ラヴクラフト全集〈3〉
H・P・ラヴクラフト/大瀧啓裕訳
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資料:怪奇小説の執筆について Notes on Writing Weird Fiction
〈挿絵:ファンレイが描いたラヴクラフトの肖像〉
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わたしが小説を書く理由は、ある種の眺め(情景、建築物、雰囲気等)によってもたらされる、驚異、美、冒険心、そして芸術や文学で出会う考え、出来事、イメージといった、曖昧《あいまい》模糊《もこ》としてとらえどころのない断片的な印象を、さらに明確、詳細、安定感のあるものへと視覚化して、満足感をおぼえることにあります。わたしが怪奇小説を選んだのは、それがわたしの性向に最もかなうからです――わたしにあって最も強くまた最も根深い願望の一つは、わたしたちを永遠に閉じこめて、視野や分析の範囲を超えた無限の宇宙空間に対するわたしたちの好奇心をうち砕く、時間、空間、自然法則のやりきれない限界について、そのなにか奇妙な中断というか侵害を、一時的に幻影化することなのですから。こうした小説がしばしば恐怖の要素を強調するのは、恐怖がわたしたちの最も根深く、そして最も強烈な感情で、自然に挑む幻影の創造に最も寄与するからにほかなりません。恐怖と未知のもの、あるいは奇怪なものは、常に密接な関係をもっていますから、恐怖の感情を強調することなく、破壊された自然法則や、宇宙的な疎外感や、「異界性」を説得力豊かに描くことは、きわめて困難でしょう。わたしの小説の多くで時間が大きな役割を演じるのは、宇宙においてはなはだ劇的で、忌わしくも恐ろしいものとして、この要素がわたしの心に大きくのしかかっているからです。わたしにとっては、時間との戦いが、人間の表現手段における最も潜在力ある実り豊かな主題であるように思えます。
〈挿絵:ラヴクラフトの蔵書 M.R.James "A Thin Ghost and Others" 〉
わたしの選んだ小説の形式が特殊なもので、おそらく狭隘《きょうあい》なものであるのは明らかですが、それでもなお、これは文学そのものとおなじように古い、持続性ある不変の表現形式なのです。未知の外宇宙について燃えるような好奇心をもっていたり、既知の現実という牢獄のような場から、夢がわたしたちに開示したり、あるいは深い森、都会の異様な塔、赤い夕日といったものがつかのまほのめかしたりする、そんな信じられない冒険と無限の可能性に満ちた魅惑の世界に遁れだしたいという、熱烈な願いをもっていたりする人は、わずかとはいえかならず存在するのですから。こうした人びとのなかには、わたしのようなとるにたらない素人《しろうと》と同様、偉大な作家もいます――ダンセイニ、ポオ、アーサー・マッケン、M・R・ジェイムズ、アルジャーノン・ブラックウッド、ウォルター・デ・ラ・メアが、この分野での典型的な巨匠です。
わたしがどんなふうに小説を執筆するかについては、いいようがありません。作品にはそれぞれ異なった来歴があるのですから。一、二度は文字通り夢をそのままに記《しる》したこともありますが、たいていは表現したいと思う気分、考え、イメージをもってはじめ、それを頭のなかで思いめぐらして、具体的な言葉で記録できる一連の劇的な出来事を、はっきりあらわす方法が考えられるようにまでするのです。わたしはそうした気分、考え、イメージに一番ふさわしい、基本的な状態や状況を頭のなかで列挙してから、その基本的な状態や状況に特有の表現で、所定の気分、考え、イメージに関して、論理的で自然な動機をあたえられる解釈を考察しはじめる傾向があります。
執筆の実際の過程は、もちろん主題の選択や当初の構想によって異なりますが、わたしの小説すべての来歴が分析されるなら、平均的な手順から、次の一連の規則が導きだせるでしょう。
一、純然たる発生の順序で出来事の概要あるいは大筋をまとめる――叙述の順ではない。決定的な部分をすべて論じ、目論んだ出来事すべてに動機をあたえるため、十分な描写をする。この一時的な骨組においては、因果関係の尊重、細目、評釈がときとして望まれる。
二、出来事の二番目の概要あるいは大筋をまとめる――これは叙述の順序に従い(実際の出来事の順序ではない)、十二分に細部にわたり、かわりゆく見通し、力点、クライマックスに関して覚書をつけておく。そうした変化が小説の劇的な力や全般的な効果を高めるなら、それにあうように最初の概要をかえる。自在に出来事を挿入したり削除したりする――最終的な結果が当初目論んだものとまったく異なった小説になろうとも、当初の構想に束縛されることはない。製作過程で思いつけば、常に加筆訂正をおこなう。
三、二番目、つまり叙述の順序による概要に従って――流れるように早くなめらかに、あまり批判の目を向けずに――小説を執筆する。以前の構想に束縛されることなく、この小説を展開させる過程で変化が必要と思えるなら、常に出来事やプロットを変化させる。展開が劇的な効果や生なましい叙述の新たな機会を突然にあらわすなら、都合がよいと思えるものは何でもつけ加える――まえにもどって、最初の部分を新しい構想に調和させる。必要な場合、あるいは望ましい場合は、全体に加筆訂正をほどこし、最善の配列が見つかるまで、発端から帰結にいたるまでさまざまに書きかえる。しかし小説をとおしてのすべての言及が最終的な構想と完全に調和していなければならない。すべての言及を調和させるうえでの用心として、余計なもの――言葉、文章、段落、挿話といったもの――はすべてとりのぞく。
〈挿絵:H・P・ラヴクラフト〉
四、語彙《ごい》、統語法、文章のリズム、段落わけ、語調、転換の優美さと説得力(場面から場面への転換、ゆっくりした詳細な行為から速《すみ》やかでざっとした行為への転換、その逆等々……)、発端、帰結、クライマックス等の効果、劇的な緊張と興味、もっともらしさと雰囲気、その他さまざまな要素に注意をはらい、小説全体を書き直す。
五、原稿をタイプする――しっくりおさまると思えば、この段階でもためらわずに加筆訂正する。
〈挿絵:ラヴクラフトの生家 写っているのは、叔母、祖母、両親〉
この段階のうち最初のものは、たいてい頭のなかでおこないます――一連の状態や出来事を頭のなかでまとめ、叙述の順序による出来事の詳しい概要がまとまるまで、書き記すことはしません。そのあともときには、考えをどう展開すればいいかわからないときでさえ、実際に執筆することもあります――こういうはじめ方をすると、動機をあたえたり、活かしたりする問題が生じますが。
怪奇小説には四つのタイプがあるように思います。一つは気分や雰囲気をあらわすもの、次に視覚的な概念をあらわすもの、三番目は全般的な状況、状態、伝説、知的な概念をあらわすもの、そして四番目は明確な思いがけない情景か特定の劇的な状況がクライマックスをあらわすものです。いいかえれば、怪奇小説はおおざっぱに二つの範疇《はんちゅう》におさまるのかもしれません――驚異や恐怖が何か状態や現象にかかわっているものと、異様な状態や現象に関連した人物の行為にかかわっているものとにです。
〈挿絵:ラヴクラフトの書簡〉
それぞれの怪奇小説――さらに具体的にいって恐怖をあつかう小説――は、はっきり五つにわかれる要素、(a)何か恐怖か異様さをはらむ状態、実体等、(b)恐怖の一般的な効果や意味、(c)顕現の様態――恐怖や観察される現象をあらわすもの、(d)恐怖に関連するその反応の様態、(e)所定の状況下での恐怖の特定の効果、にかかわっています。
怪奇小説を執筆するうえで、わたしが常にこのうえもない注意をはらうのは、ふさわしい気分と雰囲気を生みだし、必要なところでかならず強調しようとすることです。生硬でまがいもののパルプ小説は別として、客観的な行為や型にはまった感情を紋切り型に記したのでは、ありえざる現象、不可解な現象、考えられない現象を描写することはできません。想いもよらない出来事や状態には、克服しなければならない特殊な困難さがあり、これが達成できるのは、あたえられた一つの驚異にかかわるものを例外として、小説のあらゆる局面において注意深い現実主義を維持することによるしかないのです。この驚異は――注意深く感情を強化して――意図的にきわめて強い印象をあたえるようにあつかわなければなりません。そうしなかったら、浅薄で説得力のないものになってしまうでしょう。その驚異が小説で主要なものになっていますから、その驚異の存在そのものが、登場人物や出来事の影を薄くさせるはずのものなのです。しかし登場人物も出来事も、それらが驚異に関係する場合は別として、首尾一貫した自然なものでなければなりません。中心的な驚異に関して、登場人物は現実の人生で人がそういう驚異に示すのとおなじ、圧倒的な感情を示すべきです。驚異が当然のものとうけとられることはないのですから。登場人物が驚異に慣れているように設定するときでも、わたしは読者がおぼえるものに相当する、畏怖の念に満ちた印象的な雰囲気をつくりだそうとします。散漫な文体は、真剣な幻想をあつかう小説をだめにするだけです。
〈挿絵:H・P・ラヴクラフト〉
行為ではなく雰囲気が、怪奇小説に最も必要なものなのです。事実、驚異をあつかう小説がなしとげるものは、人間の情緒の特定の型を生なましく描きあげることにほかなりません。それ以外のことをなそうとした瞬間、安っぽくて幼稚な、説得力のないものになってしまうでしょう。最大の力点は微妙な暗示に置かれるべきです――さまざまな情緒をあらわし、非現実の異様な現実性の曖昧模糊とした幻影をつくりだす、細部の連想を生じさせる漠然とした暗示やほのめかしにです。持続する彩《いろどり》や象徴は別として、実質や意味のありえない信じられない出来事を、大胆に分類することは避けなければなりません。
以上がはじめて幻想的な小説を真剣に執筆しようとしたときから、わたしが――意識的あるいは無意識に――従っている規則というか標準的な手順です。この結果が成功しているかどうかは大いに議論の対象になるでしょう――しかしわたしがすくなくとも思うのは、以上述べたことを無視していれば、わたしの作品がいまよりひどいものになっていただろうということです。