ラヴクラフト全集〈1〉 H・P・ラヴクラフト/大西尹明訳 [#改ページ] インスマウスの影 The Shadow Over Innsmouth [#改ページ]         1    一九二七年の暮から二八年の初頭にまたがる冬のあいだに連邦政府の役人たちは、インスマウスというマサチュセッツ州のむかしの港町のある事情について奇怪な秘密調査を行なった。世間の人が初めてそれと知ったのは二月のことで、もうそのころには、広範囲にわたる大手入れが連続的に行なわれて大ぜいのものが逮捕され、それに続いて――周到な準備のもとに――うらぶれた海岸通りにあるガタガタの、虫に喰われておそらくは住み手のない、おびただしい数の家が軒並《のきな》みに、念入りに焼き払われ、ダイナマイトで爆破されるという処置がほどこされた。暢気《のんき》な連中は、この事件を、不意に密造酒を取締るときに起こる大きな衝突に類するものである、と軽く見ていた。  しかし、もっと抜け目のない新聞記者連中は、逮捕された人間の驚くべきその頭数と、逮捕に当たって当局の動員した人員のこれまた異常に多い数と、さらに囚人たちをこっそり処刑したという点とをあやしいとにらんだ。裁判が行なわれた形跡も、いや、はっきりとした告発すら行なわれたという形跡もなかったし、また、それからのちというものは、国家の正規の刑務所に、当事件の囚人はひとりも収監《しゅうかん》されたようすもなかった。罹病者《りびょうしゃ》収容所や強制収容所に入れられた囚人についても、あるいはまた、その後各地の陸海軍のそれぞれの刑務所に分散された囚人についても、いろいろとあいまいな説が伝えられていたが、結局はっきりとしたようすはわからなかった。ともかくインスマウスの町そのものには、以来ほとんど人が住まなくなり、今日《こんにち》でも、この町の復活に関しては、あまりぱっとしない徴候が、ほんの少し見え始めたにすぎないありさまである。  この事件について各種の公共団体から出された苦情や抗議には、長文の秘密を打ちあけた弁明書が寄せられ、その代表者たちは、いくつかの収容所や刑務所に案内され、とくとその実情を見て回った。その結果、こういった各団体も、まさかと思うほど消極的になり、すっかりおとなしくなってしまったのである。新聞記者たちのほうは、もっと御《ぎょ》しにくかったが、とどのつまりは、大いに政府と協調するらしいようすであった。ただ、ある新聞――これはその露骨な方針からいつも割引されているタブロイド版のもの――だけは、深い潜水に耐える潜水艦が〈悪魔の暗礁〉のつい向う側にある深い海溝に魚雷を発射したという報道を載せていた。この記事は、水夫たちのよく出入りするそのたまりで偶然取材したものであるが、実をいうと、いささか持って回った話であった。というのは、その低い真黒な暗礁は、インスマウスの港からたっぷり一マイル半は離れており、この魚雷と例の事件となにか関係があるなどとは、とうてい考えられなかったからである。  このあたりや近くの町の連中は、むかしから、自分たち同士のあいだでは、しきりに噂ばなしをしあったものだが、よその土地からきたものには、めったに口をきかなかった。この連中が、さびれきってなかば見捨てられたインスマウスの噂をするようになってからほぼ百年になるが、いまから数年前にこの連中がこそこそと囁《ささや》いたり、それとなくほのめかしたりした事件ほど、野蛮で忌まわしいことはその後一つも起こっていない。いろいろたくさんの出来事が起こったため、おのずとこの連中は口が堅くなり、別にそれと強制されなくても、つまらぬおしゃべりはしなくなったのである。そうでなくても、事実この連中は、ほとんど真相を知らなかった。それというのも、荒れて人の住めない広い湿地が、内陸側に入《は》いりこんでいるために、近くの町の連中も簡単にインスマウスの町へ立ちよるわけにはいかなかったからである。  だが、わたしは、この件に関する箝口令《かんこうれい》などさっぱりとふり捨てて、あらいざらいお話ししてみたいと思っている。例の事件の結末は、実に徹底したものであるだけに、あの恐るべき手入れが行なわれた結果、インスマウスの町でつきとめられた事実をそれとなく持ちだしたところで、まあせいぜい嫌《いや》な顔をされるのが関の山で、いまさら世人の迷惑になるようなことはあるまいと確信している。そればかりではない、そのとき見つけられた事実も、おそらくいろいろな解釈ができるにちがいないと思う。第一このわたしがいままでに聞きこんでいる話も、事件の全貌にくらべて、その何分の一ぐらいに当たるか、それすらもわかってはいないのだし、いろいろな理由から、もうこれ以上、あれこれと深くせんさくしたいとも思ってはいない。というのも、この事件に関するかぎり、役人以外にはだれよりも、わたしが一番深くかかわりあってきたし、今後ともわたしを思いきった行動に駆りたてるにちがいないさまざまな深刻な印象を受けているからである。  一九二七年七月十六日の朝早く、インスマウスの町から無我夢中で逃げ出した人物こそわたしであって、びっくり仰天したこのわたしが、政府に対して、ぜひ調査に乗り出してはっきりとした処置をとってもらいたいと要請したればこそ、この物語の全貌が初めて明るみにでるきっかけができたのである。この事件がなまなましく、まだはっきりとわからないうちは、わたしも甘んじて沈黙を守っていたが、はやそれも昔がたりとなり、いまでは世間の興味も好奇心も消えてしまったからには、あの評判の悪い、しかも死の影と異常なまでに神を恐れぬ雰囲気とに満ち満ちた暗い影のさす港町ですごした、ぞっとするような数時間の経験を、ぜひそっと話しておきたいという妙な気分に駆りたてられている。ただもうしゃべりさえすれば、自分のさまざまな能力に自信を取り戻すたしにもなるし、あの伝染性のある悪夢の幻想にかかったのは自分が最初ではないと確かめるたしにもなるし、それにまた、前途に横たわる恐ろしい段階についても、わたしがはっきりと肚《はら》を決めるときの役にたつのだ。  初めてで、しかもそれが結局最後の機会になったのだが――ともかく初めてインスマウスの町を見る前日までは、そんな町のことは聞いたこともなかった。成人に達するお祝いに、ニューイングランド地方を――景色を見たり、名所旧蹟をたずねたり、動植物の分布状態を調べたりして旅行していたが――以前からわたしは、昔のニューベリーポートから、母の里かたの出身地であるアーカムに、まっすぐに行ってみようと計画していた。車を持っていなかったので、いつも一番安あがりの旅程を探しながら汽車、電車、バスで旅行していた。ニューベリーポートの町で聞いたところによると、アーカムへ行くには、汽車しかないという話であった。わたしがインスマウスの名を初めて耳にしたのは、この駅の出札口で運賃が高|過《す》ぎると抗議をしているときのことであった。がっしりとした体格の、抜け目のない顔をしたそこの出札係は、その言葉使いからみて田舎者でないことがわかったのだが、わたしがしきりに安あがりの旅程にこだわっているのに同情したらしく、いままでだれも教えてくれなかった旅程があるということをそれとなく持ちだしてきた。 「そう、あすこにある、あのおんぼろバスに乗ったって、行けると思いますがね」とややためらいながら彼はいった。「もっとも、この近所の連中で、あれを利用しようってやつはあんまりおりませんが。あのバスは、インスマウスを通って行くんです――この町の名は聞いたこともおありでしょう――近所の連中が嫌がるのもそのせいなんですよ。運転してるのは、インスマウスのジョー・サージェントという男ですが、あのバスには、たぶんこの町からも、アーカムの町からも、あんまり客が乗らないんですから、あれでよくまあ走ってるもんだと、いっそ不思議な気がしますよ。運賃はきっと安いと思いますが、乗客は、まあほんの二、三人で――乗っているのは、いつもインスマウスの連中だけですからな。ハモンド薬局の前の――あの四つ辻のところから、そうですな、最近、時刻表が変わっていなければ、確か、午前十時と、午後の七時と、二度発車することになっているはずです。わたしは乗ったことはありませんが――いや凄《すご》いがたがた自動車らしいです」  不吉な影のあるインスマウスの名を耳にしたのはこのときが初めてであった。普通の地図にものっていなければ、また最近の案内書にも記載されていない町があると聞いただけでも、おそらく充分に興味をそそられたにちがいないところへもってきて、この出札係がそれとなく妙なことをほのめかすのを聞くと、もうどうにも抑えきれない好奇心が強く湧きあがるのをわたしは感じた。近隣の町々に、それほど忌み嫌われるような町ならば、少なくともかなり風変わりな、どこか旅行者の注意を引くに値《あたい》するものがあるにちがいないと思った。もしもインスマウスの町が、アーカムよりも手前だったら、そこで下車してみようと思い――出札係に、なにかインスマウスの町のようすを少し聞かせてくれないかと頼んでみた。すると彼は、用心深く考えこむような調子で、かつはまた自分の話にやや得意げな面持でこう口をきった。 「ははあ、インスマウスのことですか? さよう、あれはマニューゼット河の河口にある変わった町でしてな。むかしはもう、市といったほうがいいくらいでしたよ。一八一二年の戦争以前は、たいした港でしたがねえ。ここ百年ほどのあいだに、すっかり寂《さび》れちまって、いまじゃ鉄道もありませんやね――ボストン=マサチュセッツ鉄道がそこを通らなかったところへ持ってきて、ロウレイからの支線も、数年前に廃止になりましたからな。  住んでいるものより、空家のほうがたぶん多いくらいでしょう。魚やえびをとる以外には、これといった仕事もないありさまです。漁師はみんな、おおかたこの町か、アーカムか、イプスウィッチにあきないにでかけるんです。むかしは工場もいくつかありましたが、いまでは、時間をきめて操作するごく貧弱な金の精錬所《せいれんじょ》が、たった一つ残っているだけです。  しかし、この精錬所もむかしは大きなものでしてね、その持主のマーシュという老人は、たいへんな大金持にちがいありませんな。もっとも、このじいさんは変わり者でしてね、家に閉じ籠《こ》もったきりなんです。なんでも晩年に、なにか皮膚病が嵩《こう》じたとか片輪《かたわ》になったとかいう話で、人前に出ないのもそのためなんです。このじいさんは、精錬業をやり始めたオーベッド・マーシュ船長の孫に当たりますが、母親というのは、なんでも外国の人だったようで、――世間では、南洋の土人だという噂で――だからこの男が五十年前にイプスウィッチの女と結婚したときには、それこそみんな大騒ぎをしたもんです。インスマウスの人間のことになると、世間のやつらはいつもそんなふうに騒ぎたてて、この町やこのあたりの人たちは、自分たちが、インスマウス出身のばあいには、かならずそれを隠そうとします。でも、マーシュの子供や孫たちも、わたしの見たところでは、別にほかの連中と変わっているようにも思えませんがね。ここへきたらあの子たちはわたしのいうことをきくようにさせているんです――もっとも、そういえば、近ごろ大きいほうの子供たちはこのへんにさっぱり姿を見せないようですな。じいさんのほうは、無論《むろん》そとにでてきたことはありませんよ。  どうしてみんながそれほどインスマウスを毛嫌《けぎら》いするかっていうんですか? そりゃあんた、この近所の連中のいうことを、あんまり買いかぶってもいけませんよ。あの連中は、なかなか腰を上げないが、いざ上げたとなると、もう決してやめないという手合いでしてな。奴らがインスマウスの噂をあれこれと――しゃべってきたというよりはむしろ、ひそひそ囁きかわすようになってから――かれこれ百年はたっていますな。声をひそめて話をするのも、考えてみれば、おそらく奴らは、インスマウスをなによりもこわがっているんだとわたしはにらんでいます。インスマウスをめぐる話のなかには、おそらく聞いてみて噴《ふ》きだすようなものもあると思いますよ――たとえば、マーシュ老船長が悪魔と取引をして、地獄から小鬼どもを連れてきてインスマウスの町に住まわせていたというような話や、一八四五年ごろにどこか波止場に近いある場所で、魔神崇拝と人身御供《ひとみごくう》の儀式が行なわれているのを偶然に目撃した人々がいるという話などがそれです――が、わたしは元来ヴァーモントのパントン出身の人間なので、どうも、こういう話には合点がいきかねるのです。  だが、老人のうちで、港の沖合《おきあい》にある岩礁《がんしょう》――〈悪魔の暗礁〉といってますが、この岩礁のことを話してくれるものがいたら、その話はぜひ聞いておいたほうがいいと思いますね。この岩礁は、いつもたいてい水面から上にたっぷり出ていて、海中に潜《もぐ》っている部分はたくさんはありませんが、それでもやっぱり、島と呼ぶわけにはいきませんな。話というのはほかでもありません、その岩礁に、ときどきおおぜいの魔ものが姿を現わして――そのへんを這《は》い回ったり、てっぺんに近いところにある洞窟みたいな穴に出たり入《は》いったりするというのです。この岩礁というのは、ごつごつしたでこぼこだらけの岩の塊《かたまり》みたいなもので、周囲はたっぷり一マイルはありましょうな。むかし、船乗り連中が航海を終えて港に帰ってくるときなど、この岩礁を避けるために、よく大きく迂回《うかい》したものです。  つまりそういう船乗りは、インスマウスの出身者ではなかったのです。この連中は、マーシュ船長が潮の加減がいいときを見はからって、ときどき夜、この岩礁に上陸するというんで、船長に反感を持っていたという話です。おそらくあの船長のことだから、そのくらいのことはやってのけたでしょう。というのは、わたしにいわせると、そこの岩層がなかなかおもしろいものでしてな、マーシュ船長は、海賊が隠しておいた掠奪品《りゃくだつひん》でも探し歩いて、たぶんそれを見付けたのかもしれません。まあその程度の話なら、実際にも、ひょっとするとあったかもしれませんが、その岩礁で彼が魔ものと取引をしたなどというのは、お話になりませんな。ところが実をいうと、この話を全体から推察してみて、その岩礁のことを、なんだかんだと悪くいいふらしたのは、ほかならぬこの船長自身にちがいないとわたしはにらんでいます。  いまお話ししたことは、一八四六年のあの伝染病が大流行をした時よりも以前の話で、この伝染病では、住民が半分以上も命をとられたものです。いったいあの伝染病はなんて病気だったのかはっきりしたことはわかりませんでしたが、たぶん帰国した船が、支那《しな》かどこかから持ってきた外国の病《やまい》だったのでしょう。それぁもうとてもひどいもので――町じゅうに大騒ぎが起こり、よもやほかのところではこんなことはあるまいと思われるほどものすごいあらゆる蛮行《ばんこう》が相ついで起こり、その結果あの町は、見るも無残《むざん》な姿に化《か》してしまったのです。以来二度と、むかしの姿には戻りませんでした――いまあの町に住んでいるのは、せいぜい三、四百人でしょうな。  ところがあの町の連中の感情の底に流れている正体というのは、なんのことはない、人種的な偏見なんです――といってわたしはなにもそういう偏見を持ってはいかんというわけじゃありません。わたし自身にしたところで、インスマウスの連中はやはり嫌いで、あの町にはどうも行く気になりませんな。どうやらあなたは、ことばから見て、西部のかただってことはわかりますが、このニューイングランド地方の船が、むかしはアフリカや、アジア、南洋その他のあらゆる地域の風変わりな港と大いに行ききをしていたということも、それからまた、船乗りたちが、いろいろ毛色の変わった各地の人間を連れてきたということもよくごぞんじのことと思います。セイラム(マサチュセッツ州北東部にある港町)の男が支那人を妻にして帰ってきたという話をお聞きになったことがあるでしょう。それに、ほら、どこかコッド岬(マサチュセッツ州にある大西洋につきだした岬)の近くには、フィジー諸島(太平洋南部の英領植民地)の土人がいまでも大ぜいいるそうじゃありませんか。  まあ、なんですね、インスマウスの連中の背後には、なにかそんなことがあるにちがいありませんな。あの町は、沼や入江がたくさんあって、よその町とはいつも連絡が遮断《しゃだん》されたような形になっているものですから、くわしいことはよくわからないんです。が、マーシュ老船長が、自分に任《まか》されている三|隻《せき》の船を使って、二十人、三十人と、妙な土人たちを連れ帰ったにちがいないことだけは、かなりはっきりわかっています。現在インスマウスに住んでいる連中には、確かに妙な特徴がありますな――もっともそれを、どう説明したらいいのかわたしにはわかりませんが、なにかこう、背すじがむずむずしてくるようなものなんです。あのサージェントのバスにお乗りにならば、あの男にも、そういうところがあるから、ははあこれだな、とすぐわかりますよ。あの連中のなかには、妙に頭が狭くって鼻が平べったく、それに眼はふくらんでいて開きっぱなしみたいにじっと人をにらんでいるようなご面相のものがいるんですが、こいつらの皮膚ときたら、お話になりません。鮫肌《さめはだ》で吹きでものだらけだし、頸《くび》の両側はしわだらけでくびれているんです。おまけに、若いうちから、頭が禿《は》げるときています。年を取った連中は、それぁもう、見られたもんじゃありません――まったくの話が、あの連中をこの目で見たときは、まさかと思いましたよ。自分の姿を鏡で見たら、きっと死ぬにちがいありません。畜生ですら、あの連中を嫌がっています――まだ自動車のないむかしには、馬のことではずいぶんやっかいなことがたくさんあったものです。  この町や、アーカムやイプスウィッチの町でも、あの連中を相手にするものはだれもいやしません。あいつらが町へやってくるときも、だれかよそのものがあの連中の漁場で漁をしようとするときも、どこかこうよそよそしいようすをしていますよ。妙なことに、ほかには一匹もいないのに、インスマウスの港外には魚がうようよしているんです。まあ、あんたも、一ぺんあそこで釣でもしてごらんなさい。そうすれば、奴らから、どういうあしらいを受けるのか、はっきり合点がいきますよ。あの連中は、むかしは鉄道でこの町へやってきたものです――例の支線が廃止になってからは、ロウレイまで歩き、そこから汽車に乗ったんですが、いまは、あのバスを利用しています。  ええ勿論、インスマウスにも旅館の一軒くらいはありますよ。ギルマン・ハウスといいましてね――でも、たかの知れた安宿で、お勧めしたくはありませんなあ。まあ、今夜は、この町に泊って、あしたの朝、十時のバスに乗ったほうがいいでしょう。  そうすれば向うで、夕方八時のアーカム行のバスに乗れますよ。二、三年前に、このギルマン・ハウスに泊ったことのある工場の監督がいましてね。その男は、この宿のことでいろいろ気味の悪いことを話してくれました。妙な連中がいるらしいというんです。この男の話では、ほかの部屋から話し声が聞こえたというんです――ところが、ほかの部屋はたいてい空《あき》部屋でした――だからこそ、こわくなったんですな。どうやら、外国語で話していたらしいそうですが、一番こわかったのは、ときどき聞こえてくる一種独特の声だったそうです。その声は、この世のものとも思われぬような――そうそう、消え入るような、とかいってましたっけ、――そんな声だったものだから、服を脱いで寝ることなど、とてもできなかったそうです。しばらく待っていると朝日がでて、明るくなったそうですが、その話し声はほとんど一晩じゅう続いたということです。  この男は、――ケイシーという名ですが――インスマウスの連中は、おれのことをじろじろ眺め、なにか警戒しているらしいようすだった、といいました。彼は、マーシュ精錬所を、妙な場所で見つけたんです。その場所は、マニューゼット河の低いほうの滝の上にある古い工場のなかにあるそうです。彼のいったことは、かねてからわたしの耳に入《は》いった話と、ぴったりと一致しました。あの土地のことでは、碌《ろく》な記録はありませんし、仕事のことをはっきりと書いたものは、なに一つないしまつですからね。マーシュ家の連中が精錬する金の原料を、いったいどこから仕入れるのか、これはずっと前から謎でした。正規のルートから買った形跡はないくせに、奴らは数年前に金塊をしこたま船で運び出したんです。  船乗りや精錬所の連中が、ときどき珍しい外国の宝石をこっそり売ったとか、また、そういう宝石類をマーシュ家の女たちが身に着けていたのを、一度や二度は見たことがあるとか、そんな噂もありましたっけ。たぶんオーベッド老船長が、それをどこか異教徒の港で取引したのだろうとみんな認めていましたよ。特に彼が、そのころ土人との交易《こうえき》用に使うおきまりのガラス玉や装身具をうんとこさ注文するようになってからは、そう認めていましたな。もっとも、なかには、いや老船長は〈悪魔の暗礁〉でむかし海賊が隠して置いた宝を発見したのだ、と当時も思い、いまだにそうだと思っている連中もおりますな。だが、ここにちょっとおかしなことがあるんです。この老船長というのは、もう六十年ばかり前に死んで、南北戦争以来、この港には、乗り回せるような船は一隻だってないはずなんです。それなのに、マーシュ家の連中は、さっきお話しした土人相手の交易用に使う幼稚な品物を、相変わらず少しは買い続けていましてね――もっとも奴らの話では、たいていガラスかゴム製の安物だそうですがね。インスマウスの連中自身、そういうものを見るのが好きなんでしょうな。あいつらが、南洋の人喰い人種やギニアの野蛮人とおっつかっつの劣等人種になっていないともいえませんな。  一八四六年の例の疫病で、あの町の良い血統は絶えてしまったにちがいありません。とにかく、いまではあの町の名家もほかの金持連中も、実に程度が悪いんです。さっきもいったとおり、あの町全体に、住んでいる人は、おそらく四百人を越さないと思います。もっとも、奴らにいわせると、街じゅうどこにでも人が住んでいるそうですがね。思うに、奴らは、南部のいわゆる、『白人の屑《くず》』(南部諸州の、無知で、貧困な白人階級をいう)に相当する連中で――無法でずるいうえに、人目を恐れる秘密が、奴らにはいろいろあるときています。魚やえびを沢山《たくさん》とって、それをトラックでよその町へ売りこんでいるわけですが、不思議なことに、ほかでは一匹もとれないのに、あそこにだけは魚がうようよしているんですからね。  この連中の情報をたえずつかんでいるなんて、だれにもできやしませんよ。公立学校の職員や、人口調査の係員たちは、実にえらい骨を折っていますよ。インスマウスあたりで、あの土地のものでもないのに余計なせんさくをする男がいたら、きっと冷淡なあしらいを受けるにきまっていますな。内証で聞いた話では、あの町で行方不明になった商人や役人の数は、一人や二人じゃないそうですし、気が変になったため、いまデンヴァーズのほうに行って療養している男もいるそうです。町の連中がその男に、なにかひどく恐ろしい仕打ちをしたにちがいありません。わたしだったら、なにも夜に出発しようとは思いませんね。理由はいまいろいろお話ししたはずです。あの町へは一度も行ったことはありませんし、行きたいとも思いませんが、それでも昼間の旅行だったら、まず危険はありますまい。この近所の連中なら、昼間でもやめた方《ほう》がいいと忠告するでしょうが、わたしはまあ大丈夫だと思いますよ。あなたが、ただ景色を見たり、むかしの資料でも探しに行くだけだとしたら、インスマウスという町は、まったく持ってこいのところです」  出札係からこんな話を聞いたので、わたしはその夕方、ニューベリーポートの公立図書館で数時間をすごし、インスマウスに関する資料を調べてみた。それからさらに商店、食堂、ガレージ、消防署といったところを歩き回って、土地のものにきいてみたのだが、結局、あの出札係がしゃべってくれた話の範囲を出なかったので、いくら時間をつぶしても、生まれつき口の堅いこの連中に、これ以上口を割らせることはできない相談だと、わたしも気がついた。この連中には、インスマウスに興味を持ち過ぎる人間などどうかしているのだといった、ぼんやりと人を疑うような気味があった。わたしはYMCAに泊ったが、ここの事務員は、あんな陰気な頽廃《たいはい》したところへ行くのはよしなさいとしきりにとめたし、図書館の人たちも、まったく同じような態度を示した。明らかに、教養のある人の目から見ると、インスマウスという町は、堕落した町の極端にひどい例としか映《うつ》らなかったようである。  図書館の本棚にあったエセックス郡の歴史に関する本には、インスマウスについてほとんど触れているところがなく、ただ、この町は、一六四三年に建設され、独立戦争以前には造船業で名を知られ、十九世紀の初頭には海港として大いに栄え、その後マニューゼット河を動力として利用する軽工業の中心地になったということしか書いてなかった。一八四六年の疫病や暴動は、この郡の面《つら》よごしである、とでもいったように、それに関する記事はきわめて簡単に片づけられていた。  それ以後の記録は、意味の上で間違いはなかったにせよ、この町の衰微《すいび》について触れたことばはほとんどなかった。南北戦争ののちには、あらゆる工業上の中心勢力はマーシュ精錬所に統合され、かくて、金の地金を市場に出す仕事だけが、相変わらずの漁業地に、ただ一つ主要工業として残ったのである。漁業のほうも、日用品の価格が下落して、大規模な会社が競争をするにつれて、しだいに振るわなくなったが、インスマウス港付近では、魚のいなくなるということは決してなかった。外国人は、あの町にはめったに定住しなかったし、ポーランド人やポルトガル人たちが、大ぜいであの町に定住しようとしてみたことがあったが、じつに手きびしいやりかたで追払われてしまったことがあり、この件については、ひた隠しにされているが、しかしたしかに追払ったという動かぬ証拠があった。  インスマウスに関係のある記録のなかで、一番興味があったのは、妙な宝玉類とインスマウスとが、はっきりはしないがなにか関係がありそうだとちらりと触れていることばであった。このことばが、当地方の人心にかなり強い印象を与えたことは推《お》して知るべきである。というのは、アーカムにあるミスカトニック大学の博物館と、ニューベリーポート歴史協会の陳列室とにそれぞれ収まっている標本こそ、その話題の品物だとのべていたからである。こういう断片的な説明のことばはいかにも貧弱で平凡であったが、これを読んだおかげでわたしには、むかしからのその謎の底に流れている本体について、なにかピンとくるものがあったのだ。その宝玉品類のなかには、ひどく奇妙で好奇心をそそる品物があり、そのためにわたしはどうしてもそれが気になってしかたがなく、比較的時間が遅かったにもかかわらず、もしそれが陳列されているとしたなら、当地の歴史に関係のあるその標本――明らかに一種の冠だと思われる、形の大きい、つりあいの妙な品物だといわれている――をぜひ見ておこうと肚を決めた。  この図書館の司書は、歴史協会を管理しているアンナ・ティルトンという近所に住んでいる老婦人に紹介状を書いてくれた。このかなり年をとったおだやかな婦人は、ひととおり簡単な説明をしてくれると、すでに閉館してしまったその協会の陳列室に、案内してくれた。というのも、ひとつには、時間が、考慮の余地のないほど遅くはなかったからである。そのコレクションたるや、じつに素晴らしいものであったが、当時のわたしの気持としては、片隅の陳列棚で電気の光を受けてきらめいているその異様な品物のほかにはなにも目に入《は》いらなかった。  紫色のビロードのクッションの上に置いてある、その異国風の花やかな幻想味にあふれる、不思議な、この世のものとも思われぬ素晴らしいものを見て、文字どおり感嘆の声をもらすのに、なにも美に対して人一倍敏感な感受性を持っているにはおよばなかった。いまにしても、なおあのとき、わが目で見たもののことは説明いたしかねる。もっとも、その説明書に書いてあったとおり、それが一種の冠であることにまちがいはなかった。その形は前のほうがぐっと高くなっていて、ほぼ畸形に近いほど楕円形をした頭に合わせて作ったみたいに、その円周はひどく大きいうえ、妙にくねくねしていた。その材料は、おおむね金が使われていたらしいが、一種不思議な、金よりも明るいそのつやを見ると、なにか金と同じくらい美しいが、その正体のわからない金属との合金なのではあるまいかと思われた。保存状態はほぼ完全であったから、その素晴らしい、思わず人の目を幻惑《げんわく》するようなその意匠《いしょう》を調べるためには、何時間すごしても飽《あ》きずにいられたであろう――その意匠のなかには、簡単な幾何学模様もあれば、また海を表わすいかにもあっさりとした模様もあり――信じられないほど巧妙な技術と美的感覚とをふるって、その表面に浮彫《うきぼ》りになっていた。  見れば見るほど、いよいよその冠の美しさに魅せられたが、その魅力には、ちょっと説明しかねるようななにか妙に不安な要素があった。初めにわたしは、それが奇妙なよその世界で作られた芸術品であればこそ、不安な気分になるのだろうと判断した。いままでに見てきた他の芸術品といえば、みな素性《すじょう》の知れている民族や国民の作ったものか、あるいはすべての有名な流派に対してわざと反抗していく現代的な挑戦の意味を孕《はら》む作品かのいずれかであった。これは明らかに、無限の成熟と完成を極めたある安定した技巧によって作られたものであって、しかもその技巧たるや、東洋風、あるいは西洋風とはまったくかけ離れた、また古代風でも現代風でもなく――その類例を見たことも聞いたこともないような、まったく不可解きわまるものであった。この冠には、まるで他の惑星で作られた作品のような趣《おもむき》があった。  だが、やがてわたしは、自分が不安になる原因が、あの奇妙なデザインの絵画的でしかも製図を思わせる点にも、同じくらい強く宿っているのに気がついた。その模様はどれを見ても、時間と空間に関しては、遙かに遠いさまざまな秘密と、想像もできない深淵のあることをそれとなく物語っていたし、またその浮彫りが、どこまでも単調に、ただ波の模様を表わしているところは、不吉な感じがしてくるくらいであった。浮彫りのなかには、思わず顔をそむけたくなるほどグロテスクで悪意に満ちた、忌まわしい伝説上の怪物――たとえば、なかば魚、なかば両棲類を思わせる――姿も見うけられたが、こういう二つのものを思わせる気持と、たえず頭に浮かんでくる不愉快な潜在的《せんざいてき》な記憶感覚とを切り離すわけにはいかなかった。それほど、これらの怪物の姿は、その記憶力がまったく原始的でかつ恐ろしいまでに祖先伝来のものである脳細胞の深層組織から、あるなまなましいイメージを呼び起こすかのように思われた。こういう神を冒涜《ぼうとく》するような半魚半蛙の姿こそ、人間のまだ知らない、非人間的な悪の真髄にみちあふれているのだとわたしはときどき想像した。  形が異常なのにくらべると、この冠が手に入いった径路《けいろ》について、ティルトンさんの話してくれたいきさつは平凡でつまらなかった。この冠は、一八七三年にインスマウスに住んでいたある酔っぱらいが、ステート街の質屋に、バカな安値で入質したものであった。この男は間もなく喧嘩をして殺されてしまった。そこで歴史協会がじかにこの質屋から受け出したところ、陳列に値すると見てさっそくそれを飾り棚に並べたというわけであった。この冠の分類表示にはおそらく東インドか、あるいはインドシナ産のものであろうと書かれていたが、この分類はあくまでも仮のものであると断わってあった。  ティルトンさんも、この冠がニューイングランドで作られたもので、そのままここにこうして残っているのだということに関して考えられるかぎりの仮説をいろいろと比較検討してみたあげく、どうやらこれはオーベッド・マーシュ老船長が見つけだした外国渡りの海賊の秘宝の一部らしいと信じたいような気になったようだ。その後、マーシュ家の連中は、冠がこの協会に保管されていると知るや、さっそく高値で買い入れたいとしつこく申し出てきたことから見てもティルトンさんの見解はますます強まったし、いぜんとして歴史協会のほうでは売らない決心を変えないのにマーシュ家は今日にいたるまで相変わらずその申し出をたびたび繰り返しているそうである。  ティルトンさんは、この陳列室のある建物からわたしをそとに連れ出しながら、この地方のインテリのあいだでは、マーシュ家の財産のおもなところは、海賊の宝ものだという説が一般に広く信じられていると話してくれた。暗い影のあるインスマウスの町に対するティルトン女史みずからの態度も――この女《ひと》はまだインスマウスに一度も行ったことがないそうであるが――文化程度のぐんと低い社会に対する嫌悪を現わしており、ティルトンさんにいわせると、インスマウスでは魔ものを崇拝しているという風説があって、この崇拝を、ある特殊な秘密の宗派が、ある程度まで正統なものとしてとり入れており、その宗派が現在インスマウスで勢力をふるい、正統派の教会を残らず一手に収めてしまったのだそうである。  ティルトンさんの話では、この秘密の宗派は〈ダゴン(聖書に出るペリシテ人の信ずる半人半魚体の神)秘密教団〉と呼ばれており、百年ほど前に、インスマウスの漁業が衰えそうになったとき東洋から入いってきた程度の悪い、半偶像崇拝みたいな宗派であることにまちがいはなかった。そのときから急に、インスマウスでは魚がいつでも沢山とれるようになったので、単純な連中のあいだに根強くこんな宗教が広まったのは無理もない話で、まもなくこの秘密教団は、インスマウス全体にこのうえもない影響を与えるようになり、全面的にフリーメイスンにとって代わり、ニュー・チャーチ・グリーンの旧フリーメイスン会館のなかにある本部を乗っ取ってしまった。  信心深いティルトンさんにとって、こういったことはすべて、むかしから腐敗と荒廃に満ち満ちた例の町を忌み嫌う当然の理由になっていた。だがわたしとしては、そういう話を聞いただけで、ただもうそこへ行ってみたいという衝動をあらためてかき立てられるばかりであった。単に、建築物や歴史的なものに対する期待だけにとどまらず、強い人類学的な興味も一枚加わったので、その晩、夜がしだいにふけていくのに、わたしはYMCAの小さな部屋で、ほとんど眠ることができずにいた。         2    翌朝十時少し前に、わたしは、古風なマーケット広場にあるハモンド薬局の前に、小さい旅行カバンを一つさげて、例のインスマウス行のバスを待っていた。バスの到着する時間が近づいてくると、そのへんをぶらぶら歩いていた連中がいっせいに、通りの反対の方向へ行ってしまったり、広場を横切った向うにある簡易《かんい》食堂のほうへさっと散らばって行くのに気がついた。  ははあなるほど、あの出札係の話は大げさではなく、事実このあたりの人たちは、インスマウスの町やその住氏がひどく嫌いなのだなということが、これを見てもはっきりと合点がいった。しばらくすると、おそろしく老朽《ろうきゅう》した薄ぎたない灰色の小さなバスが一台、州道を向うからがたがたとやってきて、向きを変え、わたしのつい横の曲り角のところで停車した。これが例のバスにちがいない、とすぐわたしにもわかった。車の前の窓につけてある、なかば読みとれない行先標示板も、「アーカム―インスマウス―ニューベリーポート」という意味だということが、やがてはっきりと推察できた。  乗客は三人しかおらず――陰気な顔付きでやや若さのある、色が黒くてだらしのない風体の男たちで、車が停まると、この連中はよろよろとぶざまな恰好《かっこう》で車から降り、こっそり人目を忍ぶとでもいったように黙って州道を歩き始めた。運転手も降りてきたが、わたしは、この男がなにか買いに薬局へ入いって行くのをじっと見ていた。これが出札係のいった例のジョー・サージェントという男にちがいないと思った。まだその男のこまかいところをよく注意して見ないうちから、おのずと嫌悪の念がわたしの胸一杯に湧《わ》きあがってき、どうしてもそれを抑えることもできなければ、また、どういうわけでそんな気持になるのかもわからなかった。この男がみずから所有して運転するバスには、この地方の人たちが乗る気を持たず、またこういう男やその親族一同の住んでいるようなところへは、なるべく行かずにすましたいというのは、きわめて当然のことであると思えた。  運転手が店から出てきたとき、わたしはその男をもっと念入りに眺め、自分が嫌な印象を受けたのは、いったいどういうわけだろうとしきりにそれを考えてみた。この男はやせぎすで、背はかれこれ六尺に近い猫背の男で、みすぼらしい紺の背広を着、すり切れたグレイのゴルフ帽をかぶっていた。年のころは、かれこれ三十五ぐらいであろうが、その間の抜けた、無表情な顔をしさいに見ない人の目には、首筋に妙に深くたるんだしわがあるため、年よりもふけて見えたことと思う。頭の形は幅が狭く、はれぼったくてうるんだ青い眼は、めくばせでもするようにまたたき、鼻はひらべったく、額とあごはひどく貧弱で、耳は異常に発達のおくれた形をしていた。あごひげの届かない、長くて厚ぼったい唇と、きめの粗《あら》い蒼ざめた頬には、ただ縮れた黄色い毛がぽつんぽつんとまばらにはえているだけであった。そしてその顔の表面は、まるで皮膚病のために皮でもむけたように、ところどころ妙に調和がとれていなかった。手は大きくて血管が盛りあがっており、めったにない土気《つちけ》色を帯びていた。指はからだ[#「からだ」に傍点]全体に比較して驚くほど短く、いつもしっかりと握りしめている癖があるらしかった。この男がバスの方へ歩いて行くとき、わたしはその変によろよろするような歩調をじっと眺め、この男の足が人並みはずれて大きいのに気がついた。その足をよく見れば見るほど、いったいその足にあう靴を、この男はどうやって手に入れるのかしらと不思議に思った。  この男の身辺には、なにか、汚ならしい感じがあったので、ますますわたしは嫌になった。明らかにこの男は、好んで魚市場のあたりで働いたり、うろついたりする癖があるとみえ、魚市場独特の匂いが、たっぷりと身についていた。この男の体のなかに、いったいどういう外国人の血が流れているのか、わたしには見当もつかなかった。そのようすの奇妙な特徴は、確かにアジア人にも、ポリネシア人にも、地中海沿岸の人間にも、また黒人にも似ていなかったが、それでもどういうわけで人々がこの男のことを自分とはちがった外国人と見ているのか、そのわけだけはわかった。わたしなら、そのちがいを、この男に外国的な要素があるためと見るよりは、むしろ、この男が生物学的に退化しているためであると考えるのだが。  このバスに乗る客が、わたしのほかには、一人もいないと知ったときにはなさけない気がした。とにかくこの運転手と二人っきりで行くのかと思うと、嫌になったのである。が、しかしいよいよ出発の時間が近づいたので、気分の悪さを抑えながらこの男のうしろから車に乗り、一ドル紙幣を差し出して、「インスマウス」とたったひとこと呟《つぶや》いた。その男は、口をきかずに四十セントのつり銭を返しながら、妙な顔をしてちらりとわたしを見た。わたしは運転手から離れたうしろのほうの、しかし同じ側の席に腰をおろした。このバス旅行のあいだじゅう、海岸のほうを眺めたいと思ったからだ。  がたん、と一つ大きくゆれると、いよいよボロ自動車は動き出し、排気筒からもうもうたる煙を吐きながら、煉瓦《れんが》造りの古い建物の並ぶ州道を、がたがた、とやかましい音をたてて通り過ぎて行った。歩道を行く人たちのほうに、ちらりと目を向けてみると、その連中は、妙にこのバスを見たくないような、いや少なくとも、見ているようすを見せたくないような素振りをしているのに気がついた。やがてわたしたちは、左に曲って国道に出た。すると、バスはすべるように走り出た。あの初期共和制時代の威厳のあるむかしの屋敷や、それよりもむかしの植民地時代の農家の家並みをすばやく通りすぎ、ロウアー草原とパーカー河とを通りすぎ、とうとうしまいに、長い単調な視界の開けた海岸地方へ入いって行った。  陽気は暖かく、お天気は上々だったが、砂上にスゲと伸びの悪い灌木の生えている風景は、進むにつれてしだいしだいに荒涼としてきた。車窓からは、紺碧《こんぺき》の海とプラム島の砂浜とが見えたが、インスマウスへ行く狭い道は、ロウレイやイプスウィッチ方面に行く幹線国道からはわかれているので、まもなく車は、海岸のついそばの道を走った。家は一軒も見当たらず、その道路の状態から判断して、このあたりでは、交通量はごく少ないことがわたしにもわかった。風雨に曝《さら》された小さい電話用の柱に、電線はたった二本しかついていなかった。ときどき車は、海水の掘割にかかっている丸太橋を渡ったが、その掘割は、内陸のほうにぐっと深く入いりこんでいて、この町を外部の世界から切り離す役目を果たしていた。  また、風に吹きつけられて、盛りあがった砂の吹きだまりから、枯れ朽ちた木の株や、くずれ落ちた壁の一部が頭を出しているのがときおり見えたので、きのう読んだ歴史書の一冊に引用されていた、むかしの伝説を思い起こしたが、それによると、むかし、ここは、肥沃《ひよく》で人家の多い町だった。それがこんなふうに変わったのは、一八四六年にインスマウスに流行したあの疫病と同時であって、なにか目に見えない悪魔の力と暗い関係があるにちがいない、と単純な住民たちはてっきりそう思いこんだという話である。本当のところは、海岸に近い森林地帯を、考えなしに伐採《ばっさい》したため、土《ど》どめにはもってこいの保護物を奪い去ったことになり、これがために、風に吹きつけられた砂が自由に侵入してくるようになったのが真因である。  しまいにプラム島は視野から消え、車の左に、大西洋のひろびろとした海原が見えてきた。バスの進んでいる狭い道が険しい登りになったので、わたしは前方の坂の頂上に目を移し、車の跡のついている道路と空との触れ合っているそのものさびしげな地点を見ているうちに、なにかひどく不安になってきた。まるでこのバスが、このまま健全な地球からさっと離陸して、上空の神秘な空の未知なる秘密の世界へ昇って行くのではあるまいかと思われたからだ。海の香は不吉な匂いを帯びていたし、むっつりと黙っている運転手の、その猫背のごついうしろ姿と、幅の狭い頭を見ていると、ますます嫌な気分が強まってきた。そうやって彼の姿を眺めてみると、その頭のうしろには、顔と同じようにほとんど毛がなく、灰色のざらざらした皮膚にほんの少し、黄色っぽい毛がまばらにはえているだけであった。  それからしばらくするとバスは頂上に登りつき、遙かかなたに谷間の広がっているのが見え、そこでは、マニューゼット河が、長ながと続く断崖線の真北のところで海に注ぎ、その断崖線はそれからキングズポート岬のほうにまで延び、さらにアン岬の方向にぐっと曲っていた。遠く、かすんで見える水平線には、さまざまな伝説の語りつがれている奇怪なむかしの家がその上に建っているキングズポート岬の、目のくらむような形がはっきりと認められた。が、たちまちのうちに、わたしの注意は、もっと近くの眼下に横たわるパノラマのような景観に吸いよせられてしまった。不吉な影があると噂されているインスマウスの町が、いまつい目と鼻の先にあるのだということをまざまざと感じた。  それはかなり広くて、ぎっしりと建物の密集している町であったが、人の住んでいる気配は少しも見えなかった。煙突の先から煙ひとつ立ちのぼらず、また高い尖塔が三つ、海側の水平線を背景にしてぬうっとぼんやり黒い影を浮きあがらせていた。そのうちの一つは、上のところが崩れ落ちており、ほかの二つの塔には、前に時計の文字盤が付いていたにちがいない穴がぽっかりと黒い口だけをあけていた。へこんだ切妻《きりづま》破風《はふ》の屋根や、とがった切妻がぎっしりと密集しているところは、いかにもはっきりと、虫に喰い荒らされたような感じがあったし、いまこの坂を走り降りて町に近づいて行くにつれ、町の屋根は、大部分、落ちくぼんでいることがわかった。また広範囲にわたって、寄せむね屋根や、円屋根や、手摺《てすり》のある「見晴らし台」などのついたジョージ王朝風の家の立ち並んだ一画もあった。これらの家は、おおむね海からはかなり離れたところにあって、そのなかには、ほどよく住めそうな状態の家が一、二軒あった。こういう家並みのあいだを通り抜けてずっと内陸の方へ入いって行くと、廃止になった鉄道の、錆《さ》びついた、雑草の生《お》い茂った線路が見え、今はもう電線もついていない電信柱が倒れそうになっており、ロウレイやイプスウィッチの方に行くむかしの馬車道が、うすぼんやりとした線を描いているのが見てとれた。  こういう荒れ果てた町の様相の一番ひどいところは、海辺に近いところであったが、それでも海岸地帯の中央辺には、小工場とおぼしい、かなり保存のいい煉瓦建ての白い鐘楼《しょうろう》が見えた。一面に砂で埋まっている港には、そのまわりをむかしの石の防波堤がとり囲んでいた。そしてその防波堤の上に、漁師が二、三人腰をおろしている姿が見えてきた。彼らの坐っている堤防の突端には、もとは燈台でもあったらしく、なにかその土台のようなものが残っていた。この堤防の内側には砂州《さす》ができていて、その上に、老朽した小屋と、繋留《けいりゅう》してある小船がいくつかあり、えびを入れるつぼが取り散らかっているのも見えた。あの鐘楼のような建物の横を流れている河は、南の方へ向きを変え、防波堤の末端で海に合流する地点以外に、深いところはないらしかった。  海岸のあっちこっちに、波止場の残骸が頭をだして、どこまでも老朽しつづけて行き、そのなかでも一番南に当たるところが一番ひどく荒れていた。海上遙かかなたには、波が高いにもかかわらず、長々とした黒い影がちらりと見えた。その岩礁は、海面から、その上の部分が見えるか見えないかぐらいしか出ていなかったが、それでもやはり、目に見えない妙に不吉な感じを見るものに与えた。これこそあの〈悪魔の暗礁〉にちがいないと、わたしは思った。それをじっと見ているうちに、ただ激しい反感だけではなく、なにか誘いこまれるような、妙に不思議な気分が湧くのを感じたが、気がついてみると、おかしなことに、その誘いこまれる気分のほうが、最初に感じていた反感よりもだんだん強くなってくるのだ。  これまでのところでは、途上で人と行き会わなかったが、やがて車は、さまざまな荒廃の段階を示している見捨てられた農場の横を通りかかった。するとわたしは、こわれた窓にぼろをつめこみ、貝殻や魚の死んだのが、散らかった庭に転がっている数軒の人家を認めた。ときおり、ものうげな顔をした人々が、荒れ果てた庭で仕事をしたり、魚くさい下の海岸で、蛤《はまぐり》を掘っている姿が見かけられた。また猿みたいな顔つきの子供たちがかたまって、雑草のボウボウと生い茂った戸口のところで遊んでいるのも見受けられた。どういうわけかしらないが、こういう連中を見ているうちに、あの陰気な建物を見たときよりも、わたしはもっと不安を感じた。というのはほかでもない、この連中はだれも彼も、一人残らず顔や挙動に、ある特徴を備えていたからであって、その特徴というのは、こうとはっきり定義したり、説明したりできないのだが、とにかくわたしには本能的に好きになれない性質のものであった。いや、待てよ、この独特な体つきは、いままで、特に恐怖や憂鬱の念に圧倒されながら読んだ本のなかで見かけた姿に似ているな、とふと考えた。が、そんなぼんやりとした思い出は、たちまちのうちに消えてしまった。  バスがもっと低い土地にやってきたとき、不自然なほど静かに落下している滝の姿がはっきりと見え始めた。傾きかかっていてペンキの塗ってない家が、道の西側にぎっしりと立ち並び、その数はだんだん多くなり、これまでに通ってきた家並みよりも、ずっと町らしいようすを帯びてきた。いままで前方に見えていたパノラマのような風景も、しだいに町らしい様相に集約され始め、そこかしこに、むかしは丸石の敷いてある車道や、煉瓦を敷きつめた歩道がずっと伸びていたらしい形跡が認められた。どの家も、明らかにみんな空家《あきや》で、ところどころに家の姿の見えないところがあり、そんなところでは、崩れ落ちている煙突や穴蔵の壁が、建物の崩壊したことを物語っていた。このあたり一面に、これ以上嫌なものはないような、吐気を催す魚の匂いが充満していた。  まもなく四つ辻とバスの停留所が見え始めたが、その四つ辻の左側の街は海岸地帯に続いていて、そこは道が舗装されていないままむさくるしく荒廃しており、また右側の街は、むかしは素晴らしく華麗であったことを思わせるながめであった。いままでのところ、わたしはこの町でだれ一人にも行き会わなかった。が、いまようやく、人の住んでいる気配が見え始め――そこここに、カーテンのおりている窓があり、曲り角ではときおり自動車の音が聞こえた。車道と歩道がしだいにはっきりとわけられるようになり、また、建物は――十九世紀初期の木造と煉瓦との折衷《せっちゅう》建てが多かったが――明らかにそれらの建物は、まだ充分に住めるように保存されていた。過去の面影を、豊かにそっくりそのまま保存しているこの町のまっただなかにいると、わたしはしろうとの好古家として、匂いに関する不愉快も忘れ、悪意や反感も忘れてしまった。  だがわたしは、目的地に着くまでは、一つのきわめて不愉快な強い印象を、どうしても味わわざるを得ない運命にあったようだ。バスはこのとき、中央広場、つまり放射状の中心地にやってきたが、ここの両側にはいくつも教会が立ち並び、中央にはすりへった丸い芝生の跡があって、わたしは右手の前方の角にある、柱のずらりと並んでいる大きな会館を眺めていた。その建物は、むかしは白く塗られていたのだろうが、いまでは剥《は》げて灰色になっていた。そしてその切妻のところに、黒と金色で書いてある文字は、もうすっかりあせていたので、さんざん苦労をしたあげく、やっと〈ダゴン秘密教団〉という文字だと判読した。だから、これこそ、いまはくだらない儀式の行なわれるようになっている、むかしのフリーメイスン会館だったのだ。  この意味を懸命に判読しようとしていたとき、通りの向うから、ぼーんと鐘を叩くような耳ざわりな音が聞こえてきて、わたしは注意をそらされてしまったので、すばやくもといた席に腰をおろし、窓のそとに目を向けてみた。  その音は、ずんぐりとした形の塔のついた石造りの教会から聞こえてきたのだ。明らかにこの教会は、ほかの家より時代が新しく、ゴシック風にはちがいないが、いかにも建てかたが不細工で、つり合いがとれないほど最下部が高く、しかも窓はぴったりと閉ざされていた。時計台の針は、わたしがちらりと見た側のは取れてなくなっていたけれども、その鈍い音は、十一時を告げているのだということはわかった。と、そのとき不意に、時間のことなどふっとんでしまったのは、実に激しい、名状しがたい恐ろしいものの姿を、だしぬけにぱっと見たからで、その恐怖は、いつのまにか、わたしの心を強くとらえてしまっていた。その教会の最下部の入口が開いていて、そのなかは、長方形に黒く見えていた。そしてわたしがそこに目をやったとき、あるなんらかの物体が、その暗い長方形のなかを横切ったか、あるいは横切ったように思われ、たちまちわたしの脳裏《のうり》には、悪夢のような考えが燃えあがったが、その考えというのは、いくら分析してみたところでそのなかに、悪夢らしい性質を指摘しえないという点で、やはりそれだけ気ちがいじみていたといえる。  それは生きものであった――それこそこの町の中心部に入いってから運転手以外に、最初にわたしの目に触れた生きもので――そのときわたしがもっとしっかりとおちついていたら、そんな生きものなど、少しもこわいとは思わなかったにちがいないのだが。すぐあとで悟ったように、それは明らかに特殊な法衣を身にまとった牧師であったが、その法衣はまぎれもなく、あの〈ダゴン教団〉がこの町の教会の儀式を変えてしまってから使われているものであった。おそらくわたしの潜在意識下にある注意をまずとらえ、一種異様な恐怖感を与えたのは、頭にかぶっていたその長い冠で、それは前日の夕方に、ティルトンさんに見せてもらったものとほとんど瓜二つのといっていい冠であった。この冠がわたしの想像力に作用をおよぼし、それをかぶっているはっきりしない顔と、法衣をまとったひょろひょろの姿に、なんともいえない不吉な特徴を帯びているように思わせたのだ。が、わたしはやがて、なにも自分には、それを見て身ぶるいをする思いをしなければならぬ理由はなんにもないじゃないか、と判断した。とにかく、ある地方の不思議な信仰が、なにか妙ないきさつで――おそらく地中から掘りだした所有者不明の宝物として――その社会に有名になった一種独特の冠を正装用に使っているからといって、別におかしくはないじゃないか、と思ったのだ。  見るもいやなご面相の若僧たちが、いまはほんのちらほら――一人ぽつねんとしているのや、二、三人連れだっているのが、歩道に姿を現わしてきた。こわれたいろいろな家の地階には、ところどころに薄汚ない看板を出した小さい店が潜んでいたし、わたしの乗ったバスがガタガタと走って行くにつれて、トラックが一、二台止まっているのが目に入いった。しだいに滝の音がはっきりと聞こえてき、やがて前方に、かなり深い峡谷が見え、それには道幅の広い、鉄の手摺のついた国道用の橋がかかっており、その向う側には、大きな広場が開けていた。バスがこの橋をがたんと音をたてて渡ったとき、その両側をのぞいてみた。すると、草の生い茂った崖の縁や、ずっと下流の方向に、工場らしい建物が見えた。遙か下のほうに見える河の水量はいかにも豊富で、右手の上流には、勢いのいい滝が二つ見え、また左手の下流には、少なくとも一つの滝が見えていた。この橋のところから聞こえる滝の音は、まったく耳が痛くなるほどであった。この橋を渡ると、バスは大きな半円形広場のなかへ入いって行き、右側の、高い円屋根のついた建物の前で停車したが、この建物には、黄色いペンキを塗った跡があり、なかば消えかかった文字でギルマン・ハウスと書いた看板が出ていた。  バスから降りられたのが嬉しかったので、さっそくわたしはこのみすぼらしい旅館の玄関に入《は》いって行って、旅行鞄をあずけることにした。帳場には一人しか姿が見えなかった――わたしのいわゆる「インスマウス面《づら》」でない中年の男だったが――この男には気になる質問はいっさいしないでおこうと肚を決めた。それというのも、この旅館では、いままでなん度も妙なことが起こったということを、思いだしたからである。質問するのはやめにして、わたしは広場のほうへ歩いて行った。広場には、もう発車したものとみえて、あのバスの姿は見えず、わたしはそのあたりをしさいに、値踏みでもするように、念入りに眺めた。  丸石の敷いてあるこの広場の片側は、まっすぐにマニューゼット河の河べりになっており、もう一方には、おおむね十八世紀ごろの、傾斜屋根のついた煉瓦造りの建物が、半円形に並んでいた。そしてその広場の中央から南東、南、南西へと、いくつかの通りが放射状に広がっていた。街燈は、気が滅入るほど数が少なく、光も貧弱で――光源の弱い電燈ばかりだったから――月が明るいということは知っていたが、仕事の計画上、暗くならないうちにぜひ出発しなければならないのがありがたかった。どの建物もみんなかなりよく保存され、そのなかに現在開店中の店が十軒以上はあり、そのうちの一軒はファースト・ナショナル・チェーンに属する食料雑貨品店で、そのほかには陰気くさい食堂が一軒、薬屋が一軒、魚のおろし屋の事務所が一軒と、それにもう一軒、広場の一番東側の、河に近いところに、この町でただ一つの工業であるマーシュ精錬会社の事務所があった。そこにはそのとき、ざっと十人ばかりの人影しか見当たらず、自動車やトラックが四、五台その近辺に散らばっていた。ひとに教えられなくても、ここがインスマウスという町の中心であることぐらいはすぐにわかった。東のほうには、ところどころに港が青く光るのが見え、その港を背景にして、むかしは美しかったジョージ王朝風の、三つの尖塔の崩れかかった残骸がそびえていた。川向うの岸辺のほうには、マーシュ精錬所とおぼしい建物の上に、白い鐘楼がすっくとそびえたっているのが見えた。  どういうわけかしらないが、とにかくわたしは、まずあの食料雑貨品店でいろいろと聞いてみようという気になった。そこの店員は、インスマウスの土地のものではないらしかった。みれば十七歳ぐらいの若い男が一人しかいなかったが、この土地のことで、充分満足のいく話を聞かせてもらえそうな快活で愛想のよいそのようすを見ると、わたしはすっかり嬉しくなった。その若い男はひどく話がしたいらしく、さっそくわたしは、その男が、この土地や、魚の悪臭や、こそこそとした土地の連中を嫌がっていることを聞かされた。この男には、よそからきた人間と話をするのがなによりも気休めになるのだ。この若者はアーカム出身で、イプスウィッチ出身のある家に下宿していて、暇さえあればアーカムの家に帰っているそうである。家族のものたちは、彼がインスマウスで働くのを嫌がったが、これはチェーンのほうで彼をインスマウスに配属させたのであって、また彼のほうでも、現在の仕事を止めたくはないので我慢しているという話であった。  この若者のいうところによると、このインスマウスの町には、公立図書館も、商工会議所もないということだった。しかしわたしは、自分のこれから先の方針はなんとかうまくたてられそうであった。わたしがいま歩いてきた街は、フェデラル街といって、その西側には立派な古い住宅街――すなわちブロード街、ワシントン街、ラファイエット街、アダムズ街――があり、その東側には、海岸寄りに貧民窟があった。ジョージ王朝風のむかしの建築様式の教会がたくさん見えたのは、――こういう中心街に沿った貧民窟のなかであったが、これらの教会は、どれもみんな長いあいだ見棄てられていたのだ。こういう場所の付近では、――特に河の北側では――あまり人目に立たないほうがいいらしい。なにぶんこのあたりの住民は無愛想で、見知らぬものには敵意を持っているからだ。よそからやってきたもののなかには、行方不明になったものさえいるそうである。  あるいくつかの区域には、まちがっても足を踏み入れないほうがいいということを、この若者は、相当の犠牲を払ったあげく、ようやく悟ったそうである。たとえば、マーシュ精錬所の付近や、まだ使われているいろいろな教会の付近や、またニュー・チャーチ・グリーンにあるあの柱のずらりと並んでいる「ダゴン教団会館」の付近をうろつくのは、いずれも断じて物騒であった。これらの教会はきわめて異常なものであり――よその土地ではみな猛烈に否認されたが明らかに、例の実に奇怪な儀式と法衣を使用していた。彼らの信条はまったく異端的で謎に満ちており――ある不思議な変形を行なえば、この地上にいながら――一種の――肉体的不滅にまで達することができるという暗示を与える教義が含まれていた。  この若者自身が洗礼を受けた牧師――すなわちアーカム町に住むアズベリ派のメソジスト監督教会のウォレス博士――は彼に、インスマウスでは、どの教会にも入いってはならぬと厳重に勧告したそうである。  インスマウスの住民たちについていえば、――この若者は、それをどのように説明してよいのかわからないらしかった。この町の連中は、こそこそ人目を忍んでいて、まるで洞窟のなかに住んでいる動物みたいにめったに姿を現わさなかったから、彼らがあのとりとめのない漁業をしていないときには、いったいどうして時間をつぶしているのか、これはまず想像することもできなかった。おそらく、彼らが飲んでいる密造酒の莫大な量から判断して、――昼間はほとんど酔っぱらって寝ているのであろう。彼ら同士は、無愛想ながらもある種の友情と思いやりで団結し――自分たちは世間とは別の、もっとましな実在の世界の近くにいるのだとでもいったように、並みの世間など軽蔑していた。彼らの風貌、――特にじっと人を見つめたまままばたきをしない、その開けっぱなしの二つの眼――は、なるほど人を驚かすにたる代物《しろもの》で――そのうえ、胸がむかつくような声をしていた。夜、教会では特に年に二回、四月三十日と十月三十一日に当たる彼らの一番だいじな祭日ないしは復活祭に、彼らが聖歌を歌うのを聞くのは恐ろしいくらいであった。  この連中はたいへんに水が好きで、河と港との両方で、思う存分大いに泳いだ。沖の〈悪魔の暗礁〉までの競泳は珍しいことではなく、姿の見えるそのあたりの連中は、その骨の折れるスポーツにみんな参加できるくらい丈夫そうに見えた。そう考えてみると、そのあたりに姿の見かけられるのは、たいてい若いものばかりで、その連中のなかでも年上のものほど、汚れた顔つきをしているという傾向があるように思えた。例外のばあいは、ちょうどあの旅館の老事務員のように、その人たちは、異常なご面相の痕跡《こんせき》を持っていなかった。いったい年よりの大部分はどうなっているのだろうか、それにまたあの「インスマウス面《づら》」というのは、年がたつにつれて、その症状が勢いを増す奇病なのだろうか?  一人前のおとなになったあとでそれほど大幅に徹底してからだの形を変えてしまうほどの症状――頭蓋骨のような根本的な骨格の要素にもそれは現われていた――は、無論、ごくまれ[#「まれ」に傍点]にしかなかったが、この面の変化も、この病気全体の目に見える症状と同じように、不可解でもなければ、ほかに前例のないことでもなかった。こういうことについてなにかはっきりとした結論を出そうとしても、なかなかむずかしくて簡単にはいくまい、とその若者もほのめかした。というのは、たとえいくら長くインスマウスに逗留したところで、土地の人間と個人的に親しく知りあいになったものはいないからだ、というのである。  この若者は、町に姿を現わしているものたちのうちで、一番劣等な連中よりももっと劣等な連中が、どこかに閉じ込められていると信じていた。町の連中は、ときどきなんともいえない妙なもの音を聞くことがあった。川の北側の岸に沿った街路に立ち並ぶ倒れかかったあばら家は、噂によると、それぞれ秘密の抜け穴で通じあっており、そこが例の、いままで人目に触れたことのない異様な連中を飼ってある本拠だといわれていた。仮にいるとすれば、どういう国のあいのこ[#「あいのこ」に傍点]がいるのか、わからなかった。政府の役人などが外《そと》からこの町へやってくるときには、見るからに不愉快なその連中は見えないところに隠されたものだ。  その若者は、たとえわたしが土地のものに、その場所のありかをたずねても、きっと無駄だろうと話してくれた。もっとも、ただ一人そういう質問に答えてくれそうな人がいることはいた。その人は大へんな年よりだがふつうの顔をした人で、町の北側のあばら家に住んでいて、消防署のあたりをぶらぶらうろついては時間をつぶしているということだった。この白髪のザドック・アレンという人物は九十六歳で、町でも有名な飲み助であるうえに、いささか頭がいかれていた。妙にこそこそしたところのある男で、なにかにおびえているように、いつもうしろを振り返るくせがあり、しらふのときには土地以外のものとはどうしても口をきこうとはしないのだが、しかし、例の大好物の麻薬を出されると抵抗できず、いったん酔ってしまうと、蔭ながら有名なその思い出話の、実に驚くべき話の一端をしゃべってくれるということであった。  しかし、結局のところ、その老人からの資料は、ほとんど役にたたないそうである。というのは、ほかでもない、彼の話はまったく狂人のたわごとで、とうていあり得ない驚異的な恐ろしい現象を、それとなく不完全にほのめかすだけの話にすぎず、この老人みずからの狂った幻想以外にはなんら根拠のない物語であったからだ。だれ一人、この老人の話を信用するものはいなかったが、土地の連中は、老人が酒に酔って、よそからきたものとしゃべるのを嫌がっていたから、この老人にいろいろとものをたずねているところを見られるのは、へたをすると危険であった。おそらく、噂のうちで最もばかばかしい話や幻影談のいくつかは、この老人がいいひろめたものであったらしい。  よそからきた人たちのうちにも奇怪なものを見たという人がいくたりかいたが、ザドック老人の話と畸形の住民たちの存在を突き合わせてみれば、そういう幻想が広まるのは無理もなかった。よその土地からきたもので夜遅くまで戸外に出ているものはなかったし、そんなことはしないに限る、と蔭ではこっそりいわれていた。そうでなくても、夜の街はうす気味悪いほど暗かった。  彼らの仕事についていえば、――魚が豊富にいるということは、たしかに不気味だといっていい現象であったが、この土地の連中は、しだいにこの魚から利益が得られなくなっていた。おまけに値段はさがっているのに、競争ははげしくなっていた。もちろん町の本当の仕事は精錬であって、その取引上の事務所は、いまわたしたち二人の立っているところから、ほんの二、三軒東の四つ角にあった。例のマーシュ老人は、決してそとに姿を現わさなかったが、ぴったりと閉めきってカーテンをおろした車に乗って、ときどき工場に出かけるそうであった。  マーシュ老人がどんな姿になっているかということについては、さまざまな噂が流れていた。むかしはたいへんな洒落《しゃれ》ものだったから、いまでもその畸形的な体に調製したエドワード王朝式なフロックコートを着ているともいわれていた。前には、彼の息子たちが、四つ角の事務所を運営していたが、のちにその息子たちも長いあいだ姿を見せなくなり、仕事の実権は孫たちの手に渡っていた。マーシュ老人の息子や娘たちは、まったく奇妙な姿に変わり、とりわけ長男の変わりかたはひどく、みんな健康をそこねているといわれていた。  マーシュの娘たちのうちの一人は、見るからに不愉快な爬虫類みたいなようすをして、明らかに例の奇妙な冠と同じ外国からきたとおぼしいひどく不気味な宝石類を身につけているそうである。話してくれた若者も、ちょいちょいそれを見たことがあり、それは海賊が鬼の宝庫から持ってきたものだという噂があるそうであった。ここの牧師――ないし僧侶、あるいは現在、どういう名で呼ばれているかしらないが、その連中――もまた、冠みたいな頭飾りをつけていたが、その連中の姿はめったに見られないし、このほかにも、いろいろ妙な連中が、インスマウスの周辺にいるらしいが、この若者はまだ見たことがないということであった。  マーシュ家の人々は、この町でほかに名家といわれる――ウェイト、ギルマン、エリオットという三家の人たちと同じように――みんな交際嫌いで、この一家はワシントン街にあるいくつかの広大な家に住み、そのなかの数軒には、人前に顔を見せられないために、すでに世間に対しては死亡の通知と記録とが出されていながら、実際にはまだ生きている親戚のものが、かくまわれているそうであった。  この青年は、街名標識が大部分なくなってしまっているからといって、わたしのために、概略ではあるが充分役にたつ町の目ぼしい所を描いた面倒な地図を作ってくれた。ちょっと見ただけでもこの地図がうんと役にたちそうなことがわかったので、お礼をいうと、その地図をポケットに収めた。ただ一軒だけレストランがあるのは知っていたが、そこがいかにも不潔なのが嫌だったので、わたしはその食料品店でチーズ、ビスケット、しょうが入りウェファースを、あとで昼食がわりに食べるつもりでたっぷり買いこんだ。最初に考えた計画では、まず町中のおもな通りを歩いてみて、途中、この土地のものでない人に会ったら、話をし、八時になったらアーカム行きのバスに乗ろう、と決めた。この町が、極端に荒廃した地方都市の見本であることはわたしにもわかった。が、わたしは社会学者ではないから、念入りな観察は、建物だけにすることにした。  こうしてわたしは、陰影に包まれたインスマウスの狭い街を、なんとなくとまどいながらも徹底的に歩き始めた。橋を渡ると下流の滝の音のするほうに道をとり、マーシュ精錬所のついかたわらを通ったが、妙なことに、仕事をしているらしいもの音は少しも聞こえなかった。この精錬所の建物は、きりたった崖の上にあって、その崖の近くには、橋が一つと、さまざまな道路が一つに合流してくる中心の広場とがあったが、この中心の広場は、独立戦争以後に現在の中央広場にとって代わられるまでは、むかしの中心地だったところだとわたしには思われた。  中心街にある橋を渡って、例の峡谷をまたもう一度向う側に越えると、思わず身ぶるいのするような、すっかり荒廃しきったところに出た。倒れかかった切妻屋根が、見渡すかぎり一面に、ギザギザののこぎり型に幻想的な線を天空に描き、その上にてっぺんの壊れたむかしの教会の尖塔が、妖怪のようにそびえていた。中心街には、人の住む家もいくつかあったが、大部分は、しっかり釘づけになっていた。舗装されていない街路を行くと、荒廃したあばら家の窓が黒くぽっかりと口をあけているのが見受けられたし、そういうあばら家のうちには、土台の一部分がさがっているために、まさかと思うほど危険な角度にまでがっくりと傾いている家が、沢山《たくさん》あった。これらの窓は、いかにも化けものじみた感じでじっとこちらを見つめているような感じがしたので、東がわの水辺のほうに向かうのには勇気が要った。たしかに荒廃したある一軒家を見て感ずる恐怖心は、そういう家々が寄り集まって、町全体がそっくり荒廃した様相を呈しているのを見るにつれて、しだいに算術級数的にというよりも、むしろ一度にぐっと幾何級数的に大きくなるものだ。こういうどんよりとした空虚と死の影のさしている果てしない街路をながめ、こういう無限に続く黒々とうずくまった家並みの一画が完全に打ち捨てられたまま、くもの巣と、過去の思い出と、さまざまな害虫にゆだねられていることを考えると、どんな頼もしい哲理を思い浮かべても、払いきれない根強い恐怖と嫌悪とを覚えないではいられなかった。  フイシュ街は中心街におとらず荒涼としていたが、それでも煉瓦造りや石造りのたくさんの倉庫が、まだ立派に形を保っている点だけでもまし[#「まし」に傍点]であった。ウォーター街も、これまたまったく同じくらい荒廃しており、ただ、むかし波止場のあったところに、海のほうに向かっていくつも大きい掘割が見受けられた。人影といえば、遠い防波堤のところにちらほら働いている漁師のほかにはひとりも見当たらず、もの音も、港に寄せる波の音と、マニューゼット河の滝の音以外にはなにも聞こえなかった。インスマウスという町はますますわたしの神経をいらいらさせた。ぐらついているウォーター街の橋を、もときたほうに引き返しながら、わたしはそっとうしろを振り返ってみた。例の略図を見ると、フイシュ街の橋はすっかり壊れていると書いてあった。  川の北側には、薄汚ない生活の営まれている形跡が――ウォーター街の、現に操業中の魚肉罐詰工場、煙を吐いている煙突、あちらこちらを修繕した屋根、ときどきどこからともなく聞こえてくるもの音、ほんのときどき陰気な舗道や舗装されていない小径によろよろ歩いている人影といった、なにか薄汚ない生活の営まれている形跡が見受けられたが――わたしにはこの地域のほうが、町の南部の荒廃しきった地域よりも、もっと憂鬱に感じられた。一つには、このあたりの人々のほうが、街の中心あたりの人々よりも、もっと忌まわしくて異常だったからであり、そのためにわたしはぐあいの悪いことに、ちょっとうまくのべられないが、ある極端にとりとめのない想像を何度も思いめぐらしていたのだ。それはつまり、仮にあの「インスマウス面《づら》」が、本当は病気ではなくて、むしろ種族の血統によるものであるとすれば、――インスマウスの住民のうちで、この海岸寄りの地域に住む連中のほうが、内陸寄りの連中よりも、外来系の血統を強く引いており、そのばあい、この海岸寄りの地域には、もっと極端に外来系の血統を伝える人間が潜んでいるかもしれないという想像であった。  ささいなことだが、一つだけわたしが気になっていたのは、かすかに聞こえてくるわずかな音が、いったいどこから伝わってくるのかしら、という点であった。その音は、当然ながら、どう見ても人の住んでいる家々から聞こえてきていいはずであったが、実際には、最も厳重に釘付けされた家の内側から、一番はっきりと聞こえてくることがちょいちょいあった。なにかが軋《きし》んだり、せかせか走ったり、またざらざらするような、えたいの知れない音が聞こえ、例の食料品店の者から聞いた秘密の抜け穴のことを思い出すと、気味が悪くなった。ふと気がついてみると、わたしはしきりに、その外来系の種族は、いったいどんな声をしているのかしらと考えていた。いままでのところ、この地域で人の話し声は聞こえなかったし、またなぜか、聞こえてこなければいいのだが、と願っていたのだ。  わたしはしばらく立ちどまって、中心街とチャーチ街とに建っている、それぞれ立派ではあるが荒廃したむかしの二つの教会を、気がすむだけ眺めると、その海辺のひどい貧民窟を足ばやに立ち去った。つぎに足を向けるところは、理屈からいえば、ニュー・チャーチ・グリーンのはずであったが、どういうわけかわたしには、さっき地下室のところで、妙な冠をつけた牧師だか司祭だかの、なんともいえぬ恐ろしい姿がちらりと見えたあの教会の前をもう一度通るなどとは、とてもがまんできなかったのだ。おまけにあの食料品店の若者も、この町の教会は、例のダゴン教団会館と同じように、よその土地からきたものは近づかないほうがいいといっていた。  そこでわたしは、中心街の北側を、そのままずっと歩き続けてマーチン街まで行き、そこから内陸側に曲って、例のグリーンの北側のところで、無事フェデラル街を向うへ渡り、ブロード街の北隣に当たるワシントン街、ラファイエット街、およびアダムズ街、という寂《さび》れた上流地域に入いって行った。こういうむかしの立派な通りは、なるほどその路面は手入れが悪く、雑草も生えたままになっていたが、その楡《にれ》の街路樹の荘厳さは、まだ多少その面影を残していた。わたしは一軒一軒大きな屋敷に目を見はったが、その一部分は荒れ果てたまま、これもまたかえりみられなくなった敷地のなかで、出入口を板張りされたままになっていた。が、それでも、一つの街に、一、二軒は、人の住んでいる気配がうかがえた。ワシントン街では、人の住んでいるらしい、しかも修理の行き届いた家が軒並みに四、五軒ならび、おまけによく手入れのできた芝生の庭と畑とがついていた。このなかで最も豪華な――それこそテラスのついた広い花壇が、そのままうしろのラファイエット街まで延びている邸こそ――苦労のたえないあの精錬所の持主たる、マーシュ老人の邸宅にちがいないとにらんだ。  こういう街には、生きものの影がまったくなかったので、インスマウスには犬も猫もいないのかしらと思ったほどだ。もう一つわたしが首をかしげ、気味悪く思ったのは、特に充分手入れのできた家でさえ、三階と屋根裏部屋の窓がいずれも堅く閉まっているということであった。このよそよそしい、死の影の差すしずまりかえった町にあっては、人目を忍ぶ、ひそやかな空気が行きわたっているらしく、わたしは自分の一挙一動が、どこかわからぬもの蔭から、あのずるそうな、じっと見開いたままにらむような目で、監視されているような、どうしてもそんな感じから逃れられなかった。  わたしは左手にある鐘楼から、鐘の音が三つずつ割れるように鳴るたびに身ぶるいした。その音律の流れてくるずんぐりとした教会をありありと思い出したからだ。ワシントン街を河のほうへ辿《たど》って行くと、目の前に現われたのは、むかし商工地帯だったらしい新しい地域で、前方に工場の廃墟が見え、ほかにむかしの鉄道の駅らしい痕跡のある廃墟を見ながら、右手の谷にかかっている鉄道の橋のところまで歩いて行った。  目の前の危なっかしい橋には注意を促す掲示がついていたが、わたしは思いきって危険を冒し、もう一度向うの南側へ渡ってみると、そこにもどうやら人の住んでいる形跡があった。人目を忍ぶようにひょろひょろ歩いている連中が、こっそりとわたしのほうを見つめていたし、もっと当たり前な顔をした人々は、冷淡に、もの珍しげな目をわたしに投げた。インスマウスは、みるみるいたたまれない町になったので、まだ発車時間までにかなり間のあるあの不吉なバスを待つまでもなく、なにかアーカムのほうへ行く車を拾えればと思いながら、ペイン街に折れて中央広場のほうに足を向けた。  このとき初めて、わたしは左手のほうに壊れかかった消防署を見、赤ら顔であごひげを生やし、目のとろんとした老人が、なんともいいようのないひどいぼろを身にまとって、消防署の前のベンチに腰をおろしたまま、これもあまり身だしなみのよくない、しかし別におかしな顔はしていない二人の消防夫と話しあっているのに気がついた。これこそ、もちろん、あの例の、むかしのインスマウスとその面影に関する話が、実に忌まわしくて信じがたいといわれている、あの頭のなかば変になっている、九十歳代の老人たるザドック・アレンにちがいなかった。         3    さっきのようにわたしが計画を変更して、すぐにもこの町から立ち去ろうと思いたったのは、なにか天邪鬼《あまのじゃく》な気持――つまり暗黒の目に見えないところからくる冷笑的な引力――のせいにちがいなかった。わたしは初めから、町の視察は建物を見るだけにするつもりだったから、この死と荒廃にすさんだ町から早いところ逃げだす乗物の便を得ようとして、中央広場のほうに急いでいた。ところがこうしてザドック老人の姿を見ると、ふとまたわたしは気分が変わり、帰りを急ぐわたしの足も思わず乱れてのろくなった。  さっきわたしは、この老人が口にするのは、荒唐無稽《こうとうむけい》でちぐはぐな話で、とうてい信じられそうもない怪談をほのめかすのが関の山だと聞かされていたし、この老人と話しているところを土地のものに見られるのは危険だという警告も受けていた。が、なにはともあれこの老人が、インスマウスの町の没落を目撃し、船や工場で栄えていたむかしにまでさかのぼる記憶を持っているのだということを考えると、わたしはもう、いくらやめろときかされてもじっとしていられない好奇心に駆りたてられた。結局のところ、神話、伝説のたぐいは、どれほど奇妙な気違いじみた話にせよ、はじめは真実に基づいた象徴、つまりは寓話にほかならないものだし――このザドック老人は、ここ九十年間にインスマウスに起こったあらゆる出来ごとを見てきたにちがいないのだ。好奇心が常識と自制力を破って燃えあがり、血気にまかせた自惚《うぬぼ》れから、わたしは生《き》のウィスキーの助けを借りれば、この老人に口を割らせ、とりとめもなく誇張したままあふれ出てくるその話から、ひょっとすると本当の歴史的な土台だけを選《え》りわけられるかもしれないと思ったのだ。  この老人にいまここで話しかけるのは消防夫たちの目にとまって反対されるにきまっているから、まずできない相談だとわかっていた。そこでわたしは、さっき食料品店のあの若いものから、たっぷり酒があると聞いていた店で密造酒を買っておこうと思い返した。さてそうしておいてから、なにげなく通りがかったふりをして、消防署のあたりをうろついて、ザドック老人のよくやる癖でぶらぶら歩きだしたところを見はからってばったりと出会えばよいわけである。たしかあの若もののいうところによると、ザドック老人はじっとおちついていない性分で、消防署のあたりに一時間以上もじっとしていることはない、ということであった。  中央広場から少し離れたエリオット街のうすぎたないよろず屋の裏口で、少し高かったが、五合入りのウィスキーの中壜をあっさりと手に入れた。応対した下品な顔の店員には、人をねめつけるような「インスマウス面《づら》」らしいところがいくぶんあったが、態度はしごく丁寧《ていねい》であった。おそらくトラックの運転手とか、純金の買い手とかいったような、よそからこの町にやってくる酒ずきな客を扱いなれているせいであろう。  もう一度広場のなかに入いって行ったとき、どうやら運が向いてきた、とわたしは思った。というのは――ペイン街からよろめき出てギルマン・ハウスのあたりに――ほかならぬあの背の高いやせほそった、ぼろをまとったザドック・アレンその人の姿を見つけたからである。とっさにわたしは、計画どおり、いま買ったばかりのウィスキーをちらつかせて彼の注意を引いた。するとまもなく、わたしは彼が、わたしの知っているうちで一番さびしいところへ行く途中のウェイト街に入いって行くわたしのあとから、ものほしげによろよろとついてくるのに気がついた。  わたしは食料品店の若者が作ってくれた地図をたよりに、さっき出かけたあの南部の海辺の寂《さび》れきったところを目指して歩いて行った。そこに着いてみると、遙か遠くの堤防の上にいる漁師たちのほかには、まったく人影は見えなかった。そこで、さらに二、三丁南へ行けば、その漁師たちにも見えないところへ到達できるし、荒れはてた波止場で二人の坐るところを見つければ、誰にも姿を見られずに、何時間でも好きなだけザドック老人の話が聞けるはずであった。わたしが中心街に入いらないうちに、「よお、だんな!」と呼びかけてくる、かすかなしゃがれ声を背後に聞いたので、まもなくわたしは、彼が追いついてくるのを待ち、ウィスキーを一杯、ぐっと徳利飲みさせてやった。  ウォーター街をまっすぐに歩きながら、わたしはそろそろさぐりを入れ、やがてあたりにまったく人気《ひとけ》のない、倒れかかった薄気味の悪い廃墟に入いると南に折れたが、この年寄りのおしゃべりは、こちらの当てにしているほど簡単にははずまなかった。結局わたしは、崩れた煉瓦《れんが》の壁と壁とのあいだに、海のほうに視界の開けた、雑草の生い茂っている空《あき》地があり、その向うには草の丈《たけ》ほどの土と石の波止場《はとば》が突きだしているのを見てとった。水ぎわの苔に覆われた積石は、一応腰がおろせるように思えたし、この場所なら、北側が荒廃した倉庫にさえぎられているので、どこからも見られそうになかった。このあたりこそ、ゆっくり話を始めるのには持ってこいの場所だと思った。そこでわたしは、老人を下の小路のほうに案内し、苔の生えた石のあいだで、ぐあいよく腰がおろせそうなところを選んだ。あたりは死と荒廃の雰囲気にひたひたと包まれ、なま魚の臭気がたえがたいほど鼻をついた。が、いまはほかのことにはいっさい気をとられまいと肚を決めていた。  もしもわたしが八時発のアーカム行きのバスに乗るつもりなら、話せる時間はかれこれ四時間ばかり残っていたので、この老いぼれの酒のみに、もっと酒を飲ましてやるとともに、自分は質素な昼食をとり始めた。もっとも、酒をおごるのはよいのだが、うっかり酒がききすぎて、ザドックがいい気持に酔っぱらって、つい眠ってしまうことのないようにわたしは気をつけた。一時間もたったころには、いままで人目を恐れるようにむっつり閉ざされたその口も開きかけたが、がっかりしたことには、いくらわたしのほうで、インスマウスとその陰影にとりつかれたむかしのようすとについて問いただしても、そういう質問はすらりと避けて、ちかごろの話題ばかりしゃべりまくった。話しぶりから、わたしには、ザドック老人が新聞関係に顔が広く、その考えかたが田舎流にひどく理屈ばっていることがわかった。  そろそろ二時間近くなろうとするころには、わたしも、ウィスキー五合では、とても満足な成果は得られないかもしれないと心配になり、いっそザドックを待たせておいて、もっとウィスキーを取りに行ったほうがよいのではあるまいかとしきりに考えていた。ところが、ちょうどそのとき、いままでなにを質問してもほどけなかった老人の堅い口が、偶然にほどけ、ぜいぜい息を切らせながら、散漫《さんまん》にしゃべっていた老人の口ぶりが、不意にその調子を改めたので、わたしは思わず前にひとひざ乗りだしてじっと耳を澄ました。わたしは、ちょうど魚くさい海に背なかを向けて坐っていたが、老人は海のほうに顔を向け、どういうわけか、いままでふらふらそのあたりを見ていた視線を、遠い海面すれすれの〈悪魔の暗礁〉にぴたりと据《す》えていた。そのときその暗礁は、ありありと、まるで差し招くように波間に姿を見せていた。その光景を見ると、どうやら老人は不愉快になったらしく、その証拠に、ひとしきり、馬鹿だの畜生だのというひどいことばを、小さい声で吐きちらしたあげく、そっと打ちとけた声で、おつ[#「おつ」に傍点]な横目でにらみながら、わたしのほうにぐっと寄りかかると、上着の襟をしっかりとつかんで、聞きちがえようのない次の話をしゃべり始めた。 「そもそも、ことの起こりとなった舞台というのは、ほかでもない、あすこから急に海がぐっと深くなっている、あの悪いことずくめの糞いまいましい暗礁なんです。まあ、地獄の一丁目のようなもんで、深さをはかろうといったところで、とても底までは測鉛《そくえん》の届かねえ、ひどく深いところなんです。あの老船長のオーベッドは、でかしたもんです、――南洋の島でえらくもうけたっていう話ですが、ここでは、もっともうけたそうですからね。  当時は、だれもかれもみんな不景気でした。商売はふるわなくなって行くし、工場のほうも仕事がなくなるし――新しい工場もだめになるし――いやもう、わたしらの仲間で一番|羽振《はぶ》りのいい連中でさえ、一八一二年の戦争では、海賊船にごっそりいかれるか、さもなけりゃあ、ギルマンの持船だった二本マストのエリズィー号や、平底運搬船のレインジャー号と一緒にお陀仏《だぶつ》になったものです。オーベッド・マーシュも二本マストのコロンビー号とヘティ号、それに三本マストのスマトラ・クィーン号という三隻の船を使っていました。奴だけでした、東インドや太平洋で仕事をしていたのは。もっとも、エスドラス・マーチンの持っていた三本マストのマレイ・プライド号も、一八二八年には、ようやく思い切った貿易をするようになりましたっけ。  オーベッド船長のような男は二人とはおりますまいよ――ああいう年をとった腕白小僧みたいな男は! えっへっへ! わたしはあの男がよく外国の話をして聞かせたのを憶えているし、また世間のものがつらい思いを抱《かか》えながら教会へでかけるのは、愚の骨頂だといってたのをいまでも憶えていますよ。あの男のいうには、世間の奴らは、西インド諸島あたりの土人みたいな神様を信仰したほうがいいそうです。その土人の神様というのは、お供《そな》えをすれば、代わりに魚が沢山とれるようにしてくれるし、みんなの願いごとを本当にかなえてくれるという話でした。  オーベッドの一番仲のいい友だちだったマット・エリオットもいろんなことをいってましたが、このエリォットだけは、異端の邪教に反対したんだそうですよ。エリオットの話によると、オサハイト島の東のほうに一つの島があって、その島には、どのくらいむかしのものか見当もつかないほど古い石造の遺跡がたくさんあるそうです。なんでもカロリン諸島中のポナペ島あたりにも、これと同じ種類の彫像があるという話ですが、石像の顔は、イースター島にある大きな彫像の顔と似ているそうです。その近くには、火山島も一つあって、その火山島には、種類のちがう遺跡があり、彫像のようすも例の小島のとは別の種類で、もとは海の底にでもあったように摩滅《まめつ》しているうえ、その表には、一面に恐ろしい怪物の絵が彫ってあるという話でした。  ようござんすか、だんな、エリオットがいうには、そのあたりの土人たちは、魚はいくらでも好きなだけとれたし、またその体には、例の小島の遺跡にある彫像と同じ怪物の彫りもののある、変てこな金で作った腕輪とか腕飾りとか、頭につける装飾品などを、きらきらとつけていたそうですが、その彫りものというのは、なんかこう、魚みたいな蛙というか、蛙みたいな魚というか、そんな形をしたものが、まるで人間のように、いろんなポーズをしているところが描いてあったそうです。その連中が、いったいどこでそういう飾りを手に入れるのか、船乗りのうちでだれ一人知っているものはいませんでしたし、ほかの島の土人たちも、自分たちが不漁のときに、ついお隣のその島の連中が、どういうわけで大漁なのか、まるっきり見当もつかなかったそうです。マットのやつも、これには首をかしげたし、オーベッド船長も不思議だと思ったそうです。が、オーベッドは、毎年どえらい数の若者が、行方不明になって、それっきり帰ってこないのに気がつきました。それに年より連中の数も、そんなに多くないということもわかったんです。オーベッドのほうでも、心ひそかに、いくらすごいカナカイ族にしても、これはまた、ずいぶんすごい御面相のやつがいるもんだと思いまさあね。  その異端の連中から、奴らの信仰の本体を聞きだしたのは、オーベッドでした。いったいどうして聞きだしたのかわかりませんが、オーベッドはまず手はじめに、土人たちが身につけている金《きん》のような代物《しろもの》と、土人たちの喜びそうな安ぴかなガラス細工などを交換したんです。その金のような代物をどこで手に入れるのかということを土人たちに聞きだしているうちに、結局、老酋長のワラキーという男から、それにまつわる話を聞きだしたというわけです。オーベッドのほかには、一人として、そのむかしの黄色い悪魔の話を信じませんでしたが、オーベッド船長には、まるで本でも読むように、土人の心が読みとれましてね、えっへっへ! いまはもういくらわしがこの話をしたって、だあれも信じやしませんからね。まあ、あんたのようなお若いかたも信じてはくれまいと思いますが、――どうもこうやってあんたをじっと見ていると、オーベッドみたいに、人の心が読みとれるような鋭い目をしていらっしゃいますな」  この老人の囁きはしだいにかすれていった。この老人の話はよっぱらいの寝ごとにすぎないと百も承知していながら、そのしゃべりかたの恐ろしい、切実な、不吉な調子を感じとると、思わずわたしは身ぶるいした。 「ところで、だんな、オーベッドの奴は、この世のなかで聞いた人間のほとんどない――また、たとえ聞いたところで信じられないような代物がいるということをはっきり自分の目で見たのです。このカナカイ族というのは、海の底にすむ一種の魔神に、若い男や娘をたくさん生贄《いけにえ》にして、そのお返しに、あらゆるお恵みを受けていたらしいんです。土人たちは、あの奇妙な廃墟のある例の火山島で、その一種の魔神みたいなものに会っていたのですから、どうやら魚とも蛙ともつかない例の怪物の恐ろしい絵は、この魔神の姿を描いたものらしいです。おそらく、土人たちは、いろいろと人魚に関する話を聞いて、そういう伝説を始めたのではありますまいか。それによると、元来海の底には、あらゆる種類の町があって、その島も、もとは海底から盛りあがってきたものだそうです。この島が、むかしいきなり海面に浮かびあがってきたとき、その石造の建物のなかに、まだなん人か生きていたのがその魔神たちだといわれています。だからこそカナカイ族は、海底にいたという噂があるのです。陸にあがってくるとその魔神どもは、たちまち身振り手真似で話をつけ、やがてほどなく取引を始めるようになったのだそうです。  そいつらの好物は、人間の生贄《いけにえ》でした。海底では、なん年もそれを味わったことがあったのですが、陸上の世界とは一度きりで、縁が切れていたのだそうです。そいつらが、生贄にされた人間たちをどんなふうに始末したか、わたしにはわかりませんし、オーベッドも、そのことはあまり深く追求したくはなかったでしょうよ。でもそのほうが異端の土人たちにも都合がよかったのです。というのは、ほかでもありません。土人たちは暮しむきが苦しくって、万事に行きづまっていたからです。土人たちは、毎年二回――つまり五月祭の前夜(四月三十日の宵)と万聖の宵祭(十月三十一日)に、海の魔神に若い男とか娘をいくたりか、人身御供《ひとみごくう》にするのです。その他にも、自分たちの作った彫刻的な装身具を多少供えたものです。そのお返しとしてもらうことになっていたのは多量の魚で――そのあたり一帯の海からとれました――それと、ときどき金《きん》のようなものが少しばかり手に入《は》いったということです。  さて、いまもお話ししたとおり、土人たちは、例の小さい火山島で、その怪物どもに会い――カヌーにその他のものを乗せてそこまで行ったのでしょう、――そして帰りには、お返しとして、金のような貴金属類を持って帰ったわけです。初め怪物どもは、大きな島にはやってきませんでしたが、しばらくするときたがるようになりました。土人たちとつきあいができてからのちは、大きな島にぜひきたがり、お祭りの日――つまり四月三十日と十月三十一日には、実に盛大な式をやるようになったそうです。いいですか、その怪物どもは、陸の上でも生きていられるんです――いわゆる両棲動物というのでしょう。カナカイ族の連中は、その怪物どもに向かって、ほかの島からきた土人どもは、仮に、怪物どもがこの島にいるという噂を聞いたら、きっとおまえたちを殺してしまうだろうと話してきかせたが、怪物どもは、平気な顔をしていたそうです。そりゃそうでしょうとも、いくらほかの島の土人どもが追っ払おうと思ったって、その気になれば怪物どもは、土人たちを一掃《いっそう》するくらい朝飯前だったにちがいありませんや。つまり、むかしこの地上から姿を消した種族も――それがどんな種族だかしらないが――やはり同じような目にあわなかったとも限りませんな。だがその怪物どもも、騒動は起こしたくなかったものとみえ、だれかよそからこの島にやってくるものがいると、隠れていたもんです。  カナカイ族の連中は、蛙のようなその魚人族とつきあうようになって、いささか苦労した点もあったにちがいありませんが、とうとうしまいには、そのことについて、ある新しい見かたをするようになってあきらめたそうです。つまり、どんな生き物も、みんな元をただせば水のなかから出てきたもので――ほんの少し体が変化しただけで、もとの水に帰れるわけだとしてみれば、人間というものも、この水の中に棲《す》む怪物と多少は関係があるにちがいない、というわけです。この怪物どもは、カナカイ族に向かって、もしも自分たちと混血すれば、最初のうちは人間によく似た子供ができるだろうが、そのうちだんだん怪物に似た子ができるようになって、しまいには、すっかり水に馴染《なじ》めるようになったうえ、海の底でその怪物と同じ生活ができるようになるだろう、と教えたのです。さてあんた、ここのところが一番だいじなんですぞ――実は、そのカナカイ族のうちで魚人族と混血して水中生活に入いって行った血統のものたちは、もう自然に死ぬということはなくなったのです。ただし暴力で殺されるばあいは別ですが。  ところで、だんな、オーベッド船長がその島の土人たちと知りあったころには、もうその土人たちは、深海に住んでいるその怪物とすっかり混血しきっていたらしいそうです。土人たちは、年をとって怪物の血統の徴候が体に現われ始めると、水中のほうが体になじめるようになって陸上生活をやめたくなるまで、じっと身を隠しているんだそうです。なかにはほかのよりもすぐ水に馴れるものもいれば、また水中生活ができるところまでは変化しない連中もいたということです。が、しかしまずたいていのものは、怪物どもがいったとおり、その生活ぶりは変わりました。生まれつきが怪物に似ていたものは、すばやく順応しましたが、それと反対に、ほとんど人間と変わりのない姿をした連中は、ばあいによると七十過ぎるまで島にとどまっていたそうです。勿論《もちろん》、その年になるまでには、よく、ためしに海底に潜ってはみるのですが、いったん海中生活になじんだ連中も、ふつうはよく陸上へあがってきたそうです。だから、島の土人たちのうちには、もう二百年もむかしに海中に入いった五代目の大祖父と口をきいたことのあるものもあったそうです。  この土人たちには、死ぬということが、どんなことなのかわからなかったわけです。もっとも、まだ水中生活にすっかり切り換えてしまわないうちに、ほかの島の土人たちとカヌーに乗って戦争をしたり、深海の底にいる魔神の生贄《いけにえ》にされたり、蛇にかまれたり、伝染病にかかったり、急性の病気におかされたりしたばあいは別ですが、――死ぬなんて思わずに、しばらくすれば、少しも恐ろしくないある状態に変化するものとしごく単純に考えていたんですな。土人たちは、自分たちが手に入れた不死という徳は、そのためにあらゆるものを犠牲にしただけの甲斐《かい》のあるものだと考えたのです――それにわたしはオーベッド自身も、ワラキー老の話をあとで少しずつよく考え直しているうちに、だんだんそれと同じように、不死こそなにものにもまさる徳であると考えるようになったのだと思います。もっとも、ワラキーというのは、魚人族の血統の全然入いっていない数少ない人々のうちの一人で――ほかの島々の酋長系が相互に縁組をした結果できた一つの酋長系の血統を受けた人物だったのです。  ワラキーは、海の怪物に関係のあるさまざまな儀式やまじないをオーベッドに見せ、また人間の姿とは似ても似つかないほど変わりきった部落の土人を数人見せてくれたということですが、どういうわけか、海底からやってきたあの怪物そのものの姿は、とうとう一度も見せなかったそうです。とどのつまり酋長は、オーベッドに、鉛かなにかでできているなんとかいう妙なものをくれましたが、奴の話では、それを使うと、海中のどこからでも、海の魚を巣窟ぐるみ、そっくりとれるということです。魚をとるには、なにかしかるべき呪文を唱えながらそれを海の中にほうりこむという寸法です。ワラキーは、その呪文を、世界中のどこでもきくようにしてあるから、魚をとりたいと思うものはだれでもいい、魚の巣窟を探しさえすれば、ごっそりとれるというわけです。  エリオットはこの仕事が嫌でたまらず、オーベッドに、この島から離れてもらいたいと思っていたのですが、オーベッドは抜け目のない男で、その金みたいなものが途方もなく安く手に入いるので、それを専門にやればもうかると見てとったのです。何年にもわたる長いあいだ、こんな状態が続いたあげく、オーベッドは、ウェイト街の古ぼけた荒れ工場を、金の精錬所としてもう一度操業できるだけの金の原料を手に入れたのです。オーベッドは、たとえどんな小さいかけらにしろ、金に似たその品物を売りませんでした。というのも、町の連中になんのかんのとせんさくされてはやりきれないと思ったからです。オーベッド船長の手下の船乗りたちも、やはり金に似たものの塊を手に入れたのですが、こいつらは、こっそり持っているだけで売るのではないぞ、と約束させられはしたものの、ときどきそれを売っていたようです。オーベッドも、家族の女たちには、なかでも一番人間らしい金の装身具を身につけさせていたものです。  ところで、話を一八三八年ごろに移しますと――当時、わたしはまだ七つの子供でしたが――オーベッド船長がその年二度目の航海に出て、例の小島に行ってみると、島の土人たちは、みんなどこかに追い払われてしまって、姿が見えないんです。ほかの島の土人たちも、風のたよりに、その小島で起こった事件のことを聞き、自分たちだけでその問題を処理しようとしたからです。結局のところこの土人たちは、海の怪物どもがいうとおり、この連中がただ一つ恐れていた、その神の魔法のしるしを見たにちがいないとしたらどうでしょう。ノアの洪水よりも古い時代の廃墟のある島が、海の底からもくもく盛りあがってくるのを見ては、カナカイ族のだれも、ただ唖然《あぜん》とするほかはありますまい。このいわば神ののろいによって――親島でも、小さい火山島でも、建物は残らず倒れてしまいましたが、ただ、例の廃墟のどこかに、すごく大きな石造物があって、それだげは壊れずに立っていたのです。ところどころに小さい石の塊がほうり出され、その石の塊の表面には――まるでおまじないみたいに――今日のいわゆる卍《マンジ》のような印がついていたそうです。おそらくその印は、先住民の置土産《おきみやげ》だったようです。島には土人の姿は一人も見当たらず、また、金塊に似たものは影も形もなくなっており、近くにいたカナカイ族のなかにも、このことについて一言も、洩《も》らすものはいませんでした。まるで、その島には人がいなかったとでもいうようなようすだったそうです。  この事件は、当然のことながら、オーベッドには、かなりの打撃でした。それというのも、彼本来の交易は、その当時、いまにも底をつきそうなほど不振をきわめていたからで、この島でやるボロい金塊交易を当てにしていたからです。これはまた、インスマウスの町全体にも大打撃でした。ほかでもない、町が船乗り稼業でもっている時代には、船長がもうければ、まずたいていその部下の船乗りにも、もうけがあったからです。インスマウスの町の連中は、ひどい不景気に見舞われて、気がくじけ、お手あげのありさまで、経済的にすっかり行き詰まっていました。それというのも、魚がとれなくなったうえに、工場のほうもさっぱりうまくいかなかったからです。  というわけで、オーベッドはちっともご利益のないキリスト教に祈りを捧げているようなおとなしい連中にあくたい[#「あくたい」に傍点]をつき始めたものです。そして、ほしいものをなんでもくれる神様を信仰している連中のことを、おれはよく知っている、などとよくいっていましたっけ。もしもしかるべき人数だけの人たちが自分に味方してくれれば、おそらく自分は、魚もうんととらしてくれたうえ、金塊だって少しは手に入れられるような能力を、ものにすることができるのだが、と洩らしていたものです。勿論、スマトラ・クィーン号にいっしょに乗組んで働いていた船乗りたちには、オーベッドがどういう料簡《りょうけん》でそういっているのかすぐにわかりましたとも。船乗りたちは、あの例の島を見てきたんですからな。この連中にしてみれば、すっかりようすのわかっている海の怪物どもに、そうお近づきになりたい気持はありませんやね。だけれど、いったいなんのことだか、さっぱり話のすじのわからない連中は、オーベッドがしゃべった話に、いくらか心を動かされたようでした。その連中は、本当にもうけがあるのかどうか、はっきりとした証拠を見せてもらいたいと、頼み始めたんです」  ここまで話すと、この老人は、しばしためらい、口のなかでぶつぶつと呟《つぶや》き、いつのまにか不機嫌な、心配そうな顔をしてだまってしまった。神経質に、うしろのほうにちらりと目をむけ、すぐこちらを向き直っては、遙かかなたの真黒な暗礁を、まるで魅せられたようにじっとみつめた。いくらわたしが話しかけても答えなかった。そこで、わたしは、残ったウィスキーを彼にすっかり渡したほうがいいと悟ったのだ。いま耳にしてきた途方もない物語に、わたしは深い興味を感じた。というのは、この話のなかには、インスマウスの奇怪さに根ざしながら、同時に創造的な想像力によって洗練されるとともに、外来系の伝説の断片がふんだんに綾《あや》をつけている一種原始的な寓話がふくまれているように思われたからだ。本当をいうと、この話には、なにかしっかりした具体的な根拠があるなどとは一瞬も信じられなかったが、それでもやはり、例のニューベリーポートで見たあの嫌な冠に非常によく似た奇妙な宝石に、この話は関係があるということだけ見ても、この話には、まじりけのない真にせまった恐怖を感じさせるものがあった。おそらくこの装飾品も、結局のところ、どこか妙な島から渡ってきたものであろうし、こういう荒唐無稽なお話も、こののんだくれ老人のホラというよりはむしろ、もはや過去の人たるオーベッドがみずからザドック老人に吹いたホラなのかもしれないのだ。  わたしがザドック老人に、ウィスキーのびんを渡すと、彼はこれを最後の一滴まですっかり飲みほした。どうして彼がこんなにウィスキーに強いのか不思議であった。というのは、彼のかん高い、ぜいぜいいう声には、ロレツの回らないようすは全然なかったからである。彼はそのびんの口をなめると、それをポケットのなかにすべりこませ、それからしきりに一人で合点をしながら、静かな小声でひとりごとを呟き始めた。その呟きを一言一句も聞き洩らすまいとして、わたしはぴったりと彼に寄りそった。わたしには、その汚れた不精ひげの蔭に、皮肉な笑いが潜んでいるのが見えるように思われた。そのとおり――彼は事実、的確なことばで考えをまとめようとしていたのだ。わたしにも、そのことばのバランスがよくとれているのがはっきりとわかった。 「かわいそうにマットは――さよう、マットはオーベッドの計画に反対し――町の人たちを自分の味方につけようと努め、牧師たちと長いあいだ相談したり、いろいろやってみましたが――結局|無駄骨《むだぼね》で――組合教会派の牧師は奴らが町から追いだしてしまい、メソジスト派の牧師はみずからやめ、バプチスト派の堅ぶつ牧師バブコックの姿も見えなくなり、――これはエホバの神のお怒りでした――わたしはまだ年端《としは》もいかない小さい子供でしたが、ちゃんとこの耳で聞き、この目でしかと見届けたのです――ダゴンとアミュタルテ(豊作と生殖を司る古代セム族の女神)――サタンとパールセブブ(ともに堕天使の一人、悪魔中の一位と二位)――金の犢《こうし》(イスラエルの王ジェロボウアムが建てた金の偶像)とカナンやペリシテの偶像――バビニヤの忌まわしい偶像――メネ、メネ、テケル、ウプハルシン――」  老人はまたしても口をつぐんだ。そのうるんだ青い眼のようすから、どうやら老人が人事不省《じんじふせい》におちいるのではあるまいかとわたしは懸念した。が、彼の肩を静かにゆり動かしてやると、驚いて目を覚まし、わけのわからないことばをぺらぺらとしゃべりだした。 「おい、おまえさんは、わたしのいうことを信じないんだな? ははあ、なるほど、それではいったい、オーベッド船長と二十数人の連中が、真夜中に、魔の暗礁に舟を漕いで行って、風向きのいい晩には町中に聞こえるような大声をだして歌を歌ったのは、どうわけですかね? さあ、どうなんだね? それからまた、そのオーベッドがはかりしれないほど深い断崖絶壁になっているあの暗礁の裏側に行って、海中深く重い鉛を落とし込んだのはどういうわけか、教えてもらいたいものだ。ワラキーからもらった例の変てこな鉛みてえなものを、いったい奴はどうしたのか、教えてくれ、なあ、おまえさん。それに五月祭の前夜祭と万聖節の宵祭に、あの連中はいったいなにをわめいていたのだね? それにまた新しい教会の牧師――もとは船乗りだった――この牧師どもが、あの妙ちきりんな僧服を着こみ、オーベッドの持ち帰った金みたいなものを身につけるのは、どういうわけなんだね?」  そのうるんだ青い瞳は、もうまるで野蛮人か気違いのようになり、うすよごれた白いひげは、まるで電気にでもかかったように、ぴんと逆立っていた。この老人ザドックは、おそらくわたしがおじけついているのを見てとったのであろう、けっけっけっと薄気味の悪い声で笑いだした。 「けっけっけっ! おわかりになってきたかな? たぶんおまえさんはむかしのことが聞きたいのだろうが。いかにもわたしは、そのころ家の見晴らし台から、夜、海の方を眺めて怪物を見たものだ。おい、いいかな、なりは小さくっても、耳はでかいのだ。ことオーベッド船長に関しては、どういう噂が流れているのか聞き逃したためしがない。地獄耳ってやつよ。暗礁にでかけて行った連中のことだって、ちゃんと心得たもんだ! けっけっけっ、おれはある晩、船で使うおやじの望遠鏡を持ち出して見晴らし台に登ってみた。月が昇るとまもなく、あの暗礁のところになにか生きものがうようよいて、それが海のなかにとびこむのが見えた。オーベッドとその仲間はボートに乗っていたが、その生きものは暗礁の向う側から深い海のなかに飛び込むと、それっきりもう二度と浮かんでこなかった。……小僧っ子がひとり見晴らし台に登って人間の姿ではないものを眺めているなんてちょいといける図だとは思いませんかね? ……どうだ? ……いっひっひっひ……」  この老人がだんだんヒステリックになってきたので、わたしは、なんともいえない不気味な感じにぞくぞくしはじめた。彼は、節くれだった指でわたしの肩をつかんだが、その指のふるえは、笑い楽しんでいるためではなかった。 「ある晩、暗礁の向う側で、なにか重たいものが、オーベッドのボートを、とめているのが見えていたが、その翌日、町の若ものが一人行方不明になったとしたら、どんなものだろう? このハイアラム・ギルマンはどこかに隠れていたとでもいうのかね? それともその行方がわかったとでもいうのかね? それならほかの連中はどうなるんだ? ニック・ピアース、ローレイ・ウェイツ、アドニラム・サウスウィック、ヘンリー・ガリソンといった連中はどうなったのかね? ええ? いっひっひっひ。……怪物どもは身ぶり手まねで話をするんだ、……正真正銘の手があるというわけさ……  ところでだんな、いよいよオーベッドがふたたびおみこしをあげる段取りになったんですが、町の連中は、奴の三人の娘たちが、いままでだれにも見せたことのない金みたいな装身具を身につけているのを見かけるようになり、例の精錬所の煙突からは、また煙がたちのぼるようになったんでさあ。ほかの人たちも繁昌《はんじょう》してくるし――魚のほうも、まるでとってくれといわんばかりに港に集まり始めたんです。いったいニューベリーポートやアーカムやボストンにどのくらい船荷を出したらいいのかわからねえ盛況《せいきょう》を見せてきたんでさあね。それから、オーベッドは、昔の鉄道の支線を開通させたんです。キングズポートあたりの漁師たちは、インスマウスで、えらく魚がとれると噂に聞いて、スループ帆船に乗ってやってきたそうだが、そいつらはみんな行方不明になっちまって、それっきりもう二度と姿を見せなかったそうだ。ちょうどそのころ、町の連中は〈ダゴン秘密教団〉を組織して、ときどきゴルゴダ秘密結社の集会があったフリーメイスン会館を買って本部にしたんです。えっへっへっへっ! マット・エリオットは、フリーメイスンの会員で、その会館を売るのには反対したんだが、ちょうどそのころ、ぱったり姿を消しちまったんでさ。  ようがすか、わたしはなにも、オーベッドが、あのカナカイ族の島でやっていたのと同じことを、この町でやろうと企《たくら》んでいた、などといってるわけではありませんぜ。わたしも初めのうちは、奴がまさかこの町で、例の魚人族との混血をねらっているとは思わなかったし、また若いものたちを海のなかで馴らしたあげく、不死身の魚人族に変えちまうつもりでいるなどとは考えてもみなかったよ。奴は、金塊がほしかったのさ。そしてそのためなら、どんな犠牲でもはらうつもりだったのだ。なあに、その例のものたちは、しばらくのあいだは満足していたらしい。  さて、一八四六年にもなると、この町には、なにか妙なようすが見えてきた。どうも行方不明になる人間が多すぎるし――日曜日の集まりのお説教もひどく野蛮だし――あの暗礁の噂話もしきりに出た。わたしは、行政委員のモウリイに、見晴らし台から眺めたいちぶしじゅうを話してやって、せめてものなぐさめにしたものだ。ある晩、パーティが開かれ、そのあとでオーベッドたちはあの暗礁にでかけて行った。わたしは、ボートとボートのあいだから、なにか網を打つような音を聞いた。その翌日、オーベッドとその仲間が三十二人、牢にぶちこまれたんでさあ。町のものには、いったい、なにがなんだかさっぱり見当もつきませんでしたね。どんなふうに処理をほどこしていいのやら、戸惑ってしまったというわけです。ああ、あのとき、もしだれかにわかっていたら……それから二、三週あとでなにも永久に海のなかに投げこまれずにすんだものを……」  ザドックの顔には、恐怖と疲労のいろが見えてきた。わたしはしばらく彼をそのままおとなしくそっとしておいてやった。といっても、時間だけはちゃんと時計を横目でにらんでいたのだ。潮が変わって満ち始め、その波の音を聞いて、ふと彼は目を覚ましたようだった。わたしには、その潮がありがたかった。というのはほかでもない。どうやら波の高いときにはあの魚の臭いも、そんなに不愉快ではなかったからだ。またしてもわたしは、彼の囁くことばを聞き洩らすまいとして耳を澄ました。 「あの恐ろしい晩……わたしはあれを見た……見晴らし台にのぼって……奴らの群れが……うようよと群らがっているのを……暗礁の上一面に、それから港のほうにも泳いできたし、マニューゼット河にも入いりこんできた……いや、まったく、あの晩インスマウスの町にどんな事件が起こったとお思いになる……こともあろうに、奴らはおれたちの家の戸を叩きやがった、が、親父はどうしても開けなかった……それから親父は鉄砲を持って台所の窓べにのぼり、モウリイを探し、どうしたらいいかと考えてみた……ところが、たちまち町中に、死人や死にそうな被害者がでるの……やれ鉄砲の音や絹をさくような悲鳴が聞こえるの……オールド・スクエアー、タウン・スクエアー、ニュー・チャーチ・グリーンのほうに叫び声が聞こえるの……牢獄の戸はこじ開けられるの……やれ布告だ……やれ大逆罪だとえらい騒ぎになったが――人々が出揃って、町の住民の半分が行方不明になっていることが判明したが、その原因は、おもて向き伝染病のせいだということになった。……オーベッドに加担した仲間のものと例の怪物や、じっとおとなしくしているもののほかは行方不明になってしまったし、……わたしの親父の消息もそれっきりになってしまった」  この老人は、だんだん息が切れるようになり、汗をいっぱいかいていた。わたしの肩をつかんでいる手に、ぎゅっと力がこめられた。 「午前中に全部取り片づけられてしまった。……だが、なにか事件が起こったという痕跡はありありと残っていた、……オーベッドが音頭をとって、町の情勢はこれからいよいよ変わるんだといった……例の怪物どももわしらと一緒に教会に集まったし、またある何軒かの家では、この珍客をもてなさなければならないことになっていた……怪物どもはカナカイ族と行なったように、この町の人間を相手に混血を行なおうとし、オーベッドも、それをとめようなどとはさらに考えなかったようだ。行きすぎたまねをしたものだ、あのオーベッドも……このことに関するかぎり、まず気違いのようなものだ。奴のいうには、怪物どもが魚や宝ものを持ってきてくれる以上、今度は向うのほしがるものをやらなければならないというのだ……  表だっては別になんの変わりもなかったのだが、ただ、われわれとしたら、どうすれば自分たちのためになるのかということを知っていながら、努めてこの変な連中を避けざるをえなかった。わしらはみんな、『ダゴンの誓い』をたてさせられた。するとそのあとで、また第二、第三の誓いをたてさせられたものだ。とくべつ役に立つものは、とくべつな報酬がもらえた――金塊かなにかだ。――もういくら邪魔をしても無駄だった。海底にはあいつらが何百万もいたからだ。奴らは陸地にあがってきて、人間を一掃しようなどと考えてはいなかったのだ。もっとも奴らを裏切って、そうせざるをえないようにしむければ、そのくらいのことはやりかねなかったろうが。わたしらは、南洋の土人たちがやったように、怪物どもにまじないをかけて、呪い殺そうなんてことはやらなかったし、またカナカイ族の土人も、そのまじないの秘訣を教えてはくれなかった。  生贄《いけにえ》も、土人たちの飾り物もたっぷり与え、町でゆっくり宿泊できるようにしてやらないと、満足しなかった。よその土地で、こういう話を平気で――というのはお祈りもせずに、という意味だが――聞いていられるものは一人もいまい。秘密は万事、――あの『ダゴンの秘密教団』という忠実なる一派の手に握られていた――子供たちだけは、ぜひ生かしておいて、おれたち人間の究極の先祖である、母親のヒドラと、父親のダゴンのもとに、還って行かなければならんのだ――イア! イア! クトゥルフ・フタグン! フングルイ・ムグルウナフー・クトゥルフ・ル・リエー・ウガ=ナグル・フタグン――」  ザドック老人は、急に、強くののしるような調子で早口にしゃべり始めた。わたしは思わずかたずをのんだ。可哀そうにこの老人は――酒のせいか、なんとも哀れな深い幻想におちいり、おまけに自分の周囲の荒廃、異常、疾病《しっぺい》に対する嫌悪のあまり、この豊かな空想を生みだすにいたったのだ! 彼は、いま、むせび泣き始め、しわのよった両頬には涙がつたわり、あごひげのなかを流れていった。 「やれ、やれ、わたしが十五の年から見てきたあのことは――メネ、メネ、テケル、ウプハルシン! ――行方不明になった人たち、自殺した人たち――アーカムやイプスウィッチといった町でこのいきさつを話した人たちはいまおまえさんがわたしのことをそう思っているように、みんな気違いだといわれた――しかし、ああ、わたしが見てきたあのことは――さよう、あいつらは、わたしに事情を知られているというので、ずっと前にわたしを殺そうとしたので、わたしとしてはオーベッドに背《そむ》くダゴンの誓いを一回目も二回目もするほかはなかったし、陪審員も、わたしが自分の見たことを故意に触れ歩いたということを証明できなければわたしをおとし入れるわけにはいかなかったのだ……――だが、おれは三度目の誓いだけはどうしてもしたくなかった――そんな誓いをするくらいならいっそ死んだほうがましだと思った。  南北戦争のころになると、事情はさらに悪化した。すでに一八四六年以後に生まれた子供たちが、そのころには一人前になりだしたのだ。その子供たちのなかには、怪物のような奴らもいた。わたしは、不安でたまらなかった。――あの恐ろしい晩以来、わたしは一度もお祈りなんかしなかったし、――怪物の姿も見かけず――自分の生活だけに閉じこもってしまったのだ。つまり、血のかよっていない生活なのだ。わたしは戦争に行った。そしてもしも度胸と分別とがあったら、二度とこの町に戻ってくるようなことはせずに、どこか遠いところで腰をおちつけたにちがいないのだが、町の連中がわたしに手紙をよこし、町の事情はそう悪くはないといってきたのだ。わたしの考えでは、一八六三年からのちには、政府のお役人が町にいたから、そういってよこしたのさ。戦争が終わると、またもとの悪い状態に戻ってしまい、町の人々はすっかり落ちぶれてしまい――工場も商店もふるわなくなり――漁業はさっぱりだめになって、港は行き詰まってしまうし――鉄道は廃止になるし――だが、あいつらは……あいつらは、相変わらず呪われた悪魔の暗礁から泳いできて、マニューゼット河から出たり入《は》いったりするのをやめなかったのだ――いや、そればかりか、だんだん屋根裏部屋の窓にまで入いりこむようになり、空《あき》家だったはずの家のなかで、しだいにやかましい音が聞こえるようになってきたのだ。  よその土地の連中は、わたしらのことについて、彼らなりの噂をしているし――たぶんおまえさんも、さっきからの質問ぶりを見ていると、そんな噂をいろいろと耳にしたこともあるだろうさ、――彼らなりの噂というのは、その連中自身が、ときどき見たことのあるあの怪物どもの話とか、いまだにどこからともなく入いってきて、ちっともなくならないあの妙な宝石類のことをいうのだが――しかし、まだなに一つ明らかになってはいないのだ。よその土地のものはどの話も、本当に心から信じてはいないのだ。そいつらにいわせると、例の金のようなものも、海賊の隠していた宝物だということになってしまう。インスマウスの人間には外国人の血が流れているとか、少し頭にきているとか、そんな程度なのだ。そのうえ、この町の連中ときたら、よそ者はなるべく町から追い払ってほかのものの見せしめにし、特に、夜、町を歩いてつまらぬことをほじくりだすような真似はさせないようにしている。動物どもは、例の怪物を見るとこわがって立ちすくんでしまい――馬などは、らば[#「らば」に傍点]よりも始末が悪かった――が、しかし自動車が走るようになってからは、文句は出なくなった。  一八四六年に、オーベッド船長は、二度目の細君をめとったのだが、この細君というのが、町ではだれ一人顔を見たことのない女で、――あるものにいわせると、オーベッドが貰いたいといったんじゃなく、例の怪物どもから呼ばれて、やむを得ず結婚したのだということだ――奴は、その細君との間に、三人の子供を作り、そのうち二人は早死にしたが――普通の人間と変わりない女の子が一人残り、これはヨーロッパで教育を受けた。とどのつまりオーベッドは、なんにも事情を知らないアーカムの男をペテンにかけて、この娘と結婚させちまったが、きょうこのごろでは、よその土地の人間は、もうインスマウスの連中とは、いっさい関係を持っていない。現在精錬所をやっているバーナバス・マーシュは、オーベッドの孫で、オーベッドと最初の細君との間にできたオウネシフォラス――これは長男だ――の息子なのだが、この男の母親も、絶対に外に姿を見せなかったものの一人だった。  いまではもうバーナバスの姿もかなり変わってしまった。眼はもう開きっぱなしで閉じることができなくなっているし、すがた形もすっかり人間ばなれしてしまった。人の話では、まだ着物は着ているそうだが、やがてそのうちに海のなかへ潜ることになるのだろう。おそらく試しの潜水はもうやってみたことと思う――奴らは永久に海の中に潜れるようになるまでは、ときどき、おまじないのために潜るということだ。この男が、人まえに姿を見せなくなってから、かれこれ十年くらいはたっている。奴の女房はどういう気でいるのか知らないが――この女の里はイプスウィッチだ。バーナバスが五十何年か前に、この女に結婚を申しこんだとき、例の血をひく連中は、すんでのことに、この男をリンチにかけようとしたものだ。オーベッドは、一八七八年に死んでしまい、その子供たちもいまはあの世に行ってしまった――最初の細君の子供たちも死んだし、そのほかのものたちは……それはだれも知らないことだ」  あげ潮の音が、今はもう非常に激しくなってきた。  この老人の気分も、めそめそした涙っぽい調子から、なにかを警戒し、こわがっているような調子へ、少しずつ変わってきたらしい。ときおり話を中断して、あの神経質にそっとうしろを振り返ってみるしぐさをしたり、また例の暗礁のほうをみつめたりしたので、その話はいかにも幼稚で馬鹿げているにもかかわらず、わたしもしだいに漠然たる不安を一緒に感ぜざるを得なくなった。ザドックの声は、もうすっかりかん高くなり、大きな声をはりあげては、勇気をふるい起こそうとしているようであった。 「おい、おまえさん、なんとかいったらどうだ。こんな町に住んでみたいとは思わないかね? なにからなにまで腐り果て死に絶え、怪物どもが上陸してきては、真暗な地下室や屋根裏から、おまえさんが歩くどの道のあたりにも這いずり回り、吼《ほ》えたり鳴いたりするこの町に住みたくはないかね? ええ? 毎晩教会や、『ダゴン教団会館』から響いてくるうなり声を聞きたくはないかね? 五月祭の前夜祭とか万聖節の宵祭に、あの恐ろしい暗礁から聞こえてくるものに耳を澄ましたくはないのかね? ええ? このおいぼれを気違いだとお思いかな、ええ? どうだね、だんな、変わりばえもしないお話だが、もう少ししゃべってもよかろうな!」  こういったザドックの調子は、もうまったく金切声《かなきりごえ》であった。その興奮した気違いじみた声は、もう沢山《たくさん》だといいたいほど始末が悪くなってきた。 「ええちくしょう、あの怪物みたいな眼でじろじろ見るのはやめてくれ――いいか、オーベッド・マーシュはいま地獄にいる。そしていつまでも地獄にいなけれぁならんのだ。いっひっひ……地獄にだぞ! わしがつかまえられるものか――わしはなんにもしないし、だれにもしゃべりはしなかった――  ああ、おめえさんはそこにいたのか? まあいいや、いままで、だれにもしゃべらずにいたんだが、それをこれからしゃべってやろうというわけなのだ! おまえさんはじっと坐って聞いていれぁいいんだ――これはいままでだれにもしゃべらなかったことなんだ……いいか、わたしは、あの晩以来、もうせんさくするのは止めていたんだ――が、それでもやっぱりあいつらのことはわかったのだ!  おまえさんも、本当にこわいというのはどんなことか知りたかろう、ええ? それはな、こうなんだ、――本当に恐ろしいことは、あの魚の怪物どもがこれまでにやらかしたことじゃなく、奴らが、これからしでかそうとしていることなんだ! 奴らは、てめえたちの棲《す》み家から、この町のなかにいろんなものを持ちこんでいやがるんだ――もうなん年にもわたってそうしていたが、近頃は、だいぶ鳴りをひそめるようになってきた。ウォーター街と中心街のあいだにある、あの河の北側の奴らの家には――あの怪物どもと、そいつらが運んできた品物がぎっしりと一杯詰まっている、――そしていったん奴らの準備が整ったら……いいかね、奴らの準備ができあがったら……あんたは、『ショッゴス』の噂を聞いたことがあるかね?  おい、聞いてるのか? おれは奴らの正体をちゃんと知っているんだぜ――ある晩おれは、奴らのことを見たんだ、そのとき……イー=アーーー――アー! イヤアーーーー……」  老人があんまりだしぬけに悲鳴をあげて、またその声が人間ばなれした恐怖感にあふれていたので、わたしはもう少しで気を失いそうになった。彼のまなざしは、わたしの背後の悪臭ふんぷんたる海の方にそそがれていたが、その両眼はいまにも顔からとびだすかと思われたし、また彼の顔は、ギリシャ悲劇に使う恐怖の面さながらの面持《おももち》であった。その骨ばった指は、わたしの肩に、気味の悪いほどぐっと喰い入り、一体なにをそんなにみつめているのだろうとわたしが海の方を振り返ってみたときも、老人はそのままじっと動かなかった。  わたしの目にとまるものはなに一つ見当たらなかった。ただあげ潮の寄せる白波だけで、それも、長く線を引くような白波ではなく、ところどころにさざ波がたって、それが一つにつながっているような波であった。が、いまザドックがわたしをゆすぶったので、ひょっとわたしがふり向くと、いままで恐怖にこわばっていた顔がゆるんで目蓋《まぶた》がぴくぴくとけいれんし、歯ぐきががくがくと鳴るような、物凄い形相《ぎょうそう》になるのが認められた。やがて彼はまた声を出せるようになった――もっともそれは、囁くようなふるえ声にすぎなかったが。 「とっととここから逃げてくれ! とっとと行け! あいつらに見られてしまった――命がけで逃げろ! 一刻もぐずぐずするな――奴らはもう気がついた――とっとと逃げろ――この町から逃げるんだ」  もう一つの大波が、ゆるんだむかしの波止場にぶつかった。するとこの狂気の老人の囁《ささや》きは、またしても人間とは思われない、あのぞっと血の凍るような悲鳴に変わった。 「イ・ヤアアーーー! ヤーアアアアアア!……」  わたしがまだ取り乱した気持をおちつけきれないでいるうちに、彼の肩に置いた手をゆるめると、内陸の街のほうへ猛然と駆けだして行き、朽ち果てた倉庫の壁を回って北のほうへよろめいて行った。  わたしは海をちらりと振り返って見たが、そこにはなにも見当たらなかった。ウォーター街まで辿りつくと、北のほうを眺めてみたが、そのあたりには、ザドック・アレンの影も形も見えなかった。         4    この悲惨な物語――気違いじみていると同時にもの悲しく、怪奇であるとともにそら恐ろしいこの物語――を聞いて胸に感じた心持は、とうていわたしには表現できそうにない。食料品店の若ものから、あらかじめ覚悟をするようにいわれてはいたものの、実際の情況に当たってみると、やはり戸惑い、とり乱さないわけにはいかなかったのだ。物語自体は大人気《おとなげ》ないものだが、ザドック老人の気違いじみた執念と、おびえきったそのようすを見ると、それでなくてもこの町が嫌になり、目に見えないこの町の暗影に耐えきれなくなっていたわたしの心は、しだいに不安の強まるのを感じ始めた。  この物語は、あとでふるいにかけて、その歴史的な寓話の中核だけを抜き出すこともできるのだと考え、とりあえずいまのところは、この物語を忘れてしまいたいとわたしは思った。時間はかなりたっており、発車時刻のことを考えると、もうぐずぐずしてはいられなかったし、――時計も七時十五分を指していた。アーカム行のバスは町の広場を八時に出発することになっていたので、わたしはおなかのなかで、まにあってもあわなくてもそのときはそのとき、と努めて考えながらも、急ぎ足で、穴の開いた屋根や傾いた家の並んでいる荒廃した街をホテルに向かって歩いて行った。そのホテルにはカバンがあずけてあるし、そこでバスを待てばいいと思ったのだ。  昼さがりのような光が古風な街の家並みや、うすぎたない煙突にものどかに射していたが、わたしはするどい横目をときどき背後に投げざるをえなかった。もしも、このなまぐさい、恐ろしい暗影につつまれたインスマウスの町を、すぐ抜け出せたらどんなに嬉しかろうと思うと、あの人相の悪いサージェントの運転するバス以外に、なにか乗物があればいいのだが、と考えた。しかし、また、あまりにもあわただしく、ここを立ち去るのも惜しい気がした。というのは、この町のどの片隅にも、その細部が一見に値する建物がいくつもあったし、三十分もあれば楽に全部見て歩けると思ったからだ。  わたしは例の食料品店の若ものの作ってくれた地図を調べ、さっき一度も通らなかった道をさがし出すと、そのなかから、タウン・スクエアーへ行く道として、国道を通らずに、マーシュ街を抜けて行く道を選ぶことにした。フォール街の町角に近づいたとき、例の人目を忍んでいる連中がこそこそ囁《ささや》きながら、そのあたりにちらほらかたまっているのが見えたが、しまいに中央広場に着いた時には、そのへんをうろついていた連中がほとんどすべてギルマン・ハウスの玄関に集まってきた。わたしが受付のところで自分のカバンを受け出している間、彼らのふくれあがってうるんだまなこが妙にまばたきもしないまま、じっとわたしを見つめているような気がしたので、わたしはその気味の悪い連中がだれもバスに乗り合わせなければいいが、と心ひそかにねがっていた。  例のバスは、多少早めに、三人の乗客を乗せて八時前にがたがたと帰ってきた。すると、さっきから道ばたに立っていた恐ろしい顔をした男が、運転手になにか聞きとれないことばを耳打ちした。運転手のサージェントは郵便袋と一束の新聞を投げだすとホテルに入いって行った。ところでその乗客というのは、けさニューベリーポートに着いたとき見かけた男たちで、車から歩道によろよろとおり立つと、そのへんにふらふらしていた連中の一人と低いのど声で呟《つぶや》きあったが、そのことばはどうみても英語でないことは確かであった。わたしは、からになった車に乗りこみ、きたときと同じ席に腰をおろしたものの、どうにも気持がおちつかず、やがて運転手が現われて、人を妙に威圧するような太いのど声でぶつぶついい始めるのを聞くと、どうやらやっと気が鎮《しず》まった。  ところが、さてバスには乗ったものの、今度は運がついていないらしかった。いまニューベリーポートからの帰りには、かなりいいタイムで走ってきたのに、エンジンに故障ができて、この先、アーカムまではとても行けないというのだ。いや、それどころか、今夜中には、とても修理がつきそうになく、インスマウスから、アーカムへでもどこへでも、よその土地へ行く便は全然ないらしかった。運転手のサージェントは、どうもお気の毒だが、だんなは、ギルマン・ハウスにでも泊るほかはありますまい、たぶん宿賃のほうは、いくらか勉強してくれるだろうが、いずれにしても、ほかにどうしようもありません、といった。この思いがけない故障に、わたしはちょっとぼんやりしてしまい、灯のつかぬ家が半数にもおよぶ、この荒廃した町で夜を迎えるのかと考えると、ぞっと身ぶるいするような思いがした。が、ともかくわたしはバスからおりて、ギルマン・ハウスのロビーへ入いって行った。無愛想で妙な顔をした夜勤の事務員が、一番上から二番目の階、つまり四階の四二八号室というのを、一ドルでわたしにとってくれたが、ただし水道の設備はないということであった。  ニューベリーポートで、このホテルの噂はいろいろ聞いていたにもかかわらず、結局ここに宿をとることになって宿帳に署名し、宿賃も支払い、例の事務員に旅行鞄を持たせ、この不機嫌で陰気な男の案内するがままに、まったく人気のないらしい埃《ほこり》まみれの廊下を通って、一階、二階、三階と、軋む階段をのぼって行った。案内されたのは、窓が二つついていて、飾りのない安っぽい家具の置いてある旅館の裏側に面した陰気な部屋で、その窓からそとを見ると、下には低い荒れた煉瓦塀にかこまれた、うすぎたない中庭があり、荒れ朽ちた屋根が、その向うに沼池をのぞんで西の方に突きだしていた。廊下のつき当たりには、古い遺跡を思わせる浴室があって、そのなかには古い大理石の水盤や錫《すず》の湯槽《ゆぶね》があり、薄暗い電燈がついており、壁のまわりに通っている鉛管には、その上からかびくさい板がおおってあった。  まだいくらか明るかったので、わたしはホテルを出ると中央広場へでかけて行き、ちょっとした夕食をとろうと思った。さっきと同じように、うすきみ悪い連中がうろついていて、その連中の視線が、全身にそそがれるのをわたしは感じた。例の食料品店はもう閉まっていたので、昼間は入《は》いらずにやめておいたあのレストランに入いらざるをえなかった。が、その店には、ずんぐりとして頭の幅の狭い、じっとにらむような、瞬《まばた》きをしない眼をした男と、鼻の低い、驚くほど分《ぶ》厚で不器用な手をした若い女とが働いていた。サービスは、すべてカウンター式になっており、やや気の休まる思いをしたのは、食品がすべて罐詰や包装品を使用している点であった。クラッカー付きの野菜スープを一皿|摂《と》ると、もう充分だったので、ギルマン・ハウスに引き返した。  受けつけのデスクのかたわらにあるぐらぐらした台の上で、例の奇怪な顔をした事務員から、夕刊と、蝿《はえ》の糞でよごれた雑誌とを受け取ると、わたしはさっそく陰気な自分の部屋に引きあげた。夕闇が深まってきたので、わたしは安っぽい鉄縁のベッドの上のほうにある貧弱な電球をつけ、読み始めた本をせいぜい頑張って読み続けようとつとめた。この古い死の影に包まれた町から出られないでいる現在、この町の奇怪なものごとをあれこれ考えるのは、感心しなかったから、なにかほかのことに気持を集中するのが一番いいと思ったのだ。それにあの年寄りの飲んだくれから聞き出した話のことを考えると、どうも夢見が悪そうな気がしてしかたがなかったから、わたしは努めてあの老人の激しい、うるんだような眼のことを思い浮かべないように注意せざるをえなかった。  それとともに、例の工場監督がニューベリーポートの出札係に話したという、ギルマン・ハウスのことや、旅館の部屋で、夜、変な人声が聞こえるという噂のことを考えるのもやめなければいけないし、――いやそればかりではなく、あの暗い教会の戸口のところで冠をかぶって立っていた男の顔、それこそ、正気のわたしにもはっきり説明いたしかねるあの恐ろしい顔のことも考えないほうがよかったのだ。部屋がこれほど陰気にかびくさくなかったなら、事実もっと簡単に、平凡で世間的なことがらを頭に思い浮かべるようにすることもできたにちがいなかったのだが、しかし実際は、死を思わせるほどにかびくさかったので、町全体にこもっている魚の匂いと混じりあって、ひどく気味の悪い匂いとなり、それがしつこく死と頽廃とをそれとなく思わせた。  もう一つ、わたしの気にかかることは、部屋のドアに留金《とめがね》のないことであった。もとは留金のあったことは、そこに痕《あと》がついているのでも明らかであった。しかも、ごく最近になって取りはずされたらしい形跡があった。それはもちろん、この老朽した建物のほかのあらゆる付属品と同じように、故障しているのにちがいなかった。気が立っているまま、あたりを見回してみると、洋服戸棚の上に留金が一つのっているのに気がついた。汚れぐあいや傷あとから判断すると、もともとこのドアについていたものと同じ大きさのものらしかった。すっかり神経の張りつめているこのさいに、少しでも気持が楽になるためならと思い、かねがね鍵輪と一緒に持ち歩いているねじまわしで、もとあったところへせっせととりつけた。まったくぴったりととりつけられたので、床に入いるときには堅く戸が閉められると思うと、わたしはいくらかほっとした。実際上には、なにも、ぜひ留金を締めなければならない理由があるわけではなかったが、こういう安心感が望ましかったのだ。両隣りの部屋へ通じている二つのドアには、しっかりした留金がついていたので、わたしはこれもぴったりとかたく閉めた。  衣類をつけたまま、とにかく眠くなるまで読書を続けることに肚を決めると、上着とカラーと靴だけを脱いで横になった。夜中に目が覚めたときに時計が見られる用意までに、旅行鞄から懐中電燈を取り出して、それをズボンのポケットに入れておいた。しかしいっこうに眠くならなかった。そこで一時読書をやめて頭に浮かぶいろいろな思いをよく分析してみると、自分が無意識のうちに、なにかしら――恐れていながら、なんといったらいいかわからないなにかしらがもの音をたてるのを、いまかいまかと、じっと耳を澄ましているということに気がついて、われながら不安になった。例の工場監督の話がわたしの想像力に思ったよりも強い影響をおよぼしているにちがいなかった。とにかく、わたしはふたたび読書を続けようとしてみたが、少しもその気にならない自分に気がついた。  まもなくわたしは、階段と廊下のところに、まるでだれか人の歩いているような軋《きし》む音が、ときどき聞こえたように思ったので、ほかの部屋にも客がつまり始めているのかしら、と考えた。が、それにしては、少しも人声がしないばかりか、なにかその軋む音には、妙にしのびやかなようすがうかがわれた。わたしはますます気味が悪くなり、いっそひと思いに、ぐっすりと眠る工夫でもしたほうがましではあるまいかと考えた。が、この街には、たしかに妙な連中がいるし、これまでにも、行方不明になった旅行者がなん人かいることもまちがいはなかった。もしかしたら、このホテルも、金を目当てに旅人を殺す宿屋の部類であろうか? だがどう見ても、わたしには大金持らしいところがない。それともまた、この町の人たちは、好奇心の強い旅行者にはひどく敵意を持つのであろうか? あるいはまた、地図を見ながら、大っぴらに見物して回ったことが、彼らに不愉快な注意をかきたてたのか? そのときふとわたしは、ときどき床《ゆか》の軋む音を聞いたからといって、そんなふうに考えるとは、どうやらわたしもひどく神経過敏になっているにちがいない、ということに気がついた。――が、それでもやはり、武装していなかったことが残念に思えた。  眠くはならなかったが、結局はひどく疲れてきたので、さっきとり付けたばかりの、廊下に面したドアの錠をしっかりとおろすと電燈を消し、堅くてでこぼこした寝台に――上着、カラー、靴、その他のものをそっくり身につけたままもぐりこんだ。暗闇の中では、ほんのかすかな夜の音も強まるように思われたし、嫌な思いが、いままでよりも倍加してわたしの胸を襲ってきた。電燈を消してしまったのが残念だったが、疲れていたのでわざわざ立ちあがってつけ直すのも妙に億劫《おっくう》な気がした。ながい陰気な時間がすぎていったのち、またもう一度、あらためて、階段と廊下に軋む音が聞こえたかと思うと、続いてひそやかな、いかんながらまぎれもない音が聞こえた、これはわたしがさっきから心配していることをやろうとしている音のように思われた。つまりわたしの部屋の、正面のドアの錠を、鍵で――注意深く、細心に――開けようとしていることにまちがいはなかった。  あらかじめ漠然と不安を感じていただけに、こうして実際に恐ろしい危険が迫ったのを認めても、それほどひどくおびえずにすんだ。はっきりとした事情はわからなかったにせよ、さっきから本能的に警戒していたのであって、事態がこれからどう展開するにせよ、こういう新しい実際的な危険のなかにあっては、ぜひ用心しなければならなかったのだが、ともかくこの危険が、漠然とした予感から、こうして目前の現実に変化したのは、深刻なショックをわたしに与え、強い迫力でわたしをぞっとさせた。事実いままでに、わたしの予感がまったくの的はずれに終わったことは一度もなかった。そしていまも、この悪意のあるたくらみはすっかり見すかしていたから、わたしは死んだようにじっとして、いまにも入いってきそうなその侵入者のつぎの動きを待ち受けた。  まもなく、ひそかな物音がやんで、北側の部屋にだれか錠をあけて入いったものがあるのを感じた。そしてそこからこの部屋へ通じるドアの錠を、そっと調べているらしかった。留金は勿論かけてあった。やがて、わたしは、相手が部屋を立ち去る音が、かすかに床に軋むのを聞いた。それからまもなく、今度のばあいその足音は、正面の廊下に沿って階段をおりていった。そこでわたしにも、その男が、ここの部屋のドアの錠はどれもみんな閉まっているのに心づいて、これはやがてわかるとおり、とりあえずいまのところは、しばし計画を見あわせたらしいことが見てとれた。  わたしが即座にてきぱきと実行する用意を整えていた点こそ、実はこっそりと心のなかであることを怖れ、何時間にもわたって万一の逃げ道をひそかに考えていたなによりの証拠であった。このドアのあたりをこそこそいじっている目に見えない人物は、単に正面から立ち向かったり処理したりできない性質の危険な相手であるばかりではなく、できるだけこっそりと避けるほかはない相手だということを最初からわたしは感じていた。ぜひやるべきことはひとつしかなかった。つまり、正面階段やロビー以外め通路を通って、一刻も早くこの旅館からいのちがけで出るということであった。  わたしは静かに身を起こすと、万一旅行鞄を持たなくても飛び出せるように、所持品をいくつか選んでポケットに入れておこうと思い、まず懐中電燈をつけて、寝台の上にある電燈のスウィッチのところを照らして電気をつけようとした。ところがつかない。電気が源《もと》から切れているのだ。わたしにはよくわからなかったが、――ひそかに悪だくみが階下では進められているにちがいなかった。いまは役にたたないスウィッチに、むなしく、手をかけたままたたずんでいると、またしてもひそかに床を軋ませながら下から足音がのぼってくるとともに、なにか話しあっている声がかすかに聞きとれたような感じがした。と一瞬ののち、その太い話し声のほうは、どうやら人間の声とは思えなくなってきた。ひどくかすれて吼えるような、語尾がぼんやりと咽《のど》につまるようなその声は、どう考えても人間の声とはあまりにもかけ離れたものであった。わたしはふたたび、例の工場監督者が、このかびくさい病的な建物で夜中に聞いたという物音のことを考え合わせ、あらためて胸をつかれる思いがした。  懐中電燈の光をたよりに、ポケットにいろいろな品物をつめこむと、帽子をかぶり、なんとか下へおりるチャンスをつかもうとして、窓辺のほうに抜き足さし足で近づいた。州の火災予防法があるにもかかわらず、この旅館の裏側には非常階段の設備がなく、わたしの部屋の窓から見えるのは、直立した三階分の高さの壁と、玉石を敷いた下の中庭だけであった。だが、両側に目を向けると、古い煉瓦造りの事務室らしい建物が、つい旅館の隣りにくっついており、その傾斜した屋根は、この四階の高さからも飛び移れそうなところまで張りだしていた。だが、この左右の建物のどちらの屋根に飛び移るにしても、わたしの部屋についている両隣りのドアのどちらかを経て、隣りの部屋に入いらなければならず、――いっぽうは北側、もういっぽうは南側で――どっちのほうが見込みがあるか、とっさにそれを計算してみた。  いずれにしても、廊下に出る手は、足音を相手に聞かれるおそれがあるし、おまけにそこから隣りの部屋には、とうていうまく入いれそうになかったから、結局、廊下に出るのはやめることに決めた。仮に、わたしの動きがつくとすれば、残された唯一《ゆいいつ》の方法として、この部屋と左右両隣りの部屋に通じているどちらかの、壊れやすいほうに肩を押し当て、それをぐいっと無理にこじ開けるよりほかに手はなかった。この建物や家具の老朽の程度から考えてみると、これはできそうに思われた。が、この方法は音をまったくたてずにやるわけにはいかなかったから、そのさいになったら、相手の連中が団結してわたしの部屋の正面のドアをこじ開けないうちに、どうしても隣りの部屋のところまで、すばやく、運よく行けることを当てにせざるをえないにちがいなかった。そこでわたしは、廊下に面するドアの裏に、大きな机を、なるべく音をたてないように当てがって補強した。  わたしは、これがうまくいく見こみさえおぼつかないと感じていたし、仮に屋根へは飛び移れたとしても、そこからどうして地面までおり、またおりたところからどうして町を逃げだすか、その二つの問題は未解決のままに残っていたのだ。一つありがたいことには、飛び移るはずの建物はひどく老朽していて、屋根についている明り取りのなかには、その内部にぱっくりと口を開けたのがいくつかあった。  例の地図から判断して、町を逃げだすのに一番いい道が南にあることを確かめると、わたしはまず南側のドアに目をやった。そのドアはこの部屋のほうに開くようにできており――錠をはずしても向う側に留金がおりているので――押し開けるには不向きであった。そこでそれを逃げ道にするのはあきらめて、そっとドアにベッドを押し当て、万一あとで隣りの部屋から奴らが開けようとしても邪魔になるようにしておいた。北側のドアは向う側に開くようになっており、調べてみると、錠は向う側からおりているとわかったが、このドアから出るほかあるまいと思った。仮に、ペイン街に面する建物の屋根に飛びついて無事地上におりることができれば、おそらくそのときは、中庭や、中庭に続いている建物か、あるいは反対側の建物のあいだをただ走り抜けてワシントン街かベイツ街に出られると思った。いずれにしてもまずワシントン街のほうを目がけて進み、タウン・スクエアー地区からは一刻も早く抜けだすことに肚を決めた。ここでわたしは、どちらかというとペイン街へ向かうのは避けたかった。ほかでもない、ペイン街には消防署があって、おそらく一晩中起きているにちがいなかったからだ。  こんなことを考えながら、満月を過ぎたばかりの月に照らしだされた、荒廃しきった一面の町の家並みを見おろしていた。右手には黒々としたどぶ川が、この荒涼たる光景を縫って流れており、そのどぶの片側にはさびれきった工場が、そして反対側には鉄道の駅が、どぶ川にぴったりとより添っていた。そしてその向うには、錆びた鉄道線路とロウレイ街道とが平らな沼沢地帯のほうへ伸びており、その沼地のあちこちには、地面がやや高く持ちあがって乾燥し、そのまま藪になっているところがいくらか見えた。左手には、小川が縫って流れている田園地帯がもっと近くに見え、イプスウィッチへ行く道が月光に白く光っていた。しかしわたしがこれから行こうと決めた南へ伸びるアーカム街道は、いま立っているところからは見えなかった。  さて北側のドアは、いつ破ったらいいだろうか、またなるべく音を立てずにやるにはどうしたらいいかと、ぐずぐず考えあぐねているうちに、やがて階下のかすかなざわめきは消え、その代わりにまたあらためて重い足どりが聞こえるとともに階段が軋《きし》み始めた。わたしの部屋のドアの上の明り取り窓から、ちらちらゆらめく光が流れこみ、廊下の板は、重たい負担にぎしぎし鳴り始めた。おそらく声だと思われる押し殺したようなもの音がしだいに近づいてきて、ついにはっきりとしたノックの音が部屋のドアの外から聞こえた。  一瞬、わたしは息を殺し、じっとようすをうかがった。長い時間がすぎたように思われるとともに、吐気を催すようななまぐさい匂いが、不意に、思わずはっとするほど、あたり一面に、高まってくるように思われた。ノックは続けざまに繰り返され、いよいよはげしくなってきた。いまこそ行動を起こし、わたしも北側のドアの錠をはずし、体の重みで押し開ける作業にとりかかるべき時だと肚を決めた。ノックはますます大きくなった。そこでわたしはそのノックの音が、こちらの作業の音を掻《か》き消してくれればいいのだが、と心から祈りながら、ついにその仕事にとりかかって、薄い羽目板《はめいた》とやわな留金を破壊しようと、ショックも痛みもしばし忘れ、再三再四、左の肩を打ち当てた。ドアは思ったよりも頑丈だったが、わたしはへこたれなかった。が、そうしているあいだにも、廊下のドアの外側はしだいに騒がしくなってきた。  わたしはとうとう北側のドアを押し開けた。が、その音は当然、廊下にいた連中に聞こえたにちがいなかった。たちまちのうちに、これまでのノックは、ひどい叩きつける音に変わり、やがてわたしの部屋の両隣りにある部屋の廊下に面するドアの錠を開けようとする鍵の音が不気味にひびいた。わたしはいまドアを押し開けたばかりの北側の部屋に飛びこんで、相手側がその部屋の廊下に面するドアを開かないうちに、なか側からうまく留金をおろしてしまった。だがそうしているうちにも、そのまたもう一つの北隣りの――わたしが窓から向うの建物の屋根に飛び移ろうとしている三番目の部屋の廊下に面するドアに、ガチガチと合鍵を当てている音が聞こえた。  一瞬、わたしは完全に絶望を感じた、というのは窓という出口のない部屋に追いこまれたわたしは、すっかり一杯くわされたと思ったからだ。異常な恐怖が背すじを走り、このために、さっきの部屋からわたしの部屋をうかがっていた侵入者が、埃《ほこり》だらけの床《ゆか》の上に残して行った足跡は、洩れてくる外の光線に照らしだされて、一種恐ろしい、しかし、説明しがたい不思議な特性を帯びてきた。そんな絶望を感じながら、ぼんやりと無意識のうちに、隣りの部屋のドアに近づき、この部屋と同じように、運よく留金が完全ならば、外側から錠をはずされぬうちに、なか側から留金を掛けてしまおうと、夢中でドアに飛びついた。  まったく運のいいことに、わたしはまだ生き延びられるようにできていたらしい――というのは、隣りの部屋のそのドアは、錠がおりていないばかりか、実は、なかば開いていたのだ。間一髪、ドアから身をすべりこませて、この三番目の部屋に躍《おど》りこむと、すでに、やや内側に開きかかろうとする廊下からのドアに、右膝と肩をぐっと押しあてた。不意を衝《つ》かれた側外の相手がひるむあいだにドアを閉め、前の部屋でやったのと同じように、ドアに頑丈な留金をおろした。ほっと胸をなでおろすまもなく、いままで二つのドアを叩いていた激しい音が急に消え、それに代わってがやがやと騒がしい音が、さっき、寝台を当てがっておいたドアの外から聞こえてきた。明らかに相手の大部分はわたしのいた部屋の南側に入いり、側面から攻撃を始めたのにちがいなかった。が、それと同時に、いまわたしのいる部屋のもう一つ北側の部屋の廊下に面するドアのところに、合鍵で錠をはずそうとしている音がしたので、わたしはさらに身近に危険が迫っているのに気がついた。  北側の部屋に通じている連絡ドアは、大きく開いたままになっていたが、すぐに錠のはずれた廊下からのドアを押えるだけの余裕はなかった。ただ、とっさに、開いているその連絡ドアを、それと反対側の南側の連絡ドアと同じように閉じて留金をかけると、北側には寝台を、南側には鏡のついた箪笥《たんす》を当てがい、さらに廊下からのドアにも洗面台を当てがった。こうしてとにかくとっさの防壁をこしらえると、窓から出てペイン街の建物の屋根にとりつくまでは、その応急の防壁に運を任せるほかはなかったのだ。が、こういう危険な瞬間にも、わたしが一番びくびくしていたのは、身を守るためのその防壁が弱いということとは別の、あることであった。わたしが身ぶるいしたのは、わたしを追っている連中が、その忌まわしいあえぎや唸りや、ときどき押し殺した吼え声にもかかわらず、あからさまな、それとはっきり聞きとれるような人間らしい声をだすものが、一人もいないということだった。  わたしが家具を動かして窓のほうへかかったとき、それまで南側の部屋で聞こえていた激しい音は止《や》み、廊下を走ってわたしの部屋の北側の部屋になだれこんで行く足音が聞こえた。明らかに敵の大部分は、その連絡ドアがわたしのいまいる部屋に通じていることに気がつくと、弱いそのドアにどっと一斉にかかり始めた。その戸外では、月光が下の建物の棟木を照らしていたが、飛びおりるはずのその屋根は、ひどい急斜面になっているので、いきなり飛びおりるのは、いかにも向う見ずな冒険だと思われた。  情況を判断した結果、わたしはこのさいの逃げ口を、二つの窓のうちの南側のほうに決めた。つまり傾斜した屋根の中ほどのところにおりて、そこから一番近い明り取りを目ざすことにした。老朽した煉瓦の建物のなかにいったんおりたつことに成功しても、今度は、追手のことを考慮に入れなくてはならなくなるはずだが、下におりたら、蔭になった中庭ぞいの、開けっぱなしの戸口を出|入《は》いりしながら、とどのつまりはワシントン街に達し、そこから南を目ざして町を抜けだせると思った。  北側の連絡ドアのところは、いまはもう、みしみしとひどい音をあげ、やわ[#「やわ」に傍点]なドアの鏡板はいまにも割れそうになっていた。どう見ても、奴らがなにか重たいものを破壊道具に使いだしたことにまちがいはなかった。しかし、寝台はまだ動かなかったので、少なくとも、わたしの逃げ出すかすかなチャンスは残されていた。窓を開けてみると、窓ぎわのところに、真鍮の輪で横竿から吊るされた厚いベロアのカーテンが下がっており、また、大きな雨戸受けが外にぐっと突きだしていた。危険な飛びおりをせずにすませる方法をあれこれととっさに思案しながら、わたしは垂れ下がったカーテンをたぐり寄せると、横竿のついたまま手もとにおろし、それから急いで輪を二つだけ雨戸受けのなかに差しこむと、カーテンの端をそとへ投げた。重いしわの寄ったカーテンが隣りの屋根の上にたっぷりと届き、その輪と雨戸受けは充分わたしの体重を支えてくれそうに思われた。こうしてわたしは窓から這いだすと、即製のロープ梯子を伝わって、この病的で恐怖のしみついたギルマン・ハウスの建物から、これを最後にきっぱりと離れた。  わたしは傾斜の急な屋根に敷いてあるゆるんだ瓦《かわら》の上に安全におりると、足をすべらさずに、黒くぽっかりと口を開けた明り取りのところまで辿りついた。出てきた窓を見あげるとまだ暗かったが、〈ダゴン秘密教団〉、バプチスト教会、および、組合教会のそれぞれの建物に、ちかちかと不吉な明りが輝いているのが見えた。教会のことを思いだすと、身の毛がよだつような思いがした。下の中庭には、だれもいないらしかったので、わたしは町中に警戒の手が回らぬうちに、どうにか逃げたいものだと思った。明り取りのなかを懐中電燈で照らしてみたが、そこには下におりる階段はなかった。もっとも、下までの距離はわずかしかなかったから、明り取りのふちにはいあがって下に飛びおりると、こわれた箱や樽が乱雑に散らかっている埃っぽい床《ゆか》に足がついた。  そこはまったくそくそくとして鬼気《きき》せまるような場所であったが、そんな印象を努めて払いのけながら、懐中電燈で照らしだした階段のほうへすぐ足を向けた――あわてて時計をみると、午前二時を指していた。足をしのばせて歩いたのだが、それでもかなり音がしたらしいが、物置みたいな二階をおりて一階へと急いだ。あたりはすっかり荒廃しきった様相を呈しており、聞こえるのはただわたしの足音だけであった。ついに下のホールに辿り着いたが、その一方のはしに、荒廃したペイン街の入口が、矩形《くけい》のかたちにぼんやりと明るく見えていた。反対のほうに目をやると、裏口もまた開いていたので、矢のようにそこから飛び出すと石の階段を五段おり、雑草の生い茂る、玉石を敷いた中庭へ出た。  月の光はそんな下のところまではとどかなかったが、行く手の道はなんとか見えた。ギルマン・ハウスと同じ並びの建物には、いくつかちらちらと灯が輝いている窓が見えた。わたしには、そのなかであわてさわいでいる物音が聞こえたような感じがした。ワシントン街のほうへそっと歩いて行くと、入口の開いている家が何軒か見えたので、一番近くにある入口を逃げ道に選んだ。なかの玄関のところは真暗だったが、反対側の行きどまりまで行ってみると、通りに出るそのドアは、動かないようにくさびで止めてあった。ほかの建物を当たってみようと肚を決めて、例の中庭のほうに手さぐりで引き返したが、出口のところに近づいたとき、はっと立ちすくんだ。  というのは、ギルマン・ハウスの出入口が開いていて、そのなかから、怪しい姿をしたものの影がぞろぞろと――暗闇のなかに提燈の灯をかざし、からころいうような恐ろしい声で、明らかに英語ではないことばを、たがいに太い大声でしゃべりながら、おおぜい出てきたからである。その連中の動きぶりにはおちつきがなく、奴らがまだわたしの行方《ゆくえ》に気がついていないのだということがわかってほっとした。にもかかわらず、その連中の姿を見るとわたしは全身にぞっと身ぶるいを感じた。そいつらの特徴は、はっきりとは見えなかったが、そのうずくまるようによろよろとした歩きぶりは、胸がむかむかするほどいやらしかった。なかでも一番嫌だったのは、そのなかの一人が妙な衣装を身にまとい、あの忌まわしい冠そっくりのものをかぶっているのに気がついたことだ。そいつらの姿が中庭の四方に散らばるにつれ、わたしはますます恐怖を感じた。通りに面したこの建物から外に出る逃げ道が見つからないとしたら? そのなまぐさい匂いがひどくたまらなかったので、がまんしているうちに気が遠くなるのではあるまいかと思ったほどだ。もう一度通りの方に手さぐりで進み、一つの戸を開けて、その玄関広間から部屋に入《は》いったが、その部屋の窓にはぴったりとよろい戸が閉まっていたが、窓わくはついていなかった。懐中電燈で照らしてみて、このよろい戸なら開けられると見てとるや、たちまちつぎの瞬間には、その窓をよじ登ってそとにおり立ち、用心深くその穴にもとどおりによろい戸を閉めておいた。  こうしてわたしはワシントン街に出たのだが、そのとき人影も灯影も見当たらず、目に入いるのは月ばかりであった。しかし、遠く離れたあちらこちらから、しわがれた声や、足音や、とても足音とは思えないバタバタ走る奇妙な音が聞こえてきた。もう一刻もぐずぐずしてはいられなかった。どの方面になにがあるということは、わたしには、はっきりわかっていたから、寂《さび》れた田舎の、月夜の例に洩れず、街燈が全部消えているのがむしろわたしにはありがたかった。いくつかの物音は、南の方から聞こえてきたが、それでもわたしは、そちらのほうへ逃げようという計画を捨てなかった。南のほうなら、だれに会おうと、また、たとえ、追手とおぼしい連中に出合ったばあいでも、とっさに身を隠す空家がたくさんあるのを心得ていたのだ。  わたしは急ぎながらも足音を忍ばせるように歩を運んで、荒れ果てた家並みに近づいた。さっきから、さんざん這いおりたりのぼったりしたために、帽子はなくなり、髪はばらばらに乱れはしたが、特に人目をひく風体ではなかったから、ひょっこりだれかと行き会っても、みとがめられずに通り過ぎることができたのである。ベイツ街では、ある家の玄関がぽっかりと開けっぱなしになっているのを見つけ、そのとき二つの影が、よろよろと目の前を通り過ぎるあいだ、そのなかに隠れていたが、やがてまた自分の進む方向に足を向け、広い空地に近づいた。そこはエリオット街が、南側の交叉点でワシントン街と対角線に向きあっている場所であった。わたしは昼のうちにこの広場を見ておかなかったが、食料品店の若ものの地図から考えてみると、月光に照らされてどこからでもまる見えになっていたから、どうやらここは物騒なところらしかった。が、ここを避けても無駄であった。というのは、仮にほかの径路を辿ったとしても、おそらく人に見られる危険があるうえ、時間がひどく遅くなって、結局、遠回りをすることになるからであった。もうこうなったら、大胆に、正々堂々と、この広場を横切るほかはない。インスマウスの人間特有の、あのよろめくような歩きぶりをなるべくじょうずに真似しながら、同時に、だれ一人――少なくとも追手はだれ一人――いないのだと信じながら。  いったい、追手の人数がどれほどいるのか、また、実際上、どんな目的で追って来るのか、かいもく見当がつかなかった。町中異常な動きを始めたようだが、わたしがギルマン・ハウスから逃げ出したという噂はまだ広く伝わっていないらしいと判断した。無論、やがてそのうち、ワシントン街から、どこか南の街のほうへ移動しなければならなくなろう。というのは、あのホテルから出た追手が、当然わたしを追跡してくるにちがいなかったからである。ついさっきまでいたあの古い建物の、埃の積もった床の上にどうやらわたしは、足跡を残してきたにちがいないから、それをみれば、どんなぐあいに通りへ出てきたかという点がいっぺんにばれてしまうだろう。  広い空地には、案の定、月の光が煌々《こうこう》とさしていた。そのまんなかには、まるで公園みたいに、鉄柵でかこった、むかしは芝生だったらしいところがあった。さいわい、そのあたりにはだれの姿も見当たらなかった。しかし、タウン・スクエアーの方角には、ぶんぶんうなったりけろけろ吼《ほ》えたりする一種奇妙な声が、だんだん高まってくるらしかった。サウス街はきわめて広く、そのまま海べりまで軽いくだり坂になっており、海がひろびろと見渡せた。わたしは明るい月光を浴びながらそこを通るとき、遠くのほうからだれかに姿を見られなければいいのだがと思った。  わたしはなんの妨げも受けずに進んだ。追いかけられているような物音は、もはや聞こえなかった。あたりを見回しているうちに、しらずしらずにわたしは歩調をゆるめ、この通りのつき当たりのところで、月光に明るく照り映えている目の覚めるような海をしばらく眺めた。防波堤の遙か沖合にぼんやりと、薄暗い〈悪魔の暗礁〉の影が見え、それに視線を投げたとき、ここ三十四時間のあいだに聞かされた忌まわしいかずかずの伝説のことを――そのごつごつした暗礁こそ、はかり知れない恐怖と想像もつかない異常さに包まれた世界への入口であると物語る伝説のことを、考えざるをえなかった。と、そのとき、なんの前兆もなく、わたしは遙かかなたの暗礁の上に、いきなり光が点滅するのを見た。その光はいかにもはっきりとしていて、見まちがいのないものであり、おかげでわたしは、理にかなった心のおちつきを失って、ゆえ知らぬ恐怖の念に心うたれた。筋肉は極度の驚愕のためにこわばってしまい、その驚愕の念を和《やわ》らげたのは、ただ無意識の用心と、なかば催眠術にでもかかったように魅せられた気分だけであった。そしてもっと悪いことには、わたしの背後の北東のかなたに不気味にそびえているギルマン・ハウスの高い屋根のてっぺんから、一連の、よく似ているが一定の間隔をおいた光がひらめいていた。そしてそれは応答用の合図にまちがいなかった。  わたしは筋肉をよく調整し、自分の姿が相手がたからまったくまる見えであることをあらためて悟ると、前よりも一層はっきりと、よろよろとした歩調の真似をして歩き始めた。もっとも、その両眼は、サウス街の広場のほうに海の景色が見えているあいだは、あの身の気のよだつ不吉な暗礁のほうにそそがれていた。わたしには、それが〈悪魔の暗礁〉に関係のある、なにか不思議な儀式であるか、あるいはなにかの一行が、あの不吉な暗礁に船で上陸しているとでも考えるほかには、その意味を想像することができなかった。いまわたしは廃墟となった芝生のあたりを左に曲ったが、絵のような夏の月光に輝く海のほうに目を向けたまま、その説明しがたい不知火《しらぬい》の不思議な光をみつめていた。  いままで感じたこともないほど強い恐怖の念を心に感じたのはこの時であって――その恐怖のために、わたしの最後の自制心もこっぱみじんに打ちくだかれ、あの荒れ果てた悪魔のような街に面するぽっかりと口を開けた暗闇の戸口や、にぶく光っている窓の前を南のほうへ一目散に駆けだしたのだ。というのも、少し近づいて眺めたとき、暗礁と海岸とのあいだにある月光に照らされている水面には、満々と海水がたたえられており、その水面には、町のほうへ向かって泳いでくる生き物の群れが満ちあふれていたからである。わたしの立っている遙か遠いところから、ほんのちょっと見ただけでも、水から出たり沈んだりする頭や、抜き手を切っているその腕が、なんとも形容のしようのない、こうといって説明のつきかねる、いかにも異常な、常識では考えられぬ姿をしていることだけははっきりとわかった。  無我夢中の疾走も、一丁も走らないうちに止めてしまった。というのは左手のほうに、なにか隊を組んだ追手の、獲物を駆りたてるような叫び声が聞こえ始めたからである。それとともに、足音も、喉から出る音も聞こえ、ガタガタという自動車の音がフェデラル街を抜けて南のほうにこだまして行った。たちまちのうちにわたしは計画をかえざるをえなかった。というのは、もしも南に伸びる国道が、行く手をふさがれてしまったとすれば、どうしても別の逃げ道を見つけなければならないからだ。わたしは足をとめると、開けっぱなしの戸口から一軒の空《あき》家に入《は》いり、あの追手のこないうちに、月光に照らされた広場を渡ってしまえたのは本当に幸運だったと思い返した。  つぎに気のついたことは、まことにありがたくないことだった。というのは、追手が別の通りにもでているとすれば、やつらがわたしの背後を直接に追いかけているのではないことは明らかだったからだ。やつらはわたしの姿を見かけたわけではなく、ただ、わたしの逃走を阻止しようとする計画どおりに、行動しているに過ぎなかった。が、これはつまり、インスマウスから外《そと》に通じる道という道は、全部同じように警戒されていることになる。なにぶん、町民たちには、わたしが、どんな径路を辿るつもりであるのかわからない以上、あらゆる道を警戒するという手を打つのは当然だったからである。もしもそうだとすれば、どの道も通らずに、道のない畑や野原を突っ切って逃げなければならないわけだが、このあたりには沼のような掘割が縦横に走っている点にかんがみて、いったいどういうふうにやってのけたらいいのだろうか? しばらくのあいだわたしの頭は、一つにはもうどうにでもなれという絶望感からと、もう一つにはそのあたり一面にただよっているなまぐさい悪臭が急に強くなってきたために、くらくらと目まいを感じた。  そのときわたしは、むかしロウレイに通じていたという廃止になった鉄道のことを思いついた。そのしっかりとした線路には砂利が敷いてあり、雑草は茂っていたが、それでもまだ川の端にある、崩れた駅から北西のほうへ伸びていた。ことによると、追手の連中は、まだそれに気がついていないかもしれなかった。いばらの密生した荒地は、おいそれと人が通れないようになっていたからでもあるし、逃げるものが、まさかこんな道を通ろうなどとは考えられなかったからでもある。この鉄道線路は、さっき旅館の窓から眺めておいたし、どういうぐあいに伸びているかということも心得ていた。残念ながら、その線路伝いの道の出はじめのところは、大部分、ロウレイ街道からも、町の高い所からもまる見えになっていた。が、茂みを目だたぬようにこっそり掻《か》きわけることはできそうだった。とにかく、これがわたしの脱出にとって唯一の道であって、他に頼るすべは一つもなく、ただその方法をやってみるほかはなかったのだ。  わたしは朽ち果てた隠れ場所の玄関のなかに入いり、もう一度懐中電燈の灯をつけて、食料品店の若ものが書いてくれた地図を開けてみた。当面の問題は、いかにしてあの古い鉄道に到達するかということだった。いま見たところでは、まずバブソン街に向かってから、西のラファイエット街に折れ、――そこではさっき横切った広場のつい横を曲るのだが、そこを横切らなくてもすむのだ――それからまた北のほうへ戻り、こんどは西のほうへジグザグに、ラファイエット街、ベイツ街、アダムズ街、パンクス街を通り抜け――最後のパンクス街は河の流れに沿っている――そこから、さっき旅館の窓から見ておいたあの寂《さび》れた駅の廃屋に行く道が、一番安全な径路であった。なぜバブソン街に進む道をとったかといえば、先刻の広場をもう一度通ることがどうしても嫌だったのと、サウス街のような広い通りを西に向かうのも感心しなかったからである。  あらためて出発するその手初めに、わたしはまず通りを横切って右側に折れ、なるべくこっそりとバブソン街のほうへ入いって行った。追手の物音はまだフェデラル街のほうから聞こえていた。うしろを振り返ってみると、わたしが逃げ出してきた建物の近くに、一条の光がぼっと見えたらしかった。ぜがひでもワシントン街を抜け出したい一心から、だれにも出会うことはあるまいと幸運を念じながら、小走りに駆けだした。バブソン街のつぎの角に出てみると、驚いたことに、人の住んでいる家がまだ一軒残っていて、窓にはカーテンが下がっていた。が、家の中には灯がともっていなかった。わたしはなんの災難もなく、ここを通り過ぎた。  バブソン街に入いったものの、ここはフェデラル街の通りと交叉しているため、追手のものたちに勘づかれる恐れがあったので、倒れかかっている奇妙な建物の蔭になるべくぴったりくっついて行った。背後から聞こえる物音が、時おり大きくなるたびに、通り合わせた家の戸口のところで二度ばかり立ちどまった。前方の広場は月光を浴びながら広々と、荒涼と輝いていたが、わたしの選んだ進路からいって、そこを横切るにはおよばなかったのだ。二度目に立ちどまったとき、わたしはぼんやりとした物音が、あらためてまたあたりに広がるのを聞きつけた。物蔭から用心してのぞいて見ると、一台の自動車が例の広場に向かって走って行くのが見えた。バブソン街やラファイエット街にも面しているエリオット街の通りに沿って、だんだん向うへ走って行った。  それを眺めながら――しばらく薄らいでいたあの嫌ななまぐさい悪臭がだしぬけにまた強くなったので、息がつまりそうになったそのとき――自動車のやってきたのと同じ方向に、うずくまるような異様な姿をした生きものの一隊が、跳んだりよろめいたりしながら歩いてくるのを見、これこそイプスウィッチ街道を警戒している一隊にちがいないとわかった。というのはエリォット街の通りを真っすぐに進めば、それがそのまま国道になっていたからである。その異様な生きもののなかの二匹はかさばった衣をまとい、その一匹はとんがった冠をかぶっていたが、それは月光に照らされて青白く光っていた。その歩きっぷりがひどく奇妙だったので、思わずわたしは、背すじにぞっとさむ気を感じた――それはまるで、のべつぴょんぴょんはねているとしか思えない歩きぶりだったからである。  その一隊のしんがりの姿が見えなくなると、わたしはふたたび歩き出し、曲り角を走るように回ると、ラファイエット街に入いって行き、それからあの一隊の落伍者がまたこの往来にやってくるかもしれないと思って、急ぎ足でエリオット街を横切った。わたしは遙かタウン・スクエアーの方向に、ケラケラ、ペチャペチャとしゃべるような音を聞いたが、災難にも会わずその街を通過した。一番恐ろしかったのは、月光に照らされたサウス街の広い通りを、ふたたび横切ったときのことで――そこからは海が見えたが――この試練に対しては、どうにも緊張せざるをえなかった。奴らのうちのだれかしらに、あっさり見つかってしまうかもしれなかったし、またエリオット街で会った追手の落伍者が、二つの地点のどっちかから、かならずわたしの姿を見つける恐れがあったからだ。結局わたしは、歩調を前のようにぐっとゆるめて、インスマウスの住民特有の、あのよろよろ歩きを真似しながら歩いたほうがいいと決めた。  眺望が開けて――今度は右手に――ふたたび海が見えてくると、わたしはそれを全然見ないことになかば決心をつけていた。だが、どうにも我慢しきれなくなったので、注意深く前方の物かげのほうに、よろよろ歩きの真似をしながら進んで行くとき、ちらりと横目で眺めてみた。大きな船は案の定、見えなかったが、その代わりに、まずわたしの視線をとらえたのは、一隻の小さいボートで、それは、荒れはてた波止場のほうに向かっていて、防水ボートで覆いのしてあるなにか、かさばった物を積んでいた。その船頭は、遠くでぼんやりしか見えなかったが、とりわけ嫌らしい顔つきをしていた。泳いでいるものの姿もいくつか認められたし、遙かかなたの真黒な暗礁には、かすかな、動かない光が見えたが、これは前方に見えるちかちかとまたたく光とは違っていて、はっきりこうだといいきれない妙な色をしていた。右手前方の傾いた家並みの上には、ギルマン・ハウスの高い円形ドームがぼーっと浮きあがって見えていた。しかしそれには一つも灯がついていなかった。しばらくのあいだ、ありがたいそよ風のおかげで消えていたあのなまぐさい悪臭が、いままた物凄い強さで匂ってきた。  わたしがまだ通りを渡りきらないうちに、北の方からワシントン街に沿って、もぐもぐと呟きながら進んでくる一隊の声を聞きつけた。初めてわたしが月光に映る海をおずおずと眺めたあの広場までその連中がやってきたとき、わたしにはそいつらとの距離がわずかしかはなれていないのがわかり、それと同時に、やつらの顔が野獣のように物凄く、そのうずくまるような歩きっぷりは、人間のそれとは縁が遠く、むしろ犬に似ているのを見てぎょっとした。ある男の動作などは、まったく猿そっくりといってよく、その長い手はいくども地面に触れた。また一方、――僧衣をまとい、冠をかぶった別の男は――まるでぴょんぴょんはねるような格好で歩いていたらしい。どうやらこの一行はギルマン・ハウスの中庭で見かけた連中で――つまりは、わたしのあとを一番ぴったりと追跡している連中にちがいないと判断した。なかにはわたしのいる方向をひょいと振り返って見るものもあったので、わたしは恐ろしさでその場に釘づけになったが、それでも臨時に真似しているあのよろよろ歩きだけは、どうにかやっと続けていた。今日にいたるまではたしてあの連中がわたしの姿を見たかどうか知らないが、もしも見かけていながら気がつかなかったとすれば、わたしの計略がまんまと彼らに一杯くわせたものに相違ない。なぜならその連中は、自分たちの進路を変えないで、そのままあの月光の広場を横切って、立ち去ってしまったからである。――その間《かん》、彼らは、なんともいいようのない、いやらしい喉声の方言でケロケロ、ベタベタとしゃべっていた。  わたしはもう一度物蔭に入いると、さっきと同じように小走りに駆け、夜の闇のなかに黒々と戸口を開けている、傾きかかったあばら家の家並みを通り抜けた。西側の歩道に渡ってしまうと、一番近い角で曲ってベイツ街に入いり、そこでは、南側の建物にぴったりとくっついて歩いた。人の住んでいる気配《けはい》の見える家を二軒通り過ぎ、そのうちの一軒は二階の部屋にわびしい灯がともっていたが、別に妨げとなるものには出会わなかった。アダムズ街に曲ったときには、もう大丈夫だという気がしたが、真暗な玄関から目の前に、いきなり一人の男がよろよろと出てきたのには、思わずぎょっとした。しかしこの男は、ぐでんぐでんに酔っぱらっていたから、あわてるにはおよばなかった。こうしてわたしは、バンク街のもの寂しい倉庫の廃屋に無事辿りついた。  河の峡谷沿いの死んだような通りには、人っ子一人見当たらず、滝の音は、わたしの足音を呑みこんでしまった。古い荒れた駅まで小走りに駆けても、かなり時間のかかる道のりだったし、あたりをとりまくその大きな煉瓦の倉庫は、民家の玄関よりも一層恐ろしく思われた。だが、わたしは、ついに、あのむかしの拱廊《きょうろう》のついた駅を――ないしは駅の残骸《ざんがい》を――認めると、もう少し向うの端から始まっている線路のほうに近づいて行った。  線路はさびていたが、ほぼそっくり無事だったし、枕木も大半は腐っていなかった。だが、歩くにせよ走るにせよ、じかにこの上を踏んで行くのはことだったが、全力をつくして頑張ったので、まずは思いどおりに早く進んだ。かなりの道のりのところまでその線路は、峡谷のふちに沿って走っていた。しかし、やがてわたしは、目のまわるような高い峡谷にかかっている長い橋のたもとに辿りついた。この橋の情況いかんによって、つぎにとるべきわたしの手段が決まるはずであった。というのは、仮に、それが渡れるものなら、わたしもこの橋を渡ることにするが、万一だめなばあいには、さらに危険を冒しても、通りをさまよいつづけたうえ、なるべく近いところで完全な橋を渡るほかはなかったからである。  幅の広くて奥行きの深い、そのむかしの橋は、月光を浴びてあやしく輝いていた。その枕木が、橋のたもとから少なくとも数フィートのところまでは大丈夫だということがわたしにもわかると、懐中電燈をたよりに渡り始めたのはよかったが、目の前を飛び交《か》うこうもりの群れに、もう少しで足場をとられるところだった。橋のなかほどの枕木に、ひどく危険な割目があって、はっと一時は立ちどまったが、結局死にものぐるいの飛躍を試みて、さいわいうまく成功した。  例の不気味なトンネルを出て、ふたたび月光を見たときはうれしかった。このむかしの線路は、同じ高さの路面でリバー街を横切ると、そこからたちまち、方向を転じて周囲一帯がみるみる田舎じみた地域になり、あのインスマウスのなまぐさい悪臭はうすれていった。  この辺りには雑草や茨《いばら》の茂みがいくつもあり、ときおりわたしの行く手をはばみ、容赦なく靴を裂いたが、それとても危険が迫ったさいに身を隠す術《すべ》になると思えばやはりありがたかった。おまけにわたしは、ロウレイ街道から先の道は、はっきり見えるということを知っていた。  沼沢《しょうたく》地帯がまもなく始まり、低い草のはえた堤の上に鉄道線路が一本走り、そこのところだけは雑草のはえかたもうすくなっていた。やがて地盤の少し高くなった、いわば沼地に島を思わせるようなところにさしかかったが、ここで道は、草や茨に覆われた浅い溝を一つ越えた。さっき旅館の窓から見たところから考えると、このあたりはロウレイ街道からはきわめて近いので、この溝は一時の隠れ場として大いにありがたいものであった。溝はその一方の端のところで道と交叉し、そこからさらに安全なところまでずっと曲りくねって続いていた。が、そのあいだでも、わたしはやはり、警戒をゆるめるわけにはいかなかった。ありがたいことに、このときまでには、鉄道そのものが彼らに巡視されていないということに確信が持てた。  溝に入いる前にうしろを見たが、追手の姿は見えなかった。古い尖塔や朽ちかかったインスマウスの街の屋根が、不思議な黄色い月光を浴びて、美しくぼんやりと浮かんでいたが、それを見れば、凶運に見舞われる以前のインスマウスの街の眺めは、こうもあろうかと思われた。それからわたしは目を転じ、街から内陸のほうを眺めたとき、なにか静粛でない気配を感じ、一瞬じっと息をころした。  そのときわたしの見た――いや見たと思ったものは――遙か南のほうでざわざわと波動しているらしい人影で、平坦なイプスウィッチ街道沿いに、街からおびただしい人の群れがあふれ出ているにちがいないと思わせるような気配があった。かなり距離が遠いので、くわしいところは見えなかったが、その縦隊行進の動きぶりは、なんともうす気味の悪い光景であった。その縦隊は、ひどく波打って動き、いまは西に傾いた月光を浴びてひどくぎらぎらと輝いていた。それにまた、風が反対に吹いているにもかかわらず、音のしている気配もあったが――それは、さっきわたしが耳にした呟きよりももっと下等な、野獣の叫びやうなり声に似ていた。  あらゆる不愉快な臆測が胸をかすめた。わたしはふと、あの海辺の近いところにあって、幾世紀も荒廃し続けたというあばら家に隠されているという、インスマウスを象徴する生きもののことを考えた。またわたしは、さっき見た、あの名も知れない水棲動物のことを考えた。またわたしは、遠くにちらほら見えかくれする連中や、またおそらくその他の道にもあふれているにちがいない、わたしの追手の頭数は、インスマウスのような人影のうすい街にしては、奇妙に人数が多すぎた。  いま目の前に見えるこの隊列を組んだ大ぜいの連中は、いったいどこから現われたのか? あのむかしの、はかりしれぬ深い隠れ家には、まだ記録にない、想像すらされたことのない畸形的な生きものが、群れをなしているのだろうか? それとも、まだ見たこともない大船が、あの呪われた暗礁にある大ぜいの未知の第三者を、上陸させたことでもあるのだろうか? いったいやつらはなにものだろう? なぜここにいるのだろう? そして仮にこれだけ大ぜいの連中がイプスウィッチ街道を往来しているとすれば、他の街道筋の警戒も、同じように増強されているのだろうか?  わたしは灌木の茂った溝に入いり、きわめてゆっくりと、茂みを掻きわけながら進んでいった。と、例の忌まわしいなまぐさい匂いが、またしてもあたりに充満してきた。風向きが突然東に変わったために、海岸から町を通り抜けてその匂いは吹いてきたのだろうか。それにちがいないとわたしは思った、というのは、今まで静かだった方向から、喉をならすような恐ろしい呟きが聞こえてきたからだ。いや、そればかりではない、ほかの音も――一種大仕掛けな、なぜかひどく忌まわしい想像をかきたてるパタパタ、パタパタという大きな声も聞こえてきた。それを聞くと、筋がとおらない連想だとは思いながら、わたしは遙か遠いイプスウィッチ街道で、不気味に揺れ動いている人波を思いだした。  やがて、その悪臭と雑音とは、ともにますます激しくなったので、わたしの身ぶるいも思わずとまり、わが身をかくまってくれるその溝に感謝した。わたしはロウレイ街道がむかしの鉄道を西向きに横切ってから分岐するに先だって、この鉄道線路に接近するのは、このあたりだったと思い出した。なにか向うからその街道にやってくるものがあった。それが通り過ぎて見えなくなるまで、じっと横になっていなければならなかった。ありがたいことにその連中は、探索用に犬を使ってはいなかった――もっとも、たとえ犬を使ったにしても、あたり一面に立ちこめているその悪臭のまっただなかでは、効果があるとは思えなかったのだが。その砂地の溝の灌木の蔭に潜んでいると、追手のものが、百ヤードと離れない前方の線路を横切るとわかっていても、かなりわたしは安心していられた。わたしのほうからは、彼らを見ようと思えば見られたが、彼らのほうからは、わたしがここに潜んでいる限り、たちの悪い魔術でも使わなければ、見つかるわけはなかったのだ。  不意にわたしは、彼らが目の前を通りすぎるとき、その姿を見るのがこわくなってきた。わたしは彼らがそこをどっと通りすぎるにちがいないと思われる、つい鼻っさきの月光に照らされた大地を見、その大地はきっと二度と消えないまでに汚染されてしまうだろう、と妙なことを想像した。おそらくこの連中こそ、あらゆるインスマウスの生きもののなかで、一番下等な――二度と思いだしたくないような代物《しろもの》にちがいないのだ。悪臭がいよいよあたりに充ちわたり、雑音はぐっと高まって、いななき、叫び、吼えるような、とても人間のことばとは思えないけだものじみた騒ぎに化してしまった。これが本当にわたしの追手の声なのだろうか? そもそも奴らは犬を飼っているのか? わたしの知るかぎりでも、インスマウスでこれ以上下等な動物は見なかった。そのパタパタ、パタパタという歩きぶりはまったく奇怪なもので――わたしには、そういう音をたてるにふさわしい下等動物など思いもつかなかった。その音が西のほうにすっかり消えてしまうまで、わたしは目を閉じていたかった。彼らの一群は、いま、つい目と鼻の先にやってきて――あたりの空気は彼らのうなる息づかいでよごれ、また大地は、彼らの奇異なリズムの足並みによって、地ひびきをたてないばかりであった。わたしはいま息がつまりそうになり、ありったけの意志をふるい起こして、なんとかまぶたを閉じようとした。  そのつぎの瞬間に起こったことが忌まわしい現実なのか、それとも単に悪夢のような幻想なのか、この点については、いまだにわたしは、そのいずれとも申し上げる気になれないのだ。あとでわたしが狂気のように政府に向かって訴えた結果、当局のとった措置によって、それは奇怪な真実だと確認されるはずであるが、しかし、むかしからなにものかにとりつかれた、陰影のあるあの町の、なかば催眠術にかけられたような状態ならば、ある一つの幻想が、もう一度繰り返されないわけはあるまい? ああいったような場所にあっては、そういう奇妙なことは起こりうるものだし、あの寂莫《せきばく》とした、悪臭の強い街々や、朽ちかけた屋根や倒れそうな尖塔の雑然とかたまった環境にあっては、気違いじみた伝説の遺産が働きかける影響力が、一人の人間の想像力を超《こ》えるとしても無理はあるまい。また実際に伝染性の狂乱症をひき起こす細菌が、インスマウスを覆うあの陰影の核心の奥に、潜んでいなかったとはいえまい。ザドック・アレン老人の話したような物語を聞いたあとでは、いったいだれが現実というものを信じられようか? 政府の役人は、気の毒にもまだザドックを見つけだしてはいないし、彼がどうなったかということについては、いまだになんの手がかりもない。いったいどこまでがザドック老人の狂気の空想で、どこからが実在の話なのであろうか? また、たったいまのわたしの恐怖も、まったくの幻覚なのではあるまいか?  だがわたしは、あの夜黄色い幻月に照らされながら――人気《ひとけ》のない鉄道線路の溝に生い茂った灌木に身を潜めているとき、目の前のロウレイ街道をひょこひょこ跳びはねるようにやってくるのをこの目で見た、あの生きもののようすのことを、ひとこと申しあげておかなければなるまい。恐怖のあまり目を閉じて、そとのようすはいっさい見まいとしたわたしの決意は、無論、うまくいかなかった。うまくいきっこなかったのだ――というのはほかでもない、つい百ヤードほど先のところを、そのえたい[#「えたい」に傍点]の知れぬ生きものの一団が、ケロケロ、ウォーオー吼えながら、騒がしく跳びはねているというのに、じっとうずくまったまま目を閉じていられものはおるまいからだ。  わたし自身、最悪の事態に備える覚悟はできていたと思うし、事実また、それまでに見てきたことを考慮すれば、当然覚悟しなければならなかった。わたしを追跡してきた他の連中にしても、まったく異常な代物《しろもの》だったのだから――異常な要素のひと回り大きい代物にも、――というのは、すなわち、当たり前の生物らしい要素の少しもない形のものにも、お目にかかる覚悟をきめていたのも当然ではなかったろうか? そのしわがれた鳴き声が明らかに真正面のところにきてから、初めてわたしは目を開いてみた。すると、溝の両端が浅くなって街道が線路と交叉するところに、彼らの長い列の一部がありありと見えるのに気がつき――その傾きかけた黄色い月光が、たとえどんなに恐ろしい光景を照らしだそうと、どうしてもわれとわが目で、しかとその光景を見届けないわけにはいかない気分に駆りたてられた。  その生きものは、この地上の生物に関してわたしの持っている知識では理解できない代物であり、またわたしにわずかに残っていた心の平和に終止符を打つとともに、自然と人間性とは完全無欠なものであるとひそかに考えていたわたしの信念に、終止符を打ってしまった代物であった。いかにわたしが想像をたくましくしても――また仮に、あのザドック老人の気違いじみたばかばかしい話を文字どおり信じたうえで想像をたくましくしたとしても、そのときわたしがこの目で見た――いや見たと信じたその悪魔的な、神を冒涜《ぼうとく》するにもひとしい生きものの姿とは、とても比較にならなかった。実はそれを大胆にズバリと書きしるす恐ろしさを先へ延ばすために、その生きものがどんなようすかということを、わたしはそれとなく遠回しにいっているにすぎないのだ。この地球という遊星が、かかる奇怪な生きものを創造するということが、はたして本当に可能なのだろうか? また、これまでは熱にうかされた幻想か、つまらぬ伝説のなかでしか知らなかったようなものを、はたして人間の目が客観的な生きものとして実際見たことがあったろうか?  しかもわたしは、その連中が無限の長蛇《ちょうだ》の列を作って、幻想的な悪夢みたいに、グロテスクで不吉なサラバンドを踊りながら、奇怪な月光に照らされて、人間ばなれのした格好で、跳んだりはねたり、ケロケロ、ペチャクチャ鳴いたりしゃべったりしたところを見たのである。そのなかには、名も知らぬ白く光る金属でできたあの長い冠をかぶっているものもいくたりかおり、……またあるものは奇妙な衣を身に着こなしているし……また先頭に立っている一人は、妖鬼みたいな背むしの黒いコートと縞のズボンに身を包み、人間のかぶるフェルトの帽子を、おそらく頭に相当すると思われる不恰好な部分にのせていた。……  彼らの腹は白かったが、その体の全体の主な色は灰色がかった緑であった。その体の大部分は光沢を帯びてつるつるしていたが、背なかの端には鱗がついていた。そしてその体型は、なんとなく両棲類を思わせたが、頭は魚のそれで、その頭には、決して閉じることのない、ぐっと盛りあがった眼がついていた。その首の両わきには、呼吸している鰓《えら》があり、長い手足の先には水かきがついていた。この連中は不規則に、二本の足で跳《は》ねるときもあれば、また四本の足で跳ねるときもあった。どうやらやつらの足が四本しかないのを見てわたしはほっとする思いがした。ケロケロ、ウォーウと吼える声は明らかに一定の話をするために使われており、彼らが顔らしい顔を持っていないために欠けている意志表現のあらゆる陰影を、それによって伝えていたのだ。  しかし、彼らは、これほど奇怪な様相を呈していながら、かならずしも親しみが持てない姿ではなかった。わたしは彼らがなにものであるか、すでに知りすぎるほど知っていた。ニューベリーポートで見たあの呪いのかかった冠の記憶が、わたしの脳裡にまだ生き生きと残っていたのだろうか? この連中は、――生きている恐ろしい――なんともいいようのない濱神《とくしん》的な意匠による魚とも蛙ともつかぬものであり――それを見たとき、わたしには、あの暗い教会の地下室のところで、冠をつけたせむしの僧を見て、わたしが連想したのがどんなことであったのかということもわかった。彼らの頭数はとうてい見当もつかなかった。無限にうようよ集まっているように思われたし――一瞬ちらりと見たところでは、彼らのほんの一部しか目に入《は》いらなかった。つぎの瞬間、失神という願ってもない発作のおかげで、あらゆるものが目の前からぼやけたのだ。生まれて初めて経験した失神であった。         5    雑草の生い茂っている鉄道線路に、意識を失って倒れていたわたしは、昼になって降ったしめやかな雨のおかげで目を覚ました。前方に見える道路のほうに、よろめきながら近づいてみると、まだ新しいぬかるみのなかには、なんの足跡も見えなかった。インスマウスの寂《さび》れきった街の家並みや、ぐらついている教会の尖塔が、南東の方角に灰色に、かすんで見えていた。だが、あたり一面荒廃した塩水の湿地になっているこの付近には、人っ子一人見えなかった。わたしの時計はまだ動いており、時間を見ると正午を過ぎていた。  わたしの胸には、いままで経験してきたことが、はたして現実のことなのかどうか、それがはっきりとわからない疑問があったが、しかしその背後には、なにかしら、ぞっと身ぶるいするものがあるように思われた。わたしとしては、悪魔の影のさすこのインスマウスから、ぜひ逃げ出さなければならなかったので、弱り果て疲れきったこの体で動くことができるかどうか、力だめしをやってみた。衰弱と空腹が激しく、恐怖と困惑に悩まされていたにもかかわらず、しばらくすると、歩けそうなことが自分でもわかった。そこでわたしは、ぬかるみの道をロウレイの方角を目ざして歩きだした。日の暮れないうちにロウレイ村に着き、そこで食事を取ると、人前に出ても恥ずかしくない服装を整えた。夜行列車に乗ってアーカムに行き、翌日、アーカムで政府の役人たちに、くわしい事情を熱心に話した。のちにボストンでも、わたしはこれと同じことを繰り返した。こういう正式な談話をした結果得た一番大きな収穫は、世間一般がこの件を充分に認識したということである。――だからわたしは、世の健全な常識のために、もうこれ以上しゃべりたいとは思わない。そんな気になったのは、不意にわたしに襲いかかってきた狂気のせいか、――いやおそらくは、もっと強い恐怖の念か――あるいはもっと驚くべきことがわたしに差し迫っているせいなのだ。  考えてみればもっともな話であるが、わたしはそれ以上、旅行についてあらかじめ計画をたてておいたこと――たとえば、名所見物をするとか、建築物を見て回るとか、考古学的な研究をしてみるとか、初めはとても重く見ていた楽しみの大半を放棄してしまったし、また、例のミスカトニック大学付属博物館にあるといわれていた不思議な宝石類も、あえて調べてみようという気にもなれなかったのだ。が、しかし、アーカムに滞在しているあいだを利用して、ずうっと前から手に入れたいと思っていた系図をいくつか集めてみた。それらの系図は、なるほどきわめて粗雑な資料にはちがいなかったが、あとになって照合したり、組合わせたりしてみると、なかなか役に立ったのである。そこの歴史協会の図書館員で、E・ラブハム・ピーボディ氏という人は、実に鄭重《ていちょう》にわたしの手伝いをしてくれたが、わたしがアーカムのイライザ・オーンの孫であって、このイライザは一八六七年に誕生して、オハイオのジェームズ・ウィリアムソンという男と十七歳のときに結婚したのだというと、ピーボディ氏はその話に異常な関心を示した。  わたしは母かたの伯父の一人が、何年も前に、わたしと全く同じ目的をもってあのインスマウスに行ったことがあるらしく、わたしの祖母の里の家は、なにかと地方では好奇の目をもって見られていた節《ふし》がある。ピーボディ氏の話では、祖母の父親であるベンジャミン・オーンという人物が、南北戦争の直後に結婚したときには、それについて、かなり議論があったそうである。というのはほかでもない。じつはその花嫁の祖先というのがはっきりしない家柄で、その花嫁はニュー・ハンプシャーのマーシュ家の孤児で、エセックス郡のマーシュ家のいとこの一人に当たるということがわかったからだ――しかしこの娘は、フランスで教育を受けていたので、自分の家についてはほとんど知らないといってよかった。その後見人が、この娘とその家庭教師であるフランス婦人とを扶養するために、ボストンのある銀行に資本を預金しておいてくれたが、この後見人の名前を、アーカムの人たちはだれも知らなかったし、やがてこの後見人は姿を消してしまったので、女家庭教師が法廷の指示にしたがって、後見人の責任を代行した。このフランス婦人は――だいぶ前に亡くなったのだが――たいそう口かずの少ない人で、その気にならば、もっと弁舌のたつ人だったのに、という連中もないことはなかった。  だが、一番やっかいな問題は、ニュー・ハンプシャーの名家のなかには、この娘の戸籍上の両親たるイノックとリディア(ミサーブ)・マーシュ両人に該当するものがいないという点であった。おそらく多くの人がほのめかしたように、この娘はマーシュ家のだれか立派な人物の私生児であったかもしれないのだ。そういえばこの娘には、たしかにあのマーシュ家特有の眼付きがそなわっていた。当惑するようなことがらは、この女が、初めての子であるわたしの祖母を生んだお産の結果、年若くして死んだあとで、あらかた処理されてしまったのである。マーシュという名前を耳にすると、わたしはどうにも不愉快なことを連想するようになっていたので、マーシュという名が自分の系図に属するものであるという知らせを受けても、それを歓迎する気にはなれなかったし、またピーボディ氏が、わたしもあのマーシュ家の眼を持っているといったことばにはうんざりしてしまった。しかしわたしは、やがて価値がでるとわかっていた資料を提供してくれたことについては、氏に感謝を捧げたし、詳細に記述されたオーン家に関する覚書や参考書類のリストは写しとった。  わたしは、ボストンからまっすぐトレドの自宅に戻ったが、その後、例の厳しい経験から立ち直るために、マウミーで一ヵ月という日時をすごした。九月になると、最終学年に備えるためにオウバリンに入学し、それから、翌年の六月までは、勉強や、その他さまざまな活動のために多忙であった。ただわたしの陳述と証言とをきっかけとして始まった法廷運動に関係のある政府の役人たちが、ときおりたずねてくるときだけ、あの過ぎさった恐るべき事件を思い出すにすぎなかった。六月のなかごろ――インスマウスであんな経験をしてからちょうど一年たっていた――わたしはクリーヴランドの亡くなった母の里であるウィリアムソン家で一週間をすごしがてら、いろいろな書類や、いい伝えや、先祖伝来の家宝と、新しい系図上の資料のいくつかを照らしあわせ、どんな系図が作れるかと研究していた。  本当をいうと、わたしはこの仕事が好きではなかった。というのは、ウィリアムソン家の雰囲気は、いつもわたしには重苦しかったからである。この一家には、一種病的な傾向があって、わたしが子供のときに母親は、自分の里かたへ、わたしを行かせようとはしなかった。けれども母は、自分の父親がトレドにやってくるといつも歓迎した。アーカム生まれのわたしの祖母は奇妙な人で、きまってわたしをこわがらせていたらしい。だから祖母が行方をくらましたときも、わたしは悲しまなかったように思う。当時のわたしは八つだった。祖母は長男であるわたしの伯父のダグラスが自殺したあとで、悲嘆にくれて雲隠れしてしまったのだそうだ。ダグラス伯父さんは、ニューイングランドへ旅行したあとで自殺してしまったが、その旅行は間違いなくわたしと同じ旅行で、だからこそ、アーカム歴史協会で彼のことを思いだすよすがになったのである。  このダグラス伯父さんは、祖母にそっくりなほどよく似ていて、だからわたしはこの伯父も嫌いだった。この二人とも、なんだかじっと見つめるような、またたきをしない眼付きをしているので、わたしはぼんやりとした、ちょっとことばではいいようのない不安を感じた。わたしの母や、ウォルター叔父さんはそんな顔付きはしていなかった。この人たちは父親似であった。もっとも、可哀想に――ウォルター叔父さんの息子の――小さいいとこのロレンスは、体の調子が悪くなって、キャントンの療養所に永遠に隔離されるまでは、その祖母にほとんど瓜二つといってよかったが。わたしはロレンスに四年間も会っていなかったが、あるとき叔父が、彼の状態は精神的にも肉体的にも、非常に重態だといっていた。おそらくロレンスの母親は、この心配がもとになって、二年前に亡くなったのであろう。  わたしの祖父と、やもめになったその息子のウォルターとは、それ以来クリーヴランドの家で一緒に暮したが、むかしの記憶が暗くその家におおいかぶさっていた。わたしはやっぱりそこが嫌いで、なるべく早く自分の研究をすまそうとがんばった。ウィリアムソン家の記録やいい伝えは、祖父が豊富に提供してくれたが、オーン家の資料は叔父ウォルターの手を借りなければならなかった。ウォルターは意のままに、自分の収集帳からその内容を見せてくれた。そのなかには、覚書、手紙、切り抜き、家宝、写真、模型などが入《は》いっていた。  わたしが自分の祖先にある種の恐怖を抱き始めたのは、オーン家の手紙や写真に目を通しているときであった。前にもいったように、祖母とダグラス伯父さんは、いつもわたしの邪魔をしていた。この二人が世を去ってから数年たっている現在でも、彼らの顔を写真で見ると、わたしははかり知れない憎しみと、嫌悪の情の高まるのを覚えた。最初はその変わりように気がつかなかったが、少しでも疑うのはやめようとことさらに強く否定したにもかかわらず、しだいに恐ろしいほどのその類似がおのずと表面に現われてきた。この二人の顔の表情が、前には気がつかなかったあることを――それこそ、ごく公平に考えてみさえすれば、動かしがたい恐怖をもたらすにちがいないあることを、いま明らかにそれは暗示していた。  だが、一番強いショックを受けたのは、叔父が町の安全預金の地下金庫にあるオーン家の宝石を見せてくれたときのことであった。そのなかのある品物は実に精巧にできていて、思わず感嘆しないわけにはいかなかったが、一つだけ、奇妙なむかしの装飾品を入れた箱があった。これは、例の不思議な影のある曽祖母から伝わるもので、叔父はこれをとりだすのをしぶっていた。彼のいうところによれば、なかに入いっている品ものは、いかにもグロテスクで、それにはなんとも嫌な意匠がほどこされており、彼の知る限りでは、公《おおやけ》に身につけたことはなく、ただ、祖母がときおりそれを眺めては楽しんでいたそうだ。なんとなく不吉な運命を思わせる伝説が、この品物にはまつわりついていて、例の曽祖母についていたフランス婦人の家庭教師は、ヨーロッパでこれを身につけるのは少しもさしつかえないが、ニューイングランドでは決して身につけてはいけないといっていたそうである。  叔父は、ゆっくりと、しぶしぶこの品物を開けながら、この意匠は実にへんてこで、なかには吐気を催すようなものもあるから驚いても知らないよ、とわたしに釘を打った。いままでにこの品物を見た芸術家や考古学者たちは、その技巧がまことにすばらしく、異国情緒豊かな傑作であるとは洩らしたが、さて、その材料がなんであるか、あるいはどんな美術系統に属するのかというだんになると、だれ一人わかるものがいなかったようである。箱のなかには、腕輪が二つ、冠が一個、なにか胸飾りのようなものが一つあった。その胸飾りには、いささか忍びがたいほど放縦なある姿態をした像が盛りあがるように浮彫りにしてあった。  こういう説明を聞いているあいだ、わたしは自分の感情の手綱をしっかりとしめていたが、しだいに高まってくる恐怖の影が、つい顔に出たにちがいない。叔父は、おやっというような顔をすると、しばし品物の包みをほどく手をやすめ、わたしのようすをうかがった。そのままほどきつづけてくれ、と身振りでわたしが示すと、叔父はまたしぶしぶとそれをほどき始めた。叔父は、最初の品――つまり例の冠をとりだすとき、なにか説明書でもついているのではあるまいか、と当てにしていたらしいが、さて本当はなにを当てにしてたのか、それはわからない。ともかくわたしのほうは、そんなものはてんで当てにしてはいなかった。というのは、その宝物がどんなものであるかということについては、あらかじめ充分に心得ていたからだ。ただわたしはそのとき、一年前にあの灌木の密生した鉄道線路でそうなったように、ことばもなく気を失ってしまったのである。  その日から、わたしの生活は、くよくよ考えこんでは心配ばかりする悪夢のような生活になってしまい、いったいどこまでがおぞましい現実で、どこまでが気のせいであるのかわからなくなった。わたしの曽祖母は、親ははっきりとはわからないが、マーシュ家の系統の女で、夫はアーカムに住んでいたそうである――そういえば、たしかザドック老人も、オーベッド・マーシュと怪物の女との間にできた娘は、父親のオーベッドがうまくだまして、アーカムに住んでいたある男のもとにかたづけた、とはいわなかったろうか? あの老いぼれののんだくれは、わたしの眼を見て、オーベッド船長に似ていると呟いたが、あれは、いったいどういう意味か? アーカムでも、ピーボディというあの図書館員は、わたしを見て、あなたは正真正銘のマーシュ家譲りの眼をしていらっしゃる、といってたっけ。するとオーベッド・マーシュは、わたしの曽曽祖父に当たるのか? ではわたしの曽曽祖母は、いったいだれか、いやなにか? しかしこんなことはおそらくたわごとにすぎない。ああいう白光りのする金の飾り物にしたところで、わたしの祖母の、とにかく父親に当たる男が、インスマウスの船乗りからあっさり買ったものかもしれないのだ。それにまた、祖母や自殺した伯父の持っていた、あのじっとみつめるような眼をした顔付きにしたところで、これは、あのインスマウスの暗影が、すっかりわたしの想像力を陰鬱におし包んでいるために、ついかもしだされた幻想にすぎないかもしれないのだ。しかし、どういうわけであの伯父は、ニューイングランドに祖先のことを調べに行ったあとで、自殺してしまったのか?  二年以上にもわたるあいだ、わたしはこのようなさまざまな雑念を払いのけようとして悪戦苦闘し、ある程度の成功を収めていた。父がわたしのために、ある保険会社に職を見つけてくれたので、わたしはできうるかぎり一心に、日々の勤めに精をだして、いやな雑念を考えないようにしていた。ところが、一九三〇年の冬から三一年にかけての期間に、あの悪夢のような妄念が、またしてもわたしにおそいかかってきた。初めのうちはほんのときたま、それもいつとなくおそっていたのが、数週間経つうちには、だんだん頻繁にはっきりとおそいかかってくるようになった。わたしの目の前は、広々とした水の世界で、わたしは海底に沈んだ大きな柱廊や、巨大な石の積み重なった、草のはえている迷宮をくぐり抜けながら、グロテスクな魚の仲間入りをしているらしかった。と、例のあの怪物も姿を見せ始め、はっと目が覚めてわれに帰ってみると、いいようのない恐怖に包まれていたものだ。が、夢を見ているあいだは、あいつらは少しも怖くなかった――わたしも奴らの仲間の一人で、人間のものでは断じてないあの装具を身につけたまま水路を歩み、悪魔に呪われた海底にある、やつらの寺で怪しげな祈りを捧げていたのだ。  とうてい思い出し切れないほどいろいろたくさんのことがあったが、仮に、毎朝思いだしたことを克明に書きとめておいたならば、わたしはきっと、気違いか天才か、どちらかの折紙をつけられていたにちがいない。当時わたしが感じていたのは、なにか恐ろしい力がわたしに作用して、しだいにわたしをまともな正気の世界から引きずり出し、暗黒と異常に満ちみちた名状しがたい深淵に引き入れようとねらっている、そんな感じだった。そしてだんだんとそうなっていく過程が、わたしの心に重くこたえた。わたしの健康も容貌も目に見えてぐんぐん悪くなり、とうとうしまいには、職を辞《や》め、静かな隔離生活に入いらざるをえなくなった。妙な神経障害におそわれたわたしには、ほとんど眼を閉じることができないでいる症状が、ときどき起こるようになっていた。  朝、鏡を見るたびに、驚く度合がだんだん高くなって行ったのもこのころであった。病気がおもむろに悪くなるところは、いずれにしても見るに忍びないものだが、わたしのばあいは、その背後になにかもっと微妙な、もっと不可解なものが潜んでいるように思われた。父もそれには気がついたらしい。というのは、父はけげんそうに、それもまるでぎょっとした面持で、わたしのようすを眺めるようになったからである。いったいなにがわたしのなかに寄生していたのだろうか? 祖母やダグラス伯父さんに、だんだん顔かたちが似てくるなんて、そんなことがありうるだろうか?  ある夜、わたしは恐ろしい夢を見、その夢のなかで、わたしは祖母に海底で出会った。祖母は螢光《けいこう》に照りはえた宮殿に住んでいて、その宮殿には、珍しいでこぼこの珊瑚《さんご》や奇怪な十字対生の花の咲いているテラスがいくつもあり、祖母は温情をこめてわたしを迎えてくれたが、その温情は、ひょっとすると嘲笑的なものでなかったとはいいきれない。祖母の姿は――水中生活に入いった人たちの例に洩れず――すっかり変わり、わたしに向かって、自分は決して死んだわけではないのだといった。死んだのではなく、祖母の死んだ息子が探知していたあるところへ出かけ、そこからある世界に飛びこんだのだが、――そしてその世界には息子も行く運命であったが――その世界の不思議な事物は、息子が一発のピストルの煙で消し飛ばしてしまった。この世界は、また同時にわたしの領域ともなるべきところで――そこからわたしは逃れられなかった。わたしは今後死ぬことはなく、人類がまだ地球上を歩かないうちから生存していたあの連中と、一緒に暮すようになるような気がする。  わたしはまた、祖母の祖母に当たる人にも会った。八万年のあいだ、ス・スヤ・ルアイは、キ・ハ・ンスレイに住んでおり、オーベッド・マーシュが死んでからのち、またそこへ戻って行った。ヰ・ハ・ンスレイは破壊されなかった。たとえ、名を忘れられた、人類以前の地球上の「旧支配者」がその古代の魔術によって、ときにはこの「深海のもの」を阻止することはあったとしても、「深海のもの」を破滅させるわけにはいかなかったのだ。さし当たり現在のところ、彼らはじっとおとなしくしていよう。が、やがていつの日にか、彼らの記憶のよみがえったあかつきには、大クトゥルフが熱望していた貢物《みつぎもの》を求めてふたたび立ちあがるであろう。つぎの機会には、インスマウスよりも大きな都会を狙うであろう。これまでのあいだ、彼らは、大きく広がろうとたくらんで、自分たちの助けになるものを育ててきたのだが、ここでもう一度時節を待たなばならないわけになったのだ。地上の人間たちを死にいたらしめたというかどで、わたしは苦行をしなければならないが、それもたいしたことはないだろう。わたしが初めてショグゴスのことを見た夢は、ざっと以上のとおりだが、その光景を見ると、無我夢中の悲鳴をあげながら、思わずわたしは目を覚ました。その朝、鏡に映ったわたしの姿は、もうまぎれもない、あの「インスマウス面《づら》」になり果てていた。  いままでのところ、わたしは伯父のダグラスのようにピストル自殺はしていない。自動拳銃を買い、すんでに射とうとしてはみたが、ある夢のことを考えて思いとどまった。その夢のことを考えると、極度に張りつめた恐怖はやわらぎ、未知の深海に対しても、これを恐れるというよりはむしろ奇妙に引きずられるような感じがするのだ。夢の世界で、わたしは不思議なことを聞き、不思議なことを行ない、目の覚めるときには、恐怖感よりも、むしろ意気昂然たる気分を感ずる。わたしのばあい、これまでたいていの連中が待っていたように、体がすっかり変化しきるのを待つにはおよばないと信じている。もしも、それまで待っていたら、おそらく父は、あの気の毒ないとこが閉じこめられているように、わたしを療養所に入れてしまうだろう。途方もなくすばらしい、これまでに例がないほどの光栄が、海底のあの世界でわたしを待っている以上、さっそくそれを探しに行くつもりだ。ラ・ル・リェー! クトゥルフ・フタグン! ラ! ラ! いや、わたしはピストル自殺なんかしない――そんなまねは断じてごめんだ!  わたしはまずキャントン精神病院から、いとこを脱出させる計画をたて、それから二人で一緒にあの怪しい影に包まれたインスマウスにでかけるのだ。二人はあの沖合にじっとうずくまっている暗礁目ざして泳いで行き、暗黒の深淵を潜り抜けて、巨大な石を積みあげた、太い柱の建ち並ぶキ・ハ・ンスレイに到着したら、深海の魔神の巣窟のなかで、驚異と光栄とに包まれたまま永遠にそこを棲み家とするつもりだ。