幸福について(上)
アラン/宗左近訳
目 次
一 名馬ブケファルス
二 刺激
三 悲しいマリー
四 神経衰弱
五 ふさぎの虫
六 情念
七 神託のおわり
八 想像力について
九 精神の病
十 気で病む男
十一 医薬
十二 微笑
十三 事故
十四 惨劇
十五 死について
十六 態度
十七 体操
十八 祈り
十九 あくびの仕方
二十 不|機嫌《きげん》
二十一 性格
二十二 宿命
二十三 予言的な魂
二十四 われわれの未来
二十五 予言
二十六 ヘラクレス
二十七 楡《にれ》の木
二十八 野心家のための話
二十九 運命について
三十 忘却の力
三十一 大草原にて
三十二 近隣の情念
三十三 家庭で
三十四 心づかい
三十五 家庭の平和
三十六 私生活について
三十七 夫婦
三十八 倦怠《けんたい》
三十九 速力
四十 賭《かけ》
四十一 期待
四十二 行動する
四十三 行動の人
四十四 ディオゲネス
四十五 エゴイスト
四十六 王様は退屈する
四十七 アリストテレス
四十八 幸福な農夫
四十九 労働
五十 制作
訳者あとがき
[#改ページ]
一 名馬ブケファルス
幼い子供が泣いてどうにもなだめられない時には、乳母《うば》はよくその子の性質や好き嫌いについてこの上なく巧妙な仮説をたてるものだ。遺伝までひっぱり出して、この子はお父さんの素質を受けついでるのだと考えたりする。そんなお手製の心理学にふけり続けているうちに乳母はピンを見つけたりする。そのピンが幼い子供を泣かせた本当の原因だったのである。
アレクサンドロス大王が若かったころ、名馬ブケファルスが献上されたが、どの調教師もこのあばれ馬を乗りこなすことができなかった。ありきたりの人間だったら、「こいつはたちの悪い馬だ」とでも言っただろう。ところがアレクサンドロスはピンをさがし、間もなく見つけた。ブケファルスが自分の影にひどくおびえていることに気づいたのである。おびえて跳《は》ねあがれば影も跳ねあがるので、きりがなかった。だが、かれはブケファルスの鼻づらを太陽の方に向けたまま動かさないでおいて馬を安心させ、疲れさせることができた。アリストテレスの弟子《でし》は、情念の本当の原因を知らないかぎり、人間は情念に対して全く無力なことを、すでに知っていたのだ。
多くの人々が何のために恐怖というものは生じるのかを説いてきかせた。しかも強力な理由をあげて。だが、現にこわがっている者は理由なんかに耳を傾けない。自分の心臓の鼓動と血のざわめきに耳を傾けているのだから。学者ぶった人間は危険から恐怖が生ずると推論する。情熱家は恐怖から危険が生ずると推論する。両者とも自分こそ正しいと思っている。しかし、両方ともまちがっている。だが、学者ぶり屋のまちがいは二重だ。かれは本当の原因を知らないし、また情熱家のまちがいがわかっていない。こわがっている人間はなんらかの危険を勝手に創作してこわがっているのだ。そして、自分の今味わっている恐怖はちゃんと理由のあるまぎれもない恐怖だと考えるのだ。ところが、なんの危険もない場合でも、ふと驚くことがほんの少しでもあった場合には、こわくなるものだ。たとえば、ごく近くでそれも思いがけなくピストルの音がしたとか、思いがけない人物がいたとかいうだけでもそうである。マセナ将軍〔一七五六〜一八一七。元帥。武名高くナポレオンによって「勝利のいとし児」の別名を与えられた〕は、うすぐらい階段で立像を見てこわくなり、いちもくさんに逃げ出した。
苛立《いらだ》ちだの、不機嫌だのは、往々にしてあまり長い間立ちどおしでいたことから生ずる。そういうときにはあなたの不機嫌は理屈に合わぬなどといわずに、椅子《いす》をさし出してやることだ。行儀作法こそが一切だといった外交官タレーラン〔一七五四〜一八三八。外交官。王政復古に荷担してめざましい活躍を示し、ウィーン会議とロンドン会議で敏腕をふるった〕は、かれが考えたより以上のことを言ったことになる。かれは相手を不愉快にしまいという配慮から、ピンをさがし、ついに見つけたわけである。このごろの外交官ときたらどれも、産衣《うぶぎ》のなかのピンのつけ方を間違えている。そこからヨーロッパのいざこざが持ちあがる。そして、だれでも知っているように、ひとりの子供が泣き出すとほかの子供たちも泣き出すものだ。さらにわるいことには、泣くために泣く。乳母たちは職業がら、心得ているから、子供を腹ばいにさせる。こうすればすぐに身ごなしが変わり、気分が変わる。これがあまり高いところをねらわない説得術というものである。第一次世界大戦の災禍は、要人たちがみんな不意打ちをくらったことから生じたものと、わたくしは考える。不意打ちをくらったためにこわくなったのだ。人が恐怖をいだくときには、怒りから遠くはない。興奮のあとには怒りがすぐ続く。閑暇や休息を楽しんでいるときに突然よびもどされる場合には、好ましくない事態が生じる。そういう状態ではしばしば気分が変わる、それもあまりに変わりすぎる。不意に目をさまされた人と同じで、目をさましすぎるのだ。だが、人間は邪悪なものだ、などとは断じて言ってはならない。人間の性格はこうこうだ、などと言ってはならない。ピンをさがしたまえ。(一九二二年一二月八日)
[#改ページ]
二 刺激
呑《の》みそこなって物がのどにつかえると、身体中が大さわぎになる。あらゆる部分にさしせまった危険を知らせでもしているかのようだ。どの筋肉もてんでにひっつり、心臓もそれに一枚加わる。一種の痙攣《けいれん》状態がおこる。どうしたらいいか。こうした状態にはしたがい、耐え忍ばざるをえないのではあるまいか。というのが哲学者の言い分である。哲学者は経験をもたない人間だからだ。だが、もし生徒が「自分ではどうにもならないんです。ぼくは自分がこわばって、あらゆる筋肉という筋肉が同時にひきつるのをどうしようもないんです」などと言おうものなら、体操や剣術の先生は大笑いしたに違いない。あとから釈明の道を残しておくために、相手に許可をもとめてから、剣術の稽古刀で激しくたたいた頑《かたく》なな人間を、わたくしは知っている。
これはたいがいの人が知っていることだが、筋肉はまるで柔順な犬のように、忠実で頭に考えていることに従うものである。わたしは腕をのばそうと考える。するとすぐに腕がのびる。私がさきほど例にあげた身体の痙攣や惑乱は人々がなにをしたらいいのかわからない、ということから生ずるものに他ならない。この例でいえば、なすべきことは、身体全体をしなやかにし、とりわけ強く息を吸うとよけい混乱がひどくなるから、反対にのどにひっかかった流動体の小さな塊を押し出すことである。いいかえれば、この場合にかぎらずいつでも、全く有害なしろもの、恐怖を追いはらうことである。
風邪の咳《せき》についても同じ種類の教訓があるのだが、ほとんど実行されていない。たいがいの人はまるで自分をかきむしるようなはげしさで咳をする。怒りのあまり自分自身をさいなむためのような咳の仕方をする。そのために発作《ほっさ》をおこして疲れ、気分が苛立つ。これに対して医師たちは、咳どめのドロップを発見したが、その主な作用はわれわれに呑みこむものを与えることだ、とわたしは信じている。呑みこむということは、強力な反作用で、咳ほどわがままでもなく、咳とくらべてわれわれの手にも負える。呑みこむことによっておこる痙攣のために、もう一方の、咳をする痙攣は不可能となる。例の乳呑児《ちのみご》を裏返しにするのと同じである。だが、咳のなかにある悲劇的なものを最初におさえてしまえば、咳どめドロップなしですませるとわたしは考える。もしはじめに、どんなさき走ったことも考えず、冷静にしていれば、最初の刺激《イリタシオン》は程なく過ぎ去ってしまうに違いない。
この刺激《イリタシオン》ということばはなかなか含蓄に富んでいる。ことばには深い知恵がひそんでいるもので、刺激《イリタシオン》はまた、さまざまな情念中もっとも激しい情念、つまり激怒をさすのに用いられる。怒りに身をまかせている人間と咳きこんでどうにもならないでいる人間との間に、たいした違いがあるとは、わたしには思えない。同様に、恐怖というものは肉体の苦しみであるのに、体操によってこれとたたかうことを、人々は必ずしも知りはしない。これらすべての場合を通じての間違いは、人が思考を情念の支配下におき、あらあらしい熱気にかられて恐れや怒りに身をまかす点にある。要するにわれわれは情念によって病気を悪化させる。それが本当の体操を学ばなかった人たちの運命である。そして本当の体操とは、ギリシャ人たちの理解したように、肉体の運動《ムーヴマン》に対する正しい理性の支配のことである。すべてに対する支配でないということはいうまでもない。そうではなく、要は自然な反作用の憤怒を衝動《ムーヴマン》によって妨げないということである。そのことこそ、人間尊重の真の形象化であるこの上なく美しい彫像を常に手本として見せながら、子供たちに教えるべきものであろう。(一九一二年一二月五日)
[#改ページ]
三 悲しいマリー
周期的な躁鬱《そううつ》病について、とりわけ心理学の教授のひとりがうまいぐあいに付属病院で見つけたあの「悲しいマリーと楽しいマリー」について、考えてみるのもむだではない。この話はもうすっかり忘れられてしまったが、記憶しておく価値がある。この娘は、時計のような正確さで、一週間は快活で、次の一週間は悲しいのだった。快活なときには、すべてがうまくいった。雨降りもお天気同様に好きだった。ほんのちょっとした友情のしるしにも有頂天になった。愛している人のことを考えては、「なんて私は幸運なんでしょう!」というのだった。彼女は決して退屈《たいくつ》することがなかった。そのどんなちょっとした考えでも、だれの気にも入る生きのいい美しい花のように、喜びの色に輝いていた。彼女は、わたしがあなたにもおすすめしたい状態にいた。つまり、賢者が言っているとおり、水甕《みずがめ》に取っ手が二つあるように、どんな事柄にも二つの面があるということである。やりきれないと思えばいつでもやりきれないし、頼もしくて慰めになると思えばいつでも頼もしくて慰めになる。幸福になろうとする努力は決してむだにはならないものなのである。
ところが、一週間たつとすべてが調子を変えるのだった。彼女はどうしようもない倦怠《けんたい》におちいった。もはや何事にも興味がなくなった。何もかもつまらなく見えた。幸福というものをもう信じなかった。愛情というものをもう信じなかった。だれも自分を愛してくれたためしはなかった。それが当然なんだわ。彼女は自分を馬鹿で退屈な女だと判断した。病気のことを考えては、そのために病気を悪化させた。彼女はそれを知っていた。つぎのような恐ろしい方法で、いわば彼女は小きざみに自殺していた。「あんたはあたしに関心をもっていると思いこませようとしているわね、あたしに。でもあたしはあんたのお芝居になんか、だまされはしないことよ」と言うのだった。おせじを言われるとからかわれたのだと思い、親切にされると侮辱されたのだと思った。秘密は彼女には腹黒いたくらみと思われた。こういう想像力の病気にはつける薬がない。不幸な人間には、どんなに好ましいできごとがほほえみかけても意味がない。幸福であることのなかには、人が考えているよりももっと多くの意志の力がはたらいてるものなのである。
だが、この心理学の教授は、さらにすすんで、勇気ある人のためのもっと手荒な教訓、もっと恐るべき試練を発見した。人間の心のこうした周期的変化について数多くの観察と測定をしているうちに、血球を立方センチで数えることを考えた。するとそこにはあきらかな法則があった。楽しい時期のおわりごろになると血球の数が少なくなり、悲しい時期のおわりごろになるとふたたびそれが多くなった。血が多いか少ないか、それがあのありもしない幻影の原因であった。こうして、医師は彼女の懸命な訴えをきいても、「安心しなさい。あしたになれば幸福になりますよ」と答えるようになった。しかし彼女は医師の言葉を少しも信じようとはしなかった。
このことについては、実際は、自分は悲しいのだと思いたがっているある友人がわたしに言った。「こんなはっきりしたことはないではないか。われわれにはどうすることもできはしない。いくら考えたからといって、わたしに血球がつくれるものではない。つまり、どんな哲学もむだというわけだ。この広大な宇宙は、その法則にしたがって冬と夏、雨と晴れというぐあいに、喜びと悲しみをわれわれにもたらすに違いない。幸福になりたいというわたしの望みは、散歩したいという望みと同じ程度のしろものであるにすぎない。わたしはこの谷間に雨を降らせはしない。私は自分のなかに憂鬱のたねを生みつけはしない。わたしは雨と憂鬱に堪えている。そして、それを堪えていることをわたしは知っている。これがりっぱななぐさめというわけだ」
だが、そう簡単には行かない。厳格な判断だの、不吉な予言だの、いやな思い出だのを噛みしめ考え直すと、たしかに自分の悲しみというものがありありとわかってくる。いわば悲しみのきき酒をするということだ。だが、その背後に血球の増減があることをよく心得ていれば、つまらぬことを噛みしめたり考えなおしたりすることがおかしくなる。わたしは悲しみを肉体のなかに押しかえしてしまう。そこでは悲しみは、なんの粉飾もない疲労か病気にすぎない。裏切りよりも胃腸病の方がずっと耐えやすい。本当の友人がいないなどと言うより、血球が足りないと言う方がずっといいではないか。情熱家は道理も鎮静剤もともに退ける。わたしのいうこの方法を用いれば、この二つの療法への門が同時に開かれることになる。これは果たして知っていなくてよいことであろうか。(一九一三年八月十八日)
[#改ページ]
四 神経衰弱
このごろのような時雨《しぐれ》の季節になると、人の気分は、男も女も、空模様のように変わりやすい。たいそう学問もあり道理もわきまえたある友人が、きのうわたしにこう言った。「どうも自分が不満でならない。仕事やトランプ遊びをやめると、無数の些細《ささい》な思いが無数の色合いで頭の中を回転して、うれしいと思えば悲しくなり、悲しいと思えばうれしくなり、見ようによっては色がたちまち変わる鳩の喉毛よりもすみやかに気分が変わる。その思いというのは、手紙を書かなければならないとか、電車にのりおくれたとか、オーバーが重すぎるとかいったようなことなのだが、それが本物の不幸と同じように、途方もない重大事となる。筋道立てて考えても、こんなことはすべて自分にはどうでもいいことだということを自分で納得していても、それでもだめなのだ。わたしの理性は、ぬれた太鼓も同然で、まるでものの役には立たない。そこで、要するに、自分は少々神経衰弱なのだなと思うわけだ」
わたしはかれに言った。大げさなことばは使いなさんな。事実を理解しようとつとめなさい。きみのようなことはだれにだってある。ただきみは不幸にして聡明すぎるのだ。あまり自分のことを考えすぎるのだ。なぜうれしくなったり悲しくなったりするのか、そんな理由を知りたがる。そのため自分に対して苛立《いらだ》ってくる。それというのも、きみのよろこびや悲しみが、きみの知っている理由からではうまく説明がつかないからだ。
実際には、幸福であったり不幸であったりする理由はたいしたことではない。いっさいはわれわれの肉体とその働きにかかっている。そしてどんな頑健な肉体でも、毎日、緊張から弛緩へ、弛緩から緊張へと、しかも多くの場合、食事や、歩行や、注意力や、読書や、天気ぐあいなどに左右されて、移りかわる。それにしたがってきみの気分も波の上にある舟のように上下する。それらの外的条件は、普通のときは灰色の目立たない色調を帯びているにすぎない。なにか没頭しているかぎりは、そのことを考えはしない。ところが、ひとたびそれを考える暇ができ、熱心に考え出すと、些細な理由が群れをなして押しよせてくる。そして、きみは、それが結果であるのに原因だと思いこむ。鋭敏な人は悲しければ悲しい理由を、うれしければうれしい理由を、かならず見つけだす。同じ一つの理由が二つの目的に役立つこともしばしばある。病身で肉体の苦しみを味わっていたパスカルは、多数の星をみて恐怖した。そして、かれが星をながめながら荘厳な戦慄《せんりつ》を感じたのは、それと気づかずに窓ぎわで冷えこんだからに違いない。ほかの健康な詩人だったら、女友だちにでも話しかけるように星に話しかけるだろう。そのどちらの詩人も星空についてきわめて気高いことを、つまり実は問題外の気高いことを、口にすることであろう。
スピノザは言っている。人間が情念をもたないということはありえない。だが、賢者は魂のなかに幸福な思想の領域を大きく形づくっているので、そのまえでは情念がおよそ小さい領域しかもたないのだ、と。かれのむずかしい論理の道をたどらなくともかれという人間にならって、音楽だの、絵画だの、談話だのといったたくさんの多くの幸福をこしらえることはできる。これらの幸福のそばにおけば、われわれの憂うつなどはすべてとるに足りないちっぽけなものとなるであろう。社交界の人間はちょっとした義務によって自分の腹立ちを忘れることができる。われわれは真面目《まじめ》で有用な仕事だの、書物だの、女友だちだのをもっと利用しないことを恥じるべきであろう。たしかに、価値のある物事に当然もつべき関心を少しももたないということは、一般的な、しかも重大な誤りに違いない。しかも、われわれはそうした価値のあるものをあてにしている。自分がはっきりほしがっているものを手にいれようと望むこと自体が、ときとしてはなみなみならぬ技術を必要とするのである。(一九〇八年二月二二日)
[#改ページ]
五 ふさぎの虫
しばらくまえ、腎臓結石《じんぞうけっせき》で苦しんでいる友人を見舞ったことがあるが、かれは申し分なく不機嫌だった。だれでも知ってのとおり、この種の病気は気をめいらせるものである。わたしがそのことを言うと、かれも事実をみとめた。そこでわたしは結論をひきだしてこういってやった。「この病気は気を滅入《めい》らせるものだということをきみが承知しているなら、それなら、滅入ることに驚いたり、不機嫌になったりすべきではないよ」このうまくいった理屈はかれを心から笑わせたが、このことがもたらした効果は小さいものではなかった。こういう少々|滑稽《こっけい》な形で、ある一つの重要な事柄、それも不幸な人々があまりにも考えなさすぎる一つの事柄を、わたしが言ったのだということは、やはりたしかなのである。深い悲しみというものは、常に肉体の病気に由来する。心痛にも、それが病気でない限りは、やがて安らぎがやってくる。人が考える以上にたやすくやすらぎが、やってくる。そして、疲労とか、どこかにできた結石とかがわれわれの考えを重苦しいものにしないかぎり、不幸について考えること自体はわれわれを苦しめるよりは、むしろ、われわれを驚かして目をさまさせるものだ。たいがいの人はこの事実を否定し、不幸におちいってかれらが苦しむのは、かれらが不幸について考えるからこそだと主張する。もっとも、当人が不幸であるときには、いろいろな物の姿が爪《つめ》やとげをもっていて、その物の姿が目の前に浮かぶだけでわれわれは苦しむのだ、と考えないわけには行かぬということ、これは、わたしもみとめる。
ところで、抑うつ病と呼ばれる患者たちのことを考えてみよう。かれらがどんな考えのなかにでも悲しい理由を見いだすすべを知っていることが、すぐ見てとれる。どんなことばにも傷つくのだ。もしあなたから同情されれば、侮辱されたと思い、どうにもならぬほど不幸だと感ずる。もしあなたから慰められないと、もうこの世に友だちもなく、ひとりぼっちなのだと考える。こういうわけで、考えがぐらつくたびに、いつも、いやな方へいやな方へと、気持ちが傾いていくより他はない。病気のせいで、そうならざるをえないのだ。そして、自分自身と議論したあげく、悲しいのは当然だという理由が勝ちをしめるとなると、まるで食通のように、自分自身の悲しみを何度も何度も噛みしめることしかしない。ところで、この抑うつ病の患者はすべての悩める人間の姿を拡大して、われわれに示してくれるのだ。かれらにあって明らかなこと、つまりかれらの悲しみが病気であるということは、だれにあっても真実である。苦痛がひどくなるのは、われわれが苦痛についてのありとあらゆる理由を考え、そうすることでいわば急所にさわるからこそ生じるものに他なるまい。
やがて情念を偏執へとつのらせてゆくこの精神錯乱から逃れるためには、こう自分にいいきかせなければならない。悲しみとは病気にすぎない、だからいろいろ理屈や理由を考えたりしないで、病気としてがまんしなければならぬ、と。そうすれば気にかかることばの行列はちりぢりばらばらになってしまうのだ。心痛は腹痛なみにあつかうことだ。そうすれば、やがてぶつぶつ文句をいわない抑うつ病、ほとんど意識のない麻痺状態に達する。そうすれば、もう人を責めない。がまんする。そのうちに心が休まる。こうして、まさに申し分のないやりかたで悲しみにうちかつことになる。祈りというものが目ざしてきたのはこれだ。どうしてなかなかうまいことを発見したものである。測り知れない大きさをもつ対象を前にして、すべてを知り何一つ見落とさない知恵を前にして、理解を超える威厳を前にして、うかがい知れない正義を前にして、敬虔《けいけん》な人は、考えることを放棄した。ひたむきな祈りを行うことによってまもなく大いにうるところがなかったためしは、おそらくあるまい。憤怒にうちかつこと、これは、たいへんなことだ。だが、それだけではない。祈ることによってやがて人は、自分の不幸を数えあげる想像力をしびれさせるアヘンを、自然に服用するにいたるのである。(一九一一年二月六日)
[#改ページ]
六 情念
情念の方が病気よりも耐えがたい。その理由はおそらくこうなのだ。つまり、情念というのは、すべてわれわれの性格や思想から由来しているように思えるとともに、同時に、必然性のしるしを帯びているからである。身体の怪我《けが》で苦しむときには、われわれはそこにわれわれをとりまく必然性の刻印をみとめる。苦痛をのぞいては、万事不都合はない。目の前にある対象が、姿や物音、それに匂《にお》いなどで人に恐怖または欲望のはげしい感情をひきおこさせるときには、人は心の平衡をとりもどすために、それらの対象を非難することも、それから身をさけることもできる。しかし情念に対しては、人はなすすべがない。愛するにせよ、憎むにせよ、必ずしもある対象が眼前にある必要はないからである。わたしは詩をつくるときのような心の働きによって対象を想像し、変化させさえする。すべてがわたしをそれへとつれもどす。わたしの理屈が詭弁《きべん》的なものであっても、それでもわたしには正しく思われる。急所急所になると、わたしの智恵の働きは、たちまちぴたり冴えてくる。心の乱れによってもそれほど苦しまなくなる。ひどい恐怖を感じていちもくさんに逃げ出す。そのとき、自分のことなんぞは、ろくろく考えない。ところが、恐怖を感じたという恥ずかしさは、他人にそれを恥じろといわれれば、怒りあるいは文句に変わることだろう。とりわけ、たったひとりで、とくに夜、いやおうなく休息しているときなどに、自分の恥ずかしさを見つめていると、たまらなくなる。他にすることもなく、やむをえず、いわばのがれようもなく、じっくりと思いのままに恥ずかしさを味わわざるをえないからだ。自分で放った矢がすべて自分の上にもどってくる。あなた自身があなたの敵なのだ。情熱家は自分は病気ではないと確信し、さしあたり幸福に暮す上に不都合なことは何もないと確信したときには、こう考えるようになるものである。「情熱が、おれ自身だ。そして、それはおれよりも強い」
情熱のなかには常に多少の悔恨と恐怖がある。そしてそれが当然だとわたしは思う。たとえば人はこんなことを自問する。「どうしておれはこうも自分を押さえることができないのだろうか? 同じことを性懲りもなくくりかえさなければならないのだろうか?」ここから屈辱感が生じる。だが、恐怖にしろ同じことだ。たとえば、人はこう自問する。「おれの考えそのものがだめになったのだな。おれの考えそのものが、おれ自身に反対しているのだから。おれの考えをあやつるこの魔法の力はなんだろう」でるべき場所に魔法がでてきたというわけだ。わたしの見ることろでは、それは情念の力、または奴隷《どれい》根性である。これが秘教的な魔力、つまり、自分の目や言葉を通して人間の運命を啓示してみせる密儀の力が世の中にあるという考えに人間を導くものである。情熱家は、自分を病気と判断することができず、何ものかによってのろわれたものと判断する。そして、この観念がどこまでもひろがって行ってかれ自身を苦しめるもととなる。どこにもありはしないこの激しい苦痛は、だれがこれを説明しえようか、刻々激しくなって終わることのない責任を目の前に見る思いをするからこそ、人は逆に喜んで死におもむくことになるのだ。
多くの人々がこれについて書いた。ストア学派[前三世紀初頭ゼノンが開いた哲学派。特に美徳の実践的面を重んずる論理学によって有名。理性を人間の本性と見なし、その理性にしたがって、情念に動かされることなく、克己超然として生きることを最高善・徳とした]の人々は恐れと怒りをおさえるための見事な議論をのこした。デカルトもその『情念論』のなかでそれと同じことをひたすら追求した。その意味でかれこそ最初の第一人者であり、かれみずからそれを誇りとしている。情念というのは、全く人間の思考によって発動するものであるにもかかわらず、同時に人間の肉体のなかに生じる運動に依存するものであることをかれは示した。夜の静けさのなかに、全く同じ観念がいくつもいくつも生き生きとよみがえって人間を訪れてくるのは、血液の運動によるものであり、また、神経や脳髄のなかをめぐる何であるかよくわからない液体の運行によるものである。この肉体の動きを、普通われわれは見落としている。その結果しか見ていない。あるいは、それが情念に由来するものと考えている。ところが実は、肉体の動きこそが、情念をはぐくむのである。このことをよく理解したなら、夢にせよ、夢よりももっと不自由なもう一つの夢である情念にせよ、そんなものについてきのきいた考察をめぐらした夢判断などしないですむであろう。自分を責めたり、のろったりする代りに、人間のすべてが従わざるをえない外部的な必然をみとめるだろう。そして、心のなかでこう言うだろう。「わたしは悲しい。なにを見ても物悲しくみえる。しかし、できごとがこれに関係があるわけじゃない。わたしのものの考え方もなんの関係もない。そうではなくて、わたしの身体が独特な理屈をこねたがっているのだ。胃袋の自己主張の意見なのだ」(一九一一年五月九日)
[#改ページ]
七 神託のおわり
わたしは人の手相をよく見た砲手のことを思い出す。かれの生業はきこりで、その野生の生活のためにささいな物の姿の意味をただちに解きあかす能力を身につけるようになった。わたしの想像では、かれは魔法使いかなにかのまねをして、手相を見はじめたのだと思われる。そして、ちょうどわれわれがだれでもまなざしや顔の皺から読みとるように、かれは手のひらから考えを読みとったのだ。クレール・シェーヌの森[第一次世界大戦の陣地、志願して出征したアランはここに砲兵将校として一年間駐屯した]や、一本のろうそくのあかりのもとに、かれは自己の寺院と威厳をふたたび見出し、人々の性格についてほとんど常に慎重で正確な判断を下し、また、各人の近い将来と遠い未来を予言した。だれひとり笑うものはなかった。そして、わたしは後になってある機会に、かれの予言の一つが正しかったことを知ったことがある。おそらくそのとき、わたしは記憶になにものかをつけ加えたのであろう。できごとのうちに予言の結果を見つけることは楽しいことだからである。この記憶のなにものかをつけ加える想像力の働きは、あらためてわたしに忠告を与え、わたしはいつもの用心ぶかさを、失わないできているのだということを、あらためて思い知らせてくれた。わたしはかれにもほかのだれにも、自分の手筋を見せたことがなかったからである。無信仰の力のすべては、断じて神託にうかがいを立てまいとするところがある。一たんうかがいを立てたとなると、少しは信用しないわけには行かなくなる。キリスト教の革命を示す神託時代の終息は、小さからぬできごとなのである。
ターレス[前六世紀ギリシャ七賢人の一人で、ミトレス派の創始者。ギリシャ最初の哲学者。幾何学、天文学にも通じ前五八五年の日蝕を予言し、政治的にも活躍した]、ビアス[前六世紀ギリシャ七賢人のひとり。正義で有能な弁舌家として知られる]、デモクラーテス[ギリシャの哲学者(前四六〇〜三七〇年頃)で、師レウキッポスの原子論を発展させ、当時のプラトンの観念論に対立する唯物論哲学の体系を仕上げた]その他古代の有名な老人たちは、髪の毛が薄くなりはじめたころには、おそらく血圧はどうみても満足とはいえない状態にあったことであろう。だが、かれらはそれを少しも知らなかった。このことが少なからざる利益であった。テバイドの隠者たち[エジプトの一地方テバイドの砂漠に隠棲した最初のキリスト教の隠者たち]は、さらに好都合であった。かれらは死をおそれるかわりに、死を希望していたため、たいそう長生きしたのである。不安と心配とを生理学的に、しかも立ち入って研究してみれば、これらがほかの病気につけ加わってそれを昂進《こうしん》させる病気であることを知り、それもまず医師の御神託によって知る人は、病気は二重なわけだ。心配がわれわれを食養生と投薬によって病気にうちかつようにしむけることを、わたしはよく知っている。だが、どんな養生、どんな薬がその心配自体をいやしてくれるのであろうか。
高所でわれわれをおそうめまいは、本物の病気である。だが、これはわれわれが足を踏みはずした人間の墜落と死にもの狂いな動きをまねるところから生ずる。この病気は全く想像によるものである。受験生が突然おそわれる腹痛も同じことである。下手《へた》な答えをしやしないかという心配がひまし油にも等しく激しく作用する。このことから絶えざる心配がどういう結果をひきおこすか、考えてみるがいい。恐怖心の働きが自然に病気を重くすることに思い至らない限り、用心深さに対して用心深くなれはしないものである。眠れないことをおそれる者は眠りに適した状態にはないのである。胃のことを心配するものは、消化に適した状態にはないのである。だから、病気のまねをするより、健康のしるしは健康にふさわしい運動にほかならぬ、というこの定理から、礼儀正しい、親切な立ち居ふるまいが健康に結びつくものであることは断言できる。したがって、悪い医者とは、患者が自分の病気に関心をもたせたいと願うほど、患者から好かれる医者のことであろう。そして、良医とはこれと反対に、型どおり「ぐあいはどうですか」とたずねはするが、返事なんかききもしない医者のことだ。(一九二二年三月五日)
[#改ページ]
八 想像力について
なにかちょっとした事故に会った人の顔の傷を、医者が縫ってくれるとき、手術の道具にまじって気つけ用のラム酒が一杯おいてある。ところで、たいていの場合、このラム酒を飲むのは患者ではなくて、付添人の方である。付添人は、手術について覚悟ができていないので、まっさおになって気を失うのだ。このことから、人間性探求家《モラリスト》ラ・ロシュフーコーのいうところとは逆に、われわれは必ずしも他人の不幸に耐えるに足る力をもっていないことがわかる。
この実例はとくと考えてみる価値がある。これは、われわれの常日ごろもっている意見とは無関係に表れるあわれみの心のあることを示す例だからである。血のしたたるところや、針が皮膚のなかになかなか入らないで曲がるさまを目のあたりみると、恐怖が身のうちにひろがってくる。見ている方が自分自身の血が流れでるのを何とかとめようとしたり、自分自身の皮膚をこわばらせて針をふせごうとしたりするような、そんな状態に思わずなるのである。この想像力の働きは思考によってはうちかてない。この場合の想像力には思考が欠けているのだから。知恵の思考の道理は明白であり、だれにも容易に理解できる。たしかに傷をうけたのは付添人の皮膚ではない。だが、この道理は目の前でのできごとに対してはなんのはたらきももちえない。したがって、ラム酒の方がずっと説得力があるというわけである。
そこからわたしは次のことを理解する。人間同士というものは、ただ目の前にいるというだけで、また感覚や情念を表面にあらわすということだけで、お互いに対して大きな力をもつものであるということだ。わたしのいま目の前に見ているものは何だろう、どういうことだろうとわたしが考えすすめていこうとする前に、はやくもわたしのなかから、あわれみ、恐怖、怒り、涙などが湧きでるのである。おそろしい傷を見ると、見ている人の顔色が変わる。するとその変わった顔色を見る第三の人に、恐怖が伝わり、第三の人は、顔色を変えた人がいったい何を見たのかを知らないうちに、早くも横隔膜のあたりに胸苦しい衝撃をうけるのである。そして、どんな才筆による描写にもまして、この恐怖した顔はこれを見る人を恐怖させる。表情の与える衝撃はじかでなまである。したがって、人があわれみを感ずるのは、わが身のことを考え自分を相手の立場に置いて見るからだなどというなら、それはたいへん下手《へた》な説明だということになろう。そんな反省が起こるにしても、それはあわれみを感じたあとのことである。人間同士の身体は相手の身体のまねをしてただちに苦痛に応じた行動をおこすのである。そのためまずなんともいえず不安になる。人は自分に、まるで病気のようにやってきたこの心の動揺はなんだろう、と聞きただす。
めまいもやはりこの理屈でうまく説明がつくだろう。人は深い淵《ふち》のまえに立つと、落ちるかも知れないと考える。しかし、手すりにつかまっていれば、反対に落ちることはあるまいと考える。それでも、同じようにめまいにおそわれ、かかとから首筋に戦慄《せんりつ》が走る。想像のもたらす影響はいつでもまっ先に肉体に生ずる。わたしは、死刑を執行される一歩手前の夢をみたという人の話をきいたことがある。かれは死刑になるのが自分なのか他人なのかわからなかったし、その点べつにはっきりさせようとも考えなかった、という。ただ首筋に痛みを感じただけであった。まじりけない想像とはこのようなものなのだ。肉体から切りはなされた魂というものは、寛大で情深いものと考えられがちだが、実はその逆であろう。肉体がないから同情や共感をしないのではなかろうか。生きた肉体の方がずっと高尚である。それは観念によって苦しみ、行動によって癒《い》える。そこには全く混乱がないというわけではない。しかし、また、本当の思考というものは、論理のむずかしさのほかに克服しなければならなぬものをもつ。そして、その混乱の名残こそが、思考を美しくするものなのだ。この思考の英雄的行為を果たすにあたっての肉体の役割、それが隠喩というものである。[隠喩《メタフォール》。一つの観念をあらわすのに別の具体物をもってする表現法。例。やつは狐だ(悪がしこい奴だ)。](一九二三年二月二〇日)
[#改ページ]
九 精神の病
想像力はむかしの中国よりも酷《むご》い。それが恐怖を調合する。それがわれわれに恐怖をじっくり味わわせる。実際の惨事は二度と同じところをおそうことはない。一撃で犠牲者を押しつぶしてしまう。一瞬まえには、その人はわれわれと同じで、惨事のことなどまるで考えていなかった。散歩している人が自動車におそわれて、二十メートルもはねとばされ、即死する。惨劇はそれで終わりだ。はじめもなければ、続きもない。持続が生まれるのは反省によってである。
それゆえ、わたしは事故のことを考えるとき、たいへんまちがった判断をする。わたしは、たえず今にも押しつぶされようとしていて、しかも決して押しつぶされることのないような人間として、判断しているのだ。わたしは自動車がやってくるのを想像する。実際には、もしこんなものを見たら、わたしは逃げるだろう。だが、わたしは逃げない。わたしは轢《ひ》かれた人間の立場に自分を置いているからだ。わたしは自分が轢かれるのを、まるで映画の場面のように思いうかべる。しかも、スローモーション映画のように、そして、ときどき止めたりしてながめる。またはじめから見なおす。千度も死んで、ぴんぴん生きている。健康な者にとって、病気が耐えがたいのは、まさしくかれが健康だからだ、とパスカルは言った。重い病気にかかって衰弱すると、しまいには直接的な痛みのほかには病気を感じなくなる。できごとというものは、たとえそれがどんなに悪いできごとであっても、それは可能性の働きを終わらせる、それが一度やってきてしまえば、もう二度とやってくることはない、したがって、それはわれわれに新しい色どりをもった新しい未来をさし示す、といういい点をもっているものである。苦しんでいる人間は、平凡な状態をも、まるですばらしい幸福ででもあるかのように希求する。人間は自分で考えているより賢明なのである。
実際の不幸は、まるで死刑執行人みたいにわれわれのところにすばやくやってくる。われわれの髪を切り、シャツの襟《えり》を三日月にくりぬき、腕を縛り、身体を外に突きだす。それがわたしに長時間のように思われるのは、わたしがあとからそのことを考えるからであり、そのことを何度も考え直すからであり、あらたに鋏の音をきこうと努め、ふたたび自分の腕をおさえている手下たちの手を感じようと努めるからである。実際の場合には、一つの印象が他の印象を追いはらう。そして、死刑囚の実際の心は、胴切りにされた虫のように戦慄そのものであるに違いない。われわれはずたずたにいくつもの断片に切られた虫が苦しむものと考えがちだが、それでは、虫の苦痛はそのどの断片のなかにあるのだろうか。
子供にかえった年寄や、「廃人」のようになったアル中患者の友だちに会うことはつらいものだ。なぜつらいのかというと、かれらに今のままでも生きていてもらいたいと同時に、今のままでは生きていてもらいたくないからである。しかし、自然は着実に進み、その歩みはさいわいなことに、とりかえしがつかない。新しい状態はそれに続く新しい状態を生み出す。あなたが悲痛を一個所にかきあつめても、それは時の路上にばらまかれるのである。いまこの瞬間の不幸は、ただこの瞬間の不幸であるにすぎず、つぎの瞬間には不幸となるとは限らない。老人とは、老朽になやむ若者のことではない。死人とは、死んでいる生者のことではない。
つまり、死におそわれるのは生者のみであり、不幸の重荷を心に感ずるのは幸福な人たちのみなのである。したがって、人はたとえ偽善者でなくとも、自分の行っている悪よりも他人の行っている悪の方に敏感であるということが、まま起こるのである。そこから人生についての誤った判断が生まれる。気をつけないと、それが人生を毒する。そんな悲劇を演じてはならない。そのためには、真実の知恵を働かせて、力いっぱい現在の真実を把握しなければならない。(一九一〇年一二月一三日)
[#改ページ]
十 気で病む男
ほんのちょっとしたことが原因で、せっかくの一日をだいなしにすることがある。たとえば、靴に釘が出ているといった場合である。こんなときには、なに一つおもしろくないし、頭はぼんやりしてうまく働かない。だが、その療法は簡単なのである。こういう不幸はすべて、着物のように脱ぎすてることができる。われわれはそのことをよく知っている。そして、こういう不幸は、原因を知ることで、今すぐにでも軽くできる。ピンのさきがささって痛がっている乳呑児《ちのみご》は、まるでどこかがひどい病気にかかってでもいるように、大声をあげて泣き立てる。乳呑児は原因のことも、療法のことも考えられないからである。時には、泣きさけぶために身体の調子が悪くなり、そのためいっそうひどく泣きさけぶ。これこそ、気で病む病と呼ばれるべきものだ。これもほかの病気同様、本物の病気なのである。この病気が気で病む、想像力による病であるというのは、ただただそれがわれわれ自身の心の動揺からつくり出されているのにわれわれがそれを外的な事柄のせいであると思っているという点にある。泣きわめくことでみずから苛立《いらだ》つのは、なにも乳呑児ばかりではないのである。
人はよく、不機嫌《ふきげん》というのは病気みたいなもので、どうにも手に負えないものだ、という。わたしが、きわめて簡単な動作ですぐにとりのぞくことのできる苦痛や苛立ちの例をこの文章のはじめに、あらたにまたとりあげたのは、そのためである。ふくらはぎがひきつると、どんなにがっしりした大の男でも悲鳴をあげることは、だれでもが知っている。そんなときには、足のひらを平らにして地面に押しつけなさい。立ちどころになおる。ブヨや炭の粉が目に入った場合、こすりでもしようものなら、二、三時間はいやな目にあう。そんなときには、両手はそのままにして動かさないで、鼻先をながめていなさい。すぐに涙が出てきて不快な目にあわずにすむ。この簡単きわまる療法を知ってから、わたしは二十度以上もためしてみた。これは、はじめから自分の周囲の物事のせいにしないで、まず自分自身に気をつけることが賢明であるということの、なによりもの証拠である。ひとをみていると、ことさらに不幸を好んでいるように見うけられることがある。これはある種の狂人たちの場合にいっそう拡大された姿で現われる。なにか神秘的であると同時に悪魔的な感情が、そこに働いているのだと考える人もでてくるかもしれない。だが、それは想像力にだまされている人だ。自分自身をひっかきむしっている人間にあるのは、それほどの心の深淵でもなければ、苦悩への嗜好でもなく、むしろ、悩ましさを引きおこしている真の原因を知らないことからくる、ときほぐしたい焦燥と動揺なのである。馬から落ちることの恐怖は、落ちまいとして下手《へた》にじたばたすることから生ずる。そして一番わるいことには、じたばたすることが馬をこわがらせるのである。そこでわたしは、スキタイ人[北欧および北アジアを遊牧した古代の蛮族]流にこう結論したい。乗馬術を心得ている人は、あらゆる知恵、もしくはほとんどあらゆる知恵を身につけている、と。それに、落ちるには落ちる術がある。よっぱらいは、うまく落ちようなどと少しも考えないくせに、それでもうまく落ちるのだから、驚いたものだ。消防士は、落ちたって平気の平座であるから、見事なものだ。もちろん落ちる訓練をうけ続けてきたからである。
微笑は、不機嫌に対してはなんらなすところがなく、効果もないように見える。だから、われわれは少しもそれをやってみようとしない。しかし、礼儀というものは、しばしばわれわれからむりに笑いやしとやかな挨拶をひきだす。するとわれわれは全く変わってしまうものである。生理学者はその理由をよく知っている。つまり、微笑というものは、あくび同様身体の深い下の方まで降ってゆき、次々と喉《のど》や肺臓と心臓をゆったりさせるものなのである。医者の薬箱のなかにだって、こんなにはやく、こんなにうまいぐあいにきく薬はあるまい。一たび微笑がおこると、肺臓と心臓をゆったりとさせる緊張緩和作用が生じて、そのために想像力の呪縛の苦しみから人間は開放されるのである。そして想像力のひきおこす病気が実在するのであってみればこの緊張緩和作用だって、決してそれに劣らぬ程度に実在するのだ。また、のんき者らしく見せかけたい人は、首をすくめることを知っている。この動作は、よく考えてみると、肺臓の空気を入れ換え、あらゆる意味での心臓《クール》をしずめるものだ。あらゆる意味での、というのは、心臓[フランス語でクール(le coeur)。これには、心臓という意味から派生して心、胸、気持、気分、心情、良心、記憶、勇気、感情、関心、愛情、中心、などの意味がある]ということばにはいくつもの意味があるからである。(一九二三年九月一一日)
[#改ページ]
十一 医薬
学者はいう。「わたしはたくさんの真理を知っている。そして、自分の知らない真理についてもじゅうぶん考えをまとめられる。わたしは機械というものを知っている。したがって、ちょっとしたこころくばりと二、三分の注意を怠ると、なぜねじどめが跳ねて全体がこわれてしまうか、をも知っている。いつだって、適当なときに技術者に相談しないからなのだ。それゆえわたしは、自分の時間の一部をさいて、わたしの身体というこの組立機械の監督にあてている。したがって、また、摩擦やきしみの兆候があるとすぐ、病んでいる部分、あるいは病んでいると思われる部分を専門家に見せて、しらべてもらっている。かの有名なデカルトの教えにしたがって、わたしはこうした配慮により、不慮の災いは別として、父祖たちから受けとった組立機械が許すかぎりの寿命をたもてる確信をもっている。これがわたしの知恵だ」かれはそう語った。しかし、その生活はみじめだった。
読書家はいう。「わたしは、軽信の人々の生活をわずらわしいものとしたたくさんのまちがった観念を知っている。その誤謬《ごびゅう》から、わたしは現代の学者のあまり知られない重要な真理をいくつも学んだ。わたしが読書を通じてまなんだところによれば、想像力がこの人間世界の女王である。そして偉大なデカルトはその『情念論』のなかで、想像力の原因をじゅうぶんに説明してくれた。すなわち、不安というものは、たとえわたしがこれにうちかちえたにしても、内臓に炎症をおこさせずにはおかない。不意打が心臓の鼓動を変化させないということもありえない。サラダのなかにみみずが入っているのを考えただけでも、本物の吐きけをもよおす。すべてこれらのまちがった観念は、わたしがそれを少しも信じないときでも、わたし自身の奥ふかいところ、わたし自身の生命の宿っている中心を支配して、いきなり血液と体液の循環を変えてしまう。人間の意志などのできることではないのだ。ところで、わたしが一日ごとに呑みこむ見えざる敵がどんなものであろうと、それはわたしの心臓に対しても、胃袋に対しても、気分の変化や想像力の夢想がなしうるほどのことはなしえないのである。必要なことは、まず第一に、できるだけ満ち足りた気持ちでいることだ。第二には、自分の肉体そのものを対象とした心配、生命のすべての機能を確実に混乱させることになるような心配を、追いはらうことである。あらゆる民族の歴史に、自分はのろわれていると思いこんだがゆえに死んだ人々が、見られるではないか。呪《のろ》い殺しというものは、呪いにかけられている本人がそのことを知らされさえすれば、きわめて立派に成功したではないか。とすれば、最良の医者といえども、わたし自身をのろうこと以外になにかできるであろうか。かれのことばだけでわたしの心臓の鼓動が変わってしまうとき、わたしはかれの丸薬からどんな効能を期待できるだろうか。わたしが医薬になにを望みうるのか、わたしはそれが少しもわからない。まるで知らない。しかし、わたしが医薬になにを恐れうるか、わたしはそれはよくわかっている。だから、わたしというこの機械のどんな故障に気がつこうと、こう考えるのが最良のなぐさめなのだ。すなわち、障害の大部分は、ほかならぬわたしの関心と心配そのものが作り出したものであり、しだかって最良でもっとも確実な療法は、胃病や腎臓《じんぞう》病を足のまめ以上におそれないことだ、と。皮膚の表皮がちょっと硬《かた》くなっただけでも、胃病や腎臓病と同じくらいの苦痛を感じることがある。これこそ、忍耐が肝心というよい教訓ではあるまいか」(一九二二年三月二三日)
[#改ページ]
十二 微笑
不|機嫌《きげん》というものは、結果でもあるが、それに劣らず原因でもある、とわたしはいいたい。われわれの病気の大部分は、礼儀を忘れた結果である、とさえ考えたい。礼儀を忘れるということを、わたしは人体の自分自身に対する暴力行為である、と考える。牛馬売買業という職業がら動物たちを観察していたわたしの父は、人間と同じ条件におかれ、人間と同じくらい身体を酷使させられているのに、動物にはずっと病気が少ない、といい、それを不思議がっていた。それは、動物には気分というものが欠けているからである。ここで気分とは、思念によって生ずる苛立《いらだ》ちや疲れや倦怠《けんたい》を意味する。たとえば、だれでも知っているように、人間の思念は、眠りたいときに眠れないと腹を立てる。そしてその焦慮のためにこそ、また眠れなくなる。最悪の場合を心配して、不吉な空想により不安な状態をつのらせることもある。こうなると、病気がなおるどころの話ではない。
よく世間でいわれるように、大きく一息つくことが必要なときでさえ、階段を見ただけで、息をとめる想像力がはたらいて、心臓が収縮する。もともと怒りとは、咳《せき》と全く同じく病気の一種なのである。咳は苛立ちの一つの典型と見なすことさえできる。咳の原因は肉体の状態によるからである。ところが、いちはやく想像力が咳を待ちかまえ、さがし求めさえする。ちょうど身体のかゆいところをかきむしる人たちのように、ひどくすれば病気をのがれることができるだろうという馬鹿《ばか》げた考えから、わざわざ咳をさがしもとめるのである。動物たちも自分の身体をかきむしって、傷だらけにすることを、わたしはよく知っている。しかし、単なる思念の働きだけで自分自身をかきむしり、情念の働きだけで直ちに自分の心臓を興奮させて、いたるところに血液をふきださせることのできるのは、人間の危険な特権である。
もう一度、情念について考えてみよう。これから脱《のが》れたいと思うものは、脱れてはいけない。そうなるためには、自己教化の長いまわり道を経なければならない。名誉欲に引きずられないために、名誉を求めまいとする賢者の場合と同じである。しかし、不機嫌は、われわれを縛りつけ、絞めつける。悲しみに従おうとする身体の変化に応じて、思わず人間はその悲しみを維持しようとする、ただこれだけのことのために、そうなるのだ。退屈を維持するに適した坐り方、立ち方、話し方をしている人は、なにかの行動によって自分の筋肉に強い刺激と緊張と柔軟さをあたえるマッサージをしなければならないのにそうはせずに、自分の筋肉をすきなだけばらばらに解きほどいてしまう。ほとんど、車の連結をはずすようにばらばらにしてしまう。
気分に対してたたかうのは、判断力の役割ではない。判断力はここではなんの役にも立たない。そうではなく、姿勢をかえて適当な運動をやってみる必要がある。人間の身体のうちで、運動を伝える筋肉だけが、人間の統御しうる唯一の部分なのだから。微笑したり、首をすくめたりすることが、心配事をおいはらう良策なのである。まったく容易にできるこの運動が、ただちに内臓の血液循環に変化を与えることに注意するがいい。人は随意に伸びをしたり、あくびをしたりすることができる。これが不安と焦燥に対する最良の体操である。だが、いらいらしている人は、こんなぐあいに無頓着な態度をまねてみることには、考え及ばないだろう。同様に、不眠症になやむ者は、眠ったふりをしてみることに考えつかないだろう。だが、おれは不機嫌なのだぞということを自分自身にはっきり見せつけることによってこそ、不機嫌は続いてゆく。気分とは、そんなものだ。他に知恵がないから、われわれは、礼儀作法というものにすがり、微笑の義務と強制に助けをもとめて、不機嫌をおいはらおうとするのだ。ものごとに無頓着な人間とのつきあいが大いに歓迎されるのはこのためである。(一九二三年四月二〇日)
[#改ページ]
十三 事故
恐ろしい墜落について、だれでもちょっとは考えたことがあるだろう。大きな馬車の車輪が一つはずれる。馬車はおそらくはじめはかなりゆっくりと傾く。すると、一瞬、深淵《しんえん》の上に宙づりになったあわれむべき遭難者たちは、この世のものならぬ悲鳴をあげる。こういう場面は、だれでもかなり容易に想像できる。なかには、夢でこういう墜落の発端と地面への激突する直前の恐怖を味わう者もあろう。しかしそれは、思いめぐらすだけの時間があるからなのである。かれらは墜落状態をまねてみる。恐怖を味わってみる。落ちるのをやめて、落ちることを考えてみるというわけだ。ある日、ひとりの婦人がわたしに言った。「わたくしったら、なんでもかんでもこわいんです。そのわたしが死ななければならない日のことを考えましたら……」幸いにして物事の勢いというものは、われわれをとらえるときには、猶予しない。瞬間と瞬間とを結びつけている鎖が断ちきられる。だから、このうえない苦しみも、目にもみえないほんの少量にすぎない。触知されもしないほどだ。恐怖は眠り薬のようなものである。クロロフォルムは意識の最高部しかねむらせないもののようである。身体の器官はそれぞれてんでに動き、かってに苦しんでいる。そのために、眠りがおとずれないのだ。およそ苦しみというものはじっとながめられたがるものだ。ながめられなければ、全く感じられないものなのである。千分の一秒だけ感じられて、たちまち忘れられてしまう痛みとはなんであるか。苦悩は歯痛と同じように、人がこれを予想し、待ちうけ、現在を中心とした前後の時間にしばらくのあいだ持続させてはじめて、存在するものなのである。現在だけというのは無いに等しい。なるほど、痛みは味わうかもしれない。しかし、実は痛みそのものよりも、痛むかもしれないという恐れの方を、人はより多く苦痛に感じているのだ。
これらの考察は、意識そのものに対する正確な分析に基づいている。そして、真実の慰めとはなにかを教えてくれる。しかし想像力は大声をあげる。恐怖をつくりあげるのはその想像力の働きである。このことを理解するには、少し経験が必要かもしれない。けれども、だれにしろ経験が全くないわけではあるまい。ある日わたしは劇場で、ちょっとした恐怖にかられて自分の座席から十メートル以上もさきまで駆けだしていったことがある。きなくさいにおいがして、だれもかれもが争って逃げ出したからである。だが、実は、こういう人波にまきこまれてどこへ行くのか、なにが起きたのかもわからず押し流されて行くぐらい、おそろしいことがあろうか。まさしく、わたしはそれについてなに一つ知らなかったのだ。そのときも、あとから考えてみたときも。要するに、わたしはもって行かれただけなのだ。それに、これといって思いめぐらすこともなかったから、思いあたるものも全くなかった。予想も、記憶も、なんにもなかった。つまり、知覚もなければ、感情さえなかった。あるのはむしろ数瞬間のねむりだけである。
前線に向かって出発した晩のこと、うわさや武勇談や馬鹿げた空想などにみちたみじめな列車のなかでわたしはあまり楽しくない思いに襲われていた。そこには、シャルルロア[ベルギーの町。一九一四年八月の末、ドイツ軍がここで勝利をおさめた]の落武者が何人かいたが、かれらには恐怖をいだくだけの暇があった。おまけに片すみには、頭にほうたいをした死人のように青ざめた男がいた。これを見ると、戦闘のおそろしい場面が現実味を帯びてきた。話し手は言った。「やつらは蟻《あり》みたいにわれわれのところに攻めよせてきた。味方の砲火ではどうしようもなかった」想像力は敗北した。幸い、死人のような男が口をひらいたからである。そして、アルザスで耳のうしろで弾丸が炸裂《さくれつ》して死にかけたありさまを話してくれた。もう病いは気のせいではなく本物だった。かれは言った。「おれたちは森のなかを逃げた。おれは森のはずれまで駆け出した。だがそこから先はどうなったかわからない。なんでも大気に当って突然眠りこんだようだった。そして目がさめてみると病院の寝台の上だった。そこでおれは頭から親指くらいも大きさのある破片を摘出したことを聞かされたのだ」こうして、わたしは地獄からぬけ出したこのもうひとりのエル[プラトン『共和国』に出てくる勇士。地獄からぬけだしてきた]によって、想像上の不幸から本物の不幸につれもどされた。そして最大の不幸とは物事をゆがめて考えることではないか、と思った。それがわかったところで、おそろしい衝撃や骨の砕ける音を少しも思い浮かべないようになれるものではあるまい。だが、人が想像している不幸はいつも実際よりも誇張されているものだということを知るだけでも、なにほどかのことはあるのだ。(一九二三年八月二二日)
[#改ページ]
十四 惨劇
ひどい難破ののちに助けられた人たちは、おそろしい思い出をもっている。舷窓《げんそう》にせまる氷壁。一瞬の躊躇《ちゅうちょ》と希望。静かな洋上に照らし出された巨大な船の姿。船首が傾く。あかりが突然消える。続いて、千八百の乗客の悲鳴。船尾が塔のようにそそり立つ。そして、さまざまな機械類が、万雷の響きをたてて、船首の方へなだれ落ちる。そして、ろくに渦らしい渦も巻かず海底にのみこまれてゆく、船というこの巨きな|ひつぎ《ヽヽヽ》。寂寥《せきりょう》の上を寒夜が支配する。冷たさ、絶望、そして最後に救助。眠れない夜には、この惨劇が何度も何度も再現される。今ではさまざまな思い出がこれと結びついている。できのいい脚本のように、どの部分も悲劇的な意味を帯びている。
『マクベス』のなかに、館《やかた》の朝、門衛が夜あけと燕《つばめ》をながめるところがある。まことに新鮮、簡潔、純粋な場面だ。しかしわれわれは犯罪がすでに行われたことを知っている。したがって、悲劇的な恐怖はここで最高潮に達する。同様に、難破を思い出す場合にも、一つ一つの瞬間がそれに続いておころうとしている。事柄によってくっきりと照明を与えられる。いっぱいにあかりをともして洋上に静かに、堅固に浮かんだ船の姿は、その瞬間には頼もしかったのである。ところが、かれらの難破の思い出や夢、難破についてわたしの描く想像のなかでは、それは恐怖の一瞬前の姿となる。したがって惨劇はいまや、一分また一分とせまってくる断末魔の苦しみを知り、理解し、味わう観客のために再開される。だが、実際の行為そのものには、この観客は存在しない。反省も行われはしない。印象は光景と同時に変化する。もっと正確にいえば、光景なども存在しない。あるのはただ、思いもよらぬ、何のことかも判らぬ、筋道もつけえない、そんな知覚の連続だけなのである。思考は一瞬ごとに難破する。一つの物の姿があらわれては消え、また別の物の姿があらわれては消える。つまり、できごとが惨劇を殺害したのだ。
感ずること、それは反省することである。思い出すことである。大小さまざまの事故に際してこれと同じことをだれでもが観察しえたところであろう。新しさ、意外さ、急を要する行動、それらのことが、注意力をすべて奪ってしまい、なんの感情も起こさない。できごとそのものを全く正直に再構成しようと試みる人は、理解することも、予測することもできず、まるで夢のなかにいるようだったというだろう。あとになってそれを考えて恐怖を感じるために、悲劇的な話をすることになるのである。だれかの病気を臨終まで見とる場合のような、おおきな悲しみについても同じことがいえる。そのときは茫然としてしまって、瞬間瞬間の行動と知覚に身を委《ゆだ》ねているだけのことだ。恐怖と絶望のありさまを他人に伝えるとしても、その時は苦しかったわけではない。自分の苦しさのことばかり考えすぎる人たちが、他人を泣かせるまで自分の苦しみを語るときには、泣かせるということが、いくらか慰みになるからである。
それに、死んでしまった人々がどう感じたにしても、死はすべてを葬り去ったのだ。われわれが新聞をひらくまえに、かれらの苦しみは終わってしまっているのだ。つまり、かれらは治癒《ちゆ》しているのである。誰でもが、そう感じるに違いない。してみれば、実は、人は死後の生命を信じていないのではなかろうか。けれども、生き残っている人々の想像力のなかでは、死者は決して死ぬことをやめないのである。(一九一一年四月二四日)
[#改ページ]
十五 死について
政治家の死は瞑想《めいそう》の機会である。至るところににわか神学者があらわれる。だれもが自己というもの、そして死という人間共通の条件に立ちかえる。しかし、この思考そのものには対象がない。われわれは自分自身を生きたものとしてしか考えられないからである。そこで焦慮する。この抽象的で、まったくとらえどころのない死という脅威を前にしては、われわれはどうにも手の下しようがない。優柔不断は最大の悪だとデカルト[一五九六〜一六五〇。フランスの哲学者、数学者、解析幾何学の創始者、スコラ学への不満から新しい認識の方法として演繹法を提唱した。それは凡ゆる事実に対する懐疑の後に得られた『我思う故に我あり』を唯一の確実な知識とするものであり、それによって精神と物体の独立の二実体とする二元論をたてた]は言った。ところが、われわれはその優柔不断のなかに投げこまれ、救われようがない。首をくくろうとしている者の方が、めぐまれた立場にいる。かれは釘《くぎ》とひもをえらぶ。最後の一飛びまで、すべて自分の思うがままだ。そして、痛風患者が足のうまい置き方に専念するように、どんな悪い状態にあっても、人は現実に役立つ配慮をするものだし、何かしらの試みをするものなのだ。しかし、自分が健康でありながら死を考える人間の状態は、死の危険はいつおとずれるものかは未定なのだから、実はおかしなものである。死を考えるときにおそわれる短い心の動揺は、これを規制するものも、おしとどめるものもない。裸の情念なのである。他にどうしようもなければ、さしあたり、トランプ遊びでもするがいい。そうすれば、死について無制限に考える代わりに、つまり決断しなければならない時期や目前にさしせまった敗北などという、はっきり決まっている問題について考えなくてはならなくなるというものだ。
人間は勇気をもっている。ときと場合によってではなく、本質的に人間は勇気をもっている。行動することは思いきって行うことだ。考えることは思いきって行うことだ。危険は至るところにある。だからといって、人間はおびえはしない。ごらんのとおり、人間はみずから死を求め、それをものともしない。しかし、人間は死を待つことができない。多忙でない人はみんな焦っているから、かなり好戦的である。かれらが死にたいからではなく、むしろ生きたいからである。そして戦争の本当の原因は、たしかに少数の者の倦怠《けんたい》にある。かれらは、トランプ遊びのもつようなはっきりした危険、限定された危険を、求めても欲しいと願っているのである。自分の手で働く人々が平和的であるのは偶然ではない。その人々は一刻一刻において勝利者だからである。彼らの時間はたえず充実しており、肯定的である。かれらは死にうちかつことをやめない。これこそ死を考える正しい態度なのである。兵士の心をとらえているのは、死の危険にさらされているという抽象的な条件ではなくて、あれやこれやの具体的な危険なのである。ことによると、戦争は弁証法神学[カール・バルト、エミール・ブルンナーなどの神学。危機を強調するので危機神学ともいわれる]における唯一の治療法かも知れない。この影を食う人々は、最後には必ずわれわれを戦争へとつれて行く。恐れをいやしてくれるものは、ほんものの危険以外にないからである。
人は病気になると、病気なのではないかという恐れからはたちまち癒《い》えてしまうものだ。われわれの敵はいつでも想像上のものである。つまり、つかまえどころがまるでないのだ。仮定に対しては手の下しようがないではないか。ある男が破産したとする。たちまち、なすべきこと、しかも緊急になすべきことがいくつも出てくる。こうしてかれらは、自分の生活は、まるで手もつけずにほうりっぱなしだったことに気付く。だが、革命や、平価切下げや、証券の下落などを想像しただけでたちまち、破産や零落の心配をするような人は、どうしたらいいのか。なにを望むことができるか。かれはどんなことを考えても、すぐその反対のことを考えて否定してしまう。起こるかもしれないことを考えだしたら、きりがない。さまざまの好ましからざることがたえず生まれてきて終わることがない。なんの進展もありはしない。かれのすべての行為は結局端緒であるにとどまる。端緒どうしが互いに中断し合ったり、からみ合ったりしているだけのことだ。恐れというものは、どんな結果もうみえない心の動揺に他ならない。人間は死のことを考えるやいなや、たちまち死を恐れる。わたしもたしかにそうだと思う。なにもせず考えてばかりいるかぎり、恐ろしくないなにがあろうか。思考が裏うちのない可能性のなかに迷いこんだ以上、恐ろしくないなにがあろうか。試験のことを考えただけでも、こわくなって腹痛をおこすことがある。この腹わたの動きは、刃物で脅かされているために起こるのだと、人が考えるだろうか。考えはしない。実は、対象がないいらだちのために優柔不断が業をにやして腹に火をつけたのである。(一九二三年八月一〇日)
[#改ページ]
十六 態度
どんな平凡な人間でも、自分の不幸をまねるとなると大芸術家になる。よく言われることだが、心がしめつけられると、人はなおいっそう自分の腕で自分の胸をしめ上げ、あらゆる筋肉が互いになおいっそうひっぱり合うようにするものである。どこにも敵などいないのに、歯をくいしばり、胸を武装し、拳《こぶし》を天にふりあげる。こういう人さわがせな動作は、外部にあらわれない場合にも、じっと動かないでいる身体の内部で下ごしらえされている。そしてそのためにいっそう強力な力を発揮することとなるのだ。眠れないときには、きまりきって同じ考えが、それもたいていは不愉快な考えが、どうどうめぐりする。これに気付くと人はびっくりする。しかし、この不愉快な考えを呼びおこすのは、あの下ごしらえされた物まねなのである。これは賭けてもいい。道徳的な病気と身体の病気の初期の症状をいやすには、緊張をときほぐし、体操をすることが必要である。ほとんどこの療法で間に合うのではないかと思われる。ところが、世間の人はこの療法のことに考えおよばない。
礼儀という習慣は、人間の思考に大きな影響力をもっている。優しさ、親切、快活さなどをまねるならば、それは不|機嫌《きげん》、さらには胃腸病に対してさえ、りっぱに手当をしたことになる。頭を下げたり、微笑したりする運動は、その反対の、怒り、不信、悲嘆などの運動を不可能にする。だからこそ、社交生活、訪問、儀式、祝祭などがいつでも喜ばれるのである。それは幸福をまねる機会である。そしてこういう一種の喜劇は確実にわれわれを悲劇から解放してくれる。これはたいしたことである。
宗教的態度は、これを医者が考察すれば役に立つものである。神の前に跪《ひざまず》き、かがみこみ、身体をやわらげると、体内の諸器官が解放され、生命の機能がいっそうなめらかに働くようになるからだ。「頭《ず》を下げよ。心おごれるシカンブルびと」[聖レミがカトリックに改宗したフランク王クロヴィス一世に、洗礼に際して言ったことば。シカンブルは古代ゲルマニアの民]これは怒りや慢心から癒えよと言っているのではなく、ともかく黙って、目を休ませ、柔和にふるまえといっているのである。そうすれば、性格のあらあらしさがぬぐいさられる。長期に、あるいは永久に、そうなるのではない。そんなことはわれわれの力では及ばない。そうではなくて、じきに、そしてしばしの間、ということである。おもえば宗教上のさまざまな奇跡は、奇跡でもなんでもない。
人がしつこい考えをどうやって追いはらうかを見ると、ためになる。かれは、まるで筋肉をほぐすためでもあるかのように、心配ごとを遠く投げすて、指を鳴らす。今もっているのとは、別の知覚や別の空想をいだこうとするのである。そのときダビデの竪琴[ダビデはイスラエルの王、詩人で予言者、旧約詩篇の作者、竪琴の名手]がかれの心をとらえ、その身ぶりを整え、和らげて、憤怒と焦燥のすべてを遠ざけてくれるならば、抑うつ病患者などたちまちなおってしまうであろう。
わたしは、当惑したときのしぐさが好きである。人はそのとき耳のうしろの髪をかく。ところでこのしぐさはいわば一つの策略であって、もっともおそろしいしぐさの一つである石や投矢を投げるしぐさを思いとどまらせ、まぎらしてしまうという効果をもつものなのである。つまり、物まねが人を自由にするのと、しぐさが人をつりこむのとはきわめて近い関係にあるものなのである。数珠《じゅず》は、考えと手を数えることに同時に専念させてしまう感嘆すべき発明である。意志は情念に対してはなんらの支配力もないが、運動に対しては直接の支配力をもっている、という賢者となるための極意は、さらにいっそうすばらしい。人もいうように、ヴァイオリンの鳴らし方をあれこれ考えこんでいるよりは、まず手にとってひいてみることなのである。(一九二二年二月一六日)
[#改ページ]
十七 体操
舞台に出るとき死ぬほど恐ろしいおもいをするピアニストも、演奏をはじめるやいなやたちまちなんでもなくなってしまうというのは、なんと説明したものだろう。演奏をはじめた時にはもう恐れることなど頭のなかにないのだ、と言う人があるかも知れない。それもまちがいではない。しかしわたしは、恐れそのものをもっと立ち入って考察し、芸術家がそのしなやかな指の運動によって恐怖をゆさぶり、これを追いはらってしまうのだと理解したい。すなわち、われわれの身体という機械ではすべてがもちつもたれつの関係にあるので、胸が楽になっていなければ、指も楽にはならない。しなやかさは、こわばりと同様、あらゆるところを侵すものである。そして、うまく統御された肉体のなかには、恐れはもう存在することができないのである。本当の歌や本当の雄弁がやはり同じように気持ちを落ち着かせるのは、身体中のあらゆる筋肉が刺激されて調子よく活動しだすからである。注目に価しながらほとんど注目されていないもの、それはわれわれを情念から解放する思考ではなくて、われわれを解放するのはむしろ行動であるということである。人は自分の思うままに考えるものではない。そうではなくて、日頃なれ親しんだ動作をするとき、筋肉が体操によって訓練されしなやかになっているとき、そんなときに人は思うままに行動するのである。心配事のあるときは、理屈を考えようとしない方がいい。理屈はあなた自身に鉾先《ほこさき》を向けることになるだろうから。それより、今ではどの学校でも教えている、あの腕の上げ下げや屈伸の運動をやってみるがいい。その結果にあなたは驚くことだろう。だから、哲学の先生はあなたを体操の先生のところへつれて行く。
ある飛行家が、草の上にねころんでお天気が晴れあがるのを待ちながら、どうにも手の下しようのない危険について考えていた二時間のあいだが、どんなにおそろしかったかを、話してくれたことがある。空中に上って、日頃なれ親しんだ器械を操縦すると、そのおそろしさは、すぐなおった。この話しを思い出したのは、有名なフォンク[ルネ・フォンク、飛行家の先駆者のひとり。第一次世界大戦でめざましい活躍をしめした]の冒険の一つを読んでいたときだった。フォンクはある日、戦闘機に乗って地上四千メートルに達したとき、操縦|桿《かん》がいうことをきかなくなり、墜落する他はないことに気がついた。かれはその原因をさぐり、ついに弾薬箱からぬけだしている一発の弾丸を見つけた。そのためにすべてが動かなくなっていたのだ。そして、墜落しながらそれをもとの箱へもどし、別に損害もなく機首を立て直した。この数分間のことは、思い出したり夢のなかでみたりすると、今でもこの勇敢な男を恐怖させることができる。しかし、もし、かれは今はそれを考えて恐怖を感じたと同じように、その瞬間にも恐怖を感じたのだ、と考える人があれば、それはまちがっていよう。われわれの肉体はわれわれにとって一筋なわでは行かない。というのは、われわれの命令をうけなくなると、肉体はたちまち指揮をとりだすからである。そのかわり、同時に二つのやり方で動くことはできないようにできあがっている。手は開いているか、握っているかのどちらかである。もし手を開ければ、握ったこぶしのなかに持っていたすべての苛立《いらだ》たしい考えは逃げて行く。ただ首をすくめさえすれば、胸という鳥|籠《かご》のなかに閉じこめておいた心配事がとび去ることはまちがいない。呑《の》みこむのと咳《せき》をするのとは同時にはできない。だから、わたしは咳をとめるのに、咳どめドロップを呑むのが一番だというのである。同じわけあいで、あくびをすれば、しゃっくりが止まる。だが、どうやってあくびをするか。まず、伸びやにせのあくびなど、あくびのまねをしていれば、やがてはうまいぐあいに本物のあくびができるようになる。あなたの許可もうけずに勝手にあなたにしゃっくりをさせる、あなたのなかのしゃっくり虫は、こうしてあくびをする姿勢をとらされる。したがって、あくびをするだろう。これが、しゃっくりや心配事に対する有力な療法である。十五分ごとにあくびをすることを命ずるような医者は、どこにもいないことだろう。(一九二二年三月一六日)
[#改ページ]
十八 祈り
口を開けたままイという音を考えることは決してできはしない。やって見るがいい。もし口を開けないでいるならば、口には出そうともせずに頭のなかだけで考えたイの音は、アに近い音となることを知るであろう。肉体の運動器官が想像力に反する運動を行うときには、想像力はたいした働きをしないことを、この実例は教えてくれる。この肉体の運動器官と想像力の関係は、人間の動作がじかに明らかにしてくれる。すべての想像された運動を現実に描き出すものが、動作だからである。怒っていれば、わたしはまちがいなくこぶしを握りしめる。これはだれでもよく知っている。ところが、人は一般に、そこからさまざまな情念を支配する方法を引き出そうとしない。
あらゆる宗教は、おどろくべき実践的な智恵を含んでいる。たとえば、不幸な人がその不幸を否定しようとしてむなしく苦心するためにかえって自分の不幸を倍加する反抗の運動をおさえて、宗教は、不幸な人を|跪か《ひざまず》せ、頭を両手でいだかせる。あれこれお説教するより、これの方がましなのである。この体操は、想像力の過激状態をおさえ、絶望あるいは憤怒の作用をしばしば中断するから、体操こそ秘訣《ひけつ》だ。
だが、人間というものは、一たび情念のとりこになると、驚くほど柔順になるものだ。こんな簡単な療法をなかなか信用してはくれない。他人から無礼な仕打ちをうけた人間は、まずそれが無礼であることを確認するため、あれこれといろいろな理屈を考えだすことだろう。かれは自体を悪化させる事情をさがしだそうと努め、そしてそれを見つけだすことだろう。かれはこう言うに違いない。これこそおれの正当な怒りの原因だ。おれは断じて怒りを静めて楽になろうとは思わない、と。これが最初の瞬間である。その次に理屈がやってくる。人間というものは驚くべき哲学者なのだから。そして人間をもっとも驚かすのは、理性が情念に対してなんらの力ももちえないということである。「理屈ではいつでもそう思うのだが……」こういうことはだれでも言う。そして、独白する主人公が自己弁護のすべてをぶちまけなかったら、悲劇としては物足りまい。また、この状態を懐疑家たちが逐一明確に描写するならば、なるほど世の中にはうちかちがたい宿命というものがあるのだなあと、読者は思うようになるかもしれない。だが、別に懐疑家が何かを発見したわけではない。もっとも古い神の観念は、もっとも洗練された神の観念と同じく、常に人間が自分は裁《さば》かれて有罪を宣告された存在であると感ずるところから生ずる。人間は、人類の長い幼少期の間、自分たちの情念は夢と同じく神が授けてくれたものと信じていた。したがって、苦痛が軽減され、救われたと思った場合には、つねにそこに恩寵《おんちょう》の奇跡を見たのである。不安にたえかねる人は跪いて安らかさをもとめる。そして、正しくひざまづけば、つまり、怒りをとりのぞく姿勢をとるならば、かれは当然安らぎをうる。そのときかれは、慈悲深い力を感じる。そのために苦しみから救われたのだと思う。ごらんの通り、いかに神学は自然に展開されていることか。かれが何もえなかった場合には、助言者がわけなくこう言ってくれることだろう。それはあなたが正しく求めなかったからです。跪きかたを知らなかったからです。自分の怒りをあまり愛《いと》しみすぎるからです、などなど。それは神々が義《ただ》しいこと、神々が人の心を見ぬかれることのりっぱな証拠である、と神学者はいうだろう。司祭も信者に劣らず素直であったというわけである。人間は人体の運動が情念の原因であり、したがって適当な体操がその療法であることに気がつくまで、長い間さまざまな情念を耐え忍んできた。そして、態度や祭儀――いや礼儀といおう――などの有力な効果を人間は知っていたから、あの改宗と呼ばれる突然の気分の変化は長い間の奇跡だったのである。おそらく、迷信とは常に、当然の結果を超自然的な原因によって説明するところに存する。そして今日でも、もっとも教育のある人々でさえ、一たび情念の火のなかに身を焼かれれば、かれらが一番よく知っていることさえもう容易に信じようとしなくなるのである。(一九一三年一二月二四日)
[#改ページ]
十九 あくびの仕方
炉ばたで犬があくびをする。それは猟師たちに心配事はあしたにのばせという合図である。遠慮も会釈もなしに伸びをするこの生命の力は見て美しいものである。手本としてまねないわけにはいかない。その場にいあわせたものは、だれもかれも伸びやあくびをしないわけにはいかない。これが寝に行く序曲となる。あくびは疲労のしるしではない。むしろそれは内臓にふかぶかと空気をおくることを通して、注意力に富んだ精神、議論好きの精神に与える休暇である。人間の生命力は生きることだけで満足しているのであって考えることに飽きているのだということを、あくびという強い運動によって、人間の自然の生命力がおのずと人に告げているのである。
注意力を集中する場合と、不意打に驚く場合には、息がとぎれるということは、だれでもが認めうるところである。この点については、生理学が、胸部にどんなぐあいに強い防御の筋肉がくっついていて、それが動くとどんなぐあいに胸郭をしめつけ、麻痺《まひ》させることしかしないかということを示して、あらゆる疑いをとりのぞいている。そして幸福の合図である両手を高くかかげる運動が、胸郭を楽にするのにもっとも有効なものであるというのは、注目すべきことだ。しかし、これはまた、力いっぱいあくびをするための最良の姿勢でもある。このことから、あらゆる心配事がどうやって、われわれの心臓を文字どおり締めつけるか、なんか行動をおこそうとすると、それは直ちにどうやって胸郭を圧えつけて、期待の姉妹である不安を生じさせるかがわかる。つまり、われわれはただ待つだけで不安になるのである。とるに足らぬ事を待つ場合でも同じだ。待つというこの苦しい状態から間もなく、自分に対する怒りである焦燥が生じる。これではわれわれはいっこうに楽にならない。儀式というものはこうした拘束のすべてから成り立っている。それを服装がさらに重苦しくする。また伝染ということが起こる。嫌な気持ちというものは感染するからである。ところが、あくびもまた、伝染性儀式の伝染性療法である。どうしてあくびは病気のように人にうつるのかと不思議がる人がいる。わたしの考えでは、病気のようにうつるのは、むしろ重苦しさ、注意、それに心配な様子などである。生命の復讐であるとともに健康の恢復であるあくびは、その反対に、厳粛さの放棄や無頓着《むとんじゃく》の誇大な宣伝によってうつるのだ。それはだれもが解散の合図のように待ちうけている合図である。この気楽さの誘惑にはかなわない。そのため、どんな厳粛でもまけてしまう。
笑いとすすりなきとは、あくびと同種類の、しかしいっそう控え目な、いっそう矛盾した解決法である。そこには、つなぎとめる思考と解きはなつ思考との二つの思考の間のたたかいが見られる。これに対して、あくびの手にかかると、結びつける考えでも解きはなす考えでも、すべて逃げ去ってしまう。生きることの楽しさが、それらの考えのどれをも追いはらってしまうのである。そういうわけで、あくびをするのはいつでも犬である。神経症と名づけられる気でやむ病にあっては、あくびは必ずよい徴候であるということ、これはだれでもが観察しえたことであろう。あくびは、それが予告する眠りと同じく、どんな病気にもよくきくものとわたしは思っている。あくびは、われわれの考えというものこそが常に、さまざまな病気に大いに関係があるしるしである。だが、自分の舌を噛《か》んだときの苦痛を考えてみれば、さほど驚くことはあるまい。|舌を噛む《ス・モルドル》といういい方の比喩《ひゆ》的な意味が自分の言ったことを後悔することであってみれば、後悔と悔恨《ルモール》が傷害事件までひきおこすことがよくわかる。これに反して、あくびには何の危険もない。(一九二三年四月二四日)
[#改ページ]
二十 不|機嫌《きげん》
自分で自分の身体をかきむしるのが、最高の激昂の姿である。これは自分で自分の不幸をえらびとることに他ならない。自分で自分に復讐《ふくしゅう》することに他ならない。子供が最初このやり方をやってみる。自分が泣くことに腹を立ててなおさら泣く。腹が立っていることに苛立《いらだ》って、自分をなだめまいと決心することによって自分で自分をなだめる。それがつまりすねることである。自分の好きな人を苦しめることによって二重に自分に罰を与える。自分をこらしめるために自分が愛している人をこらしめる。知らないことを恥じて、もう決して読むまいと誓う。強情を張ることに強情を張る。憤然として咳《せき》をする。記憶のなかにまで屈辱をさがす。自分で自分の感情をとげとげしいものにする。自分を傷つけ、自分を侮辱することを、悲劇役者の演技力でもって自分自身に向かって繰り返し語りかける。最悪のものこそが真実であるとの規則にしたがって、物事を解釈する。自分を意地悪な人間に仕立てあげるために、無理に意地悪な人間気取りで行動する。信念もなしにやってみて、失敗すると、「賭《か》けるんだったな。たしかに勝つ手だったんだから」などと言う。だれもがいやになる顔をし、また他人たちをいやがる。いっしょうけんめい人を不愉快にしながら、気に入られないのを不思議がる。むきになって眠ろうとする。どんな悦びでも疑ってかかる。何事につけてもうかぬ顔をし、何事にも反対する。不機嫌から不機嫌をつくり出す。そういう状態で、自分を判断する。「おれは臆病者《おくびょうもの》だ。おれは不器用だ」「おれはもの覚えがわるくなった。おれは老《ふ》けこんだ」などと思いこむ。わざわざいやな顔をつくって、鏡でその顔を見る。これが不機嫌の罠《わな》というものである。
だからこそわたしは、「身を切るような寒さだ。健康にはこれが一番だ」という人々を軽蔑《けいべつ》しない。これ以上よい態度があろうか。風が東北から吹いてくるときには、手をこすり合わせることが二重の効果をもつ。この場合、本能は知恵と同じだけの有効な働きをし、肉体の反抗が人に喜びを教えてくれる。寒さに抵抗するしかたは一つしかない。寒さに満足することである。よろこびの達人であるスピノザ流にいえば、「わたしが満足しているのは暖まったからではない。満足しているから暖まるのである」だからいつでもこう考えなければならない。「成功したから満足しているのではない。満足していたから成功したのだ」と。もしよろこびをさがしに行くなら。まずよろこびを蓄《たくわ》えることである。手に入れるまえにお礼をいうがいい。希望というものが希望する理由を生み出してくれるのである。良い前兆が、本物の良いものを導きだしてくれるのである。それゆえ、すべてが良い前兆であり、好ましいしるしでなければならぬ。「からすのお告げも、きみの気持次第で前兆となる」とエピクテトス[後期ストア派の哲学者。ローマで奴隷だったが後に解放され、実践本位のストア哲学を講じた。弟子の編した『語録』四巻が残存]は言った。そしてかれの言わんとしたのは、すべてをよろこびとなすべし、ということだけにとどまらず、むしろよい希望はできごとを変化させるがゆえにすべてを本物のよろこびにする、ということである。自分でもいやになっているいなや人間に会ったら、まず笑顔《えがお》をみせなければならない。そして、眠りたいと思うなら、眠れると確信するがいい。要するに、だれにとっても、この世でもっとも恐るべき敵は自分自身を措いて他にはない。ここの章の冒頭のわたしの文章は、じつは一種の気狂いについて語ったものに他ならない。しかし、気違いとはわれわれの誤謬《こびゅう》の拡大されたものにほかならない。どんな小さな不機嫌の動作のなかにも被害妄想狂の縮図がある。被害妄想狂は人間の反応をつかさどる神経器官の目にみえない小さな傷害に起因することをわたしは否定するものではない。焦燥というものは、必ずどこかに出口をもとめて、ために必ずどこかを傷つけずにはおかないものなのである。ただわたしは狂気のなかにわれわれの教訓となるものを認めるのだ。それは誤解のおそろしさということである。それを、気狂いの人は虫めがねで見るかのように、大きく拡大した姿で見せてくれるのだ。このあわれな人々は自分で問いを発し、それに自分で答えている。ドラマ全体を自分だけで演じている。魔法の呪文《じゅもん》だ。ききめは、必ずあらわれるというものだ。だが、なぜであるかを、理解しなければならない。(一九二一年一二月二一日)
[#改ページ]
二十一 性格
だれでも、風向きや胃のぐあいで、不機嫌《ふきげん》になる。戸を足で蹴るものがあるかと思うと、足で蹴るのに劣らず意味のないことばでわめきちらすものもある。偉大な魂は、こうしたできごとを忘却のなかに捨て去ってしまう。やったのが他人であっても自分であっても、完全に許してやる。そんなことは決して気にかけないからである。ところで往々にして、人は不機嫌を是認して、不機嫌の正当性をつよく持ちあげたりする。そうして、人は自分の性格を形づくるのだ。自分がある日だれかに対して不機嫌になったということから、その人を好かなくなる。ほんとうは、不機嫌になった自分を、まず許してやらねばならないのだ。ところが、それがほとんど行われていないのである。だが、他人を許そうと思うならば、自分を許すことこそ第一条件なのである。逆に、際限のない後悔は、しばしば他人の過失を拡大する。こうして、だれもが自分で考え出した不機嫌をひきずりまわしては、「おれは不機嫌なんだ」と言う。だが、そんな言辞は、実は自分の知らない世界のことを語っているのにすぎないのだ。
匂《にお》いががまんならないことがある。花束だとかオーデコロンだとかに対する不機嫌は、決して長続きするわけのものではない。それなのに、ほんのちょっとした匂いをもさがし、嗅《か》ぎつけて、これでは今に頭がいたくなる、と文句を言う。これはよくあることだ。人は、煙があれば咳を口から出すようになにかがあれば、文句を口から出す。こういう家庭の暴君についてはだれでも知っている。不眠になやむ人は、少しも眠れないと言い張る。どんな小さな物音も耳について目がさめてしまう、と言い張るのは、実はその人はあらゆる物音を窺《うかが》っていて、家中のものを責め立てようとしてまちかまえるからなのである。しまいには、眠ったことにまで腹を立てるようになる。自分自身の眠らないという性格に対して監視を怠ったから眠ってしまったんだとでもいうように。人はどんなことにも夢中になれるものなのだ。わたしはこの目で見たことがあるのだが、トランプに負けることにまで夢中になる人がいるのだ。
記憶力を失ったとか、失語症にかかったとか思いはじめる人々がある。記憶喪失症や失語症の証拠は、さがすまでもなく、すぐに見つかる。そして、このまじめくさった喜劇が、往々にして悲劇にかわる。本物の病身とか年のせいとかは否定しようもない。しかし、なにかというと徴候をさがして苦もなくそれを見つけだすおそるべき強情な精神を病人が持っていることは、つとに医者たちの知るところである。情念の全部、それから病気、とりわけ精神病の大部分はこの精神が強大になったために生じたものである。だからこそシャルコ[ジャン=マルタン・シャルコ(一八二五〜一八七三)、科学アカデミー会員病理解剖学者および臨床医として知られる]は、かれの婦人患者が自分でいうことは、全然信用しなかったのである。ある種の病気は、医者がそれを信じないことで、消滅した、あるいはほとんど消滅した、と言えるのである。
ひところ有名だったフロイトの巧妙な学説がもはや信用を失っているのは、不安におびえている人間、スタンダール流にいえば自分の想像力を敵として苦しんでいる精神に対しては、どんなことだってたやすく信じさせうるということによってである。この学説の基礎をなしている性の問題は、人が性を重要視するからこそ、そしてまた人が先刻了解ずみの野性的な詩情を性から汲みだそうとするからこそ、問題となりうるのだということについては、今は触れない。それに、医者の考えを知ることは、患者に決していい影響を与えるものではない。このことはだれでも知っている。それにくらべて知られていないのは、患者はこの医者という他人の考えをただちに見抜いて、それを自分の考えとし、それによって間もなく、どんな壮麗な仮説でもたちまち証明してみせるということである。こうして、ある種の思い出が全部失われてしまっているというおどろくべき記憶喪失症が編みだされ、証明された。強情もまた、病気のうち、ということは忘れられていたというわけである。(一九二三年一二月四日)
[#改ページ]
二十二 宿命
われわれはどんなことも、腕を伸ばすことさえ、自分でははじめられない。だれも神経や筋肉に命令を与えはじめるわけではない。そうではなく、運動がひとりでにはじまるのだ。われわれの仕事は、その運動に身を委《ゆだ》ねて、これをできるだけうまく遂行することである。つまり、われわれは決して決定はせず、常に舵《かじ》をとるだけである。たけりたった馬の首を向けなおす馭者《ぎょしゃ》のようなものだ。しかし、たけりたつ馬でなければ首を向けなおすことはできない。馬が活気づき、走り出す。馭者がこの突進に方向をあたえる。これが出発ということである。同様に、船も推進力がなければ舵にしたがうわけには行かない。要するに、どんなしかたでもいいから出発することが必要なのだ。どこへ行くかはそれから考えればいい。
選択をしたのはだれか。わたしはそれを尋ねる。だれも選択したものはない。われわれははじめみんな子供だったのだから。だれも選択はしなかった。だれもがまず行動したのだ。仕事や職業の適性は自然と環境とから生ずる。つまり、思案する者は決して決定しはしないのだ。学校でやる分析ほどばかげたものはない。動機だの動因だのをあれこれと考える。だから、文法家のにおいのする観念的な伝説が、徳と悪徳との選択を迷っているギリシャ神話の英雄ヘラクレスを描き出したりするのだ。ところが、だれも選択などしはしない。みんな歩いているのだし、どの道もまちがっていない。この世を生きる秘訣《ひけつ》は、わたしの見るところ、なによりもまず、自分のした決心や自分のやっている職業について決して自分自身と喧嘩《けんか》しないことだ。そうではなくて、自分の決心や職業をちゃんとやってのけることだ。われわれは、自分がしたわけでもないのにすでになされているこの選択のうちに、宿命を見たがるものである。しかし、この選択はわれわれを少しも拘束しない。悪い運などというものは、ありはしないのだから。良くしようと思えばどんな運もよくなるものなのである。自分の性質についてかれこれいうことほどだらしないものはない。だれも自分で自分の性質を選択できはしないのだ。だが、人間の性質というものは、どんな野心家でもじゅうぶん満足させるほど豊かなものなのである。必然を力と化することこそ、りっぱで偉大な仕事なのだ。
「学ばざりしぞ口惜しき」これは怠け者の言いわけである。それなら勉強するがいい。たとえむかし勉強したとしたところで、今はもう勉強しないのなら、それはたいしたことではないとわたしは思うのだ。過去に期待をかけるのは、過去を嘆くのと全く同様愚かなことだ。できてしまったことなら、それに安んじうるのがいちばん立派であるし、それを生かしえないのが一番醜悪なのである。それどころか、不運に身を委ねるより幸運に身を委ねる方がむずかしいとさえ、わたしは考えたいくらいである。あなたの揺籠《ゆりかご》がすばらしい妖精《ようせい》たちで飾られたら、用心するがいい。わたしがミケランジェロのような人をりっぱだと思うのは、自然の力をうばいかえして、容易な生活を困難な生活と化すあの激しい意欲のゆえである。このぶあいそうな男は、なにか学ぼうとして学校へ行ったときには、すでに髪が真白であったと伝えられている。これは、発奮するのにおそすぎる時はないということを優柔不断の人に教えるものである。船乗りに向かって、最初の舵の動かし方一つで一航海全部が左右されるなとど言って、笑われないことがあろうか。それなのに、世間では子供たちにそう教えこもうとしている。しかし幸いにして、子供たちはほとんどいうことをきかない。もし子供たちが、宿命についてたわけた固定観念をいだいて一生を空しく遊びくらしたら大変なことだ。こういう有害な観念は、子供のころには別にどうということもないが、あとになって害をおよぼす。それは弱者の言いわけであり、弱者をつくるものにほかならないから。まことに宿命とはメドゥーサの頭《こうべ》[メドゥーサはギリシャ神話の怪物、その顔つきの恐ろしさは、これを一目みたものをすべて石化したという]である。(一九二二年一二月一二日)
[#改ページ]
二十三 予言的な魂
ある、あまり名の知られていない哲学者が、いわば受身のかたちでじっと注意を傾けている状態、つまり、われわれの考えがちょうどポプラの木の葉のように世のあらゆる力に身をまかしている状態を、予言的な魂と名づけようとしたことがある。それはじっと耳を澄ましている魂である。いわば、敵の打撃の前に身をさしのべて投げだしている魂である。深い不安におびえている状態だ。巫女だ。巫女が神託を述べるためにすわる床机だ。巫女の痙攣だ。あらゆるものに対する注意だ。つまり、あらゆるものへの恐れだ。この大宇宙の物音や動きに平気でいられない人々はあわれなものだ。
ときとして芸術家はすべてのもの、すべての色彩、すべての音、すべての暑さと寒さにちかぢかとふれあうこの状態に没入したいとおもうことがある。そのときかれは、きわめて深く自然の事物のなかにのめりこみ自然の事物の大きく支配されている農夫や船乗りが自然の色や音や寒さや暑さに平気になっていることを知っておどろく。自然の事物の拘束から身をふりほどくためには、昂然《こうぜん》と肩をそびやかすがいいのだ。それが王者の身ぶりである。聖クリストフォルス[キリストを肩に川を渡した巨人として伝えられている]は波をものともせず川を横ぎった。「気力じゅうぶんのときには人は眠りはしない」とかれは言う。だがまた、行動もしないであろう。
邪魔ものを取りのぞき、はらいすて単純化することが、肝心である。あらゆる種類の半睡半眠は眠りのなかへ投げこんでしまうことこそ、人間のなすべきことだとわたしは思うのだ。健康のしるしは、うつらうつらしたままでいることができず、ただちに眠りに落ちこむことである。そして、目ざめるというのは、眠りを投げ捨てることだ。これに反して、予言的な魂は、半分目をさましたまま、また自分の夢を見直すのだ。
そういうぐあいに生きることもできないわけではない。それを妨げるものはありはしない。われわれは実にうまいぐあいに、予感するようにつくられている。生きた肉体というこの作品をみてみると、そこにはどんな小さな徴候でも入ってきて、刻印をのこすことがわかる。ちょっとした風の音も、遠くの嵐を告げ知らせる。確かに徴候に気をくばっているのはいいことだ。だが、だからといって、なんでもない変化などにびっくりしてとび上ってはいけない。わたしは非常に大きな自記気圧計を見たことがあるが、これはひどく敏感で、近くを車が通ったり、人の足音がしたりするだけで、針がとび上った。われわれ人間も、もしも受身の状態だけにとどまっていたとしたならば、同じことになっていたかもしれない。太陽のまわるにつれて、われわれの気分も変わるということになっていたであろう。だが、地球という惑星の王者たる人間はこんなことにはいっさい目もくれない存在なのである。
臆病《おくびょう》な人間は、他人との交際で、すべてを聞き、すべてを取り集め、すべてを解決したがる。だから、かれにとって会話は、すべての人が自分の身の上話をする場合のように、愚かしく、とりとめないものとなる。だが、賢者は、むだな徴候や話には、上手な植木屋みたいに見事にはさみを入れる。自然のなかにおいてはなおさらである。あらゆるものがわれわれに触れ、われわれをひきとめるからだ。地平線が壁のように目のまえに立ちふさがるかも知れない。しかし、われわれはさまざまな物をそのあるべき場所におしもどす。考えるということは、印象を虐殺することに他ならない。
人生とは、開墾事業だ。一本の幹や一本の枝が切られるのを見ても苦しんでいた感じやすい女性をわたしは知っている。だが、きこりがいなければ、草叢《くさむら》、蛇《へび》、沼地、熱病、飢えがたちまち、また復活してくるのである、人間は、だれでも自分の気分を開墾しなければならないのだ。自分の気分を否定するということは、物事をむやみに信じないということである。この世界をひらくものは鉈《なた》と斧《おの》だ。この世界は夢想をなぎはらってつくられた並木道のようなものだ。生きるとは、いわば前兆に挑戦することなのである。自分を甘やかし、印象をだいじにしようものなら、この世界はわれわれの前に閉ざされる。世界は目の前に見えているものによって感知されるものだ。カッサンドラ[ギリシャ神話の女予言者。アポロの機嫌をそこねて、その予言は当らぬものとされた]は不幸を告げる。だが、眠っている魂たちよ。カッサンドラを信用したもうな。まことの人間は奮起をして未来をつくるのだ。(一九一三年八月二五日)
[#改ページ]
二十四 われわれの未来
あらゆる事柄の結びつき、原因と、結果のつながりをよく理解しないかぎり、人は未来に押しつぶされるものである。夢や魔法使のことばは、われわれの希望を殺してしまう。前兆はいたるところの街角にある。神学的観念に似ている。だれでも知っている寓話《ぐうわ》だが、ある詩人が家が倒れて死ぬぞと予言された。かれは野天で夜をあかすことにした。しかし神々は決してかれを見のがそうとはしなかった。一羽の鷲《わし》がかれのはげ頭を石とまちがえて、その上に一匹の亀《かめ》を落とした。また、こういう話しもある。ある王子は、ライオンによって殺されるという神託をうけた。女たちが王子を家の中で見張っていた。ところが、王子はライオンの絵のある壁掛に腹を立てて、こぶしでたたき、手を折れ釘《くぎ》ですりむき、壊疽《えそ》にかかって死んだ。
こういう話から出てくるものが、のちに神学者たちが教説のなかにとり入れた救霊予定という観念である。それは次のように表現される。すなわち、人がなにをしようが、その人の運命はきまっている。全く非科学的である。この宿命論は「原因はどうであろうと、そこから出てくる結果は同じだ」ということになるからである。ところで、われわれは、原因が別ならば結果も別なものになることを知っている。そして、次のような理屈によって、この避けえない未来という幻想をうちこわす。たとえば、わたしが、自分が何日の何時に、これこれの壁で押しつぶされる、ということを知っているとする。すると、この知っているということが、まさに予言を失敗におわらしめるものとなるはずなのである。人間はそういうぐあいに生きているものなのである。われわれがたえず不幸をまぬかれているのは、それを予見しているからなのである。われわれの予見するもの、しかもきわめて道理にかなって予見するものは、決してやってこない。道のまんなかにわたしが立ちどまれば、あの自動車に轢《ひ》かれるだろう。だが、わたしは立ちどまらないのである。
では、運命に対する信仰はどこからくるのか。主《おも》に二つの源泉がある。まず第一番目に人間を自分のわざわさ待ちもうけている不幸のなかに投げこむものは、たいていは人間自身の恐怖なのである。もしわたしが、自動車に轢き殺されることを予言されており、ちょうどおりあしくその瞬間にそれを思い出したとすれば、それだけでわたしはうまく動きがとれなくなる。その瞬間にわたしに役立つ観念は、逃げようという観念であり、そう考えればただちに逃げる行動がうまれてくるものだ。同じように、立ちどまろうという観念をもてば、そのためにわたしは麻痺して立ちどまってしまう。これは一種のめまいであって、これが魔法使たちの財産をつくり上げたものなのである。
もう一つ、われわれの情念や悪徳はどんな道を通ってでも同じ目的に達することができる力をもっているのだということを、言っておかなければならぬ。ばくち打ちに向かってはばくちを打つだろうということを、守銭奴《しゅせんど》に向かっては、溜《た》めこむだろうということを、野心家に向かっては画策するだろうということを、予言することができる。魔法使でなくとも、われわれは自分に、「おれはこうなんだ。どうしようもないんだ」と言って呪《のろ》いをかける。これもまた一つのめまいであり、このめまいが予言を成功させるのだ。われわれの周囲のたえざる変化、小さなさまざまな因子の変化とたえざる開花をよく知っていたら、それでじゅうぶん宿命などというものをつくり出さずにすむことであろう。『ジル・ブラス物語』[一八世紀の作家ルサージュの小説。賢明な青年ジル・ブラスは術策と冒険におのれを賭けた]を読んでみるがいい。これはなにももったいぶった本ではないが、幸運も不運もあてにすべきでなく、船でいえば底荷をすてて、風向にしたがうべきことを教えてくれる。われわれの過失の方がわれわれ自身よりもさきに消滅するのだ。そんなものをミイラにしてだいじにかかえこんでおいてはならない。(一九一一年八月二八日)
[#改ページ]
二十五 予言
われわれの知っているある男が、通命を知るために占い師に手相を見てもらった。かれがわたしに言うところによると、それは戯れにやったので、信じてなんぞいなかった。しかし、もしかれがわたしに相談していたら、わたしはやめさせていたことだろう。危険な戯れだからである。なにも言われない前なら、信じないことも容易である。まだ信じなければならないものは何一つないのだから。おそらくだれひとりとして信じはしない。信じないでいることは、はじめはやさしいが、やがてむずかしくなる。魔法使たちはそのことをよく知っている。かれらはいう、「信じないとおっしゃるのなら、ではいったい何を不安がっていらっしゃるんです」これがかれらの罠《わな》なのである。わたしは自分が信じるかもしれないことを不安がっているのだ。なにをいい出されるかわからないのだから。
占い師は自分を信じていたに違いないとわたしは思う。冗談をいおうと思うだけなら、かれはありきたりのまえもってわかっている事柄を、あいまいな表現で言うだろう。「厄介ごとや、ちょっとした失敗にお会いになりますな。だが、けっきょくはうまく行きます。敵もできますが、いつかはあなたの正しいことを認めますよ。それまでは、ずっと変わることのない味方が慰めてくれましょう。あなたの今の心配ごとについては、近いうちに一通の手紙がきまして……云々……」こんな調子でいつまでも続けてゆけることだろう。これなら誰のめいわくにもなりはしない。
だが、もし、占い師が自分自身を真実の予言者だと思いこんでいる人間ならば、そのときかれはあなたに恐るべき不幸を告げることがおこりうる。あなたが強靭《きょうじん》な精神の持ち主なら、あなたは笑うだろう。それでもかれのことばはあなたの記憶にとどまり、夢想や夢のなかに突如としてあらわれ、少しは気をもませ、いつかはかれの言葉の正しさを証明するように見えるできごとがおこることになろう。
わたしの知っているある若い娘に、占い師は手相をしらべてから、こう言った。「あなたは結婚されましょう。お子さんはひとりできるが、なくなられますな」こうした予言は、青春の間はたいして重くるしくも感じない。だが、時が経《た》った。娘は結婚した。そうして最近子供を生んだ。こうなると、かつての予言がずっと重くるしくなる。もし赤ん坊が病気にでもなろうものなら、例の不吉《ふきつ》なことばは、母親の耳には、警鐘のようにひびくことだろう。おそらくは彼女は占い師を馬鹿にして手相を見てもらったのであろう。だが、今や占い師はもののみごとに復讐《ふくしゅう》をするのだ。
この世では、どんなことが起こらないともかぎらない。そこから、どんな堅固な判断でも揺《ゆ》るがすような偶然の一致ということも出てくる。ありうるとも思えない不吉な予言をあなたはわらう。だが、この予言が部分的にでも現実となってあらわれると、まえのようには笑えなくなる。そうなると、どんな勇気のある人間でもその続きを待つに違いない。そして、恐怖心というものは、人も知るように、破局そのものに劣らずわれわれを苦しめるものである。ふたりの予言者が別々に、あなたに同じことを告げることもおこる。その場合にもあなたの知性が許しえないほどに心を乱さないのだったら、あなたにわたしは敬服する。
わたしとしては、将来《さき》のことは考えないで、自分の足もとだけを予見している方をはるかにこのむ。占い師に手のうちなんぞ見せにゆきはしないし、それでころか、物事の性質のうちに将来のことを読みとろうなどと試みない。どんなにわれわれが物知りになれるとしても、われわれの眼光がそれほど遠くまで及ぶものとは、考えないからである。だれの場合でも重大なことはすべて、思いがけず、また予見されずに起こるものだということをわたしは知っているのだ。好奇心という病気がなおったとしても慎重というもう一つの病気が癒《なお》るには、まだまだ時間がかかるのである。(一九〇八年四月一四日)
[#改ページ]
二十六 ヘラクレス
頼りになるのは自分の意志だけだ。これは、諸宗教や奇蹟や不幸とともに古くからある観念である。そしてまたこれは、その性質からいって、意志が敗北するときには、同時に敗北する観念でもある。魂の力というものは結果によって立証されるものだらかである。ヘラクレス[剛力無双の勇士で、ギリシャ神話中最大の英雄。ゼウスがアルクメネによって生ませた子で、ゼウスの妃ヘラの嫉妬により苦難と数奇の宿運を生きる。長じてアルゴス王に奴隷として仕え、王命により十二の難題を果たす。そして妻のデアネラの過失から毒のついた衣をまとい肉が腐爛し、オイタ山でみずから焚死し、オリンポスの神々の中に列せられる]は、自分を奴隷《どれい》と思いこむ日までは、自分自身におれは英雄であるという証明を与えてきた。自分が奴隷であることを信じたときには、かれは、おめおめと生きながらえるよりは、いさぎよく死ぬほうをえらんだ。この神話はたぐいなく美しい。わたしは、子供たちに外部の力にうちかつことを学ばせるために、ヘラクレスの十二の偉業を暗唱させたらいいと思う。これこそ生きるということだ。奴隷になって生きるとは、卑怯な決心であり、緩慢に死のうとすることに他ならない。外部の力に打ち勝って反省し、道を曲がり間違ったときには、まず「ぼくのまちがいだった」といい、自分の過失を追究し、心から自分をせめるような少年が、わたしは好きである。過失の弁解の口実を周囲の物事や人々のなかにばかりさがし求めている人間の形をした自動機械はどうしたものだろう。そこにはよろこびなんぞありはしない。不幸な人間のことに周囲の物事や人々が何の考慮もはらいはしないことは、あまりにも明らかだからである。だから、かれの考えは、きびしい冬の木の葉同様、風のまにまに吹き流されてゆくのだ。自分の外部に口実をさがす人たちは決して満足することがないが、これに反して、自分の過失にまっこうから立ち向かって、「全くおれは馬鹿《ばか》だった」という人たちは、その過失の経験を血肉として、強く、また快活となる――これにはいまさらながら感心するばかりである。
経験には二種類ある。一つは気を重くし、他方は軽くする。猟師に陽気な猟師と陰気な猟師があるのと同じだ。陰気な猟師は兎《うさぎ》をとらえそこねて、「おれには運がなかったんだ」といい、やがて、「こんなざまはおればかりだ」ともいう。陽気な猟師は兎のわるがしこさに感心する。なにもシチューの鍋《なべ》のなかにとびこむことが兎の天職でないことを、よく知っているからだ。諺《ことわざ》にはこういう男らしい知恵がたくさん盛りこまれている。わたしの祖父はよく、燕《つばめ》は焼鳥になって落ちて来はしないと言ったものだ。これにはなかなか深い生活の知恵がこもっている。蒔《ま》かぬ種は生《は》えぬという諺がある。愚か者は「音楽が好きになりたいものだ」という。しかし、それなら、聴《き》くなり、楽器をいじるなり、まずやってみることだ。音楽|というもの《ヽヽヽヽヽ》があるわけではない。
すべてがわれわれの意に反している、いや、もっと適切にいえば、すべてはわれわれに対して無関心であり、考慮をはらっていないのだ。地球の表面は、人間の営為《えいい》がなかったら、茨《いばら》と疫病におおわれる。外界は人間に対して敵意があるわけではないが、さればといって好意的でもない。人間の味方になるのは人間の営為だけである。だが、恐怖をつくるのは希望なのである。だから、最初に偶然成功するのは、決していいことではない。神々を祝福する者がやがて神々を呪詛することになろう。新婚の夫婦が婚姻届をうけつけてくれた区役所の区長や式を挙《あ》げた教会の礼装巡警を好きになるようなものだ。かれらは教会の小使が式のあとでどんな顔をしてろうそくを消したか見なかったのである。ある日、わたしは香水の売り子が微笑しているのを見た。彼女は店の扉《とびら》をしめると同時に微笑することもぴたりとやめた。鎧戸を立てる商人の姿も、またみごとな見物だ。ある無縁なものが(見知らぬ人間も、そのなかにいれていいのだが)、それの動いている法則を明らかに示す姿をみてはじめて、われわれ人間の仕事が何であるかを知るのだ。だが、ある存在がわれわれに好意を示すのをみれば、そのものの本当の姿がわからなくなり、むなしい希望をよせる以外に手だてがなくなってしまう。鎧戸をおろす前の外見の微笑や好意よりも、鎧戸をとざしたなかの生活の方が、はるかに美しく、はるかに親しみのあるものなのである。わたしの見たところでは、精力的な人たちは相違と変化とを愛する。さまざまな力のせめぎあいの均衡こそが、平和というものである。(一九二二年一一月七日)
[#改ページ]
二十七 楡《にれ》の木
「葉が出はじめた。まもなく楡の木に小さな青毛虫がついて、葉を食いつくすことだろう。木は肺をとられたようになってしまう。木は窒息しまいとして、新しい葉を出し、ふたたび春を迎える。しかし、こうした努力がもとで木は疲れきってしまう。見ていてごらん、一、二年もたつと、若葉を出さなくなり、枯れてしまうから」
植木好きの友だちが、いっしょにかれの庭を散歩していたとき、よくこう嘆いたものである。百年にもなる楡の木を指さして、それが遠からぬうちに枯れることを告げるのだ。わたしはかれに言ってやった。「やっつけたらいい。こんな毛虫なんか弱いものだ。一匹殺せるなら、百匹でも千匹でも殺せるよ」
「千匹ぐらいの毛虫じゃない。何百万といるんだ。考えただけでもいやになる」とかれは言う。「しかし、君には金があるじゃないか。金があれば人手が雇える。十人の職人が十日も働けば、殺せる毛虫は千匹どころじゃなかろう。こんな立派な楡の木立を保存しておくためなら、二、三百フランの金を奮発してもいいんじゃないか」とわたしはいう。
「金にはこと欠かない。だが、職人がまるでいないんだ。高いところの枝なんぞ手におえそうもないんだ。苅込み職人でなくてはなるまい。それが、ぼくの知るかぎりこの地方にはふたりしかいないんだ」
「ふたりいれば、それでなんとかなる。そのふたりに高い枝をやらせるのさ。熟練してない連中には梯子《はしご》を使わせるんだ。楡の木全部を助けることはできなくとも、少なくとも二、三本は助けられるだろう」
最後にかれは言った。「わたしには勇気がないんだ。わたしには自分のすることがわかっている。毛虫の侵害するのが見ていられなくなってしばらくここから出てゆくことになるだろうよ」
わたしは答えていった。
「想像力の力はすごいものだね。きみは戦わないまえから負けている。手のとどくところだけを見ていればいいんだ。物事の手のつけられぬほどの厄介さと、人間の力の弱さとを考えあわせたひには、そりゃあ何もできなくなるさ。だから、まずやってみて、それから次ぎにやることを考えることだ。石工《いしく》を見るがいい。しずかにハンドルをまわしてみる。大きな石はかすかしか動かない。ところが、やがては家ができあがり、階段では子供たちが跳《は》ねまわるようになるじゃないか。わたしはあるとき、厚さ十五センチもある鋼鉄の壁に穴をあけようとして、職人が柄のまがった錐《きり》にかじりついているのを見て、感心した。かれは口笛を吹きながら道具をまわしていた。鋼鉄のこまかい削りくずが雪のように舞い落ちていた。この男のずぶとさにわたしは心をとらえられた。十年まえの話だ。かれがこの穴をあけ、ほかのたくさんの穴もあけたことを考えてみるがいい。毛虫そのものがきみに教訓を垂《た》れている。楡の木にくらべたら、毛虫なんか問題じゃない。しかも、そんなとるにたりない毛虫が、葉でほんの少しずつ噛んでいるうちに、一つの森を食いつくしてしまうのだ。小さな努力を信じなければならない。虫に対しては虫になってたたかわなければならない。無数の要因がきみに加勢して働いてくれるだろうよ。さもなかったら、とっくのむかしに楡の木はなくなっていただろう。運命というものは気まぐれだ。指の一はじきが新しい世界をつくる。どんな小さな努力でも、限りない結果が生ずる。これらの楡の木を植えた人は、人生の短さを思いめぐらしたりなどしなかった。きみもその人にならって、自分の足もとよりさきを見ないで、思いきって行動するがいい。そうすれば、楡の木も救われるだろうさ」(一九〇九年五月五日)
[#改ページ]
二十八 野心家のための話
だれでも求める物はえられる。青年時代にはこのことを考え違いするものである。棚からぼた餅が落ちてくることしか待っていないからである。ところが、ぼた餅は落ちてはこない。だが、われわれが欲するものはすべて、山と同じだ。われわれを待っており、逃げて行きはしない。けれども、よじ登らなければならない。わたしの見たところ、野心家たちはみんなしっかりした足どりで出かけて、みんな目的にたどりついている。それも、わたしの思ったよりももっと早く着いている。かれらは有効な行動だとみれば、さきに延ばしたりなぞしない。自分の役に立つと思う人々なら必ず定期的に訪問する。ただつきあって気持のいいだけでは役に立たない連中なら、たちまち無視する。ついには、必要とあればおせじも使った。わたしはこれをとがめ立てしようとは思わない。それは好みの問題だ。ただ、あなたを出世させてくれることのできる人に向かって、不愉快な真実をいっしょうけんめいに言うようなら、自分は昇進を望んでいるなどとは思わぬことだ。あなたは、ときとして人が鳥になった夢をみるみたいに、昇進の夢を夢見ているまでのことだ。陳情者に面会する煩わしさをもたず、決議をくだす面倒ももたない大臣になる夢をみているまでのことだ。「おれを迎えにやってくるだろう。おれは指一本動かさないでいるつもりだ」などとほざいている怠け者を、わたしはたくさん知っている。かれらは実際にはそっとしておいてもらいたがっているのだ。そこで、人々はかれらをそっとしておく。だから、かれらは自分でそう思いたがっているほど不幸ではない。馬鹿《ばか》者とは、鳶《とび》のように一挙にうまい餌《えさ》にありつこうとねらって急に思い立って二日ほどの間に十回も奔走する連中のことだ。ろくな準備もつまないで、あくせく立ち回ってみたところで、どうせうまく行く気づかいはない。相当有能な人たちまでもがこうして一攫《いっかく》千金の夢をねらったのを見たことがある。そんな向こう見ずな冒険をして失敗するからこそ、人は社会ははなはだ不当だなどというのである。不当なのはその人の方だ。社会は、何も要求しない人には、なに一つ与えはしない。要求するとはたえず続けて要求するということだ。与えないということは少しもわるいことではない。知識と能力だけがすべてではないのだから。政治というものはよく解《わか》るが、しかし政治の職業の垢《あか》が――どの職業にも垢があるものだ――どうも好きにはなれない、という人々がいる。だが、職業を好まないとしたら、知識や判断力をもっていたとてなにになろう。バレス[モーリス・バレス、十九世紀の文学者、自我崇拝から国土崇拝、ナショナリズムへ向かった。代議士になるなど政治においても活躍した]は陳情者を拒まず、請願書にいちいち推薦文を書いてやり、物忘れをしなかった。かれが大政治家といえるかどうか、わたしは知らぬ。しかし、まちがいなくかれはその職業を愛していた。
くりかえしていうが、金持になりたいと思う者はだれでもなれる。こんなことを言おうものなら、金持になろうと夢みて失敗した人はだれでも憤慨するだろう。かれらは山をながめただけだったが、山のほうではかれらがくるのを待っていたのだった。金銭というものは、すべての利益と同様、まず第一に誠実さを要求するものである。多くの人たちは、かせぐ必要があるからという理由のためだけにかせぎたがっている。しかし金というものは、必要からだけ金を求める人々をさける。財産をつくった人々は、一つ一つのものから利益をあげようと思ったのだ。友だちづきあいのように楽しく趣味や趣向にもあい、気楽でおおようになれるような、そういう小ぎれいな商売を求める人は、焼けきった舗道に降った雨のようにたちまた蒸発してしまう。きびしさがなくてはならず、勇気がなくてはならぬのである。つまり昔の騎士たちのように、困難のなかで鍛え上げなければならぬ。しかし、浮ついた拝金主義者は裁《さば》かれる。浪費することであって、かせぐことではないのだから。わたしの知っている農業愛好家は、自分のたのしみのために、またいわば健康のために、種を蒔《ま》いていた。かれは決して損をしないことだけを望んだ。しかし、そううまいぐあいに行くものではない。かれはもののみごとに破産した。老人の貪欲《どんよく》、さらには、乞食の貪欲というものがある。これは偏執狂のようなものだ。しかし商人の貪欲は、職業そのものに結びついている。かせぎたいと思う以上、手段を求めなければならぬ。つまり、小さな利益を積み重ねなければならぬ。すなわち、他のことは何も考えず、一歩一歩よじのぼらなければならぬ。ところで、どの石も登るのに役立つとは限らない。それに重力からわれわれは決して自由になれない。破産(失墜)とはいいことばだ。損失というものが、いつも商人から離れず、たえず商人をぴんとひっぱっているからである。損失というこのもう一つの重力を感じない者は、無駄骨《むだぼね》を折ることになろう。(一九二四年九月二一日)
[#改ページ]
二十九 運命について
「運命はわれわれをひきずって嘲笑《ちょうしょう》する」とヴォルテールが言った。あれほど自分というものに忠実だった人間が、こういうのだから驚かされる。外界の運行は苛烈《かれつ》な手段をつかって働く。石や砲弾には、デカルトさえも粉砕されることは明らかだ。こういう力は、われわれすべてを一瞬にして地上から抹殺《まっさつ》してしまうことができる。だが、できごとはひとりの人間を実にやすやすと殺しはしても、その人間を変えることはできはしない。一人一人の人間は死ぬまで自分の人生を歩むものだし、すべてを適宜に処理してやって行くものだ。感嘆する他はないほどだ。犬がにわとりを食って、それで自分の肉や脂肪をつくるのと同じ要領で、一人一人の人間はできごとを消化する。なにが起こるかわからない物事の変転のなかから必ず人間に進路を見つけ出させるものは、しぶとい動物のもっているそういう能動的な力なのである。強い人間の特質は、あらゆる物事に自分自身の形の刻印をのこすことである。しかし、この力は普通考えられている以上にみんなのもっているものなのである。人間にとって一切は衣装である。人間のひだは形や身ぶりにしたがってできるものだ。食卓、仕事机、部屋《へや》、家などはみな、手の動かし方一つでたまちま整頓されたり、乱雑になったりする。仕事もそれをする人に応じて大きくもなり、小さくもなる。われわれは外側から判断して、仕事がうまく行っているとか、はかばかしくないとかいう。だが、成否は別として、仕事をしている人間は、ねずみと同じように、いつでも自分のかたちに合わせて穴をあけるものだ。よく見るがいい。人間は自分の欲することをやってきたのだ。
「青春が持ちたいと願ったもの、老年はそれを豊かに持つ」この諺《ことわざ》をその回想の冒頭に引いているのはゲーテである。そして、ゲーテは、あらゆるできごとを自分自身の形式にしたがって手を加えて自分自身のものとする性格の輝かしい手本である。だれでもがゲーテではない。それはたしかだ。だが、誰でも自分自身ではある。人間の形の刻印は美しくない。それはそうかもしれない。しかし、人は至るところにおのれの形の刻印をのこすのだ。人の持ちたいと願うところのものは、それほど高尚なものではない。しかし、人は持ちたいと願うものを手に入れるのだ。ゲーテならざる人間は、ゲーテたろうと欲しなかったのだ。何ものにもめげないワニのように強い性質の人間のことをだれよりもよく理解していたスピノザは、人間は馬の完全さなんぞ持つ必要はない、と言った。同じように、だれもがゲーテの完全さを持っていても仕方がない。しかし商人は、どこででも破産に瀕《ひん》しているさきでさえ、売り買いをするものなのだ。手形割引人は金を貸し、詩人はうたい、怠け者は眠るものなのだ。多くの人は、あれやこれやが手に入らぬことの不平をいう。だが、その原因はいつでも必ず、かれらがそれを本当には欲しなかったことにある。キャベツでも栽培しようという退役大佐は、大将になりたかったのかも知れない。しかし、もしわたしにかれの生涯をしらべることができたら、かれが本当にそれをしようと思っていなかったために、なすべきであったにもかかわらず、しなかった一寸した事柄を発見することであろう。大将になりたくはなかったのだということを、わたしはかれに説明してやることができるであろう。
わたしは、十分手段をもちながら、貧弱でつまらぬ地位にしか着けなかった人々を知っている。だが、かれらはなにを欲していたのか。率直なもの言いか。それなら、お手の物だ。断じておせじなどをいわないことか。言ったことはなかったし、今も言いはしない。判断、忠告、拒絶などの能力か。そんな能力ならもっている。金を欲してしたのだろうか。しかし、いつでも金を軽蔑《けいべつ》していたではないか。金はこれを敬う人々のところへ行くものだ。本当に金持になろうと欲しながらなれなかった人間がいるなら、さがしてみるがいい。もっとも、本当に金を欲した人のことだが。単に希望するのと欲するのとはちがう。詩人は十万フランを希望する。だが、だれからまたどうしたらそれがえられるのか、かれは知らない。その十万フランに向かってこれっぽっちも動くということをしない。だから、決して手に入れることはない。だが、かれは美しい詩をつくろうと欲する。だからそれをつくる。その詩は、詩人という本性にしたがってつくられたものだから美しい。わにが美しい鰐《わに》皮を、鳥が美しい羽毛をつくるのと同じ事情だ。この、最後には通路を見いだす内的な力を、だからまた運命と呼ぶことができる。しかし、きわめて堅固に武装された構造をもつその内的な力とピュロス[紀元前三世紀のエピクロス王、ローマ軍とたたかい多くの勝利をおさめたが、ギリシャの地で戦っているとき、老婆が屋根の上から投げつけた瓦にあたって死んだ]を偶然にも殺したあの瓦《かわら》との間には、運命という名まえ以外になんの共通点もない。このことをある賢者は、カルヴァンの救霊予定説は自由そのものによく似ているといって説明してくれた。(一九二三年一〇月三〇日)
[#改ページ]
三十 忘却の力
二度としないと誓わせることで酔っぱらいの目をさまさせようとする警察のやり方には、行動の刻印がある。理論家はそんなものは信用しまい。かれの目から見ると、習慣と悪徳は頑固に根のはえて動かしがたいものなのだから。理論家は事物に関する知識によって推理して、鉄や硫黄が独自の属性をもつようにあらゆる人間は属性として本来独自の動き方をもっているものだ、と考たがる。しかし、わたしはむしろこう考える。すなわち、鍛えられたり圧延されたりすることが鉄の、火薬や弾丸に用いられることが硫黄の本来の性質に属していないように、徳だとか悪徳だとかのたいていは人間の本来の性質に属していないのである、と。
酔っぱらいの場合、わたしには酔っぱらいになる理由がよくわかる。酔っぱらいたいという欲求をつくり出すのは習慣である。いつも飲んでいるものを飲むと、ますます飲みたくなって、理性を失ってしまうのである。しかし飲酒のきっかけは、ごく些細《ささい》なことであって、誓いでこれを押さえることができる。誓いというちょっとした心の努力をすれば、その人間はまるで二十年来水しか飲んでこんなかったかのようにつつましくなるのだ。これと反対のこともある。わたしが酒を慎んでいるとする。しかし、そのわたしがすぐにも、苦もなく、酔っぱらいになるかもしれないのだ。わたしは賭けごとが好きだったことがある。だが、周囲の事情が変わると、たちまちわたしは賭けごとのことなど考えなくなった。もしわたしが、また手を出そうものなら、また好きになるだろう。情念というものには馬鹿なところがある。とりわけ一つの考えに人間がいかれていることがあるからである。チーズを好かない人たちは、決してこれを味わってみようとしない。自分は、チーズを好きになりはしないと思いこんでいるからである。独身者はよく、結婚は耐えがたいだろうなどと考える。不幸にして、絶望には確信が、つまりは強い確信が、ともなう。そのために、人は手加減をうけつけない。これをわたしは幻影だと考えるのだが、この幻影はきわめて当然である。人は自分の持っていないものについては、誤った判断を下すのがならわしだから。酒を飲んでいるかぎり、わたしは酒を慎んでいる状態を考えることはできない。酒を飲むという行為そのことによって、飲まなくなると、飲まないというそのことによって、飲酒癖をしりぞける。悲しみについても、賭けごとについても、なにごとについても同様である。
ひっこし間ぎわになると、間もなく立ち去ろうとする壁に別れを告げたりする。家具はまだ運び出されていないのに、もう別の住まいが好きになってくる。古い住まいは忘れさられている。すべてが、まもなくわすれられてしまうだろう。現在というものには、いつも力と若さとがこもっているからだ。そして、人は確実な動きをもって現在に順応する。だれでもこのことを感じているのに、だれひとりこれを信じない。習慣は一種の偶像である。それはわれわれが服従することによって力をもつ。そして、この場合、われわれを欺くのは思考である。われわれに思考できえないことは、またしえないことだと思ってしまうからである。想像力は習慣から自由になれないということのために、人間世界を導く。そして、想像力は創《つく》り出すことができないというべきだろう。創り出すのは行動である。
わたしの祖父は七十近くになって、固形の食物をきらうようになった。そして、少なくとも五年は、牛乳で生きていた。人はこれを偏執狂だと言った。そのとおりである。ある日わたしは家族そろって昼飯の食卓で、祖父が突然|若鶏《わかどり》の脚《あし》をたべはじめるのを見た。そして、かれは、だれもと同じようにたべてあと、六、七年生きた。たしかに勇気のある行為だった。だが、いったいかれはなにに対して挑《いど》んだのか。一般の意見に対してである。あるいはむしろ一般の意見に対して持つかれの意見、そしてまた自分というものについての意見、に対してである。しあわせな性質だ、と人はいうかも知れない。だがそうではない。だれでもみんなそうなのだ。だが、かれらはそれを知らない。だれでも自分自身の役割にしたがうものである。(一九一二年八月二四日)
[#改ページ]
三十一 大草原にて
プラトンにはいくつもおとぎ話がある。それらは要するに世間によくあるおとぎ話と似たものだが、プラトンのものにはなに気なく投げ出されたことばがあって、そのためにおとぎ話はわれわれの心底にひびき渡り、よく知られていなかった奥まったすみずみを突如として照らし出す。たとえばあの騎士エル[プラトンの対話編『共和国』第十篇に出てくる勇士]の話がそうだ。エルは戦闘で死んだのだが、死の審判がまちがいであったと認められると、地獄から帰ってきた。そして、地獄で見てきたことを物語った。
地獄でのもっとも恐ろしい試練はこうであった。霊魂あるいは亡霊――その他なんとでも名づけていいが――は、大きな草原へつれて行かれる。そして、目のまえにたくさんの袋が投げ出される。そのなかには、それぞれが選ぶべき運命が入っている。霊魂たちはまだかれらの過去の生涯の思い出をもっている。かれらはそれぞれの欲望や悔恨に応じて選ぶ。なにをおいてでも金を欲しがった連中は、金でいっぱいになった運命を選ぶ。金をたくさんもっていた連中は、さらにいっそう金を手に入れようと努力する。道楽者たちは快楽のいっぱいつまっている袋をさがす。野心家たちは王たるの運命を求める。やがて、だれもが自分の必要なものを見つけ、新しい運命を肩にかついで立ち去る。そして、レーテ、つまり「忘却」の川の水をのみ、それぞれの選択にしたがって生きるために、ふたたび人間の住む地上に向かって出発する。
なんとも奇妙な試練であり、奇怪な刑罰である。しかも、その恐ろしさには一寸見以上のものがある。幸福と不幸との本当の原因について深く考える人々はほとんどいないのだ。本当の原因について深く考える人々ならば、源泉、すなわち、理性を動きのとれないものにする暴虐な欲望にまでさかのぼる。かれらは富を警戒する。富を手にすると、追従《ついしょう》に対して敏感になり、不幸な人々に耳をかさないようになるからだ。かれらは快楽を警戒する。快楽は知性のひかりをおおい、ついにはこれを消してしまうから。したがって、この賢者たちは、見たところうつくしい袋を、いくつもいくつも、用心深くひっくりかえしてみる。自分の心の平衡を失うまい、いろいろ骨を折って手に入れ、身につけているほんの少しばかりの正しい感覚を、はなばなしい運命のなかで、危険にさらすようなことはすまいと心くばりをするからである。こういう人たちは、だれも欲しがらないような地味な運命を背負って行くことになろう。
しかし、このほかの人たち、一生の間自分の欲望を追っかけまわした人たちは、よさそうに見えるものにすっかり悦に入り、目先きのことしか目にはいらない。この人たちは、さらに多くの盲目と無知と虚言と不正とをえらぶこと以外に、なにをえらぶことをのぞめようか。こうして、かれらは、どんな裁判官が罰するよりも、はるかに苛酷に自分で自分を罰することになる。あの百万長者は今ごろ例の大草原にいることだろう。そして、なにをえらぼうとしているのだろうか。だが、比喩《ひゆ》はやめよう。プラトンは我々の考える以上に、いつでもずっとわれわれの身近にいる。わたしは死のあとにくる新しい生活の経験はない。だから、死後の生活を信じないといったところでなんにもならない。われわれはそれについてはなに一つ考えられはしない。わたしはむしろこういいたい。われわれが自分の選択によって、また自分で打ち立てている行動の原則によって罰せられる来世の生活とは、われわれがたえずすべりこみつつある未来、なのだ、しかも、そこでわれわれの開く包みは、われわれがえらんだ包みに他ならないのだ、と。われわれが神々や運命を非難しながら、「忘却」の川から水をのむのをやめないというのも、また真実である。野心をえらんだ者は、低級な追従、羨望《せんぼう》、不正などをえらんだとは思わなかった。だが、それらは自分のえらんだ包みのなかにはいっていたのだ。(一九〇九年六月五日)
[#改ページ]
三十二 近隣の情念
ある人は言う。「あまりよく知りすぎている人たちといっしょでは、まったく暮らしにくいものだ。人は自分の身の上を遠慮会釈なく嘆き悲しむ。そのため、かえって小さな悩みを大きくする。聞いている方の人たちも同じことだ。自分の行為だの、ことばだの、感情だのについて、気安く愚痴をこぼす。さまざまな情念を勝手に爆発させる。つまらないことでおこりちらす。聞き手の思いやりと、愛情と、寛容を信じきっているのだ。おたがいに知りすぎているから、うわべをとりつくろうこともない。だが、こういう四六時中の率直さは本当とはいえない。それはすべてを誇張してしまうものだからである。どんな円満な家庭のなかにも、意外にとげとげしい調子やはげしい身ぶりが見られることがあるのは、このせいだ。礼儀や儀式は、普通考えられる以上に有益なものである」
別の人はいう。「全然知りもしない人たちといっしょでは、まったく暮らしにくいものだ。地下では金利生活者のためにつるはしをふるっている坑夫たちがいる。室内で、百貨店のおしゃれな女客のために働き疲れている針子たちがいる。今この瞬間にも、金持の子供たちのために、何百という玩具《がんぐ》を、それも安い手間で組み立てたり糊づけしたりしている貧乏人たちがいる。金持の子供も、おしゃれ女も、金利生活者も、こんなことは少しも考えてみもしない。ところが、いなくなった犬や、蹄葉炎にかかった馬のこととなると、みんながかわいそうだと思う。こういう人たちは、召使たちに対しては、ていねいであり親切であって、かれらが目を赤くしていたり、ふくれ面をしていたりするのを見ていられない。人はチップをはずむ。それは偽善ではない。カフェのボーイや、使い走りをする人や、馭者などの喜ぶのを見るために行うことなのだから。だが、赤帽にたっぷりチップをやるその人間が、鉄道員は会社の給料だけでなに不足なく暮らして行けるはずだなどと主張する。一瞬ごとに誰でもがひそかに他人を犠牲にしているのだ。社会というものは、善人たちに、それと知らずに残酷であることを許す。驚くべき機械なのである」
第三の人は言う。「知りすぎていない人たちといっしょなら、まったく暮らしやすいものだ。それぞれが自分のことばや身ぶりを抑制する。そして、まさにそのことが怒りを抑制する。上|機嫌《きげん》が顔にあらわれると、やがて心も上機嫌になる。言って後悔しそうなことは、言おうと考えもしない。人は自分のことをよく知らない人のまえでは、自分のいいところをみせるものだ。多くの場合、この努力のために、われわれは他人に対しても、自分に対しても、いっそう正しくなる。人は未知のものからはなにも期待しない。少しでもうるところがあればすっかり満足する。わたしの見るところ、外国人が愛想《あいそう》がいいのは、|とげ《ヽヽ》のないおせじしかいうことを知らないからである。外国暮しの好きな人があるのは、そのためだ。かれらにはいじわるになる機会というものが全くない。そこで、人は外国ではいっそう自分に満足する。会話は別として、歩道の上にはなんという友情、なんという気安い社交性があることだろう。年寄も子供も、犬でさえも好意を示して通っているのだ。ところが反対に、路上では馭者たちが罵《ののし》り合っている。旅行者たちにせきたてられている。機構は複雑でもないのに、もう軋んでいる。社会の平和というものは、直接の交際、利害の混交、意見の直接の交換から生ずるのであって、組合だとか団体だとかいうような、機構をつくることから生じはしないだろう。むしろ反対に、大きすぎも小さすぎもしない隣り近所の結びつきからこそ生ずるのであろう。地域別連邦主義こそ本物なのだ。」(一九一〇年一二月二七日)
[#改ページ]
三十三 家庭で
人間には騒がしさになれている人と、他人を黙らせようとする人と、二種類ある。仕事をしているときや、眠ろうとしているときに、ささやき声がしたとか、椅子をちょっと乱暴に動かしたとか言って、烈火のように怒る人たちを、わたしはたくさん知っている。ところがわたしの知っている別の人たちは、他人の行動に口出して干渉するようなことは絶対にしない。こういう人たちは、隣人の会話や、笑い声や、歌などをやめさせるくらいなら、貴重な考えや二時間の眠りをだいなしにした方がましだと考えるのだ。
こういう二種類の人々は、どこへ行っても自分と反対なものをさけ、同類を求める。共同生活の規則や格率が互いに全く違っている家庭にぶつかるのは、このためである。
ある家庭では、ひとりに気に入らぬことは、他の全員に対しても禁じられるということが、暗黙のうちに認められている。ひとりは花の匂いが気にくわない。もうひとりは声高い話声ががまんならない。一方が夜静かなことを要求すれば、他方は朝静かなことを要求する。ひとりは宗教のことには触れてもらいたくないし、もうひとりは政治の話がはじまると歯ぎしりする。だれもが互いに「拒否権」を認め合い、だれもがこの権利をおごそかに行使する。ひとりが「この花のおかけで、おれは一日じゅう頭痛がしそうだ」といえば、他のひとりが「十一時ごろすこし乱暴にドアが閉められたのがたたって、ゆうべは眠れなかった」と言う。食事どきになると、まるで議会のように、みんながそれぞれ苦情を言う。だれもがやがてこの議会の複雑な憲章を知るようになる。そして、教育の目的はこれを子供たちに教えること以外のなにものでもない。しまいには、身動き一つしなくなって、顔を見合わせ、あたりさわりのないことを言うようになる。こうして、陰気な平和とたいくつな幸福ができあがる。要するにただ、だれもが人を苦しめている以上に人に苦しめられているということで、みんなが自分を寛大だと思いこみ、確信をもってこうくりかえすようになる。「自分のために生きてはいけない。他人のことを考えねばならぬ」
またこんな家庭もある。そこでは、各人の気まぐれが神聖視され、愛され、また、自分のよろこびがときとして他人の迷惑になることなどは、だれも決して考えない。だが、こんな連中のことは言うまい。エゴイストたちなのだ。(一九〇七年七月一二日)
[#改ページ]
三十四 心づかい
みんながバジルに向かって、「お前の顔はまっさおで気味がわるい」といったことから、とうとうバジルは自分は病気なのだと思いこむようになる。あの有名な場面[十八世紀の作家ボーマルシェの喜劇『セビリアの理髪師』第三幕十一場]はだれでも知っている。わたしは、あまり円満でだれもが他の者の健康に気をくばっている家庭に行くたびに、この場面を思い出す。ちょっとでも顔色が青かったり赤かったりした者こそ災難だ。家中の者が心配し出して尋ねる。「よく眠れたかい」「きのうは何を食べたの」「お前は働きすぎるんだ」その他いろいろ元気づけるようなことを言う。その次には、「もっと早く手当をしなかった」病気の話ということになる。
わたしは、こういうしかたで愛され、かわいがられ、だいじにされ、いたわられている敏感なそして少々|臆病《おくびょう》な人間を、気の毒だと思う。腹痛、咳、くしゃみ、あくび、神経痛というような日々のちょっとしたわざわいが、間もなくかれには恐るべき徴候となろう。かれは徴候が進行するのを、家族の助けを借り、また医者の冷淡な目つきの下で見守るだろう。医者というものは、あなたも知ってのとおり、馬鹿《ばか》と思われる危険を冒してまで、この人たちを安心させようと努力したりはしないものだ。
心配事ができると、こうして、わが気で病む男は、夜は自分の息に耳をすまして過し、昼は昼で夜のことをひとに話して過ごす。やがてかれの病気はこれこれの病気ということになり、周知のこととなる。活気がなくなって消えかけた会話が、ふたたび新しい生命をとりもどす。この不幸な男の健康には、取引所の相場のように、高低表ができる。あるときは高くなり、あるときは低くなる。そして、かれはそのことを知っているか、見抜くかする。こうなれば、神経衰弱が、おまけとして、うまれてくる。
この療法? 家庭から遠ざかることだ。無関心な人たちの間に行って暮すことだ。かれらはうわのそらで「ご機嫌《きげん》はいかがです」などとあなたに尋ねるが、あなたが本気になって答えようものなら、逃げ出すだろう。連中はあなたの苦悩なんかに耳をかさず、あなたの胃を締めつける優しい心づかいをこめた眼《まな》ざし)など、向けはしない。こういう状態になって、たちまち絶望に陥ることがなければ、病気は直るだろう。教訓――ひとに向かって、決して顔色がわるい、などといってはならない。(一九〇七年五月三〇日)
[#改ページ]
三十五 家庭の平和
わたしは、ジュール・ルナールのあの恐るべき『にんじん』をくりかえして読む。この本には、寛大なところがない。物事の悪い面はとかく目につきやすいものだ、と言ってやりたい。一般にいって、情念は目につき、愛情は見えにくい。そしてこのことは、親密であればあるほど、いっそう避けられない。これを理解しない人間は、必然的に不幸となる。
家庭内では、とりわけお互いの心がひらかれている場合には、だれも気がねしないし、だれも仮面をかぶらない。母親は、子供に対して、自分がよい母親であることを見せてやろうなどと決して考えないだろう。もしそんなことを考えるとすれば、それは子供が凶暴なまでに性質の悪いときのことだ。そこで、よい子供はときに遠慮なく扱われることを覚悟すべきである。それこそが、よい子供に与えられる報酬なのだ。礼儀というものは無関心な人たちに対して向けられるものであり、機嫌《きげん》というものは、上機嫌にせよ、不機嫌にせよ、愛する人たちに対して向けられるものである。
互いに愛し合うことの効果の一つは、不機嫌がすなおに交換されることだ。賢者はこれを信頼と心安さの証拠とみるに違いない。小説家たちがよく書いていることだが、妻の不貞の最初の徴候は、夫に対して礼儀と注意深さをとりもどすことにある。しかし、これを打算と見るのはまちがいである。そこには心安さというものがないのだから。「ぶたれてうれしくなったとき」――この芝居の文句は、人間の心の真実を滑稽《こっけい》なまでに拡大して見せてくれる。ぶつ、ののしる、悪口をいう、これが必ず事のはじまりだ。こういう過度の信頼のために、家庭が破壊されることがある。つまり、思わず一番激しい怒りの調子を帯びる大声を投げあういやな場所となってしまうのだ。これは当然なことだ。こういう日常の親しさのなかでは、ひとりの怒りが他の者の怒りをよびおこし、ほんのちょっとした情念も何倍かにふくれあがってしまう。こういうとげとげしい気分は、いとも安易に描き出して見せることができる。そして、この気分を説明してやりさえすれば、療法は病気のすぐそばに見つかるであろう。
だれでも自分のよく知っている気むずかし屋だの、がみがみ屋だのについては、まったく素朴《そぼく》に「あれはやつの性格だ」)などという。しかし、わたしは性格などというものをあまり信用しない。経験によれば、あるものを規則正しく抑圧してゆけば、やがてそれは力を失ってつまらない弱いものとなるのだから。王の前に出た場合、廷臣は不機嫌を隠しているのではない。気に入ろうという激しい欲望のために不機嫌は消えうせてしまうのだ。一つの運動は他の運動を排除する。友好的に手をさしのべれば、同時になぐるわけには行かない。ある動作を開始して、しかもそれを押さえたときの激しく緊張した感情についても、同じことである。社交的な女性が、突然の来客を迎えるために怒りを中断したからといって、決してわたしは、「なんたる偽善だ」などとは言わない。そうはいわずに「怒りを静めるなんと完璧《かんぺき》な療法だろう」と言う。
家庭の秩序とは、法の秩序のようなものだ。それは決してただそれだけでできあがるものではない。それは意志によってつくられ、保たれる。最初の衝動の危険をよく理解した人は、自分の動作を制御して、そうして自分のたいせつにする感情を保つ。それゆえ、結婚は意志の見地からみて、解消すべきではない。結婚するからこそ、人は嵐を静めて、立派に結婚を保ってゆくことを仕事として自分自身に課するのである。これが誓いの効用だ。(一九一〇年一〇月一四日)
[#改ページ]
三十六 私生活について
ラ・ブリュイエールだったと思うが、こんなことを言っている。よい結婚というものはあるが、甘美な結婚などというものはない、と。わが人類は、似而非人間研究家《えせモラリスト》たちのこういう泥沼から抜け出すべきだろう。かれらに従えば、人は幸福について、まるで果物のように、味わったり、あれこれ言ったりするようになる。しかし、わたしに言わせれば、果物だって味をよくする方法があるのだ。結婚、その他すべての人間関係についてはなおさらである。これらは、味わったり、しんぼうしたりするためにあるのではない。それらはつくりあげるべきものなのだ。社会というものは、天気や風のぐあいで居心地がよくなったり、わるくなったりする木陰のようなものではない。それどころか、魔法使が雨を降らしたり、天気にしたりする奇跡の場所なのである。
自分の商売や出世のためだったら、だれでもけんめいになってやる。しかし、一般に、家庭で幸福に暮らすためには、なに一つしない。わたしはすでに、礼儀についていろいろ書いてきたが、どうも賞|讃《さん》し足りなかったようだ。礼儀とは見知らぬ他人に対して役に立つ虚言だ、などとは言わない。わたしはこういっているのだ。感情というものは真心のこもったものであればあるほど、貴重なものであればあるほど、礼儀を必要とする、と。「悪魔に食われてしまえ」なとど言って、商人は腹のそこをぶちまけたつもりでいる。だが、ここに情念の罠《わな》がある。われわれの目の前の直接な生においては、姿をあらわすものいっさいが虚偽だ。めざめて目をひらく。見えるものはみんな虚偽だ。わたしの仕事は判断し、評価し、物事をそのおかれるべき距離に押しもどすことにある。どんな一見にしろ、一見したところのものというのは、一瞬の夢であり、夢というものは、疑いなく判断を伴わない短時間のめざめである。そうだとすると、自分の直接的な感情をもっとよく判断しろ、などといっても、それは無理というものだ。
直接的な、つまりは自然的な魂は、いつでも憂愁に包まれており、おしひしがれている、とヘーゲルは言う。わたしには、このことばはたいそう深味のあるもののように思えた。自分について反省しても改まらないときには、反省のしかたがまずいのだ。そして、自分に問う人は、必ず自分にまちがった答えをする。自分自身のことしか考えない思考は、倦怠《けんたい》、悲哀、不安あるいは焦燥に他ならない。ためしにやってみるがいい。自分にこう尋ねてみるがいい。「暇つぶしになにを読んだらいいか」あなたはもうあくびをしている。必要なのは読みはじめることだ。欲望というものは、発展して意志のかたちをとらなければ、衰えてしまう。これだけの考察で、心理学者たちを批判するにはじゅうぶんだ。心理学者たちは、だれでも自分の考えを根掘り葉掘り観察しろなどという。まるで草か貝殻の観察のようだ。しかし、考えるとは意欲することなのである。
ところで、個人個人が各瞬間ごとに自分自身を統御し勇気づけてゆく商業とか工業とかいうような公共生活では、たいそううまくやれることでも、私生活では同じようにうまくは行かない。だれもが自分の感情の上に寝そべる。眠るときならそれもいい。しかし、家庭という半睡状態のなかでは、すべてがたちまちまずくなる。そのため、もっとも善良な人たちがしばしば、おそるべき偽善者になることがある。注目すべきは、ここで人が本来はむしろ、意志の力によって、体操選手のように全身を動かして、感情を変えるべきなのに、意志のようなものを行使して、感情をごまかすということだ。不機嫌《ふきげん》、悲しみ、たいくつなどは、雨や風などと同じようなできごとだという考えは、実は先入観念であり、誤った観念である。要するに、本当の礼儀とは自分の義務を感じることだ。人は敬意や慎みや正義に対して大いに義務がある。この最後のもの、つまり正義については、考えてみる価値がある。ただちに正義にたちかえるということは、たとえ最初にそういう情念の動きを持つことがあるにせよ、決して盗人の行為はしないことである。正義に立ちかえるということは、いささかも偽善のない誠実そのものの行為である。愛情については、なぜそれほど誠実であることを望まないのか。愛は自然的なものではない。欲望そのものも、長い間自然的なままではいない。本当の感情というのはつくり出されたものだ。人がトランプ遊びをするのは、いらだったり、いや気がさしたりした場合に、すぐさまカードを投げ出すためではない。また、だれもでたらめにピアノをひこうなどと考えた者はいない。音楽はあらゆる手本のうちの最上の手本でさえある。音楽は、声楽でさえも、意志によってのみささえられているのである。神の恩寵は人間の意志のあとから来るものであることは、神学者たちによってしばしば言われている。しかし、神学者たちは、自分の言っていることの意味を、よく知ってはいないのだ。(一九一八年九月一〇日)
[#改ページ]
三十七 夫婦
ロマン・ローランはそのすぐれた著書のなかで、よい夫婦というものはめったにいない、そして、それは当然なことだ、と言っている。わたしは、これと同じ考え方の筋道をたどって、かれの作中人物たち、そしてわたしの路上で出会った生きた人物たちを観察して、本人たちにいつもその理由がわからないのに、男女両性がしばしば仇《かたき》同士となる原因をつくっている男女の顕著な特徴に気がついた。女性は感情的であり、男性は活動的である。このことはしばしば言われてきた。しかし十分説明されたことはめったにない。
感情的ということは、情愛深いというのと同じことではない。この感情的という言葉の意味は、思考が生の源泉とより密接に結びついているということである。この結びつきは、男女を問わず、病人だったらだれにもみとめられる。しかし、通常は女性の方がより密接である。それは妊娠と授乳という機能、およびそれに関連する機能が、女性においては強い支配力をふるっているからである。そのため気分が変わりやすい。原因は女性の身体からくる。そして結果はしばしば、気まぐれ、支離滅裂、強情といったかたちをとる。そこにはなんら偽善はない。気分の動きをその真の原因によって説明するためには、深い知恵、それも実際にはほとんどありえないような深い知恵が必要なのだ。真の原因というものは、われわれの動機をも変えるからである。ほんのちょっとした疲労が原因で散歩する気がなくなった場合でも、けっこう家にとどまる別の口実を見つけるものだ。よく羞恥《しゅうち》は、本当の原因をかくし立てることからおこるものであると見なされている。しかし、わたしにいわせれば、羞恥とはむしろ、本当の原因を知らないことからおこるのであり、肉体要求を心の要求にすりかえようとして、自然に、かつ不可避に生まれでる感情なのである。自然に、また必然的に置きかえることである。こういう事情に関しては、恋する男は、馬鹿同様である。
男性というものは、行動しているときにのみ、理解されうるものである。男性の本来の職能は、狩猟し、建設し、発明し、試みることである。こういう道からはずれると。男はたいくつする。しかし、いつもそのことに気がつかない。そこで、つまらないことのためにたえず動きまわっている。そのことを、悪意からでなくてかくすので、事態は悪化する。男に必要なのは、政治あるいは産業という食物だ。男性として自然なこの結果を、女性は偽善だととるのが普通である。そこから生じる男女間の危機の深い分析は、バルザックの『二人の若妻の手記』および、とくにトルストイの『アンナ・カレーニナ』のなかに見ることができる。
この危機の克服療法は、公共生活のなかにあるように思われる。公共生活というものは、二つのしかたで病気に効《き》く。まず、家庭同士と友人間の交際ということがある。この交際は夫婦の間に礼儀という関係をうち立てる。これが、いつでも表立ってあわられる機会の多すぎるいっさいの感情のきまぐれをかくすためには、絶対に必要である。かくすため、ということをよく承知して欲しい。気分の動きにすぎぬものは、表現の機会がなくなれば、たちまち感じられなくなるものである。したがって、愛しているかぎり、礼儀の方が気分よりも本物だ。次には公共生活というものは、人間を忙しくして、安逸な閑居から遠ざける。閑居することは、どんなに心がけをよくしたところで、決して自然ではない。あまりに孤立して、ただ愛情という食物だけをくって生きている夫婦というものに常にあぶなっかしいものがあるのは、このためだ。そんな夫婦生活は、底荷のないために、軽すぎて波に揺られすぎる小舟である。反省する知恵も、そこではたいして役に立たない。感情を救うものは公けの約束事なのである。(一九一二年一二月一四日)
[#改ページ]
三十八 倦怠《けんたい》
建設すべきもの、あるいは破壊すべきものがなくなると、男性はたいへん不幸である。女性たち――ここで言うのはつくろいものをしたり赤ん坊の世話をしたりして忙しい女性たちのことだが――女性たちは、なぜ男たちが喫茶店に行ったり、トランプ遊びをしたりするのか、おそらく決して理解しまい。男性は自分自身と向かいあって暮らし、自分自身のことを考えこんだところで、なんの生き甲斐も感じないのである。
ゲーテのすばらしい『ヴィルヘルム・マイスター』のなかに、「あきらめの会」というのがある。会員たちは、未来のことも過去のことも決して考えてはならないしくみになっている。これは、これを守りさえすれば、たいへんいい規則だ。しかし、守れるためには、手や目が忙しく立ち働いていなければならない。知覚し、行動すること、これが真の療法である。その反対に、たいくつして指をひねくりまわしたりしていれば、やがておそれや悔恨のなかに落ちこむにちがいない。考えるということは、必ずしもたいへん健康とはいえない遊戯のようなものだ。たいていは、どうどうめぐりをして、さきへ進まない。だからこそ、偉大なジャン・ジャック・ルソーが「考えてばかりいる人間は堕落した動物である」と書いたのだ。
必要ということが、ほとんどの場合、われわれをどうどうめぐりから救い出してくれる。ほとんどの人が、なすべき仕事というものをもっている。そして、それはたいへんいいことだ。われわれに欠けているものは、われわれを息抜きさせるちょっとした他人のための仕事である。女性たちが編物やレースかがりをするのを、わたしはよく羨《うらや》んだものだ。彼女たちの目は、追って行くべき具体的なものをもっている。そのために、過去や未来のイメージはいなずまのように一瞬ぴかりと映るだけだ。ところが、暇つぶしの会合では、男たちはすることがなにもない。だから壜《びん》のなかの蝿《はえ》みたいに、ぶつぶつ言っている。
わたしは考えるのだが、病気でさえなければ、想像力があまりに奔放でありすぎて、思いめぐらす具体的な対象がない場合をのぞけば、不眠の時間だって、たいしておそれるにはあたらない。ある男が十時に床について、夜中まで眠りの神の助けを求めながら、寝床の上を鯉のように跳《は》ねまわる、その同じ男が、同じ時刻に、劇場にでもいようものなら、自分の存在さえすっかり忘れてしまうことだろう。
こうした反省は、金持連中の生活を満たしているさまざまな用件を理解するのに役立つ。連中は、無数の義務や仕事を自分でつくり出しては、火事場へでも行くように駆けまわる。一日に十回も人を訪ね、演奏会から劇場へかけつける。もっと血の気の多い者たちは、狩猟だの、戦争だの、危険な旅行だのに出かける。自動車でドライブしたり、飛行機に乗って骨折《こっせつ》するのを待ちどおしがったりする者もいる。かれらには、新しい行動や知覚が必要なのだ。望んでいるのは世間のなかで暮らすことであって、自分のなかで暮らすことではない。巨大なマストドン[洪積層第三記層から化石となって出てくる大昔の象]が森林を食いつくしたように目で世界を食いつくす。もっとも単純な連中は、鼻や横腹を猛烈になぐられて遊ぶ。これで現在にもどされ、かれらはたいへん幸福である。戦争というものはおそらく、なによりもまず、倦怠に対する療法である。だから、こう説明できるだろう。戦争を積極的に欲しているのではないにしても、はじまればいつでもやる気になっている連中は、往々にして、失うべきものをもっとも多く持っている者たちである、と。死の恐怖などというのは、ひま人の考えであって、どんなに危険なものにせよ、ぬきさしならず行動に移ればたちまち消えうせてしまう。戦闘は、たしかに、死を考えることのもっとも少ない状況の一つである。ここから次のような逆説が出てくる。――生というものはこれを満たせば満たすほど、失う心配がなくなる。(一九〇九年一月二九日)
[#改ページ]
三十九 速力
わたしは西部地方の新しい機関車の一つを見た。ほかのより長さも長く、高さも高く、かたちもすっきりしていた。部品の構成は時計の歯車のようにきっちりできている。ほとんど音を立てずに走る。車体のあらゆる部分が力を発揮し、それらがすべて同一の目的に向かっているのが感じられる。蒸気は、火から得たエネルギーのすべてを、ピストンを動かすことに費してからでなければ、外へ出ない。円滑な発車、規則正しい速度、動揺することなく動く圧力、そして二キロを一分ほどですべるように走って行く重い列車を、わたしは想像する。そして記念碑的炭水車は、どんなにたくさん石炭をたかねばならないかを、詳しく物語っている。
ここにあるのは、大量の科学、大量の計画、大量の試験、大量の鉄槌《てっつい》ややすりの使用だ。これらはいったいなんのためか。おそらく、パリとル・アーブル[パリ北西二二八キロにあるセーヌ河口の町]の間の旅行時間を十五分ほど縮めるためだろう。ところで、幸福な旅行者だちは、こんな高価な代償を払って手に入れたこの十五分を、なにに使うのか。時間を待ちながら、プラットフォームですごす者も多いだろう。十五分だけよけいに喫茶店に残って、新聞を広告欄まで読む者もあろう。どこに利益があるのか。だれの利益になるのか。
奇妙なことには、列車の走りようがもう少し遅かったらたいくつする旅行者が、出発前か、到着後に、この列車はほかの列車より十五分早く走るのだということを人に説明することで十五分ぐらい費やしてしまう。だれでも少なくとも一日に十五分ぐらいは、この新偉力の話をするとか、トランプをやるとか、ぼんやりものを考えるとかしてすごしてしまうものだ。この時間を汽車のなかでむだにすることは、なぜしないのか。
どんな場所だって、汽車のなかほどいいところはない。わたしの言っているのは特急列車の話だ。どんな安楽椅子よりもはるかに坐《すわ》り心地《ここち》がいい。広い窓からは、川や、谷や、小山や、村落や、町が横ぎるのが見える。丘の中腹の道や、その道路の上を走る車や、川を上り下りする舟の列などを、目で追う。国じゅうの富が、ときには小麦や黒麦、ときには甜菜《てんさい》畑や精糖所、それから美しい大樹林、それから牧場、牛、馬といったぐあいに、くりひろげられる。切通しの道は地層の断面を見せてくれる。まことにすばらしい地理のアルバムだ。めくる世話もなく、季節により、天候によりその日その日で変化する。小山のかげに雷雨がおころうとし、秣《まぐさ》を積んだ馬車が道をいそいでいるのが見えるかと思えば、別の日には、刈り入れ人たちが黄金色の埃《ほこり》のなかで立ち働き、空気は太陽の光をあびてふるえている。これに匹敵する眺めをもつものが他にあろうか。
それなのに、旅行者は、新聞を読み、印刷の悪い写真版をなんとかしておもしろがろうと努力し、時計をとり出し、あくびをし、旅行|鞄《かばん》を開けたり閉めたりする。列車が着くがはやいか、辻《つじ》馬車を呼びとめ、まるで自分の家が火事にでもなったかのように駈けだす。夜になると、劇場に陣どったりする。厚紙に描かれた木立や、とり入れの真似《まね》や、つくりものの鐘楼なんかを感心してながめている。にせの刈り入れ人たちは、調子っぱずれな歌を大声で歌ってきかせるだろう。そして、かれは座席という一種の監獄のなかに閉じこめられて、すりむいた膝《ひざ》でもこすりながら、こう言ったりするだろう。「刈入れ人の歌は調子っぱずれだ。もっとも舞台装置は悪くない」(一九〇八年七月二日)
[#改ページ]
四十 賭《かけ》
ある人がよくこう言っていた。「たったひとりで暮らしていて、どんな欲望でも、どんな不安でも財産の力で解決してしまう人をわたしは可哀想だと思う。少し年でもとるか、病気にでもなったが最後、気の毒なものだ。自分のことばかり考えることになるからだ。もし、家族をかかえた一家の父であれば、たえず心配事があり、いつになっても借金から解放されないにしても、外見よりもはるかに幸福である。胃の腑の消化のことなどを考える暇がないからである」少々の借金は残しておくべきだし、また、借金があったところで、苦にすべきではないというわけである。
可もなく不可もない、平穏で落ちついた生活を求めよ、と忠告するに当っては、そういう生活をささえて行くためには実に豊かな知恵が必要なのだということを、なかなか十分には言えないものである。財産や名誉を軽蔑するのは、結局はやさしいことだ。本当にむずかしいのは、一たび財産や名誉を軽蔑してしまったあとで、あまりたいくつしないですむようにすることだ。野心家というものは、めったにない幸福が見つかると思って、たえずなにかのあとを追っかけまわしている。だが、大いに忙しいことこそ彼の一番の幸福なのである。なにかに失望して不幸なときでさえ、かれはその不幸によって幸福なのである。かれは不幸のなかに不幸からいえる療法を見るからである。そして、真の療法とは、かれがそこに療法を見るということなのである。われわれの目の前に地図の上の大国のように、はなはだ明瞭《めいりょう》にくりひろげられている必然性の方が、われわれの内部のくぼみに感ずる奥深い必然性よりも、いつでもはるかに値打ちがあるものなのである。
賭の情熱は、冒険欲というものを、赤裸々によけいな飾りなしに見せてくれる。賭をする人は絶対に安全ではない。だからこそ、面白くてたまらなくなるのだ。したがって、本当の賭手《かけて》というものは、注意力、用心深さ、腕まえなどが大いにものをいう賭を、あまり好まない。その反対に、ただ待つだけ、危険を冒すだけのルーレットのような賭にいっそう熱中する。これは、ある意味では、自分から進んで破局を求めることだ。かれは一瞬一瞬自分にこう言っている。「身からでた錆《さび》だ。こんどの玉で、おれは破滅するだろう」危険きわまる探検旅行のようなものだ。ただ、違うのは、その気になりさえすれば、無事に家へ帰れるということである。しかし、危険なところが、また運まかせの一六《いちろく》勝負のおもしろさなのだ。何ものにも別に強《し》いられはしない。ただやりたいときにだけ危機に挑《いど》むのだ。その自由さが、たまらない魅力なのである。
おそらく戦争には、賭博《とばく》的なところがある。戦争をおこすのは倦怠《けんたい》だ。その証拠には、一番好戦的なのは、仕事も心配事も一番少ない人間にきまっている。こうした原因をよく承知していれば、美辞麗句にそうまどわされることもないであろう。金持で、暇のある人間がこんなことを言うと、たいへん強そうにみえる。「おれにとっては、生活は楽だ。おれがこんなに危険に身をさらし、こういうおそろしい危険を心から求めるからには、そこに、なにかやむにやまれぬ理由か、避けがたい必然性があるに違いないのだ」
だが、そうではないのだ。かれはたいくつしている人間であるにすぎないのだ。もしかれが朝から晩まで働きずくめに働いていたら、これほどたいくつしなかったに相違ない。つまり、富の不平等な分配は、なによりもまず、栄養のいい多くの人間をたいくつさせるという不都合《ふつごう》をともなう。たいくつなので、それからのがれるために、心配したり、怒ったりすることになるのだ。こういうぜいたくな感情が、貧乏人にとって最大の負担《ふたん》となるのだ。(一九一三年一一月一日)
[#改ページ]
四十一 期待
わたしは、火事があるとよく「保険」を連想したものだ。この保険という女神は、まだまだ、運命の女神フォルトゥナ[ギリシャ、ローマ神話の美しい女神。Fortune という英語はここから発生する]のようには愛されていない。人はこの女神を恐れる。いやいやながら、形ばかりの供物をささげる。これは理解しがたいことではない。保険の恩恵は、不幸が来たときでなければ与えられないのだから。あきらかに、一番いいのは、家が火事にならないことである。だが、それは手や足があるのと同じようにあたりまえすぎることであって、ことさら恩恵とは感じられない。こんな消極的な幸福に対して金を支払うなんて、なんだか馬鹿《ばか》々々しい。保険料をいやな顔をしないで払うのは、大企業だけに違いない。大企業はなんにでも支払うものだ。しかし、また、一日のおわりに、その日の損益を知らない商店の幹部店員はあわれなものだと、わたしはおもう。かれらの本当のよろこびは、多分大勢の傭い人に対して権力をふるうところからうまれるのだろう。
期待することばかりしていて、実際に手を下すことをしない連中は、保険が好きになれない。破産に対して保険をかける商人など考えられようか。超過利潤をみんなが共同に積み立てれば、これ以上簡単なことはあるまい。こうすれば、加入した店は、全体として、かなり繁盛するだろう。加入した商人たちは、固定給と恩給とを保証された役人のようなものとなるだろう。希望すれば、医療も療養所も保証される。新婚旅行も、何度かの慰安旅行も保証される。これはなかなか賢明な考えだ。そして、書物のなかで考えられている限りでたいへん結構な事柄だ。しかし、物質的生活がこのように文字どおり保証されたとしても、なお幸福はこれからつくり出さねばならぬものだということを忘れてはならない。自分自身のなかに財産をもっていない者は、倦怠《けんたい》に待ち伏せされ、たちまちつかまってしまう。
昔の人々が盲目の「運命」と呼んでいた「僥倖《ぎょうこう》」の女神は、はるかに愛情をこめてあがめられる。ここには絶大な希望がある。その代償としてあるのは、うまく行かないかも知れぬという心配だけである。そんなものは問題でない。あらゆる保険をとり扱う事務所というものを考えてみるなら、その入り口には「ここに入る者、すべての期待を捨てよ」と書かれていなければならない。これに反して、期待の商人は男らしい勝負ができる。期待は、実際は虚栄にほかならぬ野心からは生じない。むしろ、常に行動にみちびいて、あらゆる職業の光明となり、よろこびとなる、あの疲れを知らない創意から生ずるのだ。ペレット[ラ・フォンテーヌの『ファブル』中の「牛乳売りの女と牛乳壺」の女主人公]にとって牛乳|壺《つぼ》は休息を意味せず、むしろ反対に仕事を意味する。仔牛、牝牛、豚、仔豚――これら一切の面倒をみてやらなければならない。だれでもいつもの仕事をしているうちに、しなければならない別の仕事がでてきて、それに没頭したくなるものだ。期待は壁をうち破る。茂った雑草や茨《いばら》のくさむらにあるところに、整然とした野菜畑や花畑をみるのだ。保険は人間を獄舎に閉じこめる。
賭《かけ》の情熱は考察に価する。賭では人間は、裸形の偶然、人間みずからこのんで創り出した偶然と格闘する。賭の危険に対しては、払いこみ金無料の保険が一つある。賭けさえしなければいいということだ。だが、暇のある人ならほとんどだれもが、期待と不安という双子《ふたご》の姉妹をあがめて、トランプやさいころにとびつくのだ。そして、おそらく人間は、自分の腕まえで勝つよりも、僥倖によって勝つことの方が得意がろう。これは祝福するということばの意味するところからもわかる。祝福するとは、本来成功をほめることであって、才能をほめることではないのである。神々のよみしたまうものは何か、についての、これが古代人のいだいた観念である。そしてこの観念は、神々よりも生きながらえた。人間がもし、こういう存在でなかったら、平等の正義がとうの昔から支配していただろう。平等の正義はなにもむずかしいことではないからだ。しかし、人間というものは、むずかしくないものを、あまり好まない。シーザーは万人の野心によって万人を支配する。かれはわれわれの期待の帝王である。(一九二一年一〇月三日)
[#改ページ]
四十二 行動する
競走選手たちは、みんないろいろと苦労する。フットボールやバスケットの選手もみんな苦労する。拳闘家もみんな苦労する。本を読むといつでも、人間は楽しみを求める、と書いてあるが、しかし必ずしもそうとはいえまい。むしろ、人間は苦しみを求め、苦しみを愛しているように思われる。老ディオゲネス[紀元前四世紀のギリシャの哲学者。富と因襲とを軽蔑し、自然のままに生きるのを信条とした。犬儒学者といわれる]も「一番いいものは、苦しみである」と言っていた。このことから、人間はその求める苦しみのなかに楽しみを見いだすのだ、と言う人がいるかも知れない。だが、それはことばをもてあそんでいるだけのことだ。楽しみではなく、幸福と言うべきだろう。それに、この両者は隷属と自由とが違うように、全く違うものだ。人が欲しているのは行動することであって、耐え忍ぶことではない。自分からあんなに進んで苦労する人たちも、おそらく強《し》いられた仕事は好むまい。だれだって、強制労働は好みはしない。身にふりかかる災いを好む者はいない。窮乏を感じとることを好む者はいない。しかし、自分で自由に苦労するが早いか、たちまち満足する。わたしはこの短文を書いている。筆一本で、食っている文筆家のなかには、「たいへんな苦労だ」と言う者もあろう。ところが、わたしの場合はだれにも強いられていない。自分から好んでするこの仕事は楽しみなのである。もっと正確にいえば幸福なのである。拳闘《けんとう》家も向こうからなぐられるだけなのは好きではない。だが、自分から求めてなぐられるのは好きなのだ。われわれの力だけに勝敗がかかっているのならば、困難の挙句《あげく》の勝利ほど気持のいいものはない。実際のところ、人々の好きなのは実力だけなのだ。ヘラクレスは怪物をさがしもとめてこれを退治したことで、自分の実力を自分自身に証拠立ててみせた。しかし、恋に陥るやいなや、たちまちかれは自分が奴隷であることと、快楽のもつ支配力の強さを感じたのだ。人間はだれでもそうだ。だからこそ、快楽は人をもの悲しくさせるのだ。
守銭奴《しゅせんど》は多くの楽しみを自分に禁じる。まず楽しみにうちかつことによって、そしてまた、財力を蓄積することによって、強烈な幸福感をつくり出す。かれは自分が義務に服従することを要求したのだ。遺産で金持になった人が、もし守銭奴であるなら、それは物悲しい守銭奴である。およそ幸福というものは、本質的に詩《ポエジー》であり、ポエジーとは行動を意味するからである。人は棚《たな》ぼた式の幸福をあまり好まない。自分で幸福をつくり上げたいのだ。子供はわれわれの庭をまるで見向きもせず、砂の山や麦わらのきれっぱしなどを使って、自分でりっぱな庭をつくる。蒐集《しゅうしゅう》を自分でしなかった蒐集家というものが考えられようか。
戦争のおもしろみは、戦争をやることだと、わたしは確信している。身体を武装するやいなや、ひとりひとりにまぎれもない自由がうまれる。兵士たちに戦闘を強制しようとする司令部など、鼻のさきで笑ってしまう。兵士たちは、自分の自由を感ずるやいなや、新しい生活のなかに入り、そこに楽しみを見いだしているのだ。死を恐れる――それはいつでもそうに違いない。死を待ち、最後には死を甘受する――それはそうに違いない。しかし、死の前に躍り出て、試合場のように閉ざされた場所のなかに死を呼び出そうとする兵士は、自分を死よりも強いものだと感じているのだ。兵士たちにとっては、死を待つより死を探しだしに行く方が容易なことは、だれでもがよく知っている。人は、時のはこんでくる運命よりも、自分でつくりだす運命の方が好きだ。だからこそ、戦争のなかには、詩《ポエジー》があり、そのために、敵を憎みさえしなくなる。この自己陶酔の魅惑力を考えれば、なぜ戦争というものが、さらには情念というものが、おこってくるかがわかるというものだ。だからわたしは、慎重さだけでは平和を保証するには足りないと考える。平和を支えるのは正義への愛なのだ。そして、正義をつくりだすのは、橋やトンネルをつくりだすよりもむずかしい。だが、正義をつくりだすことによって、平和が存在するのだ。正義をつくりだすことによって|のみ《ヽヽ》、平和が存在するのだ。(一九一一年四月三日)
[#改ページ]
四十三 行動の人
わたしの好みでいえば、警視総監がもっとも幸福な人間である。なぜか? かれはたえず行動しているからだ。しかも、たえず新しい、予見できない条件のなかで行動しているからだ。やれ火事だ、水害だ、地すべりだ、圧死だ。泥《どろ》のこともあれば、埃《ほこり》のこともあり、病気のこともあれば熱狂のこともある。さらにまた、喧嘩《けんか》の仲裁をしなければならないこともあり、ときには群集の貧乏をおさえなければならないこともある。こういうぐあいに、この幸福な人間は、ひっきりなしに、果断な行動が要求され猶予のない問題に直面している。そこには、一般的な規則などはない。紙|屑《くず》のような書類もいらない。行政報告のかたちをとった非難や慰めも必要ない。そんなことは役所の事務の連中にまかせておく。御本尊は、知覚と行動そのものである。ところで、知覚と行動というこの二つの水門がひらかれると、生命の大河は人間の心を羽毛のように軽々と運んで行く。
そこには勝負事の秘密がある。トランプをやる。それは生命の流れを知覚から行動へときりひらくことだ。蹴球《しゅうきゅう》をやる。なおさら結構だ。予見しがたい新しい材料にもとづいて、すみやかにある行動を思い描き、ただちにそれを実行する。そうすれば申し分なく人生は満たされる。その上、いったいなにを欲するのか。なにを心配するのか。時間が悔恨を食いつくしてくれる。人はよく、泥棒《どろぼう》や追いはぎの精神生活はどんなものだろう、などと考える。そんなものはないのではあるまいか。いつでもねらっている。さもなければ、眠っている。手や足に先立って、予見能力があげて偵察する。だから、罰せられるという考えは、うかんでこない。その他のどんな考えも。この盲目で聾《つんぼ》の人間機械は空《そら》恐ろしい。だが、どんな人間であっても、行動は意識を消し去るものだ。この行動の容赦ない暴力は、きこりの斧《おの》の一撃のなかから響きでてくるものだ。政治家の態度のなかにはそれほどはっきりでてこないが、政治家のなしおえた仕事のなかには、しばしばあらわれでているものだ。まるで斧のような堅くて物に動じない人間であったとしても、その男は自分自身に対してほとんど容赦はしないのだということを知れば、それほど驚くにはあたるまい。力には情けというものはない。自分に対する情けさえも。
なぜ戦争をするのか? 人間がそこでは行動のなかにおぼれるからである。人間の考えというものは、発車すると暗くなる電車の電燈みたいなものだ。わたしが言うのは熟慮された考えのことである。行動の恐るべき力は、そこから出てくる。この力は、心のランプを消し去るから、勝手気ままに自分を正当化するのだ。もっとも、そのために、抑うつ病、厭世《えんせい》観、陰謀、偽善、怨恨《えんこん》、あるいは物語めいた夢、手のこんだ悪徳、これらの反省によってはぐくみ育てられた卑《いや》しい情念のすべてが消し去られる。しかし、それと同時に、行動の流れにのまれて正義もまた消えうせるのだ。警視総監は、水害や火事に対してたたかうのと同じやり方で、暴動ともたたかう。すると、暴徒もまた自分のランプを消してしまう。野蛮未開の闇がおとずれる。だからこそ、棍棒《こんぼう》でこづいて拷問する刑吏もいれば、他人の証言を聞きいれる裁判官もいたのだ。腰掛にしばりつけられたまま櫂を動かし続けながらあえぎ苦しんで死に果てていった漕刑囚《そうけいしゅう》もいれば、その漕刑囚に鞭をふるう鞭《むち》うつ者たちもいたのだ。鞭うっている連中は、鞭のことしか考えていない。どんな野蛮制度も、一たびうち立てられてしまえば、ながながと続いてゆくものなのだ。無為はあらゆる悪徳の母であるが、また同時に、あらゆる美徳の母なのである。(一九一〇年二月二一日)
[#改ページ]
四十四 ディオゲネス
人間は、意欲し、ものをつくり出すことによってのみ幸福である。このことはトランプ遊びを見てもわかる。顔をみればすぐわかるように、だれもが、一思いに決定し、ふんぎりをつける能力を自分がもっているかどうか、を考えている。切札をもったシーザーたちもいて、たえずルビコン川[ガリア軍の侵入をおそれたローマ元老院は祖国を裏切り、この川を渡るものを地獄の神に捧げる決議をした。シーザーはこの決議をものともせずルビコンを渡って「運命の賽は投げられた」と叫んだ]を渡る。運まかせの一六《いちろく》勝負でも、賭け手は、危険をかえりみずにやってみるか、やめるか、どちらでもできる全権限をもっている。どんなに危険でも敢行する場合もあれば、どんなに見込があっても思いとどまる場合もある。かれらは自分で目を統御する。かれは君臨する。普通の場合にはうるさい助言者である欲望やおそれも、ここでは予見がきかないために助言できない。だから、賭け事は自負心のつよい人たちの大好物である。欲望やおそれに負けて、勝負に勝つのをあきらめるような連中には、バカラ[トランプ遊びの一種で、胴元と何人かの賭け手の間で行われる]で賭ける楽しみなどわかりはしない。しかし、かれらも試しにやってみれば、少なくともちょっとの間は権限をもつことの魅惑を知るに違いない。
どんな職業でも、自分が支配しているかぎりは愉快であり、自分が服従しているかぎりは不愉快だ。電車の運転手は、バスの運転手にくらべると幸福ではない。自由にひとりでする狩猟ははなはだ楽しい。狩猟家は自分でプランを立て、それに従うなり変更するなりすればいいのであって、他人に報告したり弁解したりする必要がないのである。これにくらべれば、獲物を狩り出してくれる勢子《せこ》のまえでしとめる楽しみなどは、とるに足らない。射撃の名人は、自分の感動や驚きをおさえつけることのできる力をもっているものだ。こういうわけで、人間は楽しみを求め、苦しみを避けるものだなどと言う人たちの説明はまちがっている。人間は、与えられた楽しみにたいくつし、自分で獲得した楽しみをはるかに喜ぶものだ。しかも、なによりも行動し、征服することを好む。ひとから与えられた苦しみを好むものはだれもいない。
登山家は自分だけのもっている力を行使して自分で自分の力を立証する。かれは自分自身の力を感じると同時にそれを考慮する。この良質なよろこびが雪景色《ゆきげしき》をいっそう美しいものにする。だが、名高い山頂まで電車で運ばれた人は、同じ太陽を見ることはないだろう。したがって、楽しみに対する予想というものはわれわれを裏切るものだ、というのは本当である。しかもそれは二様にわれわれを裏切るのだ。行動することの楽しみは、必ず約束以上のものを払ってくれるのだが、与えられた楽しみというものは約束どおりのものを決して支払ってはくれないのだから。運動の選手はほうびを獲ようとして練習する。しかしやがて、自分の内部にあって自分の力によってのみ手にはいる進歩、困難の克服というもう一つ別のほうびを獲得する。怠け者にはこれは決して想像がつかない。怠け者は、他人から与えられるほうびと、自分の苦しみ、この二つしか見ないからだ。かれはこの二つをはかりにかけるが、決して決心しない。だが、運動の選手は、もうきのうの練習に刺激されて立ち上り、仕事にとりかかり、そしてたちまち自分の意志と実力とをためしはじめる。こうして、仕事以外に楽しいものがなくなる。だが、怠け者はこんなことを知りはしないし、知るすべもない。人の話で聞いたり、思い出で知ったりしても、かれにはそれが信用できない。そこで、快楽を夢想する。だが、たちまちその夢想に裏切られて、憂鬱がおとずれてくる。考える動物が憂鬱になるときには、怒りがすぐそばまで来ている。だが、奴隷《どれい》であることの憂鬱さは、主人であることの憂鬱さよりも、まだしも忍びやすいようにわたしには思われる。行動というものは、たとえそれがどんなに単調な奴隷の行為であっても、いつでも少しは支配したり、考え出したりするべきものが残っているからだ。これに反して、他人によって作られた楽しみを受けとる者は、当然のことながら、もっとも意地悪となる。だから、金持は不機嫌《ふきげん》に、陰鬱な表情で支配する。労働者の弱点は、自分が希望している以上に満足しているところから由来する。かれが意地《いじ》の悪い人間をつくるのだ。(一九二一年一一月三〇日)
[#改ページ]
四十五 エゴイスト
わが西洋の諸宗教の誤謬《ごびゅう》の一つは、オーギュスト・コント[十八世紀フランス実証主義哲学者。アランが深い影響をうけた思想家の一人]も指摘しているように、人間というものは常にエゴイストで、神の助け以外にはこれをなおす薬がない、と教えたことである。この考えはすべてに、犠牲的精神にまでも、悪影響を与えた。そのため、もっとも普通な一般的な考えたかたのなかにも、またもっとも自由な精神の持主たちのなかにも、自分を犠牲にする人でさえ快楽を求めているのだという奇怪な意見が見うけられるに至っている。「戦争が好きな奴もいるさ。正義が好きな奴もいるさ。このおれは酒が好きなのさ」アナーキストそれ自身がすでに神学者である。反抗は屈辱への答えだ。もとをただせば同じ樽から出た酒だ、というのである。
実情はこう考えるべきだろう。一般に人間は快楽よりもむしろ行動を好むものだ、と。若者たちの競技を見ればよくわかる。フットボールの試合とは、押し合いと、なぐり合いと、蹴《け》り合い以外のなんであろうか。しかも、若者はみんなこのんでそれを行うのだ。だから、試合の場面の一つ一つが思い出のなかに強く残って忘れられない。考えただけで、わくわくする。足がもう駆け出しそうになっている。自分に打ち克つことが、嬉しくて仕方ない。そのため打撲や苦痛や疲労などは、物のかずにはいらなくなるのだ。また、戦争というものも考えてみる必要がある。戦争というすばらしい勝負のなかでは、凶暴さよりも、自己に打ち克つ高邁さというものがどんなものか、それがよくわかるのだ。戦争のなかでとくに醜悪なのは、戦争を導く隷属状態と、戦争のあとの隷属状態である。戦争のまきおこす無秩序とは、要するに、最良の人々が死んで行き、もっとも悪がしこい連中が正義を犯して支配の機会を見つけるということである。しかしここでも、本能的な判断は過誤をおかすのだ。デルーレード[ポール・デルーレード。十九世紀末から二十世紀初頭にかけてのフランス詩人、政治家。愛国者同盟の総裁]のようなお人好したちは、思い違いをするのが楽しいのだ。
このことは考察に価する。エゴイストの手合いは、ごうまんにも嘲笑する。激しい苦痛や快楽の力には高邁さをも空しく屈服する他はないものだと思いこみたがっているからだ。「名誉を愛するとは、あなたはなんという間ぬけだ。それも他人のためとは」。カトリックの天才パスカル[一六二三〜一六六二、フランスの宗教哲学者、数学、物理学者。合理的認識の精神だけでは、人間の諸問題は解決できないとし、直感的、情感的認識能力の重要性を力説した。さらにこれにより、人間の二面性を悟らせるものとしてキリスト教を弁護した]そのパスカルがこのことばを書いたのだが、この言葉にこもっていそうに見える深遠さは、見せかけだけであるにすぎない。パスカルは、こんなこともいっている――「他人が話題にさえしてくれれば、人間はよろこんで命を捨てる」。ひとがくれた場合なら返してしまいたくなるような一匹の兎《うさぎ》をとろうとしてたいへんな苦労をする狩猟家を嘲笑《ちょうしょう》したのも、このパスカルである。人間は快楽よりも行動を、他のどんな行動よりも規律あるきちんとした行動を、またなによりも正義のための行動を愛するものだ、ということを、人間の目からかくすためには、きわめて根強い神学的偏見が必要であるというわけだ。行動から限りない楽しみが出てくることはたしかである。しかし、行動は楽しみを追っかけるものだと考えるのはまちがいである。楽しみは行動にともなって生まれてくるものなのだ。愛の楽しみは楽しみを愛することを忘れさせる。犬や馬に神として君臨するこの大地の息子である人間はこんなぐあいなできかたをしているのだ。
ところが、エゴイストというものは、誤った判断のために、その運命に対する義務を怠る。かれは、とらえるべき大きな楽しみをみとめなければ、指一本動かそうとしない。だが、こういう計算ずくであっては、本当の楽しみは必ず忘れられる。本当の楽しみというものはまず苦しみを要求するものだからだ。だから、用心深く計算すると、必ず苦しみの方が上まわる。懸念の方がいつも期待より強い。エゴイストはけっきょく病気だの、老衰だの、避けがたい死だのを考えることになる。かれが絶望しているということは、かれは自分を誤解しているということをわたしに説明するものに他ならない。かれが自分というものをとりちがえていることが、わたしにはわかる。(一九一三年二月五日)
[#改ページ]
四十六 王様は退屈する
少しは生きる苦労というものがあった方がいい。あまり平坦な一本道は歩まない方がいい。王様たちが万事思いのままだとすれば、気の毒なことだ。また、神々というものがどこかにいるとすれば、少々神経衰弱気味であるにちがいない。昔は神々も旅人の姿をして、戸口をたたきにきた、といわれる。たぶん、飢えと渇きと愛の情熱を感じて、少しばかり幸福を感じたに違いない。もっとも神々が自分が全能であることに多少とも思いを及ぼそうものなら、こんなふうに思っただろう。こんなことは全部遊びにすぎない、その気になりさえすれば、時間も距離も消失させて、自分の欲望を押し殺すこともできるのだ、と。要するに、神々はたいくつしていたのである。その時以来、神々は首をくくるか身投げをするかしたはずだ。さもなければ、神々はシャルル・ペローの童話の「森の眠り姫」のように眠っているのであろう。われわれは自分自身に対して目ざめさせるような、なんらかの不安、なんらかの情念、なんらかの苦しみがなくては、幸福というものはうまれてこないもののようである。
現実に恩恵をうけるよりは、頭のなかで考えていた時の方が幸福だ。これが普通である。現実に恩恵を手に入れると、これ以上言うところはないと考え、走りまわることをやめて坐りこんでしまうからである。富というものには二種類ある。坐らせておく富はたいくつのもとだ。人をよろこばせるのは、さらに計画や仕事を欲する富である。百姓がほしくてたまらず、ついに自分のものとした畑のようなものだ。人をよろこばせるのは力、それも休息している力ではなく、活動している力だからである。なんにもしない人間は、なんにも好きにならない。すっかりできあがった幸福を与えてみるがいい。病人のようにそっぽを向くだろう。それに、音楽をきくより自分で音楽をやる方を好まない者があろうか。むずかしいものこそがわれわれをよろこばす。だから、途上になにか障害物があるとそのたびに、血がさわぎ、熱情が燃えあがる。なんの苦労もなしに手に入れたものなら、だれがオリンピックの月桂冠を欲しがったりしようか。だれもそんなものは欲しがらないだろう。負ける危険が決してなければ、だれがトランプ遊びなどしたがろうか。ここに廷臣たちとカードをする年とった王様がいたとする。王様は勝負に負けるとお腹だちになる。廷臣たちはそのことをよく知っている。廷臣たちが遊び方をよく心得てからというもの、王様は決して負けない。すると、こんどはカードを投げ出す。王様は立ちあがり、馬に乗る。狩に出かける。しかし、そこは王様の狩だ。獲物の方が王様の足下にやってくる。鹿もまた廷臣なのだ。
わたしは何人もの王様を知っている。それは小さな王国の小さな国王たちだ。かわいがられすぎ、おせじをいわれすぎ、だいじにされすぎ、かしずかれすぎる、家庭のなかでの王様たちだ。かれらは、なにかを欲するひまもない。注意深い目がかれらの考えを見抜いてしまっている。さあ、こうなると、この小ジュピター[ジュピターはギリシャ・ローマの神々の父。多くの属性をもつが「雷の神ジュピター」とも言われる]たちはなにがなんでも雷をおとしたがる。不平の種を考え出す。気まぐれな欲望をつくりだす。はっきりしない一月の太陽のように気がかわる。是が非でも強情を通そうとする。そして、たいくつのあまり途方もないことをしでかす。神々がたいくつのあまり死んでしまっていないのだとするならば、この家庭という平坦な王国の支配をあなたに命じはしないはずだ。けわしい山あいの道を通って導いてくれるはずだ。井戸のような目と鉄床のような額とをもち、路上に自分の耳の影を見ても、ただちに立ちどまるような、アンダルシア[スペインの南部の地方。土地は豊穣で長い間アラビア人たちの支配下であった]産のよい驃馬を道づれとして与えて下さるはずだ。(一九〇八年一月二二日)
[#改ページ]
四十七 アリストテレス
いやいやがまんするのではなくて、進んで行う、これが心地よさの基礎である。ところが、砂糖菓子は口のなかで溶かしさえすれば、ほかに何もしなくともけっこううまいものだから、多くの人々は幸福を同じやり方で味わおうとして、みごとに失敗する。音楽は、聞くことだけしかせず、自分では全然歌わないのなら、たいして楽しくはない。だから、ある頭のいい人は、音楽を耳で鑑賞するのではなく、喉で味わうのだ、と言った。美しい絵からうける楽しみでさえ、下手でもいいから自分で描いてみるとか、自分で蒐集するとかしなければ、休息の楽しみであって、熱中の楽しさは味わえない。大切なのは、判断するだけにとどまらず、探求し、征服することである。人々は芝居を見に行き、自分でいやになるくらい退屈する。自分でつくり出すことが必要なのだ。少なくとも自分で演ずることが必要なのだ。演ずることもまたつくり出すことなのだ。俳優たちが思う存分楽しむ社交遊びの思い出を持たない人はないであろう。わたしは、人形しばいのことばかり考えてすごした幸福な数週間のことを思い出す。だが、ことわっておくが、わたしは小刀で木の根に、高利貸だの、兵隊だの、きむすめだの、老婆だのを刻んでいたのである。ほかの連中がそれらの人形に衣装を着せた。わたしは観客のことなど眼中になかった。批評などというとるに足らぬ楽しみは観客どもにまかせておいた。いくらかでも自分で考え出したという点では、批判もまた楽しみではあるのだが。トランプをやっている連中は、たえずなにかを考え出し、勝負の機械的な進行に手を加える。勝負のできない人間に向かって、トランプが好きか、などときいてはいけない。ゲームを知ってしまえば、政治のことで不愉快になったりしなくなる。だが、それにしても、ゲームを学ばなければならない。なにごとにおいてもそうだ。幸福になるには、幸福になり方をまなばなければならない。
幸福はいつもわれわれから逃げてゆくものだ、といわれる。ひとから与えられた幸福を言うのなら、それは正しい。与えられた幸福などというものはおよそ存在しないからである。しかし、自分でつくる幸福は、決して裏切らない。それは学ぶことであり、そして、人はたえず学ぶものだ。知れば知るほど、学ぶことができるようになる。ラテン語学者の楽しみもそういうものだ。そこには|きり《ヽヽ》というものがなく、むしろ進んだだけ楽しみが増える。音楽家であることの楽しみも同様である。だからこそ、アリストテレス[紀元前三八四〜三二二。ギリシャの哲学者、形而上学、数学、論理、等を研究した。彼は事物の原因に質料と形相の二者を認め、あらゆる存在の両者の結合、あらゆる生成過程を可能的存在の現実的存在への転化と考えて、古代最大の学問体系をうちたてた。プラトンの弟子、アレキサンダー大王の師]はつぎのような驚くべきことを言う。真の音楽家とは音楽を楽しむ人であり、真の政治化とは政治を楽しむ人である、と。「楽しみとは能力のあらわれである」と、かれは言っている。その理論など忘れさせてしまう用語の完璧さをもつ素晴らしいことばだ。古来、何度となく否認されてきて、しかもびくともしないこの驚くべき天才を理解しようと思うのなら、ここのところによく注意する必要がある。いかなる行動においても、真の進歩のしるしは、人がそこに感じうる楽しみに他ならない。したがって、仕事こそが心を楽しませる唯一のものであり、しかもそれだけでじゅうぶんなのだ。わたしの言う仕事とは、力のあらわれであると同時に、力を生みだす源泉でもある自由な仕事のことだ。くりかえしていうが、大切なのはがまんすることではなくて、行動することである。
だれでも見たことがあるように、石工たちはゆっくり時間をかけて小さな家をつくる。かれらが一つ一つの石を選んでいる様子を見て欲しい。この楽しみはどんな手仕事にもある。職人はいつでも考え出しては学んでいるからである。ところが、職人が自分のつくった物となんら関係ももたず、自分のつくった物を所有することもなく、さらに学ぶために使用することもなく、たえず同じことをはじめからくりかえす場合には、きわめていい加減なことになる。機械的な完全さが退屈をうむことは、もちろう言うには及ぶまい。これに反して、仕事の継続、作物が次の作物を約束すること、それが農夫を幸福にする。もちろん自由で独立している農夫のことだ。ところが、たいへんな労苦によってあがなわれるこういう幸福に対して、だれもがみんなさわがしく反対する。人から与えられた幸福を味わいたいなどというけしからぬ考えがはびこっているからだ。ディオゲネスがいうとおり、苦しみの方がいいのだ。だが、精神はこの矛盾を背負って行きたがらない。この矛盾にうちかつことこそ大切なのだ。くりかえしていうが、この苦しみを反省することから幸福をつくり出さなければならない。(一九二四年九月一五日)
[#改ページ]
四十八 幸福な農夫
働くことはもっともよいことであるとともに、もっともわるいことである。それが自由なものならもっともよいし、隷属的なものならもっともわるい。わたしが最高度に自由なものと呼ぶのは、扉をつくる指物師のように、自分の知識により、経験にしたがって、働き手自身が規制する仕事のことだ。しかし、自分で使うための扉をつくる場合には、事情は同じではない。そのときには経験が未来をもってくるからだ。かれは実地に材木の性質をたしかめてみることができることとなろう。また、予想した割れ目が予想通りにできるのを見て、自分の目をほこることともなるだろう。知能は扉をつくらない場合には情念をつくる。この知能の働きを忘れてはならない。人間は、物以外の主人を持たず、自分の仕事の跡を見守っていることができれば幸福である。物の教訓はいつでも快くうけ入れられるものだ。自分が航海するのだったらいっそういい。船をこぐ一舵ごとに思いあたるふしがあり、船をつくるときのどんな小さな配慮も生きてくる。よく郊外などで、労働者が自分で手に入れた材料で、暇をみて少しずつ家を建てているのを見かけることがある。宮殿だって、こんな幸福を与えはしないだろう。王子にとっての真の幸福も、自分の計画どおりに建てさせることにある。だが、戸の挿鍵のうえに、自分の金づちの跡を感じることのできる人こそなにものにもまして幸福である。してみると、まさしく苦しみが楽しみをつくるのだ。だれでも、きわめてやさしいが命令ずくの仕事よりも、自分で考え、自分の意志でまちがえることもあるむずかしい仕事のほうを選ぶだろう。最も悪いのは、親方がやってきてじゃまをしたり、中断したりする仕事である。なんでもやらされるお手伝いさんは包丁を使っているときに床の掃除を言いつけられることがある。そのときのお手伝いさんこそ、この世で一番不幸な被造物である。ところが、彼女たちのなかでもっとも精力的な女性たちは、自分の仕事を自主的に行う権利を獲得して、自分で自分の幸福をつくり出すものだ。
したがって、自分の畑を耕すのであれば、農業はもっと気持のいい仕事である。たえず夢想は仕事から成果へ、はじまった仕事から継続する仕事へとかけめぐる。収穫そのものでさえ、人間の刻印で飾られた土地そのものほどには、眼前に存在してはいないし、たえず知覚されていもしない。自分で敷いた砂利の上を思いのままに車をひくことは、かぎりない楽しみなのだ。いつも同じ丘の斜面で働くことを保証されているならば、たいした儲けなんかなくともかまわないのだ。だから、土地にしばりつけられていた農奴は、ほかの奴隷ほど奴隷的ではなかったのである。どんな隷属の身分でも、自分の仕事に対する権能と、永続きする確実性とが得られるならば、たえうるものである。こうした規則をまもるならば、人を使うことも、さらには他人の労働によって生きることさえも、むずかしくはない。ただし、主人というものはたいくつする。そこで、賭けごとにふけったり、オペラの女優に熱をあげたりということになる。社会の秩序が破られるのは、いつでもたいくつや、たいくつまぎれの気違いざたのためである。
現代の人間とても、ゴート人、フランク人、アラマン人[ライン河のほとりに居住したゲルマン諸部族の連合]その他のおそるべき略奪者たちとたいして変わりはしない。ただし、かれらは決してたいくつしない、そこだけが違う。自分の意志にしたがって、朝から晩まで働くならば、かれらは決してたいくつすることがないだろう。したがって、集団農業はたいくつした者たちの不安を、|まつげ《ヽヽヽ》でも動かすみたいなたわいないものに変えてしまうのだ。だが、大量生産は同じような困難きりぬけ策とはならないと知るべきである。おそらく、ブドーを楡の木にからませるようなぐあいに工業を農業にからませることが必要であろう。すべての工場が田園工場になる。すべての工場労働者が耕地を所有し、自分で耕作する。この新しいサラント[ギリシャ神話に出てくる古代のイタリアの町。フェヌロン『テレマック』で空想的理想の国の名とされている]が、動揺する精神のかわりに、安定した精神をうみだしてくれるだろう。だがこういう試みは、踏切番のせまい庭にも見られるではないか。草が敷石の間からはえでるのと同じたくましさで執拗に鉄道のへりに花を咲かせているではないか。(一九二二年八月二八日)
[#改ページ]
四十九 労働
ドストエフスキーは、『死の家の記録』のなかで、徒刑囚たちのありのままを描いてみせてくれている。徒刑囚たちからは、余計な偽善はいっさいとりあげられているといえる。徒刑囚たちには、ぎりぎりの偽善はまだ残っているものの、人間存在の深奥がときとして姿を露呈する。
徒刑囚たちは労働している。そして、しばしばその仕事はおよそ無益なものである。たとえば薪をつくるために古い船をこわすことだが、この地方では薪はほとんどただ同然なのだ。かれらはそのことをよく知っている。だから、かれらは昼の間なんの期待もなく働いているかぎり、怠惰で陰鬱で不器用である。だが、それさえすませればあとは遊べる仕事が与えられた場合には、たとえそれがつらくて困難な仕事であっても、たちまちかれらは器用で、巧妙で、陽気になる。その仕事が、たとえば雪かきなどのような、実際に役に立つ仕事であれば、いっそう、そうなる。だが、なんの注釈もついていないありのままの驚嘆すべき叙述を読むことが必要であろう。そうすれば、役に立つ仕事はそれ自体が楽しみなことがわかる。仕事それ自体なのであって、そこから引きだす利益によってではない。たとえば、かれらは決められた仕事を熱心に、快活にやって、そのあとで休息する。仕事が終わったあとで、ふだんの日よりたぶん三十分ぐらい暇な時間が多くもてるだろうという考えが、かれらを働かせ、はやくやってしまうことに意見を一致させる。一たびこうして問題が出されると、この問題それ自体がかれらを楽します。仕事のやりかたについて考え、理解し、意欲し、実行する楽しみの方が、その三十分から期待できる楽しみよりもはるかにまさるものだ。三十分は、しょせんは牢獄の三十分でしかないのである。わたしの想像では、この三十分がかなりいいものだとすれば、それも熱心に働いた労働のなまなましい思い出のためであろう。人間の楽しみの最大のものは、おそらくは何人もの人と協力しあって行う困難ではあるが自由な仕事なのだ。さまざまな遊戯を見ればよくわかることである。
子供たちを一生涯怠け者にしてしまう教育家たちがいる。それはただ、かれらが子供たちにのべつ幕なしに勉強させようとするからだ。すると、子供はのろのろと勉強する、つまり下手に勉強することになってしまう。その結果、一種の重苦しい疲労感がたえず勉強につきまとってくることになる。これと反対に、勉強と疲労とをきりはなせば、疲労も勉強もこころよいものとなる。だらだらした勉強は、歩くためだけの、空気を吸うためだけの散歩のようなものだ。散歩している間じゅう、疲労している。家に帰ってくると、もうなんでもない。ところが、どんなつらい仕事の途中でも、人は疲れも不快も感じない。その仕事が終われば完全にくつろぎ、やがてぐっすりと眠る。(一九一一年一一月六日)
[#改ページ]
五十 制作
手をつけられた仕事は、動機よりもはるかに説得力を持つものだ。協力するためには動機が必要である。きわめて強力な動機が必要である。だが、その動機を自分の心のなかで確認したり、検討したりしながら、一生涯決して協力することはないという場合もありうる。だが、うまれつつある協同組合が、設立者を出現させるのだ。そして、どんな仕事においても、当座のつなぎの役に立つ待歯石のようなものがあるということが、その仕事を続けるためのじゅうぶんな根拠なのだ。だから、前日の仕事に自分の意志の刻印をみとめうる者は幸福である。
人間はたえずなにかよいことを目ざしている、といわれている。だが、わたしのみるところ、人間はただ理屈で考えて正しいと見える目的のまえでは怠け者だ。人間の想像力は、まだなんのかたちもとっていない仕事に人々の関心をむけうるほどの威力はもっていない。だからこそ、やればいいなと考えるくせにやらない仕事が、われわれのまえにたくさんあるのだ。想像力がわれわれを欺く欺きかたはひととおりではない。だが、それは主として、想像力が人間にありありとなまなましい興奮を感じさせるために、想像力はものの真実をつげてくれる能力を持つものだと、われわれが思いこんでしまうことからおこるのである。だが実は興奮というこの不毛な運動は、それだけのものに終わってしまう。興奮はいつも現在形であるが、計画は常に未来形である。そのために、「いずれはやる」という、怠け者のことばが出てくる。しかし、人間の言葉としては、「いまやっている」とこそ言うべきだ。行動こそが未来をはらんでいるのだから。未来というものは予見しえない。仕事のなかの未来についても同様である。できあがった仕事がわれわれに開示してくれる未来は、われわれが考えていた、もっともすばらしかったはずの未来では決してない。しかし、そのことをだれも信じることができない。空想家たちは、おれの計画はほかの連中のやった仕事よりもはるかにすばらしいんだ、などとくりかえす。
だが、仕事に専念している幸福な人々を見るがいい。かれらはみんな、はじめた仕事をやり続ける。店を拡張した食料品店の経営や切手の蒐集などの仕事をやり続ける。やり出せば、どうでもいい仕事などないことを、だれでもが知っている。わたしのみるところ、かれらはみんな、想像することにあきあきし、当座の役にたつ自分の待歯石の発見を熱望しているのだ。刺繍ははじめの幾針かは、あまりおもしろくない。しかし進むにつれて、加速度的な力でわれわれの欲望に働きかける。だから、信じるということが第一の力であって、期待は第二の力であるにすぎない。最初はなんの期待もなしにはじめなければならない。増大や進歩がうまれてからのちに、期待はあらわれるのだから。真の計画は着手された仕事の上にしか成長しない。ミケランジェロ[一四七五〜一五六四。イタリアルネッサンス期の彫刻家、建築家、画家。ルネッサンス様式を完成。バロック様式の基礎をつくる。次第に観念的傾向をまし、絶望した人間の苦悩を主題とするにいたり、孤独のうちに生涯を送った]が、描くべき人物のすべての姿を頭のなかにいだいてから、描きはじめたのだなどとは、決してわたしは思わない。必要にせまられたときにも、かれはただ、「でも、それはわたしのなすべきことではないから」としか言わなかった。かれは描きはじめるだけだ。すると、人物が姿をあらわしはじめるのだ。これがつまり描くということ、わたし流にいえば、自分のつくってゆくものを発見することなのだ。
幸福というものは影法師のように、われわれの手につかまらないものだ、とよくいわれる。たしかに、頭のなかで思い描いた幸福は決してわれわれの手に入らない。幸福は決して頭のなかで描いた幸福ではなく、また思い描きうるものでもない。それは実質的なものに他ならない。われわれはその姿を造形することができない。そして、作家たちが知っているように、よい題材などというものはない。さらにいうならば、よい題材などは信用するな、題材にただちに近より、仕事に着手して、幻影を追いはらうべきだ、といいたい。つまり、期待などはすてておいて、信念をもつことだ。再建のために破壊だ。小説のきっかけをつくった本物の冒険と、小説そのものとの間に、常に存在する驚くべき相違は、おそらくこのことから理解できよう。画家はモデルの微笑によって、あなたを楽しませるのではない。(一九二二年一一月二九日)
[#改ページ]
訳者あとがき
本書は、Alain:Propos sur le bonheur の全訳です。したがって、直訳すれば、題名は「幸福《についての》語録」ということになります。
お読みになれば直ちにお判りの通り、本書は、幸福についての、観念的、また体系的、学術論文ではありません。具体的、または実践的、小エッセーの集合です。現実の身近なところからお話がはじまっていて、決してそこを離れることはない。そして、問題はいつも、人間はどう生きねばならないか、から逸脱することがない。
その点では、日本の新聞雑誌によくのる身の上相談の解答者の人生案内風の文章に似ているといえます。人生の苦労人、達人でなければ扱えない内容です。しかし、身の上相談の場合と違うのは、これには強靭な思考の、いわば電気ドリルの運動がある。そのドリルが頑健な岩の穴をうがってゆく壮快さがある。男らしい作業の緊張感がある。安直な同情の湿っぽさもなければ、道学者めいた説教くささもない。与えられた問題と挌闘し、それを乗りこえようとする。変ないい方ですが、精神の筋肉のたくましさ、これしかない。
それというのも、アランは、「高邁《こうまい》」ということを最上の美徳とするデカルトの、三百年をへだてての直系の弟子だからです。「高邁」とは、打ちかち乗りこえる態度のことです。打ちかちのりこえるとは、まず第一におのれに、おのれに打ちかち乗りこえることを通して次におのれの周囲の人々に、更には環境に、やがては運命に、打ちかち乗りこえるということです。
「われ思う、ゆえにわれあり」という後になって有名になった言葉を、存在論の根底にすえて近代の思想のみちびき手となったのは、いまさら言うまでもなくデカルトですが、そのデカルトの思想に多くの教えを、第二次世界大戦の悲劇の体験を通して、次のような戦後思想に定言化してみせたのは、「異邦人」「ペスト」「シジフォスの神話」などの著作で多くの青年に強い影響をいたえたノーベル賞作家アルベール・カミュです。次のような、とはこういう意味です。
「われ、反抗す、ゆえに、われわれあり」
この「われ、反抗す」とは、これ以外にはどうも訳しにくいのでこういう表現をとったまでのことで、フランス語の原文の本来意味するところを忠実に日本語にするならば、「われ、われに反抗することを通して、われをかくあらしめているものに反抗す」ということです。つまり、まず現在のこのわたし、悲しんだり苦しんだり悩んだりいいじけたり依怙地だったり意地悪だったりするこのわたしは、そういうふうに作られているのであって、そういうふうなわたしに反抗し、闘うことを通して、言葉をかえれば、悲しんだり苦しんだり悩んだり云々しているわたしに打ちかちのりこえようと努めることを通して、そういうふうな「わたしをつくっていのもの」に反抗し、闘うのだということです。そして、「わたしをつくっているもの」は、わたしだけをつくっているのではない。彼女をも彼をも君をも、同じように、つくっている。しかし、そのことは、わたしがわたしに反抗しなければ、感じられるものではない。そのことは、わたしがわたしに反抗することを通して、わたしをつくっている|もの《ヽヽ》に反抗しなければ、彼女に彼に君に、わかるものではない。要するに、わたしが反抗することを通してこそ、または、言い方をかえれば、わたしが反抗することにおいてこそ、|わたしたち《ヽヽヽヽヽ》は存在するのである。
|われ《ヽヽ》という一人称の単数から、|われわれ《ヽヽヽヽ》という一人称の複数へと転化するその道行きは、ずいぶん直観的であり、また論理に飛躍もあって、評論家のなかにはその点を指摘してカミュの小児病性を非難する人もいますが、しかしそれだけにまた、第二次世界大戦中の地下抵抗運動をなまなましい劇的な連帯の生死をかけた体験として持つ人々が、そこに思考の詩的魅惑をおぼえて激しい共感を覚えたことも確かです。
ところで、ここでの問題はアランであって、カミュではない。にもかかわらず、「われ反抗す、ゆえにわれわれあり」について語ったのは、じつは、この言葉の放つ実存主義的臭気を取りはらえば、そのままアランの「幸福論」の中心テーマだから、なのです。
アランは実存哲学的酩酊とは無縁の人です。さきほどの書いたように、むしろ、デカルト直系の合理主義哲学者です。また、第二次世界大戦の動乱のさなかを生きぬいてはきましたが、それは最晩年のことであって、したがって、反ナチズムの抵抗運動、そこから発する社会参画の思想とも、一応無関係です。一九三六年に組織された反ナチズム知識人連盟の会長にアランがなったのは有名なことですが、第二次世界大戦中の抵抗運動がカミュやサルトルの思想を形成したような意味では、その会長としての抵抗運動はアランの思想を形成したわけではないのです。
しかし、アランは、その本来の意味での行動の人です。「行動家として(行動しつつ)思索せよ。思索家として(思索しつつ)行動せよ」とは、アランのこのんで口にする言葉であるとともに、また、アランの思想の中核を示すものであることは、本書「幸福論」のどの頁をひらいても、直ちにわかることです。
幸せなら手をたたこう。幸せなら態度で示そうよ。こういう歌が一九六三年前後の日本に流行りました。いまのところ、この歌の精神のよしあしはともかくとして、アランの「幸福論」の思想を一言でつくせといわれるなら、この歌をもじって、幸せに|なりたければ《ヽヽヽヽヽヽ》、手をたたこう、幸せに|なりたければ《ヽヽヽヽヽヽ》、幸せな態度を示そうよ、ということになります。つまり、幸せを意欲する、意志するならば(わざと固ぐるしい言葉をつかうのですが)、幸せな人の態度をとりなさい、ということです。そうすれば、あなたの周囲の人がそれに影響されて、ちょうど太陽にほほえみかけられた花のように、幸せの微笑をほほえみかえしてくれるだろう。そのことによって、逆にあなた自身が、こんどは本当に幸せとなることだろう。
「われ幸せを行動す、ゆえにわれわれは幸せなり」というわけです。
一見こどもだましのように思えるこの思想が、じつはどんなに切なくきびしい人間体験から発したものであることか。どんなに深い人間愛に支えられていることか。そしてまた、性こりもなく戦争を起こして他人の幸福をねこそぎにしてばかりの歴史をくりかえしてきた人類への、どんなに熱い平和の祈りにみちていることか。それは、身に覚えのある、つまり不幸のどん底を体験したことのある人々にしか、わからないことです。
アランの「幸福論」は、幸福でありたいと意欲する、意志する人々のための書物です。つまり、現在不幸である人々のための本です。幸福とは何であろうか、などと|くわえ《ヽヽヽ》タバコでのんびりと考えるレジャーを楽しんでいる人々のためのムード的幸福観念論ではありません。歯が痛い人々にとって一番大切なことは、歯が健康であるとはどんなことかを説いてもらうことではなくて、治療の方法を教えてもらうことであり、そして痛む歯を治療することであるからです。この意味でも、アランは何よりも行動の人であるわけです。
幸福とは、まず意欲であり、意志です。幸福とは何であるかは、なかなか規定しにくい。しかし、幸福になろうという意欲と意志がなければ、幸福はありえない。平和を意志し意欲しただけでは、世界の平和がありえないのと、まったく同じです。しかも、平和を意志し意欲しただけでは、世界がなかなか平和になれないのは、みなさんが現実に見ていらっしゃることだし、また人類の歴史が無数の痛恨とともに語ってきたことです。それでは、|さらに《ヽヽヽ》どうしなければならないか。
この|さらに《ヽヽヽ》は、おそらく読者一人一人が、改めて現実に考えなくてはならない問題です。そこまで読者をつき動かす書物こそ、良書なのではないでしょうか。そして、このアランの「幸福論」は、そういう書物の一つなのです。
付記
本書には、すでにすぐれた先達によるいくつかの訳業があります。参照していろいろ教わるところが多大でした。しかし、どういうわけなのか、どの先達の訳業にもおそらく不注意からくる誤訳が悲しいくらい多く見受けられたことを、のちのちのために書いておきます。一つには、アランの文章が飛躍の多い、決して易しくはない文体をもつことによるでしょう。もちろん、小生のこの翻訳が最高だなどという馬鹿げた思いあがりを述べたてようというのではありません。アランの、一見平易で通俗的に思える思想も、日本の精神の風土になれるには、何十年をも必要とする、というその事実を指摘しておきたかったまでのことです。もとより、小生の翻訳にも、先達以上の誤訳、取違え、不消化が(ないことを努めはしましたものの)数多く認められることでしょう。ご叱正を仰ぎたいものです。まったく、アランの「幸福論」という一冊の本の運命一つを考えただけでも、それが本当に幸福な状態におかれる、幸福になるためには、数多くの人々のなかなか大変な、努力が必要のようです。
おわりに、この書物の上梓されるにあたっては、上記先達の方々の訳業の他に、桂田直一、細田直孝、大友立介の諸氏にご意見をうかがい、かつ社会思想社の八坂安守、田中矗人両氏のお骨折をえましたことを、あつくお礼申しあげさせていただきます。
一九六五年七月九日