幸福について(下)
アラン/宗左近訳
目 次
五十一 遠くを見よ
五十二 旅行
五十三 短刀の曲芸
五十四 地獄の引導
五十五 泣き言
五十六 情念の雄弁
五十七 絶望について
五十八 あわれみについて
五十九 他人の不幸
六十 なぐさめ
六十一 死者崇拝
六十二 まぬけな男
六十三 雨のなか
六十四 興奮
六十五 エピクテトス
六十六 ストイシズム
六十七 汝自身を知れ
六十八 楽観主義
六十九 解きほぐすことだ
七十 忍耐
七十一 親切
七十二 悪口
七十三 上機嫌
七十四 一つの治療法
七十五 精神の衛生
七十六 母乳讃歌
七十七 友情
七十八 優柔不断について
七十九 儀式
八十 新年
八十一 祈願
八十二 礼儀
八十三 処世術
八十四 喜ばせる
八十五 医師プラトン
八十六 健康法
八十七 勝利
八十八 詩人
八十九 幸福は美徳である
九十 幸福は寛大であること
九十一 幸福となる方法
九十二 幸福であるべき義務
九十三 誓わなければならぬ
訳者あとがき
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五十一 遠くを見よ
抑うつ病にかかっている人に、わたしの言いたいことは、ただ一つしかない。「遠くを見よ」ほとんどすべての場合、抑うつ病患者というのは、ものを読みすぎる人間だ。ところが、人間の目というものは、書物との間の距離のような短かい距離に合うようにつくられていない。広々とした空間のなかで憩うものなのだ。星や水平線をながめていれば、目はすっかり安らいでいる。目が安らいでいれば、頭は自由になり、足どりもしっかりしてくる。身体全体がくつろいで、内臓までがしなやかになる。だが、意志の力でしなやかになろうなどとつとめてはならない。自分自身の意志を自分自身だけに指し向けると、ぎこちない行動ばかりがうまれて、やがては自分で自分ののどをしめるようなことになる。自分のことを考えるな。遠くを見よ。
抑うつ病が病気だということは、全く本当だ。医者が、ときにはその原因を見抜いて、治療のやり方を指示することもある。だが、この治療は注意を肉体にひきもどす。そして、養生法に従おうとする気づかいそのものが、治療の効果そのものをだいなしにしてしまう。したがって賢い医者であれば、患者を哲学者のところへ差し向ける。だが、患者が哲学者のところへ駆けつけると、どういうことになるか。哲学者というのは、あまりにものを読みすぎている人間、近視になった目でものを考える人間、そして患者であるあなた以上に陰気な人間ではないか。
国家は医学の学校とならんで知恵の学校を経営すべきだろう。どういう風にか。物事の凝視という真の科学と、世界そのものの大きさをもつ詩とによってである。広大な水平線の上にそそがれて憩うわれわれの目のありかたが、われわれに大きな真理を教えてくれるのだ。思考は肉体を解放して、これをわれわれの真の祖国である宇宙にかえすべきである。われわれ人間の運命と、肉体の機能との間には、深い近親関係がある。動物は、周囲の事物の刺激がなくなれば、たちまち横になり、眠ってしまう。人間ならば思考する。もしそれが動物のような思考ならば、人間にとって不幸なことだ。思考することによって人間は自分の不幸や欠乏を増加する。恐れや期待になやむ。その結果、肉体は、想像力のいたずらによって、たえず緊張したり、動揺したり、興奮したり、抑制したりする。自分の周囲の事物と人間をたえず気にし、たえずうかがうことになる。そして、自分を解き放とうとする場合には、こんどは書物にとびこむ。これも閉ざされた宇宙であって、目に近すぎ、情念に近すぎる。思考は自分から牢獄をつくり、苦しみあえぐ。思考が自らを狭めるということと、肉体が自分を苦しめるということとは、同じことなのだ。野心家は演説を千度でもくりかえし、恋する男は千度でも懇願をくりかえす。肉体の健全なることを望むならば、思考が旅行し、思考が凝視しなければならぬ。
科学がわれわれをそこへ導いて行ってくれよう。ただし科学が、野心を持たず、饒舌でなく、短期でもない場合に限るのだが。つまり、科学がわれわれを書物から遠ざけ、われわれの視線を水平線の距離まで押しやる場合に限るのだが。知覚することにつとめ、旅行することにはげまなくてはならない。あなたが一つの対象との間に真実の関係を発見すれば、つぎの対象との、さらには千もの多くの対象との関係の探求へと、あなたは導かれてゆくこととなる。この川の渦巻き運動はあなたの思考を風にまで、雲にまで、惑星にまで運んで行く。真の知識は決して、目のすぐそばにあるささいな事物になどもどってこない。知るとは、いちばん小さな事物がどんなふうに全体と結びついているかを理解することだから。どんなものでも、それ自体のなかには理由はない。したがって、正しい運動とは、われわれをわれわれ自身から遠ざける運動だ。われわれをわれわれ自身から遠ざけることは、目に対してと同様、精神に対しても有益である。そうなれば、思考はその領分である宇宙のなかに安らぎを得て、これまたあらゆるものと結びついている肉体の生命と調和することとなるであろう。キリスト教徒は「天はわが祖国なり」と言ったが、これは当人が考えた以上の至言である。遠くを見よ。(一九一一年五月一五日)
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五十二 旅行
このごろのように休暇になると、町は劇場を次から次へと観てあるく人たちでいっぱいになる。明らかに、短い時間に多くのものを観たいからだ。観た話をするためなら、これが一番いい。引きあいに出す場所の名が多い方がいいからだ。暇つぶしにはなる。しかし、自分のため、また本当に観るためだというのなら、わたしは理解に苦しむ。駆け足で観たのでは、どれもこれも似たようなものになってしまう。急流はしょせん急流だ。だから、大急ぎで世界を駆けめぐる人は、旅行後でも、旅行前より思い出はたいして増えてはいないものだ。
見世物の真実の富は細部にある。観るとは、細部を一つのこらず見、細部の一つ一つに立ちどまり、そして、ふたたび全体を一目で把握することである。こういうことを人々が迅速におこなったうえで、つぎの劇場にかけつけて、更に同じことをくりかえさせるのか、それはわたしにはわからない。ただ、わたしには、そんなことはできない。毎日ひとつの美しいものが眺められる、たとえばサントゥアン寺院を自分の家の絵のように利用できるルーアンの人々は幸福である。
それにひきかえ、たった一度だけある美術館を訪れるとか、観光地へ行くとかの場合だと、かならずさまざまに思い出がいりまじって、ついには線のぼやけた灰色の絵のようなものになってしまわざるをえないのである。
わたしの好みでは、旅行するとは、一度に一メートルか二メートル歩いては立ちどまり、同じものの新しい局面をあらたにながめることである。よくあることだが、ほんの少し右か左へ行って腰をおろせば、すべてが変化する。それも百キロメートルも歩いた以上に。
急流から急流へと行くなら、見るのはいつも同じ急流だ。しかし、岩から岩へと行けば、同じ急流でも一歩ごとに別なものになる。そして、すでに見たもののところへもどってみれば、それは新しいもの以上に心をとらえるし、実際にも新しいものだ。要は、変化に富んだ、豊かな観物を一つ選ぶことである。そうすれば、習慣のなかに眠りこむこともあるまい。さらに、よく観るすべを知れば知るほど、どんな観物でも、かぎりないよろこびを与えてくれるものであることを言いそえておかねばならない。それに、どこにいたって星空をみることはできる。これは美しい断崖ではなかろうか。(一九〇六年八月二九日)
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五十三 短刀の曲芸
ストア主義者たちの魂の堅固なことはだれでも知っている。かれらは、憎悪、嫉妬、恐怖、絶望などのさまざまな情念に関して、知的な推論をすすめたのち、すぐれた馭者が何頭もの馬を御することができるように、それらの情念を抑制することができるようになった。
かれらの推論のうちで、いつもわたしをよろこばせ、一度ならずわたしに役立ったものが一つある。それは過去と未来に関するものだ。かれらは言う。「われわれが耐え忍ばねばならぬものが一つある。過去も未来もわれわれを苦しめることはできぬ。過去はもはや存在せず、未来はまだ存在しないからだ」
しかし、これは真実である。過去や未来は、ただわれわれがそれを考えるときにしか存在しない。それらは憶測であって、事実ではない。われわれが自分自身にかずかずの苦しみの種をあたえたからこそ悔恨や恐れができあがる。わたしは、たくさんの短刀をつぎたして一本の長い棒のように操る曲芸師を見たことがある。それは額の上にはえたおそるべき一本の木のようであった。もちろん、曲芸師が額で平衡をとって支えていたのだ。これと同じように、われわれも軽率な曲芸師として、自分の悔恨や恐れをつぎ足し組み上げて、持ち歩いている。ただし、かれが支えるのが一分間なら、われわれの支えるのは一時間だ。かれが一時間なら、われわれは一日、十日、数ヶ月、数年間支えて歩いている。足の悪い人は考える。きのうも苦しんだ。まえにも苦しんだことがあった。あすも苦しむだろう、と。一生嘆き悲しむのだ。この場合、知恵があまり役立たないことは明らかだ。いつでも現在の苦痛というものがとり除きえないから。しかし、精神上の苦痛なら、後悔したり取越し苦労したりすることから癒えれば、あとになにが残るだろうか。
恋する男は女につれなくされて、寝床のなかで眠らずにもだえ苦しみ、ひどい復讐計画をする。だが、もしかれが過去のことや未来のことを考えなかったら、苦悩は消えてなくなることであろう。失敗のために苦しみぬいている野心家も、過去をよみがえらせたり、未来を考えだしたりさえしなければ、苦しみはどこにもありはしまい。山の頂上に岩を持ち上げていっては転がりおちた岩をまた持ちあげてゆく苦しみをくりかえす、あの伝説のシジフォス[ギリシャ神話でコリントの王、世界一の悪がしこい男。死神をあざむくことしばしば。ゼウスの秘密をあばいたため永遠に大岩を山頂におしあげねばならぬ刑罰を課せられたのは有名である]を、この野心家のなかに見る思いがしないだろうか。
このように自分を責めさいなんでいる人々のすべてに、わたしはいいたい。現在のことを考えよ、と。刻一刻とあらたに続いてやまない自分の生活のことを考えよ。ときは刻々と移って行く。きみは現に生きているのだから、きみが現に生きているように生きてゆくことは可能なのだ。ところが、未来がおそろしいなどと、きみは言う。きみは自分の知らないことを話しているのだ。できごとというものは、いつだって、われわれの期待どおりにおこるものではない。なるほどきみは現在苦しんでいるが、その苦しみがいまたいへん激しいからこそ、その苦しみはこれからへってゆくに違いないと考えることができるのである。すべては変わり、すべては過ぎ去る。この格言はしばしばわれわれを悲しませた。だが、多少はわれわれを慰めるときもあるのだ。(一九〇八年四月一七日)
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五十四 地獄の引導
ときどき路上で、ひなたぼっこをしたり、またはやっとの思いで家路をたどったりしている幽霊のようにやせさらばえた人間に出会うことがある。こういうひどく衰弱していまにもぽっくり行きそうな人間を見ると、最初は押さえがたい恐怖を感じる。われわれはこう言いながら逃げる。「なんだってあの化け物は死ななかったのだろう」しかし、本人は、やっぱり生きることを愛しているのだ。だから、ひなたぼっこをする。死にたくはないのだ。ここがわれわれの思考のたどりにくいけわしい道だ。思考はしばしばそこでつまずき、傷つき、いら立ち、まちがった小径にとびこむ。すぐにそういうことになるのだ。
こういうものを見たあとで、わたしが慎重な手探りの言葉によって正しい道を探していたとき、目の前にひとりの友人があらわれ出た。かれは目のなかに地獄の炎を燃やして、身体をぶるぶるふるわせている。だがやがてどなりはじめた。「すべてが悲惨だ。丈夫な者たちは病気と死をおそれている。おそれることに全力をあげている。恐怖をひとつも手離さない。あますところなく味わっている。そして、病人たちはどうか。かれらは死をまねきよせて死んでしまったらいいのだ。ところが決してそうしない。死を押しかえすのだ。この死の恐怖が病気につけ加わる。きみは言うだろう。生きていることがそんなにつらいのなら、なにも死をおそれることはないではないか、と。しかし、きみもわかるだろう、死と苦しみとを同時にいやがることだってありうるんだ。そして、そうやってわれわれは死んで行くのさ」
かれは自分の言ったことが絶対に自明の真理だと思っているようであった。まったく、そう思おうと思えば、わたしにもやっぱりそう思えるのだ。不幸になるのはむずかしいことではない。むずかしいのは幸福になることである。だからと言って、幸福になろうと努力しない理由にはならぬ。その反対だ。虎穴に入らずんば虎子をえず、という諺もある。
わたしには、こういう地獄からの引導から自分を守らなければならない理由がある。こういう引導は、いかにも自明のように見せる虚偽の光によって、人を欺くものだ。わたし自身、自分は救いようのない不幸のうちにあると、何度自分に向かって説得しようとしたであろう。なんのためか。女の目のためだ。たぶんまぶしいか、疲れたか、空の雲のかげのためにくらくなったかした女の目のためだ。なにかつまらぬ考えのため、腹立ちのため、顔つきやことばつきにあらわれでている(とわたしの推察する)虚栄心の打算のため、そんなことのためだ。
こういう奇怪なおろかしさは、人間だれしも身におぼえがあるものだ。一年も経つと、それを大笑いするのだ。わたしの経験から、わたしは次のことを銘記した。涙、はじまろうとするすすり泣き、胃袋、心臓、腹、激しい身ぶり、筋肉のひっつりなどが推論にまぎれこむや否や、情念はわれわれを欺くものだ、と。素朴な人たちは何度でもこの罠にひっかかる。しかしわたしは、この虚偽の光が間もなく消えることを知っている。わたしはただちに消したい。それはわたしにできる。自分が引導をわたすようなことをいわなければいいのだ。わたしは自分の声が自分に対してどんなに強い影響を与えるか。よく知っている。だから、わたしは自分自身に対して、悲劇俳優としてではなく、ただ親しくじかに話しかけたいのだ。以上はことばつきについての話だ。わたしはまた、病気や死はだれにもおとずれる自然なしろものであること、それに逆らうのは確かにまちがった非人間的な考えであることを知っている。正しい人間的な考えというものは、必ずなんらかのかたちで、人間の条件と事物のありかたに即応するようにできているものなのだから。怒りを養い、怒りに養われる愚痴のなかに軽々しく身を投じてはならないじゅうぶん強力な理由がそこにある。愚痴の世界は、どうどうめぐりで出口のない地獄だ。悪魔はわたしだ。同時に、亡者もわたしなのだ。(一九一一年九月二五日)
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五十五 泣き言
新しい年のはじめに際して、太陽がもっとも高いところまでのぼっていってから、もっとも低いところにまで降りてくるのに必要な一年という時間のはじめに際して、わたしがあなたにお願いしたいことは、いっさいはますます悪くなるだろう、などということはいってはならない、考えてもならない、ということである。「金銭への飢餓感。快楽への熱望。義務の忘却。青年の傲慢。前代未聞の盗みと犯罪。ほしいままな情熱の濫費。狂った季節、冬のまっさいちゅうだというのに、わたしたちはなまあたたかい夜を送っているのだ」これは、人間の世界とともに古いきまり文句だ。これはただ、つぎのことを意味しているにすぎない。「おれは、胃袋の方も、楽しみのほうも、もう二十才のときのようには行かないわい」
感じていることをこういういい方でしか表現できないのだというならば、病気の人の陰気さをがまんする時と同じように、この言葉にもがまんできよう。しかし、言葉というものは、それ自体途方もない力をもっているものである。言葉は悲しみをあおる。悲しみを増大させる。外套のようにあらゆる事物を覆ってしまう。こうして、結果が原因になる。よく、子供が自分で友だちにライオンや熊の恰好をさせておきながら、そのライオンや熊をひどくこわがることがある。それと同じだ。当然の悲しみから、自分の家を霊柩台のように飾った人にとっては、一切のものが苦しみを強く思わせるものとなり、ためにいっそう悲しくなるばかりである。われわれの観念についても同じだ。もしわれわれが不機嫌のあまり、人間を暗鬱な色で塗りつぶし、政治を腐爛したものとして描くなら、こんどはこの粗描そのものがわれわれを絶望のなかへ投げ入れる。したがって、もっとも聡明な人が、しばしばもっとも見事に自分自身からあざむかれることになる。
一番わるいのは、この病気が伝染することである。精神のコレラのようなものだ。わたしの知人にもいるが、ある種の人たちのまえでは、昔にくらべると役人は概して清廉で、勤勉になったなどと言おうものならたいへんなことになる。自分の情念のままに行動する人たちには、きわめて自然な雄弁と、人の心をうつ真面目さがあるので、多くの人々から拍手される。そうなると、公平なことを言おうとする人は、道化役や悪ふざけ役を果たすことになってしまう。こうして、泣き言は教義となって確立され、やがて礼儀の一部になる。
きのう、ひとりのカーテン屋の職人が、話の前おきに、なにげなくこう言った。「季節ってやつはもうなくなりましたね。これで冬なんですからな。なんのことやらわけがわかりませんや」同じせりふを、かれは去年の夏のひどい暑さのあとでも、なんども言ったものだ。かれだってほかの人たち同様夏の暑さは感じていたに違いない。しかし、覚えこんだきまり文句の方が、事実よりも強いのだ。わがカーテン屋を笑うのもいいが、あなた自身も注意した方がいい。すべての事実が、去年の夏のさかりと同じようにはっきりと、いきいきと思い出せるものではないからだ。
わたしの結論はこうである。よろこびは若いから権威がない。悲しみは王座にあって、いつも尊敬されすぎている、と。だからわたしは、悲しみには抵抗しなければならぬ、ということを言っておきたい。よろこびがいいものだからという理由だけのためではない。それも一種の理由であるにはあるのだが。それよりはむしろ、公平でなければならないからである。そして、いつも雄弁で、いつもおうへいな悲しみが、人の公平であることを決して望まないからである。(一九一二年一月四日)
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五十六 情念の雄弁
情念の雄弁に、われわれはほとんどいつも欺かれている。わたしのいう情念の雄弁とは、われわれの肉体の休息または疲労、興奮または衰弱に応じて、想像力が展開する、悲しくあるいははしゃいだ、輝かしくあるいは陰惨なまぼろしのことだ。これに欺かれた場合には、当然といえば当然のことながら、われわれは、多くの場合些細でとるに足りぬ真の原因を見抜いて是正するかわりに、事物と人間仲間を非難することになる。
このごろのように、世をあげて試験々々のはじまりとなると、多くの受験者は、夜遅くまで電燈の光で勉強し、目は疲れ、頭は混乱して痛みを感ずる。こんなものは、休息と、睡眠をとればたちどころになおる。ところが、うぶな受験者はそんなことを考えもしない。かれがまず確認することはこうだ。自分はなかなか覚えない、考えがまとまらない、著者の考えていることが紙の上にへばりついて、こちらに伝わってこない、といったことだ。そこで、試験のむずかしさや、自分の才能のことなどを考えて、悲しむ。それから、過去を見渡し、すべての思いでを同じ陰気な靄を通して眺め、こんなことに気がつくか、気がついたと思いこむ。自分の役に立つようなたいしたことはなに一つもしなかった、すべてやり直しだ、なんの知識もえられない、頭のなかでなに一つ整理されていないんだ、などと。こんどは未来を眺めて、時間はもうあまりないのに、勉強はなかなかはかどらない、と考える。そこで、書物にまい戻り、頭をかかえこむ。こんなときには、横になって、眠ってしまう方がいいのだ。心痛のためかれには療法がわからない。そして、かれが勉強に突進するのは、かれが疲れているからこそなのだ。この場合かれに必要なのは、デカルトやスピノザによって、いっそうはっきりと解明されたストア学派の深い知恵であろう。想像力の提示する証明をたえず警戒しながら、反省力によって情念の雄弁の実体を見抜き、それを信ずることを拒絶しなければならぬ。そうすれば、たちまちどんな激しい心痛をも払いさることができるであろう。少しばかりの頭痛や目の疲れなら、がまんもできるし、長続きもしない。しかし、絶望というものはおそろしい。絶望そのものが絶望の原因を悪化させる。
これこそ情念のもつ罠である。たいへんな怒りに燃えている人は、自分自身に向かってたいへん感動的で明らかな悲劇を演じているわけなのだ。かれはその悲劇のなかで自分の敵のあらゆる過ち、その悪だくみ、その下準備、その侮辱、その今後の企てなどを自分に見せつける。すべてが怒りによって解釈され、そのためますます怒りが増大する。復讐の三女神フリコスを描いて、自分が描きだしたその女神の姿をこわがる絵かきのようなものだ。こういうわけあいがあるからこそ、ごく小さなことが原因であったのに、心臓と筋肉の激しい運動が加わったばかりに、次第に大きくなりまさって、ついには嵐のような猛烈な勢いになってしまう怒りが生まれてくるのだ。しかし、こういう嵐のような興奮を静める方法が、歴史家の立場でものを考えて受けた侮辱、復権要求などを検討することでないのは明らかである。それらの侮辱や被害や復権要求はすべて精神錯乱の場合と同じく、虚偽の光に照らし出されたものだからである。この場合もまた、反省によって情念の雄弁を見抜き、それを信ずることを拒むべきである。「あのうそっぱちの友人は、また今度もおれを侮辱した」などといわずに、「こう興奮しているのでは、おれは正しくものを見ることも、判断することもできない。おれは、自分自身に向かって大みえをきる悲劇役者にすごないのだ」と言うことだ。そうすれば、劇場には観客がいなくなって照明が消される。そして、みごとな舞台装置もらくがきにすぎなくなるだろう。これこそが本物の知恵というものだ。不正の詩を打ちのめす現実的な武器というものだ。ところが悲しむべきことには、妄想のなかに身をおいて自分の不幸を他人に与えることしかできない際物の人間性研究家《モラリスト》たちよってわれわれは助言をうけ、指導されているのである。(一九一三年五月一四日)
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五十七 絶望について
ある人がこんなことを言っていた。「悪者はこれしきのことで、自殺なんかしない」心の正しい人間が名誉を傷つけられたと思いこんで、自殺したところ、自分の名誉を傷つけた人間だと思いこんでいた人たちから死を悼まれたということは、よくあることだ。長くわれわれの記憶に残って消えないこの悲劇について、公正で道理正しくあろうとする人が、他人から攻撃され征服されるに至らなければ、ある種の情念を抑制しえなかっただろうように思えるのはどういうわけあいのものなのか、そしてまた、そういう人はどういう考えをもてば絶望とたたかえるのだろうか、そういうことをわたしは探ってみることにする。
情勢を判断する、むずかしい問題を提出する、その解決をさがす、全然見つからない、どうすればいいのかわからない、考えが調教馬のように同じところでどうどうめぐりする、このことだけはなんともつらい、そして知性もまたわれわれを指す針をのんでいるなどと、あなたは言うかもしれない。ところが、決してそうではない。まずそういう誤謬に陥らないことこそが必要なのだ。まるでわけがわからなくなる問題というものがたくさんある。だが、そんなものは容易にあきらめられる。弁護士とか、精算人とか、裁判官とかは、ある事件を見込みがないとはっきり決定できるか、それとも、寝食を忘れてでもやらないかぎり全然決定できないか、どちらかだ。解きがたく紛糾した考えにあって、われわれを悩ますものは、その紛糾した考えそのものではない。むしろ、それに対するたたかいと抵抗がわれわれを悩ますのだ。あるいは、もしもそういってよいならば、事柄が現在あるようではあってほしくないという欲求がわれわれを悩ますのだ。情念のあらゆる動きのなかには、とりかえしのつかぬもの、たとえば、だれかが、ひとりの愚かな、または虚栄心の強い、または冷淡な女に恋して苦しんでいる場合、それはかれがなんとしても、彼女が現在のようではなくなってほしいと思っているからである。同じように、そうすれば破滅を免れず、またそのことがよくわかっているときでも、情念はどこか別のところへ行く分岐点を見いだすために、思考にもう一度同じ道を戻ることを希望し、また命令する。しかし、その道はもう通ってきたのだ。いまいるところは、いまいるところ以外ではないのだ。そして、時間という道では、あとへひきかえすこともできなければ、同じ道を二度たどることもできはしない。だから、わたしはいいたい。強固な性格とは、自分がいまどこにいるか、事態はどうなのか、とりかえしのつかぬものは正確になんであるかを、自分自身に向かって言い、そこから未来に向かって出発する人のことだ、と。だが、これは容易なことではない。そして、それには些細なことがらのなかで練習することが必要なのだ。さもないと、情念は檻のなかのライオンのようになるだろう。ライオンは、檻のなかのあっち側の隅にいたときにはわざとこちらを見ないでいたのだから、そのうめあわせなのだとでもいうかのように、こちら側の隅の柵の前から離れずに何時間も何時間も足踏みしているのだ。要するに、過去を思いめぐらすことから生まれるこの悲しみは、無益であるばかりか、きわめて有害でさえある。われわれをいたずらに反省させ、いたずらにさがし求めさせるからだ。後悔することは過去を二度くりかえすことだ、とスピノザ[一六三二〜一六七七。オランダのユダヤ人哲学者。商人の家にうまれユダヤ教の教育を受けた後、ユダヤ教の唯一絶対神とデカルトの二元論を総合して一元論をとなえた。事物を神との関係から直観することにともなう喜びが至上の幸福]は言っている。
悲しんでいる人間が、もしスピノザを読んだことがあれば、こう言うだろう。「しかし、悲しいときには、いつだって快活ではありえない。悲しいかどうかは、わたしの気分、疲労、年齢、天気ぐあになどによるのだ」よろしい。それをあなた自身に向かって言うがいい。本気でそれを言うがいい。悲しみをその本当の原因のところにつき返すがいい。そうすれば、あなたの重苦しい考えも雲が風に吹きとばされるように追いはらわれることだろう。地上は不幸でおおわれているかもしれない。だが、空は晴れわたるのだ。それだけでももうけものだ。あなたには悲しみを肉体のなかへつき返したのだから。その結果、あなたの考えはきれいに清められたようになっているはずだ。あるいは、お望みとあらばこう言ってもいい。思考は悲しみに翼を与えて、飛翔する悲しみと化するのだ、と。これに反して、反省は、そのねらいが正しい場合には翼をへし折って這いまわる悲しみにすぎないものとしてしまうのだ。悲しみはいつもわたしの足もとにある。しかし、もうわたしの目の前にはない。ただ、これが厄介なところなのだが、われわれはいつも高く高く飛翔する悲しみを望んでいるのである。(一九一一年一〇月三一日)
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五十八 あわれみについて
世間には、人生を暗くする親切、陰うつそのものの親切がある。一般にこれはあわれみと呼ばれているが、これは人類の災禍の一つだ。やせこけて、肺病やみだと思われている男に向かって、敏感な女がどういうふうに話しかけるかを、見るがいい。涙ぐんだまなざし、声の調子、話す事柄、すべてがあきらかにこのあわれな男を見放しているのだ。しかし、かれは少しも苛立たない。かれは、自分の病気に耐えるように、他人のあわれみに耐えている。いつだってこういうぐあいなのだ。だれもがかれのところへ来て、少しずつの悲しみをそそいで行く。だれもがかれのところへ来て、きまり文句を繰りかえす。「あなたがこんな状態でいらっしゃるのをみると、胸も張りさけんばかりです」
もう少し話しのわかった人たち、もっとよくことばを慎む人たちもいる。こんどは元気づけのことばだ。「悲観することはない。陽気でもよくなれば、快方へ向かうよ」しかし、こんどは態度がにつかわしくない。やはり、お涙頂戴の歌謡曲調なのだ。ほんの微妙な調子のちがいでも、病人はよく気がつく。驚いたようなまなざしだけで、どんなことばよりも多くを伝えてしまう。
ではいったい、どうしたらいいのか。それはこうだ。悲しんでいてはなるまい。期待すべきなのだ、自分のもっている希望しか、ひとにはやれないのだ。自然の成り行きに期待し、未来を明るく考え、そして生命が勝利をうることを信じなければならぬ。普通思うよりも、これはずっとたやすい。自然なことなのだから。生きとし生けるものは、生命が勝つものと信じている。さもなければ、たちまち死んでしまうことだろう。この生命の力によって、われわれは、やがてこのあわれな男を忘れてしまうことになる。ところで、かれに与える必要があるのは、この生命の力なのだ。現実にかれをあまりあわれみすぎてはいけない。冷酷で無関心であっていいというのではない。そうではなくて、快活な友情を示すことだ。だれだってあわれみを吹きこむことは好きではない。そして、自分がいても健康な人間のよろこびを消し去りはしないということが病人にわかれば、かれはたちまち立ち直り、元気が出る。信頼こそがすばらしい霊薬なのだ。
われわれは宗教によって毒されている。人間の弱点や苦しみをねらって、人々を考えこませるような説教の一撃で死にかけている人間にとどめを刺す司祭は、よく見かけるところだ。わたしはこういう葬儀人夫の雄弁をにくむ。説教すべきは生についてであって、死についてではない。注ぐべきは希望であって、恐れではない。だからこそ、人類の真の宝であるよろこびを、共同して育成すべきだ。これこそ、偉大な賢者の秘訣であり、明日を照らす光明であろう。情念はどれも悲しい。憎しみは悲しい。よろこびは情念をも憎しみをも、退治するだろう。だが、さしあたっては、悲しみは決して気高くも、美しくも、有用でもない、とだけいっておくことにしよう。(一九〇九年一〇月五日)
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五十九 他人の不幸
人間性探求家《モラリスト》――たしかそれはラ・ロシュフーコー[一六一三〜一六八〇。貴族として軍務に服したのち、失明し、機知と諷刺にみちた「箴言集」を書く]だったと思うが――はこう書いた。「われわれはいつでも、他人の不幸に耐えるだけの力はじゅうぶんもっている」このことばには、たしかに真実なものがある。しかし、これは半分の真実でしかない。はるかに注目に価するのは、われわれはいつでも自分の不幸に耐えるだけの力はじゅうぶんもっている、ということだ。まさにそうでなければならない。必然がわれわれの肩に手をかけたときには、もうのがれられはしない。そうなれば、死んだ方がいい。あるいはできるかぎりの力をつくして生きることだ。そして、大部分の人は後者の方をとる。生命力というものはすばらしい。
水害の罹災者の場合もそうだ。かれらは適応した。小舟のタラップのあぶなっかしさに、少しも愚痴をこぼさなかった。かれらはそこに足をかけた。学校その他の公共の場所にすし詰めにされた人たちは、そこをできるだけうまい具合に一時の宿とし、せいいっぱい食べ、眠った。戦争に行ったことのある人たちも、同じような話をする。ひどくつらいのは戦争しているからではなくて、足がつめたいからなのだ。火を燃やすことばかり夢中になって考える。いったん身体があたたまると、それだけですっかり満足するのだ。
生活が苦しければ苦しいほど、いっそうよく苦痛に耐え、いっそうよく楽しみを味わえるものだ、とさえ言いうるだろう。これからさき起こることもありうるかも知れないというだけの不幸まで予見する暇なんぞないからである。予見は必要によって制約されているのだ。ロビンソン・・クルーソーは、自分の家を建て終ってのちにはじめて祖国をなつかしみはじめたのである。金持が狩猟を気に入るのも、おそらくこういう理由によるのだ。狩猟には、足が痛くなるというような近い将来の不幸もあり、よく飲みよく食らうというような近い将来の楽しみもある。そして、行動がすべてを運び去り、すべてをしばりつけてくれる。注意力のすべてをたいへんむずかしい行動に向ける人、そういう人は完璧に幸福である。自分の過去や未来のことなど考える人は、完全には幸福になれない。人はさまざまな事柄の重荷をになうかぎり、幸福であるか、破滅するか、どちらかでなければならぬ。しかし、不安がりながら自分という重荷をになうと、たちまちすべての道がけわしくなる。そして、その道をゆけばゆくほど過去と未来が背中にのしかかってくる。
要するに、自分のことを考えてはならない。他人が自分自身を語る言葉をきけば、わたしはわたし自身のことを反省せざるをえなくなる。これは面白いことだ。いっしょに行動すること、いつでもこれに限る。話をするため、苦情をいうため、非難しかえすために、いっしょになって話す。これがこの世の最大の災禍の一つである。人間の顔はおそろしく表情にとんでいるから、それを見ているわたしにとりまぎれて忘れていた悲しみを呼びおこしてしまうのだ。だが、それはここでは問題の外におくことにしておこう。世のなかで生きていって一人一人の他人と接触して、その他人と口でする返答、心のこもった返答などをやりとりしてゆくことによって、はじめて人間はエゴイストになる。一つは不平は無数の不平をあおり立て、一つの恐怖は無数の恐怖の口火をきる。一匹の羊が、羊の群のすべてを走らせる。感じやすい心の持主が、いつでも少々人間嫌いなのは、そのためだ。このことを頭にいれて友人とつきあわねばならない。みだりにひとの口の端にのぼることを用心して孤独を求める敏感な人間を、エゴイストと名づけるのは早計にすぎよう。親しい人の顔にあらわれた不安、悲しみ、苦しみが耐えがたいのは、薄情とはいえない。そして、進んで他人の不幸に口出しする人々が、かれら自身の不幸に対して、もっと多く注意をはらっているかどうか。それはあやしいものである。注意ではなくて、勇気でも、冷静さでもいいが、あの人間性探求家《モラリスト》はいじわるであったにすぎない。他人の不幸は堪えがたい重荷なのである。(一九一〇年五月二三日)
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六十 なぐさめ
幸福と不幸は想像する事は不可能である。本来の意味での快楽のことをいっているのでもなければ、リウマチや虫歯や宗教裁判所の拷問などのような苦痛のことを言っているのでもない。そういうものなら、そういうものをひきおこした原因を思いおこすことによって、想像してみることができる。たとえば煮え湯が手にかかったとか、自動車にはねとばされたとか、戸に手をはさんだとかいうような場合だったら、いつでもわたしは自分の苦痛がほぼ見当がつくし、ぎりぎりの限度までは他人の苦痛もわかる。
ところが人を幸福にしたり、不幸にしたりする意見の微妙な相違点ということになると、他人にしても自分にしても予見することも想像することもできはしない。すべては思考の流れ方次第だ。そして人は好きなようには考えていないものである。まして少しも楽しくない考えだったら知らず知らずにその考えから逃げだすのが当然である。たとえば、芝居は荒々しい力でわれわれをとらえ、われわれの心を現実世界からそらしてしまう。ところがその荒々しい力を与える原因となるものは、書割《かきわり》の星だの、わめき声だの、泣くふりをする女だのというようなつまらぬものであって、ここに注意して見るならば、荒々しい力などといっても馬鹿々々しいものである。しかし、こういう猿まねが、涙を、しかも本物の涙を流させるのだ。下手《へた》にきどったせりふのおかげで、あなたはちょっとの間、あらゆる人間のあらゆる苦しみをになうことになる。ところがその一瞬あとにはあなたは自分自身と、あらゆる苦しみとから千里もはなれた遠い旅先にいることになるかもしれない。悲しみとなぐさめとが鳥のように枝にとまっては飛び去っていってしまう。これには我ながら赤面しよう。モンテスキュー[フランスの法哲学者。「ペルシャ人への手紙」「法の精神」などの著作により、近代的法の精神を確立した]のようにこう言って赤面するだろう。「わたしには、一時間の読書で追いはらえなかったような悲しみは、あったためしがない」だが、本当に読書すればわれを忘れてしまうことは明らかである。
馬車にのせられて断頭台に行く人は気の毒である。だがもしかれがほかのことを考えているとしたら、馬車のなかにいても現在のわたし以上には不幸であるまい。かれが曲がりかどだの、馬車の動揺だのを勘定しているとすれば、かれは曲がりかどや動揺のことを考えているということになる。遠くに見えているポスターがあってそれを読もうと努めるとしたら最後の瞬間においてもそれが気になって仕方がないかもしれない。そのことについて我々はなにを知っているだろうか。かれは何を知っているだろうか。
わたしは溺死しかけた友人の話をきいたことがある。かれは船と波止場との間におちて、かなりの時間船体の下に入っていた。引きあげられたときには意識を失っていた。だから、かれは死から生きかえったのだといえる。かれの思い出はこうである。かれは水のなかで両眼をあけていた。すると自分のまえに錨索《いかりずな》がただよっているのがみえた。かれはそれにつかまれると思ったが少しもそうしたい気が起こらなかった。青い水とただよっている錨索とでかれの頭のなかはいっぱいだった。かれの伝えるところでは最後の瞬間はこうだったのである。(日付なし)
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六十一 死者崇拝
死者を崇拝することは美しい慣習である。十一月二日の万霊節つまり死者の祭りは、適切にも、太陽がわれわれを見捨てることを明瞭に示す徴候のあわられる時期に定められている。色あせた花、人にふみつけられた黄や赤の落葉、長い夜、夕方のようにものうい真昼、すべてが疲労や休息や睡眠や過去を思わせる。年の暮れというものは、日の暮れがたや、人生の暮れがたのようなものだ。もはや、未来は夜と眠りしか与えてくれはしない。したがって、思考はもはやなされてしまったことの上に立ちかえり、歴史的な思考となる。このように、慣習と天気とわれわれの思考の流れの間には、調和があるのだ。だから、こういう季節には、亡霊たちを呼び起こして、これに話しかけようとする人が少なくない。
だが、どうやってよび起こせばいいのか。どうやって亡霊たちをよろこばすことができるのか。ユリシーズ[ギリシャの大叙事詩人ホーマーの主要作]は亡霊たちに食べ物を与えた。われわれは花をもって行く。しかしすべてのささげものは、われわれの考えをかれらの方へ向け、かれらとの会話をつづけるためのものにほかならない。あきらかに、人がよび起こしたいのは死者の考えであって、その肉体ではない。また、かれの考えが眠っているのは、われわれ自身の内部においてであることも明らかである。だからといって、花も花輪も花で飾られた墓も意味がない、ということにはならない。われわれは自分の好きなようには考えず、われわれの思考の流れは、主としてわれわれの見、聞き、触れるものによって左右されるのであるから、われわれがある夢想をいだこうとするためにある情景をつくるのは、もっとも至極なことなのである。情景と夢想とはきっても切れない間柄なのだから。宗教上の祭式に価値があるのは、まさしくこの点なのである。もっともそれは手段にすぎない。目的ではない。それゆえ、ミサをきいたり、祈祷をとなえたりするようなぐあいに、死者を訪ねて行ってはならない。
死者たちは死んではいない。このことは、われわれが生きていることから、じゅうぶん明らかである。死者は考え、語り、そして行動する。かれらは助言することも、意欲することも、同意することも、非難することもできる。これは本当だ。しかし、それには、耳を傾けることが必要である。すべてはわれわれの内部にあるのだ。われわれの内部に生きているのだ。
あなたはこう言うかも知れぬ。それならば、われわれは死者たちを忘れることができない。しかも、かれらのことを考えることは無用である。自分のことを考えることが死者たちを考えることとなるのだ、と。それはそうだ。しかし、普通は、人は自分のことをほとんど考えない。本当に自分のことを、真剣に自分のことを考えない。われわれは、自分自身の目から見ると、あまりに弱く、あまりに移り気である。あまりに自分自身に近すぎる。正しい均衡をたもちながら自分についての正しい見通しを見いだすことは容易ではない。そうだとすると、たえず自分の欲している正義のことばかり考えている正義の味方とは、いったい何者だろう。これに反して、われわれは、つまらぬことは忘れる敬愛の心から、死者自身の真実に即応しつつ死者を見るのだ。そして、おそらく最も偉大な人間的事実である死者の助言の力は、かれらがもはや生存していないということに由来する。生存するとは、周囲の世界の衝撃に答えることだからである。生存するとは、一日に何回となく、一時間に何回となく、自分のあるべき姿を忘れることである。そこで、死者はいったい何を欲しているのだろうと考えることが、大きな意味をもってくるのである。しっかりとものを見、よく耳をすますがいい。死者たちは生きようと欲している。あなたの内部で生きようと欲している。かれらの欲したものをあなたの生命が豊かに展開することを、死者たちは欲している。だからこそ、墓というものはわれわれを生命へと送りかえすのだ。だからこそわれわれの思念は、来るべき冬を快活に跳びこえて、最初の若葉へとおもむくのだ。きのうのわたしは、葉の落ちかけているリラの木を見たが、そこにはもう若芽が出かけていた。(一九〇七年一一月八日)
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六十二 まぬけな男
気違いのようになって咳の発作に身をゆだねている人々は、そうすれば喉の|かゆさ《ヽヽヽ》がへるものだと考えているのだ。こんな結構な動作のために、かれらはのどを刺激し、息をきらし、へとへとになる。だから、病院や療養所などでは、決して咳をしないように患者に教える。それにはまず、できるだけ咳をがまんすることだ。ちょうど咳が出そうになったときに、つばを呑みこめば、なおさらいい。出すのと呑みこむのとの二つの運動をいっしょにやることはできないからだ。それからまた、のどの|かゆさ《ヽヽヽ》を不愉快がったり怒ったりしないことだ。気にとめないようになれば、咳などというものはひとりでにおさまってしまうものだ。
同じように、自分で自分をかきむしっては、苦痛といりまじった奇妙な快感を味わっている病人もいる。そんなことをすると、あとになってもっとひどい、ひりひりする痛みがやってくる。この連中も自分からすすんで咳をする手合いと同じことで、自分自身に対して、躁暴性の気違いのようになる。こういうのがまぬけな男のやらかすことだ。
不眠症にもこれと同じ種類の悲劇がある。自分自身がでっちあげる病気に苦しむのだ。寝入らずにしばらくは休息していても、なんらさしつかえはないはずなのである。それに、寝床のなかに入っているのも、そんなに悪いものではない。ところが、頭が働く。眠りたいと自分に言う。なんとかして眠ろうとする。そのことに決意のいっさいを集中して、それもうまく集中して、そのためにかえって、心の意志と注意力そのもののために、目があいてしまう。でなければ、いらいらする。時間を数える。貴重な休息の時間をもっとうまく使わないのはばかげていると考える。同時に、陸《おか》に上がった鯉のように跳びあがったり、寝返りをうったりする。まぬけな男のやり方だ。
あるいはまた、なにか不満なことがあると、夜ばかりか昼の間も暇さえあれば、その問題にたちかえる。自分自身の話を、まるで机の上に開いた陰気な小説ででもあるかのように、読み続ける。つまり、自分の悲しみのなかにひたる。そして、悲しみを楽しんでいる。忘れるのがこわくて、そこへ立ちもどる。予想しうるかぎりのあらゆる不幸を見渡す。要するに、自分の痛いところをひっかく。まぬけな男のやり方だ。
恋する女につれなくされた男は、ほかのことを考えようともしない。過ぎ去った幸福や、不実な女の完璧な美しさ、彼女の裏切りや不義などを思い起こす。みずからすすんで自分を鞭うつ。しかし、ほかのことを考えることができないのならば、せめて自分の不幸をほかの見方から見てみるべきであろう。あんなのは、もうみずみずしさを失ったつまらぬ女さ、とでも考えることだ。お婆さんになったその女との生活を想像してみることだ。過去のよろこびを綿密に吟味してみることだ。それは幸福なときには見のがすが、悲しみのなかにあっては、なぐさめとして役に立つ。最後に、なにか身体上の特徴に注意をとめてみることだ。気にくわない目、鼻、口、手、足、声音。こういうものは必ずある。これこそ英雄的な療法といいたい。こみ入った仕事やむずかしい行動にとびこむ方がずっとやさしい。だが、いずれにしても、淵に身を投げるようなぐあいに不幸にとびこんだりせず、努力してみずから慰めなければならぬ。そして、真面目にそういう努力をする人たちは、自分が考えるよりもずっとはやくなぐさめられることだろう。(一九一一年一二月三一日)
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六十三 雨のなか
本物の不幸もかなりあるにはある。そうだとしても、人々が一種の想像力の誘惑によって不幸をいっそう大きくしていることには、依然としてかわりない。自分のやっている職業について不平を言う人に、あなたは毎日、少なくともひとりぐらいは出あうだろう。そして、その人の言い分は、いつでもじゅうぶんもっともだと思われるだろう。どんなことも文句はつけられるものだし、完全なものなどなにもないからである。
あなたが教師だったら、こう言うだろう。何一つ知らず、何一つ興味を持たない若いけだものを教えなければならないのだ、と。技師だったら、書類の山に押しつぶされている、というだろう。弁護士だったら、こちらの言うことをききもせず居眠りしながら条文を読んでいるような裁判官の前で弁護するのだから、というだろう。あなたの言うことはたしかに真実だ。わたしもそう思う。こういう事柄はいつも、人々が真実であるといえる程度には、真実なのである。こういう事柄につけ加えて、あなたの胃の調子がわるいとか、靴がぬれているとかという事情が加わっているのだったら、わたしにはよく、あなたの気持が理解できる。胃の調子や靴の具合などのそんなつまらないことのために、人生や人間や、またもしあなたが神を信じているなら、神様まで呪うことになるのだ。
だが、ここに一つ注意すべきことがある。それは、そんなことを言えば際限がないし、悲しみが悲しみを生み出すのだ、ということである。こうして運命について不平を言うことは、不幸を増すことであり、笑う希望をとりあげてしまうことであり、そのために胃のぐあいそのものまでいっそうわるくなるのである。もしひとり友人がいて、その男が万事につけてにがにがしげに不平をもらすとすれば、もちろんあなたは、かれをなだめて、世の中の別の視点から見させるように努めるだろう。きみはなぜ、きみ自身にとってかけがえのない友人とならないのだろうか。わたしは真面目にきみに言っているんだ、少しは自分を愛し、自分と仲よくすることが必要だ、と。すべては往々にして最初とった態度次第によるからである。ある昔の著者は言った。どんなできごとにも二つの取っ手があって、つかむと怪我をする方の取っ手をえらぶのは賢明でない、と。世上一般に哲学者ということばで意味するものは、いかなる場合にでももっともよい言説、もっとも人を元気づける言説を選ぶ人たちのことである。まさしくこれは正鵠を得ている。要は自分を弁護することだ。自分を告訴することではない。われわれはみんな、きわめてすぐれた説得力のある弁護士なのだから、この道をえらびさえすれば、りっぱに満足する理由を見いだせよう。わたしがしばしば観察したところでは、人々が自分の職業について不平を言うのは、不注意からであり、また少しは礼儀からである。もしかれらがいやいややっていることについてでなく、自分からやっていることや、自分が考えだしたことなどについて話すようにしむけられれば、かれらはたちまち詩人に、しかも陽気な詩人になる。
小雨が降っているとする。あなたは表にいる。傘をひろげる。それでじゅうぶんだ。「またしてもいやな雨だ」などと言ったところで、なんの役に立とう。雨粒や雲や風がどうなるわけでもない。そんなことを言うくらいなら、「ああ、結構なおしめりだ」となぜ言わないのか。あなたが「結構なおしめりだ」というのを、わたしが聞く。聞いたからといって、雨粒がどうなるわけでもない。それは事実だ。しかし、そう言うことはあなたにとってよいことなのだ。おそらく身体がふるい立ち、本当に暖まってくるだろうから。どんなに少しのよろこびがひきおこす身体の運動でも、それぐらいの効果はもつものなのだ。そして、雨にあたって風邪をひかないようにするには、こうするに限るのだ。
人間たちをも雨同様に見なすがいい。それは容易じゃない、と言うかも知れない。ところが容易なのだ。雨に対してよりもずっと容易なくらいだ。なぜなら、雨に対しては微笑は役に立たないが、人間たちに対しては大いに役立つからである。微笑のまねをしてみせただけでも、もう人々の悲しみや悩みは弱くなる。もしあなたが自分自身の内部を眺めれば、人々の悲しみや悩みのいいわけはたやすくみつけてやれるのだ。しかし、いまはそれについてはいわないことにする。(一九〇七年一一月四日)
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六十四 興奮
戦争についても事情は情念についてと同じことである。怒りの発作は、対立する利害だの、敵対だの、怨恨だのによっては、決して説明がつかない。それらは怒りの発作を正当化しようとして人が考えだした原因であるにすぎない。好都合な状況というものがあれば、悲劇を防ぐことができるのだ。往々にして、論争、喧嘩、殺人などは偶然の出会いから生ずるものだ。とうてい喧嘩がさけられそうもない、同じ集団のふたりの人間が、なにか大きな利益のために、長い間相当に離れた二つの町にわかれて住むことになった、と仮定してみるがいい。こんな簡単なことによって平和はうち立てられるのだ。理性では、とてもこんな平和はうち立てられないだろう。すべての情念は機会の娘である。ふたりの人間が下宿人と番人のように毎日顔を合わせる場合には、はじめに二人を結びつけたものが、こんどは原因となり、苛立ちや怒りによる身体の動きが、こんどはもっと激しい苛立ちや怒りを感じる動機になる。こうして、よく最初の原因と最後の結果が生ずる。両親や先生たちは、それに気をつけてやらなければならない。さけび声は子供自身に苦痛を与え、さらにいっそう苛立たせる。おどかしたり、声をはりあげたりすれば、雪崩はいっそう大きくなる。怒りを養うのは怒りそのものなのだ。だから、そういうときには、ただ撫でてやるとか、目先を変えてやるとか、身体を動かしてする行動が必要なのである。こういう場合に、母親の愛情というものは、赤ん坊を抱いて散歩したり、撫でさすったり、静かにゆさぶったりして、ほとんど誤ることのない知慧を示すものだ。人は痙攣をマッサージでなおす。ところで、赤ん坊のかんしゃくでもだれのかんしゃくでも、それはいつでも筋肉の一種のひっつり状態なのであって、昔の人たちが言ったように、体操と音楽で手当をすることが必要なのだ。だが、怒りの発作が起こっているときには、どんなにすぐれた議論でも全く無益である。しばしば有害でさえある。怒りを刺激するようなすべてのものを、議論が想像力に思い出させるからである。
こうした考察は、なぜ戦争がいつもおそるべきものであるか、またいつでも逃げうるものであるかを理解するに役立つ。いつもおそるべきものであるというのは、興奮というものが生じることによる。興奮はもしそれがひろがってゆけば、ごくつまらぬことを理由にしてでも、戦争をまきおこすことだろう。もし興奮が少しも混入しなければ、理由はどうであれ、戦争はいつまでも逃げられうるのだ。市民たちはまことに簡単なこの法則を注意深く考察すべきである。かれらは意気阻喪してこうつぶやく。「おれのような貧弱な者が、ヨーロッパの平和のためになにができよう。新しい紛争の原因が刻々と生まれる。日がたつにつれて、解きがたい問題が持ちあがる。こちらで一つ問題が解決すれば、あちらで一つ危機があらわれでる。こんがらがった糸のように、解こうとすればもつれるばかりだ。運命の必然にまかせておくさ」、なるほど。しかし、無数の実例が示しているように、運命の必然は戦争への道はたどらない。わたしはブルターニュの海岸がイギリスにそなえて防備されたのを見たことがある。しかし、不吉な予言者たちの言にもかかわらず、その方面では少しも戦争が行われなかった。本当の危険は興奮なのである。そこでは、だれもが自分自身の国王であり、自分の激情の支配者なのである。この絶大な権力の行使を、多くの市民たちは学ぶべきだ。賢者ソロモン[紀元前十世紀のイスラエルの王『叡智の書』の著者]が言うように、まず幸福であれ。幸福とは、平和からうまれる果実なのではない。幸福とは平和そのものなのだ。(一九一三年五月八日)
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六十五 エピクテトス
「誤った意見をとりのぞくことだ、そうすればきみは、不幸をとりのぞくことになる」こうエピクテトス[一世紀の有名なストア学者]は語っている。長い間レジオン・ドヌール勲章[一八〇二年第一総督ナポレオンによって創設され、文武の功労者に与えられる]を待っていて、まだもらえずにいることを考えると、夜も眠れない人にとっては、この忠告が役に立つ。この人は、略章の一片の赤いリボンにあまりに大きな力を与えすぎているのだ。これをあるがままに、つまり少しばかりの絹、少しばかりの茜色のものと考える人なら、そんなものに心を煩わされまい。エピクテトスには手荒い例がたくさん出ている。この親切な友人は、われわれの肩をつかまえて言う、「きみが悲しいのは、円形劇場で望みの席、自分の坐るべきだと考えている席を昨夜とれなかったからだ。こっちへくるがいい。円形劇場は今日は空いている。このすばらしい石の座席をさわりにくるがいい。腰をかけることだってできるよ」どんな恐怖に対しても、どんな横暴な感情に対しても、療法は同じである。まっすぐに事実のところへ行って、あるがままに見ることが必要なのだ。
同じエピクテトスが船客に向かって言っている。「きみの、嵐に対するこだわりようといったら、この大海全部を呑みほさなくては気が静まらないみたいだ。しかし、きみ、溺れるのには一升の水もあればたりるんだよ」かれは、おそるべき荒浪が決して本当の危険を示すものでないことを、確信しているのだ。よく人はこう言いもし、こう考えもする。「怒り狂った海だ、奈落からの声だ、荒れ狂う海だ、これは凶兆だ、襲撃だ」これは真実ではない。引力をことにすることから生まれる動きと揺れ、潮流、それから風であるにすぎない。悪い運命などではない。きみを殺すのはこれらすべての物音や運動ではない。宿命などでもない。難破しても助かることだってある。静かな水面で溺れることだってある。本当の問題は次のことだ。頭を水のそとへ出せるかどうか。わたしはこんな話をきいたことがある。腕ききの船乗りともあろうものが、暗礁に近づいたときに、目をおおって小舟のなかにうずくまっていた、というのだ。つまり、ひとから昔きいたことばがかれらを殺したのである。かれらの死骸は、その浜辺にうち上げられて、まちがった言いつたえを正しいと思わせる実例となった。ただ、岩や潮流や逆潮などの互いに結びついているいくつかの力、完全に説明可能ないくつかの力のことを考えることのできる人ならあらゆる恐怖をまぬかれ、またおそらくあらゆる不幸をまぬかれるにちがいない。人は自分で事を行なうかぎり、一度に一つの危険しか見えないものだ。熟練した決闘者は少しもこわがらない。自分のすることと、相手のすることを、明瞭にみるからだ。しかし、もし運命に身をゆだねるようなことをすれば、かれをねらっている不吉な視線が、剣よりもさきに、かれを刺し殺す。そして、この恐怖は不幸よりもいっそう悪いものだ。
腎臓結石をわずらって外科医に身を任せる人は、腹が切りひらかれて血がどんどん流れだすことを想像する。だが、外科医はそうではない。外科医は知っている。細胞一つも切りとりはしないこと、ただ若干の細胞を細胞群からひきはなして、そこに通路をつくろうとしていること、いくらかは血が出て細胞をひたすだろうが、下手に手当をした手の傷ほども血がでないこと、そういうことを知っている。かれはこれらの細胞の真の敵がなんであるかを知っている。そして、その敵に対して細胞たちは、メスでも受けつけない緊密な組織をつくるのだ。かれは、細菌というこの敵が、生理的排泄の道を閉ざすこの結石によって防がれていることを知っている。かれは、自分のメスが死ではなくて生をもたらすものであることを知っている。かれは、はっきりしたきれいな切傷は、できるが早いかたちまちなおってしまうように、敵を追いはらってしまえば、すべてがたちまち生きかえることを知っている。もし患者がこういう考えをもち、誤った意見をとりのぞいたところで、そのために結石はなおりはしない。だが、少なくとも、恐怖はなおる。(一九一〇年一二月一〇日)
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六十六 ストイシズム
あの有名なストアの賢者たちは、誤解されているようだ。かれらはただ、僭主に抵抗すること、責苦をものともしないことをわれわれに教えただけだ、と。わたし自身は、かれらの男らしい知恵は、雨や嵐に対してさえ多くの使いみちがあるものと考える。かれらの思想は、周知のように、たえがたい感情から身をひきはなして、それを品物のようにみなすことにあった。これに反して王様のように悠然と床几に腰かけて生きる、生き方を全く知らない者たちは、「遠くから嵐がやってくのるのが感じられる。待ちどおしくもあれば、気がめいりもする。いっそ、雷よ鳴ってくれ」などと言い出して、嵐を自分のなかに入れてしまう。思考という余計なものをもった動物らしい生き方というものだ。ちょうど植物が日向でしおれ、日陰で生きかえるように、動物は、これからやってくる嵐によってすっかり様子が変わるものだ。しかし、動物自身はそれについてろくに知らない。人間が半醒半睡状態にあるときには、楽しいのか悲しいのかわからないのと同じだ。こういう麻痺状態は、人間にとっても好都合なものである。最大の苦痛のなかにあってさえ、常に心を休ませてくれるものだ。もっとも、それはその不幸な当人が完全に緊張をゆるめる場合に限るのだが。わたしは言葉どおりの意味で言っているのだ。手足がじゅうぶんに安定し、すべての筋肉が解きぼくされていなければならない。手足をまとめて休ませる一つの方法がある。それは内部からのマッサージのようなものだ。怒り、不眠、不安などの原因である痙攣とは正反対のものだ。眠れない人たちには、「ぐったりした猫みたいな姿勢をとりたまえ」と言ってやりたい。
いま、もし、エピクロス的徳の真髄であるこの猫の状態に下降することができなければ、そのときには、猛然と奮起して、ストアの徳まで、いわば跳び上がらなければならない。両方どちらもいいが、中途半端は役に立たないからだ。嵐や雨のなかにとびこむことができなければ、そのときには嵐や雨を向こうに押しかえし、身をひきはなして、こう言うべきだ。「これは雨や嵐であって、おれではないのだ」と。不当な非難だとか、欺瞞だとか、嫉妬だとかが相手の場合には、あきらかにいっそうむずかしい。こういう困った奴は、われわれにへばりついてはなれない。だがそれでも、最後には思いきってこう言わなくてはいけない。「あんな欺されかたをしたのだから、わたしが悲しい気持になっているのも決して不思議じゃない。雨や嵐と同じような自然なことなんだ」こういう忠告は、情念のとりこになっている人たちを苛立たせる。かれらは自分に自分で重荷を負わせ、自分を自分でしばりつけ、自分で自分の苦しみを抱きしめる。言ってみれば、子供が馬鹿みたいに泣きわめき、自分がそんな馬鹿なのを見て腹を立て、さらに一段とはげしく泣きわめくようなものだ。この子は自分自身に、「いったいこれはなんだ。子供が泣いているだけのことじゃないか」とでもいえば、救われることができるのだ。しかし、子供だからまだ生き方を知っていない。それに一般に生き方というものを知っている人間はほとんどいないのだ。わたしの考えでは、幸福の秘訣のひとつは、自分自身の不機嫌に対して無関心でいることなのである。相手にしないでいれば、不機嫌などというものは、犬が犬小屋に帰って行くように、動物的な生命力のなかに戻ってゆくものだ。わたしの意見では、これこそが本当の道徳を教えるもっとも重要な章のうちの一つである。自分の過失、自分の悔恨、反省がひきおこすあらゆる悲惨から身をひきはなすことだ。そうすれば、大人から泣き声をきいてもらえない子供のように、怒りもすぐどこかへ消えていってしまうだろう。ものごとがよくわかっていたジョルジュ・サンドは、こういう王者の魂を力強い作品であるのに、あまり読まれなさすぎる小説『コンシェロ』のなかで、みごとに描いてみせてくれている。(一九一三年八月三一日)
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六十七 汝自身を知れ
わたしはきのう、よくある広告だが、こんなのを読んだ。「大いなる秘訣、人生に成功し、人心を動かして有利に使う確実な方法。だれでもがもっている生命の泉。ただしその使用法を知るのは高名なる先生のみ。十フランで伝授す。今後、事業に成功せぬ者は、その十フランの支払えないもののみと言われよう、云々」この数行を印刷した新聞社は、ただで広告をのせるはずはないから、この有難い生命の泉の商人たる成功術の先生には、お客があるとみえる。
このことについて考えていたら、こんなことを思いついた。この先生はきっと本人が考えている以上に、上手なのにちがいあるまい、と。生命の泉は別として、他にかれはどんなことをするのだろうか。もしかれが、人々に少しでも確信を与えれば、それだけでたいしたものだ。それだけでも、かれのお客さんたちは、これまでは山のように動かせないと信じていた些細な困難にうちかてるようになることだろう。臆病が大きな障害なのだ。しかも、たいていは唯一の障害なのだ。
だが、それだけにとどまらない。わたしのみるところ、かれは、おそらく自分でもよくは気がつかないで、お客たちを、注意、反省、秩序、方法という方向に導いて行く。生命の泉を放射するのだなどという場合には、かならずなにびとか、あるいはなにものかを、患者に強く想像させることをするのだ。わたしの推定では、先生は少しずつ誘導して患者が注意を集中できるようにするに違いない。たったそれだけのことをして、かれは金をかせいだのだ。第一に、人々はこの方法によって自分自身のこと、自分の過去、自分の失敗、自分の疲労、自分の胃袋のことを考えないようになる。そうすれば、たちまち、それまで刻一刻と増大していた重荷から解放される。なんと多くの人々が、生命を空費していることだろう。第二に、かれらは自分の欲することと、周囲や人々のことをまじめに、またはっきりと考えられるようになる。よく夢のなかでするように、なにもかもごちゃまぜにしたり、どうどうめぐりしたりしなくなる。そのあとで成功がやってくることは、別におどろくにあたらない。偶然がこの先生に幸いして働くこともあるが、その点は今は問題にしない。反対に不運に働く偶然もあるわけなのだから。一般にだれもが自分には敵があると考えている。だが、そう思いこんでいるだけの話だ。人間はそんなぐあいにはできていない。むしろ、人が敵を養成するのが普通だ。それも味方を養成するより念入りに。あの男は自分に悪意を抱いている、などとあなたは考えている。かれの方では、そんなことをとっくに忘れてしまっているにちがいないのに。ところが、あなたの方では少しも忘れないでいる。ただあなたが、自分の気持を顔色に出すものだから、かれは自分の義務を思い出さざるをえないのだ。人間には、自分以外にはほとんど敵はいない。人間は、自分のまちがった判断や、杞憂や、絶望や、自分自身へ語りかける憂鬱な言葉などを武器として、自分が自分自身に対してつねに最大の敵なのである。ひとりの人間に向かって、ただ「あなたの運命はあなた次第だ」と言うだけで、じゅうぶん十フランの価値のある忠告だ。おまけに生命の泉までついている。
ソクラテスの時代には、周知のように、アポロのお告げをうけてきて、あらゆる事柄について助言を売る巫女のようなものがデルフォイにいた。ただし、神さまはわが生命の泉の商人よりも正直だったので、その秘訣を神殿の正面の壁に記した。だから、人が事態が自分に有利か不利かを知ろうとして運命のゆくえをたずねにきたときには、神殿のなかにはいるまえに、万人に役立つような深遠な信託を読みうるようになっていた。「汝自身を知れ」(一九〇九年一〇月二九日)
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六十八 楽観主義
畑のなかに迷いこんだうぶな女子寮の寮生たちが、だれかがやってくるのを見て、たいそう心配になって、こう言った。「どうか神さま、畑の番人でありませんように」わたしはこの実例を、というよりもこの愚の骨頂の見本を、なんども考えてみたあげくようやく深い理解に達した。たしかにこの場合は、すべてが混乱している。だが、より多く混乱しているのは、寮生たちの考えよりもむしろ、言葉の方なのだ。考えることよりしゃべることをさきに覚えたわれわれには、起こりがちなことである。
この逸話を思いだしたのは、じゅうぶんな教養をもったある人が、「このでっちあげの楽観主義、盲目的な期待、自己欺瞞」にたいして足を踏みならして、あからさまに反対したときであった。かれのいうのはアランのことだった。つまり、素朴で、まだ野蛮人に近いこのアランという哲学者は、たいへん明白な証拠があるにもかかわらず、次のようないいかげんなことを言うやつだ、というのだ。「人間というものはおのずから誠実で謙遜で、道理をわきまえた、愛情に富んだものである。平和と正義とは手に手をとりあってわれわれのところへやってくる。武人の徳が戦争をなくすだろう。選挙人はもっともふさわしい人をえらぶだろう」その他、なんの役にも立たない信心家のようななぐさめを言うやつだ、というのである。散歩にでかける男が玄関の敷居の上で「こんなに雲が出てきては、散歩がだいなしだ。雨が降らないでくれればいいが」と言うのと同じだ、それくらいなら、傘をもっていった方がいい。かれはこんなふうに嘲笑したのだ。わたしは一笑に付した。かれの理屈は、外見はたいへんりっぱらしくみえるが、その実は、厚みのない書割にすぎないからだ。そして、すでにわたしは、わが家の粗野ではあるが厚みのある壁を自分の手でさわっていたからだ。
未来には、ひとりでできる未来と、自分でつくる未来との二つがある。本物の未来はこの両方から成り立っている。嵐や日食のたぐいのように、ひとりでにできる未来に関しては、期待したところで、なんの役にも立ちはしない。知ること、そして冷静な目で観ることが必要だ。めがねの玉を拭くように、目の上の情念の湯気を拭かなければならぬ。それを強くわたしは要求するのだ。われわれが決して変容することのできない天空の事実は、知恵の大部分をなす諦めの精神と幾何学的精神とを、われわれに教えた。しかし、地上の事柄においては、勤勉な人間によっていかに多くの変化がもたらされたことか。火、麦、船、仕込まれた犬、馴らされた馬――もし知識が期待を殺してしまっていたのだったなら、人間は決してこういうものをうみだしはしなかったであろう。
とくに、信頼というものが重要な働きをしている人間社会そのものにあっては、わたし自身が他人を信頼しなければ、わたしは他人から信頼されないのである。自分で倒れそうだなと思えば、倒れるのだ。なにもできないなと思えば、ほんとになにもできないのだ。期待に欺かれるなと思えば、本当に期待に欺かれるのだ。この点に注意しなければならぬ。自分がお天気や嵐をつくり出すのだ。まず自分自身の内部に。それから自分の周囲、人間の世界に。絶望というものは、希望もそうだが、雲行きの変わるよりもはやく、人から人へと移って行くものだから。もし、わたしが信頼すれば、かれは正直となる。非難してかかれば、かれはわたしのものを盗む。人間はみんな、こちらの出方次第なのだ。期待というものは、平和や正義と同じく、人がつくりたいと思っているものを根拠としてその上に築かれるものだから、意志によってのみ保たれるのだ、ということをよく考えてみていただきたい。これに反して、絶望は現在あるものの力によって、うちたてられて、おのれ自身の手によって埋められるものだ。このように考えることによって、はじめて、宗教のなかから救い出すべきもの、そして宗教が失ったもの、すなわち美しい期待が救い出されるのである。(一九一三年一月二八日)
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六十九 解きほぐすことだ
ある人がきのうわたしのことを、「度しがたい楽観主義」と一言のもとにきめつけた。わたしは生まれつきの楽観主義者であって、そのために幸福であるが、しかし奇特な錯覚は真理として通用したためしがないのだ、という意味のことを、その言葉でもって表現しようとしているつもりなら、かれはたしかに誤解しているのだ。それは現にあるものと、そうあらしめたいと思うものを混同することだ。人間がそれに働きかける余地なしに自然におのずから存在するものを考えた場合には、悲観主義が真理である。人事の流れは、放置しておけばたちまち最悪のところまで行きつくからだ。たとえば、自分の不機嫌に身をまかせれば、やがて不幸になり、意地わるになる。これはわれわれの肉体の構造上さけがたいことである。われわれの肉体は、われわれが監視をやめ、統御の手をゆるめたら最後、あげて悪い方へ向かうようにできている。子供たちの集まりを見るがいい。規則のある遊戯でもしていないと、すぐさまめちゃくちゃな乱暴をしでかす。ここには、苛立ちはたちまち興奮となるという、生物学的法則が見事に見てとれる。ためしに、ごく小さな子供と手を打つ遊びをやってみるがいい。手を打つ行動そのものがうちだす熱気にあふれて子供はたちまちその遊びに夢中になることだろう。もう一つ。年のゆかぬ少年に話をさせてみるがいい。ほんのちょっとでいいからほめてやってみるがいい。かれは臆病さに打ちかつや否や、とんでもないことを言い出す。この教訓には、あなた自身が赤面しよう。それは万人にとってよい教訓であるが、同時に万人にとってにがい教訓でもあるのだから。だれでも自分自身を制御することを忘れて、お調子にのってしゃべり出せば、たちまち馬鹿なことを言いだし、あげくの果てには自分の性質をのろい、自分自身に絶望することになる。このことからおしはかって興奮した群集のことを想像してみるがいい。ありうるかぎりの馬鹿げた行動はもちろん、ありうるかぎりの害悪を行なうことだろう。この点は絶対にまちがいない。
だが、害悪というものを原因から理解している人は、決して呪わず、決して絶望しないことを学ぶであろう。どんな種類の事柄にせよ、はじめからうまくは行かないものだ。体操によって鍛え上げられていない肉体は何かというとすぐ熱狂して、絵であれ、剣術であれ、乗馬であれ、会話であれ、すべて狙いが狂ってしまい、まとを外すのがおちである。まったくおどろくほどである。悲観主義者に絶好の口実を与えるようにも見える。だが、物事は原因から理解しなければならないのだ。ここで考えねばならぬ肝心なことは、すべての筋肉の間の結びつきのことである。一つの筋肉が動き出すと、はじめこれと協力する筋肉だけというのではなくて、他のすべての筋肉を目ざめさせるように、筋肉と筋肉とは結びついているのだ。不器用な人はどんなささいな運動にも、全身の重みをかけてしまう。だが、たとえ釘一本打つだけのことでも、はじめはだれでも下手なものだ、しかし、訓練をかさねることによって身につけることのできる技倆は際限もなくうまくなるものだ。これは、あらゆる技芸、あらゆる手仕事が示していることだ。そして、身ぶりの軌跡に他ならないデッサンが、それが美しいものである場合には、なにものにもまして雄弁な証拠となろう。身体全体の重みのかかった気短な、苛立たしい手が、判断と物とに同時に服従したひかえ目で純化されたかろやかな線を描くことができるのだから。そして、怒鳴るあまりに喉をいためるその同じ人が、歌をうたいもするのだ。声帯という強く結びあわされている筋肉のたば、ふるえやまない筋肉のたば、だれもがこれを親から譲りうけているからである。必要なことは解きほぐすことである。これは、おいそれとは行かない。だれでも知ってのとおり、怒りと絶望とがうちかつべき第一の敵である。必要なことは信じ、期待し、微笑むことだ。そして、それとともに仕事をすること。こういうわけだから、人間の状態というものは、不屈の楽観主義を規則中の規則として採用しないと、やがてもっとも陰鬱な悲観主義が真実になるようにできているのである。(一九二一年一二月二七日)
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七十 忍耐
汽車に乗ろうとすると、きまって次のようなことを言って話しかけてくる人たちがいるものだ。≪×時でないと着きませんな、まったく長くてたいくつな旅行ですな!≫わるいことには、その人たちはそう信じこんでいるのだ。この点では≪まちがった判断をとりのぞけ。そうすれば害悪をとりのぞくことになる≫と言ったストア主義者エピクテトスの方が十倍も正しいだろう。
観点を変えさえすれば、汽車旅行だってもっとも生き生きした楽しみの一つだと考えられるようになるだろう。今、かりに、地平線のかなたに軸をもつ大きな車輪を廻すように、空の色や、大地の色、すれちがっては見えなくなる沿線の風物など、汽車の窓から見られるさまざまなものと同じものを見せてくれるパノラマが展開すれば、そういう光景が眼に入るならば、だれだってもっと早く見ておけばよかったなあと思うだろう。その上、もし発明家が、汽車の震動や旅行にともなうあらゆる物音までもそのパノラマと一緒に再現してくれたら、そのパノラマはもっともっと美しく見えることだろう。
ところで、今述べた驚異がすべて、汽車にのりさえすれば、すぐにでも、無料で手に入るのだ。さよう、無料でなのだ。なぜなら、あなたが払ったのは運賃なのであって、谷や川や山を見るための料金ではないからである。人生にはこういう生き生きとした楽しみがいくらでもある。しかも、一銭もかからないというのに、みんなそれを十分に楽しんでいないのだ。≪目をひらけ、楽しみを得よ≫と言うために、あらゆる国の言葉で、殆どいたるところに貼り紙をする必要があるだろう。
これに対して、あなたはこう答える。≪私は旅行者であって、観光客ではない。大切な仕事で、出来るだけはやく、あちこち飛び廻らねばならないのだ。わたしの頭はそのことで一杯だ。時計の針の動きと車輪の廻転だけが問題だ。どうして汽車というやつは止まったりするんだ。のろのろと荷物を押したりしているのんきな駅員なぞくそくらえだ。こっちは頭の中で自分の荷物を押している。列車も押している。時間まで押しているんだ。むちゃくちゃだと言われるかもしれないが、こっちに言わせれば、人間少しでも血の気がある限り、当然で、やむをえないことさ≫
もちろん、血の気があるのが悪いということではない。しかし、この地球上で勝利者となった動物たちは、一番怒りっぽい動物ではなかった。それは道理をわきまえた動物であり、情念をちょうどよい時のためにとっておく動物である。だから、恐ろしい剣の使い手とは、足で床をふみならし、行く先も知らずに出かけてゆくような人ではない。みちが開かれるのを待ち、燕のようにいきなりそこを通りぬける冷静な人のことである。同様に、行動することを学びたいのなら、列車を押すようなことはやめたまえ。あなたがそうしなくても列車のほうはちゃんと進むのだから。全宇宙を一まとめにして一つの瞬間から次の瞬間へと運ぶ、あの堂々と、落ち着いた時間を押したりしてはいけない。物事というものは、あなたがちらっと見てやりさえすれば、あなたをとらえ、あなたを運んでくれる。自分自身に対して親切であり、味方であることを学ぶべきだろう。(一九一〇年一二月一一日)
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七十一 親切
≪他人に満足するのは、なんとむずかしいことだろう!≫ラ・ブリュイエールのこのきびしい言葉だけで、もうわれわれは用心しなければならない。なぜなら、良識のみとめるところでは、だれでもが社会生活の現実の条件に適応しており、普通の人間を非難するのは正当ではないからだ。それは気狂じみた人間ぎらいだ。だから私は原因を探すことはしないし、入場料を払った以上楽しまなくては損だと考える観客のように、まわりの人間をじろじろながめたりはしない。それどころか、このむずかしい人生にはありがちなことを思い浮かべながら、まえもって最悪の事態を想定しておく。目の前で話している相手は、胃の調子が悪いか頭痛でもしているのだろうと考える。それとも、金銭上の心配があるのか、家の中がごたごたしているのだろうとも想像する。私は自分自身に言いきかせる。空模様が危なっかしいぞ、灰色と青のまじった三月の空だ。うす日が洩れてはいるが、春とはいっても北風がまだ冷たい。、そこで私は毛皮と雨傘を持ってでるのだ。
よろしい。だが、それについては次のことを考えたほうがもっとよい。つまり人間のこの不安定な肉体のことだ。人間の不安定な肉体はちょっとさわってもふるえ、なにかといえばかがみがちで、そのくせ少しのことで興奮し、姿勢や疲労や外界の作用に応じて、身ぶりを変え、違った話し方をする。ところが、本来ならば、この人間の肉体こそが、安定した感情や、敬意や、楽しい話題などを、お祝いの花束のように、私にもたらすはずなのである。私はそのお祝いを要求する権利があるように思えるのだ。ところが他人に対してはこんなに注意を払う私なのに、自分に対しては殆ど注意を払わない。機械的なみぶりをしたり、眉をひそめたり、自分でも気がつかない通信を発する。太陽の照りぐあい、風の吹きぐあいで、私の顔つきがかわる。こういうふうにして、私は、他人の中に見出してはびっくりするもの、つまり一個の人間を他人にさし出しているわけである。この一個の人間とは、とりもなおさず、精神という荷物を背負った動物であり、買かぶられすぎるかと思えば、全く認めてもらえないという羽目におちいったりするものなのだ。この動物は、一つのことを他人に知らせるにも十のことを知らせなければうまくいかず、それどころか、どれを知らせたらいいのかえらびきれなくなると、体全体まで使ってしまう。わたしは、そのごたごたの中から、採金家のように、小石や砂をふるい落とし、どんな小さな砂金でも見わけなければならないのだ。さがすのが私のつとめだ。ところが、だれでも、他人の言動をふるいにかけるように、自分の口から出る言葉をふるいにかけるわけにはいかない。だから、この場合、私は礼儀にしたがって行動する。さらに一歩を進めて、相手に大きな信用貸の口座を開く。鉱滓《かなくそ》の方はそのままにしておいて、相手の本心を期待するのだ。だが、ここで私は、ふつうあまり期待されない別の効果に注目する。武装し、髪を逆立てて突進してくる臆病者の心が、私が親切を示すことによって、たちまちときほぐされるのだ。簡単に言うと、雲のように往来する二つの気分のうち、一方がまず微笑することが必要なのである。もしあなたの方から微笑みかけないというなら、あなたは馬鹿者にすぎない。
どんな人間にだって、悪く言われたり、悪く思われたりするすきはいくらでもあるのだし、よく言われたり、よく思われたりする美点もいくらだってあるものだ。ところで、人間の本性は、他人の気分を害することなど少しも恐れないようにできている。勇気を与える興奮は、臆病のすぐあとにつづいているからだ。しかも、不愉快さを感じ始めると、事態はたちまちいっそう悪化するのだ。しかし、これらの事柄を理解したからには、そんなはめにおちいらないようにするのがあなたのつとめだ。次のことは思いがけない経験になるから、ぜひ一度やって見てほしい。他人の気分を直接に支配するのは、自分自身の気分を支配するより、ずっとらくなことだ。そして話相手の気分を慎重にとり扱うものは、そうすることで自分自身の気分に対する医者になる。会話においては、ダンスにおけると同様、めいめいが他人の鏡だからだ。(一九二二年四月八日)
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七十二 悪口
もし蓄音機が、あなたにむかって急に悪口を浴びせかけたとしたら、あなたは笑い出してしまうだろう。もし不機嫌な、でも殆ど口のきけない人がいて、自分の怒りのはけ口に悪口蓄音機をかけたとしたら、たまたま気にさわる悪口がきこえてきても、誰一人それが自分のことだとは考えないだろう。ところが、悪口が出てくるのが人間の顔からだと、それをきくものは誰でも、それがあらかじめ考えられたことばか、少なくともその瞬間に考えられた言葉だと思いたがる。人間の口から考えなしに飛び出す言葉に付随する情念や意味が、ほとんど必ずといってもよいほどまきちらす冗舌や余分な性質こそ、その感違いのもとになっているのだ。
デカルトが、その著作のなかでもっともすぐれた、そのわりにほとんど読まれることのない、あの『情念論』を書いたのは、いかにしてわれわれの機械が、その形や、折目正しい習慣によって、簡単に思考を欺くにいたるかということの説明にほかならなかった。現在においても事情は変わっていないが、それは次のことでもわかる。うんと怒っているとき、まずわれわれは自分の肉体的憤激にぴったりの無数の事柄を想像する。しかもこの憤激は激しければ激しいほどよいのだ。次に、これと同時に、調子の激しい、もっともらしい言葉をつくり出し、それが名優の演技のように、われわれの心を動かすのである。もし誰か他の人のまねをしてかっとなり、われわれに口返答でもしようものなら、それこそ一大悲劇だ。この場合、思考は、実はことばのあとを追うのであって、ことばに先立つのではない。演劇における真実とは、登場人物たちが自分の言ったことをたえず反省する、という点にあるに違いない。かれらのせりふは神託のようなもので、かれらはその意味を探しているのである。
仲のよい夫婦の間では、いらいらしている最中に思わず口をついて出た言葉が、この上なく滑稽になることがよくある。こういう思わず口をついて出る言葉の見事な即興性を楽しむことを学ばなければならない。ところが、たいていの人はこういう感情の自動作用をまるで知らない。かれらはホーマーの英雄たちのように、すべてを素朴に解釈する。そのため、想像上の、とよぶべき、憎悪をいだくことが生じる。わたしは、憎悪をいだく人の持つ確信の強さを感嘆するものだ。仲裁人は気狂いみたいにかっとなっている証人の言葉には、ほとんど耳をかさないものだ。だが、人間は訴訟ごとになったときには、たちまち自分自身を信じてしまう。なんでもかんでも信じてしまう。人間の誤謬のなかでもっとも驚くべきものの一つは、長い間かくしていた考えを怒りが吐き出すのを待っていることである。それは千に一度も本当のことがない。人間は、自分の考えていることをいいたければ、感情にはやるのを押さえなければならない。自明の理だ。にもかかわらず、相手のはっきりした応答を知りたいと思う誘惑や興奮や焦燥のあまり、そのことを忘れてしまうのである。スタンダールの『赤と黒』のなかで、ピラール神父が、その事情を見ぬいている。かれはその友人にいっている。「わたしは不機嫌になるたちだから、わたしたちはお互いに話しあうことをしなくなることも起こるかもしれない」これ以上率直なことはない。ああ、やれやれ。ええ、なんだって? もしもわたしの怒りが、蓄音機、というのは胆汁や胃袋や喉のことだが、この蓄音機のせいだとしたら、そしてまたわたしがそのことをよく心得ているのだとしたならば、怒りというこの下手な悲劇役者の長広舌のまっただなかで、口笛ふいたってわるかろうわけがないではないか。
まるで意味をもたない絶叫である呪詛は、人を傷つけて取りかえしのつかなくなる言葉を吐かないで、しかも怒りを爆発させるために、いわば本能的に発明されたものと考えるべきであろう。したがって、雑踏のなかでわめき散らすわが馭者たちは、自分ではそれと知らずに、哲学者なのである。ただし、こういう呪詛の言葉の空《から》だまのなかに、たまに、人を傷ける実弾があるのを見るのは、なかなか愉快だ。だれかがわたしにロシア語で悪口を言うことがあっても、わたしにはまるでわからない。だが、はからずもわたしがロシア語を知っていたとしたら、どうであろう。現実には、あらゆる悪口は、ちんぷんかんぷんなものだ。このことをよく理解することだ。つまり、悪口には理解しうべきものは何もないということを、よく理解することだ。(一九一三年一一月一七日)
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七十三 上機嫌
たまたま道徳論を書かなければならないとすれば、わたしは上機嫌ということを義務の第一におくだろう。悲しみは偉大で美しいとか、賢者は自分の墓を掘りながら死について瞑想すべきであるなどとわれわれに教えたのは、どんな残忍な宗教であるのか、わたしは知らない。十歳の時、わたしはラ・トラップス修道院を訪れたことがある。そこでわたしは修道士たちが毎日少しずつ墓を掘っているのを見たし、生者の教化のためにまる一週間も死体がおかれている葬儀用の祭壇も見た。この気の滅入るような光景や死体の臭いは、長いことわたしにまつわりついて離れなかった。まったくかれらは余計なまでに証しを立てようと望んでいた。わたしは、いつ、どんな理由でカトリックから離れたか、今は忘れてしまったので、はっきり言うことはできない。しかし、その時以来、わたしはこう思っている。「あれが人生の本当の秘密だなんてあり得ない」わたしは自分の全存在をあげて、これらの哀れっぽい坊さんたちに反抗したものだ。そして、病気から快復するように、かれらの宗教から解放された。
それにしても、影響のあとは残っている。だれにもそれはある。われわれは何かにつけて、またとるにたらぬようなことが原因で、すぐ愚痴をこぼす。そして、本当の苦痛を味わうような状況になると、それを示す義務があるかのように思いこんだりさえする。このことに関して、坊さん臭いまちがった判断が一般に行われている。泣き方のうまい人間はなんでも許されるようだ。したがって、掘った墓の上でどんな悲劇が演じられているかを見なければならない。弔辞をのべる者は、胸がはりさけんばかりの様子で、言葉がのどにつまってしまう。昔の人ならわれわれを憐れむことだろう。そしてこう考えるにちがいない、「なんということか。これではまったく、悲劇役者でしかない。悲しみと死の教師にすぎない」そして、野蛮な「|怒りの日《デイエス・イレ》」[死者のために歌うミサ祈祷書の冒頭の言葉]についてはどう思うだろうか。そこで歌われる讃歌は、悲劇に属するものとして受けいれないだろうと思う。「なぜなら」と言うにちがいない。「ひとを弱気にする受難の光景を傍観することができるのは、自分が苦しみのそとにいる時なのだ。それはそれで、わたしにとって一つのよい教えだ。しかし、本当の苦しみがわたしの身にふりかかる時には、わたしの義務はつぎのようにするだけだ。男らしい態度をとり、生命をしっかりとつかまえること。敵に直面する戦士のように、自分の意志と生命とを結びつけて不幸に立ち向かうこと。そして、死者についてはできるかぎり友情と喜びをもって語ること、以上のようなことである。ところが、かれらときたら、絶望の涙にくれるので、もし死者たちがこれを見たら、死者ちたの方が顔をあからめてしまうだろう」
そうだ、司祭たちの虚言をしりぞけた後に、われわれは毅然《きぜん》として生命を把握しなければならない。悲劇的に飾りたてた言いまわしによって、われわれ自身の心をひきさいたり、それを他人にまでおよぼして、その心をひきさいたりしないようにしなければならない。もっとよいことは、すべては互いに関連しているのだから、人生のさまざまな些細なわざわいに出あっても、その話をしたり、それを見せびらかしたり、誇張したりしないことだ。他人に対しても、自分自身に対しても親切であること。ひとの生きるのを助け、自分自身の生きるのを助けること、これこそ真の思いやりである。親切とは喜びである。愛とは喜びなのである。(一九〇九年一〇月一〇日)
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七十四 一つの治療法
入浴とか、灌水浴とか、食餌療法とかをみんながそれぞれ話しおえると、「わたしは」と、すぐに他のひとりが言った。「二週間いらい上機嫌療法というものをやっているが、それにたいへん満足している。人には、考えがとげとげしくなって、すべてをはげしく批判するような時があるものだ。他人にも、自分自身のうちにも、美しいものとか良いものとかはもうなにもないと思える時があるものだ。考えがこういう方向にむいた時には、つまり、上機嫌療法をする必要があるということを意味している。それは、この療法をやっていない場合には、あなた方に呪いの念をいだかせるような、いっさいの不運や、とりわけつまらぬ事柄に対して、上機嫌にふるまうことなのである。そうすると、坂道があなた方の脚をきたえるように、わずかな心配事が、逆にたいへん役にたつものとなる」
またもうひとりが言った、「非難しかえしたり、ぶつぶつ不平を言ったりするために集まるいやな連中がいる。普通のときは、人はかれらを避けるが、上機嫌療法では、反対にかれらを求める。かれらは室内体操に用いるエキスパンダーのようなものである。まずはじめに一番小さいものをひっぱってから、それから大きいのをひっぱることができるようになる。同じように、わたしは友人や知人を、不機嫌の順にならべて、次々に練習する。かれらがふだんよりも一段と気むずかしく、ことごとになにやかやと文句をつけているときには、わたしはこう考える。≪やあ、いい試験だぞ。わが心よ、はりきれ。さあ、あの不満をもっとあおってやれ≫」
さらに別のひとりが言った。「上機嫌療法に必要なかぎりでは、物事でもいい場合が多い。つまり悪い物事のことだが、こげついたシチュー、古くなったパン、光線、ほこり、払わねばならぬ勘定、底の見えた財布、こうしたことが貴重な練習の原因となる。人は、拳闘やフェンシングのときのように考える、≪すごい一撃がやってくるな。問題は、これを避けるか、まともに受けるかだ≫普通のときは、人は子供のように叫び出す。そして、叫ぶことが恥ずかしくなるので、ますます強く叫ぶようになる。ところが、上機嫌療法では、まったく違ったふうに事が運ぶ。人は当面した事柄を、気持のよいシャワーを浴びるように、受け入れる。身ぶるいし、一瞬肩をすくめ、それから、筋肉をのばして、これをしなやかにする。筋肉をぬれた下着のように、次々とぬぎすてる。すると、生命の奔流が堰《せき》をきった泉のように流れ出す。食欲がすすむ。洗濯ができて、さっぱりした生命の匂いがする。ところで、わたしの話はこれまでにしよう。あなた方は今、はればれした顔つきになっている。わたしの上機嫌療法にとって、あなた方はもうなんの役にもたたなくなっているのだから」(一九一一年九月二四日)
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七十五 精神の衛生
昨日、わたしはとやかくの意見にこだわっているある種の狂人に関する記事を読んでいたが、この連中は、事物をいつも同じ角度から眺めるあまり、ついには人に迫害されていると信じるようになり、やがては危険になって、閉じこめた方がよくなる人間たちである。これを読んでいて、わたしは悲しい思いにとらわれたが(狂人のことを考える以上に悲しいことがあるだろうか)、かつて耳にしたことのある、うまい答えを思い出した。ある賢者の前で、迫害妄想にとりつかれ、おまけにいつも足が冷えているという半狂人の話が出た時、賢者いわく、「血液循環の不足と、思考循環の不足が原因」この言葉はよく考えるだけの価値がある。
たしかに、われわれは誰しも、夢とか、イメージとイメージの間の滑稽な連想とかのように、気違いめいた考えをいくらでも持っている。つまずいてよろめくのは、とりわけ内心の言葉であり、これは発音されることがないため、しばしばわれわれを馬鹿げた観念のなかに投げこむ。ただ、われわれがそこにとどまっていないだけの話だ。正常の人間にあっては、羽虫のむれがとびまわるように、絶えず観念の変化がおこなわれている。そして、われわれは自分たちの狂気をすっかり忘れてしまうので、「何を考えているのですか」というごく単純と思える質問に、決して正確には答えられなくなってしまうようだ。この観念の循環からは、よく、なにかくだらぬ子供っぽいものの生まれることがある。それにしても、これは精神の健康そのものである。もし、どちらかひとつをえらばねばならないとすれば、わたしは、偏執的であるより、無頓着でありたいと願うものだ。
子供や大人《おとな》にものを教える人たちが、そのことについて十分に反省したことがあるかどうかわたしは知らない。かれらの言うところをきくと、要は、よく固まって、動かすにもどっしりと重いような観念をもつことにあるようだ。かれらは早くから、ばかばかしい記憶の練習によって、われわれをそのことに慣《なら》している。そして、われわれは一生の間、下手に詩句や内容空疎な格言を数珠つなぎにしてひきずり、一足ごとに、それにつまずいて行く。ついで、われわれはくどくどした連祷《れんとう》づきのなにかの専門にとじこめられている。噛み直すことを仕込まれる。こうしたことは、われわれが不機嫌になって、われわれの考えが苦味をおびるようになるや、年とともに危険になる。われわれは、詩のかたちで地理を暗誦するように、自分たちの悲しみを心のなかで暗誦するようになる。
これとは反対に、精神のしこりを解きほぐしてほしいものだ。わたしは衛生規則として、次の言葉をかかげたい、「同一の考えを決して二度と持つな」これに対して、憂|鬱《うつ》症患者は言うだろう。「わたしにはどうすることもできない。わたしの脳髄はこんなふうにできている。鬱血するほどいろいろ考えているのだから」それは明らかである。しかし、われわれはちょうど、脳髄をマッサージする方法を知っている。つまり、観念を変えさえすればいいのだ。これは、練習をつんでいればむずかしいことではない。脳髄を清めるための間違いない方法が二つある。一つは、自分のまわりを眺めて、さまざまな光景をシャワーのように浴びることだ。これは絶対にまちがいない。もう一つは、結果から原因にさかのぼることで、これは、憂鬱なイメージを追いはらう確実な手段である。なぜなら、一連の原因と結果が次々とわれわれを旅につれ出して、たちまち、とても遠いところまで行くからである。これは、神託にうかがいを立てるもう一つのやり方なのだ。ちょうど、どんな考えでピュティア〔アポロンの巫女《みこ》〕がわたしにむかってお前は行末守銭奴になるだろうと予言したのかと探索する代りに、いかにして彼女の口が、ほかの言葉ではなくて、むしろこの言葉を発したのかを、わたしが理解したいと思うようなものである。そこで、わたしは母音と子音を問題とすることになり、一方から他方へとわれわれを導く自然な傾斜に身をおくことになる。音声学のすべてが登場する。ある人が少しばかりぞっとする夢を見た。本当の原因というものは、ちょっとした不快事に結びついた知覚のなかにあることが多いので、それを探したらどうかと促したところ、かれはその気になって、いろいろな原因を仮定してみた。と、わたしには、かれがいやな夢から解放されているのがわかった。循環が快復したのである。(一九〇九年一〇月九日)
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七十六 母乳讃歌
わたしはデカルトのなかに、愛の情念は健康によく、反対に、憎しみは健康に悪いという観念があるのを発見する。よく知られているが、十分に親しまれていない観念だ。もっと正確に言えば、それはまったく信じられていないのだ。もし、デカルトがホメロスや聖書とほとんど同じくらい嘲笑を超えた存在でなかったら、人はこれを一笑に付すだろう。しかし、もし人間が、人間や行動や仕事などの一つにまざりあったものの中から、美しく、愛すべきものをいつも選び出して、憎しみから行なうことをすべて愛によって行なおうという気になれば、それはわずかな進歩というものではないだろう。それは、悪いものを衰退させるもっとも強力な手段である。要するに、悪い音楽を口笛でやじるより、よい音楽に拍手をおくる方がいいし、その方が一段と正しく、効果的なのだ。なぜか。愛とは生理的に強く、憎しみとは生理的に弱いからである。しかし、情念につかれた人間は、その特徴として、情念について書かれたことはただの一言も信じない。
したがって、原因から理解してかからねばならない。そして、わたしは、その原因についても、デカルトのなかに述べられているのを発見する。なぜなら、かれは次のように言っているからだ。われわれの最初の愛、もっとも古い愛は、十分な哺乳によって豊かになった血液、清らかな空気、やさしい熱、つまり乳呑児をそだてるすべてのものに対する愛でなくてなんであろう、と。われわれは幼い時代に、愛の言葉をまず愛そのものの中で学びとり、おいしい乳をうけいれる生命器官のあの運動、あの屈曲、あの甘美な調和によってそれを言い表わした。おいしいスープにうなずく首の運動も、最初の賛同とまったく同じようにして行なわれた。これとは反対に、熱すぎるスープに対しては、どんなに子供の頭と全身とがそれを拒絶するかをよく見るがいい。同じように、胃袋、心臓、身体全体が、有害なおそれのあるいっさいの植物を拒絶し、ついには、軽蔑、非難、嫌悪などのもっとも精力的でもっとも古い表現である嘔吐によって、これをもどしてしまう。そのゆえに、デカルトは、ホメロス的簡潔さで、憎しみはいかなる人間にあっても、消化をよくすることに反すると言っている。
このすばらしい考えは、おしひろげ、ふくらませることができる。それは、まったく使い古すことがなく、いつになっても限界がない。愛の最初の讃歌は、子供の全身によってうたわれた母乳への讃歌であった。子供はあらゆる手段をつくして、その貴重な栄養物をうけとり、抱きしめ、滋養分を吸いとるのだ。そして、この乳を吸うことの感激は、生理的に見て、世界におけるあらゆる感激の最初のモデルであり、かつ真のモデルである。接吻の最初の例が、乳呑児にあることを知らぬ人がいようか。人間はこの根本の敬愛心を些かも忘れることはない。今なお、十字架に接吻する。なぜなら、われわれの感情や意思の表示は、われわれの肉体に属さねばならないからである。同様に、呪いの身振りも、濁った空気をうけつけない肺臓や、すえた牛乳をもどす胃袋など、肉体のすべての防御組織がもっている昔からの身振りである。もし憎しみが料理に味をそえるなら、おお、いいかげんな読書家よ、きみはきみの食事からどんな利益を期待しうるのか。どうしてきみはデカルトの『情念論』を読まないのか。本当に、きみの本屋はそれがなんであるのかさえ知らないし、きみの心理学者も同じようにその本のことをあまり知らないのだ。読書の術《すべ》を心得ることがほとんどすべてである。(一九二四年一月二一日)
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七十七 友情
友情のなかには、すばらしい喜びがある。喜びが人に感染するものであることに注意すれば、このことは容易に理解される。わたしのいることが友人に対して少しでも本当の喜びを与えさえすれば、それだけで、こんどはわたしが、友人の喜びを見て一つの喜びを感じるようになる。このように、誰しも、人に与える喜びは自分に返ってくる。と同時に、喜びの宝庫が解放され、そして、二人してお互いに言う、「わたしは自分のなかに幸福をもっていたが、それをむだにしていたわけだ」
喜びの源泉は内部にある、ということではわたしの考えも同じだ。自分にも何事にも不満で、お互いに笑わせるためにくすぐりあっているような連中を見ることほど、悲しい気持になることはない。だが、満足している人間も、ひとりだけでいると、すぐに自分が満足していることを忘れてしまう、ということも言っておかなければならない。かれの喜びは、やがてことごとく眠りこんでしまう。一種の自失状態、ほとんど無感覚とも言うべきものがやってくる。内部の感情は外部の動きを必要とする。もし、ある暴君がわたしを投獄して、権力を尊敬することを教えようとしたら、わたしは健康法として、毎日ひとりっきりで笑うようにするだろう。わたしは脚を訓練するように、喜びを訓練するだろう。
ここに一束の乾いた小枝があるとする。見たところ土のように色あせている。そのままにしておけば、土になってしまうだろう。だが、それは太陽から奪った活力をかくしもっている。ほんの僅かな炎でも近づけてみたまえ。すると、たちまちぱちぱちと燃え出すだろう。ただ扉をゆさぶって、囚人の眠りをさましさえすればよかったのだ。
こういうわけで、喜びをめざますには、一種のきっかけが必要である。幼い子供がはじめて笑う時、その笑いはまったくなにも表していない。幸福だから笑うのではない。むしろ、笑うから幸福なのだとわたしは言いたい。笑うことが楽しみなのだ、食べることが楽しみであるように。実際、子供はまず食べなければならない。このことは笑いについてだけ真実なのではない。自分の考えを知るためには言葉も必要である。ひとりでいるかぎり、人は自分ではあり得ない。おろかなモラリストたちは、愛するとはおのれを忘れることだと言う。あまりにも単純な考えだ。人は自分から離れれば離れるほど、それだけ自分自身となる。それだけ自分の生きていることをよく感じるようにもなる。きみの薪を穴倉で腐らせてはいけない。(一九〇七年一二月二七日)
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七十八 優柔不断について
デカルトは、優柔不断は苦痛の最大なるものであると言った。かれは、なん度かそう言っているが、説明していない。わたしは、人間の本性を照らし出すこれ以上の明るい光を知らない。あらゆる情念、その不毛な運動のすべては、これによって説明される。運まかせの勝負事は、その力が魂の頂上にあるということはほとんど知られていないが、決断力を養うがゆえに、ひとに好まれる。それはいわば事物の本性に対する挑戦であり、すべてのものをほとんど平等において、われわれのちょっとした決断さえ限りなく育てる。賭けごとにおいては、すべては厳密に平等であり、そして選択しなければならない。この抽象的な危険は、反省を無視するようなものだ。思いきって決断しなければならないからである。賭けはただちに答える。そして、われわれの思考を毒する後悔はあり得ない。あり得ないのは、理由がないからである。知ることができないのがルールである以上、「もし知っていたら」などとは言えない。賭けごとが倦怠に対するただ一つの薬であることに、わたしは驚かない。なぜなら、倦怠とは、とりわけ、思案しても無駄だとよく知りながら、なお思案することだからである。
恋をして眠れないでいる男とか、失望した野心家とかが、なにを苦しんでいるのかを考えてみることができる。この種の苦痛は、例外なく肉体の中にあるということもできるが、例外なく思考の中にあるものなのだ。眠りを追いはらうこの心の動揺は、なにごとも決定せず、そのたびごとに肉体の中に投げこまれ、肉体を陸《おか》に上った魚のようにじたばたさせる、あの不決断からのみ生ずる。優柔不断の中には暴力がある。「よし、すべてを御破算《ごはさん》にしよう」ところが、思考がただちに妥協手段をあたえる。ああすべきか、こうすべきかさまざまな結果が考えられて、事態はいっこうに進展しない。現実の行動の利点は、はっきりきまらなかった考えは忘れられてしまうということ、適切に言えば、もう必要がなくなってしまうということである。だが、観念の中で行動するのは、なんの役にも立たない。すべてはもとの状態にとどまったままである。あらゆる行動には賭けがある。思考がその主題をきわめつくす前に、考えることを終えていなければならないからだ。
わたしはたびたび考えて来たが、はだかの、もっとも苦しい情念である恐怖は、言ってみれば、筋肉の優柔不断の感情である。行動を促されているのに、自分にはそれができないと感ずる。めまいは一段とよく洗い出された恐怖の素顔を見せる。というのも、この場合苦痛は、克服できない疑惑からのみ生ずるからだ。そして、人が恐怖に苦しむのは、いつでも、あまりにも精神的なことによる。たしかに、倦怠におけると同じように、この種の苦痛において一番いけないことは、自分はそこから抜け出せないと思ってしまうことである。自分を機械だと思い、自分を軽蔑する。デカルトの全思想は、さまざまな原因もその法も示されている。次の至上の判断のうちに集約されている。すなわち、武人の徳。そして、わたしには、デカルトが軍務に服そうとした気持が納得できる。テュレンヌ元帥[十七世紀半ばに活躍したフランスの将軍。計算された作戦と果敢な行動によって、武人の誉れが高い]はたえず行動を起こし、こうして優柔不断という病気をなおし、それを敵側に与えていた。
思想によって、デカルトはまったく同様である。大胆に思考し、つねに自己の命ずるところによって動いた。つねに決断を下していたわけである。幾何学者が優柔不断であったら、まことに滑稽なものだろう。それはきりがないのだから。一本の線には点がいくつあるのか。そして、二本の平行線を考える時、ひとは自分がなにを考えているのか知っているのか。しかし、幾何学者の天分はひとがそれを知っているものと決めて、その決定を少しも変えず、またあともどりもしないようにと、ただそれだけを心に誓うのだ。一つの理論には、よく見れば、定義され、誓われた誤謬以外のなにものもないだろう。この賭において、精神は力いっぱい、ただ決定したにすぎないものを、立証しているのだとは決して信じまいとする。ここに、決してなにものも信ずることなしに、つねに確信をもちうることの秘密がある。かれは決心した、というのはいい言葉だ。一語で、同時に「解決した」という意味をもっている[フランス語で、「決心する」という言葉には、また、「解決する」という意味があること]。(一九二四年八月一〇日)
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七十九 儀式
優柔不断が苦痛の最悪なものだとすれば、儀式、職務、衣裳、流行などが、この世の神々であるのは当然だと思う。すべての即興がひとを苛立たせるのは、別のどんなことをしたり、言ったりすることができるだろうかという考えよりも、むしろ、二つの行動が肉体の中で一つにまじりあっているということによるが、そのことが、われわれの従僕である筋肉を狂わせ、そして、たちまちその効果があらわれて、われわれの暴君である心臓を狂わせるのである。不意をうたれて驚き、行動を促される人間は病人である。したがって、気ままな状態は人間をよこしまにする。子供をみればわかる。かって気ままに遊びで粗暴にならないものはない。それについて、悪しき本能がいつも弓のように引きしぼられていて、法がそれを押さえているのだと考えたら、大きな誤りであろう。そうではなくて、法は人に好まれるものだ。これに反して、法の欠如はひとを不快にし、不決断によって苛立たせ、その結果とっぴな行動にかりたてるのである。はだかの人間は気違いめいている。衣裳はすでに一つの法であり、あらゆる法は衣裳のように人に好まれる。ルイ十四世は、側近の者たちに対して、驚くべき威光、一見不可解な威光をもっていた。それは、起伏《おきふし》、用便につけ、かれが定めた規律のすべてから生じたものであった。かれがこういう規律を課していたのは、権力をもっていたからだ、などと言ってはならない。そうではなく、逆に、かれ自身が規律であったから、権力をもっていたのだと言うべきである。側近の者たちはみな、いつもかれのなすべきことをおよそ知っていた。そこから、古代のエジプト的平和の観念が出てきたのである。
戦争には、ひとを不愉快にするすべてのものがある。だが、推論はここで誤りをおかす。人間は戦争の中にすぐに平和を見出すからである。わたしは、真の平和、われわれの皮膚の中に住む平和のことを言っている。だれしも、自分のなすべきことを知っている。理性が不幸を思い起こしても、それはむだなことで、少しもおそろしくない。理性はまた、歓喜をすっかり蔽《おお》うには至らない。だれしも、自分の運命であるきまりきった職務や、猶予のならぬ行動を思ってしまう。かれの思考はこぞってそこにかけつけ、肉体がそのあとを追う。そして、この同意がただちに人間的事態をつくりあげるが、台風を耐えしのぶように、これを耐えしのばなければならない。ひとは、権勢が非常に多くのものを手に入れるのに驚く。しかし、それは、まさに多くのものを要求するからこそ、多くのものを手に入れるのだ。優柔不断を実によくなおす修道僧の規律もこのようなものである。祈祷をすすめることはなんの意味もない。これこれの祈祷を、これこれの時間にせよと命じなければならない。権勢特有の知恵は、かならず、なんの理由もない、まったくそっけない命令を出すに至るものである。ほんのちょっとした理由さえあれば、たちどころに、二つはおろか無数の考えが生まれるだろう。たしかに、考えることは気持よいことである。しかし、考える楽しみは、決断する術《すべ》を代償とする。この人間の模範はデカルトにある。かれが従軍したのはひとの知るところだが、それは楽しみのためだったと言うことはできない。そうではなく、あまりにもかかわりの多い思考から抜け出す一つの方法として従軍したのである。
ひとは流行を笑いたがるようだが、流行とは、なにか非常にまじめなものなのだ。精神はこれを軽蔑する様子をするが、しかし、まずネクタイをつける。軍服と僧服は、ひとの心を落着かせる驚べき効果を見せる。それらは眠りの衣服である。心地よい怠惰、考えることなく行動するという、このもっとも心地よい怠惰の襞《ひだ》である。流行も同じ目的に向かうがまったく想像上のものである選択の喜びを与えてくれる。色彩はひとの心を惹きつけるが、選択を迫るので不安である。ここで苦痛が示されるとしても、それは芝居におけるように、薬をいっそうよく味わわせるためにすぎない。こういうことから、昨日は赤で安心できたものが、また青にもどったりする。要は意見の一致であり、この一致こそが流行を証明する。ここから、ひとを本当に美しくする心の平静が生まれる。なぜなら、黄色はあまり金髪に似あわず、緑色もあまり褐色の髪に似あわないというのは本当だからである。しかし、不安、羨望、後悔などのしかめっ面は、だれにも似あわないものだ。(一九二三年九月二六日)
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八十 新年
贈答品の時期になって、たくさんの贈り物のことを考えると、喜びよりも、悲しみが湧いてくる。あれこれ金勘定しないで新年を迎えるほど、だれだって金持ではないからである。いろいろな人から受けとったり、またいろいろなひとに贈るつまらぬ品物は、商人をもうけさせるものだが、こうしたつまらぬ贈り物について、心ひそかに嘆く者は少くないだろう。わたしにはまた、両親に多くの友人がいる少女が、年の暮にもらった最初の吸取紙を見ながら、「いいわ。吸取紙があつまるわ」と言っていた気持が理解できる。こういう贈り物熱の中には実は無関心があり、また抑制された怒りがある。義務はすべてを台無しにする。チョコレートは胃袋を重くするとともに、人間嫌いを育てる。かまうものか、早くひとにやってしまおう。早く食べてしまおう。ほんの瞬間のことにすぎないのだから。
まじめな話にもどろう。わたしはあなたに上機嫌であってほしいと願う。これこそ、贈ったりもらったりすべきものだろう。これこそ、すべてのひとを、そしてだれよりもまず贈り主を豊かにする本当の礼儀というものだ。この宝こそは、贈答によって増加するものだ。これは、街路沿いにも、電車の中にも、新聞売場にもまき散らすことができる。しかも、それによって微塵《みじん》も失われない。あなたがどこへ投げ捨てても、それは芽を出し、花をひらくだろう。どこかの四つ角で、馬車が何台か交錯すると、罵倒や悪口が乱れとぶ。馬は力いっぱいひっぱって、事態は自然と悪化する。困難とはすべてこうしたものだ。微笑し、自分の努力を考量し、掛声で右、左へとひっぱる怒りを少し和らげようとするならば、もつれを解きほごすのは容易なのだが、これとは逆に、実際は歯ぎしりして手綱のはしをひっぱるものだから、たちまち解きほぐすのはきわめて困難となってしまう。奥さんが歯ぎしりする。賄《まかな》い婦が歯ぎしりする。羊の股肉がこげる。そこで、けわしい言葉がとぶ。これらのプロメテウス[ギリシャ神話の神。天上の火を盗みゼウスの怒りにふれて、コーカサスの山の頂きに鎖でつながれた]がひとりのこらず解きはなたれ、自由になるためには、これという時に微笑しさえすればよかったのである。だが、ひとりとしてこんな簡単なことに気がつかない。だれもが、自分の首をしめる綱を強くひっぱろうとするのである。
共同生活は悪を繁殖させる。あなたがレストランに入るとする。隣の客に敵意のある視線を投げつける。メニューをじろっと見て、ボーイをにらむ。もうだめだ。不機嫌が一つの顔から他の顔に走る。と、すべてがあなたのまわりで衝突する。多分コップが割れることだろう。そして、その晩ボーイは妻君をなぐることだろう。不機嫌のこのメカニズムと伝わり易さをよく把握したまえ。そうすれば、あなたはもう魔法使いであり、喜びの授与者である。どこへ行っても、ひとに有難がられる神となる。ひとこと親切な言葉を言い、ひとこと親切に「有難う」と言いたまえ。冷淡な馬鹿者に対しても親切にすることだ。そうすれば、あなたはこの上機嫌の波のあとを追って、どんな小さな浜辺までも行きつけるだろう。ボーイはちがった調子で、料理はどうかとたずね、客たちは別の態度で椅子の間を通りすぎるだろう。こうして、上機嫌の波はあなたのまわりに広がり、すべてのものを、そしてあなた自身をも軽やかにするだろう。それには限りがない。しかし、出発点によく気をつけたまえ。一日にしても、一年にしても、はじめをよくしなければならない。この狭い通りはなんと騒がしいことか。なんと多くの不正、なんと多くの暴力があることか。血が流れる。裁判官に来てもらわねばなるまい。こうしたことはすべて、たった一人の馭者が慎重にふるまうだけで、かれの手のちょっとした動きで、避けることができたのだ。だから、よい馭者でありたまえ。馭者席にゆったり坐って、手綱さばきをしっかりさせたまえ。(一九一〇年一月八日)
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八十一 祈願
新年になって花ひらく祈りや願いはすべて徴《しるし》にすぎない。それはそれでよい。しかし、徴はたいへん重要である。人間は何千何百年もの間、あたかも全宇宙が雲や雷や鳥によって、人間のためにめぐまれた狩猟を願い、或いは不幸な旅を思っていたとでもいうかのように、徴にしたがって生きてきた。ところで、宇宙はつぎつぎとある一つの事柄だけを告知するにすぎないのだ。誤りはただ、この世界を、賛意か非難かを表わす人間の顔のように解釈したことであった。宇宙は意見をもっているかどうか、とすればどんな意見かと考える病気からは、われわれはほとんど回復している。しかし、われわれの同類は意見をもっているかどうか、とすればどんな意見かと考える病気からは、決して回復しないだろう。決して回復しないというのは、この意見というものは表明されるや否や、われわれの意見を根底から変えてしまうからである。
注目すべきことだが、ひとは、道理にささえられ、明瞭な言葉で表わされた意見に対しては、無言の意見に対するよりも強く抵抗するものだ。この第一の種類の意見である忠告というものは、多くの場合軽蔑しなければならないが、もう一方の意見は軽蔑することができない。これはわれわれをもっとひそかにとらえる。そして、どうやってとらえられるのかわからないので、われわれはそこから脱け出すことができない。おおっぴらになんでも非難すると言わんばかりの表情をした顔がある。こんな場合、できれば逃げ出すのがいい。なぜなら、人間は人間をまねなければならないものだし、わたしもまた、顔のしぐさによって、理解できないままに、非難を示さなければならなくなるからである。なにを非難するというのか。わたしにはまったくわからない。しかし、あの沈んだ顔色が、わたしの考えと企てのすべてを明らかにする。わたしは、これらの考え自体、企て自体の中に理由をさがす。わたしは理由をさがし、かならずそれを見つける。すべては複雑で、いたるところに危険があるからだ。そして、道を一つ横ぎるだけにしても、結局は行動し、危険をおかさなければならないので、わたしは自信なく、つまり、それほど元気もなく、のびのびしたところもないままに行動する。車にひかれるだろうと考える男は、その考えに助けられるのでなく、反対にそのために立ちすくんでしまうのだ。もっと時間がかかり、もっと複雑で、もっと不確実な事柄においては、敵意ある顔から受けとるこういう胸騒ぎの効果は、さらにいっそうはっきりしている。ある種の目つきは、つねにひとの心を呪縛《じゅばく》するものであろう。
話を礼儀の祝祭にもどすが、これは重要な祝祭である。だれもが、郵便配達夫がもってくる通知状をながめて、未来を案ずる時、どんなものになるかわからない今後の数週間、数ヵ月間が憂鬱な気分に染ってしまうのは、非常に悪いことだ。だから、だれもがその日にはよき予言者となり、友情の旗を掲げるがよいというのは、すぐれた規則である。風にひらめく旗は人間を楽しませることができる。かれは、他の人間や旗を掲げた人間の気分がどんなであったかを全然知らない。さらによいことには、ひとびとの顔にはっきりあらわれた喜びは、だれにとっても楽しい。それが、わたしのあまり知らない人たちの顔であれば、なおさらいい。その時、わたしは表情の意味をあれこれ考えないからだ。わたしはあるがままに表情をうけとる。それが一番いいのである。まったくのところ、陽気な表情は、それを示す本人を楽しい気持にする。まねることによって、こうした表情はいくらでも送りかえされてくるからである。われわれは、深く考えなくても、またどんなに愛情がなくても、表情には気をつけている。ここではだれもが乳母である。だれもが理解するためにまねのしぐさをはじめる。それによって子供たちを教育することになる。
この祝日は、あなたが欲すると否とにかかわらず、あなたにとって楽しいものとなろう。しかし、もしあなたがそれを欲するなら、そして、礼儀のもつ偉大な観念をいろいろと検討するならば、その時祝祭は本当にあなたのための祝祭となるだろう。なぜなら、あなたは表情によって考えをととのえながら、来るべき数ヵ月の間、毒された表情や、だれかの喜びを傷つけるような予想は一つとしてひとに示すまい、と強い決心をするにちがいないからである。こうして、まずあなたは、すべてのささいな不幸に対して強くなるだろう。その不幸はとるに足らぬものであるが、大げさに悲しげに言いたてるとかなり重大になるものなのだ。そして、あなたは、幸福を希望するそのことによって、ただちに幸福になるだろう。わたしがあなたに祈るのはそのことである。(一九二六年一二月二〇日)
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八十二 礼儀
礼儀を覚えるのはダンスを覚えるのと同じことだ。ダンスを知らない人は、むずかしいのは規則に通じそれにあわせて体を動かすことだ、とひとりぎめしている。しかしそれは物事をうわべだけでとらえた考え方で、固くならず、苦労なしに、したがってこわがらずに踊れればそれでよい。それと同じことで、礼儀の作法に通じることなどどうでもよいのだ。また、たとえ作法通りに振舞うとしても、それだけではまだ礼儀の入り口に立ったにすぎない。必要なのは、動きが正確でのびのびしており、固くなったりふるえたりしないことだ。ほんのちょっとした身ぶるいでも相手にはすぐわかるものだから。第一、相手を落ちつかせない礼儀などあるはずもない。
これまでにもしばしば気がついていたことだが、声の調子そのものからして無作法な人がいる。声楽の先生なら、のどが緊張しているし、肩も十分楽になっていない、とでもいうところだろう。肩の動き一つでさえ礼儀正しい好意を無作法なものにする。感情のこめすぎ、わざとらしい落着き、力のいれすぎ、みんないけない。フェンシングの先生が生徒に注意するきまり文句は≪力みすぎ≫だ。とすれば、フェンシングも一種の礼儀で、どんな礼儀にも容易に通じるものがある。乱暴や興奮を感じさせるものはすべて無作法だ。身ぶりだけでも十分だし、気配だけでも十分無作法に値する。無作法とは一種のこけおどしだともいえるだろう。そういうとき、しとやかな女性は身をかがめて保護を求める。力がうまく訓練されていないためにふるえる男性は、元気づいて興奮したら何を言い出すことだろう? だから大きな声で話をしてはいけないのだ。サロンで見かけるジョーレス[ジャン・ジョーレス、一八五八ー一九一四。政治家。フランス社会党の領袖の一人]は、他人の意見や習慣には無頓着で、ネクタイが曲がっていることなどしょっちゅうであった。しかしその声は、きくものに少しも強さを感じさせぬ歌うようなやさしさを帯びて、まるで礼儀そのものであった。思いもよらないことだ。なぜなら、彼の金属のようにひびく弁舌とライオンのような咆哮《ほうこう》とは、だれでもきいた覚えのあることだったからである。力は礼儀と矛盾するものではない。力は礼儀を飾りたてる。能力の上の能力だ。
無作法な男はひとりの時でも無作法だ。ほんの小さな動作にも力みすぎる。融通のきかない感情と、臆病という自己恐怖が感じられる。私は臆病な男が公開の席上で文法を論ずるのを聞いたときのことを覚えている。彼の口調はもっともはげしい憎悪の口調であった。そして、感情は病気よりも早く感染するものだから、もっとも無邪気な意見のなかに怒りがあるのを見つけても私は少しも驚かない。それは声のひびきそのものや、自分自身に対する無駄な努力のために拡大された、一種の恐怖にすぎないことがよくある。また狂信も元をただせば無作法であるかもしれぬ。なぜなら、たとえそのつもりがなくても、いったん口に出したことは、しまいには本人もそう思いこむものだからだ。してみると、狂信は臆病の結果ということになろう。自分の信念をうまく維持できないという恐怖である。最後には、恐怖にほとんどたえきれなくなって、自己および他人に対して怒りをぶちまけるに到る。この怒りがもっとも不安定な意見にでも恐ろしい力を与えるのだ。臆病者を観察したまえ。彼らがどのようにして決心するかをみたまえ。痙攣というものが奇妙な思考方法であることが分るだろう。いろいろと廻り道をしたが、これで、茶碗を手にすることがどのようにして人間を教化するかがはつきりしたことであろう。フェンシングの先生は、コーヒー茶碗の中でのスプーンのまわし方だけで、それ以上何も動かして見せなくてもフェンシングの腕前を判定してきた。(一九二二年二月六日)
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八十三 処世術
宮廷人の礼儀というものがあるが、感心したものではない。それどころか、これは決して礼儀ではないのだ。わどさらしいものはすべて礼儀のなかに入らないように思われる。例えば、真に礼儀正しい人間だったら、軽蔑すべき人間、たちの悪い人間を、容赦なく、乱暴なまでにとり扱うことができるだろう。これは決して無作法ではない。考えぬいたあげくの親切となるともう礼儀とはいえぬ。計算ずくのおせじも同じことだ。礼儀ということばがふさわしいのは、何気なくなされる行動、表現するつもりのないものを表現する行動に限るのである。
軽はずみな人、たとえば思いついたことをなんでも口に出す人、最初の感情におぼれる人、自分の経験したことがよく分りもしないうちから、驚き、嫌悪、よろこびなどを慎みもなく顔に出す人は、いずれも無作法な人間である。こういう人はたえず弁解しなければならないだろう。そういうつもりもなく、むしろ自分の意に反して他人をなやましたり、不安にさせてしまうからだ。
軽率な話をして、考えてもいなかったのに他人の気持を傷つけるのはつらいことだ。礼儀正しい人間は、その傷がとりかえしのつかなくなる前に、相手の不愉快を感じさりげなく方向を変える人である。しかし、言うべきことと言ってはならないこととをあらかじめ判断して、いいわるいがはっきりしない場合には主人役に話題のかじをとってもらう方が、なおいっそう礼儀正しいやり方だ。これはすべて、考えてもいなかったのに人を傷つけるようなことを避けるためである。なぜなら、危険な人物の急所をチクリとやることが必要だと判断する場合だったら、それはその判断する人の自由だからである。その場合、彼の行為はじつのところ道徳に属するもので、礼儀に属するものではないのだ。
無作法とは常に無器用ということである。相手に年齢を思い出させるのはたちの悪いことだ。しかし、そのつもりがなくて、身ぶりか顔つきで、またはなにげない話でそうしたとすれば、それはたちが悪いのではなく無作法だ。おなじく、人の足を踏みつけた場合、わざとしたのなら暴力だし、知らずにしたのなら無作法だ。無作法とはすべて思いがけない跳弾《はねだま》である。礼儀正しい人はそれを避ける。触れるとすれば進んで触れるのだ。触れた方がいい時に触れるのである。礼儀正しさ必ずしもへつらいを意味しない。
したがって、礼儀とは習慣であり、気楽さである。無作法な人間とは、装飾皿とまちがえて食器皿かがらくたを壁にかけるのと同じく、したいと思うことと別なことをする人のことである。つまり、言いたいことと別なことを言う人、ぶっきら棒な口調や、不必要に大きな声や、ためらいや、早口やのために、伝えたいこととは別なことを伝える人のことである。だから、礼儀はフェンシングと同じく、習って身につけることが出来るものだ。気どり屋とは、わけもわからずわどさ大げさに物事を伝える人間である。臆病者とは、気どるまいと心掛けてはいても、行為や言葉を重大に考えるためにどうしたらいいかわからない人間である。その結果、御存知のように、行動や話を中止しようとして、緊張し、固くなる。自分自身に対する異常な努力の結果、声はふるえ、汗をかき、顔を赤らめ、ふだんよりもっと無器用になってしまう。これとは逆に、優雅さとは、言葉の上からも、動作の上からも、他人を不安がらせず、傷つけもしない幸福の一形態である。そして、こういう長所は幸福全体にとって大いに重要である。処世術はこれらの長所を見逃してはならない。(一九一一年三月二一日)
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八十四 喜ばせる
私は、教える必要ありと思われる≪処世術≫について話してきた。もしよければ、それに≪喜ばせる≫という規則をつけ加えようと思う。この規則はある人から私に提案されたものだが、この人は私の知るところによれば、生々とした活力にあふれ、自己の性格を改造した人である。こういう規則はちょっときいただけでは人を驚かす。だいたい喜ばせるといっても、それは人を嘘つきにし、おべっかつかいに、宮廷人にすることではないのか? この規則をよく理解しよう。虚言や卑劣さ抜きで行ない得る場合に限って喜ばせることを問題にしているのだ。ところで、われわれにとって、これはほとんどどんな場合にでも可能なのである。耳障りな声で、顔を真赤にして、不愉快な真実を言う場合には、それは単なる気分の動揺である。手当のしようもない単なる発作だ。後になって勇気を出せばよかったと思っても無駄である。思い切ってやってみるか、それよりもまず、決断でもしない限りは、それは恐らく出来ない相談だろう。ここから、次の道徳律を引き出そうと思う。≪はっきりと心に決め、それも自分より力の強い人間に関する場合に限ってのみ尊大であれ≫しかし、声をはりあげずに真実を語り、またその場合でも、ほめるに値するものを更にえらんで口にすることの方が、恐らくはよりよいことであろう。
どんなものにでも、たいていはほめることがあるものだ。なぜなら、真の動機はわれわれにはいつだってわからないし、それに、卑怯であるというよりは穏健なのだとか、用心深いというよりは友情なのだとか考えた所で、別にどうということはないからである。とくに、若い人たちに対しては、想像にすぎない事柄については、すべてを最上に解釈させ、自分自身については、その見事な肖像をつくらせるがよい。かれらは自分がそういうものだと思いこむだろう。じきにそういうものになるだろう。これに反して、あらさがしは何の役にも立たない。例えば、詩人の場合は、かれの最も美しい詩を覚えていてはなしてやるがよい。政治家の場合は、彼の犯さなかった罪をすべて指摘して、彼をほめてやるがよい。
ここで私は、幼稚園に関するある話を思い出す。それまでは悪ふざけや落書ばかりしていたほんの小さな腕白小僧が、ある日のこと、三分の一頁ばかりきちんと習字を書いた。先生が机の間を廻っていい点をつけていた。ところが、せっかくの三分の一頁の労作に対しては先生が見むきもしなかたので、この腕白小僧は≪へ、いいや、おれ……そんなら!≫といった。かれはまったく露骨にこの言葉を口にした。なぜなら、この幼稚園はサン・ジェルマンのような高級住宅地になかったからだ。これをきいて、先生は彼の所に戻り、何もいわずにいい点をつけてくれた。もっとも習字に対してであって、ことばづかいに対してではなかった。
しかし、今の例は、むずかしい場合の一例である。いつでも、ためらうことなく、ほほえんだり、礼儀正しく親切にふるまえるケースだって他にたくさんある。大ぜいのなかでちょっとおされたような場合、笑ってすませるようにしておきたまえ。笑いは押し合いを解消する。なぜなら、だれでもかっとなったことを恥ずかしく思うからだ。そしてあなたの方も、本当に怒り出さず、つまり、ちょっとした病気にならずにすむことだろう。
以上のように、わたしは礼儀というものを考えたい。それはさまざまな感情に対する体操に他ならない。礼儀正しいとは、あらゆる身ぶり、あらゆる言葉をつかって、つぎのように言ったり、表現したりすることである。≪いらいらするな。人生の今の瞬間をだいなしにするな≫。ところで、これは福音書的善良さだろうか? そうではない。そこまでいうつもりはない。善良さは思いやりを欠いて人をはずかしめることがある。真の礼儀は、むしろ、人から人へ伝わって行くよろこびの中にある。このよろこびがすべての摩擦を和らげてくれるのだ。そして、この意味の礼儀はほとんど教えられていない。いわゆる社交界で、腰の低い人はたくさん見たが、礼儀正しい人は一度も見たことがない。(一九一一年三月八日)
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八十五 医師プラトン
体操と音楽とが医師プラトンの二大療法だった。体操とは、筋肉が自分で行なう適度の訓練のことで、その目的はそれぞれの形に応じた内部からの伸縮である。調子の悪い筋肉は、ほこりのつもった海綿に似ている。筋肉を掃除するのも海綿を掃除するのと同じで、水でふくらませ、何度も押してみる。生理学者たちは、心臓は中空の筋肉のことだと何度もいっている。しかし、その筋肉の収縮と弛緩によって交互に圧縮したり膨張したりする血管叢をふくんでいるから、各々の筋肉が一種の海綿状の心臓で、その動き、つまり貴重な源泉は、意志によって調整できるといっても差し支えあるまい。ここからわかることだが、体操によって筋肉を支配し得ない人たち、つまりいわゆる臆病者たちは、自分のなかに血行の乱れを感じる。この乱れた血液が柔らかい部分に運ばれると、理由もなく顔が赤くなったり、圧力の高い血液が脳を侵して、しばしの錯乱状態をひきおこす。さらに、よく知られたことだが、内臓が水びたしになったような不快感をおぼえさせる。こういう症状に対しては、筋肉の規則正しい運動は間違いなく最善の療法である。そしてこの場合に、音楽がダンスの教師という形をとってあらわれるのが見られる。この教師は、安ヴァイオリンで血液の循環を最高に調整する。こうして、周知のように、ダンスは臆病もなおすが、もっと別の方法で、つまり筋肉をゆったりとなめらかにのばすことで、心臓を楽にする。
最近、ある頭痛持ちが、食事の間は咀嚼の運動で痛みがたちまち軽くなると話してくれた。わたしは彼に言った。≪それならアメリカ人のまねをして、チューインガムを噛んだらいい≫。もっとも彼がその通りにしたかどうかは知らないが。苦痛はじきにわれわれを現実ばなれした考えの中に投げこむ。われわれは、苦痛のあるところ直ちに不幸を想像するが、この不幸はわれわれの皮膚の下にもぐりこんだ空想的なものであり、魔法によってでも追い払いたくなるしろものだ。われわれには本当らしく思えないのだが、筋肉の規則正しい運動が噛みついた怪物即ち苦痛を消すのである。しかし、普通は、噛みついた怪物もいなければ、それらしいものもいないのだ。それは間違った比喩である。片足で長い間立ってみるとよい。激しい苦痛を生じさせるためにも、その苦痛をなくすためにも、どちらも大した変化を必要としないことが確かめられるだろう。あらゆる場合に、そういってわるければ、殆どの場合に、ダンスに類するものを発見することがかんじんなのだ。筋肉をのばし、のびのびとあくびをすることが幸福なのは誰でもよく知っている。しかし、体操によってそれをやって見ようとまでは考えつかない。しかもこの楽にしてくれる運動がそこから始まろうというのに。眠れない人たちは眠気やのびをするたのしさをまねるべきであろう。ところが、かれらは全く反対に、焦燥、不安、憤怒をよそおう。ここに常にきびしく罰せられる傲慢の根源が存する。それだからこそ私は、ヒポクラテス[紀元前五世紀の医聖。冷静、綿密な病人観察の記録をのこした]にならって、真の節制について述べようと試みるのだ。真の節制は衛生の妹であり、体操と音楽の娘である。(一九二二年二月四日)
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八十六 健康法
普通、心が平静だからといって一銭にもなりはしないが、健康にいいことはたしかだ。幸福であってもだれの目にもとまらない人もいる。栄光がその人を探しにくるのは死後四十年もたってからのことだろう。しかし、羨望よりも身近にいて、かつそれよりもはるかに恐ろしいあの病気というものに対しては、幸福が最良の武器である。にもかかわらず、悲しんでいる人は、幸福が結果であって原因ではないなどとけちをつける。この考えは単純すぎる。力があるから体操が好きになる。しかし、好きでやるから力がつくともいえるのだ。要するに、こう言ってよければ、内臓にはたしかに二通りの働きがあり、一つは挌闘や排泄に味方し、もう一つは逆に当人の首をしめ中毒させる。おそらく、指をひろげるようには自己の内臓をのばしたりちぢめたりは出来ないだろうが、喜びが内臓のよい働きの明らかなしるしである以上、喜びを志向する思想は、すべて同様に健康に向いていると断言出来る。
それでは病気の時でも喜んでいなくてはならないのか? だがそれは馬鹿げてもいるし、出来はしない、とあなたは言うだろう。待ちたまえ。軍隊生活は弾丸だけは別として健康によいとよく言われる。私にはその間の事情がよくわかる。なにしろ三年間というもの、朝露の中を三べんほどまわって、ちょっとの物音にも自分の穴に逃げ帰る、あの野兎と同じ生活を送ったことがあるのだ。疲労と眠気の外には何一つ感じない三年間をだ。ところで、当時私は当世風の胃を所有していて、すわったきりで考え事をする人間にありがちの持病を、二十代以来背負いこんでいた。体の調子がよくなったのも、田舎の空気と活動的生活のおかげだとあっさり片付けられないが、私には別の原因がわかっている。ある日のこと、一人の歩兵伍長が幸福を絵にかいたような顔をして私の壕にやってきた。彼は以前≪おれたちはもうこわくない。危険しかないのだから≫といっていた男だが、その時はこう言ったものだ。≪とうとう病気になったぞ。熱がある。軍医がそう言ったのさ。明日また診てもらうんだ。きっとチフスの熱だぜ。立ってられないくらいだ。目の前がぐるぐる廻ってら。やっとこれで病院行きだ。二年半も泥んこの中にいたんだ、これ位のご利益《りやく》にもありつけるってものさ≫。しかし、私には、喜びが彼の病気をなおしつつあることがよくわかっていた。あくるひ、熱はすっかりひいて、彼はフリレー[ナンシー地区。一九一四年九月ヴェルダン攻防戦の一環としてここでドイツ軍とたたかいが行なわれた]の気持よい廃墟を素通りして、これまでよりもっと悪い戦線に移動したというわけだ。
病気であることは過失ではない。規則違反だとか、不名誉だなどと文句をつけることは出来ない。自分の体に病気の兆候をひそかに見つけて、たとえそれが命にかかわるものであったにせよ、有頂天にならなかった兵士がいるだろうか? 人間あまりにも苦しい時には、病気で死ぬのが楽しいと考えるようになるものだ。こういう考え方は、どの病気に対しても十分強力である。喜びは最良の医者よりもずっと上手に、肉体をその内部において処理する。万事を悪化させるのは、病気になるという心配ではない。神の恩寵として死を待っていたという隠者たちの話が本当だとすれば、彼らが百歳の齢を保ったときいても私は驚かないだろう。何に対しても関心を持たなくなった老人がそれでもなお生きつづけることに我々は感心させられるものだが、その原因は彼らがもはや死の恐怖を感じていない所におそらくはあるのだろう。このことは常に理解しておく価値がある。騎手を落馬させるのが恐怖からくるぎこちなさによることが理解しておく価値があるのと同じである。世の中には、偉大にして強力な策略となりうる無頓着《むとんじゃく》というものがある。(一九二二年九月二八日)
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八十七 勝利
人が幸福を探しはじめるや否や、その人は幸福を見つけられない運命におちいるが、このことには何の不思議もない。幸福は、あのショーウィンドーのなかの品物と違って、えらび出し、代金を払い、家に持って帰ることの出来るものではない。品物の場合は、よく品定めさえすれば、ショーウィンドーの中にある時も、家に帰ってからも、青は青であり、赤は赤であろう。ところが幸福は、あなたがしっかり手につかんで始めて幸福となる。世の中に、あなたの外部にそれを求めるなら、幸福は決してどこにも姿をあらわさないだろう。要するに、幸福については推測も予見も不可能なのだ。現に持っていることが肝心なのだ。未来に幸福があるように思われるときには、よく考えてみるがいい。それはつまり、あなたはすでに幸福を持っていることなのだ。期待をもつということ、これは幸福であるということだ。
詩人たちは物事をうまく説明できないことがよくあるが、私にはその理由がよくわかっている。詩人たちは音節の数や韻をあわせるのに苦しむあまり、ありふれたことしか言えなくなってしまうのだ。彼らに言わせれば、幸福ははるか未来にある間は光り輝いているが、手にしてみるともう少しもいい所がなくなっている。まるで虹をつかまえたり、手のひらに泉の水をすくおうとするのと同じなのだそうである。しかし、この表現はお粗末だ。幸福のあとを追うなどというのは、言葉の綾でしかない。そして、自分たちのまわりに幸福を探し求める人たちを特に悲しませることは、幸福でありたいとは考えられなくなっている証拠なのだ。私がブリッジ遊びをする気にならないのは、私がその遊びを知らないからだ。ボクシングやフェンシングついても同じことである。音楽についても同様で、まずいくつかの困難をのりこえた人がはじめてその面白みを知る。読書についても同じことが言える。バルザックをきわめるには勇気が必要だ。まず退屈するからである。怠惰な読者の態度はとても面白い。パラパラと頁をめくる。何行か読む。本を投げ出す。読書の幸福は、なれた読書家でもびっくりするほど予知しがたいものだ。学問は遠くから見ていては面白いものではない。一歩踏みこむことが必要だ。そして最初には強制が、一貫しては障害が、必要である。規則正しい努力と相つぐ勝利こそおそらくは幸福の公式なのだろう。そして、トランプ遊び、音楽、戦争などのように、共同作業である場合、幸福が生き生きとしてくるのはまさにそういう時である。
しかし、孤独な幸福もある。これにも行動、努力、勝利といった同じトレードマークがつきものだ。けちんぼの幸福、収集家の幸福がそれだが、この両者の間には、お互に更によく似た所がある。けちんぼが古い金貨に執着するようになると特にそうなのだが、けちであることが悪徳とみなされるのに、七宝や象牙や絵画や稀覯《きこう》本などをガラス戸棚にならべる人の方はかえって感心されるのはどういうわけなのだろう? 金貨を他の楽しみと交換しようとしないけちんぼは嘲笑されるが、汚すことを恐れて決して本を読まない書籍収集家だっているのだ。実のところ、こういう幸福でも、他の幸福と同じく、はなれては味わえないものなのだ。切手が好きなのはそれを集めている人だが、私には切手のことは何一つわからない。同様に、ボクシングが好きなのはボクサーで、猟が好きなのは狩猟家で、政治が好きなのは政治家だ。自由な行動の中ではじめて人間は幸福なのだ。安心して幸福でいられるのは規則のおかげである。サッカーの場合でも、学問研究の場合でも、要するに規律のおかげである。そしてこういう義務というもはの遠くからみると面白くない。それどころか不愉快でさえある。幸福とは求めなかった人たちのところへやってくる報酬である。(一九一一年三月一八日)
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八十八 詩人
ゲーテとシラーの往復書簡に見られる二人の友情は美しいものだ。お互いに相手に対して、一方の人間の性質が相手の性質が期待し得る援助だけを与えている。それは、一方の人間が相手の性質を確認し、相手に対して自己に忠実であることだけを要求することである。人間をあるがままに受けとることは大したことではない。どんな場合でもそこに到達するにきまっているのだ。しかし、あるがままであってほしいと願うこと、ここにこそ真実の愛がある。だからこの二人は、それぞれ自分の探求精神を発揮して、少なくとも次のことを二人とも見たわけである。即ち、差異は美しいということ、物事のねうちというものはバラから馬へというふうにならべられるのではなく、一つのバラから別の美しいバラへ、一頭の馬からへ別の美しい馬へというふうにならべられるということである。趣味は論じるべきでない、とはよくいわれることばだが、どちらがバラをえらび、どちらが馬をえらぶかということについてならば、そう言ってもよい。しかし、美しいバラとはなにか、美しい馬とはなにかということについては、議論してもかまわない。意見の一致点を見出すことも出来るのだから。ところが、今の例は、まちがってはいないがまだ抽象的である。なぜなら、今の例は、まだ、人類すなわちわれわれ、そしてわれわれの欲望に従属しているからだ。絵よりも音楽の方がいいと弁護するものはいないだろう。しかし、原画と模写について、原画の方には自発的に展開された自由な資質のしるしが見られるが、模写の方には奴隷的痕跡と外からの観念にもとづく展開が見られる、というふうに議論するのは無駄ではない。わが二人の詩人は、手紙にこそ書きつけなかったが、こういう差異は内心感じていたに違いない。感心すべきことは、この二人が互いに議論し合い、またしばしば完全とか理想とかについて話し合いながら、相手の本質を片時も見失わなかったということだ。それぞれ相手に忠告を与え、口うらを合わせたように≪僕ならこうしたろう≫と語るのである。しかし、それと同時に、どちらも相手に対する忠告が相手にとって無に等しいことを確信している。そして忠告を受ける方は受ける方で、我が道を行くことを心にきめ、忠告を相手にきっぱりと送り返すことをもってその答えとしている。
私は思うのだが、詩人やすべての芸術家は、幸福というものによって、自分に出来ることと出来ないこととを知らされる。というのは、アリストテレスも言っているように、幸福は能力のしるしだからだ。しかし、この規則の適用されるのは、私の考えによれば、芸術家に限ったことはない。たいくつした人間ほどこの世で恐ろしいものはない。意地が悪いといわれる人たちはだれでも、退屈することによって不満なのだ。意地が悪いから不満なのではない。むしろ、どこへ行こうとたいくつしていることこそ、彼らが自己完成を展開せずして、盲目的かつ機械的原因にしたがって行動していることの証拠である。それに、もっとも深刻な不幸と、もっとも純粋な邪悪とを同時に表現するものは、猛り狂う狂人以外おそらくこの世には存在しないだろう。しかしながら、いわゆる意地の悪い連中のなかに、いやわれわれ一人一人の中においても、間違ったところ、機械的なところと同時に、奴隷の狂暴さが見られる。これに反して、幸福によって作られたものは美しい。芸術作品がはっきりとこのことを証明している。顔つき一つを見て、あの人は幸福だ、などと断言されることがある。しかし、すべてよい行動はそれ自体美しく、人間の顔も美しくするのである。ところで、いつでも、美しい顔が嫌われることはない。この点から推測すれば、完璧なものは決して相互に衝突するものではなく、不完全さや悪徳こそ闘い合うものなのだ。恐怖がそのいちじるしい例である。だからこそ、暴君や臆病者のお手のものである束縛というやり方は、私にとっては本質的にばかげており、あらゆる愚行の母であるように思われるのだ。束縛をときほどけ、解放せよ、そして恐れるな。自由人は武装から開放されているものだ。(一九二三年九月一二日)
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八十九 幸福は美徳である
外套ぐらいにしかわれわれ自身にかかわりのない幸福がある。遺産相続とか、富くじにあたるとかのたぐいである。名誉もこの同類である。得ようとして得られるものではないのだから。しかし、われわれ自身の力に依存する幸福は、これに反して、われわれと一体になっている。羊毛が緋色に染まる以上に、幸福はわれわれの体を染める。難船から逃れてまるはだかで陸に上り、≪わしは全財産を身につけている≫といった古代の賢人がいる。こういうぐあいに、ワグナーはその音楽を、ミケランジェロはその描き得た崇高な画像の一切を、身につけていたのである。ボクサーも、彼の拳や脚の練習のすべての効果を、冠や金銭をもつのとは別なふうに身につけている。もっとも金の持ち方にもいろいろあって、いわゆる金もうけのうまい人は、無一文になった時でも、自分自身という金をまだもっているのである。
昔の賢人たちは幸福を求めた。隣人の幸福ではなく自分自身の幸福を。今日の賢人たちは、自分自身の幸福は求めるに足る高貴なものでないと口をそろえて説く。中には美徳は幸福を侮蔑するとまで無理をして言うものもあるが、言うだけなら別にむずかしいことでもない。共同の幸福こそ自分自身の幸福の真の源泉だと教えるものもいるが、これこそおそらくもっとも中味のない意見だろう。なぜなら、まわりの人たちに幸福を注ぎこむのは、穴のあいた革袋に注ぎこむのと同じように、これほどむだな作業はないからである。わたしの見たところでは、自分自身にたいくつしている連中を楽しませることなどできはしない。逆に、物欲しそうな顔をしていない人たちにこそ、何かを与えることができるのだ。たとえば、すでに音楽家になっている人には音楽を与えることができるように。要するに、砂漠に種をまいてもむだだということだが、私はこのことをよく考えてみて、何も持たぬものは受け取ることもできぬ、と断ずる。種蒔く人の有名なたとえ話[新約聖書、マタイ伝第十三章に、「それ誰にても、もてる人は与えられていよいよ豊ならん。されどもたぬ人は、そのもてる物をもとらるべし」とある。同じたとえはマルコ伝第四章、ルカ伝第八章にもある]を納得できたような気がする。それゆえ、力をもち、自分だけで幸福な人は、他人によっていっそう幸福になり、力をもつようになろう。なるほど、幸福な人たちは、上手に幸福を取り引きし、上手に交換をするだろう。しかし、幸福を与えるためには、自分のなかに幸福をもっていなければならない。そして、幸福になろうと決心した人は、こんどこそこういう方面をながめねばならぬ。そうすれば、何の役にもたたない愛し方などしないですむのだ。
だから、私の意見では、内なる幸福、自分自身の幸福とは、徳に反するどころか、むしろ、力を意味するこの徳《ヴェルテュ》という美しい言葉が示しているように、それ自体が美徳なのである。なぜなら、完全な意味でもっとも幸福な人とは、着物を投げ捨てるように、別の幸福を船外に適切に投げ捨てる人であることは、全く明らかだからだ。だが彼は自分の真の宝物は決して投げ捨てないし、またそういうことはできるものでもない。突撃する歩兵や、墜落する飛行士でさえも、そういうことはできない。彼らの内心の幸福は、自身の生命と同じく彼ら自身にしっかりと釘で打ちつけられている。彼らは、武器によって闘うように、幸福によって闘う。倒れようとする英雄にも幸福はあるとの言もここから来ている。しかし、この場合は、本来スピノザのものである次の表現にあらためて言うべきである。すなわち、彼らが幸福であったのは、祖国のために死んだからではない。それどころか、反対に、彼らが幸福であったからこそ死ぬ力を持ち合せていたのだ。万霊節の花輪がこういうふうに作られんことを。(一九二二年一一月五日)
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九十 幸福は寛大であること
幸福たらんと欲し、それに身を入れることが必要である。幸福に道をあけ、戸口をひらいたまま、公平な観客の立場にとどまっているなら、入ってくるのは悲しみであろう。悲観主義の本質は、単純な不機嫌もほおっておけば悲しみやいらだちに変る、という点にある。なにもしていない子供を見ていれば、それはわかる。子供はじっとなどしていない。遊びの魅力というものはこの年齢の子供にとっては大へん強いもので、飢えや渇きをよびさます果物どころではない。しかし、わたしの見るところ、そこにあるのはむしろ、遊戯によって幸福たろうとする意志である。もっともこれは子供たちばかりとは限らないが。そしてこの場合意志が優位に立つ。というのは、問題は、動きまわったり、コマを廻したり、走ったり、叫んだりすることだからだ。こういうことは、すぐに実行できることなのだから、意思の範囲内のことだ。これと同じ決断が社交の楽しみの中にも見られる。これはきまりきった楽しみであるが、それでも衣装や態度によって自ら身を処することが要求される。それがまた秩序を維持することになるのだ。都会人にとって田園生活の中でとくに楽しいのは、そこへ行くことである。行為は欲望を伴う。私の考えでは、できないことは、それをやりたいという気を起こすことさえできないのであり、孤立した希望はいつも悲しいものである。だから、当然くるものとして幸福を待っている限り、個人の生活は常に悲しいものである。
どこにでも家庭内の暴君は見受けられる。そして、それを見た人は、エゴイストというものは自分自身の幸福をもって周囲の人たちの掟とする、などと考えたがるだろうが、それは考えが浅すぎる。物事は決してそういうぐあいには運ばない。エゴイストが悲しいのは、幸福を待っているからだ。大ていの所になら存在するほんの些細な害悪すら何一つ存在しないとしても、倦怠はやはりやってくる。だから、エゴイストが、自分を愛してくれる人や自分を嫌う人に対して課するのは、他ならぬ倦怠と不幸の掟である。これに反して、上機嫌には寛大な所がある。受けとるよりもむしろ与えるのだ。われわれが他人の幸福を考えねばならないのは当然だが、自分を愛してくれる人たちのためになし得る最善事は、やはり自分が幸福になることだ、ということは十分にいいつくされていない。
これは礼儀のことを考えるとよくわかる。礼儀とは外観の幸福であり、内部に対する外部の反作用によってただちに感じとられる。それは不動の掟でありながら、いつも忘れられている。だから、礼儀正しい人は、報いられることを知らないで、ただちに報いられる。若い人たちの、まちがいなくききめのある最良のおせじは、年配の人たちの前で、幸福の輝きである美しさを決して失わないことだ。これはいわば彼らの行なう親切《グラース》というものだ。この|Grace《グラース》 ということばは、実にさまざまに意味を持っているが、その中にある別な表現を使えば、理由のない幸福、泉から湧き出るように存在そのものから湧き出る幸福と言ってもよい。優雅《ボンヌ・グラース》といえば、グラースに加えて、もう少し注意力と意志とが働いている場合を言うのだ。これは青年の豊かさではもう間に合わなくなった時にあらわれる。しかし、どんな暴君であろうと、よく食べるとか、たいくつそうに見せないとかいうことは、満更《まんざら》でもないことだ。それだからこそ、憂うつな暴君、他人の喜びを少しも好まないように見える暴君が、なににもまして喜びをもっている人々によって、打ち破られ、征服されることがよくあるのだ。作家たちもまた、書くことのよろこびによって、他人をたのしませる。表現の幸福とか、幸福ないいまわしとか言われるのもゆえなしとしないところだ。あらゆる文飾はよろこびでできている。われわれ人間は、自分にとって快いもの以外は、お互いに要求しない。礼儀が処世術という美しい名前をもらった所以である。(一九二三年四月一〇日)
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九十一 幸福となる方法
子供たちには幸福である法をちゃんと教えべきだろう。不幸が現にふりかかるときに幸福である法のことではない。それを教えるのはストア派におまかせする。そうではなくて、周囲の状況はまあまあで、人生の苦しみといったら些細な心配事やちょっとした不愉快さどまりというときに幸福である法のことである。
第一の規則は、現在のものにせよ過去のものにせよ、自身の不幸は決して他人に話さないことだろう。頭痛、吐き気、胸やけ、腹痛などの話を他人にするのは、たとえことばづかいに気をつけたにせよ、失礼なこととみなされるに違いない。不正や誤算についても同じだ。子供や青年、また大人に対しても、彼らが忘れすぎているように思われる次のことを説明すべきだろう。すなわち自分についてぐちをこぼすのは他人を憂鬱にするだけだ、つまり相手が打ち明け話をききたがり、慰めるのが好きらしい場合であっても、ぐちはきき手を不愉快にするだけなのだ、と。なぜなら悲しみとは毒のようなものであり、悲しみを愛することは出来ようが、居心地はよくないからである。結局のところ正しいのはいつでももっとも深い感情なのだ。だれでも生きようと努めているので、死のうと努めているのではない。そして、生きている人たち、つまり、自分は満足しているといい、自分が満足していることを示す人たちを求めているのだ。もし一人一人が灰を前にして泣いてばかりいないで、自分の薪を火にくべさえしたら、人間社会はどんなにすばらしいものであることだろう!
これらの規則が上流社会の規則であったことに注目したまえ。そこでは自由にしゃべるということがなかったために、人々がたいくつしていたのは事実だ。わが市民階級は、お互いの会話に、それに必要な自由なしゃべり方をすっかりとり戻すことができた。それはそれで大へん結構なことだ。しかし、だからといってめいめいが自分の不幸を持ってきて積み重ねてもよいということにはならない。そうなったら、更に陰気な退屈が出来上がるばかりだろう。だから、交際を家庭の外部にまで拡げるべきである。なぜなら、家庭の範囲では、お互いにあまりにも心安く信頼しきっているので、ちょっとした事柄にもぐちをこぼすことがよくあるからだ。もし相手に気に入られたいなどという気が少しでもあれば、そんな事柄については考えもしないのだが。権力をめぐる策謀のたのしさは、口にするにはたいくつな無数の些細な心配事を、必ず忘れさせてくれるところに恐らく由来するのだろう。策謀家は求めて苦労するといわれるが、この苦しみは音楽家、画家の苦しみと同じく、やがて楽しみに転ずる。しかも策謀家は、些細な心配事を口にする機会も時間もないのだから、だれよりもまずその心配事から解放されているのだ。原則はこうである。もしきみが自分の苦しみ、といっても些細な苦しみのことだが、それを口にさえしなければ、きみはいつまでもそのことを考えずにすむだろう。
今課題になっているこの幸福である法のうちに、悪天候のうまい使い方についての役に立つ忠告も加えておこう。私がこれを書いている今、雨が降っている。無数の小さい溝がざわめいている。空気は洗われて、濾過されたようだ。雲はすばらしいちぎれ綿に似ている。こういう美しさを手に入れることを学ばねばならない。しかし、人によっては、雨が収穫をだめにするという。また泥のためなんでも汚れるという人もいる。また別な人は、草の上に坐るのは大へんいい気持なのにともいう。もちろんだ。みんなもっともなことを言っているのだ。あなたが不平を言ったからとて何の役にも立ちはしない。私は不平の雨にびしょぬれになり、この雨は家の中まで追いかけてくる。さあ、雨降りの時こそ、晴々した顔が見たいものだ。だから天気の悪い時には顔の方を晴天にすることだ。(一九一〇年九月八日)
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九十二 幸福であるべき義務
不幸だったり、不満だったりするのむずかしくない。だれかが楽しませてくれるのを待っている王子のように、坐っていればよい。幸福を待ちぶせして商品みたいに値ぶみする視線は、あらゆるものの上に倦怠の影を投げかける。それもおっかなびっくりではなく。なぜなら、そこにはすべての捧げものを軽蔑する一種の力があるからだ。しかし私の見るところでは、そこにはまた、子供たちが庭をつくるように、わずかなものから幸福を作り上げる巧みな職人たちに対する焦燥と怒りがある。わたしは逃げだす。わたしの経験によればよくわかるのだが、自分でたいくつしている人たちの気をまぎらわすことはできないのだ。
それと反対に、幸福は見た目にも美しい。最上の観物《みもの》である。子供以上に美しいものがあろうか? しかし、また、子供はすべて自分の遊びにうちこむ。だれかに遊んでもらおうなどと期待してはいない。たしかにすねた子供がわれわれに別な顔を、いっさいの喜びを拒絶する顔を見せることもある。ところで幸いなことに子供はじきに忘れるものだ。ところが誰でも見たことがあるように決してふくれっつらをやめない大人たちがいる。彼らの言い分にも根拠があることはわかっている。幸福であることはいつもむずかしいものだ。それは多くの事件、多くの人間に対する戦いである。負けることだってあるかもしれない。どうにも手のつけられない事件とか、かけ出しのストア主義者の手には負えない不幸とかがあることはたしかだ。しかし、全力をあげて戦ってからでなければ負けたと思ってはならないということは、おそらくもっとも理解し易い義務であろう。そして、それにもまして、わたしにとって間違いないと思われるのは、望まなければ幸福にはなれないということである。だから、自分の幸福を望み、それを作り上げることが必要だ。
じゅうぶんまだいいつくされていないことだが、幸福であることは他人に対する義務でもある。幸福な人以外には愛される人はいない、とは至言である。しかし、この褒美が正当なものであり、当然なものであることは言い落とされている。というのは不幸や倦怠や絶望がわれわれの呼吸するこの空気の中にあるからだ。だから、こういう汚染した空気にたえ、公共生活を精力的にいわば身をもって浄化してくれる人にわれわれは感謝し、戦士の栄冠を捧げる義務があるのだ。この点を考えれば、愛の中で、幸福になることを誓う以上に奥深いものはなにひとつみあたらぬ。愛する人の倦怠、悲しみ、あるいは不幸ほど克服しがたいものがまたとあろうか? すべての男女はたえず次のように考えるべきであろう。幸福とは、もっとも自分のために獲得する幸福の意味だが、それはこの上なく美しく、この上なく気前のよい捧げ物である、と。
さらに進んで、幸福であることを決意した人々に対する褒美として、市民の月桂冠といったようなものを私は提案したい。なぜなら、私の意見では、これらすべての死骸、すべての廃墟、このばかけだ浪費、警戒のための攻撃などは、自分では決して幸福になりえなかった連中、そして幸福になろうとする他人を容赦しえない連中のしわざだからである。子供のころ、私はめったにへこたれぬ、てこでも動かない、いたって愚鈍な重石のような少年であった。だから、悲しみとたいくつにやせ細った。軽石のような少年が、わたしの髪の毛をひっぱったり、つねったりして、いつでもわたしをばかにしてはよろこんでいたものだ。もっとも最後にはとてつもない一発が相手の少年をお見舞いしてけりがつくのだったが。今では、地中の精が戦争を予告し、その準備をしているのをみとめると、決して理由などせんさくしない。他人の心が平静であるのにがまんがならないこれら有害な地中の精のことは十分に承知しているからだ。こういうわけで、平和なフランスは、平和なドイツ同様、わたしの目から見ると、少数のいじめっ子どもにいじめられ、最後はカッとなってしまう頑丈な子供なのだ。(一九二三年三月一六日)
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九十三 誓わなければならぬ
悲観主義は気分に由来し、楽観主義は意志に由来する。あなたまかせの人間はみんなめそめそしているものだ。だがまだ言葉が足りない。彼らはやがて興奮し、いきりたつ。よくみかけることだが、子供の遊びに規律がないとけんかになってしまうようなものだ。この場合、自分で自分をいためつける異常な力以外に原因はない。結局、上機嫌などというものは存在しないので、正確にいうなら、気分というものは悪いのが普通なのであり、すべて幸福とは意志と抑制の産物である。どんな場合でも理くつはどれいである。気分は途方もない体系をくみたてるもので、その拡大されたものが狂人においてみられる。自分が被害者だと思いこんでいる不幸な人間の言葉には、いつでも本当らしさと雄弁らしきものがある。楽観主義の雄弁は心を静める種類のもので、これはただしゃべりまくる憤激にのみ対立する。なだめ手にまわるのだ。効能を示すのは語調であって、言葉は鼻歌ほどの意味ももたない。不機嫌につきもののあの犬のような唸り声は、まずまっさきに改めねばならない。なぜなら、それこそわれわれの内部の病気《マル》のある確かな証拠で、それが源となって外部にあらゆる害悪《マル》が作り出されるからだ。だからこそ礼儀は政治のよい規則なのだ。礼儀《ポリテス》と政治《ポリテイク》という二つの言葉は親類なのだ。すなわち礼儀《ポリテス》正しいものは政治家《ポリテイク》というわけである。
これについては不眠症が説明してくれる。そして、生きていることが、生きていること自体によってたえがたく思われてくるようなこの異常な状態は周知のことである。ここではもっと踏みこんで観察する必要がある。自制心は存在の一部をなしている。いや、存在を組み立て、確立していると言った方がよい。まず行動から事が始まる。木材を鋸で挽いている人の頭の中は、何のとどこおりもなく順調に廻転する。猟犬のむれが獲物を探しているときには、犬同士で喧嘩をすることはない。それゆえ、思考の病気に対する特効薬は、鋸で木を挽くことだ。しかし、てきぱきと思考が動き出せば、その考えるというこ自体が思考を落ちつかせる。選びながら持ち札を捨てるのだ。さて、こんどは不眠症の場合だが、この病気の症状は、眠りたいと思い、自分に対して動くな、選択するなと命ずることである。こうした自制の欠如の状態では、運動と観念がたちまち一緒になって機械的に動き出す。いわば犬の喧嘩だ。動きはすべて痙攣的であり、観念にはすべてとげを持ってくる。こういう時には無二の親友でも疑うものだ。どんな徴候でも悪く解釈するし、自分自身がこっけいで愚かにみえる。こういう症状はなかなか頑強で、材木を挽くのと同日の比ではない。
ここから、楽観主義は誓約を必要とすることがよくわかる。はじめはどんなに奇妙に見えても、幸福たることを誓わねばならぬ。主人のむちで飼い犬の叫びをやめさせねばならないのだ。最後に、念のため、すべての悲観的考えを欺瞞とみなさねばならぬ。そうせねばならない理由は、何もしないでいるとたちまちひとりで不幸を作ることになるからだ。たいくつが何よりの証拠だ。しかし、われわれの観念が本来とげを持っていないこと、われわれをいらだたせるのはわれわれ自身の心の動揺であることをもっともよく示すものは、肉体のすべてが緊張からほぐされているあのしあわせなうたたねの状態である。もっとも長続きはしない。このうたたねの先ぶれの後に、まもなく本格的な睡眠がやってくる。この場合、自然の力を助けて眠りに入《はい》れるこつは、主として中途半端に物事を考えようとしないところにある。考えることに全力をそそぐか、それとも、抑制されない考えはすべて虚偽であるという経験を生かして、考えることに全然身を入れないかどちらかである。この思いきった判断が、抑制されない考えをすべて夢の位置にまで引きおろし、少しのとげもない幸福な夢を用意してくれる。反対に、夢判断でいう夢をとくかぎは、なにによらず事を大げさに考える。それこそ不幸のかぎである。(一九二三年九月二九日)
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訳者あとがき
本書は、Alain : Propos sur le bonheur の全訳です。したがって、直訳すれば、題名は「幸福《についての》語録」ということになります。「幸福論」としたのは、それの方が通りがいいからです。
お読みになれば直ちにお判りの通り、本書は、幸福についての、観念的、また体系的、学術論文ではありません。具体的、または実践的、小エッセーの集合です。現実の身近なところからお話がはじまっていて、決してそこを離れることはない。そして、問題はいつも、人間はどう生きねばならないか、から逸脱することがない。
その点では、日本の新聞雑誌によくのる身の上相談の解答者の人生案内風の文章に似ているといえます。人生の苦労人、達人でなければ扱えない内容です。しかし、身の上相談の場合と違うのは、これには強靭な思考の、いわば電気ドリルの運動がある。そのドリルが頑健な岩の穴をうがってゆく壮快さがある。男らしい作業の緊張感がある。安直な同情の湿っぽさもなければ、道学者めいた説教くささもない。与えられた問題と挌闘し、それを乗りこえようとする。変ないい方ですが、精神の筋肉のたくましさ、これしかない。
それというのも、アランは、「高邁」ということを最上の美徳とするデカルトの、三百年をへだてての直系の弟子だからです。「高邁」とは、打ちかち乗りこえる態度のことです。打ちかちのりこえるとは、まず第一におのれに、おのれに打ちかち乗りこえることを通して次におのれの周囲の人々に、更には環境に、やがては運命に、打ちかち乗りこえるということです。
「われ思う、ゆえにわれあり」という後になって有名になった言葉を、存在論の根底にすえて近代の思想のみちびき手となったのは、いまさら言うまでもなくデカルトですが、そのデカルトの思想に多くの教えを、第二次世界大戦の悲劇の体験を通して、次のような戦後思想に定言化してみせたのは、「異邦人」「ペスト」「シジフォスの神話」などの著作で多くの青年に強い影響をあたえたノーベル賞作家アルベール・カミュです。次のような、とはこういう意味です。
「われ、反抗す、ゆえに、われわれあり」
この「われ、反抗す」とは、これ以外にはどうも訳しにくいのでこういう表現をとったまでのことで、フランス語の原文の本来意味するところを忠実に日本語にするならば、「われ、われに反抗することを通して、われをかくあらしめているものに反抗す」ということです。つまり、まず現在のこのわたし、悲しんだり苦しんだり悩んだりいじけたり依怙地だったり意地悪だったりするこのわたしは、そういうふうに作られているのであって、そういうふうなわたしに反抗し、闘うことを通して、言葉をかえれば、悲しんだり苦しんだり悩んだり云々しているわたしに打ちかちのりこえようと努めることを通して、そういうふうな|わたしをつくっているもの《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》に反抗し、闘うのだということです。そして、|わたしをつくっているもの《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》は、わたしだけをつくっているのではない。彼女をも彼をも君をも、同じように、つくっている。しかし、そのことは、わたしがわたしに反抗しなければ、感じられるものではない。そのことは、わたしがわたしに反抗することを通して、わたしをつくっている|もの《ヽヽ》に反抗しなければ、彼女に彼に君に、わかるものではない。要するに、わたしが反抗することを通してこそ、または、言い方をかえれば、わたしが反抗することにおいてこそ、|わたしたち《ヽヽヽヽヽ》は存在するのである。
|われ《ヽヽ》という一人称の単数から、|われわれ《ヽヽヽヽ》という一人称の複数へと転化するその道行きは、ずいぶん直観的であり、また論理に飛躍もあって、評論家のなかにはその点を指摘してカミュの小児病性を非難する人もいますが、しかしそれだけにまた、第二次世界大戦中の地下抵抗運動をなまなましい劇的な連帯の生死をかけた体験として持つ人々が、そこに思考の詩的魅惑をおぼえて激しい共感を覚えたことも確かです。
ところで、ここでの問題はアランであって、カミュではない。にもかかわらず、「われ反抗す、ゆえにわれわれあり」について語ったのは、じつは、この言葉の放つ実存主義的臭気を取りはらえば、そのままアランの「幸福論」の中心テーマだから、なのです。
アランは実存哲学的酩酊とは無縁の人です。さきほども書いたように、むしろ、デカルト直系の合理主義哲学者です。また、第二次世界大戦の動乱のさなかを生きぬいては来ましたが、それは最晩年のことであって、したがって、反ナチズムの抵抗運動、そこから発する社会参画の思想とも、一応無関係です。一九三六年に組織された反ナチズム知識人連盟の会長にアランがなったのは有名なことですが、第二次世界大戦中の抵抗運動がカミュやサルトルの思想を形成したような意味では、その会長としての抵抗運動はアランの思想を形成したわけではないのです。
しかし、アランは、その本来の意味での行動の人です。「行動家として(行動しつつ)思索せよ。思索家として(思索しつつ)行動せよ」とは、アランのこのんで口にする言葉であるとともに、また、アランの思想の中核を示すものであることは、本書「幸福論」のどの頁をひらいても、直ちにわかることです。
幸せなら手をたたこう。幸せなら態度で示そうよ。こういう歌が一九六三年前後の日本に流行りました。いまのところ、この歌の精神のよしあしはともかくとして、アランの「幸福論」の思想を一言でつくせといわれるなら、この歌をもじって、幸せに|なりたければ《ヽヽヽヽヽヽ》、手をたたこう、幸せに|なりたければ《ヽヽヽヽヽヽ》、幸せな態度を示そうよ、ということになります。つまり、幸せを意欲する、意志するならば(わざと固ぐるしい言葉をつかうのですが)、幸せな人の態度をとりなさい、ということです。そうすれば、あなたの周囲の人がそれに影響されて、ちょうど太陽にほほえみかけられた花のように、幸せの微笑をほほえみかえしてくれるだろう。そのことによって、逆にあなた自身が、こんどは本当に幸せとなることだろう。
「われ幸せを行動す、ゆえにわれわれは幸せなり」というわけです。
一見こどもだましのように思えるこの思想が、じつはどんなに切なくきびしい人間体験から発したものであることか。どんなに深い人間愛に支えられていることか。そしてまた、性こりもなく戦争を起こして他人の幸福をねこそぎにしてばかりの歴史をくりかえしてきた人類への、どんなに熱い平和の祈りにみちていることか。それは、身に覚えのある、つまり不幸のどん底を体験したことのある人々にしか、わからないことです。
アランの「幸福論」は、幸福でありたいと意欲する、意志する人々のための書物です。つまり、現在不幸である人々のための本です。幸福とは何であろうか、などと|くわえ《ヽヽヽ》タバコでのんびりと考えるレジャーを楽しんでいる人々のためのムード的幸福観念論ではありません。歯が痛い人々にとって一番大切なことは、歯が健康であるとはどんなことかを説いてもらうことではなくて、治療の方法を教えてもらうことであり、そして痛む歯を治療することであるからです。この意味でも、アランは何よりも行動の人であるわけです。
幸福とは、まず意欲であり、意志です。幸福とは何であるかは、なかなか規定しにくい。しかし、幸福になろうという意欲と意志がなければ、幸福はありえない。平和を意志し意欲しただけでは、世界の平和がありえないのと、まったく同じです。しかも、平和を意志し意欲しただけでは、世界がなかなか平和になれないのは、みなさんが現実に見ていらっしゃることだし、また人類の歴史が無数の痛恨とともに語ってきたことです。それでは、|さらに《ヽヽヽ》どうしなければならないか。
この|さらに《ヽヽヽ》は、おそらく読者一人一人が、改めて現実に考えなくてはならない問題です。そこまで読者をつき動かす書物こそ、良書なのではないでしょうか。そして、このアランの「幸福論」は、そういう書物の一つなのです。
付記
本書には、すでにすぐれた先達によるいくつかの訳業があります。参照していろいろ教わるところが多大でした。しかし、どういうわけなのか、どの先達の訳業にもおそらく不注意からくる誤訳が悲しいくらい多く見受けられたことを、のちのちのために書いておきます。一つには、アランの文章が飛躍の多い、決して易しくはない文体をもつことによるでしょう。もちろん、小生のこの翻訳が最高だなどという馬鹿げた思いあがりを述べたてようというのではありません。アランの、一見平易で通俗的に思える思想も、日本の精神の風土になれるには、何十年をも必要とする、というその事実を指摘しておきたかったまでのことです。もとより、小生の翻訳にも、先達以上の誤訳、取違え、不消化が(ないことを努めはしましたものの)数多く認められることでしょう。御叱正を仰ぎたいものです。まったく、アランの「幸福論」という一冊の本の運命一つを考えただけでも、それが本当に幸福な状態におかれる、幸福になるためには、数多くの人々のなかなか大変な、努力が必要のようです。
おわりに、この書物の上梓されるにあたっては、上記先達の方々の訳業の他に、桂田直一、細田直孝、大友立介の諸氏に御意見をうかがい、かつ社会思想社の八坂安守、田中矗人両氏の御骨折をえましたことを、あつく御礼申しあげさせていただきます。(訳者)