ラヴクラフト全集〈3〉 H・P・ラヴクラフト/大瀧啓裕訳 [#改ページ] 家のなかの絵 The Picture in the House [#改ページ]          恐怖を探し求める者たちは遠方の風変わりな場所によく足をむける。プトレマイオスの地下墓地、悪夢めいた土地にある彫刻のほどこされた霊廟《れいびょう》は彼らのためにこそ存在する。彼らはライン河の荒廃した城で月に照らされる塔に登り、アジアの忘れ去られた都市において、散乱した石塊《いしくれ》の下、蜘蛛の巣がからむ闇につつまれた階段をよろめく足でおりていく。鬱蒼《うっそう》とした森や荒れはてた山は彼らの聖地であり、無人島の気味悪い石碑が彼らの足をひきとめる。しかし、いいようもない恐ろしさから生じる新たな戦慄こそが人生最大の目的であり、またそれが探求にささげられた生活の弁明でもあるような、恐怖を真に愛好する者は、わけてもニューイングランドの森林地帯にうずくまる、古びたわびしい農家を重んじる。そこではたけだけしさ、さびしさ、妖しさ、そして無智という暗い要素が結合して、完璧な悍《おぞ》ましさを形成しているのだ。  とりわけ恐ろしい眺めは、通い路から離れ、もっぱら草の茂る湿っぽい斜面にうずくまったり、露出した巨大な岩に寄りかかったりしている、塗装もされていない木造家屋である。そういう家屋は二百年以上もまえに建てられたものだが、その間に蔦《つた》が這い、木々がいよいよ太さを増し、枝を広げるにいたった。始末におえないほど繁茂する緑葉やたれこめる影に、いまではほとんど姿が隠されてしまっているものの、小さなガラスのはめられた窓がなおもぞっとするほどに凝視している。いいようもないことどもの記憶を鈍らせることで狂気をかわす致命的な昏睡状態のまま、あたかもまばたきしているかのように。  そういう家屋には、ほかでは決して見かけられることのない、一風変わった人びとが何世代にもわたって住みつづけている。彼らの祖先は陰鬱かつ熱狂的な信仰心に駆りたてられ、世間と袂《たもと》をわかち、荒野に自由を探し求めたのだった。土地を切りひらいた者の子孫たちは、まさしく、世間一般の人びとに制限を加えているものから解き放たれて栄えたが、自分たちの心が生みだす薄気味悪い幻に恐ろしくもとり憑《つ》かれ、震えあがるようにまでなってしまった。文明の光明と縁を切った彼ら清教徒たちは、その力を一風変わった方面にふりむけた。そして孤立、病的なほどの自己抑制、情け容赦ない自然を相手の生存闘争のうちに、消えかかった北方の血脈という有史前にさかのぼる淵源から、人目をしのぶ秘密主義の特徴がもたらされた。生活のための必然性と断固たる人生哲学とによって、どう見ても立派なものとは思えない過失をかさねるにいたったが、人みなが犯すにちがいない罪を犯しつつ、厳格な掟によって、何をおいても隠しとおす策をたてざるをえなかったため、しだいに秘め隠したものに気をかけなくなってしまった。初期の頃から隠されたままになっているもののすべてを告げられるのは、森林地帯で凝視する、黙りこくった、眠たげな家屋だけだが、話好きではなく、忘れ去るのに役立つまどろみをふりはらうのをいやがっている。こうした家屋は頻繁に夢を見るにちがいないので、とりこわすのが情け深いことだという思いにさせられることもある。  一八九六年十一月のある日の午後、冷たい雨がしとどふりしきり、わたしがどんなところでも雨宿りさえできればいいと思ってとびこんだのが、右に記したような歳月の猛威をうける建物だった。わたしはある種の家系上の資料を得るため、ここしばらくミスカトニック谷に住む人びとを歴訪しつづけていたが、辺鄙《へんぴ》で、まがりくねった、不案内な小径を考えて、季節が季節だとはいえ、便利のいい自転車を使っていた。そしてアーカムへむかう一番の近道として選んだ、荒《さ》びれはてた道を進んでいたところ、どの町からも遠く離れた地点で嵐に遭ってしまったのだった。岩山の麓《ふもと》近く、すっかり葉を落とした二本の巨大な楡《にれ》の木のあいだから、曇った窓をのぞかせている、何とも虫の好かない古びた木造家屋以外、嵐をしのげる場所はなかった。昔のおもかげをかろうじて残す草深い道からはずれたその家は、急場に目にしたにもかかわらず、いい印象を与えるものではなかった。つつみ隠しのない健全な建物は、こんなにも陰湿かつおびやかすように道行く者を見つめるものではないし、わたしは家系上の調査から、一世紀まえの伝説をさまざま知るにいたって、こうした家屋に偏見をいだいていた。しかし嵐の猛威は遠慮もふりすてさせるほどのものだったので、わたしはためらいもせずに、あまりにも暗示的で秘密をはらんでいるように思えてならない閉ざされた扉へと、草の茂る登り道を自転車で進んだ。  わたしはその家が無人になっているのを何となく当然のように思っていたが、近づくにつれ、そうではないことがはっきりわかった。道には確かに草が密生しているものの、まだ道のおもかげは少なからず残っており、完全な荒廃状態におちいっているのではなかった。そんなわけで、ノックしたドアをためしに開けてみようという気になるどころか、ほとんど説明もできないような戦慄を感じるばかりだった。ドアの踏段の役目をはたしている、苔むし、ごつごつした岩に立って待ちながら、手近の窓やドア上部の明かりとり窓に目をむけてみると、確かに古びてきしんでいるうえ、汚れがこびりついて半透明になってはいるが、割れているガラスはなかった。してみれば、この一軒家はちゃんとした手入れがなされていないにもかかわらず、人が住んでいるにちがいなかった。しかしいくらドアをたたいても返事はなく、ノックを繰返した後、錆《さ》びついた掛金をためしてみると、施錠されてはいなかった。ドアを開けると、そこは漆喰《しっくい》のこぼれ落ちる壁にかこまれた狭い玄関ホールで、かすかとはいえ独特の不快な臭が戸口から漂ってくる。わたしは自転車をかついでなかに入り、ドアを閉めた。前方には二階へとむかう狭い階段があり、その側面にはおそらく地下室へ通じるものと思われる小さなドアがある一方、わたしの左右には一階の部屋部屋に通じるドアがあった。  わたしは自転車を壁にもたせかけたあと、左手のドアを開け、天井の低い小部屋に入ったが、二つある窓も汚れているためになかは薄暗く、調度はきわめてわずかで、またこれ以上はないほど粗末なものばかりだった。テーブル、数脚の椅子、大きな暖炉があり、炉棚で古めかしい時計が時を告げていることからも、居間として用いられる部屋のようだった。書物の類《たぐい》がごくわずかにあったが、深まりゆく薄闇のなかでは、書名をたやすく読みとることはできなかった。わたしが興味を惹《ひ》かれたのは、目にふれるものすべてが一様に示す古めかしさだった。わたしもこのあたりの家いえの大半に過去の遺物をおびただしく見いだしていたが、ここではその古めかしさが妙なくらい完璧だった。部屋じゅうを見渡しても、独立戦争以後のものだとはっきりいいきれる品物は一つもない。備品の数がもっと少なくとも、この部屋は古物収集家の楽園といいうるだろう。  わたしはこの古風で趣きのある部屋を調べているうちに、家の寒ざむとした外見によってかきたてられた嫌悪が、ますますつのってくるのを感じた。わたしが何を恐れ、あるいは忌み嫌ったのかは、きっぱりこれだといいきれるものではないが、雰囲気全体にある何かが、不浄な歳月、不快な露骨さ、忘れ去られるべき秘密をにおわせているようだった。そんなわけで、腰をおろす気分にはなれず、歩きまわっては目に入ったものを調べつづけた。わたしの興味をまっ先に捕えたものは、テーブルに置かれた中くらいの大きさの本で、博物館や図書館の外で目にするのが不思議に思えるほどの、古色をおびていた。金箔押しの革で装釘され、保存状態も良く、かくも見すぼらしい住居で目にするものとしては、異常としかいいようのない古書だった。扉を開けてみたわたしは、さらに驚かされた。コンゴの地誌について、水夫ロペックスの記録をもとに、ピガフェッタがラテン語で記し、一五九八年にフランクフルトで出版された稀覯書《きこうしょ》にほかならなかったからだ。ド・ブロイ兄弟の手になる風変わりな挿絵の付されたこの著作のことは、わたしもよく耳にしていたので、目のまえにあるページを繰りたいという欲望のままに、それまでおぼえていた不安も一瞬忘れはててしまった。図版はまったくの想像と奔放な作図から生みだされた興味つきせぬもので、白い肌とコーカサス系の顔だちをもつ土着民を表していた。本を閉じようとしたとき、きわめて些細なことがわたしの疲れきった神経をかき乱し、不安感を甦らせた。わたしを悩ませたものは、その本がどうしてもひとりでに、第十二図のあるページを開いてしまう傾向をもっていたことにしかすぎない。第十二図は恐ろしいほどの精緻さで、人肉嗜食のアンジック族の肉屋を描いたものだった。わたしは実に些細なことに神経をとがらせた自分を恥しく思ったが、それにしてもその図版は、とりわけアンジック族の食生活にふれる記述とあいまって、わたしの心を不安にさせるものだった。  既にわたしは手近の棚に顔をむけ、わずかばかりの書物を調べていた。十八世紀の聖書、暦を出版していたイザイア・トマスの印刷による、奇怪な木版画の収められた、同時代のものらしい『天路歴程』、コットン・マザーの『崇高なるアメリカのキリスト教徒』の崩れかけた大冊、その他明らかに同時代の書物が数冊あった。とそのとき、頭上の部屋を歩いている聞きちがえようのない音に、わたしの注意は惹きつけられた。ついさっきドアをノックしたときには何の返事もなかったことを考えて、最初は驚いてしまったが、その後すぐに、熟睡から目を覚ましたのだろうと判断し、きしむ階段に足音がしても、さほど驚かないまま耳をすました。足音は重おもしいものだったが、妙に用心深くしているような気配があった。足音が重おもしいだけに、わたしはことさらその点が気にいらなかった。わたしはこの部屋に入ったとき、ドアを閉めていた。歩いている者が玄関ホールに置いたわたしの自転車を調べているのかもしれない、不意に足音がとぎれてつかのまつづいた静寂の後、ノブが回される音がして、鏡板をいれたドアが揺れて開くのが見えた。  戸口には、自分をおさえるという行儀作法を知らなかったなら、思わず声をあげただろうと思えるような、きわめて異様な風貌《ふうぼう》の人物が立っていた。白い顎鬚を生やし、ぼろをまとう年老いた主《あるじ》は、驚嘆と畏敬とをひとしくひきおこす顔つき体つきをしていた。身長は優に六フィートはあり、よる年波と貧しさを歴然と示しているにもかかわらず、体つきはたくましく、がっしりしていた。頬高くにまで生える長い口髭によってなかば隠されている顔は、異常なくらい血色が良いようで、皺《しわ》もさほどなく、高い額にはほとんど薄くなっていない白い髪がたれさがっている。青い目はすこし充血しているが、奇妙なくらい鋭く、爛々《らんらん》と輝いているようだった。身だしなみに気をくばりさえすれば、いかにも印象的な、人目を惹く姿になれるだろうと思われたものの、風采《ふうさい》にはいっさいかまわないため、印象的な風貌にもかかわらず、不快感ばかりをかもしだしていた。老人がどんななりをしていたかについては、重たげな長靴までたれさがるぼろきれにしかすぎないもののように見うけられたので、ほとんど何も語ることはできない。清潔感の欠如といったら、いいようもないほどだった。  この老人の外見、そして心にひきおこされた本能的な恐怖のために、わたしは敵意にも似た気持でもって身がまえた。だから老人がわたしに椅子に坐るよう手振でうながし、おもねるような敬意と気にいられようとする歓迎の気持にみちる、かぼそく弱よわしい声で話しかけたとき、わたしは驚くとともに、妙な不調和を感じとって、もうすこしで体を震わせてしまうところだった。老人の話しぶりはとても奇妙なもので、わたしがとうの昔に失われてしまっていると思っていた、極端なまでのニューイングランド方言だった。わたしはまえに腰をおろした老人を仔細に観察した。 「雨に遭われなすったんじゃな」老人がいった。「この家の近くにおられて、分別よく入ってこられたことをうれしゅう思うとります。わしは眠っとったんでしょうな。そうでなきゃ、入ってこられるのが聞こえたじゃろうに。もう昔のごと若くはありませんので、近頃はようけ眠らんといかんようになっとりますのじゃ。遠くからやって来なさったのかな。アーカムへ行く者もおらんようになったけ、そこん道で人を見かけることものうなってしまいましたわ」  わたしはアーカムへ行くつもりだといい、勝手に家に入ったことをあやまった。老人はつづけた。 「お若い方、お会いできてうれしゅう思うとりますよ。こんあたりじゃ新しい顔を目にすることはめったにありませんからのう、このところ元気づけられるようなことはとんとありませなんだ。お見うけしたところ、ボストンのお人のようじゃが。わしはボストンへ行ったことはありませんが、町のお人は一目でわかりますのじゃ。八四年には分教場の先生になりに来た人がひとりおったが、急に姿を消してしもうて、そのあとは噂一つ聞いとりません……」そういって老人はふくみ笑いをしたが、わたしがたずねても、笑ったわけはいわなかった。このうえなく上機嫌でいるようだったが、身つくろいからうかがえるように、奇癖をももちそなえているらしかった。しばらく老人は熱にうかれたような愛想の良さであれこれしゃべっていたが、わたしはふと、ピガフェッタの『コンゴ王国』のような稀覯書をどうして手にいれたのかたずねてみたくなった。あの本からうけた影響はまだ残っていて、本のことを口にするにはややためらいがあったが、しかしはじめてこの家を目にして以来、着実に高まっている漠然とした恐怖のすべてを好奇心が圧倒した。安心したことに、わたしの質問は無作法なものではなかったらしく、老人はよどみなくあけっぴろげにしゃべった。 「ああ、あのアフリカの本のことですな。六八年にエベネザー・ホールト大尉から手にいれたのですじゃ。あん人も戦死してしまいましたな」エベネザー・ホールトという名前を聞いて、わたしはきっと視線をあげた。わたしは家系上の調査でその名前を耳にしていたが、独立戦争後のどんな記録にあたっても載っていないのだ。骨をおっている仕事に力をかしてもらえるのではないかという気がしたが、その点についてはあとでたずねることにした。老人はつづけた。 「エベネザーは何年間かセーレムで商人をやっとりましてな、港々で妙なものを手にいれておりましたよ。あの本はロンドンで見つけたんじゃろうと思います。ロンドンの店で買うのが好きじゃったから。一度馬を売りに、丘にあるエベネザーの家に行ったときあの本を見たんですわ。挿絵がえろう気にいったけ、馬と交換しましてな。妙な本ですのう。眼鏡をかけんと……」老人はぼろのなかに手をいれ、驚くほど古風な、汚れた眼鏡をとりだした。小さなレンズは八角形をしていて、枠は鉄製だった。その眼鏡をかけると、テーブルにあった本を手にして、いとおしむようにページをめくった。 「エベネザーはこの本をちいとは読みよったが、ラテン語ですけ、わしにはちんぷんかんぷんですのじゃ。二、三人の先生にすこし読んでもろうたり、クラーク牧師に教えてもろうたりしたもんです。クラーク牧師は池で溺《おぼ》れ死んだそうじゃよ。あんたさまにはわかりますかな」わたしは読めるといい、冒頭のあたりを翻訳してやった。まちがえたかもしれないが、老人はわたしの誤訳を指摘できるほどの学者ではなく、わたしに翻訳してもらうことで子供のように喜んでいるようだった。そのはしゃぎようはむしろ不快なほどのものにまでなったが、わたしには老人の感情を害することなくきりあげる方法がわからなかった。読めもしない本の挿絵をこの無学な老人が子供のように愉《たの》しんでいることをわたしは面白がり、部屋のなかにあるわずかばかりの本も、はたしてどの程度読めるのだろうかと思った。純朴さが示されたことで、わたしがおぼえていた漠然とした不安はほとんどぬぐい去られ、老人が話しだしたときには笑みさえうかべた。 「絵が人間に考えさせるとは妙なものですのう。ほれ、この最初のほうの絵を見なされ。大きな葉をはためかせてる、こげな木を見たことがありなさるか。それにこの連中ときたら。絶対に黒人じゃありませんな。たまげはてた連中じゃて。アフリカにおっても、インディアンに似とるとわしは思うとります。ほれ、ここにおるのは猿というか、猿と人間のあいの子みたいじゃが、けどこっちにおるんは何じゃろうか。こげなもん聞いたこともありませんわ」老人は画家の空想上の生物を指差していった。鰐《わに》の頭をもつ龍に似た生物だった。 「じゃが一番いい絵を見てもらわんと。まんなかへんにあるんじゃが……」老人の声はすこしこもったようになり、目が明るく輝いた。しかしページを繰る手は、見かけはまえよりぎこちなくなっていたが、その任務にはまことに適切だった。本は頻繁に同一ページが開かれたためでもあるかのように、ほとんどひとりでに開いた。あらわれたのは、食人の風習をもつアンジック族の肉屋を描いた忌わしい第十二図だった。わたしはまた心が騒いだが、おもてにはださなかった。とりわけ気味が悪いのは、画家がアフリカ人を白人のように描いていることだった。店の壁にぶらさがっている手足や四つ裂き部分は凄絶きわまりないもので、斧をもつ肉屋の主人はひどくふつりあいだった。しかし老人はわたしが嫌っているのとは正反対に、その図版をおおいに気にいっているようだった。 「どう思いなさる。こげなもんをご覧になったことはありませんじゃろう。わしはこの絵を見たとき、エブ・ホールトに『あんたを興奮させて血を騒がせる絵じゃな』とゆうてやりましたよ。聖書で人が殺されるようなとこ、ミデアン人が殺されるようなとこを読むとき、こげなものを考えとりましたが、はっきり思いうかべることはできませなんだ。ところが、ほれ、ここにははっきり描《か》かれとる。罪深い絵じゃとは思いますがのう。けど、わしらは皆、罪をもって生まれ、罪のうちに生きとるそうじゃありませんか。この切り刻まれとる男を見るたびに、わしはむずむずしますのじゃよ。それでいつもじいっとながめておりますのじゃ。肉屋の主人が足を切っとるところがわかりますかな。頭がほれ、その台の上にあって、片一方の腕がこっちがわ、もう一方の腕が肉の塊のむこうがわにありますじゃろう」  老人がぞっとするような恍惚状態になってもぐもぐいいつづけているうちに、眼鏡をかけ、髭に半分隠されている顔の表情は名状しがたいものになったが、その声は高まるというより低くなっていった。わたしがどう感じていたかはほとんど記すことができない。まえにぼんやりと感じていた恐怖のすべてが、にわかになまなましくどっと押し寄せ、わたしは自分が、間近にいる忌わしい老人をたまらなく嫌っていることに気づいた。老人の狂気、いや少なくとも倒錯は、議論の余地がないように思われた。声は囁きに近くなっていて、そのかすれ具合は悲鳴よりも恐ろしく、わたしは耳をかたむけながら震えていた。 「さっきもゆうたように、絵が考えさせるとは妙なもんですわ。お若い方、わしがこの絵のここのところにうつつをぬかしとるのがおわかりなさるかな。わしはこの本をエブのところで手にいれてから、何度もこの絵を見とりますのじゃ。クラーク牧師が日曜日に大きな蔓《かずら》をつけて、ものすごい説教するのを聞いたときにゃ、なおさらこの絵をよく見たもんじゃよ。一度面白いことをやってみようと思いましてな……お若いの、驚きなさるな……わしがやったことゆうのは、この絵を見てから市場にだす羊を殺しただけのことですのじゃ。この絵を見てから羊を殺すちゅうのは面白いもんでしたぞ……」老人の声は、ときとしてほとんど言葉が聞きとれないほど、低くなっていた。わたしは雨の音、曇った、小さなガラスのはめられた窓が揺れる音に耳をすまし、この季節にしてはまったく異常な、近づきつつある雷のとどろきに気がついた。一度すさまじい閃光《せんこう》と落雷がきゃしゃな家を土台から揺がしたが、囁きつづける老人は気がつかないようだった。 「羊を殺すのは楽しゅうございましたな。けども、満足はいきませなんだ。願いが中途半端におわるんですからのう、妙な気分じゃった。お若いの、あんたは全能の神を愛しておられるから、誰にもゆわれんじゃろうが、わしはな、この絵を見つづけたおかげで、作ったり買《こ》うたりはできん食糧が欲しゅうなりはじめたことで、神さまをののしりましたんじゃ。じっとしとられるが、どうかなされたのかな。いんや、なんもやっとりません。ただ、もしやったら、どんな気分がするかのうと思うとるだけですのじゃ。肉は血と体を造り、新しい生命を与えてくれるそうじゃから、普通の寿命以上に生きられるんじゃなかろうかと思うとりますのじゃ……」しかし老人はもうそれ以上何もいわなかった。言葉を切ったのは、わたしがおびえきっていたためでもなければ、その猛威によってわたしがまもなくわびしげな黒ずんだ廃墟を目にすることになった、急速に高まりつつある嵐のためでもなかった。それはきわめて単純だが、いささか異常な出来事のためだった。  開かれた本が老人とわたしのあいだにあり、あの図版が悍《おぞ》ましくも上をむいていた。老人が「普通の寿命以上」といったとき、何かがしたたる小さな音が聞こえ、開かれた本の黄変したページにあるものがあらわれた。わたしは屋根からもった雨水だろうと思ったが、しかし雨が赤い色をしているはずはない。食人の習慣をもつアンジック族の肉屋の店に、赤い染みがあざやかに映じ、恐ろしい図版になまなましさを与えた。老人は赤い染みを見ると、わたしが恐怖におびえきった顔をするよりまえに、囁くのをやめた。赤い染みを見ると、一時間まえに離れた部屋の床のほうに素早く視線をむけた。わたしは老人の視線を追って、わたしたちのちょうど真上、古びた天井のゆるんだ漆喰《しっくい》に、形の定まらない大きな真紅色の染みを見た。わたしが見ているあいだでさえ、その染みはますます広がっていくようだった。わたしは悲鳴もあげず、身動きもせず、ただ目を閉じた。一瞬の後、ものすごい落雷がおき、いい知れぬ秘密をはらむあの呪われた家を直撃し、そしてわたしの精神を唯一救ってくれる忘却がもたらされたのだった。