リングワールドふたたび ラリイ・ニーヴン 小隅 黎訳 [#(img/02/000a.jpg)入る] [#(img/02/000d.jpg)入る] [#(img/02/000b.jpg)入る] [#改ページ] [#(img/02/000c.jpg)入る] [#改ページ] [#(img/02/001.jpg)入る] [#(img/02/002.jpg)入る] [#ここから3字下げ]      献  辞 『リングワールド』が出て十年になる。だが、それに関するお便りは以後ずっとひきもきらない。『リングワールド』は、いまなお読みつづけられ、読者諸氏からは、あたかもそれが現実に計画された工事で、給料をもらってそこに参加でもしたかのように、作品内で語られあるいはそこに隠された多くの仮説や、数学や生態学や哲学的な含蓄について、精密きわまる考察がよせられてきている。  ワシントンDCに住むある人は、「ニーヴン=マッカーサー文書、第一巻」と題し、『リングワールド』初版本の完全な校正を送ってくださった。これは大いに助けになった。(もし『リングワールド』のペーパーバック初版本をお持ちなら、それが誤植やミスのある唯一の版だ。値打ちものですよ)  フロリダのある高校のクラスでは、錨鎖《チェーン》パイプ・システムの装備が必要だという結論が出された。  ケンブリッジのある教授からは、構造材《スクライス》の最低引張り強度の概算が送られてきた。  フリーマン・ダイスン氏(あのフリーマン・ダイスンだ!)は、リングワールドの実在を肯定された(!)。ただし、建設者が、こんなものでなく、もっと小さいのを数多くつくらなかった理由が解《げ》せないとのこと。そのほうが安全だというわけだが、本書でその点にはお答えできたと思う。  フィラデルフィアで講演したとき、聴衆のひとりが、数学的にリングワールドは両端のない吊り橋として扱えるということを指摘された。概念としては単純だが、建造するのはそれよりむずかしくなる。  姿勢制御ジェットが必要だというお知らせは、各方面からいただいた。しかし、その不安定さの定量的な計算には、クタイン、ダン・アルダースンの両氏がべつべつにかかって、それぞれ数年を必要とした。クタイン氏はまた、リングワールドを動かす[#「動かす」に傍点]ための諸データをも出して下さった。  ダン・アルダースン氏には、とくに、リングワールドの隕石防禦に関するパラメーターを出していただいた……わたしのほうからお願いしたのは、ただこの一件である。  こうした計算をやり、手紙をくださったみなさん──あなたがたの自主的なご協力がなかったら本書は生まれなかったでしょう。もともと『リングワールド』の続篇を書く気など、わたしにはこれっぽっちもなかったのですから。そのあなたがたに本書を捧げたいと思います。 [#ここで字下げ終わり] [#改ページ] [#(img/02/005.jpg)入る] [#(img/02/006.jpg)入る] [#(img/02/007.jpg)入る] [#(img/02/008.jpg)入る]      序にかえて 〈ノウンスペース〉の物語は、本書を加えてこれで八冊のシリーズをなすことになった。その各書、とくに『リングワールド』をまだ読んでおられないかたのため、ここにこれまでの経緯を記しておこう──。  何世紀もの昔、ピアスンのパペッティア人は、わが銀河系がセイファート銀河になりつつあることを知った。爆発する〈核《コア》〉からの放射波は、およそ二万年ののち、銀河系内のわれわれのいる区域をも居住不能にしてしまうことがわかった。  パペッティア人は、卑怯といいたいほどの用心深さで知られた種族だ。彼らはみずからの商業帝国──人類版図をも包含する──を放棄し、その故郷である惑星五つを準光速にまで加速して、マゼラン雲に向かい移住を開始した。以後二〇四年間にわたり、彼らの消息は杳として知れなかった。  ここで登場するのが、正常なパペッティア人だったら思いもつかないような仕事までもやってのけるほど気のくるった、躁鬱病のネサスである。地球上で彼は、慎重に異星人の部下を選んで徴用した──齢《よわい》二百歳をかぞえる練達の探険家ルイス・グリドリー・ウー、六代つづけて地球の出産権抽籤によって生まれきた子孫のティーラ・ブラウン、好戦的な猫族クジン人の見習い外交官〈|獣への話し手《スピーカー・トゥ・アニマルズ》〉の三人である。ネサスの話によると、パペッティア人は、見たこともないおそるべき建造物を発見した──それは、G2型の主星をとりまく幅百万マイル、直径一億九千万マイルの一個の環《リング》であった。ネサスたち四人は、その探険に向かうことになる。その褒賞は──ノウンスペース内で使われているどんなものよりとびぬけて高速の宇宙船だった。気ちがいパペッティア人自身は、子孫を残す権利を──生還のあかつきには──与えられることになっていた。  リングワールドは、地球の三百万倍の面積を持つ人工世界で、重力を得るため自転し、その内面は、構造材の成形されたかたちどおりの地球的な地形を与えられ、居住可能になっている。探険隊一行の〈|うそつき野郎《ライイング・バスタード》〉号は、原住民が〈|神 の 拳《フィスト・オヴ・ゴッド》〉と呼ぶ高さ一千マイルの山≠フふもと近くに墜落した。無事に残ったのは生活システムと、船殻と、超光速駆動装置だけ。しかしそのアウトサイダー人の超空間駆動《ハイパ・ドライヴ》モーターは、主星の重力圏内では作動させられないのだ。  ひとり乗りのフライサイクル四機をつらねて、一行は救いを求めるため、その地球的景観の上を数十万キロにわたって探険する。そこに住んでいたのは何種類かの亜人種《ヒューマノイド》だった。かつてリングワールドを支配していた高度の文明は、廃墟と化してしまっていた。  ついにルイスと〈|話し手《スピーカー》〉は、齢《よわい》一千歳にもなる旧文明の生き残りをひとり、さがしあてた。ハールロプリララー・ホトルーファンと名のるその女性の乗り組んでいた宇宙船が、近隣の恒星系から帰還したとき、ここの文明は崩壊していた。どうやら、突然変異種の菌類が、この進んだ技術の根底をささえていた超電導物質を駄目にしてしまったためらしい。浮かぶビルの群が空から落下したこの〈都市の墜落〉のさい、支配階級だった技術エリートのほとんどが死んでしまったのだ。文明は二度と興隆しなかった。ハールロプリララーは、ここへ帰ってから、浮遊する監獄を住みかとし、長命薬と、彼女を女神と仰ぐ原住民たちの供物によって、生きのびていたのである。  ハールロプリララーの助力を得て、ルイス、〈|話し手《スピーカー》〉、ネサスの三人は、リングワールドの自転速度を利用して、帰還のためハイパードライヴ・モーターの使える恒星間空間へと船をほうりだすことに成功した。しかし、ティーラ・ブラウンは、あとに残る道を選んだ。  そして、二十三年の歳月が流れた……。 [#改ページ] [#(img/02/011.jpg)入る] [#改ページ]    第 一 部      1 〈ワイア〉中毒  ルイス・ウーの隠れ家《が》へ、ふたりの男が侵入してきたとき、彼は〈ワイア〉に身をまかせている最中だった。  しっとりした黄色い屋内芝のカーペットの上で、彼は結跏趺坐《タス・ポジション》を組んでいた。顔には世にも幸せそうな、夢見ごこちの微笑。住まいは小さなもので、やや大ぶりなこのひと部屋だけだ。ふたつあるドアは、どちらも彼の位置からよく見えている。  だが、ワイアヘッド[#「ワイアヘッド」に傍点]のみが知る喜悦の中で忘我の境にあった彼は、男たちのはいってくるのに気がつかなかった。  とつぜん現れた男たち──ふたりとも蒼白い顔の若者で、どちらも身長は七フィートをこえ、馬鹿にしたような顔でルイスをしげしげと見つめる。ひとりが、フンと鼻をならし、武器らしいかたちのものをポケットに落としこんだ。ふたりが歩みよってきたとき、ルイスは立ちあがった。  彼らがだまされたのは、ルイスの幸せそうな表情のためだけではない。むしろ、彼の頭のてっぺんから黒いプラスティックのこぶ[#「こぶ」に傍点]のようにつき出ている、こぶし大のドラウドのせいであった。  この相手は電流中毒者、それがどんなものか彼らはよく知っている。もう何年ものあいだ、この男は脳の快感中枢にしたたる微弱な電流のこと以外、何も考えられずにいたはずだ。わが身の世話さえ忘れて、餓死しかかっている可能性さえある。小柄な男で、ふたりのどちらとくらべても、優に一フィート半は背が低い。  こんなやつ──。  ふたりが手をのばしてきたとき、ルイスは大きく横へ身を折ってバランスをとりながら一度、二度、三度とつづけざまに蹴りをいれた。侵入者のひとりが倒れ、からだをまるめて悶絶したとき、ようやくもうひとりは、事態に気づいて、とびすさろうとした。  ルイスが追いすがった。  若者がなかば麻痺したようになっていたのは、襲ってくるルイスが浮かべている至福の表情のせいもあった。さっきポケットにいれた麻痺銃《スタンナー》をつかみだしたが、もうおそい。  ルイスは、ひと蹴りで、それを手からはじきとばした。身を沈めて大きなこぶしをよけながら蹴りを放つ。膝頭へ、また膝頭へ(蒼白い大男の動きがとまる)、股ぐらへ、胸もとへ(大男が汽笛のような悲鳴をあげて大きく前にかがみこむ)、そしてのど[#「のど」に傍点]に一発(悲鳴がピタッととまる)。  さっきのひとりが、四つん這いに身を起こし、空気を求めてあえいでいる。そのうなじに、ルイスは手刀を叩きこんだ。さらにもう一撃。  ふたりの侵入者は、ふっくらした黄色い芝生の上に横たわったまま動かなくなった。  ルイス・ウーは、ドアの錠をかけにいった。至福の笑みはかたときもその顔から消えず、ドアに完全に錠がおり、警報装置もついたままであることがわかったときも、表情に変わりはなかった。バルコニーへ通じるドアをしらべる──そこもかけがねがかかり、警報装置もそのままだった。  いったい、あいつらはどうやってはいってきたんだ?  うつろな顔で、彼はその場所に腰をおろすと、また結跏趺坐を組み、そのまま一時間以上、じっと身動きもしなかった。  やがて、タイマーがカチリと音をたて、ドラウドのスイッチを切った。  電流中毒というやつは、人間の悪徳の中でもいちばんの新顔である。歴史上、人類空域のほとんどあらゆる文化圏で、それが最大の悩みの種とされていた時期もあった。その常用者は労働市場から脱落し、わが身の世話も忘れて結局は死んでしまうのである。  だが、時代は変わっていく。数世代が過ぎた現在では、同じその文化圏のどこでも、それはむしろ大目にみられるようになっていた。もっと古くからの悪徳──アル中や麻薬中毒や衝動的な賭博癖──などには及びもつかない利点のあることがわかってきたからだ。  麻薬に惹かれるような人間は、〈ワイア〉にひたることで、はるかに幸福になれる。死にいたるまでの時間もずっと長いし、ほとんどが子供をつくろうとはしなくなる。  費用はほとんどゼロにひとしい。エクスタシーの売人が、手術の料金を値上げすることは可能だが、それが何になろうか? 電流中毒者《ワイアへッド》になるためには、その手術で脳の快感中枢に装置を埋めこんでもらわなくてはならない。いったんそうなれば、刺激は家庭の電源から得られるから、売人たちは彼に対して何の手出しもできなくなってしまう。  しかもその喜悦は純粋なもので、よけいな副作用も、後遺症もない。  そんなわけで、ルイス・ウーの時代に先立つ八百年のあいだも、人類の中で、〈ワイア〉をはじめいろいろな自己破壊の手段にとりつかれる人間は、絶えることなく生みだされつづけていたのである。  いまでは、離れたところから相手の快感中枢をくすぐる装置さえできている。ほとんどの惑星では、このタスプ[#「タスプ」に傍点]は非合法のものとして禁止されており、製造にも金がかかるが、それでも使用はあとを絶たない。 (怒りや絶望のしわ[#「しわ」に傍点]を顔にきざみこんだ誰かさんが通りかかる。木のかげから、その相手に春を送ってやる[#「春を送ってやる」に傍点]わけだ。パチリ! 相手の表情が、パッと明るくなる。つかのま、彼には悩みごとなど何もない……)  ふつうは誰もそれで一生を台なしにするなどということはない。たいていの人間は、その誘惑をのり切ることができるものなのだ。  タイマーがカチリと音をたて、ドラウドのスイッチを切った。  ルイスの全身が、グラリとくずれ落ちたかのようにみえた。彼は、ツルツルに剃った頭頂ごしに、長い弁髪に結った黒い髪の根もとへ手をのばし、その髪の下にかくれているソケットからドラウドを引きぬいた。それを手に持ったまま、しばし考えこむ。やがて、いつものように、それを引出しにいれると、鍵をかけた。引出しは消えた。一見分厚い木製の骨董品のようにみえるそのデスクは、実際には紙のように薄い船殻用金属製で、思いがけないほど広い秘密収納用の空間が内側にひろがっているのである。  もう一度タイマーをセットしたい誘惑は、つねにあった。中毒にかかった初期のころには、よくそうしたものだ。そのあげく彼は、全身よごれきった骸骨の縫いぐるみみたいになってしまった。最後に彼は、なけなしの決断力の残渣をかきあつめ、二十分かけてこまかい手順を経ないと再セットできないようなタイマーをつくりあげた。現在のセッティングは、十五時間電流にかかると、そのあと十二時間は、睡眠およびみずから称するところの健康維持《メインテナンス》に当てられるようになっている。  ふたつの死体はまだそこにあった。どうすればいいのか、ルイスには見当もつかなかった。いますぐ警察を呼んだとしても、好ましからぬ嫌疑を招くことはまぬがれないだろう……一時間半の遅れを、どういいわけしたものだろう? なぐられて気絶していたとでも? だがそうしたら、頭蓋骨折がないかどうか調べるために、探深《デイープ》レーダーをあてられることになる!  ひとつだけわかっていた──〈ワイア〉にかかったあとやってくるひどい憂鬱状態のもとでは、決断などできっこないということである。まるでロボットのように、彼は自己保守の作業にかかった。夕食の献立てさえ、昔のプログラムをそのまま使っている始末だ。  まず、コップ一杯の水を飲みほす。調理機のスイッチをいれる。バスルームへいく。そのあと十分間の運動──無理に全身を酷使して、疲労で憂鬱をふり払う。そのあいだ、硬直しかけた死体から、彼は目をそむけていた。運動を終えたとき、夕食はもうできていた。味わいもせずつめこむ……ふと、以前、この食事や運動やあらゆる行為を、ドラウドを頭につけ、通常の十分の一の電流を快感中枢に送りこみながらやっていた頃のことを思いだした。  一時は、やはり電流中毒《ワイアへッド》の女性と、いっしょに暮らしたこともある。ふたりは〈ワイア〉のまま愛をかわし……戦争ゲームをやり、洒落をいいあい……やがて彼女は、電流そのもの以外のあらゆるものへの興味をなくしていった。そしてそのときルイスは、地球を逃げだすだけの分別をとりもどしていたのだった。  いま、彼はふと、この大きな人目につきやすい死体をふたつも始末するより、この惑星から逃げだしてしまうほうがやさしいのではないかと思いついた。  しかし、もし彼がすでに誰かに監視されているとしたら?  だがこのふたりが、|ARM《アーム》(国連警察)の局員だとは思えなかった。大柄だが、筋肉はやわ[#「やわ」に傍点]で、黄よりもオレンジに近い陽光のため顔色は蒼白く、どうみても低重力型のつくりだ。おそらくキャニヨン人だろう。ARMの局員ほどの戦闘能力もなかった……しかし、彼の警報装置をみごとにくぐりぬけてきたことはたしかである。この連中がARMの下働きで、親玉が外に待ちうけているということもありうるだろう。  ルイス・ウーは、バルコニーのドアの警報を解除すると、そこに足をふみだした。  キャニヨン星は、惑星というものの一般法則からみると、いささか変わっている。  大きさは火星に毛が生えたくらいのものだ。数百年前まで、その大気は、やっと光合成植物を支えるくらいの濃さしかなかった。酸素を含んではいたが、人類やクジン人が生きていくには薄すぎた。原住の生命体は、原始的で耐久力のある地衣類みたいなものだけだった。動物の発生は、一度もなかった。  しかし、このキャニヨン星の黄色っぽい太陽をとりまく彗星のような 暈《ハーロー》 の中には、単磁極《モノポール》が含まれており、惑星自体の地表には放射性物質もあったので、クジン帝国はここを自領に加え、ドームと空気圧縮機の助けをかりて一隊を駐屯させた。未征服のパイア人の惑星にいちばん近かったところから、彼らはこの惑星を|弾 頭《ウォーへッド》≠ニ名づけた。  それから一千年後、果てしなく拡大するクジン帝国は、ついに人類の宇宙と接触した。  人間《マン》=クジン戦争は、長期にわたり、ルイス・ウーが生まれたときにはまだつづいていた。何度かの衝突は、すべて人類側の勝利に終わった。クジン側にはいつも、自分のほうの準備がすっかり整うのを待たずに出撃してくる傾向があったのだ。現在のキャニヨン上の文明は、第三次人間=クジン戦争のさいに、惑星ウンダーランドが総力をあげて開発した秘密兵器の置きみやげだともいえる。 〈ウンダーランド条約締結装置《トリーティ・メイカー》〉という異名をとったその兵器が、実戦に使用されたのは、たった一度きりだ。それは、ふつうならただの掘削機械であるはずのものの超大型版だった──つまり、電子の電荷を打ち消すビームを発射する一種の物質分解機である。このビームが当たると、どんな硬い物質もアッという間に軟化し、同時にすさまじいプラス電荷を帯びることになる。そして、ひとりでに単原子粒子の霧となって飛び散ってしまうのだ。  ウンダーランドは、このビームと平行に陽子の電荷を打ち消す同様なビームも発射する巨大な物質分解機を建造し、ウォーヘッド惑星系にもちこんだ。  二本のビームが、キャニヨンの地表、三十マイルを隔てた二地点を照射した。岩石とともにクジン人の工場も住居も、塵となってとび散り、その二地点間には、固体の棒のような稲妻が流れた。この兵器は、惑星の表面を十二マイルの深さまでかみくだきながら東西に動き、地球のバハ・カリフォルニア半島くらいの大きさとかたちをした地域一帯からマグマを噴きださせた。  クジン人の産業コンビナートは消滅した。停滞《ステイシス》フィールドで守られていたいくつかのドームも結局はマグマにのみこまれた──巨大な裂け目の中心線にそったところでは、高く噴きあがったマグマが、岩山となって凝固したのである。  その結果できあがったのは、何マイルも高さのある断崖がグルリを囲む谷あいの内海の中央に、細長い島が浮かんでいる──そんな地形だった。  もっとも、人類版図の星系の大部分は、〈ウンダーランド条約締結装置《トリーティ・メイカー》〉が戦争を終わらせたなどとは考えていない。クジン族の〈族長〉が、そんなこけおどしでふるえあがるとは、ふつうなら考えられないからだ。そう信じて疑わないのは、ウンダーランド人だけかもしれない。  かくてウォーヘッド星は第三次人間=クジン戦争のあと、併合されて、キャニヨン≠ニ名づけられた。キャニヨンの原住生命は、地表に降った何ギガトンもの塵埃と、〈|峡谷《キャニヨン》〉の中に水があつまって海ができたための水不足とで、当然ながら大きな打撃をうけた。だがその峡谷の内部では、大気も快適な圧力を持ち、そこにちっぽけな文明が生まれた。  ルイス・ウーの住まいは、この峡谷の北岸を、十二階のぼったところにあった。バルコニーの上に出たとき、峡谷の底にあたる湖面は夜のとばりに包まれていたが、南岸の断崖はまだ、陽光にギラギラ光っていた。その上の縁から、原生の地衣類の大群生が垂れさがっているのが、まるで空中庭園のようだ。  数マイルにわたって岩盤を削った面にそってのびている何本もの銀色の糸は、時代遅れのエレベーターである。転移ボックスが出現したため、旅行用にはもう使われないが、観光客が景色を眺めるのに利用されているのだ。  バルコニーからは、ちょうど島の中央を走るベルト状の公園地区を見おろすことができる。そこの植物相は、クジン族の狩り場特有の荒々しさをたたえ、ピンクやオレンジの原色が、移植された地球の生命圏とまじりあっていた。クジン星の生命体は、峡谷内のいたるところにまだはびこっている。  その公園には、人間の観光客に負けないくらい大勢のクジン人がいた。クジン人の男の姿は、まるで太ったオレンジ色の猫が、うしろ脚で立ったようにみえる……むろんそっくりとはいかない。彼らの耳はピンク色の中国日傘みたいに張りだしているし、尾は毛のないピンク色だし、また直立用の脚と大きな手は、明らかに道具をつくる種族の特徴を示しているからだ。  立ちあがった背の高さは八フィートほどもあり、人間の観光客とぶつからないように気をつけてはいるものの、人間があまり近くに寄ってくると、黒い指の先からきれいに手入れされた鉤爪がニュッと現れるのだった。反射作用なのだろう。たぶんそうだ。  ときおりルイスは、彼らがどんな衝動にかられて、かつては自領だったこの土地を見にくるのだろうかと思いをめぐらすことがあった。その中には、祖先がこの熔岩の島の下に埋まっている時間の停止したドームの中でまだ生きているというものもあるだろう。いつかはそいつを掘りだしてやらなければなるまいが……。  いつも〈ワイア〉の誘惑にかまけていたため、キャニヨンにはまだ、彼のやり残していることがたくさんあった。例えば、人間もクジン人も、低重力を利して、この断崖絶壁の登攀を楽しんでいる。  いや、いまこそそいつをためしてみる好機かもしれない。それは、ここからぬけだすルートのひとつだ。二番目はエレベーター。三番目のは、地衣公園《ライケン・ガーデン》へ通じる転移ボックスである。そのふたつを、彼はまだ直接見たことがなかった。  それから、折りたたんで大きな書類鞄にしまいこんである軽い宇宙服を着こみ、上のほうの地表へ出ればいい。  キャニヨン星の地表には、あちこちに鉱山があり、また、生き残った各種のキャニヨン原生地衣類の広大な、ただしどちらかといえば放置され気味の保護区域もある。しかし大部分は、月面のような荒野の眺めだ。注意ぶかくやれば、どこからも探知されることなくそこに宇宙船で降下し、探深《デープ》レーダーでも使わないかぎり探知できない場所にそれをかくしておくこともできるのである。  この注意ぶかい男は、それをやったのだ。  過ぎ去った十九年のあいだ、ルイス・ウーの船は、とある低品位金属鉱の山の北斜面にある洞窟の中にかくされたまま、じっと待ちつづけていた──キャニヨンの大気のない表面では、その穴は永遠の影の中にかくれている。  転移ボックスかエレベーターか崖登りかだ。ルイス・ウーとしては、なんとか上の地表に出られさえすれば、あとは自由に故郷へ帰ることができる。しかし、ARMは、その三つの出口のぜんぶを見張っているかもしれないのだ。  だがこれは、彼が勝手に偏執病《パラノイア》ごっこを演じているだけのことかもしれなかった。地球の警察力くらいで、どうしてここにいる彼を見つけだすことができたろうか?  彼は、顔を変え、髪型を変え、生活を変えた。いちばん愛好していたものを選んで捨て去った。就寝プレートをやめてベッドを使い、チーズをくさったミルクのように避け、この住まいにも、大量生産の引込み自在の家具を備えつけた。身にまとう衣類といえば、高価なくせにまったく見ばえのしない自然繊維のものばかりだ。  地球をあとにしたときの彼は、やつれ果ててうつろな目をした電流中毒者《ワイアヘッド》だった。そのあと彼はずっと、合理的な食餌療法を自分に課してきた。また、過酷なまでにからだを鍛え、週に一回はマーシャルアーツ(これは一応非合法ということになっており、見つかったら地元の警察のブラックリストに載るだろうが、それもルイス・ウーの名前でではない!)のコースをとり、いまではもう、若いころのルイス・ウーが労せずして身につけていた強靭な筋肉と輝くばかりの健康美をとりもどしていた。ARMになどどうして彼が見わけられようか?  だが、やつらはいったいどうやってここへはいったのか[#「やつらはいったいどうやってここへはいったのか」に傍点]?  なみの泥棒ごときが、ルイス・ウーの警報装置を出しぬけるはずがないのだ。  そのふたりの男は、屋内芝の上で死んでおり、もうすぐその屍臭は|空 気 調 節 機《エア・コンディショニング》の限界をこえてしまうだろう。いまになって、少々おそまきながら、彼は人殺しをやってしまったことにうしろめたさを感じはじめていた。しかし彼らは、彼の領分に侵入したのだし、〈ワイア〉にまかせた身に罪などはない。苦痛さえもその喜悦の味つけになるし、それによって喜悦は──現行犯の泥棒を手にかけるときに感じる人間の根元的な喜びのように──大幅に増幅される。  やつらは彼がどんな状態にあるか知っていたわけで、それは警告としても充分だし、ルイス・ウーにとっては、面と向かっての侮辱行為ともいえるものだった。  眼下にゆき交うクジン人や、人間の観光客や居住者には、どう見ても、何の害意もなさそうだし、事実そうなのだろう。もしいま、ARMがこっちを見張っているとしたら、そこらにある建物の、内部を暗くした窓のどれかひとつから、双眼鏡ででもうかがっているはずだ。観光客たちは、ひとりとしてこちらを見あげようともしていない……だが、そのとき、ルイスの視線はひとりのクジン人の上に釘づけになった。  身長八フィート、肩幅三フィート、ところどころに灰色の斑点を散らしたオレンジ色の厚い毛皮──その点は、まわりにいるクジン人たちとそっくりだ。ルイスの目をひいたのは、その毛の生えかただった。この異星人の毛皮は、全身のなかば以上にわたって、あたかもその下に大きな傷あとでもあるかのように、房になったり、つぎはぎになったり、白っぽくなったりしている。両眼のまわりには黒い輪があり、その目はまわりの風景を見てはいない。通り過ぎる人間たちの顔から顔へと、さぐるように視線を移しているのだ。  ルイスは、ポカンと口をあけて見つめていたい衝動を振り切った。つと背を向けると、急ぐ様子をみせないようにしながら室内へもどった。バルコニーのドアに錠をかけ、警報装置をセットしなおしてから、テーブルの中のかくし場所をあけてドラウドをとりだした。その手がふるえている。  あれは、〈|獣への話し手《スピーカー・トゥ・アニマルズ》〉の、二十年ぶりの姿だった。かつては、人類空域への外交駐在員だった〈|獣への話し手《スピーカー・トゥ・アニマルズ》〉。ルイス・ウーと、ピアスンのパペッティア人と、ひどく風変わりな人間の少女とともに、リングワールドとよばれる途方もなく巨大な建造物の微小地域の探険をともにした〈|話し手《スピーカー》〉。  故郷へ持ち帰った宝物によって、クジンの族長から正式の名前を与えられた。いま、もしも彼を職名で呼んだりしたら、殺されかねないが、でもその新しい名前は何といったっけ? たしか最初の音はドイツ語の「血」のような、咳ばらいみたいな、というよりも、ライオンがのど[#「のど」に傍点]の奥で立てるみたいな発音だったが──ハミイー、そう、これだ。  でもこんなところでいったい何をしているのか?  正規の名前と領地を与えられ、ハレムの女どもをあらかた妊娠させて、ハミイーにはもう二度とクジン惑星を離れる気などなかったはずである。こんな人間版図内の惑星で観光客を装っているということ自体がふしぎだ。  ルイス・ウーが、この峡谷《キャニヨン》に住んでいるのを、彼が知っているということは、ありうるだろうか?  とにかく、ここを出なければならない。崖をのぼり、宇宙船へいかなければ。  そして、そのためにいま、ルイス・ウーは、ドラウドのタイマーに目をこらして、そのセッティングをいじりはじめたのだった。両手がいらだたしげにふるえる……キャニヨン星の二十七時間の一日とおさらばする以上、どうせタイマーは調整しなおさなければならない。  行先はきまっていた。地表の大部分が月面みたいに荒れ果てている惑星が、人間空域内にはもうひとつある。ジンクスの|西 極《ウエストエンド》の真空中に船をおろせばいいのだ……そう思いながら、やはり彼は調整をつづけている……いま[#「いま」に傍点]、二、三時間〈ワイア〉にかかって、それだけの気力をふるい起こすためだ。完璧に筋のとおった話である。結局、彼はタイマーを二時間に合わせた。  その二時間が終わろうとする直前に、第二の侵入者が現れた。〈ワイア〉の悦楽に身をゆだねているルイスの心は、何があろうと乱れはしなかった。侵入者の姿は、むしろ彼の気分をなごませたくらいだった。  一本のうしろ脚と、大きく幅をとった二本の前脚とで、つくりつけたように立っている生きもの。両肩にあたるところのあいだが、大きくこぶ[#「こぶ」に傍点]のようにもりあがっている──いくつもの小さな輪に巻いて宝石をちりばめた金色のゆたかなたてがみ[#「たてがみ」に傍点]に蔽われたそこ[#「そこ」に傍点]が頭蓋である。その頭蓋の左右から、二本のまがりくねった長い頸がのびて、その先端に平べったい頭がついている。  しまりのないくちびるを持ったふたつの口──それは、有史以来ずっと、パペッティア人の手の役割を果たしてきたものだ。そのひとつが、人類製の麻痺銃をくわえ、ふたまたに分かれた舌が、引き金にまきついている。  この二十二年間、ルイス・ウーは、一度もパペッティア人に会っていない。じつにかわいらしい恰好だ、と彼は思った。  しかもそいつは、どこからはいってきたわけでもなかった。黄色い屋内芝の絨緞の上に、パッとその姿が現れるのを、こんどこそルイスははっきりと目にとめた。さきほどまでの心配は、杞憂にすぎなかった。ARMなぞのかかわったことではなかったのだ。キャニヨン人の泥棒でもなかった。 「|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》か!」ルイスは有頂天の声をあげた。  立ちあがるとその異星人にかけよろうとした。気を許して当然。なにしろパペッティア人というのは臆病で──。  麻痺銃《スタンナー》がオレンジ色に光った。ルイス・ウーは、全身の筋肉がグニャグニャになって、カーペットの上に倒れた。心臓がしめつけられる。目の前に黒い斑点がちらつく。  パペッティア人は、優雅な身のこなしで、ふたつの死体をよけながら近づくと、ふたつの方向から彼を見おろした。ついで、頸をのばしてきた。ふた組の、上面のひらたい歯が、彼の両手首をしっかりとくわえこんだ。だが、痛いほど強くではない。絨緞の上を、あとずさりに彼をひっぱっていくと、そこにおろす。  周囲の室内の眺めが消えた。  ルイス・ウーが事態を憂慮していたなどとはとてもいえない。そんな不快な気分など、彼には感じる余地がなかった。平静そのもので(というのも、〈ワイア〉下での物質的な喜びは、正気な人間には及びもつかない思考放棄を可能にするからだが)彼は新たな情景をうけいれていた。  彼は、かつて、〈ピアスンの|人形つかい《パペッティア》〉の惑星で、この|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》のネットワークを見たことがある。それは一種の開放《オープン》式テレポーテイション装置で、人間の世界で使われている小部屋式の転移ボックスよりもはるかに優れたものだった。  どうやらパペッティア人は、ルイスの部屋に|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》をとりつけたらしい。まず、彼をさらうために、ふたりのキャニヨン人をよこした。それが失敗したので、自分でやってきたわけだ。よっぽど彼が必要だったにちがいない。  二重の意味で、安堵できる事態だった。  ARMの手はまったくかかわってきていない。そしてパペッティア人には、臆病さを金科玉条とする哲学にささえられた百万年もにわたる伝統がある。彼の生命がほしいわけでもないだろう。それなら、もっと安あがりに、危険もおかさず取りあげることができたはずだ。なにしろ簡単なことにおびえあがるやつらなんだから。  彼はまだ、小さな円形に切りとられた黄色い芝とその下の接合マットの上に横たわったままだ。それが、|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》の上にのっていた部分なのだろう。部屋の反対の端には、オレンジ色をした大きな毛皮のクッションが……いや、それは、目をひらいたままくずおれているクジン人──眠っているのか麻痺しているのか死んでいるのかわからないが──で、しかもそれはなんと〈|話し手《スビーカー》〉だった。  こんなところで会えるとは。  そこは、宇宙船の内部だった。ゼネラル・プロダクツ製の船体を備えたやつだ。透明な船殻をとおして、月面のような鋭い岩山の向こうから、宇宙空間特有のまぶしい陽光がギラギラとさしこんでくる。緑と董色の地衣類のひと群れがみえるから、ここはまだキャニヨン星にちがいない。  とにかく、くよくよ心配などする必要はなさそうだ。  パペッティア人が彼の手首を放した。たてがみ[#「たてがみ」に傍点]の飾りが、キラキラ光っている。天然の宝石ではなく、何かブラック・オパールのようなものだ。脳のはいっていない、ひらたいその頭のひとつをかしげて、そいつは、ルイスの頭のプラグからドラウドを引きぬいた。それを持ったまま、パペッティア人は、そばの四角い板の上に踏みこむと、消えた。 [#改ページ]      2 強 制 徴 用  ちょっと前から、クジン人の目が彼を見ている。やがて、まだ麻痺の残ったのど[#「のど」に傍点]をためすようにせきばらいすると、低いうなり声をあげた。 「ルー・イー・ウー」 「ウア」と、ルイス。  自殺したい気分だったが、方法がない。指を動かして答えるのがせいいっぱいだ。 「ルイス、ウウゥ、おまえ、電流中毒《ワイアヘツド》だそうだが?」 「フアウァ」と、ルイス。  時間かせぎのつもりだったが、うまくいった。クジン人が質問をあきらめたのだ。そしてルイスは──いま本当に気になるのは、持っていかれたドラウドのことだけだったが──ともかく昔のルイスと同じ反射行動を起こしていた。周囲を見まわして、状況がどのくらいひどいことになっているか見さだめようとしたのである。  からだの下にある六角形の屋内芝は、|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》の受容機そのままのかたちだ。もっと向こうにある黒い円形は送出機だろう。床のそれ以外の部分は、左舷側の船殻や後方の隔壁と同じく、透明なままに残されていた。  超空間駆動装置《ハイパードライヴ・シャント》が、床の下を、ほとんど船の全長にわたって走っている。もっとも、その機械をそれだと見分けるのに、ルイスは、基本的な作動原理から思いだしてあてはめてみなければならなかった。人間のつくったものではなかったからだ。  それは、パペッティア製品に特有の、半分とけて流れだしたような外観を備えていたのである。よって結論──この船は超光速が出せる。どうやらルイスは、長い旅に出ることになりそうだ。  後方の隔壁の向こうは、側面に彎曲したハッチのついた船倉になっていた。その船倉のほとんどを占領しているのは、高さ三十フィート、長さがその二倍くらいの、傾いた円錐形の物体だ。頂上のところは、武器|および《アンド》/|また《オア》は感知装置用の開口のついた砲塔《タレット》になっている。砲塔のすぐ下に、グルリと百八十度つづきの窓があいている。もっと下のほうには、前へひらくと梯子《ランプ》になるらしいハッチがある。  これは、着陸船《ランダー》、探査用の乗りものだ。ルイスの見たところ、人間の手に成る特注品のように思われた。そこにはあの、なかば融けかかったような外観は、みじんもない。この着陸船の向うにチラリと見える銀色の壁は、たぶん燃料タンクだろう。  自分のいるこの部屋へはいるためのドアが、どこを見ても見当たらない。  ちょっとやっかいだったが、ルイスは頭をゴロリと反対側に向けてみた。そこに見えたのは、広い操縦区画《フライト・デッキ》だった。隔壁の大部分の面は不透明な緑色に塗られていたが、透明になっているところの向うには、何連ものスクリーンの列や、こまかい数字がギッシリと並んだダイアルや、パペッティア人のあご[#「あご」に傍点]のかたちに合わせたレバーなどが、グルリと配置されているのがみとめられた。操縦席は、ふんわりした感じの台で、〈ピアスンの|人形つかい《パペッティア》〉の尻と肩のかたちに合わせた凹みがあり、緩衝ネットが装備されていた。この境の壁にも、ドアはついていない。  右舷側は──そう、少なくともこの部屋は、かなりの広さだった。シャワーがあり、一対の就寝プレートがあり、クジン人用のウォクーベッドらしい広いフサフサした毛皮の蔽いがあり、そのあいだにあるかさばった構造のものは、ルイスの見たところ、ウンダーランド製の食料再生供給装置らしい。ベッドの向うはまた緑の壁で、エアロックはなく、ここだけで何もかも用が足りるようになっている。ふたりは出入ロのまったくない箱の中にいるのだった。  この船はパペッティア製だ。ゼネラル・プロダクツの三号船殻──円筒形を横にして上下を平坦にし、前後をまるめたようなかたちをしている。パペッティアの商業帝国は、この種の船を何百万隻も売りさばいていた。重力と可視光以外のいかなる脅威にも耐えられるという宣伝文句つきでだ。  ルイス・ウーが生まれたころ、パペッティア一族は、既知空域《ノウンスペース》からマゼラン雲めがけ、大あわてで逃げだしてしまっていた。だが、それから二百年を経た現在でも、ゼネラル・プロダクツ製の船体は、いたるところで見られる。その中には、十何代もの持ちぬしの手をわたってきたものもあるはずだ。  二十三年前、パペッティア製の宇宙船〈|うそつき《ライヤー》〉号は、秒速七百七十マイルでリングワールドの表面に墜落した。ルイスをはじめとする乗員たちは、停滞《ステイシス》フィールドが守った──そして、その船体には、ひっかき傷ひとつついていなかったのである。 「あんたも、クジン族の戦士だろうに」と、ルイスは口をひらいた。  くちびるに感覚がなく、ひどく厚ぼったく感じられる。 「ゼネラル・プロダクツの船殻をぶちやぶって出ることはできないのかね?」 「できんな」と、〈|話し手《スピーカー》〉が答えた。(いや、〈|話し手《スピーカー》〉じゃない、ハミイーだ!) 「きいてみただけさ。ハミイー、キャニヨンへ、何しにきてたんだい?」 「知らせをうけとったのだ。ルイス・ウーが、ウォーヘッド星の|割れ谷《ガッシュ》で、電流中毒者《ワイアヘッド》になっている、という知らせだ。証拠のホログラムもついていた。〈ワイア〉に身をまかせているときのおまえが、どんなふうに見えるかわかるか? まるで、潮流のまにまに枝の先をゆらせている海草だぞ」  ルイスは、自分の鼻を涙がつたい流れるのを感じた。 「カホナ……いまさらそんなカホな話を。それで、何をしにきたんだ?」 「おまえがどんなにくだらないやつかを教えてやるためにだ」 「誰がそんな知らせを?」 「知らん。あのパペッティア人だったにちがいない。われわれふたりを手にいれようとしたのだ。ルイス、いかれたおまえの頭では気がつかなかったかもしれんが、あのパペッティア人は──」 「ネサスじゃあない。そうさ。でも、あのたてがみ[#「たてがみ」に傍点]の結いっぷりを見たかい? あんな飾りたてた髪型、一日たっぷり一時間はかかるだろう。ここがパペッティア惑星なら、相当のえらいさん[#「えらいさん」に傍点]だと思うところだがね」 「というと?」 「正気のパペッティア人なら、星間旅行に命をかけたりはしない。パペッティア人は、自分の惑星に加えて四つの農業惑星まで、いっしょに持っていっちまった。宇宙船が信頼できないというただそれだけのために、何十万年もかけて亜光速で飛んでる。あいつ[#「あいつ」に傍点]が誰だろうと、気のふれたやつであることはまちがいない。これまで人間の前に姿を見せたパペッティア人が、みんなそうだったようにね。あいつに期待をかけていいものだろうかね」と、ルイス。「だが、待て、やつがもどってきたぞ」  操縦区画の床の、六角形をした|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》の上に現れたパペッティア人が、壁ごしにこっちを見ている。やがて、人間の女性の声──美しいコントラルトでたずねた。 「聞こえますか?」  ハミイーが、ユラリと船殻から身を離し、立ちあがったと思うと、四つんばいになって突進した。猛烈な勢いで、ドサッと仕切りに体当たりをかませたのだ。どんなパペッティア人でもこれにはひるんだはずだ。だが、こいつ[#「こいつ」に傍点]は、ビクともせず、ことばをつづけた。 「探険隊のメンバーはほとんど揃いました。あとひとりだけです」  ルイスは、寝がえりがうてることに気づいて、そうした。  それから彼はいった。 「話をもどして、ことの起こりから説明してほしいね。こうして箱の中にとじこめちまった以上、何もかくすことなんかないだろう? あんたの名前は?」 「何とでも好きな名前をつけてください」 「何者だ[#「何者だ」に傍点]ってきいてるんだよ。ぼくらに何の用があるんだ?」  パペッティア人は、躊躇の色をみせた。ついでいった。 「わたしは、故郷では〈至後者《ハインドモースト》〉でした。あなたたちがネサスと呼んでいるものの配偶者です。いまは、どちらでもありません。もとの地位をとりもどすため、リングワールドの再調査をおこなう隊員として、あなたたちが必要なのです」  ハミイーが吼えた。 「おまえには協力などせんぞ」  ルイスはたずねた。 「ネサスは元気かい?」 「気にかけていただいて感謝します。ネサスは心身ともに健康です。リングワールドでうけたショックが、ちょうど正気をとりもどす役に立ったのでしょう。彼はいま母星で、わたしたちのふたりの子供を育てています」  あのネサスみたいな目にあったら、誰だってショックだろうと、ルイスは思った。リングワールドの原住民が、彼の二本の首の一本を切り落としてしまったのだから。もしルイスとティーラが、その頸を止血帯でしばることに気がつかなかったら、ネサスは出血のため死んでいたにちがいない。 「つまり、新しい頭をつけてやったんだね」 「もちろんです」  ハミイーがいった。 「おまえが気ちがいでなければ、ここにはこなかったはずだな。どうして一兆のパペッティア人が、気のくるった指導者を選んだりするのだ?」 「わたしは自分が狂っているとは思いません」  パペッティア人のうしろ脚が、不安げにギュッと曲がった。(顔には感情が出ない。浮かんでいるのは、いつものおしゃべりの脳なしづら[#「づら」に傍点]だけだ) 「二度とこのことは口にしないようにしてください。わたしは、種族のため立派に尽くしましたし、わたしにさき立つ四代の〈至後者《ハインドモースト》〉たちも立派に尽くしましたが、今回は保守党がわたしたちの党を押しのけて権力の座についたのです。彼らの方針はまちがっています。わたしはそれを証明してみせます。これからリングワールドにもどって、彼らのちっぽけな理解力の思いもよらないような宝物を見つけるのです」  ハミイーがうなった。 「だが、クジン人を誘拐したのは間違いだったな」  長い鉤爪が、ニュッとのびる。  パペッティア人は、壁ごしにふたりを見つめながらつづけた。 「あなたには、くる気などなかったでしょう。ルイスも、くる気はなかったでしょう。あなたには、地位と名前がありました。ルイスにはドラウドがありました。四人目のメンバーは、刑務所にいました。部下の知らせによると、彼女はもう解放され、こっちへ向かっているそうです」  ルイスは苦い笑いをもらした。ドラウドなしでは、どんなユーモアも苦々しい。 「まったく想像力ってものがないんだね、え? まるで一回目の探険のときと、おんなじじゃないか。ぼくに、ハミイーに、パペッティア人に、人間の女。女は誰だい? べつのティーラ・ブラウンかい?」 「とんでもない! ティーラ・ブラウンは、ネサスをふるえあがらせました──怖れて当然だと思います。わたしは、ハールロプリララーをARMの手から盗みだしました。つまり、リングワールド原住民が案内役につくわけです。隊員の人選に関してですが、どうして必勝の手を捨てる理由がありましょうか? あなたたちは、げん[#「げん」に傍点]にリングワールドから逃げだしたのですよ」 「ティーラ以外はね」 「ティーラは自分の意志で残ったのです」  クジン人がいった。 「前のときは、報酬があったな。一光年を一・二五分で飛ぶ宇宙船を、故郷へ持ち帰った。その功でおれは、名前と地位を手にいれた。おまえは、それに匹敵するくらいのものが出せるのか?」 「いろいろ出せますよ。もう動けますか、ハミイー?」  クジン人は立ちあがった。麻痺銃《スタンナー》の効果は、もうあらかたぬけたようだ。ルイスはまだ目まいがし、端々にしびれが残っていた。 「からだのぐあいはどうですか? 目まいや、痛みや、吐きけはありませんか?」 「何をそう気にするのだ、この|根っこ食い《ルート・イーター》めが? ひと[#「ひと」に傍点]を一時間以上も自動医療装置《オートドック》にほうりこんだりして。まだ調子が出んし、腹は減るし、最低の気分だぞ」 「たいへん結構。一応そこまでは、作用がわかりました。よろしい、ハミイー、報酬は、その物質です。細胞賦活剤《ブースタースパイス》という薬によって、ルイス・ウーは、二百二十三年間、若さと強さをたもってきました。わたしたちは、クジン人用のそれに当たるものを関発したのです。探険が終われば、その製法を、故郷のクジン族社会へ持ち帰ってもよろしい」  ハミイーは当惑したようだ。 「おれが若がえるのか? もうそのしろものは、おれの中にはいっているというのだな?」 「そうです」 「われわれも、そのくらいのものは、自分で開発できる。そんなもの要らんぞ」 「あなたには、若く強いままでいてほしいのです。ハミイー、今度の調査には、危険なことなど何もないのですよ! だいたい、リングワールドそのものに降りるつもりもない。降りるのは、宇宙港の張りだしだけなのですよ! そこで得られた知識は、ぜんぶ共同所有です、ルイス、あなたもね。あなたへのさしあたっての報酬は──」  |跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》の上に現れたのは、ルイス・ウーのドラウドだった。その外被は、一度あけられて、封をしなおされていた。ルイスの心臓はとびあがった。 「まだ使うな」と、ハミイー。  命令口調だ。 「そうする。〈至後者《ハインドモースト》〉、いったいいつからあんた、ぼくを見張ってたんだい?」 「十五年前に、キャニヨンであなたを見つけました。そのときわたしの部下たちは、すでに地球で、ハールロプリララーを解放する工作にかかっていました。その準備はなかなか進みませんでした。わたしは、|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》をあなたの住まいに仕掛けて、しかるべき時期を待っていたわけです。ではこれから、原住民のガイドを迎えにいきます」  パペッティア人は、ズラリと並んだ装置のどこかを口で操作し、歩み出ると消えてしまった。 「ドラウドを使うなよ」ハミイーがいった。 「仰せに従うよ」  ルイスはクルリと背を向けた。そのうち、〈ワイア〉を求めてクジン人にとびかかれば、それが自分の狂気の証明ということになるだろう。そこから、少なくともひとつは、いい結果が出てくる……彼はその思いに必死ですがりつき、ほかへ心をそらすまいとした。  ハールロプリララーのために、彼はこれまでまったく何もしてやれなかったのだ。  リングワールドから脱出する道を求めていたルイスとネサスと〈|獣への話し手《スピーカー・トゥ・アニマルズ》〉の仲間にはいったとき、ハールロプリララーは、もう数千歳だった。浮かぶ警察署の下に住む原住民は、彼女を空に住む女神と考えていた。一行はその例にならうことにした──ハールロプリララーの助力で、原住民に対し、神として接したのだ──そうしながら、彼らは、墜落したライヤー号への道を引っかえした。やがて、彼女とルイスは、愛し合うようになった。  一行の出会ったリングワールド原住民の形態は三種類で、どれも人類とつながりはあったが、人類そのものではなかった。ハールロプリララーの種族は、ほとんど頭に毛がなく、くちびるの厚みは猿ほどもない。ひどく年とった人間は、情事にも、|変 化《バラエティ》しか求めなくなることがある。  当時、ルイスは、自分もそうなってきつつあるのだろうかと疑った。プリルの性格的欠陥を、彼はすっかり見すかしたつもりだった……だが、カホナ! ひと山もの欠陥をかかえていたのは彼のほうだったのだ。  しかも、ハールロプリララーには借りがある。彼女の協力が一行にはどうしても必要だったので、ネサスは彼女にパペッティア一流のきたない手を使った。タスプで彼女を条件づけしたのだ。それをルイスは、だまってやらせておいたのである。  彼女はルイスとともに人類空域へもどった。そして、いっしょに、ベルリンにある国連事務局にはいったが、それきり彼女は二度と出てこなかったのだ。もし〈至後者《ハインドモースト》〉が彼女を解放し、故郷へ返してやれるとしたら、ルイス・ウーとしては、まさに願ってもないことといえよう。  ハミイーがいいだした。 「あのパペッティア人は嘘をついているな。誇大妄想かもしれんぞ。パペッティア人が、精神に異常のあるものを指導者に選ぶなどということがあるだろうか?」 「自分たちにはつとまらないとしたらね。危険だから。ボスの座に尻をのせてるってのも楽じゃないのさ。パペッティア人にしてみりゃ、それだけで、少数の誇大妄想患者の中からいちばん利口なやつを選びだす理由は充分だろう。……あるいは、反対の角度から見てみるんだ。代々〈至後者《ハインドモースト》〉を出してる一族が、ほかの連中に、頭を低くすることを教えこんでるとしたら──あまり大きな権力を握るんじゃない、安全でなくなるぞ、ってね。どっちの側からみても、これは成り立つんじゃないだろうか」 「おまえは、あいつのいうことが本当だと思うのだな?」 「まだよくわからない。でも、嘘だとしても何ができる? こっちは、あいつにつかまってる身なんだぜ」 「おまえはもう逃げられまいよ」と、クジン人がいった。「〈ワイア〉を握られているからにはな。おまえは、恥というものを知らんのか?」  知らないどころではない。心をさいなむ汚辱の思いを遠ざけようと必死に戦ったあげく、まっくらな絶望の中にわが身をとじこめてしまったルイスであった。この物理的に封じこめられた箱の中からも、出る方法はない──壁も床も天井も、ゼネラル・プロダクツの船殻の一部をなしているからだ。  しかし、問題は彼にだけあるのではない……。 「まだここから逃げだす算段をしているならだが」と、彼。「この点もひとつ考えにいれとくほうがいい。あんたは、これからだんだん若返っていくんだってことをね。あの話は、嘘じゃないと思うよ。嘘をつく意味がないんだから。さあ、若返ったら、あんたはどうなるだろうね?」 「食欲が出てくるな。精力もついてくる。喧嘩っぱやくなるから、気をつけたほうがいいぞ、ルイス」  年齢に応じて、ハミイーのからだは前より大きくなっていた。目のまわりの黒いめがね*ヘ様は、すっかり灰色に近くなり、ほかにもあちこち灰色の毛が目立つ。からだの動きにつれてガッシリした筋肉がもりあがる。分別をもった若いクジン人で、彼に戦いをいどむものはいまい。  だが、何より大切なのは傷あとだ。前回リングワールドを訪れたとき、ハミイーのからだの半分以上から、毛皮と多量の皮膚が焼け落ちた。それから二十三年たって、毛は生えもどっていたが、傷ついた組織の上では、それがほつれた房のようになっている。 「細胞賦括剤《ブースタースパイス》は傷あとを消しちまうんだよ」と、ルイス。「毛の生えかたはすなおになるし、白いとこもなくなっちまう」 「ほう、なるほど、おれはそれだけかわいくなるというわけか」  尾がシュッと空気を切りさいた。 「おれはあの草食いを殺さなければならん。傷あとは記念のしるしだ。それをとり除くことは許せん」 「それよりあんた、どうやって自分がハミイーだってことを証明するつもりだい?」  尻尾がピタリと静止した。ハミイーは彼を見つめた。 「あいつは〈ワイア〉でぼくをつかまえた」  この点については留保中のつもりだが、ルイスは、マイクロフォンにきかせているのだった。パペッティア人というのは、反抗の可能性には敏感だ。 「それから、老雄ハミイーの名前と、ハレムと領地と名誉とによって、あんたをつかまえたのさ。族長は、あんたの話を信じちゃくれまい。どうしたって、クジン用の細胞賦活剤《ブースタースパイス》と、それを裏づける〈至後者《ハインドモースト》〉のことばを持って帰らなきゃならんわけだよ」 「だまれ」  ふいに、どうにもとまらなくなった。ルイスがドラウドへ手をのばす一瞬、クジン人がそれをひったくった。その黒いプラスティックのケースを、ハミイーは黒とオレンジの手の中でころがしてみせた。 「勝手にしろ」と、ルイス。  ゴロリと仰向けに寝ころがった。どうせ睡眠不足だったんだ……。 「どうして電流中毒《ワイアヘッド》になどなったのだ? どうして?」 「それはね」ルイスはいいかけた。「それにはまず、知ってもらわなきゃならんことがある」  そして、彼はつづけた。 「この前、会ったときのことをおぼえてるかい?」 「ああ。ごく限られた数の人間が、クジン本土に招かれたときだな。あのときは、おまえもその栄誉に値する男だったのだ」 「まあな。そうだったんだろう。そして、〈長老の歴史の館〉を見せてもらった。あのことはおぼえてるかい?」 「おぼえているぞ。おまえはおれを、種族間の関係改善のためだといって説き伏せようとした。立体《ホロ》カメラをもった記者の一団を、博物館にいれてやればいいのだ、とな」  ルイスは思いだして微笑を浮かべた。 「そうだったっけな」 「おれは、それは疑問だといった」 〈族長の歴史の館〉は、豪華にして豪奢──火成岩の厚板を熔接でつぎ合わして建てられた、のたくるようなかたちの大建築である。ゴツゴツと角《かど》だらけで、四基の高い塔の中にはレーザー砲が据えられていた。つぎつぎと果てしなくつづく部屋。ハミイーとルイスは、そこを通りぬけるのに、まる二日かかった。  族長一家の公的な記録は、はるかな過去にまでさかのぼる。最初は原始時代のクジン族が使用した棍棒──握りをきざみつけた古代の|ばちあたり《ストンダット》の大腿骨だ。それから、携帯式の大砲ともいうべきもの──これを持ちあげられる人間はまずいないだろう。また、銀メッキされた、金庫のとびらほども厚みのある甲冑や、一撃でセコイアの大木を叩き切れそうな斧もあった。  人間の記者団を案内することを奨めながら歩いてきたルイスは、そこで、ハーヴェイ・モスバウアー記念室にいきあたったのである。  ハーヴェイ・モスバウアーは、第四次人間=クジン戦争で家族を失った──みな殺しにされ、食われてしまったのだ。停戦から数年後、偏執狂的な準備を充分にととのえたモスバウアーは、単身クジン星に降り立ち、戦いをいどんだ。彼は四人のクジン人成年男子を殺し、族長のハレムを爆破したあげく、警備兵に殺された。ハミイーの話だと、みんな彼の皮膚を無疵のまま手にいれたがったため、被害が大きくなったのだという。 「あれ[#「あれ」に傍点]が無疵だって?」 「やつはよく戦った。すごい戦いぶりだったぞ! テープの記録もある。われわれには、敵の勇者を遇する道があるのだ、ルイス」  剥製にされたその皮膚はズタズタで、ひと目見たくらいでは人間と思えないくらいだった。しかしそれは、何もない広い床の中央の高い台座の上に、船殻用金属製の額で飾られて安置されていたのだ。なみの人間の記者なら誤解しかねないだろうが、ルイスははっきりその意味をつかんでいた。 「あんたにわかってもらえるかどうか自信はないんだが」  ──あれからもう二十年、いまや誘拐されドラウドをとりあげられた電流中毒者《ワイアヘッド》の彼がいう。 「ハーヴェイ・モスバウアーみたいな人間もいたってことを知って、嬉しかったよ」 「回想はいいが、いま話しているのは電流中毒のことだぞ」ハミイーが注意をうながした。 「幸福に暮らしている人間が電流中毒になるということはない。わざわざ電極を埋めてもらいにいかなけりゃならないからね。あの日はいい気分だった。英雄気どりでいたんだ。でもそのとき、ハールロプリララーは、どうしていたと思う?」 「どうしていたのだ?」 「政府につかまってたのさ。ARMだ。やつらの訊問に責めさいなまれている彼女に、ぼくはなんにもしてやれなかった。カホナ、ぼくが保護する立場だったのに。彼女を地球に連れてきたのは、ぼくだったのに──」 「彼女は内分泌腺でおまえをとりこにしていたのだ、ルイス。クジン人の女が知的生物でないのはいいことだな。あのときのおまえは、彼女のいいなりだった。彼女が、人間の世界を見たがったのだ」 「いかにも、ぼくを原住民のガイドにしてね。しかし、そうはならなかったんだ。ハミイー、ぼくらはロングショット号とハールロプリララーを、故郷の人間=クジン連合政府に引きわたしたが、それっきりどっちにもお目にかかれなくなっちまった。そのことを他人に話すことさえ許されなかった」 「量子第二段階《クワンタムU・》|超空間駆動《ハイパードライヴ》モーターは、族長の機密になったな」 「国連にとっても最高機密だった。人間空域のほかの政府にも知らせていないと思うし、ぼくにも口をすべらさないようにと、カホナくらい念をおしやがった。当然ながら、あの船がなけりゃ到達できないリングワールドも、秘密の一部ってことになるだろ? そういえば、ふしぎだな」と、ルイス。「〈至後者《ハインドモースト》〉のやつ、どうやってリングワールドへいくつもりなんだろう。地球から二百光年──キャニヨンからはもっとある──この船じゃ、一光年いくのに三日かかっちまう。どこかにもう一隻、〈|のるかそるか《ロングショット》〉号があるんだろうか?」 「話をそらすな。なぜおまえは、〈ワイア〉を埋めてもらいにいったのだ?」  ハミイーがじっと背をまるめると、指先から鉤爪がニュッとのびる。たぶん反射作用なんだろう。意識的にはコントロールできないんだ──たぶん。 「クジン星からもどったあとも」と、ルイスは話しつづけた。「ARMはプリルに会わせてくれなかった。ぼくがリングワールド調査隊を組織でもすれば、彼女も原住民のガイドとして同行しなきゃならなくなるんだが、カホナ! そんな話をもちかける相手は、政府しかない……それにあんたとだ。あんたは、いく気がなかったし」 「どうしておれが故郷を離れられる? おれには領地と名前があり、子供たちも生まれていたのだぞ。クジンの女は、自分では何ひとつできん。気をつけて世話をしてやらなければならんのだ」 「すると、いまはどうなってるんだい?」 「長男が取りしきっているだろうよ。いつまでもこのままにしておくと、所有権をめぐっておれに戦いをいどむだろう。そこでもし──おい[#「おい」に傍点]、ルイス[#「ルイス」に傍点]! なぜ[#「なぜ」に傍点]電流中毒者《ワイアヘッド》になったのだ[#「になったのだ」に傍点]?」 「どっかの野郎に[#「どっかの野郎に」に傍点]、タスプをかけられたんだよ[#「タスプをかけられたんだよ」に傍点]!」 「ハアン?」 「リオの博物館をぶらついていたとき、柱のかげから、ぼくに春を送ってくれた[#「春を送ってくれた」に傍点]やつがいたんだ」 「しかし、ネサスは、隊員をあやつるため、リングワールドにタスプを持っていった。われわれふたりとも、それにやられたことがあるではないか」 「そう、〈ピアスンの|人形つかい《パペッティア》〉らしいやりくちさ。支配するためにやさしくしてくれるってわけだ! いまは〈至後者《ハインドモースト》〉が、同じことをやってる。みろよ、ぼくのドラウドを遠隔操縦にし、あんたには永遠の若さをよこし、その結果はどうだ? こっちはあいつのいいなりさ、そういうことだよ」 「ネサスはおれにもタスプを使ったが、おれは電流中毒者《ワイアヘッド》になどならなかったぞ」 「ぼくだって、すぐそうなりゃしなかった。しかし、そのときの幸福感は心に残っていた。プリルのことを思うたびに、自分がどうにもならないしらみ[#「しらみ」に傍点]野郎だって気がして──それで、|休 養《サバティカル》に出ようかとも思った。これまで何度もやってるように、船でただひとりノウンスペースの辺境をめざし、もう一度人間の世界に耐えられるようになるのを待つんだ。もう一度、自分自身に耐えられるようになるのをね。でもそれじゃ、プリルを見かざるのと同じだ。そうしたやさきに、誰かが最高の気分を味わせてくれたわけさ。効き目はたいしたことなかったが、おかげでネサスのタスプの味を思いだした──十倍も強力なやつのことを。それで……それでも一年以上もちこたえたけれど、とうとう頭の中にプラグを埋めてもらいにいったんだよ」 「その電線を、おまえの頭の中から引っこぬいてやらなければな」 「そうすると、好ましくない副作用が出てくるんだよ」 「どうしてウォーヘッド星の|割れ谷《ガッシュ》へきていたのだ?」 「ああ、それか。たぶんぼくの被害妄想だと思うんだが、いいかい? ハールロプリララーは、ARMの建物の中へはいったきり出てこない。ルイス・ウーのほうは電流中毒者《ワイアヘッド》になり、馬鹿な|平 地 人《フラットランダー》の常で、いつ秘密をしゃべるかわからない。そういう状況さ。こいつはもう、逃げるに如《し》かずと思ったんだ。キャニヨンは、こっそり船をおろすのに、もってこいのとこだったよ」 「〈至後者《ハインドモースト》〉もそう思ったのだな」 「ハミイー、そのドラウドをよこすか、ひと眠りさせるか、さもなきゃ殺すかしてくれ。禁断症状なんだ」 「では、眠るがいい」 [#改ページ]      3 幽 霊 隊 員  就寝プレートのあいだにただよいながら目をさますのはいい気持だった……だが、ルイスはすぐに状況を思いだしてしまった。  ハミイーが、まっかな生肉のかたまりを食いちぎっている。ウンダーランド製の食物再生装置の中には、ふたつ以上の種族の用をたすものがよくある。クジン人は、しゃべるあいだだけ食うのをストップした。 「この船に積まれている装置類は、ひとつ残らず人間の製品か、あるいは人間にもつくれるものばかりだ。この船殻ですら、どこかの人間の世界で買ったものかもしれん」  子宮の中の赤児のように、ルイスは目を閉じ、膝をまるめこんで、無重力の中に浮かんでいた。しかし、ここがどこかを忘れる道はなかった。  彼は口をひらいた。 「あの大きな着陸船《ランダー》はジンクス製くさいね。注文製品だろうが、たぶんジンクス製だろう。あんたのベッドはどうだ? クジン製かい?」 「人造繊維だ。クジン人の毛皮に似せてあって、おかしなユーモア感覚を持った人間にこっそり売られていることは間違いない。こんなものをつくったやつをつかまえることができたら、楽しいのだがな」  ルイスは手をのばし、フィールド制御スイッチを倒した。就寝フィールドがくずれ、彼をそうっと床の上におろした。  船の外は夜だ──頭上にはクッキリ白い星々、地上はかたちのない黒びろうど[#「びろうど」に傍点]のような闇。ここでもし宇宙服が手にはいったとしても、峡谷《キャニヨン》は惑星を半分まわったところかもしれない。あるいは、星空につき出た黒い稜線のすぐ向うなのかもしれないが、彼に知るよしがあるだろうか?  再生調理装置には、ふたつのキーボードがついており、ひとつには|共 通 語《インターワールド》で、もういっぽうには〈ますらおことば〉で、指示が書かれていた。左右の端に、それぞれのトイレットがついている。こうもあからさまな配置をしなくたっていいのにと、ルイスは思った。調理機の|品 目《レパートリー》をしらべるために、彼は朝食のメニューをダイアルしはじめた。  クジン人が、いがみ声でいった。 「いったいおまえは、この状況を面白がっているのか、ルイス?」 「足もとを見てみろよ」  クジン人は床に膝をついた。 「ウウゥ……そうか。この超空間駆動装置《ハイパードライヴ・シャント》はパペッティア製だ。ではこの船は、〈至後者《ハインドモースト》〉が、〈惑星船団〉から乗り逃げしてきたものだったのだな」 「あんたは|跳 躍 円 盤《スチッピング・ディスク》のことも忘れてたらしいね。パペッティア人は、自分の惑星以外ではそいつを使わない。だが、〈至後者《ハインドモースト》〉は、ぼくをつかまえるために、|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》で人間の手下を送りこむことまでやったんだ」 「ウウム、〈至後者《ハインドモースト》〉は、それと、この船と、その他こまごましたものを盗んできたということになる。ゼネラル・プロダクツから、あるとき払いの催促なしで資金を借りたのかもしれん。ルイス、この〈至後者《ハインドモースト》〉が、パペッティア人の支持を得ているとは思えんぞ。われわれとしては、パペッティアの〈船団〉にたどりつく道を考えるのがよさそうだな」 「おい、ハミイー、ここにはきっと、マイクが──」 「あの草食いをおそれて、ことばに気をつけろというのか?」 「そうかい、それじゃひとつ、考えてみるとするか」  心の中の憂鬱さが痛烈ないやみ[#「いやみ」に傍点]になって流れだしたが、かまうことがあるだろうか? 彼のドラウドを押さえているのはこのハミイーなのだ。 「パペッティア人が無鉄砲にも人間とクジン人を誘拐した。当然、まともなパペッティア人なら、ふるえあがるだろう。そいつらが、ぼくらを放してくれると思うのかい? 何もかも、あんたの族長に、筒ぬけになるかもしれないんだぜ。族長はすぐさま、全力をあげて、もっとロングショット号をつくろうとするにきまってる。あの船なら、パペッティアの〈船団〉にいきつくのに、わずか四時間とちょっとで、あとは速度合わせのための加速時間──三Gでまあ三ヵ月くらいか──」 「もうわかったぞ[#「もうわかったぞ」に傍点]、ルイス!」 「カホナ、もしいまここで戦争がはじまったら、あんたたちに分があるかもしれないんだ! ネサスの話によると、パペッティア人は、第一次人間=クジン戦争にちょっかいをだして、こっちに勝たせた。よく考えてみるんだ。まさかそのことを、誰かに話してやしないだろうな?」 「その話は、やめておけ」 「いいとも。ただちょっと思いついただけさ──」  この会話が記録されているかもしれないので、ルイスは〈至後者《ハインドモースト》〉のためも考えてつけ加えた。 「つまり、このノウンスペースの中で、パペッティア人の現状を知ってるのは、あんたとぼくと〈至後者《ハインドモースト》〉だけだ。ぼくらから誰かが話をきいていないとしたらね」 「もしわれわれが、リングワールドで命を落とせば、〈至後者《ハインドモースト》〉にとっては痛恨のきわみだというのか? いいたいことはわかった。しかし、〈至後者《ハインドモースト》〉は、ネサスが口をすべらしたことも知らないかもしれんのだぞ」  この話を再生すればわかってしまう。ルイスは気づいた。とんだ失言だ。草食いのために口をつぐまなきゃならないのは、こっちだったか? 彼は、なかばやけ[#「やけ」に傍点]気味で、食事をたいらげにかかった。  ダイアルで選んでおいたのは、簡単なものとこみいったものとの両方だった──グレープフルーツ半分、チョコレート・スフレ、恐鳥《モア》の胸肉《ブレスト》の|照り焼き《ブロイル》、ホイップ・クリームを浮かせたジャマイカ=ブルーマウンテン・コーヒー。だいたいのところ味はよかったが、ホイップ・クリームだけはちょっといただきかねた。  しかし、恐鳥《モア》については、何がいえるというのか? 二十四世紀の遺伝学者が、モア鳥を再生した──ないしは再生したと主張していた──ので、再生調理装置は、その模造品をメニューに加えていたのだ。口あたりはよく、脂っこい鳥肉の味だった。  それでも、〈ワイア〉の味にはほど遠い。  時間ぎめでやってくるそうした憂鬱感に耐えて生きていくすべ[#「すべ」に傍点]は、彼ももう身につけていた。結局それは、〈ワイア〉との対比の問題にすぎなかった。それが人間というものの、ふつうの状態なのだと、ルイスは考えていた。  それがいま、こんなに[#「こんなに」に傍点]つらく感じられるのは、気のくるった異星人の妙な目的のために監禁されているせいではない。陰鬱な朝をかくもひどいものにしたのは、ルイス・ウーがドラウドをあきらめなければならなくなっているという、そのことだったのだ。  食べ終えると、彼はよごれた容器をトイレにほうりこんだ。  それからたずねた。 「何をやったらドラウドをくれる?」  ハミイーが鼻をならした。 「何を持っているのだ?」 「名誉にかけて、どんな約束でもするよ。それと、上等のパジャマの上下だ」  ハミイーの尻尾がシュッと空気を鳴らした。 「かつてのおまえは、いい仲間だった。いまここでドラウドを渡したら、おまえは何になる? がっついた獣だ。ドラウドは、おれが押さえておくぞ」  ルイスは、いつもの体操をはじめた。  片手での腕立て伏せも、二分の一Gではやさしい。だが、それを百回ずつとなると、そうはいかない。天井にあたる船殻の上部曲面が低すぎて、いくつかの種目は無理だった。伸ばした指先で伸ばした爪先に触れる開脚とびを二百回──。  ハミイーは、もの珍しそうに見つめていたが、やがていいだした。 「〈至後者《ハインドモースト》〉は、なぜその地位を追われたのかな」  ルイスは答えない。からだを水平に、爪先を下側の就寝プレートの下にさしこみ、ふくらはぎの下に平らなものをおいて、彼はゆっくりと、起きあがり腹筋運動をくりかえしていた。 「それと、宇宙港の張りだしに何があると思っているのかな。この前は、何があった? 減速リングは大きすぎて、とても持ってはこられない。リングワールドの宇宙船から何かをとってくるつもりなのかな?」  ルイスは、恐鳥《モア》の脚を二本ダイアルした。その脚から脂をぬぐいとると、それで曲芸をはじめた──特大の体操用棍棒《インデアンクラブ》だ。汗が顔や胸をノロノロとつたい、やがて大きな玉になってしたたる。  ハミイーの尾が激しく空を切って動く。大きなピンク色の耳が、うしろへたたみこまれたのは、敵につかまれないためだ。ハミイーは腹を立てていた。たずねてみてもどうにもならない問題だということは、よくわかっている。  不可侵の壁一枚を隔てた向うに、パペッティア人が、パッと実体化した。その髪型が変わり、オパールのかわりに点光源がついている……誰も連れてはいない。しばらくこっちの様子をうかがっていたが、やがてパペッティア人はいった。 「ルイス、ドラウドをつけなさい」 「ぼくの思うようにはならないんだよ」  ルイスは全身の力をぬいた。 「プリルはどうしたんだい?」  パペッティア人がいう。 「ハミイー、ルイスにドラウドをやりなさい」 「ハールロプリララーはどこなんだ?」  巨大な毛皮の腕が、ルイスののど[#「のど」に傍点]にまきついた。足で蹴放そうとしたが、かえって全身が包みこまれて身動きがとれない。クジン人の不服げな声。そして、奇妙なほどそうっと、彼はドラウドを頭のソケットにさしこんだ。 「もういいよ」と、ルイス。  クジン人が手を離し、彼はすわりこんだ。すでに事情は察しがついたし、もちろんクジン人も同じだったろう。  ルイスはようやく自覚しはじめていた──自分がどんなにブリルと会いたかったか……ARMから解放してやりたかったか……ひと目みるだけでもよかったのに。 「ハールロプリララーは死んでいました。部下どもがわたしをだましたのです」パペッティア人がいう。「あのリングワールド原住民が十八標準年前に死んだことを、彼らは知っていたのです。どこへ逃げ隠れようと、ここにとどまってさがしだすことはできますが、それにはまた十八年かかるかもしれません。千八百年かかるかも! 人間の版図は大きすぎる。盗まれた金は、くれてやるとしましょう」  ルイスは微笑したままうなずいたが、いずれドラウドをはずしたとき、そのことでどんなにひどく心が痛むかも、彼にはわかっていた。  ハミイーのたずねる声が聞こえる。 「どうして死んだのだ?」 「細胞賦活剤《ブースタースパイス》がからだに合わなかったのです。いまでは国連も、彼女が人間そのものではなかったことを認めています。アッというまに年をとっていったのです。地球へ着いて一年と五ヵ月後に、彼女は死にました」 「もう死んでたわけか」ルイスは、ぼんやりといった。「ぼくがクジン星へいったときには、もう……」  だが、おかしなことがひとつある。 「彼女は、自分用の長寿薬を持ってた。地球の細胞賦活剤《ブースタースパイス》よりも優れたのを。低温瓶にいれて持って帰ったんだ」 「それは盗まれました。それ以上のことは知りません」  盗まれただと? だがプリルは、地球の道路上には出なかったから、そこらをウロウロしている泥棒にやられたはずがない。  国連の科学者が、成分を分析するため瓶をあけたかもしれないが、百万分の一グラムもあれば充分だったろう……分析ではわからなかったのか。それでそのあと、彼女を監禁して、問いただしているうちに、彼女は死んでしまったのだ。  これで心の痛まないわけがない。しかし、いまのところは、まだだ。 「これ以上出発を遅らす必要はありません」  パペッティア人は、フカフカの座席に腰をおろした。 「資材を無駄にしないため、あなたたちは、停滞《ステイシス》フィールドにはいって旅行することになります。この船には、|超 空 間《ハイパースペース》にはいる前に捨てられる補助燃料タンクがあります。燃料満載のまま向こうへ着けるわけです。ハミイー、この船に名前をつけてくれますね?」  ハミイーが問いかえした。 「するとおまえは、ただやみくもに探険をすすめるつもりなのか?」 「あの宇宙港の張りだしだけです。それより中へはいきません。船に名前をつけてくれますね?」 「では、〈|尋 問 用 の 焼 き 火 箸《ホット・ニードル・オヴ・インクワイアリー》〉号と命名するぞ」  ルイスは微笑を浮かべながら、パペッティア人にそのことばの意味がわかっただろうかと考えていた。この船は、いまやクジン人の拷問用具にちなんで命名されたのである。  パペッティア人が、二本のつまみを口にくわえて、ひとつにまとめた。 [#改ページ]      4 ずれた中心  ふいに体重が倍になり、ルイスはガクリと身を折った。暗黒のキャニヨンの眺めは消えていた。満天の星空が足もとにもひろがり、その、前とはかたちをかえた星座のあいだ、直下の方向に、一個の星が他を圧して輝いている。 〈至後者《ハインドモースト》〉が、緩衝ネットをほどき、座席から立ちあがった。その姿も、すっかり変わっていた。疲れ果てたような身ごなしに加えて、そのたてがみ[#「たてがみ」に傍点]も──また別の髪型になっていたが──しばらくセットを怠っていたようにみえる。  電流は脳の働きを弱めはしない。ルイスにとって、状況は明白だった。  この船で、パペッティア人がハイパースペースの中を飛ばしている二年のあいだ、彼とハミイーは、停滞《ステイシス》フィールドにとじこめられて過ごしたものにちがいない。すでに、ノウンスペース──半径約四十光年におよぶ調査ずみ星系の空間──は、はるか後方に遠ざかってしまった。  またこのホット・ニードル号は、〈ピアスンの|人形つかい《パペッティア》〉が乗客全員を停滞フィールドにいれて動かすようにつくられており、だから帰るには、パペッティア人のお情けにすがるしかないのだ。もうこれで人間の顔を見ることはないだろうし、ハールロプリララーもルイス・ウーの軽率さのせいで死んでしまい、そのうち──もういまにも──ドラウドが頭からはずされたら、彼はものすごい孤独感にさいなまれることになるだろう。  何もかもわかっている──だがそれも、わずかな電流がチョロチョロと脳へ流れこんでいるかぎり、苦にはならないのだった。  噴射の炎は、どこにも見えない。ニードル号は、無反動のスラスター駆動だけで動いているのにちがいない。  ライヤー号を設計した連中は、船の駆動機関《モーター》を、大きな三角翼にとりつけた。その船がリングワールドの上空にさしかかったとき、何か途方もないレーザー砲のようなもので射たれて、モーターは焼失してしまった。〈至後者《ハインドモースト》〉が、あんな[#「あんな」に傍点]失敗をくりかえすことはないだろうと、ルイスは思った。ニードル号のスラスターは、不可侵の船殻内に据えられているはずだ。  ハミイーがたずねる。 「あとどのくらいで着陸できるのだ?」 「あと五日で入港の態勢が整います。これより進歩した駆動システムを、〈惑星船団〉で用意してくることはできませんでした。人間製の機械装置では、二十Gでしか減速できません。船内重力は、これでちょうどよろしいですか?」 「少し軽いぞ。一地球Gか?」 「一リングワールドG、〇・九九二地球Gです」 「このままでよい。〈至後者《ハインドモースト》〉、この部屋には、観測装置が何もないぞ。おれは、リングワールドが見たいのだ」  パペッティア人は、しばし考えこんだ。 「着陸船には望遠鏡がついていますが、真下は見られないでしょう。ちょっと待ちなさい」  パペッティア人は、計器盤に向きなおった。それから、片方の頭がこっちをふり向くと、かすれてつまったうなり声のような〈ますらおことば〉で話しはじめた。  ハミイーがいった。 「|共 通 語《インターワールド》を使え。一応ルイスにもわかるようにな」  パペッティア人は、そうした。 「どんなことばにしろ、もう一度しゃべるのはいい気分です。ずっとひとりだったのですから。さあ、そこに船の望遠鏡で見た眺めを投影しますよ」  一個の映像が、ルイス・ウーの足もとに現れた──境界線のない四角い範囲にわたって、リングワールドの太陽とその周囲の星々が、ふいにグッと拡大されたのだ。ルイスは、太陽の光輝を手でさえぎりながら、そのまわりを目でさがした。リングワールドが、そこにあった──半円形をなしているみどりの糸だ。  まず、長さ五十フィート、幅一インチの、青緑色をしたクリスマス・リボンを心に描いてみてほしい。それを円形にし、縁《へり》で立つように床の上において、その中心にろうそくを立てる。さて、そのスケールを、うんと大きくしてみよう──。  リングワールドは、とてつもなく強靭な物質でできた、幅百万マイル、長さ六億マイルのリボンで、それが中心に太陽をおいた半径九千五百万マイルの円をかたちづくっている。その環《リング》が秒速七百七十マイルで回転し、それによって外向きにちょうど一Gの重力をつくりだす。  いまだ正体を現わしていないリングワールドの建設者は、その内側の表面を、土壌と海洋と大気の層で蔽い、また両方の縁《リム》に高さ一千マイルの外壁を築いて、大気が逃げないようにした。おそらくそれでも、その壁をこえていく空気はあるわけだが、たいした量ではない。二十枚の長方形の|遮 光 板《シャドウ・スクエア》から成る内側の環《リング》は、太陽系なら水星軌道にあたる位置にあり、リングワールド上に三十時間周期の昼夜をつくりだしている。  リングワールドは、いわば面積六百兆平方マイルの、居住可能惑星なのだ。この面積は地球表面の三百万倍にあたる。  ルイスと〈|獣への話し手《スピーカー・トゥ・アニマルズ》〉とネサスとティーラ・ブラウンは、およそ一年にわたって、このリングワールド横断の旅をした──横向きに二十万マイル進み、それからライヤー号が墜落した地点まで引っ返したのだ。幅のおよそ五分の一の距離である。これではまだ、ほとんど何もわかったとはいえない。いや、およそ思考する生物で、リングワールドの権威を以て任じえたものが、これまであっただろうか?  だが、外壁の外に張りだした宇宙港なら、前にもひとつ調査している。もし〈至後者《ハインドモースト》〉のことばが信用できるとすれば、そこからさきへいく必要はないわけだ。宇宙港の張り出しに着陸し、何でもいいから〈至後者《ハインドモースト》〉のお目当てのものを積みこみ、そしておさらばする。それも急いでだ!  なぜなら──。 〈至後者《ハインドモースト》〉が写しだしてくれた望遠鏡の四角い映像でも、そのことは痛いほどはっきりと見てとれた。リングワールドの青緑色の円弧──地球を三百万あわせたこの世界の様子はまだ遠すぎて、|遮 光 板《シャドウ・スクエア》のつくりだす夜の濃紺色の縞もよう以外にこまかいところまではわからない──は、中心が、太陽からかなりずれて[#「ずれて」に傍点]いたのである。 「これは知らなかったぞ」と、ハミイーがいった。「この人工世界で一クジン年を過ごしながら、気がつかなかった。なぜわからなかったのだ?」  パペッティア人がいう。 「あなたたちがここにいたとき、リングワールドの中心は、ずれて[#「ずれて」に傍点]いなかったのでしょう。二十三年も前のことです」  ルイスはうなずいた。声を出したが最後、いても立ってもいられなくなりそうだった。リングワールド原住民を待ちうけている運命への恐怖と、自分自身に対する恐れと罪の意識を遠ざけていてくれるのは、いまや〈ワイア〉の喜悦だけだ。 〈至後者《ハインドモースト》〉がつづける。 「リングワールドの構造は、その軌道面内で不安定なのです。もちろん、知っていたと思いますが?」 「知らんぞ!」 「ぼく自身も、知ったのは地球へ帰ってからだったよ。そこで、ひとつ計算してみたんだがね」と、ルイスはいった。  異星人がふたりともこっちを見つめている。こんなに注意を惹くつもりはなかったのだが、まあいいだろう。 「リングワールドが不安定なことを証明するのはやさしいんだ。軸方向には安定だが、軌道平面上では不安定なんだよ。太陽を中心の位置においておくための何かがあったはずなんだ」 「だが、いま現在は、中心からはずれているではないか!」 「だから、その何かが働かなくなったってことさ」  ハミイーは、透明な床に爪をたてた。 「だがそうなったら、住民は死んでしまう! 何十億、何百億──いや何兆か?」  ルイスのほうをふり向くと、彼は唸った。 「そのまぬけ笑いには、うんざりだ。ドラウドをはずして、もっとはっきりしゃべってほしいものだな」 「ちゃんとしゃべってるじゃないか」 「では話せ。なぜリングワールドは不安定なのだ? 軌道にのっているわけではないのか?」 「もちろんのっちゃいないさ。あいつは剛体として扱える。あのものすごい回転による張力で、剛体と同じになってる。ひと押しして中心をちょっとはずしてやれば、あとはどんどんずれていくいっぽうなんだ。しかしその方程式は、おそろしくややこしい。コンピューターをひねくりまわして数値を出してみたが、いまだに信じたものかどうか迷ってるありさまなんだ」 〈至後者《ハインドモースト》〉がいった。 「わたしたちも一度は、わが種族用のリングワールドを作ろうかと考えましたが、不安定さが大きすぎました。大きめの太陽フレアの圧力で、バランスをくずすには充分なのです。五年後には、太陽の表面をこするようになるでしょう」 「ぼくの出した数値と同じだ」と、ルイス。「そいつが、まさにここで起ったんだよ」  ハミイーがふたたび床を爪でひっかいた。 「姿勢制御ジェットだ! リングワールドの建設者たちは、姿勢制御ジェットをつけたはずだ!」 「たぶんね。彼らに、パサード・ラムジェットがあったことはわかってる。宇宙船の駆動に使っていたからね。そう、外縁にそって、大きなパサード・ラムをつけておけば、リングワールドを中心に保持するには充分だろう。太陽風の水素を融合させて駆動する。これで燃料切れの心配もない」 「そんなものはなかったぞ。そのようなモーターがどのくらいの大きさになるか、考えてみるがいい!」  ルイスは笑いだした。 「大きいって、どういうことかね? このリングワールドの上でさ。見のがしてただけのことだよ」  しかし、鉤爪をむきだしたハミイーがのしかかるように立っているのは、気持のいいものではない。 「どうしてそんなに当然のような顔をしていられるのだ? リングワールドの住民は、ノウンスペース全惑星の住民数の何千倍もあるかもしれんのだぞ。それも、おれよりおまえのほうに近い種族なのだぞ」 「まったく、無慈悲で残酷な肉食動物だな。考えてみてほしいね」ルイスは、クジン人にいった。「そう──ぼくも悩むだろうよ。〈至後者《ハインドモースト》〉がドラウドのスイッチを切ったときには、ものすごい悩みが押しよせてくると思うね。でも、それまでにはいくらか気も静まってるだろうから、悩み死にまではしないですむと思う。ところで、彼らを助けるために、何かしてやれることはないのか? どんなこと[#「どんなこと」に傍点]でもいいから。どうかね?」  クジン人は顔をそむけた。 「〈至後者《ハインドモースト》〉、時間の余裕はどれくらいだ?」 「計算してみましょう」  太陽は、リングワールドの中心から、かなり[#「かなり」に傍点]ずれていた。  ルイスの推定だと、近い側から七千万マイル、遠い側からは一億二千万マイル──そのくらいのところか。近いところは遠いところより三倍近くの日光をうけているわけで、しかもこの建造物は三十時間のリングワールド日で七日半に一回の割合で回転している。  気候が生じているはずだ。  この変化に耐えられない植物は滅びかけているだろう。そして動物も。それに人間もだ。 〈至後者《ハインドモースト》〉は、望遠鏡での観測を終えてしまったようだ。いまはコンピューターにかかっているらしく、かたい緑の壁のうしろにかくれて、その姿は見えない。見えない部分にあと何がかくしてあるのだろうと、ルイスはいぶかしんだ。  そのパペッティア人が、トコトコと現われた。 「いまから一年と五ヵ月で、リングワールドは太陽に触れるでしょう。そうなると、たぶんこなごなに分解すると思います。これだけの回転速度があるのですから、破片はすべて恒星間空間に飛び散っていくでしょう」 「|遮 光 板《シャドウ・スクエア》は──」ルイスがつぶやいた。 「何ですと? ええ、そうですね。太陽より先に、|遮 光 板《シャドウ・スクエア》のほうがぶつかってくるでしょう。それでも、少なくともあと一年はあります。それだけあれば充分です」〈至後者《ハインドモースト》〉は、活気づいた口調でつづけた。「リングワールドの表面に降りる必要は、まったくないのですから。前回あなたたちがきたときも、宇宙港の張りだしに数万マイルまで近づいて観察したわけですが、リングワールドの隕石防禦装置に攻撃されはしませんでした。宇宙港は放棄されているのだと思います。着陸しても大丈夫です」  ハミイーがたずねた。 「何が見つかると思うのだ?」 「あなたたちがおぼえていないとは、ふしぎですね」 〈至後者《ハインドモースト》〉は、制御ボードに向きなおった。 「ルイス、お楽しみはもう充分でしょう」 「あ、待──」 〈ワイア〉の電流が切れた。 [#改ページ]      5 禁 断 症 状  ルイスが壁を隔てて見つめる目の前で、パペッティア人が彼のドラウドをいじっている。  彼はもう、気の遠くなるほどさまざまなかたちの死を──彼自身の個人的経験としての死と、彼の脳の電流を握っている異星人に与えるべき死とを──思い描いていた。  ひらべったいふたつの頭が宙に浮かんであちこちへ動き、まるで不安な食物を少しずつ味わうみたいに、黒いケースに鼻さきをつっこんだりしている。長い舌と鋭敏なくちびるが、ケースの中で働いているのだ。数分のうちにパペッティア人は、タイマーを三十時間の一日周期にセットしなおし、半分だけ電流が流れるようにした。  つぎの日一日は、人間の感覚に濾過されない純粋な喜悦に満ち、本当の悩みなど何もなかった。だが……ルイスは、そのとき[#「そのとき」に傍点]の気分をどう規定していいのか見当もつかない。  夕方になって、フッツリと電流が切れると同時に、濃いサフラン色の霧のように、憂鬱がどっしりと彼の上におりてきたのだ。  と同時に、ハミイーがルイス・ウーの上にかがみこんで、頭からドラウドをぬきとると、操縦区画へ通じる|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》の上においた。  再セットだ。まただ。  ルイスは叫び声をあげてとびかかった。毛皮を手がかりにクジン人の大きな背によじのぼり、その両耳を引き千切ろうとする。クジン人が身をひねった。アッというまにルイスは、大きな腕につかまり、ひと握りで部屋の隅までふっとんだ。もろに壁に叩きつけられてなかばもうろうとなり、片腕から血を流しながらも、ルイスは向きなおってとびかかろうとした。  向きなおったその目の前で、ハミイーが、〈至後者《ハインドモースト》〉がレバーを口にくわえたのを見すまして、|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》にとびのった。  黒い円盤の上で身をかがめたハミイーの恰好は、恐ろしくもまた馬鹿げた図だった。 〈至後者《ハインドモースト》〉がいった。 「そんな大きなものはここへは移せません。わたしが、クジン人を自分の操縦区画へいれるほどの間抜けだと思ったのですか?」  ハミイーがうなった。 「草食いにどんな知能が要るというのだ?」  そのままルイスに、ヒョイとドラウドを投げ返すと、ノロノロと自分のウォーター・ベッドのほうへもどっていった。  陽動作戦だった。ハミイーが、スイッチの切れた直後のドラウドをルイスの頭から引きぬいたのは、単にルイス・ウーを狂戦士的《パーサーカー》な見さかいのない怒りへかき立て、パペッティア人の注意をそらすためだったのである。 〈至後者《ハインドモースト》〉がいった。 「このつぎあなたのドラウドをセットしなおすのは、それをさしこむすぐ前にしましょう。そのほうが安心していられますね?」 「カホナくらい何もかもご存じなんだな!」  ルイスは、ドラウドをしっかり抱きしめた。もちろん、電流は切れたままだ──タイマーがそれを復活させるまでは。 「あなたたちは、わたしと同じくらい長く生きていますね。こんなことは、ほんの一時の問題ですよ」〈至後者《ハインドモースト》〉の甘い声がいう。「夢にも思わなかったほどの富がはいるのですよ! リングワールドの船は、安あがりで大規模な物質変換機を使っていました。それは、リングワールドそのものをつくるのに使われたのと同じもののはずです!」  ルイスは、愕然として顔をあげた。 「その装置の質量と大きさがわかるといいのですが」と、パペッティア人はつづける。「リングワールドの船は、どれも巨大なものばかりです。しかし、それをわざわざ運ぶ必要はありません。必要なら、探深《デイープ》レーダーでとったホログラムと、装置が作動しているときのホログラムがあれば、わたしの目的としては充分です。あとは、ゼネラル・プロダクツ四号船殻を、取りにやればいいのですから」  電流を断たれた中毒患者が、いちいち答えてくれるとも思っていないらしい。当然のことだろう。しかしルイスは、ひそめた眉の下からハミイーのほうをうかがい、彼がどう応じるか見さだめようとしていた。  クジン人の反応ぶりは、みごとだった。一瞬、全身を硬直させたが、すぐに彼はたずねた。 「どうしておまえは、政権を奪われたのだ?」 「複雑な事情があるのです」 「リングワールド系へははいったものの、あと百十倍マイル降下して毎秒五万二千マイルの速度を落とさなければならん。まだまる一日経っただけだ。時間はあるぞ」 「そう、それに、ほかに何をしようもありませんね。それではまず知っておいてください。わたしたちの世界では、古くから、|保 守 党《コンサーヴァティヴ》と|実 験 党《エクスペリメンタリスト》が対立してきていました。ふだんは保守党が政権を手にしています。しかし、工業エネルギーの使いすぎで惑星に熱汚染が起こったとき以来、実験党の主導により、惑星を星系外縁の彗星|殻圏《ハーロー》まで動かす計画が成功しました。こうして実験党が政権をとり、ふたつの農業惑星を開発しました。つぎの政権のときには、はるか遠くの氷結した巨大惑星の衛星二個を内側へ移動させ、農業惑星として使うようになりました……」  こうしてハミイーも動揺をおさえ、つぎにいうことばを考えるだけの時間をかせいだようだ。  よかった!  何といっても、昔とった杵柄《きねづか》──〈|獣への話し手《スピーカー・トゥ・アニマルズ》〉すなわち人間世界への下級使節──その役職をこなしてきたクジン人であった。 「……わたしたちは、必要なことをやりとげるとお払い箱になります。それが一般法則なのです。ところが、実験党が勢力を得たやさきに、わたしたちの探査船が、クジン帝国の存在を発見しました。それをどう処理したかは、もうネサスがお話ししたようですね」 「人間に味方したのだな」  ハミイーの声は、奇妙なほど平静だった。ルイスの予想では、いきなり壁を引きさいてもふしぎはないところだったのに。 「四次にわたる人間との戦争で、四世代にわたり、われわれの最強の戦士たちが死んでゆき、より従順なものたちが子孫をふやすことになったわけだ」 「あなたたちがほかの種族と友好的につきあえるようになることを、わたしたちは願っていたのですよ。わが党はまた、この空域に、商業帝国を確立しました。この成功にもかかわらず、わたしたちの権勢は、徐々に弱まっていました。ですが、そのとき、銀河系の核《コア》が爆発したことが発見されました。衝撃波が二万年後にやってきます。それでしばしわが党は政権を維持し、〈惑星船団〉による脱出をお膳立てすることができました」 「運のいいことだ。しかし結局は、お払い箱になったわけか」 「はい」 「なぜだ?」  パペッティア人は、しばらくのあいだ口をつぐんでいた。  やがて、〈至後者《ハインドモースト》〉はいった。 「わたしの裁定のいくつかが不評を買ったためです。わたしは、人類とクジン人の運命に干渉しましたが、どういう経路でか、その秘密が、あなたたちに洩れました。地球の産児制限法に手を加えて幸運な人種を生みだそうとしたことと、第一次対人間戦争によって思慮ぶかいクジン人を生みだそうとしたことです。恒星間商業帝国ゼネラル・プロダクツを創設したのは、わたしの前任者でした。彼は、狂気の価値を開発したといわれています。わたしたちのあいだで、宇宙に命を賭けられるのは、気のくるったものだけだからです。わたしも、あなたたちのリングワールド探険隊を組織したときには、格段に進歩した科学技術との接触の危険をおかすものとして、気ちがい呼ばわりされました。しかし、危険に直面して目を蔽っているわけにはいきません!」 「そこで辞めさせられたわけか」 「いい口実を与えてしまった……そういうことです」 〈至後者《ハインドモースト》〉は、ソワソワと歩きまわる──ポクポクポク、ポクポクポク。 「知ってのとおり、わたしは、もしネサスがリングワールドからもどってきたら伴侶とすることを約束しました。彼がそれを要求したのです。そして彼は帰ってき、わたしたちは結婚しました。そのあとで、もう一度、今度は愛情ゆえに結婚しました。ネサスは気ちがい、〈至後者《ハインドモースト》〉も狂っていることがある、それで……わたしは解任されました」  ルイスがだしぬけにたずねた。 「あんたたち、どっちが男なんだい?」 「なぜネサスにそれをたずねなかったのか、ふしぎな気がしますね。もっとも、彼は答えようとしなかったでしょう、どうでしたか? ネサスは、ある種のことについては、たいへん恥ずかしがりやなのです。わたしたちの種族には、二種類の男性があるのですよ、ルイス。わたしの種類は女性の体内に精子を植えつけ、ネサスの種類は、器官はよく似ていますが、女性に卵子を植えつけるのです」  ハミイーがたずねる。 「すると、遺伝子が三組あるわけか?」 「いいえ、ふた組だけです。女性は遺伝には寄与しません。事実、女性は女性どうし別途につがい合って、女性をふやします。女性は、歴史のはじまる前からわたしたちと共生してきましたが、正式には異種族なのです」  ルイスは思わずたじろいだ。  パペッティア人は、地蜂のようにして子孫をつくるのだ──やつらの子は無力な宿主の肉体をむさぼるのだ。ネサスは性のことを話したがらなかった。その感覚は正しい。これは忌わしいことであった。 「わたしは正しかった」と、〈至後者《ハインドモースト》〉がいう。「リングワールドに探険隊を送ったことは正しかった。わたしたちは、これからそれを証明するのです。五日間かけて進入し、宇宙港にとどまるのは十日以内、あと五日で平坦な空間に出て、超空間駆動《ハイパードライヴ》で引きあげます。リングワールドの表面に降りる必要はまったくありません。ハールロプリララーがネサスに話したところによると、リングワールドの船は、大きな容積をとらないように鉛を積んでいて、航行中にそれを空気や水や燃料に変換したということです。こういう技術をどう扱うかは、保守党政権の手におえません。わたしを復職させるほかなくなるはずです」  電流禁断症状の憂鬱さのため、ルイスには笑いだす気力もなかった。それでも、何もかもひどくこっけいだったし、何よりも、これがそもそも彼自身のあやまちから出たことである点が、よけいにおかしかった。  つぎの朝、異星人たちは、ドラウドの電流をさらに半分に切りさげて返してよこし、それっきりもう手を加えようとはしなかった。たいしたちがいはなかったようだ。〈ワイア〉に身をまかせているあいだは充分に満足できたからだ。  しかし、もう何年にもわたって、彼は電流が切れたときの憂鬱感を、いずれ電流が復活したときの気分のよさを思いだすことで、なんとか乗り切っていたのである。憂鬱さはつのるばかりで、しかもいまは時間の保証すらない。異星人たちは、いつでも好きなときに電流を切ることができる……彼らがそうしなかったとしても、電流がこないあいだは、どのみちあきらめるほかないのだ。  異星人たちがこの四日間、何を話しあっていたのか、彼は知らなかった。〈ワイア〉の恍惚にひたりきることにだけ心を集中していたせいだ。ぼんやり記憶にあるのは、彼らがコンピューターからホログラムを引きだしていたことだけ。  その中にはリングワールド原住民の顔もあった──金色の毛にすっかり蔽われた小さな顔(その中でひとり僧侶だけは顔を剃っていた)、〈|空 の 城《スカイ・キャッスル》〉の中にあった巨大な針金の像(切株のような鼻に禿げ頭にナイフの切り口のようなくちびる)、ハールロプリララー(たぶん同じ種族だろう)、それに、ティーラの保護者として彼女を連れていった放浪者〈|探す人《シーカー》〉(ほとんど人間に近いが筋肉はジンクス人のようで、髭はない)。  また、時の流れと、動力が切れて墜落した空中楼閣とによって廃墟と化した都市もあった。さらに、ライヤー号が|遮 光 板《シャドウ・スクエア》に近づいたときの眺めや、空から落ちた|遮 光 板《シャドウ・スクエア》の糸のモヤモヤした雲の中に埋もれた都市などのホログラムもあった。  時とともに、太陽は輝く点から、ニードル号の内部船殻の|遮 光 膜《フレア・シールド》に光輝をさえぎられた黒い円盤──明るい辺縁《リム》にふちどられた──に変わっていった。その太陽の周囲には、青い 暈《ハーロー》 がひろがっていた。  夢の中で、ルイスはリングワールドにもどっていた。巨大な浮かぶ監獄の中で、彼はフライサイクルの残骸からさかさにぶらさがり、その九十フィート下方の堅い床面には、以前につかまった人々の白骨が散乱していた。決してくることのない救助をうけあっているネサスの声が、耳の中にひびいていた。  目がさめると、彼はきまりきった日課の中に逃避した……だが、ついに四日目の夕刻、彼は、いったん出した夕食を一瞥したのち、それを捨てて、パンと極上チーズのひと揃いをダイアルした。|ARM《国連警察》の魔手から完全に逃げきれたことを自覚するのに、四日かかったわけだ。  またチーズが食べられたのだ! 〈ワイア〉以外の楽しみには何があるだろう[#「何があるだろう」に傍点]?  ルイスは自分に問いかけた。  チーズ。就寝プレート。愛の行為(いまは無理だ)。奔放なボディ・ペインティング。自由と安全と自尊心。敗北と対照した勝利。  カホナ、こんなふうにものを考えることを、おれはすっかり忘れ、おかげでそういったものを何もかも失ってしまっていたんだ。自由と、安全と、自尊心だ。ちょっとがまんしさえすれば、最初の一歩が踏みだせる。  ほかに何かいいものは[#「ほかに何かいいものは」に傍点]?  コーヒーにいれたブランデー。それに、映画だ。  二十三年前、〈|獣への話し手《スピーカー・トゥ・アニマルズ》〉の操縦で、宇宙船〈|うそつき野郎《ライング・バスタード》〉号がリングワールドの一端に接近した。いま、ハミイーと〈至後者《ハインドモースト》〉は、そのときの記録を見なおしていた。  この距離まで接近すると、リングワールドは、消失点で交わる二本の直線になってしまう。青くとぎれとぎれにみえる内側の表面が上からのびてきて、外壁の上線と下線を示す両線にぶつかっているその消失点から、宇宙船減速装置の環《リング》の一群が、カメラへ向かってまっすぐ飛んでくるようにみえる──その記録が、赤外線、可視光線、紫外線、それに探深《ディープ》レーダーの映像で、何度となく見なおされた。さらにはスローモーションをかけて、ゆっくり通りすぎていくところもだ。巨大な電磁石であることが、はっきり見てとれた。  ただし、ルイス・ウーのほうは、そのあいだぐでんぐでんに酔っぱらって、『すりかえられた地球』という八時間もつづく映画を見ていたのだ。ブランデー・コーヒーがブランデー・ソーダになり、やがてブランデーだけになっていった。見ているのは実感劇《センシュアル》ではなくて映画《ムービー》だった──ほんものの俳優が演じ、人間の五官のうちふたつだけを使うやつだ。彼を現実から隔てておくには、その二官だけで充分だった。  途中で一度、彼はハミイーを、セイバーへーゲンの使った信じられないような視覚効果に関する議論に引っぱりこもうとした。だが、すぐにそれを思いとどまるだけの分別は、まだ残っていた。酔っているときハミイーに話しかけるわけにはいかない。パペッティア人には隠れた耳が──隠しマイクがあるのだ──。  リングワールドは、徐々に大きさを増していった。  この二日間、それは精巧なエッチングを施された青い環《リング》のかたちに見えていた。細くて、薄っぺらで、中心からずれたところに太陽があり、その黒い円盤の大きさとともに全体も大きくなってくる。全般的な詳しい構造が見えはじめている。黒い四角をつらねた内側の輪は、|遮 光 板《シャドウ・スクエア》だ。わずか一千マイルの高さしかない外壁のひとつが、リングワールド内面の景観を隠しているのがわかってくる。  かくして五日目の夕刻、ホット・ニードル号は、ほとんど速度をゼロにまで落とし、外壁は星空を大きくかくす巨大な黒い壁となって立ちはだかっていた。  ルイスは〈ワイア〉に身をまかせていなかった。きょう、彼は無理に一度やすんでみるつもりでいた。すると〈至後者《ハインドモースト》〉のほうも、船が無事に到着するまで電流を送らないといってきた。ルイスは肩をすくめた。  どうせもうすぐだ、いますぐにも──。 「太陽がフレアを出しています」〈至後者《ハインドモースト》〉がいった。  ルイスは目をあげた。|遮 光 膜《フレア・シールド》が太陽をさえぎっている。見えるのは、その黒い円板をかこむ円形のコロナだけだ。 「映像を見せてくれ」と、彼。  光量を落として拡大された四角い窓≠フ中の太陽は、模様のついた大きな円盤だった。太陽よりもわずかに小さい低温の恒星だ。黒点もしみ[#「しみ」に傍点]もなく、ただその中央部にまぶしい斑点がひとつ見える。 「ここにいるのは感心しません」と、〈至後者《ハインドモースト》〉がいった。「このフレアは、まっすぐこっちへ向かっています」  ハミイーがいいだした。 「たぶん、太陽が最近不安定になったのだろう。それで、リングワールドの中心がずれはじめたことの説明がつく」 「そうかもしれません。ライヤー号の記録によっても、船がリングワールドへ接近しているあいだに、フレアがあったようですが、その年はだいたい太陽はおだやかだったのです」 〈至後者《ハインドモースト》〉の頭が、計器盤の上に浮かんだ。 「妙です。あの星は、磁気──」  黒い円盤が、外壁の黒い上線の向うへ、スッとかくれた。 「あの星は磁気パターンがひどく異常です」と、〈至後者《ハインドモースト》〉がいい終えた。  ルイスがいった。 「じゃ、もどってもう一度見てみよう」 「わたしたちの目的は、いきあたりばったりにデータをあつめることではありません」 「好奇心なんかお呼びじゃないと?」 「そうです」  一万マイル以内まで近づいても、黒い壁の上下は、まるで定規でひいた線のようにまっすぐにみえた。暗さと速さのために、あらゆる細部はぼけて[#「ぼけて」に傍点]しまっているのだ。〈至後者《ハインドモースト》〉は望遠スクリーンを赤外線に合わせたが、ほとんど役には立たなかった……いや、役に立ったのだろうか?  外壁の下端にそってつぎつぎと動いていく暗い影──高さ三、四十マイルの、三角形をした低温の部分──あたかも高さ一千マイルの壁の内側にある何かが、太陽光線をさえぎっている結果のようだ。だが、ついで、もっと暗い、低温を示す線が一本、底と平行に左から右へと現れ、そのままつづいていく。  ハミイーが丁重にたずねた。 「この船は接岸にかかっているのか、それとも、ただ浮かんでいるだけなのかな?」 「浮かんでいます。状況判断のためです」 「宝物は、おまえのものだ。おまえさえよければ、とるのをあきらめて逃げだしても、いっこうにかまわんのだぞ」 〈至後者《ハインドモースト》〉はすっかり落ちつきをなくしていた。三本の脚が、操縦席をしっかりとかかえこんでいる。背中の筋肉が痙攣する。ハミイーはすっかりくつろいでいた。ひとりで楽しんでいるようだ。  彼は口をひらいた。 「ネサスはクジン人に操縦させたぞ。あのときは、やつが完全にちぢみあがる場面もあったがな。もちろん、おまえにそんな気はあるまい。停滞《ステイシス》フィールドにはいって、自動操縦で着陸するわけにはいかんのか?」 「緊急の事態が起こったときどうします? いいえ。べつに、起こると考えているわけではありませんが」 「自分で降ろさねばならんということか。では、やるがいい、〈至後者《ハインドモースト》〉」  ニードル号は、船首をさげると、加速をはじめた。リングワールドの、秒速七百七十マイルまで加速するのに、ほとんど二時間近くかかった。そのときまでに、暗い線の何十万マイルぶんかが、通りすぎていってしまった。 〈至後者《ハインドモースト》〉は、船をゆっくりと近づけはじめた──ゆっくりと──あまりゆっくりなので、ルイスが、もうあきらめたのかと思うくらいののろさだった。とにかく、苛立ったりせずに見まもった。いまの彼は〈ワイア〉にかかってはいないが、これはみずから進んでそうしたのだ。  これをおいて他に重要なことは、何もなかった。  しかし、ハミイーのあの辛抱づよさは、いったい何が原因なのだろう? 自分が若返っていくのを感じていたのか? 人間も百歳に近づくと、どうしても自分がこの世とともに生きのびていくかのように感じはじめるという。クジン人も、そのような反応を示すのだろうか?  それとも……いや、ハミイーは訓練を積んだ外交官だ。たぶん、感情をかくすすべくらい心得ているのだろう。  ニードル号は、船腹のスラスター駆動で釣りあいをたもった。〇・九九二Gの推力が、その経路を、リングワールドの円弧に沿うように曲げているわけだ。ここで動力を切ったら、船は外の恒星間宇宙までほうりだされてしまうことになる。  パペッティア人のふたつの頭が、とぶように、くねるように動いて、まわりのダイアルやメーターやスクリーンをチェックしつづけるのを、ルイスはじっと見まもった。だが、そのどれも、ルイスには、かいもく読みとれなかった。  黒い線とみえたものは、すでに、かなりの距離をおいて設置された環の列と変わっていた。ひとつが直径百マイルもありそうな環が、つぎつぎと漂い過ぎていく。  最初の探険のときの記録で、この環が、壁面から五十マイルの距離に浮かんで待っている船をすくいあげて、自由落下状態からリングワールドの回転速度まで加速し、反対の端で宇宙港の張りだしの上におろしてくれる状況は、すでによくわかっていた。  左右の両端で、黒い壁は、消失点にあつまっている。いまやその距離は、数千マイルにまで近づいていた。 〈至後者《ハインドモースト》〉は線型加速機にそって進むため、ニードル号をわずかに傾けた。数十万マイルに及ぶ環の列……だがそれも、リングワールド人が重力発生機を持っていなかったためだ。彼らの船も、乗員たちも、高加速度には耐えられなかったからである。 「環は作動していません。進入する船に対する感知装置も見つかりません」  パペッティア人の頭のひとつがこっちを向いて説明し、すぐまた仕事にもどった。  宇宙港の張りだしが近づいていた。  さしわたしは七十マイルくらい。そこには、美しい曲線につくられた高いクレーンや、角のまるい建物や、背が低く幅の広い平台型のトラックがあった。船もあった──船首の平たい円筒形のが四隻で、そのうち三隻は一部解体され、船腹の曲面も台なしになっている。 「照明灯はあると思うが」と、ハミイー。 「まだ見つかりたくありません」 「気づかれた徴候でもあるのか? それに、明かりなしで船をおろすつもりか?」 「どちらもちがいます」と、〈至後者《ハインドモースト》〉。  ニードル号の船首でスポットライトがきらめき、強力な光芒を送りこんだ──もちろん、武器にも使えるやつだ。  船はどれも巨大だった。開いたエアロックなど、黒い点にしかみえない。円筒の表面に輝く何千もの窓は、さながらケーキの上にふりかけたキャンデイのかけらのようだ。一隻だけは損傷をうけていないらしい。ほかのは胴体を切り開かれ、それぞれなりに使える装置をはずされて、内部のはらわたを真空中に、そして異星人たちの好奇の視線にさらけだしていた。 「攻撃はありません。警告もありません」パペッティア人がいった。「あの建物や機械類の温度は、張りだしや船と同じで、絶対温度一七四度です。ここは、ずっと前に放置されたままなのです」  銅色をした一対の巨大な回転双曲面体が、無疵な一隻の中央部をグルリととりまいていた。これだけで船自体の三分の一か、それ以上の質量がありそうだ。  ルイスは、それを指さしていった。 「たぶん、ラムスクープ発生機だ。ぼくは、宇宙旅行の歴史を研究したことがある。パサード式ラムジェットは、電磁場を発生して恒星間水素をすくいあつめ、圧縮区画に導いて核融合を起こさせる。無限の燃料が得られるわけだ。しかし、ラムスクープの効く速度よりおそく飛んでいるときには、べつに燃料積載タンクとロケット・モーターが必要になる。あれだよ」  二隻の略奪された船の内部に、そのタンクが見えていた。そして、略奪された三隻のどれからも、大きな回転双曲面体は姿を消していた。  なぜだか、ルイスにはわからない。  しかし、パサード式ラムジェットは、ふつう単磁極《モノポール》を使っているし、単磁極というのは、いろいろと用途のひろいものである。 〈至後者《ハインドモースト》〉は、何かべつのことで悩んでいるようだった。 「鉛を運ぶタンクですか? でもそれなら、なぜ単に、船のまわりに貼りつけないのです? そうすれば、燃料に変換するまでは、遮蔽にも使えるのに」  ルイスは、だまっていた。もともと、鉛などありはしなかったのだ。 「いざという場合のためだ」と、ハミイー。「おそらく、戦いに備えてだろう。高熱で鉛が船体から蒸発してしまえば、燃料がなくなるからな。さあ降ろせ、〈至後者《ハインドモースト》〉。答えはあの無疵の船の中で見つかるだろう」  ニードル号が空中に停止した。 「出発するのは簡単だぞ」ハミイーが、けしかけるようにいう。「張りだしから出はずれて、スラスターを切るだけだ。そうすれば平坦な空間までとびだすから、あとは超空間駆動《ハイパードライヴ》をかけて一目散に逃げればよい」  船が降下し、宇宙港の張りだしの上に着いた。 〈至後者《ハインドモースト》〉がいった。 「では、|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》にのりなさい」  ハミイーが先に立った。そして……笑ってこそいなかったが、嬉しげにのど[#「のど」に傍点]をならしながら消えた。ルイスがあとにつづき、ひと足で、べつの場所に出た。 [#改ページ]      6 「さて、ぼくの計画は……」  親しみの感じられる部屋だ。これとそっくりのはまだ見たことがないが、小型の惑星間宇宙船の操縦席は、どれもこれと似たりよったりである。そこにどうしても必要なのは、船内重力、操船用コンピューター、推進パネル、姿勢制御ジェット、質量探知機などだ。  三座の操縦席はリクライニング式で、緩衝ネットがあり、肘かけに操縦機構がつき、排尿チューブと飲食用スロットも備えられている。座席のひとつは、ほかのにくらべてずっと大きかったが、形状にちがいはない。ルイスは、この着陸船《ランダー》なら、目かくしをされても飛ばせそうな気がした。  半円形に並んだスクリーンとダイアルの上を、大きな窓がグルリと取り巻いている。その窓の外で、ニードル号の船殻の上部が、ポッカリと外向きにひらいた。この格納庫は、空間へむきだしになっていたのだ。  ハミイーが、自分の座席の前に配置された大きめのつまみやスイッチを見わたす。 「武器もあるぞ」と、彼は穏やかな口調でいった。  スクリーンが点き、現れた寸づまりのパペッティア人の頭がいった。 「階段を降りて、そこにある真空用の装備をつけなさい」  着陸船《ランダー》の階段は、クジン人の歩幅に合わせて、踏み板は広く、段差は小さかった。おりてみると、そこは階上よりずっと広い居住区画で、前の監房にあったのとそっくりのウォーター・ベッドと就寝プレートと調理機があった。  また、クジン人にも充分な大きさの自動医療装置《オートドック》があり、精巧な操作卓がついていた。ルイスには、外科医をつとめた経験もある。おそらく〈至後者《ハインドモースト》〉は、そのことを知っていたのだろう。  ハミイーはもう、ずらりと並んだロッカーのドアをあけて、宇宙服その他の装備の点検にかかっていた。透明な風船をよせ集めたようなものの中に、からだをいれると、待ちきれずに苛立った声でいった。 「ルイス! おまえも着ろ!」  ルイスは、やわらかい上下つづきの、からだにピッタリした宇宙服を、足のほうから引っぱりあげて着ると、金魚鉢のようなヘルメットとバックパックをつけた。標準装備だ。この服は、汗を通過させ、からだ自体に冷却装置の働きをさせるのである。ルイスはその上に、銀色塗装のゆるい上衣を身につけた。外は寒いかもしれない。  エアロックは三人用だった。よかった──これで、誰かが使っているあいだ、外で待っているようなことは起こらないですむ。〈至後者《ハインドモースト》〉が緊急事態など起こらないと思っていたにしろ、とにかくそのための準備はしてあるわけだ。  空気が真空にとって代わるにつれ、ルイスの胸は膨張しはじめた。あわててガードル≠引き締める──これは、胴のまわりを幅広く蔽っている弾力性のベルトで、息を吐くときの助けとなってくれるものだ。  ハミイーは大またに着陸船《ランダー》を歩み出、さらにニードル号の外の、暗闇の中へ出た。ルイスは工具セットを手にすると、ゆっくりとそのあとにつづいた。  自由になったという気持が強烈にこみあげてきたが、これは危険な徴候だ。宇宙服の通話回線には、〈至後者《ハインドモースト》〉もはいっているのだぞと、ルイスは自分にいいきかせた。いろいろなことを、それもなるべく早く話し合わなければならないのだが、パペッティア人に聞かせるわけにはいかない。  ここにいると、視覚の釣り合い感覚がおかしくなってくる。解体されかけた船が、あまりに大きすぎるのだ。地平線は近すぎ、クッキリしすぎている。おまけに、一見なじみのある星空の眺めを、無限にひろがる垂直な黒い壁が、半分に断ち切っている。真空の中では、何十方マイルも向こうまで、物体のかたちはクッキリと鮮明なままだ。  いちばん近くにあるリングワールドの船は、無疵のやつで、距離は半マイルくらいに見えた。いや、一マイルくらいかもしれない。前回のときも、彼はしょっちゅう物体の大きさを見あやまっていたが、二十三年たっても、それはなおっていないようだ。  息を切らしながらその巨大な船の下にたどりつくと、着陸脚のひとつにエスカレーターが組みこまれているのが見つかった。古代の機械は、もちろんもう動いてはいない。重い足どりで、彼はそれをのぼっていった。  ハミイーは、大きなエアロックの制御機構を作動させようとしているところだった。ルイスが持ってきた工具一式の中から、動力ペンチをぬきだすと、彼はいった。 「ドアは焼き切らなくてもよさそうだ。まだ動力が残っているようだぞ」  制御部のカヴァーをこじあけ、内部をいじる。  外側のドアが閉じ、内側のがひらいた。内部は依然、真空と闇の中だ。ハミイーは、自分のレーザー灯をつけた。  ルイスはかなりおじけづいていた。この船は、おそらく小さな町の人口くらい乗せられるほどの大きさがある。中で迷子になるのは、いともたやすいだろう。 「点検用の通路《チューブ》をさがさないと」と、彼。「船内を与圧したいんだ。そのでっかいヘルメットをかぶったままじゃ、あんた、人間用の連絡チューブにははいれないからね」  ふたりは船殻沿いの曲線に従ってゆるやかに曲がっている廊下を進んでいった。ルイスの頭より少し高いくらいのドアが並んでいる。そのいくつかをあけてみた。どれも、彼くらいかもう少し小柄な人間型生物《ヒューマノイド》向きの寝棚や折りたたみ椅子のある居住室だった。 「この船をつくったのが、ハールロプリララーの種族だったことは、まちがいないね」  ハミイーが応える。 「わかりきったことだ。このリングワールドをつくった種族だからな」 「そうじゃない」と、ルイス。「ぼくは、彼らがこの船をつくったのか、それともどこかから持ってきたのか、その点も疑ってたくらいなんだよ」 〈至後者《ハインドモースト》〉の声が、ふたりのヘルメットの中にひびいた。 「何ですと? ルイス、ハールロプリララーはあなたに、彼らの種族がリングワールドを建造したのだといいましたね。それが、嘘だったというのですか?」 「そうさ」 「なぜです?」  そのほかにも、彼女はいろいろ嘘をついている。だがルイスは、それには触れなかった。 「文化の 型《スタイル》 のちがいさ。彼らがあの都市群を建設したことはわかってる。ああいった浮かぶ建物ってのは、みんな、自分の富と力を誇示するたぐいのものだ。〈|空 の 城《スカイ・キャッスル》〉のことをおぼえてるかい? 地図の部屋があった。あの浮遊楼閣だ。ネサスがテープを持ち帰ったはずだが」 「それは見ました」と、パペッティア人。 「あそこには、せりあがる玉座と、家くらいもありそうな誰かの顔の針金細工まであったんだぜ! リングワールドをつくるほどの連中が、わざわざ浮かぶ城なんかこしらえるだろうかね? ぼくにはとても考えられない。これまでも、信じちゃいなかったんだ」 「ハミイーはどう思います?」  クジン人が答えた。 「人間のことについては、ルイスの判断を受けいれるほかあるまいな」  右に曲がり、中心軸の方向へ向かう廊下にはいった。そこには、さらに多くの寝室があった。そのひとつを、ルイスはこまかく調べてみた。  宇宙服が彼の関心をひいた。狩猟家の記念のトロフィーみたいに壁にかかっていたものである。上下ひとつづきで、十文字形にジッパーがつき、それがぜんぶひらいている。真空になったら、即座にとびこめる態勢なのだ。  イライラしているクジン人をしりめに、ルイスはそのジッパーを閉じ、うしろへさがってその形状を観察した。  関節の部分が大きくふくらんでいる。膝や肩や肘のところはマスクメロンみたいで、手はまるでくるみの実をつなぎあわせたような恰好だ。顔面は前につき出ている。そのフェイス・プレートの下に、動力と貯蔵空気の計器《ゲージ》がついていた。  クジン人がうなった。 「何かわかったのか?」 「いんや、もっと証拠がなきゃ。いこう」 「何のための証拠だ?」 「リングワールドの建設者の正体が、わかったような気がするんだよ……それに、ここの原住民が、どうしてこんなに人間に似ているのかということもね。しかし、どうして連中は、自分の手で守れないようなものをこしらえたんだろう? 理屈に合わない」 「そのことについて、検討を──」 「いいや、それはあとだ。いこうぜ」  船の中心軸のところで、思わぬ収穫があった。そこには半ダースほどの廊下が集まり、梯子のついた通路《チューブ》が上下に通じている。そこに、壁の四つの部分にまたがる船内図があり、そこについているラベルは、小さいが詳細な絵文字だった。 「こいつは便利だ」と、ルイス。「まるで、ぼくらがやってくることを知ってたみたいじゃないか」 「ことばは変化するものだ」と、クジン人がいった。「この船の乗員は、相対性の風にのって航行していた。互いに一世紀も年齢がひらくこともあったろう。こういう配慮が必要だったのだ。対人間戦争以前には、われわれも、帝国をまとめるのに、同じような方法をとっていたものだ。ルイス、兵器庫が見つからんな」 「宇宙港を守るための備えもなかったね。とにかく、まだ何もわかっちゃいないのさ」  ルイスの指が、図上をたどる。 「調理室、医療室、居住区──ぼくらのいるここは居住区だ。制御センターが三つ──こいつは多すぎやしないか?」 「ひとつは、パサード式ラムジェットによる恒星間飛行用。ひとつは星系内での核融合駆動による操船と、必要があれば戦闘指揮のためだ。もうひとつは生命維持用──これだ。この図には、廊下を空気が流れる風向きも出ている」と、ハミイー。 〈至後者《ハインドモースト》〉の声がひびく。 「物質変換技術で、彼らは完全エネルギー転換による駆動ができたはずです」 「いいや、そうとはかぎらない。住民のいる星系内でそんな強力な放射を出したら、それこそ地獄だよ」と、ルイス。「おっと! この連絡チューブをたどると……ラムスクープ発生機、核融合モーター、燃料供給装置か。それよりまず、生命維持制御区画へいかなきゃ。二階あがって、あっち[#「あっち」に傍点]の方角だ」  その制御室は小さかった──ダイアルやスイッチの並ぶ三方の壁に面して、ふんわりした座席がひとつあるきりだ。ドアのわきのポイントに手をふれると、壁全体が黄白色に光りはじめ、ダイアルの列にも灯がともった。もちろん記号は読めないが、制御盤は絵文字によって、娯楽、自転、水、廃棄物、食物、空気の各セクションに分けられていた。  ルイスはスイッチをいれはじめた。いちばんよく使われるのは、近くにある大きなやつだろう。ヒュウという口笛のような音が聞こえたところで、彼は手をとめた。  あご[#「あご」に傍点]のところにある圧力計の目盛りが、徐々にあがってくる。  低い気圧で、酸素四十パーセント。湿度も低いがゼロではない。検知されるほどの有害物質はない。  ハミイーはもう自分の宇宙服の空気をぬき、それを脱ぎはじめていた。ルイスもヘルメットをはずし、バックパックをおろし、宇宙服を脱ぎ捨てた──大いそぎでだ。空気は乾燥しており、何となくかび臭い感じがした。  ハミイーがいった。 「まず燃料供給装置への連絡チューブからさがしはじめよう。おれが先に立とうか?」 「そうしてくれ」  おさえてきた緊張と熱意が、声に出てしまうのを感じる。たぶん、〈至後者《ハインドモースト》〉には気づかれずにすんだろう。  さあ、もうすぐだ。  彼は、クジン人のオレンジ色の背中についていった。  ドアを出、右へ折れて船の中心軸へ出、梯子を一階おりたところで、大きな毛皮の手がルイスの上膊をつつみこむと、廊下のひとつへ引っぱりこんだ。 「話し合わなければならん」  のどの奥に押し殺したような声。 「ああ、それに、チャンスは今しかないかもしれないぞ! ここでもまだやつに聞こえるようなら、もうあきらめるほうがましだ。いいか──」 「〈至後者《ハインドモースト》〉には聞こえまい。ルイス、われわれは、ホット・ニードル・オヴ・インクワイアリー号を乗っとらなければならん。そのことを考えたことがあるか?」 「あるとも。しかしそいつはだめだ。うまくいくかもしれないが、そのあとどうする? あんたにあの船の操縦はできないよ。操縦パネルを見たはずだ」 「〈至後者《ハインドモースト》〉に操縦させることはできるぞ」  ルイスは首をふった。 「たとえあんたがあいつのうしろで二年間見張るなんてことができたとしても、生命維持装置のほうが、そのあいだあんたたちを生かしておこうとしたら、いかれちまうだろうよ。そんなふうに計画するのが、あいつのやりくちさ」 「では、あきらめるのか?」  ルイスは、ためいきをついた。 「わかったよ。こまかく検討してみようか。ぼくらは〈至後者《ハインドモースト》〉を買収するなり脅迫するなり、あるいはあとでニードル号を動かせると思うなら殺すなり、しなけりゃならん」 「そうだ」 「魔法の物質変換機で買収するわけにはいかないからね。そんなもの、ありゃしないんだ」 「おまえがうっかり真相をしゃべってしまうのではないかと、気が気ではなかったぞ」 「まさかね。あいつがもうぼくらに用はないと思ったがさいご、一巻の終わりさ。しかし、ほかに買収の種もないしな」ルイスはことばをつづけた。「操縦区画に乗りこむ道もない。ニードル号の中には、そこへ通じる|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》もあるはずだが、どこにあるのか、また、どうやって〈至後者《ハインドモースト》〉にそのスイッチをいれさせりゃいいのか? 外からやっつけることもできない。弾丸のたぐいはゼネラル・プロダクツの船殻をとおせない。船殻には|遮 光 膜《フレア・シールド》がついていたが、おそらくぼくらの部屋と操縦区画とのあいだにもついてるだろう。パペッティア人たるもの、そういう点をなおざりにしているわけがない。だからレーザーで射つわけにもいかない。射てば壁が鏡面になって、ビームをこっちへはねかえしてくるだろう。あと何がある? 音波攻撃《ソニック》は? やつがマイクを切っちまえばそれで終わりだ。もう何か見おとしはないか?」 「反物質だ。だが、いま手持ちがないことは、いわれなくてもわかっているぞ」 「してみると、ぼくらはやつを脅迫することも、傷つけることも、どのみち操縦区画にはいることもできないわけだよ」  クジン人は、考えこみながら、首のまわりの房毛を爪でひっかいた。 「いまふと思いついたんだが」と、ルイス。「この船がノウンスペースへ引っ返すことは、そもそもできない相談なんじゃないかな」 「どういうことかわからんぞ」 「ぼくらは知りすぎてる。パペッティア人にとっては、それこそわるい噂の火元だ。〈至後者《ハインドモースト》〉に、ぼくらを帰してくれる気がないことは、間違いないと思うよ。いや、あいつ自身、そこまでいく必要があるだろうかね? あいつの帰る先は、もう反対の方向へ二、三十光年のところまでいってる〈惑星船団〉なんだ。かりにぼくらがニードル号を操縦できたとしても、たぶんノウンスペースへ着くまでは生活システムがもたないだろうな」 「では、リングワールドの船を盗んだらどうだ? この船を?」  ルイスは首をふった。 「調べてみることはできる。しかし、これがもし完全装備の状態だったとしても、飛ばすのは無理だろう。ハールロプリララーの種族は、大勢の乗員をのせていたし、プリルの話だと、それほど[#「それほど」に傍点]遠くまではいってない……リングワールドの建設者たちは、たぶんいったろうがね」  クジン人が、奇妙なほど静かに立っている姿は、あたかも体内につめこまれたエネルギーの暴発を怖れているかのようにみえた。  ハミイーのすさまじい怒りが、ようやくルイスにもわかりはじめた。 「ではおまえは、降参しろとすすめるのか? われわれには、仕返しの道も残されてはいないのか?」  その点は、ルイスも〈ワイア〉にふけりながら、何度となく考えてみたことだった。そのときの楽観的な気分を思いだそうとしてみたが、それはもうどこかへ失せていた。 「時間をかせぐんだ。まずこの宇宙港をよくしらべる。それで何も見つからなかったら、今度はリングワールドそのものをしらべる。そのための装備はあるんだ。こっちの解答が見つかるまで、〈至後者《ハインドモースト》〉があきらめたりしないように引っぱっておく。何がなんでも」 「こんなことになったのは、何もかもおまえのせいだぞ」 「わかってる。だから、おかしくってしようがないのさ」 「では、笑ったらどうだ」 「ドラウドをよこしたら笑うよ」 「おまえの愚かな推測のおかげで、われわれは、気のくるった根っこ食いの奴隷にされてしまったのだ。いつでもおまえは、そんなふうに知ったかぶりをふりまわしていなければならんのか?」  ルイスは、腰をおろし、黄色い光を放つ壁に背をもたせかけた。 「そう考えれば、みごとに筋がとおると思ったんだ。カホナ、実際に[#「実際に」に傍点]筋はとおってたんだ。いいかい──パペッティア人は、ぼくらが登場する何年も前から、リングワールドを研究してたんだぜ。彼らはその回転速度や、大きさや、質量が木星よりちょっとうわまわるだけだってことを知っていた。また、あの星系内には、ほかに何もないってこともね。惑星も、衛星も、小惑星も、ひとつもなかった。その点ははっきりしていたようだ。リングワールドの建設者は、木星型の惑星をひとつとって、そいつを構築材料に変え、それから、あとの惑星も総ざらえしてこの世界をつくりあげた。全質量は、そう、太陽《ソル》系ととんとんってとこだろうな」 「それは推測にすぎんぞ」 「あんたたちだって納得してたじゃないか。思いだしてみろよ。そして、巨大ガス惑星ってやつは、大部分が水素なんだ」ルイスは頑固にしゃべりつづけた。「リングワールドの建設者は、水素を、リングワールドの床面の構成物質に変えなきゃならなかった──そいつが何だったにしろ──ぼくらの知ってるどんなものともちがう物質にだ。その変換も、|超 新 星《スーパーノヴァ》も顔負けするほどの早さでやらなきゃならなかったはずだ。なあ、ハミイー、リングワールドをこの目で見てしまった以上[#「この目で見てしまった以上」に傍点]、もう何でも信じるほかないだろうが」 「ネサスも信じたわけだな」  クジン人は、自分も信じていたことなどケロリと忘れたように、フンと鼻をならした。 「そしてネサスは、ハールロプリララーに、物質変換技術について質問した。それで彼女は、あのふたつ頭が、うれしいほどだましやすい相手だと気づいて、リングワールドの船は、積んでいる鉛を燃料に変換するのだという話をした。鉛とはな! どうして鉄ではいけないのだ? 少しはかさばるが、構造強度ははるかに大きいのだぞ」  ルイスは笑った。 「彼女はそこまで頭がまわらなかったのさ」 「彼女に、物質変換がおまえの想像上の産物だといってやったことはないのか?」 「何を考えてるんだい? 彼女は笑い死にしちまったことだろうよ。それに、ネサスに話すにも、もう手遅れだった。そのときにはもう、片方の首をなくして、自動医療装置《オートドック》にはいってたんだ」 「ウウゥ」  ルイスは、痛む肩をさすりながらつづけた。 「ぼくらのうちひとりでも、もう少しもの[#「もの」に傍点]を知ってたらよかったのに。帰ってから数学をやったってことは、話したね。リングワールドの全質量を、秒速七百七十マイルで回転させるのに、どのくらいエネルギーが必要か知ってるかい?」 「なぜそんなことをきくのだ?」 「たいへんな量だからさ。この種の太陽が一年に出すエネルギーの一千倍だよ。建設者たちは、そういったエネルギーのすべてを、どこから手にいれたんだ? 彼らが直面した仕事は、十個もの木星を分解すること、あるいは、木星の十倍もある超惑星を分解することだった。その大部分が水素でできてたってことを、忘れないようにね。彼らはその水素の一部を核融合させて作業用のエネルギー源にし、それより多くの量を磁力ボトルに蓄えた。固体物質の残りでリングワールドをつくったあと、回転させる核融合ロケット用の燃料は、それでまかなったわけだ」 「あと知恵とはすばらしいものだな」  ハミイーは、うしろ脚で廊下をいきつもどりつしている。まるで思索にふけっている人間のようだ。 「そのおかげでわれわれは、ありもしない魔法の装置をさがしている気ちがい異星人の奴隷になっているわけだ。残された一年のあいだに、何が起こるとおまえは思っているのだ?」  電流なしで楽観的になるのはむずかしかった。 「とにかく探険するんだ。物質変換装置であれ何であれ、リングワールドには、何か値打ちものがあるにちがいない。そいつが見つかるかもしれない。あるいは国連の船が、もうここまできてるかもしれない。あるいは一千歳にもなるリングワールド船の乗員が見つかるかもしれない。あるいは〈至後者《ハインドモースト》〉がさびしがって、ぼくらを操縦区画へいれてくれるかもしれない」  クジン人が、尻尾を前後にゆらしながら歩きまわる。 「おまえを信じろというのか? 〈至後者《ハインドモースト》〉は、その脳の電流を握っているのだぞ」 「そいつはもうすぐやめるよ」  クジン人は鼻をならした。 「|ぺてん師のくされきんたま《フイネグルス・フェスタリング・テスティクルズ》め! ハミイー、ぼくはもう二世紀と四分の一近く生きてきたんだぞ。そのあいだに、あらゆること[#「あらゆること」に傍点]をやってみた。一流の料理人にもなった。ダウン星上空の輪形都市《ホイール・シティ》の建設と運営にもたずさわった。しばらくホーム星に腰をすえて、植民者みたいに暮らしたこともある。いまは電流中毒者《ワイアヘッド》だ。でもどれも長つづきはしない。何だろうと、ひとつのことを二百年もつづけられっこないさ。結婚、仕事、趣味──まあ、二十年がいいとこだ。あるいは、ひとめぐりして舞いもどるってこともあるだろうがね。実験医学もかなりやった。トリノック人の文化に関する大論文を書いて、それが賞を──」 「電流中毒は、脳に直接働きかけるものだ。ほかのものとはちがうのだぞ、ルイス」 「そうさ。もちろんちがうとも」  憂鬱感が、黒いやわらかい壁のように周囲から倒れこんできて、ルイスを押しつぶそうとしていた。 「そいつは、白一色か黒一色だけなんだ。電流を送っているか、いないかだ。微妙な多様性など何もない。もううんざりだよ。〈至後者《ハインドモースト》〉にとりあげられる前に、すっかり飽きちまってたんだ」 「しかし、ドラウドを捨てようとはしなかったぞ」 「〈至後者《ハインドモースト》〉には、捨てられないと思わせとくほうがいいだろ?」 「おれには、捨てられると思ってほしいわけか?」 「そうさ」 「〈至後者《ハインドモースト》〉をどう思う? あんな尊大なパペッティア人のことなど、おれは聞いたこともないぞ」 「ぼくにはわかるような気がする。気のくるった貿易業者ってのは、みんなネサスの性なんじゃないだろうか。今度のやつ……有精子男性とでもいうか……のほうが、母星では支配者なのかもしれない」 「ウウゥ……」 「べつにそうときまったわけじゃないぜ。ほかのパペッティア人とうまくつきあっていけないパペッティア人を地球に送りだしてよこす狂気ってのは、ヨゼフ・スターリンを生みだした狂気と同じじゃない。ハミイー、あんたはぼくに何を望んでるんだ? ぼくにだって、あいつの出かたなど見当もつかないんだよ。まあ、もしあいつに少しでも脳味噌があるなら、ゼネラル・プロダクツの取引きのテクニックを使ってくるだろうね。ぼくらとつき合う方法は、それしか知らないはずだから」  罐詰めの空気はつめたく、金属のにおいがした。この船には、金属の部分が多すぎるようだと、ルイスは思った。ハールロプリララーの種族が、もっと進んだ材料を使っていなかったのは、ふしぎだった。パサード式ラムジェットの製造が、そんな原始的な技術でできるものではないのだ。  空気におかしなにおいがまじり、壁の黄白色の光輝が不規則にゆらぎはじめた。いますぐ宇宙服のところへもどるに如《し》くはない。  ハミイーがいった。 「着陸船《ランダー》がある。あれは宇宙船の機能も備えているぞ」 「それは何を宇宙船と呼ぶかによるね。そりゃ、惑星間航行能力はあるだろう。リングワールドの上をとびまわるのに要るからね。でも、あれで他の星系までいけるとは思えないよ」 「おれは、ニードル号に、あいつをぶつけることを考えていたのだ。逃げ道はなくとも、復讐してやることはできるかもしれん」 「そいつは見ものだろうよ。ゼネラル・プロダクツの船殻に、体当たりとはね」  クジン人が、ヌウッと立ちはだかった。 「笑いとばそうとしても無駄だぞ、ルイス。リングワールドの上にとり残されるなら、おれには同じことだ。妻も、領地も、名前もなく、命もあと一年かぎりではな」 「時間をかせがなきゃ。逃げだす道を考える時間をね。ところで──」ルイスは立ちあがりながらいった。「──ぼくらは、公式には、まだ魔法の物質変換機をさがしてるところなんだ。せめて、かたちばかりでも探すとしようや」 [#改ページ]      7 決断のとき  目がさめると、猛烈に腹がすいていた。ルイスは、チェダー・チーズのスフレとアイリッシュ・コーヒーと赤味のオレンジをダイアルして、それをすっかりたいらげた。  ハミイーが身をまるめて眠っている。自身のからだを抱きしめるようなその姿勢が、何となく前とちがったように感じられる。どこかすっきりした──そう、傷ついた組織が消えて、新しい毛皮が育ってきたため、それだけ小ぎれいな感じになっているのだった。  その精力には感歎するほかない。ふたりは四隻の船をぜんぶしらべたあと、張りだしの縁ぎわに建っている細長い建物にまで調査の足をのばし、そこが宇宙船加速システムの制御センターであることをたしかめた。  最後になると、ルイスは濃霧のような疲労の中を、ただ動きまわっているだけのありさまだった。外にいるあいだに、ニードル号の構造や、弱点や、操縦区画への通路などのこまかい点をよく見ておくべきだということはわかっていたのに、彼はただ恨みがましい目でハミイーを見つめているばかりだった。クジン人は、ついに一度も歩みをとめてひと休みしようとはしなかったのである。  緑色の塗装でかくされた私用区画の背後か内部のどこかから、〈至後者《ハインドモースト》〉が姿を現わした。そのたてがみには、ふんわりと櫛がはいり、ちりばめられた結晶が、彼の動きに合わせて虹の七色にきらめく。  ルイスは好奇心をかきたてられた。ひとりで船を動かしているあいだは、あんなにだらしなくしていたのに。異星の囚人たちに自分の優雅さを印象づけるためにめかしこんだのだろうか?  彼がたずねる。 「ルイス、ドラウドがほしいですか?」  ほしかった。だが──。 「まだいいよ」 「あなたは十一時間も眠ったのですよ」 「たぶん、だんだんリングワールドの一日に適応してきてるんだろう。あんたはもう何かやったのかい?」 「あの船体のレーザー・スペクトル写真をとりました。大部分が鉄合金です。四隻をそれぞれ二方向から、探深《ディープ》レーダーで走査しました──あなたたちが眠っているあいだに、ニードル号を動かしてです。リングワールドの周囲にそって百二十度間隔で、あとふたつ宇宙港の張りだしがあります。船殻の物質構造をたよりに、船はあと十一隻あることをさぐりあてました。でもこの距離からでは、こまかいところまではわかりません」  ハミイーが目をさまし、伸びをすると、透明隔壁の前にいるルイスに近づいてきた。 「調査すると疑問ばかりふえてくるようだな」と、彼。「一隻が無事で、あと三隻は装備をはがされていた。なぜだ?」 「ハールロプリララーなら答えられたかもしれませんね」〈至後者《ハインドモースト》〉がいった。「まず、さしせまった問題だけを考えましょう。物質変換装置はどこですか?」 「ここにはその設備がない。〈至後者《ハインドモースト》〉、着陸船に移らせてくれ。あの操縦室にあるスクリーンを使おう」  着陸船《ランダー》の、U字形に並んだ計器盤のまわりで、八枚のスクリーンに光がはいった。ハミイーとルイスは、探深《ディープ》レーダーの走査によってコンピューターが描きだしたパサード式ラムジェット船の、影のような図解を検討した。  ルイスがいった。 「組織された一隊が、根こそぎ略奪していった跡みたいだな。そのときあった船は三隻で、彼らはいちばん必要なものをまっさきにはがした。作業をつづけてるうちに、何かの理由で中止しなければならなくなった──空気を切らしたとか、そういったことだろう。四隻目は、そのあとでやってきたんだ。ウウム……だがどうして第四の船の乗員は、自分の船を荒らしてないんだ?」 「些細なことです。わたしたちがさがしているのは物質変換機だけです。どこにあるのですか?」 「われわれには、これと見さだめがつけられなかったのだ」と、ハミイー。  ルイスは、四隻の船の探深《ディープ》レーダー像に見いった。 「順序立てていこうぜ。物質変換機でない[#「でない」に傍点]ものはどれだ?」  ルイスは光ペンを手に、無疵な船の図をなぞりながらつづけた。 「船をとりまいているこの対になった回転双曲面体は、ラムスクープフィールド発生機にちがいない。これは燃料タンクだ。連絡チューブは、これと、これと、これと……」  彼が指し示すたびに、〈至後者《ハインドモースト》〉はその部分を画面から消していく。 「核融合反動モーター、この全区画がそうだ。着陸脚用のモーター。脚も消しといてくれ。姿勢制御ジェットはここと、ここと、ここで、ここにある小さな核融合バッテリーから燃料が供給される。プラズマがこのチューブをとおって出てくるんだ。それから、こいつ──船腹の中央からつき出てるノズルみたいなやつ──プリルは何ていってたっけ?」 「ツィルタン・ブローンだ」  ハミイーがそういって、くしゃみをした。 「リングワールドの床面の構成物質を一時的にやわらかくして、何でも通りぬけさせるのだ。エアロックのかわりに使われていたものだ」 「そうだ」ルイスは熱意をこめ、喜びをかくしてつづけた。「さて、まさかそういう魔法のような変換装置が居住区画におかれているはずはないが……寝室はここ、制御室はこことこことここ、調理場は──」 「そこはもしかすると──」 「いや、そのことはぼくらも考えたよ。そこは単なる自動化学工場だった」 「では、さきへ進みましょう」 「これが庭園区画。汚水処理施設がついてる。それに、エアロック……」  ルイスが説明を終えたとき、船はスクリーン上からすっかり消えてしまっていた。〈至後者《ハインドモースト》〉は忍耐づよく、映像をいれなおした。 「見すごしたのは何でしょう? たとえ変換機が取りはずされ、持ち去られていたとしても、その空間が残っていたはずです」  だんだん愉快になってきた。 「おい、もし連中が燃料を船の外に──船殻のかたちにした鉛ってことだ──積んでいたとしたら、こいつは船内水素タンクじゃないかもしれない、どうかね? たぶんこの中に、その魔法の装置がはいってたんだ。まわりに大量のつめもの[#「つめもの」に傍点]か絶縁が必要で……それとも、液体水素で冷やす必要があったのかもしれない」 〈至後者《ハインドモースト》〉が口をひらくより先に、ハミイーがたずねた。 「それを、どうやって運びだしたのだ?」 「たぶん、ほかの船のツィルタン・ブローンを使ったんだろう。ほかの船の燃料タンクも空だったね?」  他の船の映像に彼は目を走らせた。 「そうだな。そうすると、物質変換機は、リングワールドの中にあるわけだ……だがそうだとすると、動かしてみるわけにはいかないぜ。そいつらも、細菌にやられてるだろうからね」 「ハールロプリララーの、超伝導物質を食う細菌に関する話は、記録にものっています」〈至後者《ハインドモースト》〉がいった。 「まあ、ぜんぶがぜんぶ彼女の話ってわけでもないがね」と、ルイス。「彼女の船は、長い航海に出てたんだ。そしてもどってきたとき、リングワールドの文明は、姿を消していた。超伝導体を使ったあらゆる装置が停止しちまったんだ」  プリルの話した都市の崩壊の物語が、どれだけ信用できるかはわからない。しかし、リングワールドを支配していた文明を破壊してしまった何か[#「何か」に傍点]があったことはたしかだ。 「どうやら超伝導ってのは便利すぎるようだね。結局、何にでも使うようになっちまう」 「それなら、物質変換機を修理することは可能です」と、〈至後者《ハインドモースト》〉がいった。 「へえ?」 「着陸船《ランダー》には、超伝導性の電線や繊維が積んであります。リングワールドで使われていたのと同じ超伝導物質ではありません。細菌の影響をうけることはないでしょう。交易用の品物が要るかもしれないと思って、持ってきたのです」  ルイスは、表情にこそ出さなかったが、〈至後者《ハインドモースト》〉のことばには心中愕然とした。パペッティア人は、いったいどうやって、リングワールドの機械装置を駄目にしたミュータント細菌のことを、それほど詳しく知ったのだろうか?  ふいにルイスは、その細菌説に対する疑惑の念が、完全に氷解していくのを感じた。  ハミイーには、そこまで読めなかったらしい。 「略奪者が輸送に使った方法が知りたいものだな。もし、外壁の上の輸送システムがやられていたとしたら、変換機は、壁のすぐ内側にあるかもしれないぞ。作動しなくなったため、そのまま放棄されてな」  ルイスはうなずいた。 「もしそうでなかったら、おそろしく広い範囲をさがさなきゃならなくなるぞ。ぼくは、〈補修センター〉をさがすべきだと思うがね」 「どういうことだ、ルイス?」 「どこかに制御や保守の中枢があるはずだ。リングワールドは、このまま永久に自動的にやっていけるものじゃない。隕石防禦、隕石孔の補修、姿勢制御……生態系だって暴走する──どれも監視が必要だ。もちろん、どこにあるかはわからない。しかし、かなり大きなものであることはたしかだ。さがしだすのに、それほど苦労はないと思うよ。それに、そこはおそらくずっと前から、ほったらかしにされているだろう。もし誰か面倒をみるものがいたら、リングワールドがこんなに中心からずれるのを見のがしているわけがないからね」 〈至後者《ハインドモースト》〉がいった。 「そのことを、あなたはずっと気にかけていましたね」 「はじめてここへきたときは、あんまりついてなかった。調査にきたんだってことはおぼえてるだろ? ところが、レーザー兵器みたいなものに射ち落とされて、あとの時間はただ、生きのびて脱出することしか考えてなかった。ぼくらが踏破したのは、幅の五分の一くらいで、それじゃほとんど何もわかりゃしない。あのときも、〈補修センター〉をさがしゃよかったんだ。あらゆる奇蹟は、そこに集中していたはずだ」 「電流中毒者《ワイアヘッド》からそういう思いきったことばが聞けるとは、思っていなかったぞ」 「慎重にやらなきゃね」  人間のために、慎重にやるんだぞと、ルイスはひとりごちた。パペッティア人のためにじゃない。 「ハミイーのいうとおりだと思うよ。どんな機械でも、外壁を通りぬけるやいなや、細菌にやられて、棄てられただろう」  ハミイーがいう。 「しかし、着陸船《ランダー》でこの壁を通りぬけるのは感心せんぞ。一千年も昔の異星の機械など信用するわけにはいかん。上をこえていくのだ」 〈至後者《ハインドモースト》〉がたずねる。 「隕石防禦装置の攻撃をどうやって防ぎます?」 「それをだしぬかなければならん。ルイス、おまえはまだ、あのとき射ってきたのが、単なる隕石防禦用の自動装置だと思っているのだな?」 「あのとき、とっさにそう思ったのさ。カホナくらいアッという間の出来ごとだったからな」  太陽に進路を向けながら、リングワールドの真の姿に威圧されて、みんな少し苛立っていた。もちろん、ティーラを除いてだ。一瞬[#「一瞬」に傍点]、紫色の閃光[#「紫色の閃光」に傍点]。そして、ライヤー号は、紫色に光る稀薄なガスに包まれた。ティーラが船殻をとおして外を見、そして、『翼がなくなっちゃった』といった。 「そいつは、こっちがリングワールドの表面にぶつかるコースに乗るまでは射ってこなかった。自動装置にちがいないんだ。だから〈補修センター〉には、誰もいなかっただろうっていうのさ」 「正体を知って射ってきたわけではないというのだな。よかろう、ルイス。自動装置なら、外壁の上の輸送システムを攻撃するようにセットされてはいない。つまりそういうことだな?」 「ハミイー、その輸送システムを建造したのが誰かも、ぼくらにはまだわかってないんだぜ。おそらくリングワールドの建設者じゃないだろう。たぶん、プリルの種族が、あとからそいつを──」 「そうです」と、〈至後者《ハインドモースト》〉。  ふたりは思わずふりかえって、スクリーンに出ているパペッティア人を見つめた。 「しばらく望遠鏡で観測したことは、もう話しましたね? 外壁の輸送システムは、一部しか完成していないことがわかったのです。こちら側の壁では四十パーセントにわたって走っていますが、わたしたちのいまいる場所は含まれていません。左舷《ボート》側の外壁で完成している部分はほんの十五パーセントです。リングワールドの建設者ともあろうものが、こういう取るに足りない補助設備を、つくりかけのまま放棄するでしょうか? 彼ら本来の輸送方式は、建造を監督したのと同じ宇宙船だったでしょう」 「プリルの種族は、彼らのあとで現れたんだ」と、ルイス。「それもずっとあとになってからかもしれない。外壁の輸送システムは、高くつきすぎたのかもしれない。あるいは、リングワールド全域を支配するにはいたらなかったのかもしれない……だが、それならどうして恒星船なんかつくっていたのか? くそ、どうせわかりっこないんだ。ところで、何の話だっけ?」 「隕石防禦を出しぬく話だ」と、ハミイーがいった。 「そうだっけ。そう、あんたのいうとおりだよ。もし隕石防禦装置が、壁のすぐ上にあるものまで射つようになってたら、そんなところに何かつくろうとするやつなんていなかったはずだ」  その結論を、ルイスは、もうひとときかみしめてみた。この仮定に何か穴があるかもしれない……しかし、それに代わる案といえば、頼りになるかどうかわからない古代の装置ツィルタン・ブローンによって壁の中を通りぬけることだけである。 「いいだろう。外壁の上をこえることにするよ」  パペッティア人がいう。 「あなたたちは、おそろしく危険な提案をしているのですよ。わたしは、できるかぎりの準備をしてきましたが、人間の科学技術の産物も使わなければなりませんでした。もし着陸船《ランダー》が故障を起こしたらどうします? わたしは、自分の資材を危険にさらしたくはありません。あなたたちは、そのまま置き去りになります。そしてリングワールドは、もうすぐ破滅するのですよ」 「忘れちゃいないさ」と、ルイス。 「まず、あとふたつの宇宙港を調査しなければなりません。こちら側の外壁だけで、あと十一隻の船があり、左舷《ボート》側の壁にはあとどれだけ──」  そして何週間かさがしたすえ、どの船にも物質変換装置などないということを〈至後者《ハインドモースト》〉に納得させるというのか?  冗談じゃない──。 「いますぐいくのだ」ハミイーがいいだした。「秘密はもう、わが手のうちにあるのかもしれんぞ!」 「わたしたちには燃料も資材もたっぷりあります。時間がかかるのは、いっこうにかまいません」  ハミイーは手をのばすと、操縦卓を軽くたたいた。前もってそういった手順を、詳細に計画していたのにちがいない。ルイスが疲れ果ててグッタリしているあいだに、この着陸船のことも、こまかくしらべておいたのだろう。  小さな円錐形の船は、床面から一フィートほど浮かび、九十度向きを変え、ついで核融合モーターの噴射が格納室内を白い炎で満たした。 「馬鹿なことはやめたさい」〈至後者《ハインドモースト》〉の流れるようなコントラルトの声が叱りつける。「わたしはその船の推力を切ることもできるのですよ」  着陸船《ランダー》はスルリと母船から横へ出はずれると、いきなり四Gの加速度で荒っぽく上昇しはじめた。〈至後者《ハインドモースト》〉がしゃべり終えたときにはもう、墜落したら確実に死ぬ高さに達していた。  ルイスは、こういうなりゆきを予測できなかった自分に腹が立った。ハミイーの体内の血は、早くも若さにたぎっていたのだ。クジン人の半数は、一人前にまで成長することがない──喧嘩で死んでしまうからだ……。  かくして、ルイス・ウーが、自分のことと、電流の禁断症状による憂鬱とにかまけているうち、行動の選択権は彼の手からすりぬけていってしまったのである。  彼は、冷静にたずねた。 「それで自分で探険に出るつもりかい、〈至後者《ハインドモースト》〉?」  操縦盤の上に映っているパペッティア人の二本の首が、心をきめかねるようにゆれた。 「その気はないんだろ? じゃあ、ぼくらは自分流にやるぜ、ありがとう」ルイスは、ハミイーに向かっていった。「外壁の上に降りてみよう」  だが、ルイスは同時に、クジン人の奇妙にこわばった態度に気づいた。白眼をむき、鉤爪をニュッとのばしている。  激怒か? 本当に、ホット・ニードル号へ体当たりする気なのか?  クジン人が何か〈ますらおことば〉でわめいた。パペッティア人が同じことばで答えた。しかし、すぐ気をかえたらしく、|共 通 語《インターワールド》でくりかえした。 「核融合ロケットは二基、船尾と底部に一基ずつです。スラスターはありません。身を守るため以外に、地上で核融合モーターを使う必要は、まったくありません。リングワールドの床物質と反撥し合う斥力装置《リパルサー》で浮きあがれます。反重力発生機を使った場合と同じ要領で飛行できますが、斥力装置《リパルサー》の機構はずっと単純で、修理や保守も容易です。でも、いまは使わないように。外壁に反撥して、船を宇宙へ押しだすことになりますから」  これでハミイーがコチコチになっていた理由が読めた。着陸船《ランダー》の操縦法がわからなかったのだ。といって、安心するわけにもいかない。しかし、宇宙港の張りだしはもうはるか下のほうだし、発進のときの不安なぐらつきもほとんど消えていた。四Gの推力が、がっしりと下から押しあげている──それがいきなり切れた。「ウワッ!」というルイスの声とともに、着陸船《ランダー》は慣性飛行にはいった。 「外壁の上へ高くあがりすぎないようにしなければならん。ロッカーをしらべろ、ルイス。装備点検だ」 「またいまみたいなことやるときは、ちゃんと知らせてくれよ」 「そうする」  ルイスは緩衝ネットをはずすと、階段の吹きぬけを漂いおりた。  そこは、いくつかのロッカーとエアロックとを備えた居住区画だった。ルイスは片端からドアをあけはじめた。いちばん大きなロッカーにはいっているのは、ひろげたら一平方マイルにもなりそうな薄い絹のような黒い布と、二十マイル用スプールに巻かれたぜんぶで何百マイルになるかわからない量の黒い糸だった。  べつのロッカーには、肩のところに斥力装置《リパルサー》と小さなスラスターのついた改良型の飛行ベルトがはいっていた。小さいのが二基に大きいのが一基。ひとつはもちろんハールロプリララー用に予定されていたものだ。携帯レーザー灯や携帯用の音波麻痺銃がいくつか、それに重い二銃身型の物質分解機が一挺見つかった。  同じロッカーの中に、ハミイーのこぶしくらいの箱がいくつかあり、それにはシャツにとめるためのクリップと格子つきのマイクロフォン孔と三個のイアフォン(ふたつは小さくひとつは大きい)がついていた。小型コンピューター内蔵の翻訳機にちがいない。船内のコンピューターを通じて作動するとしたら、もっと小さくできたはずだ。  四角い大きな|斥 力《リパルション》プレート──これは荷物を空中に浮かべて曳いていくためだろうか? おそろしく細くて強い糸のようなシンクレア分子チェーンのスプールが数個。小さな金の延べ棒──交易用か? 光量増幅装置つきのゴーグル型双眼鏡。耐衝装甲服《インパクト・アーマー》。  ルイスは思わずつぶやいた。 「あいつめ、あらゆる事態を考慮してたんだな」 「どうも」と、ルイスの気づかなかったスクリーンから、〈至後者《ハインドモースト》〉が声をかけた。「準備期間は何年もあったのです」  いくさきぎきに〈至後者《ハインドモースト》〉が出てくるような気がして、彼はうんざりした。だが、おかしいぞ──上の操縦室から流れてくる、猫のいがみあいみたいな声──〈至後者《ハインドモースト》〉はハミイーに着陸船《ランダー》の操縦を教えながら、同時にふたつの会話をこなしているらしい。 姿勢制御ジェット″にあたる単語が、ふと耳にとまった──。  ハミイーの声が、マイクもとおさず、じか[#「じか」に傍点]にとどろいた。 「ルイス、席につけ!」  ルイスは階段口をすべるようにのぼった。席につくかつかないうちに、ハミイーが核融合モーターをいれた。着陸船《ランダー》は速度をおとして、外壁の縁すれすれのところに浮かんだ。  外壁上面の幅は、着陸船《ランダー》をおろすには充分だったが、たいしてゆとりがあるというほどではなかった。それにしても、リングワールドの隕石防禦装置は、どうしてまだだまっているのだろうか?  宇宙船ライイング・バスタード号を紫色の光輝が包んだのは、船がリングワールドの弧の内側を、|遮 光 板《シャドウ・スクエア》の環に向かっているときだった。ライヤー号の船体は、瞬時にして時間のない泡の中に包みこまれた。ふたたび時間がもどってきたとき、船体とその内部のものは、まったく無疵だった。しかし、ライヤー号の三角翼は、そこにあったスラスターや核融合モーターや探知装置をおさめたポットもろとも、イオンの霧となって消失していた。そして船体は、リングワールドに向かって落下しつつあったのだ。  あとになって、一同は、紫色のレーザーは、自動的な隕石防禦機構にほかならないと結論した。また、それは、|遮 光 板《シャドウ・スクエア》に設置されているものと推測された。だが、どれも結局は当て推量だった。リングワールドの武器のことなど[#「リングワールドの武器のことなど」に傍点]、誰も何も聞いたことはなかったのだ[#「誰も何も聞いたことはなかったのだ」に傍点]。  外壁上の輸送システムは、あとからつけ加えられたものだ。とすれば、リングワールドの建設者たちは、そんなもののことを考慮にいれてはいなかっただろう。しかしルイスは、ハールロプリララーの種族に放棄された浮かぶ城の中にあった古い記録で、それが動いているのを目にしている。それは、かつては動いていたのだ。隕石防禦装置は、線型加速機の輪《ループ》やその中をくぐって走る船を攻撃してはいない。  だが、ハミイーが着陸船を外縁の上へおろしていくあいだ、ルイスは座席の肘かけをギュッとにぎりしめて、紫色の炎がやってくるのを待ちかまえていた。  でも、それはこなかった。 [#改ページ]      8 リングワールド  地球上空一千マイル──例えば、公転周期二時間の軌道上──からみた地球は、大きな球体だ。その地表の国々は、眼下をうつろい動いていく。こまかい地勢は、まるい地平線の向うにかくれていき、かわって新たな眺めが現れる。夜には、光り輝く数多くの都市が、大陸の輪郭を描きだす。  しかし、リングワールド上空一千マイルから見たその地表は、ただ平坦で、だからあらゆる国々はぜんぶ一度に見わたせるわけだ。  縁《リム》の外壁は、リングワールドの床面の構成物質と同じものでできている。前回ルイスは、地形が浸蝕されてむきだしになったその物質の上を歩いたことがあった。灰色がかって、半透明で、おそろしくすべりやすい物質だった。ここでは、足のひっかかりをよくするためか、表面が粗くなっている。しかし、ハミイーもルイスも、宇宙服とバックパックのために、頭でっかちでころびやすく、ふたりとも慎重に足をはこんでいた。  まずここからの眺めを楽しむつもりだった。  高さ一千マイルに及ぶガラス状の断崖の下は、断続的につづく雲と海の重畳だった。面積にして一万から二百万平方マイルに及ぶ大小の水面が、陸地の上に多少とも均一にばらまわれ、綱目のように走る川でつながっている。  ルイスが少しずつ目をあげていくにつれて、眺めは遠く、小さくなっていき……小さくかすんでいき……こまかすぎて見えなくなり、最後には、海も沃野も砂漠も雲も、すべてがひとつにとけあった青いナイフの刃が、暗黒の宇宙をくっきりと区切っていた。  左右の眺めも同じで、だが、地平をこえたはるか無限のかなたへ目をやると、そこから青い帯が上へのびあがっているのが見られた。真夜中の濃紺で縞模様になったその青緑色の〈アーチ〉は上へいくにつれて狭くなり、グルリと頭上へまわると、細いリボンとなって、小さな太陽の向うへ消えている。  リングワールドのこの部分は、ちょうどいちばん遠い点を過ぎたばかりのようだが、それでも太陽型の恒星なら、見つめると目を焼かれてしまうだろう。まばたきして首をふるルイスは、目も心も眩惑されていた。  こういった距離感は、人の心をとらえて離さず、何時間も、あるいは何日でも、無限のかなたを見つめつづけさせる力を持っている。魂すら失いかねないほどの距離である。かくも巨大な人工物を前にして、ひとりの人間とはそもそも何だろうか?  自分はルイス・ウーだ。このリングワールドのどこをさがしても、同じものはひとつとしてないのだ。彼はその考えにしがみついた。  無限など忘れてしまえ──細部に心を集中するのだ。  あそこ──〈アーチ〉を三十五度ほどあがったところだ──かすかに、他の部分より青い斑点がみえる。  ルイスは、ゴーグルをかけ、その倍率をあげてみた。フェイス・プレートにしっかり取りつけられているので、じっと頭を動かさないようにして見つめなければならない。青っぽい斑点はひとつづきの海洋であることがわかった。リングワールドの端から端までとどくくらいの楕円形で雲の切れ間からいくつかの群島が見えている。  もうひとつの〈|大 海 洋《グレート・オーシャン》〉を、彼は反対側の〈アーチ〉をかなりあがった位置に見つけた。それは不規則な四稜星形で、同じようにいくつかの小さな群島が散在している──いや、これだけの距離を隔てているから小さく見えるので、あそこにおいたら地球もたぶん、肉眼でようやく見えるギリギリのところだろう。  その眺めが、また彼の心をとらえはじめていた。彼は意識してそこから視線を離し、もっと近いところに目を向けた。  ほとんど直下、ほんの二百マイルほど回転方向《スピンワード》へ寄ったところに、外壁へだらしなくしなだれかかったような恰好の、半円錐形をした山があった。奇妙なほど規則的なかたちだ。そして、みごとな半円形の層をなしている──むきだしの、よごれたような灰色の頂上。そのかなり下をとりまく白い帯は、たぶん雪と氷だ。それより下は緑色の山肌がひろがり、麓へとつづいていた。  ポツンと孤立した山だ。それ以外、回転方向《スピンワード》にはずっと、双眼鏡ゴーグルの限界まで、切り立ったような外壁の平らな壁面がつづいている──いや、その視界の果てにかすかに認められる突起物は、これと同じような山なのかもしれないが、それは嫌になるほど遠かった。そのくらい離れると、リングワールドが上向きに曲がりはじめていくのが見えるような気さえする。  そして、反回転方向《アンチスピンワード》にもまた、同じような出っぱりがみえた。ルイスは顔をしかめた。  よし、いつかあとでたしかめてやるぞ[#「いつかあとでたしかめてやるぞ」に傍点]。  はるか左舷《ボート》(前方)のいくらか回転方向《スピンワード》(右側)よりに、陸地のどこよりも、海よりも明るく、白く光っている区域があった。濃紺色の夜の前端が、そこへ迫っている。塩か? というのが、ルイスの最初の考えだった。かなり大きな地域だ。ヒューロン湖から地中海くらいまでさまざまな大きさの海≠、二、三十個も中に包みこんでいる。その中でも、特に明るい点がいくつか、チラチラ動きまわっているようにみえる……。  そうか。 「|ひまわり花《サンフラワー》の群落だ」  ハミイーが目をやった。 「おれに火傷《やけど》をさせたやつは、もっと大きかったぞ」  スレイヴァーの|ひまわり花《サンフラワー》の発生は、十億年以上前に滅亡したスレイヴァー帝国の時代にまで遡る。スレイヴァー族は、自分の土地の周囲に、外敵防禦のためこのひまわり花を植えていたものらしい。それがいまだに、ノウンスペースのいくつかの惑星で発見される。駆除することは困難だった。レーザー砲で焼き払ってしまうこともできない。銀色の花が、そのビームをはねかえしてよこすからだ。  このリングワールドで、ひまわり花が何の役に立っているのかは謎である。しかし、〈|獣への話し手《スピーカー・トゥ・アニマルズ》〉がリングワールドの上を飛行していたとき、雲の切れ間があって、その姿を下方の植物にさらした。あのときの傷は、もうあらかたなおってしまったが……。  ルイスはゴーグルの倍率をあげた。ゆるやかな湾曲をもった境界線が、青と緑と褐色の地球的な世界を、銀色に光るひまわり花の地域から分けている。その境界が内側へまわりこみ、かなり大きめの海のひとつをなかば囲いこんでいた。 「ルイス。あの短い黒い線が見えるか? ひまわり花の群落をこえた向こうの、ちょっと反回転方向《アンチスピンワード》よりのところだ」 「見えるよ」  無限にひろがる真昼の光景の中に、ポツリと短い黒い線分。おそらくここから十万マイルは離れているだろう。  さて、何だろうか? 巨大なタール坑? いや、リングワールドで石油化学物質が産出するわけはない。影か? だが、リングワールドの永遠の正午の中で、何が影を落とすというのか? 「ハミイー、あれは|浮 遊 都 市《フローティング・シテイ》だと思うね」 「そうだ……最悪の場合でも、文明の中心地ではあるだろう。あそこの住民に声をかけてみるべきだな」  前回のときも、古代の都市のいくつかには、浮かぶ建物が見つかった。浮かぶ都市があってどうして悪い? ふたりはそれを、真横から見ているわけだ。  ルイスがいう。 「あそこからかなり離れたところに降りて、原住民がいたら、都市のことをきいてみよう。あそことは、うまくやっていかなきゃ。もしあの都市をきちんと運営しているとしたら、手ごわい相手かもしれないぞ。そう、なるべくならひまわり花の区域から近いところに降りて──」 「なぜだ?」 「ひまわり花は、ここの生態系を台なしにしつつあるんだ。近隣の連中の手助けが何かできるかもしれない。そのほうが、確実に歓迎してもらえるだろう。〈至後者《ハインドモースト》〉、あんたはどう思う?」  答えなし。 「〈至後者《ハインドモースト》〉? おい、〈至後者《ハインドモースト》〉……ハミイー、あいつには聞こえないらしいぞ。外壁が信号をさえぎってるんだ」  ハミイーが応えた。 「この自由は、あまり長くつづかんぞ。船倉の、着陸船《ランダー》のうしろのほうに、遠隔操縦の探査機《プローブ》が二基あったからな。パペッティア人は、あれを中継に使うだろう。しばらく自由なあいだに話し合うことが、何かあるか?」 「昨夜すっかり話したと思うよ」 「充分にとはいえん。われわれふたりの目的も、まったく同じではないのだぞ、ルイス。おまえは自分の生命を救うことに夢中のようだな。それ以上に、電流をとりもどしたがっている。おれも、命と自由はほしいが、その上に、本望をとげなければならん。〈至後者《ハインドモースト》〉はクジン人を誘拐したのだ。そのことを後悔させてやらなければな」 「その気持はわかるよ。ぼくだって誘拐されたんだ」 「電流中毒者《ワイアヘッド》に、名誉毀損の何たるかがわかってたまるか。おれの邪魔だてなどしたら、ただではおかんぞ、ルイス」 「失礼ながら、そいつはお門ちがいじゃないかね」ルイスがいいかえした。「あんたをリングワールドから救いだしてやったのは、ぼくだぜ。ぼくがいなかったら、あんたはロングショット号を故郷へ持って帰って名前をもらうこともできなかったはずだ」 「あのときのおまえは、電流中毒《ワイアヘッド》などではなかったぞ」 「いまだって、もうそうじゃないさ。おっと、ぼくを嘘つき呼ばわりなどするなよ[#「嘘つき呼ばわりなどするなよ」に傍点]」 「おれは本──」 「待った」  ルイスが指さした。目の隅に、何か星空を背景に動くものがうつったのだ。一瞬遅れて、〈至後者《ハインドモースト》〉の声が、ふたりの耳の中に話しかけた。 「通信がとぎれて申しわけありません。これからどうすることにきまりましたか?」 「探険するのだ」  ハミイーがぶっきらぼうに答えると、着陸船のほうへ歩きだした。 「詳しいことを話してください。単に通信を維持するだけのために、探査機《プローブ》の一基を危険にさらしておくのは、気がすすみません。この探査機の本来の目的は、ニードル号に燃料を補給することなのです」 「では、探査機はひっこめておくがいい」と、ハミイーが答えた。「いずれもどってきたら、すっかり聞かせてやる」  探査機は小さなジェットの炎をいくつかきらめかせて、外壁の上へ降りた。長さ二十フィートくらいの、ずんぐりした円筒形だ。 〈至後者《ハインドモースト》〉がいった。 「馬鹿なことを。わたしの着陸船《ランダー》を、そのあいだあなたにまかせてほうっておけというのですか? 外壁の麓のあたりを調査する計画なのでしょうね?」  ぞくぞくするようなコントラルト、魅力たっぷりの女性の声──パペッティア人の貿易係が前任者から教わってきたのと同じものだ。あるいは別に、女性に対して効果のあるのも教わっているのかもしれない。男の心をワクワクさせる声だが、ルイスには腹立たしいばかりだった。 「着陸船《ランダー》にはカメラがついてるじゃないか、え? それを見てりゃいいんだ」 「ドラウドがここにあるのですよ。説明しなさい」  ルイスもハミイーも、わざわざ答える気にはなれなかった。 「よろしい。着陸船《ランダー》とニードル号とをつなぐ|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》の回路は通じています。探査機《プローブ》は、その中継の役割も果たします。ドラウドのことですが、ルイス、いうことをきけば、いつでも渡してあげまサエ」  これで、気になっていた問題のひとつがすっきりしたなと、ルイスは思った。 「失敗をしでかしたとき、いつでも逃げだせるというのはいいものだな。|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》の有効距離に限界はあるのか?」と、ハミイーがいった。 「エネルギーの限界によります。ただ、|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》システムは、ごくわずかな運動エネルギーの差しか吸収することができません。あなたたちが転移するとき、両船のあいだに相対速度があってはならないのです。だからニードル号からみてまっすぐ左舷《ボート》方向から位置をずらさないほうがいいでしょう」 「われわれの計画にも合うな」 「しかし、もし着陸船《ランダー》を放棄したとしても、あなたたちがリングワールドから脱出するには、わたしにたよるしかないのですよ。聞いていますか、ハミイー、ルイス? リングワールドは、一地球年ちょっとのうちに、|遮 光 板《シャドウ・スクエア》に衝突するのです」  ハミイーは、パペッティア人の発明に成る斥力装置《リパルサー》で着陸船《ランダー》を浮上させた。後部核融合モーターのひとふかしで、船は前進し、外壁の縁を出はずれた。  リングワールドの床物質に対する斥力装置《リパルサー》で飛ぶのは、反重力とかなりちがうことを、ルイスは思い知った。外壁と地表との両方から反撥されるため、着陸船は、急降下爆撃機みたいな曲線を描いて落下をはじめた。およそ四十マイルの高度で、ハミイーはその落下をとめた。  ルイスは、望遠鏡でみた映像をスクリーンのひとつに出した。大気層のほとんどを出はずれた上空に、斥力装置《リパルサー》だけで浮かんでいる船は、静かで安定も上々だ。望遠鏡の架台としては申しぶんない。  外壁の麓にまといつくように、岩の多い山肌が、裾野からずっとせりあがっている。ルイスは、高倍率にした望遠鏡を、その境界線にそって動かしていった。ガラスのような灰色を背景にした褐色の山腹。何か異常な部分があれば、すぐに見つかるはずだ。 「何が見つかると思うのだ?」ハミイーがたずねた。  パペッティア人は、ふたりが放棄された物質変換装置をさがしていると思いこんで眺めているはずだが、ルイスはそのことを口には出さずに答えた。 「宇宙船の乗員たちは、この向うあたりにある宇宙港の張りだしから、こっちへ出てきたはずだ。しかし、捨てられた機械らしい大きな[#「大きな」に傍点]ものは何も見えないね。小さなものは捜さなくていいんだろうな? カホなくらい大きすぎて動かせないものでないかぎり、連中が価値のあるものをおいていったとは思えないし、だとすれば、持ちものぜんぶほったらかしていったかもしれない」  ついで、望遠鏡の視野を固定すると、彼はつづけた。 「あんた、あいつをどう思う?」  それ[#「それ」に傍点]は、外壁の麓にょりかかって、三十マイルの高さにそそり立っていた──一億年も風にさらされ磨かれてきたかのように、みごとに風化した半円錐形だ。裾のほうの斜面を幅広く氷の帯がとりまき、光っている。その氷層は厚く、氷河の流れを示す縞もようが見てとれた。 「リングワールドは、地球に似た惑星の地形を模している」と、ハミイー。「地球に似た惑星という点では、おれの見るかぎり、この山は型に当てはまらんな」 「そのとおりだ。味もそっけもないね。山ならもっとほかとつづいているものだし、こんなに規則的なかたちをしちゃいない。しかし、いいかい、問題はまだあるんだ。リングワールドの地形は、ぜんぶその基盤から、成形されたものだったね。ライヤー号を、底へもっていったときのことをおぼえてるかい? 海の底は出っぱり、山のところは凹んで、山脈は溝になり、河床は重量挙げ選手の腕の静脈みたいだったことを? 河口の三角洲まで、構造物質にきざみこまれていた。リングワールドは、自然の地形を彫りこめるほど厚いものじゃないってことだ」 「あの山をこしらえるような自然の地殻変化もないわけだな」 「だから、ぼくらは宇宙港にいたとき、あの山のところをうしろ側から見てみりゃよかったんだ。ぼくは見ていない。あんたは見たかい?」 「もう少し近づいてみるとしよう」  だがそれはむずかしいことがわかった。着陸船が外壁へ近づくにつれ、核融合の推進力を高めないと、船はその位置をたもてなくなるのである……斥力装置《リパルサー》を切ると、こんどは船を浮かべておくのに核融合モーターが必要になる。  ようやく五十マイル以内まで近づくと、都市が容易に見分けられるようになった。氷河のあいだから、いくつも大きな灰色の岩山が頭をつきだし、その中のいくつかには、無数の黒い窓やドアが散在していた。焦点をしぼっていくと、その戸口にはバルコニーや庇《ひさし》がついており、何百もの細長い吊橋が、上に下に横にとおっているのが見えた。  岩肌には階段も掘られていた。それらは奇妙なかたちに分岐し湾曲し、高さ半マイルかそれ以上にわたって走っている。その一本は、ずっと山麓のほうへ向かって、樹木のあるところまでつづいていた。  都市の中央部に自然にできているらしい、岩と永久凍土層のいりまじった平坦な空地が、公共の広場のようだ。そこにあつまっている群集は、やっと見えるか見えないかの、淡い金色の点々だった。  金色の衣服か、それとも金色の毛皮だろうか?  ルイスにはどちらともわからなかった。広場の後方にある大きな丸い岩の面には、毛で蔽われたまるい陽気な狒々《ヒヒ》の顔がきざまれていた。  ルイスはいった。 「これ以上近づくのはよそう。核融合駆動で着陸しようとしたら、驚かせて追っぱらってしまうだろうし、ほかに方法もないんだから」  推定一万の人口を擁する垂直な都市。探深《ディープ》レーダーでみると、岩盤はあまり深くまで掘られてはいないようだ。事実、住居で穴だらけにされた岩の表面は、永久凍土のようにみえた。 「あのおかしな山について、あそこの住民にたずねてみたいものだな」 「ぼくだってきいてみたいさ」  ルイスのことばに嘘はなかった。 「しかし、スペクトル写真と探深《ディープ》レーダーを見てみろよ。彼らは、単結晶物質はおろか、金属やプラスティックさえ使っていないんだ。あの橋が何でできているのかと思うと、ゾッとするね。連中は未開人さ。山の上に住んでいると思ってるだけだろう」 「そのとおりだ。骨折って接触を試みるまでもあるまい。では、つぎはどこだ? あの浮かぶ都市か?」 「ああ、まずひまわり花の地域を通ってね」  |遮 光 板《シャドウ・スクエア》の一枚が、太陽の表面にすべりこんできた。  ハミイーはふたたび船尾のモーターに点火し、速度を時速一万マイルまであげると、あとは惰性で飛びつづけた。これだと地表の細部が見わけられないほど速くはなく、しかも十時間くらいで目的地へ着くことができる。  下方を飛び過ぎていく光景に、ルイスは目をこらした。本質的に、リングワールドは、果てのない庭園みたいなものだろう。いきあたりばったりに進化してきた世界ではなく、結局は、つくりもの[#「つくりもの」に傍点]なのだ。  前回はじめてきたとき見たものを、この世界の典型と考えるわけにはいかない。一行が滞在した時間のほとんどは、隕石のあけた二個の大きな破れ穴──リングワールドの床の穴から大気を噴きだしている嵐の〈目〉と、その床物質が引きのばされてもちあがった〈|神 の 拳《フィスト・オヴ・ゴッド》〉をとりまく高地と──のあいだを往復するのに費された。その途中周辺の生態系は、メチャメチャになっていた。建設者が慎重に計画した大気環流のパターンがそこなわれたせいである。  しかし、ここ[#「ここ」に傍点]はどうだろう?  ルイスは、嵐の〈目〉──横向きになって平らにつぶれた暴風──らしいものを求めて見まわしたが、無駄だった。ここには、隕石による破れ穴などはない。それでも、あちこちに、サハラ砂漠級かそれ以上の荒れ地が見つかった。山脈の尾根の線にそって、むきだしになったリングワールド構成物質が、真珠のように輝いているところもあった。蔽いの岩盤を、風がそぎとってしまったのだ。  気候パターンの変化による荒廃が、こんなにひどく、こんなに早く、訪れてくるものだろうか? それともリングワールドの建設者たちは、砂漠が好き[#「好き」に傍点]だったのか? 〈補修センター〉はとっくの昔に放棄されているのではないかという考えが、ルイスの頭に浮かんだ。リングワールドの建設者が消え去ったのち、ハールロプリララーの種族は、そんなもののあることに気づきもしないで終わったのかもしれない。もし彼の推測が正しければ、彼らには、何か、消え去らなければならない必然性があったはずだ。 「おれは三時間ほど眠りたい」と、ハミイーがいった。「もし何か起こったら、着陸船《ランダー》を操縦できるか?」  ルイスは肩をすくめた。 「もちろん。でも何が起こるっていうんだ? これだけ低ければ隕石防禦装置は大丈夫だ。もしそいつが、外壁の上にあったとしても、住民のいる地表を射ってしまうことになるからね。このままふっとんでいけばいいんだろう」 「よし。では三時間したら起こしてくれ」  ハミイーは座席の背を倒すと眠りこんだ。  ルイスは楽しみと情報収集をかねて、船首と船尾の望遠鏡にとりついた。ひまわり花の地域は夜の闇の中に包まれている。彼は望遠鏡の視野を、アーチにそって、近いほうの〈大海洋〉まであげていった。  あった。  海をこえてその回転方向《スピンワード》側の岸、ほとんどリングワールドの中心線の上──火星の色だが火星よりずっと大きな砂漠をめぐらせているあの傾いたにせ[#「にせ」に傍点]火山は、〈神の拳〉山だ。それより左舷《ボート》のほうに、〈大海洋〉から長くのび出た入江──それだけで惑星をいくつも合わせたくらいの広さがある。  前回のとき、彼らはその岸までたどりついて、引っ返したのだった。  青い楕円形の洋上に、いくつかの群をなして、島々が散在している。孤立した島もある──円盤形で、砂漠と同じ赤い色の島だ。同じく円盤形だが、その中央をとおる水路で二分されたのもある。おかしな恰好だ。しかしほかのはみんな、かなりの海面にわたってひろがった群島だ……あった。  前回もみつけた地球の地図──アメリカ、グリーンランド、ユーラシア=アフリカ、オーストラリア、南極大陸、どれも白く光る北極点からひろがっているのは、昔〈|空 の 城《スカイ・キャッスル》〉で見たとおりそのままだった。  ではあれらは、どれもみんな、ほんものの惑星の地図だったのだろうか?  プリルは知らなかったろう。彼女の種族が出現するよりずっと前につくられたものなのだから。  ティーラと〈|探す人《シーカー》〉を残してきたのは、どこかあのあたりだ。まだあの付近にいるにちがいない。リングワールドのスケールと、原住民の科学技術のことを思えば、二十三年間でさほど遠くへいってはいないだろう。ここからアーチにそって三十五度──五千八百万マイルくらい離れた場所だ。  実際のところ、もう一度ティーラに会いたいという気持はない。  三時間はもう過ぎていた。ルイスは手をのばすと、ハミイーの肩をそっとゆすぶった。  巨大な腕が激しくつきだされた。ルイスはとびのいたが、避けきれなかった。  ハミイーは彼を見ると、目をパチパチさせた。 「ルイス、ああいう起こしかたをするなよ。自動医療装置《オートドック》が要るか?」  肩のうしろに、深い傷がふた筋ついていた。血がシャツにしみこんでいくのが感じられた。 「すぐいく。それより、見てみろ」  彼は地球の地図を指さした。小さな島のあつまりのひとつだ。  ハミイーが目をすえた。 「クジンだ」 「何だって?」 「クジンの地図だ。あそこだ。ルイス、われわれはあれを縮小された地図だと考えていたが、思いちがいだったのではないか? どれも、ほんものと同じ、原寸大だったのだ」  地球の地図から五十万マイルほど離れたところにある一群の島々。地球の場合と同じく、極図法なので海洋のかたちはゆがんでいるが、大陸はだいたい原形をたもっている。 「なるほど、たしかにクジン星だ」と、ルイス。「どうして気がつかなかったんだろう? それから、水路で二分されたあの円盤──あれはジンクス星だ。あの小さい赤っぽいのは火星にちがいない」  ルイスは目をしばたたいて、めまいを追いのけた。シャツはもう血でぐっしょりだ。 「あとで考えよう。下の自動医療装置《オートドック》まで連れてってくれないか」 [#改ページ]      9 牧 夫 た ち  自動医療装置《オートドック》でひと眠り。  四時間後──眠っているクジン人にさわってはいけないことを思いださせてくれる肩のうしろと脇腹のこわばり[#「こわばり」に傍点]を感じながら──ルイスは座席についた。  外はまだ夜だった。ハミイーはもう〈大海洋〉をスクリーンに出していた。 「ぐあいはどうだ?」と、彼はたずねる。 「すっかりよくなったよ。最新医学はありがたいね」 「おまえは、怪我でとり乱したりはしなかったな。それでも、痛みやショックは感じたはずだ」 「ああ、五十歳のルイス・ウーだったら、ヒステリーを起こしてたろうけど、なあに、すぐそこに自動医療装置があることはわかってたからね。でもどうして?」 「はじめおれは、おまえがクジン人なみの勇気を持っているのだと思った。だがそのあとで、もしかすると電流中毒《ワイアヘッド》のため、それより小さな刺激には反応しなくなったのではないかという気がしてきたのだ」 「そいつも勇気のひとつってことにしときゃいいだろ、え? ところで、あんたのほうは何かわかったかい?」 「わかりすぎるくらいだ」クジン人は、指さしながらつづけた。「地球、クジン、ジンクス──ほら、東極と西極と同じようにふたつの山の頂上が大気圏外へつき出ている。火星の地図もそうだ。それからそれが、わが奴隷惑星クダト──」 「もうクジン領じゃないぜ」 「クダトリノ人はわが奴隷種族だった。同じく奴隷だったピエリン人──これがやつらの惑星だと思う。ここは、おまえが知ってるな──トリノック人の母星ではないのか?」 「ああ、そして、隣りのここにも植民していたはずだ。〈至後者《ハインドモースト》〉が地図を持ってるようなら、たずねてみようか?」 「きかなくともわかっている」 「まあいいだろう。よし、ところでこいつはそもそも何なんだ? 地球に似た惑星の一覧表ってわけでもあるまい。それに、ぼくにはどこだか見わけのつかないのが半ダースもあるぜ」  ハミイーは鼻をならした。 「どんな低能の目にも一目瞭然ではないか、ルイス。これは、潜在的な敵、いつの日かリングワールドに脅威を及ぼすかもしれぬ知的もしくは半知的生物の登録表なのだ。ピエリン人、クジン人、火星人、地球人、トリノック人」 「だけど、どうしてジンクスが? おい、ハミイー、いくらなんでもバンダースナッチが、宇宙艦隊を仕立てて攻めてくるなんて思ったわけじゃあるまいに。あいつらは恐龍みたいに大きくて、手がないんだからな。それから、ダウン星にも知的生物がいるんだぞ。それはどこにあるんだ?」 「あそこだ」 「なるほど。そういえばそのようだ。でも、グロッグが、脅威といえるだろうかね? 一生のあいだひとつの岩の上にすわって過ごすんだぜ」 「リングワールドの建設者は、そういった種族をすべて発見し、子孫へのメッセージとしてこの地図を残したのだ。その点は同意するな? しかし、パペッティア人の母屋は見つけておらん」 「フウン?」 「なお、ジンクス星を訪れたことも明らかだ。最初の探険のとき、バンダースナッチの骨格があったな」 「あった。たぶん彼らは、ここにある惑星ぜんぶを訪れているんだろうね」  明かりの感じが変わってきたようだ。夜の闇が反回転方向《アンチスピンワード》へ退いていくのがわかる。  ルイスがいう。 「そろそろ着陸するときだね」 「どこへ降りるというのだ?」  |ひまわり花《サンブラワー》で埋めつくされた前方の平野に、陽がさしはじめていた。 「左へ旋回しろ。明暗境界線《ターミネイター》についていくんだ。ほんものの地面が見えるようになるまでそのまま進んで、夜明けより前のところへ降りなきゃ」  ハミイーは大きな曲線を描いて進路を変えた。ルイスは指さしながらいった。 「あそこで、境界線がこっちのほうへ凹んでるね。ひまわり花が、海の両側へひろがってるんだ。見えるか? ひまわり花も、水の上はわたりにくいようだ。あの海の向こう岸へおりることにしょう」  着陸船《ランダー》が大気圏に突入した。船の前と周囲に炎があがり、視野いっぱいに白い光輝をひろげた。ハミイーは船の高度をたもちながら、ゆっくりと速度を落とし、大丈夫と見きわめのついたところでまた下降にはいった。  海面が眼下をうしろへ飛び去っていく。リングワールドの海はどれもそうだが、この海も便利なように、複雑にいりくんだ海岸線が入江や浜辺をかたちづくり、海底はゆるやかに一様な深さまで達している。海藻の大森林や、無数の島々、きれいな白砂の浜辺などが見える。左前方、反回転方向《アンチスピンワード》の向う岸には、広大な草原がひろがっていた。  ひまわり花は、悪疫のように、二本の腕をのばして海をかかえこもうとしていた。S字形をつらねたみたいに曲がりくねった河がひと筋、ひまわり花の原野を流れ、河口で三角洲を形成している。左舷側ではひまわり花の腕が、あふれて沼地になった川の岸にせきとめられている。氷河の前進のようにゆっくりした、その凍りついた動きを、ルイスは感じとることができた。  ひまわり花が、着陸船《ランダー》に気づいたらしい。  下方から、光の爆発。  窓は瞬時に暗くなったが、ハミイーもルイスも、しばらくは目がくらんだ。 「おそれるな」と、ハミイーがいう。「この高度なら、何かに衝突する心配はない」 「まぬけな植物め、この船を鳥だと思ったんだな。目が見えるかい?」 「計器は読める」 「五マイルまで下降しろ。とにかくあいつらの上を通りぬけなきゃ」  数分後、窓は透明にもどった。後方の地平線がギラギラと輝いている。ひまわり花は、まだあきらめていないようだ。  前方には……おっと──。 「村が見えるぞ!」  ハミイーが船の高度をさげ、ふたりは目をこらした。きちんと円環形に掘っ立て小屋を建てめぐらした村落だ。 「あのまん中に降りるのかい?」 「それはいかん。端のほうにおろすぞ。あやつらが、何を作物にしているのか、わかるといいのだが」 「焼いちまいたくないからね」  村の上空一マイルで、ハミイーは核融合駆動を使って着陸船《ランダー》を停止させた。斥力装置《リパルサー》をしぼって、平原を蔽っている丈の高い草のようなものの上へ、船は降下していく。  着地の寸前、その草が動きだした──そこから、緑色をした小型の象みたいなものが三匹立ちあがり、短くひらたい鼻をあげて、警告するようにブウッと鳴いてから、逃げだしていくのが目にとまった。 「原住民は遊牧民らしいな」と、ルイス。「|暴 走《スタンピード》をひきおこしちまったみたいだぜ」  たくさんの緑色のやつが、その逃走に加わりはじめている。 「やれやれ、おみごとだよ|船 長《キャプテン》」  計器によると大気は地球型だ。何も意外なことではない。ルイスとハミイーは耐衝装甲服《インパクト・アーマー》を身につけた──革のような材質で、こわばった感じは少しもないが、槍とか矢とか弾丸とかで衝撃をうけると鋼鉄のように硬化する物質である。その上、音波麻痺銃《ソニック・スタンナー》、翻訳機、望遠ゴーグルも持った。  斜路《ランプ》をくだると、そこは腰まで埋める草原だった。  小屋は互いに間《ま》をつめ、あいだを垣根がつないでいる。太陽は頭上にあった……当然である。夜明けのことで、住民はやっと起きだしたばかりにちがいない。小屋の外向きの壁には窓がなかった──いや、一軒だけ、他の二倍の高さのはべつで、それにはバルコニーもついていた。こっちはもうとっくに見つかっているはずだ。  ハミイーとルイスが近づいていくと、原住民たちも動きだした。  一団となって、はずむように垣根をこえ、互いに裏声でわめき交わしながら進んでくる。小柄で赤い皮膚の人間型で、狂ったような走りぶりだ。それぞれ網と槍を手にしている。  ハミイーが麻痺銃《スタンナー》をぬくのを見て、ルイスも抜いた。だが、赤い亜人類《ヒューマノイド》たちは、ルイスとハミイーの傍らを矢のようにすりぬけて、駆け去ってしまった。  ハミイーがたずねる。 「これを侮辱ととるべきかな?」 「とんでもない。暴走をくいとめにいったにきまってるじゃないか。彼らのバランス感覚をとがめるいわれはないよ。さあ、いこう。たぶん残ってるやつがいるはずだ」  たしかにいた。二、三十人の、肌のまっかな子供たちが、垣根のうしろから、近づいていくふたりを見ている。みんなやせっぽちだ。赤ん坊さえ、グレイハウンドの仔犬みたいにやせている。  ルイスは垣根のところで立ちどまると、彼らに笑いかけた。だが、誰も見向きもしなかった。ほとんどの子供たちは、ハミイーのほうへむらがり集まった。  小屋の列で円形にかこまれた内側は、むきだしの地面だった。石でまるく囲んだ部分は、焚火の消えたあとらしい。  やがて、肌の赤い片脚の男が、建物のひとつから現れ、松葉杖をついて、ルイスにはジョギングみたいにみえる足どりで近づいてきた。レース飾りのついた、古い皮の短衣《キルト》を身につけている。大きな耳が頭からつき出ているが、その片方は裂けていた──古い傷らしい。歯は、やすりをかけてとがらされている……のだろうか? 口をあけて笑顔を見せている子供たちの歯も、赤ん坊にいたるまでとがっていた。もともとそういうかたちに生えるのにちがいない。  その老人は、垣根の前で立ちどまると、微笑をみせ、何か問いかけてきた。 「まだあんたたちのことばを話せないんでね」と、ルイス。  老人はうなずいた。片腕をグルリと上へふりあげる──招く身ぶりなのか?  すると、年かさの子供のひとりが、大胆にも垣根の上から身を踊らせた。彼(彼女だ。子供たちは衣服をつけていなかった)は、ハミイーの肩の上にとびおり、毛皮の中に身を落ちつけると、そのあたりをさぐりまわしはじめた。  ハミイーは身動きもせずに立っている。口をひらくと、彼はたずねた。 「ルイス、どうしたものだろうな?」 「そいつは武器なんか何も持ってないよ。あんたが危険なやつだってことを、さとらせないほうがいいね」  ルイスは垣根をのりこえた。老人が身をひいて道をあける。ハミイーも、首のまわりの厚い毛皮にしがみついている少女を肩にのせたまま、慎重な身のこなしであとにつづいた。  やがて、ルイスとハミイーと片脚の赤い男は、子供らにとりかこまれたまま、焚火あとのそばに腰をおろした。彼らのことばを、翻訳機が収録しはじめる。ルイスにとってはいつものことだ。ふしぎなのは、それが老人にとっても日常の作業のように思われたことである。翻訳機がしゃベりだしたときも、驚いた様子はなかった。  彼の名は、シヴィス・フーキ=ファーラリーなんとかといった。かん高い、さえずるような声だ。  意味のとれた最初の質問は、「何を食べなさるか? 答えずともよいが」であった。 「ぼくが食べるのは植物と海産物と火をとおした肉だ。ハミイーは、火をとおさない肉を食べる」  ルイスはそう答えたが、それで充分通じたらしい。 「わしらも火をとおさぬ肉を食べる。ハミイーとやら、あんたは珍しい客人だ」  そこで、シヴィスは、ふとためらった。 「このことをいっておかなければならぬ。わしらは、リシャスラをしない。どうか怒らんでほしい」  リシャスラということばに対して、翻訳機はピーッと鳴っただけだった。  ハミイーがたずねた。 「リシャスラとは何だ?」  老人は、びっくりしたらしい。 「そのことばは、どの土地へいっても同じだと思っていたがな」  そして、説明をはじめた。  ハミイーはふしぎなほどだまりこんだまま、その未知の単語の意味をめぐって問題が掘りかえされていくのに耳をかたむけている──。  リシャスラというのは、異種族間のセックスのことだった。  誰でもそのことばを知っている。多くの種族がそれを実行している。ある種族にとってはお互いの産児制限の手段になる。またある種族にとっては、それが通商協定の第一段階である。それをタブーにしている種族もある。  だが、ここの住民には、タブーなど要らない。単にそれが不可能なのだ。性徴がちがいすぎるからだ。いや、あるいは、分泌物質《フェロモン》が特殊なだけかもしれない。 「これを知らぬとは、よほど遠くから来なすったのだな」と、老人はいった。  ルイスは自分たちが、|懸け橋《アーチ》のかなたの星からやってきたことを話した。いや、彼もハミイーも、リシャスラをやったことはないが、自分の種族の中には大きな人種差がある(彼は、自分より一フィートも背が高くて十五ポンドも体重の軽い、腕に抱くと羽根みたいなウンダーランドの娘のことを思いだしていた)。また、いろんな惑星やそこに住む知的生命体のことも話したが、戦争と武器に関する話題は避けておいた。  この村の人びとはさまざまな動物を放牧していた。肉の種類が多いことは好ましいが、飢えるのは好ましくないし、また、同時に多種多様な動物の群を追うのは手にあまることが多い。  そこで、この人びとは、各〈氏族《トライブ》〉間で連絡をとりあい、互いに肉を交換するのである。ときには、お互いの担当する獣の一群をそっくりとりかえることもある。これは互いに生活様式《ライフ・スタイル》そのものを交換することを意味する──別れる前には互いに飼いかたを指導しあうのに、半ファランほどかかる(一ファランは十回転、つまりリングワールドの十自転で、三十時間の一日でかぞえて七十五日にあ たる)。  牧夫たちは、よそものが村にはいっていることを気にしないのか?  シヴィスは、気にしていないといった。ふたりくらいのよそものは、何の脅威でもないのだ。  連中はいつ帰ってくるのか?  正午ごろだろうとシヴィスは答えた。みんな急いでとびだしていかなければならなかった。暴走が起こったのだから。あんなことさえなければ、みんな足をとめて話をききたがったことだろう。  ルイスがたずねた。 「あんたたちの食べるのは、殺したての肉でないとだめかね?」  シヴィスは微笑した。 「いや。半日くらいはかまわない。一昼夜おくと長すぎる」 「じゃ、いったい──」  ハミイーがとつぜん立ちあがった。肩の少女をそっと下におろすと、自分の翻訳機を切った。 「ルイス、おれにはいま、運動と孤独が必要だ。このたびの監禁生活で、気が狂いかけているような気がする。おれがここにいないとまずいか?」 「大丈夫だが……おい、ちょっと──」  すでに垣根を越えかけた位置から、ハミイーがふりかえった。 「その服を脱ぐなよ。遠くからみたんじゃ、あんたが知的生物だってことはわからないから。それから、あの緑色の象を獲物にするなよ」  ハミイーは手をふってみせ、外の緑の草原へとびだしていった。 「あなたの連れはすばやい」と、シヴィスがいった。 「ぼくもいかなきゃ。やることがあるんだ」  前回リングワールドを訪れたときは、ずっと、何とか生きのびて脱出することしか頭になかった。ルイス・ウーが良心の痛みを感じはじめたのは、ずっとあと、地球のレシトにある安全ななじみ深い場所にもどってからのことだった。そのときやっと、彼は、一個の都市をメチャメチャにしてしまったことに気づいたのである。  |遮 光 板《シャドウ・スクエア》は、リングワールドと同心円を形成している。二十枚の板が、太陽に一面を向けたかたちで、目にみえない細い糸でつながれてまわっているのだ。まわる速度がその軌道速度より速いため、糸はピンと引っぱられている。  駆動モーターを焼き落とされて自由落下状態になったライヤー号が、その糸の一本にぶつかり、それを切り放してしまったのだ。数万マイルもの長さを持ったひとつづきの糸は、人の住む都市の上に、煙の雲のようになって降りつもった。  ルイスがそれを、墜落したライヤー号を引っぱっていくのに使った。  その糸の一端を見つけ、それを間に合わせの乗りもの──ハールロプリララーの浮遊牢獄──にとりつけ、そのままうしろにひきずって進んだ。あとの都市がどうなったか、実際のところは知るよしもないが、推測することはできる。なにしろ蜘蛛の糸のように細くて船殻金属を断ち切るくらいの物質だ。もつれの輪が縮まっていくにつれて、それはあらゆる建物を、砂利の段階まで切りきざんでしまったにちがいない。  今回は、ルイス・ウーがやってきたために、原住民に災いが及ぶようなことがあってはならない。電流中毒《ワイアヘッド》の禁断症状もまだあとをひいていた。これ以上、罪の意識にさいなまれるのはまっぴらだ。それなのに、やってきたとたんに家畜の暴走をひきおこしてしまった。彼はそれを静めてやるつもりだった。  しかし、それはきつい肉体労働だった。  ある程度やってみて、あきらめた彼は、着陸船にもどった。  クジン人のことが、どうも気になる。人間にしたって──例えばいまから五百年前の、功成り名とげた中年の|平 地 人《フラットランダー》が──いきなり十八歳に逆行しているのに気づいたら、気分が落ちつかなくなるだろう。死への順調な歩みが中断され、血液はなじみのないエネルギッシュな流れをとりもどし、自分が自分である特徴までおかしくなって──髪は濃く色づき、傷あとまで消えて──しまったとしたら……。  そう、ハミイーはいったいどこにいるんだ?  見なれない牧草だった。この集落の近くでは、腰くらいまでの丈がある。少し回転方向《スピンワード》寄りの広大な区域では、地表すれすれまでそれが食いとられていた。その端のところでは、れいの家畜の一群が、赤い肌の小柄な人間型の原住民に導かれて、あとにほとんど土色の食いあとを残しながら動いていくのが見られた。  そういうことか──この小さな緑色の象は、じつに能率的な家畜なのだ。赤い肌の連中は、しょっちゅう居住地を移動させなければなるまい。  近くの草が動いた。もう一度動くまでじっと視線をすえていると……だしぬけにそれがオレンジ色の縞もようになった。ハミイーが何を獲ったのか、ルイスには見えなかった。あたりに原住民の姿はない……それだけで充分だ。  彼はまた仕事にもどった。  牧夫たちが帰ってくるのをご馳走が待っていた。  彼らは、ペチャクチャしゃべりあいながら、一団となってもどってきた。着陸船《ランダー》のところで一度とまると、しげしげと眺めたが、あまり近くへ寄ろうとはしなかった。何人かは、一匹の緑色の象をとりかこんでいる(昼食用か?)。一同は、槍を持った数人に先導されて小屋の輪の中へはいってきたが、この隊形も単なる偶然だったかもしれない。  ルイスと、またべつの少女を肩にのせたハミイーが立ち、その前に、きれいな皮の上におかれた半トンにも及ぶ切り分けられた肉の山があるのを見て、彼らはびっくりして立ちどまった。  シヴィスが、ふたりの異星人を紹介し、彼らのいったことを手短かに、しかしかなり正確に、連中へ伝えた。うそ[#「うそ」に傍点]だといわれるのをルイスは覚悟していたが、そういうことはなかった。  彼は族長に会った──身長四フィート何インチかの女性で、名前をジンジェロファーというその女は、どぎまぎするほど鋭い歯をみせてほほえみながら、頭をさげた。ルイスも、つとめて同じようなやりかたで頭をさげてみせた。 「シヴィスの話だと、あなたがたは、肉の種類の多いのがお好きだというので」  ルイスはそういいながら、着陸船《ランダー》の調理機から出してきたそのひと山のご馳走を指さしてみせた。原住民の中の三人が、緑色の象を、グルリと、群れが草を食んでいる方向へ向きなおらせ、槍の柄で尻をつついて放してやった。そうして、一族は食事にかかった。  ルイスが空っぽだとばかり思っていた小屋の中からも、十人をこえるおそろしく年とった男や女が出てきて、仲間に加わった。シヴィスを老人だと思っていたのは、ルイスの感ちがいだったようだ。彼はこれまで、しわのよった皮膚や、関節炎で不自由な手脚や、年代の経った古傷のあとなどにはなじみがなかったのである。どうしてかくれていたのかといぶかり、ついで、自分とハミイーがシヴィスや子供たちと話しているあいだずっと、弓につがえた矢がこっちを狙っていたのだろうという推測にたどりついた。  数分のうちに、原住民たちは、肉の山を骨ばかりにしてしまった。途中、何の会話もなく、また、優先順位といったものも認められなかった。事実、まるでクジン人みたいな食いっぷりだった。ハミイーは、いっしょに食べないかという身ぶりの誘いをうけて、原住民が手をつけようとしないモアの肉の大部分をたいらげた。彼らは赤身の肉のほうが好きだったようだ。  ルイスはこの内を、大きな|斥 力《リパルション》プレートにのせて、何度かに分けて運んできたのである。その労働のせいで、筋肉がズキズキ痛んだ。原住民たちがせりあいで食べているのを、彼は眺めていた。いい気分だった。頭にドラウドをつけているわけでもないのに、いい気分になれたのである。  原住民の大部分は、そのあと、家畜の世話をするために立っていってしまった。シヴィスとジンジェロファーと、彼らより年とった何人かがあとに残った。  ハミイーが、ルイスにたずねた。 「この、モアというのは、合成物なのか、ほんものの鳥なのか? 族長一家は、こういう鳥を、狩猟場に放したがるかもしれんな」 「実在した鳥だよ」と、ルイス。「ジンジェロファー、これで、暴走を起こしたつぐないになったかと思うが」 「感謝しています」彼女がいった。  くちびるとあご[#「あご」に傍点]に、血がついたままだ。そのくちびるはふっくらしていて、肌よりも赤い。 「暴走のことはご心配なく。生きることは、空腹でないということ以上のものです。わたしたちは、変わった人たちに会うのが好きです。あなたの世界は、本当にここよりもそんなに小さいのですか? そして、丸いのですか?」 「ボールみたいに丸いんだよ。ぼくの世界をアーチの上までもちあげたら、白い点みたいにしか見えないだろうね」 「そこへ帰って、わたしたちのことを話すのですか?」  翻訳機は、これをニードル号の記録装置に送りこんでいるにちがいない。 「いつかはね」と、ルイスは答えた。 「ご質問があるのでしょう?」 「ある。ひまわり花が、あなたがたの牧草地をだめにしてしまうおそれはないのだろうか?」  その意味を彼女にわからせるのに、彼は指さしてみせなければならなかった。 「回転方向《スピンワード》にみえる明るいもののことですね? わたしたちは、あれが何かは知りません」 「何だろうと思ったこともないのかね? 偵察隊を出したことは?」  彼女は眉をひそめた。 「こういうことです。わたしの父と母が小さいころから、ずっとみんなは、反回転方向《アンチスピンワード》へ移動をつづけてきました。大きな海を迂回して進んだおぼえもあるということです。でも、海岸へはあまり近づきませんでした。けものたちが、海岸の草は食べないからです。そのころにも、回転方向《スピンワード》のあの光は見えていましたが、いまは前よりも明るくなっています。偵察隊のことですが──若者たちの一隊が、みずから進んで見にいきました。彼らは巨人の一団に出会いました。その巨人が、家畜を殺してしまいました。そのためいそいでもどらなければなりませんでした。肉がなくなったからです」 「とすると、ひまわり花の進んでくる速さは、あなたがたより早いことになるが」 「かまいません。わたしたちは、いまより早く移動できますから」 「浮かぶ都市について、何かわかってることはないだろうか?」  ジンジェロファーは、生まれてからずっとそれを見て育ってきた。それは、アーチそのものと同じく、方角の目じるしになっていた。夜、空が雲に蔽われて、いるときでも、都市の黄色い輝きが見えるからだが、彼女が知っているのはそのことだけだった。あまりに遠いため、それについてのうわさが伝わってくることもなかったのだ。 「ほかにもずっと遠くから伝わってくるうわさがありますが、お話しする価値があるかどうか。たぶんひどくゆがめられているでしょう。それは、|こぼれ山《スピル・マウンテン》の、白くて寒い頂上と、空気の濃すぎる麓との中間に住んでいる人たちのことです。その人たちは、隣りのこぼれ山へ、またそのつぎへと、飛んでいくことができます。|空中そり《スカイ・スレッド》が手にはいるとそれを使って飛びますが、もう新しいのがないので、何百年も前から気球を使っているということです。あなたの見るもの≠使えば、あんなに遠いものも見えるでしょうか?」  ルイスは望遠ゴーグルを彼女にかけさせ、拡大ダイアルを教えてやった。 「どうしてあれをこぼれ山≠ネどというのかね? 水がこぼれるのと同じことばだね?」 「はい。どうしてそう呼ぶのかは知りません。これで見ても、山が大きく見えるだけですね……」  回転方向《スピンワード》に向きなおる。彼女の小さな顔は、ほとんどすっかりゴーグルに蔽われていた。 「海岸が見えます。その向うが、ギラギラ光っていますね」 「そのほかに、旅の人たちから何かきいたことは?」 「会うと、おもに危険なことについて話します。反回転方向《アンチスピンワード》には、無知な肉食人種がいて、人々を殺しています。いくらかわたしたちに似たかたちをしていますが、もっと小さくて、色が黒くて、夜になると狩りをするのです。それから……」  彼女は盾をひそめた。 「本当かどうか知りませんが、魂のないものがいて、それに会うと誰でもリシャスラしたくなるのだそうです。そのあとで、みんな死んでしまうということです」 「でも、あなたがたにはリシャスラができないんだったね? 危険なことはないと思うけど」 「わたしたちにもさせるのだということです」 「病気のことは? 寄生虫などは?」  そのことばが何を意味するのか、理解できる原住民はひとりもいなかったのだ! 蚤、鈎虫《こうちゅう》、蚊、はしか[#「はしか」に傍点]、壊疽《えそ》──リングワールドには、そういったものはいっさい何もなかった。  そのくらい推測していて当然のところだった。リングワールドの建設者が持ちこまなかっただけなのだ。それでもなお、彼には驚きだった。もしかすると、自分は、はじめてここへ病気をもちこんでいるかもしれない……いや、たぶんそんなことはないだろう。さっき自動医療装置にはいったとき、からだに害のあるものは、そいつがぜんぶ取り除いてくれたはずだ。  しかし、ここの原住民は、何と文明化した人類によく似ていることか。彼らは、年はとるが、病気に冒されることはないのだった。 [#改ページ]      10 神様ごっこ  日が暮れるより何時間も前に、ルイスはもう疲れきっていた。  ジンジェロファーが小屋のひとつを提供してくれたが、ハミイーとルイスは着陸船《ランダー》で眠ることにした。ハミイーが防衛装置のスイッチをいれているのを横目で見ながら、ルイスは就寝プレートのあいだに倒れこんだ。  真夜中に、ふと目がさめた。  ハミイーは、眠る前に、光量増幅装置を作動させたらしい。周囲の眺めが、雨天の日みたいにぬれぬれと光ってみえる。上空にかかっている〈アーチ〉の昼の部分は、まるで発光パネルの天井のようだ──明るすぎて、とても見つめてはいられない。しかし、近いほうの〈大海洋〉の大部分は、いまのところ夜の影の中にはいっている。 〈大海洋〉の美観に、彼は目を惹きつけられた。じつに華麗な眺めだ。でも、そいつはどこかおかしい。もし、リングワールドの建設者に関するルイスの推測が当たっているとしたら、華麗さなど考えるのは連中のやりくちじゃない。ひたすら単純さと効率のみを求め、おそろしく長期にわたる計画を立て、その道を戦いとっていく手合いなのだ。  しかし考えてみると、リングワールドはそれ自体まことに華麗な存在であり、しかもまったく無防備だ。どうして彼らは、こんなもののかわりに、たくさんの小さなリングワールドをつくらなかったのだろう? それに、なぜあんな〈大海洋〉などを?  どっちにしても、彼らにふさわしいやりかたとは思えない。あるいは、推測の出発点からして間違っているのかもしれない。  前にもあったことだ! それでも、あの証拠が──。  あの草の中──何かが動いてるんじゃないかな?  ルイスは、赤外線|走査機《スキャナー》のスイッチをいれた。  そいつら自身の体温で、はっきり光ってみえた。犬よりは大きく、人間とジャッカルの混血とでもいいたい恰好だ──この不自然な明かりの中に浮かぶ、忌わしい超自然的な存在。  一瞬後、ルイスは着陸船《ランダー》の旋回砲塔についている|音 波 麻 痺 砲《ソニック・スタン・キャノン》の制御スイッチをいれ、つぎの一瞬で侵入者たちに狙いをつけた。ぜんぶで四匹、四つん這いで草のあいだを進んでくる。  小屋の輪からあまり遠くないところまできて、彼らは停止した。数分間、そのままじっとしていたが、やがていっせいに遠ざかりはじめた。こんどは背をまるめた半直立の姿勢だ。ルイスは赤外線|走査機《スキャナー》を消した。  増幅されたアーチ光《ライト》の中に、その姿がクッキリと浮かびあがった──昼間の饗宴の残りが捨てられていたのを、持ち去っていくところらしい。  |屍肉食い《グール》なのだ。  彼らに、あの肉はまだ新鮮すぎるのかもしれない。  視野の端の、黄色いもの──ハミイーが目をさまし、起きてきたのだった。  ルイスがいう。 「リングワールドは、ずいぶん古いものなんだな。少なくとも十万年は経ってるだろう」 「どうしてそういうことがいえるのだ?」 「リングワールドの建設者が、あんなジャッカルを持ちこんだとは思えないからさ。この生態系の中で、枝分かれした亜人類があの役割に適応するのに充分なだけの時間があったわけだよ」 「十万年では不足だろうな」と、ハミイー。 「かもしれない。そのほかに、建設者が持ってこなかった[#「持ってこなかった」に傍点]のは何だろうな。蚊も持ってきてないようだし」 「とぼけたやつだ。だが、吸血動物のたぐいを、何も持ちこんでいないことは、たしかだろう」 「そう。それに、鮫や|アメリカ豹《クーガー》なんかもね」ルイスは笑いながらいった。「それにスカンクもだ。あと何かある? 毒蛇か? 哺乳類には、蛇の代役はつとまるまい。口から毒液を分泌する哺乳類なんて、生まれっこないと思うけどな」 「ルイス、人間種族がそういういろいろな方向に進化をとげるには、何百万年もかかるだろう。そもそもやつらが、リングワールド上で進化したものかどうかも、まだわかっていないのだぞ!」 「進化したのさ。もしぼくの考えが、根本的に間違ってないかぎりはだ。時間がどれだけかかったかなんてことは、計算のしかたでどうにでもなる。もし彼らがみんな、基本型の人間から十万年前に進化を開始したものとして……」  いい終わらないまま、ルイスは口をつぐんだ。  もうかなり遠い──荷物をかかえていることを考えれば、相当な速さだ──だが、そこでジャッカル人間たちは、ふいに立ちどまって向きを変え、つかのまじっと立っていたが、すぐ草の中に身をかくして消えてしまった。  赤外線|感知機《センサー》をいれてみると、四つの光る点が、四方に分れてグングン遠ざかっていくのがわかった。 「回転方向《スピンワード》から何かくるぞ」  ハミイーの、落ちついた声。  新たに現れたその連中は、大きかった。ハミイーくらいの大きさだ。身をかくそうともせず、夜をわがもの顔に進んでくる、髭を生やした四十人の巨人。しかもそれは、武装した一団だった。  くさび形の体形をとり、その三角形の二辺に弓を持ったものを、内側に剣を持ったものを配し、そしてその頂点には、ガッチリ甲冑に身をかためた姿がひとつ。ほかのものが身につけているのは、腕と胴を守る分厚い皮の簡単な鎧だけだが、その先頭の男──巨人たちの中でもいちばん大きい──が着こんでいるのは金属製だった。その外被はかすかな光沢を放ち、肘、手首、肩、膝、腰の部分が大きくふくらんでいる。  前につき出た面の前がひらき、その奥に、淡色の髭とひらいた鼻が見えた。 「ぼくは間違ってなかった。はじめから、思ったとおりだったんだ。でも、なぜリングワールドを? どうしてこんなしろものをこしらえたんだ? |ぺてん師《フィネイグル》の名にかけて、いったい連中はこれをどうやって守るつもりだったんだ?」  ハミイーはもう、|麻 痺 砲《スタン・キャノン》の向きを変え終えていた。 「ルイス、何のことをいっているのだ?」 「甲冑さ。あの甲冑を見てみろよ。スミソニアン博物館へいったことがないのか? それに、リングワールド人の宇宙船の中にあったあの宇宙服だ」 「ううむ……いかにもな。だが、もっとさし迫った問題がある」 「まだ射つな。見てみたいんだ……ああ、やっぱり思ったとおりだ。やつらはあの村に向かってる」 「あの小さくて赤いやつらに味方するつもりか? 最初にあやつらと出会ったのは、単なる偶然にすぎんのだぞ」 「味方さ。いまのところはね」  かん高い声があがり、それを野太いひと声がかき消した。射手たちがいっせいに矢をとりだすと、弓につがえた。見張り役だったとおぼしい赤い小柄な人影がふたり、驚くほどの速さで村めがけて駆けもどってくる。巨人たちは、それには目もくれない。 「射て」ルイスが静かにいった。  矢が狂ったように飛んだ。だが、それと同時に、巨人たちは、くずれるように倒れた。緑色の象が二、三頭、吠えながら立ち上がりかけて、静止し、またドサリと倒れた。その中の一頭は、二本の矢をわき腹に受けていた。 「家畜をねらっていただけなのだぞ」と、ハミイー。 「ああ。だが、みな殺しにさせたくはないだろ? いいか、あんたはこの|麻 痺 砲《スタン・キャノン》のところにいてくれ。ぼくが交渉に出る」 「おまえの命令を受けるいわれはないぞ、ルイス」 「ほかに名案でもあるのかい?」 「ない。だが少なくとも、ひとりは残して、質問に答えさせるのだぞ」  そのひとり[#「そのひとり」に傍点]が、仰向けに倒れている。  彼の顔にあるのは単なる髭ではなく、一種のたてがみ[#「たてがみ」に傍点]だった──顔から頭から肩までを蔽うおびただしい金髪の中に、目と鼻だけが見えている。  ジンジェロファーがかがみこんで、小さな手でその口をこじあけた。その戦士のあご[#「あご」に傍点]は、巨大だった。その歯は上面の平らな臼歯で、かなり磨り減っていた。ぜんぶ[#「ぜんぶ」に傍点]臼歯ばかりだ。 「ごらんなさい」ジンジェロファーがいう。「草食動物です。わたしたちの家畜を殺して、草を手にいれようとしたのです」  ルイスは思わず首をふった。 「生存競争がそんなに厳しいなんて、思いもよらなかったな」 「わたしたちは知りませんでした。しかし彼らは、回転方向《スピンワード》からやってきました。家畜が、そのあたりまで草を食べにいったのでしょう。彼らを殺してくれてありがとう、ルイス。きょうはすばらしい晩餐にありつけます」  ルイスは胃の腑がちぢみあがった。 「彼らは眠ってるだけだぜ。それに彼らは、あんたやぼくらと同じ、知性を持った人間なんだよ」  彼女はふしぎそうに彼を見つめた。 「その知性はわたしたちを破滅させようとのぞんでいたのです」 「彼らを倒したのはぼくだ。ぼくは彼らを生かしておきたい」 「どうすればいいのです? このまま目をさまさせたら、彼らはわたしたちに何をするでしょう?」  そいつが問題だ。考える時間をかせがなければ。 「それが解決できたら、生かしておいてくれるね? 睡眠銃《スリープ・ガン》で眠らせただけだってことをお忘れなく」  これで、いつでもまた射てるのだということが、ジンジェロファーにも通じるだろう。 「相談してみます」と、ジンジェロファーは答えた。  待っているあいだに、ルイスは考えた。この四十人の草食巨人を着陸船《ランダー》につめこむことなどできっこない。それでも、もちろん武装解除することはできる……巨人の幅広い手に握られた剣に目をやって、ルイスはふいにニヤリとした。この長く湾曲した刃は、草刈り鎌に打ってつけのかたちをしている。  ジンジェロファーがもどってきた。 「二度とここへ姿を見せないなら、生かしておきましょう。そのことが約束できますか?」 「賢明な判断だ。そう、連中の親戚筋に、仇討ちの風習を持ったものがいるかもしれないぜ。それからもう二度と連中が姿を見せないことも、お約束できると思うよ」  ハミイーの声が、耳の中でひびいた。 「どうするつもりだ? やつらを皆殺しにしなければならないかもしれんぞ!」 「とんでもない。時間はかかるかもしれないが、でも、カホナ、やつらを見てみろよ! 農夫たちなんだ。ぼくらに歯向かうことなどできっこないよ。最悪の場合も、やつらに大きな筏をつくらせて、着陸船でどこかへ曳いてってやればすむ。ひまわり花も、下のほうの河はまだ越えていない。ずうっと離れた、草のあるところへ連れてってやろう」 「何のためにだ? 一週間以上も遅れてしまうぞ!」 「情報のためさ」  ルイスは、ジンジェロファーのほうへ向きなおった。 「あの中の、甲冑をつけたやつひとりと、彼らの武器をぜんぶ、こっちの船に積みこませてほしい。ナイフ一挺残さずにね。どうしてもほしいものがあったら取ってもいいけれど、大部分は船に積んでいきたいんだ」  彼女は疑わしげに、甲冑をつけた男のほうを見やった。 「どうやってあんなに重いものを?」 「斥力プレートを持ってくる。ぼくらが出かけたあと、あとの連中は縛りあげて、ふたりずつ組にして放してやるように。事情を教えてやってからね。昼間、回転方向《スピンワード》に向けて出してやるといい。それでもし、武器もなしにまた襲ってくるようなら、あとはお好きなように。でも、たぶんそんなことはないと思うよ。ただひたすら逃げていくはずだ。手には武器もないし、ここは草も一インチとはのびていないんだから」  彼女はしばし考えこんだ。 「それなら安全でしょうね。そうしましょう」 「彼らの宿営地がどこにあるにしても、ぼくらのほうがずっと先にそこへ着くだろう。そこで連中の帰りを待ってるからね、ジンジェロファー」 「彼らに危害を加えはしません。わたしの約束は、人民たちの約束です」彼女は、つめたい口調でいった。  甲冑をまとった巨人が目をさましたのは、夜が明けて間もなくだった。  目をひらき、まばたきして、ヌウッと立っているオレンジ色の毛皮と黄色い瞳と長い鉤爪とに焦点を合わせる。身動きもせず、周囲を見まわし……仲間三十人ぶんの武器がまわりに積まれているのを見……内外のドアとも開け放されたエアロックに目をとめる。  その向うをすべるように動いている地平線。着陸船《ランダー》の速さのため吹きこんでくる風。  彼は横へころがろうとした。  ルイスは、ニヤリとした。彼は着陸船を操縦しながら、居住室の天井にある監視カメラを通じてその様子を見ていた。巨人の甲冑は膝とかかと[#「かかと」に傍点]と手首と肩の部分が、床にはんだづけ[#「はんだづけ」に傍点]してあるのだ。ちょっと熱を加えればとれるが、ころがる力でははずれっこない。  巨人が高飛車な口調でわめきだした。憐れみを乞うような態度は少しもない。気にとめる必要もなかった。コンピューターの翻訳プログラムが意味をつかみはじめたら、すぐにそれとわかる。いま、彼は、巨人たちの宿営地の眺めに心を奪われていた。  船の高度は一マイル、赤い肉食人たちの小屋からはすでに五十マイルほど離れている。徐々に速度を落としているところだ。このあたりの草はもう昔のように生えもどっていたが、巨人の一族はその向うの、海とひまわり花の輝きに正対する方向へ、広大な裸の地域を残していた。  みんな草原に出ている──数千人が、まばらに草の中に散らばっている。草刈り鎌の刃が陽光を照りかえして、あちこちでキラリと光る。  宿営地のすぐ近くには、ひとりもいないようだ。まん中あたりに数台の荷車が集まっていたが、それを牽《ひ》く動物らしいものの姿はない。巨人たちが、自分で牽くのだろう。あるいは、ハールロプリララーが〈都市の墜落〉と呼んだ一千年も前の出来ごとのあと残された動力装置でも使ってかるのかもしれない。  その中央に位置する建物だけが、ルイスの目には見えなくなっていた。窓の上には、過負荷の光がきていることを示す黒い四角があるだけだ。  ルイスは苦笑した。  巨人たちは敵の手も借りていたのだ。  スクリーンのひとつが点いた。魅力的なコントラルトの声がひびく。 「ルイス」 「いるよ」 「あなたのドラウドを返します」と、パペッティア人はいった。  ルイスはふり向いた。小さな黒いものが、|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》の上にのっている。ルイスは、敵にうしろを見せるような気分で、それから顔をそむけた。だが、敵がずっとそこにいることは、心から離れようがなかった。  彼は口をひらいた。 「あんたにしらべてほしいことがあるんだ。外壁の裾に山があったね。原住民が──」 「調査の危険を受けもってもらうために、わたしはあなたとハミイーを連れてきたのですよ」 「ぼくがその危険を最小に押さえておきたいのはわかるだろう?」 「もちろんです」 「じゃ、終わりまできけよ。そのこぼれ山を調査しなきゃならなくなると思うんだ。だがそれには、外壁についていろんなことをしらべなくちゃならない。あんたにやってほしいのは、ただ──」 「ルイス、どうしてあなたはそれを、こぼれ山≠ネどと呼ぶのですか?」 「原住民がそう呼んだからさ。なぜだかわからないし、先方もいわなかった。意味深な感じだろ、え? しかもそいつは、裏側からは見えない。どういうわけだ? リングワールドの大部分は、いわば海も山も型で押した、世界のお面みたいなものだ。しかし、そのこぼれ山には、中身[#「中身」に傍点]があるんだよ」 「たしかに意味深ですね。あなたたちは、自分でその答えを見つけなければいけません。わたしは〈至後者《ハインドモースト》〉とよばれますが、そもそもあらゆる指導者が〈至後者《ハインドモースト》〉であるのは、彼が安全なところから人々を指揮するからで、それはまた、彼の死や負傷が全員の災厄となるため、安全であることが彼の特権であり義務でもあるからです。ルイス、あなたは前にわたしの種族と取り引きしたこともあるというのに!」 「カホナ、ぼくは何もあんたの大事な毛皮を危険にさらせなんていってるわけじゃない。ちょいと探査機《プローブ》を飛ばしてくれりゃすむことなんだよ! ほしいのは、外壁に沿ってずうっと撮ったホログラムだ。探査機を、縁《リム》の輸送輪《ループ》の中へいれて、軌道速度まで減速するんだ。これは、そのシステムを、本来の目的どおりに使うことになる。隕石防御装置がそいつを射ってくるはずは──」 「ルイス、あなたが出しぬこうとしている相手は、あなた自身の推測によると、何十万年も前にプログラムされたものなのですよ。輸送システムを何かがふさいでいたらどうなります? レーザー照準システムに故障が起きていたらどうなります?」 「最悪の場合だって、あんたは何を失うっていうんだ?」 「燃料補給能力の半分をです」と、パペッティア人。「探査機には、重水素だけを通過させるフィルターのうしろに、|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》の送出機が据えられています。受容機はこちらの燃料タンクの中です。燃料を補給するには、探査機をリングワールドの海中に落とすだけですみます。しかしもし探査機を失ったら、リングワールドから帰る方法がなくなります。どうしてわたしが、そういう危険をおかす必要があるというのですか?」  ルイスは、グッと怒りをこらえた。 「中身だよ、〈至後者《ハインドモースト》〉! こぼれ山の内側にあるのは、いったい何だ? 高さ三十ないし四十マイルの半円錐形をしたこうした山は、おそらく何十万個も並んでるはずなのに、そのうしろ側は平らなんだ! そいつの中身のひとつが管理もしくは補修センターかもしれないし、ぜんぶがそうなのかもしれない。ぼくにはそうは思えないんだが、近づく前に、一応のことは知っておきたいんだ。それを別にしても、リングワールドには姿勢制御ジェットが要るはずだし、それをおくのにいちばんいい場所は外壁のあたりだ。それはどこにあって、なぜ作動していないんだ?」 「ロケット機関にちがいないと思うのですか? ほかにも方法はありますよ。重力発生機は、充分に姿勢制御の役に立ちます」 「そうは思わないね。リングワールドの建設者が重力発生機を持ってたら、リングワールドを回転させる必要などなかったはずだ。そのほうが技術的にもずっと簡単になる」 「では、太陽とリングワールドの床面全体とのあいだに働く磁気効果ならどうです?」 「ウウム……なるほどね。カホナ、まだ何の証拠もないじゃないか。あんたに見つけてほしいんだよ!」 「どうしてわたしと、そんな取引きができると思うのです?」  パペッティア人は、腹を立てるよりむしろ当惑しているようだった。 「わたしの気分ひとつで、あなたは、リングワールドが|遮 光 板《シャドウ・スクエア》こすれ合う日まで、ここに取り残されるかもしれないのですよ。わたしの気分ひとつで、あなたは二度と電流を味わうこともできなくなるのですよ」  とうとう翻訳機が何かしゃべりだしたようだ。 「だまって」と、ルイス。 〈至後者《ハインドモースト》〉の声に対して音量調節をかけてはいなかったのだが、〈至後者《ハインドモースト》〉はピタリと口をつぐんでくれた。  翻訳機がいう。 「おとなしくしろだと? 植物を食うからおとなしくなければいかんというのか? この鎧を脱ぐことができれば、裸ででもきさまと闘うぞ、このオレンジ色の毛むくじゃらめ。共同長屋《ロングハウス》のわしの座に、新しい敷き皮が一枚ほしかったところだ」 「これを何だと思う?」ハミイーが吼えた。  磨きあげられた黒い鉤爪が、ニュッとむきだになる。 「その八本に対して、わしは短剣一本でたくさんだ。いや、よこさないというなら、素手ででも闘ってやる」  ルイスの高笑いがひびいた。翻訳機ではなく、インターコムに向かって。 「ハミイー、あんた、闘牛を見たことはないのかい? それにこいつは、族長らしい。巨人たちの王様なんだよ!」  巨人がたずねた。 「あの声は誰だ、それとも何だ?」 「あの声はルイ様だ」  ハミイーが、ふいに声をひそめた。 「おまえは危険な立場なのだ。敬意を払うがいい。ルイ様は……おそろしいかたなのだぞ」  これにはちょっとルイスもびっくりした。  いったい何のことだ? ルイス・ウーの声を特別出演者《ゲスト・スター》に仕立てた〈神様ごっこ〉のあべこべ版か?  なるほど、獰猛なクジン人のハミイーが、目にみえぬ声のぬしに恐れおののいてみせるとしたら……うまくいくかもしれない。  ルイスは翻訳機に声をふきこんだ。 「草食いの王よ、何ゆえにわが信者どもを襲わんとしたのか、話すがよい」 「あいつらの獣が、わしらの食料を食ってしまうからだ」と、巨人。 「ほかに草はないのか? さすればわが怒りも避けられようものを」  畜牛《キャトル》にせよ|野 牛《バッファロー》にせよ、一群の雄の中には、支配と服従の関係しかない。対等のつきあいというものはないのだ。  巨人の目が、キョロキョロとあたりをさぐったが、逃げ道があるわけもない。このハミイーにすら勝てないとしたら、姿のない声にどうして立ち向かうことができようか? 「ほかに道はなかったのだ」と、彼。「回転方向《スピンワード》には|火の植物《ファイア・プラント》がある。左舷《ボート》には〈機械人種《マシン・ピープル》〉がおる。|右 舷《スターボート》はむきだしになった〈スクライス〉の尾根だ。〈スクライス〉の上には何も育たず、すべるので登ることもできん。反回転方向《アンチスピンワード》には草があり、邪魔なのは小さな野蛮人どもだけだった──きさまらが出てくるまではな! ルイ様とやら、その力は何なのだ? わしの家来どもは生きているのか?」 「生かしてあるぞ。あと──」  裸で、腹をすかせながら五十マイル走るとして──。 「二日もすればもどってこよう。だが、おまえを殺すには、指のひとひねりで足りる」  巨人の視線が天井をさまよう。懇願する目だった。 「もしあの|火の植物《ファイア・プラント》を殺すことができるなら、あなたを拝むことにしょう」  ルイスは腰を落ちつけ、考えこんだ。ふいに事態は冗談ごとではなくなってきた。  巨人がハミイーに〈ルイ様〉のことをたずねている声が聞こえる。ハミイーが、途方もない嘘を吹きこんでいる。こういうことは、前にも経験していた。  ライヤー号までの長い帰路を生きてたどることができたのは、この神様ごっこのおかげだった。〈|獣への話し手《スピーカー・トゥ・アニマルズ》〉を堂々たる|軍 神《いくさがみ》に仕立て、原住民の供物で飢えをしのいだのである。だが、〈|話し手《スピーカー》〉/ハミイーがあのお芝居を楽しんでいたとは、ルイスのついぞ気づかないところであった。  そう、いまもハミイーは、明らかに楽しんでいる。しかし、助力を請うている巨人に対し、ルイスはひまわり花をどうしてやればいいのか? そんなことが大した問題でないのは事実である。巨人どもは彼に楯ついたのだ、そうではないか? 一般に、神とは寛大さゆえに崇められるものではない。  そう考えてルイスは口をひらきかけたが、また閉じて、もう一度しばし考えてから、いった。 「おまえの生命、および、おまえの一族の生命を救うため、真実を申すのだぞ。もしあの|火の植物《ファイア・プラント》に焼かれずにすめば、おまえたちはそれを食べることができるのか?」  巨人は熱意をこめて答えた。 「はい、ルイ様。本当に飢えたときは、夜のあいだに、端のほうを刈りとって食べることもあります。しかし、朝までにはずっと遠くまで離れておらぬと! あの植物は、何マイルも遠くのものを見つけだし、動くものは何だろうと焼いてしまうのです! いっせいに向きを変え、太陽のギラギラする光をこちらへ向けてくるので、わしらは黒こげになってしまいます!」 「しかし、太陽が照っていなければ、おまえたちは、あれを食べることができるのだな?」 「はい」 「この地方の風はどのように吹く?」 「風? ……このあたりでは、回転方向《スピンワード》のほうへ吹きます。ずっと遠くまで含めて考えると、風は火の植物の領分へ向かって吹きこんでおります」 「あの植物が空気を熱するからか?」 「そのようなこと、神様でもないわたしどもにどうしてわかりましょう?」  結局、ひまわり花が生きていくため必要なのは、一定量の太陽光線だけだ。その機能により、周囲と上空の空気は熱せられるが、太陽光線が銀色の花をつらぬいて根元のほうへとどくことは決してない。冷えた土の上には露が凝結する。あの植物は、そうやって水分を得る。熱せられた空気が上昇していくため、ひまわり花の群落の外からは、絶えまなく風が吹きよせてくるのである。  さらに、あの植物は、あらゆる動くものを焼くことで、草食動物や鳥などを肥料に変えているわけだ。  うまくいくはずだ。成算は充分だ。 「大部分の作業は、おまえが自分でやらなければならぬぞ」と、ルイス。「一族はおまえのもの、だからおまえが救うのだ。作業が一段落すれば、おまえたちも、死に瀕した|火の植物《ファイア・プラント》に近づいていくことができよう。それを食べるなり、土地に鋤きこんで、好みの作物をつくるなりするがよい」  彼はハミイーの当惑した様子を見て、ニヤニヤしながらつづける。 「二度と、わが信者、赤い人々の平和を乱すではないぞ」  甲冑の巨人は、天にものぼる喜びようだった。 「まことにこの上もなく嬉しいおことば。わしらもあなたを崇めます。リシャスラによって、その誓いをかためたいと存じます」 「何を世迷いごとを」 「何ですと? いいえ、ハミイーにはもう話したのですが、わかってもらえませんでした。あらゆる契約は、たとえ神と人とのあいだのものであろうと、リシャスラによってたしかめ合わなければなりません。ハミイー、決してむずかしいことではない。わが一族の女どもは、あなたには似合いの大きさだ」 「おれは、おまえが考えている以上に、おまえたちとは異質な存在なのだ」と、ハミイー。  天井のルイスの視線からみて、ハミイーはどうやら彼自身を出して、巨人にみせてやったらしい。巨人のびっくり仰天した表情は、おそらくそのせいだったろう。ルイスは、それほど無関心ではいられなかった。  カホナ、やめろ[#「やめろ」に傍点]! 自分でそう思う。  やっと正解が出たというのに! こんどはこれだ。いまからおれがやらなきゃならんのは[#「やらなきゃならんのは」に傍点]──。  ようし[#「ようし」に傍点]。 「従者をつくって、おまえにつかわそう」と、ルイスはいった。「火急のことなので、からだは小さく、おまえたちのことばも話せぬが、そのものを、ウーと呼ぶがよい。……おい、ハミイー、ちょっと相談したいんだがね」 [#改ページ]      11 草食の巨人族  敵意にみちた白い光を浴びながら、着陸船《ランダー》は着地した。  停止したあとも一分間ほど、共同長屋《ロングハウス》からくるそのギラギラした輝きは光りつづけ、そして消えた。やがて斜路《ランプ》がおりた。甲冑に身をつつんだ巨人の族長は、それに運ばれて地上へ着くと、頭を高くあげてひと声吠えた。何マイルも向うまでとどきそうな大声だった。  巨人たちが、着陸船《ランダー》に向かって、ノロノロと集まりはじめた。  ハミイーが降り、ウーがそれにつづいた。  ウーは小柄で、からだの一部に毛がなく、いかにも無害な感じだ。満面に笑みを浮かべている。まるではじめて世界を目にしたかのように、魅力的な熱意をこめて周囲を見まわす……。  共同長屋《ロングハウス》のあるのは、かなり向うだ。それは、泥と草の壁を縦材で補強したつくりだった。屋根の上に植えまわされたひまわり花の列が、たえまなく首を動かし、凹型の鏡面とその緑色の光合成結節部を太陽に向けたり、四方から集まってくる巨人たちに光をあびせたりしていた。  ハミイーがさかんにたずねている。 「昼間、敵が襲ってきたらどうするのだ? 共同長屋《ロングハウス》まで、どうやっていき着くのだ? それとも、武器はほかの場所にかくしてあるのか?」  巨人は、防備の秘密をもらす前に、しばし考えこむ様子だった。だが、ハミイーがルイ様に仕えている以上、彼を怒いらせないほうが得策というものである……。 「共同長屋《ロングハウス》の反回転方向《アンチスピンワード》に薪の山が見えるな? 危険が迫ると、誰かが、うしろ側からあの山に近づいて、布を振りまわすのだ。ひまわり花は、その湿った薪に火をつける。わしらはその煙の下をくぐって中にはいり、武器を手にする」彼は、チラリと着陸船《ランダー》のほうへ目をやってから、つけ加えた。「わしらが武器をとるより前にここへやってこられるような敵には、どうせ歯が立たん。たぶん、ひまわり花が奇襲をかけてくれるだろうが」 「ウーは自分の相手を選んでよいのか?」 「あやつにそれだけの意志力があるのか? わしは、妻のリースを貸そうと思っておった。わりと小柄で、リシャスラの経験もある。〈機械人種《マシン・ピープル》〉はウーとそれほどちがっておらん」 「よろしい」と、ハミイーは、ウーのほうへチラリとも視線を向けずに答えた。  いまや百人をこえる数の巨人たちが、彼らをとりかこんでいた。それ以上やってくる様子はない。  クジン人がたずねる。 「これでぜんぶか?」 「一族はこのものたちと戦士どもとでぜんぶだ。この草原には二十六の部族がおる。できるかぎりこのように一緒に住むが、どれが代表ということはない」と、族長は答えた。  百人かそこらのうち、男はたった八人で、その全員がひどい傷あとを持っていた。三人は事実上かたわに等しい姿だ。族長のほか、年齢によるしわ[#「しわ」に傍点]や白髪のあるものは、ひとりもいなかった。  残りが女……それも、人間の女性といってもおかしくはない。身長は六フィート半から七フィートで、男たちよりはひとまわり小さい──褐色の肌で、毅然としており、裸だ。  髪は金色で、ゆたかに背中へさがっていたが、その多くはもつれあったかたまりみたいにみえた。装身具に類するものは、いっさいつけていない。脚は太く、足は大きくて固そうだ。女たちの中には、何人か白髪のもいた。胸のたれさがりかたが、相対的な年齢の差をはっきり示している。  喜びと驚きの表情で客人たちをしげしげと見つめる彼女らに、甲冑姿の巨人が彼らのことを話してきかせた。  ふと、ハミイーが、翻訳機のスイッチを切って、低い声でいう。 「おまえが自分で女のひとりをえらびたければ、いまのうちにそういってやらなければならんぞ」 「いいや、どれでも同じさ。みんな……魅力的じゃないか」 「いまからでも、この茶番を打ち切ることはできるのだぞ。あのような約束をするとは、まったくどうかしている!」 「大丈夫、やれるさ。おい、あんた、毛皮を焼かれた敵《かたき》をとりたくはないのかい?」 「植物に敵討ちだと? たわけたことを。あと一年で、何もかも──ひまわり花も、巨人どもも、赤い小さな肉食人も──みんな滅びてしまうという、この貴重なときに」 「そうだな……」 「助けてやったところで、彼らがそれに気づけば、助けにはならんのだぞ。おまえの計画は、どのくらいかかるのだ? 一日か? 一ヵ月か? われわれ自身の計画が、おまえの気まぐれで台なしになるかもしれんのだぞ」 「たぶんぼくはどうかしてるんだろうよ。でも、ハミイー、ぼくはこれをやりとげなきゃならないんだ。この前リングワールドを離れてからずっと、ぼくは……ぼくは、自分を誇りに思える機会が一度もなかったんだ。いまこそ何とかそれを──」  巨人の族長がしゃべっている。 「ルイ様みずからが、おまえたちに、|火の植物《ファイア・プラント》の脅威がもはや去ったことを告げてくださるだろう。そのために、わしらが何をしなければならぬかということも──」  控えめな性格ということになっているウーは、ずっとクジン人のうしろについて歩いていたので、このとき彼が自分の腕に向かって話しかけているのをとくに目にとめた巨人はひとりもいなかった。三十秒ほどたって、時間をずらしたルイ様のお告げ≠ェ着陸船《ランダー》からひびきわたった──。 「聞くがよい。あらゆる人々のため、|火の植物《ファイア・プラント》をこの世から一掃するときがきたのだ。わが業《わざ》は雲となって、おまえたちの先に立つであろう。さあ、いま|火の植物《ファイア・プラント》が育っておるところに、何なりと、蒔く種を用意するがよいぞ……」  朝がきて、|遮 光 板《シャドウ・スクエア》の縁に太陽の一端がチラリと姿をのぞかせる──その曙の光がさすと同時に、巨人たちは起きだしはじめた。  互いにからだを触れあって寝るのが、彼らの好みだった。中心の族長を、女たちがグルリと囲み、ウーはその輪の端のほうで、半分毛のない小さな頭をひとりの女の肩にのせ、曲げた脚を隣の男の長い骨ばった脚とかさね合わせて眠った。土の床の上は、肉と髪とで蔽いつくされていた。  眼がさめると、彼らは入口に近いものから順に動きだした。最初の何人かが身をほどいて、袋と大きな鎌を持って出ていくと、つぎの連中がつづく。ウーは彼らといっしょに外へ出た。  はるか遠くに降りている着陸船《ランダー》の外で、顔に傷のある片腕の男が、ハミイーとすばやく別れのあいさつをかわすと、共同長屋《ロングハウス》のほうへブラブラもどってくる。昨夜見張りに立っていたその男は、それから昼のあいだ家の中で眠るわけだ。年とった女たちの何人かも、家の中に残った。  巨人たちの見つめる視線を背中に感じながら、ウーは、家の壁をのぼりはじめた。  草と泥の表面はもろかったが、屋根の高さはほんの十二フィートかそこらだ。ルイスは、二本のひまわり花のあいだをぬけて、屋根の上にあがった。  その植物の高さは約一フィート、節の多い緑色の茎で、まっすぐに立っている。どれも頂上に、直径九ないし十二インチの卵型をした鏡面の花をつけている。その鏡の中心から短い茎が突きだし、その先端は暗緑色のふくらみになっていた。花の裏側には、植物の筋肉繊維に相当するものの筋が縦横に走っている。  まわりじゅうの花が、いまやルイス・ウーに陽光をあびせていた。だが、朝の光には、まだ彼に火傷《やけど》を負わせるほどの強さはない。  ルイスは両手で、一本のひまわり花の太い茎をつかむと、そうっとゆらしてみた。ほとんどビクともしない。屋根の中に、根が深くくいこんでいるのだ。シャツを脱ぐと、花と太陽のあいだにかざしてみた。鏡面をした花は、ユラユラと首をふり、どうしたものかきめかねたようにひだ[#「ひだ」に傍点]をつくり、やがて緑のふくらみを包みこむように折りたたまれていった。  観客たちのことを充分に意識して、ウーは恰好に気をつけながら地上におりた。ハミイーのほうへ歩いていく彼を、白い輝きがどこまでも追ってきた。 「夜のあいだに、しばらくだが、見張りと話してみた」と、クジン人がいった。 「何かわかったかい?」 「そいつはおまえに、全幅の信頼をよせていたぞ、ルイス。彼らはだまされやすいのだ」 「肉食人たちもそうだった。問題は、あれが単なるお人よしのせいなのかどうかだ」 「そうではなかろう。肉食人も草食人も、いつか何かが地平のかなたからやってくるのを待ちこがれていたのだ。両方とも、奇妙な姿の、神のような力を持つ人々のことを知っている。やつらのおかげで、こっちまで、このつぎどんなやつに会うことになるのか、気になってくるぞ。ウウゥ……おまけにあの見張りは、われわれがリングワールドの建設者ではないことも知っていたのだ。これは注目すべきことだと思わんか?」 「そうだろうな。ほかには?」 「ほかの部族のことは心配ない。家畜みたいなやつらだが、知能を持っている。この草原に居残る部族は、ひまわり花の領域へ進出する一族のために、作物の種を供出することになる。出かけていく若者たちには女を与える。おまえの魔法がうまくいったら、およそ三分の一のものがここを離れるだろう。残りの人数なら、ここの草で充分やっていける。もう赤い連中のほうへ出ていかなくともすむだろう」 「結構だね」 「長期の天候のことをきいてみたのだが」 「そいつはいい! それで?」 「あの見張りは年よりだった」と、ハミイーはいった。「あいつがまだ若くて、両腕があったとき──何かにやられる前だ、翻訳機はそいつのことを|人食い鬼《オーグル》≠ニいったが──そのころ太陽はいつも同じ明るさで、一日の長さはいつも同じだった。ところが今では、太陽がいくらか明るいときと暗いときがあり、明るいときは日が短く、暗いときには長い。ルイス、やつは、そのはじまりのこともおぼえていたぞ。十二ファラン前、ということは、星座の百二十回転前ということになるが、暗黒の期間があったのだ。およそ二、三日と思われるあいだ、朝がやってこなかった。空には星が見え、頭上には幽霊のような炎がひろがっていた。それから数ファランのあいだは、何ごともなく過ぎた。一日の長さが不均等になりはじめてから、彼らがそれに気づくまでには、かなり時間があったわけだ。時計がないのだからな」 「至極もっともな話のようだね。ただし──」 「最初の長い夜のことだな、ルイス。どういうことだと思う?」  ルイスはうなずいた。 「太陽がフレアを起こしたんだな。それで、何かの方法で|遮 光 板《シャドウ・スクエア》の輪が収縮した。たぶん、あいだをつないでいる索を自動的に捲きとる装置がついてるんだろう」 「そのときのフレアの噴流が、リングワールドの中心をずらせたわけだ。いまでは、一日の長さはさらに不均等になっている。巨人たちが交易している相手の種族も、みんな戦々恐々としているぞ」 「無理もないだろう」 「何とかしてやりたいものだな」  クジン人の尾がシュッとひと振り空気をさいた。 「しかもそれもできずに、ひまわり花退治か。昨夜は楽しかったか?」 「ああ」 「それなら、笑っていていいはずだ」 「うそだと思うなら、見にきたってよかったんだぜ。みんな見ていた。あの大きな建物の中には仕切りひとつない。全員がひとかたまりさ。とにかく、物見高い連中らしいな」 「あの体臭にはとても耐えられん」  ルイスは笑いだした。 「たしかにきつい匂いだ。でも、悪臭じゃないよ、強烈なだけさ。それにぼくは、台の上に立たなきゃできなかった。それから、女たちは……ひたすらおとなしかったしね」 「女はおとなしいにきまっている」 「人間の女はちがうんだよ! それに、間のぬけたところさえなかった。もちろん、こっちは何もいえなかったけど、話はきこえてたからね」  ルイスは、人さし指で、耳の穴の中のイアピースをトントンと叩いた。 「リースが掃除当番の組割りをきめるのをきいてたんだ。鮮やかなお手なみさ。おい、あんたのいったとおり、連中の組織は、家畜のそれと同じだったよ。女どもはみんなあの族長の妻だ。ほかの男は、あいつが休日を宣言して留守にしたとき以外、ひとりとして寝るわけにはいかない。族長がもどれば、お楽しみも終わりで、おもて向きは何もなかったことになる。ぼくらが予定より二日も早く、あいつを襲撃から連れてもどったんで、みんな少々おかんむりだったみたいだ」 「人間の女は、どうちがうのだ?」 「ああ……オルガスムスさ。哺乳動物の場合、雄にはオルガスムスがあるが、一般に雌にはない。しかし、人間の女にはあるんだ。だが、巨人の女たちの場合は、ひたすら受け身だった。彼女たちは、その、何というか、喜びをともにしないんだよ」 「それだとおまえも楽しめないのか?」 「いや、もちろん楽しんださ。とにかく、セックスにはちがいない、そうだろ? しかし、どうやってもリースを自分と同じように楽しませられないってことに慣れるのは、むずかしかったな」 「当然の報いというものだ」と、ハミイー。「おれのいちばん親しい妻が、二百光年のかなたにいるということを思えばな。ところで、これからどうするのだ?」 「巨人の族長がやってくるのを待つんだ。あいつ、少々まいってるかもしれない。昨夜は妻たちともう一度ねんごろになるのに、ずいぶん時間をとられただろうからね。実のところ、彼らのやりかたをぼくに教えるには、実演してみせるしかなかった。すごいやつだ」ルイスはつづけた。「あいつ……ちゃんとやったかって? 十人以上とやってみせたよ。それでぼくも、カホナ競争心を出して、でも、ガッカリしたことに……まあ、どうでもいいことさ」  いまになって、ルイスはニヤニヤしていた。 「どういうことだ、ルイス?」 「ぼくの生殖器官は、スケールがちがうんだ」 「見張りのいったことだが、ほかの種族の女は、あの族長をおそれているそうだ。ここの男どもは、できるときにはいつでもリシャスラをする。そして、平和な交際ができるというわけだ。ルイ様がおまえを女につくらなかったことを、見張りは残念がっていたな」 「ルイ様は忙しかったのさ」  ウーはそういって、船内にはいった。  昨夜、穫り入れ係のかついできた袋から出された草は、共同長屋《ロングハウス》からかなり離れたところに、大きな山を築いた。だが、見張りの男たちと族長とでその山の大半をかたづけてしまった。穫りいれの連中は、作業の片手間に食べていたのだろう。  いま、ルイスが見ていると、族長は着陸船《ランダー》のほうへやってくる途中、またそこに立ちどまって残りをたいらげはじめた。草食動物は、生活の大半を食べることに費しているんだ、と、ルイスはあらためて感じいった。それなのに、この亜人間族《ヒューマノイド》は、どうして知能をたもっていられるのか?  ハミイーがいってたっけ──草にしのびよるのに知能なんぞ要らないはずだ。たぶん、ほかの種族に食われないために役立つのだろう。それに……ひまわり花にしのびよるには、かなりのずるさ[#「ずるさ」に傍点]が必要になるだろう。  ふと、誰かに見つめられているような気がした。  ルイスはふり向いた。誰もいない。  巨人の族長が、だまされていたのを知ったとしても、こっちとしては、せいぜいちょっと面倒な思いをするだけのことだ。それに、〈至後者《ハインドモースト》〉の監視装置を無視するかぎり、いま操縦室にいるのはルイスひとりだ。  この首すじのムズムズするような気分は、いったい何だろう?  もう一度ふり向いた。  ちょっかいをかけてくるのは誰だ?  ドラウドだった。|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》の上で、その黒いプラスティックのケースが、彼を見つめていたのである。  ここでちょっと〈ワイア〉にかかれば、たちまち本当に神のような気持になれるだろう。と同時に、それは彼の行動を、すっかりそこなってしまうかもしれないのだ! 〈ワイア〉に身をまかせているときの自分をハミイーが見ていたことを、彼は思いだした。『魂のない海藻みたいだったぞ……』  彼は、顔をそむけた。  巨人の族長は、きょうは甲冑をつけずにやってきた。彼とハミイーとが休憩室にはいると、クジン人は両手を天井に向けてさしあげ、手のひらを合わせ、抑揚をつけた口調でいった。 「ルイ様」  巨人もそれにならった。 「斥力プレートを一枚出すように」ルイスは前おきぬきでしゃべりだした。「それを床におけ。よろしい。では、超電導布を出してくるように。三つめの大きなドアのついたロッカーにある。その布で斥力プレートを包め。完全に包みこんで。ただし、中のスイッチに手がとどくよう、ゆとりを持たせておくのだ。ハミイー、その布の強さはどうか?」 「ちょっとお待ちを、ルイ様……ほら、このとおり、ナイフで切ることはできます。しかし、わたしの力で引きさくことはできそうにありません」 「よろしい。ではつぎに、超電導線を、二十マイルほど出してこい。その一端を、斥力プレートに巻きつけよ。しっかり結ぶのだぞ、結び目をかさねてな。念には念をいれるように。それでよかろう。さて、残りの電線は、外へ引きだすときもつれぬよう、輪にしてそこへおけ。反対の端をこちらへ……ハミイー、おまえが持ってこい。つぎには、大食いの王よ、おまえに持てるいちばん大きな岩がひとつ要る。この付近のもようはよく知っておろう。見つけて持ってくるように」  巨人の族長は天井を見上げ……ついで、視線を落とすと出ていった。 「おまえのいうことをおとなしくきいていると、胃がおかしくなるぞ」と、ハミイーがいった。 「だけど、これを思いついたのはあんただし、それに、ぼくの考えを早く知りたくってウズウズしてるんだろ? しかし──」 「口を割らせることはできるのだぞ」 「それよりずっといい話をきかせてやるよ。ちょっと上がってきてくれないか?」  ハミイーは昇降口からとびあがってきた。ルイスがたずねる。 「|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》の上に何がある?」  ハミイーがドラウドをつまみあげた。  声がのどにからまった。 「こわしてくれ」  クジン人は即座にその小さな装置を、壁に叩きつけた。へこみもしない。彼はケースをこじあけ、いつも使っている船殻金属製のナイフの刃で中身をめった突きにした。そしてようやく、彼はいった。 「これで修理もできまい」 「いいだろう」 「もう下へいくぞ」 「待て、ぼくもいっしょにいく。できぐあいをチェックしたいんだ。それに、朝食も食わなきゃ」  心がひきつっていた。自分で自分の気持がはっきりしなかった。リシャスラは彼の期待に充分こたえてはくれなかったし、〈ワイア〉の純粋な喜悦はもう永久に失われてしまったのだ。  しかし……チーズ・フォンデューはどうだろう? そうだ。それに、自由と、誇りだ。あと二、三時間のうちに、彼はひまわり花の侵入を一掃し、ハミイーをびっくりさせてやれる。  ルイス・ウー、かつての電流中毒者《ワイアヘッド》、その脳は、嬉しいことに、まだオートミールになり果ててはいなかったのである。  巨人の族長が、大きな岩を抱きかかえて、ノロノロともどってきた。ハミイーがそれを受けとろうとし、大きさをみて一瞬ためらったが、ともかくやってのけた。両腕でかかえたまま向きをかえると、緊張をかくせない声でたずねる。 「これをどういたしましょうか、ルイ様?」  心をそそる一瞬……ああ、いろんなふうに[#「いろんなふうに」に傍点]使えるだろうね。ちょっと[#「ちょっと」に傍点]考えさせてくれないか……だが、神は迷わないものだし、巨人の目の前でハミイーが持ちきれずに落としでもしたら一大事だ。 「超伝導布の上において、しっかり包むのだ。それにも超伝導線を巻け。幾重にも巻いて、しっかり結びつけよ。よろしい、そこで、熱に耐えられるもっと強い線が要るな」 「シンクレア|分 子《モレキュール》チェーンがあります」 「それを、二十マイル弱だ。超伝導線よりやや短めにな」  一度見におりていてよかった。あのときまで彼は、布に巻いた斥力プレートが高みにのぼりきったさいに超伝導線が切れるかもしれないという可能性を見おとしていたのである。しかし、シンクレア・チェーンはすばらしい物質だ。  それならどんな引っ張りにも耐えるにきまっている。 [#改ページ]      12 |ひまわり花《サンフラワー》  ルイスは高空を高速で回転方向《スピンワード》へ飛んだ。眼下の草原はほとんど一面褐色にみえる──緑色の象に食われ、巨人たちに刈りとられた草が、まだ生えもどっていないのだ。前方はるか、海をこえた向う岸には、|ひまわり花《サンフラワー》のまぶしい輝きが一本の白線となって見えている。  巨人の族長は、エアロックの透明なドアごしに、外をにらんでいた。 「鎧を持ってくればよかった」と、彼はつぶやく。  ハミイーが鼻をならした。 「ひまわり花と戦うためにか? 金属は熱くなるぞ」 「どこであの甲冑を手にいれたのか?」と、ルイスがたずねた。 「わしらは、〈機械人種《マシン・ピープル》〉のために、道路をつくってやりました。連中は、わしらを道路予定地の草原地帯に放し、そののち、各部族の王にあの甲冑をこしらえてくれたのです。しかしわしらは、そこからさきへ移動をつづけました。彼らの空気が好きになれなかったからです」 「どこがいけないのだ?」 「味も匂いも気にいらんのです。ルイ様。連中がときどき飲んでいるものと同じ匂いです。連中は同じものを機械にいれますが、そのときはいっさい混ぜものをしません」  ハミイーがたずねた。 「おまえの甲冑のかたちはおかしいな。おまえのからだに、ピッタリとは合っていないようだ。どうもわけがわからん」 「あのかたちは、敵を威圧し脅やかすためだ。そう見えんかね?」 「いいや」と、ハミイー。「あれは、リングワールドの建設者の姿ではないのか?」 「そんなこと、誰にもわかるものか」 「わたしにはわかる」と、ルイス。  巨人の目が不安げにチラリと上を見た。  ふたたび草の丈が高くなり、それがだしぬけに森林に道をゆずった。ひまわり花の光輝が強まっている。ルイスは着陸船《ランダー》を高度百フィートまで下げ、急激に減速をかけた。  森が尽きた向うは、長い白い砂浜だった。ルイスはさらに速度を落し、下へ、下へと、着陸船《ランダー》の下面が水面をかすめるくらいまで高度をさげた。|ひまわり花《サンフラワー》は、これで関心を失ったようだ。  あるかなきかに弱まったその輝きに向かって、彼は船を進めていった。海面は静かで、後方からの風にさざ波が立っているだけだ。空は青く澄み、一点の雲もない。小さいのと中くらいのと、ふたつの島が通り過ぎていったが、ともに砂浜と入りくんだ海岸をめぐらせ、その頂上のあたりは黒く焦げていた。両方とも、ひまわり花に征服されてしまったのだ。  海岸線から五十マイルくらいのところで、ふたたびひまわり花が、こちらに関心を示しはじめた。  ルイスは着陸船《ランダー》を停止させた。 「彼らがわたしたちを肥料にするつもりだとは思えんが」と、彼。「これだけ遠くて、しかも低いのにな」 「おろかな植物めが」吐き捨てるように、ハミイーがいう。  巨人の族長が応えた。 「いや、利口なやつらだ。|火の植物《ファイア・プラント》は山火事を起こす。そして灰ばかりになった土地に、自分の種をまくのだ」  でもここは海の上なのに! ……まあ、どうだっていい。 「草食い巨人の王よ、おまえの出番だぞ。岩を外へほうりだせ。索をひっかけるでないぞ」  ルイスはエアロックをひらき、斜路をさげた。ぶきみな光の中に、巨人の族長が歩み出た。大岩が、黒と銀の二条の筋を引きずって、およそ二十フィートほど水中へ沈んでいった。  はるかな岸の上で、スポットライトがウィンクしたように見えた。一群の植物が着陸船《ランダー》を焼こうとして、また気を変えたのだろう。動くものに反応しているわけだが、まさか、水の流れにまで射ちかけはすまい、いや、するのだろうか? 例えば、滝などに対しては? たぶんほとんど水のない世界にいちばん適応している植物なんだ……。 「ハミイー。斥力プレートを外へ出せ。高度は、ええと、十八マイルに合わせろ。索をもつれさせないように気をつけてな]  黒い四角形が上昇しはじめた。黒と銀の糸が曳きだされていく。シンクレア・チェーンの線は目に見えないほど細いはずだが、いまそれは銀色の光輝を放ち、しだいに小さくなっていく斥力プレートのまわりにも、明るい後光が輝いていた。  やがてプレートは黒い一点となり、すでに周囲の光暈《ハーロー》よりもずっと見えにくくなった。あのくらいの高度なら、ひまわり花軍団にとっては絶好の標的だろう。  超伝導体は、電流をまったく抵抗なしに通す。それが工業用に重宝されるのは、この特性のためである。しかし、超伝導体には、いまひとつの特性がある。超伝導体は、つねにそのあらゆる部分が、同じ温度をたもつのである。  空気も、塵埃粒子も、シンクレア線も、ひまわり花の浴びせる光に照り輝いている。しかし、布と索とは黒いままだ。  いいぞ。  ルイスは目をしばたたいて、まぶしい光から視線をそらし、下方の水面に目をおとした。 「草食い人《びと》の王よ」と、彼は命じる。「怪我をせぬうち、中へはいるがよいぞ」  二本の線が水にはいっているあたりでは、海面が沸騰していた。噴きあがる蒸気が白く輝きながら、回転方向《スピンワード》へと流れていく。ルイスは着陸船《ランダー》を|右 舷《スターボート》へ向けてゆっくりと動かしていった。すでにかなりの広さにわたって、海面が白い湯気を立てはじめていた。  リングワールドの建設者たちがつくった深い海はただふたつ、つりあいをとるため対称の位置におかれた両〈大海洋〉だけである。リングワールド上のほかの海は、総じて深さ二十五フィート。明らかに彼らは、人間と同様、海の表面だけを使う種族だったのだ。  ルイスにとって、これは幸いだった。海を沸騰させるのが、それだけ容易になったからである。蒸気の雲が、海岸の上空へさしかかったようだ。  神たるもの、のど[#「のど」に傍点]をならして悦に入るわけにもいかない。まったく残念なことだ。 「おまえの気がすむまで見ていてよいぞ」と、彼は巨人の族長に告げた。 「ウウゥ……」と、ハミイー。 「わかりかけてきましたぞ」族長がいいかけた。「しかし……」 「何だ、申してみよ」 「火の植物が、雲を焼き払ってしまいます」  ルイスは不安をのみこんだ。 「見ているとしよう。ハミイー、客人にレタスを供するがよい。食事のあいだ、おまえたちのあいだに仕切りでもしておけるとよいのだがな」  鍾りをつけた索よりおよそ五十マイルほど|右 舷《スターボート》よりの、高くつき出た岩ばかりの島のすぐ左舷側に、船は停止していた。その島が、また着陸船《ランダー》を焼こうとしているひまわり花の光を半分ほどさえぎってくれている……しかし、もうどうせひまわり花の大部分は、ほかへ注意をそらされてしまっていた。輝きの一部は、空に舞う黒い四角に焦点を合わせている。一部は蒸気の雲に狙いをつけている。  というのも、すでに沈めた岩と索を中心とする、二平方マイルほどにわたる水面が、もうもうと蒸気をあげていたからである。その蒸気は、さらにひろがる雲となって、岸まで五十マイルの海をわたり、そこで火がつく。そのまま荒れくるう炎の嵐となって、五マイルほど内陸へ進んだのち、消滅している。  ルイスは望遠スクリーンの焦点を、その蒸気に合わせていた。沸騰する水面が見える。これで植物は死滅に向かうだろう。すでに幅五マイルにわたる海岸地域の植物には、日が当たっていない。その周辺の植物も、光で糖をつくるよりも蒸気の雲を焼きはらうことに光を浪費している。  しかし、わずか五マイルの地域など、まったく取るに足りない。問題にもならない。この植物の群落は、ひとつの惑星表面の半分ほどの広さがあるのだ。  何か見えたような気がして、彼は望遠鏡の視野を上へ振り向けた。  銀の糸が落ちてくる。風にのって、回転方向《スピンワード》へただよっていく。ひまわり花が、ついにシンクレア|分 子《モレキュール》チェーンを焼き切ったのだ。ルイスは口の中でつぶやいた。 「役立たずめが」  だが、超伝導体の糸は、まだ黒いままだ。  保《も》つだろう。そのはずだ。  あれは水の沸点より高温にはならない。どの部分も同じ温度なのだ。もっと光をうけても、その点に変わりはない。ただ水の蒸発が早くなるだけだ。だがこの海はけっこう大きい。それに、水蒸気は消えていきはしない。熱せられれば上昇するだけだ。 「神様の食いものはうまい」巨人の族長がいった。  ボストン・バター・レタスにまるごとかぶりついている──もう二十個か三十個目だ。ハミイーと並んで立ったまま、いっしょに外の様子を眺めているが、これからどうなるのかまだふたりとも見当がついていない様子だった。  海面は陽気に沸きかえっている。ひまわり花は、肥料になるかもしれないし、またひまわり花を食う鳥かもしれないそれ[#「それ」に傍点]を射ち落とそうと、カホな決意をかためているようだ。高度や距離の判定はできないらしい。  もっとも、飢え死にするまで攻撃をつづけるように進化してしまったとは思えない。ときどきは時間をとって、緑の光合成器官に焦点を合わせる──各花が順ぐりにそうやっているのだろう。  ハミイーが静かにいった。 「ルイ様、あの島のところを」  何か大きくて黒いものが、その岸に近い海に、腰までつかって立っていた。人間でもなく、かわうそ[#「かわうそ」に傍点]でもないが、どことなくその両方に似ている。大きな茶色い目が着陸船《ランダー》のほうを見つめながら、辛抱づよく待っているかのようだ。  ルイスは、あせる声を押さえて、静かにたずねた。 「この海には住民がいたのか?」 「そのことは知りませんでした」と、巨人の族長は答えた。  ルイスは着陸船《ランダー》を浜のほうへよせていった。人間型のその生物は、恐れる様子もなく待ちうけた。  毛あしの短いなめらかな毛皮に蔽われたその生物のからだは、みごとなほどの流線型だ──太い首、徹底してなだらかな肩、あごのない顔にくっついた幅のひろい平べったい鼻。  ルイスはマイクのスイッチをいれた。 「草食い巨人のことばが話せるか?」 「話せる。ゆっくりしゃべってほしい。あなたはそこで何をしているのか?」  ルイスは大きく息をついた。 「海を暖めている」  それを聞いても、相手は驚くほど平然としていた。海が暖まっても、困ることはないらしい。  大きな動く建物に向かって、彼は問いかけた。 「どのくらい暖めるのだ?」 「こちら側の岸はかなり熱くなる。おまえたちは何人いるのかね?」 「いまは三十四人」と、その両棲人は答えた。「五十一ファラン前ここへきたときは十八人だった。もっと|右 舷《スターボート》よりのほうも熱くなるのか?」  ルイスは安堵の吐息をついた。ルイ様とウーの神様ごっこのせいで、何十万もの海の住人がゆであがってしまう情景を、彼は思い浮かべていたのだ。  しわがれ声で、彼はいった。 「話すがよい。向うの端に河口がある。おまえたちは、どのくらいの熱さになら耐えられるのかな?」 「ある程度は。そして、食料は豊富になるだろう。魚は暖いのが好きだから。それにしても、住み家のほんの一部にしろ、こわす前には、一応伺いを立ててくるのが礼儀というものだろうに。なぜこんなことをする?」 「|火の植物《ファイア・プラント》を根絶やしにするためだ」  両棲人は考えこんだ。 「それはいい。|火の植物《ファイア・プラント》が死ねば、わしらはその河の上流の〈フブーシュの息子の海〉へ使者を送ることができる。みんなは、わしらがもうずっと前に死んでしまったと思っているにちがいない」そしてつけ加えた。「こちらも礼儀を忘れるところだった。そちらが性別を教え、水中でも可能ならば、いつでもリシャスラをかわす用意はあるぞ」  気をとりなおして答えるのに、ルイスはちょっと手間どった。 「ここには、水中で交わるものはおらぬ」 「もともと多くはいないのだ」  両棲人の声に、落胆したような気配はなかった。 「おまえたちは、どうやってこの海へきたのだ?」 「河の下流を探険していたところ、急流に流されて、|火の植物《ファイア・プラント》の領域にはいってしまった。岸へあがって歩くこともならず、そのまま河の流れに運ばれてここへ着いたのだ。この海をわたしはみずから〈タツパゴップの海〉と名づけた。いい場所だが、|火の植物《ファイア・プラント》には気をつけていなければならない。あなたは本当に、霧であいつを殺せるのか?」 「そのはずだ」 「一族を移動させなければならん」  両棲人はそういうと、しぶきも立てずに姿を消した。 「あやつを殺すものと思っておりましたぞ」と、ハミイーが天井に向かって語りかけた。「何という無礼なやつだ」 「ここは、あやつの住み家なのだぞ」と、ルイス。  そのままインターコムを切った。  こんなお遊びはもううんざりだ。おれは誰かさんの住み家をゆでてる[#「ゆでてる」に傍点]んだ、しかも、うまくいくかどうかもわからないでだ。そう思うと、彼はひどくドラウドがほしくなった。ほかのものではだめだ、脳の中を流れる電流の、植物的な喜悦以外のものでは、もうどうにもならない。  椅子の肘かけに腕を叩きつけ、目をギュッと閉じてけものじみたうなり声をあげずにいられない、この真黒な憂鬱の発作を押さえてくれるものは、それ[#「それ」に傍点]のほかにない。それ[#「それ」に傍点]と、そして時間とだ。  時間の経過とともに呪縛はうすれ、そして彼は目をあけた。  すでに黒い線も、沸きたつ海も見えなかった。見えるのはただ、回転方向《スピンワード》へなびいている巨大な霧の壁ばかりで、それが海岸の上空で炎をあげ、十マイルほど内陸へのびたところで消えている。  その向うには、一面にひまわり花の輝き……そして、地平線上に現れたひと組の平行線。上の線は白く、下の線は黒い。それが地平線上、視角五十度の範囲にわたって左右にのびている。  水蒸気は消えてしまったわけではなかった。熱せられて上昇したのち、成層圏で再凝締したのだ。白いのは、ひまわり花の攻撃に照りはえるその雲の下面、黒いのは、ひまわり花の領域のかなりの部分を蔽うその雲の影。両者の間隔からみて、それは五百ないし千マイルかなたにあり、さしわたしは数百マイルに及ぶだろう。そしてそれはさらにひろがっていく──息苦しくなるくらいゆっくりとだが、たしかにひろがっている。  成層圏では、空気はひまわり花の中心部から外向き[#「外向き」に傍点]に追いやられている。雲の一部は雨になって降るが、一部は沸き立つ海からの蒸気にぶつかってまた中へ吹きこみ、循環をつづけるだろう。  腕が痛くなった。気がつくと、椅子の肘かけを、死にものぐるいの力でつかんでいるのだった。その手を離すと、彼はインターコムのスイッチをいれた。 「ルイ様は約束を守ってくださった」巨人の族長がしゃべっている。「しかし、死にかけている植物は、奥のほうで、とても手がとどかん。いったいどうすれば──」 「ここでひと晩待つのだ」ルイスが告げた。「朝になれば、もっと状況がはっきりするだろう」  彼は着陸船《ランダー》を、れいの島の反回転方向《アンチスピンワード》側へおろした。海草が岸辺に打ちよせられて、大きな山になっている。ハミイーと巨人の族長は、およそ一時間にわたってその海草を船内に運びこみ、再生調理機の材料用にそれを送りこんだ。折をみてルイスはホット・ニードル号を呼びだした。 〈至後者《ハインドモースト》〉がいた場所は、操縦区画ではなかった。ニードル号の中の、どこか秘密の場所にちがいない。 「ドラウドがこわれましたね」と、彼はいった。 「わかってる。それについて──」 「代わりならできていますよ」 「一ダースつくったってかまわんよ。ぼくはもうやめたんだ。あんた、いまでもリングワールドの物質変換機がほしいのかい?」 「もちろんです」 「じゃあ、ちっとは協力しようじゃないか。リングワールドの〈管理センター〉が、どこかにあるはずだ。もし[#「もし」に傍点]そいつが、こぼれ山のひとつの中に組みこまれているとしたら、宇宙港の張りだしにあった宇宙船から持ち去られた物質変換機もそこにあるはず[#「はず」に傍点]だ。そこを調べにはいる前に、ぼくはできるだけ周辺の状況を知っておきたいんだよ」 〈至後者《ハインドモースト》〉は、その件をじっくり考えなおしはじめている様子だ。  その、ユラユラ動く平たい両手の背後に、燃えたつような明かりにきらめく巨大な建物が見えていた。交差点に|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》を備えた広い通りが、はるかな消失点へ向けて縮んでいる。その通りの上は、パペッティア人でいっぱいだった。きれいに編みあげられた彼らのたてがみ[#「たてがみ」に傍点]が、さまざまな彩りに輝く。いつでも集団行動をとるのが習慣らしい。  建物のあいだの細い隙間にすぎない空には、周囲の軌道をまわる光の点でかこまれた農業惑星がふたつ浮かんでいる。異星の音楽のような、あるいははっきり聞きとれない遠くで百万ものパペッティア人が会話を交わしているような、ウワーンという騒音が、背後にひびいている。 〈至後者《ハインドモースト》〉は、失われたその文明の一片をここに持ちこんでいたのだ──テープと、壁面立体像《ホロ・ウォール》と、おそらくはつねに空中にただよう種族の匂いもだろう。そこにある家具類はどれもソフトな曲線で、膝をぶつけそうな鋭い角《かど》はまったくない。床面にあるおかしなかたちのくぼみは、おそらく寝床だろう。 「外壁の裏側は完全に平坦です」唐突に〈至後者《ハインドモースト》〉がいいだした。「探深《ディープ》レーダーでも内側はさぐれませんでした。探査機のひとつを使うことは止むをえないでしょう。本来の機能を失っても、ニードル号と着陸船《ランダー》との中継には使えます。実のところ、もう少し高くあげるほうが効率はいいのです。よってわたしは、探査機のひとつを、外壁の輸送システムの中へいれてみることにします」 「そいつはいいね」 「あなたは本当に、〈補修センター〉が見つかると──」 「いや、たしかなことはいえないが、きっとびっくりするようなものが、つぎつぎと見つかるはずだ。一応は、たしかめないと」 「いつか、この調査隊の指揮者が誰なのかを、はっきりきめなければなりませんね」  パペッティア人はそういって、スクリーンから消えた。  その夜は、星が見えなかった。  朝は光り輝く混沌《カオス》だった。操縦室から見えるのは、かたちのない真珠色の輝きばかり──空も、海も、浜辺も、どこにもない。ルイスはもう一度ウーをつくりだして、まだ世界がそこにあるのかどうかたしかめに出てみたい誘惑にかられた。  そうするかわりに、彼は着陸船《ランダー》を上昇させた。三百フィートのぼると陽がさしてきた。眼下はただ一面の白い雲海で、その回転方向《スピンワード》の地平線が、ほかのところよりも明るく輝いている。濃霧ははるか内陸のほうまでひろがってしまっていた。  斥力プレートはまだもとの場所にあった──まっすぐ頭上の黒い点だ。  夜明けの二時間後、風が霧を吹き払った。その端が海岸へ及ぶ前に、ルイスは船を海面まで降ろした。数分後、斥力プレートの周囲で後光が輝きだした。  巨人の族長は朝のあいだずっとエアロックのドアのところで、ぼんやりとレタスを口にいれながら、外を見まもっていた。ハミイーもまたほとんど口をひらかなかった。  ルイスが語りはじめると、ふたりとも天井をふり仰いだ。 「成功したようだな」  そういいながら、彼はやっと自分でもそれを信じることができた。 「間もなく、垂れこめた雲の屋根の下に、死んだひまわり花の道がひらけ、そのさきは同様な広い地域につづいているだろう。いって種をまくがよい。もし生きた|火の植物《ファイア・プラント》を手にいれたいなら、夜、霧の流れにそってその両側を刈るがよかろう。この海のどこかの島に拠点を設けてもよい。舟が要るだろう」 「わしらの計画なら、いますぐにでも立てられます」と、巨人の族長がいった。「数は少なくとも、〈|海の人種《シー・ピープル》〉が近くにいるのは助かります。金属の道具と引きかえに、手をかりることができるのです。舟をつくらせることもできましょう。こういう雨の中で、草は育つでしょうか?」 「わたしにもわからぬ。焼かれた島々にも種をまいたほうがよかろうな」 「そのとおりで……わが偉大なる英雄のために、わしらはあなたがた三人の像を岩にきざみ、讃えることばをそえたいと存じます。わしらは移住することが多いため、大きな像を運ぶことはできませんが。それでよろしいでしょうか?」 「いいとも」 「あなたのお姿を知りたいのですが」 「わたしはハミイーよりやや大きく、頭の毛も多くて肩にかかり、その髪の色はおまえたちと同じだ。歯は肉食動物のようにとがり、牙もある。耳は外に張りだしておらん。あまり手間をかけずともよいぞ。では、おまえをどこへ降ろそうかな?」 「わしらの宿営地へ。そこからわしは、女ども二、三人を連れて、海のほとりを見まわりに出ることにします」 「見まわりなら、いまでもできるではないか」  すると巨人の族長は笑いだした。 「感謝しますぞ、ルイ様。しかし、わが戦士どもは、やがてひどい気分でもどってくるでしょう。裸で、腹をすかせ、打ちのめされて。その前後数日、わしは留守のほうが、何かと都合がよいわけです。わしは神様ではありません。英雄には、戦士らを喜ばせるのに、それなりの流儀があるのです。いかな英雄とて、目ざめているあいだ闘いつづけることはできませんからな」 [#改ページ] [#改ページ]    第 二 部      13 起  源  着陸船《ランダー》は、五マイルの高度を、音速すれすれの速さで進んでいた。  一万三千マイルの距離など、この船にとってはものの数でもない。ルイスの慎重さに、クジン人はジリジリしていた。 「二時間あれば、あの浮かぶ都市に上からでも下からでも到着できるのだぞ! 一時間にちぢめても、そう苦しい旅ではないはずだ!」 「そりゃそうさ。核融合駆動で星みたいに光りながら大気圏外に出りゃあね。でも、気をつけないと。ハールロプリララーの浮かぶ牢獄に着いたときのことを、忘れたのかい? フライサイクルのモーターを焼かれ、空中でさかさまになってさ」  ハミイーの尾が、椅子の背をピシリと打った。むろん彼とて忘れるはずはない。 「昔の機械装置に見つかりたくないのさ。超伝導体を食う細菌に、ぜんぶがぜんぶやられちまったわけじゃないらしいからね」  眼下の草原が耕地模様に変わり、つづいて湿地性のジャングルになった。真上から降りそそぐ陽光が、花をつけた樹々の幹のあいだをぬけて、下の沼の水面から反射してくる。  ルイスは奇妙な思いにかられていた。  ひまわり花に対する戦いの無意味さを、彼は認めたくなかった。うまくいった[#「うまくいった」に傍点]じゃないか。彼は、みずからに難題を課したのだ。そしてそれを、知力と手持ちの道具とでやってのけたのである。  沼沢地は果てしなく続くかにみえた。途中で一度、ハミイーが、小さな都市らしいものを指さしてみせた。はっきりとはわからないが、建物がなかば水にひたり、蔓草や樹木がそれを引き倒しにかかっているらしい。建築様式は、かなり異質な感じだ。壁、屋根、とびら、どれもが何となく外向きにふくらんでおり、その中央を狭い街路が走っていた。ハールロプリララーの一族が建てたものではない。  正午ごろまでに、着陸船《ランダー》は、ジンジェロファーや巨人の族長が一生かけてもやってこられないくらい遠くまで飛んでいた。ああいう未開人たちにいろいろたずねてみるなど、つまらない道草をくったものだ。彼らと|浮 遊 都 市《フローティング・シティ》のあいだの距離は、地球上のいかなる二地点間よりも大きかったのである。 〈至後者《ハインドモースト》〉が呼びだしをかけてきた。  きょうの彼のたてがみは、原色の筋に染め分けられた渦巻く虹だった。そのうしろでは、パペッティア人たちが、ずらりと並んだ|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》の列にそって現れては消え、店のウィンドウにむらがり、からだが触れあっても詫びたり怒ったりする様子もなく、そのすべてを、フルートとクラリネットを中心にした音楽の低いささやき──パペッティア人のことば──がつつみこんでいる。 〈至後者《ハインドモースト》〉がたずねた。 「何かわかりましたか?」 「ほとんど何も」と、ハミイー。「ぐずぐずしていたせいだ。十七ファラン前に大きな太陽面爆発《ソーラー・フレア》があったことはたしかだ──三年半ほど前だな──だが、推測できたのはそこまでだ。|遮 光 板《ツャドウ・スクエア》の輪が縮まって、地表を守った。その誘導機構は、リングワールドのものとは独立に作動するのにちがいない」 「わかりきったことです。ほかには?」 「ルイスの考えた〈補修センター〉があるとしても、いま活動していないことはたしかだ。いま下にひろがっている沼地は、計画的につくられたものではない。大きな河底に泥がたまって、海への出口がふさがったのだろう。ここにはいろいろな亜人類がいるぞ。知性があるのもないのもいる。リングワールドの建設者らしいものは、それがハールロプリララーの先祖でないとすれば、まだ影もかたちもない。おれは、彼らがそうだと思いたいのだがな」  ルイスは口をひらきかけ……ふと、脚にかすかな痛みを感じて目を落とした。ちょうど大腿の上に、クジン人の四本の鉤爪がのっている。彼は口を閉じ、ハミイーが話しつづけた。 「ハールロプリララーの種族には、まだまったく出会っておらん。たぶん、これまでも人口をあまりふやしたことがなかったのだろう。うわさによると、また別種族の〈機械人種《マシン・ピープル》〉というのが、それに取ってかわるほどに進歩したらしい。われわれは、いまそいつをさがしているところだ」 「〈補修センター〉が活動していない、そのとおりです」〈至後者《ハインドモースト》〉は、てきぱきした口調でいった。「こちらでは、いろいろなことがわかりました。探査機の一基を使って──」 「二基あるはずだ」と、ハミイー。「両方使うがいい」 「ニードル号の無料補給用に、一基はとってあるのです。しかし、もう一基の働きで、こぼれ山の秘密が解けました。見なさい──」  右端のスクリーンに、探査機のとらえた眺めが写しだされた。外壁の内側を飛んでいる。何かが通り過ぎたが、速すぎて何だかわからなかった。画像の動きがゆるみ、向きを変えるとあともどりしはじめた。 「ルイスは、外壁を探索するようにといいましたね。そこで探査機を手順どおり減速しはじめたとたんに、これが見つかりました。これは調べてみる価値があると思いました」  外壁の一部に、もりあがった部分がある──一本のパイプが、その縁《へり》に外からひっかかっているかたちなのだ。それは床物質と同じ半透明で灰色の〈スクライス〉でできており、外壁の表面にひらたくくっついていた。  探査機はゆっくりとそれに近づき、ついにそのカメラの目が、直径四分の一マイルにおよぶそのパイプの口を下から見上げる位置にきて停止した。 「リングワールドの設計には、ひどく野蛮な仕掛けが多いようです」〈至後者《ハインドモースト》〉がいう。  すでに探査機はパイプに沿って動きだしていた。外壁の上をこえてその外側をくだっていくと、やがてパイプは、リングワールド下面の隕石防禦層を形成する発泡《フォーム》物質の中へ消えていた。 「なるほどね」と、ルイス。「で、こいつも、作動してはいないんだな?」 「はい。このパイプの行先をつきとめようとしたところ、面白いことがわかりました」  画面がとんだ。いまそこに映っているのは、グングン飛び過ぎていく暗いもの──探査機は、リングワールドの下面を遠く見上げながら進んでいく。凹凸があべこべになった地形が頭上を通っていくのが、赤外線で見てとれる。やがて探査機は速力をゆるめ、停止し、頭上の眺めに向かって上昇しはじめた。  リングワールドにぶつかる隕石は、どれもはるか恒星間宇宙から落ちてくる。その速度に、リングワールド自体の秒速七百七十マイルを加えた速さで激突する。そのひとつの落ちたあとがそこにあった。プラズマが、ちょうど海底のところで防禦フォーム層を蒸発させ、何百マイルもにわたる溝をえぐりとっている。その溝の底に、直径数百フィートもありそうな一本のパイプが、かなりの長さにわたって露出していた。その端が上へ──海底に通じているのだ。 「再循環《リサイクル》システムか」ルイスはつぶやいた。  パペッティア人が応えた。 「浸蝕作用に対してつり合いをとるものがなければ、何千年かのうちに、リングワールドの表土層はぜんぶ海の底ということになるでしょう。あのパイプは、その海底から出て、外壁の下から側面にそってのぼり、その上をこえているのです。つまり、海底の堆積物を、こぼれ山の上へ落としているわけです。水分のほとんどは、高さ三十マイルもある真空に近い山頂付近で蒸発してしまいます。山は、自重のため徐々にくずれていきます。そこで表土物質は、風や河に運ばれて、外壁のほうから内側へ移っていくのです」  ハミイーがいった。 「単なる推測とはいえ、もっともらしい話だ。〈至後者《ハインドモースト》〉、おまえの探査機はいまどこにいっている?」 「リングワールドの下側から出して、もう一度、縁《リム》の輸送システムにいれてみるつもりです」 「そうしてくれ。探査機に探深《ディープ》レーダーはついているのか?」 「はい、しかし短距離用です」 「こぼれ山を走査するのだ。こぼれ山は……たしか二、三万マイルの間隔で並んでいるのだったな? そうだとすると、両側の外壁に沿って、こぼれ山はおよそ五万個かそこらあるはずだ。そのほんの一部でも、〈補修センター〉をかくしておくには充分だろう」 「しかしなぜ〈補修センター〉をかくしておく必要があるでしょうか?」  ハミイーが馬鹿にしたようなうなり声をあげた。 「もしも従属種族が反乱を起こしたらどうなる? 侵略をうけたらどうなる? 当然〈補修センター〉は厳重に秘匿され、要塞化されているはずだ。こぼれ山は、ひとつ残らず探索してみなければならん」 「わかりました。リングワールドが一回転するあいだに右舷側《スターボード》の外壁をしらべます」 「そのあとで、反対側のもしらべるのだぞ」  ルイスがいう。 「カメラもずっとつけっぱなしにしとけよ。姿勢制御ジェットが見つかるかもしれない……ただし、彼らがもっと別のものを使ってる可能性が大きいような気もしてきたけどね」 〈至後者《ハインドモースト》〉は、カチリという音とともに消えた。  ルイスは窓に目を向けた。さっきからずっと気になっている白い細い線──沼地の岸にそってうなりながら走っているが、河川よりはずっと曲がりかたが少ない。いま彼は、その線の上を、見えるか見えないかの小さな点がふたつ動いているのを目にとめた。 「もう少し近づいて見てみたいな。高度を下げてくれないか?」  それは道路だった。百フィートの高さからみると、それは、石のようなものを敷きつめた粗製の道であることがわかった。白っぽい石の表面が、グングン後方に流れていく。  ルイスがいった。 「〈機械人種《マシン・ピープル》〉らしいね。あの乗物を追っかけてみようか?」 「それはもっと|浮 遊 都 市《フローティング・シティ》に近づいてからにするほうがよかろう」  目の前の好機を逃がすのは惜しい気もしたが、ルイスは反論をさしひかえた。クジン人の緊張ぶりが、きなくさいほど強烈に伝わってきたからである。  道路は、低い湿地をよけてつづいていた。修理はよくゆきとどいているようだ。ハミイーはその上空百フィートを、低速でそれに沿って船をとばしていく。  一度、一群の建物のそばを通り過ぎたが、その建物の中でいちばん大きいのは化学工場のようだった。何度か、箱のような乗物が、下を通過していった。こっちが見つかったのは、一回だけだった。箱がいきなり停まると、人間型の姿がワッとあふれだして円形に散開し、棒のようなものを出してこっちへ向けた。一瞬後、その姿はもう視界の外にあった。  湿地のジャングルの中に、何か大きな白っぽいものが、いくつか見えた。氷河に削られてできた丸石とも思えない。ここではありえないことだ。もしかすると大きなきのこ[#「きのこ」に傍点]ではなかろうかと、ルイスは思った。だが、そのひとつが動くのを見て、疑念は氷解した。  ハミイーに指さして見せようとした。クジン人は、見向きもしなかった。  道路は、岩だらけの山脈に近づくにつれて、反回転方向《アンチスピンワード》に大きく曲がりこんでいった。山なみを切りひらいたというより、その山脈の切れ目を縫うように、道路はうねりくねって進み、ついで右に折れてまた湿地帯と平行に走っている。  だがハミイーは、ここでふいに左へ折れると、加速をはじめた。着陸船《ランダー》は焔の尾を曳きながら、山脈の左舷側にそって飛んだ。そこでだしぬけにグルリと船をまわすと、ブレーキをかけ、花崗岩の崖のふもとへ降下した。 「外へ出るぞ」と、彼がいった。  この山の殻をなしている〈スクライス〉の遮蔽効果で、〈至後者《ハインドモースト》〉には聞こえないはずだが、船から外へ出たほうがもっと安全な気分になれる。  ルイスはクジン人につづいた。  陽ざしが強く、暑い──明るすぎる気がするのは、リングワールドのこの区域が、いま近日点のあたりにきているからだろう。なま暖かい風が吹きつけてくる。  クジン人がたずねた。 「ルイス、おまえは〈至後者《ハインドモースト》〉に、リングワールドの建設者のことを話すつもりだったのか?」 「まあね。べつにかまわないだろう?」 「われわれはふたりとも、同じ結論に達しているものと思うが」 「それはどうかな。クジン人は、パク人の〈プロテクター〉のことをどのくらい知ってるんだ?」 「ごくわずかかもしれんが、スミソニアン研究所にある記録ならぜんぶ知っているぞ。小惑星帯の採鉱者ジャック・ブレナンの法廷証言も研究したし、異星人フスツポクのミイラ化した遺体とその船の積荷ポッドの立体写真《ホロ》も見た」 「ハミイー、どういうつて[#「つて」に傍点]で、そんなものを?」 「それがどうした? おれは外交官だったのだぞ。パク人の存在は、ずっと昔から族長の秘密だったが、人間と交渉を持つ立場のものは全員、その記録を学ぶことになっていた。敵を知るためだ。おれは、おまえたちの先祖のことを、おまえよりよく知っているかもしれんぞ。そこでおれは、リングワールドをつくったのはパク人だろうと推測したのだ」  ルイス・ウーの生まれる六百年前、パク人のプロテクターがひとり、太陽《ソル》系に恵みをもたらすために到着した。そこにいたる由来を歴史家たちが知ったのは、そのフスツポクの物語を伝えた小惑星帯人《ベルター》ジャック・ブレナンのことばによってである。  パク人は元来、銀河の核の中の惑星に住む種族だった。その一生は、つぎの三期に分けられる──幼年《チャイルド》段階、繁殖者《ブリーダー》段階、プロテクター段階。成人、すなわち繁殖者たちには、棍棒をふりまわしたり石を投げたりする程度の知能しかなかった。  中年くらいまで長生きできた繁殖者《ブリーダー》は、〈生命の樹〉と呼ばれる植物に対する猛烈な食欲を持つようになる。この植物と共生するヴィールスが、その反応を引き起こすのである。かくて繁殖者《ブリーダー》は、生殖腺と歯を失う。頭蓋骨と脳髄は大きく膨張する。くちびると歯ぐきは融合して、硬質の丸みを帯びたくちばしに変わる。皮膚にはしわがより、厚く、固くなる。関節はふくらみ、筋肉の作用能率《モーメント》が増すため、力が強くなる。鼠径部に、二心室の心臓が形成される。  フスツポクは、二百万年以上も前に地球へたどりついたパク人の移民船のあとを追ってきたのだった。  パク人の母星では戦争が絶えなかった。核恒星系内にある手近な植民星は、たび重なる侵略で破壊しつくされていた。かの移民船がこんな遠くまで出てきたのは、おそらくそれを避けるためだったのだろう。  その植民地は、大きさも設備も充分で、管理者も人間よりはずっと頑丈だし、知力も優れていた。にもかかわらず、この植民は失敗に終わった。生命の樹は地球の土壌に根づき育ったが、ヴィールスが生きられなかったのだ。繁殖期のままみずから身を処していかなければならなくなった全住民を残して、プロテクターたちはつぎつぎと死に絶えていった……そしてその救いを求める叫びが、三万光年の空間をこえて、パク人の故郷にたどりついたのだった。  フスツポクはその記録を、古代のパク図書館で見つけだした。そこでフスツポクは、ただひとり亜光速船に乗り、太陽《ソル》系を求めて三万光年をわたったのだ。この船を建造するための知識も方針も材料も、つとに戦争を通じてフスツポクは獲得ずみだった。  積荷ポッドには、生命の樹の根と種子と、酸化タリウムをつめこんだ容器とでいっぱいだった。彼はみずからの研究で、異例なことだがそれが土壌添加剤として必要だということを発見していたのである。  繁殖者《ブリーダー》たちが突然変異を起こしている可能性も、彼は一応考えていたようだ。  パク人の故郷で、突然変異体《ミュータント》の生きのびるチャンスはない。プロテクター段階の父祖が、子供におかしな徴候を見つけだせば、すぐに殺してしまうからである。だが地球では──猛烈な宇宙線のとびかう核恒星系からあれだけ離れていれば、突然変異の出現率はずっと低いにちがいない──おそらく、フスツポクはそう踏んでいたのだろう。おそらく彼は、その可能性に賭けてみたのであろう。  だが、繁殖者《ブリーダー》たちは、すっかり変異してしまっていた。フスツポクが到着して、そこに発見したのは、パク人の繁殖者《ブリーダー》とは似ても似つかない連中だった──まだ残っているのは、中年以後に起こるある種の変化だけで、例えば女の場合は排卵が止まるし、両性とも皮膚にしわがよりはじめるし、歯が抜け、関節がふくれ、またわずかに残っている生命の樹への渇望のせいで、ソワソワ、イライラするようになる。それからもう少したつと、第二の心臓ができないため、心臓の発作に見舞われることが多い。  そういった変化について、フスツポクは何も知らずにすんだ。自分が救いの手をのべるつもりだった相手が怪物になってしまい、もう自分の果たすべき役割はない──そう思っただけで、この救済者はほとんど何の苦痛もなくポックリと死んでしまったからだ。  というのが、失踪する前のジャック・ブレナンが国連を代表する人々に語った話である。しかし、かんじんのフスツポクは死んでしまっていたのだし、ジャック・ブレナンの証言にも怪しい点は多かった。そのとき彼はもう生命の樹を食べたあとだった。彼は一個の怪物と化していたわけだ。とくに目立ったのは頭蓋の巨大化と変形ぶりだった。  たぶんもう気も狂っていたのだろう。       *  まるで、岩場の上に、車一ぱいぶんのほうれんそう[#「ほうれんそう」に傍点]入りうどんをぶちまけたみたいな場所だった。綿毛のような手ざわりの、緑色をした紐が、岩のあいだにところどころ土壌がのぞいているだけの土地に、ガッチリしがみついている。ふたりの足首のあたり、地上数インチの高さを、雲霞のような昆虫の大群が、ブンブン羽音をたててとびまわっていた。 「パク人のプロテクターのことだね」と、ルイス。「ぼくもそう思ったんだが、どうも信じられない気がしてね」  ハミイーがいった。 「宇宙服と、草食い巨人の着ていた鎧が、その姿をしていた──人間型だが、関節がふくらみ、顔面が前へつき出ていたのだ。証拠はまだあるぞ。これまで、いろいろちがった種類の人間型生物《ヒューマノイド》に出会ってきたな。どれも、共通の祖先から出たものにちがいない──つまり、おまえの先祖と同じ、パク人の繁殖者《ブリーダー》からだ」 「いかにもね。これで、プリルが死んだわけもわかった」 「何だと?」 「細胞賦活剤《ブースタースパイス》は、ホモ・サピエンスの代謝作用に合うようにできてる。ハールロプリララーには効かない。彼女は自分用の長命薬を持っていたし、たぶんそいつは、いろんな種族に効くものだったはずだ。それで思いついたんだが、プリルの種族は、それを生命の樹からつくったんじゃないかな」 「なぜだ?」 「ウーン、プロテクターは、何千年も生きるね。生命の樹に含まれる何らかの要素、あるいはその臨界量以下の服用でも、人間ないし亜人間族には、何かの変化を及ぼすかもしれない。それに〈至後者《ハインドモースト》〉は、プリルの持ってたそれが盗まれたといったね」  ハミイーがしきりとうなずいた。 「思いだしたぞ。おまえたちの小惑星採鉱船の一隻が、放棄された無人のパク船に接触した。乗員の中のいちばん年長の男が、生命の樹の匂いをかいで気が狂った。そいつは、腹につめこめる以上にむさぼり食って、死んでしまった。仲間の手では、押さえきれなかったのだ」 「ああ。で、それと同じことが、国連の研究所の助手の誰かに起こったというのは、考えすぎだろうかね? プリルが、リングワールドの長命薬の瓶を持ったまま、国連ビルにはいっていく。国連が標本をとろうとする。細胞賦活剤《ブースタースパイス》をのみはじめる直前くらいの若さのやつ──四十歳か四十五歳くらいの──が、瓶をあける。スポイトを用意してね。ところが、瓶から立ちのぼってくる匂い──そこでやつは、すっかり飲んじまう」  ハミイーの尻尾がシュッと空《くう》を切った。 「おれは、ハールロプリララーが好きだったなどとは到底いえん。しかし、彼女は、味方ではあったな」 「ぼくは好きだったよ」  熱い風が城をまきあげて、あたりじゅうを吹きまくっていた。ルイスは息苦しさを感じた。  こうしてふたりだけでこっそり話せるチャンスは、もう二度とないだろう。ニードル号との信号のやりとりを中継している探査機が、間もなく〈アーチ〉にそって上空高くあがっていけば、こんなごまかしも通用しなくなってしまうはずだ。 「ハミイー、すまないが、ひとつパク人になったつもりで考えてみてくれないか?」 「やってみよう」 「彼らは、〈大海洋〉に、地図をばらまいた。あんなふうに、クジン星、ダウン星、火星、ジンクス星などの地図を残すよりも、クジン人、グロッグ、火星人、バンダースナッチなどをみな殺しにしてしまうほうを、なぜ彼らは選ばなかったのだろうか?」 「ウウゥ。なぜだろうな。ブレナンの話によれば、パク人というのは、異種族を全滅させることなど何とも思わぬやつらだったはずだが」  ハミイーは、あたりを歩きまわりながら、この難題に頭をしぼりはじめた。  やがて、彼はいった。 「おそらく、彼らは、あとをつけられている場合を考えたのではないかな。母星で戦いに敗れて、ここまで逃げてきたと考えたらどうだ? そして、勝った側が追いかけてくることを予想したら? パク人にとってみれば、わずか十光年かそこらの間隔で、焼きつくされた惑星が一ダースもあるのは、当然パク人の存在を意味することになるかもしれんぞ」 「ウウム……そうか。それじゃ、そもそも彼らは、なぜこんなリングワールドなんてものをつくったのか、そいつが知りたいね。いったいこんなものを、どうやって敵から守るつもりだったんだ?」 「おれなら、こんなあぶなっかしいものを守ろうなどとは思わん。いずれわかることだろう。それに、もうひとつ疑問なのは、そもそもどうしてパク人がこの宙域にやってきたのかということだ。偶然だろうか?」 「ちがう! 遠すぎるよ」 「というと?」 「うん……推測することならできるがね。大勢のパク人が、とにかく大急ぎでできるだけ遠くまで逃げようとしたとする。やっぱり、例えば戦争に負けたとしてだ。パク人の世界からおっぽりだされたとするわけだ。さてここで、銀河の腕状肢の中へ逃げこむ安全な航路がひとつだけ、地図に記されて残っていた。かつて地球に植民した最初の探険隊は、手にあまるような危険にぶつかることなしに、太陽《ソル》へ着いていた。そして、いろんな指令を送り返していた。で、負けた連中は、そのあとをたどることにした。そして、太陽《ソル》系からは充分距離をとった安全なところで、店びらきをしたってわけだ」  ハミイーは、じっと考えこんでいた。やがて、彼は口をひらいた。 「どうしてここへきたにせよ、そのパク人は、知的で、好戦的で、異種族ぎらいの連中だったはずだ。ついでにいうと、ライヤー号の半分を蒸発させた武器、おまえとティーラが隕石防禦装置と呼んでいたあの兵器が、侵入してくる船を攻撃するようプログラムされていたことは間違いない。ホット・ニードル号にしろ、この着陸船《ランダー》にしろ、いつ攻撃されるかわからんぞ。それからもうひとつ、いいたいことがある。〈至後者《ハインドモースト》〉に、リングワールドの建設者の正体を、知らせてはならぬということだ」  ルイスは首をふった。 「もうとっくに死に絶えてるはずだよ。ブレナンのことばによると、プロテクターの行動目的はただひとつ、自分の子孫を守ることだ。突然変異体《ミュータント》の発生を見のがすわけがない。リングワールドを太陽のほうへすべるままにしておくはずがない」 「ルイス──」 「じっさい、彼らがいなくなったのは、おそらく何十万年も前のことだろうね。ここにいる亜人間どもの種類の多さを見ろよ」 「むしろ百万年というべきだろう。彼らは、救助を求める最初の船が着いた直後に母星を出発し、ここでこの構築物をつくりあげたあとすぐに死に絶えたにちがいない。そう考えないと、こういったあらゆる変種が育った時間の説明がつかんだろうが? ただし──」 「ハミイー、いいか──彼らがリングワールドを完成したのが、たった五十万年前のことだと考えてみろよ。それから、繁殖者《ブリーダー》たちがひろがっていくのに二十五万年──そのあいだ、戦争の必要はない。ここは事実上、果てのない世界なんだから。そのあと、プロテクターたちは死に絶える」 「どういう原因で?」 「データ不足」 「よかろう。それで?」 「二十五万年前にプロテクターが死に絶える。繁殖者《ブリーダー》の進化に残された時間は、地球の場合の十分の一にしかすぎない。時間は十分の一、だが、繁殖者《ブリーダー》に害をするものはプロテクターがいっさい持ちこまなかったはずだから、生態系の中には適応の余地がいっぱいあるし、それに、基礎人口も何兆かいたんだ。  わかるかい? 地球の場合プロテクターが死に絶えたときの人口は、たぶん五十万かそこらだったろう。リングワールドには、三百万倍もの土地があって、プロテクターが死に絶える前にも、ひろがっていく時間の余裕は充分だった。その時点でもう、突然変異ははじまっていたかもしれないんだ」 「それが正しいとは到底思えんな」ハミイーが、静かな口調でいった。「何かひとつ、おまえの見すごしている点があるような気がする。ただし、プロテクターがもうどこにもいないことは間違いあるまいが……ほぼ間違いあるまいな。だがもし〈至後者《ハインドモースト》〉が、ここがプロテクターの領域でありその住み家だったと知ったらどうなると思う?」 「まいった。やつは逃げだすだろうな。ぼくらにはおかまいたく」 「だから公式には、われわれはまだリングワールドの秘密をつかんではいないのだ。いいか?」 「ああ」 「それでもまだ、〈補修センター〉とやらをさがすつもりか? 生命の樹の匂いは、おまえにとって命とりになるかもしれんぞ。プロテクターになるには、もう年をとりすぎているからな」 「そんなことにはなりたくないね。着陸船《ランダー》には、分光分析機があったっけ?」 「あるぞ」 「生命の樹は、土壌添加剤──酸化タリウム──がなければ、うまく育たない。タリウムは、銀河の核のほうじゃ、こんな辺境よりずっと豊富なんだろうな。プロテクターが一生の大部分を過ごしたあたりにいけば、生命の樹のための酸化タリウムが見つかるだろう。だからこれが、補修センターを見つけるためのめやす[#「めやす」に傍点]になる。そのときになったら、ぼくは宇宙服を着てることにするよ」 [#改ページ]      14 死 の 匂 い  船が山かげから道路の上空へもどったとたん、〈至後者《ハインドモースト》〉の声が船内で爆発した。 「……着陸船《ランダー》へ! ハミイー[#「ハミイー」に傍点]、ルイス[#「ルイス」に傍点]、何をかくれているのです[#「何をかくれているのです」に傍点]? 〈至後者《ハインドモースト》〉から着陸《ランド》──」 「やめろ! このカホナ……音をもっとしぼれ、耳がきこえなくなっちまう!」 「これでも聞こえますか?」 「はっきり聞こえるよ」と、ルイス。  ハミイーの耳は、毛皮のくぼみの中へたたみこまれていた。自分にもあんなことができればいいのにと思いながら、彼はいった。 「山で通信が妨害されてたらしいな」 「そして、遮断されているあいだに、あなたたちは何を話していたのです?」 「反乱の計画さ。でも、やらないことにきめたよ」  一瞬の間《ま》。そして──。 「賢明な決定です」と、〈至後者《ハインドモースト》〉はいった。「このホログラムをどう思うか、意見をいいなさい」  スクリーンのひとつに、外壁からつき出た何か|支 柱《ブラッケット》のようなものが映った。その影像は、わずかにぼやけ、おかしなぐあいに光っている──真空中だから、上からの陽光と、右手からのリングワールド地表の反射光とをうけているせいだ。外壁と一体構造らしく、まるで〈スクライス〉が砂糖菓子みたいにそこから引きのばされてできたかのようにみえた。その頂上に、座金《ワッシャー》かドーナッツみたいなものが二個、ちょうどその直径くらい離れてついている。ほかに写っているのは外壁の上面だけだ。これでは大きさを推測しようがない。 「探査機から撮った映像です」と、パペッティア人がいった。「あなたの提案どおり、探査機を縁《リム》の輸送システムにいれました。それは、反回転方向《アンチスピンワード》へ加速中に撮ったものです」 「ああ。ハミイー、あんたはどう思う?」 「リングワールドの姿勢制御ジェットのひとつかもしれん。どうやら噴射はしていないようだが」 「たぶんね。パサード式ラムジェットの設計様式は、いっぱいあるからな。〈至後者《ハインドモースト》〉、何か、磁場みたいなものは検出できなかったかい?」 「いいえ、ルイス、あの装置は休止しているようです」 「超伝導物質を食う菌も、真空の中まではやってこられないだろう。損傷があるようにも見えない[#「見えない」に傍点]な。でも、制御機構が、どこかほかにあるのかもしれない。地表にね。そいつを見つければ、たぶん修理できるはずだ」 「それにはまず、どこにあるのか見つけなければなりません。〈補修センター〉の中でしょうか?」 「ああ」  道路の片側は沼地、反対側は岩だらけの高地がつづいている。またひとつ、化学工場らしいものを通り過ぎた。見つかったのにちがいない。煙突と思われるところから、霧笛のような音とともに、ひと筋の蒸気が噴きだしたのだ。ハミイーは速度をゆるめようともしなかった。  箱のような乗物は、あれっきり一台も見かけていない。  沼のはるか奥のほうで、木立のあいだを縫ってゆっくりと動くかすかな光点に、ルイスはじっと目をすえていた。水上にかかる霧か、入港する汽船のような、ゆったりとした動きだ。そしていま、はるか前方で、何か白っぽいものが森林から出て、道路に向かって動いてくるのが見えた。  その生物の感覚房が、白い巨体からつき出た細い首の上に生えている。そのあご[#「あご」に傍点]は地上すれすれのところにある。それをシャベルのように下へ垂らして、沼の水や植物を汲みあげながら、その巨獣は下面の腹筋を波うたせて、ユルユルと斜面をのぼってくる。史上最大の恐竜よりも大きな図体である。 「バンダースナッチだ」と、ルイス。  だが、こいつらがこんなところで、いったい何をしているのか? バンダースナッチの原住地はジンクス星である。 「ハミイー、速度を落としてくれ、あいつはぼくらと話したがってるんだ」 「何についてだ?」 「あいつらは大昔からのことを記憶してるんだよ」 「やつらが何をおぼえているというのだ? 沼地に住んで、ごみをあさるばかりの、武器をつくる手もないやつらではないか。やめておけ」 「どうして? とにかく、バンダースナッチがリングワールドで何をしてきたかだけはきけるぜ」 「それは謎でも何でもない。プロテクターどもが、〈大海洋〉の地図の中に、危険な存在になりうる種族の見本をいれておいただけのことだ」  ハミイーはどうやら主導権にこだわりはじめたらしい。ルイスには面白くない事態だった。 「いったいどうしたっていうんだ? 質問くらいしてみたっていいじゃないか!」  バンダースナッチの姿は、もう後方でどんどん小さくなっている。  ハミイーが、いがみ声をだした。 「おまえは、〈ピアスンの|人形つかい《パペッティア》〉のように、事態に直面することを避けているのだ。ごみ食いや野蛮人どもにものをたずねたり、ひまわり花を殺したりしてな! 〈至後者《ハインドモースト》〉は、われわれを無理やりこの破滅しかけた構築世界に連れてきた。そしておまえは、ひまわり花を殺すなどして、復讐の機会をさきへのばしている。いまから一年後のリングワールド原住民どもにとって、ルイ様という名の神が通りすがりに足をとめて雑草を抜いたということに、どういう意味があるというのだ?」 「できるものなら、彼らを救ってやるつもりなんだ」 「こっちにはどうすることもできんのだ。いま必要なのは、この道路をつくったものたちに会うことだ。われわれの脅威となるほど進んではいないが、こちらの問いに答えられる程度には進歩しているだろう。一台だけでいる車を見つけて、そいつを襲うのだ」  午後のなかばごろ、ルイスが操縦を引きついだ。  沼地がやがて河になり、もとの河筋の河床くらいの幅で、回転方向《スピンワード》へ弓なりに曲がっている。石ころ道はその新しい河ぞいに走っていた。もとの河床はそこよりずっと左舷《ボート》寄りのところにあり、みごとなS字形を描いているその途中には、ひとつづきの早瀬や、滝のかたちになっている部分もあった。すっかり干上がったその残骸が、同じく干上がった砂漠に向かっている。泥で埋まる前はこの沼もひとつの海だったのにちがいない。  その、もとの河床の上をたどりながら、ルイスはブルッと身をふるわせた。 「ぼくらは、ちょうどいいときにきたと思うよ」と、ハミイーに向かって彼はいった。「プリルの種族が進化したのは、建設者がいなくなってからかなりあとだろう。ここにいる知的な種族の中で、彼らはいちばん野心的だったんだ。大きな、壮麗な都市を建設するまでになった。ところがそこで、れいの奇妙な菌が、彼らの機械装置のほとんどをぶちこわしてしまった。これから出会う〈機械人種《マシン・ピープル》〉ってのも、その同類かもしれない。あの道路をこしらえた連中だ。つくったのは、この沼地ができたあとだ。しかし、沼地が形成されたのは、プリルの種族の帝国が崩壊したあとのことだと思う。  だから、いまぼくがめざしているのは、プリルの種族の古い都市なんだ。運がよければ、そこで昔の図書館や地図の部屋が見つかるだろう」  一回目の探険のときは、都市のようなものを調査するチャンスなどほとんどなかった。きょうも、この何時間もにわたる飛行のあいだ、ふたりが見たのは、テント村なみの建築群がふたつと、大陸規模の砂嵐だけだった。  |浮 遊 都 市《フローティング・シティ》は、いまだに前方にあり、真横から見ているので、こまかいところは何もわからない。周縁部にそって二十基ほどの塔が建ちならんでいる。さかさの塔がいくつか、中央部の底から下向きにのびている。  干上がった海へそそいでいる干上がった河。ルイスは、高度二十マイルをたもちながら、その海岸にそって船を進めた。  海底の様子は異様だった。ほとんど平坦なのだが、そのあいだに規則的な間隔をおいて、周囲がギザギザの島が、ムックリともりあがっているのだ。  ふいに、ハミイーが呼びかけた。 「ルイス! 操縦を自動《オート》にしろ!」 「何があったんだ?」 「浚渫船だ」  ハミイーの前の望遠スクリーンを、ルイスものぞきこんだ。  そこに映っているのは、ルイスがいままで大きめの島のひとつだと思っていたものの一部だった。巨大で平坦な円盤形で、海底の泥と同じ色をしている。その頂上は、たぶん海面よりも下にあたるだろう。外縁《リム》は海底からひとつづきだが、鉋《かんな》の刃のように、一定の角度をなしている。この機械は、自分が海底からさらってこしらえた泥の島にぶつかったかたちで、そこに立往生しているのだった。  では、リングワールドの建設者は、こうやって海底の泥を排出管口《スピルパイプ》に流しこんでいたのだ。自然に流れこむわけはない。海底が浅すぎるからだ。 「パイプがつまったせいだな」ルイスが意見を出した。「それでも、浚渫作業はつづいて、そのうち機械がこわれるか、あるいは何かのせいで動力が切れた──超伝導菌か何かのせいでね。〈至後者《ハインドモースト》〉を呼ぼうか?」 「ウム。安心させておくためにな……」  しかし、〈至後者《ハインドモースト》〉のほうは、もっと大きな知らせを用意していたのである。 「見ていなさい」と、彼。  スクリーンのひとつが、ホログラム映像をつぎつぎに映しだす。まず外壁から外向きななめ上方につき出ている|支 柱《ブラッケット》の一本、その先端には、一対のドーナッツ形のものがくっついている。ついで、もっと距離をおいてみたべつの支柱。この画面には、外壁の麓にあるこぼれ山もはいっていた。こぼれ山の大きさは、この支柱の半分くらいしかない。三つめのが映った。  四つめ。そのそばに何かの構築物。  五つめ──。 「待て!」ルイスが叫んだ。「前のにもどすんだ!」  五つめの支柱は、まだしばらく画面に映っていた。その先端には、何もついていない。やがて、〈至後者《ハインドモースト》〉が、画面を四つめのホログラムにもどした。探査機の高速のため、画面はいくらかぶれて[#「ぶれて」に傍点]みえる。  外壁の上、支柱の根元のすぐそばに、大がかりな起重機が据えつけられていた──原始的な核融合発電機、|動力巻き上げ装置《パワー・ウインチ》、滑車とその下の宙に浮かんでいる鉤《フック》。それを吊り下げているケーブルは細くて見えないのだろうとルイスは思った。もしかすると、あの|遮 光 板《シャドウ・スクエア》の索《ワイア》かもしれない。 「修理部隊が作業をはじめているのか? ウウゥ。これはいったい、姿勢制御ジェットを取りつけているところなのか、はずしているところなのか? ついているのはいくつあるのだ?」と、ハミイー。 「いずれ探査機が教えてくれるでしょう」〈至後者《ハインドモースト》〉がいった。「ところで、べつのことを思いだすように。リングワールドの宇宙船のうち、無傷で残っていたものの胴体に、ドーナッツ形のものがついていたのをおぼえていますね。あれはたぶん、パサード式ラムジェットのための電磁スクープ 場《フィールド》 発生機だろうということでしたが」  ハミイーが仔細にスクリーンを見つめた。 「リングワールドの宇宙船は、どれもこれもまったく同じ設計だった。なぜだろうと思っていたが……おまえの考えが正しいのかもしれんな」 「どういうことなんだ? いったい──」と、ルイスがたずねた。  ひとつ目の蛇が二匹、スクリーンの中から彼をじっと見つめた。 「ハールロプリララーの種族は、植民し探険する無限の場所を求めて、縁《リム》の輸送システムの一部を、すでにつくりあげていました。なのにどうして、その作業をつづけなかったのでしょう? あの輸送システムがあれば、リングワールド全土が自分のものになるというのに。どうしてわざわざ、他の星系へ出かけようなどと考えたのでしょう?」  忌わしい連想が浮かんだ。ルイスは信じたくなかったが、あまりに話が符合しすぎていた。 「動力機関がただで手にはいったからだ。彼らは、リングワールドの姿勢制御ジェットをいくつかはずして、それをもとに船をつくり、星々へいきついた。それでも、別段わるいことは何も起こらないようだった。そこでまた、いくつかとりはずした。いったいいくつ使っちまったんだろう?」 「探査機がしらべてくれます」パペッティア人がいった。「とにかくまだ、いくつかは残っていますね。どうして、これほど不安定になってしまう前に、リングワールドをもとへもどせなかったのでしょうか? ハミイーのさっきの質問は、的を射ていたようです。彼らはジェットをもとへもどそうとしていたのか、それとも、ハールロプリララーの種族があとわずかでも助かるために、船をつくろうとしてもっと取りはずそうとしていたのでしょうか?」  ルイスの笑いは苦々しかった。 「こう考えたらどうだい? 彼らは、必要最少限のジェットは残しておいた。ところがそこへ、菌がはびこって、機械類のほとんどがやられてしまった。で、連中の一部は恐慌に襲われた。彼らは手持ちの船をぜんぶ使い、大急ぎでもっと建造しようとして、そのために姿勢制御ジェットをあらかたはずしてしまった。まだ取りはずし作業をつづけてるんだ。リングワールドを滅びるにまかせてね」  ハミイーがいった。 「愚かものめが。その報いは、きっとその身にふりかかってくることだろう」 「そうなるかな? ぼくには何ともいえないね」 「しかし、これはまさしく凶兆のように思われます」と、パペッティア人。「おそらく彼らは、運べるかぎりの文明を持ち去ろうとしたはずです。とすれば、当然、物質変換機も持っていったのではないでしょうか?」  ふしぎとルイスは、笑いだす気にもなれなかった。だが、これに何と答えたものだろう?  クジン人が答えてくれた。 「手にとどくかぎりのものは持っていったろう。宇宙港の近くにあるものは、何でもだ。それから、輸送システムの通じている範囲では、外壁の近くにあるものもな。だから奥地のほうをさがさなければならん、そして、〈補修センター〉を見つけださなければならん。そこにもしプリルの種族が残っていたら、そいつらは、リングワールドを見捨てず、救おうとしているはずだ」 「たぶんそうでしょう」  ルイスがいう。 「彼らの超伝導体がいつごろから菌に侵されだしたのか、それがわかると助かるんだがね」  このことばで〈至後者《ハインドモースト》〉がひるむことを期待していたとしたら、それは目算ちがいだった。  パペッティア人は答えた。 「わたしよりもあなたのほうが先に知るでしょう」 「あんたはもう知ってるんじゃないかって気がしたんだがな」 「何かわかったことがあったら呼んでください」  そして、蛇のような二本の頸は消えた。  ハミイーが、いぶかしげに彼を見つめたが、何もいわなかった。ルイスは、操縦盤のほうに向きなおった。  その都市をハミイーが見つけたのは、ちょうど明暗境界線《ターミネイター》が回転方向《スピンワード》から巨大な影となってグングン迫ってきているときだった。船はそのとき、干上がった海の左舷《ボート》側からのぴている干上がった河床の上を飛んでいた。その河がふたまたに分かれており、分岐点のところに、その都市はあった。  プリルの種族は、とくにその必要がないときにも、高層建築を立てていたものと思われる。たいして広い都市ではないが、高さはかなりあったようで、それを落下した浮遊建築物が粉砕してしまったものらしい。一本だけ、ヒョロ長い塔がみえるが、傾いている。いや、それは、上空から槍のように、地上の低い建物を刺しつらぬいているのだった。  左舷《ボート》のほうから一本の道路が、乾いた河の支流の一方の外側にそって近づき、〈機械人種《マシン・ピープル》〉の手に成ったと思われるおそろしく基礎のかさばった橋を渡って、街にはいっている。ハールロプリララーの種族だったら、もっと丈夫な材料を使うか、あるいは宙に浮かべるようにしたはずだ。 「この都市は略奪をうけたようだな」と、ハミイーがいった。 「そうだね、あの道を、略奪のためにつけたものがいるわけだ。とにかく、降りてみようや」 「また、猿の好奇心というやつか?」 「まあね。一応あのカホな塔のまわりをひとまわりして、よく見せてくれないか」  ハミイーは、無重力を感じるくらいの加速で着陸船《ランダー》を下降させた。  クジン人の毛皮は、もうほとんどきれいに生えそろい、ハミイーの第二の青年期を記念するかのような、美しい光沢をみせている。だが、若返って気をよくしているわけではない。四回にわたる人間=クジン戦争に加えて、いくつかの事件≠フ思い出が……ルイスは口をつぐんでいることにした。  着陸船《ランダー》の床がグイとふたりを押しあげた。ルイスは、その重圧がなくなるのを待ってから、船外カメラの映す眺めを調節しはじめた。と同時に、それ[#「それ」に傍点]が目にとびこんできた。  傾いた塔のすぐそばに、箱のような車が一台とまっている。十人以上乗れそうな大きさだ。後部についているモーターの大きさは、宇宙船でも飛ばせそうなくらいだ……だが、彼らは原始的な連中である。動力に何を使っているのかも、見当がつかない。  その車を指さしながら、ルイスはたずねた。 「一台だけでいる乗物を見つけて襲うんだったっけ、そうだな?」 「そうだ」  ハミイーが着陸船《ランダー》をおろしていくあいだに、ルイスは状況を観察した──。  その塔は、ほぼ四角いかたちの建物を、上から下までつきとおしていた。屋上を破り、三階ぶんをつらぬいて、おそらく地下まで達しているにちがいない。そして、つき刺された建物の外廓で、まっすぐに支えられているのだ。塔の窓のふたつから、蒸気か煙かが、不規則な間隔で吐きだされる。下の建物の大きな正面玄関の前で、いくつか白い人影が踊っている──踊っているのか、それとも駆けっこをしているのか──その中のふたりは、うつ伏せに倒れ、ねじくれた恰好のまま動かない……。  崩壊した建物の一枚だけ残った壁が視野をさえぎるまで、一瞬のあいだに、ルイスの心に像を結んだ情景がこれだった。白っぽい人影は、石を敷きつめた大通りを横切って、あの建物にいきつこうとしていたのだ。それを、誰か塔の中の連中が狙い射ちしていたのである。  着陸船《ランダー》が停止した。ハミイーが立ちあがると、大きく伸びをしながらいった。 「ルイス、成りゆきにもよるが、たぶんあの銃を射っているほうが〈機械人種《マシン・ピープル》〉だろうから、その味方にまわる方針でいくぞ」  それにも一理あるだろう。 「弾丸を射ちだす武器についてはわかってるのか?」 「化学的射出剤を使っているとすると、携帯用の武器ぐらいでは、こちらの耐衝装甲服《インパクト・アーマー》はビクともしない。飛行《フライング》ベルトを使えばあの塔の中へはいることができる。麻痺銃《スタンナー》を持っていくのだぞ。味方になる予定の相手を殺したくはないからな」  用意をととのえて船から出ると、あたりはもう夜だった。雲が上空をとざしている。それでも〈アーチ〉の輝きは、かすかな幅広い光の帯となってさしこみ、はるか左舷のほうにみえる浮遊都市は、まるでギッシリつまった星団のようにみえた。これなら、迷い子になどなりようがない。  しかし、ルイス・ウーの気分は冴えなかった。耐衝装甲服《インパクト・アーマー》の着心地が固すぎるのだ。フードが顔のほとんどを蔽っている。飛行《フライング》ベルトのやわらかい太い帯が呼吸をさまたげ、両足はブランと宙に下がっている。しかし、〈ワイア〉に身をまかせての一時間にくらべれば、どんな気分だろうと五十歩百歩だ。少なくとも、一応安全な気分にはひたっていられる。  空中で宙ぶらりんになったまま、彼は光量増幅望遠ゴーグルを作動させた。  襲撃側は、さほど恐るべき相手でもなさそうにみえた。みんなすっ裸で、武器も持っていない。髪は銀色、皮膚は純白。きゃしゃな美しいその体躯。男たちですら、ハンサムというより美人という形容がふさわしく、髭をたくわえたものもない。  暗い影のところや、こわれた建物の物陰にじっと身をひそめ、ときたまひとりかふたりが、目標の大きな正面入口に向かって、ジグザグに突進を試みるだけだ。数をかぞえてみると二十人、そのうち十一人が女である。さらに五人が、前の路上で死んでいた。すでに建物にはいりこんだものも、何人かいるのかもしれない。  防禦側の銃声は途絶えていた。おそらく弾薬が尽きたのだろう。射っていたふたつの窓は、塔の地上六階あたりで、こっち側へ傾いた面にあったはずだ。窓はほかのもぜんぶこわれている。  同じく浮かんでいるハミイーの大きな姿のほうへ、彼は身をよせていった。 「ライトを弱くしてひろげて照らしながら、向う側の窓からはいろう。ぼくは人間だから、ぼくが先に立つよ。いいね?」 「よかろう」と、ハミイー。  ベルトは着陸船《ランダー》と同様、〈スクライス〉からの斥力で上昇するようになっている。背中には小型のスラスターがついている。ルイスはグルリと円を描いて、ハミイーがついてくるのを見さだめながら、この階らしいと見当をつけた窓のひとつから建物の中へ、フワリととびこんだ。  大きな、からっぽの部屋だ。ツンと鼻孔を刺す匂いで、くしゃみが出そうになった。家具はあったが、その布張りの部分はすっかり朽ち果て、長いガラスのテーブルの表面は粉々にくだけている。傾いた床の奥の端に、かたちのはっきりしない、帯のついた背嚢のようなものが落ちている。  とすると──連中はここにいたのだ。それにこの匂い──。 「コルダイトだ」と、ハミイーがいった。「化学的射出剤の一種だ。もし射ってきたら目をかばうようにしろ」  そういって彼はドアに向かい、傍らの壁にピタリと身をつけて、いきなりサッとドアをあけた。トイレットだった。中には誰もいない。  それよりも大きなドアが一枚、部屋が傾いているため、向うへぶらさがるかたちになって開いている。片手に麻痺銃《スタンナー》、片手に携帯レーザーを持って、ルイスはそっちへ向かった。興奮しているせいか、恐怖はほとんど感じない。  凝った彫刻のある木製のドアの向うには、広い螺旋階段が、グルグルと円を描きながら下方の闇の中へ消えていた。ルイスがレーザー灯を下に向けてのぞきこむと、渦を巻く手すりの向うで、階段と建物の底面とが無残にへし曲がっているのがわかった。  ライトの光芒の中に、台尻のついた大型ライフルのような武器が一挺浮かびあがり、そのそばの箱からは金色の小さな円筒形のものがこぼれだしているのが見てとれた。もっと下のほうに、もう一挺武器が。そして、紐のついた上着らしいもの。それより下にはいろんな衣類の切れっぱし。  いちばん下のへし折れた階段の底には、メチャメチャになった死体──裸の男で、襲撃側よりも肌の色は黒く、たくましいからだつきのようだ。  ルイスはなぜか耐えがたいほどの興奮を感じていた。  これ[#「これ」に傍点]こそ自分が一生をかけて求めていたものではないだろうか? それ[#「それ」に傍点]を手にいれるためなら、ドラウドと〈ワイア〉はおそか、自分の命を捨てたっていい!  ルイスは、飛行《フライング》ベルトを調節して、手すりをとびこえ、下降をはじめた。ゆっくりとおりていく。階段には人間の姿はなかったが、いろんなものが落ちていた──何か衣類とおぼしいもの、武器、ブーツ、背嚢がもうひとつ。  ルイスは降下をつづける……ふいにこの階[#「この階」に傍点]だ、とわかった。いそいで飛行《フライング》ベルトを操作し、ハミイーが〈コルダイト〉だといったのとはまったくべつの匂いに向かって、廊下をすっ飛んだ。  そのまま塔からとびだす。前の壁にぶつかりかけて、危うく停まった。そこはまだ、低いこわれた地上建築の中だったのだ。ライトをどこかへ落としてしまったらしい。望遠ゴーグルの光量をあげると、いくらか光のさしてくる右のほうをふり向いた。  大きな正面入口のすぐ内側に女の死体──襲撃側のひとりだ。胸の銃創の下の床に血だまりができている。それを見て、ルイスはひどく悲しくなった……そして、追いたてられるような気分で、その死体の上を飛びこえ、入口をぬけて屋外へ出た。  ゴーグルで増幅されたアーチ光《ライト》は、雲をとおしてさえ煌々と輝いていた。その光に照らされた襲撃者の一団、そして、防禦側の連中もそこにいた。  白いほっそりしたからだと、ブーツや頭巾やシャツの切れ端などをまだ身につけた浅黒いずんぐりした体躯が、ひとりずつペアを組んでいるのだ。どの組も交わるのに夢中で、空中を飛んでくる男のことなど気にもしていない。  だがひとりだけ、相手のないのがいた。ルイスが空中に停止すると、彼女は無造作に上へ手をのばして彼の足首をつかんだ。強く求めてもいないし、おそれてもいない様子だ。銀色の髪、純白の肌、みごとにととのった顔の言語に絶する美しさ。  ルイスは飛行《フライング》ベルトのスイッチを切ると、彼女のそばにドサリと落ち、そのからだを抱きしめた。彼女の両手が、何かを求めるように、彼の異様な着衣の上をまさぐる。  ルイスの手から麻痺銃が落ち、その手が装具チョッキと飛行《フライング》ベルトをはずす──ぎごちない指の動き──耐衝装甲服《インパクト・アーマー》と下着も。そして、優雅とはいいかねる手荒さで彼女を抱きよせる。激情にかられていて、相手の気持など考えていられない。だが彼女のほうも、彼に負けず夢中になっているようだ。  もう頭の中にあるのは、彼女と自分のことだけだった。むろんハミイーが近づいてきたことにも気づかなかった。気づいて愕然としたのは、クジン人がレーザーの握りを、彼の新しい愛人の頭に打ちおろしたときだった。  毛皮の手が、彼女の銀髪の中へ、ふかぶかと鉤爪をくいこませ、グイとその頭をうしろへ引いて、彼女の歯を、ルイス・ウーののど[#「のど」に傍点]から引き離した。 [#改ページ]      15 〈機械人種《マシン・ピープル》〉  風が吹きつけ、ほこりがルイス・ウーの鼻孔に吹きこむ。顔の周囲では髪の毛がハタハタと踊っている。  ルイスは、それを押さえながら目をあけた。周囲の明るさは目もくらむばかりだ。まさぐる手が、首に貼られたプラスティックの絆創膏《パッチ》にふれ、ついで顔を蔽っている望遠ゴーグルをさぐりあてた。それを、引きむしるようにしてはずした。  ひらりところがって、女のからだから離れ、身を起こした。  あたりは薄暗かった。夜明けが近いらしい──明暗境界線《ターミネイター》が世界を光と闇とに二分している。ルイスは全身の筋肉に痛みを感じた。まるで、ぶちのめされたあとみたいだ。しかもそれとおよそうらはらに、気分だけはすばらしかった。というのも、彼はもう長いあいだめったにセックスしたことがなく、あっても電流中毒者《ワイアヘッド》の常として、身のはいらないお座なりのものにすぎなかったからである。それが昨夜の彼は、身も心もそれに奪われつくしていたのだった。  だがこの女は?  背たけはルイスと同じくらいで、かわいいというよりはガッシリした感じだ。胸は平らではないが、ふくよかともいえない。黒い髪を長いおさげ[#「おさげ」に傍点]に編み、あごのまわりにはおよそ不似合いなフサフサした髭を生やしている。  疲れきって眠っているのだが、それが当然ともいえる。ふたりともそうだったのだ。ようやく、昨夜のことが頭にもどってきはじめた。だが、どうもまだ、その記憶には、つじつまの合わない点が多すぎるようだ……。  彼が愛を交わしあって──いや、頭から足の先まで欲情に溺れこんで──いた相手の女の、ほっそりした姿体とくちびるの赤さ。その口に彼の血を見、首筋に刺すような痛みを感じていながら、いま彼に残っているのは、ひどい喪失感ばかりだった。  ハミイーが彼女の頭をひねって首の骨を折ったとき、彼は夢中で泣きわめいた。死んだ女にしがみつく彼を、クジン人は無理やり引きはなした。そして、片腕の中にかかえこんでしまった。それでもまだ必死にもがくルイスの装具チョッキから応急医療セットをひきだして、のどに絆創膏《パッチ》を貼りつけ、セットをもとのところへしまいこんだ。  それからハミイーは、彼らを殺した。  美しい銀髪の男と女ぜんぶをだ。携帯レーザーのまっかな針のような光芒で、正確にひとりずつ頭を射ちぬいていったのである。それをとめようとして、こわれた舗道の上に投げだされ、ゴロゴロころがったおぼえがある。ようやく、よろめきながら立ちあがったとき、ほかにも動く姿があるのを見つけると、彼女のほうへ──防禦側でただひとり生き残っていた黒い髪の女のところへ──近づいていった。そして互いにしっかりと抱きあった。  どうしてそんなことをしたのか? そして、ハミイーが彼を呼んでいた……のではなかったろうか?  闘いにのぞむ虎のような、かん高い雄たけびの声が、まだルイスの耳に残っていた。 「フェロモンだ」と、彼はつぶやいた。「あんなにやさしげな連中が!」  立ちあがり、周囲を見まわすと、全身が総毛立った。まわりじゅう死体だらけだった──首筋に傷を負った色の黒いのと、口から血を吐き、銀髪に黒い焦げ跡のついた白いのと。  銃では防ぎきれなかったのだ。吸血鬼《ヴァンパイア》どもの武器は、タスプよりもたち[#「たち」に傍点]の悪いものだった。彼らは、超強力なフェロモン──人間の嗅覚に訴える性への誘い──を霧のように発散していたのだ。吸血鬼《ヴァンパイア》のひとり、もしくは男女ひと組が塔へたどりつくだけでよかった。たちまち防禦側は、銃も衣服もおっぽりだし、先を争って外へかけだし、そのうちひとりは、階段の手すりをこえて死への墜落までやってのけたのだ。  だがどうして、吸血鬼《ヴァンパイア》どもが死んでしまっても。彼とこの黒髪の女は……?  ルイスの髪を風が揺らした。  そうか[#「そうか」に傍点]。吸血鬼は死んでも、彼と黒髪の女は、まだフェロモンの霧の中にいたのである。だから、狂ったように交わりあい……。 「もし風が出なかったら、まだやりつづけて[#「やりつづけて」に傍点]いたかもしれない。そうか。ところで……カホナ、何もかもどこへ落としちまったんだ?」  耐衝装甲服《インパクト・アーマー》と飛行《フライング》ベルトはすぐ見つかった。下着はズタズタになってしまっていた。  装具チョッキはどこにあるのだろうか?  そのとき彼は、女の目がひらいたのに気づいた。だしぬけに身を起こした彼女の目に浮かんでいるのは、ルイスにもはっきりそれとわかる恐怖の色だ。  彼は呼びかけた。 「装具チョッキに、翻訳機がはいってるんだ。きみが、ハミイーの姿にびっくりして逃げださないうちに、早くあれを──」  ハミイー。その[#「その」に傍点]目に、あの[#「あの」に傍点]一連の成りゆきはどう映ったろうか?  ハミイーの大きな手が、ルイスの頭をつかんでうしろへ引っぱった。ルイスは、身も心もあの女にしがみつき、必死に突きたて……だが、視野いっぱいにオレンジ色の野獣のような顔が迫り、金切り声で侮蔑のことばをわめき立て……まったく気が狂ってしまいそうな[#「気が狂ってしまいそうな」に傍点]……。  ハミイーの姿はどこにも見えなかった。かなり遠くいったところで、ルイスは死んだ吸血鬼《ヴァンパイア》の手に握られていた装具チョッキを見つけた。麻痺銃《スタンナー》は見つからない。  そのころには、ルイスは本当に心配になっていた。いまわしい記憶が徐々によみがえってくる。着陸船《ランダー》をおろした地点に着いたとき、彼は夢中で走っていた。  三人がかりでも持ちあげられそうにないくらいの大きな岩をおもし[#「おもし」に傍点]にして、折り畳まれた黒い超伝導布が、たっぷり残されていた。ハミイーの置きみやげだ。着陸船《ランダー》の姿は、どこにもなかった。  おそかれ早かれこうなるはずだった[#「はずだった」に傍点]んだ、と、ルイスは思った。それならいまそうなって何がわるい[#「何がわるい」に傍点]?  ずっと昔、ある友人に教えてもらったおまじない、悲嘆から立ち直るためのちょっとした秘訣である。それがうまく効くことも、ときにはあった。  かつてはベランダの手すりだったもの──いまでは砂に蔽われた道の上にそれが残っているだけだが──の上に、彼は腰かけていた。耐衝装甲服《インパクト・アーマー》と、ポケットのいっぱいついた装具チョッキは、もう身につけている。広いさびしい世界と自分とを、衣服で隔てたかたちだ。慎しみからではなく、ただ恐怖にかられてのことであった。  それですっかり覇気も萎《な》えてしまった。しょんぼり腰かけた彼の脳裡を、いろんな思いが、とりとめもなくかすめては消えた。  地球から見あげた月くらいも遠いところにあるドラウドのことや、ルイス・ウーを救うためにでもあえて着陸などしそうにないふたつ頭の味方のこと。リングワールドの建設者のことや、彼らのつくった、蚊や吸血こうもり[#「こうもり」に傍点]のようなものはいっさい含まない理想的な生態環境のことなど。  くちびるが、いまにも笑いだしそうなかたちに引きつったが、またすぐに、死人の顔のような、表情ともいえない表情に落ちついた。  ハミイーがどこへいってしまったのか、彼にはわかっていた。それが自分にとって何のプラスにもならないことを思って、彼はまた微笑を浮かべた。そのことを、ハミイーは何かいっていたろうか?  どうでもいいことだ。  生きのびるためにせよ、性的欲求にかられてのことにせよ、あるいは〈至後者《ハインドモースト》〉に復讐するためにせよ、いまハミイーのめざす方向はひとつしかない。しかし、それらの動機のどれかによって、彼がルイス・ウーを救いにもどってくることが考えられるだろうか?  それに、リングワールド上の何兆もの人口が、太陽との接触で絶滅しかけているいま、たったひとりの生命など、およそ取るに足らないものでしかないだろう。  いや、ハミイーがもどってこようとこまいと、ルイスとしてはともかく腰をあげて、あの|浮 遊 都 市《フローティング・シティ》までたどりつく算段をしなければならない。いっしょにそこへ向かっていたのだから。もしハミイーが、何らかの気まぐれで、この情けない味方とより[#「より」に傍点]をもどす気になったとしても、さがしにくるのはそこ[#「そこ」に傍点]だろう。  あるいは、ルイス自身が何か役に立つ情報を手にいれないともかぎらない。あるいは……残されたあと一、二年のあいだ、どこかのかたすみで生きのびることになるかもしれない。どうせいずれはこうなる運命[#「こうなる運命」に傍点]だったんだ。それなら、いまそうなって何がわるい?  叫び声が聞こえた。  あの黒い髪の女だ。もう半ズボンとシャツを身につけ、|背 嚢《バックパック》を背負っている。銃のような武器を腰だめにかまえ、その銃口はピタリとルイス・ウーを狙っていた。もう片方の腕をふって、彼女はまた何か叫んだ。  休暇は終わりだ。  耐衝装甲服《インパクト・アーマー》のフードが首のまわりに畳みこまれたままであることに気づいて、ルイスは愕然とした。もし彼女が、こっちの頭を狙って射ってきたら──いや、たぶんこのフードを顔の上へ引きあげる余裕くらいはあるだろうし、そうなったらもう、射たれようがどうしようが問題ではない。そいつが弾丸を防いでくれるあいだに逃げてしまえばいいのだ。  いま本当に必要なのは、飛行《フライング》ベルトである。いや、それとも……? 「わかったよ」  ルイスはそう答え、微笑しながら両手をひろげてみせた。  いま本当に必要なのは、味方になってくれる相手だった。片手をゆっくりとチョッキのポケットへいれ、翻訳機をとりだすと、のど[#「のど」に傍点]のすぐ下のところにとりつけた。 「こいつがことばをおぼえれば、すぐに話し合えるよ」  彼女は、銃口を動かして合図した──わたしの前に立って歩きなさい[#「前に立って歩きなさい」に傍点]。  ルイスは飛行《フライング》ベルトのところまで歩いていくと、ごく自然にゆっくり身をかがめてそれをひろいあげた。雷のような轟音がとどろいた。ルイス・ウーの足もとから六インチほど離れたところにある石ころが、はじけとんだ。彼はベルトを落としてあとじさりした。  カホナ、彼女はなんにもしゃべろうとしない!  相手には自分のことばが話せないときめこんでしまってる──そういうわけだ。これでは翻訳機も、ことばをおぼえるわけにはいかないじゃないか!  両手を宙にあげたまま彼が見まもる前で、彼女は片手で飛行《フライング》ベルトをいじくりまわしながら、そのあいだも銃口は彼のほうへ向けつづけていた。もし彼女の指がまずいスイッチに触れたら、彼はそのベルトと同時に残された超伝導布もなくしてしまうことになる。だが、やがて彼女はベルトを下におくと、ルイスの表情をじっと見つめ、ついでうしろへさがって身ぶりをしてみせた。  ルイスは飛行《フライング》ベルトをひろいあげた。彼女が自分の車のほうへいくように合図したが、彼は首を横にふると、ハミイーが大きな岩を重しにしておいていった超伝導布──ひろげれば半エーカーぶんくらいになるだろう──のほうへ足を向けた。  銃口に狙われたまま、彼は飛行《フライング》ベルトの帯を岩の周囲にまわして留め、スイッチをいれた。それから両腕で岩──と、辷りどめのためにベルトも──をかかえ、持ちあげた。岩はフワリとあがった。グルリと半回転して手を離す。岩はゆっくりと地上へ漂い落ちた。  彼女の目に現れたのは、讃嘆の色だろうか?  その驚きが向けられているのは彼の技術に対してだろうか、それとも腕力の強さにだろうか?  彼はベルトのスイッチを切り、それと超伝導布とをかかえると、彼女の先に立ってその車のほうへ歩いていった。彼女が片側の両びらきドアをひらいた。彼は手にした荷物をそこにいれながら、内部に目を走らせた。  三方にベンチがついている。床の中央に小さなストーブがおかれ、屋根には煙出しのハッチがある。後部座席のうしろには、ひと山の荷物が積まれていた。前部にもまたひとつ、正面向きの座席《カウチ》が据えられている。  あとじさりに車から出ると、彼は塔のほうへ向きなおり、一歩前へ足を踏みだしながら彼女をふりかえった。それで通じたらしい。彼女はちょっと迷ったようだが、先に立っていくようにという身ぶりをしてみせた。  死体が臭気を放ちはじめていた。彼女はそれを埋めるなり焼くなりしないのだろうかと、彼はいぶかった。しかし彼女は、足をやすめもせず、あいだを縫って歩みつづける。  立ちどまったのはルイスのほうだった。見おぼえのあるひとりの女の銀髪を、指でさぐってみたのである。  髪は思っていたよりずっと多く、その中の頭蓋はひどく小さかった。美しくはあったが、彼女の脳は人間なみではなかったのだ。彼はためいきをついて、さきへ進んだ。  低い建物の残骸をぬけ、塔の螺旋階段に身をのりいれて、下へ向かう彼のうしろに、彼女もついてきた。彼女と同族の男の死体が、メチャメチャになった地階の床に横たわっており、そのそばに携帯レーザーがあった。ふりかえると、女の目に涙があふれているのがみえた。  携帯レーザーに手をのばそうとしたとたん、彼女がその向うの壁に一発射ちこんだ。反跳した弾丸が彼の腰に当たり、彼はふいに硬化した殻の中で思わず身をちぢめた。彼女がレーザーをひろいあげているあいだ、彼は崩れた壁を背にして立っていた。  彼女がスイッチを見つけ、幅広い光芒が周囲にゆれ動いた。やがて焦点調節を見つけたらしく、そのビームがグッと細くなった。彼女はうなずいて、それを自分のポケットにおさめた。  ふたりで乗物のほうへもどる途中、ルイスは、まぶしい太陽をさけるためのような何げない動作で、|耐 衝 服《インパクト・スーツ》のフードを引きあげ、顔を蔽った。彼女はもうルイス・ウーからほしいものはぜんぶとりあげたのかもしれないし、あるいは水不足かもしれないし、彼のいることが気にいらないかもしれないからだ。  彼女は彼を射ちはしなかった。自分だけ車にはいると、キイでドアをロックした。一瞬ルイスは、自分が水も道具もなしで置き去りにされる場面を思い浮かべた。だが、彼女は身ぶりで彼を、右側の窓のところへ招きよせると、そこにある操縦機構を指さしながら、運転のしかたを教えはじめたのである。  これこそルイスの待ちのぞんでいた突破孔だった。彼は、彼女が窓ごしに唱える単語をくりかえしては、それに自分のことばをつけ加えていった。 ハンドル。方向転換。始動装置。キイ。スロットル。逆進スロットル  彼女の身ぶりは抜群だった。片手を空中でサッと動かしながら指で針の動きを示すのが速度計≠ニいうわけである。  やがて翻訳機が反応しはじめると、さすがに彼女もびっくりしたようで、そのあとしばらく、ことばの教えあいがつづいた。ついで彼女は、ドアのロックをはずすと、銃をかまえたままうしろの座席までさがっていった。 「はいって運転しなさい」  騒音のひどい、扱いにくい車だった。道路の凹凸が細大もらさず運転席にまで伝わってき、ようやくルイスは、地表の割れ目や石ころや砂の吹きだまりを迂回していくことをおぼえた。その彼を、女はただ黙然と見つめている。  彼女には好奇心というものがないのだろうか?  だがそのとき彼は、彼女が昨夜、吸血鬼《ヴァンパイア》のため、十人以上の仲間を失っていることに思いあたった。そんな状況を考えにいれれば、彼女は、よくやっているというべきだろう。  やがて、彼女が口をひらいた。 「わたしの名前、ヴァラヴァージリン」 「ぼくは、ルイス・ウーだ」 「あなたの装置、めずらしいわね。しゃべる機械、ものを上げる機械、いろいろ変わる灯火《ライト》──ほかに何かあるの?」 「カホナ、しまった! 眼鏡《アイピース》をおいてきちまったよ」  彼女は自分のポケットから、望遠ゴーグルをひっぱりだした。 「これのことね」  彼女は麻痺銃《スタンナー》も見つけたかもしれない。ルイスはたずねないことにした。 「よかった。かけてごらん。使いかたを教えてあげる」  彼女は笑って首をふった。彼がとびかかってくると思っているのだろう。  彼女はたずねた。 「あんな古い都市で何をしていたの? こんなものを、どこで見つけたの?」 「みんなもとからぼくのものさ。遠い星から持ってきたんだ」 「馬鹿にしないで、ルイス・ウー」  ルイスは正面から彼女を見つめた。 「あの都市を建設した人たちは、こんな道具を持っていたかね?」 「しゃべる機械はあったそうよ。建物を空中に浮かべることができた以上、自分も飛べたでしょうね」 「ぼくの連れを見たろう? あんな[#「あんな」に傍点]のがリングワールドにいると思うかい?」 「怪物みたいだったわね」  彼女の顔が紅潮した。 「でも、ゆっくり見ているひまはなかったわ」  たしかにあのとき、彼女の心はそこになかったはずだ。こん畜生。 「どうしてぼくに銃を向けてるんだ? 砂漠は、ぼくらの共通の敵だぜ。互いに助け合わなきゃならないはずなのに」 「あなたが信用できるかどうか、まだわからないからよ。もしかするとあなたは気が狂ってるんじゃないかと、いま考えているの。星々のあいだを旅することのできるのは、〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉たちだけだわ」 「そうじゃないんだよ」  彼女は肩をすくめた。 「どうしてこんなにゆっくり走らせるの?」 「まだ練習不足だからさ」  しかしルイスは、もうかなり慣れてきていた。道路はまっすぐだし、さほどの悪路でもなく、向うからやってくるものもない。ときどき砂の吹きだまりが道路を横切っていた。ヴァラヴァージリンは、そこで速度をゆるめないようにと注意した。  結局、彼は一応のスピードで、自分の目的地のほうへ向かっているわけだった。 「あの|浮 遊 都 市《フローティング・シティ》のことを教えてくれないか?」と、彼はたずねてみた。 「まだいったことはないわ。あそこには、〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉の子孫が住んでるの。もう建造はしないし、わたしたちを支配してもいないけど、慣習によって、都市は彼らのものなのよ。大勢の人たちがたずねていくわ」 「旅行者かい? つまり、都市を見にいくだけなのか?」  彼女は微笑した。 「それもあるし、ほかの場合もあるわ。招待されないものは、いっちゃいけないの。でも、どうしてそんなことが知りたいの?」 「ぼくはあの|浮 遊 都 市《フローティング・シティ》にいかなきゃならないんだよ。この車で、どこまで連れてってもらえるだろうか?」  彼女はこんどは声をあげて笑いだした。 「あなたが招待されるとは思えないわ。あなたは有名人でも権力者でもないでしょ」 「何か理由は見つかるさ」 「わたしは、リヴァーズ・リターン≠フ学校までいくのよ。こんどの事件を知らせなきゃならないから」 「事件って、あれはどういうことだったんだい? あんな砂漠の中で、きみたちはいったい何をやってたんだ?」  彼女は語りはじめた。  だが、説明は容易ではなかった。翻訳機の語彙にはまだ空白の部分がいっぱいあったからだ。ふたりしてそれを回避したり埋めたりしながら、話は少しずつ進んでいった。 〈機械人種《マシン・ピープル》〉は、強大な帝国を支配していた。  伝統的に、帝国《エンパイア》とは、なかば独立した王国《キングダム》の集合体にほかならない。種々雑多な王国が、帝国政府に朝貢し、戦争や、無法集団の討伐や、通信の維持や、またときには宗教の公認などについて、その命令に従う。ほかの点では、各王国それぞれの慣習に則った生活が守られるわけである。 〈機械帝国《マシン・エンパイア》〉内の状況も、まさにそれだった。例えば、家畜を飼う肉食の種族の生活は、〈草食人種《グラス・ピープル》〉の生活と競合している。ただし、その革細工の製品を扱う交易商人たちの役には立っている。|屍肉食い《グール》の生活とはまったく無関係だ。多くの種族が共同生活を営んでいる地区もある。どの種族も|屍肉食い《グール》には自由な通行を許している。各種族とも、それぞれのそうした習慣に従っているのは、はじめからそのようにきまっているからである。  |屍肉食い《グール》というのは、ルイス・ウーが勝手につけた名前だった。ヴァラヴァージリンのことばを直訳すれば、〈夜行人種《ナイト・ピープル》〉というような意味になる。廃物あつめと葬儀屋を兼ねた種族で、ヴァラヴァージリンが死者を埋めなかったのもそのためだった。|屍肉食い《グール》にも言語がある。各地の宗教に則って葬儀をとり行なうように教えて、やらせることもできる。 〈機械人種《マシン・ピープル》〉にとって、彼らは大切な情報屋でもあった。いい伝えによると、〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉が支配していたころ、彼らは、〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉に対しても同じ役割を果たしていたものらしい。  ヴァラヴァージリンのことばによると、〈機械帝国《マシン・エンパイア》〉は一種の商業帝国で、財政は通商課税だけで支えられているという。しかし、彼女の話が進めば進むほど、状況がそう単純には割りきれないことにルイスは気づいた。  各王国は、能力に応じて、帝国をひとつにまとめている道路網の保守に責任を負っている。ただし、(例えば)樹上に住む〈|ぶらさがり人種《ハンギング・ピープル》〉などは別である。その道路はまた、ちがった亜人種の領域間の境界線でもあり、道路をこえる侵略戦争は禁止されている。だから道路は、そこに存在するだけで、戦争防止の役に立つ(こともある)というわけだ。  帝国は、無法集団や盗賊に対抗する軍隊を維持するための徴兵権を持っている。通商居留地用に帝国が徴用する大きな地域は、ややもすると、そのまま植民地になってしまうことが多い。  道路網と乗物で帝国をひとつに結びつけておくため、各王国はつねに、化学燃料を精製して使えるようにしておかなければならない。帝国はまた鉱山を買いあげ(強制収用するのだろうか?)、その鉱石を掘り、帝国の仕様どおりに機械類を生産する権益を|賃貸し《リース》している。  貿易業者を養成する学校もある。ヴァラヴァージリンの一行は、リヴァーズ・リターン≠ノあるその種の学校の学生たちと教師がひとりだった。彼らは、森林地の〈|ぶらさがり人種《ハンギング・ピープル》〉──どうやら木の実や乾した果物を交易する手長猿みたいな種族らしい──と、革製品や手工芸品を商う肉食の〈牧畜者《ハーダー》〉(いや、あの小柄な赤色人とはべつの種族だ)の境界にある交易センターの実地見学に出かけたのだが、その途中で寄り道をして、砂漠の古代都市の遺跡を訪れたのである。  吸血鬼《ヴァンパイア》がいることなど、誰も考えてもいなかった。あの砂漠の中で、吸血鬼《ヴァンパイア》どもは、どうやって水を手にいれていたのだろうか? どうして生きていたのだろうか? 吸血鬼《ヴァンパイア》は、すでにほとんど根絶やしにされたはずなのだ。ただし──。 「ただし、何だい? どうもよくわからなかったけど」  ヴァラヴァージリンの頬に血がのぼった。 「年寄りの中には、歯を抜いた吸血鬼《ヴァンパイア》を、その──リシャスラのために飼ってる人がいるの。それがこんな結果を招いたんだと思うわ。飼われていたつがい[#「つがい」に傍点]が逃げだしたか、あるいは妊娠した女かもね」 「胸くそのわるい話だな、ヴァラ」 「そうね」  冷静な口調だった。 「これまで、吸血鬼《ヴァンパイア》を飼ってることを自分で認めた人はひとりもいないわ。でも、あなたの故郷には、誰もが恥ずかしく思うようなことをする人の話はないの?」  まぐれにしては痛い指摘だった。 「いつか、電流中毒のことを話そう。いまはだめだ」  彼女は、かまえた武器の銃口ごしに、彼をじっと見つめている。あごのまわりに黒い髭が生えてはいるが、その顔は、まことに人間的にみえた……だが、横幅はかなり広い。完全な正方形に近い輪郭の顔である。  その表情を読むのは、ルイスにはむずかしかった。むしろ当然だともいえる。人間の顔は、信号を送る装置として進化してきたもので、彼女の進化の方向は彼と大きく離れてしまっているのだから。  彼はたずねてみた。 「着いたらどうするんだい?」 「みんなが殺されたことを報告しなければ……それから、砂漠の郡市にあった機械装置を渡すわ。〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉の機械には、政府から賞金が出るのよ」 「もう一度いうが、あれはぼくのものなんだぜ」 「運転しなさい」  砂漠のあちこちに緑の茂みが現れはじめ、やがて|遮 光 板《シャドウ・スクエア》が太陽をかくしだすころ、ヴァラヴァージリンは車を停めるように命じた。彼は喜んでそれに従った。道路からガタガタ伝わってくる振動と、車を進路にのせていくいつ果てるともない労働で、すっかり疲れきっていたのだ。  ヴァラがいった。 「食事の──しなさい」  翻訳機の空白には、ふたりとも慣れっこになっていた。 「いまのことば、わからなかったんだがね」 「食べものを熱して、食べられるようにしなさい。ルイス──できないの?」 「料理か」  滑性フライパンや電子レンジなど、ここにはありそうにないが、どうだろうか? それに、計量カップや、精製シュガーや、パターや、彼にも見分けられる香辛料なども──。 「できないね」 「じゃ、料理はわたしがするわ。あなたには火を起こしてもらう。あなたは何が食べられるの?」 「肉、ある種の植物、果物、卵、魚。果物なら料理しないでも食べられる」 「魚のほかは、わたしたちと同じね。いいでしょう。外へ出て、待っていて」  彼女は彼を車から締めだすと、後部へ這いこんでいった。  ルイスは痛む筋肉をもみほぐした。頭上の太陽は、ギラギラと輝く銀色で、まだ直接見るのは危険なくらいだったが、砂漠の眺めは暗さを増していった。反回転方向《アンチスピンワード》に、幅広い帯のような世界の景観が明るく輝いている。いまこの付近を取り巻いているのは、褐色の藪と、高い干からびた樹木の一群だ。一本の樹は白く枯れているようにみえた。  彼女が車の後部からもがき出てくると、ルイスの足もとに何か重いものをほうってよこした。 「木を切って、火を起こすのよ」  ルイスはそれをひろいあげた──長い木の棒の一端に、粗末な鉄のくさび[#「くさび」に傍点]をとりつけたものだ。 「お恥ずかしいけれど、これはいったい何だい?」  彼女はその名前を口にした。 「その鋭いほうの縁《へり》を木の幹に、何度でも木が倒れるまで叩きつけるのよ。わかって?」 「斧か」  ルイスは、クジンの博物館で見た戦斧《いくさおの》を思いだした。彼は斧を見つめ、それから、枯木のほうへ目を向け……ふいに、うんざりしてしまった。 「もう暗いぜ」 「夜は目が見えないの? ほら」  彼女は、携帯レーザーを彼に投げてよこした。 「あの枯木でいいかね?」  ふり向いて横顔をみせる彼女、それといっしょに、銃も横を向いた。ルイスは光線を細いビームに、強度を最高に合わせて、スイッチをいれた。  彼女をかすめて走る一条のまばゆい光。  ルイスはそれを彼女の武器に当てた。武器は炎を吹いてまっぷたつになった。彼女はポカンと口をあけ、両手それぞれに武器の残骸を持ったまま立ちすくんだ。 「友人や味方の提案なら、文句なしに喜んで受けいれるほうなんだがね」と、彼女に向かって、いいきかせるように、彼はいった。「でも、命令されるのはまっぴらだ。あの毛皮の戦友からも、いやというほど命令されてたんだ。もう友だち同士になろうじゃないか」  彼女は、持っていたものを下に落とすと、両手をあげた。 「あの車の後部にゃ、弾丸も銃も、まだあるはずだ。自分で取ってくるがいい」  そして背を向けると、ビームをジグザグに走らせて、枯木をバラバラに伐り倒した。一ダースもの丸太が、燃えながら地上に落ちる。そこへ近づくと、その丸太を蹴って、切株のまわりに績みあげた。そのまん中にレーザーを向け、炎があがるのを見つめる。  肩甲骨のあいだに何かが当たった。  一瞬のあいだ、|耐 衝 服《インパクト・スーツ》が硬化した。聞こえた銃声は、一発だけだった。  ルイスはちょっと待ってみたが、二発目はこなかった。彼はやおら向きなおり、乗物のそばにいるヴァラのほうへ歩みよると、彼女に向かっていった。 「いいか、絶対に、二度と、こんなことをするんじゃないぞ」  彼女はまっさおになり、おびえあがっていた。 「はい。もうしません」 「料理の品物を運ぶのを手伝おうか?」 「いいえ、わたしひとりでできますから……狙いがはずれたんでしょうか?」 「いいや」 「それじゃ、いったいどうして[#「いったいどうして」に傍点]?」 「ぼくの道具が守ってくれたのさ。光が一ファランのあいだに進む距離の一千倍も遠いところから持ってきた、ぼくの道具[#「ぼくの道具」に傍点]がね」  彼女は両腕で羽ばたくようなしぐさをすると、背を向けた。 [#改ページ]      16 交 換 条 件  緑と黄色の縞もようのソーセージをいっぱいつないだような植物が、地面に沿って生え、そのつなぎ目から小さな根をおろしている。ヴァラヴァージリンはそのいくつかをうすく切って鍋にいれた。そこに水を加え、車に積んであった袋から豆のさやを少しばかり出していれた。その鍋を、燃えあがる丸太の上にかける。  カホナ、そのくらいの料理ならルイスにだってできたんだ。食事というには、ひどくお粗末なものになりそうだった。  もう日はとっぷりと暮れている。左舷よりに浮かぶギッシリつまった星団は、|浮 遊 都 市《フローティング・シティ》の灯火にちがいない。黒い空には、青と白の横縞に区切られた〈アーチ〉がそそり立っている。ルイスは何か途方もなく大きなおもちゃ[#「おもちゃ」に傍点]の上にいるような気分になった。 「肉があるとよかったんだけど」ヴァラがいった。  ルイスが応える。 「ゴーグルをくれ」  焚火から顔をそらして、ゴーグルをかける。光景増幅のダイアルをまわしていくと、焚火の明かりのとどかないところからこっちをうかがっている何対かの目玉の正体がわかった。むやみに撃たなくてよかった。ふたつの大きな姿とそれより小さなひとつ──それは、|屍肉食い《グール》の一家だった。  しかし、いま一対の光る目の持主は、もっと小さく、毛皮に蔽われている。ルイスは、携帯レーザーの長い光条で、そいつの首を切りおとした。|屍肉食い《グール》がひるんだようだ。何かささやきかわしている。女らしいのが死体のほうへ向かいかけたが、途中でとまって、ルイスに先をゆずった。彼が死体をひろいあげながらみると、女はゴソゴソと後退していくところだった。  他の人種とくらべるとかなり異質な存在だが、生態環境での|屍肉食い《グール》の地位は、ごく安定しているようだ。ヴァラは、人びとがわざわざ死体を埋めたり火葬しようとするとどうなるかを話してくれた。|屍肉食い《グール》は生きている人びとでも襲うのである。彼らは夜の支配者なのだ。各地の何十もの信仰からよせあつめた魔法で、姿を見えなくすることができるともいわれる。ヴァラさえもそれを半分信じているみたいだった。  しかし、いま彼らは、ルイスの邪魔をしようとはしなかった。当然だろう。ルイスはその獣を食べるはずだし、そのルイス自身もいつかは死ぬだろう。そのとき|屍肉食い《グール》は権利を主張できるわけである。  彼らの見まもる中で、ルイスはその獣をしらべた──兎に似ているが、長くて先端のひらたい尾があり、前脚はまったくない。  亜人種じゃない。結構。  そしてふと視線をあげたとき、左舷のはるか遠くで、かすかに董色の炎があがっているのが目にとまった。  かたずをのみ、じっと身動きもしないままで、ルイスはゴーグルの光量と倍率の両方をあげていった。しまいには、こめかみに伝わってくる鼓動ですら視野をゆらめかせるほどになったが、その炎の正体はもうわかっていた。  増幅されたその光輝は、目を痛めるほどの菫色で、あたかも真空中のロケット噴射のように扇形にひろがっている。その下端は黒い直線で断ち切られている。──左舷《ボート》側の外壁の上線である。  彼はゴーグルをずりあげた。せいいっぱい瞳をこらしても、その菫色の炎は見えるか見えないかだが、そこにあることはまちがいない。かすかな……しかし途方もなく大きな炎だ。  ルイスは焚火のところへもどり、獣の死体をヴァラの足もとに落とした。それから、|右 舷《スターボード》側の闇の中へ歩み出ると、ふたたびゴーグルをかけた。  |右 舷《スターボード》側の炎は、左舷《ボート》側のよりずっと大きく見えたが、それはもちろんこっちの外壁のほうがはるかに近いせいである。  ヴァラは、あの獣の毛皮を剥ぐと、内臓をぬきもせずに鍋の中へほうりこんだ。それが終わるのを待って、ルイスは彼女の腕をとると、暗い中へ連れだした。 「ちょっとこのままいて、ずっと向うに青い火が見えたら教えてくれ」 「ええ、見えます」 「何だか知ってるかい?」 「いいえ、でも、父なら知ってると思う。この前、都市から戻ったとき、何か話したくないことがあるみたいだったから。もっといくつもあるのよ。回転方向《スピンワード》の、〈アーチ〉の根もとのほうへ目を向けてごらんなさい」  陽をうけた青と白の横縞のまぶしさは、思わず目を細めたくなるほどだった。ルイスは手のひらをかざしてその光輝をさえぎり……そしてさらにゴーグルを増幅して、彼は〈アーチ〉の縁にふたつの小さなともし火を、またその上方にふたつ、もっと小さいのを、見つけることができた。  ヴァラヴァージリンがいう。 「最初は七ファラン前、回転方向《スピンワード》のアーチの根もとに現れたの。それからもっといくつも回転方向《スピンワード》に、そのあと左舷《ボート》と|右 舷《スターボード》にあの大きなのが、そしてさらに反回転方向《アンチスピンワード》に小さいのがね。いまでは二十一個あるのよ。見えるのは毎回二日間、太陽がいちばん明るい時期だけね」  ルースは嵐のような安堵の息をもらした。 「ルイス、あなたがそうするのはどういう意味なの? 怒ったのかこわいのか安心したのか、わからないんだけど」 「ぼくにもわからん。まあ、安心したんだってことにしとこう。これで思ったより時間の余裕ができたわけだ」 「何をする時間の?」  ルイスは笑いだした。 「それをきくにゃ、まだきみは正気すぎるんじゃないかな?」  彼女はツンと顔をあげた。 「だって、信じるか信じないかは、わたしの勝手よ!」  ルイスは自制を失った。ヴァラヴァージリンを憎んだわけではないが、彼女の態度がひどくとげとげしかったからだ。一度は彼を殺そうとした女でもあった。 「いいだろう。もし、きみらの住んでるこの輪形の構築物を、このままほうっておいたら、やがて六、七ファランのうちには、|遮 光 板《シャドウ・スクエア》──夜になると太陽をかくすあれ──をかすりはじめるんだ。それであらゆる生きものは死に絶える。太陽そのものをこすりはじめるころには、もう誰も生き残っては──」  彼女が金切り声をあげた。 「それで安心したっていうの[#「安心したっていうの」に傍点]!」 「まあ、まあ落ちつけったら。リングワールドは、ほったらかされてるわけじゃない。あの炎は、これを動かすためのモーターなんだよ。ぼくらのいるあたりがいま太陽にいちばん近づいてるんで、制動用の推力を──つまり、内側へ、太陽の方向へと噴射してるわけだ。こんなふうにね」  彼は地面の上に、先のとがった棒で図を描いてみせた。 「わかるかい? あの炎が、押しもどそうとしてるわけだよ」 「じゃ、もう死ぬ心配はないのね?」 「モーターの強さが充分じゃないかもしれないね。しかしとにかく、押しもどす力にはなる。十か十五ファランくらいの余裕はできるだろう」 「あなたが狂ってるんだと思いたいわ、ルイス。でも、それにしては、いろんなことを知りすぎてる。この世界が輪のかたちをしてるってことも、秘密なのに」  何か重いものを動かそうとでもするかのように、力をこめて肩をすくめると、彼女はつづけた。 「でも、そんな話はもうたくさん。それよりどうしてまだ、リシャスラをしようっていわないの?」  ふい打ちだった。 「ああ、こんなときにリシャスラなんてもうたくさんだろうって気がした──からかもしれないね」 「そんなことって! リシャスラは、休戦を確実にするためのものなのに!」 「ああ、わかったよ。焚火のところへもどろうか?」 「もちろんよ、明かりが要るもの」  彼女は鍋を少しばかり火から遠ざけ、ゆっくり煮えるようにした。 「休戦の条件を話し合わなくちゃ。わたしに危害を加えないと約束してくださる?」  焚火の、ルイスと反対側の地面に、彼女は腰をおろした。 「きみが襲いかからないかぎり、危害を加えないと約束するよ」 「わたしも同じ約束をするわ。ほかに何か要望はない?」  きびきびして現実的な彼女の話しぶりにひかれて、ルイスも率直に本題にはいった。 「きみに差しつかえないかぎり、いけるところまでぼくを乗せていってほしい。そのリヴァーズ・リターン≠ワでいけるとありがたいね。この装置類は、ぼくのものと認めてくれよ。それらもぼくも、官憲に引き渡したりはしないようにね。それから、ぼくがあの浮かぶ都市へはいれるように、きみの知識と知恵をしぼって助言してほしい」 「お返しには何をくれるの?」  いまのところ、この女の生殺与奪は、ルイス・ウーに握られているのではなかったか? いや、まあいいだろう。 「リングワールドを救えるかどうか、やってみる」  そういうと同時に、それがまぎれもない自分の本音であることに気づいて、彼はいささかびっくりした。 「救えるようなら、あらゆる犠牲を払っても実行する。もし救えないとわかったら、自分の生命を、そしてできればきみの生命も救う努力をするよ」  彼女は立ちあがった。 「中身の何もない約束ね。自分の妄想を、まるで本当みたいにわたしに押しつけてるだけじゃないの!」 「ヴァラ、きみはこれまで、気ちがいと取り引きしたことはないのかい?」  ルイスはこの会話を楽しみはじめていた。 「正気の異星人とだって、取り引きしたことなんかないわ! まだ学生なんですからね!」 「まあまあお静かに。ほかに何があげられるかな? 知識かい? ぼくの知ってることなら、いくらでも教えてあげるよ。〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉の機械がどうしてだめになったのか、それが誰のしわざなのかも、ぼくは知ってるんだがね」 〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉は、ハールロプリララーの種族だと考えておくのが、このさい順当だろう。 「それだって妄想じゃないの?」 「そいつはきみ自身で判断しなきゃ。それから……飛行《フライング》ベルトと眼鏡《アイピース》は、用がすんだらきみにあげよう」 「それは、いつのことかしら?」 「ぼくの仲間がもどってきたらだ」  着陸船《ランダー》には、もうひと組、ハールロプリララー用の飛行《フライング》ベルトとゴーグルがある。 「あるいは、ぼくが死んだら持っていっていい。それから、いま、ぼくの持ってる布を半分あげよう。あれを細く切ったやつで、〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉の古い機械装置がなおせるかもしれないんだ」  ヴァラはひと思案したすえにいった。 「もっと取引きのしかたを勉強しときゃよかった。いいわ、あなたの要求をぜんぶ承知します」 「ぼくもそうするよ」  彼女は、衣服と装身具をはずしはじめた。ゆっくりと、挑発するように……彼女の動作の意味するものに、ようやくルイスも気づいた──武器になりうるあらゆるものを取り去るところを見せているのだった。  彼女がすっかり裸になるのを待って、彼もその真似をした。携帯レーザーとゴーグルと耐衝装甲服《インパクト・アーマー》の各部分を彼女の手のとどかないあたりへ投げだし、時計まではずしてその山に加えた。  それからふたりは愛しあったが、それは愛などといえるものではなかった。昨夜の狂おしさは吸血鬼《ヴァンパイア》とともに消えうせていた。彼女はルイスの好きな体位をたずね、どうしてもというので、彼は正常位をえらんだ。しかしそれは、ただかたくるしいばかりだった。当然のなりゆきともいえよう。  ことが終わって、彼女が鍋をかきまわしにいったときも、彼は彼女を自分と武器とのあいだに割りこませないよう気をくばっていた。何となくそういった状況だったのだ。  彼女がそばへもどってきたとき、彼は、自分の種族は何度もつづけて愛を交わすことができるのだと説明した。  彼があぐらをかいて、ヴァラをその上に抱き、彼女は両脚を彼の腰にしっかりまきつけた。互いに愛撫しあい、刺激しあい、教えあった。彼女は背中を掻かれるのを喜んだが、その背中はガッシリと筋肉質で、胴まわりは彼のより太かった。一本に編まれた髪が、背筋にそって腰まで垂れている。ヴァギナの筋肉のコントロールは絶妙だった。あごのまわりのフサフサした髭が、とてもやわらかく、とても繊細だ。  そして、ルイス・ウーの頭頂の髪の下にある、プラスティックの円盤《ディスク》──。  腕をまわしあったまま横になると、彼女は彼の説明を待ちうけた。 「きみたちが電気を持っていないとしても、知ってはいるはずだ」と、ルイスはロをひらいた。「〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉が機械を動かすのに使っていたからね」 「ええ。わたしたちも、川の流れを利用して電気を起こしてるわ。〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉が没落する前には、限りない電気が空からきていたっていういい伝えもあるし」  まさしくそのとおりだったのだ。|遮 光 板《シャドウ・スクエア》に太陽発電機が設置されており、そこからリングワールド上の集力装置へ、ビーム送電がおこなわれていたのである。当然その集力装置には超電導ケーブルが使われており、従って当然だめになってしまったわけだ。 「よし、そこでだ。いまもしごく細い電線を、脳の中の一定の位置にさしこんでおくと──ぼくのこいつはそれだが──ごく弱い電気を流して、喜びを感じる神経をくすぐってやることができる」 「どんな気分なの?」 「吐き気やめまい[#「めまい」に傍点]ぬきで酔っぱらってるようなものかな。あるいは、自分以外の誰も愛する必要のないリシャスラ、ないしはほんものの交わりとも似てる。しかし、もうやめちまったよ」 「なぜ?」 「ある異星人に、電源をとりあげられてね。やつはぼくにあれこれ指図しようとしたんだ。でも、それ以前からぼくは、やめなければと思っていた」 「〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉は、頭の中に電線をいれたりしてなかったわ。もしそうだったら、都市の廃墟を調査したとき、見つけたはずだから。でもそれ、いったいどこの習慣なの?」と、彼女はたずねた。  ついでゴロリところがって彼から離れると、おびえたように彼をじっと見つめた。  まったくいつもながら、後悔先に立たず──どうしてこう口が軽いんだろう。 「ごめんよ」  そういうしかない。 「あの布を細く切ればなんとかっていってたわわ──あの布、いったい何なの[#「いったい何なの」に傍点]?」 「あれは、電流と磁場を、途中の損失《ロス》なしで伝えるんだ。|超 伝 導 体《スーパーコンダクター》、そう呼ばれてる」 「そうよ、それのせいで〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉は没落したのよ。その……|超 伝 導 体《スーパーコンダクター》が腐っちゃって。でも、あの布だって腐るでしょ? どのくらい保《も》つかしらね?」 「腐らない。種類がちがうんだ」  彼女は金切り声をあげた。 「どうして[#「どうして」に傍点]そんなことがわかるの、ルイス・ウー!」 「〈至後者《ハインドモースト》〉がそういったんだよ。〈至後者《ハインドモースト》〉ってのは、ぼくらを無理やりここへつれてきた異星人だ。うちへ帰れないようにしてね」 「その〈至後者《ハインドモースト》〉っていうひとがあなたを奴隷にしたわけ?」 「そうしようとしたんだ。人間と、クジン人と──どっちも奴隷向きじゃないのに」 「良い目的のため?」  ルイスは顔をしかめた。 「いいや。それから、その超伝導体の布と糸は、彼が故郷を逃げだすときに持ちだしてきたものだ。つくる時間はなかったはずだ。どこにしまってあるか知ってたんだろう。|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》にしても同じさ──すぐ持ちだせるところにあったんだ」  ここで、ふいに彼は、何かまずいことが起こったのを知ったが、それが何なのか気づくのには、ちょっと時間がかかった。  翻訳機が、フッツリと話すのをやめてしまっていたのである。ついで、そこからまったく別の声が話しかけた。 「ルイス、そういうことを彼女に話すのが、賢明なことでしょうか?」 「一部はもう、知られてたんだぞ」と、ルイス。「彼女は〈都市の墜落〉がぼく[#「ぼく」に傍点]のせいみたいに思いはじめてる。早く翻訳機をもとにもどしてくれ」 「あなたの邪推を、わたしが許せると思うのですか? なぜわたしの種族が、そのような敵対行動をするというのですか?」 「邪推だと? 笑わせるな、このくそったれ」  ヴァラが膝を立てた中腰のまま大きく目を見ひらき、わけのわからないひとりごとをしゃべり散らす彼を見つめている。彼のイアフォンから出る〈至後者《ハインドモースト》〉の声は、彼女に聞こえないのだ.  ルイスはつづけた。 「あんたは、〈至後者《ハインドモースト》〉の地位を追われて逃げだしたんだろうが。持てるだけのものを持ってな。|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》と超伝導体の布と糸と、それに船とだ。円盤《ディスク》のほうは簡単だ。何百万個もつくってただろうからね。しかし、どうして超伝導布なんてものが、ちょうどうまく用意されていたんだ? おまけにあんたは、それがリングワールドでも腐らないってことを知ってた[#「知ってた」に傍点]んだぞ!」 「ルイス、どうしてわたしの種族が、そういうこと[#「そういうこと」に傍点]をするわけがあるのです?」 「通商を有利にもっていくためさ。さあ、翻訳機を返せ!」  ヴァラヴァージリンが立ちあがった。鍋を少し火から遠ざけ、かきまわし、味をみる。ついで車のほうへ姿を消すと、やがて木の椀をふたつ持ってもどり、ひしゃくで汁をよそった。  不安の中で、ルイスは待った。〈至後者《ハインドモースト》〉は、翻訳機を使えなくしたまま彼を置き去りにすることもできるのである。語学は苦手だし……。 「わかりました、ルイス。もともとそういう計画ではなく、またそれはわたしの時代よりも前のことでした。わたしたちは、最小の危険で、できるかぎり居住地域をひろげる道を求めていました。そのとき、アウトサイダー人が、リングワールドの位置座標を、わたしたちに売りました」  アウトサイダー人は、重光速宇宙船で銀河系全域を放浪している低温のひよわ[#「ひよわ」に傍点]な生物だ。彼らは知識の交易屋である。リングワールドのことを知っていて、それをパペッティア人に売ったというのは、うなずける話だ。  だが……。 「ちょい待ち。パペッティア人は宇宙へなどこわくて出られないはずだぜ」 「その恐怖は、なんとかできます。もしもリングワールドが最適の居住世界であるなら、各人一生に一度の宇宙飛行の危険など、ものの数ではありません。もちろん、停滞状態《ステイシス》で飛べばいいわけです。アウトサイダー人の教えてくれたことと、わたしたちが望遠鏡と自動探査機によって知ったことに関するかぎり、リングワールドは理想的なもののように思えました。そこで、調査にかかることになりました」 「実験党がやったわけだな?」 「もちろんです。しかし、かくも強力な文明と接触することには、まだためらいがありました。そこで、レーザー分光学により、リングワールドの超伝導物質を分析しました。そして、それを食う細菌をつくりだしました。探査機がその細菌をリングワールド全土に撒布しました。そこまではもう推測していたでしょうね?」 「ああ、そこまではな」 「わたしたちは、そのあとから貿易船団を送る予定でした。ちょうどうまい時期に、救助の手をさしのべるわけです。それでこっちの知りたいことはぜんぶわかり、盟友が得られるはずでした」  パペッティア人の澄みきった音楽的な声には、やさしさのかけらもなく、気おくれの影すらない。  ヴァラが椀を地上におろし、彼の真向かいで片膝を立てた。顔がちょうど影になっている。彼女にしてみれば、翻訳が中断するのに、あれよりひどい[#「ひどい」に傍点]時期はなかったろう。  ルイスがいった。 「そうか、そのとき保守党が選挙に勝ったわけだな」 「止むをえない面もありました。探査機の一基が、姿勢制御ジェットを発見したのです。もちろん、リングワールドの不安定なことはわかっていましたが、何かもっと巧妙な処理法があるはずだと考えられていたのです。その写真が公開されると、政府は倒れました。それきりわたしたちは、リングワールドへもどる機会がなく、やっと──」 「いつだ? いつ細菌をまいたんだ?」 「地球時間で千百四十年前です。保守党の支配は六百年間つづきました。そのあと、クジン人の脅威のため、実験党が政権の座に帰り咲きました。時期を見はからって、わたしはネサスの率いる一隊をリングワールドに派遣しました。保守に当たっている文明が崩壊したのち千百年間も生きのびてきた以上、その機構は調査の価値があります。貿易と救助の船団を送るべきかもしれないと思ったからです。不幸にして──」  ヴァラヴァージリンが膝の上にのせた携帯レーザーの筒先が、ルイス・ウーに狙いをつけていた。 「──不幸にして、この構築物は損傷をうけていました。あなたたちも見た隕石の孔や、浸蝕されてスクライスの露出したあの眺め。いまやそれは──」 「緊急事態だ。緊急事態だ」  ルイスは、声を平静にたもつようつとめた。  どうして彼女にあんなことができたのか? あそこにしゃがんだときは、湯気のたつお椀を両手に持っていたのに。あれ[#「あれ」に傍点]は背中にテープでとめていたのだろうか?  どうでもいいことだ。少なくとも、いままでは射たなかったのだから。 「聞いています」と、〈至後者《ハインドモースト》〉。 「携帯レーザーを、遠隔操作で不発にできないか?」 「もっといい方法があります。ここからそれを爆発させて、持っているものを殺せるのです」 「カホナ。ただスイッチを切ることはできないんだね?」 「はい」 「じゃ、翻訳機の機能をいますぐもどしてくれ。ああ、いま試験中──」  翻訳機が〈機械人種《マシン・ピープル》〉のことばを話しはじめた。  ヴァラが即座に答えた。 「いったい誰に、それとも何に話しかけていたの?」 「〈至後者《ハインドモースト》〉にだ。ぼくをここへよこしたやつだよ。ところで、まだきみは襲いかかってきていないと考えていいのかな?」  彼女はしばしためらいを見せ、そして答えた。 「ええ」 「だったら、さっきの約束はまだ効力があるし、ぼくはいまもこの世界を救うためのデータを、あつめつづけているんだよ。疑う理由があるのかい?」  暖い夜だったが、ルイスは自分が素裸でいることを身にしみて感じた。携帯レーザーの黒い筒先は、黒いままだった。  ヴァラがたずねる。 「その〈至後者《ハインドモースト》〉の種族が、〈都市の墜落〉をひき起こしたのね?」 「そうだ」 「縁を切りなさい」ヴァラが命じた。 「ぼくらのデータ収集装置の大部分は、彼のところにあるんだ」  ヴァラは考えこみ、ルイスもじっと動かなかった。彼女のすぐうしろの闇の中で、二対の目が光っている。|屍肉食い《グール》どもの地獄耳は、このやりとりをどれだけ聞きとり、どれだけ理解しているのだろうかと、ルイスは考えていた。 「それじゃ、話をつづけなさい。でもわたしにも彼のいうことがわかるように」と、ヴァラ。「わたしはまだ、声もきいていないのよ。もしかすると、〈至後者《ハインドモースト》〉だって、あなたの想像の産物かもしれない」 「〈至後者《ハインドモースト》〉、聞いたかい?」 「聞きました」  ルイスのイアフォンは|共 通 語《インターワールド》を話したが、のど[#「のど」に傍点]のところにつけた翻訳機はヴァラヴァージリンのことばでしゃべった。申しぶんない。 「その女との約束も聞きました。この構築物を安定させる方法が見つけだせるなら、そうするように」 「そうするよ。あんたたちだって、あいた土地が使えるだろう」 「わたしの装備を使ってリングワールドを安定させるなら、そのことは保証してほしいですね。ほかにも代償を要求していいところです」  ヴァラヴァージリンがいがみ声をあげ、出かかったことばをのみこんだ。  ルイスが急いで答えた。 「ふさわしいだけの保証はするよ」 「被害をうけた千百年後に、リングワールドへ救援を送ろうとしたのは、わたしの率いる政府でした。そのことをはっきりさせておくように」 「ある意味では、そのとおりだな」  ルイスの答えは、ヴァラに聞かせるためだった。彼女に向かって、彼はいった。 「ぼくらの約束によれば、きみの持ってるそいつは、ぼくのもののはずだがね」  彼女は携帯レーザーを、ポンと投げ返してよこした。それを傍らにおくと同時に、彼は安堵と、疲労と、空腹とで、全身の力がぬけていくのを感じた。  しかし時間がない[#「時間がない」に傍点]。 「〈至後者《ハインドモースト》〉、姿勢制御ジェットについて、わかったことを話してくれ」 「外壁の上の、パサード式ラムジェットの支柱は、三百万マイルおきに規則ただしくついています。左右の外壁それぞれに二百基ずつあることになります。作動するさいには、それぞれが半径四、五千マイル内の太陽風をあつめ、電磁的に圧縮して核融合を起こさせ、ロケットのように、制動をかける方向に噴射するのでしょう」 「ここからも、いくつか噴射してるのが見えるよ。ヴァラの話だと……二十一基だっけ?」  ヴァラがうなずく。 「つまり、九十五パーセントがなくなっちまってるってことだ。くそっ」 「そのようですね。あのあと四十基の立体写真《ホロ》をとりましたが、ぜんぶからっぽでした。ジェットがぜんぶ噴射したときの推力を計算しましょうか?」 「たのむ」 「この構築物をもとにもどせるだけのジェットは残っていないと思います」 「ああ」 「リングワールドの建設者が、これと別個に作動する安定装置をつけた可能性は?」  パク人のプロテクターが、そんなことを考えたとは思えない。  そうではないか?  彼らは、何でも即席にやってのける自分たちの能力を過信する傾向があった。 「ないと思うけど、さがしてみよう。〈至後者《ハインドモースト》〉、ぼくは腹がすいてるし、眠いんだ」 「ほかに話したいことはありませんか?」 「姿勢制御ジェットをもっと研究してくれ。作動原理をしらべて推力を出すんだ」 「そうします」 「それから、|浮 遊 都 市《フローティング・シティ》と連絡がとれるかどうか、やってみてほしい。彼らに──」 「ルイス、外壁をとおして通信することはできないのですよ」  もちろんそうだ。あれは〈スクライス〉そのものなんだから。 「船を動かせばいい」 「安全とはいえません」 「探査機を使ったらどうだ?」 「いま出している探査機は、もう遠すぎて、全波長は使えません」それから、いかにも気のり薄な口調でつづけた。「もう一基を使って連絡することはできますね。いずれにせよ、燃料補給のためには、外壁をこえさせなければならないのですから」 「ようし。まず外壁の上において、中継ステーションに使うんだ。|浮 遊 都 市《フローティング・シティ》にとどくかどうか、やってみてほしい」 「ルイス、あなたの翻訳機の所在をつきとめるのも、ひと苦労だったのですよ。着陸船《ランダー》のほうは、あなたより二十五度も回転方向《スピンワード》によっていますね。なぜです?」 「ハミイーとぼくは、仕事を分担することにしたのさ。ぼくは|浮 遊 都 市《フローティング・シティ》に向かい、彼は〈大海洋〉に向かったんだ」  このくらいにいっておくほうが無難だろう。 「ハミイーは、わたしの呼びかけにも応じないのです」 「クジン入ってのは、奴隷向きじゃないのさ。〈至後者《ハインドモースト》〉、ぼくはくたびれてるんだ。十二時間後にまた話そう」  ルイスは自分の椀をとって、食べはじめた。ヴァラヴァージリンは、何も香辛料をいれていないらしい。肉と植物の根をいっしょにゆでただけの、味もそっけもない食事だったが、それも気にはならなかった。椀の底まできれいに舐めながら、彼はそれでも、抗アレルギー錠をのむだけの分別はたもっていた。  ふたりは車の中に這いこんで、眠った。 [#改ページ]      17 動 く 太 陽  やわらかいとはいえ車のベンチは、就寝プレートがわりとしては少々お粗末で、おまけにそれがひっきりなしに揺れ動く。ルイスは、まだ疲労がとれていなかった。眠りかけては揺り起こされ、眠りかけては揺り起こされ……。  だが、いま彼の肩をゆすぶっているのは、ヴァラヴァージリンだ。  やさしい皮肉な口調でささやきかける。 「おやすみのところ、申しわけございません、ルイス」 「アァ。うん、どうしたんだ?」 「もうだいぶ来たんだけど、このあたりには、〈走者《ランナー》〉族の末裔の追いはぎが出るの。ひとりが車の上で銃をかまえていないと」 「〈機械人種《マシン・ピープル》〉は、朝起きて、何か食べないのかい?」  彼女は、とまどったようだ。 「食べるものなんて何もないわ。わるいけど。わたしたちは、一日に一度、寝る前に食べるだけよ」  ルイスは耐衝装甲服《インパクト・アーマー》と装具チョッキを身につけた。それから、ヴァラとふたりで、ストーブの上に金属カバーを固定した。ルイスがその上に立つと、頭からわきの下までが、天井の煙出し穴の外へ出る。  彼は下へ声をかけた。 「〈走者《ランナー》〉ってのはどんなやつだい?」 「わたしより脚が長くて、胸が大きくて、指が長いの。わたしたちから盗んだ銃を持ってるかもしれないわ」  車が、ガクンと揺れて動きだした。  すでに山岳地帯にはいり、車は下生えや藪のはびこる中を突っきって走っていく。日中でも、その気になって目をこらせば、上空のアーチが見えた──ただし、ぼんやり見ていると空の青さの中にとけこんでしまう。  霞のかかったはるかかなた、まるでお伽話のように浮かんでいる都市を、ルイスはようやく目にとめた。  何もかも現実なのだ──そう思う。しかし、いまから二、三年もたてば、これも狂人の白昼夢と変わらないものになっていることだろう。  装具チョッキから翻訳機を出した。 「〈至後者《ハインドモースト》〉へ。〈至後者《ハインドモースト》〉、応答せよ……」 「はい、ルイス。あなたの声は、妙にふるえていますね」 「車がガタガタ揺れてるからさ。目新しいことはないかい?」 「ハミイーはまだ呼びだしに応じませんし、|浮 遊 都 市《フローティング・シティ》の住民も同じです。二基めの探査機を、無事に小さな海へおろしました。海底に沈めたので、たぶん誰にも見つからないでしょう。三、四日のうちに、ホット・ニードル号の燃料タンクはいっぱいになると思います」  ルイスは、〈|海の人種《シー・ピープル》〉のことを〈至後者《ハインドモースト》〉に話すのを、思いとどまった。パペッティア人の常として、安全だと感じるだけ、彼が自分の計画や、リングワールドや、仲間たちを放棄する可能性は少なくなるだろう。 「聞こうと思ってたことがある。その探査機には、|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》がついてるんだね。だから、探査機をここへよこしてくれれば、ぼくはひと足でニードル号へもどれるはずだ。そうだろう?」 「いいえ、ルイス。その|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》は、ニードル号の燃料タンクにだけ通じていて、それに、重水素分子しか通さないフィルターがついているのです」 「そのフィルターをはずせば、人間も送れるんじゃないのか?」 「それでも、結局は燃料タンクの中でいきどまりです。でもなぜそんなことを? せいぜい、ハミイーの帰り道を、一週間くらい節約してやるだけのことでしょうに」 「そうする必要が出てくるかもしれない。何が起こるか、わかりゃしないんだから」  しかしなぜ、ルイス・ウーが、クジン人の逃亡という不祥事を、かくしておかなければならないのか?  考えるたびに、当惑した気分になる。それでも、話す気にはなれなかった……またその話は、パペッティア人を不安にさせるかもしれない。 「もし必要が生じたら、その種の非常手段が使えるかどうか、しらべておいてほしいんだが」 「そうしましょう。ルイス、探知機によると、着陸船《ランダー》は、〈大海洋〉まであと一日のところまでいっています。ハミイーは、そこで何を見つけようというのでしょう?」 「奇跡を求めてるのさ。何か新しい、ちがった情報が得られるかもしれない。カホナ、何があるのかはじめからわかってたら、いく必要なんてないじゃないか」 「それはそうですがね」  パペッティア人は、疑わしげにいって、カチリとスイッチを切った。  翻訳機をポケットへいれながら、ルイスは思わずニヤリとした。〈大海洋〉で、ハミイーはいったい何を見つけるつもりなのか? いうまでもない、恋と、そして軍隊だ! もしジンクス星の地図にバンダースナッチがいたとしたら、クジン星の地図には何が?  性的欲求か、自衛か、復讐か──どれひとつでも、ハミイーをクジンの地図へ駆りたてるには充分だろう。しかも、ハミイーの場合、自衛と復讐はそのまま両立していた。〈至後者《ハインドモースト》〉を制圧しないかぎり、どうやってノウンスペースへもどれるというのか?  しかしたとえ、クジン人の一軍団をもってしても、〈至後者《ハインドモースト》〉に対して何ができるだろう。あるいはハミイーは、そこに宇宙船があることを期待しているのだろうか? だったら、おそらく失望するだけだろう。  しかし、女性のクジン人がいることは、まちがいないだろう。 〈至後者《ハインドモースト》〉に対して、ハミイーにも、打つ手がないことはない。しかし、ハミイーがそれに気づくとは思えないし、ルイスもいまそれを教えてやるわけにはいかない。教えるべきかどうかも、まだ自信がない。あまりに強烈な手だからだ。  ルイスは、ふと眉をひそめた。  パペッティア人の疑わしげな口調が、どうも気になる。彼はどの程度まで実情を推察したのだろうか? あの異星人は、語学の天才だ。しかし、異星人である以上、感情があんなふうに声に出ることはありえない。あれは、わざと[#「わざと」に傍点]そうやったにちがいないのだ。  まあ、いずれわかるだろう。そうこうするうちに、ちっぽけだった林は、うずくまった人間をかくせるくらいこんもりとした森になっていた。ルイスはたえず視線を動かして、前方の丘の斜面にある茂みや凹地をうかがっていた。  彼の耐衝装甲服《インパクト・アーマー》は狙撃者の銃弾にも平気だが、もしやつらが運転者を狙ってきたら? ルイスは、ひしゃげた金属と燃えあがる燃料の中に閉じこめられてしまうかもしれない。  あたりの景色に、彼は全神経を集中しつづけた。  そして、やがて、彼はそれがとても美しいことに気づいた。高さ五フィートほどまっすぐのびた樹々の幹の先端に、大きな花がいっぱい咲いている。その花の中に身を落ちつけている巨大な鳥は、細い槍のようなくちばし[#「くちばし」に傍点]を別にすれば、鷲にそっくりだった。  でたらめにつくられた柵のように咲き誇っている|ひじ根植物《エルボー・ルート》は、前回の訪問のさい、ここから約九千万マイル離れたところで見たよりも、かなり大型の種類のようだ。そこに昨夜食べたソーセージ植物も生えている。あちらでは、遠目にみると地球のにそっくりな喋の大群が、雲霞のように飛び立ったところだ。  どれも完璧な現実そのものだった。パク人のプロテクターが、あやふや[#「あやふや」に傍点]なものをこしらえたはずはない。そうではないか? しかし、どうやらパク人は、自分たちの作品のたしかさ、そしてまた自分たちの、何でも[#「何でも」に傍点]即座に修復し、さらには無から新たな仕掛けをつくりだす能力に、信をおきすぎていたようだ。  だが、こうした推測のすべては、七百年前に死んだひとりの男のことばに基礎をおいている──小惑星帯人《ベルター》ジャック・ブレナン、その男のパク人に関する知識は、たったひとりの個体を通じて得たものにすぎないのだ。生命の樹の作用で、ブレナン自身もプロテクター段階の人類に変わった──鎧のような皮膚、第二の心臓、膨張した頭蓋、その他あらゆる点でだ。そのため、気が狂ってしまった可能性もあろう。また、フスツポク自身が、種族の典型的な一員ではなかったかもしれない。  そしてさらに、パク人のフスツポクに関するジャック・ブレナンの説に基礎をおくルイス・ウーの臆測も、おそらく彼自身の知力の限界をこえた試みであろう。  しかし、これらすべてに筋をとおすような方法が、どこかにあるはず[#「はず」に傍点]なのだった。  藪が途切れると、回転方向《スピンワード》は一面のソーセージ植物の農園、反回転方向《アンチスピンワード》はうねり続く丘陵の眺めと変わった。  やがて前方に、ルイスのはじめて見る燃料補給所が現われてきた。それはかなり大規模なもののようで、化学工場をかこむようにひとつの町が成長しかけていた。  ヴァラが下から彼を呼びおろした。 「その煙出しハッチを閉めて、車の中にかくれて、見つからないようにするのよ」 「ぼくが乗ってるとまずいのかい?」 「人目をひくの。規則達反ってわけじゃないけど、どうして乗せたのか説明しなきゃならなくなるでしょう。うまく説明できそうにないわ」  工場の、窓のない壁の前に、車は停まった。ヴァラと、脚の長い胸の大きな連中とのかけあいを、ルイスは窓の隙間から見つめていた。大きな胸に大きな乳房のある女たちの姿は印象的だったが、美しいとはお世辞にもいえなかった。どの女も、T字形をした小さな顔のひたい[#「ひたい」に傍点]から頬のあたりまで、黒い髪に蔽われていた。  ルイスが運転席のうしろに身をひそめているあいだに、ヴァラは乗客用のドアから荷物を積みこんだ。間もなく車はふたたび動きだした。  一時間ほども走り、人里を遠く離れたところで、ヴァラは車を道路から外へ出した。ルイスは銃座から這いおりた。すっかり飢えきっていた。ヴァラが買ったのは食物だった──大きな鳥の燻製と、巨大な花の蜜とだ。  ルイスは、鳥にかぶりついたが、やがてたずねた。 「きみは食べないのか?」  ヴァラは微笑した。 「夜まではね。でも、何か飲むわ」  彼女は色のついたガラス瓶を持って、車のうしろにまわり、汲んできた透明な液体を蜜の中に注いだ。それをひと口飲むと、ルイスにまわしてよこした。ルイスも飲んでみた。  もちろんアルコールだった。リングワールドで、油井が掘れるわけはない。しかし、発酵させる植物の生えているところならどこでも、アルコール蒸溜所を建設することができる。 「ヴァラ、その、あそこで働いてる連中だが、こいつが好きになりすぎてしまうってことはないのかい?」 「ときどきあるようね」 「そんなとき、どういう手を打つんだ?」  この質問は、彼女にとって思いがけないものだったらしい。 「べつに何も。飲みすぎて廃人になるのもいるけど、それが教訓になるわ。必要なら、互いに監視しあうしね」  つまり、電流中毒者《ワイアへッド》問題のミニアチュア版で、解決法も同じだ──時間と自然陶汰である。ヴァラはいっこう気にしていない……ルイスのほうも、気にする余裕などなかった。  彼はまたたずねる。 「都市《シテイ》まで、あとどのくらいだ?」 「空中道路《エア・ロード》のところへは三、四時間で着くけど、そのさきへは通してもらえないでしょうね。ルイス、そのことで考えたんだけど、あなた、飛びあがっていけばいいんじゃないの?」 「わかってるさ。射たれる心配さえなければ、そうするよ。その点をどう思う? ──空中を飛んでる人間は、射ちおとされるだろうか、それとも、事情を話させてもらえるだろうか?」  彼女は、燃料と蜜の瓶からひと口すすった。 「規則は厳しいわ。〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉の種族以外、招かれずしてそこにはいることは許されない。──でも、空を飛んではいったものなんて、ひとりもいないわね!」  瓶をまわしてよこす。蜜はすばらしく甘かった──ザクロ[#「ザクロ」に傍点]のシロップの味だ──それに、強度二〇〇もありそうなアルコールの刺激《キック》。彼は瓶をおろすと、ゴーグルを都市《シティ》に合わせた。  それは、下面を揃えてきちんと束ねられた垂直な塔の一団だったが、ひとつひとつの形状はおそろしくまちまちだった──四角いのや、上下のとがった針のようなのや、半透明な層の重なり、多面体の柱状、頂上を下に向けた円錐形等々。全面が窓のもあり、全面がバルコニーのもある。優雅な弧を描く橋や、広い直線をなす通路が、およそさまざまな階でお互いをつないでいる。  建てたのが人間でないことはわかっているが、それでもルイスには、これがある思想のもとに設計されたものとは思えなかった。あまりにグロテスクなのだ。 「あれはどれも、何千マイルも遠いところから、ここへやってきたものなんじゃないだろうか」と、彼。「電力がとまったとき、独立の動力源を持つ建物が残った。それがぜんぶあつまってきた。プリルの種族は、そいつをひとつの都市にまとめたんだ。それが真相なんじゃないかな?」 「誰にもわかりゃしないわ。でもルイス、あなた、まるで見てきたみたいないいかたをするのね!」 「きみは生まれてからずっと、あれを見て育った。ぼくみたいな見かたはできないんだ」  そういいながら、彼はさらに観察をつづける。  一条の橋が見つかった。それは、近くの丘の頂上にある窓のない低い建物から出て、優雅な曲線を描きながら、浮遊都市の一端にある縦溝のついた大きな塔の基底までのびていた。丘の頂上の建物へは、人造石づくりと思われる道路が、九十九《つづら》折りにつづいている。 「招かれたお客たちは、丘の上のあそこを通って、空中の橋をあがっていくわけだね?」 「もちろんそうよ」 「あそこで何をされるんだろう?」 「禁制品を持ってないかどうか、身体検査をうけるのよ。それから、尋問もされるわ。でも、用心してるのは、なにも〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉だけじゃなくて、わたしたちも同じなのよ! ときどきあそこへ爆弾を持ちこもうとする反逆分子がいるし。〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉に雇われた一隊が、魔法の水分採集機を修理するための部品を持ってあがろうとしたこともあったし」 「何だって?」  ヴァラは、ニンマリ笑った。 「まだ動いてるのもいくつかあるわ。空中から水をあつめる機械ね。でも、それだけじゃ、とても足りないから、わたしたちが、河からポンプで水を送ってるの。もし政策の上で対立が起こると、妥協が成立するまで、彼らはのど[#「のど」に傍点]がかわくし、こっちは向うの集めている情報が手にはいらないってわけ」 「情報だって? 連中は何を使うんだ、望遠鏡か?」 「前に、父が話してくれたんだけど、あそこには、世界じゅうで起こることを、あなたのゴーグルよりもはっきり見せてくれる部屋があるんですって。要するに、ルイス、向こうは、高いところにいるだけ、見晴らしがきくわけよ」 「きみのおとうさんから、その話を詳しく聞かなくちゃ。どうやって──」 「それはだめでしょうね。父はとても……そう、たぶん父は……」 「ぼくの体形や肌の色がちがうから?」 「そうよ、あなたの持ってるものを、あなたがつくったなんて、信じっこないわ。取りあげようとするでしょうね」  カホナ、何てこった。 「お客は、上へ通されたあとどうなるんだい?」 「わたしの父が帰ってくるときは、いつも左腕に〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉だけにわかることばで、何かが書かれていたわ。銀の線みたいに光る字でね。洗っても落ちないけど、一、二ファランのあいだには消えてしまうわ」  そいつは、刺青というより、プリント配線のようだ。〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉は、客たちを、当人たちにも知らせずに操っているのかもしれない。 「なるほど。それで、客たちは何をするためにあそこへいくんだい?」 「政策を討議するためよ。贈りものを持ってね──食べものをいっぱい、それに道具類など。〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉は客たちに、いろいろふしぎなものを見せてくれて、それからリシャスラするの」  ヴァラは、ふいに立ちあがった。 「さあ、もういかなきゃ」  すでに追いはぎの出る地域は出はずれていた。ルイスは、ヴァラと並んで、前の席に腰をおろした。騒音は車の揺れに劣らず厄介だった。大きな声を出さないと、お互いに聞きとれない。  ルイスが叫んだ。 「リシャスラは?」 「いまはだめ、運転中だから」  ヴァラは広い歯ならびをみせた。 「〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉は、リシャスラの達人なの。ほとんどどんな種族とでもできるのよ。昔は、それが帝国を維持していくのに役立ったんでしょうね。わたしたちがリシャスラをするのは、商取り引きのためや、結婚して落ちつくまで子供をつくらないためにすぎないのに、〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉はいまもそれをあきらめていないみたいね」 「誰かぼくをまねくよう画策してくれそうな人を知らないか? 例えば、ぼくの機械を見るためとか」 「わたしの父くらいね。でも、やってくれないでしょうね」 「じゃ、飛んでいくほかないわけか。いいだろう、あの都市の下側はどうなってる? 真下まで歩いていって飛びあがることができるだろうか?」 「都市《シティ》の下は、|くらやみ農場《シャドウ・ファーム》よ。道具をぜんぶ手放せば、農夫としていけるでしょうね。農夫には、あらゆる種族のものがあっまってるから。きたない仕事よ。都市の下水孔が頭上にあって、そこから撒きちらされる汚物が肥料になるわけ。作物といっても洞窟種の闇の中で育つものばかりだけど」 「しかし……あ、そうか、やっとわかった。太陽が動かないから、都市の下はいつも暗いわけだ。洞窟種だって? つまり、茸《きのこ》みたいなものかい?」  彼女が奇妙な表情で見かえした。 「ルイス、あなた、太陽が動くなんてことを、どうして思いついたの?」 「ここがどこか、うっかりしてたのさ」彼は顔をしかめていった。「どうも申しわけない」 「太陽がどうして動けるの?」 「ウーン、もちろん、動くのは惑星のほうだよ。ぼくの種族の住んでる世界は、回転する球体なんだ、いいかい? で、その上の一点に住んでいると、太陽は空のいっぽうの側から上がって反対側へ沈んでいくようにみえる。そして、また昇ってくるまでが夜なんだ。きみは、リングワールドの建設者が、何のために|遮 光 板《シャドウ・スクエア》をこしらえたと思う?」  車が妙に蛇行しはじめた。ヴァラは身をふるわせ、その顔は青ざめていた。  ルイスは、やさしくたずねた。 「あんまり変な話で信じられないのかい?」 「そうじゃないの」  奇妙な、吠えるような声。必死に笑おうとしているのだろうか? 「|遮 光 板《シャドウ・スクエア》。どんな馬鹿にだってわかることだったわ。|遮 光 板《シャドウ・スクエア》は、球形の世界の昼と夜をまねてつくられたものだったのね。ルイス、あなたの頭がおかしいんだったら本当によかったのに。ああ、ルイス、わたしたち、どうしたらいいの?」  何か答えてやらなければならない。彼はいった。 「〈大海洋〉のひとつの底に、そこが太陽からいちばん遠ざかる直前に穴をあけることを考えてたんだけどね。そして、地球何個ぶんかの水を宇宙に放出させるんだ。その反動で、リングワールドは、もとの位置へもどるかもしれない。〈至後者《ハインドモースト》〉、聞いてるかい?」  完璧すぎるコントラルトの声がいった。 「ちょっと無理な相談でしょうね」 「もちろん無理さ。何より、あとでどうやってその穴をふさぐんだ? また、そのためにリングワールドがよろめくかもしれない。揺れが大きすぎれば、リングワールド上のあらゆるものは死にたえるだろうし、大気も失われてしまう。でもなんとかしなければ。ヴァラ、ぼくはあきらめないぞ」  彼女は、さっきの吠えるような声をだして、はげしく首をふった。 「そんなに簡単にいわないで!」 「リングワールドの建設者は、どんな案を講じていたんだろう? もしどこかの敵が、姿勢制御ジェットの大部分を吹っとばしたら、彼らはどうしただろうか? リングワールドをこしらえるにあたって、彼らがそういったことを考えてなかったはずはない。彼らのことを、もっと知らなければ。ぼくを|浮 遊 都 市《フローティング・シティ》へいれてくれ、ヴァラ!」 [#改ページ]      18 |くらやみ農場《シャドウ・ファーム》  ほかの車とすれちがうようになった──大小さまざまの窓のついた箱型で、どれもうしろに小さな箱をくっつけている。道路は広がり、平坦になった。燃料補給所がこれまでより頻繁に現れはじめ、それも〈機械人種《マシン・ピープル》〉型の四角い丈夫そうな建てかたのがふえてきた。  箱型の車の数はますます多くなり、ヴァラは車の速度を落とさなければならなかった。ルイスは自分がひどく目立っているような気持にかられた。  車が登り坂をあがりきると、その向うが都市だった。混みあってくる車のあいだを縫って坂をくだりながら、ヴァラは旅行の案内人のように、いろいろ説明をはじめた。  リヴァーズ・リターンの町の歴史は、広い褐色のサーベント河の回転方向《スピンワード》岸に沿ってできた一群の船着き場にはじまる。その中心地は、いまやスラム街の様相を呈している。街は数本の橋によって河の対岸へと伸び、一部の欠けた円形にひろがっていた。その欠けた部分の上に、〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉の|浮 遊 都 市《フローティング・シティ》があるわけだ。  いまや車の前後左右は、動く箱にギッシリと取り巻かれていた。空気はアルコールの匂いがした。ヴァラは車の速度を徐行にまで落とした。ルイスは背をまるめ、身を低くした。周囲の運転者たちには、星の世界からやってきたこの奇妙なからだつきの男を、じっくり眺める機会は、いくらでもあったはずだ。  だが、のぞきこむものはひとりもいなかった。ルイスはもちろん、お互いの顔さえ見ていない。目にはいるのはほかの車の動きだけらしい。そうしてヴァラは、車を街の中心のほうへと進めていった。  人家が混みあいはじめた。幅のせまい、三、四階建てで、隣とのあいだには隙間もない。上階は道路の上まで突き出て陽光をさえぎっている。これときわだった対照をなして、公共の建築物はみんなどっしりと低く、不規則にひろがって、たっぷりと土地を占領していた。高さではなく広さを競いあっているみたいだ──じっさい、上空に|浮 遊 都 市《フローティング・シティ》があっては、高さなど何の意味もないだろう。  ヴァラが商業学校を指さしてみせた。石材をたっぷりと使った、数棟にわたる大きな建物だ。つぎのブロックで、彼女は十字路の向うを指さした。 「わたしの家はあっち、あのピンクの石のところ。わかった?」 「そこへいくと、何かいいことがあるのかい?」  彼女は首をふった。 「ずいぶん考えてみたんだけど、だめね。わたしの父は、あなたを信用しないでしょう。〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉のいうことでさえ、大部分は大ぼらだと思ってるくちだから。わたしも前はそう思ってたけど、あなたの話をきいてからは……ハールロプリララーという人が……」  ルイスは笑いだした。 「彼女もうそつき[#「うそつき」に傍点]だったっけ。でも、彼女の種族がリングワールドを支配していたのは確かだよ」  ヴァラは、リヴァーズ・リターンを過ぎて、さらに左舷《ボート》のほうへ車を進めた。数マイルいって、最後の橋をわたる。巨大な|浮 遊 都 市《フローティング・シティ》の影の向う、左舷《ボート》側の、ほとんどあるかないかの脇道を出はずれたところで、彼女は車を停めた。  外に出ると、陽光がひどくまぶしかった。ふたりはほとんど口もきかず、黙々と仕事にかかった。  ルイスが飛行《フライング》ベルトを使って、適当な大きさの岩をひとつ持ちあげた。ヴァラヴァージリンが、そのあった場所に穴を掘った。その穴に、ルイスは自分のぶんにあたる薄い黒い布の大部分をいれた。穴は埋めもどされ、ルイスはその上へもとどおりに岩をもどした。  彼はその飛行《フライング》ベルトをヴァラの背負い袋にいれると、背にかついだ。その中にはすでに、彼の耐衝装甲服《インパクト・アーマー》、装具チョッキ、双眼鏡、携帯レーザー、それにあの蜜の瓶がはいっている。かさばって重すぎるので、ルイスは一度それを下におくと、飛行《フライング》ベルトを調節して、何がしかの浮力を与えた。蓋のすぐ下に翻訳機をしまい、ふたたびかつぎあげた。  彼がいま身につけているのは、ヴァラのショーツひとつで、ずり落ちないようにロープをベルトがわりにしていた。彼にはサイズが大きすぎたからだ。  脱毛した彼の素顔は、そのまま彼の種族の顔として通用する。星の世界からの旅行者であることを示す手がかりは、ただひとつ、翻訳機に通じる耳栓《イアプラグ》だけだ。これだけは、はずす気になれなかった。  ふたりの向かっていく前方には、ほとんど何も見えない闇がひろがっている。周囲の日光が明るすぎるためもある。影が大きすぎ、暗すぎるせいでもある。  昼から夜の中へ、ふたりは踏みこんでいくのだった。  ヴァラは、何の苦もなく道をひろっていく。ルイスがそのあとにつづく。だんだん目がなれるにつれ、彼にもやっと、茂みのあいだに細い道がつづいているのが見てとれた。  茸《きのこ》は、服のボタンみたいなものから、高さはルイスの背丈ほどで彼の腰くらいの太さの柄をもった非対称形のものまで、あらゆる種類の範囲にわたっていた。いわゆるきのこ[#「きのこ」に傍点]形のものもあれば、まったく不定形のものもある。空気には何となく腐臭がただよっていた。頭上の建物のあいだの隙間から、垂直に地上へさしこんでいる太陽の光条が、ひどく明るく、まるで固体の柱のようにみえる。  灰色の岩場をなかば蔽っている、緋色の線のついた黄色いひだ状の茸。先端に血をつけてまっすぐ立てた中世ふうの白い槍。枯れた丸太にオレンジ色と黄色と黒の毛皮をひっかけたようなもの。  そこにいる人びとも、茸と同じように、多種多様だった。こっちでは〈走者《ランナー》〉がふたり向きあい、のこぎり[#「のこぎり」に傍点]でオレンジ色の縁をもった楕円形の茸を切っている。あそこでは、小柄でまるい平たい顔の人びとが、大きな手でボタン形の茸を籠に摘んでいる。その大きな籠を、草食の巨人たちが運んでいく。  ヴァラは小声で説明をつづけた。 「カルチャー・ショックを防ぐために集団で働いている種族が多いのよ。それぞれ別の住居をあてがうようにしてるんだけど」  あちらでは、二十人ほどの人びとが、下肥えと腐敗しきった厨芥を撒布している。これだけ離れていても、その臭気がにおってきた。  あれはヴァラの種族だろうか?  そう、〈機械人種《マシン・ピープル》〉だ。だが、そばにふたり、銃を持った監視がついている。 「あれは? 囚人たちかい?」 「軽い刑の囚人よ。二十ないし五十ファランのあいだ、ああして社会に奉仕──」  そこでことばを切った。看守のひとりがこっちへ向かって歩いてきたからだ。  ヴァラに向かって頭をさげると、看守はいった。 「ご婦人の来られるところではありませんぞ。ここのくず[#「くず」に傍点]どもが、おあつらえ向きの人質だと思うかもしれませんからな」  ヴァラが疲れきったような声をだした。 「車がこわれたんです。学校へいって、起きたことを話さなければなりません。すみませんけど、|くらやみ農場《シャドウ・ファーム》を通らせてくださいな。わたしたち、みんな殺されたんです。吸血鬼《ヴァンパイア》に襲われたんです。早く知らせなければ。お願いです」  看守はためらった。 「じゃ、通ってもよろしいが、護衛をつけさせてもらいましょう」  彼は、口笛で短い曲を吹くと、ルイスに向かってきいた。 「おまえはどうしたんだ?」  ヴァラが代わって答えた。 「荷物を運ばせるために、そこで借りたんです」  看守が、ゆっくりと、明瞭な発音で話しはじめた。 「おまえ、この女性がいいといわれるところまでついていっていいが、くらやみ農場から外へは出るなよ。用がすんだら、もとの仕事にもどるんだぞ。もとの仕事は何だった?」  翻訳機なしではしゃべれない。荷物の奥にしまいこんだ携帯レーザーのことが、頑をかすめた。なかば当てずっぽうに、彼は薄紫色の縁をした棚状の茸に手をおき、それから、同じものが積んである橇を指さしてみせた。 「よろしい」  看守の目が、ルイスの肩ごしに何かをみとめた。 「ああ、きたか」  ふりかえる前に、匂いがルイスに教えてくれた。おとなしく待っている彼の前で、看守は|屍肉食い《グール》の夫婦に指示を与えた。 「このご婦人と荷物はこびを、くらやみ農場の反対側の端まで送っていくのだ。途中危険なことがないようにな」  一行は、一列縦隊になり、小径にそって農場の中心のほうへ向かった。男の|屍肉食い《グール》が先導し、女のほうが後尾についてくる。腐臭がさらに強くなった。肥料を積んだ橇が何台か、べつの小径をとおって、すれちがっていった。  何ともカホナ事態だ!  この|屍肉食い《グール》どもを、どうやって迫っばらったらいいのか?  ルイスは、ふりかえってみた。|屍肉食い《グール》の女が、ニヤリと笑ってみせた。彼女が、この臭気をまったく気にしていないのは確かだ。その歯は大きな三角形で、ものを引きさくのに便利だし、小鬼のような耳は油断なくピンと立っている。男のほうと同じく、彼女も肩ひものついた大きな袋を下げているきり、何も身につけてはいない。ほとんど全身が、濃い毛に蔽われている。  やがて一行は、きれいに土のならされた広い弧状の空地に出た。その向うは、穴だ。その上に霞が立ちのぼっているため、向う側は見えない。一本のパイプから、汚水がその穴へ流れこんでいる。目が追っていくと、そのパイプは、高く、高く、真黒なつくりものの空の中へ消えていた。  |屍肉食い《グール》の女が、ふいに耳もとへささやきかけたので、ルイスはとびあがった。彼女のしゃべっているのは、〈機械人種《マシン・ピープル》〉のことばだった。 「もし、ルイ様とウーとが同じだと知ったら、巨人の族長はどう思うだろうかね?」  ルイスは、まじまじと相手を見つめた。 「あの小さな箱がないと、口がきけないんだろ? いいんだよ。わたしらは、あんたたちのいうとおりにするから」  男のほうが、ヴァラヴァージリンに何かいっている。彼女がうなずいた。ふたりは道からはずれて歩きだした。ルイスと女もそのあとにつづき、大きくひろがっている白い棚状の茸のうしろへまわると、その縁の下に身をかがめた。  ヴァラの苛立った声。臭気が気になるのだろう。ルイスはもちろん、鼻がおかしくなってしまいそうな気分だった。 「キエレフが、これは新しい汚水だっていうの。一ファランたって熱すると、あのパイプをほかへ移して、ここにたまったのを肥料として撒きはじめる。それまでは、誰もここにはこないんですって」  彼女はルイスの背から背負い袋をおろすと、その中身をぶちまけた。ルイスは翻訳機を手にとり(その手が携帯レーザーに近づいたとき、|屍肉食い《グール》たちの耳は鋭くピンと立った)ヴォリュームをあげて、たずねた。 「〈夜行人種《ナイト・ピーブル》〉はどこまで知ってるんだい?」 「わたしたちには思いもよらないくらいね」と、ヴァラ。  もっと何かいいたそうだったが、それだけで口をつぐんだ。  男のほうが答えた。 「そう遠くないうちに、この世界は炎に包まれて滅亡する。それを救えるのはルイス・ウーだけだ」  男がほほえむと、白いくさび形の歯ならびが、威嚇するようにむきだしになった。その吐く息は、まるでバシリスクの毒気のようだ。 「からかってるんじゃないだろうね」と、ルイス。「ぼくを信用しているのか?」 「たび重なる奇妙な出来ごとは、狂人の予言を触発することがある。だがわれわれは、あなたの持っている道具が、ほかのどこにもないものだということをたしかめた。あなたのような種族もここにはいない。もっとも、世界は大きいし、われわれもすべてを知っているわけではない。だが、お仲間の毛皮を着た種族となると、もっとめずらしい」 「それじゃ答になってないぜ」 「みんなを救ってくれ! 決して妨害はしないから」  |屍肉食い《グール》の微笑がややうすれたが、くちびるはひらいたままだ。 (見せつけているのだろうか。あの大きな歯ならび……) 「もしあなたが狂人なら、どうしてわれわれが気にかけたりする? ほかの種族の動きが、われわれの活動に影響してくることなどめったにありはしない。しまいにはみんな、われわれのものになるのだから」 「この世界の真の支配者は、きみたちなのかもしれないなあ」  ルイスがそういったのは、外交辞令のつもりだったが、やがてもしかするとそれが真相なのかもしれないという気がして、不安になった。  女が答えた。 「この世界を、あるいは自分の住む地域を支配しているつもりの種族は、たくさんあるよ。わたしらが、〈|ぶらさがり人種《ハンギング・ピープル》〉の住む森のてっぺんの支配権を要求して何になる? あるいは、〈|こぼれ山人種《スピル・マウンテン・ピープル》〉の住む空気のない高地を? それに、どこの種族が、わたしらの領地をほしがるというんだね?」  嘲笑するようなその口調は自信にみちていた。  ルイスがいう。 「どこかにこの世界の〈補修センター〉があるはずだ。どこにあるのか知らないか?」 「たしかにあなたのいうとおりだ」と、男。「しかし、どこにあるのかは、かいもくわからない」 「外壁のことをどのくらい知ってる? 〈大海洋〉のことは?」 「ここには海がたくさんある。どれのことをいうのだ? また外壁では、あの大きな炎がはじめて現れる前に、何かが行なわれていたようだ」 「やっぱり! どんなことが?」 「ものを持ちあげる機械がいっぱい、〈|こぼれ山人種《スピル・マウンテン・ピープル》〉の住みか以上の高みへ、何かの装置を揚げていた。〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉と〈|こぼれ山人種《スピル・マウンテン・ピープル》〉が大勢あつまり、それより数は少ないが、ほかの人種もいっぱいいた。まさにこの世界の上の端で働いていたのだ。たぶんあなたには、その意味もすっかりわかっているのだろう」  ルイスは目まいを感じた。 「カホナ、くそ。その連中が、きっと……」  姿勢制御ジェットを取りつけていたのだ。だが、彼はそれを口に出すのをひかえた。それほど大きな力が、ひとつの目標に向かって結集されているという事実は、パペッティア人の神経にさわるかもしれない。 「きみたちは、ずいぶん遠いところと通信ができるようだね」 「光を使えば、もっと遠くとでも通信ができる。この知らせで、あなたの破滅の予言は変わるのだろうか?」 「変わらないだろうな」  いまもどこかで、補修部隊が活動しているのだろうが、取りつけるべきパサード式ラムジェットはほとんど底をついている。 「しかし、あの大きな炎の働きで、ぼくが思っていたより七、八ファランくらい時間の余裕ができたと思うよ」 「よい知らせだ。あなたはこれからどうする?」  一瞬ルイスは、|浮 遊 都 市《フローティング・シティ》をあきらめて、|屍肉食い《グール》たちと提携したい思いにかられた。だが、もうここまできてしまったのだし、それに|屍肉食い《グール》はいたるところにいる。 「夜になるのを待って、上へあがってみる。ヴァラ、きみのぶんの布は車の中にあるね。すまないがそいつを誰かに見せたり、ぼくのことを話したりするのは、そう……二回転くらいのあいだ、ひかえていてくれないか。一ファランたって何の音沙汰もなかったら、ぼくのぶんも掘り出していい。ここにも少しあるんだ」  一平方ヤードくらいの超伝導布が、ハンカチくらいに畳まれてはいっている装具チョッキのポケットを、彼はかるくたたいてみせた。 「それを都市《シティ》へ持っていってほしくはないんだけど」と、ヴァラ。 「でも、ぼくが話さないかぎり、ふつうの布とちがうことは、わかりっこないさ」  心にもないいいわけだ。ルイスは、超伝導体を大いに活用するつもりだったのである。  彼がショーツを脱ぎはじめると、|屍肉食い《グール》たちの視線が集中した──まちがいなく、彼の外見のこまかい点まで見きわめて、リングワールド上のどこかに彼の種族がいないかどうかを調査する手がかりにしようというのだろう。やがてルイスは、耐衝装甲服《インパクト・アーマー》を身につけた。  女のほうが、ふいにたずねた。 「この〈機械人種《マシン・ピープル》〉の女は、どうして、あんたが狂ってないことを、納得したのかね?」  ヴァラが説明しているあいだに、ルイスは装具チョッキとゴーグルをつけ、携帯レーザーをポケットにしまいこんだ。もう|屍肉食い《グール》たちも、微笑を浮かべてはいない。  女がたずねた。 「あんた、本当にこの世界が救えるんだろうね?」 「当てにはしないでくれよ。〈補修センター〉をさがすんだ。みんなにそう知らせろ。バンダースナッチにきくのがいいかもしれない──回転方向《スピンワード》の大きな湿地帯にいる白いでっかい生きものだ」 「知ってるよ」 「よし。ヴァラ──」 「わたしは、仲間が死んだことを知らせにいかなきゃ。もう二度と会えないかもしれないわね、ルイス」  ヴァラヴァージリンは、からの袋をひろいあげると、さっさと歩き去っていった。 「護衛しなけりゃ」  女の|屍肉食い《グール》がそういうと、男とともに姿を消した。  誰も、「幸運を祈る」というような別れのあいさつを、口にはしなかった。なぜだろう? 生活習慣か……みんな運命論者なのかもしれない。幸運[#「幸運」に傍点]などということばは、彼らにとって何の意味もないのだろう。  つくりものの空を、ルイスは仔細にしらべた。いますぐにでも昇っていきたい気分だった。  翻訳機に向かうと、彼はいった。 「〈至後者《ハインドモースト》〉、いるかい?」  どうやらパペッティア人は留守のようだ。  ルイスは、棚状の茸の下で、ゴロリと大の字になった。地表近くのほうが、空気はきれいだった。もの思いにふけりながら、彼はヴァラが残していった瓶の、燃料と蜜の混合液をすすった。  |屍肉食い《グール》とはそもそも何なのだろう?  生態系内で彼らの占める位置は、きわめて強固なようだ。だが、どうして彼らは知性をたもっているのか? おそらく、ときには既得権を守るために戦わなければならないこともあるのだろう。あるいは、誇りをたもつためにだ。各地でのいろんな宗教的儀礼に即応するにも、かなりの言語能力が必要だろう。  もっとつきつめてみると──彼らはどんな点で助けになるのだろう?  どこか|屍肉食い《グール》の領地で、不死の薬の秘密を守っているところがありはしないか? 仮説だが、パク人の生命の樹の根からつくられるという……。  だが、ひとつずつかた[#「かた」に傍点]をつけていくしかない。最初は、あの都市《シティ》だ。  光の柱がうすらぎ、消えていった。固体の空に、それとは別の光が現れた──幾百とも知れない窓の明かりだ。だが、ちょうど彼の頭上には、ひとつも見えない。  ごみ捨て場の真上にあたるあの区域に住んでいるのはどういう人びとだろう?(明かりをつける余裕もない連中か?)  くらやみ農場は、ガランとして人影もない。聞こえるのは風の音ばかりだ。棚状の茸の上にのぼると、はるか遠くの窓々で、暖炉の炎のような光がゆらめいているのがチラチラ見えた──境界線近くにある農夫たちの収容所だろう。  ルイスは飛行《フライング》ベルトの上昇レバーに手をやり、上へ向かった。 [#改ページ]      19 |浮 遊 都 市《フローティング・シティ》  高度千フィートをこえたあたりから、ようやく空気は新鮮な匂いをとりもどし、そしてそこはもう|浮 遊 都 市《フローティング・シティ》のただなかだった。  下向きにつき出た、突端のまるい塔を、グルリと旋回してみる──明かりのついていない窓が四層、その下は車庫のようだ。車庫のとびらは閉じ、錠がおりていた。グルリとひとまわりして破れた窓をさがしたが、ひとつもなかった。  なにしろ一千百年の期間を耐えてきた窓である。割ろうとしてもおそらく無理だろうし、いずれにせよ、強盗みたいに押しいるのは感心しない。  窓のほうはあきらめて、彼は汚水パイプの陰にかくれるようにして上昇していった。やがてまわりにいくつも斜路《ランプ》らしいものがみえてきたが、どこにも街灯のたぐいはないようだ。歩道のほうへ舵をとり、その上におり立った。それほど人目を気にする必要もなさそうだった。  周囲に人影はまったくない。人造石で畳まれた幅広いリボンのような道路が、あちこちに枝道の偽足をのばしながら、上下左右にうねりくねっている。足もとには一千フィートの虚空があるというのに、手すりもついていない。ハールロプリララーの種族は、地球人にくらべると、樹上生活をしていた先祖に、より近かったのにちがいない。  ルイスはなるべく歩道の中央を歩くように気をつけながら、灯りのみえるほうへ、ゆっくりと進んでいった。  住民たちはどこにいるのだろう?  ひどく孤立主義的な都市みたいだなと、ルイスは思った。居住空間はたっぷりあるようだし、その居住区域のあいだを斜路《ランプ》がつないでいるわけだが、商店街はどこにあるんだ? 劇場や、飲み屋や、遊歩道や、公園や、屋外喫茶なんかは? その宣伝のようなものもみえないし、何もかも壁のうしろにかくれているようだ。  とにかく、自己紹介してよさそうな相手を見つけるか、あるいはどこかにかくれなければ。  あの暗い窓のついたガラス塀の向うはどうなってるんだろう?  上から近づいていれば、そこに人がいるかどうかもはっきりわかった[#「はっきりわかった」に傍点]はずだが……。  誰かが道路の上を、こっちへ歩いてくる。  ルイスは、声をかけた。 「ぼくのいうことがわかりますか?」  それが〈機械人種《マシン・ピープル》〉のことばになって翻訳機から流れだす。  相手も同じことばで答えた。 「暗くなってから家の外をうろついてはいけない。落ちるおそれがある」  さらに近づいてくる。大きな目玉。〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉の種族ではない。身長くらいの長さの細い杖をたずさえている。逆光なので、それ以上はわからない。 「腕を見せなさい」と、そいつがいった。  ルイスは左の腕をまくってみせた。もちろん銀の刺青などはない。最初から考えていたとおりに、彼はしゃべりだした。 「ぼくには、あんたがたの水分凝集機の修理ができるんだが……」  杖が、彼に向かって振りおろされた。  とっさにうしろへ身を投げたルイスのひたいをかすめる一撃。路上にころがってまた立ちあがり、身がまえる、鍛えあげられた反射神経の冴え。だが、腕をあげて防ぐのが一瞬おそすぎた。杖が頭蓋にぶち当たり、目の奥に火花が散って、彼は何もわからなくなった。  彼は自由落下していた。周囲の、ヒュウヒュウという風のうなり。ほとんど失神状態の身にとっても、その意味するものは明白だった。闇のなかでルイスは恐慌に陥った。  宇宙船の空気洩れだ[#「空気洩れだ」に傍点]! ここはどこだ[#「どこだ」に傍点]? 隕石孔の充填剤は? 宇宙服は? 警報スイッチは?  スイッチだ[#「スイッチだ」に傍点]──やっと思いだした。なかば無意識に、両手が胸にとび、飛行《フライング》ベルトの制御装置をさぐり当てると、上昇つまみをグイとひねった。  ベルトが乱暴に彼をつかんでふりまわし、足が下になった。頭の中の霧を、ブルッとふるい落とすと、上を見あげる。闇の中の隙間から洩れる、|遮 光 板《シャドウ・スクエア》をかこむコロナの光。その真暗な闇が、上から押しつぶすように迫ってくる。  上昇つまみをもどして、速度を落とした。  もう大丈夫。  内臓がかきまわされ、頭がズキズキ痛んだ。考える時間がほしい。明らかに、近づきかたがまずかったのだ。しかし、もしあの警備員が、気を失った彼を歩道からほうりだしたのだとしたら……ルイスは、ポケットをたたいてみた。なくなったものはない。  なぜあいつは、何も盗まなかったんだ?  ようやく解答が浮かんだ──警備員からとびすさって転がったっけ。そのため空中にとびだした。これで事情はすっかり変わってしまった。あのとき、だまって待っていたほうがよかったのかもしれない。しかし、いまからではもうおそすぎる。  べつの方法を考えないと。  彼は都市の下を外へ、外縁の近くまで漂っていった。たいした距離ではない。都市の周囲には、無数の灯りがともっていた。しかしその中腹に、照明のまったくない、二重円錐をなす一画がみえた。その下のほうの尖端が、まるくなっている──そこからつき出た人造石づくりの棚──駐車場らしい。ルイスは、その開孔から、フワリととびこんだ。  ゴーグルの光量増幅をかける。もっと早くそうすべきだったことに気づいて、彼は不安にかられた。  あの杖の一撃で頭が馬鹿になったんじゃないだろうか?  ブリルの種族、〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉が、|飛 行 車《フライング・カー》を持っていたことを、彼は思いだした。だが、ここには車など一台もなかった。あるのは、床にそって敷かれた錆びた軌条と、その奥の端に位置する肘かけのない粗末な椅子と、それに観客席──軌条の両側に三列のベンチが並んでいる──だけだ。木造の部分は朽ちかけ、金属は錆びてボロボロになっている。  奥の椅子をしらべて、彼にはようやくのみこめた。それは、軌条にそって動き、前端で前へ倒れるようになっていたのだ。ここは見物席つきの処刑場だったのである。  この上階には裁判所があるのだろうか? それに監獄も?  ルイスが、どこかほかを当たってみることにしようと決心しかけたとき、闇の中から、きしるような声が……二十三年ぶりに聞くことばだった。 「そこの侵入者、腕を見せなさい。動作をゆっくりと」  さっきと同じことをルイスはくりかえした。 「ぼくには、あんたがたの水分凝集機を動かせるんだが」  すると翻訳機は、ハールロプリララーのことばでしゃべった。はじめから記憶させてあったのだろう。  相手が立っているのは、階段のいちばん上にあるドアの前だった。ルイスと同じくらいの背たけで、両眼が燃えるように光っている。手には、ヴァラヴァージリンが持っていたのと同じような武器をかまえていた。 「腕には何のしるしもついていない。どうやってここへはいったのです? 空中を飛ばないかぎり、はいれるわけがないのに」 「飛んできたのさ」 「驚きましたね。それは武器ですか?」  携帯レーザーのことらしい。 「そう。暗い中でよく見えるね。あんたは誰だ?」 「わたしはマー・コーシル、〈|夜の狩人《ナイト・ハンター》〉の女性です。武器を下におきなさい」 「それは困るよ」 「あなたを殺したくはないのです。飛んできたというのが本当なら──」 「本当さ」 「ご主人を起こしたくありませんし、このドアを通すわけにもいきません。武器をおきなさい」 「いやだね。今夜はもう、いちど襲われてるんだ。そのドアを、誰も通れないようにロックすることはできないのかい?」  マー・コーシルが、何かをドアの向うに投げた。床に落ちる、チャリンという音。うしろに手をのばして、ドアを閉めると、彼女はいった。 「飛んでみせなさい」  相変わらず、きしるような低音だ。  ルイスは、数フィート浮かびあがり、またもとの場所に降り立った。 「すばらしい」  マー・コーシルは、武器をかまえたまま、階段をおりてきた。 「話しあう時間はあります。朝になれば、見つかってしまいます。あなたの申し出と希望は何ですか?」 「あんたがたの水分凝集機が動かないっていうのは、本当かね? 〈都市の墜落〉のときに止まったのか?」 「わたしの知っているかぎり、動いたことはありません。あなたの名は?」 「ルイス・ウー。男性。〈|星の人種《スター・ピープル》〉の一員だ。この世界の外、暗くて目にみえない星からやってきた。この都市にある水分凝集機のいくつかをなおせるだけの材料がここにあるし、もっとほかにもかくしてある。照明なんかも、なおせるかもしれない」  マー・コーシルは、ゴーグルほどもある青い目で、彼をじっと見つめた。彼女の指には、長い鉤爪があり、口の中からは斧の刃のような反《そ》っ歯がつき出ている。その種族は、齧歯類を狩る肉食動物なのだろうか?  彼女がいう。 「ここの機械の修理ができるというのは、いいことです。ほかの建物の機械もなおしてやるかどうかは、ご主人がお決めになるでしょう。それで、ほしいものは?」 「莫大な量の知識だ。この都市に蓄えられているあらゆる知識、地図、歴史、物語など──」 「あなたを〈図書館《ライブラリー》〉へいかせるわけにはいきません。あなたのいうことが本当なら、たいへんな価値がありますから。わが 館《ビルディング》 は、裕福ではありませんが、質問内容を限れば、その知識を〈図書館〉から買えるでしょう」  だんだんわかってきた──|浮 遊 都 市《フローティング・シティ》は、ひとつのまとまった都市ではなかったのだ。ちょうどペリクレス時代のギリシャがひとつのまとまった国家ではなかったように。個々の|建 物《ビルディング》が独立しており、そしてこの建物は、めざす場所ではなかった。 「図書館はどこにあるんだい?」と、彼はたずねた。 「回転方向左舷《スピンワート・ボート》寄りの外廓の、頂点を下に向けた円錐……なぜきくのです?」  ルイスは胸に手を触れ、浮かびあがり、外の闇へと向かった。  マー・コーシルが撃った。ルイスは横ざまに床に落ちた。胸のところが火を噴いている。彼はわめきたてながら、その装具を引きはがし、ほうりだした。飛行《フテイング》ベルト制御装置は、青白い火花まじりの黄色く煙る炎をあげて燃えあがった。  無意識のうちに、ルイスは手の中の携帯レーザーを、マー・コーシルに向けていた。だが、〈|夜の狩人《ナイト・ハンター》〉は、気にもとめない様子だ。 「二度とこんなことをさせないでください」と、彼女はいった。「怪我はありませんか?」  このひとことで彼女は命びろいしたともいえるだろう。しかしルイスは、何か[#「何か」に傍点]を殺さなければ気がすまなかった。 「その武器を捨てないと、まっぷたつだぞ」と、彼。「こういうぐあいにな」  レーザー・ビームを、処刑椅子に向けて動かす。椅子は炎をあげてふたつに切れた。  マー・コーシルは、じっと動かない。 「誰がこんなところにいてやるもんか」と、ルイス。「しかし、おかげで、閉じこめられちまった。こうなったら、中へはいるほかはないが、出口を見つけしだい出ていくからな。さあ、その武器を捨てないと命はないぞ」  階段のほうから、女性の声が呼びかけた。 「銃を捨てなさい。マー・コーシル」 〈|夜の狩人《ナイト・ハンター》〉はそれに従った。  その女性[#「その女性」に傍点]が、階段をおりてきた。ルイスよりも背は高く、ほっそりしたからだつきだ。鼻はごく小さく、くちびるは目にみえないほど薄い。頭は禿げているが、耳とうなじ[#「うなじ」に傍点]のうしろからゆたかな白い髪が背に垂れていた。あの白髪は年齢のせいだろうと、ルイスは思った。ルイスをおそれる様子は、まったくない。  彼はたずねた。 「あんたがここのご主人かい?」 「わたしと、わたしの名目配偶者《メイト・オヴ・レコード》が、治めています。わたしの名は、ラリスカリアリアー。あなたは、ルウイーウとかいっていましたね?」 「よくご存じで」  彼女は微笑した。 「のぞき穴があるのです。マー・コーシルが信号を送ってきて──めったにないことです。ずっとここで見ていました。飛行装置のことは、申しわけなく思います。この都市には、もうひとつも残っていないのです」 「水分凝集機を修理したら、放してくれますか? それに、助言もほしいんですがね」 「ご自分の立場を考えてものをいいなさい。外に待機している警備に太刀打ちできると思うのですか?」  血路をひらいて脱出するのはちょっと無理だろう。だが、もういちどだけためしてみることにした。ここの床は、ありきたりの人造石らしい。彼がレーザー・ビームをあてて、ゆっくり円を描くと、直径一ヤードほどの一塊が、ポカリとはずれて、闇の中へ落ちていった。  ラリスカリアリアーの顔から微笑が消えた。 「できそうですね。おっしゃるようにしましょう。マー・コーシル、いっしょにきなさい。途中、誰にも邪魔をさせないように。銃はそのままそこに残しておきなさい」  もう動いていない螺旋エスカレーターを、三人はのぼっていった。十四ループ……つまり十四階のぼったわけだ。  ルイスは、ラリスカリアリアーの年齢を見つもりそこねていたのではないかと思った。この〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉の女性は、元気よく足をはこびながら、呼吸にも、話をつづけるくらいの余裕を残していた。しかし、彼女の手や顔にきざまれたしわ[#「しわ」に傍点]は、どう見ても長い年月のしるしだ。  見ていると落ちつかなくなる。こういう経験に、ルイスは慣れていなかった。それが何か、知識としては知っている──年齢のしるし、祖先すなわちパク人のプロテクターの徴候にほかならないのである。  前方を照らしているのは、ルイスの携帯レーザーだった。ドアが見えるたびに、人々の姿が現れた。マー・コーシルが注意して、彼らを追い返した。大部分は〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉だったが、ほかの種族もまじっていた。  ラリスカリアリアーの説明によると、それらは召使いたちで、もう何代もにわたってリアー家につかえてきた連中だという。夜警種族であるマーの一家は、リアー家の治安を守る警察官として働いている。〈機械人種《マシン・ピープル》〉の料理人たちも同じくらい長くつかえている。  召使いたちも〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉の主人側も、自分たちを、定期的なリシャスラと古典的な忠誠心とで結び合わされたひとつの種族だと考えている。結局、この〈リアー 館《ビルディング》〉の人口は約一千人で、その半数が、互いに姻戚関係にある〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉ということになる。  半分ほどのぼったところで、ルイスは足をとめると、傍らの窓に目をやった。  建物の中心をつらぬく階段吹抜けに、どうしてこんな窓が?  そこにあったのはホログラムで、外壁の上から見わたした広大なリングワールドの景観をうつしていた。ラリスカリアリアーは誇りと悲歎をこめて、これがリアー家の家宝の最後のひとつなのだと語った。ほかのは何百ファランものあいだに、水の代金を払うため売り払われてしまったのだ、と。  ルイスもいつのまにか話をはじめていた。警戒し、腹を立て、疲れている彼にさえ口をひらかせる何かを、この〈都市建造者《シテイ・ビルダー》〉の老婦人は、身にそなえていた。彼女は惑星のことも知っていた。彼の話に疑いをさしはさむような質問もしなかった。ただ耳をかたむけるだけだった。  ハールロプリララーそっくりの彼女に、ルイスはいつしかプリルのことを話しはじめていた──ルイスとその一党が訪れるまで、なかば気の狂った女神として暮らしていた彼女、古代から生きのびた船の慰安婦のことを。彼女がルイスたちを助けてくれたことを。やがて、彼らとともに崩壊した文明をあとにし、そして死んだことを。  ラリスカリアリアーがたずねた。 「それであなたは、マー・コーシルを殺さなかったのですね?」 〈|夜の狩人《ナイト・ハンター》〉の女の、巨大な青い目が、こっちを見ている。  ルイスは笑いだした。 「かもしれないね」  それから、ひまわり花の一群を退治したことを話した。これを隠れ蓑にして危険な話題を避けたのは、ラリスカリアリアーにこの世界が太陽とこすれあう話をしても、意味はないと思ったからである。 「それがこの世界に何の損害も与えなかったことをたしかめてから出発したいんです。その布はこの近くにもっと埋めてある……カホナ! どうやればそこへいけるんだろう?」  すでにそこは螺旋階段の頂上だった。ルイスは、ハアハアと息を切らしていた。マー・コーシルがドアをあけた。そのさきには、さらに階段がつづいていた。  ラリスカリアリアーがたずねた。 「あなたは夜行性ですか?」 「え? いや」 「では、夜が明けるまで待つほうがいいでしょう。マー・コーシル、朝食をここへ運ばせて。それから、ホィルに道具を持ってここへくるようにいって。そしたら、もう寝てもいいわ」  マー・コーシルが階段を小走りにおりていくと、老婦人は古代の絨緞の上に脚をくんですわった。 「その作業には、外へ出なければならないでしょうから」と、彼女。「でも、どうしてあなたは、そんな危険を冒すのです? 何のために? 知識のためだとして、どういう知識の?」  彼女に嘘をつきたくはなかったが、〈至後者《ハインドモースト》〉がきいているかもしれない。 「ある物質を他のものに変換する機械について、何か知りませんか? 空気を土にしたり、鉛を金にしたりするような?」  彼女は興味をひかれたようだ。 「昔の魔術師は、ガラスをダイアモンドに変えることができたといわれています。でもそれは、ただのお伽話です」  その件はこれまでだ。 「この世界の〈補修センター〉のことは? そういうものに関する伝説のようなものはありませんか? そのありかを教えるような?」  彼女は目をまるくした。 「まるでこの世界が、この都市を大きくしただけのつくりものにすぎないようないいかたをなさるのね」  ルイスは笑い出した。 「それよりはずっと大きいけれどね。もっとずっと、ずっと、ずっと大きなつくりもの。どうです?」 「きいたことがありませんわ」 「不死の霊薬のことは? それが本当にあることはわかっている[#「わかっている」に傍点]んです。ハールロプリララーが使ってましたから」 「もちろん本当ですとも。でももうここには残っていませんし、あるところも知りません。そういうものの話をもちこむのは──」  ここで翻訳機が使ったのは詐欺師《コン・マン》≠ノあたる|共 通 語《インターワールド》だった。 「──だけでしょうね」 「その話に、霊薬がどこから伝わったかというようなことは、出てきませんか?」  若い〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉の女性が、浅い椀を持って息をきらせながら階段をのぼってきた。毒ではないかというルイスの不安は、すぐ消えてしまった。それは、なまぬるいオートミールのようなもので、ひとつの椀からみんな各自の手ですくって食べるのだった。 「若返りの霊薬は、回転方向《スピンワード》からくるといわれています」老婦人がいう。「でも、どれだけ遠くからとはわかりません。それが、あなたの求めるいちばん大切な知識なのですか?」 「大切なもののひとつです。かなり大事なものです」  当然〈補修センター〉には、生命の樹があるだろうと、ルイスは考えていた。でも、それをどうやって扱うんだろう? すすんでプロテクターになりたがる人間が、いるのだろうか? しかし、亜人種の中には、いるかも……まあいいだろう、とくにすぐ解かなければならない謎というわけでもない。  ホィルというのは、猿のような顔の、ガッシリした亜人種で、身にまとった布は年月のためすっかりもとの色彩を失っていた。まるで狂った神のこしらえた虹といった感じだ。口かずは、ごく少ない。両腕は短く太く、とても力がありそうだ。  道具箱をかかえた彼のあとについて、ふたりは最後の階段をのぼり、夜明けの屋上に出た。そこは、二重円錐形の頂点を平らに切ったかたちのその建物のてっぺんで、中央に漏斗状の穴が口をひらいていた。その周囲の緑《へり》の幅たるや、一フィートほどしかない。  のど[#「のど」に傍点]に息がつまった。飛行《フライング》ベルトがこわれてしまったいま、ルイスには高所を怖れる理由があった。強い風が吹きつけ、ホィルのまとった布が、多彩な旗のようにはためく。  ラリスカリアリアーがいった。 「どう? なおせそう?」 「ここからじゃだめだ。機械はこの下にあるんじゃないかな」  たしかにあったが、そこへおりるのは大仕事だった。点検用の通路の幅が、ルイスのからだすれすれで、数インチの余裕しかないのである。ホィルが先に這いこみ、表示されている指示に従って、その装置のパネルを、つぎつぎにひらいていった。  通路はドーナッツ形で、漏斗を取り巻いているらしい機械装置の外側をさらに取り巻いていた。これが漏斗の内側に水分を凝結させる仕掛けであることは、もう疑いようがない。  冷却によってか? それとも、もっと洗練された方法でだろうか?  パネルにかくされていたその装置は、ギッチリ隙間もなくつめこまれており、ルイス・ウーにはどこが何なのかかいもく見当もつかなかった。どこも輝くばかりに磨き立てられているが、ただ……まてよ。息をつめて顔をよせ、のぞきこむ。  装置の表面に、針金くらいの太さの、虫くい穴から出たような塵埃の堆積がある。それが、どこから来たものか、ルイスは推測しようと試みた。それも、ほかの部分がすべて正常に機能を果たしていると仮定した上でのことである。  いったんあとずさりしてそこを離れると、彼はホィルから、厚い手袋と、先端が針のようにとがったプライヤーを借りた。装具チョッキのポケットから出した黒い布の端から細長い一片を切りとり、それをよじって紐にした。ふたつの接点のあいだに張りわたすと、しっかり締めつけた。  それとわかるような変化は何も起こっていないようだ。彼はホィルのあとについて、円形の通路を這い進んだ。虫くいの埃のあとが、ぜんぶで六ヵ所見つかった。六本の超伝導体の撚《よ》り紐を、彼は、ここと見当をつけた場所に固定した。  通路から這いだすと、彼はいった。 「なにしろ動力源じたいが、ずっと働いてなかったあとのことだからね」 「見てみましょう」  老婦人はそう答えて、屋上への階段をのぼりはじめた。ルイスとホィルもつづいた。  漏斗のなめらかな表面全体が、かすかに霧で曇っているようにみえた。ルイスは膝をついて下へ手をのばし、その表面に触れた。濡れている。その水は、暖かかった。見るまにあちこちに水滴ができ、底のパイプへ向かって流れ落ちはじめるのへ、ルイスは索漠とした思いで、あごをしゃくってみせた。  またしても、あと十五ファランほどのちには何の意味もなくなる、小さな親切というやつだった。 [#改ページ]      20 リアー家の財政  そこは、〈リアー 館《ビルディング》〉のいちばん太くなった中央部《ウエスト》よりも少し下に当たる、謁見室と寝室が組み合わされたような一画だった。  カーテンをめぐらせた天蓋つきの巨大な円形ベッドひとつに、大小のテーブルをかこむ椅子や寝椅子《カウチ》、|くらやみ農場《シャドウ・ファーム》のこちら側の境界に面した壁いっぱいの展望窓、あらゆる種類の飲みものを出す機能を持ったバー。……ただしその豊富な機能は、とっくに失われていた。  ラリスカリアリアーは、クリスタル・ガラスのデカンタから、持ち手のふたつついた酒杯に飲みものを注ぐと、ひと口すすってから、ルイスにそれをまわしてよこした。  彼が質問する。 「ここは、誰かを引見する場所なんですか?」  彼女は微笑した。 「似たようなものね。一族の集会に使うのです」  集会──乱交パーティか?  リアー家をひとつにまとめているのがリシャスラの力なら、大いにありそうな話だ。幾度となく難局を切りぬけてきた一族なのにちがいない。  酒杯からひと口すすると、花の蜜と燃料の味がした。飲みものの杯や食物の椀をともにする慣習──その裏にあるのは、毒殺への怖れだろうか? しかし、彼女のふるまいは、ごく自然だ。それに、リングワールドには、病気というものがないのである。 「あなたの働きは、わたしたちの地位や財力を大きく高めてくれるでしょう」と、ラリスカリアリアー。「では、あなたのお望みを」 「必要なのは、〈図書館《ライブラリー》〉へいって、中にはいり、そこを管理している人たちの知識をぼくが自由に利用できるように彼らを説得することです」 「たいへんな費用がかかるわね」 「不可能じゃないんですね? よかった」  彼女は微笑をみせた。 「でも、高くつきすぎます。建物のあいだの関係は、とてもこみいってるのよ。〈テン〉が、来訪者との交易を──」 「〈テン〉って?」 「十棟《テン》の大きな|建 物《ビルディング》、わたしたちの中でいちばんの権力家たちです。その中の九棟では、まだ照明と水分凝集機が稼動しています。〈|空への丘《スカイ・ヒル》〉に橋をかけたのも彼らでした。で、その連中が、来訪者との交易を仕切り、群小建築に代価を払ってその接待をさせ、各建物に分散している公共の施設を利用し、また臨時にそこを借りきって行事をやったりします。異種族との協定──例えば〈機械人種《マシン・ピープル》〉にポンプで水を送ってもらうとか──は、すべて彼らが握っています。水やその他の利権を買うため、わたしたちは、〈テン〉に料金を納めます。あなたの要求は、とても大きな利権ということになる……もっとも、〈図書館〉には、ずっと一般教育費を払ってるけど」 「〈図書館〉も、〈テン〉のひとつなんですね?」 「そうです。でも、わたしたちにはお金がない……ルーウイーウ、あなたが何か〈図書館〉の役に立ってやる方法はないかしら? あなたの調査が、彼らの役に立つというようなことは?」 「それはあると思うが……」 「役に立ったぶんだけの料金は、もどしてもらえます。それが、支払った以上の額にのぼることもありえます。でも、ここには何もない……その光を出す武器か、話をする機械を、売る気はありませんか?」 「売らないほうがいいでしょうな」 「もっと水分凝集機をなおすことは?」 「できると思う。たしかさっき、〈テン〉の中のひと棟には、水分凝集機が稼動していないっていわれましたね? その建物が、どうして〈テン〉の一員なんです?」 「〈オールリー 館《ビルディング》〉は、〈都市の墜落〉以来ずっとその一員なの。慣例でね」 「都市が墜落したとき、その建物は何だったんです?」 「兵器廠、武器の倉庫でした」  ルイスが思わずふき出すのを、彼女は無視した。 「だから、武器とみると目がないの。その光線放射機なら──」 「これを手放す気はありません。でも、そこの水分凝集機をなおしてやれば……」 「〈オールリー 館《ビルディング》〉にいれてもらうための料金がいくらにつくか、しらべてみないと」 「そんな馬鹿な」 「いいえ。先方にしても、武器が盗まれないよう監視する必要がありますから。古代の武器を見せてもらうためにも、観覧料がかかるし、実演を見るにはもっとかかります。でも彼らの保存施設を見れば、あなたには弱点がわかるかもしれない。きいてみましょう」  彼女は立ちあがった。 「どう、リシャスラしません?」  ルイスにも、その気がないではなかったが、そこでふと躊躇したのは、彼女の異質な外見のせいではなかった。装甲服を脱ぎ、道具を手放すのが、こわかったからである。  玉座にしがみつく王様を描いた古い絵が、チラリと頭をかすめた。  すっかり偏執狂《パラノイア》みたいになっちまった。しかしこの程度じゃまだ足りないのかも[#「まだ足りないのかも」に傍点]?  しかし、もうずいぶん長いあいだ眠っていない! いずれは、リアー家の人々を信用するしかないのだ。 「いいでしょう」  そういって、彼は装甲服を脱ぎはじめた。  年老いたラリスカリアリアーの姿は、異様だった。ルイスは、細胞賦活剤《ブースタースパイス》ができる前の古典文芸──小説や脚本など──を読んだことがあった。老齢は、からだの動きをそこなう病気だという……しかしこの女性に、そういうところはなかった。  皮膚はたるんでいたし、四肢もルイスほどには曲がらなかったが、愛のいとなみへの関心は少しも衰えず、ルイスのからだと反射運動に対しても、興味の尽きることはないようだった。  長い時間が経ってから、ようやく彼は眠りにおちた。髪の下にかくされたプラスティックについては、口実を設けて話すのをさけた。彼女にそれを思い出させられたことが、うらめしかった。〈至後者《ハインドモースト》〉の手もとには、まだ作動するそれがある……それを求めている自分自身が、うとましく感じられた。  起こされたのは、もう日暮れ近くだった。  ベッドが二度、手荒くゆすぶられ、彼は目をしばたたかせながら起きあがった。ラリスカリアリアーと、同じくらい老齢の〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉の男が、彼を見おろしていた。  その男を、ラリスカリアリアーは、自分の名目配偶者であるこの館の主人フォータラリスプリアーだと紹介した。彼はまず、この建物の古い機械を修理してくれたことに対し、ルイスに礼をのべた。すでにテーブルの上には夕食が用意されており、ルイスは食事をともにするようすすめられた──大きなお椀に盛られたシチューは、口あたり抜群だった。  彼は喜んで食べはじめた。 「〈オールリー 館《ビルディング》〉の料金は、われわれの手にあまるのでな」と、フォータラリスプリアーが話しだした。「それで、この近くの建物三種にはいる権利を買っておいた。もしきみが、そのうち一棟ででも、水分凝集機の修理に成功すれば、われわれはきみを〈オールリー 館《ビルディング》〉に送りこむことができよう。それでよろしいかな?」 「文句なしです。そこの機械が、一千百年間止まったままで、そのあいだ手を加えられていなければね」 「その件は大丈夫だよ」  夕闇が迫り、ルイスは、寝に就く夫妻を残して部屋を出た。いっしょに寝るようさそわれたし、べッドにも充分余裕はあったが、ルイスはもうすっかり寝足りて、ソワソワした気分になっていた。  大きな建物は、まるで墓石のようだった。階上からルイスは、建物のあいだをつなぐ迷路のような橋の群を見まもった。しかしそこに見えるのは、ときたま往き来する大目玉の〈|夜の狩人《ナイト・ハンター》〉たちばかりだった。  当然ともいえよう。もし〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉種族も、一日三十時間のうち十時間を睡眠に当てているとすれば、暗いあいだがその時刻だろう。しかし、あの照明のついた建物でも、みんな眠っているのだろうか? 「〈至後者《ハインドモースト》〉応答せよ」と、彼。 「はい。ルイス。翻訳が要りますか?」 「要らない、いまは誰もまわりにいないんだ。〈図書館〉にはいるのに、一日か二日はかかると思う。ここに釘づけになっちまったんだよ。飛行《フライング》ベルトがこわれたんでね」 「ハミイーはまだ応答しようとしません」  ルイスは、ためいきをついた。 「ほかに何か新しいことは?」 「二日後に、探査機の一基が外壁を一巡し終えます。それを|浮 遊 都 市《フローティング・シティ》にさし向けることもできます。わたしに直接原住民と交渉してほしくはありませんか? われわれはそういうことに慣れているのですよ。少なくとも、あなたの話したことの裏づけをしてあげることができます」 「そのときがきたらお願いするよ。それより、リングワールドの姿勢制御ジェットのほうはどうかね? 取り付けてあるのが、もっと見つかったかい?」 「いいえ。もちろん知っているでしょうが、二十一基がいまぜんぶ噴射しています。見えませんか?」 「ここからは見えない。そうだ、〈至後者《ハインドモースト》〉、〈スクライス〉──リングワールドの床物質──の物理的な性質について、何かわかったかい? 強度や、可橈性や、磁気持性などは?」 「ずっとそれを調べていました。外壁を測定していたのです。〈スクライス〉は、鉛よりもはるかに高密度です。リングワールドの底の厚みは、おそらく百フィート以下でしょう。あなたが帰ったらデータを見せます」 「それでいい」 「ルイス、どうしても必要なら、あなたをここへもどすことも可能です。もちろん、ハミイーがそこへいってくれれば、ずっと容易になりますが」 「そいつはすごい! どうやるんだい?」 「探査機の到着を待ってください。そのときに教えます」 〈至後者《ハインドモースト》〉が通話を切ったあと、彼はなおしばらく、ほとんど人けのない都市を見おろしていた。気落ちした気分だった。盛りを過ぎた都市の盛りを過ぎた建物の中に、ただひとり、ドラウドもなしに……。  すぐ背後で声がした。 「あなたは、奥様には、夜行性じゃないといってましたね」 「やあ、マー・コーシルか。ぼくらの世界は、電気の照明を使ってるんだよ。おかしな時間に寝起きする連中もいるんだ。それにどっちにしろ、ぼくらの一日はここより短いんでね」  そういいながら、ルイスはゆっくりと振りかえった。大目玉のヒューマノイドが、武器をこっちへ向けていないのはたしかだった。  彼女がいう。 「ここ何ファランかのあいだ、一日の長さが変わってきているんです。みんな心配しています」 「ああ」 「誰と話していたのですか?」 「ふたつ頭の怪物とさ」  マー・コーシルは、クルリと背を向けて、いってしまった。たぶん腹を立てたのだろう。  ルイス・ウーは窓にもたれたまま、さまざまな出来ごとのあった長い人生へ、とりとめもなく思いをさまよわせた。すでにノウンスペースへもどる望みは捨てていた。ドラウドもだ。おそらくもう年貢の納めどきかもしれない……そんな気分だった。 〈チカー 館《ビルディング》〉は、全面バルコニーで蔽われた人造石の一枚板だった。その片面には、爆発の傷跡が残り、ところどころ金属の骨格がむきだしになっていた。この建物の水分凝集機は、かすかに傾斜したその上縁にそって走る樋《トラフ》だった。すぐ下にある機械装置には、昔の爆発による金属の小滴が、いっぱい付着していた。これをなおすのは無理だろうとルイスは思ったが、果たしてそのとおりだった。 「わたしの責任です」ラリスカリアリアーがいった。「二千ファラン前、〈チカー 館《ビルディング》〉と〈オールリー 館《ビルディング》〉のあいだに戦争があったことを忘れていました」 〈パンス 館《ビルディング》〉は、さかさに立てたたまねぎ[#「たまねぎ」に傍点]みたいなかたちをしていた。おそらくもともとは、ヘルス・クラブ用に建てられたものらしい。プールや、温泉や、サウナ・ボックスや、マッサージ台や、体操場などがあった。水がここにはたっぷりあるようだった。そして、何となく脳裡に残っているかすかな香りが、彼の記憶をくすぐる……。 〈パンス〉も〈オールリー〉と戦いをまじえたことがあり、壁には爆発のあとが残っていた。だが、アルリヴァコンパンスという若い男は、禿げた頭をふり立てて、水分凝集機が被害をうけていないことを誓った。  ルイスは装置の内部に、虫くいの埃の跡と、その上の接点を見つけだした。修理を終えると、まるい屋根の上に水滴がつき、周囲の樋《ガター》に流れこみはじめた。  支払いのとき、ちょっとしたもめごとがあった。アルリヴァコンパンスとその一族が、リシャスラによるつけにしてほしいといいだしたのである。(そのときやっと[#「そのときやっと」に傍点]ルイスは、さっきから鼻腔と後脳をくすぐっている匂いの正体に気づいた。ここは、いかがわしい場所で、どこか近くに吸血鬼《ヴァンパイア》がいるのだ)  ラリスカリアリアーは、現金による即金払いを主張した。その論旨に、ルイスも耳をかたむけてみた。どうやら、パンス家が水を買わなくなったら〈テン〉は喜ばないだろうし、そこへ詐欺事件の訴えでもあれば、大喜びで罰金を取り立てるだろうといってやったらしい。  アルリグァコンパンスは金を払った。 〈ギスク 館《ビルディング》〉は、〈都市の墜落〉のときには分譲マンションか何かそういったものだったらしい。真四角で、中央に吹き抜けがあり、半分は空室だった。あたりの臭気から察するところ、ここでは水の使用を極度に制限していたらしい。  だんだんルイスにも、水分凝集機の外観の共通点がのみこめてきた。手早く修理をすますと、それはすぐ動きだした。ギスク家の人々は、即座に支払いをし、ラリスカリアリアーの足もとにひれ伏して感謝の意を表した……じっさいに修理をやった従者には目もくれないでだ。  まあ、いいさ。  フォータラリスプリアーは大喜びだった。彼は、ふた握りの金属貨幣をルイスのチョッキのポケットに押しこみながら、ややこしい買収の作法について一席ぶった。飾りたてたそのことばのあや[#「あや」に傍点]に、翻訳機は極限まで酷使されたにちがいない。 「疑わしいときには手をつけぬことだ」と、フォータラリスプリアーはいった。「あす、〈オールリー 館《ビルディング》〉へは、わしも同行しよう。交渉役は、わしにまかせておくがいい」 〈オールリー 館《ビルディング》〉は、都市の左舷《ボート》側に位置していた。ルイスとフォータラリスプリアーは、いちばん見張らしのきく高い斜路を、ゆっくり時間をかけ、周囲の景色を眺めながら歩いていった。フォータラリスプリアーは、この都市を誇りとしているようだった。 「〈墜落〉のあとにも、文明の一片は生きのびたのだよ」  そういいながら、彼は、かって皇帝の居城だったという〈リーロ 館《ビルディング》〉を指さしてみせた。美しい建築だが、傷あとが残っている。ちょうど〈オールリー 館《ビルディング》〉がここへ到着したころ、皇帝はこの都市全体を自分の支配下におこうとしたのだという。  ギリシャの柱のような縦溝のついた──ただし何をささえているわけでもない──一本の柱のかたちをしたのが、かつてはショッピング・センターだった〈チャンク 館《ビルディング》〉であった。食料品店やレストランや家具寝具店から玩具店までを兼ねた〈チャンク〉──そこに保有されていた品々で、〈機械人種《マシン・ピープル》〉との取り引きができなかったら、都市はずっと昔のうちに滅んでいたことだろう。〈チャンク〉の最下層からは螺旋形の空中道路が、〈|空への丘《スカイ・ヒル》〉へとくだっていた。 〈オールリー 館《ビルディング》〉は、厚みが四十フィート、直径がその十倍くらいの円形で、ちょうどパイみたいなかたちをしていた。その一隅にそそり立つどっしりした塔には、何基もの砲座や、手すりつきの数層の甲板や、起重機などがあり、ルイスはふと巨大な船──戦艦のような──の艦橋を連想した。 〈オールリー〉へ通じる歩道は広かったが、入口はただひとつしかなかった。屋上の縁ぞいに、小さな突起が何百となく並んでいる。それらはカメラか、その種の感知器だろうが、もう作動してはいないのだろう。側面に並んでいる窓は、どうやらこの建物が完成したあとから穴をあけたものらしい。はまっているガラスが、いかにもちぐはぐなのだ。  この日、フォータラリスプリアーのいでたちは、植物繊維で織られたと覚しい黄色と緋色の長衣《ローブ》で、ルイスの目からみれば粗末なものだが、遠くからはいかにも堂々としてみえた。そのあとにつづいて〈オールリー 館《ビルディング》〉にはいると、そこは広い応接区画だった。照明はあったが、チラチラまたたいている──天井の近くで、何十ものアルコール・ランプが燃えていたのだ。  いかにも〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉然とした十一人の男女が、そこで待っていた。みんなほとんど同じ、きちんと折り返しのついた太めのズボンに明色のケープという服装である。そのケープの裾が、複雑な、しかも左右不対称なかたちに仕立てられている。  階級章か?  中でもとくに裾のかたちの複雑なケープをまとい、銃を肩にかけた白髪の男が、にこやかにふたりを迎えて進み出た。  フォータラリスプリアーに向かい、男はいった。 「そやつを、この目で見たいと思ってな。五千ファランものあいだ死んでおった機械から水を出すという、その男をな」  すり切れたプラスティックのホルスターにはいっているその銃は、小型だが、すっきりと能率的なかたちをしている。しかし、そんな銃をたずさえていてさえ、フィリストランオールリーには、好戦的な気配などみじんもなかった。  小ぶりな顔に楽しげな好奇心をたたえて、ルイス・ウーをしげしげと見つめながら、男はつづけた。 「まことに変わった風態の男じゃが、しかし……まあよかろう。料金を払った以上はな。では、検査を」  兵士たちに向かって合図する。  彼らはまずフォータラリスプリアーを、ついでルイスを、身体検査した。携帯レーザーを見つけると、点けてみた上で、返してよこした。翻訳機には頭をなやましている様子なので、ルイスはいってやった。 「そいつは、ぼくの話を伝えてくれるのさ」  フィリストランオールリーは、とびあがった。 「たしかにそうだ! それを売ってはくれぬか?」  たずねられたフォータラリスプリアーが答える。 「わしのものではないのでな」  ルイスが応える。 「そいつがないと、ぼくはしゃべれないんだよ」  オールリー家の当主は、それで一応納得した様子だった。  水分凝集機は、〈オールリー 館《ビルディング》〉の広々とした屋上の中央にある窪みだった。その階下にひらいている点検用|通路《チューブ》は、ルイスがはいるには小さすぎた。装甲服を脱いでも無理だろうし、むろん脱ぐ気もない。 「修理には何を使ってるんです? ねずみ[#「ねずみ」に傍点]でも?」 「〈|ぶらさがり人種《ハンギング・ピープル》〉だよ」  フィリストランオールリーが答えた。 「あれら[#「あれら」に傍点]を雇わねばならん。〈チルブ 館《ビルディング》〉が、もう送りだしておるだろうて。で、ほかに何か問題は?」 「あるようですな」  すでにこの装置は、かなり見慣れたものになっている。ルイスはもうそれを三つ修理し、あとひとつは修理に失敗していたのだ。ひと組の接点にちがいないと思われるものが、ここからも見えている。その下に、れいの埃のあとをさがしたが、見つからなかった。 「前にもなおそうとしたことがあるんですか?」 「だろうな。しかし、五千ファランものあいだのことだ。どうしてわしらにわかる?」 「とにかく、修理屋を待ちましょう。こっちの指図どおりにやってくれるといいが」  カホナ! はるか昔に死んだ何ものかが、目じるしの埃をきれいに吹きとばしてしまったんだ。それでも、あの接点までなら、手をのばせばとどくはずだから……。  フィリストランオールリーがたずねた。 「うち[#「うち」に傍点]の博物館をご覧になりたいかな? その権利を、きみたちは買ったのだからね」  ルイスは、武器マニアだったことはなかったが、ガラスのケースの中や、ガラスの壁のうしろに並んでいる殺人道具の方式はわからないとしても、原理くらいは見当がついた。  砲弾か爆発物か、あるいはその両方を使うものが大部分である。敵の体内で小さなかんしゃく玉のように破裂する小型の弾丸をつづけざまに射ちだすらしい装置もあった。レーザーも二、三あったが、どれもかさばって重そうだ。かつてはトラクターか浮遊プラットホームの上に据えられていたのだろうが、その台のほうはどこかで使うために外されてしまったものと思われた。  ひとりの〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉が、六人の作業員を連れて到着した。〈|ぶらさがり人種《ハンギング・ピープル》〉の背たけは、ルイスの遊離肋骨くらいまでしかない。そのからだにくらべると、頭だけが異様に大きくみえる。足の指は長く器用そうだし、手の指は床すれすれのところにあった。 「時間の無駄だと思うがね」と、ひとりがいった。 「きちんとやることだけやってくれれば、賃金は払うよ」  ルイスのことばに、小さな相手は、せせら笑いで答えた。  みんな、ポケットだらけの袖なしガウンを着、そのポケットには道具がギッシリつまっていた。兵士たちが身体検査をしようとすると、彼らはそのガウンを脱いでしらべさせた。たぶん、からだに触れられるのが嫌いなのだろう。  いかにも小柄だ。  ルイスは、フォータラリスプリアーにささやいた。 「あんたの種族は、あいつらともリシャスラするのかね?」 〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉は、声をしのばせて笑いながら答えた。 「いかにも。ただし、注意ぶかくな」  点検用チューブの中へ腕をのばすルイスの肩のまわりに、六人の〈|ぶらさがり人種《ハンギング・ピープル》〉があつまり、中をのぞきこんだ。彼は、マー・コーシルから借りた絶縁手袋を手にはめていた。 「接点は、こんなふうなかたちをしている。そこにこの布の紐を、こうやって固定するんだ……そしてここに。接点は、ぜんぶで六組ある。その下に、虫の喰ったようなあとがあるかもしれない」  点検パイプの曲がり角の向うへ全員の姿が消えると、彼は、オールリー家とリアー家の当主に向かっていった。 「彼らに手違いがあっても、こっちに知るすべはないってわけか。仕事のぐあいを検査できるといいのに」  しかし、もうひとつの心配ごとのほうは、口には出さなかった。  やがて、〈|ぶらさがり人種《ハンギング・ピープル》〉たちが出てくると、みんな打ちそろって屋上へ向かった──作業員たち、兵士たち、ふたりの家長、それに、ルイス・ウー。そこで一同が見たのは、窪みの中に霧が発生し、凝結し、水となって底へ流れ落ちている光景だった。  かくて、六人の〈|ぶらさがり人種《ハンギング・ピープル》〉は、いまや黒い布切れで水分凝集機を修理するやりかたを知ったわけである。 「その黒い布を買い取りたいのだがな」フィリストランオールリーがいいだした。  すでに〈|ぶらさがり人種《ハンギング・ピープル》〉とその監督の〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉は、階段から下へ姿を消していた。フィリストランオールリーと十人の兵士が、ルイスとフォータラリスプリアーの逃げ道をふさいだ。 「売る気はありませんな」と、ルイス。  銀髪の、兵士のひとりがいった。 「売る気になるまで、ここにいてもらおう。何なら、そのしゃべる箱も売らせてみせようか」  こうなることはルイスもなかば予期していた。 「フォータラリスプリアー、〈オールリー 館《ビルディング》〉は、あんたまで力づくでここに留めておけるだろうかね?」  リアー家の当主は、オールリー家の当主の目をじっと見すえながら答えた。 「それはできまい。面倒を起こしたくなければな。群小|建築《ビル》群が一致して、わしを解放させようとするだろう。〈テン〉も、来訪者の接待を拒絶されるよりは、〈九棟《ナイン》〉になるほうを選ぶだろうて」  フィリストランオールリーはそれを笑いとぱした。 「群小|建築《ビル》どもは、いずれ水不足で……」  その笑いが、フッと消え、代わってフォータラリスプリアーの顔に微笑が浮かんだ。いまや〈リアー 館《ビルディング》〉には、ほかへも分けてやれるだけの水があるのだ。 「わしを留めおくことはできぬぞ。来客たちが、斜路《ランプ》からつき落とされるかもしれんぞ。〈チカー〉の演劇や、〈パンス〉の施設からも、締めだされる──」 「では、いくがいい」 「この男も連れていく」 「それは許さん」 「代金をもらって、さきにいっててください。そのほうが、みんなにとって面倒が少なくなる」と、ルイスがいった。  その片手はもう、ポケットの中の携帯レーザーにかかっている。  フィリストランオールリーが、小さな袋をさしだした。フォータラリスプリアーは、それを受けとり、中身をかぞえた。それから、兵士たちのあいだを通りぬけ、階段をおりていった。  その姿が見えなくなると、ルイスは耐衝服のフードを引きあげ、頭を蔽った。 「値段ははずむよ。十二──」  翻訳できない何か。 「だましたりはしないよ」  フィリストランオールリーが、しゃべっている。しかしルイスは、屋上の縁に向かって、あとずさりをはじめた。フィリストランオールリーが兵士たちに合図するのをみて、彼は走りだした。  屋上の周囲には、胸くらいまでの柵がめぐらされていた──まるで|ひじ根植物《エルボー・ルート》みたいにジグザグに曲がった桟がはいっている。はるか眼下にはくらやみ農場がひろがっている。  ルイスは柵ぞいに、眼下を歩道が通っている場所へ走った。兵士たちが追い迫っているのに、フィリストランオールリーはそのうしろからピストルを射ちつづけている。度肝をぬかれそうなおそろしい銃声だ。  一発が、ルイスの足首に命中した。服が硬化して、彼は彫像を倒したように横倒しになったが、また起きあがって走った。躍りかかるふたりの兵士を尻目に、彼は柵をとびこえると落下した。  ちょうどその歩道の上にいたフォータラリスプリアーは、びっくりしてふり向いた。  うつ伏せの姿勢で歩道に落ちた彼を、鋼鉄のようになった耐衝服は、ピタリと受けとめてくれた。それでも、つかのま彼は気が遠くなった。抱き起こされて、ようやく立ちあがる彼を、フォータラリスプリアーは、わきの下に自分の肩をいれて支え、ふたりはそこから歩きだした。 「先に逃げろ。射たれるかもしれない」あえぎながら、ルイスがいった。 「いっしょに射つわけにはいくまいよ。怪我をしたかね? 鼻から血が出ておるぞ」 「それだけのことはあったと思うよ」 [#改ページ]      21 〈|図 書 館《ライプラリー》〉  逆円錐形の建物の下端、その頂点のところにある小さな玄関をとおって、ふたりは〈図書館〉にはいった。  広いどっしりした机のうしろで、ふたりの司書が読書スクリーン──箱をかさねたような恰好の大きな装置で、テープを送りながら読んでいく仕組みらしい──に向かっていた。ふたりとも、縁をギザギザのかたちに仕立てた襟のついた青い上衣を着て、まるで僧と尼僧のようだ。  何分かたって、ようやく女のほうが顔をあげた。まじりけなしの、真白な髪をした女だ。年寄りではないから、たぶん生まれたときから白かったのだろう。地球人の女なら、そろそろ細胞賦活剤《ブースタースパイス》をのみはじめるくらいの年ごろだろうか。  ツンと背をのばした姿はほっそりとして、とても美しくみえた。もちろん胸は平たいが、いいからだつきだ。ハールロプリララーとのつきあいのせいで、ルイスは、禿げた頭にもセックス・アピールを感じるようになっていた。  この女がほほえんだら……だが、フォータラリスプリアーに対してさえ、彼女は無愛想で横柄だった。 「何ですか?」 「わしはフォータラリスプリアーだ。契約はできておるかね?」  彼女は読書機のキーボードをたたいた。 「できてます。この人?」 「そうだ」  そこでやっと彼女はルイスに目を移した。 「ルーウイーウ、ことばはわかるの?」 「わかるよ。こいつのおかげでね」  翻訳機がしゃべると、彼女の落ちつきは破れたが、それも一瞬だけだった。  彼女は言葉をついでいった。 「わたしはハーカビーパロリン。あなたのご主人は、三日間の無制限研究権に加えて、必要があればあと三日間それを延長できる権利を、買ってくださったのよ。ドアに金色のしるしのついた居住区画以外は、好きなように〈図書館〉の中を歩きまわっていいわ。それから、このしるしのついていない機械は、どれでも使っていいし──」  彼女は指さしてみせる。オレンジ色の三目並べの図柄だ。 「──でも、使いかたがわからないかもね。そのときは、わたしか、わたしと同じかたちの襟をした誰にでもたずねなさい。食堂も使っていいわ。でも、眠るときと入浴のためには、〈リアー 館《ビルディング》〉へ帰ること」 「そいつはありがたい」  司書の女は当惑したようだ。ルイス本人も、自分でびっくりした。  どうしてあんなに力をこめて答えたんだろう?  そうしてみて、あらためて驚いたことに、いまの彼には、〈リアー 館《ビルディング》〉が、キャニヨン星のアパートよりも居心地よく感じられるのだった。  フォータラリスプリアーは、銀貨で支払いをすませると、ルイスに一礼して、その場を立ち去った。司書が読書スクリーンに向きなおった。 (ハーカビーパロリンか。長ったらしい名前はもううんざり[#「うんざり」に傍点]だが、やっぱり覚えておくのがよさそうだ)  ルイスが声をかけると、彼女は肩ごしにふり向いた。 「ひとつ見たいところがあるんだが」 「〈図書館〉の中にあるんでしょうね?」 「だといいんだが。ずっと昔、いちど見たことがあるんだよ。円の中心に立つと、その円がこの世界なんだ。そして、中心にあるスクリーンをまわすと、世界中のどこでも拡大して見ることができる──」 「地図室《マップ・ルーム》ならひとつあるわ。そこの階段をいちばん上までのぼりなさい」  そして、彼女はクルリと背を向けた。  細い螺旋を描く金属の階段がひと筋、〈図書館〉の中心を上から下までつらぬいていた。上端と下端が留められているだけなので、のぼっていくにつれてそれは、彼の体重ではずんだ。金色のマークのある、閉まったドアの前を、つぎつぎと通り過ぎた。さらにのぼると、椅子のついた読書スクリーンの並ぶ部屋がいくつも、ポッカリとアーチ型の入口をこっちに向けていた。  スクリーンに向かっている人数をかぞえていくと、〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉が四十六人、年とった〈機械人種《マシン・ピープル》〉がふたり、小柄で毛むくじゃらの種族不明の男がひとり、それに|屍肉食い《グール》の女がひとり、いずれもひとりがひと部屋ずつに別れていた。  最上階が〈地図室〉だった。着くと同時に、彼にはそれがわかった。  はじめて地図室を見たのは、無人の浮かぶ宮殿の中でのことである。部屋の周囲の壁面が、青地に白の斑点を散らした環《リング》だった。酸素大気を持った十個の惑星模型と、拡大映像をうつしだすスクリーンもあった。しかし、そこに映る眺めは、何千年も昔のものばかりだった。活気にあふれるリングワールドの文明──光り輝く都市、外壁に垂直に立つ輪《ループ》の中をすっとんでいく乗物、この図書館くらいもある飛行機──宇宙船はそれよりさらに大きい。  だが、あのとき一行がさがしていたのは、〈補修センター〉ではなかった。リングワールドから脱出する方法を手さぐりしていたのだ。昔の録画テープなど、彼らには何の意味もなかったのである。  あのときはみんな、急ぎすぎていた。そのあげく──二十三年後のいま、またべつの緊急事態に追われて、前回と同じことをやっているわけだ……。  床の中央にひらいた階段の昇降口から室内に出たルイス・ウーの周囲をとりまいて、リングワールドが輝いていた。ちょうどその太陽の位置に、ルイス・ウーの頭がある。ここの地図は上下二フィート、直径がおよそ四百フィート。|遮 光 板《シャドウ・スクエア》も同じくらいの高さだが、ずっと近いところに浮かんでおり、その下の床は、広さ一千平方フィートに及ぶ漆黒の面で、そこに数千の星がちりばめられている。天井もまた星を散らした黒一色だ。  ルイスは|遮 光 板《シャドウ・スクエア》のひとつに歩みより、それを通りぬけた。ホログラム像──そう、前にみた地図室のと同じだ。しかし、今回のこの部屋には、地球型惑星の模型などはない。  ふり返って、|遮 光 板《シャドウ・スクエア》の裏側をしらべてみた。だが、細部はわからなかった。かすかに攣曲した真黒な長方形──それだけだ。  拡大スクリーンには先客がいた。  三フィートに二フィートの長方形で、下に操作盤のついたそのスクリーンは、|遮 光 板《シャドウ・スクエア》とリングワールドのあいだをグルリと走る軌条の上に乗っている。席についているのはひとりの少年で、スクリーンには、作動中のパサード・ラムジェットの拡大映像が出ていた。青みがかった光輝を放つ円形のひろがりである。  少年は目を細めて、その向こうにあるものをすかし見ようとしている。十代になったばかりの年ごろだろう。うぶ毛のような褐色の髪が頭全体を蔽い、後頭部でそれが濃くなっている。司書の制服を着ていたが、その襟はまるでケープのように広く四角く、X字形の切りこみがひとつついているだけだった。  ルイスは、たずねてみた。 「うしろからのぞいていてもいいかい?」  少年はふり向いた。ほかの〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉と同様、小ぶりで表情の読みにくい顔だちだ。そのせいか、妙にませ[#「ませ」に傍点]てみえる。 「許可をうけているの?」 「〈リアー 館《ビルディング》〉が、あらゆる権利を買ってくれたんだよ」 「フウン」  少年は向きを変えた。 「でも、どうせ何もみえないよ。あと二日もすれば、火を消すだろうけど」 「何を見てるんだね?」 「修理部隊さ」  ルイスも目を細くして、炎の中をのぞきこんだ。青白い炎の奔流がスクリーンにあふれ、その中心に暗いところがある。姿勢制御ジェットは、その暗い部分の中央にある、かすかなピンク色の点だった。  電磁場の力線が、太陽風の励起された水素を誘導し、集束し圧縮して核融合温度にまで高め、それを太陽に向けて噴きもどしているのである。リングワールドをその主星の引力に抗して支えようという、無益な努力を一途につづけている装置だ。  しかし、ここに見えているのは、一直線をなす外壁の上の、青白い光輝と、ピンクがかった点──それだけ。 「もうほとんど終わっちゃったよ」と、少年がいう。「そのうちに、きっと援助を求めてくると思ってたんだけど、とうとうこなかった」  もの足りなそうな口ぶりだ。 「きみたちが、連中の呼びかけを受信する道具を持っていないんじゃないかな」  ルイスは声を平静にたもとうとつとめた。  修理部隊だと[#「修理部隊だと」に傍点]! 「どっちにしろ、もう終わったんだろ。モーターが残ってないんだから」 「ううん。見てごらんよ」  少年は、画像を外壁ぞいにグイと動かした。青い炎からずっと離れたところで、映像が荒っぽく停止する。そこでルイスは、小さな金属片の一群が外壁にそって移動していくのを見たのだった。  見つめていると、ようやくその正体がわかってきた。何本もの金属の棒、巨大な糸巻き形の円筒──どれも、前に探査機の画像で見たものの部分品だ。リングワールドの姿勢制御ジェットをもとへもどすための機材であった。  修理部隊は、これらの装備を、縁《リム》の輸送システムの一部を使って、太陽をめぐる軌道速度まで減速したのだろう。しかし、その逆の過程を、どうやって達成する気なのか? 目的地のあたりで、この機材類は、またリングワールドの回転速度まで加速してやらなければ使えないはずだ。大気との摩擦によってか? それらの材質は、〈スクライス〉なみの耐久性を持っているのかもしれない。それなら、いくら熱せられても問題にはならないだろう。 「それから、ここ」  画面が、外壁にそって回転方向へ大きくとび、宇宙港の張り出しを映しだした。〈都市建造者《シティ・ピルダー》〉の巨大な船が四隻、はっきりと見えている。ホット・ニードル号は、点のようなしみ[#「しみ」に傍点]だった。その位置をはっきり覚えていなかったら、見つからなかったかもしれない──胴体のまわりの無事なパサード・ラムジェットを誇示している一隻から、一マイルほど離れた場所だ。 「ほら、見えるね?」  少年は、その一対の銅色に光るドーナッツ形を指さしてみせた。 「まだひとつだけ残ってるんだ。あれをつければ、それで終了さ」  何百万トンもの建設資材が外壁に沿って飛んでいるその周囲には、当然、種族はわからないが工事屋の一団がついているはずで、それがみんなニードル号の停泊地点をめざしているわけだ。〈至後者《ハインドモースト》〉にとっては、嬉しくないニュースだろう。 「終了か、そうだな」と、ルイス。「でも、まだ足りない」 「足りないって、何に?」 「何でもないよ。この修理部隊だが、どのくらい前から作業をやってるんだ? どこからやってきたんだ?」 「誰もぼくには教えてくれないんだよ」少年が答える。「|やんなっちゃう《オーダラス・フラップ》。何をみんな興奮してるんだろう? でも、あんたにきいたってしょうがないね。どうせ知らないんだろ?」  ルイスは、それを聞き流した。 「どういう連中なんだ? 危険をどうやって感知したんだろうか?」 「誰にもわからないのさ。機械の組立てがはじまる前は、あんな連中がいることもみんな知らなかったんだ」 「いつはじまったんだ?」 「八ファラン前」  すばやい仕事ぶりだ、とルイスは思った。わずか一年半とちょっと、それにブラス準備期間。  彼らは何ものだろう?  知性があり、すばやく、果断で、この計画の巨大な規模にも膨大な数にもひるんでいる様子はない──まさしく彼らこそ……しかし、プロテクターはずっと昔いなくなってしまった。そのはずだ。 「あれ以外の修理もやってるんだろうか?」 「ウィルプ先生は、排出管《スピルパイプ》の詰まりをきれいにしてるだろうって。こぼれ山のいくつかで、濃い霧の立ちのぼるのが見えたんだ。でも、排出管の掃除ってのも、大きな仕事なんだろうね?」  ルイスは考えてみた。 「大きいな、たしかに。海底の浚渫船をまた動かすことはできるにしても……パイプを加熱する必要もあるしね。パイプはこの世界の下側[#「下側」に傍点]を通ってるんだ。詰まった軟泥は、凍っているだろう」 「〈フラップ〉だよ」と、少年。 「何だって?」 「排出管から出てくる茶色いものは〈フラップ〉っていうんだ」 「ほう、そうか」 「あんたは、どこからきたの?」  ルイスはニヤリと笑った。 「星の世界からさ。これ[#「これ」に傍点]に乗ってね」  少年の肩ごしに、しみのようなホット・ニードル号を指さしてみせる。少年が目をまるくした。  少年より無器用に、ルイスは映像を移動させて、外壁を離れてから着陸船《ランダー》のとった経路をたどってみた。ひとつの大陸ほどの大きさに白い雲がひろがっているのは、かつてひまわり花の群落があった場所だ。もっと左舷《ボート》方向へ進むと、大きな緑の沼地、そして新たな河床を切りひらいた河──古い河床は、黄褐色の砂漠の中に、曲がりくねった黄色い跡を残している。彼はその干上がった河床をたどり、吸血鬼《ヴァンパイア》のいた都市を映しだした。  少年がうなずいた。  この子は、何かを信じたくてたまらなかったのだ。星々の世界から[#「星々の世界から」に傍点]、ぼくらを助けにきた人々[#「ぼくらを助けにきた人々」に傍点]! しかし、お人よしに見られることを恐れてもいる。  ルイスは、ニヤリと彼に笑いかけ、さきをつづけた。  土地がまた緑色になった。〈機械人種《マシン・ピープル》〉の道路をたどるのは容易だった。その通っている土地のほとんどは、両側の地域とはっきりちがっている。ここで河流が折れ曲がり、もとの河床にもどった──リヴァーズ・リターンである。  ふたたびグッと倍率をあげると、この|浮 遊 都 市《フローティング・シシティ》を見おろした。 「ここだ」と、彼。 「知ってる。吸血鬼《ヴァンパイア》のことを話してよ」  ルイスは一瞬ためらった。しかし考えてみると、少年の種族は、この世界における異種族間セックスの権威なのだ。 「やつらには、誰でも彼らとリシャスラしたくなるように仕向ける能力があるんだよ。そしてそのとき、相手の首筋に噛みつくんだ」  のど[#「のど」に傍点]の傷あとを、彼は少年にみせてやった。 「ハミイーが、ぼくと、いや、ぼくを襲った吸血鬼《ヴァンパイア》を殺してくれたがね」 「その人はなぜ、吸血鬼《ヴァンパイア》にやられなかったの?」 「ハミイーは、この世界のどんな種族とも、まったくちがうんだ。むしろあのソーセージ植物のほうに惹かれるだろうよ」 「吸血鬼《ヴァンパイア》からは香水が採れるんだ」 「何だって?」  翻訳機がどうかしたのだろうか?  少年が、ひどく意味深な笑顔をみせた。 「そのうちわかるさ。ぼくはもういかないと。まだここにいる?」  ルイスはうなずいた。 「お名前、何ていうの? ぼくは、カワレスクセンジャジョク」 「ルーウイーウだ」  少年が部屋の中央の階段孔からおりていったあとも、ルイスは眉をひそめたまま、スクリーンの前に立ちつくした。  香水だと? 〈パンス 館《ビルディング》〉にただよっていた吸血鬼《ヴァンパイア》の匂い……そしていま、ルイスは、二十三年前の、ハールロプリララーがベッドにやってきたときのことを思いだしたのである。彼女は彼を支配下におこうとした。自分からそういったのだ。あのときも、吸血鬼《ヴァンパイア》の香水を使ったのだろうか?  まあ、いまとなってはどうでもいいことだ。 「〈至後者《ハインドモースト》〉、応答せよ」と、彼。「〈至後者《ハインドモースト》〉、応答せよ」  返事がない。  このスクリーンは、向きを変えるようにできてはいなかった。つねに外向きに、|遮 光 板《シャドウ・スクエア》には背を向けている。苛立たしいが、その理由は一目瞭然だ──つまりこの画像は、|遮 光 板《シャドウ・スクエア》そのものからビームで送られてきているということだろう。  スクリーンの倍率を下げると、彼は視点を可能なかぎりの速さで回転方向に移動させていき、やがて〈大海洋〉の上に出た。それから、死の天使みたいに急降下した。これは楽しかった。〈図書館〉の装備を使うほうが、ニードル号の望遠鏡で見るよりもずっといい。  地球の地図は古いものだった。五十万年も昔の、いまとはちがった大陸のかたち──いや、もっと昔だろうか? 百万年か? 二百万年か? 地質学者ならわかるのだろうが。  反回転方向《アンチスピンワード・》|右舷側《スターボード》へ視点を動かしていくと、やがて、クジン星の〈地図〉が視野いっぱいに現われた──光り輝く一個の氷原の周囲に、群れ集まっている島々。この〈地図〉の年代は、どのくらい古いものなのだろうか? ハミイーになら、わかるかもしれない。  ルイスはその眺めをさらに拡げた。鼻歌でも出そうな、いい気分だ。黄色とオレンジのジャングルをかすめて飛ぶ。視野が広い銀色の帯のような河を横切ったところで、彼はその流れを海のほうへたどっていった。河の合流点には、都市があるにちがいない。  もうちょっとで、見のがしてしまうところだった。ふたつの河の出合いにある三角州。ジャングルの緑の上に、淡色の碁盤目もようが印されている。人間の都市の中にも緑地帯≠持つものはあるが、クジンの都市では、それが、建物よりも多くの面積を占めているのだ。  倍率を最大まであげて、ルイスはようやく道路網を見分けることができた。  クジン人は、大きな都市を好まない。嗅覚が鋭すぎるためだ。この都市くらいのサイズで、クジン星なら族長の政庁所在地というところだろう。  都市があることはわかった。ほかには何が? もし何らかの産業があるとすれば、必要なのは……港? 鉱山町? さがしてみるとしよう。  ジャングルのうすくなったところがあった。都市とはまったく異質のパターンをなす黄褐色の土壌のひろがりが、すけてみえる。まるで弓の的が融けてくずれたみたいなかたちだ。当てずっぽうでいうなら、これはとても大きくとても古い鉱山のあとだった。  五十万年、あるいはもっと昔、クジン人の抽出見本がここに移され、住みついたのだ。しかし、鉱山町が見つかるとは意外だった。採掘すべきものが残されていたというのもふしぎな話である。五十万年もにわたり、彼らは、地表下数百フィートですべてが終わってしまうこの世界に、閉じこめられてきた。しかし、クジン人は、この文明を維持してきたかにみえる。  知能の高い猫族──かつては、かなりの範囲にわたる星間文明の支配者だった。カホナ、地球人に重力発生機の使いかたを教えてくれたのは、クジン人じゃないか! そしてハミイーは、〈至後者《ハインドモースト》〉に対抗するための味方を求めて、すでにこのクジンの〈地図〉へ到着しているにちがいないのだ。  ルイスは河をたどって海に出た。そこから彼は、自分の全能の視点を、この〈地図〉上最大の大陸の海岸線にそって南≠ヨすべらせていった。クジン人はあまり船を使わなかったはずだが、港くらいはあるだろう。それに、もともと海がきらいだから、好んで海岸に住んだりはしない。港があれば、それは工業都市だろう。  しかし、数十年にわたって重力発生機を駆使したのは、クジン大帝国内でのことである。いまルイスが見おろしているのは、ニューヨーク港にも比肩できそうな港だった。かすかな航跡が、幾筋も走っている。隕石孔みたいな、円形の湾をなしているらしい。  ルイスは倍率を下げ、視点を空へ後退させて、全体を見わたそうとした。  彼は思わず目をしばたたいた。スケール感覚の狂いに、また惑わされているのだろうか? それとも、操作を誤ったのだろうか?  湾の入口のあたりに停泊している一隻の船。それとくらベて、港全体が、まるで浴槽《バスタブ》くらいの大きさに感じられたのである。  だが、航跡はまだいくつか見えている。とすると、やはり本当なのだ。これは、都市一個に匹敵する大きさを持った船だった。湾口に横たわり、自然の円弧の欠けている部分をほとんどふさいでしまっている。  こんなものをやたら動かすわけにはいかないだろうと、ルイスは思った。船の動力が、海底の構成をぶちこわすかもしれない。出ていったあと、湾内の波浪パターンも変わるだろう。  それに、こんな怪物を走らせる燃料をどうするのか? ひと航海ぶんの燃料さえむずかしいのではなかろうか? 金属は、どこから見つけてきたのだろうか?  そして、何のために[#「何のために」に傍点]?  思えばこれまで、ルイスは、ハミイーがクジンの〈地図〉で求めるものを手にいれるだろうと、本気で考えてはいなかったようだ。だが、いまは……。  拡大ダイアルをまわす。視点がグングン宇宙へ遠ざかり、やがてクジン星の〈地図〉全体が、海上の小さなピンク色の点の集まりになった。そして、ほかの〈地図〉が、視野の端から姿を見せはじめた。  クジンの〈地図〉にいちばん近い〈地図〉は、まるいピンクの点だった。火星だ……クジン星からの距離は、地球と月のあいだくらいだろうか。  これだけの距離を、どうやれば克服できるというのか?  望遠鏡を使っても、大気をとおして二十万マイル以上も遠くまでは見えない。そんな距離を、海上を走る船で横切ろうとは──たとえ小さな都市ほどもある船だとしても──カホナ! 「〈至後者《ハインドモースト》〉応答せよ。ルイス・ウーより〈至後者《ハインドモースト》〉へ」  ルイス・ウーがぐずぐずしているうちに、修理部隊はニードル号を襲い、ハミイーはクジンの〈地図〉で戦士を集めてしまうかもしれない。もっとも、ルイスは、そのどちらも〈至後者《ハインドモースト》〉に話す気はなかった。話したら、パペッティア人をあたふたさせるだけのことだろう。  それにしても、呼びかけに答えさえしないとは、〈至後者《ハインドモースト》〉はいったい何をやってるんだ?  人間には、どう説明されても理解の外にあるようなことだろうか?  それなら、このまま調査を続けるしかない。  ルイスは、両方の外壁が視野にはいるくらいまで拡大率を下げると、リングワールドの中心線あたりから〈大海洋〉の左舷《ボート》よりにかけて、〈神の拳〉をさがした。そこにはないようだ。もっとスケールをひろげてみた。地球より大きな砂漠でも、リングワールド全体にくらべると小さな点にすぎないが、それはそこにあった。  赤っぽい荒地、そしてその中央近くにみえる白い点……〈|神 の 拳《フィスト・オヴ・ゴッド》〉、高さ一千マイルに近い、頂上にむきだしの〈スクライス〉をかぶった山だ。  そこから左舷《ボート》へ、ライヤー号の座礁のあと一行がとった道筋をたどっていくと、思いもよらないほどすぐに海岸へ出た。〈大海洋〉から長く腕のように伸び出た入江である。一行はその岸までいったわけだ。  ルイスはそこからうしろへゆっくりともどりながら、上からみると長楕円形の消えることのない雲にみえるはずのものをさがした。  しかし、嵐の〈目〉らしいものは、どこにも見えなかった。 「〈至後者《ハインドモースト》〉応答せよ! クダプトと|ぺてん師《フィネイグル》とアラーの名にかけて汝を求む、カホナ、こん畜生! 〈至後者《ハインドモースト》〉──」 「ここにいます、ルイス」 「ようし! こっちは浮遊都市の〈図書館〉だ。ここには地図室がある。地図室に関するネサスの記録と参照──」 「おぼえています」 「あの地図室じゃ、テープしか見られなかった。こっちのは、実況を映してるんだ!」 「あなたの身は安全ですか?」 「安全? ああ、これで充分さ。超伝導の布で親交を結び、いろいろやらせているんだ。しかし、ここから出られなくなっちまった。たとえ賄賂を使って都市から出たとしても、〈|空への丘《スカイ・ヒル》〉の〈機械人種《マシン・ピープル》〉の関所を通らなきゃならない。なるべくなら、武器を使って突破するようなことはしたくないんだ」 「それが賢明です」 「そっちに何か目新しい話は?」 「わかったことがふたつあります。第一に、ほかの宇宙港のホログラムをふたつとも撮りました。十一隻の船は、ぜんぶ略奪されていました」 「パサード式ラムジェットがなくなってたのか? ひとつも残らず?」 「はい、全部です」 「もうひとつは?」 「ハミイーが救助に寄ってくれる見こみはなくなりました。着陸船《ランダー》は、〈大海洋〉の中のクジン星の〈地図〉に着陸しました」と、パペッティア人。「予測すべきでした。あのクジン人は着陸船《ランダー》を奪って逃亡したのです」  ルイスは口の中で悪態をついた。この、まったく感情を欠いた、平板な口調の意味するところに、どうしていままで気づかなかったのか?  パペッティア人は、あわてふためいているのだ。そのため、人間のことばの、よりこまかいニュアンスが表わせないでいるのである。 「あいつはどこにいるんだ? いま何をしてる?」 「クジン星の〈地図〉の上を旋回する着陸船《ランダー》のカメラで見たのですが、彼はたいへん大きな海上用の船を見つけて──」 「ぼくも見つけたぞ」 「何だと思いますか?」 「ほかの〈地図〉を探険するか植民地化するかしようとしたんだ」 「はい。ノウンスペースでもクジン人は結局、他の星系の征服にのりだしました。〈地図〉のクジン人も、海のかなたを見たのでしょう。しかし、もちろん、宇宙旅行には手がとどきそうにありません」 「そりゃそうだ」  宇宙旅行の第一歩は、何かを軌道にのせることである。クジン星の低周回軌道速度は秒速約六マイルだ。クジンの〈地図〉では、それが秒速七百七十マイルになる。 「でも、どのみちあんな船を、そんなにたくさん造ることはできなかったろうね。どこで金属を手にいれるんだ? それに、ひと航海に少なくとも何十年かはかかる。だいたい、ほかにも〈地図〉があることを、どうやって知ったんだろう?」 「ロケットに望遠カメラをのせて打ちあげたということもありうるでしょう。すばやく作動する装置が要ります。ロケットを軌道にのせることはできませんから。あがって、落ちてくるだけです」 「地球の〈地図〉までいっただろうか? 火星からさらに数十万マイルも向うだ……それに、火星はあんまり基地向きじゃないし」  地球の〈地図〉にいたのは何だろう? |器用な人間《ホモ・ハビリス》だけだろうか、あるいは、パク人のプロテクターもか? 「|右 舷《スターボード》側にはダウンがあるし、反回転方向《アンチスピンワード》にはぼくの知らないやつもある」 「わたしたちは知っています。原住民は、共同生活を営む知的生物です。彼らに宇宙旅行は無理でしょう。一族全員を乗せる宇宙船が要りますから」 「友好的な種族かい?」 「いいえ、クジン人とでも戦ったでしょうね。それに、クジン人が、〈大海洋〉の征服をあきらめたこともたしかです。あの巨船を、湾口の防壁に使っているようですから」 「おやおや。ぼくはあそこが政府の所在地じゃないかとも思うんだがね。それで、ハミイーはどうしたんだい?」 「クジンの〈地図〉の上空を旋回して、できるだけの偵察を終えると、巨船の上空に着陸船《ランダー》を浮かべました。飛行機がとびあがって、爆薬を積んだミサイルで攻撃をかけました。ハミイーはだまってやらせておきましたが、着陸船《ランダー》には傷ひとつつきませんでした。ついでハミイーは、四機の飛行機を撃墜しました。しかし残った飛行機は、弾薬と燃料が尽きるまで攻撃をつづけました。それが船に帰投するのを追って、ハミイーも降下しました。そして、あの巨船の司令塔の飛行甲板に降りました。ルイス、彼は、わたしに楯つくため、味方を求めているのでしょうか?」 「気やすめをいうようだけど、ゼネラル・プロダクツの船体に立ち向かえるようなものが見つかるわけはないだろうね。着陸船《ランダー》を傷つけることさえできない連中さ」  長い沈黙。そして──。 「たぶん、あなたのいうとおりでしょう。飛行機が使っているのは水素燃料のジェットですし、ミサイルは化学ロケット推進でした。いずれにせよ、あなたの救出は、わたしがやらなければなりません。夕暮れには探査機の一基がそちらへ着きます」 「そしてどうするんだい? まだ外壁があるぜ。|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》は、スクライスをとおしては効かないっていったじゃないか」 「もう一基の探査機を使って、中継用の|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》をひと組、外壁の上におきました」 「なるほどね。ぼくは都市の左舷《ボート》寄り回転方向《スピンワード》周辺にある独楽《こま》みたいなかたちの建物にいる。どうするかがきまるまで、探査機は近くに浮かべといてくれないか。まだここを離れて帰ったものかどうか、決心がついてないんだ」 「帰らなければいけません」 「だって、必要なあらゆる解答が、この〈図書館〉にあるんだぜ!」 「調査ははかどりましたか?」 「ポツポツとだがね。ハールロプリララーの種族の保有していたあらゆる知識が、この建物の中にあるんだ。|屍肉食い《グール》たちにもききたいことがある。そいつらは自然の掃除屋で、どこにでもはいりこんでるみたいなんだ」 「学ぶにつれてまた知りたいことが出てくるというわけですね。たいへん結構です、ルイス。まだあと数時間はあります。夕暮れには探査機がそっちへ着くでしょう」 [#改ページ]      22 大 泥 棒  食堂は、建物の中腹あたりにあった。ルイスは、ささやかな幸運をありがたく思った──〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉は雑食性だったのだ。肉ときのこ[#「きのこ」に傍点]のシチューは、塩をいれればもっとよかったのだろうが、とにかく空っぽの胃袋をみたしてくれた。  何もかも塩分ぬきだった。そういえば、〈大海洋〉以外の海はぜんぶ真水なのだ。彼はリングワールド上で唯一の、塩分を必要とする人種かもしれない。このまま塩ぬきの食事でずっと生きていくことは、むずかしいだろう。  急いで食事をすませた。時間が重く肩にのしかかっている。すでにパペッティア人は逃げ腰だ。まだルイスと裏切りもののハミイーとリングワールドを一蓮託生の運命にまかせて逃げだしていないのが、ふしぎなくらいである。  強制徴募の部下たちを救いだすために出発をのばしているパペッティア人に対して、ルイスは尊敬の念に近いものさえ感じていた。  しかし、修理部隊がやってくるのを見つけたら、パペッティア人はとたんに気を変えるかもしれない。ルイスとしては、〈至後者《ハインドモースト》〉が望遠鏡をその方向へ向けないうちに、ニードル号へもどらなければならないわけだ。  すぐ、上の部屋にもどった。  つぎつぎと読書機をためしてみたが、どれも読めない字の文書が映るばかりで、絵もなければ声も出ない。そうこうするうち、ずらりと並んだスクリーンの前で、彼の目が見覚えのある襟にとまった。 「ハーカビーパロリン?」  司書は振りかえった。  小さな平たい鼻。裂け目のようなくちびる。禿げた頭皮に蔽われている優美な頭蓋のかたち。長く波うつ白い髪……グッと張りだした腰とみごとな脚の線。  地球の年齢になおせば、まあ四十歳といったところか。だが、〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉の齢のとりかたが人間よりおそいのか早いのか、それもルイスにはわからない。 「何なの?」  かみつくような声。ルイスはとびあがった。気をとりなおすと、彼はいった。 「音声プログラムを備えたスクリーンと、〈スクライス〉の性質に関するテープがないかな?」  彼女は眉をひそめた。 「何のことかわからない。音声プログラムって?」 「声を出して読んでくれるテープがほしいんだよ」  ハーカビーパロリンは、ルイスをじっと見つめ、ついで笑いだした。押さえようとしたが、こらえきれず、ふきだしてしまったのだ。  もうおそい。ふたりとも、周囲の注目の的になっていた。 「そんなもの、ないわよ。これまでも、一度だって」  声をひそめようとするのだが、こみあげる笑いのせいで、どうしても大きな声になってしまう。 「だって、あなた、字が読めないの?」  カホナ、こん畜生! ルイスは、耳から首筋が、カッとあつくなるのを感じた。読み書きは、むろん大事な教養で、誰でもおそかれ早かれ、少なくとも|共 通 語《インターワールド》の読みかたくらいは身につける。しかしそれは、生き死ににかかわるような問題ではない。どこへいったって、声を出して読んでくれる機械があるからだ。  そう、あの種の装置がないかぎり、彼の翻訳機も無用の長物なのだった! 「思ってた以上に手助けが要りそうだな。誰かに読んでもらわなきゃね」 「それは契約外の要求よ。ご主人にたのんで、再交渉してもらいなさい」  この小うるさく敵意を示す女に対して、買収に踏みきるだけの心の準備が、ルイスにはできていなかった。 「必要なテープをさがす手伝いをしてくれないか?」 「それは契約にあるわ。おまけに、わたし自身の研究を中断させる権利までつけてね。ほしいものをいいなさい」  てきぱきした口調だ。彼女がキーをたたくと、見なれない文字の並んだ頁が、つぎつぎとスクリーンに映しだされた。 「〈スクライス〉の性質ね? はい、これが物理学の教科書。この世界の構造と力学の章があって、その中に〈スクライス〉のことも出てるわ。あなたにはむずかしすぎるかもしれないけど」 「そいつと、基礎物理学の教科書もだ」  彼女は疑わしげな表情をみせた。 「いいわ」  またキイをたたく。 「技術系学生向きの、外壁の輸送システムの構造に関する古い教材もあるわよ。歴史的な事項ばかりだけど、何かわかるかもしれない」 「それもほしいね。だいたいきみの種族は、この世界の下側[#「下側」に傍点]へいったことがあるのかい?」  ハーカビーパロリンは、ツンと背をのばしてみせた。 「いったにきまってます。わたしたちは、この世界と星々を支配していたのよ。当時の機械が残っていれば、〈機械人種《マシン・ピープル》〉なんかに馬鹿にされなくてもすむのに」  ふたたびキーボードの上に指を走らせる。 「でも、世界の下側の記録は残ってないわ。こういうものを集めて、何にするの?」 「まだはっきりしないんだ。それから、古代の不死の霊薬の出どころをたどるのに手をかしてほしいんだがね」  ハーカビーパロリンは笑ったが、こんどは静かな笑い声だった。 「あんなたくさんの書籍テープ、持って歩けやしないわ。霊薬をつくった人たちは、一度もその秘密を明かしていないし、それについて本を書いた人たちは、一度もそれを見つけだしていないんだから。宗教的なテープ、それに関する警察の記録や、詐欺事件のいきさつ、世界各地にわたる探険の記録など、いろいろあるわよ。これは、不死の吸血鬼《ヴァンパイア》の物語──これが何千ファランものあいだ、〈|草 食 巨 人《グラス・ジャイアント》〉たちに取りついて、年を経るに従い厄介なずる賢さを身につけていき、とうとう──」 「それは要らない」 「そいつの薬のかくし場所も見つかっていないわ。要らないのね? ちょっと待って……〈クティステク 館《ビルディング》〉が〈テン〉の一員に加わったのは、そこが、他の建物よりあとまで霊薬を使いのばしていたからよ。これは、すばらしい政治上の教訓で──」 「そういうのも要らない。ああ、それから、〈大海洋〉のことを書いたのがあるかい?」 「〈大海洋〉は、ふたつあるのよ」彼女が教えてくれた。「夜になれば、〈アーチ〉の上に、すぐ見つけられるわ。古い伝説の中には、不死の霊薬は反回転方向《アンチスピンワード》の〈大海洋〉からくると書いてるのもあるけど」 「ほう、それは……」  ハーカビーパロリンは、チラリと笑った。小さな口のせいで、神経質そうにみえる。 「あなた、純真なのね。〈アーチ〉の上で、肉眼でみえるものといえば、そのふたつだけなのよ。もし何か貴重なものが遠くから来ていて、いまはもう来ないとすれば、誰かがそれは〈大海洋〉から伝わったんだといいだすにきまってる。否定することも、べつの出所を示すことも、できる人はいないでしょ?」  ルイスはためいきをついた。 「きみのいうとおりだろうな」 「ルーウイーウ、こんないろんな質問、お互いにどう関連してるの?」 「関連なんかないかもしれない」  彼女は、彼の求めたテープのスプールをまとめ、それにもうひとつつけ加えた──子供向けの、〈大海洋〉にまつわる物語集だった。 「これで何をするつもりなのか、見当もつかない。持ちだしちゃだめよ。出るときには身体検査があるし、どうせ読書機を持っていくことはできないんだから」 「いろいろと有難う」  誰か、読んでくれる相手が必要だ。  知らない相手に誰かれかまわず当たってみるだけの勇気は、彼にはなかった。知らない相手でも、目星くらいはつけないと。部屋のひとつに、|屍肉食い《グール》がいたっけ。あの、くらやみ農場にいた|屍肉食い《グール》が、ルイス・ウーを知っていた以上、ここにいたやつもたぶん知ってるだろう。  しかし、その|屍肉食い《グール》は、匂いだけを残して、いなくなっていた。  ルイスは読書機の前の椅子にどっかりと腰を落とし、目を閉じた。チョッキのポケットふたつにいっぱいの、役に立たないスプール。  負けやしないぞ[#「負けやしないぞ」に傍点]、と、彼は心に思った。たぶんあの少年とまた会えるだろう。たぶんフォータラリスプリアーが、あるいはそれに代わる誰かがここへ来て、読んでもらえるだろう[#「読んでもらえるだろう」に傍点]。もちろんもっと費用がかかる。何だって、予定よりは高くつくものだ。時間も長くかかるものなんだ。  読書機は大きく不恰好な装置で、太いケーブルで壁につながっている。この製造者は、むろん超伝導線を持っていなかったわけだ。ルイスはスプールをそこにいれ、意味をなさない文字の列をにらみつけた。スクリーンの像は不鮮明で、スピーカーの開口《グリッド》らしいものもない。ハーカビーパロリンのいったことは本当だったのだ。  こんなことをしてる暇はない[#「暇はない」に傍点]。  ルイスは立ちあがった。もはや、選択の余地はなかった。 〈図書館〉の屋上は、広々とした庭園になっていた。螺旋階段の頂上の開口から、渦巻き形の歩道がその上にひろがっている。  蜜をつくりだす大きな花が、歩道のあいだの肥えた黒土の上に育っていた。暗緑色の角笛の口から小さな青い花をのぞかせた植物、茎の割れ目の中から金色の花を咲かせているソーセージ$A物、黄緑色のスパゲッティみたいな花綱《はなづな》をたらしている樹の茂みなどもあった。  散在するベンチの上に憩ういくつかのカップルは、ルイスに目もくれなかった。青い上衣の司書が多いようで、ひとりの男の司書は、騒々しい〈|ぶらさがり人種《ハンギング・ピープル》〉の旅行者の一団の付添いをつとめている様子だ。警備員らしい姿は、まったく見えなかった。  この屋上から外へは、一本の斜路《ランプ》も出ていない──空を飛ぶ泥棒でもいないかぎり、警備の必要はないわけである。  ルイスの胸には、ここでうけた手あついもてなし[#「もてなし」に傍点]に対するささやかなお返しの計画ができあがっていた。それも、金を払って買ったはずのもてなし[#「もてなし」に傍点]だった……それでも、気がとがめないことはない。  水分凝集機は、まるで三角帆の彫刻みたいに、屋上の縁からそそり立っていた。そこから三日月形の池に水が引かれている。その池は、〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉の子供たちでごったがえしていた。 「ルーウイーウ!」  名をよばれて、ふり向いたとたん、ルイスは空気でふくらんだボールを胸で受けとめた。  地図室で会った褐色の髪の少年が、手をたたきながら、ボールを返してくれと叫んだ。  ルイスは迷った。ここから離れろといってやろうか? このまま屋上にいると危険にまきこまれるかもしれない。しかし、利口な子だ。事態を察知して、警備を呼んだりされるとまずい。  ルイスは濡れたボールを投げ返すと、手をふって、その場を離れた。  この屋上から、人間をすっかり追い払う方法があるといいのに!  屋上の縁には手すりがなかった。ルイスは慎重に歩を進めた。やがて、しぼったタオルのような幹をした灌木の茂みをまわると、そこがわりと人目につかない場所であることがわかった。そこで、翻訳機をとりだした。 「〈至後者《ハインドモースト》〉、いるかい?」 「はい。ハミイーはまだ攻撃をうけています。一度だけ、報復攻撃し、あの巨船の大きな旋回式ミサイル発射台を熔かしました。何が目的なのか、わたしにはわかりません」 「自分の防備の完璧さを誇示してるんだろう。そうして、取り引きするつもりなんだ」 「どういう取り引きです?」 「あいつ自身にもまだはっきりしていないかもしれない。でも、連中にできるのは、彼に二、三人の女を世話してやるくらいのことだろうよ。それより、〈至後者《ハインドモースト》〉、ここじゃ、ぼくには何も調査できないことがわかった。スクリーンが読めないんでね。それでも、資料はあり余るくらい手にいれた。しらべるのに一週間はかかるだろうな」 「一週間のうちにハミイーは何をやりとげるでしょう? ここでそれを見とどける気にはなれません」 「ああ。手にいれたのは、読書スプールだ。読めさえすれば、知りたいことのほとんどはわかるだろう。あんたなら、なんとかできないか?」 「無理でしょうね。読書機が一台、手にはいりませんか? それがあれば、スクリーンに映して写真をとり、ニードル号のコンピューターにいれられるかもしれません」 「ひどく重いんだよ。それに、太いケーブルがついていて──」 「ケーブルを切りなさい」  ルイスはためいきをついた。 「わかった。で、どうするんだい?」 「探査機のカメラで、もう|浮 遊 都 市《フローティング・シティ》が見えます。あなたのところへ誘導しましょう。その重水素フィルターをはずして、|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》をむきだしにしなければなりません。動力ペンチがありますか?」 「工具なんて何もないね。あるのは携帯レーザーだけだ。どこを切ればいいのか教えてくれ」 「この船の燃料補給能力の半分を失うに足るだけの成果があってほしいですね。よろしい。もしあなたが読書機を手にいれ、それが|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》をとおるようなら、たいへん結構。それがだめでも、テープだけは持ってきなさい。たぶん何か方法はあるでしょう」  ルイスは〈図書館〉の屋上の縁に立つと、つま先ごしに、くらやみ農場の織りなす薄暗がりへ視線を落とした。その縁《へり》から外は、まだ真昼の明るさだ。碁盤縞をなす農地が、そこから外へひろがっている。河が蛇のようにうねりながら左舷《ポート》のほうへ遠ざかり、低い山なみのあいだに消えている。その山の向うには、海があり、平地があり、ちっぽけな山脈、さらに小さな海、みんな距離のために青みがかっている……そしてその果てから〈アーチ〉がどこまでも上へのびあがる。  なかば催眠状態になって、ルイスは明るい空の下で待ちうけた。もうなすべきことは何もない。時間のたつのさえ、ほとんど意識してはいなかった。  探査機が息づくような青い炎にのって、空から出現した。ほとんど目にはみえない噴射炎が、屋上に触れると、樹々も土も、オレンジ色の地獄と化した。小柄な〈|ぶらさがり人種《ハンギング・ピープル》〉や、青服の司書たちや、濡れた子供たちが、悲鳴をあげながら、吹きぬけになった昇降口のほうへ逃げだした。  その炎に包まれて探査機は降下し、横倒しの姿勢になると姿勢制御ジェットで減速した。上端のまわりにいくつも小さなジェットがあり、下側には大きめのジェットがついている。長さ二十フィート、太さ十フィート、カメラやそ他の装置のゴツゴツ突き出た円筒形だ。  ルイスは、炎がだいたいおさまるまで待った。それから、くすぶる灰をかきわけて探査機に近づいた。屋上は、見わたすかぎりからっぽだ──死体も見えない。  死者はなかったようだ。よかった。  探査機の先端にある厚い分子フィルターを、翻訳機の指示に従って切り離した。やがて、|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》がむき出しになった。 「さあ、これからどうする?」 「こちらにある探査機の|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》の作動を反転させ、フィルターをはずしました。読書機は手にはいりますか?」 「やってみよう。気は進まないが」 「二年後には、どうでもよくなることです。三十分だけ待ちましょう。持てるだけのものを持って帰ってきなさい」  ルイスが昇降口へ身をいれると、ちょうどこっちへ向かっていた二十人ほどの青服の司書たちと鉢合わせした。フードはすでに顔も蔽っている。彼らの射ちだす重い金属の小片が、耐衝装甲服《インパクト・アーマー》に当たってはねかえり、彼は一歩一歩、ぎこちない足どりで歩を進めていった。  猛烈な射撃がまばらになり、そして止んだ。彼らはコソコソと退散していった。  彼らが充分遠くへ離れるのを待って、ルイスは自分のすぐ足もとのところで階段を切り放した。この螺旋階段は、上端と下端が固定されていたにすぎない。いまやそれは、スプリングのように、途中のドアの下についた斜路《ランプ》を引きちぎりながら収縮していった。司書たちは命からがらドアにしがみついた。  かくしてルイスは、階上の二層を独占した。  だが、手近な読書室に向きなおったとき、斧を手にしたハーカビーパロリンが、彼の行手をさえぎった。 「もう一度だけ、手伝ってほしいんだが」と、ルイス。  彼女の斧が一閃した。それが首と肩のつけ根に当たってはねかえるところを、ルイスはひっつかんだ。彼女が必死に振りもぎろうとする。 「見ろ」  彼はそういって、レーザーのビームを読書機に電力を送っているケーブルに向けた。ケーブルは炎をあげ、スパークしながらふたつに切れた。  ハーカビーパロリンが金切り声をあげた。 「〈リアー 館《ビルディング》〉に弁償させてやるから!」 「そうはいかないだろうね。それより、この読書機を屋上へ運びあげるのを手伝ってくれないか。壁を切って出そうかと思ってたんだが、このほうがまだましだろう」 「手伝うもんですか!」  ルイスはもう一台の読書機の端から端へと光を当てた。それはまっぷたつに切れ、炎をあげた。ひどい臭気だ。 「手伝うといったらやめるよ」 「この吸血鬼《ヴァンパイア・》|狂い《ラヴァー》!」  装置は重かったが、ルイスはレーザーを手から離すわけにいかない。そのままあとずさりに階段をあがる。重みの大部分は、ハーカビーパロリンの腕にかかっていた。  その彼女に向かって、彼はいった。 「もしこれを落としたら、べつのを取りにもどることになるぞ」 「間抜け! ……どうせもう……ケーブルを……駄目にしてるのに!」  彼は答えない。 「なぜ、こんなことを?」 「この世界が太陽に触れるのを防ぐためだ」  彼女はいまにも手を放しそうになった。 「でも──でも、モーターがあるわ! みんなもとの場所にもどされたのよ!」 「じゃ、もうそこまで知ってたのか! でも、どうやらちょっとばかりおそすぎたようだ。きみたちの宇宙船の大部分は、帰ってきていない。モーターの数が充分じゃないんだ。さあ、休まないで」  ふたりが屋上に着くと、探査機は姿勢制御ジェットでフワリと浮かびあがり、そばに着地した。装置をその前におろす。このままではとおりそうにない。ルイスは歯ぎしりする思いで、スクリーンと装置のほかの部分とを切り離した。  これではいるだろう。  ハーカビーパロリンは、ぼんやりそれを見ているばかりだ。疲れきって、文句をつける気力もないようだった。  スクリーンが、分子フィルターをはずしたあとの穴の中へ消えた。残りの機械本体は、はるかに重かった。ルイスはなんとかその一端を持ちあげて穴によせかけた。それから仰向けになって両脚で押しこむと、ついにそれも消えた。 「〈リアー 館《ビルディング》〉は、これと無関係だ」司書のほうへ顔を向けると、彼はいった。「ぼくの企みのことを、あの人たちは知らなかったんだ。ほら」  彼は、黒っぽい布の小片を、彼女のそばにほうった。 「〈リアー 館《ビルディング》〉にきけば、こいつで水分凝集機やその他の装置をなおす方法を教えてくれるだろう。それで都市全体が、〈機械人種《マシン・ピープル》〉に依存しなくてよくなるんだ」  彼女は恐怖にみちた目で彼を見つめていた。聞いているのかどうかもわからない。  彼は身をずらし、足を先にして探査機の穴へはいりこんだ。そして、彼は頭から先に、ニードル号の船倉に出た。 [#改ページ] [#改ページ]    第 三 部      23 最 終 提 示  彼の出たところは、音のよく反響するほとんど真暗なガラス瓶の中だった。  透明なその船殻をとおして、薄闇の中に、なかば解体された宇宙船が見えた。探査機は、船倉の灰色に塗られた床から八フィートほど上の、後部隔壁にとりつけられた留め金のところにもどっていた。そしてルイスは、その探査機の、重水素フィルターを取りはずした穴の中に、卵立てにはいった卵よろしくおさまっていたのである。  ルイスはからだをまわして、穴の縁に両手でぶらさがり、ドサリと落ちた。骨の芯まで疲れきっていた。あとひと働き、面倒な仕事をすませれば、それで休息できる。  不可侵の壁のすぐ向うに安全がある。透明なその隔壁ごしに、就寝プレートがみえる……。 「よろしい」〈至後者《ハインドモースト》〉の声が、どこか天井のほうから語りかけた。「それが読書スクリーンですか? こんな大きなものだとは思いませんでした。半分に切らなければならなかったのですね?」 「ああ」  本体のほうも、八フィート下の床の上に落ちていた。幸いパペッティア人は、こうした道具の扱いがうまい……。 「たしかここにも|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》が通じていたっけね」 「緊急時に備えるために動かしました。前方左側の床の上に目を……ルイス!」  背後で、この世のものとも思えない恐怖の呻き。ルイスはクルリとふり返った。  さっきルイスが出てきたばかりの、探査機の中に、ハーカビーパロリンの姿があった。銃のような武器を両手にしっかりと握っている。くちびるがめくれ、歯が見えている。視線もさだまっていない。眼球が、上下左右にキョロキョロ動くばかりで、どこにも安住できないようだ。 〈至後者《ハインドモースト》〉が平板な口調でたずねた。 「ルイス、わたしの船に侵入したこれ[#「これ」に傍点]は誰ですか? 危険な相手ですか?」 「危険じゃない、落ちつけよ。取りみだしてるただの女司書さ。ハーカビーパロリン、もとの場所へ帰れ」  彼女の呻き声がだんだん高くなる。それが突然わめき声に変わった。 「ここ知ってる、地図の部屋で見たことがある! 恒星船の港だわ、世界の外の! ルーウイーウ、いったいあなたはどういう人なの?」  ルイスは携帯レーザーを彼女に向けた。 「さあ、帰るんだ」 「いやよ! あなたは〈図書館〉の財産を盗んでこわした。でももし──もし世界に破滅が迫ってるなら、わたしにも手伝わせて!」 「どう手伝うっていうんだ? しようのないやつだな。いいか──すぐ〈図書館〉へ帰れ。そして、〈都市の墜落〉の前、不死の霊薬がどこからやってきていたか、見つけだせ。そこがぼくらのさがしている場所なんだ。大きなモーターを使わずにこの世界を動かす方法があるとすれば、その制御装置はそこにあるはずだ」  彼女は首をふった。 「まさかそんな……どうしてそんなことがわかるの?」 「そこが本拠地だからさ。プロ──リングワールドの建設者たちは、その近くで、ある植物を育てて……カホナ……そうじゃないかと思うんだ。ただの当てずっぽうさ。カホナ、こん畜生!」  思わず両手で頭をかかえこんだ。大きなドラムみたいに、そこらじゅうが、ガンガン鳴っている。 「それも好きでさがしてるんじゃない。ぼくはただ、無理やり連れてこられただけなんだ!」  ハーカビーパロリンは、身をひるがえして、探査機の中から床に飛びおりた。粗末な青い上衣が、汗でグッショリ濡れている。こうしてみると、彼女はハールロプリララーにそっくりだった。 「お手伝いできるわ。読んであげられるもの」 「そのための機械は持ってきたがね」  彼女はさらに近づいてきた。武器はもう忘れたかのようにダランとさげたままだ。 「わたしたちの蒔いた種なのよ、わかる? わたしの種族が、この世界の舵をとるモーターをはずして、恒星船につけたの。もとへもどすためのお手伝いができないかしら?」 〈至後者《ハインドモースト》〉がいった。 「ルイス、その女はもうもどれませんよ。あちらの探査機の|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》は送出専用のままですから。彼女が持っているのは武器ですか?」 「ハーカビーパロリン、それをよこせ」  彼女はそうした。ルイスはその弾丸射出式の武器を、おそるおそる手にとった。どうやら〈機械人種《マシン・ピープル》〉の製品らしい。 〈至後者《ハインドモースト》〉が命じた。 「それを持って、船倉の前端左隅にいきなさい。そこに送出機があります」 「見つからないぞ」 「同じ色を塗ってありますから。武器をそこにおいて、うしろへさがりなさい。女、そこを動かないで!」  ルイスはいわれたとおりにした。銃は消失した。それが、船殻の外、宇宙港の張り出しの上に落ちる一瞬の動きを、ルイスはかろうじて目にとめた。〈至後者《ハインドモースト》〉は、|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》の受容機を、船外に出しておいたのである。  ルイスは舌をまいた。パペッティア人の偏執狂ぶりには、ルネッサンス期のイタリア人と共通するものがあった。 「いいでしょう。ではつぎに──ルイス! また!」  褐色のクシャクシャ頭が、ヒョイと探査機からのぞいた。地図室で会った少年だ。すっ裸で、水のしずくをたらしながらのびあがって見まわそうとしたとたん、危うく前のめりに落ちそうになった。驚きに目を大きく見ひらいている。ちょうど、どんな驚異にも平気で直面できる年ごろなのだ。  ルイスがどなった。 「〈至後者《ハインドモースト》〉! あの|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》の作用をとめろ[#「作用をとめろ」に傍点]!」 「とめました。もっと早くとめておくべきでした。これは誰ですか?」 「司書の子供だよ。長い名前で、いま思いだせないが」 「カワレスクセンジャジョクだよ」少年は笑いながら叫んだ。「ここはどこなの? ルーウイーウ、これからどうすればいいの?」 「|ペてん師《フィネイグル》のみぞ知る、だね」 「ルイス! この異星人たちを、船にのせておくわけにはいきません!」 「宇宙へほうりだそうなんて思うなよ。そんなことは許さないぞ」 「ではその船倉にいてもらいます。あなたもです。これはあなたの、いや、あなたとハミイーのたくらみですね? あなたたちを信用すべきではありませんでした」 「してやしなかったくせに」 「何ですか? もう一度」 「ここにいたんじゃ、飢え死にしちまうぜ」  かなり長い沈黙。  カワレスクセンジャジョクは、身軽に探査機からとびおりると、ハーカビーパロリンと、猛烈な早口で、しばらくささやきあった。 「あなたは部屋にもどってよろしい」だしぬけに〈至後者《ハインドモースト》〉がいった。「ほかのふたりはそこにいなさい。食事を送ってやれるよう、|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》回路をあけておきます。これで何もかもうまくいきました」 「何だって?」 「ルイス、リングワールドの原住民が少しでも生き残るのはいいことです」  リングワールド人は離れているので、ルイスの翻訳機からの声は聞こえない。  彼はきき返した。 「まさか、いまになってあきらめようってんじゃないだろうね? このテープの中身が、ぼくらをまっすぐ、魔法の物質変換機のところへ連れていってくれるかもしれないんだぞ」 「そうです。ルイス。いっぽう、いくつかの〈地図〉から集められた宝物が、いまにもハミイーの手に落ちているかもしれません。距離を考えると、二、三日は大丈夫でしょうが、それ以上はだめです。もうすぐ出発しなければなりません」  ルイスが近づいていくと、ふたりの原住民は向きなおった。 「ハーカビーパロリン、読書機をはこぶのを手伝ってくれ」と、彼はいった。  数分後、スプールのぜんぶと、読書機と、その本体から切り放されたスクリーンは、〈至後者《ハインドモースト》〉のいる操縦区画に移った。ハーカビーパロリンとカワレスクセンジャジョクは、つぎの指図を待っている。 「きみらには、しばらくここにいてもらわなけりゃならん」と、ルイスは告げた。「このさきどうなるかも、ぼくにはわからない。食べものと寝具はすぐにとどける。信じてくれ」  罪の意識が顔に出るのが感じられ、彼は急いで背を向けると、隅へ向かって歩をはこんだ。  一瞬後、彼はもとの監房にもどっていた──宇宙服、装具チョッキ、そのほか何もかもいっしょに。  ルイスは服を脱ぎ、肩のこらないパジャマをダイアルした。それだけで気分が楽になった。疲れてはいたが、ハーカビーパロリンとカワレスクセンジャジョクにも何か用意してやらなければならない。供給装置《キッチン》に、毛布のプログラムはなかった。そこで、フードのついた大きめのマントをダイアルし、|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》で船倉に送った。  ついで、昔の記憶をまさぐる。  ハールロプリララーの好きな食べものは何だったっけ? 雑食性ではあったが、新鮮なもののほうがよかったはずだ。適当にえらんだ食物を送りつけ、壁ごしに、ふたりが疑わしげな表情で口にいれるのを見まもった。  それから自分用に、くるみ[#「くるみ」に傍点]と時代もののバーガンディ・ワインを出した。食いかつ飲みながら、彼は就寝プレートを作動させて、そこへころがりこみ、無重力の中で手足をのばしながら、じっと考えこんだ。 〈リアー 館《ビルディング》〉は、彼の盗賊行為による被害を弁償させられるかもしれない。ハーカビーパロリンは、あの超伝導体の布を、与えた損害の代償として、〈図書館〉に残してきただろうか? それもわかっていない。  ヴァラヴァージリンはいまごろどうしているだろうか? この世界の全住民、いや、この世界そのものの未来を思って、怯えあがりながら、かわいそうにどうすることもできないでいる彼女……みんなルイスのおかげだ。いま船倉にいる女と少年も、同じようにおびえている……もしルイス・ウーがあと何時聞かのあいだに死んだとしたら、彼らもそのあと長くは生きられないのである。  それだけの代償を賭けての計画だった。彼自身の命だって、同じ危い橋をわたろうとしているのだ。  第一段階──携帯レーザーをニードル号に持ちこむこと。  完了。  第二段階──リングワールドをもとの位置にもどすことは、可能か?  あと数時間のうちに、不可能[#「不可能」に傍点]という答が出るかもしれない。それは、〈スクライス〉の性質如何による。  もし、リングワールドを救うことができなければ、逃げだすほかあるまい。もし、リングワールドを救える可能性があるとなったら、そのときは──。  第三段階──決断だ。  ハミイーとルイス・ウーは生きてノウンスペースに帰還できるのかどうか? もし否なら、そのときは──。  第四段階──反乱。  あの超伝導布の切れはしを、〈リアー 館《ビルディング》〉においてくればよかった。〈至後者《ハインドモースト》〉の注意を喚起して探査機の|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》のスイッチを切らせておけばよかった。じっさい、このところ、ルイス・ウーの判断力は、ひどく衰えているみたいだ。そう思うと気が滅入った。このつぎにとる行動こそ、とてつもなく重大な結果を招くものだというのに。  だがさしあたっては、とにかく二、三時間熟睡しないと……盗《と》ってきた品々に見合うだけの休息をとる[#「とる」に傍点]ことが、彼には必要だった。  かすかな話し声。ルイスは身動きし、無重力の中で寝がえりをうって、周囲を見まわした。  うしろの隔壁の向うで、ハーカビーパロリンとカワレスクセンジャジョクが、天井に顔を向けてさかんに何か話している。ルイスにはちんぷんかんぷんだった。翻訳機をつけていないせいだ。だが、彼らの指さしている、宇宙港の張り出しの眺めをさえぎるように船殻の外に浮かんでいる四角いホログラムは、ここからでも見てとれた。  その四角い窓≠フ向うに見えているのは、陽光に照らされた灰色の石づくりの城の中庭だった。大きな粗けずりの石壁。ゴツゴツつき出た角《かど》。窓といったら、縦長の矢狭間《やさま》があるだけだ。壁の一面を、蔦の一種らしいものが這いあがっている。深紅の葉脈を持った、鬱蒼たる淡黄色の蔦だ。  ルイスは就寝プレートの力場から、身を押しだした。  パペッティア人は、操縦区画の自分の席にすわっている。きょうの彼のたてがみは、燐光を放って輝く雲だった。  近づくルイスへ、片方の首を向けると、〈至後者《ハインドモースト》〉はいった。 「ルイス、充分休養したようですね?」 「ああ、必要なだけはね。何かその後、進展はあるかい?」 「読書機は修理できました。しかし、ニードル号のコンピューターには、物理学のテープが読めるほど〈都市建設者《シティ・ビルダー》〉のことばの知識がありません。わたしはこうして、原住民と話すことで、語彙をひろげようとしているのです」 「あとどれくらいかかる? リングワールド全体の設計について、ききたいことがあるんだが」  総計六百兆平方マイルに及ぶリングワールドの床面を使って、リングワールドの位置を電磁的に操作することはできないだろうか? それさえ確実にわかれば! 「十ないし二十時間かかるでしょう。ときどきは、休まなければなりませんから」  とても間に合わないな、とルイスは思った。修理部隊も、もういまにもやってくるかもしれない。状況は悲観的だ。 「あの映像はどこからきてるんだ? 着陸船《ランダー》かい?」 「はい」 「ハミイーに何かいってやれないか?」 「だめです」 「どうして? 翻訳機を持ってるはずだぜ」 「彼にいうことをきかせるために、翻訳機の機能をとめてやったのです。これは失敗でした。もう身につけていないのです」 「それで、どうなってるんだい?」と、ルイスはたずねた。 「あんな中世みたいな城で、あいつは何をやってるんだ[#「何をやってるんだ」に傍点]?」 〈至後者《ハインドモースト》〉が答える。 「ハミイーがクジン星の〈地図〉に着いてから、二十時間になります。彼が偵察飛行をし、クジン族の飛行機に攻撃させ、巨大な船に降りて、攻撃の終わるのを待っていたことは、もう話しましたね。しかし、六時間たっても攻撃は熄まず、ついにハミイーのほうが根負けして飛び去りました。ルイス、彼が何を求めているのかわかるといいのですが」 「ぼくにも見当がつかないよ。それで?」 「飛行機はしばらく追尾しましたが、やがて引っ返しました。ハミイーは捜索をつづけました。やがて、広い荒野の中で、そこのいちばん高い山の上に小さな城壁をめぐらせた城を見つけました。そしてその中庭に着陸しました。もちろん攻撃されましたが、そこの守備兵は、刀や弓といったものしか持っていませんでした。その連中が船のまわりに集まってくるのを見はからって、彼は|麻 痺 砲《スタン・キャノン》を浴びせました。それから──」 「ちょっと待て」  ひとりのクジン人が、アーチ形の入口からとびだし、灰色の敷石の上を、四本脚で必死にこっちへ駆けてくる。ハミイーにちがいない。耐衝装甲服《インパクト・アーマー》を着ていたからだ。その片眼には、紙のような尾羽根のついた木製の長い矢がつき刺さっていた。  何人かのクジン人が、刀や鎚矛をふりまわしながらそのあとを追ってくる。細い窓からつぎつぎと矢が飛んできて、耐衝装甲服《インパクト・アーマー》にはねかえる。  ハミイーが着陸船《ランダー》のエアロックにたどりついたとき、一条の光芒が窓のひとつからほとばしった。そのレーザー・ビームは、敷石をくだいて炎をあげ、ついで着陸船《ランダー》に照準をあわせた。ハミイーの姿はもう消えていた。ビームの照射がつづく……それがフッととだえると同時に、その出ていた細い窓が、赤と白の炎をあげて消滅した。 「不用心な」〈至後者《ハインドモースト》〉がつぶやく。「あのような武器を敵の手に渡すとは!」  もう片方の口が操縦パネルをつつくと、ホログラムの映像が船内カメラに切り変わった。ハミイーが、エアロックを閉め、苦労して装甲服《アーマー》を脱ぎ捨てながら、よろよろと自動医療装置《オートドック》のほうへ歩みよっていく。服の下で、片脚に大きな傷が口をあけていた。自動医療装置の蓋を持ちあげると、まるでくずれるようにその中へ倒れこんだ。 「カホナ! あいつめ、監視機構《モニター》のスイッチもいれてないぞ! 〈至後者《ハインドモースト》〉、助けてやらなきゃ」 「どうやってです。ルイス? |跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》であそこへいったら、あなたは核融合温度まで熱せられてしまいますよ。ここと着陸船《ランダー》の速度の差は──」 「そうだな」 〈大海洋〉は、リングワールドの曲面にそって三十五度のかなただ。運動エネルギーの差は、ひとつの都市をふっとばすに充分なほどだろう。助けにいく道はない。  ハミイーは、血まみれで横たわっている。  ふいに、彼はひと声叫んで、なかば寝返りをうった。太い指が自動医療装置のキーボードをまさぐる。それから背をまるめて半身を起こすと、蓋に手をのばし、引っぱってそれを閉じた。 「あれで大丈夫だろうな」と、ルイス。  眼窩に刺さっていた矢の角度は、かなり外向きだった。たぶん脳組織を傷つけてはいないだろう……それとも、傷つけているだろうか? 「たしかに、あいつは不用心だったな。わかった。それで、さっきの続きを話してくれ」 「ハミイーは、|麻 痺 砲《スタン・キャノン》を城全体に放射しました。それから三時間かけて、彼は気を失っているクジン人を斥力プレートにのせて、城の外へはこびだしました。そして門をぜんぶ閉ざしました。こうして城の中へはいったきり、九時間ほどのあいだ、彼は姿を見せませんでした。──何をニヤニヤしているのです?」 「クジン人の女は、外へ連れだしてなかったんだろ?」 「はい。そのはずです」 「すばやく装甲服《アーマー》を身につけることができたなんて、カホな幸運だよ。着終わる前に、脚に傷をうけたんだな」 「これでハミイーは、わたしにとって、心配の種ではなくなりました」  医療装置の中にはいっているのは、二十ないし四十時間くらいだろう。これでもうあとは、ルイスの決心ひとつということになる。 「あいつに相談しなきゃならないことがあるんだが、これじゃどうしようもないな。〈至後者《ハインドモースト》〉、このあとの会話を録音してくれないか。それをエンドレス・テープで、着陸船《ランダー》に送りつけるんだ。ハミイーが目をさましたとき、あいつの耳にはいるようにしてほしい」  パペッティア人は、背後に首をのばした。まるで操縦パネルをかじったみたいだった。 「やりました。相談することというのは何です?」 「ハミイーとぼくは、これまで、どう考えても、ぼくらをノウンスペースに連れもどす気があんたにあるとは、信じられなかった。連れもどすことが可能なのかどうか、それさえあやしい気がしたんだ」  パペッティア人の頭が、ふたつの方向から彼のほうを見ている。ひらたい頭が大きく距離をとり、立体視効果を最大にあげて、いつ敵にまわるかしれない心もとない味方の真意を、見きわめようというかまえだ。  そしてたずねた。 「どうしてですか、ルイス?」 「第一に、ぼくらは事情を知りすぎている。第二に、あんたには、ノウンスペース内のどこかへもどる理由が何もない。魔法の物質変換機が手にはいろうがはいるまいが、あんたがめざすのは〈惑星船団〉のはずだ」  パペッティア人のうしろ半身の筋肉が、不安げな緊張をみせた。(パペッティア人は、あのうしろ脚で闘うのだ──敵に背を向け、大きく離したふたつの目で間合をはかって、蹴りの一撃!) 〈至後者《ハインドモースト》〉がいった。 「それが、そんなにひどいことでしょうか?」 「ここに残るよりはましだろうがね」  ルイスは一歩ゆずった。 「すると、どういうつもりでいたんだ?」 「きわめて安楽な暮らしをさせてあげられますよ。知ってのとおり、クジン人用の長寿薬も、細胞賦活剤《ブースタースパイス》もあります。ニードル号には、人間とクジン人の女をのせる余地もあり、げんに〈都市建設者《シティ・ビルダー》〉の女をのせています。停滞《ステイシス》フィールドにはいって航行すれば、混んでいても問題はありません。あなたとお仲間は、〈船団〉の中の農業惑星のひとつに住んでいいのです。事実上そこの所有者ということになります」 「そこでの牧歌的生活に飽きちまったら?」 「ふざけたことを。母惑星の図書館の資料が、思いのままに見られるというのに。わたしたちが姿を見せて以来、地球人が望みこがれていた知識が手にはいるのですよ! わが〈船団〉は、ほとんど光速で宇宙を飛んでおり、やがてはマゼラン雲に着くでしょう。わたしたちとともに、あなたたちも銀河の核の爆発から逃げだせるのです。そしてわたしたちのほうにも、あなたたちが必要です……進路前方の、興味ぶかい領域を調査してもらうためです」 「つまり、危険な領域ってことだね」 「ほかに考えられますか?」  ルイスにとっては、予想以上に魅力ある申し出だった。  だが、ハミイーがこれを受けいれることがありえようか? あとで復讐できると考えるだろうか? いつかわからないが、パペッティア人の母惑星をメチャメチャにしてやれると? それとも、単純な恐怖心からでも?  彼はたずねてみた。 「その申し出は、ぼくらが魔法の物質変換機を発見することと引きかえなのかい?」 「いいえ。どちらにせよ、あなたたちの才能は必要です。しかしながら……いまここで約束することはどれも、〈実験党〉の政権下でのほうが容易に実行できます。〈保守党〉は、ハミイーはもちろん、あなたの存在価値すら認めないでしょう」  うまいいいかただ、と、ルイスはうなずいた。 「ハミイーのことだが──」 「あのクジン人はわたしを裏切りましたが、彼も、同様な条件で迎えるつもりです。彼はもう、救いたいクジン人の女を抱えてもいます。あなたならたぶん説得できます」 「どうかな」 「それに、いずれあなたは、故郷を見ることもできるのですよ。千年もたてば、ノウンスペースでは、パペッティア人のことなど忘れられているでしょう。ですが、〈惑星船団〉といっしょに光速近くで飛んでいるあなたからみると、それは数十年にすぎません」 「ゆっくり考える時間がほしいな。機会がありしだい、ハミイーの耳にもいれてみよう」  そういって、チラリとふりかえると、ふたりの〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉が、じっとこっちを見つめていた。彼らに相談できないのが残念だった。ルイスは自分とともに、このふたりの運命をも決定づけようとしていたのである。  だが、すでに心はきまっていた。 「そのつぎにやりたいのは」と、彼。「〈大海洋〉へ船を進めることだ。〈神の拳〉の孔から上へ出て、それからなるべくゆっくり──」 「ニードル号を動かす気はまったくありませんよ。隕石防禦装置だけでも危険はたくさんなのに、ほかにもあるかもしれません!」 「その気持を変えてみせよう。外壁の上にあった、パサード・ラムジェットを引きあげる起重機のことをおぼえてるかい? それがいまどうなってるか、見てみろよ」  つかのま、パペッティア人は、凍りついたように動かなかった。ついで身をひるがえすと、自分の領域をかくしている不透明な隔壁のうしろにかくれて見えなくなった。  これで、しばらくは出てこないだろう。       *  時間の余裕を見すまして、彼は脱ぎ捨てておいた衣服と装具のところへとって返した。チョッキのポケットから携帯レーザーをとりだす。  第四段階[#「第四段階」に傍点]──決行中[#「決行中」に傍点]。  自動医療装置が一億マイルもかなたの着陸船《ランダー》の中にあって手がとどかないのは、残念なことだ。いますぐそれが必要になるかもしれないのに。  ニードル号の外部船殻は、むろん閃光遮断式《フレア・シールディング》になっている。どんな船でも、少なくとも窓にだけはそれを備えている。押しよせる光量が多くなりすぎると、その遮光膜は鏡面と化し、それが例えばパイロットの目を守ってくれるわけだ。  太陽面爆発も防げるし、レーザーも防げる。〈至後者《ハインドモースト》〉が、自分と、つかまえた乗員とのあいだに、不可侵の壁を設けたからには、当然操縦区画全体をその種の防護膜《シールド》で蔽っているだろう。  しかし、床面はどうか?  ルイスは膝をついた。超空間駆動《ハイパードライヴ》モーターが、船首から船尾までのびている。全体に青銅《ブロンズ》色で、銅色や船殻金属の色をした部分もあった。あらゆる角《かど》をまるめるパペッティア製品の例にもれず、それはすでに半分融けて流れかけたような恰好にみえた。  ルイスは携帯レーザーをそれに向けてかまえ、透明な床ごしに射った。  光線が青銅色の表面で反射した。金属の蒸気がふきだした。熔けた金属が流れた。ルイスはビームを深くくいこませてから、それをあちらこちらと動かして、目立つものを片っぱしから燃やすか熔かすかしていった。超空間駆動《ハイパードライヴ》工学を一度も学んでいないことが悔やまれた。  手の中で、レーザーが熱を持ってきた。もう数分間これを続けていたのだ。ついで彼は、モーターを真空函内に支えている六個の支持架のひとつに向けた。それは熔けなかった。柔らかくなり、そのままだ。もうひとつを攻撃する。大質量のモーターが、沈下し、よじれた。  細いビームが明滅をはじめ、ストロボのように間欠的になり、そして消えていった。動力が尽きたのだ。パペッティア人がそれを爆発させられることを思いだして、彼はその携帯レーザーをなるべく遠くのほうへ投げた。  彼は、監房の前方の壁へ歩いていった。パペッティア人の姿は見えない。だが、やがてふいに、蒸気パイプオルガンがもだえ死にしかけているような音が聞こえてきた。パペッティア人が、不透明な緑色の区域をまわって、かけだして来ると、彼の正面に立った。  皮膚の下で、筋肉が、ブルブルとふるえている。 「おい」と、ルイス・ウー。「ふたりとも、理性的になろうぜ」  ゆっくりと、パペッティア人は二本の頸を両前脚のあいだにたくしこみ、三本の脚をからだの下に折り曲げてうずくまった。 [#改ページ]      24 代  案  目がさめたとき、ルイス・ウーは、頭はクッキリすみわたり、そして腹はからっぽだった。数分間、彼はそのまま無重力の中でじっとしていた。ついで手をのばすと、力場を切った。時計をみると、七時間ほど眠ったことがわかった。  ニードル号の客人たちは、飛行のあいだ着陸船《ランダー》の架台になっていた巨大な固定装置の下で眠っていた。白い髪の女は、マントの下で身をちぢめ、はだしの片足をつき出して、寝苦しそうだ。褐色の髪の少年は、まるで赤ん坊のようにあどけない寝顔をみせていた。  ふたりを起こす方法はないし、起こしたところで何の意味もない。隔壁は音を通さず、翻訳機も働いていない。それに、|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》も、二、三ポンド以上のものは送れない。  パペッティア人は本気で、手のこんだ陰謀のようなものに備えていたのだろうか? 思わずくちびるがほころびる。彼の反乱は、まさしく単純明快そのものだったのだ。  チーズトーストの軽食をダイアルすると、彼はそれをぱくつきながら、前方の隔壁のところへ歩みよった。  休息中の〈至後者《ハインドモースト》〉は、皮に蔽われたなめらかな卵形で、雲のような白い髪は、端で大きな房に編まれている。三本の脚とふたつの頭は、からだの下にかくれている。七時間のあいだ、身動きした様子もない。  ネサスがこんなふうになるのを、ルイスは見たことがあった。ショックをうけたときの、パペッティア人の反応である。全身を自分のへそ[#「へそ」に傍点]に向けてたくしこみ、宇宙を目の前から消してしまうのだ。それはいいのだが、九時間もというのは少々いきすぎのように思われた。  ルイスのショック療法が、もしパペッティア人を緊張病《カタトニア》に追いやってしまったとしたら、これは万事休すということにもなりかねない。  パペッティア人の耳は、頭についている。声をとどかせるには、そのからだ全体の肉と骨をとおさなければならない。  ルイスは大声で叫んだ。 「考えなきゃならんことが、いろいろあるんだがね!」  パペッティア人は答えない。ひとり相撲かもしれないと思いながら、ルイスは声を高めた。 「この世界全体が、太陽に向けてすべってるんだ。打つ手はいくらもあるのに、あんたがそうやってへそ[#「へそ」に傍点]をにらんでたんじゃ、何もできない。ニードル号の計器や感知装置や駆動装置や何やかを操作できるのは、あんたのほかにいないし、それももともとあんたが仕組んだことだ。だから──あんたがそうやって足のせ台のまねをしている一分ごとに、あんたとぼくとハミイーは、天文学者だったら絶対に見のがせないようなすばらしいチャンスに向かって、刻々と近づいていってるんだぜ」  反応をみながら、ルイスは手にしたチーズトーストを食べ終えた。  パペッティア人は、数多くの異星の言語に精通している。こうしたことばのあや[#「あや」に傍点]にのってくるだろうか?  だが事実、〈至後者《ハインドモースト》〉は、やっと話ができる程度に、片方の頭をのぞかせたのだ。 「どんなチャンスですか?」 「太陽黒点を、その下側から観測するチャンスさ」  頭がスウッと、腹の下にひっこんでいく。  ルイスはわめいた。 「修理部隊がきてるんだぞ!」  頭と頸がふたたび現れ、わめき返した。 「自分のしたことがわかっているのですか? わたしだけでなく、あなた自身と、ふたりの原住民に対して──みんなを破滅から逃げだせないようにしてしまったことが? 単なる破壊以外に何の目的があったのですか?」 「あったさ。あんたが前にいったことだ。いつかこの調査隊の指揮者が誰かをはっきりさせなきゃならない、ってね。きょうがその日なんだ」と、ルイス・ウー。「ぼくが指揮をとらなきゃならない必然性を、これから説明してやろう」 「いかにも、電流中毒者《ワイアへッド》が単なる権力をほしがることは、ありえないと思っていました」 「そこに第一の理由がある。つまりぼくは、あんたより先が読めるんだ」 「ほかには?」 「もうここを離れるわけにはいかなくなったこと。〈惑星船団〉にしたって、光速以下のスピードでは手がとどかない。リングワールドがなくなれば、ぼくらもおしまいだ。何としてでも、こいつをもとの位置にもどさなきゃならない。  第三点。リングワールドの建設者は、少なくとも二十五万年前には死んでしまっている」ルイスは、慎重につづけた。「ハミイーにいわせれば、二百万年前にだ。建設者たちが生きているかぎり、このような人種の突然変異や進化が起こったはずはない。彼らがそれを許さなかっただろう。彼らは、パク人のプロテクターだったんだ」  恐怖か戦慄か驚愕かを、ルイスは予想していた。だが、パペッティア人は、単に観念したようにそれをうけとめただけだった。 「狂暴で頑強で極めて知能の高い異星人ぎらいの種族ですね」  もう予測していたのにちがいない。 「連中はぼくらの祖先なんだ」と、ルイス。「彼らはリングワールドを建造し、それを所定の位置にたもつ何らかのシステムを設置した。さて、あんたとぼくのどっちが、パク人のプロテクターと似たような考えかたをする可能性が高いだろうかね? どっちかがやってみなきゃならないとしたら?」 「ここから脱出する可能性さえあったら、こんな議論をしてもはじまらなかったでしょう。ルイス、あなたを信用したのが間違いでした」 「あんたがそんな間抜けだったとは思いたくないね。ぼくらはこの調査に志願してきたわけじゃない。クジン人と地球人、どっちも奴隷にゃ向かないんだよ」 「第四点は、ないのですか?」  ルイスは顔をしかめた。 「ハミイーはぼくに失望している。だから自分で、あんたを制圧しようと考えたんだ。ぼくが支配権を握ったと知ったら、彼は感銘をうけるだろう。そして、ぼくらには彼が必要だ」 「そう、そのとおりです。彼のほうが、あなたよりも、パク人のプロテクターと似た考えかたをするかもしれません」 「何だって?」 「これからどうしますか?」  ルイスは指示を与えた。  ハーカビーパロリンは、ルイスが部屋の隅に現れ歩み出たとき、すでに身を起こし、立ちあがっていた。ついで彼女は大きく息をのむと、かがみこんで、マントの下に身をかくした。そのでこぼこしたマントのかたまりが、脱ぎ捨てられた青い上衣のほうへすべっていく。  おかしなふるまいだ。〈都市建造者《シティ・ピルダー》〉のあいだでは、裸体がタブーなのだろうか? ルイスも何か着てくればよかったのか?  なるべくことを荒立てないようにと、彼は彼女に背を向けると、少年のほうへ歩みよった。少年は、壁ぎわで、解体された巨大な船を眺めていた。着ているマントが大きすぎて、裾をひきずっている。 「ルーウイーウ」と、彼は問いかけた。「あそこの船は、ぼくたちの種族がつくったんだね?」 「そう」  少年は笑顔をみせるた。 「あなたの種族は、あんなに大きなのをつくれた?」  ルイスは思いだそうとした。 「植民船《スローボート》は、だいたいあのくらいだったかな。光速の壁を突破する前には、うんと大きな船が必要だったんでね」 「これは、あなたの種族の船なの? 光より速く飛べるの」 「前にはね。いまはだめだ。そう、ゼネラル・プロダクツの四号船殻は、きみらの船よりもずっと大きかったと思うよ。それはパペッティア人の船だったが」 「きのう話してた相手がパペッティア人なんだね? 彼、あなたのことをきいたよ。あんまり教えてあげられることはなかったけど」  すでにハーカビーパロリンが、そばに立っていた。青い司書服を着たので、落ちつきをとりもどせたようだ。 「事情が変わったの、ルーウイーウ? あなたがここへくることは許されないってことだったのに」  彼の顔をまともに見るのには、努力が必要なようだ。 「ぼくが指揮権を握ったのさ」と、ルイス。 「そんなに簡単に?」 「それだけの犠牲は払ったが──」  少年の声が割りこんだ。 「ルーウイーウ? この船、動きだした!」 「いいんだ」 「ここ、もう少し暗くできない?」  ルイスは、照明を消せとどなった。とたんに、前より気が楽になったような気がした。暗闇が、裸をかくしてくれたせいだ。ハーカビーパロリンの態度が、彼にも伝染したみたいだった。  ホット・ニードル号は、宇宙港の張りだしから十二フィートの高さに浮かんだ。ついで、すばやく、まるで逃げだすように、火花もみせないで、世界の端へ向かって漂いだすと、そこを出はずれた。 「どこへいくの?」女がたずねる。 「この世界の下だ。〈大海洋〉までいってみるのさ」  落下の感じは少しもないのに、宇宙港の張りだしが上向きに落ちはじめていた。数マイル落下させてから、〈至後者《ハインドモースト》〉はスラスターを作動させた。ニードル号は減速し、リングワールドの下面に向かってにじり寄っていった。  暗黒の縁《へり》がサッと通り過ぎたあとに、宇宙の眺めが現れた。そこから下にかけての星の海。その明るさは、深い大気の底から、しかも〈アーチ〉の輝きのもとで星空を見ているリングワールドの原住民には、想像もつかないほどだったろう。  だが、上のほうは、暗黒そのもの。発泡〈スクライス〉で蔽われたリングワールドの下面は、星の光を反射していない。  ルイスはまだ、自分が裸でいるのが落ちつかなかった。 「あっちの部屋へもどるんだが」と、彼。「いっしょにこないか? 食べるものも着替えも、それに、もしよければ、もっといいベッドもあるよ」  列のいちばんうしろについて|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》へ進んだハーカビーパロリンは、実体化すると同時に、おびえあがって身をちぢめた。  ルイスは笑いだした。彼女は彼をにらみつけようとしたが、あわてて視線をそらした。  裸[#「裸」に傍点]!  ルイスは無重力用のジャンパーをダイアルし、着こんだ。 「これでいいかい?」 「ええ、よくなったわ。わたしのこと、馬鹿げてると思う?」 「いいや、あんたたちには気象制御ができないんだからね。どこへでも裸でいくわけにはいかないから、そのせいで、裸をおかしく感じるようになったんだ。間違ってるかもしれないが」 「そのとおりかもしれないわ」彼女が、びっくりしたようにいった。 「ゆうべはふたりとも、かたい床の上に寝たんだろ。このウォーター・ベッドを使ってごらん。あんたたちふたりと、あとふたり寝られるくらい大きいし、ハミイーもいまいないから」  カワレスクセンジャジョクが、毛皮で蔽われたウォーター・ベッドの上に身を投げだした。そのからだがはずみ、毛皮の下で、波紋がひろがった。 「ひゃあ、すごいや! まるで泳いでるみたいで、でも濡れないんだね!」  不信の念に背をこわばらせて、ハーカビーパロリンは不安定なその表面に腰をおろした。疑わしげにたずねる。 「ハミイーって」 「身長八フィート、全身オレンジ色の毛皮で蔽われたやつだよ。やつは……仕事で〈大海洋〉にいってるんだ。これから迎えにいくところだ。彼に頼んで、ここでいっしょに寝かせてもらってもいい」  少年が笑いだした。女がいう。 「そのひと[#「ひと」に傍点]、べつのお相手を見つけることね。わたしはリシャスラが好きじゃないの」  ルイスは吹きだした。(心の中では、カホナ! と思いながら) 「ハミイーは、あんたが思ってる以上に変わったやつなんだ。きみとリシャスラできるなら、ソーセージ植物とだってできるだろうよ。大丈夫、やつはベッド全部を占領したがるかもしれないが、そうでないかぎり、あんたは安全だよ。ただ、あいつをゆり起こすのは禁物だぜ。もしだめだったら、就寝プレートを使ってもいい」 「就寝プレートっていうのは、あなたが使ってるんでしょ?」 「そうだよ」彼女の口調から察して、彼はつづけた。「でも、フィールド操作で、からだを離しておくこともできるんだ」 (カホナ! 彼女は、この少年がいるために気をつかっていたのだろうか?)  彼女がいう。 「ルーウイーウ、わたしたち、あなたのお仕事の最中にころがりこんできてしまったみたいね。あなたは単に、知識を盗みにきただけだったの?」  正しい答えは、イエスだったろう。だが、ルイスの答えも、少なくとも嘘ではなかった。 「ぼくがいまここにいるのは、リングワールドを救うためだ」  彼女は考えこむように訊く。 「でも、どうやって……?」  その視線が、ルイスの肩ごしに、向うを見つめた。  前部隔壁ごしにみえる〈至後者《ハインドモースト》〉の姿、その全身が光り輝いていた。鉤爪の先には銀がかぶせられ、たてがみは金銀の房となって上半身を蔽っている。からだの他の部分の短い淡色の毛も磨き立てられたように光っている。 「ハーカビーパロリン、カワレスクセンジャジョク、ようこそ」歌うような口調で、パペッティア人はいった。「あなたたちの手助けが、すぐにも必要なのです。わたしたちは、この世界と、そこに住む多くの人々を、炎の死から救いたいと思って、星々のあいだの広大な距離をわたってきたのです」  ルイスは笑いをかみ殺すのに苦労した。幸い客人たちの目は、〈ピアスンの|人形つかい《パペッティア》〉のほうへ吸いよせられていた。 「どこの星から?」少年がたずねた。「どんなところなの?」  パペッティア人は説明にかかった。  まず、五角形に並んだ五つの惑星、ケンプラーの|薔薇飾り《ローゼット》が、光速に近い速さで空間を飛んでいるさまを。そのうち四つの周囲は人口太陽がとり囲み、五番目の惑星の全住民のために食料を育てている。その第五の惑星は、そこにある街路や建物の照明で、みずから光り輝いている。大陸は黄白色にもえ立ち、大洋は暗黒。もやに囲まれて孤立しているまばゆい星々は、海に浮かぶ工場で、その廃棄熱が海水を沸騰させている。この工業の出す熱だけが、惑星全体が凍りつくのを防いでくれるのである。  少年は呼吸するのも忘れてその話に聞きいっていた。だが、司書のほうは、静かにつぶやいただけだった。 「たしかに[#「たしかに」に傍点]星からきたようね。誰も見たことのないようなかたちをしているし」  パペッティア人の話は、さらに、混みあう街路やそそり立つ巨大な建築や、その惑星原産生物の最後の保護区である公園へと移っていった。さらに、これを使えば数分間で惑星を一周できる|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》の話も。  ハーカピーパロリンが、はげしく首をふった。  声を高めると、彼女はいった。 「お願い、もう時間がないのよ。ごめんね、カワ! もっと聞いていたいし、もっと知りたい[#「知りたい」に傍点]のはやまやまだけど──この世界が、太陽が! ルイス、あなたを疑ったりしちゃいけなかったのね。わたしたちが手伝えるとしたら、どうすればいいの?」 〈至後者《ハインドモースト》〉がいった。 「本を読んできかせてくれればいいのです」  カワレスクセンジャジョクが仰向けに寝ころび、世界の裏側が果てしなく動いていくのを、じっと見つめている。ニードル号の頭上を過ぎていく特徴のない黒い屋根が、天井に〈至後者《ハインドモースト》〉のあけたふたつのホログラフの窓≠フところでは、少し様相を変えていた。  そのひとつ、大きく四角いのは、光量を増幅した眺めを映している。もうひとつのほうは、赤外線によるリングワールド下面の眺めである。赤外線でみると、陸地では昼の部分の下面のほうが、夜の部分よりはまだ明るく輝いている。いっぽう、河や海は、昼の部分では周囲より暗く、夜の部分では明るくみえる。 「まるでお面の裏側みたいだろ、わかるかい?」ハーカビーパロリンの邪魔にならないよう声を低めて、ルイスがいった。「あの枝分れした河のつらなり──あの浮き出てるのが見えるね? 海も出っぱっている。それから、あの凹みのつらなり──あれがひとつづきの山脈なんだ」 「あなたの世界もあんなふうなの?」 「いや、ちがうよ。ぼくの世界じゃ、下側はギッシリつまってるし、表面も偶然そのかたちになったものだ。ここでは、すべてが人工的に刻みこまれている。見てごらん、海はみんな同じ深さで、どこにでも充分な水がいきわたるように、あいだをとってあるんだ」 「誰かが、|浅浮彫り《バス・レリープ》みたいに、型《かた》をつくったんだね」 「まさにそのとおりだ」 「ルーウイーウ、こわくなるよ。どんな人たちがやったの?」 「うぬぼれ[#「うぬぼれ」に傍点]屋で、子孫をかわいがる、鎧みたいな背恰好の連中さ」  ルイスはこれ以上プロテクターのことを口に出すのはやめようと決意した。  少年が指さした。 「あれは何?」 「わからんね」  それは、リングワールド下面の小さな凹み……だがその中には霧がかかっていた。 「たぶん隕石孔だと思う。あの上の地表には、目のかたちをした嵐ができているはずだ」  読書スクリーンは操縦区画に持ちこまれ、壁のこちらにいるハーカビーパロリンのほうへ向けられていた。すでに〈至後者《ハインドモースト》〉は損傷箇所の修理を終えており、そこから出た編みケーブルが制御パネルの中へつながっている。  ハーカビーパロリンが朗読するのに合わせて、船のコンピューターがテープを読みとりながら、それを彼女の声と、自分がたくわえているハールロプリララーのことばの知識とに、つき合わせていくのだ。何世紀ものうちにそのことばは変化しているだろうが、文字を使う社会ではそうひどいちがいは出ていないだろう。いますぐにでも、コンピューターがあとを引きついでくれるかもしれない。 〈至後者《ハインドモースト》〉はというと、とっくに自分の秘密の区画に消えてしまっていた。たび重なるショックのせいだ。ルイスも、彼がヒステリーを起こす時間くらいはふんだんに与えてやるつもりだった。  ニードル号は加速をつづけた。  やがて、裏がえしの地形の動きも、速すぎて目にとまらないくらいになった。そして、ハーカビーパロリンの声も、だんだん涸れてきていた。  昼食《ひる》休みにしようとルイスは決心した。ここでひとつ問題がもちあがった。ルイスは、ひれ肉のステーキと焼きポテトにブルー・チーズとフランス・パンをダイアルしたのだが、少年は恐怖にかられたように見つめているばかりだし、女のほうは同じような視線をルイス・ウーのほうへ向けた。 「すまん。忘れていたよ。あんたたちは、肉でも野菜でも食べると思いこんでた」 「何でも食べるわ。植物でも動物でも」と、女司書。「でも、くさった[#「くさった」に傍点]ものはだめ!」 「そうむきになるなよ。細菌のしわざじゃないんだから」  ほどよく古くなった肉切れと、かび[#「かび」に傍点]の生えたミルクだ……。  ルイスはその皿をトイレにあけ、もういちどダイアルした。果物と、野菜サラダ──それにかけるサワー・クリームのほうは捨ててしまった──と、それにさしみ[#「さしみ」に傍点]などの魚料理だ。客人たちは、これまで海水魚など見たことがなかった。味は気にいったようだが、おかげでひどくのど[#「のど」に傍点]がかわいてしまったらしい。  それに、ルイスが食べるのを見ていても、胸がむかついてくる様子だった。どうすりゃいいというんだ、飢え死にか?  いや、飢え死にするのは彼らのほうかもしれない。新鮮な肉が、どこで手にはいるというのか? そう、もちろん、自動調理機《オート・キッチン》のハミイー用の部分からだ。それを、ビームを広げて出力をあげたレーザーで焼けばいい。それには〈至後者《ハインドモースト》〉にいって、レーザーにエネルギーをいれてもらわなければならない。だが、彼が最近それを何に使ったかを思うと、これは頼みにくい気がした。  もうひとつの問題──彼らに塩を採らせすぎているかもしれない。これをどうすればいいのか、ルイスには見当もつかなかった。たぶん〈至後者《ハィンドモースト》〉なら、自動調理機の制御装置を調整しなおすこともできるだろう。  昼食のあと、ハーカビーパロリンは朗読の仕事にもどった。すでにリングワールドの流れは、地形など目にとまらないくらいの速さになっていた。カワレスクセンジャジョクは、落ちつかなくなり、この部屋から船倉へ跳んでは、またもどってきていた。  ルイスも落ちつかなかった。自分も何か勉強しなければ──はじめてここへきたときの記録なり、クジンの〈地図〉へ着くまでのハミイーの冒険なりを、見なおしておくのもいいだろう。しかし、これも、〈至後者《ハインドモースト》〉の手をかりなければ、どうにもならない。  徐々に、彼は、居心地わるさのもうひとつの原因に気づきはじめた。  女司書への欲情だった。  彼女の声は美しかった。もう何時間も読みつづけているのに、軽快な抑揚はまだ失われていない。時おり盲目の──つまり視力をなくした──子供たちのために本を読んでやっていたという、その毅然とした、勇気にみちた態度。上衣《ローブ》に現れているからだの線。何もかもがすてきだ。それに彼は、ちらりと彼女の裸を見てしまっていた。  厳密な意味での人間の女と、ルイス・ウーが愛を交わしたのは、もうはるか昔のことに属する。ハーカビーパロリンは、あまりにもよく似ている。なのに彼女は、これといったそぶりすら見せない。やっとパペッティア人が姿を見せたとき、ルイスは、それで気がまぎれることをうれしく思った。  ハーカビーパロリンがコンピューターに読みきかせている邪魔をしないように、ふたりは低い声で話しあった。 「あの連中──間に合わせの修理部隊は、いったいどこからきたんだろう?」  ルイスはいぶかしんだ。 「リングワールド上で、姿勢制御ジェットをもとへもどせるほど、それについての知識を持っているのは、いったい何ものだろう? しかも、あれだけの数じゃ間に合わないことは知らないみたいだ」 「やらせておきましょう」と、〈至後者《ハインドモースト》〉。 「あるいは知っている[#「知っている」に傍点]のかもしれないぞ。あわれな繁殖者《ブリーダー》たちには、たぶんほかに何も思いつけない──そういうことなんじゃないかな? それに、問題なのは、連中がどこであんな装備を手にいれたかだ。〈補修センター〉からかもしれない」 「厄介ごとは、いまあるだけでも充分です。ほうっておきなさい」 「こんどだけは、あんたが正しいんだろうな。しかしどうしても気になるんだ。ティーラ・ブラウンは、人類空域で教育をうけた。宇宙でつくられた巨大な建造物には、慣れているはずだ。また彼女なら、太陽が移動しはじめたとき、それが何を意味するかもわかるだろう」 「ティーラ・ブラウンに、あれほど大きな作業活動を組織することができますか?」 「無理だろうね。だが、〈|探す人《シーカー》〉がいっしょにいる。彼のことは、あんたのテープにはいってたかい? リングワールドの原住民で、たぶん不死身だ。そいつをティーラが見つけた。ちょっと狂ったところはあるが、あいつならそのくらいの組織力を持っていておかしくはない。一度ならず、どこかの王位についたこともあるっていってたんだ」 「ティーラ・ブラウンは、失敗した実験例のひとつです。わたしたちが、幸運な人間の品種を育てようとしたのは、それに一役買ったパペッティア人もそのつき[#「つき」に傍点]にあずかれると思ったからでした。ティーラが幸運だったにしろそうでなかったにしろ、そのつき[#「つき」に傍点]が伝染性のものでなかったことはたしかです。ティーラ・ブラウンには会いたくありません」  ルイスは身ぶるいした。 「そうとも」 「だからわたしたちは、修理部隊に見つからないようにしなければならないのです」 「ハミイーに向けて送りつけているテープに、これをつけ加えてくれないか」と、ルイス。「ルイス・ウーが、〈惑星船団〉に聖域を提供しようというあんたの申し出を拒否したこと。それから、ホット・ニードル号の指揮権を乗っとり、超空間駆動《ハイパードライウ》モーターを破壊したこと。これであいつはとびあがるだろう」 「わたしも同じでしたよ。ルイス、この船の感知装置は〈スクライス〉を透過できません。メッセージを送るのは、もっとあとになります」 「連絡がつくまで、あとどのくらいかかるだろうか?」 「約四十時間です。すでに秒速千マイルまで加速しました。この速度では、進路をたもつのに五G以上の重力がかかります」 「三十Gまで大丈夫なはずだ。用心のしすぎだよ」 「あなたがそう思うだろうとは、わかっていました」 「かんじんなとこで、いうことをきこうとはしないんだな」と、ルイス。「カホナ、まあいいさ」 [#改ページ]      25 帝国の末裔  湾曲した天井の向うを、リングワールドの床面がグングン流れていく。  とはいえ、目につくものはほとんどない。三万マイルの距離、秒速一千マイルの速度、しかも全面が発泡性の材質で蔽われているのだ。やがて少年は、オレンジ色の毛皮の上で、眠りこんでしまった。  ルイスは眺めつづけた。ほかにすることといえば、ここ[#「ここ」に傍点]に浮かんで、自分はみんなを破滅に追いやってしまったのだろうかとくよくよ考えつづけるくらいしかなかった。  そしてついに、〈至後者《ハインドモースト》〉が、〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉の女に告げた。 「結構です」  ルイスは、力場を消してころがり出た。  ハーカビーパロリンが、しきりにのどをもんでいる。見まもるふたりの目の前で、〈至後者《ハインドモースト》〉は、ルイスが盗みだした四本のテープを読書機にかけた。  ほんの二、三分しかかからなかった。 「あとはコンピューターの課題になります」と、パペッティア人。「質問をいくつかいれておきました。もしその解答が、あのテープの中にあれば、最大限二、三時間で手にはいるでしょう。ルイス、もしその答えが気にいらなかったら、どうしますか?」 「その質問ってのを聞かせてほしいね」 「歴史上、リングワールドの修理活動の行なわれた記録があるか? もしあるなら、その修理機材はどこかひとつの場所から出てきているか? 他の場所より頻繁に修理の行なわれている場所があるか? リングワールド上、他の場所よりも修理のゆきとどいている部分はあるか? パク人に似た存在に関係のある場所をすべてあげよ。鎧の形式《スタイル》がある中心点からの距離に従って変化していくパターンが認められないか? リングワールドの床面および〈スクライス〉の一般的な磁気持性はどうか?」 「いいだろう」 「何か見落としはありませんか?」 「……うん。不死の霊薬のいちばん出てきそうな場所かな。〈大海洋〉だろうとは思うが、一応きいてみよう」 「そうします。なぜ〈大海洋〉だと?」 「ああ、ひとつには、あそこがとてもよく目につく場所だからだ。またひとつには、残っていた霊薬、それもたったひとつのサンプルが、そこで見つかったからだ。ハールロプリララーが持ってたやつのことさ。彼女に会ったのは、〈大海洋〉の近くだった」  それはひとつには、ぼくらの不時着した場所がそこだったから[#「そこだったから」に傍点]だ、とルイスは考える。  ティーラ・ブラウンの幸運が、確率の法則を歪ませている[#「確率の法則を歪ませている」に傍点]。ティーラの幸運のために、あの最初のときすでに[#「すでに」に傍点]ぼくらは、〈補修センター〉のすぐ近くにいたかもしれない[#「かもしれない」に傍点]んだ。 「ハーカビーパロリン、ぼくらは何か見落としていないだろうかね?」  彼女は投げやりな口調で答えた。 「何のことだかわからないわ」  どう説明すればいいのだろう? 「あの機械は、ここへ持ってきたテープの内容をぜんぶ記憶しているんだ。その記憶の中から、与えられた質問への答を出すように命令するわけさ」 「どうやればリングワールドが救えるかってたずねればいいのに」 「もっとこまかくいわなきゃだめなんだ。あの機械は、記憶し、比較し、計算することはできるが、自分で思考することはできない。大きさが充分でないんだよ」  彼女は首をふった。 「わるい答が出たらどうしますか?」〈至後者《ハインドモースト》〉が、しつこくいう。「わたしたちは逃げられないのですよ」 「ほかの方法を考えるさ」 「わたしに考えがあります。太陽をめぐる極軌道にはいって、粉々になったリングワールドの破片にぶつかる危険を最小限にします。そしてニードル号を停滞状態《ステイシス》において、救いを待つのです。救助はこないかもしれませんが、いま直面している状況よりは危険が少ないはずです」  結局そうなるかもしれない、とルイスは思った。 「いいだろう。そうなるまでの二年間に、もっと見こみの高い道をさがすさ」 「二年間はありませんよ。もし──」 「だまれ」  疲れきった女司書は、ウォーター・ベッドの上へくずれるように腰をおろした。クジン人の模造毛皮が、尻の下でうねり、波うつ。彼女はちょっと身をこわばらせたが、ついで用心ぶかく仰向けになった。毛皮は波をうちつづけている。やがて、からだの硬さもほぐれて、彼女はそのうねりに身をまかせた。カワレスクセンジャジョクが眠そうにブツブツつぶやき、寝がえりをうった。  司書の寝姿は、ひどく魅力的にみえた。ルイスは、いっしょにベッドの上へ横になりたい衝動をこらえながら訊いた。 「どんな気分だい?」 「疲れて、みじめな気分よ。もういちど、故郷へ帰れるのかしら? もし世の終わりがくるなら──そのときは──〈図書館〉の屋上で迎えたいわ。でもそれまでに、あそこの花は、枯れちゃってるでしょうね? 焼かれたり冷やされたりして」 「ああ」  ルイスの心は揺れた。もちろん彼女が二度と故郷を目にすることはないだろう。 「なんとかしてそこへ帰すようにするよ。だが、いまは眠ることだ。背中のマッサージはどうだい?」 「いらないわ」  どうもおかしい。  ハーカビーパロリンは、ハールロプリララーと同じく、主としてセックスの力でリングワールドに覇をとなえた種族の一員ではなかったのか? むろん、ひとつの種族内でも、人間と同じく個人差は大きいはずだが、それをいつも頭においておくのはむずかしかった。  彼はいった。 「〈図書館〉の職員っていうのは、専門職というより聖職者なのかな。あんたたちは禁欲しなきゃならないのか?」 「〈図書館〉で働いているあいだだけはね。でもわたしは、進んでそうしてるの」  彼女は片肘ついて身を起こし、ルイスを見つめた。 「ほかの種族がみんな〈都市建造者《シティビルダー》〉とリシャスラしたがることはわかってるけど、あなたもそうなの?」  彼はそうだと答えた。 「それは抑えておいてほしいものね」  彼は歎息した。 「ああ、カホナ、そうするよ。ぼくはもう一千ファランも生きてきたんだ。気をまぎらせる方法くらい知ってる」 「どうやるの?」 「いつもだったら、ほかの女を見つけにいくところさ」  女司書は笑わなかった。 「ほかの女が手にはいらなかったら?」 「ああ……疲れ果てるまで体操をする。燃料≠のんで酔っぱらう。ひとり乗りの船で恒星間空間へ|休 養《サバティカル》に出る。何かほかの楽しみを見つけてそれにふける。仕事に身をいれる……」 「酔っぱらうのはいけないわ」  彼女のいうとおりだ。 「ほかの楽しみには、どんなのがあるの?」  ドラウドだ!  あの電流があれば、たとえハーカビーパロリンが目の前で緑色の|ドロドロ《スライム》に化けたとしても、気にはならなかったろう。なぜいまごろそんなことを? 彼女が大事な女ってわけでもないのに……いや、少しは大事だった。しかし、その役目ももう終わった。リングワールドを救うことができるかどうかは、もはや彼女の助力にかかっているわけではない。 「とにかく、マッサージはうけたほうがいい」  彼はそういうと、グルリとベッドのわきへまわって、制御部に手をのばした。ハーカビーパロリンは、びっくりしたようだが、やがて水中の音波による振動が全身を包むにつれて、すっかりくつろいだ笑顔を浮かべた。数分のうちに、彼女は眠ってしまった。  彼は二十分後に切れるようにスイッチを合わせた。  それから、考えこんだ。  もし、ハールロプリララーと過ごした一年間がなかったら、彼は、ハーカビーパロリンの禿げた頭や一文字のうすいくちびるやひらたい小さな鼻を、みにくいと感じたかもしれない。してみると、向うも……。  彼は、〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉なら毛のないはずのところに毛を生やしている。そのせいだろうか? それとも、彼の食物の臭気が呼吸にまじっているためか? それとも、彼の知らない求愛の作法みたいなものがあるのだろうか?  恒星船を乗っとった男、幾兆もの他人の命を救うためにみずからの生命を賭けた男、薬品の常用で死をすら克服した男、それが、かわいい同室者への欲情などというささいなことでくよくよするとは。  ここに〈ワイア〉さえあれば、冷静な目でそれを見ることもできるだろうに。  そうだ。  ルイスは前部隔壁のほうへいった。 「〈至後者《ハインドモースト》〉!」  パペッティア人が、トコトコと現われた。 「パク人の記録をかけてみせてくれないか。ジャック・ブレナンとのインタビューと、その医療報告と、異星人の死体の研究と、そのほかここにある全部だ」  彼はまず仕事をやってみることにしたのだった。  結跏趺坐したまま宙に浮かぶルイス・ウーのまわりに、ゆるい衣服がただよっている。ニードル号の船殻外の宙に浮かぶスクリーンの上では、はるか昔に死んだ男が、人類の起源について講義しているところだった。 「プロテクターに自由意志はまったくないといってよい」その映像が話している。「知能が進みすぎて、どうするのが正しいか、すべてわかってしまうからだ。その上、本能の働きがある。パク人のプロテクターに子供がいなければ、通常彼は死んでしまう。ものを食べなくなるのだ。プロテクターの中には、一般化《ゼネラライズ》するものもある。つまり、全種族のために働く道を見つけ、そのために生きのびていられるわけだ。そうすることは、フスツポクよりも、わたしのほうがやさしかったと思う」 「どういう道を見つけたのです? 食べるのをやめずにいられる理由は?」 「パク人のプロテクターのことを、諸君に警告するためだよ」  うなずきながら、ルイスは、異星人の検屍の資料を思いだしていた。フスツポクの脳は人間のよりも大きかったが、ふくらんだのは前頭葉ではなかった。ジャック・ブレナンの頭が、真中が凹んでいるように見えるのは、人間なみに発達した前頭部と上向きにふくらんだ後頭部とのせいだった。  ブレナンの皮膚は、深いしわのきざまれた皮の鎧だ。関節は異常にふくらんでいる。くちびると歯ぐきが融合して堅いくちばしになっている。そういったことも、この小惑星探鉱師《ベルト・マイナー》のなれ[#「なれ」に傍点]の果ては、少しも意に介していないようだ。 「老齢を示す微候は、繁殖期からプロテクター期へ移行するさいの変化の名残りにすぎない」と、彼は、やはりずっと昔に死んだ|ARM《国連警察》の調査官に話しつづける。「皮膚が厚くなり、しわ[#「しわ」に傍点]がよる。本来なら、こんな[#「こんな」に傍点]ふうに、ナイフをはねかえすくらいになるべきところなのだ。歯が抜けるのは、歯ぐきが硬化するための前段階だ。心臓が衰えるのは鼠径部に二心室の第二の心臓ができることになっているからだ」  ブレナンの声は耳ざわりだった。 「関節はふくらんでいき、筋肉の能率半径を大きくする。そのぶんだけ力が強くなるわけだ。しかし、生命の樹がなければ、このどれもうまくいかないし、地球上には三百万年のあいだ、生命の樹はなく──」  ジャンパーの袖をひっぱられて、ルイスはとびあがった。 「ルーウイーウ? おなかがすいたよ」 「よしきた」  どっちみち、勉強には飽きあきしていた。役に立つようなことはほとんど得られなかったのだ。  ハーカビーパロリンは、まだ眠っていたが、携帯レーザーのビームで肉を焼く匂いで目をさました。ルイスはさらに、果物と、調理された野菜をダイアルしてやり、いらないものを捨てる場所を教えた。  それから、自分の食事を持って、船倉にいった。  世話をしてやらなければならない相手がいるというのは憂鬱な気分だった。ふたりとも、ルイス・ウー自身の行為の犠牲者であるにしてもだ。しかも彼は、ふたりに、自分の食事を手にいれる方法を教えることさえできないのだ! 装置に記されているのは、〈|共 通 語《インターワールド》〉と〈ますらおことば〉だけだった。  彼らに何か仕事を与える方法がないだろうか?  あすだ。  何か考えつくかもしれない。  コンピューターから解答が出はじめていた。〈至後者《ハインドモースト》〉はその処理に忙殺されていた。その手すきのときをねらって、ルイスは声をかけ、ハミイーがれいの城を侵略したときのもようをスクリーンに映してもらった。  城は岩だらけの山の頂上を占めていた。黄色にオレンジ色の縞もようのある豚に似た生物が、麓にひろがる黄色い草原で、その草を食《は》んでいた。着陸船《ランダー》は城の上空を旋回し、ついで、雲霞のような矢の飛来をあびながら、中庭に着陸した。  数分のあいだは、何も起こらなかった。  ついで、アーチ形をしたいくつかの門から、何かオレンジ色のものが、目にもとまらない速さで押しだしてきた。  それがいっせいに停まると、着陸船《ランダー》に向けて武器をかまえたまま伏せの姿勢をとり、まるで絨緞を敷きつめたみたいになった。彼らも、クジン人ではあったが、かなり体形がちがうようだ。二十五万年以上にわたる相離進化があったわけである。  ハーカビーパロリンが、ルイスのうしろから話しかけた。 「あなたのお仲間と同じ種族なのね?」 「かなり近いね。彼らのほうがちょっと背が低くて色が濃くて、それに……下あごがガッシリしてるみたいだ」 「彼はあなたを捨てていったのよ。あのままほうっておけばいいのに」  ルイスは笑いだした。 「そうすれば、ずっとベッドが使えるってわけかい? でもあのときは戦闘中だったのに、ぼくは吸血鬼《ヴァンパイア》に誘惑されちまったんだ。ハミイーは、愛想をつかしたわけだ。彼のほうから見れば、ぼくが彼を捨てたことになる」 「男だって女だって、吸血鬼《ヴァンパイア》の誘惑に勝てるわけがないわ」 「ハミイーは人間じゃない。吸血鬼《ヴァンパイア》だろうと、その他の亜人種だろうと、リシャスラする気になることはありえないんだ」  いまやさらに数を増した大きなオレンジ色の猫の一隊が、着陸船《ランダー》のすぐ下で配置についていた。その中のふたりが、赤錆でよごれた一本の金属筒をかかえている。ついで全員が、着陸船《ランダー》の反対側へまわりこんでいった。  円筒が、黄白色の炎を吹きあげて消滅した。着陸船が一、二ヤードずれた。クジン人たちは、しばらく待ってから、結果やいかにと這いもどってきた。  ハーカビーパロリンが身ぶるいした。 「あの動物は、むしろわたしを食べものとして欲しがりそうね」  ルイスは、だんだん苛立ってきた。 「かもしれない。しかし、ハミイーは飢えたときも、ぼくに手を触れようとはしなかった。それにしても、何が心配なんだい? 都市の中には、肉食人種もいたんだろう?」 「ええ」 「〈図書館〉には?」  返事はなく、ルイスは、彼女には答える気がないのだろうと思った。 (無数の矢狭間から、毛皮の顔が鈴なりにのぞいている。あの爆発でも、目にみえるほどの被害はなかったようだ)  しばらくして、ルイスと目が合わないようにしながら、彼女は答えた。 「わたし、しばらく〈パンス 館《ビルディング》〉にいたことがあるのよ」  何のことか、すぐには思いだせなかった。ついで──あの〈パンス 館《ビルディング》〉。玉ねぎをさかさにしたような建物。水分凝集機の修理。その主《あるじ》は、料金をセックスで払おうとした。そして、ホールに漂う吸血鬼《ヴァンパイア》の匂い。 「じゃ、肉食人種とリシャスラしたこともあるんだね?」 「〈牧畜者《ハーダー》〉に〈草食人種《グラス・ピープル》〉に〈|ぶらさがり人種《ハンギング・ピープル》〉に〈夜行人種《ナイト・ピープル》〉に……忘れようったって忘れられないわ」  ルイスはたじたじとなった。 「〈夜行人種《ナイト・ピープル》〉と? あの|屍肉食《グール》いとか?」 「〈夜行人種《ナイト・ピープル》〉は、とても重要な存在なのよ。わたしたちや〈機械人種《マシン・ピープル》〉に情報をはこんでくれるの。文明の遺産もまとめて管理しているし、だから、怒らせないようにしてつきあってるわけ」 「フウム」 「でもそれはみんな──その、〈|夜の狩人《ナイト・ハンター》〉はとても嗅覚が鋭くて──吸血鬼《ヴァンパイア》の匂いがすると逃げてしまうの。わたし、〈|夜の狩人《ナイト・ハンター》〉とリシャスラするようにいわれた。吸血鬼《ヴァンパイア》の匂いなしでね。それで、〈図書館〉へ移ることを願い出たの」  ルイスは、マー・コーシルのことを思いだした。 「べつに不愉快な感じの連中じゃないと思うけどな」 「でも、それとリシャスラするとしたらどう? わたしたち、両親のないものは、まず社会への債務を払ってからでないと、配偶者を持って一家をかまえるわけにはいかないの。〈図書館〉に移るために、わたしは積み立てていた資金をすっかりなくしてしまった。それに、すぐ移してもらうこともできなかったし」  彼女はルイスの目を見あげた。 「いやな思い出だわ。でも、ほかのときだって、それよりましだったとは、とてもいえない。吸血鬼《ヴァンパイア》の匂いは消えるけど、記憶は残ってる。どの匂いも忘れられないわ。〈|夜の狩人《ナイト・ハンター》〉の息にまじる血の匂い。〈夜行人種《ナイト・ピープル》〉の放つ腐敗の匂い」 「もうそれもみんな過去のことになったんだよ」と、ルイスはいった。  クジン人の何人かが立ちあがろうとした。ついで全員が眠りに落ちた。約十分後、ハッチが降りた。ハミイーがこの城を支配すべく、姿を現した。  かなり遅くなってから、〈至後者《ハインドモースト》〉は、ようやくふたたび姿をみせた。たてがみはもつれ、疲れきっているようだ。 「あなたの推測は正しかったようです」と告げる。「〈スクライス〉に磁場をたもつ力があるばかりでなく、リングワールドの構造材には、超伝導ケーブルが、網の目のように張りめぐらされているのです」 「そいつはいい」と、ルイス。  肩の重荷がとれたような気分だった。 「すごい[#「すごい」に傍点]じゃないか! しかし、〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉にどうしてそんなことがわかったんだ? まさか、〈スクライス〉を掘って見つけたとも思えないがね」 「もちろんです。彼らは、磁石を羅針板に使っていました。それで、リングワールドの土台の中を、一個のさしわたしが五万マイルの亀甲形をなして走っている超伝導線の模様《パターン》をたどったのです。それが、地図をつくる役にも立ったわけですね。〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉の物理学者が、そのたどっているものの正体を推測できるレベルにまで進歩するのには、何世紀もかかりましたが、その推測から、彼らも独自の超伝導体を開発するまでに至ったのです」 「あんたたちのばらまいた細菌──」 「〈スクライス〉に埋めこまれた超伝導体には触れていないでしょう。リングワールドの床面が、隕石で破れることはわかっています。それが超伝導体の格子《グリッド》を切っていないことを願うしかありません」 「大丈夫だと思うよ」  パペッティア人は、しばし考えこんだ。 「ルイス、大規模な物質変換の秘密をさがすのは、もうやめたのですか?」 「ああ」 「それさえあれば、問題は容易に解決できるのですが」と、〈至後者《ハインドモースト》〉。「その装置は、とほうもない規模で作動するものだったはずです。また、物質をエネルギーに変えるのは、物質を他の物質に変えるより、ずっと容易なはずです。その……物質変換砲とでもいいましょうか……それをリングワールドの遠日点の下面において、発射するだけでいいのです。その反動で、この建造物は、きれいにもとの場所へもどるでしょう。もちろん問題はあるでしょう。衝撃波で多数の原住民が死ぬでしょうが、生き残るものも多いでしょう。焼け落ちた隕石防護膜は、後日また取りかえればよろしい。何がおかしいのですか?」 「なかなか頭がいいね。ただ問題なのは、かつて物質変換砲があったと考えられる理由が何もないってことさ」 「どういうことです?」 「あれは、ハールロプリララーのつくり話にすぎないのさ。あとでぼくらには話してくれたよ。それに結局、どうして彼女が[#「彼女が」に傍点]、リングワールドの建設法など知ってるわけがある? 当時、彼女の祖先は、猿とたいしてちがってはいなかったんだ」  ルイスの目の前で、ふたつの頭が低く沈み、ヒクヒクと動いた。 「また丸くなったりしないでくれよ。時間がないんだから」 「わかっています」 「ほかに見つかったことは?」 「ほとんどありません。パターン分析がまだ不完全なのです。〈大海洋〉にまつわる物語は、わたしには何の意味もありません。あなたがためしてみなさい」 「あすにしよう」  低すぎて何だかわからないが、その物音のせいで寝つかれない。暗い無重力の中で、ルイスは寝がえりをうった。  まわりが見える程度の明かりはあった。カワレスクセンジャジョクとハーカビーパロリンが、互いの腕の中に横たわり、互いの耳もとでささやきあっていた。ルイスの翻訳機は、それをひろっていなかったが、そこには愛のひびきがあった。  ふいに羨望の念に打たれた自分へ、彼は笑いかけた。少年はまだそんな年ごろにはみえなかったし、女のほうもそれを断つことを誓っているものと思っていたのだ。しかし、これはリシャスラではない。ふたりは同じ種族だったからだ。  ルイスはそれに背を向け、目をとじた。規則的《リズミック》にゆれる動きがはじまるものと思っていたのだが、それは聞こえてこず、やがて彼は眠りこんでしまった。  そして、|休 養《サバティカル》に出ている夢をみた。  落ちていく、星々のあいだを落ちていく。身辺がゆたかになりすぎ、多種多様になりすぎ、世話がかかりすぎるようになると、それが人々の住む世界をあとにするときなのだ。ルイスはこれを何度かくりかえしていた。小さな宇宙船でただひとり、ノウンスペースを出はずれて未知の間隙にのりだし、そこにある見るべきものを見るとともに、自分がまだ自分自身を愛しているかどうかを知るのだ。  いま、ルイスは、就寝プレートのあいだに浮かんだまま、星々のあいだを落ちていく楽しい夢にひたっていた。頼ってくる係累もなく、守るべき約束もなく……。  そのとき、ちょうど耳もとで、あわてふためいた女の悲鳴。それと同時に、肋骨の下端のあたりをはげしく蹴られ、ルイスはウッとうめいてからだをふたつ折りにした。  もがきまわる二本の腕が彼にぶつかり、ついで首にまきつくと、死にものぐるいの力でしめつけた。  悲鳴はまだやまない。  ルイスは、その腕を押しのけ、のど[#「のど」に傍点]からもぎはなすと叫んだ。 「就寝フィールド、オフ!」  重力がもどってきた。ルイスと、襲ってきた相手は、いっしょに下のプレートの上へ降下した。  ハーカビーパロリンのわめき声がとまった。その腕から力がぬけた。  彼女のそばに膝をついている少年、カワレスクセンジャジョクも、すっかり面くらい、おびえている様子だ。息せききった口調の〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉のことばで、何かたずねる。  女がひと声叱りつける。  少年がまた何かいった。ハーカビーパロリンは、それに答えて、長々としゃべった。少年が、しぶしぶうなずいた。何といわれたのか知らないが、いかにも不服そうな態度だ。部屋の隅へ歩いていくと、ルイスには理解できそうにない心残りのまなざしを見せて、船倉へと姿を消した。  ルイスは手をのばし、翻訳機をとりあげた。 「ようし、いったいどうしたんだ?」 「わたし、墜落してたの!」  彼女がしゃくりあげた。 「こわがることなんかないんだよ」と、ルイス。「こうやって眠るのが好きなやつもいるのさ」  彼女は、まじまじとルイスの顔を見つめた。 「墜落するのが?」 「そうさ」  彼女の表情は容易に読めた。  狂ってる[#「狂ってる」に傍点]わ。すっかり狂ってる[#「すっかり狂ってる」に傍点]……そしてひとつ肩をすくめると、グッと身をひきしめた口調で、彼女はいった。 「あなたの機械のほうが、わたしより速く読める以上、もうわたしは用済みってことになるわね。あと、あなたがたのお役に立てることといったら、欲望がみたされないためのあなたの悩みをやわらげてあげることだけ」 「そいつは助かるね」と、ルイス。  皮肉のつもりだったが、彼女に通じたろうか? こんなかたちの施しをうけるなんて、そんなカホナ……。 「でもあなたは、まずお風呂へはいって、口をきれいにゆすいで──」 「待ってくれ。より高い目的のために不快なことに耐えようというお気持はりっぱだが、そういうやりかたじゃ、ぼくのほうは受けいれられないね」  彼女は当惑したようだ。 「ルーウイーウ、あなた、わたしとリシャスラしたくはないの?」 「結構だよ、就寝フィールド、オン」  彼女から離れて、スウッと浮かびあがる。過去の経験からすれば、ここでわめきあいになるところだが、それもやむをえないだろう。ただし、彼女が実力行使に出ようとしたら、また墜落感を味わうはずだ。  彼女のことばは、意外だった。 「ルーウイーウ、わたし、いま子供ができるのがこわいの」  思わずその顔を見おろす──そこに、怒りの色はなかった。おそろしく真剣な表情だった。 「もしいまカワレスクセンジャジョクと交わったら、生まれた子供は太陽の炎の中で死ぬことになるかもしれない」 「じゃ、やめとけよ。どのみちあの子は若すぎる」 「いいえ、そんなことないわ」 「ほう。だが待てよ。避妊薬は──いや、そんなもの持ってるわけがないね。でも、受胎の時期を計算してそれを避けるわけにはいかないのかい?」 「それ、何のこと? ああ、待って、わかったわ。ルーウイーウ、わたしの種族が支配的な地位に立ったのは、リシャスラに微妙なニュアンスの差や豊富な変化をつけることができたからなのよ。どうしてそんなにリシャスラに熟達できたか、わかる?」 「偶然のことじゃないのかい?」 「ほかより多産の種族ってものもあるのよ」 「あ……」 「歴史がはじまる以前に、わたしたちは、リシャスラが子供をつくらない手段だってことを学んでいたの。ルーウイーウ、世界は救われるの? 救えることが、あなたにはわかってるの?」  ああ、|休 養《サバティカル》に出られたら。ひとり乗りの船で、ルイス・ウー自身以外のあらゆる相手への責任から何光年も離れていられたら。あるいは、〈ワイア〉にふけることができたら……。 「ぜんぜん何の保証もできない」 「じゃ、わたしとリシャスラして。カワレスクセンジャジョクのことをわたしの頭の中から追いだして!」  ルイス・ウーの若々しい生命をもえ立たせるのに、いちばん適切な求愛のことばとは、とてもいえない。  彼はたずねた。 「あの子のほうはどうしてやればいいんだ?」 「どうしようもないわ。かわいそうな子、苦しむでしょうね」  いや、ふたりとも[#「ふたりとも」に傍点]苦しんだらどうだ、とルイスは思った。  だが、それを口にはできなかった。女は真剣そのものだし、傷ついていたし、それに正しくもあった。〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉の赤ん坊を世に出すべきときではない。  また、彼のほうも、彼女を求めているのだった。  彼は無重力の場から這い出ると、彼女をウォーター・べッドへといざなった。カワレスクセンジャジョクが船倉へひっこんでくれたことが嬉しかった。  あの少年は、あすの朝そのことを何というだろうか? [#改ページ]      26 海の下側で  重力下で、ルイスは目をさました。顔には微笑が浮かんでいたが、全身の筋肉に快い痛みが残り、目の中は乾いてざらついていた。  昨夜ひと晩、ほとんど眠っていない。ハーカビーパロリンの訴えは、誇張ではなかった。〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉があれほど夢中になるのを、ルイスは(ハールロプリララーといっしょにいたこともありながら)一度も見たことがなかった。  からだの位置を動かすと、その下で大きなベッドがうねった。誰かのからだがゴロリところがってぶつかってきた──カワレスクセンジャジョクが、大の字にうつ伏せになって、静かな寝息をたてていた。  ハーカビーパロリンは、ベッドのすそ[#「すそ」に傍点]の床の上で、オレンジ色の毛皮にくるまっていたが、身じろぎして起きあがった。  どうやら、彼から離れたことを、申しわけないと思っているらしい口調で、彼女はいった。 「ずっと目をさましてたんだけど、ベッドが動くもんだから、自分がどこにいるかわからなくなっちゃうのよ」  一種のカルチャー・ショックだろう。ハールロプリララーは、就寝フィールドが好きだったが、そこで眠ろう[#「眠ろう」に傍点]とはしなかったのを、彼は思いだした。 「床の広さはたっぷりあるよ。どんな気分だい?」 「そこよりずっといいわ。いまのところはね。ごめんなさい」 「こちらこそ。おなかはすいてないか?」 「まだすいてない」  彼は体操をはじめた。まだ筋肉はしっかりしていたが、練習不足になっている。見まもる〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉たちは、当惑した表情だった。そのあとで、彼は朝食をダイアルした──メロンに、スフレ・グラン・マルニエ、マフィン、コーヒー。客人たちは、予想どおりコーヒーを辞退し、マフィンも食べようとしなかった。 〈至後者《ハインドモースト》〉が、髪をクシャクシャにし、疲れ果てた様子で現れた。 「求めるパターンについては、浮遊都市の記録からは、何も出てきませんね」と、彼。「どの種族も、パク人のプロテクターの姿に合わせて鎧をつくっているのです。どこでもまったく同じかたちというわけではありませんが、変化のパターンに法則性はありません。その件については、〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉の文化がひろまってしまったのがうらめしい気がします。その帝国の中で、思想も発明品もまじりあってしまい、起源がたどれないのです」 「不死の霊薬のほうは?」 「それはあなたのいうとおりでした。〈大海洋〉は、不死をも含めたあらゆる恐怖と歓喜の源と考えられています。そこからもたらされるのは、薬だけではありません。どれも、神々の気まぐれで、何の予告もなしにやってくることが多いようです。こういった伝説が何を意味するのか、人間でないわたしには見当がつきません」 「テープをかけてみせてくれないか。その客人たちにも見てもらおう。この連中が、ぼくにはわからないことも説明してくれるかもしれない」 「了解」 「修理の件は?」 「歴史はじまって以来、リングワールドの修理活動の記録は、まったくありません」 「まさか!」 「あの都市の記録が、どの程度の地域をカヴァーしていると思うのですか? そして、どのくらいの年月を? ごく狭く、ごく短いものにすぎませんよ。そのほか、わたしはジャック・ブレナンへの古いインタビューの記録を調査しました。どうやらプロテクターというのは、寿命も長いし、きわめて長期の範囲について考慮する傾向が強いように思われます。自分が手をくだせる仕事を、自動機構にまかせようとはしません。例えば、フスツポクの宇宙船には自動操縦機構がついていませんでした」 「それはつじつまが合わないな。排出管《スピルパイブ》システムは、明らかに自動だぜ」 「ひどく単純かつ乱暴な類推ですね。わたしたちにはまだ、プロテクターたちが死に絶えるかリングワールドを去るかした理由も、わかっていないのですよ。彼らが自分たちの運命を知り、そして排出管システムを自動化するだけの時間があったとも考えられるではありませんか? ルイス、そんなことを、わたしたちが知る必要など、何もないのです」 「ほう、そうかな? 隕石防禦装置も自動のはずだぜ。そいつのことをもっと知りたいとは思わないのか?」 「思います」 「それに、姿勢制御ジェットも自動だ。たぶんどれも、手動への切りかえは可能だったろうがね。しかし、パク人が消えたあと、何千種もの亜人種が進化してきているいっぽう、その自動装置はまだ機能しているんだ。プロテクターたちが、いつ自分たちがいなくなってもいいように用意していたのか──ちょっと信じにくいことだが──」 「あるいは、死に絶えるのに長い年月がかかったかですね」と、〈至後者《ハインドモースト》〉。「それについては、わたしにも思いあたることがあるのですが」  しかし、それ以上はいおうとしなかった。  ルイスはその午前中、恰好の気晴らしを見つけた。〈大海洋〉にまつわる物語は、どれもなかなか面白く、英雄あり王国あり、発見の偉業や魔法やおそろしい怪物などもいり乱れて、しかも人類文化の生みだしたお伽話とはひと昧ちがった趣きがあったのだ。  そこでは、愛は永遠のものではなかった。〈都市建造者《シテイ・ビルダー》〉の主人公《ヒーロー》(もしくはヒロイン)につき従う仲間ないし従者は、つねに異種族の異性で、彼らの忠誠心は空想的に美化されたリシャスラによって支えられ、その便利な能力は当然のこととして認められていた。魔法使いは必ずしも邪悪な存在ではなく、常に気まぐれに現れる避けるべき危険であって、戦いの相手ではなかった。  ルイスは、探し求めていたパターンを、そこで見つけだした。それらの物語は、つねに、海の広大さ、そして暴風雨や海の怪物の恐怖と結びついていたのだ。  それらの中には、鮫や、抹香鯨や、鯱や、ガミジイ星の破壊獣《デストロイヤー》や、ウンダーランドの|幻 影 魚《シャドウ・フィッシュ》や、|罠  藻《トラップウィード》のジャングルなどだろうと思われるものもあった。  知的生物も現われた。全長一マイルにおよぶ海蛇で、蒸気を吐く鼻腔(肺があるのか?)と鋭い歯の並ぶ大きな口をもっている怪物も出てきた。近づく船を焼き払う島があり、きまってただひとりが生き残るのだった。 (幻想か、それともひまわり花だろうか?)  島の中には定住性の海獣もあって、その背の上にまるまるひとつの生態圏が確立しているところへ、水夫たちをのせた船が平安を乱しにやってくる。するとそいつは海中へもぐってしまうのだ。もし地球の文学にも同じ伝説があることを知らなかったら、この話もルイスは本気にうけとめていたかもしれない。  すさまじい嵐の話は本当だろうと思われた。これだけの距離があれば、暴風雨はふつうの惑星ならハリケーンを起こすコリオリの力が働かないにしても、おそるべきスケールに成長しうるだろう。クジンの〈地図〉で、彼はひとつの都市に匹敵する大きさの船を見ている。事実、〈大海洋〉の嵐を乗り切るには、あのくらいの船が必要なのかもしれない。  魔法使いという概念も、彼はまったく信じないわけではなかった。彼ら(三つの伝説の中に出てくる)は、〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉の種族のようにみえた。しかし、地球の伝説に出てくる魔法使いとちがって、彼らは強い戦士たちだった。三人とも、れいの鎧を身につけていた。 「カワレスクセンジャジョク? 魔法使いはいつでも鎧を着ているのかい?」  少年はふしぎそうな顔で彼を見つめた。 「お伽話の中のことだね? そうでもないよ。でも、たしか〈大海洋〉の近くにいるときは、いつでも着てたと思う。どうして?」 「魔法使いは戦うのかい? みんな、偉大な戦士なのか?」 「戦う必要なんかないはずだよ」  矢つぎ早に質問されて、少年は落ちつかなくなった。  ハーカビーパロリンが割りこんだ。 「ルーウイーウ、お伽話のことなら、カワよりわたしのほうが詳しいと思うわ。何が知りたいの?」 「リングワールドを建設した連中の本拠地をさがしてるんだよ。この鎧を着た魔法使いってのが、それかもしれない。ただし、歴史に登場するほどあとまで残ってたとも思えないんだが」 「じゃあ、ちがうんでしょ」 「しかし、その伝説のもと[#「もと」に傍点]は何だろう? 彫像か? 砂漠から掘り出されたミイラか? 種族的な記憶か?」  彼女は考えこんだ。 「魔法使いは、ふつうその伝説を伝えている種族のはずよ。描写が変わっていったんでしょう──背の高さ、大きさ、食べるものなど。それでも、共通した特徴があるわね。すごい戦士だということや、道徳的な立場をとらないこと、それに、打ち負かせる相手じゃなく、ひたすら避けるべきものだってことなど」  極洋の氷の下をゆく潜水艦よろしく、ホット・ニードル号は〈大海洋〉の下へと進入していった。 〈至後者《ハィンドモースト》〉が船の速度を落とした。えんえんと続く複雑に曲がりくねったリボンのような大陸棚が後方に消えていくのが、はっきりと見えた。その向うの〈大海洋〉の底は、陸地と同じように起伏に富んでいた。海面の上に顔を出しているだろうと思われるほど高い山々。五、六マイルも高くつき出た海底の峡谷、等々。  いま頭上に見えてきたもの──それは凹凸のはげしい屋根のようで、光量増幅をかけていても暗く見え、三千マイルの彼方だというのに手がとどきそうなほど近く見える──クジン星の〈地図〉にちがいない。コンピューターによると、そのとおりだった。この〈地図〉が刻まれた当時のクジン星は、地殻の変動が烈しい時期だったにちがいない。海底は大きくふくらみ、山脈は深く鋭い切れこみになっていた。  ルイスには、どこがどれなのか見分けられなかった。発泡材で蔽われた等高線だけでは、何もつかめない。日光に照らされた黄色とオレンジ色のジャングルの眺めがないと、手がかりがないのだ。 「カメラをまわしといてくれよ。着陸船からの信号でもはいらないもんかな?」  操縦パネルの前から、〈至後者《ハインドモースト》〉の片方の頭がこっちを向いた。 「いいえ。ルイス、〈スクライス〉が邪魔しています。あの、大きな河口の、まん円い湾が見えますか? 巨大な船は、あの湾口に碇泊しているのです。地図のずっと向う側の、二本の河が合流しているY字形のところ──着陸船《ランダー》がいま停まっている城は、あそこにあります」 「ようし。二、三千マイル降下して、上から……いや、下からじっくり見てみょう」  ニードル号は、複雑な地形のきざまれたその屋根に向かって近づいていった。 〈至後者《ハィンドモースト》〉がいう。 「あなたはライイング・バスタード号でも、これと同じ道をたどってみたのでしょう? 何か前とちがったものが見つかると思うのですか?」 「べつに。じれったいのかい?」 「もちろんちがいます」 「あのときより、いまのぼくのほうが、いろんなことを知ってる。たぶん、見落としていたこまかい点がわかると思うんだ。例えば──あれは何だろう? 南極のあたりからつき出てる、あれは?」 〈至後者《ハインドモースト》〉は、その映像を拡大してみせた。長い、幅のせまい、織物のような表面を持つ真黒な三角形が、クジンの〈地図〉の中心からまっすぐに垂れさがっていたのである。 「放熱板です」とパペッティア人。「当然、南極は冷却しておかなければなりません」  ふたりのリングワールド人は、すっかり当惑していた。 「どういうことなのかしら」と、ハーカビーバロリンがいった。「少しは科学を知ってるつもりだったけど、でも……これはいったい[#「いったい」に傍点]何なの?」 「説明するのはむずかしいね。おい、〈至後者《ハインドモースト》〉──」 「ルーウイーウ、わたしは馬鹿でも子供でもないのよ!」  そう、四十をそう過ぎてはいない年ごろだろうと、ルイスは思った。 「ようし。つまるところ、これは惑星の模倣だってことさ。惑星、つまり回転する球体だ、いいかね? その球体の回転軸のあたりでは、太陽がほとんど水平に当たるから、そこは寒くなる。だから、それを模倣した世界では、両極を冷却しなきゃならないんだ。〈至後者《ハインドモースト》〉、もう少し倍率をあげてくれないか」  織物のようにみえた放熱板の表面は、上が銀色、下が黒の、水平に取りつけられた無数の可動板の集合であることがわかった。  夏と冬だ、そう思いながら、「信じられん」と彼はつぶやいていた。 「どうしたの?」  途方にくれたてい[#「てい」に傍点]で、彼は両手をひらいてみせた。 「しょっちゅう感ちがいしちまうんだ。すっかりわかったと思うとたんに、とつぜんそれがあまりに大きすぎることに気がつく。カホな大きさなんだ」  ハーカビーパロリンの目から、涙があふれた。 「いまこそ本当にわかったわ。わたしの世界は、本当の世界をまねたにせもの[#「にせもの」に傍点]だったのね」  ルイスは、彼女のからだに腕をまわした。 「本物だよ。ほら、わかるだろ? きみも、ぼくと同じくらい本物なんだよ。さあ、足を踏みしめて。あの世界は、この船と同じくらい本物なんだ。ただ大きいだけさ。ずうっと、ずうっと大きいんだ」 〈至後者《ハインドモースト》〉がいった。 「ルイス?」  わずかに望遠鏡の視野をずらすと、〈地図〉の周辺部にも、小ぶりな放熱板がいくつも並んでいるのが見えた。 「当然、北極地方も冷却されているわけです」 「ああ。もうそろそろそのくらいでいいだろう。〈神の拳〉のほうへ向かってくれ。だが、ゆっくりとでいいよ。コンピューターで、位置はわかるね?」 「はい。でももうふさがれているかもしれません。あなたは、嵐の〈目〉の孔は修理されているといいましたね」 「〈神の拳〉をふさぐのは容易じゃないだろう。あの孔だけでオーストラリアよりも大きいし、おまけに大気の上に出てるんだから」  ギュッと閉じた目の上を、彼はこすった。  もう二度とごめんだ、と彼は思う。でもこれは現実なんだ。現実である以上、頭を使えばなんとかなるはずだ。カホナ、〈ワイア〉にかかったりしなければよかった。あのおかげで、現実感覚が狭まっちまったんだ。しかし……極地の下の冷却板とは[#「極地の下の冷却板とは」に傍点]?  すでに船は、クジンの〈地図〉の下から出はずれていた。探深《ディープ》レーダーでみても、海の底の部分にパイプらしいものは映ってこない。つまり、あの隕石防禦膜も、発泡スクライスでできているということだ。パイプはそこにあるはずだ。さもなければ、海底は〈フラップ〉で埋まってしまう。  リングワールド下面につき出たあの尾根──あの、長い長い海底の峡谷。ああした海溝のひとつひとつに浚渫機があり、一端に放出孔があるはずだ──それだけで、海底ぜんぶをきれいにしておけるだろう。 「少し進路を変えるんだ、〈至後者《ハインドモースト》〉。火屋の〈地図〉の下に寄ってみよう。それから、地球の〈地図〉の下へもね。ほとんど寄り道にはならないだろう」 「二時間近くかかります」 「いいさ、いってみよう」  二時間。  ルイスは就寝フィールドの中でひと休みした。冒険者は、とれるときに睡眠をとるものだ。彼にもそのくらいの心得はあった。  予定時刻よりもかなり前に、彼は目をさまし、ニードル号の上空ではまだ海底がグングン流れていた。見ているうちに、次第にその動きがおそくなり、そして停止した。 〈至後者《ハインドモースト》〉の声。 「火星が見つかりませんね」  ルイスははげしく頭をふった。  目をさませ[#「目をさませ」に傍点]! 「何だって?」 「火星は、低温で、乾燥した、ほとんど大気のない世界ですね? ですから、その〈地図〉全体は、何らかの方法で冷却され、除湿され、かつ大気上層に出ているはずです」 「そう。その条件ぜんぶだ」 「では、上を見なさい。ここは、火星の直下のはずです。クジンの〈地図〉の下にあったよりも大きな放熱板は、どこにあるのです? ほぼ円形の、深さおよそ二十マイルの凹みは、どこにあるのです?」  頭上にはただ、なめらかに突出した海底の面がつづいているばかりだった。 「ルイス、どういうことか、わけがわかりません。もしこの船のコンピューターの記憶がおかしくなっていたら……」 〈至後者《〈インドモースト》〉の脚が、ぐんなりと折れ曲がった。二本の頸が、ゆっくりとさがり、内側へと……。 「コンピューターの記憶は大丈夫だよ」と、ルイス。「気を楽にして。コンピューターはなんともない。頭上の海の温度が、ほかよりも高くはないかどうか、測ってみてくれ」  なかば胎児の姿勢をとりかけたところで、〈至後者《ハインドモースト》〉はためらった。 「了解」  結局、パペッティア人はそういうと、操縦パネルのところへいって操作をはじめた。  ハーカビーパロリンがたずねた。 「どういうことなの? あなたがたの世界のひとつが見つからないっていうの?」 「小さめのやつがね。まあ、単なる不注意のせいだろうよ」 「それ、球形じゃないわけね」じっと考えこみながら、彼女がいう。 「そう。果物をむいた皮を、たいらにひろげたようなものさ」 〈至後者《ハインドモースト》〉が呼びかけた。 「〈大海洋〉底の温度は、場所によってまちまちです。放熱板の周辺を別にしても、華氏四十度から八十度までのばらつきがあります」 「火星の〈地図〉の付近の水が、ほかより暖かくなっていると思うが」 「火星の〈地図〉もはっきりしませんし、海水の温度も暖かくはありません」 「なあ……んだと? でも、それはおかしいよ[#「おかしいよ」に傍点]」 「考えていることはわかります──そう、ふしぎですね」  パペッティア人の二本の頸が、大きく弧をつくって曲がり、自分で互いに目を見合わせた。ルイスは前に、ネサスがこうやるのを見たことがあり、それがパペッティア人の笑い[#「笑い」に傍点]なのではないかと思っていた。だが、それが精神集中だということもありえよう。  それを見て、ハーカビーパロリンは、居心地わるげにモジモジしたが、さりとて目をそらすこともできない様子だった。  ルイスは、床の上を歩きまわりはじめた。  火星は冷却されているはずだ。ではその熱は、どこへ……?  パペッティア人が、奇妙な音階の笛のような音を鳴らした。 「格子《グリッド》では?」  ルイスは、出しかけの足を宙でとめた。 「格子《グリッド》。そいつだ。そうだとすると……くそっ! そんなことでいいのか?」 「一応の収穫はありましたね。つぎはどこへいきますか?」  この世界の底面から学んだものは大きかった。  では──。 「地球の〈地図〉へいこう。すまないが、基底レベルまで近づいてくれないか?」 「了解」と、〈至後者《ハインドモースト》〉。  ニードル号は、回転方向《スピンワード》へと進みつづけた。  そういえば、この海は大きすぎた、と、ルイスは思う。それにくらべて、その中の陸地は、ほんのわずかだ。どうして、リングワールドの建設者たちは、こんな塩海を、たった二ヵ所にまとめてつくったのか?  むろん、釣りあいをたもつためには、ふたつ必要だが、どうしてこんなに大きなものを?  貯水池? それもあるだろう。  放棄されたパク惑星の海棲生物を保存するため? 自然保護主義者なら、りっぱな行為だというだろう。だが、やったのはパク人のプロテクターなのだ。彼らの仕事である以上、それは彼ら自身と、その血をひく子孫たちの安全のためという唯一の目的につながってこなければならない。  ルイスは考えていた──この〈大海洋〉に散在する〈地図〉は、すべてが超絶的な目くらまし[#「目くらまし」に傍点]だったのだ、と。  海底の地形までそのまま再現されているにもかかわらず、地球はすぐに見分けがついた。アフリカ、オーストラリア、南北アメリカ、グリーンランドなどをとりまく、ゆるやかに屈曲した大陸棚……南極と北極海の下の放熱板……ルイスはいちいち指さし示し、ふたりのリングワールド人は、お義理でうなずきながら耳をかたむけた。それが当然だろう。彼らの[#「彼らの」に傍点]故郷ではないのだから。  そうとも、ハーカビーパロリンとカワレスクセンジャジョクを故郷にもどしてやるためには──もしほかに何もしてやれなかったらだが──彼は全力を尽くすつもりだった。  ルイス・ウーは、いまや、思いもかけなかったほど、地球に近づいていた。  やがてまた、海底が、頭上を流れはじめた。ついで、海岸線──ゆるやかに湾曲した大陸棚が、複雑に入りくんだ入江や湾や三角洲や半島や群島や、こまかくて目にみえないような屈曲を包みこんでのびている。  ニードル号は、回転方向《スピンワード》やや左舷《ボート》よりに進路をとっていた。ポッカリ中空になった山脈や、底の平坦な海の下を、船はつぎつぎと通り過ぎた。やがて回転方向《スビンワード》はるかに、定規でひいたような一本の直線、そしてその手前の端近くに、キラリと光が──。 〈|神 の 拳《フィスト・オヴ・ゴッド》〉だ。  はるかな昔、何か巨大なものがリングワールドに激突した。火の玉がリングワールドの床面を押しあげ、やや傾いた円錐形にそれをひん曲げ、そしてつきぬけた。この巨大な漏斗形の近くから回転方向《スピンワード》へのびている細い線は、そのずっとあとになって落下した隕石──つまり、船外の装備をもぎとられたゼネラル・プロダクト製の船体が、停滞状態《ステイシス》の乗客をのせて、毎秒七百七十マイルの水平速度で着陸した──その痕であった。  何たることか、あのとき船は、〈スクライス〉までひん曲げてしまっていたのだ!  ホット・ニードル号は、スポットライトのような光芒の中を上昇しはじめた──〈神の拳〉山の頂上のクレーターからさしこむ、太陽の直射光線である。かつて火の玉がつきぬけたとき、うすく引きのばされた〈スクライス〉の縁《へり》が、火口をとり巻く連峰のようにそそり立っている。船はそれを直下に見おろす位置へと上昇した。  麓の斜面からはるかかなたまで、見わたすかぎりの砂漠だった。〈神の拳〉を形成した衝撃が、優に地球より広い地域の全生命を、焼きつくしてしまったのだ。遠く、ずっと遠く、十万マイル以上のかなたで、距離による青さが海の青さへとつづいている。だが、それほど遠くが見えるのも、いまニードル号が、一千マイルの高度までのぼっているからにすぎない。 「さあ、いこうぜ」と、ルイスがいった。「それから、着陸船《ランダー》のカメラの映像を出してくれないか。ハミイーがどうしてるか、見てみようや」 「了解」 [#改ページ]      27 〈|大 海 洋《グレート・オーシャン》〉  長方形の窓が六つ、船殻の外に浮かび出た。着陸船《ランダー》の操縦室、階下、それに外部四方向を映している六台のカメラの映像である。  操縦室には誰もいない。非常ランプがついていないかと、ルイスは目を走らせたが、幸いひとつも点灯していないようだ。  自動医療装置《オートドック》は、依然として、巨大な棺桶のように蓋をとじていた。  外部カメラが、どこかおかしい。映像がゆらめき、流れ、輝く色彩をともなって揺れる。だがそれでも、城の中庭や、塀の矢狭間や、革の鎧を着て見張りに立っているクジン人の姿が認められた。それ以外の、四つ足でとびまわるクジン人は、ぼやけた縞もようのようにみえる。  炎だ!  守備兵たちは、大きな焚火で、着陸船《ランダー》を火あぶりにしていたのだ! 「〈至後者《ハインドモースト》〉? ここから着陸船を上昇させることができないか? あんたは、リモート・コントロールができるっていってたね」 「離陸させることはできますが」と、〈至後者《ハインドモースト》〉。「しかし、それは危険です。ここは、クジンの〈地図〉から、円弧の角度にして……約十二分|回転方向《スピンワード》、その左舷《ボート》寄り──三十万マイル以上離れています。光速度で三秒半の遅れをともなう状態で着陸船《ランダー》を飛ばすことができると思うのですか? 生活システムのほうは、充分に保《も》っているのですよ」  四人のクジン人が中庭をかけぬけ、大きな両びらきの城門を開け放った。一台の車輌がそこから乗りこんで、停止した。ルイスを|浮 遊 都 市《フローティング・シティ》まで乗せていった〈機械人種《マシン・ピープル》〉の車よりも大型だ。四つのフェンダーの上に、大砲とおぼしい武器が乗っている。車から出てきたクジン人たちが、立ったまま着陸船《ランダー》をしげしげと見つめる。  城主が隣人に救いを求めたのか? それとも、隣人のほうが、難攻不落の空飛ぶ要塞を分捕ろうとしてやってきたのか?  車輌の砲列が旋回してカメラに向かい、火を吐いた。炎の花が咲き、カメラはビリビリと震動した。大きなオレンジ色の猫たちは身をかがめ、やおら立ちあがると、結果やいかにとこっちをうかがった。  操縦室の非常ランプは、ひとつも点かなかった。 「この野蛮人どもには、着陸船《ランダー》に損害を与える手段などありませんよ」と、〈至後者《ハインドモースト》〉。  ふたたび、砲弾の斉射が浴びせられた。 「そのとおり信じておくよ」と、ルイス。「でも監視はつづけてくれ。ところで、ここから着陸船《ランダー》までの距離で、もう|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》は使えないものかね?」  パペッティア人はまた、ふたつの頭を向かい合わせた。こんどは数秒間、そうして自分の目を見つめつづけた。  それからやおら口をひらいた。 「ここは、クジンの〈地図〉から回転方向《スピンワード》に二十万マイル、左舷《ボート》寄りに十二万マイル離れています。左舷《ボート》方向の距離は問題ありません。しかし、回転方向《スピンワード》の距離は致命的でしょう。ニードル号と着陸船《ランダー》の相対速度は、毎秒十分の八マイルもあります」 「それじゃ大きすぎるのかい?」 「ルイス、わたしたちの技術といえども奇跡ではないのですよ! |跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》が吸収できる運動エネルギーの上限は秒速二百フィートまで、それ以上は無理です」  砲弾の爆発で焚火が四散していた。鎧をつけたクジン人の守備兵たちが、それをつくりなおしている。  ルイスは、口から出かかった悪態をかみころした。 「いいだろう。あそこへいくいちばん早い方法は、|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》が使える位置まで、まっすぐ反回転方向《アンチスピンワード》に飛ぶことだな。それから、ゆっくり|右 舷《スターボート》に向かえばいい」 「了解。速度は?」  ルイスは口をひらきかけ、あけたままでしばらく考えこんだ。 「さあて、そいつは重大な質問だな」と、彼。「リングワールドの隕石防禦装置は、何を隕石と見なすのか? あるいは、侵略者の宇宙船と見なすのか?」  パペッティア人は、うしろへ首をのばすと、操縦装置に口をふれた。 「加速をとめました。その点を検討しなければなりません。ルイス、わたしにまだわからないのは、〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉がどうして外壁の輸送システムが安全なことを知ったかということです。実際に安全だったわけですが、どうして彼らにそれがわかったのでしょう?」  ルイスは首をふった。  リングワールドのプロテクターたちが、外壁を攻撃しないように隕石防禦装置をプログラムした理由なら、彼にも想像はついた。そこは、彼らみずからの船の通路だったから──あるいは、姿勢制御ジェットが高速ガスを噴射するたびにそれを攻撃してしまうことに気づいたからかもしれない。 「たぶん、〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉は、はじめ小さな船でためしてみてから、つくったんじゃないかな。それで、うまくいったと」 「ばかばかしい。危険です」 「彼らのそういったやりくちは、もうわかったと思うがねえ」 「信用しておきましょう。ところで、ルイス、速度をどうします?」  砂漠の高原の、ゆるやかなくだり勾配がつづいている──焼きつくされた不毛の土地、何千ファランもの昔に白熱して砕け散った生態系。  リングワールドの下面に激突したのは、いったい何だったのか?  彗星は通常これほど大きくはない。小惑星のたぐいもなかったはずだ。リングワールド建設のさいに、この系内から一掃されてしまったのだから。  ニードル号は、すでにかなりの速さで飛んでいた。はるか前方に、緑色の土地が現われはじめた。銀色の糸のような河が見える。 「最初の探険のとき、ぼくらはフライサイクルで、マッハ二で飛んだ」と、ルイス。「その速さだと……|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》が使えるまでに八日間か、カホナ、長すぎる。つまり隕石防禦装置は、表面との相対速度の大きなものを射つんだと思うが、どのくらいの速さまで大丈夫なんだろう?」 「それを知る簡単な方法は、何かが起こるまで加速してみることですね」 「〈ピアスンの|人形つかい《パペッティア》〉の口からそんなことばが聞けるとは、思ってもいなかったな」 「パペッティアの技術を信頼しなさい、ルイス。停滞《ステイシス》フィールドがあるのですよ。停滞フィールド内のわたしたちを傷つけられる武器はありません。最悪の場合でも、地表に激突したあと通常状態にもどって、以後はそれ以下の速度で進むことにすればいいのです。危険にも序列があるのですよ、ルイス。これから二年間、わたしたちにとっていちばん危険なのは、身をかくすことです」 「これはどうも──ハミイーがそういうならわかるが──パペッティア人が……ちょっと考えさせてくれよ」  ルイスは目を閉じ、考えをまとめようとした。ついで、彼はいった。 「こうしたらどうかな? まず、あのこわれた探査機、〈図書館〉においてきた。あれを飛ばして──」 「あれは動かしました」 「どこへ?」 「いちばん近くにある高い山の、〈スクライス〉がむきだしになった頂上です。わたしに思いつけるかぎり、いちばん安全な場所です。もはや燃料補給の役には立ちませんが、探査機はやはり大切ですから」 「それはいい場所だね。そこから動かさない[#「ない」に傍点]で、その探査機と、ニードル号と着陸船《ランダー》の、あらゆる感知装置《センサー》のスイッチをいれるんだ。その大部分は、|遮 光 板《シャドウ・スクエア》に向ける。さて、隕石防禦装置が、ほかのどこについている可能性があるかな? リングワールドの下面[#「下面」に傍点]は射てないんだってことを頭においてね」 「見当がつきませんね」 「よし。それじゃ、〈アーチ〉全域にカメラを向けることにしよう。|遮 光 板《シャドウ・スクエア》にも向ける。太陽にも向ける。クジンの〈地図〉にも、火星の〈地図〉にもだ」 「そうしましょう」 「この船は高度一千マイルをたもつことにする。船倉にある探査機《プローブ》もはずしたらどうかな? そいつに、あとをついてこさせるというのは?」 「たったひとつの燃料補給源を? それはだめです」 「じゃ、このまま加速をはじめて、何かが起こるまでつづける。それでいいのかい?」 「はい」  そう答えて〈至後者《ハインドモースト》〉は操縦パネルのほうに向きなおった。ルイスとしては、もっと時間をかけて討論し、自分でも士気を鼓舞したかったのだが、だまっていることにした。  カメラの目はそれをとらえていたが、ニードル号の人々の中に、見たものは誰もいなかった。たとえ上を見上げていたとしても、見えなかっただろう。見えるのはただ、暗黒の宇宙を背景とした、白く輝く星々と、青い横縞のはいった〈アーチ〉と、その〈アーチ〉の頂点にある黒い円盤──ニードル号のフレア防禦膜が裸の太陽をさえぎっているためにできる──だけだったはずだ。  しかし、実際には、誰も上を見てなどいなかった。  眼下には、超空間駆動《ハイパードライヴ》モーターの残骸ごしに、生きいきとした緑の大地がひろがっているのが見えた。密林や、沼地や、荒野が果てしなくつづく中に、ときたま、不調和な刺子模様のように、耕作された農地が現われた。これまでみてきたリングワールド人の中にも、農業を行なうものは、あまりいなかったようだ。  平坦な海の上のいくつかには、船の群が浮かんでいた。一度、ニードル号は、幅七千マイルに及ぶ蜘蛛の巣のような道路網の上を、半時間かけて横切った。望遠鏡でみると、その道路上には、人をのせたり小さな荷車をひいた馬がいっぱい歩いていた。動力つきの車輌はみえなかった。〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉の文明は、ここではすでに凋落し、そのまま停滞しているものと思われた。 「わたし、女神になったみたい」ハーカビーパロリンがいった。「こんな眺めを見た人なんて、これまでなかったでしょうね」 「女神がもうひとりいたっけ」と、ルイス。「少なくとも、彼女は自分でそう思ってた。やっぱり〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉でね。宇宙船の乗員のひとりだったんだ。彼女はたぶん、こんな景色も見たことがあるだろう」 「まあ」 「そうむき[#「むき」に傍点]になるなよ」 〈神の拳〉山は、徐々に後方へ縮んでいった。あの大きな殻の中には、地球の月がすっぽりおさまるかもしれない。その巨大さを鑑賞するには、ノウンスペースのあらゆる居住可能地域ぜんぶを合わせたよりも大きな地域をあいだにはさむ位置まで後退してみなければならないだろう。  ルイスは、神のような気分になど、到底なれなかった。むしろ自分がちっぽけに感じられた。みじめな気分だった。  着陸船内の自動医療装置は、あれきり何の動きもみせていない。  ルイスはたずねた。 「〈至後者《ハインドモースト》〉、ハミイーは、あのほかにも傷を負ってたんだろうか?」  パペッティア人の姿は見えなかったが、声ははっきり聞こえた。 「もちろんその可能性はあります」 「死にかけてるのかもしれないぞ」 「いいえ。わたしは忙しいのです、ルイス。邪魔をしないように!」  望遠鏡の映像は、すでにぼやけはじめていた。いまや肉眼でも、一千マイル下方の大地全体が、目にみえて動いているのがわかった。ニードル号の速度は、毎秒五マイルを突破していた。──地球の周回軌道速度だ。  雲海のまぶしさは、目が痛くなるほどだ。船尾はるかの後方で、耕作地の碁盤目模様が、すっかり薄く消えかけるころ、真下では、土地が下り斜面となり、ついでそこからさき数百マイルは、一面ただ平坦な草原がつづく。その平野が、左右には、目のとどくかぎり、どこまでものびている。この平地にそそぐ河が、ところどころそこだけクッキリした緑色の沼地をつくっているのがはっきりと見える。  目をこらすと、そこに、湾や、入江や、島々や、半島などを示す等高線が見てとれた──船遊びや港湾設備のために都合よく設計された、それは、リングワールドの海岸線であった。だがそれはいま、海よりずっと回転方向《スピンワード》寄りの位置にあり、そのさきにはさらに数百マイルにわたり、塩害で不毛と化した平地があった。それにつづいてやっと青い海面が……〈神の拳〉の衝撃が残したこの鮮やかな形見に、ルイスは首筋の毛がチリチリと逆立つのを感じた。  これだけ遠く離れた〈大海洋〉の海岸線までが、もちあがったのだ。海は、もとの位置から七、八百マイルほども退いていたのである。  ひどく目がくらむ。下界が明るすぎるようだ。董色の強烈な輝きが──。  ──断絶──  そして、暗黒。  ルイスはギュッと目をとじた。そして開いたが、閉じているときと変わらなかった──あたりはまるで胃の腑の中にいるような暗さだった。  ハーカビーパロリンが悲鳴をあげた。カワレスクセンジャジョクは、床の上でバタバタしているようだ。その腕がルイスの肩に触れると、少年はルイスの腕を両手でつかみ、すがりついてきた。女の悲鳴が、フッツリとやんだ。 「ルーウイーウ、ここはどこなの?」ふるえる声がたずねた。  ルイスは答えた。 「はっきりしないが、たぶん海底だろう」 「そのとおりです」と、〈至後者《ハインドモースト》〉のコントラルトがいった。「探深《ディープ》レーダーでは、よく見えています。探照灯をつけましょうか?」 「たのむ」  水はどんよりした感じだった。思ったほど深いところではないらしい。魚が船殻に鼻をこすりつけている。近くには海草の森林さえみえた。  少年がルイスから離れ、壁に鼻を押しつけた。ハーカビーパロリンも外を見つめながら、しかしまだ身のふるえがとまらないようだ。 「何が起こったの? ルーウイーウ、何がどうなったのか、あなたにはわかるの?」 「どうなったのか、見てみよう」と、ルイス。「〈至後者《ハインドモースト》〉、上昇してくれ。高度一千マイルにもどすんだ」 「了解」 「停滞状態《ステイシス》にはいっていた時間は?」 「わかりません。ニードル号のクロノメーターも、もちろん止まっていましたから。探査機へデータを送るよう指令しますが、光速の遅れは十六分あります」 「やられたときの速度は?」 「秒速五・八一マイルです」 「じゃ、事態をしらべ終えるまで、五マイルちょっとくらいにしておこう」  ニードル号が海面に近づくにつれて、着陸船《ランダー》からの信号が恢復した。まだ、火に包まれている。自動医療装置もまた閉まったままだ。ハミイーももうそろそろ出てきていいはずなのに、と、ルイスは思った。  周囲に青い光がひろがった。ニードル号は海面をつき破り、陽光の中に上昇した。床にわずかな震動も感じさせず、二十Gの加速度で、海は下方に去っていった。  船尾の眺めで、多くのことがわかった。  後方四、五マイルのところで、巨大な波浪が、かつては海中の大陸棚だった平坦な浜辺に打ちよせ砕けている。浜辺から、えぐりとったような一条の線が、ずっと向うへのぴている。ニードル号は、海上に落ちたのではなかった。火の玉となって地上に激突し、そのまま進んで海へとびこんだのである。  それよりはるか後方で、浜辺は草原になり、さらに森林へとつづく。そのすべてが燃えあがっていた。広さ数千平方マイルの大かがり火だ。炎が四方から押しよせ、中央で垂直な火柱となって噴きあがるさまは、ずっとはるか彼方でひまわり花の集落に蒸気が流れこんでいる光景とよく似ていた。  しかし、ニードル号の墜落くらいで、こんな火事になるはずはない。 〈至後者《ハインドモースト》〉がいいだした。 「これで、隕石防禦装置は、住民のいる区域をも射つようプログラムされていることがわかりました。ルイス、わたしはおそろしい。あの一撃に費やされた総熱量は、わたしたちの〈惑星船団〉の発進に使われた全エネルギーに匹敵するでしょう。しかも、自動装置は、これをくりかえして発射することができるのです」 「パク人が何でも大げさなやり方をすることはわかってるよ。射ってきたのは、どんなしかけだい?」 「しばらく邪魔をしないでください。わかったら知らせます」 〈至後者《ハインドモースト》〉は姿を消した。  まったくじれったい。あらゆる計器は〈至後者《ハインドモースト》〉が握っている。とんでもないうそをついたとしても、ルイスには知りようがないわけだ。いまのところ、パペッティア人に、その気はないようだが……。  ハーカビーパロリンが、ルイスの腕をゆすっている。  彼はどなりつけた。 「何だ?」 「ねえ、気やすくたずねてるわけじゃないのよ。もう気が狂いそうだわ。何かが重苦しくのしかかってきて、なのに、それが何だか、口ではいい表わせないの。お願い、いったい何がどうなったの?」  ルイスはためいきをついた。 「停滞《ステイシス》フィールドと、隕石防禦装置のことを、教えておくべきだったね。それに、〈ピアスンの|人形つかい《パペッティア》〉と、ゼネラル・プロダクツの船殻と、パク人のことも」 「心の準備はできてるわ」  そこで彼は話をはじめ、彼女がうなずき、質問をはさみ、そしてまた彼が話した。彼女がどれだけ理解しているかはわからなかったし、彼の知識も、知りたいと思っていることには遠く及ばないが、おおむねルイスは、はっきり自信の持てることだけに話を限定するようつとめた。  事情がのみこめると、彼女も、ルイスが望んでいたとおり、平静をとりもどした。  やがて彼女は彼を、ウォーター・ベッドへいざなった──カワレスクセンジャジョクがいるのもかまわず──少年は一度だけ肩ごしにニヤッと笑ってみせたが、あとはずっと、眼下の〈大海洋〉を眺めつづけていた。  リシャスラには、心をなぐさめてくれる何かがあった。おそらくは一時的なごまかしにすぎないだろう。だが、それだからどうだというのか?  たしかに、豊富な水だった。  高度一千マイルからだと、大気層に視界がぼやけない範囲で見わたせる距離は、莫大な範囲に及んでいる。それなのに、そこには島ひとつ見えないのだ! 海底の起伏がすけてみえるほど浅いところはあった。しかし、目についた唯一の島影は、はるか岸近くの、〈神の拳〉が地形を歪ませる前には海中の山だったとおぼしい一群だけだった。  嵐もいくつか見えた。とはいえ、ハリケーンや台風の渦巻きもようは、さがしても無駄である。かわりにあるのは、空中の河のような雲のパターンだ。見ているうちに動いてていく──この高さからさえ、動いているのがわかるのだ。  この広大さにあえて立ち向かったクジン族の勇気は、敬服に値する。また途中で引っ返したものも、愚かとはいえなかった。はるか|右 舷《スターボード》の水平線上に見えかくれする島影──目を細くして見ないと、本当にあるとは断言できない──は、地球の〈地図〉にちがいない。だがそれも、青一色の背景の中にのみこまれがちだ。  冷静で四角ばったコントラルトの声が、彼の思いをゆすぶった。 「ルイス? いま最高速度を秒速四マイルに落としました」 「いいだろう」  四でも五でも──何が問題だというのか? 「ルイス、あなたは、隕石防禦装置がどこにあるといいましたか?」  何となくおかしな口調だ……。 「何もいってないぜ。知らないんだから」 「|遮 光 板《シャドウ・スクエア》だといいました。記録してあります。リングワールドの下面を守れないとすれば、それは|遮 光 板《シャドウ・スクエア》にあるにちがいないと」  何の抑揚も感情も含まない単調な声。 「それがちがってたっていうのかい?」 「さあ、よく聞いてください、ルイス。船の速度が秒速四・四マイルをこえたとき、太陽がフレアをあげました。映像記録には出ていますが、遮光膜のため、わたしたちには見えなかったのです。太陽から、数百万マイルにおよぶプラズマ噴流がのびました。まっすぐこっちへ向かっていたので、観測は困難でした。ふつうのフレアのように、太陽磁場のために弧を描いたりもしませんでした」 「でも、船を射ったのは、太陽のフレアじゃないぜ」 「フレアは、二十分間で数百万マイルの長さになりました。そして、董色のレーザーを放ったのです」 「な、何てこった!」 「巨大な規模のガス・レーザーです。ビームに打たれた地表は、まだ輝きつづけています。だいたい、直径十キロほどの地域です──とくに絞りこんだ収束ビームではありませんが、ふつうはそんな必要などないのでしょう。効率がさほど高くなくても、あれだけの大きさのフレアなら、ガス・レーザーのビームに、毎秒三掛ける十の二十七乗エルグの出力を一時間のオーダーで供給できます」  沈黙。 「どうしました?」 「ちょっと時間をくれないか。そう、たしかに驚くべき兵器だ」  そのときだった──彼は、リングワールドの建設者の秘密に、思い当たったのである。 「だから[#「だから」に傍点]、彼らは安心できたんだ。だから、ひとつの大きなリングワールドをつくったんだ。こいつ[#「こいつ」に傍点]で、どんな侵略者でも撃退できるはずだった。このレーザー砲は、惑星より大きく、地球=月系よりも大きく……〈至後者《ハインドモースト》〉? ぼくは、気が遠くなりそうだ」 「そんなひまはありません。ルイス」 「どうやってやったんだ? その、太陽にプラズマを噴きださせたしかけがあるはずだ。磁気、そう、磁気的な力にちがいない。それも|遮 光 板《ツャドウ・スクエア》の役割のひとつだろうか?」 「そうではなさそうです。カメラの記録によると、あのとき|遮 光 板《シャドウ・スクエア》の輪は、一部わきへ動いてビームを通すと同時に、おそらく地上の日照が強くなりすぎるのを防ぐためでしょうが、全体がグッと収縮しました。この同じ|遮 光 板《シャドウ・スクエア》の輪が、光球面を磁気的に操作していたとは思えません。知性ある設計者なら、それぞれ別途のシステムを考えるでしょう」 「あんたのいうとおりだ。完璧だよ。とにかく、それを確認してくれないか? 考えられるあらゆる磁気効果を、三つのちがった角度から記録してあるはずだ。太陽フレアの原因をつきとめるんだ」  アラーよ、クダプトよ、梵天《ブラーマ》よ、|ペてん師《フィネイグル》よ、|遮 光 板《シャドウ・スクエア》のしわざであってくれ! 「〈至後者《ハインドモースト》〉? 何がわかろうと、どうかまた丸くなったりしないでくれよ」  奇妙な沈黙の間《ま》。ややあって、パペッティア人は答えた。 「このような事態のもとでは、それが全員の破滅を招くことになるでしょう。あらゆる望みが断たれないかぎり、そういうことはしません。あなたは何を考えているのです?」 「あらゆる望みが断たれるなんてことは、絶対にない[#「絶対にない」に傍点]んだ。忘れるなよ」  ついに火星の〈地図〉が見えはじめた。それは地球の〈地図〉よりずっと遠く──まっすぐ|右 舷《スターボード》方向およそ十万マイルの距離──にあったが、地球の〈地図〉と似たところはまったくないまとまった一塊をなしていた。この角度からみると、それは一本の黒い線にみえた──〈至後者《ハインドモースト》〉が予想したとおり、それは海面から二十マイルの高さにそびえるひとつづきの断崖だった。  着陸船《ランダー》の計器盤の上で、赤ランプがまたたきはじめた。室温の計器だ──華氏百十度、ちょうど温泉なみである。ハミイーのはいっている大きな棺のランプは、ひとつもまたたいていない。自動医療装置には、独自の温度調節機がついているのだ。  クジン人の守備隊の火薬は、もう底をついたらしい。薪だけは無尽蔵にあるようだ。  距離はあと二万マイル。船の速度は秒速四マイル。 「ルイス?」  ルイスはフワリと就寝フィールドから降り立った。〈至後者《ハインドモースト》〉のひどい様子に、彼は気づいた。たてがみ[#「たてがみ」に傍点]はクシャクシャに乱れ、片側の|ザクロ石《ガーネット》がはがれ落ちている。まるで脚が木でできているみたいに、ギクシャクとした歩きかただ。 「何かほかの方法を考えなきゃならない」と、ルイス。  できたらあの壁の向こうへ踏みこんで、パペッティア人のたてがみ[#「たてがみ」に傍点]をなでて、励ましてやりたい気持だった。 「あの城にも、何か図書館みたいなものがあるはずだ。ハミイーが、ぼくらの知らないことを知ってるかもしれない。カホナ、あの修理部隊は、もうとっくに答を知ってるのかもしれないぞ」 「わたしたちも知っています。太陽黒点を、その下側から観察するチャンスでしたね」  パペッティア人の声は氷のように冷静で、まるでコンピューターの声だった。 「それがあなたの推測でしたね? リングワールドの床面には、亀甲形の模様《パターン》をなした超伝導体が埋めこまれています。それで磁化された〈スクライス〉が、太陽光球面のプラズマを操作します」 「ああ」 「リングワールドの中心がずれたのも、その種の出来ごとのせいだったかもしれません。隕石、迷い彗星、あるいは地球やクジンからやってきた船を射つためにでも、プラズマ噴射が行なわれます。そのプラズマが、リングワールドをぐらつかせます。それをもとへもどす姿勢制御ジェットは、はずされていました。プラズマ・ジェットでなくても、隕石ひとつの衝撃だけでも、充分だったかもしれません。そのあと修理部隊が──でも、もう手遅れでした」 「そうでないことを祈ろう」 「超伝導|格子《グリッド》は、姿勢制御とは無関係だったのですよ」 「そうだ。おい、大丈夫か?」 「いいえ」 「これからどうするつもりだ?」 「あなたのいうとおりにします」 「いいだろう」 「もしわたしがまだこの探険隊の〈至後者《ハインドモースト》〉だったら、とっくにあきらめています」 「だろうね」 「最悪の手段を予測してみましたか? わたしの計算によると、太陽を動かすことも、可能なはずです。太陽にプラズマ・ジェットを起こさせ、そのプラズマをガス・レーザーとして動かせ、太陽自身を光子推進させるのです。しかしリングワールドも太陽の重力に引かれて動きます。最大推力はあまりに小さく、到底ものの役には立ちません。二掛ける十のマイナス四乗Gをこえる加速度が得られれば、リングワールドをとり残して動かすことができます。しかしどうせその場合も、プラズマ・ジェットの幅射で、生態系はメチャメチャになってしまうでしょう。ルイス、笑って[#「笑って」に傍点]いるのですか?」  そのとおりだった。 「いや、太陽を動かすなんて、思ってもいなかったもんだから。自分じゃ絶対に思いつかなかったろうな。あんたは本当にそこまで、数値的に計算してみたのかい?」  氷のように冷静で、機械的なその声。 「してみました。だめでした。あと何をしたらいいでしょう?」 「ぼくのいうとおりにしてくれよ。秒速四マイルで反回転方向《アンチスピンワード》へ飛びつづけるんだ。着陸船《ランダー》へ跳べるときがきたら、そういってくれ」 「了解」  パペッティア人は背を向けた。 「〈至後者《ハインドモースト》〉?」  片方の頭が振り向く。 「ときには、あきらめたってはじまらない場合もあるんだぜ」 [#改ページ]      28 クジンの〈地図〉  ランプはぜんぶ緑色に輝いていた。  患者の容態がどうであれ、自動医療装置《オートドック》は一応作動をつづけている。その中で、ハミイーは生きているわけだ──すっかりよくなっているかどうかはわからないが、死んではいない。  しかし、操縦室の温度計は、華氏百六十度を指していた。 〈至後者《ハインドモースト》〉がいった。 「ルイス、移乗の用意はいいですか?」  まっすぐ|右 舷《スターボード》の方角にある火星の〈地図〉は、ちょうどホログラムの窓≠フすぐ下の、黒い横線《ダッシュ》だった。そこから弧上を数度、そして五万マイルほどかなたに、青灰色の海を背景にした青灰色の破線のようなものが、かすかに認められた。 「まだちょうど並んではいないようだな」と、ルイスは訊いた。 「まだです。リングワールドの回転のために、ニードル号と着陸船《ランダー》のあいだには、まだ速度差があります。しかし、そのベクトルは垂直です。船の動きで、かなり長いあいだ相殺しておけます」  このことばを図にして思い描くのに、ルイスは何秒かかかった。 「じゃ、あんたは、一千マイルの高みから海に向かって急降下するつもりなのか?」 「そうです。あなたの狂気がわたしたちを追いこんだこの状況では、どんな危険も狂気というには値しないでしょう」  ルイスはふきだした。 (パペッティア人がルイス・ウーに勇気を説くのか?)  だが、すぐにまじめな顔にもどった。ほかに、前〈至後者《ハインドモースト》〉が、もとの地位をとりもどすすべがあろうか?  ルイスはいった。 「よし。じゃ、急降下をはじめてもらおうか」  彼は一足の木靴をダイアルし、足にはいた。無重力ジャンパーを脱ぎ、それで耐衝装甲服《インパクト・アーマー》と装具チョッキをくるんだが、携帯レーザーはぬき出して手に持った。  足もとに、一面の海の眺めが迫ってくる。 「準備よし」 「いきなさい」  ルイスは、巨人の一歩で、十二万マイルを跳んだ。 【クジン星、二十年前──】  ルイス・ウーは、すり減った石の〈フーチ〉の上に、満ち足りた気分で、身を投げだした。 〈フーチスツ〉ともよばれるこの奇妙な恰好をした石の寝椅子は、クジン星の狩猟公園では、公園ベンチと同様いたるところに見かけられる。いんげん豆[#「いんげん豆」に傍点]に似たかたちで、クジン人の男がなかばからだを丸めて横になれるようにつくられている。  クジンの狩猟公園は、なかば自然のままで、そこに、食用動物とそれを狩る肉食獣とが、同居している──あたり一面オレンジ色と黄色に包まれたジャングルの中で、この〈フーチスツ〉だけが文明の存在を示していた。数億の人口をかかえるこの惑星は、クジン人の基準からすれば、混みあっていた。公園もまた混みあっていた。  ルイスは、朝からずっと、このジャングルの中をうろついていたのだった。棒のようになった脚をブラブラさせながら、彼は前を通り過ぎる住民たちを見やった。  このジャングルの中にはいると、オレンジ色のクジン人の姿は、迷彩でほとんど見えなくなってしまう。いま誰もいない。と思うとつぎの瞬間には、すばしこく逃げ去っていく何かの跡にじっと目をすえている体重四分の一トンにおよぶ肉食性知的生物の姿──そのクジン人は、ふいに立ちどまると、ルイスの口をとじた笑顔(なぜならクジン人が歯を見せるのは挑戦のしるしだからだ)と、彼の肩についている族長直轄の保護章(それが大いに目立つことをルイスは確信している)とを、しげしげと見つめた。だが、やがて自分にはかかわりのないものと認めたらしく、そのまま立ち去っていった。  ふしぎだ。あれほどの数の動物たちが、どうしてこのひだのついた黄色い葉の茂みの中に、気配だけを残して身をかくしてしまえるのだろうか。いまもそのあたりのどこかに、隙をうかがう視線と、殺戮の楽しみが。……と、そのとき、巨大な成人の男と、その半分くらいの背たけで毛皮のフカフカした子供とが、並んでこっちを見つめているのに、ルイスは気がついた。  ルイスは〈ますらおことば〉もかたこと[#「かたこと」に傍点]程度ならわかる。子供のほうが、親を見あげると、たずねた。 「あれ[#「あれ」に傍点]、食べられるの?」  親のほうの目と、ルイスの目が合った。ルイスは、微笑をひろげ、歯をみせた。  親が答えた。 「だめ」  四次にわたる人間=クジン戦争に加うるに、いくつかの事件>氛氓ヌれも何世紀も前のことで、人類が勝っている──からくる自信をこめて、ルイスはニヤリと笑い、うなずいた。  おやじさん、その子にいってやりな[#「いってやりな」に傍点]! 人間の[#「人間の」に傍点]肉を食べるよりは、白い砒素を食べるほうが安全なのだ[#「白い砒素を食べるほうが安全なのだ」に傍点]、ってな! 【リングワールド、二十年後──】  壁の熱気が彼を押しつつんだ。  早くも汗がしたたりはじめる。べつに気にもならない。サウナにはよくはいっていたからだ。百六十度は、サウナとしたらそう暑いほうではない。  録音された〈至後者《ハインドモースト》〉の声が、〈ますらおことば〉の吐きだすようなうなり声で、〈惑星船団〉に迎えようというあの提案をくりかえしていた。 「放送を切れ!」  ルイスが命じると、声はやんだ。  天に沖する火焔が窓を蔽っている。大砲をのせた車輌は、すでに去っていた。異様な体型をしたクジン人のふたり組が、中庭を横切って疾走してくると、着陸船《ランダー》の下に何かの罐をおき、また全速力で城壁の門のほうへ駆けもどっていった。 クジン人≠ニ呼ぶべきかどうか──ハミイーほど文明化していない連中だ。もしあいつらに外で襲われたら──しかし、ここにいるかぎりは安全だろう。  ルイスは、炎ごしに目を細くして床下のほうを見つめた。着陸船《ランダー》の基底をとりまくように、六個の罐が置かれている。爆弾にちがいない。炎にあぶられて火がつくより前に、いますぐ爆発するかもしれない。  ルイスはニヤリと笑った。両手を操縦盤の上にかざし、しばし誘惑と闘う。それから──すばやく命令を打ちこんだ。ボタンはひどく熱くなっていた。両脚をふんばり、無重力ジャンパーを巻いた手で、椅子の背につかまる。  着陸船《ランダー》は炎の中から上昇した。火の玉の輪が、眼下でパッと花火のようにひろがり、ついで城全体が、おもちゃのように縮んでいった。  ルイスはまだニヤニヤしていた。偉くなったような気分だ。あの誘惑を克服したのだから。もしあのとき、斥力装置《リパルサー》でなく核融合駆動を使っていたら、クジン人たちは、自分らの火薬の爆発力にびっくり仰天[#「びっくり仰天」に傍点]したことだろう。  船殻と窓に、霰《あられ》がカチカチと当たった。目をあげたルイスはびっくりした。翼を持ったおもちゃが十数機、こっちへ旋回してくる。だがそれもすぐ下方に取り残された。ルイスは満足げにくちびるをすぼめた。高度五マイルで滞空するように自動操縦をセットしなおす。これで、あの飛行機も手がとどかないだろう。べつに、そうする必要があったわけでもないが。  彼は立ちあがり、階段へ向かった。  ダイアルの目盛りを読んで、ルイスは鼻をならした。〈至後者《ハインドモースト》〉を呼びだすと、彼はいった。 「ハミイーはもうすっかりよくなって、医療装置《ドック》の中でおとなしく眠ってる。医療装置が起こしてやらないのは、外部が居住不能だからだよ」 「居住不能ですと?」 「暑すぎるのさ。自動医療装置は、患者を火の中へ出してやるようにはできていない。もう火の中からは出たから、冷えてくるだろう」  ルイスはひたい[#「ひたい」に傍点]を手でぬぐった。汗が肘へ流れおちる。 「ハミイーが出てきたら、状況を話してやってくれないか? ぼくは、つめたいシャワーを浴びてくるよ」  シャワーを浴びている最中、足もとの床がスッと降下するのが感じられた。ルイスはタオルをひっつかむと腰にまきつけ、階段をかけあがった。船体に霰《あられ》の降りそそぐような音が聞こえはじめた。  ゆっくりと慎重に、まだ怪我が残っているような動作で、ハミイーが操縦席からふりかえった。  奇妙にすがめたような目……片目のまわりの毛が剃り落とされていた。大腿部にも剃られた部分があり、そこを蔽っているのは人造皮膚だ。  ハミイーが口をひらいた。 「やあ、ルイス。生きていたな」 「ああ。何してるんだ?」 「あの城塞の中に妊娠した女どもを残してきてしまったのだ」 「いますぐ殺される心配でもあるのか? 二、三分、このまま待てないか?」 「話があるとでもいうのか? おれの邪魔をしないほうがいいことくらい、わかっていると思ったが」 「このまま何もしないでいたら、その女たちも二年後には死んじまうんだぞ」 「ホット・ニードル号の停滞《ステイシス》フィールドにいれて連れ帰れるかもしれん。まだなんとか、〈至後者《ハインドモースト》〉を説得する方法は──」 「じゃ、ぼくを説得してもらおうか。ニードル号の指揮権は、ぼくの手に移ったんだ」  ハミイーの両手が動き、床がグラリとゆれた。ルイスは座席の背につかまって、踏みこたえた。チラリと計器盤に目をやると、着陸船《ランダー》が、降下をとめたことが、わかった。弾丸の雨もやんでいたが、窓の向うには、まだ十数機の飛行機が旋回している。城塞は眼下半マイルのところにあった。  ハミイーがたずねた。 「どういう方法で指揮権を奪ったのだ?」 「超空間駆動《ハイパードライヴ》モーターを、スクラップにしてやったのさ」  信じられないほどの速さで、クジン人が動いた。身じろぎするかしないかのあいだに、ルイスのからだはオレンジ色の毛皮に包みこまれてしまった。クジン人は、片腕で彼を胸もとに引きつけ、もう片手の四本の鉤爪をルイスの眉のあたりにピタリとつきつけていた。 「おみごと」と、ルイス。「じつにすばやいね。でも、あんたの計画じゃ、このあとどうするつもりだったんだい?」  クジン人は身動きもしない。ルイスの目の上を、血がしたたった。いまにも、背骨が折れそうだ。  ようやくの思いで、彼はいった。 「また、あんたを助けてやったつもりだったのにな」  クジン人は彼を離すと、衝動的な動作をおさえるかのように、慎重に後退した。そしてたずねた。 「われわれ全員を破滅させたのか? それとも、リングワールド全体をもとの位置にもどす考えでもあるのか?」 「あとのほうだ」と、ルイス。 「どういう方法でだ?」 「二時間前には、いい計画ができてたんだ。いまはまた、一から考えなおさなきゃならない」 「なぜ、そのような破壊を?」 「リングワールドを救いたかったからだよ。〈至後者《ハインドモースト》〉に協力させるには、これしか道がなかった。これであいつの生命も、それ[#「それ」に傍点]にかかってきたわけさ。さて、あんたに[#「あんたに」に傍点]協力させるには、何をすりゃいいんだろうね?」 「この愚かものめが。おれの子供らの生命がかかっているとなれば、おれもリングワールドを動かすことに全力を傾けるぞ。おまえの課題は、そのためにおまえの[#「おまえの」に傍点]力が必要だと、おれに納得させることだ」 「リングワールドを建造したパク人は、つまりぼくの祖先だ。いま必要なのは、彼らの流儀でものを考えてみることじゃないのか? 姿勢制御用に彼らは何を組みこんだだろうか? それに加えて、ぼくは、リングワールドの歴史に詳しい〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉の図書館の住人をふたり手にいれた。連中は、あんたには協力しないかもしれないぜ。もうあんたを怪物みたいに思ってるんだ。まだぼくを殺していない、いまでさえもね」  ハミイーはそのことばを反芻してみたようだ。 「おれをこわがっているなら、いうことをきくだろうが。彼らも、パク人の子孫であることに変わりはない」  着陸船《ランダー》内の気温は、もう裸では寒いくらいまで下がっていたが、ルイスはまた汗がにじみ出てくるのを感じた。 「ぼくはもう〈補修センター〉の所在をつきとめたんだ」 「どこだ?」  その情報は押さえておこうと、ルイスはふと思った。  簡潔に彼はいった。 「火星の〈地図〉だよ」  ハミイーはどっかりと腰をおろした。 「はて、それは驚くべき話だな。この〈地図〉に住むクジン人たちは、かつての大探険時代に火星の〈地図〉をかなり詳しくしらべたが、そういうことは知らなかったぞ」 「賭けてもいいが、火星の〈地図〉の近くでは、何隻かの船が消失しているはずだ」 「飛行機乗りの話によると、多数の船が行方を絶ったが、火星の〈地図〉から価値あるものは何も得られなかったということだ。もっと回転方向《スピンワード》にある〈地図〉からは、探険家たちも財宝を持ち帰ったが、船の建造に見合うだけの収穫が得られたことは一度もなかった。どうだ、自動医療装置にはいるか?」  ルイスは、無重力ジャンパーで、顔の血を拭った。 「まだいい。その、もっと回転方向《スピンワード》にある〈地図〉っていうのは、地球みたいだね。すると、結局そこは侵略をうけたわけか」 「そのようだな。だが、|右 舷《スターボート》側にも手ごろな〈地図〉があるが、そこへ向かった船は一隻ももどってこなかったそうだ。〈補修センター〉は、むしろそこではないのか?」 「いや、それはダウン星の〈地図〉だよ。そこには、グロッグがいるんだ」  ふたたび顔を拭う。鉤爪の傷は深くはなかったようだが、顔からの出血というのはあとをひくものらしい。 「とにかく、その妊娠してるあんたの女たちを何とかしなきゃ。何人いるんだ」 「わからん。交配期にあったのは六人だったが」 「すると、ここに収容するのは無理か。城においとくほかなさそうだね。城主が彼女らを殺す心配がなければだが?」 「そのおそれはないが、生まれた男の子は殺されるだろう。もうひとつの危険は……まあいい、それはおれが処置しよう」  ハミイーは、操縦盤に向きなおった。 「ここのもっとも強力な文明は、古代の探険船〈巨獣《ビヒモス》〉号を中心に築かれている。もし連中がここまでおれを追ってきたのだとしたら、この城塞との戦争になりかねん」  飛行機は、まるで松明《たいまつ》のように燃えながら墜落していった。ハミイーはあたりの空を、レーダーと探深《ディープ》レーダーと赤外線とでしらべた。何もなかった。 「ルイス、もうおらんか? 着陸して逃れたものは?」 「いないと思うね。いたとしても、それは燃料を切らしたためだろうし、滑走路もないし……道路はどうかな? 道路を走査してみてくれ。あの大きな船に連絡をとられたらおしまいだ」  無線通信は直線でとどくだろうし、このリングワールドの大気にも、おそらく電離層はあるだろう。  道路が一本見つかったが、直線部分はカホなほど少なかった。あとは平坦な草原だ。……数分後、ハミイーは満足した。飛行機は、ぜんぶ撃墜されたのである。 「じゃ、つぎの段階だ」と、ルイス。「城の中の男をみな殺しにはできないぞ。たしか、クジン族の女は、自分の面倒をみる力がないってことだったね」 「そうだ……だが、ルイス、妙なことがある。この城塞の女どもは、わが族長支配下の女どもよりも、はるかに知能が高いのだ」 「あんたに匹適するくらいに?」 「馬鹿な! だが、ことばさえ少しは話せるほどだ」 「あんたの故郷じゃ、従順さを求めて女性を改良してきたとは、考えられないかな? 何十万年もにわたって、知性のある女と交わることを拒否してさ。結局、奴隷の胤《たね》を選びだしていたわけだよ」  ハミイーは、落ちつかなげに身をずらした。 「そうかもしれんな。ここの男どもも変わっている。おれは、あの探険用の巨船にいるその支配者と取り引きするつもりだった。こちらの力を見せつけてから、やつらが交渉をもちかけてくるのを待ったのだ。しかるにやつらは、いっこうにそうしようとしない。まるでどちらかが全滅するまで戦う以外に道がないようなふるまいなのだ。そこでこちらからハジャルルの家系を侮辱し、嘲ってやって、ようやく話の 緒《いとぐち》 をつかむことができた」  つまり連中は、パペッティア人に馴化されていない[#「パペッティア人に馴化されていない」に傍点]クジン人だったわけだ、と、ルイスは思った。 「してみると、女たちを城から連れだすことも、男たちをみな殺しにすることもできないとすれば、よっぽどカホなうまい取引きを考えださなきゃなるまいね。また〈神様ごっこ〉でもやるかい?」 「まあそうなるかな。では、これからひとつ……」       *  矢の射程よりずっと上、加勢にきた車輌の射ち出す砲弾もわずかにとどかない高さに、着陸船《ランダー》は位置を占めた。滞空するその巨体が、中庭の焚火の灰の上に、黒々と影を落とした。  ルイスは、翻訳機から流れるハミイーの声を聞きながら、その合図を待った。  ハミイーは射手の注意を自分に惹きつけ、好きなだけ射たせながら、脅迫し、約束を与え、また脅迫している。ときおりレーザーが、雷鳴とともに岩をえぐり、崩壊の轟音がそれにつづく。そして、舌うちするような、いがみ立てるような、吐きだすようなやりとりの声。  ハミイーのたたり[#「たたり」に傍点]のおそろしさは、いまさらいうまでもあるまい。  降りていってから四時間が過ぎたころ、ようやくハミイーは、矢狭間のひとつから姿を見せ、空中に浮きあがってきた。彼が乗りこむのを待ってから、ルイスは船を上昇させた。  やがて、飛行《フライング》ベルトと耐衝装甲服《インパクト・アーマー》をはずしたハミイーが、うしろから現われた。  ルイスがいった。 「〈神様ごっこ〉の合図を、とうとうよこさなかったね」 「怒っているのか?」 「いや、そんなことはないさ」 「そんなことをしたら、よけいひどいことになったろう。それに……おれにはできなかった。これは、おれの種族なのだ。人間と共謀して、脅しをかける気にはなれなかった」 「わかるよ」 「生まれてくるおれの子供たちは、カサクトが勇士に育てあげてくれるだろう。武器の扱いを教え、武器を与え、相応の年齢になったとき、各自の領地征服に送りだしてくれる。それで、彼の領地への脅威はなくなるし、おれが戻ってこなくても子供らの生きのびる可能性は大きいだろう。カサクトには、携帯レーザーを一挺渡しておいた」 「それで充分だろう」 「だといいのだが」 「で、クジンの〈地図〉については、これですっかり片づいたわけかい?」  ハミイーはしばし考えこんだ。 「つかまえたのは飛行機乗りだった。彼らはぜんぶ名前を持ち、幅広い教養を持つ貴族だった。おれがハジャルルの先祖の業績を嘲ってやると、やつは探険時代の話をたっぷり聞かせてくれた。どうやらビヒモス号には、膨大な歴史の記録があるらしい。それを奪うか?」 「ハジャルルのいったことを話してくれ。連中は、火星のどこまでいったんだ?」 「まずぶつかったのは、流れ落ちる水の壁だった。時代が進み、与圧服と超高空用の飛行機が発明されると、彼らはその〈地図〉の辺縁を調査した。中には氷に蔽われたその中央部までたどりついた一隊もあるということだが」 「じゃ、ビヒモス号の記録を手にいれたって、しようがないな。連中は、内部にははいっていないわけだから。〈至後者《ハインドモースト》〉、そこにいるかい?」  マイクロフォンが答えた。 「はい、ルイス」 「これから、火星の〈地図〉に向かう。あんたもそうしてくれ。ただし、ぼくらがそっちへ跳ばなければならない場合に備えて、こちらのちょうど左舷に位置を占めていてほしいんだ」 「了解。ほかに報告することは?」 「ハミイーがいろいろ情報を手にいれた。クジン人は火星の〈地図〉を調査したが、火星らしくないようなものは何も見つけていない。だから、ぼくらはまず入口からさがしてかからなきゃならんわけだ」 「たぶん下側からでしょう」 「ああ、かもしれん。厄介だぞ、これは。ところで、お客さんたちはどうしてる?」 「すぐにもどってやってほしいですね」 「じゃ、なるべく早くそうしよう。ニードル号のコンピューターに、火星のデータがあるかどうか見てくれ。それから火星人[#「火星人」に傍点]のこともだ。以上、終わり」  振りかえると、彼はいった。 「ハミイー、あんたが操縦しないか? ただし、秒速四マイル以上だすんじゃないぜ」  クジン人の手に操られて、着陸船《ランダー》は、ななめ前方に急上昇を開始した。灰色の雲の壁をつきやぶると、その上は一面紺碧の空で、上昇するにつれ、その色は暗みを増していった。クジンの〈地図〉が眼下を流れ去り、やがて後方に見えなくなった。  ハミイーがいいだした。 「パペッティア人め、どうやらすっかりおとなしくなったようだな」 「ああ」 「火星の〈地図〉に間違いないのか?」 「ああ」  ルイスはニヤリとした。 「みごとな目くらましだったが、完璧じゃなかった。かくすべきものが大きすぎて、無理だったんだね。ぼくらは、ここへくる途中、〈大海洋〉の下をくぐった。そのとき、火星の〈地図〉の下に何が見つかったと思う?」 「謎かけをしているときではないぞ」 「何もなかったのさ。何もないただの海底だった。放熱板もなかった。ほかの〈地図〉には、たいてい、極地を冷やすための放熱板があった。消極的な冷却システムさ。火星の〈地図〉にも、当然そのシステムが要る。熱はどこへいってるのか? ぼくははじめ、海水の中へ送りこまれているのかと思ったが、そうじゃなかった。リングワールドの床面の中にある超伝導体の格子《グリッド》に、ヒート・ポンプで直接流しこまれているのだろうと思う」 「超伝導体の格子《グリッド》だと?」 「大きな網目になっていて、それがリングワールドの土台の磁気効果を制御するんだ。それが太陽活動の制御に使われる。もし火星の〈地図〉が格子《グリッド》とつながっていたら、そここそリングワールドの〈管理センター〉なんだ」  ハミイーは、じっくりと考えたすえ、いいだした。 「熱を海水中に送りこむわけにはいくまい。そうすると、暖かく湿った空気が立ちのぼる。そこで、はるか遠くから吹きこみ流れだす雲のパターンができる。宇宙からみると、火星の〈地図〉は、大きな射撃用の的みたいにみえるだろう。パク人のプロテクターが、そういう誤りをおかすと思うのか?」 「いいや」  そうはいったが、つきつめればルイスはそう考えていたことになる。 「火星のことは、おれはほとんど知らんぞ。おまえたちからみると、たいして重要な惑星ではなかったのではないか? 単なる伝説の源にすぎなかったはずだ。その惑星の稀薄な大気に似せる目的で、〈地図〉が二十マイルもの高みにおかれていることも、おれは承知しているぞ」 「高さ二十マイル、広さ五千六百万平方マイル。つまり十一億二千万立方マイルの隠し場所というわけだよ」 「ウウゥ」と、ハミイー。「おまえのいうとおりだ。火星の〈地図〉が〈補修センター〉で、パク人はそれを秘匿するためにあらゆる知恵をしぼったのだな。ハジャルルは、〈大海洋〉の怪物や、嵐や、その広さのことを話していたが、それも消極的な防護の役には立ったろう。探険隊にはそういう秘密のことなど、思いも及ばなかったにちがいない」  ルイスは無意識のうちに、眉毛にかかっている四つのムズムズする傷を、指先でこすっていた。 「一・一二掛ける十の九乗立方マイルか。まったく、気の遠くなりそうな大きさだ。彼らはそこに、何をしまいこんでいたんだろう? 〈神の拳〉山にふた[#「ふた」に傍点]をできるくらいの修理材か? そいつを運搬し、はめこみ、熔接するための巨大な機械も? 外壁のところで見たあの姿勢制御ジェット用の起重機も? あるいは、予備の姿勢制御ジェットもか? カホナ、予備の姿勢制御ジェットがあればいいのに。とにかくそれをいれておく余地は、充分あるはずだ」 「戦闘用の艦隊もな」 「ああ。あの大げさな[#「大げさな」に傍点]兵器があることはつきとめたが──もちろん、艦隊も、それに避難民のための船もあっていいだろう。あるいは、あの〈地図〉そのものが、でっかい避難用の船なのかもしれない。おそらく、ここの住民たちが生態系の各部を埋めるより前なら、充分リングワールドの全生命を収容できるだけの大きさがあったはずだ」 「宇宙船か? あれが一隻の船なら、リングワールドをもとの位置にもどせるだけの力が出せるかな? いや、それはおそらく無理なような気がするが」 「ぼくもそう思う。いくら何でも、それだけの大きさはないよ」 「ではいったい、超空間駆動《ハイパードライヴ》モーターを破壊したとき、おまえはどういうつもりだったのだ?」  だしぬけに、クジン人は、いがみたてはじめた。  ルイスは一歩も退かずに答えた。 「リングワールドは、磁気的に太陽に作用を及ぼすようにできてると考えたわけだ。その予想はだいたい当たっていた。ただ問題は──」 〈至後者《ハインドモースト》〉の声が、スピーカーからひびきわたった。 「ルイス! ハミイー! 着陸船《ランダー》を自動操縦にして、すぐにこちらへ跳びなさい!」 [#改ページ]      29 火星の〈地図〉  ハミイーは、ルイスより先に、ひと跳びで円盤《ディスク》の上に立った。クジン人でも、おとなしくいうことをきくことはあるんだなと、ルイスは思ったが、その事実を口に出すのはひかえておくことにした。 〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉たちは、船殻ごしに外を見ていたが、彼らが眺めているのは通り過ぎていく風景──海とすじ雲を浮かべた空か無限の水平線でひとつにとけあっている以外には何もない──ではなく、映画のスクリーンくらいの大きさのホログラム映像だった。受容装置の円盤《ディスク》の上にハミイーが現われると、ふたりはふりかえり、一瞬おびえをみせたが、すぐにそれをさとられまいとした。  ルイスがいう。 「ハミイー、ハーカビーパロリンとカワレスクセンジャジョクを紹介しよう。|浮 浪 都 市《フローティング・シティ》の司書で、情報を得るのを大いに助けてくれたんだ」  クジン人が答えた。 「そうか。〈至後者《ハインドモースト》〉、いったいどういうことだ?」  ルイスは、クジン人の毛皮をつかみ、上空を指さしてみせた。 「そうです」と、パペッティア人。「太陽です」  四角いホログラムのスクリーンに、拡大され光度を低められた太陽の像が映っている。その中心近くで、光り輝く斑点が、ゆっくり動きまわり、よじれ、かたちを変えていくのがみとめられた。  ハミイーがいいだした。 「船が宇宙港の張りだしに到着する直前にも、太陽はあれと同じような反応をみせていたが?」 「そうだよ。あれが、リングワールドの隕石防禦装置の正体だったんだ。〈至後者《ハインドモースト》〉、これからどうする? この船の速度を落とすことはできるが、着陸船《ランダー》を救うにはどうしたらいいのか、見当もつかんね」 「わたしがまず考えたのは、あなたたちの貴重な生命を救うことでした」と、パペッティア人は答えた。  飛行するニードル号の真下の海面が、強烈な光輝を投げ返してくる。やがてそれはさらに明るく、董色を帯びてきた。ふいに、ほんの一瞬、光輝が耐えられないほどの明るさになったと思うと、それは足もとの船殻上の黒い点に変わっていた。  同時に、董色に縁取られた漆黒の線が、回転方向《スピンワード》の水平線上にまっすぐ突き立った。天と地をつなぐ垂直な炎の柱だ。だが、大気層よりも上には、その光芒は見えない。  クジン人が〈ますらおことば〉で何ごとかつぶやいた。 「よかったですね」〈至後者《ハインドモースト》〉が、|共 通 語《インターワールド》でいった。「でもあれは何を射っているのでしょう? この船が射たれるものと思っていたのに」  ルイスがたずねた。 「あの方向には、地球の〈地図〉があるんじゃなかったっけ?」 「はい。でもほかに大量の海面と、リングワールドの陸もあります」  ビームの当たっているところの水平線は真白に輝いている。ハミイーがまた、〈ますらおことば〉でつぶやいたが、今度はルイスにもだいたいの意味がつかめた。 「あのような武器があれば、おれは地球を蒸発させてしまうこともできたろうに」 「だまれ」 「当然考えることだろうが、ルイス」 「まあな」  ビームが、フッと途絶えた。ついで、そこから数度左舷寄りに、ふたたび炎の柱が突き立った。 「カホナ、何てこった! ようし、〈至後者《ハインドモースト》〉、上昇してくれないか。高空から望遠鏡で見てみよう」  地球の〈地図〉上の一点が、黄白色に光っていた。まるで大型の小惑星が衝突したかのような眺めだった。  それよりはるか遠く、〈大海洋〉の海岸のあたりにも、似たような輝きがみえた。すでに太陽面のフレアは光輝を失い、同期共振の気配は薄れていた。  ハミイーがたずねた。 「あの方向に、飛行機か宇宙船がいたのだろうか? 高速で移動する物体が?」 「計器が何か記録しているかもしれません」と、〈至後者《ハインドモースト》〉。 「見てみてくれ。それから、高度を一マイルにまで落とすんだ。火星の〈地図〉には、あの地表より低いところから接近したい」 「どういうことです?」 「とにかくそうしてくれ」 「あのレーザー・ビームはどのようにしてつくりだされたのだ?」と、ハミイーがたずねた。 「ルイスにききなさい」と、パペッティア人。「わたしはこれから忙しくなります」  ニードル号と着陸船《ランダー》は、二方向から火星の〈地図〉に接近していった。〈至後者《ハインドモースト》〉は、両船を並行させ、移乗が可能な位置にたもちつづけていた。  ルイスとハミイーは、昼食のため着陸船《ランダー》に跳んだ。ハミイーはすっかり腹をへらしており、数ポンドの生肉と鮭を一匹たいらげ、水を一ガロンほど飲んだ。見ているだけで、ルイスは食欲をなくしてしまった。  客人たちが見ていないのは幸いだった。 「あのふたりの乗客をひろった理由が、おれにはわからんな」ハミイーがいいだした。「女のほうは、夜の相手だろうが、どうして子供まで連れこんだのだ?」 「あのふたりは〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉なんだよ」と、ルイス。「彼らの種族は、かつてリングワールドのほとんど全域を支配していた。それにあのふたりは、図書館にいたんだ。彼らと仲よくしてくれよ、ハミイー。いろいろ質問したいことがあるんだ」 「おれをこわがっているぞ」 「なあ、あんたは当たりのいい外交官じゃなかったのか? まずあの子供に、着陸船《ランダー》を見せてやろうや。話をしてやってくれよ。クジン星のこと、狩猟公園や〈族長の歴史の館〉のこと。それに、クジン人のセックスについても」  ルイスはニードル号に跳ぶと、カワレスクセンジャジョクに声をかけ、いっしょに着陸船《ランダー》へもどった。ハーカビーパロリンは、何がはじまっているのか、わけがわからない様子だった。  ハミイーが、彼に、船の操縦のしかたを教えた。着陸船《ランダー》が、その意のままに急降下し、宙返りし、また急上昇するので、少年は有頂天になった。さらにハミイーは彼に、ゴーグル式双眼鏡や、超伝導布や、耐衝装甲服《インパクト・アーマー》のふしぎな力をみせてやった。  少年は、クジン人の性習慣のことをたずねた。  ハミイーは、はじめて、会話のできる女とのセックスを経験してきていたのだ! おかげで彼には、新たな視野がひらけたようだった。彼は聞かれるままにその話をし──ルイスにとっては退屈きわまる話だった──それから少年に、彼らの交わりかたとリシャスラのことを質問した。  カワレスクセンジャジョクには実際の体験こそなかったが、理論には詳しかった。 「相手の種族さえ承知してくれれば、ぼくらは記録をとって研究するんだ。テープの保管所があるんだよ。リシャスラ以外の特技を持った種族もいるし、リシャスラを見たり話したりするのが好きな種族もいる。きまった体位しかとらないのもあるし、きまった季節のあいだしかしないのもあるし、そのほかいろいろとね。それがみんな、交易にかかわってくるんだ。補助の手段もいろいろある。ルーウイーウは、吸血鬼《ヴァンパイア》の匂いのことを話した?」  ふたりは、ルイスがひとりでニードル号へもどっていったことにも気づかなかった。  ハーカビーパロリンは、おろおろしていた。 「ルーウイーウ、カワは殺されてしまうわ!」 「仲よくしてるよ」ルイスは告げた。「ハミイーはぼくの同僚で、あらゆる種族の子供が好きなんだ。まったく安全だよ。あんたも仲よくしたければ、耳のうしろをかいてやればいいんだ」 「あなたのひたい[#「ひたい」に傍点]の傷はどうしたの?」 「これはぼくの不注意のせいさ。さあ、ぼくは、きみの気をしずめる方法を知ってるんだがね」  ウォーター・ベッドでマッサージのスイッチをいれたまま、ふたりは愛を──いや、リシャスラを──交わした。〈パンス 館《ビルディング》〉を憎んでいたにしろ、女はあらゆる技巧を学び、身につけていた。  二時間後、もう二度と腰が立たないだろうと感じているルイスの頬を、ハーカビーパロリンは、やさしくなでながらいった。 「こんなことは、きょうかぎりおしまいにしなくちゃ。そうすれば、あなたも元気をとりもどせるわ」 「どうも複雑な気分だな」  彼は笑いのとまらない気分だった。 「ルーウイーウ、ハミイーとカワのところへいってみてくれると、わたしはもっと安心できるんだけど」 「ああいいとも。ほうら、見てごらん、ちゃんと立てるぜ。こうやって、|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》のところへたどりつく。いいか、ではいくぜ? ──ここから、パッと……」 「ルーウイーウ──」 「わかってるよ」  黒い線にすぎなかった火星の〈地図〉が、やがて徐々に大きさを増し、行手に立ちふさがる大絶壁となった。  ハミイーが速度を落とすと、着陸船《ランダー》の外殻についたマイクロフォンが、船の風を切る音よりも大きい一様なざわめきの音をひろいあげた。前方の絶壁は、全面、落下する瀑布に蔽われていたのだ。  距離一マイルでみると、水の壁は左右へ一直線にどこまでも続いているように見えた。滝の上端は、頭上二十マイルの高さにある。基底部はすっかり霧に蔽われている。耳を聾するとどろきに、とうとうハミイーがマイクロフォンのスイッチを切ったが、音は船殻ごしになおもひびいた。 「都市の水分凝集機みたいだ」少年がいった。「きっとここでぼくたちの祖先は、水分凝集機のことを教わったんだ。ハミイー、水分凝集機のことは、話したっけ?」 「聞いたぞ。もし〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉がここまできたとしたら、内部へはいる道を見つけたかどうか、知りたいものだな。おまえたちの伝説の中に、中空の世界は出てこないか?」 「こないよ」  ルイスがいった。 「伝説の魔法使いは、みんなパク人のプロテクターのような姿に描かれていたっけな」  少年がたずねた。 「ルーウイーウ、この大きな滝──どうしてこんなにいっぱい落ちてるの?」 「〈地図〉上面の周囲ぜんぶから流れ落ちているにちがいない。水蒸気を取り除くためだ。この〈地図〉の表面は、カラカラに乾いてなきゃならないからだよ」と、ルイス。「〈至後者《ハインドモースト》〉、聞いてるかい?」 「はい。どうしますか?」 「着陸船《ランダー》でひとまわりするんだ。探深《ディープ》レーダーやその他の観測装置でさぐりながらね。滝の下に、入口が見つかるかもしれない。ニードル号は、表面の探険に使おう。燃料の余裕はどうだい?」 「充分です。故郷へは帰らないものとしてですが」 「いいだろう。その探査機を出して、ニードル号のあとをついていくようにするんだ……距離十マイルで地上すれすれの高度においておくのがいいと思う。|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》とマイクロフォンの連絡を絶やさないためにね。ハミイー、着陸船《ランダー》は、あんたが受け持ってくれるかい?」  クジン人が、「了解」と答える。 「よし、さあいこう、カワ」 「ここに残りたいな」と、少年。 「ぼくだけもどったら、ハーカビーパロリンに殺されちまう。さあ、くるんだ」  ニードル号が二十マイル上昇すると、目の前に赤い火星の眺めがひろがった。  カワレスクセンジャジョクがいった。 「おそろしそうな景色だね」  ルイスはそれには答えずにいった。 「少なくとも、ぼくらのさがしものが、かなり大きなものであることだけは確実だ。〈神の拳〉山にかぶせられるほど大きな蓋を思い浮かべてみろ。その蓋プラス運搬用の船が通りぬけられるくらいの出入ロを見つけるんだ。〈至後者《ハインドモースト》〉、あんたなら、それをどこにつける?」 「滝の下です」と、〈至後者《ハインドモースト》〉。「それなら見つかりません。海には何もないし、流れ落ちる水がすべてをかくしてしまいます」 「ああ。たしかに一理あるね。しかしそこはハミイーがさがしてる。ほかには?」 「巨大な出入口の蓋の輪郭を、火星の地物の中にかくすわけですか? たぶん全体のかたちを不規則にし、まっすぐな峡谷の底に蝶番がついているというスタイルになるでしょうね。いや、たぶんそれ全体を、氷の下におくのがいい。北極冠を、出入りのたびに融かしたり凍らせたりすればいいのです」 「そんな峡谷があるのかい?」 「あります。前もってしらべてきたのです。それに、ルイス、両極にはいちばん可能性があるでしょう。火星人は極地へはいきません。水に触れると死ぬからです」 〈地図〉は極図法でつくられていた。南極が、周囲の縁をとりまくかたちだ。 「ようし、まず北極点に向かうんだ。もしそこに何も見つからなかったら、外向きに渦線をえがきながらさがしていくこととしよう。高度を高くとって、計器類はぜんぶ作動させておくようにね。何かがニードル号を射ってきても、相手にしないこと。ハミイー、聞いているかい?」 「聞いているぞ」 「何でも報告してくれ。あんたのほうが、見つける公算は大きいと思う。ただし、見つけても手はだすなよ」  だが、いうことをきいてくれるだろうか? 「着陸船《ランダー》で侵入はしない。こっちは、いわば、泥棒なんだから。射たれるなら、ゼネラル・プロダクツ製の船殻の中にいるほうがいい」  探深《ディープ》レーダーは、〈スクライス〉の表面でさえぎられた。 〈スクライス〉の上につくられた山や谷のかたちが、半透明にみえる。油みたいに流動するこまかい火星塵の海が、いくつもあった。その塵の海の底に、何か都市らしいものが──塵よりは密度の大きい石づくりの、壁が湾曲し隅がまるく、開口部の多い建物だ。〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉たちは目をまるくした。  その点ではルイス・ウーも同じだった。人類空域では、火星人は数百年も前にみな殺しにされていたからだ。  空気はまるで真空のように澄んでいた。はるか右舷側の地平線のかなたに、地球上のどんな山よりも高い山があった。もちろん、オリンポス山だ。その噴火口のすぐ真上に、何か白い破片のようなものが浮かんでいた。  ニードル号は急降下し、三日月形に並ぶ砂丘のすぐ上で引き起こした。その構造物はまだ見えていた。頂上の五、六十ヤード上に浮かんでいるようだ。あの中に誰かがいたら、ニードル号は、おそらくまる見えだろう。 「ハミイー」 「聞いているぞ」  ルイスは、ささやき声になりたい気持を押さえながらいった。 「浮かぶ建物をひとつ見つけた。たぶん三十階くらいで、出窓や車の発着用の張りだしもついてる。二重円錐形だ。最初の探険のとき使った建物──あのすばらしい〈|ありえざる《インプロバブル》〉号によく似てる」 「そっくりなのか?」 「うりふたつ[#「うりふたつ」に傍点]じゃないが、ごく近いね。しかもそいつが、火星でいちばん高い山の上に、カホな道路標識みたいに浮かんでるんだ」 「われわれに対する合図のように聞こえるが。そちらへ跳ぼうか?」 「待ってくれ。そっちは何か見つかったかい?」 「滝の内側に何かあるようだ。この映像でみると、馬鹿でかい蓋の輪郭らしい。あれなら、戦闘宇宙船の一隊でも、〈神の拳〉山をふさぐ蓋でも、出しいれできるだろう。開くための信号があるにちがいない。まだためしてはおらんが」 「やめとけよ。そのまま待機しててくれ。〈至後者《ハインドモースト》〉、そっちは?」 「幅射と、探深《ディープ》レーダーの走査結果とが出ました。あの建物から、エネルギーの放射はほとんどありません。磁気浮揚なら、大量の動力は必要ないわけです」 「内部は?」 「このとおりです」 〈至後者《ハインドモースト》〉は映像を出してみせた。探深《ディープ》レーダーでみたその建物は、半透明の灰色だった。浮かぶ建物を旅行用に改造したものらしく、燃料タンクとジェット・モーターが十五階のところに組みこまれている。  パペッティア人がいった。 「頑丈な構造です──壁は、コンクリートか、それに匹敵する密度のものでできています。車庫に乗物ははいっていません。頂上と下層にあるあれは、望遠鏡か、その種の感知装置でしょう。中に人がいるかどうかはわかりません」 「それが問題だね。わかった。じゃ、以下の手順でいこう。あんたの目からみてどう思うか、意見をきかせてほしい。第一段階──全速力であの山の頂上に到達する」 「絶好の的になりますよ」 「いまだって、なってるさ」 「オリンポス山の内側にある武器の的にはなっていません」 「ばかばかしい、この船にゃ、ゼネラル・プロダクツの船殻があるんだぞ。さて、そこで何も射ってこなかったら、第二段階だ──あの噴火口を探深《ディープ》レーダーで走査する。もしそこで、〈スクライス〉の表面以外の何かが見つかったら、第三段階──あの建物を蒸発させる。やれるかい? すばやく?」 「はい。二度同じことをやるだけの動力の蓄えはありませんが。それで、第四段階は?」 「あらゆる手段を使って、早くあの中へとびこむんだ。ハミイーは、万一の救助の必要にそなえて、外に待機する。さて、以上の手順をふんでいる途中で、あんたが動かなくなってしまうおそれはないかどうか、教えてほしいんだが」 「大丈夫でしょう」 「ちょっと待て」  ルイスは、原住民の客人たちが、声も出ないほどおびえあがっていることに気づいたのだった。  彼はハーカビーパロリンに向かっていった。 「世の中に、この世界を救える場所が、もしあるとしたら、ぼくらの下にあるのがそこ[#「そこ」に傍点]なんだ。そして、あそこがその入口だろうと思う。ぼくらのほかにも、あそこを見つけだしたものがいた。それが誰かは……ひとりか大勢かも……まだ不明だ。わかったかい?」  女が答えた。 「こわいわ」 「ぼくもこわいさ。あの坊やをおとなしくさせておけるかい?」 「あなた、わたしをおとなしくさせておけるの?」  彼女は耳ざわりな笑い声をたてた。 「でも、やってみる」 「〈至後者《ハインドモースト》〉、さあいこう」  ニードル号は、二十Gで空にとびだし、横転して、さかさの姿勢になり、浮かぶ建物のすぐそばに停まった。ルイスの内臓も横転した。〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉はふたりとも悲鳴をあげた。カワレスクセンジャジョクは、死にものぐるいで彼の腕にしがみついた。  目でみたかぎり、噴火口には、古い熔岩がつまっているばかりだった。ルイスは、探深《ディープ》レーダーの映像に目をやった。  あった! 〈スクライス〉にあいた孔、漏斗をさかさにしたような入口が、オリンポス山の火口の中を上へ(いや下向きに!)のびていたのだ。リングワールドの修理機材をとおすには、ひどく小さすぎる。単なる非常口みたいなものなのだろうが、それでもニードル号にとっては、充分すぎるくらいの大きさだった。 「射て!」と、ルイス。 〈至後者《ハインドモースト》〉が用いたのは、これまで探照灯に使っていたビームだった。短距離で出力を上げれば破壊的な威力がある。  浮かぶ建物は白光を放って煮えたぎるコンクリート塊となって、彗星のように尾を引き、ついで塵雲と化して消滅した。 「さあ降下だ」と、ルイスがいった。 「このまま?」 「ここでは絶好の的になる。時間がない。急降下しろ。二十Gだ。通常物質なら、ぶち破ってはいれる」  黄褐色の地上の眺めが、屋根となって頭上にひろがっている。探深《デイープ》レーダー上では、〈スクライス〉にあいた穴が、船をのみこむように降下してきていた。しかし、ほかのあらゆる感覚では、オリンポス山の、固化した熔岩のつまった噴火口が、おそろしい勢いでこの船を押しつぶそうと落下してくるとしか思えなかった。  カワレスクセンジャジョクの爪がくいこんだルイスの腕から、血がしたたった。ハーカビーパロリンは、凍りついたように動かない。  ルイスは衝撃にそなえて身がまえた。  ──断絶──  暗黒。  探深《ディープ》レーダーのスクリーンが、ぼんやりした乳色の光を放っている。いや、見まわすと、ほかにも光源はあった──緑と赤とオレンジの星々だ。それは操縦区画の表示板のランプだった。 「〈至後者《ハインドモースト》〉!」  答えなし。 「〈至後者《ハインドモースト》〉、明かりをつけてくれ! 探照灯は点かないのか? 敵がいないか、見つけるんだ!」 「どうなったの?」ハーカビーパロリンが、半泣きの声でたずねた。  ルイスの目が慣れてくると、膝をかかえて床の上にうずくまっている彼女の姿がみえた。  室内照明がもどってきた。〈至後者《ハインドモースト》〉が操縦盤のところから、こっちをふり向いた。からだがちぢんだみたいだ──すでになかば身をまるめかけている気配だ。 「もう、これ以上はごめんです、ルイス」 「ぼくらには操縦ができないじゃないか。そのことは、よく知ってるはずだ。探照灯をつけて、外を見せてくれないか」  パペッティア人の口が操縦盤に触れた。白っぽく拡散した光に照らされて、操縦区画の前の船殻が浮かびあがった。 「船は、何かに埋まっているのです」片方の頭が、チラリと下を見やり、もういっぼうの頭がいった。「熔岩です。外部船殻の温度はいま七百度です。わたしたちが停滞状態《ステイシス》にはいっているあいだに、熔岩がかぶさってきて、それが冷えたのです」 「誰かが待ち伏せしてたみたいだね。船はまだ、さかさまなのかい?」 「はい」 「じゃ、このまま上昇はできない。下向きだけだな」 「はい」 「ためしにやってみたら?」 「何をいうのです? わたしがいまやりたいのは、あなたが超空間駆動《ハイパードライヴ》モーターを焼き切る少し前から、やりなおすことで──」 「何いってるんだ、おい」 「──それともいっそ、人間とクジン人の誘拐を決意する前からでもいい。おそらく、あれが最大の誤りだったのでしょう」 「時間が無駄だぜ」 「ニードル号が出す熱を放射して捨ててやる場所がありません。スラスター駆動を使えば、わたしたちが停滞状態《ステイシス》にはいって成りゆきを待たなければならなくなる時刻が、一、二時間早まるだけです」 「じゃ、もう少し待ってみよう。探深《ディーブ》レーダーで、何かわからないか?」 「どの方向も、冷却のさいにひびのはいった火成岩ですね。視野をひろげてみましょう。……いいですか? 〈スクライス〉の床面は、この下、つまりニードル号の天井の下約六マイルのところです。それよりずっと薄い〈スクライス〉の天井が、十四マイル上にあります」  ルイスは恐慌に陥りかけていた。 「ハミイー、聞いてるか?」  その答は、思いもよらないかたちで返ってきた。  およそ非人間的な苦痛と怒りの叫びが聞こえ、同時にパッと|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》の上に現れたハミイーは、両手で目を押さえて必死に走っていた。かけだしてくるその進路から、ハーカビーパロリンがとびのいた。ウォーター・ベッドに足をひっかけて、クジン人はベッドの上にもんどり打ち、床へころげ落ちた。  ルイスはシャワーにとびついた。栓をいっぱいにひねると、ウォーター・ベッドをとびこえ、ハミイーのわきの下に肩をいれてかかえあげた。毛皮の下の、ハミイーのからだは、燃えるように熱かった。  クジン人は立ちあがると、引かれるままに、つめたい水の流れの中にはいった。あちこち動きまわり、全身に水をあてた。ついで、流れに顔をさらしたまま、身をまるめた。  そして、ようやくひとこと。 「どうしてわかったのだ?」 「もうすぐあんたにも匂ってくるだろう」と、ルイス。「毛皮のこげる匂いがね。いったいどうしたんだい?」 「突然、おれは燃えだしていたのだ。操縦盤でも、一ダースもの赤ランプが点いた。おれは|跳 躍 円 盤《ズテッピング・ディスク》にとびついた。着陸船は自動操縦になっている──破壊されていないとしたらだが」 「見にいかなけりゃならないだろうな。ニードル号は、熔岩の中に埋まってるんだ。おい、〈至後者《ハインドモースト》〉?」  ルイスは、操縦区画のほうへ目を向けた。  パペッティア人は、ふたつの頸をからだの下にいれて、まるくなっていた。  ひとつだけ、ショックが多すぎたのだ。  理由はただちにわかった。操縦区画のスクリーンのひとつに、すでになかばおなじみとなったあの異形の顔が映っていたのである。  それと同じ顔がもっと拡大されて、さっきまで探深《ディープ》レーダーの映像を投影していた四角いホログラムの窓からこっちを見ていた。古い革でこしらえた人間の顔に似せた仮面──しかし、ちがったところもある。それには、髪の毛がなかった。あごはガッシリした歯のない三日月形だった。  秀でた眉梁の奥の深みから、瞑想的なふたつの目が、じっとルイス・ウーを見つめた。 [#改ページ]      30 裏のまた裏 「操縦士がこういうことではね」革製の仮面が口をひらいた。  船外の、船をとじこめた黒い岩の中に漂う幻影──不恰好な頭、メロン大の両肩──プロテクターであった。  ルイスは、ただ首をふるばかり。  さまざまなショックが、あまりにも矢つぎ早に、あまりにも思いがけない方向からやってきてしまったのだ。  気がつくと、ハミイーが彼のそばに立ち、全身から水をしたたらせながら、いずれ相手にしなければならないこの敵を、だまって見つめていた。〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉たちは、呆然として声もない様子だ。だが、もしルイスに彼らの表情が読めたとしたら、そこにあるのは、恐怖よりも畏敬もしくは歓喜に近いものであることがわかったことだろう。  プロテクターがいった。 「あっさり罠にとびこんで……間もなくあなたがたは、停滞状態《ステイシス》にはいるでしょう。そうすればもう大丈夫。正直なところ、わたしにはあなたがたを殺せるかどうか、自信がなかった」  ルイスがいった。 「あんたたちは、みんな死んじまったんだと思ってたが」 「パク人は、二十五万年前にすっかり死に絶えました」  くちびる[#「くちびる」に傍点]と歯ぐきが融合しているため、子音がゆがんでいるが、その話すことばは|共 通 語《インターワールド》だった。なぜ|共 通 語《インターワールド》を? 「ある病気のために。プロテクターがみな死んだというあなたの推測は当たっています。でも生命の樹は、火星の〈地図〉の下で生きのびました。ときたま、それが発見されることもあったらしい。不死の霊薬がつくられたのは、プロテクターが何かの事業のため、資金が必要になったときだろうと推測されます」 「あんた、どこで|共 通 語《インターワールド》をおぼえた?」 「わたしは|共 通 語《インターワールド》で育ちました。ルイス、わたしがわからないの?」  まるで腹をナイフで突き刺されたような気がした。 「ティーラ。どうしてまた?」  彼女の顔は仮面のように硬い。どこに表情を表わすことができようか?  彼女はいった。 「生《なま》兵法の何とやら……そんな格言があったわね? 〈|探す人《シーカー》〉は、〈アーチ〉の麓をめざしていた。その彼に、わたしは自分の知識をひけらかした──〈アーチ〉には麓なんぞなく、この世界が環状だってことを教えてやったんです。彼はすっかりとりみだしてしまった。その彼を、わたしは、もしこの世界を支配できるような場所をさがしているなら、建設資材の貯蔵庫をさがすべきだとそそのかしました」 「〈補修センター〉だな」と、ルイス。  チラリと操縦区画のほうを見ると、まるでルビーとラヴェンダー色の宝石で飾り立てられた大きな踏み台のような〈至後者《ハインドモースト》〉の姿が目にとまった。 「もちろん、〈補修センター〉にも権力の中心《センター》にもなりうる場所でしょう」プロテクターはつづけた。「〈|探す人《シーカー》〉はすぐ、〈大海洋〉にまつわる物語を思いだしました。遠い距離、暴風雨、そこに住む十指にあまる肉食巨獣といった自然の障壁に守られている点では、たしかにピッタリの場所ね。ずっと前、天文学者たちが、〈アーチ〉のずっと上のほうの見やすい位置から〈大海洋〉を観測したことがあり、〈|探す人《シーカー》〉はその記憶をたよりに、地図をつくりあげました。  わたしたちは、十六年かけて、〈大海洋〉をわたりました。この航海をもとにしたいろいろな伝説が生まれていると思うけど。〈地図〉に住民がいることは、ご存じでしょう? クジン人は、地球の〈地図〉を植民地にしているんです。航海をつづけるためには、クジンの植民船を一隻、手にいれなければなりませんでした。〈大海洋〉には、背中に植物を茂らせている島のような巨大生物がいて、それを発見した水夫たちが思いもよらないようなときに潜水してしまうという伝説──」 「ティーラ! どうして? どうしてそんな姿になっちまうたんだ?」 「生《なま》兵法だっていったでしょう、ルイス。リングワールドの建設者のことを、わたしが筋道立てて考えることができるようになったときは、もう手遅れだったんです」 「でも、きみは、幸運な[#「幸運な」に傍点]人間だったはずだ!」  プロテクターはうなずいた。 「幸運の血統をつくるために〈ピアスンの|人形つかい《パペッティア》〉が地球の産児制限法に干渉して、出産権抽籤をこしらえたことね。あなたはそれが成功したと思っていた。でも、わたしにはずっと、まゆつば[#「まゆつば」に傍点]ものにしか思えなかった。ルイス、あなたは、六世代にわたって出産権抽籤に当たることで幸福な人間が生みだされると本当に信じたい[#「信じたい」に傍点]の?」  彼は答えなかった。 「たったひとりだけ?」  彼女は、彼をあざけっていたのかもしれない。 「それなら、今後、出産権抽籤に当たった人たちみんなの子孫がどうなるか、考えてみるといいでしょう。二万年後、その人たちは、銀河の核の爆発から逃れて、銀河系から脱出の旅にのぼることでしょう。その途中、このリングワールドに立ちよるんじゃないかしらね? ここには、地球の三百万倍の居住可能面積があり、しかも、移動させることもできるのよ、ルイス。つまるところリングワールドは、そのまだ生まれていない幸運な血統の子孫たちのためのものってことになるわ。わたしがリングワールドを救うことができれば、わたしが二十三年前にここへきたことも、また〈|探す人《シーカー》〉とわたしがオリンポス山の入口を発見したことも、結局はその人々の幸運のためだったといえるんでしょうね。彼らの幸運よ。わたしのじゃなく」 「彼もプロテクターになったのか?」 「〈|探す人《シーカー》〉は、もちろん死んだわ。わたしたちふたりとも、夢中になって生命の樹の根を食べたけれども、〈|探す人《シーカー》〉は千年ほど年をとりすぎていたのね。そのため、死んでしまったんです」 「きみをここに残していくんじゃなかった」と、ルイスはつぶやいた。 「あなたには、わたしを連れだすことなどできるわけがなかった。わたしにも、選択の余地はなかった──もし、幸運を信じるなら、そういうことになるでしょうね。いまでも、選択の余地などないんです。プロテクターの本能というのは、とても強いから」 「じゃ、きみ自身は、その幸運の理論を信じてるのか?」  彼女は答えた。 「いいえ。信じられればと思うけれど」  ルイスは両手を大きくひろげて上にあげた──文字どおりお手あげ[#「お手あげ」に傍点]だった──そして、背を向けた。もう一度ティーラ・ブラウンに会うだろうという予感は、つねにしていた。しかし、こんなかたちでそれが実現しょうとは!  彼は手をのばして就寝フィールドのスイッチを入れ、その中に浮かんだ。 〈至後者《ハインドモースト》〉の反応は正しかった。自分のへそ[#「へそ」に傍点]にもぐりこんで胎児になるのが、このさいいちばんふさわしいように思われた。  だが人間のからだは、耳に蓋をするようにはできていない。身をまるめて宙に浮かび、両腕で顔を蔽っていても、声は聞こえてくる──。 「〈|獣への話し手《スピーカー・トゥ・アニマルズ》〉、すっかり若返ったようで、おめでとう」 「おれの名は、ハミイーだ」 「ごめんなさい」と、プロテクター。「ハミイー、どうしてここへきたの?」  クジン人が答えた。 「三度、罠にかけられてな。まず〈至後者《ハインドモースト》〉に誘拐され、ルイスにリングワールド脱出の道を断たれ、ティーラ・ブラウンに地中へとじこめられた。こういう悪循環は、どこかで断たなければならん。ティーラ、おれと戦わぬか?」 「あなたの手がとどかないかぎり、無理でしょうね、ハミイー」  クジン人は、クルリと背を向けた。 「ぼくたちの何がほしいの?」  これは、カワレスクセンジャジョクだった。〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉のことばで、こわごわ口をだしたのへ、翻訳機からの|共 通 語《インターワールド》が、こだま[#「こだま」に傍点]のようにかぶさった。 「何も」と、ティーラが、〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉のことばで答えた。 「じゃ、ぼくたちはここで何をしているんですか?」 「何も。わたしは、あなたがたが何もできないようにしただけ」 「わけがわからないや」  少年は、泣きだしそうになった。 「どうしてあなたは、ぼくたちを地面の下に埋めておきたいんですか?」 「坊や、わたしは、自分がしなければならないことをしているんです。わたしは、一・五掛ける十の十二乗人の人が殺されるのを、防がなければならないんですよ」  ルイスが、ハッと目をあけた。  ハーカビーパロリンが、激しく抗議した。 「でも、わたしたちは、その死を防ぐためにここへきたのよ! この世界が中心からずれ[#「ずれ」に傍点]て、太陽のほうへすべりだしていることをご存じないの?」 「そのことは知ってますとも。わたしの組織した修理部隊が、リングワールドの姿勢制御ジェットを取りつけなおし、あなたの種族のやった破壊を修復しているんです」 「ルーウイーウは、数が不足だっていってたわ」 「そのとおりです」  ルイス・ウーは、いまやふたりの会話に、全神経を集中していた。  女司書が頭をふった。 「わからない」 「修理した姿勢制御ジェットによって、リングワールドの寿命はおよそ一年間のびました。三掛ける十の十三乗の知的生物に、もう一年の余裕を与えることは、地球の全住民の寿命を一千年のばすのと同じことになります。これも立派な成果です。プロテクターでないものも含め、わたしの協力者たちも同じ意見なのですよ」  プロテクターの革の仮面に、ルイスは、ティーラの顔の輪郭をたどることができた。あごの関節は大きくふくらみ、頭蓋は、増大した脳組織を収めるためにふくらんでいる……しかしそれはティーラであり、そう思う心の痛みは耐えがたいものだった。  早くどこかへいってしまってくれ[#「どこかへいってしまってくれ」に傍点]!  習慣というのは消えにくいものだ。ルイスは、分析的な心の持主だった。  彼は考えていた。  なぜ[#「なぜ」に傍点]彼女はどこへもいこうとしないんだ? 破壊しかかっている人工世界の、死を目前にしたプロテクターがだ! 罠にかけた繁殖者《ブリーダー》を相手に話をしている暇などないはずなのに[#「話をしている暇などないはずなのに」に傍点]。自分のしていることが、わかっているのだろうか[#「わかっているのだろうか」に傍点]?  彼は、彼女のほうに向きなおった。 「修理部隊を組織したのは、きみだったのかい? あれはどういう連中なんだ?」 「わたしの外見のおかげね。ここの亜人類の大部分は、一応わたしの話には、耳を傾けてくれます。わたしは、さまざまな種族から成る数十万人の修理部隊をつくりあげました。そのうち三人をここへ連れてきて、プロテクターにしました──〈|こぼれ山人種《スピル・マウンテン・ピープル》〉と〈夜行人種《ナイト・ピープル》〉と〈吸血鬼《ヴァンパイア》〉が各ひとりです。彼らが、わたしには思いも及ばない解決の手段を見つけてくれるかもしれないと思ったからです。それぞれ観点がちがうわけだから。例えば、吸血鬼《ヴァンパイア》族は、あのように進化する前は、知的生物ではなかったんです。でも、失敗でした」ティーラは話しつづける。  明らかに、時間はたっぷりある[#「時間はたっぷりある」に傍点]といった態度だった。まるで、リングワールドが|遮 光 板《シャドウ・スクエア》をこすりはじめるまでは、罠にかけた繁殖者や異星人とおしゃべりを楽しんでいてもかまわないみたい[#「楽しんでいてもかまわないみたい」に傍点]に! 「誰も、もっとましな解決法を思いつくものはありませんでした。そこでわたしたちは、残っているパサード式ラムジェットを外壁に取りつける作業にとりかかりました。あと一基でその作業は終わります。生き残っているひとりのプロテクターに指揮されて、わたしの隊は、残っている宇宙船を使えるよう整備し、それでどこか近くの恒星の周囲をめぐる軌道まで飛ぶ予定です。リングワールド人の一部は、それで生きのびることができます」 「そもそもの疑問にもどろう」と、ルイス。「きみの隊はいま必死で働いてる。なのにきみは、ここへ何をしにきたんだ?」  思ったとおりだ[#「思ったとおりだ」に傍点]! 彼女はぼくらに、何かを伝えようとしているんだ[#「何かを伝えようとしているんだ」に傍点]! 「わたしがここへきたのは、一兆五千億人の知的亜人類が殺されることを阻止するため。人類空域でつくられたスラスター駆動からのニュートリノ排出が認められたので、わたしはその犯罪を可能にする唯一の場所へきました。ここで待っていました。そこへ、あなたがたが現れたわけです」 「ああ、現われたよ」ルイスは同意した。「でも、きみにだってカホナくらいわかってるはずじゃないか。ぼくらは、人殺しをしにきたわけじゃない」 「するかもしれない」 「なぜ?」 「それはいえません」  そういいながら、彼女は会話をうち切るようなそぶりもみせない。ティーラは何か奇妙なゲームを挑んでいるようだった。こっちは、そのルールを推測してかからなければならないのだろう。  ルイスはたずねた。 「三十兆の住民のうち、一兆五千億人を殺せば、リングワールドが救えるものとしてみよう。プロテクターなら、そうするんじゃないのか? 五パーセントの犠牲で九十五パーセントが救える。じつに……高い効率だぜ」 「あなたは、それだけの人間に、感情移入ができるの、ルイス? できるのはせいぜい、一度にひとり、主役の死に対してだけのことなんじゃないの?」  彼は黙然と口をつぐんだ。 「人類空域に住んでいる住民の数は三百億人です。そのぜんぶが死ぬことを、想像してごらんなさい。そしたら、その人口の五十倍が、例えば放射能汚染で死ぬ場面を考えてごらんなさい。それだけの人々の苦痛や、悲嘆や、お互いへの思いを、あなたは感じとることができるの? あれだけ大勢の人の? あまりにも数が多すぎて、あなたの頭では掴みようがないでしょう。でも、わたしの頭では、それが可能なんです」 「フウム」 「わたしには、どうしてもそんな事態を起こすことができない。起こさせるわけにもいかない。どうしても、あなたを阻止しなければならない」 「ティーラ。リングワールドの幅いっぱいの|遮 光 板《シャドウ・スクエア》が、秒速七百マイルでぶつかってくることを考えてごらん。リングワールドが分解すると同時に、人類空域に住む人口の一千倍が死ぬんだということを考えてごらん」 「考えてます」  ルイスは、うなずいた。  つぎつぎと現れるパズルの断片。  ティーラは、あといくつでも、出せるだけの断片を出してよこすだろう。だが彼女には、完成した絵を渡すことができないのだ。だから断片をよこしつづけるのだ。 「生き残ってるひとりのプロテクターっていったね。四人いたのに、いまはそのひとりときみだけなのか? あとふたりはどうしたんだ?」 「ふたりのプロテクターは、わたしとほとんど同時に、修理部隊を離れました。べつに、しめし合わせて離れたんじゃありません。たぶん彼らも、あなたがたの到着を示す手がかりを見つけたのね。それでわたしは、彼らを追って、抹殺しなければなりませんでした」 「本当かい? 彼らだってプロテクターなら、一兆五千億の亜人類を殺せないのは、きみと同じはずなのに」 「彼らは、何らかの方法でそれができるような手配を考えついたかもしれない」 「何らかの方法で、ね」  ことばの端々に注意しなければ。  うれしいことに、誰も邪魔をしようとするものはなかった。弁の立つ外交官であるハミイーさえも。 「何らかの方法で、その犯罪をおかすことが可能な、リングワールド上唯一の場所に、繁殖者《ブリーダー》を送りこむ……きみが阻止しなかったら、それが彼らの計画になっていたかもしれない」 「たぶんね」 「そして、何らかの方法で、その貴重な繁殖者《ブリーダー》たちに、生命の樹の匂いがとどかないようにする」  宇宙服だ[#「宇宙服だ」に傍点]!  だから[#「だから」に傍点]ティーラは、恒星間宇宙船をさがしていた[#「恒星間宇宙船をさがしていた」に傍点]わけだ。 「そして何らかの方法で、彼らに事態の意味をさとらせる。そして何らかの方法で、プロテクターのひとりが二重思考を持ち、繁殖者《ブリーダー》たちが天文学的な数の繁殖者《ブリーダー》を殺してそれ以上の数を救うようなことをしでかすまで彼らを生かしておけるような道をひねりだす。──そういう結果になるのをきみは防いだわけだな?」 「そう」 「そして、ここがその場所なんだね?」 「そうでなければ、わたしがここにいるわけはないでしょう?」 「もうひとりプロテクターがいる。そいつもあとからやってくるようなことは?」 「ありません。〈夜行人種《ナイト・ピープル》〉のプロテクターは、避難の指揮をとるために残されたのが自分だけだってことを知ってるから。もし彼女[#「彼女」に傍点]がわたしを殺そうとして、あべこべに殺されたりしたら、とり残された繁殖者《ブリーダー》たちが途中で死ぬかもしれない」 「ずいぶん安易に殺しあいをやるみたいだな」  ルイスの苦い口調。 「それは話がちがうわ。わたしには、リングワールドの住民の五パーセントを殺すことなど、絶対にできない。ルイス、あなたを殺せる自信もないわ。あなたは、わたしと同じ種族の繁殖者《ブリーダー》だから。その意味では、リングワールド上で、あなたはいわば唯一の存在なんです」 「リングワールドを救う方法を、いくつか考えてたんだが」と、ルイス・ウー。「もしきみが、大規模な物質変換機のありかを知ってたら、それをどう使えばいいかはわかってるんだ」 「パク人は持っていませんでした。あなたらしくない推論ね、ルイス」 「〈大海洋〉のひとつの底に孔をあけて、水の噴出を制御できたら、その反動でリングワールドをもとの位置にもどせるかもしれない」 「名案ね。でもあなたには、孔をあけることも、そこに栓をすることもできないでしょう。おまけに、それよりもっと損害の少ない解決法があるにしても、それでも被害が大きすぎて、許すわけにはいかないんです」 「あんたならどうやって救う?」  プロテクターがいった。 「救えないわ」 「ここはどこなんだ? 〈補修センター〉の、何をする区域なんだ?」  長い間《ま》があり、やがてプロテクターは答えた。 「あなたがもう知ってる以上のことはいえません。そこからどうやって逃げだせるかはわからないけど、可能性は考えておかないと」 「もうやめだ」と、ルイス・ウー。「もうおりるよ。カホナ、そんなくだらんゲームにつきあえるもんか」 「かまわないわ、ルイス。少なくとも、あなたがたは死なないですむでしょう」  ルイスは目をつぶると、無重力の中で身をまるめた。  偽善者ぶったメス犬めが[#「偽善者ぶったメス犬めが」に傍点]。 「停滞状態《ステイシス》にはいらなければならなくなるまで、あなたがたにつきあうことにしましょう」と、ティーラ。「ほかに、居心地をよくしてあげることもできそうにないしね。ねえ、あなたがた、名前はなんていうの? どこからきたの? あなたがたは、リングワールドと星々を征服した種族の一員なのよ」  それにつづくおしゃべり。なぜ人間には、自前の耳蔽いがないのか? 耳蔽いのある人類がいたっけ?  カワレスクセンジャジョクが、たずねている。 「ねえ、リシャスラのとき、魔法使いはどういう体位をとるのですか?」 「それは、新しい種族と出会うときには重要な問題ね、坊や。でも、リシャスラは繁殖者《ブリーダー》のあいだでのことなのよ。わたしたちは、ただ愛情をそそぐだけなの」  少年はすっかり夢中になっていた。その好奇心には、どこまでいっても際限がないようだった。  ティーラは、自分たちの大航海の話をして聞かせた。彼女の探険隊一行は、ダウンの〈地図〉でグロッグに捕えられたが、やがて奇妙な住民に救われた。クジンには、はるかな昔、地球の〈地図〉から連れてこられた亜人類がいたが、彼らはさまざまな方向へ品種改良されて、ついに人類空域における犬と同じくらいにまで分化してしまっていた。ティーラの仲間はその中にかくれた。そして、クジン族の植民船を一隻盗みだした。海上で一度、おきあみ[#「おきあみ」に傍点]を常食とする島のような大海獣を殺し、食料にするため、その肉を、からっぽの液体水素タンクの中にいれて凍らせた。それはみんなの数ヵ月ぶんの食料になってくれた。  ついに、彼女がこういうのが、彼の耳にはいった。 「食事の時間ね。でも、またすぐもどってきますよ」  そして静かになった。  数分間の静寂は、ひらたい歯がルイスの手首をそっとつかむと同時に終わりを告げた。 「ルイス、起きなさい。遊んでいる暇はないのです」  ルイスはヒラリと向きなおり、就寝フィールドのスイッチを切った。パペッティア人が、血気さかんなクジン人と並んで立っているという興味ある光景の意味をはっきりとらえるには、何秒かの時間がかかった。 「あんたはもう舞台からおりちまったのかと思ってたぜ」 「真実の的に近づきすぎた、という意味で、貴重な錯覚です。わたしはもう、何もかも成りゆきにまかせようかという思いにかられていたのです」パペッティア人がいった。「ティーラ・ブラウンが、わたしたちは死なないですむといったのは本当です。リングワールドの大部分は、粉みじんになって飛散し、彗星殻のかなたまでとんでいくでしょう。いつか誰かに発見される可能性すらあります」 「ぼくも同じような気持だよ。勝負を捨てる覚悟はできてる」 「プロテクターたちは、もう二十五万年前に死に絶えているはずだ──そのようにわたしに話してくれたのは誰です?」 「まだ分別が残ってるなら、ぼくの話なんかきくのはやめとけよ」 「よければそうきめつけないでほしいのですがね。わたしは、あのプロテクターが、何かをわたしたちに告げたがっていたような気がするのですよ。パク人はあなたの先祖だし、ティーラはあなたと同じ文化の育ちです。助言してください」 「要するに彼女は、手をよごす仕事をぼくらに押っつけようとしてるのさ」と、ルイス。「二面真理《ダブルシンク》っていうのかな。チェッ、あんただって、ブレナンがプロテクターになったあとのインタヴューは研究してるはずだぜ。プロテクターは、とても強力な本能と、超人的な知力とを持っている。両者のあいだに矛盾が起こるのは、むしろ宿命なんだよ」 「その、手をよごす仕事というのが、ちょっとわからないのですが」 「彼女はリングワールドを救う方法を知ってる。連中はみんな知ってたんだ。五パーセントを殺して九十五パーセントを救う──しかし、自分たちにはできないのさ。それどころか、他人をそそのかしてやらせることさえできないんだが、でも誰かにやらせるほかに道はない。二面真理さ」 「具体的にはどういうことですか?」  自分のあげたふたつの数字に関係する何かが、ルイスの後脳をつついていた。どういうわけだろう?  ……カホナ、ほうっておけ。 「ティーラがあの建物をえらんだのは、それが、前回の探険のときに徴発して使ったハールロプリララーの浮遊牢獄と似ていたからなんだ。つまり、ぼくらの注意をひくためだ。あそこに浮かべたのは、ぼくらを[#「ぼくらを」に傍点]そこへ誘いよせるためだった。ここ[#「ここ」に傍点]が〈補修センター〉の中で何をするところか[#「何をするところか」に傍点]は知らんが、十億立法マイルの中の、ずばりお目当ての場所なのにちがいない。あとは、こっちが何とかさぐりだしてやってのけるものと期待されているわけだよ」 「どういうことです? 彼女には、わたしたちが罠から逃げられないという確信があるのでは?」 「ぼくらが何をしようとしても、彼女は阻止しようとするだろうな。結局、彼女を殺さなければならなくなる。それがつまり、彼女のいってたことなんだ。こっちにもただひとつ、有利な点がある。彼女は、負けるために戦うだろうってことさ」 「あなたの話は、どうもよくわかりません」と、パペッティア人。 「彼女は、リングワールドを残したいんだ。ぼくらに自分を殺させたいんだ。ぼくらに、話せるだけのことは話してくれた。しかし、たとえぼくらがそれをやりとげたとしても、ぼくらにも[#「ぼくらにも」に傍点]、あれだけ多くの知的生物を殺すことができるだろうか?」  ハミイーがいった。 「ティーラ、かわいそうに」 「ああ」 「だが、どうすれば彼女を殺せるのだ? おまえのいうとおりだとすると、われわれを阻止する計画もできているはずだ」 「どうかな。彼女はぼくらの出かたについて考えまいと、必死でつとめてたんじゃないかって気がする。こっちをとめなきゃならない立場なんだ。こっちとしては、わが道をいくしかない。彼女は本能的に、異星人を殺そうとするだろう。ぼくにピッタリついていれば、彼女の躊躇で、決定的な半秒がかせげるかもしれない」 「よかろう」クジン人がいった。「大型兵器はすべて着陸船《ランダー》にある。この船は岩の中に埋まっている。着陸船《ランダー》への|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》は、まだ通じているかな?」 〈至後者《ハインドモースト》〉は、操縦区画へしらべにもどり、そこから報告してきた。 「通じています。火星の〈地図〉も〈スクライス〉ですが、厚さは数センチにすぎません。リングワールドの床面のように、猛烈な張力に耐える必要がありませんから。わたしの計器類はそれを透過して働いていますから、|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》も同じです。いまのところ、唯一の幸運ですね」 「よし。ルイス、いっしょにくるか?」 「もちろん。着陸船内の温度はどうだ?」 「感知器のいくつかは燃えてしまいました。わたしにはわかりません」と、〈至後者《ハインドモースト》〉。「着陸船が使えるようだといいのですがね。もしだめだったら、装備類を集めて、大いそぎでもどってきなさい。もし耐えられないような状況だったら、すぐにもどるのです。仕事をはじめるための条件を知る必要がありますから」 「足場をはっきりさせるわけだな」ハミイーが賛意を表した。「で、着陸船《ランダー》が動かない場合はどうする?」 「それでも、外へ出る道はある」と、ルイス。「でも、とにかく宇宙服を着なきゃならない。〈至後者《ハィンドモースト》〉、ただぼんやり待ってちゃだめだぜ。この船のいる場所と、それから、ティーラの所在を見つけるんだ。たぶん彼女は、作物を育てるのに適した、広々とした場所にいるだろうと思う」 「了解。この船は、たぶんオリンポス山の下から、そう離れたところまできてはいないはずですが」 「そんなこと、当てにしてちゃだめだ。彼女は、ニードル号を停滞状態《ステイシス》におくために強力なレーザー・ビームを浴びせ、それから、熔岩を流せるように用意しておいたところまで曳いてくることもできたんだ。そしてそこがこれから殺戮の場所になるわけさ」 「ルイス、彼女がわたしたちにやらせたがっていることはいったい何なのか、考えはありますか?」 「単なる思いつきならね。いまはおあずけにしておこう」  ルイスは、バスタオルを二枚ダイアルして出すと、一枚をハミイーに渡した。さらに、木靴を一足出して履いた。 「これで用意はいいかな?」  ハミイーが|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》にとび乗った。ルイスがつづいた。 [#改ページ]      31 〈補修センター〉  まるでオーヴンの中にとびこんだみたいだった。ルイスにはまだ木靴があったが、ハミイーの足を守ってくれるのは床の敷物だけだ。階段をおりて姿を消す途中、ひと声うなったのは、うっかり金属に触れてしまったためらしい。  ルイスは息をつめていた。ハミイーも同じようにしていればいいがと思う。それほどの熱さだった──肺を焼くには充分だ。床が四、五度傾いている。窓から外を見たのは失敗だった──信じられない思いで、彼は立ちすくんだ。外のドロリとした暗さ、その中にうごめくのは餌をあさる砂鮫か? あれは海水なのか[#「海水なのか」に傍点]?  二、三秒を無駄にしてしまった。  ハミイーよりも慎重に階段をくだりながら、彼は呼吸したい欲求と闘い、どうしてもはいりこんでくる熱気を追い払うために鼻孔からパッパッと息を吐きつづけた。焦げるにおい、すえたにおい、それに煙と熱。  ハミイーが、焼けどした両手を手当てしている。その首筋の毛皮が大きくふくらんでいる。ロッカーの把手は金属だったのだ。ルイスはタオルを両手にまきつけ、ロッカーをつぎつぎとあけはじめた。ハミイーも自分のタオルを使って、中身を外へとりだしていった。  宇宙服。飛行《フライング》ベルト。物質分解機。超伝導布。  ルイスは、その中から自分の宇宙服のヘルメットをとりあげ、空気供給のスイッチをいれ、当てもの用にタオルを首にまいた上にそれをかぶった。顔のまわりの風が、一応の暖かさになった。彼は胸をふくらませて、新鮮な空気を吸いこんだ。  ハミイーの宇宙服は、ヘルメットがはずせないので、すっかり着こんで閉じなければならなかった。突然のあえぎ声が、ルイスのイアフォンの中で、すさまじい音をたてた。 「ここは海の中だ」  ルイスもあえいでいた。 「なのに、どうしてこんなに熱いんだ?」 「質問はあとにしろ。これを運ぶのを手伝え」  ハミイーは、自分用の飛行《フライング》ベルトと耐衝装甲服《インパクト・アーマー》、それに黒い糸のスプールと超伝導布の大半と重い大型物質分解機をひろいあげると、階段のほうへもどっていく。ルイスは、プリル用の飛行ベルトと携帯レーザーと、二着の宇宙服とふた組の耐衝装甲服《インパクト・アーマー》を持って、よろめきながらそのあとにつづいた。からだが蒸し焼きになりそうだ。  ハミイーが、操縦室の計器類の前に立ちどまった。窓ごしに、黒っぽい緑色の水が、ブクブクと泡立っているのがみえた。広大な海藻の森の中を、小さな魚が縫うように泳いでいる。  クジン人があえぎながらいった。 「そら、このダイアル……おまえの質問への答が出ているぞ。ティーラがおれに熱を浴びせてきた……猛烈なマイクロウェーヴ照射だ。生活システムがこわれた。〈スクライス〉用の斥力装置もやられている。それで着陸船《ランダー》は沈没した。マイクロウェーヴは……水でさえぎられたのだな。それでもいまだにこれほど熱いのは……熱交換《ヒート》ポンプがまず焼けきれて……周囲の断熱がよすぎたからだ。もう着陸船《ランダー》は使えんぞ」 「クソッ」  ルイスは|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》で移乗した。  抱えていたものを下に落とす。汗が目と口に流れこんでいる。熱いヘルメットを脱ぐと、つめたい空気を吸いこんだ。ハーカビーパロリンが彼のわきの下に肩をいれて、なかば運ぶようにベッドへ向かいながら、何か〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉のことばでボソボソとつぶやいていた。  ハミイーの姿がなかなか現れない。  ルイスは、身をふりほどいた。ヘルメットを頭の上にかぶると、よろめく足でふたたび|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》へ向かう。  ハミイーは、操縦盤に向かって何かやっていた。ルイスを見ると、自分の荷物をルイスの腕に押しつけた。 「それを持っていけ。すぐあとからいく」 「了解」  ルイスが宇宙服をなかば着かけたところへ、クジン人がニードル号にもどってきて、自分の宇宙服を脱ぎ捨てた。 「いそぐ必要はないぞ。ルイス。〈至後者《ハインドモースト》〉、着陸船はもう使えん。いまそれを、核融合モーターで飛び立ってオリンポス山のほうへいくようにセットしてきた。単なる牽制策だが、あれを撃墜するために、ティーラは何秒かを無駄にするだろう」  マイクロフォンの声がいう。 「よろしい。わたしのほうにも知らせることがありますが、ここではだめです。ティーラはその通話を盗聴できますから」 「じゃ、どうするんだ?」 〈至後者《ハインドそースト》〉が、操縦区画から、パッと跳躍して現れた。これで、通話装置なしで話ができるわけだ。 「もちろんわたしの計器では、ほとんど何もわかりません。ただし、船の姿勢くらいはわかります。回転方向《スビンワード》から左舷《ボート》よりの方向およそ二百マイルのところに、おそらく核融合炉と思われる巨大なニュートリノ放射源があります。探深《ディープ》レーダーによれば、このあたりは空洞だらけですが、大部分はふつうの部屋くらいの大きさです。ただし、中には途方もなく大きいものもあって、そこには巨大な機械装置が据えられています。  それから、大きさと形状と床の上の架台からみて、修理部隊の工事資材がはいっていたにちがいないからっぽの空洞部分をひとつ、確認しました。そこからの出口は、〈地図〉の壁面にあり、滝でかくされて、巨大な湾曲したとびらがついています。そのほかにも、大きな隕石孔をふさぐためのつめもの[#「つめもの」に傍点]と思われる材料の貯蔵庫と、そこから外へ通じるべつの出口とを見つけました。  さらに、小型の宇宙船──わたしにはよくわかりませんが、たぶん戦闘用でしょう──と、その出口も見つかりました。滝の下には、都合ぜんぶで六つのとびらがあります。それから、苦労のすえに──」 「〈至後者《ハインドモースト》〉、おまえは、ティーラ・ブラウンをさがしだすはずだったぞ!」 「わたしがルイス・ウーに、根気よくやるよう助言したのをきいたと思いますが?」 「ルイス・ウーは人間だ。根気とはどんなものかくらい知っている。ところが、おまえにはそれがありすぎるのだ。この草食いめが」 「そして、あなたは、人間が変型したパク人のプロテクターを殺そうといっているのですよ。まさか何か決闘のようなことを考えているのではないでしょうね? ひと声わめいてとびかかれば、ティーラが素手で相手になってくれるとでも? ティーラと戦うには、頭を使わなくてはなりません。根気が大切なのです。この戦いに何が賭かっているかを忘れないように」 「もういい。報告をつづけろ」 「苦労のすえに、オリンポス山のかたちがある場所をつきとめました。左舷《ボート》から反回転方向《アンチスピンワード》よりの方向へ八百マイルです。どうやらティーラは、ニードル号に強力なレーザーを浴びせつづけるとか、それに似た何らかの手段で、わたしたちを停滞状態《ステイシス》にとじこめたまま、八百マイルの距離を曳いてきたものと推測されます。理由は見当もつきません」  ルイスがいった。 「流しこむ用意をした熔岩のところまで曳いてきたわけだよ。そして、そこが、彼女の頭の中にある、一兆五千億人の大量殺我が行なわれる場所になるはずなんだ。だが、それにはどうやったらいいのか、まだぼくらには方策が立っていない。カホナ、彼女はぼくらの知能を買いかぶりすぎてるかもしれないんだ!」 「あなたの考えをきかせなさい。ルイス。その場所は、ここのすぐ下かもしれません」  パペッティア人の頭のひとつが、上向きにグルリと弧を描いた。 「船の向きからいうと、わたしたちのほとんど頭上のあたりに、いくつもの部屋が組み合わさった一画があり、そこには半ダースにおよぶ探深《ディープ》レーダーの存在を示すニュートリノのパルス放射が検出されるばかりか、大規模な電力の動きが感知されるのです。  もうひとつ見つけたのは、直径三十八・八マイルの半球形で、壁のやや上のほうに、別種のニュートリノ放射源がある、そんな場所です。その放射源は移動しています。出力は、核融合と同じく、不規則です。あなたたちがここにいなかった数分間に動いた距離はごくわずかですが、その速さだと、十五プラスマイナス三時間で、ドーム上をちょうど百八十度動くでしょう。これがどういうことか、あなたたちにわかりますか?」 「人工太陽か。農業だね。それはどこにあるんだ?」 「この〈地図〉の|右 舷《スターボード》の端に向かって二千五百マイルいったところです。しかし、あなたたちの侵入口はオリンポス山ですから、そこからみると、|右 舷《スターボード》から反回転方向《アンチスピンワード》へ十二度の方角になります。いくつも壁を破っていかなければならないかもしれません。携帯用の物質分解機を持ってきたでしょうね?」 「おれも知的生物のはしくれだ、持ってきたとも。〈至後者《ハインドモースト》〉、もし着陸船《ランダー》がオリンポス山までいきつくようなら、われわれは|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》を経由して、着陸船《ランダー》の船倉のドアから出ればよい。だが、その前に船がティーラに射ち落とされるかもしれんな」 「どうしてそんなことを? こちらが乗りこんでもいない船をですか? 彼女には探深《ディープ》レーダーがあります。何もかも見とおしているはずです」 「ウウゥ、では彼女は、着陸船《ランダー》を追跡し、われわれが現れるのを待って、一気に殺そうとするだろうな。おまえたちが葉っぱにしのびよるための知恵でも、そうなるか?」 「はい。ですから、着陸船がオリンポス山へ着くより何時間も前に、あなたたちはそこから侵入するのです。探査機の一基を、ついてくるようセットしましたね。そこには、|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》の受容器がついています。もちろん、一度ここを出たら、もうもどる道はありません」 「ウウゥ。うまくいきそうだな」 「どういう装備を使いますか?」 「宇宙服、飛行《フライング》ベルト、携帯レーザー、それに物質分解機だ。おれはこれも持ってきた」  ハミイーは、超伝導体の布を指さした。 「ティーラは、これのことは知らん。役に立つかもしれん。われわれの宇宙服の上から着られるように仕立てることもできよう。ハーカビーパロリン、おまえ、裁縫ができるか?」 「いいえ」 「ぼくはできる」と、ルイス。 「ぼくも」と、少年がいった。「どんなのをつくるのか、やってみせてくれればね」 「そうしよう。何もスマートに仕立てる必要はない。ティーラが、発射式の銃や戦斧《いくさおの》でなくレーザーを使ってくれるといいのだが、宇宙服の上から、耐衝装甲服《インパクト・アーマー》を着こむわけにはいかんからな」 「そうともかぎらないぜ」と、ルイス。「例えば、ハミイー、あんたの耐衝装甲服《インパクト・アーマー》なら、ぼくは宇宙服の上から着られる」 「そんなにやたらに着こんだら、すばやく動けまいが」 「だろうね。ハーカビーパロリン、よく落ちついてるな」 「混乱して、ボーッとなってるのよ、ルイス。いったいプロテクターは、敵なの、味方なの?」 「敵だが、彼女は、負けたがってるんだよ」ルイスは、おだやかな口調でいった。「もちろん彼女はそんなことを口には出せない。このゲームのルールは、彼女の脳や分泌腺にきざみこまれてるんだ。こういったこと、きみには信じられるかい?」  ハーカビーパロリンは、ためらった。やがて口をひらいた。 「あのプロテクターは、まるで──まるで、こわい何かが、自分のいうことなすことぜんぶを監督してるみたいなそぶりにみえたわ。ちょうどわたしが、〈パンス 館《ビルディング》〉で訓練をうけていたときのように」 「まさにそうなんだ。そして、監督してるのは、ティーラ自身なんだ。きみ、もし負けたら世界が滅びることを知りながら、プロテクターに立ち向かう勇気はあるかい?」 「あると思う。少なくとも、プロテクターの気をそらすくらいはできるでしょう」 「ようし。じゃ、きみにもいっしょにきてもらおう。べつの〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉の女性のために用意した装備一式があるんだ。使いかたは、できるかぎり教えてあげる。ハミイー、あんたの耐衝装甲服《インパクト・アーマー》は、彼女が、宇宙服と超伝導布のガウンのあいだに着ることにしょう」 「それからハールロプリララーの携帯レーザーも持たせてやれ。おれのは、不注意でなくしてしまった。おれは物質分解機を持っていくことにする。またおれは、その予備バッテリーに仕掛けをして、蓄えられているエネルギーを一ミリ秒のあいだに放出させる方法も知っているぞ」 「あのバッテリーは、パペッティア製ですよ。安全第一の設計なのですがね」〈至後者《ハインドモースト》〉が、疑わしげにいった。 「とにかく見せてみろ。それから、あらゆる交信回路は切っておくのだ。わがほうが準備を終える前に、ティーラが食事をすませてもどってくるかもしれんからな。もっと時間がほしいところだ。ルイス、カワレスクセンジャジョクに、上っ張《ぱ》りの縫いかたを教えてやってくれ。糸にも超伝導線を使うのだぞ」 「ああ。それはわかってるさ。カホナ、もっと時間がほしいね」  三人は装備に身を包むと、|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》に向かってとびこんだ。  ハーカビーパロリンは、体形がわからなくなるほどに着ぶくれていた。ヘルメットの中で、その顔は、緊張にこわばっている。宇宙服に、飛行《フライング》ベルトに、レーザーに──戦うことはおろか、それらの使いかたをおぼえていてくれれば上乗といったところだろう。  しかし、あれだけ着こんでいれば、遠目にはルイス・ウーと見わけがつかない。ティーラはためらうだろう。いまとなっては、藁にでもすがりたいところなのだ。  彼女が消え、ルイスも飛行《フライング》ベルトのスイッチをいれながらあとにつづいた。  ハミイー、ハーカビーパロリン、そして、ルイス・ウー──黒いティッシュ・ペーパーをまるめたような三人の姿が、オリンポス山の錆色の斜面の上空に浮かんだ。探査機は、もう浮かんでいなかった。燃料が尽きるまで滞空したのち、墜落し、斜面をかなりころがったらしい。外被はメチャメチャになっていた。しかし、|躍 跳 円 盤は《ステッピング・ディスク》無事だったのだ。  ルイスのあご[#「あご」に傍点]の下にある表示盤によると、大気は極めて稀薄で、乾燥しきっており、二酸化炭素が大部分のようだ。その点はみごとに火星に似せているものの、重力は地球なみだった。  火星人はどうやって生きのびたのだろう? 住んでいる塵の海の中に浮いて、それに適応したのにちがいない。絶滅した同族たちよりも強くなって……おっと、そんなことを考えてる余裕はないんだ[#「余裕はないんだ」に傍点]!  噴火孔の縁まで、四十マイルの登りだった。いきつくのに十五分かかった。ハーカビーパロリンは、遅れがちだった。ギクシャクした飛行ぶりだ。しょっちゅう操縦装置をいじくっていたのにちがいない。  火口の底のとびらは、岩と錆の色で、表面は凸凹だった。それが内側へ、下向きに、つき破られているのがみえる。  闇の中へ、一同は下降していった。  飛行《フライング》ベルトは、ちゃんと体重を支えてくれた。こううまくいくとは意外だった。斥力装置は、上と下両方の〈スクライス〉の平面に反撥するからだ。しかし、天井の〈スクライス〉は、荷重に耐える必要がほとんどない。それで、下方にあるリングワールドの床面よりも、ずっと薄かったのである。  ルイスは視覚を赤外線に切りかえた(ハーカビーパロリンが思い出してくれることを祈りながら──そうしなければ、彼女は盲目同然だろう)。  下のほうから熱が放射されているらしい──小さな明るい円が見える。周囲は広大で、はっきりとは見えない。三方の壁面にそって円盤形のものが縦にズラリとかさなり、それに沿ったきゃしゃな梯子がついていた。そして中央にそびえ立っている、環状の物体をかさねた一本の傾いた塔。その環のそばを、三人は通りぬけて降下していった。  オリンポス山を空に向けてつらぬく、これは直線加速機だろうか? だったら周囲の円板は、発射のときを待っている、プロテクターひとり乗りの戦闘架台かもしれない。  火口の底をつらぬいて下へつづいている穴。いよいよこの中へとびこんでいく。ハーカビーパロリンも、ちゃんとついてきていた。熱を出している場所はまだずっと下方で、降下するにつれてそれは大きくなってきた。  十二層にわたる、相接した床を、穴はつらぬいていた。ニードル号のつきぬけていった穴だ。いちばん下の裂けめも、大きなものだった……赤外線の明かりは、その向うに光っていた。最下層の一室は、赤熱一歩手前といったところだ。  ハミイーがはるか先に立って、その中へとびこんでいった。だが、一瞬後、またとびだしてくると、その上の階の床におり立った。  ここまでずっと、無線は使っていない。ルイスは、ハミイーのまねをした──その最後の穴へとびこんでみたのだが、そこは赤外線が照り輝いていた。厖大な量の熱が、ここで放出されたのだ。そしてそこから、さらに明るく輝くトンネルが、横向きに、はるか彼方へとつづいていた。  ルイスは上昇し、ハミイーと並んだ。ハーカビーパロリンのほうへ手をふると、彼女もドサリと音をたてて彼の傍らに降り立った。  そうか[#「そうか」に傍点]。  ニードル号は、あのトンネルの中を曳かれていったのだ。周囲の熱放射で、停滞《ステイシス》フィールドは切れなかったわけだ。あとを追うことはやさしい……ただし、それではたちまち蒸し焼きになってしまうだろう。  では、どうする?  いまは、スピードをあげて向うへ飛びはじめたハミイーのあとについていくしかない。どういう計画を心に秘めているのだろうか? 話さえできればいいのだが!  居住空間をぬけて飛びつづける。そこは、スピードをだすには不便な場所だった。ドアのない小部屋や、金庫のとびらみたいなドアのついた小部屋がつづく。単なる目かくしのためのカーテンみたいなものは、ひとつもない。  パク人のプロテクターというのは、いったいどういう生活をしていたのだろう? いくつかちょっとのぞいてみた感じは、厳格で簡素なものだった。小部屋のひとつの床には、関節がふくらみ頭蓋が隆起した骸骨が一体ころがっていた。高さ一マイルもありそうなジャングル・ジムを含むさまざまな体育用具とおぼしいもののつまった、大きな部屋もあった。  こうして何時問も飛びつづけた。ときたま、数マイルもまっすぐにつづく長い通路に出ることもあり、そういうところでは高速を出すことができたが、それ以外は、進路をさがしながらの飛行だった。  行く手をさえぎるドアの数は多かった。ハミイーがそれを処理した──物質分解機のビームが当たると、ドアは単原子の塵となって飛び散った。  ひとつの大きなとびらが現れ、そこでは、いくら塵が舞いあがっても、それがおさまると、とびらはまだそこにあった。何の飾りもない長方形だ。〈スクライス〉にちがいないと、ルイスは思った。  ハミイーが先に立ってそこを左へ折れ、そのとびらが守っている何か[#「何か」に傍点]を迂回にかかった。ルイスはハーカビーパロリンよりあとにさがり、うしろ向きに飛んで、ティーラ・ブラウンの出現にそなえた。  大きなとびらは、閉じたままだった。もしその向うにティーラ・ブラウンがいたとしても、〈スクライス〉ごしに三人を探知することはできないはずだ。プロテクターの能力にも限界はある。  トンネルの上をニードル号までたどっていくのかと思ったが、そうはしていないようだ。ニードル号の位置から考えてみると、ハミイーがめざしているのは、|右 舷《スターボード》から十二度|反回転方向《アンチスピンワード》より……壁のななめ上方に動くニュートリノ源を持ったあの半球形の大きな空洞の方角だった。  たいへん結構。  やっと右へ曲がる道を見つけて、そっちへ折れた。途中また、〈スクライス〉のとびらがあったが、進路の妨げにはならなかった。三人が迂回したものが何であれ、それは広大な区域を占めていた。非常用の制御室だろうか? あとでまたここへくる必要が出てくるかもしれない。  十四時間が過ぎ、一千マイル近く進んだところで、一行は休息をとった。広々とした部屋の床の中央におかれた、腰までくらいの高さがある金属製のドーナッツみたいなものの内側で、三人は眠った。何のためのものかはわからない──しかしそこなら、何かに不意打ちをくうおそれはなさそうだった。  ルイスは、宇宙服の栄養シロップ以外の何かが食べたくてたまらなくなった。ふと思う──あのあとティーラは、食事を終えて仕事にもどり、そしていまはまた腹をへらして食事をとっているところなのではないだろうか?  目がさめると、また飛びつづけた。まだ小部屋はあちこちにあったが、居住区画からは一応出はずれたようだ。そこには、からっぽの食料貯蔵箱や、配管や、また仮眠をとるのにもってこいの平坦な床があった。だが、それもやがて姿を消し、何かはいっているのやいないのやまちまちの巨大な部屋がつづくようになった。  何かとてつもなく大きなポンプと思われるもの──そこを離れるまでずっと騒音が鼓膜を叩きつづけていたことからそう判断したのだが──のまわりを大きく迂回した。  一行を先導するハミイーが左へ曲がって、壁を打ち抜くと、その向うは地図室だったが、そのあまりの巨大さに、ルイスは肝がちぢみあがるのを感じた。ハミイーが向う側の壁を打ち破ると、巨大なホログラムは光を放って消え、一行はそこを通りぬけて進みつづけた。  すでに目的地は近い。  三人は、稼動していない核融合発電機の頂上で、二度目の睡眠をとった。四時間。そしてまた進みはじめた。  長いトンネル、前方の光、そして追い風。  一行は、まぶしい輝きの中へとびだした。  太陽は、ほとんど雲ひとつない空の天頂近くを、ちょうど通り過ぎたところらしい。その陽光に照らされた地上の景観が、前方に果てしなくひろがっていた──散在する池や小さな茂み、穀物の畑、暗緑色の野菜の畝《うね》。  ルイスは、自分が射撃の的になったみたいな気がした。肩にテープでとめた黒い線のひと巻き。それを彼はひきほどいて、遠くへ投げだした。一端はまだ肩についている。こうしていれば、射たれても、それが熱を放散してくれるだろう。  ティーラ・ブラウンは、どこにいるのか?  どうやらここではなさそうだ。  ハミイーが先頭に立って、小さな丘陵を飛びこえた。着地したのは澱んだ池のほとりだ。ルイスがつづき、そのあとにハーカビーパロリンがつづく。そこで、クジン人は、自分の宇宙服を脱ぎはじめた。ルイスが降り立つと、ハミイーは両手のひらを前へ向け、ついで自分の宇宙服をピタリと閉める身ぶりをしてみせた。  宇宙服をひらくな[#「ひらくな」に傍点]。  ハーカビーパロリンへの注意だ。彼女にもわかったはずだが、ルイスは、彼女が服をひらこうとしないのを確認するまで、じっと見まもっていた。  さて、それではどうする?  ここはどう見ても、土地が平坦すぎるようだ。身をかくす場所など皆無にひとしい──まばらな木立、うしろのなだらかな丘──あまりに目につきやすい。  水中にかくれるか? それもいいだろう。  ルイスは遠くへ投げた超伝導線をたぐりよせはじめた。準備する時間はたっぷりあるだろうが、ティーラは、いざ来るとなったら、電光のように襲ってくるにちがいない。  ハミイーはもう裸になってしまっていた。ついで超伝導の服をふたたび身にまとった。それからハーカビーパロリンのところへいき、彼女に手をかして自分の耐衝装甲服《インパクト・アーマー》を脱がせると、それを着こんだ。そのぶんだけ、彼女はますます無防備なようにみえた。ルイスは何も手出しをしなかった。  太陽のうしろへかくれたらどうだろう?  あの小さな、核融合動力の、ニュートリノを放射している太陽──少なくとも、あそこなら目につかないことはたしかだ。しかしそんなことが可能だろうか? そう、超伝導線を下にたらして一端を池にいれておけば、体温が水の沸点以上になることはあるまい。  カホナ、こんな手があったとは!  火星の表面近くだったら、水の沸点もかなり低いから、これは大いに有効だったろう。しかしここは、リングワールドの床面近くだ。大気圧はほとんど海面のそれだった。  何日でも待つことならできる。宇宙服の中には水も栄養シロップもあるし、ルイス・ウーの忍耐力もたぶん保《も》つだろう。ハミイーはすでに服を脱いでいる。彼は、獲物をとらえることさえできるかもしれない。  しかしハーカビーパロリンは?  もし彼女が宇宙服をあけたら、とたんに、生命の樹の匂いをかいでしまうことになる。  ハミイーが、自分の宇宙服をまたふくらませている。ついでそれに、自分の飛行《フライング》ベルトをつけさせた。両足にひとつずつ石をのせ、それから飛行《フライング》ベルトのつまみを調節して、宇宙服がちょうどまっすぐ立つようにした。  うまい考えだ。  石を蹴とばし、スラスターをいれてやれば、からっぽの宇宙服は、威勢よくとびあがっていくだろう。  ルイスには、それに匹敵する名案など、とても思いつかなかった。  ティーラは、二週間に一度ここへくるだけかもしれない。生命の樹の根は、どこかほかの場所に蓄えられているのかもしれない。  それにしても、生命の樹というのは、どんな恰好をしているのだろう? 暗緑色の葉をつけて、もっともらしく並んでいるこの茂みだろうか?  そのひとつを引きぬいてみた。地中から、どことなくヤマ芋《いも》かさつま藷《いも》を思わせる太い根が現われた。見たことのない植物だが、どうせここには、彼の知っているものなど、あるはずがない。リングワールド上の生物相の大部分、そして、ここにあるあらゆるものは、銀河の核のほうから持ちこまれたものにちがいないのだ。  そのとき、ルイスの耳の中で、ティーラの笑い声がひびいた。 [#改ページ]      32 プロテクター  ルイスは、とびあがることだけはせずにすんだ。彼はヘルメットの中で悲鳴をあげた。  嘲けるような、そして子音の不明瞭な──くちびると歯ぐきが融合してかたいくちばし[#「くちばし」に傍点]になっているためだ──ティーラの声がいった。 「〈ピアスンの|人形つかい《パペッティア》〉を相手にするのはもうたくさん! ハミイー、あなたなんて、ものの数じゃないわ。わたしとしたことが、もう少しでつかまるところだったのよ」  何らかの方法で、彼女は、スイッチを切っておいた三人のイアフォンを作動させているらしい。  同じ手で、こちらの動きもつきとめていたのでは?  だったら、三人はもう死んでいたろう。してみると、それはできなかったと考えてよさそうだ。 「あなたがたの船がまったく信号を出さなくなった。通話がとだえてしまった。中で何が起こっているのかわからない。そこでそれを知るために、わたしは、|躍 跳 円 盤《ステッピング・ディスク》の回線に割りこむ装置をこしらえた。たしかに、容易な仕事じゃなかったわ。まず、パペッティア人は故郷の惑星から|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》を持ってきたものという推測のもとに、その作用を論理的に導きだし、つくりあげた……ところが、回線をつないで船の中へ跳んだとき、パペッティア人は停滞《ステイシス》フィールドのスイッチに、手をのばしていたのよ! 脱出するには、カホなくらいすばやく、送出用の円盤《ディスク》を見つけなきゃならなかった。でも、もうこうして出てきたし、船のほうは停滞状態《ステイシス》にはいってるから、もうあなたがたを助けにくるものは誰もいないわ。わたしはこれからそっちへいきますからね」  そういうティーラの声の中に、何かひどく無念そうなひびきを、ルイスはきき取ったような気がした。  いまはもう、待つしかなかった。 〈至後者《ハインドモースト》〉は、ニードル号に積んだあらゆる装備を持ったまま、舞台をおりてしまったのだ。残されたのは、いま手にしているものだけなのだ。  しかし、彼女がここまでやってくるのには、しばらくかかるだろう──さっきのことばが嘘でないとしたらだが。  ルイスは、飛行《フライング》ベルトをいれて上昇してみた。一マイル、二マイル、それでも天井はまだはるかな上空にあった。池、小川、なだらかな丘陵──一千平方マイルにおよぶ庭園が、その荒れ果てた眺めをあらわにした。レース状の葉をつけた釣鐘形の樹木が、左舷《ボート》側にひろがるジャングルをなしている。回転方向《スピンワード》から|右 舷《スターボート》にかけて数百平方マイルを蔽っている黄色っぽい茂みは、植えられたときの列の名残りをわずかにとどめているばかりだ。  回転方向《スピンワード》に大きな入口がひとつ。そして、一行がここへ出てきた反回転方向《アンチスピンワード》のトンネルを含めて、それよりは小さな入口が、少なくともあと三つ見えている。  ルイスはまた地表近くまで降下した。四つの方向に対して備えをしなければならないようだ。どこかに適当な窪地はないだろうか……中央からかなりはずれてはいるが、周囲に低い丘をめぐらしたひと筋の小川があった。  あの流れの中にひそんだっていいのでは?  だがその上空へいって検分しながら、彼は、自分が何か決定的な点を見おとしているような気がしてならなかった。  そうだ[#「そうだ」に傍点]!  ルイスは、ハミイーが身をかくしている場所へすっとんだ。その腕をつかんでゆすぶりながら、指さしてみせる。  ハミイーがうなずいた。彼は自分の宇宙服を風船みたいに引っぱりながら、みんなが出てきたトンネルの口に向かって走った。ルイスは飛行《プライング》ベルトで上昇し、ハーカビーパロリンについてくるよう手まねきした。  池をうしろに、ゆるい起伏のつづく丘陵。待ち伏せには恰好の地形だ。そのうねりのひとつへ、ルイスはおり立つと、入口のみえる場所へ、ピッタリと身を伏せた。それから振り向くと、手にした超伝導線の輪を池のほうへ投げ、その端が確実に水につかるのを見とどけた。  ニードル号から出る道は、ただひとつ[#「ただひとつ」に傍点]しかなかったのだ。ティーラがたどりつくことのできた唯一の[#「たどりつくことのできた唯一の」に傍点]|躍 跳 円 盤《ステッピング・ディスク》は、オリンポス山の斜面の探査機に通じていた。ティーラのやってくる道は[#「やってくる道は」に傍点]、三人のたどってきた道であり、そしてそれはまさしくこの場所へ通じていた[#「まさしくこの場所へ通じていた」に傍点]のである。  栄養シロップをすすり、水を少しばかり飲む。つとめて気を楽にしようとする。ハミイーの姿は見えない。どこへいってしまったのか、彼には見当さえつかなかった。  ハーカビーパロリンがこっちを見ている。ルイスはトンネルの開口を指さしてみせ、離れているようにと手まねで命じた。彼女にもわかったらしい。その姿が、丘の曲線の向うへ消えた。  ルイスはひとりぼっちで取り残された。  カホなほど平坦な丘だ。腿くらいの高さに黒っぽいつやのある緑の葉をひろげているあの茂みの中に、じっと動かずかくれていれば見つからないだろうが、動こうとするとかえって厄介なことになりそうだ。  時が流れていった。  宇宙服の排泄用具を使うと、みじめであわただしい気分にかられた。もとの位置にもどる。  さあ[#「さあ」に傍点]、いつでも行動に移れるようにしておかないと。〈補修センター〉内の輸送システムには詳しい彼女のことだ、猛烈な速さでやってくるだろう。あと数時間か、それともいまにも[#「いまにも」に傍点]……。  きた[#「きた」に傍点]!  ティーラは、トンネルの天井すれすれの位置から、まるで誘導ミサイルのようなスピードで飛びだしてきた。ただちに身を伏せて射撃のかまえをとるルイスの目に、その姿がチラリと見えた。彼女は直径六フィートの円盤の上に、操縦装置のついた垂直な柱につかまって、スックと立っていた。  ルイスが射つと同時に、ハミイーもどこかのかくれ場所から攻撃した。二本の深紅の光線が、同じ標的をとらえた。そのとき早く、ティーラは身をかがめ、円盤のうしろにかくれていた。すでに、こちらの位置は、インチの単位まで正確に見てとられてしまったにちがいない。  しかし、|飛 行 円 盤《フライング・ディスク》はまっかな炎をあげ、墜落しはじめていた。奇妙なレース状の木々のうしろへティーラが飛びおりていくのが、チラリとルイスの目にとまった。  彼女は、小さなパラグライダーをひろげていた。  とすると[#「とすると」に傍点]……彼女は傷も負わずに生きていて、降りた場所からすばやく移動しているはずだ[#「移動しているはずだ」に傍点]。  時間を節約するため、ルイスは丘の稜線をのりこえて反対側に出、そこから周囲を見まわした。これが正解のはずだし、超伝導線の端はまだ池の中にはいっている。  彼女はどこだ?  何かが隣の丘の稜線からとびだした。緑色の光がそれを空中でさしつらぬき、その標的が炎を吐いて落ちると同時に消えた。ハミイーの宇宙服の、それが最期だった。しかしこのとき、ひと握りのミサイル群が、緑のレーザー・ビームの放たれた位置へ向かって宙を飛んでいた。  丘の向うで数発の閃光、こっちでも一発ピカリ! 地表をさしつらぬく稲妻──ハミイーはどうやら、パペッティア製のバッテリーを爆弾に変えることに成功していたらしい。  ティーラは間近にいる。その武器はレーザーだ。そしてもし彼女が、この稜線のすぐ向うの池をまわろうとしていたら……ルイスは構えをととのえた。  燃えつきたハミイーの宇宙服が、フワリフワリと落ちてくる。プロテクターだったら、あれがからっぽだったことは、とっくに見ぬいているだろう。  クトゥルーよ、アラーよ!  いったい、幸運に守られたプロテクターに太刀打ちできるものが、この世にあるというのか?  丘の中腹の、ルイスが思っていたよりずっと低い位置に、ティーラがヒョイと姿をみせると、ルイスを緑色の光でつらぬき、彼がまだ指一本も動かせないあいだに消えてしまった。ルイスは目をパチパチさせた。目をやられずにすんだのは、ヘルメットのフレア防禦膜のおかげだ。だが、本能だろうと何だろうと、ティーラが本気でルイス・ウーを殺そうとしていたことは、まちがいない。  またべつの位置に現れた彼女。緑の光線が黒い布に吸いこまれて消える。今度はルイスも射ち返したが、彼女の姿はすでに見えず、当たったのかどうかも彼にはわからなかった。  一瞬チラリと見たのは、ややしわ[#「しわ」に傍点]のよった、しなやかな革の鎧と大きくふくらんだ関節──指の関節はくるみ[#「くるみ」に傍点]のようで、膝とひじ[#「ひじ」に傍点]はマスクメロンのようだった。彼女は自分の皮膚のほか、鎧など何も身につけてはいなかったのである。  ルイスは横ざまに丘の斜面をころがりおりた。そこから、すばやく匍匐前進する。這うのはつらい仕事だ。このつぎ彼女はどこに現れるのだろう? こんなゲームははじめてだ。二百年にわたる生涯のあいだ、彼は兵隊になったことは一度もなかった。  池の上空に、蒸気のかたまりがふたつ、フワフワと浮かび出ていった。  左のほうで、ハーカビーパロリンがいきなり立ちあがると一発射った。  ティーラはどこだ?  だが、射ち返すレーザーの光はなかった。ハーカビーパロリンは、まるで黒い服を着せられた標的みたいに立っている。だが、すぐに身を低くして斜面をかけおりた。そこに身を伏せると、左の斜面を這いのぼりはじめた。  その左から大きな石がひとつ飛んできた。でもどうしてティーラが、そんなに早くそこへいきつけたのだろうか? その石はハーカビーパロリンの腕を直撃し、骨をくだき、宇宙服の袖をひき裂いた。〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉の女は泣き声をあげて立ちあがり、ルイスは彼女がまっぷたつにされるのを待ちうけた。  クソクソクソッ[#「クソッ」に傍点]!  だが、こんどこそ[#「こんどこそ」に傍点]ビームの出どころを──。  ビームはこなかった。ぼんやり待っているべきではなかった。行動することが必要だったのだ。  石のとんできた方向はだいたいわかる。ふたつの丘のあいだに裂けめがあり、彼はできるかぎりの速さでそこへ這いこむと、その上の斜面が自分とティーラを隔ててくれるような位置をとった。そして見まわす……カホナ、ハミイーはどこへいったんだ?  ルイスは危険をおかして、丘の稜線の向うをのぞいてみた。  ハーカビーパロリンは、泣きやんでいた。クンクンと匂いをかいでいる。そのうち片手で飛行ベルトをはずし、黒い布の服を脱ぎはじめた。もういっぽうの腕は、折れてダランとさがっている。さらに、宇宙服を脱ごうとして、手さぐりをはじめた。  ティーラはあそこ[#「あそこ」に傍点]にいたはずだ。そのあとどこへいくだろうか? ハーカビーパロリンなど、彼女は無視しているのだ。  ハーカビーパロリンのヘルメットが、どうしてもはずれないらしい。彼女はヨロヨロと丘をくだりながら、片手で布を引き裂こうとし、ついで、フェイス・プレートを岩にたたきつけはじめた。  ずいぶん時間がたっている。もはやティーラがどこへいったかなど、見当のつけようがない。ふたたびルイスは、いまは干上がった小川のえぐった裂け目の中に移動した。丘の頂上をこえようとしたら、たちまち彼女に見つかるだろう。  実のところ彼女は、彼のあらゆる動きを、予測できるのではあるまいか? プロテクターなのだ! 彼女はいったいどこに?  うしろか[#「うしろか」に傍点]?  うなじに蜘蛛がとまったような感触。何の理由もなくふり返ると、とっさに見たティーラの姿へ一発。同時に、何か小さな金属片が彼の胸をかすめ、服と肉とをひき裂いて、狙いを狂わせた。彼は左手で、裂けた服の上をピッタリ押さえながら、いまティーラのいた場所へ深紅の光線を当てつづける。すると、彼女がまたヒョイと顔を出し、彼がビームをそっちへふり向けるより早くかくれてしまい、そして重い金属球が、彼のヘルメットを直撃した。  彼は丘の斜面をころげ落ちたが、宇宙服の破れをおさえた左手は離さなかった。一面にひび[#「ひび」に傍点]の走ったヘルメットごしに、彼はティーラの黒いこうもり[#「こうもり」に傍点]のような姿がかけよってくるのを見、よける暇も与えず深紅のビームを彼女に浴びせかけた。  カホナ、何てこった、彼女はよけようともしない!  そんな必要はなかったのだ。ハーカビーパロリンの黒い超伝導布の服を、いまはティーラ・ブラウンが身につけていた。彼はそれでも、両手でレーザーを握りしめ、ビームを彼女に当てつづけた。こうしていれば、彼を殺すより前に、全身が熱くていたたまれなくなるかもしれない。  鎧を着た悪魔が迫ってくる。その身にまとった黒い布が、濡れたティッシュ・ペーパーのようにはためき、ちぎれ飛びはじめた。  ちぎれ飛んでいく──なぜだ? それに、この匂いは何だ[#「匂いは何だ」に傍点]?  彼女はクルリと向きなおると、手にしていたレーザーを、横ざまにハミイーへ投げつけた。物質分解機と携帯レーザーがいっしょに、ハミイーの手からふっとんだ。  ふたりの肉体がぶつかりあった。  生命の樹の香りが、ルイスの鼻孔から脳に達した。それは、〈ワイア〉とは似ても似つかない感じだった。電流は、それ自体で完結する自己充足的なものであり、そこには何もつけ加える欲望など生じない。生命の樹の匂いには恍惚感に加えて、猛烈な渇望をかきたてる要素があった。  いまや、生命の樹に関するあらゆることを、ルイスは知って[#「知って」に傍点]いた。つやつやした暗緑色の葉を茂らせ甘藷に似た根を持つ、周囲一面に生えているそれ──味さえもわかっている──脳のどこかにひそんでいた楽園の至福の味わいだ。  まわりじゅうにあるというのに、食べることができない。食べることができない。食べることが……このヘルメットのせいだ……そのとめ金をゆるめかける手を、彼は必死でひっこめた。  食べるわけにはいかない。  人間の変じたプロテクターが、ハミイーを殺そうとしているあいだは。  彼はレーザーを、まるで反動のくる拳銃を扱うみたいに、両手でしっかりと握りしめた。クジン人とプロテクターは、ガッチリと取っ組みあったまま、ズタズタになった黒い布をあとに残して丘の斜面をころがり落ちていく。それを追ってかけおりる彼の手から、深紅のレーザー光がほとばしった。  射ちながら[#「射ちながら」に傍点]狙うんだ。腹なんか空いていないぞ。食べたら死んでしまう[#「死んでしまう」に傍点]んだ。プロテクターになるには年をとりすぎている[#「年をとりすぎている」に傍点]から、死んでしまう[#「死んでしまう」に傍点]んだ。  カホナ、何という匂いだ!  脳みそがクルクルと巻きもどけていく。それに抵抗するための緊張感は、ゾッとするほどだ。過去十八年間、毎晩ドラウドをセットしなおしたい誘惑と闘ってきたのと同じ思いが、一気に彼の全身を蔽いつくした。  もうがまんできない!  それでもルイスは、宙にほとばしるビームをじっと安定させながら、機会を待ちつづけた。  はらわたをえぐりだしそうなティーラの蹴りが空を切った。一瞬、まっすぐにつき出たその脚に、赤い光の糸が触れ、その脛《すね》が、目を焼くほどの赤い閃光を放った。  狙っているうちに、またつぎの手ごたえ。炎をあげてちぎれたハミイーの尾の先端が、傷ついた芋虫のようにもがきながらはじけとんだ。  ハミイーはまったく気づいてもいないようだ。しかしティーラは、それでビームのとおっている場所を知ったらしい。ハミイーを、その方向へ投げとばそうとしている。ルイスは、赤い光条を安全な距離まで遠ざけ、またつぎの機会を待ちうけた。  ハミイーはすでに全身傷だらけだ。数ヵ所の傷口から、血があふれだしていた。それでも体重を刺して、プロテクターを押さえつけている。このときルイスは、そのすぐ近くに、丹念に削りあげられた手斧のような、鋭い刃のついた石の一片があるのを見つけた。  プロテクターは、あれでハミイーの頭蓋を打ちくだくつもりかもしれない。  彼は引き金を放し、あらためてその石に狙いをつけなおした。そこへさっとひらめいたティーラの手が、とたんに炎に包まれた。  驚いたか[#「驚いたか」に傍点]、ティーラ!  カホナ、なんて匂い[#「匂い」に傍点]だ! この生命の樹の匂いにかけても[#「匂いにかけても」に傍点]、きさまを殺してやるぞ[#「殺してやるぞ」に傍点]!  片手と片脚だ──ティーラはそれだけ不利になったはずだが、ハミイーのほうもひどく傷めつけられてしまったのではないか? ふたりとも消耗しきっていることはまちがいない。  ティーラの固いくちばしが、ハミイーの太い首にくいこんでいるのを、ルイスは一瞬はっきりと見てとった。ハミイーが身をよじった瞬間、ティーラの不恰好な頭のうしろが、青空だけになった。その頭へ、ルイスのビームが切りこんだ。  ハミイーののどにくいついたティーラの口をあけるには、彼とルイスが力を合わせなければならなかった。 「この女は、本能の命ずるままに闘ったのだ」ハミイーがあえぎあえぎいった。「彼女の意志ではなかった。おまえのいうとおり、負けるための闘いだった。もし本気だったら、邪神《クダプト》よ、救いたまえ、とても勝ち味《み》はなかっただろうな」  こうしてすべては終わったものの、ハミイーの毛皮は血みどろだし、ルイスの胸も打ち身だけでなく肋骨が折れているらしく、身をよじるほど痛いし、それにこの匂い──生命の樹の香りは、さらにつのってくるばかりだ。おまけにハーカビーパロリンも、いまは池の中に膝までつかって立ち、狂った目つきで口から泡をふきながら、片手でヘルメットをはずそうともがきつづけていた。  ふたりで彼女の両腕をつかみ、池から引っぱりあげた。彼女は暴れた。ルイスにその気持はよくわかった──畝《うね》から畝へとつづく生命の樹の畑を出て、歩きつづけるのは、彼にとって、全身全霊をつくしての闘いだった。  ハミイーがトンネルの中で立ちどまった。ルイスのヘルメットをゆるめ、スッポリと抜きとると、彼はいった。 「深呼吸しろ、ルイス。風は農場のほうへ吹いているぞ」  ルイスは鼻をクンクンいわせた。あの匂いは消えていた。  それからふたりは、ハーカビーパロリンのヘルメットも脱がせ、宇宙服の中の匂いを外へ追いだした。それももはや何の役にも立たなかったようだ。彼女の狂った目つきは、じっと宙の一点を見つめたまま動かない。その口のまわりの泡を、ルイスは拭いとってやった。  クジン人がたずねた。 「おまえはあの誘惑に耐えられるのか? この女を押さえておけるか? 自分もがまんしていられるか?」 「ああ。たぶん、電流中毒《ワイアヘッド》から復帰したものだけが、できることなんだろうな」 「ウウゥ?」 「あんたには絶対にわからんだろうよ」 「わかりたいとも思わんぞ。おまえの飛行《フライング》ベルトをよこせ」  ベルトの革はきつすぎた。ハミイーの傷を、よけい痛めてしまったかもしれない。だが、ハミイーは数分後、ハーカビーパロリンの飛行《フライング》ベルトと、自分の物質分解機と、そして二梃の携帯レーザーを手にしてもどってきた。  ハーカビーピロリンはだんだん静まってきたが、それは主として疲れ果ててしまったためだろう。ルイスのほうは、ひどい憂鬱感と闘っていた。  ハミイーのいうことが、かろうじてその耳にとどいた。 「われわれは、戦闘には勝ったものの、戦争には負けたようだな。このあとどうすればいいのだ? この女もおれも、治療を受けなければならん。着陸船《ランダー》にもどれれば、何とかなるのだろうが」 「ニードル号を経由していけばいいさ。戦争に負けたってのは、どういうわけだい?」 「ティーラのことばを聞いたろう。ニードル号は停滞状態《ステイシス》にはいってしまい、われわれは徒手空拳で取り残されたのだ。ニードル号の計器類がなくては、ここの機械類がそれぞれどういう働きをしているのか、どうしてしらべることができる?」 「ぼくらは勝ったんだよ」  クジン人の悲観主義がなくても、ルイスの気分は、もう充分なくらい滅入っていた。 「ティーラといえども全能じゃない。あのとおり、死んだじゃないか、え? 〈至後者《ハインドモースト》〉が停滞《ステイシス》フィールドのスイッチに手をのばしていたかどうか、どうして彼女にわかる? どうしてそんなことをする必要がある?」 「あやつと壁一枚へだてた船内に、プロテクターがとびこんできたのだぞ」 「その同じ部屋に、やつはクジン人をとじこめてたんじゃなかったのか? あの壁は、ゼネラル・プロダクツ製だ。〈至後者《ハインドモースト》〉は、|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》のスイッチを切ろうとしただけかもしれない。少々動作がのろすぎたがね」  ハミイーは、事態をもう一度じっくり考えなおしてみたようだ。 「われわれには、物質分解機があるな」 「それに、ふたつだけだが飛行《フライング》ベルトもね。まてよ、ここはニードル号からどのくらい離れてるんだ? 約二千マイル、ほとんどいまきた道をもどることになるな。クソッ」 「折れた腕を、人間はどうやって手当てするのだ?」 「副木をあてるんだ」  ルイスは立ちあがった。からだを動かしつづけるのはつらかった。長いアルミの棒をみつけたが、それが何のためだったかもう一度思いださなければならない始末だった。固定するのに使えるものは、超伝導体の布しかなかった。  ハーカビーパロリンの腕は、ぶきみなほど腫れあがっていた。その腕を、ルイスは副木にくくりつけた。また、黒い糸を使って、ハミイーの傷がいちばんひどく口をあけているところを、幾針か縫ってやった。  だが、ふたりともほうっておいたら死ぬかもしれないし、手当ての手段もない。このまますわっていたら、ルイスまで死んでしまいそうな気分だった。  行動しつづけなければ[#「行動しつづけなければ」に傍点]。  クソッ[#「クソッ」に傍点]、動かないでいたって、どうせもっとひどくなるだけのこと。おそかれ早かれ、のりこえなければならない運命だとしたら、いまとりかかって何がわるい[#「いまとりかかって何がわるい」に傍点]? 「ふたつの飛行《フライング》ベルトのあいだにいろんなものを吊るしていくことにしよう。何を使えばいいかな? 超伝導糸じゃ、強度が足りないし」 「何かを見つけなければならん。ルイス、おれはもう、傷がひどくて、さがしにいけそうもないぞ」 「その必要はないよ。ハーカビーパロリンの宇宙服を使おう。手伝ってくれ」  レーザーで、その宇宙服の前面を切りひらくと、ダラリとなった布地を細く切って紐にした。そして残った部分のまわりに孔をいくつかあけ、さっきの紐をそこにとおし、反対の端を自分の飛行《フライング》ベルトに結びつけた。  宇宙服は、ハーカビーパロリンにピッタリの吊り帯になった。ふたりで彼女をその中へもどした。彼女はすっかりおとなしくなっていたが、そのかわりまったく口をきこうともしなかった。  ハミイーがいった。 「器用だな」 「どうも。あんたは自分で飛べるかい?」 「わからん」 「やってみてくれ。どうしても無理で落伍しても、飛行《フライング》ベルトがあれば、あとでよくなったときまた使えるだろう。あんたをさがしにもどってくるときのために、うんと目立つ目じるしをつけておかないとな」  きたときと同じ廊下を、三人はもどりはじめた。ハミイーの傷口が、また出血しはじめ、とても痛そうだ。だが、三分間ほど進んだとき、上面にいろんな装置を積んだ直径六フィートほどの円盤が、床から一フィートほどの高さに浮かんでいるのにぶつかった。一行はその傍らに降り立った。 「こうくると思ったよ。こいつは偶然のひろいものなんかじゃない。ティーラの使ってた荷物運搬用の円盤《ヂィスク》なんだ」と、ルイス。 「これも彼女のゲームの一部だというのか?」 「そうさ。こっちが生きのびたら、見つけることになってたんだよ」  円盤の上のものはどれも、見ただけでは見当もつかないものだったが、たったひとつ、四方の留めボルトの熔かし去られた重そうな箱には見おぼえがあった。 「これが何だかわかるかい? ティーラのフライサイクルからはずした医療セットだ」 「どうせクジン人の役には立たん。おまけに薬品は、二十三地球年も昔のものだぞ」 「彼女には、ないよりましだろう。あんたは、抗アレルギー錠も持ってるし、だいたいここには、あんたに感染できるような細菌などいやしないよ。クジンの〈地図〉にいる細菌も、ここまではとんできていないはずだ」  クジン人は、ひどくつらそうだった。本当は、立っているべきではなかったのだろう。 「おまえにこの操縦機構が動かせるのか? おれには、自分でやってみるだけの自信などないぞ」  ルイスは首をふった。 「どうしてわざわざそんなことを? あんたとハーカビーパロリンが、この上に乗るのさ。ちゃんともう浮いてるんだ。ぼくが曳いていく。あんたはひと眠りしたほうがいい」 「よかろう」 「まず彼女を、その医療セットにつないでやってくれ。それから、中央の操縦ポストに、からだをくくりつけるんだ。ふたりともね」 [#改ページ]      33 一・五掛ける十の十二乗  つづく三十時間のあいだ、ふたりは眠りつづけ、ルイスが円盤を曳いて進んだ。彼の右側の肋骨のあたりは、赤紫色に大きく内出血していた。  ハーカビーパロリンが目をさましたのを見て、はじめて彼は停止した。  彼女はベラベラとしゃべりだした。自分をとらえていたおそろしい強迫衝動のこと、生命の樹という狡猾な悪魔の恐怖と歓喜のこと……ルイスが必死に考えまいとしてきたことばかりだ。  その話はだんだん空想によってゆがめられていき、しかもいっかな止みそうになかったが、ルイスは彼女にやめろとはいえなかった。彼女には、何もかも吐きだし発散する必要があった。  彼女はルイスの腕に抱擁されることで、安らぎを得ようとし、彼もそれを彼女に与えることはできた。  また彼は、ティーラの古い医療装置《ドック》を、一時間ほど自分の腕につないだ。肋骨の痛みがいくらか退《ひ》き、少し気分がよくなると、ふたたび彼女にもどしてやった。痛みはまだ残っており、これがまだ彼にまとわりついている匂いから気をそらせてくれた。  この匂い──飛行《フライング》ベルトが生命の樹をこすったせいかもしれない。そうでなければ……おそらくそれは、彼の頭の中に残っているのだろう。いつまでも消えることなく。  ハミイーのほうは、だんだん錯乱しはじめていた。ルイスはハーカビーパロリンに、ハミイーの耐衝装甲服《インパクト・アーマー》を着せてやった。それは闘いのさい、ティーラの手で大きく引き裂かれていたが、錯乱したクジン人のそばで寝ていなければならない女には、ないよりましだった。  たぶんその服は、少なくとも一度、彼女の命を救ってくれた。ティーラによく似た姿の彼女に、ハミイーが一度なぐりかかったからだ。  彼女は自分の宇宙服のヘルメットから、水や食物を与えるなど、できるかぎりクジン人の世話をした。四日目にハミイーは正気をとりもどしたが、いまだに衰弱はひどかった……飢えきっていたのだ。人間の宇宙服のシロップくらいでやっていけるからだではなかった。  一応ニードル号の場所まで帰り着くのに四日かかった。さらにまる一日、隔壁を切りひらいて進むと、ようやく熔けて固まった玄武岩の一塊が現われた。一週間かけてすっかり固化してはいたが、岩はまだ暖かかった。  ルイスは、曳いてきた浮遊円盤と乗客ふたりを、ティーラがニードル号をここまでひっぱってきたトンネルの奥のほうへ後退させた。それから、宇宙服のヘルメットをかぶり、きれいな空気をその中に出しつづけながら、重い物質分解機をかまえ、引き金をひいた。  ハリケーンのような埃の嵐が吹きつけた。正面にうがたれていくトンネルの中へ、彼は歩をすすめた。  分解された岩石の塵が吹きぬけていくうなりと、背後のどこかで電子の電荷が復活するときの稲妻以外には、何も見えず、何も聞こえない。  いったいティーラは、どれだけの量の熔岩を流しこんだのだ? もう何時間も、これをつづけているような気がする……。  ふいに、何かにぶつかった。  これだ[#「これだ」に傍点]。  彼は、窓ごしに、見なれない場所をのぞきこんでいた。寝椅子と、浮揚タイプのコーヒー・テーブルがあるから、これは居間らしい。だが、何もかもが何となくやわらかそうに見える。鋭い縁《へり》や硬い表面といったものがどこにもない──これならどんな住人でも、脛をぶつけたりする心配はないだろう。向う側の窓の外には、巨大な建造物が立ちならび、その合間から黒い空がのぞいている。街路の上は〈ピアスンの|人形つかい《パペッティア》〉でいっぱいだ。こうしたものがぜんぶ、さかさまになっていた。  はじめ、寝椅子のひとつだと思ったものが、そうではないことがわかった。ルイスは携帯レーザーをとりだし、強度を低く合わせた。明滅をくりかえす。  かなりのあいだ、何の反応もなかった。  そのうち、ひらたい頭と頸がひとつ、浅い椀にはいった水を飲もうとして現れ、レーザーの光にびっくりしてとびあがると、矢のようにまた腹の下へひっこんでしまった。  ルイスは待った。  やがて、パペッティア人が立ちあがった。彼は船殻に沿って、ルイスを誘導した──ゆっくりと。なぜならルイスは物質分解機で、道をひらいていかなければならなかったから──そしてほどなく、船殻の外の、|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》の送出機をおいておいた場所まで到達した。  ルイスはうなずいてみせ、それから仲間を連れにもどった。  十分後、彼は船内にはいっていた。十一分後、彼とハーカビーパロリンは、まるでクジン人みたいに、食物にかぶりついていた。ハミイーの飢えかたは、もう筆舌につくせないものがあった。カワレスクセンジャジョクは、畏怖の念をこめてその姿を見つめていた。ハーカビーパロリンは、それに気づいてさえいなかった。  陽光から数十マイル下で、凝結した熔岩に埋まった宇宙船の時計が示す朝。 「医療設備がこわれています」〈至後者《ハインドモースト》〉がいう。「ハミイーとハーカビーパロリンの治療は、そちらで最善をつくすほかありませんね」  彼は操縦区画にいて、インターコムで話していた。ただしそこに大きな意味があるかどうかは、まだわからない。  ともあれ、ティーラがいなくなり、リングワールドも生きのびる可能性が出てきたいま、パペッティア人は突如として、長い長いみずからの寿命を守る必要性に目ざめたわけだ。異星人たちと肩を触れあうような場所に出るのは、好ましくないことであった。 「着陸船《ランダー》と探査機、両方とも、連絡が途絶えてしまいました」と、パペッティア人。「意味のあることかどうかはわかりませんが、着陸船《ランダー》が連絡を絶つのと同じころ、隕石防禦のフレアがのびていました。こわれた探査機からの信号がとまったのは、ティーラがニードル号に侵入をはかった直後のことでした」  ハミイーはちょうど睡眠(ウォーター・ベッドをひとりで占領しての)と食事を終えたところだった。毛皮が生えそろえばまた面白いかたちの傷あとになるのかもしれないが、傷自体はすでになおりかけている。  その彼がいった。 「ティーラは、探査機を見つけるやいなや、破壊したものとみえるな。危険な敵があとを追ってくるのを防がなければならないと思ったのだろう」 「追ってくるですと? 誰が?」 「〈至後者《ハインドモースト》〉、彼女はおまえのほうがクジン人よりも手ごわい敵だといったのだぞ。疑いもなく、われわれ両方を侮辱する策略だ」 「本当にそういったのですか?」  ふたつのひらたい頭が、つかのま互いの目を見つめあった。 「それはともかく、いまわたしたちの手に残っているのは、ニードル号と探査機が一基だけになってしまいました。|浮 遊 都 市《フローティング・シティ》の近くの山頂に残しておいた、あの探査機です。その感知装置《センサー》はまだ作動していますから、わたしはその使い道が出たときのために、ここへもどってくるよう信号を送っておきました。リングワールドの時間で六日後には到着するはずです。  それまでに、本来の問題を、新たに加わった手がかりと諸条件のもとで、考えなおしてみるのがいいでしょう。リングワールドの安定を、いかにして取りもどすか? たしか、ここが、それにとりかかるのに最適の場所だと……」〈至後者《ハインドモースト》〉は言葉をついで、つづけた。「……そうでしたね? でも、ティーラの行動は、極めつきの知的生物としては、いかにも気まぐれすぎるようですが……?」  ルイス・ウーは答えない。  今朝の彼は、ひどくムッツリとだまりこんでいる。  カワレスクセンジャジョクとハーカビーパロリンは、お互いの腕がふれ合うくらいの近さに並び、壁ぎわにあぐらをかいてすわっていた。ハーカビーパロリンの片腕にはギブスがはめられ、それを繃帯で首から吊っている。ときどき、少年がチラリと彼女のほうに目をやる。彼女の態度を不審に思い、気にしている目つきだ。  もちろん鎮痛剤が効いているが、彼女の気力の無さは、それだけでは説明できない。ルイスは、少年にひとこと話してやらなければと思った……だが、何といえばいいのだろう?  昨夜、〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉たちは、船倉で眠ったのだ。どのみちハーカビーパロリンは、墜落感がこわくて、就寝フィールドにははいれなかった。朝になっていっしょに朝食をとったとき、彼女は、さりげない口調で、リシャスラを申し出た。 「ただし、わたしの腕に気をつけてね、ルーウイーウ」  ルイスの文化圏では、セックスの誘いをことわるにはそれなりに機智を働かせなければならない。ルイスは、彼女の腕を痛めるのが心配でといっておいたが、これも嘘ではなかった。だが、彼がすっかりそれへの興味を失ってしまっていることも、同じくらい真実だったのだ。  もしかすると、生命の樹の影響でそうなったのかもしれない。しかし、いまの彼は、あの黄色い根に対しても、電流のしたたる〈ワイア〉に対してさえも、欲望を感じなかった。  今朝の彼は、あらゆる衝動から見放されたかのようだった。  一兆五千億の人々……。 〈至後者《ハインドモースト》〉がいう。 「ティーラ・ブラウンについての、ルイスの判断が正しいとしてみましょう。ティーラがわたしたちをここへ連れてきたのは、彼女の目的が、わたしたちと一致したからで、また、できるかぎりの手がかりを与えてくれた……しかし、その手がかりとは、いったい何ですか? 彼女は、戦いの敵味方両方と闘っていましたね。あと三人のプロテクターをつくりだしておいて、そのうちのふたりを殺した……これにも意味があるのでしょうか? ルイス、どうしました?」  ルイスは、頸動脈の上の皮膚を四つの鋭い何かがチクリと刺すのを感じて、もの思いからさめた。 「すまん、何だい?」 〈至後者《ハインドモースト》〉が同じことをくりかえしはじめる。  ルイスははげしく首をふった。 「彼女は、そのふたりを、隕石防禦装置で殺したんだ。彼女は、本命の敵であるぼくらをさしおいて、別の目標へ、二回、隕石防禦装置を発射してみせた。ぼくらはそのとき、停滞《ステイシス》フィールドにはいらずに見物することを許されたわけだ。これもまさしく、もうひとつのメッセージだったんだ」  ハミイーがいった。 「彼女には、ほかの武器もあったというのか?」 「武器、時期、状況、活動中のプロテクターの数──選択の余地は、いくらでもあったろうね」 「こんどはおまえが[#「おまえが」に傍点]ゲームをする気なのか、ルイス? わかっていることがあるなら、話したらどうだ?」  ルイスは、やましげな視線を、〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉たちに走らせたが、ハーカビーパロリンは眠りこみそうな気配もないし、カワレスクセンジャジョクは一心に聞き耳を立てている。世界を救う作業に手をかすチャンスを待ちうけているふたりの自選ヒーローたちだ。  カホナ。  彼は口をひらいた。 「一兆五千億の人々のことだよ」 「それは、あと二十八兆五千億人とわれわれ自身とを救うためだ」と、ハミイー。 「ハミイー、あんたは、あの連中を直接知らないから、そんなことがいえるんだ。とにかく、ぼくほど大勢と知り合ったわけじゃない。ぼくは、あんたたち三人のうちの誰かひとりくらいは、そのことに自分で気づいてほしいと思って、いままでだまってたんだ。ぼくの頭の中じゃ、いまなんとかしてその中のひとにぎりの人数──」 「知り合うだと? 誰とだ?」 「ヴァラヴァージリン。ジンジェロファー。巨人の族長。マー・コーシル。ラリスカリアリアーとフォータラリスプリアー。〈牧畜者《ハーダー》〉たちに〈草食巨人《グラス・ジャイアント》〉たちに〈両棲人〉に〈|ぶらさがり人種《ハンギング・ピープル》〉に〈夜行人種《ナイト・ピープル》〉に〈|夜の狩人《ナイト・ハンター》〉に……ぼくらは、九十五パーセントを救うために五パーセントを殺そうとしている。この数字に、何か聞きおぼえはないのか?」  答えたのはパペッティア人だった。 「リングワールドの姿勢制御ジェットで機能しているのが五パーセントです。ティーラの修理部隊が、リングワールドの弧にそって五パーセントの区域に、それを取りつけたのです。では、ルイス、死ななければならないのは、その人々なのですか? その弧の上にいる人々だというのですか?」  ハーカビーパロリンとカワレスクセンジャジョクの、信じられないという目つき。ルイスは、途方にくれたように両手をひろげてみせた。 「残念だが」  少年が叫んだ。 「ルーウイーウ! どうして?」 「ぼくは約束したんだよ」と、ルイス。「もし約束してなかったら、ここでもう一度決心しなおさなきゃならなかったろう。ぼくは、ヴァラヴァージリンに、どんな犠牲を払おうともリングワールドを救うと約束した。できたら彼女も助けてやるという約束もしたが、これは果たせそうにない。彼女を見つけだす時間がないんだ。遅れれば遅れるだけ、リングワールドを中心からずらす力は大きくなる。その弧の上にいる彼女。|浮 遊 都 市《フローティング・シティ》に〈機械人種《マシン・ピープル》〉の帝国、赤い肌の小さな食肉人に〈草食巨人《グラス・ジャイアント》〉たち。みんな死ぬんだ」  ハーカビーパロリンが、手首の背をはげしく打ち合わせた。 「でもそれは、わたしたちの知ってる世界の人たち、お互いに敬意さえ払い合ってる人たちなのよ!」 「ぼくの知ってる人々でもあるんだ」 「でもそれじゃ、救う価値のあるものは、何も残らないじゃないの! どうしてみんな[#「みんな」に傍点]死ななきゃならないの? どんなふうに?」 「死は死だ」と、ルイス。  言葉をついで、彼はつづけた。 「放射能に犯されるんだ。二、三十の種族にわたる、一兆五千億の人々が。でもそれも、ぼくらがあらゆる手順を正しく踏めたとしての話だ。まず、ここがどこなのかを知らなければ」  パペッティア人が、もっともな問いを出した。 「どこへいけばいいのですか?」 「場所はふたつ。隕石防禦装置を制御するふたつの装置のあるところだ。まず、太陽のフレア、あのプラズマ・ジェットを、発生させ誘導しなければならない。同時に、そのプラズマ・ジェットにレーザーを発射させる補助《サブ》システムの接続を切らなければならない」 「その場所はふたつとも見つけました」〈至後者《ハインドモースト》〉がいった。「あなたたちがいないあいだに、たぶん着陸船《ランダー》を破壊するためでしょう、隕石防禦装置が作動したのです。磁気効果のため、船の感知装置《センサー》の半分は、そのあいだ狂いっぱなしでした。それでも、その出力の源をつきとめることはできました。リングワールドの床面を流れて、太陽にフレアを発生させそれを操作する巨大な電流は、火星の〈地図〉の北極の下にある一点から出ています」 「おそらくその装置は、冷却が必要で──」と、ハイミー。 「そんなことどうでもいい! レーザーのほうは?」 「その活動は数時間後に起こりました──前のよりは小さな、パターン化された電流です。その発生源は、すでに話しましたね。船の姿勢からいうと、わたしたちのちょうど頭上に当たります」 「つまり、その装置を切らなければならんわけだな」ハミイーがいった。  ルイスはフンと鼻をならした。 「それは簡単な仕事さ。携帯レーザーか爆弾か物質分解機があれば、ぼくにだってできる。どうやってフレアを起こさせるのかが、いちばんむずかしいんだ。制御装置は、どんな間抜けでも扱えるように出来てはいないだろうし、おまけに時間もない」 「それが終わったらどうするのだ?」 「そしたら、人間の住んでる土地に向かって、バーナーをふかすのさ」 「ルイス! もっとはっきりいえ!」  これで彼は、幾十の知的種族に死刑を宣告することになるのだ。  カワレスクセンジャジョクは、じっと顔を伏せている。ハーカビーパロリンは、石像のように顔をこわばらせ、ポツリといった。 「しなければならないことは、したらいいわ」  彼はそうした。 「姿勢制御ジェットは、五パーセントしか機能していない」  ハミイーがつぎのことばを待っている。 「それを動かす燃料は、太陽から流れてくる高速の陽子だ。|太 陽 風《ソーラー・ウィンド》だ」  パペッティア人がいいだした。 「ああ、フレアを起こせば、燃料の取りいれ量は、二十倍にも増えますね。フレアにさらされた生命体は、死ぬか、ひどい突然変異を起こすかするでしょう。それと同じ割合で、推力は増えます。姿勢制御ジェットは、わたしたちを安全へと導いてくれるか、耐えきれずに爆発するかでしょう」 「でも、そいつをいまから手直ししてる時間なんてないんだよ、〈至後者《ハインドモースト》〉」  ハミイーがいう。 「ルイスが完全にまちがっているのでないかぎり、それは杞憂というものだろう。ティーラは、モーターを取りつけるとき、その点は充分に考慮しているはずだ」 「そうだ。もし強度が足りないようなら、彼女のことだ、安全装置なり何なりをくっつけていないはずはない。とくべつ大きな太陽フレアに見舞われる場合に備えてね。それが起こるだろうことを、彼女は見越していた。二面真理《ダブルシンク》さ」 「フレアを誘導できれば、便利にはちがいないが、そうしなければならないわけではないぞ」クジン人がつづけた。「レーザー発生用の補助《サブ》システムを切るだけでいい。それから、必要があればこのニードル号を、フレアを当てたい場所へ持っていって、標的に使うのだ──隕石防禦装置が作動するまで加速するわけだ。ニードル号が損傷をうけることはないからな」  ルイスはうなずいた。 「少しでも狙いを正確にしなけりゃ。早めにやるほど、死ぬ人の数も少なくてすむだろう。だが……そうだ。これでやれるんだ。きっと成功するぞ」  隕石防禦装置の調査には、〈至後者《ハインドモースト》〉も同行した。そうするように説得されたわけではない。ニードル号から取りはずした感知装置は、パペッティア人のくちびると舌で操作するようにできていたからだ。彼はルイスに、爪楊枝とピンセットでそれを操作することを教えようといったが、ルイスはそれを笑いとばしたのである。 〈至後者《ハインドモースト》〉は、ニードル号内の遮蔽された区画に、何時聞かのあいだとじこもっていた。それから、ほかのものたちについて、トンネル内に出てきた。彼のたてがみ[#「たてがみ」に傍点]は、光り輝く百色もの縞もように染め分けられ、みごとに編みあげられていた。  ルイスは思った。  誰もが、自分の葬式に[#「自分の葬式に」に傍点]着飾って出られたらと願っている。それができたら、さぞかしすばらしいだろうな、と。  レーザー用の補助《サブ》システムに爆弾をしかける必要はなかった。そのスイッチを見つけるのに、〈至後者《ハインドモースト》〉は、持ちだしてきた円盤いっぱいぶんの計器を使って、まる一日かかったが、それはそこにあったのである。  超伝導体のケーブル網は、火星の〈地図〉の北極から二十マイル下の〈スクライス〉の中で、一点に収束していた。一行は、高さ二十マイルの中央支柱を見つけたが、それはやはり〈スクライス〉製で、中には火星の〈地図〉全体のための冷却ポンプがおさまっていた。その基底部に当たる複雑な施設こそ〈管理センター〉だろうということで、全員の意見は一致をみた。  ついで、巨大なエアロックの迷路が見つかり、そのひとつひとつが、一種の図案パズルを解いてはじめて通りぬけられるようになっていた。〈至後者《ハインドモースト》〉がそれをやってのけた。  ついに最後のとびらをくぐった。その向うは、明るく照明されたドームで、乾ききった土の地面の中央に土台石のようなものが見え、そこに漂う匂い……ルイスはクルリと踵をかえすと、びっくりしているカワレスクセンジャジョクの細い手首をひっつかんで命からがら逃げだした。  少年が抵抗しはじめるより早く、つぎのロックを閉じる。少年の頭をこづいて彼は走りつづけ、エアロックを三つぬけたところでやっと足をとめた。  やがて、ハミイーが追ってきた。 「あの道は、人工太陽に照らされた土のある区域を通りぬけていたのだ。自動栽培装置はこわれていて、植物はほとんどすっかり枯れていたが、それが何かはすぐにわかったぞ」 「ぼくもだ」と、ルイス。 「あの匂いでわかったのだ。何となく不愉快な香りだな」  少年が泣きわめいた。 「ぼくには何も匂わなかったよ! どうしてあんなにひっぱったの? どうして、ぶったりしたの?」 「|クソッ《フラップ》」と、ルイス。  ようやく彼は、カワレスクセンジャジョクがまだ若すぎることに気がついたのである。生命の樹の匂いなど、彼には何でもなかったはずだ。  そこで、〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉の少年は、異星人たちと行をともにすることになった。しかしルイスは、もう制御室へ出向く気にはなれなかった。ただひとり、彼はニードル号へもどっていった。  一基だけ残った探査機は、いま、リングワールドから数光分離れた空間に位置していた。ニードル号の船殻の外、黒い玄武岩の中に輝いているホログラムの窓に見えているのは、その深査機のカメラをとおした眺めだ──太陽《ソル》よりはいくらかおとなしいここの太陽の、光量を落とした映像である。〈至後者《ハインドモースト》〉が、出かける前に、そのようにセットしていったのだろう。  ハーカビーパロリンの腕は、いくらか曲がったままで治りかけていた。古くなったティーラの携帯用医療装置には、もとどおりにするだけの能力がなかったのだ。それでもとにかく治ってきてはいた。むしろルイスにとっては、彼女の情緒面の状態が心配だった。  身辺には何ひとつ自分の世界に属するものが残っていない。しかも、いまやその思い出のすべてが、業火の中に失われようとしている──一種のカルチャー・ショックともいえるだろう。  彼がもどってきたとき、彼女は、ウォーター・ベッドの上で、拡大された太陽の映像を、じっと見つめていた。彼が声をかけると、彼女はうなずき返した。そのあと何時間たっても、彼女はその場所を動こうとしなかった。  ルイスは彼女に何かしゃべらせようとした。何の益もなかった。彼女は、自分の過去のすべてを忘れようとしていたのだ。  物理学的な面から現状を説明しようと試みて、彼はそのほうがいまの彼女には向いていることに気づいた。彼女には、いくらか物理学の心得もあった。ニードル号のコンピューターやホログラムには手がとどかないので、彼は壁にいくつも図を描いてみせた。いろんな身ぶりをまじえて説明した。彼女にも理解できたようだった。  船にもどって二日目の夜、ふと目をさますと、彼女はウォーター・ベッドの上にあぐらをかいてすわり、膝の上に携帯レーザーをのせて、彼のほうを考え深げに見つめていた。こっちを向いたそのガラスの銃口を見ながら、彼は片腕を大きく振って反対向きに寝がえりをうつと、そのまままた眠ってしまった。  翌朝、無事に目がさめた。  カホナ、いったいどういうことだったんだ?  その日の午後、彼とハーカビーパロリンの見まもる前で、太陽からフレアが立ちのぼった。巨大な舌のように、何度もユラユラとゆらめきつづけるそれを見つめながら、ふたりとも、ほとんど口をきかなかった。 [#改ページ]      エピローグ  それから一ファラン後──リングワールドが十回転したとき──。  リングワールドの孤をかなりのぼったあたりで、二十一本の蝋燭の炎が輝いている。|遮 光 板《シャドウ・スクエア》の縁からもれる異常に活溌な太陽のコロナに匹敵するほどの明るさだ。  ニードル号は、まだ火星の〈地図〉の下の玄武岩の中に埋まっていた。その乗員たちが見いっているのは、探査機のカメラから送られてくるホログラム映像の窓である。探査機はすでに、火星の〈地図〉の周囲をとりまく崖の縁までもどされ、火星人たちの手がとどかない二酸化炭素の雪の上におかれていた。  二列に並ぶあの蝋燭の炎のあいだでは、植物や動物や人間が、バタバタと死んでいることだろう。人類宇宙の全惑星をひっくるめたほどの数の植物が、あるいは枯れ、あるいは奇妙に変形しはじめているだろう。昆虫や獣は繁殖をつづけるかもしれないが、親とは似ても似つかない子供が生まれているだろう。  ヴァラヴァージリンは、いまごろ父親の死の原因や、しょっちゅう襲ってくる吐きけに不審を抱き、これが世界の破滅の一部なのか、あの〈|星の人種《スター・ピープル》〉の男は何をしているのだろうかと、いぶかっているのではなかろうか?  しかし、五千七百万マイルを隔てたこの位置からは、それを知るすべもない。見えるのはただ、濃縮燃料を燃やしているパサード式ラムジェットの炎だけだ。 「うれしい知らせです」〈至後者《ハインドモースト》〉がいった。「リングワールドの質量の中心は、太陽のほうへもどりはじめています。あと六、七回転すれば、隕石防禦装置を、もとどおり隕石を射つようにもどしてやれるでしょう。五パーセントの姿勢制御ジェットがあれば、この建造物を所定の位置にたもっておくには充分ですから」  ハミイーが満足げなうなり声をだした。ルイスとふたりの〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉は、黒い玄武岩の奥深くで輝いているホログラムの映像を見つめつづけた。 「わたしたちは成功したのですよ」と〈至後者《ハインドモースト》〉はつづけた。「ルイス、あなたはわたしに、リングワールドの建設にも比肩できそうな大仕事を押しつけ、そこに命まで賭けさせましたね。成功したいまとなっては、その傲慢さも許すことができますが、それにも限度というものがあります。いまの報告に対して、おめでとうくらいいってくれなければ、空気の供給をとめますよ」 「おめでとう」と、ルイス・ウー。  彼の両側にいた女性と子供が、声をあげて泣きだした。  ハミイーが鼻をならした。 「勝利者には、ひとりで喜ぶ権利くらいあっていいはずだ。死んだもの、死にかけているもののことが、気にかかるのか? おまえが悼むそのものたちも、志願してここへくればよかったのだ」 「その機会はなかったんだ。いいかい、ぼくは何も、あんたに[#「あんたに」に傍点]まで罪の意識を押しつけようとは──」 「どうしておれにその必要がある? 悪意があっていうのではないが、犠牲者はすべて亜人類なのだぞ。ルイス、おまえの種族ではないし、むろん、おれや〈至後者《ハインドモースト》〉のでもない。おれは英雄なのだ。これで、おれは、クジン領に近い人口を擁するふたつの世界を救ったことになる」 「ああ、あんたがどこのことをいってるのかは、よくわかるよ」 「そしてこれから、進んだ科学技術の力によって、おれはそこに一帝国を築きあげるつもりなのだ」  ルイスは思わずくちびるをほころばせた。 「ほう、それはそれは。クジンの〈地図〉でやるつもりかい?」 「そのことも考えてみた。だが、むしろ地球の〈地図〉でのほうがよさそうだ。ティーラは、クジン族の探険家が、地球の〈地図〉を支配下におさめたといっていたな。気質の点では、そやつらのほうが、クジンの〈地図〉に残っているものよりも、征服欲にもえたおれの種族にずっとよく似ているかもしれん」 「なるほど、そうかもしれないね」 「その上、地球の〈地図〉にいる彼らは、わが種族の古くからの白日夢を実現した連中なのだ」 「え?」 「わからんのか、地球の征服だ」  ルイスが声をあげて笑ったのは、まったくひさしぶりのことだった。  平地性の猿の征服とは! 「|輝かしき世はかく過ぎゆく《シーク・トランシート・グローリア・ムンディ》、か。でも、どうやってそこへいく?」 「ニードル号を自由にして、オリンポス山へもどすのは、それほど厄介な仕事では──」 「わたしの船ですよ」 〈至後者《ハインドモースト》〉の声は静かだったが、ハミイーの声をピタリと押さえた。 「わたしの操縦装置です。ニードル号は、わたしの思うところへやります」  ハミイーの、とげを含んだ声がたずねた。 「どこへやるというのだ?」 「どこへもやりません。理由は、わざわざいう必要もないでしょう」と、〈至後者《ハインドモースト》〉は答えた。「あなたたちはわたしの種族ではないし、このままいればわたしに危害を加えることはできないはずです。何ならもう一度、超空間駆動《ハイパードライヴ》モーターを焼き切りますか? それでも、一応は味方です。説明しましょう」  ハミイーは、前部隔壁に向かって仁王立ちになり、パべッティア人に全神経を集中していた。鉤爪がニュッとむきだされている。首のまわりの毛が逆《さか》立っている。  当然だろう。 「わたしは破廉恥な行ないをしたのです」と、〈至後者《ハインドモースト》〉はいった。「いつ死が訪れるかわからないような状況下で、行動しつづけたのです。というのも、この二十年来、わたしの生命には危険がつきまとっており、しかもこの危険は漸近線的に上昇していました。いまやその危険は去り、わたしは追放の身ですが、生きのびています。このあたりでひと休みしたいのです。ゆっくり、長い休暇をとらなければいられないわたしの気持がわかりますか? このニードル号の中に、わたしは、一生のあいだ故郷と同じに楽しく暮らせる装備をそろえています。その船は、いま、船殻そのものに匹敵する強靭な二枚の〈スクライス〉のあいだで、岩の中に安全に埋まっているのです。ここには、静寂と安全があります。もっとあとになって調査の必要が生じたとしても、十億立方マイルにおよぶリングワールドの〈補修センター〉が、船のすぐ外にあるのです。こここそわたしのいたい場合であり、だからずっとここにいるつもりです」  その夜、ルイスとハーカビーパロリンはリシャスラを交わした。(いや、ふたりは愛しあったのだ)しばらくそれをしていなかったので、ルイスは自分が欲望をなくしてしまっていないか、気にしていたところだった。  そのあと、彼女はルイスにいった。 「わたし、カワレスクセンジャジョクとも愛しあってるのよ」  彼はすでに知っていた。だが、彼女はどうやら、結婚したという意味でそういったらしい。 「それはおめでとう」 「でもここじゃ、子供を育てるわけにはいかないわね」  とり立てて妊娠した[#「妊娠した」に傍点]などとはいわなかった。でも、したにきまっている。 「〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉の種族は、リングワールドのどこへいってもいるはずだ。どこに落ちつくことだってできる。正直なところ、ぼくもきみたちに同行したい気がするんだ」と、ルイス。「ぼくらはこの世界を救った。みんな英雄だ。ただし誰かそれを信じてくれる人がいればだがね」 「でも、ルイス、わたしたち、ここから出られない[#「出られない」に傍点]のよ! 地上へ出たら息もできないし、宇宙服はズタズタになってるし、おまけにここは〈大海洋〉のまん中なのよ!」 「望みがないわけじゃない」ルイスは答えた。「まるで、裸のままマゼラン雲にでも置き去りにされたみたいな口ぶりだね。でも、何もニードル号だけが移動の手段じゃない。あの浮揚円盤みたいのが、ここには何千とある。〈至後者《ハインドモースト》〉が探深《ディープ》レーダーで細部をチェックできたくらいの巨大な宇宙船もある。そのあいだをつないでくれる何かもあるだろう」 「ふたつ頭のお仲間は、とめたりしない?」 「まるであべこべだろうよ。〈至後者《ハインドモースト》〉、きいてるかい?」  天井から、「はい」という声が答え、ハーカビーパロリンはとびあがった。  ルイスがいった。 「あんたはいま、リングワールド上でもっとも安全な場所にいる。あんた、自分でそういってたね。そこで、あんたが直面している、もっとも予断をゆるさない脅威はというと、この同じ船に乗っている異星人たちのはずだ。ぼくらを追っぱらいたくはないかい?」 「そうしたいものです。いろいろ提案があるのですが、ハミイーも起こしましょうか?」 「いや、あす話し合うことにしよう」  ちょうど水分が凝縮しはじめる崖の縁だった。そこから、水は流れ落ちていく。それが垂直な川となり、末は高さ二十マイルの瀑布となる。その底のほうからは、霧の海が、数百マイルも海のほうへ向かって張りだしていた。  火星の〈地図〉の側面を見おろす探査機のカメラで見えるのは、ただ一面の落下する水と白い霧ばかりだ。 「しかし、赤外線でみると、様子がちがいます」と、〈至後者《ハインドモースト》〉。「見なさい──」  霧が、一隻の船をかくしていた。細い三角形をした、奇妙な設計の船だ。マストらしいものは見えない。  まてよ、と、ルイスは思った。二十マイル下方……。 「あいつは、たっぷり一マイルもの長さがあるぜ!」 「そのくらいです」〈至後者《ハインドモースト》〉がうけあった。「ティーラが、クジンの植民船を盗んだことを話していましたね」 「よしわかった」  ルイスの心は、早くもきまっていた。 「ティーラが破壊した探査機は、あらかじめ重水素フィルターをはずしておいたものです」〈至後者《ハインドモースト》〉がいう。「それを使って、あの船に燃料を補給してあげることもできます。ティーラの航海は厳しい冒険でしたが、あなたたちは苦しい思いをする必要などありません。まわりの探険のために浮揚円盤を持っていくのもいいでしょうし、陸にあがればそれが恰好の交易品になるでしょう」 「名案だね」 「こわれていないドラウドがほしくはありませんか?」 「二度とその話はしないでもらいたい。わかったか?」 「わかりました。でも、歯ぎれのわるい返事のしかたですね」 「そうだな。ところであんた、このニードル号の|跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》をひと組はずして、あの船につけることはできないものかね? それがあれば、どこかで本当の危険にぶつかったとき、大いに頼りになるんだが」パペッティア人と、まっ正面から目と目を見合わせながら、彼はつけ加えた。「それが、あんたを[#「あんたを」に傍点]救うことになるかもしれないぞ。まだプロテクターがひとり、このあたりにいるんだ。ぼくらのおかげで、リングワールドを離れる必要のなくなったやつがね」 「それはできます」と、〈至後者《ハインドモースト》〉。「でも、本土に到達するための用意は、それだけで充分でしょうか?」  ハミイーがいった。 「充分だとも。さあ、長い航海になるぞ……十万マイルの旅だ。ルイス、おまえの種族は、船旅をゆったり休息をとる手段だと考えているようだな」 「この海をいくのは、むしろ楽しみいっぱいのものになりそうだよ。何もいきなり回転方向《スピンわード》へ向かう必要はない。反回転方向《アンチスピンワード》には、正体不明の〈地図〉もある。距離は二倍以下だ」  ルイスは〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉たちに向かって、ニッコリと笑いかけた。 「カワレスクセンジャジョク、ハーカビーパロリン、伝説のいくつかを、ぼくら自身の目でたしかめてみないか? あるいは、ことによると、いくつかこしらえる羽目になるかもしれないがね」 [#改ページ] [#改ページ]      用語・事項解説 〈アーチ〉 [#ここから2字下げ]  リングワールドの表面からみたリングワールド。原住民の中には、この世界は平坦で、そこに細い放射線形のアーチがついていると信じている種族もある。 [#ここで字下げ終わり] |ARM《アーム》 [#ここから2字下げ]  国連警察。その所轄権は地球・月のみに限られる。 [#ここで字下げ終わり] アウトサイダー人 [#ここから2字下げ]  液体ヘリウムと熱伝導効果を代謝の基礎とする知的生命形態。アウトサイダー人は亜光速船で恒星間空間を放浪し、情報の交易を行っている。 [#ここで字下げ終わり] 嵐の〈目〉 [#ここから2字下げ]  リングワールドの床物質にあいた隕石孔の上に発生する風のパターン。 [#ここで字下げ終わり] 反回転方向《アンチスピンワード》 [#ここから2字下げ]  リングワールドの回転する方向と反対の方角。 [#ここで字下げ終わり] ウイ・メイド・イット星 [#ここから2字下げ]  低重力で、地上は強風のため居住に適せず、地下生活をしている住民は一様に白子《アルビノ》でひょろ長い体格をもち、不時着人《クラッシュランダー》≠ニよばれる。 [#ここで字下げ終わり] |ひじ根植物《エルボー・ルート》 [#ここから2字下げ]  リングワールドの原産植物で、垣根に使われる。 [#ここで字下げ終わり] カホナ(カホな) [#ここから2字下げ] 「神《カみ》も仏《ホとけ》もナいものか( There ain't no justice )」の頭文字をとってつくられたスラング( TANJ )で、強意をあらわす間投詞。 [#ここで字下げ終わり] ガミジイ産の蘭状生物 [#ここから2字下げ]  ガミジイ星は中篇 "Grendel" の舞台。 [#ここで字下げ終わり] 〈管理センター〉→〈補修センター〉 銀河の中心核の爆発 [#ここから2字下げ]  短篇「銀河の〈核〉へ」に詳しい。 [#ここで字下げ終わり] クジン人 [#ここから2字下げ]  人間とクジン族との関係については、第一巻『リングワールド』の説明を参照されたい。なお、黄金時代末期の闘争を忘れた地球人と、クジン人の最初の接触は、短篇 "The Warriors" に描かれている。 [#ここで字下げ終わり] クダトリノ人 [#ここから2字下げ]  盲目で巨体の、触感彫刻にすぐれた才能をもつ異星種族。中篇 "Grendel" 「太陽系辺境空域」などに登場する。 [#ここで字下げ終わり] クリスマス・リボン [#ここから2字下げ]  一般にはクリスマス・プレゼントにかけるリボンのことだが、ここでのイメージは、パーティの席などで、持ちよられた贈りものをクリスマス・ツリーの根本にあつめ、長いリボンでかこんでおく慣習から出ているようだ。 [#ここで字下げ終わり] グロッグ [#ここから2字下げ]  短篇 "The Handicapped" に登場する。獲物の動物をひきよせるぶきみな超能力を持つ。 [#ここで字下げ終わり] |量子第二段階《クワンタムU・》|超空間駆動《ハイパードライヴ》 [#ここから2字下げ]  〈ピアスンの|人形つかい《パペッティア》〉により開発されたふつうの超空間駆動《ハイパードライヴ》より格段に速い航行技術。その試作第一号機〈|のるかそるか《ロングショット》〉号は、はじめて銀河の〈核〉への訪問を果たした。 [#ここで字下げ終わり] ケンプラーの|ばら飾り《ローゼット》 [#ここから2字下げ]  天体力学における多体問題の特殊解のひとつ(中心解という)だが、ケンプラー=i Kempler )の出所は 不明。 [#ここで字下げ終わり] |ひまわり花《サンフラワー》 [#ここから2字下げ]  十五億年前、スレイヴァー族に対して奴隷種族のトゥヌクティパンが反乱を起こしたとき、奇襲に用いた武器 のひとつ。その詳しいいきさつは、長篇 "World of Ptavvs" の中で語られている。 [#ここで字下げ終わり] ジンクス人 [#ここから2字下げ]  これは異星種族ではなく、ジンクス星へ植民した地球人の末裔で、おそろしく力が強い。この惑星(じつは巨大惑星の衛星)の詳細は、「太陽系辺境空域」で語られる。 [#ここで字下げ終わり] 人類宇宙 [#ここから2字下げ]  地球人類が植民した一群の星系。 [#ここで字下げ終わり] 〈スクライス〉 [#ここから2字下げ]  リングワールドの構成材。リングワールド内面の地球的な地形はすべてこの〈スクライス〉にきざみこまれたものである。外壁も〈スクライス〉でできている。きわめて密度が高く、原子核内の粒子をつなぎとめている核力に匹敵する引張り強度を持つ。 [#ここで字下げ終わり] 星間種子《スターシード》 [#ここから2字下げ]  卵からかえった星間種子《スターシード》が恒星の光圧に帆≠張って回遊の旅にのぼる壮観については、 "Grendel" に詳細な描写がある。 [#ここで字下げ終わり] |右 舷《スターボード》 [#ここから2字下げ]  リングワールドの回転方向に向かって右の方角。 [#ここで字下げ終わり] 停滞状態《ステイシス》 [#ここから2字下げ]  時間経過が極度におそい状態。その比率は、常態の数億年が停滞状態では数秒にしか当たらないくらいまで高めることができる。停滞フィールド内のものはほとんどいかなるものにも侵されない。 [#ここで字下げ終わり] |停 滞《ステイシス》フィールド [#ここから2字下げ]  本シリーズでさまざまな役割を果たす古代種族スレイヴァーの遺産のひとつ。このほかにも、|自 在 剣《ヴァリアブル・ソード》≠竍掘削機械″などいろいろな「遺産」がある。 [#ここで字下げ終わり] |跳 躍 円 盤《ステッピング・ディスク》 [#ここから2字下げ]  パペッティア人の〈惑星船団〉で使われているテレポーテイション交通システム(既知空域《ノウンスペース》に住むこれ以外の種族は、密蔽式の転移ボックスというもっと原始的な機構を使用している)。 [#ここで字下げ終わり] スパゲッティ植物 [#ここから2字下げ]  リングワールドの原産で食料になる。 [#ここで字下げ終わり] |こぼれ山《スピル・マウンテン》 [#ここから2字下げ]  外壁に沿ってずらりと立ちならぶ山。ここには独自の生態圏がある。フラップ循環の一段階にあたる。 [#ここで字下げ終わり] 回転方向《スピンワード》 [#ここから2字下げ]  リングワールドの回転方向に一致する方角。 [#ここで字下げ終わり] スラスター駆動 [#ここから2字下げ]  無反動推進。戦闘用以外のあらゆる宇宙船は、おおむね核融合に替えてこの方式を採用している。 [#ここで字下げ終わり] ソーセージ植物 [#ここから2字下げ]  メロンや胡瓜に似ているがリング状につながって生えるリングワールド原産の植物。そのつなぎ目から地面に根をおろす。湿地帯に多生し、食料になる。 [#ここで字下げ終わり] タスプ [#ここから2字下げ]  離れたところから人間の脳内の快感中枢を刺激する小型の装置。 [#ここで字下げ終わり] チュフト船長 [#ここから2字下げ]  その名のクジン人をネサスが蹴倒した挿話は、じっさいに中筋 "The Soft Weapon" に出てくる。 [#ここで字下げ終わり] ツィルタン・ブローン [#ここから2字下げ] 〈都市建造者《シティ・ビルダー》〉が使っていた装置。貨物や旅客などあらゆる固形物が〈スクライス〉を透過できるようにするビーム発生機。 [#ここで字下げ終わり] 地球化《テラフォーム》 [#ここから2字下げ]  環境に手を加えて地球のように変えること。 [#ここで字下げ終わり] ドラウド [#ここから2字下げ]  電流中毒者が頭蓋のソケットにさしこむ小さな装置。中毒者の脳の快楽中枢に流す電流を調整するもの。 [#ここで字下げ終わり] トリノック人 [#ここから2字下げ]  この種族とのファースト・コンタクトの経緯は、短篇 There is a Tide" で語られる。 [#ここで字下げ終わり] 既知空域《ノウン・スペース》 [#ここから2字下げ]  人類その他の知的種族によって解明されている恒星間宇宙の一区域。 [#ここで字下げ終わり] 超空間駆動《ハイパードライヴ》 [#ここから2字下げ]  アウトサイダー人の大きな交易品目のひとつである超光速推進法。アウトサイダー人自身はまったくこれを使わないが、既知空域《ノウンスペース》内の宇宙旅行種族にひろく用いられている。 [#ここで字下げ終わり] パペッティア人 [#ここから2字下げ]  短篇「中性子星」以来おなじみのところ。ついでながら、第一巻『リングワールド』に登場するふたりのパペッティア人ネサス≠ニキロン≠ヘ、ともにダンテの『神曲・地獄篇』に出てくるケンタウロスの名前をそのままいただいている。 [#ここで字下げ終わり] 春を送る [#ここから2字下げ]  こっそり誰かに向かってタスプを使うこと。 [#ここで字下げ終わり] バンダースナッチ [#ここから2字下げ]  これも十五億年前、トゥヌクティパンがスレイヴァーへのみつぎもの[#「みつぎもの」に傍点]として(かつ反乱の準備のために)創造した食肉用の知性生物。プロントザウルスの二倍もある白いなめくじのような怪物で口のまわりの触毛以外に感覚器官をもたないという、ある意味では哀れな存在でもある。ジンクス星の低地に住むバンダースナッチの一族は、人間に義手をつけてもらうかわりに人間の狩猟獣になるという契約をかわしている(前記 "Handicapped" )。なおそれが突然変異を起こさないのは、人工生命なので染色体の大きさが人間の指ほどもあり、ミクロ段階の変動に強いためだという。作品中には、この名称の出どころであるルイス・キャロル『鏡の国のアリス』に現われるおどろしき[#「おどろしき」に傍点]バンダースナッチ=i Frumious Bandersnatch )という形容が、そのまま使われている。 [#ここで字下げ終わり] 反物質の小惑星 [#ここから2字下げ]  ゼネラル・プロダクツ製船殻の唯一の泣きどころがこれ。 [#ここで字下げ終わり] 細胞蹴活剤《ブースタースパイス》 [#ここから2字下げ]  ジンクス星の|知 識 学 会 研 究 所《インスティテュート・オブ・ナレッジ》で開発された文字どおりの不老長寿薬で、その出現により臓器銀行《オーガン・バンク》のもたらした悪弊にようやく終止符が打たれた。(もっとも、臓器銀行については、のちにニーヴン自身、現実にはクローン培養技術が先行するので、臓器故売といった問題は起こらないだろうとのべている) [#ここで字下げ終わり] フーチ(フーチスト) [#ここから2字下げ]  クジンの狩猟公園全域にわたって散在する石の寝椅子。 [#ここで字下げ終わり] フライサイクル [#ここから2字下げ]  一回目のリングワールド調査に用いられた単座の乗りもの。 [#ここで字下げ終わり] |平 地 人《フラットランダー》 [#ここから2字下げ]  小惑星帯人や他星系の植民者に対して、地球に住んでいる人間をこう呼ぶ。この時代の|平 地 人《フラットランダー》は、男も女もおそろしく濃いメークアップをしていて、めったに他人に素顔をみせない。その他さまざまな奇習が、中篇 "Flatlander" などに出てくる。 [#ここで字下げ終わり] フラップ    海底の軟泥。 |高所催眠への耐性《プラトー・アイズ》 [#ここから2字下げ] 高所催眠《プラトー・トランス》≠ヨの耐性。長篇 "A Gift from Earth" の主人公マット・ケラー(山頂平原《プラトー》$ッの住民)がこの素質の持ちぬしである。 [#ここで字下げ終わり] 小惑星帯人《ベルター》 [#ここから2字下げ]  太陽系の小惑星帯に籍をおく人々。 [#ここで字下げ終わり] 〈補修センター〉 [#ここから2字下げ]  リングワールドの保守と制御を行なう中枢(架空の存在)。 [#ここで字下げ終わり] 左舷《ボート》 [#ここから2字下げ]  リングワールドの回転方向に向かって左の方向。 [#ここで字下げ終わり] 毎秒九・九八メーター [#ここから2字下げ]  地球の重力加速度は約九・八〇メーター/秒である。たぶん作者の思いちがいか、ヤード・ポンド法で頭にはいっている数値からの換算誤差といったところだろう。 [#ここで字下げ終わり] マウント・ルッキットザット [#ここから2字下げ]  別名山頂平原《プラトー》≠ニもよばれる植民星(長篇 "A Gift from Earth" の舞台)で、その名のとおり、人間の居住可能地域は、この惑星唯一の超高峰の山頂のみにかぎられている。 [#ここで字下げ終わり] ラムシップ [#ここから2字下げ]  宇宙ラムジェット・エンジンを装備し、恒星間物質をあつめて核融合燃料とする宇宙船で、質量比の問題を気にすることなく光速の近くまで加速できる。地球では二十一世紀に、この種の無人探査艇《ラムロボット》≠ェ、植民可能惑星発見のために使用され、二十五世紀には有人ラムシップも可能になった(短篇 "The Ethics of Madness" )が、超空間駆動《ハイパードライヴ》の実現で無用の長物と化した。 [#ここで字下げ終わり] 着陸船《ランダー》 [#ここから2字下げ]  地上と軌道を結ぶ宇宙船の総称。 [#ここで字下げ終わり] リシャスラ [#ここから2字下げ]  自分とはちがった種族(ただし亜人種内の)と行なう性交。 [#ここで字下げ終わり] リングワールド全体のイメージ [#ここから2字下げ]  要するに、一見ごく細くみえるリングワールドの幅が、地球の周囲の四十倍もあるということである。なおこれは、地球から月までの距離のおよそ四倍にあたる! [#ここで字下げ終わり] 〈|のるかそるか《ロングショット》〉号→量子第二段階《クワンタムU・》|超空間駆動《ハイパードライヴ》 〈惑星船団〉 [#ここから2字下げ]  パペッティア人の五つの惑星のこと。 [#ここで字下げ終わり] [#改ページ] [#改ページ]      訳者あとがき  本書は一九七一年のヒューゴー、ネビュラ両賞を独占し、日本でも大好評を得たラリイ・ニーヴン『リングワールド』の続篇 "The Ring World Engineers" の全訳である。  一度〈既知空域《ノウンスペース》〉シリーズの終結を宣言したニーヴン氏が、ついに思いなおしてこの作品を書きあげたいきさつについては、巻頭の〈献辞〉に詳しいので、いまさらわたしから何もつけ加える必要はあるまい。強いてあげるとすれば、わが国でも、『リングワールド』が出た直後、翻訳者であるわたしのところへ、リングワールド系は力学的に不安定だ≠ニいう告発(?)が、いくつかよせられたということだろうか(最初、わたしにその事実を教えてくれたのは、ロングタイム・ファンのひとり、通産省技官──というよりもと東大SF研──の中川格氏だった。氏は以前、ハル・クレメント『重力の使命』の惑星メスクリンがあんなに偏平になりえない[#「なりえない」に傍点]ことを計算で指摘したこともある)。  それにしても、自分の代表作の重大な問題点を逆に利用して、これだけの続篇をものしてしまったのだから、さすがはニーヴン氏、おみごとと申しあげるほかはない。  もうひとつ、注目に値するのは、正篇ではあいまいなままにされていたリングワールドの建設者の正体が、本書ではあらためてストーリイを支える大きな柱の一本となったことだろう。もっとも、読者の側からみれば、この真相は最初から謎でもなんでもない。短篇集『太陽系辺境空域』の〈あと知恵〉と題した後記で、作者みずからそれに言及しているからである。しかしそれが、このような悲劇(?)のかたちで実を結んでみると……ああ、これで本当に〈ノウンスペース〉シリーズも終わりなんだなと、何となく納得させられた気分になってしまうから、ふしぎだ。そういった点でも、ニーヴン氏の筆の冴えには、ただただおそれいるばかりである。  ──いや、いまここでお別れをのべるのは、少しばかり早すぎるかもしれない。長篇五冊、オムニバス一冊、短篇集二冊から成るこのシリーズのうち、創作年次でもシリーズの年代からも冒頭に位置する長篇『プタヴの世界』と、ARM≠フ捜査官ギル・ハミルトンの活躍するオムニバスの約三分の二が、わが国ではまだ訳出されていないのだから──あと二冊おあずけをくっている日本のファンは、アメリカのファンにくらべて気の毒というべきか、それともまだ二冊お楽しみが残っているだけまし[#「まし」に傍点]なのだろうか?(ついでながら、これでわたしは、既訳六冊のうち五冊を訳させていただいたことになる。最高に楽しい仕事だったことは、その中の一冊の〈あとがき〉にも書いたとおりだ)。  ラリイ・ニーヴン氏の略歴とか作風とかについては、すでにいろんなところで語りつくされているので、ここではもう少し内面に立ちいってみるとしよう。さほど深いつきあいではないので、たしかなことはいえないが、氏の印象としてわたしがまずあげたいのは、ナイーヴな人がらに裏打ちされた折目の正しさ≠ナある。まるで育ちのよさを画に描いたような──ちょっと見るとさびしげに感じられるくらいおっとりと控えめな人柄の、いったいどこからあれほど奔放自在なアイデアがわいてくるのだろうかと、ふしぎに思われるほどだ。ことに、一見してわかる才気煥発の共作者──というより本当になかよし[#「なかよし」に傍点]同士──のジェリー・パーネル氏といっしょにいると、対照の妙で、その点がよけい目立つことになる(ニーヴン氏のほうがアイデアマンで、パーネル氏が描写に優れているという話が、外見からはまるであべこべのように感じられるのである)。  はじめて会ったのは、一九六八年。アメリカのファンダムの招きをうけて、この年の八月末にサンフランシスコ湾地区《ベイ・エリア》で開かれた第二十六回世界SF大会〈BAYCON〉に出席するためはじめて渡米したときのことだった。ロサンゼルスに着いた翌日、七月二十五日の夜、現存する世界最古のファングループである〈|LASFS《ラスファス》〉( Los Angeles Science Fantasy Society )の例会へ出たさい、誰かがさっそく引き合わせてくれた(ついでながら、氏の名前の発音はニヴン≠ニ書くほうが、あちらの発音に近い。ニ≠ノアクセントがあることを示すため長音にするとしたら、パーネル氏のほうはパネール≠ニ書かなければならないだろう)。  このときは、一応紹介されて、通りいっぺんのあいさつを交わしただけに終わったが、数日後には、富豪ファンのトム&テリー・ピンカード夫妻が主催する月例パーティの席で、ふたたび顔を合わせた。八月下旬、三たびLASFSの会合で会ったときには、氏のほうから声をかけてきた。「タクミ、いい話だ。『プタグの世界』をハヤカワが買ってくれたよ」──とても嬉しそうな口調だった。わたしももちろん悪い気はしない。早川書房さんのおかげで、とんだ儲け役にありついたわけだ。ついでに見せてくれたのが、もうすぐ出版されるという『地球からの贈りもの』( A Gift from Earth )の見本刷りで、ところがそれをみんなに見せびらかしているうち、いあわせたハーラン・エリスン氏に、「もらっていいのかい?」( A gift from you? )とからかわれて、「ノウ、ノウ!」と大あわて……このときのあわてぶりが、もしポーズでなく本気だったとしたら、ニーヴン氏、世にも純真な人だということになろう。いや、本当にそうだった[#「そうだった」に傍点]のではなかろうか。  ふたたび会う機会は、それから十一年後、ロンドン南郊のブライトン──第三十七回世界SF大会〈SEACON '79 〉の開催地──でやってきた。このときはもう日本でも、わたしの翻訳による氏の作品が何冊か出ており、当然ながら(?)何度となく氏に手紙でわからないところを直接質問に及んでいたので、大会二日目にパーネル氏といっしょにサイン会をやっているところへ会いにいって名前を告げると、すぐに思いだしてくれた(パーネル氏にはこのときが初対面で、ニーヴン氏に紹介してもらった)。  ところがそのあと、日本へ帰ったわたしを、思いがけない朗報が待っていた。この年の世界大会と期日を同じくして、名古屋で開催された第十八回日本SF大会〈MEICON・3〉の席で、第十回星雲賞の海外長篇に『リングワールド』、同じく短篇に「無常の月」と、氏の作品(ともにわたしの訳)が、海外部門を独占していたのである。さっそくその旨を知らせたわたしの手紙への返信の冒頭に、氏は「わたしたちふたりの受賞おめでとう! 作品の出来に対する翻訳者の貢献が大きいことは、わたしにもよくわかっています」と書いてきた──こんな嬉しい思いができるのも、翻訳稼業の余禄というものだろう(SFの場合だけかもしれないが)。  そして、翌八〇年、ボストンでの第三十八回世界SF大会〈NOREASCON・2〉の第二日、ホテルのロビーで催されたBNF紹介集会の席で、わたしは、日本から持っていったその星雲賞の賞状と賞牌(ミュータンツ・クラブ%チ製の黒い陶器製モノリス形という変わったもの)を、ニーヴン氏に手渡した。氏が、風邪で体調の思わしくない中を、タキシードに着がえておりてきてくれたのはありがたかった。わたしのほうも、和服に袴だったから、この伝達式、何十人かのファンが見ているだけの非公式のものだったが、けっこうサマになっていたはずである。  かえすがえすも残念なのは、このときのもようを写真に撮り忘れていたことで、あとから手紙にそう書いたところ、氏は、わざわざ、自宅で写したものを送ってくれた(本書の表紙カバーの折り返しに掲げたものがそれである)。人見知りする性格というか、最初はちょっととっつきにくいが、知りあってみると、こんなにすなおで親切な人はめずらしい。同じころ、同じように熱烈なファン層に支えられてデビューしながら、数年前から、「自分はSF作家ではない」といいつづけているハーラン・エリスン氏などとは反対に、ニーヴン氏はいまでも毎週木曜の夜には欠かさずLASFSの会合に顔をだしているらしく、こういう点にもわたしは好感が持てる。そういえば、ボストンでの大会の翌週、氏と打ちそろって例会に姿をみせたパーネル氏は、「あんたも[#「も」に傍点]百万長者《ミリオネーア》だね」とみんなにからかわれていた。両氏共作の『悪魔のハンマー』が、全米で大成功をおさめたからである(もともと百万長者であるニーヴン氏のほうは、いまさらどうということもない)。なお献辞に名前の出てくるダン・アルダースン氏に、わたしはこの例会ではじめて会った。ボストンではもうひとりの考証役クタイン氏( Ctein とだけの不可思議なペンネームだ)にも、パーティの席で紹介された。ふたりとも、一度みたら忘れられない風貌の持主だった。つぎの機会には、できればこうした中核ファンの人々からも、ニーヴンSFの特徴と魅力について、意見をきいてみたいものである。  なお、巻頭のリングワールドの地図は、地名など表記の翻訳にとどまらず、正第の記述に従って訳者が修正を加えた、大げさにいえば日米合作の結果(原作者認可ずみ)であることを、ここにおことわりしておく。  末筆になったが、訳出に当たってお世話になったエド・リプセット氏と大西憲氏に、心からお礼を申し上げたい。       *  ──〈ノウンスペース〉シリーズ出版一覧(本国での刊行順)── Neutron Star 『中性子星』 一九六八年四月、短篇集、邦訳ハヤカワ文庫SF400(収録作品八篇、詳細は同書を参照のこと) World of Ptavvs 〔未訳〕 一九六八年八月、長篇、初出「ワールド・オヴ・トゥマロウ」誌六五年三月号 (ハヤカワ文庫SF近刊) A Gift from Earth 『地球からの贈り物』 一九六八年九月、長篇、初出「ワールド・オヴ・イフ」誌六八年二〜四月号、邦訳ハヤカワ文庫SF359 Ringworld 『リングワールド』 一九七〇年十月、書きおろし長篇、邦訳早川書房「海外SFノヴェルズ」 (七八年六月) Protector 『プロテクター』 一九七三年九月、長篇、前半「成年者( The Adults )」は初出「ギャラクシイ」誌 六七年六月号、邦訳ハヤカワ文庫SF321 Tales of Known Space: The Universe of Larry Niven 『太陽系辺境空域』 一九七五年八月、短篇集、邦訳ハヤカワ文庫SF348(収録作品十三第、解説・年表つき、詳細は同書を参照のこと) The Long ARM of Gil Hamilton 〔未訳〕一九七六年二月、中篇三篇のオムニバス、第一部「アーム( ARM )」 邦訳SFマガジン七七年十一月号 The Ringworld Engineers 『リングワールドふたたび』 (本書)初出「ガリレオ」誌七九年七月〜八〇年一月(隔月刊、四回連載)  以上のほか、 "One Face" および "BorderedIn Black" という短篇二篇が、一応〈ノウンスペース〉シリーズに分類されながら、この八冊の中には収められていないことを書きそえておく。 [#改ページ] [#改ページ] [#(img/02/377.jpg)入る]