近づけないほどのものはない、とルーディは心に思いました。
よじのぼればいいんだ。おちると思いさえしなけりゃ、けっしておちるものではない。
これは、おじいさんの家にいたときからもっていたおしえでした。
あるときルーディは、ベックスの町に用事ができました。そこまでは、なかなかの旅行でした。鉄道はまだしかれていませんでした。ロータ氷河からシンプロン峠のふもとにそって、はばの広いバリスの谷が、さまざまの形をした、高い山々の間にひろがっています。
その谷間を、大きなローヌ川がながれています。この川は、ときどきこうずいをおこして、畑や道路の上におし出て、なにもかもあらしてしまいます。
シヨンの町と、サン=モーリスの町との間で、谷はゆみ形にまがって、ちょうどひじをまげたような形になり、サン=モーリスのしもでは、とてもはばがせまくなって、川どこのほかにはせまい車道が、やっと通じているだけでした。
古い塔が一つ、ここでおわっているバリス州の番兵のように、山の上に立って、石橋をこした川のむこうの、税関《ぜいかん》を見おろしています。そこからボー州がはじまって、それをすこし行くと、いちばん手前にベックスの町があるのです。
ここまで来ると、土地は一歩ごとにこえて、ゆたかになるのが目につきます。まるで、クリとクルミの果樹園にいるような感じです。ここかしこにイトスギがそびえ、ザクロの花が葉かげからのぞいています。気候は南国のようにあたたかで、なんだかイタリアヘ来たような気持ちがします。
ルーディはベックスの町につくと、用事をすましてから町を歩きまわりました。が、水車屋のわかいものにはあわず、バベットにも出あいませんでした。こんなはずではなかったのですが。
夕がたになりました。野生のタチジャコウソウのにおいや、花ざかりのボダイジュのかおりが、あたりの空気をみたしました。みどりの森でおおわれた山々には、つやをもった青白いベールのようなもやがかかり、あたりにはしずけさがひろがってきました。
もっとも、それはねむりや、死のしずけさではなくて、全自然が息をころして、青空の上に写真をとってもらうために、じっとしているかのようなしずけさでした。
青々した野の、ここかしこの木の間に、はしらが立っていました。それはこの、しずかな谷間をぬけている電線をささえている電柱でした。その一本に、じっとうごかずに、よりかかっているものがありました。ちょっと見ると、かれた木のみきのようでしたが、それがルーディだったのです。
かれは、その瞬間のまわりの世界と同様に、そこにじっと立っていました。ねむっていたのではないし、死んでいたのでは、なおさらありません。
けれども電線だって、それをつたわって、世界の大事件や、だれかの一生にとっては、大きいいみをもつニュースがとんでいくにもかかわらず、電線はそのためにふるえたり、音を出したりして、それを知らせることはありません。
それとおなじに、このときのルーディの頭の中には、かれの一生の幸福を決定し、これからさき、かれの「固定観念《こていかんねん》」になった、力強い考えが走っていたのです。
というのはルーディの目は、葉むれの間の一点を見つめていました。そこにバベットのいる、水車屋の居間のあかりが見えていたのです。あまりルーディがじっとしているので、人はカモシカでもねらっているのだ、と思ったことでしょうがね。
ところが、ルーディ自身がこのときは、カモシカににていたのです。この動物は、岩にほりつけられたように、しばらくじっと立っていますが、石が一つでもころがると、やにわに一とびしてにげていきます。このときのルーディが、ちょうどそれでした。ふと、ある考えがころがりました。
「くよくよすることはない。水車屋へ行ってみるんだ。親方には、こんばんは、バベットさんには、こんにちはさ。おっこちると思いさえしなければ、おちるものではないんだ。もしバベットさんをおよめにもらおうというのなら、どうしたって、一度はあわなくてはならない」
こう、ルーディはいってわらうと、上きげんになって、水車屋のほうへ歩き出しました。じぶんがなにをねがっているか、いまこそはっきりとわかりました。ルーディは、バベットがほしかったのです。
うす黄色い川の水があわだちながれています。カワヤナギやボダイジュのえだが、早いながれの上にたれさがっていました。ルーディは、小道づたいに歩いていきました。ところが、古い子どもの歌にあるように、
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水車屋へ行ったらば
家にはだれもいなかった
小さい子ネコがただひとり
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入り口の階段の上にネコがいて、せなかをふくらまして、ミャオ! といいました。
けれどもルーディは、ネコの話には耳をかさないで、戸をたたきました。へんじも聞こえず、戸をあけてくれるものもありませんでした。
「ミャオ!」と、ネコがいいました。
もしルーディが小さかったなら、ネコのことばがわかって、
「この家には、だれもいませんよ」といっているのが、聞こえたでしょう。
ルーディはしかたなく、水車小屋のほうへまわって聞いてみました。
するとすっかりわけがわかりました。主人は旅に出て、遠くはなれたインターラーケンヘ行ったとのことでした。この町の名は、アネットのおとうさんの、学問のある校長先生の説明によると、「インターラクス(湖と湖との間)」といういみだそうです。
そんなに遠いところへ、水車屋の主人は行っているのでした。バベットもいっしょでした。その町で射撃《しゃげき》大会が、ちょうど、あすからはじまって、八日つづくのだそうです。ドイツ語を話すスイスの州のすべてから、人々がそこへやってくるのでした。
きのどくなルーディ、といってもよいでしょう。よりによって、運のわるい日にベックスに来たものです。なに、ひきかえすことだってできますさ。
そこでそのとおりにしました。サン=モーリスとシヨンの町をすぎて、じぶんの故郷の谷、故郷の山の方角へむかいました。けれども、そうしょげてはいませんでした。あくる朝太陽がのぼるころには、気持ちはもうとっくに、はればれとしていました。長いことしょげているということは、けっしてありませんでした。
「バベットさんは、インターラーケンにいる。あそこまで行くには何日もかかるな」
こう、ルーディは、じぶんでじぶんにいいました。
「らくな国道を行けば、そりゃずいぶん遠いさ。しかし山をこえていけば、たいして遠くはない。あれは猟師にはもってこいの道だ。前にとおったこともある。山のむこうは、ぼくのふるさとで、小さいころには、あそこのおじいさんの家にいたんだからな。
しかも、インターラーケンでは、射撃|祭《さい》があるんだって。よし、一等になってみせるぞ。もし知りあいにさえなれたら、バベットさんの目にだって、一等になってみせるさ」
はれ着を入れたかるいリュックと、銃とえものぶくろとを持って、ルーディは山にのぼっていきました。それは近道ではありましたが、それでもかなり遠い道でした。
しかし射撃祭は、やっときょうはじまったところで、一週間以上もつづくのです。かれの聞いたところでは、その間じゅう水車屋の主人とバベットは、インターラーケンの、親類《しんるい》の家にいるはずです。
ルーディはゲミ峠をこえていって、グリンデルワルトのほうへおりるつもりでした。
はればれとげんきよく、さわやかでかるい、力づける山の空気の中を、ルーディは歩いていきました。谷はだんだんふかくしずみ、視界《しかい》はだんだん広くなりました。こちらに一つ、むこうに一つと雪の峰が見えてきて、まもなく、きらきらかがやく白いアルプスの連山が、すっかりすがたをあらわしました。
ルーディは雪におおわれた山々を、みな知っていました。かれは道を、おしろいをぬった石の指を、青空高くさしあげている、シュレックホルンのほうにとりました。
とうとう、山の峠をこえました。牧草地が、故郷の谷にむかってかたむきはじめました。空気はかるく、心もかるく、山も谷も、花とみどりであふれていました。
かれの心は青春の思いに、みちあふれていました。人が、年をとるなんてことはないのだ。死ぬなんてことは、けっしてないのだ。生きて、さかえて、たのしむのだ。
ルーディは鳥のように自由で、鳥のように身がるでした。そこへつばめがとんできて、子どものときとおなじようにうたいました。
「ぼくたち、きみたち、きみたち、ぼくたち」
すべてが、とびたつようなよろこびにあふれていました。
はるか下のほうに、ビロードのようなみどりの牧場がひろがって、ところどころにとび色の家がちらばる中を、リュッチネ川が、音をたて、あわだちながらながれていました。よごれた雪の中に、氷河がみどり色のガラスのふちを見せていました。
ルーディは、そのふかいさけめをのぞきこんで、いちばん上の氷河と、いちばん下の氷河とを見ました。教会《きょうかい》の鐘《かね》の音が、故郷にかえってきた人をむかえるように、ひびいてきました。
ルーディの心はいよいよ高鳴り、大きくふくらみました。一時は、バベットのすがたもかきけされてしまったほどに。それほどルーディの心はふくらんで、むかしの思い出に、みたされていたのです。
少年のころ、ほかの子どもたちといっしょに、みぞのふちに立って、木できざんだ家を売っていたあの道を、ルーディはいままた、とおりました。
上手《かみて》のモミの木のかげには、おじいさんの家が、まだ立っていました。いまでは、知らない人が住んでいましたけれど。子どもたちが、道を走ってきて、ルーディに品物を売りつけようとしました。そのひとりの子どもが、シャクナゲをさし出しました。これはえんぎがよいと思ってうけとると、バベットのことを思い出しました。
まもなく、橋のところまで来ました。白と黒の二つのリュッチネ川は、ここで一つに合わさるのです。広葉樹が目だって多くなり、クルミの木が、すずしいかげをつくっていました。
じきに、赤地に白十字のはたが、風にひるがえっているのが見えてきました。それはスイスの、またデンマークのはたです。インターラーケンの町が、目の前にひろがりました。
ルーディには、この町がくらべものもないくらい、りっぱな都会のように思われました。それは、日曜のはれ着を着ているスイスの町です。
ほかの商業市のように、よそよそしくとりすました、おもくるしい石づくりの家のかたまりではなくて、木づくりの家が高い山からみどりの谷へ、矢のように早い、きれいな川にそってながれてきて、そこへ一列にならんだ、とでもいうふうでした。――町の通りとしては、すこしでこぼこはあったけれど。
町でいちばん美しい通りは、ルーディが子どものとき来たころからみると、たしかに成長していました。それはちょうど、おじいさんがこしらえて、戸だないっぱいに入れておいた、あのかわいい木の家が、みなここにならべられて、それがあの年とったクリのなみ木とおなじに、大きく成長したのかと思われました。
どの家も、なになにホテルという名でよばれていて、まどや露台《ろだい》には木ぼりのかざりがあり、屋根のひさしは、つき出ていました。たいそうおもむきのある、美しいたてかたでした。また、どの家の前も、わりぐり石をしきつめた、はばの広いかい道のところまで、きれいな花だんになっていました。
この通りは、かたがわにだけ、家がならんでいました。さもないと、すぐ外がわの、すがすがしいみどりの牧場が、かくれてしまったことでしょう。
そこには、首にすずをつけた雌《め》ウシが歩きまわっていましたが、そのすずの音は、高いアルプスの山の牧場で聞くのとかわりありませんでした。
この牧場は、高い山々にかこまれていましたが、山はちょうどまん中のところで、左右にわかれていたので、その間から、あのスイスの山のうちでもいちばん美しい形をした山、雪をいただいてかがやくユングフラウが、よく見えました。
美しいなりをした、外国の紳士や婦人が、どれほどあつまってきたことでしょう。スイスのほうぼうの州から来た人も、たくさんいました。
射手たちはぼうしにつけた花かざりの中に、射撃番号をつけていました。音楽と歌、手まわしオルガンと吹奏楽器《すいそうがっき》、さけび声とざわめき。
家や橋には、詩の文句やもんしょうがかざられていました。大旗・小旗がひるがえり、銃声が一発、また一発と聞こえてきました。
ルーディの耳には、これが、いちばんうれしい音楽なのです。こうしたにぎわいの中で、ルーディはバベットのことを、すっかりわすれていました。そのためにわざわざ、ここまでやってきたのに。
射手たちが、射的競技をするためにつめかけてきました。まもなくルーディも、その中にまじっていました。しかも、いちばんみごとな、いちばん幸福な射手でした。いつでも、まんまん中の黒星をうちぬきました。
「あの見なれない、わかい猟師はだれだろうね」とたずねる人がありました。
「子どものころ、このグリンデルワルトの近くにいたことがあるって話ですよ」と、ひとりがいいました。
このわかものには、生命がみちあふれていました。目はかがやき、ねらいも、うでもたしかでしたから、まとにはよくあたりました。
幸運は、勇気をあたえるものですが、ルーディはいつだって、勇気をもっていました。はやくもかれのまわりには大きな友だちの輪ができて、ルーディに、そんけいやおせじをあびせました。バベットのことは、もうほとんど頭からきえさっていました。
そのときふと、おもたい手がかたをたたいたかと思うと、しわがれた声が、フランス語で話しかけました。
「あんたは、バリス州から来たんだろ」
ルーディがふりかえって見ると、赤ら顔のふとった人が、にこにこしていました。ベックスの金持ちの、水車小屋の主人でした。そのふとったからだのかげに、きゃしゃな、かわいらしいバベットはかくれていましたが、すぐにいきいきした、黒目がちの目がこちらをのぞきました。
金持ちの水車屋の主人は、第一の射手となって、みんなにちやほやされているわかものが、じぶんの州の猟師であるのを、たいそう得意に思いました。
ほんとうに、ルーディは幸運児でした。そのためにこそはるばるやってきたのに、その場に来ると、ほとんどわすれてしまったものが、むこうから、じぶんをさがしに来てくれたのです。
故郷から遠くはなれたところで、郷里《きょうり》の人にあうと、その人たちはすぐしたしくなって、いろいろと話しあうものです。
ルーディは射撃祭で、第一等の射手になりましたし、水車屋の主人は故郷のベックスの町で、財産とりっぱな水車にかけては、これまた、第一等の人でした。そこでふたりは、たがいに手をにぎりあいました。
こんなことは前には、一度もなかったことです。バベットもルーディの手を、心をこめてにぎりました。するとルーディは、その手をにぎりかえして、じっと顔を見つめましたので、バベットは、まっかになりました。
水車屋の主人は、ここまで来た長い旅の道中のことや、とちゅうで見物したいくつもの、大きな町のことを話しました。それはそうとうの旅でした。汽船《きせん》で湖をわたったり、鉄道《てつどう》や駅馬車に乗ったりしたのですから。
「ぼくは近道をして、山をこしてきたのです。どんな道だって、人がこせないほど高くはありませんもの」と、ルーディはいいました。
「だが、ときには首のほねを折るよ。どうもおまえさんは、いつかは首を折ることになりそうだね。そんなにむてっぽうじゃ」と、水車屋の主人はいいました。
「おちると思いさえしなけりゃ、おちるものじゃありません」
こう、ルーディはいいました。
水車屋の主人とバベットがとまっていた、インターラーケンの水車屋の親分の家から、ルーディにたのんできました。――おなじ州の人間のよしみで、ちょっとでいいから、たずねてきてもらいたいと。
ルーディにとっては、ねがったりかなったりのもうし出でした。かれには幸運がつきまとっていたのです。
幸運というものは、じぶんの力をたよりにして、「神さまはクルミをくださるけれども、それをわってはくださらない」ということをわすれない人には、いつでもつきまとっているものです。
そんなわけで、ルーディは水車屋のしんせきの家に、まるで家族のひとりのようにすわりました。
第一等の射手のためにかんぱいすることになって、バベットもさかずきをかちあわせました。ルーディは、かんぱいのお礼をのべました。
夕がたはみんなで、きれいなホテルのならんだ、年とったクルミのなみ木のある、美しい道をさんぽしました。たいへんな人出で、おしつぶされそうです。
ルーディは、バベットにうでをかしてやらなければなりませんでした。ルーディはいいました。――ボー州の人たちにあえてほんとにうれしい。ボー州とバリス州とは、なかのよいとなりどうしだから、と。
そのことばには、心の底からのよろこびがあふれていましたので、バベットは思わず、あいての手をにぎりしめなくてはならないように思いました。
ふたりは、むかしからの友だちのように歩きまわりました。そしてバベットはおもしろいむすめでした。この小がらな、かわいらしいむすめは。
ルーディには、バベットが外国の女たちの服装や歩きかたの、おかしな点や大げさなところをさせてみせるのが、いかにもにつかわしく、かわいらしくうつりました。といって、それはその人たちをばかにしていたのでは、けっしてありませんでした。
なぜなら、外国人の中にも、いくらもりっぱな人がいること、そうです、やさしい愛らしい人たちだって、いるかもしれないことは、バベットもよく知っていましたから。げんにバベットの名づけ親が、そのような、とても上品なイギリスの夫人でした。
もう十八年前のことですが、バベットが洗礼《せんれい》をうけたとき、その夫人は、ベックスに住んでいました。そしてそのとき夫人は、バベットに、高価なピンをおくりものにしました。いまむねにさしているのが、それです。その後夫人は、二度ばかり手紙をよこしました。
そして、ことしこのインターラーケンの町で、バベットたちはこの夫人と、そのむすめさんにあうはずになっていたのです。むすめさんといっても、三十さいに近いオールドミスよ、とバベットはいいました。――バベットは、やっと十八さいでした。
かわいい小さい口は、しばらくもやすみませんでした。しかもバベットのいうことは、みなルーディの耳には、このうえもなく重大なことのようにひびきました。ルーディのほうでも、話さなければならないことを話しました。
いくどもベックスの町へ行ったこと、水車屋のことはよく知っていること、なんどもバベットを見かけたけれども、バベットのほうでは、たぶん気がつかなかったろうということなど。
そして、さいごに、つい先日も、口にはいい出せない、いろいろの思いをだいて、水車屋へ行ったけれど、バベットと、おとうさんとは遠くへ行ってるすだったこと、しかし、遠いといっても道を遠くしているのは山のかべで、それはこえられないほど遠いわけではないこと、などを話しました。
そうです。ルーディはそんなことを話したのですが、まだいろいろといいました。どんなにバベットがすきかということや――この町へやってきたのは、バベットのためであって、射撃祭のためではないことなど。
バベットは、すっかりだまってしまいました。ルーディのうちあけ話は、バベットにとっては、おもたすぎたのです。
ふたりが歩いている間に、太陽は、高い山の岩壁のうしろにしずみました。みどりの森におおわれた、近くの山々にかこまれて、ユングフラウが、壮麗《そうれい》に光りかがやいて、そそり立っていました。おおぜいの人が立ちどまって、そのほうをあおいでいました。
ルーディとバベットも、この壮大《そうだい》なながめに見とれました。
「こんな美しいところは、ほかにはありませんわ」と、バベットはいいました。
「どこにもありません」と、ルーディはいって、バベットを見つめました。
「ぼくは、あすは、かえらなければならないんです」と、すこしたってルーディはいいました。
「ベックスの家へいらっしゃいね。おとうさんも、きっとよろこびますわ」と、バベットはささやきました。
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五 かえり道で
あくる日、ルーディが高い山をこえて家路についたときは、どんなにたくさんの荷物を、持っていかなければならなかったことでしょう。
そうです、かれは銀杯《ぎんぱい》を三つ、とびきりの銃を二ちょう、それに銀のコーヒーわかしを一つ持っていました。コーヒーわかしは、家をもてば、いりようなものでした。けれども、それはまだ、いちばんおもたいものではありませんでした。もっとおもたいもの、もっとたいせつなものを、ルーディははこんでいきました。いや、かえってそれがルーディをはこんで、高い山をこえさせたのかもしれません。
しかし、天気はあれもようで、空ははい色にくもり、おもたく雨をふくんでいました。雲は山の高みに、喪《も》のベールのようにたれかかり、白くかがやく峰をつつんでいました。
森のおくから、さいごのおのの音がひびいたと思うと、山の斜面を、木のみきがころがりおちていきました。高いところから見ると、マッチのぼうほどに見えましたが、近づいてみると、船の帆《ほ》ばしらほどもある大木でした。リュッチネ川は、単調な歌をうたい、風はざわめき、雲はとぶように走っていました。
とつぜんルーディは、すぐそばを、ひとりのわかいむすめが歩いているのに気がつきました。むすめがすぐそばへ来るまで、気がつかなかったのです。
このむすめも、岩山をこそうとしているのでした。その目には、どくとくの力があって、どうしても、のぞきこまずにはいられませんでした。それは氷のようにすんだ、ふかい底しれぬ目でした。
「きみにはすきな人があるのかね」と、ルーディはたずねました。
ルーディの頭の中は、恋人のことでいっぱいでしたから。
「ありませんわ」と、むすめはいってわらいました。
けれども、ほんとうのことをいっているようには見えませんでした。
「まわり道をしないように、行きましょう。もっと左のほうへ行ったほうが近道よ」
こう、むすめは、ことばをつづけました。
「そうだね、氷のさけめにおちるにはね。おまえさん、ろくに道を知らないで、案内人になろうっていうのかい」と、ルーディはいいました。
「道のことなら、よく知っていますよ」と、むすめはいいました。
「それにわたしはちゃんと、じぶんの考えを身につけています。あなたの考えは、まだ下の谷間にのこっているんじゃないの。山の上に来たら、氷ひめのことを考えなくちゃ。氷ひめは、人間にひどいことをするって、人はいってますよ」
「ぼくは氷ひめなんか、おそれやしない。子どものときでさえ、あいつはぼくを手ばなさなきゃならなかったんだ。いまではぼくもおとなになったから、なおさらつかまりゃしないよ」と、ルーディはいいました。
「手をかしなさい、たすけてのぼらせてあげましょう」
こういってむすめは、氷のようにつめたい指でさわりました。
「おまえさんが、ぼくをたすけるんだって? まだぼくは、山のぼりに、女の手をかりたことはないよ」
こう、ルーディはいって、足をはやめて、むすめのそばをはなれました。
ふぶきがまるでカーテンのように、かれをつつみ、風がヒューヒュー、うなりました。そして、うしろのほうで、むすめのわらったり、うたったりする声が聞こえてきました。その声にはなんともいえない、ふしぎなひびきがありました。たしかにあいつは、氷ひめにつかえている、まものにちがいありません。
ルーディは、子どものころに山を歩きまわって、山の上で夜をあかしたとき、その女たちのことは、聞かされたのでした。
やがて雪は小やみになり、雲もいつか足の下になりました。ルーディは、うしろをふりかえってみましたが、もうだれも見えませんでした。でも、わらい声や、ヨーデル(スイスの牧人などのうたう歌)をうたう声は聞こえてきました。どうもそれは、人間の声とは思われませんでした。
ようやくのことで、ルーディは峠の頂上に達しました。そこから、山道はローヌの谷間へくだっていくのです。はるかシャモニーのほうにあたって、青くすんだ一すじの空の中に、二つの星があかるく光っていました。
ルーディは、バベットのことやじぶんのこと、じぶんをまちうけているしあわせのことなどを思いました。すると、心があたたまるのでした。
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六 水車屋をたずねる
「おまえはまあ、たいしたものを持っておかえりだね」
年とった義理《ぎり》のおかあさんはこういって、ワシのような目を光らせ、その細い首を、いつもより、なおせわしなく、おかしなふうにふりうごかしました。
「ルーディや、おまえには運がついているんだよ。こんなかわいいむすこにゃ、キスしてやらなくちゃ」
ルーディは、おとなしくキスさせておきました。
けれども、その顔には、こんな境遇《きょうぐう》と、こんな小さな家のわずらわしさには、もう、うんざりしているのだという気持ちが、ありありと出ていました。
「ルーディや、おまえは、なんてりっぱになったんだろうね」と、年よりはいいました。
「ばかなことはいわないでくださいよ」と、ルーディはいってわらいました。
けれども、わるい気持ちはしませんでした。
「もう一度いうけれど、おまえには運がついているんだよ」と、おばさんはいいました。
「ええ、それはぼくもそう思いますよ」
こうルーディはいって、心の中でバベットのことを思いました。
このときほど、むこうの谷間が、なつかしく思われたことはありませんでした。
「もう、家にかえりついてるにちがいない。かえるといっていた日から、もう、ふつかもすぎているものな。どうしても、ベックスヘ行かなくちゃ」
ルーディは、ひとりごとをいいました。
こうしてルーディは、ベックスヘやってきました。
水車屋では、みんな家にいて、ルーディをかんげいしてくれました。インターラーケンの一家からも、よろしくということでした。
バベットはあまり口をきかないで、すっかり無口になっていました。けれども、目はじゅうぶんにものをいっていました。ルーディは、それだけでまんぞくでした。
水車屋の主人は、いつもはなかなか話ずきで、みんなをその思いつきやしゃれでわらわせてばかりいました。なにしろこの人は、お金持ちの水車屋でしたからね。
ところがこのときは、すっかりルーディの猟《りょう》のぼうけん談の聞き手になってしまいました。かもしか猟師《りょうし》が高い岩山の頂上で出あう、こんなんやきけんのこと、風とあらしが岩かどにふきつけた、すべりやすい雪のふちかざりの上を、どうやってはっていくか、ふぶきがふかいさけめの上にかけわたした、あぶなっかしい橋を、どうやってはってわたるか、というような話です。
猟師の生活のこと、カモシカのかしこさ、その思いきったとびかたのこと、はげしいフェーンのこと、すさまじいいきおいでおちてくる、なだれのことなどを話しているとき、ルーディはいかにもだいたんに見え、目はきらきらかがやきました。
かれがあたらしい話をするたびに、いよいよ水車屋の主人が、じぶんに好意をもってくるのが、ルーディにもわかりました。とりわけ水車屋の主人の気にいったのは、ハゲタカや狂暴《きょうぼう》なイヌワシの話でした。
バリス州にはいっているけれど、ここからあまり遠くないある岩だなの下に、たくみにつくられたワシの巣がありました。巣の中には一わのワシの子がいましたが、それをとらえることは、だれにもできませんでした。
二、三日前、あるイギリス人がルーディに、そのワシの子を生けどりにしたら、金貨を一つかみやるといったのです。しかし、ルーディは、こんなふうにこたえたというのでした。
「なにごとにも、限度というものがあります。あそこのワシの子はとるわけにいきません。そんなことをくわだてるのは、きちがいざたですよ」
ぶどう酒がどんどんながれ、話もながれるようにはずみました。それでもその夕ベは、ルーディにとっては、あまりにもみじかく感じられたのです。かれが水車屋への、さいしょのほうもんをおえて、わかれをつげたときは、ま夜中をすぎていました。
まだしばらくの間は、まどからもれるあかりが、みどりの木々の間をとおして見えていました。そのとき、あけてあった屋根まどから、一ぴきのおざしきネコが出てきました。そこへ雨どいをつたわって、だいどころネコがやってきました。
おざしきネコがいいました。
「水車屋のあたらしいニュースを、あなた、ごぞんじ? ないしょで婚約《こんやく》があったのよ。おとうさんは、まだ知らないの。ルーディさんとバベットさんは、一晩じゅう、テーブルの下で、おたがいの足をふみあっていたわ。わたしも二度までふまれたの。でもわたし、鳴かなかったわ。そんなことしたら、みんなに気づかれてしまいますもの」
「わたしなら、鳴いてやるわ!」と、だいどころネコはいいました。
「だいどころにむくことでも、おざしきにむくとはかぎりませんよ。でもわたし、水車屋のご主人が、この婚約のことを聞いたらなんというか、それが知りたいわ」
そう、水車屋の主人がなんというか、それはルーディも知りたいことでした。けれども、それがわかるまで、長いことまつなんてことは、かれにはできませんでした。
そんなわけで、それから何日もたたないある日、バリス州とボー州の間のローヌ川の橋の上を走っている乗合馬車の中に、ルーディはあいかわらず上きげんですわっていました。今夜はきっと、しょうだくのことばが聞けるものと、たのしい思いにふけっていたのです。
ところが、夕がたになると、馬車はおなじ道をかえっていき、ルーディもその馬車に乗って、おなじ道をかえっていきました。
水車屋では、おざしきネコが、あたらしいニュースをふれまわっていました。
「ねえ、だいどころの方、あなたごぞんじ? 水車屋のご主人は、もうなにもかも聞いたのよ。ところが、ずいぶんへんなことになっちゃったわ。ルーディさんが、夕がたここへ来て、バベットさんとふたりで、長いこと、ひそひそこそこそやっていたわ。ふたりはちょうど、ご主人のへやの前のろうかに立っていたの。わたし、ふたりのつい足もとにいたんだけれど、ふたりはわたしのことなんか、見むきもしないし、考えてもくれなかったわ。
『ぼくはすぐ、おとうさんのところへ行きます。それがしょうじきなやりかたですからね』と、ルーディさんはいったの。
『わたしもいっしょに行きましょうか。あなたをげんきづけるために』と、バベットさんはいいました。
『げんきならぼくはいつだって、たっぷりもってます。でも、あなたがいっしょだと、おとうさんもすこしは、やさしくしてくれるでしょうね』
こういってルーディさんは、バベットさんとふたりでへやの中へはいっていったのよ。ルーディさんたら、そのときわたしのしっぽを、いやというほど、ふみつけたわ。なんて、ぶきっちょなんでしょ。わたしミャオーって鳴いてやったんだけど、ルーディさんもバベットさんも、聞く耳なんかもっていなかったわ。
ふたりが戸をあけてはいったから、わたしはおさきへ失礼して、いすの背にとびあがったの。ルーディさんに、いつ、けとばされるかわかりませんからね。
ところがね、こんどはうちのご主人にけられちゃったの。それも、こっぴどくよ。戸口から外へ、山の上のカモシカめがけてさ。カモシカなら、ルーディさんはしとめるのがうまいっていうけれど、うちのバベットさんをねらうことはへたね」
「いったい、どんなふうにいったの」と、だいどころネコが聞きました。
「どんなふうにって? ――そりゃ求婚のときにだれでもいう文句を、のこらずならべたてたわよ。
『ぼくはバベットさんを、愛しています、そしてバベットさんも、ぼくを愛しています。ひとりぶんのちちがあれば、ふたりぶん、まにあうそうです』とかさ。
『だが、むすめはおまえさんよりも、高いところにいるよ。むすめは、ひきわりむぎの上にすわっているんだよ、黄金《おうごん》のひきわりむぎの上にね。おぼえておいで、おまえさん。おまえさんにはとどかないよ』と、うちのご主人はいったわ。
『どんな高いところだって、その気になりさえすりゃ、とどかないことはありません』
こう、ルーディさんはいったわ、そりゃきっぱりと。
『だが、おまえさんは、あのワシの巣にとどかないっていったじゃないかね。バベットはそれよりも、もっと高いところにすわっているんだよ』
『ぼくは両方とも手に入れてみせます』と、ルーディさんはいったの。
『そうか、もしおまえさんが、ワシの子を生けどりにして持ってきたら、むすめはおまえさんにやるとしよう』
こう、うちのご主人はいって、なみだが出るほどわらったわ。
『だがルーディくん。おまえさんが、きょう来てくれたことはありがたいよ。あすまた来てくれても、家にはだれもいないからね。さようなら、ルーディくん』
バベットさんも、さようならをいったわ。そして、もう母親にあえない子ネコのように、そりゃかなしそうだったわ。
『男子の一|言《ごん》です。バベットさん、なかないでください。ぼくはきっと、ワシの子を持ってきますから』と、ルーディさんはいったわ。
『首のほねでも折りゃあいいんだ。そうすりゃ、わしらもおまえさんのむだぼねおりから、まぬかれるってわけさ』
こう、うちのご主人はいったわ。わたしが、けるといったのはこのことなの。こうしてルーディさんは出ていくし、バベットさんはすわったままないているし、ご主人は、旅でおぼえたドイツ語の歌をうたってるってわけなの。でも、わたしはもう、気にかけないことにしたの。気にしたって、しょうがないんだもの」
「でも、見かけはいつでも、そんなだけれどさ」と、だいどころネコはいいました。
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七 ワシの巣
山道のほうから、げんきな力強いヨーデルが聞こえてきました。その歌を聞いただけで、その人が上きげんで、げんきにあふれていることがわかりました。それはルーディでした。いま、友だちのヴェシナンドをたずねてきたのです。
「おい、ちょっと手をかしてくれ。ラグリもいっしょにさ。ぼくはあの岩壁の上の、ワシの子をつかまえなくちゃならないんだ」
「いっそ、月のウサギをつかまえに行ったらどうだ。こっちのほうが、すこしはらくだぜ。おまえ、えらいげんきなんだね」と、ヴェシナンドはいいました。
「うん、結婚したいと思ってるんでね。だが、じょうだんはぬきにして、わけを聞いてくれ」
そんなわけで、ヴェシナンドもラグリも、まもなくルーディの気持ちを知りました。
「おまえは、むちゃなやつだな。そりゃだめだよ。首のほねをぶち折っちまうぞ」と、ふたりはいいました。
「おちると思いさえしなけりゃ、おちるもんじゃないさ」と、ルーディはいいました。
ま夜中近く、三人はぼうや、はしごやなわを持って出かけました。道は木のしげみややぶをぬけて、石のごろごろしているところを、つまさきあがりにのぼって、くらいやみの中へきえていました。水が、ザーザーとながれおちてきます。上のほうでも、サラサラ音をたてています。しめっぽいきりが、空をながれています。
猟師たちは、切り立った絶壁《ぜっぺき》に近づきました。ここはいっそうくらく、左右から岩壁が、ほとんどふれあうばかりにおしせまっています。せまいさけめからあおいだ上のほうに、わずかに空が、ほんのりと見えるだけでした。すぐわきは、ふかい谷になっていて、水のたぎりおちる音が聞こえました。
三人ともじっとそこにすわって、夜あけをまちました。夜あけになると、ワシがとび立ちますから、それをまず、うちおとさなければなりません。それまでは、ワシの子をつかまえるなどは、思いもよらないからでした。
ルーディはそこに石のようにうずくまって、ひき金《がね》をひくばかりにして身がまえ、さけめのいちばん上のところに、じっと目をつけていました。そこのつき出た岩のかげに、ワシの巣がかくれているのです。三人の猟師は長いことまちました。
とつぜん、上のほうで風を切る、はげしい音がしました。空をとぶ大きなもののかげで、あたりがくらくなりました。黒いワシのすがたが巣からとび立つと同時に、二つの銃口がそちらへむけられて、はげしい銃声がしました。ひろげたつばさが、しばらくの間たゆたっていましたが、しだいに鳥はおちてきました。
まるでその大きなからだと、ひろげたつばさとでさけめいっぱいになりながら、三人の猟師をもいっしょに、ひきずりおとそうとするかのように。こうしてワシは、谷底へおちていきました。鳥がおちていくときに折れた木のえだやしげみなどが、メリメリいいました。
さて、いよいよしごとにかかりました。いちばん長いはしごを三つつぎあわせて、上までとどくようにし、それをがけのはしの、しっかりした足場の上に立てかけましたが、それでも、まだ上までとどきません。そこから上の、つき出た岩のかげの巣のところまでは、かべのように切り立った岩でした。
しばらくそうだんした結果、上からはしごを二段つなぎにしたものを、さけめの中へつりさげて、それを下から立てかけてある、三段つなぎのはしごとむすびつけるよりほかには、よい方法はないということになりました。
そこでひじょうなほねおりをして、二つのはしごを上までひっぱりあげ、そこにつなで、しっかりとむすびつけました。はしごは、つき出ている岩だなのふちをこして、ふかいさけめのまん中にぶらさがりました。ルーディははやくも、そのはしごのいちばん下の段に乗っていました。
その朝は、氷のようにつめたい朝で、きりが雲のように、下のくらいさけめからのぼってきました。ルーディが、そこにそうやって乗っているところは、ちょうど、鳥が巣をつくろうとして、高い工場《こうば》のえんとつの上にのこしていったわらしべに、ハエが一ぴきとまっているのとそっくりでした。
ただ、ハエはわらしべがふきとばされても、とび立つだけですが、ルーディは首のほねを折るほかありません。風はまわりを、ヒューヒューふいていました。はるか下のほうでは、氷ひめの宮殿の氷河からとけて出た水が、ドードーと音をたててながれていました。
さてルーディは、はしごをぶらんこのようにふりうごかしました。ちょうど、長い糸のさきにぶらさがったクモが、足場をつかまえようとするときのように。四度めにはしごをふりうごかしたとき、下から立てかけてある、三段つなぎのはしごの頂上に、それがふれました。
とたんにルーディはそれをつかんで、なれた力強い手で両方のはしごを、しっかりとむすびつけました。それでもむすびめは、すりへったちょうつがいのように、しきりにぐらぐらしました。
こうして巣のところまでとどいた、五段つなぎの長いはしごは、岩壁に垂直《すいちょく》にかけられました。それはまるで、一本のゆらゆらするアシのように見えました。
しかも、これからが、いよいよ、いちばんきけんなしごとです。ネコみたいに、それをよじのぼらなくてはならないのです。
けれどもルーディは、それをネコからおそわって、ちゃんとこころえていました。めまいはルーディのうしろで、空《くう》をふみながら、ヒドラのようなうでをのばしていましたが、ルーディは、そんなものは気にかけませんでした。
とうとうルーディは、はしごのいちばん上の段までのぼりつめました。ところが巣の中をのぞくには、まだすこしひくすぎました。やっと手がとどくだけです。
しかしルーディは、ふといえだをあんでこしらえてある巣の、いちばん下のえだが、しっかりしているかどうかためしたうえで、一本のふといしっかりしたえだをつかむと、さっと身をおどらせて、そのえだにとびうつりました。こうしてとうとう、むねと頭とで、巣の上にしがみつきました。
とたんに、息のつまるような、くさった肉のにおいが、鼻をうちました。子ヒツジや、カモシカや鳥などのくさったのが、ずたずたにひきさかれて、巣の中にちらばっていたのです。
めまいは、ルーディをつかまえそこなったので、こんどは気が遠くなれとばかりに、顔に毒気をふきかけました。はるか下のほうに黒い口をあけた谷底では、矢のような早いながれの上に、長いうすみどりのかみをふりみだした氷ひめが、すわっていました。
そして、死に神のようなまなざしを、二つの銃口のように、じっとルーディのほうにこらしていました。
「こんどこそ、おまえをつかまえてみせるよ」とばかりに。
巣のすみには、ワシの子がいました。大きく、たくましいすがたをしていますが、まだとぶことはできません。ルーディはじっと、あいてに目をそそぎながら、かた手でじぶんのからだをありったけにささえて、もういっぽうの手で、さっとわなを投げました。こうして、うまく生けどりにしました。わなが、足にからまったのです。
ルーディはその鳥を、わなもろとも、かたごしにほうりました。鳥は足の下のほうに、ぶらさがりました。それからルーディは、上からおろされた、一本のたすけのつなにつかまって、つまさきがはしごのいちばん上のはしにかかるまで、そろそろとおりてきました。
「しっかりつかまれ。おちると思いさえしなけりゃ、おちはしないぞ」
これは古いおしえでした。ルーディはこのおしえにしたがって、しっかりとつかまりました。おちはしないと信じて、はっていきました。だから、おちはしませんでした。
まもなくヨーデルが、力強くよろこばしげにひびきました。ルーディはワシの子を持って、がっしりと岩の上に立っていました。
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八 おざしきネコが話したこと
「おのぞみのものを、持ってまいりました」
ベックスの水車屋のへやにはいってきたルーディは、こういって、ゆかの上に大きなかごをおくと、かぶせてあったぬのをとりのけました。
中からは、黒いふちをもった、黄色い二つの目が、火をふくように、あらあらしくこちらをにらみつけました。まるで見るかぎりのものをやきつくし、食い入ろうとしているかのようです。みじかい強いくちばしは、かみつこうとして、大きくひらかれて、首は赤く、にこ毛でおおわれていました。
「ワシの子じゃないか」と、水車屋の主人は思わず大きな声を出しました。
バベットは、きゃっといって、とびしさりました。けれども目はルーディからも、ワシの子からもはなすことができませんでした。
「おまえさんは、おどしのきかない男なんだなあ」と、水車屋の主人はいいました。
「そして、あなたはいつも、やくそくをおまもりになる方です。人にはめいめい、くせがありますさ」と、ルーディはいいました。
「だが、どうして首のほねを折らずにすんだのかね」と、水車屋の主人は聞きました。
「それは、ぼくが、しっかりつかまっていたからです。いまでもそうですよ。ぼくはバベットさんをしっかり、つかまえてみせます」と、ルーディはこたえました。
「まず、むすめをつかまえてごらん」と、水車屋の主人はいって、わらいました。
このことばがよいしるしだということは、バベットにはわかりました。
「このワシの子は、かごから出してやりたまえ。見ていても、きみがわるいじゃないか。どうだ、あの火のような目。いったい、どうやってつかまえたのかね」
そこでルーディは、その話をしなければなりませんでした。水車屋の主人は、目を見はりましたが、その目はいよいよ大きくなっていきました。
「おまえさんほどの勇気と幸運がありゃ、さいくんがたとえ三人あっても、やしなっていけるよ」と、水車屋の主人はいいました。
「ありがとうぞんじます。ありがとうぞんじます」と、ルーディはさけびました。
「うん、だがバベットは、まだきみの手にははいっていないよ」
こう、水車屋の主人はいって、じょうだんに、このわかいアルプスの猟師のかたをたたきました。
「水車屋のあたらしいニュースを、あなた、ごぞんじ?」と、おざしきネコが、だいどころネコにむかっていいました。
「ルーディさんがね、ワシの子を持ってきて、それとバベットさんとを、とりかえっこしたんです。ふたりはキスをかわして、おとうさんに見せてやりましたよ。あれが婚約っていうものなのね。
おじいさんはもう、けとばしもしないで、つめをひっこめて、昼ねをしてしまったわ。そしてふたりがそこにすわって、じゃれあうままにさせておいたわ。ふたりはおしゃべりすることが、どっさりあって、とてもクリスマスまでにはすみそうもないよ」
なるほど、クリスマスまでにはすみませんでした。風は茶色の葉をまきあげ、ふぶきが谷にも、高い山の上にもふきあれました。氷ひめのお城は、冬の間に、どんどん大きくなりますが、そのどうどうとしたお城の中に、ひめはすわっていました。
岩壁は氷につつまれてつっ立ち、ゾウのようにおもたい、ひとかかえもあるつららが、夏には、たきが水のベールをかけているところに、ぶらさがりました。雪のこなをかぶったモミの木には、ふしぎな形をした氷の水晶をつないだ花づなが、きらきらかがやいていました。
氷ひめは、ざわめく風に乗って、いちばんひくい谷までやってきました。雪のしきものが、ベックスの町のあたりまで、いちめんにしかれたので、氷ひめもやってくることができたのです。
来てみると、ルーディはへやの中にいました。こんなことは、ルーディとしてはめずらしいことです。そばには、バベットがすわっていました。夏には婚礼をあげるはずでした。そのことが、あんまり友だちのうわさになるものですから、ふたりは、すこし耳ががんがんするほどでした。
へやの中には、あかるい太陽の光がさし、このうえもなく美しいシャクナゲが、もえるようにさいていました。それは、ほがらかにほほえんでいるバベットで、まるで春のようにきれいでした。――すべての鳥に夏のよろこびを、婚礼のときをうたわせる、春が近づいてきました。
「まあ、いつまでいっしょにすわって、なかよくしているんだろ。もうわたし、あんなニャゴニャゴにはあきてしまったわ」
こう、おざしきネコはいいました。
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九 氷ひめ
春が、みずみずしいみどりの花づなを、クルミとクリの木の上にひろげました。その花づなは、ローヌ川にそったサン=モーリスの橋から、ジュネーブ湖畔までが、いちばんみごとでした。ローヌ川は、氷ひめの宮殿のみどり色の氷河の下にあるみなもとから出て、はげしいいきおいでながれくだってきます。
この宮殿から氷ひめは強い風に乗って、雪野原のいちばん高いところまでまいあがり、ふきよせられた雪のしとねの上にからだをのばして、太陽の光をあびながら、遠見のきく目で、ふかい谷間を見おろしていました。
その谷間では人間どもが、ちょうど日なたの石の上をはいまわるアリのように、いそがしそうにうごいていました。
「太陽の子たちは、おまえたちのことを、霊の力とよんでいるけれど、おまえたちは虫けらにすぎないのだ。雪のたまがたった一つころがれば、おまえたちも、おまえたちの家も、町も、おしつぶされて、ながされてしまうのだ」
こういって、氷ひめは頭をほこらしげにいっそう高くあげ、死をまきちらすひとみを、まわりの世界や、はるか下の世界へむけました。ところが、その谷底からは、ゴロゴロという音や、岩のばくはされる音がひびいてきました。人間どものしごとです。鉄道をしくために、道やトンネルがつくられているのでした。
「あいつらは、モグラのまねをしている。道をほっているのだ。それであんなに、てっぽうをうつような音が聞こえてくるのだ。けれども、わたしがわたしの城を、ちょっとでもうごかそうものなら、かみなりのとどろきよりも強い音がするんだからね」
こう、氷ひめはいいました。
谷のほうから、けむりがあがってきて、それが風にひらめくベールのように、前へすすんでいきました。それは、あたらしくしかれた線路の上を、列車をひいていく機関車《きかんしゃ》のひらひらするはねかざりでした。
このまがりくねっていくダイジャのふしぶしは、車と車をつないだものでした。それが矢のように、早く走っていきました。
「あの霊の力どもは、下の世界で主人顔をしている。だけれど、自然の力こそが、支配しているのさ」
こういって、氷ひめは、わらったりうたったりしました。すると、その声は谷いっぱいにとどろきました。
「なだれが来たぞ」と、下のほうで人間がさけびました。
けれども、太陽の子たちはもっと高い声で、人間の思想《しそう》をうたいました。海をくびきにつなぎ、山をくずし、谷をうずめる人間の思想こそ、支配する力だ。それこそ、自然の力の支配者なのだ、と。
ちょうどそのとき、氷ひめのすわっている雪原《せつげん》の上に、ひとむれの旅行者が、やってきました。人々はつなで、おたがいのからだを、しっかりつないでいました。まるでふかい絶壁のふちのすべりやすい氷の上で、みんなが一つの、大きなからだになろうとしているかのように。
「虫けらめ。それでもおまえたちは、自然の力の支配者だというのか」
こう、氷ひめはいって、その人々から目をそらすと、いましも汽車の走っている、ふかい谷底のほうを、ばかにしたように見おろしました。
「あの思想とかいうものは、あんなものの中にすわっているのだね。わたしの権力《けんりょく》の中にすわっているようなものだ。わたしには、そのひとりひとりがよく見える。ひとりは王さまのようにいばって、ただひとりですわっている。むこうには一かたまりになってすわっている。
そのうちの半分はねむっている。じょうきのダイジャがとまったら、みんなおりて、それぞれの道を歩いていくんだろ。それが、思想が世界にひろまっていくことだってさ」
こういって、氷ひめはわらいました。
「また、なだれだぞ」と、下の谷で人々がいいました。「ここまでは来やしないさ」と、じょうきのダイジャのせなかに乗っていたふたりがいいました。
それは、「心は二つ、思いは一つ」といわれるふたり、ルーディとバベットでした。水車屋の主人もいっしょでした。
「わしは手荷物みたいなものでね。必要な品物として、ついてきているのさ」と、水車屋の主人はいいました。
「あんなとこに、あのふたりがすわっている。わたしはたくさん、カモシカをおしつぶした。何百万というシャクナゲをおしつぶし、うちくだいた。根さえも、もうのこっていないんだ。わたしは、あいつらをほろぼしてやる。あの思想どもを。あの霊の力どもを」
こういって、氷ひめはわらいました。
「あっ、またなだれだ」と、下の谷ではいいました。
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十 名づけ親
ジュネーブ湖の東北部に、花づなのようにならんでいるクラーランス、ベルネクス、クリンなどの町々のうち、いちばん手近な町のモントルーに、バベットの名づけ親のイギリスの貴婦人が、むすめたちやしんせきの青年といっしょに、滞在していました。
みんなは近ごろ、ここについたばかりでしたが、水車屋の主人は、さっそくその婦人をおとずれて、バベットの婚約のことをつげました。
ルーディのことも、ワシの子のことも、インターラーケンの射撃祭のことも話しました。なにもかも手みじかに話したのですが、おくさんはその話を、ひどくおもしろがって、ルーディとバベットに、それからまた水車屋の主人にも、よい感じをいだきました。そして、そのうち三人であそびにいらっしゃい、といいました。
それでいま、三人はおとずれてきたのです。――バベットは、名づけ親にあいたいと思いましたし、名づけ親は、バベットにあいたく思っていました。
ジュネーブ湖のはしのビルヌーブという小さな町のそばに、汽船がとまっていました。それに乗ると、三十分でモントルーのすぐ下のベルネクスにつきます。この間の湖の岸は、詩人たちによくうたわれるところです。
バイロン(イギリスの詩人、一七八八年―一八二四年)は、青みどりの水をたたえたふかい湖の、ここの岸べのクルミの木の下にすわって、ものすごいだんがいの城、シヨンの囚人《しゅうじん》のことを美しい詩にかきました。そこ、クラーランスの町の、シダレヤナギが水にうつっているあたりを、ルソー(フランスの思想家、一七一二年―一七七八年)はエロイーズ(ルソーの書簡体《しょかんたい》の小説「新エロイーズ」の主人公)をゆめみながら、歩きまわったのでした。
ローヌ川が、サボアの雪をいただいた高い山々の下をながれてきますが、その河口からほど近い湖水《こすい》の中に、一つの小さな島があります。岸から見ると、水の上にうかんでいる船のように見える小さい島です。
この岩ばかりの島に、いまから百年ばかり前、ある婦人が、石がきをきずいて土をもらせ、三本のアカシアをうえさせましたが、そのアカシアがいまでは、島いっぱいにかげをつくっています。
バベットはこの小さい島がすっかり気にいってしまって、こんどの船旅《ふなたび》のうちで、ここがいちばん美しいように思いました。
そして、ぜひともあの島へ行きたい、行かなくてはならない、そこはきっと、このうえもなく美しいところにそういない、と考えました。
ところが、汽船はそこをとおりすぎて、いつものとおりベルネクスについてしまいました。
そこからこの小さい一行は、小さい山の町、モントルーのてまえのぶどう畑をかこんでいる、日あたりのよい白いかべの間をのぼっていきました。イチジクの木が、百姓家の前に日かげをつくり、庭にはゲッケイジュや、イトスギがおいしげっていました。山を半分ばかりのぼったところに、名づけ親のとまっている旅館《りょかん》がありました。
みんなは心からかんげいされました。名づけ親は、あいそのよい、にこにこした、まる顔の、背の高い婦人でした。
小さいときには、きっとラファエロ(イタリアの画家、一四八三年―一五二○年)のかいた天使のようだったでしょう。でもいまは年をとった天使で、銀白のかみを、ふさふさと波うたせていました。むすめたちもきれいで、上品で、背が高く、すらりとしていました。
つれのわかいいとこは、頭のてっぺんから、足のさきまで白ずくめの服装をして、金色のかみの毛と金色のほおひげをもっていましたが、そのほおひげは、三人の紳士にわけてもよいくらい、たっぷりありました。
このいとこは、たちまちバベットに、ひじょうな注意をむけました。
りっぱな装幀《そうてい》の本や、楽譜《がくふ》やスケッチなどが、テーブルいっぱいにちらかっていました。露台《ろだい》の戸がひらいていて、そこからひろびろとした美しい湖が見えました。湖は、かがみのようにしずまりかえっていて、サボアの山々が、その小さな町や森や雪の峰ごと、さかさまにうつっていました。
ルーディは、ふだんはいつもだいたんで、快活《かいかつ》で、のびのびしているのに、ここへ来てからは、いわゆる「場ちがい」を感じていました。
なんだか、まめをまきちらした、すべすべのゆかの上を歩いているようでした。ときのたつのが、なんとのろのろしていること、まるでふみ車をふんでいるようでした。やがてさんぽということになりましたが、それがまた、おなじくたいくつなものでした。ほかの人たちと足なみを合わせるためには、ルーディは、二足歩いて一足さがらなければなりませんでした。
みんなは、岩礁《がんしょう》の上にある、おそろしいむかしのシヨンの城を見に出かけて、ごうもんばしらや、死のろうごくや、岩壁のさびついたくさりや、死刑囚《しけいしゅう》の石の寝台や、おとし戸――不幸な罪人たちが、このおとし戸からおとされて、波間の鉄のくいに、つきささったのだそうです。――などを見物しました。
みんなはおもしろがって、見てまわりました。それはなにしろ、バイロンの歌によって、詩の世界に高められた刑場《けいじょう》でした。けれどもルーディにとっては、それはただの刑場だけのものでした。
そこで、まどの大きな石のわくにもたれて、ふかい青みどり色の水のおもてを見おろしたり、むこうの三本のアカシアのしげっている、小さなさびしい島をながめたりしました。
そして、こんなおしゃべりのなかまからはなれて、あの島へ行ってしまいたいな、と思いました。ところが、バベットのほうはことのほか上きげんで、あとで、とてもゆかいだったといいました。また、あのいとこの人は、もうしぶんのない人だ、ともいいました。
「そうさ、まったくもうしぶんのないおしゃべりだよ」と、ルーディはいいました。
ルーディが、バベットの気にいらないことをいったのは、これがさいしょでした。わかいイギリス人はバベットに、シヨンの記念にと、一さつの小さい本をおくりました。それはバイロンの詩『シヨンの囚人』でした。それも、バベットがよめるようにというわけで、フランス訳でした。
「その本は、いい本かもしれんが、きみにそれをくれた、あのきれいにくしを入れたわかぞうは、ぼくは気にくわんね」と、ルーディはいいました。
「あの男は、粉のはいってない、粉ぶくろみたいだな」
こう、水車屋の主人はいって、じぶんの思いつきに大わらいをしました。ルーディもいっしょにわらって、まったくぴったりだ、といいました。
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十一 わかいイギリス人
それから数日たって、ルーディが水車屋をおとずれると、あのわかいイギリス人がそこに来ていました。バベットがちょうど、マスのにたのを出したところでした。ていさいよく見えるように、パセリもじぶんでかざったにちがいありません。そんなことをする必要は、すこしもないのにね。
このイギリス人は、ここになんの用があるのだろう。どうしてここへ来たのだろう。バベットにもてなしてもらうためなのだろうか。
ルーディは、しっとしました。それがかえって、バベットをおもしろがらせました。バベットにとっては、ルーディの心をあらゆる方面から、強いがわからも、弱いがわからも、ながめるのがうれしかったのです。
バベットにとっては、愛はまだあそびでした。そこで、ルーディの心をおもちゃにしました。それにしても、やっぱりルーディは、かの女の幸福のみなもとであり、毎日の生活の思いであり、この世のもっともよい、もっともたいせつなものであったといってよいでしょう。
ところが、ルーディがくらい顔をすればするほど、バベットの目は、ますますわらいました。もし金色のほおひげをした、この金髪のイギリス人にキスしたときは、ルーディが気ちがいのようになって、家をとび出していくものとわかったら、そのキスだってしたかもしれません。そのときこそ、じぶんがどんなに、ルーディに愛されているか、わかるはずですものね。
でも、この考えは正しくありません。バベットとしても、かしこい考えではなかったでしょう。けれどもなにしろ、まだ十九さいのむすめでしたから、そこまでは考えませんでした。
じぶんのたいどが、婚約したばかりのちゃんとした水車屋のむすめとしては、すこし陽気でかるはずみにすぎはしないかと、このわかいイギリス人に思われるかもしれないなどとは、なおさら考えおよびませんでした。
ベックスからのかい道は、この地方のことばで、「あくまのつの」とよばれる、雪におおわれた、高い岩山のふもとを走っていますが、水車屋はその近くの、せっけんをとかしたような灰白色《かいはくしょく》の水が、あわだってながれている谷川から、そうはなれてはいませんでした。
でも、水車をまわすのは、このながれではなくて、川むこうの岩山をたぎりおちてくる、もう一つの小さな川でした。このながれが、道路の下の石でかこった水路をとおる間に力と速度とをくわえて、四方をとじた木づくりの水そうの中へながれこみ、そこからはばの広いといで、あの谷川をこしてきて、大きな水車をまわすのです。
このといをながれる水は、もりあがるようになって、ふちからあふれていましたから、水車屋に近道をしようと思ってここをとおる人は、水のあふれた、すべりやすいといをわたるほかありませんでした。
ひとりのわかい男が、この近道をわたろうと思いつきました。
それは、あのイギリス人でした。男は水車屋のわかいもののように白い服装をして、バベットの居間からもれる光をたよりに、手さぐりでやみの中をわたりはじめました。
ところが、こんなやりかたになれていないものですから、すんでのことに、まっさかさまに下のながれにおちるところでした。やっとのことで、そでをぬらし、ズボンをよごしただけで、ついらくはまぬかれましたが、バベットのへやのまどの下にやってきたときは、どろだらけになっていました。
そこで、そこにあった古いボダイジュによじのぼると、フクロウのまねをしました。ほかの鳥の鳴き声は、できなかったのです。
バベットがその声を聞きつけて、うすいカーテンの間からのぞいてみると、まっ白い男のすがたが見えました。それがだれであるか想像したとき、バベットの心ぞうは、おそれと同時にまた、いかりで高くうちました。
そこで、いそいであかりをけして、まどのしんばりぼうをたしかめた上で、男にいくらでもほえさせておきました。
もしルーディが水車屋に来ていたら、おそろしいことになったでしょうが、ルーディはさいわいと、来ていませんでした。
ところが、もっとわるいことになりました。というのは、ルーディはちょうど、水車屋の下にいたのです。まもなく、いかりにふるえた、高い声が聞こえました。なぐりあいがはじまるかもしれません。ひょっとすると、どっちかがころされるようなことに。
バベットはおそろしくなって、まどをひらいて、ルーディの名まえをよびました。そして、どうか行ってください、こんなとこに来ないでください、とたのみました。
「来ないでくれだと。じゃ、しめしあわせたことなんだな。きさまは、おれよりもすきな友だちをもっていたんだな。このはじしらずめ」とルーディは、いかりをばくはつさせました。
「まあ、ひどいことを。あなたなんて大きらい。行って! 行って!」
バベットは、こういってなきだしました。
「おれは、そんなことをいわれるおぼえはないぞ」
こう、ルーディはいいながら、そこをさりました。顔は火のよう、心も火のようにもえていました。
バベットはベッドに身を投げて、なきました。
「ルーディさん、わたしがどんなにあなたを愛しているか。それなのに、わたしのことを、わるくおとりになるなんて!」
そんなわけで、バベットは、はらをたてました。ひどくはらをたてました。それがかえってよかったのです。さもないと、ひどいかなしみにしずんでしまったでしょうから。これでバベットはねむりにはいることができました。げんきを回復《かいふく》するわかさのねむりにね。
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十二 あやかし
ベックスをさって、家路についたルーディは、すずしいさわやかな空気につつまれた、山のほうへのぼっていきました。そこは雪がつもった、氷ひめの支配する世界でした。
広葉樹《こうようじゅ》がはるか下のほうに、まるでジャガイモの葉のように見えました。モミの木や、やぶがだんだん小さくなり、ぬのざらし場のぬののように、あちこちにきえのこった雪のそばにシャクナゲがさいていました。そこにはまた、青いリンドウが一本さいていましたが、ルーディはそれを銃の床尾《しょうび》でたたきつぶしました。
そのとき上のほうに、カモシカが二ひきあらわれました。ルーディの目はかがやき、あたらしい考えがまいあがりました。けれども、ねらいをさだめてうちとるほどは近づいていません。
そこで、なお高くのぼっていくと、岩と岩との間に、とげとげした草がはえているところへ出ました。カモシカは、雪田《せつでん》(高山の山頂部などにある万年雪)の上をしずかに歩いています。ルーディは足をはやめて、近づきました。そのときふいに、きりがまいてきてまわりをつつんでしまい、気がついたときには、かれはけわしい絶壁の前に立っていました。雨がどしゃぶりにふってきました。
ルーディはもえるようなかわきをおぼえ、頭ばかりあつくて、手足はひえてきました。水とうをとり出してみましたが、中はからでした。
気ちがいのようになって、のぼってきたときには、水とうのことなんか、考えなかったのでした。いままで、病気というものはしたことがなかったけれど、こんどこそ、病気になったのではないかと思われました。ひどくつかれていて、その場にからだを投げ出して、ねむりたい気がしました。
気をしっかりもとうとしても、なにもかもが、水のようにながれていってしまいます。目の前にあるものが、あやしくちらちらふるえました。とつぜんかれは、気がつきました。――
これまでなにもなかったはずのむこうの岩に、よっかかるようにして、あたらしいひくい小屋がたっていて、その戸口に、わかいむすめが立っているではありませんか。
いつかダンスのときにキスをした、校長先生のむすめのアネットかと思いましたが、ちがいました。それにしても、前にどこかで見たおぼえがあります。
ひょっとすると、インターラーケンの射撃祭からのかえり道に、グリンデルワルトの近くであった、あのむすめかもしれません。
「おまえさんは、どこからこんなところへ来たのかね」と、ルーディはたずねました。
「わたし、ここでくらしているのよ。ヤギの番をして」と、むすめはいいました。
「ヤギだって? どこで、草を食わせるんだい。どこを見たって、雪と岩ばかりじゃないか」
「よくごぞんじだこと」と、むすめはいってわらいました。
「このうしろのほうの、すこしおりたところに、すばらしい草原《くさはら》があるのよ。そこへ、わたしのヤギは行くんです。わたし、番をするのじょうずよ。一ぴきだって、にがしはしないわ。一度わたしのものになったものは、いつまでもわたしのものよ」
「ずいぶんげんきだね」と、ルーディはいいました。
「あなたもね」と、むすめはこたえました。
「おまえさん、ミルクがあったら、のませてくれないか。のどがかわいてかわいて、がまんできないんだ」
「ミルクより、もっといいものがあってよ。それをあげましょう。きのう案内人をつれた旅人がやってきて、ぶどう酒の半分はいったびんをわすれていったの。
あなたなんか、まだあじわったことがないようなぶどう酒よ。あの人たち、とりに来る気づかいはないわ。わたしはのまないから、あなたおのみなさい」
こういってむすめは、ぶどう酒をもって出てくると、木のさかずきについでルーディにさし出しました。
「こいつはいい酒だ。いままでこんな強い、こんなにあたたまる酒はのんだことがない」
こういううちにも、ルーディの目は、生きかえったようにかがやいてきました。からだの中がかっかともえるようで、なやみも気がかりなことも、きりのようにきえてしまいました。
「そうだ、たしかに先生のむすめさんの、アネットだ。さあ、キスして」と、ルーディはさけびました。
「ええ、あなたの指にはめている、そのきれいなゆびわをくださったらね」
「この婚約のゆびわを?」
「そうよ」
むすめはいって、ぶどう酒をさかずきについで、ルーディのくちびるにつきつけました。ルーディは、それをのみました。生命のよろこびが、血の中にながれこみ、全世界が、じぶんのものになったように思われました。なにを、くよくよすることがあろう。
すべてのものは、わたしたちのたのしみのために、そして、わたしたちを幸福にするためにあるんだ。生命のながれは、よろこびのながれだ。それにながされ、それにはこばれていくのが、それが、幸福というものだ。
ルーディは、むすめの顔を見つめました。それはアネットであり、またアネットではありませんでした。そうかといって、グリンデルワルトの近くで出あった、あのまものとは、なおさら見えません。
この山のむすめは、ふりたての雪のように新鮮《しんせん》で、シャクナゲのようにふくよかで、子ヤギのように身がるでした。それでもやっぱり、アダムのろっこつからつくられた、ルーディとおなじ人間としか見えませんでした。
ルーディは、むすめのからだにうでをまきつけて、あやしいほどすんだ、むすめの目の中をのぞきこみました。それはほんの一秒にすぎませんでしたが、その一秒の間に感じたものは――、さあ、それを説明したり、ことばにあらわしたりすることができるでしょうか。
ルーディをみたしたものは、精霊《せいれい》の生命だったでしょうか、死に神の生命だったでしょうか。
ルーディは高くのぼっていったのでしょうか、それともふかい氷の、死のさけめにしずんでいったのでしょうか。ふかく、どこまでもふかく?
青みどり色のガラスのような氷のかべが、かれの目にうつりました。底しれない深淵《しんえん》が、ぐわっと口をあけていました。したたりおちる水は、すずを鳴らすような音をたて、しかも真珠《しんじゅ》のようにすんだ、青白いほのおをあげて光りました。
氷ひめはルーディにキスしました。せすじからひたいにかけて、ぞっと氷のようなさむけが走りました。
ルーディはくるしみのさけびをあげて、身をふりほどくと、思わずよろめいて、そこにたおれました。目の前がまっくらになりました。でも、やがてまた目をひらきました。あやかし(わるい霊)が、ルーディをもてあそんだのです。
アルプスのむすめは、きえてしまっていました。むすめのいた小屋も、きえてしまっていました。水が、はだかの岩壁をしたたりおちていました。まわりには、雪がつもっていました。
ルーディは、はだまでぐっしょりぬれて、さむさに、ぶるぶるふるえました。バベットからもらった、婚約のゆびわはなくなっていました。銃は、かたわらの雪の中に、ころがっていました。それをひろいあげて、うってみようとしましたが、役にたたなくなっていました。きりが岩のさけめを、雪のかたまりのようにうずめていました。
めまいがそこにすわって、力つきたえものを、まちぶせていました。その下のふかい谷底では、じゃまするいっさいのものを、うちくだきひきさきながら、岩がころがりおちていく、すさまじい音がしていました。
いっぽう、水車小屋では、バベットがすわってないていました。ルーディは、もう六日もやってきませんでした。――ルーディがわるいのだ、あの人があやまりに来なくてはいけないんだ。だってわたし、これほどまごころをこめて、あの人を愛しているのだもの。
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十三 水車屋の家で
おざしきネコが、だいどころネコにいいました。
「人間て、まったくわけのわからないものね。バベットさんとルーディさんの間が、また切れてしまったのよ。女のほうはないているけど、男のほうは、きっともう、なんとも思っちゃいないのだわ」
「まあ、いやなこった」と、だいどころネコはいいました。
「わたしもそう思うわ。でも、わたしたいして気にしちゃいないの。バベットさんは、あの赤いほおひげさんのおよめになればいいんだもの。それはそうと、あの赤いほおひげさんは、屋根にのぼろうとして以来、ちっともすがたを見せないわね」
こう、おざしきネコがいいました。
あやかしはわたしたちのまわりにも、わたしたちの心の中にも、はたらいています。それを経験したルーディは、そのことをよく考えてみました。あの高い山の上で、身のまわりに、また心の中におこったのは、なんだったでしょう。ゆうれいだったでしょうか、熱のための、まぼろしでしたろうか。
いままでルーディは、熱とか病気とかいうものを知りませんでした。バベットをひなんしたときに、ルーディは、じぶん自身の中をのぞきこんだのでした。そして、じぶんの心のあらあらしいうごきを、その中にあたらしくばくはつしたフェーンのあらしを、考えてみました。
――あの試練《しれん》のときに、いまにもおこないとなってあらわれそうだった考えの一つ一つを、ぼくはバベットに告白することができるだろうか。バベットからもらったゆびわを、ぼくはなくしてしまった。だけれど、これがなくなったからこそ、ぼくはこうしてまた、バベットのところへもどることができたのだ。いったいバベットは、ぼくにざんげするだろうか。
バベットのことを思うと、ルーディの心ははりさけそうになりました。いろいろの思い出が、うかんできます。バベットのあかるい、いきいきとした、ほほえみをうかべたいたずらっぽい、子どものようなすがたがありありと見えました。
あふれる心の思いをこめてかたった、かの女の多くのやさしいことばが、太陽の光のように、ルーディのむねの中にながれこんできました。そんなわけで、まもなくバベットは、またもやルーディのむねの中で、あふれるばかりに太陽の光をあびて立っているのでした。
そうだ、バベットはざんげするだろう、きっとわびるにちがいない。ルーディは水車小屋につきました。そして、ざんげの式がはじまりました。
それはキスにはじまって、ルーディがわるかったと、あやまることでおわりました。――かれの大きなあやまちは、バベットのまごころを、かりにも、うたがったということでした。
これはたしかに、ルーディがわるいのです。そのようなうたぐりぶかさ、そのようなはげしい気性《きしょう》は、おたがいを不幸につきおとしてしまうでしょう。
これは、たしかなことです。そこでバベットは、ちょっとしたお説教《せっきょう》をしました。バベットには、それがたのしくもあれば、愛らしくにあいもしました。
それにしても、ルーディのいいぶんの中にも、正しいことが一つありました。それは、名づけ親のしんせきのやつはおしゃべりだった、ということでした。バベットは、おくられた本はやいてしまいます、また、あの人のことを思い出させるようなものは、なに一つとっておきませんといいました。
「さあ、これでめでたしめでたしよ。ルーディさんが、またここへ来たの。ふたりはおたがいの気持ちがわかったのよ。これ以上の幸福はないって、ふたりはいってるわ」と、おざしきネコはいいました。
「わたしはゆうべ、ネズミのやつがいってるのを聞いたんだけれど、いちばんの幸福てのは、あぶらろうそくをたべることと、くさったべーコンを、どっさりためることだってさ。ネズミのいうことと、いったいどっちを信じたらいいんでしょうね」と、だいどころネコはいいました。
「どっちも信じないことだわ。そのほうがいつだって安全よ」と、おざしきネコはいいました。
ルーディとバベットにとっての、いちばん大きな幸福が、いよいよはじまりました。人生のいちばん美しい日といわれる、婚礼の日が近づいたのです。
でも、婚礼の式をあげるばしょは、ベックスの教会でも、水車屋の家でもありませんでした。名づけ親の夫人が、婚礼のお祝いはじぶんのところで、式はモントルーの美しい小さい教会であげたいといいました。
水車屋の主人は、おくさんののぞみどおりにしなくては、といいました。この人には、花よめ花むこにたいして、名づけ親がどういうことを考えているかわかっていたからです。ふたりはおくさんから、お祝いの品をもらうにきまっています。それを思えば、こんな小さな譲歩《じょうほ》はなんでもありませんでした。
日どりもきまりました。その前の晩、三人はビルヌーブまで行ってとまり、あくる朝早く、船でモントルーにわたることにきめました。そうすれば、名づけ親のむすめさんたちが花よめをかざってくれる時間も、たっぷりありますから。
「近いうちにこの家では、きっと婚礼のお祝いがあるわよ。ちがったらわたし、ミャウともいいませんよ」と、おざしきネコがいいました。
「宴会があることはたしかだよ。カモはころされるし、ハトはしめられるし、ほかにも動物が、ずらりとかべにつるされてるもの。見てるだけでも、よだれがたまってくるわよ。――あした旅に出るんだってね」と、だいどころネコはいいました。
そう、あしたです。――その晩ルーディとバベットとは、婚約時代《こんやくじだい》のさいごの夜を、水車屋ですごしました。
外では、アルプスの山々が、夕やけにもえていました。夕べの鐘が鳴りわたり、太陽のむすめたちが、「いちばんよいものが、これから来るよ」とうたっていました。
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十四 夜のまぼろし
太陽はしずみ、雲が高い山々の間の、ローヌ川の谷間におりてきました。アフリカから来る風が、高いアルプスをこえて、南からふきつけました。それがフェーンで、雲をこなごなにひきさいてしまいます。
その風がとおってしまうと、しばらくは、しんとしずまりました。ひきさかれた雲が、森におおわれた山の間を、すさまじくながれているローヌ川の上に、ふしぎな形をしてうかんでいました。その形には、太古《たいこ》の世界にいた、海の怪獣《かいじゅう》のようなのや、空をとんでいるワシのようなのや、ぬまの中ではねているカエルのようなのがありました。
それらの形は、急流の上におりてきて、水のおもてに乗っているように見えましたが、やっぱり空中にうかんでいるのでした。
そこへ、根こそぎにされた、一本のモミの木がながれてきました。その前では、水がぐるぐるうずをまいていました。それはめまいでした。よく見ると、あわだちながれていく川の上にできているうずまきは、一つや二つではききませんでした。
月が山のいただきの雪や、黒々とした森や、白いふしぎな形の雲をてらしました。この白い雲こそ、夜のまぼろしであり、自然の力の霊なのでした。山のお百姓は、この霊たちが氷ひめの前を、むれをなしてとんでいくのを、まどガラスごしに見ました。
氷ひめは氷河の宮殿を出て、根こそぎにされたモミの木の、くだけやすい船の上にすわっていました。そんなふうにして氷ひめは、氷河の水にはこばれてながれをくだり、ひろびろとした湖に出るのでした。
「そら、婚礼のお客たちが、やってくるぞ」と、さわいだりうたったりする声が、空にも水にもひびきました。
まぼろしは外にも、内にもいました。バベットはふしぎなゆめを見ました。もうルーディと結婚して、何年もたっているようでした。夫はかもしか狩りに出ていて、バベットは家でるすをしていました。
ところが、そばに金色のほおひげをはやした、あのわかいイギリス人がすわっていました。男は熱っぽい目をしていて、ことばには魔法の力がありました。男は、バベットの手をとりました。かの女はどうしても、男のあとについていかなければなりませんでした。ふたりは故郷をすてて、谷をどこまでもくだっていくのでした。
バベットは、心の上になにか、おもいものが乗かっている気持ちでした。その重荷が、だんだんおもくなっていきました。それはルーディにたいする罪でした。神さまにたいするつみでした。とつぜんバベットは、たったひとりになっていました。
着物は、イバラで、ずたずたにひきさかれていました。かみの毛は白くたっていました。かなしみにうたれて、ふと上のほうを見ると、絶壁のはしに、ルーディのいるのが目にとまりました。バベットは夫のほうに、手をさし出しましたが、名をよぶげんきも、すくいをもとめる勇気もありませんでした。たとえそうしたとしても、むだでした。
というのは、バベットには、すぐそれがルーディその人ではなくて、猟師がよくカモシカをだますためにやるように、登山づえにかけてある、夫の胴着とぼうしだということがわかったからです。バベットは、かぎりないかなしみにしずんでなげきました。
「ああ、わたしの生涯のいちばん幸福な日だった、あの結婚の日に、いっそ死んでしまったらよかったのに。あのときが、わたしにもルーディにとっても、いちばんよい日だったのだわ。だれが、未来のことを知っていたでしょう」
こうしてつみぶかいなやみの中にバベットは、ふかい岩のさけめに身を投げました。プツンといとが切れてかなしい音がひびきました。――
バベットは、目をさましました。ゆめはおわって――しかも、あとかたもありませんでした。
けれども、なにかおそろしいゆめを見たこと、もういく月もあったこともなく、考えたこともない、あのわかいイギリス人のゆめを見たことだけは、頭にのこっていました。
あの人はモントルーに、いるのでしょうか。
小さなかげが、バベットのかわいい口もとをかすめました。まゆがしかめられました。けれども、まもなく口もとのほほえみと、目のかがやきはもどってきました。外では太陽が、美しくてっていました。あすはいよいよ、ルーディとの結婚の日です。
バベットが居間へおりていったときには、ルーディは、もうそこに来ていました。まもなく三人は、ビルヌーブをさして出かけました。ふたりとも、このうえなく幸福でした。水車屋の主人もおなじことでした。このうえもない上きげんで、とてもほがらかにわらいました。ほんとによいおとうさんでした。そんけいしていい人でした。
「さあ、これでいよいよ、わたしたちがこの家のご主人さまよ」と、おざしきネコはいいました。
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十五 むすび
三人の幸福な人たちが、ビルヌーブの町について食事をしたときは、まだ、夕がたになっていませんでした。水車屋の主人は安楽いすにこしかけて、パイプをふかしていましたが、やがてうとうとと、いねむりをはじめました。
わかいいいなずけどうしは、うでをくんで町の外へ出ていくと、青みどり色をしたふかい湖にそった、木のしげっただんがいの下の道をさんぽしました。
陰気《いんき》なシヨンの城が、はい色のかべとおもくるしい塔とを、すんだ水のおもてにうつしていました。三本のアカシアのしげった、小さい島は、そのてまえにあって、湖にうかんだ花たばのように見えました。
「あそこは、どんなにきれいでしょうね」と、バベットはいいました。
そしてこんどもまた、ひどくそこへ行きたがりました。このねがいは、こんどはすぐかなえられました。岸に一そうのボートがありました。それをつないであったつなは、すぐにとけました。許可をもとめる人がどこにも見えなかったので、ふたりはそのままボートに乗りこみました。ルーディは、ボートをこぐこともたくみでした。オールは魚のひれのように、おだやかな水をかきわけていきました。この水は、そんなにも従順《じゅうじゅん》なくせに、かたいっぱいに、おもいものをになうだけの強さをもち、なにものでものみこむ、大きな口をもっています。
また、柔和《にゅうわ》そのもののように、やさしくほほえむかと思うと、なにものをも破壊《はかい》せずにはいない、おそろしさと強さをしめすこともあります。ボートがすすんでいくあとには、水があわだちました。
ボートは五分ほどで島について、ふたりはそこに上陸しました。島には、ふたりがおどれるくらいのばしょしかありませんでした。
ルーディはバベットと、二、三かいおどりまわりました。それからふたりは、えだをたれているアカシアの木の下の、小さなベンチにすわって、目と目を見かわし、手をとりあいました。
まわりのあらゆるものが、夕日の光をあびてかがやいていました。山の上のモミの森は、ちょうど花ざかりのヒースのように、赤みがかったライラック色に見えました。
木がなくなって岩山がむき出しになっているあたりは、まるで岩がまっかにねっして、すきとおってでもいるように見えました。空の雲は赤いほのおのようにかがやき、湖ぜんたいが、あざやかな色をしたほのおのバラのようでした。
かげが、雪におおわれたサボアの山にのぼっていくにつれて、山々は、あい色にそまりましたが、いっぽう、いちばん高い峰々は、まっかな溶岩《ようがん》のようにかがやきました。それはこの赤熱《せきねつ》した岩のかたまりが、大地のふところから出てきて、まだひえきらないときの、山の創造《そうぞう》の瞬間を再現していました。
こんなに美しいアルプスの夕やけは、ルーディもバベットも、いままで見たことがないと思いました。雪をいただいたダン=デュ=ミディの峰は、地平線の上にあらわれたときの満月のように、光りかがやいていました。
「なんという美しさ。なんというしあわせ」と、ふたりはいいました。
「この世でこれ以上のことは、のぞめないな」と、ルーディはいいました。
「このような夕ベのひとときこそ、人生そのものだ。いま感じているような幸福を、ぼくは前にもときどき感じた。そのたびに、この瞬間にすべてがおわってしまったら、ぼくの一生はどんなに幸福だろう、この世はどんなにめぐまれたものに感じられるだろう、と思ったものだ。
ところが、その日がおわって、あたらしい日がはじまると、その日は前の日よりも、いっそう美しく見えるんだ。神さまはほんとにかぎりなくしんせつなお方だね、バベット」
「わたし、ほんとに幸福ですわ」と、バベットはいいました。
「この世に、これ以上のものをのぞむことはできない」と、ルーディはさけびました。
夕べの鐘がサボアの山々から、スイスの山々からひびいてきました。西のほうには、紺色のジュラ山脈が、金色の夕ばえの中にそびえていました。
「神さまが、どうかあなたにいちばんりっぱな、いちばんよいものをあたえてくださいますように!」と、バベットは心をこめていいました。
「あの方は、そのおつもりなんだ。あすはそうなるのだ。あすはきみが、すっかりぼくのものになる。ぼくのかわいいおくさん」と、ルーディはいいました。
「あっ、ボートが」と、そのときバベットがさけびました。
ふたりが乗ってかえるつもりで、つないでおいたボートがほどけて、岸からはなれていきます。
「ぼくがとってくるよ」
こう、ルーディはいって、うわぎをぬぎすて、くつをぬいで、湖水にとびこみました。そして、すばやくボートのほうにおよいでいきました。
山の氷河から来る水は、氷のようにつめたく、青みどり色にすんでふかくたたえていました。ルーディはちらと、一目だけ底のほうをのぞきこみましたが、なんだか金《きん》のゆびわが、きらきら、きらめいているのが見えたような気がしました。
かれは山でなくした、あの婚約のゆびわを思い出しました。すると、その金のゆびわがみるみる大きくなって、きらきらかがやく大きな輪になり、しかも、そのまん中に美しい氷河が光っているのでした。
まわりには底しれぬふかいふちが、大きな口をあけていて、したたりおちる水は、すずを鳴らすような音をたて、青白い、ほのおのような光をはなっていました。あっというまのことでしたけれど、長い多くのことばをついやさなければいえないほどのものを、ルーディは見たのです。
いままでに氷河のさけめにおちた、多くのわかい猟師やむすめや、男や女たちが、みんなげんきに生きかえって、目を見ひらき、ほほえみを口もとにうかべて立っていました。その人たちのはるか下のほうから、うずもれた町の鐘の音が、ひびいていました。みんなが教会のまるてんじょうの下にひざまずくと、つららがパイプオルガンの管になり、谷川がオルガンをかなでました。
氷ひめが、あかるくすきとおった水底にすわっていましたが、やがて、ルーディのほうにうかびあがってきて、かれの足にキスしました。氷のような死の戦慄《せんりつ》が、まるで電気にうたれたときのように、ルーディの全身をつらぬきました。氷と火。この二つのものは、ちょっとふれただけでは、区別がつきません。
「わたしのものよ」という声が、ルーディのまわりにも、内にもひびきました。
「おまえが小さかったとき、わたしはおまえにキスした。おまえの口にキスしたんだよ。いまわたしはおまえの足の指と、かかとにキスした。これでおまえはすっかりわたしのものよ」
そして、ルーディのすがたは、すんだ青い水の下に見えなくなっていきました。
すべては、しんとしずまりかえっていました。教会の鐘も鳴りおえて、さいごの音も、赤い雲のかがやきといっしょにきえていきました。
「おまえはわたしのものよ」と、ふかい底からひびいてきました。
「おまえはわたしのものよ」と高い、無限のかなたからもひびいてきました。
愛から愛へ、地上から天上へとんでいくのは、たのしいことでした。
絃《げん》が切れて、かなしみのしらべが鳴りました。死の氷のキスが、無常《むじょう》のものにうちかちました。序曲《じょきょく》がおわって、ほんとうの人生の劇がはじまるのです。不調和音が諧音《かいおん》の中へとけこむのです。
あなたはこれを、かなしい物語とよびますか。
かわいそうなバベット!
なんという、おそろしいひとときだったでしょう。ボートはいよいよ遠くへ、ながされていきました。
婚約のふたりがその小島へ行ったことを、こちらの岸にいた人は、だれも知りませんでした。夕やみがせまり、雲がひくくたれて、あたりはくらくなってきました。バベットはただひとり、絶望のうちになきながら立っていました。
夕立雲が、頭の上にのしかかって、いなずまがジュラ山脈の上や、スイスやサボアの山々の上に光りました。四方八方でいなずまがつぎつぎにひらめき、かみなりがかみなりにつづいて、何分間もゴロゴロと鳴りつづけました。
いなずまはまもなく、太陽のかがやきほどになって、ブドウの木の一本一本が、まるでまっ昼間のようにはっきりと見わけられました。が、たちまちまたすべては、まっ黒いやみにつつまれてしまうのでした。
いなずまは曲線になり、輪になり、ジグザグになって、湖じゅうをうち、それがまた、四方に反射《はんしゃ》しました。その間にも、かみなりはあたりの山にこだまして、ますます大きくなりました。
むこうの岸では、ボートはみな岸にひきあげられました。生きているかぎりのものはすべて、ひなんするばしょをさがしました。――やがて雨がどしゃぶりにふってきました。
「こんなひどい夕立の中を、ルーディとバベットはどこへ行ってるんだろう」と、水車屋の主人はいいました。
バベットは手をくみ、頭をひざにうずめて、うずくまっていました。かなしみのあまり、さけぶこともなくこともできませんでした。かの女は心の中でいいました。
「あのふかい水の中に、ずっと底のほうに、ちょうど氷河の下になったようにして、あの人はいるのだわ」
すると頭の中に、ルーディから聞いた話がうかんできました。――おかあさんが死んで、ルーディだけがたすかったこと、けれども氷河のさけめからすくい出されたときは、死んだようだったことなどが。
「そうだ、氷ひめが、またあの人をつかまえたんだわ」
そのとき、白い雪の上の太陽の光のように、目のくらむようないなずまが、さっとひらめきました。バベットは、思わずとびあがりました。みるみる湖の水がもりあがって、きらめく氷河のようになったと思うと、そこに氷ひめがおごそかに、青白く光りながら立っていました。その足もとには、ルーディの死がいがよこたわっていました。
「わたしのものだよ」と、氷ひめはいいました。
とたんにあたりはまっくらやみになり、ふりしきる雨の音ばかりが、耳をうちました。
「おおこわい。いよいよ、わたしたちの幸福な日が来ようというときに、なぜあの人は、死ななければならないのだろう。神さま、どうぞ、わたしの理性を、光りかがやかせてくださいませ。どうぞ、わたしの心に、光を投げこんでくださいませ。わたくしには、あなたのお考えがわかりません。ただ、あなたの全能《ぜんのう》のお力と知恵とを、手さぐりしているだけでございます」
こう、バベットは、なげきかなしみながらうったえました。
と、そのとき神さまは、バベットの心の中をてらされました。反省の光、めぐみの光の中に、昨夜のゆめが、まざまざとバベットの心にうかびあがりました。そのときじぶんのいったことばも、思い出されました――じぶんとルーディとにとって、いちばんよいことと思ってねがった、あのことばが。
「ああ、ああ! あれがわたしの心の中の、つみのめばえだったのだわ。わたしがゆめに見たのは、未来の生活のことだったのだわ。わたしがすくわれるためには、命のいとがたち切られなくてはならなかったのだわ。なんと、みじめなわたし!」
バベットはなげきかなしみながら、まっくらやみの中にすわっていました。そのふかいしずけさの中で、バベットには、ルーディがさいごにいったことばが、まだひびいているように思われました。
「これ以上のものを、人生があたえることができようとは思えないな」
そのことばは、よろこびにあふれて鳴りひびきましたが、いまでは、かなしみのいずみの中からこだまをかえしていたのです。
それから数年たちました。湖水はほほえみ、岸もほほえんでいます。ブドウのつるには、ふくらんだブドウのふさが、さがっています。汽船が風にはたをなびかせて、とおりすぎていきます。二まいの帆をはったヨットが、かがみのような水の上を、白いチョウのようにとびまわっています。
鉄道が開通して、シヨンをとおって、ふかくローヌ川の間にはいっています。どの停車場でも外国人が下車します。みんなは赤い表紙の旅行案内を手にして、どこを見物したらいいかをよんでおきます。
みんなはシヨンをおとずれます。すると、湖の中に三本のアカシアのある、小さな島があるのが見えます。案内書をよむと、一八五六年のある夕ベ、結婚を前にしたふたりがこの島にわたったこと、そして花むこは死に、「あくる朝になってはじめて、絶望した花よめのさけび声が岸に聞こえてきた」ことがかかれているのでした。
けれども案内書には、バベットがおとうさんの家でおくっている、しずかな生活のことは、なにもかいてありません。その家というのは、水車屋ではありません。水車屋には、いまは、ほかの人が住んでいて、バベットたちはいまは、停車場に近い美しい家でくらしています。その家のまどから、かの女はいく晩も、クリのなみ木ごしに、むかしルーディが走りまわった雪の山をながめます。また夕がたには、アルプスの夕やけをながめます。
その山の上には、太陽の子どもたちがすわって、つむじ風にがいとうをはがれて持っていかれた旅人の歌を、くりかえしくりかえしうたっています。持っていったのは着物で、人間ではありませんよ。
山の雪の上にはばら色のかがやきがあります。
「神はわたしたちに、最善《さいぜん》のことがおこるようにしてくださる」という考えをもっている人の心にも、ばら色のかがやきがあります。でも、それは、バベットにゆめの中でしめされたようには、いつもわたしたちにしめされるというわけにはいきません。
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チョウ
チョウが、およめさんをもらおうと思いました。もちろん、およめさんは、かわいい花の中からえらぶつもりでした。
そこで、花たちを見わたしますと、どの花も婚約前《こんやくまえ》のおじょうさんのように、しずかにおぎょうぎよく、それぞれの茎《くき》の上にすわっていました。ところが、こんなにたくさんあるうちからえらび出すのは、たいへんむずかしいことでした。そういうむずかしいことは、チョウはとくいじゃありません。そこで、さっそくヒナギクのところへ、とんでいきました。
ヒナギクのことをフランス人は、マルゲリーテとよんでいますが、この花でうらないをすることを知っています。それは、愛《あい》する男女が、この花の花びらを一まい一まいむしりながら、一まいむしるごとに、恋人《こいびと》についてこんな問《と》いをかけるのです。
「心から? ――くるしいほど? ――とても愛しているの? ――ほんのちょっぴり? ――ぜんぜん?」といったようなぐあいにね。
うらないをしてもらおうと思う人は、めいめいじぶんのことばで、問いをかけるのです。このチョウも、うらなってもらうためにやってきたのでした。
チョウは花びらをつみとることはしないで、そのかわり一まいごとにキスをしました。しんせつは成功《せいこう》のもと、といいますからね。チョウはいいました。
「やさしいマルゲリーテのヒナギクさん。あなたは花の中で、いちばんかしこいおくさんです。あなたはうらないがおできになるそうですが、ぼくにおしえてくださいませんか。ぼくのおよめさんになるのは、これですか、あれですか。だれが、ぼくのおよめさんになるのでしょうか。それがわかったら、ぼくはすぐそこへとんでいって、結婚《けっこん》をもうしこみますが」
ところが、マルゲリーテは、ひとこともへんじをしませんでした。マルゲリーテは、チョウがじぶんのことをおくさんとよんだのが、気にいらなかったのです。
なぜなら、マルゲリーテはおじょうさんでしたから。そして、おじょうさんなら、おくさんではありませんものね。
チョウは、二度も三度も聞《き》いてみました。でも、ひとこともへんじを聞くことができませんでしたので、もうそれ以上は、問いをかける気にもなれません。そのまま求婚《きゅうこん》の旅に、とび出していきました。
時はちょうど、春のはじめでした。マツユキソウとクロッカスが、いっぱいさいていました。
「これはかわいらしい。堅信礼《けんしんれい》をうける年ごろのおじょうさんたちだ。だが、すこしうぶすぎるな」
こう、チョウはいいました。そして、すべてのわかい男のように、年上のむすめのほうに目をつけました。そこで、アネモネのところへとんでいきましたが、これはチョウには、すこしはげしすぎました。スミレはすこし空想的《くうそうてき》だし、チューリップははですぎるし、スイセンは平民的《へいみんてき》すぎるし、ボダイジュの花は、小さすぎるうえに、家族が多すぎました。
リンゴの花は、見たところは、たしかにバラのようでしたが、きょうさいていても、あす風がふくとすぐちってしまうので、それではあまりに結婚生活がみじかすぎると、チョウは思いました。
けっきょく、いちばん気にいったのは、エンドウの花でした。それは赤と白で、きよらかで上品《じょうひん》で、ようすもよく、それでいて、だいどころしごともよくできる、家庭的《かていてき》なむすめさんでした。
チョウはもうすこしで、結婚をもうしこもうとしました。ところが、ちょうどそのとき、じぶんのすぐそばに、まめのさやが、さきにしぼんだ花をつけて、ぶらさがっているのを見つけました。
「これはだれですか」と、チョウはたずねました。
「わたしのねえさんですの」と、エンドウの花はこたえました。
「なるほど、ではきみもやがては、こうなるんですね」チョウはおそれをなして、とびさりました。
スイカズラが、いけがきの上にさいていました。おじょうさんがやたらといましたが、どれもこれも顔が長い、はだの黄色いおじょうさんたちでした。こういうのは、チョウはすきではありませんでした。では、どういうのがすきなのでしょうか。それはチョウに、聞いてください。
春がさり、夏がさって秋になりました。けれども、チョウはあいかわらずでした。花たちは、いちばん美しい着物《きもの》を着ました。けれども、そんなことをしてもだめです。いまでは、におうような、みずみずしい青春《せいしゅん》の心というものがありませんもの。
年をとると、だれでもにおいというものに、あこがれるようになるものです。ところが、そのにおいが、ダリヤやタチアオイでは、たいしたことがありません。そこでチョウは、オランダハッカソウのところへおりていきました。
「これには花は、一つもないが、ぜんぶが花みたいなものだ。根《ね》のさきから葉のてっぺんまで、いいかおりがする。葉の一まい一まいに、花のにおいがある。この子をおよめさんにしよう」
こうして、チョウはとうとう、結婚《けっこん》のもうしこみをしました。ところが、オランダハッカソウはかたくなってじっと立っていましたが、さいごにこういいました。
「お友だちづきあいですよ。それ以上はいけません。わたしは年よりですし、あなたもお年よりです。おたがいにたすけあうことはけっこうですわ。でも、結婚なんて。――いいえ、それはいけません。こんな年して、おたがいに、ばかなまねはよそうじゃありませんか」
そんなわけで、チョウは、だれもおよめさんにすることができませんでした。あんまり長くさがしまわっていたからです。
こういうことをしてはいけません。チョウはいわゆる、「しなびたひとりもの」になってしまいました。
秋がふけて、きりと雨がやってきました。つめたい風が、年とったヤナギのせなかにふきつけました。おかげでヤナギのせぼねは、ミシミシといいました。もはや夏服《なつふく》でとびまわって、いわゆる、「愛を手に入れる」ような季節《きせつ》ではありません。チョウも、もう外をとびまわらなくなりました。いつのまにか、ふらふらっと、へやの中にはいっていました。そこはストーブに火があかあかともえていて、まるで夏のように、あたたかでした。ここならどうやら生きていけるでしょう。ところが、チョウはいいました。
「ただ生きているだけじゃだめだ。太陽《たいよう》の光《ひかり》と、自由《じゆう》と、小さい花とがなくちゃ」
こういってチョウは、まどガラスのほうへとんでいきました。へやにいた人がそれを見て、あまりきれいなのに感心《かんしん》して、ピンでさして、標本《ひょうほん》ばこの中に入れてしまいました。これ以上の待遇《たいぐう》はありませんとも。
「これでぼくも、花たちとおなじに茎《くき》の上にすわったぞ」と、チョウはいいました。
「が、さてすわってみると、あんまり気持《きも》ちのよいもんではないな。結婚というやつも、きっとこんな風なんだ。みんな、じっとすわっているからなあ」
こういって、じぶんでじぶんをなぐさめました。
「そんななさけないこと、おっしゃるものじゃないわ」と、へやにあったはち植《う》えの花が、いいました。
「しかし、はち植えの花のいうことは、あんまり信用《しんよう》できないぞ。あれは人間と、あんまりなかがよすぎるからなあ」
こう、チョウは心の中で思いました。
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プシケ
あけがた、ばら色の空に大きな星が一つ光っています。それはあけの明星《みょうじょう》です。その光は白いかべにちらちらふるえて、ちょうど、そこになにか、じぶんの知っている物語を、かきしるそうとしているように見えます。それは星が、このわたしたちの住《す》む地球《ちきゅう》の上で、何千年もむかしから見てきた物語なのです。では、その物語の一つを聞いてみましょう。
ついさきごろ、――といっても、わたしたち人間にとっては、何百年もむかしのことですが、――わたしの光は、ひとりの、わかい芸術家《げいじゅつか》を追《お》っかけていました。そこは法王《ほうおう》の国、世界のみやこ、といわれるローマでした。
この都でも、ときがたつにつれて、多くのものがかわりましたが、でもその変化は、人間が、子どもから年よりにかわるほどには、あわただしくありません。むかしの皇帝《こうてい》の城《しろ》は、いまとおなじに、もう廃墟《はいきょ》になっていました。イチジクの木やゲッケイジュが、たおれた大理石《だいりせき》の間やかべに黄金《おうごん》のあとをきらめかした、あれはてた浴場《よくじょう》の上においしげっていました。コロセウム(ローマ帝国時代につくられた巨大な円形劇場)も廃墟になっていました。
教会《きょうかい》の鐘《かね》が鳴り、香《こう》のけむりがただよいました。ろうそくときらびやかな天蓋《てんがい》とをもった行列《ぎょうれつ》が、町をねり歩きました。
そこには、神聖《しんせい》な教会と、けだかい神聖な芸術《げいじゅつ》がありました。このローマで、世界でもっとも偉大《いだい》な画家《がか》ラファエロはくらしたのです。またここには、その時代の第一の彫刻家《ちょうこくか》、ミケランジェロも住んでいました。法王《ほうおう》でさえも、このふたりをたいそうそんけいして、わざわざたずねていったものです。このように芸術はみとめられ、うやまわれ、むくいられていました。
だからといって、すべての偉大なもの、才能《さいのう》のあるものが、みとめられ、世の中に知られたわけではありません。
とある小さなせまい通りに、一けんの古い家が立っていました。むかしは神殿《しんでん》だった建物《たてもの》です。
ここに、ひとりのわかい芸術家が住んでいました。この芸術家はまずしくて、世間にはすこしも知られていませんでした。けれども、わかい友人が、いく人もありました。この人たちもやはり芸術家で、心持《こころも》ちものぞみも考えも、わかわかしい人たちでした。この人たちはわかい芸術家にいいました。――きみは才能もあるし、うでもいいくせに、じぶんではそれをすこしも信じないばかものだ、と。
ほんとうにこのわかい芸術家は、いつもねんどで形をつくっては、またそれをこわしていました。すこしもまんぞくできないで、なに一つしあげることができなかったのです。でも、世間に知られ、みとめられてお金をもうけるには、なにかをしあげなければなりません。
みなはいいました。
「きみは空想家《くうそうか》だ。それがきみの不幸《ふこう》なのだ。それはつまり、きみがまだ、ほんとうに生きていないからだ。人生をあじわっていないからだ。人生の大きな、健康《けんこう》なすがたをたのしまなければいけないのにね。
わかいうちこそ、そうすることができ、またそうすべきであって、そうしてこそ、ひとかどのものになれるんだ。あの偉大な大家《たいか》、ラファエロを見たまえ。法王もそんけいせられ、世間も驚嘆《きょうたん》している、あのラファエロを。かれは酒とパンとを、けっしてけいべつしはしなかった」
「きれいなパン屋のおかみさんの、フォルナリーナといっしょに食事をしたりしてさ」と、中でもいちばん陽気《ようき》な、わかい友だちのアンジェロがいいました。
こんなふうにみんなは、めいめいのわかさと知恵《ちえ》にまかせて、いろいろおしゃべりをしました。それはこのわかい芸術家を、陽気《ようき》でげんきなあそびのなかまに、思いきっていえば、ばかさわぎのなかまに入れようとしたからでした。
わかい芸術家も、一時《いちじ》はその気になりました。わかわかしい血はあつく、想像力《そうぞうりょく》も強かったので、みんなのゆかいな話のなかまにはいって、みんなといっしょに、高らかにわらいもしました。
けれども、人々のいう、「ラファエロ式《しき》の陽気な生活」が、朝ぎりのように目の前からきえさって、この偉大な大家の絵からかがやき出る、こうごうしいまでの光をながめるとき、あるいはバチカン宮殿《きゅうでん》で、千年もむかしの大家たちが大理石《だいりせき》でつくった、美しいものの前に立つとき、このわかい芸術家のむねはふくらみ、じぶんの中になにかけだかい、神聖な、心を高めるところの、ある大きいとうといものを感じるのでした。
そして、じぶんもなにかつくりたい、大理石からそのようなすがたをきざみ出したいと、ねがうのでした。じぶんの心の中から、無限《むげん》なものへむかって高まっていくもの、それを形にあらわしてみたいと思いました。
しかし、どのようにしてつくり、また、どのような形にしたらいいのでしょう。やわらかいねんどがじぶんの指のうごきにつれて、美しい形をとることはありましたが、あくる日には、きまってまた、じぶんのつくったものを、じぶんの手でこわしてしまうのでした。
ある日のこと、ローマの、とあるりっぱなごてんの前を、このわかい芸術家はとおりかかりました。大きくひらかれた門の前に足をとめて、中を見ますと、壁画《へきが》にかざられた回廊《かいろう》が、小さい庭をとりまいていました。庭は、このうえもなく美しいバラの花でいっぱいでした。大きなまっ白いカラーの花が、みどり色のつややかな葉といっしょに、大理石の水《すい》ばんからうき出ていました。水ばんの中ではきれいな水が、ピチャピチャ音をたてていました。
そのとき、そのそばを人かげが、ひとりのわかいむすめが、かろやかにとおりすぎました。それは、このごてんのおじょうさまでした。見るからに上品《じょうひん》な、美しいおじょうさまです。これほど美しい人は、まだ見たことがありませんでした。
いやいや、見たことがないわけではありません。ローマのある宮殿《きゅうでん》で見たラファエロのかいたプシケ〔プシケはギリシア語で「心」「魂」のいみ。いっぽうまた、つばさをもった女神《めがみ》と想像されて、愛の神アモール(エロス)の愛人としてあらわされる。このお話でも、女神と「魂」との両方のいみをもたされている〕がそうでした。そうです、そこにかかれていたのはこの女の人であり、その人がここに生きて歩いていたのです。
わかい芸術家の頭と心の中に、この人のおもかげは、まざまざときざみこまれました。そこでじぶんのまずしいへやにかえってくると、さっそくねんどでプシケをつくりました。
それは美しい、わかいローマの貴族《きぞく》の女のすがたでした。わかい芸術家ははじめて、じぶんの作をまんぞくげにながめました。この作には、いみがこもっていました。それはあの女の人をうつしたのですから。
友人たちはこれを見て、よろこびの声をあげました。この作こそ、このわかい芸術家の偉大さのあらわれだ。その偉大さは、じぶんたちは前からみとめていたのだが、いまこそ、世間もそれをみとめるにちがいない、と。
ねんどには肉体《にくたい》と生命《せいめい》とが、こもっていましたが、大理石の白さと、強さとをもっていません。このプシケは、大理石の中で、ほんとうの生命をえなければなりません。
しかも高価《こうか》な大理石を、このわかい芸術家は持っていました。それは両親《りょうしん》の財産《ざいさん》として、何年も前から庭にころがっていたのです。びんのかけらや、ウイキョウの葉や、アザミのかれたのにおおわれて、おもてはすっかりよごれていましたが、中は山の雪のように、まっ白なはだをしていました。この中から、ぜひともプシケは出てこなければなりません。
ある日のことでした。
このことは明星《みょうじょう》は、じぶんでは見なかったので、ひとこともいいませんでしたが、わたしたちは、よく知っています。ローマの上流《じょうりゅう》の人たちのむれが、あのせまいみすぼらしい通りにはいってきました。馬車をすこしはなれたところにとめておいて、みんなは、かねてうわさに聞いていた、あのわかい芸術家の作品を、見にやってきたのです。
このえらい訪問客《ほうもんきゃく》たちは、だれでしょう。あわれなわかものよ。いいえ、あまりにも幸福なわかもの、といってもよいでしょうか。あのわかいむすめ自身が、かれのへやの中に立ったのでした。そして、むすめのおとうさんが、
「これは、おまえに生《い》きうつしだよ」
といったときの、むすめさんのほほえみは、とうてい形にはあらわすことができないし、そのまなざしは、うつしとることができませんでした。
このわかい芸術家を見つめた、えもいわれないそのまなざしは、人の心を高め、高貴《こうき》にし、そして、――うちくだくまなざしでした。
「このプシケは、ぜひとも大理石にしあげにゃならん」と、お金持ちのとのさまはいいました。
このことばはうっとりしていたわかものに、生命をもたらすことばであったと同時に、死んだねんどに、またおもい大理石に、生命をもたらすことばでした。
「この作ができあがったら、わしが買ってしんぜよう」
こう、とのさまはいいました。
まずしいしごと場は、あたらしい日をむかえたようになりました。生命と活気《かっき》とが、その中にみなぎって、さかんな活動がはじまりました。
かがやかしいあけの明星が、しごとの、どんどんはかどっていくのを見ていました。ねんどの像までが、むすめがここに来てからは、魂《たましい》をふきこまれたように見えました。それは、あのわすれることのできないおもかげを、高められた美《び》のうちにあらわしてきました。
「いまこそ、人生とはなんであるかがわかったぞ」と、わかい芸術家は、よろこびのさけびをあげました。
「それは愛《あい》なのだ。それは崇高《すうこう》なものへ高められること、美にうっとりとすることなのだ。みんなが人生だとか、たのしみだとかよんでいるものは、むなしいもの、酵母《こうぼ》の中でふつふつわきたっている、あわにすぎない。そんなものは、神聖な祭壇《さいだん》にささげるきよらかな酒ではない。生命を祝福《しゅくふく》するものではない」
大理石材が、しごと場に立てられました。のみが大きなかたまりをぶっかきました。それから寸法《すんぽう》をはかり、点としるしとをつけ、石工《いしく》のやるようなしごとがはじまりました。
こうして大理石は、だんだん人間の手足をあらわし、美しいすがたをあらわして、神のように美しいプシケを、あのわかいむすめのすがたにきざみ出していきました。
おもたい石が、ちょうど空中《くうちゅう》にただよってダンスでもするように、空気のようにかろやかになりました。そしてついに、天女《てんにょ》のようにきよらかなほほえみ――それは、このわかい彫刻家の心にきざみこまれていたものでした――をたたえた、美しいプシケができあがりました。
ばら色にそまった、朝の空に光っていた明星は、このわかものの心の中にうごいているものを見ぬいて、それを理解《りかい》しました。そのほおにかわるがわるうかびあがる色を、また、神さまのおつくりになったものをきざみ出そうとはたらいているときの、このわかものの目のかがやきを、理解《りかい》しました。
「きみは、ギリシア時代の大家にまけない彫刻家だ。まもなく全世界は、きみのプシケに目を見はるだろうよ」
これを見て、むちゅうになった友人たちがいいました。
「ぼくのプシケだって」と、わかい芸術家は、友だちのことばをくりかえしました。
「ぼくの? そうだ、あの人は、そうならねばならない。ぼくだって、あのむかしの偉大な人たちとおなじように、一個の芸術家なのだ。神さまはぼくに才能をめぐんで、ぼくをあの貴族《きぞく》の人たちとおなじに、高めてくださったのだ」
こういってかれはひざまずいて、神さまへの、かんしゃのなみだをながしたのでした。――しかしすぐまた、あのむすめのことを思って、神さまのことはわすれてしまいました。大理石にきざまれた、その人のおもかげのために、プシケのすがたのために。
雪でつくられたようにまっ白なプシケは、朝の太陽の光をあびて、顔をあからめてそこに立っていました。
そのうちにいよいよほんとうのかの女に、空にただようような生きたプシケに、音楽《おんがく》のような美しい声をもっている人に、あうことになりました。わかい芸術家は金持ちのごてんへ、大理石のプシケができあがったことを、知らせに行ったのです。
門をはいって、広い中庭をとおりました。大理石の水ばんの中では、イルカが、さらさらと水をふいていました。カラーがまっ白い花をさかせ、色あざやかに、バラがさきほこっていました。てんじょうの高い、大きなひかえの間にはいると、そこはかべもてんじょうも、もんしょうや絵で、色どり美しくかがやいていました。着かざっためし使いたちが、すずをつけたそりウマのようにむねをはって、ほこらかに歩きまわっていました。中には彫刻をほどこした木のこしかけに、まるでこの家のご主人のような顔をして、さもえらそうに、ねそべっているものもありました。
わかい芸術家が、用むきをいいますと、てらてら光った大理石の階段の、やわらかいじゅうたんの上を案内されました。階段の両がわには、彫刻がならんでいました。壁画《へきが》や、きらきらするモザイクのゆかをもったりっぱなへやを、いくつもとおりぬけました。あまりのごうしゃときらびやかさに、息がつまるような思いでした。
ところがまもなく、ほっと息をつくことができました。年よりのとのさまが、それはやさしく、心からといっていいほどの態度《たいど》で、むかえてくださったからです。こうしてお話をして、さてかえろうとすると、とのさまがおっしゃいました――シニョーラ(むすめの意)のところへ行ってやってくれ、あれもあいたくているだろうから、と。
そこでめし使いに案内されて、りっぱなへやや広間を、いくつもとおって、おじょうさまのへやに来ました。そのへやでは、おじょうさま自身が、なによりもりっぱなかざりでした。
おじょうさまは、わかい芸術家に話しかけました。どのような「ミゼレレ(主よあわれみたまえ)」の曲も、教会での賛美歌《さんびか》も、このわかい芸術家の心を、これほどしんみりさせたことも、これほど高めたこともありませんでした。
かれはおじょうさまの手をとって、くちびるにおしあてました。どんなバラの花びらも、これほどやわらかではありませんでした。しかしこのバラの花びらからは、火がもえ出ていました。その火が、わかい芸術家の全身をもえ立たせて、むがむちゅうにさせました。じぶんでも知らないうちに、ことばがくちびるをついてとび出しました。
いったい噴火口《ふんかこう》は、じぶんがまっかな溶岩《ようがん》をふき出していることを、知っているでしょうか。わかい芸術家は、愛の思いを告白《こくはく》したのです。おじょうさまはびっくりして、ぶじょくされでもしたように、ごうぜんとして立っていました――あざけりの色をうかべて。
それはまるで、だしぬけに、つめたいねとねとしたカエルにさわった、とでもいうような表情《ひょうじょう》でした。ほおは赤らみ、くちびるは、まっさおになりました。目は火のようにもえ、しかも夜のやみのようにまっ黒でした。
「気ちがい! 出ておいき、さっさと下へ」と、おじょうさまはさけんで、くるりと背をむけました。
その美しい顔には、見る人を石にしてしまう、あのヘビのかみの毛をしたメドゥーサ(ギリシア伝説の怪物、ゴルゴン姉妹のひとり)の表情があらわれていました。
生きたここちもなく、うちくだかれた気持ちで、わかい芸術家は、やっと通りに出ると、むゆう病者のようにして家にたどりつきました。そして心痛《しんつう》と狂気《きょうき》がこうじたあまり、やにわに、ハンマーをつかんで高くふりあげて、美しい大理石像を、いまにもうちくだこうとしました。
こんな気ぶんでいたので、かたわらに友だちのアンジェロが立っていたのに、すこしも気がつかなかったのです。アンジェロは、ぐいっと、そのうでをつかまえました。
「きみは気でもくるったのか。なにをしようというんだ」
ふたりはもみあいました。しかし、アンジェロのほうが力が強かったので、とうとうわかい芸術家は、息をはずませて、いすの上に身を投げ出してしまいました。
「いったい、どうしたというんだ。しっかりしろよ。事情《じじょう》を話したまえ」と、アンジェロはいいました。
しかし、なにをいうことができましょう。なにを話すことができましょう。アンジェロは、どうしても話の糸口《いとぐち》を見つけ出すことができませんでした。そこで、それ以上聞くことはやめていいました。
「きみはゆめばかり見ていたもので、血がにごってしまったんだ。ぼくたちのように、人間らしくなりたまえ。理想《りそう》を追ってばかりいては、生きていかれない。そんなことをしていたら、だれだってはめつしてしまうさ。すこしは酒でものんで、よっぱらうんだ。そうすりゃ、ぐっすりとねむれるよ。きれいなむすめさんを、きみのお医者にするんだね。
カンパニアのむすめは、大理石の城に住むおひめさまにまけずに美しいぞ。両方ともエバのむすめだ。パラダイスでは、くべつなんかないさ。きみのアンジェロにしたがいたまえ。ぼくはきみの天使、生命の天使さ。
きみだって、年よりになるときが来るんだ。肉体はやせしなび、なにもかもが、よろこびの声をあげている美しく晴れた日にも、きみはもう、成長することができないで、ひからびたわらくずみたいにころがっているのだ。
ぼくは墓場《はかば》のむこうにも生命があるという、ぼうさんのことばを信じない。そんなことは、美しい空想《くうそう》だ。子どもに聞かせるおとぎ話だ。それで生きられるなら、それもおもしろいだろう。だが、ぼくは空想の中に生きるんじゃなく、現実《げんじつ》に生きるんだ。さあ、いっしょに来たまえ。人間になるんだ」
こういってアンジェロは、わかい芸術家をひっぱっていきました。それができたのも、そのときは、わかい芸術家の血の中にも、火がもえていたからです。
その魂の中に変化が、――すべての古いもの、いままでなれしたしんできたものから、はなれてしまいたい、じぶんの古い自我《じが》からぬけ出したいという衝動《しょうどう》がおこっていたからです。こうしてわかい芸術家は、その日はアンジェロのことばにしたがったのでした。
ローマの町はずれに、芸術家たちのよく行く料理屋《オステリア》がありました。それは、むかしの浴場《よくじょう》の廃墟《はいきょ》の中にたてられたもので、だいだい色をした古いかべの一部をおおった、黒っぽいつやをおびた葉むれの間には、大きな黄色いレモンが実っていました。
その料理屋は、ふかい地下室にあって、まるで廃墟の中にうがった、あなのように見えました。ランプが一つ、おくのマドンナの像《ぞう》の前にもえ、いろりには、火があかあかとほのおをあげていました。ここでなんでもやいたり、にたり、むしたりするのです。
戸外《とがい》のレモンの木やゲッケイジュの下には、テーブルかけをかけたテーブルが、二つ、三つ立っていました。
れいのふたりは、陽気なよろこび声で、友人たちにむかえられました。みんなはあまりたべないで、さかんにのみました。それが座《ざ》をいっそうにぎやかにしました。歌をうたう人、ギターを鳴らす人。
サルタレロの曲が鳴りだすと、さっそく、陽気なダンスがはじまりました。わかい芸術家たちのモデルの、ローマむすめがふたり、ダンスのなかまにはいって、いっしょに、はしゃぎだしました。まさにふたりは陽気なバッカス(ギリシアの酒の神)の巫女《みこ》でした。そう、このふたりはプシケの形はしていません。上品な、美しいバラの花ではありません。けれども、いきいきとした、力強い、もえたつカーネーションの花でした。
この日はなんと、あつい日だったでしょう。太陽がしずんでも、まだあつかったのです。血の中にも火、空にも火、目という目の中にも火がありました。空は金《きん》とバラの色にとけ、生命は金とバラそのものでした。
「とうとうきみも、ぼくらのなかまになったね。きみのまわりや、きみの中にあるながれに、身をまかしたまえ」
「いままでぼくは、こんなに陽気でたのしい気持ちになったことはない。きみのいうことは、ほんとうだ。きみたちみんなのいうことは、ほんとうだ。ぼくはばかだった。ゆめを見ていたのだ。人間は現実の世界のもので、空想の世界のものじゃないのだ」
こう、わかい芸術家はいいました。
わかい人たちは、歌をうたいギターを鳴らしながら、星のあかるい夜空の下を、料理屋から、小道へおし出しました。火をふいている二つのカーネーション、カンパニアのむすめふたりも、その行列《ぎょうれつ》にくわわりました。
とりちらかしたスケッチや、投げ出された画用紙《がようし》や、もえるような、けばけばしい絵にとりまかれた、アンジェロのへやに来てからも、みんなの声は、いくらかひくくはなりましたが、あいかわらず火のようにもえました。ゆかの上にはカンパニアのむすめたちの、いろいろのすがたをかいた、力強い美しいスケッチが、いくまいもちらばっていました。けれども、絵よりもほんもののほうが、ずっと美しく見えました。
六つのうでをもった燭台《しょくだい》が、そのろうそくを、そろってあかるくもやしていました。そのほのおの中に、神のようなすがたをした人間のすがたが、光りかがやいてあらわれました。
「アポロ(ギリシア神話の太陽の神)よ。ジュピター(ローマ神話の最高の神)よ。あなたがたの天国と栄光《えいこう》の中へ、わたしはいま高められていきます。いまこそ生命の花が、わたしの心からさき出るのです」
そうです、生命の花はひらきました。――そして、くだけで、ちってしまいました。そして、気が遠くなるような、いやなもやがうずまいてきて、目をくらまし、頭をぼうっとさせました。官能《かんのう》の花火はきえ、あたりはくらくなってしまいました。
わかい芸術家は家にかえって、ベッドにこしかけて、正気《しょうき》にかえりました。
「ちょっ」かれ自身の口から、心のおく底から、こんな声がひびいてきました。
「みじめなやつだ。出ていけ、下へ。――」
こういって、いかにもかなしそうなためいきをつきました。
「出ていけ、下へ!」
あの人のいったこのことば、あの生きたプシケのいったことばが、このわかい芸術家のむねの中にひびき、くちびるをついて出てきたのです。顔をまくらにおしつけていると、頭がぼうっとしてきて、いつかねむってしまいました。
夜のあけがた目をさますと、もう一度、前の晩《ばん》のことを考えてみました。あれは、なんだったのでしょう。
みんなゆめだったのでしょうか。あの女のことばも、料理屋へ行ったことも、カンパニアのまっかなカーネーションとあかした一夜のことも。
いいえ、すべては現実のことでした。いままで知らなかった、現実の世界のことでした。
むらさき色の空には、あかるい星がかがやいて、その光が、わかい芸術家と大理石のプシケの上に、ちらちらとおちました。かれはこの不死《ふし》の像をながめて、思わず身ぶるいしました。その像を見るじぶんの目が、いかにも不純《ふじゅん》に思われたのです。
そこで、きれをかぶせてしまいました。それでも、もう一度そのぬのに手をかけて、おおいをとりのけようとしましたが、じぶんでじぶんの作品を見る勇気《ゆうき》が、どうしても出ませんでした。
わかい芸術家は、長い一日を、くらい気持ちで、ひっそりと物思《ものおも》いにふけって、すわっていました。
外におこったことなどは、すこしも耳にはいりませんでした。この人の心の中におこったことを知っているものも、だれひとりありませんでした。
何日かがすぎ、何週かがすぎました。一夜《ひとよ》一夜《ひとよ》が、このうえもなく長く思われました。
ある朝明星は、このわかい芸術家が熱病《ねつびょう》にふるえ、青い顔をしてねどこからおきあがって、大理石像のところへ行って、きれをとりのけるのを見ました。そしてかれは、いたましいしみじみとしたまなざしで、じぶんのつくった作品を見つめていましたが、やがて、おもみにおしつぶされそうになりながら、その大理石像を、庭に持ち出しました。
そこには、水のかれたくずれかかった井戸《いど》がありました。井戸というよりは、あなといったほうがよいかしれません。その中へかれは、プシケをしずめて、土を投げかけました。
そして、このあたらしい墓の上に、シバやイラクサをまきちらしました。
「出ていけ、下へ!」
これがみじかい弔辞《ちょうじ》でした。
ばら色の空から、それを見おろしていた星の光が、わかい男の、死人のように青ざめたほおをつたわる、二つぶのおもたいなみだに、ちらちらうつりました。熱の高い病人は、やまいのとこについたきり、人々からは、もうたすからない病人だといわれました。
修道僧《しゅうどうそう》のイグナチウスが、友だちとして、また医者として来てくれました。そして、宗教《しゅうきょう》のなぐさめをもたらし、教会の平和と幸福について、また、人間のつみと、神のおめぐみと平和について、いろいろと話してくれました。
これらのことばは、あたたかい太陽の光のように、なやんでいる、ぬれた大地をてらしました。すると、そこからじょうきがたちのぼって、あたりに、もやがただよいました。それは現実の世界から生まれてきた、心の絵すがたでした。このただよう島から、かれは人間の生活を見おろしました。するとそれは、あやまちの連続《れんぞく》でした。じぶんで考えてみても、やはりそうでした。
芸術は、わたしたちを、虚栄《きょえい》とこの世の快楽《かいらく》とにゆうわくする魔女《まじょ》でした。わたしたちは、じぶん自身をいつわり、わたしたちの友をいつわり、神さまをいつわっていたのです。ヘビはたえず、わたしたちの心の中でささやいていました。
「あじわえ、そうすればおまえは、神のようになるだろう」と――。
いまはじめて、わかい芸術家は、じぶんというものがわかったように、真理《しんり》と平和への道を見つけたように、思いました。教会の中には、神の光がかがやいていましたし、修道院《しゅうどういん》のへやには、魂のいこいがありました。そこでこそ、人間という樹木《じゅもく》は、永遠《えいえん》にむかって成長できるのだと思われました。
修道僧イグナチウスは、わかい芸術家の考えをはげまして、決心をかためさせました。こうして、この世の子は、教会のしもべとなりました。このわかい芸術家は、この世を見すてて、修道院にはいったのです。
わかい芸術家は、修道院の兄弟たちから、どんなに愛とよろこびをもって、むかえられたことでしょう。入門《にゅうもん》の式の、なんとはれがましかったことでしょう。
神さまは教会の中にさしてくる、太陽の光の中にいらっしゃるように思われました。聖者《せいじゃ》の像や、ぴかぴか光る十字架《じゅうじか》からも、光りかがやいているように思われました。
そしていま、夕がた、日のしずみかけるとき、かれが、じぶんの小さな修道院のへやのまどべに立つと、古いローマの町が見わたされ、くずれかかった神殿《しんでん》や、巨大な、しかし、死んでいるコロセウムが見おろされました。
また春になって、アカシアの花がさき、キヅタがみずみずしいみどりの色を見せ、バラの花がさきみだれ、レモンやオレンジの実がかがやき、シュロの葉が風にそよぐのを見ると、このわかい僧は、いままでけっしてなかったような感動《かんどう》をうけて、むねがいっぱいになるのでした。
ひろびろとひらけた、平和なカンパニアが、遠く雪をいただいた、山のほうまでひろがっていました。その青くかすんだ山々は、空にかいた絵のように見えました。すべてが一つにとけあって、空にただようように、まるでゆめみるように、平和と美の息をはいていました。――いや、すべてが一つのゆめでした。
そうです、ここから見る世の中は、ゆめでした。そのゆめはしばらくつづいて、また、間をおいてはおとずれてきます。それにしても修道院の生活は、長い長い年月にわたる生活です。
その間には、人間の品位《ひんい》をけがすようなことが、いろいろとあらわれてくるのを、わかいぼうさんは、感じないわけにいきませんでした。ときおり、じぶんの中にもえあがってくるほのおは、いったいなんでしょう。じぶんでそれをねがうでもないのに、たえず、つみのいずみがわき出てくるのは、どうしたわけでしょう。
ぼうさんは、われとわが身をむちうちました。それでもやはり、じぶんの中から、つみがのぼってきました。じぶんの心のすみにいる、まるでヘビのように、しなしなと身をくねらせて、愛という仮面《かめん》のもとに、良心《りょうしん》にくいいってくるものは、いったいなんでしょう。
そのものは、聖者たちが、われわれのためにいのってくださるのだ、聖母《せいぼ》さまが、われわれのためにいのってくださるし、イエスさまご自身もわれわれのために、血をながしてくださったのだとささやいて、じぶんでじぶんをなぐさめるのでした。
そのように、じぶんを神のおめぐみにゆだね、それでもってじぶんが、多くのものよりも高められていると感じるのは、子どもらしい心のせいでなければ、わかいものの、かるはずみな気持ちのせいだと思われました。なぜなら、この人は、じぶんからこの世のむなしさをしりぞけて、教会のむすことなったほどですから。
それから何年もたったのちのことです。ある日ふとかれはむかしの友だちの、アンジェロに出あいました。
「おや、きみじゃないか」と、アンジェロはいいました。
「そうだ、やっぱりきみだ。いまでは幸福なの。きみは神にそむいて、神が、きみにさずけてくださった、才能をすててしまった。この世でのきみの使命《しめい》を、だいなしにしてしまったのだ。『あずけられた金《かね》』のたとえ話をよむがいい。この話をされたとき、主は真理を話されたのだ。きみはいま、なにを手に入れ、なにを見いだしたかね。
けっきょくきみは、ゆめの生活におぼれているのではないか。宗教も、きみの頭ででっちあげたものではないのか。みんながやるようにさ。すべてはゆめだ、空想だ、美しい想像にすぎないのだ」
「サタンよ、され!」と、ぼうさんはいって、アンジェロからはなれました。
「あいつはあくまだ、人間のすがたをしたあくまだ。きょう、わたしはそれを見たのだ」と、ぼうさんはつぶやきました。
「わたしはかつてかれに、指を一本さし出した。するとかれは、わたしの手をそっくりぜんぶつかんでしまったのだ。――いや、そうじゃない」
こういって、かれは、ためいきをつきました。
「わたしのうちに、悪《あく》がひそんでいるのだ。あの男のうちにも、悪があるのだが、あいつはそれにおしつぶされもせずに、しゃあしゃあと歩きまわって、けっこうしあわせにやっている。――いっぽうわたしは宗教のなぐさめの中に、わたしのしあわせをもとめているのだ。――もしそれが、あの男のいうように、ただのなぐさめにすぎないとしたら。
ここにあるすべてが、わたしの見すてた世界とおなじに、ただの美しい空想にすぎないとしたら。赤い夕やけ雲の美しさのように、遠い山々の、青く波《なみ》うっている美しさのように、ただのまどわしにすぎないとしたら。近づいていったら、すっかりべつものになってしまうのだ。
永遠《えいえん》よ、おまえはしずまりかえっている、かぎりなく大きい海のようなものだ。おまえはわたしたちに目くばせをし、よびかけて、わたしたちの心を、あこがれでみたす。そこで、わたしたちが乗り出していくと、たちまち、わたしたちはしずんでしまうのだ。すがたをけして――死んでいくのだ。――この世にいなくなってしまうのだ。――まどわしよ。出ていけ、下へ」
なみだも出さずに、もの思いにふけって、ぼうさんは、かたい寝台《ねだい》の上にすわっていました。ひざまずいたままで。
――だれにたいしてでしょう。かべにはめこまれた石の十字架に? いいえ、習慣《しゅうかん》が、ただぼうさんのひざをまげたにすぎませんでした。
じぶんの心のおくを、ふかくのぞきこめばのぞきこむほど、そこは、いよいよくらくなるように思われました。
「内《うち》も無《む》だ、外《そと》も無だ! 一生をむだにしてしまった!」
こんな考えが、雪のたまのように、ころがるうちにどんどん大きくなっていって、このぼうさんをおしつぶし、ほろぼしてしまいました。
「この心を食いあらしているウジ虫のことは、だれにもうちあけてはならない。わたしのひみつは、わたしのとりこだ。もしこれをのがしたら、わたしが、こいつのとりこになってしまうのだ」
かれの中にある神の力は、もがきくるしみました。
ぼうさんは絶望《ぜつぼう》のはてに、さけびました。
「主よ、主よ。あわれみをもて、われに信仰をあたえたまえ。――あなたのおめぐみを、わたしは投げすててしまいました。この世における、わたしの使命を。わたしには、力がありませんでした。あなたはそれを、おめぐみくださいませんでした。
この不死なるもの、わたしのむねの中のプシケ(魂)よ、――出ていけ、下へ。――わたしはわたしの人生の、いちばん美しい光であった、あのプシケとおなじように、これをもほうむってしまいます。――もうけっして、墓場からあらわれることはありません」
星が、ばら色の空にかがやいていました。しかし、魂はいつまでも生きて、かがやきつづけるけれど、この星もきっと、いつかはきえてしまうことでしょう。そのちらちらする光は、白いかべの上にうごいていましたが、それがかきしるした文字は、神の栄光でもなく、おめぐみでもなく、信仰あるもののむねの中に高鳴《たかな》る、聖《せい》なる愛でもありませんでした。
「このむねの中にあるプシケは、けっして死ぬことはない。――意識《いしき》のうちに生きているのか、――そんな不可解《ふかかい》なことが、あるのだろうか。――そうだ、そうだ。このわたし自身が、はかり知ることのできないものだ。
おお、主よ、あなたははかり知ることのできない方です。あなたのおつくりになったこの世界ぜんたいに、はかり知ることのできないものです。――それは、あなたのお力の奇蹟《きせき》であり、栄光であり――愛であります。――」
修道僧の目はかがやいて、そのまま光をうしないました。
教会の鐘の音が、死んだぼうさんの上に、さいごの音をひびかせました。そしてかれは、土にほうむられました。――エルサレムから持ってきた土と、信心《しんじん》ぶかい死者たちのはいをまぜた中へ。
何年かのちに、そのがいこつがほり出されました。そして、以前に死んだ、ほかのぼうさんたちとおなじように、茶色のころもを着せられ、手にじゅずを持たされて、がいこつ堂の壁龕《へきがん》《かべのくぼみ》に立たされました。ローマの僧院《そういん》の墓地には、こんながいこつ堂が、ちょいちょい見られるのです。
外には太陽がかがやき、内には香《こう》のけむりが立ちこめていました。そして、ミサがおこなわれたのです。
それからまた、長い年月がたちました。
がいこつはばらばらになって、みんなのほねが入りまじりました。されこうべだけは、一つ一つならべられて、しまいには教会の外がわのかべはそれでうずまってしまいました。そこには、あのぼうさんのされこうべも、やけつくような太陽の光の中に立っていました。
そのような死者は、それはそれは多かったので、もうだれも、その名まえを知っているものはありません。もちろん、あのぼうさんの名まえも知りませんでした。
おや、ごらんなさい。太陽の光をあびて、二つの目のくぼみの中で、なにか、生きものがうごいていますよ。なんでしょう。一ぴきのあざやかな色をしたトカゲが、うつろなされこうべの中を走りまわって、二つの大きなからっぽの目のあなを、ちょろちょろ出たりはいったりしているのでした。
こんなにして、この頭の中にはいま、生命がうごいているのでした。かつては偉大な思想が、かがやかしいゆめが、芸術への愛と、神の栄光とがやどり、またそこから、あついなみだがあふれ出もすれば、また不死へのねがいが生きていた、頭の中に。
トカゲはひとはねはねて、すがたをけしました。されこうべは、ついにぼろぼろにくずれて、ちりの中のちりとなってしまいました。
それから、何百年もたちました。あかるい星は何千年のむかしとおなじように、大きくすんで光っています。空は、バラの花のようにあざやかに、血のように赤くもえていました。
むかし、古い神殿の廃墟があった、せまい通りはひろげられて、そこにはいま、尼僧院《にそういん》がたてられています。
あるとき、その庭に、墓あなを一つほっていました。わかい修道女《しゅうどうじょ》がひとり死んだので、その朝、土にほうむることになったのです。
そのとき、シャベルのさきが、石のようなものにぶつかりました。それは、まぶしいほど白く光っていました。やがてまっ白な大理石が見えてきて、それがだんだんまるみをおびて、かたほうのかたになり、なおも大きくすがたをあらわしてきました。――みんなはいよいよ用心ぶかく、シャベルをつかいました。
やがて、女の顔が見えてきました――つづいて、チョウのつばさが。こうして、わかいあまさんをほうむろうとした墓あなの中から、ばら色にかがやく朝、まっ白い大理石にきざまれた、美しいプシケの像が、ほり出されたのでした。
「こりゃ美しい、完成した作だ。芸術の最盛期《さいせいき》の名作です」と、人々はいいました。
作者は、いったいだれでしょう。それを知っているものはありませんでした。何千年もむかしからあかるくかがやいている、あの星よりほかには。この星は、その芸術家の、この世での一生のあゆみと、試練《しれん》と、まよいとを、つまりこの人が、「ただの人間にすぎなかった」ことを、ずうっと見てきたのでした。
しかし、この人はもう死んで、すべてのちりがそうならねばならぬように、ふきとばされてしまいました。
けれども、この人の最善《さいぜん》の努力の結晶《けっしょう》、この人の中にひそんでいる神性《しんせい》のプシケ(魂)をしめした、ずばらしい傑作《けっさく》――けっして死ぬことのない、この世の光として、死後にも名声を光りかがやかす、あのプシケが、いまここにあらわれて、人々の目にとまり、みとめられ、驚嘆《きょうたん》され、愛されたのでした。
ばら色の空にかがやくあけの明星は、そのまたたく光を、プシケの上に、おくりました。また、大理石にきざまれたこの魂に見とれて、うっとりしている人々の、口もとや目もとにただよう、幸福なほほえみのうえにも。
この世のものはすべて、風にふきちらされて、わすれられてしまいます。ただ無限の空にかがやく星だけが、それをおぼえています。
でも、この世のものならぬ神的《しんてき》なものは、死後の名声の中にかがやきます。そして、死後の名声がきえさるとき――そのときでもなお、プシケは生きています。(完)
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解説
アンデルセンの童話以外の作品
アンデルセンは童話以外にも、いろいろの作品をかいています。アンデルセンが世界に知られているのは、もちろん童話作家としてですから、ほかの作品には、それほどおもきをおかなくともよいかもしれません。しかし、その童話をじゅうぶんに理解するためにも、ましてやアンデルセンのすがたを全体的にとらえようとするなら、童話以外の作品も、けっしておろそかにはできないはずです。
これらの童話以外の作品を分類してみると、詩、小説、劇(童話劇をふくむ)、旅行記や人の印象、自伝、の五つにわけることができ、これに日記と手紙をくわえることができます。以下に、そのあらましをのべてみましょう。
詩
アンデルセンが、いちばん早く手がけたのは詩でした。十六さいでスラゲルセのラテン語学校に入学するまでに、もうかなりの作をかいていました。
いよいよスラゲルセヘ行く前に、その原稿を友だちにわたしておいたのですが、じぶんでも知らないうちに、それが印刷されて本になりました。「青春のこころみ」といった題で、著者の名まえはウィルヘルム=クリスチャン=ワルターとなっています。
当時アンデルセンはシェークスピアとウォルター=スコットをすうはいしていたので、このふたりの名まえをもじって、名のったのです。
でも、そこにおさめられた詩は、なにぶん未熟な人まねの詩なので、全集にもおさめられていません。かれの詩が世間で注目されるようになったのは、やはり二十さいをすぎたころの作からです。
「母によせて」「死んでいく子」などが、そのさいしょのころの、かれらしい特色を見せた作でしょう。
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おさなごのたよりない身をあなたは母の手にいだいて
わたしの口に〈神さま〉とつぶやくことをおしえました
わたしはあなたのむねから生命とあたたかみをすい
あなたはわたしに主のみ心を知ることをおしえました
ああ、わたしは永久《えいきゅう》にそのめぐみをわすれないでしょう
また信心《しんじん》ぶかい母からおそわったことを
わたしは永遠《えいえん》にゆるぎない子どもらしさであなたを愛します
あなたがいつもわたしを愛してくださったように……
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「母によせて」の前半です。それほどすぐれた詩ではないかもしれませんが、のちに童話作家として立つアンデルセンのやさしい気持ちは、よくあらわれています。
一八三〇年に「詩集」を出し、翌年また「空想とスケッチ」という詩集を出しました。
その後は小説や童話や劇に力をそそいだので、詩作にはそう力を入れませんでしたが、それでもかなりの作があります。ことに、じぶんの小さい祖国がドイツとたたかった当時(この戦争にやぶれてデンマークは、南部のシュレスウィヒ=ホルスタインをうしなってしまいます)には、国民をはげますために、かなりの作をかいて「戦争中の祖国にささげる歌」(一八五一年)を出しました。
六七年には新作をくわえた自選詩集「知られた詩、わすれられた詩」を出しました。
一つ二つ、見本にあげてみましょう。
「デンマークのために」
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とどまっていることはできない、わたしはおちつけない
みんなといっしょに戦地《せんち》へ行こう!
われらの主張《しゅちょう》は正しいのだ、だから神を信じることができる
神とともにさえあれば、勝利はわれらのものだぞ
……(中略)
やつらはわれらの小さい国をおしつぶすことができよう
しかし、勇気《ゆうき》と意志《いし》はくじくことができまい
なぜならいま、われらはこのうえない力にふるい立ち
われらのたてはユリの花のようにきよらかなのだから
わたしはじぶんを力強く感じる、これならだいじょうぶ!
ありがとう、おかあさん、あなたはわたしがたたかいに行くことをおのぞみなのですね
わたしにはあなたがついていらっしゃる、そして神さまが
あなたがむすこに期待することは、きっとかなえてみせます(後略)
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「旅することは生きること」
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春のもやがあがると
どこもかしこもみどり!
旅することは生きること
血はかろやかにかけめぐる!
太陽はよびかけ、花はかおり
さわやかな夏風がふく
外へ、遠くへと帆《ほ》ははためく
旅することは人生だ!
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はじめの詩は、どんなにかれが祖国を愛していたかをしめすものだし、つぎの詩は、一生を旅から旅へとすごしたアンデルセンの人生観を、よくあらわしているでしよう。
ほかに注意していいのは「雪の女王」「ニグロのおひめさま」「年の子ども」など、かれの童話とそっくりの物語詩が多いことです。
旅の印象をうたったもの、友人の結婚をいわったり、死をいたんだりした作もかなりたくさんあります。これらの詩は、もっと訳されるべきでしょう。
小説
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即興詩人《そっきょうしじん》(一八三五年)
|O《オー》・|T《ティー》(一八三六年)
さびしきバイオリンひき(一八三八年)
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の三つが前期の長編で、つぎに散文詩の連作というべき「絵のない絵本」(一八三九年)という美しい短編集を出し、その後に、
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ふたりの男爵夫人(一八四八年)
生きるか死ぬか(一八五七年)
幸運なペール(一八七〇年)
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の三長編がぽつりぽつりと出ます。
「即興詩人」は作家としてのかれの名まえを、世界に知らした名作ですが、日本では森鴎外《もりおうがい》の名訳によって、ことに広く愛読されていますから、あらためてとくまでもないでしょう。
ぶたいはイタリアにとられていますが、主人公はアンデルセン自身といってよく、かれの青春のゆめをほとばしらせた、かおり高いロマンチックな作です。明治大正時代の人たちは、イタリアヘあそびに行くときは、かならずこれをたずさえて行ったものでした。
つぎの「O・T」というへんな題の作は、主人公のオットー=トルストループのかしら文字をとったものですが、またオーデンセ刑務所の略字でもあります。
主人公オットーはアンデルセン自身で、その友のウィルヘルム男爵というのは、かれのいちばんのパトロンだったコリンのむすこだといわれます。つまり、これは青年時代の自画像というべき作。
つぎの「さびしきバイオリンひき」も、自伝的色あいのこい作ですが、主人公は天分をもちながらも世にみとめられないで、さびしく死んでいきます。
貧苦の中に生きてきたアンデルセンのかなしみと、心の底にあった不安な思いをのぞかせた作で、ドイツなどでは、「即興詩人」よりも高く評価されました。
「絵のない絵本」は、屋根うらに住むまずしい大学生のへやを、毎晩月がのぞきに来て、じぶんが世界のあちこちで見た光景を話す形式をとった連作短編集。
たった四、五まいから七、八まいのみじかいお話ばかりだけれど、すべて美しい詩情をひそめた作で、「クルミがらの中のホメロス」と評されました。童話としてもすばらしい作がまじっています。
「ふたりの男爵夫人」は、かれのかいたいちばん本格的な長編とされていること、「生きるか死ぬか」の題は、有名なシェークスピアの文句から来ていることだけをつたえておきましょう。
さいごの「幸運なぺール」は、そう長くもないし、たいへんしたしみやすい作。これもたぶんに自伝的な作で、まずしい家に生まれた少年が、ぶたいに立ってはなばなしい成功をおさめるまでをかいていますが、かれはその幸福の絶頂で、ぶたいにたおれて死んでいきます。これもかれの心の底をのぞかせた作でしょう。
劇
少年のアンデルセンが都に出てきたのは、なによりも、王立劇場のぶたいに立ちたいのぞみからでした。そんなわけで、じぶんでぶたいに立つことをあきらめねばならなくなってからも、いちばん力をそそいだのは、劇をかくことでした。
こうして、二十四さいでコペンハーゲン大学にはいった年に、早くも「ニコライと塔上の恋」というボードビル(歌曲・舞踏・かるわざ・寸劇などを入れた劇)をかいて、それが王立劇場で上演されたのをはじめ、生涯には三十編あまりのいろんな劇をかき、その大半は上演もされました。しかし、正直のところ、かれの劇はとんちやユーモアもあり、歌や音楽をしきりにとりいれて、にぎやかなたのしい場面もあるのですが、ぜんたいとしては、むだなおしゃべりが多く、密度と重みにかけています。だから、劇作家としてはついに成功しませんでした。
それがひじょうに不満だったアンデルセンが、王立劇場の支配人だったコリンに、もっとじぶんの作を上演してくれとうったえると、コリンはわらって、「芝居をかくというのは、きみのわるい病気だ。りっぱな小説や童話で、世界じゅうの人に愛されながら、そのうえぶたいまで成功しようというのはぜいたくだ」とこたえたそうです。
旅行記・人物記
さきに引用した「旅することは生きること」でもわかるように、かれは一生を旅にすごしました。かれがさいしょに出した本も、大学にはいった年にアマゲル島へ徒歩の旅をしてかいた「ホルメン運河からアマゲル島の東のはてまでの徒歩旅行」(一八二九年)で、これによってはじめて、世間に名を知られたのでした。だから旅はかれの恩人のわけで、「旅こそわたしの学校」ともいっています。外国へだけでも二十九回も出かけました。
それらの旅から生まれたのが「ハルツ=ザクセン=シュワイツその他の旅の影絵」「一詩人のバザール」(イタリアからギリシア方面をまわった大旅行の記録)「スウェーデンにて」「スペインの旅」「ポルトガル訪問」など。ほかにもみじかいものに、スイスの旅の思い出や、デンマークのあちこちの印象、イギリスに、文豪ディケンズをたずねたときの印象記などがあります。トールワルセン、インゲマンなど、かれをはげましてくれたせんぱいについてかいた文章も、このなかまに入れてよいでしょう。
自伝
これは日本でも広くよまれているので略しますが、じつは邦訳は前半だけで、そのあとを作者は、もっともっと長く、死ぬすこし前までかいているのです。これは、アンデルセン理解のためにはいちばんたいせつな作ですから、全訳がほしいものです。それからまた、この自伝よりずっと早く、一八三二年にかいた自伝が、その後見つかって、一九二六年にはじめて印刷されました。
日記と手紙
これもアンデルセン研究にはかくことのできないものですが、わたしはなにしろ刊本をもたないため、ほとんど知りません。しかし、童話や自伝が、あかるい色調をもっているのにたいし、ひじょうにくらい調子のもののようです。
日記も手紙も、おびただしくのこっています。だれかがこれを、くわしく研究してくれるといいのですが。
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作品解説
この巻には「きれいな人!」から「プシケ」まで、十四編がおさめてあります。一八五九年(作者五十五さい)の後年から、六一年にかけてかかれた作です。おさめた作品の数がすくないのは、「砂丘の物語」「氷ひめ」の二長編がふくまれているからです。
「きれいな人!」は原題からすると「まあ、かわいい!」「すばらしい!」などとしたほうがよかったかもしれない。
たいそう美しいけれど、中身のないむすめと結婚した彫刻家が、ひどいげんめつをあじわう。しかし、かの女が病気で死んだあと、なくなった妻の友だちで、美しくはないけれど、かしこい、まごころのあるむすめと再婚して、ほんとうの幸福を見いだす話です。
かなりひにくなかきかたがしてあって、さいしょの美しい妻の母親などは、いかにも能なしにかかれているけれど、ぜんたいがユーモアにつつまれていて、このましい作になっています。
「砂丘の物語」は、西ユラン地方から、半島の先端のスカゲンのほうまで行った、旅の記念としてかかれたもの。
アンデルセン童話の中でも指おりの大作で、またかれの人生観をかなりつっこんであらわした、注目される作です。
作者のこの作についてのおぼえがきから、すこし引用してみましょう。
「わたしはこの土地で、かねて創作であつかってみたいと考えていた思想を肉づけしてくれる、自然と民衆の生活を見つけたのです。その考えというのは、ずっと前から、わたしの心をしめていたのですが、あるときエレーンシュレーガー(デンマークの大詩人、アンデルセンのすうはいしていた人)と話していたときに、急にうかび出てきたものです。
かれのことばが、当時はまだよくはわからないながらに、わたしのわかい心にふかい印象をきざみつけたのでした。……そのときわたしたちは、永遠の生命についてかたりあったのですが、エレーンシュレーガーはいいました。
『そんならきみは、この世のあとにまたべつの生命があるということを、そんなにかたく信じているのですか』
わたしは神の正義《せいぎ》を根拠《こんきょ》にして、じゅうぶんに考えたことを、つい強いちょうしでいってしまいました。
『人間は、それを要求《ようきゅう》することができるのです』と。
するとかれはいいました。
『永遠の生命を要求するとは、きみもずいぶん思いあがっているではないか。神がこの世で、無限《むげん》に多くのものをきみにあたえてくださっているのに。
わたしは神が、わたしに無限にゆたかなめぐみをあたえてくださったことを知っているから、死のとこで目をつぶるときには、かんしゃの思いをこめて神をほめたたえ、祝福《しゅくふく》しようと思います』
それでもわたしはいいました。
『でも世界には、あなたのように幸福に生まれつかなかった人が、多いのではないでしょうか。病身だとか、精神的《せいしんてき》に発育不全《はついくふぜん》だとか、ひどいくるしみやまずしさなどの、つらい境遇《きょうぐう》におかれた人は、なぜそんなくるしみをなめなければならないでしょうか。なぜ幸福はこれほど不公平《ふこうへい》に分配《ぶんぱい》されているのでしょうか。
これはまちがったことです。神は、こんなまちがいをなさるわけがない。だからきっとあの方は、そのつぐないをして、われわれ人間では解決《かいけつ》することのできない、このむじゅんを解決して、われわれをすくってくださるはずです!』
こんなわたしのことばが、あの小さい物語のもとになったのです」
童話というにはすこし深刻《しんこく》な作ですが、それだけ作者はいきごんで、スカゲンのすなにうずもれた教会などもたずねていき、この作を完成したのです。運命や死についてのかれの考えを、よくあらわしていると思います。
「人形つかい」だけは、すこし早く、一八四九年にスウェーデンヘ旅したときの体験に取材したもので、はじめは旅行記「スウェーデンにて」(一八五一年)の中の一挿話でした。童話に使命を見いだした、かれの気持ちをかたったものでしょう。
「ふたりの兄弟」は、アンデルセンの、青年時代の恩人の科学者エールステッド兄弟の記念にささげた作。一八五九年の「絵入り新聞」のためにかきました。
「古い教会の鐘」はドイツの有名な詩人を記念した「シラー・アルバム」のためにかかれた作で、一八六二年の「デンマークの民衆暦《みんしゅうごよみ》」に発表されました。「ふたりの兄弟」とともに、とくに童話的なたのしさはないけれど、アンデルセンのすうはいした人についてかいた作で、作者にとっては愛着のある作でしょう。
「馬車で来た十二人のお客」は、一年の十二の月を擬人化《ぎじんか》した作です。散文詩人《さんぶんしじん》としてのアンデルセンの、着想《ちゃくそう》のおもしろさをしめす作でしょう。わたしの大すきな作の一つです。
「コガネムシ」もたのしい作で、この作がかかれた事情には、おもしろいものがあります。アンデルセンがかねて崇拝《すうはい》していたイギリスの文豪ディケンズは、あるとき「家庭のことば」という本を出して、アラビアのことわざや慣用語《かんようご》をあつめましたが、その中に「皇帝のウマが金の蹄鉄《ていてつ》をもらうと、コガネムシも足をつき出した」というのをとりあげて、それにこんなことをつけくわえました――。
「このことわざについて、ハンス=クリスチャン=アンデルセンに童話をかかしてみたいものだ」と。
それをアンデルセンがよんで、どうかして童話をかきたいと思いましたが、そのときは、できませんでした。ところが、それから九年たって、きゅうにこの童話が生まれたのだそうです。
「とうさんのすることにまちがいはない」は、子どものときに聞いた、デンマークのむかし話をかきなおしたもの。もとの話の忠実な記録は、スベン=グルンドウイの「デンマーク口承民話集《こうしょうみんわ》」にのっています。
お人よしのお百姓《ひゃくしょう》が、ウマを市場に売りに出かけますが、とちゅうで、だんだん値うちのおとったものととりかえ、さいごには、まるで値うちのないガラクタを持って家にかえってくる話で、デンマークばかりでなく、各国にあるわらい話です。
ところが、そのお人よしの百姓が、ここではちっともばかものあつかいにされないで、じぶんの夫を信じきっているおかみさんに、「とうさんのすることにまちがいはない」と、ほめられて、心からのキスをちょうだいし、かけに勝って大金を手に入れるのです。
たいへんゆかいな、ユーモラスなお話で、アンデルセン自身も気にいっていました。
ところが、おもしろいことに、おなじデンマークの作家で、ノーベル賞までもらったイエンセン(一八七三年―一九四〇年)は、こんなふうにいっています。
――あのアンデルセンのお話は、まったくフューン島の百姓かたぎをあらわしたものだ。おなじデンマークでもユラン半島のお百姓なら、反対に、くされリンゴをもって出て、それをだんだんよいものにとりかえ、さいごに雌《め》ウシをひっぱってかえってきても、おかみさんはそれでもまんぞくせず、けっしてキスなどはしてやらないだろうと。
とすると、これはデンマークのむかし話というよりも、アンデルセンの故郷《こきょう》のフューン島だけに通用《つうよう》するお話かもしれません。それはとにかく、たいへんたのしいむかし話ふうの作です。
「雪ダルマ」は、ひにくな、たのしいお話。アンデルセン童話の名作の一つでしょう。
「あひる小屋で」は、有名な「みにくいアヒルの子」とにたところのある作。
「あたらしい世紀のミューズ」は、作者の文学観や、人類の将来によせる楽天的な希望をうかがわせて興味があるけれど、少年少女によませるのは、まるきりむりでしょう。とても童話とはいえません。
「氷ひめ」は一八六一年にイタリアヘ行き、そのかえりにしばらく、スイスに滞在《たいざい》していたときにかいた作です。
これも童話というより小説と見るべき作でしょう。スイスの自然を背景にした、たいへん美しい物語ですが、さいごに主人公が、幸福を前にして湖でおぼれ死ぬところなど、「砂丘の物語」ににた、いかにもアンデルセンらしい運命観を見せています。「みにくいアヒルの子」などとかわった、このようなさびしい考えかたも、アンデルセンの心の底にあるものをしめすものでしょう。
「チョウ」はおなじときに、スイスでかいた作。イソップのお話のように寓話性《ぐうわせい》が強い。
「プシケ」は一八三三年から翌年にかけてのローマ滞在のときの経験――わかくして死んだあまさんのお墓をほろうとしたら、すばらしいバッカスの大理石像が、土の中から出てきた――にもとづいて、一八六一年にかいた作。
人生にたいする、にがいうたがいや絶望《ぜつぼう》と、にもかかわらず芸術の不滅《ふめつ》を信じる心との、くるしいたたかいや、かっとうをあらわしていることで、すこぶる注目される作です。しかし、童話としてはすこしばかり深刻《しんこく》すぎましょう。
アンデルセンは、いっぱんに信心ぶかいキリスト教徒として、一生をすごしたように考えられますが、詩のところでふれた「アハスヴェルス」や、この「プシケ」などから見ると、思いのほか、くらい疑惑《ぎわく》と不信《ふしん》にとらわれていたようです。(山室静)
〔訳者紹介〕
山室静(やまむろしずか)一九〇六年、鳥取生まれ。東北大学美学科卒。日本女子大学教授。長年にわたって、文芸評論、北欧文学の翻訳紹介に力を注ぐ。著書に『山室静著作集』(全六巻)『北欧文学の世界』『アンデルセンの生涯』、翻訳に『ヤコブセン全集』『アンデルセン童話全集』『世界むかし話集』など多数。