ラヴクラフト全集〈6〉 H・P・ラヴクラフト/大瀧啓裕訳 [#改ページ]   作品解題     [#地付き]大瀧啓裕    ラヴクラフト全集第六巻にあたる本書は、ランドルフ・カーターを主人公とする一連の作品を柱として、これに密接にかかわる初期のダンセイニ風掌篇をあわせ収録した。すなわち、ランドルフ・カーターものの白眉の長編、ラヴクラフトが書きのこした最大の冒険小説、古典の伝統をふまえた波瀾万丈の『未知なるカダスを夢に求めて』は、本書収録のダンセイニ風掌篇に描かれる世界を統一するものでもあり、不断に綜合を目指したこの稀有な作家の運動の軌跡を明らかにするためである。したがって本書の収録順序は必ずしも執筆年月や発表年月にしたがうものではない。この事情は個々の解題から読みとれるだろう。  なお、本全集のうち、これまでわたしの担当したものは、ラヴクラフトの書簡や随筆を資料として提示してきたが、本巻にかぎっていえば、『ロード・ダンセイニとその著作』、『妖精物語の背景』、『猫と犬』等、とりあげるべきものがありながら、ダンセイニ風掌篇の記念すべき第一作、『ポラリス』すら次巻におくらざるをえなかった紙幅の都合で、これがはたせないことをおことわりしておく。いいわけめくが、本書に収録したランドルフ・カーターものの最終作、『銀の鍵の門を越えて』は、ラヴクラフトと同時代の作家E・ホフマン・プライスのアイデアをとりこみ、その文章の一部を流用した、厳密な意味での合作と呼ぶべきものであり、本来なら本全集の補巻として予定されているラヴクラフト補作集に収録すべきものなので、本篇を資料とうけとっていただいてさしつかえない。先にあげた随筆はいずれラヴクラフト評論随筆集としてまとめる機会もあるだろう。 〈挿絵:ラヴクラフト〉  個々の作品の解題にとりかかるまえに、ラヴクラフトとロード・ダンセイニの関係について簡単にふれておく。ディ・キャンプの浩瀚《こうかん》な『ラヴクラフト伝』によれば、ラヴクラフトがダンセイニとはじめて文学上の遭遇をしたのは、一九一九年九月にダンセイニの『時と神々』を読んだときのことであり、巻頭にある同名短編を目にするや、「最初の一節がわたしの心をとらえたありさまをたとえるなら、あたかも電気ショックをうけたかのようだった」という。そして同年の十一月のはじめには、ボストンのコプリイ=プラザ・ホテルに足をのばし、おりしもアメリカに講演旅行に来ていたダンセイニと実際に出会ってもいる。 〈挿絵:「時と神々」書影〉  こうしてラヴクラフトはボストンのルース社から刊行されていたダンセイニの著書を読みふけるようになり、ダンセイニに傾倒することますます深く、ついには「芸術性と高雅さはくらべようもありませんが、ダンセイニはわたし自身なのです。ダンセイニの宇宙的王国はわたしが生をおくる国土であり、古雅な屋根に月光がふりそそぐ、ダンセイニの静まりかえった麗しい遙かな景観は、わたしがよく知って慈《いつく》しんでいる景観にほかならないのですから」(一九二三年六月三日付フランク・ベルナップ・ロング宛書簡)という心情を生みだすにいたった。敬愛する作家にただのめりこんでいただけではなく、冷静に評価していたことは、先にあげた『ロード・ダンセイニとその著作』や、『文学における超自然の恐怖』のダンセイニの項によって裏づけられている。  ラヴクラフトが高く評価したダンセイニの特質には、宇宙的な視点、簡潔でリリカルな文体、東洋の色彩、ヘレニズムの様式、テュートンの憂鬱《ゆううつ》、ケルトの憧憬《しょうけい》があり、これらが間然するところなく融合して生みだされる創造神話の世界こそ、ラヴクラフトの心をとらえてはなさなかったのであった。ラヴクラフトがダンセイニから学びとったものが、由緒正しい文体と語彙《ごい》を採用し、象徴表現を多用することで、古典の連想を可能ならしめるという、戦略的かつ多重的な技法であったことは、いくら強調しても強調しすぎることはないだろう。ラヴクラフトの作家としての出発点がここに見いだされるからだ。古典の連想とは、作品の奥行を重層的に深めることにほかならない。 〈挿絵:「ペナーガの神々」扉〉  ラヴクラフトは『白い帆船』を皮切りに、独自のダンセイニ風掌篇を書きはじめるようになった。ダンセイニの技法に倣《なら》い、自分自身の世界を構築せんとして。いかにも詞《ことば》は古きをしたい、心は新しきを求めたわけである。ただし、ラヴクラフトはこれだけでとどまりはしなかった。純粋な神話を生みだそうとする企ては、ラヴクラフトの最大の運動、壮大な規模の創造神話の構築へと展開する。これにともない、古典の連想に加え、自作の連想という技法が磨きぬかれていったことを見のがしてはなるまい。確かにラヴクラフトの創造神話は、ダンセイニの創造神話にその淵源の一つが認められるが、ダンセイニの創造神話を継承するものではなく、ビアースやチェンバースから学んだ自作の連想を可能ならしめる技法が自家|薬籠《やくろう》中のものとなったとき、まさしくプロヴィデンスの作家はアイルランドの男爵をしのいだのである。激しい自己錬磨により、作家として山頂をきわめたラヴクラフトが、その後も孤高の営為を持続しつづけたことは、いまさら申すまでもなかろう。 〈挿絵:ダンセイニ〉 『白い帆船』 The White Ship  一九一九年の十一月に執筆され、同人誌〈ユナイテッド・アマチュア〉の一九一九年十一月号に発表された後、〈ウィアード・テイルズ〉一九二七年三月号に掲載された。  正確にいえば、本篇はラヴクラフトのダンセイニ風掌篇の第二作にあたる。前年春の『ポラリス』が、ダンセイニをいまだ知ることなく執筆されたダンセイニ風掌篇という、特異な地位を占めるからだ。ラヴクラフトはこの『ポラリス』をほぼ夢に基づいて書きあげており、ダンセイニとの気質的な相似をうかがわせる。だからこそ、ダンセイニとの文学上のはじめての遭遇が、「あたかも電気ショックをうけたかのよう」であり、「ダンセイニはわたし自身なのです」との心境にまでいたるのだろう。  キングスポートのノース・ポイントの灯台守を主人公とする本篇は、ダンセイニを知った後、その影響、ことに短編集『夢想家の物語』に収録された『ヤン河での無為な日々』の影響を強くうけて執筆された。ちなみにダンセイニの短編では、夢の国を流れるヤン河を、〈河の鳥〉号と呼ばれる船で海にくだる次第が語られ、漕ぎ手たちが歌い、さまざまな都市があらわれる。これらを巧みにとりこんだ『白い帆船』は、舞台を大洋にかえて希望の地を目指す破綻《はたん》の航海を描き、『ヤン河での無為な日々』には乏しかった物語の流れを豊かなものにするだけにとどまらず、寓話の域に達する象徴表現を駆使することにより、まったくの別箇の作品として、敬愛する作家の本歌どりを見事に成功させた。掌篇ながらも、模倣ではなく独創を目指すラヴクラフトの面目躍如たる出来栄えである。 〈挿絵:「ヤン河での無為な日々」挿絵〉  本篇に関し、ダレル・シュワイツァーは『ラヴクラフトとロード・ダンセイニ』において、「多くを求めすぎる者は何も得ない」という教訓をひきだし、深遠な思想的深みはないと評する一方、ダーク・K・モシグは『心理学的オデュッセイアとしての白い帆船』において、ユング心理学を武器に個性化の過程を描いたものとして本篇を分析している。わたしの見るところ、モシグは急所をついていながら、的を射ぬいてはいない。本篇の解読にあたって考慮にいれるべきは、執筆に先立つ一九一九年三月に、ラヴクラフトの母が神経衰弱になって病院に収容されたことである。詳しくは別席の閑談にゆだねるが、ラヴクラフトの母への思いと父への思いの葛藤こそが、本篇の駆動力なのだ。  ラヴクラフトが珍しく本篇において、父をもちだしていることを見のがしてはならない。すなわち、「祖父の時代には航行する船は多く、父の時代になるとその数もへり」のくだりであり、成功した実業家である母方の祖父フィップル・フィリップスと、一介のセールスマンにすぎなかった父ウィンフィールド・スコット・ラヴクラフトの姿がすかし見えるだろう。この父は精神に異常をきたして入院した後、ラヴクラフトが八歳のときに亡くなった。そして母もまた父と同じありさまで、父と同じ病院に収容された事実は、ラヴクラフトの心に不安の暗影を落とさなかったはずがない。孤独な灯台守が母の象徴としての大洋に乗りだし、希望の地を目指すこのオデュッセイアの意味するものは、ラヴクラフトの置かれた状況に照らしてあまりにも明白である。この旅を破綻させたことは、教訓をたれるためではなく、ラヴクラフトの透徹した眼差《まなざし》を証すものといえよう。  先に引用したラヴクラフトの発言、「ダンセイニの宇宙的王国はわたしが生をおくる国土」であるとする発言は、ラヴクラフトが現実ではなく夢想の世界に生をつないでいたことを意味するものである。ダンセイニ風掌篇とはこの夢想の世界を紙上に喚起する企てにほかならず、美しい夢の運動ではあるが、この夢想の世界は慈しみ育《はぐく》まれたものであるだけに、おのずからラヴクラフトの心情をもっとも無防備な形で露呈しかねない危険をはらんでいた。その典型的な例がこの『白い帆船』である。ダンセイニ風掌篇の執筆がとだえることになった所以《ゆえん》は、技巧上の問題や新たな創造神話の展開に加えて、ラヴクラフトがこの危険を見ぬいていたか、薄うす感じとっていたためもあるといえるだろう。   『ウルタールの猫』 The Cats of Ulthar  一九二〇年の六月十五日に書きあげられ、同人誌〈トライアウト〉の一九二〇年十一月号に発表された後、〈ウィアード・テイルズ〉一九二六年二月号に掲載され、さらに同誌の一九三三年二月号に再録された。一九三五年にはラヴクラフトの若き友人ロバート・H・パーロウが四十部限定の小冊子として刊行したほか、〈ファンタスティック・ノヴェルズ〉一九五一年一月号にもハネス・ボクの挿絵を付して再録されている。  猫に対する愛情にみなぎる本篇に関して、一九二〇年五月二十一日付ラインハート・クライナー宛書簡に興味深い言及がある。ある夜ラヴクラフトの自宅に黒猫が訪れ、この猫をかわいがっているうちに猫のいわんとするところが伝わり、これによって「単純ながらも凶《まが》まがしいプロット」が脳裡に形をなしたというのだ。ラヴクラフトは具体的に、「いずれ同人誌に『ウルタールの猫』と題する物語を」発表することになるだろうと記している。本篇の冒頭近くにある、「猫は古代エジプトで……スフィンクスが忘れはてたことをおぼえている」の文章は、この書簡からそっくりそのまま流用されたものなので、既に本篇はメモの形にせよ一部が書きあげられていたのだろう。 〈挿絵:ハネス・ボク画〉  ダンセイニが犬を好んだのにひきかえ、ラヴクラフトは猫を愛してやまなかった。若い友人ロバート・ブロックに、その短編『書斎での自殺』において、猫の神バストの神官、狂えるラヴェ=ケラフと記されてはよろこび、猫を目覚めさせるにしのびないとして、眠る猫を膝《ひざ》に乗せたまま夜を明かしたというラヴクラフトなればこそ、異国情緒を巧みにとりこんだこの『ウルタールの猫』を書きえたといえるだろう。ラヴクラフトが後年この時期の自作にふれて、本篇をもっとも好んでいる所以である。人間ラヴクラフトをしのばせる佳品といえよう。なお、ラヴクラフトに本篇を書かせることになった黒猫は、後に『未知なるカダスを夢に求めて』にも登場することを指摘しておく。   『蕃神』 The Other Gods  一九二一年の八月十四日に書きあげられ、同人誌〈ファンタシー・ファン〉の一九三三年十一月号に発表された後、〈ウィアード・テイルズ〉一九三八年十月号に掲載された。  人間に見られることを潔《いさぎよ》しとせずに在所をかえていく神々と、その姿をうかがわんとする大胆な賢人の交わるところ、てきめんに神の怒りがくだらずにはおかない道理を描いた本篇は、たちどころにプシュケーとエロスの物語や、エデンの園からの追放、青髯《あおひげ》の話を連想させ、先のシュワイツァーが教訓をひきだしていないのが不思議に思われるほどだが、それほどまでに本篇の寓話としての結構が整っているということなのだろう。ラヴクラフト自身はこうした一連のダンセイニ風掌篇を「擬似民話」(一九三一年六月十五日付J・ヴァーナン・シェイ宛書簡)と捉えていたことを申しそえておく。本篇は長じたアタルを登場させることで『ウルタールの猫』に、厳寒の地ロマールの『ナコト写本』にふれることで『ポラリス』に通じる。綜合化は既にはじまっているのである。   『セレファイス』 Celephais  一九二〇年の十一月に執筆され、同人誌〈レインボー〉の一九二二年五月号に発表され、半商業誌〈マーヴェル・テイルズ〉の一九三四年五月号に掲載された後、〈ウィアード・テイルズ〉一九三九年六・七月合併号に再録された。  没落の家系に属する孤独な主人公の美しくもはかない夢への没入を描いた本篇は、一九二一年十二月十四日付クライナー宛書簡によれば、「ペーソスの糸で最近の夢のいくつかを織りあげたもの」だそうだが、ダンセイニの短編集『驚異の書』に収められた『トマス・シャップ氏の戴冠』との類似点を見すごすわけにはいかない。この短編ではロンドンの商人シャップが、かまびすしい生活から空想の世界へと逃避していくありさまが語られ、ついに驚異の国の王に即位したところで、精神病院に収容されていることがほのめかされるのである。しかしラヴクラフトの『セレファイス』はこれにくらべて、夢に遁《のが》れざるをえない主人公の動機づけに説得力があり、夢の世界の描写はきめこまやかで、作品の結構も整い無駄がない。『白い帆船』につづいて企てられたダンセイニの本歌どりが、またしても成功したわけである。 〈挿絵:〈ウィアード・テイルズ〉目次〉  主人公の名前がついに明かされず、夢の世界の通り名であるクラネスとしてのみ呼ばれるのは、ラヴクラフトが自らの心情を主人公に仮託している証しでもあり、この思いいれの深さが本篇を磨きぬかれた名品とするにあずかって力あったのだろう。現実の世界における敗北と夢の世界における勝利という、あまりにも安易な図式が、退行の夢にほかならないユートピア願望をひきずりながらも、シニカルな結末によって劇的な効果をあげているのは、ラヴクラフトのリアリズム至上主義のなせるわざである。  なお、本篇においては不思議にもインスマスがイギリスの土地とされているが、『未知なるカダスを夢に求めて』の記述にしたがえば、これはコーンウォール半島に設定されているものらしい。はじめてレンが言及されるとともに、本巻収録のダンセイニ風掌篇の舞台となっていた土地が夢の世界として明確に位置づけられ、主人公への仮託がなされていることにより、この『セレファイス』はラヴクラフトの理想化された分身、夢見る人ランドルフ・カーターの物語を先取りする、記念すべき作品といえよう。 〈挿絵:「トマス・シャップ氏の戴冠」挿絵〉   『ランドルフ・カーターの陳述』 The Statement of Randolph Carter  一九一九年十二月に執筆され、同人誌〈ヴァグラント〉の一九二〇年五月号に発表された後、〈ウィアード・テイルズ〉一九二五年二月号に掲載され、さらに同誌の一九三七年八月号にも再録された。 〈挿絵:「ランドルフ・カーターの陳述」執筆原稿〉  神秘家ハーリイ・ウォーランと古びた墓地の墓をあばき、見えざる恐怖に襲われた経緯《いきさつ》を陳述する本篇は、アルフレッド・ギャルピンとウインター・モーの両者に宛てた一九一九年十二月十一日付書簡によれば、実際に見た夢をそのまま小説として書きあげたものらしい。もちろん夢のなかにあらわれたのは、ウォーランとカーターではなく、ラヴクラフトの友人である愛書家サムエル・ラヴマンとラヴクラフト自身だが、まさしくこのふたりは小説に描かれたとおりの行動をとり、ラヴクラフトは地底から「莫迦《ばか》め、ラヴマンは死んだわ」と告げる声を聞いて目を覚ましたという。  夢をそのまま利用した本篇をラヴクラフトはよほど気にいっていたらしく、「最善をつくした作品」であるとか、「最高作」であるとかいった発言が、長期間にわたってさまざまな書簡に認められる。恐怖小説としての完成度がそれほど高いものであるかどうか、慄然《りつぜん》たる夢の印象のなまなましさが、さしものラヴクラフトの目をくもらせたのかもしれない。陳述という形式は後に『戸口にあらわれたもの』でさらに洗練されたものになる。本篇はランドルフ・カーターのデヴュー作でありながらも、まだ夢見る人としてのカーターの姿はたちあらわれてはいない。   『名状しがたいもの』 The Unnamable  一九二三年に執筆され、〈ウィアード・テイルズ〉一九二五年七月号に発表された。  名状しがたいものに関する議論がはからずも名状しがたいものを招来するにいたる顛末《てんまつ》を描いた本篇は、同人誌〈ヴァグラント〉の最終号に掲載が予定されていたが、発行者W・ポール・クックの手もと不如意と健康状態の悪化により、刊行が遅延しているあいだに、〈ウィアード・テイルズ〉に売れたいきさつがある。一九二七年六月に投函《とうかん》されたバーナード・オースティン・ドゥワイアー宛書簡には、本篇についての詳しい言及があり、それによれば、ラヴクラフトはコットン・マザーの『アメリカにおけるキリストの大いなる御業』にある流言に目をつけ、これを肉づけすることを目論見、ニューイングランドの伝承を加味して、この『名状しがたいもの』を書きあげたという。  この『名状しがたいもの』によって、ランドルフ・カーターはいよいよラヴクラフトの分身の姿をとりはじめた。本文中ただ一度カーターと呼びかけられているだけで、本篇をランドルフ・カーターものと断定するのは乱暴な話に聞こえるかもしれないが、夢見る人としてのランドルフ・カーターが確立される『銀の鍵』には、本篇がアーカムでのエピソードとして紹介されているので、本篇のカーターはまさしくランドルフ・カーターに相違ないのである。なお、アーカム・ハウス社から刊行された『閉ざされた部屋』には、本篇の舞台をプロヴィデンスのセント・ジョン墓地であるとして、その写真まで掲載されているが、ラヴクラフト本人が一九三四年二月十四日付ドゥエイン・リメル宛書簡で、セイレムのセント・チャーター墓地であると特定していることを申しそえておく。ラヴクラフトによれば、この墓地の毀《こぼ》れた墓石近くには古びた家屋があり、「墓地の中央近くの碑銘も読めない墓石を呑《の》みこまんとする柳も存在する」という。いまさら申すまでもなく、セイレムとはアーカムのモデルとなった魔女狩りの街である。   『銀の鍵』 The Silver Key  一九二六年に執筆され、〈ウィアード・テイルズ〉一九二九年一月号に発表された。  この作品によってランドルフ・カーターはついに、ラヴクラフトの理想化された分身となるにいたった。さらにいえば、望みどおりのことをおこなえるだけの資産をもつカーターは、『セレファイス』における没落の名家の末裔《まつえい》クラネスと、決定的に境遇が異なっているとはいえ、『銀の鍵』の構成から判断するかぎり、本篇は主人公をカーターに置きかえての『セレファイス』の再話とみなすことができる。カーターを資産家と設定したことにより、夢に対するこだわりの説明をあれだけの長さにわたってなさねばならなくなったのだろう。その結果は自らの心情告白となった。 〈挿絵:「銀の鍵」挿絵〉  もちろんラヴクラフトは再話をおこなうだけにとどまらず、銀の鍵という新しい象徴的オブジェをもちだし、物語にひねりを加えることに成功している。この銀の鍵が『セレファイス』の再話をおこなわせた原動力であるかのごとくだが、『銀の鍵』の執筆された年の四月に、ソーニャとの結婚生活が破綻したことから、ラヴクラフトがついにニューヨークをひきあげて故郷のプロヴィデンスにもどった事実を忘れてはならない。正確な執筆月日がわからないにせよ、少なくとも、故郷にもどれるかもしれないという見込、あるいはもどりえた喜びのいずれかが、この作品を生みだす原動力の一つであったとはいえるだろう。既に『レッド・フックの恐怖』によって悪魔|祓《ばら》いをしていながらも、さらに本篇を書かざるをえなかったラヴクラフトの心中は察するにあまりある。   『銀の鍵の門を越えて』 Through the Gates of the Silver Key  一九三三年の四月に書きあげられ、エドガー・ホフマン・プライスとの合作として、〈ウィアード・テイルズ〉一九三四年七月号に発表された。  アーカム・ハウス社刊行の『猫についてのこと』に収録された、プライスの『ラヴクラフトだった男』は、本篇が成立するにいたった事情を克明に告げる情報に乏しく、ディ・キャンプの『ラヴクラフト伝』とラヴクラフトの書簡を基に構成するなら、一九三二年の五月にラヴクラフトはニューオリンズにまで足をのばす旅をおこなった。このことを知ったロバート・アーヴィン・ハワードから、ラヴクラフトの泊まるホテルを電報で伝えられたことで、プライスがホテルにラヴクラフトをたずね、自宅に招き、『銀の鍵』を愛読していることを告げ、失踪《しっそう》したランドルフ・カーターの後日談の合作をもちかけたのである。ラヴクラフトがこれに応じたらしく、プライスは九月末に『幻影の王』と題する六千語の短編の草稿をラヴクラフトに送付した。この草稿は現在ブラウン大学ジョン・ヘイ図書館のラヴクラフト記念文庫に保存されているばかりか、同人誌〈クトゥルーの窖《あなぐら》〉の一九八二年に刊行された第十号が全文を掲載している。  さて、プライスの草稿をうけとったラヴクラフトは、十月三日付書簡で、礼儀上『幻影の王』を褒《ほ》めてはいるが、この草稿の改訂にいつとりかかれるかについては言葉をにごし、『銀の鍵』の後日談としての欠陥をさまざまに指摘している。穏やかな筆致だが、ほとんど面罵《めんば》にひとしい。察するに、ラヴクラフトはもともと合作の企てを気にいらず、ことわる機会がないままに草稿を送られるはめになり、これがアイデアだけはすぐれているものの、小説としては未熟なものにすぎないので、辟易《へきえき》したというところだろう。小説としての欠陥については、プライスが合作の土台となる草稿として、あまり手をくわえることなく性急に書きあげたのかもしれないことを、プライスの名誉のために申しそえておく。プライスから『幻影の王』の書き直しを求められること度重なり、ラヴクラフトはクラーク・アシュトン・スミスにまかせることまで考えるが、翌年三月になって、自分の文体を使いまったく新たな形式で書きはじめる決意をつけ、四月についに書きあげたのである。 〈挿絵:〈ウィアード・テイルズ〉目次〉  ダンセイニの影響をうけた最後の作品といってさしつかえない『銀の鍵』との繋《つなが》りからも、既に使わなくなって久しい技法を復活させて、これをプライスのアイデアと折り合わせることに、もっとも腐心したらしい。その結果が本篇であるからには、ラヴクラフトの苦労も十分にむくわれたといえるだろう。プライスの『幻影の王』がどれだけ生かされているかといえば、本篇の要といえる原型論はプライスのアイデアを踏襲したものである。ただしプライスはこれを対話の形で展開しており、いかにも教室の講義くさいとして、ラヴクラフトが徹底的に書きあらためた。プライスの文章がほぼそのまま使用されているものとしては、アイレムについての言及、『ネクロノミコン』からの引用、〈古のものども〉の司教冠の描写等、もっぱら〈第一の門〉を越えてからの出来事にかぎられており、その前後はラヴクラフトが折り合いをつけるべく考えだしたのである。ド・マリニーの邸における、ボクーラ絨毯《じゅうたん》や鋳物彫の鼎《かなえ》は、ラヴクラフトがニューオリンズのプライスの自宅で目にしたものであり、プライスをよろこばせようとしたのだろう。しぶしぶながらとりかかった合作ではあるが、プライスの草稿を全面的に書きあらためたこの『銀の鍵の門を越えて』は、結果的にラヴクラフトの面目をほどこすものとなった。   『未知なるカダスを夢に求めて』 The Dream-Quest of Unknown Kadath  一九二六年八月から翌年一月二十二日にかけて執筆されながらも、生前発表されたことはなく、オーガスト・ダーレスの経営する出版社アーカム・ハウス社の季刊誌、〈アーカム・サンプラー〉の第一号(一九四八年冬)から第四号(同年秋)にかけて掲載された。  ニューヨークから故郷プロヴィデンスにもどったラヴクラフトが、発表するつもりもなく書きつづけた唯一の長編冒険小説が本篇である。ダンセイニ風掌篇の舞台となったさまざまな土地が夢の国に完全に位置づけられ、神々を探し求めるランドルフ・カーターの遍歴が連綿と語りつがれるこの作品は、『ピックマンのモデル』で行方をくらましたリチャード・ピックマンが食屍鬼としてその姿をあらわすなど、これまでに執筆発表されたラヴクラフトの作品の登場人物が顔をそろえるばかりか、後に展開する創造神話に通底することからも、気宇壮大な綜合化を目指す企てにほかならない。ラヴクラフト自身はこれを「ピカレスク風の冒険小説」(一九二六年十二月付オーガスト・ダーレス宛書簡)として書く狙いをもっていたが、まことにカーターの旅をさまたげる悪しき存在はおびただしく、さわやかな夢の国は不断に暗雲の気配たちこめて、ピクチュアレスクの作家であったラヴクラフトの描写の技巧がその真価を発揮しているだけに、明暗の対比は目にしみるほどに際立ち、カーターをナイアルラトホテップのもとに拉致《らち》せんとする陰謀渦巻くなか、捕縛あり救援あり、ときに船が月に飛び、山脈が大地を闊歩《かっぽ》し、いくさの轟き消えいることもなければ、面妖な種族の登場もとどまるところを知らず、カーターの進むところたちまち波瀾が波瀾を呼び、確かに冒険小説の醍醐味はいかんなく発揮された。 〈挿絵:〈アーカム・サンプラー〉〉  古典の連想を可能ならしめる技法の駆使をはじめ、物語の構成等について、書きたいことはいろいろあるが、書きだせばきりがないので、作品分析は読者に委ね、解題として最小限必要なことを記すにとどめておく。まず、この『未知なるカダスを夢に求めて』の位置づけだが、これが夢の世界に自在に入りこめた時期の出来事であって、『銀の鍵』が夢の世界に入りこめないまま銀の鍵にたよらざるをえなくなった事情を明かしていることからも、『銀の鍵』の出来事が起こるまえ、すなわちカーターが三十になるまえのものであるはずだ。本篇の末尾のナイアルラトホテップの怒りからも、これによってカーターが夢の世界に入れなくなったと考えるのが至当なところだろう。『銀の鍵』のときには判断を留保したが、この『未知なるカダスを夢に求めて』の場合は何らはばかることなく断言できる。ラヴクラフトは故郷プロヴィデンスにもどれた喜びを胸に本篇をひたすら書きあげたのである。ニューヨークの悪夢をたちきり、新しく生まれるために。本篇以後に発表された名品の数かずがその証拠ではないか。  なお、夢の国の地図がいくつか作成されており、クトゥルー・ゲームのケイオシャム社から発売された『夢の国』に付された地図が、ごくわずかに綴りの誤りが認められながらも、もっとも詳細で完成度の高いものである。ただこれはあまりに大きすぎて、ここに縮小掲載したところで、虫眼鏡を使っても判読不可能と思われるため、これにかわる地図を三種あげておく。