アンデルセン童話集(上)
アンデルセン作/山室静訳
目 次
飛行かばん
コウノトリ
イノシシの銅像
友情のちかい
ホメロスのお墓のバラ
ねむりの精のオーレおじさん
パラダイスの園
バラの花の精
ぶた飼い王子
ソバ
天使
ナイチンゲール
なかよし
みにくいアヒルの子
モミの木
雪の女王
解説
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飛行かばん
むかし、たいそうお金持ちの商人《しょうにん》がいました。そのお金持ちのことといったら、町の大通《おおどお》りのこらずと、細い横町《よこちょう》まで、銀貨《ぎんか》でしきつめることができるほどでした。
でも、そんなばかなことはしやしません。もっと、べつの使いみちを知っていたからです。一円出したら、それで百円もうけるのでした。それほどりこうな商人だったのです。――こんなふうで、この商人は死にました。
さて、そのお金をみんなうけついだむすこは、とてもたのしくくらしました。毎晩《まいばん》仮装舞踏会《かそうぶとうかい》へ出かけましたし、おさつでたこをこしらえてあげたり、海へ行って、石のかわりに金貨《きんか》で水切りをしたりしました。
これじゃあ、いくらお金があったってたまりません。とうとう、のこりはたったの四シリングになってしまいました。おまけに、身につけるものといっては、スリッパが一足と、古びたねまき一まいだけでした。
こうなると、友だちにも見すてられてしまいました。なにしろ、いっしょに道を歩くわけにもいきませんからね。それでも、ひとりだけしんせつな友だちがいて、
「なにか入れなさい」
といって、古かばんを一つ、おくってくれました。
いや、まったくしんせつなことでした。でも、なにも入れるものがないじゃありませんか。そこでむすこは、じぶんでかばんの中にはいこみました。
ところが、これがおもしろいかばんでした。かぎをしめると、かばんはひとりでにとび出すのです。
むすこはさっそく、かぎをしめてみました。たちまちかばんは、むすこを中に入れたまま、ピューッとえんとつをぬけて、雲の上までとびあがりました。そして、どこまでもどこまでもとんでいくではありませんか。
むすこの重みで、かばんの底が、メリメリいいました。
「こりゃ、かばんのやつ、こわれてしまうかしれないぞ」
と、むすこはしんぱいになりました。そうなったら、それこそまっさかさまですからね。くわばら、くわばら。
そのうちに、トルコの国まで来てしまいました。
むすこは、かばんを森の中のおち葉の下にかくすと、町へ出かけていきました。よくも、そんななりで出かけられたものですね。なあに、トルコの国では、みんながこの男みたいに、ねまきとスリッパすがたで歩きまわっているんですよ。
すると、とちゅうで、小さい子どもをつれたばあやに出あいました。
「もしもし、トルコのばあやさん。むこうの町のすぐそばに見える、あんな高いところにまどのついた大きいお城《しろ》は、どなたのすまいですか」
こう、むすこが聞くと、
「あそこにゃ、王さまのおひめさまが住んでいらっしゃるだよ。おひめさまは、いつか、おむこさんのことで不幸《ふこう》なめにおあいなさるという、わるいうらないがあってね。それでおひめさまのとこにゃ、だれにも行けないようにしてあるんだよ――王さまやおきさきといっしょでなくてはね」
と、ばあやはいいました。
「ありがとう」
こういって商人のむすこは、また森へひきかえすと、かばんの中へもぐりこみました。それから、すうっとお城の屋根をとびこして、まどから、おひめさまのへやへはいりこみました。
おひめさまは、ソファに横になって、ねむっていました。見ると、とてもかわいい方なので、むすこはどうしても、キスせずにはいられませんでした。おひめさまは目をさまして、ひどくおびえました。でも、むすこが、
「ぼくはトルコの神さまで、空をとんできたのですよ」
というと、すっかり安心なさいました。
そこでふたりは、ならんでこしをおろしました。それからむすこは、おひめさまの目のことを話しだしました――。
それは、このうえもなくきれいな黒い湖《みずうみ》で、そこにはおひめさまのいろんな思いが、人魚《にんぎょ》のようにおよいでいるというのです。つぎにはおひめさまのひたいにうつって、すばらしい広間や絵のある雪の山だといいました。それから、かわいらしい赤ちゃんをつれてくる、コウノトリの話もしました。
いやまったく、なんておもしろい話だったでしょう。ですから、つぎにむすこが、どうかぼくのおよめさんになってくださいともうしこむと、おひめさまはすぐにしょうちなさって、こういいました。
「では、土曜日《どようび》にここへいらしてくださいな。その日には、おとうさまとおかあさまが、わたしのところへ、お茶をのみにいらっしゃるの。きっとおふたりとも、わたしがトルコの神さまのおよめさんになると知ったら、ずいぶんほこらしくお思いでしょうよ。
でも、そのときはどうか、うんとおもしろいお話をしてあげてね。おとうさまもおかあさまも、それはそれはお話がおすきなんですもの。そう、おかあさまは、ためになる上品なお話がおすきだし、おとうさまのほうは、思わずふき出してしまうような、おかしな話がおすきよ」
「はいはい。ぼくはお話よりほかに、なにもゆいのうの品《しな》を持っていないんですものね」
こう、むすこはこたえました。
そこでふたりはわかれましたが、わかれぎわにおひめさまは、金貨をちりばめたみごとなサーベルを、むすこにおくりました。これがむすこには、とても役にたちました。
さてむすこは、空をとんで帰ると、あたらしいねまきを買いこんで、森の中にすわって、お話のすじを考えました。土曜日までに、しあげなくてはならないわけです。これは、そうたやすいことじゃありませんよ。
やっとしあげたと思うと、もう土曜日になっていました。
王さまとおきさきさまは、宮中《きゅうちゅう》の役人をのこらずつれて、おひめさまのお茶の席《せき》で、まちうけていらっしゃいました。商人のむすこは、とてもていねいにむかえられました。
「では、お話をねがいますよ。ふかい意味《いみ》をもった、ためになるお話をね」
と、おきさきはおっしゃいました。
「それもそうじゃが、わらうところもあったほうがよいぞ」
と、王さまはおっしゃいました。
「かしこまりました」
こういって商人のむすこは、話しはじめました。さあ、わたしたちも、いっしょにその話を聞くことにしましょう。
「むかし、あるところに、一たばのマッチのじくがありました。マッチのじくたちは、じぶんたちの生まれがりっぱだというのを、たいそうじまんにしていました。みんなの先祖《せんぞ》――というのは、その小さいマッチの棒《ぼう》のもとになった、大きな銀マツのことですがね――は、森の中の年とった大木《たいぼく》だったからです。
さて、このマッチのじくが、いましも台所のたなの上で、じぶんたちのわかいときの話をはじめたのです――火うちばこと、古びた鉄なべの間にすわりこんでさ。
『さよう、ぼくたちが青々したえだの上にいたころ――いやまったく、ぼくたちは青々したみどりのえだの上にいたのですよ。あのころは、毎朝、毎晩、ダイヤモンドのお茶をのんでいたものです。というのは、つゆのことですがね。天気のいい日には、ぼくらは一日お日さまの光をあびながら、いろんな小鳥どもに話をさせては、それを聞いていたものです。ぼくたちがまた大金持ちだってことは、だれにもよくわかりました。なぜって、広葉樹《こうようじゅ》は夏のうちしか着物を着ることができないのに、ぼくらの家族《かぞく》は、夏でも冬でも、青々した着物を着ていられたんですからね。
ところが、そこへきこりがやってきて、大革命《だいかくめい》がおこったのです。おかげで、ぼくらの家族は、ちりぢりさ。大将《たいしょう》のみきは、りっぱな船の一番マストになって、世界じゅうをすきなように航海《こうかい》してまわっていますし、中のえだも、それぞれの役目につきました。そして、ぼくらは、まずしいみなさんのために、火をつけてあげる役目につくことになったんです。そんなわけで、ぼくらのように身分のいいものが、こんな台所まで来たんですよ』
と、こうマッチのじくは話しました。
『ぼくのばあいは、だいぶちがっている』
と、マッチのじくのそばにすわっていた鉄なべが、口を出しました。
『ぼくは、この世に生まれてくるなり、さっそく、いくどもいくども、みがかれたり、やかれたりしたんですよ。いったいぼくは、なにによらず手がたいことを心がけていましてね。この家でも、なんといっても、いちばんの古顔《ふるがお》ですよ。
ぼくのただ一つのたのしみというのは、食事がすんでから、きれいさっぱりとなって、このたなの上でくつろいで、なかまとたのしいおしゃべりをすることです。けれども、ちょいちょい、中庭《なかにわ》へおりていく手おけくんをのぞけば、いったいにぼくらは、みな家の中にとじこもってくらしているわけです。あたらしいニュースを、ぼくらに聞かしてくれるものといえば、まず、市場《いちば》へ出かける買いものかごくんくらいですね。
もっとも、この人の話は、政治や国家のことになると、ずいぶん過激《かげき》ですよ。そうそう、いつかも、古びたつぼが、あの男の話におどろいて、たなからおっこちて、こなみじんにわれちまいましたっけ。つまり、あの男は危険思想《きけんしそう》の持ち主なんですよ』
『そりゃ、あんたの思いすぎですよ』
と、火うちばこはいって、火うち金《がね》と石とを、カチリとうちあわせたので、火花がとびました。
『そんなことよりも、今夜はひとつ、ゆかいにすごそうじゃありませんか』
『うん、そんならひとつ、この中でだれがいちばん身分がいいか、それを話しあうことにしましょうよ』
と、マッチのじくはいいました。
『いいえ、わたし、じぶんの話をするのは、このみませんわ。それよりか、レクリエーションの夕べにしないこと。わたしが前座《ぜんざ》をつとめて、なにかお話をしますわ。だれもがじぶんで経験《けいけん》したようなことですよ。みなさんも、ぐんぐん話の中にひきこまれて、すっかり満足《まんぞく》なさるでしょうよ。
さて、バルチック海のほとり、デンマークのブナの森の近くに――』
と、土《ど》なべが話しだしました。
『まあ、すばらしい出だし。きっと、おもしろいお話になるわ。』
と、おさらが口をそろえていいました。
『とあるひっそりした家で、わたしは青春《せいしゅん》の日をすごしました。その家では、家具はねんいりにみがきあげられ、ゆかはよくふきこんであり、カーテンは二週間ごとに、さっぱりときれいなのにとりかえられました』
『きみは、話がうまいんだねえ。これを聞いただけで、話してるのが女の人だってことが、よくわかるよ。話ぜんたいに、どことなくきよらかなところがあるものねえ』
と、ほうきがいいました。
『うん、だれだって感じるよ』
と、手おけがいいました。そして、うれしさのあまり、ひとはねはねたので、水がパチャリとゆかにこぼれました。
土なべは話をつづけましたが、そのむすびも、出だしにまけないりっぱなものでした。
おさらはみんな大よろこびで、カチャカチャやるし、ほうきはむろから青々したパセリを持ってきて、土なべをかざってやりました。こんなことをしたら、ほかのれんじゅうが気をわるくするのは知っていましたけれど、きょう、ぼくがあの人をかざってやれば、あすは、むこうでぼくをかざってくれるだろう、と考えたわけです。
『じゃあ、こんどはわたしがダンスをします』
こう、火ばしがいっておどりはじめました。いやはや、どうしたらあんなに高く、足をはねあげられるものでしょうねえ。むこうのすみにいた古いいすのカバーが、それを見てあんまりわらったもので、おなかがさけてしまいました。
『わたしも花輪《はなわ》がいただけて?』
と、火ばしはいいました。そして、のぞみどおり、パセリでかざってもらいました。
『まったく、くだらんやつばかりだな』
こう、マッチのじくは、心の中で考えました。
こんどは紅茶ポットが、歌をうたう番でした。ところがポットは、
『わたしいま、かぜをひいていますし、それでなくても、にえたっているときでなくては、わたし、うたえないのよ』
といって、ことわりました。けれども、これはただ、お上品ぶっていったのでした。ほんとうは、ご主人がちゃんとすわっていらっしゃるテーブルの上でなければ、紅茶ポットは、うたいたくないのです。
まどのところには、おてつだいさんがいつもつかう、古びたペンがすわっていました。このペンは、インキつぼの中にどっぷりつかっていただけで、べつにめだつところもなかったのですが、それでいて、たいへんなうぬぼれやでした。
『紅茶ポットさんがうたいたくないのなら、それでいいじゃありませんか。外につるしてある鳥かごに、りっぱにうたえるナイチンゲールがいますもの。なにしろあの人は、教育《きょういく》があまりありませんからね。――でも、今夜はまあ、人のわるくちはつつしみましょうよ』
こう、ペンはいいました。
『そんなのは、まちがってると思うわ』
と、湯わかしが口を出しました。この人は台所の歌ひめで、紅茶のポットとは、はらちがいのきょうだいなのです。
『わたしたちのなかまでもない、あんな鳥の歌を聞こうっていうの? それが、国を愛《あい》するものといえるかしら。ひとつ、買いものかごさんに、しんぱんしていただこうじゃありませんか』
『ぼくは、ただもう気にくわんね。おそらくだれにもそうぞうがつかんほど、しんからぼくは、はらをたててるんだ。いったいこれが、一夜をたのしくすごすやりかたでしょうか。はじめに、家の中をちゃんとかたづけるべきじゃないかね。そうしたら、めいめいが正しい場所につけるんだ。はばかりながら、ぼくがさしずをさせてもらいましょう。そうしたら、見ちがえるようになりますよ』
こう、買いものかごはいいました。
『そうだそうだ、大宴会《だいえんかい》といこうよ』
と、みんなは口々にいいました。
そのとたんに、ドアがあきました。おてつだいさんが、やってきたのです。たちまち、みんなはしいんとなって、ひとことだって口をきくものはありません。でも、そこにいたなべやつぼたちは、みんなそれぞれ心の中で思っていたのです――じぶんにどれだけのことができるか、またじぶんがどれだけ高貴《こうき》な生まれであるかも、わすれてしまって。
『そうだわ、わたしがその気になりさえすれば、今夜はほんとにおもしろい晩になったのにねえ』
と。
おてつだいさんは、マッチのじくをすって、火をつけました。シュッ! なんて火花を出してもえあがったことでしょう。
『どんなもんだい』と、マッチのじくはいいました。
『なんといったって、ぼくらが第一じゃないか。この光りようをみてくれ。なんという明るさだ』
――こうしてマッチのじくは、もえきってしまったのでした」
「まあ、おもしろいお話だったこと。わたしすっかり、台所のマッチの気持ちになっていましたよ。いいわ、むすめはおまえにあげましょう」
こう、おきさきさまはおっしゃいました。
「よろしい。ではむすめは、月曜日《げつようび》におまえにやるとする」
と、王さまもおっしゃいました。
おふたりがいま、このむすこのことを「おまえ」とおよびになったのは、もう家族のなかまに入れていられたからです。
これで、結婚式《けっこんしき》の日どりも、きまったわけです。その前の晩は、町じゅうがイルミネーションでかざられました。おいしいパンやおかしが、ふんだんにばらまかれ、子どもたちはつま先立ちしてばんざいをさけんだり、指を口にあてて、くちぶえをふいたりしました。まあ、たいへんなおまつりさわぎでした。
「よし、ぼくもなにか、めざましいことをやってみよう」
こう、商人のむすこも考えました。そこで、うちあげ花火やかんしゃく玉や、そのほかいろんな花火を買いこんで、それをかばんにつめて、空にまいあがりました。
パン、パン、パーン! 花火はみごとに空ではじけました。
そのたびにトルコ人は、スリッパを耳まではねとばして、ひとりのこらず、とびあがりました。こんなめざましいながめは、まだ見たことがなかったからです。
こうなっては、おひめさまをおよめにしたのが、たしかにトルコの神さまだということは、だれひとり、うたがいませんでした。
商人のむすこは、かばんといっしょにまた森の中へもどると、考えました。
「ひとつ、町へ出かけていって、みんながどんなうわさをしているか、聞いてみよう」
こんな気持ちをおこしたのも、まことにもっともなことでした。
ところが、町のうわさは、たいへんなものでした。
しかも、聞く人ごとに、意見がちがっているのです。
じつにすばらしいものだったという点では、みんながおなじでしたけれど。
「わたしはたしかに、トルコの神さまを見ました。神さまはきらきら光る星のような目と、あわだつ水のようなひげを、はやしていらっしゃいましたよ」
こう、ひとりはいいました。
「神さまは、火のマントを着てとんでいらっした。かわいい赤ちゃんがそのマントのひだの間から、のぞいていましたわ」
と、もうひとりはいいました。
ほんとに、耳にはいるのは、すばらしいことばかりでした。おまけに、あしたはいよいよ、ご婚礼《こんれい》です。
そこで商人のむすこは、またかばんの中にはいろうと思って、森へもどってきました。
――ところが、かばんが見えません。いや、もえてしまったのでした。
花火の火の粉《こ》が一つ、かばんの中にのこっていて、それから火がついて、かばんははいになってしまったのでした。もう、空をとぶことはできません。花よめさんのところへも、行けやしません。
おひめさまは一日じゅう、屋根の上に出て、まっていました。いまでもまだ、まっていらっしゃるはずです。
いっぽう、あの商人のむすこは、世界じゅうをまわって、おとぎ話をして歩いています。といったって、あのときにしたマッチのじくの話ほどおもしろいのは、ほかには一つもありませんがね。
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コウノトリ
ある小さな村の、いちばんはずれの家に、コウノトリの巣《す》がありました。コウノトリのおかあさんは、その巣の中で、四わのひな鳥のそばにすわりこんでいました。ひな鳥たちは、小さい黒いくちばしのついた頭を、巣の中からつき出していました。みんなのくちばしは、まだ赤くなっていません。
そこからすこしはなれた屋根のてっぺんで、コウノトリのおとうさんは、しゃちほこばってつっ立っていました。かた足をぐいとはねの下にもちあげていましたが、それというのも、どうせ見はりに立っているからには、すこしはつらい思いをしなければ、と考えたからでした。それを見た人は、木でほった鳥かと思ったことでしょう。それほどおとうさんは、じっとつっ立っていたのです。
「巣のそばに見はりを立てておくなんて、家内《かない》のやつ、ずいぶんえらそうに見えるぞ」
こう、おとうさん鳥は、心の中で思いました。
「まさかこのぼくが、あれのだんなさまだなんて、だれも考えやしまい。ただここに立っているようにいいつけられてる、番人《ばんにん》だと思うだろうな。それにしたって、とてもいさましそうに見えるだろうが」
そこでおとうさん鳥は、あいかわらず一本足で立ちつづけていました。
下の道では、子どもがおおぜいあそんでいましたが、そのうちコウノトリを見つけました。すると、中でもいちばん元気のいい子が先に立って、むかしからあるコウノトリの歌を、うたいだしました。すると、みんなも、あとについてうたいましたが、どうやら、いちばんはじめにうたった子がおぼえていただけしか、だれもうたえませんでした。
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コウノトリ、コウノトリ、
早く、うちへとんでいけ。
おまえのかみさん、巣の中で、
四わのひなとねむってる。
一番めはくびられて、
二番めはつきさされ、
三番めは火でやかれ、
四番めはさらわれる。
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「ねえ、男の子たちがあんな歌をうたってるよ」
と、コウノトリの子どもたちはいいました。
「ぼくたちが、くびりころされたり、やきころされたりするんだって」
「そんなこと、気にしなくていいんですよ。聞かないでおいで、そうすりゃ、なんともないんだから」
と、おかあさん鳥はいいました。
それでも男の子たちは、指でコウノトリのほうを指さしながら、いつまでも歌いつづけました。でも、ペーテルという子ひとりだけは、動物をからかうのはわるいことだといって、なかまになろうとしませんでした。
するとまた、おかあさん鳥も、こういって子どもたちをなぐさめました。
「しんぱいすることはないんだよ。そうら、おとうさんだって、あんなにおちついて、しかも一本足で立っていらっしゃるじゃないの」
「でも、ぼくたち、こわいなあ」
こう、ひな鳥たちはいって、頭を巣のおくへひっこませました。
つぎの日も、また子どもたちはあそびにあつまってきて、コウノトリを見ると、れいの歌をうたいだしました。
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一番めはくびられて
二番めはつきさされ――
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「ぼくたち、くびりころされたり、やかれたりするの」
と、コウノトリの子どもたちはたずねました。
「そんなことがあるもんですか」
そして、おかあさん鳥はいいました。
「それよりか、わたしが教えてあげるから、おまえたちはとぶことをおぼえなくちゃ。そしたら、みんなで原っぱへとんでいって、カエルさんのとこをたずねましょうね。カエルは、水の中からわたしたちにおじぎをして、
『コアックス、コアックス』ってうたうんだよ。そこでわたしたちは、かたっぱしからたべてしまうの。ほんとにいいたのしみですよ」
「それからどうするの」
と、コウノトリの子どもたちはたずねました。
「それからこの国にいるコウノトリが、みんなあつまってきて、いよいよ秋の大演習《だいえんしゅう》がはじまるんです。そのときは、うまくとばないといけないんだよ。それがなによりもかんじんなの。なにしろとべないものは、大将《たいしょう》さんにくちばしでつきころされてしまうんだからね。だから、とぶおけいこがはじまったら、よくおぼえるんですよ」
「じゃあやっぱり、男の子たちがいったように、ぼくたちつきころされるのね、ほら、またうたってる」
「おかあさんのいうことだけ聞いて、あんな子のいうことは聞くんじゃないの」
と、おかあさん鳥はいいました。
「この大演習がすむと、わたしたちは、あたたかいお国へとんでいくんです。山や森をこえて、それはそれは遠くまでよ。なにしろ、エジプトまで行くんだからね。あそこには、三角の石のおうちがあって、そのとんがったてっぺんは、雲までとどいているんだよ。それはピラミッドといって、コウノトリにも考えられないほど、遠い遠いむかしからあるものなの。それから大きな川があって、その川があふれだすと、国じゅうどろんこになってしまうの。そしたら、そのどろの中を歩きまわって、カエルをたべるのですよ」
「わあ、すごい!」
子どもたちは、口をそろえていいました。
「そうよ、ほんとにすてきですよ。朝から晩まで、たべることよりほか、なんにも仕事がないんだものね。ところが、そうやってわたしたちが、むこうでたのしくくらしている間、こちらでは、木に一まいも、青い葉っぱが見られないようになってしまうの。とても寒くなって、雲がこなごなにちぎれてこおって、それが小さいまっ白いわたくずになって、おちてくるんですよ」
こう、おかあさん鳥がいったのは、雪のことでした。でもおかあさんには、これよりわかりやすく説明することはできなかったのです。
「じゃあ、あのいたずらっ子もこおって、こなごなにくだけてしまうの?」
こう、コウノトリの子どもたちはたずねました。
「いいえ、こおってくだけてしまいはしないがね。でも、まあそうなったもおなじで、みんな暗いおへやにひきこもって、ちぢかんでいるんだよ。それなのにおまえたちは、お花がさいて、あったかいお日さまのてってる、むこうのお国へ行って、とびまわることができるんですよ」
それからいく日かたつと、もうコウノトリの子どもたちは、ずいぶん大きくなりました。巣の中で立ちあがって、ずっと遠くまで、見まわすこともできました。
おとうさんは、毎日毎日、おいしいカエルや、小さいヘビや、そのほか見つけられるかぎりのごちそうを見つけては、それを持ってとんできてくれました。そして子どもたちに、いろんな芸当《げいとう》をやってみせてくれましたが、そのおもしろいことといったらありませんでした。首をそらして尾ばねの上へのっけたり、小さいがらがらみたいにくちばしをうちあわせたり、そうかと思うと、いろんなお話をしてくれるのでした。
――それはぜんぶ沼のお話でした。
「さあ、きょうはいよいよ、とぶおけいこですよ」
ある日、おかあさん鳥がこういいました。そこで四わの子どもは、屋根の上に出なければなりませんでした。おお、なんて目がまわることでしょう。みんなは、はねでいっしょうけんめいにつりあいをとりましたが、それでも、いまにもころげおちそうになりました。
「ほら、ようくおかあさんを見ているんですよ。こういうふうに頭をあげて、それから足はこうつっぱってね、一、二、一、二、これがじょうずにできたら、世の中に出てたすかりますよ」
こういっておかあさん鳥は、すこしばかりとんでみせました。
そこで子どもたちも、ちょっととびあがってみました。でも、いかにもぶきっちょで、たちまちたおれてしまいました。からだがまだ重すぎるのです。
「ぼくとぶのはいや。あったかい国へなんか、行かなくたっていいや」
一わの子どもは、こういって、また巣の中へもぐりこんでしまいました。
「じゃあおまえは、冬が来たら、ここでこごえ死んでもいいんだね。あの男の子たちがやってきて、おまえをくびりころして、くしにさして、やいてしまってもいいんだね。そんならいっそ、おかあさんがいまよんできましょう」
「いやだい、いやだい」
その子はこういって、ほかの子たちといっしょに、また屋根の上をとびまわりだしました。
三日めになると、みんなは、すこしはじょうずにとべるようになりました。そこで、これならじぶんたちだって、空中《くうちゅう》にじっとうかんでいることもできるだろうと思いました。ところが、いざやってみると、ドスンとおちてしまいました。そこでまた、ばたばたとはねを動かさなくてはなりませんでした。
そこへまた、下の道に男の子たちがやってきて、あの歌をうたいだしました――。
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コウノトリ、コウノトリ
早くうちへとんでいけ。
[#ここで字下げ終わり]
「みんなでまいおりていって、あの子たちの目玉をくりぬいてやろうか」
こう、コウノトリの子どもたちはいいました。
「いいえ、あんなものはほうっておきなさい」
と、おかあさん鳥はいいました。
「おかあさんのいうことだけ聞いているほうが、ずっとましですよ。そら、一、二、三。
さあ、右まわりにとびますよ。一、二、三。こんどは左のほうへ、えんとつをまわって。――そうら、このほうがずっとましでしょ。
いちばんおしまいのはばたきは、とてもみごとにできました。これならあしたは、おかあさんといっしょに沼へ行くことをゆるしてあげましょう。あそこには、りっぱな家がらのコウノトリが、いく組も子どもをつれてくるんですよ。だから、おまえたちも、うちの子がいちばんりっぱだってことを、おかあさんに見せてちょうだい。そら、もっとからだをしゃんとおこして。そうしてりゃ、見たとこもよくて、人からも、うやまわれるんです」
「だけど、あのいたずらっ子たちに、しかえしをしてやることはできないの?」
と、コウノトリの子どもたちは聞きました。
「あんな子たちには、かってなことをいわせておけばいいの。おまえたちは、雲の上まで高くとんで、ピラミッドのお国へ行くんだものね。その間あの子たちは、寒さにふるえているんだよ。おまけに、青い葉っぱ一まい、おいしいリンゴ一つ、ないんだからね」
「でも、ぼくたち、しかえししてやろうよ」
子どもたちは、こうささやきあって、また練習《れんしゅう》にかかりました。
通りにあつまってくる男の子のうちで、なんといってもいちばんあのいやな歌をうたうのは、さいしょにうたいはじめた、あの少年でした。まだほんの小さな子で、六さいより上とは、とても見えません。でも、コウノトリの子どもたちは、その子はきっと、百さいぐらいだろうと思っていたのです。
なにしろ、じぶんたちのおとうさんやおかあさんよりも、その子のほうがずっと大きいのですから、むりもありません。また、コウノトリの子どもに、人間の子どもやおとなの年が、どうしてわかるはずがありましょう。
そこでみんなは、その子にしかえしをしてやろうと、ねらいをつけたのです。なにしろ、その子はいちばんはじめに歌いだしたのですし、またきまって歌のなかまにはいっていましたから。コウノトリの子どもたちは、ほんとにはらを立てていたのです。じぶんたちが大きくなるにつれて、いよいよがまんできなくなってきました。
そんなわけで、とうとうおかあさんも、しかえしをしてもいいと、ゆるしてやらなければなりませんでした。それにしてもおかあさんは、いよいよこの国をとびたっていくさいごの日まで、しかえしをするのをのばさせたいと思いました。
「それにはまず、おまえたちがこんどの大演習で、どこまでやれるか拝見《はいけん》しなくてはね。おまえたちがうまくとべないと、大将さんが、くちばしでおまえたちのむねをつきさすんだよ。そうなれば、あの子たちのいったことだって、すくなくとも一つはほんとうになるじゃないの。まあ、どういうことになるか、見ていましょうよ」
「いいよ、いいよ、見ていらっしゃい」
こう、子どもたちはいって、それからというもの、ほんとにがんばりました。こうして、毎日毎日けいこをしたので、まったく見ていてもゆかいなほど、かるがるととべるようになりました。
やがて秋になりました。コウノトリたちは、わたしたちの国が冬の間、もっとあたたかい国へとんでいくために、一わのこらずあつまってきました。これが大演習なのです。
いくつも森や林をこえ、村や町をこえて、みんなはとびにとばなくてはなりませんでした。それもみんな、どれだけじぶんたちにとぶ力があるか、それを見るためなのです。なにしろ、これから先、長い長い旅をしなければならないのですものね。
さて、あのコウノトリの子どもたちは、りっぱに試験《しけん》をパスしました。そこでごほうびに、「カエルとヘビ」とかいた賞状《しょうじょう》をもらいました。これは、いちばんいいせいせきをとったから、カエルとヘビとをたべてもよいということなのです。そこで、さっそく、ごちそうになりました。
「さあ、こんどはしかえしだぞ」
と、みんなはいいました。そのとき、おかあさん鳥がいいました。
「そうそう、いまおかあさんは、とてもいいことを考えつきましたよ。わたしは、人間の赤ちゃんがねむってるお池を知っているけれどね、コウノトリはその池に行っては、そこにいる赤ちゃんを、人間のおとうさんとおかあさんのところへ持っていってやるんです。かわいい小さな赤ちゃんたちは、そこでねんねして、大きくなってからではとても見られないような、たのしいゆめを見ているのね。そして人間のおとうさんやおかあさんは、みんなそんな赤ちゃんをほしがってるし、子どもたちは子どもたちで、みんな妹や弟をほしがっているんだよ。
さあ、これからそのお池にとんでって、あのわるい歌をうたって、わたしたちをからかわなかった子どもたちのところへ、ひとりずつ赤ちゃんを持っていってやりましょうね。ほんとにあの子たちはなんにも、持っていないんだもの」
「それじゃああの子は? いちばんはじめにうたいだした、あのにくらしいいじわるの子は?」
「あの子はどうしてやるのさ」
と、わかいコウノトリたちはさけびました。
「そのお池には、死んだゆめを見て死んでしまった赤ちゃんもいるんだよ。その子のところへは、その子をつれてってやりましょうよ。そうすれば、死んだ小さい弟をつれてきたっていって、あの子はきっとなきだしてしまうよ。
だけど、ほら、おまえたちもわすれてやしないだろう。
『動物をからかうのはわるいことだ』っていった子があったね。あのいい子のところへは、弟と妹と、両方ともつれてってやりましょうね。そして、あの子はペーテルっていう名まえだったから、おかあさんはおまえたちをみんな、ペーテルってよぶことにしますよ」
そんなわけで、子どもたちは、おかあさん鳥のいったとおりにしました。それで、コウノトリはすべて、ペーテルという名まえになり、いまでも、そうよばれているのです。
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イノシシの銅像
イタリアのフィレンツェの町の、大公広場《たいこうひろば》からあまり遠くないところに、たしかポルタ・ロッサとよばれている、細い横町《よこちょう》があります。この通りの、青物市場《あおものいちば》の前に、とてもみごとにできた青銅《せいどう》のイノシシが立っていて、その口からはさらさらと、すずしげにすんだ水が、流れ出ています。
イノシシはもう古びて、すっかり黒ずんだみどり色になっていますが、鼻先《はなさき》だけは、まるでみがいたみたいにぴかぴか光っています。それは、何百人という子どもや、宿《やど》なしたちが、手でその鼻先をつかみ、口をイノシシの口につけて、水をのむからなんです。
この美しい形をした動物が、半分はだかのかわいい子どもにだきつかれて、子どものみずみずしい口をおしつけられているところは、そのまま一まいの絵のようです。
フィレンツェに来た人なら、だれでもその場所を、すぐ見つけることができます。さいしょに出会ったこじきにでも、聞けばいいのです。「イノシシの銅像」といえば、すぐにわかります。
ある冬の夜のことでした。時間はもう、だいぶおそくなっていました。まわりの山々は雪でおおわれ、空には月が出ていました。
そう、イタリアの月夜《つきよ》は、北ヨーロッパの冬のくもった日くらいには、明るいのです。いや、もっと明るいかもしれない。なにしろイタリアでは、空気が明るく光っているし、空は高くて、すんでいますから。それにひきかえ、北ヨーロッパでは、なまりのようなはい色の日々が、わたしたちを地面へおしつけているのです。――いつかはわたしたちの棺《かん》をおさえつける、あのじめじめしたつめたい土へ。
大公《たいこう》のごてんの庭には、冬でも何千というバラの花がさいています。そこの一本のからかさマツの下に、ひとりの少年が、一日じゅうすわっていました。
その少年は、イタリアの絵によくかいてあるような、にっこりわらった美しい顔だちに、しかも、どこかやつれたようすを見せていました。少年はおなかがすいて、のどもかわいていたのです。だれひとり、一せんだってくれる人はありませんでした。しかも、暗くなって庭の門がしまるじこくになると、少年は門番《もんばん》に追い出されてしまいました。
やがて少年は、アルノ川にかかっている橋の上にたたずみました。そうして、この橋と、むこうに見える大理石《だいりせき》づくりの美しいトリニタ橋の間の、水の面《おもて》にきらめく星のかげを、いつまでもぼんやりと見つめていました。
それから少年は、あの「イノシシの銅像」のところまで、やってきました。ひざをかがめて、うでをイノシシの首にまきつけると、かわいい口をてらてら光ったイノシシの鼻先にあてがって、きれいな水を、ゴクゴクとのみました。その近くに、チンシャの葉っぱが二、三まいと、クリの実が二つ三つ、おちていたので、少年はそれをひろって、夜のごはんにしました。
通りには、人っ子ひとり見えません。そこらにいたのは、まったくその少年ひとりだけでした。そこで少年は、青銅のイノシシのせなかによじのぼって、まき毛のかわいらしい頭を、イノシシの頭にもたせかけて、うつぶせになりました。と思うと、そのままいつしらず、ねむりこんでしまったのです。
ま夜中になりました。
と、きゅうに銅像のイノシシが動きだしたかと思うと、少年の耳には、はっきりとこういうのが聞こえました。
「さ、ぼうや、しっかりつかまっていなさいよ。ぼく、走りだしますからね」
そういったかと思うと、ほんとに少年を乗せたまま、走りだしました。いや、まったく、ふしぎじゃありませんか。
まずイノシシがやってきたのは、大公広場でした。大公を乗せている銅像のウマが、声高くいななきました。古い市庁舎《しちょうしゃ》の正面にえがかれたあざやかなもんしょうが、すきとおった絵みたいに、きらきらかがやきました。ミケランジェロの「ダビデ」は、石投げをふりまわしました。あたりいちめんに、なんというふしぎな活気《かっき》が、あふれていたことでしょう。「ペルセウス」と「サビネのりゃくだつ」の群像《ぐんぞう》は、わけてもいきいきしていて、その口からは、きょうふのさけびが、人気《ひとけ》のない広場にひびきわたりました。
ウフィツィ宮《きゅう》のかたわらには、貴族《きぞく》たちが、四じゅん節《せつ》のあとで、カーニバルのたのしみにあつまるまがりろうかがあります。そこまで来て、青銅のイノシシはとまりました。
「さあ、しっかりつかまって。こんどは、かいだんをあがるんですからね」
と、イノシシはいいました。
少年はまだ、ひとことも口をききません。なかばはおそろしさでふるえ、なかばは幸福《こうふく》な思いで、ゆられていました。
ふたりは、長いろうかにはいりました。この場所は、前にも来たことがあるので、少年はよく知っていました。
かべにはいろんな絵がかけてあり、あちこちに、立像《りつぞう》や胸像《きょうぞう》が立っています。そういうものがみんな、ひるまのようにまばゆい光にてらされているのでした。でも、それがどんなにすばらしいといっても、かたわらのへやのとびらがあいたときのながめには、とてもくらべられませんでした。
もちろん、そのへやがりっぱなことは、少年はよく知っていました。でも、この晩はそれがとびきりに美しく、光りかがやいて見えたのです。
そこには、ひとりの美しい女の人が、すっぱだかで立っていました。そのみごとなすがたは、自然でないとすると、ただもっともすぐれた大理石のちょうこく家《か》だけが、つくり出せるものでした。女の人は、すらりとした手足をしずかに動かしていて、その足もとではイルカがおどっていました。その二つの目には、不死の光がさしていました。世間《せけん》ではこの女の人を「メディチのビーナス」とよんでいます。
このビーナスの両がわに、これもどうどうとした大理石の像が立っていました。いきいきとした命が、石の中にさえ、みなぎっています。二つとも美しい男のはだかの像で、いっぽうは、つるぎをといでいるので「とぎ師《し》」とよばれ、もういっぽうは群像で、「すもうをとる人」といわれています。つるぎは、いかにも切れそうにとがれていますし、また力士《りきし》たちは、美の女神《めがみ》のためにたたかっているのでした。
あんまりそこらがまぶしくて、少年は目がくらみそうでした。四|方《ほう》のかべは、色あざやかにかがやき、なにもかもが生きて動いていました。そこにはビーナスが、二|重《じゅう》のすがたであらわされていました。ツィツィアーノ(イタリアの画家)が心にいだいた、むっちりとふとって情熱的《じょうねつてき》な、この世のビーナスです。
見ていると、ふしぎな気がしました。それは二つの美しい女のすがたです。美しいからだをむき出しにして、ふたりはのびのびと、やわらかいしとねの上に、ねそべっています。むねが波うち、頭が動くたびに、ふさふさしたまき毛がふっくりしたかたのまわりに波うってこぼれ、それと同時に、黒っぽい目からは、もえる思いがほとばしり出るのでした。
でも、どの絵にもそれほど生命《せいめい》があふれているのに、がくぶちから外へ出ようとするものはありません。美の女神も、また、すもうをとっている闘技士《とうぎし》もとぎ屋さんも、みんなじぶんの場所に、じっとしていました。それというのも、聖母《せいぼ》とイエスさまとヨハネからさしてくる光が、みんなをその場にしばりつけていたからです。この壁画《へきが》(かべにかいた絵)は、もはや絵ではなくて、神聖《しんせい》そのものでした。
どのへやにも、なんというかがやきが、あふれていたことでしょう。少年は、それをのこらず見てまわりました。青銅のイノシシは、一足《ひとあし》一足《ひとあし》、このりっぱなながめの中を、歩いていきました。ところが、あんまりりっぱな絵がたくさんあるものですから、おたがいにほかの絵をおしのけてしまっていました。少年の心にしっかりとやきつけられたのは、ただの一まいだけでした。
それというのも、その絵には、いかにもしあわせそうな子どもがかいてあったからです。少年は、いつぞやひるま、ここへ来たときも、この子どもにうなずいたものでした。
たいていの人は、この絵の前に来ても、なんの気もなしに、通りすぎてしまうかしれません。けれども、この絵には、詩《し》のたからが、ふくまれているのです。そこにかいてあるのは、キリストが地下の世界へおりていくところです。でも、いまキリストをとりまいているのは、罪人《ざいにん》ではなくて、異教徒《いきょうと》たちなのです。
この絵をかいたのは、フィレンツェの人、アンジオロ=ブロンチーノでした。この絵でいちばんすばらしいのは、天国《てんごく》へ行けるものと信じている子どもたちの顔つきでした。ふたりの小さい子は、もうだきあっていましたし、ひとりの子は、下のほうにいるもうひとりの子どもに手をのばしながら、じぶん自身《じしん》をさして、
「ぼくは天国へ行くんだよ」
といっているふうに見えました。おとなたちは、みんなまだ不安《ふあん》なうちにも希望《きぼう》をもっているか、でなければ、主《しゅ》イエスの前にへりくだって頭をたれて、おいのりしていました。
少年はこの絵を、どの絵よりも長く見ていました。青銅のイノシシも、その前にじっと立ちつくしていました。かすかなためいきが聞こえました。
それは、絵の中から出たのでしょうか、それともこの動物のむねから出たのでしょうか。少年は、にっこりわらっている子どもにむかって、手をさしあげました。
――それからイノシシは、少年をせなかに乗せてその場をはなれると、げんかんを通りぬけて外へ出ました。
「やさしいイノシシさん、ありがとう。きみにいいことがありますように」
こう、少年はいって、イノシシの頭をなでてやりました。イノシシは少年を乗せたまま、かいだんをのしのしおりていきました。
「ありがとう、あなたにもおなじように祝福《しゅくふく》を」と、イノシシもいいました。
「わたしはぼっちゃんをたすけ、ぼっちゃんはわたしをたすけてくれたのです。というのは、むじゃきな子どもをせなかに乗せたときだけ、わたしは走ることができるんですものね。それだけでなく、ぼっちゃんもごらんになったように、わたしは聖母さまの像の前についている、ランプの光の下さえ、通ることができるんです。
どこへだって、わたしはあなたをつれていけますさ。ただ、教会《きょうかい》の中だけははいれません。だけど、ぼっちゃんをおんぶしてさえいれば、ひらいた戸口《とぐち》から、中をのぞくことはできます。だから、どうかわたしのせなかからおりないでね。さもないとわたしは、あなたがひるまポルタ=ロッサで見たときのように、死んでしまわなければならないんだもの」
「じゃあ、まだおんぶされているよ、しんせつなイノシシさん」
と、少年はいいました。するとイノシシは、フィレンツェの通りを風をきって走って、サンタ=クローチェ寺《じ》の前の広場へ来ました。
そのとき、お寺の正面の大とびらがさっとひらいて、祭《さい》だんのあかりが、お堂の中から広場まで流れ出しました。左がわのアーケードにある、りっぱなお墓《はか》からも、ふしぎな光がさしてきました。いく千という星が、まるで光の輪のように、そのお墓のまわりを、きらきらととりまいていたのです。
お墓にはもんしょうがきざまれていて、青地《あおじ》の上に赤いはしごがうき出しているところは、まるで火がもえているみたいでした。それはガリレイ(イタリアの天文学者)のお墓でした。いたってしっそなお墓でしたけれど、青地に赤いはしごをかいたのは、学問《がくもん》そのものをあらわした、まことに意味《いみ》のあるもんしょうでした。なぜといって、この世界では、道はいつでも光りかがやくはしごを通って、天に通《つう》じるからです。心の世界の預言者《よげんしゃ》というものは、すべてむかしの預言者エリアのようにして、天へのぼっていくのです。
お堂に通じる右がわのろうかの、りっぱな大理石のひつぎの上のちょうこくは、どれもこれも命をふきこまれているように見えました。こちらにはミケランジェロが、むこうには、ひたいに月桂冠《げっけいかん》をいただいたダンテがいました。それからまた、アルフィエリやマキャベリもいました。イタリアのほこりであるこれらの偉人《いじん》たちは、こうしてここで、ならんでねむっているのです(*)。
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(*)ガリレイの墓のまむかいに、ミケランジェロの墓があって、その上にミケランジェロの胸像と、ちょうこくと絵と建築《けんちく》をあらわした三つの像が立っている。そのそばにダンテの墓がある(遺骸《いがい》はラベンナにほうむられている)。この墓の上には女神イタリアが立って、ダンテの巨像《きょぞう》を指さし、詩をあらわす像が、なき人をしのんでなげいている。数歩はなれて、月桂冠とたてごとと仮面をかむったアルフィエリの墓があり、女神イタリアがその上でないている。マキァベリの墓が、これらの偉人の墓の列のさいごをかざっている。
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これほどすばらしいお寺が、どこにありましょう。大きさは、なるほどフィレンツェの大理石づくりの本寺《ほんじ》ほど大きくはありませんが、それよりもずっと美しいお寺なのです。
ふと、大理石の着物が動くようなけはいがしました。見ると、それらの偉大《いだい》な人たちがそろそろと頭をもたげて、歌と音楽のうちに、やみをすかして、光にみちあふれた祭壇《さいだん》のほうをながめているのでした。祭だんでは、白いころもを着た子どもが、金のこうろをふっていました。強いかおりが、お堂の中から、がらんとした広場まで流れてきました。
少年はまぶしい光のほうへ手をのばしました。ところが、とたんに青銅のイノシシが走りだしたので、少年はしっかりとせなかにしがみつかなくてはなりませんでした。風がヒューヒュー耳をかすめ、お寺の大とびらがしまる、ちょうつがいのギーという音が聞こえました。それと同時に、意識《いしき》がぼうっとかすんでいったと思うと、ぞっとするような寒けを感じて――目がさめました。
じぶんがいつも「おかあさん」とよんでいる人のことを、少年は思い出しました。すると、しんぱいとおそれとで、むねがいっぱいになりました。少年はきのう、
「お金をこしらえてくるんだよ」
といって、家を出されたのでした。それなのに、まだ一せんももらっていないのです。おまけに、おなかはすくし、のどもかわいていました。
もう一度少年は、青銅のイノシシの首っ玉にだきついて、その鼻づらにキスすると、おわかれのしるしにちょっとうなずいてから、その場を去《さ》りました。
まもなく、せまい横町《よこちょう》に来ました。そこはとてもせまくて、荷物《にもつ》をつんだロバがやっと通れるくらいでした。そこには、鉄の金具《かなぐ》をうった大きな門が、半びらきになっていました。そこをはいって、よごれたかべと、手のあぶらでべとべとしているなわにつかまりながら、れんがのかいだんをのぼっていきました。
すると、ぼろのぶらさがった、ふきさらしのろうかに出ました。そこからまたかいだんをおりて、中庭《なかにわ》に出ると、そこには井戸《いど》があって、ぐるりの家の各階《かくかい》からふといはり金《がね》がはりわたしてあり、はり金ごとにバケツが一つずつぶらさがっていました。かっ車《しゃ》がギーギーきしみだすと、バケツは、空中《くうちゅう》でダンスをはじめ、水が中庭にピチャピチャこぼれました。
少年はもう一度、べつのくずれかけたかいだんをのぼりました。と、ロシアの水兵《すいへい》さんがふたり、元気よくそのかいだんをかけおりてきたので、あやうく少年はつきたおされるところでした。この水兵たちは、ゆうべドンチャンさわぎをやって、いま帰るところだったのです。
そのうしろから、もうわかくはありませんが、ふさふさした黒い髪《かみ》をした、ふとった女がついてきました。
「なにか持ってきたかい?」
と、女は少年にむかっていいました。
「ごめんなさい。ぼく、なんにももらえなかったの、なんにも」
と、少年はあやまりました。そしてキスでもするように、おかあさんの着物をつかみました。
それからふたりは、へやの中にはいりましたが、このへやのようすは、かくのをやめておきましょう。ただ、このことだけはいっておきましょうか。そこには、炭火《すみび》を入れた手のついたつぼ――この土地でいうマリート――が、たった一つあるだけだったのです。
これを女はむねにかかえて、指先をあたためながら、少年をひじでつついていいました。
「さっさとお金をお出し」
少年はしくしくやりだしました。女は足でけとばしました。少年は声をあげてなきました。
「おだまり。でないと、頭をぶちわってくれるから」
こういって女は、手にしていた火つぼをふりまわしました。少年はひめいをあげて、ゆかにつっぷしました。そのとき、となりの女が戸口からはいってきました。この女もマリートをかかえていました。
「まあ、フェリチタ、その子をどうしようっていうの」
「この子はあたしの子さ。あたしゃ、ころそうと思えばころしたっていいんだよ、ジャニーナ。ぐずぐずいうんなら、おまえさんもいっしょだよ」
こう、フェリチタはいいかえして、火つぼをふりあげました。ジャニーナも、じぶんの火つぼでそれをふせぎました。二つの火つぼがぶつかって、かけらや火やはいが、へやじゅうにとびちりました。
そのすきに、少年は戸口をとび出して、中庭をぬけて外へにげました。かわいそうな少年は、もう息がつづかなくなるまで、走りに走って、やっと、サンタ=クローチェ寺の前まで来て、立ちどまりました。
「ゆうべは、この大きなとびらが、ぼくの前でさっとひらかれたっけ」
こんなことを思いながら、少年は中へはいりました。お寺の中は、見るものすべてが光りかがやいていました。
少年は、右手のとっつきにあるお墓の前に、ひざまずきました。ミケランジェロのお墓なのです。ひざまずくと同時に、少年は声高くしゃくりあげました。――人々は、行ったり来たりしていましたが、ミサがはじまったので、だれひとり少年に気をとめるものもありません。ただ、町の老人がひとり、立ちどまって少年をじっと見ていましたが、やがてその人も、立ち去ってしまいました。
おなかがすいているのと、のどのかわきとが、少年を苦しめだしました。もう力もすっかりつきてしまって、病気《びょうき》みたいになりました。そこで、大理石のお墓とかべの間のすみっこにはいこむと、じきにねむりこんでしまいました。
だれかにゆすぶられて目をさましたときには、もう夕がたになっていました。とび起きてみると、けさの老人が目の前に立っていました。
「気分がわるいのかな。うちはどこだね。おまえは一日こんなとこにいたのか」
などと、老人はいろいろとたずねました。
少年がひとつひとつそれにこたえると、老人は少年をつれて、近くの横町にある、一けんの小さい家へはいっていきました。そこは、手ぶくろをつくる工場《こうじょう》でした。
ふたりがはいっていくと、おかみさんは、まだ仕事台《しごとだい》について、せっせと手ぶくろをぬっていました。台の上には、ばら色のはだが見えるほど、みじかく毛をかった一ぴきの小さなむくイヌが、台の上を走りまわっていました。むくイヌは、うれしそうに、少年にとびつきました。
「むじゃきなものどうしは、じきになかよしになるんだねえ」
こう、おかみさんはいって、少年とイヌとをなでました。少年はこのしんせつな人たちのところで、食べものとのみものをもらいました。
「今夜はここでとまるがいいよ。あすになったら、ジュゼッペおじさんが、おまえのおかあさんに話してあげるからね」
こういわれて、少年は小さいみすぼらしいベッドでやすむことになりました。でも、ときによるとかたい石の上でさえねなければならなかった少年にとっては、そんなベッドでも、王さまのねどこにまけないりっぱなものでした。少年は気持ちよくねむって、あのすばらしい絵や、青銅のイノシシのゆめを見ました。
あくる朝、ジュゼッペおじさんは、少年をつれて出かけようとしました。ところが、かわいそうな少年は、それをあまりうれしがりませんでした。母親のところへ行くのだと、知っていたからです。
少年が、なきながら子イヌにキスすると、おかみさんは、その両方にむかってうなずいてみせました。
いったい、どんなことをジュゼッペさんは考えていたのでしょう。
おじさんは、長いことおかみさんと話しこみました。おかみさんはうなずいて、少年の頭をなでました。そして、こんなことをいいました。
「これはいい子です。きっと、あんたとおなじように、いい手ぶくろ職人《しょくにん》になれますよ。こんなに細い、しなやかな指をしてますものね。聖母さまも、この子を手ぶくろ職人におきめになったでしょうよ」
こんなわけで、少年はこの家にとどまることになったのです。おかみさんは、じぶんで少年にぬいかたを教《おし》えました。少年はよくたべ、よくねむって元気になると、まもなくベルリッシマをからかいはじめました。子イヌはそういう名まえだったのです。するとおかみさんは、指をあげておどして、しかったりおこったりしました。
少年には、これがこたえました。少年は物思《ものおも》いにしずんで、じぶんの小さいへやにとじこもってしまいました。へやは通りに面していて、中には皮がほしてあり、まどには、ふとい鉄ぼうがはまっていました。
少年は青銅のイノシシのことで頭がいっぱいでしたから、ねむることができませんでした。と、だしぬけにまどの外で、パタンパタンと足音のようなものがしました。
「そうだ、きっとあれだ」
少年は、いそいでまどべへとんでいってみました。でも、なにも見えませんでした。もう通りすぎてしまったのでしょう。
あくる朝、おとなりのわかい絵かきさんが、えのぐばこと大きなカンバスのまいたのを、重そうに持ってやってくると、おかみさんがいいました。
「先生のえのぐばこを持ってあげなさい」
そこで少年は、えのぐばこを持って、絵かきさんのあとについていきました。
やがてふたりは、画廊《がろう》について、れいのかいだんをのぼりました。少年があの晩、青銅のイノシシに乗って、のぼっていったかいだんです。少年はまたもや、ちょうこくや絵を見ました。みごとな大理石のビーナスや、あのとき、いかにもあざやかな色をしていて、まるで生きているみたいだった、ふたりのビーナスやらを。それからまた、聖母さまとイエスとヨハネの絵も見えました。
こんどはふたりは、ブロンチーノの絵の前で立ちどまりました。それは地下の国へキリストがたずねていく絵で、まわりの子どもたちは、
「さあ、ぼくたち天国へ行けるぞ」
と、うれしい希望でにこにこしているのでした。かわいそうな少年も、思わずにっこりしました。なぜといって、少年にとっては、ここはそのまま天国のようでしたから。
「それじゃ、きみはうちへお帰り」
と、絵かきさんはいいました。画架《がか》を立ててしまっても、少年がまだいつまでも、そこにのこっていたからです。
「先生が絵をかくの、見ていてもいい? この白いきれに色をぬってくとこを、見たいんです」
と、少年はいいました。
「まだぬりゃしないよ」
と、その人はこたえました。そして、黒いチョークをとり出すと、むこうの大きな絵を目ではかりながら、いそがしく手を動かしだしました。カンバスの上に引かれたのは、ほんの細い線だけでしたが、それでも、もうキリストのすがたが、色のついた原画《げんが》そっくりに、うかび出てきました。
「だが、もうお帰りよ」
と、絵かきさんがいいましたので、少年はだまって家に帰りました。そして仕事台について、手ぶくろをぬうのをならいました。
けれども、その日は一日じゅう、心は画廊の中をさまよっていたのです。ですから、はりで指をついたり、へまをやったりしました。でも、ベルリッシマは、もうからかいませんでした。
夕がたになって、ふと家の戸口があいているのを見ると、少年はそっと外へ出ました。外は寒かったけれど、星のきらきらかがやいた、晴れた美しい晩でした。
少年は、もう人通りもたえて、ひっそりした町をぬけて、まもなくあのイノシシの銅像のところへ来ました。そして、かがみこんでぴかぴかしている鼻づらにキスしてから、そのせなかに乗っていいました。
「ねえ、やさしいイノシシさん。ぼく、どんなにきみに会いたかったろう。今夜も乗せていってね」
青銅のイノシシは、身動きもしないで、あいかわらず、きれいな水を口からふき出しています。少年は騎士《きし》みたいに、そのせなかにまたがりました。
そのとき、だれかが着物をひっぱりました。ふりむいてみると、それはベルリッシマ――あの毛をかられてはだかんぼうになった、小さいむくイヌでした。少年は気がつかなかったけれど、ベルリッシマもいっしょに家をぬけ出して、あとをつけてきたのでした。
「ぼくがおともをしているのに、なぜそんなとこへ乗るの?」
というかのように、ベルリッシマは、さかんにほえました。どんなにおそろしい火をはくリュウだって、このときのこのちびさんほどには、少年をびっくりさせることはできなかったでしょう。あの小さいベルリッシマが、往来《おうらい》に、しかもおかみさんのまねをしていえば、「着物も着ないで」出てきたのですから。
いったい、どうなることでしょう。なにしろこのイヌは、冬の間は子ヒツジの毛皮でちゃんと仕立てた着物を着ないでは、一度だって外へ出たことはないのです。毛皮は首のところで赤いリボンをむすぶようになっていて、それにちょうネクタイと、すずがついていました。また、おなかの下でも、おなじぐあいにむすぶようになっていました。
こんなすがたで、冬、おかみさんといっしょに外出してちょこちょこ歩いているところは、小さなヤギの子そっくりでした。そのベルリッシマが、着物も着ないでついてきたのです。
「いったい、どうなるんだろう」
こう思うと、いままでの空想《くうそう》も、みんなきえてしまいました。そこで少年は、もう一度青銅のイノシシにキスすると、寒さにふるえているベルリッシマをだきあげて、大いそぎでかけだしました。
「こらっ、なにを持って走っているのだ」
とちゅうで出あったふたりの憲兵《けんぺい》が、どなりました。すると、ベルリッシマがほえました。
「そのきれいなイヌを、どこからぬすんできたんだ」
こういって、その人たちはイヌをとりあげてしまいました。
「ねえ、かえしてよ」
と、少年はなき声になりました。
「ぬすんだイヌでなけりゃ、家へ帰っていったらいいさ――イヌは駐在《ちゅうざい》へとりにおいでって」
こういって憲兵たちは、駐在所《ちゅうざいしょ》の場所をいうと、ベルリッシマをつれていってしまいました。
まったく、とんでもないことになったものです。少年は、いっそアルノ川に身を投げようかと思ったり、家へ帰ってなにもかもうちあけようと考えたりしましたが、どうしたらよいかもわかりません。このまま家に帰ったら、きっところされるものと思いました。
「でも、ころされたほうがいいや。死んだら、イエスさまと聖母マリアさまのところへ行けるんだもの」
こう思って、少年はころされるのを覚悟《かくご》で、家にもどりました。
入り口の戸はしまっていました。ノッカー(戸をたたくつち)には手がとどかないし、往来にはだれもいませんでした。でも、石が一つ見つかったので、それで、ドンドン戸をたたきました。
「どなた」
と、うちから声がしました。
「ぼくです。ベルリッシマがいなくなったの。戸をあけて、ぼくをぶちころしてください」
と、少年はいいました。
さあ、たいへんなさわぎになりました。わけても、おかみさんのベルリッシマをしんぱいすることといったら。すぐに、いつもイヌのマントをかけておくかべのところを見ると、子ヒツジの毛皮は、ちゃんとそこにかかっているではありませんか。おかみさんは、金切《かなき》り声《ごえ》をあげてさけびました。
「ベルリッシマが駐在にだって。このあくたれこぞうめ、なんだってあれを外へ出したの。こごえ死んでしまうじゃないか。あんな上品なイヌが、あらくれ男の兵隊《へいたい》につかまってるなんて」
さっそく、おじさんが出むかなければなりませんでした。おかみさんはわめき、少年はおいおいなきました。家じゅうのものがあつまってきました。あの絵かきさんも来ました。
絵かきさんは、少年をだきよせて、いろいろとたずねました。そして、とぎれとぎれでしたけれど、青銅のイノシシのことから、画廊のことまで、すっかり聞きだしました。
その話は、よくのみこめたとはいえませんでしたけれど、それでも絵かきさんは、少年をなぐさめ、おかみさんをなだめました。けれどもおかみさんは、おじさんがベルリッシマをつれて帰ってくるまでは、すこしも安心しませんでした。
いよいよイヌがぶじで帰ってくると、みんな大よろこびで、絵かきさんはかわいそうな少年の頭をなでて、どっさり絵をくれました。
みんなすばらしい絵ばかりでした。こっけいな顔をかいたのも、いくまいかありました。でも、なんといってもいちばんすばらしいのは、あの青銅のイノシシの絵でした。まるで生きているみたいです。ああ、これよりもすばらしいものがあるでしょうか。わずか三、四本の線で、みごとに紙の上にうつされていて、うしろの建物《たてもの》までが、それとわかるほど、のぞいていました。
「こんなふうにかけたら、どんなにいいだろう。そうしたら、世界のすべてをじぶんのものにできるのになあ」
あくる日、だれもいないときをみて、少年はえんぴつをにぎりしめました。そうして一まいの絵のうらに、その青銅のイノシシの絵をお手本にして、それをうつしてみたのです。と、なかなかうまくできました。――すこしゆがんで、びっこになり、いっぽうの足がふとく、もういっぽうが細かったりしましたが、それでもイノシシということがわかりました。
少年は、うれしくてたまりません。ただ、えんぴつが思うように動いてくれないことは、じぶんでもわかりました。
けれども、つぎの日には、青銅のイノシシがもう一つ、はじめのにならびました。しかも、こんどのは百倍もじょうずにできました。三番めのは、もっとうまくかけて、だれが見てもイノシシとわかりました。
でも、手ぶくろをぬうほうは、さっぱりだめでした。おつかいにやられても、のろくさしていました。
それというのも、どんなにみごとな絵でも紙の上にうつせることを、あの青銅のイノシシが、少年に教えてくれたからです。しかも、フィレンツェの町は、そのぺージをめくる人にとっては、すみからすみまで、りっぱな絵の本です。
トリニタ広場には、すらりとした柱が立っていて、そのてっぺんには、目かくしをして手にはかりを持った正義《せいぎ》の女神が立っています。たちまちこの女神も、紙の上にうつされましたが、それをしたのは、この手ぶくろつくりの少年でした。
絵の数は、だんだんふえていきました。でもいままでは、みんな死んだものの絵ばかりでした。ところがある日、ベルリッシマが少年の前にとんできました。
「じっとしておいで。そうしたらぼくが、お前をりっぱにかいて、絵の中へ入れてやるよ」
こう、少年はいいましたが、ベルリッシマはすこしもじっとしていません。で、とうとう柱にしばりつけられてしまいました。
頭としっぽをしばると、イヌはほえたりはねたりしました。そこで、ひもをいっそうひきしめなくてはなりませんでした。そこへ、おかみさんが出てきました。
「あれまあ、とんでもないこぞうだよ。おお、かわいそうに」
おかみさんは、これだけいうのが、やっとでした。そして少年をつきとばし、足でけって、
「出ていけ、こんな恩知《おんし》らずのろくでなしは、もう家へは入れないよ」
というと、もう息がつまりそうになっていた小さいベルリッシマに、なきながらキスするのでした。
ちょうどそのとき、あの絵かきさんがかいだんをあがってきました。そして――お話はがらりとかわるのです。
一八三四年に、フィレンツェの美術院《びじゅついん》で、一つの展覧会《てんらんかい》がありました。数ある絵の中でも、ならべてかけられた大小二つの絵の前に、見物人《けんぶつにん》があつまりました。
小さいほうの絵は、かわいらしい少年がすわって、うれしそうに絵をかいているところ。少年がモデルにしているのは、ひどく毛をみじかくかった白い子イヌでした。子イヌはおとなしくしていないらしく、頭としっぽを、ひもで柱にくくりつけてありました。絵の中には、だれの心をもうたずにいない、生命と真実《しんじつ》がこもっていました。
この絵をかいたのは、人の話によると、わかいフィレンツェ生まれの画家で、小さいときに、往来で手ぶくろつくりの老人にひろわれたのだそうでした。少年は絵をかくのがすきで、じぶんひとりでそれを勉強しました。
あるとき、少年はおかみさんのかわいがっていた子イヌをしばって、モデルにしました。そのため、あやうく家を追い出されそうになったとき、いまでは有名になっている画家が、この少年の天才を発見《はっけん》したというのでした。
手ぶくろつくりの少年は、たいした画家になりました。そのことは、この絵を見ればわかります。また、それとならんでいる大きいほうの絵を見れば、なおよくわかります。その絵にかいてあるのは、ぼろを着たかわいらしい少年が、たったひとり、往来にすわってねむっているところでしたが、その子がよりかかっているのは、ポルタ=ロッサ通りのイノシシの銅像〔このイノシシの像は鋳物《いもの》で、もとのものは、古いギリシア時代の作。大理石でできている。こちらはウフィツィ宮の画廊の入り口におかれている〕でした。
見物人はひとりのこらず、その場所を知っていました。子どもは、うでをイノシシの頭にかけて、すやすやとねむっていました。聖母さまの像の前にともっているあかりが、その子の青白い上品な顔の上に、印象ぶかい、強い光を投げていました。
ほんとに、それはすばらしい絵でした。その絵は、金色の大きながくぶちにはまっていて、がくぶちのすみには、月桂冠《げっけいかん》がかけてありました。けれども、その青々した葉っぱの間には、黒いリボンがあみこまれて、そこから長い黒い喪章《もしょう》がたれさがっていました。
このわかい絵かきさんは、つい数日前に死んだのでした。
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友情のちかい
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いまわれらはデンマークの岸をはなれて
遠い見知らぬ国へとんでいく
かくて美しいギリシアの国の
コバルトの海べにおり立つ
シトロンはこがねの実もたわわに
そのえだを大地にたれ
アザミしげるほとり、たえなる像《ぞう》は
大理石《だいりせき》にほられて立つ、
ひつじ飼いのすわるかたえに
かれのイヌもよりそってねころぶ
いざ、われらもそこにすわりて
遠き世の、友情の物語を聞こう。
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わたしたちの家は、ねんどをかためてつくったものでした。それでも、戸口の柱だけは、家をたてるときにほり出された、みぞつきの大理石の柱をつかってありました。屋根はとてもひくく、地にとどきそうで、しかもいまは日にやけて、みじめなすがたになっています。
でもはじめは、山のむこうからとってきたキョウチクトウの花や、青々したゲッケイジュのえだで、ふいてあったのです。
家のまわりには、ほとんどあき地がありません。はだかの岩山《いわやま》が切り立って、黒々したはだを見せているだけです。ときどき、そのてっぺんに、まるで白い生きものみたいに、雲がかかります。
わたしはここでは、鳥のさえずるのを、聞いたことがありません。また、風笛《ふうてき》に合わせておどる人もありません。でも、ここは遠いむかしから、神聖《しんせい》な場所とされてきたのです。名まえを聞いただけで、すぐにわかるでしょう。そうです、デルフォイというのがその名まえです。
黒々としたおごそかな山々には、雪がつもっていました。中でもいちばん高くて、赤い夕日にいちばんあとまではえているのは、パルナッソスの山です。わたしたちの家のそばの小川は、この山から流れてくるのです。
この川も、むかしは神聖な川だったのです。いまでは、ロバの足がときどき来てそれをにごしますが、川は流れるにつれて、またきれいにすんでいきます。
この土地のどんなかたすみでも、わたしはおぼえています。わけても、そのこうごうしい深いしずけさは、けっしてわすれることができません。
小屋の中では、火がもやされます。そして、かっかと熱《ねっ》したおきがうずたかくなると、その中でパンをやくのでした。
小屋のまわりに雪がつもって、ほとんど小屋がうずまってしまうときが、母はいちばんうれしそうでした。そんなときは、母は両手でわたしの顔をはさんで、ひたいにキスして、それから歌をうたいました。それは、ふだんはけっしてうたったことのない歌でした。というのは、わたしたちの国の支配者《しはいしゃ》であるトルコ人が、それをゆるさなかったからです。
母はうたいました――
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オリュンポスのいただきの
ひくいモミの林の中に
年とったシカがすんでいた
年とった目は、なみだで重かった
赤いなみだ、みどりのなみだ、また青白《あおじろ》いなみだで。
そこへ子ジカが来かかった。
「どうしたのですか、そんなになくのは
赤いなみだ、みどりのなみだ、青白いなみだを流して」
「おいらの村にトルコ人がやってきたのだ、
ものすごいイヌのむれをひきつれて」
「ぼくが島から追っぱらってみせます。
深い深い海の中へ」と、わかい子ジカはいいました。
しかし、ああ、その日の夕がたになる前に
わかい子ジカはころされ、夜にならぬうちに
年とったシカもころされました。
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こうしてうたっている間《あいだ》にも、母の目はぬれて、なみだが長いまつげにたまりました。けれども母は、なみだをかくして、はいの中の黒パンをうらがえしました。わたしは思わずこぶしをにぎりしめていいました。
「ぼくらがトルコじんをやっつけますよ」
けれども母は、ただ歌をくりかえすだけでした――
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「ぼくが島から追っぱらってみせます
深い深い海の中へ」――
しかし、ああ、その日の夕がたになる前に
わかい子ジカはころされ、夜にならぬうちに
年とったシカもころされました。……
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あけてもくれても、わたしたちはふたりきりで、小屋の中でくらしました。
と、ある日、父が帰ってきました。きっと父は、いつものように、レパント湾《わん》の貝がらか、でなければ、ぴかぴか光るするどいナイフでも、わたしにみやげを持ってきてくれたことと思いました。
ところが、こんどはひとりの子どもをつれてきたのでした。それは小さな、はだかの女の子で、父のひつじ皮のマントの下にかかえられていました。その子は毛皮にくるまれていましたが、それをぬいで母のひざにだきあげられたときは、身につけていたものといえば、黒い髪《かみ》の毛にむすびつけてあった、三まいの銀貨《ぎんか》だけでした。
父は、この子の両親がトルコ人にころされたことをいって、いろいろと話しました。それで、わたしは、その晩《ばん》は夜っぴて、そのことをゆめに見ました。
わたしの父自身も、きずをうけていました。母は父のうでをしばりました。きずは深かったのです。あついヒツジの毛皮は、血でかたくこわばっていました。
その小さい女の子は、わたしの妹になるはずでした。たいへんきれいな、光りかがやくような子でした。わたしの母のやさしい目でも、この子の目にはかないませんでした。
アナスタシア――これがその子の名まえでしたが、かの女がわたしの妹ということになったのは、むすめのおとうさんが、わたしの父とちかいをむすんだからでした。
それはわたしたちの、遠いむかしからのならわしの、いまにつたえている、ちかいなのです。両方の父はわかいときに、兄弟のちぎりをむすびました。
そして、土地でいちばん美しく、いちばん純潔《じゅんけつ》なむすめさんをえらんで、その友情のちかいをきよめてもらったのでした。
――世にもめずらしい、この美しいならわしの話は、わたしはいくどもいくども聞きました。
こうして、その小さな女の子は、わたしの妹になりました。妹はわたしのひざの上に乗っかり、わたしは妹に花や野の鳥のはねなどを持ってきてやりました。パルナッソスのきれいないずみの水もいっしょにのみましたし、頭と頭をならべて、小屋のゲッケイジュの屋根の下でねむりもしました。
それからのちも、母は冬が来るごとに、赤やみどりや青白いなみだの歌をうたいました。けれど、そのなみだの中にいくえにもかさなってうつっているのが、ほかでもない、わたしたちの民族そのもののかなしみだとは、そのころのわたしには、まだまだわからなかったのです。
ある日のこと、わたしたちとは服装《ふくそう》のちがう三人のフランス人が、やってきました。その人たちは、ベッドやテントまでウマにつんできました。サーベルやてっぽうを持ったトルコ人が、二十人あまりもついてきました。なにしろこの人たちは、トルコの長官の友だちで、その手紙を持っていたからです。
この人たちは、ただわたしたちの山を見るためにやってきたのでした。雪と雲の中をパルナッソスにのぼったり、わたしたちの小屋のまわりの、ふしぎな黒い色をした岩山を見物したりしました。
みんなを家にとめることはできませんでしたし、またその人たちは、てんじょうをはってひくい戸口から出ていくけむりが、がまんできませんでした。そこで、小屋の前のせまいあき地に、テントをはりました。そして、子ヒツジや鳥の肉をやいて、あまい強いぶどう酒をのみました。でも、トルコ人たちには、ぶどう酒はやりませんでした。
みんなが出発すると、わたしはすこしばかりあとを追っていきました。妹のアナスタシアは、ヤギの毛皮にくるまって、わたしのせなかにおぶさっていました。フランスの紳士《しんし》のひとりが、わたしを岩山のそばに立たして、わたしと妹とを、まるで生きてるみたいに絵にかきました。
わたしたちふたりが、まるでただひとりの人間みたいに見えました。――そんなことは、これまで一度も考えたことはなかったのですが、わたしとアナスタシアは、まったくひとりとおなじだったのです。いつでもかの女はわたしのひざの上に乗っかっているか、せなかにおぶさっていました。わたしのゆめの中にも、しょっちゅうそのすがたがあらわれたものです。
それから二晩《ふたばん》のちに、またべつの人たちが、わたしたちの小屋にやってきました。この人たちは、短刀《たんとう》やてっぽうを持っていました。
それはアルバニア人でした。
「いさましい人たちだよ」
と、わたしの母はいいました。
その人たちは、長くもいませんでした。妹のアナスタシアは、そのひとりのひざにだかれました。――やがてみんながたっていったあと、アナスタシアの髪には、銀貨が三つではなくて、二つきりになっていました。
この人たちは、たばこを細い紙きれでまいて、ふかしました。いちばん年かさの男が、これから先の道のことを話しましたが、じぶんでもあやふやのようでした。
「なに、上にむかってつばをはきゃ、つばはおれの頭の上におちてくるし、下につばをはきゃ、おれのひげの中におちるだけさ」
こんなふうに、その男はいいました。
けれども、どのみち一つの道をえらばなければなりません。そこで、人々は出かけました。わたしの父がついていきました。
しばらくすると、てっぽうの音がしました。つづいてまた、「バン、バーン」とひびきました。――すると、兵隊がどやどやとわたしたちの小屋にはいってきて、母とわたしとアナスタシアをつかまえました。みんなのいうには、
「どろぼうどもがおまえたちのところでとまった。そして、おまえの父がそのあんないをした。だから、おまえたちをつれていかなくてはならない」
ということでした。
わたしはどろぼうたちの死がいを見ました。父の死がいも見ました。わたしはないてないて、なきながらねむってしまいました。
目がさめたときは、ろうやの中にいました。けれども、そのろうやは、わたしたちの小屋ほどみじめではありませんでした。わたしたちは、タマネギと、やにくさいぶどう酒をあてがわれました。このぶどう酒はタールをぬったふくろに入れてあるのです。でも、こんないいぶどう酒は、家ではのんだことがありませんでした。
どれだけ長くろうやの中にいたか、わたしはおぼえがありません。とにかく、たくさんの昼と夜とがすぎていきました。ようやく出されたのは、ちょうど、わたしたちにとってだいじなおまつりの、復活祭《ふっかつさい》の日でした。
アナスタシアは、わたしがおぶいました。なにしろ、母は病気でしたから。母はただもう、のろのろとしか、歩くことができませんでした。おまけに海まで出るには、なかなか道のりがありました。でも、やっとレパント湾まで来ました。
わたしたちは、そこにあった教会へはいりました。教会の中は、金地《きんじ》にいろんな像がかいてあって、光りかがやいていました。それは、天使たちだったのです。それも、たいそうきれいな天使でした。でも、わたしは思いました――
「うちの小さなアナスタシアだって、まけはしないぞ」と。
お堂《どう》のまん中に、バラの花にうずまったひつぎがおいてありました。
「これが主《しゅ》イエスさまで、美しい花のようにやすんでいられるのだよ」
と、母がいいました。
「キリストは、よみがえりたまえり」
と、ぼうさんがつげ知らせました。
すると、みんながたがいにだきあってキスしあうのでした。
だれもかれも、火をともしたろうそくを手にしていました。わたしも一本、アナスタシアも一本もらって、手に持ちました。
風笛がなりだしました。男たちは、手に手をとっておどりながら、教会の外へ出ました。そこでは女たちが、復活祭の子ヒツジをやいていました。わたしたちも、この場によびこまれました。わたしが火のそばにすわると、わたしよりすこし年のいった少年が、わたしの首にだきついてキスをして、
「キリストは、よみがえりたまえり」
といいました。こんなふうにして、われわれふたり、アフタニデスとわたしは、はじめて出あったのです。
わたしの母は、さかなをとるあみをあむことができました。この仕事は、ここのはまべでは、よいお金になりました。こうしてわたしたちは、長いこと、この海岸にとどまりました。
――ああ、美しい海。でも、この海の水はなみだのあじがしました。その色は、あのシカのなみだを思い出させました。あるときは赤く、あるときはみどりに、それからまた青くかわって。
アフタニデスは、船をあやつることができました。わたしと小さいアナスタシアは、いっしょにボートに乗りました。ボートは水の上を、まるで空を行く雲のように走りました。太陽がしずむと、まわりの青い山々も、ずんずん黒ずんでいきました。
一つの尾根《おね》の上にまたべつの尾根がのぞき、そしていちばん遠くには、パルナッソスが雪をいただいてそびえ立っていました。そのいただきは、夕日をあびて、まっかにやけた鉄のようにかがやきました。その光は、まるで山の中からでも出てくるみたいに、太陽がしずんでからも、長い間、きらきらふるえて青い空にかがやいていました。
白い海鳥《かいちょう》が、ときどきつばさで水の面《おもて》をうつほかは、あたりはひっそりとしていました――ちょうど黒々とした岩山の間のデルフォイとそっくりに。
わたしはあおむけにボートの中にねそべりました。アナスタシアは、わたしのむねの上にすわっています。空の星は、教会の中のランプよりも強くかがやきました。それらの星たちは、わたしがデルフォイの小屋の前にすわって見たのとおなじ星で、やっぱりおなじ場所に出ていました。しまいにはとうとう、わたしはなんだかデルフォイにいる気持ちになってしまいました。
そのとき、なにかが水におちた音がして、ボートがぐらりとゆれました。わたしは思わず「あっ」とさけびました。アナスタシアが水におちたのです。けれども、アフタニデスがすぐにとびこんで、アナスタシアをわたしのほうへさしあげました。
わたしたちはかの女の着物をぬがせて、水をしぼると、それをまた着せました。アフタニデスも、じぶんの着物をひっかけました。それからわたしたちは、着物がかわくまで、海の上にいました。そんなわけで、小さい義理《ぎり》の妹をうしないそうになったときのわたしたちのおどろきを、だれひとり、知るものはなかったのです。でも、このことからアフタニデスは、わたしの妹の命と、しっかりむすばれることになったのでした。
やがて夏になりました。太陽はやくようにてりつけ、木々の葉はみんなしおれました。わたしはふるさとのすずしい山や、つめたい流れのことを思いました。母もおなじように、ふるさとにあこがれました。そこである晩、わたしたちは、ふるさとをさして旅立ったのでした。
どんなにあたりはひっそりとして、しずかだったでしょう。わたしたちは、たけ高いジャコウソウをふんでいきました。その葉は、日にやけてしなびていましたが、花はまだよくにおいました。たったひとりのひつじ飼《か》いにも会いませんでしたし、小屋一つ見かけませんでした。すべてがしずかで、あれはてていました。ただ流れ星だけが、空に生きて動いているものがあることを語っていました。すみきった青空そのもののせいか、それとも星の光のせいかわかりませんが、まわりの山々がよく見えました。
母は火をたいて、持ってきたタマネギをやきました。そして、わたしと小さい妹とは、ジャコウソウの中ですやすやとねむりました。――口から火をはく鳥も、おそろしいスミドラキ〔ギリシアのめいしんに出てくるばけもの。ころされて野原に投げすてられたヒツジのはらから出てくるとされている〕もこわがりもしないで。ましてオオカミやヤマイヌなどは、すこしも気にかけませんでした。母がそばにすわっていることだけで、わたしたちにはもうじゅうぶんだったのです。
わたしたちはふるさとにつきました。でも、もとの小屋はくずれてしまっていたので、あたらしくたてなおさなくてはなりませんでした。女の人が二、三人、てつだってくれました。二、三日すると、かべができ、あたらしいキョウチクトウの屋根が、その上にかけられました。母は毛皮と木の皮とで、びんを入れるかごをあみました。わたしは上人《しょうにん》さま〔よみかきできる農民は、よく説教者《せっきょうしゃ》になって、上人さまとよばれる。まずしい人たちは、そういう上人さまに道で出あうと、その土にせっぷんする〕のヒツジの番をしました。アナスタシアと小さいカメの子がわたしのあそび友だちでした。
ある日のこと、なつかしいアフタニデスがたずねてきました。
「きみたちにとても会いたくてね」
こういってかれは、まるふつか、わたしたちのところですごしていきました。
それから一月《ひとつき》たつと、またやってきました。船でパトラスとコルフ島へ行くことになったので、その前に、わかれのあいさつに来たのだとのことでした。わたしの母へのみやげに大きなさかなを一ぴき持ってきました。
かれはいろんなことを知っていて、それを話してくれました。レパント湾のさかなのことばかりでなく、いまのトルコ人のように、むかしのギリシアをおさめていた王さまや英雄《えいゆう》たちのことまで。
バラの木がつぼみをつけました。それが一日ごと、一週間ごとに大きくなって、花をひらくのを、わたしは見ました。それらの花は、もうどれだけ大きくなったろう、さぞ赤く美しくなったろう、とわたしが考えつくより前に、もはや花さいていました。
アナスタシアもおなじことでした。かの女はいつのまにか、美しい年ごろのむすめになっていました。わたしは、もうたくましいわかものでした。母とアナスタシアのねどこにしいてあるオオカミの毛皮は、わたしがこの銃《じゅう》でたおして、じぶんではいでなめしたものなんです。
ずんずん年がたっていきました。
すると、ある年のある夕がた、アフタニデスがまたたずねてきました。いまではアシのようにすらりとして、しかも日にやけて、たくましくなっていました。かれはみんなにキスしました。それからたくみに物語《ものがた》りました――大きな海のこと、マルタ島の要塞《ようさい》のこと、エジプトのめずらしいお墓のことなどを。
それは聖者《せいじゃ》の物語めいたふしぎなひびきをもっていました。わたしは一種《いっしゅ》のそんけいの気持ちにうたれて、かれを見あげていいました。
「なんてきみは多くのことを知っているんだ。きみは話がうまいんだねえ」
「きみこそいつか、なによりも美しい話をしてくれたじゃないか」
こう、かれはいいました。
「ぼくは、あのとききみが話してくれたことを、どうしてもわすれることができないんだ。ほら、あの友情のちかいという、むかしからの美しいならわしさ。
じつはぼくも、このならわしにしたがいたくなったのだ。きょうだいよ、ぼくたちふたりも、きみのおとうさんとアナスタシアのおとうさんがしたように教会へ行こうじゃないか。いちばんきれいで、いちばん純潔なむすめといえば、きみの妹のアナスタシアさんだ。この人に、ぼくたちふたりのちかいを祝福《しゅくふく》してもらおうじゃないか。われわれギリシア人のほかに、こんなうるわしいならわしをもっている国民はないもの」
アナスタシアは、さきたてのバラの花びらのように赤くなりました。わたしの母はアフタニデスにキスしました。
わたしたちの小屋から一時間ほど行くと、岩山の上に土がたまって、木が二、三本かげをなげている場所があります。そこに小さい教会が立って、祭《さい》だんの前には銀のランプがぶらさがっていました。
わたしはいちばんの晴れ着を着ました。白いはかまはこしの上までたっぷりとしたひだを見せ、赤いチョッキはぴったりと身につき、わたしのトルコぼうのふさには銀がまじっていました。おびには短刀とピストルをさしました。
アフタニデスは、ギリシアの水夫《すいふ》の着る青い服をつけて、聖母像《せいぼぞう》をあらわした銀のメダルをむねにつけていました。かざりひもは、金持ちの紳士でなければつけられないようなりっぱなものでした。
われわれふたりがげんしゅくな儀式《ぎしき》に出かけるのだということは、だれにも一目でわかりました。わたしたちがひっそりした小さな教会にはいると、夕日が戸口からさしこんで、もえているランプと、金地にえがかれた色あざやかな絵すがたをてらしました。
わたしたちが、祭だんの前のだんの上にひざまずくと、アナスタシアが、ふたりの前に立ちました。長い真っ白い着物が、かの女の美しいからだをふわりとつつんでいました。その白いのどとむねとは、あたらしいのや古いのやをつないだ銀貨のくさりでおおわれていました。それこそすばらしい首かざりでした。黒い髪の毛は頭の上で輪《わ》にあんで、むかしの神殿《しんでん》のあとで見つけた、金貨と銀貨の小さなかざりでとめてありました。こんな美しいかざりは、どんなギリシアのむすめも持っていません。かの女の顔は光りかがやき、その目は二つの星のようでした。
三人とも、しずかにいのりをささげました。それからアナスタシアは、わたしたちに聞きました。
「あなたがたは、生死《せいし》をともにする友だちであることをねがいますか」
「はい」
と、ふたりはともに答えました。
「あなたがたのどちらも、わすれませんね――たとえなにごとがおころうと、じぶんのきょうだいはじぶんの一部であり、じぶんのひみつはかれのひみつ、じぶんの幸福《こうふく》はかれの幸福だということを。ぎせいやにんたいや、そのほかすべて、じぶんの魂《たましい》のためにすることは、かれのためにもするのだということを」
「はい」
と、わたしたちはもう一度こたえました。
するとアナスタシアは、わたしたちの手をくみあわさせて、ふたりのひたいにキスしました。それからわたしたちは、ふたたびしずかにいのりました。
そのとき、神父さんが祭だんの戸口から出てきて、わたしたち三人を祝福《しゅくふく》してくれました。ほかのとうといぼうさんたちの歌が、祭だんのうしろから聞こえてきました。
永遠《えいえん》の友情のちかいは、ここにむすばれたのです。わたしたちが立ちあがったとき、わたしは母が教会のところではげしくないているのに気がつきました。
わたしたちの小さな小屋の中が、またデルフォイのいずみのほとりが、どんなに明るくなったことでしょう。
アフタニデスがいよいよ旅立つ前の晩、かれとわたしは、もの思いにしずんで岩山のへりにこしかけていました。かれのうでは、わたしのかたをだき、わたしのうでは、かれのかたをだいていました。わたしたちは話しあいました――ギリシアの苦難《くなん》について、たよりになる人々について。おたがいの心の中のどんな思いをも、かくすところなく、ふたりはさらけ出しあったのです。
そのときわたしは、かれの手をとっていいました。
「もうひとつ、きみに知ってもらいたいことがある。それはこのしゅんかんまで、ただ神さまとぼくだけが知っていたことなんだ。ぼくの魂は愛《あい》でいっぱいなのだよ。そしてこの愛は、ぼくの母への愛よりも、きみへの愛よりも、もっと強いのだ……」
「では、きみはだれを愛しているの」
こう、アフタニデスはいいましたが、顔も首もまっかになっていました。
「アナスタシアを」
と、わたしはいいました。
アフタニデスの手はわたしの手の中でふるえ、顔は死人のように青ざめました。わたしはそれを見て、かれの気持ちがわかりました。わたしの手も、おなじようにふるえていたことでしょう。わたしは身をかがめてかれのひたいにキスして、ささやきました。
「あの人にはまだうちあけてないんだ。あの人はたぶん、ぼくを愛していないかもしれない。――でもきょうだい、思ってもみてくれたまえ。ぼくはあの人を毎日見てきたのだ。あの人はぼくのそばで大きくなって、ぼくの魂の中に根をはってそだってきたのだよ」
「よし、あの人はきみのものだ」
と、アフタニデスはいいました。
「きみのものだ。――ぼくは、きみをあざむくことはできない。またあざむきたくもない。ぼくもあの人を愛しているんだ――でも、ぼくはあす、ここをたっていかなくてはならない。一年たったら、また会おう。そのときは、きみたちはもう結婚《けっこん》しているだろうなあ。――ここにいくらか金がある。これをきみのものとしてとってくれたまえ、とってくれなくちゃいけない」
わたしたちは、だまって岩山の上を歩きまわりました。ふたりが母の小屋に帰ったのは、夜もふけてからでした。
わたしたちがはいっていったとき、ランプを手にして出てきたのは、母ではなくてアナスタシアでした。アナスタシアはひどくかなしそうにアフタニデスを見つめて、いいました。
「あすはおたちになるのね。わたし、かなしくてかなしくて――」
「あなたがかなしんでいられるんですって?」
こう、アフタニデスはいいましたが、このことばの中には、わたしのそれとかわらぬ大きな苦しみがあるようにみえました。わたしは口をきくこともできませんでした。しかしアフタニデスは、かの女の手をとっていいました。
「ここにいるきょうだいは、あなたを愛しています。あなたはこの人を愛していますか。かれの愛情《あいじょう》は、その沈黙《ちんもく》の中にこそ、あるのですよ」
アナスタシアは、身をふるわせてなきだしました。わたしはただアナスタシアだけを見、かの女のことだけを思いました。わたしはかの女をだきしめていいました。
「そうだ、ぼくはおまえを愛しているんだよ」
そのとき、かの女は両手でわたしの首をだいて、口をわたしの口におしあてました。ランプがゆかにおちて、あたりはまっ暗になりました――かわいそうなアフタニデスの心の中のように。
夜《よ》があける前にアフタニデスは起きて、わたしたちすべてにわかれのキスをすると、出発しました。かれは、わたしたちにといって、持っていたお金をのこらず、わたしの母にわたしていきました。
アナスタシアとわたしは婚約《こんやく》しました。それから、またいく日かたつと、かの女はわたしの妻になったのです。
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ホメロスのお墓のバラ
オリエントのすべての詩《し》には、バラの花によせる夜《よ》ウグイスの愛《あい》の思いがうたわれています。ひっそりした星の明るい晩《ばん》、はねのはえたこの歌い手は、かんばしいこの花にセレナーデをささげるのです。
スミルナ(小アジアにある町、いまのイズミル)の町からあまり遠くないところに、大きなプラタナスの木がしげっています。旅の商人のひきつれた荷物を積《つ》んだラクダのむれは、ほこらかにその長い首をあげて、この神聖《しんせい》な土地をずしりずしりとふんでいきます。
そこにわたしは、花をつけたバラのかきねを見ました。野バトのむれがその高いプラタナスの木のえだの間を、とびめぐっていました。ハトのはねは、太陽の光をうけると、まるで真珠貝《しんじゅがい》の貝がらのようにきらめきました。
バラのかきねには、ほかのどれよりも美しい、一りんの花がさいていました。夜ウグイスが愛のなやみをうったえたのは、この花にむかってでした。
ところがバラは、だまりこくったまま、なにも返事をしません。同情《どうじょう》のなみだ一つぶ――それは、つゆのことなのですが――、花びらの上にはたまっていませんでした。花はえだごと、かたわらの大きな石のほうへたれかかっていました。
そしてバラはいいました。
「ここには、世界一《せかいいち》の詩人がやすんでいるのよ。わたしはこのお墓の上でかおりましょう。もし風がわたしの花びらをもぎとったら、わたしはよろこんでこのお墓の上に散《ち》りましょう。『イリアス』の詩人が、この墓の下で土になったのです。その土の中からわたしははえてきたのです。
わたしは、ホメロスのお墓からはえたバラですもの、けちな夜ウグイスのためにさくなんかは、もったいないわ」
それでも夜ウグイスは、死ぬまでうたいつづけたのでした。
ラクダ追いが、荷物を積んだラクダと、黒んぼのどれいをつれてやってきました。ラクダ追いの小さいむすこが、その死んだ鳥を見つけました。その子は、この小さな詩人を、偉大《いだい》なホメロスのお墓にうずめてやりました。バラの花は、風の中でふるえました。
夕がたになると、バラはその花をいっそうかたくとじて、ゆめを見ました――
お日さまのきらきらかがやく、よく晴れた日のことです。一団《いちだん》のヨーロッパ人がやってきました。その人たちは、はるばるホメロスのお墓へおまいりに来たのです。
その中に、北ヨーロッパから、あのきりとオーロラの国の北欧《ほくおう》から来た、ひとりの詩人がまじっていました。その人はそのバラの花をつむと、それをしっかりと本の間にはさんで、地球《ちきゅう》の反対がわの、遠いじぶんのふるさとまで持って帰りました。
バラの花は、かなしみにしおれて、きゅうくつな本の間でみをちぢこめていました。ふるさとでその本をひらいた詩人は、いいました。
「これはホメロスのお墓にはえていたバラの花ですよ!」
こんなゆめを、バラの花は見たのでした。そして、目がさめると、ぶるっと身ぶるいをしました。ひとしずくのつゆが、花びらから詩人のお墓の上におちました。
太陽がのぼると、バラの花は前よりも、いっそう美しくかがやきました。あつい日になりました。そこはあついアジアの土地でした。
そのとき、人間の足音がしました。そして、バラの花がゆめで見た外国の人たちがやってきました。その中には、あの北ヨーロッパの詩人もいました。詩人はそのバラをつんで、そのみずみずしい花にキスすると、それを切りとり、オーロラのふるさとへ持って帰りました。
まるでミイラのようになって、バラの花のむくろは、詩人の持ってきた『イリアス』の中にはさまっています。そして、ちょうどゆめの中でのように、詩人が本をあけて、こういうのを聞いています――
「これがホメロスのお墓にはえていたバラの花です!」
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ねむりの精のオーレおじさん
世界じゅうにも、ねむりの精のオーレ=ルゴイエおじさんほど、どっさりお話を知っている人は、ひとりだっていないんですよ。――おじさんはほんとに、いくらでもお話ができるのですからね。
夜になって、子どもたちがまだちゃんとおぎょうぎよくテーブルについていたり、いすにすわっているときに、もうそろそろ、オーレおじさんは、やってくるのです。おじさんは、足音ひとつたてないで、そっとかいだんをあがってきます。なにしろ、くつしたはだしで歩いているのですから。
そして、こっそりと戸口をあけると、さっと、子どもたちの目に、あまいミルクをさしてしまいます。ほんのちょっぴり、それこそ、ほんのちょっぴりですけれどもね。
それでも子どもたちは、そのたんびに、もう目をあけていることができなくなってしまいます。ですから、オーレおじさんのすがただって、見えやしません。
おじさんは、さっそく子どもたちのうしろにしのびよって、首のところに息《いき》をふきかけます。そうすると、頭がだんだん重たくなってくるのです。ええ、ええ、そうですとも。
だけれど、だからってべつに害《がい》にはなりませんよ。なにしろ、オーレおじさんがそんなことをするのも、子どもたちのためを思えばこそですからね。おじさんはただ、みんなをもうすこし、しずかにさせなくちゃいけないと、こう思っているのです。
そしてそれには、子どもたちをねどこにつれていくのが、いちばんいいのです。じつは、子どもたちをしずかにさせようというのも、お話をしてやるためなのですからね――
さて、子どもたちがねむってしまいますと、オーレおじさんは、ベッドの上にすわります。おじさんは、なかなかりっぱな服装《ふくそう》をしていて、きぬのうわ着なんか着こんでいます。でも、それがどういう色をしているか、はっきりいうことはできません。おじさんがからだを動かすたびに、みどり色に光ったり、赤や青に光ったりするのですもの。
おじさんは両方《りょうほう》のうでに、一本ずつこうもりがさをかかえています。かたほうの、絵がかいてあるほうのは、いい子の上にひろげるかさで、そうするとその子は、一晩《ひとばん》じゅう、とてもたのしいゆめを見るのです。
ところが、もう一つのほうには、なんにもかいてありません。これは、おぎょうぎのわるい子の上にひろげるかさで、そうするとその子は、まるでばかみたいにねむりこけてしまって、あくる朝目がさめるまで、まるっきり、ゆめも見ないしまつです。
さあ、それではこれから、このオーレ=ルゴイエおじさんが、ヤルマールという小さいぼうやのところへ一週間やってきて、毎晩《まいばん》どんなお話をしてくれたか、その話を聞いてみましょうね。お話はみんなで七つですよ、一週間は七日ですから。
月曜日
「さあ、いいかい」
と、オーレおじさんは、晩になってヤルマールをベッドにつれていくと、いいました。
「今夜はひとつ、かざりつけをしようかね」
そうすると、たちまちはちうえの花がみんな大きな木になって、長いえだを、てんじょうや、かべぞいにのばすのでした。ですから、へやじゅうが、まるでみごとな温室《おんしつ》みたいになりました。そして、えだというえだには花がさきみちて、しかもその花が、どれもこれも、バラの花よりももっと美しく、とてもいいにおいをたてるのでした。
おまけに、たべてみると、ジャムよりもあまいときています。くだものは、金のようにきらきら光っているし、ほしぶどうではちきれそうなパンがしまで、ぶらさがっています。
それこそ、もうしぶんがないというものです。ところが、そのとたんに、ヤルマールの教科書《きょうかしょ》が入れてあるつくえのひきだしの中で、だれかがおそろしい声でなきはじめました。
「おや、だれだろう」
こう、オーレおじさんはいって、つくえのところへ行って、ひきだしをあけてみました。
見ると、石《せき》ばんの上には、算数の計算のときにまちがえた数《すう》たちが出てきて、さかんにおしあいへしあいしているではありませんか。そのため、いまにもおっこちそうになっているありさまです。
石筆《せきひつ》は、ひもにゆわえつけられたまんま、まるで子イヌみたいにとんだりはねたりしていました。それというのも、どうかして計算をたすけてやりたいと思っていたのですが、それがどうにもならないからです。
そこへ、こんどはヤルマールの習字帳《しゅうじちょう》の中で、ひどくなきわめく声がしました。いや、とても聞いていられたものではありません。
いそいであけてみますと、どのページにも大きな文字が、それぞれ小さい文字をおともに、ずらりと、たてにならんでいました。
これがお手本の字というわけです。そうして、そのそばには、それぞれいくつかの字が書いてありましたが、この字たちは、じぶんではお手本の字ににているつもりでいました。なにしろ、ヤルマールが、お手本を見て書いた字だったのですから。
ところが、それらの字は、えんぴつで引いた線の上にちゃんと立っていなければならないのに、まるでころびでもしたように、横だおしになっているのでした。
「ほら、こういうふうに、からだをおこすんだよ」
と、お手本の字がいいました。
「そうら、こうやってすこしかがみかげんにしておいて、それから、さっとはねるのさ」
「ああ、ぼくたちもそうしたいんだけれど、それができないんですよ。ぼくたち、とっても、かげんがわるいんだもの」
と、ヤルマールの書いた字たちはいいました。
「それじゃあ、おくすりをのまなくちゃ――」
と、オーレおじさんはいいました。
「やだい、やだい」
みんながこうさけんで、いそいでおきあがったところは、ほんとにおもしろいながめでした。
「いや、これではきょうはお話をするひまはないぞ」
と、オーレおじさんはいいました。
「これから、みんなをしこんでやらなくちゃならんからな。オイチニ、オイチニ」
こうしておじさんが、文字たちをくんれんしますと、みんなはお手本の字とそっくりに、元気よく、しゃんと立つことができました。
ところが、オーレおじさんが行ってしまって、あくる朝、ヤルマールが目をさましてみると、みんなはまた、きのうとおなじに、なさけないかっこうをしているではありませんか。
火曜日
ヤルマールがベッドにはいったかと思うと、すぐさまオーレおじさんが、小さいまほうの注射器《ちゅうしゃき》で、おへやの中の家具《かぐ》にかたっぱしからさわりました。すると家具たちは、さわるそばからしゃべりだしました。それもみんなが口々に、じぶんのことをしゃべりたてるのです。
ただ、たんつぼだけはべつでした。たんつぼは、だまってかたすみに立って、みんながあまりうぬぼれが強く、じぶんのことをじまんするばかりで、すみっこでつばをはきかけられながらも、つつましく立っているもののことを、すこしも思ってくれないのを、ふんがいしていたのです。
金ぶちのがくにはまった、一まいの大きな絵が、たんすの上にかかっていました。それは風景画《ふうけいが》で、年とった大きな木や、草原《くさはら》にさきみだれている花や、大きな湖《みずうみ》がかいてありました。湖からは川が流れ出して、森のうしろを通り、いくつかのお城のそばを通って、ずっと遠くの海までそそいでいるのが見えました。
オーレおじさんが、まほうの注射器でこの絵にさわると、たちまち絵の中の小鳥は歌いだし、木のえだは風にゆれはじめ、雲はまたずんずん空を動きだして、そのかげが野の上をすべっていくのまでが見えました。
さて、オーレおじさんが、小さいヤルマールを、がくぶちのところまで持ちあげてやると、ヤルマールは、その絵の深《ふか》い草のはえているところに、足をふみ入れて立ちました。お日さまが木のえだをもれて、ヤルマールの上にこぼれました。
ヤルマールは湖水《こすい》のほうへ走っていって、そこにあったボートに乗りました。ボートは、赤と白にぬってあって、帆《ほ》は銀《ぎん》のようにきらきらとかがやき、六わのハクチョウに引かれていました。そのハクチョウは、みんな首には金の輪《わ》をはめ、頭の上には、まばゆいばかりに青い星のかんむりをいただいていました。
ボートがみどりの森のそばを通ると、森の木々は、どろぼうやまほう使いのおばあさんの話をしました。花たちはまた、かわいらしい小さい妖精《ようせい》の話や、チョウチョウから聞いた話をしてくれました。
金と銀のうろこをした、すばらしくきれいなおさかなが、ボートのあとを追ってきて、ときどきとびあがっては、水の面《おもて》にピチャリと音をたてておちました。
赤いのや青いのや、大きいのや小さいのや、いろんな鳥が二列に長くならんで、うしろからとんできました。はむしはダンスをおどり、コガネムシはブンブンうなりました。
みんなヤルマールのおともをしたがっているのです。しかもめいめいが、一つずつおもしろいお話をもっているのでした。
ほんとにたのしい船《ふな》あそびでした。たちまち森が深くなって、そこらがうす暗くなったかと思うと、たちまちまた、お日さまがかがやき、花のさきみだれている美しいお庭がひらけて、ガラスと大理石《だいりせき》づくりの大きなお城が、いくつも立っているのでした。
そして、お城のバルコニーには、それぞれおひめさまが立っていました。それはみんなヤルマールが、むかしいっしょにあそんだ、よく知っているおんなの子でした。
おひめさまたちは、みんなこちらに手をさし出していましたが、その手には、おかし屋のおばさんのところでもめったに売っていないような、とってもすばらしいさとうがしの子ブタを持っていました。
ヤルマールは、通りすがりに、そのおかしの子ブタのはしをつかみました。ところが、おひめさまのほうでも、しっかりとつかんでいたからたまりません。おかしはまっ二つにわれて、めいめいの手に半分ずつのこりました。うまいぐあいに、おひめさまの手には小さいほう、そしてヤルマールの手には、大きいほうがのこりました。
お城というお城には、小さい王子が番兵《ばんぺい》に立っていて、金のサーベルで敬礼《けいれい》しては、ほしぶどうとすずの兵隊《へいたい》さんを、雨のようにふらせました。これでこそ、ほんとうの王子さまというものです。
まもなくヤルマールのボートは、森を通りぬけたかと思うと、こんどは大きな広間《ひろま》のようなところや、町の中を通りました。そのうちに、ヤルマールがまだほんの赤ちゃんだったころ、とてもかわいがってだいてくれた、ねえやの住んでいる町に出ました。
ねえやはヤルマールのほうにうなずいて手をふりながら、いつかじぶんでつくって送ってよこした、あのかわいらしい小さい歌をうたうのでした――
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いとしいわたしのヤルマールさん
思うはあなたのことばかり。
あなたのお口やひたいや赤いほお
さんざわたしはキスして
あなたのさいしょのかたことだって聞いたのよ
だのにわたしはおわかれしなければならなかったの
どうぞ、神さま、わたしの天使《てんし》に、どっさりさちのおさずけを。
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すると鳥という鳥は声を合わせて歌いだすし、花たちは、くきの上でダンスをし、年とった木々までが、しきりに首をうなずかせるのでした――まるでオーレおじさんのお話を、みんなで聞いていたかのように。
水曜日
まあ、外はなんてひどい雨ふりなんでしょう。ねむっていてさえ、ヤルマールにはそれがわかりました。
さて、オーレおじさんがまどをあけると、水はまどわくのところまでとどきそうになっていて、外はまるで、いちめんの湖です。ところが、りっぱな船が一そう、家の前に横づけになっていました。
「ヤルマールくん、ぼくといっしょに船で出かけないか。そうすりゃ、今夜のうちによその国へ行って、あすの朝はまたちゃんと帰っていられるんだよ」
こう、オーレおじさんがいいました。
そこでヤルマールは、大いそぎで晴れ着を着ると、そのりっぱな船に乗りました。すぐ風むきがよくなって、船はたちまち町の通りをぬけ、教会をぐるりとまわったかと思うと、もはやひろびろとした大海《たいかい》に出ていました。
こうして、どんどん走っていきましたので、まもなく、どちらをむいても、陸地《りくち》というものは見えなくなってしまいました。
そのとき、ふるさとをはなれて南のあたたかい国へとんでいく、コウノトリのむれが見えました。コウノトリたちは、一わのあとへまた一わがつくようにして、一列になってとんでいましたが、ずいぶん遠く遠くとんできたため、そのうちの一わは、もう、はねが動かせないくらいつかれきっていました。
その鳥は、列のいちばんびりになって、みるみるみんなからずっとおくれてしまい、とうとうはねをひろげたまま、どんどん下へおちてくるのでした。それでもまだ二、三度は、はねをぱたぱた動かしましたが、なんの役《やく》にもたちません。
とうとう、足を船の帆づなにひっかけてしまい、ずるずると帆の上をすべって、ドスンと甲板《かんぱん》におちました。
さっそく船のボーイにつかまえられて、ニワトリや、アヒルや、シチメンチョウのはいっている、鳥小屋に入れられてしまいました。こうして、かわいそうなコウノトリは、みんなの中に、しょんぼりと立っていました。
「これはいったい、なにものよ」
と、めんどりが口々にいいました。
シチメンチョウはまた、ぷうっとありったけふくらんで、
「おまえはだれだ?」
と、たずねますし、アヒルはアヒルで、あとじさりしておたがいにおしあいながら、
「早くいいなよ、早くいいなよ」
と、さわぎたてました。
そこでコウノトリは、あたたかいアフリカのことや、ピラミッドのことや、さばくを野《の》そだちのウマみたいに走りまわるダチョウのことを話しました。でもアヒルたちには、コウノトリのいうことが、すこしもわからないものですから、またもやガーガーさわぎたてて、いうのでした。
「どうだい、こいつはばかだってことに、みんなできめようじゃないか」
「うん、こいつはたしかにばかだな」
こう、シチメンチョウはいって、ゴロゴロとのどを鳴らしました。それでもコウノトリは、ただだまって、なつかしいアフリカのことを考えていました。
「おまえさんは、なかなか細いきれいな足をしているんだねえ。十センチでいくらだね」
と、シチメンチョウがいいました。
「ガー、ガー、ガー」
アヒルどもはみんなで、ばかにしたようにはやしたてましたが、それでもコウノトリは、なんにも聞こえなかったふりをしていました。
「おまえさんもいっしょにわらったらどうかね。なかなか気のきいたせりふだろうが。それともおまえさんには、下品《げひん》すぎるっていうのかい。おや、おや、この先生はちとたりませんよ。おいらはおいらだけで、おもしろくやりましょうや」
と、シチメンチョウはいいました。
こうシチメンチョウがいって「クッ、クッ」と鳴きますと、アヒルたちは「ガー、ガー、ガー」とがなりました。こうやってみんなでおもしろがっているところは、ものすごいほどでした。
けれどもヤルマールは、鳥小屋へ行って戸をあけて、コウノトリをよび出してやりました。コウノトリはヤルマールのあとについて、甲板にとび出してきました。もうからだもすっかり元気になっていたのです。
それからコウノトリは、お礼をするようにヤルマールに頭をさげると、はねをさっとひろげて、あたたかい国へとんでいきました。ところが、めんどりはあいかわらず「クッ、クッ」と鳴くばかりだし、アヒルどもは「ガー、ガー」さわぎたてるばかり、シチメンチョウは顔をまっかにするばかりでした。
「あすになったら、おまえたちはスープににてやるからな」
こう、ヤルマールはいいましたが、そのとたんに目がさめてみると、じぶんはいつもの小さいベッドにねているのでした。それにしても、ゆうべオーレおじさんにさせてもらった旅は、ほんとにふしぎな旅でした。
木曜日
「いいかね、こわがっちゃいけないよ、かわいいハツカネズミを見せてやるんだから」
オーレおじさんはこういって、かわいいちっちゃな生きものをつかんだ手を、ヤルマールのほうへつき出しました。
「このハツカネズミは、おまえに結婚式《けっこんしき》に出てくれってよびに来たんだよ。今夜ここで、二ひきのネズミが結婚することになっているのさ。そのふたりは、おまえのおかあさんの食べもの入れ場のゆか下にすんでるんだが、あそこならたしかに、すまいとしてりっぱなもんじゃないか」
「だけど、どうやったら小さいネズミのあなから、ゆか下にはいれるの」
と、ヤルマールは聞きました。
「まあ、わたしにまかせておきなさい、じきに小さくしてやるから」
オーレおじさんはこういって、ヤルマールにれいの魔法《まほう》の注射器《ちゅうしゃき》でさわりました。ヤルマールはみるみる小さくなっていって、とうとう一本の指くらいになってしまいました。
「そら、これならすずの兵隊さんの服がかりられるだろう。きっとおまえには、よくにあうよ。宴会《えんかい》のときは、軍服《ぐんぷく》を着たほうがりっぱに見えるからね」
「きまってらあ」
と、ヤルマールはいいました。するともう、いちばんりっぱなすずの兵隊さんみたいに、ちゃんと軍服を着ているのでした。
「どうぞ、おかあさまの指ぬきの中にすわってくださいませんか。そうすれば、わたしがひっぱらしていただきますわ」
と、小さいハツカネズミはいいました。
「やあ、おじょうさんにそんなことをしていただいちゃあ、すみませんねえ」
と、ヤルマールはいいました。こうしてみんなは、ネズミの結婚式に出かけていったのです。
はじめにみんなは、ゆか下の長いろうかにはいりました。が、そこのてんじょうのひくいことといったら、指ぬきに乗ったままやっと通れるだけでした。ろうかにはずっと、くさった木のあかりがついていました。
「ほら、いいにおいがしますでしょう?」
と、ヤルマールの車をひいているネズミがいいました。
「ろうかにはずっと、べーコンの皮がしいてあるんですの。これほどすばらしいことって、ありませんわ」
まもなくみんなは、式場《しきじょう》に来ました。右手にはかわいらしい女のネズミがのこらずならんで、しきりにペチャクチャささやいては、ふざけあっていました。左手には男のネズミがのこらずならんで、前足でひげをなでていました。へやのまん中には、花よめ花むこが、中身をくりぬいたチーズの皮の中に立って、みんなの見ているのもかまわず、さかんにキスをしていました。なにしろ、ふたりはもう婚約《こんやく》しているのですし、もうすぐ結婚するのですもの、むりはありません。
お客はつぎからつぎとふえてきて、しまいにはおたがいにふみころされそうなほどでした。おまけに、花よめ花むこが戸口に立っているものですから、はいることも出ることも、できやしません。へやにはすみからすみまで、ろうかとおなじに、ベーコンの皮がしきつめてありましたが、これがごちそうのぜんぶだったのです。
でも、デザートには、エンドウまめが一つぶ出ました。このまめには、家族のひとりの子ネズミが歯でかんで、花よめと花むこの名まえをほりつけてありました。――といっても、頭文字《かしらもじ》だけでしたけれどね。ここらがちょっと、ふつうの結婚式では見られないところでした。
ネズミたちは口々に、
「立派《りっぱ》な結婚式だったねえ」
「お話もなかなかおもしろかったじゃない」
なんとか、いいあいました。
それからヤルマールは、家へ帰りました。まったくりっぱな宴会に出たというものです。ただし、そのためにはやっぱり、ひどくからだをちぢこめて小さくなって、すずの兵隊さんの服をかりていかなくてはならなかったのでした。
金曜日
「おとなの中にも、わたしについていてもらいたがる人が、ちょっと信《しん》じられんくらい、おおぜいいるんだからなあ」
こう、オーレ=ルゴイエおじさんがいいました。
「なにかわるいことをした人は、わけてもそうなんだ。
『ねえ、やさしい小人のオーレさん。わたしはどうしてもねむれないんです。そこでこうやって、一晩じゅう横になっていると、わたしのやったわるいことが、みんな小さい魔物《まもの》のすがたをしてやってきて、ベッドのはしにこしかけて、あついお湯をひっかけるんだ。どうかここへ来て、あいつらを追っぱらって、よくねむれるようにしてくれませんか』
その人たちは、こんなふうにいって、深いためいきをつくのさ。そしてまた、
『そうすりゃ、よろこんでお礼をしますよ。じゃあ、おやすみなさい、オーレさん。お金はまどのとこにおいときますよ』
なんていうのさ。でもわしは、お金のために人をねむらせてやるんじゃないさ」
こう、オーレおじさんはいいました。
「今夜はなにをするの」
と、ヤルマールは聞きました。
「そうだな、おまえ、今夜も結婚式によばれてゆく気があるかい。もちろんきのうとはべつのだがね。おまえのねえさんのもってる大きい人形ね、そら、男のような顔をしてるヘルマンさ。あれが、ベルタというお人形と結婚するはずなんだ。それに、きょうはこのお人形のたんじょう日でもあるから、さだめしおくりものもどっさり来るだろうね」
「うん、それならぼく、よく知ってるよ」
と、ヤルマールはいいました。
「いつでもお人形に新しい着物が入用《にゅうよう》になると、ねえさんたら、きまってあいつらに、たんじょう日のおいわいだの、結婚式だのをやらせるんだもの。たしか、これでもう百回ぐらいになるよ」
「そうなんだよ。今夜はその百一回めの結婚式さ。でも、百一回がすめば、それでぜんぶがおわりなんだよ。だから今夜のは、きっと、もうしぶんのないやつになるだろうね。まあちょっと、見てごらん」
そこでヤルマールが、テーブルの上を見あげますと、そこには小さい紙のおうちが立っていて、まどというまどにはあかりがともり、家の前には、ずらりとすずの兵隊がならんでささげつつをしているのでした。
花よめと花むこはゆかの上にすわって、テーブルの足によりかかって考えこんでいましたが、それにはそれだけのわけがあったのです。でも、オーレおじさんは、おばあさんの黒い服を着こんで、ふたりを祝福《しゅくふく》してやりました。
こうして式がすむと、へやじゅうの道具という道具が、えんぴつくんのつくった美しい歌を合唱《がっしょう》しました。ふしは、兵隊さんが兵舎《へいしゃ》に帰るときのラッパのふしでした。
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うたえや、うたえ、新婚《しんこん》の
ふたりのために、高らかに。
見よ、ほこらかにしゃんと立つ、
われらふたりはかわづくり。
(合唱)ばんざい、ばんざい、かわ人形。
われらうたわん、高らかに。
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それからふたりは、おくりものをもらいましたが、たべものはいっさいことわりました。なにしろふたりは、愛情《あいじょう》だけでおなかがいっぱいでしたから。
「さあ、ぼくらはいなかにひっこもうか。それとも外国へでも出かけようか」
こう、おむこさんはいって、たくさん旅行《りょこう》をしているツバメと五度もひよこをかえしためんどりとに相談《そうだん》しました。すると、ツバメは、大きなブドウのふさが重たくたれて、気候《きこう》のおだやかな、美しい南の国の話をしてくれました。山々だって、こちらではとうてい見られない、きれいな色をしているのです。
「そんなこといったって、そこにはわたしたちのとこみたいな、青いキャベツはないでしょう?」
こう、めんどりはいいました。
「わたし、一夏《ひとなつ》ひよこたちをつれて、いなかでくらしたことがありますけれど、あそこには、かってにかきまわしていいじゃり場がありましたわ。それにわたしたち、キャベツ畑にはいる許可《きょか》だってもらいましてよ。ああ、なんてあそこは青々してたことでしょう。あそこよりいいところなんて、考えられませんわ」
「しかし、キャベツなんか、どこのだってにたようなものじゃありませんか。それに、ここはときどき、とてもひどい天気になりますものねえ」
と、ツバメはいいました。
「ええ、でも、じきとなれますわ」
と、めんどりはいいました。
「でも、ここは寒くて、こごえちまうわ」
「それがキャベツには、かえっていいのですよ」
と、めんどりはいいました。
「それに、ここだってもあたたかになるんですからね。四年前なんか、夏が五週間もつづきましたわ。あのときは、ここだってそりゃ暑くて息もできないくらいでした。それに、ここにはどくのある動物がいません。あちらにゃ、どっさりいるけどさ。それから、どろぼうだっていないし。わたしたちの国を、いちばんりっぱな国だと思わないような人は、わるものです。そんな人は、この国にいるしかくがないんです」
こういって、めんどりは、なきだしながら、なおもいいました。
「そりゃ、わたしだって、旅行しましたわ。かごの中にはいって、十二マイルの上もはこばれましたのよ。でも、旅行なんて、ちっともたのしいものじゃないわ」
「おや、めんどりさんはなかなか話せるおくさんね」
と、お人形のベルタがいいました。
「あたし、山へ行くのはすかないの。ただ、のぼったりおりたりするだけですもの。ねえ、あたしたち、じゃり場の近くへひっこして、キャベツ畑をさんぽするとしましょうよ」
そこで、そういうことになったのでした。
土曜日
「さあ、お話してよ」
ヤルマールぼうやは、ねむりの精のオーレおじさんにねどこへ入れられると、すぐさまいいました。
「今夜は、そんなひまがないんだよ」
と、オーレおじさんはいって、とてもきれいなこうもりがさを、ヤルマールの上にひろげました。
「まあ、この中国人でも見ておいでよ」
そのこうもりがさは、ぜんたいが大きなシナのおさらみたいに見えて、青い木や、とんがった橋《はし》がかいてありました。その橋の上には、小さい中国人が立って、こちらをむいてうなずいていました。
「わしらは、あすの朝までに、世界じゅうをきれいにそうじしておかなくちゃならないんだ」
こう、オーレおじさんはいいました。
「だって、日曜日は、神聖《しんせい》な日だものね。わしは、教会の塔《とう》へのぼっていって、小人が鐘《かね》をみがいて、いい音が出るようにしたかどうか、見なくちゃならないんだ。
それから畑へ出ていって、風が木や草の葉っぱから、ほこりをふきはらってくれたかどうか、検査《けんさ》しなくちゃならない。なかでもいちばんの大仕事は、空の星をみんなおろして、みがくことなのさ。
わしは、あれたちをみんな、わしの前かけに入れて持ってくるんだが、それにはまず、はじめにみんなに番号《ばんごう》をつけなくちゃならない。それにまた、みんながもとの場所にちゃんともどれるように、あれたちのはいってたあなにだって、番号をつけとかなくちゃならないわけだ。
もしまちがったあなにはいったものなら、ちゃんとはまらないから、あとからあとからおっこちてしまって、流れ星がどっさりできてしまうものね」
「これこれ、ねむりの精どの」
と、そのとき、ヤルマールがねているかべの上にかかっていた、古い肖像画《しょうぞうが》がいいました。
「わしはヤルマールのひいおじじゃが、子どもにいろいろと話をしてくださって、まことにありがたく、お礼をもうしますじゃ。だが、どうか子どもの頭をまよわさんようにねがいますぞ。星というものは、とりおろしてみがくなんてことが、どうしてどうして、できるもんじゃないて。星は、この地球《ちきゅう》とおなじような天体《てんたい》じゃ、それがまた、あれのよいところなんじゃ」
「これはこれはおそれいりました、お年よりのひいおじいさま」
と、オーレおじさんはいいました。
「まことにありがとうぞんじます。あなたさまはなるほど一家のおかしらで、古い古いご先祖《せんぞ》さまです。
ところが、わたしたちはあなたさまよりももっと年上なのでしてね。なにしろわたしはむかしの異教徒《いきょうと》で、ローマ人やギリシア人は、わたしのことを≪ねむりの精≫とよんでおりましたので。わたしはどんなとうとい家がらのうちへもはいっていきましたし、いまでもはいってまいります。またわたしは、小さいものとも大きいものとも、つきあうことを知っておりますんでね。ではどうぞ、おすきにお話しくださいまし」
――こういったかと思うと、オーレおじさんは、さっさとこうもりがさを持って行ってしまいました。
「いやはや、いまでは、じぶんの意見をのべることもゆるされんのか」
こう、古い肖像画はいってなげきました。
とたんに、ヤルマールは目がさめたのです。
日曜日
「こんばんは」
と、オーレ=ルゴイエがいいました。ヤルマールはうなずくと、さっそくとんでいって、ひいおじいさまの肖像画を、かべのほうへむけてうらがえしてしまいました。ゆうべみたいに、口を出されてはたまらないからです。
「さあ、早くお話をしてよ。『一つのさやの中でくらした五つぶのエンドウまめ』だの、『めんどりの足に愛をささやいたおんどりの足』だの、『あんまり細いものだから、ぬいばりだとうぬぼれたとめばり』の話だのさ」
「お話でなくたって、ほかにもどっさり、ためになることはあるんだよ」
こう、オーレおじさんはいいました。
「ところできょうは、おまえにしょうかいしたい人があるんだよ。それはわしの弟で、やっぱりオーレ=ルゴイエっていうのさ。
ただこの男は、だれのところへも、一生に一度しか来ないのだ。そうして、来るとさっそく、あいてをじぶんのウマに乗せて、それからお話をして聞かせるのさ。
ところで、そのお話というのは、たった二つきりで、その一つは、世界じゅうのだれだって思いもおよばないような、そりゃあもうしぶんのないきれいな話だけれど、もう一つのほうは、じつにきみのわるい、ぞっとするような話でね――いやはや、とても、かけたもんじゃないよ」
こういってオーレおじさんは、小さいヤルマールを、まどのところまでだきあげると、またいいました。
「ほら、あそこにわしの弟の、もうひとりのオーレ=ルゴイエが見えるだろう。みんなはあいつのことを、死《し》に神《がみ》ともいってるがね。だけど、そら、けっして絵本に書いてあるみたいな、ほねと皮ばかしのひどいすがたをしちゃいないだろう。それどころか、うわ着には銀のししゅうまでしてあって、とびきりりっぱな軽騎兵《けいきへい》の服みたいじゃないか。黒いビロードのマントを、ひらひらとウマの上にひるがえしてさ。どうだい、なんてすばらしくウマを走らせるじゃあないか」
ヤルマールがのぞいてみると、なるほどオーレ=ルゴイエがウマを走らせながら、わかいものでも年よりでも、しきりとウマの上にだきあげているのでした。じぶんの前に乗っけるときもあれば、うしろに乗せるときもあります。ところで、いつでもかれが、さいしょに聞くのは、
「せいせき表はどうだったね?」
ということでした。
「きゅうだい!」
と、みんながいいました。
「よろしい、ぼくにちょっと見せたまえ」
こういわれては、みんなはせいせき表を見せないわけにいきません。そうすると、(優《ゆう》)や(良《りょう》)をもらったものは、みんなウマの前のほうに乗せられて、おもしろいお話を聞かしてもらうのでした。
ところが、(可《か》)や(やや可)をもらったものは、ウマのおしりのほうに乗せられて、こわい話を聞かされるのです。みんなは、ぶるぶるふるえてなき出して、ウマからとびおりようとするのでしたが、それもできません。なにしろ、ウマに乗せられるなり、まるで根がはえたみたいに、ぴったりとそこにくっついてしまっていたからです。
「だけど、死に神のオーレ=ルゴイエって、ずいぶんりっぱなんだねえ。あの人なら、ぼく、ちっともこわくないや」
と、ヤルマールはいいました。
「そうさ、こわがることはないよ。いいせいせき表さえもらえるようにすればね」
と、オーレおじさんはいいました。
「うん、これはためになる話じゃ」
そのとき、かべのひいおじいさんの肖像画がつぶやきました。
「やっぱり、わしが意見をのべると、役にたつんじゃな」
こういって、ひいおじいさんの肖像画は、さも満足《まんぞく》そうにしました。
さあ、これでねむりの精のオーレおじさんのお話は、おわりましたよ。今夜はあなたに、あの人がじぶんで、もっとたくさんお話をしてくれるかもしれませんがね。
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パラダイスの園
むかし、ひとりの王子《おうじ》がありましたが、これほどどっさり本をもっている人は、どこにもありませんでした。それもすばらしい本ばかりなのです。これらの本の中には、この世でおこったことは、なにからなにまでかいてありましたし、すばらしい絵もついていました。ですから、どこの土地のことだろうと、どこの人々のことだろうと、この本を見さえすれば、王子は知ることができました。
ところが、ただ一つ、パラダイス(天国)の園がどこにあるのかだけは、ひとこともかいてありません。しかも、このパラダイスの園こそ、王子がいちばん知りたく思っていたことでしたのに。
王子がまだごく小さかったとき、といっても、そろそろ学校へかよいはじめたころですが、おばあさまがあるとき、こんな話をしてくださいました。――パラダイスの園では、花のひとつひとつがこのうえもなくおいしいおかしで、しべはすばらしいぶどう酒になっている。こっちの花の上には歴史がかいてあるかと思うと、あっちの花には地理とか、九九の表《ひょう》がかいてある。そんなふうだから、花のおかしをたべさえすれば、それで勉強ができる。それをたくさんたべればたべるほど、歴史でも、地理でも、算数でも、よくできるようになる、というのでした。
そのころ王子は、それをそのままに信じていました。ところが、だんだん大きくなって、いろいろのことをまなんでかしこくなりますと、王子にはよくわかってきました。――パラダイスの園のたのしさというものは、おばあさまの話してくださったのより、まるきりべつなものにちがいないと。
「ほんとに、なんだってイブは、知恵の木の実をもいだのだろう。また、なんだってアダムは、禁じられている実をたべたのだろう。ぼくだったら、そんなことはしなかったろうになあ。そしたら、罪というものがこの世に生じることもなかったのに」
そのとき王子は、こんなことをいいましたが、いま十七さいになっても、まだそう考えているのでした。なにしろ王子の頭は、パラダイスの園のことでいっぱいだったのです。
ある日のこと、王子は森へ出かけました。ただひとりで行ったのです。そうやって、たったひとりで森を歩きまわるのが、いちばんのたのしみだったのです。
ところが、夕がたになると雲が出てきて、雨もようになりました。空ぜんたいが、まるでひとつのダムのようになって、たきのように雨がふってきました。あたりはひどく暗くなって、まるでやみ夜に深い井戸の中にはいったみたいでした。王子はぬれた草にすべったり、岩はだからつき出たはだかの石につまずいたりしました。かわいそうに、王子はいちばん下までずぶぬれになりました。しかも、それから大きな岩山《いわやま》をよじのぼらなくてはならないのです。岩にはえたこけからは、水がじくじくと流れおちていました。
王子はいまにもぶったおれそうでした。と、そのときなにかザワザワいう、ふしぎなもの音を聞きつけました。見ると、目の前に、あかあかと火のともった大きなほらあながあるではありませんか。ほらあなの中には、一頭のシカをまるやきにできそうなほど、火がもえていました。じっさいまた、大きなつのをもったりっぱなシカが、金《かな》ぐしにさされて、二本のモミのまるたの上で、ゆっくりとまわされていたのです。まるで、男のようななりをした、背の高い、がっしりしたおばあさんが、その火のそばにすわって、つぎからつぎへとたきぎをくべていました。
「さあ、もっとこっちへおいで。火のそばへよって、着物をかわかすがいいだよ」
と、おばあさんはいいました。
「ここはひどく風がふくんですねえ」
王子はこういいながら、ゆかにこしをおろしました。
「むすこたちが帰ってきたら、なおひどくなるよ。ここは風《かざ》あななんだもの。わたしのむすこというのは、この世界の四人きょうだいの風なのさ。わたしのいうことがわかるかえ」
こう、おばあさんはいいました。
「そのむすこさんたちは、どこにいるんですか」
と、王子は聞きました。
「ばかなしつもんをされると、こたえるのにほねがおれるよ」
こう、おばあさんはいって、空を指さしました。
「むすこたちは、めいめいかってにやってるのさ。むこうの空の大広間《おおひろま》で、雲をお手玉《てだま》にしているんだろうよ」
「なるほどねえ。ところで、あなたの話しぶりは、すこしぶっきらぼうですよ。ぼくが見なれている女の人たちほど、やさしくないや」
こう、王子はいいました。
「そうともさ。そんなれんじゅうは、ほかに仕事がないんだものね。ところがわたしゃ、むすこたちをおさえつけるために、きびしくする必要があるのさ。いくらあの子たちがごうじょうだって、わたしゃ、ちゃんとおさえてみせますよ。ほら、ここのかべに、ふくろが四つかけてあるだろ。あの子たちにゃ、これがおそろしいのさ。ちょうど、あんたが子どものころに、むちがこわかったようにね。
いざとなったら、わたしゃ子どもたちをぎゅうぎゅうおさえつけて、あのふくろにおしこんでやるんだよ。なあに、ようしゃはしません。そして、わたしの気のすむまで中へ入れておいて、けっして外をうろつかせるこっちゃない。おや、ひとり帰ってきたよ」
それは北風でした。北風は、こおりつくような寒さをつれてはいってくると、大つぶのあられを、ぱらぱらとゆかの上にまきちらしました。雪があたりにまいあがりました。かれの着ているうわ着もズボンも、クマの皮でできていて、アザラシの皮でつくったぼうしが、耳の上までかぶさっていました。ひげには長いつららがさがっているし、うわ着のえりからは、あられがあとからあとから、こぼれおちました。
「すぐ火にあたっちゃだめですよ。顔や手にしもやけができますからね」
こう、王子がいうと、
「しもやけだと?」
と、北風は大声でわらいだしていいました。
「しもやけなら、ねがってもないさいわいさ。あんなものがこわいなんて、きみは、なんていくじなしなんだ。いったいきみは、どうして風《かざ》あななんかにやってきたんだ?」
「この子は、わたしのお客さまだよ。それでもまだもんくがあるんなら、さっさとこのふくろにおはいり。――おきゅうをすえてやるから」
こう、おばあさんはいいました。ききめはてきめん、北風はすぐおとなしくなって、じぶんがどこから来たか、この一月ほどの間どこにいたか、そんなことを話しだしました。
「ぼくは北氷洋《ほっぴょうよう》から来たんですよ。セイウチ狩《が》りのロシア人といっしょに、ベーア島(スピッツベルゲンの南にある小島)に行ってたんです。船がノルドキン岬《みさき》(ヨーロッパの北端にある岬)を出たころは、ぼくはかじの上にすわって、いねむりをしていました。ときどき目をさますと、きまってぼくの足のあたりをウミツバメがとんでいましたっけ。あいつはおもしろい鳥でね。はねをせわしくばたばたうつかと思うと、こんどはすうっとどこまでも、はねをのばしたままとんでいくんです」
「そんなにくどくいわんでもいいよ。で、べーア島へついたんだね」
こう、風のおかあさんはいいました。
「すばらしいとこだったなあ。島はまるでおさらみたいにたいらで、ダンスをするにはもってこいでしたよ。とけかけた雪の下からは、もう、こけがのぞいていました。とんがった岩や、セイウチやシロクマのがいこつがそこらにちらばって、それに青いかびがはえているんです。まるで巨人のうでか足みたいでしたっけ。どう見たって、いままで一度だってお日さまにてらされたことがあるとは、思えないながめでしたね。
ぼくは、きりをふきはらって、番小屋《ばんごや》が見えるようにしてやりました。その小屋は、なんぱ船の板ぎれでこしらえて、その上にセイウチの皮をはったものでした。ところがその皮は肉のくっついてたほうを外にむけてあるもんで、小屋は赤とみどりのぶちに見えるんです。屋根の上には、生きたシロクマが乗っかってほえていましたっけ。
海岸へ出てみると、いちめんに鳥の巣《す》があって、はねのまだはえていないひよこが、口をあけてピー、ピーわめいていました。何千もならんで口をあけてるから、ピューッとひとふきふいてやったら、やっと口をとじることをおぼえましたよ。波うちぎわじゃ、ブタみたいな顔をして、一メートルもあるきばをはやしたセイウチたちが、生きてるはらわたか、うじ虫のおばけみたいに、うごめいていましたっけ」
「おまえは話がじょうずだね。聞いているだけで、口の中につばがたまってくるよ」
と、風のおかあさんはいいました。
「いよいよ猟《りょう》がはじまりました。もりがセイウチのむねにつきささるごとに、血しぶきがふんすいみたいに氷の上にほとばしります。それを見て、ぼくも、なにかやってみたくなっちゃった。そこで大いにふきたてて、ぼくの乗ってた大きな氷山《ひょうざん》に、人間の船をはさませてやったんです。
さあ、人間どもは大さわぎ。汽笛《きてき》をならしたりわめいたりさ。でも、ぼくはもっと高い声で口ぶえをふいてやりましたよ。するとれんじゅうは、せっかくころしたセイウチも、はこもあみも、みんな氷の上にほうり出さなくちゃならなくなりましてね。ぼくは、そのまわりに雪をふるいおとしてやって、それから氷山にはさまれた船は、えものもろとも、南のほうへふき流してやりましたさ。たっぷりしお水がのめるようにね。れんじゅうは、二度とベーア島へは来ますまいよ」
「そんなわるさをしたのかえ」
と、風の母親はいいました。
「いいことだってしたけれど、それはだれか、ほかのものが話してくれるでしょうさ」
こう、北風がいいかけたとき、また、さあっと風がふいてきました。
「おや、弟が西から帰ってきたらしい。あいつとは、きょうだいの中でもいちばん気が合うんだ。海のにおいをさせて、おまけに気持ちのいいすずしさを持ってくるからな」
「それはあの、かわいいゼフィロス(ギリシア神話に出てくる西風の神、美少年のすがたをしている)のことですか」
と、王子はたずねました。
「そりゃたしかに、ゼフィロスにゃちがいないさ。でも、いつまでもそんなに小さくはないよ。むかしはかわいい子どもだったけれど、いまではどうしてどうして」
こう、おばあさんはいいました。
なるほど、西風はあらくれ男に見えました。そのくせ、病気《びょうき》をしないように、わた入れぼうしなんか、かぶっていました。手には、アメリカの森から折ってきたマホガニーのぼうを持っていました。どうして、なかなかたいしたものです。
「おまえはどこから来たの」
と、母親が聞きました。
「原始林《げんしりん》からですよ」と、西風はいいました。
「とげのはえたリアーネ(つるになって木にからまる植物)が、木から木へ、いけがきのようにからんでいるし、じくじくした草地《くさち》にはミズヘビがいて、あそこじゃ、人間なんかまるっきりよけいものでさあね」
「そんなとこで、なにをしてたんだね」
「深い川を見ていたんですよ。それが絶壁《ぜっぺき》からたぎりおちて、水けむりとなってまいあがり、空ににじをかけるのをさ。川にはスイギュウがおよいでいたけれど、流れが早いもんだから、流されてしまってね。見ると、野ガモのむれもいっしょに流されていたけれど、やつらは、川がたきになっておちるところまで来ると、ぱっと空にとび立つんです。
ところがスイギュウのほうは、そのままたきつぼへドブンさ。こいつがばかに気に入ったもんだから、ぼくは、ひとあらしふきおこしてやって、年とった大木《たいぼく》なんかが、ふっとんでこっぱみじんになるのを見ていたんですよ」
「そのほかには、なにもしなかったのかい」
と、おばあさんは聞きました。
「熱帯《ねったい》の草原でとんぼがえりをしましたよ。野生《やせい》のウマをなでてやったり、ヤシの実をゆすぶりおとしたりしてね。うん、うん、話すことは、いくらでもありますさ。でも、知ってることを、のこらず話すもんじゃない。それは、おかあさんだって知ってるでしょう」
こういって、だしぬけに母親にキスしたので、母親はもうすこしで、あおむけにひっくりかえるところでした。まったく西風は、あらっぽいわかものでした。
そこへこんどは、ターバンを頭にまき、さばくのベドーイン人めいたマントをひらひらさせて、南風がとんできました。
「ここはひどく寒いねえ。きっと、北風のやつがさいしょに帰ってきたからなんだ」
南風はこういって、火の中にまきをほうりこみました。
「こんなに暑いのにさ。これじゃ、シロクマだってやけちまうぜ」
と、北風がいいました。
「おまえこそシロクマじゃないか」
南風が、いいかえしました。
「おまえたち、ふくろの中へ入れてもらいたいのかえ」
と、おばあさんがいいました。
「さあ、そこの石にこしかけて、どこへ行ってたんだかお話し」
「おかあさん、アフリカですよ」
こういって南風は話しだしました。
「ぼくはカビール人の国で、ホッテントット(アフリカでもいちばん未開の小さい人種)といっしょに、ライオン狩りをやってたんですせ。なんて草ぼうぼうの原っぱだろう。いちめんにオリーブ色でさ。そこでカモシカがダンスをし、ダチョウがぼくと走りっこをするんです。もちろん、ぼくのほうが早いさ。
それから、黄色いすなばかりのさばくに出ましたがね。さばくって、まるで海の底みたいに見えるんですよ。そこで、隊商《たいしょう》に会いましたっけ。れんじゅうは、もう、のむ水がなくなって、さいごのラクダまでころしたところでしたが、手にはいった水は、ほんのちょっぴりさ。上からは太陽《たいよう》がかんかんてりつけるし、下からは、すながあつい息《いき》をふきつける。あたりは見わたすかぎり、いちめんのすなの海でしょう。
そこでぼくは、こまかいさらさらしたすなの中をころげまわって、そいつを大きな柱《はしら》にして、空高くまきあげてやりましたよ。まあ、すなのダンスですね。どんなふうに、商人《しょうにん》が頭からカフタンをひっかぶってしまったか、おかあさんに見せたかったなあ。
みんなはアラーの神(回教徒の信じる唯一絶対の神)をおがむときみたいに、ぼくの前にひれふしてしまいましたっけ。こうして、すっかりうずまっちまって、上には、すなのピラミッドが立っているばかりさ。いつかはまた、白いほねが太陽にさらされるでしょうがね。そうすると、そこを通《とお》る旅人《たびびと》にも、むかし、ここに人間がいたってことがわかるわけですよ。さもなけりゃ、こんなさばくの中に人間がいたなんて、だれが思うもんですか」
「そんなら、おまえのしたことは、わるいことばかりじゃないか。さあ、ふくろの中へはいんな」
こういったかと思うと、やにわに母親は南風をつかまえて、ふくろの中におしこんでしまいました。南風は、ゆかの上をごろごろころがりましたけれど、母親がふくろの上に、どっかりこしをおろしてしまうと、もう、じっとしているほかはありませんでした。
「むすこさんたちは、なかなかお元気《げんき》ですねえ」
こう、王子はいいました。
「いや、まったく」と、母親はこたえました。
「でも、わたしゃ、とっちめてやれるんです。おや、四人めが帰ってきた」
それは東風でした。見ると、シナ人のようななりをしていました。
「へえ、おまえはあそこへ行ってたのかい。わたしゃ、パラダイスの園に行ってるもんとばかり思っていたよ」
こう、母親はいいました。
「パラダイスの園へ行くのは、あすですよ」と、東風はいいました。
「この前行ってから、あしたでちょうど百年になるんだから。きょうはシナから来たんです。あそこの陶器《とうき》の塔《とう》のまわりでダンスをしたら、塔のすずがそろって鳴《な》りだしましたっけ。
下の往来《おうらい》では、お役人《やくにん》が、むちをちょうだいしていましたよ。タケのむちの先が、せなかでひびわれるほどにね。役人は第《だい》一|級《きゅう》から第九級までありましたが、みんなぶたれながら、『ありがとうございます。このごおんはけっしてわすれません。』なんてさけぶんです。けれど、なにも本気《ほんき》でいっているわけじゃない。そこでぼくは、すずを鳴らして『チン、チャン、ツー』とうたってやりましたさ」
「そりゃ、かるはずみだったねえ」と、おばあさんはいいました。
「おまえが、あしたパラダイスの園へ行くってのは、ほんとにいいことです。あそこへ行けば、いつだって、ためになることが教《おそ》われるからね。たっぷり智恵《ちえ》のいずみをのんで、それからわたしにも、一びん持ってきておくれ」
「ええ、持ってきましょう」と、東風はいいました。
「そりゃそうと、おかあさん、なぜ南風のにいさんをふくろに入れたんです。出してやってください。ぼくに、フェニックス(不死鳥。五百年ごとに身をやいて、またそのはいの中から生まれ出るという)の話をしてくれることになっているんですから。パラダイスの園のおひめさまは、ぼくが百年めごとにたずねていくと、きまって、あの鳥のことを聞くんですよ。さあ、ふくろをあけてあげなさいよ。おかあさんはほんとにやさしい人なんだもの。そうしたら、両方のポケットにはいっているお茶をあげますよ。ほら、こんなにあたらしくて青々《あおあお》したのをさ。ぼくが、じぶんでつんできたんですぜ」こう、東風はいいました。
「そうかい、お茶をくれるんなら、かわいいおまえのたのみだもの、ふくろをあけてやるとしようかね」
こういって母親がふくろの口をあけると、南風ははい出してきました。けれども、こんなありさまを、よその王子に見られたもので、すっかりしょげてしまいました。
南風はいいました。
「ほら、これがおひめさまにあげるシュロの葉だよ。この葉っぱは、世界に一わしかいない年とったフェニックスが、ぼくにくれたんだぜ。そしてフェニックスは、五百年生きてきたじぶんの一生《いっしょう》の間のできごとを、おひめさまがおよみになるようにといって、くちばしでこれにかきこんでくれたんだよ。
ぼくは、フェニックスがじぶんの巣《す》に火をつけて、やけ死ぬのを見たよ。巣の中にすわって、ちょうどヒンズー教(インドの宗教)の女みたいにさ。かれえだがパチパチはぜて、それはたいへんな、けむりとにおいだったぜ。とうとう、それがみんなもえてしまって、年とったフェニックスも、はいになってしまったんだ。
ところが、その火の中にフェニックスのたまごが、まっかにやけていたかと思ったら、たちまちそれがパチンと大きな音をたててわれて、中からひながとび立ったじゃないか。それがいま、あらゆる鳥の王さまになってる、世界に一わしかいないフェニックスなんだよ。おまえにわたしたシュロの葉に、くちばしであけたあながあるだろう。それが、おひめさまへのごあいさつだとさ」
「さあ、みんな、ごはんにしようかね」
と、そのとき風の母親がいいました。そこで、みんなはこしをおろして、やいたシカの肉をたべました。王子は東風のとなりにすわりましたので、ふたりはじきになかよしになりました。
「ねえ、きみ。いまきみたちの話にいくども出てきたおひめさまっていうのは、どういう人なの。それから、パラダイスの園は、いったい、どこにあるの」
と、王子は聞いてみました。
「おや、きみはパラダイスの園へ行きたいの」
と、東風はいいました。
「じゃあ、ぼくといっしょにとんでいこうよ。でも、ことわっておくがね、あそこへは、アダムとイブのときからこっち、人間はだれひとり行ったものがないんだぜ。そんなことは、聖書《せいしょ》のお話で、きみはとっくに知ってるだろうが」
「もちろんさ」
と、王子はいいました。
「あのとき、れいのふたりが追い出されると、パラダイスの園は地の底《そこ》へしずんでしまったんだよ。でも、あたたかいお日さまの光と、おだやかな空気《くうき》と、すばらしいけしきとは、やっぱりむかしのままなんだ。そこには、妖精《ようせい》の女王《じょおう》がすんでいるし、死に神《がみ》のけっしてやってこない極楽島《ごくらくじま》もあるし、すむにはまったくたのしい場所《ばしょ》さ。あした、ぼくのせなかに乗ってりゃつれてってあげるよ。きっとうまくいくと思うんだ。だが、もうおしゃべりはよそう。ぼくはねむたくなっちゃったもの」
そこで、みんなはねむりにつきました。
あくる朝早く、王子が目をさますと、もう高い雲《くも》の上にいたものですから、たいそうびっくりしてしまいました。王子は、東風のせなかに乗っかり、東風は、王子をたいせつにささえているのでした。ふたりはとても高くとんでいましたので、森や畑《はたけ》や、川や湖《みずうみ》が、色をぬった大きな地図《ちず》のように見えました。
「おはよう」
と、東風はいいました。
「きみは、もうすこしねむっていてもよかったのにね。ここらの平地《へいち》には、たいして見るものはないもの。もっとも、教会《きょうかい》の数《かず》をかぞえたいんならべつさ。ほら、みどり色の黒板《こくばん》にチョークで点をうったように見えるのが教会だよ」
東風がみどり色の黒板といったのは、畑やまきばでした。
「きみのおかあさんやにいさんたちに、おわかれもいわないで来て、わるかったなあ」
と、王子はいいました。
「ねていたんだもの、しかたがないさ」
東風はこういって、なおさらスピードを出してとんでいきました。そのことは、森の上をとんでいくときは、えだや葉《は》がざわざわ鳴るのでわかりましたし、また海や湖の上を通るときは、ふたりがとんでいくと、波が高くうねって、大きな船《ふね》でも、まるでハクチョウのように深く波間《なみま》にもぐりましたから、よくわかりました。
夕がたになって、あたりが暗《くら》くなると、大きな町や村がおもしろいながめを見せました。あかりが、はるか下のほうの、あちらにもこちらにも、つきはじめたのです。まるで紙《かみ》きれをもやしたみたいに、たくさんの小さい火花《ひばな》が、そこらにちらばっているところは、ちょうど、学校《がっこう》からひけて帰《かえ》る子どもたちそっくりでした。それを見て王子は、手をうってよろこびました。
ところが東風は、
「手なんかたたかないで、もっとしっかりつかまっていなさい。さもないと、おっこちて教会の塔のとがった先に、ひっかかりますよ」と、いうのでした。
大きな森にすむワシは、たしかにかるがるととびますけれど、東風はそれよりも、もっとかろやかにとびました。コサックはたしかに、その小さいウマに乗って荒野《こうや》をふっとばしますが、王子はそれよりも早くとんでいきました。
「もう、ヒマラヤが見えるよ。あれがアジアにある世界一高い山さ。もうじき、パラダイスの園だよ」
こういって東風は、ぐんぐん南に方向をとりました。たちまち、香料《こうりょう》と花のかおりがぷんぷんしてきました。イチジクやザクロの木が野山《のやま》にしげり、野ブドウのつるには、青いふさや赤いふさがたれさがっていました。そこへふたりはおりて、やわらかい草の中にねころがりました。花たちは東風にむかってうなずいて、
「ようこそ、お帰りなさい」
とでもいっているみたいでした。
「これがパラダイスの園なの」
と、王子はたずねました。
「いや、まださ。でも、もうじきですよ。ほら、むこうにかべのような岩と、ブドウのつるがみどりのカーテンみたいにたれている、大きなほらあなが見えるでしょう。あそこを通りぬけなければならないのさ。さあ、マントによくくるまって。ここでは、こんなにお日さまがかんかんてっているけれど、一足《ひとあし》あの中にはいると、氷みたいにつめたいんだからね。鳥が、あのほらあなの前をとぶときは、外がわのはねは、暑い夏の中にあるのに、もうかたっぽのはねは、寒い冬の中にあるっていうくらいなんだよ」
こう、東風はいいました。
「ふうん、あれがパラダイスの園へ行く道ですか」
と、王子はいいました。
いよいよふたりは、ほらあなの中へはいりました。ぶるる。おお、その寒いこと、寒いこと。
でも、さいわい長いことではありませんでした。東風がつばさをひろげると、それがあかるいほのおのように、あたりをてらしました。まあ、なんというほらあなのながめでしょう。頭の上には、水のしたたっている大きな岩が、世にもふしぎな形をして、おおいかぶさっています。
あるところは、四つんばいにならなければならぬほどせまいかと思うと、またある場所は、まるで外に出たのかと思うほど、高くひろびろとしていました。なんだか、音の出ないパイプオルガンや、化石《かせき》した旗《はた》のある、地下の納骨堂《のうこつどう》にいるような感じでした。
「パラダイスの園へ行くには、死人の道を通っていくんですね」
こう王子はいいましたが、東風はなんとも返事をしないで、ただ、前のほうを指さしました。見ると、このうえもなく美しい青い光が、こちらにさしてきます。頭の上の大きな岩が、だんだん、きりのようにかすんでいったかと思うと、とうとう月夜《つきよ》の空にうかんだ白い雲のように、すきとおってしまいました。
こうしてふたりは、なんともいわれないほどおだやかな大気の中に出ました。そこの空気のすがすがしいことといったら、まるで高い山のいただきにいるようで、しかも谷間《たにま》のバラのようなかんばしいにおいがするのです。
そこに、ひとすじの川が流れていましたが、その水のすみきっていることといったら、まるで、空気そのままでした。およいでいるさかなは、金《きん》と銀《ぎん》とでできているみたいでした。
まっかなウナギが、からだをくねらすたびに青い火花をちらしながら、水の底でたわむれていました。大きなスイレンの花びらは、にじ色に光り、花ぜんたいが、オレンジ色のほのおみたいでした。そして、油《あぶら》がランプをもやすように、水がこのほのおの花をやしなっているのでした。
川には、どっしりした大理石《だいりせき》の橋《はし》がかかっていましたが、そのつくりかたのたくみでこまかいことといったら、レースかガラス玉でこしらえてあるとしか思えませんでした。その橋をわたると、そこが極楽島で、美しいパラダイスの園になっていました。
東風は、王子をだいてむこう岸にわたりました。そこでは花や葉が、王子が小さいころに聞いた、このうえもなくなつかしい歌《うた》をうたっていました。そのふくよかな美しい声は、とてもこの世の人間にはまねのできないものでした。
そこにはえているのは、シュロの木でしょうか、それとも、とんでもなく大きな水草《みずくさ》でしたろうか。
こんなみずみずしい大きな木は、王子はいままで見たことがありませんでした。それにふしぎなつる草が、長い花づなのようにたれさがっているところは、むかしの聖者伝《せいじゃでん》の本のふちに、美しい色と金とでえがかれているもようか、でなければ、本のはじめのかしら文字をかざっている唐草《からくさ》もようにそっくりでした。ほんとに、見れば見るほどめずらしい形に、鳥と花とつる草がくみあわされているのです。
かたわらの草の中には、クジャクのむれが、きらきら光る尾《お》をひろげて立っていました。そうです、たしかにそう見えたのです。ところが、王子がさわってみると、おどろいたことに、それは鳥ではなくて、植物《しょくぶつ》でした。きれいなクジャクの尾のように光っていたのは、大きなスカンポの葉っぱだったのです。
ライオンとトラが、オリーブの花のようないいにおいのする青々としたいけがきの間を、まるでネコのようにしなやかにはねまわっていました。両方とも、よくなれていたのです。
美しい真珠《しんじゅ》のようにかがやいている野バトが、はねでライオンのたてがみをなでていました。あれほどおくびょうなカモシカでさえ、そばに立って、いっしょにあそびたがってでもいるように、頭をうなずかせていました。
そこヘパラダイスの園のおひめさまが出てきました。着物はお日さまのようにきらきらとかがやいているし、顔はわが子のことをよろこんでいる母親そっくりに、いかにも幸福にみちあふれて、おだやかでした。なんてわかわかしくてきれいでしたろう。おひめさまのうしろには、とてもかわいらしい少女が、みんな髪《かみ》にきらきらする星をつけて、いく人かついていました。
東風が、フェニックスからもらった字をかいたシュロの葉をわたすと、おひめさまの目は、よろこびにかがやきました。ひめは王子の手をとって、ごてんの中へあんないしました。
てんじょうはそのまま一つの大きな光りかがやく花で、見あげれば見あげるほど、その花のおくゆきは深まっていくかのようでした。王子はまどぎわへ歩いていって、ガラスまどから外をのぞきました。すると、ヘビのからみついている知恵《ちえ》の木と、そのそばに立っているアダムとイブが見えるではありませんか。
「あのふたりは、追い出されたのではなかったのですか」
と、王子がたずねると、おひめさまはにっこりわらって、こう説明しました。まどガラスの一まい一まいには、「時《とき》」がじぶんで絵をやきつけているのだけれど、それらの絵は、人がふだん見なれている絵とちがって、命《いのち》がこもっている。だから、まるで生きて動いているように見えるのだというのです。なるほど、まるでかがみにうつっているのを見るように、絵の中の木の葉は動いていますし、人間は行ったり来たりしています。
王子は、またべつのまどガラスをのぞいてみました。そこには、聖書《せいしょ》にあるヤコブのゆめが見えました。はしごが、まっすぐ天までとどいていて、その上を、大きなつばさをつけた天使《てんし》たちが、のぼったりおりたりしているのです。
まったく、この世でおこったことが、なにからなにまで、まどガラスの上に生きて動いていました。こんなにみごとな絵をやきつけるのは、「時」でなければできないことでした。
おひめさまはにこにこして、王子を広間《ひろま》につれていきました。それは、てんじょうの高い大きなへやで、すきとおった絵のようなかべには、美しい顔が数かぎりなくえがいてありました。何百万ともしれない幸福《こうふく》にあふれた人の顔です。それがみんなにこにこしながら、歌をうたっているのでした。その声は、一つにとけあって、とても美しいメロディーになりました。いちばん上のほうに見える顔は、紙の上に点ほどにかいた小さなバラのつぼみよりも、まだ小さく見えました。
広間のまん中には、ふさふさしたえだをたれた一本の大きな木が立っていて、大小《だいしょう》さまざまの金色のリンゴが、まるでオレンジみたいに、青々した葉の間になっていました。
これこそ、アダムとイブがその実をたべた、知恵の木でした。葉っぱという葉っぱからは、きらきら光る赤いつゆがしたたっていました。まるで、木が血のなみだを流してでもいるように。
「さあ、こんどはボートに乗りましょうね。ゆらゆらする波の上で、なにか、おいしいものをたべるとしましょう。このボートは、波のまにまにゆれるけれど、じぶんの場所《ばしょ》はすこしも動かないで、そのかわりに、世界《せかい》の国々《くにぐに》が、わたしたちの目の前をすべっていくのですよ」
と、おひめさまはいいました。
見ていると、なるほど、岸《きし》がふしぎにも、ずんずん動いていくのでした。まず、雪をかぶった高いアルプスの山々が、雲と黒々としたモミの森をいただいてあらわれました。つのぶえが、ものがなしげにひびきわたり、谷間ではひつじ飼《か》いが美しい声でうたっていました。
こんどは、バナナの大きな長い葉がボートの上までたれてきたと思うと、水の上にまっ黒いウグイがうかび、岸には、世にもめずらしい動物《どうぶつ》や花が見えてきました。これは、世界第五の大陸《たいりく》の新オランダ州(オーストラリアの古い名)でしたが、それもやがて、青い山々を見せてすぎていきました。
こんどは、ぼうさんのうたう声が聞こえて、土人《どじん》たちが、たいこやふえに合わせておどっているのが見えてきました。雲の中までそびえているエジプトのピラミッドや、たおれている大理石の柱や、すなに半分うずもれているスフィンクスが通りすぎていきました。
オーロラが北極《ほっきょく》の氷原《ひょうげん》の空にもえていました。それは、とうてい人間にはまねのできない花火でした。
王子はほんとうにたのしい思いをしました。それもそのはず、ここにお話したよりも、百倍も多くのものを見たのですもの。
「では、ぼくはいつまでも、ここにいていいんですか」
こう、王子はたずねました。
「それは、あなたの心がけしだいですよ。もしあなたが、アダムのように、してはならないといわれたことをしさえしなければ、いつまでだっていられますわ」
と、おひめさまはこたえました。
「ぼくはけっして、知恵の木のリンゴには、手を出しません。ここには、あれにまけないくらいきれいな実が、何千だってありますものね」
と、王子はいいました。
「まあ、ためしてごらんなさい。それで、まだあなたの強さがたりないとわかったら、ここへつれてきてくれた東風といっしょに、また帰るんですね。東風はいま帰っていって、また百年たつと、もどってきますからね。ここにいると、百年ぐらいは、ほんの百時間ほどに思われるかしれません。それでも、ゆうわくや罪におちいるまいとすると、ずいぶん長い時間ですよ。わたしは毎晩《まいばん》、あなたとおわかれするときに、
『わたしについていらっしゃい』
と、あなたにいわなければなりませんの。そして手まねきしますけれど、あなたは、ついてきてはいけないのよ。動かないでじっとしているの。さもないと、一足ごとにあこがれがだんだん強くなって、しまいにはあなたは、知恵の木のはえている広間にはいります。
わたしは、たれさがったそのかんばしいえだの下にねむっておりますの。そうしてあなたは、きっとわたしの上に身をかがめるでしょう。そうすると、わたしもにっこりしないではいられないの。
けれど、あなたがわたしの口に一度でもキスなされば、たちまちこのパラダイスの園は地の底深くしずんでしまって、あなたは永久《えいきゅう》にそれを見うしなってしまうのですわ。さばくのはげしい風が、あなたのまわりにふきつのり、つめたい雨が、あなたの髪の毛からしたたりおちるでしょう。あなたにのこされるのは、ただかなしみと苦しみだけですのよ」
「ぼくは、ここにのこります」
と、王子はきっぱりといいました。すると東風は、王子のひたいにキスをして、いうのでした。
「では、強くなりたまえ。百年たったら、またここであおうね。では、さようなら、ごきげんよう」
こういって、東風は大きなつばさをひろげました。それは、秋のいなびかりか、真冬《まふゆ》のオーロラのような光をはなちました。
花や木からは、「さようなら、さようなら」という声がひびいてきました。
コウノトリとペリカンとが、風にひらひらするリボンのように、列《れつ》をつくってとびながら、花園《はなぞの》のさかいまで、東風をおくっていきました。
「さあ、みんなで、ダンスをしましょう」
こう、おひめさまはいいました。
「いちばんおしまいに、わたしあなたとおどりますわ。そして、お日さまがしずむと同時に、わたしは手まねきして『ついていらっしゃい』ともうしますよ。でも、あなたはついてきてはだめよ。百年間、わたしは毎晩《まいばん》おなじことをくりかえさなければならないの。けれど、このゆうわくにうちかつたんびに、あなたの力はましてきて、おしまいには、もうなんとも思わなくなりますわ。今晩《こんばん》がそのさいしょよ。さあ、あなたに注意《ちゅうい》することは、これだけですわ」
こういっておひめさまは、すきとおったまっ白いユリの花の広間に、王子をあんないしました。ひとつひとつの花の中の黄色いしべは、小さい金のたてごとになっていて、美しい音楽をかなでていました。すらりとした美しいむすめたちが、きれいな手足をあらわして、ひらひらするうすぎぬをひるがえしてかろやかにおどりながら、生きているということがどんなにすばらしいかをうたい、じぶんたちのいつまでも死なないよろこびと、永遠に花さいているパラダイスの園をたたえる歌をうたうのでした。
やがて、お日さまがしずみました。空はいちめんに金の海となり、ユリの花は、えもいわれず美しいバラのようにかがやきました。
王子は、むすめたちのさし出した、あわだつお酒《さけ》をのみました。するといままでにおぼえのないほど幸福な気持ちになりました。ふと見ると、広間のおくのとびらがあいていて、そこにあの知恵の木が、まばゆいほどの光につつまれて立っているではありませんか。そして、そちらから聞こえてくる歌は、まるでおかあさまの声を聞くように、やさしくなつかしくひびきました。まるでおかあさまが、
「ぼうや。いとしいわが子よ」
と、うたっていらっしゃるようなのです。
そのとき、おひめさまが手まねきして、やさしくよびました。
「いらっしゃい。わたしについていらっしゃい」
王子は思わずそちらへかけだしました。あのやくそくを、それもさいしょの晩《ばん》からして、早くもわすれてしまったのです。
ひめはしきりに手まねきしながら、にっこりわらっています。あたりのかぐわしいにおいはますます強く、たてごとの音《ね》はいよいよ美しくなりました。しかも、知恵の木の立っている広間では、あの数知れぬ顔が、にこにこしてこちらを見ながら、王子をそそのかすようにうたうのでした。
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どんなことでも知るのがよいのよ。
それでこそ人間は
この世の主人《しゅじん》になれるのよ。
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知恵の木の葉からしたたっているのは、もはや血のなみだではなくて、きらきら光る赤い星のように思われました。
「いらっしゃい。わたしについていらっしゃい」
と、またふるえる声が聞こえました。
一足すすむごとに、王子のほおはあつくなり、血はいきおいよくめぐりだしました。王子は心の中でいいました。
「よし、行こう。これが罪でなんかあるものか。そんなはずはない。どうして美しいものやよろこびを追いかけてはいけないわけがあろう。ぼくは、あの人のねむっているところが見たいのだ。キスさえしなければ、なんでもないのだ。ぼくはキスなんかしないぞ。ぼくは強いのだ。意志《いし》がかたいんだからな」
そのときおひめさまは、光りかがやくころもをぬぎすてたかと思うと、つと、えだをおしわけて、そのかげにすがたをかくしました。
「ぼくは、まだ罪をおかしちゃいないぞ。また罪をおかすつもりだってないんだ」
こういって王子は、えだをかきわけました。そこにはひめが、もうすやすやねむっていましたが、その美しいことといったら、さすがにパラダイスの園のおひめさまだけのことがありました。ひめはゆめを見ながらほほえんでいました。王子が身をかがめて見ますと、まつげになみだがたまってふるえているのでした。
「あなたは、ぼくのためにないていらっしゃるのですか。美しい方よ、どうかなかないでください。いまはじめて、ぼくにはパラダイスの園の幸福というものがわかりました。この幸福が、ぼくの血の中を、ぼくの心の中をかけめぐって、このぼくに、ケルビム天使(エデンの園の生命の木をまもっている天使)の力と、永遠の生命《せいめい》とを、感じさせてくれます。たとえ、永劫《えいごう》のやみがこの身をつつもうとも、このしゅんかんこそ、なにものにもかえがたいからです」
王子はこういって、ひめの目にうかんでいるなみだに、キスしました。
くちびるとくちびるとがふれました。
――たちまち、まだ聞いたこともないようなおそろしいかみなりがとどろくと同時《どうじ》に、なにもかもが、がらがらとくずれました。美しいおひめさまも、花さきみだれていたパラダイスの園も、深く深くしずんでいきました。
王子は、それがまっ暗なやみの中へすいこまれていって、ついには遠い遠いかなたで、ぽっちりと小さな星のように光るのを見ました。死のような寒けが、王子のからだをつらぬきました。王子は目をとじて、長いこと死んだようによこたわっていました。
つめたい雨が顔の上にふりかかり、身をきるような風が頭のまわりをふいて、王子はようやく息をふきかえしました。
「ああ、なんということをしてしまったのだろう!」
王子は、ためいきをついていいました。
「ぼくは、アダムのように罪をおかしてしまったのだ。ぼくが罪をおかしたために、パラダイスの園が深く深く地の底にしずんでしまったのだ」
こういって王子が目をひらくと、はるか遠くに、星が一つ、しずんだパラダイスの園のようにきらめいているのが見えました――それは、あけの明星《みょうじょう》でした。
王子が立ちあがってみると、そこは大きな森の中で、あの風あなのすぐそばでした。風の母親が、かたわらにすわっていました。おばあさんはおこったような顔をして、うでをふりあげていいました。
「さいしょの晩から、もうそのざまかい。そんなことだろうと思っていたよ。じぶんの子どもだったら、さっそくふくろの中へおしこんでやるんだが――」
「そうじゃ、はいるのじゃ!」
こういったのは、死に神でした。手に大がまを持ち、大きな黒いつばさをつけた、たくましい老人《ろうじん》でした。
「おまえは、棺《かん》の中にはいるのじゃ。だが、いますぐというのではない。わしは、おまえに目をつけておくだけで、もうしばらくは、この世をうろつかせておいてやろう。じぶんの罪をあがなって、よい人間になるための時をあたえてやるのじゃ。
――わしは、いずれまたやってくる。そして、この男が死ぬなんてゆめにも思っていないときに、こいつを黒い棺の中へおしこんで、それをかついで星の世界へとんでいこう。あそこにもパラダイスの園はあるんだから、もしこの男が、神をうやまうよい人間になっていたらば、そこへはいらせてやろう。だが、そのときになっても、まだこの男の考えがよこしまで、心が罪でいっぱいなら、この男は棺もろとも、あのしずんだパラダイスの園よりも、もっともっと深いところへしずむがいい。
わしはこの男が、まだまだ深くしずんでいかねばならないか、それとも、あそこにきらめいている星の世界へのぼっていけるようになるか、千年ごとに、ようすを見に来るつもりじゃ」
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バラの花の精
あるところのお庭にバラの木が一本あって、いっぱい花をつけていました。その中の、いちばんきれいな花に、バラの精がすんでいました。でも、その妖精《ようせい》はとても小さかったので、いくら目をおさらのようにしたって、人間の目には見えませんでした。一まい一まいの花びらのうらに、その妖精のしんしつがありました。
バラの精は、どんな人間の子どももおよばないほど、かわいいすがたをしていました。おまけにかたから足の先までとどくほどの、はねがはえていたのです。
まあ、そのしんしつの中は、なんていいにおいがしたことでしょう。どんなにかべが明るくて、きれいだったでしょう。なにしろ、かべはピンク色のきゃしゃなバラの花びらでしたから。
一日じゅうバラの精は、さもたのしそうに、あたたかいお日さまの光をあびていました。花から花へとびまわったり、とんでいるチョウチョウのはねの上で、おどったりしました。
それからまた、一まいのボダイジュの葉っぱの上を走っている大通りや小道を、すっかり歩いたらいく足になるかと、かんじょうしてみたりしました。
バラの精が、大通りや小道といったのは、わたしたちが葉脈《ようみゃく》といっているものなんです。いや、それはバラの精にとって、はてしないほど長い道でした。はてまで行かない先に、お日さまがしずみました。もっとも、歩きはじめるのも、おそかったんですがね。
もう、ひどく寒くなってきました。つゆがおりてくるし、風もふき出しました。こうなっては、うちへ帰るのにこしたことはありません。
バラの精は、ありったけにいそぎました。ところが、バラの花はもうとじてしまっていて、中へはいることができません――たった一つの花さえ、ひらいていなかったのです。
かわいそうに、小さい妖精は、どんなにかびっくりしたことでしょう。いままで一度だって、外でねたことなんか、なかったのですもの。いつだってバラの精は、あたたかいバラの花びらのかげで、あまやかなねむりについていたのです。こうなっては、ああ、死ぬよりほかないでしょう。
そのときバラの精は、お庭のむこうのはずれに、小さいあずま屋があることを思い出しました。それはきれいなスイカズラでおおわれていて、その花たちは、色をぬった大きなつのぶえのように見えました。
「そうだ、あの花のひとつにもぐりこんで、今夜はねることにしよう」
こう、バラの精は考えたのです。
そこでバラの精は、そちらへとんでいきました。
しいっ。あずま屋の中には、人間がふたりいるではありませんか。スマートなわかものと、きれいなむすめさんです。ふたりはならんでこしかけていて、いつまでもわかれたくないと、ねがっているふうでした。ふたりはそれほど愛《あい》しあっていたのです。その愛情《あいじょう》は、いちばんよい子がおかあさんやおとうさんを思うのよりも、もっと強かったのです。
そのとき、わかものがいいました。
「でも、ぼくたちはわかれなきゃならないんだ。きみのにいさんが、ぼくたちをよく思っていないのだもの。それでにいさんは、海山こえた遠くまで、ぼくを使いにやるんだ。では、さようなら、ぼくのやさしい花よめさん。だって、やっぱりきみはぼくの花よめだものねえ」
そしてふたりは、キスしました。わかいむすめはなきながら、わかものに一りんのバラの花をわたしました。ところで、むすめがあいてにその花をさし出す前に、心こめて花にキスすると、バラの花は、ぱっとひらいたのでした。小さい妖精は、すぐさまその花の中にとびこみました。そうして、いいにおいのするやわらかい花びらのかべに頭をよせかけていると、
「さようなら」
「さようなら」
といっている声がよく聞こえました。それからまた、バラの花がわかもののむねの上につけられたことも、よく感じられました。
まあ、そのむねのおくで、どんなにしんぞうがどきどきうっていたことでしょう。あんまりそれが高くうっているので、小さい妖精は、ちっともねつかれませんでした。
けれども、バラの花がむねの上にじっとしていられたのは、長くもありませんでした。わかものはそれをぬきとって、ひとりさびしく暗い森を通りぬけていく間に、いくどとなく、あついキスを、そのバラの花におしつけるのでした。
そのたんびに小さい妖精は、あやうくおしつぶされそうになりました。わかもののくちびるが火のようにもえているのが、花びらごしにも感じられました。そして、バラの花までが、まるでまひるのいちばん強いお日さまの光をあびたみたいに、うっとりとひらくのでした。
そのとき、いかりにくるったどす黒い顔をした、もうひとりの男が、そこへ出てきました。この男は、あのきれいなむすめの、いじわるなにいさんでした。
このわるい男は、するどい大きなナイフをぬくと、いきなりわかものをさしころしたのです――あいてがなにも知らないでバラの花にキスしている間に。そして、その頭を切りおとすと、どうたいといっしょに、ボダイジュの根もとのやわらかい土にうずめました。
「これでこいつもわすれられてしまうのだ。二度と帰ってくることはないさ。山をこえ海をこえて、長い旅をしなけりゃならんのだから、とちゅうで命をなくしたって、ちっともふしぎじゃない。こいつも、そうなったってわけさ。もう二度ともどってくることはないんだ。妹のやつも、まさかおれに、この男のことをたずねる勇気《ゆうき》はあるまいよ」
と、こう、はら黒いにいさんは考えました。
それから男は、ほりかえした土の上に、おち葉を足でかきよせておいて、夜のやみにまぎれて家へ帰りました。
ところが、かれはじぶんで思っていたように、ひとりで家へ帰ったのではありませんでした。あの小さいバラの精が、ついていったのです。
バラの精は、ボダイジュの、かれてまるまった葉っぱの中にかくれていたのですが、男があなをほっていたとき、その葉がこのわるものの髪《かみ》の上におちたのでした。その上へ、ぼうしがのっかりました。ぼうしの中は、いやはや、まっくらでした。バラの精は、この男のひどいやりかたに、はらをたてたりおびえたりして、ぶるぶるふるえていました。
あけがた、このわるものは家に帰りつきました。かれはぼうしをぬぐと、すぐ妹のねているへやへ、はいっていきました。そこには花のように美しい妹がねむって、いまごろいとしい人は、さだめし山をこえ森をぬけて旅をつづけているものと信じて、その人のことをゆめに見ていました。
はら黒いにいさんは、妹の上に身をかがめると、悪魔《あくま》でなければできないような、いやなわらいかたをしました。そのとき、あのかれ葉が、髪の毛からベッドのしきふの上におちたのです。でも、わるものはそれには気がつかないで、朝のうちにじぶんもすこしねむろうと思って、へやを出ていきました。
バラの精は、かれ葉の中からはい出すと、ねむっているむすめの耳の中にはいっていきました。そして、ゆめの中のことにして、あのおそろしい人ごろしの話をしたのです。にいさんがどうやっていとしい人をころし、その死がいをうずめたか、その場所を話し、そのそばに立っていた花のさいたボダイジュのことも話して、さてそれから、こういいました。
「ぼくの話したことが、ただのゆめだとあなたにとられないように、あなたのねどこの上にかれ葉を一まいのせておきますよ」
むすめが目をさましてみると、ほんとうにそれがありました。
ああ、どんなにむすめは、塩からいなみだを流したことでしょう。でも、だれにもそのかなしみをうちあけることはできなかったのです。
まどは一日あけっぱなしになっていましたから、小さい妖精は、ぞうさなくお庭のバラや、ほかの花のところへ行くことができました。でも、このかなしんでいるむすめを見すてることは、どうしてもできませんでした。
まどぎわに、一かぶのコウシンバラがありましたので、バラの精はその花のひとつにはいりこんで、かわいそうなむすめのようすを見まもっていました。
にいさんはいくどもへやにはいってきましたが、あんなわるいことをしたのに、いかにもほがらかにしていました。けれども妹は、じぶんの大きなかなしみについては、ひとこともいうわけにいきませんでした。
夜になると、すぐさまむすめは家をしのび出て、ボダイジュの立っている、あの森の場所へいそぎました。そして、木の葉をどけて土をほると、すぐにころされた人のなきがらが見つかりました。ああ、むすめは、どんなにさめざめとないて、
「神さま、どうかわたしもすぐに死なせてください」
と、神さまにいのったことでしょう。
むすめは、なきがらを家に持って帰りたいと思いましたが、それはできないことでした。そこで、目をつぶっている青ざめた首をとり出して、きれいな髪についていた土をはらいおとし、そのつめたい口にキスしていいました。
「これだけは、だいじに持っていきましょう」
それから、なきがらの上に土とかれ葉をかぶせると、その首をだいて家路《いえじ》につきました。いとしい人がころされた森の中にさいていた、ジャスミンの小さいえだを一つ折《お》って、いっしょに持ち帰りました。
じぶんのへやにはいると、むすめはすぐに、家にあったいちばん大きい植木《うえき》ばちを持ってきました。そしてその中にいとしい人の首を入れて土をかけると、その上に森からとってきたジャスミンのえだをさしました。
「さようなら、さようなら!」
と、小さい妖精はささやきました。これ以上むすめのかなしみを、見ていられなくなったのです。そこで、お庭のもとのバラをめがけてとんで帰りました。
ところが、帰ってみると、あのバラの花はもう散《ち》っていました。わずかに、二つ三つ、色のさめた花びらが、みどり色のうてなにひっかかっているだけでした。
「ああ、きれいなものや、よいものは、どうしてこんなにも早く、ほろびてしまうんだろう」
と、妖精はためいきをつきました。でも、やっと一つだけさきのこったバラの花が見つかったので、それをじぶんの家にして、そのやわらかないいにおいのする花びらのかげに、すみつくことにしました。
毎朝バラの精は、かわいそうなむすめのいるおへやのまどへ、とんでいきました。むすめはいつでも植木ばちのそばでないていました。塩からいなみだが、ジャスミンのえだの上におちました。すると、一日一日とむすめの顔は青ざめていったのに、ジャスミンのえだは、一日一日と、いきいきしたみどりになっていったではありませんか。
みずみずしいえだが、つぎからつぎへと出てきました。小さい白いつぼみも、ほころびてきました。むすめはそれにキスしました。わるいにいさんはそれを見ると、
「おまえ、気でもちがったんじゃないか」と、妹をしかりました。
にいさんには、それががまんできなかったのです。どうして妹が、いつでも植木ばちにむかってなくのか、わけがわかりませんでした。その土の下にうめられている、じっとつぶった目や、もう土になってしまった赤いくちびるのことなんかは、もちろん、ゆめにも思いつきませんでした。
よくむすめは、その植木ばちに、頭をもたせかけていました。いまもバラの花からとんできた小さい妖精は、そうやってむすめが、うとうとしているのを見ました。
そこで小さい妖精は、むすめの耳の中にはいって、話してやりました――あの夜のあずま屋で見たことや、バラの花のにおいや、妖精の間の愛について。
するとむすめは、とてもあまやかなゆめを見ました。そうして、そうやってゆめを見ている間に、むすめの命《いのち》はきえていったのです。
むすめは、しずかに死にました。そして、いまでは天国にいるいとしい人のそばへ行っているのでした。
やがてジャスミンは、大きな、まっ白い、つりがね形の花をひらいて、えもいわれぬあまいかおりをはなちました。こうするよりほかには、あのなくなったむすめのことをなげきかなしむことは、ジャスミンにはできなかったのです。
ところで、わるいにいさんは、はちにきれいな花がさいたのを見ると、
「これは妹のかたみだ」
といって、さっさとじぶんのしんしつに持っていき、まくらもとにおきました。なにしろこの花は、見た目にもとてもきれいで、かおりもすばらしくあまやかだったからです。
小さいバラの精も、いっしょについていって、ジャスミンの花から花へととびまわりました。そして、花の一つ一つにはやっぱり小さい妖精がすんでいたので、みんなに話してやりました――ころされたわかもののこと、その人の首がいま土の下で土になっていること、わるもののにいさんと、かわいそうな妹のことを。
ジャスミンの精は、口々にいいました。
「わたしたちも知っています」
「知っていますともさ。なぜって、わたしたちはこのころされた人の、目とくちびるからはえてきたんですもの。知ってますとも、知ってますともさ」
そういってみんなは、意味ありげに頭をうなずかせるのでした。
バラの精は、どうしてみんながこんなにおちついていられるのか、ふしぎでたまりません。それで、みつをあつめているミツバチのところへとんでいって、わるいにいさんの話をして聞かせました。ミツバチたちが、それを女王につたえると、女王バチは、
「そんな男は、あしたの朝、ころしてしまえ」と、めいれいしました。
ところが、その晩《ばん》のこと――それは妹が死んだすぐつぎの夜でしたが――、にいさんが、においの強いジャスミンのそばのねどこでねていると、その花がそろってぱっとひらきました。そして目には見えませんでしたが、どくのあるはりを、てんでに持ったジャスミンの精たちが、花の中からとび出してきました。
みんなはまず、にいさんの耳のそばにとまって、きみのわるいゆめの話をしてから、こんどはくちびるの上にとびうつって、どくのあるはりで舌《した》をさしました。
「これでぼくらは、ころされた人のかたきをうったぞ」
こう、みんなはさけんだかと思うと、またジャスミンの白いつりがね形の花の中へ、とびこんでしまいました。
朝になって、しんしつのまどがあくと、さっそくバラの精は、ミツバチの女王とその全軍《ぜんぐん》をあんないして、あのわるものをころしにやってきました。
ところが、男はとっくに死んでいたのです。ベッドのまわりには、近所の人たちが立っていて、口々にいいました。
「この男はジャスミンのにおいにころされたのだ」と。
それでバラの精は、ジャスミンの花がかたきをうったのだと知りました。サこで、そのことを女王バチに話すと、女王は、けらいのミツバチのむれといっしょに、植木ばちのまわりをブンブンいってとびまわりました。人が追いはらおうとしても、にげていきません。そこで、ひとりの人がはちをかたづけてしまおうとすると、一ぴきのミツバチが、ちくりとその手をさしました。
その人は、思わずはちをおっことしました。はちは、まっ二つにわれました。
と、白くなったされこうべが、ころげ出したではありませんか。それで人々は、ベッドで死んでいる男が、人ごろしだと知りました。
ミツバチの女王は、ブンブンいいながら空をとんで、歌をうたいました――花のかたきうちのことや、バラの精のことを。それからまた、どんな小さい花びらのかげにでも、わるいおこないを見はり、そのあだをうつものがすんでいることを。
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ぶた飼い王子
むかしむかし、まずしい王子がいました。王子は国を一つもっていましたが、それはちっちゃな国でした。でも、おきさきをむかえるにはじゅうぶんな広さがありました。そこで王子は、おきさきをむかえたいと思いました。
ところで、皇帝《こうてい》のおひめさまにむかって、
「ぼくのおよめさんになってくれません?」
と、もうしこむのは、いくらなんでも、むてっぽうというものです。ところが、王子はそれを思いきってやったわけです。なにしろ王子の名は遠い国々まで知れわたっていましたし、「はい」といいそうなおひめさまも、何百人もあったからです。
そんなら、皇帝のおひめさまは、どういったでしょうね。
さあ、それをこれから聞くことにしましょう。
王子のおとうさまのお墓《はか》の上に、バラの木が一本はえていました。とてもみごとな花のさく木です。でも、このバラは、五年めごとにしか、花をつけません。しかも、たった一りんしか花がさかないのです。けれど、そのバラの花のにおいのいいことといったら、だれでもそのにおいをかぐと、どんなかなしみやしんぱいごとでも、すっかりわすれてしまうのでした。
それにまた、王子は一わのナイチンゲールをもっていました。この鳥の歌のすばらしいことといったら、まるであらゆるきれいなメロディーが、みんなその小さいのどにつまっているみたいでした。
さて、このバラとナイチンゲールとを、王子はおひめさまにさしあげようと思いました。で、それを二つとも大きな銀《ぎん》の入れものに入れて、おひめさまのところへおくりとどけたのです。
皇帝は、おくりものをささげたおつかいを先に立てて、おひめさまのいる大広間《おおひろま》に、おはいりになりました。おひめさまは女官《じょかん》たちと、お客さまごっこをしてあそんでいました。これよりほかのことを、この人たちは、できなかったのです。
おひめさまは、おくりもののはいった大きな入れものをごらんになると、手をうちあわせてよろこんで、
「かわいい子ネコがはいっていますように!」
と、おっしゃいました。――ところが、中から出てきたのは、きれいなバラの花でした。
「まあ、なんてきれいにこしらえてあるのでしょう」
と、口をそろえて女官たちはいいました。
「きれいどころじゃない。すばらしいものじゃ」
と、皇帝はおっしゃいました。
ところが、その花にさわってみたおひめさまは、いまにもなき出しそうな顔をして、いいました。
「おとうさま、この花は造花《ぞうか》でなくて、ほんものですわ」
「まあ、ほんとの花でございますわ」
と、宮中《きゅうちゅう》の人たちも、そろっていいました。
「もう一つのはこになにがはいっているか、まず見ようではないか。もんくはそれからいうことにしてな」
こう、皇帝はおっしゃいました。
こんどはナイチンゲールが出てきました。こちらはたいそうじょうずにうたいましたので、みんなもすぐにけちをつけるというわけには、いきませんでした。
「シュペルブ!」(すばらしい)
「シャルマン!」(すてき)
と、女官たちはいいました。みんなはフランス語でしゃべりちらしました、ひとりよりもつぎの人は、いちだんと大げさなことばで。
「この鳥は、おかくれになりました皇后《こうごう》さまのオルゴールを、なんと思い出させることでござりましょう。それそれ、まったく音色《ねいろ》もおなじ、うたいかたもおなじではございませんか」
と、年とった侍従《じじゅう》はいいました。
「ほんに、そうじゃ」
こう、皇帝はおっしゃって、小さな子どものようにおなきになりました。
「それでもわたし、まさかほんとうの鳥だとは思わないわ」と、おひめさまはいいました。
「いえ、ほんものの鳥でございますよ」と、持ってきたおつかいはもうしました。
「そんなら、とばしておしまい」
こうおひめさまはいって、どうしても王子にお会いになろうとはしませんでした。
けれども王子は、そんなことくらいではへこたれません。さっそく顔を茶色と黒にぬって、ぼうしをまぶかにかぶって、戸口をたたきました。
「こんにちは、皇帝さま。わたくしをこのお城でつかってくださいませんか」
と、王子はいいました。
「いや、やとってくれといってくるものが、たくさんいるでのう」
こう、皇帝はおっしゃいました。
「だが、まてよ――そうじゃ、ブタの番をするものが、ひとり入用《にゅうよう》じゃった。なにしろ、ブタがうんとおるでなあ」
そこで王子は、宮中のぶた飼い役をあてがわれました。王子は、下のぶた小屋のわきにみすぼらしい小屋をもらって、そこに住まなくてはなりませんでした。
ところが王子は、一日じゅうそこにすわって、なにやらいそがしそうにこしらえていました。夜になるころに、きれいな小さいおなべができあがりました。おなべのまわりにはすずがついていて、中のお湯がわき立つと、すずがリンリンと、とてもいい音をたてて、なつかしいうたのしらべをかなでました――
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あわれ、いとしのアウグスチン
みんなおじゃんよ、じゃん、おじゃん!
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ところで、このおなべのいちばんみごとなしかけというのは、おなべから立ちのぼる湯気《ゆげ》の中に指をさしこむと、町じゅうの家の台所でいまどんなたべものがつくられているか、すぐにかぎあてられることでした。どうです、これはたしかにあのバラの花よりも、ましなことではありませんか。
さて、おひめさまがおつきの女官をのこらずつれて、さんぽに出ますと、そのメロディーが耳にはいりました。おひめさまは立ちどまって、いかにもうれしそうになさいました。というのは、この「いとしのアウグスチン」の曲なら、おひめさまだってピアノでひけたからです。そう、おひめさまがひける曲といえば、ただこれ一つだったのです――それも一本指でひくのですがね。
「おや、あれはわたしのひける曲だわ。そんならあのぶた飼いは、きっと教養《きょうよう》があるにちがいないわ。ねえ、おまえ、あそこへ行って、その楽器《がっき》はいくらですかって、聞いておいで」
こう、おひめさまはいいました。
そこで、女官のひとりが、小屋へはいっていきました。もっとも、その前に木ぐつにはきかえましたがね。
「そのおなべは、なにをあげたらゆずってくれますか」と、女官は聞きました。
「おひめさまのキスが十《とお》です」と、ぶた飼いはこたえました。
「まあ、とんでもないことを」
「いや、それ以下《いか》ではだめです」と、ぶた飼いはいいました。
「え、ぶた飼いはなんといって?」と、おひめさまは聞きました。
「わたしには、とてももうしあげられませんわ。あんまりですもの」
と、女官はもうしました。
「そんなら、ないしょでおいいよ」
そこで女官は、おひめさまの耳にそっとささやきました。
「まあ、しつれいな!」
こういっておひめさまは、さっさと歩きだしました。――ところが、すこし行くと、すずがまたいい音で鳴《な》りだしました。
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あわれ、いとしのアウグスチン
みんなおじゃんよ、じゃん、おじゃん!
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「ねえ、ちょっと。十のキスは、おともの女官のでもいいかって、聞いてきておくれ」
と、こう、おひめさまはいいました。
「だめです。おひめさまのキス十でなくては、このおなべはあげられません」
と、ぶた飼いはこたえました。
「なんていじわるなぶた飼いでしょう」
こう、おひめさまはいいました。
「じゃあいいわ、みんな、わたしのぐるりに立っていておくれ、だれにも見られないように」
そこで女官たちは、おひめさまのぐるりにならんで、スカートをひろげました。こうして、ぶた飼いはおひめさまのキスを十もらい、おひめさまはぶた飼いのおなべをもらいました。
さあ、みんなは大よろこびでした。おなべは、夜となくひるとなく、お湯をわかしました。上は顧問官《こもんかん》のおやしきから、下はくつ屋の小屋にいたるまで、町じゅうの台所で、いまどういうごちそうをこしらえているか、それがのこらずわかりました。女官たちはおどりあがって、手をたたいてうれしがりました。
「きょうはだれがおいしいスープとパンケーキをたべるか、わたしたちは知っていますよ。だれがおかゆとやき肉をたべるようになるかも、ちゃんとわかるわ。なんてまあ、おもしろいこと」
「これ以上おもしろいことはございませんとも」と、女官がしらはいいました。
「そうよ、でも、口に出しちゃいけないわ。だって、わたしは皇帝のむすめですもの」
「神さまがわたしたちをおまもりくださいますように」
こう、みんなはいいました。
さて、ぶた飼い、じつは王子――でもみんなは、ほんとうのぶた飼いだとばかり思いこんでいたのです――は、一日でもなにもしないでいるということはありませんでした。そこでこんどは、がらがらをつくりました。これをふりうごかすと、この世のはじまりからこのかた、みんなの知っている曲を、なんでも鳴らすことができました。ワルツだろうと、ギャロップだろうと、ポルカだろうと。
「まあ、すてき」と、そこを通りかかったおひめさまは、思わずさけびました。
「こんなきれいな曲は、はじめて聞いたわ。おまえ、あそこへはいっていって、その楽器がいくらだか、聞いてきておくれ。でも、キスはもうごめんですよ」
「おひめさまのキスを、百いただきたいそうでございます」
と、聞きに行った女官は、もどってきていいました。
「あれは、気がくるっているんだわ」
こう、おひめさまはいって、さっさと行きかけました。けれども、すこし行くと立ちどまっていいました。
「そうだわ、芸術《げいじゅつ》はしょうれいしなくちゃいけないんだわ。わたしは皇帝のむすめだもの。あのぶた飼いに、こういってごらん。きのうとおなじに、キスは十回してあげるけれど、あとは女官のにしておくれって」
「まあ、それはこまりますわ」と、女官たちはいいました。
「よけいなことを、いうんじゃないの。わたしがキスすることができるなら、おまえたちだってできるはずです。そのかわり、おぼえていていいよ。お礼はたっぷりあげるから」
こう、おひめさまはいいました。そこで女官は、もういちど、はいっていかなくてはなりませんでした。
「おひめさまのキスが百回です。それでなくちゃ、じぶんのものはじぶんのものです」
と、ぶた飼いはいいました。
「わたしの前におならび」と、おひめさまはいいました。そこで女官たちは、みんなならびました。そうしてぶた飼いは、キスしはじめました。
「あのぶた小屋の前のてんやわんやは、いったいなにかな」
と、そのときバルコニーにお出になった皇帝が、おっしゃいました。皇帝は目をこすって、めがねをおかけになりました。
「おやおや、女官どもがなにかやらかしてるとみえる。どれ、わしも行ってみよう」
そこで皇帝は、スリッパのかかとを、ぐいとひっぱりあげました。というのは、皇帝はいつでもくつのかかとをふみつぶして、スリッパみたいにしてはいていらっしたからです。
おやまあ、なんとおいそぎになること。
中庭まで来ると、こんどはとてもそっとお歩きになりました。女官たちは、ぶた飼いのするキスが、多すぎもせずすくなすぎもしないで、きちんと数が合うよう、いっしょうけんめい、見はっていました。それにあんまりむちゅうになって、皇帝が近づいてこられたのには、すこしも気がつきませんでした。
皇帝は、つま先立ちして、のぞきました。
「なんたることじゃ!」
ふたりがキスしているのを見ると、こう、皇帝はおっしゃって、かたっぽのスリッパをぬぐと、ちょうどぶた飼いが八十六回めのキスをもらったとき、ふたりの頭をおぶちになりました。
「出てゆけ」
皇帝は、かんかんにおこっていらっしゃいました。こうして、おひめさまもぶた飼いも、国の外へ追い出されてしまいました。
おひめさまは、そこに立ってなきだしました。ぶた飼いはあくたいをつくし、雨はざんざんふってきました。
「ああ、あたしほどみじめなものはないわ」と、おひめさまはいいました。
「あの美しい王子さまをおむかえしておけばよかったのに。ああ、なんてあたしはふしあわせなんでしょう」
そのときぶた飼いは、木のかげに行って顔の茶色と黒い色とをふきとり、きたない着物をぬぎすてて、こんどは王子のすがたをして出てきました。そのりっぱなことといったら、おひめさまも思わず頭をさげずにはいられませんでした。
すると、王子はいいました。
「ぼくは、あなたをさげすむようになりましたよ。あなたは、ちゃんとした王子をむかえようとしなかった。あのバラやナイチンゲールのすばらしさも、わからなかった。そのくせ、つまらないおもちゃのために、ぶた飼いにまでキスされたのです。これで、おのぞみどおりになったわけでしょう」
こういって、王子はじぶんの国にはいり、戸をしめてかんぬきをさしました。そこでこんどは、おひめさまが門の外に立って、歌をうたう番でした。
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あわれ、いとしのアウグスチン
みんなおじゃんよ、じゃん、おじゃん!
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ソバ
夕立《ゆうだち》のあったあと、ソバのはえている畑のそばを通ると、よくソバがまっ黒になってしおれているのを見かけます――まるで、ほのおがその上を通りすぎでもしたように。
そんなとき、お百姓《ひゃくしょう》はいいます。
「これはいなずまにやられたんですよ」と。
しかし、いったいどうしてソバは、そんなめにあったのでしょう。――さあ、その話をしてあげましょうね。
わたしはこの話を、スズメから聞いたのですが、スズメはまたそれを、ソバ畑のそばにいまでも立っている、一本の年とったカワヤナギの木から聞いたのですってさ。
その木は、いかにもどうどうとしたカワヤナギの大木でした。でも、なにぶん年をとってせなかがまがっていました、おまけにまん中からさけて、そのさけめからは、草や木イチゴのつるがはえ出ていたのです。そうやってかがみこんで、えだを地面にたらしているところは、まるでみどり色の髪《かみ》の毛をたらしているみたいでしたっけ。
そのあたりの畑には、いちめんにムギのなかまがのびていました。ライムギ、オオムギ、それからカラスムギ――そう、あのきれいなカラスムギですよ。カラスムギがみのると、まるで一本の小えだに、小さい黄色いカナリヤでもどっさりとまっているみたいに見えますね。
さて、これらのこくもつは、みんなゆたかにみのっていましたが、しかも、穂《ほ》が重くなればなるほど、いよいよつつましく頭をたれるのでした。
ところが、そこにあのそば畑もあったのです。それも、あの古いカワヤナギの木のまっ正面《しょうめん》にね。しかもソバは、ほかのこくもつのように頭をたれることをしないで、さもえらそうにつんとしてつっ立っていたのです。
「ぼくだって、ムギの穂くらいにゃみのるんだ。おまけにぼくらは、あの人たちより、ずっときれいだからねえ。なにしろぼくの花は、リンゴの花にまけないほどみごとなんだ。ぼくやぼくのなかまのものたちをながめるのは、ほんとうにたのしいことさね。カワヤナギのおじいさん、ぼくらよりきれいなものが、ほかにありますかって」
こう、ソバはいいました。
するとカワヤナギは、「うん、まったくさ」というふうに、頭をうなずかせました。
ところが、ソバはすっかり思いあがっていたものですから、いばりくさっていいました。
「なんだ、あのばかな木のやつ、おいぼれきって、どてっぱらに草をはやしてらあ」
そこへ、すさまじい夕立が近づいてきました。野の花たちは、あらしが頭の上を通りすぎる間、みんな花びらをとじたり、小さい頭をたれたりしました。それでも、ソバだけは、さもえらそうに、そっくりかえっていました。
「わたしたちみたいに、頭をさげなさいな」と、花たちはいいました。
「ぼくには、ぜんぜんその必要《ひつよう》はないね」と、ソバはこたえました。
「ぼくらみたいに頭をさげたまえ。じきに、あらしの天使《てんし》がとんでくるんだよ。その天使のつばさときたら、雲の上から地面までとどくんだ。きみがおなさけをねがうより早く、あの方はきみをまっ二つにひきさいてしまうぜ」と、ムギたちもさけびました。
「そうかい。だがぼくは、おじぎをするのはごめんだね」
こう、ソバはいいました。
「おまえさんの花をとじなされ。そうして葉っぱをたれることじゃ」と、年とったカワヤナギもいいました。
「雲がさけるとき、いな光《びかり》のほうを見あげてはいけませんぞ。人間でさえも、それはゆるされんのじゃ。なんせ、いな光の中には、神さまの天国が見えるというからな。それを見たら、人間は目がつぶれかねんのじゃ。ましてや、わしらみたいな、人間よりもずっといやしい地にはえたものが、そんなだいそれたことをしようもんなら、なにがおこるかしれやせん」
それを聞くと、ソバはいいました。
「なに、人間よりずっといやしいって。よし、そんならぼくは、天国をのぞいてみせるぞ!」
こうしてソバは、うぬぼれとごうまんとから、そのとおりにしたのです。
そのとき、まるで全世界が火につつまれたような気がしました。それほどすごいいな光だったのです。
やがて夕立ちはすぎ去《さ》りました。花もむぎ畑も、いまの雨ですっかり元気づいて、やわらかいすがすがしい空気の中に、またもや頭をもたげて立っていました。
ところがソバは、いな光にやられて、まっ黒になっていました。こうなっては、もう死んでしまって、やくにたたない雑草《ざっそう》にすぎません。
そしてあの年とったカワヤナギは、風にえだをゆすぶりながら、まるでないてでもいるように、青い葉っぱから、大きな水玉をふりこぼしていたのです。
すると、スズメがたずねました。
「おじいさん、なぜないているの。こんなありがたいお国にすんでいてさ。ほら、お日さまがあんなにきらきらかがやいて、雲がどんどんにげていくじゃないの。おじいさんだって、花や草むらから立ちのぼる、このすがすがしいにおいが、わかるでしょうに。いったい、なにをないているのよ。カワヤナギのおじいさん」
そこでカワヤナギは、ソバのえらがりとうぬぼれの話をしてやったのでした。それから、かならずやってくる天ばつのことを。
こういうわけで、いまわたしのした話は、ある晩《ばん》わたしが、「スズメさん、なにか話をしてくれないか」とたのんだときに、スズメがしてくれた話なのですよ。
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天使
「よい子どもが死ぬと、そのたびに神さまのおむかいの天使がひとり、この世におりてきて、その子をだきあげるの。そして、大きなまっ白いつばさをひろげると、その子がすきだった場所という場所へとんでいって、手に持ちきれないほど、いっぱい花をつむの。それからその花を神さまのところへ持っていくと、その花は天国で、この世にあったとォよりも、ずっときれいにさくのですよ。
神さまはその花を、一本一本やさしくむねにだきしめなさるの。中でも、いちばんお気にめした花には、キスをしてくださるのよ。するとその花は、声が出せるようになって、大きなよろこびの歌を、みんなと声を合わせてうたうことができるのですよ」
こんなふうに、あるとき天使は、なくなった子どもを天国へつれていきながら、話して聞かせました。
するとその子は、きれいなゆめでも見ているように、うっとりとその話を聞いていたのです。
やがて天使は、その子が小さいときにあそんだふるさとへとんできて、きれいな花がさいた花《か》だんの間を通りました。
「さあ、どの花をとっていって、天国にうえましょうね?」と、天使はたずねました。
見ると、いっぱいある花の中に、すらりとしたみごとなバラが一本ありました。ところが、だれかがそのえだを、折《お》ったとみえて、ひらきかけた大きなつぼみをどっさりつけたえだが、ぐったりとしおれてたれていました。
「まあ、かわいそうなバラ。天の神さまのところで花がひらくように、あれを持っていってくださいな」
と、子どもはいいました。
そこで天使は、そのバラをとると、子どもにキスしてやりました――花にするかわりにね。
すると子どもは、目を半分ひらきました。
それからふたりは、きれいな花をどっさりつみました。あんまり人のかまわないタンポポや、野そだちのパンジーなんかも、つむのをわすれませんでした。
「さあ、これで花はじゅうぶんね」
こう、子どもがいうと、天使もにっこりとうなずきました。でも、まだ神さまのところへ行くには早すぎました。
やがて夜になって、あたりがねしずまると、ふたりは大きな町にはいっていって、あるせまい横町《よこちょう》のあたりをとびまわりました。そこらには、わらやごみや|はい《ヽヽ》やらが、うずたかく積《つ》まれていました。
そう、ちょうどおひっこしの日だったのです。こわれたおさらや、しっくいのかたまりやぼろっきれや、古いぼうしなんかもちらばって、どれもこれも、あわれなすがたを見せていました。
そのとき天使は、そんながらくたの中にころがっていた、植木ばちのかけらと、土のかたまりを指さしました。その土は、ひからびた野の花の根といっしょに、この植木ばちからこぼれ出たものでした。きっと、もう役《やく》にたたなくなって、往来《おうらい》へ投げすてられたのでしょう。
「あれも持っていきましょうね。なぜ持っていくかは、とんでいきながら話してあげましょう」
こう、天使はいいました。
そこでふたりは空をとび、天使は話しはじめました。
「あのせまい横町の、ひくい地下室《ちかしつ》に、まずしい病気の子が、ひとり住んでいたのですよ。ほんの小さいころから、ずっとねどこについたきりで、いちばん元気のいいときでも、まつ葉づえにすがって、小さなへやの中を歩きまわるのが、せいいっぱいだったのよ。
夏になると、お日さまが三十分ぐらい、地下室のまどからさしこむことがありました。そんなとき、その子はまどぎわにすわって、あたたかいお日さまの光をあびながら、顔の前に手をかざしては、指の赤い血をすかしてながめていたの。すると、おうちの人たちは、
『きょうはあの子は、外であそびましたよ』なんかというのでした。
その子はまた、おとなりのぼっちゃんが、芽《め》ぶいたばかりのブナのえだを持ってきてくれたときに、はじめて春先《はるさき》のみどりというものを知りました。そこで、そのえだを頭の上にかざしては、お日さまがかがやき、小鳥がうたうブナの森の中に、じぶんもいるような気になったのですよ。
そのぼっちゃんは、またある春の日に、野の花をとってきてくれました。ところが、その中にぐうぜん、根のついたのがまじっていたの。子どもはさっそく、それを植木ばちにうえて、ねどこのそばのまどぎわにおきました。
幸福《こうふく》な手でうえられた花は、すくすくと大きくなって、毎年《まいねん》あたらしい芽を出しては、花をつけました。
さあ、病気の子にとっては、この花はなによりもだいじな花園《はなぞの》になり、世界でいちばんのたからものになりました。子どもはせっせとせわをして、水をやったり、ひくいまどからさしこむ日の光が、さいごまで花にあたるようにと、気をくばったりしたのですよ。
しまいにはこの花は、その子のゆめの中にまではいりこんできました。なにしろその花は、この子ひとりのために、美しくさき、いいにおいを出しては、よろこばしてくれたからです。
やがて神さまが、この子をおめしになったときも、この子はその花のほうに顔をむけて死んだのですよ。
――さて、その子が神さまのところにめされてから、ちょうど一年になったの。その間、花はわすれられてまどぎわに立っていて、すっかりひからびてしまったの。そこでおひっこしの日に、往来のがらくたの中にすてられてしまったのです。
いまこうして、花たばの中へ入れて持っていく、このみすぼらしいかれた花が、その花なの。この花を持っていくのは、これこそ女王さまのお庭のいちばんりっぱな花よりも、もっと大きなよろこびをあたえてくれた花だからですよ」
すると、天使にだかれて天へのぼっていく子どもが聞きました。
「だけど、どうしてあなたは、そんなにくわしく知ってるんですか」
「そりゃあ、知ってるともさ。まつ葉づえにすがって歩いていた病気の子というのは、このわたしだったのですものね。これはわたしの花だもの、よく知っていなくてさ」
こう、天使はいいました。
すると、子どもはその目を大きくひらいて、天使のきれいなよろこばしい顔を、じっと見あげました。
そのときはもう、ふたりはよろこびと幸福にみちあふれた天国に来ていました。
神さまは、その死んだ子をむねにおだきになりました。すると、ほかの天使とおなじに、その子にはつばさがはえて、みんなと手をつないで、そこらをとびまわるのでした。
それから神さまは、花をひとつひとつむねにおあてになって、中でもあのみすぼらしいかれた花には、キスをなさいました。するとその花は、声が出せるようになって、天使といっしょになって歌をうたいだしました。
天使たちは神さまのぐるりをかこんで、空にただよっていました。あるものは、すぐ近くに、またあるものたちはすこしはなれて、大きな輪《わ》をかいて、はては見えないほど遠くまでひろがりながら、それでもみんな幸福《こうふく》そうに。
そうしてみんなは、大きい天使も小さい天使も、いま祝福《しゅくふく》をさずかったばかりのあのよい子も、おひっこしのがらくたにまじって、うす暗い横町にすてられていた、あのみすぼらしいかれた花も、みんな声を合わせてうたっているのでした。
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ナイチンゲール
中国は、みなさんも知ってるとおり、皇帝《こうてい》も中国人だし、おそばにつかえている人たちも、みんな中国人です。ところでこのお話は、もう、何年もむかしにあったことなんです。だけれど、それだけに、わすれてしまわないうちに聞いておくねうちがあると思うのですよ。
さて、中国の皇帝のごてんは、世界一りっぱなもので、どこからどこまで、みごとなせとものづくりの、それはみごとなものでした。ところが、あんまりこわれやすくて、さわるとあぶなっかしいものですから、それはそれは気をつけないといけないのです。
お庭には、世にもめずらしい花々《はなばな》がさきみだれていましたが、中でも、いちばんみごとな花々には、銀《ぎん》のすずがむすびつけてありました。
そのすずがリンリンと、いい音をたてて鳴るので、通りかかった人は、どうしてもその花に注意しないではいられないしかけなのです。
ほんとに、皇帝のお庭にあるものは、なにからなにまで、たくみなくふうをこらしてありました。しかもそのお庭が、おかかえの庭師《にわし》でさえ、どこがお庭のはてやら知らないくらい、どこまでもどこまでもひろがっているのです。それをどこまでも歩いていきますと、美しい森に出ます。そこには、大きな木々にかこまれて、深《ふか》い湖《みずうみ》がありました。
森は、青々とした深い水の面《おもて》までせまっていましたから、さしのばしたえだの下まで、大きな船でも、帆《ほ》をはったまま近づくことができました。
そしてその森には、一わのナイチンゲール(夜ウグイス)がすんでいましたが、そのうたう声のいいことといったら、なんともいえないくらいでした。くらしに追われているびんぼうな漁師《りょうし》でさえ、夜《よ》あみをうちに出て、このナイチンゲールの声を聞くと、思わず手をやすめて聞きほれたものです。
「ああ、なんていい声だろう!」
こう、漁師はいいましたが、つらい仕事に追われているものですから、そのままナイチンゲールのことはわすれてしまいます。それでもまた、つぎの晩《ばん》漁に出てその歌を聞きますと、またおなじことをいわずにはいられませんでした。
「ああ、なんていい声なんだろう!」
皇帝のみやこには、世界じゅうから、旅人《たびびと》がやってきました。みんなは、ごてんやお庭にも感心しましたが、さて、このナイチンゲールの声を聞くと、
「これこそ第《だい》一等だ」と、みんながみんな、いうのでした。
そうして、旅人たちは、じぶんの国に帰ると、そのことを人に話しました。また学者《がくしゃ》は、そのみやこや、ごてんや、お庭について、どっさり本をかきましたが、もちろんナイチンゲールのこともわすれないで、これを第一等のものとしました。
それからまた、詩《し》のつくれる人たちは、このうえなくみごとな詩をつくって、深い湖のほとりの森にすむナイチンゲールのことを、ひとりのこらずがうたいました。
これらの本は、世界じゅうにゆきわたりましたので、そのいくさつかは、いつかしら皇帝の手にもはいりました。
皇帝は、こがねのいすにこしかけて、くりかえしくりかえしおよみになっては、しきりにうなずかれました。なにしろ、ごじぶんのみやこや、ごてんや、お庭のことをかいたすばらしい文章をよむのは、ほんとうにうれしいことですものね。
「しかし、ナイチンゲールこそ第一等なり」と、そこにはかいてありました。
「これはなんじゃ。ナイチンゲールだと? そんな鳥のことは、わしは知らんぞ。そんな鳥が、わしの国に、しかもこの庭の中にすんでいるんだと? そんなことは、一度も聞いたことがないな。こういうもののことを書物《しょもつ》ではじめて知るとは、なんたることじゃ」
こう、皇帝はおっしゃいました。
そこでさっそく、侍従《じじゅう》をおよびになりました。この侍従はたいそうえらい人で、じぶんより身分のひくいものが話しかけたり、なにかものを聞いたりすると、ただ、「ぷう」とこたえるだけでした。もちろん、こんな返事には、なんの意味もありゃしません。
「ここには、ナイチンゲールという、世にもめずらしい鳥がおるそうじゃな。しかも、この鳥こそ、わが大帝国《だいていこく》のうちでも第一等のものだというではないか。なぜそのことを、このわしに、いままでひとことももらさなかったのか」
こう、皇帝はおっしゃいました。
「そのようなもののことは、ついぞ聞いたこともございません。なにぶん、今日《こんにち》まで、そのようなものが宮中《きゅうちゅう》に出頭《しゅっとう》いたしたことはございませんので」
と、侍従はいいました。
「さっそく今夜、そのものをつれてまいって、わしの前でうたわせてみよ。全世界が知っているのに、主人のわしが知らんとは、こりゃどうじゃ」
と、皇帝はおっしゃいました。
「そのようなもののことは、わたくし、ついぞ聞きおよびませんが、かならずたずねて、さがし出しますでございます」
こう、侍従はもうしました。
ところが、さて、どこへ行ったら見つかるでしょう。侍従は、ごてんじゅうのかいだんをのぼったりおりたり、大広間《おおひろま》やろうかをかけずりまわったりして、あう人ごとに聞いてみました。でも、だれひとりとして、ナイチンゲールのことを耳にしたというものはありませんでした。
そこでまた、いそいで皇帝のところへもどってきますと、それはきっと、本をかいた人たちのつくり話にそういありませんといって、こう、もうしあげました。
「おそれながら、皇帝陛下《こうていへいか》には、本にかかれてあるからといって、すべてをお信じになってはいけません。中にはずいぶんと、いわゆる魔法《まほう》に類《るい》するつくりごともございます」
「だが、わしのよんだ本というのは、かしこい日本《にっぽん》の天子《てんし》よりおくられたものじゃ。うそいつわりのあろうはずがない。わしはどうあってもナイチンゲールが聞きたいのじゃ。今夜のうちに、かならずつれてまいれ。ナイチンゲールはわしのいちばんのお気に入りじゃ。かれをつれてまいらぬときは、宮中の役人どもはのこらず、夕食をたべたあとで、おなかをむちでうってつかわすから、さようこころえよ」
こう、皇帝はおっしゃいました。
「チン・ペー」
と、侍従はいって、またかいだんをのぼったりおりたり、広間やろうかを走りまわったりしました。宮中の半分のものも、いっしょになって走りまわりました。なにしろ、だれしも、おなかをぶたれるのはいやですものねえ。こうして、世界じゅうが知っているのに宮中ではだれも知らない、めずらしいナイチンゲールをさがしまわるのでした。
とうとうみんなは、台所ではたらいている、まずしい小《こ》むすめをつかまえました。すると、むすめはもうしました。
「まあ、ナイチンゲールでございますか。わたくし、よくぞんじておりますわ。ええ、ええ、それはいい声でうたいますとも。
毎晩わたくし、おゆるしをいただいては、かわいそうに病気をしている母のところへ、お食事のあまりを持っていってやるのでございます。母は湖の岸に住んでおりますの。それでわたくしがもどってまいりますとちゅう、つかれて森の中でやすんでおりますと、きまってナイチンゲールのうたう声が聞こえるのでございます。
その声を聞きますと、わたくし、なんだか母がキスしてくれたような気がして、思わずなみだが出るのでございます」
「これ、むすめ。かならずおまえをお給仕《きゅうじ》役にとりたてて、陛下がお食事なさるところをおがませてやるぞ。だから、ぜひともわれわれを、ナイチンゲールのところまであんないしてくれい。じつは陛下が、今夜かれをおめしになっておられるのじゃ」
と、侍従はいいました。
こうして一同は、いつもナイチンゲールがうたっているという森へ出かけました。宮中の半分のものがついていきました。さて、おえらい人たちが歩いていきますと、どこかで雌《め》ウシが鳴きました。
「おお、いたぞ。ああいう小さい動物のくせに、どうも力強い声をもっておるものですなあ。あれならたしかに、前にも聞いたことがありますぞ」
と、お小姓《こしょう》がいいました。
「いいえ、あの鳴き声は、雌ウシでございますわ。まだ、その場所までは、なかなか遠うございますのよ」
と、小むすめはいいました。
こんどは沼《ぬま》の中でカエルが鳴きました。
「これはすばらしい。なるほど、聞こえた、聞こえた。あれはお寺の小さい鐘《かね》の音《ね》にそっくりじゃ」
と、えらいぼうさんがいいました。
「いいえ、あれはカエルでございますわ。でも、もうそろそろ聞こえてまいるかと思います」
と、台所の小むすめはいいました。
やがてナイチンゲールがうたいはじめました。
「ほら、あれがそうですのよ」と、小むすめはいいました。
「お聞きなさいな、お聞きなさいな。あれ、あそこにとまっておりますわ」
こういってむすめは、高いえだにとまっている、一わの小さいはい色の鳥を指さしました。
「これはおどろいた。あんなものとは思いもかけなかったわい。なんという、みすぼらしいすがたをしておることじゃ。えらい役人がおおぜい見えたもので、色をうしなってしまったのだな」
と、侍従はいいました。
「かわいいナイチンゲールさん。わたしたちのおめぐみぶかい皇帝陛下が、あなたの歌を聞きたいとおっしゃるのよ」
と、台所の小むすめは、声をはりあげてよびかけました。
「それは光栄《こうえい》のいたりでございます」
こう、ナイチンゲールはいって、うっとりするような声でうたいました。
「とんとガラスの鐘のようじゃ。それ、あの小さなのどが、なんとよく動くこと。いままでわれわれがこれを聞かなかったということは、まことにけったいなことじゃ。これなら宮中でも、大成功うたがいなし」
と、侍従がいいました。
「もう一度、皇帝陛下のために、うたってさしあげましょうか」
皇帝もそこにいらっしゃるものと思ったナイチンゲールは、こういってたずねました。
「これはすばらしい、ナイチンゲールどの。今晩、あなたを宮中の宴会《えんかい》におまねきいたすのは、わしの大きなよろこびじゃ。どうかその美しい歌によって、陛下のお心をおなぐさめもうしてくれい」
と、侍従はいいました。
「わたしの歌は、みどりの森の中で聞いていただくのが、いちばんいいのでございます」
こう、ナイチンゲールはいいましたが、皇帝のおのぞみと聞いて、よろこんでいっしょに出かけました。
ごてんの中は、それはりっぱなかざりつけができていました。せとものづくりのかべやゆかは、何千という、金のランプの光をうけてかがやいていました。また、ろうかには、すずをむすびつけた、とびきりみごとな花たちが、ずらりとならべられていました。ですから、そこを人が走って通ったり、風が流れたりしますと、いっせいにすずを鳴らして、人々の話す声も聞こえないほどでした。
皇帝のいらっしやる大広間のまん中には、ナイチンゲールがとまるように、金のとまり木がおいてありました。そして、宮中のお役人がのこらずいならび、れいの台所の小むすめも、いまでは「天下一《てんかいち》のお料理番《りょうりばん》」という名まえをちょうだいしていましたので、とびらのかげに立っていることをゆるされました。みんなは、ありったけにめかしこんでいました。そして、皇帝がしきりにうなずきかけていらっしゃる、小さいはい色の鳥のほうを、ねっしんに見つめていました。
そのときナイチンゲールが、それはきれいな声でうたいはじめました。皇帝の目には思わずなみだがうかんで、ほおをつたって流れました。するとナイチンゲールは、いよいよ美しくうたいましたので、その歌声は心の底までしみとおりました。
皇帝は、ことのほかおよろこびになって、ごじぶんの金のスリッパを、さあ、おまえの首にかけるがよいとおっしゃって、ナイチンゲールにやろうとなさいました。けれどもナイチンゲールは、もはや、じゅうぶんにごほうびはいただきましたからといって、それをごじたいしてもうしました。
「わたしは、皇帝陛下のお目になみだがたまるのを、はいけんいたしました。これこそ、わたしにとりましては、このうえもないほうびでございます。皇帝陛下のなみだには、まことにふしぎな力がこもっておりますもの。神かけてもうしあげますが、わたしは、じゅうぶんにねぎらわれたのでございます」
こういってまた、世にも美しい声でうたいました。
「まあ、あんなじょうずなおせじは、はじめて聞いたわ」
と、まわりにいた貴婦人《きふじん》たちはいいました。
そして、それからというもの、この人たちはだれかに話しかけられると、口の中に水をふくんでゴロゴロいわせては、それでナイチンゲールになった気でいるのでした。
ええ、ええ、下男《げなん》や女中までがまんぞくしたのです。そして、これがとてもたいしたことだというのは、なにしろこの人たちこそ、いちばんまんぞくさせるのがむずかしい人たちだからです。こうして、ナイチンゲールは大成功をおさめました。
いまではナイチンゲールは、じぶんの鳥かごをいただいて、宮中にとどまらなくてはなりませんでした。もちろん、ひるま二度と、夜一度、さんぽに出るおゆるしはありましたが、そのときは、十二人のめし使いがおともをして、ナイチンゲールの足にむすんだきぬのリボンを、みんなでしっかりと持っていました。
こんなふうにしてさんぽしたって、すこしもたのしいことはありませんがね。
町じゅうが、いまでは、このめずらしい鳥のうわさで、もちきっていました。人がふたり出あいますと、それはもう、きまって、ひとりが、
「ナイチン――」
といいかけるより早く、もうひとりが、
「ゲール」
とうけては、おたがいに、
「ああ」
とためいきをつきます。それでもう、おたがいの気持ちが通じるのでした。そればかりか、食料品屋《しょくりょうひんや》の子どもなんかは、十一人までがナイチンゲールという名まえをつけられたものです。しかしそのうちの、ひとりだっていい声をもっているものは、ありませんでしたけれど。
さて、ある日のこと、皇帝のところに大きなつつみがとどいて、その上には、「ナイチンゲール」とかいてありました。
「わしのゆうめいな鳥についてかいた、またあたらしい本が来たらしいぞ」
と、皇帝はおっしゃいました。ところが、はこの中から出てきたのは、本ではなくて、小さな美術《びじゅつ》品――つくりもののナイチンゲールだったのです。
ほんものそっくりににせてあるのですが、ただ、ダイヤモンドやサファイアが、いたるところにちりばめてありました。そして、ねじをまくと、このこしらえものの鳥は、さっそく、ほんもののナイチンゲールのうたう歌の一つをうたいながら、金や銀にきらめくその尾を、上下に動かすのでした。首のところには細いリボンがついていて、そこに、
「これは日本のナイチンゲールの王さまです。中国の皇帝のにくらべたら、ひんじゃくなものでございます」とかいてありました。
「これはすばらしい」と、みんなはいいました。そして、このつくりものの鳥を持ってきた男は、さっそく、
「帝室《ていしつ》ナイチンゲールがかり」という称号《しょうごう》をいただいたのです。
「では、いっしょにうたわせてみましょう。どんなおもしろい二重唱《にじゅうしょう》になるでしょうね」
そこで二わの鳥は、いっしょにうたわなくてはなりませんでした。ところがそれがうまくいかないのです。なにしろほんものの鳥は、じぶんの気のむくままにうたいますのに、細工《さいく》もののほうは、おなじワルツばかりうたうからです。
「この鳥には、なんのつみもございません。拍子《ひょうし》はいたってせいかくでございますし、わたくしの流儀《りゅうぎ》にもぴったり合っております」
と、楽長《がくちょう》はもうしました。
そこで、つくりものの鳥がひとりでうたうことになりました。すると、ほんもののナイチンゲールにまけない大成功をおさめました。見ているぶんには、うで輪《わ》かブローチみたいにきらきら光って、ほんものよりもずっと美しかったのです。
このつくりものの鳥は、三十三かいもおなじ歌をうたっても、すこしもつかれるということを知りませんでした。しかも人々は、またもや、はじめから聞きたいというしまつです。でも皇帝は、
「こんどは生きているナイチンゲールのほうにも、すこしうたわせよ」
とおっしやいました。
ところが、ナイチンゲールはどこへ行ってしまったのでしょう。あいていたまどからナイチンゲールがとび出して、もとの青々した森へ帰っていったのを、だれひとり気がつかなかったのです。
「なんたることじゃ」
と、皇帝はおっしゃいました。みなのものは、ナイチンゲールが、とんだ恩知《おんし》らずだといって、さんざんにわるくちをいったあげく、
「それにしたって、われわれのところには、第一等の鳥がまだのこっているさ」といいました。
こうして、つくりものの鳥は、またもやうたわせられるのでした。これで、おなじうたを三十四かいもうたうわけです。でも、それはたいそうむずかしい歌でしたから、まだ、だれひとり、おぼえることはできませんでした。
そこで楽長は、この鳥をたいそうほめちぎりまして、このほうがほんもののナイチンゲールよりもまさっている。それは、着ている着物や、どっさりちりばめてある美しいダイヤモンドのせいばかりでなく、からだの中までがすぐれているのだと、きっぱりいいきったのです。
「ともうしますのは、わが偉大《いだい》なる陛下、ならびにご一同のかたがた、ほんもののナイチンゲールにおきましては、はたしてどのような歌がとび出してまいりますか、わたくしどもには予想《よそう》もつかないのでございます。
しかし、この人工の鳥におきましては、すべてが、きちんときまっております。それは、かならずそのようになりまして、けっしてほかのようにはなりません。したがって、われわれは、それについてかたることもできますし、中をひらきまして、人間がどのようなくふうをこらしたか、またワルツの曲がどこにはいっていて、どのようにしてつぎからつぎへと出てくるか、見ることもできるのでございます」
「同感、同感」
と、みんなはもうしました。そこで楽長は、つぎの日曜日に、この鳥を人民に拝観《はいかん》させるおゆるしをえました。
「歌も聞かせてやるがよいぞ」
と、皇帝はおっしゃいました。
こうして人民は歌を聞きますと、これこそまったく中国式なのですが、まるでおいしいお茶によっぱらったみたいに、すっかりまんぞくしたのです。そうしてみんなは、
「おお」
といって、指を空にむけて立て、このつくりものの鳥を「歌のつぼ」とよんでは、おたがいにうなずきあうのでした。でも、ほんもののナイチンゲールの歌を聞いたことのある、まずしい漁師だけは、
「たしかにいい声だし、ほんものににてもいるが、どこかものたりないな。それがなんだかはわからないが」
といいました。
こうして、ほんもののナイチンゲールは、この国からついほうされてしまいました。
こしらえものの鳥は、皇帝のベッドのすぐそばに、きぬのしきぶとんをいただいてすわっていました。
まわりには、おくりものにいただいた、金や宝石《ほうせき》や、あらゆるものが積《つ》んであります。そして称号は、「皇帝ごしんしつつき歌手」にまでのぼりました。くらいは「左の第一位」でした。〈左の〉とか〈右の〉とかいうのは、皇帝は心ぞうのあるがわのほうがとうといとしていらっしゃったからです。心ぞうは皇帝でもやっぱり左がわにあったのです。
れいの楽長は、このつくりものの鳥について、二十五|巻《かん》もある本を書きました。この本は、それは学問的《がくもんてき》で、またひどく長く、おまけにとんでもなくむずかしい中国語でかいてありました。それでも人々はみんな、わたしはよんだが、よくわかりました、といいました。さもないと、ばかあつかいにされて、おなかをぶたれなければならなかったからです。
こうして、まる一年たちました。いまでは皇帝や宮廷《きゅうてい》の人たちから、あらゆるほかの中国人にいたるまで、このつくりものの鳥がうたう歌なら、どんな小さな曲でも、すっかりそらでおぼえてしまいました。ところが、それだからこそ、みんなは、いよいよこの鳥を、このうえないものに思うのでした。
そうです。みんなは、いっしょにうたうことだってできましたものね。そこで、いっしょにうたいました。町の子どもたちも、
「チチチ! クルック、クルック、クルック」
とうたえば、皇帝もおうたいになりました。ほんとに、これはたしかにたのしいことでした。
ところがある晩、このつくりものの鳥が美しい声でうたうのを、皇帝がベッドで、聞いていらっしゃると、とつぜん、
「プスリ!」
と、鳥のからだの中で音がして、なにかがはじけました。それから、
「グルルルル!」
と、歯車という歯車がすっかりまわって、ぴたりと音楽がやんでしまいました。
皇帝はすぐさまベッドからはねおきて、侍医《じい》をおよびになりました。でも、おいしゃさんがなんのやくにたつでしょう。そこでこんどは、とけいつくりをよんできました。とけいつくりは、さんざんひねくったりしらべたりしてから、どうやらいくぶん鳥をなおしました。
しかし、「すっかりしんぼうがすりへっていますから、よくよくだいじにしていただかないといけません。しかも、あたらしいしんぼうととりかえても、たしかに音楽をやるというわけにはまいりますまい」と、こういいました。
まあ、なんというかなしいことでしょう。これからは、一年に一度しか、この鳥をうたわせてはならないのです。しかも、それでもまだ多すぎるというのでした。
ところが、れいの楽長は、むずかしいことばでみじかい演説《えんぜつ》をして、これでも、前とおなじことだといいました。そこで、前とおなじだということになりました。
また五年の月日がたちますと、こんどは国じゅうが、ほんとのかなしみにつつまれました。なにしろ、国民はすべて、心の底から皇帝をしたっていましたのに、その皇帝が、いまやご病気で、もはや、命はたすからないものと思われていたからです。あたらしい皇帝が、もうえらばれておりました。それでも国民は、ご病気の皇帝のことをしんぱいして、道に出てまちうけていては、れいの侍従にたずねるのでした。
「ぷう」と、侍従はいって、ただ頭をふりました。
つめたく青ざめて、皇帝はりっぱな大ベッドにねていらっしゃいました。宮中の人たちは、もうおかくれになったものと思って、みんな、あたらしい皇帝にごあいさつをもうしあげるために、とんでいってしまいました。おつきのものが、走っていってそのことを知らせると、ごてん女中たちも、にぎやかなお茶の会をひらきました。
皇帝のねていらっしゃるまわりは、おへやにも、ろうかにも、足音がたたないようにじゅうたんがしいてありましたので、それはそれはしずかでした。
でも皇帝は、まだ死んではいらっしゃらなかったのです。しかばねのように青ざめ、こわばって、長いビロードのカーテンと、重たい金のふさのたれたりっぱなベッドの上に、じっと横たわっていらっしゃるのでした。そのずっと上のほうに、まどが一つあいていて、そこから月の光がさしこんで、皇帝と、あのつくりものの鳥の上におちていました。
かわいそうに皇帝は、もうほとんど息をすることもおできになりません。まるで、むねの上に、なにかが乗っかっているような感じなのです。そっと、目をあけてごらんになると、むねの上には死に神が乗って、皇帝の金のかんむりをかぶり、かた手には、やはり皇帝の金のサーベルを、もうかたほうには、皇帝のりっぱな旗《はた》を持っているではありませんか。しかも、まわりの大きなビロードのカーテンのひだの間からは、ふしぎな顔をしたものどもが、いく人ものぞいていました。とてもみにくい顔をしているのもあれば、なんともいえずやさしい顔をしているのもあります。
それはすべて、皇帝がいままでになさったよいおこないとわるいおこないでしたが、いま死に神が皇帝のむねの上に乗りましたので、みんなは、どうなることかと、じいっと皇帝を見まもっていたのです。
「あなたは、ぼくをおぼえていますか」
こういって、かれらは、つぎからつぎへと、皇帝にささやきました。
「まさか、わすれやしないでしょうね」
そういっては、みんなでいろいろと話しかけるものですから、皇帝のひたいには、思わずあせがにじみ出ました。
「そんなことは、まるっきり知らんぞ」
と、皇帝はおっしゃって。
「音楽じゃ、音楽じゃ。中国の大だいこをたたけ。こんなれんじゅうのいうことが、なにも聞こえんように!」
こう、皇帝はおさけびになりました。
けれどもみんなは、あいかわらずしゃべりつづけ、しかも死に神は、かれらのいうことに、いちいちうなずいているのでした。
「音楽じゃ、音楽じゃ。これ、かわいいしあわせな金の鳥よ、どうかうたってくれ。わしはおまえに金のたからものをやり、手ずからわしの金のスリッパまで、おまえの首にかけてやったではないか。さあ、うたってくれ、うたってくれ」
それでも、鳥はだまって立っているばかりでした。ねじをまいてくれる人がいなかったのですもの、どうしてうたえるわけがありましょう。それなのに、死に神はあいかわらず、その大きいうつろな、あなのあいた目で、じっと皇帝をにらみつづけました。あたりは、とてもひっそりとしています。おそろしいほどのしずけさです。
と、そのとき、まどのすぐそばから、このうえなく美しい歌が聞こえてきました。
それは、あの生きているほんもののナイチンゲールが、外のえだにとまって、鳴いているのでした。小鳥は、皇帝がご病気だと聞いて、歌をうたって希望《きぼう》となぐさめをよびおこしてあげようと思い、はるばるととんできたのでした。
はたしてナイチンゲールがうたいますと、それにつれて、あやしいもののかげはだんだんうすれ、皇帝のおとろえきったからだには、だんだん、いきいきと血がめぐるようになりました。しまいには死に神までが耳をかたむけて、「もっと鳴け、かわいいナイチンゲールよ、もっと鳴くがいい」といいました。
「ええ。そんならわたしに、そのりっぱな金のサーベルをください。そのきれいなはたをください。それから皇帝のかんむりをください」
そこで死に神は、ナイチンゲールが歌をうたうたびに、一つずつたからものをわたしました。それでもナイチンゲールは、なおもうたいつづけました。――こんどは、まっ白なバラの花がさき、ニワトコがよいにおいをはなち、青々した草が遺族《いぞく》の人たちのなみだでぬれる、しずかな墓地《ぼち》のことを。
すると死に神は、じぶんのうちが恋《こい》しくなって、まるでつめたい白いきりのように、ふわふわとまどから出ていってしまいました。
「ありがとう、ありがとう。おまえはほんとにやさしい、神さまのような鳥じゃ。わしはおまえをよくおぼえているよ。おまえをこの国から追い出したのは、このわしじゃからな。それなのにおまえは、おまえの歌で、わしのまくらもとからわるい精《せい》どもを、わしのむねからは死に神を追いはらってくれたのじゃ。どうやっておまえにお礼をしたらよかろうの?」
と、皇帝はおっしゃいました。
「お礼はもはや、いただいております。はじめてわたしがうたいましたときに、陛下のお目になみだがうかびましたことを、わたしはけっしてわすれません。あれこそ、歌い手の心をよろこばしてくれるたからなのでございます。でも、いまはもうおやすみになって、元気と力をおとりもどしなさいませ。わたしが陛下のためにうたってさしあげますから」
と、ナイチンゲールはいいました。
こうしてナイチンゲールがうたいますと、まもなく皇帝は、こころよいねむりにつかれたのです。それはほんとうにおだやかな、からだのためになるねむりでした。
やがて太陽がのぼって、皇帝のねていらっしゃるところまで、まどからさしこむと、皇帝はふとおめざめになりました。もはやすっかり元気になっていらっしゃいました。めし使いのものは、皇帝がもうなくなられたものと思っていたものですから、まだひとりももどっていませんでした。それなのに、あのナイチンゲールは、まだそこにとまって、鳴いていました。
「おまえはいつまでもわしのそばにいておくれ。おまえのうたいたいときにだけ、うたってくれればいいのだから。あのつくりものの鳥などは、こなごなにくだいてしまおう」
こう、皇帝はおっしゃいました。
「そんなことをなさってはいけません」
と、ナイチンゲールはいいました。
「あの鳥だって、じぶんにできるだけのことはしてきたのでございます。いままでのように、そっとしておいてやってくださいまし。わたしはお城に巣《す》をつくってすむことはできません。ただわたしの気がむいたときには、こちらへうかがわせていただきとうぞんじます。
そうしましたら、わたしは夕がた、あのおまどのそばのえだにとまって、陛下のお心がたのしく、また考えぶかくおなりのように、うたってさしあげます。幸福《こうふく》な人たちのことも、苦しんでいる人たちのことも、また陛下のまわりにかくれている、よいこともわるいこともうたいましょう。
こんな小さい鳥でも、広くそこらをとびまわって、まずしい漁師のところへでも、百姓家《ひゃくしょうや》の屋根の上へでも、陛下や陛下のお城からずっと遠くにいる人たちのところへまでも、行くのでございますよ。そりゃ王さまのかんむりには、どこかしら、こうごうしいものがただよってはおりますけれども、わたしは陛下のかんむりよりは、陛下のお心のほうがすきなのでございます。
では、また来てうたってさしあげます。ですが、一つだけわたしにおやくそくしてくださいませんか」
「なんなりとも、もうすがよい」
こう、皇帝はおっしゃって、じぶんで皇帝の服をつけてお立ちになると、黄金《おうごん》で重たいサーベルを、むねにおあてになりました。
「それでは、一つだけおねがいいたしておきます。どうぞ、陛下になにもかももうしあげる小鳥がこの世におりますことは、どなたにもひみつになさってくださいませ。そのほうが、うまくいくでございましょうから」
そういって、ナイチンゲールはとび去っていきました。
そこへめし使いたちが、なくなられた皇帝を見にはいってきました。――ところが、さて、みんなはあきれて、ぼう立ちになってしまいました。と、皇帝が、
「やあ、おはよう」とおっしゃいました。
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なかよし
こまと、まりが、ほかのおもちゃといっしょに、おなじひきだしの中にはいっていました。こまが、まりにいいました。
「おんなじひきだしの中にはいっているんだもの、ぼくのいい人になってくれない?」
けれど、モロッコがわの着物を着ていたまりは、じぶんは身分《みぶん》のいいおじょうさんだと思ってうぬぼれていたものですから、そんなもうしこみには、返事もしませんでした。
あくる日、おもちゃの持ち主のぼっちゃんが来て、こまに赤や黄の色をぬり、まん中にしんちゅうのくぎをうちこみました。そこで、こまがブンブンうなってまわりますと、とてもきれいに見えました。
「そら、ぼくをごらんよ。こんどはどう? ぼくのいい人になってくれないか。きっとぼくたち、とってもよくにあうよ。きみははねるし、ぼくはおどるしさ。ぼくたちふたりは、きっと、だれよりもしあわせになれると思うよ」
と、こまは、まりにいいました。
「まあ、しょってるわねえ。あんたは、わたしのおとうさんとおかあさんが、モロッコがわのスリッパだったことを知らないの。それに、わたしのからだの中には、コルクがはいっているのよ」と、まりはいいました。
「へえ、そんなこといやあ、ぼくだってマホガニーの木だよ。しかも町長さんが、じぶんのろくろで、じきじきぼくをひいてくれたんだぜ。それも、たいしたごきげんでさ」と、こまはいいました。
「はいはい、どうせそうでしょう」
と、まりはいいました。
「それがうそだったら、ぼくは二度と、ひもでうたれなくたって、しかたがないよ」
と、こまはいいました。
「ずいぶんお口がおじょうずね。でも、わたし、やっぱりだめなの。わたし、もう半分ツバメさんと婚約《こんやく》したもおなじなんですもの。わたしが高くはねあがるたんびに、あの人、巣《す》から頭を出して、『どうですか、どうですか』って聞くのよ。それで、いまではわたし、心の中で、『いいわ』っていってるの。だから、半分婚約したようなものでしょ。だけどわたし、ちかって、あなたのことはわすれないわ」
と、まりはいいました。
「うん、それだけでもありがたい」
と、こまはいいましたが、それきりふたりは、お話する機会《きかい》がありませんでした。
あくる日は、まりが外に出されました。こまが見ていますと、まりは、まるで鳥みたいに高く高くとびあがっていって、しまいには、目に見えないくらいになりました。それでも、そのたんびにまたもどってくるのですが、地面にふれると、きまってまた高くとびあがるのです。
それは、まりのあこがれがそうさせるのでしょうか。それとも、からだの中にコルクがはいっているからでしょうか。
ところが、九度めに、まりはとびあがったきり、そのままもどってきませんでした。ぼうやはさがしにさがしましたけれど、どうしても見つかりません。
「あの人がどこにいるか、そりゃわかってるさ。ツバメくんの巣へ行って、ツバメくんと結婚《けっこん》したんだ」
こういって、こまはためいきをつきました。
そう考えれば考えるほど、よけいにこまは、まり子さんがしたわしくなりました。およめにもらうことができなかったものですから、なおさら、恋《こい》しさがましたのです。
あいてがほかの人と結婚したなんてことは、かれの恋には関係《かんけい》のないことでした。ですから、こまは、ブンブンいってまわりながら、あいかわらず、まりのことばかり思っていました。そうすると、まりのすがたは、こまの心の中で、いよいよ美しいものになっていくのでした。
それでもいく年かたつと、それはもう、むかしの物語になってしまいました。
それに、こまだって、もうわかくはなかったのです。
ところが、ある日のこと、こまは、上から下まですっかり金色にぬられました。こんなにきれいになったのは、生まれてはじめてです。
いまでは「金のこま」です。そこで、ビューンとうなるほどまわって、はねあがりました! どうです、たいしたものでしょう。ところが、あんまり高くはねあがったものですから、それっきり見えなくなってしまいました。
みんなはさがしまわって、地下室《ちかしつ》まで行ってみましたが、やっぱり見つかりません。いったいどこへ行ったのでしょう。
こまは、ごみばこの中へとびこんだのでした。そこには、あらゆるものがころがっていました。キャベツのしんやら、ごみくずやら、雨《あま》どいからおちてきた、すなやら。
「おやおや、ほんとにけっこうなところへ来たものさ。これじゃあ、せっかくの金めっきも、じきにはげてしまうだろうな。それにしても、なんてきたならしいやつらの間へ来たものだろう」
こういってこまは、しんまですっかり葉をむしられているほそ長いキャベツのくきと、なんだか、古ぼけたリンゴみたいな、へんなまるいものとを横目でにらみました。ところが、古ぼけたリンゴと思ったのは、リンゴではなくて、年をとったまり子さんだったのです。まりはなん年もの間、雨どいの中にすわっていたので、すっかり水ぶくれになっていました。
「まあ、うれしい。やっと話しあえるおなかまが来たわ。わたし、ほんとうに、わかいむすめさんがぬってくれたモロッコがわの着物を着て、からだの中には、コルクまではいってるのよ。だれの目にもそうは見えないでしょうけどねえ。わたし、もうすこしで、ツバメさんと結婚するところだったの。ところが、雨どいの中におっこちて、五年もそこにころがっていたんですもの、水ぶくれになってしまったのよ。いっときますけれど、わかいむすめにとっては、ほんとにつらい年月《ねんげつ》でしたわ」
こう、まりはいって、金ぬりのこまをつくづくとながめました。
ところがこまは、それにはなんともこたえないで、ただむかしの恋人のことばかり考えているのでした。でも、いろいろ話を聞いているうちに、これがあのときのまり子さんだということが、だんだんわかってきました。
そこへおてつだいさんが出てきて、ごみばこをひっくりかえしていいました。
「あらまあ、こんなとこに金のこまがあったわ」
こうして、こまは、またおへやへもどって、たいへんだいじにされることになりました。けれども、まりがどうなったかは、それっきりわかりません。
また、こまも、むかしのことについては、もう、ひとこともいいませんでした。いくらいとしい人でも、五年も雨どいの中にいて水ぶくれになっていたのでは、愛情《あいじょう》だってさめてしまいます。それに、ごみばこの中で出あったのでは、むかしの人だと見きわめることなんか、なかなかできませんからねえ。
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みにくいアヒルの子
いなかはほんとうにきれいでした。
いまは夏です。コムギはこがね色にみのっているし、カラスムギは青々となみうち、ほし草はみどりのまきばに高くつまれていました。
コウノトリが長い赤い足で歩きまわっては、エジプト語でぺちゃくちゃおしゃべりしていました。なにしろコウノトリは、おかあさんからエジプト語をならったのですからね。
畑とまきばのまわりには、大きな森がひろがっていました。その森のまん中に、深《ふか》い池がありました。ああ、なんていなかはすばらしいのでしょう。
そこに、あたたかいお日さまの光をあびて、一けんの古いおやしきがありました。まわりは深いほりでかこまれていて、ほりから池のところまで、大きな大きなスカンポがしげっていました。スカンポは、とてもせいが高かったものですから、いちばん大きなスカンポの下では、小さい子どもなら、まっすぐに立つことができました。
そこらは、まるで深い森のおくみたいに、あれほうだいになっていました。
そこに一わのアヒルが巣《す》をつくって、たまごをかえしていました。ところが、赤ちゃんが生まれるまでに、あんまり時間がかかるうえに、あそびに来てくれるお友だちもめったにないものですから、すっかりたいくつしてしまいました。ほかのアヒルたちは、このおかあさんのところへあがっていって、スカンポの下にすわっておしゃべりなんかするよりも、おほりの中をおよぎまわっているほうがすきだったのです。
とうとう、たまごがつぎつぎにわれてきました。
「ピー、ピー」鳴きながら、たまごの黄《き》みが動きだして、頭をつき出しました。
「ガー、ガー、早く、早く」
と、おかあさんはいいました。すると子どもたちは、大いそぎで出てきて、みどりの葉っぱの下に立って、あたりを見まわしました。おかあさんは、みんなに見たいだけ見せてやりました。なぜって、みどり色は目のためにいいからです。
「世界って、なんて大きいんだろ!」
と、子どもたちは口をそろえていいました。
たまごの中にいたときとは、まるきりちがっていたのですから、むりもありません。
「これが世界のぜんぶだと思ってるのかい」と、おかあさんはいいました。
「世界っていうのはね、この庭のむこうのはずれから、牧師《ぼくし》さんの畑のほうまでひろがっているんだよ。おかあさんだって、まだ行ったことはないけどね。さあ、みんなそろいましたね?」
こういって、おかあさんは立ちあがりました。
「おや、まだみんなじゃないわ。いちばん大きなたまごが、まだのこっていたわ。このたまごは、なんて長くかかるんだろう。もうほんとうにいやになっちまうよ」
こういっておかあさんは、またもやすわりこみました。
「どんなぐあいかね」
年とったアヒルがおみまいに来て、こうたずねました。
「このたまご一つのために、とんだ時間がかかりましてね。これには、ちっともあながあきそうもありませんの。
でもまあ、ほかのを見てやってください。みんな、見たこともないほどきれいなアヒルの子たちですわ。どれもこれも、おとうさんにそっくりなんですのよ。それなのに、あのしようのない人ったら、おみまいにも来ないんですからね」
と、たまごをかえしていたアヒルがいいました。
「どれどれ、そのわれないというたまごをわたしに見せてごらん。そりゃあね。おまえさん、きっとシチメンチョウのたまごですよ。わたしも、いつかだまされたことがあってね。生まれた子どもに、さんざんくろうさせられたものさ。
だって、水をこわがるんだからね。いくら水の中へ入れてやろうと思ったって、だめだめ。どんなにがみがみいって、つっついてやったって、どうにもならないんだよ。どれ、そのたまごを見せてごらん。ああ、やっぱりシチメンチョウのたまごだよ。こんなのほったらかしておいて、ほかの子どもたちに水およぎを教《おし》えてやるんだね」
こう、年とったアヒルはいいました。
「でも、もうすこしすわっていてみますわ。いままで、こうやってすわってきたんですもの。まあ、もうすこし、しんぼうしてみましょう」
と、おかあさんアヒルはいいました。
「まあ、おすきなように」
年とったアヒルはこういって、帰っていきました。
とうとう、その大きなたまごがわれました。
「ピー、ピー」
と、子どもは鳴きながらはい出しました。ところがその子はとても大きくて、みにくいのです。おかあさんアヒルは、その子をじっとながめていいました。
「まあ、おそろしく大きな子だこと。ほかの子には、ちっともにてないわ。こりゃあどうも、シチメンチョウの子かもしれないよ。いいわ、いずれすぐわかることだもの。水のところへつれてって、ひとつ、つきおとしてみましょう」
あくる日は、とても気持ちのいい、よいお天気でした。お日さまはきらきらかがやいて、みどりのスカンポの上をてらしています。おかあさんアヒルは、子どもたちをのこらずつれて、ほりわりにやってきました。パシャンとおかあさんは水の中へとびこんで、
「ガー、ガー、ガー、さあ早くおいで」といいました。
するとアヒルの子どもたちは、一わ、また一わと、あとからあとからとびこみました。頭の上まで水にもぐりましたが、すぐ、またうかびあがって、とてもじょうずにおよぎました。足がひとりでに動くのです。こうやって、みんな水の上にうかびました。見ると、あのみにくい、はい色の子まで、いっしょにおよいでいます。
「あら、あの子はシチメンチョウなんかじゃないわ。なんて足のつかいかたがじょうずなんだろう。からだも、あんなにしゃんとおこしてさ、もう、わたしの子にまちがいなし。それに、よく見れば、あの子だってやっぱり、きれいだよ。ガー、ガー。――さあ、みんなわたしについておいで。おまえたちを世の中へつれてって、鳥小屋のみなさんに、ひきあわせてあげましょう。だけど、人にふまれないように、いつでもわたしのそばにくっついているんだよ。それから、ネコに気をおつけ」
と、こう、おかあさんはいいました。
そういってるうちに、みんなは、鳥小屋のところにつきました。そこではいま、おそろしいさわぎがもちあがっていました。二つの家族のものが、一つのウナギの頭をとりっこして、けんかをしていたのです。それで、ネコに横からとられてしまいました。
「ほらね、世の中ってこんなものなんだよ」
と、アヒルのおかあさんはいって、くちばしをカチカチ鳴らしました。それというのも、おかあさんもウナギの頭がほしかったからです。
「こんどは足をつかうんだよ」と、おかあさんアヒルはいいました。
「さあ、うまく走れるかしらね。それから、あそこにいるおばあさんアヒルの前へ行ったら、おじぎをするんですよ。あの人が、ここにいる中では、いちばん身分《みぶん》が高いんだからね。スペイン生まれなんだよ。だからあんなにふとってらっしゃるのさ。それに、ほら、足に赤いきれをつけてるでしよう? とてもすばらしいじゃないの。あれはね、アヒルがもらうことのできる、いちばんりっぱなくんしょうなの。あれをつけているのはね、あの人がいなくならない用心にと、また動物にも、人間にも、すぐ見わけられるためになんだよ。
さあ、大いそぎ、足を内がわへむけてはだめですよ。そだちのいいアヒルの子は、おとうさんやおかあさんみたいに、足を外がわへひらいて歩くんだよ。ほらね、こんなふうにさ。さあ、こんどは、首をさげて、いってごらん、ガーって」
そこで、みんなはそうしました。ほかのアヒルたちは、まわりをとりまいて、この子どもたちをながめていましたが、大きな声でいいました。
「おい、見ろよ。またなかまがおおぜいやってきたぜ。ぼくたちだけじゃ、まだたりないみたいにさ。ちえっ、あのアヒルの子は、なんてざまだ。あんなのはなかまに入れてやらないぞ」
――すると、すぐに一わのアヒルがとんできて、その子の首すじにかみつきました。
「ほっといてちょうだい。この子はなにも、わるいことなんかしないじゃないの」
と、おかあさんはいいました。
「そりゃそうだけど、あんまり大きくて、かわってるじゃないか。だから、追っぱらっちゃうんだ」
と、かみついたアヒルがいいました。
「まあ、いいお子さんができたこと、おかあさん。みんないい子どもさんだ。一わだけはべつだがね。かわいそうに、なんとかつくりかえてやれないかねえ」
と、足にきれをつけた年とったアヒルがいいました。
「そうはまいりませんよ、おくさま」
と、おかあさんアヒルはいいました。
「この子は、かわいらしくはありませんけど、気だてはとてもいいのでございますよ。それに、およぐことは、ほかのだれにもまけませんの。いいえ、かえって、もっとじょうずなくらいですよ。大きくなれば、すこしはきれいになりましょうし、そのうちに、いくらか小さくなると思います。この子はきっと、あんまりたまごの中に長くいすぎたもので、こんなへんな形になってしまったのですわ」
こういって、おかあさんアヒルは、その子の首すじをなでて、はねをきれいになおしてやりました。
「それにこの子は、男の子ですもの。きりょうがわるいなんてことは、たいしたことじゃありません。きっと、力が強くなって、りっぱに生きていくだろうと思いますよ」
と、おかあさんはいいました。
「ほかの子たちは、ほんとうにかわいいね」
と、おばあさんアヒルはいいました。
「さあみんな、じぶんのうちにいるようなつもりでおいで。そして、ウナギの頭を見つけたら、わたしのところへ持ってくるんですよ」
こういわれたので、みんなはじぶんの家にいるようなつもりで、くつろぎました。
ところが、いちばんさいごにたまごから出た、あのみにくいアヒルの子だけは、かわいそうに、アヒルのなかまたちばかりか、ニワトリたちからも、かみつかれたり、つっつかれたり、ばかにされたりしました。
「いったいこいつは、大きすぎるんだ」
と、みんながみんな、いいました。中でもシチメンチョウは、けづめをもって生まれてきたもので、じぶんでは王さまのつもりでいました。ですから、このアヒルの子を見ると、帆《ほ》に風をいっぱいうけた船みたいにからだをふくらまして、つかつかと近よってきました。そして、のどをゴロゴロ鳴らしながら、頭をまっかにしました。
かわいそうなアヒルの子は、もうどうしたらよいかわかりません。じぶんのすがたがみにくいために、みんなから、こんなにまでもばかにされるのが、ただただ、かなしくなるばかりでした。
さいしょの日は、こんなふうですぎましたが、それからも、いよいよわるくなるばかりでした。かわいそうなアヒルの子は、みんなに追いかけられました。にいさんねえさんたちまでが、この子にいじわるをして、いつもいいました。
「おまえなんか、ネコにさらわれっちまえばいいんだ。このみにくい、ばけものめ!」
おかあさんもいいました。
「おまえさえ、どこかへ行ってくれればねえ」
ほかのアヒルたちにはかみつかれ、ニワトリたちにはつっつきまわされ、えさをやりに来るむすめからは、足でけとばされました。
そこで、アヒルの子はにげ出して、いけがきをとびこえました。すると、しげみの中にいた小鳥たちが、びっくりしてとび立ちました。
「ああ、これも、ぼくがみっともないからなんだ」
アヒルの子はこう思って、目をつぶりました。それでも、どんどん先へ走っていくと、やがて、野ガモのすんでいる大きな沼《ぬま》に出ました。アヒルの子は、一晩《ひとばん》じゅう、ここにじっとしていました。もうすっかり、つかれてしまいましたし、それに、かなしくってたまらなかったからです。
朝になって、まい立った野ガモたちは、あたらしいなかまがいるのを見つけました。
「きみは、いったいなにものだい?」
と、みんなは聞きました。アヒルの子は、あっちへむき、こっちへむきして、できるだけていねいにあいさつをしました。
「きみは、おっそろしくみにくいんだなあ。でも、そんなことは、どうだってかまやしない。きみが、ぼくたちの家族のものと結婚《けっこん》しさえしなければね」
と、野ガモたちはいいました。
かわいそうに、アヒルの子は、結婚なんてことは、ゆめにも考えていませんでした。アヒルの子は、ただ、アシの間にやすませてもらって、沼の水をすこしのましてもらえれば、それだけでよかったのです。アヒルの子は、そこにまるふつかの間《あいだ》おりました。するとそこへ、二わのガンが、もっとせいかくにいえば、おすのガンが二わとんできました。このガンは、たまごから出て、まだいくらもたっていませんでしたから、すこしむてっぽうでした。
「おい、きみ。きみはとてもみにくいが、ぼくは、きみのそのみにくいところが気にいったよ。どうだい、わたり鳥になって、いっしょに行かないかい。
この近くのもう一つの沼に、きれいなかわいい女のガンが、二、三ばすんでるんだ。むろん、みんなまだおじょうさんさ。ガー、ガーって、じょうずに鳴くこともできるんだ。きみがいくらみにくいすがたをしているからって、あそこへ行けば、きっとしあわせをつかまえられるよ」
こう、ガンはいいました。
ポン、ポン!
と、そのとき、空でてっぽうの音がしたと思うと、二わのガンは、たちまちアシの中へおちて、死にました。水が血でまっかにそまりました。
ポン、ポン!
と、また音がしました。するとガンのむれは、アシの中からぱっととび立ちましたが、そうするとまた、てっぽうの音がしました。大がかりの猟《りょう》がおこなわれているのでした。
かりゅうどたちが、沼をとりまいていました。いや、それどころか、アシの上にのび出ている木のえだに、こしかけている人さえいました。青いけむりが、まるで雲のように、うす暗い木々の間をぬけて、遠く水の面《おもて》にただよいました。猟犬《りょうけん》が、バシャッ、バシャッと、沼の中までとびこんできました。
アシは、あっちへこっちへとなびきました。かわいそうなアヒルの子にとっては、なんとおそろしいできごとだったでしょう。思わず頭をちぢめて、はねの下にかくしました。
そのとたんに、おそろしく大きなイヌが目の前にとび出してきました。舌《した》を長くたらし、目はものすごいほど光っています。しかも、鼻づらをアヒルの子におしあてて、するどい歯をむき出しました。ところが、どうしたわけか、アヒルの子にはかみつかないで、バシャッとどろをはねて、むこうへ行ってしまいました。
「ああ、ありがたい」と、アヒルの子はほっとしていいました。
「ぼくがあんまりみにくいものだから、イヌまでが、かみつかないんだ」
こうしてアヒルの子は、息をころしてじっとしていました。その間にも、あられがばらばらとアシをうち、ひっきりなしに、てっぽうの音がしていました。
おひる近くなってから、やっとあたりはしずかになりました。
しかし、かわいそうに、アヒルの子は、まだおきあがる元気が出ませんでした。
それからまた二、三時間もたってから、やっとあたりを見まわして、大いそぎで沼をにげ出しました。畑をこえ、まきばをこえて、ありったけの早さで走りました。その日はひどく風がふいていましたので、とても走りにくかったのですけれど。
夕がた近く、みすぼらしい小さな百姓家《ひゃくしょうや》にたどりつきました。その家は、見るもあわれなありさまで、じぶんでも、どちらへたおれたらいいかわからないため、どうやらまだ立っているといったふうでした。風がピューピューふきつけますので、アヒルの子は、しっぽをつっかいぼうにして、やっとたおれるのをふせがなくてはなりませんでした。
風はますますひどくなるばかりです。そのときふと、入り口の戸のちょうつがいが一つはずれて、戸が半びらきになっているのが目につきました。なんとか、すきまから、へやの中へはいりこむことができそうです。そこで、さっそくはいっていきました。
その家には、ひとりのおばあさんが、ネコと、ニワトリといっしょに住んでいました。このネコはおばあさんに、「ぼうや」とよばれていて、せなかをまるくしたり、のどをゴロゴロ鳴らしたり、火花をちらすことまでできました。もっとも、火花をちらすには、人が毛をさかさにこすってやらないとだめでしたがね。
ニワトリは、たいそうかわいいみじかい足をしていましたので、おばあさんは、「みじか足のコッコちゃん」とよんでいました。このニワトリは、とてもいいたまごをうみましたので、おばあさんは、じぶんの子どもみたいにして、かわいがっていました。
あくる朝になると、ネコもニワトリもすぐに、見なれないアヒルの子がいるのに気がつきました。そこでネコはのどをゴロゴロ鳴らし、ニワトリはクックと鳴きだしました。
「どうしたんだね」
おばあさんはそういって、あたりを見まわしました。でも、おばあさんは目がわるいものですから、そのアヒルの子を、どこからかまよいこんできた、ふとったアヒルだと思いこんでしまいました。
「こりゃあ、とんだもうけものだよ。これからは、アヒルのたまごもたべられるってわけさ。ただ、おすのアヒルでなけりゃいいが。まあ、ためしにかってみましょう」
と、おばあさんはいいました。
こういうわけで、アヒルの子は三週間の間、ためしにかわれることになりました。でも、もちろん、たまごなんかうみませんでした。ところで、この家のご主人はネコで、ニワトリはおくさんでした。そして、いつもふたりは、
「わたしたちの世界」
といっていました。なにしろ、ふたりは、おたがいが世界のよい半分で、それも、このうえもない、よい半分だと思っていたからです。アヒルの子は、もっとべつの考えかただってあると思いましたが、ニワトリは、そんな考えをゆるすことはできませんでした。
「じゃあ、おまえさんは、たまごをうむことができるかい」と、ニワトリはたずねました。
「いいえ」
「そんなら、だまってるがいいよ」
すると、こんどは、ネコがいいました。
「おまえは、せなかをまるめることができるかね。のどをゴロゴロ鳴らしたり、火花をちらすことができるかね」
「いいえ」
「じゃあ、りこうな人たちが話しているときは、口を出すものじゃないよ」
そこでアヒルの子は、すみっこにひっこんでいましたが、どうにも、くさくさしてたまりません。さわやかな外の空気と、お日さまの光が、なつかしく思い出されて、たまらないほど水の上をおよぎたくなってきました。とうとう、がまんができなくなって、そのことをニワトリにうちあけました。
「おまえ、どうかしたんじゃないの。なんにもすることがないもんだから、そんな気まぐれをおこすんだよ。たまごでもうむとか、のどを鳴らすとかしてごらん。そんなばかげた考えは、どこかへ行っちまうから」
と、ニワトリはいいました。
「でも、水の上をおよぐのはたのしいんだもの。頭から水をかぶったり、底のほうまで水にもぐったりするのは、とってもたのしいものよ」と、アヒルの子はいいました。
「ふん、さぞかし、たいしたたのしみでしょうよ。おまえはきっと、気がちがったんです。まあ、ネコさんに、聞いてごらん。水の上をおよいだり、もぐったりするのが、おすきですかってさ。
あの人は、わたしの知っている人の中では、いちばんりこうな方です。わたしゃ、じぶんのことはいいませんがね。ご主人のおばあさんにも、聞いてみるがいいよ。あのおばあさんよりかしこい人は、世界にいないんだからね。いったいあのおばあさんが、およいだり、頭から水をかぶったりするのがすきだと、おまえさんは思うのかね」
こう、ニワトリはいいました。
「あなたがたには、ぼくの気持ちがわからないんです」
と、アヒルの子はいいました。
「ふん、わたしたちに、おまえさんの気持ちがわからないとすりゃ、いったいだれにわかるっていうの。おまえ、まさか、ネコさんやあのおばあさんより、じぶんのほうがりこうだなんて思ってるんじゃないだろうね。わたしはべつとしたところでさ。
つけあがっちゃいけないよ、子どものくせに。まあ、人がしんせつにしてくれたことを、ありがたく思うがいいんだよ。こうして、あたたかいへやに入れてもらって、わたしたちのなかまにしてもらったんじゃないか。ちっとはなにかおぼえそうなものなのに、おまえはよくよくばかだよ。
おまえなんかとつきあったって、なにがおもしろいもんかね。だけど、しょうじきにいって、わたしゃ、おまえさんのためを思えばこそ、こんないやなこともいうんだよ。それでこそ、ほんとの友だちというものだからね。さあ、だからこれからは、いっしょうけんめいになって、たまごをうむとか、でなけりゃ、のどをゴロゴロ鳴らすとか、火花でもちらすことをおぼえるがいいよ」
「でも、ぼくは外の広い世界へ出ていきたいんです」と、アヒルの子はいいました。
「じゃあ、かってにしな」と、ニワトリはいいました。
そこでアヒルの子は、出ていきました。そして、水の上をおよいだり、水の中にもぐったりしていましたが、すがたがみにくいために、どの動物からも、あいてにされませんでした。
やがて、秋になりました。
森の木の葉は黄や茶色になり、強い風にふきとばされて、そこらをくるくるまい歩き、こずえのほうは、すっかり、はだかになって、さむざむとしてきました。雲は、きりや雪をふくんで、重《おも》そうにたれかかり、いけがきの上にはカラスがとまって、いかにも寒そうに、「カー、カー」と鳴きました。考えてみるだけでも、寒くてぶるぶるふるえそうです。かわいそうに、アヒルの子も、すっかりよわってしまいました。
ある夕がた、お日さまがきらきらかがやきながらしずんでいくと、美しい大きな鳥のむれが、しげみの中からとび立ちました。こんなにきれいな鳥を、アヒルの子はまだ見たことがありませんでした。からだじゅうが、かがやくばかりにまっ白で、すらりとした長い首をしていました。それはハクチョウだったのです。
ハクチョウのむれはとてもふしぎな声をあげながら、美しい大きなつばさをひろげて、寒いこの土地からあたたかい国へ行こうと、広い広い海をめがけてとんでいくのでした。ハクチョウたちは、高く高くのぼっていきます。
それを見ていると、みにくいアヒルの子は、なんともいえないふしぎな気持ちになりました。それで水の中で車の輪《わ》みたいにぐるぐるまわると、首をハクチョウたちのほうへ高くのばして、じぶんでもびっくりしたほど、大きなふしぎな声を出してさけびました。
ああ、なんという美しい鳥でしょう。あの美しい鳥、幸福《こうふく》な鳥を、アヒルの子はけっしてわすれることができませんでした。
やがてそのすがたが見えなくなると、アヒルの子は水の底までもぐっていきましたが、もう一度うかびあがったときには、まるで、むがむちゅうになっていました。アヒルの子は、あの美しい鳥がなんという名まえの鳥だかも、どこへとんでいったのかも知りませんでした。それなのに、いままでのどんなものよりもなつかしく思われて、心からすきになってしまったのです。
でも、うらやましいとは、すこしも思いませんでした。あんな美しいすがたになろうなんて、どうしてのぞむことができましょう。ほかのアヒルたちが、なかまに入れてくれさえすれば、それだけでまんぞくしているかれでしたもの。ああ、なんてかわいそうなみにくいアヒルの子でしたろう。
いよいよ、寒い寒い冬になりました。
アヒルの子は、水の面がすっかりこおってしまわないように、たえずおよぎまわっていなくてはなりませんでした。けれども、一晩《ひとばん》一晩、およぎまわる場所はせまくなり、小さくなっていきました。それもまもなく、ミシミシ音をたてて、こおりついてきました。
アヒルの子は、氷がはりつめてしまわないように、しょっちゅう足を動かしていなければなりませんでした。とうとうしまいには、つかれきって、動くことができなくなり、じっと氷の中にとじこめられてしまいました。
あくる朝早く、ひとりのお百姓さんが通りかかって、あわれなアヒルの子を見つけました。すぐにそばへやってきて、木ぐつで氷をくだいて、おかみさんのところへ持って帰りました。こうして、アヒルの子は生きかえりました。
お百姓の子どもたちは、大よろこびでアヒルの子とあそぼうとしました。ところがアヒルの子は、またいじめられるものと思いこんで、おびえたあまり、ミルクのつぼの中へとびこんでしまいました。おかげで、ミルクがへやじゅうにとびちりました。
おかみさんは大声でわめいて、両手を高くあげてうちあわせました。アヒルの子は、なおさらびっくりして、こんどはバターを入れてあるたるの中にとびこみ、つぎには、むぎ粉のおけの中へとびこんで、あわててまたとび出しました。
おやおや、なんてすがたになったのでしょう! おかみさんは、かなきり声をあげて、火ばさみでぶとうと追っかけてくるし、子どもたちは子どもたちで、アヒルの子をつかまえようとして、ぶつかりあいました。いやもう、わらったりどなったり、たいへんなさわぎです。
ありがたいことに、戸があけはなしになっていました。アヒルの子は、いそいで走り出て、いまふったばかりの雪の中の、しげみの下にかくれました。こうして、まるで冬眠《とうみん》でもするみたいに、そこにうずくまったのです。
でも、このあわれなアヒルの子が、きびしい冬の間に、たえしのばなくてはならなかった苦しみやかなしみをいちいちお話したら、あまりにかなしすぎるでしょう。
やがて、お日さまが、またあたたかくかがやきはじめたころ、このアヒルの子は、沼のアシの間にじっとしていました。もうヒバリが歌をうたっていました。たのしい春が来たのです。
そのとき、アヒルの子はきゅうに、はばたきをしました。すると、つばさが前よりも強く空気をうって、いきおいよくとび立つことができました。そして、じぶんでもわけがわからないうちに、大きな庭の中に来ていました。
そこには、リンゴの花が美しくさいているし、ニワトコはよいにおいをさせながら、長いみどりのえだを、しずかな入り江のようなおほりの上までのばしていました。
ああ、そこはほんとにきれいでした。春のみずみずしさがあふれていました。そこへ、目の前のしげみの中から、三ばのまっ白な美しいハクチョウが出てきました。ハクチョウたちは、はばたきながら、水の上をかろやかにすべっています。アヒルの子は、この美しい鳥が、ハクチョウだとは知っていました。ところが、いまそのすがたを見ると、なんだかふしぎな、かなしい気持ちになりました。
「そうだ。あのりっぱな鳥たちのところへ、ぼくはとんでいこう。ぼくはこんなにみにくい鳥だから、近よっていったら、きっとつつきころされてしまうかもしれない。でも、かまやしない。どうせぼくは、アヒルからはばかにされ、ニワトリからはつっつかれ、鳥小屋に来るむすめにはけとばされて、冬はまた、さんざ苦しい思いをしてきたんだ。だから、いっそあの鳥たちにころされたほうが、ましなんだ」
そこでアヒルの子は、水の上にとんでいって、美しいハクチョウたちのほうへおよいでいきました。これを見るとハクチョウたちは、はねをばたばたやって近づいてきました。
「さあ、ぼくをころしてください」
かわいそうなアヒルの子は、こういいながら頭を水の上にたれて、ころされるのをまちました。
ところが、すみきった水の面に見えたのは、なんだったでしょう。そこには、じぶんのすがたがうつっていましたが、それはもう、あのみにくい、いやらしい、黒っぽい鳥のすがたではなくて、美しい一わのハクチョウだったではありませんか。
ハクチョウのたまごからかえったのだったら、たとえアヒルの巣から生まれたにしても、そんなことがなんでしょう!
アヒルの子は、いままでにうけてきた、さまざまの苦しみやかなしみを、いっそうれしく思いました。いまあたえられている幸福とよろこびがどれほどのものか、はじめてよくわかったからです。そして大きなハクチョウたちは、このわかいハクチョウのまわりをおよぎながら、くちばしでなでてくれるのでした。
そのとき、小さな子どもたちが庭へ出てきて、パンや、ムギつぶを水の中へ投げこみました。そのうちでいちばん小さな子が、きゅうに大きな声でさけびました。
「あっ、あそこにあたらしいハクチョウがいるよ!」
すると、ほかの子どもたちもいっしょに、よろこびの声をあげました。
「ほんとだ。あたらしいハクチョウが来たんだ」
こういってみんなは、手をたたいておどりまわって、おとうさんとおかあさんのところへかけていきました。それからまた、パンやおかしを水の中へ投げこんで、みんなはいいました。
「あたらしく来たのがいちばんきれいだ。とてもわかくてきれいじゃないの」
すると年上《としうえ》のハクチョウたちも、このわかいハクチョウの前に頭をさげました。
わかいハクチョウは、はずかしさでいっぱいになって、頭をつばさの下にかくしました。どうしてよいかわからなかったからです。
ハクチョウはとてもしあわせでした。でも、すこしもいばったりはしませんでした。心のやさしいものは、けっしていばったりはしないものです。
ハクチョウは、いままでどんなに、みんなから追いかけられたり、ばかにされたりしたかを思い出しました。けれどもいまでは、みんながじぶんのことを、美しい鳥の中でもいちばん美しい鳥、といってくれるのです。そしてニワトコの木は、水の上のじぶんのほうへ、えだをさしのべて頭をさげるし、お日さまは、それはそれはあたたかくやさしくてらしてくれました。
そこでハクチョウは、すらりとした首をまっすぐにおこすと、しんそこから、うれしそうにいいました。
「みにくいアヒルの子だったころは、ぼくにこんな大きなしあわせがさずかるとは、すこしも思わなかったのになあ!」
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モミの木
町はずれの森の中に、とてもかわいいモミの木が一本立っていました。
そこはたいそういい場所で、お日さまもよくあたれば、空気もじゅうぶんにありました。まわりには、もっと大きいお友だちが、たくさん立っていました。モミの木や、マツの木です。
でも、小さいモミの木は、ただもう、大きくなりたい、大きくなりたいとばかり、あせっていました。ですから、あたたかいお日さまのことも、すがすがしい空気のことも、すこしも考えてみませんでした。お百姓《ひゃくしょう》の子どもたちが、野イチゴやエゾイチゴをつみに来て、そこらを歩きまわっておしゃべりをしても、そんなことは気にもとめません。
よく子どもたちは、イチゴをかごいっぱいつんだり、草のくきにさしたりしてやってきて、その小さいモミの木のそばにすわって、こんなことをいいました。
「まあ、なんてかわいい木だろ」
ところが、モミの木は、こういわれるのがとてもいやだったのです。
一年たつと、モミの木は、長い新芽《しんめ》一つだけ大きくなりました。またそのつぎの年になると、もっと長い芽一つぶんだけ大きくなりました。モミの木は、毎年《まいねん》あたらしい芽を出して、それでのびていくのです。ですから、ふしの数をかぞえると、その木がいくつになったかわかるのです。
「ああ、ぼくもほかの木にまけないほど大きかったらなあ。そしたらぼくは、えだをうんとまわりにひろげて、てっぺんから広い世界を見わたせるのに。鳥もぼくのえだに巣《す》をつくるだろうし、風がふいてくりゃ、ぼくだってほかの木みたいに、上品《じょうひん》にうなずくことだってできるんだがなあ」
こういって、小さいモミの木はためいきをつきました。
そんなわけで、お日さまの光も、小鳥の歌も、頭の上を朝晩流れていく赤い雲も、すこしもこのモミの木の心をよろこばしてくれませんでした。
そのうち冬になりました。
あたりいちめん、きらきらかがやくまっ白な雪でうずまりました。すると、ときおりウサギがぴょんびょんはねてきて、この小さい木をとびこえました。
「ああ、まったくいやになっちまうなあ」
と、こう、モミの木は思いました。
でも、冬が二度すぎて、三年めの冬になると、この木もずいぶん大きくなりました。そこでウサギも、木をまわっていかなくてはなりませんでした。さあ、のびろ、のびろ、大きくなって年をとるんだ、世の中にこれほどいいことはありゃしない。こう、モミの木は思いました。
秋には、いつもきこりがやってきて、いちばん大きな木をいく本か切りたおします。それが、毎年くりかえされるのです。このごろはすっかり大きくなったわかいモミの木は、それを見て、ぶるぶるふるえました。
なにしろ、大きいりっぱな木が、メリメリ、ドスンと、おそろしい音をたてて地にたおれるんですものね。それから、えだが切りおとされると、まるはだかになって、とてもひょろ長く見えました。もう、もとのすがたなんか、思い出せないくらいです。それから車にのせられて、ウマにひかれて、森の外へはこばれていってしまうのです。
いったい、どこへ行くのでしょう。
どういうめにあうのでしょう?
春になって、ツバメやコウノトリがとんでくると、モミの木は聞いてみました。
「あの木たちは、みんなどこへつれていかれるのですか。あなたがた、知りません? どこかであいませんでしたか」
ツバメはなにも知りませんでした。しかしコウノトリは、なにか考えこんでいるふうでしたが、やがて、一つうなずいてからいいました。
「うん、たしかにそうにちがいない。ぼくはエジプトからとんでくるとき、いくそうものあたらしい船に出あったがね、船にはすばらしい帆柱《ほばしら》が立っていたよ。たしかに、あの柱がそうなんだ。モミの木のにおいがしていたもの。ぼくは、いくどもあいさつしたものだよ。きみたち、高いなあ、高いなあって」
「ああ、ぼくも海をこえていけるくらい大きかったらなあ。その海ってのは、いったいどんなものですか。なんににてますか」
「そりゃ、ひとくちにはとてもせつめいできないなあ」
コウノトリはこういって、とんでいってしまいました。
「おまえのわかさをたのしむことだよ。おまえのわかわかしい青春《せいしゅん》を、しあわせに思いなさい。おまえの中にある、わかい命《いのち》をたのしみなさい」
と、お日さまの光はいいました。
すると、風はモミの木にキスをして、つゆはその上になみだをこぼしました。けれども、このモミの木には、なんのことかちっともわかりませんでした。
クリスマスのころになると、ずいぶんわかい木が切りたおされました。ときには、このモミの木ほどの大きさもないし、年もそれほどとっていない、ほんの小さな木までが、その中にまじっていました。
モミの木は、あいかわらず、すこしもおちつかないで、どこかへ行きたくてたまりません。切られたわかい木たちは、どれもこれも、よりによって美しい木ばかりでした。しかも、みんなえだをつけたまま車にのせられて、ウマにひかれて森から出ていきました。
「みんなどこへ行くんだろう。あの木たちは、ぼくより大きくもないのになあ。いや、ぼくよりずっと小さいのだって、一本あったよ。それに、なぜみんな、えだをつけたままなんだろう。いったいどこへ行くのだろう」
と、モミの木はあやしみました。
「ぼくたち、知ってるよ。ぼくたちはむこうの町で、まどからのぞいたんだ。みんながどこへつれていかれたか、ぼくたち、知ってるよ。とてもりっぱに、とてもきれいになってるんだよ。ぼくたちがまどからのぞいてみたら、あったかいへやのまん中にうえられて、とてもきれいなものでかざられてたよ。金色《きんいろ》にぬったリンゴや、はちみつのはいったおかしや、おもちゃや、何《なん》百っていうろうそくなんかでさ」
と、スズメたちはさえずりました。
「ふうん――それからどうしたの」
と、モミの木は、えだというえだをふるわせて、聞きました。
「うん、それから先は見えなかったけどね。なにしろ、とてもすばらしかったよ」
「きっとぼくも、そんなすばらしいことになるんだぞ。海の上を行くよりも、このほうがずっといいや、ああ、じれったいなあ、早くクリスマスになればいいのに。ぼくだって、もうこんなに大きくなったんだ。去年《きょねん》つれていかれた木くらいにはなってるぞ。
ああ、早く車にのりたいなあ。あったかいへやの中で、きれいなかざりをつけたいなあ。それから? うん、それからは、きっといいことが、もっとすばらしいことがあるんだ。でなきゃ、ぼくをそんなにきれいにかざってくれるわけがないもの。だから、もっとたいしたことが、もっとすばらしいことがおきるにちがいないんだ。だけど、それはどんなことだろうな。ああ、待ちどおしいなあ。とてもたまらない。こんな気持ちでいたら、いったいどうなることだろう」
こう、モミの木はさけびました。
「わたしといっしょにいられることを、よろこびなさい。このひろびろとした場所で、おまえのわかさをたのしむがいいんだよ」
と、風とお日さまの光がいいました。
しかし、モミの木はすこしもまんぞくしませんでした。そして、つぎからつぎへと大きくなりつづけて、冬でも夏でも青々していました。こいみどりの色をして立っていました。この木を見た人たちは、みんな、
「きれいな木だなあ」
といいました。そこで、クリスマスのころになると、どの木よりもまっ先に切りたおされました。おのがからだのしんまで深《ふか》くくいこむと、モミの木は、うめき声をあげて地にたおれました。
からだがいたくていたくて、気が遠くなりそうです。しあわせなどとは思いもよりません。生まれこきょうをはなれ、じぶんのそだってきたこの場所にわかれるのが、ひどくかなしくなりました。もうこれっきり、なつかしいお友だちや、まわりの小さなやぶや花にも、あえないことを知っていたからです。たぶん小鳥にだって、これっきりあえないでしょう。旅に出かけるということは、すこしもたのしいことではありませんでした。
モミの木は、どこかの中庭について、ほかの木といっしょに車からおろされたとき、はじめてわれにかえりました。そのとき、そばで人の声がしました。
「これがいい。ほかのはいらないよ」
すると、きれいな服を着ためし使いがふたり出てきて、このモミの木を、大きいりっぱな広間へはこびこみました。まわりのかべには肖像画《しょうぞうが》がかかっていますし、ストーブのそばには、ライオンのふたのついた、大きな中国のつぼがおいてありました。ゆりいすや、きぬばりのソファや、絵本のどっさりのった大テーブルもありました。おまけに、百ターレルの百ばいもするおもちゃ――とにかく、子どもたちは、そういっていました――まで、そのテーブルにはのっていました。
モミの木は、すなをつめた大きなおけの中に立てられました。でも、それがおけだとはだれの目にも見えませんでした。なにしろ、ぐるっとみどり色のきれがかけてあるうえに、大きな美しいじゅうたんの上においてあったのですもの。モミの木は、どんなにふるえたことでしょう。
これからいったい、どんなことがおこるのでしょうか。
めし使いとおじょうさんが来て、モミの木をかざってくれました。えだごとに、色紙《いろがみ》を切りぬいてこしらえた、小さいかごをつるしました。どのかごにも、おいしいものがつまっています。つぎには、金色にぬったリンゴやクルミを、まるで木になってるみたいに、ぶらさげました。それから赤や青や白の小さいろうそくを、百本あまりも、えだの間にしっかりと立てました。
まるで生きている人間みたいなお人形が、青々したえだの間でゆれていました。モミの木はいままで、こんなものは見たこともありませんでした。それから木のいちばんてっぺんには、金紙《きんがみ》でつくった大きな星が一つ、かざられました。それこそほんとうにりっぱでした。もんくのいいようがないほど、りっぱなものでした。
「今夜はどんなにきれいに見えるでしょうね」
と、みんなはいいました。
「ああ、いまが夜ならいいんだがなあ。早くろうそくに火がつけばいいなあ。だけど、それからどうなるんだろ。森からほかの木たちが、ぼくを見に来るんだろうか。スズメがまどガラスのところへとんでくるかしら。ぼくはここにしっかりとはえていて、冬も夏も、きれいにかざられているのだろうか」
こう、モミの木は思いました。
ほんとにかしこいモミの木ではありませんか。ところが、あんまりいろいろ考えたものですから、ずきずきと、はだがいたんできました。木のはだがいたむのは、わたしたち人間にとって、頭がいたむのとおなじで、木にはとてもつらいことなんです。
やがて、ろうそくに火がともされました。なんというかがやきでしょう。なんという美しさでしょう。ところが、モミの木があまりうれしがって、えだというえだをふるわせたものですから、ろうそくの一本に葉がさわって、火がつきました。葉は、ジリジリッとやけこげました。
「あら、たいへん!」
おじょうさんたちはさけんで、いそいで火をもみけしました。
モミの木は、もう二度と身ぶるいをする気にはなれませんでした。ああ、ほんとにおそろしいことでした。それに、からだのかざりが、なにかなくなりはしないかと、それがしんぱいだったのです。モミの木は、あたりがあんまり明るいので、ぼんやりしてしまいました。
と、そのとき、両びらきのとびらがさっとひらいて、子どもたちが、どっとへやの中へとびこんできました。モミの木は、もうすこしでひっくりかえるところでした。おとなたちは、そのあとからゆっくりとはいってきました。小さな子どもたちは、じっとだまりこんで立ちつくしました。けれど、それはほんのちょっとの間で、すぐまた、わあっというよろこびの声が、あたりになりひびきました。そして、みんなで木のまわりをおどってまわりながら、一つ一つプレゼントをもぎとりました。
「この子たちは、なにをしようっていうんだろう。これからなにがおこるんだろう」
と、モミの木は考えました。そのうちに、ろうそくはだんだんみじかくなって、えだのところまでもえてきました。するとみんなは、火をふきけして、
「さあ、木についているかざりは、なんでもとっていいよ」
と、子どもたちにいいました。わあ、子どもたちがモミの木めがけてとびかかったので、えだというえだがミシミシいいました。もし、木のてっぺんと金の星とが、てんじょうにしっかりむすびつけてなかったら、きっとモミの木は、たおれてしまったことでしょう。
子どもたちは、きれいなおもちゃを持って、おどりまわりました。もうだれひとり、木のほうを見るものなどありません。ただ年とったばあやが来て、えだの間をのぞきましたが、それも、イチジクかリンゴがまだ一つぐらい、とりわすれてのこっていやしないかと、のぞいてみただけのことでした。
「お話をしてよ、お話をしてよ!」
と、子どもたちは、さけびながら、ひとりのふとった小がらの人を、モミの木のほうへひっぱってきました。その人は、木の下にこしをおろすと、いいました。
「こりゃあ、青々した森に来たような気持ちじゃ。きっとこの木も、いっしょに話が聞きたいだろうな。でも、わしは一つしか、お話はしてやらないよ。おまえたちは、イベデ=アベデの話が聞きたいかね。それとも、かいだんからころげおちたくせに、王さまの位《くらい》について、おひめさまをおよめにもらった、クルンペ=ドゥンペの話がいいかな」
「イベデ=アベデ!」とさけぶものもあれば、
「クルンペ=ドゥンペ!」とさけぶものもありました。いやはや、たいへんなさわぎです。ただモミの木だけは、だまりこんで考えていました。
「ぼくは、なかまはずれなんだろうか。ぼくにはもう、なにもすることがないのかしら」
いいえ、モミの木だってなかまだったのです。でも、じぶんの役目《やくめ》は、もうすんでしまったのでした。
ところでその人は、かいだんからころげおちたのに王さまになって、おひめさまをおよめさんにもらったクルンペ=ドゥンペの話をしました。子どもたちは大よろこびで手をたたいて、
「もっと話して、もっと話して!」とさわぎました。イベデ=アベデの話も聞きたかったのです。でもこのときは、クルンペ=ドゥンペの話しか、聞かせてもらえませんでした。
モミの木は、じっとだまりこんだまま、考えていました。森の小鳥たちも、ついぞこんな話は、してくれたことがありませんでした。
「クルンペ=ドゥンペは、かいだんからころげおちたのに、おひめさまをおよめさんにもらったんだ。うん、うん、世の中って、きっとそういうものなんだ」
こう、モミの木は考えて、この話をしてくれた人はあんなにいい人なんだから、これはたしかにほんとうのことにちがいない、と思いこんでしまいました。
「そうだ、そうだ。ぼくだって、もしかしたら、かいだんからころげおちて、おひめさまをおよめにもらうようになるかもしれないぞ」
こうしてモミの木は、あくる日も、ろうそくや、おもちゃや、金紙や、くだものをかざってもらえるものと、たのしみにしていました。
「あしたはぼく、ふるえやしないぞ。そうして、りっぱになったじぶんのすがたを、思うさまたのしむんだ。きっと、あしたもまた、クルンペ=ドゥンペのお話を聞くんだ。たぶん、イベデ=アベデのお話も聞けるんじゃないかな」
と、モミの木は心に思いました。
こうしてモミの木は一晩《ひとばん》じゅう、しずかに考えこんで立っていました。
あくる朝になると、下男《げなん》と下女《げじょ》がはいってきました。
「さあ、またかざりつけがはじまるぞ」
と、モミの木は思いました。ところがみんなは、モミの木をへやの外へひきずり出して、かいだんをあがり、とうとう、屋根うらべやへ入れてしまいました。そして、お日さまの光のちっともささない、うす暗いすみっこにおいて、いってしまったのです。
「こりゃいったい、どうしたことだ。いったい、こんなところで、ぼくになにをさせようというんだ。それに、こんなとこで、どんなお話が聞かしてもらえるんだろう」
と、モミの木は考えました。
こうしてモミの木は、かべによりかかったまま、いつまでもいつまでも考えこんでいました。
――そう、時間はいくらでもありました。だって、そうしたまま、いく日もいく晩もすぎていったのですもの。
だれもそんなとこまでは、あがってきませんでした。それでも、とうとうだれかがあがってきたと思ったら、それは、大きなはこを二つ三つ、すみっこにおくためでした。おかげでモミの木は、すっかりかくされてしまいました。たぶんみんなは、モミの木のことなんか、わすれてしまったのでしょう。
「外はいま冬なんだ。地面はかたくなって、雪がつもっているもんだから、人間は、ぼくをうえることができないんだ。だから、春になるまでぼくをここへおいて、まもってくれてるんだ。それにしても、なんて人間は考えぶかくて、しんせつなんだろう。ただ、ここがせめて、こんなに暗くもなく、こんなにさびしくもないといいんだけどなあ。なにしろ、子ウサギ一ぴきいないんだもの。
あの森の中はたのしかったなあ。雪がつもると、ウサギがとび出してきてさ。そうそう、そして、ぼくの頭の上をとびこしていったっけ。でもあのときは、ちっともそれがうれしくなかったなあ。そりゃそうと、この屋根うらはまったく、おそろしいほどさびしいや」
こう、モミの木は考えました。
ちょうどそのとき、小さいハツカネズミが二ひき、「チュー、チュー」と鳴きながら、ちょろちょろとはい出してきました。二ひきはしばらくモミの木のにおいをかいでいましたが、やがて、えだの間へはいりこみました。
「おそろしく寒いなあ。でも、ここはほんとにいいとこね。そうじゃない、お年よりのモミの木さん?」
と、小さいネズミたちはいいました。
「ぼくはちっとも年よりじゃないよ。ぼくなんかより、ずっと年をとった木が、どっさりあるんだぜ」
と、モミの木はいいました。
「あなたはどこから来たの。あなたは、どんなことを知ってるの。ねえ、世界でいちばんきれいなとこのお話をしてよ。あなたは、そういうところへ行ったことがあって? たなにはチーズがあるし、てんじょうからはハムがぶらさがっていて、あぶらろうそくの上ではダンスができて、はいっていくときはやせていても、出てくるときはふとってるような、そんなすてきなお台所《だいどころ》はないかしら」
こう、ネズミたちは聞きました。このネズミたちは、ほんとうに、聞きたがりやでした。
「そんなとこは知らないなあ。だけど、森なら知ってるよ。そこじゃ、お日さまがきらきらかがやいて、鳥が歌をうたってるんだよ」
と、モミの木はいいました。
そうしてモミの木は、じぶんの小さいときのことを、のこらず話してやりました。すると子ネズミたちは、こんな話はいままで聞いたことがないので、いっしょうけんめいに聞いていました。そして、
「まあ、あなたはずいぶん、いろんなものをごらんになったのね。なんてしあわせなんでしょう」
といいました。
「ぼくがかい。そうだ、あのころが、まったくのところ、ほんとにたのしいときだったんだなあ」
と、モミの木はいって、じぶんでじぶんの話したことを、考えてみました。
それから、おかしやろうそくでかざってもらった、あのクリスマスの晩のことを話して聞かせました。
「まあ、あなたはなんてしあわせな日をおくったんでしょう。お年よりのモミの木さん」
と、小さいネズミたちはいいました。
「ぼくは年よりじゃないったら。やっとこの冬、森から来たばかりじゃないか。ぼくはいま、いちばん元気のいい年ごろなんだぜ。ただ、すこしひょろ長くなりすぎたけどね」
と、モミの木はいいました。
「ほんとにお話がじょうずですこと!」
と、子ネズミたちはいいました。そこで、そのつぎの晩は、ほかに四ひきのお友だちをつれて、モミの木の話を聞きにやってきました。モミの木は話をすればするほど、いよいよ、なにもかもはっきりと思い出しました。そして、心の中で思うのでした。
「ほんとにあのころは、たのしかったなあ。だけど、ああいうときが、また来るかもしれない。ほんとに来るかもしれないんだ。クルンペ=ドゥンペは、かいだんからころげおちたけど、おひめさまをおよめにもらったじゃないか。ぼくだって、もしかしたら、おひめさまをもらえるかもしれないぞ」
そうしてモミの木は、あの森の中にはえていた、小さいかわいらしいシラカバの木を思い出すのでした。モミの木にとって、そのシラカバの木は、ほんとうに美しいおひめさまのようなものだったのです。
「クルンペ=ドゥンペって、だれのこと」
と、小さいネズミはたずねました。そこでモミの木は、すっかりその話をしてやりました。ひとつひとつのことばまで、はっきりと思い出すことができました。
それを聞くと子ネズミたちはうれしがって、もうすこしでモミの木のてっぺんまでとびあがるところでした。そこでつぎの晩は、もっとおおぜいのネズミが出てきました。そして日曜日には、二ひきのどぶネズミまでやってきました。
ところが、どぶネズミたちは、そんな話はちっともおもしろくないというのです。それを聞くと、小さいハツカネズミたちまでが、かなしくなりました。そのお話が、もう前ほどおもしろいとは思えなくなったからです。
「あんたは、その話一つしかできないのかね」と、どぶネズミが聞きました。
「これ一つだけさ。これは、ぼくがいちばんしあわせだった晩に、聞いた話なんですよ。でもそのころは、じぶんがどんなにしあわせか、ぼくは知らなかったんです」
と、モミの木はこたえました。
「なんてばかげた話だ。あんたは、べーコンとか、あぶらろうそくとかいったものの話は、一つも知らないのかね。台所の話やなんかさ」
「知らないね」と、モミの木はいいました。
「なあんだ。じゃあ、しっけい」
どぶネズミたちはこういって、さっさと、じぶんたちのなかまのところへ、ひきあげていってしまいました。
そのうちに、小さいハツカネズミたちも、とうとう来なくなってしまいました。モミの木は、ためいきをついていいました。
「あのちょろちょろする小さいネズミたちが、ぼくのまわりにすわって、ぼくの話を聞いてくれたときは、ほんとにたのしかったなあ。でも、それも、もうおしまいになってしまった。だけど、こんどぼくがここから出されたら、きっとたのしく思い出すだろうな」
ところで、いつ、その日が来たでしょうか。
そうです。ある朝のことでした。人々がどやどやとあがってきて、屋根うらの中をかきまわしはじめました。とうとうはこをどけて、モミの木をひっぱり出しました。モミの木は、すこし手あらくゆかの上に投げ出されましたが、じきに下男が、お日さまのてっているかいだんのほうへひきずっていきました。
「さあ、いよいよぼくの人生が、はじまるんだ」
と、モミの木は考えました。すがすがしい空気と、お日さまの光をからだに感じながら。
もう庭に出ていたのです。なにもかも、すっかりかわっていました。モミの木は、じぶんのようすを見ることはおるすにして、まわりのものにうっとりと見とれました。この中庭のとなりは花園《はなぞの》になっていて、いろんな花がさきみだれていました。バラの花は、ひくいかきねの上にたれさがって、すがすがしいにおいをはなっているし、ボダイジュの花も、いまがさかりでした。ツバメがあたりをとびまわって
「ピーチク、ピーチク。わたしの春が来ましたわ!」
とうたっていました。けれど、それはモミの木のことではありませんでした。
「さあ、これからぼくは生きるんだ」
モミの木はうれしそうにさけんで、えだをうんとひろげてみました。ところが、ああ、なんということでしょう! えだはみんなかれて、黄色くなっているではありませんか。おまけに、庭のすみの雑草《ざっそう》やイラクサのはえている中に、ころがされているのでした。でも、金紙でつくった星がまだてっぺんについて、明るいお日さまの光をうけてきらきらとかがやいていました。
中庭では、子どもたちが二、三人、元気にあそんでいました。それは、クリスマスのときに、モミの木のまわりでおどって、あんなによろこんでいた子どもたちでした。その中の小さな子が走ってきて、金の星をむしりとりました。
「ほら、こんなきたない、古ぼけたクリスマス=ツリーに、まだこんなものがついていたよ」
こういいながら、その子はえだをふみつけましたので、くつの下で、えだがポキポキ折《お》れました。
モミの木は、花園にさきみだれている美しい花をながめました。それから、じぶんのすがたをふりかえってみて、いっそのこと、あの屋根うらの、うす暗いすみっこにいたほうがよかったと思いました。そうして、森の中ですごしたわかかったころのこと、たのしかったクリスマスの晩のこと、クルンペ=ドゥンペの話をあんなによろこんで聞いたネズミたちのことを、つぎつぎに思い出しました。
「おしまいだ、おしまいだ。たのしめるときに、たのしんでおけばよかったなあ。もうおしまいだ、おしまいだ」と、かわいそうなモミの木はいいました。
そのとき、下男がやってきて、モミの木を小さく切りました。こうして、まきのたばになったのです。やがてモミの木は、お酒をつくるかまの下で、まっかにもえあがりました。
モミの木が深いためいきをつくたびに、バチッ、バチッと、小さくはじける音がしました。それを聞きつけると、あそんでいた子どもたちがかけてきて、火の前にすわりました。そして、中をのぞきこんでは、
「ピーフ、パフ!」
とさけびました。でもモミの木は、パチパチはぜるたびに、深いためいきをついては、森の中の夏の日のことや、きらきらお星さまのかがやく冬の夜のことを思い出しました。それから、クリスマスの晩のことや、その晩に聞いて、じぶんでも話すことができたただ一つのお話、クルンペ=ドゥンペのことを思いうかべるのでした。――そうこうしているうちに、モミの木はすっかりもえきってしまいました。
子どもたちは、また、中庭であそびました。見ると、いちばん小さい男の子が、むねに金の星をつけています。それは、モミの木がいちばんしあわせだったあの晩に、つけてもらったものでした。でも、いまはそれもおしまいです。モミの木も、もうおしまいでした。それといっしょに、このお話も、ね、おしまい。どんなお話でも、みんなこうしておわってしまうのですよ。
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雪の女王
――七つのお話からできている物語
第一話 かがみとかがみのかけらのこと
さあ、いいですか、はじめますよ。
このお話のおわりまでいくと、わたしたちはいまよりも、もっといろいろなことを知るようになります。というのは、これはわるいトロール(北欧《ほくおう》のむかし話によく出てくるまもの、山男《やまおとこ》のようなもの)のお話だからです。しかもトロールの中でもいちばんわるいやつ、つまり「あくま」のお話ですからね。
ある日のこと、あくまは、ひどくいいごきげんになっていました。というのは、このあくまは、まったくふしぎな力をもつかがみをつくったからでした。
このかがみには、よいものや、美しいものがうつると、たちまちそれが、まるっきりつまらないものになってしまうのです。ところがそのはんたいに、役《やく》にたたないものとか、みにくいものなどは、はっきりと大きくうつって、なおさらひどく見えるのでした。このうえもない美しいけしきでも、このかがみにうつったがさいご、まるで、につめたホウレンソウみたいになってしまうし、どんなによい人間でも、みにくく見えてしまうか、さもなければ、胴《どう》がなくなって、さかさまにうつってしまいます。顔はすっかりゆがんでしまって、だれの顔だか見わけもつきません。そのかわり、そばかすが一つあっても、それが鼻や口の上までひろがって、はっきりと見えてくるのです。
「こいつはおもしろいぞ!」
と、あくまはいいました。
たとえば、なにか信心《しんじん》ぶかい、よい考えが人の心の中におこってきますと、かがみの中には、しかめっつらがあらわれてくるのですから。あくまは、じぶんのすばらしい発明に、思わずふき出してしまいました。
さて、このあくまはトロールの学校の校長をしていましたので、この学校にかよっている生徒たちは、みんな、これこそきせきがおこったのだといいふらしました。そしていまこそはじめて、この世界と人間との、ほんとうのすがたが見られるのだ、と口々にいいました。
こうして、みんなでそのかがみをさかんに持ち歩いたものですから、とうとうしまいには、まだこのかがみに、ゆがんでうつったことのない国や人間というものは、どこにもなくなってしまいました。
そこでこんどは、天までのぼっていって、天使や神さまをからかってやろうということになりました。
こうして、みんなでかがみを持ってのぼっていきますと、高くのぼればのぼるほど、かがみの中にうつるしかめっつらは、いよいよひどくなって、もうかがみを持っていることもできないほどになりました。
それでもかまわず、みんなはぐんぐんのぼっていって、いよいよ、神さまと天使のところに近づきました。
が、そのときかがみは、しかめっつらをしながら、おそろしくふるえだしました。そのため、とうとうみんなの手からはなれて、まっさかさまに地におちて、何千万、何億万《なんおくまん》、いやいや、もっとたくさんの、こまかいかけらにくだけてしまったのです。
そこで、いままでよりももっと大きな不幸を、世界にまきちらすことになりました。なにしろ、かけらの中には、やっとおさとうのつぶくらいの大きさしかないのもありましたが、そういうかけらが世界じゅうにとびちって、人間の目にはいり、そこにくっついてしまったからです。
こうなると、その人の目は、なにもかも、あべこべに見えたり、もののわるいところばかり見えるようになりました。どんなに小さなかがみのかけらでも、かがみぜんたいとおなじ力をもっていたからです。
人によっては、小さいかがみのかけらを、心《しん》ぞうにうけてしまった人さえありました。そうなると、ほんとうにおそろしいことでした。その人の心が、氷のかたまりのようになってしまうのです。
またかがみのかけらの中には、大きいために、まどガラスにつかわれたのもありました。ところで、このガラスまどから友だちを見たりすると、とんだことになりました。
それから、めがねになったかけらもありました。けれど、このめがねをかけて、ものを正しく見たり、きちんとふるまったりしようとしたら、とんでもないことでした。
これを見てあくまは、おなかをよじってわらいころげました。そしてゆかいでゆかいでたまりませんでした。
まだまだ、この小さいガラスのかけらは、空中《くうちゅう》をまっているのです、さあ、どんなことがおこるか、つぎのお話を聞いてみましょう。
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第二話 男の子と女の子
大きな町にはたくさんの家があって、おおぜいの人が住んでいます。ですから、みんなの人が、じぶんの庭をもつだけの場所がありません。そのため、たいていの人たちは、植木ばちに花をうえて、それでまんぞくしなければならないのです。
さて、そういう大きな町に、ふたりのまずしい子どもがいて、植木ばちよりもいくぶん大きい庭をもっていました。このふたりはきょうだいではありませんが、まるで、ほんとのきょうだいのように、なかがよかったのです。
ふたりの両親《りょうしん》は、となりあわせに住んでいました。どちらも、住んでいるのは屋根うらでしたが、両方の家の屋根がくっついて、雨《あま》どいが両方の家ののきをつたっていました。そして、両方の屋根うらべやには、小さなまどがむかいあってついていましたから、といを一《ひと》またぎしさえすれば、いっぽうのまどから、おむかいのまどへ行くことができました。
どちらの両親も、まどの外に大きな木のはこをおいて、そこにふだんつかうやさいや、小さいバラの木などをうえていました。どちらのはこにも、バラはたった一かぶでしたけれど、どちらもみごとにしげっていました。そして、このはこは、おたがいにといをまたいでおいてありましたので、はこの両はしは、もうすこしで、こちらのまどとむこうのまどにとどきそうになって、まるでいきいきした二つの花のかべのように見えました。
エンドウまめのつるは、はこの外へたれさがり、バラの木は長いえだを出して、まどのまわりにからみつき、おたがいにおじぎをしあって、そのありさまは、まるでみどりの葉と花でできたがいせん門のようでした。
はこはずいぶんせいが高かったし、それに子どもたちも、その上にはいあがってはいけないということは、よく知っていました。そこで、ふたりは、ときどき、おかあさんのおゆるしをいただいて屋根の上に出て、バラのしげみの下においてある小さないすにこしかけて、たのしくあそびました。
冬になると、こういうたのしみもなくなってしまいます。まどガラスは、よくこおりついてしまいました。でも、そんなときには、子どもたちは銅貨《どうか》をストーブであたためて、あつくなった銅貨を、こおりついたまどガラスにおしあてました。
そうすると、そこに、とてもまんまるい、きれいなのぞきあなができました。そして、両方のまどののぞきあなからは、ほんとにかわいいやさしい目が、一つずつのぞいていました。小さい男の子の目と、女の子の目です。男の子はカイ、女の子はゲルダといいました。
夏の間は、ふたりは一またぎで行ったり来たりすることができましたのに、冬になると、たくさんのかいだんをおりて、それからまた、たくさんかいだんをあがっていかなければなりません。
外では雪がふりしきっていました。
「あれは、白いミツバチがむらがっているんだよ」と、年とったおばあさんがいいました。
「あの中に、ミツバチの女王もいる?」と、小さい男の子が聞きました。
この子は、ほんとうのミツバチのむれの中には女王がいることを、ちゃんと知っていたのです。
「いるともさ。女王はね、ミツバチがいちばんぎっしりかたまってるところに、とんでいるんだよ。女王はみんなの中でいちばん大きくて、ちっとも地面《じめん》の上にはじっとしていないんだよ。黒い雲のほうへ、すぐまたとんでいってしまうの。冬の夜には、女王はよく町の通りをとびまわって、まどからのぞきこむんだよ。そうするとふしぎなことに、まどガラスがこおりついて、まるで花をくっつけたようになるのさ」
と、おばあさんはいいました。
「うん、ぼく、見たことあるよ」
「あたしもよ」
と、ふたりの子どもはいいました。そして、ふたりとも、それがほんとうのことだということを知っていました。
「雪の女王は、うちの中へもはいってくるかしら」と、小さい女の子がたずねました。
「はいってきたっていいさ。そしたら、ぼく、あついストーブの上にのせてやるから。そうすりゃ、とけちまうもの」と、男の子はいいました。
しかし、おばあさんは男の子のかみの毛をなでながら、ほかの話をしてやりました。
夜になって、カイは、へやの中で服をぬいでいました。そして、ぬぎかけでまどぎわのいすの上によじのぼって、小さなのぞきあなから外をのぞいてみました。外には雪がひらひらとまっていて、その中でいちばん大きいのが、花のはこのふちにのっかりました。
と、その雪はみるみる大きくなって、とうとう女の人のすがたになりました。
その人の着ている服は、とてもうすい、まっ白なきぬでできていました。なんだか、星のようにきらきらする雪を、何百万もあつめてつくったように見えました。
その人は、とてもきれいな上品《じょうひん》な人でした。でも、からだは氷――まぶしいほどきらきらする氷でできていたのです。それでも、その人は生きていました。
目は、明るい二つの星のようにかがやいていましたが、その目には、おちつきとか、やすらかさというものはありませんでした。その女の人が、まどのほうにむかってうなずきながら、手まねきをしました。
男の子はこわくなって、いすからとびおりました。なんだかそのとき、まどの外を、一わの大きな鳥がとび去ったような気がしました。
あくる日は、雪晴《ゆきば》れのいいお天気になりました。――それから雪がとけはじめ、やがて春になりました。
お日さまはきらきらとかがやき、みどりの草が顔をのぞかせ、ツバメは巣をつくりました。まどはあけはなされ、小さな子どもたちは、またもやかいだんをのぼっていって、高い屋根の上の小さい庭にすわってあそぶようになりました。
バラの花は、この夏はとびきり美しくさきました。
小さな女の子は、賛美歌《さんびか》を一つおぼえました。その歌の中には、バラの花も出てきました。そこで、歌の中にバラの花が出てくるたびに、女の子はじぶんの花のことを思い出して、男の子にうたって聞かせました。
すると、男の子もいっしょにうたいました。
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バラの花 かおる谷間《たにま》に
あおぎまつる おさな子《ご》エスさま
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それから、子どもたちは手をつなぎあって、バラの花にキスしました。そうして、神さまの明るいお日さまの光をあおいで、まるでそこに、おさな子のイエスさまがいらっしゃるように話しかけるのでした。
なんという美しい夏の日でしたろう。家の外に出て、みずみずしいバラの木のそばにいるのは、ほんとうにいい気持ちでした。
バラの花は、いつまでもいつまでも、さきつづけそうに見えました。
カイとゲルダはそこにすわって、動物《どうぶつ》や鳥をかいた絵本を見ていました。
そのときです。――教会《きょうかい》の大きな塔《とう》のとけいが、ちょうど五時をうちましたが――カイがこういいました。
「あっ、むねのとこがなんだか、ちくりとした。なにか目の中にはいったらしい」
小さな女の子は、男の子の首をだきました。男の子は目をぱちくりしました。けれど、なんにも見つかりませんでした。
「もう出てしまったんだろ」と、男の子はいいました。
でも、出てしまったのではありませんでした。それはあのかがみ、ほら、あのあくまのかがみからとび散《ち》った、小さなかけらの一つがとびこんだのです。
みんな、まだよくおぼえていますね。
あのわるいかがみにはふしぎな力があって、大きなものや、美しいものがうつるとみんな小さく、みにくくなってしまうのに、わるいものや、いやなものは、はっきりと大きくうつって、もののわるいところばかりが、すぐと目につくのでしたね。
かわいそうにカイの心ぞうには、こうして、そのかけらが一つはいったのでした。カイの心は、まもなく氷のかたまりのようになるでしょう。いまでは、もういたみはしませんでしたけれど、かけらはまだはいっていたのです。
「どうしておまえはなくの。なんてみっともない顔をしてるんだ。ぼくはもう、なんともないんだぜ。ちえっ」と、カイはいいました。
それからまた、すぐにさけびました。
「このバラは虫にくわれてらあ。それからさ、あっちのはあんなにねじれてるよ。まったくきたならしいバラの花だなあ。うえてあるはこもおんなじだ」
こういうと、足ではこをひどくけとばして、バラの花を二つもちぎってしまいました。
「カイちゃん、なにをするのよ!」
と、女の子はさけびました。カイはゲルダがびっくりしているのを見ると、さらにもう一つ花をむしっておいて、なかよしのゲルダをうっちゃらかしたまま、まどからじぶんの家へとびこんでしまいました。
それからというものは、ゲルダが絵本を持っていきますと、そんなのは赤んぼうの見るものだ、と、カイはいいました。また、おばあさんがお話をしますと、ひっきりなしに、
「だって、だって」といっては、口をはさみました。
しまいには、すきを見つけておばあさんのうしろへまわっては、めがねをかけて、おばあさんの口まねをするのです。しかも、それがとってもよくにていますので、みんなは大わらいをしました。
まもなくカイは、近所じゅうの人たちの話しぶりや、歩きかたを、まねできるようになりました。みんなのくせとか、よくないところを、とてもじょうずにまねするのです。それを見て人々は、
「あの子は、頭がいいよ」
なんていいましたが、なに、それは、目からはいって心ぞうにつきささっているガラスのせいだったのです。
そんなわけで、カイととてもなかがよかった小さなゲルダさえ、いじめるようになりました。
あそびかたも、これまでとはすっかりちがってしまいました。とてもりこうぶったものになったのです。
――雪のふっている、ある冬の日のことでした。カイは大きなレンズを持って出てくると、じぶんの青いうわ着のすそをひろげて、雪をうけとめました。
「ゲルダちゃん、このレンズをのぞいてごらん」と、カイはいいました。
のぞいてみると、雪の一《ひと》ひら一ひらがとても大きくなって、美しい花か、六|角形《かっけい》の星のように見えました。それは、ほんとうにみごとなものでした。
「ほら、とってもみごとにできてるだろ?」
と、カイはいいました。
「ほんとの花よりずっとおもしろいじゃないか。すみからすみまできちんとしていて、わるいとこなんか一つもないんだからね。ただ、これがとけさえしなけりゃなあ」
ところが、それからすこしたつと、カイは大きな手ぶくろをはめ、そりをかたにかついで出てきて、いきなりゲルダの耳もとでどなったのです。
「ぼくは、みんなのあそんでいる広場で、そりに乗ってもいいっていわれたんだからね」
こういって、さっさと行ってしまいました。
広場では、元気のいい子どもたちが、ときどき、じぶんたちのそりを、お百姓の車にむすびつけて、ずいぶん遠くまでいっしょに走っていきました。そうすると、おもしろいほどよく走るのです。
こうして、みんながいかにもたのしそうにあそんでいるところへ、大きなそりが一台やってきました。そのそりはまっ白にぬってあって、中には、白い毛がわのぼうしをかぶった人が、白い毛がわにくるまってすわっていました。このそりは、広場を二かいぐるぐるまわりました。
カイがすばやく、じぶんの小さなそりをそれにしっかりとむすびつけると、じぶんのもいっしょに走りだしました。そりはいよいよ早く走って、みるみるとなりの通りへはいりました。そのとき、そりを走らせていた人がふりかえって、もう前から知りあってでもいるみたいに、親しそうにカイにうなずいて見せました。カイはいそいで、じぶんの小さなそりをほどこうとしました。しかし、その人がうなずいてみせるので、ついカイは、またそのまますわってしまいました。
まもなくふたりは、町の門を通りぬけました。
雪はますますはげしくふってきて、目の前に手をかざしてみても、その手ももう見えませんでした。その間にも、そりはどんどん走りつづけていました。
そこでカイは、いそいでひもをほどいて、大きなそりからはなれようとしましたが、だめでした。じぶんの小さなそりは、大きいそりにしっかりとむすびつけられていて、しかも、二つのそりは、風のように早く走っていくのです。
カイは大きな声でさけびました。でも、だれの耳にもはいりませんでした。
そりは、はげしくふきまくる雪の中を矢のようにとんでいきます。ときどきそりは、みぞやいけがきでもとびこすように、ガタンとはねあがりました。カイはこわくてたまらなくなって、「主《しゅ》のいのり」をとなえようとしました。ところが、どうしても九九の表《ひょう》しか思い出すことができません。
雪のつぶはいよいよ大きくなって、とうとう大きな白いおんどりくらいになりました。そのとき、いきなり、その雪のまくが、さっと両がわにひらいたかと思うと、大きなそりがとまって、そりを走らせていた人が立ちあがりました。見ると毛がわもぼうしも雪でできていました。その人は、すらりとした、背の高い女の人で、まぶしいほどにまっ白でした。雪の女王だったのです。
「ずいぶん遠くまで来たのよ」
と、雪の女王はいいました。
「おやおや、ふるえているのね。わたしの白クマの毛がわの中におはいり」
女王はこういうと、カイをじぶんの大きなそりに乗せて、そばにすわらせ、毛がわをかけてやりました。それはまるで、雪のふきだまりの中にずんぶりしずんだような気持ちでした。
「おまえ、まだ寒いの?」
と、雪の女王はいって、カイのひたいにキスしました。
あっ、なんというつめたさ。氷よりももっとつめたいのです。そのつめたさが、もう氷のかたまりになりかけているカイの心の中までしみこみました。カイは、いまにも死にそうな気がしました。――けれど、それはほんの一|瞬間《しゅんかん》のことで、じきに気持ちよくなりました。カイはもう、つめたさというものを感じなくなったのです。
「ぼくのそり、ぼくのそりをわすれないでね」
カイはそりのことを、いちばん先に思い出したのです。そこで、そりは白いおんどりの一わにゆわえつけられました。おんどりはそりをせなかにのせて、カイたちのあとからとんできました。
雪の女王は、カイにもう一度キスしました。するとカイは、小さなゲルダのことも、おばあさんのことも、うちのことも、みんなきれいにわすれてしまいました。
「もうキスはしてあげないよ。こんどわたしがキスしたら、おまえは死んでしまうからね」
と、雪の女王はいいました。
カイは雪の女王をながめました。なんという美しさでしょう。これ以上かしこそうな、上品な顔は、考えることもできませんでした。このすがたを見ては、いつか、まどの外からじぶんを手まねきした女の人のように、氷でできているとは、とても思えませんでした。
カイの目には、女王はどこも欠点のない美しい人に見えて、すこしもこわくはありませんでした。そこで女王に、じぶんは暗算《あんざん》ができること、それも分数の暗算までできることを話したり、この国の広さがいく平方キロメートルだとか、人口はどのくらいだとか話しました。
女王はしょっちゅう、にこにこして聞いていました。けれどもカイは、じぶんの知っていることはまだまだじゅうぶんではないような気がして、ふと、広い広い大空を見あげました。すると、じぶんは女王につれられて、空高く、黒い雲の上をとんでいるのでした。あらしがすさまじい音をたててふきまくって、まるでむかしの歌でもうたっているようでした。
ふたりは森をこえ、湖をこえ、海をこえ、陸をこえてとんでいきました。
はるか下のほうでは、寒い風がピューピューふいて、オオカミがほえ、雪がきらきら光っている上を、黒いカラスがカー、カー鳴きながらとんでいきました。でも、上のほうを見ると、お月さまが、大きく明るくかがやいていました。そうしてカイは、長い長い冬の夜じゅう、そのお月さまをながめ、そして、昼の間は、雪の女王の足もとでねむったのです。
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第三話 まほう使いのおばあさんの花園《はなぞの》
ところで、カイがいなくなってから、小さなゲルダはどうしたでしょうか。それにしても、カイはどこへ行ってしまったのでしょう。――知っている人はひとりもいませんでした。だれも教えてくれる人もありませんでした。
子どもたちの話からわかったのは、カイがじぶんの小さなそりを、りっぱな大ぞりにむすびつけて、通りを走りぬけて町の門から出ていくのを見た、ということでした。だれひとりとして、カイがどこに行ったのか知りませんでした。
みんなは、なみだを流してかなしみました。ことに小さなゲルダは、いつまでもひどくないていました。
――それでカイは、町のすぐそばを流れている川におちて、死んだのだろうということになりました。ああ、ほんとうに長い、暗い冬の日々でした。
やがて、あたたかいお日さまといっしょに春がやってきました。
「カイちゃんは死んで、どこかへ行ってしまったのよ」
と、小さいゲルダがいうと、
「わたしはそうは思わないね」
と、お日さまの光はいいました。
「カイちゃんは死んで、どこかへ行ってしまったのよ」
と、ゲルダはツバメにいいました。
「ぼくはそうは思いませんよ」
と、ツバメもこたえました。
みんながこういうので、小さいゲルダも、しまいにはそう思うようになりました。
「あたし、あたらしい赤いくつをはくのよ」
と、ある朝、ゲルダはいいました。
「あのくつは、カイちゃんもまだ見たことがなかったわ。あれをはいて川へ行って、カイちゃんのことを聞いてみましょう」
夜はまだあけたばかりでした。
ゲルダは、まだねむっているおばあさんにキスすると、赤いくつをはいて、たったひとりで町の門《もん》を出て、川へ行きました。そして、こういいました。
「あなたが、あたしのなかよしをとってしまったっていうのは、ほんとなの? あなたが、もしカイちゃんをかえしてくれれば、この赤いくつをあげてよ」
すると、ふしぎなことに、なんだか、波がうなずいたような気がしました。そこでゲルダは、じぶんのだいじなだいじな赤いくつをぬいで、両方とも川の中へ投げこんでやりました。でも、くつは岸のすぐそばにおちたものですから、小さい波が、すぐまたそのくつを岸におしもどしました。まるで、ゲルダのいちばんだいじなものをとってしまっては、かわいそうだと考えているみたいに。だって、川はカイをとりはしなかったのですものね。
しかしゲルダは、くつを遠くまで投げなかったからだと思いました。そこで、アシの間にあったボートによじのぼると、そのいちばん先まで行って、そこからくつを投げこみました。ところが、このボートはしっかりつないでなかったものですから、ボートの中でゲルダが動いたはずみに、ボートはするすると岸をはなれました。ゲルダはそれに気がつくと、いそいで岸にあがろうとして、ボートのこっちのはしまでひきかえしました。でも、そのときにはもう、ボートは一メートル近くも岸からはなれていて、なおも、どんどん流れ出していたのです。
小さいゲルダはびっくりぎょうてんして、わっとなきだしました。けれど、スズメのほかにはそれを聞いたものはありませんでした。かといって、スズメではゲルダを岸につれもどすことはできません。スズメはただゲルダをなぐさめるように、岸にそってとびながら、
「わたしたちはここよ。わたしたちはここよ」とさえずるだけでした。
ボートは流れのままにくだっていきます。
小さいゲルダは、くつしたはだしのまま、じっとボートの中にすわっていました。小さい赤いくつは、そのあとを追って流れてきました。けれども、ボートのほうが早いために、追いつくことができません。流れの両岸《りょうぎし》は美しく、きれいな花や、年とった木々や、ヒツジやウシのいるおかが目にうつりました。でも、人間はひとりも見えませんでした。
「もしかしたら、この川が、あたしをカイちゃんのところへつれてってくれるかもしれないわ」
こう、ゲルダは思いました。そう思うと元気が出てきて、ゲルダはボートの中に立ちあがると、青々した美しい両岸を何時間もながめていました。
そのうちに、大きなサクラの花園へさしかかりました。そこには、まどをきれいな赤と青の色にぬった小さな家が一けん立っていました。屋根はわらでふいてあって、入り口には、木の兵隊《へいたい》さんがふたり立っていました。そして、ボートで通りすぎる人にささげつつをしました。
ゲルダは、その兵隊さんたちが生きているものと思って、よびかけました。でも、兵隊さんたちは、もちろん返事をしませんでした。そのうちに、川の流れがどんどんボートを岸に近づけて、ボートは岸のすぐそばまで来ました。
ゲルダは、もっと大きな声を出してもう一度よんでみました。そうすると、家の中から、それはそれは年をとったおばあさんが、まつ葉づえにすがって出てきました。おばあさんは、とてもきれいな花の絵をかいた、大きな日よけぼうしをかぶっていました。
「おやまあ、かわいそうに。こんなに大きな、流れのはげしい川を、よくまあ、こんな遠くまで来たもんだ」
こういって、おばあさんは、水の中までザブザブはいってくると、つえをボートにひっかけて岸にひきよせ、小さいゲルダをボートから出してくれました。
ゲルダは土の上にあがれたのはうれしかったのですが、この見なれないおばあさんは、すこしきみわるく思いました。
「さあ、おいで。おまえはどこの子だね。いったい、どうやってここまで来たんだね。わたしに話してごらん」
そこでゲルダは、おばあさんに、いままでのことをすっかり話しました。おばあさんは首をふりながら、
「ふん、ふん」
といって聞いていました。ゲルダはのこらず話してしまうと、おばあさんはカイちゃんを見かけませんでしたか、と聞いてみました。するとおばあさんはいいました。
「そんな子は、まだここを通らないね。でも、いまにきっと来るだろう。まあ、そんなにかなしんでばかりいないで、うちのサクランボをたべたり、花でも見たりしていなさい。ここの花は、どんな絵本よりもきれいだし、一つ一つが、お話をすることもできるんだよ」
そういって、おばあさんはゲルダの手をとると、小さい家の中にはいって、戸をしめました。
まどはずっと高いところにあって、赤と青と黄色のガラスがはまっていました。ですから、お日さまの光がさすと、へやの中は、いろんなふしぎな光でいっぱいになりました。テーブルの上には、いかにもおいしそうなサクランボがのっていました。ゲルダは、いくらたべてもいいよといわれたものですから、すきなだけたべました。
こうしてゲルダがたべている間に、おばあさんは、金のくしでゲルダのかみをすいてくれました。すると、かみの毛は、それはそれは美しい金色に光りながら、まるでバラの花のような、まるまるとしてかわいらしいゲルダの小さい顔のまわりに波うちました。
「わたしはね、ちょうどおまえのようなかわいい女の子が、ほしくてならなかったんだよ。きっとわたしたちは、なかよくやっていけると思うがね」
こういって、おばあさんがゲルダのかみをとかしていくにつれて、ゲルダはだんだん、なかよしのカイのことをわすれていきました。
それもそのはず、このおばあさんはまほうをかけることができたのです。といってもおばあさんは、わるいまほう使いではありませんでした。ただ、じぶんのなぐさめのために、ちっとばかりまほうを使うだけで、いまも、ゲルダをじぶんのそばにおいておきたくなっただけなのです。それからおばあさんは、庭へ出ていって、まつ葉づえを、さきみだれているバラの木のほうへつき出しました。
すると、あんなにもきれいにさいていたバラの花が、たちまち黒い土の中へきえうせて、いままで、バラがどこにあったのか、だれにもわからなくなってしまいました。おばあさんとしては、ゲルダがバラの花を見たら、じぶんの家のバラの花や、小さなカイのことを思い出して、にげていきはしないかと、それがしんぱいだったのです。
それからおばあさんは、ゲルダを花園へつれていきました。――まあ、そのかおりのよいこと、きれいなこと。あらゆる花という花、それも、四季《しき》の花がそろって、いまをさかりとさきほこっているのです。どんな絵本だって、これほど色あざやかで美しいことはないでしょう。
ゲルダはうれしさのあまり、とびあがりました。そして、お日さまが、高いサクランボの木のうしろにしずんでしまうまで、むちゅうになってあそびました。それからきれいなベッドの中へはいって、青いスミレの花をつめた、赤いきぬのかけぶとんをかけてねむりました。そうして、おひめさまがじぶんのご婚礼《こんれい》の日に見るような、すてきなゆめを見ました。
あくる日もゲルダは、あたたかいお日さまの光をあびて、花といっしょにあそびました。こうして、いく日もいく日もすぎました。ゲルダは、いまではどんな花でも知っていました。でも、どんなにたくさんの花がその庭にあっても、なんだか、一つたりないような気がしてなりません。けれど、それがなんの花であるかは、どうしてもわかりませんでした。
さて、ある日のこと、ゲルダはこしをおろして、花の絵のかいてある、おばあさんの日よけぼうしをながめていました。すると、その絵の中でいちばんきれいなのは、バラの花ではありませんか。おばあさんは、庭のバラの花は、のこらず地面の中にかくしてしまいましたが、ぼうしにかいてあるバラの花だけは、けすのをわすれていたのです。こうしたことは、ちょっとうっかりすると、よくあるものですね。
「あら、ここにはバラの花がないのかしら」
ゲルダはこういって花園の中へとび出していって、いっしょうけんめいさがしましたけれど、いくらさがしても、一つも見つかりません。ゲルダはとうとう、そこにすわりこんでなきだしました。すると、ゲルダのあついなみだが、ちょうど一本のバラの木がうずまっている地面の上にこぼれました。
と、あたたかいなみだで土がうるおったものですから、たちまちバラの木が、いきおいよく芽を出して、地の中にしずむ前とおなじように、それはそれはきれいな花をさかせました。ゲルダはそれをだきしめて、バラの花にキスしました。すると、そのとたんに、じぶんの家にある美しいバラの花のことと、それといっしょに、カイちゃんのことを思い出したのです。
「まあ、あたしったら、どうしてこんなにばかになってしまったんでしょう? カイちゃんをさがさなければならなかったのに。――あなたたち、カイちゃんがどこにいるか知らない? カイちゃんは死んで、どこかへ行ってしまったのかしら」
と、ゲルダはバラの花にたずねました。
「死んではいませんよ。わたしたちは、いままで地の下にいたんです。そこには死んだ人がみんないるんだけど、カイちゃんはいませんでしたわ」
と、バラの花はいいました。
「ありがとう」
と、小さいゲルダはいいました。
それから、こんどはほかの花のところへ行って、花びらの中をのぞきこんでたずねました。
けれども、どの花もお日さまの光をあびて、うつらうつらと、じぶんのおとぎ話や、ほんとうの話をゆめに見ていました。そうして、小さいゲルダにそういうお話をどっさり聞かしてくれましたけれど、そのくせ、カイのことを知っている花は、一つだってありませんでした。
それでは、オニユリはなんといったでしょうか。
「ドン、ドンというたいこの音が聞こえるだろ。音はただ、この二つだけなんだ。いつでも、ドン、ドンとね。女たちのおとむらいの歌を聞いてごらん。ぼうさんたちのさけび声を聞いてごらん。
――インド人の女が、長いまっかな着物を着て、火《か》そうのまきの上に立っているよ。その女と死んだ夫をつつんで、ほのおがもえあがるんだ。ところが、そのインドの女は、そこにあつまっている人たちの中の、ひとりの男のことを心で思っているのさ。その男の目は、ほのおよりもあつくもえ、その男の目のかがやきは、ほのおよりももっと強く女の心をつらぬくんだ。でも、女のからだはもうすぐほのおにやきつくされて、はいになってしまう。ところで、心のほのおも、火そうのほのおの中で死んでしまうものだろうか」
「そんなこと、あたしにはわからないわ」
と、小さいゲルダはいいました。
「これがわたしのお話ですよ」
と、オニユリはいいました。
ヒルガオはなんといったでしょうか。
「けわしい山道の上へつき出るようにして、むかしの騎士《きし》のお城がそびえています。しげったキヅタが古びた赤いかべをつたって、葉を一まい一まいとかさねながら、高いテラスのところまではいのぼっています。そのテラスには、ひとりの美しいおひめさまが立っています。おひめさまが、手すりからからだをのり出して、下の道を見おろしています。
バラの木に、みずみずしくさいているどの花も、このひめほどきよらかではありません。風にはこばれてくるリンゴの花も、このひめのようにかろやかではありません。美しいきぬの着物がサラサラと音をたてています。それでも、このひめのまっている人は、来ないのでしょうか」
「それ、カイちゃんのこと?」
と、小さいゲルダはたずねました。
「わたしはね、ただ、おとぎ話を話してるだけなの。わたしのゆめをね」
と、ヒルガオはこたえました。
小さいマツユキソウは、なんといったでしょうか。
「木と木の間に、長い板がひもでつるしてあるの。ぶらんこなのよ。かわいらしい女の子がふたり、ぶらんこしているわ。――服は、雪のようにまっ白で、ぼうしには、みどり色の長いきぬのリボンがひらひらしていてよ。――ふたりのにいさんがぶらんこの上に立って、うでをひもにまきつけて、からだをささえているわ。だって、かたほうの手には小さなおさらを持ち、もういっぽうの手にはねんどのパイプを持っているんですもの。にいさんはシャボン玉をふいてるのよ。ぶらんこがゆれると、シャボン玉はいろんなきれいな色になってとんでいくの。いちばんおしまいのシャボン玉は、まだパイプの先にぶらさがって、風にゆれてるわ。またぶらんこが動いてよ。シャボン玉みたいにかるそうな黒い子イヌが、あと足で立ちあがって、じぶんもいっしょに、ぶらんこに乗ろうとしてるわ。ぶらんこがゆれたので、イヌはおっこちて、おこってキャンキャンほえてるわ。からかわれているのよ。シャボン玉がこわれたわ。――ゆらゆらゆれるぶらんこと、ふわふわとんでく水のあわ。これがわたしの歌なのよ」
「あなたのお話はおもしろいかもしれないけど、ざんねんなことに、ちっともカイちゃんのことはいってくれないのね。じゃ、ヒヤシンスさんのお話は?」
「美しい三人きょうだいがいたのよ。三人とも、からだがすきとおるほどほっそりしているの。ひとりは赤、ひとりは青、もうひとりはまっ白の服を着ていたの。この三人は、お月さまの明るくかがやく晩に、しずかな湖の岸べで、手をつないでおどってたの。でも、この人たちは妖精のむすめではなくて、人間のむすめだったのよ。あたりには、あまいかおりがただよっていました。やがてむすめたちが森の中へすがたをけすと、かおりはいっそう強くなったの。――すると、あの美しいむすめたちをおさめた三つの棺《かん》が、森のしげみから出てきて、湖の上をしずかにすべっていきました。ホタルがそのまわりを、空にただよう小さなあかりみたいに、光りながらとびまわったの。おどりをおどったむすめたちは、ねむっているのでしょうか、それとも死んだのでしょうか。――花のかおりはいっています、あれはむすめさんたちのなきがらですよ、って。夕べのかねが、死んだ人たちの上に鳴りひびいています」
「あなたのお話を聞いてたら、すっかりかなしくなっちまったわ。あなたのにおいがあんまり強いものだから、あたしも死んだむすめさんたちのことを思い出してしまうわ。ああ、そんなら、カイちゃんはほんとうに死んだのかしら。バラの花は地の下にいたんだけれど、カイちゃんはそこにはいなかったっていったけど」と、小さいゲルダはいいました。
「チリン、チリン」と、ヒヤシンスの鐘が鳴りました。
「わたしたちは、カイちゃんのために鳴ってるのじゃありませんよ。そんな人のことは知りません。わたしたちは、ただ、わたしたちの歌をうたっているだけなの。わたしたちの知っている、ただ一つの歌をね」
そこでゲルダは、つやつやしたみどりの葉の間からかがやき出ている、タンポポの花のところへ行きました。
「あなたはほんとうに、小さい明るいお日さまだわ。どこヘ行ったらあたしのお友だちが見つかるか、知っていたら教えてくださらない?」
と、ゲルダはいいました。
するとタンポポは、それは美しく光りかがやいて、もう一度ゲルダをながめました。さて、タンポポはどんな歌をうたったでしょうか。でもその歌も、カイのことではありませんでした。
「春のいちばんはじめの日のこと、とある小さいおやしきに、お日さまがとてもあたたかくてっていました。その光は、おとなりの家の白いかべをつたってすべりおちていましたが、そのかべのすぐそばに、春のさいしょの黄色い花が、あたたかいお日さまの光をうけて、きらきらと金色にかがやいてさいていました。年とったおばあさんが、庭のいすにこしかけていると、そこへ、おてつだいさんをしている、まずしいきれいな孫《まご》むすめが、たずねてきました。
むすめはおばあさんにキスしました。そのかわいいキスには、こがねが、心のこがねがこもっていました。口にもこがね、地にもこがね、朝の空にもこがねです。ほら、これがわたしの小さなお話ですよ」
こう、タンポポはいいました。
「ああ、おきのどくなあたしのおばあさん!」
と、ゲルダはためいきをつきました。
「きっと、あたしにあいたがっていらっしゃるんだわ。そして、カイちゃんがいなくなったときとおなじに、あたしのことをかなしんでいらっしゃるでしょうね。でもあたし、じきにおうちに帰ってよ。カイちゃんもいっしょにつれてね。――お花たちに聞いてもだめだわ。みんなじぶんの歌ばっかしうたっていて、カイちゃんのことはちっとも教えてくれないんですもの」
それから、ゲルダはかわいい服のすそをからげて、早く走れるようにしました。けれども、スイセンの上をとびこそうとすると、スイセンがゲルダの足をうちました。ゲルダは立ちどまって、ほそ長い黄色い花を見つめると、スイセンのほうへからだをかがめて、
「あなたはなにか知ってるの」とたずねました。
すると、スイセンはなんといったでしょうか。
「わたしは、じぶんでじぶんが見えるんですよ。じぶんでじぶんを見ることができるんですよ」
それから、スイセンはいいました。
「ああ、わたしはなんていいにおいをしてるんでしょう。――上の小さい屋根うらべやに、かわいいおどり子が、半分はだかで立っているのよ。一本足で立ったり、両足で立ったりしてね。おどり子は、こうして世界をふみつけているの。まるで美しいまぼろしそのままよ。おどり子は手に持っているきれ――それはコルセットよ――に、お茶のポットから水をかけます。きれいにするのはいいことですものね。
白い服がくぎにかかっています。これもお茶のポットの中であらって、屋根の上でかわかしたんですの。おどり子はこの服を着て、サフラン色のぬのを首にまきつけるの。そうすると、服がいちだんと白くひきたつのよ。さあ、足を高くあげて。まあ、このくきの上に立っているすがたを見てよ。わたしはじぶんでじぶんが見えるんですよ。じぶんでじぶんを見ることができるんですよ」
「そんなこと、あたしにゃ関係がないわ。わざわざ話してくれなくたっていいのよ」
と、ゲルダはいいました。
そして、庭のはずれまで走っていきました。
戸はしまっていました。それでも、さびついたかけ金をおすと、うまくはずれて戸があきました。そこでゲルダは、はだしのまま、広い世界へかけだしていきました。三度もうしろをふりかえってみましたが、だれも追いかけてくるものはありませんでした。
そのうち、もうこれ以上は走れなくなったので、かたわらの大きな石にこしをおろしました。
あたりをながめてみると、いつのまにか夏はすぎて、秋ももうおわりに近づいているではありませんか。あの美しい花園にいたのでは、それに気がつくわけがありません。あの花園では、いつでもお日さまがきらきらとかがやいて、一年じゅう、あらゆる花がさいているのですもの。
「あらまあ、なんてあたしはばかだったんでしょう!」
と、小さいゲルダはいいました。
「もう秋になってしまったわ。やすんでなんかいられないわ」
そこでゲルダは立ちあがって、また歩いていきました。
ああ、ゲルダの小さな足は、どんなにきずつき、つかれはてたことでしょう。あたりを見まわしても、目にうつるものはさむざむとしたさびしいけしきばかりです。長いヤナギの葉はすっかり黄色になって、その葉からは、つゆが雨のようにしたたりおちていました。葉が一まい、また一まいと散っていきます。リンボクだけはまだ実をつけていました。でも、その実はすっぱくて、思わず口がすぼまるほどでした。ああ、この広い世界は、なんてはい色で、重苦しいのでしょう。
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第四話 王子と女王
ゲルダは、またやすまなければなりませんでした。
ゲルダがこしをおろすと、すぐ目の前の雪の上を大きなカラスが一わ、ぴょんぴょんとんでいました。カラスはやがて立ちどまって、長いことゲルダの顔をながめていましたが、それから頭をふって「カー、カー。こんちわ、こんちわ」といいました。
カラスには、これ以上うまくいえなかったのです。でも、この小さい女の子が気に入りましたので、
「こんな広い世界を、ひとりぼっちでどこへ行くの」
と聞きました。
この、「ひとりぼっちで」ということばは、ゲルダにもよくわかりました。そして、このことばの中に、どれだけの意味がこもっているかを感じました。そこでゲルダは、カラスにじぶんの身のうえをすっかり話して聞かせたうえで、あなたはカイちゃんを見かけませんでしたか、とたずねてみました。
するとカラスは、いかにも考えぶかそうにうなずいてから、こういいました。
「あれかもしれない、あれかもしれない」
「あら、知ってるの?」
と、小さいむすめは思わずさけぶと、息がつまるほどカラスを強くだきしめて、キスしました。
「おちついて、おちついて。ぼくは、あれがカイちゃんだと思うんだ。でも、いまは女王さまのことで頭がいっぱいで、あの子は、きみのことをわすれてるらしいよ」
と、カラスはいいました。
「カイちゃんは女王さまのところにいるの?」
と、ゲルダはたずねました。
「うん、まあお聞き。だけど、きみたちのことばで話すのは、ぼくには、とってもほねがおれるんだよ。きみにカラスのことばがわかると、もっとうまく話せるんだけどなあ」
と、カラスはいいました。
「でも、カラスのことばなんて、あたし、ならわなかったんですもの。わたしのおばあさんだったらわかるんだけどね。おばあさんは、赤ちゃんのことばだってわかるのよ。あたしもならっておけばよかったわ」
と、ゲルダはいいました。
「いいよ、いいよ。ぼく、せいぜいうまく話してみるよ。といっても、やっぱり、まずいだろうけどね」
こういってカラスは、知っていることを話しはじめました。
「いま、ぼくたちのいるこの国に、おひめさまがひとり住んでいたんだよ。この方は、ものすごくりこうな人でね、世界じゅうのありとあらゆる新聞を読んで、それから、それをきれいにわすれてしまうといったほど、それほどりこうな人なのさ。そのおひめさまが、このごろ王さまになって王座についたんだけどね、王座についたところで、ちっともおもしろくないというわけさ。そこであるとき、女王さまはこんな歌をくちずさんだんだよ。それはね、そら、『どうしてわたしは結婚してはいけないの?』って歌なのさ。すると、
『まあ、この歌のいうことはほんとだわ』
と、女王さまは考えて、じぶんも結婚したくなったんだよ。でも、じぶんのおむこさんになる人は、だれに話しかけられても、ちゃんとこたえのできる人で、ただ、上品ぶって立っているだけの人ではこまると思ったのさ。だって、そんな人はたいくつだものね。
そこで、女官《じょかん》たちをみんなあつめて、そのことを話したのさ。その話を聞くと、女官たちはとってもよろこんで、
『けっこうでございますわ。わたくしどもも、このごろおなじことを考えておりましたの』
と、口をそろえていったものさ。――いっとくけれど、ぼくのいうことはみんなほんとうなんだぜ。じつをいうとぼくのいいなずけは、その女王さまに飼われていて、ごてんの中を自由に歩きまわることができるのさ。そのいいなずけが、なにもかも話してくれたんだよ」
こう、カラスはいいました。
そのカラスのいいなずけというのは、やっぱりカラスでした。カラスがおくさんを見つけるときには、いつでも、あいてはカラスですものね。
「そこでさっそく、女王の名まえのかしら文字をふちどりしたハート形の新聞が出ましてね。それをよむと、すがたの美しい青年ならだれでも、自由にごてんへ行って、女王さまとお話しすることができる。そして、だれが聞いてみても、のびのびした話しぶりで、しかも、いちばんじょうずに話のできた人を、おむこさんにえらぶ。と、こう書いてあったのさ。――ほんとだよ、ほんとだよ」と、カラスはいいました。
「いっとくけれど、それは、いまぼくがここにすわっているのとおなじくらい、たしかなことなんだ。すると、みんながどっとおしよせてきてね、まったくたいへんなさわぎだったよ。
ところが、さいしょの日もつぎの日も、ひとりとしてうまくいったものがない。みんな町にいるときは、なかなかうまくしゃべるのさ。ところが、ごてんの門《もん》をくぐって、銀の服を着た番兵《ばんぺい》を見たり、かいだんをのぼって金ぴかのお役人を見たり、目がくらむほど明るい大広間へ通されたりすると、みんなぼんやりしてしまってね。
さて、いよいよ女王さまのすわっている王座の前に立つと、女王さまのいったことばの、いちばんおしまいのところをくりかえすのがやっとなのさ。ところが女王さまは、じぶんのいったことばをもう一度聞きたいなんて、思っていやしないものね。つまりそこへ行くと、だれもかれもが、まるでかぎたばこをおなかにのみこんだみたいにふらふらしてしまって、町へつき出されてから、やっともとのように、しゃべることができるようになるのさ。人々の列は、町の門《もん》からごてんまでつづいていたっけ。ぼくもこの目で見たがね」
と、カラスはいいました。
「みんなは、おなかもすくし、のどもかわく。けれどもごてんでは、なまぬるい水一ぱいくれやしない。頭のいいれんじゅうの中には、バター=パンを持っていったものもあるけど、もちろんとなりの人にはわけてやらないで、おなかの中では、
『はらのへったような顔をさせておきゃ、こいつを女王さまはえらびはしまい』
なんて考えていたのさ」
「だけど、カイちゃんは? 小さなカイちゃんは? いつカイちゃんの話になるの。そのおおぜいの中にいたの?」
と、ゲルダは聞きました。
「まあ、あわてないで、あわてないで。じきに話すよ。さて三日《みっか》めのことだったがね。小さな男の子が、ウマにも乗らず馬車にも乗らないで、いかにもたのしそうに、ごてんをさして歩いてきたんだよ。目は、きみの目のようにかがやいていて、長いきれいなかみの毛をしていたよ。だけど、着物はずいぶんみすぼらしかったっけ」
「そんならカイちゃんだわ」
こう、ゲルダはうれしそうにさけぶと、
「ああ、とうとう見つかったわ!」
と、手をうってよろこびました。
「その子は、小さいランドセルをしょっていたよ」
と、カラスがいいました。
「いいえ、それはきっとそりよ。だって、そりに乗ったまま、どこかへ行ってしまったんですもの」
と、ゲルダはいいました。
「そうかもしれない」と、カラスはいいました。
「ぼくはよく見たわけじゃないからね。だけど、ぼくのいいなずけの話によると、その子は、ごてんの門をくぐって、銀の服を着た番兵を見ても、かいだんをのぼって金ぴかのお役人に出あっても、ちっともおどおどしなかったそうだ。そうして、その人たちにうなずいてみせて、
『かいだんに立っているのはたいくつでしょうね。ぼくはおくへ行きますよ』っていったんだって。広間には、あかりがこうこうとついていてね、顧問官《こもんかん》や大臣《だいじん》たちが金のうつわを持って、はだしで歩いていたんだよ。だれだっておじけづいてしまうだろうさ。おまけに、その子の長ぐつが、おそろしくキュッ、キュッと鳴るじゃないか。でも、その子はびくともしなかったんだって」
「なら、カイちゃんにちがいないわ」と、ゲルダはいいました。
「カイちゃんは、あたらしいくつをはいてるんですもの。あたし、おばあさんのおへやで、それがキュッ、キュッと鳴るのを聞いたわ」
「うん、とてもよく鳴ったんだってさ」と、カラスはいいました。
「それから、元気よく女王さまの前へ行ったんだよ。女王さまは、つむぎ車《ぐるま》くらいもある、大きな真珠《しんじゅ》の上にこしかけていてね。そのまわりには、ぜんぶの女官《じょかん》やお役人ばかりじゃなく、女官たちの小間使いや、またその小間使いの小間使いも、お役人の家来《けらい》や、そのまた家来や、そのまた手下たちも、ずらっとならんでいたんだよ。しかも入り口の近くに立っているものほど、いばりくさったようすをしていてね。家来の家来につかえている手下なんか、いつも上ぐつをはいて歩きまわってるくせに、このときは、顔も見あげられないほどえらそうな顔をして、戸口《とぐち》に立っていたのさ」
「ずいぶんこわかったでしょうね。それで、カイちゃんは女王さまと結婚したの?」と、小さなゲルダはいいました。
「ぼくだって、カラスでなけりゃ、女王さまと結婚するよ。たとえだれかと婚約していたってさ。ぼくは、いいなずけから聞いたんだけど、その子は、ぼくがカラスのことばで話すときみたいに、とてもすらすらとじょうずに話したそうだよ。そして、とても元気でかわいらしかったんだって。ほんとうは、女王さまに結婚をもうしこむためにごてんへ来たのじゃなくて、女王さまがかしこいというものだから、ただそれを知りたいと思って来たんだってさ。でも、あってみたら、その子は女王さまがすきになるし、女王さまのほうでも、その子がすきになったというわけさ」
「きっとそうよ。その子がカイちゃんだわ。カイちゃんは、とってもりこうなんですもの。分数の暗算だってできるのよ。――ねえ、わたしをごてんへつれてってくれない?」
とゲルダはいいました。
「うん。いうのはやさしいが、さてどうしたらいいかな。そうだ、ぼくのいいなずけにそうだんしてみるとしよう。きっと、いい知恵をかしてくれるよ。なにしろ、きみのような小さい女の子は、ふつうなら、とうてい、ごてんへはいるおゆるしは出ないんだがね」
こう、カラスはいいました。
「いいえ、あたしならだいしょうぶよ。あたしが来たってことをカイちゃんが聞けば、すぐむかえに出てきてくれるもの」
と、ゲルダはいいました。
「じゃあ、あそこのいけがきのそばでまってなさい」
カラスはこういうと、頭をふりながらとんでいきました。
あたりが暗くなってから、カラスはやっともどってきて、
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」といいました。
「ぼくのいいなずけが、くれぐれもよろしくいったよ。これはきみにあげるパンだって。いいなずけが、ごてんの台所からとってきたんだよ。台所には、まだどっさりあるし、きみはきっと、おなかがすいてるだろうからね。
きみがごてんの中へはいるのは、とてもむりだよ。だって、きみははだしなんだもの。銀の服を着た番兵と、金ぴかのお役人がゆるしてくれっこないよ。
でも、なかなくたっていいんだよ。ごてんへはきっとつれてってあげるから。ぼくのいいなずけは、しんしつへあがる小さいうらばしごを知ってるし、かぎのおいてあるとこだって知ってるんだもの」
そこでふたりは、庭の中へはいって、木の葉が一まいまた一まいと散っている、大きななみ木道のところまで来ました。ごてんのあかりが、一つ、また一つときえました。そのうちにカラスは、ゲルダをつれて、うら門のところまで来ました。門は細めにあいていました。
ああ、しんぱいとあこがれとで、ゲルダのむねがどんなにどきどきしたことでしょう。まるで、なにかわるいことでもしようとしているみたいな気持ちでした。ゲルダは、ただその人がカイちゃんかどうかを知りたいと思っているだけでしたのに。
そうです。たしかにその人はカイちゃんにちがいありません。ゲルダは、カイのかしこそうな目と長いかみの毛とを、まざまざと思い出しました。ふたりがうちのバラの花の下にすわっていたときに、にっこりわらったカイのすがたも、ありありと目の前にうかびました。
もしゲルダにあったなら、そしてゲルダが、じぶんのためにどんなに遠い道を歩いてきたかを聞いたなら、そしてまた、じぶんが帰らないために、うちの人たちがどんなにかなしんでいるかを知ったなら、カイちゃんはどんなによろこぶことでしょう。ああ、そう思うと、こわくもあれば、うれしくもありました。
やがてふたりは、はしごだんの上に来ました。小さいランプが、たなの上にともっていました。ゆかのまん中に、人なれたカラスが立っていて、頭をぐるぐるまわしてゲルダをながめました。ゲルダは、おばあさんから教わっていたとおり、ていねいにおじぎをしました。
「小さなおじょうさん、あなたのことは、わたしのいいなずけがとってもほめておりましたわ。あなたの履歴《りれき》とかもうしますものは、ずいぶんかなしいんですのね。――それでは、そのランプを持ってください。わたしが先に立って、ごあんないしますから。ここからまっすぐに行けばいいんですよ。もうだれにも見つかりませんわ」
と、そのカラスがいいました。
「あたしのすぐあとから、だれかが来るような気がするわ」
と、ゲルダはいいました。
ほんとに、なにかがサラサラと音をたてて、ゲルダのそばを通りすぎました。それは、かべにうつったかげのようなものでした。たてがみを風になびかせた細い足のウマや、かりゅうどのむれや、ウマに乗った紳士《しんし》や貴婦人《きふじん》などでした。
「これは、ただのゆめなんですの。みんなはああして、ご主人の考えを狩りにつれていこうと、むかえに来たんですよ。でも、かえってつごうがいいですわ。そのほうが、ねているところをずっとよくごらんになれますもの。ですけど、あなたがいまにえらくなったら、わたしたちにお礼をするのをわすれちゃだめよ」
と、カラスがいいました。
「そんなことはいうまでもないよ」
と、森のカラスがいいました。
みんなは、さいしょの広間にはいりました。広間のかべには、みごとな花もようのついた、ばら色のしゅすがはってありました。ここでも、ゆめが、みんなのそばをサラサラと通りすぎていきます。ところが、そのゆめはあんまり早く走っていくものですから、ゲルダには、ご主人のすがたが見わけられませんでした。つぎからつぎとある広間は、おくにあるのほどいよいよりっぱで、ただただあきれてしまうほどでした。いよいよみんなはしんしつへ来ました。
てんじょうには、なんだか大きなシュロの木が、ガラスの葉を――それも上等《じょうとう》のガラスですよ。――ひろげているようでした。ゆかのまん中には、木のみきのようにふとい金の柱に、ユリの花かと見えるベッドが二つつるしてありました。
一つはまっ白で、その中で女王がねむっていました。もう一つはまっかでした。その中には、ゲルダのさがしているカイがねむっているはずです。ゲルダが、赤い花びらの一つをそっとかきのけると、日にやけた首すじが見えました。
――ああ、それはカイでした。
ゲルダは、大声でカイの名をよびながら、ランプをさし出しました。――またもや、ゆめが、ウマに乗ってサラサラとこのへやにもどってきました。――その人は目をさまして、顔をゲルダのほうへむけました。――と、それはカイではなかったのです。
その王子は、首すじのところだけがカイににていたのでした。見れば、わかくてきれいな人です。そのとき、白いユリのベッドから女王が顔をのぞかせて、どうしたのとたずねました。そこでゲルダは、なきじゃくりながら、いままでのできごとや、カラスがじぶんのためにしてくれたことなどをすっかり話しました。
「まあ、かわいそうに!」
と、王子と女王はいいました。
それからカラスをほめてやりながら、じぶんたちはすこしもおこってはいないけれど、こんなことをたびたびしてはいけません、とおっしゃいました。それにしても、二わのカラスはごほうびをいただくことになりました。
「おまえたちは自由にとびまわりたいの。それとも、宮中《きゅうちゅう》カラスというちゃんとした地位について、お台所のあまりものをいただきたいの?」
と、女王は聞きました。
すると、二わのカラスはおじぎをして、ちゃんとした地位のほうをおねがいしました。それというのも。年をとってからのことを考えたからです。そして、
「年よりになってもたべるものがあるのは、よいことでございますものね」といいました。
王子は、ベッドからおきあがって、ゲルダをそこにねかしてくれました。ゲルダにとって、これよりうれしいことはありません。ゲルダは小さな手を合わせました。
「人間でも動物でも、なんてしんせつなんでしょう」
と、心に思いながら、目をつぶってやすらかにねむりました。またもや、ゆめのなかまがとんできました。こんどは、みんな天使のようなすがたをしていて、みんなで小さなそりを一つひっぱっていました。
見ると、そのそりの上にはカイがすわって、うなずいているのでした。けれども、それはみんなただのゆめで、ゲルダが目をさますと、たちまちきえうせてしまいました。
あくる日になると、ゲルダは、頭のてっぺんからつま先まで、きぬとビロードの着物につつんでもらいました。そして、いつまでもこのごてんにいて、たのしくくらしなさいといわれました。
けれども、ゲルダはそれをおことわりして、小さな馬車と、それをひくウマと、それから、小さな長ぐつを一そくいただけませんか、とおねがいしました。そうすればその馬車に乗って、広い世界へ、もう一度カイちゃんをさがしに行ってみたいと思います、ともうしました。
するとゲルダは、長ぐつばかりか、手にはめるマフまでもいただきました。身じたくもきれいにできあがりました。こうしていよいよ出かけようとしますと、門の前に、なにからなにまで金ずくめのあたらしい馬車がまっていました。
その馬車には、王子と女王のもんしょうが、星のようにきらきら光っていました。ぎょしゃと、おともと、先《さき》ばらいが――そうです、先ばらいまでいたんですよ。――みんな金のかんむりをかぶって、ひかえていました。王子と女王は、ゲルダをたすけて馬車に乗せて、それからゲルダのしあわせをいのってくれました。
森のカラスは、いまでは結婚していましたが、きょうはゲルダを三キロメートルばかり送ってくれることになりました。カラスは、あとの馬車に乗るのはいやだといって、ゲルダとならんですわりました。もう一わは、門のところに立って、はねをばたばたさせていただけで、送っては来ませんでした。
ちゃんとした地位についてからは、食べものがあんまりたっぷりありすぎるためか、どうにも、頭がいたくてしかたがなかったからです。馬車の中には、おさとう入りのビスケットがつめこんであり、こしかけの下にも、くだものや、こしょう入りのおかしがはいっていました。
「さようなら、さようなら!」
と、王子と女王はさけびました。ゲルダがなきだすと、カラスもなきました。
こうして、早くも三キロメートルばかり来ました。そこでカラスは、さようならをいいました。ほんとうに、つらいおわかれでした。
カラスは道ばたの木の上にとびあがって、馬車が見えなくなるまで、黒いはねをばたばたさせていました。遠くに行った馬車は、まるで明るいお日さまのようにきらきら光りました。
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第五話 山ぞくのむすめ
馬車は、うす暗い森の中を通ってすすみました。けれども、たいまつのあかりのようにきらきら光っていましたので、それが山ぞくたちの目にとまりました。それを見ると、山ぞくたちはがまんができなくなりました。
「金《きん》だぞ、金だぞ」
と、山ぞくたちは口々にさけびながら、馬車をめがけておそいかかり、ウマをつかまえて、先ばらいやぎょしゃや、おともをうちころしました。それから、ゲルダを馬車からひきずりおろしました。
「こいつはむちむちしていて、かわいい子だわい。クルミの実でもたべてそだったんだろ」と、山ぞくのばあさんがいいました。このばあさんは、長いこわいひげをはやしていて、まゆ毛は目の上までかぶさっていました。
「こえた子ヒツジみたいにおいしそうだよ。さて、どんなあじがするかな」
ばあさんはこういって、ぴかぴかするナイフをぬきました。そのナイフは、おそろしいほど光っていました。
「あいたっ……」と、とたんにばあさんはさけびました。じぶんの小さなむすめに、耳をかみつかれたのです。むすめは、ばあさんのせなかにぶらさがっていました。らんぼうで、どうにも手のつけられない子でした。いまも、おもしろがってこんなことをしたのです。
「このいたずらっ子め!」
と、ばあさんはいいましたが、おかげでゲルダをころすひまがありませんでした。
「この子は、あたしとあそぶんだ。この子があたしにそのマフと、きれいな服をくれたら、あたしのべッドにいっしょにねかしてやるわ」
と、小さな山ぞくのむすめはいって、またもやばあさんにかみつきました。ばあさんはとびあがって、ぐるぐるまわりをしました。ほかの山ぞくたちは大わらいをして、
「見ろよ、ばあさんが、がきとおどってるぜ」といいました。
「あたし、あの馬車に乗ろうっと」
と、小さな山ぞくのむすめはいいました。
この子は、あまやかされてそだったうえに、とてもごうじょうっぱりでしたから、いったんいい出したことは、どこまでもおし通します。とうとう、ゲルダといっしょに馬車に乗りこみました。そして、切りかぶやイバラのしげみを乗りこえ乗りこえ、森のおく深くへ馬車を走らせました。
山ぞくのむすめは、ゲルダとおなじくらいの大きさでしたが、かたはばがもっと広く、はだはこげ茶色で、ゲルダよりもずっと強そうでした。でも、そのまっ黒い目には、どことなくかなしみの色がありました。むすめはゲルダをだきしめていいました。
「あたし、あんたがきらいにならないうちは、だれにもあんたをころさせやしないよ。あんたはきっとおひめさまなんだろ?」
「いいえ」
と、小さなゲルダはいいました。
そして、いままでのことをのこらず話して、じぶんがどんなにカイちゃんをすきかということも話しました。
小さな山ぞくのむすめは、まじめな顔をしてゲルダをじっと見つめていましたが、ちょっとうなずいてからいいました。
「もし、あんたがきらいになったって、もうだれにもころさせやしない。そうなったら、あたしがじぶんでころしてしまうよ」
それからゲルダの目をふいてやると、両手をきれいなマフの中へつっこみました。マフはとてもふかふかしていて、あたたかでした。
やがて馬車がとまると、そこは山ぞくのお城の中庭でした。お城は、上から下まで、ひびがいってさけていて、大きいカラスや小さいカラスが、さけたあなからとび出してきました。人間をまるごとのみこみそうな大きいブルドッグが、いくひきも高くとびはねていました。でも、みんなすこしも声はたてません。それは、ほえてはいけないと、とめられていたからでした。
古ぼけたすすだらけの大きな広間では、石だたみのゆかの上で、火がどんどんもえていました。けむりはてんじょうまで立ちのぼって、しきりに出口をさがしていました。大きな大きなおかまの中では、しるがにえたぎっているし、野ウサギや飼《か》いウサギがくしざしにされて、火の上でぐるぐるまわされていました。
「あんたは今夜、あたしといっしょに、あたしの小さな動物たちの中でねるんだよ」
と、山ぞくのむすめはいいました。
ふたりは、食べものやのみものをもらって、すみっこへ行きました。そこには、わらぶとんがしいてありました。頭の上のはりや、たるきの上には、ハトが百わもとまっていました。見たところ、みんなねむっているようでしたが、ふたりが近づいていくと、すこしからだを動かしました。
「これはみんな、あたしのハトよ」
小さい山ぞくのむすめはこういうと、すばやく近くにいた一わをつかまえて、足をつかんでゆすぶりました。ハトははねをばたばたやりました。
「キスしておやり」
むすめはこういって、そのハトをゲルダの顔におしつけました。
「あっちにいるのは、森のやくざものよ」
と、むすめはつづけて、かべの高いところにあるくぼみにはめた、こうし戸のおくを指さしました。
「あの二わは、森のやくざものでね。しっかりとじこめておかないと、すぐににげちまうの。それから、ここにいるのが、あたしのだいじなお友だちのベーよ」
こういうと、一ぴきのトナカイを、つのをつかまえてひっぱり出してきました。そのトナカイの首には、ぴかぴか光る銅の首わがはめてあって、それでつないであるのでした。
「こいつも、しっかりしばっておかなくちゃだめなの。そうしないと、すぐにげ出してしまうんだもの。毎晩、あたし、よく切れるナイフで、こいつの首をくすぐってやるの。そうすると、こいつ、とってもこわがるのよ」
こういって、小さいむすめは、かべのさけめから長いナイフをとり出して、それでトナカイの首すじをなでました。すると、かわいそうに、トナカイは足をばたばたやりました。山ぞくのむすめはおもしろそうにわらって、それからゲルダといっしょにベッドにはいりました。
「あなたは、ねてる間もナイフを持ってるの?」
と、こわそうにそのナイフをながめながら、ゲルダは聞きました。
「ねてるときだって持ってるさ」
と、小さな山ぞくのむすめはいいました。
「なにがおこるかわかりゃしないもの。だけど、さっき話してくれたカイちゃんのことを、もう一度話してくれない? それから、あんたがこの広い世の中へ出てきたわけもね」
そこでゲルダは、もう一度、はじめから話をしました。すると、森のハトが上のかごの中でクー、クー鳴きました。ほかのハトはねむっていましたのに。小さな山ぞくのむすめも、ゲルダの首にうでをまきつけて、かた手にナイフを持ったまま、ぐうぐうねむってしまいました。ほら、そのねいきが聞こえるでしょう。
しかし、ゲルダは目をつぶるどころではありません。これから先生《さきい》きていられるのか、死ななければならないのかさえも、わからないのです。山ぞくたちは、火のまわりにすわって、さかんにうたったりのんだりしているし、ばあさんは、とんぼがえりをうっています。ああ、それは、小さいゲルダにとっては、見るもおそろしい光景《こうけい》でした。
そのとき、森のハトがいいました。
「クー、クー、ぼくたち、カイちゃんを見たよ。白いおんどりがカイちゃんのそりをひいてさ、カイちゃんは雪の女王の車に乗ってたよ。ぼくたちが森の巣の中でねてると、森の上をすれすれにとんでいったっけ。そのとき、雪の女王がぼくたち子どもに息をふきかけたもんだから、ぼくたちふたりのほかは、みんなこごえ死んじゃったんだよ。クー、クー」
「あなたたち、そこでなんていってるの。その雪の女王がどこへ行ったか、あなたがた、知ってるの?」
と、ゲルダは大きな声でいいました。
「きっと、ラップランドヘ行ったんだよ。あそこは一年じゅう、雪と氷ばっかりだからね。そこにつながれているトナカイさんに聞いてごらん」
「そうですよ。あそこは雪と氷ばかりで、じつにめぐまれた、すばらしいところですよ。きらきら光っている大きな谷間を、みんなは自由にとびまわるんです。そこに、雪の女王は夏のテントをはるんだけれど、女王のほんとのお城は、北極《ほっきょく》近くのスピッツベルゲンという島にあるんですよ」
こう、トナカイはいいました。
「ああ、カイちゃん、カイちゃん!」
と、ゲルダはためいきをつきました。
「おとなしくねておいで。さもないと、このナイフをおなかへつきさすよ」
と、山ぞくのむすめがいいました。
あくる朝ゲルダは、森のハトのいったことを、のこらず山ぞくのむすめに話しました。するとむすめは、たいそうまじめな顔をして聞いていましたが、やがてうなずいて、
「そんなことはどうだっていい。どうだっていい。おまえはほんとに、ラップランドがどこにあるか知ってるの」
と、トナカイに聞きました。
「わたしよりよく知ってるものが、あるでしょうか」
トナカイはこういって、目をかがやかしました。
「わたしは、あそこで生まれてそだったんですよ。あそこの雪の原をとびまわっていたんですよ」
すると、小さい山ぞくのむすめは、ゲルダにむかっていいました。
「ねえ、あんた、男はみんな出かけちまって、いまいるのはおかあさんだけだろ。おかあさんは、るす番をしてるんだけど、朝はんがわりに大きなびんからお酒をのむと、またちょいと、ひとねむりするんだよ。そしたら、あたしがいいことをしてあげるからね」
こういうと、むすめはベッドからとび出していって、おかあさんの首っ玉にとびつき、そのひげをひっぱりながらいいました。
「あたしの大すきなヤギさん、おはよう!」
すると、おかあさんは、指でなんどもむすめの鼻をはじきましたので、しまいには、鼻が赤と青のぶちになってしまいました。でもこれは、ただかわいくってしただけなんですよ。
そのうちに、おかあさんはびんのお酒をのんで、とろとろとねこんでしまいました。それを見ると山ぞくのむすめは、トナカイのところへ行っていいました。
「あたしは、もっともっと、おまえをぴかぴかするナイフでくすぐってやりたいんだよ。だって、とってもおもしろいものね。だけど、いいわ。おまえのつなをほどいてにがしてやるから、ラップランドヘ走ってお行き。だけど、この女の子を、雪の女王のお城へつれていくんだよ。そこにこの子のお友だちがいるんだからね。おまえも、この子の話を聞いただろ。あんなに大きな声でしゃべっていたんだもの。おまえだって耳をすましていたじゃないの」
トナカイは、うれしさのあまりはねあがりました。山ぞくのむすめは小さなゲルダをだきあげて、トナカイのせなかに乗せると、おちないように、しっかりとゲルダのからだをゆわえつけてくれました。おまけに、小さなざぶとんまでもくれたのです。
「いいのよ。さ、これがあんたの毛がわの長ぐつよ。これから、うんと寒くなるからね。だけど、マフはもらっておくよ、とってもきれいなんだもの。といったって、あんたに寒い思いはさせません。おかあさんの、この大きな指なし手ぶくろを持っておいで。これなら、あんたのひじまでとどくだろ。さあ、はめてごらん。おやまあ、手だけ見てると、まるで、あたしのきたないおかあさんみたい」
こう、むすめはいいました。
ゲルダは、うれしさのあまりなきだしました。
「めそめそされるのはまっぴら。それよか、うれしそうな顔をしなくちゃ。それから、ここにあるパンを二つと、ハムを一つやるからね。これだけあれば、ひもじい思いもしないだろ」
小さな山ぞくのむすめはこういって、二つともトナカイのせなかにゆわえつけると、戸をあけて、イヌたちをみんな中にとじこめました。それから、ナイフでトナカイのつなを切っていいました。
「さあ、走っておいで。でも、せなかの女の子に気をつけるんだよ」
そこでゲルダは、大きなゆびなし手ぶくろをはめた手を、山ぞくのむすめのほうへのばして、
「さようなら!」
といいました。たちまち、トナカイはかけだして、やぶや切りかぶをとびこえ、大きな森をつきぬけ、沼地や草原《くさわら》をこえて、ありったけ走りつづけました。オオカミがほえ、大カラスが鳴きさけびました。空のほうで、シュー、シューという音がしました。まるで、なにかが赤い火をふいているようでした。
「あれは、わたしのむかしなじみのオーロラですよ。ほらね、とってもよく光るでしょう?」
そういってトナカイは、いままでよりもなお早く、夜もひるも走りつづけました。パンはもう、すっかりたべてしまいました。ハムもたべてしまいました。するともう、ラップランドに来ていました。
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第六話 ラップランドのおばあさんとフィンランドのおばさん
トナカイは一けんの小さい家の前でとまりました。
それはたいそうみすぼらしい家で、屋根が地面についているうえに、入り口がとてもひくかったものですから、出はいりするときには、家の人たちは、はらばいにならなくてはなりませんでした。
家の中にはラップ人のおばあさんがひとりいただけで、ほかにはだれのすがたも見えません。おばあさんは魚油《ぎょゆ》ランプのそばに立って、おさかなをやいていました。トナカイはそのおばあさんに、ゲルダのことをすっかり話しました。もっとも、それより先にじぶんのことを話しましたがね。それというのも、だれでもじぶんのことのほうを、ずっとだいじに考えるからです。おまけにゲルダは、寒さのためにすっかりまいってしまって、話すこともできなかったのですもの。
「おやおや、かわいそうに」
と、ラップ人のおばあさんはいいました。
「それなら、おまえたちは、まだまだずいぶん行かなきゃならないよ。ここから百キロメートル以上も先の、フィンマルケンまで行かなきゃね。雪の女王はいまそこへ行って、毎晩毎晩、青い火をもやしているのさ。どれ、紙がないから、ひだらにひとことかいてあげようか。それを持って、わたしの知ってるフィンランド女のとこへ行くがいい。その女のほうが、わたしよりか、くわしく教えてくれるよ」
ゲルダは火にあたってあたたまりながら、食べたりのんだりしました。その間《あいだ》にラップ人のおばあさんは、ひだらにひとことかきつけて、これをだいじに持っていくように、ゲルダにいいました。それから、ゲルダを、またトナカイのせなかに、しっかりとゆわえてくれると、トナカイはいっさんにかけだしました。空では、シューシュー音がして、たとえようもなくきれいな青いオーロラが、一晩じゅうもえていました。
やがて、とうとうフィンマルケンについて、ふたりは、フィンランドのおばさんの家のえんとつをたたきました。なぜって、この家には戸口がないからです。
家の中は、たいそうあつかったものですから、フィンランドのおばさんは、まるで、はだかみたいなかっこうをしていました。背がひくくて、ひどくいんきそうな人でした。けれどもゲルダを見ると、すぐに服をぬがせ、手ぶくろと長ぐつもとってくれました。
このへやの中では、そうしないと、あつくてたまらないからです。
おばさんは、トナカイの頭の上に氷を一かけらのせてやってから、ひだらに書きつけてある手紙をよみました。三度もくりかえしてよみました。
そうやって、すっかりそらでおぼえてしまうと、そのひだらをおなべの中へほうりこみました。こうすれば、まだおいしくたべられますものね。こんなふうに、この人は、どんなものでもそまつにはしませんでした。
トナカイは、まずじぶんの話をして、それから小さなゲルダのことを話しました。フィンランドのおばさんは、かしこそうな目をぱちぱちさせて聞いていましたが、なにもいいませんでした。
「あなたはたいへんかしこい方です。あなたは世界じゅうの風をくくりあわせて、一本のぬい糸にしてしまうことだってできるんです。わたしはちゃんと知ってますよ。船頭《せんどう》がそのむすびめを一つほどくと、追い風がふき、二番めのむすびをとくと、強い風がふき、三番め四番めとといていくと、あらしになって、森の木々もたおれてしまうんですってね。
ところで、このむすめさんに、のみものをこしらえてやってくれませんか。このむすめさんが十二人|力《りき》になって、雪の女王をまかすことができるようなのをね」
こう、トナカイがいいますと、
「十二人力にもなりゃ、そりゃ、役にたつだろうさ」
と、フィンランドのおばさんはいって、たなのところへ行って、ぐるぐるまいた大きな毛がわをとり出しました。それをひろげると、文字がかいてありました。おばさんは、それをよんでいましたが、よんでいるうちに、ひたいから、あせがぽたぽたおちはじめました。
それでもトナカイは、小さいゲルダのために、もう一度ねっしんにたのみました。ゲルダも目になみだをいっぱいためて、心からおねがいするようにおばさんを見つめました。
おばさんは、また目をぱちぱちさせはじめました。それからトナカイをすみっこへつれていって、あたらしい氷を頭の上にのせてやってから、こうささやきました。
「そのカイって子は、たしかに雪の女王のところにいるけどね。いまは、なにもかもじぶんの思いどおりになっているものだから、世界じゅうにこんないいところはないと思ってるんだよ。だけど、それというのも、へんなガラスのかけらがカイの心につきささっているのと、小さいガラスのこなが目の中へはいってるためなんだよ。まずさいしょに、それをとり出さなければだめだね。でないと、その子は二度とちゃんとした人間になれないで、いつまでも雪の女王のいうなりになっていなければならないんだよ」
「では、そういうものをみんなまかしてしまうだけの力を、ゲルダさんにやってはいただけませんか」
「わたしには、ゲルダがいまもっているよりも大きな力を、やることはできないね。いまのゲルダの力かどんなに大きいか、おまえにはわからないの。
どんな人間でも動物でも、ゲルダをたすけてやらないではいられないじゃないの。だからこそ、ああして、はだしのまま、こんな世界のはてまでも来られたんだよ。あの子はなにも、わたしたちから教わるひつようはないのさ。力をじぶんの心の中にもってるんだもの。それはつまり、ゲルダがやさしい心をもった、罪のない子どもだからだよ。もしゲルダが、じぶんで雪の女王のところへ行って、カイのからだから、ガラスのかけらをとり出すことができないようなら、わたしたちにはどうすることもできないさ。
ここから二キロメートルばかり行くと、雪の女王の庭になるから、おまえは、そこまであの子をつれてってね、雪の中に赤い実をつけている大きなしげみがあるから、そのそばにゲルダをおろしてやりなさい。だけど、いつまでもおしゃべりしてないで、いそいで帰ってくるんだよ」
こういってフィンランドのおばさんは、小さいゲルダをトナカイの上にのせてくれました。するとまたトナカイは、力のかぎり走りだしました。
「あっ、長ぐつをわすれちゃった。手ぶくろもだわ」
ゲルダは、はだをさすような寒さに気がついて、こうさけびました。でもトナカイは、立ちどまってくれません。どんどん走りつづけて、やがて赤い実のなっている大きなしげみのところまで来ました。
そこでゲルダをおろして、ゲルダの口にキスしましたが、その間にも、きらきら光る大つぶのなみだが、トナカイのほおをつたわっておちました。それからトナカイは、いま来た道を大いそぎでひきかえしていきました。
こうして、かわいそうなゲルダは、くつもなく、手ぶくろもなしで、見わたすかぎり雪と氷の、見るもおそろしいフィンマルケンのまっただ中にのこされたのです。
ゲルダは、前をめがけていっしょうけんめいにかけていきました。と、いきなり雪の大軍があらわれてきました。といっても、それは空からふってくるのではありません。空は晴れわたって、オーロラがかがやいているのに、雪は地面の上をまっすぐに走ってくるのです。しかも、近づいてくればくるほど、雪のつぶは、ますます大きくなってきました。
ゲルダは、いつかレンズで雪のつぶを見たとき、それがどんなに大きく、どんなに美しく見えたかを、いまでもはっきりおぼえていました。でも、ここの雪のつぶは、それとはまったくちがって、ずっと大きな、ずっとおそろしいものでした。しかも、それが生きているのです。
それは雪の女王をまもる前衛部隊《ぜんえいぶたい》で、とてもきみょうな形をしていました。あるものは、みにくい大きなヤマアラシのように見えるし、またあるものは、とぐろをまいてかま首をもたげたヘビそっくりでした。毛をさか立てている、ふとった子グマのような形のもあります。どれもこれもまっ白に光り、どれもこれもが、生きている雪つぶなのでした。
そのとき、小さいゲルダは「主《しゅ》のいのり」をとなえました。寒さがあんまりきびしいので、じぶんのはく息がよく見えました。それがけむりのように口から立ちのぼって、だんだんこくなっていき、しまいには小さな明るい天使のすがたになりました。
天使たちは、地面にふれるたびに、ずんずん大きくなりました。見れば、ひとりのこらず、頭にはかぶとをかぶり、手には、やりとたてとを持っています。天使の数はますますふえるばかりで、ゲルダが「主のいのり」をとなえおわったときには、ゲルダのまわりを天使の軍隊がとりまいていました。
そして天使たちは、やりをふるっておそろしい雪の軍ぜいをつきさしましたので、雪はちりぢりにとび散ってしまいました。そこでゲルダは、おちついて元気よく歩いていきました。天使たちが、ゲルダの手や足をさすってくれるので、いままでほどひどい寒さも感じませんでした。こうしてゲルダは、雪の女王のお城をめざしてどんどん歩いていきました。
ところで、カイはその後どうしているのでしょうか。ここでちょっとカイのようすを見てみましょう。カイはいまでは、ゲルダのことなどはすこしも考えていませんでした。ましてや、いまゲルダが、お城のすぐ外に来ていようなどとは、ゆめにも知りませんでした。
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第七話 雪の女王のお城でおこったことと、その後のお話
お城のかべは、ふりしきる雪でできていて、まどや戸は、身をきるような風でできていました。
中には、大きな広間が百以上もありましたが、それはみんな、雪がふきよせられてできたものでした。いちばん大きな広間は、何マイルも何マイルもひろがっていて、まぶしいほどのオーロラでてらされていました。その広間は、はてしもなく広く、がらんとしていて、こおりつくほど寒く、また目がくらむほどまぶしいのです。
ここには、たのしみというものがありません。ふきすさぶあらしのばんそうに合わせて、あと足で立って礼儀正しくおどる子グマのダンス=パーティーも、一度だってありません。くちびるをはじいたり、前かけをたたいてやる音楽会もなければ、シロギツネのおじょうさんたちのお茶の会もありません。ほんとうに、雪の女王の広間はがらんとして、だだっぴろい、さむざむとしたところでした。
オーロラは、とてもきそく正しくもえあがっていましたから、いついちばん高くなるのか、また、いついちばんひくくなるのか、よくわかりました。
この、かぎりなくひろびろした雪の大広間のまん中に、こおった湖が一つありました。湖の面《おもて》は、何千万という、小さいかけらにわれていましたけれど、そのかけらのひとつひとつが、まったくおなじ形でしたから、ぜんたいがすばらしい美術品に見えました。
雪の女王は、お城にいるときは、いつもこの湖のまん中にすわっているのです。そして女王は、じぶんは知恵のかがみの上にすわっているのだ、このかがみは世界にただ一つしかない、いちばんすぐれたかがみだ、とじまんしていました。
小さなカイは、寒さのためにまっさおに、いや、それどころか、どす黒くなっていました。でも、じぶんではそれがわかりません。雪の女王がキスをして、カイから寒いという感じをとってしまい、カイの心は、まるで氷のかたまりのようになっていたからです。
カイは、四角なひらたい氷のかけらを、いくつもひきずってきて、それをいろいろにくみあわせていました。こうして、なにかをこしらえようというのです。ちょうどわたしたちが、小さい木ぎれをいろんな形にならべてあそぶ、あの「中国のあそび」のようにね。
カイはいろいろの形にならべてみています。
それは「知恵あそび」といって、いちばんこみいったものでした。カイの目にはこのあそびが、いちばんすばらしく、また、いちばんたいせつなものに思われたのです。そんなふうに考えるのも、目の中にはいりこんだガラスのかけらのしわざですがね。
それはいろいろと氷のかけらをならべて、そこにあることばがうき出るようにするのです。ところが、カイがつくりたいと思っていた一つのことばだけは、どうしてもうまくならびません。それは永遠《えいえん》ということばなのです。しかも、雪の女王は、前からいっていました。
「おまえにその形をつくり出すことができたら、おまえは自由になれるのだよ。そのうえわたしは、全世界と、あたらしいスケートぐつとをおまえにあげます」
しかし、カイには、それがどうしてもできないのです。
「わたしはこれから、あつい国へ行ってくるよ。むこうへ行って、黒い鉄なべをのぞいてくるからね」
と、雪の女王はいいました。
――黒い鉄なべといったのは、エトナやベズビオなどの火山のことなのです。
「わたしがあれをちょっと白くぬってやると、レモンやブドウのためには、とってもいいんだよ」
こういって、雪の女王はとんでいきました。
そこで、カイは、たったひとりのこされて、何マイルも何マイルもある、氷の大広間のまん中にすわって、氷のかけらを見つめては、もの思いにふけっていたのです。しまいには、からだの中が、ミシミシいうほどかたくこおりついて、じっと石みたいになってすわっていました。このようすを見たらだれでも、カイはこごえ死んだのだと思ったことでしょう。
ゲルダが大きな門をくぐって、お城の中へはいってきたのは、ちょうどそのときでした。お城の中は、身を切るような風がふいていました。
けれどもゲルダが、「夜のおいのり」をとなえますと、風は、さっそくねむろうとでもするように、みるみるしずまってしまいました。
そこでゲルダは、なにひとつないさむざむとした大広間にはいっていきました。そこにカイのすがたが見えたのです。それがカイだとわかると、ゲルダは、その首っ玉にとびついて、しっかりとだきしめながらさけびました。
「カイちゃん。なつかしいカイちゃん。ああ、とうとう見つかったわ!」
ところがカイは、つめたく、かたくなったまま、じっとしているだけです。ゲルダの目からは、あついなみだがとめどもなくこぼれました。そのなみだはカイのむねにおちて、心ぞうまでしみこんでいき、氷のかたまりをとかして、その中にあった小さいかがみのかけらを、のみこんでしまいました。そのとき、カイがゲルダのほうを見ました。ゲルダはいそいで、あの賛美歌《さんびか》をうたいました。
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バラの花 かおる谷間《たにま》に
あおぎまつる おさな子《ご》エスさま
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それを聞くと、カイはわっとなき出しました。あんまりはげしくないたものですから、とうとう、かがみのかけらが目から流れ出しました。とたんに、カイはゲルダに気がついて、よろこびの声をあげました。
「ああ、ゲルダちゃん。なつかしいゲルダちゃん。きみは長い間どこへ行ってたの。おや、いったいぼくはどこにいるんだろう。ここはなんて寒いとこだろう。なんて広くて、がらんとしてるんだろう」
こういって、カイはあたりを見まわして、ゲルダにしがみつきました。ゲルダは、ただもううれしくて、ないたりわらったりしました。そのようすがあんまり幸福《こうふく》そうなものですから、氷のかけらまで、うれしくなってぐるぐるおどりだしました。やがておどりつかれて、横になったと思ったら、まあどうでしょう。あのことばのつづりどおりにならんでいるではありませんか。そら、雪の女王が、うまくできたらカイを自由にして、全世界と、あたらしいスケートぐつとをやるといった、あの「永遠」ということばが!
ゲルダは、カイのほおにキスしました。
すると、そのほおに赤みがさしてきました。目にキスすると、カイの目も、ゲルダの目のように、いきいきしてきました。手と足にキスをすると、みるみる力がついて、カイはすっかり元気になりました。もうこうなれば、雪の女王がいつ帰ってきたってだいじょうぶです。カイを自由にするというやくそくの文字が、きらきら光る氷のかけらで、はっきりとそこに書いてあるからです。
それからふたりは、手をとりあって、この大きなお城から出ていきました。ふたりは、おばあさんのことや、屋根の上のバラのことを話しあいました。
こうしてふたりが歩いていきますと、風はおさまり、お日さまはきらきらかがやいて顔を出しました。赤い実のなっている、しげみのところまで来ると、もうそこにはあのトナカイが来て、ふたりをまっていました。けれども、こんどはもう一ぴき、ちぶさが大きくふくらんだ、わかいトナカイをつれていました。わかいトナカイは、子どもたちに、あたたかいおちちをたっぷりのませてから、ふたりの口にキスしてくれました。
それから二ひきのトナカイは、ゲルダとカイを乗せて、まずフィンランドのおばさんのところへ行きました。そこでふたりは、あたたかいへやの中でからだをあたためて、帰り道のことを教わり、それからラップ人のおばあさんのところへ行きました。
おばあさんは、ふたりにあたらしい服をぬってくれたうえに、そりの用意までしてくれました。
二ひきのトナカイは、そりとならんで走って、国境《こっきょう》のところまで送ってきました。ここまで来ると、はじめてみどりの草が、雪の下から顔をのぞかせていました。ここでふたりは、トナカイとラップ人のおばあさんにわかれをつげました。
「さようなら」
と、みんなは口々にいいました。
それからなおもすすんでいくと、はじめて小鳥がさえずりだし、森には、みどりの芽がもえ出ていました。そのとき森の中から、ひとりのむすめが、りっぱなウマにまたがって出てきました。そのウマには、ゲルダは見おぼえがありました。
そうです、それはあのときの金の馬車をひいていたウマでした。
むすめはきらきら光る赤いぼうしをかぶり、こしにはピストルを二つもさしていました。それは、あの小さな、山ぞくのむすめでした。むすめは家にいるのがいやになって、まず北のほうへ行ってみようと思ってやってきたのでした。北のほうがもしおもしろくなければ、またべつのところへ行けばいい、と考えていたのです。
むすめには、ゲルダがすぐにわかりました。ゲルダのほうでもすぐわかりました。ふたりは、どんなにかよろこんだことでしょう。
「おまえもずいぶん、ものずきだねえ、さんざ、ほっつきまわってさ。いったい、この人におまえさんが世界のはてまで行くだけの、ねうちがあるかしら」
こう、むすめはカイにむかっていいました。
けれどもゲルダは、むすめのほおをなでながら、王子と女王のことをたずねました。
「あの人たちは外国へ出かけたよ」
と、山ぞくのむすめはいいました。
「じゃ、あのカラスは?」
と、小さいゲルダは聞きました。
「うん、カラスは死んだよ。おかみさんのカラスは、ごけさんになって、黒い毛糸のきれっぱしを足につけて歩いてるよ。あんまりかなしんだもので、すこし頭がへんになってね。――ところで、あんたはあれからどうしたの。どうやってこの人をつかまえたの。それを話してよ」
と、むすめはたずねました。
そこで、ゲルダとカイは、いままでのことをのこらず話しました。
「じゃあ、それでめでたし、めでたしってわけね」と、山ぞくのむすめはいいました。
それからふたりの手をにぎりしめて、いつか、ふたりの住んでいる町を通ることがあったら、きっとたずねていくとやくそくして、広い世界ヘウマをとばしていきました。
カイとゲルダは、また手をつないで歩いていきました。ふたりが行くにつれて、あたりは、花とみどりにつつまれた美しい春になりました。
やがて、教会《きょうかい》の鐘《かね》の音が聞こえてきました。見おぼえのある高い塔が見え、ふたりの住んでいた大きな町が見えてきました。ふたりは町の中へはいっていって、おばあさんの家の戸口まで行き、かいだんをのぼってへやの中にはいりました。へやの中のようすは、なにもかもむかしのままで、とけいはカチカチいって、はりがまわっていました。けれども入り口をはいっていったとき、ふたりは、いつのまにか、じぶんたちがおとなになっているのに気がつきました。
屋根の雨どいの上にさいているバラの花が、あけはなしたまどから中をのぞいていました。そこには、小さい子どものいすがおいてありました。カイとゲルダは、めいめいのいすにこしをおろして、手をとりあいました。するとふたりは、雪の女王のお城の、なにひとつないさむざむとした美しさを、いやなゆめのようにわすれてしまいました。
おばあさんは、明るいお日さまの光をあびながら、声をあげて聖書《せいしょ》を読んでいました。
「もしなんじら、おさな子のごとくならずば、天国《てんごく》に入ることを得《え》じ」
カイとゲルダは、おたがいに目を見あわせました。と、たちまち、あの古い賛美歌の意味が、よくわかりました。
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バラの花 かおる谷間《たにま》に
あおぎまつる おさな子《ご》エスさま
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こうしてふたりは、もうおとなになって、そこにすわっていました。それでもふたりは、やっぱり子どもでした――気持ちのうえではね。そうして、季節はもう夏でした。あたたかい、めぐみゆたかな夏でした。(完)
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解説
アンデルセンと旅
「旅をすることは生きることです! 旅の生活はわたしにとってもっともよい学校でした。それはいつでも、わたしをわかがえらせてくれる魔法の酒ににています」
かれはこんなふうに、その自伝や友への手紙に、くりかえしてかいています。
かれが作家としてさいしょに名をあげたのは、アマーゲル島への旅の記録でした。
リーボル嬢への失恋でうけたいたでをいやしてくれたのはドイツへの旅であり、また、「即興詩人」をかかせてかれに世界的な名声をもたらしてくれたのは、イタリアへの旅でした。
こうしてかれは、かなしいにつけうれしいにつけ、旅に出ては心をなぐさめ、またゆたかにするのでした。
あのイタリア旅行ののちにも、かれはしきりに旅に出ました。国内の旅をのぞいて、外国への旅だけをかぞえても、ぜんぶで二十九回に達しています。いまのように旅行のべんりでなかった当時としては、これはめずらしいことで、作家でこれだけの外国旅行をした人は、ほかにはちょっと見あたりません。
かれはたしかに旅行がすきでした。しかし、それだけだったでしょうか。かれが異常なほど、つぎからつぎへと旅をしたのには、もっと深い理由がありそうです。もちろんかれは、子どものように好奇心が強く、また行動力があって、あたらしいしげきをもとめては、旅に出たのでした。一八六七年にパリで万国大博覧会があったときなどは、六十さいをすぎている身で、二度も見物に出かけています。
しかし、そういう旅へ出たい気持ちの、もっとおくにあるものを考えてみると、かれの心の底にあったさびしさや、じっとおちついていられない不安な思いや、愛情への飢えにつきあたる気がします。ひじょうにまずしい境遇にそだって、早く家庭をうしない、まったく財産もなく、ただひとりで生きていかなくてはならなかったかれは、むねの底に深い孤独の思いと、いつでも追い立てられるような不安とあせりをもっていたと思われるのです。しかも愛情への飢えも、ついにむくいられるときがなかったのです。かれは一生に三度女性に愛をささげますが、三度ともかた思いにおわりました。そんなわけで、一生結婚もせず、家庭をつくることもなしに、ホテルや下宿や友人たちの家をとまり歩いて一生をおわったのでした。
そういう孤独と不安とを考えてみないと、かれがあんなに旅に出たことも、またかれの作品の底に流れているさびしい深いあじわいも、じゅうぶんには理解できないと思います。
とにかくかれはしきりに旅に出ます。一八三七年と四〇年にスウェーデンに行ったほか、ドイツを通ってイタリアに行き、そこからさらに、ギリシア・トルコ・小アジア方面まで足をのばす大旅行もしました。その後もドイツ・オランダ・イギリス・スペイン・ポルトガル・スイスへと、毎年のように旅に出ました。アメリカへも行きたい希望はあり、招待もうけたのですが、海に弱いかれは、ついに新大陸へだけは出かけませんでした。
それらの旅の中で、アンデルセンに大きなよろこびと名誉をもたらして、その後のかれの栄光の道をたいらかにしたのは、一八四四年夏のドイツの旅でした。このときかれは、ゲーテやシラーの住んだ町ワイマールをおとずれたのです。両文豪はもうなくなっていましたが、ワイマールの大公《たいこう》をはじめ、あの両文豪としたしかった人は、いく人も健在でした。ことに大公は、この北欧の詩人をよろこんでむかえて離宮に招待し、かれのろうどくする「すずの兵隊さん」などに、皇太子とともにねっしんに耳をかたむけました。これをさいしょにして、まずしいくつ屋のせがれの童話作家は、祖国デンマークをはじめ、各地の宮廷にまでむかえられるようになり、やがては各国の王さまから、くんしょうなどをもらうようになるのです。
よく年のドイツへの旅では、グリム兄弟とも知りあいました。四七年のオランダやイギリスの旅では、かねてそんけいしていた文豪ディケンズにあい、かれに招待されて、五七年にはふたたびイギリスにわたり、かれの家に一か月あまりたいざいします。
なかでも、スウェーデンの歌ひめジェニー=リンドとのつきあいだけは、はぶくわけにいきません。
「ジェニー=リンドによって、わたしははじめて芸術のとうとさを知りました。どのような本も人間も、かの女ほどわたしに深く美しい心を知らせたものはありません」と、かれはかの女をたたえて、「芸術の神をまつる神殿の、聖火をまもる聖処女」とまでいっているのですから。
アンデルセンがかの女をはじめて知ったのは、一八四〇年の春、かの女が父親につれられてコペンハーゲンに遊びに来たときでした。かの女たちがそのときたまたま、アンデルセンが宿にしていたホテルにとまったことから、ぐうぜんに知りあったのです。かの女はスウェーデンでは、もう名声の高い歌ひめでしたけれど、まだ母国のそとではほとんど知られていなかったのです。
このときはしかし、ただ知りあったというだけのことでした。四三年の秋、リンド嬢がまたコペンハーゲンに来たとき、かれが間に立って王立劇場でうたってもらうことにしました。かの女のゆたかに美しい声は人々のむねにしみとおり、清純でそぼくな人がらは、それ以上に人々にすかれました。感激のうずがまきおこって、それがたちまち全ヨーロッパへ、ついでアメリカへまでひろがっていきました。こんな事情もあって、ふたりのしたしみは急速に深まり、四五年の秋にかの女が三度めにデンマークに来たときには、アンデルセンは毎日のようにかの女をたずねてかたりあったのでした。
いよいよかの女が帰国するという前には、さかんな送別の宴がひらかれましたが、その席でジェニー=リンドはデンマークを第二の祖国とよび、アンデルセンにわたしの兄になってくださいとたのみました。
かの女が、これほどしたしみを見せてくれたことは、アンデルセンにとっても、たいそううれしいことでした。
「わたしはまったく兄のような気持ちでかの女を愛しました。こういう美しいたましいを知り、また理解することができたのを、わたしはつくづく幸福に思いました」
と、かれは自伝にもかきとめています。しかし、ほんとうをいうと、かれの愛情はいつか、きょうだいのそれでは満足できないまでになっていたのです。「日記」の中には、かの女によせる苦しいまでに熱い恋の思いがかきとどめられています。しかしかの女は、まもなくドイツの音楽家と結婚しました。
その後も交際はつづきますが、こうしてかれの恋は、またしてもむくいられずにおわったのでした。「天使」「ナイチンゲール」「ヤナギの木のもとに」などは、かの女とのこんなつきあいから生まれた童話だといわれます。
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作品解説
この第一集には「飛行かばん」から「雪の女王」まで、十六編の話がおさめてあります。アンデルセンの三十五さいから四十さいにかけての作、ということになります。
「飛行かばん」……飛行かばんで空をとぶという着想は、アラビアンナイトから思いついたものですが、お話の中で商人のむすこがトルコの王さまとおきさきにして聞かせるマッチのじくなどの身のうえ話のところは、ある晩コペンハーゲンでもよおされた夜会の席で、当時の名女優だったハイベル夫人のためにかいたものといわれています。そんなわけで、マッチのじくはだれ、土なべはだれ、お茶のポットはだれと、それぞれモデルがあって、アンデルセン自身は、ナイチンゲールなのだそうです。皮肉でユーモラスな、おもしろいお話。
「コウノトリ」……コウノトリが赤んぼうをもってくるという民間の信仰と、この鳥についてのどうようをまぜてかいた作。
「イノシシの銅像」「友情のちかい」「ホメロスのお墓のバラ」……この三編は、一八四〇年からよく年にかけてしたイタリアからギリシア、小アジアヘかけての旅の収穫。さいしょから童話としてかかれたものではないから、すこしむずかしい。はじめは、その旅の印象記「詩人のバザー」にはいっていました。
「イノシシの銅像」では、まずしい少年の画家によせるアンデルセンの、あつい共感が人をうってくるし、「友情のちかい」には、ルイーゼ=コリン嬢への、かれのむくいられなかった恋のかなしみがえがかれていると見られます。「ホメロスのお墓のバラ」は美しい小品。
「ねむりの精のオーレおじさん」……これは、ヤルマールという少年を夜ごとにおとずれたねむりの精オーレ=ルゴイエが、一週間の間に見せてくれるゆめの話。一週間なので、七つの楽しい小さい話からなっています。
「パラダイスの園」……これは、かれが少年のときに聞いた童話にもとづいたもので、それに、あるノルウェー人のスピッツベルゲン島への旅の報告だの、アラビアンナイトからとった材料などがむすびついたものといわれます。
おもしろいところもあるけれど、ぜんたいとしてはかなりむずかしい。それというのは、キリスト教の根本にある、楽園を追われた人間の、そのうしなわれた楽園にたいするあこがれ、しかもその人間にどこまでもつきまとう罪と死といった問題をあつかっているからです。キリスト教の伝統のない日本の子供には、したしめない点があるでしょう。が、こういう作のあるところが、アンデルセン童話の深みでもあります。
「バラの花の精」「ぶた飼い王子」「ソバ」……これらは、「ねむりの精のオーレおじさん」とともに、一八四二年に出た「子どものための童話新集」第三集におさめられています。さいしょのものは、ボッカチオの「デカメロン」の話のかきかえ、第二のものはデンマークのむかし話から、つぎのはソバについての民間の信仰を材料にしたもの。一種のモラル色がこいところが、これらのお話の特色。
「天使」……アンデルセン童話の宗教的傾向を代表する作で、そういう点で注目され、またたしかに、ヨーロッパでは高く評価されているようです。しかし日本人から見ると、そうしたしめないでしょう。童話としてのたのしさのないのが、なんといっても欠点です。
「ナイチンゲール」と「なかよし」……前者には「旅」のところでかいたジェニー=リンドヘの讃美が、後者には初恋の相手だったリーボル=フォークトと再会したときの思いが、底に流れているといわれます。しかし、そういうことを別にして、これは二つとも、かれの作中でももっとも着想のすぐれた、おもしろい作にかぞえられるでしょう。
「みにくいアヒルの子」と「モミの木」……前者はいまさらいうまでもなく、アンデルセンの一種の自伝とされている名作。アヒルにかえされたためにハクチョウのたまごから生まれた子がアヒルの子としてそだてられ、そのためにさんざんみなにばかにされ、じゃまものにされて、とうとうひろい世間にとび出して行く。そしていろいろ苦しい経験もするが、さいごにはかがやくばかりのハクチョウになって、みなの愛と尊敬をうけるという話。「ハクチョウのたまごでさえあったら、アヒルの池で生まれたことくらいは、なんでもないんだ」と、ハクチョウの子アンデルセンは、ほこらしくいっています。
これはたしかにアンデルセンの生涯をあらわしたような美しい童話ですが、「モミの木」には、もっと深いかれの気持ちがにじみ出ているでしょう。クリスマスのためにはなやかにかざられたあと、すっかりわすれられて屋根うらでかれ、しまいにはてっぺんについていた星までもぎとられ、かまどに投げこまれてはいになっていくモミの木のすがた。かれのかいた最高の作の一つだと思います。
「雪の女王」……アンデルセン童話の最大力作の一つ。屋根の上におかれたはこにうえられたバラや、愛情ぶかいおばあさんのすがたには、作者の少年時代の思い出がこめられているといわれますし、知識をもとめてすなおな愛情をわすれた少年が、あくまのゆうわくにおちいる危険は、アンデルセンの心からうれえていたところでしょう。少年と少女の清純な愛をえがくのは、アンデルセンにかぎらずヨーロッパの作家に多いことですが、この作ではことにそれが強調されています。一生を通じて、かれの女性によせた愛はむくいられるところがなかった。それだけにかえって、このように愛のもつ高い意義が強調されたものでしょう。(山室静)
〔訳者紹介〕
山室静(やまむろしずか)一九〇六年、鳥取生まれ。東北大学美学科に学ぶ。日本女子大学教授。長年にわたって、文芸評論、北欧文学の翻訳紹介に力を注いできた。著書に『山室静著作集』(全六巻)『北欧文学の世界』『アンデルセンの生涯』、翻訳に『ヤコブセン全集』『アンデルセン童話全集』『世界むかし話集』など多数がある。