ラヴクラフト全集〈7〉 H・P・ラヴクラフト/大瀧啓裕訳 [#改ページ]   作品解題     [#地付き]大瀧啓裕    ラヴクラフト全集の最終巻をお届けする。これまでの巻に収録しきれなかった小説を集め、若書きの作品、夢にふれた書簡、中絶した断片を加えたので、本巻によってラヴクラフトの小説はすべて訳出されたことになる。若書きの作品はまだかなりの分量があるものの、これらは『文学における超自然の恐怖』をはじめとする評論や詩とともに、本全集の補巻ないしは別の形でまとめることにしたい。なお、ラヴクラフトの添削した小説や補作および共作は、本全集の別巻か新たな形で編むことにする。  本全集が完結した機会にふりかえっておくなら、もともとは『ラヴクラフト傑作集』の続刊を依頼されたことからはじまったのである。既刊の二冊は既訳を訳者ごとにまとめて文庫化したものにすぎないこともあって、当時のわたしの目には収録点数も少なく、作品集としてのバランスを欠いているように思えたので、第三巻はラヴクラフトの作家活動の全域を示せるような作品を集めることにした。ところが原稿を送付したとたん、傑作集がいきなり全集に化けてしまったのである。  このように励まされたことを喜ぶべきだろうが、わたしは逆に落ちこんでしまった。傑作集と全集では重みがちがう。ラヴクラフトの作品にはどこまで校閲が正しくおこなわれているかというテクスト問題があり、原稿コピー、初出、主だった刊本等を比較照合しないことには翻訳に取りかかれない。第三巻の時点では、この作業のおこなえる作品を集めればよかったが、それから先についてはうなだれるしかなく、資料の蒐集という大変な作業が待ちかまえていたのである。わたしとしては第四巻にダーレスのクトゥルー神話の母胎となった作品を集めたかったが、第四巻と第五巻の内容が入れ替わったのは、資料の入手がまにあわなかったことによる。  歳月を費やしてどうにか納得できるだけの資料をそろえられたのは、当初からさまざまな助言をしてくれ、癌におかされたことを知ってから生前贈与のような形で個人コレクションを譲ってくれた故ゲリイ・ディ・ラ・リー、恐ろしいほどの値段をふっかけるが、驚嘆するしかない美本を提供してくれたエリック・クレイマー、古書店を廃業する際にアーカム・ハウスの初期刊本を何冊も格安で譲ってくれたバリイ・R・レヴィン、名前を明かさないことを条件に原稿や未発表書簡のコピーを提供してくれた友人がいればこそだった。僥倖ともいうべき廻り合わせで、グリル=ビンキン・コレクションの一端にふれることができたのは、わたしのいささか誇りとするところである。  ただし資料がそろえばすぐに翻訳に取りかかれるわけではない。本全集一巻分に相当する長さの通常の小説なら、職業翻訳家はほぼ一ヵ月で訳了するし、そうでなければ職業翻訳家の生活は成り立たないのだが、ラヴクラフトの文章を同じようなリズムとレヴェルの日本語にするのは一筋縄ではいかないうえ、テクストの照合という作業も加わるので、わずか一巻の翻訳に半年あまりもかかってしまう。職業翻訳家としては自殺行為に近く、重版印税だけで丸一年暮せた奇蹟の年がなければ、第六巻に取りかかることなどできなかっただろう。最終巻の刊行がこれほど遅れたのは、ほかに諸々の憤懣やるかたない理由もあるが、もっぱらこのような散文的な事情によるものである。長びく出版不況によって、職業翻訳家が未曾有の苦境に陥っていることをご理解いただきたい。  では、どうして最終巻に取りくんだのかと問われるだろうが、わたしも五〇代になって、区切りをつける時期に入ったこともある。本全集の第一巻と第二巻に収録された作品については他社のさまざまな刊本で翻訳できたので、本巻をしあげれば変則的な形で個人全訳が果たせるという自負もあった。しかし第三巻を刊行してから二十年も経過しており、わたしも遅々とした歩みではあれ、翻訳家としての伎倆を少しは高めているので、この出版不況では見果てぬ夢になるやもしれないが、完璧な評伝を付した新たな決定版全集に思いをはせるようになって久しく、いずれ翻訳しなければならないものなら、大きな負担は覚悟して、本全集を完結させなければならないと決断したしだいである。長らくお待たせしたことを、読者諸兄にはお詫び申しあげる。 〈挿絵:ラヴクラフト〉  なお、第三巻は手書き原稿だったが、第四巻と第五巻はリコーの業務用ワープロによる五インチ・ディスク、第六巻はようやくハード・ディスクが備わったリコーの新しい業務用ワープロによる三・五インチのディスケットを送付し、本巻はペンティアムWの WINDOWS 2000 マシンでインターネットによる送付となった。作品解題の図版についても、第六巻までは、一五〇ミリのマクロを装着したカメラで、ミニ・コピイと呼ばれるフィルムを使って撮影したが、今回はデジ・カメとスキャナーを使って取りこみ、八ビットのグレイ・スケール変換と補正をおこなっている。歳月の流れに、うたた感慨を禁じえない。   『サルナスの滅亡』 The Doom That Came to Sarnath  一九一九年一二月三日に執筆され、同人誌〈ザ・スコット〉の第四四号(一九二〇年六月)に発表されたあと、〈マーヴァル・テイルズ・オブ・サイエンス・アンド・ファンタシイ〉の一九三五年三・四月号に掲載され、さらに〈ウィアード・テイルズ〉の一九三八年六月号に再録された。  一万年前に栄えた都市サルナスの誕生から滅亡までを伝える本篇は、ラヴクラフトの作家活動の第一期を代表するダンセイニ風の掌篇であり、海緑色の石の偶像や一本の象牙から造りだされた玉座など、ダンセイニの影響を強く受けているが、恐怖を濃厚にたたえている点で他のダンセイニ風の作品とは一線を画している。異様なイブの生物は深きものどもの先駆けといえるかもしれない。「夢の世界や現実の世界の多くから遠く隔たっている」と記されながらも、本篇の舞台となったムナールは、その後『未知なるカダスを夢に求めて』で集大成される夢の世界に取りこまれることになる。本書に収録した夢書簡にも明らかなように、本篇は夢に見た情景を小説にしたてたものだが、残念ながら夢そのものがどのようなものだったのかは伝わっていない。   『イラノンの探求』 The Quest of Iranon  一九二一年二月二八日に執筆され、〈ウィアード・テイルズ〉に掲載を拒絶されたあと、同人誌〈ザ・ガリアン〉の第五号(一九三五年七・八月)に発表され、〈ウィアード・テイルズ〉の一九三九年三月号に掲載された。  過去を探し求める遍歴が夢を希求する彷徨に転調する本篇は、夢の虚しさと幻影のもたらす悲劇をあらわすことによって、ダンセイニ風の作品のなかでも突出する地位を占める。三人称で語られながらも、主人公イラノンの遍歴そのものが、結末にいたって夢にほかならなかったのではないかと思わせるからである。しかも遍歴した土地がすべて夢の世界であるのだから、かなり手のこんだ作品であるといえるだろう。  なお、ラヴクラフトはこの年の五月二四日に母を失い、ショックのあまり食事もできず、しばらく自殺を考えるほど落ちこんでいたが、年末にはソウニャ・ハフト・グリーンに出会っており、執筆時期にまちがいがないなら、過去と夢に止めを刺した本篇は、ラヴクラフトの生涯における激動の年を予兆するものになっている。  本篇には初出以来の重要な誤植がもちこされているという問題があるが、今回の翻訳では一部を本来の形にもどすことしかできなかった。   『木』 The Tree  一九二〇年の前半に執筆され、同人誌〈ザ・トライアウト〉の一九二一年一〇月号に発表されたあと、〈ウィアード・テイルズ〉の一九三八年八月号に掲載された。  シュラークーサエの僭王の依頼を受けたことをきっかけに、たがいに敬愛しあう二人の彫刻家の友情に亀裂が入り、毒殺と死後の復讐にいたるというやるせない本篇は、ダンセイニ風の掌篇というよりもむしろ、ギリシア・ローマへの憧憬が書かせたものと捉えるべきだろう。ただしラヴクラフトのギリシアへの憧れは、書簡や著作から明らかなように、あくまでもローマ、さらに正確にいえばラテン語を介してのものだった。ペロポンネーソス半島のアルカディアを舞台にした本篇においては、固有名詞はすべてギリシア語形でなければいけないのだが、ラヴクラフトはこれらをすべてラテン語形にしている。題辞にしても、ウェルギリウスの『アエネーイス』の一節をラテン語のまま引いているほどである。末尾の「オイダ」のみギリシア文字で表記されているのが興味深い。これだけで即断するわけではないが、わたしはラヴクラフトがギリシア語を読めたにしても、ギリシア語を発音することやラテナイズ(ローマ字表記)することはできなかったと見る。読むにしても、一九一一年に創刊されたローブ古典叢書の対訳によるものだったのだろう。なお、シュラークーサエの僭王だけでは、ゲローン、ヒエローン、ディオニューシオス父子のいずれとも決められないが、アテーナイのパルテノーン神殿とマウソールスの霊廟がもちだされていることにより、ディオニューシオス二世であるとわかる。ラヴクラフトは本篇の題辞の訳を一九二一年の「弁護はつづく」に記しており、ラテン語の時制がよくわかっていないようでもあるが、「すべての道はローマに通じるであろう」を一般に現在形と受けとめるたぐいのものかもしれない。   『北極星』 Polaris  一九一八年の晩春ないしは夏に執筆され、同人誌〈ザ・フィロソファー〉の創刊号(一九二〇年一二月〉に発表されたあと、同人誌〈ザ・ナショナル・アマチュア〉の一九二六年五月号と〈ザ・ファンタシイ・ファン〉の第六号(一九三四年二月号)に掲載され、さらに〈ウィアード・テイルズ〉の一九三七年一二月号に再録された。  ラヴクラフトがダンセイニの著作と出会うまえに執筆されながら、ダンセイニ風の小説として見られることが多く、ラヴクラフト本人もダンセイニの小説と雰囲気が似かよっていることに驚いたふしもあるが、そもそも本篇は夢に基づいて書きあげられたものであり、一九一八年五月一五日付けのモーリス・M・モウ宛書簡に次のように記されている。 「数日前の夜に、異様な都市のあらわれる不思議な夢を見ました――数多くの宮殿や金色に輝く円蓋からなる都市が、灰色の不気味な山に囲まれた谷間にあったのです。石畳の通りと大理石の壁や柱を擁するこの広大な都市には、人の姿がまったくなく、公共の広場に立つおびただしい彫像といえば、あとにも先にも目にしたことがないようなローブをまとう、顎鬚をたくわえた不思議な人びとのものでした。先にも述べましたように、わたしはこの都市をはっきりと目でとらえたのです。わたしは都市のなかにもいましたし、そのまわりにもいました。しかしわたしに肉体がなかったのは確かです。どうやらわたしは一方向だけではなく、一度にすべての方向を見ているようでした。動くことをしないまま、知覚を自在に移動させました。わたしは空間を占めることなく、姿をもたなかったのです。わたしは単なる意識、知覚する存在でした。目にする光景に並なみならぬ好奇心をいだき、この都市がいったいどういうものであるかを、苦しみながらも思いだそうとしたことをおぼえています。と申しますのも、この都市のことをよく知っているような気がしてならず、思いだしさえすれば、遙かな過去――何か恐ろしいことが起こった太古――にひきもどされるような感じがしたからです。それが何であるかがわかりかけ、どうなることかと恐怖にわなないていましたが、何を思いだせばよいのかはわかりませんでした」  この夢に思いをこらし、解釈をくわえた成果が、天の北極の位置が歳差のために少しずつずれることを利用した本篇に結実したようである。ちなみに現在の北極星は小熊座αだが、およそ二千五百年前は小熊座βであり、一万二千年後には琴座αになり、本篇中の詩はこのような転変をあらわしている。ダンセイニ風の作品のように思えるのは、ロマール、オラトーエ、ゾブナといった夢の世界の地名や、イヌート族やグノフケー族について言及されていることによるものにすぎず、文体そのものもどちらかといえばポウの散文詩のものに近い。読者としてのわたしは本篇を好むが、翻訳家としては異様な形容詞の挿入に唖然とするしかなかった。ラヴクラフトの弱点は意外なところにある。情景を目に思いうかべながら丹念に読めば、よくおわかりいただけるはずである。   『月の湿原』 The Moon-Bog  一九二一年三月一〇日頃に執筆され、〈ウィアード・テイルズ〉の一九二六年六月号に発表された。  同年の聖パトリックの日(三月一七日)に文芸仲間の集会で自作を朗読してほしいと依頼され、ラヴクラフトは珍しくもヒベルニア(アイルランド)を舞台にした本篇を書きあげた。呪いをあつかうきわめてオーソドックスな作品ではあるが、後の作品に顕著な恐怖の漸増的な高まりと衝撃的な結末を備えている点で注目に値する。ちなみに聖パトリックはアイルランドを単独でキリスト教化したといわれる聖人であり、パトリックの煉獄や審判の日の約束といったさまざまな伝説がある。   『緑の草原』 Green Meadow  一九一八年あるいはその翌年に執筆され、同人誌〈ザ・ヴェイグラント〉の一九二七年春季号に、イリザバス・ネヴィル・バークリイとルーイス・ティアボールド・ジュニアの共作として発表された。  初出時に使用された作者名について、イリザバス・ネヴィル・バークリイの本名はウィナフリド・ヴァージニア・ジャクスンであり、ルーイス・ティアボールドは一七三四年版のシェイクスピア全集の編纂者にちなんだものだろう。ラヴクラフトは孤立した海に面する森の夢を見て、この夢をたいそう気に入り、小説にしたてようと思って夢の情景を書きとめ、たまたまこれを文芸仲間のジャクスンに見せるか話したところ(書簡によって「見せた」、「話した」と異なっている)、ジャクスンがよく似た夢を見たといったらしい。ラヴクラフトはジャクスンの夢をくわしく聞き、自分の夢よりもスケールが大きいものだったため、当初の目論見を放棄して、ジャクスンの夢を下敷きにして本篇を書きあげた。一種の共作ではあるが、文章はすべてラヴクラフトのものなので、本巻に収録したしだいである。なお、本篇にはいささか問題もふくまれている。ギリシア人らしき語り手の手記は空からふってきた隕石《いんせき》内にあったが、手記の最後で明かされるステテロスの土地は夢の世界に位置するからだ。語り手は勘違いをしているか、ステテロスに到着した後、ランドルフ・カーターのように星の世界へ行ったと考えざるをえない。   『眠りの神』 Hypnos  一九二二年三月頃に執筆され、同人誌〈ザ・ナショナル・アマチュア〉の一九二三年五月号に発表されたあと、〈ウィアード・テイルズ〉の一九二四年五・六・七月合併号に掲載され、さらに同誌の一九三七年一一月号にも再録された。  夢を介して他の領域に分け入ろうとしたあげく、神をも恐れぬ大胆な企てが悲劇を招くという本篇について、ラヴクラフトは一九二二年五月一八日付けのモーリス・M・モウ宛書簡で、原稿を見せた友人たちから、「これまでで最高の作品だと賞讃されたことを喜んでいる」と記しているが、同じ年の一○月に執筆された『魔犬』に目を向ければ、本篇の完成度に不満があったと考えざるをえない。アブドゥル・アルハザードを『ネクロノミコン』の著者とする記念すべき『魔犬』は、冒頭に復讐の女神をもちだし、デカダンの雰囲気を濃厚にたたえつつ、魔性を高めようとする二人の男がついに墓場荒しまでおこなって、その代償を支払わされる経緯を描いている点において、まさしく『眠りの神』の本歌取りにあたるからである。事実、本篇の結末はいささか腰くだけで、ヒュプノスがギリシア文字で表記されていないのも物足りないが、語り手の友人がはたして実在したのかという謎をのこしてそれなりの効果をあげている。   『あの男』 He  一九二五年八月一一日に執筆され、〈ウィアード・テイルズ〉の一九二六年九月号に発表された。  ソウニャと別居してレッド・フック地区のアパートで独り暮しをしていたころに執筆された作品であり、『イヴニング・ポスト』の記事に触発され、グリニッチ・ヴィレッジを実際に歩きまわった体験を取りこんでいることもあってか、街並の描写はきわめて正確であるという。窓からニューヨークの過去や未来をながめるという趣向は興味深いが、未来の光景は恐るべきものであり、重苦しくも暗い雰囲気が持続されている。『レッド・フックの恐怖』が結婚生活を悪魔祓いするためのものであったのと同様、本篇はニューヨークを悪魔祓いするために書きあげられたと見てよいだろう。これら二作品があればこそ、自らを主人公にして小説のなかでの再誕を目指す、プロヴィデンス讃歌とでも呼ぶべき、『未知なるカダスを夢に求めて』の執筆に取りかかれたのである。ラヴクラフトがプロヴィデンスに帰るのは翌年春のことだが、本篇においては既に帰郷しており、決意は早くかたまっていたらしい。   『忌み嫌われる家』 The Shunned House  一九二四年一〇月一六日から一九日にかけて執筆され、久しく発表の機会が得られないまま数奇な廻り合わせで、ラヴクラフト初の小説の刊本となったあと、ラヴクラフトの死後に〈ウィアード・テイルズ〉の一九三七年一〇月号に計報とともに掲載された。  ラヴクラフトは驚くほど史実に忠実に本篇を書きあげた。冒頭でふれられるポウとかかわりのあるウィットマン夫人とは、ポウが「ヘレンに」と題する詩を二篇書きあげているセアラ・ヘレン・ウィットマンであって、独創性こそないものの表現力にすぐれた女流詩人だったらしく、本篇でも言及されている北墓地に埋葬された。ラヴクラフトによれば、プロヴィデンスの住民は酔いつぶれた姿を見せるポウを嫌い、セアラがポウとの結婚をことわったのもこのためだという。物語の舞台となる家屋はプロヴィデンスに実在し、その家にまつわる歴史は概ね本篇に記されているとおりだが、怪異現象が起こったこともなければ、家が長期にわたって空家だったこともない。伯母が一時期この家に住むバビット夫人の付添いをしていたために、ラヴクラフトは家の内部に入ったこともある。一九二四年の一〇月はじめに、ニュージャージイでよく似た家が荒廃のきわみに達しているのを見て、本篇の執筆を思いたったという。  丹念に調査された史実と独創的な虚構をないまぜにし、『両世界評論』までもちだして説得力を高めつつ、超自然の怪異を描きあげるかと思わせながら、終盤にいたって合理的な解釈と解決を成しとげるという力業であり、本篇に対するラヴクラフトの熱意のほどがうかがえる。さまざまな作品で憑依の科学的あるいは合理的な解釈を示し、ついには幻想宇宙年代記をまとめあげることになるラヴクラフトにあってみれば、本篇もまた合理精神のなせるわざだったのだろう。なお、エティエンヌ・ルレは架空の人物ではあるが、コーデのジャック・ルレは歴史に名をのこす人物であって、狼男の事例としてよく言及され、ラヴクラフトの蔵書中にもジャック・ルレにふれたもの(ジョン・フィスク『神話と神話の造り手たち』一八七二年)が見いだせる。  当初は友人ウィリアム・ポウル・クックの同人誌〈リクルース〉に掲載される予定だったが、紙幅の都合でこれが果たせなかったため、クックは新たに小冊子としての刊行を計画して、一九二八年の夏におよそ三〇〇部の印刷をおこなった。しかし健康をそこねたことで製本ができず、一九三四年にいたって二二五部といわれる印刷用紙をロバート・ヘイウォード・バーロウに託したが、バーロウもわずか八部を製本したにとどまった。そのうち七部はボード装で、革装のものが一九三五年にラヴクラフトに贈られている。後にアーカム・ハウスがバーロウの未製本用紙を入手して、未製本のままのもの五〇部を一九五九年に、黒のクロス装のもの一〇〇部を一九六一年に、アーカム・ハウスのラベルを添付して発行した。ラヴクラフトの著書のなかでもきわめつきの稀覯書であり、一九六五年頃には偽造書まで造られたが、さすがに透かしまでは偽造できず、オリジナルの透かしは Canterbury Laid である。もっぱらイギリスで書籍用によく使われた、厚みのあるレイド紙であったとわかる。   『霊廟』 The Tomb  一九一七年六月に執筆され、同人誌〈ザ・ヴェイグラント〉の第一四号(一九二二年三月)に発表され、〈ウィアード・テイルズ〉の一九二六年一月号に掲載された。  ラヴクラフトは伯母リリアンとスワン・ポイント墓地を訪れ、伯母の遠い祖先にあたる人物の一七一一年の墓石をながめているうち、霊魂とは何かという疑問をいだいて、その後まもなく本篇を執筆した。精神病院に監禁された人物の手記にあたる本篇の内容は、『北極星』と同様に、夢、狂気、隔世的な記憶のよみがえりのいずれとも受けとれる。「ジョージ王朝時代のふざけた詩」として引用されているものはラヴクラフトの自作である。『木』と同様に、題辞はウェルギリウスの『アエネーイス』の一節がラテン語のまま引かれており、本篇でふれられるパリヌールスの発言となっている。パリヌールスは海中に没したため、ひきあげて葬ってほしいと、冥界にくだったアエネーアースに訴えかけているのである。   『ファラオとともに幽閉されて』 Imprisoned with the Pharaohs  一九二四年二月に執筆され、〈ウィアード・テイルズ〉の一九二四年五・六・七月合併号にハリイ・フーディーニ名義で発表され、同誌の一九三九年六・七月号に再録された。  雑誌〈ウィアード・テイルズ〉は結果として驚くべき長命を誇るジャンル雑誌になったが、もともと売行きはさほどかんばしくなく、判形をベッドシーツ・サイズ(およそ二三×三〇・五センチ)にかえるなどの手をうってもさして売れず、一九二四年には累積する負債が四万ドルに達して危機的状況にあった。社主のジェイコブ・クラーク・ヘナバーガーはそれでも同誌の発行をあきらめず、抜本的な誌面刷新が必要だと考え、まず月刊誌である同誌の五・六・七月合併号を発行することにした。三ヵ月のあいだ店頭に置かれるわけで、時間稼ぎにもなる。そして呼び物として企画されたのが、令名高いマジシャンであるハリイ・フーディーニの体験談で、おおよそのプロットも用意され、ラヴクラフトに代作が依頼されたのである。ソウニャ・グリーンとの結婚をひかえた時期だったが、百ドルの前渡金をもらったこともあって、ラヴクラフトは結構の整った緊迫感あふれる本篇を精力的に短期間で書きあげた。編集部から示されたプロットには誤りがあるとして、まったく新たなプロットをつくりあげたほどだが、ある意味でこれが裏目に出ることになる。当初のプロットは三人称のもので、ラヴクラフトの聞き書きという形で、二人の名前で発表されるはずだったが、ラヴクラフトが一人称を採用したために、ラヴクラフトの名前を出すわけにはいかなくなったからだ。ラヴクラフトはタイトルを『ピラミッド群の下で Under Pyramids 』としていたが、これも現行のものに改められた。ただし〈ウィアード・テイルズ〉の一九三六年の再録時に、ラヴクラフトの小説であることが簡単に説明されている。なお、この六・七月号には、第六巻の解題に付した目次から明らかなように、ラヴクラフトの詩と『セレファイス』も掲載されている。  こうして発行された合併号は、ページ数も通常の三倍の一九二ページにおよび、これがベットシーツ・サイズなのだから、空前絶後のパルプ雑誌となった。定価が通常の倍の五〇セントにおさえられたこともあって、売行きも好調に伸びたという。ラヴクラフトにかかわることなので、もう少し〈ウィアード・テイルズ〉の話をつづける。ヘナバーガーは誌面刷新のために編集長の交代を目論んだ。これについてラヴクラフトに打診されたという説があり、わたしもこれを鵜呑みにして第五巻の解題に記したが、ラヴクラフト自身の発言が見いだせたので、この機会に誤りを正しておく。アーカム・ハウスの『ラヴクラフト書簡集』の第一巻に収録された、一九二四年三月二一日付けのフランク・ベルナップ・ロング宛書簡で、ラヴクラフトはヘナバーガーから届いた手紙にふれて、「〈ウィアード・テイルズ〉の誌面を劇的に刷新すること」と、「ポウやマッケンの恐怖小説の分野に狙いをしぼったまったく新しい雑誌」の創刊を予定していることを伝えられたと記し、「この雑誌はまさに『わたしに打ってつけのもの』だといって、ヘニイ(ヘナバーガー)はこの雑誌をわたしが編集するために、シカゴに来ることを考えてもらいたがっています」と述べているのである。どうやら真相は、〈ウィアード・テイルズ〉の新しい編集者は既にファーンズワース・ライトに決まっており、同誌は大幅な軌道修正を予定するとともに、従来の路線をはっきり怪奇小説の分野に定めた新たな雑誌が企画され、その編集者としてラヴクラフトに白羽の矢が立ったということらしい。ラヴクラフトが固辞したことで、新たな雑誌は創刊されることなく、〈ウィアード・テイルズ〉はさしたる軌道修正もなしに発行されつづけることになった。いずれにせよ、ラヴクラフトの辞退によって、パルプ雑誌は大いなる機会を失ったのである。   『恐ろしい老人』 The Terrible Old Man  一九二〇年一月二八日に執筆され、同人誌〈ザ・トライアウト〉の一九二一年七月号に発表され、〈ウィアード・テイルズ〉の一九二六年八月号に掲載された。  ダンセイニの『驚異の書』の影響を強く受けた小品であり、三人の強盗はその名前からも、当時のロード・アイランドで目をひいたエスニック、イタリア人、ポーランド人、ポルトガル人をあらわしており、本巻に収録した『あの男』と同様、残念ながらラヴクラフトの人種偏見が顕著にあらわれていることは否定しがたい。ラヴクラフトは謎めいた恐ろしい老人を気に入ったらしく、『霧の高みの不思議な家』にも登場させることになる。なお、この段階ではキングスポートがどこに位置するのかは定かでなく、マーブルヘッドをモデルにするようになったのは、一九二三年に執筆された『魔宴』からである。   『霧の高みの不思議な家』 The Strange High House in the Mist  一九二六年一一月九日に執筆され、翌年七月に送付して拒絶されたあと、〈ウィアード・テイルズ〉の一九三一年一〇月号に発表された。 〈挿絵:〈ウィアード・テイルズ〉の挿絵〉  容易には近づけない岩山に建つ家にまつわる本篇もまた、ダンセイニ風の作品として位置づけられるものであり、単調な日々をおくっていた男が突兀《とっこつ》とそびえる岩山に魂を揺さぶられ、絶壁に建つ不思議な家を訪れて、まぐわしい夢を目のあたりにしたことで、魂をなくした生ける亡骸としてもどってくるありさまを伝えている。キングスポートのモデルになったマーブルヘッドにこのような岩山の家はなく、ダンセイニの『ロドリゲスの年代記』に触発されたのではないかといわれているが、同じくダンセイニの『驚異物語集』に付されたシドニイ・H・シームの挿絵もかかわっているのではないかと思われる。この挿絵では岩山の途中に家屋がひしめいているのだが、それらを取りされば、いかにも本篇における霧の高みの不思議の家を描いたもののようになるからだ。なお、オーガスト・ダーレスのクトゥルー神話では、ノーデンスが旧神の一員とされることがあるものの、本篇の文脈からはアトランティスにかかわる海神のように受けとれる。 〈挿絵:シームの挿絵〉   初期作品 『洞窟の獣』 The Beast in the Cave  一九〇五年四月二一日に執筆され、同人誌〈ザ・ヴェイグラント〉の第七号(一九一八年六月)に発表され、同人誌〈ジ・アカライト〉の一九四三年秋季号に再録された。  ラヴクラフトは地元の図書館でケンタッキイ州のマンモス洞窟について調べたうえで本篇を書きあげたという。草稿の末尾には、「恐怖物語集 一、洞窟の獣」とあるが、他の作品を書きあげたかどうかはわからない。未熟さは否めないにしても、数多く現存する若書きのなかで、かろうじて鑑賞に堪えるものになっている。   『錬金術師』 The Alchemist  一九〇八年に執筆され、同人誌〈ザ・ユナイテッド・アマチュア〉の一九一六年一一月号に発表された。  若書きのなかで超自然の怪異をあつかった最も古い作品にあたり、フランスを舞台にしているのが興味深い。呪いに錬金術の秘薬をからめ、既にラヴクラフトらしさがあらわれているが、いささか舌足らずなところが認められる。一九〇九年から小説を書くのをやめていたラヴクラフトは、一九一七年に本篇をウィリアム・ボウル・クックに見せ、クックの好意的な感想を受けて執筆を再開した。   『フアン・ロメロの変容』 The Transition of Juan Romero  一九一九年九月一六日に執筆され、一九四四年にアーカム・ハウスから刊行された『マージャネイリア Marginalia 』にはじめて収録された。  アメリカの西部を舞台にした夢とも現実ともつかない本篇は、もはや若書きとは呼べないが、ラヴクラフトはこの掌篇の完成度に満足せず、同人誌への掲載も拒みつづけ、一九三二年にロバート・ヘイウォード・バーロウの説得に応じるまで、誰にも見せたことがなかった。ヒンドゥとアステカを強引に結びつけたところや、説明不足にすぎるところが気に入らなかったのかもしれない。   『通り』 The Street  一九一九年頃に執筆され、同人誌〈ウルヴァリーン〉の第八号(一九二〇年一二月)に発表されたあと、同人誌〈ザ・ナショナル・アマチュア〉の一九二二年一月号に再録された。  ある通りに託してアメリカの歴史を象徴的に語るという趣向だが、人種偏見と移民に対する反感が顕著にあらわれている。ボストンで起こった事件が執筆の動機だったらしい。全体のバランスを整えれば、完成度が格段に高まっただろう。   『詩と神々』 Poety and the Gods  一九二〇年の夏頃に執筆され、同人誌〈ザ・ユナイテッド・アマチュア〉の一九二〇年九月号に、アナ・ヘレン・クロフツとヘンリイ・パジト=ロウの共作として発表された。ギリシア・ローマへの憧憬と詩に対する愛が書かせたものというべきか。共作となっているが、本篇でマーシャの読む自由詩だけがクロフツのものらしい。愛すべき夢物語だとはいえ、最後のキーツの詩を際立たせるためであろうと、シェイクスピアが女の手紙を朗読するというのは理解しがたい。『月の湿原』と同様に、ギリシアとローマの神が混在している。   夢書簡  本来なら資料としてあつかうべきものだが、ラヴクラフトが一九三三年のバーナード・オースティン・ドゥワイア宛書簡に書きとめた夢が、『邪悪な聖職者 The End Clergyman 』というタイトルを付され、〈ウィアード・テイルズ〉の一九三九年四月号に小説として掲載されたひそみにならい、ラヴクラフトの書簡に記された夢のうち、物語としてまとまりのあるものと小説の母胎になったものを小説の原形として集めてみた。いちいち説明はくわえないが、『クルウルウの呼び声』において若い彫刻家が夢を基に造りあげた浅浮き彫りがラヴクラフト自身の夢を土台にしているなど、意外な事実が明らかになるはずである。これですべてが網羅されているわけではなく、わたしが編んだラヴクラフトの『夢魔の書』(学習研究社)の抜粋にすぎないことをおことわりしておく。   断片 『アザトホース』 Azathoth  一九二二年六月に執筆され、同人誌〈リーヴズ〉の第二号(一九三八年)に掲載された。  まさしく断片であって、「不気味な『ヴァテック』風の長編小説」にするつもりであったという以外には何もわからない。タイトルに思いをこらして、想像をたくましくすればよいのだろう。   『末裔』 The Descendant  一九二七年頃に執筆され、同人誌〈リーヴズ〉の第二号(一九三八年)に掲載された。  少しは物語らしきものになっており、『ネクロノミコン』、古の印を造る民、無名都市にふれられているだけに、これだけで中絶したのが惜しまれる。本篇では『ネクロノミコン』の現存部数が五部のみとされているので、『ネクロノミコンの歴史』に先立つものと考えられる。タイトルはロバート・ヘイウォード・バーロウが付したものである。   『本』 The Book  一九三三年一〇月頃に執筆され、同人誌〈リーヴズ〉の第二号(一九三八年)に掲載された。  黒魔術をあつかったものであり、主人公が入手した本が何であるのか気になるが、「太古の物語詩の九番目の詩」がもちだされていても、『ネクロノミコン』であるとは判断しがたい。本篇のタイトルもロバート・ヘイウォード・バーロウが付したものである。