ステンレス・スチール・ラット ハリイ・ハリスン/那岐大訳 サンリオSF文庫 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)白鷹秀麿《しらたかひでまろ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)丸の内|倶楽部《くらぶ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)※[#「勹<夕」、第3水準1-14-76] ------------------------------------------------------- [#ページの左右中央]  ステンレス・スチール・ラット [#ページの左右中央]     ハンス・ステファン・サンテッスンに [#改ページ]   1  事務所のドアが突然開いた瞬間、勝負は終ったと悟った。ぼろいもうけ口だった――が、これで全てご破算だ。ポリ公が踏み込んで来たので、おれは椅子に深々と腰をおろして笑顔を見せてやった。こいつも陰気な表情と重々しい足取りをして――おまけにユーモアのかけらもないところまで他のポリ公どもと同じだ。ひと言もしゃべらなくてもおれには何を言おうとしているのか分かっている。 「ジェイムズ・ボリバール・ディグリッツ。お前を逮捕する。罪状は……」  おれはその罪状≠ニいう言葉を待っていた。それなりに感じのいい言葉だと思う。ポリ公がそれをいうと同時にボタンを押すと、天井に仕掛けた黒色火薬≠ノ引火して横はりがねじ曲がり、三トンもの金庫がポリ公の頭上に落ちてくる。実にうまくつぶれてくれたものだ。壁土のほこりがおさまると少しへしゃげたポリ公の手が見えた。それはぴくぴくと動いて人差指を突き出し、おれを詰問するように指差した。声は金庫にふさがれてくぐもっていたので、いらだっているように聞こえる。事実そいつはひとり言の断片を繰り返していた。 「……罪状は不法侵入、窃盗、偽造―」  しばらくの間こんな調子でのべたてた。なかなか見事な罪状の陳列だが、そいつは耳にたこが出るほど聞いてきた。ご宣託にはお構いなく、机の引出しの有り金全部を手さげかばんにほうり込んだ。罪状の陳列が一段落するとまた新しい罪状の陳述が始まった。そいつの声に怒りが込められていたということについては、千クレジット札の束を積み上げて賭けてもいい。 「お前の記録にはロボット警官殺害の罪状が加えられる。本官の頭脳と喉頭は装甲されており、かつ胴部分には――」 「そいつは先刻ご承知だよ。だがお前さんのちっちゃな送受信ラジオは、とんがり頭のてっぺんにあるわけだ。まだお前さんの仲間には知らせてもらいたくないのでね」  壁にしつらえた脱出口を蹴開けると地下への階段がある。床に散らばっていた壁土をよけて歩いていると、ロボットの指がおれの足首をつかみかかってきた。充分用心していたので、指は閉じたが二インチばかり足らなかった。ロボット警官にはいやというほど追い回されてきたので、とても簡単にはつぶせないのはよく知っている。ふき飛ばしても、たたきのめしても、あとを追ってくる。一本でも指が残っていれば、それで体を引きずってくるし、おまけにおめでたい倫理性なるものをいつもひっさげているわけだ。このロボットがやっていることがそれだ。犯罪の世界から足を洗い、社会にそのつぐないをしろとかなんとかいうことだ。地下室に着いた時にも、ロボットの声が階段を伝わってきていた。  もう一秒もむだにできない。警官たちがあとを追ってくるまでに三分ぐらいはあるだろう。この建物から抜け出すには、正碓に一分と八秒かかる。これではあまりはかどったことにはならない。すっかり出し抜かなくてはだめだ。羽目板を蹴開けると、ラベルを取りのぞく作業部屋に出た。通路を通り抜けてもロボットの誰一人として見上げようとはしなかった――もし、そんなことをする奴がいたらこっちがびっくりするところだ。ロボットは全部低級なM型のもので、頭脳は少々足りないが、単純繰り返し作業には極めてよく向いている。そういうことでロボットを傭っているわけだ。この種のロボットは好奇心を一切持たない。窒素果物のつまった罐のラベルをはがしている理由や、壁を通って罐詰を運んでくるベルトの向こうの端には何があるのか、そんなことには無関心だ。壁を通り抜ける〈開かれたことのないドア〉を開けても、ロボットはそしらぬ顔だ。ドアはあけっぱなしのままにしておいた。もう秘密はなくなってしまったのだから。  ごろごろ動いているベルトに沿って、ぎざぎざした穴を通り抜けた。政府所管の倉庫に前もってあけておいた穴だ。ベルトもとりつけた。このベルトと穴は不法な行為で、おれが自分でやらなければならなかった。もう一つ鍵のかかったドアがありそれを開けると倉庫だ。自動フォークリフト・トラックが忙しげに動いて、ベルトの上に罐詰を積み込み、また天井まで積み上げた罐詰の中から新しいやつを抜き出していた。このフォークリフトはロボットと呼ぶにはあまりにも頭脳がおそまつで、ただテープに指示されたものに従って罐詰を積んでいるだけだ。そのそばを通り抜け通路をとことこと走った。おれの不法行為を示す音も、だんだんと遠のいてかすかになった。こういうことになっても、まだ活動を続けている音を聞くのは心温まるものがあった。  このささやかなかねもうけは、今までやったうちで最も気に入っているものの一つだった。少額の資本支出で、政府所管の倉庫の裏にくっついている倉庫を借りた。壁に小さな穴を開ければ、その全貯蔵品に手がとどくのだ。この規模の倉庫では、備蓄品は恐らく何か月も何年も触れることもないような長期のものだろう。おれがやってくるまで全然手も触れられていないのだ。  穴をあけてベルトを取りつければ、あとは単純な商売だ。ロボットをやとって古いラベルをはがし、印刷させておいたはなやかなラベルと取り換えるだけだ。それから、法律を完全に順守したやり方でこの商品を売り出した。おれの品物は極上で、頭を働かしたおかげで費用は最低だ。競争相手より低い価格で勝負をして、なおかつ相当なもうけがあった。地方の問屋連中がもうけ口をすばやくかぎつけて、もう何か月もさきの注文でおれの方は手いっぱいというわけだ――商売は極めて順調――そして、これがずっと続くはずだった。  こんな考えは頭の中から振り払った。おれのやる商売で一つ憶えておかねばならぬことは、仕事が終ったらそれは完全に〈終り〉ということだ! もう一日だけ続けようとか、もう一枚だけ小切手を現金化しようなどという気持は振り切れないが、いやいや、おれはそこのところはよく心得ているのだ。また、警察のことに通じておくということは、極めて好都合なことだということも知っている。 [#3字下げ]背を向けて立ち去れ―― [#4字下げ]そして明日に生き続けろ  これがおれの格言だ。そして全くいい格言だ。おれがこうしてやっているのも、この格言を固守したからだ。  警察の手をのがれようというのなら、変な空想の出番はない。  通路の端に着いた時には、心の中から一切の妄想は洗い流していた。もうこの時分には外部では警官で満ちあふれているだろう。急いでやらねばならぬ。そして手違いをやっては絶対だめだ。すばやく左右をたしかめる。誰もいない。二歩進んでエレベーターのボタンを押す。この裏側にあるエレベーターに前もって計器をとりつけておいた。それを見るとエレベーターは平均月一回ぐらいしか使われていない。  三秒ほどで来た。誰も乗っていない。飛び込むと同時に屋上へのボタンを押した。永久に乗っているような気がした。ただし、これはあくまで主観の問題で、記録によれば正確に十四秒間だ。ここがこの脱走の一番あぶないところなのだ。エレベーターの速度が遅くなるにつれて緊張が高まってきた。七五口径の無反動拳銃は手にあったが、警官一人を始末できるだけでそれ以上は無理だ。  ドアがガラガラと開いてほっとした。何事も起きない。地上のすべてに網を張っているので、屋根の上までは警官を配置しなかったのだろう。  外へ出て初めてサイレンの音が聞こえてきた――すばらしい音だ。下方でたてている物音から察すると、警察は全動員力の半分を投入してきているらしい。おおいに結構。芸術家というものは讃美されればうれしいものだ。  板はエレベーター坑の後ろのところにちゃんとあった。風雨に少し傷んでいたが、まだ充分な強度は保っていた。胸壁まで持ち運び、隣接の建物に渡しかけるまで数秒。  慎重に。ここは危険なところだ。速度がものをいうわけではない。板の端に足をかけて、手さげ鞄を胸にくっつけて、重心を板の上に置く。一歩一歩進む。地上まで千フィートの墜落だ。下を見なければ、落ちることはない……。  渡ったぞ。それ急げ。胸壁のうしろにかくした板が見つからなければ、逃走路はここしばらくはかくせるだろう。十歩かけぬけると吹き抜け階段へのドアに達する。ドアは簡単に開いた――開くはずだ――ちょうつがいに充分油をくれてやっているからだ。内部に入って、ボルトをおろして深々と息を吸いこむ。まだ逃げおおせたわけではない。だが、最も危険な場所は通り抜けたのだ。ここで二分間じゃまが入らなければ、ジェイムズ・ボリバー――またの名を〈するりのジム〉――ディグリッツは、永遠に見つからぬことになる。  屋上の吹き抜け階段は、古くさい小室で照明は薄暗く、誰もここには来ていない。一週間前に盗視聴マイクを調べて安全だった。ほこりもそのままでおれの足跡があるだけだ。この一週間のうちに隠しマイクを仕掛けていないだろうとかけるより仕方がない。この商売には計算ずみの危険はつきものだ。  ジェイムズ・ディグリッツよ、おさらばだ! 体重九十八キロ、年齢四十五歳前後、腹は出張って、あごはがっしり、典型的な実業家タイプ。その写真は数千の惑星の警察記録をかざっており――指紋もそうだ。これらのものが、さっさとなくなっていった。こういうものは身につけると、第二の皮膚のように感じられる。ちょっと溶解剤をつけると、透明な手袋のようにするりと脱げるのだ。  その次は衣服だ――それからコルセットをとりはずし――テルミット[#ここから割り注](粉末アルミニウムと酸化鉄の等量混合物。摂氏約三〇〇〇度の高温を出す)[#ここまで割り注]を混ぜた二十キロの鉛をまきつけたかわいいおなかだ、ビン入り漂白剤をさっと吹きつけると、髪は自然な茶色を呈し、まゆげもそうなる。鼻栓やほお当てほとりはずす。これも一秒ほどで終ってしまう。それから青眼のコンタクト・レンズだ。こういうことをやると母親から生まれたてのようになり、二度生まれてきたような気持にいつもなった。ある意味ではそれは本当だ。二十キロも身軽になって別人になっているのだ。十歳は若返り、容姿はすっかり変っている。大型のスーツケースには取り換え用の服装が一式と、コンタクト・レンズのかわりの黒ぶちの眼鏡が入っている。ばらばらのかねは全部ブリーフ・ケースにしまい込んだ。  しゃんとつっ立つと十歳は年を実際に取り返したような気になった。なくなるまでは自分でも気にとめていなかつたが、それだけの重さのものを身につけていたのだった。足もかるがるとなった。  テルミットが証拠の始末をしてくれる。全部山積みにして導火線に点火した。ごうっと音を発するとビンや衣服やバッグ、靴やコルセット等々がめらめらと火に包まれた。警察はコンクリートの上に焼けこげのあとを見つけ、微量分析の結果は壁からはがれた分子のいくつかを探しあてるだろう。それが警察のできることの全部というわけだ。百十二階へ階段を三段おりたとき・テルミットのあげる焔でおれの影がゆれ動いていた。  まだ幸運はついて回っていた。ドアを開けると誰もいなかった。一分後には急行エレベーターが、おれとほかに数人の事業家タイプの人間をロビーにはき出した。  街路には出口は一つしかなかった。そこには携帯用のテレビ・カメラが見張っていた。建物に出入りする人を制止する動きはなかった。ほとんどの者はカメラとそれをとりかこんでいる数名の警官の存在すら気づいていない。おれは知らぬ顔でその方へ歩いて行った。この商売には頑丈な神経が重要なのだ。  冷たい例のガラスの眼の中に一瞬入ったが、そのまま通り過ぎた。何事も起きなかった。それでおれは疑われていないことが分かった。あのカメラは警察本部の主コンピューターに直接つながっているに違いない。おれの人相が警察の書類にあるやつとよく似ていたら、このロボットたちは通知を受けて、おれは一歩もあるかぬうちに打づけにされてしまっただろう。コンピューターとロボットの組合せのものより早く動けるものは誰もいない。百万分の一秒単位で動き反応するやつだ――しかし、こいつらをだし抜くことはできる。今度もそいつをやったわけだ。  タクシーで十区画ほど行って降りた。その事が見えなくなるまで待って、もう一台ひろった。三台目になってやっと空港に行っても大丈夫だろうと見きわめがついた。サイレンの音がおれの背後でだんだんとかすかになっていき、時々警察の車が反対方向に走り過ぎた。  ささやかな窃盗犯にちとさわぎ過ぎるのではないかと思うが、このような文明化が進み過ぎた世界では、こうなるのもむりからぬことだろう。現在では犯罪というものは極めてまれなことなので、警察がたまたまそんなことにぶつかると夢中になるわけだ。だからといって連中を非難ばかりもできないと思う。交通違反チケットを渡すような仕事は、まったくしんのつかれる仕事だろうからな。これは本気で思っているのだが、警察もおれに感謝してもよさそうなものだ。ちょっとばかり刺激を与えて、退屈な生活からすくつてやっているのだから。 [#改ページ]  2  当然なことだが、町からうんと離れた空港に車で乗りつけるのは気持のいいものだ。後ろを振り返って景色を楽しみ想いをこらす時間が充分あった。哲学的な想いにふける時間さえもだ。ひとつには、再び上質の葉巻を楽しめることだ。おれが別人格の時は、紙巻煙草しかのまなかったし、完全に自分だけの時でもその習慣は絶対に破らなかった。六か月前に携帯調湿器に入れておいた葉巻は、新鮮さを失っていなかった。深々と吸い込んで、はしり去る景色に向かってはき出した。仕事を離れるのもいいものだ。ちょうど仕事をやっている時と同じように楽しい。どちらをより楽しんでいるかは決めかねた――それぞれの時に、それぞれの楽しみがあるわけだ。  おれの生活というものは、この社会の大部分の人たちのものとはずいぶんかけ離れていて、それを説明することすらもできないのではないかという気がする。連中は肥えて豊かな世界機構の中に存在しており、犯罪という言葉すらもほとんど忘れ去っているのだ。不平分子はまずいないし、社会生活に不適当なものは、さらに少ない。何世紀にもわたる優生学的な統制にもかかわらず、このようなものは生まれ出てくるが、早期につかまり、その異常はすぐに調整される。大人になるまでその弱点を現わさないものがいる。つまらぬ犯罪――夜盗、万引など――に手を出すのがこの連中だ。うまく逃げおおせてもせいぜい一、二週間、時には一、二か月というところで、これは連中の生まれつきの知力次第だ。だが、いずれにせよ放射性物質が崩壊するように――しかも運命が決まっているように――警察がやってきて連中を収容する。  この組織され気取った社会では、これが犯罪のほとんどすべてだといえる。つまり、九十九パーセントがそうだ。この残ったかんじんな一パーセントが、警察部門に仕事を与えているわけだ。その一パーセントというのが、おれとこの銀河のあちこちに散らばった一握りの男たちのことだ。理論的にはわれわれは存在できないわけであり、万一存在していても仕事ができないのである――だが、やっているのだ。われわれは社会の羽目板に巣くうねずみだ――われわれは社会の障壁や規則の外でやっているのだ。規則がいまよりゆるやかだった時には、社会にはもっと多くのねずみがいた。ちょうど木造建造物の方に、あとから出てきたコンクリート建物より多くのねずみがいたようなものだ。いまや社会は鉄筋コンクリートとステンレス鋼ずくめで、つぎ目にすき間がますます少なくなっている。抜け目のないねずみでないとそいつが見つからぬ。このような環境こそ、ステンレス・スチール・ラットの活躍の場だ。  ステンレス・スチール・ラットたるものは、誇り高く孤独だ――それでうまくやりおおせれば、それはこの銀河での最大の経験なのだ。社会学者は、われわれの存在する理由について同意できかねるようだし、われわれの存在すら疑うものがいる。一般的に受け入れられている理論によると、われわれは心理的障害の遅発による犠牲者で、本来なら見つけて矯正すべき幼時に徴候が現われず、人生のあとの方になって現われてくるものだという。もちろん、おれもこのことはいろいろ考えてみたが、この一般論には組みしかねる。  数年前、この間題についておれはささやかな本を書いた――もちろん別名で――これは、思ったより受けた。おれの理論は、精神異常というものは哲学的なもので、心理学的なものではないということである。ある時期になると、人は強い認識にうたれるものである。つまり、人間は社会の束縛から離れてその外側に住むかまたは退屈の極みで死んでいくかということだ。制限された人生には将来もなければ自由もない。そして他の人生といえば、規則により絶対に認められない。社会の内と外と両方に住むことのできる、かねと冒険目当ての軍人や冒険愛好家たちの居場所はもうないのだ。今日ではすべてか無かということだ。おれは正気を保つために無を選んだのだ。  この否定的な考えに到着した時、車が空港に着いた。それで、この考えはさっさと放棄することにした。この商売では孤独感というのは危険だ。これと自虐心がはびこると破滅することになる。行動することがいつも助けになった。危険の増大と脱走、これがおれの心をいつもすっきりさせた。かねを払うとき、運ちゃんの鼻先でごまかしてやった。かねを渡す動作をしていて、クレジット札の一枚を手の中に隠した。そいつは盲も同然で、そのおめでたさにはおれもうれしくなって鼻歌が出る程だった。おれは運ちゃんのこうむった損失以上のものをチップとしてやった。この種のくだらぬことは、単に退屈をまぎらわす時だけにやることだからだ。  切符売場の窓の向こうのロボットの係員は、額の真ん中に第三の眼を持っている。つまりカメラである。切符を買ったとき、かちっという小さな音がした。おれの顔と行き先を記録しているわけだ。これは警察の通常のやり方で、これをやらなければむしろ非常事態だと思うくらいだ。おれの行き先は星系内なので、まずは書類つづりの中におさまるだけだろう。今日は星系間の高飛びはやらない。普通は大きな仕事の後はやるのだが、その必要はなかった。一仕事のあとでは一つの世界とか小さな星系は、次の仕事をやるには狭すぎた。だが、ベーター・シグナス系には二十ばかりの惑星があり、すべて地球型の気候をしている。この第三惑星はいまでは危険すぎるが、系内の他の世界は安全だ。星系内では商売の競争が激しく、そこの警察の協力体制もあまりよくない。そのおかげでこちらはうまくいくというわけだ。おれの切符は十八番目の惑星モリー行きだ。大きくて大部分が農業をやっている惑星だ。  空港には小さな店がいくつかあった。注意深く選んで、新しいスーツケースに衣類一式と旅行用品をつめ込み服は最後にした。服屋は二、三着の旅行服と正式なキルトを取り出し、おれはその服を持って試着室に入った。全く偶然にも、スーツの一つを壁にとりつけた盗視器の上にかぶせることになり、脚で服を脱ぐ音を立てながら、買ったばかりの切符に手を加えた。おれの葉巻カットの一方の端はパンチになっており、それでおれの行き先を表示していたパンチ穴を変更した。おれはこんどは第十八惑星ではなく第十惑星に行くことになっている。この変更で約二百クレジット損をしたことになる。これは切符と指示の変更をするときのこつなのだ。額面を上げてはならぬ――こいつはすぐ見つかる恐れがある。このやり方で価格を下げ金を失うことになれば、たとえつかまることがあっても人は機械のミスだと決めてしまう。疑いは決してかからない。金を損するために切符を改造する奴がいるだろうか。  あわてずに、しかし警察が疑問をいだくまえに、盗視器からスーツをはずし見えるようにしてやった。準備万端ととのった、船が出るまえに一時間も暇がある。この時間をうまく使い、自動洗濯屋に行って、新品の衣類を全部洗濯しアイロンをかけなおした。全然新品の衣類ばかりがいっぱいつまったスーツケースでは、これは疑いなく税関の役人の注意を引く。  税関なんてちょろいものだ。そして船の乗客が半分ほどつまったとき、おれは船に乗り込み船のホステスのそばの席を占めた。おれが〈いやらしい男〉で〈小生意気〉で〈相手にしたくない〉といったタイプの人間にみられるよう、そのホステスをからかっているとやがて立ち去ってしまった。おれのそばの席を占めていた年配の女も、ホステス同様におれをタイプ分けしたらしく、冷ややかな態度を露骨に現わして窓から外の方を見ていた。おれは気分よくうたたねをした。注意を引かないよりは、注意を引いて、それがある種のタイプに分類されるのがもつといいのである。その人間の特徴が同じ分類に入る他の人間とまざって、それでおしまいとなるのだ。  目がさめた時には、もうほとんど第十惑星に来ていた。席で半分うつらうつらしているうちに着陸した。荷物の通関の間に葉巻をすった。かねの入った鍵をしたブリーフケースは別に疑惑を呼ばなかった。おれは六か月も前からこのことあるを予期して書類を偽造し、おれの職業が銀行支配人≠ニいうことになっていた。この星系では惑星間クレジットというものをほとんど使っていないので、税関吏は大量のかねの出入りは見なれているのだ。  これは習慣になっているのだが、通った跡は念入りにくらまして、着陸地点から千キロメートルは離れたブローという大きな工業都市に着いた。全く新しい身分証明書を使って郊外の静かなホテルに宿泊した。  こんどのような大きな仕事をしたあとは、通常一、二か月はゆっくりと休みをとることにしている。こんどもそういうことになるのだが、休む気がしなかった。ジェイムズ・ディグリッツなる人物をもう一度こしらえるため、街へ出て必要な買物をしている時でも、なにか新しい仕事口はないものかと目をみはっていた。街へ出た第一日目に、極めて自然にみえるもの――日が経つにつれてますますよくなってきたもの――を見つけた。  いま、おれがやっているように、こんな長い間司直の手をまぬがれているのは、同じことを二度と繰り返さぬというのが大きな理由の一つになっている。うまいもうけ口を考え出し、そいつをやって止める。そのあとは永久にその仕事とはおさらばだ。これらの仕事に共通することは、いずれもかねもうけだということだ。  おれがいままで全然手を染めなかったものは、正真正銘の武装強盗というやつで、そろそろ手をかえるべき時が来た。いまがちょうどその時期のようだ。大鼓腹の〈するりのジム〉を再現する一方、仕事の計画をねった。指紋手袋もでき上がり仕事全部の計画も立った。よい仕事というものは単純であるべきで、なるべく細部が簡単であればある程、間違いを起こすことも少なくなる。  街で最大の百貨店のモライオというのを襲うことにした。毎晩同時刻に武装車が一台きて、その日の売上げを銀行に運ぶ。食指が動くわけだ――追跡不可能な小額紙幣での巨大な額だ。おれの方は問題が一つあった。これだけの量と重さのかねを一人の人間でどうさばくかということだ。答えが見つかった時に全作戦が完了した。  この準備は、もちろんすべておれの心の中でやったもので、それにジェイムズ・ディグリッの再現がつづく。あの重さの腹巻きを取りつけた日に、おれは自分の制服をまた身につけたような気になった。紙巻煙草をまた吸いはじめたが満足のゆくものだった。そして作業にとりかかった。一、二日間を買物とささやかな盗みについやし、いよいよ用意ができた。その翌日午後を仕事にかかる日と予定した。  この作業でかぎになるのは、おれが買った大きなトラクター・トラックである――そのほかに内部に一部必要な改造を加えてある。モライオの店から半マイルほどの所にあるL字型になった小道にトラックを置いた。トラックで道はほとんどふさがれてしまったが、それは問題ではなかった。というのは、その道は朝ごく早くにだけ使われていたからだ。ぶらぶらとそのデパートへ歩いて行くと、ちょうど車がやって来た。巨大なビルディングの壁にもたれて見ていると、警備員がかねを運んでいた。おれのかねだ。  想像力の貧困なものには、これは息をのむような光景だろう。少なくとも五人の武装警備員が入口付近に立っており、トラックの中にさらに二人と、そのほか運転者と助手だ。さらに用心のため単車が三台、歩道の所でエンジンをふかしている。途中の護衛のためトラックといっしょに行くのだ。すごく威圧的だが、紙巻煙草をくわえた口にこみ上げる笑いを抑えるのに苦労した。これだけの用心をして何が起きるかと思うと、ついにやりとしたくもなる。  ドアから出てくるかねを積んだ手押車の数をかぞえていた。いつも十五台で、それより多くもなければ少なくもない。このしきたりがあるので作戦開始の正確な時間を知るのに都合がよかった。第十四番目の車が武装トラックに積み込まれている時に、第十五番目の荷物が店の入口に現われた。トラックの運転者は、おれと同じように数えており、車から降りて背後にあるドアの方へ行った。積荷が終ったらドアに鍵をするためだ。  われわれはそれぞれの方向へ完全に同調して動いた。運転者が後部ドアに着いた瞬間には、おれは車に着いていた。静かにすばやくおれは車にのり込み、ドアをばたんと閉めた。助手のひざに麻酔弾を置くと、口をあんぐりと開け目玉をむく時間はあったようだ。あっという間に崩れおちた。もちろん、おれは鼻孔にフィルター入りの詰めものはしている。左手でモーターを始動し、右手で大型の麻酔弾を隔壁窓から後部シートに投げ込んだ。警備員たちがかねの袋の上に倒れる音がつづいて聞こえた。  この全作業が六秒とかからなかった。階段の所にいた警備員が異常事態の起こったことに気づき始めた。窓から手を振って連中にさよならをすると、武装トラックを縁石の所からすっとばした。そのうち一人が走ってきて開いたままの後部ドアから中へ飛び込もうとしたがちょっと遅すぎた。全てがあっという間の出来事で、発砲のことなど考える間もなかったらしい。すくなくとも、いくらか≠ヘ弾が飛んでくると思っていたのだが。これらの惑星の落ち着いた生活になれて反応がにぶくなっている。  単車の運転者たちは大分早かった。トラックが百フィートも行かぬうちに追跡に入った。おれは速度をゆるめて追いすがれるようにしてやり、それからアクセルをふみ込んで、おれを追い越すことができない程度に速度を保った。  単車のサイレンがわめきたてたのはいうまでもなく、さらにピストルがなりひびいた。計画していたとおりになった。われわれは街路をジェット・レーサーのようにぶっ飛ばし、行く手の車は逃げ散った。おれの逃走路に邪魔ものがないようにしているのは、他ならぬ自分たち≠ナあるということに連中は気づく暇がないらしい。まったくおかしな情況だ。おれは狭い十字路に車をのり入れた時、思わず笑い出してしまった。  警報が出ていることはもちろんで、前方では道路の閉鎖が行なわれているだろう――だが、この速度では例の半マイルはすんでしまった。路地の入口が見えてくるのは数秒のうちだ。トラックをそれにつっ込むと同時に、ポケットに入れた携帯用の短波発信器のボタンを押した。  路地の全長にわたって、発煙爆弾が点火した。これらの爆弾は、おれが使っている道具同様全部自家製だが、この狭い路地にけっこう濃い煙を吹き出してくれた。トラックを少し右に寄せてフェンダーが壁をこする程度にして少し速度を落とした。こういう風に触れることでハンドルをとって行った。単車の運転者は、もちろんこんな芸当はできない。停まるか暗闇につっ込んで行くかだ。連中が間違いをしでかさないで、けがをしなかったことを願っている。  爆弾を点火した同じラジオの電波が、前方にあるトレイラー・トラックの後部ドアを開きタラップを降ろすはずになっていた。前にテストした時には極めてうまくいった。実際にやってみて前と同じ様にうまくいくのを願うばかりだ。速度をはかって路地を走った距離を見積もろうと努めた。少し見当がはずれた。トラックの前輪がすごい勢いでタラップにぶつかり、武装トラックはすべり込むというよりは、飛び込むという有様で大きなヴアンの内部に突込んだ。おれは振り回されたが力いっぱいブレーキをかけるだけの気はたしかに残っていた。それからやっとのことで車からはい出した。  爆弾の煙で何もかも真っ暗だったのと、頭がふらふらしていたので、うっかり作戦全部がおじゃんになるところだった。トラックの側板にもたれかかって情況を把握しようとしている間に、貴重な何秒かがたってしまった。どのくらい時間がたったのか分からないが、よろよろと後部ドアのところへ行くと、煙の中から相互に呼びかよう警備員の声が聞こえてきた。おれがまがったタラップを持ち上げた時、きしんだ音を聞かれてしまった。それで連中をだまらせるためにガス弾を二発投げ込んだ。  トラクターの運転台にのり込みスロットルを開いた時には、煙は薄くなり始めていた。路地を数フィートで陽光のもとに飛び出した。路地は、二、三フィート前方で大通りに通じており、二台の警備車が走りすぎるのが見えた。トラックが大通りに着いた時に、車を停めて近くにいる者たちを注意深く観察した。トラックや路地に気をくばっている者は誰もいなかった。大さわざをやっているのは、まだ路地の向こうの端でのことだ。エンジンをいっぱいふかすと大通りにすべり出て、たったいま盗みを働いた店から遠ざかった。  その方向に行ったのは、もちろん数ブロックだけで、それから横道にそれた。次の角でまた曲がり、おれの最近の犯罪場所のモライオの店の方へと戻った。窓から入って来る冷たい空気は気持がよかった。側道をトラックを操ってはしった時には口笛が出たぐらいだ。  モライオ店の前を通る高速道路にのりつけて、大さわざの様子をみるのはすばらしいことだろうが、そいつはトラブルの種をまくだけの話だ。時間はまだまだ重要だ。交通渋滞はさけるよう前もって道路は決めておいた。そしてその道をたどって行った。二、三分とたたぬうちに、その大きな店の背後にある積荷場に入りこんだ。ここでもかなりなさわざがあったようだが、日常の商業活動のざわめきの中で消えうせてしまっていた。ここかしこにトラックの運転者や荷役人夫頭などが寄り集って、強盗の話で意見をたたかわせていた。ロボットはむだ話をやらないので、日常作業はそのまま続いている。男たちは大いに興奮していて、そこにあったヴァンの横に駐車しても誰もおれのトラックに注意を払う者はいなかった。エンジンを切ってやれやれ一安心といったところだった。  まず、第一部は完全だ。作業の第二部はこれまた重要だ。ちょうど今のような緊急時に使用のため、おれはいつもポケットに入れてある容器を探った。いつもは興奮剤はやらぬことにしているが、ひっかき回してきたせいでまだ頭がふらふらする。前膊部へリノトン二立方センチでたちまちしゃんとなった。ヴァンの後部に入っていった時には、脚も軽々となっていた。  運転者の助手と警備員はまだのびていた。あと十時間はこのままでいるだろう。トラックの前部にきれいに一列に並べて、じゃまにならぬようにして仕事にかかった。  トレーラーの中に武装車がほとんどいっぱいになっていたが、これはわかっておったことなので、車の側板に前もって箱をとりつけておいた。これらはモライオ店の名前入りの積み出し用の大きな箱だ。モライオの倉庫から気づかれずに盗み出すのは簡単な仕事だった。箱をおろして梱包用に組立てた。たちまち汗をかいてきたので、シャツを脱いで紙幣の束を箱の中に詰めこんだ。箱詰めにしてテープをかけ終るのに二時間はかかった。十分おきごとにドアにあるのぞき穴から外の様子をうかがってみた。通常の作業状態が続いているだけだ。警察は町を完全に封鎖して、一軒ごとにしらみつぶしに当ってトラックを探しているに違いない。警察が気がついて最後に探しに来る場所が、この盗難のあった店の裏だということにはおれはかなり自信を持っていた。  箱を供給してくれた倉庫に、積み出し用の書式類もあった。これらの書式類のうちの一つを、各箱にとりつけてそれぞれ違った受取場所あてにし、運賃はもちろん支払いずみにしるしづけして、作業は一段落することになった。  この時分には外はすっかり暗くなっていた。だが、積み出し部門は夜も忙しくやっているのを知っていた。エンジンが始動し、駐車場を出てプラットホームの方へバックで入っていった。荷積みと荷降ろし場が接続しているところは比較的静かだった。この接続点にできるだけ近くトレーラーをよせつけた。従業員がすべて他の方向を向くまで後部ドアはあけなかった。トラックがやって来て、モライオ店用の箱をおろしていれば、どんなばかでも変に感じるだろう。箱をプラットホームに積み上げてその上におおいをかけた。この作業はほんの数分かかっただけだ。トラックの出口がしまってから、おれはおおいをとり去り箱の上に腰掛けて一服やった。  待っている時間は長く感じられた。紙巻煙草が終ろうとしていた時に、出荷部門からロボットが出てきて呼びかけられるほどすぐそばを通りかかった。 「おい、ちょっと待て。この貨物を積んでいたM―一九が制動帯を焼き切ってしまった。この貨物の面倒をみてくれぬか」  ロボットの眼が任務を与えられて輝いた。高級なM型ロボットになると、自分の仕事を非常に生まじめにやる。うしろのドアからフォーク・リフトとM型トラックが現われてきたので、おれはあわてて飛びのかなければならなかった。仕分けと荷積みが始まり、おれの獲物はプラットホームから消え去った。もう一本紙巻煙草に火をつけ、箱が符牒をつけられスタンプを押され、発送用のトラックとベルトにのせられていくのをしばらくみつめていた。  いまやおれのやることは、どこか横路にトラックをなげすておれの正体を変えることだけだ。  トラックに乗り込もうとして、初めて様子が変なのに気づいた。門にはもちろんずっと目をくばっていた――だが、充分には見張っていなかったのだ。トラックが前から出入りしていた。さとった時にはまるで太陽神経叢に一撃くらったような感じだった。出入りしているのは同じトラックなのだ。大型の赤い長距離用のやつがいまちょうど出かかっていた。街を下って行く排気音の響きが聞こえていた――それからにぷい音に変って消えた。それが再び音をたて始めた時には、立ち去って行くのではなくて、そいつは第二の門から入ってきた。囲いの外には警察車が待ちかまえているのだ。おれを待っているのだ。 [#改ページ]   3  おれの人生で初めて駆り立てられる人間の恐怖を感じた。おれが予想していない時に、警察があとを追って来たというのは初めての経験だった。かねはだめになった。これはまず間違いない。しかし、これはもう気にとめていなかった。いま警察が追っているのはおれなのだ。  すばやく頭を働かせてすぐ行動に移れ。とりあえずこの瞬間はまだ大丈夫だ。連中はひたひたと追いせまってきてはいるが、この巨大な荷積場のどこにおれがいるかは分からない。どうしておれのことを見つけたのだろう。それ[#「それ」に傍点]が非常に重要な点なのだ。地方の警察はほとんど無犯罪の世界になれていて、おれのあとをこんなに早く見つけられるわけがないのだ。事実上、おれは跡を残していないのだ。ここにわなをしかけた奴が誰であろうと、そいつは理詰めの論理で割り出してきたのだ。  ふっとおれの心中に言葉がわき出てきた。 〈特殊部隊〉  この部隊については、何も書かれたものはない。銀河の千の世界で、それぞれひそやかに語られているにしか過ぎない。この〈特殊部隊〉は、宇宙連合の一部門であり、個々の惑星で解決のできない問題の処理に当っていた。この部隊は、平和到来後、ハスケルの侵入者の残党を掃討し、不法なT&Z貿易会社を事業からしめ出し、最後にはインスキップを捕えたはずである。そこでいまはおれを追いかけてきている。  おれが逃亡を計るのをやつらは外で待ち受けているはずだ。おれが考えていたと同様にあらゆる逃亡路を考えており――いまそれを全部押えているわけだ。すばやく頭を回転させ誤りなく判断せねばならぬ。  逃げ路は二つだけだ。門を通るか倉庫を抜けるかだ。門は厳重に守られているからとても突破できない。倉庫には他の出口があるはずだ。その方法でなければならぬ。この結論に達した時でも、他の人間が同じようなことを考えており、これらの出口に張り込もうと移動してきていることも分かっていた。そう考えると恐怖が走り――同時に怒りにもえてきた。おれの裏をかくやつがいるということは、思っただけでもむかつくことだった。やりたければやれ――そのかわりたっぷりかねを使わせてやろう。こっちにはまだまだ打つ手が残っているのだ。  まずちょっと見当違いをさせてやる。トラックを動かし、ロー・ギヤーに入れて門に向けた。まっすぐに行き始めると締め金でハンドルを固定し、車の端の方から飛び降り倉庫の方へのんびりと引き返した。倉庫の内に入ると急いで動いた。背後で数発の銃声が聞こえ、ばりばりという音がひびき、さけび声があちこちであがった。思ったよりはうまくいったようだ。  倉庫の方へ行くドアには錠がかかっていた。旧型の警報装置ですぐにはずすことができた。手持ちの道具で錠をはずして入ると足で蹴とばして閉めた。警報ベルはならなかったが、建物のどこかにある表示盤にドアの開いたことが示されているに違いない。建物の向こう側にある最後のドアまで走れるだけ走った。こんどドアを抜けるときには警報装置は確実にはずした。そして出たあと錠をかけておいた。  走ると同時に静かにしているということは、とてもではないが大変な仕事だった。使用人専用入口に着いた時には肺は焼けつきそうだった。前方で光が走るのを数回見た。そして身をひるがえして別な通路に逃げ込まなければならなかった。見つからずに逃げおおせたのは幸運としかいいようがない。おれが抜け出そうと思っていたドアの前に制服を着た男が二人立っていた。壁にぴったりと寄りそって約二十フィートばかりのところまでしのびよった。そしてガス弾を投げつけた。一秒間は、連中はガス・マスクをつけており、おれは路の端に到着したと思っていた――その時、二人ともくずれおちた。一人がドアのじゃまをしていたので、横にころがしてドアを数インチずらして開けた。  ドアのところから三十フィートとは離れていないところにサーチライトがあった。さっと光を投げかけてきた時には、それは輝きというよりは苦痛だった。光がきた瞬間おれは身を沈め、連射ピストルからの激しい打撃はドアにくいこみ、一列に輝く弾痕を残していた。爆発の音で耳はがんがん鳴り、かけつける足音がやっと聞こえたほどだった。おれの手には七五口径があった。ドアから全弾をぶちまけたが、ねらいを高くして誰もけがをしないように撃った。奴らをとめることはできないがおくれさせることはできる。  連中も撃ち返してきた。おそらく分隊全員が集まっているのだろう。背後の壁からプラスチックの破片が飛び散り、廊下を弾丸がうなりをあげてはしった。仲々うまくねらっている。おれのあとは誰も追っていないことは分かっていた。ぴったりと腹ばいになり、反対側の方向に火線の外にはっていき、角を二回まわって立っていても安全なところまで来た。膝ががくがくし、眼には大きな色のかたまりがあって視野がかすんでいた。サーチライトのおかげだ。にぶい照明のもとではぼんやりとしか見ることができなかった。  そろそろと動いて銃撃からできるだけ遠ざかろうと努めた。外にいる分隊は、おれがドアを開けると同時に発砲してきた。これは建物を出ようとする奴は誰でもかまわず直ちに撃てという命令が出ていたことを意味する。うまいわなだ。内部にいる警官はおれが見つかるまで探しつづけるだろう。建物から出ようとすればおれはいちころだ。わなにかけられたねずみのような気がしてきだした。  倉庫の中の電気が全部ついておれは凍ったように立ち止まった。農産物の展示場である大きな部屋の壁の近くにおれはいた。部屋の向こう側に兵士が三人いたが同時にお互いを見つけた。  弾丸が雨のようにふりかかってきておれはドアをめがけて飛びこんだ。軍隊まで動員してきている。どうしてもおれを捕える気だ。ドアの向こう側にエレベーターの列があった――そして上り階段があった。ひとっ飛びでエレベーターにとびつき、地下室のボタンを押し、ドアが閉らぬうちに外へ抜け出た。階段は後ろにあって追ってくる兵士の方向だ。兵士たちの銃の真ん前に飛び出すような気がした。兵士たちが到着する寸前に、おれは階段に回り込んだ。兵士たちが階段の下に来るまでには、おれは昇り、最初の踊り場あたりにいた。幸運はまだついて回っていた。奴らはおれを見ておらず、下へ降りたものと思い込んでいる。壁にもたれかかって、獲物をかり立てに地下室へ向かう合図の口笛を聞いた。  そのうちに一人抜け目のない奴がいた。みせかけの証拠を全部の者が追跡しているなかで、そいつがそろそろと階段を上がり始めたのが聞こえた。もうガス弾も残っていない。できることといえば、音を立てないようにそいつより先に階段を昇ることだ。  そいつはゆっくりと着実にやってきた。おれはそいつより前の方にいた。そんな調子で四階を昇った。おれはひもで靴を首にぶらさげて靴下ばきでしのび足、そいつは金属の階段ににぶい靴音をさせて追ってきた。  五番目の階段を昇ろうと足をかけたまま凍りついた。  誰かが上から降りてくる。同じような兵隊靴の音をひびかせながらだ。広間へのドアがあった。そっと開けて中にしのび込んだ。おれの眼前に長い広間があり、なにかの事務室のようなものが並んでいた。おれはその端まで走って曲がり角までたどりつこうとした。後ろのドアが開いて、弾丸の奔流がおれを二つに引き裂かぬうちにだ。広間は無限に続くように感じられた。そしてその時もう瑞まではたどり着けまいとさとった。  おれは穴を探しているねずみだ――そしてそれが無いのだ。ドアは全部錠がかかっていた。一つ一つあたってみた――とてもだめだろうとは思ったが、背後で吹き抜け階段のドアが開き銃がせまってきていた。ドアが開いて中にころげ込んだ時、何が起きたのかよく分からなかった。すぐドアに錠をおろして、それにもたれて暗闇の中で疲れ切った動物のようにぜいぜい息をした。そのとき電燈がともり、机を前にして一人の男が坐りおれを見て微笑をたたえていた。  人間の体が耐えられるショックの量には限度というものがある。おれにもその限度がある。その男がおれを射とうと紙巻煙草をすすめようと、どうにでもなれだ――限度いっぱいまでにきてしまっていたのだ。男はどちらもしなかった。かわりに葉巻をすすめた。 「一本どうかね、ディグリッツ。きみのお好みの銘柄だと思うがね」  身体というものは習慣の奴隷だ。死がほんの数インチ遠ざかっているに過ぎないのに、身体は既成の習慣に反応する。指が勝手に動いて葉巻をつかんだ。唇はそれをくわえ、肺は深々と吸いこんだ。この間おれはずっと机の向こうの男を見守って、死がおとずれるのを待っていた。  そのことは向こうにも分かった。男は椅子をすすめるように身振りをし、両手は注意深く机の上に見えるように置いていた。おれはまだ銃をにぎっており、その男に銃口を向けていた。 「腰かけたまえ、ディグリッツ。そしてそのごつい大砲をのけてもらいたいね。きみを殺したければ、この部屋に誘導するよりはもっと楽々とやれたのだよ」おれの表情をみて男はまゆを上げて驚いた。 「きみがここに追いつめられたのは偶然の出来事だと考えているのかい?」  そう言われてはたと気がついた。知的判断力の欠除に思い到ると恥ずかしさで全身がふるえ、それがおれを現実に引き戻した。おれはずっと出し抜かれていてむだな闘いをやっていたのだ。いさぎよく降伏するより他はないのだ。机の上に銃を投げ出すとすすめられた椅子にくずれおちた。男は銃を机の引き出しにすくい入れると少し気楽になったようだ。 「ちょいと心配させたな。そこにつっ立って、目玉をぎょろぎょろさせこの大砲を振り回されたんではな」 「あんたは誰だ?」  おれの無感動な口調に男はにやりと笑った。「わしが誰だろうとかまわん。かまうのは、わしが代表している機関だ」 「部隊?」 「その通り。〈特殊部隊〉だ。わしがこの地方の警官だとは思っていないだろうね。連中はみつけ次第きみを射つよう命令を受けている。わしがきみをみつける方法を連中に話してやって、やっとこの仕事に部隊が関与できるようになった。この建物の中にわしの部下が多数いる。それがきみをここまで追い立てたのだ。残りは全部この地方の者で、引き金を引きたくてむずむずしている連中だ」  うれしくはなかったが、これは真実だ。M型ロボット同然、おれはあちこち追い回され、しかもこちらの動きは前もって計られていたのだ。机の向こうにいるおやじ――六十五歳ぐらいの男だということに初めて気がついた――は、おれの手の内は全都読んでいるのだ。もう観念するよりしかたがない。 「分かったよ探偵さん。おれをつかまえて悦に入っていてもしかたあるまい。計画ではこの次どういうことになっているのだ? 心理再訓練、脳外科手術――それとも、銃殺刑というわけか?」 「どれも違うようだね。部隊で仕事をやらんかな?」  全くの話がばかげているので、おれは大笑いして椅子からころげ落ちそうになった。このおれが? 惑星間盗賊のジェームズ・ディグリッツが警官になるのだと。あまりにもばかばかしい。おれがやっと笑いおさまるまで男は辛棒[#ママ]強く待っていた。 「おかしな点があるのはわしも認める――ただし、うわべだけの話だ。じっくりと考えてみたまえ。盗賊を捕えるのに、別の盗賊にやらせるほど適切なものがあるだろうか? きみもそれを認めざるを得まい」  その言葉の中には多くの真実が含まれていた。だが、警察の犬となってまで自分の自由をあがなおうとは思わなかった。 「面白い話だが、密告者となり下がって罪をのがれようとは思わぬ。盗賊の仲間内にも掟があるのでね」  これを聞いて男は怒った。腰をかけていた時はそれほどとは思わなかったが、大男でおれの眼前で振り回した拳は、靴ぐらいの大きさがあった。 「なんとくだらぬごたくを並べるのだ。テレビのスリラー物からの借り物でもあるまいし。きみはまだ他の悪党に出会ったことがないことは、自分でもよく知っているのだ。もしそういう奴に出会っておって、取引で利益があればきみは喜んでそいつを引渡していただろう。きみの人生観をなす基本的なものは個人主義――それと他人のやれないことをやっているという生き甲斐だ。それはもう終った。自分にそのことをよく言い聞かせるのだな。きみはいままでのような惑星間プレイ・ボーイではなくなったのだ――だがね、きみは仕事があるんだ[#「あるんだ」に傍点]。きみの特殊な手腕と能力のすべてが必要なやつだ。人を殺したことがあるか?」  急に話の調子を変えられて、おれは返事にとまどった。 「いや……知っている限りではない」 「そう、きみはやったことがない。それで夜も安眠ができるのかどうかは知らんがね。きみは殺人狂じゃない。きみの追跡にかかる前に記録でそのことは調べておいた。このことから、きみが部隊に参加して他の[#「他の」に傍点]種類の犯罪者――単に社会に反抗しようというのでなくて、病気にかかった連中だ――を捕えることに大いなる喜びを感じるだろうということは分かっている。こういう連中は人殺しをやるのが楽しみなのだ」  説得には自信たっぷりの様子で、どんなことでも全部反論を用意してある。おれはあと一つしか議論の余地がなく最後の悪あがきのようなものだった。 「部隊はどうなのだ。あんたの汚らしい仕事をさせるのに半分改心の悪党を傭い入れたということが分かれば、二人とも朝方には銃殺刑ということだ」  笑うのは今度はその男の番だった。何もおかしいことはないので笑い終るまでおれはそしらぬ顔をしていた。 「いいかね、きみ。わし[#「わし」に傍点]が部隊なのだ――すくなくとも、最高責任者だということだ――それに、わしの名前が何か知っているかね? ハロルド・ペーターズ・インスキップ。これが名前だ!」 「まさかあのインスキップでは――」 「同一人物だ。〈捕えられぬインスキップ〉だ。ファルシィディオン二世を航行中に略奪し、その他きみが道をはずした青年時代に読んだであろうあらゆる出来事をやってきた男だ。きみがやられたと同じように、わしも徴集されたわけだ」  おれはがんじがらめになって、最後のとどめをさされようとしている。 「どういう者が部員になっていると思うかね? わが部隊の技術学校の優秀な卒業生をいっているのではない。その連中はこの下に来ている派遣分隊にいるがね。わしの言っているのは正部員だ。作戦をねり、事前実地作業を行ない、すべてが順調にいくよう手配するものだ。連中は全部悪党だ。それぞれの悪事の分野で、腕がよければよいほど、部隊のためにする仕事もよくなるのだ。この宇宙にはさわぎがうずまいている。びっくりするようなことも出てくるのだ。引っ張ってきてこの仕事をさせるには、もうそこで充分うまくやってきた者しかいないのだ。腹を決めたか?」  事はあまりに早く進みすぎて考える暇もなかった。一時間でも議論をし続けただろうが、心の奥の方では決心がついていた。こいつをやることになるだろう。いやとは言えないのだ。  何かが失われようとしているが残念がることがなければよいがと願った。組織の中で仕事をしてどんな自由を得たとしても、他の人間とのかかわりはあるのだ。昔なつかしいやりたいほうだい、自分だけが責任を負えばよい時代はもう去ってしまった。また社会の一員としてやっていくわけだ。  そう考えていくとなんだかほのぼのとして感情がわいてきた。すくなくともこれで孤独とはお別れだ。おれがなくしたものを友情がうめ合わせてくれるだろう。 [#改ページ]   4  まったくのあてはずれだった。  どいつもこいつも生きているのが疑わしいほどたいくつな人間ばかりだった。連中は歯車の一員としておれをあつかった。歯車の一員であることは分かっているが、なんでこんなやっかいなことにはまり込んだのか不思議な気がした。不思議とは言っても記憶はまだあざやかに残っているのだ。いまはがっちりと歯がくい込んで、ギヤーが回転しているのがおれの姿だ。  ある小惑星までやってきたことははっきりとしている。近くにどんな惑星があるのか、だいいちどの太陽系にいるのかすらも全然分からないのだ。なんでも機密でひたすら沈黙だ。ここは明らかに超秘密本部で、部隊の学校の主要基地でもあった。  この部分は気に入った。このおかげで爆発しそうになるのがやっとがまんできた。講義はあいもかわらず退屈なものだったが、授業に使った材料には夢中になった。おれのいままでのやり方が、いかにお粗末なものであったのかが分かりかけてきた。会得した技術と小道具類を使ってやっておったら、おれは十倍ももっと悪賢くできたわけだ。そんな考えは押しのけるように努めたが、気がめいったような時には、またぞろ耳の中にひそひそとささやきかけてきた。  退屈のあまり死にそうになってきた。時間の半分は書類を読むことであり、部隊の無数の成功例と多少の失敗例を学ぶことだった。はでに爆発してやろうかとも思ったが、ひょっとするとこれもテストの一つではないかという気がしてならなかった――おれが、どれほど辛棒[#ママ]強いかをみるテストだ。頭を冷やしあくびをかみころし、注意深く周囲を見渡した。外に向かってぱーんとやらないなら――内に向かって[#「内に向かって」に傍点]やってやる。この懲役刑を終らせるのに、何かやれることがあるはずだ。  楽ではなかった――だが見つけたのだ。とことんまで追跡していったら、もう就寝の時間はとっくに過ぎていた、――それはそれで結構。ある意味ではこいつはもっと面白いぞ。  解錠や金庫破りのことになると、おれはあまり上手とはいえない。インスキップの私室へのドアには、古めかしい回転ドラム錠がついていて、こいつはやすやすとはずせた。ドアを通り抜ける時も歩調を乱すことなくいったはずである。物音は全然させなかったが、インスキップには聞こえた。灯りがついてインスキップはベッドの上に起き上がり、七五口径でおれの胸板にねらいをつけていた。 「もう少しましな頭の使い方もあるだろう、ディグリッツ」インスキップはうなり声を上げた。「夜中にわしの部屋にしのび入るとはな! 射ち殺されるところだったぞ」 「いいや、そういうことにはならない」銃を枕の下にしまった時、おれは言った。 「一般にあんたのように好奇心の強い者は、まず口が先に開いて、射つのはあとだ。そのほかに――あんたがスクリーンを開けて会えるようにしていてくれれば、なにも暗闇で抜き足差し足などする必要はない」  インスキップはあくびをすると、ベッドの上にある薬剤箱からコップを取り出して水を注いだ。 「わしが〈特殊部隊〉を率いているからといって、このわしが[#「わしが」に傍点]〈特殊部隊〉だということにはならぬ」  コップの水を飲みはすと目をしぼたたきながら言った。 「わしも、ちっとは寝なければならぬのでな。スクリーンを開けるのは緊急の用件の時だけだ。一人歩きができぬような部員には、スクリーンは閉ざされているのだ」 「ということは、おれはまだ一人前ではないということですかな?」いや味たっぷりに聞いてやった。 「自分で好きなように考えるがいい」ベッドにどんと寝ころぶとぶつぶつ言った。「ついでに部屋から出ていって、あす勤務時間中にわしに会いにこい」  かわいそうに、やっこさんはおれの手中にあった。眠たくてかなわぬのだが、すぐに眼玉をむき出させられるのだ。 「これが何かお分かりかな?」長いつぶれた鼻先に大版の光沢写真をひらひらさせながら聞いた。片方の眼がそろそろと開いた。 「大型戦艦の一種だ。帝国軍のようだな。これが最後だ――消えうせろ!」 「こんなに夜遅くても、よく分かるものだ」愉快な調子で話してやった。 「最後の帝国軍の旗艦型のものだ。いままで製作された破壊兵器のうちでも最も能率的なものの一つであることは間違いない。半マイルにも及ぶ防禦スクリーンと装備をもってすれば、今日存在する艦隊すらも容易に放射能の灰にすることができるだろう――」 「最後の戦艦は、千年前に解体してスクラップにしてしまったという事実はどうするかな」インスキップは口の中でもぐもぐ言った。  おれはしゃがんで耳もと近くに口を寄せた。これなら聞きまちがえるということはありえない。ゆっくりしかしはっきりと言った。 「おおせのとおり。だがいまその一隻が建造中だといったら、ちょっとは興味がおありじゃないかな?」  まったくうれしい眺めだった。寝具が片方にはねとび、インスキップが他方に飛び出した。一挙動で水平の就寝の姿勢から壁に沿って垂直に突っ立った。そして電灯のもとで戦艦の写真を調べ始めた。パジャマのズボンは、はかぬ主義らしく細い脚に鳥はだが立ってくるのを見るのはいたいたしかった。脚は細いがそのうめ合わせをするほど声はでかかった。 「話せ、この野郎、ディグリッツ――話せ!」インスキップは怒号した。「戦艦などとくだらぬ話は一体何だ! どいつが建造しているというのだ?」  おれは爪をきれいに切って、あま皮を手入れさせておいた。口をきくまえに指をそろえてそれをしげしげとながめた。横眼で眺めるとインスキップの顔色が紫色にかわりかけていた――だが、沈黙を守っていた。おれはこのささやかな力の誇示を楽しんだ。 「ディグリッツを当分記録室の責任者にしておけ。そうやって仕事のこつをおぼえさせろと、あんたはいった。何百年もたった古いほこりだらけの書類をほじくり返すのは、〈するりのジム・ディグリッツ〉の気儘な精神にぴったりのものだ。規則というものを教えてやれ。部隊とはどういうものか見せてやれ。同時に、記録も整えられるだろう。長いこと再整頓が必要だったのだ」  インスキップは口を開き、つまるような音を出したがまた閉じた。話をさえぎることは、説明を長びかしこそすれ短くはせぬことをさとったのだ。おれは笑顔をみせてその決定にうなずき話を続けた。 「それで、あんたはこのおれが邪魔にならぬようにやってのけたと考えたのだ。部隊の活動の歴史を教える≠ニいう名目のもとにおれの気力を打ちのめしてだ。そういうつもりならあんたの計画は失敗だね。そのかわりに別のことが起きたのだ。書類に鼻をつっこんでみて興味津々だった。特にC&Mの仕掛け――分類と記憶装置だ。機械でいっぱいつまった建物が、銀河の惑星全部からニュースと報告を受け、要約し関連の部門に分類・索引づけをして収納しておく。仕事をやっていくのに頼りになる機械だ。この機械に宇宙船の情報を掘り出してもらっていた。前から宇宙船には興味があったのでね――」 「そりゃそうだろう」インスキップは無作法にさえぎった。 「いままでずいぶん船を盗んできたからな」  不快な顔付きをみせてやって話を続けた――ゆっくりと。 「細部までのべたてて、あんたをうんざりさせようとは思わぬ。いらいらしているようだからね。とにかくこの図面を見つけたのだ」紙入れからまだ充分に出しさらぬうちに、インスキップはおれの手からそれをひったくった。 「何がねらいだ?」図面に眼を走らせてもぐもぐ言った。 「こいつはありきたりの大型客貨船だ。戦艦であるわけがないじゃないか」  満足そうに唇をゆがめながら、一方同時にしゃべるのはむつかしいことだ。だがおれはうまくやった。 「あたり前の話だ。連合の登録に戦艦の図面を記録するわけがない。そうじゃないですか? しかしだ、前から言っているように、おれはちょっとばかり船についてはくわしいときている。こいつは大きすぎて使用目的にちとそぐわぬ。旧型の船というのは燃料の大食らいで、燃料の無駄使いをするために新しい船を建造することはない。ここのところがひっかかったのだ。それで、過去に建造された船で、その大きさの船全部についての完全なリストをパンチした。三分間うなってC&Mがはき出したのがたったの六隻だ。おれがどれほど驚いたかは想像にまかせる。一隻は第二銀河での自給植民地建設用に造られた。知っている限りでは船はいまも飛行中だ。他の五隻は全部D級の植民船で、大規模な人口移動をやった〈拡張〉時代に建造された。現代では大きすぎて実用にはならぬ。それでなやんでいた。こんな大きな船が何に使われるのか合点がいかなかったからだ。そこでC&Mで連鎖時間を移動させて、宇宙の全歴史を通じて何か比較できるものがありはしないかと、記録をひろい上げさせた。うまく出てきた。帝国拡張の黄金時代の巨大な戦艦だ。その図面まで機械はみつけ出してくれた」  インスキップは、またひったくると、二枚の図面を見比べはじめた。おれはインスキップの肩越しに興味のある部分を指し示した。 「ここのところを注意してもらいたい。この上部構造――あきらかに図面上に添加したもの――をとりのぞくと、その場所に旋回砲塔がくる。船体は全く同一だ。ここに変更を加えあそこはとりのぞく。そうするとずんぐりした貨物船が高速戦艦となるわけだ。これらの変更は建造中に行なわれ、それで設計図は記録される。何が建造されているのか連合で誰かが気づく時までには、船は完成して船出しているだろう。もっともこれは全部偶然の一致ということもあり得る――新造船の設計図が、一千年前に建造された船のものと六個所で一致するということだけだ。しかし、あんたがそう思うなら、一〇〇対一であんたの誤りとかけてもいいよ。あんたのすきな額でね」  いっぱいはめて金を捲き上げようと思ったがその晩はだめだった。インスキップは、おれと同様若い時には悪事の限りを尽くしてきていて、くさい取引をかぎつけるのに不自由はしなかった。服を身につけながら質問の雨をあびせかけてきた。 「それで、大昔の悪夢を建造している平和愛好惑星の名は?」 「シッタヌーボ。コロナ・ポレアリス系のB型星の第二惑星だ。その星系には他に植民者のいる惑星はない」 「聞いたことがないな」個人用滑降路《ドロップ・シユート》で事務所に向かっているときインスキップが言った。「そんな星があることすら知らぬ辺境の地から、問題が起きたのはこれが初めてではない」  他人のことなど一向お構いなく、インスキップは自分の机の上の非常招集ボタンを押した。あっという間にねむい顔をした書記や助手たちが書類や記録を持ち込んできた。われわれはいっしょにずっと見ていった。  先に口を切ることは遠慮したが、インスキップは同じ結論に達するのにほんの少ししかおれを待たせなかった。書類ばさみを部屋の向こうまで投げとばすと、夜明けのきびしい光に向かってしかめ面をして言った。 「こいつは見れば見るほどくさくなってくる。この惑星には戦艦が必要な動機もなにもない。だが現に一隻建造中だ――こいつ[#「こいつ」に傍点]は、この建物と同じ高さだけの一千クレジットの札束に誓ってもいい。それにしてもこしらえてから一体どうするつもりなのだ? この惑星では、文化は進み雇傭は安定しており、重金属類は充分にあるし製品はいつでも市場でさばける。宿敵とかいったものはいない。この戦艦問題がなければこの惑星は模範的な宇宙連合加盟惑星だといいたい。この惑星についてもっともっと知らねばならぬ」 「空港に話をしてある――もちろん、あんたの名前でね」おれはそう告げた。「高速連絡艇を用意させた――一時間以内に出発する」 「ちょっと出すぎていないかな、ディグリッツ」そういう声は万年雪原のように冷やかだった。 「命令をするのは、まだこのわしだ。お前が独り立ちできるようになれば、その時にはそう言ってやる」おれは愛想よく気さくだった。インスキップの決定を待つところ大であったからだ。「ちょっと手助けをしようというだけの話ですよ、部長。あんたがもっと情報が欲しいという時に備えておこうというわけでね。それにこれは作戦などというものじゃないですよ。ほんの偵察ていどだ。これなら経験のある部員と同様におれでもできますぜ。それにおれに必要な経験も得られるだろうし。それでおれも正部員の仲間に入れてもらえる資格もできるようになる――」 「分かった。わしがまだ息をしている間は、そう次から次へまくしたてるな。行ってこい。何が起きているか見つけ出せ。それから帰ってこい。そのほかは何もしてはならぬ――これは命令だ」  そういいながらも、インスキップは命令したようにはなりそうにないと考えているのが、おれにも分かった。そしてそのとおりだった。 [#改ページ]   5  兵站と記録係に急いで立ち寄って、必要なものは全部ととのえた。太陽が地平線から顔を出しきらないうちに、おれの銀色の船体は灰色の地上から上昇し宇宙めがけて飛び立った。  航行はほんの数日ですんだ。シッタヌーボについて知らねばならぬことを全部憶えるのに、充分すぎるほどの時間があった。知れば知るほど、シッタヌーボで戦艦が必要な理由がますます分からなくなってきた。理屈に合わないのだ。シッタヌーボはセリニ系の第二の植民地で、ここの植民地には前に立ち寄ったことがある。植民地同士はあまり緊密でない同盟関係で結ばれていて、かなりはげしい口論のやりとりをやっている。だがけんかにはならない。戦争をきらうことでは皆同じ感情をいだいているのだ。  にもかかわらず、そこでひそかに戦艦を建造しているのである。  こういう考え方に沿ってあとを追っているだけであったので、この考えは頭の中から追い出して、三次元チェスの問題を考えることにした。これに時間がかかって、そのうちシッタヌーボが船首のスクリーンにちらちらと見え始めた。  おれのモットーのうち最も効果的なものの一つに隠すことは顕わすことだ≠ニいうのがある。手品師がいうところの誤導というやつだ。見せようと思うものを人の目につくようにする。  そうすると隠されているものには気付かない。おれが極めてはでな接近方法をとって、この惑星での一番大きい空港に真昼間着陸したのはそういう理由からだ。おれの役にふさわしく服装もととのえて船を出た。皮のマントをプラチナのバックルで肩にとめ、タラップを堂々と降りた。がっしりとした小柄なM3型ロボットがかばんを持っておれのあとについてきた。主ゲートに向かってまっすぐに行き、税関のあたりでごたごたやっているのは無視した。なにかの下っ端の役人がやってきた時に初めて、おれはその空港の様子に目をやった。  部屋に入りこんでどんどん進みながら、その役人が口を切る前におれは言った。 「美しい惑星だ。気候もすばらしい! 田舎に家を持つのに理想的な所だ。人々は気さくで、見知らぬ人間にも親切にしてくれる。気に入ったね。まったくありがたい気持になるね。あんたにお目にかかれてうれしい。わたしはサント・アンジェロ大公だ」ここでおれはこの男の手を握りしめて、百クレジット札一枚をその掌の中にすべり込ませた。  「さて」とおれはつけ加えた。「このかばんを見てくれるように、税関吏に言ってもらえるかな。時間を無駄にしたくないのでね。船はあけてあるからいつでも都合のいい時に調べてもらいたい」  おれの態度、衣服、宝石、かねをばらまく様子、そしてかばんの豪華なつくり、などから出る結論は一つ。シッタヌーボには密輸入したり密輸出したりするようなものはまずない。金持がそんなことに興味を持つはずがない。税関吏は微笑を浮かべて何かつぶやき、電話口で二、三話をすると用件は終った。  幾人かの税関吏がおれのかばんにステッカーをはりつけ、形式的に一つ二つのかばんの中をちらりと見た。それから手を振って行くようにと合図した。おれはそこら中に握手をして回り――もちろんちょいと握るだけだが――出ていった。車が呼ばれていてホテルも推薦された。ありがたくお受けして、ロボットが車に荷物を積み込み、おれはのり込んでふんぞりかえった。  船にはあぶないものは一切おいていない。仕事で必要と思われるものは、全部おれのかばんの中にある。その中には致死的なものや爆発物があり、それがおれのかばんの中で発見されればまことに工合が悪い。ホテルの豪華な部屋で衣服をとりかえ、変身した。もちろんロボットが盗視聴器の調査をすませてからだ。  この〈部隊〉のロボットはよくできた道具だ。いつも低知能のM3型のように見えたり行動したりしているが、さにあらずなのだ。その頭脳はおれの知る限り上等なロボットの頭脳と同様であり、ほかにずんぐりした体には、各種の用途を持った道具や機械類が詰め込まれている。ロボットはがちゃがちゃと音を立てながら部屋をゆっくりと回り、かばんを動かしたり用具類をひろげた。その間、注意深く動いて部屋のあらゆる場所を調べた。終ると停まって、全部の安全性を宣言した。 「部屋全部の調査完了。結果は、あの壁に仕掛けた盗視器一個で、他はなし」 「そういう風に指差していると」とロボットに言った。「あやしまれることになるぞ」 「不可能です」機械的な確実性をもってロボットは答えた。「わたしはそれをこすり上げたので、もう役には立ちません」  これで安心してごてごてした衣服を脱ぎすて、連合の大艦隊提督の黒一色の制服に身をかためた。勲章も金モールもその他必要な公文書は全部そろってついていた。ちとはれがましいと思ったが、シッタヌーボではこれで間違いのない印象を与えるのにぴったりなのである。他の惑星でもそうなのだが、ここも制服を意識する惑星だ。配達の少年、街路清掃人、事務員――それぞれ特徴のある制服を着なければならないのだ。制服に威信が伴い、おれの黒い服装は、この銀河でのいかなる制服にもおとらず高い声望を保持するものなのである。  ホテルを出るとき、長い外套を着て行けば制服はかくせるが、金飾のヘルメットと書類かばんは問題だった。この疑似M3型ロボットの可能性の限度をまだ調べていなかったので、何か役に立つことがあるのではないかと思った。 「おい、ずんぐりもっくりさん」おれは呼びかけた。 「その鋼鉄の皮の下に隠し区画か引き出しかを仕組んでないかい。あるなら見せてくれ」  瞬間、おれはロボットが爆発したのかと思った。そいつは現金出納器が顔負けするほど沢山の引き出しを持っていた。大きいのやら小さいの、平たいのや薄いもの、これらが身体中から飛び出してきた。一つには銃が入っており、さらに二つには手榴弾がつまっていた。あとはあいていた。一つに帽子を入れ、他にかばんを入れて指をぱちんとならした。引き出しはすべり込んで閉じ、ロボットの金属のはだは前同様つるつるであった。  おれは派手なスポーツ帽をひっかぶり、ケープを上の方できつくとめて、出かける用意ができた。荷物には爆弾が仕掛けてありそれ自体で始末ができる。銃、ガス、毒針とかありふれたものだ。いよいよという時にはそれは自分で爆発してしまう。M3型ロボットは荷物エレベーターで降りた。おれは裏階段を使って街で落ち合った。  まだ陽はあかるかったのでヘリコプターは使わなかった。そのかわり地上車を借りた。田舎の方へのんびり車を走らせ、夜になってフェラロ大統領の私邸に着いた。  豊かな惑星の最高位にある人間にふさわしく、そこは大邸宅だった。だが安全警備については、おそまつの一語につきる。警備陣と警報装置の中を、自分と三五〇キロのロボットを連れて通って、びくとも音を起こさなかった。フェラロ大統領は独身で一人で夕食をとっていた。このことは、大統領の書斎をじゃまされずに探す時間がたっぷりあるということだった。  何もなかった。つまり戦争とか戦艦とかに関係のあるようなものは皆無だった。ゆすりを働くのに興味があるなら、一生食うのに困らないぐらいの種はあった。しかし探しているのは政治的な破滅などよりもっともっと大きなものだった。  夕食がすんでフェラロが書斎に戻ってくると部屋は真っ暗だった。何か召使いのことをぶつぶつ言ってスイッチを探していた。大統領がスイッチを探しあてる前に、ロボットがドアをしめてあかりをつけた。おれは大統領の机を前にして椅子に腰掛け、その個人的な書類を机の上にひろげておいた――おもしに銃をその上において――そしておれにできる限りのいかめしい顔付きを見せていた。大統領が衝撃から立ち直る前におれは命令を下した。 「ここに来てすわれ、すぐ[#「すぐ」に傍点]にだ!」  ロボットが同時に追いたてたので、命令に従うしかなかった。机の上の書類に気づくと、目をむき出しのどをごろごろと鳴らした。大統領が自分をとり戻す前に、おれは厚い書類つづりをその顔前に投げ出してやった。 「わたしは連合大艦隊のタール提督だ。これがわたしの身分証明書だ。あなたは自分で調べてみるがいい」これらは本物と少しもかわらなかったので、気になることはいささかもなかった。フェラロは神経が動揺していたが、それでもできる限りの注意を払って書類をあたり、紫外線を使って捺印まで調べた。この時聞かせぎで少しは動揺もおさまったらしく、反撃に転じてきた。 「いったい、どういう了見でわたしの私室に忍び込んで盗賊まで働き――」 「あなたは極めてまずい立場にあるのだ」おれは声を殺しできる限り陰気な調子で言った。  フェラロのしぶ茶色の顔が、おれの言葉を聞いてうすぎたない蒼白色に変った。かさにかかって追及した。 「陰謀、職務上の横領、窃盗、その他これらの書類の厳重な調査終了時に発覚するであろう罪状すべてにより、あなたを逮捕する。つかまえろ」この最後の命令はロボットに与えられたもので、ロボット自体は事前に充分訓練を受けていた。ごろごろと前に進むとフェラロの腕を手で握った。つまり手錠をかけたような状態になったのだ。フェラロはやつと気づいた。 「釈明できるのだ」必死で言った。「全部釈明できる。そんな罪状の必要はないのだ。どういう書類があなたの手にあるのか分からぬから、それらは全部偽物だとは言わない。わたしには敵が多いのだ。連合の方で、このような後進惑星で当面する困難さを理解してくれれば……」 「話は聞きあきた」手を振って話をたち切った。「これらの質問全部について、適当な時に法廷が答えてくれよう。だがいますぐ返答が欲しい質問が一つだけある。戦艦を建造している理由は何だ?」  この男は大変な役者だ。目をいっぱい見開き、口をあんぐりあけハンマーで軽く打たれたように椅子に沈みこみ口をきこうと努めたが、言葉は全然不必要だった。というのは、潔白をおかされたというあらゆるしるしをすでに示していたからだ。 「戦艦といって何の?」と、うめき声をもらした。 「旗艦級の戦艦で、セネレントラ宇宙船造船所で現在建造中のものだ。こんな図面でごまかしてだ」それらを机越しに投げてやった。そして図面の隅の方をさし示した。 「ここに建造を許可したあなたの署名がある」  書類をばらばらとめくり署名をたしかめながら、なおフェラロは当惑の様子を示していた。時間は充分あたえてやった。とうとう書類を下におくと顔を振った。 「戦艦などというものについては何も知らない。これらは新しい貨物船の設計図だ。ここにあるのはわたしの署名だ。サインした記憶がある」  おれは言葉を注意深く選んで質問した。おれが計画したとおりの立場にフェラロを追いこんだからだ。 「この改造設計図面などを使って旗艦級戦艦が建造されているということを全然知らないというのだね」 「これは普通の客貨船の設計図で、わたしの知っているのはそのことだけだ」  その言葉には幼児のあどけなさがあった。おれはため息をついて葉巻に火をつけた。 「ところで、あなたをつかまえているロボットについて何か知りたいとは思わないかね?」ロボットが話の間中腕をつかんでいたのに始めて気付いたようにフェラロは下をみた。「それはありきたりのロボットではない。その指先には面白い色々な道具が組み込んである。検熱カップル、検流計等々で、あなたがしゃべっている間にロボットはあなたの皮膚の温度、血圧、発汗量等を記録した。はやくいえば非常に能率的ウソ発見器というわけだ。さてと、あなたのウソを全部さらけ出してもらおうか」  フェラロは毒蛇からのがれようとするかのように身を引いた。おれは葉巻の煙を輪に吹いて「報告」とロボットに言った。「この男はウソをついているか?」 「多数」とロボットは言った。「正確には陳述の七四パーセントは嘘である」 「よろしい」とうなずいて、わなの最後の仕上げにかかった。「ということは、この男は戦艦について全部知っているということだな」 「本人は戦艦については知識を持たない」ロボットはすげなく言った。 「この船の建造について言ったことはすべて真実である」  今度、口をあけて眼玉を飛び出させるのはおれの番だった。フェラロはこの間、立てなおした。その他のくだらぬ事にはおれが興味がないということはフェラロは知らなかったが、おれが思いがけない一撃をくらったということはおもてに現われた。努力してなんとか気をとりなおし、証拠について熟考した。  フェラロ大統領が戦艦について知らないのなら、これはまんまとだましこまれたに違いない。フェラロが責任者でないとすると――誰がやっているのか? 軍の一部で大統領を排斥し権力を握ろうとしているのか? この惑星についてはおれはまだ充分わかっていない。それでフェラロをおれの側につけることにした。  これは簡単だった――書類つづりで見つけた文書をばらすぞとおどかす必要すらもなかった。文書を種につついていたい目にあわせることもできた。おれが別の図面をみせて、その可能性を説明するとすぐに理解した。自分の行政組織をだしに使っているやつを見つけ出すのに、フェラロの方がおれよりはむしろ熱心だった。お互い口に出さず文書のことは忘れることにした。  次に打つ手は、当然セネレントラ宇宙船造船所だということに二人の意見は一致した。フェラロは、まずひそかに自分の政敵の線を洗ってみようという考えを持っていた.いおれは、連合、特に連合宇宙軍は、戦艦の建造を阻止したいのだということを、フェラロに分からせようとした。政治的なことはそのあとでやればいいのだ。この点で了解がついて、われわれは車を呼び一個分隊の護衛を引きつれて、造船所にはなばなしく出かけた。車で四時間かかるので途中で計画をねった。  造船所の所長はロッカといった。われわれが着いた時には心持よく眠っていたが、それも続かなかった。真夜中に制服と銃の行列に起こされて、恐怖のあまり足がふるえて歩けないほどだった。こいつはフェラロと同じでうすぎたない盗人に違いない。やましいことのない人間なら、こんなに恐怖におののくこともないはずだ。この状況をうまく利用して、おれの動力つきのウソ発見器をロッカにかちんとはめて質問を連発した。  答えを全部聞くより前にもうすでにずれができていた。答えはおびえてはいたが、この造船所の所長はその建造しているものの真の性質を知らないのだ。  己れを持することがおれより低い人間――または少年期おれよりはもっと素直な人生を送ったもの――は、この瞬間自分の理由づけの方を疑ったかも知れない。しかし、おれはそうではない。建造中の船は、それでも[#「それでも」に傍点]六か所で戦艦に似ていた。人間のさがというものについてはいささか知っているが、それから考えた場合、これが偶然の一致であるとはとうてい思えない。もし選択するものが二つあれば、簡単な方をとれ。この件では場あたりや偶然の出来事はとらず、人間の自然な取得本能というものを選んだ。とはいってもこの理論はテストしてみた。  もとの図面をもう一度ずっと見渡すと、大きな構造物が目についた。普通の船を戦艦に仕立てるに、まずやらねばならぬことの一つであろう。 「ロッカ!」と、おれはどなった。いかにも本物の宇宙軍人の声らしく大いにはり上げたつもりだ。「この設計図をみろ、宇宙航行用の前橋部だ。いま船に取付け中なのか?」  ロッカは言下に首を振った。「いや、設計は変更になりました。惑星の宇宙塵帯での操船上、新型の流星排除装置のようなものを取り付けることになりました」  おれはかばんをばたんと開いて、設計図を一枚取り出した。 「その新型の装置というのは、こんな風なのか?」それを机越しに投げ渡して尋ねた。  ロッカはあごに手をやって「ええッと」不確かな調子でいった。「はっきりしたことは言えません。細部事項についてはわたしの所管ではないのです。最終的な組み立てがわたしの責任で、個々の作業には責任を持っていません。しかし、これは設置されたものによく似ている。動力線がいっぱいあって――」  戦艦にまちがいない。もう疑う余地はない。よくやったぞと、おれは自分で自分の背中をたたきたいような気分になっていたとき、ロッカの言った言葉の意味がしみ込んできた。 「設置したって!」おれはわめいた。「設置したと言ったのだな?」  ロッカはおれのどなり声を聞いて腰を抜かし自分の爪をかんでいた。「そう――。そんなに前ではなくて。そういえば何かごたごたがあって……」 「そのほかに何が?」おれはさえぎった。神経に沿って冷たいつゆがたまってきたようだった。「動力、操縦装置、――こういうものもごたごたがあったのだな?」 「そうなのです。どうしてご存知なので? 通常の計画がずっと変更になって、起きなくてもいいようなごたごたがいっぱいあったのです」  冷たい汗は、いまや怖れの河となって流れた。船はすっかり手遅れになってしまっているのではないかという気持にかられてきた。当初の計画では、完成はまだ一年さきのことだったが、これも変更にならないという理由はどこにもない。 「車だ! 銃だ!」おれはどなった。 「造船所へだ。もし船が完成に近いようだったら、われわれは大変なトラブルに巻き込まれる!」  退屈していた警備隊は、サイレンや照明などで盛大にさわぎ立て、暗闇をつんざいてふっとばし造船所の門から飛び込んだ。  けっきょく同じことだった。それでも間に合わなかったのだ。制服を着けた夜警が狂気のようにわれわれに向かって手を振っており、全警備隊は急停止した。  船は発ったあとだった。  ロッカはそれが信じられなかったし、大統領もそうだった。連中は船がもとあった空地を行ったり来たりしてうろうろした。おれは車の後部座席に沈みこんで葉巻をかみ散らし、自分の間抜けさ加減に腹を立てていた。  おれは極めて明白な事実を見落としていた。惑星政府が戦艦を建造しているという先入感にとらわれていたのだ。政府が関与していることは間違いない――だが手先としてだけだ。ちっぽけな惑星一つにしぼりつけられているような政治屋には、このような大きな計画は夢にも考えられない。おれにはねずみの臭いがする――ステンレス・スチールぐらいのやつが。おれが転向前にやったようにやっている奴だ。  さて、このねずみはねずみとり袋のとどかぬ所へ行ってしまったが、おれにはどこをさぐればいいか、また何が見つかるかについてかなりの心当りがあった。宇宙船造船所長のロッカは、へなへなと坐りこんでしまって、髪の毛をかきむしりのろい声を上げて同時に泣いていた。フェラロ大統領は自分の銃を取り出して、沈痛な顔でそれを見つめていた。人殺しを考えていたのかそれとも自殺のことか、なんとも言えない。どっちであろうとおれには関係ない。やっこさんが心配するのは次の選挙のことだけだ。選挙民や政敵が船を失ったことでせめたててくる時のことだ。おれのなやみはそんなちっぽけなものではない。  船が銀河を飛び渡る前に、そいつを見つけなければならない。 「ロッカ!」おれはどなった。「車に戻れ。きみの記録をすぐ見たい――記録全部[#「全部」に傍点]だ――たったいま見たいのだ」  ロッカはよろよろと車に乗り込み運転者に命令を与えたが、何が起きたのかまだよく分かっていないようだった。夜明けの光をあびてどうやら現実に引き戻されてきた。 「しかし、提督……この時間では! 皆まだ寝ていますよ……」  おれはうなり声をあげただけだったが、それで充分だった。ロッカはおれの顔色を見てさとったらしく車にある電話をとりあげた。われわれが着くと事務所の門が開けられた。  ふだんなら役所仕事の書類の山にはうんざりさせられるのだが、今回だけは別で書類様々だった。この連中は書類整埋を精密科学の域にまで高めていた。リベット一本も抜けておらず、抜けておれば記録されており――五部もだ。そのあとについているのがメモ――リベット、損耗、調査。おれが必要な事柄は、全部整然と紙の墓場にしまいこまれていた。おれがやることはそいつを臭ぎだすことだ。おれは当初の原因を探ろうとはしなかった。これはうんと時間を食うだろう。最近の改良点、例えば旋回砲塔のようなものについて注意を向けた。犯人どもの尻尾をつかむのにはこの方が早い。  事務員たちはおれの考えを理解すると直ちに仕事にとりかかった。愛国心と上司の叱咤激励に燃え立ってやった。おれのやることといったら探る所を示すだけで、その関係の書類がすぐ出てくるといった工合だった。  徐々に一つの形が現われてきた。偽造、贈賄、ごまかし、虚偽等と巧妙に組み合せた仕事だ。おれと同じように悪事にたけたものでないと考え及ばないようなものだ。おれは嫉妬で下唇をかみしめた。大きなアイデアというものはどれもそうだが、基本的には単純なものなのである。  正体不明の一党またはそれらの集まりが、自分たちの目的に合うように船の建造計画をうまくまげてしまったのだ。これは当初巨大な輸送船として計画されたことはまず間違いないだろう。もっとも後ほど調べてみる必要はある。いったん計画が進行していくと、それは天才といってもよいほどの才能に導かれていった。命令は各所から発せられ、伝達され、変更され、ごまかされてしまった。おれはしんぼう強く一つ一つその源までさかのぼって追跡した。多くの場合その源というのは偽造だった。ある種の変更については説明がつかなかった。この場合、問題になっている役人たちが、従来使っていた秘書が病気になって臨時にほかの秘書を雇い入れたということが分かってきた。この秘書の女性たちはどれも食当りだった。ありきたりの伝染病のようにみえた。この女性たちは同一女性が順々に交代していった。この女性は、戦艦の計画が一段階進むだけの期間、同一地位に留まっていた。  この女は計画を考案した指導者の助手であることはまちがいない。この指導者は、くもが巣にいるごとく、はかりごとの中心に坐してひもをひっぱって事を動かしているのだ。おれは当初ギャングがこれにからんでいると思ったがこれは間違いだった。次にうたがっていたものは、すべて単純な偽造で特別なものではなかった。偽造が適切でないような場合――まれな例だが――秘密に包まれたX氏自身が雇われて仕事をやっていた。X自体は機械設計技師補で定職があった。一つ一つほどいた糸はこの事務所に向かっていった。この男にも秘書がいたが、その女性秘書の病気≠ニいうのが、他の事務所でその女が雇われた時と奇妙に一致するのである。  おれは机から顔を上げて背のびをしたが、背中がまるで焼けた電線でつきさされたようにいたんだ。おれはいたみどめを飲んで、おれといっしょに七十二時間も不眠不休で仕事をしてきて、ぐったりして目をおちくぼませた助手たちをみやった。助手たちは坐り込んだり家具類にもたれてぐったりして、おれの結論が下るのを待っていた。フェラロ大統領もいっしょにいた。頭をかきむしって髪がぼさぼさになっていた。 「奴らが見つかったかね、悪党の一味が?」あいもかわらず頭をかきむしりながら尋ねた。 「見つけたぞ」おれはすごい声を出した。 「だが悪党の一味じゃない。一人の天才的な犯罪者だ――あんたのわいろ好きの官僚ども全部を集めたよりもすぐれた行政能力をもった奴だ――それと女性の助手一人だ。この仕事全部を二人だけでやってきたのだ。この男の名前はもちろん偽名だろうが、ペペ・ネロといっている。女はアンジェリナ……」 「すぐそいつらを捕えろ! 警備隊……」フェラロが部屋をとび出して、さけび声が遠ざかっていった。その消え去る後ろ姿におれは話しかけた。 「そうしたいのだが、いまではちょいと無理というものだ。戦艦を建造するだけでなくて、そいつも盗んだ奴なのだからな。全部自動装置になっているので、乗組員も不用なのだ」 「どうなさるのですか?」一人の事務員が尋ねた。 「何もしない」宇宙軍のお偉さんの威厳を見せて言った。「宇宙連合艦隊はもうすでにこの裏切者を追いつめており、いずれその逮捕の知らせを聞くことになろう。協力ご苦労」 [#改ページ]   6  おれはできる限りの威勢のいい答礼をし、連中は列をなして出ていった。ゆううつな気分でその後ろ姿をながめて、おれは連中の連合宇宙軍への単純な信頼をちょっとうらやましく思った。現実問題として、復讐心にもえた連合艦隊というのはあくまでも想像上のもので、それはちょうどおれの提督の階級と同じようなものだ。これはあくまでも〈部隊〉の仕事だ。インスキップには最新の情報を知らせねばならぬ。盗人についての精神波通信《サイグラム》は送ってあるがまだ返事が来ていない。その盗人の身元を知らせてやれば、インスキップからの反応は引き出せるだろう。  おれの通信は暗号で出したが、もし誰かが本気でかかれば解読はそれほど困難ではない。おれは自分で通信本部に持っていった。精神波通信士《サイマン》は透明な仕切室におり、おれはいっしょに中に入って錠をおろした。銀河のどこかから通信が到着し、通信士は焦点が定まらないような目付きで、マイクに向かって柔らかな口調で話し始めた。外部では転写機が通信を転写し、番号付けし、分類していた。だが絶縁壁のため音は全然伝わってこなかった。通信士の注意が部屋の方へもどってくるまでおれは待っていて、それから書いたものを渡した。 「連合第十四交換局―――大至急」とおれは言った。  通信士は眉を上げたが何も質問はしなかった。数秒間で連絡がついた。連合は通信手段として、精神波通信士の綜合的な送・受信の組合せをもっているのである。通信士は暗号文を口に出して――だが大声ではなく――注意深く読んだ。思考力が光年の距離を渡っていくのである。読み終るとおれはすぐにそれをとり返し破いてポケットにつっ込んだ。  返事はすぐ来た。インスキップはおれの通信を待ちこがれてうろうろしていたに違いない。外部の転写機へのマイクを切っておいておれは自分で暗号文を速記した。 「……xybb dfil fdno.でなければ――帰って来るな!」  通信文は最後のところで普通文になってしまい、精神波通信士はその言葉を話すとき笑い顔をみせた。おれは筆記具の先をへしまげうめき声を上げて、この通信一切を繰り返してはならぬと厳命した。もしそんなことでもしようものなら、おれは自分でこいつを片付けてやる。やつの顔から笑いは消えたがそれでおれの気持が直ったわけではなかった。  暗号通信文は、おれが思っていたほど悪いものではなかった。別途通知があるまでは、おれは盗まれた戦艦の追跡と捕獲の責任者ということであった。援助が必要ならば連合に頼むことができた。仕事が終るまで提督に化けたままでいること。事件の進捗状況をずっとインスキップに報告すること。このむき出しの最後の文言だけが、おれの幸福感の完成をさまたげた。  おれは長いこと待ちわびていた任務というものを与えられた。だが翻訳されてみるとそれはきわめて単純な言葉になってしまい、命令というのは戦艦をとっつかまえるかさもなければ首だということだ。おれが最初にこの陰謀をあばいた努力については一言も言及されていない。なんとまた非情な世界であることよ。  自分をあわれんでいると気分がほぐれてすぐねむりにつけた。いまおれのやる主たる仕事は待つことで、それならゆっくり寝て待つとするか。  とにかく待つことができることの全部だ。もちろん第二次的な仕事、つまりおれが使用できる軍の巡洋艦を用意させたり、この盗人たちについてもっと情報を探し求めたりすることはある。しかし、おれの主目的から言えばこれらは第二次的なものなのだ。主目的とは、悪いニュースを待つことだった。追跡のためよりもっと有利な場所があるというわけではなかった。失踪した船はどの方向へでも行けるのだ。一分時間が経過するごとに、予想存在圏は立方体の二乗の割合で拡大しているのだ。巡洋艦の当直員を勤務につけて、残りは艦の半径百ヤード以内の所に集めておいた。  ペペとアンジエリナについてのそれ以上の情報というものはほとんどなかった。自分たちの痕跡を実にうまくかくしおおせていた。二人の経歴は不明だったが、両人とも外縁星域出身をおもわせるように少し言葉にアクセントがあった。ペペのはっきりしない写真があった。太っちょだが冷酷な顔で、愉快なでぶちゃんとは言えなかった。女の写真はなかった。あまり役にも立たない発見物は横におしやり、心のいらだちを抑え、船の精神波通信士を使えるだけ使って、宇宙で発生したトラブルについてのどんな報告でも集めさせた。航宙士とおれはそれらの位置を図面に記入し、盗まれた船のいそうな場所を囲む圏が拡大するにつれて、お互いの位置を比較検討した。災害とはっきり事故と分かるものがこの区域内にあったが、調査を進めてみるとこれらは全部通常の原因によるものであることが分かった。  要注意区分に該当する報告があった場合は、いつでも直ちにおれのもとに届けるように恒久的な命令を与えてあった。伝令がやって来て部屋のあかりをつけ、熟睡中のおれを起こして一枚の紙を渡した。おれは目をぱちくりさせて起き、最初の二行を読むと寝台ごしに戦闘配置[#「戦闘配置」に傍点]のボタンを押した。宇宙軍の連中はたいしたものだ。自分のやることはよく心得ている。サイレンが響き渡ると乗組員は気閘をとじ、おれが報告書を読み終らぬうちに飛び立った。おれは目の玉の焦点が定まると直ちに報告書に眼を走らせ、もう一度初めから読みなおした。  これはまさにわれわれが待ち受けていたもののようだった。その悲劇については目撃者はいないのだが、いくつかのモニター・ステーションは巨大なエネルギー武器が発射されてできた空電帯を記録していた。三角測量によって調査員たちは、その場所にオゲット・ドリーム号という貨物船を見つけた。鉄道のトンネルほどもある大穴をあけられていた。貨物船に積み込んであったプルトニュームがなくなっていた。  この報告のあらゆるところにペペの影があった。乗組員のいない戦艦を飛ばしている以上、もっとも有効な方法でそれを利用しているのだ。他の船を脅迫したり交渉したりしていたのでは、チャンスというものが入りこんでくる懸念がある。そこで何の警戒心も持たぬ貨物船にとびかかり、戦艦に装備した怪物のような大砲でもって爆破したのだ。十八人の乗組員は即死だった。盗人たちはまた人殺しでもあった。  なにがなんでもすぐ行動に移らねばならぬ。しかも絶対に失敗をおかしてはならない立場におかれている。でぶのペペは無慈悲な殺人鬼の正体を現わしてきた。自分に必要なものは何かをよく心得ている――そしてそこへいって手に入れる。邪魔をする者は全部やっつけてしまってだ。こいつが終るまでにはもっともっと多くの者が殺される。その数を最少にとどめるのがおれ次第ということなのだ。  おれが艦隊を率いて殺到し、砲をぶっぱなしてこの悪党を法廷にひっぱり出すというのは考えられる。まことにけっこうで、おれもそうできればいうことなしだ。ただし、奴の所在さえ分かればの話だ。戦艦というものは、比較するものによってはまことに巨大なものであるが、大宇宙の広漠さに較べればそれは顕微鏡的に微細きわまるものである。そいつが定期通商航路からはずれた所におり、検波ステーションや惑星の検知範囲外におれば発見されることはありえない。  それでは、おれがどのようにして戦艦を見つければよいのか――それから見つかったとして捕えるのにどうすればよいのか。この悪魔のような奴に面と立ち向かえる船などちょっと見当らないのだ。これはおれが処理しなければならない問題だ。それはやさしい問題ではなかった。昼夜を問わず考え抜いた。  あせらずに注意深く解決方法を組み立てなければならなかった。ペペが次にやって来る所はどこか分からないので、おれの方で行ってもらいたい所に奴を行かせなければならない。  おれの方に有利な点も少しはあった。最も重要な事柄は、奴が完全に準備ができる前に動かざるをえないようにしたことだ。おれがシッタヌーボに着いたその日に、奴が立ち去っていたというのは偶然なことではない。奴のように水も漏らさぬ式の精巧な計画には、危険の接近についての警報も完備していたはずだ。戦艦の動力、操縦装置、主要な武装は、おれが着く数週間も前にすでに設置ずみだった。船が発った時に残っていた仕事というのは、大半補助的なものにしか過ぎなかった。艦が飛びたった時、目撃者の言によると艦の気閘から電線や動力線が垂れ下がっていたそうだ。  おれが到着したことでペペがぐらついた。こんどは押しまくって奴を落としてやることだ。ということは、奴が考えるように考え、奴の計画にはまりだし抜いて――わなにかける。盗賊を使って盗賊を捕える。みごとな理論だ。だがこいつを実地に使うという段になるとちと気がめいる。  いっぱいやると効果があった。葉巻もそうだ。紫煙をくゆらし、なめらかな隔壁をながめているといくぶん気楽になった。とにかく――戦艦を使ってやるようなことはそうざらにあるわけではない。大芝居を打ってだますとか、金庫をふっとばしたり、爆薬の製造など戦艦でやるわけにはいかぬ。宇宙海賊をやるとなれば、これはたまったものではない。だが海賊は海賊でそれ以上のものではない。 「やれやれ――だがなんで戦艦でなくてはならぬのだ?」  おれは独りごとを言っていた。これは普通いい徴候とは言えないのだが、いまはかまわない。宇宙海賊という考えがこびりついていて、それはいい線をいっているようだった。だが、この極めて明白な不整合性が突然飛び出してきたときは、おれは顔面に一撃をくらったような感じだった。  なんで戦艦なのだ? 二人だけであつかえるかどうか分からぬような船を得るのに、何年も苦労して働く必要がどこにあるのか。その十分の一の努力でペペは自分の目的にかなうような巡洋艦を手に入れることができたはずだ。  宇宙海賊には充分だ。それはそうなのだ――が、奴の[#「奴の」に傍点]目的には充分でない。戦艦が欲しかったのだ。そして自分用に手に入れた。このことは単純な海賊以外のものを考えているということだ。ペペが偏執狂で利己中心主義者で、短絡したコンピューターのような精神異常者であることは明白だ。奴が政府のテスト網をどうやってすり抜けたか一度調べてみる必要がある。もっともこれはいまおれが関与する問題ではない。捕えるのが先決なのだ。  計画が徐々におれの頭の中で形をとりはじめていたがあわてなかった。まず奴のことをよく知らねばならぬ。一つの世界をあやつり、自分用の戦艦を建造させ――そいつを盗み出し――といったような男は、そこでとどまるわけがない。船には乗組員と燃料および兵站補給の基地がいる。  燃料が第一の問題だ。オゲット・ドリーム号の横腹にあいた大穴がその沈黙の証人だ。基地として使える惑星は無数にある。このような平和の時代には、乗組員を得るのはもっと困難だろう。もっともこれについてはいくつかの答えがおれには考えられる。精神病院と刑務所をおそうことだ。こいつの積み重ねで海賊の親玉として自慢できるような乗組員が得られるだろう。もっとも海賊などというものはこいつにとってはささやかな野望にしかすぎないだろう。奴は一つの惑星全部を支配したいのか――それとも一つの星系全部をか? それ以上のものをか? そう考えるとおれも少し身ぶるいがした。もしこんな計画が一度動き出したらとめる手段があるのだろうか? 〈王国戦争〉時代には、いくつかの種類があったが、船が数隻とペペよりはおそまつな頭脳をもってして、このような帝国を建設したものがいた。最後には全部没落してしまった。それらが成功したというのは、独裁制によっていたからである。だがそれには対価がまず支払われなければならなかった!  計画ができたぞ。それが間違いないものだということは心の奥底で感じた。ささいな点ではあやまちがあるかも知れぬ。それはたいしたことではない。考え方の概要はつかんだ。犯罪にも自然な法則というものがある。ちょうど人間の他の分野でのいとなみにもそれがあるのと同様だ。こいつがまさにそれだということは分かった[#「分かった」に傍点]。 「通信士官をすぐ呼べ」おれは船内通話《インターコム》装置にわめいた。「それに転写機を持って書記を数名よこせ。いそげ――こいつは生死の問題だ!」この最後の言葉はちとはですぎた。おれも熱中のあまり我を忘れたようなところがあった。おれは制服のカラーのボタンをかけなおし、勲章の飾りひもを正して肩をいからせた。部下がドアをノックして来た時には、おれは提督としての威厳をとりもどしていた。  おれの命令で船は超光速《ワープ》航行をやめ、船の精神波通信士は他の通信士と連絡がつくようになった。艦長のステングはぶつぶつ不平を述べていた。というのは、船はエンジンを切ってただよい貴重な日をむだにすごし、船の乗組員の半数は気が狂ったとしか思えないような指示を外部に発信するのに忙殺されていたからだ。おれの計画は艦長の理解の範囲を越えたものだった。そこのところが、やっこさんが艦長でおれが提督だということになってくる――たとえ臨時の提督であってもだ。  おれの指示に従って、航宙士はタンクの中で理論的に考えられる一つの圏の設定を行なった。この圏の表面はすべての星系とふれ合っていた。それは盗まれた戦艦の最大の航行範囲より一日分だけ前方にある星系なのだ。最初はこれらの星系もあまり多くなく、精神波通信士も全部処理でき、ひとつひとつ呼び出しては、そこの宇宙軍の広報担当官にニュースを送りつけた。  圏が大きくなるにつれて、おくれが目立ち始め手がとどかなくなった。この時分までにおれは総括的な通報を用意させた。それには使用方法と追跡・調査の指示を与えており、それを連合第十四中央局に送った。そこで精神波通信士部隊がそれぞれの惑星と連絡をとり、われわれのすることは惑星の表に数を加えていくことでよかった。  通報と追跡調査はすべて一つのテーマのくりかえしだった。おれはできるだけいろいろな変化をつけて、それが可能な限りの各種な形をとって流れ出るようにした。この拡張していく圏内での雑誌・新聞・その他刊行物にのる場合、形はどのようであれ情報としては一つの基本的なものであってほしかった。 「いったいこのくだらぬことには何の意味《ヽヽ》があるのかね?」ステング艦長は不機嫌な顔で尋ねた。艦長はずっと前からやってもむだなことだと作業を全然あきらめており、この仕事が自分の経歴に及ぼす影響を心配しながら一日の大半を自室に閉じこもっていた。退屈なのと好奇心から、艦長はおれの出した通報を読んで恐怖にかられていた。 「自分の世界を建設する大富豪――百年はつづく贅沢品に満たされた宇宙ヨット」文案の束をばらばらとめくってみて艦長の顔は赤くふくらんできた。 「このたわごとと殺人鬼どもを捕えることと何の関係があるのかね」  あまりスマートともいえない質問攻めで、おれが偽の提督であることを確かめていたので、われわれだけの時には艦長は極めてぞんざいだった。それでもおれが指揮をとっているということには変りがなかったが、われわれの関係は正常なものとはいえなかった。 「このくだらぬことは」おれは話してやった。「われわれの魚をひっぱり出すえさなのだ。ペペと相棒を引っかけるわなだ」 「この奇妙な大富豪というのは誰なのだ?」 「わたしだ。わたしはずっと前から金持になりたかったのだ」 「しかし、この船、宇宙ヨットは? どこにあるのだ?」 「ウドリッドの宇宙軍造船所で建造中だ。この一連の指示を出し終ったら、そこに行く準備はほぼできたことになる」  ステング艦長は机の上に通信文を落とすと、病気に感染しまいとするかのように用心深く手をぬぐった。艦長は公正であろうとし、おれの考えを理解しようと努めたがどうにもならなかった。 「まったくばかげている」艦長はうなった。 「この人殺しがこんなものを読むなどとどうして断言できるのか? かりに読むとしても――興味を引かれる理由があるのか? あんたは時間のむだをしているにすぎないし、その間に奴はあんたの手のとどかぬ所に行ってしまう。警報を出してすべての船に知らせるべきだ。宇宙軍は警戒体制に入り、全航路には巡視船を出して――」 「それは奴が迂回して簡単にわれわれをまくことができるし、だいいちそんなことは気にもとめないだろう。われわれのもっている船なら奴はやっつけることができるからだ。だからそれは問題に対する答えにはならないのだ」おれは話してやった。「このペペという奴は、抜け目がなくて細工したギャンブル機械のように狡猾なのだ。それが奴の強味で――また弱味でもある。このような性格の奴は、自分をだし抜くものがいるとは絶対考えられんのだ。そこの所をわたし[#「わたし」に傍点]がやろうというわけだ」 「ご謙遜なことだな」ステングが言った。 「謙遜するつもりはない」おれは言ってやった。 「謙遜に籍口するのは無能者のやることだ。わたしはこの殺し屋を捕えようとしているのだ。そのやり方を話してあげよう。奴は間もなく襲撃して来る。その襲撃して来る所にはどこにでもわたしが種をまいてある刊行物のどれかがあるわけだ。奴が他に何を求めているのかは別として、雑誌や新聞は見つかり次第全部取り上げている。自分のうぬぼれを満足させる気持は一部にあるのだろうが、主として自分の興味のあるものについてつねに注意しておくためだろう。たとえば船の運航などだ」 「あんたは想像しているだけで――全部が分かるわけではない」  おれでは手にあまることだと艦長は思いこんでいるようだが、これは気にさわることだった。おれは気をしずめ最後にもう一度話した。 「そうだ。想像しているわけだ――情勢を判断したうえでの想像だ−―また想像だけでなく事実についても承知している。オゲット・ドリーム号から読物は全部持って行かれてしまった。これはわたしが一番初めに調べたことだ。この戦艦が再度襲撃して来ることは防げない。だが、そのあとでそいつをわなにはめ込むように手配はできる」 「わたしは分からない」艦長は言った。「それはどうも……」  あとの言葉は聞かれなかった。別に聞かなくてもいいことなのだ。艦長はだんだんとおれの薬籠中のものになってきていたし、この偽の階級を活用しょうという気もないでもなかったからだ。警報のサイレンが艦長の文句をたち切り、われわれは通信室にかけあしで競走した。  ステング艦長が鼻の先だけ早かった。船は自分のものだし近みちは全部心得ているわけだ。精神波通信士は転写文を差し出していたが一つの文章に要約して言った。通信士はおれの顔をみながら話したがその顔はきびしく冷やかだった。 「再度襲撃。宇宙軍物資供給衛星を破壊。三十四名死亡」 「もしあんたの計画が失敗すれば、提督《ヽヽ》」と艦長はおれの耳もとにきつい声で話しかけてきた。 「あんたが生皮をはがれるところをこの眼で見たいもんだ」 「もしわたしの計画が失敗すれば、艦長《ヽヽ》―ピンセットでひっぱれるほどもわたしの皮は残ってはおらんだろうね。ところでお願いがあるんだが、ウドリッドに行ってわたしの船にできるだけ早く乗りたいのでね」  船の仲間の無分別な憎しみと軽蔑心には、おれもいささか頭にきて精神の平衡をなくしていた。おれはいま怒りをもって考えているのであって論理で考えていない。自制心を発揮し、思考をととのえ、心理状態をたしかめた。 「この前の命令は取り消し」おれは宇宙軍の古強者の態度にもどってわめいた。 「まず呼び出しをかけろ。襲撃中にわれわれのわなが拾い上げられたかどうか調べろ」  通信士は焦点の定まらない眼つきをして小声でもじもじ言った。おれは書類をばらばらとめくって、気分をゆったりと持って静かに構えた。士官や水兵たちが緊張して待っていた。そしておれをきらっている気持をあまりかくそうともしなかった。 「肯定」通信士は言った。「襲撃の二十時間前に補給船が一隻入港した。補給船は例の記事を含む新聞も置いていった」 「よろしい」おれは平静な声で言った。「全個所に命令を送れ。今後わなをしかけた刊行物についての活動は中止させる。通信はすべて精神波通信士のみによって行なう。宇宙軍の他の通信設備ではこのことについて一切ふれないこと。盗聴≠ウれる危険が出てきたからだ」  状況に対応する指示を与えておれはゆっくりと室を出て行った。顔をそむけて冷汗をかいているのを気付かれないようにしてだ。  億万長者のヨット、おれのエルドラド号、が待っているウドリッドに早々に着いた。造船所の長官が船をみせてくれた。長官は好奇心を押さえるのに苦労しているようだった。おれの任務については一言も話してやらなかった。それでいささかなりとも宇宙軍に対して復讐をしてやったわけだ。技術者と一緒になって操縦装置や特殊な器機類を調べてから、出港手続きをすませた。自動操縦装置にはテープがあり、すべてを組み込んだ経路にのせてくれることになっていた。ボタンを押しさえすればおれは目的地へ向かうことになっている。それでボタンを押した。  実にすごい船だった。造船所では気前よくかねを使って細部にいたるまで気を配っていた。船首から船尾の管にいたるまで純金張りだったが、もっときらきら輝く他の金属はあるが、金持の感じを与えるのにこれにしくものはない。船の内・外装備品すべては渡金されていた。このような仕事は限られた時間内では到底全部はできなかったはずだ。軍はおれの必要に応じて華美をつくしたヨットを改装したに違いない。  準備万端ととのった。ペペが動き出すか――それとも、おれが億万長者の極楽惑星に出かけるかだ。事件が起きるならおれがそこにいるのが一番いいのだ。  さておれは宇宙に乗り出した。もう引き返すことはできない。いままでに振りはらってきたいろいろな疑惑がまたぞろよみがえってきた。きわめて明瞭で論理的であると思われてきた計画が、いまやつぎはぎだらけでめちゃくちゃな間に合わせのように見え始めてきた。 「おい、しっかりしろ」おれは自分に言いきかせた。提督然たる声を出して言った。 「何も変ったことはない。現在の情勢下ではこれが最良、唯一の計画なのだ」  そうだろうかな? ペペは山のような戦艦を飛ばし、宇宙軍の糧食をくらっていて、人生のいささかの慰安と奢侈に興味を示すなどと考えて間違いないのだろうか? またもし贅沢が奴の気を引かないなら、惑星規模での入植用の家具類にでも興味を持つだろうか? 目録には奴が欲しそうなものを全部つめこんであるし、どこで入手できるかの情報もしこんである。えさは与えたのだ――だが釣針にかかるだろうか?  なんとも言えないが心配の堂々めぐりばかりしておれば神経がいかれてしまう。他のことに注意を向けるのは努力を要することだった。だがそうしなければならない。このあと四日間遅々として日は進まなかった。 [#改ページ]   7  警報装置が鳴りひびいた時、おれの気持は緊張に満ちた安堵感でいっぱいだった。次の数分間内におれは死んで塵となって吹き飛ばされているかも知れない。だがそれはたいしたことのように思えなかった。  ペペは針をのみこんだ。こんな距離からあれだけの大きさのレーダー・スクリーンの映像を現わすのは、この広い宇宙にあってたった一隻しかないのだ。まっしぐらにエンジンを全開して急速に接近してきている。最遠距離で索引ビームがおれの船をしっかととらえた時、船は反抗するかのように少しもがいた。同時にラジオがけたたましい音をたてておれの注意を引いた。  おれはできるだけ待っていてそれからぱちんとスイッチを入れた。声がひびき渡った。 「……お前の船には戦艦の巨砲が向けられている! 逃げたり、信号を送ったり、回避したり、その他いかなる方策を講じようとしてもならぬ――」 「あんたは何者だ――いったい何が欲しいのだ?」おれはマイクにせきこんで話しかけた。おれは自分のスキャナーを入れていたので、奴らはおれを見ることができた。しかしおれのスクリーンは暗いままだった。奴らは映像を送っていない。それでおれの芝居はやりやすいともいえた。見えない観衆に向かってやっているわけだ。奴らはおれの着ているすばらしい仕立ての服とか、背後に見える贅を尽くした船室とかが見えるわけだ。おれの両手はもちろん画面の外にある。 「われわれが何者であろうと関係はない」ラジオが再びわめき返してきた。 「生命がおしければ言われた通りにしろ。われわれが結合するまで操縦装置から離れておれ。それからわたしの指示通りにせよ」  磁気かぎが船体に当った音が二つ伝わってきた。しばらくして船が傾き戦艦の方に引かれた。おれは恐怖で眼の玉をくるくるさせ、逃げ場をきょろきょろ探して――そして、ちらちらと外側のスキャナーに眼を走らせた。ヨットは宇宙をうずめるような巨大な船体に沿って輝いていた。 「さて、少し話したいことがある」おれはマイクに向かって鋭い口調で言った。おれの顔からは恐怖にかられた億万長者は消え去っていた。 「まず、お前の警告をその通り繰り返す――生命がおしければわたしの言う通りにしろ。その理由を見せてやる――」  おれが大きなスイッチを入れると、充分にねって設定しておいた場面が引き続いて現われてきた。まず、もちろんのことだが、船体は磁気化され爆弾には導火線がつけられてある。船室のスキャナーが切れたとき光がちかりとし、動力室の映像が現われた。おれはモニター・スクリーンを調べて確認をして宇宙服に着替え始めた。至急にやらねばならぬ。同時に自然な声で話す必要がある。奴らはおれがまだ操縦室にすわっていると思っているだろう。 「お前がみているのは船の動力室だ」おれは言った。 「出力の九八パーセントは、船体を磁気化しているコイルに入力されている。この船を離すことは極めて困難である。また、そうしないよう忠告しておく」  宇宙服は着けた。おれはヘルメットにとりつけたマイクを通じておしゃべりをしており、これは船の発信器に中継されている。モニターの画像が変った。 「いまお前が見ているのは水素爆弾だ。それは爆発準備ができており、船をくっつけている磁気に感応している。もし離そうとすれば、いうまでもないことだが曝発する」おれはモニターをつかんでエア・ロックの方へ走った。 「この爆弾はほかのものとは少し違う」一方の眼をスクリーンに、他方を徐々に開いている外扉に注いで言った。「これは船体にとりつけた感覚器をもっている。この船のいかなる部分といえども、もし破壊しようとしたりまたこの中に入り込もうとすれば、爆弾が破裂する」  おれは宇宙に出ていた。戦艦の巨大な外壁に向かって飛んでいた。 「どうしようというのだ?」第一回の脅迫のあとペペが初めて口をきいた。 「話しがあるのだ。取引をしよう。お互いに利益になる話だ。だがまず残りの爆弾をお見せしよう。協力するのに変な気を起こしてもらわぬためにな」  もちろん、残りの爆弾を見せてやらねばならない。やめるわけにはいかぬ。船の走査機器は、計画されたプログラムどおりにやっていた。おれはわれわれ両者とも破滅するであろう重武装について気軽に話してやった。その一方おれは戦艦の船体にある開口部をよじ上って行った。この場所には防備もないし警報装置もとりつけてなかった。船の製図から慎重に選んだ場所なのである。 「分かった、分かった……お前が飛ぶ爆弾だということは、額面どおり受け取ろう。そこでこの動き回る報道物をちょっととめて、お前が何を考えているか話してくれ」  今度はおれは返事をしなかった。おれは走り回って犬のようにふうふう言っており、マイクは切ってあった。眼前に操縦室への――製図が正しければだ――ドアがみえた。ペペはここにいるに違いない。  おれは中に入り銃をとり出しペペの後頭部につきつけた。アンジェリナはそばに立ってスクリーンを見つめていた。 「勝負はついた。ゆっくりと立ち上がり、両手を見えるように出しておけ」 「何をいっているのだ」ペペは自分の前にあるスクリーンをみつめて怒り声で言った。女の方がまず気がついた。女はくるりと振り向くと指差した。 「ここに[#「ここに」に傍点]いるわ!」  二人とも息をのんでおれを見つめていた。完全に不意をつかれてぼう然としていた。 「お前を逮捕する、犯罪王」おれはペペに言った。「それにお前の女友だちもだ」  アンジェリナのまなこはつり上がり、閉じ、そしてゆっくりと床にくずれおちた。本当なのか偽りなのか、おれの知ったことではない。おれはペペの太っちょの図体に銃を突きつけており、ペペは女をだき上げて壁にとりつけた加速用寝椅子に運んだ。 「それで……それで、こんどはどうしようというのだ?」震え声でペペは尋ねた。そいつのたるんだあごは震え、眼には涙すら浮かべていた。こいつの演技には何の気も動かなかった。死人が宇宙をただよっていたのをまだはっきりと憶えているのだ。ペペはよろよろと椅子にくずれ込んだ。 「あたしはどうなるのかしら?」アンジェリナが尋ねた。いまは眼はあいていた。 「お前がどうなるか、わたしは分からぬ」おれは本当の気持を話した。「それを決めるのは法廷だ」 「だけどペペが強制的にこんなことをさせた[#「させた」に傍点]のよ」女は泣きじゃくった。女は若く陰のある美人だった。そして涙はこの美貌をいっそう引き立てた。  ペペは両手に顔をうずめその肩は震えていた。おれは銃をふってペペをつついた。 「しゃんとしろ、ペペ。お前が泣いているとはとても信じられぬ。宇宙軍の軍艦がいまこちらに向かってきている。自動警報を一分前に発信した。宇宙軍は大喜びでこの男を……」 「あたしを宇宙軍に渡さないで、お願い!」アンジェリナは立ち上がり壁にもたれていた。「あたしを刑務所に入れてあたしの心にいろいろな手を加えるわ!」女はそう話しながら壁に沿ってよろめき身を引いていった。おれは後ろを振り返ってペペを見た。一刻でも奴から眼をはなしたくなかったからだ。 「わたしには何もできない」おれは女に言った。おれが女の方をちらりとみると、小さなドアがすっとあいて女は消えてしまった。 「逃げるな」おれは女の背後からどなった。「逃げてもむだだぞ!」  ペペがのどをしめつけられるような音を出し、おれはさっと振り向いた。ペペはしゃんと腰をかけ、その顔から涙はかわいていた。泣いているどころか笑っていたのだ。 「そう、アンジェリナはお前をも手玉にとったというわけか、お利口な警官さんよ。かれんなアンジェリナがその愛らしい眼でか!」ペペはまた涙を出し身体をけいれんさせて笑った。 「何の話だ?」おれはうなった。 「まだ分からないのか? アンジェリナがお前に話したことは本当だ――ただしちょっとばかりひねってだ。全計画――戦艦の建造、それを盗むこと――は、アンジェリナのものなのだ。わたしはそれに引きずり込まれて、女のいうなりに動いたのだ。わたしはアンジェリナを愛した。自分がうとましくなりまた同時に幸福でもあった。さて――これも終って気が楽になった。ともあれアンジェリナに逃げる機会を与えてやれた。それだけの借りもあった。それでもアンジェリナが白々しい演技をやった時には、わたしも怒りで爆発するかと思った!」 冷たい感覚はいまや氷の塊りとなり、おれの身体は麻痺しそうだった。「お前はうそをついている」おれはかすれ声で言った。とても信じる気にはなれなかった。 「気の毒だね。そういうことなのさ。お前の方の精神科医がわたしの頭脳のすみずみまでさぐって、真実を見つけ出すだろう。いまうそを言ってみてもはじまらん」 「われわれは船内を捜索する。女はいつまでもかくれてはおれぬ」 「かくれている必要はないのだ」ペペが言った。「われわれが捕えた高速艇がある。艇庫に入れてある。いま出ていくのがそれに違いない」床を通じてかすかに振動を感じとることができた。 「軍が捕えるだろう」おれは充分な自信をもって言った。 「かも知れない」ペペはそう言うと急にぐったりとし、もう笑い声も消えた。「軍は捕えるかも知れない。だがわたしはアンジェリナに機会を与えてやった。わたしはこれで終った。だがわたしが最後まで愛していたことはアンジェリナは知っている」ペペは急な心の痛みに歯をむき出した。「アンジェリナがそんなことを少しも気にとめなくてもいいのだ」  おれはずっと銃をペペに突きつけて二人ともじっとしていた。そして軍の船が到着し兵士の足音がこだましてきた。おれは戦艦を捕獲し襲撃は終った。女が脱出したことでおれはせめられることはない。女が宇宙軍をまいたとすればそれは宇宙軍の責任で、おれの責任ではない。  おれは勝利を得たのだ。  だがそれほどうれしくもなかった。アンジェリナのことについては、まだ片がついていないという予感がしていた。 [#改ページ]   8  この気がかりな虫の知らせが実現しなければ、人生はもっと楽しいものだったに違いない。軍がアンジェリナにいっぱい食わせられたからといってそれを非難しても始まらない――そのぬれたひとみの奥にひそむ心を過少評価したのは、軍が始[#ママ]めてでもなければ最後でもない。そしておれも自分を非難するのは止めようと心掛けた。アンジェリナが最初におれの手からすりぬけてから、このあやまちは二度と起こすまいとおれは心に決めた。ペペがアンジェリナについて本当のことを話しているとはまだ確信がもてなかった。この話はすべて巧妙なでっち上げで、おれをとまどわせおれのすきをつこうという魂胆があるのではないか。おれは極めてうたがいぶかい。安全を計っておれは引き金に指を軽く置いて、銃口をペペの眉間にぴたりとつけていた。宇宙軍海兵隊の分隊が飛び込んできて逮捕するまでそのままの状態でいた。海兵隊員がペペに手錠をはめ終るとすぐ、おれは緊急警報として最優先的にアンジェリナについての讐報を全船に発した。全船からの返信が到着する前にもうアンジェリナの偵察用ロケットがスクリーン上に捕捉された。  おれは安堵のためいきをついた。もしアンジェリナが計画の張本人だということになれば、ぜったい逃がしてはならない。  アンジェリナ、ペペ、戦艦と、インスキップに引き渡すのにけっこうな一揃いということになる。船はあらゆる方角からアンジェリナにせまっており、逃亡する機会は絶対にない。軍はこういうことになれており、女を捕えるのは時間の問題だけだ。戦艦を軍に引き渡しておれは豪華なヨットに戻って、スコッチ・ウイスキー(ここから二十光年以内では見つからぬものだった)と長めの葉巻を倉庫からひっぱり出した。スクリーンに向かってゆったりと腰をかけて追跡状況を注視した。  アンジェリナは釣針に引っかかってもだえはねるように、逮捕をまぬがれようと高重力の旋回を行なっていた。十五Gもの加速度では頭のてっぺんから爪先まで青黒のあざだらけだろう。そんなことをやってみても無駄だ。結局牽引網で取りかこんでしまう。この大さわざでアンジェリナは少し時間をかせいだだけの話だった。この時間というものが如何に重要であったかは、移乗隊がその船に乗り込むまで誰も分からなかった。  船には誰もいなかったのだ。  何事が起きたのか。あれこれつなぎ合わせて考えるまでに十日がたった。それは無残で忌まわしいものであった。ペペが本当のことを話していた。精神科医がおれに確言してくれなくても、逃走が行なわれた方法をおれは認めただろう。アンジェリナはいつもわれわれより一歩前にいた。戦艦から偵察用ロケットで飛び出した時、アンジェリナは逃走しようとはしなかった。かわりに全速力で最も近くにいた軍の船――十二人乗りの小型巡洋艦――に接近したに違いない。その船では戦艦内で何が起こっていたのか知る由もない。まだ全警戒警報を発していなかったわけだ。女が逃走したとき直ちにそうすべきだった。そうしておれば十二人の生命は助かったかも知れない。女がどんな話をでっち上げたのかは分からないが、軍の方では不用心であったことはあきらかだ。なにかで捕われの身となり、闘争の間に逃げ出したとか何とかということだったろう。とにかく女は船を乗っ取った。毒ガスで五人がやられ、他は射殺された。このことはあとで巡洋艦が幾パーセクも彼方をただよっているのを発見された時に分かった。巡洋艦を押さえたあと、女は偵察用のロケットの操縦装置に手を加えて、逃亡を計るようにして発進させた。われわれが夢中になってその後を追っている時、女は追跡隊の後ろについてそのうち艦隊から姿をくらました。そこからあとは痕跡がはっきりしない。だが、また別の船をつかまえたことは間違いないだろう。この船がどんな船で、その船でどこへ行ったかは完全になぞに包まれている。  部隊の本部に戻って、インスキップに出来事の全部をおれは話していた。インスキップは冷やかな眼とかたくなな態度を示しており、おれは自分の行動を正当化しようと努めていた。 「全部勝利をおさめることは無理なことだ」おれは言った。 「戦艦とペペは引き連れて来た――ペペの性格も消去されたので、いまは穏やかなものになっていることを願う。アンジェリナがおれをだまして逃げたことは認める。だが軍の連中をたぶらかすのにもっと巧妙にやっているのだ!」  [#ママ]「なぜそんなに毒舌をふるうのだ」インスキップは乾いた口調で言った。 「きみが任務をなまけたなどと誰が非難しているのか。きみは罪の意識をもった人のような言い方をしている。仕事だ、大したものだ。すばらしい仕事だ、大したものだ……最初の任務としては……」 「あんたはまた同じことをやろうとしている」おれはわめいた。「おれの自意識をつついて、どれほどそいつがふにゃふにゃかを見ようというわけだ。あの男[#「あの男」に傍点]をそばにおいておくようにだ」おれはペペ・ネロを指差した。ペペはレストランでおれたちの近くに腰掛けて、ぼそぼそと食事をしながら、うつろな眼をしてのろのろと何か口の中でつぶやいていた。ペペの心から昔の性格がぬぐいさられ新しいものが植え付けられた。身体だけがアンジェリナを愛し、戦艦を盗んだ昔のペペだった。 「心理学者は身体と人格との新しい理論の研究を進めている」インスキップは物柔らかに言った。「だからペペをそばにおいて観察しているのだ。ペペの人格中に犯罪の傾向が発展してくれば、部隊に徴集するのにすばらしい機会を得たことになる。ペペのことが気になるか?」 「ペペではない」おれはむくれた。「虐殺のあとでやつは気違いの女友達を助けている。おれが気にしたいのは、奴をひき肉にしてハンバーガーにしてしまうことだ。だが奴をみれば女がどこかでまた羽根をのばしているのを思い出させる。自由に新しい犯罪を計画しているのだ。おれは女を追っかけて行きたい」 「いいや、行く必要はない」インスキップが言った。「きみは前にも言ったし、わたしも前に拒絶した。この話題は終った」 「しかしおれは……」 「しかし、何をだ?」インスキップはいやらしい含み笑いをした。「銀河系内の警察官憲は、すべてその女の写真を持っており捜索も続けられている。この人たちのやっていること以上にきみに何ができるというのだ?」 「多分おれはできないだろう」おれは不平をこぼした。「あんたのいうとおりだ。くそいまいましい」おれは食器を前に押しやって立ち上がり、自然な風に背のびした。「さてと、いっぱいひっかけて、部屋に帰って悲しみをいやすとするか」 「それがいい。アンジェリナのことは忘れろ。明朝九時にわたしの事務所に来なさい。素面《しらふ》でな」 「人追いの荒い男め」おれはうめいた。それから部屋を出て広間を通って居住棟の方へいった。おれの姿がインスキップから見えなくなると、おれは空港へ向かう傾斜路をたどった。  これはアンジェリナから学んだ教訓の一つだ。計画があれば直ちに実行せよということだ。ほって置いてかびをはやし、そのうちほかの人間がそのことを考え出すようではまずい。おれはいまわれわれの仕事で一番ぬけ目のない古強者に立ち向かっているのだ。そう思うだけで全く気持がよかった。インスキップの直接命令に反抗しようとしているのだ。インスキップも部隊も捨て去ってだ。本当に脱走しようというのではない。部隊のために始めた自分の仕事を完了したいと思っているだけだ。しかしこういう風な見方をしているのは、おれだけだということもはっきりしている。  おれの部屋には工具や小道具やかねもたっぷりあって、この仕事にはもってこいなのだ。だがこんなものなしでやらねばならないのだ。おれが宗旨変えしてインスキップの考え方に急に同調したことに、インスキップ自身が考え及んだときすでに遅くおれは宇宙遠く離れていたいのだ。  牽引ロボットをつれた整備員が、部員の船を発射ランプの方へひっぱっていた。おれはずかずかと立ち入り威厳をこめた声でいった。 「これがわたしの船か?」 「違います――ニールスン正部員のものです。いまこちらにお出になります」 「中央指令室に確認を求めてくれ。とにかく大至急なのだ」 「新しい任務か、ジミイ?」オーブはやって来ると尋ねた。おれはうなずいて整備員が向こうの角を曲がって見えなくなるまで見送っていた。 「前からのやつだよ」おれは言った。 「テニスの試合の方はどうかね?」おれはラケットを握っているように手を振り上げて言った。 「ここのところ調子が出てきているんだ」自分の船を見ようと頭をめぐらせた。 「新しいストロークを教えてやろう」おれはそう言って、手刀でニールスンの首の根っこに一撃をくらわせた。音もなくくずれ落ち、おれは潤滑油のタンクが並んでいるかげにそっと運んで行った。ニールスンの手の中から航行経路テープを入れた箱をそっととり上げた。  整備員が戻る前におれは船中におり気閘をとじてしまっていた。おれは操縦装置に経路テープを入れて、管制塔へ出港許可のパンチを入れた。主観的には百年も待っているのではないかと思われた。この永遠とも思われる間におれの顔は汗でびっしょりだった。すると青い灯りがついた。  第一歩。まだ安全だ。上昇加速が終るとすぐ操縦席から立って、手にスクリュードライバーをもって操縦盤に挑戦した。ここには常に遠隔操縦装置があって、部隊の船は離れたところから飛ばせるようになっていた。おれは部隊の船に初めて乗った時にそれを見つけていた。あちこち鼻を突っ込んでおけば、それだけの価値はあるということを知ってやってきていたからだ。おれは入・出力線をはずし、エンジン室にもぐり込んだ。  おれはちと疑い深すぎるのかまたは人類についての評価が低すぎるのかも知れない。おれよりもお人好しの人間なら、エンジンに仕掛けられた自殺爆弾でラジオで制御されたやつを無視したかも知れぬ。これは捕獲されたとき船を破棄するために使われる。最後の手段でなければ部隊がこれをおれに使いはしないだろう。しかしとにかくはずしておくことは必要だ。  爆弾はエンジン塔載[#ママ]時に組み込まれており、外被の中に堅い塊りとしてとりつけられてあった。ふたは簡単にとれたが、中には回路が迷路のように走り、厚い金属にねじ込まれたヒューズにすべてつながっていた。それの頭部は大きな六角型で、ドライバーを頭にとりつけてせまいところで回そうとして、こぶしをすり傷だらけにした。悪戦苦闘のすえやっとはずした。それは導線からぶらさがり、死の牙から引き抜いた神経のようだった。  するとそれは大きな音をたてて爆発し黒い煙が立ちこめた。  おれは異常ともいえる平静さで、うすれていく煙の雲からそれがもと仕掛けられてあった所の暗い穴に目を移した。これは船とその中味を塵にしてしまったはずだ。 「インスキップ」おれは言ったが、のどがかれて言葉にならなかったので、もう一度言わねばならなかった。 「インスキップ。お前の伝言は受けとったぞ。おれを首にしたつもりなのだろう。どっこいおれの方から特殊部隊へ辞表を出してやるから受け取れ!」 [#改ページ]   9  なんともいえず気がせいせいしてきた。おれはまた自分をとり戻し誰に対しても責任を負う必要はなくなった。おれは超光速航行をやめて、テープ収納庫から任意にとり出した航行経路テープによって飛んだ。こうすれば迎撃される心配もないし、また本部から充分遠く離れたあとは新しい航行経路をテープに入れることができる。  どこへの経路だ? まだはっきり分かっていない。少し調査が必要だろうがやることは決まっているのだ。アンジェリナを探すことだ。ちょっと考えると、部隊がおれにやらせることを拒絶した仕事をやるのは少しばかげているように見える。それはやはり部隊の仕事だ。だがよくよく考えるといまでは部隊は何の関係もない。アンジイめがおれにいっぱいくわせて、鈍物賞メダルをおれにくっつけた。こんなことを<するりのジム・ディグリッツ>にやって、そのままでおれると思うのか。エゴと呼べば呼べ。おれのような商売をやっていくのに、唯一の支えとなるものがエゴなのだ。それをとりのぞいたらお前はもぬけのからだ。あの女を見つけたらどうするか、なんとも決めかねている。警察に引き渡すか。このような連中のいるおかげで、おれたちの商売が悪くいわれるのだ。料理の心配は魚を獲ったあとでいいのだ。  計画が必要だ。それでもろもろのものを取り出して準備を進めた。船に葉巻が積んでないと思って一瞬ぎょっとした。補給装置がうなって冷凍室の隅の方から箱を出してきた。葉巻をしまっておくのにすすめられる方法ではないが、無いよりははるかにましだ。ニールセンは強いアカビットの銘柄のやつを好んでいたが、おれはそれをのむのに苦情は言わない。足を上げてふんぞり返り、のどをうるおし、葉巻をふかして、計画についてシンクボックスを作動させた。  まず初めに、アンジェリナが逃亡を計った時の立場に自分を置いてみる必要がある。その場所に実際に戻ってみたかったがそれほどおれも愚鈍ではない。現場には砲をぶっぱなしたくてむずむずしている軍の船の一隻や二隻は必ずいるだろう。しかしながら、これはコンピューターにやらせるような種類の問題なので、おれは宇宙戦闘が起こったすべての地点の座標をコンピューターに送りこんだ。これらのデーターについては、おれは何もメモの手助けをかりなくてもよい――おれの前頭部に火の文字となってきざみ込まれているのだ。コンピューターは大容量のメモリーを持っており高速走査ができた。特定の地点から最短距離にある星を尋ねたら、コンピューターはうれしそうにぶんぶんと鳴り、そのカタログから数字をはき出した。最初の一ダースばかりの星をとりあげ、あとは距離が巨大になりすぎ関連がうすいと思われたので機械を切った。  さてここで、おれはアンジェリナが考えたと同じように考えなければならない。おれは追われておりせきたてられている。おれは人殺しで、たったいま自分で手を下した十二個の死骸が、まわりに積み重なってある。あらゆる方向に敵がいる。女は盗んだ巡洋艦のコンピューターから出した同じ星のリストを持っているはずだ。さて――どこへだ? 緊張と速度。どこかへ行くことだ。ここから離れたどこかだ。リストを一見すれば答えは明らかのように思える。最短距離にある二つの星は同一象限にあり、互いに十五度の角度をなしていた。この二つの星はほぼ等距離にあるといってもよい。非常に重要なことは、第三番目の星は別の星区にあり距離も二倍以上あった。最初の二つの星に向かって行くのが順当な方法だ。それは緊急な時に決定しなければならなかったことであり、堅実なやり方だった。他の船が見つけられるような太陽や世界や航空路にまっしぐらに行く。どの惑星でもそれへ近づく時には巡洋艦は放棄しなければならぬ――早ければ早いほどよい。銀河のあらゆる船は巡洋艦を探しているのだから。それで他の船をみつけ――X号としよう――それを捕獲する。巡洋艦を放棄して……何をするのか?  おれのかぼそい論理の糸はここでぷっつり切れそうなので、さらにアカビットと新しい葉巻で強化を計った。おれは眼を半分閉じて瞑想にふけり、航行を再建しようと努めた。新しい船を押さえて――惑星に向かう。宇宙で一人ぼっちでいる限り、アンジェリナはいつも危険にさらされている。惑星に降り立ち容姿を変えることは必要だ。カタログで目標とする二つの星をみた時に、どちらをとるかははっきりしていた。フライバーという野蕃なひびきを持つ星だ。  二つの太陽のまわりをめぐる半ダースばかりの植民惑星があった。だがこれはすべて簡単に除外した。植民の密度が薄くよそ者はすぐ分かるか、また緊密に組織化されていて気づかれずに長くいることはとても不可能かの、いずれかだった。フライバーにはこれらの困難は全然なかった。それは連合に二百年あまり加盟しており、かなりごたごたした状態だった。新しいものと旧いもの、接触前の文化と接触後の文明の混淆だった。女がこっそりとしのび込み、新しいよそおいで現われるまで姿をくらませているのには理想的な場所だ。  この結論には二重の喜びがあった。これは生存のための心理訓練以上のものだ。なんとなれば、おれ自身がアンジェリナが置かれていた立場とほとんど似たような立場にいるからだ。船の廃棄爆破装置の件から考えてみると、部隊はその船を極めて重要視しており一脱走者の価値は極めて軽視されているのだ。フライバーはおれにぴったりの場所だ。酒びんを飲みほし、乾燥した葉巻で口を少しやけどして、おれはいい気で床についた。  目がさめて意識がもどってきた時には、歪曲《ワープ》空間から出て新しいコースをとる時間だった。  その前にやることが一つあった。おれはささいなことを数多く知っていたが、これは部隊では気づかれなかった[#「なかった」に傍点]ものだ。そのうちの一つ――普通ワープ航行の技術者だけに興味あることだ――が、ワープ空間での輻射が奇妙な伝播をすることに関係している。特にラジオ波がそうだ。どこにも伝わらないのだ。一つの波長で放送すると、すべての波長で強い信号が返ってくる。ちょうどラジオ波が細くしぼられて、それがまともにはね返ってくるようなものなのだ。普通は興味のあるものではない。この奇妙な現象は、船の盗聴器を見つけ出すのにおあつらえ向きなのだ。〈特殊部隊〉は過少評価できない。それに用心のために自分たちの船に盗聴器をとりつけておくのは理屈に合っている。狭い波長帯で発信するかくしラジオがあれば、おれがどこに行こうと部隊はすぐにあとを追って来れる。近くの惑星に行く前にぜひとも見つけ出さねばならぬものだ。  スピーカーからきいきいがあがあという音が出て、おれは前の雇用主をのろった。何が信号を出しているのか分からなかったが、それは弱すぎて離れた所ではひろえなかった。遮蔽板を使って急いで作業すると、その音はレシーバー自体からもれているのが分かった。遮断してしまうと静かになった。これで安心できてワープから出た。  コースをいったん決めると旅行は長くかからなかった。この機会におれは船の装備をすみからすみまでひっかき回して、のちの使用に備えて用具一式にまとめ上げた。入念な扮装と風采改変機械はもちろん使った。〈するりのジム〉をまたこしらえ上げるのはまったく楽しかった。鼻栓とほおわたをとりつけ髪を染めると幸福で気分が落ちついた。 そして昔なじみの軍馬はまた仕事にかえってきたのだ。  それから鏡にうつったおのれの姿におれはしかめ面をし怒り声を上げ、変装をした時と同じようにまた入念にそれをとりのけた。この仕事にはのんびりすることはないというのは、もうおれの身についた格言的なもので、安直に機械的にやったようなことは、大抵破滅のもとなのだ。インスキップはおれが仕事をやる時の昔の変装については知りすぎるほど知っている。それで連中が探しているのは、通常の容姿の時のおれと改変した時のおれとなのだ。二回目にはもう少し注意を払って変装し、全然異なった容姿のものをこしらえ上げた。単純なやつだ――顔と髪を変える――これなら楽に保てる。こしらえが入念であればあるほど、それを正確に維持するのに時間がかかる。フライバーはいまのところ大きな疑問符なので、このようなことで余分な負担を負いたくはなかった。とにかく気楽にあちこちかぎ回って、アンジェリナのあとをつきとめられるかどうか知りたかったのだ。 ワープ航行からさらに二日間があった。おれはこの時間を利用して手軽に使える簡単な小道具類の作成にかかった。ピン頭手榴弾、ネクタイ留めピストル、指輪ドリル――など、ありきたりのものだ。船の信号が旅行の終りを告げたとき、おれはくずものをはき捨て作業場を掃除するだけだった。  地上の誘導施設をもった宇宙港のある都市は、フライバーでは一つしかなく、それはフライバーバッドという名だった。そしてこの惑星でかなりの規模をもった唯一の淡水湖の岸に位置していた。その湖が太陽の光線を反射しているのを見ておれは急に泳ぎたくなった。この強い衝動は、盗んだ船を沈めようというおれの考えがその源をなしているに違いない。湖の深い所に船を残しておく。必要なときには楽に手に入る。  おれはそそり立つ山脈を越えて降り、レーダーは何も捕えなかった。暗くなってから湖上に出て、空港からの誘導レーダーを感知した。沿岸にあまり近くは寄らなかった。雨が吹き荒れて見通しがさかず、泳ぐ気持もなくなった。岸からあまり離れていない所に深水部があり、その上に着水して携帯道具類をとりまとめた。あまり多くを持ち込むのはおろかなことだが、この装置類のうちには残しておくのがもったいなさすぎるものがある。防水袋に入れて、宇宙服にひもでとりつけ気閘をあけた。雨と暗黒がおしかぶさってきて、おれは見えない岸に向かってのり出した。船がゆっくりと背後で沈んでゆくのが、聞こえるというよりはむしろ想像でその昔を聞いた。  宇宙服を着て泳ぐのは、自由落下中に女をだくほどの悪戦苦闘だ。おれはやったらめたらに水をかき分け、岸に着いた時はへとへとで動けなかった。やっと宇宙服からはい出し、テルマイト爆弾三発でそれが灰になるのを見るのはうれしかった。とくにもえかすを湖に蹴込むのはうれしかった。雨が瀧のように大地を叩き痕跡をあとかたもなく洗い流した。テルマイトの強烈な光も大雨で見られていないはずだ。防水シートの下でちぢこまってあわれな状態で夜明けを待った。  いつか夜半に寝に落ちたらしく、目がさめた時には明るかった。何か変だ。何がおれを起こしたのか思い出そうとする前にまた声がした。 「フライバーバッドへ行くのか? 他に行くところもないしな。わしもそこへ行くんだ。船があるぞ。古いけどいい船だぞ。動きまわって……」  声が次から次へと続いていた。だがおれは聞いていなかった。このだらだらしたおしゃべりをするおどけ者に不意をつかれたことで、おれはほぞをかんでくやんでいた。その男は岸に近い所に小さな船を浮かべていた。荷物をたくさん積んで吃水が下がっていた。そして男の頭がすべてのものからとび抜けて上に出ていた。そいつのあごが動いている間に男をよく観察する機会を得て、ねぼけた感覚をしゃんと立て直した。ひげが生えほうだいであらゆる方角につっ立っており、これほどよれよれの帽子は初めて見たがその下に小さな黒い眼があった。不意をおそわれて狼狽した気分もいくらか収まってきた。この風変りな男がわなでないとしたら、ここで偶然に会ったこともうまく利用できるかも知れぬ。  毛むくじゃらな顔がその長話に一息入れた時、おれは申し出を受け入れふなべりを持って引き寄せた。おれは荷物をつかみ――手は銃床において――船に飛び込んだ。用心する必要はなかったようだ。ズグ――これが男の名前で、やっこさんの長々とした話の中からつかんだ――は、船尾にとりつけた船外モーターにかがみこみ始動した。それはくたびれたような原子熱交換機で単純だが効率的だった。可動部分はなく、冷たい湖水を吸い込み沸騰させ水面下のジェットから噴出させる。動いている時に音はほとんどしない。おれの眠りをさまさせずにすべり寄ってきたのはこのせいだ。ズグについて不審なところは全然ないように見えた――それでもおれは完全には信用せず、銃は手のとどくところに置いていた――しかし、これがなんでもないならおれは幸運をつかんだことになる。言葉は奔流のようにおれの上を流れていったが、そのわけがだんだんと分かりかけてきた。男は狩人で何か月ものわびしい一人暮しのあと、獲物をもって市場へやって来ているのだ。人間の顔をみたとたんに、おしゃべりの下痢のようなものを引き起こしたらしく、おれもそれを止めようとはしなかった。おれがいろいろ聞くことに大いに答えてくれた。  おれが一つ気になっていたことに衣服のことがあった。最後には決心して普通の灰色をした船内用の上下つづきを着ることにした。こういう種類の外衣は、銀河系を通じてどこの惑星でも大体似たりよったりだった。ズグも気づいていなかった。第一ズグ自身が衣服愛好家などというものからほど遠い存在だったので、それはたいしたことではなかったのだ。男の着ているジャケットは、田舎でとれた毛皮を使っての自家製のようだった。それは紫がかった黒色をしていたが、脂やすり傷がしみ込まぬ前はきつときれいな色をしていたに違いない。ズボンは機械織の布でできており、長靴はおれと同じくプラスチックでできたやつだ。こんなかつこうでこの男が歩き回れるなら、おれの服装は目立つことはまずない。  ズグの道具類から得た印象は、その衣服から得た感じを裏書きするものだった。新旧ごちゃまぜなのだ。連合の一員としてあまり長くないフライバーのような世界では、このようなことが予期されるのである。静電気ライフルが石弓用の鋼鉄太矢の束にもたれかけてあるといった調子だ。当地の〈荒野に呼ぶ者の声〉は、どちらの武器も巧みに使えるようだ。おれは柔らかい包みものの上に腰をおろし、絶え間なく語りかける言葉をあびて、船旅と霧のかかる夜明けの景色を楽しんだ。  昼前にフライバーバッドに着いた。ズグは話しかけられるより、自分で話す方に熱心で、おれがばくぜんと市へゆくつもりだといったような話で満足していた。おれの包みにあった濃縮食糧がひどくお気に召して、お返しにズグが山のかくれ家で蒸留したすごいやつをすすめてくれた。たいへんな味で、口の中が硫酸にひたした綱鉄線の束でひっかかれたような感じがした。二、三杯ひっかけると感覚が麻痺してあとは愉快な旅だった――そして市の郊外にある魚くさい波止場に船をつないだ。船から上陸するときはもう少しで船を沈めてしまうところだった。そしてそれがけたたましくおかしかった。その時のわれわれの心理状態をご推察願いたいものだ。おれはまっすぐ市の中心部に出かけて、頭の冷えるまで公園で腰かけていた。  ここでは新旧が肩を並べていた。玄関をプラスチックで飾ったビルが、棟瓦と石膏の建物にはさまれていた。鉄やガラスや木や石がまったく無関係にまざり合っていた。人々も同じことで、いろいろな型やスタイルのものが奇妙に入りまじったものを着ていた。その人たちもおれのことにはほとんど気をとめなかった。おれに呼びかけて注意を向けさせたのは、新聞売りロボットだけだった。おれの耳にうるさく呼びかけたり、記事見出しを印刷したものをひらひらさせ、新聞を買ってやっとおっぱらった。連合の貨幣はこの地方のものと同様に通用しており、ロボットの胸の穴に一クレジットをすべりこませても異議をとなえなかった。もっともロボットはフライバーのギルデン貨でつりをくれたが――べらぼうな交換比率であることには間違いない。とにかくおれがロボットにプログラムするなら、そうやったに違いないやり方だ。  ニュースはたいしたこともなくつまらなかった――広告はもっと面白かった。大きなホテルを一覧してその提供する娯楽と価格を比べてみた。  このことで、身体がふるえ出し怖れで冷汗が出だした。われわれは人生で生得の習慣というものを、いかにすみやかに無くしてしまうかということだ。法と秩序の側にたった一か月いたばかりで、おれは堅気の人間のようなことをやろうとしている! 「お前は犯罪者だぞ」おれは歯をかみしめてうめき、つばをはかぬこと≠フ表示板につばをはきかけた。 「法律をにくめ、そして無法の生活を楽しめ。お前は自分自身が法なのだ。お前ほど正直な人間は宇宙にいないのだ。お前は自分次第で規則を決め、変えたいときは都合のいいように変える。だから規則を破るということはあり得ない」  こいつは本当のことだ。これを忘れていた自分がいやになった。部隊で過ごした正直な短い期間が、おれの反社会傾向の全部を破壊するように作用している。 「悪事を考えろ!」おれは大声でわめいた。ちょうどかたわらの通路を通りかかっていた娘さんがびっくりした。その娘がおれの言ったことを間違いなく聞いたのを確認するため、横目でじろりとにらむとあわてて立ち去ってしまった。これでいいのだ。同時におれも娘の去った方角とは反対の方へ、悪事をする機会をみつけるために出かけた。アンジェリナを見つけようとする前に、おれは自分の正体をもう一度こしらえ直さなければならない。  機会は簡単に見つかった。十分以内におれは自分の目標をみつけた。必要と思われる器具は全部上着に入れてあった。仕事に使うものはポケットと腰の札入れにいれてある。それから荷物は公衆ロッカーにあずけた。  フライバー第一銀行は、なにもかもどうぞ金庫破りをやって下さいと言っているようなものだった。入口が三つあり、四人の護衛がおり、人で混雑していた。四人の生身の人間の護衛だ! もし電子防禦設備があれば、人をやとって給料を払うような銀行はないだろ。人間《ヽヽ》の行員の前に列をなして並んでいたとき、楽しさで鼻歌が出かかるのを押さえるのに苦労した。全自動化された銀行を盗むのはむつかしくない。ただ違った技術がいるというだけだ。人間と機械のまざったのは一番やりやすい。 「連合の十スター貨をギルデンに両替願います」おれは行員の前のカウンターにぴかぴか輝く硬貨をぱちんと置いた。 「はい」出納係は硬貨をちらりとみて、自分のそばにある会計機に投げ入れた。出納係は貨幣有効《ヽヽヽヽ》の信号がまたたく前に、もう両替用のギルデン貨を用意していた。おれのかねは受け口の中をころころと下って行き、おれはゆっくりとかねを数えた。これは機械的にやった。なぜならおれの心はすでに機械の中をころげ下っている十スター貨の上にあったからだ。硬貨が旅を終えて地下室に着いたに違いないと思われたとき、おれは腕につけた発信機のボタンを押した。  それはすばらしかった。すばらしいという言葉以外にいいようがない。それは記憶のなかにほのぼのとした輝きとしてとどめ置かれ、思い出すたびに幸福のうずきを与えるようなものだった。この小さな十クレジット硬貨を仕上げるのには何時間もかかった。まず硬貨を半分にして、中をえぐり小さなラジオ発信機とヒューズと爆薬をうめ込み、鉛を入れてもとのものと同じ重量に仕上げた。これが極めて満足すべき状腰で爆発したのである。がたんがたんとすさまじい音がして、銀行の内部深くではらわたにしみとおるような音がひびいた。背後の壁――金庫室のあるところ! が、ぽかんとあいてかねと煙をどっとはき出した。寿命が尽きようとしている会計機が最後の努力を払って、おれに予期しなかった配当をくれた。出納係すべての所にある金銭支払機が狂気のように活気を呈した。大小硬貨が奔流のようにふき出し、きもをつぶしたお客もすばやく驚きをおさめるとつかみどりにかかった。だがお客の喜びもつかの間だった。おれは前もってごみかごに発煙弾とガス弾をなげ入れており、同じラジオの合図でこれらが爆発したからだ。大さわざの中で気づかれぬように、出納係の方へさらに数発ガス弾をなげこんだ。このガスはおれが自分で調合した嘔吐と催涙性をもった効果的なやつだ。その効果は即効で強力だ。(もちろん、銀行には子供はいなかった。自分を守るには幼なすぎる子供たちに残酷なことはしたくないのだ。)数秒もたたないうちにお客も使用人も目がみえなくなり、おれのことなど気がつかなくなった。  ガスがおしよせてきたときおれは頭を低くし保護めがねをかぶった。立ち上がって見渡すと、銀行内で目が見える者はおれだけだった。鼻に入れたフィルター栓で注意深く呼吸し、最後のごちそうをいただくことにした。おれの担当の出納係はいなくなっており、カウンターのあいた所を身を横にして入りこんだ。  このあとは選んでとり上げるだけのことだった。とにかくひろい上げるのには困らぬだけのかねが散らばっていた。小額のものには手をつけず、おおもとのやつで割れた金庫からころげ出た黄金だ。二分以内に持って来た袋を満たし立ち去る準備ができた。ドアのところの煙が少しうすれてきたのでまた数発投げこんだ。  万事統制がとれ完全に動いていた。ただ一人ばかな護衛がいて嫌われ者になっていた。そのお粗末な頭脳で何か変なことが起こっていると感じたらしい。そこらでもがきながらめくらめっぽうに銃をぶっぱなしていた。誰もけがをしなかったのは奇跡だ。おれが銃をとり上げそれでもって頭にくらわせた。  ドアの付近では煙がもっとも濃くて外が見えなかった。外からももちろん内部が見えなかった。そこで通りにいた者はなかで何が起きているのかは分からなかった。もちろん何か[#「何か」に傍点]変事が起きていることは知っており、警官が二人、銃を引きぬいて飛び込んで来た……だが、他の者同様、どうにもならなかった。おれは被害者たちの救助活動を始め、ひっぱったり導いたりしてドアのところへ連れて行った。かなりの人数が集まったところでおれはその中にまぎれ込み、通りへ一緒になってはい出して行った。防護めがねはポケットへしまい、ガスのない所まで手探りで逃げ出すまで目を閉じていた。親切な市民がおれを助けてくれて、おれは残りガスのせいで涙をながしてお礼をいって立ち去った。  ざっとこんなものだ。前もって計画しておき、ばかな危険をおかさなければいつもこんな風に楽にやれるのだ。意気は高揚し血はさわいだ。人生は微妙に悪事で色どられまた生きるに価値あるものだ。アンジェリナの手がかりを見つけるなどぞうさもないことだ。おれにできないことなどないのだ。  気分の高まりの絶頂で、おれは空港近くの航宙士用のホテルに部屋をとり、身だしなみをととのえて人生を享楽するために出かけた。このあたりはもぐり酒場がいっぱいあり、おれはひとわたり回ってみた。一軒でステーキを食い他の店ではそれぞれ一杯ずつやった。もしアンジェリナがフライバーにやって来ておれば、このあたりは通って――さあっとでも――いるはずだ。これは直感的なことなのだ。おれがまた悪党に立ちもどったことから追われる女自身の気持をおしはかってのことだ。 「いっぱいおごってくれない?」売春婦が気のない声で呼びかけ、おれもおなじように興味のない様子で頭を振って断わった。夜更けとともに青ざめた夜の生物のホステスたちが出てきだした。おれは休暇中の航宙士――この女たちのおとくいさきなのだ――に見えるように振るまってきており、ずいぶんとさそいをかけられた。おれにさそいかけてきたうちの最後のものがこの女だった。ほかの女よりはずっと美人でとにかくいいプロポーションをしていた。おれは感嘆の気持で女に気を引かれて歩き去るのをみつめていた。女は両側に深く切れこみのあるぴっちりと身についた短いスカートをはいていた。ハイヒールが腰のゆれを助長しすばらしい効果をかもし出した。女はバーに着いて内部を見渡した。女のその他の部分にも気を引かれずにはおれなかった。着ていたブラウスは、光沢のある繊維の細いひもでできており、その上部と下部だけがつながっていた。女が動くと白磁の膚がさそうようにちらちらとこぼれ出た。そしておれの男性自身に欲望をもたらしたことはたしかだった。  おれの眼が最終的に女の顔に移った――女のくるぶしから始まって長い眼の旅を終って後のことだ――とても魅力的だった。どこかでみたような……。  この瞬間、おれの心臓は胸中でどきんと音をたてた。そしておれは椅子の中で体が硬直した。あり得ないことだった――だがまぎれもない真実なのだ。  女はアンジェリナだった。 [#改ページ]   10  髪は漂白して、その容姿には手のこまない変化を加えているのがはっきりとみてとれた。写真や人相書きからでは見つけ出すのは不可能な程度にかえてしまっていた。とても見破れはしない。  つまりおれ以外はということだ。おれは盗まれた船の中で女を見ておりまた話しかけもした。都合のいいことに、おれは女が分かったが女はおれが誰かは考えもつくまい。女はおれを――着色した面おおいをつけた宇宙服姿――を、ちらりとみただけで、それもいっぱい他に考えることがあった時のことだ。 これはおれの生涯でもっともはなばなしい成功の一時だ。安酒場のくさい臭いもおれの鼻孔にワインのようにただよった。おれは気分をほぐしこのような皮肉なめぐりあわせを堪能した。ところで女にかねをやらねばならぬ。女は完全に変装している。おれ自身は女がここにとどまっていようとは思ってもいなかった。そしておれはすべての可能性を考慮してきたと思っていた。なぜなら女は盗んだかねを充分に持ちこんでいるし、一文なしの売春婦のような生活を送っているとは考えも及ばなかった。女は根性がある。これは誰もが否定できない。女はほとんど完全に身をくらませて目立たぬところにとけ込んでしまっていた。あんな人殺しでなければ――われわれ二人はすばらしいチームを組めるのだが!  今夜二度目の心臓のどよめきを感じた。それは情熱のたかぶりがおれを導く最後のところを考えた時のことだ。アンジェリナは近づく者全部に破滅をもたらしている。あのかわいらしい形の頭の中には、極めて知的で奇妙にゆがんだ頭脳がいすわっている。おれ自身のためには女の容姿のことはおあずけとして、女が積み上げた死体のことを考えて遠ざかった方がいい。やることは一つしかない。ここから連れ出し部隊に女を引き渡すことだ。部隊におれがどんな気持を持っていたかも考えなかった――または部隊がおれをどう思っているかもだ。これはそれとは全然違った事柄なので、おれの気が変らぬうちにいそいで手ぎわよくやらなければならぬ。  おれは酒場で女と一緒になって、地酒のすごいやつを二杯注文した。用心しておれは声を太くして、アクセントとしゃべり方を変えた。アンジェリナはおれの声はすぐ分かるほど充分に聞いているのだ――これはよくよく気をつけねばならぬことだ。 「さあ、空けて」おれはグラスを差し上げ女を横目でみながら言った。 「それからきみのところに出かけようぜ。部屋はあるんだろう?」 「部屋はあるわ。あんたは連合の十クレジット玉があるの?」 「もちろんだ」気を悪くしたようによそおって苦情を言った。「わたしが安物酒しか買わぬと思っているのか?」 「あたしゃ勘定はお帰りに≠フカフェテリアじゃないのよ」けろりとした調子で女は言った。 「いま払ってよ。それから出かけるわ」  おれが女の方へ十クレジット貨をぴんとはね上げると、女は空中でさっとつかむと重さをはかり、かんでみてベルトの中にすべり込ませた。おれはぽかんとして見とれていた。おれが肉欲にかられてみとれていたと女は誤解したかも知れぬ。本当は女が自分の役割を完璧にこなしていることへの賞讃だったのだ。女が向こうをむいた時にだけ、これはお楽しみではなくて仕事なのだとおれは自分にいい聞かせた。おれは遂行すべききびしい任務を背負っているのだ。おれの決心はぐらつき、宇宙にただよっている死骸を思い出してはいま一度心にしっかととめた。酒を飲みほし微妙にゆれ動く女の腰のあとについて酒場を出て、くさい臭いのする横路を行った。  暗く朽ちはてた路地を歩み始めて急に神経の緊張を覚え始めた。アンジェリナは自分の役をうまくこなした。だがこの港に着いた宇宙の浮浪人ども全部と寝たとは考えられない。男の共謀者がいる可能性が強い。重大な目的を遂行するのに右腕とも頼れるような奴だ。もっとも、おれは疑い深いのかも知れない。おれの手はポケットに入った銃にかかっていた。しかし使う必要はなかった。路地を横切りまた別の路に出て、やがて建物の玄関にさしかかった。女が先に立ちわれわれはだまっていた。誰も近くに来ず気にもとめなかった。女が部屋のかぎをあけた時おれは少しほっとした。部屋は狭くてけばけばしかった。だが共犯者がかくれているような場所はみあたらなかった。アンジェリナはベッドの所にまっすぐに行き、おれはドアにまちがいなくかぎがかかっているかどうかを調べた。かぎはかかっていた。  振り向いた時、アンジェリナは七五口径無反動自動銃でおれにねらいをつけていた。銃はおぞましく大きいやつで、女はかぼそい両手でささえていなければならなかった。 「いったい何の脅迫だ?」おれはぞおっとしてくる気持を抑えてどなり返した。この一連の仕事のどこかで、重要な手掛りを見のがしていたのだ。おれの手はポケットの銃にかかっていたが、これを引き抜くのは同時に自殺を意味していた。 「あんたの名前すら知らなくて、あんたを殺すつもりよ」ちらりと白い歯をこぼして、なまめかしく笑って女は言った。「わたしの戦艦作戦をつぶそうとここまでわざわざ出かけて来たのね」  女はまだ射たなかった。だが女の微笑は広がり笑みくずれかけた。女はおれの狼狽した表情を楽しんでいた。この一連の作業を通じておれはずっとだしぬかれていたことをやっとさとった。わなを仕掛けたものが、仕掛けられたものになったのだ。女はおれを捕まえたいと思っていたその場所ずばりのところでおれを捕まえた。しかしおれには指一本手出しできないのだ。アンジェリナはついに哄笑した。おれが次から次へとほぞをかむような結論に達していくのをながめながら、女は銀の鈴のようによく通る魅力的な声で笑った。女の指先は芸術家のそれだった。おれは[#ママ]すべてを理解するだけの時間を待っていた。それからおれが最大限の理解と絶望に達したその瞬間に引き金を引いた。  一度だけではない。何度も何度もだ。  おれの心臓めがけて四発の弾がぶち込まれた。そしてさらに一発が眉間をねらってうち込まれた。 [#改ページ]   11  意識したというものではなかった。何か赤い痛みを伴ったぼんやりとしたものだった。困ることはおれの眼がとじており、あけようとすれば信じ難いほど困難だったことだ。やっとのことで眼をあけたが、おれの上のほうで顔がぼんやりと動いているのが分かった′、 「どうしたんだ?」ぼんやりしたものが尋ねた。 「おれも同じことを聞きたい――」と言ってやめた。自分の声のふわふわとしてかぼそいのに驚いたからだ。何かおれの唇をこすったものがあり、それが向こうへいくとき赤くそまった布が目に入った。  またたくと眼にものがうつり、ぼんやりとした顔が白衣を着た若い人になった。医師だなと思った。そして身体が動くのを感じた。救急車で運ばれているのだ。 「誰が射ったのか?」医師が尋ねた。「銃声を聞いて知らせたものがいた。きわどい時にわれわれがかけつけたのだと聞けば、あんたもうれしく感じるだろう。多量の血液を失った――そのうちのいくらかは、わたしが補給した――橈《とう》骨と尺骨の複雑骨折、前膊部に広範にわたる弾丸による負傷、さらに右頭側部負傷、頭蓋骨骨折のうたがい、肋骨の骨折は問題ない、また内部損傷のうたがいもある。あんたにうらみをいだいているものがいるのかね? 誰だ?」  誰? おれの可愛いアンジェリナ、それが誰≠セ。妖婦、魔女、人殺し、それがおれを殺そうとした。思い出したぞ。宇宙船すら入りこめるかと思うほど巨大な黒い銃口だった。その口からふき出る火、おれにたたきつけられた銃弾、そして痛みだ――着用していた高価な防弾下着が、弾丸の衝撃を吸収しておれの身体前面にわたって散らしていった時のことだ。いままた思い出した。これで女が満足するだろうと思ったときのこと、煙の立つ銃口がおれの顔に向けられてきたときの絶望感とだ。  おれは両腕で顔をおおい、のがれようと身を横になげ出した痛恨の最後の一瞬をおもい出した。  おかしなことだが、のがれようとした試みはうまくいった。おれの前膊をくだいた弾は骨で方向をそらされ、頭蓋骨にまともに当りえぐりぬくかわりにかすっていったらしい。これで充分な出血もあり床には動かない身体が横たわっていた。アンジェリナはこれで誤りをしでかした。唯一の誤りだ。小さな部屋にひびきわたった銃声、おれの死骸、血。こんなものがアンジェリナの女性的な部分を――ちょっとだけでも――ゆるがせたに違いない。銃声を調べに来る前に急いで立ち去らねばならぬので、死亡を確認する多少の時間もとれなかったのだ。 「横になって」医師が言った。「おとなしく寝ていないと、一週間は起き上がれないような注射を打つからな!」  そう言われてみて初めて、おれはたんかの上で半分起き上がりげたげたと笑っているのに気がついた。おれは押されて簡単に横にさせられた。動くたびに胸は激痛にあふれたからだ。  ちょうどその時、この状態を有効に利用しようという考えが心の中にわいてきた。女はおれが死んだと思っているし、おれは生命をとりとめている。この幸運を利用する方法はないものかと思い、苦痛をがまんして救急車の中を見渡した。  やがて我々は病院に着いた。救急車の中ではやることもあまりなかった。おれの頭上にあった網棚から筆記用具と公文書の様式類を盗むぐらいのことしかできなかった。右腕はまだ大丈夫だった。もっとも動かすたびに火がついたように痛んだ。ロボットがたんかについた車輪を引き出しそれを押して内に入った。医者のそばを通ると、その医者はおれの顔の近くにある入れ物に何か書類をさしこみさよならと手を振った。おれは屠殺場へごろごろと入って行く時、派手に笑みを浮かべて返礼した。  医者が見えなくなるとすぐに書類を引き出しさっと目をとおした。もし充分時間があれば掴める機会がここにあるのだ。医師の報告書があった――四部だ。これらの書類が機械にかけられない限りおれは存在しない。おれは自分の枕を廊下にほおり出した。するとロボットがとまった。おれが書いているのに一向注意も払わないし、枕をひろい上げるのにさらに二回もとまり、おれが偽造しおわるのに充分な時間を与えるのをすこしも気にしなかった。  この医師のムクヴブクルツ――とにかく署名はそんな風に読めた――は、書類のサインの仕方を学ぶ必要がある。報告書の最後の行と署名の間に、数エーカーもあるような空地を残している。ここのところにおれは医師の手書きをまねてうまうまと書き込んだ。内部出血多量[#「内部出血多量」に傍点]、ショック症[#「ショック症」に傍点]、……移送中に死亡[#「移送中に死亡」に傍点]、と書いた。これで公文書として充分だと思うが急いで書き加えた。 |あらゆる手当は無効《オール・アテンプツ・リサシテイション》、意識回復《フェイルド》せず≠アの舌をかむような単語の緩りにちと不安を感じたが、ムクヴブクルツ医学博士は複合(multiple)≠ノPが二つあると思っているのだから、ここでも書き違えると期待されてよい。この最後の文句を加えておけば、やれ注射だ電気刺激だとか、死骸を蘇生させるような大騒ぎはなくなるのは間違いない。おれが書類を書類入れに戻し死んだふりをして寝たとき、ちょうど廊下をまがって出た。 「到着時死亡≠ェあるぞ、スベンド」おれの頭のうしろで、誰かが書類をがさがさいわせながら呼びかけた。ロボットがすべり去って行くのを聞いた。書いたり枕を投げだしたりした自分の患者が急に死んだという事実にもすこしもとらわれなかった。この好奇心の欠除というのが、おれがロボットの好きなところだ。おれは自分では死んだつもりでおり、顔には死んだ様相が現われていることを願った。何かがおれの左足を引っぱり靴と靴下が脱がされた。手がおれの足をつかんだ。 「かわいそうにな」この心やさしい男がいった。「まだ温いぞ。手術台にのせて蘇生班を呼んでこようか」なんてさわがしくて、口先のうまいおせっかいな男なんだろう。 「いや」もっと利口で冷酷な声が部屋の向こうから聞こえてきた。「救急車の中で処置はしたのだ。冷凍室に入れてしまおう」  すさまじい痛みが足から伝わってきて、おれはあやうくこの芝居全部をおじゃんにするところだった。この無骨者がおれの足の親指に針金を思いきりぎゅうと巻きつけた。その間、動かないでじっとしているのは、並たいていの自制心でできることではなかった。針金には名札がぶらさがっていた。この男の耳に同じ針金でしぼりつけて、同じ名札をぶらさげてやればよいのにと心から思った。親指からわきあがってきた痛みは、胸と頭と腕の痛みと重なり、たんかが動いて行く間、死骸が硬直したような形になっておれは痛みと闘った。  おれのうしろの方のどこかで重いドアがあいて、こごえた空気の波がはだにあたった。おれはすばやく目を配ってみた。もし死骸がこの肉切り屋で個々の冷凍庫にしまい込まれるのなら、おれは急に生き返ることになるはずだ。ドアのハンドルが外側についているアイス・ボックスの中で死ぬよりは、もっともっと楽しい死に方を考えることができる。幸運の女神はまだおれのそばについていてくれた。というのはおれの足の親指しぼり屋は、たんかごとおれを引っぱって大きな部屋に行った。あたりにはずっと石板があってその上にかなりの数の遺体がおれより前に着いていた。おれは手荒く凍えた板面に転がされた。足音が部屋の向こうへ去ってドアがしまり電燈が消えた。  この瞬間おれの意気は消沈した。一日分としてはあまりにも多くのことがありすぎた。そしてすっかりたたきのめされ、傷だらけでひきずり回されたのだ。死骸がいっぱいつまった真っ暗な部屋に閉じこめられるというのは、なんとも気の滅入ることだった。胸の痛みと親指からぶらさがっている札にもめげず、板の上からすべり出てドアのところまでよろよろとたどりついた。おれは方角を見失ってぎょっとしたが、壁にまっすぐにぶつかって一安心した。手さぐりでスイッチを見つけ燈火がもどった。もちろん同時におれの神経も緊張した。  ドアはまったくうまく設計されていた。おれではとてもこんなにはできない。窓は全然なく内側にハンドルがあった。かんぬきさえもあった。それで内側からとじられるのだ。いったいどんな気味の悪い理由でこんなことになっているのかおれには想像つきかねた。もっともおれにはプライバシーが必要だったのでかんぬきをちゃんとかけた。  部屋はつまっていたが、誰もおれに注意を払わなかった。最初にやつたことは、針金をほどいてばかになった親指に生命をふきかえさせることだった。黄色の札には大きな黒い字で到着時死亡≠ニ書いてあった。それは手書きの数字でおれが改変した書類にあったのと同じものだ。こんな好機を利用しないという法はない。一番ひどく損傷している男の死骸の足の親指から札をはずしておれのと取り換えた。この男の札はおれのポケットに入れて、ついでにほかの札もあちこち取り換えておいた。こうやっているうちに、でかい足の男の右靴をぬがせて、おれのこごえた左足にそれをつっこんだ。札は全部左足の親指にくっついており、おれは大声でこんなくだらぬ正確さにのろい声を上げた。おれの船内衣と防弾衣が切りとられたあとは胸がむき出しだった。ここにいる沈黙の友人たちの一人が、本人はもう不要になった温いシャツを着けていたのでそれも借りることにした。  これが全部楽々とやれたと、いっときたりと考えないでいただきたい。これをやっているとき、よろよろとして息もたえだえだったのだ。これがすんで電燈を消して冷凍室のドアをそっとあけた。広間から吹きこむ空気が炉のように感じられた。人影はなかった。そこで冷凍室をしめて、近くのドアのところによろよろと行った。それは倉庫のドアで、そこでおれの使えるものは椅子しかなかった。それにしばらく腰をおろして、それからまた探しに出かけた。次のドアには錠がおりており、第三番目はあいたが、内部は暗く誰かがすやすやと眠っていた。これなら何か手に入るぞ。  この眠りこけているものが誰であれその男は眠ることはよく心得ている。おれは部屋中をくまなく探しまくって衣類にぶつかり、なんとかそいつを着こんだ――それでも男はすやすやだった。この男のためにはそれがよかった。何分にもおれは頭が割れるような気分だったのだから。このささやかな事件も珍しくなくなると思われるのは痛みばかりだった。帽子もあったのでこれもかぶっておさらばした。向こうの方に人がいたが誰もこちらを見ておらず、おれは非常口のドアを押しあけて再びフライバーバッドの雨にぬれた歩道に立っていた。 [#改ページ]   12  その夜と続く数日は記憶にさだかでない。自分の部屋に戻るのは一つのかけだがそれは承知のうえだ。アンジェリナがその所在を知らないということは充分に見込まれるし、見つけていたとしてもそれについては何も手は打っていないだろう。おれは死んでいるのだから、いまさらおれに興味もない。これがどうも真実らしかった。部屋に戻ってから何も邪魔されることはなかったからだ。支配人にいいつけて食事と日に少なくとも二本の酒をもって来させた。おれが一人でちびちび酒を楽しむ男と見せかけたのだ。  この混ぜ物をしたインチキ酒は下水に流し、食事は少しつまんで、おれの身体は少しずつ回復してきた。痛みつづける肉体は抗生物質づけにし、痛みどめをうんと詰め込み、おれは運がよかったと思った。  三日目の朝、まだ弱々しかったが人間らしい気分をとりもどした。ギプスをはめた腕は動かすとまだずきずきし、胸の青黒いあざは紫黒色のすばらしい色に変りかけていた。頭痛はほとんどなくなっていた。いまや将来の計画を立てる時だ。排水管を掃除するのに使っていた酒をちょっとすすって、過去三日間の新聞を要求した。旧型の配送管がうなって新聞をテーブルの上にはき出した。注意深く調べていって、期待していたよりはおれの計画はうまくゆきそうなのが分かってうれしかった。  おれの殺人事件があったあとの日、どの新聞にもその記事がのっていた。死骸をちょっとでも確かめようともしない怠慢なぶん屋どもが、病院の記録から抜き出してきたものだ。それが全部だった。〈死骸紛失、病院の大スキャンダル〉とか〈棺の中身は別人と告訴〉などのニュースは何もなかった。冷凍室でのおれのいかさまが見つかっておれば、それは病院内の秘密としてかくしているのだ。  アンジェリナ――おれの愛しい名射撃手――は、もうおれが死んでしまったものと考えているに違いない。おれは女の引き金にかかった危険な指の犠牲者なのだ。おれはできる限り早急に女のあとを再び追っていくのだ。アンジェリナはおれがこの地方の火葬場で脂くさい煙となって消えていったと信じているので、女のあとを追跡することはうんと楽になった。計画を立ててそれを間違いのないものにするのに時間は充分あった。誰が誰を狩り立てているのかといったおかしなことはもうないのだ。アンジェリナが携行大砲でふっとばして得た喜びと同じだけの喜びを、おれは女を捕えることで得ようとしているのだ。  アンジェリナが事の始まりからずっとおれの裏をかいてきたということは、まことに情けないことだが事実なのだ。女はおれの鼻先で戦艦を盗み、銀河輸送に大きな裂きあとを残し、おれの銃口からすらりと逃げ去った。事態を最も困惑させたものは、女がおれをわなにかけたことだ――おれが女を狩り立てていると思っていた時にだ。明白であったことがわかるのが後知恵で、このことはいまや痛いほどはっきりした。捕獲した戦艦から逃げるとき、アンジェリナは冷静そのものだった。あの後はごまかしだったのだ。女はずっとおれを調べていたのだ。見うるおれの顔のすべての部分、おれの声のあらゆる抑揚をだ。憎しみが女の記憶の中におれの姿をやきつかせた。そしておれが後をおってくる時にはどのように考えるだろうかと、逃げる途中ずっと検討していたに違いない。逃走中に最も安全で最も分かりにくい所でとどまって――待っていた。おれがやって来ることは分かっているし、反撃するのに自分のほうがはるかによく準備できていることを知ってだ。これは全部すんだことだ。カードを配るのは今度はおれの番だ。  あらゆる種類の企画や計画が頭の中をかけめぐり、それらをはかって比較した。最優先すべきもの――他に何をやるにしても――ほ、完全な身体の変更だ。アンジェリナに追いすがろうとすれば、これはどうしても必要だ。それからまた、部隊の長い手からのがれていようとすればやらねばならぬことである。おれは肉体的にはすっかりいためつけられていたが、なじみのシンク・ボックスは大丈夫でそれを使うことにした。事実がまず必要だ。そこで使用料という形で市の図書館に小額の寄付を行なった。都合のいいことに、過去数年間にわたり、この地方の新聞全部のフィルム・コピーがあった。ホット・ニュース≠ニ称する赤新聞となじみになった。このホットニュースなるものは大衆受けをねらったもので――おれの見た所では三百語ぐらいの用語で――あの手この手でおおげさに書きたてていた。ヘリコプターの事故とか何とかのようなものが大部分で、もちろんカラー写真入りだった。しかし、なぐったとか首をしめたなどという興味のある事件がしばしば発生しており、この世に平静をもたらそうという銀河文明の手も、フライバーを完全には押さえ込んでいないことを証明していた。これらのこみ入った暴力事件の中に、おれが探していた暗い犯罪があった。  人類というものはその法律制定にいつも移り気だった。例えば故殺罪とか正当防衛だとかの、死が死でないかのようなこみ入った術語を発明してきた。犯罪と断罪の風習はいろいろと移り変りがあったが、いつも誰からも嫌悪されていた一つの犯罪があった。それはやぶ医であることの罪である。おれは聞いたことがあるが、ある野蕃な種族では自分の患者が死んだら、その医師は殺されたということである。これは利点がない制度でもない。この短絡的に憎しみをこめて、卵を生むあひるをつぶしてしまうということも分からぬでもない。病気になると自分を完全に医者の手にゆだねる。自分にとってもっとも価値あるものを、勝手にもてあそぶ機会を全然見ず知らずの他人に与えることになるのだ。もしこの信頼が裏切られることになれば、証人や生存者間に怒りのほのおが立ちこめるのは極めて当然なことである。  ありきたりの市民であるヴァルフ・シフターニッツは、昔は〈大いに尊敬されたシフターニッツ博士〉であった。ホット・ニュース≠ヘ微に入り細をうがって、シフターニッツ博士のプレイボーイ≠ニ外科医≠フ二股生活をのべたてるとともに、その震えのきた指にもったナイフが、これ[#「これ」に傍点]のかわりにあれ[#「あれ」に傍点]を切って、さる著名な政治家の――もっと金をかせげる何年か――が、短縮されたことを知らせていた。  ヴァルフが手術にかかる前に、酔いをさます努力をしたという事実は認めてやらねばならぬ。だからとりかえしのつかない震えをきたしたのは、泥酔ではなくてD・T[#ここから割り注](アルコール中毒による振戦譫妄症)[#ここまで割り注]のせいだったのだ。免許は取り消され、またのちの報道によるとさらに医療のことで浅ましい事件がからんで、預金のほとんどは罰金として取り上げられたらしい。ヴァルフには人生はさびしく汚れたものだった。つまりおれが求めていた人物にぴたりのものだった。まず部屋からの出始めに、ヴァルフのところに仕事を持っていくことにした。  おれはどの能力の持ち主には、はるか遠い惑星の異国の都市で、法律違反者を探し出すのは困難ではない。これは技術の問題でおれはそれにたけているというわけだ。市の一番不衛生な区画で汚れた木のドアを叩いたとき、おれは新しい計画の第一歩をふみ出していた。 「仕事があるのだ、ヴァルフ」ドアを開けてとろんとした眼の酔っぱらいに言った。 「消え失せろ」と言ってドアをばたんと閉めかけた。注意深く入れておいた靴がこれをさまたげ、ドアを押しあけて部屋に入っていくのに何の努力もいらなかった。 「わしは医者の仕事はもうせんのだ」おれのほうたいをした腕を見てもじもじ言った。「警察のおとり患者はごめんだ。さっさと消え失せろ」 「あんたの話は同じことの繰り返しで退屈だ」そうだったからそう言った。「わたしは厳格に合法的な取引でここに来たのだ。仕事の対価は当然支払う。たまたま仕事が不法なものであるというささいなことは、双方ともに関知したことではない。特にあんたにはそうだ」おれはぶつくさいう抗議は無視して次の間をのぞいてみた。「信頼すべき筋によると、あんたはここでジーナという娘と同棲の喜びにひたっているということだ。ここで話すことはその娘さんの可愛いお耳に入れたくないのでね。どこにいるのだ?」 「外だ」とどなった。「そしてお前もだ!」ヴァルフはびんの首をつかんでおどすようにふりかざした。 「これはお気に召すかね?」そう言って、おれは机の上に新しい部厚い札の束を一つほうり出した。「それから、これと――これと――」さらに束を出した。びんがヴァルフのたよりない指から抜けて床に落ちた。それから眼はピストン仕掛けのようにだんだんと飛び出してきた。おれはやっこさんの眼がくぎづけになるまで、さらにいくつかの束を積み重ねていった。  大した話し合いもいらなかった。おれが言ったとおりのことをやろうとしているのが分かると、あとは細部の打ち合わせだけだった。かねを見たとたんにヴァルフの酔いはさめた。もっともけいれんしたり震えたりする傾向はあったが理性には異状はなかった。 「最後に問題が一つ」おれは立ち去る時に言った。「大事なジーナのことはどうする――このことをジーナに話すつもりか?」 「まさか」本当にびっくりしたような調子で言った。 「話さないということか。この手術についてはあんたとわたしが知っているだけだ。そこであんたが家をあけることや、またはかねの出所を、どうジーナに説明するつもりだ?」  これにはもっと驚いたらしかった。「説明する? ジーナに? わしはここを出ていくのだから、わしのこともかねのことも見ることはない。いまから十分もたたぬうちに始まることだ」 「なるほど」とおれは言って、ヴァルフはそのとおりにした。おれは同時にヴァルフは思いやりが少し足りないのではないかと思った。というのはジーナはたいていの婦人方がやりたくないような商売をしてヴァルフの生活を支えてきたからだ。おれはその借りを少しでもつぐなってやるのにどうすればよいか、心の中に留めおくことにした。もっともやるのは将来のことだ。いまの緊急用件はジェイムズ・ボリバー・ディグリッツの消滅を計ることだ。  かねに糸目はつけず、おれはヴァルフが言う手術室用の外科器具全部を注文した。ヴァルフが一人でやるので、できるだけロボット・コントロールのついた装置を購入した。賃借した重運搬車に全部を積み込み、同乗して田舎にある家に向かった。お互いの不信感は過剰であり、これは分からぬことはなかった。かねの支払いの話を決めるのが一番困難だった。というのは心根の純真なヴァルフ博士は、仕事が終ったらおれが博士の頭蓋骨をぶち割って、支払った金を全部取戻すだろうと思い込んでいたからだ――銀行というものがある限りおれは破産しないということは、当然のことながら分かっていないからだ。ヴァルフの満足のいくような安全策がやっととられて、われわれは孤独で重要な仕事にとりかかった。  家は一戸建てで自給式になっていた。はるか下方に湖を望むがけの上にあった。われわれの必要とする新鮮な食物は、医薬品などの便とともに週一回とどけられた。手術が始まった。最新の外科手術はたいしたもので、もちろん痛みもショックも伴わない。おれはベッドにとじこもりきりで、ときどき鎮静作用のため夢見心地で数日が過ぎることがあった。二回にわたる大手術の間に、おれは用心をしてヴァルフの夜の飲物の中に睡眠剤を入れておいた。この飲物はもちろんアルコール気のないもので、この件についての全行程中は水運搬車にのっているというのが、最初の取り決めだったからだ。ヴァルフがとてもそれではやっていけなくなったという時には、かねを少しつぎ足してその決心の回復を計った。こういう状態がつづいてヴァルフの神経はいらだっていたので、夜がよく眠れたのは感謝すべきだと思う。それからもう少し調べたかった。ヴァルフがぐっすりと眠っていたとき、鍵をとりあげてその部屋をさぐった。  銃があるのは保証のためだろう。だがこんなにすごいやつがあるのはどういう訳だろう。この銃について言うことがあるとすれば、おれが標的になっていた日は終ったということだ。銃はポケット型の無反動五〇口径の精巧で致命的なやつだ。機能はすばらしくカートリッジには致死の力がこめられていた。ただしおれが撃針端をやすりですり落としておいたので、射つ時にはちょっと困難が伴うだろう。  カメラをみつけたからといって特にショックは受けなかった。だいたいおれには人類が根本的に健全であるということは信じられなかったからだ。おれが恩恵を与える者であり、資金の供給者であるということだけでは、ヴァルフにとって充分でなかった。いざという時に恐喝しようと準備をととのえていた。[#ママ]露光ずみのフィルムが多数あった。いうまでもなくおれが意識不明のとき顔の〈前と後ろ〉を入念に写しているわけだ。未露光の分も含めてフィルム全部をX線の機械にたっぷりとさらしてこれは終りとなった。  ヴァルフはアルコール気や女気がないことでぶつくさ言っていない時には仲々いい仕事をした。おれの大腿骨を短くしたり曲げたりしたおかげで、背の高さも歩き方もかわってきた。手、顔、頭蓋骨、耳――これらは永久的に変えられて新しい人間ができた。適切なホルモンを巧妙に使用することにより、色素細胞に変化をきたしおれの皮膚や髪の本来の色を濃くし、また髪の型それ自体をも変化させた。ヴァルフの技価が最高に発揮されたのは、最後の仕上げとしておれの声帯に微妙な処置をほどこし、話し声が太くがらがらになった時のことだ。  すべてが終った時、するりのジム・ディグリッツは死に、ハンス・シュミットが生まれた。あまりぱっとしない名前であることはおれも認める。ただしこれはヴァルフをおっばらって、新しい用件にとりかかるまでの期間をまかなうためだけに考案されたものなのだ。 「見事だ、お見事だ」鏡をのぞき込み、自分の指が見知らぬ顔をなでているのを見ておれは言った。 「やれやれ。これで飲めるぞ」ヴァルフは荷作りのできたかばんの上に腰をおろし、おれのうしろであえぎながら言った。ここのところ数日、ヴァルフは医療用アルコールに手をつけていたのでおれはそれに嘔吐剤をまぜてやったのだ。それでたっぷり酒を飲みたくていらいらしていた。「残りのかねをくれ。そしてすぐここを出よう」 「いらいらせんことですよ、先生」そうつぶやいて札の束を出してやった。ヴァルフは封印を切ると、指の感触を楽しむようにいそいで数え始めた。 「それは時間の無駄だ」おれは言ったがかまわずに数え続けた。 「勝手だが、紙幣には全部盗品≠ニ書いておいた。銀行がそれを紫外線にさらすと螢光を発するインクでね」  これで数えるのがやんだ。同時にヴァルフは蒼白になった。おれはくたびれた心臓のことでヴァルフに警告しておくべきだった。気をつけないとこういうことでころりといくわけだ。 「盗品とはどういうことだ?」しばらくたって声をしぼり出した。 「つまりそういうことだからだ。あんたに払ったかねは全部盗んだものだ」ヴァルフの顔がさらに蒼白になった。あんな血のめぐり工合では五十歳までとてももたないぞ。「心配しなくてもいい。ほかのやつはちゃんとした札だ。わたしもずいぶん使ったが問題はなかった」 「しかし……どうして?」やっと声が出た。 「もっともな質問だね、先生。わたしは同額のもの――もちろん手は加えていない札――を、あんたの昔なじみのジーナに送っておいた。ジーナがあんたに尽くしたことを考えれば、すくなくともそれだけのものはあんたは借りがあるはずだ。公正にしなくてはね」  おれが医療機械や医薬品やその他のもの全部をがけからけおとしている間中、ヴァルフはおれをにらんでいた。やっこさんがすぐ近くにいる時は、決して背中を見せないよう用心をしていた。その他の用心はすべて前もってとっておいた。おれがちらりと眼を上げてみると、ヴァルフの表情が変ってひそやかな笑みがその顔に現われていた。そこであとの手配を話す時がきたと知った。 「空中車《エアー・カー》が数分内にここに着くことになっている。それで二人ともここを去る。お気の毒だがフライバーバッドに着いたあとあまり時間がないのだ。あんたがジーナを探して、計画していたように女をたたきおどしてかねを取り戻す時間がだ」そのうろたえたさまを見ると、ヴァルフがこんな仕事には全くの素人だということが分かる。効果的に悪事をやる方法をあからさまにしてやったことに感謝すべきではないかと思いながら、おれはさらに話を続けてやった。 「ここからは、かなり精密にすべての時間を決めてある。今日はふだんとかわって、数分の通いで二隻の恒星船が空港から出発する。一隻にはわたしの切符がとってある――別の一隻にはあんたの切符がとってある。これだ。かねははらってある。お礼は言ってもらうつもりはないがね」年配のご婦人が蛇の死骸を恐る恐る持ち上げるようにして切符を受け取った。「速度の必要は――同じ様な言葉の繰り返しで恐縮だが――緊急なのだ。あんたの船の出発後数分で、一通の手紙が警察に送られる。あんたのこの手術での役割がそれに書いてある」  ヘリコプターが到着するまでの間、ヴァルフ先生はこの全部の意味をよくかみしめた。そのがっくりした表情から、おれの手配に手抜かりを見つけることができなかったことが分かった。同乗中はずっと席に身体をまるめたままおれに二言も口をきかなかった。|楽しいご旅行を《ポン・ボワヤージュ》も悪態すらもなく、われわれが到着するとヴァルフはさっさと船に向かい、その乗船するのをおれは見守った。おれはもちろん自分の船の方向へ行っただけで乗船する前に横へそれた。不法な手術が行なわれたことを警察へ知らせる気持があるのと同様、フライバーを立ち去りたい気持もいっぱいだった。最後の仕上げはそう思わせておくことだった。これら二つのささやかなウソは、アル中の先生が一人さびしく肝硬変への旅に立つまで、ここから遠ざかっていてもらいたいための策略にすぎなかった。おれがここを去る埋由は何一つないし、実際のところおれがここに留まる理由ならいくらでもある。  アンジェリナはこの惑星にまだいる。おれが追いつめるまでは邪魔が入っては困るのだ。  それだけ確信するというのも強気すぎるかも知れないが、いまではアンジェリナのことはよく分かっていると自分では思っている。われわれの悪事にたけた心は、不正直さという同じ種類の円周上を共に回っているのだ。ある点まで確実な論理によって女の反応を予想することができると思う。まず――おれが血まみれでつぶされたことを大喜びしているだろう。たいていの女の子が新しい衣服を得て大喜びするのと同じような喜びを、アンジェリナは死骸を見て得るのだ。おれが死んだと思っていることは、それだけ女を追跡するのを楽にしてくれる。アンジェリナの警察や部隊の他の部員に対する用心は普通のものだろう。だが連中は女がフライバーにいることは知らない――おれの死と女の存在を結びつけるものはない。それで女はまた逃げ出す必要もなく、新しい隠れ場所と変装によりこの惑星に留まることができる。女がここにいたいということについてはほとんど疑いの余地はない。フライバーというこの惑星は、不正な仕事にはおあつらえ向きだ。知られる限りの銀河のあちこちを長年にわたってあたってみて、もぎとるのにこれほど熟した果実にぶつかったことはなかった。新旧が陶然と混淆しているところだ。昔の城をかまえた封建制のフライバーでは異国人はすぐに見つかって監視されるだろう。新しい連合の惑星では、コンピューター、機械化、ロボット、さらに目を光らせている警察があって、不法な行為の余地が非常に少ない。これら二つの文化が入り混り融け込んだときだけに、想像力に富んだ活動が実際に可能となるのである。  この惑星はまったく平和だった。そのことは連合の社会問題専門家たちのお手柄だといってよい。この人たちが初めて抗生物質錠剤やコンピューターをこの惑星に持ち込む前に、法と秩序をしっかりと植えつけることをやっておいた。それでも探すところさえ分かれば機会はまだあった。アンジェリナは知っていたしおれもそうだ。  ただし――何週間にもわたる無駄な調査のすえに――われわれ両人とも、違ったものを探していたという、残酷な事実に直面することになったというのは除いてだ。もっとも、すばらしい仕事やかねになる強盗をするための数え切れないほどの機会をみつけて、おれは楽しい時を過ごしたということは否定できない。アンジェリナをどうしても見つけるのだという圧迫がなければ、この悪党の極楽でおれは楽しく暮しただろうと思う。しかしこの楽しみはおれには与えられなかった。アンジェリナに追いつけという圧迫は、痛む歯のように休みなくおれを苦しめた。  希望する施設を見つけておれは機械的手段に頼った。入手できる最上のコンピューターを借用して、その記憶回路に全情報を入れこみ無数の問題を与えた。この何キロワットも消費する仕事の間に、おれはフライバーの経済についてはひとかどの専門家になった。だが最後になってみても、アンジェリナを見つけることについては、始めた時よりちっとも前には進んでいなかった。  アンジェリナは権力と支配に異常な欲望をもっている。だがその欲望のはけ口をどんな方法で見つけるのかは分からなかった。フライバーの社会を握るのに経済的な方法をいくつか見い出した。しかし調査してみると、アンジェリナはこのどれにも関与していなかった。王――ヴィレルム九世――は、惑星を具体的に支配するのに抑えるべき点であることは明らかのようだった。ヴィルとその家族および血縁の近い王族をくまなくあたってみて、興味深いスキャンダルはあってもアンジェリナはいなかった。そこで全然行きづまりだった。  蒸留酒のびんの中におれの悲しみをひたしている間に、このジレンマに対する解答に遂にぶちあたった。その時おれが酔いしれていたことは確かだが、それでも神経細胞軸索の麻痺がその考えの源泉であったことはうたがいない。素面の時より酔った時の方が頭がよく働くという者はばかだ。しかし今回は全然違ったケースなのだ。おれは考えているのではなく感じていたのだ。女が逃げたことについてのおれの怒りは、おれの文明化された衝動のふたをぶち破った。おれは枕を女の首に見立ててそれをしめ殺してわめいた。「気違い沙汰だ。気が狂いそうになって追っても水玉のようにふわふわしていやがる!」おれがベッドに倒れ込んだ時、何もかもがむかつくように輪になってぐるぐると回り、おれは弱々しくつぶやいた。「気違いなのだ。女がこの次どこへ飛びつくかを見つけるには、おれ自身気違いにならなければだめだ」眼が閉じておれは眠りに落ちた。この言葉はアルコールに漬かった層を通って、より深いところ――まだ理性の閃光がとどまっているところ――へと下った。  これらの言葉が底に達した時、おれは眼を大きく開きベッドの上に坐りなおした。恐ろしい真実にうたれて口もきけなかった。それをやるには、持てる全信念を――いや、さらにそれ以上のもの――を必要とするだろう。  アンジェリナを見つけ出そうとするなら、狂気の道を下って女のあとを追わなければならないのだ。 [#改ページ]   13  朝の冷たい光にさらされて、その考えは思ったより魅力的なものとも見えなかったが――真実味が少なくなっているとも見えなかった。おれは自分次第で、それをやってもよいしやらなくてもよい。アンジェリナの人生は狂気によって彩られていることは間違いない。われわれの接触のどれをとっても、それは人命への冷酷な無関心さによって特徴づけられている。女は冷淡にまたは愉しみをもって殺した――おれを射った時のように――だがいつも人を完全に無視してだ。女は生涯に何人の人殺しをやったか、自分で考えたことがあるのか疑わしい。女の規準から言えばおれなんぞは素人の域にしか達していない。おれが殺したというのは――そのような暴力沙汰は、おれがやるような種類の仕事には滅多に必要ではなかった――たしかに、殺した者は……なかったかな?  やれやれ――臆病者の正体現われたりか。たくましい人殺しのディグリッツが人殺しをやったことがない! なにも恥ずかしがることはない、実際全然反対なのだ。おれはこの世にかけがえのない人命を大切にしているのだ。アンジェリナは自分と自分の欲望を大切にし、他のものは一切かまわない。女が作り出したまがりくねった途をとことんまで追っかけて行くには、女が住んでいる心理状態と同じところに自分を置く必要がある。  これは思うほど困難ではない――すくなくとも理論的にはだ。精神擬態剤の経験は持っており、その効能はよく承知している。幾世紀にもわたる研究の結果、使用者の心理状態をどのようにでも擬せることができるようになった。一日だけ偏執病になってみたいのですが、では、錠剤をのみなさい。それで気違いだ。スリルを求めて人々がこれらの調合薬を実際にためしたということは記録に残っている。だが、人生に退屈したからといって、それをやるのはおれはごめんだ。自分の微妙な灰色の細胞をこのような種類の衝撃にゆだねるというのは、もっともっと強い理由がなければならない。例えばアンジェリナを見つけるためとかだ。  おかしなことをやってのける人々についてただひとつの救いは、効果は暫定的なものだという確認された事実がある。薬が切れると幻想も消える。そうあってほしいとおれは願った。おれが調べたテキストでは、これから調合しようというような悪魔の醸造物については何も書かれていない。アンジェリナの魅力的な徴候についてその全部をテキストブックにあたってさぐり出し、それらを精神病のすべての型をふくんだものにあてはめるという作業は大変なものだった。女の病症の分析については専門家の助力をも求めた。もちろんその情報を何に使うかは言っていない。最終的には、すこしけぶっているような液体一びんと、薬が効いているあいだ耳の中に吹き込む自動催眠用の言葉を入れたテープとを持つことになった。おれが注意しなければならぬことは、古典にあるように全力を奮い起こす≠アとだけだ。実際のところ注意しなければならぬことは、それが全部ではなかった――おれはまず、ある種の用心をしておきたかった。安ホテルの小さな部屋を借りて、一切部屋に立ち人らぬよう命令しておいた。このような種類のたわごとをやったのは初めての経験だった。それで自分の記憶力というものがどの程度ぼやけるものか分からないので、仕事について自分に思い起こさせるような書きものをいくつかまわりに置いておいた。半日ばかりこんなことの準備で時間がたち、自分は口実を作っているに過ぎないことが分かった。 「さてと、故意に気違いになるのも楽じゃない」おれは鏡に写った自分の青白い顔に向かって言った。鏡の中のおれはうなずいた。だがわれわれが袖をたくし上げ、陰うつな狂気で大きな皮下注射針を満たすことをわれわれのいずれもがやめはしなかった。 「さあ、よく見るんだぞ」そう言って、血管にそっと針を入れ液体を押し入れた。  結果はいかにひかえ目に言っても竜頭蛇尾だった。耳ががんがんして頭がきりきりと痛んだが、それもすぐにおさまってそれ以外には何も感じなかった。もっとも外出するなどというのは適切な行為ではないので、新聞をしばらくの間読んでいるとくたびれてきた。このすべてのことが、ちと馬鹿げており大きな失望のように思えた。おれは寝について耳にテープレコーダーがやさしくささやく声を聞いた。それはエゴを形成させようとする次のような表現のものだった。 「お前は誰よりもすぐれているのだ。それをお前自身は知っているのだ」それから「みんな愚かなのだ。それでお前が責任者になれば、事はすっかり変ってくる。どうしてお前が責任者にならないのか[#「お前が責任者にならないのか」に傍点]。簡単なことなのだ」  目ざめると気分が悪かった。イヤホーンがまだつっこんである耳が痛み、おれ自身のばか声がおれに向かってつぶやいていた。何も変ったことは起きていない。この空疎な全経験というものはむだであった。そのむだに対して怒りがこみ上げてきて、イヤホーンを手で握りつぶして幾分気分がさっぱりした。テープ・プレヤーを踏みつぶしてがらくたのかたまりにしたらもっと気分がよくなった。  手で顔をなでてみるとざらざらしていた。何日もひげをそっていなかったのだ。クリームをすり込んで、流し台ごしに鏡をのぞき込むと、初めて奇妙な事実に気がついた。この新しい顔は前の古い顔よりずっと自分にぴったりだった。生まれ損いか、それとも両親のみにくさか――おれは両親を心からにくんでいた。たった一つのまっとうなことは、おれを製作したことだけだ――が、おれの性格にふさわしくない顔を与えていた。新しい顔はよかった。一つには美男子になっており、さらにたくましい顔付きになっていた。あの指の震えるやぶ医者ヴァルフが、すばらしい作品をこしらえたことにおれは感謝すべきだろう。弾をぶち込んで感謝すべきだった。そうしておけばヴァルフを通じておれのあとをつけることは誰もできなくなることは確実だ。あの日は暖かい日でおれは熱があり、それやこれやであのまま安全に行かせてしまったのだ。  机の上に一枚の紙片がありそれに一言書いてあった。おれの手書きで、なぜそこにおいていたか思い出せない。それはアンジェリナ[#「アンジェリナ」に傍点]と書いてあった。アンジェリナ、その白いくびを目玉が飛び出るまで両手でしめつけてやつたらなんとうれしいことだろう。はっはっ! その考えに笑いがこみ上げた。おかしな光景を画いたものだ。もっともそのことであまり軽薄になってはいけない。アンジェリナは重要なのだ。おれはアンジェリナを見つけようとしており、何者もそれを止めることはできない。アンジェリナはおれをばかにしておまけに殺そうとした。死ぬべき者があるとしたらそれはアンジェリナだ。ある意味では大変な無駄だがそれはやらなければならない。おれはその紙片をこなごなに破り捨てた。  急に部屋が何か圧迫するような感じになっておれは外に出たくなった。さらに腹の立つことは鍵が見つからぬということだった。鍵は引き抜いたことは憶えているが、どこにしまったのか思い出せない。フロントのうすぎたない事務員は電話にすぐ出てこず、サービスについて感じることを言ってやりたいと思ったが控えた。こういうタイプの連中は死ななきゃ治らないからだ。予備鍵が気送管でがちがちと送られてきておれは外へ出た。食物と飲物が欲しかった。とくに考えごとをするため静かな場所がほしかった。  近くに三つとも満足させられる場所があった――ぽん引きどもをけちらしたあとでだ。こいつらはどれもこれもくだらぬ者ばかりだ。ただ役割をやっていたアンジェリナは、この連中全部を束にしたものよりうまくやっていたのだ。アンジェリナは今夜おれの心に復讐の念とともにあった。酒はおれの勇気を温め、アンジェリナはおれの記憶を温めた。おれは一度はアンジェリナを捕えてつき出したり、また殺すことさえも考慮したことを考えてみよう。なんという無駄なことだろう! おれが出会った唯一の知的な女性だ。しかも女性のすべてを備えた女だ――あの衣装をつけて歩いた姿を忘れることはできない。少しでも手なずけることができたら――われわれはすばらしいチームになれるだろう! この考え方は心理的な催淫の働きをなし、おれの肌がもえたったのでグラスをひと息で飲みはした。  何かしなければならない。おれは女を見つけなければならない。女はこのように熟れたすもものような惑星を立ち去ることはない。あれだけの野望を持った女性は、ここでは最上層部へまっしぐらに行ける。何者もとめることはできない。それがもちろん女の到達するところだろう――まだ、いまはそうでなくてもだ。自分が女であることを呪いながら、アンジェリナはその人生を送ったに違いない。自分がそこらあたりのどんな者よりもすぐれていることを知り、そのことを自分にも他の者にも何度も何度も証明してみせていたのだ。おれの到着はアンジェリナが手に入れることのできる最大の恩恵だったであろう。おれがこの惑星の田舎者どもとは較べものにならぬことは何も証明してみせる必要はない――一目みれば分かるのだ。アンジェリナがおれを釣り上げたとき、あらそいを止め気分をほぐして命令を受けるということができたのだ。それで競争は永久に終りというわけだった。  おれが腰をおろしている間に、何かがおれにうるさく言っているような気がした。思い出さねばならぬ何か重大な事項だ――それなのに思い出せないのだ。数秒間思い出そうともがいた。  そしてそれが何であるかを理解した。注射をしたのがまもなく切れそうになっている! すぐ部屋に戻らねばならぬ。この仕事には危険が伴うことを恐れていたが、だがそれは当初のおれが臆病だったせいだ。この薬はアスピリン程度の危険しかないのだ。同時にこれはこの宇宙での最大の収穫物だといえる。可能性に満ちた新しい世界がおれに向けて開けてきており、心はますます明断となり、思考はさらに論理的となってきた。もう頭をふらふらさせるような薬はやる気がしなくなってきた。酒場でおれはバーテンダーに金を払った。そして指先でカウンターをいらいら叩きながらのろのろと釣銭を出すのを待っていた。 「ぬけ目のない男だな」あたりにいる者全部に聞こえるような大声で言った。「お客が急いでいるので釣銭をごまかすのにいい機会だ。二ギルデン足りないぞ」おれは掌の上にかねをのせてつき出し、バーテンダーがかがみ込んで勘定し始めた。その時おれは急速に手を持ち上げ、指も硬貨も紙幣も全部その顔にぶつけた。同時に低い声で誰にも聞かれないようにバーテンダーに言った! その男についておれの思っていることだ。フライバーの俗語には人をののしる言葉が多く、そのうちの最上のやつを使ってやった。もっとやっつけることができたが、ホテルの部屋に帰るのを急いでいたので教えこむ時間がなかった。おれが行きかけて振り向いた時、部屋の向こうにある鏡に眼をくばって背後を注視していた。そうやっておいてよかった。バーテンダーはカウンターの下から長いパイプを取り出し、おれの頭上に振りかざした。もちろんおれは動かず目標をはずさないようにしてやって――腕が下りてきた時に横へかわして、パイプがおれをかすめる程度に動いた。  腕をつかんでそのままおろして、カウンターの端でへしおるのは別段手品でもない。悲鳴を聞くのは、遠慮して言っても心温まるものがあった。時間があれば話をつづけて、やっこさんが心底から悲鳴をあげるような何かをしてやれるのだが。残念ながら時間がない。 「こいつが乱暴にもわたしになぐりかかってきたのを見たでしょう」おれはドアに向かって行った時、びっくりしているお客に告げた。あの威勢のいい奴が意気消沈して、カウンターのうしろの見えない所でうめき声を上げていた。「わたしはすぐ警察を呼ぶから――あいつが逃げないように見張って欲しい」もちろんそいつが逃げる気のないことは、おれが警察を呼ぶ気のないのと同様だ。何が一体起きたのか、お客のうちで気がつく者が出るよりずっと前におれは外に出ていた。  もちろん走ったりして人の注意を引いてはならぬ。いそぎ足でホテルへ戻るのがおれのできる精一杯のことだった。そして緊張で汗をびっしょりかいていた。部屋に入って最初に見たものは、机の上に置いてある容器であり、針が布に包んで傍にあった。おれの両手は震えなかった。おさえていなければ震えたかも知れない。これはきわどい仕事だ。そのあとで椅子にぐったりと腰をかけ、びんを取り上げてみると残った液は一ミリリットルにも過ぎない。計画で次にどうしてもやらねばならぬことは薬の供給を計ることだ。おれは処方箋ははっきり憶えているし、そのとおりやることに問題はない。もっともこんな夜中に薬局が開いているわけはないが、その方が仕事をやりやすくしてくれている。武器がかねより前に発明されたという歴史の教訓がある。おれの旅行かばんには無反動七五口径がある。これで現存のかね全部よりももっと多くの宇宙の品物を手に入れることができるのだ。  それが間違いだった。何か気になることがおれにからみついてくるような気がしていたがそれを無視した。注射のあとの緊張とその後の安堵で、おれはすっかり気がゆるんでしまっていた。さらにその上に気がせいていた。おれが必要なものをみつけてホテルの部屋へ持って帰る時間が制限されていることだった。おれの考えは仕事の上にあり、どうすれば一番よいかと思いながら旅行かばんのかぎをあけ、衣類の一番上に置いてあった銃に手をのばした。この時点でおれの記憶の中の細い声が、耳に聞こえぬさけび声を上げていた。だがこのことはおれの銃をつかむ速度を早めただけだった。何か大変な間違いがあるようだ。そしてこれがそれなのだ。銃把をにぎったとき記憶がはじけ出た……少しばかり遅すぎた。  銃をとり落としておれはドアにとびついた。時すでに遅しだった。おれが銃の下に仕掛けた催眠ガス弾が背後でぽんという音をたてて破裂するのを聞いて、暗黒に向かって倒れこんで行く時になって、どうしてこんなばかなことをやったのかといぶかっていた……。 [#改ページ]   14  ガスから回復してまず感じたことは遺憾の念だった。心の働きというものは、いつも驚異の源泉だということは自明のことなのだ。悪魔の飲物の効果は消えてしまった。催眠後の障害ほとりのぞかれ、おれの記憶にはおかしいところは少しもない。あの狂気の中間劇の細部にわたって、おれは生き生きと思い出すことができる。考えたり行ったりしたことについては思い出して胸がむかつくが、同時に捨て去ることのできないうずくような残念さもあった。一人でいることのすばらしい自由があり、他人の人生も無に等しいような感じすらあった。心がゆがむような感覚だが、それでも極めて魅惑的なものだ。麻薬のようなものだ。その考え方にひどく反発しながらももっとやってみたいような気もした。  強制的に十二時間もねむらせられたがひどくくたびれていた。ベッドのところにはいずつていって、その上にひっくりかえるのに全精力を要する次第だった。元気づけの酒びんを前もって用意してあったのでグラスいっぱいに注いだ。これをちびちびやりながらおれの心の建て直しを計った。やさしい仕事ではなかった。潜在意識下によこたわる暗い欲望のかたまりについては幾度も本で読んだことがある。だが自分のものが呼びおこされたのは初めての経験だ。表面に浮かび出たもののいくつかを調べてみるのはまことに暴露的なものだった。  アンジェリナに対するおれの態度は注目する心要がある。おれが直面しなければならない最も重要な事実は、アンジェリナに強く引かれる気持だ。恋? 好きなように名づけたらよいだろうが――恋といえばいってもよい。だがこれはわくわくするような思春期の情熱ではない。おれは女の欠点に盲目にはなっていない。実際女が道徳のわくを越えた恐るべき存在だと知っていやになり、それが自分の心の中にも反響してきた。だが論理や信念は、情熱とはほとんど関係がない。女のこの面をにくんでも、それでおれ自身のものに酷似する性格の魅力がなくなるものではない。おれは自分の精神病者の面の考え方に反応した――一緒になれたらどんなにすばらしいチームが作れることか! もちろんこれは不可能だが、そうありたいと願うことを止めるものでもない。愛憎は極めて近いものだといわれているが、おれの場合にはそれはまことにそうで、肩をすり合わせているのだ。アンジェリナが魅惑的であるという事実があっても、それによってこの混乱した事態が解決されることは少しもないのだ。酒を飲みながら長々と煙草を吸った。  アンジェリナを見つけるのはこんどは楽にやれるに違いない。これを当然のように気安く考えたのはちょっと驚きだった。おれが心理的に異常だった時には何も新しい情報は得ていない。アンジェリナの心が運ばれていった傷ついた溝への深い洞察力だけが、おれの得たものであった。アンジェリナが欲しているのは権力の根元であることは間違いない。これは王に影響力を及ぼしても得られるものではない。いまこれが分かった。暴力はその方法だ。暴動、たぶん暗殺、反乱はたしかだしその他の大騒動だ。これは古い時代のフライバーで、王権を獲得するための争いがあった時の決まった型だった。貴族は誰でも王になれたし、年老いた王の統制力がゆるめば、それは新王国の誕生を告げる権力闘争開始の合図でもあった。もっとも連合の社会問題専門家が、そのささやかな手品をほどこすとすぐに、このようなものはやんでしまった。  昔の時代が戻りつつあった――それははっきりしていた。アンジェリナは自分の野望を満足させるため、この世界を血と死とでひたそうとしている。いまそれにとりかかっているのだ――どこかに――仕事に使うため男を手なずけてだ。半封建的経済の社会では、まだ至極重要な伯爵の一人が、その我欲を王座の背後にある新しい権力により影響され導かれていた。これはアンジェリナが前に使った型であり、また使うであろうことは確かだった。疑いの余地はない。  小さな要素が一つ欠けていた。その男は誰だ?  自己分析の深みに飛び込んだ結果、いかなる量の酒も洗い流しきれないにがい味わいを自分の口に残したのだった。おれに必要なことは、意気消沈した神経を強め、にぶい流れの血液に活を入れるためのちょっとした活動だ。アンジェリナの手先をつとめている男を追跡して捕えることが、おれの電池が必要としている充電になる。ただそのことを考えるだけで役に立った。そして熱心に新聞の宮廷欄をさがした。二日後に宮中大舞踏会があった。この作戦にはもってこいの口実だった。  二日間というものは、このような種類の仕事を完璧に仕上げるため、多くの些細な仕事に忙殺させられた。まぬけではパーティはぶちこわしだ。揺るぎない別人格をこしらえあげるには、おれのような比類ない才能を必要とするのだ。調査の結果おれの故郷が決まった。遠く離れた貧しい地方で、ひどい方言でフライバーの笑い話の種になっている所だ。先祖代々のこれらのハンディキャップがあるので、ミステルドロスの全住民は喧嘩早いのと一般に頑固なので知られていた。そこには誰も注意を払っていなかったり、または記録に残っていないような小貴族がいたので、おれはグラブ・ベント・ディープシュタールという者になりすますことができた。その姓は、地方の方言で野盗とか徴税人とかを意味しており、そこでの経済がどんな種類のものであったかが察しられると同時に、家族の称号のもとも分かろうというものだ。軍服の仕立屋で礼装をあつらえ、体に合わせている間に、人々をうんざりさせるためにその家族の歴史をたっぷり頭につめこんだ。  他にやったことは、不具になったバーテンダーに部厚いお札の束を送ってやったことだ。その男はいま腕にギプスをはめて不便な姿で働いているのだ。もっともバーテンダーがつりをごまかしたのは事実だが、ささやかな犯罪に比べればこの苦しみは釣り合いがとれない。無名でかねを贈ったのは純粋に道義的観念からしたもので、これをやってずっと気分がよくなった。  王室印刷所に夜分訪問してパーティへの紹待状を手に入れた。おれの制服はソーセージのように身体にぴったりと合い、長靴はぴかぴかしていた。おれは早々に到着した。王室の料理はうんと評判がよくて、動き回ると食欲が増した。  王に拝謁を得たとき、おれはうんと派手ににぎにぎしく振舞った――拍車や剣や時代おくれのくだらぬものが、フライバーではまだ幅をきかせている――そして王が何かぶつぶつ言っている間中じっとみつめていた。眼がどんよりとして焦点がぼけているようだった。王はこのような行事に出席する前には、いつも酒にひたって自分を麻痺させているという流言が、ある程度真実であることに気づいた。人の集いとかパーティが嫌なので、それより昆虫をつついている方が好きなのだ――王は素人の昆虫学者としてはなかなかの才能があった。おれはもっと愛想のいい王妃の方へ移っていった。王妃は王より二十歳若く、傲慢で鈍重なかっこうは見事というはかない。うわさによると、王の飼う甲虫類になやまされており、|鱗翅類の昆虫《レピドプテラ》よりは人類《ホモ・サピエンス》の方がうんとお気に召しているということだった。おれはこの中傷をためしてみることにした。王妃の手を持った時に少しぎゅうとにぎってみると、王妃は大いに興味を示してぎゅうとにぎり返した。おれはビュッフェの方へ移動した。  おれが食っている間中お客が次々と到着した。腹に食物をつめこみ酒は片端から試飲してまわっても、客が入ってくるのを注視するさまたげにはならなかった。あとの者が食べ始めた時分には、おれは腹いっぱいになっていた。それで客の間をめぐり歩くことができた。女性はすべて詳しく調べた。ほとんどの女性はむしろそれを歓迎していた。というのは――いわせてもらえるなら――おれの新しい顔とぴったりと身についた制服が、田舎者どもの中でずばぬけて注意を引いたからだ。おれはアンジェリナの痕跡にそう簡単にぶつかるとは思っていなかったが、機会というものは常にあるものなのだ。かすかにアンジェリナに似た女性が数人いたが、ふたことみこと言葉を交しただけで、その女性たちが忠実な王党員の貴族たちであり、おれの可愛い恒星間殺人鬼ではないことが分かった。この仕事はまた、フライバーの美女どもがひどく太った傾向にある事実によってうんと簡単になった。アンジェリナは均整がとれて小柄で華奢にまとまっていた。おれはバーに引き返した。 「あんたをお召しだ」おれの耳元でアデノイド病にかかったような声がして、同時におれの袖をひっぱった奴がいた。おれは振りかえってまだ服にとりついているそいつに向かってにらみつけてやった。 「手を服から離せ。さもないとお前のそっ歯づらをパンチ・ボールの中につっこむぞ」おれは強いミステルドロスなまりでうなった。そいつは何か熱いものでもさわったように手をひっこめると真っ赤な顔をして興奮した。「それがいい」おれはそう言ってそいつの何か言いそうなのを断ち切った。「さて――誰のお召しだ――王か?」 「王妃陛下だ」薄い唇の間からしぼり出すように言った。 「けっこうだ。わたしもお会いしたいのだ。案内を頼む」おれは先に立ってお客の間をぬっていった。おれの新しい友達は、おれを追いこそうとうしろでがたがたやっていた。王妃ベルダのまわりを取り巻いている人垣に着く前におれは立ち止まり、おれの友人が汗をかきかき息を切らせて前に出て行くのを待ってやった。 「陛下、これが男爵……」 「男爵ではない――グラブ」おれはいやらしく強いアクセントで割り込んだ。「地方の貧しい家門の出身であるグラブ・ベント・ディープシュタールであります。数世紀の昔にしっと深い盗賊まがいの貴族連中に、正当な称号をだましとられたものです」おれの案内者がその陰謀に参加していたかのようにそいつをにらみつけた。そいつは再び顔を真っ赤にさせた。 「あなたの勲章は全部見たことがありませんわ、グラブ・ベント」王妃は霧のかかった朝の牧場を想起させるような低い声で言った。王妃はおれの男らしい胸を、そしてこの日の朝骨章屋から買って来た勲章の列を、指差した。 「銀河勲章であります、陛下。地方の貴族の若い息子が、その家族の腐敗堕落により困窮し、このフライバーでは本人が出世する機会がなくなりました。そういうことで、わたしは〈恒星間警備隊〉に入隊して、最良の青年時代を遠い異郷で過ごしました。これらの勲章は、ありきたりの戦闘とか侵略とか宇宙船の臨検勤務とかのものです。しかしこれはわたしもいささか誇りを持っているものでありまして――」おれはちりんちりんと音を立てる金物の中に指を入れて、彗星や新星や花光のようなものでできた目ざわりなものをつまんだ。「これが〈星章〉であり、警備隊での最高勲章であります」おれはそれを手にとってしげしげとみつめた。たしかにこいつは警備隊の勲章だ。再入隊したり、五年間炊事当番を勤め上げたり、何かそんなことをしたらくれるやつだ。 「きれいですわね」王妃は言った。王妃の勲章に対する趣味は、その衣装に対するのとよく似ている。とは言ってもこんな後進惑星で何が期待できるというのだ。 「おおせのとおりです」おれは同意した。「勲章のいわれを述べたてるのは意に染まないのですが、もしご命令とあらば……」ご下命があった。非常に遠慮がちにだ。しばらくの間おれは冒険物語でほらを吹いて、皆の興味を引きつけておいた。朝になればおれの噂はうんと拡まるだろう。そしてそのうちのいくつかがどこにかくれていようと、アンジェリナの耳をくすぐるだろうことを期待した。女のことを思うとおれの楽しみもにぶってきた。それで口実をもうけておれはバーに引き返した。  その晩は誰かれ問わずつかまえては、おれのでっち上げの冒険談を吹聴した。聞いた者は大抵面白がってくれた。大体宮廷というものは笑いの少ないところだからだ。唯一人それで代価をもらっていないように見えるのはおれだった。計画は当初うまくいくように思えた。ところが、これに深入りすればするほど効果の出がますますおそくなってくる。この驚くほど沈滞した宮廷のまわりを、何か月もおしゃべりをして回つても、アンジェリナへの手掛りは見つかりそうもない。この行程は早くしなければならない。おれの頭の中に出没している一つの考えがあったがそれは狂気と紙一重だ。もしそれが意図にそむくことになったら、おれは死ぬかこの貴族社会に永遠に近づけぬことになる。この最後の運命は甘んじて受けるが――そうなればおれの可愛い獲物を見つける助けにはならぬ。しかしながらだ――もし計画がうまくゆけば、ほかのくだらぬことを飛び越して最短距離でゆける。おれは貨幣をなげ上げて決めることにした。 もちろん勝負は勝だ。投げ上げる前に掌中に隠していたからだ。さあ行動開始だ。  ここにやって来る前に、パーティで何か役に立つかも知れぬと思って、二、三のものをポケットに入れておいた。そのうちの一つは、王へ紹介してもらうのに成功うたがいなしのものだった。王に近づくことが非常に重要であると思った時の用意だった。これを外ポケットに移しかえ、一番大型のグラスに甘い酒を満たして、おれの獲物を求めてほら穴のような部屋部屋をよろよろと歩いた。  ヴィレルム王がここに到着した時にすでに酩酊していたのなら、いまはもうすっかり麻痺状態だった。王はその白い礼装のジャケットのうらに鉄の棒でもぬいつけていたに違いない。とにかく自分の背骨では上体を支えておれないはずだったからだ。それでもまだ飲みつづけて、身体が前後にぶらぶらしていた。頭はやっと胴についているかのようにぐらぐらしていた。取り巻き連中が王をかこんで、いかがわしい話でもかわしていたらしい。それというのがおれがどたどたと近づいてぱちんと音を立てて気をつけの姿勢をとると、連中はおれを見て消えうせろと言わんばかりの顔付きをした。おれはその連中の大部分のものより大きかったので、目立つ色の塊だったらしい。というのはおれはビリーの目にとまったようで、その顔がそろそろとこちらの方を向いたからだ。この夕方、王の老臣の一人がおれに会った時に、おれは無理に王に紹介させておいたのだった。 「陛下のお目どおりを頂きまして幸福至極に存じます」少し酔いのまわったおかしげな声《ヽ》で言った。王は気付いたわけではないが他の者が気付いてしかめ面をした。 「わたくし自体もいささか昆虫学をたしなむ者でありまして、もしこのような表現が許されるなら、陛下の驥尾《きぴ》に付す光栄を得たいものであると願っております。わたくしはこれに熱中いたしておりまして、フライバーについてはもっと注目すべきであると考えております。つまり、いうならばこのことはもっと重んぜられるべきであり、蟻とか昆虫とかその他もろもろなものの有用な点を活用する機会を、もっと増強すべきであります。例えば紋章学の点からいいますと、昆虫類を視覚的な面から各種の旗に活用してもよいのであり……」  おれはしばらくの間こんな調子でべちゃべちゃしゃべった。取り巻き連中は、邪魔をされていらいらしていた。王は――十のうち一語ぐらいしか聞いていなかったようだが――しばらくするとうなずくのもくたびれたようで、その注意があちこちとぶらぶらしだした。おれの声はくどくもつれて、連中はこの酔っぱらいをどう始末したものかと考えているのが、おれには分かった。まずためしに手がのびて来ておれのひじをつかんだ時、おれはとっておきの手をうった。 「陛下のおんために」おれはポケットの中をもぞもぞさぐって言った。 「この見本を大切にとっておきました。これが当然おさまるべき所――つまり陛下の収集品――におさまるよう、数知れぬ光年を越えて持って参りました」平べったいプラスチックのケースをとり出して、王の鼻先に差し出した。王はとろんとした眼の焦点を努力して定めると、小さなさけび声を上げた。他の連中もまわりを取り巻き、おれはそれを数秒間皆に見せてやった。  まったく美しい昆虫だった。それは否定できない。しかしだ、その昆虫が数知れぬ光年を旅して来たものではなかった。それは今朝おれがこしらえたものだからだ。部品の大部分は他の昆虫から集めたもので、天然物で間に合わぬ所にはプラスチックを数片くっつけておいた。その胴体はおれの手ほどの長さがあり、羽根は三対あって各対とも色が違っていた。胴の下に脚が多数ついていてずいぶんと不揃いだった。脚は一ダースばかりの他の昆虫から取ったもので、組み立て中に間違ってつけたり、ぶつけてくしゃくしゃになったものもあった。ごつい一本の針や三つ目や螺線状の尻尾やそれに類似のもので手のこんだところは、夢中になった観衆の見のがせない所だった。おれは前もって考えてプラスチックの容器を色付きのものにしておいた。これで中味はうまくぼけて、それをはっきり見せるというよりはヒントを与えるといったようにしておいた。 「しかし、陛下、もっと近くでよくご覧になって頂きたい」われわれ二人とも、前後にふらふらしながら、おれはケースをぱちんといわせて開けた。これはまるで手品を使うようにむつかしいやり方だった。おれはワイングラスとケースを一つの手に持ち、他の手は自由にしておいてこの怪物をつかもうとしていた。おれは親指と人差し指でそいつをつまんで出し、王がのぞき込んだ。片手に飲みものの入ったグラスを持って、熱心にかがみ込むので酒が中でゆれていた。おれが親指でちょっとひねると、昆虫が生きているようにぴょんとはねて、王のグラスの中に飛び込んだ。 「大変だ! 大変だ!」おれは叫んだ。「貴重な見本だ!」おれは、指を突っこんで虫をおいかけた。酒がこぼれ出てヴィレルムの金でふちどりしたそで口をよごした。驚愕の声があがり怒りの声がひびいた。誰かがおれの肩をきつく引いた。 「やめろ、この称号盗人め!」おれはわめいてつかんだ手をぐいと引きはなした。溺死した昆虫はおれの指から飛び出して王の胸にとまり、それから羽根や脚やその他の部分が脱落しながらゆっくりと床に落ちた。おれの使った接着剤は極めて質がわるかったようだ。おれは落ちていく死骸をつかもうと飛びついたら、片一方の手にあることを忘れていた酒が飛び散って、赤いしみを王のジャケツにつけた。まわりからいっせいに怒号が上がった。  王の為にこれだけは言っておきたい。王はそれを立派に受けとめた。嵐の中の樹のように身体はゆれていたが特に抗議もしなかった。ただ、二、三回「ええ……ええ……」とつぶやいただけだった。おれがハンカチをとり出して酒をふいていると、あとから皆におしつけられて、おれはその拍子に王の足指をふんづけたがその時でも同様だった。その中の一人が、おれの腕を強くひっぱった。そしておれがひっぱりかえすとその手をはなした。そのはずみでおれの腕がヴィレルム九世の高貴な胸にあたり、上の入れ歯がぽろりと飛び出して床に落ちなんともこっけいなことになった。  老人連中がしりぞいたあとはこれまたこっけいだった。若手の貴族どもが陛下の盾にならんと飛び出してきて、おれは数多くの惑星で習い憶えた乱闘の手の二つ三つを連中に示してやった。連中は技の足らぬところは力で補い、われわれはまことに派手な立ち回りをやった。婦人方は悲鳴を上げ、男はどなり、王はほとんどかつがれるようにしてけんか場から去った。そのあとはめちゃくちゃだった。おれは連中を非難することはできないが、といって受けただけのものはお返しするのに遠慮はしなかった。  最後に記憶に残っていることは、多数のものがおれを押さえ一人がおれをなぐった。おれは自由な足をつかってそいつの顔をけとばした。連中はその足をも押さえつけその男のお返しで目の前が真っ暗になった。 [#改ページ]   15  おれのやり方は非文明的ではあったが、看守どもはすこぶる文明的なやり方でおれをあつかい通した。おれは大いに苦情を述べたて、そいつの仕事をできるだけやりづらくしてやった。  おれは人気コンテストで優勝するため刑務所に希望して入ったのではない。かわいそうに老人の王にこんないたずらの限りを尽くしたのは賭《かけ》だったのだ。不敬罪《レーズ・マジェステ》というのは、ふつう死刑に処せられるべき種類の罪悪なのだ。幸いなことに、連合の文明の恩恵はフライバーの最暗黒面にも及び、この地の住民は自分たちがいかに法を守る人間であるかを示そうとしている。それでおれは食事が運ばれてくるとそれを食い、皿をこわしてこの不当な監禁に対して軽蔑の意を示した。  これは罠《わな》なのだ。もし派手にやったおれの試みが、適切な場所で成果を上げるならば、おれがこうむったすり傷などはささいな支払いにしかすぎないのだ。おれのことが話題になっているのは疑いない。貴族階級にとっての恥しらずな裏切り者なのだ。平和な世界で暴力を振るうもの、けんか好きで闘争的で頑固な奴だ。つまりかんたんにいうと、おれは善良なフライバー人が嫌悪するものであり、アンジェリナが非常な興味を抱く種類の人間であるということだ。  フライバーは、その近い昔の血なまぐさい歴史にかかわらず、乱暴者は驚くほど少なかった。最下層のレベルでの話ではない。港の付近の飲み屋では、ピンの頭ほどの頭脳しかない腕っぷしの強い猿どもはいる。アンジェリナは必要とあればこの連中は全部徴募することができる。だが暴力隊だけでは勝利はおさめられない。アンジェリナは貴族階級からの同盟者や援助が必要なのだ。そしておれのみたところでは、この種の才能を持ったものは極めてとぼしい。おれは関接的な方法で、アンジェリナが興味をいだくであろうようなあらゆる特徴を示したのだ。しかもそれはアンジェリナの為にやったことが、分からぬような方法でやったのだ。罠はしかけられた。女のしなければならないことはその中に足をふみ込むことだ。  看守がドアを叩いて金属がなりひびいた。 「グラブ・ディープシュタール。お客だ」内側の鉄格子が開いて声がした。 「とっとと立ち去れと言え!」おれはわめいた。「このくそいまいましい惑星で、会いたい奴などおらんのだ」  おれの要求に答えず、看守は刑務所長と黒衣をまといしぶい顔をした古めかしい様子の二人の男におじぎした。おれはそれらを全然無視した。看守が立ち去るまで一行はしかめ面をして待っていた。それから一番やせた男が持って来た書類ばさみから、紙を一枚指先でつまんでそろそろと取り出した。 「わたしは自殺の手記に署名などせんぞ。わたしが寝ているときに殺したらどうだ」おれはどなりつけてやった。そいつは少し興奮したようだが無視しようと努めた。 「これは不公正な提案だ」そいつは厳粛にのたまった。「わたしは王室弁護人であり、そのような行為を許すわけにはいかない」三人とも一本のひもにつながれているかのようにいっせいにうなずいた。あまり見事なのでおれもうつかりうなずくところだった。 「わたしは自分から選んで自殺はしない」おれは同意の呪文を打ち破るためきつく言った。 「これがこの件についての最後の言葉だ」  王室弁護人は裁判所でのかけ引きに長い経験を持っており、この種の婉曲な言いまわしで自分を失うようなことはなかった。その弁護人はせきばらいをすると、紙をかさかさいわせて本論に立ちもどった。 「若者よ、あんたが告発を受ける罪状は数多くあるのだ」陰うつな表情を顔にみなぎらせてものうげに言った。おれは気のない顔であくびをした。「わたしはそうする必要がないことを期待している」弁護人は続けた。「関係者全部に迷惑をかけるだけだからだ。王ご自身もそうならないことをご希望されておられる。じっさいのところ、おだやかにこの件を終らせるようわたしにも強く要望された。王の平和を望まれるお気持はわれわれ全員にも波及しており、このご希望を行為に現わすために、わたしがここに来ているのである。あんたがこの詑状に署名をすれば、今夜出発する恒星船に乗船することになる。それで本件は終了する」 「宮殿での酔っぱらいの喧嘩騒ぎをかくすため、わたしを除け者にしようというわけか?」おれはあざ笑った。弁護人の顔は紫色になったが見事な努力で感情を抑えた。やつらがもし今おれをこの惑星からほおり出したらすべての事が無駄となる。 「ひどい言葉だ」弁護人は鼻息荒く言った。「あんたはこの事件で非難さるべき立場にあるのですぞ。この不幸な事件において、王のご慈悲をありがたくお受けし、この詫び状に署名することを心からすすめる」弁護人はおれに書類を渡し、おれはそれをこなごなに破いた。 「わびを入れるって? まっぴらだ!」おれは全員に向かってどなった。「わたしはあの酔っぱらいの田舎者や泥棒貴族達から、わたしの名誉を守っていただけなのだ。この連中は皆わたしの家門に正当に所属すべき称号を盗んだ奴の子孫なのだ!」  それで連中は立ち去った。刑務所長だけが若くて強情っぱりだった。おれは靴の爪先でけとばして出ていくのを手伝ってやった。すべては筋書きどおりだった。ドアがおれの背後で音をひびかせて閉じた――フライバーが生んだ反逆者、つむじ曲がり、好戦的な男のうえにだ。おれがアンジェリナの注意を引くよう準備万端おこたりなかったのだ。だが早くおれに興味をもってくれなければ、おれは生涯の残りをこのうっとうしい壁の中で過ごす可能性が極めて大きい。  待つということはどうもおれの性に合わない。おれは平和時には思考派なのだが、たいていの時は行動派なのだ。計画をねってその中に大胆に飛び込む。それとうす汚ない監房に腰かけて、計画がうまくいっただろうかとか論理の鎖に弱いつぎ目がありはしなかつたかなどと考えあぐねることとは、まったく別なことだった。  おれはこの豚箱から脱獄すべきか? そいつは大してむつかしいことではない。だがこれは最後の手段として残しておこう。外へ出てしまえばおれは隠れて住まねばならず、アンジェリナがおれに接触してくる機会もなくなってしまう。こういう次第でおれは爪をかんでじっとしているわけだ。次の行動はアンジェリナにかかっている。おれのすることはただ待つだけだ。おれが供給した暴挙の証拠から、アンジェリナが間違いのない結論を引き出してくれることを望むばかりだ。  一週間もたつとおれはじっとしておれなくなった。王室弁護人はそれっきりだった。そして裁判の話もなければ処刑もない。おれは連中に困った問題を与えた。それで連中は頭でもかいていておれが立ち去ってくれるのを期待しているのだ。もう少しでそうするところだった。この後進地の刑務所から抜け出すことなど簡単そのものだった。しかしおれはすてきな愛人からの通知を待っていた。アンジェリナがやるかもしれない事柄の可能性について、おれはあれこれと楽しみながら考えた。多分裁判所を通じて圧力をかけそしておれを釈放する? またはメモか何かをしのび込ませて、おれが自分で脱獄できるかどうかをみる。この第二の可能性の方にひどく引かれるものがあったので、パンがくるたびにそれを細々にして、その中に何かうめられていないかを調べた。何もなかった。  第八日目にアンジェリナが手を打った。いかにもアンジェリナらしい直接的なやり方だった。夜だった。だが何か尋常でない気配で目がさめた。聴き耳を立てたが答えはない。それでおれはこっそり鉄棒のはまったのぞき窓に近寄り、広間の向こう瑞に最もすばらしい光景をみた。夜間看守が床にのびており、覆面をして黒い衣装に包まれた頑丈なやつが、そのがっしりした手に棍棒を持って看守の上に立ちはだかっていた。最初のやつと同じ服装をしたもう一人のものが来て、その看守をおれのいる方へ引きずって来た。覆面のうちの一人が、自分の腰につけた袋をさぐって赤い布切れをとり出し、ぐったりした看守の指の間にはさんだ。それから、おれの監房の方を向いた。おれはうしろへさがって見られないようにし、そっとベッドにもぐり込んだ。鍵を鍵穴にさす音がしてそれから灯りがついた。おれはびっくりして起きた男のふりをして目をぱちくりさせて坐った。 「誰だ? 何の用だ?」おれは尋ねた。 「起きてすぐ服を着ろ、ディープシュタール。ここから出るのだ」こいつは初めて見た殺し屋だ。その手から皮で包んだ梶棒がまだ垂れ下がっていた。おれは口をあっとあけてベッドから飛びおり壁を背にして立った。 「暗殺!」おれは唇をかんだ。「そう、これが悪のヴィリイ王のすばらしい考えというわけか? おれの首のまわりに綱をまいて、首をつったことにさせようというのか? さあ、こい――だが簡単にやれると思うなよ!」 「ばかなことをいうものではない!」その男はささやいた。「大口をたたくな。あんたを救い出そうとしてきたのだ。われわれは友人だ」さらに二人、同じ服装のものがその男のあとから入り込み、第四のものが広間にいるのがちらりと見えた。 「友人だ!」おれはどなった。 「人殺しというのがふさわしい! この罪にはうんと支払いをさせてやるぞ」  第四の男はまだ広間にいたが何かささやいた。すると残りがいっせいにおれにかかってきた。そのボスをもっとよく見たかった。小柄な男だった――もしそいつが男なら[#「男なら」に傍点]だ。そいつの衣服はだぶだぶで、その頭をストッキングマスクですっぽり包んでいた。アンジェリナはちょうどそれぐらいの身長だった。もっとよく見ようとする前に人殺しどもがのしかかってきた。一人の胃袋をけとばして身をかわした。これはホテルの酒場での闘争型で連中はまったく有利な立場にあった。靴もなければ武器もなくとても勝ち目はない。連中は棍棒をふるうのを遠慮はしない。奴らがおれの上にのしかかってきたとき、おれは勝利の笑みをもらさぬよう大いに努力した。  おれはいやいやながら、おれが行きたいところへ引っぱっていかれるのをそのままにしておいた。 [#改ページ]  16  頭をなぐられてもふらふらしているだけなので、そのうち一人がおれの鼻先で催眠カプセルをくだいた。しばらくはそれで終りだった。だからどのくらい遠く運ばれたのか、フライバーのどこにいるのかは分からなかった。奴らはおれに解毒剤を与えたらしかった。というのは、次におれが見たのは手に皮下注射針をもった骨ばった男だったからだ。そいつはおれのまぶたをひっくりかえしてのぞき込んでいたので、そいつの手をひっぱたいて払いのけた。 「おれを拷問して殺そうというのだな、豚めが!」おれは自分のやるべき役割を思い出して言った。 「その必要はない」おれの後ろで太い声がした。「きみは友人の中にいるのだ。現在の政権にいらだちをおぼえるきみの気持が理解できる友人たちだ」  その声は全然アンジェリナのものではない。また気むずかしい顔をした無骨な男のものでもない。医者はそっと立ち去りあとはわれわれだけだった。それでおれは計画がどこかではずれてしまったのではないかと心配した。がっしりしたあごと丸こくて小さく輝く目は、どこかで見たことがある――フライバーの貴族であることに気づいた。おれは多くのことを記憶にたたき込んだ。そしてそのみにくい顔を見て記憶をほじくり出した。 「ルデンルント――ルデンルント伯爵」この男について他に何を読んだか、思い出そうとしながら言った。「あなたが王の実の従兄弟でなければ、あなたが真実を話しているということを信じるでしょう。あなたが自分の目的のため、王室の刑務所から人間を盗み出すとはとても信じられない……」 「きみが何を信じようとそれは重要なことではない」ルデンルントは怒り声でぴしゃりと言った。この男は短気で自制心をとりもどすのにしばらくかかった。「ヴィレルムはわたしの従兄弟かもしれぬ――だがそのことが、ヴィレルムがわれわれの惑星の完璧な支配者であるとわたしが思っていることを意味はしない。きみは上位の称号への当然の権利をだましとられたという事実について多くを語った。それは本気なのだね? それとも単なる客間でのほら吹きに過ぎないのかね? 答える前によく考えるのだ――きみはのっぴきならない立場に立つことになるのだ。きみが考えると同じように思っている者がいるかも知れない。つまり風向きに変更があるのだ」  とび上がらんばかりに興奮したのはおれだ。王室の友人そして恐るべき敵。それに闘いとなれば不退転の勇気。おれは前に飛び出してその手をにぎり振りまくった。 「いまの話が本当なら、最後まであなたの片腕となって働く男を得たことになりますぞ。もしわたしに嘘をついて、これが王の何かのトリックだとすれば――そうなれば、伯爵、わたしと闘う用意をなさい!」 「闘う必要はない」おれがにぎりしめている手をかなり苦労して抜き出しながら言った。「少なくともわれわれ両人の間ではだ。われわれの前方には困難な途が横たわっている。したがってわれわれはお互いに頼り合うことを学ばねばならない」ルデンルントは指をぽきぽきいわせて窓越しにむっつりと外をながめた。「わたしはきみが頼りになることを心から願っている。われわれの先祖が支配していたフライバーとは今はすっかり変った世界になってしまっている。連合がわれわれ住民の心から闘争心を抜きとってしまった。わたしが本当に頼りにできるものは誰もいない」 「わたしを監房から出してくれた連中がいるのではないですか。あの連中は仕事を充分にこなしますよ。 「腕力!」ルデンルントはぺっとつばをはくと、椅子の腕についたボタンを押した。「石頭の人殺しどもだ。こんな連中は必要なだけ集められる。わたしの必要としている人間は、指導し――フライバーを正しい将来へ導くのにわたしを助けてくれる人間だ」  昨夜、腕力連中を引きつれていた男、廊下にとどまっていた者については、おれは言わなかった。ルデンルントがアンジェリナについて話そうとしないなら、おれはその話を持ち出すわけにはいかぬ。ルデンルントは筋肉ではなく頭脳が欲しいのだからおれは少し与えることにした。 「刑務所で看守の手の中に制服の破れ布を残しておくことを考えたのは、あなたですか? あれはうまい手ですな」  ルデンルントが振り返っておれを見たときその日が少し細くなった。「仲々目ざといな、ベント」と言った。 「訓練の問題でして」気取らなくても同時に自信をもって話した。「看守の手にボタンのついた赤い布切れが、ちょうど争いのうちにつかんだようにしてあった。だがわたしの見た男は全部黒の服装だった。多分見当違いをさせるための……」 「時間が経過するごとに、きみが仲間に加わってくれたことがうれしくなってくる」そう言って自分では笑って満足の意を表わしたつもりだろうが、その乱杙歯の全部を口を開けて見せてくれた。「老公爵の部下は赤の揃いの服を着ている。きみももちろん承知のことだろうが……」 「そして老公爵はヴィレルム九世の強力な支援者である」おれはかわりに言ってやった。「老公爵が王とまずいことになってもこちらはいっこう痛痒を感じない」 「全然」ルデンルントは反響した。そしてまた歯を全部見せた。おれはこいつがだんだん嫌いになってきた。もしこの男が、アンジェリナが自分の仕事の手先として拾い上げたものなら、恐らくこの惑星で最も仕事に向いたものであろう。だがふくらませたパンくずのように想像力にとぼしい男で、アンジェリナが吹き込んでいる考えを理解できるのかどうかだ。それでも金と称号はもっているはずだ――それと野心も――この組合わせはアンジェリナが必要とするものだ。またしてもアンジェリナの所在について考え込んだ。  何かがドアから入って来て、いくさでも始まったのかとおれはあとずさりした。それは一台のロボットにすぎなかったが、それがしゅうしゅうがたんがたんとすざましい音を立て、おれはどこがこわれているのかといぶかった。伯爵はそのすごいやつにバーに行くように命令した。それが向こうに行ったとき、その一方の肩のうしろから煙突[#「煙突」に傍点]としか言いようのないものが突き出ているのを見た。空気中に石炭の臭いがただよっていた。 「あのロボットは石炭《ヽヽ》をたいて……?」おれは口をつまらせた。 「そうだ」伯爵はわれわれの飲みものをつぎながら言った。「〈無能者ヴィレルム〉のご治世下では、フライバーの経済が如何にうまくいっていないかの申し分のない見本がこれだ。首都ではこんなロボットは見つからん!」 「わたしも見たくないですな」おれは目をまんまるくして絶句した。それからは蒸気がもれ出ており、さびと石炭のごみが外部にこびりついていた。「もちろん長いこと外へ出ていましたし――ものも変ってくるし……」 「さっさとは変らんのだ! わたしに銀河的規模での話はするな、ディープシュタール。わたしはミステルドロスに行ったことがある。そこの田舎者がどんな暮しをしているか見て知っている。ロボットなどは全然ない――ましてやこんな珍奇な仕掛け物もない」  ルデンルントは不機嫌な怒りにかられてロボットをけとばし、それはよろよろと少しあとへさがった。そして蒸気を脚のピストンに送り込んで姿勢を立て直そうとして、バルブがかちんと音がしてあいた。 「次のグルンドロフの日で我々が連合に加盟して二百年になる。この間甘い汁をすい上げられ連中にすっかり骨抜きにされてしまった――何の為にだ? フライバーバッドの王にぜいたくを与えるためにだ。一方首都を離れたここでは、ほんの少量のロボットの頭脳とコントロール回路のあわれな委託販売商品しかないのだ。その他は自分たちで不能率な怪物を造らなければならないのだ。そしてきみの出身地のようなほんとうの田舎では、ロボットはオールで漕ぐボートのつづり間違いだと思われているのだ!」  ルデンルントはグラスを飲みはした。おれは銀河通商の経済、惑星の勢威、重畳した相互通信制度、などについては話してやらなかった。このみすてられた惑星は、〈没落〉後、再接触が行なわれるまで、銀河文化の交流からおそらく千年はとざされていただろう。住民たちはその行程を混乱させるようなはげしい反動もなくて徐々にその文化に組み込まれてきていた。十億台のロボットを明日にでもここにほうり込むことはできる。だがそれがこの経済にどんなによいことをもたらすというのだろうか。むしろコントロール・ユニットを導入して、住民たち自身にものを組み立てさせた方がずっとよい。最終製品が気に入らなければ不平をいうかわりにデザインを進歩させればよいのだ。  伯爵はもちろんそのようにみない。アンジェリナはその偏見と欲望を利用して仕事をうまく進めた。伯爵はまだロボットをにらみつけていたが、かがみ込んで急にそれの横についているダイヤルをたたいた。 「あれを見ろ!」伯爵はどなっていた。「圧力は八十ポンドに下がっている! 次はこいつが前にぶったおれてそこらあたり火事になる。燃料をくべろ、このバカ――燃料だ!」  この仕掛け物の中でいくつかの回路が閉じて、ロボットはがちゃんと音をさせて、酒グラスの盆を下に置いた。おれはゆっくりと酒をのんでその光景を楽しんだ。暖炉の方へ向いて――だいぶん速度が落ちていたのが分かった――ロボットは自分の胃袋のところの扉をあけると炎が噴出した。バケツの中のシャベルを使って相当量の無煙炭をすくい込み、火口の扉をがちんとしめた。そいつの煙突から黒煙がもくもくと出た。とにかくそれは家庭用に慣らされていてその火床をここでぶちまけるようなことはしなかった。 「こら、外へ!」伯爵はごほんごほんとせき込みながらわめいた。煙がちと濃すぎた。おれはもう一杯流し込んでいまここでルデンルントを好きになろうと心に決めた。  アンジェリナを見つけることができたらもっともっとロボットが好きになれるだろう。このすべての出来事にアンジェリナ流の手ぎわの軽い痕跡があった。だがアンジェリナの姿はどこにもない。おれは部屋に案内されて、伯爵のもとにいる幹部の幾人かと会った。その中の一人にクルトという貴族の血統を引いてはいるが貧乏な若者がいた。それが庭内を案内してくれた。場所は封建領土と小さな都市との境界線にあり、高い城壁がとりまいていて都市と隔絶されていた。伯爵の計画が明確に現われたものは何も見あたらぬようだ。あるとすれば、ぶらぶらと歩きまわったり、射撃場でたるんだ訓練をしている武装郎党どもぐらいである。本当だと思うにはあまりに平和すぎるようだ――それでもおれはここへ連れて来られた。これは偶然の出来事ではない。おれは少々微妙な質問を発しクルトはかくさずに答えた。田舎紳士の多くがそうであるように、クルトも中央の権威に対し恨みを抱いていた。もっとも自分でそれに対して何かをするということはできはしなかった。ともかく仲間入りをして自分にとってはっきりしない計画に従ってやって行こうとしている。この男は死骸をみたことはないのだろう。すべてのことについておれに正直に話してはいないということは、この男が最初にうそをついた時にあきらかだった。  われわれは幾人かの婦人と出会いあいさつを交わした。その女性方は他の二人の幹部の夫人たちであることを教えてくれた。 「で、あんたも結婚しているのですな?」おれは尋ねた。 「いいや、その時間がなかったのです。いまでは遅すぎると思います、とにかく当分はね。この仕事が全部終って、生活がもう少し平和になれば腰をすえる時間も充分あるでしょう」 「まったくだ」おれは同意した。 「伯爵はどうかね? 結婚はされているのかな? わたしはずいぶん長いこと外に出ていたのでそういうことは不案内でね。女房だとか子供たちだとかいったことがね」おれはこれを尋ねたとき気づかれないようにクルトを注視していた。クルトは少しびくっとした。 「ええ……まあ、そうですね。伯爵は結婚されていたという意味です。しかし、事故があっていまは結婚されていない……」クルトの声はだんだん小さくなった。そしてほかのことにおれの注意を向けて、その話題からはなれてほっとしていた。  さて、アンジェリナの痕跡をいつも示す一つのものがあるとすれば、それは一つか二つの死骸だ。伯爵夫人の偶然の℃をアンジェリナと関連づけるのに多大の霊感は必要としない。  もし死が自然なものであったならば、クルトはそれを話すのを恐れることはなかっただろう。  クルトはその話を二度としなかったのでおれも誘導尋問はやめた。おれは手掛りを得た。アンジェリナは姿をみせないが――女の匂いはおれのまわりに立ちこめていた。もう時間の問題だけだ。できる限り早い機会にクルトにゆさぶりをかけて、おれを刑務所から誘拐したあばれ者どもを狩り出す。いっぱい飲ませて、やつらがおれをなぐったことを恨んではいないと言って安心させてやる。それからうまうまとかまをかけて、やつらを率いていた男について聞き出してやる。  アンジェリナが先に動いた。石炭だきのロボットの一台がしゅっしゅっがたがたといって伝言を持って来た。伯爵がおれに会いたいと言っている。おれは髪をなでつけシャツをきちんとととのえ出頭した。  昼間から一人で飲みつづけている伯爵をみてうれしくなった。おまけに吸っている巻きぐすりにはタバコがほとんど入っていないのだ。甘い煙が部屋に満ちていた。これが意味することは伯爵はもうじき役に立たなくなりそうだということだ。おれは会葬者の一人に数えられたくはない。もっともこれがおれの表情や態度に現われることはない。おれは目を輝かし緊張に身をこわばらせていた。 「行動ですか? お呼びはその為ですか?」おれは尋ねた。 「腰をかけて」伯爵は椅子の方へ手を振ってつぶやいた。「気楽にして、煙草はどうかね?」伯爵は箱をおれの方へおしやり、おれは黄色の細い棒をいやな眼でみた。 「今日はけっこうです。ここのところ煙草は止めています。眼をするどくさせ、引き金を引く指をしなやかにして行動に備えています」  伯爵は何かほかのことに気をとられて、おれの言葉は全然耳に入っていないようだった。おれを上から下まで見渡しながら、うつろに口の中でほおをかんでいた。半分いかれた頭脳の中をついに決心がもがき出てきた。 「ラデプレヒェン家のことは何か知っているか?」いままでぶつかったこともないような奇妙な質問だった。 「いや、全然」おれは正直に答えた。「わたしが知っているわけが?」 「いや……いや……」はっきりしない返事をしてまたほおをかみはじめた。おれは部屋の空気を吸うだけで気分が高揚してきた。そして伯爵がどんな気持でいるのかいぶかしく思った。 「わたしと一緒に来なさい」と言ってよろけて椅子を押し倒してその上に倒れこむところだった。われわれはいくつかの広間をとぼとぼとたどって、建物の奥へ奥へと行き、ついにドアにつきあたった。われわれの通って来たドアと変るところはなかった。ただこのドアの前には護衛が一人いた――腕をさりげなく前で組合わせた筋骨たくましい荒っぽい型の男だった。指が銃把にかかる程度のさりげなさだった。われわれが近づいても微動だもしなかった。 「大丈夫だ」ルデンルント伯爵はかぼそい声で言った。「わたしが一緒だ」 「とにかく身体検査はしますぜ」護衛は言った。「命令なんでね」  ますます面白い。誰が命令を出しているのだ? 伯爵が変えることのできない命令だ――自分の城の中でだ。おれも知らなかったが護衛の声で気がついた。おれを刑務所から連れ出した者の中にこいつがいた。すばやく要領よく調べると横によった。伯爵がドアをあけおれは伯爵のかかとをけとばさぬよう注意してあとについて入った。  現実について一言したい――それはいつも理論よりはるかにまさるものだ。アンジェリナがここにいるだろうということには疑いの余地はなかったが、それでもテーブルの向こうにすわっているのをみるのは強い驚きだった。おれの背骨にある電気のようなものが、髪の根本までぴりりと上がったようだった。これは長い間待ちに待った瞬間なのだ。おれは気分をゆったりさせ平静にみえるようにさせようと大いに努力した。すくなくとも健康な若者が魅力にあふれた女性の前にいる程度の平静さにだ。  もちろんこの女はアンジェリナにそれほどは似ていない、それでも疑いはない。髪の色と同じょうに顔は変えていた。顔は新しいものだったが昔の顔が持っていた甘美な天使《アンジエリック》のようなものと同じ質のものがあった。その姿はおれが記憶していたような形で、すこし変えたところもあったようだ。アンジェリナのは表面的な変形でおれがやったような根本的なものではなかった。 「グラブ・ベント・ディープシュタールだ」赤くけぶったような小さな目でアンジェリナを見つめながら伯爵は言った。「お前が会いたがっていた男だ、エンゲラ」そうか名前は違ってもやはり天使《エンジェル》だった。これは悪い習慣だ。注意しなければいけない――もっとも女にそうは言わないが。自分のもとのものとよく似た偽名を使って大勢の者が捕まっている。 「あら、ありがとう、カシトール」と女は言った。カシィは暖かい歓迎を受けるものと期待していたらしい。というのは始めは片足で立っており、次は他の足で立ってわれわれ二人とも聞こえなかった何かをつぶやいた。しかしアンジェリナ=エンゲラの歓迎は同じ温度にとどまった。あるいは自分の前のテーブルの上の書類を手にとったとき、温度は一度か二度は下がったかも知れない。伯爵はもうろうとしていても分かったらしくなにかをつぶやいて出て行った。その言葉は地方の方言でぶっきらぼうで胸の悪くなるようなものの一つだったことは、まずまちがいないと思う。われわれだけになった。 「恒星間警備隊にいたなどという嘘をどうして言ったの」書類を忙しそうにさばきながら静かな声で聞いた。この発言でおれは皮肉な笑いを浮かべて袖の塵をはらうようなしぐさをしてみせた。 「わたしが外に出ておった間に実際にやってきたことを、あの善良な人々に話せるわけがないでしょう?」目を大きくみひらいて素直におどろいてみせた。 「何をやっていたの、ベンド?」女は尋ねたがその声には何の感情の動きもなかった。 「それはわたしだけのことなのでね、そうでしょう?」抑揚のない声には抑揚のない調子でおれは告げた。「質問の途中だが、あんたは誰なのか、あの偉大なカシトール伯爵よりも偉そうにふるまっているようだが、どうしてなのか、知りたいものですな」おれはこのような当てっこ勝負には手なれている。しかしアンジィもこれまた手なれたもので、話を自分の広場に引きもどした。 「わたしは、ここで強大な地位にいるわけだから、わたしの質問に答えた方が賢明でしょう。わたしをおどかすと思って遠慮することはないのよ。わたしがどんなことを知っているか、あなたはそれを知れば驚嘆するでしょう」  いや、愛するアンジェリナよ、おれは少しも驚かないよ。だがいささかの抵抗もなしに全部を話すわけにはいかぬ。 「この革命のアイディアの背後にはあんたがいるわけだ、そうだね」おれは質問というより確言した。 「そう」と言って手の内をさらけ出しておれのものも見ようとした。 「どうしても知りたいというのだったら」おれは言った。「密輸をやっていた。たまたま何処に何を持って行くかを知っておれば仲々面白い職業でね何年間もいいかねもうけになる商売だった。ところがついにあちこちの政府が、わたしが不公平な競争をやっていると感じたわけだ。一般民衆をごまかすのを許されているのは連中だけだからね。圧力がかかってきて、わたしはのんびりした生国に休養のため帰ってきたという次第だ」  おれのエンジェルは中味の分からぬものを買うような女ではない。おれの密輸の経歴についてきびしく徹底的に追及してきた。その様子でみるとアンジェリナはこの分野についての通りいっぺんでない知識をもっているようだった。おれは返答するのに困りはしなかった。昔はこの法律に反するやり方で大金を手にしたものだったからだ。おれが心配したことはこれをあまりうまくやり過ぎてはまずいということだった。それで成功はしたが、まだ青くさくてプロのやり手とまではいかないような話にしておいた。話している間は自分がほんとうにその役をやっているように努め、自分で言ったことは全部信じることにした。これは非常にきびしく困難な時だった。どんなことがあっても、アンジェリナの心に〈するりのジム・ディグリッツ〉を想い起こさせるようなヒントや態度があってはならなかったからだ。おれは田舎出の不良少年で、うまく立ち回って世間に出ていこうとしている男でなければならなかった。  油断するな――われわれの話はもちろん四角ばったものではなく、酒をくみかわし煙草をくゆらすような雰囲気の中で行なわれた。気をほぐらせて二、三の失言を飛び出させようという魂胆なのだ。もちろん口をすべらせておれは自分の経歴について一つや二つの嘘をついた。アンジェリナが嘘を見破って、それがおれの若気のいたりだと考えてくれるようなやつだ。おしゃべりの調子が少しゆるやかになった時、おれはこちらから質問してみた。 「もし差しつかえなければ、ラデブレヒェンという地方の名家とあんたは何か関係があるのかね?」 「どういうわけで聞くの?」冷静そのものの聞き方だった。 「愛想のいいあんたの友人のカシトール・ルデンルントが、ここに来る前にわたしにラデブレヒェン家のことについて聞いた。何も知らないと返事した。あんたとの関係は何かね?」 「ラデブレヒェン家はわたしを殺そうとしている」 「何んと恥知らずだ――それにむだなことだ」おれは誘うような笑みを精いっぱい浮かべてそう言った。女はそれを無視した。「そのことで何かすることは?」仕事に立ち戻って言った。おれの肉体的な魅力には興味を示さないようだったからだ。 「わたしの護衛になってもらいたいの」と言った。それでおれは微笑して、話をしようと口をききかけたら女は続けて言った。「あなたが護衛する肉体がどんなものかについて述べたてて、わたしをなやますことはしないで欲しい。カシトールでもううんざりしているのだからね」 「わたしの言いたいことの全部は、その任務を受諾するということだ」これは大嘘だった。おれの心には前からそのような文句がひそんでいたからだ。アンジェリナより先に立つことは非常に困難だった。それで瞬時といえども気をゆるめてはならぬと再び自分に言い聞かせた。 「あんたを殺そうとする者たちについて話して欲しい」 「ルデンルント伯爵は結婚していたようだった」少女のようなしぐさでグラスをもてあそびながら言った。「夫人は名声を傷つけるようなばかばかしい方法で自殺を計った。夫人の実家――もちろんラデブレヒェン家――だけど、わたしが夫人を殺したと思っているの。それでお返しにわたしを殺して、想像上の殺人者に復讐しようとしている。このフライバーの片田舎では血の復讐はまだ意味を持っているようで、この愚鈍者の一門はそれにしがみついているのよ」  いっきょに情勢がはっきりとしてきだした。ルデンルント伯爵――生まれつきの機会主義者――は、この一門の娘と結婚して富を増した。アンジェリナがやってくるまではこれはうまくいっていた。それから第二夫人が入りこんで、この地方の魅力ある習慣である復讐殺人を知らずに、アンジェリナはじゃまになる石をとり除いた。何かまずいことが起きた――多分伯爵が、その様子からみるとへまをやったのだろう――それでいま血の復讐となったのだ。それでおれの天使《エンジェル》が、おれのかよわい身体を殺人者の前に立ちはだからせようとしているのだ。このへんぴな惑星はアンジェリナの予期に反したものだったようだ。いまやおれが大胆になる時だった。 「自殺だったのかな?」おれは尋ねた。「それとも、あんたが殺したのか?」 「そう、わたしが殺したの」親しくやる議論は終った。われわれは全部手の内をさらけ出した。決心はおれ次第だった。 [#改ページ]   17  他に何をすることがあるだろうか? アンジェリナを捕えるのに、射ち殺されたり、頭を強打されてぺしゃんこに踏みつけられたりするのはちとゆきすぎだ。おれが女を捕えようとしているのはもちろん本気だ。しかし伯爵の城塞のただ中でやるというのは、まずは不可能と言ってよい。そのほかに伯爵が計画している反乱について少々知りたい。これは〈特殊部隊〉の管轄に属することは間違いないからだ。もしおれが再入隊するとすれば、おれの立派な意図を示すのにいくらかのお土産を持っていった方がいい。  とはいうものの――再入隊についてはまだ決めていない。おれの下で爆発させようとした船体廃棄爆薬のことはちと忘れ難い。このすべてのことはそう単純なものではなかった。これには実にいろいろのことがからみ合っていた。そのうちの一つは、おれはアンジェリナといるのが楽しくて、その大部分の時間には宇宙にただよっていた死体のことは忘れていた。それらの姿は夜になると戻ってきておれの良心をきざんだ。だがいつもくたびれていてすぐ寝てしまうので、なかまで入り込んでおれをなやますこともなかった。  アンジェリナが仕事をしているのを見守るのは非常な楽しみだった。もしおれを追いつめて宣誓させるなら、おれが一つならず二、三のことをアンジェリナから学んだということを、いやいやながらでも認めざるを得まい。たった一人で平和な惑星に反乱を組織しており――それが成功する見込みは充分すぎるほどある。おれもいささかの助力はした。おれが解答を準備しているような問題を、アンジェリナが持ち出すことが時にはあった。そしていつもおれの提案に従ってやっていた。もちろんおれは政府を転覆させたことはないが、なんでもそうであるように犯罪にも基本の法則がある。つまり適用の問題にしかすぎないのだ。こういうことはそうたびたびあるものではない。最初の数週間の大部分はおれは単なる護衛であった。そして暗殺者に対して油断なく目を光らせていた。この立場はある意味では皮肉なものでそれを大いに楽しんだ。  しかしながら、われわれのささやかな〈反乱の園〉に蛇が一匹いて、その名はルデンルントといった。あまり多くは耳に入らなかったが、ここかしこで聞いた言葉から、伯爵は革命家にふさわしくないことが分かってきだした。その日が近づくにつれて伯爵はますます青ざめていった。その小さな声もそれに加わり始めある日ついに全計画が危機に陥った。  アンジェリナと伯爵は会議中だった。そしておれは次の控えの間にいた。おれは恥知らずにも、いつもできるだけ盗み聞きすることにしており、今回はアンジェリナを部屋に送ったあとドアをしめ切らないで少し開けておいた。足の爪先をうまく使ってもう少しドアをひらいて、二人の声がなんとか聞えるようにした。議論が進んでおり――こんどは討議することが多かった――ちょいちょい言葉が聞きとれた。伯爵がどなっており、この運動を進めていくうえで必要な単純な恐喝の仕事を、どうしてもやろうとしないのがはっきりしていた。それから伯爵の言葉の調子が変って声が小さくなり、神経を集中しても聞こえなくなってしまった。伯爵の声には感傷的な甘言と哀れっぽい泣き声があり、アンジェリナの返事は明瞭そのものだった。大声で決定的な否《ノウ》であった。伯爵のうなり声でおれは立ち上がった。 「なぜだめなのだ? いまではいつも否《ノウ》だ。もう否《ノウ》には聞きあきた!」  布を引きさく音がして何か床に落ちてこわれた。おれはひとっ飛びでドアを抜けて入った。ほんの一瞬、伯爵がアンジェリナをひっぱっている争いのさまがちらりと目に入った。アンジェリナの衣服は一方の肩からひきちぎれ、伯爵はたかの爪のようにその指を女の腕にくい込ませていた。おれは銃を逆手にもってかけつけた。アンジェリナはもう少し早かった。テーブルの上からびんをつかむと、伯爵の側頭部にきれいに一撃を加えた。伯爵は射殺されたようにくずれ落ちた。おれがやめろと近づいた時には、アンジェリナは破れたブラウスを引き上げていた。 「銃をおしまい、ベント――すんだわ」平静な声で言った。おれは銃をしまった。それは伯爵が完全にのびているのを確認したあとであった。できればもう一撃が必要であることを期待していた。しかしアンジェリナは見事にやっつけていた。おれが立ち上がった時には、アンジェリナはもう部屋を出て半分ほど行っており、おれは追いつくのに走っていかねばならなかった。アンジェリナがさっさと自分の部屋に入って行く時に言ったのは、「ここで待ちなさい」ということだけだった。  面倒なことが起きそうだと察するのには、何も偉大な予見力を必要としない……もしまだ起きていなければだ。伯爵が気がついてぐらぐらする頭をかかえこんだ時には、アンジェリナと革命とについて別な考えを持つことになるのは間違いない。おれはこれらのことやそれに関連する事項について待っている間に考えた。数分後にアンジェリナから呼び出しがあった。  長い袖がその腕をおおっていたので伯爵がつけた傷は見えなかった。そと目には落ち着いているようだったが、心が徐々に燃えたってきていることを示す眼の輝きが、隠そうとしても自然と現われてきていた。アンジェリナの心に最も重要な位置を占めているに違いない考えについておれは話した。 「伯爵がルデンルント家の地下納骨堂に祖先たちと一緒にいるように、わたしにやってもらいたいのだね?」  アンジェリナは否と頭を振った。「まだ使いみちがあるわ。わたしは怒りを抑えているの――だからあなたもそうして欲しいわ」 「わたしの心は上々の調子だ。だがまだ伯爵と仕事をしたり協力させることができると考えるのは、どういう理由からかね? 伯爵は生気づいた時には、ずいぶんと頭がいたむことだろう」  このようなささいなことにはアンジェリナはわずらわされなかった。手を振ってそんな考えは払いのけてしまった。「わたしはまだ伯爵を扱えるし、わたしのやりたいことをさせられるわ――限度はあるけどね。限度は伯爵自身の持ち前の能力で、わたしがこの反乱を率いる者として取り上げたときに、そんなにとるに足らないものだとは分からなかった。その臆病さのせいで、伯爵に期待していた大きな希望というものが、徐々にこわれていく心配があるの。それでもまだ名目の党首としての利用価値はあり、そのように使用しなければならない。しかし権力と決定はわれわれのものでなければならない」  おれはにぶくはない。用心深いだけだ。おれは返事をする前に、アンジェリナの話をあらゆる面からよくかみしめた。 「このわれわれというのと、われわれの仕事というのは、どういうことかな? そのどこにわたしがはまり込むことになるのかね?」  アンジェリナは椅子にもたれかかると、その愛らしい金髪のふさを片方に振り分けた。その微笑は二千ボルトの電荷があり、その笑みはおれに向けられていた。 「このことでわたしと一緒にやってほしいの」温かい蜂蜜のように豊かな声で言った。「協同者なの。われわれは計画が成功するまでルデンルント伯爵をおし立てておく。それから伯爵を取り除いてあとはわれわれでやる。同意する?」 「ええっと」おれは言った。それからすばらしい妙想がわいて「ええっと」と、また言った。言葉に途絶えたのは弁舌の生涯では初めての経験だった。おれは部屋を歩き回り、ばらばらになった理知をもとに集めようとした。 「贈りもののロケットをテレビで見るのは好まないのでね」おれはそう言った。 「それはそれとして――なぜわたし[#「わたし」に傍点]なのだ? 単純だが熱心に働くボディガード。あんたの身を守り、主張のために働き、盗まれた領地と称号を回復する時を楽しみに待っているわたしだ。事務所の小使いから会長に、どんな飛躍をすればなれるのかな?」 「あなたはそんなことを聞くまでもなくよく知っているでしょう」そう言ってアンジェリナは笑った。そして部屋の温度が十度は上がった。「この仕事をわたしと同じようにあなたはやれる、しかも楽しんでね。一緒に仕事をすれば、あなたとわたしはこれをかって惑星で起きた反乱のうちでもっとも完全なものにできるわ。どう?」  アンジェリナが話している間、おれはその背後を歩き回っていた。アンジェリナは立ち上がりおれの腕をとって休みなく動き回るおれを静かにさせた。この指の暖かみがおれの薄いシャツを通して伝わってきた。その顔はおれの顔前にありほほえんでいた。その声はささやくようで、やっと聞こえるほどだった。 「ちょいとしたものよ、そうではなくて? あなたとわたし……一緒に」  そうではなくて[#「そうではなくて」に傍点]! 言葉がすべてを語らず、身体がかわりに話すような場合があるものだ。これがそのような場合だった。気がついた時には、おれはアンジェリナを抱き引きよせて、唇はアンジェリナの唇に重なっていた。  ほんの一瞬、アンジェリナも同じように、おれの肩を両腕でしっかりといだき、その唇は生きづいていた。銀の時はあまりにも短く、あとでそれはおれが想像したものではないかと思うほどだった。それから暖かみが突然さめてすべてがおかしくなってしまった。  アンジェリナは争ったり身を引こうとはしなかった。ただその唇はおれの下で生気を失い、眼をあけて不毛な空虚さをもっておれを凝視していた。アンジェリナは何もしなかった。そしておれは両腕をおろして身をはなした。アンジェリナはぎごちなく椅子にまた腰をおろした。 「どうしたのだ?」と聞いたが、それ以上の言葉は出なかった。 「きれいな顔――それがあなたの想っていることの全部なの?」その言葉はすすり泣きと共に出てきたように思えた。本当の感情の表現はアンジェリナの場合そう簡単に出てこない。 「男というものは皆似たようなもの――全部同じ――なの?」 「ばかばかしい!」おれはわれ知らずどなった。「あんたはわたしに接吻してもらいたかった――否定してもだめだ! なんで気が変ったのだ?」 「この女[#「この女」に傍点]に接吻したい?」アンジェリナは絶叫し、感情で引きさかれて、おれは理解できなかった。アンジェリナは首にかけた細いくさりを引っぱった。くさりはぷっつりと切れて、それをおれに半ば投げて渡した。くさりに小さなロケットがついていて体温でまだ暖かかった。その中に映像拡大鏡がついていて、決まった位置に持ってくると中の写真がくっきりと見えた。写真に写っている少女の姿をほんのかいま見る機会を得ただけだった。その時アンジェリナの気が変って、それを取り戻すと同時におれをドアの外に突き出した。おれのうしろでばたんとドアがとじ、重いボルトがかけられる音がした。  護衛が眼を上げるのを無視して広間をどんどん通って自分の部屋に入った。おれの情熱が理性に勝ちを占め、アンジェリナについてもまたそうだった。――ほんの一瞬間だったが。それでアンジェリナが冷やかに身を引いたことや写真の意味することが分からなかった。何故それを身につけていたのだろう?  おれはそのなかみを一度ちらりと見ただけなのだがそれで充分だった。それは少女の写真で妹かも知れない。悲劇的なことだが、偶然の法則というものは数え切れない組合せを可能にしており、そのことの恐るべき証明の一つがあった。この少女は醜く生まれついており、そう表現するより他に言葉はなかった。それはせむしだとかアデノイド症顎だとか突き出た鼻とかいった一因子ではなかった。それはいろいろな特徴が変に組合わさり、それが単一の全体としていやなものになっているのだ。おれはそれが好きになれなかった。しかしそれがどうしたというのだろう……。  おれは突然腰をおとした。おれが信じ難いほどばかであったことがはっきりしたからだ。アンジェリナは自分自身を作り、その人生をかたちづくった暗い動機をのぞき込む単純ないちべつを、おれに与えてくれていたのだった。  そうだ。写真に写っていた少女はアンジェリナその人なのだ。  このことが分かると他の多くのこともはっきりしてきた。アンジェリナをながめて、どうしてこんな愛らしい容姿にあのような恐るべき心が宿るのかと、いぶかしく思ったことが一再ならずあった。答えははっきりしていた。おれは心をかたちづくったもとの容姿をみていたのではなかったのだ。男であっても醜いのはありがたくなかった。女であったらどんなに感じるだろう? 鏡があなたの敵であり、人々はあなたを見るというより、背を向けて立ち去るということになれば、あなたはどのようにして生きて行くだろうか? あなたは同時にするどい知力にめぐまれ――むしろ苦しめられている――としたら、人生をどう耐えて行くだろうか? その知力により、すべてを見通し、知り、間違いのない結論に達し、ささいな反感の気配をもかぎとるとしたらどうだろう?  自殺を計る女の子もいるだろう。アンジェリナはそうでなかった。おれはアンジェリナがやったことが想像できるような気がする。自分自身を嫌い、自分の住む世界と人々を憎悪し、自分の慾するかねを得るために犯罪をおかすことに良心の呵責を全然感じなくなっていた。おかねは欠陥をなおすための手術代としてだ。さらにもっと手術をするためにもっとおかね。それからこの苦しい仕事をやっている女をじゃましようとした男がいた。女は気軽に多分楽しみさえもってその男を殺した。犯罪と殺人の階段を徐々に昇った。――美しくなろうとして。その上昇中に不細工な肉体に宿ったすばらしい頭脳がひんまがり変った。  かわいそうなアンジェリナよ。おれは女が殺したものたちを忘れることはできないが、女に対してはかわいそうだと思った。悲劇的な孤独な女。戦いの半分に勝利を得て、他の半分を失った女。かねによって得た技術は、容姿を愛らしい――まったく天使のような――形に仕立てた。しかし成功するにつけて、このすべてを完成した心の強さが変形され、醜かった初めの頃の身体のようになってしまったのだ。  しかしもし身体を変えることができるなら――心も変えることができないのか? アンジェリナのために何かしてやれないのか?  おれは自分の思考の圧力にかられて、小さな部屋から飛び出し大気のもとに出た。もう夜半に近く、護衛は下の方にいるだろうしドアはすべて施錠されていた。理由を聞かれたりまた単に機械的にむつかしかったりしたので、下に降りるかわりに上へ昇った。屋上庭園や散歩道には、夜ふけのこの時間には誰もいないだろう。おれは一人でおれる。  フライバーには月はなかった。しかし晴れた夜であり星明りで充分に見通しが利いた。屋上の歩哨がおれが通りすぎたとき敬礼した。そしてその右手に赤い煙草の火がみえた。おれはそれについて何か言うべきだったが、おれの心はもういっぱいだった。歩いていって角をまがり、胸墻にもたれて黒い山脈の方をながめた。  注意をしろと何かがおれの心をつついた。そして数分後にこれが何であるかが分かった。歩哨だ。勤務中に歩哨が煙草を吸うなどとはもっての外の態度といわねばならぬ。おれは気を回しすぎているかも知れぬ。しかし小さなことの全部について気をくばれ。大きなことは自分でなんとかなってゆく。とにかくじっと考えてだけいるのは性に合わない。それでおれも出かけていってちょっと一言注意しておこう。  歩哨は定位置にいなかった。不用心な奴だ。とにかく巡視しているのかも知れない。おれは引き返そうとして、庭園の端から花が折れて垂れ下がっているのに気づいた。これは異状事態だ。というのは屋上庭園に伯爵は特別な愛着をもっており、毎日おこたらず手入れがされていた。それから花の間に暗い区画をみつけ、何か極めてまずいことが起きたことの最初の暗示を得た。  それは歩哨だった。死んでもいなければ人事不省でもなかった。どちらだろうと確かめる手間はとらなかった。こんな夜中に誰かがここに来ているというのは、考えられる理由が一つしかなかった。アンジェリナだ。その部屋は最上階にあった。この場所からほとんど真下になる。音をたてずにおれは装飾手すりのところまで走り外をのぞいた。五メートル下にアンジェリナの窓の外のバルコニーが白い帯のようにあった。何か黒い形のさだかでないものがそれにとっついていた。  おれの銃は部屋においてあった。おれの人生でまずなかったことだが、たまに気が動転していつもの用心を忘れることがあった。おれがアンジェリナのことをあまり気にしすぎて、そのため女の生命が失われようとしている。  一瞬のうちにこれらのことの全部をさとり、おれの指は手すりに沿ってはしった。そこに小さな輝いた塊がついていて、目に見えないような細い糸がそれにとりつけてあった。それでもケーブルぐらい強いのを知っていた。暗殺者はくもの巣織機≠ニいう小さな器具で、くものように糸をはき出すものにぶらさがって降りて行ったのだ。ひもの物質は単一の長い鎖状の分子から成り立っており、人間の重さを充分に支えることができた。それにつかまってすべり降りたら、するどい刃物のようにおれの手をそいでしまうだろう。  そのバルコニーに着くことのできる方法は一つしかない――二キロメートル下の渓谷上に突き出ている小さな場所にだ。おれは手すりをよじ登っている間に決心した。それは上が広く平らになっており、おれは身体の平衡を保つためちょっと坐った。下方では窓が音もなく開き、おれは飛びおりた。両方のかかとをのばし下の男を目がけてだ。  おれは空中で傾き、そいつにまともに当るかわりに玉突きのようにそいつの肩をかすり、二人ともバルコニー上にひっくり返つた。バルコニーは衝撃のためゆれ動いたが、昔からの石造りが持ちこたえた。飛びおりて半分おれはぼおっとなり痛みで考えもにぶったが、そいつの肩もおれの足と同様であることを願った。ちょっとの間、おれはただ息をするのとそいつのところにはいよって行くので精いっぱいだった。長い薄刃のナイフが衝撃でそいつの手からとばされ、向こうの方でぎらぎらと輝いていた。暗殺者はそれをつかもうとはいよっていた。おれが奴をおそったときそいつの指がナイフをつかんだ。うめき声をあげてそいつははげしくおれに切りかかり、それがおれの袖をかすった。手を引こうとする前におれはナイフを持ったそいつの手首を握り、おさえ込んでいった。  それは静かな悪魔のような闘いだった。二人ともおれが飛びおりたことでぼおっとなっていたが、しかし命をかけて争っていることは分かっていた。おれは足をけがしており立つことができなかった。それでそいつがすぐにおれの上にのしかかってきた。重く強力だった。おれがその上に飛び降りた腕は使えなかったが、せまりくる刃物を防ぐのにおれは両腕で力いっぱいに支えていなければならなかった。われわれのはげしい呼吸の外は何の音もなかった。  その体重と冷酷な力でナイフは下がってきて暗殺者は勝利を得ようとしていた。おれは汗で眼が見えなくなりそうだったが、それでもそいつのもう一方の腕がねじまがってぶら下がっているのがよく見えた。おれがぶつかった時そこの骨を折ったのだ――それでもそいつは一言も音を上げなかった。生命がかかっている闘争では公正な闘いなどというものはない。おれはそいつの下から脚を抜き出して曲げて、その折れた骨のところにひざをねじ込んだ。そいつの身体全体がぶるぶると震えた。もっと強くもう一度やった。痛みからのがれようとそいつは身体をまげた。おれはそいつを横に持ち上げ投げ出した。そいつはひじを曲げて転げるのを防ぎ、おれは両手に全力をこめてそいつのごつい手首をまげて逆の方向に向けさせた。  うまく行くように見えたが、それでもまだおれよりは強くて刃物の先端がその胸をかすっただけだった。また手をひねって曲げようと争っている時に、そいつは身震いすると死んでしまった。  おれを計略に乗せようとしてもそうはいかなかっただろう――だがこれは計略ではなかった。そいつは横にころがり落ちるときに、けいれんを起こして全身の筋肉が硬直しているのが分かった。おれの背後で部屋に灯がつくまでおれはそいつの手首をしっかりとにぎっていた。その時ナイフの刀身の先端から半分ほどに、いやらしい黄色いしみがついているのが見えた。即効的に神経をおかす毒だ。おれのシャツの袖に刀物がかすった所に、薄い黄色いしみがあった。この種の毒物は刺傷を必要としない。むき出しの皮膚で充分作用するのだ。  おれは細心の注意をはらって、手がぶるぶる震えるような疲労に耐えてシャツをそろそろと脱いだ。死骸の上にほうりなげて後ろへ下がると深々と空気をすった。  脚はうごくようになった。もっともひどく痛んだ。傷ついてはいるが、体重を支えられるところをみると折れてはいないようだ。振り向いて高窓の所へよろよろとよってさっと開けた。光が流れ出ておれの背後の死骸を照らした。アンジェリナはベッドの上に起き上がっていた。その顔は平静両手を前にカバーの上で組んでいた。ただその眼だけがおきたことを知っていると告げていた。 「死んだ」からからののどで言った。そしてつばをはいてのどのつかえをとった。「自分の毒で殺された」おれは自分の脚をためしに部屋の中に足音をたてて入った。 「わたしは寝ていたの。それで窓をあけるのが聞こえなかったわ」アンジェリナは言った。「ありがとう」  女優、嘘つき、だまし屋、人殺し、アンジェリナは教え切れないほどの声で、幾百もの役割をやってきた。だがこの最後の言葉を言った時には、それにはいつわりの響きはこもっていなかった。  ついさきほどの傷害事件からあまりにも早く暗殺の試みがやってきた。アンジェリナが自分を包みかくす力は弱まっていた。本物の感情が表われてきていた。  髪は両肩にかかっていた。それで何か薄い柔らかい織物でできているナイトガウンについているリボン一つがきわだって見えていた。非常に親しい気分だった。この光景そして今晩の出来事と重なって、おれが持っていたのかも知れない自制心がなくなった。おれはベッドの傍にひざまずき、アンジェリナの肩をいだいてその眼を深々とのぞき込み、その奥に何があるかを知ろうと努めた。ちぎれた鎖についたロケットがかたわらの小テーブルにあった。おれはそれを手の中ににぎり込んだ。 「あんたの記憶の中にしかこの少女は存在しないのが分からないのか」おれは言った。アンジェリナは感情を動かさなかった。「ほかのことと同じようにそれは過ぎたことだ。あんたは赤ん坊だったのだ! いまは女なのだ。あんたはこの少女だったかも知れない――だが、もうそうではない」  激情にかられて、おれは振り向いてそれを窓から暗黒の外へと投げすてた。 「あんたは過去のこれらのものでは全然ないのだ、アンジェリナ!」おれは叫ぶというよりは熱意をこめて大声で言った。 「あんたはあんたなんだ――――あんた以外の何者でもない!」  おれは接吻した。前にあった押しのけたり拒絶したりする気配は全然なかった。おれがアンジェリナを欲するように、アンジェリナもおれを欲していたのだ。 [#改ページ]  18  伯爵のところに暗殺者の死体をもちこんだのは夜空がほのかに白み始めた頃だった。おれは伯爵を起こす楽しみをうばわれた。屋上の歩哨が発見された時、警備司令がそのことをやっていたからだ。歩哨も死んでいた。同じ毒をぬったナイフで刺されたのだ。伯爵の居間に警備兵と伯爵が集まり、死体を囲んでこの不可思議なことについて語り合っていた。歩哨の死は説明がつかなかった。おれがもう一つの死体をその横に投げ出すまで皆はおれに気がつかなかった。そしてびっくりして飛びのいた。 「こいつが人殺しだ」おれはさり気なく言った。カシトール伯爵は殺し屋を知っていたに違いない。伯爵はぶるぶると身震いをすると眼を飛び出させた。前の親戚か義理の兄弟か何かであることは疑いない。ラデブレデプレヒェン家が恐迫だけでなく復讐を実行するとは伯爵は考えなかったように見える。警備司令が何かそわそわしているのに気付いて、おれが考えていたことが間違っていたという最初の手掛りを得た。司令は死骸から伯爵へと、また逆にと眼を往復させていた。この軍人スタイルのそり上げたごつい頭蓋骨にどんな考えが走っているのかいぶかった。ここには輪の中に輪があり、何が起きているのか知っていたいものだと思った。できるだけ早い機会に、この司令とお前おれのざっくばらんな話し合いをしようと心に留めた。伯爵はほおをかんで死体に向かって指の骨をならした。そしてやっと引きずり出せと命令した。  [#ママ]「ここに残れ、ベント」おれが他の者と一緒に去ろうとしたら伯爵が言った。おれは椅子にどっかと腰をおろし、伯爵は皆を追い出しドアにかぎをかけた。それからバーにかけ出して地酒をグラスいっぱいについで、むせびながら飲みはした。二杯目を飲み出して、やっとおれに地酒を進めることを思い出した。おれは断らずにちびちびやりながら、なんで気が動転しているのかといぶかっていた。  まず伯爵はすべてのドアの施錠を確認し、一つだけある窓を密閉した。机の一番下の引き出しを指輪キーで開けて、操作装置と伸縮アンテナがついた小さな電子器機をとり出した。 「おや、それは!」伯爵がアンテナをひっぱり出した時おれは言った。伯爵は返事をせず眉の下からずっとおれを見守っていた。それから機械を調節にかかった。スイッチが入ってその上部で青い光がともった時に伯爵は少し気を楽にした。 「これが何か知っているだろう?」伯爵はその機械を指差して尋ねた。 「もちろん」おれは言った。「だがこのフライバーで見たのではない。そんなにありふれたものではない」 「ありふれたものでは全然ない」青く輝き続ける光をみつめる伯爵は口の中でもぐもぐ言った。 「わたしの知っている限りでは、この惑星にはこれ一台しかない――だからこのことを誰にも話さぬようにしてもらいたい、誰にも[#「誰にも」に傍点]だ」力をこめて繰り返した。 「わたしには関係ないことです」おれはそんなものに興味がないような無邪気な調子で言った。「人間にはそれぞれプライバシーの権利があるものです」  おれもプライバシーが好きで、この種の探知装置を何度も使ったことがある。それは電子線または副射線盗聴を感じて警告を発する。それをだます方法はあるがかなりむつかしい。この機械のことを誰も知らない限り、伯爵は盗み聞きされる心配はない。だが誰がそんなことをしようというのか? 自分の城のただなかにいて――また離れたところからは盗聴器は役に立たぬことを知っているはずなのだ。空気中にねずみの臭いがはっきりとしていた。そして何が起ころうとしているかについて、考えが浮かんできそうになってきた。誰がねずみか、伯爵は疑いのないようにしてきた。 「きみはばかな男ではない、グラブ・ディープシュタール」このことは、伯爵はおれのことを自分よりははるかにばかだと考えていることを意味していた。「きみは惑星外へ出ていってほかの世界を見てきている。われわれがどれほどおくれて圧迫されてきているか、君には分かるだろう。でなければこの惑星の首にかかっているくびきを振り落とすのに、わたしの味方をしようとはしなかっただろう。いかなる犠牲も重大すぎるということはない。もしそれによってこの解放の日に少しでも近づくことができるならばだ」何かの理由で伯爵は汗をにじませており、指をならす不愉快なくせをまたやり始めた。その側頭部――アンジエラがびんをふりおろしたところ――はプラスチックの皮膚でおおつておりそこには汗がなかった。おれはその傷がいたむことを希望した。 「君が護衛している例の外国の女性だがね――」伯爵は横に向きながらも眼のすみからおれを注視していた。「事を組織するのに助けとなっていた。だが現在はわれわれを困った立場にしているのだ。その生命をねらわれたことが一度ある。さらにそういうことが起きるだろう。ラデブレヒェン家は、その家柄も古く忠誠な一門である――あの女性が存在することはラデブレヒェン家にとって限りない侮辱となる」それから酒をぐっと飲むと、ぎくっとするようなことを言い出した。 「あの女がやっている仕事はきみがやれると思うがね。同じようにうまく、多分もっとうまくだ。どうかね?」  疑いなくおれは才能があふれそうになっているのだ――あるいはこの惑星では革命家が欠けているのだ。新しい秩序での協同者として地位を提案されたのは、この十二時間で二度目のことだった。もっとも一つのことははっきりしていた。――いとしいエンジェルの提案は誠実なものだった。ルデンルント伯爵の申し出にはいやなにおいが立ち込めていた。伯爵が何をもくろんでいるのかを確めるためおれは芝居をつづけた。 「大変名誉に思います。伯爵」おれはかしこまって言った。 「しかしあの外国女性はどうなります? この考えにはあの女性は不賛成でしょう」 「女がどう思おうとたいしたことではない」そうどなると、指を自分の側頭部にちょっとあてた。伯爵は怒りを押さえて平静さを取り戻そうとした。「女に残酷なことはしたくない」そういって不誠意極まる笑みをもらした。人間の顔に浮かぶものとして初めて見たような種類のものだった。「ただ牢獄にとじこめておくだけだ。女には忠実な護衛が幾人かいるようだが、わたしの部下がそれらを片付ける。きみは女と一緒にいて適切な時に女を逮捕しろ。獄吏に渡せば女の安全は計る。女には安全、そしてわれわれの目にふれずこれ以上われわれに迷惑を及ぼさない所へやる」。 「それはいい計画です」おれは愛想よく不誠実な言葉をはいた。「このあわれな女性を獄につなぐという考え方はあまり愉快なことではないが、大義のため必要とならばそうしなければなりません。目的は手段を正当化する」 「きみのいう通りだ。わたしも、そのようにはっきりと言えればいいのだが。君は適切な文句を言うすばらしい才能をもっている。ベント。わたしはその言葉を書いておいて記憶しよう。目的は手段を……」  伯爵は手帳に一生懸命に書いていた。いったいこの男はどんな歴史の知識を持っているのだろう――革命をやろうという男が! もっと教えてやろうと古い格言を頭の中で探しているうちに、おれの頭脳は突然いきどおりであふれ出した。おれは飛び上がった。 「こいつをやろうとするなら時間をむだにできない。ルデンルント伯爵」おれは言った。 「今夜十八時に行動開始しましょう。あの婦人の護衛を、あなたがつかまえるだけの時間は充分あるでしょう。わたしは婦人の部屋にいて、最初の行動の成功をあなたから通知を受け次第婦人を逮捕しましょう」 「その通りだ。いつもきみは行動の男だ、ベント。君のいうようにやろう」それからわれわれは握手したが、そのぐにゃぐにゃしてしめった蛇のような掌を、にぎりつぶしてやろうという気持を抑えるのに、おれは全意志力を要した。おれはまっすぐアンジェリナのところへ行った。 「ここで盗み聞きされないか?」おれは聞いた。 「いいえ。部屋は完全に防禦されているわ」 「あんたの前の男友達のカシトール伯爵は盗聴探知機を持っていた。ここで行なわれていることを盗み聞くため何か他の装置を持っているかも知れないよ」 この考えをアンジェリナは少しも気にしなかった。鏡の前に坐って髪をといていた。その光景は愛らしかったが気は狂わしかった。すべてのものを叩きつけようとする革命の強風が吹いていた。 「探知機のことは知っているわ」髪をときながら平静に言った。 「わたしが手配をして入手させたの――もちろん本人には分からないように――そして最大の周波では役に立たないようにちゃんとしてあるの。こうやって伯爵の動きに目を配っているの」 「数分前には聞いていたかね? 伯爵はわたしと共に手配をして、あんたの護衛を殺しあんたを地下の牢獄に投げ込むことにしている。」 「いいえ、聞いていなかったわ」驚くべき自制心と平静さをもつて言った。これはアンジェリナのすべての行動にきわだつ特徴だった。アンジェリナは鏡の中からおれに笑いかけた。「ちょうど昨夜のことを思い出していて忙しかったの」  女だ! 女というものはなんでも一つにまぜ合わせてしまおうとする。多分女はその方がうまくやれるのだろう。しかし情緒と理性を分けることにより、より碓実な考え方をえられると思っている者にとってはこれは困ったことだった。この情勢の重大さについてアンジェリナによく理解させなければならない。 「ところでこのささいなニュースに興味がないというのなら」おれはできるだけ静かに言った。「多分これには興味がわくだろう。あの荒っぽいラデブレヒェン家が昨夜暗殺者をよこしたのではない――伯爵がやったのだ」  やっと成功。アンジェリナは髪をすくのを実際にやめて、おれの言葉の重大性に眼を少し見開らいた。ばかげた質問はせずおれの話の終るまで待っていた。 「階上のねずみが絶望的になっているのを、あんたは過少評価していたようだ。昨日あんたがびんで叩きのめした時は、伯爵を押しつける限度いっぱいの所まで押してしまったのだ。計画は前からもっていたに達いないがあんたは伯爵を決心させてしまったのだ。警備司令は暗殺者を知っていた。そしてそれを伯爵と結びつけていた。このことが暗殺者が屋上に行くことができ、あんたがどこにいるかを知っていたことも説明してくれる。このことはまたあの攻撃があまりにも突発的であったことについて、わたしが想像できる最上の説明にもなる。あんたが伯爵といさかいをおこしてからすぐあとで起こったことと、ここにはあまりにも偶然の一致が多すぎる」  アンジェリナはおれが話している間に、カールをふくらませながらまた髪をすきだしていた。アンジェリナが関心を示さないのでおれはいらだってきた。 「それで――これについてどうするつもりなのだ?」かなり不機嫌な声でおれは尋ねた。 「あなた[#「あなた」に傍点]がどうするつもりなのかと尋ねる方がもっと重要だとは思わない?」アンジェリナはこんなことをさらりと言ってのけたが、その背後には実に多くのことがあった。アンジェリナは鏡に写るおれを注視していた。それでおれは振り向いて窓の方へ行って、あの危なかったバルコニーとさらにはるか彼方にある雪をいただいた山頂をながめやった。おれはどうしようというのだろう? もちろんそれはこちらの質問だ――アンジェリナが理解しているよりはるかに大きな問題なのだ。  この全部の問題について、おれはどうすればよいのだ? だれもかれもが、おれが全然興味のない革命に、その権利の半分をよこそうと言っている。それとも、おれが革命に興味があるというのだろうか? いったいおれはここで何をしている[#「している」に傍点]のだ? 〈特殊部隊〉の為にアンジェリナを逮捕に来たのか? 任務は大分前から忘れ去られていたようだ。すぐに決心を下さねばならぬ。おれの肉体の偽装はうまくいっている――だが絶対とまでは言えない。長い期間の検査に耐えられるようにはなっていない。アンジェリナはおれを殺したことに疑いを持っていないという事実のみが、おれの正体を見抜けなくしていたのだ。おれはアンジェリナの容貌その他の変更をたやすく見抜いたのだ。  この点まできていっきょに真相が現われてきた。選択忘却というあるささやかな方法がある。それによってわれわれは自分がいやだと思う記憶を抑えつけたりゆがめたりする。おれの偽装はこんなに長く検査に耐えられるようにはなっていない。本来ならアンジェリナはいままでにもう見抜いてしまっているはずなのだ。このことを認識すると昨夜おれが言ったことの記憶がよみがえってきた。何もかもさらけ出したような言葉、そしていままで忘れてしまっていたもの。  あんたは過去のこれらのものと何の関係もない≠ィれは叫んだ。これらのものとは何の関係もない……アンジェリナ≠ィれはこれを大声をあげて言った。そしてアンジェリナは何の異議もとなえなかった。  ただアンジェリナという名はもう使っていなくて、ここではエンゲラという偽名だったのだ。  おれが振り返ってみたとき、おれの顔におかしたあやまちの表情が浮かんでいたに違いない。だがアンジェリナは例のなぞに満ちた微笑を浮かべたきり何も言わなかった。とにかく、髪をすくのはやめていた。 「わたしがグラブ・ベント・ディープシュタールでないことは知っているだろう」おれはそう言うのに骨を折った。「どのくらい前から知っていた?」 「かなり前から。あなたがここに来てからすぐにね」 「わたしが誰か知っている――?」 「あなたの本当の名前が何かは知らないわ。あなたの言う意味がそうならばよ。だけどわたしとても腹が立ったことは忘れないわ。わたしをだまして戦艦をうばってわたしの努力のすべてを無にした時のことよ。フライバーバッドであなたを射った時の強い満足感も思い出すわ。さああなたの名前を教えてくれる?」 「ジム」おれはぼおっとした精神状態のうちで言った。「ジェイムズ・ディグリッツ。その方面では〈するりのジム〉で通っている」 「いい名前ね。わたしの名は本当[#「本当」に傍点]にアンジェラなの。わたしの父がひどい冗談からつけたと思うの。父が死ぬのを見るのが楽しかった一つの理由がそれよ」 「どうしてわたしを殺さなかったのだ?」父親の死にざまについてかなり正確な考え方をいだきながら尋ねた。 「どうしてそうしなければならないの、あなた?」と尋ねた。そして気軽な実のない調子がすっかりかげをひそめていた。 「わたしたちは二人とも過去において間違いをやってきたわ。そしてわたしたちが同じように似たものだということを見つけ出すのに、恐ろしく長い時間がかかったの。わたしも聞きたいわ。どうしてわたしを捕えないの――それがあなたのやろうとして出かけてきたことではなかったの?」 「そうだ――しかし……」 「しかし、何なの? あなたは心にその目的をもってここに来たのでしょう。しかしあなたはあなた自身と大へんな闘いをしている。あなたが本当は誰なのかを知っていたのに、わたしがかくしていた理由がそれなのよ。どんなばかげた動機からか知らないが、関係を持った警察を離れてあなたは生長しているわ。この全部のことが――希望はあるが――どうなるか分からない。わたしがあなたをどうしても殺したくないというのは分かるでしょう。あなたがわたしを愛していることは、初めからはっきり分かっていたわ。わたしを愛しているなどと言いよった男たちが、動物的欲望からそれを言っているのとは違ったものだった。その男たちは変えることのできる肉の容器を愛していたのよ。あなたはわたしそのもののすべてを愛したわ。わたしたちは二人とも同じものだったからよ」 「われわれは一緒ではない」おれは言い張った。だがおれの声には碓信はなかった。アンジェリナは笑うだけだった。「あんたは人を殺す――楽しんで殺す――そこが根本的にわれわれの違うところだ。それは分かるだろう?」 「ばかばかしい!」軽く手をふってその考えを払いのけた。「あなたは昨夜殺したでしょう――それに仲々うまくやったわ――あなたは全然不本意そうでもなかった。じっさいかなりの感激があったのではないの?」 理由は分からなかったが、なわが首のまわりにしめつけられているような感じがした。アンジェリナの言ったことは全部間違いだ――だがどこが間違いなのかおれには分からなかった。出口はどこにあるのだ。すべてをといてくれる解決だ。 「フライバーを去ろう」おれは最後にそう言った。「このへんちくりんで役にも立たない革命から立ち去ろう。死と殺戮があるだろう。それは連中に必要のないことだ」 「行きましょう――わたしたちがまた同じようにうまくやっていけるところへ行くのならね」アンジェリナはそう言った。その声に再び堅い響きが戻っていた。「それが重要な点ではないの。あなたが幸福になる前にあなたの心の中で決着をつけなければならないものがあるわ。あなたが死と結びつけるあのおろかしい重要さよ。それがどれほどささいなことなのか分からないの? いまから二百年もたてば、あなたやわたしやいまこの銀河系に住んでいる人は全部死んでいるのよ。その中の幾人かが、その最終地にちと早く行くように手伝ってもらったからといって、それがどうしたというの。その人たちも機会があれば、あなたと同じようなことをするわ」 「あんたは間違っている」おれは言い張った。生死については、実にこの悲観的な哲学以上のものがあることは知っている。だがいまおれの考えを述べ立てるには神経が緊張しすぎていた。アンジェリナは強力な麻薬だった。わずかばかり残っていた同情心のかけらも、より強力な情熱の洪水に根こそぎ流されてとうてい立ちむかえなかった。おれはアンジェリナを引き寄せ接吻し、そしてこれで問題の大部分は解決したことを知った。だが最終解決をそれだけむつかしくはしたのだ。  かぼそいじりじりという音がおれの耳をくすぐった。そしてアンジェリナもまたそれを聞いた。別れるのは二人にとってつらかった。アンジェリナがテレビ電話の方へいくのをおれは椅子に腰かけて見るともなしにみていた。アンジェリナはビデオ回路を空白にしてそれに鋭く質問した。おれは返事は開けなかった。アンジェリナがスピーカーを切ってイヤホーンで聞いていたからだ。一、二度アンジェリナが分かった[#「分かった」に傍点]と言ってそれから急におれを見上げた。誰と話していたか見当がつかなかったしそんなことは全然気にならなかった。問題が多すぎたからだ。  電話を切ってからただだまってしばらく立ったままだった。そしておれはアンジェリナが話すのを待っていた。何も話さないで衣装棚の方へいくと引き出しを開けた。そこには何でもかくしておけるが、おれが思いもよらなかった一つのものを取り出した。  銃だ。でかい弾倉の恐るべきものがおれをねらっていた。 「なぜこんなことをしたの、ジム?」両眼のすみに涙をたたえて尋ねた。「どうしてそうしたいの?」  おれの困惑した答えを聞こうともしなかった。アンジェリナは自分の考えに投入してしまっている――もっとも無反動銃はおれの眉間にぴったりとねらいを定めて微動だもしなかった。突然せきたてられるようにアンジェリナは身を立てなおすと、腹立たしげに眼の涙をぬぐい去った。 「あなたは何もしなかった」その言葉に昔の冷たさがあった。「わたしが自分でそうしたの。一人ぐらい他の者と違う男があると自分に信じさせようとしたからだわ。あなたからいろいろ大切なことをおそわったわ。感謝の気持をもってあなたをひとおもいに殺すの。わたしがやりたいと思っている方法とは違ってね」 「いったい何を血まよったことを言っているのだ」すっかりあっけにとられておれはどなった。 「この期に及んで知らないふりをしないでね」そう言って用心深くあとへさがって、ベッドの下から小さな重いバッグをとり出した。「あれはレーダー監視哨だったの。わたしは自分で機械をとりつけ、わたしに第一報をよこすよう操作員を買収してあった。宇宙船の一団が――あなたが知っているように――空から舞い降りこの地域をとりかこんだ。あなたの仕事はわたしを手いっぱいにさせておいて、このことを感づかれないようにさせることだったの。その計画はいま一歩で成功するところだったわ」アンジェリナは外套を腕にかけて部屋の向こうへさがって行った。 「わたしは何も知らなかったと言ったら――心からうそいつわりは言わない――わたしを信じてくれるか?」おれは尋ねた。「このことについては、わたしは何も関係がないし何も知らぬ」 「宇宙ボーイスカウト万才」アンジェリナは痛烈にからかった。「なぜ真実を認めないの。あなたがなんと言おうと、二十秒以内に死ぬというのに」 「わたしは真実を述べた」発射する前にアンジェリナに近づけるか考えた。だが不可能なことは分かっていた。 「さようなら、ジェイムズ・ディグリッツ。あなたと知り合いになってよかったわ――しばらくの間はね。最後の楽しい思いをもってあなたとお別れしたい。これらの全部は無駄だったわ。わたしの背後にドアと出口がある。このことは誰も知らない。あなたの警察がここに来る前にわたしは安全に立ち去っているわ。この考えはあなたを少しなやますかも知れないけど、わたしは人殺しに人殺しを重ねていくつもりよ。あなたもわたしも止めることはできないのよ」  アンジェリナは繰形《くりかた》の中のスイッチを押して、一方ねらいを確実にするために銃を持ち上げた。板がはねかえって壁に四角な暗黒があらわれた。「芝居がかったことはやめにしてね、ジム」銃の照門のうえからおれの眼をしっかりとみすえて、愛想がつきたように言った。アンジェリナの指が緊張した。「あなたがそんな子供だましなトリックを使おうとは思ってもみなかったわ。わたしの肩越しに見つめて、誰かがわたしの背後にいるかのように大きく眼をひらくなんて。わたしは後ろを振り返ったりはしない。あなたは生きてこれからのがれられない」 「すてきな最後の言葉だ」おれは横にとびのいた時に言った。銃は鳴った。だが弾丸は天井にくいこんだ。インスキップがアンジェリナの後ろに立っていた。銃を天井にむけてアンジェリナの手からもぎとった。アンジェリナは恐怖にうたれておれをみつめるだけで抵抗しようとはしなかった。そのかぼそい手首に手錠がかけられても、争そおうともしなければ叫び声も上げなかった。おれは前に飛び出しアンジェリナの名を叫んだ。  インスキップの後ろにパトロール隊の制服を着たごついのが二人いた。その男たちがアンジェリナを連れていった。おれがドアにつく前にインスキップは割り込んで、ドアをしめて立ちはだかった。おれはドアの前でよろけて立ちどまった。ちょうどアンジェリナが数分前にそうであったようにおれは争うことはできなかった。 [#改ページ]   19  「いっぱいやれよ」アンジェリナの椅子にどかんと腰をおろして、携帯びんを取り出して言った。エルズタッツ産のブランディだ。この地方産のプラスチック溶液じゃない」[#ママ]インスキップはコップについですすめた。 「くたばってしまえ……」おれは恒星間にわたる語彙の中からさらにふさわしい言葉を選んでつづけた。そしてインスキップの手の中からコップを落とそうとした。インスキップはそれをかわして高くかかげると、いささかも気にすることなく自分で飲んでしまった。 「それが〈特殊部隊〉での君の上官に言うべき種類の言葉かね?」そう尋ねてまたコップについだ。「われわれは規則もあんまりなくて寛大な組織体であるのはいいことだ。それにしても――限度というものがある」インスキップはまたコップをつき出しこんどはおれはそれをひっつかんで飲み干した。 「なぜやったのだ?」まだ混迷する感情にうちひしがれておれは尋ねた。 「君がやらなかったからだ。それが理由だ。作戦は終った。君は成功した。君は以前は見習いにしか過ぎなかったがいまは正部員だ」  インスキップはポケットに手をつっこんで、紙でできた小さな金の星をひっぱり出した。それを慎重になめると厳粛な顔で手をのばしておれのシャツの前面にはりつけた。 「ここに貴官を正部員として任命する」と抑揚をつけて言った。「本官に与えられた権限により行なうものである」  呪い声を上げながらこのくだらぬものをとり去ろうと手をのばした――が、かわりに笑った。不条理な話だ。 「おれはもう仲間の一員ではないと思っているのだがね」おれはそう告げた。 「わしは君の辞職願いは受け取っておらん」インスキップは言った。 「つまり辞職がなんらかの意味をなすということではない。部隊からは辞職できないのだ」 「なるほど――しかしあんたがおれに爆弾をくれた時に、あんたの通知は受けとっているのだ。それともおれが船を盗み、あんたがおれを吹き飛ばす為に遠隔操作で廃船装置を起爆させたのを、忘れたとでもいうのか? あんたも知っているように、おれはヒューズを爆発する直前にひっぱり出すことができたのだ」 「そんなことでは全然ないよ」二杯目に口をつけて言った。「君が美人のアンジェリナをどうしても捜したいと言い張るものだから、わしは君が任務を与えられる前に船を一隻借りたくなるのではないかと思ったのだ。君が手に入れたものにも前からヒューズが装備されていたのだ。こういう場合にはいつもそうなっているのだ。ヒユーズ――爆薬ではない――は、それを取り除いたあと[#「あと」に傍点]五秒で破裂するようになっている。このことは自分の出発の仕方をくやんでいる有望な部員に心の独立というものを与えるとわしは理解している」 「ということは――このすべてのことは仕組まれていたということか?」おれはのどをつまらせた。 「きみはそういうかも知れぬ。わしは卒業式≠ニいう言葉を使いたいよ。われわれの悪党の見習いどもが、法と秩序を追及するのに、その生涯をささげつくすかどうかをわれわれが見つけるのがいまこの時なのだ。見習い連中がそれを見つけるのもまたこの時なのだ。われわれはあとで後悔されるのは好まない。君も見つけただろう、ジム?」 「おれは何か見つけた。それが何かまだはっきりしない」そう言ったがおれに最も近いものについてはまだ話すことができなかった。 「すばらしい作戦だった。君はそれをやるのに多大の想像力を発揮したことは見事だった」それから眉をしかめて言った。「だがあの銀行の件はわしはどうも賛成しかねる。きみが必要な資金はすべて部隊にある……」 「同じかねだ」おれはぴしゃりと言った。「部隊はどこからかねを得るのだ? 惑星政府からだ。惑星政府はどこからそれを得るのだ? もちろん税金だ。だからおれは銀行から直接それを手に入れた。保険会社が銀行の損失をつぐなってくれる。その年の収入は少なく申告し、政府に払う税金は少なくなる――結果はあんたの方法と同じだ」  インスキップはこの種の理屈にはおなじみなので返事をする手間もとらなかった。おれはまだアンジェリナについて話したくなかった。 「どうしておれを見つけたのだ?」おれは尋ねた「船には探知器はなかった」 「単純な赤ん坊だね、君は」インスキップは両手をあげて恐怖にうたれたようなふりをした。 「われわれの船に探知器がついていない[#「ついていない」に傍点]などと本気に考えているのかね? それは極めて上手にやってあるので、探すところが分からなければ見つけることはできない。きみに知らせておくが、見たところでは頑丈なだけの気閘の外扉に、非常に複雑な発信機がしくまれていて、かなりな距離でもわれわれに探知できるようになっている」 「ではどうしておれに聞こえなかったのだ?」 「簡単な理由からだ。それは発信していないからだ。ドアには受信機も組み込まれているということをぜひ付け加えておかねばならぬ。機械は適切な信号を受けた時のみ発信するようになっている。われわれはきみが目的地に着く時間を与えた。そしてそのあとを追った。フライバーバッドでしばらく君を見失った。しかしきみが死骸と椅子取り遊戯をやった直後、病院で手掛りをひろい上げた。われわれはそこできみに手を貸した。病院は当然のことながら大いに怒っていたがわれわれは手を尽くして黙らせた。きみの次に打つ手がはっきりしていたので、その後は単に医師と外科医療器具に目を光らせておればよかった。きみが自分の胸に非常に小さくて精巧な発信機を持ちこんでいるのを知って喜こぶだろうと思う」  おれは自分の胸をみたがもちろん見えはしなかった。 「あまりにいい機会だったので到底見のがせなかった」インスキップは続けた。この男は止めさせられない。「きみが鎮静剤を与えられていたある夜、例のドクターがアルコールをみつけた。われわれがきみたちの補給品の包みの中に入れておくのがよいだろうと手配したものだ。ドクターはもちろんこれを利用しようという誤りをおかし、部隊の外科医が少しばかりの手術を追加したというわけだ」 「それであんたはおれを追っかけて、それ以来監視していたのだね?」 「その通り。しかしこれはきみの事件なのだ」 「ではなぜこんな工合に獲物を仕止めるために乗り込んできたのだ?」おれはぴしっと言った。「おれは海兵隊に合図を送らなかった」  これは長い間の問題でありおれにとって唯一の重要事であった。インスキップは返事をするのに時間がかかった。 「こういうことなのだ」ものうげに言うと飲物にちょっと口をつけた。「わしは仕事の秘訣《ロープ》を充分に心得ている新人は好きだ。だが自分で首をつるほどそんなに多くはいらぬ。きみはここにいたがいわゆるすてきな時≠フためだった。革命についても、きみが行なった逮捕についても、何の報告もわしは受けておらなかった」  おれは言うべき言葉はなかった。  インスキップの声はますます静かになり同情的だった。「われわれが乗り込んでこなかったら君は女を逮捕したかね?」それは問題だった。 「分からない」それがおれの答えることのできる全部だった。 「さて、わしはわしのやろうとしていることは百も承知だったのだ」例の底意地の悪い調子で言った。「それでわしはやったのだ。陰謀は未然に防がれ、わが殺人女性はもうこの惑星を発っているだろう」 「女を釈放しろ!」インスキップのジャケットの前をつかんでひきずり上げてふり回し、そしてわめいた。「女を釈放しろといっているのだ!」 「きみは再び女を自由にさせようというのか――女がやりたいように?」それがインスキップの答えのすべてだった。  おれがそうするか? いや、そうはしないだろう。おれはインスキップをはなして、そのことを考えた。インスキップは服の前のしわをのばした。 「これはきみにとってつらい任務だった」酒びんを横にのけて言った。「正・誤の間にきわめて細い線しかないことが時にはある。もし感情的にまき込まれると、その線がほとんど見えなくなることがある」 「女はどうなるのだ?」おれは尋ねた。  インスキップは返事をする前にちょっとちゅうちょした。「本当のことを……」おれは言った。 「分かった。真実をだ。約束はできない――神経科医が女のために何かできるかも知れない。もし医師たちが基本的な精神異常の原因を見つけることがでさればだ。しかし見つけるのは不可能なことが時にはあるものだ」 「その件についてはそうではない――おれが医師たちに話してやれる」  インスキップはそれを聞いて驚いたようだった。おれはそれには不満足だった。 「そういうことなら機会もあるだろう。人格の変更のようなものを考慮する前に、あらゆる方策をとるよう、決定的な命令を出しておく。人格変更をすれば女は別人になってしまい、宇宙にいっぱいいる者と同じことになる。死刑に処せられれば単に死骸となるだけで――他にいっぱいあるものと同じことになる」  インスキップが酒びんをポケットにしまい込む前に、おれはそれを横取りして口をあけた。 「あんたはまかせられてるんだ、インスキップ」おれは酒をついで言った。「あんたは生まれながらの徴兵係軍曹だ。あんたは勝ったんだ――部隊に応募させろ」 「それで」インスキップは言った。「女は偉大な部員になるだろう」 「われわれは偉大なチームを組める」おれはそう言って、ともにコップを上げた。 犯罪に万才 [#改ページ]   解説 [#地付き]大和田 始   作者のハリイ・ハリスンについては『死の世界』シリーズ、あるいは『宇宙兵ブルース』や『人間がいっぱい』などですでにSFファンにはおなじみだろう。一九六〇年代に活躍をはじめた作家の中では最も数多く翻訳紹介されている一人ではないだろうか。本書は『死の世界』シリーズと並ぶハリスンのもう一つのシリーズ作品『ステンレス・スチール・ラット』シリーズの初紹介である。(今年、四作目の『ステンレス・スチール・ラット諸君を求む』The Stainless Steel Rat Wants You が刊行されたので、ハリスンのシリーズ作品として最長不倒記録を達成した) 本書は実質的にはハリスンの処女長篇で、一九五七年頃に書かれた。全体的には一九六〇年代初期までに書かれた『死の世界1・2』や『殺意の惑星』などと共通する点が多いようだ。これらの作品では、主人公が自分の〈肉体〉や〈知力〉、とりわけ異邦の人間であるという特性をいかして、舞台となる惑星のいくつかの孤立した社会の仲介役になる。彼はそうした社会の人々の眼にみえないもの、みえない因果関係を見て、いわばトリックスター的な役割をはたすのである。また、これらの作品の背景となっている未来世界では人類(ないしは異星の知的生命)は銀河系内に数多くの植民惑星を開拓しており、中には惑星の苛酷な環境のために文化退行をおこしているものさえある。本書『ステンレス・スチール・ラット』においても、銀河系内のこうした様相は似通っているようだ。最も進歩した惑星では様々の制度が発達し、ユートピアともよびうる社会が成立しているらしい。この画一化した世界、いわば〈観念化〉した世界の中で〈肉体〉と、自由な眼が感知する〈現実〉とを挺子にして反抗をくわだてるのが主人公の〈するりのジム〉ことジェー[#ママ]ムズ・ボリバー・ディグリッツ、ステンレス鋼によってぴっちりと閉ざされた社会の中にわずかな隙間をさぐりだそうとする鼠小僧だ。彼は一面で完璧ともみえる社会の裏をかき、惑星間の文化的ポテンシャル・エネルギーの差を利用して儲けているのである。  ハリスンが〈肉体(=個人)〉に眼をむけているためもあって、この時期の彼の作品はいわばハードボイルド・アクションSFとでも呼べそうなスタイルをもっている。〈アクション〉の問題についてはハリスン自身の言葉があるので引用してみよう。この当時の彼の作品の多くは「アスタウンディング」誌(一九六〇年以降「アナログ」と改名)に発表されたのだが、「「アスクウンディング」にはあまりにも空疎な作品が多かった。会話があり、描写がある。しかし決して別のレヴェルへと移行することがないのだ。私はSFに〈アクション〉を復活させたかった。(時代は何と変ったことだろう。今ではパルプ雑誌風のアクションが全盛で、私は対極へと傾きつつある)とはいえ私は露骨にアクションを押しだすつもりはなく、アクションが必須の要素となるようなプロットを求めていた」 『死の世界1』は非現実的な生態系をもつにいたった惑星を舞台とした冒険小説、『殺意の惑星』はいかにも「アナログ」的な〈科学的〉装いをこらしたサスペンス劇であり、どちらも〈アクション〉を盛りこもうとしたハリスンの意図が成功している作品だろう。本書『ステンレス・スチール・ラット』はこれらに先立つ作品であるためか、〈アクション〉のあらわれ方はかなり異なっていて、むしろ一九六五年以降の文学づいた<nリスンの作品にちかいものがある。主人公〈するりのジム〉のアクションは、普通の意味でのアクションとは呼べないほどに間接的なのだ。  たとえば、ジムは逃走した宇宙船艦を追いかけようとはせず、豪華きわまりない宇宙艇をつくって悪党を待ちうける。また彼は女悪党アンジェリナを追いかけようとはせず、王宮にのりこんで騒動をおこし、牢屋の中で彼女を待ちうけるという具合なのである。『死の世界』がたちまち人気を博したのとは異なり、『ステンレス・スチール・ラット』の続篇が十年ちかくも書かれなかったのも、こうした〈間接性〉に原因しているのだろう。しかしすでに絶妙のオフ=ビート・パロディ『宇宙兵ブルース』を知っている者にとっては、こうした展開はいかにも皮肉で、いかにもハリスンらしいと思えるのだ。  ハリイ・ハリスンは一九三五年、アメリカ合衆国コネチカット州の生まれ。子供の頃は孤独で本の虫だった。やがてパルプSF雑誌なるものを知り、それ以来、熱狂的なファンとなる。  一九四三年、合衆国陸軍に入隊。ある時はトラックの運転手、またある時は射撃訓練士と、時に応じて様々の任務をこなす。除隊後ニューヨークのハンター大学に入学し、水彩画のクラスに入る。  数年の後、コマーシャル・アーチストとしてまずまずの成功をおさめ、スタジオを持つに至る。仕事は主にコミック誌関係のもので、やがてコミック誌のプロデュースのような事業を始める。  その頃、ニューヨークでSFファン組織〈ヒドラ・クラブ〉が結成され、ハリスンはそこに参加して会長になるが、権力争いにやぶれて除名される。それでも、プロのSF作家フレッチャー・プラットの家で開かれることの多かった集会で、フレデリック・ポール、ジュディス・メリル。C・M・コーンブルース、デーモン・ナイトらと知りあう機会をもつことができた。 「最初の結婚はうまくゆかず、コミック誌の仕事は暗礁にのりあげ、喉の病気で二十キロ以上も痩せてしまい、デーモン・ナイトは「ワールズ・ピョンド」誌の編集をしている」そこで彼はベッドの中で小説を書き、ナイトにみせた。  ハリスンの処女作となったこの短篇は物質貫通機を扱ったもので、 「私は岩の中を歩く」I Walk Through Rocks という題だった。ナイトは即座に「ロック・ダイヴアー」Rock Diver と改題して「ワールズ・ビョンド」誌一九五一年二月号に載せた。  この頃のハリスンはSF雑誌のイラストを描いたり、SF雑誌の編集に携ったりしていたが、じっくり腰をおちつけて小説を書きたいと思い、一九五六年、いよいよメキシコへと出発する。  そしてニューヨークで書きためていた釣り=iパルプ作家の用語で原稿の最初の頁のこと。編集者、そして読者をひきつけ、次の貢をめくらせるだけの魅力をそなえていなければならない)を用いて中篇「ステンレス・スチール・ラット」を書く。これは「アスタウンディング」誌一九五七年三月号に発表され、更に二つの続篇とあわせて長篇となった。(もちろんこれが本書である)その後、彼は「アスクウンディング」の編集長ジョン・キャンベルに別の長篇の梗概を送り、キャンベルの提案を受けいれて書きはじめる。これが『死の世界1』で、ハリスンはイギリスに渡り、イタリアに行き、アメリカに戻ってこれを完成させることになる。 『死の世界』他の作品は好評で、彼は自分の書きたい作品を書いて生活していけるようになる。同時に自分が何をしているのか、ということもわかってくる。パルプ雑誌の形式の復活なのだ。もちろん一九三〇年代のパルプ作品とは較べものにならないくらい精密なのだが、彼はもっと他のものを書きたいと思うようになる。  ちょうどそんな折、彼はブライアン・W・オールディスと出会うのである。作家としての資質はかなりちがうのだが、その他の点では意見の一致するところが多いことを発見する。著作目録のアンソロジイのところを見ていただきたい。オールディスと組んだアンソロジイが多いことに気づかれることだろう。大いに意気投合した二人は、一九六四年からSF評論専門誌「SFホライズン」を編集発行することになる。  オールディスと親しくなり、イギリスSF界を知り、 「少し遅かったが、こうして私の文学修業がはじまったのだ」と彼は言っている。  そして一九六五年以降のハリスンは、オールディスにも負けないほどの多彩さ、重厚さを発揮するようになっていくのだ。   ハリイ・ハリスン著作目録 Deathworld (1960) 『死の世界1』中村保男訳・東京創元社 The Stainless Steel Rat (1961) (本書) War with the Robots (1962)(短篇集) Planet of the Damned (1962)『殺意の惑星』浅倉久志訳・早川書房 Deathworld 2 (1964) 『死の世界2』中村保男訳・東京創元社 Bill, the Galactic Hero (1965) 『宇宙兵ブルース』浅倉久志訳・早川書房 Two Tales and 8 Tomorrows (1965)(短篇集) Make Room! Make Room! (1966) 『人間がいっぱい』浅倉久志訳・早川書房 The Technicolor Time Machine 『テクニカラー・タイムマシン』浅倉久志訳・早川書房 Deathworld 3 (1968) 『死の世界3』中村保男訳・東京創元社 Captive Universe (1969) (サンリオ近刊) Prime Number (1969) (短篇集) The Stainless Steel Rat's Revenge (1970) (サンリオ近刊) The Daleth Effect (1970)(サンリオ近刊) Stonehenge (1971) (レオン・E・ストーヴアーとの共作) Montezuma's Revenge (1972) The Stainless Steel Rat Save the world (1972) (サンリオ刊行予定) A Transatlantic Tunnel, Hurrah! (1972) (サンリオ刊行予定) One Step from Earth (1972) (短篇集) Star Smashers of the Galaxy Rangers (1973) Queen Victoria's Revenge (1974) The Best of Harry Harrison (1976) (短編集) Lifeboat (1977) (ゴードン・R・ディクスンとの共作) The Stainless Steel Rat Wants You (1978) ■少年向け The Man from P.I.G. (1968) Spaceship Medic (1970) 『宇宙船ドクター』内田庶訳・あかね書房 The California Iceberg (1974) ■アンソロジイ Nebula Award Stories 2 (1967) (ブライアン・W・オールティスとの共編) Backdrop of Stars (1967) Apeman, Spaceman (1968) (レオン・E・ストーヴァーとの共編) Four for the Future (1969) Worlds of Wonder (1969) (少年向け) The Year 2000 (1970)(オリジナル・アンソロジイ) The Light Fantastic (1971) The Astounding-Analog Reader (1972-73) (ブライアン・W・オールディスとの共編) Astounding: John W.Campbell Memorial Anthology(1973) Hell's Cartographers (1975)(ブライアン・W・オールディスとの共編)  ■シリーズ・アンソロジイ The Year's Best Science Fiction1-9 (1968-1976)(ブライアン・W・オールディスと共編の年刊アンソロジィ、サンリオ刊行予定) SF: Author's Choice 1-4 (1968-70-71-74) Nova 1-4 (1970-72-73-74)(オリジナル・アンソロジイ) ■その他(編集) John W. Campbell: Collected Editorials from Analog (1966) ---------------------------------- 底本: (一般小説) [ハリイ・ハリスン] ステンレス・スチール・ラット [1961] (サンリオSF文庫).zip 35,735,375 56b32fd6cabf4c01524114131f405a65bd3dbf37 公開:2011/02/15 テキスト化:スチール 校正:2011/03/20 スチール