ラヴクラフト全集〈3〉 H・P・ラヴクラフト/大瀧啓裕訳 [#改ページ] 時間からの影 The Shadow out of Time [#改ページ] [#改ページ]           1    ある種の印象は神話に源を発しているのだと、そうむりやり納得する以外救いようのない、悪夢と恐怖にみちた二十二年間の歳月を思えば、わたしは、一九三五年七月十七日から十八日にかけての夜、オーストラリア西部で発見したと思うものが、事実であると断言したい気持にはなれない。わたしの体験のすべてが、いやその一部分でも、幻覚であってほしいと願うのには理由がある――事実、ありあまるほどの原因があった。しかしその現実性は悍ましく、ときとして願いのむなしいことを思い知らされる。  もしもあの出来事が実際におこったものであるのなら、単に口にされるだけでも目眩《めくるめ》くような、時の渦中における位置について、そして宇宙について、人はその概念をうけいれる心がまえをしなければならない。また、人類全体を巻きこむことはないにせよ、一部の冒険好きな人びとに、推測することも不可能なすさまじい恐怖を与えることになるかもしれない、ある種の潜伏する危険を防ぐ手立ても講じなければならない。  後者の理由のためにこそ、わたしはもてる力のかぎりをつくし、わが遠征隊が調査におもむいた未知の原始石造物について、その遺物を見いだそうとする企てのすべてを、断固放棄するよう督促する。  わたしが狂っても眠ってもいなかったとすれば、あの夜のわたしの体験は、いまだかつて、いかなる人間にもふりかかったためしのないようなものだった。さらにいえば、それまでわたしが神話や夢想としてかたづけようとしていたものすべてに、恐ろしいまでの確証を与えるものだった。ありがたいことに、証拠になるものは何一つない。反駁しようのない証拠になるはずの恐ろしい物体を、わたしはおびえきってなくしてしまったのだ――あれが現実のものであり、しかもわたし自身があの有害な深淵から実際にもちだしたとすればの話だが。  恐怖に遭遇したとき、わたしはひとりきりだった――そのことについては、まだ誰にもうちあけていない。恐怖の現場にむかって進められる発掘作業をやめさせることはできなかったにせよ、偶然や流砂のおかげで、まだ何も発見されずにいる。さて、何か明確な陳述を系統だてて記さなければならない――わたし自身の精神の安定を保つためばかりではなく、わたしの記録を真剣に読んでくださるやもしれない人びとに、警告を発するためにも。  この記録――冒頭の大部分が一般の新聞や科学雑誌をくまなく読まれる人びとには馴染深い内容で占められることになるこの記録――は、故郷へとむかう船の船室で記されている。わたしはこれを、息子である、ミスカトニック大学のウィンゲイト・ピースリー教授に手渡すつもりだ――息子はかなり以前にわたしが奇妙な記憶喪失におちいった後も、わたしに誠意をつくしてくれた唯一の血縁だし、わたしの症例のごく内輪の事実について、一番良く知っている人物なのだ。あの運命の夜についてわたしの話すことを、誰もが笑いとばそうとも、息子だけは耳をかたむけてくれるにちがいない。  あの驚くべき体験は、文書の形で伝えるほうがいいと思い、出航まえに口頭で知らせることはしなかった。ひまなときに何度も読みかえしてもらうほうが、混乱したわたしの口から伝えられると思えるものより、遙かに納得のいく状況がつかみとれるだろう。  息子なら、この記録を用いて、最善と判断する何らかの処置をとることができる――この記録を申し分のないものにするため、必要と思える箇所に適切な注釈を加え、発表するかもしれない。ともあれ、わたしの症例の初期の様相に通じていない人びとのためを考え、驚くべき体験を明らかにするまえに、その背景のかなり詳しい要約を記すことからはじめよう。  わたしの名前はナサニエル・ウィンゲイト・ピースリーというが、一昔まえの新聞記事――あるいは六、七年まえの心理学の専門誌に掲載された手紙や記事――をおぼえておられる人びとなら、わたしが何者で、またどういった人物であるかはよくご存じだろう。当時の新聞は、一九〇八年から一九一三年までつづいたわたしの異常な記憶喪失に関して、さかんに詳細を報道したものだった。しかしその大半は、当時もいまもわたしが住居をかまえている、昔ながらのマサチューセッツの街の背後にわだかまる、恐怖や狂気や妖術の伝承から生みだされたものなのだ。わたしは、家系やそれまでの人生に、狂気や外聞をはばかるようなものが何一つとしてないことを、知らせておくべきだった。暗い影が突如として外部の源泉からわたしにふりかかった点から見て、それこそがきわめて重要な事実なのだ。  暗く澱《よど》んだ長い歳月が、囁きにみち、朽ちゆかんとするアーカムの街に、そうした暗い影の侵入をうけやすい独特の脆弱《ぜいじゃく》さをもたらしたのかもしれない――これとても、わたしが後に調べるようになった他の事例に照らせば、疑わしく思えるのだが。しかし一番の要点は、わたし自身の祖先にも、生活の背景にも、異常なところは何一つないということだ。何かが、どこか別の場所からやって来たのである――それがどこであるかは、いまでさえ、はっきりした言葉で主張することにためらいをおぼえる。  わたしは、どちらもハヴァーヒルの健全な旧家の出である、ジョナサン・ピースリーとハンナ・ピースリー(ウィンゲイト)の息子であり、ハヴァーヒル――そのゴールデン・ヒル近くのボードマン・ストリートに建つ古い屋敷――で生まれ育ち、一八九五年に政治経済学の講師としてミスカトニック大学に職を奉じるまで、アーカムへ行ったことはなかった。  それからの十三年あまりは、順風満帆の幸せな生活がつづいた。一八九六年にはハヴァーヒルのアリス・キーザーと結婚し、ロバート、ウィンゲイト、ハンナの三人の子供たちを、それぞれ一八九八年、一九〇〇年、一九〇三年にもうけた。一八九八年には準教授になり、一九〇二年には教授になった。この頃のわたしは、隠秘学にも異常心理学にも、まったく関心を示すことがなかった。  奇妙な記憶喪失がわたしの身におこったのは、一九〇八年五月十四日の木曜日のことだった。まったくだしぬけのことだったが、あとにして思えば、数時間まえからきれぎれに目にしていたある種のおぼろな幻覚――あまりにも思いがけないものだったのでひどく不安にさせられた混沌とした幻覚――が、前駆症状だったにちがいない。頭がずきずき痛み、誰かがわたしの思考を支配しようとしているという、いままで味わったこともない、異様きわまりない感じがした。  政治経済学の第六教室で、三年生と若干の二年生を相手に、経済学の歴史と現代の趨勢《すうせい》について講義していたところ、午前十時二十分頃、わたしは虚脱状態におちいった。眼前に妙な形が見えはじめるとともに、自分が教室以外の奇怪な部屋にいるような感じがしはじめた。わたしの考えることや話すことは主題からはずれ、学生たちもわたしがどこかひどく具合の悪いことを知った。やがてわたしは意識を失って椅子に崩れ、手のほどこしようのない昏睡状態におちいった。わたし本来の心身の能力が、ふたたび正常な世界の日の光にむけられたのは、五年四ヵ月と十三日の月日が過ぎ去った後のことである。  昏睡状態におちいってからのことをわたしが知っているのは、もちろん人に教えてもらったからだ。わたしはクレイン街二十七番地の自宅へ運ばれ、最善の治療をほどこされたが、十六時間半、意識を回復する徴候もなかった。  五月十五日の午前三時に、わたしは目を開けてしゃべりはじめたが、まもなく医者と家族の者たちは、わたしの顔つきと話す言葉におびえるようになった。明らかに、わたしは自分の素姓と過去の記憶をなくしていたのだが、どういうわけか、この記憶の欠如を隠したがっていたらしい。まわりの者を見つめるわたしの目はよそよそしく、顔の筋肉もまったく見慣れない動き方をしたという。  しゃべり方までがぎこちなく、外国人のようだった。わたしは発声器官を不器用に、まさぐるように使って発声し、書物から苦労して英語を学びとったかのように、言葉づかいには妙にかたくるしいところがあった。発声は耳ざわりなくらい異質で、独特のいいまわしには妙な古語の断片や、まったく理解できない表現がふくまれていたらしい。  後者については、特に一つの表現が、それから二十年後に、少壮の物理学者たちによって、このうえない影響力――そして不吉さ――をともなって回復されることになった。それほどの歳月を経た後に、そうした表現が――最初はイギリスで、次にアメリカで――実際に使用されはじめたのだ。かなり複雑で明らかに新しい表現だったが、一九〇八年にアーカムの不思議な患者の用いた謎めいた表現を、完全に再現したものだった。  わたしの体力はすぐに回復したが、手足をはじめとする全身を自在に動かせるようになるには、異様なくらいの機能回復訓練が必要だった。こういったことや、記憶喪失にはつきものの他の障害のため、わたしはしばらく精密な検査と治療をうけることになった。  記憶の欠如を隠そうとする試みが失敗におわったことを知ると、わたしはその事実を率直に認め、あらゆる種類の情報を知りたがるようになった。事実、医者たちには、記憶喪失が尋常なものとしてうけいれられていることを知るや、わたしが自分自身の問題に関心をなくしてしまったように思えたらしい。  医者たちは、多くの場合きわめて奇妙にも、わたしの意識外に残っていたはなはだ難解なものもあれば莫迦らしいほど単純なものもある歴史、科学、芸術、言語、伝承の特定事項の修得に、わたしが最大の努力をかたむけていることに注目した。  同時に、わたしがほとんど世に知られていない知識を、不可解にもふんだんにもちあわせていることにも注目した――わたしはそうした知識を誇示するというよりは、隠したがっていたらしい。わたしは一般に認められている歴史の領域外にある、闇につつまれた太古の特異な出来事を、何気なく泰然としながら、ついうっかり口にすることがよくあった――相手が驚いた顔をするのを見ると、冗談だとして、さりげなくかわしたという。そして未来のことを話す癖があり、聞き手を心底おびえさせたことが二度三度あった。  こうした不気味なひらめきはすぐにあらわれなくなったが、何人かの観察者は、その原因について、異常な知識が消え去ったためというよりは、わたしが用心深く隠そうとしたためだと解釈した。事実、わたしは自分をとり巻く時代の背景、習慣、会話といったものを、異常なほど貪欲に吸収していたらしい。遠い異国の地からやって来た、学問好きの旅行者であるかのように。  許しがでるとすぐに、わたしはのべつまくなし大学の図書館に出入りするようになった。まもなく、あの奇妙な旅行に出る準備と、アメリカやヨーロッパの大学で特殊な講義を履修する準備とをはじめたが、これらについては、二、三年のあいだ、かなり取沙汰されることになった。  わたしの症例は、当代の心理学者のあいだである程度有名になっていたため、学識のある人びとと近づきになるのに苦労することはまったくなかった。わたしの病状は、第二人格の典型的な例として紹介されていた――もっとも、ときとして奇怪な症状を見せたり、巧妙に隠したつもりの嘲笑をうっかりうかべたりして、紹介者を困惑させたらしい。  しかし真に好意を寄せてくれる人にはほとんど出会わなかった。わたしの表情やしゃべり方にこもる何かが、出会う人すべてに、さながらわたしが正常とか健全とかいったものから遙かにかけ離れた存在であるかのような、漠然とした恐怖や嫌悪を感じさせるようだった。  この凶《まが》まがしいぼんやりした恐怖は、何かしら遠方の測り知れない深淵と結びついているように感じられたのだが、それは妙に誰もが一致しておぼえる、根深いものだった。  わたしの家族も例外ではなかった。わたしが奇怪な目覚めをしたときから、妻は極度の恐怖と嫌悪もあらわにわたしを見て、わたしが夫の体を奪った何かまったく異質な存在だといいきった。一九一〇年に妻は法的にわたしと縁を切ったが、一九一三年にわたしが正常な状態にもどってからでさえ、わたしに会おうとはしなかった。こんな感情は、長男や末娘にまで伝わったらしく、妻と別れてからはこの二人にも会ったことはない。  次男のウィンゲイトだけは、わたしの変化がひきおこす恐怖や嫌悪を克服することができたようだ。実をいえば、ウィンゲイトもわたしが別人だと思っていたらしいが、当時わずか八歳にすぎなかったのに、きっとわたしが元の父親にもどると信じつづけてくれたのだった。わたしが元の自分にもどったとき、ウィンゲイトはそれを認めてくれ、その結果、ウィンゲイトをひきとる許可を裁判所から得ることができた。つづく歳月、ウィンゲイトはわたしがせっぱつまっておこなう研究や調査に力をかしてくれ、三十五歳になったいまは、ミスカトニック大学の心理学教授になっている。  しかしわたしは、自分が恐怖をひきおこしたことを、別に不思議だとは思わなかった――一九〇八年五月十五日に目覚めた存在の意識や、声や、表情は、明らかにナサニエル・ウィンゲイト・ピースリーのものではなかったからだ。  一九〇八年から一九一三年にかけてのわたしの生活については、古い新聞や科学雑誌のファイルからわたしがもっぱらそうしなければならなかったように――表面上の重要事項をひろい集めることができるので、ここにことさら詳しく記すことはひかえようと思う。  自分の財産は自由に使えたので、わたしはさまざまな学問の中心地での研究や旅行のために、思慮深く少しずつ使ったらしい。しかしその旅行というのは、遠隔の地や無人の地をふくむ、きわめて異常なものだった。  一九〇九年にはヒマラヤ山脈で一ヵ月を過ごし、一九一一年にはアラビアの未知の砂漠を駱駝で旅して、世の関心を集めた。そうした旅行中に何がおこったかについては、わたしには知るすべもない。  一九一二年の夏には、船をかりきり、スピッツベルゲンの北方、北極海へ乗りだしたが、失望を顔に表したという。  その年の後半は、以前の探検やこの後におこなう探検とは異なり、ヴァージニア州西部に位置する石灰岩の広範囲な洞窟群において、ひとりきりで何週間もすごした――闇につつまれた迷路は、来た道をひきかえすことさえ考えられないほどに、複雑にいりくんだものだった。  さまざまな大学での寄留生活は、あたかも第二の人格がわたし本来のものより遙かにたちまさる知性を備えているかのような、驚くほど急速な吸収力によって、人の目を惹いた。読む速度や独習のはかどり具合が驚くべきものであったこともわかっている。書物のページを繰るやいなや、ざっと眺めるだけで、すべてを理解することができたのだった。一方、複雑な数字を一瞬のうちに理解してしまう能力は、実に恐ろしいほどだったという。  他人の思考や行動を左右するわたしの能力について、いとわしく取沙汰されることもあったが、どうやらわたしは、その能力をできるだけ目立たせないように用心していたらしい。  ほかにも、わたしが隠秘学にたずさわっている者たちの指導者と親しくしていることについて、ずいぶん口汚く噂されたし、学者たちは、忌わしい旧世界の秘義を伝える世に知られない一団の神官たちと、わたしが繋りをもっているのではないかと疑った。こうした噂は、当時立証されることはなかったものの、明らかに、わたしが目を通した一部の書物の、世に知れわたった性格が刺激となったものらしい――図書館での稀覯書の閲覧を秘密にすることはできないからだ。  わたしがダレット伯爵の『屍食教典儀』、ルドウィク・プリンの『妖蛆の秘密』、フォン・ユンツトの『無名祭祀書』、謎めいた『エイボンの書』の残存する断片、狂えるアラブ人アブドゥル・アルハザードの恐るべき『ネクロノミコン』といった書物に、綿密に目をとおしたことについては――欄外の書きこみというかたちで――明白な証拠がある。それにまた、わたしが妙に様変わりしていた頃に、人目をしのぶ教義の活動が、新しい邪悪な波となってうねりはじめたのも、否定することはできない。  一九一三年の夏に、わたしはそれまでの好奇心を失い、倦怠におちいる徴候を示しはじめるとともに、まわりにいるさまざまな人びとに、まもなくわたしのなかで変化がおこるだろうということをそれとなくにおわせはじめた。わたしは以前の記憶を甦らせたことを口にした――しかし大半の者は、わたしの思いだしたことはとるにたりないものばかりだし、昔自分が書いたものを読めばわかるようなものだから、本当に思いだしたわけではないと判断した。  八月の中頃に、わたしはアーカムにもどり、クレイン街にある長いあいだ鎖されたままの自宅におちついた。そして家のなかに、欧米のさまざまな科学機械メーカーに少しずつ組立てさせた、きわめて奇妙な感じのする装置を据えつけ、その装置を検討できるほどの知性の持主に見られないよう、細心の注意をはらった。  装置を目にした者たち――職工、召使、新しい女中――は、縦横一フィート平方、高さ二フィートたらずの、桿や車輪や鏡の奇妙な集合物だったといっている。中央の鏡は円形の凸面体だった。こういったことはすべて、所在をつきとめることのできる、各部品を製造したメーカーによって確認されている。  九月二十六日金曜日の夕方、わたしは家政婦と女中に、翌日の正午まで家を離れさせた。家のなかは遅くまで明るく灯が点《とも》り、一目で外人とわかる、髪の黒い痩《や》せぎすの男が、自動車でやって来た。  家の灯が最後に目撃されたのは午前一時頃だった。午前二時十五分には家が闇につつまれていることを警官が目撃しているが、訪問客の車はまだ停めてあった。四時頃にはその車も姿を消した。  朝の六時、ウィルスン医師に、ためらいがちな外人の声で、わたしが気を失ったから来てもらいたいという電話があった。この電話――長距離電話――は、後にボストン北駅の公衆電話からかけられたものであることがつきとめられたが、痩せた外人のいた形跡はまったくなかった。  医者がわたしの家に来てみると、わたしは居間のなかで――テーブルをまえにして安楽椅子に坐ったまま――意識を失っていた。磨きあげられたテーブルの表面には、何か重いものが載せられていたことを示す瑕《きず》があった。奇妙な装置は消え失せており、行方《ゆくえ》はとうとうわからずじまいだった。髪の黒いやせた外人がもち去ったにちがいない。  書斎の暖炉にはおびただしい灰があり、わたしが記憶喪失におちいってから書きつづけていた記録が、すべて焼きはらわれていることを示していた。ウィルスン医師はわたしの呼吸がきわめて異常なものであることに気づいたが、皮下注射をすると正常に近いものになった。  九月二十七日の午前十一時十五分、わたしは激しく体を動かし、それまで仮面のようだった顔に、表情らしきものがあらわれはじめた。ウィルスン医師は、その表情がわたしの第二人格のものではなく、わたし本来のものによく似ていることに気づいた。十一時三十分頃、わたしは何かきわめて不思議な言葉――人間の言葉とはまったく関係がないように思える言葉――をつぶやいた。わたしは何かを相手にもがいているようでもあった。そして正午をすぎた頃――家政婦と女中は既にもどってきていたわたしは英語でつぶやきはじめた。 「……当時の正統派の経済学者たちのなかで、ジェヴァンズは科学的相関関係にむかう世間一般の趨勢を代表している。繁栄と衰退の商業的周期を、太陽黒点の物理的周期に結びつけようとするジェヴァンズの試みは、おそらく……」  ナサニエル・ウィンゲイト・ピースリーがもどってきたのだ――心をなおも一九〇八年の木曜日の朝に残し、教壇の古びた机について、経済学の教室に目をむけたまま。         2    正常な生活へ復帰するには、骨のおれる困難な過程を経なければならなかった。五年以上もの歳月の損失は、想像できる以上に厄介な問題を生みだしており、わたしの場合、順応しなければならない事柄がそれこそ無数にあった。  一九〇八年以降の自分の行動について耳にするにつけ、わたしは驚いたり、心をかき乱したりしたが、できるだけ冷静に見つめようと心がけた。ようやく次男のウィンゲイトをひきとってクレイン街の自宅におちつくと、大学での講義を再開するための努力をした――大学当局が親切にも、以前の教授の職につくよう申しでてくれていた。  一九一四年二月の学期から、わたしは大学で講義をはじめ、ちょうど一年間それをつづけた。その頃には、自分の体験によってひどく心を乱してしまっていることがわかった。完全に正気を保ち――そう願っていた――本来の人格には疵《きず》一つないというのに、わたしにはもうかつての気力はなかった。ぼんやりとした夢や奇妙な考えが頭にとりついて離れず、世界大戦の勃発がきっかけとなって歴史に目をむけたのだが、さまざまな時代や出来事を、奇妙きわまりないやり方で考えだす始末だった。  時間についての概念――連続性と同時性を区別する能力――が、微妙に混乱しているようだった。そのため、一つの時代に身を置きながら、知識を得るため過去や未来に精神を投じるという、荒唐無稽な考えを作りあげてしまった。  目下の世界大戦について考えると、遙か先の成り行きを少しおぼえているような、不思議な感じがしたものだった――それはまるで、未来の情報に照らしあわせ、いまどういう状況になっているかがわかるとともに、回想することができるかのようだった。こうした擬似記憶には常にかなりの苦痛がともない、何か人為的な障碍《しょうがい》が精神にはりめぐらされているような感じがした。  こうした印象をそれとなく人にほのめかすと、さまざまな反応が返ってきた。こまった顔をしてわたしを見つめる者もいたが、数学科の人びとは、後に世に知れわたるようになった――当時は学識ある人びとのあいだで議論されるだけだった――相対性理論の新しい展開について話してくれた。何でも、アルバート・アインシュタイン博士は、時間を単なる次元の地位に格下げする理論を急速に展開しているという。  しかし夢や不穏な感情に悩まされるあまり、一九一五年には定職から退《しりぞ》かなければならなくなった。ある種の印象は悩ましいほどに具体化していった――その結果、記憶喪失が何か途方もない交換を構成する要素であり、第二の人格というものはまさしく未知の領域から侵入してきた勢力《フォース》であって、わたし本来の人格は追いだされていたのだという考えが、頭にとり憑《つ》いて離れなかった。  わたしはせっぱつまって、別の何かがわたしの体を支配しているあいだ、本来のわたし自身はどこにいたのかと、漠然とした恐ろしい推測をめぐらした。わたしの体に宿っていたものの異様な振舞と奇妙な知識について、さまざまな人や、新聞や、雑誌からさらに詳しいことを知るにつけ、わたしの心はますますかき乱されていった。  人びとを困惑させたあの気味の悪さは、わたしの潜在意識の深みにずきずきこたえる暗澹《あんたん》たる知識の背景と、恐ろしくも調和しているようだった。記憶にない歳月のあいだに、あの別のものがおこなった研究と旅について、わたしは熱にうかされたようにあらゆる情報をあさりはじめた。  わたしの悩みの種は、必ずしもこうした半抽象的なものばかりだったわけではない。夢があった――夢はしだいになまなましさと具体性を増していくようだった。これについては、おおかたどうみなされるかがわかっていたので、息子と信頼できる心理学者以外にはほとんど話すこともなかったが、結局のところ、このような夢が記憶喪失症の典型的な症状であるかどうかを調べるために、他の症例を科学的な観点から検討するようになった。  心理学者、歴史学者、人類学者、幅広い経験をもつ精神病の専門家の助けをかり、悪魔|憑《つ》きの伝説がはびこる時代から医学の現実に即した現代にいたる、あらゆる二重人格の記録をもふくめて検討した結果は、まずもって、わたしを慰めるどころか悩ませるものだった。  すぐにわかったことだが、圧倒的な量におよぶ嘘偽りない記憶喪失の症例には、わたしの夢に類するものはまったくなかった。しかしながら、わたし自身の体験と類似していることで、何年ものあいだ途方にくれたり、ぞっとしたりすることになる、断片的な記録があとに残された。一部は古代から伝わる民間伝承の断片であり、そのほかは医学史に記される病歴であり、人に知られぬまま一般の歴史書に埋もれてしまった逸話が一、二あった。  こういうわけで、わたしの特殊な災難がはなはだしく稀なものでありながらも、人間が歴史を記すようになって以来、同じような事例が長い間隔を置いて発生していることが明らかになった。一つ、二つ、あるいは三つの事例を見いだせる時代もあれば、事例が認められない時代もあった――少なくとも、現存する記録はなかった。  大要は常に変わるところがなかった――鋭敏な頭脳の持主が妙な第二の人生をはじめる気になり、短期間、あるいは長期間にわたって、最初はしゃべり方や肉体上のぎこちなさを、後には科学、歴史、芸術、人類学の知識の無差別な修得を特徴とする、まったく異質な生活を送りつづける。知識の修得は、熱にうかされたような強い好奇心と異常きわまりない吸収力によって進められる。やがて本来の意識が突然にもどるが、それ以後は、入念に覆い隠された恐ろしい記憶を断片的に思いださせる、ぼんやりとしてつかみがたい夢にときおり悩まされるようになる。  そうした悪夢はわたしのそれと――ごく細部にいたるまで――酷似しているため、その無意味とはいえない典型的な性質を疑う余地はなかった。一、二の事例には、静観もできないほどに気味悪く恐ろしい宇宙的な経路をとおして、わたしが以前から知っていたかのような、胸の悪くなる冒涜《ぼうとく》的な馴染深さという、付加的な響があった。また三つの事例には、第二の変化がおこるまえにわたしの部屋にあったのと同じような、未知の機械についての明確な言及があった。  こうした調査をしているあいだ、さらにわたしを悩ませたのは、明らかに記憶喪失とは無縁の人びとも、典型的な悪夢をつかのまそれとわからぬまま目にするという事例が、かなりの頻度で見いだせることだった。  こうした人びとはおおむね人並以下の知能の持主だった――異常な学識を深め、不可思議な知的修得をはたすための媒介としては、およそ考えられないほど幼稚な者もいた。こうした人びとは、一瞬のあいだ、未知の力でもって刺激される――そして元にもどると、急速に薄れゆくぼんやりとした非人間的な恐怖の記憶をかすかに残す。  過去半世紀のあいだに、こうした事例は少なくとも三つ存在する――一つはわずか十五年まえのものだ。得体の知れない深淵から、何かが時間のなかを模索していたのだろうか。これら胸の悪くなるような事例は、正常な精神ではまったく信じられようもない性質と根源をもつ、恐ろしくも邪悪な実験ではないだろうか。  こうした疑問は、気力が弱まっている頃に思いうかべた実質のない推測の一部だ――調査を進めるうえで見いだした神話に刺激された、気まぐれな考えである。というのも、最近の記憶喪失の症例に関係する患者や医者が知らないはずの、遙かな太古から根強く伝えられるある種の神話が、わたしの場合と同じような記憶の欠落を、印象的かつ悍《おぞ》ましくも、詳細に述べているからだ。  いよいよ悩ましいものになっていく夢や印象の性質については、うちあけるのにまだためらいをおぼえる。狂気の気味があるように思え、本当に狂いかけているのではないかと思ったこともあった。記憶を欠落させた者を悩ませる特殊な妄想でもあるのだろうか。当惑させられる空白を擬似記憶で埋めようとする潜在意識の働きが、奇妙な妄想の原因となっているのかもしれない。  実をいえば、これは、類似する症例の調査に力をかしてくれ、ときおり見いだされる酷似した症例に、わたしと同様首をかしげた精神科医の多くが抱く見解だった――もっともわたしには、それにかわる伝承の考え方のほうが、最終的にもっともらしいように思えた。  精神科医は夢や印象に悩まされる状態を、真性の狂気とは呼ばず、むしろ数ある神経症の同類とみなした。かなわぬことと知りつつ否定したり忘れ去ろうとしたりするかわりに、真相をつきとめ分析しようとするわたしのやり方については、最善の心理学の原理に照らして、正しいものだと虚心に請けあってくれた。第二人格の状態にあった頃のわたしを観察した医者の助言を、わたしはことのほか尊重した。  最初にわたしの心をかき乱したものは、目に見えるものではなく、先に記したやや抽象的なものに関係している。わたし自身にかかわる、不可解な、根強い恐怖感もあった。考えられないほどに忌《いま》わしい、まったく異質なものを見いだすことになるかのように、自分自身の体を見るのが妙に恐ろしくなった。  視線を落として、地味なグレーかブルーの衣服をまとう見慣れた人間の姿を目にすると、きまって奇妙な安堵感をおぼえたものだが、この安堵感を得るためには、はなはだしい恐怖を克服しなければならなかった。わたしはできるだけ鏡をまえにするのを避け、いつも床屋で髭を剃ってもらった。  心くだかれるこうした感情をことごとく、新たにはじまった、つかのまうかぶ視覚的印象と関連させるようになったのは、すぐのことではなかった。はじめてそういう相関関係を導いたのには、記憶が外部から人為的に抑圧されているという、奇妙な感じのしたことがあずかっている。  とぎれとぎれ脳裡《のうり》にうかぶ光景が、深遠かつ恐るべき意味をはらみ、わが身と慄然たる関係をもっているものの、何らかの目的をもった力が、そんな意味や関係をつかみとるのをはばんでいるような感じがしたのだった。やがて、時間についての感覚が乱れるようになり、わたしはそれとともに、夢に見るきれぎれの光景を、時間的にも空間的にも整然と位置づけようと、やっきになって努力した。  最初、夢に見る光景そのものは、恐ろしいというより、むしろ妙なものにしかすぎなかった。そびえ立つ石造りの交差穹窿《グロイニング》が頭上遙かな影のなかにほとんど姿を隠す、巨大な、穹窿天井《ヴォールト》をもつ部屋のなかに、わたしはいるようだった。時代と場所はわからないにせよ、迫持《アーチ》の型式は、明らかにローマ人が広範囲に用いたものであると知れた。  途方もなく大きな丸窓、迫持造りの高い扉、そして普通の部屋の天井までとどきそうな、卓とも台座ともつかぬものがいくつかあった。黒っぽい木を使用した広大な棚が壁にならび、背に得体の知れない文字の記された、ものすごい大きさの書物らしきものを収めていた。  むきだしの石造部には奇妙な彫刻がほどこされているが、それはきまって曲線からなるさまざまな幾何学模様だった。巨大な書物にも、同じ性格のものが刻みこまれていた。黒ぐろとした花崗岩を用いる石造術は、途方もない巨石文明に属するもので、石塊の列は、上部と下部がそれぞれ凸面と凹面になってぴたりとあわさり、何層もつづいていた。  椅子はなかったが、巨大な台座の上には、書物、紙、筆記用具らしきもの――紫がかった金属でできた妙な模様入りの壺と先端に色のついた棒――が散らかっていた。台座は非常に高かったが、わたしはときとして高みから見おろすことができるようだった。いくつかの台座の上には、照明器具として役にたつ、光を発する巨大な水晶球や、ガラス管や金属棒で構成される、得体の知れない機械があった。  窓にはガラスがはまり、頑丈そうな格子が備えつけられていた。わたしは思いきって窓に近づき外を眺めるようなことはしなかったが、自分のいるところからでも、羊歯《しだ》に似た風変わりな植物の揺れ動く葉を見ることができた。床には大きな八角形の板石が敷きつめられ、敷物や壁掛の類はまったくなかった。  その後わたしは、巨石造りの回廊を抜け、同じく途方もない巨石造りの巨大な傾斜路を漂うように進んでいく光景を夢に見た。どこにも階段はなく、通路の幅が三十フィートをくだることもなかった。わたしがうかぶようにして通りすぎていく構造物のいくつかは、数千フィートの高さにわたって、空にそびえ立っているにちがいなかった。  下方には穹窿天井をもつ暗い地下室が何層にもわたって存在したが、開けられたためしのない揚げ蓋は金属帯で封印され、何か特別な危険をぼんやりとほのめかしていた。  わたしは囚人のようであり、見るものすべてに、鬱積した恐怖がたれこめていた。慈悲深い無知のおかげがなかったなら、壁に刻まれるせせら笑うような曲線文字の意味するものを知ってしまい、魂がはり裂けてしまうような気がした。  さらに後には、巨大な丸窓や途方もない大きさの平屋根から眺める景観も、夢に見るようになった。平屋根には奇妙な庭園、広い不毛の地、貝殻《スカラップ》形の高い石の手摺壁《パラペット》があって、一番高い傾斜路が通じていた。  数えきれないほどおびただしい巨大な建築物が、それぞれ庭にかこまれ、幅が優に二百フィートはある舗装路にそってならんでいた。外観はそれぞれかなりちがっていたが、幅が五百フィートをくだるか、高さが千フィートをくだる建物はごくわずかしかない。多くの建物は果しがないように思えたので、正面の幅が数千フィートあるにちがいなかったし、また灰色の霧にけぶる空に突兀《とっこつ》とそびえる建物もあった。  建物は主に石かコンクリートで造られているらしく、そのほとんどが、わたしを軟禁している建物に顕著な、妙に曲線模様を用いる石造術を体現していた。屋根という屋根は平らで、庭園を有し、貝殻形の手摺壁を備える傾向があった。段庭を備えたり、屋上屋《おくじょうおく》を架したり、庭園の只中に何もない空間を配したりする場合もある。広大な道には動きを暗示するものがあったが、最初のうちは、この印象を細部までつきとめることはできなかった。  特定の場所場所では、他の建物をひときわしのいで屹立《きつりつ》する、黒ぐろとした巨大な円筒形の塔を目にすることがあった。まったく特異な性質を備えているように思えるこれらの塔は、無量の歳月と荒廃の証跡を示していた。四角に切られた玄武岩を用いる一風変わった石造術で築かれており、まるい頂上にむかって少しずつ先細りになっている。巨大な扉が見うけられるほかは、窓や開口部は気配もなかった。基本的な構造において、黒ぐろとした円筒状の塔に似ている、背の低い建物がいくつか存在するのにも気づいたが、すべて測り知れない歳月の風化作用によって崩れかけていた。四角に切られた石を組んだ例外的な建物のまわりには、封印された揚げ蓋にわだかまっているのと同じような、濃厚な恐怖と脅威を感じさせる、謎めいた雰囲気が漂っていた。  遍在する庭園はぞっとさせられるほど奇怪なもので、見慣れない異様な形の植物が、入念に彫刻のほどこされた柱の立ちならぶ広い道の上で、なびいているのだった。羊歯《しだ》に似た異常に巨大な植物――あるいは緑あるいは黴《かび》特有の薄気味悪い青白の植物――が幅をきかせていた。  その只中に、盧木《ろぼく》に似た大きな虹色のものがそびえ立ち、竹を思わせるその幹は、驚くほどの高さまでのびていた。巨大な蘇鉄《そてつ》に似た房状をなす植物や、針葉樹らしい木々や、濃緑色の脳奇怪な灌木もあった。  花は小さく、無色で見定めにくく、幾何学的模様に仕切られた花壇、そしてもっぱら青葉のなかで咲いていた。  段庭と屋上庭園のごくわずかには、不快な形をした、色あざやかな大輪の花が咲いていたが、見た感じでは、人工栽培のものらしかった。想像を絶する大きさと形と色をした菌類が、未知のものとはいえ、見事な造園技術の伝統をしのばせる模様を作って、点在していた。  地上にあるさらに広大な庭園では、自然の不秩序を残そうとする試みがなされているようだったが、屋上庭園ではさらに選択が進められ、装飾的な刈りこみがなされたことを示す形跡もあった。  空は必ずといっていいほど曇っていて湿っぽく、ときおり激しい降雨があるようだった。とはいえ、太陽――異常なほど大きく見える太陽――や、よくはわからないが、どうも普通とはちがうような月が、つかのま姿を見せることがあった。ごく稀《まれ》に、夜空がきれいに澄みきっているときには、ほとんど識別できない星座が見えた。知っている星座に近いものはあったが、まったく同じものはなかった。かろうじて識別できる数少ない星座の位置から見て、自分のいるところが南半球の南回帰線近くにちがいないという気がした。  遙かな地平線は、いつも蒸気にけぶってぼんやりしていたが、木のような未知の羊歯《しだ》、薗木《カラマイト》、鱗木《レピドデンドロン》、封印木《シジラリア》からなる大密林が都市の郊外に広がり、動きのある蒸気のなかで、異様な群葉が嘲笑するように揺れているのが見えた。ときとして空で何かが動いているような気配がしたが、最初の頃はそれが何であるのかまったくわからなかった。  一九一四年の秋には、都市の上空やそのまわりの地域を、奇妙な具合に飛び漂う夢を、ときたま見るようになった。斑《まだら》模様をしたり、溝がはいったり、縞《しま》があったりする幹をもつ、気味悪い樹木のあいだを抜ける果しない道と、わたしの心にとり憑いて離れない都市に似た奇怪な都市をいくつも見た。  とこしえに薄闇が支配する森のなかの空地や森を切りひらいた場所で、黒とも玉虫色ともつかぬ石で造られた、ぞっとするような建物を目にしたり、じとじとした、高くそびえる植物がかすかに見えるだけの、暗い沼地にある堤道を進んだりした。  一度、歳月の猛威によって崩れ去った玄武岩造りの廃墟が、広大な地域にわたって散在しているのを目にしたが、元の姿はどうやら、夢によくあらわれるあの都市にそびえ立つ、窓のない丸屋根の塔に似ているようだった。  そしてわたしは、一度、海を見た――丸天井《ドーム》や迫持《アーチ》からなる途方もない街の、その巨大な石造桟橋のむこうに、蒸気のたちこめる果しない広がりがあった。巨大な不定形の影らしきものがその上で動いており、そこかしこの水面は異常な飛沫《しぶき》をたてていた。         3    先に記したように、こうしたあられもない幻影が背筋も凍る性質をもちはじめたのは、すぐのことではなかった。確かに、多くの人は本質的にさらに異様なものを夢に見る――日常生活、絵画、読書に基づく脈絡のない断片が絡《から》まりあい、睡眠がもたらす自由奔放な精神活動によって、奇想天外なほど新奇なものに作りかえられたものを。  以前はさほど夢を見ることがなかったとはいえ、わたしはしばらく、幻影を当然のものとしてうけいれていた。朦朧《もうろう》とした異常な夢の多くは、その源泉がつきとめようもないほど数の多い些細な事柄であるにちがいないと決めこんだが、一方で、一億五千万年まえの原始世界――二畳紀あるいは三畳紀の世界――の植物等、ありふれた教科書から得られる知識を反映しているものもあった。  しかし、数ヵ月のあいだに、恐ろしさがいやましに異彩を放ちはじめた。これは、夢が紛れもなく記憶の様相を呈しはじめた頃、そしてわたしの心が夢をつのりゆく抽象的な不安に関連させはじめた頃のことだった。抽象的な不安をもたらしたものは、記憶が抑圧されているという感じ、時間に関する奇妙な印象、一九〇八年から一三年にかけて第二人格と悍ましい交換がなされたという感じ、かなり後に味わうようになった自分自身に対する不可解な嫌悪だった。  特定の明確な細部が夢にあらわれはじめるにつれ、恐怖はいやがうえにも高まった――一九一五年の十月には、何とかしなければならないと思うようになった。悩みの種を客体化すれば、心にとりつく不安をふりはらえるかもしれないと思い、記憶喪失や幻覚の症例を徹底的に調べはじめたのは、その頃のことだった。  しかしながら、先にも記したように、その結果はまずもってほぼ正反対のものだった。やがてわたしの夢が正確に再現されているのを知ったことで、心が激しくかき乱された。とりわけ、一部の記録は、対象人物に地質学の知識――つまり原始時代の景観についての知識――があったとはとうてい思えない、古い時代のものだったから、なおさらだった。  さらに、こうした記録の多くは、巨大な建築物や密林のような庭園――そして他のこと――に関連して、きわめて恐ろしい細目を伝えていた。実際に見たということと、漠然とした印象をうけていたということだけでもひどいのに、わたしと同じ夢を見た一部の者がほのめかしたり断言したりしているものには、狂気と冒涜の気味があった。とりわけひどいことに、擬似記憶が喚起され、夢はさらに狂乱の度合を強め、やがて意外な事実がもたらされることをほのめかした。それなのに、たいていの医者は、わたしの調査方針をおおむね当を得たものとみなした。  わたしは心理学を系統だてて研究したが、もっぱらそれに刺激され、息子のウィンゲイトも同様のことをした――ウィンゲイトはこの研究を推し進め、現在の教授の地位につくことになった。一九一七年と一八年には、わたしはミスカトニック大学で特殊な科目を履修《りしゅう》した。一方、遠方の図書館に足をのばしたりしながら、医学、歴史、人類学の記録を根気よく調査するようにもなり、ついには、わたしの第二人格が不穏にも関心をいだいた、禁断の伝承をとどめる忌わしい書物さえ読むようになった。  そんな書物のなかには、完全に様変わりしていたわたしが実際にひもといたものもあり、恐ろしい本文にほどこされた紛れもない訂正と欄外の書きこみが、どことなく妙に非人間的なもののように思える字体と語法でなされているため、わたしはひどく不安にさせられた。  こうした書きこみはたいてい本文と同じ言語で記されており、見たところ、すべて等しく学者さながらにすらすらと書かれているので、書きこみをした者がそれぞれの言語に精通しているように思われた。しかしながら、フォン・ユンツトの『無名祭祀書』にほどこされた、一つの書きこみだけは別だった。ドイツ語による訂正をおこなったのと同じインクで、ある種の曲線文字が記されているのだが、およそ知られうる文字と似ても似つかぬものだった。しかもこの謎の文字は、あろうことか、わたしが夢のなかでたえず目にする、あの文字に似ていた――つかのま意味がわかるような気がしたり、もうすこしで思いだせそうになったりするあの文字に、実によく似ていた。  わたしの暗澹たる狼狽を決定的なものにしたのは、多くの図書館員が、問題の書物の閲覧記録や返却後の点検結果をよりどころに、こうした書きこみはすべて、第二人格に支配されていたわたしが書き記したものにちがいないと請けあったことだった。そうだとしても、書きこみはさまざまな言語でなされているのだが、わたしは現在も過去も、そのうちの三つの言語を知らないのだ。さらにわたしは、古代から現代にいたる、人類学と医学の四散した記録をまとめているうちに、目もくらむばかりの広がりと奔放《ほんぽう》さを備える、比較的首尾一貫した神話と幻覚の混合物を見いだすことになった。一つだけわたしの心を慰めるものがあった。神話がかなり古い時代のものであるという事実だ。いまでは失われてしまっているどのような知識が、原始時代の神話に古生代や中生代の景観をもたらしえたのかは、わたしには推測することもできなかった。しかしそうした景観が神話でなまなましく語られているのだ。こういうわけで、固定的な幻想を生みだす土台の存在することがわかった。  記憶喪失におちいった者たちがまずおおざっぱな神話の型式を作りあげたのだろう――しかしその後、神話が気ままにふくれあがり、記憶喪失の患者に反作用をおよぼし、患者の擬似記憶に彩《いろどり》をそえたにちがいない。わたし自身、記憶を失っているあいだに、古代の神話を読みもしたし聞きもした――調査によってそのことは十分に証明されている。では、その後の夢や情緒的な印象は、わたしの記憶が第二人格から微妙にもちこしたものによって、色づけられ、一つの型にはめられるようになったというのが、自然な考え方ではないだろうか。  いくつかの神話は、人類誕生以前の世界の冥《くら》い伝説、それもとりわけ、目眩《めくるめ》く時間の深淵をあつかい、現代の神智学者の知識の一部になっているヒンズーの伝説と、偶然とはいえない関係をもっている。  始原の神話と現代の妄想が一致して想定しているのは、この惑星が経てきたほとんど知られていない茫洋《ぼうよう》たる歴史において、人類が、高度に進化した支配種族の一つ――おそらくは最小の種族――にしかすぎないということなのだ。神話と妄想がほのめかすところによれば、三億年まえに人類の祖先である最初の両棲類が熱い海から這いだすよりも早く、思いもよらない姿をしたものが、空にむかって塔をそびえさせ、大自然のあらゆる秘密を探究したという。  あるものは他の星から訪れ、そのなかには宇宙そのものと齢《よわい》を同じくするものもわずかにいた。残りのものは、われわれの生命進化の最初の単細胞が遙か太古のものであるように、われわれの生命進化の最初の単細胞が存在するより遙か太古に地球上に存在した微生物から急速に発生したのだった。何十億年もの時の広がりや、他の銀河や宇宙との繋《つなが》りのことも語られている。事実、この時間概念のように、人間の観念でうけいれられるものは何一つとしてない。  しかし伝承や印象のほとんどは、比較的後の時代の種族、科学に知られうるどんな生命体にも似ていない、奇妙で複雑な姿をした、人類が出現するわずか五千万年まえまで生息していた種族をとりあつかっている。この種族は、時間の秘密をつきとめた唯一の種族であるがゆえに、最も偉大な種族であるとされている。  この種族は、何百万年もの時の障壁をよぎってさえ、自らを過去や未来に投影し、あらゆる時代の知識を学びとれる強烈な精神力によって、地球上で既に知られているか、あるいはいずれ知られるようになる、すべてのことを習得していた。預言者の伝説は、人間の神話に見いだせるものも含め、ことごとくこの種族のなしとげたことから発している。  この種族の広大な図書室には、地球の記録をすべて収める絵入りの書物があった――既に存在しているすべての種、今後存在するはずのすべての種について、その来歴と生態図が、それぞれの種の芸術、業績、言語、心理の完全な記録とともにとどめられている書物があった。  永劫の歳月にわたる知識を用いて、〈大いなる種族〉は、すべての時代、すべての生命体から、自分たちの性質や立場に適する、思想、芸術、方法論を選択した。通常の感覚能力の外部に、精神をいわば投影することによって獲得される過去の知識は、未来の知識に比べて、収集するのが困難だった。  未来の知識を入手する場合、その作業は簡単であり、また物質的でもあった。適当な機械の助けをかりて、精神は、待望の時代に近づくまで、ぼんやりした超感覚的な道のりを感じながら、時間の先へと自らを投影する。そして予備的な吟味をおこなった後、その時代の生命体のなかで最も高度な種を代表する、見いだしうるかぎり最良の有機体を捕える。有機体の脳に入りこみ、脳のなかで自己の精神波を生じさせる。一方、追いだされた精神は追いだした精神の時代へ移され、逆転処置がとられるまで追いだした精神の体内にそのままとどまることになる。未来の有機体の体に投影された精神は、体つきを等しくする種族の一員となりすまし、選んだ時代から学びとれるもののすべてと、その時代に蓄積された情報と技術をできるだけ早く習得する。  その間、追いだした精神の時代と体内に投げこまれた追いだされた精神は、注意深く監視される。占有する体を傷つけないようにされ、熟練した尋問者によってすべての知識を奪いとられる。しばしばその精神の言語によって尋問されることもある。これができるのは、先におこなわれた未来の探求によって、その言語の記録がもち帰られている場合である。 〈大いなる種族〉が肉体上真似のできない言語をもつ精神の場合には、精巧な装置が造られ、それによって異質な言語が楽器をかなでるようにつくりだされる。 〈大いなる種族〉の体は、高さ十フィートにおよぶ皺《しわ》の多い巨大な円錐体で、頭や他の器官は、円錐体の頂部からのびる厚さ一フィートの膨張可能な幾本もの肢《リム》の先に備わっていた。四本ある肢のうち、二本の先端についた巨大な鉤爪《かぎづめ》とも鋏《はさみ》ともつかぬものをかみあわせたり、こすったりして会話をおこない、十フィートある底部に備わる粘着層を伸縮させて歩行した。  捕われの精神は、驚きと憤《いきどおり》が消えてしまい、そして――元の体が〈大いなる種族〉のそれと大きくかけ離れたものであるとして――不慣れな一時的な体に対する恐怖がなくなると、新しい環境を学んだり、自分を追いだした精神が享受しているものに近い、驚異と知恵を体験することが許された。  相応の予防措置がとられながらも、適当な奉仕とひきかえに、広大な道を走る原子力エンジン搭載のボートに似た大きな乗物や、巨大な飛行船で、居住可能な世界一帯をめぐったり、地球の過去と未来の記録を収める図書館に自由に出入りすることも許された。  こうなると、捕われの精神の多くは運命に甘んじるようになる。捕われになっているのはすべて鋭敏な精神ばかりなので、そういう精神にとっては、覆い隠された地球の神秘思いも寄らない過去から自分の属する時代よりも遙か未来の目眩《めくるめ》く大渦へとつづく完結した歴史を明らかにすることは、しばしば底知れぬほどの恐怖があらわにされることがあるとはいえ、必ず至高の体験となったからである。  ときとして、捕われの精神の一部は、未来から転移された他の捕われの精神と会うことが許された――百年、千年、あるいは百万年の歳月をへだてた精神のあいだで、意見が交換されることになる。そしてすべての精神は、自分の言語で、自分のことや自分の時代について、中央記録保管所に収められる文書を、内容豊富に書きあげるよう強制された。  つけ加えるなら、捕われの精神のなかには、他にたちまさる特権をもつ、特殊なタイプに属するものがいた。そういう捕われの精神は、死に直面して、精神の消滅を免れようとした〈大いなる種族〉の鋭敏な精神によって、未来における自分の体が奪われてしまい、死にむかいつつある〈大いなる種族〉の体内に、死ぬまで閉じこめられたままになっているのだ。 〈大いなる種族〉は長命なこともあって――ことに投影のできるすぐれた精神は――生命に対する愛着が少ないため、このような物悲しい捕囚は予想されるほどには多くない。〈大いなる種族〉の精神の永久的な投影から、人類の歴史をもふくめた後の歴史に見られる、永続的な人格変化の多くがおこっているのである。  通常の探究についていえば、〈大いなる種族〉の精神は、未来において望むものを学びとると、時の旅をはじめさせたのと同じ装置を造り、投影作用を逆転させる。そして本来の時代の本来の体にもどり、それと同時に、捕われの精神は自分が属する未来の自分の体に復帰する。  精神を交換している際に、どちらかの体が死んでしまった場合にのみ、この復帰は不可能になる。もちろんそんな場合には、探究に出かけた〈大いなる種族〉の精神は――死を免れた精神のように――異質な体のまま未来の世界で一生をおえるか、あるいは捕われの精神が――死に瀕した永遠の俘囚《ふしゅう》のように――〈大いなる種族〉の姿のまま、過去の世界で、天寿をまっとうしなければならない。  捕われの精神が〈大いなる種族〉のものである場合には、この運命もさほど恐ろしいものではない――〈大いなる種族〉は、生存しつづける全時代にわたって、自分たちの未来をひどく気にかけているので、これは珍しいことではなかった。〈大いなる種族〉の精神が死を待つばかりの永遠の俘囚になることはめったにない――それはもっぱら、死を目前にした精神が未来の〈大いなる種族〉の体を奪うと、すさまじい処罰が加えられるからである。  新しい未来の体に宿る法を犯した精神に対し、処罰の手配が投影によっておこなわれる――精神の再交換が強制されることもあった。  過去のさまざまな領域において、探究をおこなっている精神や捕われの精神が、さらに精神交換されるという複雑な事例が知られており、こういう場合は注意深く修正されることになる。精神投影が発見されて以来のすべての時代にわたり、些少ではあるがよく認められる人口の構成分子は、過去から来て、短期間あるいは長期間滞在する〈大いなる種族〉の精神だった。  種族が異なる捕われの精神が未来の元の体にもどされるときには、〈大いなる種族〉の世界で学びとったすべてのことを、複雑な機械による催眠で抹消される――これは、知識を大量にもち帰ると、厄介《やっかい》な結果が生じるからである。  明らかに知識が未来に伝えられた実例はごくわずかにあり、過去において、既に知られている未来において、大きな不幸をひきおこしている。古譚の伝えるところでは、その種の二つの事例から、人類は〈大いなる種族〉に関することを学びとったという。  悠久の太古の世界から直接具体的に残っているものについては、遠隔の地や海面下に位置する巨大な石の廃墟や、恐るべき『ナコト写本』の断片が現存するだけである。  復帰する精神は、捕われの身になって以来体験したことの、きわめてかすかで断片的な心象だけを携《たずさ》えて、本来の世界にもどる。抹消できる記憶はすべて消されるので、たいていの場合、精神交換がはじめておこったときまで、夢が影のようにとりつく空白だけが広がる。なかには他の精神より多くのことを思いだす精神もいて、断片的な記憶が偶然に結びあわされ、ごく稀に、禁断の過去を暗示するものが未来の世界にもたらされることもある。  おそらくいつの時代にも、そうした暗示のいくばくかを、ひそかに信奉する集団や宗派が存在するのだろう。『ネクロノミコン』には、そんな宗派の存在がほのめかされている――悠久の時をこえて旅をする〈大いなる種族〉の精神を、ときとして幇助《ほうじょ》した、ある宗派のことが。  さて、〈大いなる種族〉はほとんど全知ともいえる知識に磨きをかけ、他の惑星の住民との精神交換をはたし、他の惑星の過去と未来を調査する作業にとりかかった。同様に、自分たちの精神的遺産をもたらした、遙かな宇宙に位置する、悠久の太古に死滅した暗黒星の歴史と起原に探りをいれようとした――〈大いなる種族〉の精神は、肉体よりも古くから存在するのだった。  窮極の秘密を知りつつ、滅びゆく旧世界に住む聡明な生物が、長い生命を享受できそうな新しい世界と種を未来に探し求め、自分たちが宿るのに最もふさわしい未来の種族――十億年まえの地球に生息していた円錐状生物――のなかに、一団となって精神を送りこんだのだ。  このようにして〈大いなる種族〉は到来したのだが、自らの体から追いだされた何万もの精神は、奇怪な体に宿って戦《おのの》きながら死滅の一途《いっと》をたどった。〈大いなる種族〉は、さらに後にふたたび死に直面することがあっても、また最良の精神を、長い肉体寿命をもつ未来生物の体に送りこむことで、生きながらえるだろう。  からまりあった伝説と妄想の背景は、以上のようなものだった。一九二〇年頃、調査結果を理路整然とした形にまとめたとき、最初の頃は強まるばかりだった精神的な緊張が、かすかにやわらいだような気がした。結局のところ、やみくもな感情に誘発された心象があるとはいえ、わたしの身におきた現象の大半は、簡単に説明づけられるのではないだろうか。記憶喪失のあいだに、何らかのきっかけがあって、隠秘な学問に目をむけたのかもしれない――そして禁断の伝説を読み、古代から命脈を保つ、評判の悪い宗派の信者に会った。明らかにそうしたことが、記憶が甦ってからはじまった、夢や不安感の土台になっているのだ。  夢に見る謎の文字や、わたしの知らない言語で記されていながらも、図書館員がわたしの手になるものだと請けあった書きこみについていえば、おそらくそうした言語は、第二人格の状態にあったときに生《なま》かじりしたのかもしれないし、謎の文字のほうは、たぶん古譚の記述を基にわたしの空想が生みだし、その後夢のなかに織りこまれたのだろう。わたしは周知の宗派の指導者と話をして、ある点を確かめたかったが、指導者に連絡をつけることができなかった。  ときとして、かなりの歳月をへだてたさまざまな時代に見いだせる数多くの事例の類似していることが、最初の頃のようにわたしを悩ませつづけたが、一方で、刺激的な民間伝承があまねく知れわたっているのは、疑問の余地なく、現在よりも過去であるということに気づいたりもした。  おそらくわたしと同じような境遇になった他の被害者は、わたしが第二の状態にあったときにのみ学びとった伝承について、かなりの知識をもっていたのだろう。こうした被害者は、記憶をなくしているときに、自分自身を聞き慣れた神話の生物――人間の精神にとってかわるとされる伝説上の侵略者――に結びつけて考え、想像上の、人間のものではない世界へもち帰れると思いこみながら、知識の探求にのりだしたのだ。  やがて記憶が甦ると、連想作用を逆転させ、自分自身を精神の交換者ではなく、以前の捕われの精神として考えた。だからこそ、夢や擬似記憶は、伝統的な神話の型式に従っているのだ。  この解釈は、うわべのわずらわしさにもかかわらず、最後には、わたしの心にうかぶ他のすべての解釈にとってかわるようになった――それはもっぱら、他の考えには大きな弱点があるからだった。やがて著名な心理学者や人類学者の多くが、しだいに同意を示してくれるようになった。  考えれば考えるほど、わたしにはこの推論が説得力をもっているように思えた。そしてついには、なおもわたしを悩ませる幻影や印象に対して、実に効果的な防壁を備えるようにまでなった。たとえば夜に変なものを見たとしたらどうだろう。そんなものは聞いたり読んだりしたものにしかすぎない。では、妙な嫌悪感や見解や擬似記憶があったとしたらどうだろう。こうしたものもまた、第二の状態にあったときに吸収した神話の反響《エコー》にしかすぎない。わたしが夢に見たり感じたりしたもので、現実の意味をもっているものは何一つとしてないのだ。  抽象的な印象よりも、むしろ幻影のほうが、しだいに頻繁におこり、不穏にもますます細部にたちいるようになっていたとはいえ、わたしはこの考えで防備を固めることにより、心の平静をかなり増進させた。一九二二年になると、わたしはまた定職につけるような気がして、大学で心理学の専任講師の地位を得ると、新しく得た知識を実践に活用した。  わたしの政治経済学の講座は、かなりまえから適切な後任を得ていた――それに、経済学を講義するやり方も、ずいぶん変わってしまっていた。この頃、息子は現在の教授の職へとつづく、大学院課程に入ったばかりだったので、わたしたちは一緒になってさかんに研究をおこなった。         4    とはいえわたしは、おびただしく、なまなましく押し寄せる奇異な夢を入念に記録しつづけた。そうした記録は、心理学の資料として価値があると思ったからだ。つかのま見る幻影は、なおも忌わしいほど記憶に似ているように思えたが、この印象は何とかふりはらうことができた。  記録しているあいだは、幻影を実際に見たものとしてあつかったが、それ以外のときは、夜のまぎらわしい錯覚のように無視した。日常の会話ではこうしたことは絶えて口にしなかったが、よくおこることとはいえ、どこかからもれた情報が、わたしの精神状態に関するさまざまな噂を生みだした。こうした噂を取沙汰するのはずぶの素人だけに限られており、医者や心理学者がひとりとして耳をかさなかったのは、思えば面白いことである。  一九一四年以降の幻影については、真摯《しんし》な研究家には十分な報告と記録が容易に入手できるので、ここではごくわずかだけ述べることにする。どうやら時の経過とともに、幻影の範囲がはなはだ広がったため、妙な抑圧感はいささかやわらいだらしい。しかし、どうにも明白な動機づけのない、支離滅裂な断片の域を出ることはなかった。  夢のなかで、わたしはしだいに歩きまわる自由を獲得していくようだった。わたしは、一般の移動用通路になっているらしい、地下の巨大な回廊を利用しながら、石造りの奇怪な建築物の多くを、次から次へと、漂うようにしてめぐっていった。ときおり最下層で、封印された巨大な揚げ蓋に行きあたったが、そのまわりには、恐怖と禁断の気配がこもっていた。  切りばめ細工にされた広大なプールも目にしたし、千差万別の不可解な道具や妙な道具を収めた部屋も目にした。それに、外形がまったく奇異に感じられ、用途は見当もつかず、何年も夢を見つづけた後ようやく音をたてるのを知った、複雑な機械を据《す》えつけた巨大な洞窟もあった。この幻の世界で機能する感覚が、視覚と聴覚だけに限られていたことを、この機会に記しておこう。  一九一五年五月に、はじめて生き物の姿を見たとき、本当の恐怖がはじまった。これは神話や病歴の研究によって、何を目にすることになるかの予測がつくまえのことだった。精神上の防壁が崩れるにつれ、わたしは建築物のさまざまな箇所や眼下の街路に、薄い霧の大きな塊を目にするようになった。  この塊はしだいに固体化していき、明瞭なものになり、ついには、不快感に捕われながらも、奇怪な姿がはっきりわかるようになった。それは、高さ十フィート、底部の広さ十フィートほどの、巨大な虹色の円錐体で、何か隆起していて、鱗《うろこ》があり、ある程度伸縮可能な物質からできあがっているようだった。頂部からは円錐体と同じ隆起をもつ、それぞれ太さ一フィートの、しなやかな円筒状器官が四本のびていた。  この器官は、ほとんど見えなくなるまで縮んだり、十フィートくらいまで自在にのびたりした。そのうち二本の先端にあるのは、巨大な鉤爪《かぎづめ》とも鋏《はさみ》ともつかないものだった。三本目の先端には漏斗《じょうご》形の赤い付属器官が四つ備わっていた。残る一本の先端は、直径二フィートくらいの黄味がかったいびつな球体になっていて、その中央の円周上には大きな暗い眼が三つあった。  この頭部は、上部から、花に似た付属器官を備える灰白色の細い肉茎が四本のびている一方、下部からは、緑がかった触角とも触手ともつかないものが八本たれさがっていた。円錐体の巨大な底部は、弾性のある灰白色の物質で縁どられ、それを伸縮させることによって移動することができるのだった。  この生物の行動は、害のないものだったとはいえ、外見以上にわたしをぞっとさせた――人間だけがすると思われていることを、ばけものじみた生物がおこなうのを見るのは、気持のいいものではないからだ。この生物は、知性をしのばせながら広大な部屋を移動し、棚から書物をとりだして大きな卓に置いたり、あるいはその逆をしたり、ときには、頭部からたれる緑がかった触手で妙な棒を握り、こつこつと筆記したりした。大きな鋏は書物を運ぶときや、会話をするときに用いられた。会話は鋏をならすことでおこなわれた。  衣服はまとっていなかったが、学生鞄《サッチャル》やナップザックに似たものを、円錐体の頂部からぶらさげていた。頭部はよくあげさげされるが、普通は支持器官が円錐体の頂部と同じ高さになるまで縮まり、頭部は円錐体と直結していた。  残り三本の大きな付属器官は、用のないときには五フィートくらいに縮まり、円錐体の側部にたれさがる傾向があった。読んだり、書いたり、機械――どうも思考力と関係しているらしい卓上の機械――を操作したりする速度から考えて、人間より遙かに優れた知性を備えているようだった。  その後、いたるところで彼らを目にするようになった。巨大な部屋や回廊で群がったり、穹窿天井の地下室で奇怪な装置を操作したり、ボートに似た巨大な車で広大な道路を走りまわったりする彼らを。環境のきわめて自然な一部になっているように思えたので、わたしは彼らをこわがるのをやめた。  彼らのあいだの個体差が明らかになりはじめると、若干のものが何らかの束縛をうけているように思えた。こういった連中は、肉体的な違いは何もないのだが、大多数のものから区別されるばかりか、それぞれ大きく異なっている、多様な仕草や習癖を備えていた。  連中は、わたしのぼんやりとした視覚にはさまざまな文字と思えるもので、大量の筆記をおこなっていた――大多数のものが用いる、典型的な曲線文字で記すことはなかった。馴染深いアルファベットを使用しているものも、ごくわずかにいたようだ。連中の大半は、大多数のものよりのろのろと仕事を進めていた。  この間ずっと、夢のなかのわたしは肉体を離脱した精神として、普通以上に広い視野をもち、通常の通路と移動速度に制限されているとはいえ、自由にあたりを漂っているようだった。肉体の存在がほのめかされ、わたしが悩みはじめたのは、一九一五年八月のことだった。悩みはじめたと書いた理由は、最初の段階が、このうえなく恐ろしいものだったとはいえ、先に記した体に対する嫌悪が夢に見る情景と関係しているという、純粋に抽象的な連想だったからだ。  しばらくのあいだ、わたしが夢を見ているときに一番気にかけていたのは、自分を見おろさないようにすることだった。奇怪な部屋に大きな鏡が一つもなかったことをどれほどうれしく思ったことか、よくおぼえている。高さが十フィートをくだるはずのない巨大な卓を、卓面より下ではない高さから、いつも目にするという事実によって、わたしはひどく悩まされた。  やがて自分の体を見おろしてみたいという病的な欲求がしだいに高まり、ついにある夜、その欲求をおさえきれなくなった。最初は視線を下にむけても何も見えなかった。一瞬の後、これは途方もない長さをした、しなやかな首の先端に、自分の頭が位置しているためだということに気づいた。この首をひっこめ、注意深く見おろしてみると、鱗《うろこ》をもち、隆起があり、虹色に輝く、高さ十フィート、底部の広さ十フィートの、巨大な円錐体が目に入った。わたしが半狂乱になって眠りの淵からはねおき、すさまじい絶叫をあげて、アーカムの住民の半数の眠りを破ったのはそのときだった。  恐怖を繰返し何週間にもわたって味わった後、わたしはようやく、奇怪な体をまとう自分の姿をなかばあきらめにも似た気持でうけいれるようになった。夢のなかのわたしは、いまや肉体を備えた存在として、他の未知の存在にたちまざって移動し、果しなくつづく書棚から、恐ろしい書物をとりだして読んだり、卓をまえにして、頭部からたれさがる緑色の触手で尖筆《せんぴつ》を操りながら、何時間にもわたって筆記したりした。  読んだり書いたりしたものの断片は、長く記憶にとどまることだろう。他の世界、他の宇宙、そして全宇宙の外部に棲む無定形生命の活動についての恐るべき史料があった。忘却の過去に地球に住みついていた、さまざまな存在の奇怪な儀式に関する記録もあれば、人類最後の人間が死んでから何百万年も後の地球に住みつくことになる、異様な姿をした知性体の慄然たる年代記もあった。  現代の学者の誰ひとりとして、そんなものが実在するなどと思ったことのない、人類の歴史について書かれた章があるのをわたしは知った。その大半は曲線文字を使用する言語で記されていた。わたしはその言語を、催眠機械の助けをかりる奇妙なやり方で学びとったが、人間の言語に見られるものとは似ても似つかない語根体系を有する、膠着《こうちゃく》語であるようだった。  別の未知の言語で記された書物もあり、わたしはそうした言語を同じ奇妙なやり方で学びとった。ごくわずかな書物は、わたしの知っている言語で記されていた。記録に挿入されたり、独立した所蔵品になったりしている絶妙な絵が、わたしの学習に大いに役立った。この間、わたしは自分自身の時代の歴史を、英語で書きとめていたようだ。目が覚めると、夢のなかの自分が学びとった未知の言語は、つかのま無意味な断片だけしか思いだせなかったが、歴史の全文章はおぼえていた。  明らかにこうした夢の源泉となっている、古い神話や類似した症例を実際に研究するまえですら、わたしは夢のなかで、わたしのまわりにいる存在が、時間を征服し、あらゆる時代に精神を送りこんでいる、この世界最高の種族であることを知っていた。また、わたしが時代から切り離される一方、別のものがその時代でわたしの体を利用していること、そして奇怪な生物のごくわずかが、同様に捕われの精神を宿していることも知っていた。鉤爪をならすことで作りだされる何か奇妙な言語で、太陽系のあらゆる場所から転移された知性と話をかわしたようにも思う。  測り知れない歳月の後に、われわれが金星と呼んでいる惑星に棲むはずの精神もいれば、六百万年まえに木星の外衛星に棲んでいた精神もいた。地球上の精神についていえば、新生代初期の古第三紀の南極に棲んでいた海星《ひとで》状の頭部を備える有翼の半植物種族の精神が一つ、伝説にうたわれるヴァルーシアの蛇人間の精神が一つ、人類誕生以前にヒューペルボリアでツァトゥグアを崇拝していた柔毛に覆われる種族の精神が三つ、忌むべぎトゥチョ=トゥチョ人の精神が一つ、地球最後の時代に棲む蛛形綱《ちゅうけいこう》に属する生物の精神が二つ、人類滅亡のすぐ後に栄え、〈大いなる種族〉がいつの日か恐ろしい危機に直面して最も鋭敏な精神を大量に移すことになる、甲虫類の精神が五つ、それに人類の各人種の精神がいくつかいた。  わたしは、紀元五千年に栄えるツァン=チャンという無情な帝国の哲学者、イヤン=リーの精神と話をした。また、紀元前五万年に、南アフリカを支配していた大頭をもつ褐色人種の将軍の精神、バートロミオ・コルシという十二世紀フローレンスの修道士の精神、ずんぐりした黄色い体をもつイヌート族が西方から到来して征服するまで、十万年にわたってあの凄絶な極地を支配していたロマールの王の精神とも話をした。  つづいて、紀元一万六千年の暗澹たる征服者たちの魔術師ナグ=ソスの精神、スラの活躍期に執政官《クアエストル》をしていたタイタス・センプロニウス・ブライサスというローマ人の精神、エジプト第十四王朝のケフネスの精神と話をした。ケフネスの精神はナイアルラトホテップの悍ましい秘密を教えてくれた。そして、アトランティス中期王国の司祭の精神、クロムウェル時代のサフォークの郷紳《ジェントルマン》であるジェイムズ・ウドゥヴィルの精神、インカ時代以前のペルーの宮廷天文学者の精神、紀元二五一八年に死ぬことになるオーストラリアの物理学者ネヴェル・キングストン=ブラウンの精神、太平洋に消滅したイヘーの大魔道師の精神、紀元前二〇〇年のグレコ=バクトリア人の官吏テオドティデスの精神、ピエール=ルイ・モンタギューというルイ十三世時代の年老いたフランス人の精神、紀元前一万五千年のキンメリアの族長クロム=ヤの精神とも話をかわした。さらに数多くの精神とも話をし、脳裡にはとどめられない衝撃的な秘密や目眩く驚異を、つぎつぎに聞かされた。  わたしは毎朝熱にうかされて目を覚まし、ときには必死になって、現代人の知識の範囲内にあるような情報を、確かめようとしたり、その正しさをくつがえそうとしたりした。伝来の事実が一変して疑わしい様相を呈し、歴史や科学にそうした意外な付加物を重ねうる夢の創造力には、ただただ驚嘆するばかりだった。  わたしは、過去がはらんでいるかもしれない神秘を思って身を震わせ、未来がもたらすかもしれない脅威を思って恐れおののいた。人類にとってかわる種族が人類の運命についてほのめかしたことは、とてもここには記せないような影響をわたしにおよぼした。  人類の後には、強壮な甲虫類の文明が栄えるが、旧世界に恐ろしい運命がせまるとき、〈大いなる種族〉の最高の精神がその体を奪うことになる。その後、地球の寿命が終焉《しゅうえん》に近づくと、転移した精神は、またしても時間と空間を超えて移住する――水星の球根状植物の体に宿る。しかし窮極の終焉に先立ち、地球上にはその後も新たな種族が生まれ、その種族は冷えきった惑星にあわれにもすがりつき、恐怖にみちた核にむかって地殻を掘り進む。  一方、夢のなかのわたしは、〈大いなる種族〉の中央記録保管所に収めるため、半分は自発的に、残る半分は図書館を訪れたり旅をしたりする機会が増えると約束されたため、自分の時代の歴史をたゆまず書きつづけていた。中央記録保管所は、都市の中心近くの巨大な地下構造物のなかにある。わたしはそのことをよくそこで仕事をしたり、参考文献を調べたりしたことで知るにいたった。〈大いなる種族〉が存続するかぎりもちこたえ、大地のいかなる激動にも耐えるよう目論まれているので、この巨大な地下構造物は、岩山にも似た堅牢な造りにおいて、あらゆる建物をしのいでいた。  奇妙なくらい腰の強い繊維組織をもつ、大きな紙に書きこまれたり印刷されたりした記録は、上開きの本にしたてあげられたあと、幾何学図形で飾られ、〈大いなる種族〉の曲線文字で表題のつけられた、灰色がかった色合をもつ、きわめて軽い、風変わりな、錆びることのない金属の容器に一冊ずつ収められた。  こうした容器は、同じ錆びることのない金属で造られ、複雑な回転操作を要する取手で閉めきられる――密閉された書棚のような――何層にもおよぶ矩形の地下保管庫に収納された。わたしの記した歴史は、何層にもわたる保管庫の最下層、というよりも脊椎動物の記録がならぶ区画の特定の場所が割りあてられた――そこは人類の文化と、人類誕生以前に地球を支配していた柔毛族と爬行《はこう》種族の文化とのために割《さ》かれた区画だった。  しかし、夢が日常生活をまざまざと伝えることはなかった。きわめて漠然とした、きれぎれの断片があるだけで、そんな断片も正しい順序であらわれたのではないと思う。たとえば、わたしは夢の世界で、自分用の大きな石造りの部屋をもっているようだったが、生活用品といったものについては、きわめて不完全な印象しかない。囚人としての拘束がしだいになくなっていくと、いくつかの夢には、ものすごい密林の道を進むなまなましい旅や、風変わりな都市での逗留や、〈大いなる種族〉が妙な恐怖におびえて遠ざかる、黒ぐろとした広大な無窓建築物の廃墟でおこなう探検の様子などがあらわれるようになった。信じられないような速さで進む、何層もの甲板のある巨大な船に乗って、長い航海をしたこともあるし、電気的な反擬力で離陸し、推進する、弾丸状の飛行船に乗って、荒野を旅したこともあった。  広大な暖かい大洋のむこうには、〈大いなる種族〉の別の都市群があった。遙か彼方のある大陸では、〈大いなる種族〉がしのび寄る恐怖から逃れるため主要な精神を未来に送りこんだ後、支配種族として進化することになる、黒い鼻をもつ有翼生物の粗末な村落を目にした。平坦さと繁茂する植物が常に景色の基調をなしていた。丘はすべて低く、ごくわずかに散在しているだけだったが、きまって火山活動の徴候を示していた。  わたしが目にした動物についてなら、何冊もの本を書くことができる。野生の動物しかいなかった。〈大いなる種族〉の機械化された文明は、遙か昔に家畜を排除しており、食物も植物か人工食品に限られていたからだ。大きな体をした動作ののろい爬虫類が、蒸気を発する湿地帯でのたうったり、濃密な大気中ではばたいたり、海や湖で水を吹きだしたりしていた。こうした爬虫類のなかに、わたしはおぼろげながら、古生物学を通じて馴染深いものになっている――恐龍、翼龍、魚龍、長頸龍といった――多くの爬虫類の古い原型が認められるように思った。鳥類や哺乳類はどこにも見あたらなかった。  地面や沼沢地には、蛇や蜥蜴《とかげ》や鰐《わに》がかならず群がっている一方、みずみずしい植物のなかでは昆虫がたえず飛びまわっていた。そして海の遙か沖合では、姿をあらわすことのない未知の怪物が、蒸気のたちこめる空に大きな水|飛沫《しぶき》をあげていた。一度わたしは、探照燈を備えた巨大な潜水艦で海面下に連れて行かれ、悍ましいほどの大きさをした生ける恐怖を一瞬目にした。海面下に沈んだ驚くべき都市の廃墟も目にした。海百合、三昧線貝、珊瑚、魚類の宝庫がいたるところにあった。 〈大いなる種族〉の生理、心理、習俗、詳細な歴史について、わたしの夢はきわめて漠然とした情報しか与えてくれなかったので、以下に記す断片の多くは、わたし自身の夢から得たものというよりも、むしろ古い伝説や多くの事例を研究することによって集めたものである。  もちろん、わたしの読書や調査は、やがて多方面にわたって夢に追いつき、追いこすまでになったので、特定の夢の断片は、あらかじめ詳《つまび》らかにされたり、学びとったことの確認になったりした。このため、わたしの第二の人格のおこなった同様の読書や調査が、擬似記憶の恐ろしい構造すべての源泉になっているのだという、心慰む確信をもつことができた。  わたしが夢に見たのは、明らかに、古生代から中生代に移ろうとする、一億五千万年まえよりやや新しい時代だった。〈大いなる種族〉が占有していた体は、地球上の進化の系統樹に残っているものではないし、科学上も知られてはいないが、動物よりは植物の段階に近い、同質の組織が高度に分化した特異な有機体だった。  細胞活動は特異なもので、疲労するということがほとんどなく、睡眠する必要はまったくなかった。しなやかな太い肢《リム》の一本についている、漏斗《じょうご》形の赤い付属器官で同化される滋養物は、多くの点で、現存するどんな生物の食物からもかけ離れた、半流動体のものに限られていた。 〈大いなる種族〉はわれわれが知覚する感覚のうち、二つだけ――視覚と聴覚――をもっていた。頭部の上にある灰色の肉茎についた花のような付属器官で、音を聴くことができる。しかし、その体に宿る異質な捕われの精神にはうまく利用することのできない、不可解な感覚を多数備えていた。三つの眼は、普通以上に広い視野が得られるように位置していた。血液は、いわば、深緑色をしたきわめて濃密な膿漿《のうしょう》だった。  性行為はしなかったが、基部で房をなし、水中でのみ成長できる、種子とも胞子ともつかないもので繁殖した。巨大な浅い水槽が、仔《こ》の成育のために使われた。しかし、きわめて長命なため――平均寿命は四千年ないし五千年だった――仔はごくわずかしか育てなかった。  著しい欠陥のあるものは、欠陥のあることが知られるや、速やかに処分された。病気や死期のせまっていることは、触覚や肉体の苦痛がないため、純粋に視覚的な徴候によって気づかれた。  死んだものは、荘重な儀式のもとに火葬にされた。先に記したように、ときとして、鋭敏な精神を未来へ投影して死を免れるものもいたが、そんな例は少なかった。それが稀におこると、未来から転移された捕われの精神は、馴染のない肉体が死ぬまで、ごく丁重にあつかわれた。 〈大いなる種族〉は四つの明確な部族にわかれているとはいえ、主要な制度を等しくする、寛闊《かんかつ》に結びつく単一の国家もしくは同盟を形成していたらしい。各部族の政治及び経済体制は、主要物資が合理的に配分される一種の全体主義的な社会主義で、その権威は、特定の教育及び心理の試験に合格したもの全員が投票して選ぶ、小規模の統治委員会に委任されていた。家族構成は強調されすぎることはないものの、血統を同じくするものの繋りは認められ、通常、仔は親によって育てられた。  人間の慣習や態度との類似点は、もちろん、きわめて理論的な要素がかかわっている分野や、あらゆる有機体に共通する基本的かつ一般的な衝動が優勢を示す分野において、ことのほか顕著だった。〈大いなる種族〉は未来を探り、気にいったものをまねるので、意識的な採用によって生じた類似点もごくわずかある。  産業は高度に機械化され、市民が労働のために時間を割《さ》くことはほとんどなかった。豊富な余暇は、各種の知的な活動や、美的な活動に費された。  科学は信じがたいまでに発達し、芸術が人生の必要欠くべからざる一部になっていたが、わたしが夢に見た時代には、その文化も既に全盛期を過ぎていた。原始時代の猛烈な地表の隆起をうける、巨大都市の物理的構造を維持し、保存するための不断の努力が、技術工学の強い刺激になっていた。  犯罪は驚くほど少なく、きわめて有効な治安維持機構によって処理された。処罰は、権利剥奪や終身懲役から、死刑あるいは主要な感情の抹消にまでわたるが、犯罪者の動機が入念に調べられたあとでなければ、執行されることがなかった。  南極を占有する、海星《ひとで》状の頭部をもつ有翼の〈古のもの〉との戦闘がときおりあったとはいえ、過去数千年にわたって戦争はもっぱら内乱ばかりで、それもごく稀にしかおこらなかったが、ひとたび勃発すると、このうえない荒廃がもたらされた。途方もない電気的な効果をもたらす、カメラに似た武器を用いる大軍隊が不断に訓練をおこなっていた。その目的が告げられることはまずないが、どうやら、大昔に建てられた暗澹たる無窓建築物の廃墟や、地下の最下層にある封印された巨大な揚げ蓋に漂っている、やむことのない恐怖に関係があるようだった。  この玄武岩の廃墟や揚げ蓋の恐怖は、もっぱら語られることなくほのめかされる事柄――せいぜいこっそりと囁かれる事柄――だった。これに関係する明確な記述は、普通の書棚にならんでいるような書物には、意味深長にも完全に欠落していた。これは〈大いなる種族〉のあいだでは禁制にされる問題であり、過ぎし日の恐ろしい闘争や、いつの日にか鋭敏な精神をひとまとめに未来へ送りこまなければならなくなる、来たるべき脅威に関係しているようだった。  不完全で断片的なところは、夢や伝説で提示される他の事柄も同じようなものだったが、この問題はそれ以上に、首をひねりたくなるほど覆い隠されていた。漠然とした古代の神話もこの問題は避けていた――あるいは何らかの理由のために削除されたのかもしれない。わたしの夢でも、他の者の夢の記録でも、その真相をほのめかすものはなきに等しかった。〈大いなる種族〉はこの問題にふれることはまったくなく、苦労して集めることのできた情報は、鋭い観察力を持つ捕われの精神の一部からのみ得たものである。  そうした断片的な情報に基づけば、恐怖の根底にあるのは、測り知れない彼方の宇宙から到来し、およそ六億年まえに地球をはじめとする太陽系の四つの惑星を支配した、半ポリプ状のまったく異質な存在である、恐るべき先住種族だった。この種族の体は一部だけが物質――われわれの理解の範囲内にある物質――で、その意識の型や知覚手段は、地球上の生命体のものから大きくかけ離れていた。例をあげれば、この種族には視覚はなかった。その精神内にうかぶのは、奇怪な、非視覚的なパターンの印象だった。  しかしながら、普通の物質が存在する宇宙にいるときに、普通の物質から造られた道具を使えるほどには物質的だった。そして、特異な種類のものだとはいえ、住居を必要とした。この種族の知覚はどんな物質的障壁をも通り抜けることができたが、肉体を構成する物質にはそれができなかった。ある種の電気エネルギーをうければ、完全に破壊されてしまう。翼はおろか、目に見える飛行手段は何もないのに、空を飛ぶ力をもっていた。その精神は、〈大いなる種族〉ですら精神交換ができないような構造のものだった。  この種族は地球に到来すると、無窓の塔からなる壮大な玄武岩造りの都市を築き、生物を見つけ次第、恐ろしくも捕食した。論争の余地ある不穏な『エルトダウン・シャーズ』においてイースとして知られる、あのおぼめく超銀河世界から、虚空をよぎり、〈大いなる種族〉の精神が到来したのは、そんな頃のことだった。  新来の〈大いなる種族〉は、自分たちの造りだした道具を用いれば、食肉種族にうち勝ち、既に食肉種族が住居に加えて住みつきはじめていた地球内部の洞窟へ、たやすく追いこめることを知った。 〈大いなる種族〉は洞窟の入口を封印し、食肉種族を運命の手にゆだねた後、食肉種族の大都市の大半を占領するとともに、無頓着さや大胆さ、あるいは科学や歴史に対する熱意、というよりはむしろ不合理な恐怖心に結びついた理由のため、特定の重要な建築物を保存した。  しかし悠久の時が経過するにつれ、先住種族が地中の世界でしだいに力をたくわえ、数を増しているという、漠然とした不吉な気配がするようになった。〈大いなる種族〉の遠隔の小都市や、〈大いなる種族〉が住みつかなかった荒廃した古代都市――地中の深淵へ通じる道が閉ざされもせず警戒もされずに残されている古代都市――の一部が、ときとして、きわめて悍ましい性質の侵入をうけるようになった。  その後、徹底した予防策が講じられ、深淵に通じる道の多くが永久に閉ざされた――しかし、先住種族が思いがけない場所に出現した際、先住種族との闘いに戦略的に使用するため、ごくわずかな道は、封印された揚げ蓋を備えて残された。 〈大いなる種族〉の心理に消えることのない影響を与えているため、先住種族の侵入は筆舌につくしがたい衝撃であったにちがいない。恐怖が深く根をおろしたので、先住種族の外見についてさえ話されないままになっている。先住種族がどんな姿をしているのかということの手がかりすら、わたしにはつかむことができなかった。  恐ろしいほど柔軟なことや一時的に姿を見えなくすることについて、あいまいなほのめかしがあるほか、大風を操り、武器として用いることについて、きれぎれの囁きもあった。奇妙な口笛のような音や、五本のまるい指からなる巨大な足跡も、先住種族と関係があるようだった。 〈大いなる種族〉がこのうえなく恐れている来たるべき運命――いつの日か時間の裂け目をよぎり何百万もの鋭敏な精神を安全な未来の奇怪な肉体に送りこまなければならなくなるような運命――が、先住種族の勝利におわる、最終的な侵略に関係していることは明らかだった。  こうした恐怖は、未来にむけての精神投影によって明白に予告されており、〈大いなる種族〉は、逃《のが》れられない以上、直面すべきではないと決心していた。その侵略が、外世界をいまひとたび占領するための企てというより、一種の報復行為であることが、地球の未来の歴史からわかっていた――後の世につぎつぎと生まれては死に絶えていく種族が、恐ろしい肉食種族に悩まされはしないことを、未来への投影が告げていたからだ。  おそらく先住種族は、光を必要としないために、嵐の猛威をうける変化しやすい地表より、地球内部の深淵のほうを好むようになっていたのだろう。そしてまた、悠久の歳月のうちに、徐々に衰弱していったのだろう。事実、遁走する精神が宿ることになる、人類のあとを襲う甲虫類の時代には、先住種族が絶滅していることが知られている。  その間、〈大いなる種族〉は、恐ろしさのあまり、一般の目にふれる記録や会話から先住種族のことを抹消しているにもかかわらず、強力な武器をいつでも使えるようにして、用心深い警戒をつづけていた。そして封印された揚げ蓋や、黒ぐろとした無窓の古塔のまわりには、常に名状しがたい恐怖の影が漂っていた。         5    夢が毎夜、ぼんやりときれぎれに光をあてた世界は、以上のようなものだった。そうして目にした世界にこもる恐怖や戦慄を、ありのままに伝えられるとは思えない。そうした感情はもっぱら、まったくつかみどころのない性質のもの――はっきりした擬似記憶という感じ――に根ざしているからだ。  先に記したように、わたしは研究をつづけているうちに、こうした感情に対し、心理学に基づく合理的な解釈というかたちで、しだいに防備を固めるようになった。これによる救いの力は、時の経過とともに生じる慣れという微妙な感じによって、ますます強められた。そうではあっても、ときとして、そこはかとなくしのび寄る恐怖が、つかのまぶりかえすことがあった。しかし、以前のように、そんな恐怖に圧倒されることはなかった。そして一九二二年以降は、仕事のあいまには気晴しをして、きわめて正常な生活を送った。  月日がたつにつれ、わたしは真摯《しんし》な研究家のために、自分の経験を――類似する症例や関連する伝承もふくめ――明確に要約して発表すべきだと思うようになった。こうしてわたしは、問題の全体を簡潔にあつかう一連の論文をまとめ、夢に見た形、情景、装飾のモチーフ、謎の文字について、その一部のざっとしたスケッチをつけ加えた。  こうした論文は一九二八年から翌年にかけて、『アメリカ心理学協会紀要』にたびたび掲載されたが、大方の関心を惹くことはできなかった。わたしはそうしているあいだも、増えつづける記録が手に負えないほど膨大な量になっていたとはいえ、細心の注意をはらいながら、夢を記録しつづけていた。  一九三四年七月十日、狂気の試練すべてのなかで頂点をきわめ、最も恐ろしい局面を開く一通の手紙が、心理学協会から回送されてきた。西オーストラリアのピルバラの消印が押されており、差出人は、問いあわせた結果、かなり有名な鉱山技師であることがわかった。同封されていたのは、実に奇妙なスナップ写真だった。以下にこの手紙の全文を書き写すので、この手紙と写真がわたしにおよぼした影響が、どれほどすさまじいものであったかは、必ずやおわかりいただけるだろう。  わたしはしばらくのあいだ、呆然として、わが目を疑っていた。わたしの夢を色づけた伝説の特定の面には、何らかの事実という基盤があるにちがいないと、たびたび思ったことはあったが、想像を絶する太古の失われた世界から具体的な形で残されているようなものには、まったく心がまえができていなかったからだ。とりわけ衝撃的だったのは写真だった。論駁《ろんばく》の余地ない冷酷な現実として、風雨にさらされ磨耗したある種の石塊が、砂地を背景にくっきりとあらわれており、かすかにもりあがった頂部と、同じくかすかに窪んだ底部とが、歴然とみずからの正体を物語っていた。  拡大鏡を使ってみると、明瞭すぎるほどに見てとることができた。磨耗し、小さな穴の開いた表面には、わたしにとって恐ろしい意味をもつようになっている、あの大きな曲線模様と謎の文字の痕跡が認められた。しかし手紙はここにあるのだから、わたしがくだくだしくいうのはやめよう。   [#ここから3字下げ] 西オーストラリア ピルバラ ダンピア街 四十九番地 [#ここで字下げ終わり] [#地から2字上げ]一九三四年五月十八日   [#ここから3字下げ] アメリカ合衆国 ニューヨーク市 東四十一丁目 三十番地 アメリカ心理学協会気付 N・W・ピースリー教授殿 [#ここで字下げ終わり]   [#ここから2字下げ] 拝啓  パースのE・M・ボイル医師と最近かわした会話と、ボイル医師から送っていただいた紀要に掲載された貴殿の論文から、当地の金鉱の東に位置するグレート・サンデー砂漠で小生が目にしたものについて、貴殿にお知らせしたほうがよいものと考え、この手紙をしたためております。貴殿が描写しておられる、奇怪な模様、謎の文字、巨大石造物をもつ古代都市についての特殊な伝説に照らして、小生はきわめて重要なものを偶然見つけだしたように思うからです。  オーストラリアの原住民は「模様のついた巨石」のことを話したくてうずうずしておりますし、どうやら非常な恐怖心をいだいているようにも見うけられます。原住民はその巨石を、各部族に共通するブダイの伝説に結びつけております。ブダイというのは、腕を枕にして長いあいだ地底で眠り、いつの日か目を覚まして世界全体を喰らいつくすという、年老いた巨人のことです。  巨石で造られた途方もない地底住居にまつわる、きわめて古い、なかば忘れ去られた伝説もあります。そんな地底住居へ達する長い通路があり、なかでは恐ろしい出来事がおこっているというのです。原住民が断言するには、かつて戦場から逃亡した幾人かの戦士がそんな通路をおりていき、ふたたび姿をあらわすことはなかったものの、戦士が通路に姿を消したあと、ぞっとするような風が通路の入口から吹きはじめたといいます。しかしながら、原住民の告げることには、たいして意味はありません。  小生が記さなければならないのは、それ以上のことなのです。二年まえ、砂漠の東方およそ五百マイルの地点を調査していたとき、小生は極度に風化し、侵食された、3×2×2フィートほどの大きさの、表面仕上げをされた奇妙な石を大量に発見しました。  最初は原住民のいっているような模様は見あたりませんでしたが、仔細に観察してみると、風化しているにもかかわらず、深く刻まれた線を判別することができました。原住民が表現しようとしていたものにそっくりな、一種独特の曲線が認められたのです。そこにはこんな石が三十ないし四十くらいあったと思います。いくつかは砂のなかにほぼ埋もれていましたが、すべてが直径四分の一マイルくらいの円周内に散在していました。  小生はいくつかの石を見つけたとき、もっとないかと思ってまわりをよく調べ、携えていた器具でその場所を入念に測量しました。最も典型的な石を十ばかり写真に撮っていますので、その焼き増しをここに同封いたします。  報告をまとめ、写真とともにパースの役所にとどけましたが、何の処置もとられませんでした。  やがて、『アメリカ心理学協会紀要』に掲載された貴殿の記事に目をとおされていたボイル医師と近づきになり、ある日たまたま石のことを口にしました。写真をお見せすると、ボイル医師はいたく好奇心を示され、激しく興奮されて、石とその模様とが、貴殿が夢に見られ、また伝説にうたわれているのをお知りになったものと、実によく似ているとおっしゃったのです。  手紙をだすようにと勧められましたが、手間どっていました。そうしているあいだにも、ボイル医師が貴殿の論文の掲載された紀要をほとんど残らず送ってくださいましたので、小生は貴殿の論文やスケッチを拝見して、発見した石が貴殿の意味しておられるものに相違ないことを確信いたしました。同封の写真をご覧になって、ご自身でご確認ください。追ってボイル医師から貴殿宛の手紙がとどくものと思います。  いまや小生も、これらのことが貴殿にとっていかに重要なものであるかが理解できます。明らかにわたしたちは、想像を絶する太古に存在し、貴殿の見いだされた伝説の基盤となっている、未知の文明の残存物に直面しているのです。  鉱山技師として、小生も地質学は多少とも心得ておりますので、これらの石魂が驚くほど古いものであることを断言することができます。大半は砂岩か花崗岩ですが、一つだけは妙な種類のセメントもしくはコンクリートからできております。  あたかもこの地が――こうした石塊が造られ使用された後に――水中に没し、長い歳月の後にふたたび隆起したかのように、石塊には水の浸蝕の跡が認められます。神ならぬ身の知る由もない、幾十万年もまえのことでしょう。いつのことであったのかは考えてみたくもありません。  伝説とそれにかかわるあらゆるものを調べあげようとする、貴殿の精励なお仕事ぶりから判断して、貴殿が遠征隊を率いられ、考古学的発掘をなさりたく思われるものと拝察いたします。貴殿――あるいはご存じの団体――が資金を調達されるなら、ボイル医師ならびに小生は発掘作業に喜んでお手伝いをいたしたいと思います。  困難な発掘作業については、微力ながら十二名の鉱夫を集めることができます――原住民は問題の場所を異常なほど恐れていますので、役にはたたないでしょう。ボイル医師と小生はこのことを一切他言してはおりません。貴殿こそが、いかなる発見や名誉に対しても、優先権をもってしかるべきだと思うからです。  その地点へはピルバラからトラクターに乗って、およそ四日間で到着することができます。トラクターは、採掘具を運ぶためにも必要です。一八七三年にワーバートンが通った道のやや西南方で、ジョアンナ・スプリングからおよそ百マイル南東の地点です。ピルバラから出発するかわりに、ド・グレイ河を遡《さかのぼ》ることもできます。しかしこんなことは後ほどお話しいたしましょう。  大ざっぱにお知らせしますと、石塊は南緯二二度三分一四秒、東経一二五度〇分三九秒の地点に散在しております。気候は熱帯性で、砂漠の状態は苛酷なものです。  小生が、貴殿のお考えになるいかなる計画にも喜んでお手伝いするつもりであることを申しそえ、この件に関するご返事をお待ちいたします。貴殿の論文を拝読し、この問題すべての深遠な意味合に強い印象をうけました。追ってボイル医師からの手紙がとどくものと思います。緊急な連絡が必要な場合には、パースまで電報を打ってくだされば、無線で中継されます。  速やかなご返事を切に願う次第です。 [#ここで字下げ終わり] [#地付き]啓具 [#地から1字上げ]ロバート・B・F・マッケンジー    この手紙の直接の余波については、新聞から詳細を得ることができる。幸運にもミスカトニック大学の後援が得られたし、マッケンジー氏もボイル医師も、オーストラリアがわでさまざまな手配をしてもらう点で実にありがたい存在だった。わたしたちは、問題のすべてが低級な新聞によって、不快にも際物《きわもの》めくふざけた取り扱いをうけるだろうと思い、詳しく発表することはひかえることにした。その結果、新聞の報道は実に簡潔なものになったが、報告のあったオーストラリアの廃墟の探索と、それにともなうさまざまな準備のことは十分に記されていた。  一九三〇年から翌年にかけてのミスカトニック大学南極探検隊の隊長を勤めた、地質学担当のウィリアム・ダイアー教授、古代史担当のフェルディナンド・C・アシュリイ教授、人類学担当のタイラー・M・フリーボーン教授が、わたしの息子ウィンゲイトとともに、随行してくれることになった。  わたしに手紙をよこしてくれたマッケンジーは、一九三五年のはじめにアーカムまでやって来て、最終的な準備を手伝ってくれた。年の頃およそ五十くらいの、人好きのするきわめて有能な人物で、本もよく読んでおり、オーストラリア旅行についてはあらゆることに精通していた。  マッケンジーがピルバラにトラクターを用意してくれていたので、その地点まで河を遡《さかのぼ》れる、小さな不定期貨物船をチャーターした。わたしたちは、砂をひと粒ずつふるい[#「ふるい」に傍点]にかけながらも、さらえあげた砂のなかや、さらえた場所に何の影響も与えないような、きわめて入念かつ科学的なやり方で発掘をおこなう準備をしていた。  一九三五年三月二十八日、わたしたちは老朽船レキシントン号に乗船してボストンを出港し、大西洋から地中海に入り、スエズ運河を抜け、紅海をくだり、インド洋を横切って目的地に到着するという、気の長い航海をした。オーストラリア西海岸の低い砂地の光景に、どれほどわたしが意気消沈したか、またトラクターに最後の荷を載せるため立ち寄った、ものさびしい金鉱と雑な鉱山《やま》の町を、どれほどわたしがいとわしく思ったかは、くどくど記す必要はない。  わたしたちはボイル医師と会ったが、医師は知性豊かで快活な老紳士だった。心理学にも造詣が深く、何度となく、わたしや息子と長時間にわたって議論したものだ。  ようやく砂と岩からなる乾燥した土地に乗りだしたとき、わたしたち一行十八名の大半は、妙に不安と期待が渾然とする気分になっていた。五月三十一日の金曜日には、ド・グレイ河支流の浅瀬をわたり、蕭然《しょうぜん》とした荒地に入っていった。伝説の背後にある旧世界の現場にむかって進むにつれ、あるはっきりした恐怖がわたしの心に芽ばえてきた――もちろんそれは、不穏な夢と擬似記憶とが、変わらぬ力でなおも押し寄せるという事実によってかきたてられた恐怖だった。  砂のなかになかば埋もれた石塊をはじめて目にしたのは、六月三日の月曜日だった。あらゆる点で、夢の建築物の壁を造っていた石に似ている、巨大石造物の断片に――客観的な現実として――実際に手をふれたときの感情は、とても言葉では表せない。刻まれた跡がはっきり残っていた――何年にもわたり、夢に苦しめられ、調査に当惑させられているうちに、わたしにとって地獄めいたものになってしまった、あの曲線模様を認めたとき、わたしの手はわなわなと震えていた。  一ヵ月発掘をつづけると、磨耗と崩壊のさまざまな段階を示す、千二百五十におよぶ石塊が発見された。その大半は、上面と下面がかすかに湾曲する彫刻入りの巨石だった。それ以外には、夢のなかで床や舗道に敷きつめられていたものに似ている、表面が平らで、彫刻の少ない、四角や八角に切られた、ややこぶりな石塊もあったし、ごくわずかだが、穹窿《ヴォールト》や交差穹窿《グロイニング》、迫持《アーチ》や丸窓の枠に使われていたことを暗示するような、ことのほか重い、湾曲した石塊や傾斜した石塊もあった。  さらに深く――北方や東方にも範囲を広げて――掘りつづけるにつれ、見つけだされる石塊の数は増えていった。しかしわたしたちは、石塊がどのように配置されていたのか、その手がかりをつかめずにいた。ダイアー教授は石塊の想像を絶した古さに肝をつぶしていたが、フリーボーン教授は、パプアやポリネシアの恐ろしく古い伝説にどことなくあてはまるような、象徴《シンボル》の痕跡を見つけだした。石塊の磨耗状態や散在状態は、目眩く悠久の歳月と、宇宙的蛮行ともいうべき地質上の大変動とを、無言のうちに語っていた。  飛行機を一機用意していたので、息子のウィンゲイトがさまざまな高度で飛びながら、ぼんやりした大規模な輪郭を示す形跡はないか――分散する石塊群に高さや位置の相違点はないか――と、砂と岩の荒野を何度となく調べた。しかし何一つ成果はあがらなかった。ある日何か意味ありげなものを目にしたように思っても、次の日にそれを見ると、印象がまったく実質のないものに変わってしまうのだ――風に吹かれて姿を変える流砂のせいだった。  もっとも、こうした一日限りの提言の一つ二つが、奇妙にも不快な影響をわたしにおよぼした。どうやら夢に見たり読んだりした何かに、恐ろしくも緊密につながりあっているようだったが、それが何であるのかはどうしても思いだすことができなかった。ぞっとするような親近感があった――このためわたしは忌《い》むべき不毛の地を、不安に駆られながら人目をしのんで調べるようになった。  七月の第一週になると、わたしは北東部一帯に対して、こもごもいり乱れる説明しようのないさまざまな感情をもつようになった。恐怖があり、好奇心があった――しかしそれら以上に、記憶があるという、一途《いちず》なまでの思いがあった。  莫迦げた考えを脳裡から追いはらうために、あらゆる心理的手段を試してみたが、しょせん無駄な努力だった。不眠症にもおちいったが、夢を見る時間が短くなるため、むしろこれを嬉しく思った。わたしは夜がふけてから、長時間ひとりきりで砂漠を散歩するようになった――きまって北か北東に足をのばしたが、新しい不思議な衝動がわたしを微妙にひっぱっていくようだった。  こうした散歩の途中、ときとして、ほとんど地中に埋もれた古代の巨石につまずくことがあった。わたしがさまよった地域は、発掘を開始した場所に比べ、地表に顔をのぞかせている石塊は遙かに数が少なかったが、わたしには砂の下に途方もない量の石塊が存在しているにちがいないという気がした。テントをはっている場所よりも低く、よく吹く強い風が砂を巻きあげては、この世のものとも思えない丘をつかのま造りあげていた――太古の石塊をあらわにしたり、覆い隠したりしていた。  わたしは奇妙にもこの地域まで発掘作業を広げさせたくてたまらなかったが、同時に、それによって出現するかもしれないものを恐れてもいた。明らかにわたしは精神状態を悪化させていた――説明がつけられないので、なおさらひどかった。  わたしのあわれな精神状態は、夜の散歩中になした妙な発見に対する反応から、はっきり指摘することができる。七月十一日の夜だった。神秘的な砂丘は妙に蒼白い月光につつみこまれていた。  いささかいつもの限界を超えて歩きまわっていたわたしは、これまで目にしたものと著しくちがっているように思える巨石を偶然見つけだした。ほとんど完全に埋まっていたが、わたしはかがみこみ、両手で砂をはらいのけると、月光を懐中電燈の光で補い、注意深く調べてみた。  他の巨石とは異なり、これは完全に正方形に切られていて、表面に凹凸はなかった。いまや見慣れたものになっている、花崗岩、砂岩、コンクリートとはまったく異なる、黒ぐろとした玄武岩であるようにも思えた。  いきなりわたしは立ちあがると、身をひるがえし、全速力でキャンプにむかった。まったくわけのわからない、無意識の行動だった。キャンプに近づいてようやく、走りだした理由をはっきりと自覚した。記憶が甦った。あの黒ぐろとした奇妙な石は、わたしが夢に見るとともに伝説で知ったもの、遙か太古の伝説にうたわれる、至高の恐怖に結びついているものだった。  伝説上の〈大いなる種族〉がはなはだ恐れていた、玄武岩造りの古代石造建築物の一部を構成していた巨石だった――大地の深淵で恨みをつのらせ、その風のような不可視の力を防ぐため、揚げ蓋には封印がされ、寝ずの歩哨《ほしょう》が置かれた、あの鬱々とわだかまる、半物質の体をもつ、異界の生物が地上に残した、巍然《ぎぜん》とそびえる無窓建築物の廃墟だった。  わたしはまんじりともせずに夜を明かしたが、あたりが白みだすと、神話の影におびえた自分の愚かさを思い知った。おびえあがったりするかわりに、発見者としての感激を胸に抱くべきだったのだ。  午前中にこのことを皆に話したあと、わたしはダイアー、フリーボーン、ボイル、息子とともに、特異な巨石を見に出かけた。だが、目にすることはできなかった。わたしは石塊の位置をはっきりおぼえていなかったし、風が砂丘の姿を一変させていた。         6    さてわたしは、この記録のなかできわめて重要であり、最も厄介な箇所にさしかかっている――現実であることにはっきりした確信がもてないだけに、記すことはことさら困難なのだ。ときとして不快にも、夢を見ていたのでもなければ、妄想に耽《ふけ》っていたのでもないという気がすることもある。そういう気がするからこそ――わたしの体験が紛れもない事実なら当然もたらされるだろう途方もない含みのある意味を考え――わたしはこの記録を書き進めているのだ。わたしの症状のすべてにわたり、このうえない同情を示してくれるとともに、一番よく知ってくれている、熟練した心理学者である息子が、わたしの記さなければならないことについて、偏見のない適切な判断をしてくれるだろう。  まず、キャンプにいた者が知っている、事件の外面について、そのあらましを記そう。風の吹き荒れたあとの七月十七日から十八日にかけての夜のことだ。わたしは早めに床についたが、どうも寝つけなかった。十一時少しまえに床を離れると、北東の地域に対するあの不思議な感情に悩まされながら、例によって夜の散歩に出かけた。キャンプを離れるときに顔をあわせて声をかけたのは、タッパーというオーストラリアの鉱夫ひとりだけだった。  満月をすこしすぎた月が、澄みきった夜空で輝き、どういうわけかわたしにはきわめて邪悪なもののように思える、癩病にかかったような白い光を年|旧《ふ》りた砂漠にふりそそいでいた。もう風は吹いていなかった。秘密をはらんだ青白い砂丘を、北東にむかって足早に歩いているわたしを目にした、タッパーや他の者が十分に証言しているように、その後およそ五時間にわたって、風の吹くことはなかった。  午前三時三十分頃、猛烈な風が吹き、キャンプにいる者全員が目を覚まし、三つのテントが倒された。夜空には一片の雲もなく、砂漠はあいかわらず病的な月光に照りわたっていた。テントを調べ、わたしのいないことが気づかれたが、わたしの夜歩きは知られていたから、驚く者はいなかった。しかし三人の者――すべてオーストラリア人――は、不吉な気配を感じとったらしい。  マッケンジーはフリーボーン教授に、原住民の伝承を耳にしたための不安だと説明した――澄みきった空の下、長い間隔を置いて砂漠を吹きわたる強い風について、原住民は一風変わった凶《まが》まがしい伝説を作りあげている。原住民が声を潜めて告げるには、そうした風は、恐ろしいことがおこっている、石造りの巨大な地下住居から吹きだすという――そして模様のある巨石が散在する場所近くでなければ、その風を感じることはできない。四時近くになると、強風は吹きはじめたときと同じように不意に吹きやみ、新しい姿に変えられた砂丘をあとに残した。  わたしがよろめく足でキャンプにもどりついたのは、むくんだ茸《きのこ》にも似た月が西に沈もうとする、五時をすこしすぎた頃のことだった――帽子もかぶらず、衣服は破れ、体じゅう傷だらけで血にまみれ、懐中電燈もなくしているというありさまだった。ほとんどの者は床についていたが、ダイアー教授がテントのまえでパイプをふかしていた。息をあえがせ、ほとんど錯乱状態にあるわたしを見ると、教授はボイル医師を呼び、ふたりしてわたしを寝床に運び、おちつかせてくれた。騒ぎに目を覚ました息子もすぐにやって来て、わたしが安らかな眠りにつけるよう、いろいろ気づかってくれた。  しかしわたしは眠ることなどできなかった。わたしの精神状態は異常きわまりないものだった――これまでにおちいったどんな精神状態とも異なっていた。しばらくすると、わたしは話をさせてくれとせがんだ――そわそわして、自分の身におきたことを詳しく説明させてほしいといった。  わたしは三人に、疲れきってしまったため、砂漠で横になり、うたたねをしたのだと話した。そしてこれまでにもまして恐ろしい夢を見たのだと。突然の強風に目を覚まされたとき、興奮しきった神経がぷっつりと切れた。恐慌状態におちいって逃げだし、なかば埋もれた石塊に何度もつまずき、服を破いてしまった。長いあいだ眠っていたにちがいない――すぐにテントに帰らなかったのはそのためなのだと。  わたしが見たり体験したりした異常なことについては、ほのめかすことさえしなかった――その点についてはもてる自制心のかぎりをつくした。しかし発掘作業の全体に関しては、気持が変わったことを伝え、北東方向への作業はすべて中止するよう主張した。  わたしの論法は明らかに説得力がなかった――わたしが口にしたことといえば、石塊の数の少なさ、迷信深い鉱夫の感情を害したくないという希望、大学からの資金が不足する可能性、その他でまかせの無意味なものばかりだったからだ。当然、わたしの新しい要請に注意をはらう者はいなかった――わたしの健康を案じてくれていることが明らかな息子でさえ、耳をかしてはくれなかった。  夜が明けると、わたしは床を離れてキャンプを歩きまわったが、発掘作業には加わらなかった。精神状態を考え、できるだけ早く帰国しようと心を決めた。息子にその決心を話すと、わたしがかまわずにいてもらいたいと願う地域を調査してから、パース――南西千マイルに位置する――まで飛行機で送りますよと約束してくれた。  もしも自分の見たものがまだ姿をあらわしているなら、あざけりの的になる危険をおかしてでも、思いきってはっきりした警告を発してみようかと、わたしは思案した。土地の伝承を知っている鉱夫たちがわたしを支持してくれるにちがいない。そんな気持でいるわたしをうまくあしらい、息子はその日の午後、わたしが歩いたと思われる地域の上空を飛び、調査をした。しかしわたしが目にしたものは何一つ見つからなかった。  特異な玄武岩の石塊のときと同様だった――流砂がすべての痕跡を消し去っていた。つかのまわたしは、おびえきったあまり悍ましい物体をなくしてしまったことを、やや残念に思った――しかしいまはなくしてよかったと思っている。なくしたおかげで、わたしはいまでさえ、自分の体験したことすべてが幻想であると信じこむことができる――とりわけ、わたしが切に願っているように、あの地獄じみた深淵が絶えて発見されることがないなら。  息子のウィンゲイトは、調査をやめて一緒に帰国することには応じなかったが、七月二十日にわたしをパースまで運んでくれ、リヴァプール行きの汽船が出港する二十五日まで、わたしのそばにいてくれた。わたしはいまエンプレス号の船室で、問題のすべてについて、気が狂いそうになるほど長時間考えこんでいるが、少なくとも息子にだけは知らせなければならないという決心はついている。この問題を公表するかどうかは、息子の判断にゆだねよう。  万一の場合に備え、既に散乱した状態で知られているような背景について、この要約をまとめているので、これからは、あの恐ろしい夜、わたしがキャンプから離れているあいだにおこったと思えるものを、できるだけ簡潔に記そう。  あの夜わたしは、北東の地域にむけられる、あの恐怖まじりの不可解な記憶の衝動によって、一種やみくもな情熱をかきたてられ、神経を高ぶらせたまま、凶《まが》まがしく冴《さ》えわたる月の下をとぼとぼ歩きつづけた。そこかしこには、なかば砂に隠された、いいようもない忘却の太古から残されている、原初の巨石が見えた。  この悍《おぞ》ましい荒野にわだかまる恐怖と無量の歳月とが、これまでになかったほどわたしをおびやかしはじめ、わたしはといえば、気が狂いそうになる夢、夢の背後にある空恐ろしい伝説、当地の原住民や鉱夫の抱く砂漠と彫刻のある石にかかわる恐怖とを、考えこまずにはいられなかった。  しかしわたしは何か薄気味悪い場所にむかうかのように、とぼとぼ歩きつづけた――困惑させられる想像、強迫観念、擬似記憶にいやましに悩まされた。息子が空から観察したような、石塊のならびのありうべき輪郭のいくつかについて考え、それがどうして、不気味でありながらも懐《なつ》かしく思えるのかと、不思議に思った。何かがわたしの記憶の掛金をはずそうとしている一方、別の未知の力がしっかり閉ざそうとしていた。  風はなく、青白い砂漠は、凍りついた波のように、もりあがったり、窪んだりしていた。目的地などなかったが、わたしは運命に支配された確信をもっているかのように、一途に歩きつづけた。夢が現実の世界にあふれだしてしまい、砂に埋まる巨石が、人類誕生以前の巨大石造物の果しない部屋や回廊の一部であり、長いあいだ〈大いなる種族〉の捕われの精神として暮したことからあまりにもよく知っている、さまざまなシンボルが刻みこまれているように思った。  ときおり、あの全知である円錐状の恐ろしいものが、さまざまな仕事について動きまわっているのが見えるような気がして、自分が同じ姿をしているのを知ることになりはしまいかと心配し、自分の体を見おろすのをためらった。しかしわたしはそのあいだじゅう、砂をかぶった石塊と同様に部屋や回廊を、凶《まが》まがしく照りわたる月と同様に光を発する水晶のランプを、果しない砂漠と同様に窓のむこうで波うつ羊歯《しだ》を見ていた。わたしは目覚めていながらも、同時に夢を見ていた。  昼間の風であらわにされた石塊群をはじめて見つけだすまで、何時間、あるいはどれほどの距離を歩いたのか、わたしは知らない――正確な方向さえわからない。一箇所に存在する石塊の量は、これまでに見たなかで最大の規模だった。これがあまりにも印象的だったので、伝説に語られる太古の幻影はたちまちのうちに消え失せてしまった。  あたりの景色はふたたび、砂漠と邪悪な月と測り知れない太古の残片だけになった。わたしはそばに近づいて立ちどまり、散乱する石塊に懐中電燈の光を投げかけた。砂丘が吹きとばされてしまい、さしわたし四十フィートくらい、高さ二フィートから八フィートにわたる、低くて不揃《ふぞろ》いにまるい、石塊と砕石の山が残されていた。  わたしははじめて目にしたときから、これらの石塊に何かしら未曾有《みぞう》の性質があるのを実感していた。石塊の量だけでもまったく類例のないものだったが、それに加えて、月と懐中電燈のまざりあう光のもと、細かく調べるわたしの注意を惹いた磨耗した模様のなかに、何かがあった。  とはいえ、これまでに見つけだされた石塊群と、本質的に異なるところはなかった。それはもっと微妙な何かだった。その印象は、一つの石塊だけを見るときにはおこらず、いくつもの石塊にほぼ同時に目を走らせるときに生じた。  やがて、ついに、真相がわかりはじめた。多くの石塊に刻まれた曲線模様は、密接に結びついていた――一つの広大な装飾の部分だった。無量の歳月にわたって揺《ゆる》がせられているこの砂漠において、わたしははじめて元の位置にある石塊群に行きあたったのだ――崩れはて断片的なものになっているのは事実だが、それでもなおきわめて明確な意味において、現実に存在しているのだった。  わたしは低い箇所に足を載せたあと、苦労して石塊の山によじ登った。ここかしこで砂を指ではらいのけながら、大きさ、形状、様式の多様性と、模様の関係を、やっきになって読みとろうとした。  しばらくすると、過ぎし日の構造の本来の姿と、原初の石造物の巨大な表面にかつて広がっていた模様について、ぼんやり推測できるようになった。そのすべてが夢で垣間見たもののいくつかに完璧に一致しているため、わたしは怖気《おぞけ》立ち、狼狽した。  これは、幅三十フィート、高さ三十フィート、八角形の石が敷かれ、頭上にはいかめしい穹窿《きゅうりゅう》のある、かつての巨大な回廊だった。右側遠くには隣接するいくつかの部屋があり、一番奥には、さらに低い階層へ通じるあの奇怪な傾斜路の一つがあったのだ。  こうした考えが思いうかんだとき、わたしは愕然とした。石塊自体からうかがえるものをはるかに超えていたからだ。どうしてわたしは、この回廊が地底深くに位置していたことを知っているのか。わたしの背後に上方へ通じる傾斜路があることをどうして知っているのか。円柱の広場に達する長い地下通路がもう一階上の左手にあるはずだということを、どうして知っているのか。  中央記録保管所に右むきに通じる隧道と機械室とがもう二階下にあるはずだということを、どうしてわたしは知っているのか。四階下の最下層に、金属帯で封印されたあの恐ろしい揚げ蓋の一つがあることを、どうして知っているのか。夢の世界からのこうした侵入に当惑したまま、わたしはわなわなと体を震わせ、全身に冷汗をかいていた。  そして、耐えようもない最後の仕上げとして、石塊群の中央近くの窪《くぼ》んだ場所からかすかに吹きあがってくる、あの油断ならない冷気の流れを感じとった。まえと同様、幻影はたちまちのうちに消え去り、わたしはふたたび、凶まがしい月光、うち黙《もだ》す砂漠、あたりに散乱する古代石造物の残骸だけを目にしていた。紛れもない現実でありながらも、底知れぬ神秘のつきせぬ暗示をはらんでいるものが、わたしの目のまえにあった。冷気の流れが示しうるものはただ一つのことだけだった――地表に散乱する石塊の下に、宏大な規模の隠された深淵が存在するのだ。  わたしが最初に思いうかべたのは、恐ろしいことがおこり、大風が生まれるという、巨石群の只中にある広大な地下住居にまつわる、原住民の不吉な伝説だった。やがて自分自身の夢が脳裡に甦り、ぼんやりした擬似記憶に心が締めつけられているような気がした。わたしの足もと深くには、いったいどのような場所が存在するのか。わたしがいましもあらわにするかもしれないものは、太古の神話と心を乱す悪夢との、想像を絶したいかなる原初の源泉なのか。  わたしがためらったのはほんのつかのまだった。好奇心や科学への情熱以上のものがわたしを駆りたて、つのりゆく恐怖をうちひしいだ。  わたしは何か否応《いやおう》のない運命の手につかまれているかのように、ほとんど無意識のうちに行動しているようだった。懐中電燈をポケットにいれると、こんな力をもっていたのかと思うほど猛烈な勢いで、石塊の砕片をつぎつぎにとりのけはじめたが、やがて、砂漠の乾燥した大気とは妙に対照的な、しめりけをおびた強い風が吹きあがってきた。黒ぐろとした裂け目が口を開けはじめ、ついには――動かすことのできる小さな砕石のすべてをとり除いたとき――――わたしが入りこめるほどの大きさをした穴が、病的な月光に照らしだされた。  わたしは懐中電燈をとりだし、明るい光を穴のなかに投げかけた。眼下には、崩れはてた石造物が混沌としていて、北にむかいおよそ四十五度の角度で下方に傾斜しており、遙かな太古に上部から陥没した結果であることは明らかだった。  その表面と地底とのあいだには、光を通さぬ暗澹《あんたん》たる闇がたれこめており、どうやら上端にあるのは、途方もない圧力をうける巨大な穹窿《きゅうりゅう》であるようだった。この点において、紛れもなく砂漠の砂は、測り知れない太古の巨大石造物を直接に覆っていた――悠久の歳月にわたる地殻変動にどのようにして耐えてきたのか、わたしにはそのときもいまも推測することすらできない。  ふりかえってみれば、自分の居場所を知る者が誰もいないときに、いきなりひとりきりで、何が待ちうけているやもしれぬ深淵に入りこむという考えは、狂気のきわみであるように思える。おそらくわたしは正気を逸していたのだろう――あの夜わたしはためらいもせずに穴のなかに入りこんだのだった。  わたしの進路を指示していたように思える、誘い、駆りたてる運命のあの力が、またしてもあらわれた。わたしは電池を長持ちさせるため、懐中電燈をときおり消しながら、開口部の下の不吉な巨石の斜面に、むこうみずにも這いおりはじめた――ときとして、しっかりした足場や手がかりが見つかったときは前方に目をむけたが、それ以外のときは、巨石の山に顔をむけたまましがみついて、危っかしく手探りした。  両側遠くには、懐中電燈の光にぼんやりと照らされ、崩れゆく石造物の壁がぬっとそびえていた。しかし前方は闇につつまれていた。  這いおりているあいだにどれほどの時間が経過したのか、わたしにはわからない。わたしの心はかき乱れる暗示や想像でわきたっており、客観的なものはすべて、測り知れない遠方へひきさがってしまったようだった。肉体の感覚は麻痺してしまい、恐怖さえもが、亡霊にも似た不動の怪物像が力なくわたしを横見しているような感じとして、残っているだけだった。  落下した石塊や、元の形をとどめていない砕石や、ありとあらゆる砂や岩屑《がんせつ》が散乱している平坦な場所に、わたしはついにたどりついた。両側には――およそ三十フィートの距離を置いて――堂々とした壁がそびえ立ち、遙か頭上は交差穹窿《グロイニング》になっていた。壁面に彫刻がほどこされているのはすぐにわかったが、その性質はわたしの理解を超えるものだった。  わたしの心を一番捕えたのは、頭上の穹窿だった。懐中電燈の光も頂部まではとどかなかったが、途方もない大きさをした迫持《アーチ》の下部ははっきりと見えた。とどまるところを知らぬ旧世界の夢で目にしたものと、完璧に一致しているため、わたしははじめて実際に身を震わせた。  背後の頭上高くにあるぼんやりした輝きは、外の世界の遙かな月光の存在を物語っていた。わずかばかりの用心深さがぼんやりと残っていたのだろう、もどるための導きをなくすことがないよう、この光を見失ってはならないという気がした。  わたしは彫刻の跡が一番はっきりしている左手の壁に足をむけた。石片や岩屑が散乱しているため、前進するのは這いおりたときとほぼ同じくらい困難だったが、気をつけながら一歩一歩足を進めた。  舗装がどんなふうになっているかを見るために、ある場所で石片をもちあげたり岩屑を足で蹴りのけたりしたが、ゆがんだ表面がなおもおおよそ結合を保っている八角形の大石の、その決定的な馴染深さにぞっとした。  壁面近くに達すると、磨耗した彫刻の名残に懐中電燈の光をゆっくりと慎重に投げかけた。何か過ぎし日々に、水が流入して砂岩の表面に影響をおよぼしたように思えるとともに、わたしには説明することのできない、妙な付着物があった。  石造建築物は場所によって極度にゆるんだりゆがんだりしており、わたしはこの隠された原初の大建築物が、大地の隆起をうけながら、これからどれほどの歳月にわたっていまの姿を保ちうるだろうかと思った。  しかしわたしを一番興奮させたのは、彫刻そのものだった。歳月のままに崩れはてる状態にありながらも、間近にせまると比較的たやすく跡をたどることができた。そして細部にいたるまでの完璧な根強い馴染深さは、わたしのあらぬ想像力をほとんど完全に消し去った。この古びた石造建築物の主要な属性が馴染深さであることは、普通に信じられることを超えるものではないからだ。  ある種の神話の造り手に強烈な印象を与えた結果、石造建築物が世に隠れて語りつがれる伝承に具現するようになり、それをどういうわけかわたしが記憶喪失におちいっているあいだに知るようになり、潜在意識になまなましい姿が描かれたのだろう。  しかしこの奇怪な模様の一つ一つの直線や螺状線《らじょうせん》が、細部にいたるまで正確に、わたしが二十年以上にわたって夢で見たものと一致することは、どうすれば説明できるのだろうか。夜ごとしつように、正確に、不変に、わたしの夢に押し寄せた微妙な陰影と特徴を再現しえたのは、世に知られず忘れ去られたどのような表現法なのだろうか。  偶然の一致でもなければ、わずかに似ているというものでもなかった。わたしが立っている、永劫の歳月にわたって隠されていた太古の回廊は、断固紛れもなく、アーカムのクレイン街にあるわが家と同じくらい、わたしが夢のなかでよく知っていたものの原型だった。確かにわたしの夢は、まだ朽ちはてぬ盛時の姿を示していた。しかしそれゆえにこそ、夢に見たのは太古の姿であるからこそ、一致は明らかに現実のものだった。わたしは恐ろしくも完全に、この新しい環境に順応していた。  目のまえに広がる建造物は、わたしのよく知っているものだった。夢に見たあの恐ろしい古代都市のどの部分にあたるのかも、よく知っていた。無量の歳月がもたらす変化と破壊を免れたその都市において、その建造物において、あやまたずにどんな場所にも行けるということを、わたしは悍ましい本能的な確信をもって自覚した。これはいったいどういうことなのか。どうしていま知っていることを知るようになったのか。迷宮のようなこの原初の石造物に棲《す》んでいた生物にまつわる太古の伝説の背後には、どのような畏《おそ》るべき現実が潜んでいるのか。  わたしの心をむしばんだ不安と困惑のうねりは、言葉ではわずかばかり伝えることしかできない。わたしはこの場所を知っていた。下方に何があるかも知っていたし、そびえ立つ無数の階層が倒壊して塵埃や岩屑や砂漠に化してしまうまえ、頭上に何があったかも知っていた。もう月光のかすかな輝きを見失わないようにする必要はない。わたしは身を震わせながらそう思った。  わたしは一方では逃げだしたいという切望に駆られ、また一方では、燃えるような好奇心と強迫的な運命感の熱っぽくいり乱れる気持に捕えられ、心がひき裂かれる思いがした。夢に見た時代以降の数百万年のあいだに、この途方もない太古の巨大都市に、いったい何がおこったのか。都市の下に広がり、巨大な塔すべてに通じている地下迷路のうち、地殻変動に耐えてなおも残っているものは、いくつくらいあるのだろうか。  途方もなく古い、完全に埋もれてしまった世界を、わたしは偶然にも見つけだしたのだろうか。書記長のあの住居は、そして海星《ひとで》状の頭をもつ南極の食虫植物スグハの捕われの精神が、壁の空白部に図象を彫りつけたあの塔は、まだ見つけだせるだろうか。  異種族の精神の集会所に達する二階の通路は、まだふさがれることなく、通り抜けることができるだろうか。あの集会所のなかには、信じがたい生物の捕われの精神――千八百万年未来に冥王星の彼方の未知の惑星の内部に棲む半可塑性の体をもつ生物の捕われの精神――が、粘土から形作ったあるものを置いていた。  わたしは目を閉じ、額に手をあて、こうした異常な夢の断片を脳裡からふりはらおうと、あわれにもむなしい努力をした。と、そのとき、わたしははじめて、あたりの空気の冷たさ、動き、湿っぽさをはっきりと感じとった。わたしは震えながら、無量の歳月静まりかえった黝《かぐろ》い深淵の広大な連鎖の一つが、地下のどこかで口を開けているにちがいないことを知った。  わたしは夢を思いおこしながら、慄然たる部屋や回廊や傾斜路のことを考えた。中央記録保管所へ通じる道は、まだ口を開けているだろうか。錆びることのない金属で造られた、あの矩形の保管庫にかつて収められていた悍ましい記録を思いだしたとき、あのじりじりと追いたてる運命の魔手がまたしても、強烈にわたしの脳をしめつけた。  夢と伝説は、太陽系のあらゆる天体のあらゆる時代から捕えられた精神の記した、時空連続体の過去から未来におよぶ全歴史が、その保管庫に収められていたと告げていた。もちろん、こんなことは狂気のきわみだった――しかしわたしはいま、自分と同様に狂っている、常闇《とこやみ》の世界に入りこんでいるのではなかったか。  わたしは鍵のかけられた金属製の保管庫と、それを開けるために必要な取手の妙な回し方のことを考えた。わたし自身のことがはっきりと脳裡に甦った。最下層にある地球の脊椎動物の区画において、何度取手の複雑な操作をしたことか! 細部にいたるまでが、なまなましく、かつ馴染深いものだった。  もしも夢に見たような保管庫があるなら、わたしはたちどころに開けることができる。わたしが完全な狂気におちいったのはそのときだった。一瞬の後、わたしは忘れもしない地下へ通じる傾斜路を目指し、岩屑の上をつまずきながらも、猛烈な勢いで進んでいた。         7    その時点から先のわたしの印象は、ほとんどあてにならない――事実、わたしはいまなお最後の願いとして、そうした印象のすべてが、譫妄《せんもう》状態から生まれる妄想あるいは魔的な夢の構成要素にすぎないのだと、そう必死に思いつづけている。わたしの頭は異常な興奮状態にあり、すべては霞のようなものを通してわたしのまえにあらわれた――ときとして断続的にではあったけれども。  あたりを支配する暗闇に弱よわしく投げかけられた懐中電燈の光は、ことごとく歳月の蚕食《さんしょく》にそこなわれた、恐ろしいほどに馴染深い壁と彫刻を、つかのま幽霊のようにぼうっとうかびあがらせた。ある場所では、穹窿架構の膨大な量の石塊が落下していたので、ぎざぎざした奇怪な鍾乳飾《スタラクタイト》のある天井にまでほとんどとどきかねない、巨大な石塊の山を這い登らなければならなかった。  すべては、擬似記憶のあの冒涜的な牽引《けんいん》力によって悪化させられた、悪夢のきわみだった。馴染深さのないものが一つだけあった。それは巨大な石造物に関連しての、わたし自身の体の大きさだった。あたかも単なる人間の体から眺めるそびえ立つ壁の姿が、まったく新しい異常なものであるかのような、いつにない矮小《わいしょう》感に圧迫されるような気がした。わたしは何度もそわそわして自分の体を見おろしたが、人間の姿をしているのを知ると、ぼんやりと心がかき乱された。  暗黒の深淵のなかを、わたしは跳躍したり、走りだしたり、よろめいたりしながら前進しつづけた――よく倒れこんでは体を傷つけ、一度などはあやうく懐中電燈を壊してしまうところだった。魔窟じみた深淵のどの石もどの隅も、わたしはよく知っており、何度も立ちどまっては、ふさがれたり崩れ落ちたりしていながらも、なおも馴染深い拱路《アーチウェイ》に、懐中電燈の光を投げかけた。  いくつかの部屋は完全に崩壊していたが、それ以外の部屋は、かろうじて往時の姿をとどめていたり、岩屑に埋まったりしていた。二、三の部屋では、あるいは完全に無傷なまま残り、あるいは破損し、あるいは砕けるかつぶれるかしている、金属の塊を目にした――夢で見た、巨大な台座とも卓ともつかぬものであることがわかった。実のところそれが何であったのかは、あえて推測する勇気もなかった。  わたしは下方へ通じる傾斜路を見つけだし、くだりはじめた――しかししばらくすると、最も狭い箇所で四フィートはある、ぎざぎざした亀裂をまえにして立ちつくすことになった。ここでは床の石が抜けてしまい、黒ぐろとした測り知れない深淵をあらわにしていた。  わたしはこの巨大な建築物にさらにもう二層の地下があることを知っていたが、その最下層に、金属帯で封印された揚げ蓋のあることを思いだしたとき、新たな恐怖に襲われて、全身を震わせた。いまとなってはもう歩哨が置かれているはずもなかった――地底に潜み棲んでいたものは、遙かな昔に恐るべき報復をなしとげ、それ以来衰退の一途をたどっている。人類の後を継ぐ甲虫類の種族が登場する頃には、完全に死滅することになる。しかし、原住民の伝説を思いおこしたわたしは、新たな悪寒に捕われた。  岩屑が散乱して助走ができないため、大きく口を開けた亀裂を跳びこえるには、大変な努力が必要だった――しかし狂気がわたしを駆りたてた。わたしは左手の壁に近い場所――裂け目の幅が一番狭く着地点に危険な岩屑のさほどない場所――を選び、狂乱このうえない一瞬の後、むこうがわに無事跳びおりた。  ようやくひとつ下の層に達すると、つまずきながら機械室の拱路を進んでいった。機械室のなかには異様な金属の残骸があって、落下した穹窿架構の石塊になかば埋もれていた。すべてがわたしの知っているとおりの場所にあり、わたしは自信をもって、広大な横断回廊の入口をふさいでいる堆積物の山に登った。この横断回廊を進んでいけば、都市の地下にある中央記録保管所にたどりつけることを、わたしは知っていた。  岩屑が散乱する回廊を、つまずき、跳び、這いながら進むにつれて、無限の歳月が展開していくようだった。ときおり、悠久の歳月をしのばせる壁に、彫刻を認めることができた――馴染深いものもあれば、わたしが夢に見た時代以降に加えられたとおぼしきものもあった。この横断回廊はさまざまな建築物に連絡する地下の公道なので、建築物の下層に通じている場合にだけ拱路があった。  こうした交差点の何箇所かで、わたしは顔を横にむけ、忘れられようもない部屋をしばらく眺めわたした。わずかに二回、夢に見たものとまったく異なっている状態を目にした――そのうちの一つは、記憶にある拱路が閉ざされて封印されていることだった。  わたしは激しく身を震わせ、歩みをおくらせる妙な無力感のうねりを感じながら、気が進まないとはいえことさら足早に、異質な玄武岩の構造が声を潜めて囁かれる恐ろしい起原を物語っている、あの廃墟と化した巨大な無窓の塔の地下を進んだ。  この原初の地下室は、さしわたし優に二百フィートはある円形をしていて、黒ぐろとした石の表面には何の彫刻もなかった。ここの床は塵埃と砂が積もっているだけで、下方に通じる開口部が認められた。階段も傾斜路もなかった――事実、わたしの夢は、伝説上の〈大いなる種族〉がこの塔にまったく手をふれなかったことを告げていた。そして塔を建築したものは、階段や傾斜路を必要としなかった。  夢のなかでは、下方への開口部は堅く閉ざされ、神経質なまでに監視されていた。それが、いまは開いていた――暗黒の口をぽっかりと開け、湿った冷気を吹きあげていた。永遠の夜がつづく、どのような果しない洞窟がその下にうち広がっているのかについては、思いをはせてはならない。  その後、岩屑がひどく堆積した箇所をかきわけて進み、天井がそっくり陥没している場所に行きついた。山のようにそびえている岩屑に登り、懐中電燈の光が壁も天井も照らしだせない、広大な無の空間を通り抜けた。わたしはこれが、記録保管所からさほど遠くない第三広場に面する、金属調達官の住居の地下室にちがいないことを思いだした。その住居に何がおこったのかは、思いめぐらすこともできなかった。  岩屑と石塊の山をこえるとまた回廊がはじまったが、しばらく進むと、落下した穹窿架構がたわんだ天井にほとんど接し、進路が完全に塞がれている場所に行きあたった。進路を得るため、いかにして岩屑をもぎとり、ひき離したのか、また、ごくわずかでも均衡が破れれば、頭上にある途方もない重量の石塊群が落下して、完全に押しつぶされてしまいかねないというのに、いかにして堅く積み重なる岩屑をかき乱す勇気をふるいおこせたのか、わたしにはわからない。  わたしを駆りたて導くのは、純然たる狂気だった――地底の冒険のすべてが、わたしの願っているような、地獄めいた妄想や夢でないのなら。しかしわたしは、身をくねらせて進める空間を確保した――あるいはそういう夢を見た。体をよじりながら岩屑の上を進んでいるあいだ懐中電燈はつけたままにして口にくわえていた――ぎざぎざになった天井の異様な鍾乳飾に体がひき裂かれるのを感じていた。  どうやらわたしの目的地であるらしい、地下の中央記録保管所までは、もうすぐだった。障害物のむこうがわに、這うようにしたり、すべるようにしたりしておりると、手にした懐中電燈を断続的につけながら、回廊の残りを進みつづけ、ついに、四方に拱門を備えた――なおも驚くべき保存状態にある――天井の低い円形の地下室にたどりついた。  壁、というよりも懐中電燈の光のおよぶ範囲内の壁面には、謎の文字と典型的な曲線模様がびっしりと彫りこまれていた――わたしが夢に見た時代以降に加えられたものもあった。  わたしはこれが運命づけられた目的地であることを知り、ただちに左手にある馴染深い拱路に足を踏みいれた。現存する階層のすべてに通じる、障害物のない傾斜路が見いだせるということについては、奇妙にも、ほとんど疑いをいだかなかった。太陽系全体の年代記をたくわえ、大地にまもられるこの広大な建築物は、この世のものならぬ技と力でもって、太陽系が存在するかぎりもちこたえるよう造られているのだ。  数学の真髄でもってつりあいがとられ、信じがたい強靭さを誇る接合剤で固められた、途方もない大きさの石塊群は、地球中核の岩盤と同じくらい頑丈な構造を造りだしていた。穏健に把握できる以上に膨大な歳月を閲《けみ》したいまも、地中に埋もれた建築物は本来の外形をそのままに残してそびえ立ち、塵埃の積もる広大な床には、ほかの場所ではあまりにも顕著だった岩屑も、ほとんど見あたらなかった。  この地点から先の比較的歩きやすいことが、妙にわたしを高ぶらせた。これまで、障害物によってはけ口をなくしていた気違いじみた切望が、いわば熱にうかされたような速度になってあらわれ、わたしは拱路の奥の忘れられようもない天井の低い側廊を、文字どおり突っ走っていた。  自分の見るものの馴染深さに、もう驚かされることはなくなった。両側には、謎の文字の刻まれた金属製の保管庫の大きな扉が、恐ろしげにぬっとうかびあがっていた。きちんとしているものもあれば、開ききっているものもあり、巨大石造物を破壊するほどには強くなかった地殻の圧力をうけて、たわんだり、ゆがんだりしているものもあった。  そこかしこ、口を開けたからっぽの保管庫の下に見うけられる塵埃に覆われた堆積物は、地震のために容器がふり落とされた場所を示しているようだった。ところどころに立つ柱には、書物の綱《クラス》と亜綱《サブクラス》を示す大きな表象と文字があった。  わたしは一度、扉の開いた保管庫のまえで立ちどまり、砂まじりの塵埃の只中に、まだ元の姿をとどめている見慣れた金属製容器をいくつか目にした。手をのばし、やや骨をおって薄い容器を一つとりだすと、床の上に置いて調べてみた。いたるところで見うけられるあの曲線文字で標題が記されていたが、その文字の配列には微妙に異常なものがあるように思えた。  鉤状の留金の奇妙な操作はよく心得ていたので、まだ錆《さび》もなく可動する蓋をはずし、なかに収められている書物をとりだした。予想したとおり、縦二十インチ、横十五インチ、厚さ二インチの大きさで、薄い金属製の表紙《カバー》は上開きになっていた。  強靭な繊維でできたページは、これまでに経てきた無量の歳月にも、いささかもそこなわれていないようだった。わたしは心騒ぐなかば甦った記憶をもとに、尖筆《せんぴつ》で記された妙な色の文字――学問上知られているどんな字母や象形文字とも似ていない象徴《シンボル》――を調べた。  わたしが夢のなかでわずかに知っていた、ある捕われの精神の用いた言語だという気がした――規模の大きな小遊星から転移されたその精神は、自分の星にかなり残存する原初の惑星の原始的な生活と伝承について、断片を記したのだった。わたしは同時に、記録保管所のこの区画が、地球以外の星をあつかう書物に割りあてられたものであることを思いだした。  この信じがたい文書を夢中で見つめるのをやめたとき、懐中電燈の光が弱まりはじめたことに気づいたので、いつも携えている予備の電池にあわててとり替えた。そして強さを増した輝きに力を得ると、こみいった果しない側廊や回廊を、ふたたび熱にうかされたように突っ走りはじめた――ときおり馴染深い保管庫を認めたり、わたしの足音を地下通路にふつりあいなほど響かせる音響効果にぼんやりと心をかき乱されたりしながら。  何千年ものあいだ乱されたことのない塵埃に、自分の足跡が点々と残っているのを見て、わたしは思わず身震いした。もしもわたしの狂った夢が何らかの真理を含んでいるのなら、太古から存在するこの舗石の上に、人間が足を踏みおろしたことは一度もなかったのだ。  この気違いじみた疾走の特定のゴールについては、わたしの意識には何の予感もなかった。しかしながら、邪悪な影響をおよぼす何らかの力が、わたしの眩惑された意志と埋もれた記憶をたぐり寄せているため、ぼんやりと、自分がただでたらめに走っているのではないという気がしていた。  わたしは下方へむかう傾斜路に達し、それにそって、さらに深みへと進んでいった。駆けおりながら何度も床を照らしだしたが、立ちどまって調べることはしなかった。錯乱する頭のなかで、一定のリズムがおこりはじめ、右手がそれにあわせてぴくぴく動いた。わたしは何か閉まっているものを開けたくてたまらず、それに必要なこみいった回し方や押し方のすべてを心得ているような気がした。それは組合せ錠のついた現代的な金庫のようなものなのだ。  夢であれ現実であれ、わたしはかつて知っており、なおも知っていた。いかにして夢が――あるいは無意識のうちに吸収した伝説の断片が――これほどまでに詳細、煩雑、複雑な細部を示しえたのか、わたしは説明づけようともしなかった。理路整然とした考えのできる状態ではなかった。この体験のすべて――未知の廃墟全体に対して肝をつぶすような馴染深さをおぼえ、目のまえにあるものすべてが夢と伝説の断片のみがほのめかしえたものに恐ろしくも正確に一致するのを知ったこと――は、およそ理性ではたちむかえない真の恐怖ではないだろうか。  おそらくそのときわたしが根底にもっていた信念は――錯乱から脱しているいまと同じように――自分がまったく目を覚ましておらず、地中に埋没した都市の全体が、熱にうかされた幻覚の一部であるということだったのだろう。  ついにわたしは最下層に達し、傾斜路を右にそれた。何か判然としない理由のために、歩みが遅くなるのを承知で、足音をたてないようにした。この深く埋もれた最後の階層には、横切るのが恐ろしい空間があった。  近づくにつれ、その空間でわたしが恐怖をおぼえるもののことが、記憶に甦ってきた。金属製の格子がつけられ、厳重に監視されていた揚げ蓋の一つにすぎなかった。しかし、もはや歩哨が置かれているはずはないため、同じ揚げ蓋が口を開けていた、黒ぐろとした玄武岩造りの地下室を通るときにしたように、わたしは身を震わせながら、爪先立って歩いた。  あの場所で感じとったような、湿っぽい冷気の流れを感じとったわたしは、進路が別の方向にむかっていればよいのにと思った。どうしてわざわざこういう進路をとらなければならないのか、わたしにはまるでわからなかった。  その空間に足を踏みいれたとき、揚げ蓋が大きく口を開けているのが見えた。前方では、保管庫がまたならびはじめており、そのうちの一つのまえの床に、塵埃をごくわずかにかぶった堆積物のあるのが目に入り、いくつかの容器が最近落下したことがわかった。と、同時に、新たな戦慄がわたしを捕えたが、しばらくのあいだは、その理由がわからなかった。  落下した容器は珍しいものではなかった。悠久の歳月にわたって、この無明の迷宮は大地のうねりに苦しめられ、とぎおりさまざまな物を倒しては、耳を聾《ろう》せんばかりの大音響をとどろかせているのだ。わたしが激しい戦慄に捕われた理由を知ったのは、まさにその空間を横切ろうとしたときだった。  わたしの心をかき乱したのは、塵埃をかぶった容器ではなく、平坦な床を覆う塵埃にかかわるものだった。懐中電燈の光のなかで、床の塵埃は、当然そうなっているような均一な状態になっていないかのように見えた――ほかより薄くなっているように見える箇所があり、さながらそう遠くない昔に乱されたかのようだった。ほかより薄く見えるとはいえ、かなり堆積しているので、確信をもっていいきれることではなかった。しかし、想像上の不均一さのなかに、何か規則正しさのようなものがあるような気がして、わたしはたまらないほど不安になった。  そんな妙な場所の一つに懐中電燈の光を近づけたとき、わたしは目にしたものにぞっとした――規則正しさという妄想が、ますます強まったからだった。さまざまな要素を含む跡が規則正しい列を造っているかのようだった――跡は三つが一塊になり、そのそれぞれは一フィート平方をすこし超える大きさをしていて、一つだけがまえにとびだした、三インチある五つの円形から構成されていた。  一フィート平方の痕跡の列は、まるで何かが往復したかのように、二方向につづいているように見えた。もちろんきわめてかすかなものだったから、幻影を見たか偶然そう見えただけなのかもしれない。しかし何かが通った道のように思えるものには、心をまさぐるようなおぼろげな恐怖が漂っていた。というのも、痕跡の一端はそう遠くない昔に落下したにちがいない容器であり、残る一端が、歩哨も置かれず、想像を絶する奈落への口をぽっかりと開け、湿った冷気を吹きだす、あの凶《まが》まがしい揚げ蓋だったからだ。         8    わたしを捕えていた不可解な強迫観念が、根深く、圧倒的なものであったことは、それが恐怖を克服させたことによって示されている。痕跡があるという悍《おぞ》ましい疑いをもち、それによって夢の記憶がじわじわと甦ってからは、わたしの行動を導きうるような理屈にあった動機など、もう何もなかった。しかしわたしの右手は、恐怖に震えているときでさえ、錠を見つけて開けたいという切望に駆られ、なおも一定のリズムでぴくぴく動いていた。わたしはいつのまにか、最近落下した容器のまえを通りすぎ、塵埃がまったくかき乱されていない側廊を爪先立って足早に進み、恐ろしいほどよく知っているような気がする場所にむかっていた。  わたしの心は、わたしがようやく思いめぐらしはじめた源泉と関連性をもつ、さまざまな疑問を投げかけていた。保管庫に人間の手がとどくだろうか。わたしの人間の手は遙かな昔におぼえた錠を開ける動作をすべておこなえるだろうか。錠は破損もせず、まだ動くだろうか。わたしは何をするつもりなのか……あえて何を……そうだ……見つけられることを願うとともに恐れてもいるものを使って、わたしは何をしようというのか。正常な概念の埒外《らちがい》にある何かの、心うちくだかれるような悍ましい真実を証明することになるのか。いやそれとも、ただわたしが夢を見ているにすぎないということがわかるだけなのか。  気がついてみると、こんなことを考えているうちに、わたしは爪先立って走るのをもうやめており、じっと立ちつくして、気が狂いそうになるほど馴染深い謎の文字の記された保管庫の列を見つめていた。ほぼ完璧といえる保存状態にあり、近辺で扉が開いてしまっているのは三つしかなかった。  目のまえにならぶ保管庫に対するわたしの感情は、とても言葉では表せない――馴染深いという感じは、強烈このうえもなかった。わたしはまったく手のとどかない天井近くの列を見あげ、どうしたら都合のいいところまで登れるだろうかと思案した。下から四列目の開いた扉が役にたちそうだったし、閉じた扉の錠が足場や手がかりになりそうだった。両手を自由にする必要のあったときにしていたように、懐中電燈は口にくわえればいい。何にもまして、音をたてないようにしなければならなかった。  望みの品を下におろすのがむつかしそうだったが、上衣の襟に可動する留金の鉤をひっかけ、ナップザックのようにかついでおろせそうだった。わたしはまたしても錠が破損してはいないかと思った。馴染深い動作のすべてを繰返せるということについては、いささかの疑いもいだかなかった。しかしわたしは錠を開けるときに音がしないように、また、自分の手が適切に動くようにと、願っていた。  こうしたことを考えているときでさえ、わたしは既に懐中電燈を口にくわえ、登りはじめていた。突出した錠はあまり頼りにならなかったが、予想したように、扉の開いた保管庫が大きな助けになった。わたしは、揺れる扉と開口部の縁を利用して登り、何とか大きな音をたてずにすんだ。  扉の上端部で平衡をとり、右のほうへ大きく体をかたむけると、目指す錠に手がとどいた。登っているうちになかば痺《しび》れた指は、最初は思うように動かなかった。しかし解剖学的には適切なものであることがすぐにわかった。そして記憶にあるリズムが指のなかで強くうっていた。  時間の未知の深淵から、複雑な動かし方の秘伝が、どういうわけか細部にいたるまで正確にわたしの脳に伝わっていた――錠をまさぐりはじめてから五分とたたないうちに、カチッという音がした。意識して予想していなかっただけに、馴染のあるその音には驚かされてしまった。次の瞬間、金属の扉はごくかすかにきしみながら、ゆっくりと開きはじめた。  こうしてあらわれた灰色がかる容器の列を呆然として見あげたわたしは、まったく説明もつかない感情が津波のように押し寄せてくるのを感じた。右手のとどく範囲内にある一つの容器に刻まれた文字が、単なるおびえよりも複雑な、このうえもない煩悶《はんもん》をもたらしてわたしを震えあがらせた。わたしはなおも体を震わせたまま、砂まじりの塵埃が雨のようにふりそそぐなかで、何とかその容器をつかむと、大きな音をたてることなく手前にひき寄せた。  まえに手にした容器と同様に、二〇×一五インチをややうわまわる大きさをしており、幾何学的な模様が浅く浮彫りにされていた。厚さは三インチをややこえていた。  わたしは容器を自分の体と登っている表面のあいだに手荒く押しこみ、留金をまさぐって、どうにか鉤をおこした。重い容器をもちあげて背に移し、鉤を襟にひっかけた。そして自由になった両手を使い、ぎこちなく這うようにして塵埃の積もる床へおり、戦利品を調べようとした。  わたしは砂のまじる塵埃に膝をつき、容器を背中からはずすと、目のまえに置いた。両手が震え、あれほど望んでいたのに――強いられているように思っていたのに――書物をとりだすのが恐ろしかった。見いだすべきものが何であるかがしだいに明白になってきて、ついにはっきりとわかり、全身の機能が麻痺してしまいそうになった。  もしもあれが実在するものなら――わたしが夢を見ていたのではなかったのなら――そこに含まれる意味は、人間の精神力ではおよそ耐えようもないものなのだ。わたしを容赦なく苦しめたのは、つかのま、自分をとり巻くもののすべてが夢であると思えなくなることだった。忌《いま》わしいまでの現実感があった――その場の情景を思いおこせば、いまも恐ろしい現実感が甦ってくる。  ついにわたしは震えながらも書物を容器からとりだし、表紙にある馴染深い謎の文字を魅せられたように見つめた。書物は最良の保存状態にあるらしく、標題を示す曲線文字を見ていると、あたかもそれが読めるかのような一種の催眠状態におちいってしまった。事実わたしには、異常な記憶が一瞬恐ろしくも甦りながら、それを実際に読まなかったとは、断言することができない。  あの薄い金属製の表紙《カバー》を思いきって開けるまでに、はたしてどれほどの時間が経過したのか、わたしにはわからない。わたしはぐずぐずして、自分にさまざまないいわけをしていた。くわえていた懐中電燈を手にすると、電池を節約するために光を消した。やがて、闇のなかで、わたしは勇気をふるいおこした――懐中電燈をつけないまま、ついに表紙をめくった。最後に、開かれたページに懐中電燈の光をあてた――何を目にしようとも、声をださずにおこうと決心を固めてから、光をむけた。  わたしは一瞬目にしただけで虚脱状態におちいってしまった。しかしながら、歯を食いしばって、沈黙をまもりとおした。床に崩れこみ、暗澹《あんたん》たる闇のなかで額に手をあてた。わたしが恐れながらも予想していたものが目のまえにあった。わたしは夢を見ているのか、それとも時間と空間が名実のともなわないものになりはててしまったのか。  わたしは夢を見ているにちがいなかった――しかし目のまえにあるのが現実のものであるなら、もち帰って息子に見せることで、その恐ろしさを検証する必要があった。あたりに渦を巻くとぎれることのない闇のなか、目に見えるものは何もないというのに、わたしは恐ろしいほど目まいがした。凄絶きわまりない思念や心象が――一瞥《いちべつ》した光景にかきたてられ――一団となって押し寄せ、わたしの五感を曇らせはじめた。  わたしは塵埃のなかにあった跡らしきものを思いおこし、自分自身の呼吸の音に震えあがった。もう一度懐中電燈をつけ、蛇に見こまれた動物が蛇の目と牙を見いるように、開かれたページを見つめた。  そして闇のなか、思うように動かない手で書物を閉じ、容器に収め、蓋を閉め、奇妙な鉤のついた留金をはめた。これこそわたしが外の世界にもち帰らなばならないものだった――もしも深淵全体が実在するものであるなら――いや、もしもわたしと世界そのものが実在するものであるならば。  よろめく足で立ちあがり、来た道をひきかえしはじめたのがいつのことだったか、わたしにはわからない。悍ましい地下にいたあいだじゅう一度として腕時計に目をむけなかったことは、奇妙な気もするが、あるいはそれが正常な世界との分離感の程度を表しているのだろう。  わたしは懐中電燈を手にし、不吉な容器をこわきにかかえ、いつしか沈黙だけを意識する恐慌状態のうちに、冷風を吹きあげる深淵と不気味な足跡らしきもののそばを、爪先立って通りすぎていった。果しない傾斜路を登るにつれ、用心深さは鳴《なり》をひそめていったものの、おりてきたときには感じなかったぼんやりした不安が、心につきまとって離れなかった。  さえぎるものもなく深淵から冷風を吹きあげている、都市そのものよりも古い、あの黒ぐろとした玄武岩造りの地下室を通らなければならないということが、わたしには恐ろしくてたまらなかった。わたしは〈大いなる種族〉が恐れていたものに思いを馳《は》せ、玄武岩造りの地下室の深みに――哀弱して死にむかいながらも――なおも潜んでいるかもしれないもののことを考えた。五つの円からなる足跡のこと、そうした足跡――そしてそれに関連した不可解な風と口笛に似た音――について夢が教えてくれたことに思いをめぐらした。そして強風と名もない廃墟の恐怖がわだかまる、原住民の伝承を思った。  わたしは壁に刻まれた表象から正しい道を知り、ついに――まえに調べた書物のそばを通りすぎた後――さまざまに分岐する拱路を備えた円形の巨大な部屋にたどりついた。はじめてここへ来たときに通った拱門が右手にあることは、すぐにわかった。わたしはその拱門を通り抜けながら、記録保管所の外部の石組が崩れはてた状態になっているため、これからの歩行が困難になるだろうと思った。金属製の容器に収められているものがわたしの心を苦しめ、岩屑や砕石の上をつまずきながら歩きつづけるにつれ、静かにしていることがしだいに困難になっていった。  やがて、まえに身をくねらせてかろうじて通り抜けた、岩屑の山が天井にまで達しているところに行きついた。まえに通り抜けたときにはかなりの音をたてたし、あの足跡らしきものを目にしてからは、とりわけ音をたてることを恐れているので、もう一度この箇所を通り抜けるということが、恐ろしくてたまらなかった。容器もまた、狭い裂け目を通るという問題を、一層むつかしいものにしていた。  しかしわたしは精一杯の努力をして障害物によじ登り、まず容器を裂け目に押しやった。次に、懐中電燈を口にくわえ、身をくねらせて進んだ――わたしの背中はまたしても鍾乳飾にひき裂かれた。  容器をふたたび手にしようとしたとき、容器が岩屑の斜面をすべり落ち、その音があたりに響きわたった。わたしは思わず冷汗をかいたが、すぐにまえにとびだして、それ以上の音をたてることなく容器を手にした――しかし一瞬の後、足もとの岩屑が崩れ、突如としてかなりの音がした。  その音がわたしの破滅の原因だった。というのも、真偽は別として、背後の遙か遠くから、実に恐ろしい具合に、その音に応える音がしたように思ったからだ。地球上のどんな音とも似ていないし、言葉ではまったくいい表せない、甲高い口笛のような音を、わたしは耳にしたような気がした。もしもその音がわたしの想像にすぎないのなら、そのあとにおこったことは残忍な皮肉ということになる――その音におびえることがなかったら、次の出来事はおこることがなかったかもしれない。  しかし事実をいえば、わたしの逆上はもう完全に救いがたいものになっていた。懐中電燈を手にし、容器を弱よわしくつかみあげると、やみくもに前方へとびだしていった。この悪夢の廃墟から、遙か頭上に広がる月光と砂漠の世界に駆けだしたいという狂おしい欲求以外、頭のなかには何もなかった。  陥没した天井のむこうの広大な闇にそびえる岩屑の山にたどりつき、先の尖った岩屑や砕石からなる急な斜面をよじ登りながら、何度となく体に傷を負ったのが、はたしていつのことであるのやら、わたしにはほとんどわからない。  そしてあの大災難がおこったのだ。前方がいきなり傾斜していることにも気づかず、盲滅法に頂上をこえたものだから、足がすべってしまい、崩れ落ちる石塊の猛烈な傾《なだれ》に呑みこまれてしまった。その連続砲撃のような大音響は、大地を揺がす耳を聾《ろう》せんばかりの反響をともない、暗澹たる洞窟の大気をつんざいた。  わたしにはこの混沌から逃れでるときの記憶はないが、つかのま断片的に意識に甦るものは、なおも容器と懐中電燈を手にしたまま、大音響のとどろく回廊を、突進したり、つまずいたり、やっとの思いで足を進めたりして、前進したことを伝えている。  やがて、恐れていたあの原初の玄武岩造りの地下室に近づいたそのとき、まったくの狂気が訪れた。傾《なだれ》の反響が消えると、先ほど耳にしたように思った、悍ましくも異界的な口笛に似た音が、繰返し聞こえるようになったのだ。今度は疑いようもなかった――さらにひどいことに、その音はわたしの背後からではなく、前方から聞こえてきた。  おそらくわたしはそのとき悲鳴をあげたのだろう。先住種族の地獄めいた玄武岩造りの地下室を飛ぶように駆け抜けながら、もはやふさがれてはいない果しない暗黒の口からわきおこる、あの呪わしい音を耳にしている自分の姿が、ぼんやりと思いうかぶ。風も吹いていた――ただの湿っぽい冷気ではなく、鼻持ならない音のわきおこるあの忌わしい深淵から、骨を凍てつかせるほど残忍に吹きあげる、何らかの目的をもった猛烈な突風だった。  あの風の奔流と唸《うな》りが刻一刻と勢いを増していき、背後や足もとから意地悪く吹きあがりながら、わたしのまわりで故意に渦を巻いたり、くねったりしているように思えるなか、あるいは障害物を跳びこえ、あるいはよろめいたりしながら、ひたすらつき進んだことをおぼえている。  背後から吹いているというのに、その風は、わたしの前進を助けるかわりに妨害するという、不可解な効果をおよぼしていた。それはまるで、首吊り縄か投げ縄をかけられ、たぐり寄せられているかのようだった。わたしは自分がたてる音も気にかけず、そびえ立つ石塊《いしくれ》の山を大きな音をたてながら登り、ふたたび地上に通じる建造物のなかに入った。  機械室に通じている拱路を一瞥し、そのあとで、あの冒涜的な揚げ蓋の一つが口を開けているはずの、二階下の階層に通じる傾斜路を見たとき、思わず叫び声をあげそうになったことをおぼえている。しかしわたしは叫び声をあげるかわりに、これはすべてすぐに目を覚まさなければならない夢なのだと、何度も自分にいい聞かせた。おそらくわたしはキャンプにいるのだ――あるいはアーカムの自宅にいるのだ。わたしはこうした希望に正気を支えられ、傾斜路を登りはじめた。  幅四フィートの亀裂をもう一度跳びこえなければならないことは、もちろん知ってはいたが、他の恐怖に苦しめられるあまり、その場に近づくまで、跳びこえることの恐ろしさを実感することはできなかった。くだりのときはたやすく跳びこせた――しかし登り勾配の場合はどうだろうか。おびえ、疲労、金属容器の重み、あの魔風の異常な吸引力に、妨げられはしないだろうか。最後の瞬間、わたしはそうしたことを考えるとともに、亀裂の下の暗黒の深淵に潜んでいるかもしれない、名もない生物のことを考えた。  揺れ動く懐中電燈の光が弱くなってきたが、何かぼんやりした記憶によって、亀裂に近づいたことがわかった。背後の冷たい突風と吐気をもよおすような口笛に似たうなりは、その瞬間、慈悲深い阿片のようなものになって、前方でぽっかり口を開ける亀裂に対する恐怖をやわらげてくれた。と、そのとき、わたしは前方にも突風とうなりがあることに気がついた――想像を絶する深淵から亀裂を伝い、忌わしい突風とうなりの波がわきあがってきたのだ。  いまや純然たる悪夢の本質がわたしを襲っていた。正気は完全に失われた――わたしは野獣のような逃走本能を除いてすべてを忘れ去り、亀裂など存在しないかのように、ただひたすら傾斜路の岩屑の上をもがきながらつき進んだ。やがて亀裂の縁を目にすると、逆上のあまり、もてる力のかぎりをつくして跳躍した。次の瞬間、わたしは忌わしい音と物質的に触知できる真の闇からなる、地獄の大渦に呑みこまれた。  思いだせるかぎりでは、それがわたしの体験したことの最後のものだ。それ以後の印象は、変幻きわまりない譫妄《せんもう》の世界に属している。夢と狂気と記憶とが奔放に融合して、現実のものとは何のかかわりももちえない、一連のあられもない断片的な妄想を生みだしたのだ。  知覚力のある、ねばねばした闇を無限に貫く恐ろしい落下があり、地球やその生物についてわれわれの知ることすべてにかけ離れた、わけのわからない騒音があった。眠っていた未発達の感覚がわたしの身内で目覚めはじめ、浮遊する恐怖が棲みつき、日のあたらない岩山や大洋に通じ、絶えて光に照らされたことのない玄武岩造りの無窓の塔からなる都市にみちる、窖《あな》や亀裂の存在を告げているようだった。  原初の惑星の秘密とその永劫の歳月が、光景や音の助けをかりることなく、わたしの脳裡にひらめき、いままで最も奔放な夢さえほのめかしたことのなかったものが、わたしの知るところとなった。そしてこのあいだじゅうずっと、湿った蒸発気の冷たい指先がわたしをつかみ、いじくっており、あの空恐ろしく、呪わしい口笛に似た音が、まわりに渦を巻く闇のなかで交互におこる騒音と静寂を、つんざくようにして響いていた。  その後、夢で見た巨大都市の光景があらわれた――廃墟ではなく、夢に見たままの姿だった。わたしは人間ではない円錐形の体をもち、書物を携えて広大な回廊や傾斜路を往来《ゆきき》する、〈大いなる種族〉や捕われの精神の群集に加わった。  次に、こうした光景に重なって、死物狂いの苦闘にかかわる、非視覚的な意識の愕然《がくぜん》たる瞬時のひらめきがあった――口笛に似た唸りをあげる風の触手からの苦悶の逃走、半固体の大気をよぎる蝙蝠に似た狂おしい飛行、暴風の吹き荒れる闇を掘り進む逆上した突進、そして崩れ落ちた石造物での匍匐《ほふく》。  一度、なかば光景のように思える奇妙なひらめきが割りこんだ――遙か頭上に青みがかった輝きがあるのではないかと、ぼんやり思った。そして次に、風に追われてよじ登り、這い進む夢を見た――恐ろしい突風の只中、背後で続々と崩れ陥没していく岩屑を後目《しりめ》に、せせら笑う月光の輝きのなかに、のたうちながら這いだした夢を見た。かつて客観的な現実の世界として知っていたものにもどったことを告げてくれたのは、その狂気を宿す月の凶《まが》まがしい単調な光だった。  わたしはオーストラリアの砂漠でうつぶせになり、砂を必死につかみながら這い進んでいた。まわりでは、これまで地表で経験したこともないような風が、たけだけしい唸《うな》りをあげていた。衣服はずたずたで、全身傷だらけだった。  完全に意識をとりもどすには長い時間がかかったため、いつ譫妄状態の夢がおわり、本当の記憶がはじまっているのか、正確なところはわからない。巨大な岩屑の山があったようだし、その下に深淵があったようだし、過去からの恐ろしい啓示があったようだし、最後には悪夢の恐怖があったようだった――しかしどこまでが現実なのだろうか。  懐中電燈はなくなっており、同様に、見つけだしたのかもしれない金属製の容器もなくなっていた。そんな容器が本当にあったのだろうか――いや、深淵や岩屑の山も、はたして実在したのだろうか。わたしは頭をあげ、背後をふりかえったが、見えるのは波うつ不毛の砂漠の砂だけだった。  魔風はやんでいた。むくんだ茸《きのこ》状の月は赤く輝きながら西に沈もうとしていた。わたしはよろめきながら立ちあがると、キャンプを目指して南西のほうへ、ぐらつく足で歩きはじめた。いったい何がわたしの身におこったのか。単に砂漠で虚脱状態におちいり、夢に苦しめられながら、砂や埋もれた石塊の上を何マイルにもわたって這いまわっていただけではないのか。もしそうでないなら、これ以上生きることにどうやって耐えるのか。  この新しい疑惑のうちに、自分の見たものが神話から生まれた非現実的なものであるという信念のすべてが、消えてなくなり、またしても恐ろしいかつての疑いが甦った。もしもあの深淵が現実のものなら、それならば〈大いなる種族〉は実在したのだ――宇宙的な広がりの時の渦中における冒涜的な投影と転移は、神話や悪夢などではなく、心をうちくだく恐ろしい現実の出来事だったのだ。  はたしてわたしは本当に、あの記憶喪失におちいっていた不可解な暗い日々に、一億五千万年まえの人類誕生以前の世界にひきもどされたのだろうか。わたしの現在の体が、太古の時の深淵から到来した異質な生物の仮の肉体になっていたのだろうか。  わたしは、よろよろ進む恐ろしい生物の捕われの精神として、全盛期にある原始時代の呪われた石造都市を知り、わたしの体を奪った精神の悍ましい体をまとって、あの馴染深い回廊をよろよろ進んだのだろうか。二十年以上におよぶ悩ましい夢は、恐ろしくも紛れもない記憶の産物なのだろうか。  はたしてわたしは本当に、かつて時空の彼方から転移された精神と言葉をかわし、宇宙の秘密、過去、未来を学びとり、あの巨大な中央記録保管所の金属容器に収めるため、自分の世界の記録をまとめたのだろうか。そして他のこと――狂風と魔笛からなる、衝撃的な古《いにしえ》の存在――が、かぼそく生きながらえる潜伏する脅威であり、悠久の歳月にうちひしがれる地表で、さまざまな姿の生命が幾星霜の歳月を閲《けみ》して生滅を繰返すかたわら、暗澹たる深淵のなかでゆるやかに衰弱していくというのは、はたして本当のことなのだろうか。  わたしにはわからない。もしもあの深淵と深淵のはらむものが実在するなら、もはや希望もない。そして、実にこの人間の世界の上を、嘲笑《あざわら》うかのような、信じられない、超時間の影が覆っているのだ。しかしありがたいことに、こうしたことが、神話から生まれたわたしの夢の新たな局面以外のものであるという証拠はない。わたしは証拠となるはずの金属容器をもち帰らなかったし、いまのところ、あの地下の回廊は発見されていない。  もしも宇宙の法が慈悲深いものであるなら、発見されることはないだろう。しかしわたしは、自分が見たか、あるいは見たと思ったもののすべてを息子に知らせ、わたしの体験の真実性を計ったり、この記録を他人にも見せたりすることは、心理学者としての息子の判断に委《ゆだ》ねなければならない。  既に記したとおり、長年にわたってわたしを苦しめた夢の背後に、悍《おぞ》ましい真実が存在するかどうかは、わたしがあの地中に埋もれた巨大な廃墟で目にしたと思ったものの現実性にかかっている。誰でもたやすく想像できるものだとはいえ、決定的な事実を書きとめることは、わたしにとっては文字どおり困難な仕事だ。もちろん、それは金属容器――百万世紀を閲《けみ》した塵埃の只中からわたしがとりだした容器――に収められた、あの書物のなかにあった。  人間がこの惑星上に出現して以来、いかなる目もその書物を見なかったし、いかなる手もその書物にふれなかったはずだ。それなのに、あの恐ろしい深淵で懐中電燈の光をあてたとき、測り知れない歳月のうちに、もろくなり、変色した繊維質のページに記された妙な色の文字が、地球青年期の名状しがたい謎の文字ではないことを、わたしははっきりと見てとった。それは謎の文字ではなく、われわれのよく知っているアルファベットだったのだ。そしてそのアルファベットは英語の単語をつづっていた。それも、わたし自身の筆跡で。