ラヴクラフト全集〈7〉 H・P・ラヴクラフト/大瀧啓裕訳 [#改ページ] 眠りの神 Hypnos [#改ページ]       [#ここから4字下げ] 睡眠、すなわち夜ごとのあの不気味な冒険については、これが危険を知らないためであるとわかっていないなら、人は不可解な大胆さでもって日々に床につくといってもよいだろう。 [#ここで字下げ終わり] [#地付き]ボードレール        もしもこの世におわしますなら、慈悲深い神々よ、意志の力もなければ、人間の抜け目なさがつくりだす薬物もない刻限に、わたしが深い眠りの亀裂に落ちこまずにすむようになさしめたまえ。死がありがたいものであるのは、二度ともどることはありえないからだが、夜の最下底の洞《うろ》から、知識を得て憔悴しきってもどった者は、もはや安息に恵まれることもない。かような是認されざる熱狂に動かされ、人間が分け入るべきではない神秘にとびこむとは、わたしは莫迦もいいところだった。愚者ないしは神と呼ぶべきか――わが唯一の友は、わたしを導き、わたしよりも先に行って、ついには恐怖のただなかに入りこんだが、それがわたしの運命になるやもしれない。  思い返せば、わたしたちは鉄道の駅で出会い、わが友はあさましくも物見高い群衆に取り巻かれていた。意識を失い、痙攣《けいれん》のようなものを起こして、わずかばかりの黒衣に包まれた体を妙に硬直させていたのだった。そのとき四十に近い年齢だろうと思ったのは、青白くて頬のこけた顔に深い皺が刻みこまれていたからだが、その顔は楕円形をして実に端整なものであり、ふさふさした波打つ髪と、かつては漆黒であったこぶりな顎鬚《あごひげ》には、ちらほらと白いものがまじっていた。額はギリシアのペンデリコン山の大理石のように白く、その高さと幅はほとんど神の彫像を思わせるものだった。  わたしは彫刻家の情熱を高ぶらせ、この男は古代ギリシアで造られたファウヌスの彫像であり、神殿の廃墟から掘り起こされて、どのようにしてか息苦しい現代に生き返らされたため、苛酷な時代の冷気と重圧を感じる羽目になりはてたのだと、そう自分にいい聞かせた。そして落ちくぼんだ炯々《けいけい》と輝く黒い大きな目が開いたとき、そのような目は通常の意識や現実を超えた世界――わたしが夢想のなかで慈しみながらむなしく探し求める世界――の威光や恐怖をつぶさにながめているにちがいないと見てとれたので、わたしの唯一の友――絶えて友人をもった試しのない者にとっての唯一の友――になってくれるはずだとわかった。そこで野次馬たちを追いはらってから、ぜひわたしの家に来て、計り知れない神秘を教え導いてほしいと告げると、ひとことも口にせずに同意してくれた。その後、わが友の声が音楽であることを知った――低いヴィオルと澄んだ天球の音楽だった。わたしたちはよく夜に話しこみ、昼間にはわが友のさまざまな表情を不滅のものにするべく、わたしは胸像に鑿《のみ》をふるったり、象牙に細密肖像を刻みこんだりしたものだ。  わたしたちが研究したことについては、生きている人びとが想像するような世界のいかなるものともほとんど関係がないため、とうてい語ることなどできはしない。物質や時間や空間よりも深いところにあって、ある種の夢――普通の人間にはかなわぬとはいえ、想像力豊かな者の生涯に一、二度訪れる、夢を超越した稀れな夢――のなかでしかその存在を推測することもできない、模糊とした実体や意識の存する広大な慄然たる宇宙にかかわるものなのだ。われらの覚醒時の知識にある世界は、シャボン玉がピエロのパイプから生まれるように、かような宇宙から生みだされ、シャボン玉がピエロの気まぐれによって吸われるときに、その嘲弄《ちょうろう》する口もとにふれるようにしか、かような宇宙にふれることはない。学識ある者たちはほとんど推測することもなく、もっぱら無視している。賢人たちが夢を解釈して、神々に嗤《わら》われている。東洋人の目をもつ男が時間と空間は相対的なものだといって、皆に笑われた。しかし東洋人の目をもつその男でさえ、推測しているだけにすぎない。わたしは推測以上のことをしたいと願い、さまざまな試みをなしているし、わが友は努力を重ねて部分的な成功を収めていた。やがてわたしたちは古さびたケント州にある蒼古《そうこ》たる荘園屋敷の塔に設けたステュディオで、二人してさまざまな試みをなすようになり、新種の薬物をいくつか使って、恐ろしい夢や禁断の夢を見た。  これらが数日後にもたらす苦悶のなかには、あの最たる苦しみ――筆舌につくしがたいもの――がある。神をも畏れぬ探求をおこない、そうして学びとったことや目にしたことは、とうてい言葉ではあらわせない――いかなる言語であろうと、それらを象徴する言葉もほのめかす言葉もないからだ。わたしがこのようにいうのは、わたしたちの発見したことがおしなべて、感覚の性質にのみかかわっているからである。そうした感覚は通常の人間の神経系が受け入れられる印象とは何らの関係もない。感覚ではあれ、その内部には信じがたい時間と空間の要素があった――根底において、明確な存在性を有さないものなのだ。わたしたちが経験したことについて、その全般的な性質をどうにか人間の言葉で伝えるには、突入あるいは飛翔と呼ぶしかない。啓示のあらゆる段階において、わたしたちの精神のどこかの部分が、現実に存在するものすべてから大胆に逃れ、慄然たる無明の恐怖みなぎる深淵を軽やかに急進して、蒸気の濃密不快な塊としか描写しようのない、ある種の目立った典型的な障壁を通過することもあったからだ。肉体を脱してこうした暗澹《あんたん》たる飛翔をおこなっているときには、ひとりきりになることもあれば、二人一緒になることもあった。二人がそろうときには、わが友は常に遙か前方にいた。肉体が存在しないにもかかわらず、わが友のいるのが理解できたのは、不思議な光を浴びて金色に輝き、不気味なまでに美しい、ことのほか若わかしい頬、燃えあがる目、オリュムポスの神々にふさわしい額、陰をなす髪や鬚といった、わたしの目にうつるわが友の顔の視覚的な記憶めいたものによってだった。  時間の進展については、わたしたちにとって時間は些末な幻影にすぎなくなっていたため、二人とも記録をつけもしなかった。やがてわたしたちはどうして歳を取らないのかと不思議に思うようになったので、きわめて特異なものがかかわっていることだけはわかっている。わたしたちのかわす会話は罪深いものであり、常に恐ろしいまでの野心にあふれていた――いかなる神であれ魔神であれ、わたしたちがひそかに目論んでいたような発見や征服を熱望したりはしないだろう。わたしは口にするだけでも総身が震えるほどだし、あえて明らかにしたいとも思わない。一度、わが友が口にする勇気とてない願いを紙に書きとめたとき、わたしはその紙を燃やし、震えあがって窓から星のきらめく夜空をながめた。ほのめかすことしかできはしないが、わが友は目に見える宇宙やそれ以上のものの支配権にかかわる企て、地球や星たちがわが友の意のままに動き、生けるものすべての運命がわが友のものになるという企てを胸に秘めていたのだ。わたしは断言する――誓っていう――が、わたしはこうした極端な野心にはあずからなかった。わが友が正反対のことを口にしたり書きとめたりしているとすれば、それはまちがっている。成功を収めるために必要な、口にはできぬ領域でのいいようもない闘争をはじめる危険をおかせるほど、わたしは力ある者ではないからだ。  ある夜、未知の空間に発する風が渦を巻き、あらゆる思考や実体を超えた果てしない虚空へと、否応もなくわたしたちを連れこんだ。いかさま狂乱して伝えようもないものを、わたしたちはおびただしく知覚した。果てしない知覚はそのときわたしたちを欣喜雀躍させたが、いまではその一部が記憶から失われ、おぼえているものにしても、とうてい他人にはあらわしようもない。濃密な障壁を急速に次つぎと突破していき、やがてわたしはこれまでに知ったどこよりも遙かに遠い領域に運ばれたのだと思った。この新たな悍《おぞま》しいエーテルの大洋に突入したとき、わが友は遙か前方にいて、そこに漂う輝かしくも若やいだ記憶の顔に、凶《まが》まがしい狂喜を見てとることができた。突然、その顔がぼんやりしたものになって、速やかに消えてしまい、わたしはほんのつかのま、突破できない障壁に投げだされたことを知った。その障壁は他と同じようなものでありながら、このうえもなく濃密だった。非物質的な領域ではあれ、類似する特性をあらわすとするなら、粘着性のある冷たくて湿っぽい塊だったというしかない。  わたしを導くわが友がうまく突破した障壁に、わたしは阻《はば》まれたのだと思った。新たに奮闘すると、薬物による夢が終わり、塔のステュディオで目を開けてみれば、奥の片隅では、まだ意識を取りもどしていないわが友、夢見る者が微動もせずに青白い体を横たえており、月が金色がかった緑の光を投げかけるなか、大理石から彫りだされたようなその顔は、不気味なまでにやつれて、荒あらしくも美しかった。しばらくすると、片隅で横たわっていた友が身じろぎした。哀れみ深い天よ、わたしの眼前で起こったたぐいのものを、二度と目や耳にすることのないようになさしめたまえ。わが友がいかに悲鳴をあげ、恐怖のみなぎる黒い目に、ほんの一瞬、訪れることさえできない地獄の何たる光景が映じたかは、とても言葉であらわすことはできない。ただいえるのは、わたしが気を失ってしまい、わが友が意識を回復して、恐怖と孤独をはらいのけてくれる者を得ようと、やっきになって揺さぶってようやく、目を覚ますにいたったことだけだ。  それが夢の洞窟へのわたしたちの自発的な探検の最後になった。障壁を越えてしまったわが友は、畏れおののきながら重おもしく、あの領域には二度と入りこんではならないと警告した。目にしたものについては、わたしに語りかける勇気とてなかったが、目覚めているために薬物が必要になろうとも、できるかぎり眠るのをひかえなくてはならないと、思慮深くわたしに告げた。意識を失うつど、いいようもない恐怖に呑みこまれることで、わが友の言葉の正しさはすぐにわかった。短くも避けがたい眠りに落ちこむたびに、わたしが歳を取っていくように思える一方、わが友はほとんど愕然とするほどの速さで老けこんでいった。目のまえで皺ができ、髪が白くなっていくのを見るのは、実に恐ろしいことである。わたしたちの暮しぶりはいまやすっかりさまがわりしていた。これまでのところ、わたしの知るかぎり、わが友は世捨て人だった――本名も出身地もついぞ口にしたことがない――が、いまでは孤独を恐れるあまり逆上するまでになっていた。夜にはひとりきりになろうとせず、わずかばかりの者がそばにいるだけでは落ちつかせることもできなかった。心を安らかにできるのは、ごくありふれた喧《かまびす》しい浮かれ騒ぎのなかにいるときだけなので、若者や陽気な者が集まるところでわたしたちの知らない場所はほとんどないほどだった。  わたしたちの容貌と年齢がよく嘲笑を招くように思え、わたしはひどく憤慨したが、わが友は孤独よりはましだと考えていた。そして星が輝いているときには、とりわけ戸外に出るのをこわがり、どうしてもそうせざるをえないときには、盗み見るように空に目を向け、空にいる何か悍しいものに追われているかのようだった。いつも空の同じ場所に目を向けていたわけではない――季節によって異なっているようだった。春の夜には北東の低いところ、夏にはほぼ天頂近く、秋には北西、冬には東だが、もっぱら早朝未明のことだった。真冬の夜にはさして恐怖を感じなかったようだ。わずか二年を経て、わたしはわが友の恐怖を特定のものに結びつけるようになり、わが友が夜空の特別な箇所に目を向け、異なった時期での位置がわが友の見つめる方角に対応することを知るにいたった――おおよそ冠座が目印になるところだった。わたしたちはいまではロンドンにステュディオをかまえ、決して離れることはなかったが、非現実的な世界の神秘を調べつくそうとした日々については、たがいに口にすることもなかった。二人とも薬物や暴飲、そして神経をはりつめることで、めっきり老けこみ衰弱してしまい、わが友の薄らいでいく髪や鬚は雪のように白くなっていた。わたしたちが長い睡眠をひかえているのは驚くほどで、いまや恐ろしい脅威にまでなっている闇に対して、一度に一、二時間屈服するのがせいぜいだった。やがて霧と雨の一月となり、金もとぼしく、薬物を買うのが困難になった。わたしは彫像や象牙の胸像をすべて売りはらい、新しい材料を買う手立てもなく、たとえ材料があったところで、彫刻をする精力もなかった。わたしたちはひどく苦しみ、そしてある夜、わが友は深い息づかいをする眠りに落ちこんで、目覚めさせることができなかった。いまでもその光景は脳裡に焼きついている――雨が打ちつける庇《ひさし》の下にある、寒ざむとした暗い屋根裏部屋だった。部屋の掛時計が時を刻んでいた。化粧台に置いた二人の腕時計の音が聞こえるように思えるなか、家のどこか離れたところで鎧戸《よろいど》が揺れてきしみ、霧と距離によってくぐもっている遠くの街の音も聞こえていた。そのなかでも最悪なのは、寝椅子に横たわる友の息づかいが不気味なほどに深く着実なことだった――規則正しい呼吸は、想像もつかぬ遙かな禁断の世界をさまよっている友の霊魂に対する、尋常ならざる恐怖と苦悶の一刻一刻を計っているようだった。  見守っていることで緊張が堪えがたいものになり、ほとんど箍《たが》のはずれたわたしの脳裡には、些末な印象や連想がひきもきらずに奔放に湧きあがった。どこかで時計が時報を打った――わたしたちの時計は時報を打たないものなので、わたしたちのものではない。わたしの病的な想像力はここに莫迦げた彷徨の出発点を見いだした。時計――時間――空間――無限――そしてわが想像力がふたたび目下の場所に立ちもどったとき、そのときでさえわたしは、屋根や霧や雨や大気の彼方で、わが友の恐れていたらしい冠座が北東に昇り、その半円形を描いてきらめく星たちが、いましもエーテルの計り知れない深淵のなかで、目には見えないながらも輝いているにちがいないと思った。たちまち熱にうかされたように敏感になっている耳が、薬物によって強められた雑多な音のなかに、新たな歴然としたものを聞きつけた――きわめて遠くからの低くて忌《いま》わしいほど執拗な音だった。北東から鈍く唸り、どよめき、嘲笑し、呼びかける音だった。  しかしわたしの体を麻痺させ、わたしの魂に二度と拭《ぬぐ》いされないかもしれない恐怖の刻印を捺したのは、その遙かな唸りではなかった。わたしが悲鳴をあげ、ひどい痙攣を起こして、下宿人や警官がドアを打ち破ることになったのも、その音のせいではなかった。わたしが耳にしたものではなく、目にしたもののせいである。あの闇に包まれ、施錠して閉ざされ、カーテンまでひかれた部屋のなかに、黒ぐろとした北東の片隅から、恐ろしくも赤みがかった一条の金色の光があらわれたのだ――その光は闇を追いはらう輝きをもっておらず、剣呑《けんのん》な眠りにつく友の身動き一つしない頭だけを照らしだし、友が障壁を越えてあの悪夢の秘められた深奥にある禁断の洞窟にとびこんだときに、わたしが深淵の空間と何ものにも律せられぬ時間の夢のなかで知った、輝かしくも不思議と若やいだ記憶の顔の恐るべき複製をもたらした。  そしてわたしが見守っていると、わが友の頭があがり、深く落ちくぼんだ黒い潤《うる》んだ目が恐怖もあらわに開き、陰った薄い唇が分かれたが、あまりにも恐ろしすぎて悲鳴を出せないかのようだった。闇のなかで体が見えないまま、若わかしさを取りもどして輝いている、あの死人を思わせるような硬直した顔に、天地がいまだわたしについぞ明かしたこともない、脳も砕けそうなあふれんばかりの至高の恐怖が宿っていた。しだいに近づいてくる遙かな音のなかで発しられる言葉とてなかったが、記憶にある顔の狂った視線を追って、一条の光をたどっていくと、光の発するところから唸りも聞こえるのがわかるとともに、ほんのつかのま、わが友の狂った目が見つめているものをわたしも見て、絶叫を耳に鳴り響かせる発作を起こし、下宿人や警官を招くことになったのである。いくら努力しようが、目にしたものが実際に何であったのかは、とても語ることはできないし、あのこわばった顔が告げてくれるわけもない。わたしよりも多くを見ているはずだが、もはや二度と口を開くことはないからだ。しかし眠りの神である飽くことを知らぬ嘲笑するヒュプノスを、夜空を、知識や哲学をきわめるという狂った野心を、わたしはこれから常に用心することだろう。  何が起こったのかはわからない。異様かつ悍しいものによって理性を失ったばかりか、何もかもが忘却に包まれて、狂気でないというなら、何らの意味もないものだからだ。どういうわけか、みんなはわたしに友などおらず、芸術、哲学、狂気がわたしの悲惨な人生を満たしていたのはわかっているはずだという。あの夜、下宿人と警官がわたしをなだめ、医者が鎮静剤を投与してくれたが、どのような悪夢めいた事件が起こったのかを理解できる者はいなかった。彼らはわが友のこわばった姿に哀れみを催すこともなく、ステュディオの寝椅子に見いだしたものによって、わたしを褒めそやして閉口させ、いまやわたしは絶望にうちひしがれたまま世評をはねつけ、何時間にもわたって坐りこんでは、頭が禿げあがり、鬚も灰色に変じ、やつれはて、薬物に狂った半身不随のありさまで打ちひしがれ、彼らが見いだしたものを敬慕し、祈りを捧げているありさまだ。  それというのも、みんなはわたしが彫像を最後の一つまで売りはらったことを否定して、一条の輝く光が冷たく石化させた、あのものいわぬものを、感きわまったように指し示すからである。それがわが友――わたしを狂気と破滅に導いた友――のいまにのこる姿なのだ。古代ギリシアのみが生みだしうるような大理石の神のごとき頭部、時間を超越した青春の若さを備え、美しい鬚をたくわえた顔、ほほえむ唇、オリュムポスの神さながらの額、ふさふさした波打つ髪。みんなはわたしの心に取りつくあの記憶の顔が、わたし自身の顔、二十五歳のときの顔をモデルにしているというが、大理石の台座にはアッティカの文字でただ一つの名前が刻みこまれている。ヒュプノスと。