タゴール詩集
目次

『園丁から』
・序詞
・おお、詩人よ、夕べが迫って
・朝 私は海に網をうった
・私は落ち着かない、私は遥かに遠いものにこがれている
・わたしが夜ひとりであいびきに
・おお お母様 若い王子が
・おのれの香気に狂って
・手は手にまつわり眼は眼にたゆとうて
・お前の甘やかな縛(いま)しめから解いてくれ
・彼女が私のそばを急ぎ足で
・おお、女よ、おんみは
・ある夢のたそがれの道を
・世界の講堂では
・なぜ灯が消えたのか?
・ある朝 花園の中に
・無限の富は御身のものではない
・西の国から来た職人とその妻が
・五月であった
・私は屡々(しばしば)あやしんだ
・緑と黄金(きん)の稲田の上を
・あなたは誰だ

『選詩集』から A
・もし愛することが苦痛でしかないなら
・きずなだって?
・わたしは彼女に何か
・おんみ、事物の大海よ
・おお、聖なる人よ
・たえまのないドシャぶりの雨が
・私の近くにいる人たちは
・あなたの無窮さの深みを
・まだ私は信じることができません
・戦いは終わった
・私の生命をひたして流れる
・われらの国の大地と水を
・もし彼らがお前のよびかけに応じなくても
・日は輝き、雨は驟雨(しゅうう)となって
・おんみはあらゆる民の心の支配者

『新月』から
・浜辺で
・紙の船
・いつ、どうして
・天文学者
・端緒
・チャンパの花
・花の学校
・思いやり
・おもちゃ
・雲と波
・臨終
・呼びかけ
・バンヤンの樹

『愛人の贈物』から
・昨夜、花園で
・牧場の花が大地に親しいように
・私は毎日通いなれた道を
・若い日私が漂った河は
・あなたはただの絵姿なのか
・亡くなってあなたは私の生命のうちに
・あなたが亡くなった時

『踏切り』から
・婚姻の時は黄昏である
・私は知っている
・あなたを傷つけに来た時に
・あなたは私の悲しみとして
・夜どおし航海して
・私を自由にしてくれ
・この瞬間私はあなたが
・あなたは彼をあなたの腕に抱き取って
・あなたはあなた自身を
・王よあなたは路傍で私に笛を吹かしめるために
・あなたの琴には無数の弦が
・わが歌をして朝のめざめのごとく
・私は見た
・御身の歌い手たるつとめが

『迷える鳥』と『蛍』から
・短詩三〇章
・短詩十五章

『ギタンジャリ』から
・あなたは私を無限にした
・あなたが歌えと命じる時に
・どのようにあなたが歌われるのか
・王子の衣裳で覆われて
・私はこの世界の祝祭に
・夜も昼も私の血管を流れる
・私はその日が来るのを知っている
・わが生命の生命よ
・この小さい花を
・私の歌は飾りを脱ぎすてた
・あなたのおそばに暫く気ままに坐らせて下さい
・わたしが歌いに来た歌は
・あなたのために歌うべく
・私の願いは多く私の叫びは哀切です
・私のほんの少しを
・心が怖れなしにあり頭が高くもたげられてあるところに
・怠惰な日を幾日となく
・死が汝の扉を叩くとき

『白鳥』から
・見よ、あそこにいるすべてを破壊する者を
・私の愛する人よ
・大地は私の本当の愛人
・わたしはこの世界を愛する
・この朝の空は
・わたしの王様を、私はまだ
・あなたがひとりで自分自身にゆだねられていた時
・私は知っている
・まったく唐突に
・なんとせっかちなのだ、わたしの小さい者たちよ

『収穫祭』から
・若かった時わたしの生命は
・路あるところでは
・いな、蕾を花咲かせるのは
・一握の砂も
・彼女はまだほんの子供です
・弦がととのえられていた間は
・ひっそりした私の思念の蔭にひとり坐って
・私をして危難から守られんことを
・世界は現にまた永遠に
・春はその葉群と花々とで
・おお、火、わが兄弟よ
・あれは何の音楽なのか
・詩人ツールシダースが思いに沈んで
・一度また一度と
・あらゆる星が私のうちに輝いているのを
・感謝

『捉えがたきもの』から
・私は感じる、あなたの短かった愛の日々は
・日もあろうにあなたはこの日を択んで
・ただ最も薄いつつしみの面紗(ヴェール)だけを残して
・私の歌は蜜蜂のようだ
・草に埋もれた小径を歩いていて
・夕暮、私の小さい娘が
・世界よ、わたしが少年だった時
・あなたは暗い海で浴みをした
・世界が若かった時、ヒマラヤよ
・私の眼はこの青空の深い平和を
・悪しき日
・人の子
・自由
・シャンチニケタンの歌

『黄金の舟』から
・東方の夕暮と西方の曙
・天への訣別
・鳥の羽
・雨の午後
・お話をして!
・幸福

『選詩集』から B
・生命のたわむれ(ジバンデバータ)
・インドの祈り
・おお、私の子供、赤ん坊のシバよ
・私は母を思いだすことができない
・清澄の人、仏陀に
・上の方の空では
・困惑している人類の歴史をつきぬけて
・彼らの支配者の名において
・この偉大な宇宙の中に
・私は祝福を受けた、この人生で
・私の誕生日の器の中に
・原初の日の太陽が
・目の前には平和の大洋が

タゴール小伝
『園丁から』

・序詞


【召使】どうぞお許しをねがいます、女王様!
【女王】会議は終わって、家来たちはみな退出したのです。なぜお前は、こんなに遅く来ました?
【召使】ほかの家来衆の用事がすんでしまった時が、わたしの参る時刻なのでございます。
最後の家臣のするべき何が残っているか、それを伺いに参上いたしました。
【女王】もう遅すぎるというのに、いったいお前は何をお望みなのだえ?
【召使】どうぞわたくしをあなたの花園の園丁にして下さいませ。
【女王】なんとまあ愚かなことを。
【召使】わたしは他の仕事は止めてしまいます。
剣も槍も塵の中に投げすてます。もう私を遠い宮廷へお遣わしになりませぬよう。また新しい征服をもお命じになりませぬよう。代わりにどうぞ私をあなたの花園の園丁になさって下さい。
【女王】それでお前の役目はどういうことなの?
【召使】あなたの無為な日々にお仕えするのでございます。
私はあなたが朝お歩きになる園の径をいつも青々とさせておきましょう。おみ足が一歩ごとにあなたに踏まれて死にたいと憧れている花々の歓呼で迎えられますように。
私はあなたをサプタパルナの枝の間にかけた鞦韆でおゆすり申しましょう。そこでは早い夕月が葉群ごしにあなたの裳裾に口づけようとあせるでしょう。
私はあなたの寝所を照らすランプに香油を満たしましょう。それからあなたの足台に白檀とサフランの汁でふしぎな模様を描きましょう。
【女王】その報酬に何をお望みだえ?
【召使】やさしい蓮(はちす)のつぼみのようなあなたの小さい手をとって、手首に花の鎖をかけること、あなたの蹠をアソカの花の赤い汁で染め、もしかしてそこに一点のしみでもついていましたら、接吻でそれを拭い去ることをお許し下さい。
【女王】お前の願いはききとどけられました。召使よ、お前はこれからはわたしの花園の園丁です。
・おお、詩人よ、夕べが迫って


「おお、詩人よ、夕べが迫って、お前の髪は灰色に変わってきた
お前はお前の孤独な瞑想の中で、来世のたよりをきこうとしているのか?」

「もはや夕暮だ」と詩人は言った。「私は耳をすましているが、それは村から誰かが訪ねてきはしないかと思うからだ、もはや遅くはあるけれど。
私は見張っているのだ――もしさまよっている二つの若い胸が出あって、双方の熱い瞳が彼らの沈黙を打破って代りに語ってくれる音楽を求めていはしないかと。
もしわたしが生の岸辺に坐って死と彼岸のことを瞑想しているなら、誰がいったい彼らの情熱的な歌を織りあげてやるのか

宵の明星が消えてゆく
屍を焼く薪の山も徐々にひっそりした河畔で消え落ちる
ジャカルの叫びが疲れはてた月光の中の荒廃した屋敷の庭から聞こえてくる
もし誰か旅人が、家を離れてここへ夜を見つめに来て、頭を垂れて闇の呟きに耳をすます時、もしわたしが扉を閉してこの世の絆(きずな)から自分をとき放そうとしていたなら、いったい誰が彼の耳に生の秘密をささやいてやれるのか?

私の髪の毛が灰色に変わりつつあるなどは取るに足らぬ些事
私はつねにこの村の一番若い者と同じだけ若く、また一番年とったものと同じだけ年とっている
ある者は甘やかで単純な微笑をもち、ある者は目の中にずる賢いまばたきを秘めている
ある者は昼の光の中に迸(ほとばし)り出る涙をもつが、他の者の涙は闇の中に隠されている
彼らはすべて私を必要とするのだ。そこで私は死後の生涯を思い煩っている暇がない
私は彼らのそれぞれと同じ年令なのだ。私の髪が灰色になろうとそれが何だろう。
・朝 私は海に網をうった


朝 私は海に網をうった
私は暗い淵から、見なれぬ姿とあやしい美をもった、様々のものを引き上げた――ある者は微笑のように輝き、ある者は涙のようにきらめいていた、またある者は花嫁の頬のように紅潮していた。一日の重荷を背負って私が家に帰った時、恋人は庭に坐って懶(ものう)げに花びらをむしっていた
私はしばらくためらってから、私の引き上げたすべてのものを彼女の足許(あしもと)に置いて、黙って立ちつくした
彼女はちらと見て言った、「なんてへんなものでしょう、いったい何の用に立つのです」
私は羞(はじ)らいのうちに頭を垂れて思った、「自分はわざわざこれらのものを探して市場で買い求めたのではなかった。これは彼女にふさわしい贈物ではないのだ」
それから私は夜じゅうかかって、一つまた一つ、それを街路に投げすてた
あけがた 旅人たちがやって来た。彼等はそれを拾い上げて遠い国々へと運んで行った。
・私は落ち着かない、私は遥かに遠いものにこがれている


私は落ち着かない、私は遥かに遠いものにこがれている
私の魂は小暗い遠方の裳裾(もすそ)に触れようとねがって旅立って行く
おお 大いなる彼方、御身の笛の鋭い呼び声よ!
私は忘れてしまう、私はいつも忘れてしまう、私に飛ぶ翼のないことを、永遠にこの一点に縛されていることを。

昂奮してわたしは眠れない、私は見知らぬ国の旅人である
御身の息吹はかなわぬ願いを囁きながら私を訪れる
御身の言葉は私自身のもののように私の心に知られている
おお あこがれの遠方、おお 御身の笛の鋭い呼び声よ!
私は忘れてしまう、私はいつも忘れてしまう、私が道を知らないことを、翼ある馬を持っていないことを。

私は倦(うん)じている、私は心のうちの放浪者である
けだるい真昼の光まばゆい霞の中に、何と御身の茫々たる幻の、空の碧に形とることぞ!
おお 至遠の地、おお 御身の笛の鋭い呼び声よ!
私は忘れてしまう、私はいつも忘れてしまう、私がひとり住む家では門がすっかり鎖されていることを。
・わたしが夜ひとりであいびきに


私が夜ひとりであいびきに行くときは、鳥も歌わず、風もそよがず、町の両側の家々もひっそりしている
ひと足ごとに高い音たてるのはわたし自身のくるぶし飾り。それがわたしを恥かしがらせる。

私が露台に坐ってあの人の足音に耳をすますとき、木の葉はそよがず、川の流れは眠りにおちた歩哨の膝の上の剣のようにじっとしている
はげしく打っているのはわたし自身の胸。どうしたらそれがしずまるのか、わたしにはわからない。

いとしい人が来てわたしのそばに坐り、わたしのからだがふるえ、わたしの目ぶたがうっとりと閉じるとき、夜は深まり、風はランプを吹き消し、雲が星くずの上にヴェールをひく
まばゆい光を出すのはわたしの胸にかけた宝石。どうやってこれを隠したらいいのでしょう。
・おお お母様 若い王子が


おお お母様 若い王子がうちの扉口をお通りになるのです――どうして今朝仕事が手につきましょう
どんなに髪は結んだらいいでしょう、どんな着物を着たらいいでしょう
どうしてびっくりしてわたしを御覧になりますの、お母様
王子がちらともわたしの窓の方を見なさらぬことは、よく知っています、まばたきする間にあの方の姿は見えなくなってしまうでしょう、そして消えゆく笛の音だけがすすり泣きながら遠くからわたしを訪れるのでしょう
でも、若い王子がうちの扉口をお通りになるのです、その時わたしは一番いい晴着をつけましょう
おお お母様 若い王子がいま扉口をお通りになります、朝陽がキラキラお馬車から飛び散ります
わたしは面紗(ヴェール)をはらいのけ、頸から紅玉の飾りをひきちぎって御道の上に投げました
どうしてびっくりしてわたしを御覧になりますの、お母様
あの方がわたしの頸飾をお拾いにならなかったことはよく知っています、それがわだちの下に砕けて塵の上に赤いしみ(・・)を残したことも知っています。そして誰ひとりわたしの贈物が何であったか、また誰にささげられたかを知りません
でも、若い王子がうちの扉口をお通りになったのです、だからわたしは胸から宝石をとって御前に投げたのです
・おのれの香気に狂って


おのれの香気に狂って森の樹下闇(このしたやみ)を走る麝香鹿(じゃこうじか)のように私は走る
夜は五月半ばの夜、微風は南の微風である
道を見失って私はさまよう、私は得ることのできないものを求めて、求めもしないものを得る。

私の胸から私自身の渇望の像が出て来て舞踏をする
微光を放つまぼろしがちろちろする
しっかとそれを掴もうとするが、それは身をかわして私を迷わせる
私は得ることのできないものを求めて、求めもしないものを得る。
・手は手にまつわり眼は眼にたゆとうて


手は手にまつわり眼は眼にたゆとうて、こうしてわれらの心情の記録がはじまる
三月の月あかい夜であった、指甲花(ヘンナ)の甘い香が空にただよい、私の笛は忘れられて土の上に置かれ、お前の花環はまだ編みあげられないでいる
お前と私との間のこの愛は歌のように単純である

泪夫藍(さふらん)いろのお前の面紗(ヴェール)は私の眼を酔いしれさす
お前が編んでくれた素馨(そけい)の花環は喝采のように私の心を顫(ふる)わせる
それは贈与と保持の、うちあけと秘めごとの遊技である。若干の微笑と若干のささやかな羞恥、そして若干の甘やかな空しい抵抗
お前と私との間のこの愛は歌のように単純である

この現在を越えて神秘はない、不可能なものへの努力はない、この魅惑の背後に翳(かげり)はない、暗い深みへの手さぐりはない
お前と私との間のこの愛は歌のように単純である

われらはあらゆる言語の域をぬけ出て永劫の沈黙の中に迷いこみはしない、願いを越えたものに空しく手を挙げはしない
われらが与えまた受けるもので十分である
そこから苦悩の酒を搾るべく、われらはまだ歓びを極限まで磨り砕いてはいない
お前と私との間のこの愛は歌のように単純である。
・お前の甘やかな縛(いま)しめから解いてくれ


お前の甘やかな縛しめから解いてくれ、恋人よ、くちづけの美酒はもう沢山だ
この重たい香の霞がわたしの胸を窒息させる
扉を開いて朝の光に道をあけてくれ
お前の愛撫の襞のうちに包まれて、わたしはお前の中に失われた
お前の呪縛を解いてくれ、そしてわたしの自由な心をお前にささげんために、わたしに雄々しさを返してくれ。
・彼女が私のそばを急ぎ足で


彼女が私のそばを急ぎ足で過ぎたとき、そのスカートのはじが私にさわった
知られざる心情の島から、突然に温かい春の息吹が吹きよせた
ふわりとした感じのはばたきが私を掠めて、一瞬にして消えた、微風に吹きちらされた花びらのように。
それが私の心の上に、彼女の肉体の吐息、心のささやきのように落ちた
・おお、女よ、おんみは


おお、女よ。おんみはただに神のたくみであるだけでなく、また男たちのそれである。彼らは絶えずその胸からとった美をおんみにささげている
詩人らはおんみのために純金の幻想の糸で布を織っている、画家たちはおんみの姿に絶えず新しい不死を与えている
おんみを飾るために、おんみを覆うために、おん身をより高貴にするために、海はその真珠をささげ、鉱山(やま)はその黄金を、夏の園はその花々をささげる
男ごころの願いがおんみの青春の上にその光耀(ひかり)をそそいだのだ
おんみは半ば女であって半ばは夢なのだ。
・ある夢のたそがれの道を


ある夢のたそがれの道を、わたしは前世に私の愛人だった人を訪ねていった

彼女の家は荒れはてた通りのはずれにあった
夕べの微風の中で、彼女のペットの孔雀は止まり木でまどろみ、鳩たちは家の隅でひっそりしていた

彼女はランプを玄関のわきに置いて、私の前に立った
そしてその大きな眼を私の顔に向けて声なくたずねた、「お変わりなくて、お友だち?」
わたしは答えようとつとめたが、私たちの言葉はもはや忘れられ失われていた

私は考えに考えた、私たちの名前もどうしても思い出せなかった
涙が女の両眼にきらめいた。彼女は右手を私にさしだした。私はそれを取って無言で立っていた
私たちのランプは夕べの微風にちらついて、そして消えた
・世界の講堂では


世界の講堂では、粗末な草の葉も日の光や真夜中の星たちと一緒に同じ絨毯の上に坐る
そのように私の歌も、世界の胸の中では雲や森の音楽と同席している
しかし、金満家のきみ、きみの富は太陽の喜ばしい金や沈思する月のやわらかい光のあの単純な偉大さとは少しも関係がない
一切を抱擁する空の祝福もその上にはそそがれない
そして死が現れる時、それは青ざめ、萎(な)えて、塵と砕けるのだ。
・なぜ灯が消えたのか?


なぜ灯が消えたのか?
風を避けようとして私の外套(マント)でそれを庇(かば)ったから、それで灯が消えたのだ。

なぜ花が萎れたのか?
愛の気づかいからそれを私の胸に押しつけたので、それで花が萎れたのだ。

なぜ川が乾あがったのか?
私の用に立てようと堰(せき)を築いたから、それで川が乾あがったのだ。

なぜ竪琴の絃(いと)が切れたのか?
絃の力にあまる調べを私が強いたので、それで絃が切れたのだ。
・ある朝 花園の中に


ある朝 花園の中に盲目の娘がやって来て、蓮の葉に包んだ花飾りを私にさしだした
私はそれを頸にかけた。と、涙が私の両眼につきあげて来た
私は彼女にくちづけて言った、「お前は花とおんなしに盲目なのだね。
お前自身どんなにお前の贈物が美しいかを知らないのだ」
・無限の富は御身のものではない


無限の富は御身のものではない、辛抱づよいうす穢(ぎた)ない母なる土よ!
御身は御身の子らの口を充たそうとして労苦するが、糧(かて)はいたって乏しい
御身のうれしい贈物もわれらにとって決して完全ではない
御身が御身の子らのために作りだす玩具はいとも壊れやすい
御身はわれらの飢えた望みを残りなく充たすことができぬ。だからとて御身を見捨ててよいだろうか?
悩みに曇った御身の微笑は私の眼に甘やかに
成就を知らぬ御身の愛は私の心になつかしい
その胸乳で御身はわれらに生命を与えた、しかし不死をではない、それが御身の眼のいつも目ざめている理由である
永年のあいだ御身は絵の具と唄とで働いている、それでも御身の王国はまだ築かれていない、ただその悲しい下図だけである
御身の美しい被造物の上には涙の霞がかかっている
私は私の唄を御身の無言の胸にそそごう、私の愛を御身の愛の中にそそごう
わたしは労苦をもて御身を讃えよう
御身の慈顔を見た故に、わたしは御身のいたましい塵土を愛する、母なる大地よ。
・西の国から来た職人とその妻が


西の国から来た職人とその妻が、窯(かま)にする煉瓦をつくるためにせっせと土を掘っている
彼らの小さな娘は川岸の水汲み場に行く、そこで彼女は壺や皿を洗ったり磨いたりするのにはてしがない。
坊主頭をして日にやけて、裸で手足を泥まみれにした弟が、あとについて行って辛抱づよく高い堤の上で姉の言いつけを待っている
一杯にした水瓶を頭にのせて、ぴかぴかする真鍮の壺を左手に、右手にその子を抱いて彼女は家に帰ってくる――母親の幼い召使をつとめる彼女は家事の心遣いの重みでませている。
ある日私はこの裸の子供が足を投げ出して坐っているのを見た
川の中に坐りこんで、姉の方は酒壺をくるくる廻しながら手に充たした砂で磨いていた。
つい近くに柔毛(にこげ)の仔羊が立っていて、土手ぞいに草をはんでいた。
それが子供の坐っている近くに来て急に高く啼(な)く、子供はびっくりして泣き出した
姉は壺磨きの手をおいて駆けつけた
彼女は片手に弟を、片手に仔羊を抱き上げる。そして彼女の愛撫を双方に分けることで、獣の仔と人間の子とを愛のひとつの絆で結びつけた。
・五月であった


五月であった。蒸暑い昼はきりもなく長く思われた。乾いた土は暑さにあえいで口をあけていた。
その時わたしは川端で呼んでいる声をきいた。「おいで、いいひとよ!」
わたしは本をとじて外を見ようと窓をあけた。
泥まみれの大きな水牛が、静かな忍耐づよい瞳をして川べりに立っている、そうして一人の若者が膝まで流れにはいって彼を水浴に呼んでいる。
わたしはおかしくなってほほえんだ。そして胸にスイートなものが触れるのを感じた。
・私は屡々(しばしば)あやしんだ


私は屡々あやしんだ、どこに人間と何の言葉も知らぬ獣との境界がひそむのかと。
遠い創世の朝のどんな原初の楽園をぬけて、彼らのこころが互いに通いあった単純な小径は通じていたのか?
たとえ彼らの誼(よしみ)が長いあいだ忘れられているにしても、彼らの不断の交通のこのしるしはまだ拭い去られてはいない
なおも或る言葉なき音楽のうちにふと幽かな記憶が眼をさます。そうして獣はやさしい信頼の眼で人間の顔を見つめ、人間はうち興じた愛情でその瞳にのぞき入る。
それはさながら仮面をつけた二人の友が行きあって、仮装の下に漠然とお互いを認めあうようである。
・緑と黄金(きん)の稲田の上を


緑と黄金(きん)の稲田の上を、早足の太陽に追われて秋雲の翳(かげ)が匍(は)う
蜜蜂はかれらの蜜をあつめることを忘れ、光に酔いしれて他愛もなくさまよい飛ぶ。
河洲の上では家鴨(あひる)どもが何でもないのに浮かれて騒いでいる
誰も家に帰してはならぬ、兄弟よ、今朝、誰も働きに行かしてはならぬ
あらしでもって青空を捉えよう、走るがままに場所をとろう
歓声は出水の上の泡のように空に漂っている
兄弟よ、われらの朝を他愛もない唄で浪費せしめよ。
・あなたは誰だ


あなたは誰だ、私の詩をこれから百年後に読んでいる読者よ
私はこの春の富の中のただ一つの花、彼方の雲の黄金のただ一筋をも君に送ることができない
君の扉口をひらいて外を見たまえ
花咲いている君の庭から、百年前に消えた花の香ばしい思い出を集めたまえ
君の心の喜びの中で、ひょっとすると君は、百年という歳月をこえて、その喜ばしげな声を送りだした、ある春の朝の詩人の生き生きした喜びを感じるかも知れない
『選詩集』から A

・もし愛することが苦痛でしかないなら


もし愛することが苦痛でしかないなら
なぜこんな愛があるのか?
お前が彼女にお前の心臓をささげたとて
彼女の心臓を要求するとはばかげたこと!
お前の血の中に欲望を燃やし
眼の中に狂気を熱させて
なぜこのように砂漠をめぐるのか?

おのれ自身を所有する者は
この世の何物にも焦がれはしない
春の甘やかな空気は彼のものである
花々や小鳥の歌も――

しかし恋は全世界を消し去る
貪婪な影のようにやって来る
生命と青春とを蝕(むしば)みながら
それならばなぜ実在を暗くするこんな霧を求めるのか?
・きずなだって?


きずなだって? まったくそれはきずなである、われらの胸の中のこの愛と希望は

それは彼女のあたたかい胸にみどり子をおしつける母の腕に似ている

渇きだって? そう、それは生命をその喜びの源なる永遠の母の胸につれてゆく渇きである

だれが子供からその生長する生命の渇きを奪い、抱きしめている母の腕のこのきずなを断ち切ろうと願うだろうか?
・わたしは彼女に何か


わたしは彼女に何か言わなくてはならぬことがあると思った、ふたりの眼が路上で出あった時に
しかし彼女は行ってしまった、そこでわたしの言いたかったことは、
時の波間にゆれる怠惰なボートのように、
夜も昼も揺れている

それは秋の雲とともにはてしない旅に出かけて
夕べの花々の中に花咲くかのよう
失われた言葉を日没の中に探しながら

それはわたしの胸の中で蛍のように自分の意味を探して明滅する
絶望の夕暗の中で――
わたしが彼女に言いたかったそのことは。
・おんみ、事物の大海よ


おんみ、事物の大海よ、おんみの暗い深みには限りもなく真珠や宝石があるというね
海に通じた多くの潜水夫が、それを探している
しかし私はその探求に加わる気はない

おんみの表面にひらめく光、おんみの胸底につみ重なっている神秘、おんみの波を狂わせる音楽、おんみの泡の上で踊る舞踏だけで私はたくさんだ

もしいつかそれらに倦きたら、私はおんみのまだ測られない水底にとびこもう。そこに死があろうと、宝があろうと。
・おお、聖なる人よ


おお、聖なる人よ、おんみの聖なる接触もて
われらの努力を清めて下さい
われらの胸の中に住んで
おんみの偉大な像をわれらの前に掲げて下さい
われらの罪をゆるし
ゆるすことをわれらに教えて下さい

あらゆる喜びと悲しみを通して
われらを落着いた剛毅さにみちびき
自我の誇りを克服して
愛をもてわれらを鼓舞し
おんみに対する献身をして
すべての敵を追放させて下さい
・たえまのないドシャぶりの雨が


たえまのないドシャぶりの雨が空をうんざりさせている
見すてられた者はかわいそうに! 家のないさすらい人はかわいそうに!
風の悲鳴はすすり泣きと嘆息の中に消えた
道もない荒野をぬけてどんな飛びゆく夢魔を追いかけているのか
夜は盲人の眼のように絶望的だ
見すてられた者はかわいそうに! 家のないさすらい人はかわいそうに!
岸のない闇の中に失われた川波は狂乱している
雷は咆え、稲妻はひらめいて歯をむき
星たちの光は死にはてた
見すてられた者はかわいそうに! 家のないさすらい人はかわいそうに!
・私の近くにいる人たちは


私の近くにいる人たちは、あなたが彼らよりも私の近くにいることを知らない
私に話しかける人たちは、私の胸があなたの語られない言葉でみたされているのを知らない
私の歩く道に群がっている人たちは、私が歩いているのはあなたひとりとだけであることを知らない
私を愛している人たちは、かれらの愛情があなたをこそ私の胸に思いださせることを知らない
・あなたの無窮さの深みを


あなたの無窮さの深みをどこまで遠く見つめても
悲しみや死や別離のあとを私は見ません
死はただあなたから私が遠ざかって
私の顔を自分の暗い自我に向ける時にのみ
恐怖の様相をとり
悲しみは苦痛となるのです
あなたはまったき完全者
あらゆるものは永遠にわたって
あなたの足許に留まっています
喪失のおそれはただ
絶えざる悲嘆によって私にすがりついているだけで
私の貧困の汚辱も
私の人生の重荷も
一瞬にして消え去ります
私が存在の中心に
あなたの現存を感じる時に。
・まだ私は信じることができません


まだ私は決して信じることができません、王よ、あなたが私たちから失われてしまったとは。たとえ私たちの貧困が大きく、恥辱が深かろうと
あなたの意志は絶望のヴェールの蔭ではたらき、あなた自身の時間の中で、不可能の門を開くのです。
あなたはまるで自分の家へ来るようにして、思いがけない日に、用意のない会堂にあらわれます
暗い廃墟もあなたにふれると、その胸に見えない成就の実現を秘めている莟(つぼみ)のようになります
だから私はまだ望みを持っているのです――難破船が修理されるというのではありません。新しい世界が現れるだろうと。
・戦いは終わった


戦いは終わった。戦いと争いの後で、財宝が集められ貯えられた。
さあ、おいで、女よ、お前の美しい黄金の水甕をもって。すべての汚れと泥を洗い流し、割れ目や傷口を埋め、格好よく立派に積みあげてくれ。
おいで、美しい女よ、頭の上に黄金の水甕をのせて。

遊びは終わったのだ。私は村に帰って炉の石をすえなければならない。
さあ、おいで、女よ、お前の聖なる水の器をもって。しずかな微笑と献身的な愛で、私の家庭を浄らかにしてくれ。
おいで、けだかい女よ、お前の聖なる水の器をもって。

朝は終わった。太陽がはげしく燃えている。見知らぬ旅人が隠れ家を探している
おいで、女よ、お前のやさしさの水さしをみたして。戸口を開いて、歓迎の花環とともに「おはいり」をいうために。
おいで、幸福にあふれた女よ、お前のやさしさの水さしをみたして。

昼は終わった。暇(いとま)を告げるべき時が来たのだ。
おいで、ああ、女よ、涙にみちたお前の器をたずさえて。悲しんでいるお前の眼に、別れ道の上でやさしい輝きをふりこぼさせ、お前のふるえる手の接触で、別れの時をみたさせよ
おいで、悲しんでいる女よ、お前の涙の器をたずさえて。

夜は暗い。家は荒れはて、寝床は空っぽ、ただ最後の儀式のためにランプだけが燃えている。
おいで、女よ、お前のあふれこぼれる思い出の水甕を手にして。編み上げないでたらした髪と、しみ一つない真白な衣装で、秘密な部屋の扉をあけて礼拝のランプをもう一度みたせ
おいで、悩める女よ、お前のあふれこぼれる思い出の水甕を手にして。
・私の生命をひたして流れる


私の生命をひたして流れるこの調べが何かは、ただ私と私の心だけが知っている。
なぜ私が見つめて待っているか、何を誰に乞うているのかは、私と私の心だけが知っている。
朝は戸口に立った友のように微笑し、夕べは森のはずれの一本の花のようにうなだれる
曙とたそがれの空には笛の音が漂っている。それは私の思いを私の労苦からつれ出す
その調べが何であり、誰がそれを吹いているかは、ただ私と私の心だけが知っている。
・われらの国の大地と水を


われらの国の大地と水を、空と果物を、甘美にして下さい、神よ!

われらの国の家庭と市場を、森と畑を、豊かにして下さい、神よ!

われらの民の約束と希望を、行為と言葉を、真実にして下さい、神よ!

われらの民族の息子と娘の生命と心情を、一つにして下さい、神よ!
・もし彼らがお前のよびかけに応じなくても


もし彼らがお前の呼びかけに応じなくても、お前はひとりで歩いて行け
もし彼らが怖がって声なく壁の前に立ちすくむとしても
おお、運のわるい男よ
お前の胸をひらいてひとりで語るがいい
もし彼らが背を向けて、荒野を横ぎる時にお前を見捨てるとも
おお、運のわるい男よ
足の下に茨を踏みつけ、ひとりで血のしたたった道を旅して行け

夜が嵐でどよめいている時
もし彼らが光を高く掲げないとしても
おお、運のわるい男よ
苦悩の雷火でお前自身の胸に火を点じて
それをただ一つ燃えさせるがいい。
・日は輝き、雨は驟雨(しゅうう)となって


日は輝き、雨は驟雨となって降りそそいで
竹林の葉がきらめき
新しく耕された土の香が空気を満たしている
われらの手は逞(たくま)しく、われらの心ははずんでいる
朝から晩までわれらが労苦して土を耕す時に。
詩人の精神は揺れる節奏で舞踏し
牧場(まきば)にそって緑の線で詩を書き
ふるえるさざ波を熟した稲田の上にひろげる
大地の胸は光あふれる十月の季節に歓喜し
雲なき満月の夜に歓喜する
朝から晩までわれらが労苦して土を耕す時に。
・おんみはあらゆる民の心の支配者


おんみはあらゆる民の心の支配者
インドの運命の処方者よ
おんみの名前は人の心をゆり動かす
パンジャプの、シンドの、グジャラトの、マラタの
またドラヴィダの、オリッサの、ベンガルの
それはヴィンデナやヒマラヤの山々にこだまし
ジムナやガンジスの音楽にまじり
インド洋の波によって歌われる
彼らはおんみの祝福を祈り、おんみを讃えて歌う
おんみ、インドの運命の処方者よ
勝利、勝利、勝利をおんみに。

昼となく夜となく、おんみの声は国から国へと伝わり
ヒンズー教徒、仏教徒、シーク教徒、ジャイナ教徒
またパーシーや回教徒やクリスチャンをおんみの玉座のまわりに呼びよせる
ささげものは東からも西からもおんみの宮にもたらされ
愛の花環に編みあげられる
おんみはあらゆる民の心をただ一つの生命の調和にもたらす
おんみ、インドの運命の処方者よ
勝利、勝利、勝利をおんみに。

永遠の戦死よ、おんみは人類の歴史を
諸国民の興亡のでこぼこ道に立って駆りたててゆく
あらゆる苦難と恐怖のただ中で
おんみの喇叭(らっぱ)は絶望してしおれている者たちを励まして響き
すべての民をその危険と巡礼の道で導く
おんみ、インドの運命の処方者よ
勝利、勝利、勝利をおんみに。

長い荒涼たる夜は闇で濃く
国土はひっそりと魔睡の中に沈んでいる
おんみの母なる腕が彼女を抱き
おんみの目ざめている眼が彼女の顔の上にかがみこむ
彼女の精神をおしつけている暗い悪夢から
彼女を救おうとして。
おんみ、インドの運命の処方者よ
勝利、勝利、勝利をおんみに。

夜があけて、太陽が東に昇る
小鳥は歌い、朝の微風は新しい生命をみじろがす
おんみの愛の黄金の光線にふれて
インドは目をさまし、おんみの足許に頭を垂れる
おんみ、王の中の王
インドの運命の処方者よ
勝利、勝利、勝利をおんみに。
『新月』から

・浜辺で


はてしない世界の浜べに、子どもたちが集まっている。
無限の空が頭上に静かにかかり、休息を知らぬ水が騒いでいる。はてしない世界の浜辺では、子どもたちが集まって、叫びながら舞踏している。

彼らは砂で家を建て、からっぽの貝殻で遊んでいる。枯葉で小舟を編んで、途方もない深淵(ふかみ)にいそいそと浮かべる。子どもたちは、世界の浜べで遊び戯れているのだ。

彼らは泳ぐすべも知らねば、網のうちかたも知らない。真珠取りは真珠を求めて水にくぐり、商人は帆を上げて船出をする。それなのに子どもたちは、小石を集めてはまたそれをまき散らす。隠れた宝を探すのでもなければ、網のうちかたも知らない。

海は高笑いしてふくれ上がり、渚(なぎさ)に青白い微笑をきらめかせる。死の商人の波も、まるで赤ん坊の揺籠(ゆりかご)をゆする母親のように、無意味な歌を子どもたちにうたってやっている。海は子どもたちと遊び戯れ、渚は青白い微笑をきらめかしているのだ。

はてしない世界の浜べに、子どもたちが集まっている。嵐(あらし)は道なき空に迷い込み、船は道なき水に難破し、死はいまよそへ行っている。そして、子どもたちは遊んでいるのだ。はてしない世界の浜べで、子ども大会をやっているのだ。
・紙の船


毎日毎日、私は一つずつ、紙の船を川へ流してやります。
その舟に、私は黒々した大きな字で、私の名まえと住んでいる村の名を書きつけます。
どこか不思議な国のだれかが、それを見つけて、わたしのことを知ってくれないかしら。
わたしは、わたしの小さい舟に、うちの花園から取ったシウリの花を積んで、この朝の花が、無事に夜の国へ運ばれればいいと願います。
わたしが、紙の舟を水におろして、空を仰ぐと、小さい雲が白い帆をふくらませているのが見えます。
そんな雲を空に飛ばして、わたしの舟と競争させるのは、いったいどんな遊び友だちでしょう。
やがて夜になると、わたしは両腕に顔をうずめて、わたしの紙の舟が真夜中の星くずの下を、どこまでもどこまでも漂って行くのを夢に見ます。
それを走らせているのは、眠りの仙女(せんにょ)たち、その積み荷は、夢をいっぱいに詰めた仙女たちの籠(かご)なのです。
・いつ、どうして


お前に彩った玩具をもってくる時に、わが子よ、私はなぜこのような色の戯れが雲や水の上にあるのか、またなぜに花々は色を塗られているかを理解するのです――お前に彩った玩具をもってくる時に。
お前を舞い踊らせるために歌う時に、私はどうして葉群の中には音楽があり、またなぜに波たちが耳すます大地に向かって合唱を送るのか、それを本当に知るのです――お前を舞い踊らせるために歌う時に。
お前の欲ばりな手においしいものをやる時に、私はなぜに花の杯に蜜があり、またなぜに果実はひそかに甘い果汁で充たされているかを知るのです――お前の欲ばりな手においしいものをやる時に。
お前をほほえませようとして顔にキスする時に、なんという喜びが朝の光の中を空から流れてくることか、なんという楽しみを夏の微風が私にもってくるかを、私ははっきりと理解するのです――お前をほほえませようとして顔にキスする時に。
・天文学者


ぼくはなにげなしに言った。「夕方になって円い満月があのカダムの枝の間にからまったら、だれかお月様をつかまえないかなぁ」
でも兄ちゃんはぼくを見て笑って言った。「坊や、お前はぼくが知ってるじゅうで一等ばかな子供だよ。お月様はいつだってとっても遠くにいるんだ。誰にだってつかまりゃしないさ」
ぼくは言った。「兄ちゃんはなんてばかだろう! 母ちゃんがお窓からぼくらが遊んでるのを見て笑う時に、兄ちゃんは母ちゃんがそんなに遠くにいると思うの?」
それでも兄ちゃんは言うのだ。「お前はほんとにまぬけだよ! でも坊や、お月様をつかまえられるような大きい網を、お前はいったいどこで見つけるつもり?」
ぼくは言った。「兄ちゃんなら、きっと自分の手でつかまえられますよ」
でも兄ちゃんは笑って言う。「お前はぼくが知ってるじゅうで一等ばかな子供だよ。もしお月様がもっと近くに来たら、お前だってお月様がどんなに大きいかわかるだろうよ」
ぼくは言った。「兄ちゃん、兄ちゃんの学校ではなんてばかなことを教えるんだろ。母ちゃんがぼくらにキスしようとしてかがまれる時に、母ちゃんのお顔がそんなに大きく見えるかい?」
それでもまだ兄ちゃんは言いはる。「お前はほんとにばかな子だ」
・端緒


「どこからあたしは来たの、どこで母ちゃんはあたしを拾ったの?」と嬰児が母親に訊ねた。
母親は答えた、半ば泣き半ば笑いながら、そうして子供を彼女の胸にしめつけながら――「お前はわたしの胸のひそかな願いとしてそこに隠れていたの、いとしい子よ。
お前はわたしの幼い日の遊びのお人形の中にいたの。そしてわたしが毎朝粘土でわたしの神様の似姿を造った時に、わたしはお前を造っては壊していたのです
お前は家の守り神と一緒に祭られていたの、それを拝んだ時にわたしはお前を拝んでいたの
わたしの希望と愛のすべての中に、わたしの命の中に、わたしの母の命の中に、すべてお前は生きていたのです
私たちの家を司る不死の精の前掛の中で、お前は幾年も幾年も育てられてきたの
娘の頃のわたしの胸が花びらを開きそめたとき、お前は香りとしてその囲りに漂ったの
お前のやさしい甘やかさは、わたしの若いからだの中に花咲いたの、日の出の前の空の彩りのように
天国の幼子(ういご)として、朝の光の双生児(ふたご)として、お前は世界のいのちの河に浮かんでおりて来て、そうして最後にわたしの胸に下り立ったのですよ
お前の顔を見つめるたびに神秘がわたしをとらえます。世界のものであるお前がわたしのものになったのですもの
失くしはしまいかと、わたしはひしとお前を胸に抱きしめます。どんな魔法が世界の宝をわたしのこんなに華奢な腕に捉えさせたのでしょう?」
・チャンパの花


ただちょっと戯れにぼくがチャンパの花になったとして、あの樹の高い梢に咲いて風の中に高笑いしてゆすれば、新しく開いた葉っぱの上で踊ったとしたら、母ちゃんにはぼくがわかって? 母ちゃん
母ちゃんは呼ぶでしょう「坊や、お前はどこにいるの?」それでもぼくはひとりで笑ってじっと黙ってる。
ぼくはこっそりぼくの花弁をひらいて、母ちゃんがお仕事をなさるのを見つめてる。
浴(ゆあ)みのあとで母ちゃんは濡れたお髪を肩にひろげて、チャンパの樹蔭(こかげ)をお祈りなさる小庭の方に歩きます。母ちゃんは花の匂いに気づくでしょう。でもそれがぼくからでた匂いだとは知りません。
お昼御飯のあとで母ちゃんはラマヤナを読みながらお窓のそばに坐ります。この樹の影が母ちゃんのお髪や膝の上に落ちて、かあちゃんの読んでいる御本のページの上にぼくの小っちゃな影を投げかける
でも母ちゃんはそれがあなたの可愛いい子の小さな影だと気がつくかしら?
夕方になって母ちゃんが点(とも)したランプを手に牛小舎に行く時に、ぼくは急に大地の上に落ちて来てもう一度母ちゃんの子供になろう、そうして母ちゃんにお話をねだろう。
「どこへ行ってたの、いたずらっ子よ!」
「教えないよ、母ちゃん」
その時母ちゃんとぼくはこんなことを言いあうでしょう。
・花の学校


夕立雲が空にとどろき、六月の驟雨がやって来る時に
湿った東の風が竹藪の中で風笛を吹きに荒地の上をすすんで来る
花の群れは急に出てくる、誰も知らないところから。そうして大喜びして青草の上で踊る。

母ちゃん、ぼくは本当に考えるの、花たちは地下の学校へ通うんだと。
花たちは扉(ドア)をしめて学課をならう、そしてもし時間が来ない前に遊びに出ようとしたものなら、花たちの先生は教室の隅にかれらを立たせるのです

雨になると花たちの学校はお休みです
梢は森の中でぶつかりあい、木の葉は乱暴な風にざわめき立つ。雷雲は巨人の手をうちあわせ、花の子たちは紅や黄や白の着物で飛び出して行く
母ちゃんは知っていて? 花たちの家がお空にあることを、あの星たちのいるところに。
どんなに花たちがあそこへ行きたがっているか、母ちゃんにはわからないの? どうしてかれらがあんなに急いでいるか?
ぼくにはもちろんわかるんだ、花たちが誰に向かって手をさしのばすのか。花たちはやっぱり母ちゃんを持っているの、ちょうどぼくがぼくの母ちゃんを持っているように。
・思いやり


もし僕があなたの赤ちゃんではなくて、ただの小さな犬ころだったら、母ちゃん、あなたは言うでしょうか、「いけない!」って、僕が母ちゃんのお皿から食べようとした時に。
母ちゃんは僕を追いだすでしょうか、「あっちへ行け、のら犬め!」って。
そんなら、あっちへ行け、母ちゃん、あっちへ行け! 僕はいくら母ちゃんが呼んだって行きはしない、そしてもう母ちゃんには食べさせて貰わない。

もし僕があなたの赤ちゃんではなくて、ただの小さい緑の鸚鵡(おうむ)だったら、母ちゃん、あなたは僕が飛んで行かないように鎖でつなぐでしょうか?
母ちゃんは僕に指をふって言うでしょうか、「なんて恩知らずな悪い鳥! 夜ひる鎖をかじってる」って。
そんならあっちへ行け、母ちゃん、あっちへ行け! 僕は森の中へ飛んで行く、僕はもう母ちゃんの腕に抱かれはしない。
・おもちゃ


子供よ、お前は地べたに坐っていかにも仕合せそうだね、午前じゅう棒切れで遊びながら?
私はお前がそんな小さな棒切れで遊んでいるのを見てほほえむ。
私は私の勘定でいそがしい、時間で計算をし〆めあげるので。
きっとお前は私を見て思うだろう、「お前の朝をだいなしにするなんて、なんてばかな遊びだろう!」と。
子供よ、私は棒切れや泥こねに夢中になるすべを忘れてしまったのだ。
私は高価なおもちゃを探す、そして金や銀の塊をあつめる
お前はお前の見つけるどんなものからでも楽しい遊びをつくり出す。私は到底手に入れることの出来ないものに私の時間と力とをすりへらす。
私は私の脆い小舟で欲望の海を横切ろうともがく。そうして自分もやはり遊戯しているにすぎないことを忘れてしまう。
・雲と波


母ちゃん、雲の中に住んでいる人達がぼくを呼び出すの――
「ぼくらは目が醒めるから日の暮れるまで遊ぶ。ぼくらは金色の曙と遊び、銀の月と遊ぶ」
ぼくはたずねる、「でも、どうしたら君達のところまで昇っていけるの?」
かれらは答える、「地のはてまで来い、お前の両手を空にさしのばせ、そうしたらお前は雲の中に引き上げられるのだ」
「母ちゃんが家でぼくを待ってるもの」とぼくは言う。
「どうして母ちゃんをおいて行けよう」
するとかれらは笑って、また飛んで行った。
でも、ぼくはもっといい遊びを知っているよ、母ちゃん。
ぼくが雲になる、そして母ちゃんは月になる。
ぼくは両手で母ちゃんを隠そう、そしてぼくの家のてっぺんが青空になる。

波の中に住んでいる人達がぼくを呼び出すの――
「ぼくらは朝から晩まで歌う、先へ先へとぼくらは旅をする、そうしてどこへ行くのかぼくらは知らない」
ぼくはたずねる、「でも、どうしたら君たちの仲間になれるの?」
かれらは言う、「波打ちぎわまで来い、そしてお前の眼をしっかとつむって立て、そしたらお前は波の上を遠く運ばれて行くのだ」
ぼくは言う、「母ちゃんがいつも夕方には家で待ってるもの――どうして母ちゃんを置いて行けよう」
するとかれらは笑って踊って通りすぎて行く。
でも、ぼくはもっといい遊びを知っているよ。
ぼくが波になる。そうして母ちゃんは見知らぬ岸になる
ぼくはうねりうねって行き、高笑いして母ちゃんの膝の上に砕けよう
そうして誰ひとりぼくら二人がどこにいるか、知らないんだ。
・臨終


ぼくの行く時が来ました、母ちゃん、ぼくは行きますよ
さびしい夜明けのほの白い闇の中であなたが寝床の赤ちゃんを求めて腕をのばす時、ぼくは言います、「赤ちゃんはそこにはいませんよ!」――母ちゃん、ぼくは行きますよ。
ぼくはやさしい風のそよぎになってあなたを抱きましょう、あなたが浴(ゆあ)みなさる時、ぼくは水の面のさざ波になりましょう、そして幾度も幾度もあなたをキスします
風の強い夜、雨が木の葉をうつ時に、あなたは寝床でぼくのささやきをきくでしょう、そしてぼくの高笑いは開いた窓から稲妻と一緒にあなたのお部屋へとびこんで行くの
もしあなたが赤ちゃんのことを考えて遅くまで睡れないでいらしたら、ぼくは星屑の間から歌ってあげましょう、
「お睡り、母ちゃん、お睡りよ」って。
ただよう月の光に乗って、ぼくはあなたの寝床の上にそっとはいっていく。そしてあなたがねんねの間、あなたのお胸の上に横になるの。
ぼくは夢になって少うし開いたあなたの瞼(まぶた)の間から、あなたの睡りの淵深くはいってく。そしてあなたが目をさましてびっくりしてあたりを見廻す時に、またたく蛍のようにぼくは闇の中に消えましょう

そしてピュジャの大祭りが来て近所の子供たちがお家のまわりで遊ぶ時、ぼくは笛の音に融けこんで一日あなたの胸で疼(うず)きましょう。
なつかしい叔母さんはピュジャ祭りの贈物をもって来てたずねるでしょう、
「赤ちゃんはどこにいて、姉さん?」
母ちゃん、あなたは静かに言うでしょう、「あの子はわたしの瞳の中にいます、わたしのからだの中に、魂の中にいます」
・呼びかけ


彼女が去った時、夜は暗かった。そして彼らは眠っていた。
いま、夜は暗い。そして私は彼女に呼びかける、「帰っておいで、いとし児よ、世界は眠っている。もしお前が星たちの見かわしている間だけちょっと戻って来ても、誰もそれを知りはしない」

彼女が去った時、樹々はまだ花咲かなかった、そして春は若かった。
いま、花は真盛りである、そして私は呼ぶ、「帰っておいで、いとし児よ、子供らは気ままな遊びに花を摘んでは散らしている。もしお前が来て小さな花を一つ摘んだとて、誰もそれを惜しみはしない」

いつも遊んでいた仲間たちはいまも遊んでいる。それほど生は浪費者である。
私は彼らのおしゃべりにききいって、そして呼ぶ、「帰っておいで、いとし児よ、母の胸は縁まで愛であふれている、もしお前が母親からたった一つの可愛いいキスをすばやくかすめとったとて、誰もそれを妬(ねた)みはしない」
・バンヤンの樹


おお お前、ばさばさ頭をして池のふちに立っているバンヤンの樹よ、お前は、小鳥のようにお前の枝に巣をかけて、やがておまえを見すてた小さな子供を忘れてしまったか?
お前は憶えていないかい、どんなに彼が窓べに坐って地にもぐっているお前の根の曲がりくねりに見とれたか。
女たちは水甕をみたしに池に来た、そしてお前の大きな黒い影は目ざめようとしてもがく睡のように水面(みなも)でゆらいだね。
光は漣(さざなみ)の上で黄金の綴れ(タペストリ)を織るおやみない小さな梭(おさ)のように踊ったね。
二羽の家鴨(あひる)が水草の浮く岸近くで自分の影の上を泳いでいたね、そうしてあの子はじっと坐って考えてたっけ。
彼は風とになってお前のざわめく枝の間を吹きぬけたがった。お前の影になって日ざしと一緒に水の上に伸びたり、小鳥になってお前の梢のてっぺんに止まったり、そうしてあの家鴨のように水草と日影のあいだに浮びたがったね。
『愛人の贈物』から

・昨夜、花園で


昨夜、花園で私は私の青春の泡だつ美酒をあなたにささげた。あなたは盃を唇におしあて、私があなたの面紗(ヴェール)をかかげ、あなたの髪をほどいて、甘美に黙したあなたの顔を胸にひき寄せた時、あなたは眼をとじてほほえんだ。昨夜月がまどろむ世界の上をその夢で覆うた時に。
今日、曙の露すずしいしずけさの中に、あなたは神の社へ歩いてゆく、清めた身を白い衣装に包み、手に籠いっぱいの花をたずさえて。うなだれてわたしは木蔭に身を避けて立っている、曙の静けさのなか、社へのさびしい道のほとりに。
・牧場の花が大地に親しいように


牧場(まきば)の花が大地に親しいように彼女は私の心に親しい。睡りが疲れた四肢にこころよいように彼女は私にこころよい。彼女への私の愛は、滔々と澄んで奔流する秋の氾濫期の河のようにみなぎり流るる私の生命。その波と流れのすべてをあげて歌う河のさざめきのように、私の歌は私の愛とひとつのものである。
・私は毎日通いなれた道を


私は毎日通いなれた道を行った。私は私の果物を市場に運び、私の家畜を牧場に追い、流れをよぎって私の小舟を渡す、そうして道は隈なく私に熟知されていた。
ある朝、私の小籠は商品で重かった、人々は野にいそしみ、牧場は家畜であふれ、大地の胸は熟れゆく稲穂のさざめきで波うっていた。
突如、ある顫律(せんりつ)が空をよぎり、そうして空が私の額にくちつけたかと思われた。霧の中から立ち現われる朝のように私の心は躍り立った。
踏みなれた道を辿ることを忘れて、幾足か私は小径から踏み出した。と、馴染みの世界がたちまち見なれぬ姿を呈した、蕾でのみ知っていた花がつと(・・)開いたように。
私の日ごろの知慧は羞(はず)かしい思いをさせられた。私は事物の仙境(フェアリ・ランド)に迷い入ったのだ。あの朝私が道を失ったのは私の生涯の最大の幸運であった、私は私の永遠の少年時代を見出したのである。
・若い日私が漂った河は


若い日私が漂った河は激しくまた力強く流れていた。春風は惜しみなくそよぎ、樹々は花咲き燃え立っていた。そうして小鳥は歌いに歌って睡らなかった。
あふれる情熱に運ばれて私はめくるめく疾さで進んだ。眺め、感じて、世界をおのれの存在ふかく取り入れる暇を私は持たなかった。
いま、青春が過ぎさって私が岸辺に達した時、私はなべてのものの深い意味をきき取り、大空は私にその星の心をひらく
・あなたはただの絵姿なのか


あなたはただの絵姿なのか、そうしてあれらの星やこの土のように真実ではないのか? 彼らはもの(・・)の鼓動もて脈うっている、しかしあなたはあなたの静寂の中に限りもなく遠のいている、描かれた形よ。
あなたが私とともに歩んだ日もあった。あなたの息吹は温かく、あなたの四肢は生命を歌っていた。私の世界はあなたの声の中にその言葉を見いだし、私の心はあなたの顔と触れあった。突然、あなたは永遠の翳(かげ)さす谷に歩みをとどめ、そうして私は孤独の中に歩み続けた。
生命は子供のように走りながら、死のがらがらをうちふって高らかに笑う。それが私を招くままに、私は見えざるものの後を追う。しかしあなたは立ちどまったところに残って、あの土や星たちの背後に佇(たたず)んでいる。そうしてあなたはただの絵姿なのだ。
いな、そんな筈はない。生の潮があなたの中でまったく停止したのであれば、河は流れをとどめ、曙の足音は彩りの韻律を止めるであろう。あなたの髪のきらめく黒が無明の闇に消えたのならば、夏の森蔭はかの夢もろともに消えるであろう。
私があなたを忘れたというのは真実なのか、われらは心もうつろに急ぐ、路のべの垣の花々を忘れながら。しかもかれらはわれらの忘却のうちに、知られずして息づいている。音楽もてそれを満たしつつ、あなたは私の世界から、ただ私の生命の根に席を占めるべく立ち去ったのだ、それ故にこそこの忘却――みずからの深みに失われた記憶である。
あなたはもはや私の歌の前に立ってはいない、彼らと一つに化しているのだ。あなたは曙の最初の光とともに私のところに来た、私は黄昏の最後の金色とともにあなたを失った。爾来(じらい)私はいつも闇を通してあなたを見いだす。いな、あなたはただの絵姿ではない。
・亡くなってあなたは私の生命のうちに


亡くなってあなたは私の生命のうちに永遠者の大きな悲しみを遺した。あなたは私の思想の地平線をあなたの旅立ちの日没の色で塗った、大地をよぎって愛の天界まで涙の道をつけながら。あなたの貴い手に握りしめられて、生と死が私の中で婚姻の絆(きずな)に結ばれた。
万物の終末と発端の出あうところ、あそこの露台(パルコン)であなたが点したランプを手に見守っているのが見える気がする。爾来私の世界はあなたの開いた扉を通りぬけて辿って来た――あなたは死の杯を私の唇におしあてる、あなた自身のいのちでそれを充たしながら。
・あなたが亡くなった時


あなたが亡くなった時、あなたはこの世のすべての事物から消え去って、私の外なる一切のものにとって滅び去ったのだ、私の悲哀の中に残りなくよみがえるために。男性と女性とが私の中で永遠にひとつになって、私は私の生命が完成されたのを感じる。
『踏切り』から

・婚姻の時は黄昏である


婚姻の時は黄昏である、小鳥たちは彼らの最後の歌をうたい、風は水面に憩っている。夕陽は花嫁部屋に絨毯をひろげ、ランプは夜通し燃える用意ができている

ひっそりした闇の背後にまだ見ぬ人は歩む、そして私の胸は慄(ふる)えている
すべての歌は黙した、夕星の下でやがて誓詞(せいし)が読まれるのだから。
・私は知っている


私は知っている、愛のうちに成熟を逸したこの生も、残りなく失われたのではないことを。
私は知っている、曙に色あせた花、沙漠に消えた流れも、残りなく失われたのではないことを。
私は知っている、愚かさのためにこの世で遅れた歩みとて、残りなく失われたのではないことを。
私は知っている、まだ成就されぬ私の夢、まだ鳴らされぬ私の調べも、あなたの琴の弦のどこかに纏(まと)わっていて、残りなく失われたのではないことを。
・あなたを傷つけに来た時に


あなたを傷つけに来た時に、私は知らずしてあなたに最も近づいたのです。
あなたと戦って敗れた時に、私はついにあなたを私の主君としたのです。
あなたをひそかに盗んだ時に、私はただあなたへの負債を重くしただけでした。
私の誇りであなたの流れに逆らった時に、私はただあなたの力を胸に感じました。
反抗的に私はわが家の灯を消します。と、あなたの空はその星たちで私を驚かしました。
・あなたは私の悲しみとして


あなたは私の悲しみとして来られたのですか? それなら、なおさら私はあなたにすがりつかねばなりません。
あなたの顔は闇に覆われています。では、なおのこと私はあなたを見なければなりません。
あなたの手の死の一撃で私の生命を燃えたつ焔にして下さい。
涙が私の両眼からあふれます――かれらをしてあなたを讃えつつその足許をめぐらしめて下さい。
そうして私の胸の痛みをして、あなたはやはり私のものだと言わしめて下さい。
・夜どおし航海して


夜どおし航海して私は生の祝宴に来た。すると、朝の金色の高坏(たかつき)は私のために光で満たされていた。
私は歓喜して歌った
私は誰が与えたかを知らず
彼の名をたずねようとも思わなかった
真昼、大地はわたしの足の下に、太陽は頭上に暑かった。
渇きに駆られて私は泉に行った
水は私のためにそそがれた
私は飲んだ
しかし私は接吻のように甘やかだった紅玉の杯を愛して
それを支えた人を見ず、彼の名をたずねようとも思わなかった
疲れた黄昏、私は家への道を探す
ランプを手にした導者が来て、私を招く
私は彼の名をたずねる
しかし私はただ沈黙をとおして彼の光を見、彼の微笑が闇をみたしているのを感じるばかり。
・私を自由にしてくれ


私を自由にしてくれ、曠野(こうや)の小鳥が自由であるように、見えざる小径(こみち)の旅人のように。
私を自由にしてくれ、豪雨の出水が自由であるように、髪をふりみだして見知らぬ目的地に突きすすむ嵐のように。
私を自由にしてくれ、森の火が自由であるように、哄笑して闇に挑戦を投げる雷霆(いかずち)のように。
・この瞬間私はあなたが


この瞬間私はあなたが朝の金色の絨毯に坐っているのを見る。
日はあなたの冠に輝き、星はあなたの足許に落ち、人は群なしてあなたのところに来て、礼拝しては去って行く。そうして詩人は声なく片隅に坐っている。
・あなたは彼をあなたの腕に抱き取って


あなたは彼をあなたの腕に抱き取って、死の冠で彼を飾った。生の祝宴においていつも乞丐(こじき)のように戸外に立っていた彼を。
あなたは彼の敗北の上にあなたの義(ただ)しい手を置いて、はげしい生の乾きを鎮める平和で彼に口づけた。
あなたは彼を、万物の王、古い智慧の世界とひとつにしたのだ。
・あなたはあなた自身を


あなたはあなた自身をあなたの栄光の中におかくしですね、わが王よ。
一粒の砂、一滴の露も、あなたその人より誇らかに顕(あらわ)れています
世界はあなたのものであるすべてを羞かしげもなくわがものと呼んでいます――だからといって辱められもしないで。
あなたはわれらに場所に与えるために無言で身をお退けになるのですね。ですから愛はあなたをたずねておのれのランプを点し、求められもしない礼拝をあなたにささげに行くのです。
・王よ、あなたは路傍で私に笛を吹かしめるために


王よ、あなたは路傍で私に笛を吹かしめるために私をお呼びになったのですね。声なき人生の重荷を負った人たちがひととき走り使いの足をとめ、あなたの城門の露台の前に坐ってうっとりと聞きとれるようにと。かれらが永遠に古きものをも新しく見いだし、いつもかれらを取巻いているものをも珍らかに見いだして、「花はさかりなり、鳥は啼けり」と言わずにいられぬようにと。
・あなたの琴には無数の弦が


あなたの琴には無数の弦がある、私の弦をそのなかに加わらして下さい。
その時あなたが弦をうつごとに、わたしのこころは沈黙を破り、わたしのいのちはあなたの歌とひとつになるでしょう。
あなたの無数の星のなかに、わたしの小さいランプを置かして下さい。
あなたの光の舞踏の中でわたしの胸はとどろき、わたしのいのちはあなたの微笑とひとつになるでしょう。
・わが歌をして朝のめざめのごとく


わが歌をして朝のめざめのごとく、木の葉より落つる露の滴りのごとく単純ならしめたまえ。
雲の彩りのごとく深夜の雨の灑(そそ)ぎのごとく単純ならしめたまえ。
されど、わが琵琶の弦は新たに張られ、調べは新しき槍のごとく鋭い。
かくてそれは風のこころをのがし、空の光を傷つける。かくてわが歌のこれらの響は、御身みずからの音楽をいたく押しのけようとする。
・私は見た


私は見た、御身が御身の音楽を生の舞踏室で奏でるのを。突如たる春の葉の迸(ほとばし)りのうちに御身の高笑いが私に挨拶に来た。そうして私は野の花のうちに臥して、草の中に御身のささやきを聴いた。
子供は我家に御身の希望のメッセージをもたらし、女は御身の愛の音楽をもたらした。
いま、私は御身を死のうちに感ずべく海の岸に待っている、夜空の星の唄のうちに生のリフレエンをふたたび見いだすべく待っている。
・御身の歌い手たるつとめが


御身の歌い手たるつとめがわたしの上に落ちたのです。
私は私の歌に御身の春の花々の声を語り、御身のさざめく葉のリズムを与えました。
私は御身の夜のしじまに歌い、御身の朝の平和に歌いました
夏の最初の雨の歓声が私の調べにまじり、秋の穂のうねりが入りまじりました。
主よ、御身が私の家にはいろうとして私の胸を引裂く時も、ついに私の歌声を止めさせないで、ひたすら御身を迎える喜びに迸(ほとばし)らせて下さい。
『迷える鳥』と『蛍』から

・短詩三〇章


これらのささやかな思想は木の葉のそよぎである。かれらは私のこころのうちにその歓喜のささやきを持っている。


世界はその愛人に巨大な仮面をぬいで見せる。
かれは永遠者のひとつの歌ひとつの口づけのごとくささやかなものとなる。


創造の神秘は夜の闇のようだ、それは偉大である
知識のまどわしは朝の霧のようなものだ。


この朝私は窓辺に坐っている。すると世界は一瞬その前に立ちどまって私にうなずいて、そして立ち去って行く通りすがりの人に似ている。


私は最上のものを択ぶことができぬ
最上のものが私を択びとるのだ。


神は創造することによっておのれを見いだす


瞬間をおそれるな――かく永遠なるものの声は歌う。


汝もし太陽を見失うとて涙するならば、汝はまた星をも見失うであろう。


嘗(かつ)てわれらは赤の他人であると思っていた。
一朝めざめて、われらはわれらがお互いにとって貴いのを見いだす。


悲哀はわが心のうちに平和となりてしずまった、静かなる樹々の間の夕闇のごとく。


われ存すということが不断の驚きであるのが人生である。


緑の葉の間に戯れる光は、素裸の子供のように、幸いにも人間が嘘をつきうるということを知らない。


あなたはほほえんでさりげないことについて語った。
そうして私はこのためにこそ長いあいだ待っていたのであることを感じた。


水に住む魚は黙し、地上の獣はかしましく、空の小鳥は歌う。
しかし、人間は彼の中に海の沈黙と地のざわめきと空の音楽とを持っている。


彼は彼の武器を彼の神とした。
彼の武器が勝利した時、かれは自らを破ったのである。


星は蛍のように見えることを怖れはしない。


神は大帝国に倦むがささやかな花には倦まない。


すべての嬰児は神がまだ人間に絶望していないというメッセージをたずさえて生まれて来る。


芸術家は自然の愛人である、かれは彼女の奴隷であり主人である。


木の葉の誕生と死とは渦のすみやかな回転であり、その一層大きい輪はしずかに星辰の間をめぐっている。


しずかに、わが心よ、これらの巨きな樹たちは祈祷者です。


土は侵害をうけて、その返礼に彼女の花をさし出す。


神の大きな力は静かな微風の中にあって嵐の中にはない。


死んだ言葉の塵がお前にこびりついている
沈黙によってお前の魂を洗え。


鉢の中の水はきらめいている。海の水は暗い。
小さな真実は明晰な言葉をもつが、大きな真実は大きな沈黙をもっている。


夕空は私にとってひとつの窓、点(とも)されたランプ、そしてその蔭の待ちびとのようである。


彼らは憎み、また殺す、そうして人々はかれらをたたえる。
しかし神は赤面してその記憶をいそいで青草の下にかくす。


人間の歴史は虐げられた者の勝利を忍耐づよく待っている。


われらがわれらの充溢を祝うとき、われらは喜びのうちにわれらの果実に別れることができる。


御身の愛に信ず――これをわが最後の言葉たらしめよ。
・短詩十五章

(シナや日本では、私は屡々(しばしば)扇や絹地の上にさまざまの思想を書くことを求められた。こうして『蛍』が生まれた)

わたしの精神からとびたつ思想たち……蛍
夜の中にきらめく

生きた火花

将来の果実のことなど気にかけずに
春はその花びらをまきちらして
その時どきの気まぐれに従っている

とび散りながら火花は発見する
つかのまのリズムを
それが彼の喜びなのだ

山の中に静寂が立ちのぼる
おのれの高さを究めるために
湖の上で動きがやむ
おのれの深さを沈思するために

神は友を探して愛をよび求め
悪魔は奴隷を探して服従を強要する

子供は神々しく遊び道具の中で笑っている
消えやすい光と影
空を走ってゆく雲の小舟

単独でいる者は無にすぎない
彼に実在を与える者は他者である

私は自分自身を笑う
すると自我という重荷がそのことで軽くなる

死の精神は一つであり
生の精神は多様だ
神が死ぬとき
宗教は一つになる

河が海にそそぐように
仕事はそれの完成を
閑暇の深みに見いだす

誕生――それは夜の神秘からの
より大きな昼の神秘への移行である

塵の中をはい回っている土蛍は
空に星が輝いていることを知らない

美とは真理の微笑だ
彼女が完全な鏡の中に自分の顔を認めた時の

ある者たちは知識を求め、他の者たちは富を求める
わたしが欲するのはおんみの実在だけだ、わたしに歌がうたえるように

花はその花弁のすべてを失って
果実を見いだす
『ギタンジャリ』から

・あなたは私を無限にした


あなたは私を無限にした、それらがあなたの歓びである。この脆い器をあなたは幾度となく空にして、またつねに新たないのちでそれを溢らせる。
この小さい蘆(あし)の笛を、あなたは丘を越え谷を渡って持ち運んだ。そうして永遠に新しい旋律をそれから吹いた。
あなたの不滅の手に触れて、私の小さな胸は歓喜にはり裂け、言いがたい叫びをあげる。
あなたの無限の賜物(たまもの)は、ただこのささやかな私の掌を通して与えられる。幾歳すぎても、あなたはなおも注いでいる。そうしてそこにはなおも充たされるべき空所が残っている。
・あなたが歌えと命じる時に


あなたが歌えと命じる時に、私の胸は誇りにはり裂けそうだ。わたしはあなたの顔に見入る、すると涙がわたしの両眼につき上げる。
わたしのいのちの粗野なもの不調和なものがすべて甘美な調和に融ける――そうしてわたしの讃仰は海をよぎって飛ぶ喜びの鳥のようにその翼をひろげる。
わたしは知っている、わたしの歌う時にあなたが喜ぶことを。わたしは知っている、ただ歌手としてのみわたしはあなたの前に来たことを。
わたしの歌の遠くひろがった翼のはしで、わたしは触れえようとは思いもかけなかったあなたの足に触れる。
歌うことの歓びに酔いしれてわれを忘れ、わたしは主なるあなたを友と呼ぶ。
・どのようにあなたが歌われるのか


どのようにあなたが歌われるのか、私は知りません、師よ! 私はいつもただ無言の驚嘆で聞いております
あなたの言葉の光は世界を照らしだします。あなたの言葉の生命の息吹は空から空へと流れます。あなたの言葉の聖なる流れはすべての固い障害をつき破って突進します。
私の心はあなたの歌に加わろうと願いますが、空しく声を探してもがくばかりです。私は声を出したいのですが、言葉は歌とならず、ただ困惑して叫ぶだけです。ああ、あなたは私の心をあなたの言葉のかぎりない網目で捕らえました、師よ!
・王子の衣裳で覆われて


王子の衣裳で覆われて、頸(くび)に宝石の鎖をつけた子供は、遊びの楽しみをすべてなくしてしまう。彼の着物が一歩ごとに彼の邪魔をするのだ
すり切れはしまいか、塵で汚れはしまいかと恐れて、子供は世界から身を遠ざけ、身動きすることさえしない
母親よ、あなたの美々しい装いの束縛が、何のやくに立つのです――もしそれが地上の健康な塵から子供を遠ざけ、常凡な人生の大きな祭りに加わる権利を彼から奪うとしたら。
・私はこの世界の祝祭に


私はこの世界の祝祭に招待されました。かくて私の生命は祝福されたのです。私の眼は見、わたしの耳は聞きました。
この祝祭で私の琴をひくのが私の役目でした。そこで私は全力をつくしてひきました。
いま、私はたずねます――いよいよ私が入っていって、あなたのお顔を見、私の無言の挨拶をあなたにささげる時が、とうとう来たのでしょうか?
・夜も昼も私の血管を流れる


夜も昼も私の血管を流れる同じ生命の流れが、この世界を流れて、リズミカルに韻律で舞踏している
それは地上で塵をぬけて歓声をあげながら数知れぬ草の葉に迸(ほとばし)り、葉と花のざわめく波となって砕ける、あの同じ生命
生と死、引き潮と満ち潮の大海の揺籃に揺られているのと同じ生命である
私は私の四肢がこの生命の世界にふれることで輝かしくされるのを感じる。そうして私の誇りは数々の時代の生命の脈搏が、この瞬間に私の血の中に舞踏していることである。
・私はその日が来るのを知っている


私はその日が来るのを知っている――そのときはこの地上を見る私の視力は失われ、生命は無言で暇乞(いとまご)いをして、最後のカーテンを私の眼の上にひくだろう
それでも星たちは夜眺めているだろうし、朝は前と変らずに明けて、時間は海の波のようにもりあがって喜びと苦しみを投げつけるだろう
この最後の時を思うとき、時間の堤は破れて、私はあなたの世界とその投げやりにされた宝を、死の光の中に見る。最低の席というものもなく、一番卑しい生命というものもない。
私が空しく求めてきたもの、私が手に入れたもの――そういうものはどうでもいい。ただ私に本当に所有せしめよ、私がこれまでないがしろにし、見すごしてきたものを。
・わが生命の生命よ


わが生命の生命よ、私はつねにわが肉体を清浄に保つべくつとめましょう。あなたの生きた手が私の四肢の隅々に触れていることを知っていますから。
私はつねに私の思いからすべての虚偽を遠ざけましょう、あなたがかの真理、私の心のうちに理性の灯(ひ)を点じて下さったことを知っていますから。
私はつねにあらゆる悪を胸から追って、私の愛の花を咲かせておきましょう、あなたが私の胸の奥処(おくが)の神殿に席をもっていらっしゃることを知っていますから。
そして私のつとめは、あなたを私の行為のうちに顕わすことなのです、私に行為するちからを与えて下さるのはあなただと知っていますから。
・この小さい花を


この小さい花を摘みて取れ、ためらいなく! 私はそれがうなだれて地に落ちはせぬかと恐れる。
かれは爾(なんじ)の花環にふさわぬかもしれぬ。されど爾の手のいたき接触もてかれを摘みて栄光をあたえよ。気づかぬままに日が落ちて、ささげの時が過ぎはせぬかと私は恐れる。
たとえその色深からず、その香かすかなりとも、その花を摘みて爾への奉仕に用いよ、時過ぎぬまに。
・私の歌は飾りを脱ぎすてた


私の歌は飾りを脱ぎすてた。彼女はもはやその衣裳と装飾に誇りをもたぬ。飾りはわれらの会合を妨げる。それらはあなたと私との間に立ちふさがり、そのざわめきであなたのささやきを消してしまう。
詩人の空しい誇りもあなたを見ると慚死(ざんし)する。おお、大いなる詩人よ、私はあなたの足許に坐ります。私の生命をして、ただあなたのためにかなでられる一本の蘆笛のごとく直く単純にして下さい。
・あなたのおそばに暫く気ままに坐らせて下さい


あなたのおそばに暫く気ままに坐らせて下さい、手にしている仕事は後ほど仕上げましょう
あなたのお顔が見えないでは、私の胸に憩いも安らいもありませぬ。そうして私の仕事は岸なき苦海のはてしない労苦となります。
今日、夏はその吐息と呟(つぶや)きとに満ちてわたしの窓に来ました。そうして蜜蜂らは庭の花咲く樹立の間で彼らの唄を歌っています。
さあ、あなたにひたと向きあって静かに坐るべき時、このひそやかな満ちあふれた閑暇のうちに生のささげを歌うべき時です。
・わたしが歌いに来た歌は


わたしが歌いに来た歌はこの日までまだ歌われないでいます
わたしは楽器の弦を緊めたり弛(ゆる)めたりして日を過ごして来ました。
時はまだ熟さず、言葉はまだ正しく整いませぬ、わたしの胸にはただ翹望(ぎょうぼう)の悶えがあるばかりです
花はなお開かず、風が吐息して過ぎるばかりです
わたしはまだあの方のお顔を見ませぬ、声も聞きませぬ、ただ表(おもて)の路にしずかな足音を聞いたばかりです。
床の上にあの方の褥(しとね)をのべながら長い日も過ぎました。しかしランプはまだ点されていませぬ。それでわたしはあの方を家に迎えることができません。
わたしはあの方に逢う期待のうちに暮らしています、でもこの会合はまだ果されないでいます。
・あなたのために歌うべく


あなたのために歌うべく私はここにいます。この御身の会堂の一隅に私の席があるのです。
あなたの世界に私のすべき仕事はありません。私の無益ないのちはただあてどない調べとなって迸(ほとばし)るばかりです。
あなたへの無言の礼拝のために深夜の暗い寺院に時鐘(じしょう)が打つとき、主よ、あなたの前に立って歌うことを私に命じて下さい。
朝の微風の中に黄金の竪琴がかなでられる時、私に出席を命ずる光栄を与えて下さい。
・私の願いは多く私の叫びは哀切です


私の願いは多く、私の叫びは哀切です。しかしあなたはいつもきびしい拒絶で私を救って下さいました。そしてこの強き慈悲は幾重ともなく私の生命のうちにないこまれました。
ひと日ひと日、御身は求めずして私をあなたの単純偉大な贈物――この大空と光、この肉体とこころとにふさわしいものにして下さいます、過度の望みの悪から私を救いながら。
倦(う)み疲れてためらう日があり、めざめて目的地を求めていそぎ立つ日があります、でもあなたはあなたを非情に私からお匿(かく)しになります。
ひと日ひと日、あなたはつぎつぎに私を拒むことによって、私をあなたの全き容器にふさわしいものにしたまうのです。さだかならぬ弱い願いの悪から私を救いながら。
・私のほんの少しを


私のほんの少しを遺(のこ)して下さい、それで私はあなたを私のすべてと呼びましょう。
私の意志のほんの少しを遺して下さい、それで私は至るところにあなたを感じ、あらゆるものにおいてあなたに逢い、すべての瞬間に私の愛をあなたにささげましょう。
私のほんの少しを遺して下さい、それであなたを匿すことは決して致しませぬ。
私の絆(きずな)のほんの少しを遺して下さい、それで私はあなたに結ばれています。するとあなたの目的が私のいのちの中で果たされるのです――それはあなたの愛の絆なのです。
・心が怖れなしにあり頭が高くもたげられてあるところに


心が怖れなしにあり頭が高くもたげられてあるところに、
認識が自由であるところに、
世界が狭い仕切り壁のために粉々に砕かれてはいないところ、
言葉が真理の深みから流れ出るところ、
倦まざる努力が完成にむかってその腕をさしのばすところ、
澄みきった理性の川が死んだ因習のわびしい沙漠の中で失われずにいるところ
心が汝に導かれて不断にひろがりゆく思想と行為とにすすむところ――
かの自由の天界に、わが天父よ、わが国土をめざめしめたまえ。
・怠惰な日を幾日となく


怠惰な日を幾日となく、私は失われた時間を悲しんでいました。しかし、主よ、それは決して失われたのではありませぬ。御身みずから手の中に御身は私の生命のすべての一瞬を取ったのです。
事物の胸にかくれながら、御身は種子を嫩葉(ふたば)に、蕾を花に、そうして熟した花を果実へと養います。
私は疲れて怠惰な寝床に睡りながら思いました、あらゆる仕事は終わったのだと。朝、起き出でた私は、私の庭が花の奇蹟でみたされているのを見いだしました。
・死が汝の扉を叩くとき


死が汝の扉を叩くとき、汝はかれに何をささげるのか?
おお、わたしは客人の前にわたしの生命を湛(たた)えた器(うつわ)を置こう――決して空手でかれを帰しはすまい。
わたしの一切の秋の日夏の夜の美酒のすべてを、わたしのあわただしかりし生の収穫と落穂のすべてを、わたしはかれの前に置こう、わたしの日が終わって死がわたしの扉を叩くときに。
『白鳥』から

・見よ、あそこにいるすべてを破壊する者を


見よ、あそこにいるすべてを破壊する者を!
おお、苦悩の洪水、騒音の大波が彼の歩みを追いかけている
おお、血のように赤い雲の目くばせ、虚無の中で炸裂する轟き!
その野蛮な笑いの叫びで空間をみたす
この恐ろしい狂人は何か?
すべてを破壊する者が来るのではないのか?

生命は今日、死の饗宴の中にとびこむ!
彼にふさわしい贈物もて死をもてなせ
すべてを与えよ!
右にも左にもよろめくことなく
何物をも匿(かく)すな!
頭を脚の位置まで屈めよ
それが荒々しい髪でお前の苦悩を覆うように
なぜならすべてを破壊する者が来るのではないのか?

野に向かって開かれた道を受容せよ
家は影の中に消え、枕許のランプは死んでいる
颱風が部屋をみたし、土台がぐらつく
お前には呼び声が聞こえないのか
未知に向かっての呼び声が?
なぜならすべてを破壊する者が来るのではないのか?

恥じよ、おお、恥じよ、泣き声をあげるのを
恐怖でお前の顔を覆ってはいけない
土の上に着物をきたまま突っぷすな!
なぜにお前の魂はうろたえているのだ? お前の門のかんぬきを砕け
小さな感情を捨てて大いなる開かれた者の中にお前を投げうて
なぜならすべてを破壊する者が来るのではないのか?

なぜルドラの荒々しいリズムに合わせて
お前の勝利の讃歌をうたい、お前の脚で踊らないのか
この至高の光景はお前のために留保されたもの
それを忘れたのか、行け、すべてを見捨てて
赤い衣裳をまとった貧しい花嫁のように
なぜならすべてを破壊するお前の偉大な愛人がやって来るのではないのか?
・私の愛する人よ


私の愛する人よ
この朝、私はこの手で何をあなたにささげたらいいのでしょうか?
朝の歌でしょうか
でも朝は一茎の花のように
太陽のむごたらしい光で萎(しお)れ
私の歌はたちまち疲れて止みました

おお、私の友よ
一日の終わりにあって
あなたは私の戸口を訪れて何を求めるのですか?
何を私は持って行きましょう? 夕べのランプでしょうか?
しかしそのランプの光は
ひっそりした家の護られた片隅でなくては生きられません
それなのにあなたは人ごみをよぎってそれを持ち運ぼうというの?
ああ、あなたは知らないのです
灯は消えてしまうでしょう
途中の風で。

友よ、友よ、いったい私は何かをあなたに贈ることができるでしょうか
花も花環も
一日で枯れてしまうのです
どうしてこんな荷物であなたを煩わすことができましょう
私の手が何を持って行こうと
あなたの無関心な指はそれを忘れ去って
塵の上に落ちるのにまかせてしまうでしょう

むしろ、あなたがお暇な一日
私の花園をぶらつかれる時に
ひそかな香を感じて喜びにふるえ
突然立ちどまっておどろかれる方がよくはないでしょうか?
機会の提供する思いがけない贈物
これこそあなたにふさわしいささげものです!
そして私の園の並木路を歩いていられる間に
眼はいとも甘やかな幻想の魅惑にとらえられて
あなたは見るでしょう――
夕べの雲の捲髪(まきがみ)から慄えながら落ちてきた一本の色あざやかな光線が
その奇蹟的なタッチであなたの夢を再現するのを
思いがけない贈物であるこの光こそ、まことにあなたにふさわしいもの

すべての私の宝が稲妻のように示現して
またたちまちに消えていきました
かれらは自分たちの名を知らさずに逃れましたが
彼らの音栓のおびえた環たちが
高原で小径をみたしました
しかし私はどの道をいったらその甘美な領域に行けるかを知らず
私の手も私の声もそこには届きません
それでもそうやって、友よ、あなたが
自分の固有の名前で見出すもの
そうやって知らずまた要求せずして手に入れるもの
それだけがほんとうにあなたのものなのです!
一本の花、一つの歌、或いはひとつの果物
私が自分に与えるすべてはほんの小さなものにすぎません。
・大地は私の本当の愛人


大地は
私の本当の愛人!
私があなたの愛に抱かれなかった間は、それがどんなに長かろうと
あなたの光もあなたの宝のすべてを開示することができなかったのです!
だから、この長い間
あなたの大きな天空は
数知れぬそのランプをともして
深淵から深淵へとさまよいながら
探したり待ったりしていたのです

そのとき突然に私の愛が、音楽とともに現われました
何かをささやきながら――その意味は誰にもわからなかったけれど。
彼の愛情
香りにあふれた花々の環を
彼はあなたのうなじのまわりにかけた、おお、私の大地よ
酔いしれた眼の微笑を浮かべながら
あなた、私の愛人に
彼はひそかな贈物をしました
そのものはあなたの魂の密室で
永久に輝き続けるでしょう――星たちの永遠な花環の下で。
・わたしはこの世界を愛する


わたしはこの世界を愛する
そして世界は葛(つた)かずらのようにその一本一本の繊維で私の存在にまつわっている。
月光と闇とは空で入りまじり
私の意識はその中に漂い、その中にとけこんでいる
ついには私の生命と宇宙とが
一つになるまでに!

にもかかわらず私が死なねばならぬのはささやかな真実ではないのか?
わたしの言葉はある日この空間に流れ出ることを止めるだろう
わたしの眼は決してもはや光に向かって開かれることなく
わたしの耳は夜の神秘なメッセージを聞かぬだろう
そしてわたしの心は
昇る太陽のはげしい訴えに向かって駆けつけることはないだろう!
わたしの最後のまなざしと
最後の言葉をもって
わたしは別れをつげなくてはならないのだ。

このように生きる欲求は大きな真実であり
絶対の告別は他の偉大な真実である
それにしてもこの二つの間には調和が生まれねばならぬのだ。
でなければ創造は
かくも永らくほほえみながら
詐欺不正の巨大さを支えることはできなかったであろう
でなければ、光はすでに闇にのみこまれていたであろう。虫に食いつくされる色のように!
・この朝の空は


この朝の空は露の涙でふくらみ
岸の松の木は光であふれて生々と息づいている、わたしの心をくまなく満たして!
わたしは感じる――
この宇宙が幸福な一茎の蓮(はちす)の花のように
あなたの魂の底なき湖に浮かんでいるのを。
わたしはまた感じる――
わたしがあなたの言葉のその言葉であり
あなたの歌のその歌、
あなたの生命のその生命であり、
闇の蕾をつき破って万物を征服する光であるのを!
・わたしの王様を、私はまだ


わたしの王様を、私はまだ知っていない
そこで私は王から貢物(みつぎもの)を求められると
支払いをせずに逃亡して
間抜けな彼をだまそうと考える
しかし、私が秘密を抱いてどこに逃げようと
その日の仕事の後から、夢のうしろから
彼の呼びかけは一息ごとに私を追いかけてくる
それ故に、私はさとる――私が王によく知られていることを
私の最後の隠れ家さえも
きりもない私の負債の故に、失われてしまったことを。
こうして私は私の一切を、生と死を越えて
彼の足許にさし出すことを強いられた
そのときはじめて私は彼の王国の中に私の真の住居を
私の本来の力と
私の本来の権利を、見出すことだろう。
・あなたがひとりで自分自身にゆだねられていた時


あなたがひとりで自分自身にゆだねられていた時、
あなたはまだ真のあなた自身を発見していなかった
その頃にはあなたの眼を見守っている不安な凝視はまったくなかった
嘆息の発作もなければ、岸から岸へと風に追いまわされることもなかった

私が来て、あなたの眠りは終わった
喜びと光の花が空虚から空虚を埋めた
あなたは私を芽や花としてひらかせ
数知れない美の揺籃の中で揺すり
星の中に巣立ちさせて、それからまたあなたの胎(はら)の中にあつめた
それから新しい形で私をふたたび見出す喜びのために
しばらくのあいだ私を死の中に隠した。

私が来ると――ある戦慄があなたの心をとらえた
私が来ると――悩みがあなたの中に生まれた
私が来ると、私と一緒に火にみちたあなた本来の喜びも来た
あなたの荒々しい春と、生と死とを煽(あお)りたてる嵐も!
私が来ると――あなたも自分でやって来て、私の顔を見つめた
私がさわるとあなたは慄(ふる)えた
あなたは真のあなた自身に触れるのを感じた!

わたしの眼の中には羞恥があり、私の心には怖れがある
一枚のヴェールがいつも私の顔を覆っている
そして涙につぐ涙があなたを真実に眺めるのを妨げる
それでも私は知っています、師よ
あなたの私を認めようとする願いにははてしがないことを
でないとしたらこの永遠の太陽や星たちは何のためにあるのですか?
・私は知っている


私は知っている、夜となく昼となく
あなたが私の足音に耳をすまして数えていることを
喜びと不安の中にあなたが私の道を見まもっていることを
あなたの喜びは日の切尖(きっさき)で秋の空をひらき
抑制できない恍惚をもって
開花のあらしの中に没落する!
発見し認知しながら、小径から小径へと
私があなたに近づいて行けば行くほど
いよいよ喜ばしげにあなたの大洋は私の小径の傍らで舞踏する!
生命から生命へと私の蓮はあなたの魂の湖の中に花をひらく
少しずつその翼をくりひろげて
それは太陽たちが蓮のまわりで廻転して讃歎の中に失われるからだ!
あなたの宇宙は光り輝く孵化(ふか)であり、あなたの聖なる掌(てのひら)をみたす
あなたの内気な空はいつも私の小さい隠された空の機嫌をとり結び
一つまた一つと私の愛の釦(ボタン)をはずす!
・まったく唐突に


まったく唐突に、わたしの魂の窓が開かれた
あなたに向かって!
わたしはすべての仕事を忘れた――朝の甘美な光の中に
わたしはみつめる、ひたと見つめる
そしてあなたがあらゆる春の花と葉の上に
わたしの名を書かれているのを見いだす
それによってあなたが愛をこめてわたしを呼ぶその名前を!
だからこそわたしはひたと見つめるのです――朝の甘美な光の中に、あらゆる労苦を忘れて。

まったく唐突に、わたしの歌のさまざまの調べがとび立っていった
あなたの歌をめがけて
わたしはわたしの歌のすべてが朝の光をおびたのを見いだした
あなたの歌によって!
まるでわたしの生命ひとつが
あなたの音楽の世界をみたしたかのようだ。
わたしに向けられたこの歌を、あなたの足許でどのように受け取ったらよいのか?
だからこそわたしはひたとあなたを見つめるのです
あらゆる仕事を忘れて!
・なんとせっかちなのだ、わたしの小さい者たちよ


なんとせっかちなのだ、わたしの小さい者たちよ! 冬はまだ終わっていはしない。
それなのにお前たちは、みんなでそろって歌うことにしたのだね。
いったい何が近づいてくるのを見たのだ、遠い道のはずれに。
おお、わたしのばかなチャンパ、わたしの向こうみずなボクルの花よ!
なぜそんなに期待の中に前へ前へとつきすすむのか?

お前たちは死んで消えてゆく最初の軍隊。
お前たちは時が適当であるかどうかを考えずに
枝という枝をカーニバルに目ざめさせ
森じゅうに色と匂いをばらまいた
求めていちばん手ごわい敵をよび出しながら、お前たちは花ひらき、
そして狂喜じみて笑って、それから群がり落ちて死んでゆく。

春は四月にならなくてはやってこない、南風の高潮にのってでなくては。
それをお前は計算に入れなかったのだね、
お前の喜びは開始の笛をふいて、それから死ぬことなのだ。
お前たちは道の先に、そして夜の前に
甘やかな休息があるものと思ったのだね?
そしてお前たちはお前たちの生命を、与え、まきちらしたのだね
泣きながら笑って、道の上に?
おお、ばかな者たち、無考えな者たちよ!
お前たちは未知な賓客(ひんきゃく)の足音をききつけて
自分たちの心を失い、彼の歩む道の埃(ほこり)をおおうために
お前たちの愛にあふれた死をひろげたのだ
お前たちの愛情は、愛人その人を見、聞くより前に
落ち倒れてしまったのだ
なぜならお前たちは
お前たちの眼がはっきりと証拠を見るまで
じっと坐ってはいなかったのだから。おお、わたしの小さい者たちよ!
『収穫祭』から

・若かった時わたしの生命は


若かった時わたしの生命はひとつの花のようだった――春のそよ風が来て彼女の戸口で乞う時に、その豊かさから一二片の花びらを与えても何とも感じない花であった。

今青春の終わりにあって、わたしの生命はひとつの果実のようである。惜しむべき何物も持たず、その美味で豊かな貯えごと、残りなく身をささげようと待っているのだ。
・路あるところでは


路あるところでは私は私の道を見失う
大海には 青空には どんな道も通っていない
路は小鳥の翼の中、星の篝火(かがりび)の中、移りゆく季節の花の中に隠されている
そうして私は私の胸にたずねる――お前の血は見えざる路の智慧をもっているかと。
・いな、蕾を花咲かせるのは


いな、蕾を花咲かせるのはお前のわざではない
蕾をゆすぶり、打つがいい――それを花咲かせるのはお前の力にあまることである。
お前の手はそれを穢(けが)す。お前は花弁を千々に引き裂いて土に投げすてる
しかし、何の色も現われはしない、何の香りも現われはしない
ああ! 蕾を花咲かせるのはお前のわざではない

蕾を花咲かせる者は、いとも単純にそれをなす
彼はそれに一瞥を与える。と、生の汁液はその血管にざわめき立ち
彼の息吹に花はその翼をひろげ、風の中に羽ばたきする
彩りはあこがれのように迸(ほとばし)り出て、芳香は甘美な秘密をくりひろげる
蕾を花咲かせる者はいとも単純にそれをなす。
・一握の砂も


一握の砂もよく御身の合図をかくす、私がその意味を知らない時は。
いまわたしは賢くなったので、嘗(かつ)てはそれを秘めていたあらゆるもののうちにそれを読む。

それは花々の花弁に描かれている、波はその沫(みなわ)からそれを放っている、山々は高くそれを嶺(いただき)にかかげている。
私は御身から顔をそむけていた、それで文字を誤って読み、その意味を悟らなかったのだ。
・彼女はまだほんの子供です


彼女はまだほんの子供です、主よ。
彼女は御身の宮居(みやい)を走りまわって戯れ、御身をできるかぎり玩具(おもちゃ)にしようとする
彼女は髪がみだれるのもかまわず、だらしなく着物を地に曳(ひ)いている。
御身が語りかけるときに彼女は睡りに落ちて答えない――そうして朝御身が与えた花は、その手から地に滑り落ちる。
嵐が吹きすさび、闇が空をとざす時、彼女は睡ることが出来ない。人形は地に投げ捨てられてころがり、彼女は御身の手を求めてしがみつく。
彼女は御身に対する勤めを仕損じはせぬかと気づかっている。
しかし御身は微笑して彼女の遊戯を見守っている。
御身は彼女を知っている。
土に坐っているあの子は御身の許嫁(いいなずけ)である。やがて彼女の戯れはしずめられて愛に化すでしょう。
・弦がととのえられていた間は


弦がととのえられていた間は、痛みははげしうございました、主よ!
あなたの音楽をはじめて私の痛みを忘れしめて下さい、これらの容赦なき日々を通じてあなたの心にあったものを私に感じさせて下さい。
去りゆく夜は私の戸口でぐずついています。歌唱のうちに彼女に別れさせて下さい。
あなたの星屑から降って来る調べのうちに、あなたの心を私の生命の弦に注いで下さい、主よ!
・ひっそりした私の思念の蔭にひとり坐って


ひっそりした私の思念の蔭にひとり坐って私は御身の名を呼ぼう。

私は声なくそれを呼ぶだろう、目的なしに呼ぶだろう。
なぜなら私は、母上(マザー)と呼ぶのが嬉しくて百度でもそれを繰返す子供のようである。
・私をして危難から守られんことを


私をして危難から守られんことを祈らしめるな、ただ恐れなくそれらに直面せしめよ。
私をしてわが悩みを鎮めんことを乞わしめるな、ただかれにうち克つ心を乞わしめよ。
生の戦場における盟友を求めしむるな、ただおのれ自身の力を求めしめよ。
救われんことを性急に渇望せしめるな、ただおのが自由を得るための忍苦を望ましめよ。
私をして成功のうちにのみ御身の慈愛を感じるごとき怯者(きょうしゃ)たらしめず、わが失敗のうちに御身の手の握力を感ぜしめよ。
・世界は現にまた永遠に


世界は現にまた永遠に御身のものである。
そして御身は欠乏を知らない故に、王よ、御身の富に何の喜びも持つことがない。
それはまるで零(しずく)のようなものである。
それゆえ御身は徐々に御身の持物を私に与える、そうして御身の王国を不断に私のうちにひろめる。
一日一日、御身は御身の日の出を私の心から買い求め、そして御身の愛が私の生命の映像の中に刻みこまれるのを見いだす。
・春はその葉群と花々とで


春はその葉群と花々とで私の身体にはいって来た。
蜜蜂はそこで朝じゅううたい、風は懶(ものう)げに影と戯れている。
甘やかな泉が私の胸の真中から湧きいでる。
私の瞳は露をあびた朝のように歓びで洗われ、生命は私の全身にふるえている、鳴っている琴の弦のように。

満ちきった私の生命の岸辺を御身はひとりさまようのか? おお、わが無窮の日々の愛人よ。
多彩なその翅(はね)で蛾のように私の夢は御身をめぐって羽ばたいているのか?
そうして私の存在の暗い空洞にこだましているこれらのものは御身の歌なのか?

御身でなくて誰が聴こう、今日私の血管に鳴りわたっている犇(ひし)めく時劫(じごう)のざわめきを。私の胸に踊っている喜ばしい足ぶみ、私の肉体のうちにその翼を搏っている憩い知らぬ生命の叫びを。
・おお、火、わが兄弟よ


おお、火、わが兄弟よ、私は御身の勝利を歌おう。
御身は恐ろしき自由の輝く赤い映像(イメージ)である。
御身は空に御身の腕を振る、御身は性急な指で竪琴の弦を撫でる、御身の舞踏曲は美しい。
私の日が終って門が開かれる時、御身はこの手と足との縄を灰と燃やすのであろう。
私の身体は御身とひとつになり、私の心は御身の狂乱の渦に捉われるだろう、そうして私のいのちなる熱気は、迸(ほとばし)って御身の焔に入りまじる。
・あれは何の音楽なのか


あれは何の音楽なのか、その調べの中で世界が揺られているのは?
われらはそれが生命のいただきを搏(う)つ時に笑い、それが闇に帰するときに怯(おび)えて立ちすくむ。
しかし無窮の音楽のリズムとともに来たり去るその弾奏は同じである。

御身は御身の宝を御身の掌にかくす、するとわれらは奪われたと叫ぶ。
しかし御身の欲するままに御身の掌は開きまた閉じる、そうして取得と喪失とは同一である。
遊戯において御身は御身じしんと戯れて、御身は同時に失いまた獲得する。
・詩人ツールシダースが思いに沈んで


詩人ツールシダースが思いに沈んで恒河(ごうが)のほとり、死者が焼かれるあの寂しい場所をさまよっていた。
婚姻のためのように華やかに着飾って、死んだ夫の骸の足許に坐っている女を彼はみた。
女は彼を見ると起き上がって彼に一礼して言った。「師よ、あなたの祝福を受けて天なる夫に従って行くことを許して下さい」
「なぜそんなに急ぐのか、娘よ?」ツールシダースは問うた。「この地上もやはり天国をつくった彼のものではないのか?」
「天国に行きたいのではありません。夫と一緒になりたいのです」と女は言った。
ツールシダースは微笑して女に言った。「わが子よ、お前の家にお帰り、一月とたたぬうち、お前はお前の夫を見いだすだろう」
女は喜ばしい希望をもって帰って行った。ツールシダースは日ごとにたずねて高い思想を女に与えた。そうして彼女の心は縁(ふち)まで聖愛でみたされた。
一月が経つや否や、隣人らは彼女の許に来てたずねた。「おんなよ、お前はお前の夫を見いだしたか?」
寡婦はほほえんで言った。「見いだしました」
熱心に彼らは問うた。「どこに彼はいるのか?」
「私の胸に私の主人はいます、私とひとつに融けて」と女は言った。
・一度また一度と


一度また一度と私は手をさし出してあなたの門に来た、もっと下さい、もっと多くをと乞いながら。
あなたは与えに与えた、時には少しずつ、時には不意に多すぎるまでに。
私は若干を取り、若干は零(あま)れるにまかす。あるものは重たく掌に残ったが、あるものは玩具にして倦いた時は壊してしまった。遂にあなたの贈物の蓄えと残骸とが山をなしてあなたを匿した。そうして止むことを知らぬ期待が私の心をぼろぼろにした。
取って下さい、おお、取って下さい――これがいまは私の叫びなのです。
この乞食椀の中の一切をまき散らしたまえ。この煩(わずらわ)しい監視人の燭を吹き消したまえ。私の手を執って、なおも増しつつあるあなたの贈物の山から、あなたの寂然(せきねん)といます裸形の無窮の中に私を引き上げたまえ。
・あらゆる星が私のうちに輝いているのを



あらゆる星が私のうちに輝いているのを私は感じる。
世界は洪水のように私のいのちに流れ入る。
花々は私の肉体に花ひらく。
地と水とのすべての瑞々しさは私の胸ぬちに香煙のごとく燻(くすぶ)り、万物の息吹は一本の笛にかなでるごとく私の思想の上に戯れる。


世界が寝しずまる時、私はあなたの扉口に立つ。
星は黙している。それで私は歌うのが恐ろしい。
私は待って見つめている。やがてあなたの影が露台をよぎると、私は心みちて帰ってくる。
そうして朝、私は路傍に歌う。
垣根の花々が私に答え、昧爽の気が耳をすます。
旅人らははたと足をとどめ、おのれの名が呼ばれたのかと私の顔に見入る。


つねにあなたの望みに仕えながら私をしてあなたの扉口にあらしめよ。そしてあなたのお召しを受けてはあなたの王国をめぐらしたまえ。
懈怠(けたい)の淵に沈み消えしむるな。
私の生命を浪費しつくしてぼろぼろに破れしむるな。
かの疑惑どもに私を取り巻かしむるな――あれは気散じの埃(ほこり)である。
私をして多くのものを蒐めるために多くの小径を追わしむるな。
多数者のくびきに私の胸を曲げしめざれ。
あなたの召使いたることの誇りと勇気とに、私の頭を高くもたげしめよ。
・感謝


つつましい生命を足の下に砕き、地のやさしい縁を血にまみれた足跡で覆いつつ誇りの道を歩む者ら、
彼らをして歓呼し、日がわれらのものであるとて、主よ、御身に感謝せしめよ。
しかし私は私の運命が、権力の重荷に悩み堪えて、顔を匿(かく)しつつ歔欷(きょき)を闇のうちに拭(ぬぐ)い消す貧者とともにあることを感謝しています。
なぜなら彼らの痛苦のすべての疼(うず)きは御身の夜のひそかな深みで脈うったのですから、そして、すべての侮辱は御身の大きな沈黙の中に蒐められたのですから。
そうして明日は彼らのもの!
おお太陽よ、血を流しつつ朝の花々となってひらく心臓の上に昇れ、そのとき誇らかな炬火(かがりび)の宴は灰に帰しているのだ。
『捉えがたきもの』から

・私は感じる、あなたの短かった愛の日々は


私は感じる、あなたの短かかった愛の日々は、あなたの生涯のこれらの乏しい歳月の中には残されていないことを。
私は知りたい、徐々に掠(かす)めゆく塵土をさけて何処にあなたはいまそれらを蔵(かく)しているのか。私の寂蓼(せきりょう)の中に私はあなたの夕暮れの歌の若干を見いだす、それらは消えはててなお不死のこだまを残していた。そうしてあなたの満たされなかった日々の吐息は、秋の正午のぬくやかな静謐の中に巣ごもっていた。
あなたの願望が過去の巣箱から飛び立って私の胸をたずねてくる。そうして私はしずかに坐って彼らの翅音(はおと)に耳を傾ける。
・日もあろうにあなたはこの日を択んで


日もあろうにあなたはこの日を択んで私の園を訪れました。
でも、嵐がゆうべ私の薔薇を吹きすぎ、花々は引き裂かれた葉ごと撒きちらされました。
私は何があなたをここまで連れて来たのかを知りませぬ。籬(かき)は倒れ、径には川が流れているのですから。豊かな春の富は吹きちらされ、昨日の香りと唄も途絶えました。

それでも暫し待って下さい。あなたの裳裾(もすそ)をみたしうるとは思いませんが、残りの花をさがしてみます。
時はもう短いでしょう。雲がたたなわり、そら、またもう雨が落ちて来ます!
・ただ最も薄いつつしみの面紗(ヴェール)だけを残して


ただ最も薄いつつしみの面紗(ヴェール)だけを残して、私の持っていたすべてはあなたに差上げました。
それがあまりに薄いのであなたはひそかに笑います、それで私は恥ずかしい思いをします。
春の微風のひと吹きがいつ知らずそれを吹きはらいます。そうして浪がその沫(みなわ)をゆするように私の胸の鼓動がそれをゆすります。
いとしい人よ、私が身の廻りにこの仄(ほの)かな距ての霧をまとっているとしても悲しまないで下さい。
この脆(かろ)やかな慎みは単に女ごころの内気ではありません。それは私の献身の花が、その上でしとやかに黙してあなたの方に身を傾ける細い茎なのです。
・私の歌は蜜蜂のようだ


私の歌は蜜蜂のようだ。彼らは空中に御身の香ばしい跡――ある記憶を追うて行く。その隠された蜜房を求めて内気な御身のめぐりに翅音たてるべく。
暁の爽(そうき)気が日ざしの中に萎え、真昼の大気が重たく低くかかって森が沈黙する時、私の歌たちは家に戻ってくる、けだるい翅(はね)を金粉(きん)にまぶしながら。
・草に埋もれた小径を歩いていて


草に埋もれた小径を歩いていて、突然私は背後に誰かの声をきいた。「あなたは私をおぼえておいでですか?」
私はふりかえって彼女を見て言った。「お名前を思い出すことができません」
彼女は言った、「私はあなたが若かった日に逢われた最初の大きな悲しみなのです」
彼女の瞳は大気のうちに露をふくんだ朝のようであった。
私はしばし声なく立っていたがやがて言った。「あなたはあの涙の大きな重荷をすべて失くされたのですか?」
彼女は微笑して何も言わなかった。私は彼女の涙が微笑の言葉を学ぶだけの時を持ちえたことを感じた。
「いつかあなたはおっしゃいましたね」と彼女はささやいた。「永久にあなたの悲しみをいとおしむだろうと」
私は赤面して言った。「そうです、でも、年たつにつれて私はいつか忘れてしまったのです」
そうして彼女の手をとって言った。「だってあなたは変わりましたもの」
「前には悲しみだったものが今は平和となりましたの」こう彼女は言った。
・夕暮、私の小さい娘が


夕暮、私の小さい娘が、友だちが窓の下で呼ぶのを聞いた。
彼女はおずおずと暗い階段をおりていった、手にしたランプをヴェールの陰に守りながら。
わたしは三月の夜のテラスで、星の光の中にすわっていた。そのとき突然に叫び声を聞いて、走っていってみた。
娘のランプが暗い螺旋(らせん)階段で消えたのだ。わたしはたずねた――娘よ、なぜ泣くのか。
彼女は困惑(こんわく)しながら下から答えた――おとうさん、わたし道がわからなくなってしまったの。

三月の星かがやくテラスにもどって空を見上げたとき、わたしは幾人もの子どもがヴェールの陰にランプを守りながら、空を歩んでいるのを見た。
もし、かれらのランプが消えたなら、かれらはあわてて立ち尽くして、空から空へ呼ぶだろう――おとうさん、わたし道がわからなくなってしまったの、と。
・世界よ、わたしが少年だった時


世界よ、わたしが少年だった時、お前は小さな近所の少女、かわいい内気なよその人だったね。
やがてお前は大胆になって来て、垣根ごしに私に話しかけた、玩具や花や貝殻を差し出しながら。
ついでお前は日課から私をそそのかしては、たそがれの中や人気のない真昼の園の草深い片隅に誘いだしたね。
ついにお前は過ぎ去った日々の物語を私に語るようになる。過ぎゆく瞬間の牢獄から救い出されようと、現在はいつも彼らに逢いたがっているのだ。
・あなたは暗い海で浴みをした


あなたは暗い海で浴みをした。あなたはもう一度花嫁の衣裳をまとい、死の拱門(きょうもん)をぬけて、魂のうちにわれらの結婚を繰り返すべく戻って来た。
琴も銅鑼(どら)も打たれはしない、人々は群らがらず花環も門にかけられはしない。
発せられざるあなたの言葉が、燭(ひ)をともさざる祝典のうちで私のそれと逢う。
・世界が若かった時、ヒマラヤよ


世界が若かった時、ヒマラヤよ、おんみは大地の引き裂かれた胸から跳りでて、おんみの燃える挑戦を、山また山と太陽に向かって投げたのだね。やがて恍惚たる時が来て、おんみはおんみ自らに言った。「もう止めよ、もうよろしい!」そうしておんみの火のような心、行く雲の自由を求めて荒れに荒れたこころは、その限界を見いだし、無限者に敬礼すべく静かに立ちどまった。おんみの激情にこの械(かせ)が置かれてから、美は軽やかにおんみの胸にたわむれ、信頼は花々と小鳥らの歓びでおんみを取巻いた。

おんみはおんみの孤独の中にいとも大きな読者のように坐っているね、おんみの膝の上には無限の岩石の頁をもった古い書(ふみ)が開かれている。どんな物語が書かれているのか?――聖なる苦行者シヴァと、聖なる愛人バアヴァニの永遠の婚姻、怖るべきものがかよわいものの手を求めたあのドラマなのか?
・私の眼はこの青空の深い平和を


私の眼はこの青空の深い平和を感じる、そうしてわたしの身ぬちには、日光で満たされるべく葉の杯をさしあげる一本の樹の感じるところのものが身じろぐ。
ひとつの思想が、陽をあびた青草から立ち昇るあたたかい息吹のように私の心のうちに湧きあがる。それが村の小径のさらさらとあふれる泉の音、ものうい微風の吐息と入りまじる――それは私がこの一生を共にすごして来た思想、それに私みずからの愛と悲しみとを与えて来た思想である。
・悪しき日


世々、おんみはおんみの使者をこの苛烈な世界に送りだしました、主よ。
「すべてを宥(ゆる)せ、万人を愛せよ、血の色した憎悪の穢(けが)れより汝の心を浄めよ」と彼らは言葉を残しました。
彼らは嘆称すべく、つねに記憶せられるに値します。しかも意味なき敬礼もて今日――悪しき日よ――私は戸口から彼らを追い返しました。
偽善的な夜の覆いの下で、ひそかな悪意が弱き者をうち倒すのを私は見なかったでしょうか?
権力の挑戦的な暴行に声を呑んだ正義のさびしくすすり哭(な)くのを私はきかなかったでしょうか?
苦悩にはやり立つ青春が、狂乱して非情な岩に空しくその生命を投げつけるのを見なかったでしょうか?
今日、私の声はむせび、私の唄は黙しました。そうして私の世界は陰惨な夢の中に閉じこめられて暗く横たわっています。
私は涙のうちにおんみにたずねます、主よ、「おんみは自ら宥し給うたのですか。おんみはおんみの大気を毒しつつある者らをもいとしんで、おんみの光を消し給うたのですか?」
・人の子


彼の永遠の座からキリストはこの地上にくだって来た。そしてこの地で、遙かな昔、彼はその不死の生命を死の苦い杯に注いだ、声に応じて来た人々のため、また来なかった人々のために。
彼はおのれの周囲を見廻し、人の世を傷つけた悪の武器を見る。
傲然(ごうぜん)たる鉄串と槍、鋭く陰険な短刀、お上品な鞘の中の曲がって残忍な彎刀(ばんとう)――巨大な戦車の上で鋭ぎすまされたそれらが擦れあって火花をはなつ。
わけて最も恐るべきは屠殺者の手、その上には彼自身の名が刻まれていた。それは彼みずからの言葉に従ってつくられ、憎悪の火で鋳、偽善の貪婪によって鍛えられていた。
彼は胸にその手を押しあてる。彼は彼の死のいと長い瞬間がまだ終わらないのを感じ、新しい釘が、邪悪な技術に熟した者らによって数限りなくつくり出されて、彼のあらゆる節々(ふしぶし)をつらぬくのを感じる。
彼らの寺院の蔭に立って、彼らは嘗て彼を害した。彼らは群れなして新たに生まれている。
彼らの聖なる祭壇のまえから、彼らは兵士に叫ぶ、「刺せ!」
そうして人の子は痛みの声をあげる、「わが神、わが神、なんぞわれを見捨てたまうや?」
・自由


恐怖からの自由が、私の御身に求める自由である、母国よ!――御身みずからの歪める夢が形どった、怖れ、夢魔を振りすてよ。
御身の頭を垂れさせ、御身の背骨を砕き、未来の招きに御身の眼を閉じさせる歳月の重荷から自由になれ。
御身を夜の静寂に縛りつけ、大胆な真理の道をささやく星を信じないようにするまどろみの械(かせ)から自由になれ。
運命の無秩序から自由になれ、彼の帆は容易に盲目不定な風に屈して、いつも死のごとく酷薄冷淡な手に舵をゆだねる。
おんみはあやつり人形の世界に住む恥辱から自由になれ、そこでは動作は無智の手にあやつられ、心なき慣習によって繰返される。人は生の瞬時の道化芝居のうちに動かされるべく、辛抱強い従順さで待っているばかりなのだ。
・シャンチニケタンの歌


われらのもの、われらの心の愛人、シャンチニケタン
われらの夢は彼女の腕に揺られてそだつ
その顔は見るたびにみずみずしい愛の奇蹟
なぜなら彼女はわれらのもの、われらの心の愛人だから。

彼女の樹蔭でわれらは出あう
その明るくひらいた自由の空の下で
彼女の朝と夜とは
日々に新しく彼女をわれらのもの、われらの心の愛人と感じさせながら
天の接吻をたずさえてくれる

その樹蔭のしずけさは林のささやきでみたされ
アムラキの森は葉群(はむれ)の喜びでふるえる
どれほど遠く旅に出ようと
彼女はわれらの中に住み、われらの周囲にある
われらの愛の弦をその指でかなでながら
彼女はわれらの心を歌に織り、われらを音楽の中で一体にする
するとわれらは思い出す、彼女がわれらのもの、
われらの心の愛人であることを。
『黄金の舟』から

・東方の夕暮と西方の曙


ここには夕暮が下りてくる。それは大洋を越えたどこかの遠い国での曙なのだ。
ここでは闇の帷(とばり)の蔭でラジヤニガンダハの花が、寝室の戸口に立った新婚の花嫁のように恍惚として慄(ふる)えている
向こうでは朝のブルーベルがその花びらを開く……目ざめ。ランプは消され、夜の間にいとしがって編まれた花環は無情にも捨てられている。
こちらでは扉がとざされ、向こうでは窓が開け放たれる。こちらでは渡し守は彼のボートの中でいまにも眠りに落ちようとしてい、向こうではボートが流れの面を滑りだす
向こうでは人々は宿営地(セライ)を出て東をめざして進む。白い朝の光が彼らの額にふれ、道ばたの家々からはあこがれにうるんだ暗い眼が彼らを見守っている。城門に書かれたメッセージを読むとき、彼らの血管の中で血が舞踏する――「皆さん、ようこそ!」
こちらでは皆が消えてゆく光の中で川を渡り終える。それからはもう誰もやって来ない。
彼らは彼らの寝床を宿営地に広げる。孤独な者があり、伴侶をつれた者がいる。彼らはたがいにささやきあう。言葉がつきると、彼らは無言で横たわる。それから空を見上げて、北斗七星が彼らの顔の上で明るく微笑しているのを見る。
おお、太陽よ、あなたの東方の夕暮と西方の曙をして、愛の抱擁のうちに互いに相手を抱かしめよ。一方の暗い影をして他方の溢れる光を接吻せしめよ――両者が一つの限りない音楽の中にくるまれるように。
・天への訣別


天上の花で編んだ花環は私の胸で萎れ、その光輝も私の眉の上で青ざめた。私の善行の報酬は空費された。今日、私は天に対して別れを告げる。
おお、神々よ、女神たちよ、十万年ものあいだ私はあなたがたの間でまるであなたがたの一人でもあるように過ごしてきた。今日、別れの時にあたって、私は深くあなたがたの眼の中を見つめる――一片の同情の影、涙の気配を見出すことを願いながら。皆無だ。幸福な天は非情、無関心に眺めているばかり。彼は私たちの幾百人が突然流れ星のように落ちて大地のはてしない生と死の流れにのみこまれるのを見ても、あの大きなアスタワの木がその一番つまらない小枝を失った時に感じるほどのかすかな痛みをも感じないのだ。ああ、メナカ神よ、あなたは相変らず無関心に踊っているね! ああ、ウルワシ神よ、あなたの美しい胸に抱かれている多弦のリラは、私にただ一曲の別れのメロディをも拒むのですね。

幸福にお暮らし、神々よ、女神たちよ、そして君たちの青春を養いたまえ、ネクタルをたっぷりと飲んで。どうぞ御幸福に、美しい舞踏者たち。君たちの眼の輝きを愛の苛烈な悩みで曇らせぬようにしたまえ。君たちには欠乏なく、悲しみなく、情熱もないのだ。地上で私は、私の心の求める存在を見出すだろう。ある日その女は、花嫁の緋の衣裳に飾られ、眉を白檀の粉で白く香ばしくして、私の家にやってくるだろう。彼女はすべての私の喜びと悲しみとを共にするのだ。
時たまあの天が、物怪(もののけ)の出る夜ふけの時刻に、ふしぎな夢として私の心に戻ってくる。私は茫漠たるあこがれと共に目ざめて、もっと不思議な夢を見る――私の花嫁の暗い顔の上に月光が落ちているのを、彼女の髪が枕の上に乱れ、彼女の胸が深い呼吸と共にもり上がるのを、私は見るのだ。そこで私は身をかがめて彼女の口に接吻するだろう。

母なる大地、貧しい、ないがしろにされた者よ、私の魂は今日、あなたを求めて泣き叫んでいる。私たちの最後の別れの時に流したあなたの悲しみの涙は、もうとっくに乾いている。しかし、私があなたの切なる腕の中へ戻ってゆく時、どんな喜びの涙がそこに湧きいでて歓迎の唄を作りだすだろう! そして母よ、その日からあなたの心臓はまた新しく慄えはじめるだろう――一度失われて見出された者を、またもや失うのではないかという怖れで。
・鳥の羽


子供が駆けこんできて叫んだ、「みてよ、お母さん、みてよ。あたし、こんなもの見つけたのよ!」
彼女の眼は微笑でかがやき、小さい赤いガラス玉の腕輪は喜んで手を拍(う)った時にチリチリと踊って鳴った。そして彼女は母親の頸に腕をまきつけて叫ぶ、「みてよ、お母さん、みてよ。あたし、こんなもの見つけたのよ!」
それは金と青の色をした鳥の羽である。それは子供の耳に、空と雲の、巣と雛の叫びの、曙の喜びと飛翔の希望の物語をささやく。子供はその羽で頬をなでて、夢中になって叫ぶ。
「みてよ、お母さん、みてよ。わたし、こんなものを見つけたのよ!」
母親はそれを見て吹きだしていう。
「おや、結構な宝物をみつけたこと!」そして羽を投げすてて忙しく家事にとりかかる。
子供は翼の折れた鳥そっくりに床にくずおれる。彼女の眼の中の微笑は消えてしまった。しばらくして彼女は起き上ると、その羽を拾った。その時から彼女の宝物は、母親の眼からさえ隠されたのだ。
・雨の午後


私は、とある雨の日のことを覚えている。黒雲が倦みつかれて一時雨を注ぐのを止めると、烈風がやってきて彼らを狂えるように鞭うった。
私は夕闇の中に坐っていた。心がどうしてもはたらこうとしない。物うく私は私の楽器をとり上げた。調べは雨と雨の音楽の響を持っていた。
彼女が自分の部屋から出てきて半開きの戸口に立った。それから引返して行ったが、しばらくするとまた戻ってきて、私のそばに坐った。そうしてうつむいたまま忙しげに針を動かしていたが、まもなく仕事を止めると、白い雲を背景にぼんやりと浮き出ている窓べの樹々を見つめた。
雨は止んだ。私の歌も止んだ。彼女は髪を梳(くしけず)るために立ち去った。
ただそれだけのことである――歌と風と雨でみたされた悲しい午後。歴史は王子と戦争について語っている、ありふれた故にかくも安っぽいさまざまの物語を。しかし、雨の午後のこの単純な物語は、地底の宝玉のように時の深みに隠れて残った。二人の人間だけがそれを知っている。
・お話をして!


子供はしゃべれるようになるが早いか、「お話をして!」と言う。
祖母ははじめる、「むかしむかし、一人の王子とそのお友達があったのだよ、お友達は大臣の息子でね――」
彼女は校長先生にさえぎられる。先生は言うのだ、「三と四をかけると十二だ」と。
ためを思う人たちは子供の耳にふきこみつづける、「三と四をかけると十二、それは事実だが、王子はつくり話だ。だから――」
だが、それは子供に感銘を与えることに失敗する。なぜなら彼の心は、王子が悪魔を仆(たお)した地図にない国へととんでいくが、どんな算術もそこへとんで行く翼をもたないから。
ためを思う人たちは頭をふって言う、「甘やかされている、まったく甘やかされている。笞(むち)だけが唯一の薬だ」と。
祖母は校長先生によって沈黙させられた。だが、他の話し手が代って現われる。話し手にはきりがない。ためを思う人たちはいたずらにくりかえす、「そんな話は歴史に記録されていない。だから嘘である」
小学校から中学校へ、中学から高等学校へと、少年をつくりかえようという試みが続く。しかし彼の要求「お話をして!」を止めることはできない。

世界のいたるところ、あらゆる家庭で、年々歳々お話がつみ重ねられる。書かれた形で、または口で語られて。そして人間のあらゆる他の遺産をしのぐ。
ためを思う人たちの決してはっきりと明らめようとしなかったことが一つある。お話をつくるということが創造主その人の道楽であったということ。この癖を創造主から追い出さぬかぎり、君らは人類からお話を追い出すことはできないのだ。
むかしむかし、そのいそがしい工房において、創造主は元素からものを創りはじめた。宇宙はその頃蒸気の塊まりだった。岩石や金属が一層一層とつみ重ねられた。もしも君がそのころの創造主を眺めたなら、君は彼の中に子供っぽい気持ちの痕跡すら見出さなかったろう。彼がそのころやったのはいわゆる「本質的」なことだった。
それから生命の端緒が来た。草が生え、樹が芽をふき、鳥や獣や魚がやって来た。ある者たちは地上を走りまわってその種属を殖やし、他の者たちは水面下にかくれた。
歳月がすぎた。遂にある日、創造主は人間をつくった。その時まで、彼は一部は科学者であり一部は建築家であった。今や彼は文学者となった。
彼は人間の魂をフィクションを通じて展開させはじめた。動物たちは、食い、眠り、彼らの子孫を育てた。しかし人間の生命は物語の材料を通して進んだ――情熱と情熱の、個人と社会の、精神と肉体の、願望と否定との衝突によって形造られる渦巻を通して。河が走り流れる水の流れであるように、人間は走り流れるフィクションの流れである。二人の人間が出あうとき、そこに不可避に起こるのは、「何かニュースはないか? それからどうなるのか?」という質問だ。返答は地球を覆う一つの網を織りなした。それは生命の物語であり、人間の真の歴史である。
歴史と物語は結合してわれらの世界をつくり出す。人間にとって、アショカ王やアクバル大帝の歴史が唯一の現実ではない。えがたい宝石を探して七つの大洋を越えた王子の物語も同じだけの真実をもつ。人間にとって、神話の姿は歴史の姿と同じだけ真実なのだ。要はどちらが一層信頼すべき事実であるかという点にはない、どちらが一層楽しいフィクションであるかということにある。
人間は芸術の制作物だ。彼の制作にあたっては、力点は機械的ないし倫理的な面にではなく、想像的な面に置かれてきた。人間のためを思う人々はこの真実を隠そうとする。しかし真実は燃え上がってその覆いを焼きつくす。とうとう困惑した校長と人間のためを思う人々は、倫理とフィクションの間に平和条約を結ばせようとする。しかし、両者が出あってもただお互いに切りあうだけであり、がらくたの山がそこに高く積みあがるだけのことである。
・幸福


今日は一点の雲なく、幸ある空は
友のように笑っている。胸に、顔に、眼の上に
やさしい微風がしずかに吹く。まるで眠っている天の花嫁の
見えざる裳裾(もすそ)がからだにふれるようだ。
わたしの小舟はおだやかなパドマの
平和な胸の上にうかび
さざめく水の上で揺れ、遠く
水から生まれた何かの生きものが寝そべって日を浴びているように
半ば水に沈んだ砂丘がきらめく。
崩れかけた高い崖、そして深い影を落として
黒々とした樹々と、かくれた小舎。
うねった細い小径がたえだえに
どこか遠い小舎から麦畑をぬけてきて
乾いた舌に水をひたしている。
村の女たちが喉まで水につかって着物をまわりにただよわせながら
甲高い声でおしゃべりしている
そのほがらかな高笑いがさざ波をめざまして
軽やかな波となってわたしの耳にとどく
頭をたれ、背を丸めてかがみこんだ一人の老漁夫が
日に向かって坐って網をあんでいる。一方、彼の息子は
つながれた舟のまわりを素裸になってはねまわっている
叫んでとび上がったり、歓喜の笑いをほとばしらせたりしながら。
少年の気まぐれな怒りが突発して
その愛らしい手が彼女を打つごとに
パドマは母親の忍耐でそれを受けとめている
わたしの小舟の前には両岸がなだらかに横たわり
青水晶のような美がひろがって行く
真昼の日ざしを浴びた水の上、陸の上、林の上に
多彩な一条のすじがたわむれ
あたたかい微風にまじるマンゴオの花の匂や
岸の樹立でものうくさえずる小鳥の声が流れてくる

今日、わが生命の川も
おだやかな流れをなして流れ、今こそ私は知る
幸福はいたって単純なものであると。
それはまるで花ひらいた春のつぼみ、
或いは嬰児の顔の笑いのように
あけっぱなしで寛闊(かんかつ)で、あらゆる場所を満たしている。
その熱心な唇は、子供の無言の信頼もて
陶然たる美酒の接吻を、誰の顔にでも
日ごと夜ごと押しあてるのだ!
その旋律は静謐(せいひつ)な大空をみたしてあふれる
世界の琴がたてる楽の音のよう。
おお、その音楽を
どのようなリズムの模様に織ったらよいのか
どのようにしたら誰にでも受けとれるものにしうるのか
また、どんな笑いさざめく言葉で花咲かせて
美しいみめかたちをとらせたら
いとしい人たちへの贈物にできるのか
どんな愛でそれを人生に行きわたらせることができるのか
このうちとけた喜び、かくもおだやかで、かくも優雅な恵みを
どのようにして捉え、どのようにして安全に人々の家庭にもたらしたらよいのか
もしせきこんだ熱意でつかんだなら
それは手の中で砕けてしまうのだ!
われらはそれが流れているのを見る、われらは遠い国までそれを追いかける
だが、もはやそれを語るべき言葉をわたしはもたぬ

今日――
私はあふれる魂とたしかな凝視とで
ほれぼれとあらゆる方角を眺めに眺める
そして思う――すみきった青空と
平和でおだやかな流れをまじろぎもせず見つめながら
幸福はいたって単純なものであると!
『選詩集』から B

・生命のたわむれ(ジバンデバータ)


私の存在の主よ、あなたの願いは私の中で充たされたでしょうか
日々は奉仕なしに、夜々は愛なしに過ぎ
花々は地に落ちて、あなたに献げられるべく集めることはありませんでした
あなたが自らかなでられた竪琴の糸はゆるみ、その調べは失われました
私はあなたの花園の蔭で眠りほけて、あなたの花に水をやるのを忘れてしまいました
時はもはや過ぎたのでしょうか、愛する人よ、私たちはもはや劇の結末に来たのでしょうか
では退場のベルを鳴らして、愛の甦(よみがえ)りのための朝を来さしてください
新しい生命の結びめを私たちのために結んでください
新たな結婚の絆(きずな)に中に。
・インドの祈り


御身はわれらに生命を与えた
この栄誉をわれらのあらゆる力と意志をもって支えよう
御身の栄光はわれらの栄光の上にかかっているのだから
それゆえわれらは御身の名において、われらの魂の上に軍旗を立てようとする権力に反対する
隷従の屈辱をうけている胸の中では、御身の光も暗くなることを
生命はそれが弱くなる時は女々しくも御身の冠をにせ者の手にゆだねることを銘記しよう
なぜなら弱さはわれらの魂を欺く裏切り者だから。
快楽がわれらを奴隷にするところでは、快楽に抵抗する力を与えたまえ
われらの悲しみを、夏がその真昼の太陽を高くかかげるように、御身の許までさし出すべく
われらの礼拝が愛の中に花ひらき、仕事の中に実るよう、われらを強くなしたまえ
われらが弱きもの倒れたものを傷つけることなく
周囲の万物ががらくたを求めていようとも、われらがわれらの愛を高く持しうるよう、われらを強くなしたまえ
彼らは自愛のために戦って殺す、それに御身の名を与えながら
彼らは飢のために戦うが、その飢は兄弟の肉をくらって肥えふとる飢えである
彼らは御身の怒りにそむいて戦って、そうして死ぬ。
しかしわれらには、しっかりと立って力づよく苦悩せしめよ
真理の、善の、人間の中なる永遠なるもののために。
心と心との結合の中にある御身の王国のため
魂のものなる自由のために。
・おお、私の子供、赤ん坊のシバよ


おお、私の子供、赤ん坊のシバよ
われを忘れた
お前の荒々しい踊りの一足ごとに事物はよろめき、転倒する
お前の集めたものは投げちらされ
破壊の旋風が
お前の踏みにじった玩具の埃(ほこり)を空にひろげる
荒廃から出て荒廃へと
お前の世界はその解放を見出す
お前のもてあそびものたちの断たれた縛(いま)しめをぬけて
お前の戯れの川は永遠に流れる
貧困の中でも楽しみながら
お前は些末なものでお前の世界を創造する
つぎの瞬間には単なる気まぐれで
それを忘れ去るために
お前は大空をお前の衣裳として
四肢からすべての覆いを投げとばしてしまう
お前の富をお前の存在の中に隠して
お前はあらゆる恥辱や見せ物をさらけだした世界に住み
ただ自分のことだけを考えているが
欠乏も決してお前を貧しくせず
塵芥も決してお前の純潔を汚しはしない
お前の踊りのすみやかさが
お前から永遠に埃をはらって純白にしているのだ。
おお、シバ、赤ん坊よ
お前の踊りの弟子である私を
お前の崇拝者だと知って
無関心の知恵
玩具をこわす遊びを教えてくれ
どうやったら私は私の足どりをお前のそれのリズムに合わせることができるのか
自分自身の織った蜘蛛の網を投げすてて
どうやったら自由に動けるのか。
・私は母を思いだすことができない


私は母を思いだすことができない
ただ時どき私の奏楽のただ中に、一つの調べが私の楽器から立ちのぼるが、それは彼女が私の揺藍をゆすりながらいつも口ずさんでいた歌の調べである

私は母を思いだすことができない
しかし、秋の朝はやく、シウリの花の香が空に漂うとき
お堂の中での朝の礼拝の匂いが、私には母の匂いのように思われる

私は母を思いだすことができない
ただ私の寝室の窓から遠い空の青に眼をはなつとき
私は私の顔を見つめる母の静けさが、空いっぱいに広がっているのを感じる。
・清澄の人、仏陀に


今日の世界は無我夢中の憎悪で荒れくるっています
争闘は残忍で苦痛は止む時がありません
道はねじ曲がり、貧婪の絆はからみあっています
おお、無窮の生命をもつおんみよ
あらゆる生命はおんみの新しい誕生を待ちこがれています
おんみの永遠の希望の声をあげて彼らを救い
その尽きざる蜜の宝をもつ愛の蓮(はちす)を
おんみの光の中に花咲かしてください

おお、清澄の人、おお、自由なる人よ
おんみの測りしれぬ慈悲と善の中に
この大地の胸から出てくるすべての暗いしみを拭い去って下さい

おんみ、不死の贈物の与え手よ
われらに断念の力を与えて
われらの誇りをわれらから取去って下さい
新しい知恵の曙の荘厳の中に
盲者をしてその視力をえさせ
死んだ魂に生命を甦らせて下さい

おお、清澄の人、おお、自由なる人
おんみの測り知れぬ慈悲と善の中に
この地上の胸から出るすべての暗いしみを拭い去ってください

人間の胸は不安の熱病で
自我追求の毒で
限りを知らない渇きで苦悩しています
いたるところの国々はその額に
憎しみの赤い血の刻印をぎらつかしています
おんみの右手でそれに触れて
彼らの心を一つにし
彼らの生命に調和をもたらし
美のリズムを与えて下さい

おお、清澄の人、おお、自由なる人よ
おんみの測り知れぬ慈悲と善の中に
この大地の胸から出るすべての暗いしみを拭い去ってください
・上の方の空では


上の方の空では、科学で照明されて
夜は自分自身を忘れている
地上の暗がりでは
痩せさらばえた飢えと慢心した貪欲とが
大地がためにふるえはじめたほど
互いにぶつかりあい
勝利の柱たちが
不吉に軋みながら
口をあけた深淵のふちで揺れている

恐怖の叫びをあげたり
怒って神を審(さば)いたりするな
ふくらんでくる悪をして苦痛ではじけて
蓄積された汚物を嘔きださせよ。
・困惑している人類の歴史をつきぬけて


困惑している人類の歴史をつきぬけて
破壊の盲目な憤怒が突進してくる
文明の高塔は粉々になって砕け落ち
倫理的なニヒリズムの混沌の中で
何代もの犠牲者によって英雄的に獲得された人類の至宝が
強盗どもの足に踏みにじられる

若い国民よ、来たって
自由のための戦いを宣し
不屈の信念の旗をかかげよ
きみの生命もて
憎悪にひき裂かれた大地の深淵に橋をかけて
進み出でよ

君の頭で侮辱の重荷を運ぶべく屈服するな
恐怖に駆られて。
そして君の辱められた人間性のために隠れ家をたてるべく
虚偽と狡智をもって塹壕を掘るな
君自身を庇(かば)うために
弱き者を強者の犠牲にするな

(第二次大戦を前にカナダ国民に訴えて、一九三八年五月、オッタワ放送局から放送されたもの)
・彼らの支配者の名において


彼らの支配者の名において
あの人をかつて打った者たちが
現在の世にまた生まれている

彼らは信心ぶかげな衣裳をまとって
彼らの礼拝堂につどい
彼らの兵士たちを呼びあつめて
「殺すのだ、殺すのだ」と叫ぶ
彼らの怒声に賛美歌の音楽がまじる
その間に人の子は苦悩の中で祈る、「おお、神よ、この上なく苦い毒をみたしたこの杯を遠く投げ捨てたまえ」
・この偉大な宇宙の中に


この偉大な宇宙の中に
巨大な苦痛の車輪が廻っている
星や遊星は砕け去り
白熱した砂塵の火花が遠く投げとばされて
すさまじい速力でとびちる
元初の網の目に
実在の苦悩を包みながら。
苦痛の武器庫の中では
意識の領野(りょうや)の上に広がって、赤熱した
責苦の道具が鳴りどよめき
血を流しつつ傷口が大きく口をあける
人間の身体は小さいが
彼の苦しむ力はいかにはてしないか
創造と混沌の大道において
いかなる目標に向かって、彼はおのれの火の飲物の杯をあげるのか
奇怪な神々の祝宴で
彼らの巨大な力に飲みこまれながら――おお、なぜに
彼の粘土のからだをみたして
狂乱した赤い涙の潮が突進するのか?
それぞれの瞬間に向かって、彼はその不屈の意志から
かぎりない価値を運んでゆく
人間の自己犠牲のささげもの
燃えるような彼の肉体的苦悩――
太陽や星のあらゆる火のようなささげものの中でも
何ものがこれにくらべられようか?
かかる敗北を知らぬ剛勇の富
恐れを知らぬ堅忍
死への無頓着――
何百となく
足の下に燃えさしを踏みつけ
悲しみのはてまで行く、このような勝利の行進――
どこにこのような、名もなき、光り輝く追求
路から路へと辿(たど)る共々の巡礼があろうか?
火成岩をつき破るこのように清らかな奉仕の水
このようにはてしない愛の貯えがあろうか?
・私は祝福を受けた、この人生で


私は祝福を受けた、この人生で
美神から。
人間の愛情の容器から、私は味わった
彼自身の聖なる神酒を
荷(にな)う困難な悲しみも
私に示しただけだった、傷つけられず
征服されざる魂を
さし迫った死の影を感じた日も
恐怖ゆえの敗北は私のものではなかった
地上の偉大なものたちは
その手を私から取りのけなかった
彼らの不死の言葉は
私の胸に貯えられている
私は恩寵を生命の神から受けたのだ
私をしてこの記憶を
喜ばしい言葉に残さしめよ。
・私の誕生日の器の中に


私の誕生日の器の中に
多くの巡礼行から、私は思いだす
聖なる水をあつめたのを。
あるとき私は、シナの国へ行った
私のあったこともない人々が
友情のしるしを私の額につけて
私を彼ら自身のものと呼んでくれた
旅人の衣裳は知らぬまに私からぬけ落ち
永遠の内なる人が現われて
予期されなかった
喜ばしい友情を開示した
私はシナ人の名前を名のり、シナの衣裳をつけた
私はこのことを心で知っている――
私が友を見いだす時に、私は新しく生まれるのであり
友は人生の奇蹟をもたらすことを。
異国の野には未知の花が咲く
彼らの名前は奇異で、異国の土地が彼らの母国である
しかも魂の喜ばしい領土では
血縁者なる彼らは妨げられざる歓待を見出すのだ。
・原初の日の太陽が


原初の日の太陽が
たずねた
存在の新しい開示に向かって――
お前は誰か?
返事はなかった。
一年は一年とすぎて
最後の日の太陽が
最後の問いを投げる
西の海の渚で
沈黙した夕陽の中に――
お前は誰か?
返事はない。
・目の前には平和の大洋が
――死にのぞんでの告別の歌


目の前には平和の大洋が横たわっている
船出せよ、舵とりよ
お前は永遠の伴侶となるのだ
おお、彼をお前の膝の上に抱きあげよ
無限者の小径にあって
北極星は輝くだろう
自由の賦与者よ、御身の宥(ゆる)し、御身の慈悲こそ
永遠の旅路にあって
つきざる富。
願わくは肉の絆がほろび
大いなる宇宙が彼をその腕に抱かれんことを。
しかして彼が、恐れなき心もて
偉大なる未知者をしらんことを。
(完)
タゴール小伝


タゴールはいうまでもなく東洋でただ一人ノーベル文学賞をもらった大詩人であるばかりでなく、不安と混迷に陥りがちな近代作家の中にあって、至醇の統一と調和を実現した稀にみる全一的人間だ。詩聖という呼び名はたしかに彼にふさわしい。
私は少年時代からこの人の作に親しんできて、その詩集を編むのもこれで三度目になる。最初は昭和十八年で、まだ戦争中のことだった。大東亜共栄圏などというお体裁のいいかけ声の蔭に、いかにも非人道的な侵略戦争がおし進められていくのにいささかでも抵抗するつもりで、私は同じアジアの生んだこの愛と人道の詩人の仕事を、あらためて紹介することにしたのであった。河出書房ににいたM君が、当時はほとんど忘れ去られ無視されていたこの敵性国詩人の詩集をあえて引受けて、出版の運びにまで持ちこんでくれたが、一二の詩篇は、当時のきびしい検閲のためにカットしなければならなかったのを思いだす。
二番目は、昭和三十二年に出した角川文庫版だ。前者の大半にその後手を入れた「白鳥」などの詩集や、タゴール没後に出た「選詩集」からの数篇を補い、詩人が最初に日本を訪れた時に東京帝大でした講演「日本へのメッセージ」を添えたものだった。これは幸いに歓迎されて、いまでもまだ屡々版を重ねている。
今度の新編「タゴール」詩集は、前の二つの詩集から代表的な作を大半拾うと共に、これまで未紹介だった詩をできるだけ多く収録することにした。幸いにぺージに余裕があったため、ほぼ予定通りの編集ができた。ことに、とかく従来は単に甘美な抒情詩人ととられがちだったタゴールの、熱烈な愛国者ないしヒューマニストとしての面を伺わせる詩篇を、わりと数多く収めえたことは、きっと読者にも喜んでもらえるのではないかと思う。そんなわけで、従来のタゴール詩集とは、かなりちがった趣を呈している筈である。今後また手がけることがないとはかぎらないが、当分のところは、これを私のタゴール訳詩集の定本と見ていただいてよい。


タゴール家は紀元八世紀に西方から移ってきたえらいバラモンのダクシャという人の子孫だといい、ベンガル屈指の名家として知られる。ところでヒンズー社会最高の身分であるバラモンに属しながら、タゴール家にはカスト性にそうこだわらぬ融通性と進取の気象があったようだ。インドに回教帝国が成立すると、回教徒の女と結婚して政府の役人となった人などがいる。おかげで正統バラモンとしての地位を失って、いわゆるピリリ・バラモンというものになったが、その地位は保つことができた。やがて英仏の勢力がベンガル地方に浸潤すると、詩人の曾祖父くらいにあたるパンチャナン・クシャリという人が、ガンジス河畔に移って外国船に食糧などを供給する仕事をはじめた。こういうことは誇りの高いバラモンは、普通はしないことなのだ。河畔に住むのは貧しい身分の低い人ばかりだったから、バラモンでのパンチャナンは大いに尊敬されて、パンチャナン・タクールと呼ばれた。タクールは「神」の意というが、日本風にいえばまず「殿様」或いは「旦那」くらいの意味あいで使われるのではないか。ところが、外国人にはインド人の姓名などはよくわからない。パンチャナン旦那のことを「タクール、タクール」と村人が呼ぶのをきいて、それを彼の姓だと思いこみ、彼のことを「ミスター・タクール」と呼びだした。それがさらになまってタゴールと発音されるようになった。これがタゴールという姓の始まりだとか。
そんな姓の起りはどうでもいいが、とにかくタゴール家にはそんな風で、古来ヒンズー教の伝統の他に、回教がまじり、いままたキリスト教との接触が生じた。そればかりか、国際資本主義の潮にふれて、タゴール家はこれを積極的に受容れ、その潮にうまく乗ったわけだ。外国との貿易が盛んになるにつれ、河畔の貧しい村はたちまち大カルカッタ市に成長してゆき、それと共にタゴール家もインド屈指の大財閥になっていく。
詩人の祖父ドワルカナートの時代が、タゴール家の全盛期だったようで、大きな藍工場や炭礦をもち、商船隊をもっていて、砂糖、茶、硝石などの貿易を大がかりに行った。インド最初の近代的銀行であるユニオン・バンクを設立し、英人と共同で「カー・タゴール商会」を経営する一方では、ベンガル州からオリッサ州にわたって広大な土地をもつ大地主だった。インド最古最大の図書館であるカルカッタの国立図書館の前には、創立者としての彼の記念碑が立っている。ほかに、ヒンズー大学、医科大学と病院、東洋研究のメッカと目されたアジア協会の創立なども、彼の力にまつことが多かった。当時はヒンズー教徒が外国へ行くことはタブーだったが、彼はそんなことにはかまわず二度も外遊して、ビクトリア女王やルイ・フィリップに会見、インドのプリンスとして待遇された。一八六四年八月、帰国を前にロンドンで謎めいた急死をしたが、とにかく豪気な伝説的人物であった。
ところでタゴール家の生活は、外面的にはこれほど派手にヨーロッパ化したものとなりながら、内的にはまだまったく昔ながらのヒンズー教徒としての枠の中にあったようで、その矛盾が息子のデベンドラナートを苦しめたらしい。彼は早くから人生の空虚を感じて、ひたすら唯一の神と、真実の智慧を求め、ウパニシャドなどの古典研究に心を傾けた。一八三九年には友人らと「真知会」を作ったが、これが近代インドの暁の明星というべきラムモハン・ロイの設立した協会と一八四二年に合同して、有名なブラーモ・サマジ(梵教会)となり、ラムモハン・ロイなき後はデベンドラナートがその中心となって、インド人の心を清め高めるこの運動に献身、「大聖(マハクシ)」として一世に仰がれるにいたるのである。その間に父の死によって商会は破産したが、彼はよく整理につとめて残りなく借財を支払ったという。商売からはいさぎよく手をひいたが、決して単なる隠者的宗教家ではなく、むしろ生の喜びを克明に受容し、自然の美と神秘の中に神を見る汎神論の徒だったようだ。鋭い頭と勤勉な手をもつ実際家でもあった。
われらの詩人ラビンドラナートは、こういう家で、こういう人を父にして、その第十四子として一八六一年五月七日に生まれた。その後もう一人生まれた子は早世したので、彼は末子として多分に甘やかされて育った。
そのためか、幾度も学校をかえてみたが、小学校も中学も、後にはイギリスに二回も遊学したが、いずれも卒業にいたらず、一枚も免状がもらえなかった。これは当時のインドのような植民地では、大変に不利なことであったという。しかし、彼には鞭をもった教師の監督下に狭苦しい教室でキチンキチンと授業を受けるような学校生活は、どうしても親しめなかったのだ。このことが、やがて自分の子供の教育を考えねばならぬようになると、彼に新しい教育法と学校を真剣に考えさせることになる。彼は昔のインドで隠者をかこんで行われた「森の学校」を思いだして、父親の別荘のあったシャンチニケタンに行き、そこの広々とした野天の下で、息子をふくめた五人の生徒を相手に、自分で理想の教育を施してみる。のちにノーベル賞を受けると、その賞金をすべてをつぎこんで、これを国際大学に育て上げるべく努力する。これが今日のヴィスバ・バーラテイ大学の起こりである。
少年タゴールで一番目につくことは、彼が何よりも自然を深く愛したこと、そしてその喜びがおのずとリズムをもつ詩となって、唇をついて溢れでたことだ。
はじめて学校へ行ってアルファベットを教わり、いよいよ本文にはいったとたんに、「雨はぱらぱら、風はざわざわ」といった文句にぶつかった。少年タゴールは、全身をふしぎな戦慄がつらぬくのを感じた。そんな簡単なリズムをもっただけの詩ともいえない語句だったけれど、これが彼にとっては最初の詩だった。
「その日の喜びを思いだすごとに、私は今でも、なぜに詩にリズムが必要であるかを理解する。それがあればこそ、言葉は終わることができて、しかも終わらないのだ。音は止むが、響は消えない。耳と心とは、リズムを互いに投げあう遊戯を、いつまでも続けることができる。こうして一生の間、私の意識の中で雨はぱらぱらと打ち、木の葉はざわざわと慄えるのである」
と、彼は後に書いた「回想」の中で回想している。まことに生まれながらの詩人だったと言えよう。
ジヨラサンコ街の彼の家は、三階建てで表側には広いベランダをもった広壮な建物だ。屋敷内は広く、池があり、大きな榕樹(バンヤン)やヤシの木もあり、いつでも何か未知のものを隠していた。少年は毎日目がさめるとすぐ庭にとび出していって、朝露をふみながらこの神秘な国を探検した。いまにもそこらから美しい妖精が出てきて、手をさしのべて笑いかける気がした。この自然への愛は、父に伴われてヒマラヤに遊んだり、ガンジス河の悠々たる流れに舟を浮かべたりしたことで、いよいよ深く彼の中に根をおろした。
年上の従兄におだてられて、はじめて詩を書いてみたのは、八歳の時だった。やってみると、十四聨の詩がやすやすとできた。少年は自分も詩が作れることに夢中になり、次から次へと詩を書いて、たちまち一冊の青い手帖を埋めてしまった。タゴール家では、家族の間だけで回覧する雑誌を出していたが、この少年詩人の作は、やがてその雑誌にのるようになった。
当時のベンガル州は一種のルネサンスを迎えて、文学に絵に音楽に、さては政治や宗教の領野にも、若々しい活気がみなぎっていた。タゴール家はその中心だった。長兄のドヴイジエンドラは巨人的な才能をもった人物で、哲学者であり、数学者で、ピアノをひき、詩でもベンガル文学の古典に数えられる「夢の旅」などを書いている。次兄のサチェンドラはサンスクリット学者として知られ、多くの翻訳をした。またインド人として始めて政府の高官になり、イギリス人のインド支配にくさびを打ちこんだ。彼が若い妻を伴ってイギリスに行き、帰国するとヴェールをぬいだ彼女を馬車でカルカッタ市内を散歩させたことは因習的なインド社会ではセンセイションを起こした。その家庭は学者や文士の集まる新しいサロンになった。夫人はやがてインド最初の児童雑誌「バカラ」(白鳥)を創刊し、若い詩人はそれの最も熱心な執筆者になる。三兄、四兄も相当の人物だったようだが、次のジョティリンドラは長兄に劣らぬ才人で、作曲に音楽に詩に劇に天才を見せた。また熱烈な愛国者として啓蒙運動を盛りあげ、さらに英人の独占に抗するために船を作って貿易に乗りだすなど、ベンガル・ルネサンスの花形だった。彼の若い妻カダムバリとタゴールとの関係もすこぶる注目される。彼女は十四歳で母を失った少年詩人の守護天使だったが、年齢も近かったため、互いに馴れ親しむうち、どうやら詩人から熱烈な愛をささげられたようだ。彼がイギリス留学から帰ってまもなく書いた詩劇「破れた心」は彼女への悲恋にもとづくらしく、また詩人を美と神秘の世界に開眼させて成熟期への出発点となった詩「滝への目ざめ」は、おそらくはこの兄嫁と共にした旅の歓喜から迸り出たかと思われる。そして彼女はこの義弟の結婚直前に謎めいた自殺をしている。これはタゴールの生涯中で最も謎に包まれた一章だ。
一八七五年に、これらの兄弟が雑誌「バーラテイ」を創刊し、十四歳の少年詩人もその同人として詩や評論を発表しだす。まもなく十一歳から十五歳にかけて書いた詩を集めた「野の花」を出して、「ベンガルのシェリイ」と呼ばれる。シェリイ、キーツ、ブラウニング、クリスチナ・ロゼッテイ、またハイネやゲエテが彼の愛誦するところだったといわれる。当時の彼は、一口に言えば恵まれた環境に育って甘やかな憂愁にひたっていた幼い浪漫詩人ということになろうが、それでもイギリス統治下で悲惨な生活を強いられていた祖国の運命に対する憤りが、やはりその胸底に燃えていたことは注意されねばならない。彼は後に「インド国民会議」に発展する「ヒンズー・メラ」の会合で、当時の総督リットン卿の催した豪華な祝宴と対比して貧しい同胞の姿を描いた詩を朗読したり、カルカッタ医学校の学生を前に、「シナにおける死の商人」という講演をして、イギリスの阿片政策をはげしく攻撃したりしたという。
八三年結婚、九〇年に再度渡英、翌年はベンガル州からオリッサ州にわたる広大な所有地の管理を父に命じられてシェリダに行き、以後この地で数年を過ごす。若い詩人は帆船にのってパドマ(この地方でのガンジスの呼名)を上下して領地を見廻り、大自然にふれると共に、くわしく農村の悲惨な状態にふれて深い同情に駆られた。彼は少しでも農民の生活を改良し向上させるために、互助組合を組織し、学校や病院や精米所をつくり、農業技術や農機具を導入して奮闘する。これは詩人のただ一時の気まぐれではなかった。息子ラティが成長すると、彼は当時の上流階級がすべて息子をオックスフォードやケンブリッジに入学させたのに反し、アメリカのイリノイ大学に送って農業を専攻させる。やがてシャンチニケタンで教育の仕事に打込むようになると、息子をよびよせて隣接するシェリニケタンに農業研究所を開く。
「どうか農民たちに、自分の土地や畑の境界や、どこでも可能な場所に、パイナップル、バナナ、ナツメヤシその他の果樹を植えるように励ましてくれ。パイナップルの葉からは強い繊維がとれるだろう。タピオカは垣根に植えられるだろう。小作人にはその根から食糧をとる方法を教える必要がある。また馬鈴薯の栽培を学んだら、きっと彼らは利するにちがいない。それから、事務所にトウモロコシの種があるから、それを蒔かしてごらん」云々。
その頃、旅先からシュリニケタンにいる息子にあてた手紙だ。詩人の空想の無邪気さを笑えるだろうか。
一方でこの期の彼は、雑誌「サダナ」や「ベンガル評論」を出して、詩や小説や劇を書き、しきりに社会問題を論じた。中期の代表詩集「チトラ」や、鋭い社会批判を迸らした新詩集「クシャニカ」を出し、小説の名作「カブールから来た行商人」その他ができ、少し遅れては新しいインドの目ざめとその諸困難を正面から扱った長編「ゴーラ」(一九〇一)も成った。前に述べたシャンチニケタンの野外学校もその年末には始められた。甘美な愛と美の世界に没頭していたような詩人は、いまや人生の真只中に進み出ていた。作家として批評家として、農村改革者として人生の教師として、彼は社会の激動の中にいた。その時に突然、彼の最愛の伴侶であった妻が死に、続いて鐘愛する次女レヌカが、引続いてまた父が死んだ。当時のタゴールの動静を見ると、どんなに彼の気持ちが大きく深く揺さぶられていたかがわかる。本集に収めてある「あなたはただの絵姿なのか」「亡くなってあなたは私の生命のうちに」などは、妻の死後すべてを捨ててヒマラヤの山中にとじこもって彼女の追想に身をささげた時の詩であり、「新月」中の「臨終」には、娘の死の体験があるという。また偉大な宗教的指導者だった父親の死は、新しいインドの精神が、急激に宗教の枠をこえて政治的社会的運動へと溢れ出してゆく契機をなしたようだ。
折しも、一九〇五年、イギリス政府はベンガル分割政策を発表した。タゴールは反対派の急先鋒として立ち上がり、村々を廻って村落委員会や愛国団体を設立、またこの運動に参加して学校を追われた学生たちのために国民教育委員会を設立するなど、他の誰よりもこの運動に大きな貢献をしたという。しかし、澎湃として起こってきた民族の自覚を、単に熱狂的な愛国主義や敵への憎悪をつきぬけて、真の民族回生を実現すべき倫理性をもつものにまで高めようとする彼の意図は、とかく政治運動に伴う醜い党派争いや、ずる賢い取引や妥協のために無残に裏切られた。幻滅した彼は、自分が先頭に立ってすすめてきた運動を早くも一九〇七年には見捨てて、シャンチニケタンに引返し、宗教的瞑想と教育活動とに専念するようになる。そのために彼は多くの非難をあびた。しかし、彼はもともと詩人であって政治家ではないのだ。このことは、のちにガンジイを中心に非協同運動がまき起こった時にも見られた現象で、深く相許しながらも、二人の考えの差はどうにも埋まりきらず、タゴールは再度熱心にインド独立のために奔走しながら、最後にはやはり戦線をガンジイに委ねてシャンチニケタンに引籠もる。しかし、

われらの国の大地と水を、空と果物を、甘美にして下さい、神よ!
われらの国の家庭と市場を、森と畑を、豊かにして下さい、神よ!
われらの民の約束と希望を、行為と言葉を、真実にして下さい、神よ!
われらの民族の息子と娘の生命と心情を、一つにして下さい、神よ!

その他の美しい詩が、こういう彼の政治社会活動から生まれたのだ。これらは彼の政治運動におけるすべての非力や失敗を償ってあまりある、彼の母国への、さらには全人類にとっての、かけがえのない贈与であろう。
政治的活動から退いてシャンチニケタンに引き籠もった彼には、より沈静した深い詩境が徐々に開ける。「踏切り」はその過渡を示す詩集であり、「ギタンジャリ」はその完成だ。
そして、自分で英訳したこの一巻の薄い詩集「ギタンジャリ」で、彼はたちまちにノーベル文学賞を授与される。一夜、インドに遊んだことのある画家ローセンスタインの家で、イェーツ、エズラ・パウンド、メイ・シンクレア、C・F・アンドリューズらのえりぬきの数人が、手帖に書かれた彼の英訳詩稿を読んでどんなに驚嘆したか、そしてそれがイェーツの序文を附して出版されてどんなに世界を驚かし――フランスではジイドがさっそく訳して出版した――たちまちノーベル賞委員会の目にとまって、はげしい論争の末に、他の候補作品を却けて受賞するにいたったかの経緯は、もう枚数がないので略すしかないが、選考委員の一人ヘイデンスタムの言葉だけは引いておきたい。
「私はこの二十年かそれ以上もの間、これらに匹敵するようないかなる詩も読んだことがない。それらは新鮮澄明な泉の水を飲むに似ていた。彼のあらゆる感情と思想をひたしている愛情にあふれた強い敬虔さ、心情の清らかさ、スタイルの高貴で自然なけだかさ――そのすべてが結合してたぐいまれな深い美をもつ一全体を作りだしている。もしノーベル賞に値するような諸性質をもつ詩人があるとすれば、それこそ彼である。……われわれは遂に、真に偉大な姿をもつ理想的詩人を見出したのである」
さすがに後に自分でもノーベル賞をもらった詩人の推薦の辞は、よくタゴールの人と作品の本質を的確に捉えていると思う。
ノーベル文学賞受賞は、もはや五十歳に達して、シャンチニケタンの村内に退き、しずかに若い世代の教育と、梵我一如の瞑想に身をささげることを願っていた詩人を、世界の舞台の只中に引出した。第一次大戦前後の動乱と混迷の中にいた世界は、争ってこの東方の詩聖のしずかな福音に聴こうとしたのだ。彼は英米に、フランスにドイツにイタリイに、またチェッコに南米に中国に、さてはソ連へと、旅から旅へと寧日ない日を送ることになる。その銀鈴を振るようなと形容された美しい声で自作の詩を朗読したり、自我のあくなき欲求と機械文明の貪婪さに悲劇的な人間性抹殺に陥っている西洋文明を鋭く批判したり、東方のしずかな智慧を説くことで、世界を魅惑した。ソ連では、社会主義的建設のめざましさと、ことに児童教育への熱意に賛嘆の辞をおしまなかった。彼は東と西のかけ橋となり、愛と平和の福音を伝えることを、自己の使命と見なしたのだ。この期の彼の主な仕事は講演と評論にあったというべく、「生の実現」「ナショナリズム」「人間の宗教」などがその主著であろう。その間にもちろんあらゆる民族や階級の差をこえて、最善のものを互いに学びまた交換する場所としてのヴィスバ・バーラテイ大学の計画が、万難を排して実行に移された。日本にも、一九一六年を最初として前後三回訪れて、岡倉天心、横山大観、野口米次郎らと親交を呈し、国民の勤勉と繊細な感受性に深い親愛と敬意を寄せたが、日露戦争後ことに露骨となった侵略的ナショナリズムの風潮には鋭く反撥して、鋭い警告を発することを辞さなかった。このことが、最初に熱狂をもってこの詩人を迎えた日本の当局者をして、次第に彼を敬遠させることになり、やがて大陸に日本が兵を進めるにいたって、タゴールのきびしい論難を招く。彼の著書はほとんど日本で禁断の書となる。ファシズム思潮の抬頭と、第二次大戦の勃発は、愛と平和に生涯をささげたこの詩人をいたく苦悩させ、ついに老齢の彼を打ち倒す。
四〇年十一月からは、彼は大方を病床で送った。彼は静かにその多事だった長い生涯を顧みることをえて、そこに多くの悲しみと迷いがあったとしても、結局それが豊かに祝福されたものであったのを見た。彼は怖れも悔いもなしに、静かに自分の死を待ちうける気持ちになった。そんな彼の内部から、再び詩の泉が湧き出るのを感じた。彼はそれらの詩を書きとめては、また自分で英訳してみるのを楽しみとした。「選詩集」Bに収めたのが、それらの詩の一部である。(Aの方は、古く書かれたけれど、まだ英訳がなかったもの)翌年四月には満八十歳を迎えて、人類への遺書というべき「文明の危機」の小論も書いている。七月末には病が重くなってカルカッタの病院に移され、同三十日、最後の手段として手術を試みることになり、その前に最後の詩を作ったが、もはや自分で書きとめる力がなく、口述した。手術は失敗ではなかったが、衰弱していた詩人はついに意識を回復せず、八月七日正午、息を引きとった。
一九四七年、インドが久しく念願していた独立を達成すると、国民はタゴールをガンジイと並べて新興インドの師父とし、その詩の一篇を国歌として択んだ。彼の創立したヴィスバ・バーラテイ大学は国立に移され、ラダクリシュナン、ネールらが総裁をつとめて今日にいたっている。


タゴールの詩そのものについては、あまり触れてこなかった。しかし、それは大変素直なやさしい詩で、その無比の美しさを理解するには、ただ手にとって読んでみればいい種類のものだから、ここであらためて解説する必要はないだろう。ヘイデンスタムがいったように「新鮮澄明な泉の水を飲む」ような味の詩なのだ。そのことは決してそれらがただ平凡で無味な、つまらない詩だというのではない。むしろ、味わいつくせぬ滋味をもった、最高の詩ということであろう。
ただ、原詩はベンガル語で書いているのに、私のよったのは英訳(一部は仏訳)であり、そこに問題がある。ベンガルの原詩にくらべれば、作者自身が訳したものであっても、味わいの大半は失われるかも知れない。しかし、ベンガル語の読めない訳者の負けおしみだけでなく、タゴールが英訳にあたってたいていの詩を短く刈こんでいることが、原詩の流麗な修辞の幾分を失わせたにしても、却って作を引きしめて、詩の感銘をずっと鮮明簡潔にしている場合が多いように思われる。いったいにインドの詩は多弁と修辞過多の弊があるが、それがそういう措置によって防がれているのだ。思うに、日本の読者にとっては、ベンガル原典から訳したものよりも、タゴール自身の英訳によるものの方が、親しみやすいのではないか。つまり、それらの詩はベンガル原詩の英訳というよりも、タゴール原作の英詩と見るべきで、それからの訳を重訳であるから価値が乏しいとするのは、必ずしもあたらないのだ。
本書に収めた詩について言えば、ベンガル原典からの忠実な訳である「白鳥」(カリダス・ナグとピェール・ジャン・ジューブによる仏訳)と「黄金の舟」(バーバニ・バッタチャルヤによる英訳)の諸篇を除き、すべては、作者自身の英訳によった。両者を比較するだけでも、上記のことはある程度言えると思う。もちろん、かく言うことは、ベンガル原詩からの訳を不要とするのではない。今後のタゴール氏の紹介と研究が、ベンガル原典を中心にすべきは、言うまでもないことだ。
収録した詩は、およそ制作年次順に配列したつもりだが、正確な年次のわからぬものが多く、だいたいの目安にとどまる。「園丁」はマクミラン社から一九一二年に出たが、初期の甘美な浪漫詩を多く集めている。「選詩集」は詩人のなくなった翌年ヴイスバ・バーラテイから出た本で、初期から死の直前までの作で欧米に未訳の詩を集めている。これをAとBに分け、Aの部分に収めたのは第一次欧州大戦前後までの作。「新月」は一九一三年に出たが、幼児詩集と副題されて、子供になり代わって歌った詩や、自分の少年時代を回想した詩やらを集めている。東洋ではおそらく最初の童謡集であろう。これらの詩は、かなり長い期間にわたって書かれたものらしい。「愛人の贈り物」と「踏切り」は合冊として一九一八年に出た。文中でふれたように、一九〇二年に愛妻を失ったことを契機に「ギタンジャリ」の宗教詩風へ移ろうとしている過渡期をあらわす集と思われる。「ギタンジャリ」については上術の通り。但し、一九一〇年に出たベンガル原本とは収録詩にかなりの異同がある。短編集「迷える鳥」は一九一六年版、同「蛍」は一九二八年。(「蛍」は清水茂君の秘蔵本を拝借して訳すことができた)これらには日本で作られたものもかなり含まれている。俳句の影響もあるかも知れない。たとえば、

彼らは憎み、また殺す、そうして人々は彼らをたたえる。
しかし神は赤面してその記憶をいそいで青草の下にかくす。

は箱根で曾我兄弟の墓を見せられ、その由来をきいた時にできた。「白鳥」は一九二三年刊、これは従来のタゴール詩集と異なり同題のベンガル語詩集を逐字的に完訳したもの。「収穫祭」(果実あつめ)は一九一六年の版だが、「園丁」や「ギタンジャリ」にもれた詩を集めたといった性質の集らしく、若々しい詩があるかと思うと、老成した詩があって、やや統一を欠いている。「捉えがたきもの」(一九二一)はさらにそれが甚だしく、インドの民間歌謡の訳などもまじっている。これは「拾遺集」とすべきだったかと思う。「黄金の舟」は一九三二年版。同題のベンガル語詩集が一八九四年に出ているが、これは同書の若干篇をおそらく含むであろうが、完訳ではなく、あちこちの集から取った選詩集らしい。散文的な長い詩が多い。最後の「選詩集」Bは、同Aに続いて、最晩年の作。最後から二番目の作は四一年七月二十七日に書かれた。最後においた「目の前には平和の大洋が」は、早く一九三九年十二月に書かれたが、タゴールはこれが彼の死後に発表されることを望み、それまで秘めておいたのだという。望みに従って、それはシャンチニケタンで行われた八月七日夕刻の詩人の葬儀に際して歌われた。(訳者)

〔訳者紹介〕
山室静(やまむろ しずか)一九〇六年(明治三十九年)鳥取生まれ。東北大学美学科に学ぶ。日本女子大学教授。長年にわたって、文芸評論、北欧文学の翻訳紹介に力を注いできた。著書に『山室静著作集』(全六巻)『北欧文学の世界』『アンデルセンの生涯』、翻訳に『ヤコブセン全集』『アンデルセン童話全集』『世界むかし話集』など多数がある。
◆タゴール詩集◆
タゴール/山室静訳

二〇〇四年一月十五日 Ver1