ラヴクラフト全集〈7〉 H・P・ラヴクラフト/大瀧啓裕訳 [#改ページ] 通り The Street [#改ページ]          物や場所に魂があるという人もいれば、そんなことはないという人もいる。わたしはあえて自分の意見は述べないが、ある通りのことを語っておきたい。  力を備え、信義を重んじる人たちが、その通りを造った。海の向こうの祝福された島国からやってきた、わたしと同じ血をひく、善良で雄々しい人たちである。最初は水運びが森林地帯の泉から浜辺の集落まで歩く小道でしかなかった。やがてさらに多くの者が大きくなりゆく集落にやってきて、あたりを見渡して住む場所を探し、北側に小屋を建てた。太い樫の丸太を使った小屋で、数多くのインディアンが火矢をもって潜んでいるため、森に面するほうは煉瓦積みだった。そして数年のうちに、通りの南側にも小屋が建った。  円錐形の帽子をかぶった、いかめしい顔つきの男たちが通りを行き来し、たいていはマスケット銃や猟銃を携えていた。ボンネット帽をかぶった妻やおとなしい子供たちもいた。夜には男たちが妻や子供たちとともに、大きな炉辺に腰をおろし、本を読んだり話したりしたものだ。彼らが読んだり話したりするのはごく単純なことばかりだが、それらが彼らに勇気や親切心をあたえ、昼に森を切り開いたり畑を耕したりするのに役立った。そして子供たちが耳をかたむけ、掟《おきて》や昔の偉業、見たこともないか思いだすこともできない、愛すべきイギリスのことを学んだ。  戦があって、その後はインディアンが通りを騒がせることもなかった。労働に励む人びとが裕福になり、自分たちの知っているやりかたで幸福になった。子供たちが快適に成長し、ほかの家族が母国からやってきて、通りに住みついた。そして子供たちの子供たちや新来者の子供たちが成長した。町はいまや都市となり、小屋が一つまた一つと家屋にかわった。煉瓦と木材を使った簡素ながらも美しい家屋で、玄関には石造りの踏段、鉄の手摺、ドアの上には扇形明かり取りがあった。やわな造りではなく、何世代にもわたって住めるようにされていた。内部には彫刻のほどこされたマントルピース、優美な階段、趣味のよい目を楽しませる家具、陶磁器、銀器があって、すべて母国からもたらされたものだった。  こうして通りは若い人たちの夢を見守り、住民がますます上品で幸福になっていくのを喜んだ。かつて力と名誉だけがあったところに、いまでは美意識と学識がくわわっていた。書物や絵画や音楽が家にもちこまれ、若者は北の平地にそびえる大学に通った。三角帽子と突き剣、レースと白い鬘《かつら》が、円錐形の帽子とマスケット銃に取ってかわった。そして通りの玉石の上を、数多くの血統馬や華麗な馬車が音をたてて行き交い、煉瓦造りの歩道に乗馬台や繋ぎ柱が設けられた。  その通りには数多くの木々があった。堂々とした楡《にれ》、樫、楓《かえで》が立ちならんでいるので、夏にはあたりが爽《さわ》やかな新緑と小鳥のさえずりに満たされた。家屋の背後には、生垣で仕切られた小道や日時計のある薔薇園が造られ、夜には月と星がうっとりするほど輝いて、芳《かぐわ》しい花が夜露をきらめかせた。  こうして通りは夢を見つづけ、いくたの戦や災難や変化をしのいだ。多くの若者がでかけ、一部の者が帰ってこなかったことがあった。彼らが古い旗を捨て、新しい星条旗を掲げたときのことだった。しかし男たちが大きな変化のことを語っても、通りはそのようには思わなかった。通りに住む者はなおも同じであり、昔からの聞き慣れた口調で昔から聞き慣れたことをしゃべっていたからである。そして木々はさえずる鳥たちをなおも宿らせ、夜には月や星たちが薔薇園の夜露に濡れた花を見おろした。  やがて通りにはもはや剣も三角帽子も鬘も見られなくなった。ステッキ、山高帽、髪を刈りつめた頭をひけらかす住民たちが、何と異様に見えたことか。いまでは遠くから新しい音が聞こえるようになった――最初は一マイル離れた河から、何とも知れない、ぽっぽっという音や甲高い音が聞こえ、かなりの歳月を経ると、別の方角から同じような音と轟きが聞こえた。大気は以前のように清らかなものではなくなったが、あたりの気風はかわるところがなかった。人びとの血や心は通りを造った祖先たちの血や心と同じだった。地面が掘り起こされて不思議な管が備えられたときも、高い柱が立てられて奇異な線が架けられたときも、気風はかわらなかった。その通りには古い伝承が数多くあって、過去は容易に忘れさられることがなかった。やがて邪悪の日々が訪れ、昔の通りを知っていた多くの者はもはや現在の通りを知らず、通りを知る多くの者は昔の通りを知らなかった。そして新たにやってきた者たちは、立ち去った者たちと同じではなく、その口調は下卑た耳ざわりなもので、物腰や顔つきは不快だった。彼らの考えも賢明な通りの魂と対立するものだったので、家屋が荒廃し、木々が一本また一本と枯れ、薔薇園に雑草やごみがあふれるようになるなか、通りが声もなく憔悴《しょうすい》した。しかしある日、若者たちがふたたび行軍していったとき、通りは誇りが目覚めるのを感じたが、若者の一部は帰ってこなかった。これら若者は青い服を身につけていた。  歳月を重ね、さらなる悲運が通りを襲った。いまや木は一本もなく、薔薇園があったところには、並行する街路に建てられた安っぽい醜悪な建物の裏口がならんだ。しかし歳月や嵐や虫に蹂躙《じゅうりん》されてもなお、家屋はのこっていた。何世代にもわたって住めるようにされていたからである。新しい種類の顔が通りにあらわれた。浅黒い物騒な顔つきで、目がこそこそ動き、妙な表情をうかべ、聞き慣れない言葉を口にして、黴《かび》臭い家屋の多くに既知の文字や未知の文字で記された掲示をかけた。手押し車が貧民街にひしめいた。何ともいいようのない悪臭があたりにたちこめ、古くからの魂は眠りこんだ。  大いなる興奮が通りに訪れた。戦と革命が海の向こうで激しくつづき、王朝が崩壊し、堕落した国民が何のつもりか群をなして西の国にやってきた。その多くが住みついたのは、かつて鳥のさえずりや薔薇の香を知っていた荒廃した家屋だった。やがて西の国そのものが目覚め、文化生活を目指して奮闘する母国に協力した。都市にはふたたび古い旗がひるがえり、新しい旗や、地味ながらも輝かしい三色旗がともなった。しかし通りには数多くの旗がひるがえることもなく、そこには恐怖と憎しみと無知がわだかまっているだけだった。またしても若者たちが旅立ったが、他の時代の若者たちとは異なっていた。何かが欠けていた。これら他の時代の若者の息子たちは、濃いオリーヴ色の軍服を身につけ、祖先の真の精神を備えて出征したが、遠く離れた土地の出身で、通りのこともその古くからの魂のことも知らなかった。  海の向こうで大いなる勝利があり、若者の多くが凱旋《がいせん》帰国した。何かが欠けていた者たちは、もはや欠けるところがなかったが、なおも通りには恐怖と憎しみと無知がわだかまった。多くの者が居座り、多くのよそ者が遙かな土地から古びた家屋にやってきたからである。そして帰国した若者たちはもはやそこには住まなかった。よそ者の多くは浅黒くて物騒な顔つきをしていたが、通りを造りあげてその魂をかたちづくった人びとに顔つきがよく似た者も、ごくわずかながらいた。誰もの目に、貪欲、野心、恨み、道を踏み外した熱意といった、異様で不健全なぎらつきがあるために、似て非なるものだった。大逆や叛乱の不安が広まるなか、少数の悪党が西の国に致命的な打撃をあたえ、その瓦礫の上に君臨しようとたくらんだ。多くの者の祖国である、あの恐怖に凍りつく不幸な国では、暗殺者さえもが君臨した。そしてその謀《はかりごと》がめぐらされたのは、あの通りであり、崩れゆく家屋のなかでは、不和をつくりだそうとする外国人がひしめき、定められた血と炎と犯罪の日を待ちこがれる者たちの計画や話が響いた。  通りの奇妙な種々の集団について、司法が多くを語りながら何も証明できなかった。バッジを隠した男たちが精を出し、ペストロヴィチのパン屋、むさ苦しいリフキン現代経済学学院、サークル社交クラブ、リバティ・カフェといった場所をぶらついて聞き耳を立てた。怪しげな者たちが多数集まったが、常に慎重な言葉づかいをするか、外国語でしゃべった。そして古びた家屋はなおも建ちならび、過ぎさった崇高な諸世紀や、屈強な植民地住民や、月光を浴びる薔薇園の忘れさられた伝承をとどめていた。ときおり詩人や旅人が見物にきて、失われた栄光を捉えようとするが、そうした旅人や詩人はごくわずかだった。  いまや噂が広まって、それらの家屋に巨大テロリスト集団の指導者が潜み、所定の日に大虐殺をはじめて、アメリカはもとより、通りが愛した古き良き伝統をことごとく撲滅するのだといわれた。ビラやチラシが汚らしい側溝に散らばった。いずれも多数の言語と文字で印刷されていたが、いずれも犯罪と叛乱のメッセージを伝えていた。人びとはそれを見て、父祖たちが褒《ほ》めそやした美徳や法を踏みにじる衝動に駆られた。千五百年にわたる歳月を経て伝えられたアングロ・サクソンの自由と正義と節度の精神、古きアメリカの精神を根絶する衝動に駆られた。通りに住みついて朽ちゆく建物に集まる浅黒い男たちが、恐ろしい革命の首謀者たちであり、彼らの命令一下、何百万もの理性を失った者たちが、千もの都市の貧民街から害をなす鉤爪を伸ばし、放火、殺人、破壊をおこなって、父祖たちの土地を消してしまうのだと噂された。こういったことが何度も口にされるので、異様なビラで多くのことがほのめかされている七月四日を、多くの者が不安な思いで待ちこがれたが、有罪とみなされるものは何も見つからなかった。誰を逮捕すれば忌《いま》わしい陰謀を根もとで断ち切れるのかもわからなかった。青い制服の警官隊がいまにも壊れそうな家屋を調べたが、やがてそういうこともなくなった。警官も法や秩序にうんざりして、都市全体を運命に委《ゆだ》ねてしまったからである。そして濃いオリーヴ色の軍服を身につけ、マスケット銃をもった男たちがやってきた。通りが悲しい眠りにつきながら、円錐形の帽子をかぶってマスケット銃をもつ男たちが森林地帯の泉から浜辺の集落まで歩いていた、かつての日々の夢を見ているにちがいないと思えるまでになった。しかし浅黒い物騒な男たちは老獪《ろうかい》だったので、差し迫った大変動を阻止するための行動は何も取れなかった。  こうして通りが不安な眠りにつくなか、ある夜、ペストロヴィチのパン屋、リフキン現代経済学学院、サークル社交クラブ、リバティ・カフェをはじめ、さまざまな場所に、恐ろしいほどの勝利感と期待感のみなぎる目をした男たちが大勢集まった。秘密の電信線でメッセージが伝えられ、さらに不思議なメッセージが伝えられようとしていることについて多くのことがいわれたが、この大半はあとになって西の国の危険がなくなるまでわからなかった。濃いオリーヴ色の軍服を身につけた男たちは、何が起こっているのかも、何をなすべきなのかもわからなかった。浅黒い物騒な者たちが巧妙に隠匿するのにたけていたからである。  しかし濃いオリーヴ色の軍服を身につけた男たちは、常にその夜のことを記憶にとどめ、孫たちに聞かせるように通りについて語ることだろう。その多くは予想していたのとは異なる任務を帯びて、明け方に通りに派遣されたからである。無政府主義者たちが住みついていたところが古びており、家屋が歳月や嵐や虫に蹂躙されて倒壊しかかっていたことが知られているが、あの夏の夜に起こったことは、きわめて奇妙な画一性のゆえに驚くべき事件だった。ともかく単純なものではあれ、まさしくことのほか特異な椿事《ちんじ》だった。真夜中をすぎてまもなく、何の前触れもないまま、歳月と嵐と虫による蹂躙が凄まじい頂点に達し、倒壊のあとで通りにのこったのは、古びた煙突二本と頑丈な煉瓦壁の一部だけだった。内部で生きていた者で廃墟から生きてあらわれた者はなかった。  現場を調べにきた群衆のなかにいた詩人と旅人が、奇妙な話を語っている。詩人がいうには、夜明けまえまで、アーク灯の光のなかでぼんやり見える無残な廃墟をながめていたが、残骸の上に別の情景があらわれ、月光やきれいな家屋や堂々とした楡と樫と楓が見えたらしい。そして旅人が明言するところでは、あのあたりのいつもの悪臭にかわって、満開の薔薇が放つような繊細な香が漂っていたという。しかし詩人の夢や旅人の話は、真実でないことがよく知られているのではないのか。  物や場所に魂があるという人もいれば、そんなことはないという人もいる。わたしはあえて自分の意見は述べないが、ある通りのことを語っておいた。