ラヴクラフト全集〈1〉 H・P・ラヴクラフト/大西尹明訳 [#改ページ]  闇に囁くもの The Whisperer in Darkness [#改ページ]         1    じっさいに目に見える恐ろしいものは、結局なに一つ見なかったのだということを、心によく銘記しておいていただきたい。わたしが頭の中であれこれと考えたことは、すべて精神的な一つのショックのために起こったことであり――それが心の負担を耐えがたいまでに重くする最後の小さな付けたしとなって、ついには徴発した自動車で夜、わたしが寂しい田舎《いなか》にあるエイクリーの邸宅からヴァーモント州(アメリカの北東部にある州。ニューヨーク州のとなり)のこんもりと丸い荒涼たる山々のあいだを通り抜けるにいたったのだ――といってしまっては、わたしがとどのつまりに経験したいかにも明らかな事実を無視してしまうことになる。わたしはヘンリー・エイクリーに関する情報や思惑にかなり強い明暗をつけもし、またさまざまなことを見聞《けんぶん》もし、さらに、そういうことから疑いようのない鮮《あざや》かな印象を受けとりもしたが、それにもかかわらず、いまだにわたしは、自分の立てた忌《い》まわしい推理の正否さえ明らかになしえないしまつである。結局、エイクリーの行方《ゆくえ》がわからないために、何ひとつ明らかになっていないからだ。エイクリー家の邸内でも、その屋《おく》外と室内とで見つかった弾痕のほかには、異常なものは一つもない。あたかも彼は山の中にひょいと散歩に出かけ、そのまま帰らずにいるとでもいったようなあんばいだ。来客があったとか、恐ろしい銃砲類が書斎に保管されていたといった徴候すらなかった。自分の生まれ故郷の鬱蒼《うっそう》と木の生《お》い茂った山や、断えまなく水のさらさらと流れる小川を彼がひどく恐《こわ》がっていたということもまた、特に重要な意味はない。というのは、そういう病的な恐怖心の持主は何千人もいるからだ。さらに、奇行癖のあることを考えれば、彼の奇妙な行動や、死を気にする傾向も容易に説明がつくはずだ。  そもそもこの事件が起こったのは、わたしに関するかぎり、一九二七年十一月三日のあの歴史的で前例のないヴァーモント州の洪水からである。当時わたしは、いま同様、マサチュセッツ州アーカムのミスカトニック大学で文学の教師をするかたわら、ニュー・イングランド地方の民俗学の熱心なアマチュア研究家でもあった。その洪水があってからまもなく、新聞の紙面を埋めたいろとりどりの苦労、災難、救助の記事のなかに、氾濫したある川にぷかぷかと浮いているところを見つけられた拾得物に関して、妙な噂話が載っていた。わたしの友人のなかには、その奇妙な拾得物に関する話に一枚加わり、その問題についてわたしにできるだけ知恵を貸してくれと頼むものがたくさんいた。わたしは自分の民俗学の研究がいかにも真剣に評価されたのに気をよくし、どうみても、昔から田舎《いなか》に伝わっている迷信から自然に発生したものと思われる把《とら》えどころのない与太咄《よたばなし》をふるいにかけるのに最善をつくした。なかに、教育を受けた連中がいくたりかいて、例の噂話は、ある種のあいまいで歪《ゆが》められた事実を土台にして生まれたものだといってきかないのを見、わたしはおもしろくなった。  そういうわけで、わたしの注意をひくようになった話は、おもに新聞の切り抜き記事からであった。もっとも、なかには、初めは口から口へ伝えられたものが、わたしの友人の一人に、ヴァーモント州ハードウィックに住む母親から最後は手紙で伝えられてきたものもある。書かれている話は、根本的にはどれもみな同じだったが、内容の事実にはどうやら三通りのちがいがあるらしく――一つはモンペリエに近いウィヌースキ河に関係があり、次のはニューフェインより向うのウィンダム郡のウェスト河に属し、もう一つはロンドンヴィルの北に当たるカレドニア郡のパサムプシック河を中心とするものであった。ばらばらになった資料のなかには別の事実を述べているものもたくさんあったが、よく分析してみると、それらはみな結局三つの部類のどれかに属するようだった。どのばあいにも、人があまり行かない山を発源地とする川の中に、その流れを妨げて水面を乱しているきわめて異様なものの姿を一つ二つ見かけたという報告があり、こういう折に年配の村人たちがまた持ち出して、蔭でこっそりと囁く原始的でなかば忘れられた一群のいい伝えと、そういういくつかの姿とを関連させる傾向が広まっていた。  村人たちが見たと思っているものの姿は、いままでに彼らが見たことのあるどんな生きものにも全然似ていなかった。当然ながら、そういう痛ましい時期でも、川の流れを利用して行き来しているものはおおぜいいた。が、そういう奇妙な姿を見たと称する連中は、上べの大きさと大体の輪郭ではいくらか似たところがあるにしても、その姿が人間のものではないという点では確信を持っていた。また、いままでヴァーモント州の人が知っているいかなる種類の動物でもあるはずがない、とも目撃者たちは語った。身の丈《たけ》が五フィートほどの薄桃《うすもも》色をした生きもので、甲殻《こうかく》類のような胴体に数|対《つい》の広い背鰭《せびれ》か、もしくは膜のような翼《つばさ》と、何組かの関節肢《かんせつし》が付いている上に、本来なら頭のあるところに一種の渦巻《うずまき》型をした楕円体《だえんたい》がのっていて、それには多数のきわめて短いアンテナがついていたそうである。各地からの報告がその点ではいかにもぴったりと一致することが明らかにわかった。もっとも、その山嶽地方にむかし広まっていた古い伝説が、ぞっとするほど生き生きとした姿を伝え、それが、関係のあるすべての目撃者の想像力にひょっとすると微妙な影響をおよぼしかねないと考えてみれば、驚異の念も薄らぎはするのであるが。そういう目撃者たち――どの場合でも辺鄙《へんぴ》な未開拓の森林地方に住む素朴で単純な人々だが――は、人間か農場の動物が渦巻いて流れる川の中で打ちのめされ打ちのめされして張れぼったくむくんだところをちらっと見、うろ覚えの言い伝えがその哀れな生きものに幻想的な色合いを帯びさせるのをそのまま黙認し、それが怪物情報になった、というのがわたしの結論であった。  古来からのその言い伝えは、漠然として把《とら》えどころがなく、いまの村人たちはほとんどそれを忘れてしまっていたが、それにはきわめて独自な性格があって、いまだに原始インディアン伝説の影響を反映していることは明らかであった。わたしはヴァーモント州に行ったことはなかったが、エリ・ダヴェンポートのとび抜けて稀有《けう》な専攻論文のおかげでそのことをよく知っていた。その論文には、同州の一番年寄りの人たちから一八三九年以前に採集した口伝《くでん》の資料が載っている。さらに、その資料は、ニュー・ハンプシャーの山嶽地帯に住む老人たちからわたしが自分の耳で聞いた物語にぴたりと一致した。手みじかに要約すると、まだ人に知られていない種属の怪物がもっと辺鄙な山中のいずれかの土地――最高の山頂の奥深い森林のなかや、いくつかの河が未知の水源から流れ出てくる暗い峡谷のなかに潜んでいることをほのめかしていた。この怪物どもが人に姿を見られたことはめったにないが、そういうものが存在している証拠は、山奥の坂や、狼すら避ける絶壁の峡谷に、普通以上に敢えて深く踏みこんでいった人々から報告されていた。  奇妙な足跡というか鉤爪《かぎづめ》の生えた足跡というか、そういったものが小川のふちの泥の中や不毛の畑のなかや、また円形にならんだ奇妙な石の列の中にもついていたが、その磨り減った石ができた円形のまわりには芝生があって、その円形は自然に置かれたものでもなく、またそういう形に作られたものでもないらしかった。また、山の中腹には、どれほど深いのか見当のつかない洞窟もいくつかあったが、その入口は、まず偶然とはいえぬやりかたで玉石を積みあげて塞《ふさ》がれており、奇妙な足跡が、その入口から出るのと入いるのと――仮にその足跡の向きが正確に読みとれたとすれば、二通りについていて、並みの場所よりも数が多かった。そして一番悪いことには、冒険好きの連中が、最も辺鄙《へんぴ》な溪谷や普通の山登りの限界を越えたきわめて嶮《けわ》しい深い森林の薄暗がりの中でごく稀《まれ》にその姿を見かけたことのある怪物が現にいたということであった。  この怪物に関するてんでんばらばらな記事が、たとえ充分に一致していなくても、別にどうということもなかったであろう。ところが、じっさいはかなり一致していて、ほとんどすべての噂には、共通点がいくつかあり、その生きものはうす赤い巨大な蟹《かに》の一種で足が何対かあり、背中の真んなかにこうもりのような大きな翼が二つついていると断言されていた。時にはその何対かの足を全部使って歩くこともあれば、また、時には一番うしろの一対だけで歩き、ほかの足はいったい何でできているのかわからない大きな体を運ぶのにだけ使うのだそうだ。あるとき、そういう生きものがかなりの頭数《あたまかず》でいるところが見つかったことがあるが、そのなかの少し離れたところにいる一隊は、三匹が横隊に並ぶという明らかに訓練を受けた隊形をとって森林地帯の浅い水流のなかを歩いて渡っていた。また一度は空中を飛行し――夜、人気《ひとけ》のない禿山《はげやま》のてっぺんから飛び立って、そのはばたく大きな翼が満月を背景に黒い影絵を一瞬現わしたのち、空に姿を消すところを見られたこともあったそうだ。  この生きものたちは、概して、人間などは放っておいて平気でいるらしかった。もっとも、時おり、冒険好きな人間ども――特にある溪谷に近いところや、ある山の余りにも高いところに家を建てた連中が、仮に行方不明にでもなると、この生きものたちのせいにされたものだが。たくさんの土地が、住むのには向かないとわかるようになり、その原因が、とっくに忘れられたあとになっても、そういう感じは相変わらず残っていた。人々は、あのきびしい森林見張り番たちのいる低いほうの坂の上に立って、いままでいく人の開拓者が行方不明になり、また何軒の家が焼けて灰になったか、ということを想いださなくても、近くの山の絶壁を見あげるだけで身ぶるいをしたものだった。  最古の伝説によれば、その怪物どもは自分たちのプライヴァシーを侵害したものたちに対してだけ害を与えたらしいという一方、少しあとになると、彼らが人間について好奇心を持ち、人間世界を探る前哨を作るつもりでいたという話もあった。鉤爪のついた奇妙な足跡が、朝、農家の窓のあたりに見られたとか、明らかに彼らの出没する地域以外のところで、ときどき人が行方不明になるといった話も伝えられた。さらに、奥深い森林中の道路や荷車用の道で、なにかがやがやと人間の話しぶりを真似した声で話しかけては独《ひと》り旅をしている旅行者をびっくりさせるもののいたことや、原始林が戸口の前庭のついそばに迫っている場所で、子供たちが怪物の姿や声を見たり聞いたりして胆《きも》をつぶすほど驚いたという話もあった。いまよりも一つむかしの時代――この時代は、まだ迷信が衰えず、また怪物の出る場所との緊密な接触の断たれていない時代だが――の言い伝えでは当時の世捨人《よすてびと》や人里離れて住む農夫たちが衝撃を受けたという話であり、その人たちは人生のある時期に、精神的に人が変わって人に嫌《きら》われるようになったらしく奇妙な怪物にわが身を売ったものとして嫌われ、あたりで蔭口をきかれたそうだ。北東部のある郡では、一八〇〇年ごろ、常識はずれで評判の悪い世捨人を、例の忌まわしい怪物の同盟者とか代表者だといって責めることがはやったらしい。  その怪物の正体について――当然ながらさまざまな説が現われた。彼らのことは、ふだん「あの連中」とか「例のものたち」という名でいわれ、そのほかの名前はその土地でほとんど使われたことがないそうだ。おそらく清教徒の開拓者の一団が彼らを悪魔のお使いであるとそっけなく書き記し、畏《おそ》れおおい神学的思索の一つの題材としたのであろう。親代々《おやだいだい》ケルト系の伝説を伝えてきた人々――主としてニュー・ハンプシャーに住むスコットランドとアイルランドの混血系の人たちと、その親族でウェントワース総督の譲渡証書に基づいてヴァーモント州に定住した人たち――は、例の生きものを、たちの悪い妖魔や、湿地や土砦《どさい》(昔アイルランドで族長の家を囲んだ円形の土塀)の妖精と結びつけて考え、何世代にもわたって断片的に伝えられてきたいくつかのまじないでわが身を守った。しかし、なかで一番とりとめのない説を持っていたのはインディアンであった。なるほどさまざまな種族の伝説には、それぞれちがった点はあったけれども、ある肝心な特徴を信ずる点では明白に一致していた。どこからも異議のこない一致点というのは、その生きものたちが本来この地球で生まれたものではないという点であった。  ペナクック(インディアン種族の名)の神話は、最もまとまりのある、絵のように美しいものだが、この神話の教えるところによれば、天にある「大熊星座」から「翼のある生き物」がやって来て、わが地球の山の中に鉱山を掘り、他の世界では手に入れられない種類の石を採《と》ったそうだ。彼らはこの地球に住まず、ただ前哨を置くだけで、石を詰めた大きな荷物を持って北方の自分たちの星へ飛び帰った、という話だ。彼らが地球人に害を与えたのは、人間があまりにも彼らのそばに近寄りすぎたときか、彼らの様子をこっそり調べたときだけであった。動物が彼らを避けたのは本能的に嫌悪したからであって、狩り捕られるからではなかった。彼らは、地球上のものは動物を含めていっさい食べることができなかったので、食料は自分たちの星から持ってきた。彼らのいる方へ近寄って行くのは感心したことではなく、ときおり若い猟師が彼らのいる山の中へ入いって行ったが、二度と帰ってはこなかった。また、彼らが、夜、森の中で、人間の声を真似しようとして、蜜蜂のような声でひそひそと囁いている話に聞き耳をたてるのも、あまり気分のいいものではなかった。彼らはあらゆる種類のインディアン――ペナクック族、ヒューロン族、イロクォイ族、五族連合のインディアンたち――の言葉を知っていたが、自分たちの言葉は持ってもいなければ、また持つ必要もないらしかった。彼らは頭で話をした、というのは、頭はさまざまに色を変えてさまざまなものを意味したからである。  伝説というものは、無論白人のもインディアンのも、ときどき隔世遺伝のように起こる一時的な人気を別にすれば、十九世紀のあいだにすべて死に絶えてしまっていた。ヴァーモント州の人たちの暮しぶりはしだいに落ちついてきた。そしてその習慣的な路や住まいが、ある一定の計画に従っていったん定《き》められてしまうと、その計画を定めるさいにどういう恐ろしいものや忌避すべきものが原因となったかということ、いや、そもそもなにか恐ろしいものや忌避すべきものがあったということすらだんだん忘れられていった。これこれの丘陵地帯はひどく健康に悪く、儲《もう》けもえられず、概して住むのに適さない土地であり、従ってそこから遠く離れるにつれて暮し向きが楽になるということはたいていの人がよく知っていた。結局、居住許可のおりた地域には慣例や経済的関心というわだちの跡が深くつけられるようになり、そうなると、そういう土地からよそへ出て行く理由はもはやなくなり、だから怪物の出る丘陵地帯がうっちゃっておかれたのは、ことさらに放置されたというよりは、むしろ自然にそうなったのだ。たまに噂《うわさ》が広まってところどころに騒ぎが起こることをのぞくと、わずかに怪奇|好《ごの》みのお婆さん連中や、とかくむかしを回顧する老人たちだけが、そういう山に住む生きものの噂をひそひそと話しあったものだが、こういうひそひそ話をする老人たちでさえ、そういう生きものたちの方もいまではすっかり人間の住む家や居住地にも慣れ、また人間の方もそういう生きものの住む地域には注意してそれをそっとしておくようになっているので、たいして恐がることはなくなったという点は認めていた。  そういうことをわたしがとっくに知っていたのは、読書と、ニュー・ハンプシャー州で採集した民話とのおかげであった。あの洪水どきの噂が広がり始めたとき以来、その噂の源《もと》になっているねた[#「ねた」に傍点]がどういう昔話から出ているのかわたしには容易に察しがついた。それを友人たちに説明するにはなかなか骨が折れたが、議論好きの友人たちが、新聞記事の中にも真実を伝える可能性のあるものがないとはいえないとどこまでもがんばったときには、それ相応に楽しい思いもした。その友人たちが指摘しているのは、昔の言い伝えには一貫した深い意味があるという点と、ヴァーモント州の山嶽地帯の自然は実際にはまだ探検されていないから、そこに住む生きものについてあれこれと勝手な推理をくだすのは賢明でないという点であり、いくらわたしが、その言い伝えはすべて、たいていの人類に共通する周知の様式のものであって、つねに同じ型の幻想を生む人類の初期の段階の空想経験によって決まるものだといっても、彼らを黙らせるわけにはいかなかった。  こういう相手に向かって、例の全世界に普遍している自然を擬人化《きじんか》した伝説によると、むかしはそのあたりに牧神《フォーン》や森の仙女や|森の神《サティール》がたくさんいて、近代ギリシャのキリカンザライの存在もそれとなく説明がつき、すっかり開けきっていないウェイルズやアイルランドには、見なれない、小柄の、恐ろしい、秘密の穴居人種や穴居動物のいることもそれとなく合点がいくのだが、それとヴァーモント州の神話とは本質的にはほとんどちがいがないのだということを説明してもむだであった。さらに驚くほど似たことであるが、ネパールの山奥に住む種族が、あの恐るべきマイ・ゴウとか、ヒマラヤ山脈の氷や岩だらけの峰のあたりに忌まわしくも潜んでいる「身の毛もよだつ雪男」の存在を信じていることを指摘してもやはりむだであった。わたしがそういう証拠を持ちだすと、相手の連中はそれを逆手《ぎゃくて》にとり、それは昔話の史実性をほのめかすものにちがいないし、人類よりももう一つ古い妙な種族がむかし本当に存在していたが、人類が出現して優勢になったのちは追い払われて姿を隠し、ことによると頭数《あたまかず》は減少しながらも生きながらえて比較的最近まで――いや、いまこの現在にいたるまで生存している、と主張したものだ。  そんな説をわたしが笑えば笑うほど、相手の頑固な友人たちはますますきっぱりとそういいきって後《あと》へひかず、たとえ代々言い伝えている伝説がなくとも、近頃の報告記事はその話しぶりが充分に明らかで、つじつまがあい、詳細で、かつは健全なまでに浮いたところがないから、まったく無視するわけにはいかない、とつけ加えた。なかに、極端な説を持ちだす熱狂的な論者が二、三いて、例の隠れている生きものは、ひょっとするとこの地球上で生まれたものではないかもしれないということが、イタリアの昔話にあるとほのめかすようにまでなり、チャールズ・フォートの誇張の多い本を利用して、いままでに地球以外の別世界や、銀河系外宇宙からの探検家たちがたびたび地球を訪れたことがあると主張した。わたしの論敵はしかし、大部分、たんなるロマンティシストで、アーサー・マッケン(一八六七-一九四八。イギリスの怪奇小説家)の華麗な恐怖小説で有名になった秘境に住む「矮人《こびと》」(創元推理文庫「怪奇クラブ」中の「黒い石印」など参照)の幻想的な民話を、実生活に持ちこもうとする意図をあくまでも捨てない連中であった。         2    当時の情況にあってはまことに当然のことであったが、そのぴりっとした気持のよい討論は、結局「アーカム・アドヴァタイザー」紙への投書という形で活字になり、その話のいくつかは洪水話の発生した地域の新聞にも転載された。「ラトランド・ヘラルド」紙は半ページを割《さ》いて投書の抜粋を両陣営に公平に掲載し、一方「ブラトルボロ・リフォーマー」紙は歴史と神話に関するわたしの長い著書の要約を、内容ゆたかに翻刻したうえ、それに関してわたしの懐疑的な結論を支持、賞賛した「ペンドリフターズ」誌の思慮深い欄に載った解説文を添えてくれた。一九二八年までには、わたしはまだそこへ出かけたこともないくせに、ヴァーモント州ではほとんどだれ知らぬものもないような人間になっていた。そのころだ、あの挑戦するようなヘンリー・エイクリーの手紙が舞いこんできて、わたしが深い印象を受けたのは。もっとも、その手紙のおかげで、わたしはあとにもさきにもそのとき一度だけ絶壁に緑の木々が鬱蒼《うっそう》と生い茂り、森林に水音《みずおと》たかく川の流れるあのうっとりするような国におもむいたのだ。  ヘンリー・ウェントワース・エイクリーについてわたしの知りえた情報の大部分は、寂しい田舎にある彼の邸宅で何日かすごしたのちに、あの付近の人たちやカリフォルニアにいる彼の独り息子との文通によって集めたのだ。わたしの知りえた感じでは、エイクリーは、弁護士、行政官、兼大地主というこの地方に長く続いた名家の血統を保つ最後の代表者であった。とはいえ、その名家の精神的な傾向も、エイクリーという人間の代《だい》で、実務家肌から純粋な学者肌に変わってしまっていた。というわけでエイクリーはヴァーモント大学にいたころ、数学、天文学、生物学、人類学、および民俗学の研究家として有名だった。それまでにわたしは彼の名を聞いたこともなく、また手紙で自伝的な事柄を詳《くわ》しく話してくれたこともろくになかった。が、初対面のときからエイクリーは、世俗的に擦《す》れたところのほとんどない世捨人《よすてびと》ではあったが、教養と知能とを兼ね備えた人格者であった。  彼がきっぱりと主張した事柄《ことがら》はいかにも信じがたい性質のものではあったが、わたしは自分の説に挑戦してくる他《ほか》の連中よりも、このエイクリーの説の方を、さっそく真剣に受けとらないわけにはいかなかった。一つには、事実上、彼は実際の――目に見え、手に触れられる――例の現象のすぐそばにいたので、ついグロテスクな想像をしてしまったのであろうし、またもう一つには、彼は自分の結論を、本当の科学者らしく、まだ当分は仮説のままにしておくことに驚くほど熱意を見せていたからである。彼には人の先に立つというような癖は特になかったし、いつもたしかな証拠になると判断したものを基準にして自説を進めた。もちろん、初めはわたしも、エイクリーはまちがっていると考えた。が、それも、理知の面でまちがっていると認めたのだ。だからわたしは、彼の友人たちと一緒になって、彼のものの考えかたや、例の鬱蒼と木の生い茂る山を恐れる彼の気持を、精神異常のせい[#「せい」に傍点]にしたりはしなかった。この男には相当ないい分があるのだな、ということがわたしにはわかったし、彼の報告してきた事柄は、たとえ彼のつけた異様な理由とその報告の内容との関係が薄くても、調査してみるにたるだけの奇妙な事情からまさに生じたものにちがいないと心得ていた。あとになって、わたしは彼から物的証拠をいくつか受けとったが、そのおかげでこの問題の立つ基盤は、それまでとどこかちがって、人をとまどいさせるほどに奇怪なものとなった。  いまのわたしに精々《せいぜい》できるのは、エイクリーから受けとった自己紹介の長い手紙を、できるだけ正確に書き写してみるぐらいのことだが、その手紙はわたし自身の精神史にきわめて重要な刻み目を印《しる》しづける事件となった。もはやその手紙は持っていないが、あの不吉な文章はほとんど一言一句憶えている。そしてもう一度、わたしはその手紙を書いた人物が正気であることを信じている、と重ねて断言する。そのもとの文章――まじめな学究生活のあいだ、どうみても世間と没交渉だった人の、ぎくしゃくとした古風で拙劣《せつれつ》な字で書かれ、わたしの手もとに届いてきたもとの文章――はこうである――   [#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]  地方無料郵便配達 ヴァーモント州ウィンダム郡タウンゼント [#ここで字下げ終わり] [#地付き]一九二八年五月五日   [#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]  マサチュセッツ州アーカム郡ソールトンストール街一一八   アルパート・N・ウィルマート殿     [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ] 拝啓 (一九二八年四月二十三日付の)ブラトルボロ・リフォーマー紙に掲載の、昨年秋の洪水のさい氾濫した川の上に浮かんでいるのを見つかった見なれぬ死体に関する最近の話と、その死体によく符合する奇妙な伝説とについて述べられた貴殿の寄稿文を拝読して大いに興味を覚えました。よその州の人がなぜ貴殿のいまのような立場をとるのか、また「ペンドリフターズ」誌がなぜ貴殿の説に同意するのか、よくわかります。ヴァーモント州の内外を問わず、教養のある人々があまねくとっている立場がそれであって、わたし自身も青年時代に(いまは五十七歳ですが)、まだ全般的な学問やダヴェンポート論文を研究するために、ふだん来たことのないこのあたりの山中を探検にくるようになるまでは、そういう立場をとっていたものです。  わたしがこういう研究をするようになったのは、もっと無知なたぐいの初老の農夫からよく聞かされた奇妙な昔話のせいですが、今のわたしはそのことを全部そっとしておけばよかったのに、と思います。人類学や民俗学の問題はわたしには少しも奇妙なものとは思えない、と正当な謙遜《けんそん》を心にこめながらもそういってよろしいでしょう。大学で民俗学をみっちりと学び、例えばタイラー(一八三二-一九一七。イギリスの人類学者、民俗学者)、ラボック(一八三四-一九一三。イギリスの銀行家、著述家)、フレイザー(一八五四-一九四一。イギリスの人類学者、民俗学者)、カトルファージュ(一八一〇-九二。フランスの博物学者、人類学者)、マリー(一八四一-一九一四。イギリスの動物学者、海洋学者)、オズボーン(一八五七-一九三五。アメリカの古生物学者、地質学者)、キース(一八六六-一九五五。イギリスの人類学者)、ブル(一八六一-一九四二。フランスの考古学者)、G・エリオット・スミス(一八七一-一九三七。イギリスの解剖学者、人類学者)などのようなその道の権威の名もほとんど知っておりました。未知の隠れた種族がいるという話が人類と同じくらい古いむかしからあるということは、わたしには耳あたらしい情報ではありません。わたしは新聞に寄稿したあなたの文章の写しと、ラトランド・ヘラルド紙に載った貴説への賛成文とを拝見した結果、あなたの論議が現在何を主題としているかということが、わかるような気がします。  いまわたしの申しあげたいのは、たとえ表面上はあなたの方《ほう》が有利に見えようとも、あなたの論敵の方があなたよりもいかんながら真実に近いのではあるまいか、という点です。彼らは、自分でも気がつかないほど真実に近いのです――自分でも気がつかない、というのはほかでもありません。彼らはただ理屈の上からそこまできただけであって、わたしの知っている事柄を知るわけがないからです。もしもわたしが彼ら同様、そのことをよく知らなかったら、彼らと同じように信じて、やはり自分は正しいのだ、と思っていたにちがいありません。そうなれば、わたしはあなたのおっしゃるとおりになったにちがいないのです。  おわかりでしょうが、わたしは話の要点をつかむのに苦労していますが、おそらくそれは、話の要点をつかむのを、実はわたしが恐れているからでしょう。が、とどのつまり、あの怪しいものたちが、まだだれも足を踏みこんだことのない高い山の森のなかにじっさいに住んでいるという証拠をつかみました。わたしはまだ、新聞で報じられたような、川の中に浮かんでいたものは見たことがありませんが、もう二度と申しあげたくないような情況のもとでそれに似たものを見たことがあります。足跡を見ましたし、最近では、いまこうしてお話ししている場所よりも、わたしの住まい(つまりダーク山麓のタウンゼント村の南にむかしからあるエイクリー邸)に近いところでそのものたちを見たことがあります。それに、森の中の、とても紙の上に書きとめる気になれないある地点で、そのものたちの声を聞いたこともあります。  ある場所ではもう何度もその声が聞こえるので――口述録音用蓄音器と録音用レコードを使い――録音しておきましたから、いずれ準備をしたうえでそのレコードをお聞かせするつもりでいます。むかしからこのあたりに住んでいる村の連中にこのレコードを聞かせてやったことがありますが、その録音された声を聞くと、村人たちははっと怯《おび》えて身をこわばらせたものです。それが(例のダヴェンポート論文にある森の中のがやがやという声)つまり村人のおばあさんたちがよく噂《うわさ》をし、真似をしてみせてくれたことのある声によく似ていたからなのです。「声を聞いたことがある」などという人間を世間では眉つばものだと見ることぐらいわたしも心得ています――が、そう決めつける前に、一度このレコードを聞いたうえ、村のだれかにそれをどう思うか、と訊いてごらんなさい。そんなものはまともに相手にできない、とお考えなら、それもいいでしょう。が、背後に何かあるにちがいありませんよ。ほら、「火のないところに、煙はたたぬ」というではありませんか。  さて、あなたに宛ててこの手紙を書いているのは、議論を始めようというためではなく、あなたのような趣味をお持ちのかたならきっと興味をお感じになると思う情報をさしあげるためなのです。これは非公開の手紙です。おもて向きには、わたしはあなたに賛成です。というのはある事情のおかげで、わたしにはわかっているのですが、この件を世間の人が知りすぎるのはどうもよくないのです。わたし自身の研究は、今はもうまったく自分のためだけのものであって、人々の注意をひく発言をして自分の探検した土地に人々を誘うようなまねをしようとは思いません。あれは事実なのです――恐るべき事実なのです。人間でない生きものがたえずわれわれ人間をじっと見張っているというのは。われわれ人間のなかにスパイを入れて情報を集めているのです。そういうスパイの一人だったある卑劣な男から、わたしはこの件に関する手がかりの大部分を手に入れたのです。もっとも、これは、その男が正気だったとすればの話ですが(事実、正気だったとわたしは思っています)。あとでその男は自殺しました。が、スパイはほかにもいると考えてよいだけのわけがあります。  その生きものは他の惑星から来たもので、惑星間の空間に住んでいて、見かけはぶざまでもエーテルに対して自由自在に抵抗できる力づよい翼でその空間を飛べますが、翼のあつかいかたがあまりにもへたなので、この地球上ではたいした役にはたたないようです。こういうわたしのことを気ちがいだといって追っ払うようなことをしなければ、あとでこのことをお話ししましょう。その生きものたちはあの山の下に探く掘った鉱山から金属を手に入れようとしてこの土地へくるのです。だからわたしは彼らがどこからやってくるのか、わかるような気がします。あの連中は、こちらがうっちゃっておきさえすれば、何も害はいたしますまい、が、こちらがあまりに詮索《せんさく》しすぎたらどういうことになるか、わかったものではありません。もちろん、男が大ぜいで出かければ、彼らの鉱山《やま》の居住地ぐらい跡形《あとかた》もなく壊せるでしょう。彼らが恐れているのもそれです。だが、もしもそんなことが起こったら、もっとたくさん外《そと》の世界からやってくるでしょう――それこそいくらでも。その気になれば地球を征服することぐらい朝飯前でしょうが、いままでのところそんなけぶりもないのは、そうするにはおよばないからです。彼らも騒ぎを起こさずに、事態をそっといまのままにしておきたいのでしょう。  思うに彼らは、わたしがあるものを発見したために、わたしを追い払うつもりでいます。わたしはここから東のラウンド・ヒル山の森の中で黒い大きな石を一つ見つけたのですが、その石には、なかば磨滅《まめつ》した未知の象形文字が刻まれています。それに、その石を家へ持って帰ってからは、万事が一変しました。彼らは、わたしの感づきかたが深いと見れば、わたしを殺すか、わたしを地球からつれだして自分たちの元きた古巣《ふるす》へつれていくかするでしょう。彼らは人間世界の事情に精通するために、教養のある人たちをときどきつれて行きたがります。  その結果わたしは、副次的な目的にとりかかることになり、いまこうしてあなたに声をかけている――つまり、現在新聞紙上で行なわれている討論を世間に広めずに、むしろ、それを静かにさせるようにお頼みしているしだいです。あの山の中には人々を入いらせないように――、その実績をあげるためには、人々の好奇心をこれ以上かきたてないようにしなければいけません。とにかく実際上の危険はかなりあります。なにしろ宣伝屋と土地ブローカーどもがヴァーモント州のいたるところに押し寄せ、大ぜいの避暑客が未開の土地にまで入いりこみ、山の中のどこにでも安っぽいバンガローを建てているんですから。  今後はあなたともっと深い意志の疎通をはかりたいので、お望みなら速達で、例のレコードと黒い石とをお送りするつもりです。「つもり」と申しあげたのは、あの生きものたちには、このあたりにあるものを自由にいじれる能力があると思うからです。村の近くにある農場に、ブラウンという気むずかしいうさん臭い奴がいますが、どうやらこいつはスパイだと思います。少しずつ彼らは、わたしと人間社会とを遮断しようとしています。わたしが彼らの世界を知りすぎているからです。  彼らには、わたしのやることを自由自在に見抜いてしまう驚くべき力があります。この手紙があなたの手に入いらないことさえあるかもしれません。事態がさらに悪化したら、わたしはこの土地から立ちのいて、カリフォルニア州のサン・ディエゴに行き、そこにいる息子と一緒に暮さなくてはいけなくなるでしょう。が、生まれ故郷であって、しかも祖先から六代も住みついてきた土地を捨てるのはなまやさしいことではありません。それにまた、わたしは、あの生きものたちがこの家に目をつけているいま、この家をだれにも売る気にもなれません。奴らはあの黒い石を取り戻し、例のレコードを壊そうとするつもりでいるようです、が、わたしの力のおよぶかぎり、奴らにそんな真似はさせません。わたしの飼っている大きな警察犬は、いつも奴らをたじろがせますが、それはまだこのあたりには奴らはほんの少ししかおらず、身ごなしがいたってぎこちないからです。さっき申しあげたとおり、彼らの翼は、地上をほんの少し飛ぶのにはたいした役にはたちません。わたしはもう今にも、例の石の文字を解読しそうなのです――それこそ恐るべき方法で――それにあなたの民俗学の知識を利用すれば、ミッシング・リンクの補いがついて充分にわたしの手助けになっていただけるでしょう。思うにあなたは、この地球上に人間が現われる以前の恐るべき神話――あのヨグ・ソトホート(ヨグ・ソトホートと死霊秘法とは「怪奇小説傑作集3」の中の「ダンウィッチの怪」にも出ている)と例のクトゥルフ(クトゥルフは本書中の「インスマウスの影」にも出ている)に関する一群の伝説――を何もかもごぞんじですが、その話は二つとも「死霊秘法《ネクロノミコン》」という本にそれとなくのべられています。わたしはむかしの本の写しをこの目で見たことがありますが、あなたの大学の図書館にも、それが一部厳重に鍵をかけて保管されているそうですな。  ウィルマートさん、結論を申しあげますと、あなたの御協力が得られれば、われわれはおたがいにたいそう双方の役に立つと思います。あなたをどういう危険な目にも会わせたくないと思っておりますので、ぜひ警告しなければならないのですが、その石とレコードをいつまでもお持ちになっていると、いつかきっとたいへん危険な目にお会いになりますぞ。しかしあなたは、学問のためなら危険を冒してもよいという気にきっとおなりになるでしょう。わたしはこれからさっそく、車でニューフェインかブラトルボロまで出かけていって、こちらから送るのをあなたがお認めになりさえすれば、どんな物でもお送りします。というのは、その二つの町には、もっと信頼できる速達便を扱う局があるからです。今のわたしは独り暮しといってもいいでしょう。女中が居つかないからです。例の生きものが、夜、家に近寄ろうとし、犬が絶えまなく吠えるためです。家内が生きているころ、この事件に深入りしているのと同じくらい熱心に、事業に熱中しなくてよかったっけ、と思っています。熱中していたら、家内はきっと気ちがいになってしまったでしょうから。  不当にお邪魔をしたのでなければ幸いです。また、ぜひわたしと連絡をおとりになるように心をお決めになり、この手紙を狂人のたわごとだといって屑籠《くずかご》にお捨てにならぬように願います。 [#地付き]草々 [#地付き]ヘンリー・W・エイクリー    追伸 わたしの撮ったある写真を、いま何枚か余分に焼きつけていますが、これはわたしが触れた数多くの論点を証明するのに役だつだろうと思います。村の連中は、この写真は恐《おっそ》ろしいほど真に迫っているといっています。興味がおありなら、さっそくお送りしましょう。 [#地付き]H・W・エイクリー [#ここで字下げ終わり]    この奇妙な手紙を初めて読んだときのわたしの気持は、とうていうまくはいえない。世間なみの標準に従えば、かねてからわたしが新聞紙上で感心して喜んでいたあの穏やかな学説を笑うよりも、この文章の節度のない放縦さの方をもっと大声で笑ってやるべきだったのだ。それなのに、その手紙には何か一種特有の調子があって、わたしは逆説的に、その手紙をついまともに受けとってみる気分になっていた。といっても、エイクリーの話に出た宇宙からきた秘密の種族の実在など、少しでも信じたわけではなく、前もってきびしく疑惑を持っていたあとでは、かえってエイクリーの正気と誠意とを信じ、さらに、エイクリーがいかにも想像をそそるような話でしか説明できずにいる、その奇妙で異常だが実際の現象に、まともに彼が対決しているということを妙に確信するようになったということだ。かえりみると、その話はエイクリーが思ったほどには明らかにされていないが、しかし考えようによっては、それだからこそ、まさに調べてみるだけの甲斐《かい》があるのだ。エイクリーという男は何かにひどく昂奮し、あわてているらしかった。が、そうなるだけのいわれがまったくないとは考えられない。いろいろな点で彼はたいそう明確で筋道《すじみち》がたっており――だから結局、彼の物語は、むかしからの古い言い伝え――それこそひどくとりとめのないインディアンの伝説にさえぴたりと符合していて、思わずこちらが当惑するほどなのである。  エイクリーが山の中であの連中の騒がしい声を実際に聞いたことがあり、またさっきの手紙にあった黒い石を実際に見つけたということは、彼がいろいろとばかげた話を述べたにもかかわらず、いかにもありそうなことだった――彼の述べたばかげた話は、みずから他の天体のスパイと認めた男からたぶん聞いたものであろう。その男は完全に狂っていたにちがいないが、おそらくものの考えかたに、どこかに天邪鬼《あまのじゃく》なところがあり、そのために素朴なエイクリー――すでに民俗学研究のおかげでその素地《したぢ》があった――に自分の話を信じこませたのだと容易に察しがつく。最近の事態の進展についていえば――エイクリーの近所に住む村人たちも、エイクリーの住んでいるあの屋敷が夜になると例の不気味なものたちに包囲されるということを合点するようになったが、それというのも、屋敷に女中を居つかすことができなくなったからである。じじつ犬も吠えた。  それに、例のレコードのことだが、これはエイクリーが、自分でいったとおりに録音したものと信ずるほかはない。そのレコードも何か意味があるにちがいない。動物が人の話し声をうまく真似てそれらしい声を出しているのか、あるいは、何か未知の、夜、幽霊のように現われる人間の話しぶりが退化して低級な動物のそれに等しくなったのかどうか、それはともかく、ここまで考えて、わたしの頭の働きは、例の象形文字の刻《きざ》まれている黒い石と、それが何を意味するかという瞑想とにまた向け直された。それならまた、エイクリーが送ろうとしているともいい、村人たちが恐ろしいほどよく似ているとも見たその写真は、いったいどういうものだろうか?  わたしはその読みにくい字で書かれた手紙をもう一度読み直したとき、新聞紙上の議論でわたしの相手となっている、すぐに人のいうことを信じやすい人たちが、わたしの認めがたいほど有利な味方をその陣営に持つかもしれないということを、それまでになくはっきりと感じた。結局、村人が嫌がって近寄らないあの山の中には、昔からの言い伝えにあるような、他の天体で生まれた怪物といった生きものはたとえいないまでも、何か奇妙な、おそらく遺伝的に畸型を帯びた、世間から見捨てられたものがいるかもしれないのだ。そして、もしもいるとしたら、洪水で氾濫した河に奇妙な死体が浮かんでいたということも、まったく信じられない話ではなくなる。むかしの伝説も近頃の報告書も、その背後にそういう真実味が多分にこもっていると思うのは厚かましすぎることだろうか? しかし、わたしは心にさまざまな疑問をいだきながらも、あのエイクリーのでたらめな手紙のような、きわめて荒唐無稽でグロテスクな話を読んだために、そういう疑問を抱いたということが恥ずかしくなった。  結局わたしはエイクリーの手紙に返事を書き、いかにも興味を感じたという親しみのこもった調子で、もっと詳しいことを知りたいといってやった。ほとんど折り返すように、彼からの返事がまたやってきたが、まさに約束どおり、彼がしゃべらずにいられないさまざまなものの説明用に、風景や物を写したコダックの写真が何枚か同封されていた。封筒からとり出しながらそれをちらっと見て、わたしはびくっとする妙な驚きと、見てはならぬものを見たような気分とを感じた。というのは、その写真は大部分がぼんやりとしているにもかかわらず、忌まわしいほどの強い暗示力を持っていたからであり、それがまったくの写真――それこそ描く対象を光学的に構成し、偏見のない非人間的な伝達方法で生産されたもの――にすぎないという事実によって一段と暗示力を強めていた。  その写真をよく見れば見るほど、わたしは、自分がエイクリーの人柄と彼の話をまともに受けとったのは無理もないことだった、と合点がいった。これらの写真が、われわれのありふれた知識や信仰の範囲から遠くはずれた、あのヴァーモント州の山中にいるあるものの決定的な証拠をもたらしたことはまちがいない。なかでも一番ひどい代物は例の足跡で――どこか人気《ひとけ》のない高台の泥んこ畑に陽の差しているところで撮られたものであった。これは安っぽいイカサマ写真ではない、とひと目でわたしにはわかった。というのは、その写真の畑の中で鮮明に撮れている砂利や草の葉を見れば、大きさの比率がはっきりとつかめるので、インチキな二重写しの疑いはまったくなかったからだ。わたしは例の代物を「足跡」といっているが、「爪跡」ということばのほうが似合っている。いまでもわたしは、それを説明するのに、蟹みたいなすごい形で、どちらの方を向いているのかわからない、とでもいうほかはない。その爪跡のつきかたは、きわめて深くもまた鮮明でもなく、ごく普通の人間の足の大きさとほぼ同じくらいに見えた。足の裏の中央のふくらんだところから、鋸歯《のこぎりば》のようにぎざぎざの鋏《はさみ》が一対、反対方向に突き出ており――その目的がただもう歩行することにあるとすれば、その機能についてはまったくわけがわからなかった。  もう一枚の写真――どう見ても暗がりで長時間露光で撮ったもの――は、森林地帯の洞窟の入口に、きちんと丸い形に刻まれた大石がその穴を塞いでいるところを写したものであった。その石の前の草のはえていない地面に、ぎっしりと網の目のように妙な足跡がついているのがすぐに認められたので、拡大鏡で調べてみると、その足跡は別の写真に写っている例の爪跡に似ているのがわかり、おかげでわたしは不安な気分になった。さらにもう一枚の写真は、荒涼たる山の頂上に、たくさんの石がまるでドルイド教(本書一三三ページ参照)[#「壁のなかの鼠」を参照]みたいに環状に立ち並んでいるのが撮れていた。その環状に立ち並ぶ神秘的な石のまわりの草は、ひどく踏みつけられて擦り減っていた。もっとも、その草の上にも足跡ひとつ見つけられはしなかったが。その場所が極端に人里を離れた秘境であることは、その背景に、それこそ見渡すかぎり人気《ひとけ》のない山々が連なり、霞《かすみ》がかった水平線の方にまでずうっと伸びているのを見ても明らかだった。  しかし、その写真のなかで一番人騒がせなのがあの足跡のそれだとすれば、一番妙にいわくありげなのは、ラウンド山という山の森林の中で見つかった例の黒い大石の写真だ。エイクリーはその石を、どう見ても彼の書斎の机の上に載せて写真を撮ったように思われる。というのはその石の背景に、書棚やミルトンの胸像が見えるからだ。その石は、幅三十センチ、長さ六十センチの、やや不ぞろいの湾曲《わんきょく》した表面をまっすぐに向けて、なるべく近い距離からカメラと向き合ったのだ。が、その表面の様子とか、その大きな石の全体の形について、なにかはっきりとしたことを述べようとしても、ちょっとことばではいいつくせない。この石をこんなぐあいに切断するには――たしかに人工的に切断したにちがいないからそういうのだが――いったいどういう奇怪な幾何学的原理が働いているのか、わたしには見当もつかない。それにまた、わたしもいままでにいろいろと驚くような経験はしたが、これほど風変わりで、まぎれもないほど人間世界にそぐわないものは見たことがない。石の表面に見える象形文字のなかで、わたしに見わけがついたのはごく少ししかなく、わたしにわかったほんの一つか二つの文字も、むしろわたしにショックを与えたくらいだ。もちろんその象形文字も、ひょっとしたらイカサマかもしれない。というのは、わたしのほかにも、あの気の狂ったアラビア人アブドル・アルハズレッドの書いた、途方もない、かつは忌まわしい「死霊秘法《ネクロノミコン》」を読んだことのあるものがいるからだ。が、しかし、いままで研究してきたおかげで、まだ太陽系の地球その他の惑星ができあがらないころに一種狂気の半存在だった生きものの、血の凍るような思いの一番する、神を冒涜する囁きとつながりのある怪しい表意文字がその石の上に認められたので、思わずわたしは身ぶるいをした。  残る五枚の写真のうち、三枚は沼と山の風景で、その土地には、なにか隠れ潜んでいる不健全な生きものの棲息する痕跡があるらしかった。ほかの一枚は、エイクリー家のつい近くの地面についていた奇妙な痕跡の写真で、夜、犬がいつもより激しく吠えたその翌朝撮ったのだそうである。ひどくぼやけているので、その写真からなにかはっきりとしたものを見分けることなどできない相談だった。があの人気《ひとけ》のない高台で撮ったもう一つの痕跡、すなわちあの「爪跡」に似たところがあり、なにか魔性のものらしく見えた。最後の一枚は、エイクリーの屋敷そのものの写真だが、屋根裏部屋のついた二階建ての白いこぎれいな屋敷で、建ててからざっと百二、三十年はたっており、手入れの行き届いた芝生があって、石で縁《ふち》をとった小径《こみち》が、ジョージ王朝風の上品な彫刻のほどこされた玄関までついていた。その芝生の上には体の大きな警察犬がなん匹か、たぶんエイクリーだと思われる、白毛の顎《あご》ひげを短く刈りこんで快活な顔をした男の近くにうずくまっていたが――エイクリーの右手の中にある旧式なセルフタイマーからみて、彼が自分でその写真を撮ったものと見てもよかろう。  同封されていたそれらの写真から、今度は、ぎっしりと書きこまれた分厚い手紙自体を読みはじめたが、それから三時間というものは、ことばではとうてい表現しつくせない恐怖の深淵に落ちこんでいた。エイクリーは、この前の手紙ではほんの概略しか述べなかったことを、今度の手紙では詳《くわ》しく論じ、夜、森の中で立ち聞きしたことばを書きとった長い文章と、夕方山頂の藪《やぶ》の中にいた薄桃《うすもも》色の怪しげなものに関する長い説明文と、深みのあるさまざまな学問を、自殺した気ちがいの自称スパイ男のきりのない昔話に応用することから生じたものすごい宇宙物語と、そういうさまざまなことが書かれてあった。気がついてみると、そのときわたしが面と向きあっていた名前やことばは、どこか他のところで最も忌まわしいものと関連しながら聞いたことのあるものばかりだった――いわく、ユッグゴトフ、偉大なるクトゥルフ、ツァトホッグァ、ヨグ・ソトホート、ル・リエー、ニャルラトホテプ、アザトホート、ハストゥル、ヰイアン、レング、ハリの湖、ベトモオラ、イェロウ・サイン、ル・ムルーカトフロス、ブラン、および|大 無 名 者《マグナム・イノミナンダム》と、そしてさらに気がついてみると、いつかわたしは、未知の永劫《えいごう》と想像不可能の次元とを経過して「死霊秘法《ネクロノミコン》」の狂気の著者がしごくあいまいな方法で推理しただけの、外的旧実在の世界へ引き戻されていた。そこでわたしの読んだのは、原始生活のさまざまな地獄や、その地獄からしたたり流れる河や、最後に、われわれ自身の地球の運命とかかわりあうようになったそういう河の一つから流れる細い小川の話であった。  わたしの脳髄はめまいを感じた。そしてわたしは、まえにはものごとをはっきり説きあかそうと努めていたのに、いまは最も異常で信じがたいさまざまな怪異の存在を信じ始めていた。ずらりと生きた証拠を並べたところはいまいましいほど堂々として圧倒的であり、エイクリーの冷静で科学的な態度――すなわち狂ったもの、狂信的なもの、ヒステリックなもの、いや法外なまでに観念的なものからさえ、考えうるかぎり遠く離れている態度――が、わたしの考えや判断にものすごい影響をおよぼしたのだ。その恐ろしい手紙を読み終わるまでに、わたしは彼の心に恐怖が宿るようになったことが理解できたので、あの荒れ果てて怪物の出る森に人々を近づけないようにするためになら、自分にできるどんなことでも進んでやるつもりになっていた。時間がたって印象が薄らぎ、おかげで自分の経験と恐ろしい疑惑をもなかば疑う気になっているいまでさえ、あのエイクリーの手紙のなかには、引用したくない、いや、ただ紙の上に書いてみる気にさえならないものがまだあるのだ。あの手紙もレコードも写真も、いまはもうすっかりなくなってしまったことを、まずはよかったと思っている――それにまた、そのわけはあとで話すつもりだが、いっそのこと、あの新しい惑星が海王星(太陽系のなかで一番遠いところにある星の一つ)の向うで発見などされなければよかったのに、とも思っている。  その手紙を読んだために、ヴァーモント州の怪事件をめぐるわたしの公開討論は、やめになった。相手側からの議論には答えずにおいたり、そのうち答えると約束して答弁を延期したりしたので、結局その討論はしだいに消えていって、しまいには忘れられてしまったのだ。五月から六月にかけて、その間ずうっとわたしはエイクリーと手紙をやりとりし続けていた。もっとも、ときどき手紙が途中でなくなることがあり、そうなると、元きた地面を辿り直したり、かなり骨の折れる分量をまた書き直したりしなければならなかったものだ。二人がやろうとしていたことは、全体として、あいまいな神話学の問題について意見をとりかわし、ヴァーモント州の怪事件と原始世界伝説の総体との相互関係をもっと明らかにすることにあった。  例えば実際上われわれ二人の一致した意見では、この地方の怪奇な現象とあのヒマラヤの憎むべきマイ・ゴウとは、悪夢のような恐ろしいものが人間の姿をしているという同じ一つの種類に属する話であった。この点については、じつに興味しんしんたる臆説もあり、もしもエイクリーから、二人のほかにはだれにもこのことをいってはならぬ、という至上命令がだされていなければ、わたしは大学の同僚であるデクスター教授にそれを紹介していたにちがいない。現在のわたしが、その至上命令を守っていないように見えるとすれば、それはただもう、あの遠いヴァーモント州の山について――また勇敢な探検家たちがますます登頂の決意を堅めているあのヒマラヤの山々について――いまの段階で警告しておくことは、何もいわずにいるよりも公共の安全に役だつと思うからだ。二人がこれからとりかかるつもりでいる専門的な仕事は、あの忌まわしい黒い石に刻まれた象形文字の解読であって――それを解読すれば、これまで人間にわかったいかなる秘密よりも深遠で幻惑的な秘密を解き明かせるかもしれないのだ。         3    六月の末近くそのレコードが届いた――ブラトルボロから発送されたもので、エイクリーが、そこから北の支線の輸送状態を、信用しかねていたからである。エイクリーは自分がスパイをされている感じをしだいに強く持ち始めていたが、われわれの手紙が途中で何通か紛失したために、その感じはいっそうひどくなった。そして、例の隠れひそんでいる生きものたちの手先である、と彼のにらんでいる連中の、悪がしこい行為について大いに語った。なかでも彼は、無愛想な百姓のウォルター・ブラウンを一番疑っていたが、この男は深い森の近くの荒れはてた山腹にある家で独り暮しをしており、不可解でもあるしまた一見なんの動機もなさそうに思えるのだが、ブラトルボロ、ベローズ・フォールズ、ニューフェイン、およびサウス・ロンドンデリーといった町を、ぶらぶらと遊び歩いている彼の姿がよく見かけられたものである。ブラウンの声は、なにかの折に立ち聞きしたあの恐ろしい連中の会話の中に混じっていた声にまちがいない、とエイクリーは確信した。それに彼は、ブラウンの家の近くで最も不吉な意味のありそうな足跡、つまり爪跡を一つ見つけたこともある。その爪跡は、ブラウン自身の足跡――それこそ自分の家に向かっている足跡に、妙に近いところについていた。  そこでそのレコードはブラトルボロから発送されたのだが、彼はそのブラトルボロまでヴァーモント州の寂しい裏街道をフォードに乗って出かけていった。写真に添えた手紙によると、彼はその街道がだんだんこわくなってきて、日用品を買うのにも、真っ昼間でなければタウンゼントの町へも行く気がしないそうである。彼が何度も繰り返していうところによると、あのひっそりとした問題の山からうんと離れてでもいなければ、知りすぎるのは割に合わないことになるそうである。まもなく彼はカリフォルニアへ出かけて行って、息子と一緒に暮すつもりでいるが、もっとも、自分の想い出や先祖の感情が何もかも残っている土地を立ち去るのはつらいことにはちがいあるまい。  大学の管財課から借りてきたレコード会社の宣伝見本用の蓄音器に、送られてきたレコードをかける前に、わたしはエイクリーのさまざまな手紙にある解説的な事柄《ことがら》を、もう一度念を入れて一応全部読み直してみた。それによると、このレコードは一九一五年五月一日の午前一時ごろ、ダーク山の鬱蒼たる森林をなす西側の山容がリーの沼地からそびえたつその山裾《やますそ》にある洞窟の、石で塞《ふさ》がれた入口の近くで録音したものである。そこはいつも耳馴れぬ声で異常なほどがやがやとうるさくしゃべるのが聞こえ、だからこそ彼は、録音器を、それも成果を大いに期待して持ってきたのだ。それまでの経験から、五月祭の前夜――すなわちヨーロッパの秘密伝説にいう身の毛もよだつような安息日《サバト》の夜――こそおそらく他のいかなる日よりも稔《みの》りがあるだろう、と思えたが、はたせるかなその期待はかなえられた。ただ、その場所では以後二度と例の声が聞こえなくなったという点は注目に値する。  これまでに森の中でふと立ち聞きした多くの声とはちがって、そのレコードに収まっている声は、なにか儀式でも行なっているような性格のもので、その中に、どう考えても人間のものとしか思えない声が一つまじっていたが、それがだれの声かエイクリーにはわからなかった。ブラウンの声ではなく、もっとずうっと教養のある人物の声らしかった。だが二番目の声は、もうまったくの謎だった――ほかでもなくこの声は、ただもうがやがやというだけで、文法どおりに立派なアクセントでいわれた英語であるにもかかわらず、人間らしさが少しもなかったからである。  録音用の機械と吹き込み装置との調子がそろってうまくいっていたわけではなく、また、立ち聞きしている儀式が遠すぎて、音が変にこもったように聞こえたのもむろん不利だった。だから、じっさいに聞きとれたことばはきわめて断片的なものだった。エイクリーはそのとき、こんなふうに話されたと彼が信じて筆記したものの写しを一枚、わたしによこしてくれていたので、レコードをかける用意をしながら、その写しにざっと目を通してみた。その本文は、公然と恐ろしいというよりはむしろ、ひそかに神秘の影をやどしていた。もっとも、その本文のなりたちと採集方法とを知っているために、そのなかのどの一言一句にも充分に備わっている不気味さが、そっくりひとつにまとまったような恐怖がそれには感じられた。その本文を、憶えているかぎり充分に、これから述べてみることにしよう――それにわたしは、その写しを読んだばかりでなく、レコードそのものをかけもしたので、正確にそれを暗記しているという強い自信を持っている。それこそ、人が容易に忘れられるようなものではないのだ!   [#ここから7字下げ] (聞きとりにくい声) [#ここで字下げ終わり]     [#ここから4字下げ] (教養のある人間の男の声) [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ] 「……は森の神なり、……とレングの男たちの才能に対してさえ……ゆえに夜の泉から空間の深淵にまで、つねに、偉大なるクトゥルフを、ツァトホッグァを、および常なる彼らの賞賛と呼ばれえないはずの存在者を賞賛、および森の黒山羊に豊富な生贄《いけにえ》を。イア! シュブ・ニググラトフ! その山羊に千人の若者の生贄《いけにえ》を! [#ここで字下げ終わり] [#ここから4字下げ] (人のことばを真似するがやがやという声) [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ]  イア! シュブ・ニググラトフ! 森の黒山羊に千人の若者の生贄《いけにえ》を! [#ここで字下げ終わり] [#ここから7字下げ] (人間の声) [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ]  そして次のごとくにあいなった、すなわち、森の神は……七と九、縞瑪瑙《しまめのう》の階段を降《くだ》り、……深淵の中なる存在者たるアザトホートに、(捧《ささ》げ)物を、汝《なんじ》がわれらにその者の驚(異)を教えたることある存在者……夜の翼に乗り、しかし空間を越え、……さらに越えた向うの……ユッグゴトフがそれの末子であるところのものに、……の縁《ふち》の黒き天空を独り転《ころ》がりつつ…… [#ここで字下げ終わり] [#ここから7字下げ] (がやがやという声) [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ]  ……人々のあいだから抜け出してそこから、深淵の中なる存在者の知るやもしれぬ道を見いだす。いと力強き使者たるニャルラトホテプに対し、すべてのことが語られねばならぬ。しかし存在者には本体を隠す蝋製の仮面と衣装とで人間のような姿をさせ、七太陽の世界から嘲りにやってこさせよう…… [#ここで字下げ終わり]     [#ここから7字下げ] (人間の声) [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ]  ……(ニャル)ラトホテプ、すなわち偉大なる使者にして、虚空を通りて不思議なる喜びをヨグ・ソトホートにもたらす者、かつは百万の愛されたる旧支配者たちの父にして、……のなかの隠れ人…… [#ここで字下げ終わり] [#ここから4字下げ] (レコードが終わってことばは消える) [#ここで字下げ終わり]    レコードをかけたときに聞こえてくるはずのことばは以上のとおりであった。まぎれもない恐れと、渋るような気分とを少し感じながら、わたしはやっとレコードをかけ、まず初めはざあっというあの針音が聞こえたが、最初のかすかで断片的なことばが人間の声――アクセントがなんとなくボストン風らしく、どうみてもヴァーモント州の山奥の人間のそれではない、柔らかくて美しい教養のある声――でいわれたのでほっとした。そのじれったくも弱々しい話しぶりにじっと耳をすましているうちに、どうやらわたしは、そのことばが、エイクリーの周到に用意してくれた写しの文章と同じであることに気がついたらしい。レコードのことばは、あの柔らかく美しいボストン風の声で、こう詠誦した……「イア! シュブ・ニググラトフ! その山羊に千人の若者の生贄《いけにえ》を!……」と。  やがてわたしは、もう一つの声を聞いたのだ。それまでにエイクリーの説明を読んで覚悟はできていたのだが、その声を聞いてどんなに自分が驚いたか、そのときのことをふり返ってみると、思わずわたしは身ぶるいをする。それ以後わたしからそのレコードの話を聞かされた人たちは、そのレコードに収まっているのはいかさまか狂気しかない、と公言している。だが、もしもその人たちが、あの呪われた儀式そのものを聞くことができるか、あるいは何通もあるエイクリーの手紙(特にあの恐ろしい百科全書的な二度目の手紙)を読むことができるかすれば、その人たちもそうは考えなかったろうと思う。結局、エイクリーのいうとおりにそのレコードを他の人たちに聞かせなかったのは、かえすがえすも残念なことだし――また、エイクリーの手紙が全部なくなってしまったのも、まことに残念なことである。わたしには、実際の音をじかに聞いた印象がある上に、その背景や周囲の状況も知っているので、その声は恐るべきものに感じられた。そのもう一つの声は、儀式の中の受け答えの形で、人間の声のすぐあとに続いて聞こえたが、わたしの想像もつかぬ外の地獄から、想像もつかぬ深淵を飛び越えていく病的な谺《こだま》だった。その蝋管《ろうかん》式レコードを最後にかけてからもう二年以上もたつ。が、わたしにはいまでも(いやいつでもだが)、あのかすかにがやがやという悪魔のような声が、初めて耳にしたときのようにはっきりと聞こえる。   [#ここから2字下げ] 「イア! シュブ・ニググラトフ! 森の黒山羊に千人の若者の生贄《いけにえ》を!」と。 [#ここで字下げ終わり]    だが、なるほどその声はたえずわたしの耳のなかにあるとはいえ、わたしにはまだそれを、グラフに書けるくらいに分析することはできていない。それは何かひどく不愉快で巨大な昆虫の低いもの憂げな声が、これまでに知られていない種類の分節的な言語の形をぶざまに模倣したような感じのもので、その音を発する器官が人間の発声器官とも、いや、どんな哺乳動物のそれとも似ているはずのないことは、わたしには強い確信がある。その音声には、音質、音域、倍音の点で、人間やこの地球上の生物とはまったく別の特徴があった。いきなりその声が聞こえてきたので、最初はわたしもやや驚いたが、やがてそのレコードのあとのほうは、何かぼうっとしていてわけのわからないものになった。それからいままでよりも長くがやがやと物音のする部分になったとき、初めの短い部分でわたしを驚かした例の神を冒涜する「無限なるもの」の感じが一段と強まった。最後に、そのレコードは、ボストンなまりのある人間がひどくはっきりとした声で話をしているうちに、だしぬけに終わった。が、わたしは、蓄音器がひとりでに止まったあとも、長いあいだ目を丸くしたままじっとしていた。  あらためていうまでもないが、わたしはそのレコードをほかのときにも何度かかけたし、エイクリーと意見を交換するさいに、その音の分析と解釈を徹底的に行なってもみた。二人が一緒に辿りついた結論を全部ここへ持ちだしてみても、それはむだでもあるし、また、わずらわしくもある。ただ、人類が大昔に持っていた神秘的な宗教の中で、最も嫌悪すべき原始的な習慣のいくつかの起源について、一つの手がかりをつかんだと信じている点では、二人の意見は一致しているとほのめかしてもよい。むかしはその他次元世界の秘密の生物と、ある種の人間たちとのあいだに手のこんだ協力関係があったことも、われわれ二人には明白なことのように思えた。その協力関係がどの程度のものであったか、また、今日のそれが、むかしのそれと比べていったいどうなっているのか、その点は何とも推測のしようがなく、まあせいぜい、ああでもないこうでもないと果てしもなく、身の毛のよだつ推測をする余地があるだけであった。人間と、神を冒涜する未知の無限なるものとのあいだに在るいくつかの決定的な段階には、一つの恐ろしい、記憶を絶したつながりがあるらしかった。どうやら地球上に現われた涜神行為は、太陽系のはずれにある暗い惑星のユッグゴトフからきたもののようだ。が、その惑星自体が、恐るべき宇宙空間種族の人口|稠密《ちゅうみつ》な前哨にすぎず、その種族のやってくる究極の源《みなもと》は、アインシュタイン的時空の連続体、すなわち第四次元のこの大宇宙からさえ、遙か外の方にあるにちがいない。  また一方、われわれ二人は例の黒い石と、それをアーカムまで持ってくる最善の方法とに関して論じ続けていた――というのは、エイクリーが、悪夢のような彼の研究の現場にわたしを来させるのは得策でない、と思っていたからだ。どういうわけかわからないが、エイクリーは、普通の、つまり当然の輸送路に、その石の運搬をまかせるのはあぶないと思っていた。彼が最後に思いついたのは、キーヌ、ウィンチェンドン、フィッチバーグを通るボストン=メイヌ鉄道で荷物を輸送するという手であって、このためには、ブラトルボロまで行くのにも、幹線道路よりも人気《ひとけ》のない、山中の森を通り抜ける道を行かなければならないのだが、それも仕方がなかった。エイクリーのいうところによれば、彼はそのレコードを送るとき、輸送会社のあたりで一人の男にふと気がついたが、それはその男の挙動や表情が何かひどく不安を帯びていたからだそうである。  ほぼこのころ――七月の第二週だが――わたしの手紙がもう一通行方不明になったということを、エイクリーからの不安に満ちた手紙でわたしは知った。それ以後彼は、わたしの方から出す手紙の宛名はタウンゼントとせずに、ブラトルボロ郵便局宛てに局留《きょくどめ》にしてくれといってきた。そしてその局へエイクリーは、自分の車か長距離バスでよく何度も出かけたものだが、そのバス路線は、スピードの遅い鉄道支線の業務に最近とって代わったものであった。彼がしだいに不安な気分になってきているのがわたしにはわかった。その証拠に彼は、月のない晩に犬がますます激しく吠えることや、朝になって農場の裏手の道路やぬかるみの中でときどき見つかる爪跡のことを深く調査していた。エイクリーはまた、深くはっきりとついた犬の足跡がずらりと並んでいるのと面と向き合うように、例の爪跡がくっきりとたくさんついているのを見た、とそんな話をしたこともある。  七月十八日水曜日の朝、ベロウズ・フォールズ局発信の電報を受けとったが、それによるとエイクリーは、例の黒い石を、標準時十二時十五分ベロウズ・フォールズ発、四時十二分ボストン北駅着のボストン=メイヌ鉄道の五五〇八号列車の急行便で送ったそうである。わたしは少なくとも翌日の昼までにはアーカムに着いていなければいけない、と計算した。そこでわたしはその荷物を受けとるために、木曜日の午前中はずうっとアーカムにいた。しかし、昼になり、やがて昼がすぎても、例の荷物はいっこうに到着せず、輸送会社に電話してみると、わたし宛ての荷物はきていないという返事だった。しだいに不安の高まるのを抑えながら、つぎにわたしは、ボストンの北駅にある輸送会社に長距離電話をかけてみた。そしてわたし宛ての委託貨物がまだきていないという返事を受けとったが、このときはもうわたしはあまり驚かなかった。五五〇八号列車は前日に僅か三十五分遅れただけですでに到着していたが、わたし宛ての荷物は載せていなかったのだ。しかし輸送会社が調査をすると約束してくれたので、その日は夜エイクリー宛てに手紙を出し、あらましの事情を知らせるだけにとどめた。  まことに見あげたことだが、その翌日の午後、輸送会社のボストン支店から、当方の問い合わせを受けるやいなや、打てば響くように、さっそく電話で報告が届けられてきた。それによると、どうやら、五五〇八号列車の係員が、ひょっとするとわたしの荷物の紛失に大いに関係があるかもしれないできごとを想いだしたらしい――というのは、この列車が標準時間の一時ちょっとすぎに、ニュー・ハンプシャーのキーヌ駅で発車を待っていたとき、妙な声をした痩せぎすの、薄茶色の髪の毛をしたいかにも田舎《いなか》者らしい顔つきの男と、少しばかりことばをとりかわしたのだそうだ。  その男は、箱に入いった荷物が一つ、自分宛てに届くはずなのに、その列車にも載っていなければまた、輸送会社の帳簿にも登録されていない、といってひどく興奮していたそうだ。自分のほうからスタンレー・アダムズだと名乗ったが、変に太くてひどくもの憂げな声なので、それに耳を澄ましていると、係員も異常なほどに目まいを感じ、ついうとうとした。とりかわしたことばがどんなぐあいに終わったのかさっぱり憶えがなかったが、列車が動き始めたとたんに、はっと正気にたち返ったのだそうだ。ボストン支店の事務員がつけ加えていうには、その列車の係員が正直で信頼できる青年だという点については疑問の余地がなく、素性《すじょう》もよくわかっているうえに、入社してからの経歴も長いのだそうである。  その晩わたしはボストンへ行ってその事務員とじかに会った。前もってその名前と住所とを事務所から聞いておいたのだ。この男は気どったところのない、感じのいい奴だったが、昼間話してくれた報告以上に、つけ加えるべきものをこの男が何一つ持ち合わせていないのがわたしにはわかった。おかしなことだが、この男は、妙なことを係員にたずねた例の男にもう一度会ったらわかるかどうか、あまり自信がない、といった。それ以上、その男から聞きだすこともないとわかったので、わたしはアーカムへ帰り、朝まで徹夜してエイクリー宛てと、輸送会社宛てと、キーヌの警察署と駅長宛てに手紙を書いた。列車の係員に対してまことに奇妙な能力をふるった例の聞き慣れない声の男は、この不吉な事件の立役者《たてやくしゃ》にちがいないと感じたので、キーヌ駅の係員と電報局の記録とが、その男の様子と、その男が例の問い合わせをいつどこでどんなぐあいにやったかということについて、何か教えてくれればいいのだが、とわたしはそれを当てにした。  しかし、結局わたしの調査は、何もかもむだに終わったと認めざるをえない。妙な声を出す男は、七月十八日の午すぎ頃キーヌ駅のあたりでその姿を見られたことはまちがいないし、そのへんをぶらついていたもののなかにひとり、その男のことをいうと、なにか箱に入いった大きな荷物のことをぼんやり連想したものがいたらしい。しかし、その男はまったく見知らぬ人間で、その姿を見かけたのは、あとにもさきにもそのときだけであった。いままでにわかったところでは、その男は電報局へきた形跡もなければ、また、どんな知らせもいっさい受けとってはいなかった、いや、そもそも例の黒い石が五五〇八号列車に載っていることを予告するような知らせが、局からだれかのところへ届けられたという形跡もまったくなかった。当然、エイクリーはわたしに協力してそういう調査をしてくれたし、わざわざキーヌまで独りで出かけて行って駅のあたりにいた人々に、いろいろとものを尋ねてもくれた。しかし、この件に関する彼の態度は、わたしのそれよりも宿命的であった。彼はその荷物の紛失した一件を、当然起こるべきものが、不吉で不気味な事故という形で起こったものと見なしたらしく、もう二度とその荷物を取り戻す当てはないものとあきらめた。彼は、山に住んでいる生きものとその手先どもが、テレパシーや催眠能力の持主であることは疑問の余地がないと語り、ある手紙の中で、あの黒い石はもはや地球外に持ち去られたものと信ずる、とほのめかした。わたしのほうは、当然ながら腹をたてていた。ほかでもない、あの昔の磨滅《まめつ》しかけた象形文字から、少なくとも深遠にして驚嘆すべきことが学びとれるだけの可能性はある、と感じていたからだ。そのことは、もしもエイクリーのすぐ次の手紙があの恐るべき山の問題に新局面をもたらして、わたしの注意をそちらへ向けてしまわなかったら、かならずわたしの心を激しくさいなんでいたであろうに。         4    未知のものが、いままでになく決然として自分に迫り始めた、とエイクリーは気の毒なほど震える文字で書いてきた。おぼろ月夜か闇夜にはかならず起こる犬の遠吠えは、いまでは身の毛もよだつような恐ろしいものになり、エイクリーが昼間必要があって寂しい道路を横断していると、その途中で犬の遠吠えを真似して彼をからかうものもいた。八月二日に、車で村に向かっていると、ハイウェイがこれから深い森へ入いろうとするあたりの路上に、木が一本倒れているのが見えた。一方、車に一緒に乗せていた二頭の大きな犬が猛烈に吠えたてるのを見れば、そのあたりに例の怪しい生きものが潜んでいるにちがいないことがありありと感じられた。犬がいなかったらどうなっていたか、そこまでは彼もあえて考えてみる勇気はなかった――が、いまは外出するときには、忠実で頼もしい犬を少なくとも二匹はかならずつれていく。ほかに道路で経験した妙なできごとは、八月五日と六日に起こった。一つは弾丸が車をかすめて通った事件であり、もう一つは、犬の吠える声で森に邪悪なもののいるのがわかったというできごとである。  八月十五日にわたしは気ちがいじみた手紙を受けとったが、おかげでひどく心がおちつかなくなり、ついわたしは、エイクリーも自分ひとりの胸に秘密を隠しておくのをもういいかげんにあきらめて、その筋に助けを求めたらいいのに、と思った。十二日の夜から十三日にかけて恐ろしいできごとが起こり、エイクリー邸の外から弾丸が飛んできて、十二頭いる大きな犬のうちの三頭が、射ち殺されているのが朝見つかったそうだ。道路には無数の爪跡がついており、そのなかに、ウォルター・ブラウンの足跡も混じっていた。エイクリーはもっと犬を送ってもらおうと思い、さっそくブラトルボロの町に電話をしたが、まだ充分に話をしないうちに、その電話は不通になったそうだ。あとで彼は車でブラトルボロへ行き、電話線はニューフェインの北の、人気《ひとけ》のない山を通り抜けた地点で巧《たく》みに切られているのを架線工夫が見つけた、ということを知った。しかし、彼は、新しく手に入れたすばらしい四頭の犬と、大猟獣を射つ連発銃用の弾薬箱を数個車に載せて帰宅の途につこうとしている、といってきた。その手紙はブラトルボロの郵便局で書かれ、そのまま遅れずにわたしの手許《てもと》に届けられた。  この問題に対するわたしの態度は、もうこのときまでには、早くも科学的なものから一個人的なものに下落してしまっていた。わたしはエイクリーが、辺鄙《へんぴ》な寂しい田舎の屋敷にいるのを心配し、また今となっては自分もあの例の妙な山の問題と決定的な関係ができてしまったので、わが身のこともなかば心配していた。事態はそこまで広がっていたのだ。事態はこのままわたしを巻きこみ、呑みこんでしまうのであろうか? 彼の手紙に返事を書いて、わたしは彼に当局の援助を求めるようにしろと勧め、彼がやらなければ、わたしが手段を講ずるかもしれない、とほのめかした。わたしは彼の願いにさからって、これから自分でヴァーモント州に出かけて行き、彼が当局に事柄を説明するさいに手を貸してやるつもりだといってやった。しかし、その返事としては、ベロウズ・フォールズ局発信のつぎのような電報が届いただけであった。――   [#ここから2字下げ] キデンノタイドニカンシャ」サレドキデンミズカラシヨチヲコウジエズ」コウズレバフタリトモガイアリ」イサイフミ」 [#ここで字下げ終わり] [#地付き]ヘンリー    しかし、事態はじりじりと深刻の度を加えつつあった。その電報に返事を出すと、例の震える字で書かれたエイクリーの手紙が届けられてきたが、それには驚くべきことが書いてあった。というのはつまり、エイクリーはそんな電報を発信したおぼえもなければまた、その電報を出すきっかけとなったわたしからの手紙をも受けとってはいない、というのだ。さっそくベロウズ・フォールズ局でエイクリーが調べてみると、その電文を局に預けたのは、いままでに見かけたことのない、薄茶色の髪の毛をした男で、変に太くてひどくもの憂げな声をしていたそうだが、それ以上のことはわからなかった。局員は、発信人がペンでなぐり書きしたままの原文をエイクリーに見せてくれたが、その書体はまったく見なれないものだった。その署名が「エクリー」となっていて、これは二字目の「イ」の抜けたまちがった書きかたである点が注意をひいた。さまざまな憶測が当然起こったが、どう見ても危険な立場に立っていたので、彼はその憶測にゆっくりと磨きをかけてはいられなかった。  エイクリーの書き送ってきた話題は、さらに犬がたくさん死んで、ほかに犬をもっと買ったということや、闇夜になるときまって銃撃戦が行なわれるようになったということだった。ブラウンの足跡、ほかに少なくともひとりかふたりの靴をはいた人間のらしい足跡が、道路と裏庭の爪跡のなかに、いまではきまってついているのが見つかるという。こういうものが見つかると、いざ土地を売るときに不利になる、とエイクリーも認めた。それにたぶん、住みなれたその土地が売れようと売れまいと、やがて彼はカリフォルニアにいる息子のところへ行って暮さなければならないようになるだろう。が、人が本当にふるさとと見なしうる唯一《ゆいいつ》の土地を離れるのは、なまやさしいことではない。少しでも長くしがみつこうとするにちがいない。だから、そこへ侵入してこようとするものがあれば、おどして追い払う気にもなれるはずだ――とりわけ侵入者どもの秘密を見抜いてやろうという意図など、今後いっさい持ち合わせていないことが公然としているばあいには、なおさらである。  そこでさっそくエイクリーに宛てた手紙を用意し、その中で、改めて援助の申し出《い》でをやり直し、こちらから彼のところへ出かけて行って、彼の身に恐ろしい危険の迫っていることを当局に納得させる手助けをするつもりでいる、ともう一度いってやった。それに対する彼の返事によれば、どうやら彼は、その従来の態度から予想されるほどには、わたしの提案に反対ではないらしかったが、もうしばらくのあいだ――それこそ、身辺を整理したうえ、ほとんど病的なまでに愛着のある生まれ故郷を立ち去るという考えを、あきらめて受け入れる気になれるまではそっとしておいてもらいたい、といってきた。世間の連中からはその研究や思索を軽蔑されていたから、この田舎を騒ぎに巻きこんで自分の正気を広く世間に疑わせるような真似はせずに、そっと立ち去るほうがよいのだ。もう苦しい思いは充分に味わったのだから、ということは彼にもわかっていたのだが、できればエイクリーは、堂々と立ち去りたい、と思っていたようだ。  この手紙は八月二十八日にわたしの手元に届いたので、なるべく彼の気持を励ますような返事を書いて出した。明らかにその激励は効き目があったらしい、その証拠に、エイクリーは、わたしの手紙を読んだとき、手紙に書くだけの恐ろしいことをそれまでほどには感じなかったのだ。とはいえ、彼は特に楽天的だというわけではなかったから、例の生きものが近寄ってこないのは満月のときだけのように思えるといい、雲の濃い晩が多くなければよいが、と希望をのべ、満月がすぎて月が欠けてきたらブラトルボロにでも下宿するつもりだ、とあいまいにいってよこした。ふたたびわたしは激励の手紙を書いてやったが、九月五日に、明らかにわたしの手紙と行きちがいに配達されたと思える手紙が新たに届けられた。これに対して、わたしは、あまり明るい返事は出せなかった。その手紙は重要だと思うので、全文を――あの震える書体の記憶から精々《せいぜい》想いだせるだけ――お目にかけたほうがよいと思う。その手紙は、おおよそつぎのように書いてあった、――   [#ここから2字下げ]  月曜日  拝啓――この前のわたしの手紙に対するあなたの追伸を見て、わたしはむしろがっかりした。昨夜は雲が濃く――もっとも雨は降らなかったが――月光もまた、少しも差さなかった。事態はかなり悪くなったし、いままでいろいろと希望をつないではきたが、しだいに終局が近づきつつあるとわたしは思う。真夜中すぎに、なにか屋敷の屋上にあがったものがあって、その正体を見ようとして犬が一斉《いっせい》に駆けあがろうとした。犬がそのあたりで咬《か》みついたり引っ掻いたりしている物音が聞こえたが、やがてそのうちの一匹が低いL字型の台から跳びあがって、どうにか屋上にのぼった。そこでものすごい格闘があって、それから恐ろしい、とうてい忘れがたいがやがやという声が聞こえた。それからぞっとするような匂いがした。ほとんど同時に、窓をつき破った弾丸が何発か、危くわたしの体をかすめて通った。わたしの思うには、山の怪物の主力は、屋上の一件で犬の勢力が分散したときに邸内へぐっと近寄ったのだ。屋上に何がいたのかいまだにわからないが、例の怪物どもがあの宇宙翼でじょうずに飛び回れるようになったのではないかと思う。わたしは灯を消すと、窓を銃眼代わりに使い、犬を射たないだけの高さを狙いながら、邸の回り中にライフルの弾丸を射ちこんでさぐりを入れてみた。どうやらそれで騒ぎは終わったように思えたが、翌《あく》る朝になってみると、中庭に、緑色のねばねばした、いままでに嗅いだこともないほどひどい悪臭を放っているものが溜《たま》っており、そのかたわらに、血がたっぷりと溜っているのが見つかった。屋上にあがってみると、そこにもねばねばしたものが見つかった。犬が五頭殺されていた――一頭は、背なかを射たれているところから見て、わたしが低く狙いすぎたために射ったのではないかと思う。いまわたしは、壊れた窓ガラスを直しているところで、これからブラトルボロへ行ってもっと犬を買ってくるつもりだ。犬屋の主人は、わたしのことをきっと気違いだと思っているだろう。あとでまた手紙を出す。たぶん、あと一、二週間もすれば引越の用意も済むだろう。そう思っただけで胸が痛むが。とり急ぎ。 [#ここで字下げ終わり] [#地付き]エイクリーより。    しかし、わたしの手紙と行き違いになったのはこれ一通だけではなかった。翌朝――九月六日――もう一通手紙がきた。今度は狂ったようにのたくった字で書かれており、その手紙を見ただけでわたしも元気をなくしてしまい、つぎにどういったらいいのか、またどうしたらいいのか、まったくわからなくなった。ここでもまた、つぎのような原文を、憶えているかぎり正確に引用してお目にかけるほかはない。――   [#ここから2字下げ]  火曜日  雲が切れず、だからまたしても月は出ない――とにかく、月はだんだん欠けていく。わたしは、送電線を直すそばから奴らがまた切断してしまうということを知らなかったら、いっそのこと家に電灯線を引いてサーチライトをとりつけたいくらいだ。  わたしはだんだん気が変になっていくように思う。いままできみに宛てて書いたものは、みんな夢か、たわごとなのかもしれない。これまでのところでもかなりひどいものだが、今はもう、何をかいわんやだ。あの連中は昨夜《ゆうべ》わたしに向かって話しかけてきた――あの忌まわしいがやがやというような声で話しかけ、とうていきみに繰り返して話す気になれないことをわたしに語ったのだ。わたしには奴らの声が、犬の吠え声があるにもかかわらずはっきりと聞こえ、一度その声がかき消されたことがあったが、そのときひとりの人間の声が奴らの手助けをした[#「ひとりの人間の声が奴らの手助けをした」に傍点]。いいかねウィルマート、この事件に手を出したもうな――この事件は、きみやぼくにはとうてい思いもよらなかったほどたちが悪いのだ。あの連中は、いまはもうわたしを黙ってカリフォルニアへ行かせるつもりはない――奴らはぼくを生きたまま[#「生きたまま」に傍点]、というのはつまり、理論的および精神的には生きているということになるわけだが――ユッグゴトフ惑星へだけではなく、さらにそこを越えて――銀河系をはずれた向うの、おそらく外的宇宙の最後の湾曲した[#「おそらく外的宇宙の最後の湾曲した」に傍点]縁《ふち》を越えて連れ去りたいと思っているのだ[#「を越えて連れ去りたいと思っているのだ」に傍点]。わたしは奴らにいってやった、奴らが望むところへも、また、それでわたしを連れて行くつもりのひどい方法ででも、わたしは行くつもりはない、と。だが、そんなことはなんの役にも立つまいと思う。わたしの屋敷が人里から離れているので、奴ちはまもなく、夜ばかりでなく昼間もやってくるかもしれない。犬がさらに六頭殺されたし、きょうブラトルボロへドライブしたとき、途中の道路で、木の生い茂ったところには、ずうっと奴らの潜んでいる気配《けはい》が感じられた。  きみのところへあの蓄音器のレコードと黒い石を送ったのはわたしのとんだまちがいだった。手遅れにならないうちに、あのレコードは壊したほうがよい。あしたもここにいたら、もう一度手紙を書こう。本や品物をブラトルボロへ持って行って、そこで下宿をする準備ができればいいのだが。いや、できれば、いっそ何も持たずに逃げだしたいのだが、心のなかにあるなにものかがわたしをぐっと引きとめるのだ。ブラトルボロへはこっそりと行けるし、あそこなら安全なはずだが、あそこではこの家にいるのと同じくらい、やはり囚《とら》われの身のような気がする。すべてを投げうって努力しても、もうたいしたものは得られないということはわかっているように思う、恐ろしいことだ――くれぐれも、この事件に巻きこまれないようにしたまえ。 [#ここで字下げ終わり] [#地付き]草々    この恐ろしい手紙を受けとってからは、その夜わたしは一睡もせず、あとまだどの程度までエイクリーが正気でいるのか、その点についてひどく思い悩んだ。この手紙の内容はまったく正気の沙汰ではない、が、その表現のしかたには、これまでに起こったあらゆることを考えてみると、いかにも厳然たる説得力があった。この手紙にわたしが返事を出さずにおいたのは、エイクリーがわたしの一番あとに出した手紙に対して、返事をくれる余裕が出るまで待ったほうがよいと思ったからだ。そういう返事が翌《あく》る日に届いたが、そのなかの新しい資料は、名目上返事の体裁を整えているどの部分よりも重要なものだった。そのいかにも狂気に満ち、しかもとり急いで構想され、のたくった字で書きなぐられた原文に関して、わたしの憶えているのはつぎのような文章だった、――   [#ここから2字下げ]  水曜日  前略、きみの手紙入手。しかし、もはや何を論じようとむだだ。すっかりあきらめがついている。奴らと戦って寄せつけずにいるだけの意力がまだわたしに残されているのがふしぎなくらいだ。たとえわたしがすべてを捨てて逃げようとしても、逃げられはせぬ。奴らにきっとつかまってしまう。  きのう、奴らから手紙を一通受けとった――わたしがブラトルボロへ出かけた留守に、無料配達の郵便屋が届けてくれたのだ。タイプで打ったもので、ベロウズ・フォールズ郵便局のスタンプが捺《お》してあった。奴らがわたしをどうしたいのか、その点をいっているのだ――わたしはそれを繰り返していう気になれない。きみ自身も気をつけたまえ! あのレコードは壊《こわ》すがいい。雲の濃い晩がつづくし、月はこれからずうっと欠けていく。思いきってだれかの助けが得られればいいのだが――そうなればわたしも元気が出よう――だが、敢えて助力を惜しまぬ人でも、なにか証拠になることでもないかぎり、わたしのことを気ちがいだというだろう。何も理由がないのに、人に助けにきてもらうわけにはいかない――いまはだれひとりつきあっている人はないし、ここ数年間そうしてきた。  しかし、ウィルマート、わたしはきみに一番悪い話はまだしていないのだ。気を強く持ってこの手紙を読んでくれたまえ、きっとこれはきみにショックを与えるからだ。とはいえ、わたしは本当のことをいっているのだ。話はこうだ――わたしは奴らのひとり[#「わたしは奴らのひとり」に傍点]、あるいは奴らのひとりの一部分を見たり[#「あるいは奴らのひとりの一部分を見たり」に傍点]、触《さわ》ったりしたのだ[#「ったりしたのだ」に傍点]。ああ、くわばらくわばら、それにしても恐ろしい! いうまでもないが、そいつは死んでいた。番犬のうちの一頭がそいつをやっつけたので、わたしはけさ犬小屋の近くでそいつを見つけた。世間の人にこの事件をわかってもらうたしにしようと思って、薪小屋《まきごや》の中でそいつを何とか助けてやろうとしてみた、が、そいつは二、三時間のうちにすっかり蒸発してしまった。跡には何も残さなかった。ほら、あの洪水のあと、川の中に例の怪しい死体が見つかったのは、最初の朝だけだったっけね。その怪物の死体がここにあったのだ。きみのためにそれを写真に撮ろうとしてみた、ところが、現像してみると、あの薪小屋のほかには何ひとつ写っていないのだ[#「あの薪小屋のほかには何ひとつ写っていないのだ」に傍点]。あの怪物はいったい何でできているのだ? わたしはあれを見、あれに触りもしたし、あいつらはみな足跡を残した。体が物質でできていることはまちがいない――が、どんな種類の物質なのか? あの姿は口ではいえない。いわば大きな蟹《かに》のような形のもので、人間の頭に当たるところに、先のとがった肉質の環《わ》というか、あるいは濃いねばねばする物でできていて触角におおわれた結び目というか、そういうものがたくさんついているのだ。その緑色のねばりけのある物は、そいつの血か分泌液だ。それにその連中は、いつでも地球にもっとたくさんくるはずなのだ。  ウォルター・ブラウンの姿が見えない――このあたりの村で、彼がよくきたどんなところででも、彼のぶらついている姿を見かけないのだ。わたしが銃で彼を射ったにちがいない。なるほどあの連中は、仲間の死体や負傷者をいつも連れていこうとしているらしいが。きょうの午後、別になんのいざこざもなくブラトルボロの町へ入いったが、町の人たちはわたしのことをよく知っているので、寄りつかないようにしているのだと思う。この手紙は、いまブラトルボロの郵便局で書いているところだ。これがお別れのことばになるかもしれない――だとすれば、手紙は息子のジョージ・グッドイナフ・エイクリー宛てに書いてくれ。カリフォルニア・サンディエゴ・プレズント通り一七六だ。が、ここへはやってくるな。一週間たってもわたしからの便りがなかったら、息子のところへ出してくれ、そして新聞に消息が出るのを待っていてくれ。  これから手許《てもと》に残った最後の二枚のカードを使おうと思う――わたしに意志の力がまだ残っていればの話だが。まず第一に、例の奴らに毒ガスを使ってやろうと思う(その化学薬品を手に入れたし、わたしと犬の使う防毒マスクの用意も整えた)、そしてもしも毒ガスの効果がなかったら、郡の保安官に話すつもりだ。保安官は、そうしようと思えばわたしを精神病院に入れることができるし――そのほうが、あいつらの仕打ちよりはましだろう。たぶんわたしは、保安官に、この屋敷のまわりにある爪跡に注意を向けさせることができる――その爪跡はぼんやりとしているが、毎朝見つけられる。しかし、ひょっとして警察が、その爪跡はわたしの作りあげたものだといったらどうなるか。なにしろ警察はわたしのことを変わりものだと思っているのだから。  警官をひとりこの屋敷にひと晩泊めて、自分の目で実状を見るようにさせてやらなければならぬ――もっとも、実状を知ったらあの連中同様になり、夜近寄らなくなってしまうだろう。あの連中は、わたしが夜のうちに電話をかけようとすると、かならず電話線を切る――保線工夫たちはおかしいなと思い、線が通じなければわたしのために証言してくれるかもしれないし、わたしが自分で線を切っていると思うかもしれない。線を直さずに放ったまま、もう一週間以上になる。  わたしでも、いくたりかの無知な人間に、この恐ろしい事件の真実をわたしのために証言させようと思えばできるのだが、だれもみんなその証言を一笑に付し、ともかく、だれもわたしの屋敷へは長いあいだ寄りつかずにいるので、新しいできごとは何一つ知らずにいる。そういう疲れた農夫たちを、親愛感に訴えたり金銭ずくにしたりしても、わたしの屋敷から一マイル以内のところまでつれてくることはできないだろう。郵便配達はそういう連中の話す噂を聞き、その噂を種にしてわたしを笑いものにする――けしからん話だ! ところがそれはまったくの事実だ、郵便屋に思いきっていってやれさえしたら! 郵便屋にあの爪跡に気がつくようにしむけてやろうと思う、が、彼のやってくるのは午後になってからで、そのころまでには爪跡はいつも消えてしまう。仮に爪跡の上を箱や皿で囲《かこ》っておいても、郵便屋はきっと作り物だと思うだろう。  こんな隠者みたいな生活をせずにすんだらいいのだが。そうなればみんなも、むかしのようにひとりひとりしだいに離れて行きはしないのだ。いままでにわたしは、無知な人たちのほかには、あの黒い石の写真を見せたこともなければ、レコードを聞かせたこともない。ほかのものなら、なにもかもわたしが仕組んだものだといって、一笑に付してしまうだけだろう。だが、これからはあの写真を見せてやるかもしれない。あの写真を見れば、例の爪跡がはっきりとわかる。たとえその爪跡をつけた怪物は写真に撮れないとしても。けさあの怪物が消えてなくならないうちにあれを見たものがわたしのほかにはだれひとりいなかったとは残念だ!  しかし、わたしの知っている程度のことなら、心配の種になるほどのことではない。これまでに経験してきたことを考えてみると、精神病院ほどよいところはない。医者は、わたしがこの屋敷から逃げる決心をするのに手を貸すことができるし、それがわたしを救う唯一《ゆいいつ》の手だ。  やがてわたしからの連絡がなくなったら、息子のジョージ宛てに手紙をくれたまえ。さよなら。あのレコードは壊して、この事件に巻きこまれないようにしたまえ。 [#ここで字下げ終わり] [#地付き]草々    この手紙は、正直にいって、思っただけでもぞっとするほどの恐怖にわたしをたたきこんだ。わたしは、忠告と激励のことばを、とりとめもなくいくつか書きなぐると、それを書留《かきとめ》にして出した。その手紙で憶えているのは、エイクリーにすぐブラトルボロへ引越して身の安全を当局の保護にゆだねろと勧めたことだ。わたしも例の写真を持ってその町へ行き、裁判で彼の精神が健全であることを納得させるのに力を貸すつもりでいる、ともつけ加えた。また、例の怪物がいつのまにかまぎれこんでいる恐れがある、と一般の人々に警告してもよい時機だ、と書いたようにも思う。こういう緊迫した時に、わたしがエイクリーのいったり主張したりしたことを信ずる気持がまことに申しぶんなく篤《あつ》かったことが、やがてわかるだろう。もっとも、彼が怪物の死体を写真に撮り損ったのは自然のいたずらでも何でもなく、彼自身が興奮していたための失敗だったとわたしは思っているのだが。         5    ところで、九月八日の土曜日の午後、とりとめのないわたしの手紙とどうみても行きちがいになってわたしの手許に届いた手紙は、新しいタイプライターですっきりと打ってある妙にいままでと感じのちがう、こちらの気を鎮《しず》めるようなものだった。その自信にあふれた奇妙な招待状こそ、もの寂しいあの山に関する悪夢のような劇全体に、きわめて大きな一つの変わり目を印《しる》したものにちがいない。もう一度わたしは、自分の記憶から――特に原文の味をできるだけ保つように努めながら、その手紙を引用してみよう。あれはベロウズ・フォールズ郵便局の印の捺《お》してある手紙で、彼の名前も、手紙の内容と同じくタイプライターで打たれていた――タイプライターの初心者によくあることだが。もっとも、手紙の本文は、新米《しんまい》にしては感心なほど正確だったから、きっとエイクリーは前に――たぶん大学時代に、タイプライターを使ったことがあるにちがいないとわたしは断定した。その手紙を見てほっとしたといったら、なるほどそのとおりにはちがいあるまい。が、それでもほっとした気持の下に、不安の念が潜んでいたのだ。エイクリーの恐怖の念が正気だとすれば、いま彼が意見をのべているのは正気なのか? 文中の「改良霊媒通信」のたぐいは……どういうものなのか? 全体からみて、エイクリーの以前の態度を正反対にひっくり返したものにほかならない、ということがそれとなくわかるとは! しかし、わたしが多少自慢している記憶を基にして、丹念に書きとってみた原文の要旨はつぎのとおりである。   [#ここから2字下げ]  ヴァーモント州、タウンゼント [#ここで字下げ終わり] [#地付き]一九二八年九月六日木曜日   [#ここから2字下げ]  拝啓――これまでわたしが手紙で申しあげてきた阿呆《あほ》らしいことに関し、きみに安心していただけるようになってじつにうれしい。「阿呆らしい」といったが、これはびくびくと脅えた自分の態度のことをいったものであって、或る現象について述べたことではない。そういう現象は本当にあるし、たしかに重要である。わたしの犯したあやまちは、そういう現象に対して、いままで異常な態度をとり続けてきたことにある。  わたしはあの奇妙な訪問者たちがわたしと意思を疎通し、そういう意思の疎通を試み始めたということを話したように思う。昨夜《ゆうべ》、その話のやりとりが実際に行なわれた。ある種の合図に答えて、わたしはあの外部世界からの使者――手みじかにいえば「同胞人間」――を邸内に入れた。その男は、わたしもきみも、彼らについては正しい推理のきっかけもつかめたことがないと語り、地球の外にいる「宇宙人」がこの地球という惑星に秘密の植民地を維持しているその目的について、われわれ人間がいかに誤った判断をくだし、誤解していたかということを大いに語った。  彼らがわれわれ人間にどういう提案をしてきたのか、また彼らが地球に関して何を求めているのか、ということに関する悪い伝説は、すべて、われわれが喩《たと》え話を愚かにも誤解した結果から生じたものであり――その喩え話は、むろん、われわれの人間の夢想するいかなるものともまったくちがった文化的背景と思考的習慣とによって形成された話なのだ。わたし自身の推測も、無学な農夫や野蛮なインディアンの憶測におとらず、ひどく的《まと》をはずれたものだったと隠さずに認めておく。それまでわたしが、病的であさましく、かつ下劣だと思っていたものが、実は、荘厳で心の広いりっぱなものであって――わたしのそれまでの判断は、とかく人間には、自分とまったく異質のものをいつも憎み恐れ、かつ尻ごみする傾向のあることを示しているにすぎない。  いまのわたしは、このよそからきた不思議な生きものたちに対し、夜の小ぜりあいで損傷を与えたことを悔《くや》んでいる。まず何よりも第一に、おだやかに理性をもって彼らと話しあう気にさえなっていたらよかったのだ! とはいえ、彼らはわたしを少しも恨《うら》んではいないし、彼らの感情のできぐあいは、われわれ人間のそれとはひどくちがうようだ。彼らが、ヴァーモント州を担当させるスパイとして、例えば死んだウォルター・ブラウン――のようなきわめてくだらぬ連中を使っていたということは彼らの不運だった。わたしが彼らにひどい偏見を持つようになったのはブラウンのせいだ。じっさいのところ、いままでに彼らが人間にわざと害を与えたことはなく、かえって人間のほうが彼らをたびたびひどい目に会わせたり、ひそかに様子をうかがったりしているくらいだ。じつは悪人を礼賛するまったく秘密の一派があって(きみのように秘教の儀式に精通している人ならわたしが悪人どもとハストゥルやイェロウ・サインとを関連づけることを理解してくれるだろう)そしてその悪人どもは異次元からくる巨大な権力者たちのために人間仲間の宇宙人を追いつめて傷つけるのだ。人間と同じ仲間の「宇宙人」が徹定的に警戒している相手というのは――そういう異次元からの侵略者であって――われわれ人間ではない。偶然にも、わたしは、われわれの紛失した手紙の多くはじつは盗まれたのであって、その犯人は人間と同じ仲間の「宇宙人」ではなく、この邪悪の礼賛者一派のスパイだということを知ったのだ。  その「宇宙人」が人間に望んでいるのは、平和と不干渉と理知的な霊感通信の増大だけである。いまやこの霊感通信がどうしても必要となっているのは、人間が発明し工夫したさまざまな文明の利器が、人間の知識やいろいろな活動をぐっと広げてしまい、おかげで「宇宙人」の必要とする前哨が、この地球上にひそかに存在することがだんだんむずかしくなってきたからだ。この外来の宇宙人は、人間のことをもっと充分に知りたがっており、また、哲学と科学とに関する少数の人間の指導者に、彼らのことをもっと知ってもらいたがっている。おたがいに相手を知り合えば、危険はすっかり消え、申し分のない暫定協定《ざんていきょうてい》が確立されるであろう。人類を奴隷にしようとか、堕落させようとかする計画こそ滑稽だ。  この改善された霊感通信の手始めに、宇宙人は当然にもわたしを――宇宙人に関するわたしの知識はすでにかなりなものだったから――地球上の彼らの首席通訳に選んだ。昨夜、わたしが聞いた話はたくさんあったが――それはじつに途方もない、かつは展望のぱっと開けるような性質の実話だった――あとになれば、さらにたくさんのことが、口頭なり文書なりでわたしに知らされてくることであろう。わたしはまだいまのところは、地球の外へ旅行するように要求されはしないだろう。もっとも、そのうちわたしもそうしたいという気になるだろうが――そのときは特別な手紙を用い、また、いままで人間の経験だと見なしてきたあらゆるものを超越してしまうだろう。わが屋敷はもう包囲されはしないだろう。万事が正常に復し、犬もこれからはもうやる仕事があるまい。恐怖の代わりに、わたしは知識と知的冒険という豊かな恩恵を与えられているが、ほかの人で、こういう恩恵を分けてもらったものはほとんどいない。  その宇宙人は、あらゆる時間、空間の内外を通じて、最も驚くべき生きもので――宇宙的な規模をもつ種族の一員であり、その種族のうちのほかの生命体は、すべて退化した変体にすぎない。彼らの実体は、その体を構成する物質にこんなことばを適用できるとすれば、動物というよりはむしろ植物であり、その構造は何か菌《きのこ》に類するものである。もっとも、葉緑素のような物質でできているうえ、きわめて珍しい栄養系統を備えているから、本当の茎葉《けいよう》植物的な真菌類《しんきんるい》とはちがうのだが。事実、この型の生物は、われわれのいる宇宙とはまったく質のちがう種類の物質からできている――電子の震動率がまったくちがうのである。だから、たとえわれわれの目には見えても、彼らの姿は、この地球上のふつうのフィルムや感光板には写らない。が、適当な知識さえあれば、薬剤士にでも、彼らの姿の写る写真乳剤は作れるのだ。  この生物の独特な点は、熱も空気もない惑星間の宇宙空間を、そっくりその体をしたままで渡っていくことができることにあって、これの変種のなかのあるものが同じことをやってのけるのには、機械の助けを借りたり、妙な外科手術で器官を転移させたりしなければならない。ヴァーモント種属に特有な「エーテルに抵抗する翼」を持ちあわせているのはほんの二、三種類しかない。「旧世界」の遠い山中に住んでいる種類は別の方法で連れてこられたのだ。外から見たところ、その連中が生きた動物に似ているうえに、またその材質と思える構成要素も似ているからといって、両者は近親関係にあるのではなく、むしろ両者は、別個に似たような発達をしてきた、と見るべきなのだ。その脳髄の大きさは、現存する他のいかなる生物のそれよりも上である。とはいえ、あのヴァーモントの山中にいる翼のはえた種属は、決して最高に発達したものたちではない。テレパシーは、彼らが話をするときにいつも使う手段だが、彼らにも未発達な発声器官はついているので、軽い手術さえ受ければ(というのは彼らのあいだでは手術は信じられぬくらい発達していて日常茶飯事になっているからだ)、まだ、ことばを使っているような型の生物の言語をも、ほぼ同じようにまねをして発音することはできるのだ。  彼らが主として集まっている目下《もっか》の住まいは、まだ人間に発見されるにいたっていないほとんど光のない惑星で、これは太陽系のそれこそ端にあって――海王星よりも遠く、距離の点では太陽から九番目に当たる。この惑星は、すでに推察しているとおり、ある大昔の禁断の文書の中に、「ユッグゴトフ」という名で秘教的にほのめかされているものである。そこはまもなく、精神の霊感通信をうまく成功させようと努めて、奇妙にも思考の念波をこの地球に向かって集中してくるその現場となるだろう。その思考の念波の滔々《とうとう》たる流れに天文学者たちがいち早く気がつき、その結果ユッグゴトフを発見するにいたる、ということになったとしてもわたしは驚かないだろう。そのときは宇宙人が学者たちにそうさせたいと思ってそうなるのだから。だが、ユッグゴトフは、むろん、飛び石にすぎない。宇宙人たちの本隊は、風変わりな準備の整った、底の知れない深みに住んでいるが、そこはいかなる人間の想像も遠くおよばないところだ。われわれが全宇宙的実在の全体だと認めているこの地球という時空の小球体は、真の無限の中にある一個の原子にすぎず、そしてその無限は彼らのものなのだ。その無限から、現代のいかなる人間も受けとりえないほどだいじなものが、やがてわたしに解明されることになっているのだ。そしてそれは人間がこの世に現われてからいままでに、僅《わず》か五十人のものたちにしか解明されていないのだ。  きみはこの手紙を指《さ》して、おそらく初めはうわごとだというだろうな、ウィルマート。しかし、やがてきみにも、わたしが偶然出くわしたこのたいした好機の意味が、おわかりになるだろう。それを味わってもらいたいし、そのためには、手紙にはとうてい書く気になれないことをたくさん話して聞かせなければならぬ。まえに、わたしはきみに会いにくるなと警告した。いまはもう心配ないから、喜んでその警告をとり消してきみをお招《よ》びする。  大学の新学期が始まらないうちに、ここへやってくることはできないか? こられればとてもうれしいのだが。例のレコードときみ宛てのわたしの手紙を、参考資料として一緒に持ってきてくれたまえ――この恐るべき話をひとつにまとめるにさいしてその二つが必要になるだろう。写真《プリント》も持ってきたらよい、ここのところ、いささか興奮ぎみのため、わたしのネガもプリントもどこかへ置き忘れてわからないから。しかし、わたしには、こういう手探りするような試験的な資料がある上に、なおかつ何という豊かな事実の持ち合わせがあることか――おまけに、そういう付けたしの資料を補うのに、何というすばらしい工夫のあることか!  二の足を踏みたもうな――いまわたしはだれにもスパイされていないから、きみも、なにか不自然なことや歪んだことに出くわすことはあるまい。さっさとやってきたまえ、そしてブラトルボロの駅で、わたしがきみを自動車で出迎えられるようにさせてくれたまえ――なるべくゆっくり滞在するつもりでいてもらいたい。それに、人間わざでは推測できないさまざまなことを幾晩も論じあうものと覚悟したまえ。もちろん、そのことはだれにもいいたもうな――だれかれなしの世間の人に、聞かせてはいけないことだから。  ブラトルボロまでの汽車の便はわるくない――ボストンで時刻表が手に入いる。ボストン=メイヌ鉄道でグリーンフィールドまで行き、そこであとの短い区間のために汽車を乗り換えるのだ。ボストンから――標準時間の――四時十分発の便利な汽車に乗ったらどうか。これなら七時三十五分にグリーンフィールドに着くし、九時十九分にそこを出て十時一分にブラトルボロに着く。これはウイーク・デイの時間だ。日時を知らせてくれたら、車で駅へ迎えに行こう。  この手紙をタイプで打った点は失礼。しかし、ちかごろ手で書くと、ごぞんじのように字が震え、体の調子が悪くて長く書いてはいられないのだ。この新しいタイプライターは、きのうブラトルボロで手に入れた――どうやらぐあいがいいらしい。  便りを待っている、それにまた、例のレコードやわたしの手紙――それとコダックの写真とをたずさえてくるきみに会いたいと思っている―― [#ここで字下げ終わり] [#地付き]ヘンリー・W・エイクリー   [#ここから2字下げ] アルバート・N・ウィルマート殿 [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] マサチュセッッ州アーカム、ミスカトニック大学宛て [#ここで字下げ終わり]    この風変わりで意外な手紙を読み、また読みかえし、その上であれこれと考えたときのわたしの複雑な感情は、適当なことばでのべることができない。わたしはほっとすると同時に不安な気持にもなった、とさっきいったが、これはそれぞれ別の、安堵と不安という主として潜在意識的な二つの感情に伴う意味を、ありのままに現わしているにすぎない。まず第一に、この宇宙人は、自分たちよりも先に地球上にいたあらゆる一連の怪物たちとはまったく正反対で、その連中と戦っていたのだ――そうと知って、硬ばった恐怖から冷静で安らかな満足感にエイクリーの気分は変わったわけだが、それは電光のように思いがけず、また申し分のないものだったのだ! 真相がわかったおかげで、たとえどんなにほっと安心したにせよ、この前の、あの狂ったような手紙を書いた人物が、その心理的な見通しをたった一日でこうも変えてしまえるとは、わたしにはちょっと信じられないことであった。そのうちにふと手紙の内容が非現実的なもの同士の争いに触《ふ》れていたということに気がつき、空想的な二つの勢力について遠まわしに知らされたこのドラマ全体は、主としてわたしの頭のなかで作りだされた、なかば幻覚に属する一種の夢ではあるまいか、と首をひねった。やがてわたしはレコードのことを想いだし、いままでよりもさらにとまどいするような気分になった。  この手紙は、とうてい予想もつかなかったもののように思えた! 自分の読後感を分析してみると、その内容が二つの面から成りたっているのがわかった。まず第一に、仮にエイクリーが昔も正気だったし、いまも正気だとしてみても、状況そのものの変わりかたがあまりにも早くて、そんなことはとうていありそうに思えないということ。また第二に、エイクリー自身の様子、態度、言語といったものの変わりかたがあまりにも異常で、そういう変わりかたはとうてい予想がつかなかったということだ。このエイクリーという男は知らぬ間に症状の進む突然変異をわれとわが身に体験したらしい――そしてそれはあまりにも深刻な変異なので、なるほど彼には二つの面があることはわかっているが、だからといって、その二つの面がともに正気であるという推測はかならずしも成りたたないほどなのだ。ことばの選びかた、字の綴りかた――こういったものに、すべていうにいえないちがいがある。そして、散文の調子を味わい分ける学者としてのわたしの勘《かん》を働かしてみると、エイクリーのごく平凡な反応やリズム感には、大きな違いの生じた形跡が感じられるのだ。たしかに、これほど根本的な変革を生じさせた感情に関する大変動あるいは啓示は、きわめて大きなものにちがいない! しかもなお、別の意味でその手紙には、いかにもエイクリーらしいものが感じられた。無限なるものに対して相変わらず抱いている情熱とか――昔から変わらぬ学者らしい旺盛な探究心とか。ほんの見せかけのものとか、悪意から出た替玉とかいった考えは一瞬も――いや、ほんの少しも――信じられなかった。彼がわたしをそこへ招き――自分のほうから進んでその手紙の真実をわたしの目で確かめさせようとすること自体が、その純粋性を証明してはいないだろうか?  土曜日の晩は、寝ずにずっと起きていて、受けとった手紙の背後にあるさまざまな前兆や不思議なことについて考えた。わたしの心は、ここ四ヵ月のあいだ、めまぐるしいほど連続して起こった恐ろしい印象にずうっと立ち向かってこなければならなかった習慣上、むずむずしていたので、さっそくこの驚くべき新しい資料に手をつけてみたが、周期的にそれを疑ったり認めたりするところは、これまで怪奇なことに直面しては経験してきた段階の繰り返しであった。それからずうっと夜が明けるまでには、燃えるような興味と好奇心とが、初めの激しい当惑と不安とにだんだんとって代わってきた。気ちがいか正気か、人が変わったのかそれともただ気分がおちついただけなのか、そのいずれにせよ、エイクリーが、自分の危険な研究に関する見通しについて、なにかびっくりするような変化を実際に経験したのなら成算はあるのだ。なにかの変化が、さっそく彼の危険――現実のでも架空のでも――を減少させ――また、宇宙と超人に関する知識について目のくらむような新しい展望を彼に聞いてくれるはずだ。未知なものに対するわたし自身の熱意は、彼の熱意に張り合って燃えあがり、わたしは自分が、時空の障壁破壊というその病的な伝染力にかぶれてしまったのを感じた。時間と空間と自然法とに関する、人の気を狂わせ疲れさせる限界を振り払うこと――地球の外の広大なる宇宙と手を握りあうこと――無限なるものと究極なるものとの暗黒にして底知れぬ秘密のそばに近寄ること――まさに、かかることこそ、人がその命や魂や正気を賭けるにたることなのだ! それからエイクリーは、もはや危険はなくなったといい――前のように、わたしにこないようにと警告する代わりに、訪ねてきてくれとわたしを招いた。彼がいま、わたしに詫びごとをいわねばならないのかと思うと気の毒だ――あのもの寂しい、このあいだまで変なものに悩まされていた屋敷に、外の宇宙からきた本当の使者とことばをかわした人物と一緒に腰をおろすのかと思うと、ほとんどしびれるような恍惚感をおぼえる。そうだ、わたしはあの恐ろしいレコードと、エイクリーが以前の彼の結論を要約したことのある一束の手紙とをたずさえて、一緒に腰をおろすのだ。  日曜日の午前の午《ひる》ちかく、わたしはエイクリーに電報を打ち、つぎの木曜日――つまり九月十二日に――彼のつごうがよければ、ブラトルボロでお会いしようといってやった。たったひとつ、わたしが彼の提案に従わなかったことがあるが、それはどの汽車を選ぶかという点であった。正直にいうと、わたしは、怪物の出没するあのヴァーモントに夜おそく着くのは気が進まなかった。だから、エイクリーの勧めた汽車はやめて、駅に電話をかけ、他の汽車にしてもらうようにとりきめた。早起きをしてボストンで(標準時間)八時七分発の列車に乗れば、グリーンフィールド行きの九時二十五分の列車に間《ま》に合い、十二時二十二分にはその駅へ着く。ここで、一時八分にブラトルボロに着く列車に正確に連絡すれば、これはエイクリーに会って彼と一緒に、怪物がたくさん潜んでいてひそかに見守っている山の中に車を走らせるには、十時一分の列車よりもずっと好つごうのはずだ。  わたしは電報でこのスケジュールを知らせ、夕方ちかくに受けとった返事で、その汽車なら彼にもつごうがよいのだと知ってよろこんだ。彼の電文はこうである、――   [#ここから2字下げ] ヨキテハイナリ」モクヨウ一〇八ノキシャヲマツ」レコードトテガミトシャシンヲワスレルナ」ユクサキヲモラスナ」オオキナシンジジツノカイメイヲキタイセヨ」 [#ここで字下げ終わり] [#地付き]エイクリー    わたしがエイクリー宛てに書き送り――したがって当然タウンゼント駅から郵便配達か、故障の直った電話かのいずれかによって彼の屋敷に届けられた手紙に対する返事として、彼から送られてきたのがこの電報であるが――これを受けとってみて初めて、人を当惑させるような例の手紙の書き手について、あるいはわたしがそれと気がつかずに抱《いだ》いていたかもしれない、なにかいつまでもぐずぐずと引っかかるような疑惑の念がふっ切れたのだ。  ほっと安心したわたしの気持はいかにもはっきりとしていて――事実、どうしてそうまでほっとしたのか、そのときには説明がつかなかった。そういう疑惑がむしろ深く潜んでいたからだ。が、その晩わたしはぐっすりと、しかもたっぷりと眠り、それからあとの二日間は、準備にせっせと馬力をかけた。         6    約束どおり木曜日に、わたしは簡単な日用品と科学的な資料とを持って出発したが、その資料のなかには、あの忌まわしいレコードや写真と、エイクリーがわたしによこした手紙を一つに束《たば》ねたものがあった。いわれたとおり、自分の出かける行く先はだれにもいわなかった。ことはきわめて有利に変わってきていることを考慮に入れても、なおこの上なく隠密に運ぶ必要があるとわかっていたからだ。地球以外のよその世界の生きものと、これから精神的な触れ合いをするのかと思っただけで、わたしのように慣れていていくらか覚悟のできたものでさえ、かなり頭のぼうっとするような思いがした。それに、わたしでさえこのくらいだとしたら、どんぐりの背くらべみたいな一般人には、いったいどれくらいの効果をおよぼすだろうか? ボストンで列車を乗り換え、見なれた地域から西方のまったくなじみの薄い土地へ向かう長い旅を始めたとき、恐ろしいものや冒険的なものを待ち望む気持が、わたしの心にまっさきに浮かんだかどうか、わたしにはわからない。ウォルサム(以下すべて、マサチュセッツ州の都市名で、途中通過した駅)――コンコード――エア――フィッバーグ――ガードナー――アソル――  わたしの乗ってきた列車はグリーンフィールドに七分遅れてついたが、急行に接続することになっている北行きの列車は乗換客がくるのを待っていてくれた。急いでそれに乗り換え、その列車が早い午後の陽差しを浴びながら、いつもわたしが手紙で読んでいながらまだ訪れたことのない土地の方へ、がたんごとんと騒音をたてて進んでいくと、わたしは妙にかたずを飲むような気分になった。わたしがいま入いって行きつつある土地は、同じニュー・イングランドでも、いままで暮してきた海岸寄りの、機械化され、都会化された南の地方よりもずっと古風で、もっと原始的なところだということがわかった。つまり、無垢の、先祖伝来のニュー・イングランドであって、当世風に染まった地方に見受ける外国人や工場の煙、広告用の看板やコンクリート道路は見当たらないのだ。そこにはその土地本来の連綿たる生命が妙に生き残っており、その生命の深い根は、無垢のニュー・イングランドを、その風景からただ一つ自然に生じた本物の産物たらしめ――その土地本来の連綿たる生命は、ふしぎな昔の記憶を生き長らえさせ、またその土地を、蔭のある、すばらしい、めったに人の口に出ない信仰に向くように肥《こ》やすのだ。  ときおりわたしには、青いコネティカット河が陽に映えるのが見えていたが、列車はノースフィールドを出はずれてからその河を渡った。前方に、緑々《あおあお》として神秘的な山脈が、不気味な姿をぼうっと現わしたが、そのとき車掌がやってきて、列車はもうヴァーモント州に入いったということを知らせた。この北の山国は新しい夏時間制をまだ採用してはいないので、わたしの時計を一時間遅らせるように、と車掌はわたしにいった。いわれたとおりに時計を遅らせながらふとわたしには、まるで自分が暦を一世紀も逆に戻しているように思われた。  列車はずうっとコネティカット河に沿って進んでいたが、ニュー・ハンプシャーの州境を越えたところで、昔の風変わりな伝説の中心地である険《けわ》しいワンタスティケット山の斜面が、しだいに近づいてくるのが見えた。やがて左手に街路がいくつか現われ、右手には、コネティカット河の中にある緑々《あおあお》と木の茂った島が見えてきた。車内の人たちは腰をあげ、やがて戸口のほうに並んだので、わたしもそれにならった。列車が止まると、わたしはブラトルボロ駅の長いプラットフォームにおりた。  人を待つ車のずらりと並んだ長い列を見渡しながら、エイクリーのフォードらしい車を見つけるのは楽じゃないな、と一瞬気の進まない思いがしたが、わたしのほうから先に口を切らないうちに、向うのほうが先にわたしを見つけてくれた。とはいうものの、わたしのほうへ近づいてきながら片手を差し出し、本当にわたしがアーカムのアルバート・N・ウィルマートかどうかについて、もの柔らかなことばづかいで問いかけてきたのは、明らかにエイクリー自身ではなかった。この男の顔には、写真で見かけたエイクリーの、顎ひげを生やし、白毛まじりの髪をした顔とは似たところがなかった。もっと若くて都会的な人物で、流行の服を着こみ、ひげは小さい黒い口ひげだけを生やしていた。その洗練された声には、なにか聞いたことのあるような、それでいてどこで聞いたのかはっきりとした覚えのない、妙にじれったいところがあった。  わたしはその男の様子をあらましざっと見ながら、その男が、自分はエイクリーの友人で、彼の代わりにタウンゼントからきたものだ、と説明するのを聞いた。エイクリーはいまのところ、なにか喘息《ぜんそく》性の発作が起こって体のぐあいが悪く、外気に触れて旅行することができないのだ、とその男はいった。しかし、症状は軽いから、わたしの訪問に関しては予定を変更するにはおよばないというのである。このノイズ氏――自分でそう名乗った――が、エイクリーの研究と発見とについて、どの程度まで心得ているのか、その点は見当がつかなかった。もっとも、この男のごく自然な態度を見ていると、どちらかといえば、この事件に無関係な人のように思えたが。エイクリーが並はずれた世捨人《よすてびと》の生活をしていたことを想いだしてみると、こういう友だちを即座に用立てられる点にやや意外な思いがした。が、だからといって、わたしはノイズから身ぶりで車に乗れと勧められると、その車に乗るのをためらう気にはなれなかった。その車は、エイクリーの手紙から想像していたような、小さい古風なものではなく、最新式の申し分のない大型車で――どう見てもノイズのものらしく、マサチュセッッのナンバー・プレートをつけていたが、そのプレートにはその年に創案されたおもしろい「神聖な鱈《たら》」のマークが入いっていた。案内役のノイズは、夏にタウンゼント地方へくる短期滞在客にちがいないな、とわたしは思った。  ノイズはわたしの横に乗りこむと、さっそく車を走らせた。ノイズがあまり口をきかないのがわたしにはうれしかった。というのはその雰囲気のどこかに、特に緊張するようなところがあって、わたしはあまり口をききたくなかったからだ。坂をひとつす早くのぼり、右に曲って大通りに出ると、この町は午後の陽《ひ》を浴びてとても魅力があるように見えた。その町がうつらうつらとうたた寝をしているところは、子供の頃から見憶えのあるニュー・イングランドのもっと古いいくつかの町と似ており、屋根と尖塔と煙突と煉瓦塀とがあちらこちらに配置されてあるところは、先祖伝来の感情といういわば深いヴァイナル絃楽器を合奏しているような姿を形づくっていた。切れ目なく積み重なった時間の累積《るいせき》するうちに、なかば魔力にかけられた地方の門口《かどぐち》にいま自分のいることがわたしにはわかった。それは昔の奇妙な怪物たちにも、彼らのいるという噂の流れたことのないおかげで、生長してそのあたりを去らずにいるチャンスのあった地方なのだ。  ブラトルボロをあとにしたとき、圧迫感と虫の知らせるような感じとがいよいよ強くなってきた、というのは、空高くそびえて人を威《おど》すように切り立った花崗岩の斜面に、緑々《あおあお》と木の生い茂っているこの山国の不可解な特徴を見ると、人間に敵意を持っているのかどうかが明らかでない例の暗い神秘的な生きものや、遠い大昔の生き残りが、なんとなくいるように思えたからである。しばらくのあいだ、われわれの路は広くて浅い川に沿って進んだが、この川の水源は北にある未知の山脈から発していて、連れのノイズから、これがウェスト河だと聞かされるとわたしは身ぶるいをした。そうだ、この川の中だったのだな、とわたしは新聞記事を想いだしたのだ。あの蟹《かに》のような病的な生きものが一つ、洪水のあとで浮いているのが見つかったのは。  われわれ二人を取り囲むあたりの風景は、しだいに野生的で荒廃した感じのものになってきた。山の谷間にある古風な橋は、むかしの姿のままに恐《こ》わ恐《ご》わと残っており、その川と平行に走っているなかば打ち捨てられた鉄道線路は、ぼんやりと見える荒廃した空気を吐きだしているかのように見えた。大きな絶壁の切り立っているところには、谷間を通る曲りくねった路があり、ニュー・イングランドの汚《けが》れを知らぬ花崗岩が、山の斜面を這いのぼる樹々の隙間《すきま》に、青白くてきびしい岩肌を見せていた。絶壁のあいだには、それぞれ峡谷があって、その峡谷には荒々しい水流がしぶきをあげ、人跡未踏の山々に潜む想像もつかぬ自然界の秘密を、あのウェスト河へ向かって追いつめていく。ところどころで分岐する枝道は狭くなり、掩《おお》いかぶさる木のためになかば姿を隠したまま、鬱蒼《うっそう》と生い茂る森の中を貫いていたが、その森の主《おも》だった樹々のあいだには、ひょっとすると、自然の力を支配する地・水・火・風の精霊たちがそっくり潜んでいるかもしれなかった。そういう大木を見ながら、わたしはエイクリーが、それこそ同じこの道をドライブしているときに、見えざる精霊の力にさぞ悩まされたことだろうと思い、たとえそういうことがあったとしても、なるほど不思議ではないなと思った。  一時間たらずで着いたニューフェインという古風で趣のある景色のよい村は、人間が征服して完全に占領しているおかげで自分のものだとはっきりいえる世界と、われわれ二人とを結びつける最後のきずなとなる土地であった。その村を出ると二人は、じかに手で触れることができ、時の経過につれて古くなっていく世間というものへの義理立てをすっぱりと捨て、リボンのような細い路が、ほとんど感ずる力をみずから備えているうえ、それと承知の気まぐれな気分から、人気《ひとけ》のない緑々《あおあお》とした山やなかば見捨てられた峡谷をあがったりさがったり、また横に曲ったりしているしーんと静まり返った非実在の幻想的な世界へと入いっていった。エンジンの音と、たまにここかしこで通りすぎるほんのわずかな寂しい農園のかすかなざわめきとがなければ、わたしの耳に届いたのは、暗い森の中にある無数の隠れた泉から、ひそかに水がぽたぽたとしたたりおちる聞きなれない音だけであった。  あのこんもりとした丸い山々が、いかにも親しげについ目の前に近づいてきたのには、まったく息をのむような思いがした。そういう山々が、険《けわ》しく切りたっている程度は、わたしが噂から想像していたよりも大きいくらいで、それはわれわれの知っている味気なくて客観的な世界と通じあうものが何ひとつないことをそれとなく暗示していた。この近寄りがたい斜面に鬱蒼と生い茂った人跡未踏の森なら、外来の信じがたい生きものがいかにも潜んでいるように思えたし、あたかも、その山の形そのものが、その栄光が稀にみる深い夢の中にしか現われないという伝説上の巨人族の残した象形文字であるとでもいったように、その山の輪郭そのものに、なにか不思議な、忘れられてしまった永劫の意味がこめられているような気がした。過去のあらゆる伝説と、ヘンリー・エイクリーの手紙や資料にまつわる気の遠くなるようなあらゆる汚名とが、わたしの記憶のなかに湧きあがってきて、思わず気がひきしまるとともに脅威のいよいよ深まってくる雰囲気が高まってきた。わたしの訪問の目的と、訪問するのが当たり前だと頭からきめていた恐るべき異常性とを考えたとき、さっとわたしの体に寒気が走り、おかげでわたしの奇妙な探究心は中心の平均を失って、危く崩れそうになった。  案内役のノイズはわたしの気持が迷っているのに気がついたらしい。というのは、路がしだいにひどくなって平坦でなくなり、二人の動作ものろくなるとともにいっそう揺れるようになったので、ときどき語りかけるノイズのおもしろい話も、いつのまにか、もっとじみな話に移っていたからだ。ノイズの話題は、この土地の美しさと不気味さのことで、わたしがこれから訪ねるエイクリーの民俗学に関する研究について、ノイズも多少の心得《こころえ》があると洩らした。その丁寧なものの訊きかたからみて、明らかにこの男は、わたしが科学的な目的でやってきたということ、また、わたしがかなり重要な資料を持ってきているということを知っていたらしい。しかしエイクリーが最後に到達した知識の深さと恐ろしさとを理解しているかどうか、その点は少しもわからなかった。  この男の態度はたいそう快活で、変な癖がないうえ洗練されているので、その話を聞いているうちに、わたしも気がおちついて安心してもよいはずだった。ところが、まったく妙なことに、わたしは、二人の乗った車ががたんとぶつかって進路を変え、鬱蒼たる森がどこまでも果てしなく続いている山の中にそのままで突き進んでいくうちに、ますます不安な思いがつのるばかりだった。ノイズという男は、この土地の途方《とほう》もない秘密についてわたしがどの程度まで知っているのか、その点を探りだそうとしているように思われることがときどきあって、新しく口をきくごとに、その声の持つ、なにか正体がつかみにくくてじれったい、一種あいまいな慣れ慣れしい調子がしだいに強くなってきた。その声の感じがじつに穏健で教養があるにもかかわらず、その慣れ慣れしい調子は、世間によくある、つまりは健全な、ああいう親しみやすさとはちがっていた。どういうわけか、その調子を耳にしたとき、わたしは忘れていた悪魔を連想し、もしもその声の主がだれであるかがわかったら気ちがいになるかもしれないという気がした。なにかうまい口実さえあったら、わたしはそこから引き返していたであろうと思う。ところが、うまい口実はなかったから、そうするわけにはいかなかったが――ふと頭に、もしも屋敷についたあとでエイクリー自身と冷静に科学的な話をやりとりしたら、元気を回復するのに大いに役にたつだろうという考えが浮かんだ。  そのうえ、二人の車がそれに沿って異様なまでにのぼったりおりたりしている、沿道の眠けを催す景色には、妙に気を鎮める秩序のある美の要素があった。時間は背後の迷宮で道に迷い、二人のまわりに広がっているのは、波打つように花の咲いている妖精の国と、消えうせた数世紀の魅力をとり戻した美しさだけであり――つまり、古さびた木立と、まわりに秋の花々がにぎやかに咲きそろっている汚《けが》れのない牧場とがあって、遠い間隔をおいて茶色の小さい小屋が数軒、いい匂いのする野ばらと牧草の生えている垂直に切り立った断崖の下の大木の木立の蔭に見え隠れしていた。陽の光までが、あたかもなにか特別な大気か水蒸気があたり一面をすっぽりと包んだかのように、天上の魅力を帯びていた。わたしはいままでに、これに似たようなものは見たことがなかった、ただ、ルネサンス以前のイタリアの画家の背景を構成するあの魔法のような見通しだけは別であるが、ソドマ(一四七七―一五四九、レオナルド・ダ・ヴィンチから影響を受けたイタリアの画家)とレオナルド・ダ・ヴィンチとは、こういう広がりを構想したことはあるが、それは遠景で、しかもルネサンス式の拱廊《アーケード》の丸天井越しに見たばあいに限っていた。二人はいま、絵のようなその風景のまっただなかをみずから突き進んできたのであって、わたしは、自分が生まれつき知っているか受け継いでいるかしていて、いつも捜し求めていながらむなしくも捜しだせなかったあるものを、その魔法の中に見つけたような気がしてきた。  不意に、急な坂の上で鈍角に回ったあとで車は止まった。左手の、芝生が道路のほうに広がってきて、水しっくいを塗った石の境界をこれ見よがしに見せているその向うに、この地方にしては珍しいほど大きくて上品な、二階建ての白い屋敷が立っており、それに隣接している、つまり、拱廊でつながっている物置き、車庫、それに風車が、うしろと右手のほうにひとかたまりに並んでいた。まえに見たことのある写真から、すぐにそれが何であるかがわかったし、道路の近くにあるトタン板の郵便受けの上にヘンリー・エイクリーという名を見ても驚きはしなかった。その屋敷から少し奥のほうには、平坦で広々とした、まばらに森のある沼の多い土地が広がっていて、その向うには、鬱蒼と木の生い茂った険しい山がそびえ立ち、その一番上にある木立は鋸《のこぎり》の歯のような形に見えた。それがダーク山の頂上で、その中腹あたりを、さっき車で通ってきたにちがいない、とわたしにはわかっていた。  ノイズは車からおりてわたしのカバンを手にすると、自分はなかに入いってエイクリーにあなたのきたことを知らせるから、そのあいだ車の中で待っていてくれ、とわたしに頼んだ。ノイズ自身はほかにだいじな用があるから、もうこれ以上ゆっくりしてはいられないのだ、とつけ加えた。ノイズが屋敷のほうへ向かっている路を元気よくのぼっていくので、わたしも車からおりたが、それは、また腰をおろしてゆっくりエイクリーと話をする前に、少し手足を伸ばしたいと思ったからだ。エイクリーの手紙の中で、読むものの心にありありと浮かぶように描かれたあの病的な包囲戦の現場にいま自分がいて、しかも自分が、こういう禁じられた異質の世界に巻きこまれずにはいないはずの話し合いに気が進まない以上、わたしの緊張感はまたしても最大限に高まっていった。  どこまでも怪奇なものにこうしてぴったりと触れてみると、なにか霊感がえられるどころか、むしろ恐ろしくなることが多いものであり、そこにある埃《ほこり》っぽい道路こそ、あの恐怖と死の闇夜のあとで、例の恐ろしい足跡と、悪臭を放つ、緑いろの、血のような体液とが見つかったところなのだ。エイクリーの犬があたりに一頭もいないらしいことに、何となくわたしは気がついた。宇宙人と和解してから、さっそく犬をみんな売ってしまったのだろうか? それまでにきたのとどこかちがった、エイクリーの最後の手紙に認められる和解の深さと誠意とを、わたしはいかに努力してみても、彼と同じように信ずることはできなかった。何といっても、エイクリーは多分に純真なところのある人で、世のなかの経験がほとんどない。うわべは和解でも、その下に、おそらく何か深い不吉な底流が潜んでいるのではなかろうか?  そんなことをいろいろと考えていたせいか、わたしはおのずから目を落とし、あの忌まわしい証拠の残っていたことのある埃っぽい道路の表面を見た。ここ二、三日は乾いていたが、わだちの跡のついたでこぼこだらけのその道路は、あまり人通りのない辺鄙なところであるにもかかわらず、ありとあらゆる足跡が一面についていた。何となく好奇心にかられたわたしは、種々雑多な足跡の輪郭をなぞり始め、そうしているあいだは、その場所とその場所に関する記憶とにうながされてつい不気味な想像を飛躍させてしまいそうになるのを努めて抑えていた。そのあたりのしめやかな静けさには、また、遠いためにかすかになった小川のせせらぎには、さらに、狭い地平線をふさいでいる重畳《ちょうじょう》たる緑の峰々と鬱蒼たる絶壁には、なにか人を脅《おびや》かす居心地の悪いものがあった。  そしてそのときふと、わたしの意識に或るイメージが浮かび、おかげで、そのなにか人を脅かすものや想像を飛躍させるものなどは、あってもたいした意味のないつまらないものに思われた。ついさっきわたしは、道路についているいろいろな足跡を、ただ何となく好奇心にかられて調べてみた、といった――が、その好奇心も、わたしが本当の恐怖に、不意にさっと襲われて気が抜けると、お話にならぬほどあっさりと消えてしまったのだ。というのは、その埃をかぶった足跡はあたり一面に散らかっていて、重なりあっているのもあり、なにげなく見たくらいではよくわかるはずはないが、休まずにじっとたどっているうちに、屋敷へいく小路が大きな道路と合う地点の近くで、その足跡のこまかいある部分がはっきりと見えた。そして疑惑や希望を超越して、そのこまかい部分の恐るべき意味を認識した。まえにエイクリーから送られてきたあの宇宙人の鉤爪《かぎづめ》のついた足跡の写真を何時間もよく見ておいたのが、やはりむだにはならなかったのだ。胸のむかつくほどいやらしいその大きなはさみの痕跡も、そのはさみがどういう向きに付いているのかわからないということも、わたしはよく知っていたが、それだけに、この地球上のどんな生物にもないほどの恐ろしさが、その痕跡に刻印されていた。わたしが罪のない軽い思いちがいをしているという可能性はまったくなかった。いまわたしの目の前に、客観的な形をして、しかも跡がついてからまだ何時間もたっていないその痕跡が、少なくとも三つ、エイクリーの屋敷から出入《では》いりしている驚くほど数の多いぼやけた足跡のあいだに、神をないがしろにでもするように目だって付いていた。その痕跡は、ユッグゴトフ惑星からきた生きた菌《きのこ》の通った無残な跡であった。  わたしはかろうじて元気をとり戻したので、思わず出そうになった悲鳴を押し殺すのに間に合った。もしもわたしがエイクリーの手紙を本当に信じていたとすれば、結局この程度のことは、初めから覚悟していたのではないのか? エイクリーはあの生きものたちと和解したといった。それならば、あの生きものたちのなかで彼の屋敷にやってきたものがいてもなにも変なことはないじゃないか。ところが、わたしは安心するよりも、恐い気持の方が強くなった。宇宙の遠い外からきた生きものの爪跡を初めて見ながら、平気でいられる人間がいるであろうか? わたしがそう思ったとき、ノイズがドアから外に出て、きびきびとした足どりでこちらへ近づいてくる姿が見えた。よおく心をおちつけなければいかんぞ、とわたしは反省した。あの愛想のいい男が、禁制の学問に関してエイクリーが途方もない深い研究をしていることに、少しも気づかないでいることが頼みの綱なのだからな。  エイクリーはよろこんでいつでもあなたに会うそうです、もっとも、思いがけぬ喘息《ぜんそく》の発作が起こったために、一両日のあいだは充分に満足な主人役は勤まらないだろうが、とノイズは急いでわたしにそう知らせた。そういう発作が起こると、エイクリーの体はひどくこたえ、そのあとにはいつもひどい熱が出て体全体が衰弱した。発作の続いているあいだは、あまり体の調子ははかばかしくなく――話も小声で囁かねばならず、歩けるようになってもみっともない恰好で弱々しかった。足もかかともひどくむくんだので、痛風にかかった昔のロンドン塔の守衛みたいに、足とかかとに繃帯をしなければならなかった。きょうはどちらかというと調子が悪く、だからわたしは、自分の訊きたいことは、主として自分の方から注意して訊きだすようにしなければならぬだろう。それでも、やはり彼は話し合いを望んでいた。わたしが彼に会う場所は、玄関の左手にある書斎の予定で――ブラインドの閉まった部屋だった。病気のときは、目が過敏になっているので、日光に当たらないようにしなければならなかったのだ。  ノイズがわたしにさよならといって、車で北の方へ走り去ると、わたしは屋敷の方へゆっくりと歩いていった。ドアはわたしのために少し開けたままになっていた。が、それに近づいて中へ入いる前に、あたり全体にちらりと目をくばって様子をうかがい、どうしてこの屋敷がわたしには、ひどく不可解なほど怪しげに思われるのか、それを確かめようとしてみた。物置と車庫とはきちんと片づいていて少しも変わったところはなく、その広々とした屋根だけの車庫にエイクリーの使い尽《つく》されたフォードがあった。そのとき、ふと、例の妙な感じに心からなるほどと合点がいった。そのあたり全体がしーんと静かだったのだ。ふつう、農場というものは、いろいろな種類の家畜がいるので、少なくともかなりな程度までは騒がしいものである。ところがここには、生きもののいる徴候がまったく見当たらない。鶏や豚はいったいどうしているのか? 牛は、エイクリーもそれを何匹か持っているとまえにいったことがあるが、おそらく外の牧場に出ているのかもしれないし、犬は、ことによると売られてしまったのかもしれない。が、鶏がこっこっと鳴いたり、豚がぶうぶうといったりしないのは、まことに奇態《きたい》だ。  わたしは玄関の前に、そう長く立ちどまってはおらずに、開いているドアから、きっぱりとした態度でなかに入いると、ドアを閉めた。わたしがそうするのは、明らかに、心理的な努力が要ったので、なかに閉《と》じこもったいまは、もう一刻も早く退散したい、とほんの一瞬だが、そう思った。その屋敷が見た目に少しでも不吉なものを思わせたからではない。それどころか、その優雅な、後期植民地時代風の玄関は、とても上品で健全だと思い、その飾りつけをした人物の育ちのよさに感心したくらいであった。わたしが逃げだしたい気になったのは、何かひどく薄められて、こうとはっきりいい表わしがたいあるもののせいであった。おそらくそれは、さっき自分で気のついたように思った或る妙な匂いだった――もっとも、古い農家ならたとえ上等な屋敷でも、かびくさい匂いのするのが当たり前だということはわたしもよく知ってはいたのだが。         7    そういう暗い不安の念にそのまま圧倒されてしまうのは、どうにも我慢がならないという気持から、わたしはノイズのいったことを思いだし、左手にある、鏡板《かがみいた》が六板組み込まれて、真鍮《しんちゅう》の掛金のついた、白塗りのドアを押し開けた。その向うの部屋は暗かったが、それは入いる前からわかっていた。そして、なかに入いってみて、あのさきほどの妙な匂いが、その部屋では一段と強くなったのに気がついた。なおその上なにかかすかな、なかば架空の旋律、ないし震動が、その場の空気の中にあるらしかった。ほんのしばらくのあいだは、ブラインドの閉まっているために、ほとんど何も見えなかったが、やがて、一種いい訳をするような、咳払《せきばら》いともひそひそ囁くともつかぬ声が聞こえ、部屋の奥のもっと暗い隅にある、大きな安楽椅子の方へわたしは注意を向けた。その深い闇のなかに、ひとりの人間の顔と両手とがぼうっとかすかに白く浮かぶのが見えた。さっそくわたしはそちらの方へ行き、さっきから口をきこうとしていたその人物に挨拶をした。あかりは薄暗かったが、その人物こそこの屋敷の主人にちがいないと思った。わたしは例の写真を何度も仔細《しさい》に見たことがあるので、短く刈込んだ白毛まじりの顎《あご》ひげをはやした、この力づよい、風雪によく耐えた顔を見まちがえるはずがなかった。  しかし、もう一度見なおして、それがエイクリーであることを認めたものの、そう認める心には悲しみと不安とが混じっていた。というのは、どう見ても、それは重病人の顔だったからだ。その緊張した、きびしい、動きのない表情と、まばたきをしない、どんよりとした凝視の背後には、なにか喘息以上のものがあるにちがいない、と思われたし、あの恐ろしい経験による過労が、どんなに彼の体にこたえたか、それがありありと感じとられた。そういう過労には、どんな人間も――それこそ、恐れを知らぬこの秘密の探究者よりも若い人でさえ、まいってしまうのではなかろうか? 急に和解ができてほっとしたという例の奇妙な一件も、成立するのが遅すぎたので、なにか体全体が衰弱していく徴候から、エイクリーを救いだすには間に合わないのでないかと思う。彼の痩せた両手が膝の上に置かれている弱々しくて生気のない様子には、いささか哀れを誘うような気味があった。彼はゆったりとした部屋着を着、頭のまわりを、頸《くび》が隠れるほど、鮮《あざや》かな黄いろのスカーフか頭巾のようなものですっぽりとくるんでいた。  やがてわたしは、エイクリーが、さっきわたしに挨拶したのと同じような、咳をしながら囁く調子で話をしようとしているのを見た。白毛まじりの口ひげが口の動きをすっかり隠しているうえ、その声にはなにかわたしの心に引っかかるものがあるので、初めはその囁きを聞きとるのに骨が折れた。が、気を散らさずに注意して聞いていると、まもなく、その囁きの大体の意味が、驚くほどはっきりとわかってきた。そのアクセントには少しもなまりがなく、そのことば遣いは、手紙の文章から想像していたよりも一段と洗練されているくらいであった。 「ウィルマートさんでいらっしゃいますね。椅子にかけたままの失礼をお許し願わねばなりません。体のぐあいがひどく悪うございましてな、その点ノイズ君からお聞きおよびとぞんじますが。でも、やはり、あなたにはぜひ来ていただきたいと思いました。わたしが最後の手紙で申しあげましたことはごぞんじのはずですが――明日、気分がよくなりましたらお話ししたいことがたんとございます。おたがいに手紙を何度もやりとりしたあとで、あなたとこうしてお会いできるとは、いや、まったく、これはことばではいえぬうれしさです。むろん、あの手紙は全部お持ちくださいましたでしょうな。それに、写真やレコードも。あなたの鞄はノイズが玄関のなかに運んでおきました――それはご承知ですね。今夜は、恐縮ですが、ご自分の用事はまず全部、ご自分でやっていただかなくてはなりますまい。お部屋は二階の――ちょうどこの真上で――浴室は階段をあがりきったところにございます。食堂にあなたの食事が用意してございます――このドアを通っていって右手ですが――いつでも気の向いたときにめしあがればよろしいのです。あしたはもっとおもてなしいたしましょう――でも、いまは、疲れているので何もしてさしあげられません。  ゆっくりおくつろぎになっていただきたいものです――鞄を持って二階へいらっしゃる前に、例の手紙と写真、それにレコードを、このテーブルの上に出しておいたらいかがですか。この部屋なのですよ、いずれ二人で資料のことをお話ししようと思っているのは――わたしの写真ならあの隅の台の上にあります。  いや、けっこうです――あなたにしていただくことは何もございません。昔からこういう発作には慣れています。日の暮れぬうちにここへ戻っていらして、少しお話しになり、それからいつでもつごうのよいときに、二階へいってお寝《やす》みになるんですな。わたしはそれこそこの部屋で休息し――よくやることなのですが、たぶん一晩ずうっとここで寝みますな。朝になったら、きっと体のぐあいもずっとよくなって、調査の必要があることを、一応調べるぐらいのことならできるようになるでしょう。わたくしたちの目の前にある事件は驚くべき性質のものですが、むろん、あなたにはそれがおわかりですな。わたくしたち二人を含めてこの地球上のほんのわずかな人にだけ、時間と空間と知識の深い裂け目とが、やがて理解されてくるでしょうが、それは、人間の科学や哲学の構想範囲内にあるいかなるものによっても理解できないものなのです。  あなたはごぞんじですかな、アインシュタインはまちがっているということを、それにまた、或る物体と力とは光よりも早い速度で動きうるということを? 適当な補助装置さえあれば、わたくしは時間の中を行ったりきたり動けると思うし、遠い過去や未来の地球をこの目で見たり、この手で触《さわ》ったりできると思います。あの生きものたちがどれほど深く科学を発展させているか、あなたには想像もおつきにならぬでしょう。彼らには、その生きた心身を使ってなしとげられないものは一つもありません。わたくしはよその惑星にも、いや、よその恒星や銀河にも行ってみるつもりでおります。最初の訪問先は、あの連中のうようよいる最寄《もよ》りの世界で、ユッグゴトフ惑星です。これはわれわれの太陽系の一番はずれにある妙な暗黒の球体で――地球の天文学者には未知の惑星です。でもわたくしは、あなたに手紙でこのことはお知らせしたはずです。適当な時間に、よろしいですか、その惑星の生きものは、思考の念波のとうとうたる流れを、われわれに向かって発信してその存在を気づかせるようにしたり――また、おそらく、人間の同盟者のひとりを使って、科学者に助言を与えたりしております。  ユッグゴトフには壮大な都市がありますが――この都市は、いわば台をいく段にも積み重ねた大きな塔の形をしており、その建築材料は、あなたにお送りしようとしたことのあるあの黒い石です。あれはユッグゴトフからきたものです。太陽の光も、その惑星ではふつうの星と同じように、いっこうに明るくありませんが、そこの生きものは光を必要としないのです。彼らには、別のもっと鋭敏な感覚があって、大きな屋敷や寺院に窓がついておりません。光は彼らを傷つけたり妨げたり、混乱させたりさえしますが、それも、彼らのそもそもの発生地である時空外の黒い宇宙には、光がまったく存在しないからなのです。ユッグゴトフへ出かけることは虚弱な人間なら気ちがいになりかねません――でも、わたくしは行くつもりです。コールターの黒い河が流れている上に架かっているのは、神秘的なサイクロプス式(巨大な石をモルタルを用いずに積んだ太古の遺跡に見られる石積み法式)の橋で――これはそこの生きものたちが、究極の虚空からそこへ飛来してくる前にそこに住んでいた、つまりは絶滅して忘れられてしまったユッグゴトフの先住種族の建てたものですが――そういう風景を見たら、どんな人でも、ダンテやポオのようなすばらしい詩人になりますよ、ただし、自分の見たものを語るあいだだけでも正気でいられれば、の話ですが。  だが、肝に銘じてください――その菌類《きんるい》庭園と無窓都市の暗黒世界は、じつは恐ろしいところではありません。恐ろしいように思えるのは、われわれにだけです。おそらくこの地球の世界も、原始時代に彼らが初めてここを探険したころは、彼らにはやはり恐ろしく思われたでしょう。あなたもごぞんじのように、彼らは、神話的なクトゥルフの時代が終わるそのずっと前に、もう地球へきておりましたし、アール・レー暗礁がまだ水面よりも上に出ていたころのことを何でもよく憶えております。彼らは地球の内側にもいたことがあります――そこへ通じている抜け穴があるのですが、それを人間はまだ知りません――その抜け穴のいくつかが、それこそこのヴァーモントの山の中にもあるのです――そしてその地面の下に、未知の生きもののいる偉大な世界がいくつかあります。例えば、青光りのするク・ヌ・ヤン、赤光りのするヨトフ、それに、光のない暗黒のヌ・カイといった世界が。あの恐るべきツァトホッグァがやってきたのはヌ・カイからなのです――ほぉら、あの一定した形のない、蟇蛙《ひきがえる》のような生きもので、これについてはプナトニック写本、「死霊秘法《ネクロノミコン》」、およびコモーリアム神話群のなかに述べられており、それらの書類を保管していたのはアトランティス島の高僧クラーカッシュ・トンでした。  しかし、それについては、あとでゆっくりお話しいたしましょう。いまはもう四時か五時にちがいありません。鞄から荷物をお出しになって、少しお食事をなさり、それからここへお戻りになって楽しいおしゃべりをなさったほうがよろしゅうございましょう」  きわめてゆっくりと向きを変えると、わたしは主人《あるじ》のいうとおりにやり始めた。まず鞄をとってきて、必要なものをとり出して並べて置き、しまいに、わたし用に当てられた二階の部屋に上がっていった。さっきの道ばたで見た鉤爪《かぎづめ》の跡が、わたしの心の中になおもありありと残っていたので、エイクリーのこれまでの話は、わたしに奇妙な効果をおよぼし、菌質生物のいるあの未知の世界――つまり禁制のユッグゴトフ惑星――を詳しく知っているらしい様子がわかると、思わずぞっと寒気がした。なるほど、エイクリーの体のぐあいが悪いのにはすごく同情したが、そのひそひそと囁くしゃがれ声を聞くと、気の毒に思うと同時に、もう嫌《いや》で嫌でやりきれないという気もした。エイクリーがユッグゴトフとその黒い秘密のことを、さもうれしがっている様子さえ見せなければいいのに!  わたしの部屋はとても気持のよい、飾りつけも行き届いた部屋で、ここにはかび臭い匂いや嫌な震動感はなかった。その部屋に鞄を置くと、わたしはまた下へおり、エイクリーに挨拶をしてからわたしのために用意された昼食をとろうと思った。食堂はあの書斎の一つ先にあって、L字型の台所が、やはり同じ方向のそのもう一つ先にあるのが見えた。食卓の上には、大皿に盛られたサンドイッチ、ケーキ、それにチーズがわたしのために用意されていたし、コップの横に魔法ビンが添えてあるのは、熱いコーヒーも忘れずに用意されている証拠だった。うまく味つけされた食事のあとで、わたしはコーヒーをたっぷりと一杯、自分で入れたが、この屋敷のもてなしの作法も、この一点だけは邪道に陥っていると思った。最初にほんの一口飲んでみると、かすかに嫌な辛《から》みがあったので、それ以上は飲まずにおいた。その食事のあいだじゅうわたしは、暗いとなりの部屋の大きな安楽椅子に黙って坐っているエイクリーのことを考えていた。一度わたしは彼のところへ、一緒に食事をしてくれないかと頼みに行ったが、彼は、いまはもう何も食べられないが、あとで寝る前に、麦芽《ばくが》ミルクを飲むつもりだ、と囁いた。  食事のあとで、わたしは食器をかたづけ、台所の流しでそれを洗うといってきかず――ついでに、とても飲む気になれなかったさっきのコーヒーをあけた。  あの暗い書斎へ戻ってくると、わたしは、主人《あるじ》のいる隅の方へ椅子を近寄せ、主人が交したがっているかもしれないような会話に備えた。手紙、写真、それにレコードは相変わらず大きな中央テーブルの上にあったが、さし当たっていまのところは、そういう資料を参考にするまでもなかった。間《ま》もなく、わたしは、例の変な匂いと、その匂いから連想する妙な震動のことさえも忘れていた。エイクリーの手紙――特に二番目にきたのと一番長いの――の中には、敢えて引用したくない、いや、紙に書く気にさえならないものがある、とわたしは前にいった憶えがある。そういう気の進まない心持には、怪しいものが出没する寂しい山の中の暗い部屋の中で、その晩囁かれるのを聞いた話の方が、もっとぴったりと当てはまる。そのしわがれた声で、しだいに物語られていった宇宙の恐ろしさがどの程度のものであったか、それを匂わすことさえわたしの手腕では不可能だ。なるほどエイクリーは、以前からいろいろと忌まわしいことをよく知っていたが、例の宇宙人との和解が成立してから彼の探知したことは、正気のものには耐えがたいほどばかばかしい話だった。例えば、究極無限の構造、さまざまな次元の並列、およびわれわれのよく知っている空間と時間とから成りたつこの宇宙が、果てしなく続くたがいに連結した宇宙原子に束縛されている恐ろしい状態と、その宇宙原子が、曲線、角度、それに物質的および半物質的電子工学的組織を構成しているということ、こういったことについてエイクリーのほのめかした話を信ずることは、いまでもわたしはまっぴらだ。  また、正気な人間で、彼ほど基本的実在の秘密にこうまで危険なほど近づいたものはほかになく――知恵を持った人間で、形とエネルギーと均整とを超越する渾沌《こんとん》界の徹底的な壊滅に、これほど近寄ったものはほかにない。その世界からクトゥルフが初めに来たということ、また、なぜ歴史上の偉大な束《つか》の間《ま》の星がなかばまでぱっと燃え出たかということ、それらをわたしは知った。エイクリーのようなしっかりした人物でさえおずおずと口を閉ざすことのある雰囲気から――それとなくわたしの推察したのは――マジェラン星雲(天の南極から約二十度の点に見える二つの明るい星団。銀河系外宇宙と考えられている)と球状星団の背後にある秘密と、遠いむかしの道教の寓話で隠された暗黒の真理とであった。ドウルズの性質はわかりよく解明され、ティンダロスの猟犬座の(起原ではないが)本質も説明された。悪魔の父たるヰイグの伝説は、もはや比喩的な話ではなくなり、「死霊秘法《ネクロノミコン》」がアザトホートという名称で慈悲深くも隠した、あの角のある空間の向うのもの凄い原子核の渾沌世界のことが語られたときは、わたしはもう嫌でたまらなくなり思わず体がびくっとした。最もけがらわしい悪夢の秘密の神話を、そのまったく病的ないやらしさの点では、太古と中世の神秘論者の最も厚かましいほのめかしよりもまた一段とうわ手の具体的なことばで説明されるのは、なんともやりきれないことだった。どう避けようともがいても、ついわたしは、こういう呪われた話を最初に囁いた連中は、エイクリーのいわゆる「宇宙人」たちと語りあい、そしておそらく、エイクリーがいま彼らのところに出かけていこうと計画しているように、銀河系外宇宙に実際に出かけていったにちがいない、と信ずるようになっていた。  それからわたしは、あの「黒い石」と、その石がどういう意味のものかということを聞かされ、あの石がわたしの手に届かなくてよかったのだと思った。例の象形文字についてわたしの推理したことが、みなぴったりと合っていたとは! しかもなおエイクリーは、偶然出会ったあの魔性の連中全部と和解しているらしい。和解したうえ、さらにその奇怪な深淵をもっと深く探りたいらしい。わたしに最後の手紙を出してからのちに、彼はいったいどういう生きものと話しあいをしたのか、また、彼らのなかで、彼の述べた最初の使者と同じくらい人間らしいのがたくさんいるのかどうか、とわたしは首をひねった。わたしの頭の中の緊張感はしだいに耐えがたいものになり、その閉めきった暗い部屋の妙にしつこい匂いと、何かが震動していることをそれとなく思わせるような感じとについて、とりとめのない推察をいろいろとやってみた。  もういまは、しだいに夜になりかかっており、わたしは日が暮れてからまもないころのことを書いたエイクリーの手紙の文章を想いだし今夜はきっと月が出ないんだな、と思うと身ぶるいをした。この屋敷が、ダーク山の人跡未踏の山頂に通じている、あの鬱蒼たる木立の生い茂る大きな坂の風下《かざしも》にあるという条件も、わたしには気に入らなかった。エイクリーの許可を得て、その灯を弱くすると、遠い書棚の上の、幽霊のようなミルトンの胸像の横にそれを置いた。が、あとで自分がそうしたのを残念に思った、というのは、エイクリーの緊張してびくとも動かない顔と大儀そうな手がひどく異常に、死体のように見えたのは、ランプをそこへ置いたせいだったからだ。エイクリーは身動きするのも半ば不可能のように見えた、もっとも、彼がときどきこわばった動作でうなずくのをわたしは見たが。  今夜しゃべったもの凄い話のあとでは、明日のためにとっておけるもっと深い秘密など、まずありそうには思えなかった。が、いろいろと想像をめぐらした結果、ユッグゴトフやそれ以遠への彼の旅行――および、その旅行にわたし自身も参加する可能性――といったことが明日の話題になるはずだ、と思われた。さっきエイクリーは、わたしにもその宇宙旅行をやってみたらどうかと提案し、それを聞いたときのわたしのぎょっと驚いた様子を見て、おもしろがったにちがいない、その証拠に、わたしの恐がっている様子を見て、彼の首がぐらぐらと揺れたからだ。あとで彼は、いままでに人間が、見かけは不可能に思われる惑星間宇宙旅行をいかにしてなしとげたか――しかも何回となくなしとげたか――ということを、きわめておだやかに話してくれた。なるほど、いかに完全な人間の肉体でも、それだけではその旅行はできそうにない、しかし、あの宇宙人の驚異的な外科学的、生物学的、化学的、および機械学的な技術によって、人間の脳髄を、それに伴う肉体的な組織がなくても運ぶ方法を見つけたらしいのだ。  脳髄を抜きとる無害な方法もあれば、また、それが抜きとられているあいだ、体の他の部分を生かしておく方法もあった。そのむきだしの、目の詰《つ》んだ脳細胞は、ユッグゴトフで採掘された金属でできた、エーテルを通さない円筒《シリンダー》の中の液に浸《つ》けてあって、その液はときどき補充されるようになっており、さらにその円筒は、電極と連絡がつけられていて、見る、聞く、話すという三大能力の代用をしかねない精巧な機械と、思うままに接続できるようになっていた。翼のはえた菌質生物にとって、その脳髄円筒を無傷のまま、宇宙空間を通って運ぶことは朝めし前であった。彼らの文明が行き渡っているどの惑星にも、円筒に入いった脳髄と接続できる調整可能な能力機械がたくさんある。だから、こういう旅行用の知能機械を装着しさえすれば、時空の連続体である第四次元を通ってさらにその向うへ行く旅行の各段階で、充分に感覚的で言語機能の備わった生活――肉体のない機械的なものだが――をすることができる。こんなことがいとたやすいのは、構造の似た蓄音器さえあれば、どこへレコードを持っていってもかけられるのと同じことだ。それがうまくいくことに疑問の余地はない。エイクリーは少しも心配していなかった、いままでにも何回も、りっぱにやりとげているではないか、と。  初めて彼は、いままで動かさなかった痩せ衰えた片手をあげ、部屋の向う側にある高い本棚を、ぎこちない手つきで指さした。そこに、きちんと一列に、まだ見たこともない金属製の円筒《シリンダー》が一ダース以上も並んでいたが――その円筒は高さが約三十センチ、直径はそれより少し小さく、丸く膨らんだ円筒の正面に、妙なソケットがそれぞれ三個ずつ、二等辺三角形を形づくるように付けられていた。そのなかの一つの円筒は、その二個のソケットで、うしろに立っている奇妙な形をした一対の装置と接続されていた。それがどういう役目を果たすものか、あらためて説明してもらうまでもなく了解できたので、わたしはまるでマラリアの発作でも起こしたように身ぶるいした。やがてわたしは、エイクリーの手が、もっと近い方の隅を指すのを見たが、そこにはかなりたくさんの複雑な機械が、付属のコードやプラグをつけたままかたまっており、そのうちのいくつかは、円筒《シリンダー》のうしろの棚にある一対の機械によく似ていた。 「ここには四種類の機械がございましてな、ウィルマートさん」とあの声が囁いた。「四種類で――それぞれ三つの能力なら――合計十二の能力ですな。ほら、あすこにある円筒《シリンダー》には四種類のちがった生きものが表現されています。人間という種類が一つ、これは三人。菌質《きんしつ》生物といって、そのままの生身《なまみ》では宇宙を航行できない種類が一つ、これは六人、海王星からきた種類が一つ、これはふたり、(やれやれ! あなたにその体が見えるとしても、この種類は海王星に行かなければ体を備えてはおりませんですな!)それとあとの一種類は、銀河系外宇宙の特に興味ある暗黒の星の中央の洞窟からきたものです。ラウンド山の内部にある主要前哨基地の中で、今後あなたは、円筒や装置をもっとたくさんご覧になることがときどきおありになるでしょう――そしてその円筒は、われわれの知っているいかなるものともちがった感覚の備わっている、超宇宙的脳髄の円筒で――最も遠い銀河系外宇宙から来る同盟者や探検者のもので――その両者にいくつかの方法で理解力と表現力を与える特別な装置であって、両者に適合すると同時に、ちがった型の聞き手にも了解できるようになっています。ラウンド山は、さまざまな宇宙のなかにあるその生きものの主な前哨の例に洩れず、とても国際的《コスモポリタン》な場所ですぞ! むろん、わたしが実験用に貸してもらったのは、ごくありふれた型の装置だけです。  さあ、いいですか――これからわたしが指さしてお教えする三つの装置を取りだして、それをこのテーブルの上に置いてください。その正面にレンズの二つ付いた背の高いやつ――それから、真空管と音盤の付いた箱――今度は上に金属製の円盤の付いた箱です。さて、つぎは〈B・67〉というラベルの貼ってある円筒《シリンダー》を捜すのですが。そのウィンザー・チェアの上に立ってください、あの棚に手が届くように。なに、重たい? 大丈夫ですとも! その番号を確かめるんですな――〈B・67〉号ですぞ。その試験用器具と接続してある新しいぴかぴかの円筒は放《ほう》っておきなさい――そう、そのわたしの名前の貼ってあるのは。いいですか、〈B・67〉号を、机の上の、さっき箱型装置を載せた近くへ置き――それからその三つの箱型装置に付いているダイヤルが全部、一番左の端まで一杯に回してあるかどうか確かめてみるのです。  さて今度は、そのレンズの付いた装置のコードを、円筒《シリンダー》の上のソケットに接続するのです――ようし、いいですよ! 真空管の付いた装置を下の左側のソケットに、それから円盤の付いた装置をもう一つのソケットに接続しなさい。それから、その装置に付いているダイヤルを全部、一番右の端まで一杯に回しなさい――初めはレンズのを、つぎには円盤のを、それから真空管のを。よろしい。わたしはいっそのこと、こう申しあげたいくらいですよ、この装置のほうが、よほど人間らしい――まったくわれわれのだれとも変わりがない、と。あしたはまた別のものをご覧に入れましょう」  どういうわけでわたしは鷹揚《おうよう》に、この囁きのいうとおりに従ったのか、またわたしはエイクリーを気ちがいと思っていたのか、それとも正気と思っていたのか、そのへんのことは、いまだに自分でもわからない。成り行きがそうなった以上、たとえどんな事態が発生しようと、驚かぬ覚悟をしておくべきだったのだ、が、この機械装置を主人公としただんまり狂言は、それこそ気の狂った発明家や科学者たちの典型的な奇行としか思えなかったので、機械装置を見る前のエイクリーの話も、本当は実在のものではなかったのかもしれないという疑惑が、強く胸に浮かんだほどである。エイクリーがこの機械装置についてしゃべった話は、だれにも信じられないことであるが――それを見る前の話のほうも、同じように眉つばだし、手に触れられる具体的な証拠がないだけに、やはり同じように不合理なのではあるまいか。  この渾沌たる世界のまっただなかで心はよろめきながらも、わたしは、さっきあの円筒に接続した三つの箱型装置全部から、きーきーという軋《きし》り音《おん》と、ぶゎんぶゎんという回転音とが一つに混ざったような音に気がついた――その軋ったりぶゎんといったりするような音は、まもなく、しだいにおさまって、事実上は音のしないひっそりとした静けさになった。いったいどうなるっていうんだ? 声が聞こえてくるのか? それで、もしそうだとしても、これがかなり巧妙に仕組まれたラジオのトリックで、どこかに姿を隠している話し手が、しかし厳重な監視を受けながらわたしに話しかけている、そういう芝居ではないという証拠がどこにあるのか? いまでもわたしは、自分が耳にしたことや、どういう現象が実際に自分の目の前で起こったかということを、はっきりと申しあげたくはない。だが、たしかに、なにかが起こったらしいのだ。  手みじかに、はっきりといえば、真空管とサウンドボックスの付いた装置が話を開始したが、その話しぶりは要点を把え、しかも知性を働かせたものなので、話し手が現に目の前にいてわれわれを見守っているということに疑問の余地はなかった。その声は大きく、金属的で、生気がなく、製作のさいの細かい点では明らかに機械で作られた感じを隠せなかった。その声は抑揚も表情もつけることはできないが、やりきれないほど正確に、かつ慎重に、擦れる音をまじえながらもぺらぺらとしゃべった。 「ウィルマートさん」とその声はいった。「あなたをびっくりさせなければいいのですが。わたしもあなた同様に人間です。もっともわたしの体はいま、ここから一マイル半ほど東にあるラウンド山の内側にいて、生命を吹き込む適当な処置を受けて安全に休養していますが。わたし自身はここにこうしてあなたと一緒におります――わたしの脳髄はあの円筒の中にあって、その原子振動器を通じて、見たり聞いたり話したりします。一週間たったら、前に数年間いたことのある宇宙を越えて行き、そちらでエイクリーさんと会えるのを楽しみにしております。あなたともお会いできたらいいのですが。といいますのは、わたしはあなたのお姿や評判は知っておりまして、あなたとエイクリーさんとでやりとりしていらっしゃる手紙の情報は、たえずつかんでおりましたから。もちろんわたしは、われわれの惑星を訪《たず》ねてくる外部の生きものと同盟を結んでいる人間のひとりです。そういう外部の生きものと初めて出会ったのはヒマラヤ山中にいたときのことで、いろいろな点で彼らの力になってやりました。そのお返しに、彼らはわたしに、味わった人のほとんどいないこういう経験を味わわせてくれているのです。  いままでにわたしは三十七のちがった天体――惑星、暗黒な恒星、および、それほどはっきりしないもの――これにはわれわれの銀河系外宇宙の八つの天体と、時空の湾曲した宇宙の外の二つの天体を含みますが、そういうたくさんの天体にいったことがあるというのはどういう意味なのか、おわかりですか? こういう天体は、すべて、わたしを少しも傷つけませんでした。わたしの脳髄を、体からとり出す分裂手術はきわめて巧妙なので、その手術を外科医術と呼ぶのは粗雑すぎます。他の天体から地球へきた宇宙人たちはさまざまな方法を心得ているので、この手術などはまるでたやすい当たり前のことになっています――そして、脳髄を抜き出しておくと、人間の体は年をとらないのです。脳髄は、機械的な能力を備えていて、わずかな栄養分さえあれば、実際にはどこまでも生き長らえますし、その栄養は、保存液をときどきとり換えて補給される、とつけ加えてもいいのです。  まったくのところ、あなたがエイクリーさんやわたくしと一緒においでになるように心を決めてくださることを心から希望します。宇宙人たちは、あなたのような知識人と知りあいになり、われわれの大部分が、無知な空想にふけっていいかげんに想像しているあの大きな深淵を、自分たちに見せてもらいたいと熱望しております。彼らに会うということは、初めは変に思われるかもしれないでしょうが、あなたはりっぱなかただから、そんなことは気になさいませんね。ノイズ君もきっと一緒に行かれるでしょう――ほら、あなたをここまで車でつれてこられたかたです。あのかたもわれわれの仲間になってから数年たちます――あのかたの声は、エイクリーさんがあなたにお送りしたレコードに録音された声の一つだ、とあなたもお気づきのことと思いますが」  あっとばかりにわたしが驚いたので、話し手は一瞬口を閉じ、やがてつぎのように話を結んだ。 「そこで、ウィルマートさん、その問題はいっさいあなたにおまかせしましょう。ただひとこと付け加えますと、あなたのように、不思議なことや民俗学を愛する人は、こういうチャンスをお見のがしになってはいけません。心配なさることは何ひとつないのです。宇宙渡航はいっさい苦痛を伴いませんし、完全に機械化された感覚には、味わうべきことも大いにあります。電極との接続が切れると、すぐもう眠りに落ちますが、その眠りがまた実に生き生きとした幻想的な夢なのです。  ところで、あなたさえよければ、われわれは今度の会期を明日まで延期してもよいのです。ではおやすみなさい――スウィッチは全部ぐるっと左のほうへ戻しておいてください。戻す順番はどうでもいいのですが、ただ、レンズの装置だけは最後にしたほうがいいでしょう。では、おやすみなさい。エイクリーさん――どうぞそのお客さまをたいせつに! では、スウィッチの件はよろしいですね?」  それっきりだった。わたしは相手のいいつけを機械のように守って三つのスウィッチを全部切ったが、たったいま起こったすべてのことに疑惑を感じて気の遠くなるような思いをしていた。だからわたしは、テーブルの上の機械や装置はそのままにしておいたらいい、というあのエイクリーの囁く声を耳にしたときにも、まだ頭がふらふらするような思いがしていた。彼はそれまでに起こったことについては、なにも意見をのべようとはしなかったし、また事実、どんな意見を聞いても、疲れたわたしの頭では、たいした参考にはならなかったにちがいない。なんならランプを持っていって、あなたのお部屋でお使いになってもいい、とエイクリーのいうのが聞こえたので、わたしは、彼が暗いところでひとりで寝《やす》みたがっているのだな、と推察した。たしかに、彼はもうそろそろ寝《やす》んでもいいころだった、というのは、午前から夕方にかけて彼のしゃべった話は、大した量に達していたので、丈夫なものでさえ疲れるほどだったからだ。相変わらず、なにかぼんやりとした気分のまま、エイクリーにおやすみなさいと挨拶をすると、わたしはポケットの中にすばらしい懐中電灯を一つ隠しておいたのだが、いわれたとおりに、ランプを手にして二階へ上がっていった。  奇妙な匂いが鼻をつき、なにか震動しているものがあるようなぼんやりとした感じのするその階下《した》の書斎から出られたのが、わたしにはひどくうれしかったが、それでもやはり、いまいる場所と、いま直面している相手のエネルギーのことを考えると、恐れと危険と宇宙の異常さとを感ずる忌まわしい気持から、やすやすと逃れるわけにはむろんいかなかった。この荒涼たる寂しい地方、この屋敷のすぐ背後にそびえ立つ黒い、不思議に鬱蒼と木の生い茂っている斜面、闇のなかで身じろぎもせずに囁くあの病人、あの不気味な円筒《シリンダー》と装置のたぐい、とりわけ、不思議な外科手術ともっと不思議な宇宙渡航へのいざない――すべてが真新しくて突然つづけざまに起こった以上のような事柄のイメージが、累積する力をこめてわたしの脳裡に浮かびあがり、おかげでわたしの気力はぐっと弱まり、体力もほとんど衰えかけてしまったのである。  ここまで案内してくれたノイズが、実はレコードに録音されたあの途方もない、過去の安息日《サバト》の式典の執行者だったということがわかってみると、何ともいえないショックを感じたが、もっとも、初めから彼の声にかすかに嫌な慣れ慣れしさを感じてはいたのだ。エイクリーに対する自分の態度を分析しようと思うたびに、そういう自分の態度から、もう一つ別のショックを覚えたものだ。というのは、例の手紙にはっきりとうかがわれるとおりのエイクリーの人柄を、それまでわたしは本能的にたいへん好もしく思っていたが、このときになってわたしは、彼には目だって嫌なところがあると気がついた。彼が病気だということは、当然わたしの同情を喚び起こしてもいいはずであった。ところが、実際はその逆で、彼の病気は、なにか身ぶるいするような嫌悪感をわたしに与えた。エイクリーの体は、ひどく硬ばっていて動きがなく、まるで死人のようであったし――おまけに、たえずひそひそと洩らすあの囁きがじつにいやらしく、しかも何と人間ばなれのしていることか!  あの囁きは、いままでにわたしが聞いたことのあるどういうたぐいの囁きともちがっていたし、また、話し手の口ひげの蔭に隠れた唇が変にじっと動かずにいながら、あの囁きには、喘息患者のぜいぜいという声に特有の潜在した体力と、いつまでも続きそうなねばりとがあったっけ、とそんな感想がふとわたしの頭に浮かんだ。あのとき書斎の奥までずうっと入いってみたら、わたしはエイクリーのいうことが理解できたし、一、二度は、そのかすかではあるがよくとおる音声が聞こえたが、それは弱々しいというよりはむしろ慎重に抑制しているような感じの声に思えた――もっとも、その理由はわからないが。最初から、その声のひびきには、聞いていらいらするようなところがあった。いま、そのことを考えてみると、なにか聞くものをいらいらさせるようなその感じを辿っていけば、一種の潜在意識的な慣れ慣れしさにまで達し、そしてそれは、ノイズの声がごくぼんやりと暗示していたあの慣れ慣れしさと同類のものだということがわかるのだ。しかし、それが暗示しているものと、わたしがいつどこで出会ったかという点については、わたしにはとうてい答えられない。  ひとつだけ確かなことがある――わたしがここに滞在するのは今夜が最後だ。わたしの学問的な熱意は、恐怖と嫌悪感の裡《うち》に消えてしまい、わたしはただもう、病的状態と不自然な啓示とが網の目のように張りめぐらされたこの屋敷から、逃げ出したい気持だけで一杯だった。いまは事情がよく飲みこめたのだ。なるほど、宇宙の不思議な連結というものが存在するのは真実にちがいない――が、そういうものは、まさに、正常な人間が余計な世話を焼いてはならないものなのだ。  神を恐れぬものたちの目に見えぬ力がわたしをとり囲み、わたしの五感を見ぐるしいほど圧迫するように思われた。眠るなんて、とうていできるわけがあるまい、とわたしは覚悟を決めた。そこで、ただ灯を消し、服をそっくり着たままベッドに身を横たえた。むろん、そんなことをしたぐらいではどうなるものでもないのだ、が、いつ何時《なんどき》思わぬことが起こってもよいだけの用意を整えておいたのだ。いつも持ち歩いているピストルを右手に握り、懐中電灯を左手につかんでいた。下からは音一つ聞こえてはこなかった。が、わたしには、あのエイクリーがあの暗闇のなかで、死体のように硬直したまま腰かけているさまが、ありありと想像できた。  どこかで時計のかちかちと動く音が聞こえ、その音の正常なのを何となくありがたいものに思った。その音でふと想いだしたのは、このあたりのことでもう一つ気にかかっていたこと――つまり、生きた動物がまったく見当たらないということだった。たしかに、このあたりには農業用の家畜はいなかったし、野生の生き物がよくやる夜鳴きの声すら聞こえなかった。どこか遠くで目に見えない水がぽたぽたとしたたり落ちる不吉な音をのぞくと、そのひっそりとした静けさは異常であり――惑星間宇宙のようであり――そのあたりに垂れこめている、形のない、生物に有害な靄《もや》のこもった大気は、何という星からきたものかしら、とわたしは首をひねった。犬やその他の獣は、つねに宇宙人を嫌っていたということを、わたしは古い伝説から想いだし、あの道路に付いていた足跡が何を意味するのかということを考えてみた。         8    思わずついうとうとと眠ってしまったが、それがどのくらいのあいだであったか、また、そのあとに起こったことのどこまでが本当の夢であったか、その点はどうか訊かないでいただきたい。もしもわたしが、これこれのときにはわたしも目を覚ましていてこれこれのことを見たり聞いたりした、と申しあげても、読者のかたがたはきっとこうお答えになるだけだ、――いや、あなたはそのとき目を覚ましてはいなかったのだ、それに、その屋敷から急いで脱《ぬ》けだし、おんぼろフォードの入いっている車庫までよろめきながらも辿りつき、その古い車に乗りこんで怪物の出る山中を突破するという気ちがいじみた当てのないレースのスタートを切り、いつ迷路に踏みこむかもしれないという恐れのある森の中をがたがたと揺られながら右左に曲りくねって進んだあげく――やっとある村について車から降りてみると、そこがタウンゼントだとわかった――そうなるまでに見たり聞いたりしたものは、すべて夢であったのだ、と。  読者のかたがたは、むろんわたしのこの報告書の他の部分も、すべて割引きしてお読みになり、写真、レコード、円筒と発声装置、およびそれに類する証拠品は、すべて、目下行方不明のヘンリー・エイクリーがわたしをぺてんにかけた完全ないかさま資料だとおっしゃることであろう。そして、つぎのようにさえつけ加えられるであろう――エイクリーは頭のおかしい他の何人かと共謀して、阿呆《あほ》らしくてしかも手のこんだいかさまを演出してみせたのだ――つまり、あの急行便の荷物はエイクリーがキーヌに転送しておいたものであり、また、あの恐ろしいレコードは、彼がノイズに作らせたものである、と。もっとも、おかしなことには、ノイズがどこのだれであるのかいまだにわからないし、また、ノイズはあのあたりに何度もきたことがあるにちがいないのに、エイクリーの住まいに近いどの村でも、ノイズを知っているものはひとりもいないのである。あのときゆっくりと気をおちつけて、あの車のナンバーを憶えておけばよかったのだが、――それとも、ナンバーなど憶えていないほうが、結局はよかったのかもしれない。というのは、あなたがたにもいろいろといい分はあろうし、また、わたしもときにはふと考えることはあるが、わたしには、例の忌まわしい外部世界の見えない力が、あの未知に等しい山のあたりに潜んでいるにちがいないことや――また、その見えない力にあやつられたスパイどもが人間の世界に配置されているということがわかっているからだ。こういう目に見えない力から、できるだけ離れているということだけが、将来の生活にわたしの望んでいることなのだ。  わたしの気ちがいじみた話を聞いて、シェリフの警官隊がエイクリー邸に出向いたときには、彼は跡かたもなく行方をくらましてしまっていた。彼のゆったりとした部屋着、黄色いスカーフ、それに足の繃帯とが書斎の奥にある彼の安楽椅子のかたわらの床の上に置いてあったが、身を隠すときに、彼が他のどういう衣類を身につけていたのかということはわからなかった。犬や家畜は、事実、姿を見かけなかったし、また、屋敷の外や、建物の内側の壁にも、妙な弾痕がいくつかあった、が、それ以外には異常なものは何一つ見つからなかった。円筒も装置も見当たらず、わたしが鞄に入れて持ってきた証拠品もなく奇妙な匂いも振動するような感じもなく、道路の足跡も、また、いよいよ最後になってわたしが垣間見たおぼつかないさまざまなものもまったく見当たらなかったのだ。  屋敷を脱けだしてから一週間のあいだ、わたしはブラトルボロに滞在し、エイクリーの知り合いだったあらゆる種類の人々のあいだを、いろいろと訊《たず》ね回った。その結果、わたしは、この問題は夢や幻想から生まれたものではない、と合点がいった。エイクリーが、犬、弾薬、化学薬品といった妙な買物をしたこと、電話線が切られたこと、こういうことがみな記録されているのである。いっぽう、エイクリーを知るすべての人たちは――カリフォルニアの息子をも含めて――奇妙な研究について彼がときおりのべる意見は、首尾一貫したものであったと認めた。物堅《ものがた》い市民たちは、彼のことを気ちがいと信じており、証拠といわれているものはすべて、狂気の悪知恵が考案したうえ、常軌を逸した仲間たちが煽動してこしらえた悪ふざけにすぎない、とためらわずに断言している。が、身分の低い田舎者たちは、エイクリーの述べたことばを細かいところまでそのまま認めている。エイクリーはその田舎者たちのなかのいくたりかに、例の写真と黒い石とを見せ、また、あの忌まわしいレコードを聞かせてやったこともあり、彼らはみな、あの足跡もあのがやがやというような声も、先祖代々伝わる言い伝えの中でいわれているものとよく似ている、といった。  彼らはまた、エイクリーがあの黒い石を見つけてからのちは、屋敷のまわりにたえず怪しげな光景や物音が認められるようになり、おかげで、郵便配達夫と気の強い行きずりのもの以外には、だれひとり屋敷へ近寄るものはいなかったともいった。ダーク山とラウンド山とは、ともに怪物が出るので悪名高い場所であり、いままでにそのどちらかをくわしく探検したものをひとりも見つけだせなかった。この地方の歴史をふり返ってみると、ときどき土地の者が行方不明になっていることが明らかにわかるが、このなかにはエイクリーの手紙にもその名のあがっていたはんぱ[#「はんぱ」に傍点]やくざのウォルター・ブラウンも入いっていた。わたしの出会った農夫のなかには、ウェスト河の氾濫したときに妙な死体を自分の目で見たと思いこんでいるものさえいたが、この男の話はあまりにも支離滅裂なので実際上の価値は認めがたいのである。  わたしはブラトルボロから立ち去るとき、もう二度とヴァーモントの地に戻ってくるのはごめんだ、と肚を決め、いつまでもその決意を守っていられるものと確信した。あの原始林の丘陵地帯は、恐るべき宇宙人の前哨基地であることにまちがいはない――九番目の惑星が、宇宙人の予言どおりに、海王星の向うに見えているという記事を読んで以来、ますます疑う気持は薄くなってきた。天文学者たちは、彼ら自身は少しも気づかないのに、忌まわしいほど正確に、この惑星を「冥王星」と名づけた。それこそ暗黒のユッグゴトフ惑星にほかならない、とわたしは確信している――だから、その惑星の住民たちがこういう特別のときに、こんなふうにその星の存在を知らせたがっているのはどういうわけか、その真の理由を見つけてやろうと思うと、つい身ぶるいをしてしまうのだ。あの悪魔的な生物が、徐々に地球とその本来の住民に有害ななにか新しい方針をたてようなどとはしていない、ということを確かめようとしてみるのだが、結局は無益な努力である。  だが、わたしはもうひとつ、あの屋敷ではもう恐ろしい夜は終わりをつげたのだ、ということをお話ししなくてはならない。すでにお話ししたとおり、あの晩わたしは、結局いつのまにか、不安ながらもついうとうとうたた寝をしていた。それこそあの地方のもの凄い風景がちらちらっと現われるこま切れの夢のいっぱい詰まったうたた寝であった。どうして目が覚めたのか、それだけはいまだにわからない、が、たしかに、さっきお話ししたそのときに目が覚めたことだけはまちがいない。とり乱したわたしの心が最初に受けとった印象は、わたしのいる部屋の外側のホールの床板が、音を忍ばせるようにきいきいと軋り音をたてたのと、掛金を無器用にこっそりと手さぐりしているものがいるという気配とであった。しかし、あとの気配はほとんどすぐに消えた。だから、わたしの本当にはっきりとした印象は、階下《した》の書斎から聞こえた声が最初だ。しゃべっているものが何人かいたらしく、その連中は議論をしていたものとわたしは判断した。  二、三秒聞き耳をたてているうちに、わたしははっきりと目が覚めた、というのは、その声の性質がきわめて興味をそそるものだったので、寝ようなどとはばからしくて、とうてい思いもしなかった。その声の調子は珍しいほど変化に富んでいるので、あの忌まわしいレコードを聞いたことのあるものなら、その声調のうちの少なくとも二つの性質については、なるほどそんな調子で当たり前だと思ったはずだ。たしかに、思い当たってみるとやりきれない話だが、わたしがいま、底知れぬ空間からきた名もわからぬ連中と同じ屋根の下にいることは事実だった。ほかでもない、その二つの声はまぎれもなく、例の宇宙人が人間と意思を通じ合うさいに用いるあのがやがやという罰当たりな声だったからだ。その二つは明らかにちがっていた――声の高さ、アクセント、および早さの点でちがっていた――が、その両者とも、あのいまいましい種族と同じたぐいに属していた。  さらにもう一つの声は、機械で合成された声で、これは例の円筒内の分離頭脳と接続してある発声装置から聞こえてきた。あのがやがやという声に疑問がないように、この声にも疑問の余地はほとんどなかった。というのは、前の晩に聞いたあの疳《かん》高い、金属的でいのちのこもっていない声は、その抑揚と表情のない、軋りながらもぺらぺらとした調子と、人間離れしているほどの正確さと慎重さという点で、とうてい忘れられるようなものではなかったからだ。その軋るような声の背後に控えている脳髄が、今までわたしに語りかけていたあの人物と同一かどうか、それを確かめるためにしばらくあれこれと思案するようなまねはせずに、すぐにわたしは、どんな脳髄でも、同じ発声装置に接続されたら、同じ性質の音声を発するにちがいあるまい、もしもどこかにちがいがあるとすれば、用語、リズム、早さ、それに発音の点だけだな、と察しをつけた。この薄気味の悪い会談を成立させるために、二人の本当の人間の声がその場に加わっていた――ひとつは未知の、明らかに田舎者の粗野なことばであり、もうひとつはわたしの道案内者たるノイズの聞きやすいボストン風の調子であった。  丈夫に作られた床のために、聞きとるのがひどくやっかいな階下《した》の会話を、わたしは何とかして聞きとろうと努めながら、また同時に、その階下の部屋のなかで、なにかさかんに身動きしてはあたりを引っ掻いたり、足を引きずったりするような音が聞こえるのにも注意していた。だからわたしは、その部屋の中に生きものがいっぱいいるという印象を持たざるをえなかった――わたしに区別のつくことばをしゃべっているものが、少なくとも二、三人以上はいた。そのなにか身動きをしているという正確な感じは、とうてい巧《うま》くいい表わしがたい、というのは、それになぞられるよい材料がないからだ。そのものたちは、いかにも意識のある実在らしく、ときどき部屋の中をいったりきたりしているようだった。その足踏みをする音には、ぐらぐらしながらもうわべは硬そうなばたりばたりという音――角《つの》とか硬質ゴムのような表面が等質でないものどうしが触れ合うような音――にどこか似たところがあった。もう少し具体的だが不正確な譬《たと》えを用いていえば、その音はまるで、割れやすい木でできただぶだぶの靴をはいた人々が、磨きぬいた床板の上を、よろよろと、また、がたがたと歩き回っているかのように思われた。そういう音を出しているものの性質や姿についてあれこれ推測するのは、どうもわたしは気が進まなかった。  やがてわたしは、その雑然たる話し合いの中から、なにかまとまりのある話を選びだそうとしても、それはできない相談だろうと見てとった。ぽつんと孤立したことば――エイクリーやわたしの名を含む――が、ときどき、それも特にあの発声装置の機械が発音したときにひょっこりと聞きとれた。が、それらの本当の意味は、連続した前後の関係が聞きとれていないのでわからなかった。そういうことばから何かはっきりとした推論を引きだすことは、きっぱりとおことわりするし、それがわたしに与えた恐るべき効果でさえ、啓示的なものというよりはむしろ暗示的なものであった。恐ろしくて異常な秘密会議が、いまこの階下《した》に召集されているのだ、とわたしは確信した。が、どういう恐ろしい審議をするための会議なのか、その点はわからなかった。エイクリーがあの銀河系外宇宙人の友情をいくら保証していたとはいえ、この不吉にして神を恐れぬものたちの、自分からは質問を発しないその真の意向が、どうしてわたしの頭にしみとおったのか、思えばまことに不思議だった。  辛抱づよく耳を傾けているうちに、わたしはそのいくつかの声のあいだに、明瞭な区別のあることを聞き分けられるようになっていた。もっともその声のうちのどれが何といったか、ということまでは把《つか》みえなかったが。話をするもののいくたりかが、どういう動機で話しているのか、その典型的な感情がいくつか把めるように思われた。例えば、がやがや声の一人は、誤解の余地のないほど明らかに、権威を笠にきた話しぶりを一貫して保っていたし、いっぽう、例の装置からでてくる声は、その機械製の疳高さと平板さにもかかわらず、身分が低くて相手にお願いをする立場にあるらしかった。ノイズの調子には、一種なだめ役のような雰囲気がにじみでていた。その他のものの声は、とうてい解釈しようという気にもなれなかった。例の聞きなれたエイクリーの囁き声は聞きとれなかったが、あの声がこの部屋の頑丈な床板をとおして聞こえてくるはずのないことはよくわかっていたのだ。  わたしは断片的に聞きとれたことばや音声をいくつか書きとり、そのことばを口にするに最もふさわしい人物を推察してみようと思った。わたしが初めにどうにか聞きわけられる文句を拾いとったのは、例の発声装置から出てくることばだった。   [#ここから7字下げ] (発声装置の声) [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ] 「……それを自分で持ってきた……手紙とレコードを送り返し……それで終わり……理解され……見たり聞いたり……畜生……結局、非人間的な力だ……新鮮でぴかぴかの円筒……やれやれ……」 [#ここで字下げ終わり] [#ここから7字下げ] (第一のがやがや声) [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ] 「……われわれの止めた時間……小さくて人間らしい……エイクリー……脳……話している……」 [#ここで字下げ終わり] [#ここから7字下げ] (第二のがやがや声) [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ] 「……ニャルラトホテプ……ウィルマート……レコードと手紙……安っぽいぺてん……」 [#ここで字下げ終わり] [#ここから7字下げ] (ノイズ) [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ] 「……(発音しかねることば、もしくは名前、おそらくヌ・ガァ・クトフンであろう)……無害な……平和……二週間ほど……劇的な……いわんこっちゃない……」 [#ここで字下げ終わり] [#ここから7字下げ] (第一のがやがや声) [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ] 「……理由がない……最初の計画……効果……ノイズは見張ることができる……ラウンド山……新鮮な円筒……ノイズの車……」 [#ここで字下げ終わり] [#ここから7字下げ] (ノイズ) [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ] 「……さあ……すべてあなたの……ここに……休息……場所……」 (数人が同時にしゃべりだして区別のつかないいくつかの声) (数人の足音、ばたりばたりというあの例の身動きの音を含む) [#ここで字下げ終わり] [#ここから7字下げ] (一種奇妙なばたばたという音) [#ここで字下げ終わり] [#ここから4字下げ] (自動車が出発してしだいに遠ざかる音) [#ここで字下げ終わり] [#ここから7字下げ] (静寂) [#ここで字下げ終わり]    わたしが魔の山中にある怪物屋敷の不思議な二階のベッドに、硬《こわ》ばった身を横たえていたとき――さよう、そのベッドに、服をそっくり着たまま、右手にピストルを握り、左手に懐中電灯を把《つか》みながら横になっていたとき、わたしの耳が捕《とら》えた実体は、以上のような音であった。すでに述べたように、わたしはすっかり目が覚めてしまっていた。が、一種あいまいな、なにかしびれるような感覚のために、例の物音の最後のこだまが消えてしまってからも長いあいだ、無気力のまま、じっと動かずにいた。どこか階下《した》の遠くでコネティカット式の柱時計が木を叩いて時刻を知らせる慎重な音が聞こえ、それからしまいに、だれか一人が不規則にいびきをたてているのをかろうじて聞きとった。エイクリーが、奇妙なことがあい次いで起こったあとなので疲れが出、ついうたた寝をしたにちがいない、そうせずにいられなかったのもむりはないとわたしは思った。  ところで、どう考えたらよいか、またどうしたらよいか、それを決めることはわたしにはできなかった。結局のところ、わたしはこれまでにえた情報から、当然覚悟しておいてもよかった事柄以上に、何か思いがけないことを聞いたのであろうか。また、名も知れぬ宇宙人がこの屋敷に自由に出入りしているということを、わたしはいままで知らずにいたとでもいうのか? むろん、エイクリーは彼らが不意にやってきたのに驚いたであろう。しかし、その断片的に聞きとれた話のなかの何ものかのせいで、わたしは測りしれぬほどぞっと気味の悪い思いをし、きわめてグロテスクで恐ろしい疑惑を持ち始め、いつまでも寝ずにいて、すべてが夢であることを証明してやりたい、という熱意を奮《ふる》い起こしたものだった。わたしは自分の潜在意識が、まだ表面意識の気がついていない何かしらを把《つか》んだのにちがいないと思う。だが、エイクリーはいったいどうなっているのであろうか? あの男はわたしの友人ではないのか、それに、もしもわたしに危害を加えるような動きがあったら、彼が抗議しないはずがあろうか? 階下《した》から聞こえる平和ないびきは、急に強くなったわたしの恐怖をからかっているように思われた。  ことによったら、エイクリーも騙《だま》されて、わたしをあの手紙と写真とレコードと一緒に、この山中におびき寄せるおとりに使われたのではあるまいか? あの連中は、われわれふたりが知りすぎたという理由で、ふたりを一緒に破滅させようとするつもりなのではあるまいか? エイクリーの最後の手紙とその一つ前の手紙とのちがいがいかにもだしぬけで、不自然であるのは、その二つの手紙のあいだに、なにか情況の変化があったにちがいないのだ、とまたしてもわたしは考えた。何か恐ろしく悪いものがある、とわたしの本能が教えてくれた。すべてが見かけどおりというわけではない。わたしがどうしても飲む気になれなかったあの辛《から》い味のコーヒー――あれは、毒を一服盛るというあの秘密で未知の連中のたくらみだったのではないのか? さっそくエイクリーに話して彼の均衡《きんこう》感覚を恢復させなくてはならない。彼らは宇宙の秘密を見せてやるという約束でエイクリーに催眠術をかけていたのだが、彼ももうそろそろ理性の命ずることばに耳をかさなければならぬ。手遅れにならないうちにこの屋敷から脱けださなくてはならぬのだ。もしも彼に、自由を目ざして脱出する意志が欠けていたら、わたしがそれを与えてやろう。また、もしも一緒に逃げるように彼を説得できなくても、せめてわたしだけは逃げだすことにしよう。たしかに彼は、わたしにあのフォードを使わせて、ブラトルボロの車庫にあれを乗り捨てさせるつもりなのだ。その車がこの屋敷の車庫にあるのをさっきわたしはちゃんと見ておいたのだ――ドアに鍵がかかっていなかったので、見つかる危険のないときに開けておいたのだ――だからわたしはいつでもすぐにそれを使える見こみは充分にあると信じた。夜、会話をしているあいだもそのあとも感じていたエイクリーに対する一時的な嫌悪感は、もういまはすっかりなくなっていた。彼もまた、わたしとひどく似た立場にいるのだから、たがいに協力しなければならぬのだ。彼の体のかげんの悪いことを知っていたので、わたしはこんな急場で彼を起こしたくはなかったが、ぜひそうしなければならないことはわかっていた。情況がそんなわけなので、朝までこんなところにじっとしているわけにはいかなかった。  ついにわたしは、なんとかやってやれそうな気がしてきたので、筋肉を自由に動かせるように、元気よく身を伸ばした。慎重にというよりはむしろ衝動的に用心しながら立ちあがると、わたしは帽子を見つけてそれをかぶり、鞄を持つと懐中電灯の助けで階下《した》へおり始めた。緊張しながら、右手にピストルを握りしめたまま、左手ひとつで鞄と懐中電灯の両方をあつかえるように気をつけていた。そのときでさえ、その屋敷にもうひとりだけ居合《いあ》わすエイクリーを起こしにいく途中だったのだから、どうしてそんなに用心をしたのか、ほんとうはわたしにもよくわからない。  階下のホールの方へ階段を抜き足さし足でおりていく途中でも、さっきの寝息がいよいよはっきりと聞きとれたし、寝ているものが左手の部屋――夕方入いったあの居間――にいるにちがいない、とわかった。右手は、さっきの会議の人声《ひとこえ》の聞こえた書斎だが、それがいまはぱっくりと口を開けたような暗闇となっていた。掛金のかかっていない居間のドアを押しあけると、わたしはいびきのする方へ懐中電灯の明るく照らしだす円形のあとを辿っていき、しまいにその灯を寝ているものの顔に向けた。が、つぎの瞬間、わたしは急いでその灯をそらすと、猫のようにすばやくまた音をたてずにホールの方へ引っ返したが、今度の用心は本能的でもあればまた理性的でもあった。というのはほかでもない、そこに寝ていたのはエイクリーではなく、元わたしの案内役たるノイズだったからだ。  いったい実情はどうなっているのか、わたしにはさっぱりわからなかった。が、常識の勘《かん》が働いて、だれの目も覚まさせないうちにできるだけ安全に逃げるにかぎる、と悟った。もう一度ホールへ戻り、居間のなかへ入いるとドアを閉め、掛金をおろし、そうすることによってノイズを起こすおそれを少なくした。それからわたしは用心しながら暗い書斎に入いった、というのは、エイクリーは、眠っていようと覚めていようと、その部屋の隅の、明らかに彼の愛用している大きな安楽椅子の中におさまっているものとばかり当てにしていたからだ。進むにつれて懐中電灯が、大きなテーブルの上の道具を写し出し、視聴覚装置に接続したいやらしい円筒が見え、そのすぐ横に、いつでも接続できる用意のできた発声装置の立っているのが見えた。こちらの円筒は、あの不気味な会議のあいだ中しゃべっているのが聞こえた例の容器に収まった脳髄にちがいない、とわたしは思った。そして一瞬間わたしは、その発声装置を接続してそれがどんなことをいうかためしてやりたいという天邪鬼な衝動を感じた。  その円筒はわたしがその場にいることに気がついたにちがいない、と思う。視聴覚の付属装置がわたしの懐中電灯の光線や、足で踏みしめる床のかすかな軋みを把《とら》えそこなうはずがないからだ。しかし、結局のところ、わたしはその円筒には敢えて手を触れないことにした。なに気なしに見ていたのだが、その新しいぴかぴかの円筒《シリンダー》は、エイクリーの名のついたもので、その晩、まだ遅くならないうちに棚の上に載っていて、エイクリーがわたしに、手を触れるなといった代物《しろもの》だった。そのときのことをいまふり返ってみると、ただ自分の臆病が悔やまれ、思いきってその装置にしゃべらせてみればよかったのに、と思われるばかりである。しゃべらせたら、その正体のどういう秘密や疑惑や問題点が暴露されたか、それは神のみぞ知るだ! が、あるいは、そのときわたしが手を触れずにおいたのがよかったのかもしれない。  懐中電灯の光を、テーブルから、エイクリーのいると思われる隅の方へ向けたが、あの大きな安楽椅子は空《から》っぽで、眠っているものも起きているものも、ともかく人間といえるものは影も形も見当たらなかった。座席から床の方へゆったりと垂《た》れさがっているのは、あの見なれた古めかしい部屋着であり、そのそばの床の上に、黄いろいスカーフと、妙だなとわたしの思っていたあの足用の大きな繃帯とが置いてあった。なんとなく気乗りのしない気分のまま、いったいエイクリーはどこにいるのかしら、それにまた、必要な病人用の衣類や繃帯などをなぜ急に脱ぎ捨ててしまったのか、その点を努めてあれこれと考えているうちに、例の妙な匂いとなにかが震動している感じとが、もうその部屋にはなくなっていることに気がついた。あの匂いと震動の原因は何だったのか? 妙なことだが、その二つがエイクリーの身辺にしかなかったことが、ふと頭にひらめいた。その二つは、エイクリーの坐っているところが一番強烈であり、彼のいる部屋以外では、その部屋のドアの外側でさえそれはまったく感じられなかったのだ。わたしはひと息入れ、懐中電灯の光をその暗い書斎のあちこちに向けながら、何とか知恵をしぼって事態の一変した理由を考えてみようとした。  人の坐っていないその椅子に、もう一度懐中電灯の光を当てないうちに、わたしはその場を立ち去るべきだったのだ。ところが、実情がわかってみると、音や声をたてずに立ち去るわけにはいかなかった。それどころか、あやうく叫び声をあげそうになるところを、やっと声を押し殺したのだが、それでもその声はあたりを騒がせたにちがいない。もっとも、声を押し殺したその叫び声のために、ホールの向うで眠っているノイズという見張り人が目を覚ました気配はなかったが。その押し殺した叫び声とノイズのさっきから続いているいびきとが、怪物の出没する山中の鬱蒼たる森の崖下《がけした》にある病的に息づまりそうな屋敷の中で――それこそ、幽霊のでる田舎の、人里離れた緑の丘と呪《のろ》いの呟く谷川とのまっただなかの超宇宙的怪事の焦点の中で、わたしの耳にした最後の音声であった。  思えば、わたしが手にした懐中電灯、鞄、それにピストルを、あの大あわてのときによくも落とさなかったものだと不思議な気がするが、ともかくそれらのどれひとつをもなくさずにすんだのだ。じじつ、あの部屋およびあの屋敷から、物音ひとつたてずになんとか脱けだすと、所持品とわが身とを、車庫にある古いフォードのなかに無事に収め、月のない闇夜に未知の安全地点に向かって、わたしは古風な車を発進させたのだ。それ以後のドライブは、ポオかランボオの幻想的な作品の一節か、ドレ(一八三二―八三フランスの画家)のデッサンでも見るような思いがしたが、結局わたしがまだちゃんと正気でいるとすれば運がよい。わたしは歳月のもたらすものを恐れることがある、とりわけ、新惑星の冥王星がまことに不思議にも発見されて以来は。  いまも述べたとおり、わたしは懐中電灯を部屋中ぐるりと回したのち、空《から》になっている例の安楽椅子に向けてみた。そのとき初めて、座席の中に何かがあるということに気がついたが、それはとなりに脱いである部屋着がふっくらとたたまれていたために、いままで目だたなかったのだ。椅子の中にある物体は、数でいえば三つあったが、調査官がやってきたときには、もうどこにも見当たらなかったそうである。この話の最初におことわりしたとおり、その三つの物体には、目で見て実際に怪しいと思われるところはどこにもなかった。  その三つの物体というのは、このたぐいのものとしてはいやらしいほど巧みに考案されたものであって、巧妙な金属製の締め金でたがいに有機的な連繋《れんけい》が保たれる仕掛になっていたが、その仕掛の構造をあえてあれこれと推測するだけの気がわたしにはない。わたしはこう思う――いや、ぜひこうあってほしいと思うのだが――その仕掛は名人の手になる蝋細工《ろうざいく》の製品なのだ、と。もっとも、わたしの心の奥深くに潜む恐怖の念は、蝋細工ではない、といってきかないのだが。やれやれ! 病的な匂いを発散しながら、かつ奇妙な震動をつづけながら、闇の中で囁いていたあの怪物め! 魔法使い、密使、神隠しの取り換えっ子(さらった子の代わりに妖精たちが残して行く醜い子)、局外者……あの忌まわしい押えつけたようながやがやという声……そしてつねに棚の上の新しいぴかぴかの円筒《シリンダー》の中に収まっていた……あの哀れな悪魔め……「驚嘆すべき外科医学的、生物学的、化学的、および機械学的な技術……」  ほかでもない、その安楽椅子の中の、顕微鏡的な類似――ないし一致――に関して最後のいうにいえない微妙な細部にいたるまで完璧だったその三つのものとは、ヘンリー・ウェントワース・エイクリーの顔と二本の手であったからだ。