ラヴクラフト全集〈7〉 H・P・ラヴクラフト/大瀧啓裕訳 [#改ページ] ファラオとともに幽閉されて Imprisoned with the Pharaohs [#改ページ]         T    謎は謎をひきよせる。不可解な離れわざを成しとげる者として、わたしの名前が広く知れ渡ってからというもの、世人がわたしの職業に惹かれ、わたしの好奇心や活動に結びつけようとすることで、不思議な話や出来事に遭遇している。くだらないものや的外れのもの、ひどく胸を打たれるものや心奪われるもの、異様な経験や危険に満ちた経験をもたらしたもの、そして広範囲な科学的調査や歴史的調査をおこなうことになったものがある。これらの多くは既に語っているし、今後も腹蔵なくお知らせすることになるだろうが、どうにも公表する気にはなれなかったものが一つあり、本誌の発行者がわたしの家族の何人かから漠然とした話を聞きつけ、わたしが根負けするほどに説得を重ねたので、それをこれからお話ししようと思う。  これまで隠しこんでいた体験は、十四年前に仕事とはかかわりなくエジプトを訪れたことに付随するもので、いくつかの理由から公表をさしひかえていた。一つには、ピラミッドに群がるおびただしい旅行者が知る由もなく、まったくの無知ではありえないカイロの当局が慎重に隠しこんでいる特定の紛れもない事実やありさまを、あれこれあげつらう気にはなれなかったからである。また、わたし自身の奔放な想像力が大きくかかわっていたにちがいない事件を話したくなかったからでもある。わたしが見たもの――あるいは見たと思ったもの――は、実際には起こってはおらず、それよりはむしろ、当時わたしがエジプト学について読んだばかりのことや、周囲の状況におのずと動かされてめぐらした、エジプト学にかかわる憶測がもたらしたものと見るべきかもしれない。これら想像力を刺激するものが、それだけでも十分に恐ろしい現実の出来事の興奮によって一層強められ、つのりゆく恐怖をあの遠い昔の奇怪な夜に生みだしたにちがいない。  一九一〇年一月に、わたしはイギリスでの公演を終え、オーストラリアの劇場をめぐる契約書に署名した。旅をするだけのひまな時間がもてたので、その大半をもっぱらわたしの興味をそそる旅に使うことに決め、妻をともなって楽しく大陸を南下して、マルセーユでサイード港に向かうP&O社の汽船マルワ号に乗船した。そこから下エジプトの主要な史跡を訪れ、そして最後にオーストラリアに向かうつもりだった。  船旅は快適なもので、仕事から解放されたマジシャンにふりかかる数多くの愉快な出来事に元気づけられた。静かな旅をしたかったので、名前は隠しておくつもりだったが、ありふれたトリックで乗船客を驚かせようとするマジシャンが、お忍びで旅行しているのをだいなしにするようなやりかたで、同じことができるかとか、これをうわまわることができるかとかいって挑発するものだから、結局は自分から名乗りをあげてしまった。こんなことを記しているのは、これが最終的な結果をもたらしたからである――船に乗りあわせた旅行者に名前が知られれば、ナイル谷一帯に知れ渡ることをあらかじめ知っておくべきだった。こうしてこれ以後はどこへ行こうと、名前が先に伝わっていて、妻とわたしは目立たないようにして穏やかな旅をすることができなかった。珍奇なものを求めて旅をしているというのに、わたし自身が珍奇なものであるかのように、しげしげと見つめられるのがしばしばだった。  わたしたちがエジプトを訪れたのは、過去を彷彿とさせるようなものや神秘的なまでに荘厳なものを求めてのことだが、船がサイード港に徐々に近づき、乗客が小型ボートで下船したときには、目当てのものはほとんど見つからなかった。低い砂丘、浅瀬で揺れるブイ、偉大なレセップスの像以外には興味をひくものとてない、ヨーロッパ風のわびしい小さな町があるだけなので、もっと時間をかけるに値するものを見つけたかった。少し妻と話しあってから、ただちにカイロおよびピラミッドへと向かい、その後アレクサンドレイアに行って、そこでオーストラリア行きの船に乗りこむまで、古代の大都市が見せてくれるかもしれないグレコ=ローマンの景観を見つけようと思った。  鉄道の旅はそこそこのもので、四時間半しかかからなかった。イスマイリアまで並行するスエズ運河の大半を目にしたあと、中王国の再建された運河を一瞥《いちべつ》して、古代エジプトの雰囲気を味わった。そしてようやく目にしたカイロは、夕闇がたれこめるなかで明るく輝き、中央駅に到着したときには、きらめく星座が燃えあがっているようだった。  しかしわたしたちが目にしたのは、衣服や群衆をのぞけばヨーロッパのものばかりだったので、またしても失望することになった。ありふれた地下鉄で訪れた広場は、馬車、タクシー、路面電車がひしめいて、高い建物で輝く電球にきらびやかに照らしだされていたが、かつて公演を依頼されてことわり、後に観客として訪れたことのある劇場は、「アメリカン・カズマグラフ」と改名されていた。こぎれいに造られた幅広い通りを突っ走るタクシーで、シェパード・ホテルに到着して部屋を取り、ホテルのレストラン、エレヴェータ、一般的な英米の贅沢といった完璧なサーヴィスを楽しんでいると、謎めいた東洋や久遠《くおん》の過去が遙か遠くのものだと思えるようになった。  しかし翌日にはうれしくも忽然とアラビアン・ナイトめいた雰囲気のただなかに入りこみ、カイロの曲がりくねった道や異国情緒豊かなスカイラインのおかげで、ハールーヌッラシードのバグダードがよみがえったように思えた。ベデカー旅行案内書を頼りに、現地人のいる地区を探して、礼拝堂沿いのエズベキヤ庭園をすぎて東に進んでいると、まもなくガイドと称する男にうるさくつきまとわれるようになり――その後の成行きとは裏腹に――確かによく事情に通じた人物だった。ライセンスをもったガイドをホテルで頼むべきだったのだが、そのときはそんなこともわからなかった。この男はきれいに髭を剃って、ことのほか虚ろな声でしゃべり、風貌はファラオを思わせ、かなりこざっばりした装いをして、「アブドゥル・レイス・エル・ドログマン」と名乗り、同業者にかなりの力をふるえるようだったが、あとで警察に問い合わせても、そんなガイドは知らないといわれ、「レイス」というのは権威ある者をあらわす言葉にすぎず、「ドログマン」というのはプロの通訳をあらわす「ドラゴマン」をいいかえたものだと告げられた。  アブドゥルがわたしたちを案内して見せてくれた驚異の数かずは、それまで本で読んだり夢想したりしたことしかないようなものだった。旧カイロはそれ自体が物語であり夢である――秘密が馥郁《ふくいく》と香りたつ迷路のような狭い路地、玉石敷きの通りのうえでふれそうになっているアラベスク装飾の露台や出窓、耳慣れない叫びがあがり、鞭がふりおろされ、荷車ががたがた揺れ、小銭がじゃらじゃら鳴り、騒々しいロバの鳴きたてる大渦巻きのようなオリエントの道路、万華鏡さながらの多彩なローブ、ヴェール、ターバン、ターブーシュ、水を運ぶ者やイスラームの熱狂派修道僧、犬や猫、予言者や床屋、そしてこうしたものすべてをしのいで、ひっこんだ場所にうずくまった盲目の乞食の哀れっぽい声や、かわることのないディープ・ブルーの空を背景に繊細なシルエットを描く光塔から、時を告げる声が響きわたっている。  屋根のある少しは静かな市場も、魅惑の点ではひけをとらなかった。香辛料、香水、香木、数珠玉《じゅずだま》、敷物、絹、真鍮製品があった。年老いたマフムト・スレイマーンがふくらんだ瓶に取り巻かれ、足を組んで坐りこんでいるかたわらでは、若者たちが早口でしゃべりながら、古代の古典様式の柱頭をくりぬいたもので辛子をすりつぶしている――おそらくアウグストゥスがエジプト三軍団の一つを駐屯させた、隣接するヘリオポリスからもたらされた、ローマ領コリントのものだろう。古代文化が異国情緒と混じりあう。そしてモスクや博物館があった――わたしたちはすべてを目にして、博物館の貴重な財宝が示す壮麗なエジプトの秘められた魅力に、わたしたちのアラビアン・ナイトの歓楽がそこなわれないようにした。それこそわたしたちがきわめつくそうとしていたものなので、目下のところは素晴しい霊廟《れいびょう》・礼拝堂がアラビア砂漠のはずれに輝かしい幻のような埋葬地をつくりあげている、中世イスラームのハリーファたちの栄光に専念した。  最後にアブドゥルはシャリーア・ムハンマド・アリ沿いに進んで、わたしたちをハッサン王の古代の礼拝堂と、塔を擁するバブ=エル=アザブに連れていき、そのあとそそりたつ壁のある坂道を登って、サラーハッディーン自身が忘れさられたピラミッドの石で造りあげたという、巨大な砦へと行った。ムハンマド・アリの現代のモスクを取り囲む崖に登ったのは日が沈むころで、目眩《めくるめ》くような胸壁から神秘的なカイロをながめおろした――彫刻のほどこされた円蓋、この世のものとも思えない光塔、赤く染まる庭園が点在し、すべてが金色に輝いていた。新しい博物館のローマ風の巨大な円蓋が高くそびえ、その彼方――悠久の歳月と王朝の母である謎めいた黄色のナイル河の向こう――には、リビア砂漠の脅かすような砂が広がって、太古の秘密をたたえて起伏し、虹色に輝き、凶《まが》まがしく見えた。赤い太陽が沈みゆき、エジプトの夕暮の容赦ない冷気をもたらした。そして太陽があの古代ヘリオポリスの神――ラー=ハラクテすなわち太陽=地平線――のように世界の縁にたたずんだとき、わたしたちはその赤あかとした夕日を背景に、黒ぐろとした輪郭を描くギーザのピラミッドを目にした――トゥトアンクアメンが遙かなテーベで黄金の玉座についたとき、既に千年の歳月を閲《けみ》して古さびていた古代の墓である。そのときわたしたちはイスラーム教徒のカイロに別れを告げ、原初のエジプト――ラーとアメンやイシスとオシリスの黒ぐろとしたケム――の暗澹《あんたん》たる神秘を味わわなければならないことを知った。  翌朝、軽四輪の幌馬車に乗って、ブロンズのライオンがならぶ大いなるナイルの橋を渡り、レベクの大木が茂るゲジーラ島、こぶりなイギリス製の橋を経て西岸へと行った。河岸に沿って、レベクの大木が立ちならぶ道路を進み、広大な動物園を通りすぎてギーザの郊外に行くと、そこにはカイロに通じる新しい橋が造られていた。やがてシャリーア=エル=ハラムに沿って内陸部に向かい、どんよりした運河や現地人のみすぼらしい村のある地区をよぎっていくと、ついにわたしたちの眼前に目当てのものがそびえたち、夜明けの霧を切り裂いて、道路端の水たまりに倒立した姿を映《うつ》しだしていた。ナポレオンがエジプト遠征隊に告げたように、四十世紀がまさしくわたしたちを見おろしていた。  道路が不意に登りになって、ようやく路面電車の駅とメナ・ハウス・ホテルにはさまれた乗り換え場所に着いた。アブドゥル・レイスは手際よくわたしたちのピラミッドの入場券を購入してくれたうえ、かなり離れた汚らしい村に住み、旅行者という旅行者にうるさくつきまとう、群をなして叫びたてる不快なベドゥインたちと折合をつけているようで、彼らをうまく寄せつけないようにして、わたしたちに優れたラクダを二頭確保し、自分はロバに乗って、有能というより金のかかる一団の男や少年にラクダをひかせた。これから横切る土地はごくわずかなので、ほとんどラクダの必要などなかったが、わたしたちはこの厄介な砂漠の移動手段を経験にくわえたことを後晦しなかった。  ピラミッドは高い岩の台地に屹立し、ギーザのやや南を流れるナイル河の同じ側にあって、紀元前三四〇〇年から二〇〇〇年にかけて隆盛をきわめた、かつての首都メンフィスの近くに設けられた一連の王族や貴族の墓地の北端に隣接している。現代の道路に一番近い最大のピラミッドは、紀元前二八〇〇年頃にケオプスないしはクフ王によって建造され、高さが四百五十フィートを超える。このピラミッドから南西に伸びる直線上に、一世代あとにケプレン王(エジプト名カブラ)が建造した、ややこぶりながらも土台が高いために大きく見える第二ピラミッド、そして紀元前二七〇〇年頃に建造されたミュケリノス王(エジプト名メンカウラ)のかなり小さな第三ピラミッドが列なっている。台地のはずれ近く、第二ピラミッドの東には、王政を復古させたケプレンの巨大な肖像になるよう顔を改められたとおぼしき、大きなスフィンクス――冷笑をうかべて沈黙する、人類や記憶を超越して賢明なスフィンクス――が存在する。  小さなピラミッドやそれらの廃墟がそこかしこに見いだされるほか、王族ではない高官の墓が台地全体に散在している。これらの墓は本来、他のメンフィスの墓地で見いだされるものや、ニューヨークのメトロポリタン美術館のペルネブの墓からうかがえるもののようなマスタバ、すなわち深い埋葬穴の上にある石造りのベンチ状の構造物によって区分けされていた。しかしギーザでは、こうした目に見えるもののすべてが、時間や略奪によって一掃されており、岩を穿《うが》った墓穴が、砂に埋もれているか考古学者によって掘り起こされて、かつて墓であったことを告げているだけである。こうした墓のそれぞれに小礼拝堂が結ばれ、死者のさまよえるカー(死者の生命原理)に神官や近親者が食べ物や祈りを捧げた。小さな墓はその石造りのマスタバ(上部構造)に小礼拝堂がふくまれているが、ファラオの横たわるピラミッドの葬祭殿は別個の神殿になっていて、それぞれピラミッドの東に位置し、岩の台地のはずれにある巨大な入口神殿の参道によって結ばれていた。  第二ピラミッドに通じる入口神殿は、ほとんど流砂に埋もれたありさまで、スフィンクスの南東の地下にある。これは伝統的に「スフィンクスの神殿」と呼ばれ、スフィンクスがまさしく第二ピラミッドの建造者ケプレンをあらわしているなら、そう呼ばれて正しいのかもしれない。ケプレン以前のスフィンクスには不快な話がいくつもある――が、かつてどのような容貌をしていようと、ケプレン王は恐怖をおぼえることなく巨大な像を見られるように、スフィンクスの顔を自分の顔にかえたのである。現在カイロ博物館にあるケプレンの等身大の閃緑岩《せんりょくがん》像は、巨大な入口神殿で見いだされた。わたしはその像をまえにしたとき、畏怖の念に打たれたものだ。神殿全体が発掘されているのかどうかは知らないが、一九一〇年には大半が地中にあって、入口は夜に厳重に警備されていた。これをおこなっていたのはドイツ人だったので、戦争か何かがあれば食いとめられていたかもしれない。わたしは自分自身の経験や、カイロでは相手にされていないか知られてもいないベドゥインの噂話のゆえに、ファラオの像が奇妙にもヒヒの像と並んでいるのが見いだされた横断回廊の特定の竪穴に関連して、いったい何が明らかになっているのかを知りたくてたまらない。  わたしたちがその朝ラクダに乗って進んでいった道は、木造の警察署、郵便局、薬局、店舗を左手に望んだあと、急に鋭いカーヴを描き、南、東へと曲がって岩の台地を登りゆき、大ピラミッドの風下にあたる砂漠が眼前に広がるようになった。その東側をまわり、小さなピラミッドのある谷を前方に見おろして、巨大な石組を進んでいくと、遙か東には永遠のナイルが輝き、西には永遠の砂漠が揺らいでいた。すぐ近くに三つのピラミッドがそびえ、最大のものは外装がなくなって巨石がさらけだされているが、他の二つはそこかしこにぴったりあわさった外装がのこり、かつてはなめらかに仕上げられていたことがうかがえた。  まもなくわたしたちはスフィンクスのほうへとくだり、あの恐ろしい石の目に射すくめられて黙りこんだ。後期の王朝でスフィンクスの顔が誤ってラー=ハラクテのものだと考えられたため、巨大な石の胸にはかすかにラー=ハラクテの印が認められ、大きな前脚のあいだにある碑板は砂に埋もれていたが、わたしたちはトトメス四世がその碑板に刻みこませた文章や、トトメス四世が王子だったころに見た夢を思い起こした。そのときスフィンクスの微笑がどことなく不快に感じられ、この巨大な生物の下に想像もつかない深淵へと通じる地下通路があるという伝説を思いださずにはいられなかった――その深淵は、発掘のおこなわれているエジプト王朝よりも古い神秘に結びつき、古代ナイルの万神殿における動物の頭部をした尋常ならざる神々に不気味な関係があるという。そしてまたわたしがぼんやりと自問したのは、長きにわたって隠れたままになっているのは、恐るべき意味をはらむ何者なのかということだった。  他の旅行者たちに追いつかれるようになったので、台地にある第二ピラミッドの葬祭殿に通じる参道の入口神殿として先に述べた、五十ヤード南東にある砂に埋もれたスフィンクスの神殿へと向かった。大半はなおも地中にあるので、わたしたちはラクダからおりて、雪花石膏《アラバスター》の回廊と柱つきの広間に通じる現代の通路をくだったが、アブドゥルや地元のドイツ人のガイドは何もかもを見せてくれたわけではないようだった。このあとはピラミッドのある台地をめぐり、第二ピラミッドと東にある葬祭殿の特異な廃墟、第三ピラミッドとその南にある小さなピラミッド群と荒廃した東の神殿、岩の墓と第四および第五王朝の蜂の巣のような墓、そして有名なキャムブルの墓を調べたが、キャムブルの墓の暗い垂直の墓穴は五十三フィート下に不気味な石棺があって、わたしたちのラクダをひいていた者のひとりがロープで目もくらむような降下をおこない、石棺を覆っていた砂をはらいのけた。  いまでは大ピラミッドから叫び声が聞こえ、ベドゥインたちが一団の旅行者に詰め寄って、頂上まで連れていってやるだの、頂上までの行き帰りを驚異的な速さでおこなってみせるだの、あれこれまくしたてていた。そういう行き帰りの記録は七分だそうだが、欲の皮のつっぱったベドゥインの家長やその息子の多くは、祝儀をはずんで力づけてくれるなら、五分でやってみせようといったものだ。わたしたちは彼らを力づけるようなことはせず、アブドゥルに導かれて登り、こうして空前の素晴しい景観を楽しんで、金色がかった菫《すみれ》色の丘陵を要塞のように背景にして遙か遠くに輝くカイロだけではなく、北のアブー・ローシュから南のダシュールにいたるまでのメンフィスのピラミッドもすべて目にした。低いマスタバが真のピラミッドへと発展したことを示すサッカラの階段ピラミッドが、砂漠の彼方にくっきりと魅惑的にあらわれていた。この移行期の重要遺物の近くで、有名なペルネブの墓が見いだされている――トゥトアンクアメンが眠るテーベの岩の谷間の四百マイル以上北である。またしてもわたしは畏怖の念に打たれて黙りこくった。このような古ぶるしい景観、そして古さびた遺物のそれぞれがたたえている秘密によって、ほかのものからは得られない敬慶さと果てしなさに心が満たされた。  わたしたちは登攀《とうはん》に疲れはてたうえ、あらゆる価値観にさからうような行動を取るしつこいベドゥインにうんざりしてしまい、ピラミッドの狭い内部通路に苦労して入りこむようなことはしなかったが、大胆な旅行者の何人かはケオプスの大ピラミッドのまえで、息が詰まりそうな通路に入る準備をしていた。地元の従者にたっぷり祝儀をはずんで解雇してから、午後の日差しのなかをアブドゥル・レイスとともにカイロにひきかえしたが、途中でひきあげたことを半ば悔やんでいた。旅行案内書にも記されていないピラミッドの下降通路について、魅惑つきせぬことがあれこれと囁かれているからだ。発見して調査をはじめた一部の寡黙《かもく》な考古学者たちによって、入口があわただしく塞がれ、隠されてしまったという。もちろんこの噂はうわべはたいして根拠のないもののように思えるが、旅行者が夜にピラミッドに入りこむことや、大ピラミッドの最下層の穴や地下聖堂に行くことが、断固として禁じられていることを思えば、奇妙だといわざるをえない。おそらく後者の場合は、心理的な作用を懸念してのことだろう――堅固な石組という巨大な世界の下で身を縮めているありさまを思いうかべてしまうし、生命を繋ぐ通路といえば、這って進むことしかできず、事故や悪辣《あくらつ》なたくらみで塞がれるかもしれないのだから。これは全体として空恐ろしいと同時に心をそそられることでもあり、わたしたちは早い機会にまたピラミッドの台地を訪れることにした。わたしにとって、この機会は予想していたよりも早く訪れた。  その日の猛烈な行軍でいささか疲れていたが、わたしはその夜アブドゥル・レイスと二人きりで、雅趣に富むアラブ人地区を歩きまわった。昼間に目にしたことはあったが、深い闇や穏やかな光の輝きによって妖しい魅力や現実ばなれした幻影がそえられる、黄昏《たそがれ》時の小路やバザーを目にしたかったのだ。現地人の群衆はへりはじめていたが、スケン=ナハシン、すなわ銅細工職人のバザーで浮かれ騒いでいるベドゥインたちに出会ったときには、なおも騒然として人の数も多かった。ベドゥインの頭目らしき尊大な若者は、肉づきのよい顔立ちで、トルコ帽に似たターブーシュを小粋にかぶり、わたしたちに注意を向け、有能ながらも横柄で愚弄するような態度を取るわたしのガイドを認めると、まったく親しみのない表情をうかべた。おそらくわたしがしばしば目にして、いかさま苛立たしい思いがした、妙にスフィンクスじみたかすかな微笑に憤慨したか、虚ろでよく響きわたる声を気に入らなかったのだろう。ともかく昔ながらの口汚い言葉のやりとりが高まって、まもなくアリ・ズィズ――もっとひどい呼び名が使われないときに若者はこう呼ばれた――がアブドゥルのローブを手荒にひっぱり、すぐにアブドゥルもやりかえして、二人とも聖なるかぶりものを失うほどの激しいつかみあいがはじまったので、わたしが介入して力づくで分けなかったら、ひどいありさまになりはてていただろう。  最初は双方にとって歓迎されざるものだったようだが、わたしが介入したことでようやく休戦させることができた。喧嘩っ早い二人はそれぞれむっつりと怒りを鎮め、気持ちを落ちつかせると、にわかに矜恃《きょうじ》を高くして、奇妙な誓約をかわしあった。まもなくわかったことだが、これはカイロに古くからある慣習だった――月光のもとで景色をながめる観光客が去ってかなりしてから、大ピラミッドの頂上で拳による夜の闘いをおこなって、考えの相違にけりをつけるための誓約だ。決闘をおこなう者はそれぞれ介添えを集め、真夜中に決闘をはじめて、可能なかぎり洗練されたやりかたで続行する。この企てのすべてにわたしの興味をかきたてるものが数多くあった。決闘そのものがユニークで華ばなしいものであるし、深夜の青白い月のもとで、ノアの洪水以前からあるギーザの台地を見はるかす、あの古さびた大建築物の上でおこなわれることを思うと、想像力がかきたてられてならなかった。アブドゥルに頼んでみると、大いに喜んでわたしを介添えとして認めてくれたので、夜が更けるまでアブドゥルに同行して、街できわめつけの無法地帯――もっぱらエズベキヤ庭園の北東――でさまざまな巣窟をめぐりつづけ、アブドゥルがひとりまた一人と、気心の知れた選りすぐりの恐ろしい兇漢を介添えとして集めた。  わたしたちは九時を少しすぎたころ、「ラムセス」、「マーク・トウェイン」、「J・P・モーガン」、「ミニハーハー」といった、王や有名な旅行者を偲《しの》ばせる名前をつけられたロバにまたがって、東洋および西洋の迷路のような通りをじりじりと進み、青銅のライオンがならぶ橋を通ってマストが林立する泥の多いナイルを渡り、レバクの並木がある道を超然と駆け足でギーザへと向かった。この旅には二時間少しかかり、最後のほうでは帰途につく最後の旅行者たちとすれちがい、路面電車の最終便に別れを告げ、あとは夜と過去と亡霊じみた月だけが連れ添いになった。  やがて道の先に巨大なピラミッドが見え、昼間には気づかなかったように思える、先祖返りじみた脅威をぼんやりとたたえて不気味だった。一番小さなピラミッドでさえ、慄然たるものをほのめかしていた――第六王朝でニトクリス女王が生きたまま葬られたのは、このピラミッドではなかったのか。創意工夫に富むニトクリス女王は敵のすべてをナイル下流にある神殿での祝宴に招き、水門を開けて敵をことごとく溺死させたのだ。アラブ人がニトクリスについて声をひそめて話し、特定の月相のときに第三ピラミッドに近づこうとしないことが記憶によみがえった。トマス・ムーアはメンフィスの船頭について語られることを記したとき、ニトクリスのことを考えていたにちがいない。   [#ここから2字下げ] 日の射さぬ宝石と隠された栄光のなかに棲《す》む、 地下のニュムペー、 ピラミッドの女。 [#ここで字下げ終わり]    わたしたちのように早く出発したらしく、アリ・ズィズの一行がわたしたちの前方にいて、カフル=エル=ハラムの砂漠の台地を背景に、彼らのロバが輪郭を描いているのが見えた。そちらのほうには、スフィンクスの近くに、むさくるしいアラブ人の集落があり、眠気を催している無能な警官に気づかれて足止めされるかもしれないため、わたしたちはメナ・ハウスへの公道を避けて迂回していた。こちらでは汚らしいベドゥインがラクダやロバをケプレン王の廷臣たちの岩の墓に入れており、わたしたちは岩場や砂地を進んで大ピラミッドに近づいて、アラブ人が殺到する摩耗した側面を登っていったが、アブドゥル・レイスが必要もないのに手をかしてくれた。  多くの旅行者が知っているように、このピラミッドの実際の頂点は摩耗して久しく、十二フィート平方ほどの平たい台になっている。この薄気味悪い頂上にリングが設けられ、嘲笑する砂漠の月が意地悪く見おろすなか、数分のうちに決闘がはじまったが、リングサイドの叫びがちがうものであったなら、アメリカのどこかのアスレティック・クラブで起こっているような闘いだった。ながめていると、お馴染みのさして望ましくないものも欠けてはいないようで、経験がないわけではないわたしの目には、すべての打撃、フェイント、防御が、「見せかけ」であるとわかった。勝負はすぐに終わり、やりかたに不審の念をいだいていたにもかかわらず、アブドゥル・レイスが勝者と宣言されると、わたしもそれなりの誇らしさをおぼえた。  和解は驚くほど速やかで、歌ったり、親しく交わったり、酒を酌《く》みかわしたりするものだから、そもそも諍《いさか》いがあったことが信じられないほどだった。奇妙なことに、敵対しあっていた二人よりも、わたしが注目の的になっているようで、生半可なアラビア語の知識から判断して、彼らはわたしのマジシャンとしての公演や、ありとあらゆる手かせや監禁状態からの脱出芸について話しあっているようだったが、わたしを実によく知っているばかりか、わたしの脱出芸に紛れもない敵意と懐疑をいだいているようでもあった。やがてわたしにも、古代エジプトの魔術が痕跡もなく消えうせたわけではなく、不思議な秘密の伝承や祭司の祭儀の断片が農民たちのあいだに迷信のように生きながらえて、異国の「ハフウィー」(マジシャン)の技倆が気に入られず、異議を唱えられるまでになっているのだと、ようやくわかりはじめた。虚ろな声で話すガイドのアブドゥル・レイスが、昔のエジプトの祭司やファラオや微笑するスフィンクスによく似ていることについて……不思議に思わずにはいられなかった。  突然あることが起こって、たちまちわたしの考えが正しかったとわかるとともに、うかつにも今夜の出来事を、いまや歴然たるものになっている、悪意に満ちた「八百長」であると見抜けなかったことを悔やんだ。突如として、明らかにアブドゥルのさりげない合図に応え、ベドゥインがいっせいにわたしに襲いかかり、太いロープを取りだして、舞台の内外を問わず、これまで味わったこともないほど厳重に縛りあげた。最初はもがいたが、たったひとりで二十人以上の屈強な荒くれ者にかなうわけもないとわかった。両手は背中で縛られ、膝は折り曲げられ、手首と踝《くるぶし》が硬いロープでしっかりと結ばれた。口には力づくで猿轡《さるぐつわ》がはめられ、目隠しの布がきつく結ばれた。そしてアラブ人たちがわたしを肩にかつぎあげ、跳ねるようにしてピラミッドをくだりはじめたとき、ガイドだったアブドゥルが虚ろな声でうれしそうにわたしを嘲《あざけ》って愚弄するのが聞こえ、わたしの「魔力」がすぐに窮極の試練で試され、アメリカやヨーロッパでの試練すべてに勝利を収めて得ていた自負を速やかに奪われるのだとわかった。アブドゥルがエジプトの歴史はとても古いと告げた。わたしを罠にかけるのに一様に失敗した手段しかもちあわせていない、現代のマジシャンには想像もつかないほどの、隠された神秘と古代の力にあふれているのだ、と。  正確な判断などつけようもないありさまだったので、どの方角にどれくらい運ばれていったのかもわからない。しかしさほどの距離でなかったことはわかっている。わたしをかつぎあげている者たちはさして歩調を速めることもなく、わたしを高くかかえあげているのが驚くほど短時間だったからだ。この困惑させられる短さのせいで、いまもギーザとその台地のことを考えるつど、身の毛のよだつような思いがする――あのとき存在したものや、なおも存在するにちがいないものが、ありふれた旅行ルートのすぐ近くにあるらしいことで、胸が押しつぶされそうになるのだ。  わたしがいま語っている不幸な異常事態は、最初は明白なものではなかった。岩というより砂地とおぼしき箇所におろされたあと、胸にロープをかけられ、地面に開いた縁の不揃いな穴まで数フィートひきずられて、すぐにその穴からかなり手荒に吊りおろされた。永遠とも思えるあいだ、台地におびただしくある埋葬穴の一つらしき、岩を穿《うが》った穴のごつごつした壁面に体があたりつづけ、ほとんど信じられないほどの深い底に達したときには、もはやまともに考えることもできなかった。  時間が刻一刻とたつにつれ、いましも経験していることの恐ろしさが高まっていった。堅固な岩の穴をくだる降下が、惑星そのものの核に達することなくこれほど長大なものであることも、人間のつくったロープが底無しのような地底の不浄な深淵にわたしを吊れるほど長いことも、あまりにも信じがたいことであり、それらを受け入れるよりは、興奮した感覚を疑うほうが簡単だった。通常の知覚や体の機能の一つ以上が失われたり損なわれたりした場合、時間感覚がどれほどあてにならないものになるかを知っているので、いまでさえわたしは何一つ確信がもてずにいる。しかし論理的な思考がおこなえる意識を保っていたのは確かであって、恐ろしいほど真に迫っていながらも、実際の幻影ではなく脳の幻覚のタイプとして説明できる光景に、完全な想像上の影像をくわえるようなことはしなかった。  こうしたことが原因で、はじめて失神したのではない。慄然たる試練は累積的なものであり、このあとの恐怖は降下する速度がごくわずかに速まったことによってはじまった。あの果てしなく長いロープがいまや速やかに繰り出され、わたしは狭い穴のごつごつした壁面にひどく体をこすられながら、狂ったように降下しつづけた。衣服はぼろぼろになり、つのる痛みに苦しめられながらも、体じゅうに血が滲《にじ》みでているのを感じた。鼻孔もかすかに脅威を感じとっていた。奇妙にもこれまでかぎとったこともない、むっとする饐《す》えた臭いが鼻をつき、わたしを嘲っているように、香辛料や香木の匂いがかすかにまじっていた。  やがて精神的な激変が訪れた。恐ろしいものだった――描写するすべもない、魂のすべてにかかわるものなので、言葉ではあらわせないほど恐ろしいものだった。悪夢の絶頂であり、慄然たるものの極致だった。その突然さは黙示のようであり、悪魔のしわざかと思えるほどだった――百万もの歯にいたぶられているような狭い穴を、苦悶しながら降下していたというのに、次の瞬間には蝙蝠の翼に乗って、地獄の深淵を滑空し、果てのない黴《かび》臭い空間をどこまでも、さえぎるものとてないまま急な旋回をして、凍てつくエーテルの計り知れない絶頂へと目眩《めくるめ》くほどに上昇したかと思えば、餓えた不快な無の空間へと息詰まるほどに急降下していった……わたしの身体機能を半ば狂わせ、ハルピュイアのようにわたしの心を引き裂いた、あの凄まじい意識の混乱を忘却のうちに締め出してくれたことに対して、神の慈悲に感謝しなければならない。あの短い一度の失神によって、これから先の道に潜んでわめきたてる、さらに大きな宇宙的なパニックの高まりに堪える力と正気をあたえられたのだから。         U    無明の空間をよぎるあの空恐ろしい飛翔のあと、わたしは徐々に意識を回復した。その過程はこのうえもなく苦痛に満ちたものであり、あられもない夢に彩られ、手足を縛られ猿轡をされたありさまが特異なあらわれかたをした。こうした夢を体験しているあいだ、夢の正確な特徴は実にはっきりとしていたが、その後はたちまち記憶が朧《おぼろ》なものになり、そのあとの恐ろしい出来事――現実なのか想像なのかもわからない出来事――によって、すぐに朦朧《もうろう》としたものにまで減じてしまった。わたしは大きな恐ろしい前脚につかまれている夢を見た。毛むくじゃらで、五本の鉤爪のある黄色い前脚が、地面から伸びてきて、わたしをしっかりとつかんだのだった。そしてふとその前脚が何だったのかと考えたとき、エジプトそのものであるように思えた。わたしは夢のなかで、過去何週間かの出来事をふりかえり、古代エジプトの妖術の慄然たる悪霊――人間がいなかったころのエジプトに存在し、人間がいなくなればまた存在するようになる霊――に、いつしか少しずつ誘《おび》き寄せられて罠にかけられたことを知った。  わたしは見た。エジプトの恐怖と忌《いま》わしいまでの古ぶるしさ、そしてエジプトが死者の墓や神殿と常に結んでいる恐るべき繋がりを。牡牛、隼《はやぶさ》、猫、鴇《とき》の頭部を備えた祭司たちのおぼめく行列が、人間さえ蠅のように見える巨大な入口神殿の回廊や地下の迷路を果てしなく練り歩き、いいようもない神々に名状しがたい生贄を捧げるのを見た。永遠の夜のなかを石の巨像が行進して、にやつく男の顔をもつスフィンクスの群を澱《よど》んだ瀝青《れきせい》の果てしない川の岸へと追いやった。その背後に見えたのは、黒ぐろとして定まった形とてない、言葉ではあらわしようもない原初の妖術の憎悪で、闇のなかで貪欲にわたしを捜しまわり、張り合って嘲っていた霊を追いはらった。眠りこむわたしの脳では、不気味な憎悪と追跡のメロドラマが形をなし、エジプトの暗澹《あんたん》たる魂がわたしを選び出して、かすかに聞こえる囁きで呼びかけた。わたしに呼びかけて誘き寄せ、アラビアの地上の光輝と魅力でもってわたしを導きつづけたが、その死に絶えた深淵の巨大な深奥の恐怖と狂乱した地下埋葬所へと、絶えずわたしをひきおろしていた。  やがて夢にあらわれる顔が人間の見かけを取り、ガイドのアブドゥル・レイスが王のローブをまとって、スフィンクスの冷笑を顔にうかべるのを見た。そしてその顔つきが、第二ピラミッドを建造し、スフィンクスの顔を自分に似せて刻ませ、考古学者たちが不可解な砂や謎めいた岩から掘り出していると思っている、無数の通路を備えたあの巨大な入口神殿を造りだした、大いなるケプレンのものであるとわかった。そしてわたしはケプレンの長くほっそりした右手を見た。カイロ博物館にある閃緑岩《せんりょくがん》の彫像――恐ろしい入口神殿で発見された彫像――で目にした、長くほっそりした右手なので、それをアブドゥル・レイスのものとして見たとき、悲鳴をあげなかったのは不思議だった……あの手。ぞっとするほど冷たいその手が、わたしをきつくつかんだ。死体の肉を食べるという石棺の冷たさと締めつけ……忘れさられたエジプトの冷気と圧迫……夜のように暗い、死者の都、エジプトそのもの……黄色い前脚……そしてケプレンのことが囁かれた……  しかしこの段階でわたしは目覚めはじめた――あるいは少なくともつい先ほどまでのように完全に眠りこんでいる状態ではなくなった。ピラミッドの頂上での闘い、二心あるベドゥインとその襲撃、果てしない岩の深淵へのロープによる恐ろしい降下、そして腐臭|芬々《ふんぷん》たる凍てつく虚空での旋回と落下を思いだした。いまはじめっとした岩に横たわり、縛《いまし》めのロープがなおも容赦ない力で締めつけているのを感じた。とても寒く、不快な空気のかすかな流れが体にふれるのに気づいたと思う。岩の穴のごつごつした壁面によって受けた裂傷や打撲が悲しいほど痛み、その痛みがかすかな風の刺激によって刺すような焼けるようなものにまで強められるので、体を転がそうとしただけでも凄まじい苦悶にさいなまれて全身がうずいた。体を転がしたとき、上からひっぱられるのを感じたので、わたしを吊りおろしたロープがなおも地表に届いているのだとわかった。アラブ人たちがまだロープを握っているのかどうかはわからず、どれほどの深さにいるのかは見当もつかなかった。月光が目隠しに射し入ることもなかったので、まわりの闇は完全かほぼ完全なものだとわかったが、降下の特徴である途方もない時間の長さを尋常ならざる深さの証拠として受け入れるほど、自分の感覚を信じはしなかった。  岩の開口部によって真上の地表から届く、かなりの広がりがある空間にいることくらいはわかり、疑わしくはありながらも、わたしの牢獄があのケプレンの埋もれた入口神殿――スフィンクスの神殿――だろうとあたりをつけ、午前中に訪れたときにガイドが見せようとしなかった奥の回廊なら、鎖《とざ》された入口までどうにかたどりつけば、たやすく逃げ出せると考えた。迷路をさまようことになるが、過去に脱出したものよりひどくはなかった。まず、縛めと猿轡と目隠しをはずさなければならないが、これはさしたることでもなく、脱出に携わった長く多岐にわたる経歴において、あのアラブ人たちよりも器用な者たちがありとあらゆる拘束を試しながら、わたしを打ち負かした者はひとりもいない。  そのときふと、おそらくまだ支えられているロープの動きでもって、わたしが縛めから逃れた形跡があれば、アラブ人たちが入口で待ちかまえて襲いかかるのではないかという気がした。もちろんこれはわたしの拘束されている場所がまさしくケプレンのスフィンクス神殿であると想定してのことだ。旅行者に知られている土地の全域は広大なものでもないので、たとえかなりの距離があるにしても、どこにあるとも知れない真上の開口部は、スフィンクス近くの通常の入口からたやすくたどりつけるにちがいない。昼間に通ったときには、そういう開口部に気づかなかったとはいえ、こういうものは流れる砂のなかで見すごされやすい。岩床の上で体を拘束されながら、こうしたことを考えているうち、ついいましがた失神するまでにいたった、深淵への降下や空中で大きく揺れ動いたことの恐怖も半ば忘れさった。わたしがそのとき考えたのは、アラブ人たちをだしぬくことだけであり、できるだけ早く自由の身になる決意をかためたが、縛めから逃れようとする効果的な試みや問題の多い試みによって、わたしを吊りおろしたロープに動きを伝えるのは避けなければならなかった。  しかしこれはまさしく、いうは易くおこなうは難しだった。少し試してみると、かなり体を動かさないことには、ほとんど何もできないことがわかった。とりわけ精力を要する奮闘をおこなった後、わたしを吊りおろしたロープがわたしのまわりや体の上にたれてきたのを感じはじめたときも、さして驚きはしなかった。明らかにベドゥインたちはわたしの動きを既に感じとり、ロープの端をはなして神殿の真の入口へと急ぎ、残忍にもわたしを待ちかまえようとしているのだ。見通しは楽しいものではなかった――が、これまでわたしはたじろぎもせずにもっとひどい事態に対峙してきたし、いまもたじろぐつもりはなかった。目下のところ、まず縛めから逃れ、そして知恵をしぼって神殿から無事に脱出しなければならない。スフィンクスのそばの古いケプレンの神殿で、地表からわずかなところにいると盲信したのは、思えば奇妙なことである。  沈着に賢明な計画を立てていたときでさえ、目下のありさまが恐ろしさと由々しさの度合を高め、それまでの盲信も打ち砕かれて、尋常ならざる深淵や悪魔に取り憑かれたような神秘に対する不安がよみがえった。先に記したように、わたしを吊りおろしたロープがわたしのまわりや体の上にたれさがってきた。いまや普通の長さのロープではありえないことだが、ロープがなおもさがってきているのがわかった。勢いを増し、傾《なだ》れのように落下して、岩床に山をなしていくとともに、速やかに増えゆくロープの輪がわたしを半ば埋もれさせた。まもなく輪をなすロープにすっかり埋もれ、息が詰まり、空気を求めてあえぐまでになった。またしても感覚が揺らぎ、避けがたい絶望的な脅威をはねつけようとむなしく奮闘した。人間の忍耐を超える苦しみを受けただけではなく――生命と息がじわじわと奪われていっただけではなく――あの尋常ならざるロープの長さが意味するものを知り、いましも未知の計り知れざる地底の深淵がわたしを取り巻いているのを意識したのだった。では、果てしない降下と地下空間での旋回は現実のことだったにちがいなく、いまでさえ惑星の核へと向かう名状しがたい洞窟世界になすすべもなく横たわっているにちがいなかった。このような窮極の恐怖をにわかに確信するのは堪えがたいことであり、わたしはふたたび慈悲深い忘却に沈みこんだ。  忘却といったが、夢と無縁だったわけではない。それどころか、わたしの意識混濁はいいようもなく恐ろしいさまざまな幻影が顕著だった。ああ……闇と恐怖すべての源泉であるこの土地に来るまえに、エジプト学の本をあれほど読まなければよかったものを。この二度目の失神によって、眠りこむわたしの心は、この国とその太古の秘密の慄然たる認識に新たに満たされ、わたしの夢は何か忌わしいめぐりあわせによって、死者が墓というより塒《ねぐら》であるあの謎めいた墓所を離れ、魂と肉体を備えてとどまるという古代の考えへと向かった。思いだせないほうがよい夢にあらわれたもののなかに、エジプトの地下埋葬所の特異な入り組んだ構造と、この構造を決めた驚くほど異様で恐ろしい教義があったことをおぼえている。  これらの人びとは死と死者のことだけを考えた。彼らは細心の注意をはらってミイラ化する死体の文字通りの復活を心にいだき、生命を維持する臓器のすべてを死体近くのカノーポスの壺に保存する一方、死体のそばに他の二つのものがあると信じた。すなわちオシリスによって天秤で量られて是認されたあと祝福された者たちの国に住む魂と、恐ろしくも上なる世界と下なる世界をさまよい、ときおり保存された遺体に近づくことを求め、祭司や敬虔な近親者が葬祭殿にもたらす供物を食べ、たまさか――声をひそめて語られることだが――おのれの遺体か常にそのそばに葬られる木製の人形を使い、とりわけ鼻持ちならない目的で不快にも歩きまわる生命原理、カーである。  何千年にもわたって、そうした遺体が華麗に納棺されて横たわり、カーが訪れないときには虚ろに上を見つめつづけ、オシリスがカーと魂をもとにもどし、硬直した死者の軍団を地下の眠りの国から導きだすときを待っているのである。素晴しい再誕になるべきものだ――が、すべての魂が是認されているわけではなく、すべての墓が手つかずのままではないので、ある種の異様な誤りや恐ろしい異常なものを見つけなければならない。現代でさえ、アラブ人は忘れさられた地下の深淵での不浄な集会や不健全な崇拝について語っており、そこには翼をもつ不可視のカーと魂のないミイラだけが訪れて、無傷でひきあげるという。  おそらく最も忌わしい血も凍りつくような伝説は、堕落した祭司たちのつくりだした倒錯したものにかかわっている――古《いにしえ》の神々を真似て、人間の胴体と四肢に動物の頭部を人為的に結びつけてつくりだされた合成ミイラである。歴史のあらゆる段階において、聖獣がミイラにされたので、神聖な牡牛、猫、鴇《とき》、クロコダイルといった動物は、いつの日にか復活するのかもしれない。しかし頽廃期においてのみ、人間と動物が一つのミイラとして統合された――カーと魂の権利や特権が理解されなかった頽廃期のみである。そうした合成ミイラに何が起こったかは――少なくとも公には――語られることもなく、エジプト学者が何もつきとめていないのは確かである。アラブ人が声をひそめて口にする話はあられもないもので、およそ信頼するにたるものではない。あのケプレン――スフィンクスと第二ピラミッドと大きな口を開ける入口神殿のケプレン――が、地底深くで食屍鬼の女王ニトクリスと結婚し、人間でも動物でもないミイラたちを支配しているとさえいわれているほどなのだから。  わたしが夢に見たのは、こうしたもの――ケプレンとその連れ添いと異様な合成死者の軍勢――であり、だからこそ、まざまざと夢に見たものが記憶から薄らいでいるのがうれしい。恐ろしさきわまる幻視は、前日に砂漠の巨像という謎を目にして、その間近にある神殿がひそかにどのような未知の地底に通じているのかと思った、ごくつまらない疑問にかかわっている。そのときは無邪気で気まぐれな疑問だったにせよ、夢のなかでは逆上した狂気の意味をはらんでいた……そもそもスフィンクスはいかなる巨大で忌《い》むべき尋常ならざるものをあらわしているのか。  わたしの第二の目覚めは――それが目覚めであるなら――わたしの人生はたいていの人のものを超える冒険に満ちたものだが、このあとにつづくものは別として、これまでの人生で匹敵するものとてない、恐ろしさきわまる記憶となっている。落下してきたロープに埋もれ、その途方もない長さから地底深くにいるのがわかったあと、意識を失ったことはおぼえている。いまや知覚がよみがえるにつれ、ロープの重みがすっかりなくなっているのを感じ、なおも縛られ、猿轡と目隠しをされてはいても、体を転がしたことで、わたしを昏倒させた息詰まるロープの山が完全に取りのけられているのがわかった。このありさまが意味するものは、もちろん徐々に思いあたったが、たとえそうであれ、新たな恐怖が訪れたところでさしてちがいもないほど、感情が消耗しきった状態に達していなかったとしたら、またしても失神していたことだろう。わたしのほかに……いったい何がいるのか。  新たな考えに苦しめられたり、縛めから逃れようとする奮闘をはじめたりするまえに、さらに新たな状況が明らかになった。以前には感じなかった痛みに腕や足がさいなまれ、体じゅうに乾いた血が大量にこびりついているようで、先に負った擦《す》り傷や裂傷では説明がつかなかった。胸にも百あまりの傷があるらしく、悪意のある巨大な鴇にでもつつかれたかのようだった。ロープを取りのぞいたのは敵意をいだくものにちがいなく、わたしにひどい傷を負わせながら、どういうわけかやめざるをえなかったのだ。しかしそのときのわたしの思いといえば、人が期待するものとは正反対だった。絶望の底無しの穴に沈みこむことなく、新たな勇気を奮い起こして行動を起こす決意をかためたのである。邪悪な存在が肉体を備えており、恐れを知らぬ者なら対等に立ち向かえるかもしれないと思ったからだ。  この思いに力を得て、ふたたび縛めを相手に力をふりしぼり、まばゆい光とおびただしい観客のなかでよくやったように、これまでに身につけたわざのかぎりをつくして、縛めから逃れようとした。馴染み深い細かな手順に没頭するようになると、長いロープがなくなったいま、やはり至高の恐怖は幻覚にすぎず、恐ろしい穴も計り知れない深淵も果てしないロープも存在しないのだと思うまでになった。結局のところ、いまわたしがいるのはスフィンクスのそばにあるケプレンの入口神殿であって、わたしがなすすべもなく横たわっているあいだに、こっそり忍びこんだ卑劣なアラブ人たちがわたしを苦しめようとしたのではないか。ともかく自由にならなければならなかった。縛めから逃れ、猿轡をはずし、目隠しを取って、どこからか射し入る光の輝きを目にして立ちあがりさえすれば、邪悪で狡猾な敵とも喜んで戦うことができる。  縛めを解くのにどれほどの時間がかかったのかはわからない。これまでのことで傷つき、疲れはて、衰弱していたので、公演でおこなうよりも長くかかったにちがいない。ようやく自由の身になると、冷たいじめっとした不快な臭いのする空気を深く吸ったが、猿轡と目隠しという遮蔽《しゃへい》なしにふれるとその恐ろしさもひとしおで、疲労|困憊《こんぱい》して体が痙攣《けいれん》を起こしているため、すぐには動けないことがわかった。その場に横たわったまま、曲げられて傷を負った体を伸ばしてしばらくのあいだ休み、いまいる場所の手がかりをあたえてくれそうな光はないかと目をこらした。  しだいに力としなやかさがよみがえってきたが、目に入るものは何もなかった。ふらつきながら身を起こし、あらゆる方向を一心に見つめたものの、目隠しをされていたときと同じ漆黒の闇があるばかりだった。傷だらけの胴体の下で血がこびりついている足を試し、歩けることはわかったが、どちらに行けばよいのかもわからなかった。でたらめに歩くべきでないのは明らかで、へたをすれば見いだそうとしている入口から遠ざかってしまうため、常に感じられる硝石の臭いのこもった不快な冷たい空気が流れる方向に注意を向けた。その源が深淵の入口だろうと判断するや、何とかこの目印をたどって着実に歩きつづけようとした。  マッチをもっていたし、小型の懐中電灯も携行していたというのに、衣服がぼろぼろになって、ポケットに入れてあった重いものをすべて失って久しかった。用心深く闇のなかを歩いていると、空気の流れがしだいに強く堪えがたいものになっていき、ついには何らかの開口部から噴出する不快きわまりない蒸気の奔流となり、東洋の物語で漁師の壺からあらわれる鬼神の煙のようだった。東洋……エジプト……まさしくこの文明の暗澹たる揺籠《ようらん》の地は、いいようもない恐怖と驚異の源泉だった。この洞窟の風の性質について考えるにつけ、不安な思いが強まった。悪臭がするにもかかわらず、その源を少なくとも外世界への間接的な手がかりとして探していたのだが、この不快な風がリビア砂漠の清澄な大気と混じりあったり結びついたりするわけもなく、本質的にさらに深い慄然たる深淵から噴出するものであることが、いまやはっきりとわかった。それならわたしはまちがった方向に進んでいたのだ。  つかのま考えこんだ後、ひきかえさないことに決めた。おおよそ平坦な岩の床ははっきり区別できる形状もなく、空気の流れから離れれば目印がなくなってしまうからだ。しかし妙な流れをたどっていけば、まちがいなく何らかの開口部にたどりつき、その入口から壁伝いに進んでいけば、方角を見定めることもできないこの巨石造りの通路の反対側に行けるだろう。失敗するかもしれないことはよくわかっていた。これが旅行者の知るケプレンの入口神殿の一部ではないのがわかったし、わたしのいるこの通路が考古学者にも知られておらず、わたしを幽閉した詮索好きの悪意あるアラブ人がたまたま見つけだしたものかもしれないような気がした。そうであるなら、知られた場所や外世界へ逃れ出る箇所などあるのか。  実際のところ、これが入口神殿であるという、どんな証拠があるのか。つかのま奔放きわまりない考えが脳裡に押し寄せ、生なましい雑多な印象――降下、宙吊り、ロープ、傷、夢に相違ない悪夢――を思い返した。これがわたしの人生の最後なのか。いや、いまこの瞬間が最後なら、ありがたいことではないのか。こうした疑問には何一つ答えることもできず、運命が三度目の忘却をもたらすまで、ただ歩きつづけた。今度は夢もなく、あまりにも突然のことだったので、そのショックのあまり意識あるいは無意識の考えのすべてが失われた。不快な風が抵抗しなければならないほど強くなった箇所に、思いがけないくだりの段があって、そこで足をつまずかせ、黒ぐろとした巨大な石段を真っ逆さまに、凄まじい恐怖の深淵へと転がり落ちたのだった。  ふたたび息をふきかえしたのは、健康な人間の組織に固有の活力の賜物《たまもの》である。あの夜のことをよく思いだしては、何度も意識を失ったことにいささかおかしさを感じる。意識の中断がつづいたことで、当時のメロドラマ映画を思い起こした。もちろん繰り返された中断が実際には起こっておらず、あの地下での悪夢が一度の長い昏睡の夢にすぎず、あの深淵に降下したショックとともにはじまり、ギーザの砂漠で冷笑をうかべる顔を夜明けの光で赤く染める、巨大なスフィンクスのそばに横たわって、昇りゆく太陽と外気の癒《いや》しの芳香とともに終わったのだという可能性もある。  わたしはこの解釈をできるかぎり信じたいので、ケプレンの入口神殿の柵が開けられていたことや、地表に通じるかなりの大きさの亀裂がまだ埋もれている箇所の片隅に実在することを、警察から知らされたとき、うれしく思った。医者たちがわたしの傷について、捕縛、目隠し、降下、縛めを解いたこと、かなりの落下――おそらく神殿の内部回廊の窪みへの落下――外部への柵までたどりついてそこから逃れたこと、そういった経験から予想されるものだといったときもうれしく思った……きわめて心なだめられる診断だ。しかしわたしは見かけ以上のものがあったにちがいないことを知っている。あの極端な降下はあまりにも生なましくて、その記憶をはらいのけることなどできはしない――それに虚ろな声でしゃべり、ケプレン王によく似て、ケプレン王の笑みをうかべるガイド、アブドゥル・レイス・エル・ドログマンの人相をくわしく話しても、誰ひとりとして知る者がいないのも奇妙なことである。  わたしは一貫した話から脱線している――おそらくあの最後の出来事を語るのを、いたずらに避けようとしてのことだろう。その事件こそ、何よりも紛れもない幻覚と呼べるものだった。しかしお話しすると約束したのだし、約束を破るつもりはない。あの黒ぐろとした石の階段から落下して意識を回復したとき――あるいはそのように思えたとき――わたしは以前のように闇のなかでひとりきりだった。風にこもる悪臭は以前のようにひどいうえ、いまや凄まじいものになっていたが、このころには平然と堪えられるほど嗅ぎなれたものになっていた。呆然としながらも、悪臭芬々たる風が発するところから這って逃れ、出血する手に巨大な舗石を感じとった。一度、硬いものに頭をぶつけ、それが柱――信じられないほど大きな柱――の基部で、ふれるだけでも感じとれる巨大な神聖文字がびっしり彫りこまれているのがわかった。さらに這い進み、理解を絶するほどの距離を置いて、他の巨大な柱が立っているのを知ったとき、意識が気づくよりもまえに無意識が聞きとっていたにちがいないものを知って、にわかに注意が捉えられた。  大地のはらわたのさらに深い亀裂から、一様な調子のはっきりとした音が響きわたり、いままで聞いたこともないようなものだった。ほぼ直観的に、きわめて古い、明らかに儀式にかかわるものだと思い、エジプト学の本をよく読んでいたことから、それらをフルート、角型ハープ、打楽器シストラム、太鼓に結びつけた。そのリズミカルなさまざまな音色のなかに、地上で知られる恐怖のすべてを超越する恐怖の要素を感じとった――個人的な恐怖とは縁もゆかりもない恐怖が、わたしたちの星に対する客観的な哀れみという形をとっており、このエジプトの不協和音の彼方に存在するにちがいないような恐怖をその根底にはらんでいるのだった。音は高まりつづけ、近づいてくるのが感じられた。やがて――万神殿の神々すべてが力をあわせてふたたび耳にすることがないようにしていただきたいものだが――遠くからごくかすかに、行進するものどもの身の毛もよだつ幾千の足音が聞こえはじめた。  さまざまな足音が完璧なリズムで歩調を合わせているのは実に恐ろしいことだった。大地の奥底のばけものどもの行進の背後には、不浄な何千年もの歳月にわたる訓練があったにちがいない……くぐもった足音、甲高い足音、普通に歩く足音、忍び足で歩く足音、重おもしい足音、騒々しい足音、のろのろした足音……これらすべての背後に、嘲《あざけ》るような楽器の忌わしい不協和音があった。そしてそのとき……神よ、あのアラブ人の伝説の記憶を脳裡から消したまえ。魂のないミイラ……さまようカーの集会所……魔物に呪われた四十世紀にわたるファラオの死者の群……ケプレン王と食屍鬼の女王ニトクリスに率いられ、深奥の縞瑪瑙《しまめのう》の空漠たる箇所を練り歩いていく合成ミイラ……  足音が近づいてきた――はっきり聞き分けられるようになった足、脚、蹄、肉趾、鉤爪のたてる音から、天よ、わたしを守りたまえ。無明の舗石の果てしない領域の彼方で、悪臭を放つ風のなかに一条の光がひらめき、わたしは途方もない太さの柱の背後に身を寄せ、非人間的な恐怖と病的なまでの古色をはらむ巨大きわまりない多柱式の通路で、わたしのほうへと無数の足音を響かせてやってくる、恐るべきものからしばし逃れようとした。ひらめく光が強まり、足音と不協和音のリズムが忌わしいまでに大きくなった。揺らめくオレンジ色の光のなかに、呆然と畏怖に打たれるような光景がかすかにあらわれ、わたしは驚きのあまり恐怖と嫌悪さえ忘れてあえいだ。中央部すら人間の目には見えないほどに高い柱の基部……エッフェル塔さえも微々たるものにしてしまうにちがいない柱の単なる基部……陽光が遙か遠くの伝説にすぎない洞窟で、想像もできないものたちが彫りこんだ神聖文字……  わたしは行進するものどもに目を向けるつもりはなかった。それだけは堅く心に決めて、関節がきしむ音、死者の音楽をしのいで唸る硝石の臭いのこもる風の音、死者の足音を耳にした。彼らがしゃべらないのはありがたいことだった……しかし神よ、彼らの松明《たいまつ》が驚くべき柱の表面に影を投げかけはじめた。天よ、松明の光を消したまえ。カバが人間の手を備え、松明をもっているはずがない……人間がクロコダイルの頭部を備えているはずがない……  わたしは背を向けようとしたが、影と音と悪臭がいたるところにあった。そしてわたしは、半ば意識のある悪夢のなかで子供のころにしたことを思いだし、「これは夢だ、夢なんだ」と念じはじめたことをおぼえている。しかしそれも無駄で、目を閉じて祈ることしかできなかった……少なくともそうしたのだと思う。幻視のなかでは確信などもてない――そしていまでは幻影にすぎなかったことを知っている。やがてわたしはふたたび地上にもどれるのだろうかと思い、ときおりこっそりと目を開けては、香辛料のまざる腐敗臭のこもる風、上部の見えない柱、異常な恐怖の幻影じみたグロテスクな影以外に、この場所の特徴を示すものはないかと調べた。数を増しゆく松明のはぜる明かりがいまや輝きわたっているので、地獄めいた場所がまったく壁のないところでないかぎり、境界を示すものや固定した目印になるようなものを見逃すわけもなかった。しかしどれほど多くのものが集まっているかを知ったときには、ふたたび目を閉じなければならなかった――あるものが厳かにしずしずと、腰より上がない姿で歩いているのを目にしたのだった。  恐ろしくも吠えたてる死体の喉を鳴らす音、あるいは死の唸りが、合成された冒涜《ぼうとく》的なものどもの食屍鬼めいた軍団からいっせいに湧きあがり、いまや大気――ナフサとタールの風で有害な納骨所の大気――そのものを切り裂いていた。意に反して目が開き、ほんの一瞬、パニックに陥る恐怖や肉体の衰弱なしには想像することもできない光景を見た。異形のものどもが儀式めいたやりかたで列をつくり、一つの方向、不快な風が吹く方向に進み、彼らの手にした松明が彼らのたれた頭……頭らしきものをたれているのを照らしだした……ほとんど目路のかぎりを越えたところにまで達する、強烈な悪臭を放つ巨大な黒ぐろとした開口部をまえにして礼拝しており、その開口部の横には直角をなして、先が闇のなかに消えている巨大な二つの階段があった。その一つはまちがいなくわたしが転がり落ちた階段だった。  穴の大きさはまさに柱の大きさに釣り合うものだった――普通の家屋ならほとんど見失われるほどのもので、平均的な公共のビルも簡単に出し入れできるだろう。あまりにも広大なので、目を動かさないことには境界さえたどれない……あまりにも広大、恐ろしいまでに黒ぐろとして、凄まじい悪臭を放っていた……ぽっかりと口を開けたポリュペーモスじみたこの戸口のまえに、異形のものどもが何かを投げていた――その仕草から判断して、生贅か捧げ物だろう。ケプレンが彼らを先導していた。冷笑するケプレン王あるいはガイドのアブドゥル・レイスが、上下両エジプトの支配権を象徴する黄金の二重冠を戴《いただ》き、死者の虚ろな声で果てしない式文を朗唱した。そばには美しい女王ニトクリスが膝をつき、一瞬その横顔が見えて、顔の右半分が鼠か何かに齧《かじ》りとられているのがわかった。そして悪臭放つ開口部あるいは神性に、捧げ物として何が投げられているかを知って、わたしはふたたび目を閉ざした。  この礼拝が手のこんだものであることからも、隠された神性はかなり重要なものにちがいないように思えた。オシリスやイシス、ホールスやアヌビス、あるいはさらに重要で卓越した未知なる死者の神ではないのか。いま知られている神々が崇拝されるまえに、未知なる神に捧げて恐るべき祭壇と巨像が据えられたという伝説がある……  そしていま、これら名状しがたいものどものの恍惚とした墓での礼拝を、勇気を奮い起こしてながめているうち、逃げなければならないという思いが脳裡にひらめいた。広間は薄暗く、柱は闇に包まれていた。あの悪夢の群衆のような生物はすべて恐ろしくも恍惚としているので、ごくわずかな可能性であるにせよ、一方の階段の手前までこっそり近づいて、誰にも見られることなく登っていけるかもしれない。運命と技倆を信じて、逃れ出なければならない。いま自分がどこにいるのかは、まったくわからなかったし、真剣に考えようともしなかった――一瞬、夢だとわかっているものから必至に逃げ出すという計画が面白く思えた。わたしはケプレンの入口神殿――昔からスフィンクスの神殿と呼ばれているところ――で、思いもよらない隠された地下にいるのか。推測もままならなかったが、知恵と筋肉でかなうものなら、生命と意識の領域へと登るつもりだった。  わたしは腹這いになって、二つあるうち近づきやすそうな左手の階段のほうへと、不安に満ちた前進をはじめた。その匍匐《ほふく》前進がどのようなものであったか、どんな感じがしたかは、とても言葉ではあらわせないが、あの有害な風の吹く松明の火明かりのなかで、見つけられるのを避けるため、目をこらしていなければならなかったことを想像していただければ、おおよそ察しがつくだろう。先にも述べたように、階段の一番下は闇のなかの奥にあり、巨大な開口部の上の目眩《めくるめ》く手摺つきの踊り場まで、曲がり角一つなく通じているにちがいなかった。匍匐前進の最終段階は騒々しい群衆からかなり離れていたとはいえ、右手遠くにあるときでさえ、わたしは目にするものに震えあがっていた。  ついに階段のまえに達して登りはじめ、壁に身を寄せていると、きわめて悍《おぞま》しい彫刻がほどこされているのがわかり、ばけものどもがまえの舗石に投げた凶《まが》まがしい食物と不快な風の吹く開口部を、うっとりと一心にながめているのをあてにした。階段は巨人の足にあわせたかのように巨大な斑岩の石塊で造られ、大きくて険しかったが、登りは文字通り果てしなく思えるものだった。発見されるのを恐れるとともに、体を動かしたことで傷が痛みだしたため、階段を這い登ったのは苦悶に満ちた記憶になっている。踊り場に達したら、そこからどこに通じるにせよ、すぐに登っていくつもりだったので、七十ないし八十フィート下で片膝をついたり脚で床を打ったりしている、あの忌《い》むべき死体の群をふりかえって見ようとも思わなかった――が、登りつめようとしたとき、あの轟きわたる死体の唸りと死のコーラスが突如としてふたたび湧き起こり、わたしを見つけた驚きによるものではなく、儀式めいたリズムのあるものだったため、立ちどまって手摺からおそるおそるながめおろした。  捧げられた悍しいものを得ようと、忌むべき開口部からあらわれたものを、ばけものどもが迎えていた。わたしのいる高さから見ても、途方もない大きさをしたものだった。毛むくじゃらで黄色く、興奮したような動きをしていた。おそらくかなり大きなカバほどだが、いかさま奇妙な姿だった。首はないようだが、分離した毛むくじゃらの五つの頭が、おおよそ円筒状の胴体にならんでいた。最初の頭はかなり小さく、二番目はそこそこの大きさで、三番目と四番目はともに一番大きく、五番目はややこぶりだったが、最初のものほど小さくはなかった。これらの頭部から奇妙な硬い触角が伸び、開口部のまえにある途方もない量の名状しがたい食物を貪欲につかみとった。ときおり跳ねあがることもあれば、きわめて妙なやりかたで穴にひっこむこともあった。動きかたがあまりにも不可解なので、わたしは魅せられたようにながめ、洞窟じみた穴からもっと出てくればよいのにと思ったほどだ。  するうち、そいつがあらわれた……ついに全身をあらわにしたのだが、わたしは一目見たとたん、すぐさま背を向け、闇のなかにとびこんで、そびえたつ階段に向かい、人間の視覚や論理に導かれることもなく、わけもわからないまま信じがたい段や傾斜路を登りつづけ、何らの確信もないために夢の世界に追いやらなければならないものから遠ざかった。夢だったにちがいない。そうでないなら、巨大なスフィンクスの冷笑をうかべた顔が夜明けに赤く染まるまえで、ギーザの砂漠であえぐようなことはなかっただろう。  巨大なスフィンクス。ああ、太陽に祝福された前日の朝にぼんやりと自問したこと……そもそもスフィンクスはいかなる巨大で忌むべき尋常ならざるものをあらわしているのか。夢であろうとなかろうと、わたしに至高の恐怖をあらわにした呪われた光景だった――未知なる死者の神が、存在すべきではない魂をなくした尋常ならざるものどもに恐るべき食事を捧げられ、想像を絶する深淵で巨大な肉の塊をしゃぶっているのだ……カバほどの大きさがある五つの頭を備えた怪物である――そしてそれは前脚にすぎなかった。  しかしわたしは生きながらえたので、夢にすぎなかったことを知っている。