【タランと黒い魔法の釜】
ロイド・アリグザンダー
1 カー・ダルベンの会議
秋は、あまりに早く来てしまった。プリデインのもっとも北の地方では、もう、木々がすっかり葉をおとし、はだかになった枝の間に、こわれかけた小鳥のあき巣が、ひっかかっていた。南にくだって大アブレン川をわたると、山なみが楯となって、カー・ダルベンを風から守っていた。しかし、ここでも、もう、小さい農場は、みずから肩をすぼめはじめたように見えた。
タランには、夏があっというまにおわったように思えた。けさ、タランは、老予言者ダルベンに、予言の豚ヘン・ウェンをあらえと命じられた。ダルベンがギセントの成鳥をとらて来いと命じたら、タランはよろこんで、その邪悪な怪鳥をつかまえに出かけていったにちがいない。ところが豚をあらえといわれたので、タランはいやいや井戸で水くみ、のろのろと、ヘン・ウェンのかこいに向かった。いつもはよろこんで体をあらわせる白豚が、きょうは、気が立っていて、きいきいなきながら、泥の中にあおむけにころがり、おきあがろうとしなかった。タランは、ヘン・ウェンを立ちあがらせようと手をつくした。そのため、豚小屋の前に馬がとまるまで、客が来たことに気づかなかった。
「おい、そこの、豚飼い!」馬上から見おろしていたのは、タランよりせいぜいニ、三歳年上の若者だった。髪は茶がかかった黄色、青白い傲慢そうな顔はほりが深く、黒目がひかっていた。身につけているものは、上質だがかなり着古したもので、マントで体をくるいんでいるのも、いわば、ぼろかくしだった。マントそのものも、たん念にきちんとつくろってあることを、タランは見のがさなかった。乗っている馬は、あし毛のめすで、顔がほっそりと長く、赤、黄のまだらがあり、やせてかんがつよそうだった。主人とよく似て、おこりっぽい感じだ。
「おい、豚飼い。」と、若者はくりかえしてたずねた。「ここが、カー・ダルベンか?」
若者の口のきき方や態度は、かんにさわったが、タランは腹立ちをおさえ、ていねいにおじぎをして、答えた。「そうです。しかし、わたしは豚飼いではありません。わたしは、タラン、豚飼育補佐です。」
「豚は豚。」と、見知らぬ若者はいった。「豚飼いは豚飼いだ。主人に、わたしが来たことを知らせに行ってこい。」若者は命令した。「わたしはエリディル王子、ペン=ラルカウの息子……。」
ヘン・ウェンは、タランの油断を見すまして、また、泥土の中にころがった。「やめろ、ヘン!」タランは、大声をあげて、あわててヘン・ウェンを追いかけた。
「豚なんかほっておけ。」と、エリディルが居丈高にいった。「わたしのいったことをきいていないのか? 命令どおりにしろ、いそいで。」
「自分でダルベンにいいたまえ!」タランは、ヘン・ウェンを泥土に入れまいとしながら、肩ごしにどなった。「それがいやなら、この仕事がおわるまで待ったらどうだ。」
「無礼を申すな。」と、エリディルがいいかえした。「気をつけんと、手痛い目にあわすぞ。」
タランは、おこって顔をまっかにした。ヘン・ウェンを、したいようにさせておいて、大またにひきかえして、さくをまたぎこえた。「ばつをくらうとしても、」タランは、頭をぐっとそらして、エリディルをまっ正面に見すえ、はげしくいいかえした。「あんたからくらうのじゃない。」
エリディルが、あざけるようにわらった。タランがとびのくひまもなく、あし毛が突進してきた。エリディルは、鞍から身をのりだして、タランの上着のえりをひっつかんだ。タランは、手足をぱたぱたさせたがむだだった。タランも力は強いのだが、相手をふりはらうことができなかった。タランは、つづけざまになぐられ、歯ががちがちいうまでゆさぶられた。エリディルは、タランをひっぱりあげたままあし毛をギャロップさせて芝生を走り、家の前まで行くと、乱暴にタランを地面にほうりだした。にわとりが八方にぱっとちった。
さわぎをききつけて、ダルベンとコルが家から出て来た。エイロヌイ王女も、片手になべをもったまま、エプロンをひるがえして台所からとびだしてきた。エイロヌイは、あっとさけんで、タランのそばにかけよった。
エリディルは、馬をおりもしないで、白ひげの大予言者に大声でいった。「あんたがダルベンか? あんたの豚飼いをひっぱって来た。こいつ無礼なことをしおったから、むちでひっぱたいてくれ。」
「ばかな!」ダルベンは、エリディルのはげしい口調にもびくともせずにいった。「無礼であろうとなかろうと、むちでうつなど、できるものか。いずれにせよ、おまえのさしずは無用じゃ。」
「わたしは、ペン=ラルカウの王子だぞ!」と、エリディルはさけぶようにいった。
「わかった、わかった。」ダルベンは、いらだたしげに手をふって、話をさえぎった。「そんなことは、ちゃんとわかっておるが、いそがしくて、かかずらわってはおれん。馬に水をやりなさい。同時におまえの頭をひやすことだ。用があるときによぶから待っておれ。」
エリディルは、いいかえそうとしたが、予言者のきびしい目を見て、口をつぐんだ。そして、あし毛の向きを変えると、うまやに向かった。
その間、エイロヌイ王女と、がっしりしたはげ頭のコルは、タランに手をかしておきあがらせた。
「よそ者と争いをおこすなど、無分別だな、え、おい。」コルが、のんびりといった。
「ほんとうにそうよ。」と、エイロヌイもいった。「相手が馬で、こっちが地面に立っている場合は、とくに分別しなくちゃ。」
「こんど、あいつにぶつかったら。」と、タランがいいはじめた。
「こんどぶつかったときには、」と、ダルベンがいった。「少なくとも、おまえは、できるかぎり自分をおさえ、威厳をもったふるまいをしなくてはならんぞ。それは、たしかに、あまりぱっとせぬふるまいであろうが、おまえは、それをがまんせねばならん。さ、もういけ。エイロヌイ王女の手をかりて、少しは、人前に出ても見苦しくない程に手当てをせい。」
タランは、しょげきって、金髪のおとめのあとから台所にはいっていった。タランには、なぐられてたたきつけられたこと以上に、エリディルの言葉がこたえていた。それに、傲慢な王子の足もとにはいつくばったところを、エイロヌイに見られたことも、おもしろくなかった。
「いったい、なぜあんなことになったの?」エイロヌイは、ぬれた布をとって、タランの顔にそっとあてながらたずねた。
タランは返事をせず、むっりと手当てを受けた。
エイロヌイの手当てがおわらないうちに、木の葉や小枝をいっぱつくっつけた毛むくじゃらの生きものが、窓のところにぴょこっとあらわれ、おどろくほど身軽に、しきいをこえて、へやにはいって来た。
「ああ、なんたる悲しみ!」その生きものは、心配そうにタランのところへ走りよって来て、悲しそうにいった。「ガーギ、力の強い殿の、ぴしゃぴしゃぱんぱん見た。かわいそうな、やさしい御主人。ガーギ、気の毒でしかたがない。
「しかし、知らせがございますぞ!」ガーギは、いそいで話をつづけた。「吉報ですぞ! ガーギ、王侯の中でもっともお強い方が、馬にのって来られるのを見た。ほんと、ほんと、黒い剣を腰に、白馬にうちまたがって、力のかぎりかけて来られます。ああ、なんたるよろこび!」
「なんだって?」と、タランがさけんだ。「ギディオン殿下のことをいってるのか? そんな、まさか……。」
「いや、ほんとうだ。」タランの後ろで声がした。
ギディオンが戸口に立っていた。
あまりのおどろきに、あっとさけんで、タランは、ギディオンにかけより、手をにぎった。エイロヌイは、長身の戦士をだきしめた。ガーギは、どんどんとはねまわった。この前タランが見たとき、ギディオンはドンの王家の王子の服装だった。しかし今は、粗末な、かざりのない上着と、フードつきの灰色のマントしか身につけていなかった。黒い剣ディルンウィンを、腰につっている。
「みんなに会えて、うれしいぞ。」と、ギディオンはいった。「ガーギは、あいかわらず空腹そうだな。エイロヌイは、前よりまた美しくなった。そして、この豚飼育補佐は、」ギディオンは、日やけしてしわのある顔をふいにほころばせて、つけ加えた。「いささか参っているようだ。ダルベンにきいたぞ。そのすり傷のいわれを。」
「自分から求めたけんかではありません。」と、タランは、はっきりいった。
「だが、けんかの方でやって来た。」と、ギディオンがいった。「それが、おぬしの生き方なのであろうよ。なあ、カー・ダルベンのタラン。ま、それはそれとして。」といって、ギディオンは後ろにさがり、みどりにきらりと光る目で、タランをしげしげとながめた。「よく見せてくれ。うむ、この前会ったときより大きくなったぞ。」ギディオンは、オオカミ色のもじゃもじゃの頭を、満足そうにうなずかせた。「背丈同様に知恵ものびておるとよいがな。ま、いずれわかろう。さて、会議の支度をせねばならん。」
「会議?」タランはびっくりした。「ダルベンは、会議があるなんていいませんでしたよ。あなたが、ここにいらっしゃることさえ、おしえてくれませんでした。」
「じつをいいますと、」と、エイロヌイが口をはさんだ。「ダルベンは、だれに対しても、あまりいろいろはなしてくれないんです。」
「もう、わかってしかるべきだぞ。」と、ギディオンはいった。「ダルベンは、知っておられることを、ほとんどもらさないのだ。うむ、会議がひらかれることになっておってな。わたしが、ほかの者たちをここへ召集したのだよ。」
「わたしは、大人の会議に列席できる年になりましたよ。」タランは興奮して急いで話しにわりこんだ。「ずいぶん、たくさんのことをまなびました。あなたとならんでたたかったし、それに……。」
「まあまあ、」と、ギディオンはいった。「おぬしの列席はみとめられておるのだ。だが成人するということは、」ギディオンは、ちょっと悲しげな声でしずかにつけ加えた。「おぬしの思っているようなものとはかぎらない。」そして、タランの肩に両手をおいて、「ま、待っておれ。すぐに仕事をいいつけることになる。」
ギディオンのいったとおり、その日は、昼までに、続々と客が到着した。まもなく、一群の騎馬の者たちが姿を見せ、果樹園の外側の、とり入れがすんだはたけにおちついた。その騎馬武者たちが完全武装していることを、タランは見てとった。心がおどった。この武装も、ギディオンの会議とつながりがあるにちがいなかった。タランは、ききたいことがいっぱいで、急いではたけに向かった。だが途中までも行かないところで、タランは、おどろきのあまり、足が前に出なくなった。なつかしい人物がふたり、馬にのって進んで来るのが見えたのだ。タランは、出迎えに走りよった。
「フルダー!」タランが声をかけると、美しい竪琴を肩にかけた吟遊詩人が、片手をあげてあいさつした。「そして、ドーリも! こりゃ、夢じゃないですか!」
もえるような赤毛の小人は、いきおいよく小馬をおりた。そして、一瞬相好をくずしてわらったが、すぐに、いつものしかめつらにもどった。しかし、まるくて赤い目は、かくせずに、よろこびの表情を見せて、きらきらしていた。
「ドーリ!」タランは、小人の背をたたいていった。「また会えるとは、思いもしませんでしたよ。その、つまり、あなたの姿が見られるってことです。姿が消える力を持ってからは、姿は見られないと思いました。」
「ふん!」皮の上着をきた小人は、ばかにしたようにいった。「姿を消すだと! そりゃ、のぞみどおりにはなった。だが、その苦しみなんかわかるまいよ。ひどいもんだ! 耳ががんがん鳴るんだ。しかし、もっと悪いことがある。だれにも、こっちの姿が見えないから、足をふんづけられたり、目をひじでつつかれたりする。まったく、なんのとくもない。おれは、もうがまんできん!」
「ああ、フルダー、」タランは、馬をおりた吟遊詩人に思わず大きな声でいった。「あなたに会えなくてさびしかったですよ。きょうの会議の目的をごぞんじですか? 会議のためにいらっしたんでしょう? ドーリも、そうでしょう?」
「おれは、会議のことは、なにも知らん。」ドーリがつぶやくようにいった。「エィディレグ王がここへ来るようにと命じられたのさ。ギディオンに対する異例の敬意なんだ。だが、ここで率直にいえばだ、おれは妖精の王国にもどって、よそさまのことなんぞ、うっちゃらかしておきたいね。」
「わしの場合は、」と、吟遊詩人はいった。「ギディオンが、たまたま、わしの王国を通りかかったのだよ――まったくの偶然、と思えたのだが――今は、そうでなかったと思いはじめている。ギディオンは、カー・ダルベンに立ち寄れるかもしれないとほのめかした。わが友ドーリも、ここへ来ることになっているというじゃないか。そこで、すぐに出かけて来たのさ。
「わしは、吟遊詩人をやめておった。」と、フルダーははなしつづけた。「また、王として、しごく満足しておちついておったのさ。ただ、ギディオンのために、出て来たのだよ。」
そのとたん、竪琴の絃が二本、びーんと大きな音をたてて、ぷっつりきれた。フルダーは、すぐに話をうちきってせきばらいをしてから、いいわけした。「いやね、ほんとうをいうと、わしは、すっかりみじめになっておったのだ。あのしめっぽい陰気な城をぬけだせるなら、どんな口実にだってとびついただろうよ。会議といったな? わしは、また、収穫祭でもあって、余興にわしが必要なのかもしれぬと思っていたんだ。」
「わけはにとかく、」と、タランがいった。「あなた方ふたりが来てくださって、うれしいですよ。」
「わしは、うれしくない。」と、小人が不平がましくいった。「ドーリのやつに、これをやらせろ、ドーリのやつに、あれをやらせろときたら、気をつけなくちゃ! ろくな仕事じゃないんだから。」
家に向かってあるきながら、フルダーは、興味深そうにあたりを見まわした。「やあ、やあ、あそこに見えるのは、スモイト王の旗ではないか。彼も、きっと、ギディオンのもとめに応じて、ここに来たのだな。」
そのとき、騎馬の者がひとり、馬をだく足で進めて来て、フルダーの名をよんだ。吟遊詩人は、うれしそうに大声をあげた。それから、「詩人の長タリエシンの息子アダオンだよ。」と、タランに教えた。「カー・ダルベンにとって、きょうという日は、たいへん名誉な日だぞ!」
男が馬からおりると、フルダーは、ふたりの友を急いでひきあわせた。
アダオンは、すらりと背が高く、まっすぐな黒い髪を肩までたらしていた。態度ものごしは上品だが、身なりは平凡な戦士とかわらず、装飾品も、えりに奇妙な形の鉄のえりかざりをつけているだけだった。目は灰色で、ふしぎな深味が感じられ、ほのおのように澄んでいた。アダオンの思慮深い、さぐるようなまなざしは、なにもかも見通してしまうと、タランは感じた。
「いや、会えてうれしい、カー・ダルベンのタランと、妖精族のドーリ。」アダオンは、ふたりの手を順ににぎっていった。「きみたちの名は、北の国々の吟遊詩人の間では、もうなじみの名でな。」
「すると、あなたも吟遊詩人でいらっしゃいますか?」タランはそういって、ていねいに頭をさげた。
アダオンは微笑しながら、首を横にふった。「わが父は、手ほどきを受けよと、うるさくいうのだが、わたしは、急がぬことにしている。まだ、ならいおぼえたいことがたくさんあるし、内心、まだ詩人になる準備がととのったと思えないのだよ。たぶん、いつかは、なれるだろうが。」
アダオンは、フルダーに話しかけた。「父があなたによろしくといっておりました。そして、さしあげた竪琴を、あなたがどうしているかときいておりましたぞ。修理しなくてはならんようですね。」アダオンは、好意のこもったわらい声をたてた。
「うむ。」と、フルダーがうなずいた。「ときどき苦労させられるね。わしは、どうしても、事実を誇張してしまう。事実とは、たいてい、たいへんに誇張が必要なものさ。ところが、誇張するたびに。」フルダーは、切れた日本の絃を見て、ため息をついた。「こうなってしまう。」
「元気をおだしなさい。」アダオンは、しんからおかしそうにわらっていった。「あなたのつくられた武勲の物語は、プリデイン中の吟遊詩人がうたわねばならぬほどねうちがあるものです。それから、タランとドーリ、おぬしたちは、あの有名ないさおしを、もっとくわしく話してくれると、ぜひ、約束してくれたまえ。しかし、まず、はじめに、ギディオン殿下にお会いせねばならん。」
フルダーは、えらいやつだというように、やさしくその後姿を見送りながらいった。「アダオンがきたのでは、つまらぬ仕事ではないな。彼は、わしの知っているもっとも勇敢な男のひとりだ。そればかりではない。あの男は、真の詩人の心をもっておる。いつかは、もっともすぐれた吟遊詩人にきっとなるよ。いいか、よくおぼえておくんだぞ、この言葉を。」
「それで、ほんとうに、あの人は、ぼくたちの名まえを知っているのですか?」と、タランがたずねた。「それと、ほんとうに、ぼくたちをうたった歌があるのですか?」
フルダーが顔をかがやかせた。「角の王とたたかった後で――じつは、わしがちょっとした歌をつくったのさ。つつましいおくりものさ。だが、その歌がひろまったと知ってうれしい。このいまいましい絃をとりかえたら、よろこんでおきかせしよう。」
正午をまわってまもなく、客の疲れもいえたころ合を見て、コルが全員をダルベンのへやに招じ入れた。へやには、長いテーブルがしつらえてあり、両側に、いすがずらりとならんでいた。老予言者はが、いつもは、へやいっぱいにちらかしておく古い書物を、多少整理したことが、タランにはわかった。ダルベンの秘奥を封じてある分厚な本、<時の書>は、用心深く、たなの上に乗せてあった。タランは、あの中にこそ、ダルベンが今までに明かしたよりはるかに多くの秘密がかくされているにちがいないと思って、こわごわ見上げた。
客たちがはいって来はじめると、フルダーがタランの腕をつかんで、道をあけさせた。黒ひげの戦士が、いきおいよくそばを通った。
「これだけはまちがいないぞ。」吟遊詩人が声をおしころしていった。「ギディオンは、収穫祭なんかもくろんじゃいない。だれが列席しておるか、わかるかね?」
黒ひげの戦士は、一同のだれよりも豪華によそおっていた。鼻は、ハヤブサのようにくちばしを思わせ、まぶたのあつい目が、鋭かった。男は、ギディオンにだけ頭をさげ、席についてから、ひややかな目で、品定めするように、一同を見まわした。
「あれはだれです?」タランは、その誇高い、威厳のある人物をまともに見られず、小声でたずねた。
「マドックのモルガント王だ。」と、吟遊詩人が答えた。「プリデインでも、もっとも大胆不敵な武将だ。彼をしのぐのはギディオンしかいない。ドンの王家に忠誠をちかっている。」フルダーは、感にたえたように首をふった。「一度ギディオンの命をすくったことがあるという話だが、わしは信じるね。彼を戦場で見たことがあるんだ。氷のごとく冷厳そのもので、まったく恐れ知らずだった。モルガントが加わるとなると、なにかおもしろいことが、はじまるにちがいない。おっ、ほら、あの声がスモイト王だ。彼の場合は、姿が見えなくても声でわかるのだよ。」
ほえるようなわらい声が、へやの外でひびきわたったと思うと、赤毛の雲つくような戦士が、のっしのっしとはいってきて、アダオンのとなりに立った。スモイト王は、へや中のだれよりも背が高く、もえるような赤いひげが、くもの巣状に古傷の走る顔をかこんでいた。鼻はぺちゃんこにつぶれて、ほお骨とおなじくらいの高さになっていた。ひろいひたいは、たけだけしい太い眉毛ににおおわれていた。首など、タランの腰ほどもあるようだ。
「まったくの熊だなあ!」フルダーが、いい奴だという気持ちをこめて、くすくすわらっていた。「だが、あいつには、悪意のかけらもない。南部諸国の王たちが、ドンの子孫の家に反抗して兵をあげたときも、スモイトは、変わらぬ忠誠をちかった数少ないひとりだった。カディフォル・カントレブが彼の領土さ。」
スモイトは、へやのまん中に立つと、マントをぱっと後ろにはらい、幅広いブロンズの帯に両手の親指をひっかけたので、帯は、まん中あたりでぷっつり切れそうになった。「やあ、モルガント!」巨人は、ほえるようにいった。「すると、おぬしも招かれたんだな?」巨人は、そこで、はげしく鼻をうごめかした。「ふむ、風が血なぐさいぞ。」そして、冷厳な武将モルガントに大またで近づくと、その肩をどんと打ってあいさつした。
「気をつけることだな。」モルガントは、歯をちらっと見せてかすかにほほえんで、いった。「それがおぬしの血でないようにな。」
「おっ、ほほう!」スモイト王はほえるようにいって、太いももをぴしゃりとたたいた。「よしよし! わしの血でないように気をつけるか! 心配するな、このつららめ! わしの血はありあまっているわい!」そして、フルダーに目をとめ、「やあ、もうひとり、古なじみがおる!」とわめいて、いそいで吟遊詩人のところまで来ると、夢中になって彼をだきしめた。タランは、フルダーの骨がぽきぽき鳴ったのをきいた。「こりゃ、おどろいた!」と、スモイトはさけんだ。「こりゃ、うれしい! 一つ陽気なうたをやってくれ、このまぬけの楽隊!」
そのとき、スモイトの目がふとタランにとまった。「ふん、こりゃなんだ、こりゃあ?」スモイトは、力強い赤毛におおわれた手で、タランをつかむと、「皮をむかれたうさぎかな? 毛をむしられたにわとりかな?」
「タランじゃよ。ダルベンの豚飼育補佐だ。」と、吟遊詩人がいった。
「ダルベンのコックだったらいいのにのう!」と、スモイトが大声でわめいた。「わしは、腹になにも入れとらんのだ。」
ダルベンが、静かにせよと、手をこつこつたたきはじめた。スモイトは、フルダーを、もう一度だきしめてから、大またに自分の席についた。
「悪意のない人かもしれませんが、」タランは、吟遊詩人にいった。「友だちになっていないと危険な人物なんだと思いますね、あの人は。」
全員が席についた。上座にはダルベンとギディオンがならび、真向かいの席には、コルがすわった。スモイト王は、いすからはみ出しながら、ダルベンの左手の席につき、その真向かいには、モルガントが席をしめた。タランは、吟遊詩人とドーリの間にわりこんだが、ドーリは、テーブルが高すぎると文句をいっていた。モルガントの右にアダオンが、アダオンのとなりにエリディルがすわった。エリディルの姿をタランが見たのは、朝の争い以来だった。
ダルベンが立ちあがったが、ちょっとの間、口をひらかなかった。みんな、ダルベンをじっと見ていた。やがて、老予言者は、一房のあごひげをなでていった。「わしは、もはや寄る年波で、十分な礼儀もつくせなくなっておる。それに、歓迎の辞をのべるつもりもない。ここで議すべきことは、急を要しておるから、ただちにとりかからねばならぬ。
「わずか一年ほど前のことじゃ。ここにおるものの何人かは、当然よくおぼえているはずであるが、」ダルベンは、タランとその仲間をちらりと見て、話をつづけた。「アヌーブンの王アローンは、彼の戦将、角の王を殺されて、手痛い敗北をこうむった。ここしばらく、それによって、死の国の力はおさえられておる。だが、このプリデインから、悪が遠ざかっているとは、けっしていえぬ。
「アローンが一度の敗北によって、再度の挑戦をあきらめるなどと思うおろかなものは、だれひとりおらぬ。」と、ダルベンは話をつづけた。「わしは、アヌーブンの新しい脅威を見定めるまで、もうすこし余ゆうがありそうだと考えておった。だが、悲しいことに、そのような時のゆとりはなかった。アローンのもくろみが、明々白々となったのじゃ。それについては、ギディオン殿にお話ねがうとしよう。」
かわって、ギディオンが立ちあがった。きびしい顔つきだった。「だれもが不死身のことは耳にしているであろう。アヌーブン王につかえる、口のきけない、そして死ぬことのない戦士のことである。不死身は、アローンが、いくさで死んだものの死体をぬすみ、魔法の大釜に入れて、再生させた戦士である。不死身は、人間らしさがなくなり、死そのもののごとく無慈悲となって再生する。まったく、彼らはもはや人ではない。アローンの永遠の奴隷となった凶器でしかない。
「このいむべき再生をおこなうために、」と、ギディオンは、話をつづけた。「アローンめは、いくさに倒れた戦士の墳墓をあばこうとしてきた。ところが、今、プリデイン全土において、神かくしのごときことがおこり、男がふいに姿を消して、ふたたびもどらない事件が相ついでいる。そして、かつて一度もその姿を見ることがなかったところにも、不死身が姿を見せている。アローンのしもべどもは、生きている男を殺してアヌーブンにつれ去り、不死の軍勢をふやそうとしているのである。かくて、死は死をよび、悪は悪を招いている。」
タランは身ぶるいした。戸外に目をやると、赤く、黄色く、日に映える森が見えた。大気は、夏が名残おしげにたゆたうようにあたたかかった。だが、ギディオンの言葉は、だしぬけの寒風のように、タランをふるえおののかせた。不死身の、あの生気のない目、土気色の顔、おそろしい沈黙、容赦ない剣先を、タランは、忘れようにも忘れられなかった。
「そいつをやっつけろ!」と、スモイトがさけんだ。「われわれは、臆病なうさぎじゃない! 魔法の釜の奴隷など、恐れることがあるか?」
「やっつけるのは、なかなかのことだぞ。」ギディオンが、きびしい顔にわらいをうかべて答えた。「それでは申しあげよう。われわれはまだ、だれひとり、これ以上危険な仕事にたずさわったことはない。わたしは諸卿の協力をもとめたい。わたしは、アヌーブンを直接攻めて、アローンの魔法の釜をうばい、それをうちこわしてしまいたいのだ。」
2 危険な役割
タランは、ぎょっとして腰をうかした。へや中がしずまりかえった。スモイト王は、なにかいいかけて口をあけたが、声にならなかった。ただひとりモルガント王だけは、おどろいた様子をすこしも見せなかった。こゆるぎもせず、目をなかばとじていたが、その顔には奇妙な表情がうかんでいた。
「これ以外にうつ手はないのだ。」と、ギディオンはいった。「不死身は殺すことができない。とすれば、その数が増えることを防がなければいけない。アヌーブンの戦力と、わが方の戦力とは、じつに微妙なつりあいをたもっている。だから、アヌーブンに新しい戦士が加われば、アローンの手が、それだけわれわれの喉首に近づく。また、生きている人間がきたない手段で殺され、さらによこしまな手段で奴隷にされていることも忘れてはならない。」
「わたしのこの考えは、」と、ギディオンはつづけていった。「きょうまで、大王マースと四、五人のものにしか話してはいない。諸卿は、今話をきいたわけだが、のこるも帰るも心のままにされるがよい。それぞれの領地に帰りたいと思われても、卿等の勇気をうたがうことなど、わたしはしない。」
「いや、わしはうたがうぞ!」と、スモイトがさけぶようにいった。「殿下とともにたたかおうとせぬ、へろへろの臆病者は、このわしが相手だ!」
「これ、スモイト王。」と、ギディオンが、きっぱりと、しかし好意のこもった声でいった。
「これは、おぬしが口をそえずにきめるべきことだぞ。」
だれも席をたつものはなかった。ギディオンは、一座を見渡し、満足そうにうなずいていった。「やはり、わしの期待どおりであったな。わたしは、これから申しあげる仕事をなしとげるうえで、諸卿をあてにしていたのだ。」
タランは、興奮のあまり、不死身の恐怖を忘れてしまった。それどころか、自分の役割をその場ですぐにききたいいらだちをおさえるのがやっとだった。今度ばかりは、タランも、賢明に舌をうごかさなかった。いきおいよく立ちあがったのは、タランではなく、フルダーだった。
「もちろん!」と、吟遊詩人は大声をはりあげた。「わしには、すぐに、くわだてがすっかりわかった。あのいまいましい大釜をもち出すには、当然戦士が必要である。だが、雄々しき勝利の歌をつくる吟遊詩人も、また必要であろう。ひき受けましたぞ! よろこんで!」
「わたしが、あなたをえらんだのは、」ギディオンが、好意をこめていった。「竪琴よりは、剣に期待したからですぞ。」
「それは、またどうしてかな?」と、フルダーはききかえした。がっかりして、ひたいにしわをよせたが、「そうか、わかった。」と、表情をやわらげて、みずから答えるようにいった。
「うむ、そうだな。その方面でも、多少名のあることはみとめねばならんな。フラムのものは、つねに勇敢である! わしは、何千もの敵を相手どって血路をひらき、」フルダーは、不安そうにちらりと竪琴に目をやった。――「いや、その、多くの敵というべきかな。」
「わたしは、一度とりかかったら、全員がそれぞれの義務をけんめいに果たされんことをのぞむ。」と、ギディオンはいった。そして、上着の内かくしから、一枚の羊皮紙をとり出し、テーブルの上にひろげた。
「カー・ダルベンで会合をひらいた一つの理由は、ここが安全だからである。」ギディオンは、さらに話をすすめた。「ダルベン殿は、プリデイン中で、もっとも力のある予言者であるから、ここにいるかぎり、われわれはその力に守られている。カー・ダルベンには、アローンも攻撃をしかける勇気がない。だが、それだけではなく、ここはアヌーブンへの旅をはじめるのに最適の場所でもある。」ギディオンは、人さし指で、小さな農場から北に向かう道すじをえがいてみせた。「大アブレン川は、この季節には水かさがへっておる。ぞうさなく渡れる。渡ってしまえば、あとは、スモイト王の領土であるカディフォル・カントレブを通れば、アヌーブンの南に位置するイドリスの森までたやすく進める。あそこからは、暗黒の門まで、すぐにいける。」
タランは、息をのんだ。参会したほかの者たち同様、タランも暗黒の門の名は耳にしていた。「そして、あの釜は、ここへもち帰らねばならない。危険は覚悟せねばならない。しかし、彼の追跡があまりにはげしい場合には、スモイト王のとりで、カー・カダルンに退避する。そのため、スモイト王には、全軍をイドリスの森の近くに集結させて待機していてもらいたい。」
「なんと?」と、スモイトはほえた。「このわしをアヌーブン入りからはずすと?」そして、テーブルをどんとたたいた。「あんたは、このわしに指をくわえていろというのか? しんがりなんか、黒ひげの、冷血のかますづらのモルガントにたのんでくれ!」
モルガントは、スモイトの腹立ちまぎれの悪口を、きかないふりで受けながした。
ギディオンは、首を横にふった。「成功のかぎは、人数ではなく、不意打ちと敏速な行動にある。のう、スモイトよ、計画がうまくいかない場合には、おぬしががっちりと支援してくれなくてはならんのだ。おぬしの役割は、重要さにおいては変わりないのだよ。
「第三組は、暗黒の門の近くで第一組を待ち、荷駄の馬を守り、退路を確保し、緊急の場合のそなえとしてはたらく。この組は、タリエシンの息子アダオン、カー・ダルベンのタラン、ペン=ラルカウの息子エリディルである。」
エリディルが、すぐにおこった声をあげた。「なぜ、このわたしが、ひかえにまわらねばならないのです? わたしが豚飼いと変わらないというのですか? こいつは、いくさなれぬ青二才ですぞ!」
「いくさなれぬ!」タランは、ぱっと立ちあがってさけんだ。「わたしは、ほかならぬギディオン卿とともに不死身とたたかったことがある。あなたは、それ以上にいくさなれているというのですか、つづれの王子さま?」
エリディルは、さっと剣のつかに手をかけた。「わたしは、ペン=ラルカウの息子。侮辱には耐えられぬ。まして……。」
「だまれ!」と、ギディオンが命令した。「この思いきったくわだてにおいて、豚飼育補佐の勇気は、王子の勇気とかわりなく貴重なのだ。よいか、エリディル、短気がおさえられねば、この席から姿を消すがよい。」
「それから、タラン、」ギディオンは、タランに目を向けて、話をつづけた。「おぬしは、怒りに対し、子どもっぽい侮辱で答えた。わたしは、おぬしを、もっとよくできた男と考えていたぞ。よいか、ふたりとも、わたしのいないとき、アダオンの命に服さねばならんぞ。」
タランは赤面して腰をおろした。エリディルも腰をおろしたが、暗い顔で、なにかをじっと考えていた。
「それでは、会議をとじよう。」と、ギディオンがいった。「あとで、ひとりひとり、よりくわしく話しあうつもりでいる。わたしは、これから、コルと話しあわねばならんことがある。全員、あすの明け方、アヌーブンに向けて出立できるように支度をしたまえ。」
一同がへやから出ていきはじめると、タランはエリディルのかたわらに歩みよって、手をさしのべた。「この仕事中は、おたがい敵であってはいけませんから。」
「みずから、そのようにふるまえ。」と、エリディルは答えた。「わたしは、無頼な豚飼いと同列にはたらきたくはない。わたしは王子だ。おまえは、だれの血をついでいる? ふむ、不死身とたたかったのであったな?」王子はあざわらった。「ギディオンとともにな? いや、ぬけめなく、それをいいふらしおったわ。」
「そっちは家名を自慢する。」と、タランはいいかえした。「わたしは、友を誇りに思う。」
「おまえとギディオンのつきあいなど、わたしに対して楯とはならん。」と、エリディルはいった。「おまえをいくらひきたてようと、それはギディオンの自由だ。だが、よくきけよ。わたしといっしょにいるときは、身分をわきまえるのだ。」
「わたしは、自分のつとめを果たす。」タランは、かっとなっていった。「広言どおりにあなたがつとめを果たすかどうか、見ていよう。」
アダオンが、ふたりのそばにやって来て、わらいながらいった。「おしずかにな、同志よ。これは、アローンとのたたかいであって、仲間うちのたたかいではないと、わたしは考えていたのだがな。」まずタランを、つぎにエリディルを見てはなす声は、おだやかだったが、うむをいわせないものが感じられた。「友情があってこそ助けあえる。けんかごしはだめだ。」
タランは、頭をたれた。エリディルは、つぎのあたったマントで身をくるむと、なにもいわず、昂然とへやを出て行った。タランが、アダオンにつづいてへやを出て行こうとすると、ダルベンがよびもどした。
「おまえたちふたりは、まったく似あいの短気ものじゃな。」と、老予言者が批評した。「どちらがよけいばかだろうかと考えているのだが、なかなかきめられん。」老人はそういって、あくびをした。「あとでよく考えてみなければな。」
「エリディルは、ほんとうのことをいいましたよ。」タランは、にがにがしげにいった。「わたしは、だれの息子なんですか? わたしには、あなたがつけてくれた名まえしかありません。エリディルは王子で……。」
「王子であっても、」と、ダルベンはいった。「おまえほど幸せではないかもしれぬ。彼は、北国の老ペン=ラルカウ王の末子じゃ。兄たちが、わずかな財産をみな相続してしまい、それすら、すでに失せてしまっている。エリディルにのこったのは、王子の名と一振りの剣のみじゃ。その二つすら、深い智恵にしたがって使っておるとはいえんな。
「だが、」と、ダルベンはつづけた。「名や剣の使い道は、おのずから正しきにつくようになるものじゃ。そうじゃ、忘れぬうちに……。」
ダルベンは、ほそ長い足をおおう長衣のすそをひらひらさせながら、大きな箱のところまで足をはこび、古めかしいかぎで錠をあけ、ふたをもちあげた。ダルベンは、かがみこんで、箱の中をがさごそした。「正直にいって、わしはずいぶん後悔しているし不安もあるのだが、それを話しても、おまえにはまったく興味があるまい。だから、きかせてもはじまらん。だが、こっちの方はまちがいなく、おまえの興味をひくじゃろう。だから、与えることにした。」
ダルベンが背をのばして向きを変えた。手には、一振りの剣がにぎられていた。
タランは、うれしくて胸がはずんだ。夢中で剣をつかんだ。手がふるえ、あやうく落としそうになった。さやにもつかにも、いっさいかざりはなかった。形と、持ったときの重さのつりあいに、技がこらされた剣だった。ひじょうに古いものだが、刃はさび一つなく光っていた。かざり気のなさが、じつは、ほんとうに高貴な美を生みだしていた。タランはダルベンにひくく頭をさげ、どもりながら礼をいった。
ダルベンは首を横にふっていった。「わしに感謝すべきかどうかは、これからきまることじゃ。賢い用ち方をせい。正しくふるまい、一度も使わないですむようにと、いのるのみじゃ。」
「この剣の魔力は、なんですか?」タランは、目をかがやかせてきいた。「今おしえてください。そうすれば、その……。」
「魔力?」ダルベンは、悲しげなほほえみをうかべて答えた。「むすこよ。これは、少々無粋な形にたたきのばした鉄片にすぎん。せんてい用の手かぎか、すき、くわにした方がよかったものじゃ。魔力とな? あらゆる武器同様、これをふりまわすものが手に入れる力だけじゃ。おまえがどんな力を得るか、わしにはぜんぜんわからんことだ。
「さて、それではさらばじゃ。」ダルベンは、タランの肩に手をおいていった。
タランは、今はじめて、この老予言者の顔が、心労のためにひどくやつれて、老いていることに気づいた。
「わしは、おまえたちの出立を見とうない。」と、ダルベンはつけ加えた。「このような別れはさけたいものじゃよ。それに、あとになれば、おまえの頭は、心配ごとでいっぱいになり、わしのいってきかすことなど忘れてしまうじゃろ。では、もう行け。そして、エイロヌイ姫の手で、その剣を身につけさせてもらえるかどうか、たのんでみるがよい。すでに剣を手に入れたからには、」といって、ダルベンはため息をついた。「しきたりを守ってしかるべきであろう。」
エイロヌイが、せとものの茶わんや皿をかたづけていると、タランがとびこんできてさけんだ。「見てごらんよ! これ、ダルベンがくれたんだ! これをさげさせてくれよ――いや、おねがいします。承知してくれたまえよ。ぜひ、きみにやってもらいたいんだ。」
エイロヌイは、おどろいてタランを見た。「ええ、もちろん。」そして、顔をあからめながら、「ほんとうに、わたしでよければ……。」
「もちろんさ!」と、タランはさけぶようにいった。「だって、カー・ダルベンには女の子はきみしかいないじゃないか。」
「それでなの!」と、エイロヌイはいいかえした。「ばかに礼儀正しいから、どこかおかしいとは思ったのよ。わかったわ、カー・ダルベンのタラン、そんなわけで、わたしにたのんだのなら、ほかの人をさがしに行きなさい。どんなに手間がかかっても、かまわない、わたし。かかればかかるほどいいわ!」エイロヌイは、つんと上をむいて、腹だたしげに茶わんをふきはじめた。
「ね、どうしたのさ?」タランは面くらってたずねた。「おねがいしますっていったろ? たのむから、きみの手で身につけさせてくれよ。」タランはたのんだ。「そうすれば、会議のもようをおしえてやる。」
「知りたくなんかないわ。」と、エイロヌイは答えた。「全然興味なんてないんですもの――でも、どんな会議だった? あ、それ、おかしなさいってば。」
エイロヌイは、手ぎわよく皮の剣帯をタランの腰につけてやった。「勇敢なれ、不屈なれなんていう儀式や演説を、わたしがするだろうなんて思わないで。」と、エイロヌイはいった。「第一、あんなこと、豚飼育補佐にはぴったりしないわ。それに、わたしはしらないの。さあ、いいわ、」エイロヌイは後ずさりした。「正直いって、なかなかよくにあうわ。」
タランは、剣をぬいて高くかざした。「そうとも。これこそ、大人であり騎士でもあるものの武器なんだ!」
「そんな自慢はもうたくさん!」エイロヌイは、いらだたしげに、足をどんとならしてさけんだ。「会議はなんのことだったの?」
「ぼくらは、アヌーブンに行くんだよ。。」タランが、わくわくした声でささやくようにいった。「あすの夜明けに。アローンから魔法の釜をうばってくるんだ。ほら、あの大釜さ。やつが……。」
「どうして、それをすぐにいわなかったの?」と、エイロヌイがさけんだ。「わたしの支度の時間がたりないじゃないの。どのくらいかかるのかしら? その旅? わたしも、ダルベンに、たのんで剣をもらわなくちゃ。ねえ、あなた、必要だと思う、わたしに……。」
「おい、おい、だめだよ。」と、タランが話をさえぎった。「わかってないな。これは、戦士の仕事なんだ。女の子なんて荷物を、しょいこむわけにはいかないんだ。<ぼくら>っていったのは……。」
「なんですって?」と、エイロヌイが金切り声をあげた。「今の今まで、あなた、わたしをだましていたのね――カー・ダルベンのタラン、あなたくらい、人をおこらせる人間て、会ったことないわ。戦士ですって、ふん! あなたが、剣を百本持っていようと、それがなんなの? やっぱりあなたは豚飼育補佐じゃないの。それに、ギディオンが、あなたをつれていってくれるのなら、わたしをつれていかないわけがないでしょ! さあ、ここから出てって!」エイロヌイは、そうさけぶと、皿をつかんだ。
タランは、背を丸めてにげだした。後ろで、せともののわれる音がした。
3 アダオン
空があかるむとすぐ、戦士たちは出発の支度にかかった。タランは、たてがみが銀色で全身が灰色のメリンラスに、大いそぎで鞍をつけた。メリンガーは、ギディオンの乗馬メリンガーの子どもだった。ガーギは、のこされるので、雨にぬれたふくろうのようにしょんぼりしながら、タランに手伝って鞍袋をつけた。ダルベンは、見送らないという考えを変えて、じっと考えるような顔で、なにもいわずに戸口に立っていた。かたわらにエイロヌイも見えた。
「わたし、あなたと口なんかききたくないわ!」エイロヌイは、タランに向かってさけんだ。「なによ、あのふるまい。まるで、ごちそうによんだ人に、皿あらさいさせるようなものだわ! でも、とにかく、ごきげんよう。これは、」と、エイロヌイは、いいわけした。「口をきいた分には、はいらないのよ。」
ギディオンを先頭に、騎馬の一行は、うずまく朝霧の中を進んだ。タランは、鞍にまたがって背をのばし、ふりかえってとくいそうに別れの手をふった。白い家と、見送る三人の姿がどんどん小さくなった。はたけや果樹園が、どんどん後になり、やがてメリンラスは林にはいった。森が後ろをふさいで、カー・ダルベンが見えなくなった。
突然、メリンラスが、おどろいたようにいなないて、後足で立った。エリディルが、タランのすぐ後ろに近づき、彼の馬が、長い首をのばして、いじわるくメリンラスにかみついたのだ。タランは、あぶなく落馬しそうになって、手綱にしがみついた。
「イスリマクに近づくな。」エリディルが、いやらしい声でわらいながらいった。「こいつはかみつく。われわれ主従はよく似ておるのだ。」
タランが、おこっていいかえそうとすると、ことのいきさつを見ていたアダオンが、栗毛のめ馬をエリディルのかたわらに近よせていった。「そのとおりだ、ペン=ラルカウの息子。おぬしの馬はやっかいな荷を負うている。そして、おぬしもだ。」
「わたしが、どんな荷を負うているのだ?」エリディルが、とげとげしく大きな声でききかえした。
「昨夜、わたしは、一行全員の夢を見た。」アダオンは、えりにつけた銀のくびかざりをいじりながら、考えるようにいった。「おぬしは、まっ黒なけだものをせおっておった。エリディルよ、そのけだものに、のみこまれぬよう、気をつけるがよい。」その忠告はきびしかったが、おだかやな言い方のため、あまりきつくきこえなかった。
「豚飼いや夢うらないは、まっぴらだ!」エリディルはかえし口をすると、馬にかけ声をかけて、列の前方に進んで行った。
「わたしは、どうでした?」と、タランはたずねた。「わたしについては、どんな夢のお告げがありましたか?」
「おぬしは、」アダオンは、ちょっとためらってから答えた。「おぬしは、悲嘆にくれておった。」
「わたしが、悲嘆にくれるわけがないじゃありませんか?」タラン、おどろいてたずねた。「わたしはギディオン卿におつかえできるのを、誇りに思っています。それに、豚をあらったり、菜園の雑草をぬいたりしているより、栄誉を得る機会もずっと多いと思います!」
「わたしは、数多くのいくさに出た。」アダオンは、おちついた声でいった。「しかし、自分の手で、たねをまき、収穫の刈りとりもやって来た。そして、血に染む戦場でより、よくたがやされたはたけの方が、より高い栄誉が得られることをまなんだ。」
一行の足がはやくなったので、ふたりも、それぞれの馬をいそがせた。アダオンは、たくみにらくらくと馬を進めていた。背をのばし、顔にたえずほほえみをうかべながら、朝の景色や物音を心からたのしんでいるようすだった。フルダー、ドーリ、コルの三人は、ギディオンにつきしたがい、エリディルは、むっつりした顔で、モルガント王の軍勢の後ろを進んでいた。タランは、アダオンとならんで、落葉のちりしいた道を進んだ。
旅のつらさを忘れるため、おしゃべりをしているうちに、まもなく、タランは、アダオンがほとんどあらゆる経験をつんでいることに気づいた。アダオン、モナ島のかなた、北の海まで航海していた。ろくろをまわして陶器づくりもしていた。漁師とあみをうったこともあった。杼をつかって布を織ったこともあったし、タランのように、火をまっかにおこしたかじ場ではたらいたことまであった。森については、じつに深い知識をもっていた。タランは、アダオンが、森林地帯の生きもののくらし方や性質、たとえば、勇敢なあなぐまや、用心深いやまねや、月下をとぶがんなどについて語るのを、驚嘆しながら耳をかたむけた。
「知らねばならぬことは多いよ。」と、アダオンはいった。「だが、なによりも、愛さねばならぬものが多いのだよ。季節のうつり変わりでもいい、川の小石の形でもいいのだ、それは。愛すべきものをたくさんみつければ、みつけるほど、心のますも大きくなる。」
アダオンの表情は、朝日の光を受けて、生き生きとしていたが、声が少しだけ、なんだか悲しげだった。タランが、どうしたかときいても、アダオンは、考えを内にかくしておきたいように、すぐには答えなかった。
「この仕事がぶじにおわれば、心も軽くなろう。」アダオンは、ようやく、そう答えた。「婚約をしたアーリアンリンが北の国で、わたしの帰りを待っている。だから、はやくアローンの大釜をうちこわすことができれば、それだけはやく、彼女のもとへもどれるのだ。」
その日一日で、ふたりは親しい友人になっていた。日が暮れて、タランが、ギディオンや友人たちとまたいっしょになったとき、アダオンも仲間になって野営した。一行は、すでに大アブレン川をわたり、スモイト王の国の境に向かって、かなり進んでいた。ギディオンは一行の進みぐあいに満足していたが、いちばん危険の多い難所はこれからだと、みんなに注意した。
みんな上機嫌だったが、乗馬がきらいなドーリだけは不機嫌そうに、歩いた方がはやいと文句をいっていた。一行が、風の吹きとおらない木立ちにおちつくと、フルダーは竪琴をアダオンにわたして、うたってくれとたのんだ。アダオンは、木の幹にくつろいでよりかかると、竪琴を肩にあてた。そして、しばらく、頭をたれて考えるようすだったが、やがて、しずかにひきはじめた。
うた声と楽の音が、これほど美しくとけあっている音楽を、タランは、今まできいたことがなかった。長身のうたい手は、星を見上げ、灰色の目で、星のはるかかなかたをみつめているように見えた。森はしずまりかえった。夜の物音も、なりをひそめていた。
アダオンの歌は、戦士の歌ではなく、和と、やすらぎと、深いよろこびの歌であった。耳をかたむけるタランの心の中で、歌は、いくたびとなく、くりかえされるのだった。タランは、歌がいつまでもつづいてほしいと思っていた。だが、突然のように、アダオンは歌をやめ、威厳にみちたほほえみをうかべながら、楽器をフルダーにかえした。
一行は、マントで身をくるんでねむった。エリディルは、ただひとりはなれて、あし毛の足もとによこになってねた。タランは、鞍をまくらにねながら、片手を、もらいたての剣にかけて、また旅をはじめる夜明けを待ちこがれていた。だが、うとうとしはじめたとき、アダオンの夢のことがふと頭にうかび、黒いかげが、黒いつばさをはばたきながらやって来るように思った。
翌朝、一行はイストラド川をわたり、北に向かいじめた。スモイト王は、冒険行に加われないことを大声でさんざんこぼしてから、ギディオンの命令どおり、一行からはなれて、部下に待機を命じるため、カー・カダルンに向かった。やがて、心地良い草原にしわがよって丘陵に変わり、一行の進みがおそくなった。正午をすぎてすぐ、騎馬隊はイドリスの森にはいった。草は茶色に変わって、いばらのようにとがっていた。今まで見なれていたカシやハンの木までが、ここでは奇妙なものに変わっていた。からまりあう枝に枯葉がしがみつき、幹は、黒こげの骨のようにつっ立っていた。
ついに森がおわり、前面にぎざぎざしたけわしいがけがあらわれた。ギディオンは、そのまま進めと合図した。タランは、息がつまるように思った。一瞬、恐怖にとりつかれ岩の斜面にメリンラスを進めることをためらってしまった。ギディオンはなにもいわなかったが、アヌーブンの暗黒の門が遠くないことがわかったのだ。
谷間のへりにへばりつくようなせまい通路なので、一行は一列で進まなくてはならなかった。タラン、アダオン、エリディルは、列の最後尾にいた。ところが、エリディルは、イスリマクに拍車をくれて、力づくでタランの前に出ようとした。
「おい、豚飼い! おまえはどんじりだ!」エリディルがどなった。
「あんたも、分相応のところにいろ。」タランもどなって、メリンラスに前へ出ろと命じた。
二頭の馬はおしあった。のり手も、ひざをぶつけあって争った。イスリマクが後足で立ち、はげしくいなないた。エリディルが、あいている方の手で、メリンラスの手綱をつかんで、ひきもどそうとした。タランが、それにあらがって馬首を前に向けようとしたとき、ざーっとおちてきた小石に足をすべらせたメリンラスが、足をふみはずして急な斜面を落ちかけた。鞍からほうりだされたタランは、岩にしがみついて、谷間におちるのをくいとめた。
メリンラスは、主人よりもしっかりしていて、通路の下の岩だなに、うまく立つことができた。タランは、岩にへばりついて、通路までよじのぼろうとしたがだめだった。アダオンは、とっさに馬をおりると、がけっぷちにかけより、タランの手をつかもうとした。エリディルも馬をおりた。そして、アダオンをおしのけると、下にとびおりて、タランのわきの下に手を入れた。力強く、ぐっともちあげると、タランは、まるで肉の袋のように、安全な道までおしあげられた。エリディルは足場をたしかめつつメリンラスの岩だなまでおりると、鞍おびの下に肩を入れ、渾身の力をこめてもちあげた。エリディルが、全力をふりしぼるとメリンラスはじりじりとあがった。そして、岩だなから通路へあがることができた。
「このばかめ!」タランは、エリディルをののしって、メリンラスにかけより、はららはしながら雌馬の体をしらべた。「あんたは、うぬぼれきって、分別をなくしちまったのか?」メリンラスはぶじだった。ほっとすると同時に、タランは、思わずエリディルの顔を見てしまった。心からおどろき、感心してしまったのだ。「こんなすばらしい力わざは、今まで見たことがない。」タランはすなおにそういった。
エリディルが、うろたえて、おびたようすを見せたのは、こんどがはじめてだった。エリディルは、「おまえをおとすつもりはなかったんだ。」といいわけをはじめたが、すぐにぐいと頭をそらせ、ばかにしたわらいを顔にうかべて、いいなおした。「わたしは、おまえよりも、馬の方が心配だった。」
「エリディル、わたしも、おぬしの力には感じ入る。」アダオンがきびしくいった。「しかし、こんな力の出し方は、おぬしの恥だぞ。黒いけだものが、おぬしといっしょにいる。わたしには今もそれが見える。」
モルガント王の戦士のひとりが、さわぎをききつけて、前の人たちに告げた。たちまち、ギディオンが、モルガント王をしたがえて、ひきかえして来た。ふたりの後ろから、フルダーと小人がはらはらしながら、いそいでかけつけて来た。
「あなたの豚飼いは、むりやり人の前に出ようとする程度の分別しかないんですよ。」エリディルがギディオンにいった。「わたしが彼と馬をひっぱりあげなかったら――。」
「ほんとうに、そうだったのか?」ギディオンは、タランのやぶれた服をちらりと見てたずねた。
タランは、いい返そうとしたが、口をきゅっと結んで、ただうなずいた。エリディルのおこった顔に、びっくりした表情がうかんだのがわかった。
「ひとりの命もむだにはできない。」と、ギディオンはいった。「それなのに、おまえはふたりの命を危うくした。ひとり欠けてもこまるのでなかったら、今すぐ、カー・ダルベンへ追いかえすところだ。だが、二度とこんなことをしでかしたら、追いかえす。エリディル、おまえもだ。他のみなも同様だぞ。」
モルガント王が進み出た。「この事件で、わたしのおそれていたことが証拠だてられましたぞ、ギディオン殿下。大釜をはこんでいない今ですら、この道は難儀です。もう一度おねがいします。大釜を手に入れたら、カー・ダルベンへはもどらないようにねがいます。大釜は北へ、つまり、わたしの領土へもっていく方が賢明です。
「それから、」と、モルガントはつづけていった。「退路は、わたしの軍勢多数で守るべきだと思います。そのかわり、この三人には、」といって、モルガントは、タランとアダオンとエリディルを指さした。「攻撃のとき、わたしの軍に加わってもらいましょう。わたしの見あやまりでなければ、三人とも、後詰めで待機するより、その方がおすきなようだ。」
「そうですとも!」タランは、剣をつかんでさけんだ。「攻撃に加わります!」
ギディオンは、首を横にふった。「計画は、わたしが定めたとおりに行なう。さ、はやく乗馬せよ。すでにかなり手間をとってしまったぞ。」
モルガント王は、きらりと目を光らせた。「御命令どおりに、ギディオン殿下。」
「なにがあったんだね?」フルダーがタランに小声できいた。「エリディルに悪い点がなかったなんて、このわしにいうなよ。あの男は騒動屋だ。わしにはちゃんとわかる。どうしてギディオンがあんなやつをつれてきたのか、わしにはまるでわからん。」
「わたしも、おなじくらい悪かったんです。」と、タランはいった。「わたしのふるまいも、彼と変わりませんでした。口をつつしむべきだったのです。エリディルに向かうと、」と、タランはつけ加えた。「ついいってしまうのです。」
「うむ。」吟遊詩人は、竪琴にちらりと目をやって、ため息をついた。「わしも、まあおなじようななやみをもっていてな。」
つぎの日は一日中、一行は細心の注意をはらいながら進んだ。アローンの恐るべき使い鳥ギセントたちが、雲を背景にして姿を見せたからだった。夕暮れ直前、道はくだって、やぶと松の生えた浅い盆地にはいった。ギディオンが停止を命じた。前方には、不吉な岩山、暗黒の門が、左右よくにた絶壁を夕日に輝かせながらきりたっていた。
一行は、ここまで、不死身たちにぶつからずに来た。タランは、このことを幸運と思っていたが、ギディオンは不安げにひたいをくもらせた。
「わたしは、不死身たちが姿を見せぬことが、じつは恐ろしい。」ギディオンは、戦士たちをよびあつめていった。「彼らがアヌーブンを見すてたと思いたいところだ。ところが、ドーリのもって来る知らせは、この計画をやめたくなるようなものばかりだ。」
「おれに、姿を消して先にいけといって、そうさせたのさ。」ドーリが、腹立たしげにタランにつぶやいた。「アヌーブンにはいったら、またそいつをやらなくちゃならんだろうよ。ちえっ! 考えただけで、もう、ハチの大群に入れたみたいに、耳鳴りがするわい!」
「みんな、十分に気をつけてくれ。」と、ギディオンがつづけていった。「アヌーブンの狩人どもが動いている。」
「わたしは、不死身に立ち向かったことがあります。」タランが思いきって大声でいった。「その狩人たちだって、あれ以上に恐ろしくはないでしょう。」
「そう思うか?」ギディオンは、きびしい顔にわらいをうかべて、きりかえした。「わたしには、おなじくらい恐ろしい。彼らは、不死身同様に無慈悲だ。力はもっと強い。彼らは馬に乗らないが、足がはやくて、長つづきする。つかれ、空腹、かわきなどを、まったく知らない者たちなのだ。」
「不死身は死ぬことがありません。」と、タランはいった。「狩人たちが生ま身の人間なら、殺すことができます。」
「彼らは生ま身だ。」と、ギディオンが答えていった。「彼らを人間とよぶことをいさぎよしとはせぬが、あの連中は、盟友をうらぎったもっとも卑劣な戦士どもだ。殺すことがたのしくて人を殺す殺人者どもだ。その残虐な気持ちを満足させるために、みずから進んでアローンの国をえらび、彼らですら破れない血の誓いをもってアローンに臣従したものなのだ。
「たしかに、」と、ギディオンはつづけた。「狩人どもは殺すことができる。だが、アローンは、彼らをきたえて殺人軍団にしたてあげ、おそるべき力を与えた。彼らは小分隊にわかれてうろつきまわっている。分隊内のひとりが死んでも、のこりのものにその力が加わるだけだ。
「彼らをさけるのだ。」と、ギディオンは注意を与えた。「さけられるかぎり戦わぬ方がよい。殺せば殺すほど、ほかの狩人が強くなるばかりだ。人数がへるにつれて、ますます力が強くなる。
「さあ、それでは、身をかくしてくれ。」と、ギディオンは命じた。「そして、ねむってくれ。今夜は出撃せねばならぬ。」
タランは、気がおちつかず、目をつぶることもできないほどだった。やっと目をつぶっても寝心地が悪く、ねむりも浅かった。やがて、びくっとして目がさめたタランは、剣に手をかけた。すでに目ざめていたアダオンが、しずかにと制した。月は空高くのぼり、明るくつめたく輝いていた。モルガント王の軍勢が、影のように進むところだった。人馬のよろいがかすかに音をたて、さや走る剣がひょうひようとなった。
ドーリは、すでに姿を消して、暗黒の門に向かっていった。タランは、吟遊詩人が、愛器をしっかりと背にくくつけているのに気づいた。「こんなことをする必要があるかどうかわからんがね。」フルダーは正直にいった。「しかし、なにをさせられるか、これもまたわからん。フラムのものは、つねに備えるのだ!」
フルダーのかたわらでは、コルが、頭にぴったりの円錐形のかぶとをかぶったところだった。雄々しい古強者が、そのはげ頭に、見すぼらしいがふとをかぶった姿を見ると、タランは、ふいにつよい悲しみを感じた。タランは、コルをだきしめ、武運をいのった。
「うむ、うむ、せがれよ、」コルは目くばせを一つしていった。「こわがることはない。あっという間にもどって来るから。そうしたら、カー・ダルベンへもどって、それでおしまいというわけだ。」
どっしりした黒い武具に身をかためたモルガント王が、タランのかたわらに立ちどまった。「おぬしが、わしの隊にはいってくれたら、どんなにかよかったかと思う。おぬしのことは、少しくギディオンからきいておったし、わしもこの目で見させてもらった。わしは武士だ。真の勇者は、見ればわかる。」
モルガントが直接タランに口をきいたのは、これがはじめてだった。タランはおどろきとうれしさに茫然とした。どもりながらも答えようとしたとき、モルガントは、すでに、馬の方へ大またに去っていくところだった。
タランは、メリンガーにまたがったギディオンの姿を目にとめると、走りよって、「つれて行ってください。」と、もう一度たのんだ。「わたしは、あなたの会議に出席しましたし、ここまでおともして来ました。つまり、もう大人です。あなたの戦士のひとりに加えてくださってもいいじゃないですか。」
「おまえは、危険なことが、それほどすきなのか?」と、ギディオンはたずねたが、やさしくいいたした。「危険なことが大きらいになってこそ、大人といえる。そうとも。きらって、そして恐れるのだ。ちょうど、このわたしのように。」ギディオンは、手をのばして、タランの肩をたたいた。「その大胆さをなくすなよ。おまえの勇気は、これからたっぷりとためされるのだ。」
タランは、がっかりしてひきかえした。騎馬隊が森にのみこまれて見えなくなると、あたりはひっそりとしてしまった。ほかの馬たちといっしょにつながれているメリンラスが、悲しげにいなないた。
「今夜は長い夜になるぞ。」アダオンは、むっつりとおしだまってそびえたつ、暗黒の門の黒々とした姿に、目をこらしながらいった。「タラン、おぬしが最初の見張りに立て、つぎがエリディル。月が沈むまでだ。」
「そうすると、あんたは、たっぷり夢が見られるというわけだ。」エリディルが、ばかにしてわらっていった。
「今夜は、わたしの夢になんくせはつけられないよ。」アダオンは、おだかやにいいかえした。「わたしは、おぬしらふたりの見張りにつきあうからだ。さ、ねむれ、エリディル。」そして、すぐに「ねむるつもりがないなら、口だけはつぐんでいるのだ。」
エリディルは、ぷんぷんして、マントに身をくるむと、イスマリクのそばの地面に、どさっとよこたわった。あし毛は、ひくくいなないて、主人に鼻を寄せ手、そっとさわった。
さむい夜だった。かれ草の上に、霜がきらめきはじめた。アダオンは、剣を抜いて、木立ちのはずれに立った。白い光が目にうつり、目が星のようにきらりと光って見えた。アダオンは、おしだまったまま、しゃんと立ち、森のけもののように全身を緊張させていた。
「みんなは、もうアヌーブンにはいったと思いますか?」と、タランがささやいた。
「まもなくはいるはずだ。」と、アダオンが答えた。
「ギディオンが、わたしをつれていってくれたらよかったんだけど。」タランは、ちょっとくやしそうにいった。「モルガントの組でもよかったなあ。」
「それはやめた方がよい。」アダオンが即座にいった。なにか気づかわしそうだ。
「なぜです?」タランは面くらってたずねた。「モルガントの部下になれたら、わたしの誇りになったと思いますが。ギディオンについで、このプリデインでは、もっともすぐれた武将ではありませんか。」
「うむ、たしかに勇敢で強い男だ。」アダオンもうなずいた。「しかし、気がかりだ。出発の前夜の夢に、彼のまわりを騎馬武者がぐるぐるとゆっくりまわっているところがあらわれた。モルガントの剣は折れ、血がしたたり落ちていた。」
「とくべつ意味がない夢かもしれません。」タランは、アダオンばかりか自分にもいいきかせるように、そういってみた。「まちがいないんですか――その、あなたの夢は、かならず正夢なのですか?」
アダオンはほほえんだ。「正しく理解できるものなら、あらゆることから、真実を見出せるものだよ。」
「あなたは、そのほかの人たちについては、どんな夢を見たか、はなしてくれませんでしたね。」と、タランはいった。「コルや、あの愛すべきドーリや――そういえば、あなた御自身についての夢も、はなしてくれていませんよ。」
アダオンは、それに返事をせず、また暗黒の門の方をじっとにらんだ。
タランは、剣を抜き、心配そうに木立ちのはずれまで行った。
4 暗黒の門の影
夜はのろのろとすぎていった。エリディルの見張りの時間に近くなった。そのとき、やぶの中で、小さくがそごそと音がした。はっとして顔を上げた。音はとまった。ほんとうに音がしたのだろうか? タランは、息をとめ、緊張して身がまえながら待った。
目も耳もするどいアダオンも、その音に気づいて、すぐにタランのそばにやって来た。
タランは、ちらりと光を見たと思った。近くで枯枝がぴしりと折れた。タランは、やーっ、とさけんで剣をふりかざし、その地点にとびこんだ。たちまち、金色の光に目がくらんだ。おこった金切り声があがった。
「その剣をおろしなさい!」エイロヌイがさけんだ。「あなた、いつ見ても、その剣をふりまわすか、きっ先をだれかに向けるかしてるのね。」
タランは茫然として後ずさった。と、そのとき、黒い人影が、ぴょんぴょんととんで、エリディルのそばを通った。エリディルは、はねおきて、剣を引き抜くと、ひゅっと空を切った。
「おたすけ! おたすけ!」と、ガーギがほえるようにさけんだ。「おこった殿が、ガーギのやわらかい頭をすぱっと切る!」そして、あわてて松の木を中程までのぼり、安全なところから、びっくりしているエリディルにげんこつをふってみせた。
タランは、エイロヌイを、野営の木立ちまでひっぱって行った。エイロヌイの髪の毛は乱れ、服もよごれて、あちこちやぶれていた。「いったい、なにをしでかしたんだ?」と、タランはどなった。「きみは、ぼくたちみんなを殺したいのか? そのあかりを消すんだ!」タランは、光り輝く玉をひっつかむと、いじくりまわしたが、光は消えなかった。
「この玉の使い方が、ちっともおぼえられないのね。」エイロヌイがいらいらしていった。そして、黄金の玉をとりもどして、片手ですっぽりくるむと、光が消えた。
アダオンは、少女がだれだかわかると、心配そうにエイロヌイの肩に手をおいていった。
「王女さま、王女さま、後なんかつけてきてはいけませんでしたよ。」
「そうですとも。」タランが、おこって口をはさんだ。「すぐに帰さなくちゃいけません。まったく、ばかでまぬけで――。」
「その女は、ここへよばれてもおらず、必要でもない。」エリディルが大またに近づいて来ていった。そして、アダオンを見て、「今度だけは、豚飼いめも、分別のあることをいってます。このばかなちびを、台所へ追いかえしてください。」
タランが、さっとふりかえった。「だまれ! あんたの、ぼくに対する侮辱は、われわれの目的のためにがまんしているんだ。しかし、ほかの人間を悪くいうことはゆるさないぞ。」
エリディルが、さっと剣をふりあげた。タランも身がまえた。アダオンが中にわってはいり、両手をひろげて制した。「それまで。それまでだぞ。」アダオンは命令した。「おぬしらはそれほどに血を流したいのか?」
「わたしが、豚飼いにしかられてだまっていなくちゃならんのか?」エリディルがいいかえした。「台所女中のために、この命を投げださなくてはならんのか?」
「台所女中ですって!」エイロヌイが金切り声をあげた。「それじゃ、いってあげるわ……。」
その間に、ガーギは、そろそろと木からおりると、タランの後ろに逃げこんだ。
「それから、こいつ!」エリディルが苦わらいして、ガーギをさし示しながらいった。「この――けもの! あんたをひどくおびえさせた黒いけものというやつは、これか? え、夢うらない殿?」
「いや、エリディル、ちがう。」アダオンは、なにか悲しげにつぶやいた。
「わたしは、戦士ガーギだ!」ガーギが、勇気をふるいおこして、タランの肩ごしにさけんだ。「そうとも、そうだとも! かしこく雄々しいガーギだ。ガーギは、ご主人のおそばで、おけがのないようにお守りする!」
「だまれ。」と、タランが命じた。「これ以上厄介をかけるんじゃない。」
「どうやって追いついてきたのかね?」と、アダオンがたずねた。「歩いてきたようだが。」
「ええ、でも、すっかりじゃないの。」と、エイロヌイがいった。「とにかく、歩きづめではありませんでした。馬は、ほんのすこし前に逃げたのです。」
「なんだって?」と、タランは思わず声をはりあげた。「きみたち、カー・ダルベンの馬を持ちだして、逃がしたのか?」
「あれは、わたしたちの持ちものだってことは、あなたもよく承知しているでしょ。」と、エイロヌイがづけづけいった。「去年、ギディオンがくださった馬よ。それに、逃がしたわけじゃないわ。馬の方が、わたしたちを逃がしちゃったみたいなものよ。水をのませるためにとまったら、あのばかな連中、大あわてで逃げたってだけよ。おびえたのだと思うわ。こんなにアヌーブンに近づきたくなかったんでしょうね。でも、正直にいうけど、あの馬たちのことは、わたしぜんぜん心配していないの。
「とにかく、」と、エイロヌイは、話をしめくくった。「あなたが心配することは、いらないわ。最後に見たとき、まっすぐカー・ダルベンに向かっていたから。」
「きみたちも、そうするんだ。」と、タランはいった。
「わたしは、そうしません!」と、エイロヌイはさけんだ。「わたし、あなたたちが出発してから、長い間考えたの。あなたたちが、たくさんの野をよこぎるほどの時間をかけてすっかり考えてみたの。そして、心をきめたのよ。だれがなんといおうと、そんなことはどうでもいい、正しいことは正しいんだから。あなたが遠征に加われるなら、わたしも加われるのよ。ね、まったく単純明快でしょ。」
「そして、道をかぎつけたのが、このかしこいガーギですぞ!」と、ガーギがとくいそうに話にわりこんだ。「そうです、そうです、くんくん、ふんふん、においをかいで! ガーギ、やさしい王女さま、ひとりで旅させない。とんでもないこと! それに、忠実なガーギ、友だち見すてない。」ガーギは、タランに向かって、おしまいのことばを、非難するようにいった。
「ここまできてしまったのだから、」と、アダオンがいった。「ギディオンを待ちなさい。彼が、きみたちふたりの家出人をどうあつかうかだが、のぞみどおりにはいかんかもしれないね。それはそれとして、きみたちの旅は、」アダオンは、よごれたエイロヌイを笑顔で見て、さらにいった。「わたしたちよりつらかったようだ。さ、休んで疲れをいやしなさい。」
「それ、それ!」と、ガーギが思わずさけんだ。「勇敢な、空腹のガーギに、むしゃむしゃ、もぐもぐ!」
「あなた、ほんとうに親切で、思慮がお深いですわ。」エイロヌイが、すっかり感心した目でアダオンを見ていった。「どこかの豚飼育補佐だったら、こうはしていただけません。」
アダオンはもってきた食糧をとりに行き、エリディルは、見張りのもち場に大またでもどって行った。タランは、ぐったりして大きな石に腰をおろし、ひざに剣を乗せた。
「わたしたち、べつにおなかがすいてはいないの。」と、エイロヌイがいった。「ガーギは、ぬけめなく食糧袋を持って来たわ。そうよ。あのギディオンからもらった袋。だから、ガーギが持って来ても一向さしつかえないものよ。あれは、たしかに魔法の袋ね。けっしてからにならないみたいだもの。出てくるたべものは、ほんとに滋養があるわ。たべたいときたぺると、ほんとにおいしいの。でも、うそのない話、ちょっと味にとぼしいのね。魔法で出すものって、たいていそんなものよ。そこがこまるわね。けっして期待どおりいかないの。
「あなた、おこってるのね。」と、エイロヌイは、話をつづけた。「ちゃんとわかるわよ。おこったハチみたいな顔をしている。」
「危険を考えて、やめたらよかったのに。」と、タランはいいかえした。「それを、まるで無分別にとびだして来たりして。」
「あなたって、まったくけっこうな話相手だわ、カー・ダルベンのタラン。」と、エイロヌイがいった。「それに、あなただって、じつはそんなにおこってやしないと思うわ、わたし。だって、エリディルに向かって、あんなこといったんですもの。わたしのためにいつでもエリディルに襲いかかろうとしたあの態度、すばらしかったわ。そうまでしてくれる必要はないけれど。わたし、自分ひとりで、あいつなんか、ちゃんと片づけられたわよ。それに、あなたが不親切で無分別だっていったわけじゃないの。あなた、ほんとうは、その反対ですもの。ただ、いつもそうじゃないってだけよ。豚飼育補佐としては、あなた、目を見はるほどうまくやって……。」
エイロヌイが、そこまでいったとき、エリディルが気をつけろとさけんだ。馬にのった男がひとり、木立ちにとびこんで来た。フルダーだった。つづいて、ドーリの毛深い小馬が、全速力でかけこんで来た。
吟遊詩人は、黄色い髪をふりみだし、苦しそうにあえぎながら、馬から落っこちるようにおりると、アダオンのところにかけつけた。
「逃げる支度をしたまえ!」と、フルダーはさけんだ。「武器をとれ! 荷馬をひきだせ。行き先はカー・カダルン。」そういったとき、フルダーはエイロヌイに気づいた。「こりゃ、おどろいた! あんた、何しにここへ来た?」
「そのおたずねは、もううんざり!」と、エイロヌイがいった。
「魔法の釜は?」と、タランが大きな声でいった。「手にいれたのですか? ほかの人たちはどこです? ドーリは?」
「ここにきまってる。」かみつくような声がしたかと思うと、だれも乗っていないと見えた小馬の鞍に、ドーリがぱっとあらわれた。ドーリは、つらそうに、どさりと地面にとびおりた。「姿をあらわすのも、のんびりとやれないんだからな。」そういって、ドーリは頭をかかえた。「ああ、耳が鳴る!」
「すぐにしりぞけという、ギディオンの命令だ。」吟遊詩人は、大あわてにあわてて話をつづけた。「コルとモルガントがいっしょにいる。できれば、われわれに追いつくといっていた。追いつけない場合は、カー・カダルンで落ち合うことになってる。」
エリディルとアダオンが大いそぎで馬のつなをとっている間に、タランと吟遊詩人が武器をまとめた。「これを持っていなさい。」フルダーが、エイロヌイに、弓と矢筒をおしつけていった。「ほかのみんなも、十分に武装してくれたまえよ。」
「どうなったのですか?」タランがおそるおそるたずねた。「くわだては失敗したのですか?」
「くわだてかね?」と、フルダーは答えた。「あれは完璧だった。最良のものといえるだろう。モルガントとその軍勢が、暗黒の門までついて来てくれた――いや、あのモルガントめ! まったくの戦士だのう! あいつには神経などないのかな。まったく冷静そのもの。まるで宴会にでもいこうという態度であったよ。」吟遊詩人は、毛のさか立った頭をふってみせた。「わしらは、たどりついた。アヌーブンの戸口に立ったのだ! おぼえていてくれよ、これを歌にして、いつかきかせてやるから。」
「ぺちゃくちゃしゃべるのはやめろ。」ドーリが、興奮した馬たちをせきたてながら、どなった。「たしかに、くわだてだけは、すばらしいものだったよ。」ドーリは、ぷんぷんして大声をあげた。「てぎわよく運ぶはずだった。ただ、一つだけ誤算したんだ。ひまをつぶして、むだに命を落とすところだったんだ。」
「だれでもいいから、ちゃんとわかるように話をして。」エイロヌイが、がまんできなくなってさけんだ。「歌なんか、どうでもいいのよ。ずばりといって、魔法の釜は、どこにあるの?」
「知らんよ。」と、吟遊詩人がいった。「だれにもわからないんだ。」
「まさか、なくしてしまったんじゃないでしょ!」エイロヌイは、さけびそうになって、手で口をふさいだ。「そんな! ああ、とんまな人たち! わたしがいっしょに行かなくちゃだめってこと、はじめからわかってたのよ。」
ドーリは、今にも破裂しそうなほど腹を立てていた。耳が、ぶるぶるふるえていた。両のこぶしを、かたくにぎりしめて、背のびをして、どなった。「わからんのか? 釜はなかったんだ! 見えなかった! あそこに、おいてなかったんだ!」
「そんな、ばかな!」と、タランがさけんだ。
「ばかな、だと!」ドーリが、かみつくようにいった。「おれが行ったんだぞ。おれは、見たものはわかる。きいたこともわかる。おれは、ギディオンの命令どおり、先頭になってはいっていった。戦士の広間は、なんなくみつかった。ほんとうに、見張りはいなかった。ふん、こりゃ、口笛吹くよりかんたんだと、おれは思ったよ。おれは、しのびこんだ。――まっぴるま、姿を見せていてもできたろうな。そりゃ、また、なぜ? 見張るべきものなんか、なんにもおいてなかったからさ。台の上はからっぽだった!」
「アローンが、釜をうつしたんだ。」と、タランが口をはさんだ。「べつなかくし場所があるんだよ。べつのところに、釜をしまいこんだのさ。」
「おぬし、おれには、生まれつき知恵がないとでも思っているのか?」と、ドーリがいいかえした。「おれの頭にも、まず最初に、その考えがうかんださ。そこで、おれは、また移動した。必要とあれば、アローンのへやの中だってさがしたろうよ。ところが、六歩と進まないうちに、アローンの見張りにぶつかった。というより、あののろまなばかどもが、おれにぶつかった。」ドーリは、あざのできた片目をなでながら、つぶやいた。「そこで、ちょっとついていったんだ。それだけで、知りたいことはちゃんときけた。
「事件は、五、六日前におこったにちがいない。だれが、どんな方法でやったか、それはわからない。アローンも知らないんだ。やつのおこりようがわかるだろ! だが、そのだれだかわからんやつが、おれたちより一足はやかった。手ぎわよくやってのけたんだ。魔法の釜は、アヌーブンからぬすみ去られていた!」
「あら、すばらしいわ。」と、エイロヌイがいった。「わたしたちの仕事は、それでおわりだし、旅をした以外、なんの損害もなかったじゃないの。」
「仕事は、おわったどころではない。」と、アダオンがきびしい声でいった。一頭の馬に荷をつけおえて、タランのかたわらにやって来たところだった。エリディルも、一心に話をきいていた。
「たたかいとる栄誉は失ったけれど、」と、タランはいった。「だいじなことは、釜がもうアローンの手にはないということだ。」
「ことは、それほど、なまやさしいものではない。」と、アダオンが注意した。「これは、アローンにとって、手痛い敗北だ。彼は、とりもどすためには、力のかぎりをつくすだろう。だが、問題はまだある。アローンの手をはなれても、あの釜自体、はなはだぶっそうなものだ。べつの悪人の手におちた場合を考えてごらん。」
「ギディオンも、そっくりおなじことをいっていたよ。」と、フルダーが口をはさんだ。「あれは、なんとかしてみつけだし、即刻こわさなくてはならんのさ。ギディオンが、カー・カダルンで、あたらしく捜索の計画を立ててくれるだろう。われわれの仕事は、どうやらはじまったばかりのようだよ。」
「乗馬せよ。」と、アダオンが命令した。「荷馬にあまり負担をかけてはいけないな。エイロヌイ王女とガーギは、われわれの馬に相乗りしていただこう。」
「イスマリクは、ひとりしか乗せない。」と、エリディルがいった。「子馬のときから、そのようにしつけられている。」
「あんたの馬のことだ。それはそうだろうな。」と、タランがいった。「エイロヌイは、わたしが乗せる。」
「ガーギは、わたしのリーアゴルに乗せよう。」と、アダオンがいった。「さ、はやく。」
タランは、メリンラスにかけよって、とび乗り、エイロヌイを、ひっぱりあげて、後ろにのせた。ドーリたちも、いそいで馬にとび乗った。ところが、ちょうどそのとき、右からも左からも、おそろしいさけび声があがり、突然、矢が風を切ってとんできた。
5 アヌーブンの狩人
荷馬たちは、おびえて、かん高くいなないた。矢が、からからと木々の枝をならした。メリンラスはおどろいて後足で立った。フルダーは、剣をかまえて、馬首をめぐらし、よせ手に向かってつっこんで行った。
アダオンの声が、たたかいのさわぎの中でひびきわたった。「敵の狩人だ! たたかいながら逃げるのだ!」
最初、タランは、影がふいに生きて動きだしたように思った。姿かたちのはっきりしない敵が、タランを鞍からひきずり落とそうと、寄せて来たのだ。タランは、剣をめちゃくちゃにふりまわした。メリンラスは、おしよせた敵をふりはらおうとし、はげしいいきおいで立ち向かった。
空に赤い光の筋が走って、夜が明けはじめた。朝日が、松や落葉した木々を黒々とうかびあがらせながら、木々の背後にのぼり、野営地を気味わるくてらしだした。
それで、タランも、敵がおよそ十二人ほどであることを知った。狩人たちは、けものの皮の胴着を着、同じ皮の脚はゃんをまいていた。剣帯には、長目の短剣をさし、ひとりは、反りのある角笛を首にかけていた。自分をとりまいてくるくる動く敵を見て、タランは、ぞっとして息をのんだ。全員がそのひたいに、まっかな烙印をおされていた。それを見たタランは恐怖におののいてしまった。その奇妙なしるしこそ、アローンの力のしるしにほかならなかった。タランは、戦意も力もなえてしまう恐怖心を、必死におさえようとした。
後ろに乗っているエイロヌイが、あっとさけんだ。そのとき、タランは皮帯をつかまれ、メリンラスから、ひきずりおろされた。ひとりの狩人が、タランに組みついて、地面にころがった。ぴったり組みつかれたタランは、剣をふるうことができなかった。狩人は、だしぬけに立ちあがると、タランの胸をひざでおさえた。狩人の目が、ぎらりと光った。歯をむきだして、おそろしげに、にやりとわらい、短剣をかまえた。
狩人は、勝ちほこったさけびをあげて、タランをつこうとしたが、そのさけびは、なかばでとぎれ、ふいに、後ろざまにたおれた。エリディルが、タランの危急を見て、力いっぱい剣をふりおろしたおかげだった。エリディルは、敵の死体をおしのけ、タランをひっぱりあげるようにして立たせた。
一瞬、ふたりの目があった。黄色い髪に返り血をあびたエリディルの顔に、どうだというようなあざけりの表情がうかんだ。エリディルは、なにかいいかけたが、なにもいわずにすばやく向きを変え、たたかいにとびこんで行った。
一瞬、木立ちの中がしずまりかえった。と思ったとたん、敵勢の間で、ひとりびとりが、一息ついて休むような、長いため息がもれた。タランは、ギディオンの警告を思い出して、おびえた。うおっと一斉にさけぶと、アヌーブンの狩人たちは、前にもましたはげしさで、苦戦する味方におそいかかり、いかり狂ったように、どっとつっこんで来た。
メリンラスにまたがったエイロヌイが、弓に矢をつがえた。タランは、あわててかけよってさけんだ。「殺しちゃいけない! 身を守るだけにしろ。相手を殺しちゃいけない!」
そのとき、毛むくじゃらで、小枝や葉っぱを体中につけたガーギが、やぶからとびだして来た。背丈とおなじくらいの大剣をふりかざしている。ガーギは、目をつぶったまま、足で地面をふみならし、わめきちらして、まるでかまのように、剣をふりまわした。くまんばちのように荒々しく、とびあがったり、かがんだりしながら、敵中をかけまわり、一瞬の休みもなく剣をふるった。
狩人たちは、さっとよけた。そのとき、ひとりの狩人が、空をつかみ、くるっと一回転してたおれた。べつのひとりは、見えないげんこつにやられたように、体を二つに折ってどさっとたおれた。そして、それ以上、なぐられまいとして、ごろごろ地面をころがった。だが、ようやく立ちあがったとたん、べつの狩人が、手足をばたばたさせて、わめきながら、どしんとぶつかって来た。狩人たちは、武器で、あたりをなぎはらったが、その結果は、武器をもぎとられて、やぶにすてられただけだった。このふしぎな攻撃に、敵はあわてふためいてしりぞいた。
「ドーリだ!」と、タランはさけんだ。「ドーリのしわざだ!」
アダオンは、今が好機と突進した。そして、ガーギをひっつかんで、リーアゴルの背に乗せ、「みんな、ついて来い!」とさけんだ。そして、馬首をめぐらし、じたばたしている敵中をつきぬけた。
タランは、メリンラスにとび乗った。エイロヌイが、帯にしっかりつかまると、タランは、銀のたてがみに、ぴったり顔を伏せた。疾走するメリンラスの上を矢がひゅっひゅっととんだ。すぐに雄馬は木立ちをぬけ出し、足音高く野を走りだした。
メリンラスは、耳を伏せて、一列にならんだ木々のわきをつっ走った。はげしく土をける足もとから、枯葉のうずをまきあげながら、雄馬は、茶色に見える丘の頂きをめざした。タランは、思いきって、ちらっとふりかえった。多くの狩人たちがばらばらにわかれて、にげる仲間たちの後を、ぐんぐん追ってくるのが見えた。ギディオンの警告どおり、狩人はひじょうに早足だった。斜面に大きく弧状にひろがった彼らは、こわ毛のついたままの胴着を着ているので、人間というより、野獣のようだった。そして、走りながら、意味のわからない、気味のわるい声をかけあっていた。そのさけびは、不気味な暗黒の門から、こだまとなってかえってくるように思えた。
タランは、ぞっとなって、さらにメリンラスを急がせた。倒木の幹や枯枝の間に、丈高い草むらがあった。前を見ると、リーアゴルが、全速力で土手をくだっていた。
アダオンの先導でたどりついたのは川床だった。いくつか、黒い水たまりはあったが、川はほとんど水なしで、そのため、粘土質の土手が、身をかくす楯につかえた。アダオンは、リーアゴルの手綱をしぼり、すばやくふりかえって仲間が後につづいていることをたしかめると、前進の合図をした。全員が早馳けで進んだ。川床は、高くのびるモミとまばらなハンの木にはさまれてくねってつづいていた。だが、しばらくすると、左右の土手がなくなり、身をかくせるものがまばらな森だけになってしまった。
メリンラスの足はすこしもおとろえを見せなかった。しかし、全速力が、他の馬にはこたえはじめていることが、タランにもわかった。タラン自身、休みたかった。ドーリの毛深い子馬は、あえぎながら木々の間を進んでいた。吟遊詩人の馬は、もう汗びっしょりだった。エリディルの顔は土気色で、ひたいからはおびただしい血が流れていた。
タランも、はっきりとはわからなかったが、一行は、今までたえず西に向かって急いでいた。暗黒の門はかなり後ろになり、もうその頂きは見えなかった。タランは、アダオンが、来るときにギディオンとともに通った道に出てくれたらと考えていた。しかし、今はもう、その道からずっとはなれ、ますます遠ざかりつつあることがわかった。
アダオンは、一行を厚い茂みにつれこみ、馬からおりろと命じた。「ここに長くはいられない。」と、アダオンは注意した。「アローンの狩人は、えものがどこにかくれても、たいていみつけてしまう。」
「では、ここでたたかおう!」と、吟遊詩人がさけんだ。「フラムのものはひるまぬ!」
「そうです、そうですとも! ガーギもたたかいますぞ!」と、ガーギが口をいれたが、その実、頭さえあげていられない様子だった。
「敵に立ち向かうのは、最後の最後だ。」と、アダオンはいった。「狩人たちは、今、前より強くなっているし、われわれのようにすぐ疲れてしまわない。」
「今すぐたたかうべきだ。」と、エリディルがさけぶようにいった。「これが、ギディオンにつきしたがって得られる栄誉なのか? まるでけだもののように狩りたてられることが? それとも、おぬしらが、やつらを恐れすぎているのか?」
「わたしは恐れてなどいない。」と、タランがいいかえした。「しかし、狩人をさけることは、べつに不名誉ではない。ギディオンがこにいたら、そう命令するにちがいない。」
エイロヌイは、疲れきっているうえに、髪などすっかり乱れていたが、口だけはあいかわらずだった。「ふたりとも、だまるの! 今は名誉なんて、こだわっているときじゃないでしょ。カー・カダルンにもどる手段を考えることが先でしょ。」
タランは、木にもたれてうずくまっていたが、ひざにつけていた頭を、ふいにもちあげた。遠くで、長くひっぱるさけび声がきこえたのだ。すぐに、返事のさけびがきこえ、つづいてまた、べつのさけびがきこえてきた。「敵が狩をあきらめたのかな? こっちが逃げきったのかな?」
アダオンが首を横にふった。「ちがうと思う。ここまで追ってきて、むざむざと、われわれを逃がしはしないよ。」アダオンは、大儀そうに馬の背に乗った。「もっと安全な休息所がみつかるまで進まねばならん。今攻めて来られたら、ほとんどのぞみはない。」
エリディルが、疲れているイスマリクの方へ、大またにもどりかけると、タランがそでをひいた。そして、「ペン=ラルカウの御子息、あなたのいくさぶり、みごとでした。」とおちついた声でいった。「あなたは、わたしの命の恩人になりました。」
エリディルは、タランを見た。その目には、さっき木立ちの中でタランが見たのとおなじ、軽蔑の色がうかんでいた。「いや、たいしたことではない。おぬしの買いかぶりだ。」
一行はまた出発し、体力ぎりぎりにいそいで、さらに森深くへはいって行った。あたりがしめっぽくさむくなってきた。太陽が、灰色のちぎれ雲にかくれて、光が弱くなったのだ。からまりあう下生えのため進みはのろくなり、ぬれた落葉が、苦しんで進む馬たちをさらに苦しめた。鞍の上にうつぶせていたドーリが、だしぬけに体をおこした。そして、油断なくあたりを見まわした。なにをみつけたのか、ドーリは奇妙に元気づいた。
「ここには妖精族がいる。」ドーリは、馬をよせてきたタランにはっきりいった。
「ほんとですか?」と、タランはきいてみた。「どうしてわかるんです?」
注意深くながめまわしても、たった今通りすぎたあたりの森と今いるところに、変わった点など少しもなさそうだった。
「どうしてわかるか、だと? どうして、わかるってのか?」ドーリが、かみつくようにいった。「おぬし、めしをどうしてのみこむか、わかってるか?」
ドーリは、かかとで馬の横腹をぐっとおすと、いそいでアダオンを追い抜いた。アダオンは、びっくりして馬をとめた。ドーリは、馬からとびおりると、五、六本の木をしらべてから、中がうろになった枯れたカシの大木に走りより、うろに首をつっこんで、ありったけの声でどなりはじめた。
タランも馬をおりた。そして、すぐ後についてきたエイロヌイといっしょに、木のところまで走っていった。きょう一日の疲れと緊張のため、とうとうドーリの頭がおかしくなったのではないかと、心配だった。
「おかしい!」と、つぶやきながら、ドーリは、木のうろから頭をぬき出した。「おれが、そんなにまちがうはずがない!」
ドーリは、身をかがめると、地面を念入りににらんで、指でなにやら計算をした。「うむ、ちがいないぞ。エィディレグ王が、ものごとを、これほどひどいままに、うちすてておくはずがない。」
そういうと、ドーリは、木の根を猛烈にけとばしはじめた。タランは、木の穴がもうすこし大きかったら、ドーリは中にはいったにちがいないと思った。
「報告するぞ。」と、ドーリはどなった。「そうとも、エィディレグ王に直接だ! 前代未聞だ! とほうもない!」
「あなたが、なにをしているか知らないけど、」と、エイロヌイがいった。そして、小人をおしのけるようにして、カシの木に近づいた。「おしえてくれたら、お手伝いできると思うわ。」
小人をまねて、エイロヌイは木のうろの中をのぞきこみ、大きな声でいった。「そこにいるのは、だれだか知らないけど、わたしたち、今、上に来てるの。そして、ドーリがあなたと話したいって、いってるのよ。返事ぐらいできるでしょ? きこえているわね?」
エイロヌイは、ふりむいて首を横にふった。「だれだか知らないけれど、失礼だわ。心の動きを知られまいとして目をつぶるのより、もっと失礼よ。」
木の中から、かすかだがはっきりと、声がきこえてきた。
「行ってくれ。」と、その声はいった。
6 ギスティル
ドーリは、あわててエイロヌイをおしのけ、また頭をうろの中につっこんだ。それから、もう一度大声ではなしはじめた。枯木のうろの中なので、音がすっかりくぐもってしまい、タランには、なにをはなしているのか、全然わからなかった。小人が長い間どなりつづけると、短くしぶしぶと返事がかえってくる。それが何回かくりかえされた。
ようやく、ドーリは背をのばし、みんなについて来いと合図をした。それから、ひじょうなはやさで、森をまっすぐつっきりはじめ、百歩ほど進んだところで、前方に張り出している土手をとびおりた。タランは、メリンラスと小人の小馬をひいて、大いそぎで後を追った。
土手の斜面は、傾斜が急なうえに、草木が茂りほうだいだったので、馬はあしのふみ場に難儀した。どの馬もやぶやむき出しの岩の間を、あぶなっかしくあるいていた。イスマリクは、たてがみをゆさぶり、こわそうにいなないた。吟遊詩人の馬は、あやうくしりもちをつきそうになった。そして、メリンラスすら、このむずかしい斜面に不平をいうように、鼻をならした。
タランが、たな状の平らなところまでおりたとき、ドーリはすでに、土手の、草ややぶにおおわれたところまで走って行き、枝のからみあった大きなイバラのやぶの前で、いらいらとおこっていた。すると、そのとき、中側からおされた感じで、やぶが、がさがさとゆれはじめ、やがて、ぴしぴしと小枝が折れる音や、ぎしぎしいう音とともに、やぶがわれて、口が一つあいた。タランは茫然としてしまった。
「妖精族の番小屋!」と、エイロヌイがさけぶようにいった。「彼らがいたるところに番小屋をおいているのは、わたしも知っていたの。でも、みつけるのは、そりゃもう、ドーリさんの役ね!」
タランが、小人のそばにたどりついたとき、入口はもう大きくひらいていて、中に人がいるのがちらりと見えた。
ドーリが中をのぞきこんだ。「おぬしだったのか、ギスティル。なるほどなあ。」
「ああ、ドーリ、おぬしか。」と、悲しげな声がかえってきた。「前もって、ちょっと知らせといてほしかったなあ。」
「知らせだと和。」と、小人はさけんだ。「ここをすっかりあけないと、知らせどころか、とんでもないものをお見舞いするぞ。エィディレグに話してやる。はいらなくちゃならんとき、はいれない番小屋が、いったい何になる? さだめは知ってるだろ。妖精族のだれかが危険な場合は……いいか、おれたちは、今まさにそうなんだぞ! さんざんな目にあったあげく、声をからしちまうところだったじゃないか!」ドーリは、乱暴にやぶをけとばした。
男は、ゆううつそうに長いため息をついて、入口をちょっと広くした。タランにも、男の姿が見えた。一目見たとき、男は、てっぺんに、ぽやぽやくもの巣がくっついているたき木の束のように見えた。タランは、エィディレグの王国にいたことがあるので、このふしぎな門番が、妖精族のある人たちに似ていることに、すぐ気づいた。ただ、この男は身仕舞ができなくて、なんともあわれな有様になっているのだった。
ドーリとちがい、ギスティルは、小人ではなかった。背が高くて、ひどくやせていた。うすい髪の毛が長くのびて、ひものようになっていた。鼻がぶらんと上くちびるの真上までたれさがっていた。そのためか、上くちびるはあご近くにたれさがり、なんともあわれっぽい感じだった。ひたいには八の字のしわがより、目は、おちつかなげに、まばたきばかりしていた。今にも、わっと泣きだしそうな顔だ。その上、肩をおとし、粗末であかじみた衣服を、おちつかなげに指でいじっている。ギスティルは、五、六回くんくんとにおいをかいでから、もう一度ため息をつくと、しぶしぶ、ドーリに向かって、はいれと手で合図した。
そのとき、ガーギとフルダーが、タランの後ろに姿を見せた。ギスティルは、はじめてタランたちに気づき、おしころしたうめき声をあげた。
「いや、だめだ。人間はだめ。また、いつかにしよう。すまないがね、ドーリ。人間はだめだよ。」
「おれの仲間だ。」小人はぴしゃりといった。「そして、妖精族の保護を求めているんだ。おれは、彼らを保護するぞ。」
そのとき、木立ちにかくれて見えないフルダーの馬が、足をすべらせて、大きな声でいなないた。それをきいたギスティルは、ひたいをぴしゃっとたたいて、すすり泣きながらいった。
「ああ、馬! そんなの話のほかだよ! しかたがなければ、人間をつれてきてもいい。しかし、馬はだめだよ。きょうはだめだよ、ドーリ。きょうは、わたしは馬には耐えられない。」
ギスティルは、うめくようにいった。「たのむよ、ドーリ、わたしをこんな目にあわせないでくれよ。わたしは、体のぐあいがよくないんだ。ほんとうに、ひどく悪いんだよ。考えただけでもぞっとする。鼻をならし、足でとんとんやり、その上、大きなごつい頭だ。それに、場所がない。全然ないんだ。」
「ここは、どんなところなんだ?」エリディルがおこった声で質問した。「おい、小人は。おまえは、いったい、われわれをどこにつれて来たんだ? わたしの馬は、わたしからはなれはせぬ。おぬしらは、このねずみ穴にはいりこむがよい。わたしは、自分でイスマリクを守る。」
「馬を地上にのこしてはおけないんだ。」ドーリが、ギスティルにいった。ギスティルは、もう通路にひっこもうとしていた。「場所をみつけるか、つくるかしろ。」と、ドーリは命令した。「かならずだぞ!」
ギスティルは、鼻をならし、うめき、首をふりながら、ほんとうにしぶしぶと、入口をすっかりあけた。
「わかったよ。」と、ギスティルは、ため息をついていった。「つれてはいれよ。みんないれなよ。ほかにも知っている連中がいたら、いっしょによんであげなよ。かまやしないさ。わたしは、ただ、いってみただけなんだ――きみの寛容にすがっただけだ。しかし、もう、かまわんさ。だれがこようが、おなじことだ。」
タランは、ギスティルの心配ももっともだと思いはじめた。入口は、馬が通ったらつっかえそうだった。アダオンの大きな軍馬など、苦心さんたんの末やっとはいった。イスマリクは、イバラに腹をひっかかれて、狂ったように目をぐるぐるうごかした。
だが、この障害をぬけてしまうと、中は、土手沿いにつくった一種の回廊になっていた。天井がひくくて、長かった。回廊は、片側がかたい土、片側はいばらや小枝が厚くからみあった壁で、空気がかようほどのすき間があり、しかも外からは中が見えなかった。
「馬は、そこにいれておけると思う。」ギスティルは、ため息をついて、両手をひらひらさせて、回廊をしめした。「そうじをしてから、まだ間がない。ここがうまやになろうとは思っていなかったよ。だが、使いたまえ。どうせおなじことだ。」
ギスティルは、すすりあげたり、そっとため息をついたりしながら、人間たちの先にたって、かびくさい地下道を進んだ。一箇所、片側の壁をくりぬいて入込みがつくってあった。そこには、草の根、地衣類、キノコなどがいっぱい入れてあった――ゆううつな住人の食糧入れだと、タランは考えた。土の天井からは、水がぽたぽた落ちたり、壁を伝って流れ落ちたりしていた。壌土と枯葉のにおいが、よどんでいた。さらに進んで行くと、地下道がおわって、円形のへやになった。
へやには、灰がいっぱいの暖炉があり、泥炭の火がちろちろ燃えていた。燃える泥炭は、ひんぱんに、つーんと鼻をさす煙を吹き出していた。暖炉の近くの、藁のベッドは整頓もしてなかった。ほかには、こわれたテーブルが一つ、背なしのこしかけが二つおいてあり、壁には、薬草の束がびっしりならべて乾してあった。壁は、手間をかけて、かなり平らにしてあったが、くねりまがった木の根の指が、あちこちに顔をのぞかせていた。へやは、ひどくあつくてむっとしているのに、ギスティルは、ぶるっとふるえて、服の中に首をちぢめるようにした。
「ひじょうに、居心地が、よろしい。」フルダーが、はげしくせきこんでからいった。
ガーギは、いそいで暖炉のそばへいくと、煙などものともせず、さっとすわりこんだ。アダオンは、背をまっすぐにのばしたら、天井につかえそうだったが、へやの乱雑さなど知らぬげに、ギスティルのところへ歩みより、ていねいにおじぎをした。
「あなたの手厚いおもてなし、感謝いたしますぞ。わたしどもは、せっぱつまっておったところでした。」
「手厚いもてなしだと!」と、ドーリがかみつくようにいった。「そんなもの、ちっとも受けちゃおらんぞ! おい、ギスティル、くいものと飲みものをもってこい。」
「あっ、もちろん、もちろん。」ギスティルが、もごもごいった。「あなた方が、ほんとうにゆっくりなさりたいのなら、いつ出発するといいましたかな?」
エイロヌイが、うれしそうなさけび声をあげた。「ごらんなさいよ。カラスを飼っている!」
暖炉のそばに、一本の大枝でつくった、粗末なとまり木があり、その上に、なにか黒いかたまりがうずくまっていた。タランが見ると、それは、ほんとうに、大きなカラスだった。タランは、エイロヌイといっしょに、すぐにからすのところへ行った。カラスは、尾羽がばらばらなうえに、羽毛が、ギスティルのくもの巣状の髪の毛そっくりに、すこしずつかたまりあっていた。まるで、でこぼこの玉だった。しかし、目はきらきらと鋭く、うさんくさそうにタランをじっと見ていた。カラスは、四、五回、パチパチとかわいた音をたてて、とまり木で、くちばしをみがいてから、首をかしげた。
「すてきなカラスだわ。」と、エイロヌイがいった。「こんな羽のカラスは、今まで見たことない。変わった羽ねえ。でも見なれてしまえば、とてもきれいよ。」
カラスがいやがらないので、タランは、首のまわりの羽毛をそっとかきなでてやり、するどくてきらきら光るくちばしの下を、すっと指でなでた。すると、ふいに仲よしになったギセントのひなのことを思い出して、悲しくなった。それは、ずいぶん前のことに思われた。タランは、あの鳥はどうなったろうと思った。カラスは、ふだん、これほど注目を集めることなどないので、たしかにとてもよろこんでいた。頭をぴょこぴょこうごかし、うれしそうに目をぱちくりさせて、タランの髪をくちばしですこうとした。
「名まえは、なんというの?」と、エイロヌイがたずねた。
「名まえ、ですと?」と、ギスティルが返事をした。「ああ、そいつの名まえでしたら、カアですよ。ほら、そういってなくでしょう。なにか、そんなふうに。」ギスティルは、あやふやそうにいいたした。
「カア!」今まで興味深そうに見ていたフルダーが、思わず大きな声でさけんだ。「すばらしい! じつに賢明だ! そんな名をつけることなど、わしには考えもつかなかっただろう。」フルダーは、けっこう、けっこうと、うれしそうにうなずいた。
タランが、ごきげんなカラスの羽をなでてやっている間に、アダオンはエリディルの傷をしらべにかかっていた。帯につけた小さな袋から、一つかみの乾燥させた薬草をとりだして、もんで粉にした。
「なんと、」と、エリディルはいった。「おぬしは夢うらないばかりか、まじない医者もやるのか? わたしが歯牙にもかけぬけがを、おぬしが心配することもあるまいに。」
「これを親切ととらなくてもよい。」アダオンは、おちつきはらって切り傷の手当てをつづけながら答えた。「だが、用心だとは思いたまえ。これからの旅はつらく危険だ。おぬしを病気にさせて、旅をおくらすわけにはいかない。」
「わたしのために、旅がおくれるようなことはない。」と、エリディルはいいかえした。「今回は、名をあげる好機だった。わたしなら、一歩もしりぞくことはなかったろ。それがどうだ。キツネのように自分から地にもぐっているのだ、われわれは。」
ギスティルは、アダオンの肩ごしに、心配そうに治療を見ていた。そして「あの、わたしの体にきく薬も、なにかないでしょうか?」と、おずおずいいだした。「あ、いやいや、ないでしょうね。でも、かまいません。湿気とすきま風は、手のほどこしようがありませんからね。人は一生ですが、短気やすきま風はいわば永遠につづきますからねえ。」ギスティルは陰気な声で、そうつけ加えた。
「すきま風のことなんか、ぶつぶついうんじゃない。」ドーリがてきぱきした声でいった。「それより、おれたちを、ぶじに、ここから外に出す手だてを考えてくれ。番小屋の責任をおわされていれば、いざという時の用意はできているはずだぞ。」ドーリは、ぷんぷんして、ぷいとそっぽを向いた。「いったい、エィディレグは、どんなつもりで、おぬしを、ここに配置したんだろう?」
「わたしも、それがふしぎで、よく考えるんだ。」ギスティルもうなずいて、ゆううつそうに、ため息をついた。「ここは、あまりアヌーブンに近すぎる。まともな人間がたずねて来るはずがない――い、いや、いや。あなた方のことをいってるんじゃありませんよ。」ギスティルは、あわてていいわけして、「しかし、荒涼たるもんだよ。ほんとうに、おもしろいことなんか、なにもない。いやいやドーリ、おぬしたちのために、わたしにできることなんか、なにもなさそうだ。できることといったら、一刻もはやく、旅立たせてあげることぐらいだ。」
「狩人たちのことは、どうするんです?」と、タランが口をはさんだ。「彼らが、今もわたしたちをつけているとすれば……。」
「狩人? アヌーブンの?」ギスティルの顔色がみどりっぽく変わり、両手がぶるぶるふるえだした。「いったい、どうして、あの連中に出くわしたんです? まったく、お気の毒だ。前もってわかっていたら、わたしにも、できたかも――いやいや、もう手おくれでした。今はもう、やつらがこのあたり一帯にちらばっているでしょうよ。いや、ほんとうに、もうすこし考え深く行動すべきだったですねえ。」
「それじゃ、わたしたちが好んで狩人たちに後を追わせたみたいにきこえるわ。」エイロヌイが、いらだちをおさえられなくなってさけんだ。「そんなの、わざわざ、刺してもらうためにハチをよぶみたいじゃないの。」
少女のはげしい言葉をきくと、ギスティルは着物の中にかくれるようにちぢこまり、世にも情けなさそうな顔つきをした。声をつまらせ、ふるえる手でひたいの汗をぬぐい、大きな涙を一粒こぼすと、それが鼻のわきを伝って落ちた。それから、ぐすぐすと鼻をならしながらいった。「お、おじょうさん、わたしは、そんな意味でいったんじゃありません。信じてください。わたしには、どんな手をうったらいいかまるでわからないんです――もう全然。あなた方は、おそるべき苦境に身をおいてしまわれたんです。わけや経緯は、さっぱり、わたしにはわかりませんがね。」
「ギディオンの指揮で、わたしたちはアローンに攻撃をしかけたんです。」と、タランが説明をはじめた。
ギスティルが、あわてて手をあげて制し、「話さないでください。」といって、ひたいに心配そうなしわをよせた。「どんなことが知りませんが、ききたくないんです。知りたくないんです。あなた方の途方もないくわだてなんかに、巻きこまれたくありませんよ。ギディオンといいましたね? あの方までが、もっとよい分別をおもちでないとは、おどろきますね。しかし、考えられることなのでしょうねえ。文句をいってもはじまりませんよ。」
「われわれの遠征は、急を要するのです。」アダオンが、エリディルの傷のほう帯をおさえ、ギスティルのそばにきていった。「われわれは、あなたの命を危険におとしいれるようなことは、いっさいおねがいしません。われわれがここまできた事情も、できればはなしたくないのです。しかし、それを知らなくては、あなただって、われわれが、ぜひあなたの助けを求めていることが、おわかりにならないでしょう。」
「わたしたちは、アヌーブンの大釜をうばいとりにきたんです。」と、タランがいった。
「大釜?」と、ギスティルがつぶやくようにいった。
「そうだ、大釜だ!」と、かんかんになった小人がどなった。「この臆病のぐずめ! このやみボタルめ! アローンの不死身どもをつくる大釜のことだ!」
「あっ、あの大釜、」ギスティルがかぼそい声でいった。「ごめん、ドーリ。わたしは、べつのことを考えていたんだ。いつ出発するといっていたっけ?」
小人は、今にもギスティルのえりがみをつかんでゆさぶりそうだった。そこで、アダオンが前に出て、暗黒の門での出来事を手早く説明した。
「そりゃ、ひどい。」ギスティルはつぶやいて、気の毒そうなため息をついた。「あなた方は、あの釜の事件に巻きこまれちゃいけなかったですよ。考えてみても、手おくれだと思いますがねえ。せいぜいうまく切りぬけるよりしかたありません。御同情します。ほんとうに。こりゃ、不運な出来事の一つですよ。」
「しかし、あなた、わかっていませんね。」と、タランがいった。「わたしたちは、大釜とかかわりあいがもてなかったんですよ。あれは、もう、アヌーブンにないんです。すでにだれかがぬすんでしまったんです。」
「ええ。」ギスティルは、陰うつな目でタランを見ていった。「知っていますよ。」
7 カラスのカア
タランは、はっとした。「あなたは、それを、ちゃんと知ってるんですね?」と、びっくりしてたずねた。「それなら、なぜ……。」
ギスティルは、ぎょっとして、あわててきょろきょろ、まわりを見まわした。「えっ、ああ、知ってます。しかし、ほら、ごくふつうに知っているだけです。その、つまり、ほんとうは、なにも知っていないってことです。ここみたいなひどい場所でなら耳にするような、平凡で、根拠のないうわさにすぎんですよ。全然重要性はありません。気になさらないでください。」
「ギスティル、」ドーリがきびしい声でいった。「おまえは、この事件についちゃ、今口をすべらした以上のことを知ってるな。さ、吐いちまえ。」
陰気な妖精は、ぱっと両手で頭をかかえると、うめき声をあげながら、体を前後にゆすりはじめた。「たのむから、わたしをひとりにして、出ていってくれ。」と、ギスティルはすすり泣きしていった。「わたしは、体が思わしくないんだ。片づけなくちゃならんしごとがじつにたくさんある。いつまでたっても追いつきやしない。」
「いや、ぜひ話してください!」と、タランはさけんだ。それから、「おねがいします。」と声をひくくして、つけ加えた。あわれなギスティルが、はげしく胴ぶるいをはじめ、目がつり上がって、今にも発作をおこしそうになったからだ。「知っていることは、かくさないでください。あなたがだまっていると、われわれの命がむだに失われる危険があるんです。」
「あれに手を出しちゃだめだ。」ギスティルは声をつまらせ、きものの端で自分をあおいだ。「かまわんでおきなさい。忘れちまいなさい。それがいちばんです。どこだか知りませんが、家へお帰りなさい。あれのことなんか、考えることもおやめなさい。」
「そんなことが、できるもんですか。」とタランはさけんだ。「アローンは、大釜をとりもどすまでは手を休みませんよ。」
「もちろん、そうですとも。」と、ギスティルはいった。「彼は今、手を休めちゃいません。だからこそ、捜索をやめてそっと帰れというんです。つづけたら、さらに災難をひきおこすだけです。もう、たっぷり災難に見舞われているじゃないですか。」
「それじゃ、できるだけはやく、カー・カダルンへひきかえして、ギディオンと合流した方がいいわ。」と、エイロヌイがいった。
「そう、そう、ぜひ。」と、ギスティルが口をはさんだ。タランは、今はじめて、この奇妙な人物が、かすかながら積極さを見せたことに気づいた。「こう忠告申しあげるのは、ただみなさんのためを思ってのことです。ああ、よかった、ほんとうによかった、この忠告に従うのがよいとわかってくださって。むろん、もう、」ギスティルはまるで陽気になったようにつけ加えた。「すぐお出かけになりたいでしょうね。いや、まことに賢明です。残念ながら、わたしは、ここにとどまらねばなりません。みなさんがうらやましい。ほんとうに。しかし――これがさだめでして、どうしようもありません。みなさんにお会いできて楽しかった。では、さよなら。」
「さよなら?」と、エイロヌイが思わず声を高くした。「地面にはなをつき出したとたん、狩人たちが待ちかまえていたら――まったく、さよならだわ!――ドーリの話では、わたしたちを助けるのがあなたのつとめでしょ。そのつとめを、あなた、全然果たしてないじゃないの。ため息とうめきだけよ、したのは! こんなことが、妖精族にできるせいいっぱいのところなら、そうよ、わたし、足をしばったまま木のぼりしてみせるわ!」
ギスティルは、また頭をかかえこんだ。「どならんで、どならんで。きょうは、どなり声に耐えられないのです。馬に出会ったものでねえ。どなたかひとりが、出ていって、狩人どもがまだいるかどうか、しらべたらいいでしょう。それが、ほんとうに有効とはいえませんがね。ちょっといなくなったってだけかもしれないんですから。」
「それが、だれの役目かね?」と、小人がつぶやいた。「ドーリのやつさ、もちろん。おれは、もう、姿を消すつとめはおわったと思っていたよ。」
「みなさんに、ほんのちょっとしたおくりものを、さし上げられます。」ギスティルは、話をつづけた。「たいして役にたつものじゃありません。いざという時にそなえて、とっておいた一種の粉薬なんですよ。緊急用にと、たくわえてあるのでして。」
「この間ぬけめ、今は緊急じゃないのか?」
「はあ、その、つまり、ええ、個人的な緊急用にというつもりだったんだ。」ギスティルは、顔色を変えていいわけをした。「しかし、わたしのことはかまいません。どうぞ、使ってください。全部お使いなさい、どうぞ。」
「それを足、だけでなく、歩くときに使うもの――つまり、ひずめやなにかも含んでいますが、それにつけるんです。」と、ギディオンは説明した。「あまり効きめはありませんよ。わざわざ使う意味もないくらいです。寿命がありますんでね。つけて、それから歩けば、当然寿命がきます。それでも、しばらくの間なら、足あとをくらましてくれます。」
「それこそ、わたしたちに必要なものだ。」と、タランがいった。「いったん狩人どもをまいてしまったら、逃げきれると思う。」
「すこし持ってきましょう。」ギスティルが熱心にいった。「すぐです。」
ところが、へやを出て行こうとするギスティルの腕をドーリがつかんだ。「おい、ギスティル。」と、小人はきつい声でいった。「おまえ、なにか、こそこそした目付きをしているぞ。おれの友人たちなら、それでだませるかもしれん。だがな、おまえが相手をしている中には、妖精族のひとりもまじってることを忘れるなよ。おれは感づいているんだ。」ドーリはつかんだ手に力をこめた。「おぬしは、ひどく、おれたちをここから出て行かせたがっている。だから、おぬしを、もうすこし締めたら、もっといろいろきけるんじゃないかと思いはじめているんだ。」
これをきくと、ギスティルは、白目を見せて、気を失ってしまった。小人は、体を支えてやらなくてはならなかった。タランたちはあおいで風を送った。
ようやく、ギスティルは片目をあけ、「すみません。」とあえぐようにいった。「きょうは気分がよくないもので、大釜のことがあんまり強烈でね。ああいうのを、不運な出来事というんですねえ。」
カラスは、今までのいきさつをじっと見ていたが、ガラス玉のような目を、ちらりと飼主に向けたかと思うと、ひじょうないきおいではばたいたので、ガーギがびっくりして、ぱっと立ちあがった。
「オルデュ!」と、カアはしわがれ声でいった。
フルダーが、びっくりしてふりかえった。「へーえ、こりゃ思いもよらんことだ! あのカラス、『カア』なんていわなかったぞ。少なくとも、わしには、そうきこえなかった。なんだか、『オル、ドー』ときこえたんだ、たしかに。」
「オルウェン!」カアがさけんだ。「オルゴク!」
「ほらほら。」フルダーがわくわくするようにいった。「また、いったぞ。」
「ふしぎですね。」と、タランもうなずいていった。「わたしには『オルドルウェノルゴク』ときこえたな! それに、ほら、見てごらんなさい。とまり木の上をさかんに行ったり来たりしています。わたしたちがきて、気が動てんしたんでしょうか?」
「わたしたちに、なにか知らせたいみたいよ。」と、エイロヌイがいいだした。
ギディオンの顔を見ると、古チーズの色に変わっていた。
「おぬしは、おれたちに知られたくないと思っているがな、」ドーリは、おびえているギスティルを乱暴につかまえていった。「カラスは知らせたがっている。おい、ギスティル。こんどこそ、ほんとうに締めてくれる。」
「よせ、よせ、ドーリ。たのむからやめてくれ。」ギスティルは泣き声でいった。「カアのことなんか忘れてくれ。あいつは風変わりなことをするんだ。もっとよくしつけようとしてみたんだが、それがなんにもならなかったんだよ。」
それから、ギスティルは、べらべらと哀訴嘆願をしたが、小人は耳をかさず、おどしを実行しはじめた。
「やめてくれ。」と、ギスティルが悲鳴をあげた。「首を締めないでくれ。きょうは、よせ。きいてくれ、ドーリ。」ギスティルは、せわしなく、両目を寄せたり、はなしたりしながらつづけた。「ちゃんと話をしたら、ここから出ていくと約束してくれるかい?」
ドーリはうなずいて、締めている手をゆるめた。
「カアがいおうとしていたのは、」と、ギスティルはいそいでいった。「あの大釜は、オルデュとオルウェンとオルゴクの三人の手にあるってことなんだよ。それだけのことさ。ひどい話なんだが、そのため、手の打ちようはぜったいにないんだ。口にするだけでもむだとしか思えない。」
「オルデュ、オルウェン、オルゴクって、だれです?」と、タランがたずねた。タランも興奮といらだちに負けて、ドーリがギスティルの首を締めるのを、手伝いたくてたまらなくなってきた。
「わかった。」と、タランは大声を出した。「何者です?」
「わかりません。」と、ギスティルはこたえた。「口でいうのはむずかしいんです。だがあの三人の正体など問題ではないです。あの三人が大釜を手に入れたのなら、あそこにおいておく方がいいのです。」そういって、ギスティルは、はげしく身をふるわせた。「あの連中にちょっかいを出しちゃいけません。この世の役に立つことはないですから。」
「その三人がだれであろうと、何者であろうと、」タランは仲間を見てさけんだ。「みつけだして大釜をうばいましょう。それが、この遠征の目的であるのだから、今ひきかえすべきではありません。三人は、どこに住んでいるのです?」
「住んでいる?」ギスティルは、考えるように眉をしかめた。「三人は、生きているものではないんです。正しくいえば、ちがうんです。なにもかも、ひどくあいまいで、よくわかりませんでね。わたし、じつは、よく知らないんですよ。」
カアが、またはばたいて、しわがれ声をはりあげた。「モルヴァ!」
「その、つまり、」ギスティルは、おこったドーリが、また手をのばしてきたので、あわれっぽくいった。「三人は、モルヴァの沼地にいるんです。正確な位置は、知りません。まるでわかりませんよ。そこが厄介でしてね。ぜったいに見つからないでしょうな。見つけたとしても(みつかりゃしませんが)後悔するばかりでしょうよ。」ギスティルは、やせて骨ばった両手をもみしぼった。はげしくふるえる顔を見ると、彼の恐怖のはげしさがよくわかった。
「モルヴァの沼地のことは、きいたことがある。」と、アダオンがいった。「ここからは西にあたる。ここからの距離はわからないが。」
「わしが知ってる!」フルダーが、さえぎるようにさけんだ。「たっぷり一日の行程だよ。遍歴中、一度偶然あそこに出たことがある。ありありとおぼえているよ。気持ちの悪いところで、まったくひどかった。もちろん、そんなことを、わしは気にしたわけじゃない。びくともせずに、ぐんぐん……。」
だしぬけに、大きくびーんと音をたてて、竪琴の絃が一本、ぷつりと切れた。
「いや、わしは、まわりを歩いたんだ。」吟遊詩人は、あわてていい直した。「おそろしい、悪臭のする、じつにみにくい沼地だった。しかし、あそこが大釜のありかであるなら、わしもタランに口をあわせる。あそこへいこう! フラムのものは、けっしてためらわぬ。」
「フラムのものがためらわないのは口だけだ。」と、ドーリが口をはさんだ。「今度ばかりは、ギスティルのいうことがほんとうだ。まちがいないね。おれも、エィディレグの王国で、さまざまなうわさをきいている。その、なんとかいう場所のことを。いやな話ばっかりだった。よく知っているものはひとりもいないんだ。いや、知っていても、口にしたがらないのかな。」
「あなた、ドーリのいうこと、よくきかなくちゃだめよ。」エイロヌイが気短かにタランに向かっていった。「大釜をもっているものの、正体さえわからないのに、よくもまあ、そこへいって分捕ってこようなんて考えられるわね。」
「それだけでなく、」と、エイロヌイはいいつのった。「ギディオンは、カー・カダルンで落ち合うようにと命令されたのよ。ばかばかしいことをあんまりたくさんきいたために、わたしの記憶にもれができているのでなければ、反対方向へ行けなんて、一言もおっしゃらなかったわ。」
「きみにはわからないんだ。」と、タランはいいかえした。「ギディオンがカー・カダルンで合流しろといったのは、新しい探索の計画を立てるためなんだ。われわれが釜を見つけるだろうなんて、わからなかったのさ。」
「まず、いいますけど。」と、エイロヌイはいった。「あなた、大釜を見つけてはいけませんよ。」
「しかし、ありかはわかっている!」と、フルダーがさけんだ。「みつけたも同然じゃないか!」
「第二に、」エイロヌイは、吟遊詩人を無視して、いいつづけた。「大釜のことで、なにかがわかった場合、賢明な策は一つしかないわ。それは、ギディオンをみつけて、わかったことを知らせるってこと。」
「そりゃ道理だな。」と、ドーリが話に加わった。「あてのないさがしものをして沼地をぴしゃぴしゃうろつかなくたって、カー・ダルベンにたどりつくまでに、さんざん苦しまねばならんのだ。おれは、あんたの考えに賛成するよ。このおれをべつにしたら、なにをしたらいいかが、とにかくわかってるのは、あんただけだ。」
タランは、ためらってしまった。「あるいは、」といって、ちょっとだまってから、「ギディオンのところへもどる方が良策かもしれないね。モルガント王とその手勢に力が借りられるし。」
タランは、いっしょうけんめい自分をおさえて、そういった。心の奥では、大釜を見つけて、意気揚々とギディオンのところへ運んでいきたくてたまらなかった。それでもやはり、エイロヌイとドーリの計画の方が、よりたしかであることを、内心否定できなかった。
「そこで、わたしが思うには、」と、タランは話をはじめた。ところが、タランがドーリの考えに賛成したとたん、エリディルが人をおしのけて、暖炉の前にとびだして来た。
「おい、豚飼い、うまい道をえらんだな。おまえは友だちといっしょにひきかえせ。ここで別れることにしよう。」
「別れる?」タランは面くらってきいた。
「えものがあと少しで手にはいるというとき、このわたしが、それに背を向けるとでも思うのか?」エリディルはつめたくいった。「豚飼い、おまえはおまえの道をいけ。わたしは、わたしだ――モルヴァの沼地へこのままいく。おまえは、カー・カダルンで待っていろ。」それから、あざけりわらいを顔に浮かべていいたした。「火のそばで勇気をかきたてているんだな。わたしが大釜を運んでいってやる。」
タランは、その言葉をきいて、目を怒らせた。エリディルが大釜を見つけるかと思うと、がまんがならなかった。
「ペン=ラルカウの息子。」と、タランはさけんでしまった。「わたしは、あんたのえらぶどんな火にでもとびこんで、この勇気をかきたててみせる! さあ、みなさんは、おのぞみなら、ひきかえしなさい。女の子の考えに耳をかたむけるなんて、わたしがばかだった!」
エイロヌイは、腹を立てて、きいーっとさけんだ。ドーリは異議ありと片手をあげた。しかし、タランは、おさえて口をきかせなかった。タランは、はじめの怒りがしずまり、もうさっきより冷静になっていた。「これは勇気の競争じゃない。無益なあざけりでかっとなってしまったら、わたしは、またばかものになってしまうし、われわれ全員もばかといわれる。少なくとも、それだけは、ギディオンに教えられた。しかし、こういうことも考えなくちゃいけないんだ。つまり、今も、アローンは大釜をさがしているってことだ。われわれは、援軍をつれてくる手間さえおしまなくちゃならない。われわれより先に、アローンが大釜をみつけていたら……。」
「みつけていなかったら、どうだね?」ドーリ、ドーリが口をはさんだ。「釜のありかを、アローンが知っているなどと、どうしておぬしにわかる? そして、彼が知っていないとしたら、みつけだすのに、どのくらいの時間がかかると思う? 不死身や狩人やギセントや、なにやかやを使ったって、かなり手間がかかるぞ! いずれにしたって、こいつは賭なんだ。どんなに間ぬけにだってわかる。しかしな、おぬしがひょこひょこモルヴァの沼地へいく方が、危険は大きいんだぞ。」
「それから、いいこと、カー・ダルベンのタラン、」と、エイロヌイがいった。「あなたのいってることは、あなた自身の気まぐれな思いつきの口実なのよ。あなた、べらべらしゃべってばかりいて、一つ忘れていることがあるわよ。どんなことでも、決定するのはあなたじゃないわ。そして、エリディル、あなたでもないでしょ。わたしの思いちがいでなければ、あなたたちふたりに命令するのは、アダオンですよ。」
タランは、エイロヌイの注意をきいて顔をあかくした。「おゆるしください、アダオン。」タランは頭をさげた。「あなたの御命令にそむくつもりなどなかったのです。どちらかきめるのはあなたでした。」
今まで、暖炉のそばで、なにもいわずに話をきいていたアダオンが、首を横にふった。そして、「いや、」としずかにいった。「この決定は、わたしにはくだせないのだよ。わたしは、おぬしの計画に、賛成とも反対ともいわなかった。それは、この決定は、わたしの力などおよばない、重大なものだということさ。」
「でも、どうして?」と、タランは思わず大きな声でいった。「わたしにはわかりません。」それから、心配そうにすぐつけ加えた。「われわれみんなの中で、なすべきことを、もっともよく御存知なのは、あなたですよ。」
アダオンは、灰色の目をそらして、暖炉の火を見つめながらいった。「いつかは、おぬしにわかるときがくるよ、カー・ダルベンのタラン。だから、今は、みずから、いく道をえらびたまえ。それがどこへ通じていようと、わたしは、おぬしに力をかすと約束しよう。」
タランは、はっとして、一瞬いうべきことばもなく立っていた。心中は不安となやみがうずまいていた。心をゆさぶっているのは恐怖ではなかった。風にまかれてたよりなくとんでいく枯葉の、無言の悲しみといったものだった。アダオンは、おどる焔を、じっと見つづけていた。
「わたしは、モルヴァの沼地へいきます。」と、タランがいった。
アダオンは、うなずいた。「では、そうしよう。」
そういわれても、だれひと口をきかなかった。エリディルですら、なにもいわなかった。くちびるをじっとかんで、剣のつかを、指でなでているだけだった。
「そうか。」と、しばらくしてから、ようやくドーリが答えた。「それじゃ、おれもいっしょに行った方がいいようだ。おれにできることはするよ。しかし、こりゃまちがった決定だよ。注意しておくが。」
「まちがい?」すっかりうれしくなった吟遊詩人がいった。「どういたしまして! わたしは、ぜひとも参加するぞ!」
「もちろん、わたしも。」と、エイロヌイがきっぱりといった。「少なくとも、ニ、三人は、分別のある人間たちが、ちゃんと同行しなくちゃだめ。沼地ねえ! ぶるる! 強情張ってばかなまねをするのなら、もっと乾いた方面をえらんでほしかったわ。」
「ガーギもお手伝いしますぞ!」ガーギがさけんで、ぱっと立ちあがった。「捜索、偵察。」
「おい、ギスティル、」ドーリがあきらめたような顔つきでいった。「さっきはなしてた、あの粉薬を持ってきた方がいいな。」
ギスティルが、壁の入込みをさかんにひっかきまわしている間に、ドーリは一度息を深くすいこんで、ぱっと消えた。しばらくしてもどったときには、すっかり姿を見せていて、腹立たしそうな顔をしていた。耳のへりが青くなり、ぴくぴくしている。
「土地が高くなったところに、狩人が五人野営しておる。あそこに腰をすえて――ちっ、この耳め――一夜をあかすつもりだ。例の粉薬がなんとか役立てば、おれたちがここにいたと知れたときには、かなり遠くへいってられるだろう。」
一行は、ギスティルが、生の抜けかけた袋からとり出してくれた黒い粉を、自分たちの足と馬のひずめにまぶした。タランがメリンラスの手綱をほどいて、やぶの後ろからひきだしてくると、ギスティルは、とてもうれしそうな顔をした。
「さよなら、では、さよなら。」と、ギスティルは、ぼそぼそいった。「命はいうまでもなく、時間もむだになさっちゃいけませんですよね。残念ですが、これが世の中でしょう。来たと思えば、すぐお別れ。だれも、どうにもできないこと。では、さよなら。またお会いしたいものです。しかし、すぐにでなく。じゃ、さよなら。」
その声とともに、番小屋の入口はふさがった。タランは、メリンラスの手綱をしっかりにぎった。一行は、音をたてずに森にはいって行った。
8 くつの中の小石
妖精族の番小屋を出ると、外はすでに夜だった。空はまた晴れたが、寒気は増していた。アダオンとフルダーは手短に話しあい、明け方まで西に向かって進みつづけ、そこで姿をかくして睡眠をとり、それから真南に向きを変えることにきめた。前とおなじく、エイロヌイはタランといっしょに、メリンラスに乗り、ガーギはリーアゴルの背にしがみついていた。
フルダーは、今まで道に迷ったことはないし、沼地へなら目をつぶってでもいけると主張して、先導すると申し出た。しかし、竪琴の絃が二本ぷつりと切れると、思い直して、その役をアダオンにゆずった。ドーリは後衛役で、いちばん後ろをひき受けたが、今になっても耳鳴りのことを、腹立たしげにぶつぶついい、どんなことになってもぜったいに姿は消さないぞといった。
エリディルは、陰気なギスティルと別れてから、だれとも口をきいていなかった。そして、タランは、モルヴァの沼地へ急ごうという全員の決定以後、エリディルの目に、つめたくはげしい怒りの色が見えるのに気づいていた。
「彼は、ほんとうに、ひとりで大釜を持ってこようと考えていたんだと思うよ。」タランはエイロヌイにいった。「ひとりでやったら、あれが手にはいる見込みなんぞ、全然ないだろうにね。ぼくが豚飼育補佐のときだったら、やったと思うような子どもっぽいことだ。」
「あら、あなたは、今だって豚飼育補佐よ。」と、エイロヌイは答えた。「あなたは、エリディルにはりあって、このとんでもない沼地に行くことにきめたんだし、ほかに話したことも、まったくばかげているわ。ギディオンをみつけにいく方が賢明だったことは、あなただって知っているのよ。でも、だめ。あなたはその反対のことをきめちゃって、わたしたち全部をひっぱって行かなくちゃならないのよ。そういうさだめなんだわ。」
タランは、いいかえさなかった。エイロヌイの言葉が、心を鋭く刺したのだった――自分の決定を後悔しはじめていたので、それはなおさら痛かった。旅をはじめた今になって、タランはうたがいに苦しめられていた。心が重かった。アダオンの奇妙な口ぶりも忘れられなかった。そして、当然なすべき決定を、彼がさけた理由を知ろうと、何度となく考えてみた。タランは、メリンラスをアダオンに近づけ、鞍から身をのりだして、小声でいった。
「わたしは心配です。引きかえしてはいけないでしょうか。なんだか、あなたが、何かをかくしているような気がするんです。それがわかっていたら、わたしも反対の道をえらんだのじゃないか、という気がするのです。」
アダオンも、タランとおなじうたがいを、いだいているのかもしれなかった。しかし、すこしも表情には出さなかった。アダオンは、すっかり元気を回復し、もう旅の疲れなど全然感じないといったふうに、背をまっすぐのばして馬を進めていた。彼の顔には、タランが今まで見たことのない、一瞬はかりしれない表情がうかんでいた。誇りは読みとれたが、それ以上のなにかがあった。楽しいともいえるような明るいものが感じられた。
アダオンは長い間なにもいわなかったが、ようやく答えてくれた。
「われわれは、運命のみちびくままに、なすべきことはしなければならない。その運命を予知することができるとはかぎらないがね。」
「あなたには、さまざまなことがわかるのだと思います。」タランはしずかに答えた。「人にいわない多くのことが、わかっているのでしょう。あの、今までずっと気にかかっていたことがあるのです。」タランは、ほんとうにおずおずといった。「今は、ますます気になります。カー・ダルベンで出発前夜にごらんになった、あなたの夢です。あなたは、エリディルとモルガント王の夢をごらんになった。わたしには、わたしが悲嘆にくれていたとはなしてくれました。しかし、あなた自身の夢は、なんでしたか?」
アダオンはほほえんだ。「それで、頭をなやましているのかね? よろしい、おしえてあげよう。わたしは、林間のあき地にいる夢を見たよ。まわりはすっかり冬なんだが、そのあき地は日が照って暖かいのだ。小鳥たちが鳴きかわし、ただの石からは花が咲きでていた。」
「美しい夢。」と、エイロヌイがいった。「でも、わたしにはその意味が判断できない。」
タランもうなずいた。「うん、美しい。わたしは、不幸な夢をごらんになったので、はなさないことにしたのかと思っていたのです。」
アダオンが、それっきり口をつぐんだので、タランはなおも安心できず、また、あれこれと考えにふけりはじめた。メリンラスは、暗闇の中でもたしかな足どりで進みつづけた。この軍馬は、タランが手綱をにぎっていなくても、まがくねる道に横たわる石や、たおれ落ちた大枝などを、よけて通ることができた。疲れで、目がしぶいタランは、身をかがめると、軍馬の力強い首をやさしくたたいた。
「友よ、道をえらんで進んでくれ。ぼくより、きみの方がたしかだものな。」
夜明けに、アダオンは片手をあげて、とまれと合図した。タランは、一晩中、下り坂をいくつもいくつもくだってきたように思った。とまったところは、まだイドリスの森の中ではあったけれど、地面がやや平らになっていた。木々も、多くは、まだ葉をつけていたし、下生えのやぶも厚かった。このあたりは、暗黒の門付近の丘陵より草木が多いのだった。ドーリが、鼻から白い息をはいている小馬を、ギャロップさせて、狩人たちが追ってくるようすは見えないと報告した。
「あの不景気なごくつぶしの粉薬が、どのくらい長く利くか、おれにはわからない。」と、小人はいった。「とにかく、おれたちに、それほど役だつとは思えない。アローンが大釜をさがしているとすれば、一生けんめい、念入りにさがすだろう。狩人どもは、おれたちがおよそこの方向に来ていることは知っているにちがいない。今もかなりの人数で追っているなら、早晩、見つかるにきまっている。あのギスティルのやつ――まったく助けになったどころか! ふん! あのカラスもだ! ちえっ! やつらなんかに出くわさなければよかった。」
エリディルは、馬をおりて、イスマリクの左前足を気づかわしそうにしらべていた。タランもいそいで馬をおり、エリディルのそばへいった。イスマリクは、タランが近づくと、目をぐるぐると動かして、いなないた。
「びっこをひいていたな、イスマリクは。」と、タランがいった。「助けてやらないと、みんなといっしょについていけなくなるよ。」
「そんなことは、豚飼いに教えなられなくても、わかっている。」と、エリディルは答えた。それから身をかがめると、め馬のひずめをいかにも気づかわしそうにしらべた。タランは、びっくりした。そして
「荷を軽くしてやれば、」といってみた。「しばらくは、楽になるかもしれないよ。あなたは、フルダーの馬に乗せてもらえばいい。」
エリディルは、背をのばした。にがにがしげな恐ろしい目つきになっていた。「わたしの馬のことで、さしずなどするな。イスマリクはあるける。ちゃんとあるく。」
だが、ぷいと横をむいたエリディルのひたいに、心配そうなしわがよっているのを、タランは見のがさなかった。「わたしに見せてくれ。」と、タランはいった。「わたしなら、悪いところが見つかるかもしれない。」タランは、ひざをついて、イスマリクの前足に手をのばした。
「イスマリクにさわるな。」と、エリディルはさけんだ。「他人にさわられたら、おとなしくしていない馬だぞ。」
イスマリクは、前足を持ちあげ、歯をむきだした。エリディルが、あざけるようにわらっていった。「自分で思い知れ、この豚飼いめ。彼女の馬蹄はナイフのように鋭いんだ。すぐわかる。」
タランは、立ちあがって、イスマリクの手綱をつかんだ。馬がつっかけてきたので、一瞬タランは、ほんとうにふみつぶされるかと思った。イスマリクは、恐怖の目をいっぱいに見ひらき、いなないて、タランにうちかかってきた。片足のひづめが、肩をかすめたが、タランは、手綱をはなさなかった。手をのばして、イスマリクの長いほっそりした頭においた。め馬は身ぶるいしたが、タランは、おちついた声でなだめるように話しかけてやった。イスマリクは、たてがみを一ゆすりすると、全身の力をぬいた。手綱がゆるみ、イスマリクは、もう後にさがらなかった。
タランは、たえず安心させるよう話しかけながら、左前足を持ちあげた。思っていたとおり、小さなとがった石が、馬蹄の奥深くにはさまっていた。タランはナイフをぬいた。イスマリクはふるえたが、タランは、すばやく手ぎわよく石をかたづけた。石はとれて、地面に落ちた。
「こういうことは、メリンラスでさえ、よくあるんだ。」タランは、あし毛の腹を軽くたたいてやりながら、説明した。「ひずめに、一箇所、深いところがあるんだよ――知らないと、だれでも見のがすところでね。そこのみつけ方をおしえてくれたのが、コルなんだ。」
エリディルの顔色が土気色になっていた。「おい、豚飼い。きさまは、わたしから名誉をぬすもうとしてきた。」エリディルは、歯ぎしりするようにいった。「今度は、馬もぬすもうというのか?」
タランは、礼をいってもらえるとは思っていなかった。しかし、おこった声でどなられて、あっけにとられてしまった。エリディルは、剣に手をかけていた。タランも、なにくそと怒りがこみあげ、ほおに血がのぼった。しかし、顔をそむけた。
「あんたの名誉は、あんたのものだよ。」と、タランは冷静にいった。「あんたの馬もそうさ。あんたのくつの中には、どんな意思がはいっているんだ、ペン=ラルカウの王子?」
タランは、枝のからみあったやぶかげにいる仲間のところへ、いそいでもどった。ガーギは、もう、魔法の袋をひらいて、とくいそうに、中のものを分配していた。「はい、はい!」と、ガーギはうれしそうに大きな声でいった。「全員にむしゃむしゃ、もぐもぐ! ああ、ありがたい、気前のよい親切なガーギ! ガーギは、勇敢な武士のおなかを、ぐうぐう、うんうん、うならしておきはしませんぞ!」
エリディルは、もとのところを動かず、イスマリクの首を軽くたたきながら、あし毛の耳元で、なにかささやいていた。一同といっしょに食事をするようすを見せないので、タランがよびかけた。だが、ペン=ラルカウの王子は、にがにがしそうに、ちらとタランを見ただけで、イスマリクをはなれなかった。
「彼は、あの気性のわるい馬だけに気をくばっている。」吟遊詩人が、つぶやくようにいった。「それに、わしの見るところ、彼に気をくばってくれるのも、あの馬だけだな。わしにいわせれば、同類ってわけだ。」
アダオンは、みんなから、すこしはなれてすわっていたが、タランをよびよせた。「おぬしの忍耐をほめておくぞ。黒いけだものが、エリディルを残酷にかりたてているのだよ。」
「大釜を見つければ、彼も気が晴れると思います。」と、タランはいった。「みつけられれば、みんなの名誉ですからね。」
アダオンは、重々しく微笑した。「与えられた年月を生きるだけで、十分名誉なことではないかな? 愛する人びとや、愛する事物にかこまれて、さらにまた、美しいものにかこまれて生きる。ただそれだけの中に冒険があることを、おぬしは知らねばならないぞ。「だが、わたしが話しておきたいのは、そんなことではない。」と、アダオンはつづけた。美しいその顔は、ふだんはおだやかだが、今はくもっていた。「わたしは、財産といったものをほとんど持っていない。だいじなものと思っていないからだ。しかし、だいじにしているものが、ほんの少しある。リーアゴルと、薬草のつつみと、それから、これだ。」アダオンはえりにつけたえりかざりにふれた。「わたしが身につけているえりかざりだ。わたしの花嫁、アーリアンリンからのだいじなおくりものだ。わが身になにか不幸がおこったら、この三つを、おぬしにおくる。カー・ダルベンのタラン、わたしは今まで、おぬしを、つぶさに見てきた。今までずいぶんと旅をしてまわったが、この三つを託したいものは、おぬしをおいてない。」
「あなたに不幸がふりかかるみたいなことを、いわないでください。」タランは、思わず大きな声でいった。「わたしたちは同志です。危険から守りあうわけです。それに、アダオン、あなたの友情だけで、わたしには、もう十分なおくりものです。」
「しかし、」と、アダオンはいった。「これから何がおこるか、だれにもわからない。万一の場合、受けとってくれるかね?」
タランはうなずいた。
「よかった。」と、アダオンはいった。「これで、気が軽くなった。」
食事がすむと、昼間で休むことがきまった。エリディルは、アダオンに、最初の見張りを命じられても、なにもいわなかった。タランは、やぶのかげで、外套にくるまって横になった。今までの旅と、内心のうたがいや恐れで、くたくたになっていたので、タランは泥のようにねむった。
目をさましたが、太陽は高くあがっていた。タランは、自分の見張りの時間が、もう、ほとんどおわっているのに気づき、ぎょっとして身をおこした。まわりでは、仲間たちがまだ眠っていた。
「エリディル、」と、タランはよんでみた。「なんで、おこしてくれなかったんだ?」そして、あわてて立ちあがった。エリディルもイスマリクも、姿がなかった。
タランは、あわてて、みんなをおこした。それから、すこし森の中へはいって行って、迂回してもどって来た。「行ってしまった! ひとりで、大釜をさがしに行ったんだ! そうするとはいっていたが、今実行した!」
「出しぬいたんだな?」ドーリがぶつぶつ声でいった。「まあ、追いつくだろう。追いつけなくても――おれたちに、かかわりのないことさ。やつは、どこへ行ったらいいか、知っていない。もっとも、それは、こっちもおなじだが。」
「厄介ばらいさ。」と、フルダーがいった。「ひょっとして、運よくいけば、二度とお目にかからんですむ。」
アダオンが、これほどおどろいたことは、今までなかった。「はやく追いつかなくてはいけない。エリディルは、高慢と野心におぼれてしまったのだ。魔法の大釜が彼の手に落ちたら、どんなことがおこるか、わたしは考えるのが恐ろしい。」
一行は、せいいっぱい急いで出発した。アダオンは、ほどなく、南に向かっているエリディルの足あとをみつけた。「この仕事にいやけがさして、家に帰ってしまったかもしれないと期待していたんだが。」と、フルダーがいった。「しかし、もうまちがいない。彼はモルヴァに向かっている。」
みんな急いだのだけれど、エリディルの姿は見えなかった。彼らは、あえぐ馬をなだめすかして最後の力をふりしぼらせながら、ぐいぐい進んだ。しかしとうとう、息をつぐため休まなくてはならなくなった。と、そのとき、一陣のつめたい風がおこって、一行の頭上で枯葉のつむじ風となった。
「追いつけるかどうか、わからないぞ。」と、アダオンがいった。「彼の速度は、われわれとおなじくらいだ。そして、四半日はやく出発している。」
タランは、動悸がはげしくて苦しいので、メリンラスから、落ちるようにおりると、くたりと地面にすわりこんだ。両手で頭をかかえこんでしまった。そのとき、遠くで、かん高い小鳥のさえずりがきこえた。カー・ダルベンを出てから、はじめてきく小鳥の声だった。
「あれは、ほんものの鳥の声ではない。」アダオンがさけんで、ぱっと立ちあがった。「狩人にみつかったのだ。」
アダオンの命令をきくよりはやく、小人は狩人の合図がきこえた方角へ走っていった。タランが見ている前で、ドーリは、ぱっと消えた。アダオンは剣を抜いた。「今度はたたかわねばならぬ。もう、逃げることはできない。」そういって、アダオンは、てきぱきと、タランとエイロヌイとガーギに弓の支度を命じ、みずからは、詩人とふたりで馬に乗った。すぐに、小人がもどって来た。
「狩人五人だ!」と、小人はさけんだ。「おぬしたちは先へいってくれ。この前とおなじ手を使ってみる。」
「いや、」と、アダオンがいった。「二度うまくいくとは考えられん。急げ、わたしにつづけ。」
アダオンは、一行をひきつれて、林間のあき地を横切り、反対端でとまった。そして、「ここに陣をとる。」と、タランにいった。「敵があらわれたらすぐ、フルダーとドーリとわたしは敵の横をついて突進する。敵が向きをかえてたたかいをはじめたとき、矢を射るのだぞ。」
アダオンは、彼らが、あき地にはいったとたん、アダオンが一声大きなさけびをあげて、地をけって突進した。ドーリと吟遊詩人も、ならんで突進した。タランが弓をひきしぼったとき、アダオンは、敵中にとびこんで、右に左に剣をふるっていた。小人は、短くずんぐりした斧をぬきはなって、はげしく敵にうちかかっていた。はげしい不意打ちにあった狩人たちは、騎馬の三人をむかえうつために、ばらばらとちった。
タランは矢をはなった。同時に、エイロヌイとガーギの矢が、うなってとんでいく音がきこえた。三本とも的をはずれ、風に流されて葉の落ちたやぶの中にとんだ。狂ったようにわめいて、ガーギは、べつの矢をつがえた。三人の狩人がフルダーと小人に立ち向かい、ふたりを茂みの中へ追いこんでいた。アダオンの剣がきらめき、敵の武器とぶつかって大きな音をたてていた。
こうなっては、タランも、味方を射る恐れがあるのでつぎの矢がはなてなかった。「こんなたたかいじゃだめだ。」タランは、弓を投げすてると、剣を抜いて、アダオンの助太刀にかけつけた。
狩人のひとりが、タランに向かってきた。タランは、力いっぱいきりつけた。剣は、けだものの皮の胴着にあたってそれてしまったが、狩人はよろめいてたおれた。タランは前に出た。敵はすぐに立ちあがって、皮帯に手をやった。敵におそろしいあいくちのあることを、タランはすっかり忘れていたのだった。
タランは、恐怖で動けなくなった。まっかなしるしをひたいにつけた顔が、目の前で歯をむきだし、あいくちを投げようと、手があがった。ふいに、ふたりの間にリーアゴルがわりこんできた。アダオンが鞍の上で立ちあがり、剣を力いっぱいうちおろした。狩人がよろけてたおれたとき、あいくちが、きらっと光って空をとんだ。
アダオンは、あっといって、剣をおとした。胸にささったあいくちをつかみながら、リーアゴルのたてがみの上に、がくっとうつぶせた。タランは、あっとさけんで、馬から落ちかかるアダオンを支えた。
「フルダー! ドーリ!」と、タランはさけんだ。「きてくれ! アダオンがやられた!」
9 えりかざり
アローンの狩人たちは、フルダーめがけて攻めかかって来た。フルダーの馬は前足をふり上げた。仲間のひとりを殺された狩人たちは、ますますはげしく、狂ったように攻めかかって来た。
「安全な所までにげるんだ!」吟遊詩人がさけんだ。力強く大地をけったフルダーの馬は、やぶをとびこえて、矢のように森へ走りこんだ。小人の小馬が後につづいた。狩人たちはおこってさけびながら、後を追った。
タランは、リーアゴルの手綱をつかむと、たてがみにしがみついているアダオンを乗せたまま、あき地のへりまで走った。エイロヌイがかけ寄って来た。ふたりは、力をあわせて、アダオンが落馬しないように気をくばりながら、下生えをおし分けてにげた。ガーギが、メリンラスをひっぱって、急いで後を追って来た。
タランたちは、いばらや、あら目のあみのようにからまりあった野生ブドウの枯れやぶなどに手や足をとられながら、ただひたすら走った。こがらしを思わせる冷たい刺すような風が吹きはじめた。しかし、森は、やや木々がまばらになった。地面がくだりになり、気がつくと、一行は、ハンの木の木立ちにかこまれて人目につかない、くぼみにはいっていた。
リーアゴルの背にうつぶせていたアダオンが頭を持ち上げて、とまれと合図した。顔は灰色で、苦痛にゆがみ、ひたいに黒髪がへばりついている。「おろしてくれ。」と、アダオンは、弱々しくいった。「わたしをのこして行くのだ。これ以上はもう進めない。詩人とドーリはどうしている?」
「あのふたりが、狩人をひきつけて、わたしたちを逃がしてくれたのです。」タランが急いで答えた。「ここにいれば、しばらくは安全です。ドーリがわたしたちの足あとをくらましてくれます。フルダーも手をかすでしょう。そして、きっと、なんとかして、合流してくれるでしよう。だから、休んでください。鞍袋から、あなたの薬を持って来ます。」 タランとエイロヌイは、よく気をつけてアダオンを馬からおろし、土の盛りあがったところまで運んだ。エイロヌイは革の水筒をとりに行き、タランとガーギはリーアゴルの馬具をはずして、鞍をアダオンの枕にしてやった。木々のこずえで、冷たい風がほえていたが、それにくらべれば、このくぼみはあたたかく感じられた。風に雲が吹きちぎられた。太陽が顔を出し、木々の枝をこがね色に染めた。
アダオンが体をおこした。灰色の目で木立ちを吟味するように見て、軽くうなずいた。「うむ、ここは美しい所だ。ここで休むことにする。」
「傷の手当てをしますから。」タランはそう返事して、急いで薬草の包みをあけた。「すぐに楽になりますよ。また移らなくてはならないときは、枝を使って担架をつくり、馬と馬の間につって、乗せて行きますから。」
「いや、これでもう楽になった。」と、アダオンはいった。「痛みは消えたし、ここは気持ちがよい。春のようにあたたかだ。」
アダオンのことばをきいて、タランは心の奥までこおるように思った。ひっそりと木立にこまれたこのあき地と、ハンの木にあたっている日の光が、ふいに恐ろしいものに見えてきた。「アダオン!」タランは仰天してさけんだ。「ここが、あなたの夢でしたか!」
「うむ、よく似ている。」アダオンはしずかな声で答えた。
「では、では、前もって知っていたのですね!」と、タランはさけんだ。「わが身に危険がふりかかると、承知していたのですね! なぜ、前もって話してくだらさなかったのです? きいていたら、わたしは沼地に釜さがしになんて来なかった。ひきかえすこともできたんです。」
アダオンはほほえんだ。「そのとおりだ。だから、わたしは決定権を口に出す気になれなかったのだよ。わたしは、愛するアーリアンリンのもとに、もう一度もどりたいと、心からねがっていた。今も、彼女のことだけを考えている。だが、あのとき、わたしが、ひきかえす道をえらんだとしたら、その決定が知恵にみちびかれたか、個人のねがいにまけてくだされたか、いつまでも心にかかることになっただろう。わたしにはわかる。この道こそ正しいのだ。わたしの運命はきまっていたのだ。」
「あなたは、わたしの命をすくってくださったのです。」と、タランはさけぶようにいった。「わたしのために、あなたを死なすわけにはまいりません。なんとかして、カー・カダルンのギディオンの所までおつれします。」
アダオンは首を横にふった。それから、手を上着のえりにやって、鉄のえりかざりをはずした。「これをたのむ。しっかり守ってくれよ。小さなものだが、おぬしが思っているよりは価値がある。」
「受けるわけにはいきません。」タランはそう答えて、ほほえんでみせたが、内心のおそれはかくしようもなく顔に出ていた。「まるで臨終の贈りものみたいじゃありませんか。あなたは死にはしません、アダオン。」
「受けとってくれ。」と、アダオンはくりかえしていった。「これは命令ではなく、友としてのねがいだよ。」アダオンは、気の進まないタランの手に、えりかざりをおしつけた。
エイロヌイが、薬草をひたす水を持って来た。タランは、水を受けとると、また、アダオンのかたわらにひざをついた。
アダオンは、目をとじていた。安らかな顔だった。地面にだらりとたれた手が、ひらいていた。
こうして、アダオンは死んだ。
はげしい嘆きがややおさまると、一行は墓穴を掘って、内側に平らな石をしきつめた。そして、アダオンをマントでくるんで墓穴にいれ、遺体をそっと、芝でおおった。リーアゴルは、悲しい声でいなないて、かわいた土をかきつづけていた。墓碑には、大きな石を塚につんだ。あき地のひっそりしたすみで、エイロヌイが、まだ霜にやられていない小さな花を両手にいっぱいつんで来た。エイロヌイがこの花を墓の上にふりまくと、花は、石のすき間にはさまり、まるで岩の中から咲き出たように見えた。
タランたちは、日暮れまでじっとなりをひそめて、あき地にひそんでいたが、フルダーもドーリもやっては来なかった。「夜明けまで待とう。」と、タランがいった。「それ以上は、とてもじっと待つ気にはなれない。雄々しい友をひとりばかりか、さらに失ったかもしれないな。
「アダオンは、ぼくが悲嘆にくれるだろうと予言した。」と、タランはつぶやくようにいった。「予言は正しかった。ぼくは、三度も嘆き悲しんでる。」
悲しみがあまりにも深く、また、つかれきっていたので、タランたちは見張りもたてずに、マントにくるまってねむった。心とおなじように、タランのみた夢も、とりとめがなく、恐ろしく、度肝をぬくようなものばかりだった。一つの夢には、仲間たちの悲しみにくれた顔と、アダオンの安らかな死顔があらわれた。つづいて、まっ黒なけだものにつかまえられたエリディルがあらわれた。けだものが爪をたててぎゅっとつかむと、エリディルは、いたみと苦しさに大声をあげた。
たえず変わるさまざまな姿や形が、やがて広々とした草原に変わった。タランは、肩にとどく草をおし分けて、必死に道をさがすのだったが、見つからなかった。頭上では、一羽の灰色の鳥が、はばたいて、風にのっていた。タランが鳥の後について行くと、知らないうちに道に出た。
渦巻いて流れる川の中流に、大きな石が一つある夢もみた。石の上には、フルダーの竪琴がおいてあり、風が弦をふるわせると、竪琴がひとりでに鳴りだした。
べつの夢で、タランは、道のない沼地を走っていた。一頭のクマと二匹のオオカミが、おどりかかってきて、きばでタランをひきさこうとした。恐怖にかられたタランは、まっ黒な沼地にとびこんだ。沼の水は突然、地面にかわった。おこったけだものたちは、歯をむいてうなりながら、タランを追いかけて来た。
タランは、びくっとして目がさめた。心臓がはげしく打っていた。夜がようやく明けかかっていた。あけぼのの最初の光が、木立の上に見えた。エイロヌイがもぞもぞ動いた。ガーギは、ねむったまま、くんくん鼻をならしていた。タランは、がっくりと頭をたれ、手で顔をおおった。夢が、目ざめた今も、心に重くのしかかっていた。あのオオカミの大きくあけた口と、鋭いまっ白な歯が、ありありと目にのこっていた。タランは身ぶるいした。きょうこそ、カー・カダルンにもどるか、モルヴァの沼地へ行くか、はっきりきめなくてはならないのだ。
タランは、かたわらにねむるガーギとエイロヌイを見た。わずか一日で、一行は木の葉のようにちりぢりになり、のこっているのは、このなんとも貧弱な仲間だけだ。そしてその仲間すら、追われて道もわからなくなっている。魔法の大釜を見つけることなど、どうしてのぞめよう? タランは、モルヴァへ行けば、自分たちの命すら、守りきれるかどうかわからないと思った。だが、カー・ダルベンへの旅も、この探索とおなじくらい、いやもっと危険だろう。それにもかかわらず、どちらかにきめなくてはならないのだ。
タランは、しばらくしてから立ち上がり、馬に鞍をおいた。エイロヌイは、もう目をさましていた。ガーギは、マントのひだの中から、小枝のくっついたもじゃもじゃ頭をつき出そうとしていた。
「急いでくれよ。」と、タランは命令した。「狩人たちに追いつかれないうちに、早く出発したほうがいいから。」
「たちまち、見つかっちゃうわよ。」と、エイロヌイがさけんだ。「あなた、まだ、あのいやらしい沼地のことを考えているの? あなた、わたしたちが釜を見つけられるって、まじめに考えてるの? どこかにあるそれを、持ち帰ることは論外として。
「ひきかえすのよ。」エイロヌイは、タランにいいかえすひまも与えないで、話しつづけた。「それが、わたしたにちできるただ一つのことだと思うわ。あなたのおかげで、わたしたち、こうして心配でやきもきしてるんだもの。それに、エリディルがなにをたくらんでいるかわからないでしょ。あのばかな馬のことで、あなたが彼にやきもちをやかせなかったら……。」
「ぼくは、エリディルを気の毒に思ってる。」と、タランは答えた。「エリディルの肩の上には、黒いけだものが乗っているって、アダオンが話してくれたよ。今になって、アダオンのいおうとしたことが、少しわかってきたよ。」
「あら。」と、エイロヌイがいった。「あなたがそんなふうにいうなんて、おどろいたわ。でも、イスマリクを助けたのは、あなたの心がやさしいからよ。あなたが助けてあげたこと、わたしほんとうによろこんでるわ。あれは、たしかに善意でしたことなんだから、それだけでも、あなたは将来有望だと人は思うわ。あれを見たら、だれだって、そう思うわよ。」
タランは、それに答えなかった。めちゃくちゃな夢のことは、もう記憶からうすれはじめたが、それでもまだ、タランは心配で心配で心が重かった。タランは、ひらりとメリンラスにとび乗った。ガーギとエイロヌイは、リーアゴルに合乗りした。三人は、ぐすぐずしないですぐあき地を出た。
タランは、南にくだれば、あと一日で、なんとかモルヴァの沼地にぶつかるだろうと考えていた。むろん、距離も正確な場所も、漠然としかわかっていないことは、よく承知していた。
よく晴れて、身がひきしまるような寒い朝だった。霜のおりた地面をふんで、だく足で進むメリンラスの鞍の上で、タランは、サンザシの枝に張ったクモの巣がきらめいていることに気づいた。クモは、せっせと修繕にかかっていた。林道を進んで行くうちに、タランは、種々雑多な生きものの動きに気づき、ふしぎに思った。リスたちは、冬のたくわえの準備をしていた。アリたちは、土の城の中で、せっせとはたらいていた。タランには、生きものがじつによく見えた。それが、肉眼で見えるというより、今までまったく知らなかった、なにかの方法で見えるのだった。
大気まで、特別なにおいを持っていることがわかった。空気に、先のとがって輪郭のはっきりしたさざ波がたった。それは、冷やしたブドウ酒のような感じだった。タランには、直感で、北風がたった今吹きはじめたのだとわかった。ところが、さざ波のただ中にいながら、もう一つのにおいもまざっていることに気がついた。タランは、そのにおいのほうにメリンラスを進めた。
「道案内があなただから、」と、エイロヌイがあけすけにいった。「ちゃんと心得て進んでいるだろうなんて、とても思えないわねえ。」
「近くに水があるんだ。」と、タランはいった。「水筒に水をいれておく必要があるし……。」タランは、はてなと首をひねって口ごもった。それから「いや、たしかに流れがある。」とつぶやくようにいった。「まちがいない。そこへ行かなくちゃならないんだ。」
そういったにもかかわらず、流れの速い小川が、ラワンの木立の間をくねって流れている所に、ほんとうにぶつかったときには、やはり、びっくりしてしまった。一行は土手まで進んでみた。すると、流れのまん中の岩の上で、フルダーが足を水で冷やしていた。
吟遊詩人は、ぱっと立ち上がると、水をはねかしながら一行を迎えに来た。つかれきってやつれてはいたが、けがはないようだ。「いや、こりゃ幸運だ。おぬしたちが見つかって――いやいや、そっちが、わしを見つけたというべきだね。まことに残念だが、わしはまい子になったのだ。すっかりな。ドーリとふたりで狩人どもをひっぱりまわしはじめてから、なんとか逆もどりはしたんだ。だが、なんとかもどろうと努力して、よけい道に迷ってしまった。アダオンはどうかね? よかったよ、おぬしたちがなんとか……。」詩人は、はっと口をつぐんだ。タランの表情で、ことの次第をさとったのだ。詩人は、悲しげに首を横にふった。「アダオンのごとき人材はまれだ。この穴は埋まらん。あのドーリを失った穴も同様だよ。
「どうしてこうなったのか、わしにもはっきりわからんのだ。」と、フルダーは話をつづけた。「わかっているのは、とにかく全速力でつっ走っていたことだけさ。彼の姿を見せたかったよ。狩人に狂ったように馬を走らせながら、ぱっと消えては、また、ぱっとあらわれるんだなあ。彼がいなかったら、やつらは、まちがいなく、このわしを馬からひきずりおろしていただろう。今、やつらは、かつてないほど強くなっているから。やがて、馬がたおれた。いや、つまり、」と、詩人は、竪琴の絃がぴーんと鳴るのをきいて、あわててつけ加えた。「わしの方がおっこちた。だが、運よく、そのときは、もう、ドーリが狩人どもを遠くまでひっぱって行ってくれていた。あの速度なら……。」フルダーは重いため息をついた。「それっきり、彼がどうなったか、わしは知らんのだ。」
吟遊詩人は、脚絆を足にまきつけた。今までずっと歩いて来た彼は、また馬に乗れるをとてもよろこんだ。ガーギと詩人が、リーアゴルに相乗りした。タランとエイロヌイは、メリンラスに乗った。詩人の知らせをきいたタランは、ますます沈んだ気分になった。ドーリと再会するのぞみが、ほとんどないことがわかったからだった。それでも、タランは、そのまま南に進みつづけた。
フルダーは、知っている目じるしが見つかるまでは、こうして進む意外にないといった。「問題は、」と、詩人は説明した。「あまり南に寄りすぎると、沼地には全然ぶつからずに、おしまいは海に出てしまうことなんだ。」
タラン自身は、なにも意見がいえなかった。気落ちしてしまった彼は、進む方向をほとんど指し示さず、馬にまかせて進んでいた。やがて、木々がまばらになり、ついになくなったかと思うと、一行は、ゆるやかに起伏しながらひろがる草原に出た。タランは、マントで身をくるんで、うつらうつらと進んでいたが、不安におそわれて上半身をおこした。丈高い草が八方にひろがるこの草原に、見覚えがあった。どこなのか、はっきりとは思い出せないのだが、たしかに以前見たことがあるのだった。タランは、のど元につけたアダオンのえりかざりにふれてみた。すると、どこで見たかが、ふいにわかった。タランは、わくわくすると同時にこわくなった。手がぶるぶるふるえた。タランは頭上に目をやった。一羽の灰色の鳥が輪をえがいてから、翼をひろげてさーっとおりて来たかと思うと、ぐんぐん野をこえてとび去り、姿を消した。
「あれは、沼地にすむ鳥だった。」と、タランはいって、すばやくメリンラスの向きを変えた。そして、「あれを追って行けば、」と、鳥のとび去った方を指さした。「モルヴァにつきあたるにちがいない。」
「いや、みごと!」と、吟遊詩人が思わずいった。「わしがさがしても、あの鳥にはとても気づかなかったろうよ。」
「今のは、とにかく賢明な判断ね。ほかのことは、また、べつだけど。」エイロヌイもうなずいていった。
「いや、これは、ぼくの力じゃない。」タランは、わけがわからないように眉をしかめていった。「アダオンは、うそをつかなかった。彼の形見は、じつに貴重なものだ。」そして、アダオンのえりかざりと昨夜の夢のことを、早口にエイロヌイにうちあけた。
「わからない?」タランは、さけぶようにいった。「ぼくは、フルダーの竪琴の夢をみた――そして、フルダーその人を見つけだした。小川をさがしに行くってことは、ぼくが思いついたとはいえないんだ。ふっと頭にうかんだのさ。それに、見つかることはわかっていたんだよ。たった今も、ぼくはあの鳥を見たけど――夢ですでに見たことなんだ、これは。それから、夢は、あと一つのこってる。恐ろしい夢、オオカミの夢だ……あれも事実となっておこる。まちがいない。アダオンの見た夢は、かならず正夢になってる。ぼくに話してくれたから、わかる。」
最初、エイロヌイは、タランの話を信じようとしなかった。「アダオンは、衆にぬきんでた能力をそなえた方だったのよ。あの方のふしぎな力が、その鉄のかけらのおかげだなんていわせないわ。その魔力なんて、問題にならない。」
「ぼくだって、魔力のことをいってるんじゃないさ。」と、タランはいったが、「ぼくが信じているのは。」と、考えこむようにつけ加えた。「アダオンには、夢やなにかの意味が、どうしてだか、わかったってことなんだ。彼のえりかざりを身につけていても、ぼくにはあまりよくわからない。ぼくにわかっているのは、どういうわけか、今までとちがうカンがはたらくことだよ。以前ならけっして目につかなかったものがちゃんと見えるし――においや味も、以前気づかなかったものがわかる。どういうことなのか、はっきりとはいいあらわせないんだがね。奇妙で、ある意味では、こわい。ときには、とてもすばらしい。いろいろなことが、よくわかる。」といって、タランは、首を横にふった。「しかし、どうしてわかるのか、それさえわからない。」
エイロヌイは、しばらくなにもいわなかったが、やがて、ゆっくりした口調でいった。「そうね、もうわかるわ。あなた、口のきき方まで、変わっているもの。アダオンのえりかざりは、この上なく貴重な形見よ。それがあなたに、一種の知恵をさずけてくれるのよ。」それからつけたして、「それこそ、豚飼育補佐にはなによりも必要なものなのよ。」
10 モルヴァの沼地
沼地の鳥があらわれた瞬間から、タランは、一行の先にたって、ぐんぐん進んだ。少しもためらわずに、もうはっきりしたと思われる進路をたどっていた。タランは、メリンラスの力強い筋肉の動きを感じとって、今までになく手ぎわよく、馬を進ませていた。雄馬も、このあたらしい手綱さばきをにこたえて一気に力を出し、ひじょうな速度で進んだ。あまり速くて、リーアゴルが、ついて行けないほどだった。フルダーは、タランに向かい、ちょっととまって、みんなに一息いれさせてくれとさけんだ。風に吹かれたほし草の束のようになっていたガーギが、ほっとしたように馬からおりた。エイロヌイまでが、ほっとして、ため息をついた。
「たちどまって休むのなら。」と、タランがいった。「ガーギ、みんなに食べものを分配してくれ。しかし、その前に、びしょぬれにならないように、屋根のある所を見つけなくちゃ。」
「びしょぬれだって?」と、フルダーが思わずさけんだ。「こりゃ、おどろいた。空には雲一つないんだぞ! 豪勢な日じゃないか――どこから考えてみても。」
「わたしがあなたなら、」エイロヌイが、面くらっている吟遊詩人に忠告した。「彼のいうとおりにするわ。ふだんなら、そんなのばかげているんだけど、今は、事情がちょっと変わったのよ。」
詩人は、肩をすくめて首をふってみせたが、おとなしくタランの後について、起伏する草原をこえ、ちょとした谷にはいった。片側に、入口が広くて、奥行きのあるくぼみがあった。
「おぬし、けがをしているのではなかろうな。」フルダーが、思ったとおりのことを口に出した。「わしの国の侍大将は、古傷があって、天気が変わるたびに刺すようないたみが走るのだよ。たしかに、ひじょうにべんりではあるがね。しかし、雨の予報としては、まことに苦しい方法だ。だから、じっと待っている方が楽だと、いつもわしは思うのさ。どんな天気も、早晩ちゃんとやってくるにきまっておるんだからな。」
「風が変わったのです。」と、タランがいった。「今は、海から吹いています。塩気を含んでいて、不安定です。草や水草のにおいもまじっています。つまり、モルヴァがもう近いということです。万事順調にいけば、あしたまでには、モルヴァにたどりつけます。」
まもなく、空は、ほんとうに雲におおわれ、冷たい雨が、斜面をたたきはじめた。そして、たちまち、どしゃぶりとなった。避難所の右も左も、雨は小さな川となって流れていたが、一行は少しもぬれなかった。
「かしこい御主人が、」と、ガーギが大声をはりあげた。「われわれを、雨ぽたぽたや、つるりすてんから守ってくださる!」
「正直な話、」と、詩人がいった。「おぬしの予想はずばりとあった。」
「わたしの力じゃありません。」と、タランはいった。「アダオンのえりかざりがなかったら、みんな、びしょぬれになっていたと思います。」
「そりゃ、どういうことかな? フルダーは、わけがわからなくなってきいた。「えりかざりが、天気の予知に関係あるとは思えないが、」
タランは、エイロヌイに説明したとおなじように、自分がえりかざりから知りえたことを、詩人に話してきかせた。フルダーは、タランののどもとについているえりかざりを、しげしげとながめていた。
「ひじょうにおもしろい。ほかのことはともかく、これには吟遊詩人のシンボルがかいてある――ここの、三本の線、矢の先に似たやつだ。」
「わたしも気づいていました。」と、タランはいった。「しかし、なんだかわからなかったのです。」
「当然だよ。」と、フルダーはいった。「それは、吟遊詩人の秘密の知識の一部なのだ。わしも、試験にそなえようとした折に、そこまではまなんだのさ。」
「でも、なにを意味するんです、この三本の線は?」
「あら、」と、エイロヌイが口をはさんだ。「この前、わたしが銘刻の字を読んでってたのんだら……。」
「うむ。」フルダーか、まごついていった。「そりゃ、また、べつの話だ。吟遊詩人のシンボルなら、ちゃんとわかるのさ。これは秘密なのだが、おぬしはもうこのえりかざりを持っているのだから、教えてしまっても、さしつかえなかろうと思う。三本のすじは、知識と真実と愛を示しておるのだよ。」
「あら、すてき。」と、エイロヌイがいった。「でも、知識、真実、愛がなぜそれほど秘密なのか、わたしにはさっぱりわからないわ。」
「秘密であると同時に、まれであるというべきなのだろうな。」と、詩人は答えた。「その三つのうち一つを見つけることさえ、ひじょうにむずかしいと、わしはときどき思う。その三つをあわせたら、ほんとうに、ひじょうに強力なものになる。」
タランは、じっと考えながら、えりかざりをもてあそんでいたが、その手をとめて、不安そうにあたりを見まわしていった。
「急いでくれ。すぐ、ここから出なくちゃいけない。」
「カー・ダルベンのタラン、」と、エイロヌイが大声でいった。「そんなのやりすぎよ! 雨をのがれてここへはいったことは、よくわかるけれど、わざわざ雨の中へ出て行くなんて、わけがわからないわ。」
そういいながらも、エイロヌイは、いわれたとおりにした。一行は、タランにせきたてられて、つないだ馬の手綱をとき、斜面から走り出た。一行が十歩もいかないうちに、斜面全体がどしゃぶりの雨でもろくなったため、どどーっと大きな音をたててくずれた。
ガーギは、恐怖の悲鳴をあげて、タランの足元にひれ付した。「ああ、偉大な、勇敢な、かしこい御主人さま! ガーギは感謝いたしますぞ! このあわれなもろい頭が、恐ろしい、ごー、ぴしゃりからすくわれました!」
フルダーは、両手を腰にあてて、低くひゅーと口笛をならした。「いや、いや、おどろいたな。一瞬おそかったら、わしらは、あれっきりうずまってしまっていたぞ。わが友よ、そのえりかざりを、ぜったいに手放してはいけない。まったくの宝だ。」
タランは、なにもいわなかった。手が、アダオンのえりかざりにのびた。タランは、おどろきの表情をいっぱいにみなぎらせた目で、つぶれた斜面をじっと見つめていた。
夜のとばりがおりるすこし前に、雨は小降りになった。びしょぬれで、骨のずいまで冷えきっていたけれど、タランが、また、休もうといったとき、道はかなりはかどっていた。目の前には、陰気な灰色の沼地がひろがっていた。風と雨が、巨人の爪でえぐったようなさけめを、地面のあちこちにつくっていた。一行は、せまい谷間で野営した。地面はぬれていたが、だれもが、ねむれることでほっとした。タランは、片手はえりかざりをにぎりしめ、片手は剣をつかんだまま、うとうとした。きびしい旅だったが、思ったほどつかれていなかった。ダルベンが剣を贈ってくれたとき、彼は身のふるような興奮を感じたが、今は、それとはべつな、鳥はだ立つような興奮を感じていた。だが、その夜みた夢は、わけのわからない、気持ちのわるいものだった。
あけぼのの光がさしそめるとすぐ、一行はまた列をはじめた。タランは、さっそく、夢のことをエイロヌイに話した。「わけがわからないんだよ。」と、タランは、ためらいがちにきりだした。「エリディルが今にも命を落としそうだった。ところが、ぼくは、手をしばられていて、助けてやれないみたいだった。」
「これからも、エリディルには、夢の中でしか出会えないんじゃないかしら。」と、エイロヌイが答えた。「あの人が通った形跡がどこにもないのよ。モルヴァにたどりついて、もう立ち去ったのか、全然たどりつけなかったのか、どっちかだと思うわ。あなたの夢には、大釜をもっとかんたんに手にいれて、この苦しみをおしまいにするやり方は出てこなかった? しょうがないわねえ。わたし、ぬれてるから寒いの。もう、釜なんか、だれが持っていたってかまわないって気になりはじめたわ。」
「釜のことも夢に出てきた。」と、タランは心配そうにいった。「しかし、なにもかも、ごちゃごちゃでぼんやりしていたよ。ぼくたちは、大釜をちゃんと見つけたらしかった。ところが、」と、タランはつけたした。「大釜が見つかったとき、ぼくはさめざめと泣いていたんだよ。」
エイロヌイが、めずらしくだまりこんでしまった。タランも、それっきり、夢の話をくりかえす気にはならなかった。
正午をすぎてほどなく、一行はモルヴァの沼地についた。
タランは、ずっと前から、メリンラスの足がずぶずぶとのめりこみがちだったので、沼地が近いことに気がついていた。沼地独特の鳥の姿をつぎつぎに見かけていたうえに、ずっと遠くで、鳴く、一羽のアビの、もの悲しい声もきこえた。じめじめした地面から、霧がのぼり、白ヘビのようにくねって動きだしていた。
今、一行は、沼地、ほそい首のような道にだまって立ちどまっていた。そこから見わたすモルヴァの沼地は、西の地平線までひろがっていた。今いまる所には、ハリエニシダがうっそうとしたやぶをつくっていた。地平のかなたをよく見ると、いじけた木々の木立が見えた。灰色の空の下には、枯草と折れたアシがひろがり、そのあちこちに、いやなにおいの水たまりが、ちらちらと光って見えた。長年月、くさってたまったもののにおいが鼻についた。なにか、うめきのような音が、たえまなく大気をふるわせている。ガーギは、恐ろしさに、目を見ひらいて茫然とした。吟遊詩人は、リーアゴルの上で、不安そうにもじもじしていた。
「あなた、ここまでは、手ぎわよく道案内をしてくれたわ。」と、エイロヌイがいった。「でも、こんな所を、いったいどう動きまわって、大釜を見つけようと思っているの?」
タランは、手で、だまれと合図した。恐ろしい沼地を見わたしたとき、なにか不安を感じたのだ。「動くんじゃない。」タランは低い声で注意しておいて、さっと後ろをふりかえって、みた。小さな丘に、点々とならんで茂るやぶの後ろから、灰色のものがあらわれた。一目見たとき、オオカミ二匹と思ったのだが、そうではなくオオカミの皮の上着を着た狩人だった。そのふたりのそばに、もうひとり、ぶあつい熊の皮を着た狩人がうずくまっていた。
「アローンの狩人に見つかった。」タランは早口にいった。「ぼくが進むとおりについて来てくれ。しかし、合図するまでは、そのままじっと動かずにいてくれよ。」タランは今、オオカミの夢の意味がはっきりとわかり、とるべき手段もすっかりわかった。
狩人たちは、気づかれずにえものがつかまえられると思いこんで、近づいてきた。
「それ!」と、タランがさけんだ。そして、メリンラスをせきたて、まっしぐらに沼地につっこんだ。雌馬は、足のめりこむぬかるみに苦しみながら走った。大きなさけびとともに、狩人たちが後を追って来た。一度、メリンラスが、深い水たまりで、よろめいてたおれかかった。追跡者の足はひじょうに速く、ぐんぐん近づいて来た。ぞっとしてふりかえったタランは、敵が歯をむきだしてわめきながら、リーアゴルのあぶみをつかもうと手をのばすほど近づいていることに気づいた。
タランは、だしぬけに、メリンラスを右に向けた。リーアゴルもついて来た。と、後ろで、恐怖のさけび声があがった。オオカミの毛皮のひとりが、つまづいて前のめりにたおれ、まっ黒な沼にずぶずぶと飲みこまれそうになって、悲鳴をあげたのだ。のこるふたりも、しっかりとつかまりあって、ずぶずぶ足がのめりむ地面からのがれようと必死になっていた。熊の毛皮の狩人は、おこったうなり声をあげて、さっと両腕をのばし、草をつかもうとした。のこるひとりは、沈みこむ仲間をふみつけて、死の沼地からぬけ出す足場を見つけようとしたが、むだだった。
メリンラスは、全速力で走りつづけた。不気味な色をした水がとびちった。しかし、タランは、この力強い馬に、水中にかくれた島のようなところを走らせ、向こう端についても、とまらず進ませつづけた。比較的かたい地面に茂るハリエニシダをつき抜け、一むれの木立を抜けて走った。タランは、リーアゴルをしたがえて、ほそ長いくぼみを、かくて安全な丘めざして進んだ。
突然、タランは手綱をしぼって馬をとめた。その小さな丘のわきに、低い小屋が一軒あった。芝土に埋まったような小屋だった。小屋は、芝土と木の枝でたくみに人目をくらましてあった。タランもよくよく見て、やっと入口を一つ見つけた。小さな丘を囲むようにして、くずれたうまやと、こわれたトリ小屋らしいものもあった。
タランは、この奇妙な一群れの建物からメリンラスをさがらせながら、みんなに、なにもいうなと手で合図した。
「そんなこと、気を使わなくたっていいと思うわ。」と、エイロヌイがいった。「だれが住んでいるかしらないけど、わたしたちが来る音は、ちゃんとききつけているわよ。もう、出迎えるか、戦うか、とにかく出て来ていいはずなのに、出て来ないんだから、だれもいないんだと思うわ。」エイロヌイは、メリンラスからとびおりて、小屋に向かった。
「もどれ!」タランがさけんだ。そして、剣を抜いて、エイロヌイを追った。吟遊詩人とガーギも馬からおりて剣を抜いた。
タランは、油断なく慎重に、低い入口に近づいた。エイロヌイは、芝土と草でなかばかくれて見えない窓を見つけて、中をのぞきこんでいた。「だれもいないようだわ。」みんなが近づくと、エイロヌイがいった。「自分で見てごらんなさいな。」
「そのことだが、」詩人が頭を低くさげて、エイロヌイの後ろからのぞきこんでいった。「どうやら、かなり前から、だれも住んでいないようだね。まことにけっこうだ。とにかく、これで、かわいた所で休めるよ。」
へやの様子を見ると、すくなくとも人は住んでいないように見えた。ダルベンのへやよりも、もっと乱雑に、ものがつんであったのだ。片すみに、幅の広い旗がおいてあり、たくさんの糸がだらりとたれさがっていた。枠の中の布は、半分もできていなくて、糸のもつれやこごなばかりが多く、途中で投げ出したことがわかった。小さなテーブルには、かけたせとものがちらばっていた。こわれてさびた武器が、あちこちにつんであった。
「どんな気持ちだろうね?」タランの後ろで、陽気な声がした。「ヒキガエルに姿を変えられたら? ふんづけられたら?」
11 小屋
タランは、ぎょっとして、すばやく向きを変え、剣をふり上げた。すると、ふいに、冷たいヘビが手にまきついた。ヘビは、体をよじりながら、しゅっといって、タランの顔にとびかかろうとした。タランは、恐ろしさにあっとさけんで、ヘビを、ふりもぎった。ヘビは、地面に落ちると、たちまちタランの剣に変わった。エイロヌイは、きゃっといいかけて、声をおしころした。タランは、ぞーっとして後ろにさがった。すぐ目の前に、背が低く、やや小ぶとりの女がいた。まるっこい顔の女で、黒目がひじょうにきつかった。髪は、色あせた沼地の草の束ににていた。女は、髪をつるでたばね、宝石のついたピンをかざりにさしていたが、それは手もつけられないほどもつれた髪の中に埋まりそうだった。黒っぽいものを着ていたが、帯をしめていないので、だぶだぶしていて、一面につぎ布としみがついていた。足ははだしで、とほうもなく大きかった。
一行は身を寄せあってかたまった。ガーギは、がたがたふるえて、タランの後ろにうずくまった。吟遊詩人は、恐ろしそうに色あおざめていたが、それでも、いつでも戦えるように身がまえていた。
「さあさあ、いい子や。」魔法を使ってみせた女が、ほがらかな声でいった。「ちっとも痛い目にあわせないと、約束するよ。おのぞみなら、剣を持ったままでもいい。」女は、タランに向かってやさしげににっこりしてみせて、そうつけたした。「いりゃしないとは思うがね。剣を持ったヒキガエルなんて、わたしゃ見たことがない。反対に、ヒキガエルのついてる剣もないねえ。だから、どっちでもすきにしていいよ。」
「このままの姿でいたいんです。」エイロヌイが思わずさけんだ。「いいですかねわたしたちはだれにも……。」
「あなたは、だれです?」と、タランも思わず大きな声を出した。「わたしたちは、あなたに、なんにもわるいことなんかしませんでした。あなたに、おどされるいわれはありません。」
「鳥の巣には、小枝がなん本あるかね?」魔女はふいにたずねた。「さ、早く答えてごらん。そーら、わかっただろ。かわいいぼうやは、そんなことすら知らないんだよ。そんなことでは、ほんとうにどんなのぞみがあって生きているのか、わかるはずはないやね。」
「わたしののぞみはただ一つ、」と、エイロヌイがいいかえした。「ヒキガエルになりたくないってこと。」
「おや、かわいい子だねえ。」魔女は、子どもをあやすようなやさしい声でいった。「あんた、いらなくなったら、その髪をわたしにおくれでないか? どうも、このごろ、わたしの髪はとてもやっかいになっちまってねえ。あんた、いろんなものが髪の中に消えちまって、二度と見つからないなんて思うことはないかい?
「ま、いいやね。」と、魔女はつづけた。「ヒキガエルのくらしって、たのしいもんだよ。あっちこっちとびまわったり、キノコにこしかけて――いやいや、そりゃちがうね。キノコなんて、カエルも腰かけないやね。でも、露の輪の中でおどれるよ。ね、考えただけでも、うっとりするだろ。
「こわがっちゃだめだよ。」魔女は、身をのり出して、タランの耳もとでささやいた。「わたしが口にしたことを、全部そのまま実行するだろうなんて、すこしも考えなくていいんだよ。とんでもない。ヒキガエルになったあんたをふんづけようなんて、少しも考えやしないからね。わたしゃね、ぐしゃっとつぶれるものにゃ、がまんがならないんだ。」
タランは、恐ろしくてたまらなくなってきたが、仲間をすくう手だてがないかと、必死で頭をはたらかした。手にまきついたヘビのぶっそうな牙と冷たい目が、心にやきついていなかったら、タランも、このざんばら髪の女の言葉を、狂人のたわごとだと思ったにちがいない。
「はじめのうちは、ヒキガエルになったことをいやだと思うかもしれないね。」魔女は物わかりよくいった。「なれなくちゃだめだからね。でも、」魔女は安心しなさいといった口調でつけ加えた。「一度変わってしまったら、それが最上だと思うにきまってるんだよ。」
「あなた、なぜ、そんなまねをするんです?」タランは、手も足も出ないことがわかり、それだけますます腹だたしくなってさけんだ。魔女にやさしくほほをたたかれて、恐ろしくもあり、ぞっとするほど気味もわるくて、顔をそむけた。
「人間に、おせっかいやせんさくをさせないためさ。」と、魔女はいった。「そこまでは、あんたもわかるだろ。一つ例外をつくると、二つ、三つになり、やがては、何百、何千てやつらが、どしどしふみこんできて、じゃまになるのさ。だから、こうするのがみんなのために、いちばんいいのさ。」
そのとき、小さな丘をまわって、女がふたりあらわれた。ふたりとも、がっしりした小さな魔女にそっくりだったが、ひとりは黒いマントに体をつつみ、フードで顔をかくしていた。もうひとりは、純白の石をならべたネックレスを首にかけているところが、ほかのふたりと、ちがっていた。
魔女は、ふたりのところへかけ寄って、うれしそうに大声でいった。「オルウェン! オルゴク! 急いどくれ! これからヒキガエルをつくるんだから!」
タランは、あっと息をのんだ。それから、詩人とエイロヌイのふたりにすばやく目を走らせると、早口にささやいた。「今よんだ名まえ、きいたかい? 見つけたんだよ!」
詩人は、驚きのあまり、茫然とした顔つきだった。「大いに役立つことだろうて。やつらが魔法をかけ終わったときには、こっちはもう、大釜もなにも気にしちぉおらんだろう。わしは、まだ、露の輪の中でおどったことがないんだ。」詩人は、おしころした声でつづけた。「こんなときでなけりゃ、大いに楽しむだろうがなあ。しかし、今はいかん。」そして、身ぶるいした。
「あんな人ははじめてよ、わたし。」と、エイロヌイが、恐ろしさに鼻を鳴らしているガーギのそばでさやいた。「あんな恐ろしいことを、にこにこわらいながらいえる人なんて。アリが背中をもぞもぞ歩きまわる感じだわ。」
「不意打ちしよう。それしかない。」と、タランがいった。「一度にみんなに魔法がかけられるかどうか、ぼくにはわからない。それに、やつらをやっつけられかるどうか、それもわからない。しかし、賭けてみなくちゃならないよ。ひとりかふたりは、生きのこれるかもしれないから。」
「そうするしかあるまい。」と、吟遊詩人もうなずいた。そして、苦しそうにつばを飲みこむと、こまったような顔つきでタランを見ていった。「もしも、その結果が、このわしが――その、つまり、このわしが――うむ、そうだ、つまり、このわしの身になにかがおこったら、いいか、ようく足元に気をくばってくれよ。」
その間に、三人の魔女が小屋までもどって来た。「ねえ、オルデュ、」と、ネックレスをした魔女がいっていた。「なんで、いつもヒキガエルでなくちゃいけないのかい? なにか、ほかのものは、思いつかないのかね?」
「でも、ヒキガエルは小ぎれいだよ。」と、オルデュがいいかえした。「こじんまりしてて、あつかいやすいよ。」
「ヒキガエルが、なぜまずいのさ?」と、フードをかぶった魔女がいった。「そこが、オルウェン、あんたのこまったところだよ。いつだって、ものごとをやっかいにしようとしてる。」
「わたしゃね、オルゴク、ほかのなにかって、いっただけだよ。」オルウェンとよばれる魔女が答えた。「気ばらしにさ。」
「わたしゃ、ヒキガエルが大すきさ。」オルゴクがそうつぶやくようにいって、口を鳴らした。フードの陰にかくれていたが、ひくひくと、表情が動くのに、タランは気づき、いらいらしているなと思った。
「あそこにつっ立っている連中をごらん。」と、オルデュがいった。「びしょぬれで泥んこで、あわれなひな鳥たちだ。さっきわたしが話してやったから、どうなったらいちばんいいか、最後にはわかってくれると思うよ。」
「おやおや、この人たちは、沼地をつっ走ってた連中じゃないか。」オルウェンが、ネックレスの玉をもてあそびながらいった。そして「あんた、ほんとうに手ぎわがよかった。」といって、タランににっこりわらってみせた。「狩人どもを、沼に飲みこませたなんてねえ。ほんとうにりっぱなもんだよ。」
「まったく、胸のわるくなるしろものだ、狩人ってやつ。」と、オルゴクがぶつぶついった。
「いやらしい、毛むくじゃらの、腹黒いやつらだ。やつらを見ると、おなかがおかしくなる。」
「彼らも、忠実に仕事をしているだけです。」詩人が思いきっていった。「それだけは、彼らのために、いっておきますぞ。」
「この間、やつらの大群がここに来たんだよ。」と、オルデュがいった。「ちょうど、あんたたたちそっくりに、あっちこっち鼻をつっこんでかぎまわったさ。さあ、これで、例外がつくれないといったわけが、わかっただろ。」
「あの連中だって、例外にはしなかったよ、ねえ、オルデュ?」と、オルウェンがいった。「もっとも、たしか、ヒキガエルにはしなかったけど。」
「そりゃ、ちゃんとおぼえているよ。」と、第一の魔女がいった。「でも、あのときは、あんたがオルデュだったんだよ。あんたがオルデュのときには、すきにしていいさ。でも、きょうはわたしがオルデュだ。そのわたしがいってるのは……。」
「公平じゃないよ。」と、オルゴクが話をさえぎった。「あんたは、いつだってオルデュになりたがってる。わたしゃ、今まで、三度もつづけざまにオルゴクになってるんだ。あんたは、一度オルゴクになったきりじゃないか。」
「だれだって、オルゴクにはなりたくない。」とオルデュがいった。「しかたがないんだよ。知ってのとおり、オルゴクになるのは、ここちよくない。消化がものすごくわるくなるからね。あんた、食べものに、もう少し注意したらいい。」
タランは、魔女たちの話を理解しようとがんばってみたが、今までよりもっとわけがわからなくなったことに気づいた。今はもう、オルデュとオルウェンとオルゴクの区別がはっきりつかなくなり、三人がみんなおなじではないかとさえ思えてきた。しかし、狩人の話をきいて、タランは、はじめてのぞみありと感じた。
「アヌーブンの狩人がみなさんの敵なら、」と、タランはいった。「あなた方とわれわれの目的はおなじです。われわれも、彼らと戦っているんです。」
「敵も友も、結局はみんなおなじものになってしまう。」と、オルゴクがつぶやいた。「さあ、オルデュ、急いどくれ。この連中を小屋につれて行くんだよ。きょうの昼前は、まったく長かったねえ。」
「あんたは、まったく欲ばりだ。」オルデュが、がまんしてにっこりと、フードをかぶった老婆にわらいかけながらいった。「わたしたちが、できるならばオルゴクになりたくない、もう一つのわけは、それなのさ。あんたが、もっと気持ちをおさえる修行をつんだら……さあ、さあ、このかわいらしい小ネズミちゃんたちが、これからしゃべってくれることを、よくきくんだ。きっとおもしろいから。みんな、とってもおもろしいことをよくしゃべるからね。」
オルデュは、タランの顔を見て、楽しそうな声で言った。「さあ、アヒルちゃんや、あんたたちは狩人とひどく仲がわるいが、あれはいったいどうしてなのかね?」
タランは、ギディオンのくわだてがもれるのをおそれてためらっていたが、「彼らがわれわれを攻撃してきたのです。」と話しはじめた。
「もちろん、そうだよ、かわいいひよこちゃんや。」と、オルデュが同情をこめていった。「あの連中はいつだって、だれかれかまわず攻撃するよ。ヒキガエルになるよい点の一つはそこだよ。もう、狩人のことなんか心配しなくてよくなるんだからね。森の中をはねまわって、しめり気の多い朝を楽しむだけでいいんだよ。狩人だって、もう、あんたをなやますことはない。そりゃ、サギ、カワセミ、ヘビなんかには気をつけていなくちゃいけない。でも、それ以外は、いっさい気を使うことはないんだからね。」
「しかし、<われわれ>ってだれだい?」と、オルウェンが話しに割ってはいった。そして、オルデュを見ていった。「あんた、きいてみちゃくれないかい?」
「うむ、ぜひともねえ。」オルゴクが舌を鳴らして、つぶやいた。「わたしゃ、名まえがすきだよ。」
ここでまたタランはためらってしまった。「この……この人、」タランは、エイロヌイを指さして見せながらいった。「インデグです。それから、グレシク王子……。」
オルウェンが、くすくすわらって、やさしくオルデュをつついていった。「ほらほら、よくおききよ。うそをついているこの人たち、とてもおもしろい。」
「ほんとの名まえをいわないのなら、」と、オルゴクがいった。「だまってつかまえちまいなよ。」
タランは、ぴたっとうそをやめた。オルデュが、ためつすがめつ、タランを見ていた。タランは、自分の努力がまるでむだだとしって、急にがっくりしてしまった。「こちらはアンハラドのむすめ、エイロヌイ。それから、フルダー・フラム。」
「竪琴をかなでる吟遊詩人。」と、フルダーがつけたした。
「そして、これがガーギ。」とタランが紹介をつづけた。
「おや、それがガーギってものかい。」オルウェンがひどく興味をそそられていった。「その名まえはきいたことがあると思うんだけど、どんな生きものだか知らなかった。」
「ガーギは、種類の名まえじゃないわ。」と、エイロヌイがいいなおした。「この人の名まえ。ひとりしかいないの。」
「そう、そう!」と、勇気をふるいおこして、ガーギが口をはさみ、タランの後ろから出てきた。「ガーギは、勇敢で賢明! ガーギ、雄々しい同志が、まるまっこくてぴょんぴょんとぶヒキガエルにされることなど、ゆるさない!」
オルゴクは、めずらしそうにガーギを身ながらたずねた。「あんた、ガーギっていきものはどうするつもり? 食べちまうかい、それとも、腰かけにでもする?」
「わたしゃ思うけど、」と、オルデュが意見をのべた。「なににするにしても、まず洗わなくちゃいけないね。それから、ひよこちゃん、」オルデュはタランにいった。「あんたはだれだい?」
タランは背をしゃんとのばし、頭をそらした。
「わたしはタラン。カー・ダルベンの豚飼育補佐です。」
「ダルベン!」と、オルデュがびっくりしてさけんだ。ああ、かわいそうなまい子のひよこちゃん。なぜ、それをはじめにいわなかったんだい? さ、教えとくれ。あのかわいい小さなダルベンは元気でいるかい?」
12 小さなダルベン
タランは、ぽかんとしてしまった。タランの返事もきかず、三人の魔女は、一行をとりかこむようにして、小屋まで案内しはじめた。タランは、わけがわからず、フルダーの顔を見た。フルダーの顔には、オルデュがヒキガエルの話をやめたので、やや血の気がもどっていた。
「小さなダルベン?」タランが小声でいった。「ぼくは、生まれてこの方、ダルベンをそんなふうによんだ人間に会ったことがありませんよ。ほんとに、あのダルベンのことをいってるんでしょうか?」
「わからん。」吟遊詩人は、相手にあわせた小声で答えた。「しかし、彼らがそう考えているのなら――いいか、ぜったいに、ちがうなんていっちゃならんぞ!」
小屋にはいった魔女たちは、心からうれしそうに、ひじょうにあわただしく動きまわって、大急ぎでへやの片づけにかかったが、じっさいは、ほとんど効果がなかった。オルウェンは、はた目にわかるほどわくわくそわそわして、がたがたのいすをたくさん持ち出してきた。オルゴクは、テーブルの上のせとものを床にはらい落とした。オルデュは、手をうちならして、みんなににっこりわらってみせた。
「ほんとに、思いもかけないことだねえ。」と、オルデュはいった。「あれあれ、だめ、だめ、いい子ちゃん!」オルデュは、ふいにエイロヌイに向かってさけんだ。エイロヌイは、機のそばへ行って、織地をしらべようと、前かがみになったところだった。「さわっちゃだめ。さわったら、ひどいとげがちくりだよ。イラクサだらけだからね。いい子だから、こっちへ来ておすわり。」
だしぬけにあたたかい歓迎を受けるようになったが、タランは、不安な目で魔女たちを見ていた。このへやにいると、不安な予感がしきりとするのだが、それがなんなのか、影のようにとらえられなかった。ところが、ガーギと吟遊詩人は、おかしな成りゆきの変化によろこんでいるらしく、すぐに、出された食べものを、一生けんめい食べはじめた。タランは、たずねるようにエイロヌイを見た。
少女は、タランの心中を察して、口をかくしてそっといった。「心配しないで食べなさいよ。ぜったいにだいじょうぶよ。毒も魔法も全然ないわ。わたしにはわかるの。アクレン女王の所で暮らしていたとき、魔法をならっていたから、やり方は知っているの。こうしたらいいわ……。」
「さあ、おりこうさんたち、」と、オルデュが話をさえぎっていった。「かわいい小さなダルベンのことを話してくれなくちゃ。あの子はなにをしておいでかい? 今もまだ<時の書>を持っているかい?」
「ええ……その、持っています。」タランはまごついていったが、この魔女たちは、自分よりもっとよくダルベンのことを知っているのではないかと考えはじめた。
「やれやれ、かわいそうなコマドリだねえ。」と、オルデュがいった。「あんな重たい本を。あれでページがくれるなんて、おどろいてしまうよ。」
「でも、いいですか、」タランは、まごつきっぱなしでいった。「わたしたちの知っているダルベンは、小さくないんです。その、つまり、かなり年配です。」
「年配だと!」フルダーが思わずさけんでしまった。「まるまる三八〇歳だぞ! コルがちゃんと教えてくれたんだ。」
「あの子は、それはそれは愛らしい小さな子だった。」オルウェンがため息をついていった。「バラ色のほほをしてて、指なんかまるっこくてねえ。」
「わたしゃ、赤ん坊がすきさ。」といって、オルゴクが舌を鳴らした。
「髪は、すっかり白くなっています。」と、タランはいった。タランには、この三人のふしぎな女たちが、ほんとうに自分の年老いた師父のことを話しているとは、どうしてもなっとくできないのだった。あの賢者ダルベンに、バラ色のほほとまるっこい指の時代があったなどということは、タランには想像もつかなかった。「それに、あごひげがあります。」と、タランはつけ加えた。
「あごひげ?」と、オルデュが思わずさけんだ。「小さなダルベンに、あごひげがどうして必要なのかねえ? いったいぜんたい、そんなものを、どうしてはやさなくちゃならないんだろうねえ? あんなかわいいオタマジャクシちゃんがねえ!」
「わたしたちは、あの子を、ある日の朝、沼で見つけたんだよ。」と、オルウェンがいった。ヤナギの枝であんだ大きなかごの中に、ひとりぼっちでいれられていたのさ。口じゃいえないほど、それはかわいらしかったねえ。もちろん、オルゴクは……。」
それをきくと、オルゴクがいらだたしげな声を出し、まぶかにかぶったフードのかげから、こわい目を光らせた。
「まあ、まあ、オルゴクや、そんな不機嫌な顔をしないでおくれ。」とオルデュがいった。「ここにいるのは、みんな友だちだよ。もう、そういうことを口にしてもだいじょうぶなのさ。そうかい、じゃ、この話は、オルゴクの気持ちを考えて、こんなふうにいっとくよ。つまり、オルゴクは、ダルベンをここにおいときたくなかった。つまり、世間ふつうの意味でおいときたくはなかったのさ。でもわたしたちは、あの子をおいといてやった。かわいそうなひなっ子を、小屋につれこんだのさ。」
「大きくなるのが、とても速かった。」と、オルウェンがいった。「そうだ、たちまち、よちよち歩いたり、おしゃべりするようになって、ちょっとしたお使いもしてくれるようになった。やさしくて礼儀正しい子だったね。この上ないいとし子だった。それが、今あごひげをはやしているって?」オルウェンは、首を横にふった。「おかしなことを考えたものだね。いったいどこで、そんなもの、見つけたんだろ?」
「そうさ。楽しい子スズメだったよ、あの子は。」と、オルデュがいった。「ところが、そこで。」オルデュは悲しそうにほほえんで、「あのこまった事件がおきたのさ。ある日の朝、わたしたちは、ある薬草を煎じていてね。それが特殊なものだった。」
「そして、ダルベンは、」と、オルウェンがため息をついていった。「かわいらしいダルベンは、わたしたちにかわって釜をかきまわしていた。いつもやってくれる思いやりのある手伝いの一つだった。ところが、にえたったとき、ぶくぶくっとあわがたって、少しとびちってしまった。」
「そして、かわいい指をやけどさせてしまったんだ。」と、オルデュがつけ加えていった。「でも、あの子は泣かなかった。ほんとうに、泣かなかったよ。ほんとに勇敢でね。その指をぱっと口につっこんでなめただけだった。もちろん、魔法の薬がちょっとついていたから、あの子はそれを飲みこんでしまった。」
「飲みこむとすぐ、」と、オルウェンは説明した。「あの子は、なにもかも、わたしたち同様に知るようになった。あれは、魔法の煎じ薬、それも、知恵の処方だった。」
「それ以後、」と、オルデュはつづけた。「ここにおいておくことは、できないことになってしまった。とうてい、今までどおりには暮らせないだろうからね。どころが、ぜったいに暮らしていかれなかっただろうよ。ものを知りすぎている人間が、四人もいっしょに、同じ屋根の下で暮らすことなどできっこない。オルゴクの頭の中にあることを、あの子が少し読めるようになっては、なおさらのことさ。そこで、わたしたちは、あの子を出て行かせなくちゃならなかった――つまり、ここから、ほんとうに追い出さなくちゃならなかったのさ。そのときはもう、オルゴクもあの子を、ここにおいときたくなっていた。オルゴク流のやり方でね。それが、あの子の気にいるだろうとは、わたしゃ思わなかったが。」
「小さくて、かわいい姿になっただろうさ。」と、オルゴクがつぶやいた。
「わたしたちは、まったくじょうずに、あの子の身のふ方をきめてやったといえるね。」と、オルデュは話を続けた。「あの子に、竪琴と剣と<時の書>のどれかをえらばせたのさ。竪琴をえらんでいたら、この世でならぶもののない吟遊詩人になっていただろうし、剣をえらんだら、あのかわいいひなっ子は、プリデイン全土を支配してていただろうよ。ところが、」と、オルデュはいった。「あの子は<時の書>をえらんだ。ほんとうをいうと、あれをえらんでくれて、わたしたちも、とてもうれしかった。あの本は、重くてかびくさくて、ほこりをすうばっかりで役に立たなかったんでね。それを持って、あの子はこの世で身をたてるために出て行った。そして、それっきり二度と会っていないのさ。」
「かわいらしいダルベンが、今ここにいなくてよかったよ。」フルダーが、くすくすわらってタランにいった。「彼らのいう姿かたちとは、似ても似つかんものなあ。今の彼を見たら、ばあさんたちも、いささかぎょっとするだろう。」
タランは、オルデュの話の間ずっと、なにもいわずに、大釜のことを、どうきりだしたものかと思案していた。しかし、その話をすすめるには、正直がいちばんときめ――それに、魔女たちは、うそを見破ることができるらしいので、思いきって口をひらいた。「ダルベンは、わたしがものごごろついて以来、ずっと、わたしの主人でした。あなた方が、わたし同様、彼に好意をもってくださるなら……。」
「わたしたちは、心からあの子を愛している。かわいい子だもの。」と、オルデュがいった。「それは信じておくれ。」
「それでは、ダルベンのねがいと、ドンの王子ギディオンのねがいを実現させるため、わたしたちに力をかしてください。」と、タランは話をつづけた。そして、会議できまったことや、暗黒の門で知ったことや、ギスティルにきいたことをうちあけた。一刻も早く魔法の大釜をカー・ダルベンへ持って行かなくてはならないことを話し、さらに、エリディルを見かけたかどうかについてもたずねた。オルデュは、首を横にふった。「ペン=ラルカウの息子? いいや、そんな人間は、この近くには来なかったよ。沼地にやって来れば、かならずわたしたちの目にとまるはずだからね。」
「丘のいただきから、沼地のすばらしいながめが見られるんだよ。」オルウェンが、あまりいきおいこんで口をいれたので、ネックレスがゆれてかちかち音をたてた。「ぜひ、あれは、見て楽しまなくちゃいけないよ。」オルウェンは熱っぽくそうつけたした。「ほんとうに、あんたたちなら、いたいだけここにいてくれていいんだよ。小さなダルベンが行ってしまって、もうひげをはやしてるようになっちゃ、ここも、むかしほど陽気な所じゃないからね。わたしたちは、あんたたちをヒキガエルにはしないよ――そうしてくれというのなら、べつだがね。」
「われわれの仕事は、魔法の大釜を手に入れることなんです。」タランは、オルゴクの言葉が聞こえなかったことにしたくて、急いで話をすすめた。「ギスティルの話では……。」
「ギスティルのカラスの話では、ということだね。」と、オルデュが話の腰を折った。「カラスのいうことを、なんでも頭から信じちゃだめだよ。」
「妖精族のドーリは信じていました。」と、タランはいった。「あなたたちのところには大釜はないと、今はっきりいってくださいますか? わたしは、ダルベンの代理で、おたずねします。」
「大釜?」と、オルデュは返事をした。「なあんだ! たくさんあるよ。釜も、湯わかしも、料理なべも――どこにあるやらわからないものもあるくらいだよ。」
「わたしがいっているのは、アヌーブンの魔法の釜です。」と、タランはきっぱりといった。「アローンと不死身の戦士の釜のことです。」
「ああ、」オルデュは、楽しげにわらっていった。「それは、きっと黒いクローシャンのことだ。」
「名まえは知りません。」と、タランはいった。「しかし、わたしたちがさがしているのは、それのようです。」
「たしかに、ほかの釜じゃなく、それがほしいんだね?」と、オルウェンがたずねた。「ほかの釜の方が、あの古ぼけたのより、ずっときれいなんだよ。それに、ずっとじっさいの役に立つよ。あんたたち、不死身なんかが、なんで必要なのかね? やつらは、やっかいなだけだよ。とびきりききめの強いねむり薬をつくれる湯わかしをあげてもいいし、ラッパ水仙にふりかけると、あのいやらしい黄色が消えちまう薬をつくれる湯わかしを、あげてもいいんだよ。」
「黒いクローシャンにしか興味がないのです。」タランは、それこそアローンの魔法の釜の名だときめて、いいはった。「ほんとうのことを教えてくれないのですか? 大釜はここにあるのですか?」
「もちろん、ここにあるよ。」と、オルデュは答えた。「そもそも、わたしたちのものだったんだから、あたりまえだろう? それに、今でも、わたしたちのものさ。」
「あなた方のものですって?」タランは、おどろいてさけんだ。「それじゃ、アローンは、ここから盗んで行ったんですね?」
「盗んだ?」と、オルデュが答えた。「そうはいえない。いやいや、盗まれたとはいえないねえ。」
「しかし、アローンにやってしまったなんてことはないでしょう?」エイロヌイが思わず大きな声をあげた。「アローンがなにに使うかわかっていたでしょ!」
「アローンにだって、機会が与えられて当然だよ。」オルデュが、ひろやかな気持ちを見せていった。「あんたにも、いつかはわかるよ。あらゆるものは運命が決まっている。あわれなアヒルの子にも、大きくてみにくいクローシャンにも、運命は定まっている。わたしたちですら、のがれられない。それにね、アローンは、クローシャンを使うために高い代償をはらった。ほんとうに高い代償をね。くわしいことは、こりゃ私的なことだから、あんたたちには関係ないことだよ。とにかく、クローシャンは、永久にアローンものときまっていなかったのさ。」
「アローンは、しばらくしたらかえすと誓った。」と、オルウェンがいった。「ところが、かえすときになって、予想どおり、わたしたちへの誓いをやぶった。」
「浅はかにも。」と、オルゴクがつぶやいた。
「彼がもどそうとしないものだから、」と、オルデュがいった。「ほかにやりようはないだろ? 出かけて行ってとって来たよ。」
「なんと!」と、吟遊詩人は思わずさけんだ。「御婦人三人であの心臓にはりいこみ、あれを持ち出したといわれるのですか? いったいぜんたい、どんなやり方で?」
オルデュはにっこりわらった。「おかしなスズメっ子さんや、やり方はたんとあるのさ。アヌーブンを真っ暗にしてしまい、釜だけふわふわと浮かして持ち出すこともできただろうねえ。見張りをみんなねむらせる手もあっただろうよ。わたしたちがなにかに変わって――いやいや、そんなことはいいやね――とにかく、手はいくらでもあったということさ。とにかく、魔法の釜は、また、ここもどった。
「そして、」と、魔女はつけ加えた。「いつまでも、ここにおく。だめ、だめ。」そこで、タランをおしとどめるように手を上げて、「あんたがほしがっているのは、よくわかっているけど、そりゃ話にもならないよ。あんたたちみたいな旅のひよっ子にはあぶなすぎてだめ。そうさ、そんなことしたら、わたしたちゃ、夜も寝ていられやしない。だめだめ、いくら、ダルベンぼうやのためだといっても、そりゃだめだ。
「じっさい、」と、オルデュはさらにいった。「黒いクローシャンのことに手を出すより、ヒキガエルになっていた方が、ずっとぶじだがねえ。」そして、首を横にふって、「いや、もっといいのは、あんたたちを鳥に変えて、今すぐ、カー・ダルベンまでとんで行けるようにしてやることだね。」
「いやいや、ほんとうに、」オルデュは立ち上がり、タランの両肩に手をかけて、話をつづけた。「あんたたちは、もどらなくちゃいけない。そして、これっきりクローシャンのことは考えちゃいけない。ダルベンのぼうやと、ギディオン王子に、わたしたちは、心から気の毒に思っているといっておくれ。そして、ほかにできることがあったらなんでもしてあげるとね……ただし、クローシャンだけは、だめ。そう。ぜったい、だめだね。」
タランがいいかえそうとすると、オルデュはなにもいわせず、急いでタランを入口までつれ出してしまった。のこるふたりの魔女も、みんなをせきたてた。
「今夜は、あのうまやでねむっていいよ。」と、オルデュがいった。「そして、夜が明けたらすぐに、ダルベンぼうやの所へもどるんだ。それから、足で歩いてもどりたいかどうかも、きめておいとくれ。」それから、こんどは真顔で、「つばさでもどってもいいんだよ。」とつけ加えた。
「も一つ、」と、オルゴクがつぶやいた。「ぴょんぴょんはねても行ける。」
13 計画
ドアがばたんとしまり、一行はまた、小屋の外に立っていた。
「まったく、なんてことでしょ!」エイロヌイがぷんぷんしてさけんだ。「けっきょく、かわいいダルベンぼうや、小さいダルベンぼうやの放しをきいただけで、おっぽり出されただけじゃないの!」
「だが、それでも、なにかに変えられるよりはいいと思わんかね。」と、吟遊詩人がいった。「フラムの者は、動物にはつねに親切ではあるが、それでも、みずから動物になりたい気持ちには、どうもなれないねえ。」
「そう、そう、そのとおり!」ガーギが勢いよくいった。「ガーギもこのままでいたい――大胆で、かしこいままで!」
タランは小屋にひきかえして、ドアをどんどんたたきはじめた。「どうしても、よくきいてもらわなくちゃ!」と、タランは、きっぱりいった。「三人とも、ゆっくり考えてみようともしなかったんだ。」しかし、ドアはあかなかった。タランが窓の所へ走って行って、長い間いくらたたいても、三人の魔女は、二度と姿を見せなかった。
「それが、彼女たちの返答じゃないかな。」と、フルダーがいった。「いおうと思ったことは、すっかり話してしまったのさ――そして、こうするのが、いちばんよいと思っているんだ。わしは不安だね。そんなにどんどん、がたがたやったら――ほら、その、ええと、御婦人たちが、びっくりしないともかぎらん。そしたら、どうなるか。」
「このまま、立ち去るわけにはいきません。」と、タランはいいかえした。「魔法の大釜は、あの三人が持っているんです。ダルベンの友だちかどうかは知らないけど、あれを使ってなにをするか、わかったもんじゃありませんよ。ぼくは、あの三人が恐ろしいし、信用もしていません。オルゴクとよばれている女の話しぶりをきいたでしょう。そうですよ。ぼくにはちゃんと想像がつく。オルゴクが、ひょっとしたらダルベンにしたかもしれないことが。」そこで、タランは、重々しく首を横にふってみせた。「ギディオンが気をつけるようにいっていたのは、これですよ。魔法の釜を持っている者は、その気になれば、プリデインに対する致命的な脅威になれるんです。」
「とにかく、エリディルには、見つかっていないわ。」と、エイロヌイがいった。「それはよろこぶべきことよ。」
「ここでは、やはり、わしがいちばん年かさだからいうのだが、」と、吟遊詩人がいった。「急いでひきかえし、この問題を、ダルベンとギディオンに処理してもらうのがよいと思うね。あの三人にどう話したらいいかを知っているのは、やはりダルベンだよ。」
「いや、」と、タランは反対した。「そのやり方はとらない。旅をしていては、貴重な日時をむだにしてしまう。狩人たちは、釜をとりかえすことに失敗した。しかし、アローンがつぎにどんな手を使うか、だれにもわからない。だめですよ。あれをここになんか、とてもおいてはおけません。」
「こんどだけは。」と、エイロヌイがはっきりといった。「わたしも、あなたにさんせいだわ。ここまで来てしまったんだから、とことんまでやらなくちゃいけないわ。わたしも、あの魔女たちは信用しない。わたしたちに、魔法の釜を持たせることを考えると、夜もねむれないって? わたしだって、あの人たちの所に釜があることを考えると、悪夢にうなされるわよ。きっと! アローンとかわりないわよ! わたし、人間であれ、なんであれ、あんな強大な力を手に入れる人物は信じない。」そこで、エイロヌイは身ぶるいした。「ううっ、また背中がぞくぞくしてきたわ!」
「うむ、まあ、そのとおりだ。」と、フルダーが話しはじめた。「だが、事実はあくまで事実さ――彼女たちがあのいまいましい釜をもっていて、わしらは持っていない。三人は小屋の中で、わしらは外。どうやら、いつまでたっても、この状態は変わりそうもない。」
タランは、しばらく、じっと考えこんでからいった。「アローンがあの三人に釜をもどそうとしなかったとき、三人は、とりもどしに行った。こんどは、あの三人が、われわれに釜を渡そうとしないんだから、手は一つしか考えられない。われわれが手に入れるのさ。」
「盗むのか?」と、吟遊詩人はさけんだ。思案顔がたちまち変わって、目がかがやきだした。「つまり、」詩人は、声を落としてささやいた。「盗むんだね? うむ、そりゃ一つの考えだ。」そして、勢いこんでさらにつづけた。「そいつは思いも及ばなかったな。うむ、うむ、それだよ。」詩人はもう興奮していた。「さて、うまく盗むにはどうするかだ!」
「難問が一つ、」と、エイロヌイがいった。「あの人たちが釜をかくした場所がわからないでしょ。家さがしなんか、させてはくれないにきまってるし。」
タランは、眉を寄せた。「ドーリがいてくれたらなあ。そうすれば、なんの苦もないんだがなあ。わからないけど――なにか方法はあるにちがいないよ。今夜はここにいてもいいっていっただろ。」タランは、話しつづけた。「つまり、今から夜明けまであるわけだ。行こう。この小屋の前につっ立っていたら、なにかもくろんでいることが、わかってしまう。オルデュが、うまやのことをいってたろ。」
一行が馬をひいて、丘のふもとを進んで行くと、荒れはてた低い小屋が、今にもたおれそうに、草の中に立っていた。ぽつんと吹きさらしの場所に立っているその小屋は、土壁のわれ目から、秋風がぴゅうぴゅう吹きぬけていた。吟遊詩人が、足でどんどんと地面をふみ、腕を左右交互にたたいていった。
「計画を練るには、寒い所だな。あの魔女たちも、ここなら、沼地がよく見えようが、寒いながめだのう。」
「少し、藁がほしいわ。」と、エイロヌイがいった。「体があたたまるものなら、藁でなくてもいい。これじゃあ、ともかく、なにを考えるひまもないうちに、こごえてしまう。」
「ガーギ、藁を見つけてくる。」ガーギがそう申し出て、大急ぎで小屋を出ると、ニワトリ小屋の方へ走って行った。
タランは、小屋の中を行きつもどりつしていた。「あの三人がねむったらすぐ、あの小屋にしのびこまなくちゃならない。」そういって、タランは首をふり、のどもとのえりかざりをいじった。「だが、どうやって? アダオンのえりかざりは、なにも教えてくれない。魔法の釜の夢は、さっぱり意味がつかめなかった。あの夢の意味さえわかったら……。」
「今すぐねむってみたら?」と、フルダーが力をかすつもりでいった。「そして、できるだけ早く、ぐっすりねむりにおちるんだ。つまり、いっしょうけんめいねむってみるんだな。そしたら、答えが出るかもしれない。」
「どうかなあ。」と、タランは答えた。「そんなぐあいには、どうもうまくいかないんです。」
「だが、そのほうが、丘に穴をあけるより、たやすいはずだ。」と、吟遊詩人がいった。「穴あけが、わしの考える次の方法なんだが。」
「煙突をふさいで、いぶり出すこともできるわね。」と、エイロヌイがいった。「そして、ひとりが小屋にしのびこむのよ。いえ、だめね。」エイロヌイはいいなおした。「よく考えてみると、なにを煙突につっこんでも――そうねえ――あの人たちなら、もっとひどいものを煙突から噴き出せられるのじゃないかしら。それに、あの小屋には煙突がないわね。この考えはすてなくちゃ。」
その間に、ガーギが、ニワトリ小屋から、かかえきれないほどの藁を持って来てくれたので、みんなは、よろこんで、それを粘土の床に敷きはじめた。ガーギが、もう一かかえの藁をとりに行くと、タランは自信なさそうに、ちらばった藁を見て、あまり期待するふうもなくいった。
「夢をみるように務めてみましょう。ほかにいい考えもうかびませんから。」
「夢心地がいいようにしてやるよ。」と、フルダーがいった。「そして、おぬしが夢をみている間、わしらも考える。そうすれば、全員が、それぞれのやり方で計画を練ることができる。わしも、アダオンのえりかざりがほしいよ。ねむりたくないか? そいつは、問われるまでもない。骨のずいまでつかれきっておるよ。」
タランは、自信のないまま、藁にくるまって寝る支度にかかった。すると、そのとき、ガーギが、目をひらき、がたがたふるえながらもどって来た。すっかり気が転倒していて、口を動かすが声が出ず、手ぶりでなにかいおうとしている。タランは、あわてて立ち上がった。「どうした?」
ガーギは、ニワトリ小屋へ来てみろと手で知らせたので、みんなは、急いで後について行った。うわずっているガーギは、一同を土壁ぬりりの粗末なニワトリ小屋に案内すると、ぶるぶるふるえながら、しりごみした。しりごみしながら、向こうすみを指さした。向こうすみの、藁のまん中に、釜が一つあった。
それは、大人の背の半分ほどの高さで、ずんぐりしたまっ黒な釜だった。人ひとりがはいれるほどの口を、あんぐりとあけているのが、みんなをぞっとさせた。へりには、ゆがんだ所や、ひしゃげた所があった。横腹には、へこみやかき傷が見えた。へりや、下がふくらんだ横腹には、黒ずんだ茶色のよごれが点々とついていた。タランには、それが、さびでないことがわかった。太い鉄の棒を曲げた。つるがついていた。そして、両側のとってには、太い鎖の輪のような重い輪が、一つずつとりつけてあった。釜は、鉄でつくってあったが、大むかしからの悪がこもって気味がわるく、まるで生きているように思えた。ぽっかりとあいた口に、冷たい風があたり、責めさいなまれて死んだ人びとの怨念の声のようなかすかな音が、釜の中からきこえてくるのだった。
「黒いクローシャンだ。」タランは、恐怖とおどろきにうたれて、声をひそめていった。ガーギのはげしい恐怖がよくわかった。見ているだけでも、氷の手で心臓をつかまれたような感じがするのだった。タランは、それ以上はとても見ていられなくて、顔をそむけてしまった。
フルダーは、まっさおになっていた。エイロヌイは、片手で口をおさえていた。ガーギは、小屋のすみで、みじめにふるえていた。ガーギは、釜の発見者となったくせに、うれしそうにさけんで、とくいになったりしなかった。それどころか、藁の中に、できるだけ小さくなってかくれようとしていた。
「うむ、そうだよ。たしかにクローシャンだと思う。」フルダーが、やっとつばを飲みこんで返事をした。しかし、「いや、あるいは。」と、のぞみをかけるように後をつづけた。「そうでないかもしれぬ。たしか、うんとたくさんなべ・かまがころがっているという話だったらな。まあ、まちがっちゃいかんと思っていうんだがね。」
「いや、これだ。」と、タランはいった。「ぼくは夢で見た。たとえ、夢で見ていなくても、それでも、これだとわかる。邪悪なものがこもっているのが感じとれる。」
「わたしも。」と、エイロヌイがつぶやくようにいった。「死と苦しみでいっぱいだわ。ギディオンがこわしたいと思ったわけがわかるわ。」それから、タランに向かい、「時をおかずにこれをさがそうとしたあなたの考えは、正しかったわ。」とつけ加えていって、身ぶるいした。「今までのわたしの意見は、全部ひっこめるわ。クローシャンは、できるだけ早く、破壊しなくてはいけないわ。」
「うむ。」フルダーがため息をついていった。「どうやら、これが問題のクローシャンのようだな。いったいなんで、こんなみにくくてばかでかい代物なんだろう。形のよい小さな湯わかしでよさそうなもんだ。しかし、」フルダーは、大きく息をすいこんでから、話をつづけた。「こいつをかっぱらおう! フラムの者は、しりごみなどせぬぞ!」
「だめだ!」タランはさけんで、片手をのばし、吟遊詩人をとめた。「これを、白昼昂然と持ち出すことなど、とてもできない。それに、ここにいてはまずい。あの三人に、発見したことを感づかれてしまう。日が暮れてから、馬をひいてきて、馬にひっぱらせよう。今は、うまやにいて、何事もなかったような顔をしていた方がいい。」
一行は、すぐに、うまやにひきかえした。クローシャンはからはなれたとたん、ガーギはちょっと元気をとりもどした。「目先のきくガーギ、あれを見つけた! そうですとも。ガーギは、いつも、失われたものを見つけだす! ガーギ、豚を見つけた。そして、こんどは、よこしまなことしたり、あたらしくわるいものを生みだしたりする大釜を見つけた! 親切な御主人! いやしきガーギに名誉を与えてくださる!」ガーギは、思わずさけんだ。だが、顔は恐怖のためにひきつっていた。
タランは、なぐさめるように、ガーギの肩をやさしくたたいてやった。「そうだよ、古なじみくん、こんどもまた助けてもらったね。しかし、魔女たちが、あのクローシャンを、あきやのトリ小屋の、しかも、よごれた藁の下にかくしていたなんて、思いも及ばなかったなあ。」タランは、首を横にふってみせた。「もっとちゃんと目をくばるだろうと思うのが、当然だものなあ。」
「とんでもない。」と、吟遊詩人がいった。「あの三人は、まことにかしこいよ。だれもがいちばんはじめに目をつける場所にかくしたのは、あまりかんたんに見つかる所だから、だれもさがしはしないだろうと考えたのさ。」
「たぶん、」と、タランはいった。そして、眉を寄せて、「あるいは、たぶん、」ともう一度いった。突然心の中にひろがったはげしい恐怖を、おさえられなくなったのだ。「ぼくたちにわざと見つけさせた。」
物置小屋にもどった一行は、夜になったら、つらくて危険な仕事をしなくてはならないとわかっていたので、ねむろうとつとめた。フルダーとガーギは、しばらくの間うとうとした。エイロヌイは、まわりに藁を少しつみ重ね、マントにくるまっていた。タランは、不安で心が少しも落ち着かず、目をつぶることもできなかった。そこで、わずかな持ち物の中にあった一束の長い綱を手にして、すわったままおきていた。一行は、二頭の馬に釜をつりあげさせて持ち出し、沼地をぬけて安全に身がかくせる森まで行き、そこで釜をこわしてしまおうときめていた。
魔女の小屋には、全然人の気配はなかった。だが、日が暮れると、突然窓がろうそくの光で、ぱっと明るくなった。タランは、音をたてないように立ち上がると、こっそり小屋をしのび出た。物かげを伝って、低い小屋までそっと近寄り、中をのぞいてみた。タランは、おどろきのあまり、しばらくの間動けなかった。だが、やがて、向きを変えると、せいいっぱい急いでみんなの所へかけもどった。
「小屋の魔女たちが見えた!」タランは、吟遊詩人とガーギをおこして、小声でいった。「三人とも、さっきと全然姿がちがってる!」
「なんですって?」と、エイロヌイが思わずさけんだ。「あなた、べつの小屋にぶつかったのじゃない?」
「もちろん、そうじゃない。」と、タランはいいかえした。「信じられないなら、自分で見て来たらいい。姿が変わっているんだ。たしかに、三人ともいたよ。しかし、ちがってるんだ。ひとりは、羊毛をすいていた。ひとりは糸をつむぎ、ひとりは布を織っていた。」
「そりゃ、ほんとうに。」と、吟遊詩人がいった。「うまいひまつぶしだな。この陰気な沼地のまん中じゃあ、することもまるでないしな。」
「わたし、ほんとうに、この目で見て来なくちゃ。」エイロヌイが、きっぱりした調子でいった。「機織りのことは、奇妙でもなんでもないわ。でも、それ以外のことは、なんのことだか、さっぱり意味がわからないわ。」
タランが先にたち、一同は用心深く、しのび足で窓の所まで行った。たしかに、タランのいったとおりだった。小屋の中では、三人の女が仕事をしていたが、だれひとり、オルデュ、オルウェン、オルゴクに似ていなかった。
「三人とも美しい!」と、エイロヌイが小声でいった。
「魔女が、美しいむすめに姿を変えようとする話は、きいたことがあるが、」と、吟遊詩人がつぶやくようにいった。「美しいむすめが、魔女に姿を変えたがるなんて話は、きいたことがない。こりゃ、自然じゃない。遠慮なくいえば、なにかこう、いらだたしくなるんだな。あの釜をうばって立ち去るのが上乗だと思うよ。」
「あの三人の正体はわからない。」と、タランはいった。「しかし、われわれには想像すらつかないほど魔力を持っているのじゃないかと思う。どうやら、われわれはなにかに巻きこまれたようだ――それがなんだかは、わからない。そこが、心配でならないんだ。そりゃ、たしかに、できるだけ早く釜を手入れなくちゃいけない。しかし、彼らがねむるまで待とう。」
「彼らがねむればの話だな。」と、吟遊詩人がいった。「こんなところを見てしまったんで、もう、どんなことにもおどろかないよ。彼らが、コウモリみたいに、足の指で一晩じゅうぶらさがっていたってな。」
タランは、長い間、やはり詩人のいったとおり、魔女たちはねむらないのではないかと思った。一行は、交替で、小屋の窓を見張りつづけた。ロウソクがようやく消えたのは、もう夜明けまじかだった。タランは、これ以上はたえられないほど待ったのだが、さらに待った。間もなく、小屋の中から、大きないびきがきこえてきた。
「また、元の姿にもどったにちがいない。」と、吟遊詩人がいった。「美しいおとめたちが、あんないびきをかくとは考えられんよ。うん、やはり、あれはオルゴクだよ。あのいびきなら、どこにいてもきき分けられる。」
夜明け直前の、まだ動かない物の影の中を、一行は急いでトリ小屋に行き、エイロヌイが思いきって、金のまりを光らせた。
クローシャンは、小屋のすみに、黒く、不吉な気配をただよわせて、どっしりとおさまっていた。
「さ、急ぐんだ。」タランは、釜のつるをつかんで命令した。「フルダーとエイロヌイは左右のとっての輪をつかんでくれ。それから、ガーギは、つるのそっち側を持って、持ち上げてくれ。持ち出して、綱で馬にくくりつけよう。いいか? そうれ、よいしょ。」
四人は、せいいっぱいの力で持ち上げてみたが、しりもちをつきそうになった。釜はびくともしなかった。
「思ったより重い。」と、タランはいった。「もう一度。」そして、つるをつかんだ手の位置を変えようとした。ところが、手は、つるからはなれなかった。タランは、ぞっとして、もう一度、手をひきはなそうとしてみた。だめだった。
「おや、おや、」と、吟遊詩人がつぶやいた。「わしは、なにかにひっついてしまったようだ。」
「わたしも!」エイロヌイが、両手をひきはなそうとして、もがきながらさけんだ。
「ガーギもつかまった!」ガーギが恐怖にとりつかれて、ほえるようにさけんだ。「ああ、悲しい! ガーギ、動けない!」
四人は、力いっぱい、はりついた手をぐいぐいひっぱって、物言わぬ、鉄製の敵と、必死になって戦った。タランは、腕をひねったり、ぐいぐいひっぱったりしてみたが、どうしてもとれず、おしまいには、くやし泣きをはじめた。エイロヌイは、力つきてすわりこんでしまったが、それでも両手は、重い鉄の輪からはなれなかった。もう一度、タランは、力をふりしぼってみた。だが、黒いクローシャンは、タランをつかまえてはなそうとしなかった。
そのとき、入口に、すそ長の寝巻きを着た人影が一つあらわれた。
「オルデュだ!」と、吟遊詩人がさけんだ。「これで、まちがいなくヒキガエルにされるぞ!」
14 釜の代償
オルデュは、昼間会ったときより一段と髪をふり乱した格好で、ねむそうに目をしばたたきながら、トリ小屋にはいって来た。つづいて、ほかのふたりの魔女も、ひらひらした寝間着姿であらわれた。そのふたりも、結っていない髪が、もつれた大きなかたまりとなって、肩までたれさがっていた。三人とも、また、老婆の姿にもどり、タランが窓ごしにぬすみ見たおとめとは似ても似つかなくなっていた。
オルデュは、焔のはげしくゆれるロウソクを頭上にかかげて、タランたちをうかがうように見た。
「ああ、かわいそうな小羊たち!」と、オルデュはさけんだ。「いったい、なにをしでかしたんだろうねえ? たちのわるいクローシャンのことは、ちゃんと忠告しておいたのに、ばかな子どもたちは、きこうとしなかったんだねえ! おや、おや、まあ。」オルデュは、悲しそうに舌を鳴らした。「小さな指をくっつけちまったんだよ!」
「どうだい?」オルゴクがしわがれ声でささやいた。「火をおこそうかね?」
オルデュが、オルゴクに向かってさけんだ。「おだまり、オルゴク。なんと、恐ろしいことをお考えだ。朝ごはんにはまだ早すぎるよ。」
「早いこたないさ。」オルゴクがぶつぶついった。
「この連中を見てごらんよ。」と、オルデュは、いかにもかわいいといった調子でつづけた。「おびえているときの、まあ、なんとこのもしいこと。まるで毛羽をむしられたひなっ子だねえ。」
「はかったな、オルデュ!」と、タランはさけんだ。「あんたは、われわれが釜を見つけることも、それからどうなるかも、ちゃんと知っていたんだ!」
「ああ、むろん、知っていましたよ、ひよこちゃんや。」オルデュがやさしい声で答えた。「わたしたちはね、釜を見つけたらどうするだろうかと、それだけが興味だったのさ。こうして、釜が見つかって、わたしたちにもわかった!」
タランは、必死にもがいて、釜から自由になろうとした。恐ろしくはあったけれど、頭をぐっとそらし、いどみかるようにオルデュをにらんでさけんだ。「この腹黒い魔女め、殺したくば、殺せ! そうとも、われわれは、釜を盗み出して、こわしてしまうつもりだったんだ! 生きているかぎりは、また盗んでやる!」タランは、びくともしないクローシャンに勢いよく体をぶつけると、もう一度力いっぱい、それを持ち上げようとがんばったが、むだだった。
「おこったところが、とてもいいじゃないか?」オルウェンが、楽しそうに、オルゴクに向かってささやいた。
「よく気をおつけ。」オルデュが、タランに注意した。「そんなにのたうちまわっちゃ、けがをするよ。わたしたちを魔女とよんだことは、ゆるしてあげるよ。」彼女はおうように、そうつけ加えた。「かわいそうに、すっかり気持ちが乱れちまって、あらぬことを口走りがちになってるんだから。」
「あんたたちは、わる者だ!」と、タランはさけんだ。「われわれを、すきなようにしたらいい。しかし、あんたたちも、早晩うちまかされるぞ。ギディオンに、われわれの最後が伝えられる。そして、ダルベンが……。」
「そうとも、そうとも!」と、ガーギが大声をあげた。「あの方々が、おまえたちを見つけるとも! いさましく戦って、切ってくれるとも!」
「ひよこさんたちや、」とオルデュは答えた。「まだわかっていないようだね? わるい? ああ、小さな胸をいためているひよこさんたちや、わたしたちはわる者じゃないよ。」
「こんな仕打ちを<よいこと>とは、とてもいえはせん。」と、吟遊詩人がつぶやくようにいった。「すくなくとも、個人的な見方をすれば、いえないな。」
「むろん、そうだよ。」と、オルデュがうなずいた。「わたしたちは、よくもなし、わるくもないのさ。わたしたちは、ありのままのことに、興味を持っているだけさ。今、ありのままのことといえば、どうやら、あんたたちがクローシャンにつかまったことのようだ。」
「そして、なんとも思っていないのね!」と、エイロヌイが声をはりあげた。「そんなの、ただわるいなんてもんじゃないわ!」
「いや、ちゃんと思っているよ。」オルウェンがなぐさめるようにいった。「ただ、思い方が、あんたたちとそっくりおなじじゃないのさ。いや、むしろね、思うって気持ちを、ほんとうは持てないんだね。」
「さあ、さあ。」と、オルデュがいった。「そんなことに頭を使っちゃいけない。わたしたちは、さんざん話しあってね、あんたたちに、うれしい知らせを持って来たんだよ。クローシャンを外へ運び出しとくれ――ここは空気がよどんでて、たまごくさい――そしたら、話してやるよ。さ、もう持ち上げられるよ。」
タランは、ちらっと、オルデュを疑わしげに見たが、思いきって力いっぱい釜を持ち上げてみた。釜が動き、両手も自由になったことがわかった。一行は、うんうんいいながら、やっと重いクローシャンを持ち上げ、トリ小屋の外へ運び出した。
外へ出てみると、朝日がすでにのぼっていた。一行四人が、釜を地面にすえて、急いではなれると、あけぼのの光が、黒い鉄を、血のようにまっかに染めた。
「よろしい。さて、さっきもいったように、」オルデュが、痛む腕や手をなでているタランたちに向かって、話をつづけた。「わたしたちは話しあってね、あんたたちがほんとうにほしいのなら、クローシャンを渡してやろうときめたのだよ――オルゴクまでが、みとめたのさ。」
「わたしたちに渡してくれる?」タランが思わず声を高くした。「こんなことまでしたのに?」
「そのとおり。」と、オルデュが答えた。「クローシャンは役に立たないのさ――不死身をつくる以外はね。アローンが、それ以外には使えないようにしちまったんだよ、わかるだろ。そんなになっちまったのは悲しいけれど、事実はそうなってる。さて、不死身ってやつくらい、うろうろしてもらいたくない連中はいないよ、たしかに。わたしたちはね、クローシャンはやっかいものにすぎないときめたんだ。そして、あんたたちは、ダルベンの友だちだから……。」
「クローシャンをくださるのですね?」タランは、心からおどろいて口をはさんだ。
「御婦人のお役に立てて、よろこばしい。」と、吟遊詩人がいった。
「そうあわてない、あわてない。」と、オルデュが話をさえぎった。「クローシャンをくださるだって? いや、いや、とんでもない! わたしたちは、何一つ人にやったりはしないよ。もうけるねうちのあるものは、持ってるだけのことがあるってわけだから。しかし、あんたたちに、買いとる機会だけは与えてやるよ。」
「取引きできる宝など、われわれは持っていませんよ。」タランはがっくりしていった。「残念でたまりませんが。」
「そりゃ、アローンほどのものをくれなんてことは、期待できないだろうね。」と、オルデュが答えた。「しかし、なにか交換できるものを持ってるだろうじゃないか。うむ、これはどうかね……袋づめの北風なんての?」
「北風!」タランは、びっくりしてさけんだ。「とてもとても! いったいどうしてそんな考えが……?」
「わかった。」と、オルデュがいった。「がんこなことはいうまい。それじゃ、南風でいい。これならおとなしい。」
「あなたは、われわれをからかってますね。」タランが腹をたててさけんだ。「あなたが要求しているものを支払うことなど、だれもできません。」
オルデュはためらった。「そうかもしれない。」オルデュもうなずいていった。「よろしい。それじゃ、もう少し身近なものにしよう。うむ、そうだ!」オルデュは、タランに向かってにっこりしてみせた。「それじゃ――それじゃね、生まれてこの方、おまえがいちばんすばらしかったと思う夏の一日をおくれ! むずかしいなどとはいわせないよ。そりゃ、おまえの持っているものなんだから。」
「それ、それ。」と、オルウェンが勢いこんでいった。「日がさんさんとふりそそいでいて、ねむたくなるようなよい香りがいっぱいの、すばらしい夏の日。」
「あんなにおいしいものはないね。」オルゴクが、一本の歯をしゃぶりながらつぶやいた。
「小羊の夏の午後ぐらいおいしいものは。」
「そんなもの、やれるわけがないでしょう。」と、タランは文句をいった。「夏の日にかぎらずです。それは人の心の中――心のどこかにはいっているものです。とり出せるものじゃありません。つまり……。」
「やってみたらいいじゃないか。」と、オルゴクがつぶやいた。
オルデュは、やれやれといったふうに、ため息をついていった。「わかったよ。わたしらの条件は今いったとおりさ。こんどは、そっちの条件をきく番だね。しかし、いいかい。公平な取引きをするには、おまえたちが、このクローシャンくらい、だいじにしているものをよこさなくちゃだめだよ。」
「わたしは、この剣をだいじにしています。」と、タランがいった。「これは、ダルベンからの贈りもので、ほんとうに我がものとよべるはじめての剣なのです。クローシャンと交換になら、よろこんで手放します。」そして、すぐに剣をつった革帯をはずしにかかった。しかし、オルデュは、だめだめと手をふった。
「剣だって?」オルデュは、首を横にふって答えた。「とんでもないよ。剣なら、もうたんとある――じつは、ありすぎるんだよ。何ふりかは、強い戦士の名高い剣だ。」
「それでは、」タランはためらいがちにいった。「リーアゴルをあげましょう。気高い馬です。」タランは、オルデュが眉をしかめたのを見て、ふと口をつぐんだが、「それとも、」と、声を小さくして、しぶしぶ話をつづけた。「わたしの馬のメリンラスにしましょうか。ギディオン王子の乗用馬のメリンガーの子馬です。これくらい速くてたしかな足をもった馬はいません。わたしは、なによりもこのメリンラスをたいせつに思っています。」
「馬ねえ?」と、オルデュはいった。「いや、馬なんか、全然だめだね。えさをやったり世話したりがたいへんだ。それに、オルゴクがいるから、ペットを飼っとくのはむずかしいよ。」
タランは、しばらくの間なにもいわなかった。アダオンのえりかざりを交換にと思うと、顔が青ざめ、自然に、手が、えりのところへ行った。「ほかに、わたしが持っているものといえば、」タランが、のろのろした口調でいいはじめた。
「だめ、だめ!」と、ガーギが大声をはりあげ、食べもの袋をふりかざして、魔女の前におどり出た。
「ガーギのだいじな宝どうぞ! もぐもぐ、むしゃむしゃの袋をどうぞ!」
「食べものはだめさ。」と、オルデュはいった。「その袋もだめだね。食べものに、ごくわずかでも興味があるのは、わたしたち三人の中じゃ、オルゴクだけさ。それに、その袋には、オルゴクの気をひくものなんかはいっちゃいないね。」
ガーギは、がっかりしてオルデュの顔を見た。「でも、あわれなガーギには、これしかあげられるものがない。」そういって、ガーギは、もう一度、食べもの袋をさし出した。
魔女は、ほほえんで、首を横にふった。ガーギの手がさがった。肩を落として、すごすごとひきさがった。
「きっと宝石はおすきですわね。」エイロヌイが急いで口をはさんだ。そして、手から指輪をはずすと、オルデュにさし出した。「これは、とてもきれいです。ギディオン殿下がくださったのです。この石がわかります? これ、妖精族が彫ったのです。」
オルデュは、指輪を手にとり、目に近づけてすかすように見た。「きれい、きれい。とてもきれいだねえ。あなにくらべられるほどきれいだよ。でも、あなたより、ずっと年をへたもんだ。いや、だめだろうねえ、これじゃ。それに、宝石もたんとあるんだよ。ほんとうに、もうこれ以上いらないんだよ。だいじに持っていないさいよ。いつか役に立つことがあるだろうよ。しかし、わたしたちにゃ、むだだ。」オルデュがかえすと、エイロヌイは、悲しそうに、また指にはめた。
「ほかにも、だいじにしているものがあるんです。」といって、エイロヌイは、着物のひだの中に手を入れ、金のまりをとり出した。「はい、これ。」エイロヌイは、まりを両手でいじってまばゆく光らせてみた。「これの方が、ただのあかりより、ずっといいですよ。この光の中だと、物がちがって見えます。なぜだが、ふつうよりはっきり見えます。とても役に立ちますよ。」
「これを、わたしたちにくれるなんて、あなた、ほんとうに心のやさしいむすめだねえ。」と、オルデュはいった。「だが、これも、わたしたちが、ほんとうにほしいものじゃないんだよ。」
「御婦人方、御婦人方!」と、フルダーがさけんだ。「あなた方は、世にもお得な取引きを見のがしておられますぞ。」フルダーは、進み出て竪琴を肩からはずした。「食べもの袋のようなものでは、どうしても、あなた方の興味をひかないことは、よくわかりました。しかし、この竪琴は御一考くださいと申しあげますぞ。この陰気な湿地には、みなさんしかいらっしゃらない。」フルダーは、話をつづけた。「ちょっとした音楽こそ、ぜひ必要なものです。「この竪琴は、ひとりでに鳴ると申してよろしい。」と、フルダーは、さらに説明した。そして、形の美しい竪琴を肩にあてて、指をちょっとふれると、美しいメロディが、長い間あたりにひびきわたった。「おわかりでしょう?」と詩人はさけんだ。「かんたんしごくですぞ!」
「ああ、すてきだね!」オルウェンが、ほしそうにつぶやいた。「それに、歌がうたえてたいくつがまぎらせるんだよ。」
オルデュは、竪琴をたんねんにながめた。「ひどい結び目のある絃がたくさんあるねえ。天気のせいで切れたのかね?」
「いやいや、天気というわけではありません。」と、吟遊詩人はいった。「わたしが持っていると、じつによく切れたがりましてな。だが、それは――ええと、わたしが事実を大げさにいう場合だけです。あなた方なら、そのような面倒はおこらないと信じます。」
「おまえさんが、これを大切にしているのは、よくわかった。」と、オルデュはいった。「しかし、わたしたちは、音楽がききたくなったら、五、六羽鳥をよべばいいんだからね。いやいや、よく考えてみると、調律したりなんか、やっかいものだね。」
「たしかに、もう、ほかのものはないんだね?」オルウェンが期待するようにいった。
「これだけですな。」吟遊詩人はがっかりしていった。「これで、あらいざらいです。着ているマントでもはがないかぎりは。」
「とんでもない!」と、オルデュがいった。「あんたたちひなっ子が、マントなしですますなんて、そりゃまったくよくないよ。寒さで死んじまう――そうなったら、クローシャンを手にいれたってなんにもならない。
「ほんとに気の毒に思うよ。」と、オルデュはつづけていった。「あんたたちは、わたしたちがほしいものを、ほんとうになにもお持ちでないようだ。よろしい。クローシャンはここにおくから、あんたたちはおかえり。」
15 黒いクローシャン
「じゃ、さよなら。」と、オルデュはいって、小屋へもどりかけた。「取引きができなくて不運だったねえ。しかし、それも、また、事の成りゆきでね。それじゃ、急いで巣におかえり。そして、小さなダルベンに、くれぐれもよろしくと伝えておくれ。」
「待ってください!」タランが大きな声でいって、急いでオルデュの後を追った。エイロヌイは、タランの気持ちをさとって、やめてとさけび、片腕をつかんだ。タランはそっとその手をはらいのけた。オルデュは立ちどまり、タランをふりかえった。
「もう一つ――もう一つあるんです。」タランは小さな声でいった。緊張して、息を一つ大きくすいこんだ。「わたしが身につけているえりかざりです。タリエシンの息子、アダオンの形見です。」
「えりかざり?」オルデュは、さぐるようにタランを見ながらいった。「ほんとに、えりかざりかね? うむ、それなら気をそそられるかもしれないよ。ぴったりのものかもしれない。もっと早く、どうしていわなかったんだい?」
タランが顔を上げると、オルデュの目がじっと見ていた。一瞬、タランは、オルデュとふたりだけでそこに立っているような気がした。片手をゆっくり、のど元にあてると、えりかざりの力が体内を流れるのが感じられた。
「オルデュ、あなたは、われわれをもてあそんでいるのですね。」タランはささやくような声でいった。「あなたは、われわれがここに来たとたん、わたしがアダオンのえりかざりをつけているのに気づいた。あなたは、えりかざりの正体をちゃんと見ぬいた。」
「それが、どうだというんだい?」と、オルデュはいいかえした。「それで取引きするかどうかは、やっぱりおまえの自由だよ。そうとも、そのえりかざりなら、わたしゃ、よく知ってる。最初の吟遊詩人、テイルガーズの息子メヌウイが、はるかむかしにつくったものだよ。」
「われわれを殺して、奪いとることもできたわけですね。」と、タランはつぶやくようにいった。
オルデュは、悲しげにほほえんだ。「あわれなひよこちゃんや、わからないのかい? 知識や真実や愛とおなじに、そのえりかざりは、心から人に与えるのでなければ、魔力は敗れてしまうんだよ。そして、ほんとうに、それには魔力がいっぱいこもっている。そのことも、おまえは知っていなくてはいけないよ。吟遊詩人メヌウイは、それに強力な魔法をかけ、夢と知恵と見通しの力をいっぱいにこめたんだ。これほどのえりかざりがあれば、くちばしの黄色いひよっこでも、大きな栄光と名誉がえられる。ひょっとしたら、プリデインの英雄という英雄たち、ドン家の王子ギディオンと肩をならべられるほどになるかもしれない。
「ひよこちゃんや、ようく考えるんだよ。」と、オルデュはいった。「一度手放したら、二度ととりかえせないよ。おまえ、これほどの宝を、こわしてしまうだけのわるい魔法の釜なんかととりかえるのかい?」
タランは、えりかざりをしっかりつかんだ。すると、それによって味わえた景色や香りのすばらしさ、クモの巣にかかった露の美しさ、を思い出した。その魔力によって、なだれから友だちをすくったこと、ガーギにかしこいとほめられたこと、エイロヌイに感心しきったまなざしで見つめられたことなどを思い出した。それをタランに託して死んだアダオンも、心によみがえってきた。くっきりした思い出が、タランを苦しめた。心の中に、智と力を持つ誇りがよみがえった。足元に目を落とすと、みにくい釜がからからわらいをしているように見えた。
タランは、とても口を聞く気になれず、一つうなずいたが、やがて重い口で「そうです。」といった。「これで取引きします。」そして、のど元につけていたえりかざりを、のろのろとはずした。その小さな鉄片を、オルデュののばした手に落としたとき、タランは、心の中にともる火がゆらめいて消えたように思い、さけびたいほどの心の痛みを感じた。
「きめた!」と、オルデュが大きな声でいった。「クローシャンとえりかざりのとりかえっこだよ!」
仲間たちは、タランをかこんでいたが、うちしおれて声も出せなかった。タランは、両手をぐっとにぎりしめ、「クローシャンは、われわれのもの。」と、オルデュの顔を見すえていった。「それにまちがいないですね? われわれのものだから、すきなようにできるわけですね?」
「ああ、むろんのこと。」と、オルデュがいった。「わたしたちは、きめたことは破らない。そいつは、完全におまえたちのもの。まちがいない。」
「うまやに、」と、タランはいった。「金づちと鉄の棒がありましたね。あれを使わせてくださいませんか、それとも。」タランは、にがにがしげにいいそえた。「そのためには、べつの物が入用ですか?」
「遠慮なくお使い。」と、オルデュは答えた。「取引にふくめとく。たしかに、おまえは大胆だからね。」
タランは、先頭にたって、みんなをうまやまでつれて行き、うまやで一息入れた。「みんなが何をしてくれるつもりでいたか、ぼくにはわかってる。」タランは、ひとりずつの手をにぎって、落着いた声でいった。「だれもが、ぼくのために、いちばん大切なものを手放すつもりだった。ねえ、フルダー、オルデュがあなたの竪琴を受けとらなくて、ぼくはほっとしましたよ。竪琴がなかったら、あなたがどんなに元気をなくすか、ぼくにはわかってます。ぼくがあのえりかざりを手放す以上ですよ。それから、おい、ガーギ。おまえ、ぼくのために、食糧袋を犠牲にしようなんて、思っちゃいけなかったんだ。そして、エイロヌイ、きみの指輪とまりは、みにくい釜と交換するには、もったいなさすぎるくらい役に立つし、美しい。
「もう、どれもみな、今までよりさらにだいじなものになったんだ。あなた方三人も、ぼくには、今まで以上に大切な人たちになった。真の同志の中でも、もっともよい同志になった。」タランは、そういって、壁にたてかけてある重い金づちをつかんだ。「それじゃ、のこった仕事を片づけてしまおう。」
金づちと鉄棒を持った四人は、急いで小屋までひきかえした。物見高い魔女たちに見守られながら、タランは金づちをふりあげ、クローシャンをたたいた。
金づちは、はねかえった。大釜は、つり鐘のように鳴りひびいたが、へこみもどうもしなかった。タランは、腹だたしげにさけんで、もう一度つちを打ちおろした。詩人とエイロヌイも、必死の勢いでつちをふるった。ガーギも鉄棒でがんがんたたいた。
いくらやっても、大釜には、傷一つつけられなかった。汗びっしりでくたくたになったタランは、金づちにもたれて、顔を流れる汗をふいた。
「なにをするつもりなのか、先にいっといてくれたらよかったんだ。」と、オルデュが声をかけてきた。「クローシャンは、そんなことしてもだめなんだよ。」
「この釜は、わたしたちのものよ。」と、エイロヌイがいいかえした。「タランは、十分以上の支払いをしたわ。こわそうとどうしようと、わたしたちの勝手よ!」
「そりゃ、そうだ。」と、オルデュもいいかえした。「このつぎ小鳥たちが巣をかけるときまで、たたいたり、けとばしたり、存分にしてくれてけっこうさ。しかしね、おばかさん、そんなやり方じゃ、クローシャンはこわれないよ。ぜったいにだめさ。まるでやり方をまちがえてる!」
ガーギは、中からたたくために、釜の中にはいりこもうとしていたが、オルデュがまた話をはじめたので、ちょっと待ってきくことにした。
「クローシャンは、おまえたちのものだから。」と、オルデュはいった。「扱い方も知る権利があるわけだ。こわす方法は一つしかない。かんたんだから、だれにでもやれるがねえ。」
「じゃ、教えてください!」と、タランがさけぶようにいった。「そうすれば、この邪悪な品物のけりがつきます。」
「生きた人間が、中にはいらなくちゃいけないんだよ。」と、オルデュがいった。「そうすれば、クローシャンは、こなごなになってしまう。ただ、」と、オルデュはさらにいった。「一つだけこまることがある。中にはいったあわれなひよっこは、二度とふたたび、生きては出られないのさ。」
ガーギが、恐怖の悲鳴をあげて、大釜からとびのき、大あわてで安全な所まではなれると、鉄棒をめちゃくちゃにふりまわし、クローシャンに向かって、げんこつをふってみせた。
「そうさ。」オルデュは、ほほえみながらいった。「それが方法さ。クローシャンはえりかざり一つで手に入れられるが、こわすには命一つをかけなくちゃいけない。そればかりか、クローシャンで命をすてる人間は、自分のすることの意味をちゃんとわきまえていて、なおかつ、よろこんで命がすてられなくちゃだめなのさ。
「さて、それじゃ、ひよっこさんたちや。」と、オルデュはまたいった。「もう、ほんとにさよならだよ。オルゴクがひどくねむたがってるからね。おまえたちに、えらく早くおこされちゃっだろ。じゃ、さよなら、さよなら。」オルデュは、別れの手をふると、三人いっしょに小屋へはいっていった。
「待った!」と、タランがどなった。「教えてください。ほかに方法はないんですか?」タランは、小屋の入口までかけ寄った。
オルデュが、顔をちょっとのぞかせた。「全然ないんだよ。」その声には、はじめて、ちょっぴり同情が感じられた。
とびらが、タランの目の前でばたんとしまった。タランが、いくらたたいても、もうあかなかった。三人の魔女は、それ以上のなんの返事もしてくれなかった。窓すら、突然まっ黒な霧におおわれて、なにも見えなくなってしまった。
「オルデュとその仲間がさよならをいった場合は。」と、吟遊詩人がいった。「本心から別れをいってるんだ。二度と会えないのではないかと思う。」そこで、詩人は、ぱっと明るい表情になって、「これは、けさの、もっとも楽しい知らせだよ。」
タランは、金づちを力なくほうり出した。「こわせなくても、片づける方法はあるはずだ。クローシャンはこわせない。しかし、手放す気には、とてもなれない。」
「かくしたらどうだ。」と、フルダーが提案した。「埋めてしまおう。それも、できるだけ早く。よろこんでこの中へとびこみ、わしらのために、こいつをこわしてくれる人間など、ぜったいに見つかりはせん。」
タランは、首を横にふった。「いや、かくすことはできない。早晩、アローンに見つけられてしまうから、われわれのはらった努力がむだになってしまう。ダルベンになら、わかると思う。この大釜を片づける知恵を持っているのは、ダルベンだけだ。ギディオンだって、クローシャンは、カー・ダルベンへ運ぶつもりでいたんだ。それが、これからのぼくらの仕事なんだ。」
フルダーはうなずいた。「それ以外、安全な手はあるまいな。だが、こいつは荷やっかいな代物だよ。われわれ四人で、あの山道をひきずって行けるとは思えん。」
一行は、しずまりかえった魔女の小屋の前まで、リーアゴルとメリンラスをひき出し、二頭がならんで釜を運ぶようにくくりつけた。ガーギとエイロヌイは、荷を運ぶ二頭のは綱をとり、タランと吟遊詩人は、釜の前後にはいって、釜がかしがないように気をつけることになった。
オルデュの小屋からは、一刻も早く遠ざかりたかったけれど、タランは、またモルヴァの沼地をつっきるだけの勇気がなかった。そのかわり、沼地のへりから少しはなれた固い地面を歩き、沼地を半円形に迂回する道を選んで、荒地にたどりつこうときめた。
「道は長くなる。」と、タランはいった。「しかし、沼地は危険きわまりない。来たときは、アダオンのえりかざりが道案内をしてくれた。しかし、今度は。」タランは、そこでため息をついた。「狩人たちとおなじ運命におちいってしまうように思う。」
「うむ、そりゃ、なかなかいい考えだぞ!」吟遊詩人が思わずさけんだ。しかし、「われわれにとってではない。」と、急いでつけたした。「クローシャンにとってだ。そのいまいましい釜のやつ、流砂に沈めちまえばいいんだ!」
「ごめんだわ!」と、エイロヌイが答えた。「流砂だとわかったときには、わたしたちまで、クローシャンといっしょに沈んでしまう。あなた、くたびれたのなら、かわるから、メリンラスのはづなをとりなさいよ。」
「いやいや、大丈夫。」と、フルダーはうめくようにいった。「それほど重くない。じっさい、この鍛錬で気分はさわやかになり、元気づいてきておる。フラムの者はぜったいに弱音ははかぬ!」
そのとき、竪琴の絃が一本ぷつりと切れたが、吟遊詩人は、ゆれる大釜のわきをおさえるのにいそがしくて、気にもかけなかった。
タランは、エイロヌイとガーギに方向を指示する以外は、おしだまったまま歩いていた。一行は、一日じゅう、ほとんど休まずに進みつづけた。だが、日が暮れたとき、タランは、自分たちがごくわずかしか進んでいなくて、やっと、広い荒野の端にたどりついただけであることに気づいた。つかれた体が、クローシャンそのものほどに、重く感じられた。アダオンのえりかざりをつけていた間は、少しも感じたことのないつかれだった。
一行は、ひらけたヒースの野原に野宿した。寒い荒涼とした所で、モルヴァの沼地から流れ出る霧につつまれていた。つかれた馬からクローシャンをはずし、ガーギが、袋から食べものをとり出した。食事をすますと、フルダーは気持ちがしゃんとした。霧にぬれて寒さにふるえながらも、フルダーは、肩に竪琴をあて、楽しい歌で仲間の気をひきたてようとした。
タランは、いつもならよろこんで吟遊詩人の楽の音に耳をかたむけるのだが、きょうは、ひとりはなれて腰をおろし、陰うつな目で大釜を見ていた。しばらくすると、エイロヌイが、にじり寄り、タランの肩に手をおいていった。
「こんなこといっても、なぐさめにはならないことはわかっているの。でも、見方を変えれば、ほんとうは、あなた、なに一つ魔女たちにわたしてなんかいないのよ。たしかに、えりかざりと、あれにこもっているいっさいのものは交換してしまったわ。でも、ああいうものはみんなえりかざりから生まれるもので、あなたの身にそなわっているものではなかったの。わかるでしょ?」
「わたしはね、」と、エイロヌイは話をつづけた。「夏の日を渡してしまったら、もっとずっとみじめなことになっていたと思っているの。つまり、それは、あなたの一部になっているものでしょ。わたしは、自分の夏の日は一日だって手渡したくない。いえ、手渡すとなれば、冬の日だっておなじよ。だから、つきつめてみると、オルデュは、あなたのものは何一つとっていないのよ。そうですとも。あなたは、まちがいなく、少しも変わってはいないのよ!」
「うん。」と、タランは答えた。「ぼくはあいかわらず豚飼育補佐さ。それ以外の身分なんか、ぼくには上等すぎて長つづきしないことを、わきまえていなくちゃいけなかったんだ。」
「そうかもしれないわ。」と、エイロヌイがいった。「でも、豚飼育補佐として、あなたはまったくすばらしいわ。あなたくらいすばらしい豚飼育補佐はプリデインじゅうさがしてもいないと、わたしはかたく信じてるわ。ほかになん人いるか、わたし全然知らないけれど、それは今問題じゃないでしょ。あなたのしたようなことができる豚飼育補佐がひとりでも、ほかにいるとは思えないわ。」
「ほかにやりようがなかったんだ。」と、タランはいった「魔法の釜を手に入れるにはね。オルデュはいってたね。彼女たちは、自然な事の成りゆきに興味をもっているって。ぼくは今こう考えてる。あの三人は、ものごとを、あるべき姿にしようとしているんだとね。
「アダオンは、自分の運命を知っていた。」タランは、エイロヌイの顔を見て、話をつづけた。声に力がこもっていた。「そして、命を落とすとわかっていても、にげようとはしなかった。
「そうとも。」タランは、きっぱりといった。「運命が定まっているなら、ぼくは、それに立ち向かう。ねがいはただ一つ、アダオンのように立ち向かって行きたいんだ。」
「でも、これは忘れないで。」と、エイロヌイが後をつづけた。「これからなにがおこっても、あなたは、ギディオンやダルベンやわたしたちみんなのために、魔法の釜を手にいれてくれたのよ。その事実は、だれも、あなたから奪いとれないわ。そうよ、それだけでも、あなた十分誇っていいのよ。」
タランはうなずいた。「うん、そこまでは、ぼくがやりとげた。」そして、それっきり口をつぐんでしまったので、エイロヌイはそっともどって行った。
ほかの三人がねむってからも、タランは、すわったまま、クローシャンをじっと見ていた。そして、エイロヌイがいってくれた言葉を、じっくり考えてみた。すると、絶望感がややうすらぎ、心中に誇りがわきあがってきた。まもなく、魔法の釜はギディオンの手に渡り、長かったつとめは終わるのだ。「そこまでは、ぼくがやりとげたんだ。」タランは、さっきの自分の言葉を、もう一度口にしてみた。すると、あたらしい勇気が心の中にめばえてきた。
だが、風が、嘆き悲しむように、ヒースの荒野を吹きわたるのをきき、クローシャンが鉄の影のごとくにぼんやり立っているのを見ていると、また、えりかざりのことを考えてしまうのだった。タランは、両手で顔をおおって泣いた。
16 川
一晩ねむると、タランは気力をとりもどしたが、体のつかれはほとんどとれていなかった。それでも、夜明けには、仲間をおこし、のろのろと、クローシャンを、リーアゴルとメリンラスにゆわえつけはじめた。それが終わると、タランは不安そうにあたりを見まわした。
「この荒野には、身をかくす所がない。旅がらくだからずっと平地ばかりを進めたらと思っていたんだがな。しかし、アローンは、ギセントにクローシャンさがしをやらせているだろうと思う。やつらは、早晩われわれを見つけるにきまってる。ここにいたんじゃ、ひよっこにおそいかかるタカみたいに、われわれにおそいかかってこられる。」
「ひよっこなどといわんでくれよ。」吟遊詩人が、おもしろくなさそうに顔をしかめていった。「そいつは、親切な御主人を守る!」ガーギがさけぶようにいった。
タランは、ほほえんで、ガーギの肩に手をおいていった。「おまえが力いっぱいやってくれるってことはわかってる。しかし、全員が力をあわせても、ギセント一羽にすらかなわないんだ。」タランは、首を横にふった。それから、「だめだ。」と、しかたなさそうにいった。
「北に向かって、イドリスの森をめざした方がいい。いちばん長いまわり道になるけれど、すくなくとも、多少は身をかくせる。」
エイロヌイがうなずいていった。「ふつうなら、目的地と反対方向に向かうなんてばかげているわ。でも、わたしはギセントとは戦いたくないわ、ぜったいに。」
「では、進んでくれ。」と、フルダーがいった。「フラムの者は、しりごみはせぬ! もっとも、節ぶしの痛むこの体でなにができるかとなると、こりゃまた別だがなあ!」
荒野を進むのは苦しくはなかったが、イドリスの森にはいったとたん、クローシャンはますますやっかいものになってきた。木々ややぶは、身をかくしてくれるし、防御にも使えるのだが、道はせまかった。リーアゴルとメリンラスはしばしばよろめいた。気力をつくしてひっぱってくれたが、やぶにぶつかると、釜が動かなくなってしまうのだった。
タランは、とまれとさけんだ。「馬は今まで、せいいっぱいつとめを果たしてくれた。」タランは、メリンラスの汗にぬれた首を、軽くたたいてやりながらいった。「こんどは、われわれが馬を助けてやる番だ。ドーリがいてくれたらいいんだが。」タランは、ため息をついた。「彼なら、きっと、もっとたやすくクローシャンを運ぶ方法を考えついてくれると思うんだ。なにか気のきいたやり方を考え出すだろうよ。木の枝やつるでもっこをつくるとかなんとか。」
「それよ!」と、エイロヌイが大きな声でいった。「あなた、自分の口からそれをいったわ! アダオンのえりかざりがなくても、おどろくほどやれるわ、あなた!」
タランと吟遊詩人は剣をふるってじょうぶな枝を切り落とした。エイロヌイとガーギは木の幹に巻きついているつるをはぎとった。タランは、自分の考えどおりにもっこができあがるのを見て、元気が出てきた。一行は、もっこで釜を持ち上げて、また前進した。しかし、もっこで釜を持ち上げ、力いっぱいがんばっても、その歩みは苦しく、のろくさかった。
「ああ、つかれたあわれなこの腕!」と、ガーギがうめいた。「ああ、このあくせく、あくせく! この邪悪な釜めは、まったく残酷で腹黒い主人そのもの! ああ、なさけない! ガーギ、気が遠くなりそう。これからは命令されないかぎり、けっしてカー・ダルベンをはなれない!」
ざらざらした枝が肩にくいこむので、タランは歯をくいしばった。タランも、やはり、みにくくて重い釜が、ひとりでにふしぎな命を持ってしまったように感じていた。ずんぐりしたかっこうで血によごれたクローシャンは、タランがよろけながら、やぶをおし分けて進んで行くと、ぐらりと傾いた。そして、まるで自分からつかむように、つき出た枝や根にぶつかってしまうのだった。そのつど、みんなは、のろのろと、大釜をもっこにのせなおさなくてはならなかった。吐く息が白くなるほど寒かったが、だれの着物も汗でぐっしょりぬれ、そのうえ、いばらにひっかかってぼろぼろになっていた。
森の木々が密集しはじめ、道も、丘の頂上に向かってのぼりになってきた。タランは、クローシャンが一歩歩くごとに重くなってくるように思った。大釜は大きな口をあけ、横目を使ってタランをからかっているようだった。タランが、はげしくあえぎながら道をのぼるにつれて、力をすいとるように感じられた。
一行が、ようやく、丘のてっぺんに近づいたとき、かつぐ棒の一本がぴしりと折れた。クローシャンは地面にころげ落ち、タランは前のめりにたおれた。タランは、痛みをこらえて立ち上がると、肩をさすりながら、おぞましい釜をじっと見て、首を横にふった。
「だめだ。」タランはあえぐようにいった。「これを持って、森を抜けることは、とうていできない。やってもむだだよ。」
「ギスティルみたいなことをいうわね。」エイロヌイがくさした。「目をつぶっていたら、彼かと思っちゃうわ。」
「ああ、ギスティルか!」吟遊詩人が、水ぶくれのできた手を、情けなさそうに見ながらいった。「あのウサギ穴にいる男がうらやましいよ! 彼の考えは正しかったと、わしはときどき考えてしまう。」
「こんな荷物を運ぶには、人数が少なすぎるんだ。」タランが、あきらめたようにいった。「馬がもう一頭、人があとひとりいたら、なんとかなるかもしれない。われわれだけで、クローシャンをカー・ダルベンまで運んで行けるなんて思うのは、自分をあざむいているにすぎないんだ。」
「そのとおりかもしれない。」エイロヌイが、ぐったりしたようにため息をついた。「でも、ほかにどんな手があるか、わたしにはわからないわ。だから自分たちをだましつづけるしかないわよ。そうしていれば、いつかはかえりつけるわ。」
タランは、釜をつり上げるため、あたらしく太い枝を切ったが、心は、釜とおなじくらい重かった。一行は釜の重さと戦ったようやく丘を越えた。しかし深い谷にくだったとたん、タランは絶望して、くたくたっとひざを折りそうになった。前方に、茶色の深い恐ろしいヘビに似た川が、はげしい勢いで流れていたのだ。
タランは、ちょっとの間、急流を陰うつな顔でじっと見ていたが、やがて、顔をそむけた。
「ばかばかしい!」と、エイロヌイが大きな声を出した。「ここでやめてしまったら、あなた、アダオンのえりかざりを、ただであげちゃったことになるのよ! そんなの、ネックレスをフクロウにかけてやって、にげられるのよりひどいわよ!」
「わしの思いちがいでなければ、」フルダーが役にたてばというようにいった。「これはテヴィーン川にちがいない。わしは、もっとずっと北の、水源近くで渡ったことがある。吟遊詩人が手に入れる知識のあれこれときたら、これはたいへんなものでな。」
「残念なことに、その知識も、われわれには役に立ちません。」と、タランがいった。「もう一度北に向かって、川がもっとせまくなっているところを渡るのならべつですが。」
「それはだめだろうな。」と、フルダーはいった。「北に向かえば、山をいくつも越えねばならない。とにかく、この川を渡るのだとすれば、ここで渡るよりしかたないね。」
「あそこまでくだると、ちょっと浅そうに見える。」と、エイロヌイがいって、スゲにおおわれた土手がつき出ている、川の曲がりめを指さした。「さあ、カー・ダルベンのタラン、どうなさるつもり? ギセントとか、もっと不愉快なものに見つかるまで、ここにじっとしてるなんてことはできないわ。といって、オルデュの所へもどって行って、もう一度、クローシャンをとりかえてくれとたのむことも、もちろんできないわよ。」
タランは、一つ、息を深くすいこんでからいった。「みんながそのつもりなら、ここで川を渡ってみよう。」
一行は、ものすごい重みにじっとたえて、クローシャンを、のろのろと河岸まで運んだ。ガーギが馬のはづなをにぎって、用心深く、一歩、一歩と、流れに足をふみいれると、タランと吟遊詩人が棒に肩を入れて、釜を持ち上げた。エイロヌイは、ふたりのそばにいて、ゆれる釜をおさえていた。氷のような水が、まるで短剣で切りつけるように、タランの足にあたった。タランは、足場をかためようと、かかとで川床を、ぐっとふんでみた。それから、もっと深い所へ進んだ。後ろのフルダーは、棒を肩からはずさないように全身を緊張させてうめいていた。水が冷たくて、タランは息ができなくなった。頭がくらくらして、なえた指から棒がすべり落ちそうになった。片足が岩をふんだので、タランは、その上に乗って、ぐっと気をひきしめた。釜の重みがかかる位置が変わり、つり綱のつたがぎりぎりと音をたててつっ張った。一行は、今、中流まで進んでいたが、水は、腰までしかなかった。タランは、汗の流れる顔を上げた。向こう岸は遠くなかった。地面も今までより平らで、森の木々もさほど密集していないようだった。
「もうすぐだぞ!」タランは、元気をとりもどしてさけんだ。ガーギは、すでに馬を水からあげ、苦しんでいるタランたちを助けに、もどろうとしているところだった。
岸に近づくと、川底に岩が多くなった。タランは、あぶなっかしい岩のごろごろした所を、あてずっぽうに進んだ。目の前に、大きな岩がいくつもころがっていた。タランは、ふらふらしながら、岩のそばを通って、クローシャンを運んだ。ガーギが両手をさしのばした。そのとき、吟遊詩人がするどいさけび声をあげた。釜がかしいだ。タランは、全身の力をふりしぼり、釜を落とさずに進もうとした。エイロヌイは、釜のとってを持って必死にひっぱった。タランは、かわいた地面に体をたたきつけるようにして岸に上がった。
クローシャンが、ごろりと落ちて泥の浅瀬に沈んだ。
タランは、フルダーを助けにもどった。大きな岩にしたたかぶつかった吟遊詩人は、苦しそうに岸に向かって来た。顔は痛さのためにまっさおだった。右腕がだらりとたれさがって動かなかった。
「こわれたのか? え、こわれたのかね?」タランとエイロヌイが、あわてて岸までつれて行こうとすると、フルダーはうめくようにいった。
「すぐにみてあげます。」と、タランはいって、よろよろしている詩人を助けて腰をおろさせ、ハンの木によりかからせてやった。それから、マントの前をはねて、上着のそでを切りさき、けがをした腕を注意深くしらべてみた。吟遊詩人のけがは、たおれて岩に強くぶつかっただけのものではなかった。釜の足の一本が、わき腹を深く切っていた。タランは、すぐにそこまで見てとった。「ええ。」と、タランは深刻な声でいった。「そうのようです。」
それをきくと、吟遊詩人は、大声をあげて嘆き、頭をたれて「ひどい、ひどい。」とうめいた。「フラムの者は、常に陽気である。だが、これにはとうていたえられぬ。」
「ひどい事故だったわ。」エイロヌイが、心配をかくしていった。「でも、そんなに悲しんじゃいけないわ。ちゃんとなおるのだもの。しばってあげるから。」
「むだだよ!」フルダーは絶望的になってさけんだ。「二度と、もとにはもどらん! くそっ、これは、いまいましいクローシャンのおかげだ! あのろくでもないやつが、わざとわしにぶつかってきたにちがいない!」
「ちゃんとなおります。約束しますよ。」タランは、悲しみに沈んでいる吟遊詩人にうけあった。そして、マントを、幅広く切りとった。「ほんのしばらくで、あたらしくあつらえたようになおしてあげますよ。もちろん、なおるまでは、その腕は動かせませんが。」
「腕?」フルダーが思わず大声をあげた。「わしが心配してるのは腕じゃない! 竪琴のほうだ!」
「竪琴なら、あなたよりこわれてないわ。」と、エイロヌイがいって、詩人の肩の竪琴をはずして、ひざにのせてやった。
「ああ、よかった。しかし、まったくいい心配をしたよ!」フルダーは、動く方の手で竪琴をそっとなでながらいった。「腕か? そりゃ、問題なく自然になおるにきまっている。わしは、十二回ほど――いや、その、つまり、わしは、ちょっとした剣の舞いの間、一度手首を折ってな――、ま、とにかく、腕は二本ある。しかし、竪琴は一つしかない!」吟遊詩人は、ほっとして、長いため息をついた。「じっさい、もう楽になってきたよ。」
フルダーは、男らしくにっこりとわらってみせたが、口でいうよりはるかに痛みがはげしいことが、タランにはわかった。タランは、副木をつると、手早く、そっと、腕にあてて布でしばった。それから、リーアゴルの鞍袋から薬草をとって、「これをかんでください。」といった。「痛みがやわらぎます。それから、しばらくは、じっと動かずにいたほうがいいですね。」
「動かずにいろだと?」吟遊詩人は、思わずさけんだ。「今度ばかりは、ぜったいにだめだね。それは! われわれは、川から、あの腹黒い釜をひき上げなくてはならんのだ!」
タランは、首を横にふった。「ぼくたち三人でひき上げてみます。片腕が折れていては、いかなフラムの者でも、あまり手助けにはならないでしょうよ。」
「とんでもない!」と、フルダーはさけんだ。「フラムの者は、いつも役に立つ!」フルダーは地面から立ち上がろうと無理をしたが、顔をしかめて、またすわりこんでしまった。無理に動いた痛みのためにあえぎながら、フルダーは陰うつな目で傷をじっと見た。
タラン、綱をほどくと、ガーギとエイロヌイをつれて、浅瀬にはいった。クローシャンは、なかば水の中だった。ぽっかりあいた口のまわりを水がくるくるとまわって流れていた。釜が、出せるなら出してみろとつぶやいているように見えた。もっこはこわれていなかったが、釜は岩の間にしっかりとはさまってしまっていた。タランは、綱に輪をつくって、つき出ている足の一本にひっかけ、合図をしたらひっぱるように、ガーギとエイロヌイにさしずした。
タランは、川にはいると、体をかがめ、釜の下に肩を入れようとした。ガーギとエイロヌイは、力いっぱい綱をひっぱった。クローシャンは、びくともしなかった。
タランは、びしょぬれになり、両手の感覚がまひしてしまうまで、釜ととっくみあったが、どうにもならなかった。そこで、息を切らしながら、よろよろと岸に上がり、綱を、リーアゴルとメリンラスにつないだ。
タランは、もう一度、氷のような水の中にもどった。そして、エイロヌイに向かって大声で合図すると、エイロヌイは馬をひいて川からはなれた。綱が緊張した。馬たちはいっしょうけんめいがんばった。タランは、びくともしない釜を力いっぱいひっぱった。吟遊詩人もなんとか立ち上がり、できるかぎりの手をかした。ガーギとエイロヌイは、水中のタランのそばで手伝ったが、全員の力にも、クローシャンはびくともしなかった。
タランは、あきらめて、やめろと合図した。みんな、沈んだ気持ちで、岸にひきあげた。
「きょうはここで野営しよう。」と、タランはいった。「あすになれば、体力も回復するから、また、ためせばいい。ぼくにはわからないが、べつなひき上げ方があるかもしれない。釜はしっかりはさまっていて、なにをしても、かえってかたくはまりこんでしまうみたいだ。」
タランは川の方に眼を向けた。釜は、目を光らせた肉食獣のように、川の中にうずくまっていた。
「あれはたしかに邪悪なものだなあ。」と、タランはいった。「わざわいしかもたらしたことがない。それが、どたん場で、ぼくたちを負かしてしまったようだ。」
タランは顔をそむけた。すると、後ろのやぶが、がさがさと音をたてた。タランは、剣に手をかけて、さっとふりかえった。
だれかが、森から出てきた。
17 選択
それは、エリディルだった。エリディルは、イスマリクをしたがえて、大またに川岸に出てきた。かわいた泥が黄色い髪や顔にこびりついていた。ほほや手には、ひどい切り傷があった。血によごれた上着には、肩からさけてぬげかかっていた。マントはなかった。くまのできた目は、病的にぎらぎら光っていた。エリディルは、おどろいてものもいえない一行の前で立ちどまると、頭をぐいとそらして、ばかにしたようにみんなを見た。
「これは、これは、」エリディルは、しわがれ声でいった。「勇敢なかかしの御一行か。」エリディルは、にやりと、こわばったようなわらいを顔にうかべた。「豚飼いと台所女中――夢占いの姿が見えんな。」
「ここで何をしてるんだ?」タランは、かっとなって、エリディルを見すえ、大声をはりあげた。「よくも、ぬけぬけとアダオンのことを! 彼は殺されて、墳墓にねむっているのだぞ。おい、ペン=ラルカウの王子、きみはわれわれを裏切ったのだぞ! 狩人どもがおそいかかって来たとき、きみはどこにいた? もうひとり味方がいれば、形勢が逆転できたというときに? その代償がアダオンの命だ。きみが生涯かけても及ばない、すぐれた人物の命だったのだぞ。」
エリディルは、それにいいかえさず、大儀そうにタランのそばを通って、つみかさねてある鞍袋のそばにしゃがみこんだ。
「食べものをよこせ。」エリディルは、とがった声でいった。「今まで、木の根しか食べず、雨水しか飲んでおらんのだ。」
「邪悪な裏切り者!」ガーギが勢いよく立ち上がってさけんだ。「腹黒いわるい者にやる、もぐもぐ、むしゃむしゃはない! ない、ない、ない!」
「だまれ。」と、エリディルがいった。「だまらんと、その頭をかかえこむことになるぞ。」
「要求どおりに、食べものをやってくれ。」と、タランが命じた。
はげしい怒りの言葉をつぶやきながら、ガーギはいわれたとおり、食糧袋をあけた。
「食べものをやるからといっても。」エイロヌイが思わずさけんだ。「わたしたちがよろこんで、そうするなんて、思わないでちょうだい!」
「台所女中は、このわたしに会うのがいやなんだな。」と、エリディルがいった。「おこりっぽい女だ。」
「といって、彼女を真からとがめる気にはなれんね。」と、フルダーがいった。「あんた、わたしらが、腹をたてないとでも思っていたのかね。あんたは、わしらにひどい仕打ちをした。それでも、このわしらに、歓迎の宴でもはらせたいのかね?」
「竪琴ひきは、それでもまだ、おぬしらからはなれずにいたのだな。」エリディルは、ガーギから食べものをひったくっていった。「だが、やつは尾羽うちからした鳥みたいなものだ。」
「また鳥か。」吟遊詩人は、ぶるっと身ぶるいしてつぶやいた。「わしは、どうしてもオルデュを忘れさせてもらえないのかなあ?」
「きみは、なぜ、われわれをさがし求めたりするんだ?」と、タランがきいた。「きみは、一度、みずからはなれて行ったじゃないか。どうして、今ここに来た?」
「おぬしらをさがし求める?」エリディルは、しわがれ声でわらった。「わたしは、モルヴァの沼地をさがしているんだ。」
「それじゃ、ずいぶんはなれているわよ。」と、エイロヌイが大声でいった。「でも、あそこへ行きつこうと、急いでいるなら――急いでいるのだと思うけど――よろこんで道順を教えてあげるわ。そして、沼地についたら、オルデュとオルウェンとオルゴクを見つけなさいよ。あの三人なら、わたしたちよりずっと、あなたに会えたことをよろこんでくれるわ。」
エリディルは、食べものをがつがつ飲みこむと、鞍袋によりかかって楽にした。「やれやれだ。これで少しは力がついた。」
「どこへいくのか知らないけれど、それでもう、行きたい所へ行けるでしょ。」エイロヌイがぴしゃりといった。
「そして、そっちもどこかへ行くんだろうが。」と、エリディルがいいかえした。「よい旅をな。十分楽しめるだけの狩人たちにぶつかるだろうよ。」
「なんだって。」タランは思わず声をあげた。「狩人は、今も出張って来ているのるか?」
「そうとも、豚飼い。」と、エリディルは答えた。「アヌーブン全土が活発に動いている。わたしは、狩人どもをふりきった。生死をかけた崇高な勝負でな。ギセントどもが、わたしをえものにしおった。」そこで、エリディルは、ばかにしたようにわらった。「だが、そのおかげで、二羽がむくいを受けた。しかし、おのぞみとあれば、たっぷりのこっているから、いい狩猟がができるぞ、おぬしら。」
「あなた、つけられてやしなかったでしょうね。」と、エイロヌイがいいだした。
「つけられてなぞいなかった。」と、エリディルはいった。「とにかく、おぬしらのところにひっぱってなんぞ来なかったぞ。なにしろ、おぬしらがここにいることを、わたしは知らなかったからな。ギセントどもと別れたときは、道なぞえらぶどころじゃなかったよ。」
「じゃ、今から、えらびなさいよ。」と、エイロヌイがいった。「わたしたちとべつの道でさえあればどれでもいいわ。そして、その道を、わたしたちからこそこそにげてったときとおなじくらい速く進んで行ってちょうだい。」
「こそこそにげる?」エリディルはわらっていった。「ペン=ラルカウの王子は、こそこそなどしない。おぬしらの足がのろすぎたのだ。わたしには緊急にやらねばらぬ仕事があったのさ。」
「栄光のひとりじめってことだな!」タランはがきびしい声でいいかえした。「きみは、そのことだけしか頭になかった。エリディル、それだけでも、うそをつくな。」
「たしかに、わたしはモルヴァの沼地へ行くつもりだったさ。」エリディルは苦笑していった。「そして、そこがまだ見つからないことも、べつにかくしはせぬ。だが、狩人どもが行く手をふさがなければ見つかるだろう。
「台所女中の話から察すると。」エリディルは、さらに話をつづけた。「おぬしら、モルヴァへは行ってきたようだな。」
タランはうなずいた。「たしかに、われわれはモルヴァへ行ってきた。そして、今カー・ダルベンへもどるところだ。」
エリディルは、また声をあげてわらった。「それでは、おぬしもやはり失敗したのだな。だが、旅の長さからいったら、おぬしの方が長い。どっちが骨折り損というこにとなるのかね?」
「失敗?」タランは思わず大声でいった。「われわれは失敗したんじゃない! 魔法の釜を手に入れたんだぞ! ほら、あそこにある。」タランはそういって、土手の下にある黒いかたまりのような釜を指さした。
エリディルは、はじかれたように立ち上がると、川をながめた。「うーむ、それじゃ!」エリディルは、かっとなってさけんだ。「きさまは、またしても、わたしをだましたのか?」顔が怒りでどす黒くなった。「またしても、この命をかけて、豚飼いに名誉をうばわれるのか?」エリディルは狂ったような目つきで、タランののど首をひっつかもうとした。
タランは、その手をぱっとはらいのけた。「ペン=ラルカウの王子、ぼくはきみをぺてんにかけたことなぞ、一度もないぞ! きみの名誉だって? きみの命をかけるだって? われわれは、すでに、ひとりの命を失い、血を流して、大釜を手に入れたんだぞ! そうとも、たいへんな代価をはらったのだ。きみにわかっているより、はるかにたいへんな代価をだ。ペン=ラルカウの王子。」
エリディルは、怒りをけんめいにおさえているようだった。顔をひくひくとひきつらせて、じっとつっ立っていた。だが、まもなく、表面だけは冷たく高慢な様子をとりもどした。もっとも、両手は、まだ、ぶるぶるとふるえていた。
「そうか、豚飼いがな、」エリディルは、ひくいざらざらした声でいった。「けっきょく、きさまが、魔法の釜を見つけられたのか。だが、じつのところ、あの釜は、きさまのものというより、川のもののようだな。あれを、あんなふうに川の中にころがしておくなんてことは、豚飼いぐらいしかやらんことだ。あれを持ち歩いているとは、きさま、あれを打ちこわすほどの知恵も力もないのか?」
「クローシャンは、だれかが命を犠牲にして、あの中にはいらなくては、うちこわすことができない。」と、タランは答えた。「あれは、ぶじにダルベンの手に渡さなくてはならないんだ。われわれにも、それくらいの分別はある。」
「どうだ、豚飼い、英雄になっては?」と、エリディルがいった。「なぜ、自分で、あの釜にはいらないんだ? たしかに、きさまは大胆な男だ。それとも、いざためされるとなると、じつは卑怯者なのか?」
タランは、エリディルのからかいを無視した。「ぜひ、きみの助けがほしい。」タランは真剣にたのんだ。「われわれの力じゃたりないんだ。クローシャンをカー・ダルベンまで運ぶ手伝いをしてくれたまえ。それがだめなら、せめて、あれを岸に上げる手助けをしてくれたまえ。」
「きさまを助ける?」エリディルは、頭をぐっとそらして荒々しいわらい声をたてた。「助ける、きさまを? 豚飼いが、気取りながらギディオンの前に進み出て、手柄を自慢できるようにか? そして、ペン=ラルカウの王子が家来の役にまわるのか? とんでもない。わたしは、きさまなど助けはせん! おのれをわきまえろと忠告しておいたはずだ。今こそ、そのときだ、この豚飼いめ!」
エイロヌイが、ふいに悲鳴をあげて、空を指さした。「ギセントよ!」
三羽のギセントが、森のはるか上方に姿を見せた。風にとばされる雲と速さをきそうように、三羽の巨大な鳥は、ぐんぐん迫って来た。タランとエイロヌイは、フルダーをかかえるようにして、やぶにころがりこんだ。ガーギは、恐怖のためにほとんど前後を忘れ、ただもう馬をぐいぐいひっぱって、安全な木々の中ににげこんだ。エリディルが、その後につづいて森にはいると、三羽のギセントは、日につばさをきらめかして、ざーっと風をおこしながら、おそうようにおりてきた。
ギセントたちは、恐ろしいしわがれ声で、ぎゃあぎゃあ鳴きたてながら、魔法の釜の上を旋回し、その黒いつばさで、日をさえぎってしまった。獰猛な一羽がクローシャンの上におりると、ほんのしばらく、羽ばたきながらとまった。三羽とも、タラン一行を攻撃しようとはせず、ふたたび三羽で釜の上をとびまわっていたが、やがてまい上がっていった。北に向かった三羽の姿は、すぐに山のかなたに消えた。
タランは、まっさおな顔でふるえながら、やぶを出た。「彼らは、ついに、さがしていたものを見つけてしまった。クローシャンがとりかえしに来てくれと待っていることを、アローンもすぐに知ってしまうだろう。」タランは、エリディルに向かい、もう一度たのんだ。「力をかしてくれ。たのむ、もう一刻の猶予もできないんだ。」
エリディルは肩をすくめると、大またに岸をくだって浅瀬にはいり、なかば沈んでいる魔法の釜をよくしらべた。「動かすことはできる。」もどってきたエリディルはいった。「だが、なあ、豚飼い、おぬしではだめだ。おぬしの馬二頭にイスマリクの力を足さねばならん――そして、このわしの力もな。」
「それじゃ、きみの力を、どうかかしてくれたまえ。」と、タランはたのみこんだ。「クローシャンをひき上げて、ここから立ち去ってしまおう。アローンの手下どもがもっと大勢来ないうちに。」
「力をかしてもよい。かさなくてもよい。」エリディルは、変な目つきをして返事をした。「おぬしは、あの釜を手に入れるため、代償をはらったんだな? それなら、もう一度はらってもらおう。
「いいか、豚飼い。」と、エリディルは話をつづけた。「わたしの条件をのむなら、おぬしが釜をカー・ダルベンまで運ぶのを手伝ってやる。」
「今は条件なんか持ち出す場合じゃないわ。」エイロヌイが、かっとしてさけんだ。「エリディル、あなたの条件なんか、ききたくないわ。わたしたちで、なんとかクローシャンをひき上げる手だてを考えるわよ。だめだったら、釜を守ってここにがんばって、ひとりが、ギディオンを連れにもどるからいい。」
「ここにいたら、殺されるね。」と、エリディルはいいかえした。「そいつはだめさ。今、手をうたなくちゃだめだ。それも、わたしのいうとおりに手をうつか、あるいは、あきらめるかだ。」
エリディルは、タランに向かっていった。「わたしの条件はこうだ。クローシャンはわたしのもので、おぬしたちは、わたしの命令にしたがう。いいか、豚飼い。クローシャンを見つけたのはわたしであって、おぬしではない。おぬしは、ギディオンやほかの人たちにも、そのようにいうのだ。おぬしたち全員、それをかたく誓うのだ。」
「いやよ、まっぴらだわ。」と、エイロヌイがおこってさけんだ。「あなたは、クローシャンを盗み、クローシャンを見つけたわたしたちの努力まで盗みために、このわたしたちに、うそをつけっていうのね? あなた、気ちがいだわ、エリディル!」
「この女中め、わたしは気ちがいではない。」エリディルは、目をぎらぎらさせていった。「死ぬほどつかれているだけだ。いいか、よくきけ。わたしは、うまれてこの方、二流でがまんさせられてきた。のけものにされ、軽んじられてきた。名誉はどうだ? いかなる場合にも、わたしには名誉は与えれなかった。だが、今度こそ、ねらった名誉を、この手からのがすものか。」
「アダオンは、黒いけだものが、きみの肩に乗っているのを見た。」タランは、しずかな声でいった。「ぼくも、それに気づいていた。その正体が、今わかったぞ、エリディル。」
「ふん、黒いけだものがなんだ!」エリディルがどなった。「だいじなのは名誉だ。」
「じゃ、きみは、ぼくが、名誉をだいじに思わないとでも考えているのか?」と、タランがいった。
「豚飼いの名誉がどうだというんだ?」エリディルはわらった。「王子の名誉にくらべられるのか?」
「ぼくは、名誉のために、代償をはらった。」タランの声が高くなった。「きみが名誉のためにはらうだろう代償よりはるかに高い代償だった。その名誉を今すてろというのか?」
「おぬしは、豚飼いの分際で、わたしが栄光を求めることを非難したではないか。」と、エリディルがいった。「ところが、おぬしは、そのきたならしい手で、自分の栄光にはしがみつく。こんなところでぐすぐずしてはおれん。わたしの条件をのむか、それともすべてを失うか。どちらかをえらべ。」
タランはなにもいわなかった。エイロヌイが、エリディルの上着をつかんだ。「よくもそんなことが要求できるわね?」
エリディルは身をひいて、エイロヌイの手をひっぱずした。「豚飼いにえらばせろ。受け入れるかどうかは、彼次第なんだ。」
「ぼくが誓いをたてるとしたら、」タランが、仲間に向かっていった。「みんなもいっしょに誓ってくれなくてはならない。一度たてた誓いを、ぼくはけっして破らない。だから、この誓いを破れば、ぼくの不名誉は、さらに増すことになる。だから、どちらかにきめる前に、仲間全員が誓いに加わってくれるかどうかを知りたい。このことは、全員一致でなくちゃならないんだから。」
みんな、だまってしまった。だが、ようやく、フルダーがつぶやいた。「わしは、ものごとの決定を、おぬしにまかせてあるのだから、おぬしのすることは固く守る。」
ガーギも、重々しくうなずいた。
「わたしは、いや!」と、エイロヌイは、さけぶようにいった。「戦いの場からにげたこの裏切者のためになんかうそをつくもんですか。」
「彼のためにではない。」タランが落着いた声でいった。「われわれの目的のためだ。」
「そんなの正しくない。」エイロヌイは、目にみるみる涙をあふれさせて、いいはじめた。
「正しいかどうかを論じているんじゃないよ。」と、タランは答えた。「課された仕事を果たすことを問題にしているんだ。」
エイロヌイは顔をそむけたたが、小さな声でいった。「決定権はあなたにあるって、フルダーがいったわね。わたしも、そう返事しなくちゃならないわね。」
長い間、タランは口がきけなかった。アダオンのえりかざりを手放したときの心の痛みが、まざまざとよみがえってきた。すると、絶望のどん底できいたエイロヌイの言葉が思い出された。あなたのなしとげたことは、なにものも奪うことはできないのだと、エイロヌイの美しい声がいっていた。ところが、それこそ、エリディルの要求している代償だった。
タランは、頭をたれて、のろのろといった。「エリディル、魔法の釜はきみのものだ。われわれは、きみの命令にしたがう。いっさい、きみのいうとおりにする。われわれは、それを誓う。」
一行は、心重く、だまったまま、エリディルの命令にしたがい、水につかった釜に、あらためて綱をくくりつけた。エリディルは、三頭の馬を横にならべてつなぐと、綱を結びつけた。フルダーが使える方の手で、三頭のはづなを持ち、のこった四人は浅瀬におりた。
エリディルは、はげしい流れの中にひざをつき、タラン、エイロヌイ、ガーギの三人に、クローシャンが持ち上がったら、もとにもどらないように支えろと命じた。それから、待機している吟遊詩人に合図すると、自分も仕事にとりかかった。
ずっと以前、メリンラスを持ち上げたときやったように、エリディルは、岩にはさまった釜の下に、むりやり肩をこじ入れた。全身に力がこもった。汗の流れるひたいに、破れんばかりに血管が浮き出た。それでも、釜はびくともしなかった。エリディルのかたわらにいるタランとエイロヌイも、けんめいに綱をひいたが、むだだった。
エリディルは、はげしくあえぎながら、もう一度、釜にとりついた。つり綱が岩にこすれて、ぎりぎりと音をたてた。馬のひく綱がぴーんと緊張した。エリディルの肩が切れて血が流れ出した。顔色はまっさおだ。エリディルは、ふりしぼるような声で、一行に命令した。最後の力をふりしぼるエリディルの全身がぶるぶるふるえた。
「やっ、」と一声さけんだエリディルは、水の中につんのめり、あわてて立ち上がったが、すぐに、とくいげに「おう。」とさけんだ。魔法の釜が、岩の間からはずれたのだ。
一行は、必死になって、釜を岸にひき上げようとした。エリディルは、つり綱を肩にかけて、ぐいぐいひっぱった。釜は、ずるずるとひきずられて、かわいた固い地面に上がった。
一行は、釜のつり綱を、すばやくメリンラスとリーアゴルにつけた。エリディルは、イスマリクを先頭にして、釜のつり綱を結びつけ、運搬と道案内をさせることにした。
そのときまで、エリディルは、とくいそうに目をかがやかせていたが、今、その表情が変わった。
「わたしの釜は、川から奪いかえせた。」エリディルは、奇妙な目つきでタランを見ていった。「だが、どうやら、わたしは軽率すぎたようだ。おぬしはわたしの条件をのんだが、どうも早すぎた感じだ。おい、豚飼い、正直にいえ。おぬし、なにをもくろんでいる?」エリディルの心に、またはげしい怒りがこみあげた。「ちゃんとわかってるぞ! おぬし、もう一度、わたしをぺてんにかけようというんだな!」
「誓いをたてただろ。」と、タランは答えた。
「豚飼いの誓いがあてになるか!」と、エリディルはいった。「おぬしは誓いをたてた。破ることだってできるだろう!」
「語るに落ちるだわ。」エイロヌイが腹をたてていった。「あなたなら、そうするでしょうよ、ペン=ラルカウの王子。でも、わたしたちは、あなたとはちがう。」
「釜をひき上げるのには、全員の力が必要だった。」エリディルは、声を落として、かまわずに話をつづけた。「しかし、もう、全員で運んで行く必要があるかな? ごく少人数で足りる。うむ、ほんの少数でな。力のある者なら、ひとりでもいいのじゃないかな。」
「わしの代償は安すぎたかな?」エリディルは、くるりとタランに顔を向けて、さらにいった。
「エリディル。」と、タランは思わずさけんだ。「ほんとうに狂ったな。」
「そうとも!」エリディルは、高わらいしていった。「おぬしの言葉だけを信ずるなんて狂っているしょうこだ! わたしの代償は、口をふさぐことだ。完全にふさぐことだ!」エリディルは、剣に手をかけた。「そうとも、豚飼い、われわれは、いつかは対決しなくてはならなかったのさ。」
エリディルは、剣を抜いてふりかざしながら、せまってきた。そして、タランに剣を抜くひまを与えず、卑怯にもさっと切りつけて、ぐいぐい攻撃をはじめた。タランはよろけながら、岸辺を後退し、岩にとび乗って、必死に剣を抜こうとした。みんなが、とめようとして追ったが、エリディルは、かまわずじゃぶじゃぶと川の中まで追っていった。
エリディルが、ふたたび剣をふるって切りつけた。タランは、よけたはずみに平衡を失い、岩から落ちた。すぐに立ち上がりかけると、そのとたん、ふんでいる石ががらりと動き、またよろよろと後退した。なにかをつかもうと両手を上げた。流れが足をすくい、タランは、水中にたおれてしまった。するどい岩角が頭上にぼんやりと見えたかと思うと、それっきりなにもわからなくなった。
18 うばわれた釜
タランが意識をとりもどしたのは、夜になってからだった。タランは、自分が丸太にもたれ、マントでくるまれていることに気づいた。頭がずきずきして、体のあちこちがいたかった。エイロヌイが、心配そうにかがみこんで見守っていてくれた。タランは、目をしばたたいて、上半身をおこそうとした。しばらくの間は、はげしい水の流れや、岩や、さけび声など、音や情景がごちゃごちゃ頭にうかぶだけだった。まだ、もうろうとしていたのだ。やがて、だんだん頭がはっきりしてきた。エイロヌイが金のまりを光らせて、丸太の上に載せたことに気づいた。すぐそばで、小さなたき火がもえていた。たき火のそばでは、吟遊詩人とガーギが、しゃがんで、火に小枝をくべていた。
「目をさます方にきめてくれてよかった。」エイロヌイが、つとめて陽気にふるまっていった。フルダーとガーギが、近寄ってきて、ひざをついてのぞきこんだ。「あなたがあんまりたくさん水をのんだので、吐き出せないんじゃないかって心配したわ。あなた、頭をうって気絶したのに、たくさん水を飲んだのねえ。」
「クローシャン!」タランは、はっとしてさけんだ。「それと、エリディル!」タランは、まわりを見まわした。そして、「この火。」とつぶやくようにいった。「あかりを見せるのは大胆すぎる――アローンの戦士たちが……。」
「火をたくか、それとも、おぬしをこごえ死させるかという場合だったのさ。」と、吟遊詩人がいった。「だから、むろん、わしらは、火をたくことにした。今になっては、」詩人は顔をゆがめてわらいながらつけ加えた。「火をたいても、たいしたことはにならんと思うね。魔法の釜がわれわれの手にないんだから、アローンも、今までのように、わしらに興味は持たないだろうさ。しあわせにも、といっていいだろうな。」
「クローシャンはどこにある?」と、タランはたずねた。そして、頭がくらくらしたが、丸太から身をおこそうとした。
「エリディルが持っているわ。」と、エイロヌイがいった。
「そして、エリディルはどこかとおたずねなら」と、吟遊詩人が口をはさんだ。「そくざにお答えできるよ。わからないのさ。」
「よこしまな王子、よこしまな釜といっしょに、行ってしまった。」と、ガーギがいいたした。「どんどん、ぱかぱか!」
「やっかいばらいさ。」と、フルダーもうなずいていった。「クローシャンとエリディル。どっちのほうがわるいかわからんな。とにかく、今は、両方いっしょにおるよ。」
「あなたは、彼を行かせてしまったんですね?」タランは仰天してたずね、両手で頭をかかえこんでしまった。「クローシャンを盗ませてしまったんですね?」
「させた、という言葉は、あてはまらないよ。」吟遊詩人は、残念そうに答えた。
「あなた、忘れてしまったようね。」と、エイロヌイがつけ加えて説明した。「エリディルは、あなたを殺そうとしていたのよ。あなたが川へ落ちて、ほんとうによかったわ。岸辺での形勢はあまり思わしくなかったから。」
「ほんとうに、あれは恐ろしかった。」と、エイロヌイはつづけた。「わたしたちは、エリディルを後からくいとめようとしたの――そしたらあなたはもう、川を流れていたわ。小枝みたいに――そう、川の中の小枝みたいに。わたしたち、あなたを助けようとしたのよ。ところが、エリディルは、わたしたちにも向かってきた。
「たしかに、わたしたちを殺すつもりだったのよ。」と、エイロヌイはいった。「あなた、あの男の顔と目を見ていたらわかったはずよ。かーとなってたわ。いえ、もっとひどかった。フルダーが迎えうとうとして……。」
「あの悪漢は十人力だ!」と、吟遊詩人がいった。「わしは、剣を抜くのがやっとだったよ――わかるだろ、腕が一本おれているとぎこちなくなってな。しかし、わしは立ち向かったぞ! 火花を散らす剣と剣! いかれるフラムの者の剣さばきのたくみさを見せたかった! つぎの瞬間には、やつをひざまづかせておった――いや、話ではそうなる。」と、吟遊詩人はあわてていいなおした。「じつは、わしはうちたおされた。」
「そして、ガーギも戦った。ほんと、ほんと、ひっかいたり、かみついたり!」
「かわいそうなガーギ。」と、エイロヌイがいった。「力いっぱい戦ったわ。でも、エリディルは、ガーギをつかみあげて、木にたたきつけたの。わたしが弓をひきしぼろうとすると、あいつ、弓をひったくって、両手でへし折ったわ。」
「それから、わしらを森の中へ追いこんだ。」と、フルダーがいった。「人間があんなに逆上したのを見たことがない。ありったけの声をはりあげて、わしらを、どろぼう、誓い破りとののしってな、そして、おまえたちは、このわたしを二流の地位においておきたいんだとさけんでおったよ。今、あの男には、そのことしか口にできず、考えられもしないんだな。もっとも、あれを、考えといえればだが。」
タランは、悲しげに首を横にふっていった。「アダオンの警告どおり、黒いけだものに飲みこまれてしまったんだ。心から、彼をかわいそうに思うよ。」
「わしも、かわいそうに思いたい。」と、フルダーはいった。「やつが、この頭を切りおとそうとしなかったらな。」
「ぼくは、長い間、あの男をにくんでいた。」と、タランがいった。「しかし、アダオンのえりかざりをミニつけていた短い期間に、ぼくは、あの男が以前よりはっきりわかったと思う。エリディルは、内心不幸で苦しんでいた。それに、彼にいわれたことも忘れられないよ。ぼくは、彼が栄光を求めているとあざけりながら、自分では栄光にしがみついてると、そういわれたよ。」そして、両手を目の前にひろげて、ゆううつそうにいった。「きたない手で、しがみついてるって。」
「エリディルのいうことなんか、気にしちゃだめ。」と、エイロヌイがさけんだ。「あんな仕打ちをしたんだから、人をとがめる権利なんか、あの人には全然ないわよ。」
「それでも、」タランは、ひとりごとでもいうように、そっといった。「彼のいったことは真実だ。」
「真実ですって?」と、エイロヌイがいった。「まったくそのとおり。自分の名誉のためなら、わたしたちを皆殺しにしようとしたんだもの。」
「わしらは、どうやら彼からのがれた。」と、フルダーが話をすすめた。「つまり、あの男が、おしまいに、追跡をやめたんだな。もどったとき、馬三頭とクローシャンとエリディルが消えていたってわけさ。そこで、わしら、川についてくだり、きみをさがした。きみは、たいして流れてはいなかった。しかし、あんな短い距離の間で、あれほどの水が飲めるとは、まだおどろきが去らんね。」
「彼を見つけなくちゃ!」と、タランがさけんだ。「彼にクローシャンを持たせておくなんて、あぶなくてできない! みんな、ぼくを置き去りにして、彼を追うべきだったんだ。」タランは立ち上がろうとした。「さ、行こう。一刻の猶予もならないんだ!」
フルダーが首を横にふった。「友人のギスティルのいいそうなことだが、そんなこと、むだだと思うね。どこを見たって、彼の足あと一つ見つからんのだ。彼がどこへ行くつもりだったか、心中なにをもくろんでいたか、全然見当がつかないんだ。それに、出かけてからだいぶになる。それに、それをみとめることはまことにくちおしいが、この四人のだれひとり、いや束になってかかっても、彼の敵ではないと思う。」そして、折れた腕にちらりと目をやってから、「たとえ、見つけたとしても、クローシャンやエリディルのかたをつけるには、最上の状態とはいいかねる。」
タランは、だまってたき火を見入っていたが、「あなたのおっしゃることもほんとうです。」と、すっかり気落ちした声でいった。「あなた方は、ぼくのねがい以上に、すべてをよくやってくれました。残念ながら、ぼく以上にです。たしかに、今エリディルをさがしてもむだでしょう。この探索の旅とおなじように。われわれは、すべてを失ってしまい、かわりにえたものもないんです。アダオンのえりかざり、名誉、そして今度はクローシャンそのもの。空手でカー・ダルベンへかえるんです。エリディルが正しかったかもしれない。」タランは、そうつぶやいた。「王子とおなじ名誉を求めるなんてことは、豚飼いには似つかわしくないんだな。」
「豚飼いですって!」エイロヌイが、腹だたしそうにさけんだ。「自分のことを、そんなふうにいっちゃいけないわ。カー・ダルベンのタラン。なにがおころうと、あなたは豚飼いじゃない。豚飼育補佐よ! それが、すでに名誉なことでしょ。よく考えてみれば、その二つはおなじものってことないでしょ。一方は誇りのある仕事、一方は誇りの持てない仕事。あなたは、ものごとをえらべる立場なんだから、誇りある方をえらぶのよ!」
タランは、しばらくの間なにもいわなかったが、やがて、顔を上げてエイロヌイを見た。
「アダオンが話してくれたことがあるんだ。血に染まった野よりも、よくたがやされた野のほうが名誉なんだって。」話しているうちに、タランの気もはれてくるようだった。「今は、なによりも、あの人のいった言葉の真実がわかる。ぼくは、エリディルに名誉を与えることを惜しもうとは思わない。ぼくも、名誉を求める。しかし、ぼくは、見つかるとわかっている所でさがすよ。」
一行は、森で一夜を明かし、翌朝、歩きやすい南に向かった。狩人たちにもギセントにも出くわさなかった。また、身をかくして進むことも、ほとんどしなかった。吟遊詩人の言葉どおり、アローンの軍勢は、あわれな落伍者の一団ではなく、クローシャンをさがしているからだった。重荷がないので、旅は前よりらくだったが、リーアゴルもメリンラスもいない徒歩の旅は、のろのろとつらかった。タランは、強い風に向かい、身をかがめて、とぼとぼとだまって歩いた。枯れ葉が顔にあたったが、あれこれなやみごとがいっぱいで、気にならなかった。
正午をすぎてしばらくしたとき、タランは、丘の頂上の森の中でなにかが動くのを見た。危険を感じたタランは、仲間をせきたてて、大急ぎでひらけた野をこえ、とあるやぶに身をかくそうとした。だが、やぶまでたどりつかないうちに、一団の騎馬の戦士が丘の上に姿をあらわし、全速力で走ってきた。タランとフルダーは剣を抜いた。ガーギは弓に矢をつがえた。一行はつかれていたが、できるかぎり守って戦う準備をととのえた。
突然、フルダーが大きなさけび声をあげ、くるったように剣をうちふるった。「武器を収めろ! これでもうだいじょうぶだぞ! あれは、モルガントの戦士たちだ。マドック家の旗を持っている!」
戦士たちがぐんぐん近づいて来た。タランもほっとして思わず歓声をあげた。戦士たちは、まちがいなくモルガント王の騎兵たちであり、先頭に、モルガント王その人の姿が見えた。戦士たちが、一行のそばで馬をとめると、タランは、モルガントの馬の所まで急いで近寄り、片ひざをついて大声であいさつした。
「ごきげんうるわしく、王さま。はじめはアローンの部下かと心配しました。」
モルガント王は、勢いよく馬をおりた。王の黒いマントは旅のあかによごれ、あちこち破れていた。顔は、気味がわるいほどやつれていたが、目だけは、あいかわらず、タカそっくりに、たけだけしいまでに誇りにみちて光っていた。モルガント王は、口元をかすかにほころばしていった。「そうであっても、おぬしなら、迎えうって戦ったであろうな。」そして、タランを助けて立たせた。
「ギディオン殿下はどうなりましたか? それから、コルは?」タランは、ふいに不安にかられて、あわててたずねた。「わたしたちは、暗黒の門の所で別れてしまい、それ以後の消息をきいておりません。アダオンは、悲しいことに、殺されました。ドーリも、同じ運命をたどったように思います。」
「小人は、今に至るまで、かいもく行方がわからぬ。」と、モルガントが答えた。「ギディオン殿とコルフルヴァの息子コルはぶじだ。今も、おぬしら一行をさがしておる。だが、」モルガントは、もう一度かすかな笑顔を見せてつけ加えた。「おぬしを、わしが見つけたことは幸運であった。
「アヌーブンの狩人どもが、暗黒の門で、するどく攻めたてて来おった。われらは、ようやくのことで、あれらをふりきり、カー・カダルンへの道を切りひらきはじめた。ギディオン殿の予定では、おぬしもあそこで合流することになっておった。
「カー・カダルンに到着せぬうちに、おぬしが、みずからモルヴァの沼地へ行く仕事を背負いこんだという知らせがはいった。カー・ダルベンのタランよ、あれは向こう見ずな冒険じゃ。」と、モルガントは批評した。「向こう見ずで、無分別といえような。おぬしは、主君への忠節ということをまなばねばならんな。」
「ほかにやりようがないと考えたからです。」と、タランはいいかえした。「わたしたちは、アローンより先に、クローシャンをさがしださなくてはならなかったのです。あなたでも、おなじことをしたのではないでしょうか?」
モルガントは、そっけなくうなずいた。「おぬしの勇気をとがめはせぬ。だが、ギディオン殿ですら、あれほどの重大事の決定にはためらったであろうな。それはわかってもらいたいと思う。妖精族のギスティルが知らせてくれなんだら、おぬしの行動は、なに一つわからなかったであろうよ。知らせをきいて、ギディオン殿とわたしは、おぬしをさがすため二手に別れたのだ。」
「ギスティル?」エイロヌイが話にわりこんだ。「ギスティルがまさか! そうですとも、あの人、わたしたちのために、なに一つしてくれようとしませんでした――ドーリが絞め殺すぞっておどすまでは! あのギスティル! あの人ののぞみといったら、たったひとりで、あのけちな穴にかくれていることでしたわ。」
モルガントは、エイロヌイに向かっていった。「姫よ、そなたは、よく知らずにいっておられる。番小屋の番人のうちで、妖精族のギスティルは、もっとも抜けめなく、もっとも勇敢な番人ですぞ。アヌーブンにあれほど近い番小屋を、エィディレグ王が無能な臣下にまかせると、そなたは信じておられたのか? しかし。」と、モルガントはつづけた。「そなたが思いちがえているとしたら、それは、彼が故意にそうしむけたためでありましょう。」
「クローシャンについては。」モルガントは、タランが茫然としているのを見てとって、さらにつづけた。「おぬしは、あれをモルヴァから持ち出すのに失敗したが、エリディル王子が、その偉業をなしとげてくれた。」と、モルガントは急いでいった「おぬしらを捜索している途中で、わしの戦士たちが、テヴィーン川の近くで王子にでくわしたのだよ。彼の話から、おぬしがおぼれて死に、仲間が四散したこと、彼がモルヴァから釜を持ちかえったことがわかった。」
「それはうそです。」エイロヌイが、おこった目つきで口をはさんだ。
「だまれ!」と、タランがさけんだ。
「いいえ、だまらないわ。」エイロヌイは、さっとタランに顔を向けて、いいかえした。「あなた、まさか、わたしたちみんなにいわせたあの誓いが、今も生きてるなんていうつもりはないでしょうね!」
「それは、なんの話かな?」モルガントがたずねた。眉をしかめ、タランの表情を、さぐるように見つめた。
「なんの話か、正直にいいますわ!」エイロヌイが、他の制止など無視して答えた。
「とてもかんたんな話なんです。タランは、クローシャンの代償をはらいました。ひじょうに高価な代償でした。わたしたちは、モルヴァからずっと、あれを背負うようにして、一歩一歩進んで来ました。そこへ、エリディルがあらわれたのです。エリディルは助けてくれました。たしかに助けてはくれたのです。どろぼうがへやの片づけを手伝ってくれるのとそっくりに! これが事実です。ほかの人がなにをいおうとかまいませんけれど。」
「王女は、ほんとうに、事実を語ったのかね?」モルガントがたずねた。
タランが返事しないのを見て、モルガントはゆっくりとうなずき、考えこむような口調で話をつづけた。「おぬしは、なにもいおうとせぬが、王女は事実を語っていると、わしは信ずる。エリディル王子の話には、いつわりとしか思えぬところが多いのだ。一度おぬしにいったことがあったな、カー・ダルベンのタラン。わしは戦士だから、部下についてはよく知っておると。だが、おぬしが当のエリディルと対面すれば、いっさいが明々白々となるであろう。
「さ、来たまえ。」モルガントは、タランを自分の馬に乗せてやりながらいった。「わが陣へまいろう。おぬしのつとめは終わった。クローシャンは、わが手にある。」
モルガントの部下たちが、のこりの仲間を馬に乗せ、全員がぐんぐん馬をとばして森にはいった。戦将モルガントはひろいあき地に野営していた。入口はせまい谷間で、全体が木々にすっかりかこまれ、天幕は、一つながりのやぶの中にうまくおさまるようにたててあった。タランは、戦士たちの軍馬にまじって、リーアゴルとメリンラスがつながてれいるのに気づいた。少しはなれて、イスマリクが不安そうに地面をかいたり、はづなをひっぱったりしていた。
あき地のまん中近くに、もう、もっこのとれた黒いクローシャンがあった。その姿を見て、タランは息をのんだ。今はもう、モルガントの部下ふたりが、抜き身の剣をさげて番をしているのだが、タランは、釜のまわりに黒い霧のようにただよう恐怖と不吉な前兆を感じてしまい、どうしても、それがふりはらえなかった。
「あなたは、アローンが攻めてきて、釜をとりもどすことを恐れていないのですか?」タランはささやくような声でいった。
モルガントは、かぶりものでなかばかくれた目に、怒りと誇りの入りまじった表情をうかべて、タランをちらりと見て、「だれであれ、このわしにいどんで来る者は迎えうってやる。アヌーブンの主がみずから来ようともな。」
ひとりの戦士が、天幕のたれ幕をひきのけると、王はタランの一行を中に招じ入れた。
はいってみると、手足をしばられたエリディルが身動きもできずにころがされていた。エリディルの顔は血まみれで、手ひどくなぐられた様子だったので、エイロヌイは、思わず、かわいそうにとさけんでしまった。
「これは、どういうことです?」タランはショックを受け、とがめるようにモルガントに向かってさけんだ。「王さま、」と、タランは急いでいった。「あなたの部下には、彼にこのような手あらなことをする権利はありません! これは、はずべき、不名誉な扱いです。」
「おぬし、わしのやることに疑問を持つのか?」と、モルガントはいいかえした。「やはり、おぬしは、服従ということをよくよくまなばねばならんな。わしの部下たちは、わしの命令を守ることにけんめいだ。おぬしもそうさせてやる。エリディル王子は、あつかましくも、わしにあらがいおった。おぬしにも、彼を見習わぬよう、警告しておく。」
モルガントが声をかけると、武装した護衛たちが、勢いよく天幕にはいってきた。王は、そっけない身ぶりでタランたち一行を戦士たちに示した。
「彼らの武器をとり上げて、しばっておけ。」
19 武の王
仰天したタランに、剣を抜くすきを与えず、ひとりの護衛がタランをつかまえ、す早く後ろ手にしばりあげてしまった。吟遊詩人もつかまった。エイロヌイは、金切声をあげて敵をけとばして戦ったが、むだなあがきだった。ガーギは、一瞬、護衛の手をふりもぎって、モルガント王にとびかかった。だが、ひとりの護衛が容赦なくガーギをたたきふせ、力なくたおれた上にさっとまたがると、ぎりぎりしばってしまった。
「裏切者!」と、エイロヌイが絶叫した。「うそつき! ずうずうしくもクローシャンを盗んで……。」
「そやつをだまらせろ。」モルガントが冷たくいった。たちまち、さるぐつわのため、エイロヌイのさけびはくぐもってしまい、よくきこえなくなった。
タランは、我を忘れてエイロヌイに近づこうとしたが、たちまち、おしたおされ、革ひもで、しっかりと両足をしばられてしまった。モルガントは、顔色一つ変えず、無表情に、だまって見守っていた。護衛たちは、無力になったタランたちからはなれた。モルガントは、部下たちに、天幕を出ろとしぐさで知らせた。
タランは、不意打ちと突然うまれたうたがいのショックから完全に立ちなおってはいなかったが、しばられた革ひもをけんめいにはずそうとした。「あなたは裏切者になった。そのうえ、殺人者にもなるのか? われわれは、ギディオンゆかりの者たちだ。ギディオンの怒りを買うぞ!」
「ギディオンなどは恐れてはおらぬ。」と、モルガントは答えた。「そして、もはや、ギディオンの庇護など、おぬしらには役に立たぬ。プリデイン全土に対しても、彼の力は役に立たんのだ。ギディオンとて、不死身に対しては無力だからな。」
タランは、ぞっとしてモルガントを見た。「まさか、あなたは、同族に対し、おなじ国の人間に対して、クローシャンを使うつもりじゃないでしょうね。それこそ、裏切り、殺人にもましてきたないことだ!」
「そう思うのか?」と、モルガントはいいかえした。「すると、おぬしは、服従以外にも、もっといろいろまなばねばならんぞ。魔法の釜は、その守護法と使用法をわきまえている人間のものである。長い間、アローンが釜の主人であった。だが、彼は釜を失った。これは、アローンが持主にふさわしくない証拠、釜を奪われるのをふせぐ力や知能を持ちあわせない証拠と思うが、どうか? 高慢なおろか者エリディルは、釜を持っていられると信じていた。あの男など、あの中に投げ込むにも価しない。」
「それでは、」タランは思わず大きな声でいった。「あなたは、アローンと覇をきそうことにきめたのですか?」
「覇をきそう?」モルガントは、いかつくわらってききかえした。「ちがう。アローンをしのぐのだ。今までは、自分よりおとった者たちにつかえて、心中いらだちつづけてきたが、わしは、自らの価値をわきまえている。ときは、今ようやく熟したのだ。ごく少数の人間だけが、」と、モルガントは傲慢な口調で語りつづけた。「力の用い方をこころえている。その力が与えられたとき、勇敢にそれを使う者も、ごくまれにしかいない。
「このような力が、一度ギディオンに与えられようとしたことがあった。」と、モルガントはさらにつづけた。「だが、彼はことわった。わしは、その力をことわるようなことはしない。おぬしならどうだ?」
「わたしなら?」タランは、ぎょっとしてモルガントに、ききかえした。
モルガント王はうなずいた。両眼は半ばかくれてよく見えないが、タカのような顔はきびしく、野心満々だった。「ギディオンがおぬしのことを話してくれた。ほんのわずかだったが、わしは、そのわずかな話に興味をひかれた。おぬしは、大胆な若者だ。おそらく、大胆なだけではないだろう。それ以上なにがあるか、わしにはわからぬ。だが、おぬしには親きょうだいがなく、家名も将来もないことはわかっている。おぬしには、将来の見透しがなにもない。だが。」と、モルガントはつけ加えた。「無限の将来があるともいえるのだ。
「わしは、エリディルのような男には、このような申し出はしない。」モルガントの話はつづいた。「あの男は高慢にすぎる。自分が強い男だと信じているその点が、いちばんの弱さなのだ。わしがおぬしにいったことをおぼえているか? よい気質はわかるといったはずだ。カー・ダルベンのタラン、おぬしには、これからのびるものがたくさんにある。わしの申し出はこうだ――わしを主君として臣従すると誓え。そうすれば、時至れば、おぬしをわしの武将とし、プリデインじゅうで、わしの次の位にする人間にしてとらせる。」
「なぜ、わたしにそういうのです?」タランは、おどろいてさけんだ。「いったい、どうしてわたしをえらぶのです?」
「すでに申したとおり、」と、モルガントは答えた。「おぬしには、これから花ひらく美質がたくさんある。道さえひらかれればだ。おぬしが長い間、栄光にあこがれておったことは、よくわかっている。わしの判断が正しければ、おぬしなら、栄光をかちえることも不可能ではない。」
「わたしを正しく判断しておられるなら、」タランは昂然と顔を上げていった。「わたしが腹黒い裏切者になど絶対につかえないことは、おわかりでしょう!」
「おぬしのぶちまける怒りをきいているひまはない。」と、モルガントはいった。「わしは、夜明けまでに、多くの計画を立てねばならない。この申し出は、おぬしにまかせてよく考えてもらおう。わしの戦士の中で第一人者となるか、それとも、わしのつくる不死身の最初となるかだ。」
「それでは、釜に投げこんでください!」と、タランはどなるようにいった。「今すぐ生きたままで、投げこんでください!」
「おぬしは、わしを裏切者とよぶが、」モルガントはほほえみながら答えた。「おろか者とはよべないぞ。わしも、この釜の秘密は知っておるのだ。このわしが、一度も使わずに、クローシャンを破壊するとでも思うのか? そうとも。」と、モルガントはつづけた。「わしも、やはり、モルヴァの沼地に行ったことがあるのだ。釜がアヌーブンから持ち出されるずっと前だが。それは、やがてギディオンがアローンに対してこの挙に出るだろうとわかっていたからだ。つまり、わしはわしで準備していたわけだ。おぬしは、クローシャンに代償を支払ったな? わしも、クローシャンのはたらきについての知識を得るため、代価をはらった。あれの破壊のしかたはわかっている。力の実りをえる方法も知っておる。」
「それにしても、このわしをあざむこうとは、大胆な男よ。」モルガントは、そういうと、タランのそばに寄った。「おぬしは、わしを恐れている。恐れている者は、このプリデインにはたくさんいる。だが、それでもおぬしは、公然と反抗してくる。それを敢えてする者はほとんどおらぬ。すぐにも焼きなおせる、たぐいまれなあらがねよ、おぬしは。」
タランが口をひらこうとすると、武の王は片手を上げて制止した。「もうなにもいうな。口をきかずに、慎重に考えるのだ。ことわれば、死によって束縛からのがれることもできぬ。ものいえぬ無慈悲な、どれいになるのだ。」
タランは、気がなえるのを感じたが、それでもいさましく胸をそらした。「それがわたしの運命であるなら――。」
「おぬしが考えているより、それはきびしい運命であろうな。」モルガントは、目をきらりと光らせていった。「戦士というものは、自分の命をすてることを恐れない。だが、同志の命を犠牲にするだろうか?」
タランは、ぞっとして息をのんだ。モルガントは、かまわずにつづけた。
「そうとも、」と武の王はいった。「おぬしの仲間は、ひとりずつ、殺されてクローシャンに入れられるのだ。おぬしがやめてくれとさけぶまでに、大釜はだれを呑みこむかな? 吟遊詩人かな? それとも、おぬしにつかえているそのあわれな生きものか? それとも、若い王女かな? 彼らは、おぬしの目の前で釜にはいる。そして、最後におぬしだ。
「ここは、よく考えることだ。」と、武の王はいった。「返事をききにまた来よう。」そして、黒いマントをさっとはおると、天幕を出て行った。
タランは、しばられた革ひもをほどこうともがいた。しかし、ひもは固かった。タランはくずれるようにして腰をおろして、頭をたれてしまった。
今までずっとだまっていた吟遊詩人が、悲しげなため息をついていった。「モルヴァの沼地にいたとき、こんなことになるとわかってさえいたら、ヒキガエルに変えてくれと、オルデュにたのんだであろうがなあ。あのときは、そんな考えなど、はなもひっかけなかった。今考えると、不死身の戦士になるよりは幸福な暮らしだ。すくなくとも、露の輪にはいっておどれたであろうからな。」
「こんなくわだては成功しませんよ。」と、タランはいった。「なんとか、にげる手だてを考えなくちゃ。希望はぜったいに失えません。」
「まったく、そのとおりだ。」と、フルダーが答えた。「きみの考えは全般にひじょうにすばらしい。ただ、こまかい点が不足している。希望を失う? いや、けっして! フラムの者は、つねに希望にみちておる! わしも、希望は持ちつづけるつもりだ。」それから悲しげに、「彼らが、わしをクローシャンに投げこむ瞬間でも。」
ガーギとエリディルは、まだ気を失ったままたおれていた。しかし、エイロヌイは、片時もやめずに、けんめいにさるぐつわをはずそうとしていた。そして、とうとう、無理やりに口からとりはずしてしまった。
「モルガント!」と、エイロヌイは、あえぎながらさけんだ。「きっと、このしかえしはしてみせるから! ああ、やれやれ、息がつまるかと思ったわ! あの男、わたしに口をきかせないことはできたかもしれないけれど、耳まではふさがなかったわ。あいつがもどって来て、わたしを最初に釜に入れてくれたらいいんだけど。相手がだれだか、思い知るでしょうよ。わたしをつかって不死身なんかつくらなければよかったと思わせてやるわ!」
タランは、首を横にふった。「そのときでは、もう手おくれなんだ。釜に入れられる前に、殺されてしまうんだよ。のぞみは一つしかない。ぼくのために、仲間を犠牲には決してしない。ぼくは、どうしたらいいか、もうきめた。」
「きめた、ですって!」エイロヌイが、かっとなってさけんだ。「あなたがきめることはただ一つ、どうやってこの天幕からにげるかってことだわ。ほかのことを考えているとしたら、それは、時間のむだ。そんなの、頭の上に岩が落ちてこようというときに、頭をかこうかどうしようかと思案するようなものだわ。」
「ぼくは、こうきめた。」と、タランはゆっくりといった。「ぼくは、モルガントの申し出を受ける。」
「なんですって?」エイロヌイは信じられなくて、思わず声を高くした。「ここしばらく、あなたも、アダオンのえりかざりのおかげで、ほんとうにものがわかってきたと思っていたのよ、わたし。それなのにどうしてそんなこと考えられるの?」
「ぼくは、モルガントに臣従を誓う。」タランは、かまわずに話をつづけた。「彼にはそう誓う。だが、誓いを守りとおすことはしない。死の恐怖でおどしてたてさせられた誓いなど、ぼくをしばることはできない。こうすれば、とにかく、少しは時がかせげるだろう。」
「あなた、大丈夫なの? 気づかないうちに、モルガントの家来に頭をなぐられて、気がおかしくなったんじゃないの?」エイロヌイがびしびしつっこんできいた。「そんな思いつきを、モルガントが気づかないとでも思ってるの? あの男は、約束した条件をみたすつもりがないわ。いずれにしても、わたしたち三人を殺すわよ。いったん彼につかまったら――あなただけじゃないけど――ぜったいにのがれることはできないわ。モルガントは今まで、プリデイン第一の武将だったかもしない。でも、今は悪人になってしまったんだから、約束ごとなどとりかわそうとしたら、そうね、不死身になるよりひどい目に会うわよ。不死身だって、けっして魅力的じゃありませんけれどね。」
タランは、しばらくの間、なにもいわなかった。それから「きみのいうことが正しいようだ。」といった。「しかし、ほかの手段がわからないんだ。」
「まず、ここを出ること。」と、エイロヌイが知恵をかした。「それからのことは、そのときが来てから、きめられるわ。とにかく、手足をしばられているかぎり、どこへにげようかだって、考えられないわよ。」
悪戦苦闘の末、手足を固くしばられた一行は、一つにかたまって、ひもを解きあおうとした。結び目はほどけようとせず、なえた指先からするりと抜けて、かえって少しずつ深く肉にくいこむばかりだった。
一行は、くりかえして努力したが、ついにつかれ果て、息を切らしてころがってしまった。エイロヌイすら、もう、話す力もなくなっていた。一行は、体力の回復をねがって、しばらく休んだ。ところが、その夜は、まるで重苦しい混乱した夢をみているようなものだった。きれぎれなまどろみでは、全然元気などとりもどせなかった。また、だれもが、貴重きわまりない時間を、ねむってむだにする勇気を持たなかった。もう、すぐ朝になる。タランは、それに気づいた。寒い灰色のあけぼのが、もう、かすかに天幕にしのび寄ってきていた。
タランたちは、一晩じゅう苦闘したが、その間ずっと、あき地で、戦士たちが動きまわる音がきこえ、モルガントが、しわがれ声で急ぎの命令をつぎきつぎに出す声が耳にはいってきた。タランは、苦痛をがまんして、天幕の入口のたれ幕まで体をひきずって行き、片ほほを、冷たい地面につけて外をのぞいた。ほとんどなにも見えなかった。立ちのぼる霧が草の上を渦巻いて流れていたからだった。見えるのは、足早に行き来する人びとのおぼろな影ばかりだった。野営地をひきはらうために、戦士たちが武具などを集めているらしく思えた。一列につながった馬の一頭が、長くひっぱる悲しげないななき声をあげた。イスマリクの声だとタランにはわかった。クローシャンは、きのう見た所にどっかとおかれてあった。タランにもその陰うつな黒いかたちがどうやら見てとれた。タランははげしい恐怖にとりつかれ、釜が死人を待って大きな口をあけていると思った。
タランは、ごろごろころがって、仲間の所までもどった。吟遊詩人の顔はまっさおだった。つかれと苦痛のために、半ば気をうしなっているらしかった。エイロヌイが頭を持ち上げて、なにもいわずにタランを見た。
「そうか。」と、フルダーがつぶやいた。「別れをいうときが、もうやってきたのか?」
「まだです。」と、タランはいった。「しかし、まもなくモルガントがあらわれるでしょう。そのときこそ最後です。ガーギはどんな様子ですか?」
「かわいそうに、まだ意識がもどらないわ。」と、エイロヌイが答えた。「あのままにしておいて。それが思いやりよ。」
エリディルが身動きして、弱々しくうめいた。それから、のろのろと目をあけた。眉をしかめ、傷を負って血によごれた顔をタランの方に向けたが、しばらくの間、だれだかわからないらしく、しげしげと見ていた。だが、やがて、見なれたにがい表情をつくり、さけたくちびるを動かしていった。
「それじゃ、われわれは、またいっしょになったわけだ。カー・ダルベンのタラン。こんなにも早く再会するとは思わなかったな。」
「こわがることはない、ペン=ラルカウの王子、」と、タランは答えた。「まもなくかたがついてしまう。」
エリディルはうなだれた。「こんなことになって、まことにすまぬ。おぬしらみんなにしでかした悪事のつぐないを、できることならしたいものだ。」
「もし、きみが、今もあの釜を持っていたら、そういっただろうか?」タランがしずかにたずねた。
エリディルは、ためらってから答えた。「正直にいおう――その場合は、なんともわからない。おぬしが見た黒いけだものはきびしい主人だ。その爪は鋭い。だが、わたしは、今の今までその爪を感じなかった。
「だが、これだけはいっておく。」エリディルは、体をおこうとしながら、話をつづけた。「わたしは、釜を盗んだが、あれは高慢からであって、よこしまな心からではなかった。わたしに名誉がのこっているかどうかしらんが、のこっていれば、その名誉にかけて誓う。わたしは、あれを使うつもりはなかった。たしかに、自分の名誉のためにおぬしの名誉を奪おうとした。しかし、わたしだとて、クローシャンをギディオンのもとへ運び、破壊してもらうつもりであった。これだけは信じてくれ。」
タランはうなずいた。「信じるとも、ペン=ラルカウの王子。そして、今は、きみ自身がますます深くそれを信じているのだろう。」
風がおこり、もの悲しげに木々を鳴らし、天幕をゆさぶった。たれ幕が吹きはらわれた。タランは、釜の後ろに、戦士たちがならんでいるのを見た。
20 最後の代償
「エリディル!」と、タランは思わず声をかけた。「きみ、自分のひもを切って、われわれのひもを解いてくれるだけの体力があるかい?」
エリディルは、えび型になって、必死に固い革ひもをたち切ろうとした。吟遊詩人とタランも力をかしたが、エリディルは、つかれきってあお向けになり、苦痛にあえいだ。
「すっかり力がなくなってしまったよ。」と、エリディルはつぶやくようにいった。「モルガントにやられたのは致命傷らしい。もうだめだ。」
たれ幕が、また、風で持ち上がった。そのとたん、タランはあお向けにひっくりかえされた。乱暴にくるくる動かされた。タランは、しばられた足を必死にけって、おき上がろうとした。
「このばかめ、じたばたするな!」耳元でどなり声がした。
「ドーリ!」タランの心はおどった。「ドーリだね?」
「かしこい問いだよ、まったく!」と、声がぴしゃりといった。「おれに手向かいするな! おぬしがもぞもぞしなくたって、なまやさしいことじゃないんだぞ。だれがしばったかしらんが、首っ玉をひっつかんでやりたいよ!」
タランは、しっかりした手が革ひもをひっぱっているのを感じた。「ドーリ! どうやってここに来たんだい!」
「くだらんおしゃべりで、じゃましないでくれ。」小人がうなるようにいった。そして、結び目をつかもうと、タランの腰に片ひざを強くあてた。「おれのいそがしいのがわからんか? うむ、むろん、おぬしにゃわからんな。しかし、そりゃ、どうでもいい。ちぇっ! 斧さえなくしていなかったら、こんなのは、あっという間だがなあ! ああ、この耳! 一度にこんな長い間、姿を消していたのは、はじめてだ! こりゃ、クマンバチだ! スズメバチが耳にいる!」
ふいに、革ひもが解けた。タランは、上半身をおこし、いっしょうけんめい足のひもをほどきはじめた。と、そのとたん、ドーリが、ぱっと姿をあらわし、吟遊詩人のひもをほどきはじめた。がっしりした小人は、あかじみて泥によごれ、両耳はまっさおにそまっていた。ドーリは、仕事の手をとめ、両耳をおさえた。「必要なだけ姿を消せば、それで十分だ! ここまで来れば、もう必要はない。まあ、待てよ。ううむ、マルハナバチだ! 両耳に、ハチの巣がはいっているようだ!」
「いったいどうやって、わたしたちを見つけたの?」ドーリに手をほどいてもらったエイロヌイが、大きな声でたずねた。
「どうしても知りたいのか?」小人は、いらいらして、かみつくようにいった。「おぬしたちを見つけたんじゃない。はじめはちがうんだ。エリディルを見つけたのさ。モルガントがつかまえる少し前に、エリディルが川から上がって来るのを見たんだ。わしは、狩人どもをふりきったので、ギディオンに助勢をたのむためにカー・カダルンへ行く途中だった。沼地をつっきって、おぬしらを追っていちゃ時間がむだになりそうで、とてもできなかったよ。エリディルは釜を持っていた。おぬしらの馬もひいていた。そこで、おれは疑いを持ったのさ。ことのいきさつがわかるとすぐ、おれは、おぬしらをさがしにひきかえした。小馬のやつめ、にげてしまっていたんで――いや、あのちくしょうとおれは、はじめからうまくいっておらなかったんだ。それで、おぬしらの方が、ここへ先についてしまったというわけだ。」
小人はひざをついてガーギの綱を解いた。ガーギはようやく、少しずつ意識をとりもどしかけていた。ドーリは、エリディルを解こうとしてためらった。「この男はどうする? このままの方が、むしろ楽なんじゃないのかな。」ドーリはそういって、さらにつっとけんどんにいいたした。「なにをもくろんでいたか、おれも知ってるんだ。」
エリディルが頭を持ち上げた。
タランは、エリディルの視線を受けとめると、急いでドーリに手をふり、「解いてやれ。」と命じた。
ドーリは、疑わしげな顔つきをして、手を動かさなかった。タランは命令をくりかえした。小人は首を横にふったが、すぐに肩をすくめ、「おぬしがそういうなら。」とつぶやいて、エリディルの綱を解きにかかった。
エイロヌイは、ガーギの手首をもんでやった。その間に、吟遊詩人はたれ幕の所へ急いで近づき、用心しながら外をのぞいた。タランは、武器をさがしたが、むろん見つからなかった。
「モルガントの姿が見える。」フルダーがみんなに知らせた。「ここへ来るところだ。よし、不意打ちをくらわせてやろう。」
「こっちは武装してないんだ!」と、タランがさけんだ。「数も圧倒的に多いから、思うままにわれわれを殺せるんだぞ!」
「天幕の後ろを破いてにげろ!」と、ドーリが必死の声でさけんだ。「森を必死になってにげるんだ!」
「そして、クローシャンをモルガントの手にのこすのか?」と、タランがいいかえした。「だめだ、そんなことできるもんか!」
エリディルが立ち上がっていった。「わたしには、しばられた綱を解く力はのこっておらぬ。それでも、まだ、おぬしらの役には立てる。」
タランがとめる間もなく、エリディルは天幕からとび出していた。護衛がさけんで変事を知らせた。タランは、モルガントがおどろきのあまりあとずさり、すぐに剣を抜いたのを見た。
「そやつを殺せ!」と、モルガントが命じた。「殺せ! 釜に近づけるな!」
タランは、すぐ後ろに吟遊詩人とドーリをしたがえて天幕をとび出し、モルガント王にとびつくと、その手の剣をもぎとろうと、はげしくもみあった。モルガントは、荒々しくののしりながら、タランののどをひっつかみ、地面にたたきつけると、エリディルを追った。騎馬兵が列をといて、大急ぎで、走るエリディルに追いせまった。
タランは、よろめきながら立ち上がった。前方を見ると、エリディルが、ひとりの戦士と必死に格闘していた。ペン=ラルカウの王子は、死力をふりしぼり、一世一代の戦いをしていた。タランには、それがよくわかった。エリディルは、相手を投げとばしたが、相手のつき出した剣を横腹に受け、あっとさけんでよろめいた。だが、エリディルは、傷をおさえて、よろよろと前進して行く。
「やめろ! やめるんだ!」タランは絶叫した。「エリディル! 死んじゃいけないぞ!」
釜まであと四、五歩まで近づいたところで、エリディルは狂ったように戦って、戦士たちをふりはらった。一声さけんだエリディルは、大きくあいたクローシャンの口に、われとわが身を投げこんでしまった。
魔法の釜は、生きもののように身ぶるいした。タランは、恐怖と驚きにうたれ、思わずまたエリディルの名をさけんだ。そして、敵の中をおしとおって釜に近づこうとした。ところがそのとき、雷鳴より大きく、びしっと、鋭い音があき地になりひびいた。葉を落とした木木が根元までふるえ、太い枝々が、苦しみのたうつようにゆれた。音のこだまが大気をつらぬき、頭上の空を渦巻く強風が悲鳴をあげて吹き通ったとき、釜はわれて、こなごなにくずれた。くだけたかけらの中に、もはや生命のないエリディルが横たわっていた。
そのとき、やぶかげから、一頭の軍馬がおどり出て来た。馬上で、抜き身の剣をふりかざし、戦いのおたけびをあげたのは、スモイト王だった。赤ひげの王につづいて、騎馬の兵たちが、モルガントの兵の中におどりこんだ。敵味方ひしめく戦いのさ中に、タランは、一頭の白馬が、突進するのをちらっと見かけた。
「ギディオン!」タランは大声でさけんで、ならんで戦うため、いっしょうけんめいに近づこうとした。そのとき、コルの姿が目にはいった。がっしりしたこの古強者は、剣を抜いて力強くふりまわしていた。ギスティルが、カアを肩にとまらせて、先頭の中につっこんで行った。
スモイト王は、ほえるような怒りのさけびをあげて、まっしぐらにモルガントめざして突進した。モルガントは、剣をふりかざし、前足をふり上げた馬をねらって切りつけた。スモイト王は、ぱっと馬からとびおりた。モルガントの部下ふたりが、主君を守るために急いで前に立ちふさがったが、スモイト王は、力強く剣をふるって、そのふたりを切りたおして前に出た。
モルガントは、まびさしをあげた目を、ぎらぎらさせ、歯をむきだして、くだけちった釜のかけらのまっただ中に立ち、はげしく戦った。釜をとれるならとってみろといわんばかりだった。スモイトの攻撃の勢いで、モルガントの剣は折れてしまったが、それでも、折れて刃こぼれした剣をふるって、何度も、なぎはらい、突きを入れて戦った。ついにたおれたときも、にくしみにゆがんだ傲慢な表情は消えず、血に染まった剣を、にぎったまま放さなかった。
ギディオンが、戦闘中止をさけんだとき、モルガントの騎馬の兵たちは、あらかた、殺されるか、とりこになるかしていた。タランは、よろけながらエリディルのそばへ行き、やっとの思いでだきおこした。泣きながら頭をさげて、つぶやいた。「ペン=ラルカウの王子よ、黒いけだものは去りました。」
後ろでかん高いいななきがきこえた。タランはふりかえった。イスマリクだった。イスマリクは、つながれた綱を切って、主人のなきがらの所へ、かけつけてきたのだった。あしげの姿は、ほっそりした頭をあげて、たてがみをふると、くるりと向きを変え、全速力であき地を走りだした。
タランは、あしげの狂ったような目の色の意味をさとり、大声をあげて後を追った。イスマリクは、やぶにとびこんでつきぬけた。タランは、追いついて、たれさがったはづなをつかもうとした。だが、あしげは、谷間めざして走りつづけた。がけふちに近づいても足をとめようとしなかった。イスマリクは、力強くとんだ。一瞬、空中に静止して見えたかと思うと、まっすぐ下の岩に落ちて行った。タランは、顔をおおった。
あき地には、モルガント王とエリディルの死体がならべて安置され、生きのこったスモイト王の騎馬兵たちが、そのまわりをゆっくりまわっていた。死者をとむらっているのだった。ギディオンは、ただひとり、黒いディルンウィンにぐったりともたれるように立っていた。もじゃもじゃの頭をたれ、日やけした顔は悲しみに満ちていた。タランは、近寄って、かたわらにだまって立っていた。
しばらくして、ようやく、ギディオンが口をひらいた。「フルダーから、おぬしの身におこったことは、すっかりきいた。コルとわしは、こんなことになるまで、おぬしを見つけられず、まことに心苦しい。それに、スモイト王と部下たちが手をかしてくれなかったら、勝てなかったかもしれない。彼は待ちきれなくなって、われわれをさがしに来てくれたのだ。彼に連絡できていたら、とうのむかしに彼をよぶことができたわけだが、彼の短気に感謝しているよ。
「そして、豚飼育補佐よ、おぬしにも感謝している。」と、ギディオンは後をつづけた。「クローシャンは破壊された。それによって、不死身の数をふやすアローンの力はなくなった。これは、アローンのこうむった最大の敗北の一つだ。だが、おぬしのはらった代償を、わしは忘れていない。」
「最後の代償をはらったのは、エリディルです。」と、タランはゆっくりといった。「この名誉はエリディルのものです。」そして、イスマリクの最後を伝え、「エリディルは、名誉のほかいっさいを失いました。愛馬すらも。」
「いや、すべてをえたともいえよう。」と、ギディオンは答えた。「エリディルの名誉は不動のものとなる。彼をたたえ、しのぶため、墓所をきずこう。イスマリクも、ともにまつるのだ。両者とも、今は安らかにねむっているのだからな。スモイト王の戦死者も、栄誉のうちにねむらせる。それから、マドックの王モルガントの墓所もきずこう。」
「モルガントの?」タランは、面くらってギディオンの顔を見た。「あのような男に、名誉など与えられるのですか?」
「まぎれのないあくは、見分けやすいものだ。」と、ギディオンは答えた。「だが、悲しいことに、たいていの人間は、織機の上の糸のように、善と悪がきめこまかに織りあわさっているものだ。それを見分けるには、わしよりもはるかに賢い人が必要なのだ。
「モルガント王は、長い間、ドンの子孫の家によくつかえてくれた。」と、ギディオンは話をすすめた。「ついには、権力へのかわきのために、のどをこがしてしまったが、それまでは恐れを知らぬ気高い王であった。戦いの場で、わしの命をすくってくれたことも再三であった。モルガントには、そのような面もあった。それを無視したり忘れたりすることはできない。
「だから、わたしはモルガントの名誉をたたえるのだ。」と、ギディオンはいった。「ありし日のモルガントのために、そして、ペン=ラルカウの王子エリディルは、最後になしとげたことのために。」
タランの仲間は、モルガントの天幕のそばにいた。エイロヌイの看護のおかげで、護衛になぐられたガーギも、意識をとりもどし、ちょっと気持ちが乱れているくらいになっていた。
「あわれなやわらかい頭、傷だらけで、ずきずき。」ガーギは、タランを見てかすかにわらってみせた。「おやさしい御主人の馬前で戦えなかったことが、ガーギは悲しい。ガーギなら、わるいやつうちたおしただろうに、ああ、もちろんのこと!」
「戦いばかりか、もっといろいろあったのよ。」と、エイロヌイがいった。「あなたの剣が見つかったわよ。」エイロヌイは、剣をタランに手渡した。「でも、わたし、そもそもダルベンがこれをあなたに渡したのがいけなかったんじゃないかと思うことがある。この剣、かならずやっかいごとにわたしたちを巻きこむのよ。」
「いや、もうやっかいごとは終わったと思うね。」フルダーが、折れた腕をかばいながら話に加わった。「エリディルのおかげで、あのいまいましい古釜もこなごなになった。」フルダーは悲しげにつけ加えた。「吟遊詩人たちは、わしらのいさおしをうたい――そして、彼の栄誉をうたうだろう。」
「おれは、そんなこと、どうでもいい。」ドーリは、ようやくもとの色をとりもどしはじめた耳をもみながらいった。「おれは、ギディオンでもだれでも、これ以上、おれに姿を消させるようなくわだてを考えついてくれなければ、それでいいよ。」
「ぼくらのドーリ。」と、タランがいった。「あなたは、不平をいえばいうほど、それだけとくいになっているんだ。」
「ぼくらのドーリだと。」と、小人はいいかえした。「ふん!」
タランは、コルとスモイト王が、カシの木の下で休んでいるのに気づいた。コルは、鉢型のかぶとはぬいでいた。コルは、タランの肩に腕をまわしてだき寄せた。すり傷や切り傷だらけの顔がうれしそうににっこりわらい、はげ頭が光って見えた。「思っていたほど早くは再会できなかったな。」コルは目くばせを一つしていった。「おまえが、ほかの仕事でいそがしかったことは、きいておったんでな。」
「やあ、やあ、こりゃ、おどろいた!」スモイトは、ほえるような声をあげて、他の背中をどんと一つたたいた。「この前会ったとき、おぬしは、皮をむかれたウサギのようだったが、今見れば、ウサギはいなくなって、骨と皮ばかりじゃのう!」
大きな鳥のなき声が、赤ひげの王の話をじゃました。タランがびっくりしてふりかえると、ギスティルが、ひとりでむっつりとすわっているのに気づいた。カアが、肩に上がったりおりたりしながら、うれしそうに、頭をぴょこぴょこさせていた。
「また、おぬしか。」ギスティルは、タランが急いでやって来たのを見て、深いため息をついていった。「だが、今までのことで、わたしをとがめだてはしてもらうまいよ。ちゃんと注意しておいたんだ。だが、できたことはできたこと。不平をいってもはじまらないよ。まったくむだなことさ。」
「もう、だまされませんよ、妖精族のギスティル。」と、タランはいった。「ぼくにはもう、あなたの正体も、あなたのおやりになった勇敢なはたらきも、わかっているんです。」
タランは、カアの羽をなで、くちばしの下をくすぐってやった。カアはうれしそうに「かあ。」とないた。
「さあ、さあ。」と、ギスティルがいった。「そいつを肩にとませたまえ。やつは、そうしたいんだ。そのことだが、カアは、妖精族からの感謝のしるしとして、おぬしに進呈する。おぬしは、妖精族のためにもはたらいてくれたんだ。われわれは、クローシャンがあっちこっちへごろごろ動きまわるのが不安でたまらなかった。なにがおこるか、わかったものではなかったからな。いいんだ、いいんだ。カアを受けとってくれ。」と、ギスティルは、陰気な声でつけ加えた。「そいつは、おぬしに夢中でな。おあつらえ向きなんだ。わたしはもうカラスを飼うつもりは全然ないのさ。まったくなくなったんだ。」
「タラン!」と、カアがないてみせた。
「ただ、あらためて注意しておくが、」と、ギスティルはつづいていった。「こいつのいうことに耳をかたむけないように。たいていは、自分のおしゃべりがききたくてしゃべるだけだから――そんな人間がいるだろ。秘訣は、耳をかすな、ってことだ。耳をかしてもむだなんだ。まったくむだだよ。」
死者の墓をきずいてしまうと、ギスティルは、また、番小屋にもどって行った。タランたち一行と、スモイト王とその軍勢は、あき地を後にして、大アブレン川に向かった。頭上はるか、日をさえぎりながら、ギセントの群れが、続々とアヌーブンにひき上げていくのが見えた。狩人たちは、全然姿を見せなかった。ギディオンは、アローンが、釜のこわれたことを知り、彼らをひき上げさせたのだと考えていた。
タランたち一行は、少しも意気ようようとしたところがなく、もの思いに沈んで、ゆっくりと進んでいた。スモイト王の気分も、重く沈んでいた。多くの部下を失った苦しみのためだった。
軍勢は、美しく秋の色に染まった山々をこえて進んだ。タランは、カアを肩にとまらせて、列の先頭の、ギディオンのかたわらを進んでいた。長い間、タランはなにもいわなかった。
「奇妙なことですね。」タランは、やっと口をききはじめた。「わたしは、大人の世界にはいることを、あこがれていました。今わかりましたよ。大人の世界が、残酷なことや裏切行為でいっぱいであることが。まわりの人たちをみなほろぼしたがる人間ばかりであることも。」
「だが、その世界にはいらねばならない。」と、ギディオンは答えた。「それが、人間の定めなのだからな。たしかに、おぬしは、そうした行為やそのような人間を見た。だが、愛やよろこびも、それにおとらずたくさん見られる。アダオンのことを考えれば、わたしのいうことも信じられよう。
「それから、おぬしの仲間のことも考えるがよい。おぬしへの友情のためなら、みんな、だいじにしているものを手放してくれたにちがいない。持っているものいっさいをな。」
タランは、うなずいた。「わたしの支払った代償は、いちばん安かったことが、今になるとわかります。あのえりかざりは、本来わたしのものではありませんでした。身につけてはいましたが、わたしの血肉ではなかったのですから。できるかぎり長く、あれを身につけていたことは、とてもうれしく思っています。短い間でしたが、吟遊詩人とはどんなものか、また英雄とはどんなものか、それをすくなくとも理解できましたから。」
「だから、おぬしの犠牲は、ますます貴重なものといえるのだよ。」と、ギディオンはいった。「おぬしは、魔力を使ってではなく、自らの勇気によって、英雄になる道をえらんだのだから。よかれあしかれ、えらんだからには、男としての危険をおかして生きねばならぬ。勝つか負けるか。ときがきめてくれる。」
軍勢は、イスマリク渓谷にはいった。ギディオンが、黄金のたてがみの愛馬をとめていった。
「メリンガーとわしは、もうカー・ダスルへもどらねばならない。マース王に報告せねばならんからな。ダルベンには、おぬしから、ことのいきさつを伝えてくれ。じっさい、こんどのことは、おぬしの方がわしよりくわしいのだから。
「急いで行けよ。」ギディオンは、手をさしのべていった。「仲間たちが、おぬしを待っておる。コルは野菜畑の冬支度にかかりたくてたまらないんだ。よくわかる。では、さらばじゃ。わが友、豚飼育補佐、タラン。」
ギディオンは、一度手をふってみせ、北に向かった。タランは、その姿が見えなくなるまで見送った。そして、メリンラスの向きを変えると、仲間たちが、にこにこわらって見ていることに気づいた。
「急いで。」と、エイロヌイが声をかけてきた。「ヘン・ウェンが、体を洗ってもらいたくて、待ってるわよ。それにガーギとわたしは、大急ぎでとび出してきたでしょ。だから、お台所がごちゃごちゃになってると思うの。そんなの、旅に出てみたら、くつをはいてないのに気づいたのよりひどいでしょ。」
タランは、急いで仲間に向かった。