地球人よ、故郷に還れ ジェイムズ・ブリッシュ 砧 一郎訳 [#(img/03/000a.jpg)入る] [#(img/03/000b.jpg)入る] [#(img/03/003.jpg)入る] [#(img/03/004.jpg)入る] [#(img/03/005.jpg)入る] [#改ページ] [#(img/03/007.jpg)入る] [#改ページ] [#(img/03/009.jpg)入る] [#改ページ]     プロローグ  地球人の宇宙飛行は、かの偉大な西欧文明の没落して行く過程のさなかに、一つの戦争手段としてスタートが切られた。  ミュアのテープ質量《マス》エンジンの発明は、初期の探険隊を遠く木星までおくり届けた。西欧文明が終熄をつげる以前に、その文明を代表するものとして完成したミュアのエンジンによる最後の宇宙飛行、紀元二〇一八年の木星探険によって、重力というものが──一つの仮設としては、それより数世紀も前に考えられてはいたが──初めて実質的に発見された。  |遠 隔 操 作《リモート・コントロール》による木星面への観測所の建設は、疑いもなく、地球人のかつてくわだてたもっとも大規模な(また、見方によってはもっとも無用な)技術的事業であったが、それによって、木星の磁場の直接的なしかも精密な測定が可能となった。その測定は、すでに一九四八年に磁気作用と、重力作用と、さらに物質の回転速度との相関性をあらわすものとして提案されていた、ブラケット・ディラックの方程式に決定的な確証を与えた。  その当時まで、ブラケット・ディラックの方程式は何の役に立つでもなく、純粋数学者の玩具《おもちゃ》にすぎなかった。やがて、その方程式と数学者とは、全く唐突に最初の晴れがましい脚光を浴びることになった。  記号にうずめられた厚いノートブックと、単一電極の回転によって作り出すことのできる場《ば》の強さについての、素人には訳の分らない|議  論《ディスカッション》とから、ディロン・ワゴナーの|重 力 子 極 性 発 生 器《グラヴィトロン・ポラリティ・ジェネレーター》がそっくりできあがったものとして生れた。ほとんど同時にこの装置は、それが電子を|目まぐる《ディジー》しくしスピンさせることから、〈スピンディジー〉と命名された。要するにG=(2PC/BU)の2乗というまことにこざっぱりとした方程式の中に、超光速運動《オーバードライヴ》と|隕 石 遮 蔽《ミーター・スクリーン》と|反 重 力《アンチ・グラヴィティ》と、この三つの偉大な技術が、そっくり含まれていたのであった。  あらゆる文明はそれぞれ独特の数学を持ち、歴史学者はその中にそれとは切り離せない社会形態を見ることができる。すでに古代マギ族文明の代数学に暗示され、新遊牧時代のマトリックス力学を指向するこの方程式を、西欧文明はせっかく発見しながら、そのままほったらかしておいたのであった。  最初、この方程式の重要な意義は、それが極限としての光速度Cの値の変動を基礎としているという事実にあると考えられた。西欧はその存在の最後の五十年のあいだに、近隣の星に移民を送るのにスピンディジーを利用した。しかしその当時にさえ、西欧はそのためらいがちな両手に抱えこんだ武器の真の能力には、気がつかずにいた。  スピンディジーがあらゆる物体[#「あらゆる物体」に傍点]を持ちあげ、それを防護し、そして、それを光よりも速く飛行させることができるというそのことを、実質的にはついに発見せずに終ったのであった。  その後の数世紀のうちに、宇宙飛行についてのいっさいの概念はほとんど忘れ去られてしまった。地球の新しい文明、歴史学者の官僚国家と呼ぶかの偏狭かつ平板な独裁政治の文明は、宇宙飛行を考えることさえ許さなかった。その禁制は物理学者の思索にまで及んだ。網の目のようにくまなく張りめぐらされた思想警察の警官達は、その種の──反地球活動と呼ばれる──研究の行なわれる場合、それが実証の段階に到達するはるか以前に探知できるように弾道学の公式を教えこまれ、そのほか宇宙航法などの訓練を受けた。  しかし、思想警察も原子力の研究までを禁止することはできなかった。というのは、その新国家の勢力が原子力に依存したものであったからである。ブラケットの方程式が生れたのは電子の磁気モーメントの研究からであった。新国家はスピンディジーの公表を禁止した──それは、地球逃亡の手段としてあまりにもすぐれていた。スピンディジーの基礎となる方程式が『手の届く所』にある、ありふれたものであることは思想警察にも知らされていなかった。  こうして少数者のグループは全て、官僚国家によって追放され、あるいは『再教育』されたが、それにもかかわらず純粋数学者達は、自分自身としては革命の動機など全く持たずに、疑われることもなくその国家の崩壊をもたらしたのであった。  スピンディジーはトリウム・トラストの核物理学研究所で、全く偶然に再発見された。その発見は核反応器の破滅的な脅威と、〈太陽フェニックス〉とが最盛期の西欧をほろぼしたように、何のとりえもない退屈な文明を滅亡させることになった。  宇宙飛行はとり戻された。  しばらくのあいだは用心深く、スピンディジーは新造の宇宙船だけに装備され、おかしいほど短い期間ではあったが、ふたたび惑星探険の一時期が続いた。倒壊に瀕した国家という組織は、その伝統的な均衡《バランス》を回復しようと懸命な努力を重ねた。しかし、重心はすでに移っていた。  スピンディジーを宇宙船にしか利用しないことが、その能力からしてどれほどもったいないか、その事実は蔽うべくもなかった。人間を宇宙空間に運ぶ乗りものが、小さく、窮屈で船首と船尾とがきまり、重量にも制限があるというようなものでなければならない理由は、どこにもなかった。|反 重 力《アンチ・グラヴィティ》が技術的に現実の物となった以上、質量も流体力学的船型も、もはや意味を持たないことになるのであるから、とくに宇宙飛行に適した船を設計する必要はなかった。  どんなに重い、どんなに複雑な形の物体であっても、それを持ちあげ、地球の外へ投げ出し、どんな遠距離にでも運んで行くことができる。必要とあれば、全部の都市をそっくり移すこともできた。  多くのものが運ばれた。工場が最初だった。工場は地球上を価値のある鉱物資源を追って移動し、やがてはさらに遠く地球の外まで運ばれて行った。  地球脱出が始まった。  しかしその当時には、全体の趨勢が表面上は国家の最高の利益に一致していたので、その脱出を阻止することはできなかった。移動工場は火星を太陽系の鉄都ピッツバーグに変えた。スピンディジーが採掘装置から精錬設備までそっくりそのまま運んできて、地衣《こけ》に覆われた錆《さぴ》色の天体に生命をよみがえらせた。かつてピッツバーグのあった跡の空地は|かなくそ《スラッグ》と灰とにうまった谷間だった。製鋼《スチィール》トラストの巨大な工場は隕石を飲み込み、惑星の核心に歯型を入れた。アルミニウム・トラストも、ゲルマニウム・トラストも、トリウム・トラストも、惑星を採掘するためにその工場を移した。  しかし、トリウム・トラストの第八号工場はついに帰ってこなかった。その単純な事実から、退屈な文明に対する反逆が始まった。仕事を追って渡りあるく|渡り鳥都市《オーキー・シティ》の最初の一つが、西欧文明の没落によってとり残された植民者達相手の仕事を求めて太陽系外へ飛び去った。このようないわば、放浪性の都市のあいだに新しい文明が始まった。  都市の地球脱出が完了すると、官僚国家は自《みずか》らの意志に反して、かつて古い昔に、『人民の用意のととのったときに』そうすると約束した通りになった──衰え果てて滅びたのである。その国家が、砂の最後の一粒までを完全に所有していた地球は、見すてられて荒廃した。あとを継いだのは地球の放浪者達──移動労働者、浮浪人《ホーボ》、それに出かせぎ農夫だった。  主としてスピンディジーがこのようなことを可能ならしめた。しかしそれを維持することができたのは、ほかの二つの偉大な社会的要因の貢献であった。  その一つは人間の寿命の延びたことである。いわゆる『自然死』の征服は、木星観測所の技術者達がスピンディジーの原理を実証した当時、すでに事実上完成していた。スピンディジーと人間の長寿とは、宇宙手袋の中の二本の指のように離れることのできない関係にあった。  スピンディジーは宇宙船を──あるいは一つの都市を──光速よりも大きな途方もない速度で駆動するが、それでもなお惑星から惑星への飛行にはある程度の時間を要した。銀河系宇宙は飛行距離が少し延びると、スピンディジーの最高速度を持ってしても、人間の一生涯も二生涯もかかるほど広大無辺であった。  しかし薬品の力で死が征服されると、そこにはもはや古い観念での『一生涯』というようなものは存在しなかった。  もう一つは、金属ゲルマニウムが固体物理学の寵児となって値あがりしたという経済的な要因であった。宇宙空間の奥深くへの飛行が一つの事実となるよりもずっと以前に、この金属は地球上で非常識ともいえる高値を示していた。惑星の開拓が始まると、その価格は適当な水準までさがり、やがては宇宙貿易の安定した基本通貨となった。それ以外の物は、放浪性のある地球人達を事業《ビジネス》につなぎとめることはできなかった。  このようにして官僚国家は没落したが、社会機構が完全に崩壊してしまったわけではなかった。地球の法律は多大の修正を加えられながらも、とにかく生き残った。修正は必ずしも出かせぎ都市に不利とは限らなかった。  地球を脱出した都市は往々にして着陸を拒絶された。着陸を認める惑星もあったが、そこでは容赦のない搾取《さくしゅ》が行なわれた。都市は反撃に出た。しかし、かれらは戦うことにかけてはそれほど有能でなかった。かつて、西欧文明の特質は全般的に戦車《タンク》よりもむしろ蒸気ショベルの方が重んじられたことにあったが、両者が戦えばその勝敗はおのずから明らかであった。  むろん、スピンディジーを宇宙船のような小さな物に閉じ込めることは力の浪費であるけれども、戦争の道具としての艦船は力の浪費そのものであるし、浪費が大きければ大きいほどそれだけ致命的な兵器となる。  地球の警察は叛乱都市を鎮圧した。その後、自己防衛上、地球はその支配下にある都市を必要とするので、都市を保護する法律を成立させた。  地球警察はこうして司法権を維持したが、ほとんど大部分の区域において地球の支配権は弱体であった。銀河系内には地球を一つの伝説としてしか知らない区域がいくらでもあった。そのような区域では、地球は宇宙の数千パーセク(一パーセクは三・二五九光年にあたる)の彼方にまぼろしのように浮かぶ、歴史上数千年をへだてた遠い昔の神話の中の存在であった。むしろ、今は崩壊してしまったヴェガの専制の方が生々しい事実として記憶され、その専制を崩壊させたちっぽけな惑星の名などは知られていなかった。  地球そのものは一種の公園惑星となった。そこには、目ぼしい都市は銀河系宇宙の静かな首都が一つあるだけであった。ピッツバーグの谷には花が咲き乱れ、金持の新婚夫婦はそこで陽気に蜜月を楽しんだ。旧弊な官僚達は、地球に帰って死んだ。  そのほかには、誰一人地球へ行く人間はいなかった。 [#地付き]──アクレフ=モナレス       [#地付き]『銀河・五つの文明の肖像画』 [#改ページ]     1 |宇宙の裂け目《リフト》  ザラザラと手ざわりの粗《あら》い欄干《らんかん》をまわした、すり減った花崗岩でできた幅のせまい露台に出ると、ジョン・アマルフィは、以前によくことばの意味につまらないこだわり[#「こだわり」に傍点]をおぼえたことがあるのを思い出した。  そのこだわり[#「こだわり」に傍点]は、それまで滑らかにメロディをかなでていたフレンチホルンの美しいソロに、だしぬけにブツブツと妙な雑音がまじりこんだように、かれを困らせたものだった。いまでは滅多にないことだったが、それでも、たまさかにそんなことで戸惑いを感じると、われながら迷惑な気持だった。  今度の場合、かれは自分のこれから行こうとしている場所を何と呼んだものか、それを決めかねたのだった。  |鐘 楼《ベルフライ》だろうか、それとも船橋《ブリッジ》だろうか?  もちろん、そんなことは古くからいわれているように、観点がどこにあるかということによって左右される解釈上の問題にすぎない。確かに、その露台は市庁舎《シティホール》の鐘楼のグルリをとり巻いていた。しかし、その市自体はいわば一隻の宇宙船だったし、市の機能の大きな部分がここからの指示によって運営されることがあり、アマルフィもここに立って、市の航海して行く星の海をながめることに慣れていた。  その意味では、そこは船橋《ブリッジ》だった。だが船とはいっても、やはり一つの都市には違いなかった。牢屋もあれば運動場もあり、横町があってそこには猫も住んでいる都市だった。しかも、その鐘楼には、今もなお舌こそ失われていたが、本物の鐘さえ吊られていた。都市はあいかわらずニューヨーク州ニューヨーク市と呼ばれている。しかし、古い地図を見ればわかるように、この呼びかたは誤解を招きやすい。  空に浮かんでいるこの都市は、いわゆるニューヨーク市のうちでもマンハッタン区、もしくはニューヨーク 郡《カウンティ》 だけにすぎないのだ。  そんな思いにとらわれながらも、アマルフィの足は、ほとんどためらいを見せずに、敷居をまたいで花崗岩の床を踏んだ。こうした小さなジレンマには慣れっこになっていた。この市が空へ飛び立った直後の数年間には、しょっちゅうそんなことがあった。そこらのありふれた物とか場所とかを、それが宇宙飛行のために姿をすっかり変えられてしまってから、どんなことば[#「ことば」に傍点]で呼べばいいか、それをはっきり決めるのは難しかった。  たとえば、市庁舎の鐘楼は外観こそ一八五〇年の当時とあまり変っていないが、今はそこが一種の宇宙船の船橋《ブリッジ》となっているのだから、それを|鐘 楼《ベルフライ》と呼ぼうが、船橋《ブリッジ》と呼ぼうが、どっちにしろその建造物がどうなっているのかということを的確に表現することができない、そんな難しさだった。  アマルフィは空を見あげた。その空も一八五〇年の特別よく晴れた夜には、今見るのとあまり違わなかったに違いない。  空飛ぶ都市をすっぽりと包んでいるスピンディジー防護スクリーン自体は目に見えないが、それは楕円偏光をしか通さないから、星の光をにじませ、その光度を三等級ほど暗くする。わずかにのこるスピンディジーの遠いうなり声──それは、まだ空を飛ぶことのできなかった時代に都市の象徴でもあった、いろいろな交通機関の出す騒音にくらべると、確かにずっとやわらかな音だったが──そのほかには、この都市が星のあいだの宇宙空間をまっしぐらに飛び続ける、渡り鳥の中の渡り鳥であることを実感させるものは、何一つなかった。  もしそんな気があったとすれば、アマルフィは、かつて以前に自分が──短い期間にはすぎなかったが──この市の市長をつとめ、〈シティ・ファーザーズ〉が今こそ空へ舞いあがるべき時機であると、決断をくだした当時のことを思い出すこともできたはずだった。それは、ほかの全ての主要都市が地球から飛び去ってしまったあと、さらに数十年|経《た》った三一一一年のことだった。  そのころ、アマルフィはまだ百歳を越えてはいなかった。当時の|市の支配人《シティ・マネージャー》はディフォードという男だった。かれも、一時はアマルフィといっしょになって、様子の変ってしまったいろいろな見慣れたものをどう呼べばいいかということについて、戸惑いながらもおもしろがりあった仲間だった。しかし、そのディフォードは三三〇〇年ごろに、市とエポックという惑星とのあいだに結ばれた契約に違背する陰謀をたくらんで、〈シティ・ファーザーズ〉の指図によって銃殺の刑に処された。市の警察の記録に、今もなお警察官達の身にしみて忘れない汚点を印した事件だった。  新任の支配人《マネージャー》はマーク・へイズルトンといって、まだ四百歳にならない若ものだった。かれも、すでに同じような理由からデフォールにおとらない〈シティ・ファーザーズ〉の嫌われものとなっているが、市が空へ飛び立ったあとに生れたおかげで、いろいろなものを呼ぶ適切なことばを見つけ出すことに、困難を感じるようなことはなかった。この男が空飛ぶ都市に住む人間の中で、意識の底に古い地球流のものの考えかたを吹き込まれて持っている最後の一人であることは、アマルフィも信じていいと思っていた。  へイズルトンは市長室で、細い指でデスクの表面をコツコッと叩きながらアマルフィを待っていた。この現職の市支配人は、まるで関節のない人間のようにグニャグニャとした感じの、やけに背の高いやせた男だった。手と脚がアマルフィの椅子からはみ出して、やたらに延び拡がっているところは、いかにも不精ったらしい感じだった。  伸びすぎた肢体をもてあましているのが不精もののしるし[#「しるし」に傍点]だというのなら、アマルフィもへイズルトンを市でいちばんの不精ものと呼ぶことをためらうつもりはなかった。  この市以外のどこかに、かれよりももっと不精な人間がいるかどうか、そんなことはどうでもよかった。市の外《そと》で何がおころうと、もはや現実的な意味はなかった。 「どうだった?」へイズルトンがきいた。  空飛ぶ都市の住人にとってさえ、〈リフト〉と呼ばれる宇宙の裂け目は人類のあらゆる経験を超えた恐ろしい存在だった。孤独感なら星の世界では当然のことであり、星を股にかけて飛び歩くほどの連中は誰でもそれに慣れていた。普通の星団の星の濃密度《デンシティ》は、熟練した|渡り鳥《オーキー》が閉所恐怖症《クローストロフォビア》をおこさずにいられないほど大きい。  しかし、〈リフト〉の想像を絶した空虚感は、ほかに比べる物がなかった。  アマルフィの知る限り、都市はいうに及ばず、およそ地球の人類に、かつて〈リフト〉を横断した経験を持つものはただの一人もいなかった。知らないことのない〈シティ・ファーザーズ〉も同じ意見だった。今度ばかりは、アマルフィにも先駆者《パイオニア》となることが賢明だといい切る自信はなかった。  行く手とうしろの方には、一つ一つの光の点として見わけるには、あまりにも距離の遠い無数の星がいちめんにもや[#「もや」に傍点]のようにひかって、〈リフト〉のいわば壁をつくっていた。その壁はゆるやかな曲面を描きながら星の床につながっていた。その床も、空飛ぶ都市の花崗岩でできた竜骨《キール》の、地球的概念からいって『下の方』に、立ちのぼる星屑の霧の中に見え隠れするかと思えるほど、はるかにはるかに遠かった。 『上の方』には何もなかった。たとえば、ドアをピシャリと叩きつけたほど思い切りよく、何もなかった。星群と星群とのあいだにはさまれた、全く空《から》っぽの宇宙の大海原、それが〈リフト〉だった。 〈リフト〉は、事実上、銀河系宇宙の表面にきざみこまれた深い谷だった。その谷の中にも、数えるほどの星はたがいに数千光年の距離をへだてて浮かんでいた──それは、さすがの地球人の植民の大波も到達することのできなかった星だった。人の住んでいる星がありそうなのは、したがってこの市のあてにできる仕事のありそうなのは、谷の遠い方の岸だけだった。  近い方の岸には、今もなお警察が網を張っていた。もちろん、それは昔この市を追跡していたのと同じ分遣隊ではなかった。市の側に一連の些細な反則のあったのは事実だが、それにしても、たかがそれぐらいのことで警察がほとんど三世紀にもわたって執拗な追跡を続けるとは、とても信じられないことだ。しかし、立退き命令違反の一件は今もって犯罪簿から削除されていないし、そのほかにちょっとした詐欺行為もある……とにかく手配がまわっている。  今さらあともどりすることなどは問題外だった。  警察が遠く〈リフト〉の涯《は》てまで、市を追跡してこようとしているのかいないのか、アマルフィには何とも見当がつかなかった。いずれにしろ、いちかばちかの大きな賭けだった。  船のような小さな物体にとっては、充分な食糧をはこぶことができないというそれだけの理由からでも、この大きさの砂漠を横断することは、おそらく不可能と考えられる。自身の必要とする食糧を栽培することのできる都市だけが、そのような横断旅行をやりとげるチャンスを多分に持っているのだ。  アマルフィは、監視スクリーンにうつるすさまじい宇宙の裂け目の光景を冷静にながめた。それは、空飛ぶ都市の行く手に適当な間隔をおいて配置された偵察衛星《プロクシー》から送られてくる映像だった。先頭の偵察衛星《プロクシー》は、すでに〈リフト〉の奥深く数パーセクの点に達していた。  そこから見ても、行く手の壁はあい変らずいちめんの光のもや[#「もや」に傍点]だった。倍率を最大にすれば、かろうじてそれがやがては一つ一つの星の点にわかれて行くことを予想させる、無数の光の点のあつまりらしく見え始めたところだった。 「食糧が保《も》つといいが」  アマルフィは、つぶやくようないいかたをした。 「もしわれわれがこの一番に成功したなら、|渡り鳥《オーキー》仲間にも例のないすばらしい語りぐさになる。われわれは、〈リフト渡り〉の勇名を銀河系宇宙の端から端までとどろかせることになるだろう」  そのそばで、へイズルトンは自分の椅子の肘かけを細かにコツコツと叩いた。 「成功しなければ、われわれは地球を飛び立った数多い連中の中でも、とびきりの大バカものと呼ばれることになる──もっとも、そのときには何と呼ばれようが、こっちはそんなことを気にしたくてもそれができない身の上になっているでしょうが。いずれにしろ、今のところは何の異常もなさそうです。油のタンクはほとんどいっぱいだし、クロレラも豊作だ。培養器は両方とも運転されているから燃料にも心配はないでしょう。宇宙のこのあたりでも、作物に突然変異のおこるおそれはまずないと、わたしはそう思っていますが──|自 由 場《フリーフィールド》の効果が星の密度によって変動するかどうか、そんなことはあり得ないのではないでしょうか?」 「あたりまえだ」  アマルフィは、じれたようないいかたをした。 「万事異常がなければ、餓え死にすることもあるまい」  ことばはとぎれた。背後に気配を感じて、アマルフィはふりかえった。  その顔に微笑が浮かんだ。  ディー・へイズルトンの姿には、何か気分をくつろがせるものがあった。彼女はまだ宇宙飛行の経験が浅く、|渡り鳥《オーキー》に特有の星焼けもそれほど深くはないし、また自分がユートピア星のものさし[#「ものさし」に傍点]ではかって、文字通り不老不死であることに驚きを失ってもいなかったので、肌はピンクいろに輝き、ひどく若く見え、屈託《くったく》もなかった。  たぶんいつかは、星から星へ、危機から危機へと渡り歩く不断の緊張が全ての|渡り鳥《オーキー》を変えたように、彼女をも変えてしまうだろう。好奇心は失われないかもしれないが、その好奇心をみたすには大きな代償を必要とすることになるだろう。  さもなければ、彼女の精神の弾力はそんなことをものともしないほど大きいかもしれない。アマルフィはそうあって欲しかった。 「お続けになって。わたし、キビツィングに(仕事の邪魔をしに)きただけなんです」  そのキビツィングということばが、ディーの口にする大部分のことばと同じように、アマルフィには意味がとれなかった。  とにかくニヤリと白い歯を見せておいて、かれはへイズルトンの方へ向きなおった。 「わたしが危険を冒《おか》して〈リフト〉の横断を決意したのも、われわれが健全な状態にあると判断したからなのだ。そうでなければ、むしろすすんで逮捕されたはずだ。逮捕されたところで立退き命令違反の罰金を払えば、それですんだ。運がよければ、〈反逆罪〉の容疑をかけられたおかえしに、われわれの計画を妨害した事実について訴訟提起命令書を手に入れ、それを警察の連中に叩きつけてやることもできたかもしれない。  しかし、マーク、そのスクリーンにうつっている、いまいましい大峡谷《キャニオン》を見たまえ。われわれは、これまでに五十年という期間をどの星にも立ち寄らずにすごしたことは一度もない。ところが〈シティ・ファーザーズ〉の予測によれば、この横断にはたっぷり百四年かかる。ちょっとでも事故がおこれば、われわれはどうにも助かりようがない──われわれは、どんな宇宙船も行きつくことのできない宇宙の涯《は》てまで行ってしまっているのだから」 「事故などおこりませんよ」  へイズルトンの口調には自信がこもっていた。 「燃料の分解ということがある──われわれには引火による火災の経験は、かつて一度もなかった。しかし、初めてということは必ずあるのだ。それに、二十三丁目のスピンディジーがふたたび停止するようなことがあれば、それだけで横断には二倍近くもの時間がかかることになるから──」  アマルフィは急に口をつぐんだ。  目のすみから針の尖ほどもない明るい光点が飛びこんできて、いや応なしの命令を脳につたえた。まともにスクリーンを見ると、その光点はまだそこにあった。しかし、像が網膜の中心窩からずれたためにいくぶん明るさを失っていた。  アマルフィはそこを指さした。 「見たまえ──あれは星団だろうか? いや、小さすぎるし、鮮明すぎる。あれが単独の自由浮遊星だとすると距離はきわめて近い」  アマルフィは電話器をつかみとった。 「天文局をつないでくれ。やあ、ジェーク。ウルトラフォン・テレビ送像器から送られてきた映像に見えている星の距離を計算してくれないか?」 「お安いご用だ」電話の声がしゃべった。「待ってくださいよ、いまあんたのいうその星をさがすから。ああ──なるほど、これだ。方位はだいたい十時、正体はまだわからん、と。ご自慢の偵察衛星《プロクシー》の掘り出しものというわけですな。強度がわかれば正体もつかめる」  天文技師は、クラッカーのつまった樽の縁にとまったオウム[#「オウム」に傍点]のように、クツクツと嬉しそうな声を出した。 「前方に〈プロクシー〉がいくつ出ているか、その距離がどれだけあるか、それを教えてもらえば」 「偵察衛星《プロクシー》は五基、間隔は最大限だ」 「なるほど。するとかなりの補正が必要だな」  そのあと、こっちがムズムズしてくるほどながい沈黙が続いた。ジェークをせかしてみたところで、どうにもならないことはアマルフィも承知していた。  かれはもともとこの市の天文技師ではなかった。セント・リタと呼ばれる惑星で、セント・リタが宇宙の中心ではないということを主張しすぎて、その惑星の住人に追い出されたという経歴を持っていた。その後、ジェークは地球のほかの都市から『|任意選択の原則《ルール・オブ・ディスクリーション》』にしたがって、原子炉技師一人に光合成関係の下級技師二人と交換《トレード》されて、この市にやってきた。  任命してみると、この天文技師は遠いよその銀河系宇宙の動静にしか興味を示さないことがわかった。そのかれを説得して、そんなことよりももっと身近なこの市の天文学的状態を考えるように仕向けることは、骨折り損のくたびれもうけに終るのが普通だった。当人は、そのような局部的な問題はことさら注目するに値いしないと思っている様子だった。 『|任意選択の原則《ルール・オブ・ディスクリーション》』は|渡り鳥《オーキー》都市の伝統だったが、アマルフィがその手段に訴えたのは、あとにも先にもこの時限りだった。そのやり方に奴隷制度を思わせるものがあるからだった。〈シティ・ファーザーズ〉から得た知識によれば、その起源はプロ野球選手──といわれても、アマルフィには何のことだか皆目わからなかったが──の交換《トレード》制度にあった。ときには、自分がただ一度だけ、その原則に対する態度を自ら破ったことで、神の罰を受けているような気のすることがあった。 「市長さん?」 「ああ」 「十プラス・マイナス十分の四パーセク。ただし、ここからではなく偵察衛星《プロクシー》からの距離だ。たぶん、浮遊星《フローター》だね」 「ありがとう」  アマルフィは電話器をもとにもどして、息を深く吸いこんだ。 「あと四、五年の旅だ。これでホッとしたよ」 「あんな一人ぼっちの星には植民者などいないでしょう」へイズルトンは指摘した。 「そんなことはどうでもいい。とにかく着陸できる。燃料とか、うまく行けば食糧にもありつけるだろう。たいがいの星には惑星がある。この風変りな星には惑星が一つもないかもしれない、一ダースもあるかもしれない。幸運を祈るばかりだ」  アマルフィはそのちっぽけな太陽をみつめた。あわれむ気持が昂じて、目が痛くなった。  |宇宙の裂け目《リフト》にただよう孤独の星──毎秒四百キロから五百キロの速度で移動する放浪性の星であることはまず間違いないが、肉眼で見たところだけからすると、その種の星の通例とは違って白色矮星ではなさそうだ。アマルフィはそれをカノープスに類したF型の星であると推定した。その星の惑星に住む人達が、ある日突然、自分達の星が〈リフト〉の壁を突放して、空虚の世界への旅に船出した瞬間のことをあるいは記憶にとどめているかもしれないと、そんな気がした。 「あの星には、人が住んでいるかもしれない。かつて〈リフト〉を満たしていた無数の星は、あるとき、どうしたわけか一つのこらずきれいさっぱりと掃き出されてしまった。もっとも、ジェークにいわせると、そんないいかたはドラマティックすぎるそうだがね。おそらく、星の平均の運動が当然の結果としてこの裂け目をつくったのだというのだ。  しかし、いずれにしろあの太陽の動き方は、全体としての傾向とは相反しているのだから、どうしてもごく最近、それもだしぬけにあそこへ出てきたのに違いない。人の住む区域を通っていたあいだに、あの星には植民が行なわれたとも考えられる。だいたいが、仲間はずれになって行くような星には、追われものの犯罪者などがあつまりやすいものなのだよ、マーク」 「そうかもしれない」へイズルトンは認めた。「しかし、あの星がかつてはほかの仲間達と一緒にいたのだとしても、それはずっと昔、まだ宇宙飛行のはじまらない以前のことだったに違いない。  それはともかくとして、今あのスクリーンにうつっているのは、この市の行く手、〈リフト〉を横断する方向に出ている偵察衛星《プロクシー》から送られてくる映像です。側面の方には全然出ていないんですか? わたしは出しておくように命じたんだが」 「出ているとも。しかし、そんなものはほんの申しわけに出してあるだけで、何の役にも立ちはしない。この〈リフト〉を縦断するなど全く自殺行為に等しいからね」 「わかっています。でも、孤立した星が一つ発見されたとすると、ほかにもまだあるかもしれない。もしかするともっと近い星があるかもしれない」  アマルフィは両方の肩をすぼめて見せた。 「お望みなら見てみるとしよう」  操作盤に手を触れた。スクリーンにうつっていた〈リフト〉の、はるかに遠い壁は消え失せた。あとには、うすいもやのように見えるもののほかには、何ものこらなかった。〈リフト〉は曲りくねって、やがては空虚の小川となり、その小川もついにははるかに遠い星の砂原に吸いこまれてしまう。 「こっちには何もない。全く何もない」  アマルフィはもう一度スイッチを押した。  スクリーンにはほとんど呼べばきこえそうな距離に、一つの都市が燃えていた。  全ては、数分のうちに終った。電光の渦巻く中で、都市ははねあがり崩れ落ちた。周辺部をめぐって、弱々しい抵抗の砲火がひらめいた──やがて、周辺部そのものがなくなった。都市の一部が裂けて幽霊のように熔け流れた。  燃えさかる中心部から、数隻の救命艇がやけくそのように〈リフト〉へ射ち出された。何がかれらを逃げ出させたのか、それはわからない。いずれにしろ、〈リフト〉を脱出するまで生きのびることのできる救命艇があろうとは思えない。  ディーが叫んだ。  アマルフィが|音 声 回 路《オーディオサーキット》にスイッチを入れると、空電妨害の雑音がヒューヒューガーガーと司令室を満たした。その野放図な騒音のずっと底の方で、かすかな声が絶望的に叫んでいた。 「この放送をきいたものは再放送してもらいたい。繰りかえす。われわれには無燃料駆動《フュエルレス・ドライヴ》がある。われわれはその方式を採用した試作機《モデル》を破壊し、発明者を避難させる。できれば収容してもらいたい。われわれは海賊都市《ビンドルスティッフ》から爆撃されている。この放送をきいたものは──」  やがて、スクリーンには白く燃え輝き、暗黒の空へ蒸発して行く都市の残骸のほかには、何も見えなかった。その都市の上空には爆撃を誘導する光束《ビーム》が無心に動いていたが、一体誰がその武器をあやつっているのか、それはまだうかがい知ることができなかった。  偵察衛星《プロクシー》の送像カメラには強すぎる入射光を補償する防眩回路があるので、スクリーンには、自身で発光しない物体の像は全く送られてこなかった。  すさまじい火災も次第におさまって、星の光が見えてきた。最後の火花がひときわ明るく輝いて、それも消えてしまうと、遠い星の壁をバックに黒い影が浮かびあがった。  へイズルトンが息をするどく吸いこんだ。 「われわれのほかにも都市がきている! 地球から飛び立った都市の中に、海賊都市《ビンドルスティッフ》に成りさがったものがあるという噂はきいていたが、やっぱり本当だった! それにしても、こんなに遠くまで乗り出してきたのは、われわれが初めてだとばかり思っていたのに!」 「マーク」ディーが小さな声で呼びかけた。「ねえマーク、その海賊都市《ビンドルスティッフ》とかっていうのは何のことなの?」 「ごろつきどもの寄り集まりだよ」  へイズルトンはそうこたえながらも、スクリーンから目をはなさなかった。 「連中のために、われわれ|渡り鳥《オーキー》仲間のぜんぶがあらぬ汚名をきせられている。ディー、ほとんどの渡り鳥は、だいたいが根っからの渡りものなんだ。仕事があればどこへでも行って、生活費をかせぐ。ところが〈ビンドルスティッフ〉と呼ばれるごろつき[#「ごろつき」に傍点]どもは盗みをはたらいたり──人を殺したりして、暮しを立てている」  へイズルトンの声は悲痛だった。  アマルフィは気分が少し悪くなった。どんな事情があるにせよ、都市が都市を破壊しなければならないとは悲しいことだ。しかし、それにもまして、今しがた目のあたりに見たいっさいの情景《シーン》が、じつは文字通り遠い過去の歴史なのだと思うと、そこには苦痛以上の感情があった。  |超 波 動《ウルトラウエーヴ》による伝達速度が光の速度よりも大きいといっても、約二十五パーセント上《うわ》まわるにすぎない。ディラック送信器ならばともかく、ウルトラフォンは決して即時的な通信手段ではないのだ。現にスクリーンに黒々とシルエットを見せている都市が相手の都市を破壊したのは、実際には何年か前のことなのだから、今さら追跡してみたところで、どうにもなるものではない。それどころか、その都市の正体を突きとめるてとさえ、おぼつかない。  何かの行動をとるように、先行の偵察衛星《プロクシー》に命令を出しても、その命令は数年も経《た》たなければとどかないのだ。 「われわれと同様に地球を飛び立った都市の仲間に、宇宙を荒らしまわる海賊都市《ビンドルスチィッフ》に成りさがったもののあることは確かだ」アマルフィが口を開いた。「しかも、その数は最近とくに増えてきているに違いない。理由はわからないが、どうもそうらしい。このごろ、法律にしたがう正直な都市の数がずいぶん減っている──ディラック放送に応答がないし、約束の時間に約束の場所に行ってみても、相手があらわれないなどいろいろな徴候がある。今こそはその理由のはっきりさせられるときなのかもしれない」  へイズルトンはうなずいた。 「わたしもそれは気がついていた。しかし、行方のわからなくなった都市はずいぶんあるのに、それがぜんぶ海賊にやられたとすると、いったいそんなことができるものかどうか、わたしにはどうも納得が行かない。われわれの知る限りでは、ヴェガの軌道基地がこのあたりまで出張っていて、普通の通商ルートを離れて足をのばす向う見ずな連中を、かたっぱしからねらい打ちにするという可能性もある」 「ヴェガ人までが都市を飛行させているなんて、ちっとも知らなかった」ディーが口を出した。 「飛行させているわけではない」  アマルフィはほかのことを考えているような口調だった。よっぽど伝説にのこる基地の話をしてやろうかと思ったが、考えなおしてそれはやめにした。 「しかし、ヴェガ人は、昔、まだ地球人が宇宙飛行に乗り出さないまえに、銀河系宇宙に君臨していた。その全盛期に、かれらは地球が現に持っているよりもさらに多くの惑星を持っていたが、それも遠い昔のことで、今は全く見る影もない……ところで、マーク、わたしはやっぱり例の海賊都市《ビンドルスティッフ》のことが気になるんだがね。誰か地球の頭のいい人間が、ディラック装置を偵察衛星《プロクシー》に載せられるぐらい、小型にする方法を考え出してくれるといいんだが。地球では、ほかにこれといってすることもないんだからね」  へイズルトンにとって、アマルフィが不平をこぼすその気持の奥底にひそむものを見抜くことはぞうさもなかった。 「今からでも、やつらの行先きを突きとめて、泥を吐かせることはできるかもしれない」 「だめだ。われわれにはこんな所で道草を喰う暇はない」 「それでは、ディラック送信器を使って警戒警報を出すことにしよう。海賊都市《ビンドルスティッフ》が姿をくらまさないうちに、警察が〈リフト〉のこの区域を包囲できる見こみは、まずまずないでしょう」 「そんなことをやると、かえってこっちがうまうまとワナ[#「ワナ」に傍点]にはめられるのではないかね? それに、海賊都市《ビンドルスティッフ》にしたところで、例の救命艇を手に入れないうちには、〈リフト〉からよそへ行くはずはない」 「え? それがどうしてわかります?」 「さっきの緊急放送で、無燃料駆動《フュエルレス・ドライヴ》についていっていたのを君もきいたはずだが?」 「それはききましたが」  へイズルトンは不安そうな口ぶりだった。 「しかし、その無燃料駆動のつくりかたを知っているという人物は、あの都市の爆撃された当時にはかりに無事に逃げられたとしても、今ごろはもう死んでいるに違いない」 「そこは何ともいえない──そして、海賊都市《ビンドルスティッフ》の何よりも確かめなくてはならないのは、そのことなのだ。連中にしてみれば、その駆動技術をわがものとするためには、どんな犠牲をはらっても損はない。そうなったら、海賊都市《ビンドルスティッフ》もめずらしいなどといってすませる相手ではなくなる。今でこそ、銀河系宇宙にはそれほど海賊のはびこっている様子はないにしても、ここでわれわれがじっとしていて、無燃料駆動を連中に横どりされようものなら、それこそ手もつけられないこととなるだろう」 「あら、どうして?」  ディーが首をかしげた。 「君ももう少し歴史の知識を持っていてくれるといいのだが、ディー。君の星ユートピアには、海賊などというものはなかったようだが、地球にはかつてそういう手合いが世界をわがもの顔に荒らしまわっていた時代があった。それも、結局は数千年前、帆船が燃料を使う船にとってかわられたときに終りを告げた。燃料を使って走る船は帆船よりも速かった──しかし、かれらは燃料を補給するためにきまった時間をおいて、文明世界の港に寄らなければならなかったので、自分から海賊をはたらくわけにはいかなかった。食糧はどこか遠く離れた無人島で手に入れることができるが、燃料を補給するには、ちゃんとした港にはいらなければならない。  いま|渡り鳥《オーキー》都市はそれと同じ立場にある。それも、いわば燃料を使う船なのだ。ところが、もしあの海賊都市《ビンドルスティッフ》が燃料を必要としない駆動方式を本当に自分の物にすることができれば、宇宙を飛びまわるにも、文明惑星に立ち寄って動力用の金属を補給したりせずにすむから──いや、とにかく、そんなことになるのを黙って見ているわけにはいかない。われわれとしては、どうあっても無燃料駆動が連中の手に入るのを防がなければならないのだ」  へイズルトンが立ちあがって、両手を神経質にこねあわせた。 「全くその通りだ──同じ理由で、海賊都市《ビンドルスティッフ》もときを移さずにあの救命艇を捕獲にかかるでしょう。本当です、アマルフィ。救命艇がどこへ行ったか、その行先きは〈リフト〉の中ではただ一ヵ所しか考えられない。それは、あの放浪星《ワイルドスター》だ。だから、海賊都市《ビンドルスティッフ》は今ごろそこへ行っているかもしれない──そこへ行く途中かもしれない」  考えこみながら目をやったスクリーンには、また、さっきの名の知れない星だけが輝いていた。 「そうなると、事情は違ってくる。ところで、ディラック警報はどうします?」 「放送したまえ。それが規則だ。しかし、海賊都市《ビンドルスティッフ》相手の仕事はわれわれにまかせてもらいたいものだ。われわれは異質の文化を扱うやりかたに慣れているし、|渡り鳥《オーキー》達が──ならず者[#「ならず者」に傍点]どもも含めて──どう考えるかということもよく知っている。ところが、警察の連中はかりにどうにか間に合うようにやってきたとしても、せっかくのわれわれの苦心をメチャメチャにぶち壊すのが関の山だ」 「わかりました。すると、われわれの進路は今まで通りですね?」 「もちろんそうだ」  市の支配人はまだ何かいい足りないことがありそうに、グズグズしていた。  しまいにかれは、いい出した。 「市長、あの海賊都市《ビンドルスティッフ》は厳重に武装されています。連中に力ずくで押してこられたら、われわれはひとたまりもありません」 「マーク、君がひと一倍不精だということは知らなかったとしても、臆病ものであることだけは間違いがなさそうだな」  アマルフィは、不機嫌な声を出したが、急に口をつぐんで、へイズルトンの足元から上の方へのぞきこむような視線を走らせた。その目のとまった、馬のように長い顔にはからかうような表情があった。 「それとも、君は何かいいたいことでもあるのか?」  へイズルトンはジャムをこっそりとなめようとしたところをつかまった子供のように、ニヤリと白い歯を見せて笑った。 「そう、わたしにも考えていたことはあります。わたしはならずもの[#「ならずもの」に傍点]が嫌いだ。なかでも殺し屋にはがまんがならない。どうです、ひとつちょっとした計略をかけてみませんか?」 「そうか」  アマルフィはホッとした顔になった。 「それができれば何よりだ。その計略というのをきこうじやないか」 「ネタは女です。ならずもの[#「ならずもの」に傍点]を釣る餌は女に限ります」 「それは確かにその通りだ。しかし、どこの女を使うつもりなんだね? われわれの仲間の女性か? それはいかん」 「いや、そんなことはしない。あくまでも、あの星に人の住む惑星があるということが前提条件です。ここまではついてきてもらえますか?」 「ついて行くどころか、わたしの方がもしかすると一メートルかそこら君を追いこしているかもしれないよ」  アマルフィはゆっくりとした口調だった。  やみくもに〈リフト〉に飛び出し、向う岸まで、地球の年数でかぞえて一万年はかかろうという横断コースに乗っている、その向う見ずな星には六個の惑星があった。その中で少しでも地球に似ているといえるのは、一個だけだった。  その惑星はまだはっきり円盤状に見えるほど大きくならないうちから、スクリーンに姿を見せ、葉緑素《クロロフィル》を思わせる深いみどり色に輝いていた。呼びもどされた偵察衛星《プロクシー》が次から次へと到着し、直径五メートルもあるフットボールのように新世界を飛びまわりながら、あたりの光景をむさぼるようにカメラにおさめ、送ってきた。  どこもかしこも荒涼とした熱帯の風景ばかりだった。地球でいえば石炭紀にもくらべられる地質時代の揺藍期なのだ。この、ただ一つだけ人間の住めそうな惑星も、どうやら行きずりに一夜の宿をもとめるがせいいっぱい、とても金になる仕事などはなさそうだった。  やがて、偵察衛星《プロクシー》が、弱いラジオ電波をキャッチし始めた。もちろん、ラジオのしゃべることばの意味は全くわからなかった。  アマルフィは、すぐさまその間題を〈シティ・ファーザーズ〉にまかせた。しかし、軌道に乗せるために市の進路を修正しながら、なおもその異様な早口のことばに耳をかたむけた。何となく格式ばってきこえる声だった。 〈シティ・ファーザーズ〉から回答があった──。 「コノ言語ハ、類地球人語系G型ノ変形デアルガ、詳細ハ不明。ダイタイニオイテ、コノ語ヲ話シテイルノハ、ソノ惑星ニ土着ノ種族デアルト思ワレル。キワメテマレデアルガ、ソノ例ガナイワケデワナイ。シカシナガラ、ソコニハ、イギリス′黹m退化シタモノト思ワレル語型ノ痕跡ガウカガワレ、マタ、部族社会ノ形成ヲ示唆スル方言|混淆《コンコウ》ノ歴然タル証左モアル。後者ハ、ラジオ<m所有、ナラビニ語ノ基底ニ見ラレル語型ノ相似ノ、イズレトモ調和シナイ事実デアル。諸般ノ情勢カラ見テ、今次ノ冒険的ナ行動ニ、ミスタ・へイズルトン<m策謀ノ加ワルコトハ、厳重ニ禁ジナケレバナラナイ」 「わたしは何も助言を求めたわけではない。それに、今さらここで語原学の講義を聞かせてもらったところで、何の役に立つというのだろう? しかし、マーク、君も用心した方がいい──」 アマルフィはいいかけた。 「トール第五惑星を忘れるな」  へイズルトンは市長の父親ぶった声をまねた。そっくりだった。 「わかりました。着陸しますか?」  こたえるかわりに、アマルフィは|操 縦 桿《スペース・スティック》をつかんだ。  市は降下し始めた。そのまま着陸場として間にあいそうな場所はどこにもなかった。すでに予想していたことだった。アマルフィはイヤフォンに次第に大きくきこえてくる歌声を頼りにしながら、市を静かに横すべりさせるようにして降りて行った。  四千メートルの高度まで降りると、木の梢の暗緑色の波の中にキラリと光るものが見えた。その上に、いくつもの偵察衛星《プロクシー》が精密な電子動力装置をこわさないように用心しながらゆっくりとあつまった。スクリーンに小塔《ターレット》のある建物の屋根がうつった──やがてそつの数は二つ、四つ、そして一ダースにもなった。  都市があるのだ──それも空を飛ぶ|渡り鳥《オーキー》ではなく、大地に根をはやした都市が。よく見ると、その都市は周囲を壁でとりかこまれ、壁の外側には木も草も生えていない環状《リング》の空地があった。塔のあいだのみどりの木立ちは都市の所在をかくすカモフラージュなのだ。  高度三千メートル。土着の都市から一団の小艇が怯えた鳥のように、焔の羽毛をあとに散らしながら飛び立った。 「砲手!」へイズルトンがマイクロフォンに向かって叫んだ。「位置につけ!」  アマルフィは頭を振って見せて、市の着陸操作を続けた。火の尾を曳いた鳥達は市のまわりをグルグルと飛びまわって、煙っぽい羽毛を撒き散らした。根っからの地球人なら、鳥よりもむしろ雄蜂の結婚飛翔を連想したことだろう。  しかし、今ではほとんど千年ものあいだ地球の鳥も蜂も見ていないアマルフィは、それを儀礼にかなった歓迎飛行と受けとった。そこで、かれは似つかわしい荘重さで、ジャングルめいた都市からあまり遠くない、巨大なそてつ[#「そてつ」に傍点]の森の上空に市を停止させた。それから、いつものように中間子《メゾトロン》ライフルを使って着陸地点の大掃除をするかわりに、スピンディジー遮蔽《スクリーン》を分極《ポラライズ》した。  |渡り鳥《オーキー》都市の基部と頂点とが暗くなった。市のま下のそてつ[#「そてつ」に傍点]やシュロ[#「シュロ」に傍点]の森がどうなったか、それはじかには見えなかった──いずれにしろ一瞬のうちに人工化石となって、地に倒れ伏してしまった──しかし、市の縁のすぐ向こうは、生いしげっていた羊歯《しだ》類がのこらずなくなって、地面はむき出しとなり、さらにその外側はグルリ一帯見わたす限り、全ての森が市とは反対の方向へなびき、青天の雷鳴のとどろきにひれ伏していた。  残念なことに、いよいよというときになって、重い負担に耐えかねた二十三丁目のスピンディジーが故障をおこし、市は最後の百五十メートルを自由落下してしまった。おかげで着陸の衝撃はアマルフィの意図していたよりはかなりはげしかった。  自分の座席にしがみついたへイズルトンは、司令塔の揺れがおさまると、ハンカチを出して鼻の血を拭きとった。 「全く|劇 的《ドラマティック》な着陸《タッチ》だったが、もうたくさんだ。あのスピンディジーは念のためにもう一度整備し直した方がいい。このままだと、今にあの機械は永久にだめになってしまいますよ」  アマルフィは、これでよしというような|身振り《ジェスチャー》といっしょに、操縦装置のスイッチを切った。 「今ここで例の海賊都市《ビンドルスティッフ》が姿をあらわしたりしたら、しばらくはこの市の威信を保つのに苦労することになるだろう。しかし、やってくれ、マーク、当分は君も忙しいよ」  市長のアマルフィは昇降通路にはいって、樽のような形のかさばったからだを|摩 擦 力 の 場《フリクション・フィールド》の中ですべらせて、町の通りまで降りた。この降下法は確かにエレベーターよりも──さもなければ、自分の前額をブレーキがわりに使いながら、建物の外面をすべり落ちるやりかたよりも──ずっと速くずっと快適だった。  外に出てみると、司令塔の壁は熱い太陽の光を浴びて美しく輝いていた。そういえば、市庁舎の正面もこの塔と同じ向きだから、そこにかかげられている市の標語《モットー》は、たとえ緑青《ろくしょう》がこびりついているにしても、はっきり浮き出して見えるはずだ。その標語は土地の人達に読まれたくなかった──せっかくの着陸の効果をそこねるおそれがあった。  ふと気がつくと、さっきまで長いあいだイヤフォンを通してきこえていた歌声が、今はまわりの空気をじかにふるわせていた。そこかしこで、|渡り鳥《オーキー》都市の市民達の生《き》まじめな、退屈そうな顔が次から次へと振り向いて、|大通り《アヴェニュー》の向こうの方をながめた。どの顔にもほんの少しばかりの驚き[#「驚き」に傍点]と、興味と、わけのわからない悲しみとの混じりあった表情があった。  アマルフィも振り返ってみた。  子供達の行列がこっちへ進んできていた──子供達はミイラのように、赤と白の細長い布地をダンダラに腰のあたりまで巻きつけていた。絹のように重い感じのいろどりの豊かな織物でできた数枚の布片を腰からたらし、その布片は歩く足どりにつれて、両脚にまつわりついた。  ひと足進むごとにからだを低くかがめて、前に伸ばした両手をヒラヒラさせ、頭を左右にかたむける。爪先きのすぐ前にかかとを持って行く小きざみなステップを踏むと、全身がクルリとまわる。手首とはだし[#「はだし」に傍点]の足首に巻いた、豆の莢を乾かしたようなものをつないだ飾り輪が、カラカラと音を立てる。それだけの動作のあいだにも、水笛のような声の歌は続いている。  アマルフィが最初に突拍子もなく考えたのは、〈シティ・ファーザーズ〉が、なぜ、あのラジオからきこえてきたことばにとまどったのだろうかということだった。今見るこの子供達はまぎれもない地球人[#「まぎれもない地球人」に傍点]なのだ。別の星の住人らしい様子はどこにもない。  そのうしろに、背の高い髪の毛の黒い男達の行列が続く。足どりはそれほど軽やかではないが、ながい間《ま》をおいて、同じ一つのことばを口をそろえていっせいに叫ぶその声は、子供達の踊りの甲高い歌声と足音にも消されずにきこえてくる。  その男達も地球人だった。手のひらを上にして、まっすぐ前に伸ばした手には、それぞれ五本の指と、指には爪があった。顔のひげ[#「ひげ」に傍点]の生《は》えている場所も地球人と同じだった。どの男の衣裳にも、胸の同じ位置に何かの目じるしのような形の穴がくり抜いてある。そこからのぞくむき出しの皮膚には、それも目じるしなのか、赤いチョークをこすりつけたような、そろって同じ形の傷がつけてある。その胸のあばら骨のならびかたも地球人と変らない。それほどはっきり見えない鎖骨のありかもたどることができる。  女性となると、そこには疑問の余地がないでもない。女性は行列の最後にやってきた。それも、一人残らずとかげ[#「とかげ」に傍点]の曳く大きな檻《おり》の中に入れられている。まる裸で、胸が悪くなるほどみにくく、霊長類には違いないが、人間だか猿だか何とも見極めがつかない。何の声も立てずに、化膿したような目を大きくみはっているだけだった。|渡り鳥《オーキー》都市とその所有者達にも、自分達を檻《おり》に閉じ込めた男達にも全く関心を示さない。ときどきからだを引っかいては、自分の爪の痛さに顔をしかめる。  子供達はアマルフィをめがけて寄ってきた。いちばん大柄なかれを総大将と見てとったらしい。アマルフィもそれは予想していた。かれらが地球人に似ていることを裏書きする事実が一つふえただけのことだ。  アマルフィは子供達が円陣をつくり、あい変らず歌をうたい、からだをゆすり、手首を振りながら坐りこむのを自分は立ったまま見ていた。男達も両手を前に伸ばし、顔をアマルフィの方へ向けたまま、円陣をつくった。最後に、悪臭を放つ檻がその二重の円陣の中の、アマルフィの文字通り足もとまで曳き入れられた。  男性の附添人が二人、すなおなとかげ[#「とかげ」に傍点]を檻からはなして、連れ去った。  急に歌がやんだ。  男達の中から一番背が高く、もっとも印象的な一人が進み出て、からだをかがめ、|大通り《アヴェニュー》のアスファルト舗装面の上で両手をヒラヒラさせる異様な身振りをした。  アマルフィが何のつもりでそんなことをするのかわからずにいるうちに、相手はからだを伸ばすと、何か重い物をアマルフィの手にのせ、男達がさっきまで合唱していた簡単なことばを大声で叫びながら引きさがった。男達と子供達がおそろしく大きな声で一斉に応えると、そのあとは静まりかえった。  アマルフィと檻とだけが二重の円陣の中央にのこされた。アマルフィは自分の手の中のものを見おろした。  それは金属製のきらびやかな鍵だった。 [#改ページ]     2 ヒ ー 星  ミラモンは椅子の中で、落ちつきなく身じろぎした。頭のまげにさした、大きなノコギリの歯のような黒い羽毛が不安定に揺れた。  始めのうち、この惑星の誰もがするようにしゃがみこんでいたのを、ともかくも椅子に腰をかけたのは、アマルフィを信用する気になったことのあらわれだった。椅子にかけることは神々からさずかった、あまりありがたくもない特権だった。 「もっとも、わたし自身は神々を信じていないのだが」ミラモンは頭の羽毛かざりをおどらせながら、いいわけめいた口をきいた。「あなたがたの都市が、われわれよりもはるかにすぐれた技術が産み出したものにほかならないことは、技術者にとってわかりきったことである。しかも、そのあなたがたもわれわれと違わぬ人間ではないか。ところが、この惑星では、宗教というものがおそるべき力、それもきわめて直接的な力を持っている。したがって、そのような問題に対処するのに、大衆の感情に反する行動に出るのははなはだ適当でない」  アマルフィは、うなずいた。 「なるほど、それはよくわかる。われわれの知る限りでは、あなたがたこの星の住人は、ほかに類のない独特な立場に置かれている。あなたがたの文明の没落したそのときに、正確なところいったいどんなことがあったのか?」  ミラモンは肩をすぼめて見せた。 「それが、われわれにもわからないのだ。八千年以上も前のことだったが、今となっては伝説のほかに何一つのこされていない。当時、この星には高度の文化があった──このことは、僧侶も学者もひとしく認めている。また気候も今とは異っていた。それが、年々寒くなるいっぽうであったといわれているのだが、そのながい寒冷時代を人間がどうして生きのびてこられたのか、それを理解するのは困難である。そればかりではない。当時は、われわれの周囲にはほかにも無数の星があった──古代の彫刻には数千の星が示されている。もっとも、その詳細については一致した見解は見られていない」 「当然のことだ。あなたがたは、この惑星の太陽が異常に大きな相対速度で運動しているということに気がついていないのではないか?」 「運動しているって?」  ミラモンは短い笑い声を立てた。 「われわれのやや神秘主義にかたむく学者の中には、そのような意見を抱くものもないではない──かれらは、もし惑星が運動しているのならば、太陽だとて運動しているに違いないと、そう主張する。しかし、わたしの見解を持ってすれば、そのような論は不完全なる類推といわなければならない。われわれの見る限り、惑星と太陽とはほかの点でも決して相似ではない。もし運動しているのならば、われわれが今もなおこうしてこの空虚の谷間にとどまっているはずがないではないか?」 「ところが、現にとどまっている。将来もとどまるだろう。あなたは宇宙の裂け目〈リフト〉を過小評価している。現在のこの距離では、運動による|視 差《パララックス》を認めることは不可能だが、さらに数千年を経過すれば、そのときには視差のあることに気がつき始めることになると思われる。しかし、あなたがたがほかの数多くの星とともにあった当時、あなたがたの祖先は近隣の太陽の位置の変化によって、自分達の太陽の運動を目のあたりに見ることができたはずだ」  ミラモンは納得のいかない顔だった。 「むろん、わたしは比類のないあなたの知識には敬服を惜しまない。しかし、それはともかくとして──伝説によれば、神々はこの星の住人の犯したある種の罪の罰として、われわれの星をこの星なき砂漠へ追放し、この星の気候を永遠の酷暑に一変させたといわれている。であればこそ、僧侶達は、現に地獄の責め苦に会わされているこの星が、もう一度温度の低い涼しい星の仲間入りをさせてもらうには、われわれ自身がその犯した罪を何としてでも償わなければならないと、そう説くのだ。  われわれが死んだとしても、そこにあなたがたのいうような意味での天国はない。死ねば、われわれは地獄に落ちるばかりである。どうあっても、生きているあいだに、この現世の泥沼の中で『救い』をかちとらなければならない。そのような教理にも、この星の現状からすれば、それなりに人をひきつける魅力がある」  アマルフィは考えてみた。それだけきけば事情はかなりはっきりしてきたが、それをミラモンに説明してきかせる気力はなかった──融通性のない常識はときとして片意地に通じる。  この惑星の軸にはいちじるしい傾斜と、それに伴う秤動とがあった。つまり、それはこの星にも地球と同じように、ドレイスンの周期があったということなのだ。自転する惑星はこま[#「こま」に傍点]のようにまわりながらよろめき、そのたびに軸の角度が変って姿勢をとりなおし、まわり続ける。その結果ははげしい気候の変化となってあらわれる。このような現象は、地球の場合だいたい二万五千年ごとに起っている。  文字に書かれた歴史にのこる最初の気候激変は、おどろくばかりおろかしい伝説や信仰を産み出した──そのおろかしさ[#「おろかしさ」に傍点]は、総体として現在ヒー星人のあいだに伝えられているものをはるかに上《うわ》まわる。  しかし、ヒー星人にとって悲しくも不運だったのは、自分達の星が〈リフト〉を横断する旅路にのぼったのとほとんど時を同じくして、ドレイスンの逆転が起こったことだった。その逆転は極めて高度の文明を、その最盛期にはいったばかりの文化を、いささかの過渡期をも経過することなく、一挙に間氷期の状態にまで押し戻してしまった。  今日のヒー星は種々雑多なものの入りまじって共存する、奇妙な惑星だった。政治的には、退化は未開状態の寸前に踏みとどまり──このことは、大災厄の前にヒー星人ののぼりつめていた頂上がどんなに高かったかということを推測させる──現在は、好戦的な都市国家の時代をもう一度たどろうとしている。しかも、八千年前の科学技術の基礎は今もなお忘れ去られていない。現にそうした基礎理論は脱皮して、『新しい』果実を結びつつあるのだ。  都市国家ならば、たがいに剣をふるって戦うのが当然で、ミサイル、爆薬、超音波のたぐいを武器とするのは全く似つかわしくない──そして、空を飛ぶことなどはまだ夢の段階、それも鳥のようにはばたいて空を飛ぶ夢が関の山、ジェットプロップ機などは論外のはずなのだ。天文学的そして地質学的な偶発事故が、歴史をまるっきり混乱させてしまっている。 「もし、わたしがあの檻のとびらをあけていたとすれば、わたしはどんな目に会っていただろうか?」だしぬけのようにアマルフィはたずねた。  ミラモンは、思っただけで胸がむかつくというような顔をした。 「おそらくは殺されていただろう──無事であったとしても、どのみちあの連中はあなたを殺そうとしていたはずだ」  気のりのしない口ぶりだった。 「そんなことをしようものなら、せっかく閉じ込めた邪悪がふたたび解放されて、われわれは悩み苦しむことになっていただろう。僧侶達は、かの〈|偉大なる時代《ザ・グレート・エイジ》〉に罪をもたらしたのは女性であったと説く。事実、同じこの星でも悪徳をこととする不法都市《バンディット・シティ》においては、もはやそのように素朴な未開人の信条は守られていない──これは、われわれの中から不法都市へ走る者が極めて多数にのぼることの理由の一つでもある。  われわれは法律の要求するところにしたがって、毎年自分の種族に対する義務をはたさなければならない。それがどういうことなのか、よその星の住人であるあなたなどには想像も及ぶまい。全く気違い沙汰だ!」  かれはひどく苦しそうな口調になった。 「われわれの民衆が不法都市《バンディッド・シティ》行きが自殺行為にひとしいことをなかなか理解しないのも、そこに理由がある。この世界では、全ての人がジャングルと戦うことに疲れている。素手《すで》に泥をつかんで、偉大なる時代[#「偉大なる時代」に傍点]を再建することに疲れている。ジャングルの存在を無視した社会綱領《ソシアル・コード》をまもることに疲れている──何よりも〈未来の神殿〉に奉仕することに疲れはてている。不法都市では女性は清潔であり、引っかくこともない」 「その不法都市は、ジャングルと戦うことをしないのか?」アマルフィはたずねた。 「しない。それどころか、戦うものどもを喰いものにする。かれらは宗教というものを棄ててしまった──反逆をくわだてる都市の最初の行動は僧侶を殺すことである。残念なことではあるが、われわれはその宗教全体について疑念を抱かない限り、ある一つの教義だけを勝手に修正することは許されない──少なくともそのように教えこまれている──したがって、僧侶は欠くことのできない必需品であり、われわれの女獣は母とならなければならない。われわれに、泥に住む山椒魚《マッドブピー》よりも男性である方がまし[#「まし」に傍点]であるということを教えてくれるのは、僧侶というものの存在だけなのだ。だからわれわれは──技術者達は──たとえその中にどれほどくだらないものが含まれていようとも、宗教の要求する儀式を極めて厳格にまもり、そのひとときをこそ、われわれが心から神々を信ずる一瞬であると考える」 「なるほど、それも一理はある」  アマルフィはうなずいて見せた。  全く抜け目のない男だ。もしこのミラモンがヒー星の思想界の、かれ自身が信じているほど大きな部分を本当に代表しているのだとすると、この向う見ずに突っ走る惑星の世界には、まだいくらでもなすべきことがありそうだった。 「信頼のしるしとして鍵を受けとることをあなたが心得ていたのには、わたしも実は驚いている。全く非の打ちどころのない作法であった──しかし、それにしても、あなたはどうしてその意味がわかったのか?」  アマルフィはニヤリと笑った。 「そんなことは何の訳もなかった。熱い馬鈴薯《ポテト》を手から落しそうになった人がどんな顔をするか、わたしはよく知っている。あの坊さんは、大変な値うちの贈りものをわたそうとするらしい|仕 種《ジェスチャー》をせいいっぱいして見せたが、それを最後までやり通すだけのがまんがなかった。  ところで、さっきのご婦人がただが、ディーが風呂をつかわせたし、医者が潜在意識をとり去ったから、今ではかなり人前に出せるようになっている。いや、坊さん達には決していわないからご心配なく──いずれにしろ、われわれは今後、このヒー星の育ての親になるのだと了解している」 「あなたがたは〈|偉大なる時代《ザ・グレート・エイジ》〉からつかわされた使者であると考えられている」  ミラモンの口ぶりは重々しかった。 「しかし、本当のところ、あなたがたが、何者なのか、それはまだ聞いていない」 「いかにも、まだいっていない。ところで、この星にも出かせぎ労働者[#「出かせぎ労働者」に傍点]というものがあるのかどうか、それをうかがいたい。あなたの話には、そのことばがスラスラと出てくるが、わたしにはどうしてそれが──」 「わかっている、わかっている。唄《うた》い手とか、兵士とか、果実の摘み手とか──都市から都市へ金になる仕事をさがして歩く連中だ」  それから、アマルフィが思っていたよりもずっと早く、そのヒー星人はこっちの思う壺にはまってきた。 「あなたは……あなたのいおうとしているのは……つまり、あなたがたの持っている物を売りたいということなのか? われわれに買って欲しいということなのか?」 「その通りだ、ミラモン」 「しかし、われわれは何を支払えばいいのか?」  ミラモンはそういいながら息を切らした。 「富といえる物、われわれの持っている全ての物を集めてみたところで、われわれはあなたのその帯ほどの長さの布地を買うこともできないのだ!」  アマルフィは考えてみた。  ミラモンの本当の立場を何から何まで見通すことは無理であるにしても、はたしてどの程度まで読みとることができると期待していいのだろうか?  ふと、今までヒー星人を軽く見る気持を棄てずにいたことに気がついた。ここはひとつ、こっちの手のうちをのこらずさらけ出して見せた方が有利かもしれない──まさかそれが生命《いのち》とりになることもあるまい。 「こういうことだ」アマルフィは切り出した。「われわれの属している文化では、ある種の金属が金銭の役割をつとめる。あなたがたの惑星にはその金属が大量に埋蔵されているが、それを精錬することは難しいから、あなたがたもその存在を突きとめる以上のことはしていないに違いない。われわれの手に入れたいのは、その金属を採掘するについてのあなたの承認なんだが」  ミラモンは喜劇俳優のように目を思いきり丸くして、とても信じられないという表情になった。 「承認だと? アマルフィ市長、どうかやめてもらいたい。われわれの倫理綱領はずいぶんバカげているが、あなたの方でもそれと同じなのか? なぜ承認などをもとめずに、勝手に好きなだけその金属を掘り出さないのか?」 「われわれの法律執行機関ならば、そんなことは決して許さないだろう。あなたがたの惑星で金属を採掘すれば、われわれは金持になれる──ほとんど信じられないほどの金持になれる。われわれの調査によれば、ヒー星にはうそかと思われるほどの量のゲルマニウムが埋蔵されているばかりでなく、ジャングル地帯にはある種の薬草が──不老長寿薬として知られている薬草がある」 「それは?」 「失礼。つまり正しく用いれば、いつまで経《た》っても死ぬことがない、そういう薬草だ」  ミラモンは、もったいぶった様子で立ちあがった。 「あなたはこのわたしをからかっている。わたしはそのうちにまたやってこよう。そのときに、もう一度話しあえるかもしれない」 「どうか、腰を降ろしてもらいたい」  アマルフィはいいすぎたことを後悔したような顔をつくって見せた。 「わたしは老化という現象が、場所によっては必ずしも異例とばかりは考えられていないことを忘れていた。いわば肉体の細胞生産能率の減退なのだが、そんなものは方法さえ承知していれば防ぐことができる。それはずいぶん以前に──事実上宇宙飛行が可能となるより前に──征服された。  ところが、それに必要な薬剤はその供給がつねに、きわめて窮屈だった。人間が銀河系の全域にひろがって行くにつれて、ますます窮屈になった。今では、そのような処置を受けることができるのは、全人口の二千分の一パーセントにすぎない。しかも、合法的に取引きされる商品のほとんど全量は、寿命の延長をもっとも必要とする人達──いいかえれば、宇宙空間で長途の旅行をすることによって暮しを立てている連中の用に供される。  その結果、不老長寿薬ともなれば、宇宙人の見向きもしないような効果の少ない代《しろ》ものでも、売り手のいい値でいくらでも買ってもらえる。不老長寿薬で、合成されたものは今のところ全くないから、この星でわれわれがその薬草を採集することができたならば──」 「もういい。それ以上きかせてもらってもむだなことだ」  ミラモンははじかれたようにうずくまった。椅子にすわることは考える邪魔になる、ということであきらめてしまったらしい。 「はなしをきいていると、どうもあなたは、〈|偉大なる時代《ザ・グレート・エイジ》〉などからきたのではないようだ。とにかく──この間題を理性的に考えることは難しい。それにしても、あなたがたの文化は、なぜあなたがたが金持になることに反対するのか?」 「われわれがその金を正当に手に入れる限り、反対はしない。何よりも、そのためにわれわれ自身が額に汗して、はたらいていることをはっきりさせなければならない──さもないとわれわれは、われわれの都市ではたらく身分の低い連中をこき使って、間にあわせのいい加減な薬草を闇市で売りさばいていると、あらぬ疑いをかけられる。われわれは文字に書かれた同意書、つまりあなたの許可証が欲しいのだ」 「わかった。それは、間違いなく手に入る。わたし自身の裁量でそれを許すことはできない。しかし、それと引きかえに僧侶達がどのような条件をもち出すか、それはわたしにも見当がつく」 「どんな条件なのか? わたしの知りたいのはそのことなのだ。聞かせてくれ」 「何よりもまず、あなたはそのことを……死を免がれる療法のことを秘密にするように要求される。僧侶達は自分でもその薬草を服用したがり、しかも、ほかの連中にはそのことを隠したがるだろう。そんなことをすれば、よほどの分別のない限り、ますます見はなされるばかりだ──しかしいずれにしろ、連中はかならずそれを持ち出してくるだろう」 「それはおのぞみにまかせよう。どうせそんな秘密は洩れるにきまっている。〈シティ・ファーザーズ〉が、その療法を知っている。それに、この惑星にはその薬草がありあまるほどふんだんに産するのだから、欲しい人の全てがそれを手に入れていけない理由はどこにもない」  とはいうものの、アマルフィにはそれとは別にひそかに考えていることがあった。自分が結局は〈リフト〉の対岸に行きつけるとして、そのときに銀河系の人口の、かなりの部分に行きわたるほどの分量の不老長寿薬をたずさえていたとすると、どんなに無茶な値段をつけても、たちまちのうちに売りさばけるだろう。 「次は?」 「ジャングルを一掃することを要求されるだろう」  アマルフィはあっけにとられて、すわりなおすと、はげあがった額を拭った。  ジャングルを一掃してしまえだと!  ジャングルのほとんど大部分を枯らしてしまうことは、なるほどわけはない──ヒー星人にエネルギー兵器をくれてやって、その荒地を開拓させることもできない相談ではない──しかし遅かれ早かれ、ジャングルは舞い戻ってくるだろう。  永遠に乾くことのない湿気の中では、兵器の寿命も長くはない。ヒー星人に充分な手入れをのぞむことは無理だし、まして、修繕などはとてもできないだろう──古代のギリシャ人の中でも飛びぬけて頭のいい人間に、こわれたX線管を修繕させたとしたら、たとえ手順だけは曲りなりにも知っていたとしても、どんなことになっただろう? 技術という物が全く存在しなかったのだから。  とにかく、ジャングルは舞い戻ってくるにきまっている。そしてわれわれの都市の発したディラック警報に応じて、海賊都市《ビンドルスティッフ》を追跡している警察の連中が、とどのつまり、|渡り鳥《オーキー》都市が契約を履行しているかどうかを確かめにヒー星にやってきたとしたら──かれらの目にうつるこの惑星はあいも変らず荒れほうだいに荒れはてていることだろう。  ジャングルを栄えさせずにはおかない気候なのだ。この星にはドレイスンの周期がめぐって、次の災厄的な気候の激変がおこるまでは、ジャングルの消えることはないだろう。 「ちょっと失礼」  アマルフィはことわっておいて、操縦用のヘルメット帽に手をのばした。  送話器に口を寄せて、かれはいった。 「〈シティ・ファーザーズ〉を出してくれ」  しばらく間をおいて、電子発声器の声がきこえてきた。 「話シナサイ」 「ジャングルをなくしてしまうにはどうすればいいか?」  またしばらく沈黙が続いて、それから声がした。 「珪弗化ソーダ粉末<m散布ガ、有効デアロウ。気候ガ湿潤デアレバ、コノ薬剤ハ葉面ニ致命的ナ火ブクレオ生ズル。サラニ頑固ナ雑草ニハ、24・Dヲ噴霧スルノガヨロシイ。イウマデモナイコトデアルガ、ソノヨウナコトヲシテモ、ジャングルハ、ヤガテ再生スル[#「ヤガテ再生スル」に傍点]デアロウ」 「それが問題なのだ。再生しないようにする方法はないのか?」 「コノ惑星ニ、ドレイスンノ周期<m転換ヲ起サセナイカギリ、ソレハデキナイ」 「何だって」 「コノ惑星ニ、ドレイスンノ周期<m転換ヲ起サセナイカギリ、ソレハデキナイ。転換ヲ起サセレバ、惑星ノ軸ノ修正サレル可能性ガアル。周期ノ転換ハ、実際ニ試ミラレタコトハナイガ、理論的ニハキワメテ簡単デアル。地球ノ軸ヲ修正セントスル法案ハ、第八十二回ノ評議会ニオイテ、保守陣営ガ反対シタタメ、三票ノ差デ否決サレタ」 「それはこの市の力で処理できるような問題なのか?」 「ソレハ無理デアル。トテモ市ノ力ノ及バナイホドノ費用ガカカルデアロウ。アマルフィ市長[#「アマルフィ市長」に傍点]、君ハ、コノ惑星ヲ傾ケヨウト考エテイルノカ? ソレハ許サレナイ! アラユル状況カラ判断シテ──」  アマルフィは、いきなり自分の頭からヘルメットをもぎとり、部屋の向うへほうり投げた。ミラモンがびっくりして飛びあがった。 「へイズルトン!」  市の支配人《マネージャー》が、まるでローラスケートに乗っているところをうしろから蹴とばされでもしたような勢いで、部屋に飛びこんできた。 「はい、市長──いったい何が──」 「階下《した》に行って、〈シティ・ファーザーズ〉のスイッチを切ってきたまえ──感づかれて、何かの手を打たれない前に、早くやるんだ! 急いで行って──」  おしまいまできかずに、へイズルトンは姿を消した。部屋の向う端では、ヘルメットにとりつけてある受話器が不安そうな平板な口調で、今さら意味のないデータをうるさくつぶやいていた。  その声が、急にとだえた。 〈シティ・ファーザーズ〉が消されてしまって、アマルフィは世界を自分の手で動かす覚悟ができた。 〈シティ・ファーザーズ〉に相談をもちかけることができないという事実──五世紀前、エポック星の事件が起って、しばらくのあいだ全市が停電した当時以来初めてのことだったが──その事実が保守的な考えかたを疎外して、かえって事態を必要以上に難しくした。  これからしなければならない仕事の眼目ともいえる惑星の傾きの修正は、そのこと自体としてはそれほど厄介なことでもなかった。市のスピンディジーの手に負えることだった。しかし、そうした治療法の副作用の方が、病気そのものよりも悪い結果をもたらしかねないのだ。  それは地震学上の問題だった。  急速に回転する物体は、その物体の空間における位置を変えようとする作用には頑固に抵抗する。おさえつけられたエネルギーは、どこかの方面に作用をあらわさなければならない──その場合、もっとも普通に考えられるのは多発性の地震である。  また、軸の修正によって重力の関係がどうなるかということについては、ほとんど全く予測ができない。惑星の自転は、当然それに相当する磁場を生ずる。市のスピンディジーが全重力場を|分 極《ポラライズ》した場合に、その磁場が自《みずか》らのゆがめた空間格子の中でどの程度まで傾くかということも、その結果、ヒー星にどのような事態が発生するかということも、アマルフィには皆目見当がつかなかった。  いよいよ地軸の修正の行なわれる、いわば『|引っ越し日《ムーヴィング・デイ》』には、この惑星自体の磁気モメントは、事実上なくなってしまうものと考えられるし、また複雑な計算は〈シティ・ファーザーズ〉にいっさいまかせてあったのだから、それとも縁を切ったとなると、軸の修正に抵抗する作用のエネルギーが、どこに、どんな形[#「形」に傍点]で、どんな強さであらわれるかということを予測する方法は全くなかった。  その難題を、アマルフィはへイズルトンにもちかけた。 「これが、われわれの市というようなありふれた問題であれば、そのエネルギーは速度となってあらわれるはずだと、そのくらいのことはわたしにもいえる。その場合には、われわれの市はどこへ連れて行かれるか、全てはあなたまかせの旅路を重ねることになるだろう。ところが、これはそんなありふれた問題ではない。それに関係する質量は……そう、とにかく一つの惑星全体の問題だ。君はどう考えるかね、マーク?」 「どう考えていいものか、わたしにはわかりません」  へイズルトンもかぶと[#「かぶと」に傍点]を脱いだ。 「方程式を解いてみたところで、一般的な解答が、それも量子化された解答が得られるにすぎない──しかも、これは古典的な場の問題です。われわれがこの市を動かすときには、その構成電子の磁気モメントを変化させる。しかし市そのものは、それ特有のスピンをもたない低質量の物体で、全体としての[#「全体としての」に傍点]磁気モメントというものはない」 「わたしのつまずいたのもそこなのだがね。確率の問題をいきなりテンソール解析に持つ込むことは、あの気の毒なアインシュタイン爺さんならずとも、できない相談だ。わたしの知る限りでは、スピンディジーの電子に対する作用と、スピンディジーの場の中に置かれた、古典的質量を有する物体の状態とを、どう関係づけるかという問題と真剣にとり組んだものは、かつて一人もいない」 「それが速度に変ってくれれば、まだしもコントロールすることができるし、この宇宙の涯《は》てでは無視することだってできます。そのエネルギーがそんなものでなく、熱となってあらわれたとしたらどうなります? このヒー星はひとかたまりのガスの雲のほかには、あとかたもなくなってしまうでしょう」  アマルフィは、頭を振った。 「それはとりこし苦労だろうね。回転運動による抵抗は、確かに熱としてあらわれることもあり得るが、磁気的重力的な抵抗にその可能性はない。むしろ普通の飛行の場合と同様に、速度としてあらわれると考えるのがもっとも安全であると、わたしは思う。ひとつ標準変換式を使って計算してどうなるか、やってみてくれ」  へイズルトンはかがみこんで計算尺を動かした。その額と口ひげの上の方に、大粒の汗がにじみ出てきた。  ヒー星人がどんなに熱心にジャングルと、それにつきものの絶えることのない湿気とを追いはらいたがっているか、そのことがアマルフィにはよく理解できた。着ているものはうすかったが、市がこの星に着陸して以来それはそぼ濡れて乾くこともなかった。 「できました」  やっとのことで市の支配人はからだを伸ばした。 「どこかでミスを犯したのでないとすると、いっさいがっさいは、つまりこの星全体は、光速度の約二倍の速度で今の位置から飛び出して行くことになります。たいしたことじゃない──われわれの巡航速度よりも遅いのだから。われわれがその気になれば、いつでも追いかけて行って、正常な軌道に引きもどすことができる」 「できるだろうか? われわれがこの惑星を操縦するわけではない、ということを忘れてはいけない! スピンディジーを動かせば、ヴェクトルは独りでに決まってしまう。われわれには、矢がどっちの方向へ飛んで行くかということさえわからない。われわれの知る限りでは、惑星が最初の一秒間のうちに、自分から太陽の中に飛びこんで行くことも考えられないではない。その方向を予察することが、われわれにはできないのだ」 「いや、それはできます」へイズルトンは異議をとなえた。「もちろん、スピンの軸の方向です」 「その軸の傾斜《カント》は? それから、トルクは?」 「そんなことは問題じゃない──いや、やっぱり考えなければなりませんね。わたしは、われわれの問題にしているのが|電 子《エレクトロン》ではなく、惑星だということを度忘れしていました」  へイズルトンはまた、計算尺ととり組んだ。 「だめです。置換項が多すぎる。〈シティ・ファーザーズ〉にでも相談を持ちかけない限り、手っとり早く答えを出すことはできません──トルクの大きさによっては、終速度が根本的に違ってくるかもしれない。しかし、飛行をうまくコントロールする方法を考え出すことができれば、それも結局は問題とするに足りないでしょう。もちろん、この星が無質量の状態になれば、実際に動こうが動くまいが、ほかの惑星の影響を受けて摂動《せつどう》がおこります──しかし、いずれにしろ、そんなものを当てにするわけには行きません」 「わかった、マーク。その君のいうコントロールの方式を何とか考えてみてくれ。わたしは地質学の方から打つ手があるかどうか、それを考えて──」  部屋のすべり戸が急にあいた。  アマルフィは途中でことばを切って、肩ごしにふりかえった。アンダスン技師だった。その周辺区担当の技師はどんなに思いがけないことがおこっても、それが市の安全を脅やかすようなことでない限り、落ちつきはらっているのが普通だった。 「どうしたんだ?」アマルフィはびっくりしたような口調でたずねた。 「市長どの、ただ今、ほかの|渡り鳥《オーキー》都市の避難者と称する一隊の発する超波放送《ウルトラキャスト》を傍受いたしました──さる海賊都市を攻撃して、かえって撃破されたのだということであります。この星の北部に不時着を強行したところを、その地方の不法都市の住民の襲撃を受けています。しばらくはもちこたえながら、助けを呼んでいましたが、その後、放送はとだえてしまいました。お知らせしておいた方がいいと思いましたので」  アマルフィは、技師の報告の終らないうちに立ちあがっていた。 「その放送の正確な方位はもとめてあるのか?」 「はい」 「そのデータをくれたまえ。さあ、マーク、出かけよう。そいつは、例の無燃料駆動《フュエルレス・ドライヴ》の技術を持つ都市から発進した救命艇に違いない。われわれにはその連中が必要だ」  アマルフィとへイズルトンは市のはずれまでタクシーに乗り、そこからヒー星の都市までは、超音波でジャングルを清掃して地面がむき出しになっている、壁をとりまく空地を横ぎって歩いて行った。  その地面はゴムのような足ざわりだった。アマルフィは、本来はやわらかな泥土に、ある種の原理的な形態の摩擦の場がはたらいて、足ごたえのあるゲルの状態に保たれているのではないかと疑った。その摩擦の場のはたらきが遮断されたとたんに、一隊の歩兵がやわらかくなった泥の中に沈んで行く光景が頭に浮かんできて、思わず足を早めた。  門を入ると、ヒー星人の衛兵が炭化水素の燃焼によって駆動されるらしい、悪臭を放つ奇妙な形をした車を呼んでくれ、二人の|渡り鳥《オーキー》は爆音をとどろかせながら街路を走り抜け、ミラモンの住居に向かった。車の走っているあいだじゅう、アマルフィは臆病らしく布製のつり皮につかまっていた。  地面の上をかなりのスピードで走るということは、めったにない経験だった。窓のすぐそばをいろいろなものが目まぐるしくかすめて行くのがこわくてたまらなかった。 「こいつは車をどこかにぶつけて、われわれを粉々にするつもりなんですかね?」  へイズルトンは怒ったような声を出した。 「毎時四百キロは出しているに違いない」 「わたしばかりでなく君も同じ気持だとわかって安心したよ」  アマルフィはいくぶんホッとした様子だった。 「しかし、実際には二百キロは出ていないだろう。ただ、外の景色が──」  いいかけたときには、車のスピードは五十キロに落ちていた。|偉大なる時代《ザ・グレート・エイジ》からきた客に対する運転手の敬意のあらわれだった。  やがて、とある街角をまわった車はミラモンの住居の玄関前にピタリととまった。車から外に出たアマルフィの膝はガクガクした。へイズルトンの顔色も冴えなかった。 「何とかわれわれのタクシーを市の外ででも使えるように工夫しましょう」へイズルトンはつぶやくようにいった。「新しい惑星に着陸するたびに、われわれは牛車に乗ったり、カンガルーの背中にまたがったり、熱気球で飛んだり、蒸気駆動の航空機を利用したり、さては、うつ伏せになったまま足から先に引っぱられたり、とにかくその星の住人が自分だけの考えで高級だときめこんでいる乗りものを使わなければならない破目になる。もうこれ以上わたしの胃袋はがまんができそうにない」  アマルフィは顔をほころばせながら、ミラモンにかた手をあげて見せた。相手も笑いたくてたまらないのを無理やりにおさえつけているような表情だった。 「どうしてここへ?」ヒー星人がきいた。「中に入るがよい。椅子はないが──」 「いや、その暇はない」  アマルフィはことわった。 「じつは、なかなかこみ入った説明しにくい事情があるのだが、何はともあれ、あなたにはそれを大急ぎで飲み込んでもらわなければならない。だから、わたしのいうことをよくよく注意して聞いて欲しい。いわゆる|渡り鳥都市《オーキー・シティ》といわれるものが、われわれの都市だけでないことはすでにあなたも知っている。本当のところ、われわれはこの宇宙の裂け目〈リフト〉に進入した最初の渡り鳥都市でさえないのだ。ほかに二つの都市がわれわれに先んじている。そのうちの一つ、われわれが〈ビンドルスティッフ〉と呼ぶ犯罪都市はもう一つの都市を攻撃して破壊してしまった。われわれはあまりにも遠方にいたために、その暴挙を防ぎ止めることができなかった。ここまではわかってもらえただろうか?」 「たぶん。つまり、その〈ビンドルスティッフ〉とかいうのはこの星の不法都市《バンディット・シティ》と同じようなものであって──」 「その通り。われわれの知る限りでは、その都市は、今もなお〈リフト〉のどこかにいるはずだ。一方、破壊された方の都市はわれわれのぜひとも手に入れたいあるものを所有していた。われわれとしては、それを〈ビンドルスティッフ〉の手に渡すわけにはいかない。その死の都市から数隻の救命艇が発進し、一隻があなたの星に着陸して、その附近の不法都市の住民達の襲撃を受けたことまではわかっている。  われわれはその連中を助け出さなければならない。かれらのほかに死の都市の生き残りはないはずだから、われわれにとってかれらを訊問することほど重要なことはない。われわれは、われわれの求めるもの──無燃料駆動《フュエルレス・ドライヴ》──について、かれらの知っている全てのことを知る必要がある。また、海賊都市《ビンドルススティッフ》が現にどこにどうしているかということについて、かれらの知っている全てのことを知らなければならない」 「なるほど」  ミラモンは考えこむふうだった。 「その海賊都市は避難した連中をこのヒー星まで追ってくるだろうか?」 「追ってくると思う。しかも、その都市の力はあなどれない──われわれの都市の持っている武器の全てと、さらにそれ以上のものを備えている。  われわれは何よりもまずその生き残りの連中をさがし出し、その上で、海賊都市がこの星にやってきたときに、われわれ自身とあなたの星の住人とを護《まも》る何かの方法を考え出さなければならない。そして、何事にもまして、われわれは無燃料駆動の秘密が海賊都市のものとなることを防がなければならないのだ!」 「それで、このわたしはあなたに何をしてあげればよいのか?」  ミラモンはまじめな口調だった。 「その避難してきた連中を捕えたヒー星の都市の所在を突きとめてもらえないだろうか? われわれにも見当はついているが、それは大体のところにすぎない。突きとめてくれれば、われわれ自身の手でかれらをそこから助け出せると思うのだが」  ミラモンは自分の家──といっても、実はこの町のほかの全ての居住区域と同様に職業を等しくする二十五人の男達の共同宿舎なのだが──に入り、やがて一枚の地図を持って戻ってきた。ヒー星の地図の表し方は、とても一目見ればわかるというようなものではなかったが、それでもしばらくながめているうちに、へイズルトンにはそこに記されている記号の意味がわかってきた。 「ここがあなたの都市、ここがわれわれの都市」  そういいながら、かれは地図の上のそれぞれの地点をミラモンに指さして見せた。 「そうだね? それから、このオレンジの皮をむいたように見えるのは、球面をそのまま平面上に展開した部分だ。市長、わたしはこの図法の方が球面上の面積をあらわすのには、われわれの投影図法よりもずっと忠実だと、いつもそう主張しているんですがね」 「いや、投影図法の方が位置的な関係を記憶しやすい」アマルフィは癇を立てたようにいった。「普通の地図と面積図とを混同するような人間はいないからね。そんなことより、放送電波がどこから来たかということをミラモンに教えてやりたまえ」 「ずっと北のこのあたりなんだが」  ミラモンは苦い顔になった。 「そこには都市は一つしかない──ファブル・スートだ。軍事的な意味からいっても極めて手強《てごわ》い場所だが、あなたがどうしてもやってみるというのならば、われわれも助力を惜しまない。その結果がどういうことになるか、それがあなたにはわかっているのか?」 「かならず友人達を助け出して見せる。そのほかに何があるというのだ?」 「不法都市《バンディット・シティ》は力ずくででもジャングル征服の大事業を妨害しようとするだろう。かれらはその事業に反対している。ジャングルはかれらの生命なのだ」 「それならば、なぜ連中は今までにでもわれわれを妨害しなかったのか?」へイズルトンが口を出した。「怯えたのだろうか?」 「そうではない。かれらは何ものをも恐れない──恐怖心をなくするくすり[#「くすり」に傍点]を用いているらしい──だが、あなたがたを莫大な損害をともなわずに攻撃する方法が見あたらない。また、あなたがたを攻聾しなければならない理由があるにしても、その理由は今のところ、不法都市仲間にそれだけの危険をおかさせることを充分に納得させるほどの力を持っていない。しかし、もしあなたがたの方から不法都市のどれか一つに攻撃を仕掛けるようなことがあれば、かれらには充分な理由が与えられることになる。憎悪はたちまちのうちに拡がって行く」 「われわれにはそうした相手をうまくあしらうことができると思う」へイズルトンは落ちつきはらっていった。 「確かにできるだろう。しかし、警戒しなければならないのはファブル・スートが全ての不法都市の指導者であることだ。ファブル・スートがあなたがたを攻撃すれば、全部の不法都市がこぞって立ちあがる」  アマルフィは肩をすぼめて見せた。 「運を天にまかせてとにかくやってみよう。やってみるほかはない。われわれはどうあってもあの連中を手に入れなければならない。抵抗する暇を与えないほど素早く立ちまわれば、うまくいくかもしれない。われわれ自身の都市を上昇させて、こっちからファブル・スートに出かけて行けばいい。捕虜の|渡り鳥《オーキー》達を渡せと要求し、それを拒《こば》んだら、その時には──」 「市長、しかし──」 「何だ?」 「われわれの都市をどんな方法で上昇させるつもりです?」  アマルフィは自分の耳が赤く火照《ほて》るのを感じて、のろい[#「のろい」に傍点]のことばをつぶやいた。 「そうだ、例の二十三丁目のスピンディジーの故障のことをすっかり忘れていた。ミラモン、どうやらあなたがたの方のロケット機動部隊の力を借りなければならないようだ。それにしても、へイズルトン、どうしたものだろう? ヒー星のロケット機には実際の役に立つほど強力な兵器を装備することができない──原子パイルぐらいはわけなく積みこめるだろうが、摩擦場発生器《フリクショネーター》とか海軍型の中間子《メゾトロン》ライフルとなると難しい。そうかといって、空気砲などを持って行くのは無意味だ。どうだろう、ファブル・スートにガス攻撃を加えることはできないだろうか?」 「ヒー星のロケットでは、充分な量のガスがはこべません。強力な襲撃に必要な人員をはこぶこともできない」 「失礼だが」ミラモンが口を出した。「僧侶達がファブル・スートの攻撃にわれわれのロケットを使用することを認めてくれるかどうか、それさえはっきりしない。何よりもまず、これからすぐに寺院まで車を走らせて、僧侶達に承認してくれるように頼んでみることだ」 「こん畜生!」アマルフィはいまいましそうに、とっときの古めかしい悪口を吐いた。  その小さなロケットの内部では電子装置の助けを借りてさえ、話をすることは不可能だった。高圧のガスを噴出するヴェンチュリ管の振動にあわせて、機体全体が巨大な銅鑼《どら》のようにうなった。  アマルフィは不機嫌に押し黙って、へイズルトンがロケットの頭部の機構《メカニズム》に原子パイルを接続するのを見まもった──ヒー星独特のすさまじい横なぐりの風の中を突進するロケットの揺れ方を考えれば、釣り合いをとるのさえ生《なま》やさしいことではなかった。もちろん、パイルそのものはいたって扱いやすいものだった。  ガラス製の煉瓦ほどの大きさのタンクに細かいまっ白な泡──ウラニウム二三五の六弗化物を溶かしこんだ重水をカドミウムの蒸気で泡立てたもの──を満したそれだけのものだった。重量の大部分は放射能を遮蔽する防護壁と、周囲にめぐらせた熱交換器の働きをする毛細管の綱とで占められていた。  小型ロケットの機動部隊を出動させること自体については、僧侶達とのあいだに何の面倒もなかった。むしろ僧侶達はヒー星の背信都市にその方向の間違っていることを悟らせようという、〈|偉大なる時代《ザ・グレート・エイジ》〉からの使者の申し出を喜んだ。アマルフィは、あのとりすました顔のミラモンが悪臭を放つ地上車を寺院まで走らせるそのあいだに、同乗させた自分達二人の|渡り鳥《オーキー》がどんな顔をするか、それを見るだけのために僧侶達の承認が必要だなどという小細工を思いついたのではないかと疑った。  それにしても、今のこのロケットの乗り心地に比べるとあのドライヴの方がまだしも愉快だった。  操縦士《パイロット》がペダルの列の上で足を踏み変えると、甲板《デッキ》がはねあがった。アマルフィの鼻の先で窓を覆っていた金属製のはね蓋がはずれた。気がつくと、かすんだ大気を通して見えているのはひどく傾いたジャングルだった。そのジャングルの上に、何か細く長いすさまじい光がひらめいて消えた。それと同時に、人間のものとは思えない突き刺すような悲鳴が聞こえた。  しばらくはロケットの轟音もかき消されるばかりのするどい悲鳴だった。  同じことがくりかえされた。  プツーイイイルルル! プツーイイイルルル! プツーイイイルルル!  ほとんどそのたびごとにロケットは激しい震動とともに方向を変え、機体をひねり傾けながらジャングルの頂上をかすめた。アマルフィは生涯のうちにこれほどの無力感をおぼえたことはなかった。外界の騒音と悲鳴の正体をつかむことさえできなかった。愉快な騒ぎでないことだけは確かだった。  高性能爆薬の炸裂する腹にこたえるような響きは、それが始まると聞きわけることができた。自分の都市でも爆破作業の機会はたびたびあった。しかし調子の狂った振動ドリルのような、ケルチョケルチョケルチョケルチョと聞こえる爆発音は経験にないことだった。そして爆発にともなう、目に見えない何ものかの力の限りの絶叫──イーイーイーヨウクルチアックアラックアラックアラック──は全く何とも考えようがなかった。  ふと気がついて驚いたことには、自分のまわりのロケットの外殻は穴だらけだった。それも、気流があたって笛のように鳴る本物の穴だった。今の今まで理解に苦しんだ騒音と絶叫とが自分の乗っているロケットに蜂の巣のように穴をあけ、今この瞬間にも自分の生命《いのち》を脅かそうとしているのだと気がつくまでには、三週間かとも思われるほどの時間がかかった。  誰かがからだをゆさぶっていた。アマルフィは凍りついて動かなくなった目の球を融かそうとしながら、よろめいて膝をついた。 「アマルフィ! アマルフィ!」  呼ぶ声は吐く息が耳に触れるのに、十数光年もかかるほど遠かった。 「部署に戻って、早く! 今度こそは撃墜されるから──」  外で何かが爆発してアマルフィはまた甲板《デッキ》に叩きつけられた。性懲りなく窓まで這って行って、粉々に割れたガラスごしに外をのぞいた。ヒー星の不法都市がまっさかさまになって通りすぎた。市長はだしぬけに船酔を感じた。目に涙が湧いてきて、何も見えなくなった。二度目の時には、やっとのことでその都市の防備のいちばん堅固な建物を見とどけ、息を詰めながらそれに狙いをつけた。  ロケットは手近の雲の上に出ると、火焔の尾羽を曳いて、まっしぐらに急降下した。アマルフィは窓わくにしがみついた。切り傷を受けた指から細かな霧のような血が噴き出して顔にかかった。 「今だ!」  その声は誰にも聞こえなかったが、いいながらうなずくのをへイズルトンが見た。さかさまになった部屋をつらぬいて単色の光がするどく走った。  原子パイルの防護壁も役に立たなかった。頭の上の方だったが、その音もなくひらめいた紫白色の光にアマルフィは危うく視力を失いかけた。両方の肩と胸とに放射能を感じた。どっちみち、この惑星ではアレルギー症状の出るおそれはなかった──血液に含まれるヒスタミンの全分子が、その瞬間に解毒されたはずだった。  ロケットは荒々しく首を振り、それからまたコントロールをとり戻した。火器の騒音は閃光の走った瞬間に中断されて、今は聞こえなくなっていた。  ヒー星の不法都市は盲《めし》いていた。  ロケットを推進するジェット噴射が断たれて音も無くなった。アマルフィは、英国の詩人ウィリアム・クーパーの句『やるせなき空虚感』がどんなものであるかということが初めて理解できた。  ロケットは急角度の滑空降下にうつった。機体の外で空気が無気味に吠えた。一足先に急降下したカレルの指揮する別のロケットは、携帯用《ポータブル》の中間子《メゾトロン》ライフルを使って、ジャングルの中に幅のせまい滑走路を切り開いていた──というのは、普通の都市と違って、不法都市の周囲にはジャングルを超音波で開いた無植物地帯が設けられていなかったからだった。  ロケットが停止するのを待ちかねたように、アマルフィと|渡り鳥《オーキー》とヒー星人とからえりすぐった分隊員は外に出て黒い土の上を歩いて行った。やわらかな土に足どりは重かった。  都市ファブル・スートの内部から無数の悲鳴が聞こえてきた──今度の場合はまぎれもない人間の悲鳴だった。生涯癒えることのない盲目となったと思いこんだ人達の、怒りと悲しみを込めた絶叫だった。そのうちの多くの者が、実際に盲《めし》いてしまっていることをアマルフィは疑わなかった。  原子パイルの全出力が一時に可視光線に転換されたあの瞬間に、目を空に向けるという不幸なめぐりあわせになった人達が、その視力を永遠に失ってしまうことは、これはまず確実である。  しかし、偶然の法則が働いて、背信者達の大多数が難を免れている可能性もないではない。だから、ことは迅速にとりはこばなければならなかった。  靴の裏に泥がこびりついて大きな塊をつくった。しかもジャングルは一行が都市の壁にたどりつくまで、いっこうにその密度を減じなかった。  門の扉は何年も前から開いたまま錆つき、通路は密生する樹木でふさがれていた。ヒー星人が手馴れたナイフをたくみに使って、道をひらいた。  中に入ってからでも、ほとんど同じように足どりははかどらなかった。ファブル・スートと呼ばれる都市自体も自暴自棄の積み重なった重苦しい表情を見せていた。  ほとんど全ての建物は蔓草《つるくさ》に完全に覆いつくされ、その多くは半分崩れかけていた。鉄のようにかたい蔓《つる》が積んだ石のあいだに、窓の中に、軒蛇腹の下に容赦なくもぐりこみ、樋《とい》を、煙突を這いのぼっている。建物の表面という表面には緑色の毒々しい多汁質の葉が貪欲にはりつき、日影になった部分には死んで六日|経《た》った死体のような臭いのする、血の色をした巨大な菌類《きのこ》が生《は》え、大気には甘ったるい腐臭が息苦しくただよっている。  舗装につかわれた木煉瓦《ブロック》までが芽をふいている──投げやりなのか、無精なのか、いずれにしろ新しいものの大部分は、生《なま》の木を切ってそのまま使ってあるのだからあたり前のことなのだが。  悲鳴は衰えてすすり泣きに変って行こうとしていた。アマルフィは悲嘆にくれる住民の姿に目を向けずにすまそうと、できるだけの努力をはらった。たとえ自分の方が悪いにしろ、視力を永遠に奪われたと思いこんでいる人は決して愉快な見ものではない。  しかし、その美しい服を泥によごした人達と、輝くばかりに清潔な裸体を日にさらしている人達との混じりあった奇妙な群衆に、目をとめずにいることは不可能だった。あたかも、同じ一つの都市の中に二つの別の時代が共存しているかのようだった。フランタンの貴族の集会に、原始時代の貴族が迷いこんだかのようだった。  この完全にジャングルに屈服した人達は、それと一緒に時代を過去にさかのぼり、そこにあらためて沐浴《もくよく》の楽しみを発見したのかもしれない。もしそうだとすると、やがては更に過去の時代の泥浴の楽しみも発見することだろうが、その時には、さすがにこれほど貴族的な姿ではいられないだろう。 「アマルフィ、ここにいるのが目あての──」  そういわれて、囚われの身となっている地球人の|渡り鳥《オーキー》達の姿を一目見たときに、市長の視力を失った人達に対する抑えつけられた同情は、跡形もなく消えてしまった。その|渡り鳥《オーキー》達は、まず手始めに計画的に拷問され、そのあとは全く放置されていたのだった。野蛮と頽廃との、それぞれの最もいちじるしい特質を組み合わせたやり方だった。  かれらのうちの一人は『訊問』の初期に、その苦痛を見るに忍べなくなった同僚の手で扼殺された。別の一人は、まだ筋の通った話のできる状態にあったのだから、助かるはずだったが、あまりにも執拗に殺してくれとせがむので、アマルフィも発作的な憐憫の情に駆られて、射殺してしまった。  残った三人は、三人とも歩くことができ、話もできたが、そのうちの二人は気が狂っていた。緊張症《カタトニック》の一人は担架ではこび出され、兇暴性《マニック》の一人はがんじがらめにしばりあげられ、猿ぐつわをはめられた上で、注意深く連れ去られた。 「あなたがたは、一体どんな手を使ったのです?」ただ一人正気の男が、地球の、今は死語にひとしい万国共通語であるロシア語でたずねた。  かれは人間の姿をした骸骨だったが、驚くばかりの個性の持主だった。いわゆる『訊問』を受けた早い時期に舌を失っていた。しかし、すでに人為的な方法で話すことを習得していた。  何とも奇妙な発声だったが、聞きとることはできた。 「あなたがたのロケットの飛行音が聞こえるとすぐに、野蛮人どもはわれわれを殺しにやってきた。そこへ電光のようなものがひらめいて、やつらは一斉に悲鳴をあげ始めた。それが全くすさまじい悲鳴でした」 「そうだろう」アマルフィが相槌を打った。「君は、国際語《インターリング》を話すかね? そう、よろしい。わたしのロシア語はこのごろすっかり退歩してしまっている。君のいう『電光のようなもの』は光子《フォトン》爆発の閃光だった。君達を生かしたまま、しかも確実に救い出す方法として、われわれにはそれしか思いつくことができなかった。ガスを使うことも考えたが、万一相手に防毒面《ガス・マスク》の用意があったりすると、かえって相手にとっては、君達を生かすも殺すも勝手次第ということにならないともかぎらない」 「わたしもこの目で見届けたわけではないが、やつらには防毒面があったと思います。かれらはこの地方の火山噴出ガスの雲の中を、平気で旅行して歩いたと聞いています。きっと、有毒ガスを吸収する何かの方法が開発されていたに違いない。吸着剤としての木炭は、この土地でもよく知られています。われわれが地下の深い所に押し込められていたのは、運がよかった。さもなければ、われわれもあのときに同じように盲目《めくら》になっていたでしょう。あなたがたは技術者《エンジニア》でしょうね」 「まずそんなところだ」  アマルフィは否定しなかった。 「厳密にいうと、われわれの専門は鉱山の採掘と、それに石油地質学とだが、空に舞いあがってからは、あれやこれやとずいぶんいろいろな副業を身につけるようになった──どこの|渡り鳥《オーキー》もみんなそうなのだがね。地球上ではわれわれの市は港だったから、ありとあらゆる什事をやった。しかし、地球を離れたからには、都市はそれぞれ専門化しなければならない。さあ、これがわれわれのロケットだ──もぐり込んでくれ。少しばかり荒っぽいが、これでも乗り物だ。ところで、君の専門は?」 「農業です。われわれの市長は、宇宙周辺のこのあたりには農業に適した土地があると見当をつけました──見捨てられた植民地と、そこから分かれたグループに有毒土壌を改良することと、大型機械の助けを借りずに、収量の低い作物をとにかくも栽培することを教えました。われわれの副業はワックスマンですが」 「というのは?」アマルフィは、消耗したからだに安全ベルトをまわしてやりながら、訊きかえした。 「土壌菌から得られる抗生物質です。発見者ワックスマン博士の名をとって、そう呼ばれています。それを海賊都市のやつらが欲しがりました──そして、手に入れました。全くけしからん悪党です。やつらは、自分の住んでいる町を清潔に衛生的に保っておこうという気がないのです。そんな手間をかけるよりは、疫病がはやれば、どこか正直な町からくすり[#「くすり」に傍点]を盗もうとします。もちろん、ゲルマニウムも狙います。それをわれわれが全然持っていないとわかると、やつらはわれわれの都市を爆破しました──われわれは最後の通商路をはずれるとすぐに、経済の体制を物々交換《バーター》に切り替えたから、ゲルマニウムのような通貨を必要としなかったのです」 「君達と一緒だった客人はどうした?」  アマルフィは、わざとさりげなく聞こえるようないい方をした。 「ビートル博士のことですね? いや、本当はそんな名前じゃないのですが──わたしは自分の舌がちゃんとしていた時分にでも、その名前を正しく発音することができなかったのです。いずれにしても、今まで生きのびているとは思われません。とにかくわれわれの市にいる時にでも、タンクの中にとじ込めておかなければなりませんでした。マード星人でした。その星の連中は全く抜け目のないやつらばかりです。博士の無燃料駆動は──」  外で銃弾の音がした。アマルフィは顔をしかめた。 「離陸した方がよさそうだ──連中は視力を回復しかけている。あとでまた話を聞かせてもらおう。へイズルトン、何かあったのか?」 「いや、別に異状はありません。みんな乗りましたか?」 「乗った。出発だ」  ひとしきり、一斉射撃の銃声がとどろいた。やがてロケットは咳きこみ、うなり、尾部を下にして立ちあがった。加速度の圧迫から解放されると、アマルフィは深いため息を吐き出して、さっきまで話していた相手を振り返って見た。  安全ベルトでからだを固定された姿勢のままで、すっかりくつろいでいるように見えた。しかしその頭の上半分は、すぐそばの船殻を貫通した黄銅被甲弾のために、みごとにそぎとられてしまっていた。  気の違った人間から筋の通った情報を引き出すのは、手間がかかって骨の折れる厄介な仕事だった。  兇暴症がどうやら常態に戻ったらしく思われるようになってからでも、実際に役に立つようなことはほとんど聞き出せなかった。  かれらの救命艇がヒー星に着陸したのは、へイズルトンの出したディラック警報を受けたからではない、ということだった。かれの知る限りでは、救命艇にも、焼かれた|渡り鳥《オーキー》都市自体にもディラック受信器はなかった。  アマルフィの推測したように、ヒー星が〈リフト〉の砂漠の中の唯一の寄港地だったという、ただそれだけの理由で、救命艇はここにやってきたのだった。それでも避難者の一行は、その全行程に堪えるために強睡眠剤を服用し、乏しい食糧を厳格に割りあてて、飢えをしのがなければならなかった。 「君達はそれからあとで、また海賊都市の連中に出会ったかね?」 「いや、出会いませんでした。あなたがたのディラック警報を聞いたとすると、連中はおそらく、警察が自分達のことをかぎつけたと思いこんで逃げ出したのでしょう──さもなければ、この惑星には軍事基地が設けられてあるか、またはよほど進んだ文化があると思ったのかもしれない」 「そんなことは君の推測にすぎない」アマルフィは突きはなすようにいった。「ビートル博士はどうしたのだ」  相手の男はびっくりしたような顔になった。 「あのタンクの中に入れられていたマード星人の男ですね? 市と一緒に爆破された、と思いますが」 「ほかの救命艇で逃《のが》れたのではないのか?」 「まずそんなことはありますまい。しかし、わたしはただのパイロットにすぎません。何かの理由があって、市長の小艇で連れ去られたのかもしれません」 「君は博士の無燃料駆動について何か知っているかね?」 「初めて聞きました」  アマルフィはそんなことではとても満足できなかった。この男の記憶のどこかに、まだ短絡《ショート》して電流の通らない所があるのではないのかとも思った。しかしいずれにしろ、その男から訊き出せたのはそれだけだったから、その事実を認めないわけにはいかなかった。  あとは、その武器が海賊連中の手に落ちた場合に、どの程度の威力を発揮するものなのか、それを正しく評価することが残されているばかりだった。この間題については、兇暴症だった男は何一つ知らなかったが、市の神経生理学者の慎重な判断によれば、あるいは緊張症の患者の方から一、二ヵ月のうちに何かを引き出せるかもしれないということだった。今までのところでは、その患者の注意をとらえることにさえ成功していなかった。  アマルフィはその学者の判断も素直に受け入れた。受け入れるほかはなかった。ヒー星の軸を修正する『|引っ越し日《ムーヴィング・デイ》』が近づくにつれて、ほかの問題にかまけている暇はなくなった。惑星の物理学的バランスに変化を与えた場合に、どうしても避けられない火山の爆発を防ぐ最も簡単な対策が地殻を強化することであるのは、すでに確信していた。  現にヒー星の表面の二百の地点で、掘鑿《くっさく》隊が高い圧力のために熔けて液状になっている星の中心部に向かって、細く深い斜坑を掘り進んでいた。斜坑はたがいに複雑に入り組んでいたが、この掘鑿作業が原因となって新しい火山の生れた例は、ただ一つしかなかった。普通には、熔岩のたまったポケットにぶつかることをあらかじめ見越しておいて、その熔岩が地表に達しないうちに、交叉する数多くの斜坑に流しこんでしまう。熔岩が凝固してふさがった斜坑は、拡散度を極度にしぼった中間子《メゾトロン》銃を使って、もう一度掘鑿しなおした。  高圧液状の中心部まで貫通した斜坑はまだ一本もなかった。全部の斜坑を同時に貫通させる計画だった。その時には、無数の斜坑の交錯している特定の地域の火山活動は解放されて、巨大なプラッグが地殻へ向かって衝《つ》きあげられる。斜坑と斜坑のあいだを鉄の梁《はり》で連結した巨大な鉄のプラッグなのだ。  こうして、惑星ヒーは苛酷なコルセットでしめあげられることになる。そこには、ほんの僅かばかりのたわみ[#「たわみ」に傍点]しか許されない。  そのたわみ[#「たわみ」に傍点]も鋼《はがね》の糸──地質学上の時代をいくつか重ねるあいだ、花崗岩をさえ熔かし込んでいた鋼《はがね》の糸で閉じ合わされる。  熱の問題はもっと手ごわい。さすがのアマルフィもそれを解決することができるかどうか、自信は全くなかった。構造物の抵抗そのものが高温を生じ、どこかに剪断面《せんだんめん》でもできれば、埋め込まれた桁《けた》は即座に切断される。その対策として用意されたのはかなり思いきった荒療治だが、あとがどうなるかということについては、ほとんど何もわかっていなかった。  しかし、全体としての計画そのものは、いたって単純だった。それを実行するには大きな労力が必要ではあるけれども、それほど込み入った仕事ではなさそうだった。もちろん、その地方の不法都市からある程度の反対のあることは予想されていた。  だが、アマルフィもファブル・スートを襲撃したあと、最初の一ヵ月のうちに自分の部下の二〇パーセントに近い人員を失おうとは予想していなかった。  最近設けられた現場キャンプの全員が殺されていたというニュースをもたらしたのは、ミラモンだった。アマルフィは市を見おろす高台の羊歯の木の下に腰を降ろして、巨大なとんぼ[#「とんぼ」に傍点]の飛びかうのをながめながら、岩石内の熱伝導について考えていた。 「その人達の防護に手抜かりはなかったと、その点にあなたは確信が持てるのか?」  ミラモンは用心深く持ってまわったいい方をした。 「この星の昆虫の中には──」  アマルフィは心をかき乱さないばかりに美しい昆虫とジャングルとを思い浮かべた。それを根こそぎ全滅させることを考えただけで、われ知らずとり乱すことがあった。 「手抜かりはなかった。われわれはキャンプの区域にディクマリンと、蒸溜残滓の弗素置換体とを散布した。しかし──この星には爆薬を使う昆虫がいるのだろうか?」 「爆薬を! ダイナマイトを使ったといわれるのか? そんな形跡はどこにもなかったが──」 「いかにも証拠がない。そこがわからないところだ。あなたの話にあった、ジャングルの木の倒れている様子がどうも気になる。それからすると、ダイナマイトなどの高性能の爆薬ではなく、TDXではなかったかと思われる。われわれ自身も切断用の爆薬としてTDXを使用する──平面的に爆発する性質があるのだ」  ミラモンは目をまるくした。 「そんなはずはない。爆発力はあらゆる方向へ均等に拡がって行くものだ」 「分極した炭素原子から作られたピペラゾへキシ硝酸塩爆薬の場合には、それがあてはまらない。そのような原子は重力線に直角以外の方向には動くことができない。わたしがいうのはそこなのだ。あなたがたの星の住人はダイナマイトまでは知っているが、TDXとなると未知の領域のものだ」  アマルフィはことばをとぎらせて、顔をしかめた。 「もちろん、われわれの損害の一部はファブル・スートとその同盟都市の不法者達の、ミサイルと普通の爆弾を使った襲撃によるものだった。しかし、あなたの知らせてくれたそのキャンプで爆発は確かにあったが、その事実を証明する爆発孔がどこにも見あたらないということは──」  いいかけて、アマルフィは黙ってしまった。  ガス中毒による死体のことをいってみたところで何にもならない。考えることさえ難しかった。この星にも、嘔吐性、くしゃみ性、それに発泡性を一緒にした性質のガスにやられた人があった。その人達は嘔吐を催して防毒面──火山性のガスに対してだけ有効なように設計されていた防毒面を自分からむしりとり、激しいくしゃみ[#「くしゃみ」に傍点]に襲われてガスを大量に吸いこみ、全身のうちも外も大きな水泡に覆われつくされていた。そのガスは多ベンゼン環性のホークサイトと思われた。  好戦的な宇宙『帝国』の乱立した当時には、このガスが極めて広く知れわたり、どういう理由からだかわからないが〈ポリバスルームフローライン〉と妙な名で呼ばれていた。  しかし、そんな物がこのヒー星でどうなるというのだ?  ただ一つだけ筋のとおる解答があった。それを思いつくと、呼吸がいくぶん楽になった。なぜなのか。その理由をアマルフィは強いてせんさく[#「せんさく」に傍点]しようともしなかった。  あたり一面のジャングルがため息をつき、揺れ動き、低くうなる羽虫の雲が露を帯びた羊歯の葉の上に虹をつくった。ほとんどいつでも声をひそめて静まりかえっているジャングルが、敵らしく見えたことはかつて一度もなかった──そして今、アマルフィは自分の直観の間違っていなかったことを知った。  本当の敵はついに自分からその正体をあかしてしまった。かくれみの[#「かくれみの」に傍点]に身を潜めたつもりだったのだろうが、そのかくれみの[#「かくれみの」に傍点]たるや、ジャングルの古くからの狡知《こうち》にたけた手練手管に比べると、全く幼稚なものだった。 「ミラモン」アマルフィはおだやかに呼びかけた。「われわれの立場は、すこぶる微妙だ。わたしの話したあの犯罪者の町──海賊都市《ビンドルスティッフ》──はすでにこの星にやってきている。わたしの市がここにきたときよりも以前、それにも自分達が徹底的に身を隠すだけの暇がとれるほど以前に到着したに違いない。おそらくは夜にまぎれて、どこか禁断《タブー》の地域に着陸したのだろう。それからどんな手を打ったのか、その連中はファブル・スートと盟約を結んだ。そこまでははっきりしている」  ジャングルのない空地を、二メートルもある翅《はね》をひろげた蛾が、キラキラと光り輝くつばさのあいだの神経節にくちばし[#「くちばし」に傍点]を突っこんだ線虫《ネマトーダ》に操縦されて、ヨタヨタと横切って行った。その寄生関係は、ものごとに比喩を読みとる気分《ムード》になっていたアマルフィに、自分がどんなにその敵を見くびっていたかということを思いおこさせた。  海賊都市の連中は新しい文化をあやつる術《すべ》を心得ていて、また実際にも巧妙にあやつったらしい。抜け目のない|渡り鳥《オーキー》なら、決して直接手をくだしてよその世界の文明を圧倒しようと企てたりはせず、できるだけそれとなくその文明を自分の思う方向へ導いて行き、見かけ上は相手を傷つけず、相手に少しも重荷を負わせず、しかも決定的な時機には、手際よく有無をいわせずに歴史を変えてしまう……。  アマルフィはベルトにとりつけた超波通話器のスイッチを入れた。 「へイズルトンか?」 「そうです」  市の支配人《マネージャー》の声のバックにはにぶい爆発音が聞こえていた。 「何か起こりましたか?」 「まだ何も起こっていない。そっちの方は不法者《バンディット》連中に手こずっていやしないかな?」 「いや。これだけの火力があるのだから、手こずるなんて思いもよらないことです」 「負け惜しみはよしたほうがいい。連中はこの星によく慣れているのだ、マーク」  しばらく沈黙がわだかまった。その沈黙の背景として、へイズルトンの部下達の叫びかわす声がきこえた。やがてもどってきた市の支配人の声はことばからことばへ、用心深くうつって行き、まるで、そうしないと一つ一つのことばが自分の重みで潰れてしまうと思っているかのようだった。 「つまり、われわれのディラック放送の行なわれた時には、あの連中はすでにヒー星にやってきていたと、そういうことなんですね? われわれの側のこの損害はもっと簡単な理由で説明できるのではないでしょうか? 市長のいわれるその理屈は……ウーン……つまりそのあまり上品でない」  アマルフィは内心ニヤリとした。 「やっと気がついたか。末席にさがって、よくよく考えてみるんだな、マーク。これまでのところ、連中の方がずっと上手だ。しかし、まだわれわれとしては、君の思いついた女を使う例の計略をうまく生かすことができるかもしれない。しかし、それを生かすためには、何としてでもあの連中をおびき出さなければならない」 「どんな方法で?」 「われわれの現にやろうとしていることをやりとげたあかつきには、この惑星にどえらい変化が起こるということは、これは誰でもが知っている。しかし、われわれが何をやろうとしているのかということを正確に知っている者は、われわれ以外にない。海賊の連中がビートル博士を手に入れているかいないか、それはわからないが、いずれにしろ自分達の安全のためには、われわれの邪魔をしないわけにはいかないことになる。そうやって、わたしは連中が自分でも気がつかずに、手のうちをさらけ出すように仕向けてやるつもりだ。『|引っ越し日《ムーヴィング・デイ》』は、それで一時間だけ操りあげられる」 「何だって! しかしそんなことはとてもできない」  アマルフィはめったにないほど激しい怒りをおぼえた。 「できるかできないか、それはやってみなければわからない」  噛みつくような口ぶりだった。 「とにかく、その話をまき散らすのだ。ヒー星の人達に聞かせてやれ。これが冗談や酔狂ではないということを証拠立てるために、わたしはMプラス一一〇〇に、もう一度、〈シティ・ファーザーズ〉にスイッチを入れることにする。君も、それまでに一切の用意を整えておかないと縛り首にされるぞ」  ベルトのスイッチをオフの位置に戻すと、カチリと小さな音がしたが、アマルフィにはそれがもの足りなかった。せめてものことに、この会見はもっと何か決定的なもので──たとえば、シンバルを激しく打ち合わせる音で──決着を着けたいところだった。  アマルフィはだしぬけのようにミラモンの方へ向きなおった。 「何をそんなに目を丸くしているのか?」  ヒー星人は顔を赤らめて口を閉じた。 「失礼をした。わたしは何か手伝うことでもありはしないかと思って、あなたが助手に指図するのを一所懸命に聞いていた。ところが、あなたの話はチンプンカンプンで、まるで神学論争を聞かされているようだった。いずれにしろ、わたしは政治とか宗教については、論じないことにしている」  それだけいうと、ミラモンはまわれ右をして、林の中を歩き去った。それを見送っているうちに、アマルフィは次第に冷静をとり戻した。  こんなことではだめだ。自分は老人になりかけているに違いない。  へイズルトンと話しているあいだじゅう、アマルフィは自分の判断が感情に負けているのを感じていた。しかも、気持が妙にふやけて張りがなく、ほとばしる怒りを抑えつけようと努力する気にもなれなかった。  このままで行けば、やがて自分は〈シティ・ファーザーズ〉に今の地位を追われ、誰か安定した性格の持主が市長に任命されることになるだろう──それもへイズルトンなどではなく、あらゆる問題を経験だけにたよって処理しようとする、詩情のない凡俗の若者が、任命されるに違いない。アマルフィのような立場にある人間は、たとえ冗談にもせよ、他人を殺すなどといって脅迫することは許されないのだ。  アマルフィは太陽の光を浴びて重々しく静まりかえっている自分の市の方へ歩いて行った。  大体のところ、九百歳プラスマイナス五十歳というのが、かれの今の年齢だった。肉体は雄牛のように強く、神経ははしこく活気に満ち、ホルモンは申し分なくバランスが保たれ、二十八の感官は全て鋭く、身につけた特殊プサイ能力──|環境に対する適応《オリエンテーション》──は今もなお全く衰えを見せず、要するに、何から何まで余儀なく放浪生活をおくる宇宙人として欠ける所はなかった。不老長寿薬はかれのこの健康状態を無限に維持し続けるだろう。  それは、誰でもが知っている──しかし、忍耐心[#「忍耐心」に傍点]の問題はまだ解決されていない。  年をとればとるほど、それだけ経験も豊かになるから、厄介な問題にぶつかった場合に答えが早く出てくる。その一方では、自分の仲間達の頭の回転の遅さに我慢がならなくなる。  一般的にいって、考え方が常識的であればその答えは正しい──常識的でなければ正しくない。これは当然のことだが、問題にされるのは考える速さなのだ。つまるところ、当人の考え方そのものは、常識的であろうとなかろうとそんなことには関係なく、年をとれば高飛車な態度をとるようになり、二つ以上ある答えの中から、どうしてその答えをとりあげるのかという理由を説明するだけの労を惜しむようになる。  おかしなことだが、死というものが無期限に延長されるようになる以前には、人間に記憶という機能がある以上、不老長寿はかえってその人を不幸にするありがたくない贈り物だと考えられていた。いかに人間の頭脳とはいえ、ほとんど無限に蓄積される事実の全てを記憶することはできないというのが、その理由だった。ところが今は、誰一人として数多くの事実を記憶しようと努めたりはしない。そのためにこそ、〈シティ・ファーザーズ〉のような機械があるのだ。  データは機械が保存してくれる。生きた人間は新しい機械が発明されれば、古くなったのをそれと取り替え、計算の方法《プロセス》だけを記憶すればいい。事実が必要な場合には、機械に訊けばそれでことは足りる。  場合によっては、人間の記憶の容れ物にもっと余裕を作るために、その方法《プロセス》すら記憶から省いて、簡単な壊れにくい器具──たとえば計算尺──にまかせてしまう。  アマルフィはふと思った。はたして自分の市に、頭の中や紙の上で数を掛けたり割ったり、平方根を求めたり、pH(水素イオン指数)を計算したり、そんなことのできる人間がただの一人でもいるだろうか、と。  それは、われながら不安をおぼえるほど場違いな考えだった──たとえていえば、大昔の宇宙物理学者が、自分の仲間に算盤をあやつることのできる人間が何人いるだろうかと、そんな突拍子もないことをまじめに考えたほどにも場違いだった。  いかにも記憶は問題ではない。しかし、千年を生きて、なお忍耐心を養うということはなかなか難しい。  茶色の泥がつらら[#「つらら」に傍点]のようにさがっている気閘《エアロック》の底が視野の中に入ってきた。アマルフィは目をあげた。市の基礎の巨大な花崗岩盤を直接くり抜いてできているその気閘は、もともと数世紀前にマンハッタン区から外へ通じていた地下鉄路線のなごりだった。  いま見えるこれはBMTのアストリア線の跡らしい。現在の市の二つの|管 理《コントロール》センターであるエンパイア・ステート・ビルからも、市庁舎《シティホール》からも遠すぎるので、めったに使われない気閘《エアロック》だった。確かにこれから行こうとしている目的地までは、市の周辺を大回りした長い道のりだった。  アマルフィは知らない土地にやってきた他国人のような気持で入って行った。  中の通廊では血も凍るばかりのすさまじい悲鳴が響きわたり、果てしもなくこだましていた。まるで、誰かが|恐 竜《ダイノサウルス》を、それも一匹でなく何匹もひとまとめにして、生きたまま皮を剥《は》いでいるようなすさまじさだった。その騒ぎに混じって、高圧の水がほとばしるような音と、誰だかわからないがけたたましくヒステリックに笑う声が聞こえた。  アマルフィはびっくりして、手近の階段を駆けのぼった。そうぞうしいもの音はますます大きくなった。雄牛のようにたくましい両肩をかがめると、その向うが屠殺場らしいと見当をつけたドアをめがけてとび込んだ。  こんな場所がこの市にあったとは思いもよらないことだった。そのおそろしく大きな湯気の立ち込めた部屋の壁には、何かの窯業製品のタイルが貼りつめてあった。そのタイルは見るからヌラヌラとして汚れはて、古かった──ひどく古かった。床にはそれよりも小さな六角形のタイルが、果てしもなくどこまでも続くモザイク模様をつくり、それが、アマルフィには即座に毒ガスのホークサイトの化学式を思い出させた。  一群のまる裸かの女達が悲鳴をあげながら部屋の中をあてどもなく駈けめぐり、壁を叩いたり、狂ったように身をかわしたり、モザイク模様の床の上をころげまわったりしていた。そのあいだにも、太くほとばしる水流が女のどれかを捕えて打ち倒す。女は泣き叫びながら逃げる。  頭の上の方には、長く一列に並んだ噴出孔《ノズル》から針のように細い水が噴き出して、霧をつくっていた。アマルフィはすぐにびしょ濡れになってしまった。  笑い声が一段と高くなった。  市長は急いでからだをかがめ、泥だらけの靴を脱ぎすてると、すべりやすいタイルに爪先きの力を込めながら、笑い声のする方へしのび寄った。  水の太い柱がまっこうからぶつかってきたかと思うと、すぐにまた外《そ》れて行った。 「あら、ジョンじゃないの! あなたもそんなに水浴びがしたいの? 仲間入りするといいわ!」  ディー・へイズルトンだった。  いじめ相手と同じようにまる裸《はだ》かのままで、いかにも楽しそうに大きなホースをあやつっていた。全く可愛いらしい姿だった。しかしアマルフィはそんなことを考える気持をきっぱりと心から払い棄てた。 「面白いじゃない? わたし達、また新しくこの生き物を手に入れたの。だから、わたしはマイクにいって、古い消火用のホースを接続してもらって、生れて初めての水浴びをさせていたところなのよ」  いつものディーらしくないいい方のように聞こえた。  アマルフィはとことんまで抑制を失った女性について、自分の意見を述べた。それがしばらく続くと、ディーはもう一度ホースを向けそうな素ぶりを見せた。 「いけない、よしてくれ」  アマルフィは怒鳴りながら、ディーに組みついてホースをもぎとった。何とも間の悪い、やりにくいことだった。 「それにしても、この部屋は一体どういう場所なのだ? 市の地図にこんな拷問室のあったことはどうも思い出せないが」 「公衆浴場だったんですって。ほかには下町のバルーク団地に一つと、四十一丁目の港湾局バスターミナルのそばに一つと、そのくらいであとはあまりないということだわ。市が初めて空へ舞いあがったときに閉鎖されたに違いないって、マークはそういってるわ。わたしはこの女《ひと》達を病院につれて行く前に、からだを水で洗ってやるのにここを使ってるの」 「市の水道[#「市の水道」に傍点]で?」  そのもったいなさ[#「もったいなさ」に傍点]を思っただけで、アマルフィは腹が立ってきた。 「とんでもない、ジョン、わたしだってそのくらいのことわかってるわ。この水は西の方の河から汲みあげてるのよ」 「水でからだを洗うとは? 昔の人達が飲む水さえ足りなかったことがあったというのも無理はない。しかし、わたしは静電|噴流《ジェット》の方が水を使う沐浴《もくよく》よりも古いと思っていた」  アマルフィは、水の出なくなった今は、反響のいい部屋の一番暖かな場所にかたまりあっているヒー星人の女達を仔細にながめた。その中の誰一人として、ディーのゆるやかな曲線を描く熟し切った肉体と比べられる肉体の持主はいないが、それでも、さすがに見込みのありそうなのは何人かいた。  へイズルトンに先見の明のあったことは認めないわけにはいかなかった。ヒー星人が結局は人類であるということになりそうだった。それはもちろん予想されていたことだった。これまでに、わずかに十一の非人類文明が発見されているにすぎない。そのうち、いうに足りるほどの知能を持っているのは、リル星人とマード星人だけだった(この場合、ヴェガ星人は勘定に入れない。そのヴェガ星人を地球人達は人類と考えないが、ほかの全ての非人類社会では、かれらは人類あつかいされている。それも、文明としては抹消されてしまった)。  しかし、それにしてもヒー星人と最初に接触したとたんに、そのための予備的な会談というほどの手順を踏むこともなく、女性を管理する全権をこっちに引き取ったのは大成功だった。へイズルトンは、|渡り鳥《オーキー》仲間の誰もがヒー星に住人があるということをさえ知らなかったずっと以前から、海賊都市《ビンドルスティッフ》をおびき寄せる餌として、女を使うことを提案していた。  何はともあれ、それはへイズルトンの持ち前のプサイ能力、つまり本当の意味での洞察力ではないが、それだけでは筋道の充分に通らないデータから、とにもかくにも実際の役に立つ計画をでっちあげることのできる才能だった。気まぐれに飛躍する空想から、ときとして奇蹟とも思える実際的な計画が生れる、そのことだけでへイズルトンは、筋を通すことしか知らない〈シティ・ファーザーズ〉から追放されずにすんでいた。 「ディー、わたしと一緒に天文局まできてくれ」アマルフィは話しかけた。「君に見せる物がある。その前に、お願いだから何か着てもらいたい。さもないとわたしは自分の王朝を作ろうとしていると思われる」 「いいわ」  ディーはしぶしぶのように承知した。彼女は、まだ|渡り鳥《オーキー》の社会ではどの程度まで肉体を露出していいかという標準的な尺度に慣れていなかったので、とんでもないときに人前に素裸かで現れることがあった──ユートピア星に育って、裸かでいることが当人の政治的純粋性に有害な作用を及ぼすと教えこまれたことに対する、一種の代償作用《コンべンセーション》なのだと、アマルフィは思った。  ヒー星人の女は短いパンツをはいているときには、悲しそうな声を出して頭を隠す。ほとんどの女は、自分の肉体の隠しかたが不注意だったという罪を責められて、石を投げられた経験を一度ならずもっている。ヒー星の社会では、女は人間ではなく、神々のくだした永遠の罰の象徴であって、その身の隠し方に少しでも遺漏《いろう》があれば、その罪は二倍になるとされているのだ。  歴史も、これほどクドクドとバカらしい操り返しが多くなければ、もっともっと教訓的なのだがと、アマルフィは考えた。先に立って昇降通路《リフトシャフト》をさがしさがし通廊を歩きながらも、うしろに続くディーの濡れた素足がピタピタと音を立てるのが気になって仕方がなかった。  天文局に行ってみると、ジェークはあい変らず、何万光年とも知れない遠方のどこかにある銀河系宇宙を、物欲しそうにのぞきこみながら、計算部門の助けを借りずに|螺 旋 肢《スパイラルアーム》を楕円軌道に変換しようと一所懸命になっていた。  アマルフィとディーとが部屋に入ると、天文技師は目をあげた。 「やあ、市長さん」  沈んだ声だった。 「ここは手が足りなくて困っているんだが、何とかならんですか。機械がなくてどうして仕事ができるかね? もう一度〈シティ・ファーザーズ〉のスイッチを入れてくれさえすれば──」 「そのうちに入れるよ。ところで、この前われわれの来た道を振り返ってみたのは、あれはいつのことだったかね?」 「〈リフト〉を横断にかかった時が最後だな。なぜ、そんな必要があるんだね? 〈リフト〉なんて物は、宇宙という|受け皿《ソーサー》についたほんの引っかき傷ぐらいのもんですよ。基本的な問題に必要なのは、実際に経過した距離なんだから」 「わかっている。しかし、ちょっと見てみようじゃないか。われわれはこの〈リフト〉の中で、思ったほど一人ぼっちではないような気がするのだが」  あきらめたようにジェークは操作盤に行って、望遠鏡を動かすボタンに手を触れた。 「なにが見えると思いますかね? やすり屑のかすみ[#「かすみ」に傍点]か、迷子になった中間子《メゾン》か、それとも警察の巡洋艦隊か?」 「そうだな」  アマルフィは、投影スクリーンを指さして見せた。 「あれはまさか酒の瓶ではあるまい」  まぎれもなく警察の巡洋艦の一群だった。それも、ヒー星の放つ光が各艦の舷側に反射して、スクリーンに明るい光芒を走らせ、うしろに曳《ひ》く偽光子の航跡がよく見えるほど近い距離だった。 「確かに違う」ジェークは面白くもなさそうな口調でいった。「市長さん、もう望遠鏡を元に戻していいかねは」  アマルフィはニヤリと白い歯を見せただけだった。警察であろうがなかろうが、とにかく若返ったような気持だった。  へイズルトンは、大腿まで泥にまみれていた。昇降通路《リフトシャフト》を|司 令 室《コントロール・ルーム》までのぼってくるあとには、長い泥のリボンができていた。  頭をかがめて見ていたアマルフィは、自分を見あげる市の支配人の顔がこわばり青ざめているのに気がついた。 「一体どうしたんです、警察が?」へイズルトンはまだ宙を飛んでいるうちから問いかけてきた。「連絡がなかなか届かなかった。何しろ攻撃されている最中だったから、どこへ行ってもまるでメチャメチャでね。ここにも、もう少しでこられなくなるところでしたよ」  そういいながら、かれは部屋に跳び込んできた。靴からネバネバする土のかたまりが落ちた。 「戦闘の一部はわたしも見た」アマルフィが相手になった。「『|引っ越し日《ムーヴィング・デイ》』のうわさ[#「うわさ」に傍点]が海賊連中にも伝わったらしい」 「確かに伝わっています。警察がどうかしました?」 「警察は、すぐそこまできている。北面の|象 限《クワドラント》から進入して、すでに減速駆動に入っているから、明後日には着陸するつもりなのだろう」 「まさか、われわれの跡を尾《つ》けてきた訳ではないでしょう。しかしなぜ、これだけのみちのり[#「みちのり」に傍点]を海賊都市を追ってこなければならなかったのか、それがわたしにはわからない。それには人工冬眠《ディープ・スリーブ》を利用しなければならなかったに違いない。それにわれわれは警報を放送した時に、無燃料駆動については一言も触れなかったのだから──」 「触れる必要もなかった。いずれにしろ、連中は海賊都市を追跡しているのだ。君には、いずれそのうちに病気になった蜜蜂のたとえ[#「たとえ」に傍点]話をして聞かせなければならないが、今はその暇がない。事態の進展が速すぎる。われわれは全てに油断なく目を配り、予定表の中のどの項目が真っ先に出てこようとも、どの方向へでも飛んで行けるように用意しておかなければならない。ところで、苦戦だというが、どんな状況だね?」 「ひどいもんだ。戦闘には少なくとも五つの不法都市が加わっています。もちろん、ファブル・スートを含めて。そのうち二つの都市は、ルンタン帝国全盛の時期と同時代の物と思われる重火器を装備している……ああそうか、こんなことはもうご存じでしたね。とにかく、この戦いをわれわれに対する聖なる戦いと考えているんです。ジャングルによけいな手を加えて、自分達の〈苦しみを通しての救済〉だか何だか、そんな物のやってくるチャンスを妨げるのがわれわれだということになっている──もっとも、その点を議論する暇はありませんでしたがね」 「それはまずい。話し合えば文明都市の中にも納得する者が出てくるだろう。ファブル・スートが心の底からこれを聖戦と信じているかどうか、それは疑わしい──自分達の宗教をあっさりと棄ててしまったぐらいだからね──しかし、いずれにしろたいした|宣 伝《プロパガンダ》にはなる」 「確かにその通りです。文明都市で頑強に戦っているのは、始めからわれわれを助けてくれていた、ごく僅かの数の都市だけです。ほかの連中はどっちの陣営に属するかということには関係なく、一人残らず、われわれがいかに相手の喉首をかき切るかをじっと坐ったまま待っている。われわれは、機動力を欠くことが、ハンディキャップになっています。もしわれわれが、文明都市の全部をわれわれの側に参加するように説き伏せることができたとすれば、機動力の必要もないのだが、ほとんどの都市は参加することをこわがっているのです」 「敵も、海賊都市が直接行動に出る用意のできるまでは、機動力を持たない」アマルフィは考えこむ顔つきでいった。「戦闘に、海賊都市の連中が参加しているらしい徴候があるかね?」 「いや、それはまだありません。しかし、やつらだって、そういつまでも待っているつもりはないでしょう。だのに、われわれにはやつらがどこにいるのか、それさえわかっていないんだ!」 「連中も、今日か明日のうちに、いやでもその所在を明かさない訳にはいかないことになるだろう。わたしには確信がある。今こそは、君の手元にある人間らしくなった女達を全部集めて、いつでもおとり[#「おとり」に傍点]に使えるように待機させておく時だ。わたしの見る限りでは、われわれの立てた全計画が、いよいよその効果をあらわそうとしている。海賊都市の所在の見当がつけば、すぐにそこらの一番近い不法都市の位置を連絡しよう。君達はそこに攻撃を集中し、押して行けばいい」  それまでひどくくたびれていたへイズルトンの目が、満足に輝き始めた。 「それで、『|引っ越し日《ムーヴィング・デイ》』はどうなります。こんなやっつけ仕事で、われわれ仲間の圧力の高まった連中が納得しっこないことは、あなたにもよくわかっていると思うんですがね」 「わかっているとも。それも勘定に入れての上のことだ。定刻にはかならず作業を始める。連中が張り切ってくれれば、泣くような目にも会うまい。連中の熱をさますのに、ほかにどうすればいいのか、わたしは知らない」  レーダーの警報器がするどく鳴った。二人の男達はそろってスクリーンの方を振り返った。スクリーンには、緑色の点が噴水のようにほとばしっていた。  へイズルトンは足早やに三歩進み出て、スイッチをまわした。スクリーンに、蝶の羽根のような形をした網目が投影された。 「さてどこだろう?」アマルフィがたずねた。「確かにあの連中に違いない」 「南西大陸のどまん中、例の指の爪の下にもぐりこむ、小さな寄生性の蛇の巣喰う蔓《つる》草のジャングルの中です。ちょうどそのあたりに、沸騰する泥の湖があるといわれているんですがね」 「そんな物もありそうだ。その泥の中に軽量|遮蔽体《スクリーン》を張りめぐらして、隠れているのかもしれない」 「なるほど、すると所在はわかったわけだ。それにしても、このレーダーにうつっている噴水のような物はなんだろう? 海賊のやつら、何を射ちあげているんですかね」 「空雷ではないかな。近接信管を装着して、軌道に乗せてあるのだろう」 「空雷ですか? やつらもなかなかやりますね。もちろん、自分達の逃げる時の用意に抜け道は作ってあるだろうが、われわれにはそれを見つけ出すことができない。やつらは、われわれにプルトニウム空雷の笠をかぶせてしまったわけだ」 「何とか抜け出せるだろう。しかし、いずれにしたところで、警察も着陸できないわけだ。マーク、君はおとり[#「おとり」に傍点]の女達を配りにかかりたまえ。それから──何よりも先に、女達には何か着せてやることだ。そうした方が、動揺を起こさせる効果が大きいだろう」 「それは、確かにそうだ」市の支配人の口調には感情がこもっていた。  かれは昇降通路《リフトシャフト》に入って姿を消した。  アマルフィは|司 令 塔《コントロールタワー》の展望台に出た。今でもときにはエンパイア・ステート・ビルディングと昔の名で呼ばれることのあるその塔は、市の中で一番高い建物だったから、観測台からは周辺部の大部分まで含めて、市の全部をながめることができた。  北西方面のほとんど一帯は、ギラギラと輝く熱帯性の夕日に照らされて、戦闘の騒音につつまれ、時々は、射ち倒される小さな人影さえ見えた。市は独自の方法で周囲の泥土地帯のジャングルを一掃し、ゆるい泥をゲル状にかためていた。攻撃の最初の徴侯があらわれるとともに、そのゲルは元のやわらかな泥漿《でいしょう》の状態に戻されていたが、ジャングルの住人達は、ヒー星人の手になったとは考えられないほど精密な加工のほどこされた、金属製の幅の広いスキーをはいて、泥土地帯を自由自在にすべりまわった。  TDX爆薬を使った砲弾が炸裂すると、赤い火の円盤が死神の大鎌のように空を切り裂いた。ガスの使われている形跡はなかった。しかし、やがて海賊都市の連中が戦闘をリードするようになれば、ガスも使用されるだろう。  市の応戦砲火は周辺部の崖の下から発射されるので、ほとんど目にうつらなかった。そこには投射器《プロジェクター》のひとつがその使命をはたしてしまうまで、崖の縁《ふち》の崩れ落ちるのを防ぐ防護壁が張り出し、その下で数多くの重火器がさかんに火を吐いていた。しかし、市は戦争向きの設計にはなっていないから、効率の高い破壊火器も、その大部分は着陸地の清掃だけを目的としてとりつけられているため、今はその銃先《つつさ》きをむなしく泥に埋もれさせていた。徹底的な破壊力をもつべーテ爆破装置も地表の近くでは使えない──そのような装置が海賊都市の側にだけあって、こっちにはないことからすれば、これはむしろ幸運だった。  アマルフィは、赤く染まった戦場の空から戦局の帰趨を嗅ぎとろうとするように鼻を動めかした。かたわらのスクリーンには、まだ敵味方のどっちに分《ぶ》があるのか、それをはっきりさせるような情景はうつっていないが、今にも勝敗の分かれそうな気配はあった。  展望台の手すりにかかったアマルフィの指の下には、四百年前に自身がそこにとりつけさせた、市庁舎の露台にある一組とそっくり同じ三つの押しボタンがあった。この一組のボタンは、これまでにも時と場合によって、それぞれ違ったさまざまの行動を起こすきっかけ[#「きっかけ」に傍点]を作った。だがその場合にも、三つのボタンは、アマルフィが危急の時にのぞんで選択をせまられる重大この上ない三種類の行動を、それぞれ一つずつ受けもたされていた。この展望台の手すりにしろ、市庁舎の露台のそこにしろ、四つ目のボタンを新設しなければならない必要を感じたことは一度もなかった。  頭の上を、いくつものロケットが金切り声をあげて通りすぎた。爆弾が落ちて、爆発する轟音と煙りと裂け飛ぶ金属片の渦を巻きおこした。アマルフィは目をあげもしなかった。  ごく弱いスピンディジー遮蔽《スクリーン》が働いていれば、スピードの速い物体ははね飛ばして寄せつけない。人間のようにゆっくりと動くものだけが、分極《ポラライズ》された重力場をくぐり抜けることができる。  アマルフィは三つのボタンにそっと指を触れさせながら、地平線の方をながめた。  空の夕焼けが全くだしぬけのように消えてしまった。ヒー星に来るまで熱帯地方の日没を経験したことのなかったアマルフィは、漠然とした不安を感じた。しかしこの突然の暗黒が人を驚かす物であるにしても、別に不思議のない自然な現象であることは納得できた。戦いは続いていた。TDXの爆発によってできる火の円盤は、まっ暗な空をバックにして、今はいっそう無気味だった。  しばらくすると、はるかに遠い空で空中戦が始まった。とはいっても見えるのは、ロケットとミサイルの曳く排気の焔がほとんどだった。ミラモンの空軍とファブル・スートの空軍とが交戦しているらしい。ジャングルはアマルフィの市に、あざけり[#「あざけり」に傍点]と怒りとを投げつけるように、絶え間もなくざわめいた。  アマルフィは立ったままスクリーンを見守った。ほかの世界をほとんど完全に自分の意識から断ち切ってしまうほど、ひたむきな姿勢だった。次から次へとスクリーンにあらわれてくる絵模様を理解するのは、容易でなかった。戦闘の局面を、これほど接近して判断する必要にせまられた経験はかつてなかったし、それにスクリーンにキラキラと光る楕円の弧を描く青く着色された弾道は、その一つ一つがそれぞれ惑星の軌道ででもあるかのように、アマルフィの注意をあらぬ方向へ外《そ》らそうとした。  真夜中を一時間ばかり過ぎた頃だった。空襲はまだ熾烈を極めていた。肘に誰かが触った。 「市長──」  その声を、アマルフィは、あたかも〈リフト〉の底から呼びかけられたかのように聞いた。スクリーンの端の方に光の噴水が見えてきていた。海賊都市からあい変らず打ちあげられ続けている空雷の傘だった──それがそこにうつっているのは、偵察衛星《プロクシー》主任のオブライアンが受け持ちの空飛ぶロボットを使って、海賊都市の所在を突きとめたことを意味した──アマルフィもその光の噴水の形から、その根元の位置を見当づけようとしていた。  空の涯てのどこかで、噴水の頭は平たくなり、そこはヒー星を周回する軌道の位置だった。それがどのぐらいの高さから始まっているかを確かめるのが重要なことだった。  しかし、聞こえてきた声の全く精も根もつきはてていることが、心のもっと深い所に触れた。 「なんだ、マーク?」 「やりましたよ。われわれの隊はほとんど全滅です。しかしわれわれは、女を海賊都市の前哨からよく見える開けた場所に残してきました……全くたいした騒ぎが持ちあがりましたよ」  ほんの一瞬だったが、その声には生気のような物がしのびこんだ。 「市長も一緒だとよかった」 「いや、すぐにも見える。偵察衛星《プロクシー》からの画像が入ってきたばかりだ。よくやった、マーク……少し休みたまえ」 「今ですか? しかし、市長──」  何かひどく重い物体がスクリーンを横切って、火が点《つ》くかと思われるほど強烈な光を放つ抛物線を描いた。やがて、全市がマグネシウム白とインクとを一緒にぶちまけたようなありさまになった。照明弾の光が薄れると、誰かが機械の中にペンキをこぼしでもしたように、スクリーンには黄色い色が広がりのたうった。  それを、アマルフィは待っていたのだった。 「ガス警報だ、マーク」われ知らず、口をついてことばが出た。「ホークサイトに違いない。全員にバリウム服を着せたまえ──やられたら最後、のた打ちまわって死ぬばかりだ」 「わかりました。しかし、市長、あなたはずっとここにおられたんですか? こんなことをしていたら、それこそ死んでしまう。わたしなどよりも、あなたの方がよっぽど休息が必要だ」  アマルフィはこたえる暇がなかった。  オブライアンの偵察衛星《プロクシー》が、へイズルトンの女達を降下させてきた町の上に来ていた。そこでは、確かに大変な騒ぎが持ちあがっていた。アマルフィは、スイッチをもう一つの、一マイルの上空に浮かんで、戦場の全域を走査する偵察衛星《プロクシー》の方に切りかえた。  そこからは移動する細い線が見えた。ジャングルを抜けて行く兵士の縦列だった。それまで、アマルフィの市の方へ進んでいた隊列の一部が、今は引き返そうとしていた。そのほかに、今まで戦闘に加わっていなかったヒー星の都市──どっちの側にもつかずに、形勢を観望していた都市から外へ延びる新しい縦列も見えた。  その連中が、いよいよ|洞ヶ峠《ほらがとうげ》を降りてきたことははっきりしているが、さてどっちの側につくかということは、まだ見極める必要があった。  もう一度スイッチを切りかえて、空雷の噴水の棍元にあたる泥の沸騰する湖の近景をスクリーンに出した。そこでも新しい事件が起こっていた。熱い泥がゆっくりと重々しく湖の中心から周辺の方へ向かって流れていた。あたかも湖の中に突然渦流を生じたかのように、中央部には泥のない部分ができていた。その部分は次第に拡がって行った。  海賊都市が表面に浮かびあがりかけていた。用心深いやり方だった。その都市の周辺部が湖の岸と同じ平面になるまでには三十分もかかった。黒い線がジャングルの中へ延びて行った。ついに、海賊都市はその市民を戦闘に参加させようとしている。  その行先きは明らかだった。どの縦列も残らず、へイズルトンが女達を残してきた町の方向へ進んでいた。  海賊都市自体はじっと静まりかえっていた。アマルフィの宇宙ずれした感覚は、煮え立つ泥のドームを支えるだけに運転されている、それほど強くないスピンディジーの場のかすかに嘔吐をもよおすような遠隔作用を、ヒー星の質量圧の中にでも、まぎれもなく感じとることができた。  夜が明けようとしていた。女達の降下させられた都市をめぐる騒ぎ[#「騒ぎ」に傍点]も、幾分おさまりかけていた。そこへ、海賊都市の機動部隊が到着して、騒ぎ[#「騒ぎ」に傍点]はもう一度燃えあがった。事態はいっそう悪化した。海賊どもは自分の味方を相手に戦っていた。  その大混乱の中心だったヒー星の都市が、アッという間に消えてなくなってしまった。そこには、放射能を帯びたガスの雲が、きのこ[#「きのこ」に傍点]型に聳え立っているだけだった。スクリーンに干渉縞が入りみだれた。海賊どもが爆撃を加えたのだ。  生きのこった連中がノロノロと沸き立つ泥の湖の方へ後退し始めた。女達を手に入れた海賊都市軍は撤退作戦にうつっていた。このニュースは、たちまちのうちに拡がってしまうだろう。それはアマルフィの思うつぼだった。  アマルフィの市は無気味なオレンジ色の霧につつまれ、無色の閃光に照らされていた。その皮膚に火ぶくれを作るガスは、スピンディジー遮蔽《スクリーン》をまとまって透過することこそできないが、一分子ずつなら拡散作用によって入り込んでくる。アマルフィ市長はふと、自分でガス警報を出しておきながら、肝腎の自分自身がそれをなおざりにしていたことに気がついた。もうやられているかもしれない。  からだを動かしかけたが、自由にならない。見ると、自分のからだは完全に何かに包み込まれてしまっている。一体どうして……。  バリウム軟膏《ペースト》だ。  アマルフィが展望台を離れられないことを察したへイズルトンが、バリウム防毒服を着せようとしたが、それもだめとわかって、その代わりに軟膏《ペースト》を塗りたくったらしい。目までが透明な目覆《めおお》いで保護されていた。鼻の孔がふくれあがるような感じのするのは、呼吸のたびに空気がコールマン式バリウム濾過器《フィルター》を通ってくるせいだった。  ガスの方はそれでかたがついた。海賊都市の中でも外でも、重苦しい緊張が高まり続けていた。間もなく、それは我慢のできない所まで行きつくことだろう。上空の、ヒー星をまわる空雷の軌道のすぐ外側には、警察の巡洋艦隊の最初の数隻が姿を見せ、ジリジリと高度を下げにかかっていた。慎重をきわめた操縦ぶりだった。  ジャングルの中の戦闘は、すでに意味をなさないほど支離滅裂の物となりはてていた。宇宙の無宿者に女達をさらって行かれて、ヒー星人同士では全く戦意を失ってしまっていた。不法都市《バンディット・シティ》も文明都市も、ファブル・スートとその同盟軍を打ち破ることしか頭にはなかった。その敵を、ファブル・スートはかなり長い時間にわたって撃退することができた。  しかし、どう見ても今こそは海賊都市《ビンドルスティッフ》の出発のチャンスだった──楽しくめずらしいヒー星人の女達と、不老長寿薬と、ゲルマニウムと、そのほかやっきになってかき集めたあらゆる物資とを土産に、この星を飛び立つ時だった──地球の警察がヒー星を包囲しないうちに、ふたたび〈リフト〉へ出て行く絶好の時機だった。  だしぬけに、海賊都市の周りの重力場が強くなった。その遠隔作用で、アマルフィは頭に痛みを感じた。海賊都市は沸騰する泥の湖から上昇し始めた。いよいよ飛び立とうとしているのだ。やがて、その都市は空を蔽う空雷の傘にあいた、海賊どもにしか見えない隙間を通り抜けて行くだろう。  アマルフィはボタンを押した。この場合には、ボタンは一つだけだった。そのただ一つのボタンが、必要な全ての物につながっていた。 『|引っ越し日《ムーヴィング・デイ》』が始まった。  ヒー星のそれぞれの基点の柔らかな土をつらぬいて、目のくらむばかりに白く輝く、直径四十マイルの大円柱が六本立ちのぼるのと一緒に、『|引っ越し日《ムーヴィング・デイ》』は始まった。  基点の一つは、あたかもファブル・スートの位置にあたっていた。その不法都市《バンディット・シティ》は一瞬のうちに灰燼《かいじん》と化し、黒いめくれあがったような灰のかけらが、白熱した円柱の頂上を彩っていた。  円柱はうなり声をあげて、五十マイル、百マイル、そして二百マイルの高空に突きささり、極点に達すると、その頂上はポップコーンのようにはじけてふくれた。ヒー星の空には鋼鉄《はがね》の隕石が青白く燃えさかった。その外側では、史上最大のスピンディジー場によって軌道からはじき飛ばされた宇宙空雷が、〈リフト〉のかなたへ逃《のが》れ去った。  そして隕石が燃えつきると、太陽は次第に大きくなった。  ヒー星はスピンディジーに乗って走っていた。その磁気|能率《モーメント》は運動量《モーメンタム》となってあらわれた。それは、かつて空を飛んだ最大の|渡り鳥《オーキー》『都市』だった。  不安をおぼえる暇もなかった。アッという間もなく通りすぎた太陽は、その事実を飲み込めずにいるうちに早くも点ほどに小さくなり、それから見えなくなった。〈リフト〉の遠い壁がふくれあがり、一つ一つの光の点が見分けられるようになった。  惑星ヒーは〈リフト〉を横切って飛んでいた。  あっけにとられながら、アマルフィはせめてスピードの程度をでも理解しようとつとめた。できなかった。ヒー星は運動している。理解できたのはそれだけだった。  その大きさの『都市』ならば当然といっていい巡航速度で運動している──速度の単位である光年を、まるで羽虫のように飲み込んでしまう速度で運動している。そのような運動を自由自在にあやつろうとは、考えることさえバカげたことだった。  無数の星が螢のようにヒー星をかすめ始めた。すでに〈リフト〉の対岸に達していたのだった。惑星ヒーは曲線を描きながら、次第に主星雲から離れて行った。やがて、全ての星があとになった。  |受け皿《ソーサー》の形をした銀河系宇宙の表面がながめられるようになった。 「市長! われわれは銀河系宇宙を離れようとしています! ほら──」 「わかっている。〈リフト〉から充分に離れて、もう一度その全貌をながめられるようになったら、ヒー星の昔の太陽の位置を求めてくれ。その時機を逃がすと手連れになる」  へイズルトンは死にもの狂いで働いた。三十分しかかからなかったが、そのあいだにも銀河系宇宙ははるかに遠ざかり、長い灰色の裂け目〈リフト〉は、キラキラと輝く星の群を背景《バック》にますますはっきりと見えてきた。  そのはずれのヒー星の太陽は、わずかに十分の一光度の一つの点にすぎなかった。 「位置は求められた、と思います。しかし、今さらこの惑星をあと戻りさせることはできません。次の銀河系宇宙に行きつくまでには数千年かかります。いい加減にヒー星を見棄てないと、われわれもだめになってしまう」 「よし。空へ舞いあがろう。全速駆動だ」 「しかし、契約が──」 「それは満たされた──わたしのいうことを信用して欲しい。駆動始め!」  市はいきなり飛びあがった。  市の空には、ヒー星が次第に小さくなって行く、そんな光景は見られなかった。宇宙空間の中へ、あっさりと消えてしまった。ミラモンは、もし生きていれば、全く新しい開拓者人類の最初の一人となることだろう。  アマルフィは司令室へ戻った。歩いて行くと、かたまったバリウム軟膏の皮が割れてからだから落ち散った。市の空気にはまだホークサイトの臭気が残っていたが、ガスの濃度は市の清浄装置の働きで、すでに有害な水準以下にさがっていた。  市長は、市の飛行をヒー星と市自身の合成速度《ベクトル》から切りはなし、ふるさとの銀河系の方へ向け直し始めた。  へイズルトンは落ちつきなく身じろぎした。 「良心がとがめるのか、マーク?」 「たぶんね。われわれの契約には、ミラモンをこんな風に見棄てることを認める免責条項があるんですか? あるとすると、わたしは見逃したわけだ。あの細かな活字をずいぶん綿密に読んだつもりだったが」 「いや、免責条項などはない」アマルフィは操縦桿を一ミリか二ミリほど動かしながら、上の空のように一つ。「しかし、ヒー星人が悪い目に会うようなことはあるまい。熱と大気の損失はスピンディジー遮蔽《スクリーン》で防がれる──火山活動は、気温をおそらくはいくぶん暑すぎるほどに保つし、あの連中の技術は、必要な光を自分で作り出すことができる程度には達している。しかし、あの惑星をジャングルが満足するほどたっぷりと照明することは、とてもできるものではない。ジャングルは死に絶えるだろう。  ミラモンとその仲間達が、アンドロメダ星団の中の適当な星にたどりつく時分には、かれらもスピンディジーを充分に理解して、自分達の惑星を正しい軌道に戻すことができるようになっているだろう。さもなければ、そのころには放浪することの方が好きになって、|渡り鳥《オーキー》惑星になることを決心するだろう。  いずれにしろ、われわれは約束した通り、ジャングルを征服してやった。立派なものだ」 「われわれは代金を受けとらなかった。それに、われわれ自身の銀河系宇宙まで戻るには、莫大な燃料が必要です。海賊都市はわれわれより先に離陸し、われわれを出し抜いて、警察の力の及ばない距離に逃げてしまった──しかも、連中はゲルマニウム、薬品、女達、無燃料駆動、そのほかあらゆるものをどっさり抱えこんでいます」 「いや、そんなことはない。あの連中は、われわれがヒー星を動かした瞬間に吹き飛んでしまった」 「なるほど」  へイズルトンはあきらめたような口調だった。 「あなたはわたしの及ばない所まで見通すことができるのだから、おっしゃることはそのまま信用することにします。しかし、やっぱりできるなら説明してくださいよ!」 「いや、何も説明しにくいわけではないがね。海賊連中はビートル博士を手に入れた。確かに手に入れたに違いない。いずれにしろ、連中がわざわざヒー星にやってきた理由は、それ以外に考えられない。  連中は無燃料駆動の技術が欲しかった。そして、われわれと同じように農業都市《アグロノミスト》のSOS放送をきいて、ビートル博士がその技術を持って避難したことを知った。そこで、連中は着陸すると早速、ビートル博士を奪いとった──連中と手をむすんだ不法都市《バンディット・シティ》のやつらが、救命艇を迎え撃ってどんなに大騒ぎをして見せたか、それは君もおぼえているはずだが、その実、あれはそんな物に関係のない別の救命艇で、われわれを牽制するための作戦だったのだ──その暇に、連中は博士をおそらくはタンクに入れたまま痛めつけて、秘密を吐かせた。ところが──」  アマルフィは少し間をおいて、ことばを続けた。 「海賊連中はどの|渡り鳥《オーキー》都市にも、つねにビートル博士のような便乗客があるものだということを忘れていた──そのような人物は偉大なアイディアを持ってはいるが、そのアイディアはまだ完成にはほど遠く、それを完成させて実用化するには、どうしてもほかの世界の文化の助けを借りなければならない。  要するに、あわよくば住人の知識の程度が自分よりもはるかに低いどこかの惑星で、ひと山あてようとねらう、いわば三流の人物ででもなければ、|渡り鳥《オーキー》都市に便乗したりはしないのだ」  へイズルトンはくやしそうに頭をかいた。 「確かにそうですね。われわれも、リル星の|不 可 視 機 械《インヴィジビリティ・マシン》で同じような経験をしました。あれは、われわれがシュロッス博士をこの市に迎えるまでは、どうにも物にならなかった」 「その通りだ。海賊都市《ビンドルスティッフ》の連中はあせりすぎた。せっかく盗みとった無燃料駆動装置を、それを完成させることのできる文化のさがし出せるまで持ちこたえなかった。すぐに使ってみようとした。連中は不精だった。こともあろうに、史上最大といっていいスピンディジーの場の内部でそれを使おうとした。どうなったか? 爆発してしまった。  わたしはその爆発を感じた──思わず背すじが寒くなった。もし、われわれが、あの瞬間に先に離陸した海賊都市からあれだけ離れていなかったとしたら、ビートル博士の駆動装置はヒー星を道連れにして吹き飛ばしていたことだろう。全く、不精をきめ込んでいては、何の得《とく》にもならないということだ、マーク」 「誰が得になるといいましたか?」  へイズルトンは口をとがらせた。  しばらく考えてからかれは、市が自身の属する銀河系宇宙に再進入する宇宙位置の計算にかかった。計算で出たその位置は〈リフト〉からはるかに遠く、そのあたりの様子を、昔のおぼろげな記憶をたどって無理にも思い出してみると、かなり地球人の住んでいる区域のようだった。 「ごらんなさい。どうやらわれわれの行きつく先は、回教の坊さん達が最後にいくつかの植民の波を操り出した、あのあたりのようだ──例のメッカ詣《もう》での夜をおぼえていますか?」  アマルフィはまだ生れていなかったから、おぼえているわけもなかったが、市の支配人のいうその事件の歴史は思い出した。 「それは好都合だ。わたしはこの市を修理工場に入れて、あの二十三丁目の機械をとことんまで修理させることにしたい。いざという時になると、きまっていかれてしまうあの機械には、いい加減うんざりさせられた。もうすっかりおしゃか[#「おしゃか」に傍点]になりかけている。あの音はなんだ?」  へイズルトンは熱心に頭をかしげた。  静まりかえったなかで、アマルフィは、突然、戸口にディーの立っているのを見た。顔あてだけははずして、全身はまだすっかり防毒服に包まれている。 「終ったの?」ディーはたずねた。 「そうだな、われわれのヒー星滞在は終った。しかし、われわれの逃避行はまだ終ったわけではない。警察の連中は決してあきらめないからね、ディー。君もいずれはそれがわかるようになるだろう」 「わたし達、どこへ行くの?」  その問いを、ディーはずっと以前に、「ボルトって、何のことなの、ジョン?」と訊いたあの時と同じ口調でたずねた。その声を聞いた瞬間に、アマルフィは自分でも思いがけなく、何かの口実を作ってへイズルトンを部屋から追い出したい衝動に圧倒されそうになった。  この女が何一つ知らなかったその昔に立ちかえって、今までに彼女のたずねた全ての問いを復習したくなったのだ──あの頃には、自分も適切な返答をしてやれた。  今のこの質問には、もちろんのこと、本当の意味での答えのあろうはずはなかった。  |渡り鳥《オーキー》がどこへ行くだろう? どこかへ行く、それだけなのだ。目的地という物があるにしても、それは誰にもわからない。  アマルフィはこみあげる激情に平然と耐えた。そのあげくに、両方の肩をすぼめて見せただけだった。 「ところで、作戦予定日はいつだね?」  へイズルトンは時計に目をやった。 「Mプラス一一二五です」  アマルフィは横目を使って、ヒー星に滞在中に投げ棄てた自分のヘルメットを捜しあてると、身をかがめて拾いあげ、頭にのせて〈シティ・ファーザーズ〉のスイッチを入れた。  ヘルメットの受話器が不安におびえた甲高い声を出した。 「よしよし」アマルフィは不機鎌な口調でいった。「いったいどうしたというのだ?」 「アマルフィ市長、君ハ、アノ惑星ヲ見棄テタノカ?」 「いや、そうではない」アマルフィは一つ。「われわれはあの星の行くがままに行かせたのだ」  短い沈黙があって、計算機の作動する音がかすかに聞こえた。別に異常もなさそうだった。  機械はしばらくスイッチを切ってあった。それまで数世紀ものあいだ、一度も休んだことはなかった。だから、あらためてスイッチを入れ直した今は、少しは正気をとり戻しているだろう。 「ソレナラバヨロシイ。ワレワレハ〈リフト〉ヲドコデ離レルカ、ソノ位置ヲエラバナケレバナラナイ。ソレガ決定サレルマデ待チタマエ」  へイズルトンとアマルフィは、顔を見あわせてニヤリとした。 「われわれは、回教の僧侶達の最後に植民したアコライト星団をめざして進んでいる。やがて、〈スピンディジー〉の安全限界を超えて減速しなければならなくなるだろう。われわれは、二十三丁目の駆動装置を修理しなければならない必要に迫られている。その区域の現在の社会情勢について、情報を欲しいのだが──」 「君ハ、マチガッテイル。ソノ星団ノ位置ハ〈リフト〉ノ附近デハナイ。ソレニ、ソノ星ノ住人ハ、古クカラ異邦人嫌悪症《クセノフォビア》デ知ラレテイル。ダカラ、ソンナ星ニハ近ヨラナイホウガイイ。ソレヨリモ、〈リフト〉ノ対岸ノ様子ヲシラべテミヨウ。シバラク待チタマエ」  アマルフィは静かにヘルメットを脱いだ。 「〈リフト〉の対岸か」  そうつぶやきながら、かれは口もとからマイクロフォンをはずした。 「遠い遠い昔のことだ──はるかに彼方のことだ」 [#改ページ]     3 マーフィー  工合《ぐあい》の悪くなったスピンディジーというものは、銀河系でもほかに類のない神経にさわる音を立てる。  その音の振動数の一番高い部分は耳には聞こえないが、何本もの歯が一度に痛くなったように頭にこたえる。そのすぐ下には、金属を引き裂くような甲高い音域があり、そこから切れ目もなく滑らかに、板ガラスとスレートと丸石を一緒くたにして落す滝を思わせる中音域につながる。  そのあと、音のスペクトルには息詰まる空白が置かれ、それからふたたび|恐 竜《ダイノサウルス》のすすり泣きのような、丸くうつろな音が耳に入り、そのまま不可聴音域に移って、最後はそれを感じる人に下痢をもよおさせ、どうしても親指を噛まずにはいられない衝動を起こさせる振動数に終る。  音源はもちろん、二十三丁目のスピンディジーだが、その音は全市にあまねく行き渡っていた。  壊れかけた駆動装置をおさめてある船倉《ホールド》が密閉されている限りは、その騒音には耐えることができた。アマルフィも軽々しく船倉を開けるようなことはしなかった。機械の故障は計測器を使って調べ、それも、用心深く聴覚関係の回路は切っておいた。司令室はかなり遠かったが、そこまで市の壁を伝わってって届く振動だけでも、ひどいものだった。  アマルフィの左の肩ごしにへイズルトンの手が延びて、長い指が記録温度計をさした。 「煙りが出始めていますよ。まさかここまで持ちこたえるとは思わなかった。あれは、この市に据えつけた時に、すでに二百年|経《た》った古物だった──ヒー星で修理をしたとはいうものの、あんなのは応急の間に合わせにすぎなかった」 「どうすればいいだろう?」アマルフィは振り返りもせずに問いかけた。  市の支配人が何を考えているか、それは手にとるようにわかっていた。自分の分身といってもいい相手だった。二人は永いあいだ一緒に暮した。その永いあいだには、学ぶということが何を意味するかを学んだ。習慣が第二の天性であるのと同様に、天性──偶然を、意図を持った行為にみちびく七つの段階──が、実は最初に身についた習慣にほかならないことを知った。  アマルフィの右の肩に置かれた手が、この瞬間に相手について知る必要のある全てのことを、何から何まで伝えてくれていた。 「その機械を停止させるわけにもいかない」 「停止させなければ、それこそ爆発してしまう。船倉はもう熱くなっています」 「熱くなって、猛烈に吠え立てている……一分間ほど考えさせてくれ」  へイズルトンは待った。やがて、アマルフィが口を開いた。 「このまま押すことにしよう。〈シティ・ファーザーズ〉にしても、この程度に動力を供給できるのなら、もうしばらくは保《も》たせられるだろう。正常な巡航速度に戻るまではそれで間に合うかもしれない。それに──あのスピンディジーをもう一度応急修理しようにも、それはできない相談だ。そこらじゅう放射能だらけになっている。命令を下せば、〈シティ・ファーザーズ〉には運転を停止することもできるだろう。しかし、機械を修理し調整し直すには、どうしても人手が要る。それにはもう遅すぎる」 「一年前なら、あの船倉に入っても生命《いのち》には別状がなかったでしょうがね」  へイズルトンは陰気にうなずいた。 「わかりました。現在の市の|速 度《ベロシティ》は?」 「銀河系宇宙全体に対してはほとんどゼロに等しい。しかし、アコライト星団そのものだけを考えれば──今ここで減速を中止してそのまま突っ走ると、市の最高速度の約八倍の速さでその星団を突破することになる。こいつはのっぴきならないことになりそうだな、マーク」 「ごめんなさい」うしろでディーの声がした。  昇降通路《リフトシャフト》の出口で、入ろうか入るまいかとためらっている。 「何かあったの? 忙しければ、わたしは──」 「いつもより忙しいってこともないさ」へイズルトンがこたえた。「例の坊やがどうしたかなと思っていただけなんだ」 「二十三丁目の機械のことね。あなたの背骨の曲り工合からわかってよ。なぜ、それを取り換えないの?」  アマルフィと市の支配人とは顔を見合あわせてニヤリと笑ったが、市長の笑顔は長続きしなかった。 「なるほど、なぜ、取り換えないのだ?」 「しかし、市長、費用が大変です。そんなことをいい出しただけで、〈シティ・ファーザーズ〉にこっぴどくやっつけられますよ」  へイズルトンはとんでもないことを訊くものだという顔でヘルメットを頭にのせると、マイクロフォンに向かって、声を出した。 「財政報告を」 「〈シティ・ファーザーズ〉も、今まで、自分達だけの責任であの機械を最高超光速度で運転する必要にせまられたことはなかった。だから、きっとそのうちに一年間飲まず食わずに通してでも、あれを取り換えろと、やかましくいいだすだろう。それに、そのくらいの金《かね》はわれわれにもあるはずだ。われわれはヒー星の軸を修正する作業のあいだに多量のゲルマニウムを採掘した。全く今をおいては、機械の取り換えの実行できる時はないかもしれない」  ディーが小走りに進み出た。目の中に小さな光の点が動いていた。 「ジョン、ほんとにできるの? わたし、ヒー星人との契約で、わたし達はずいぶん損をしたと思ったんだけど」 「確かに、われわれは金持ではない。もし、不老長寿の薬草をある程度の規模で収穫できていたとしたら、われわれも金持になっていたはずだ、と、わたしは今でもそう確信している」 「だけど、収穫できなかったわ。何をおいても逃げなければならなかったのだから」 「われわれは逃げた。しかし、ゲルマニウムだけを問題にすれば、われわれもそれほど貧しくはないといえる。新しいスピンディジーを買い入れることのできるほどの物は手元にある。そうだな、マーク?」  へイズルトンは、それからもしばらく〈シティ・ファーザーズ〉に耳を傾けた上で、マイクロフォンをはずした。 「そうのようですね。いずれにしろ、分解修理《オーバーホール》の費用ぐらいは、わけなくまかなえます。いや、中古の新型機を手直しした再生品でも買えないことはなさそうだ。それも、アコライト星団にサービス惑星があるかないか、あるとすれば修理代がどの程度のものかということによりますがね」 「代金はわれわれにも充分に支払えるほど安いはずだが」  アマルフィは考えごとをするように、下唇を突き出した。 「メイラー系の反地球運動を逃がれた難民達のたまり[#「たまり」に傍点]場となったのがアコライト星なのだが、もともとそこが植民されたのは、あれは確か、ヴェガ星の滅亡の余波だった。あの運動の記録は、ほとんどの惑星の図書館にある──マーク、君が思い出させてくれたあのメッカ詣《もう》での夜だが──それは、アコライト星団が正しい意味で辺境といえるほどには、通常の交易圏から遠く離れていないことを意味することばなのだ」  アマルフィは話をとぎらせた。しかめた顔のしわが深くなった。 「いま思い出したことだが、アコライト星団は、かつて銀河系宇宙の、この区域における動力源金属のそれほど豊富ではないが重要な供給源であった。だから、その資源に依存する修理惑星が、少なくとも一つはあるはずだ、マーク。うまくいけば、この市のかせぎになる仕事もあるかもしれない」 「よさそうな話ですね。よすぎるぐらいだ。しかし、本当のところ、われわれはいやでもアコライト星団に腰を据えないわけにはいきませんよ。二十三丁目の機械が、そこから先はかたつむり[#「かたつむり」に傍点]ほどの速度でしかわれわれを運んでくれそうにありませんからね。財政状態を調査するついでに〈シティ・ファーザーズ〉にたずねてみました。あの機械ではその星団まで行きつくのが、せいいっぱいです」  へイズルトンの声がくたびれていたので、アマルフィは顔を見た。 「マーク、君が心配しているのは、そんなことではなさそうだ。その問題なら、これまでにでも、いつかはどこかで起こるものとして、つねにわれわれにつきまとっていたし、決して解決の困難な問題でもない。君が本当に気にしているのはどういうことなのだ? 警察のことかな?」 「そうです、警察のことなんだ」へイズルトンは少しすねたようにいった。「この市の名を知っているどの警察の連中からも、われわれは途方もなく遠く離れてしまっているということはわたしも承知していますよ。しかし、われわれの負わされている未払いの罰金が、総額どのくらいになっているか、あなたにはその見当でもつけられますか? それに、たとえどれほど遠く離れていようとも、警察が、本気でわれわれを逮捕するつもりだとすれば、その距離が『遠すぎる』から追ってくる心配はない、とたか[#「たか」に傍点]をくくっていい理由はどこにもありません──しかも、警察は本気らしい」 「どうして、マーク?」ディーが口を出した。「だって、わたし達は何も重大な罪を犯していやしないじゃないの」 「小さな罪が積み重なっているんだ」へイズルトンがこたえた。「永いあいだ、違反事件について召喚状を受けとっても、出頭せずにほったらかしておいた。逮捕されたらその罰金を全部まとめて、いちどきに払わなければならない。今そんなことになりでもしようものなら、われわれは破産してしまう」 「そんなこと!」  多少の遅速はあっても、比較的最近に市民権を与えられた人達は誰でもそうなのだが、ディーも自分の選んだ都市国家の能力に対する信頼は、果てしもなく大きかった。 「わたし達、その気になれば仕事を見つけて、新しい財源を積み立てることができるわ。しばらくは辛いかもしれないけど、きっと我慢できてよ。これまでにだって、破産して立ち直った人達がいるじゃないの」 「人は立ち直れるが、都市はそうはいかない」アマルフィがこたえた。「そこはマークのいう通りなのだ、ディー。法律によれば、破産した都市は解散しなければならないことになっている。これは本質的に人道的な法律であって、それが守られればこそ、やけ[#「やけ」に傍点]をおこした市長と支配人《マネージャー》が、性《しょう》こりもなく破産した都市を長途の出かせぎ旅行に駆り立てるという弊害も防がれる。そんな暴挙を許せば、責任者が頑固なばかりに、その都市に住む|渡り鳥《オーキー》の半数が死んでしまうという悲惨事も起こりかねない」 「その通り」へイズルトンも相槌を打った。 「それはそうであっても、やっぱり君の心配は杞憂《きゆう》だと思う」  アマルフィの口調は穏やかだった。 「わたしも事実は認めるよ、マーク。しかしその事実を勝手に拡張解釈して、それを押しつけられるのは困る。警察の連中が以前にヒー星のあった所から、ここまでわれわれを追ってくるとはまずまず考えられない。われわれ自身でさえ、自分達の行先きがアコライト星団だとは知らなかった。警察がヒー星と別れてからのわれわれの航程はいわずもがな、ヒー星自体のコースをさえもたどることができたかどうか、すこぶる疑わしい。そうじゃないかね?」 「もちろんそうです。しかし──」 「それに」アマルフィは静かなうちにも相手に容赦を与えずにことばを続けた。「地球警察がつまらない事件の起こるそのたびに、宇宙の、残らずの地方警察に犯人の指名手配をまわす、そんなことをすれば、どの地方の警察も本来の職務を執行できないことになる。人の住む百万にあまる惑星から、絶え間もなく舞いこんでくる指名手配を記録し整理し照合するだけで手いっぱいで、その地方の犯罪者の大多数は大手を振ってまかり通り、次から次へと星を渡り歩き、行く先々の人の住む星の警察に迷惑をかけることになってしまう。  だから、マーク、ここらあたりの警察の連中は、われわれのことなど噂に聞いたことさえないに違いない。われわれも、これでやっと追われることのないまともな生活に戻ろうとしている。それだけのことだ。アコライト星の警察が、われわれを宇宙をさまよい歩く法律に忠実な|渡り鳥《オーキー》都市の一つとして扱ってくれない理由はどこにもない──要するに、われわれの実態はまさにその通りだということなのだ」 「なるほど」  うなずきながら、へイズルトンは胸のつぶれるほどの深いため息を吐き出した。そのことばもため息も、アマルフィの耳には入らなかった。  その瞬間に、それまで次第に近くなり、一つ一つの星の粒も見わけられるようになったアコライト星団を映《うつ》し出していた、大きなマスタースクリーンの全面に、目のくらむような鮮紅色の光がひらめき、警察笛の甲高い響きが司令室の空気をかきみだした。  警官達はそっくりかえって、足音高く踏み鳴らしながら|渡り鳥《オーキー》都市に乗りこみ、市庁舎のアマルフィの事務室にやってきた。まるで銀河系のこの辺境は、虚無の空間もろとも自分たちの持ち物だとでもいうような、傍若無人の態度だった。  しかし、かれらの制服は地球警察でおなじみの上下続いた作業衣《オーバーオール》──つまり、宇宙服の下着のような物──ではなかった。その代わりに、銀色のモールでけばけばしく飾り立てた黒い服に、つり紐つきの帯皮をしめ、ピカピカと光る長靴をはいていた。この窮屈な新型の衣裳に身をかためた、あごのひげの剃りあとの青い悪党どもは、アマルフィにメッカ詣での夜──だかなんだか、とにかく宇宙飛行の歴史の一コマとなったある事件──よりもかなり以前の一時期を思い出させた。  警官達は中間子《メゾン》ピストルを携帯していた。その重く扱いにくい武器は片手で支えることはできても、発射するには両手を使わなければならない。いずれにしろ、銀河系もはずれに近い星団でお目にかかれる小火器としては、最新型の物だった。古いといっても、一世紀ほど遅れているだけのことだった。それを持っているだけで、装備の点では、市よりもかれらの方が格段に近代的だった。  そのピストルは、ほかにもアマルフィにとってぜひとも知らなければならない、いくつかの事実を物語った。そうした種類の武器がこのあたりに存在するのは、ごく最近の時期に、アコライト星団が銀河系の星から星へ、文化の花粉を運びながら飛びまわる蜜蜂、|渡り鳥《オーキー》都市の一つと接触を持ったことを意味するとしか、ほかには考えようがない。  しかも、これだけの物があるからには、アコライト星団が、その長い期間に|渡り鳥《オーキー》都市とただ一回しか接触しなかったという確率は、それほど高くないと思われる。  中間子《メゾン》ピストルを、普通の警官にも携帯させられるほど大量に生産できるような技術基盤を築きあげるまでには、長い年月がかかっている。そのピストルをとにかくも採用することができるようになるには、さらに長い年月が他種の技術文化とかなり頻繁に接触することに費やされなければならない。  したがって、そのピストルの存在は、この星団がほかの|渡り鳥《オーキー》都市と、異常に頻繁な接触を保っていることを意味する。それは、とりもなおさずアマルフィの見当をつけたように、どこかに修理工場《ガレージ》惑星があるに違いないということなのだ。  そのピストルはもっとほかに、アマルフィにして見ればそれほど好ましくない事実をも物語った。中間子《メゾン》ピストルは必らずしも優れた対人武器とはいえない。  むしろ、それは破壊的な作戦用としてはるかに適した火器なのだ。  警官達はアマルフィの事務室に入ってきてからも、あいかわらずそっくりかえっていたが、足音をうまく響かせることはできなかった。それには部屋に敷きつめたカーペットが厚すぎた。アマルフィは公式の場合でなければ、この大きな黒マホガニー作りのデスクをはじめ、骨董品級の家具のそろった、古めかしいぜいたくな事務室を使うことはなかった。勤務中には司令塔にいるのが普通だったが、そこは市民以外には立ち入りを禁じていた。 「君たちの専門は何だ?」警部がへイズルトンに向かって吠えるような声を出した。  デスクのそばに立ったへイズルトンは、自分ではこたえずにアマルフィの坐っている方へ頭をしゃくって見せただけで、デスクのうしろの大きなスクリーンに目を向け戻した。 「君がこの市の市長なのか?」警部はたずねた。 「さよう」  アマルフィは口から葉巻を離して、警部の顔をまともに睨みつけた。虫の好かない相手だった。尻が大きすぎる。ビール樽のようなからだつきになりそうな気配が見えたら、その当人はよっぽど気をつけなければいけない。  とにかくアマルフィは、こんな尻の大きいこま[#「こま」に傍点]のような形の人間が気に喰わなかった。 「よろしい。では質問にこたえたまえ、肥《ふと》っちょ君。君達の専門は何だ?」 「石油地質学ですが」 「それは嘘[#「嘘」に傍点]だ。今君の相手にしているのは、4Q型の田舎くさい孤独な小惑星ではない。れっきとしたアコライト星団だ」  へイズルトンが何となく当惑した面《おも》持ちで、突き刺すような視線を警部に向け、それからまた、その目を手頃な距離には全く星の影を映し出していないスクリーンに戻した。  その|わき芝居《バイプレイ》も手ごたえはなかった。 「|渡り鳥《オーキー》連中の専門が石油地質学などと、そんなことのあるはずはない」警部はことばを続けた。「君達は石油を採掘し、それを分解して食糧を作る方法を知らなかったら、一人残らず飢え死にしているだろう。さあ、正直にこたえるんだ。さもないと君達を宿なしの浮浪者と認めて、強硬な手段に訴えるぞ」 「われわれの専門は石油地質学です」  アマルフィの口調は落ちついていた。 「もちろん、空へ舞いあがってからは、われわれも副業を始めました。しかしそのほとんどは、われわれの専門とする石油地質学から自然に派生した仕事でした。われわれは原料の欠乏した惑星のために、石油資源をさぐり開発しました」  アマルフィは葉巻をじっと見つめてから、それを歯のあいだに戻した。 「ところで、警部、あなたはわれわれを浮浪の罪で脅しているが、それは無駄なことです。あなたも承知しているはずだが、浮浪を罪とすることは憲法の第一条によって明確に禁じられています」 「憲法だと?」  警部は声をあげて笑った。 「君のいうのが地球憲法のことならば、われわれは地球とはそれほど接触がない。ここは、アコライト星団なのだ、わかるね? 次の質問。君達には金《かね》があるのか?」 「充分にあります」 「充分とはどれだけのことなのだ?」 「あなたの知りたいのが、われわれに運転資金があるかないかということなら、あなたがたの方式に基いて計算に必要なデータを与えてやれば、〈シティ・ファーザーズ〉が法的なイエスまたはノーの解答を出してくれます。その解答がイエスであることは、ほとんど間違いがありません。もちろん、われわれにはあなたにわれわれの利潤総額を報告する義務はありません」 「わたしに向かってそんな宇宙弁護士のような口をきくことはない。わたしの望むのは、この区域を立ち去ることだけだ。もし君達が金《かね》を持っているならば、わたしは君達を釈放することができる──ただし、君達がそれを合法的に入手したとしてのことだ」 「われわれは、その金をここからかなり離れたヒーという星で手に入れました。われわれはヒー星人にやとわれて、かれらの悩みの種であったジャングルを一掃したのです。われわれはその星の軸を修正して、それをやってのけました」 「なるほど? 星の軸を修正したというんだな、え? そいつは大仕事だったに違いない」 「その通り」  アマルフィはまじめな顔でうなずいた。 「われわれは、ヒー星に鋼鉄の枠をはめて補強しなければならなかった」 「たいしたもんだ。君達の〈シティ・ファーザーズ〉は、その契約書を見せてくれるだろうね? それならばよろしい。ところで、君達はどこへ行くつもりなんだ?」 「修理工場です。故障したスピンディジーがあります。修理を済ませたら、また出て行きます。あなたがたの様子を見ると、あなたがたは石油を頼りに生きていた時代をもうずっと昔に通りすぎてしまったらしい」 「そうとも、君達はこの辺境区域は文化が遅れていると聞いているに違いない。そんな星もあるが、われわれは違う。われわれの星はかなり近代化されている。ここはアコライト星団だ」  急に警部は、自分の立場がいつの間にかなくなってしまっていることに気がついたようだった。声がまた無愛想になった。 「いずれにしろ、君のいうことに不審はないようだ、|渡り鳥《オーキー》君。通行を許可する。ただし勝手に行先きを変更しないように。寄り道をしてはいけない。わかった な? 行動に充分気をつけるならば、わたしも何かの時には君に手を貸すことができる」 「なかなかご親切なことで、警部。せいぜいご迷惑のかからないように努めますが、どうしても必要な場合には、どこのどなたをおたずねしたらいいでしょう?」 「第四十五辺境防衛隊のラーナー警部だ」 「わかりました。ああ、それからお別れする前にちょっと。実は、わたしは勲章のリボンを集めています──いや、誰にでも道楽はあるものでしてね。あなたの着けておられる中で、そのロイヤル・ヴァイオレット色のやつは全くめずらしい──これでも、わたしは玄人《くろうと》なんですがね。どうです、それをわたしに売っていただけませんか? なにも勲章その物をよこせといっているわけではありません──リボンぐらい、また交付してもらえますよ」 「さあ、どうかな」  ラーナー警部は、自信のなさそうないい方をした。 「規則に反するし──」 「わかっています。もちろん、そのために罰金を払わなければならないことになるとしても、それを償うだけの物はさしあげる用意があります。(マーク、五百オックドルの小切手をとり寄せてくれないか?)あなたが生命《いのち》を賭けて手に入れた勲章の代価として充分な額を支払うことはとてもできませんが、なにぶん、われわれの〈シティ・ファーザーズ〉が、今月の道楽の費用として五百オックドルしか認めてくれませんので。何とかそれを頂戴するわけにはいかないでしょうか?」 「まあいいだろう」  警部は無器用な、しかし熱心な手つきで、自分の服のポケットの上の方からむらさき色の薄れた陰気くさいリボンをはずして、デスクの上に置き、一息つくほどの間をおいて、へイズルトンのだまって差し出す小切手を受けとると、あらためもせずにそのままポケットにしまい込こんだ。 「では、くれぐれも決められたコースを勝手に変更しないように注意してくれ、|渡り鳥《オーキー》君。さあ諸君、われわれは船に戻るとしよう」  三人の警官はおっかなびっくりの物腰で、昇降通路《リフトシャフト》に入り込むと、不安を押し隠した厳しい表情になりながら、|摩 擦 場《フリクション・フィールド》の中をすべり降りて見えなくなった。  アマルフィはニヤリと白い歯を見せて笑った。質量ヴァレンスの原理も、その原理を応用した摩擦場発生器《フリクショネーター》そのほかの装置も、まだ一般には知られていないらしい。  へイズルトンは昇降通路《リフトシャフト》まで歩いて行って、下の方をのぞいて見てから、市長《ボス》に話しかけた。 「市長、そいつは善行章のリボンですよ。今から三百年ほど前に、地球の警察はそいつと同じ物を、三日続けて起床ラッパと一緒にとび起きることのできた新米《しんまい》の連中誰かれとなしに、何万とくれてやりました。そんな物が、いつから五百オックドルもの値打ちがするようになったんです?」 「今だってそんな値打ちはないさ」アマルフィは静かな口調でいった。「しかし、あの警部殿は袖の下を欲しがっていた。人に袖の下を使う時には、相手から何かを買うように見せかけるのが、どんな場合にでも賢明なやり方だ。わたしは、警部殿が部下にも分け前をくれてやらなければならないだろうと察したからこそ、うんと高い値段をつけた。もし、わたしが袖の下を使わなかったなら、警部もわれわれの違反事件摘要書を見たいといい出していたに違いない」 「わたしもそれは考えました。それに前にも申しあげたことがありますが、われわれの摘要書は決してきれいすぎるというような物ではありません。しかし、それにしてもあれだけの金を出したのは無駄だったと思いますよ、市長。違反事件摘要書を見たければ、帰りがけになどでなく最初にそのことを持ち出すはずです。初めから口にもしなかったことからすると、そんな物にはもともと興味がなかったんですよ」 「確かに君のいう通りなのかもしれない」  アマルフィは葉巻を口に戻して、考えをこらすように吸い込んだ。 「わかったよ、マーク、それなら、何が目あてだったのだろう? 君の考えを話してみないか」 「それはまだわたしにもわかりません。しかし、どうにも解釈に苦しむのは、アコライト星団から十数光年もかけ離れたこんな所に、なぜああいう監視隊を配置しておかなければならないのかということです。なにしろあの連中は、われわれが法律の上でうしろ暗い人間なのかどうか──それどころか、われわれが海賊都市《ビンドルスティッフ》なのかどうか、そんなことにはまるで関心がないらしい。そういえば、われわれがどこの誰かということなど、訊きもしなかった」 「だからアコライト星団の連中が、ある特定の海賊都市の来訪を警戒していたという可能性はないことになる」 「そうです。であればこそ、ラーナー警部もあんなに気安く賄賂[#「賄賂」に傍点]を受けとったんですよ。本当に誰かきまった相手を捜している監視隊《バトロール》なら、その社会がかなり腐敗していたとしても、そう簡単に買収されたりはしない。とても考えられないことです」  アマルフィはスイッチのつまみ[#「つまみ」に傍点]をオフの方へ倒した。 「わたしもこんな場合に、〈シティ・ファーザーズ〉が少しでも役に立ってくれるとは思わない。今までの会話は残らず送り込んでおいたが、返ってくるのは金《かね》を使いすぎることについてのお小言《こごと》と、それに、わたしの見せかけの道楽に対する詰問ぐらいのものだ。話し手の声の調子から何かを察することなど、できたためしはない。いまいましいことだ! われわれは、マーク、何か大事なことを見逃している。わかってしまえば何でもないことなのだろうが、それを見逃してしまった。しかも、それが決定的に重要なことなのだ。今やわれわれは、一体どういうことなのか見当のつけようもないまま、ただまっしぐらにアコライト星団に向かって突進しようとしているのだ!」 「市長《ボス》」へイズルトンが呼びかけた。  その声の抑揚のない冷たさが、椅子に坐ったアマルフィをあわてて振り返らせた。市の支配人はまた大きなスクリーンを見あげていた。スクリーンには、アコライト星団のいくつもの星が、今ははっきりと一つ一つの点に分かれて映っていた。 「なんだ、マーク?」 「ほら──星団のずっとはずれの暗くなっているあたりをご覧なさい。見えますか?」 「うん、星のない空間が拡がっているようだが」  アマルフィは目をこらした。 「なるほど、あれは分光器的重星《スペクトロスコピック・ダブル》だ。ほかの成分と少し離れて、赤色|矮星《わいせい》が目立っているね」 「そうです、もう一息。今度は、その赤色矮星をもっとよく見てください」  そういわれてみると、そこに鉛筆の尻で捺《お》したほどの大きさに、緑色のにじんでいるのが見えてきた。スクリーンは、|渡り鳥《オーキー》都市が緑色に映るように色調を合わせてあるが、それにしてもこんなに大きな都市があるとは考えられない。その緑色のしみ[#「しみ」に傍点]は普通の太陽系|型《タイプ》の惑星系なら、すっかり蔽い隠してしまうほどの面積に拡がっていた。  アマルフィは、自分の大きな四角い前歯が葉巻をきつく噛んでいることは気がついていたが、手にとってみると、その葉巻は火が消え、二つにちぎれかけていた。 「都市だ」  つぶやきながら、かれはつば[#「つば」に傍点]を吐いた。しかし口の中の苦味は、タバコの噛み汁のせいではないようだった。 「それも一つではない。数百もの都市だ」 「その通り。それが正しい解答です、市長《ボス》。いや、正解に近いといった方がいい。あれはジャングルです」 「|渡り鳥《オーキー》都市のジャングルだ」  アマルフィは、軽率にその|渡り鳥《オーキー》都市のジャングルに近づくようなことはしなかった。大事をとって、市の速度を最高速以下に落すと、早速、オブライエンに命じて、偵察衛星《プロクシー》を発進させた。  やがて偵察衛星《プロクシー》は、奇怪な、しかも重苦しい光景を送像してきた。  渡り鳥都市の集まっているのは、アコライト星団のはずれから銀河系宇宙の内部の方へ、かなり入り込んだあたりだった。その区域にもっとも近い星は、へイズルトンの指摘したように三重星《トリプル》だった。それは二個のG星と一個の赤色矮星とから成り、アルファ・ケンタウルス系の重星とほとんどそっくりの構成だった。  ただ一つだけ違った点は、二個のG星がたがいに極めて接近し、この比較的近い距離からでも、視覚的にはディンウィディー回路《サーキット》によらない限り分離識別できない、いわゆる分光器的重星を形成しているのに、赤色矮星の方は、それだけがほかに星のない区域に孤立し、連れの星とは現在のところ四光年以上も離れていることだった。  そのちっぽけな、いわば熱を失った火のまわりに、三百以上の都市がひしめき合っていた。スクリーンの上では、無数の緑色の点が次から次へと、果てしもなく空間にあらわれ、たがいに追いこし追いこされながら、夢の中の小惑星の河のように矮星をめぐるそれぞれの軌道をめぐっている。  都市の密度は中央の太陽に近い部分がもっとも大きい。太陽といっても、その光輝は極めて弱く、へイズルトンが初めて都市のジャングルに気がついたときには、ディンウィディーの信号光線のために完全に消されていたほどだった。しかし、外側の軌道にもあとから到着した都市がまわっていた。いちばん外側の軌道をまわる都市は太陽から三十億マイル離れていた。それぞれの都市のスピンディジー遮蔽《スクリーン》が、たがいに接近するのを妨げているのだ。 「おそろしいわ」  ディーは喰いつくような目をスクリーンに注いでいた。 「あの海賊都市《ビンドルスティッフ》に出会ってからは、わたしだって渡り鳥都市がほかにもあることは知っていたけど。でも、あんなにたくさん! 銀河系全体に三百もの都市が飛びまわっていたなんて、思いもよらなかったわ」 「とんでもない見当違いだよ」へイズルトンはやさしい口調でいった。「最後に調査の行なわれた当時の|渡り鳥《オーキー》都市の総数は、約一万八千だった。そうでしたね、市長?」 「その通りだ」  アマルフィも、ディーと同様にスクリーンから目を離すことができなかった。 「しかし、ディーのいうこともわたしにはよくわかる。わたしも何だかおそろしいような気がするよ、マーク。何かの原因で、銀河系のこの区域では、経済のほとんど完全な崩壊が起こったに違いない。さもなければ、これだけの都市のジャングルのできるわけがない。|渡り鳥《オーキー》都市をおびき寄せて競争市場を作らせ、そこから自分達の必要とするわずかの数の人間を雇い入れようとたくらんだ、ずるがしこいアコライト星団の連中の仕業のようだ」 「いいかえると、最低の賃金でということになる。しかし、何のために?」へイズルトンは訊き返した。 「そこなんだがね。あるいは不況だかなんだか、とにかくそうした種類の打撃をこうむらない先に、自給自足の体制をととのえるために、星団全体を工業化しようと努力しているのかもしれない。いずれにしろ、今この段階で確信を持っていえるのは、新しいスピンディジーの据え付けが終ったならば、即刻ここを立ち去った方がいいということ、それだけぐらいだ。こんな所にはいい仕事もあるまい」 「さあ、どうでしょうか」  へイズルトンはそういいながら、ひょろながい、まるで|万能継ぎ手《ユニバーサルジョイント》でつながっているように見える手足を椅子の上にのさばらせた。 「ここで工業化が行なわれているとすると、不況に襲われているのは、ほかのどこでもなくここ[#「ここ」に傍点]だということになります。連中は生産過剰のために金《かね》の不足を来たしているかもしれない。製品の配給機構が、こうした沈滞した地方ではありがちなように円滑を欠き、まわりくどく、しかも不公正であるとすれば、なおさらのことです。量が足りなくて、値打ちのひどく高くなったドル通貨が使われていたりすれば、われわれの思う壺ですよ」  アマルフィは考えてみた。筋は通っているようだった。 「では、しばらく様子を見ることにしよう。君のいうことが正しいかもしれない。しかしそれにしても、一つの星団がたとえ最盛期の絶頂にあったとしても、三百もの都市を養っておこうなどとは、身のほどを知らない大それた望みだ。とてもできることではない。そのための技術の浪費は大変なものだろう──それに、|渡り鳥《オーキー》連中は金の不足している地方から逃げ出しこそすれ、そんなところへおびき寄せられたりするものではない」 「必ずしもそうとは限りませんよ。外《ほか》の世界が供給過剰の状態だとしたらどうです。地球のあの国家主義の時代のことを思い出してごらんなさい。芸術家など収入の低い人達は、その名は忘れましたが、ハミルトン主義の支配する大きな州を去って、通貨の価値の低いもっと小さな州に移り住んだものです」 「それは違う。そういう州の通貨は複本位制だったし──」 「ねえ、みなさん、わたしも議論のお仲間入りさせていただいていいかしら?」  ディーはためらうようないい方をしたが、その声には、なんとなく冷やかすような調子があった。 「なんだか少しばかりわからなくなってきそうなの。星団のはずれのこのあたりが、経済的に駄目になってしまっているとかって、そんなことはお二人におまかせするわ。ユートピア星では、売上げに対する利益は一定の率に凍結されていて、わたし達の覚えている限りずっとそうだったから、あなたがたの話していらっしゃることが理解できなくても、無理はないかもしれないわね。でも、そこの経済状態がインフレーションであろうがデフレーションであろうが、新しいスピンディジーが手に入れば、好きな時に出て行けばいいのよ」  アマルフィは重々しく頭を振った。 「それがわたしにはこわいのだよ、ディー。あのジャングルには数え切れないほどの都市があるが、その全ての都市の推進装置が故障しているとは考えられない。都合のいいときにいつでも行ける先があるのなら[#「いつでも行ける先があるのなら」に傍点]、なぜ、連中は、今までにそこへ行ってしまっていないのだ[#「今までにそこへ行ってしまっていないのだ」に傍点]? なぜ、連中は、まるでこの広い宇宙のどこにも仕事が見つからないというふうに、こんな神にも見棄てられたさびしい星団に寄り集まって、ジャングルを作っているのだ? もともと|渡り鳥《オーキー》の連中には、定着性もなければ社交性もないのに」  へイズルトンは、自分の椅子の肘かけを指でコツコツと叩き始めた。両方の目を軽く閉じている。 「金《かね》はエネルギーだ。しかし、だからわたしが金を好きだということにはならない。見れば見るほど、われわれの今置かれている立場は、どんなにうまく立ちまわっても逃れようのない窮境なのだという気がしてくる。われわれは、ヒー星にじっとしていた方がよかったかもしれませんね」 「そうかもしれない」  アマルフィは操縦装置の方へ注意を向け戻した。へイズルトンは頭を緻密に働かせた。しかし、その緻密さもどっちみち、間もなくその真相が明らかになるに決まっている自分達の立場について思い煩うことに、不必要に多くの時間を費やすことになるだけのことだった。  やがて、市はマーフィーという似つかわしくもない名のついた、修理工場のある星に近づいていった。星団の中の近接したたくさんの星のあいだをすり抜けて行くのは、市長自らが操縦桿を握らなければならないほど難しい仕事だった。もちろん、〈シティ・ファーザーズ〉にまかせておけば、たがいに反撥しあう重力場の間をあっちへすり抜け、こっちへすり抜けしながら、結局は無事に市をマーフィー星に着陸させることはできただろうが、それにはたっぷり一ヵ月はかかったはずだ。  へイズルトンにやらせたとしたら、それよりはまだ速く行けただろう。しかし、その航程は一分《いちぶ》のすきもなく〈シティ・ファーザーズ〉に監視され、計算によって定められた許容誤差範囲を少しでもはずれようものなら、たちまち操縦の自由を奪われてしまったに違いない。〈シティ・ファーザーズ〉の機能には、状況に応じて近道を選ぶこともできるというような融通性はなかった。  もちろん、〈シティ・ファーザーズ〉が、アマルフィのそれがあればこそかれを名パイロットたらしめている、空間距離と質量圧とを直覚的に判断する才能を正当に評価していたわけではない。しかし、そうかといって市長の職をやめさせるという最後の手段に訴えるのならばともかく、そのほかにアマルフィの自由を拘束する権限はなかった。  スクリーンに映るマーフィー星が大きくなってくると、司令室には続々と技術者達が集まってきて、三世紀以上も前から──最後の新しいスピンディジーが積み込まれて以来──ずっと切り離されたままになっていた手動操縦盤の機能を回復させにかかった。新しいスピンディジーの据えつけにそなえて、市の駆動機械を整備しておくことは大事な仕事だった。すでに働いているほかのスピンディジーも、一つ一つ、新しい機械と同じ状態に戻さなければならない。しかし、今度のこの場合には、故障を起こした機械の放射能のために、その仕事がなかなか面倒なことになりそうだった。  修理屋ならば、そうした問題のあることを予想して、特別な器具を用意しているはずだが──たとえば磁気の除去などは、普通の場合、最初に行なわれる作業なのだが──持ち込まれる機械について、それを実際に使いこなす|渡り鳥《オーキー》連中と同じ程度に知りつくしている修理屋などは、あるはずもない。市は一つ一つ独特な物なのだ。  アマルフィが、自分専用のスクリーンで見たマーフィー星は全く平凡な世界だった。火星に比べてほんの少し大きいだけだが、火星よりもかなり太陽に近いので、住み心地はよさそうだった。  しかし、人影がなかった。市が接近するにつれて、さしわたし二十マイルほどのあばた[#「あばた」に傍点]のような窪みがいくつも見えてきた。修理工場なら必ず持っている乾ドックだった。ところが、惑星のこっちから見える半球上の機械にとりかこまれた非の打ちどころのない立派なドックは、どれもこれもが空っぽだった。 「ついていないな」へイズルトンのつぶやくのが聞こえた。  確かにあまり見込みはなさそうだった。惑星は目の下でゆっくりとまわった。  やがて、一つの都市が地平線の上に姿をあらわした。へイズルトンが歯のあいだから息をするどく吸いこんだ。アマルフィは人の身じろぎする柔らかな気配を感じ、足音を聞いた──何人かの技術者達がうしろにきて、肩越しにのぞきこんでいた。 「部署に戻れ!」アマルフィはどなりつけた。  技術者達は木の葉のように散って行った。  閑散としたサービスの世界に着陸しているその都市は、おそろしく巨大だった。あたかも侵略者のように他面から聳え立っていた──しかし、それはスピンディジー遮蔽《スクリーン》もなく、いわば防禦の全てを失って、天から落ちた裸の|巨 人《ジャイアント》だった。もちろん、遮蔽《スクリーン》を張らない理由は充分にあるのだが、いずれにしろそれのない都市は、タンクの中の裸の死体のように滅多にお目にかかれない、とまどいを感じさせる光景だった。  その都市のまわりにはいくぶん活気があるようだった。アマルフィは、その活気が死体にとりついたバクテリアのうごめき[#「うごめき」に傍点]のように思えてならなかった。 「あの都市を見れば、われわれの懸念も、ディーのいったように取り越し苦労だったといっていいのじゃないでしょうか?」しまいにへイズルトンがいい出した。「とにかく金《かね》を出して修理させている都市があるのだから、アコライト星団の外の世界から持ち込んだ金《かね》もまだ通用するに違いない。修理が行なわれているとすると、全く望みがないわけではありません。連中だって、ここからどこかへ行く当てがあると思っている。とにかくあの都市がスマートで、相談相手として申し分のないことは確かです。だからこそ、アコライト星団の連中もあの都市を敬遠せずにいるんですよ──この星に都市のジャングルが存在する理由としては、そこに何かアコライト星団一流のごまかしがあるとしか、説明のつけようがありません。そうだとすれば、われわれも着陸する前に、あの都市と連絡をとって、どういうことになるか、念を押しておいた方がいいでしょう、市長《ボス》」 「だめだ」アマルフィは一言《いちごん》のもとにしりぞけた。「自分の部署を守りたまえ、マーク」 「なぜです? そうしたって害になるとは思えませんがね」  アマルフィはこたえなかった。  すでにかれのプサイ能力は、へイズルトンの論拠を叩き潰すような事実のあることを察知していた。へイズルトン自身もその気になりさえすれば、その事実が自分の計器にまざまざとあらわれていることがわかったはずなのだ。市の支配人は想像をたくましくしすぎて、自分から夢の世界に迷い込んでしまっていた。  突然、計器盤に指示信号がまたたき始めた。マーフィー星の管制塔の自動誘導装置が、用意のできたドックへ市を招き寄せていた。その指示にしたがって操縦桿をあやつりながら、アマルフィは|渡り鳥《オーキー》をマーフィー星に迎えることの可否について判定を下す情報官の到着を告げる、オレンジ色の信号燈のまたたくのを待った。  しかし、なかなかまたたかない信号燈にしびれ[#「しびれ」に傍点]を切らせて、アマルフィは動力を切って市を宙に浮かばせ、敵とも味方とも見極めのつかない下界に、とにかくも着陸をする準備にとりかかった。  マーフィー星はひどく不景気らしい。修理工場も、その従業員のほとんどをもっと『景気のいい』計画にとられてしまっているのだ。そうだとすると、不時着に必要な指示をしようにも、管制塔の自動装置を使うほかのないことも当然と思える。  アマルフィは両方の肩をすくめて、〈シティ・ファーザーズ〉のスイッチを入れた。着陸の方法そのものに問題のない限り、都市を着陸させるのに人間の手を借りる必要はない。人間には、人間らしい使い道がいくらでもある。筋書き通りの決まりきった仕事こそは、〈シティ・ファーザーズ〉にとって、お手のものの領分なのだ。 「ヒー星を出てから初めての着陸だ」  へイズルトンはそういいながら、いくぶん気が晴れたような顔になった。 「思いきり脚を伸ばしたら、いい気持だろうな」 「とんでもない」アマルフィは容赦のなくいった。「事情がもっとよくわかるまでは、脚伸ばし[#「脚伸ばし」に傍点]にしろ何にしろ、美容体操のまねなど当分おあずけだ。何しろ、わたしにもこの惑星のことはまだまるっきり見当がつかない。予想できるのは、この星の税関の命令で、われわれがこの市から外へ出ることを禁止されるかもしれないという、そのことだけだ」 「管制塔はそんなことをいわなかったでしょう?」 「相手かまわずに、そういうことを指示する権限の与えられている管制塔は、どこにもないはずだ。そんなことをすると、たまにはやってくる本物のお客様までがこわがって逃げてしまう。しかし、マーク、君のいう通りその心配はないかもしれない。今にわかる。とにかく、何よりもまず、少し探ってみるとしよう」  アマルフィは自分のマイクをとりあげた。 「周辺地区の署長を呼べ……ああ、アンダスンか? 市長だ。臨検分隊から腕ききの人間を十人選んで、武装させ、カシードラル・パークウェイの見張所まで連れてきてくれ。こっちから、わたしと支配人《マネージャー》とが行く。それから、附近の非常口には人員を配置したまえ、あたりに土地の住民がいるようなら、姿を見られないように用心した方がいい…‥うん、それもいいだろう……よろしい」  へイズルトンが訊いた。 「出て行くんですか?」 「そうだ。それに、マーク──もしかすると、われわれにとって、この星団は最後の寄港地[#「最後の寄港地」に傍点]になるかもしれない。おぼえているかね?」 「そんなことぐらい、ちゃんとおぼえていますよ」  へイズルトンは氷のような灰色の目で、まともにアマルフィの顔を見た。 「四日前に、それとそっくり同じことをわたしが自分であなたにいったんですからね。わたしにも、そうなった場合にどうすればいいか、そのへんのことについてはわたしなりの考えを持っています。それは、たぶんあなたの考えとは一致しないでしょうがね。四日前に、あなたはわたしのことをあまりにも敗北主義すぎると、そういった。ところが今になって、あなたはある事情にせまられて、わたしの考え方を横どりしてしまっている──その事情が何かということぐらいは、あなたの口から聞かなくてもわかっている──だからこそ、あなたは『トール第五惑星を忘れるな』などと、そんなことを今さららしくいい出したりするんですよ。あっちもこっちも両方とも立てようだなんて、そんな虫のいいことはできるわけがありません」  しばらくのあいだ、二人の男は瞳と瞳とをまともに向けあい、視線をからみ合わせたままじっとしていた。 「あなたがたお二人って」ディーの声がした。「いっそのこと結婚した方がいいみたい」  とどのつまり、市のおさまった乾ドックの、市の主甲板《メイン・デッキ》と同じ高さの足場からながめたマーフィー星は、いわば見棄てられた機械の荒野だった。  まさに象の墓場だった。クレーン、ホイスト、台車、操舵索、補助エンジン、ケーブル、足場材料、荷台《パレット》、後輪のかわりに無限軌道《キャタピラー》のついたハーフトラック、入替用の小型機関車、コンベア、貯槽、タンク、ホッパー、配管、ワルドー、スピンディジー、トロンパー、培養器、偵察衛星《プロクシー》、エーレンハフト、そのほか五、六十種類もの、かつてはどこかの都市の修理に必要だったらしい古びたガラクタが散乱していた。  機械の多くは錆びついたり、潰れたりしている。中には、外見は申し分がないが、内部が役に立たなくなってしまっている物もある。いくら立派に見えても、それは誰でもが左手首につけている薬量計ほどの簡単な道具があれば、顕微鏡で見えないような欠点がたちまちわかってしまうような、見かけだおしの外観にすぎない。まだ使えそうな機械もたくさんあった。  しかし、そのどれもこれもが、とても使う気になれないような古い型の機械ばかりだった。  近い地平線には、空から見えたもう一つ別の都市が、高くまっすぐに聳えていた。そのあたりで、小さな機械がなんとなく動いている。  そして、足場のはるかに下の方、散らかしほうだいに散らかったマーフィー星の地面の、アマルフィの市の投げる影の中で、ちっぽけな、どうやら人間らしい恰好をしたものが、しきりになにか身振りをしたり踊ったりしていた。  アマルフィはせま苦しい金属製の螺旋階段を降りて行った。へイズルトンとアンダスン署長があとに続いた。空気が稀薄なので足音は響かなかった。アマルフィは自分の足元に気をつけた。重力の小さな世界では、筋肉の使い方もそれに合わせた方がいい。そういう土地では、高い所から落ちるにしてもゆっくりと落ちるのは事実だが、だからといって地面にぶつかるときの衝撃がそれほど減るわけではない。  アマルフィもずっと以前に、重力場の強さがつねに地球上と同じ一Gに保たれている市を離れた時に、用心はしているつもりでいながら、自分の雄牛のような力が、かえって自分自身を裏切ってしまうことをたびたび経験した。  踊る人形のように見えたのは、背の低い、髪の毛のちぢれた技術者だった。着ている制服はきれいだが、しわだらけだった。着たままで寝るのかもしれない。少なくとも、それを着て何か仕事をしたことなど一度もなさそうな、そんなきれいさ[#「きれいさ」に傍点]だった。  のっぺりとした浅黒い丸顔は脂《あぶら》ぎって、ふさがった毛孔《けあな》が点々と黒いしみをつくっていた。その男はビール瓶の底のような目を獰猛に光らせて、アマルフィを睨みつけた。 「何ごとだ? 君達は、どこをどうしてやってきたんだ?」 「空を飛んできたにきまっているじゃないか。そんなことより、いつになったら面倒を見てもらえるんだ?」 「訊いているのはこっちだ。そのお巡《まわ》りに、ピストルに手をかけるなと、そういってくれ。イライラさせられる。おれはイライラしたら、何をやりだすかわからんぞ。修理して欲しいのか?」 「ほかに何の用があると思うんだ?」 「おれ達は忙しい。慈善をほどこすような暇はない。さっさと自分のジャングルに戻るがいい」 「なるほど、君は絶対零度の分子のように忙しい」アマルフィは顔を前に突き出すようにしてどなった。  修理屋の球根のような鼻がほんの少し退却した。 「われわれは修理が必要だ。何がどうあっても修理してもらうつもりだ。支払う金はある。それに修理ならここへこいと教えてくれたのは、君達の警察のラーナー署長だ。この二つの理由が君の気に入らないのなら、わたしはこの署長にピストルを役立たせるようにいうことにする──署長はたぶん、君がこのガラクタ置場で何かにつまずいて引っくりかえらないうちに、ピストルを抜いて射つことができるだろう」 「一体、君は、誰を脅しているつもりなんだ? 自分が、今、アコライトの星にいるのを知らないのか? 始めから会わなかった方がよかった──いや、ちょっと待ちたまえ、署長、早まることはない。おれは怠け者どもを相手にしているおかげで、耳がすっかりバカになってしまったんだ。やっぱり、君達のいうのが正しいかもしれない。君は、確か、何か金《かね》のことをいった──それははっきり聞こえたが」 「その通りだ」  アマルフィは無理を押して、感情を殺した。 「君達の〈シティ・ファーザーズ〉はその支払いを保証するだろうか?」 「するとも。へイズルトン──おや、どうしたんだ、アンダスン、支配人《マネージャー》はどこへ行った?」 「途中で別の通路をあがって行きましたよ」周辺地区の署長はこたえた。「どこへ行くともいいませんでしたがね」  やっぱり用心しすぎるのも考えものだ。顔をしかめた。あれほど自分の足元ばかりに注意を集中していなかったら、へイズルトンがわき道へそれて行ったか行かないうちに、自分についてくる足音が一組しかないことに気がついたはずだ。 「そのうちに戻ってくるだろう」アマルフィは気休めのようにいった。「いいかね、君、われわれに必要なのは修理工事なのだ。われわれのスピンディジーの一つが故障を起こして、その船倉《ホールド》は放射能でいっぱいになっている。それをとりはずして、できれば君の手持の最新型の物と取り換えてもらえるかね?」  修理技師は考えた。どうやら、その問題に気持が動いた様子だった。顔つきがすっかり変って、生れつきのみにくさ[#「みにくさ」に傍点]の中に、ほとんど親しげなといってもいいような表情があらわれた。 「ちょうど6−R−6型の在庫品があるが、それを据えつける反流積層ペディメントが君の方にあれば、間に合うかもしれない」  ゆっくりとした口調だった。 「もし、その用意がなければ、新品同様に調子のいいB−C−7−7−Y型の再生中古品もある。だがおれは、今までに放射能を帯びた機械のとりはずしをやった経験がない──スピンディジーに気になるほどの放射能があらわれることのあるのは知らなかった。君の方に、誰か|汚 染 除 去《デコンタミネーション》の仕事に手を貸してもらえる人間がいるかね?」 「うん、用意はすっかりできている。われわれの金《かね》が受けとれるかどうか調べてくれ。それでよければ、早速仕事にとりかかるとしよう」 「必要な人数を集めるのに少しは暇がかかるだろう。ところで君の方の連中が、この辺をうろつかないようにしてもらいたい。警察がうるさいからね」 「最善《べスト》をつくそう」  修理技師は、錆色の出た遊んでいる機械のあいだをあっちへ避《よ》けこっちへ避《よ》けしながら、太急ぎで走って行った。  アマルフィはそのうしろ姿を見送りながら、生れながらの技術者が口先きにまるめこまれて、自分の仕事がどう役立てられるかということはさておき、自分が誰のために働くのかということまで忘れてしまう速さに、今さらのように感心した。  まっ先に金《かね》のことを持ち出し──技術者は充分な報酬を受けていないのが普通だから──それに、手ごわい、しかしそれだけに興味のある問題をかぶせてやれば、相手はわけなく飛びついてくる。アマルフィは敵の陣営で実利主義者《プラグマチスト》に出会うと、いつも愉快だった。 「市長《ボス》──」  アマルフィはクルリと向きなおった。 「一体どこへ行っていたんだ? 君は、わたしがこの星では旅行者の立ち入りが禁止されているかもしれないと、そういったのを聞かなかったのか? もし、必要な場合にすぐに間に合うように待機していてくれたならば──問題がもっと早くかたづいたはずだとはいわないまでも──その禁制が『かもしれない』どころではないことを君も聞いたはずだ!」 「そんなことはわかっています」へイズルトンは落ちつきはらっていった。「わたしは計算ずくで危険をおかしたのです──あなたなどは、どうすればそんなことがやれるのか、それさえ忘れてしまっているらしいが、それをわたしはやってきた。でも、やっただけの甲斐はあった。わたしは例のもう一つの都市まで行って、わたし達のぜひとも知らなければならないことをさぐり出してきた。そういえばこのあたりの乾ドックときたら、どれもこれもメチャクチャだ。数百マイルの範囲内でともかくも商売をやっているのは、このドックと、もう一つの都市の|入 渠《にゅうきょ》しているのと、その二つだけらしい。ほかのドックは、どれを見ても砂と錆とコンクリートのかけらでいっぱいになっています」 「それで、そのもう一つの都市は?」  アマルフィの口調はひどく静かだった。 「あの都市は差し押さえられている。そうに違いありません。どこにも人の影はなく、荒れはてています。都市の半分は支柱でささえられ、通りにはあばら屋がひっくり返っている。まるで廃墟です。それを、ある意味でまとも[#「まとも」に傍点]な状態に戻そうとしている連中もいますが、決してあせったりはしていません。しかも人の住めるようにするためには、何一つ手を打っていない──自分達の逃げ出すことしか考えていないんですね。その連中はどう見ても都市に住んでいた人間ではないらしい。すると、元々あの都市の市民だった連中は、一体どこへ行ってしまったんでしょう? 考えてみると、こわい気がします」 「ほかにもまだ、君の考え及ばないようなことがいくらでもある」  アマルフィは冷静だった。 「市民達は負債者刑務所に入れられているに違いない。修理工場の連中は何かよからぬことをたくらんで、そのためにあの都市を修理しているのだ。どうせ自分達でもそんなたくらみ[#「たくらみ」に傍点]がうまくいくとは思っていないのだが、いずれにしろ今でも自由に飛びまわれる都市は、どんなに金を積んでも、借りることはできないのだから」 「それで、どうするつもりなんでしょう?」 「ガス巨星に惑星拠点を作るつもりなのだ。連中はほかの手段では征服することのできない、氷の核を持った、密度の低い、アンモニアとメタンガスとが雰囲気となっている木星型の星をねらっている。わたしの見当では、連中が望んでいるのは、そのような惑星拠点を毒ガスの無尽蔵の資源地として利用することなのだ」 「あなたが見当をつけたのは、それだけじゃない」  つっかかるようにいうへイズルトンの唇は、薄くなった。 「わたしもはぐらかされるぐらいのことは、それも訓練の一つとして覚悟しています。しかし、わたしはこれでも一人前の大人だから、あなたが神様のように何もかも見通しだという伝説を通用させるだけのために、そんなあと先の繋がりのはっきりしない説明を押しつけられるのはいやです」 「わたしも、それほど見通しがきくわけではない」アマルフィは穏やかな口調でいった。「わたしはここへやってくる途中、あの都市の様子を念を入れて見た。それから、われわれの側の計測器もあたってみた。君はそれをしなかった。わたしには計測器の読みだけからでも、あの都市では|渡り鳥《オーキー》都市なら当然あるはずの活動が、ほとんど何一つ行なわれていないことがわかった。また、あの都市のスピンディジーが、そのままでは、一年以内に燃えつきてしまうほど強力な場《フィールド》を発生するように調節されていることもわかった。その重力場を何の役に立てようというのか──どんな場合に備えようとしているのか、それもわかった。  スピンディジーの場は、急速度で運動する大きな分子集合体ならどんな物でもはねかえす。滲透作用によるガスの拡散はそれほど妨害しない。百万気圧を越える圧力の元でどんなに小さな分子でも拡散できないほど強力な場を作れば機械の方がだめになる。そんなことが必要になる場合は、ただの一つしか考えられない。|渡り鳥《オーキー》都市のかつて一瞬たりとも経験したことのない、ガス巨星への着陸だ。あの都市はそうした種類の仕事にうってつけだった。それだからこそ、差し押さえられた──今となっては、あれは国有財産だ。国有財産を無駄にしようなどと、そんなことを考える者は誰もいない」 「あなたは、わたしが道草を喰うのをやめさせることもできたかもしれない。それだけの暇はあった。しかし、今度ばかりはそんなことをしなくてよかった。というのは、わたしはまだ自分の発見した、大事なことを話していないんですからね。あなたはあの都市の素性を知っていますか?」 「いや」 「知らないことを知らないとおっしゃるのは、なかなか正直でよろしい。わたしは知っていますよ。あれは、三世紀前に建設中だということをわれわれも噂に聞いた、いわゆる万能都市です。今は荒れはてて見る影もないが、そのなごりはしのばれます。アコライト星団の連中は、その都市の肝腎の機能は朽ちるにまかせて、ある一つの仕事だけの役に立つように、勝手に作りかえているんです。その気になれば、われわれにだってあの都市をやつらの手からとりあげることはできます。わたしはあの万能都市の計画が最初に発表された時に、それを研究して──」  へイズルトンは途中で口をつぐんだ。アマルフィは振り返って、へイズルトンの視線の方向へ目をやった。さっきの修理技師が一目散に走って、こっちへ戻ってくるところだった。その手には中間子《メゾン》ピストルがあった。 「わかった」アマルフィは早口でしゃべった。「君は気づかれないように、もう一度われわれの市へ戻れるかね? どうも厄介なことになりそうだ」 「はい、戻れます。あそこには──」 「返事は『|はい《イエス》』だけでたくさんだ。われわれの〈シティ・ファーザーズ〉を向こうのそれと同調させて、両方とも標準状態Nにセットしておいてくれ。われわれのスピンディジーを始動させる信号──単純なイエスかノーかの信号を出すようにするのだ」 「状態Nですか? しかし、市長《ボス》、それは──」 「そんなことはわかっている。わたしは今こそそれが必要だと思うのだ。われわれのがらくたスピンディジーは、二組の〈シティ・ファーザーズ〉の知識を組み合わせなければ、とてもわれわれをいざというときに逃げ出させてくれない。われわれだけでは、それだけ素早く立ちまわれないのだ。さあ、手遅れにならないうちに早くやれ」  修理技師は飛ぶように走る足が地面につくたびに、あたかもその衝撃で声がほとばしるかのように、怒りの悲鳴をあげながらすぐそこまで迫ってきていた。その絶叫はマーフィー星の稀薄な大気の中で、おもちゃの笛を吹き鳴らすように聞こえた。  へイズルトンは一瞬ためらってから、階段を駆けのぼって行った。修理技師は身をかがめて、足場をくぐると発射した。中間子《メゾン》ピストルは轟音を空に響かせると、射手の手からうしろの方へはね飛んだ。技師は今までに一度もそのピストルを発射した経験がなかったらしい。 「市長、わたしが──」署長がいいかけた。 「まだいい。へイズルトンを掩護《えんご》するだけでよろしい。おい君! こっちへきたまえ。両手を頭のうしろに組みあわせてゆっくり歩くんだ。それでよし……ところで君は、なぜ、うちの支配人を射ったんだ?」  浅黒い顔が血色を失っていた。 「君達は逃げ出そうったって、そんなわけには行かないぞ」  だみ声だった。 「今十数人の警官がここへやってくる途中だ。君達など、たちまちやっつけられてしまうぞ。さぞかし見ものだろうな」 「なぜだ?」アマルフィはあたり前の口調で訊きかえした。「最初に射ってきたのは君の方だ。わたし達は何も悪いことをしていない」 「不正な小切手を振り出しただけだというのか! ここでは、それは殺人よりも悪質な犯罪なのだ。おれは君のことをラーナーに詳しく訊いた。あの先生は口から泡を飛ばしながらまくしたてたよ。君も、選《え》りに選《え》って悪い相手につかまったものだ!」 「不正な小切手だと? とんでもないでたらめ[#「でたらめ」に傍点]だ。われわれの通貨は、君達がこのあたりで使っているどんな通貨よりも値打ちがある。ゲルマニウム──正真正銘のゲルマニウムだ」 「ゲルマニウムだ?」  ドックの男は信じられないという顔つきで、アマルフィのいったことばをオウム返し[#「オウム返し」に傍点]にした。 「そう、わたしはそういったのだ。君も、もっとしょっちゅう耳の穴を掃除した方がいいね」  修理技師の眉が次第に高く高く釣りあがり、口のすみがピリピリとひきつり始めた。その頬を伝って、油っぽい大粒の涙がコロコロところがり落ちた。両手はまだあたまのうしろに組んだままだったので、今にも発作を起こしそうになっている人間のように見えた。  やがて、顔全体の表情が大きく崩れた。 「ゲルマニウムか!」  吠えるような声だった。 「ハアッ、ハッ、ハッ! ゲルマニウムね! 一体君達は、この宇宙のどこのどんな穴に住んでいるんだね、|渡り鳥《オーキー》君? ゲルマニウムか──ハッ、ハッ、ハッ!」  修理技師は息も絶え絶えのようにあえぎながら、あたまのうしろの両手を降ろして目を拭いた。 「君達、銀は持っていないのか? 金《きん》は? 白金は? 錫は? 鉄は? とにかく、ほかに何か少しは値打ちのある物はないのかね? ここを出て行きたまえ。君達は一文なしだ。君達の友人として、悪いことはいわない。出て行きたまえ」  相手がいくぶん落ちついたと見てアマルフィはたずねた。 「ゲルマニウムのどこが悪いんだ?」 「どこも悪くない」  修理技師はとほうもなく大きな鼻越しに、同情と復讐心との入り混じったまなざし[#「まなざし」に傍点]をアマルフィの顔に向けた。 「立派な、役にも立つ金属だ。しかし、そんな物はもう金《かね》として通用しない。それを君達が、なぜ気がつかなかったのか、そこがおれにはどうもわからないのだが。いずれにしろ、今ではゲルマニウムなど屑みたいな物だ──いや、値打ちがないことはない。だが、それは金属としての本来の値打ちにしかすぎない。手に入れるには金《かね》を出して買わなければならないが、それでほかの物を買うことはできないのだ。  この星では、ゲルマニウムは金《かね》としての役に立たない。この星ばかりではない。どこに行っても通用しない。ほかのどんな星に行ってもだ。銀河系全体が破産してしまった。全くの無一文なのだ。だから君達も一文なしだ」  修理技師はまた目を拭いた。頭の上の方で、サイレンが柔らかな音で、しかし執拗にうなり始めた。  へイズルトンの準備完了の知らせだった。こっちへやってくる警官達の姿も目に入っていた。  アマルフィは、自分がスピンディジーの始動キーを閉じた時に起こったことを理解しようとしても、それがどうしてもできなかった。将来いつか理解できるようになることを望みもしなかった。〈シティ・ファーザーズ〉に質問してみたところで、どうにもなるはずはない。返答を拒絶されるばかりだ──その理由はといえば、こたえようにも〈シティ・ファーザーズ〉自身が知らないのだ。  かれらが、標準状態N──全ての|渡り鳥《オーキー》都市がいつかは直面することを覚悟していなければならない状態、そこに立ちいたった場合に根こそぎ破壊されてしまわないためには、いち早く逃げ出すよりほかには全く方法がないという、そのような状態──にそなえて、どんな対策を用意していたにせよ、実際にとられたのは全く前例のない思いきった手段だった。あるいは〈シティ・ファーザーズ〉が、万能都市の〈シティ・ファーザーズ〉と、自分達の知識をプールするチャンスを与えられた時にそうなったのだった。  市はマーフィー星の修理ドックから、宇宙の何のへんてつもない座標系へ飛び出した。その運動には時間がかからなかった。それと気がつくほどのエネルギーの変化もなかった。  ある時に、市はマーフィー星にいた。アマルフィが始動キーを閉じた。マーフィー星は見えなくなった。そして、ジェークはしきりに宇宙における市の位置を確かめようと、やきもきしていた。自分で確かめるよりしかたはなかった。  警官達は秩序正しくマーフィー星に到着したが、ただの一発をでも発射するチャンスには恵まれなかった。ジェークがやっとのことで、ふたたびマーフィー星を見つけ出すと、オブライエンは偵察衛星《プロクシー》を発進させた。警官達は遅刻してきて、カラー・ボタンをさがしまわる俳優のようにイライラした様子で、マーフィー星の空にめったやたらにピストルをぶっ放していた。  一時間経つと、そんな気配の全くなかった万能都市が、いきなりマーフィー星から姿を消してしまった。修理工達が気をとり直して警報を出したころには、警官達は四方八方へ散らばって、消えてなくなったとは思いも及ばないアマルフィの都市を探しあぐねていた。ようやく隊形を立て直して引きかえしてみると、万能都市はどこへ行ったのか、影も形もなかった。  万能都市は、今やアマルフィの市から五十万マイル離れた軌道に乗って浮かんでいた。そのスピンディジー遮蔽《スクリーン》はふたたび降ろされていた。飛び立った時に修理工が残っていたとしても、もう生きてはいない。その都市には空気がないのだ。  正直なところ、〈シティ・ファーザーズ〉はこういう全てのことがどうして成しとげられたのか、それを知らなかった。むしろ知る立場になかった。標準状態Nは、封印された自爆装置のある回路によってセットされていた。無能な、さもなければ怠け者の市当局者がとるに足りない危機に見舞われる、そのたびにそれを頼りにするのを防ぐために、ずっと以前からそんな風になっていた。こうしてあれば、二度と繰り返して利用するわけにはいかない。  また、アマルフィは、自分がその非常手段を本当にはいよいよのどたん場ともいえない、つまり、実際には状態Nとまでは行かない場合に、自分の市ばかりでなくもう一つの市のためにも利用したのだということを、充分に承知していた。どっちの市にとっても最後の頼みの綱といっていい手段をあえて濫用してしまったのだ。  しかし、どっちの市にしろ、その回路がふたたび必要となるようなことは決してあるまいということにも、同じように確信があった。  目に見えない超波電話《ウルトラフォン》の綱だけを頼りに、たがいに結び合わされている二つの都市は、今、都市のジャングルから三光年、マーフィー星からは二十数光年へだたった、星のない宇宙空間に自由に浮かんでいた。  死んだ都市に聳えるたくさんのくろずんだ塔は、市庁舎の鐘楼にただ一人立つアマルフィの目には見えなかった。しかし頭の中には、よみがえれと呼びかける声を待つその塔の面影が、まざまざと浮かんでいた。  ギリギリのどたん場ともいえない状態に直面して、自分の選んだ極度に絶望的な行動が、その都市を本当に死なせてしまったのかどうかということは、どっちとも判断のつかない問題だった。銀河系全体の大災厄と比べれば、極めて小さな問題のように思えた。  アマルフィはそんなことを思いわずらうのをやめて、今度は自分の振り出した小切手に難くせをつけられたことを考えてみた。  ゲルマニウムは実用的にははかり知れない価値のある貴重な金属だったが、本当の意味で、それに匹敵する流通価値を与えられたことは一度もなかった。その金属の持っているいくつかの性質はいろいろな技術に利用されて、かけがえのない物だった。たとえばゲルマニウムの原子格子は、比校的にわずかなエネルギーの刺戦によって電子を分離する、そのP・N限界は結晶検出器《クリスタルデテクター》としての機能を持っている、などである。その金属は何千とも知れない種類の電子工学装置に使われている──しかも産出量が少ない。  しかし、通貨として価値を生ずるほど少なくはない。昔の銀、白金、イリジウムなどと同じように、ゲルマニウムの財的価値は全く人為的な物だった──経済上の慣習、伝説から尾を引くしきたり[#「しきたり」に傍点]、貴金属業界の好み、そして国家の独占的支配へのねたみ[#「ねたみ」に傍点]の作り出した価値だった。遅かれ早かれ、技術水準の高い──したがって為替レートも高い──惑星または星団の中には、その金属を有り余るほど持つ者があらわれる。  そうなると競争相手の星、あるいはむしろその方が起こりやすいのだが、自分自身ででもゲルマニウム本位制を棄てなければならなくなる。また、その元素を安価に合成したり、ほかの元素から転換したりする技術を習得する星もある。今の場合、その原因がどっちであろうと、そんなことは問題ではない。  問題は結果なのだ。  現在、市の手持の金属ゲルマニウムは売り相場で、以前の八分の一の価値しかなかった。しかしさらに悪いことには、市の資金の大部分は金属貨幣ではなく、紙幣──地球そのほか数ヵ所の行政センターで政府所有の金属貨幣を裏づけとして発行されたオックドル紙幣だった。この紙幣は市の所有する金属ゲルマニウムを代表する物ではないから、兌換性《だかんせい》がなかった──無価値だった。  新しい貨幣制度は薬品《ドラッグ》本位だった。もし、市がヒー星から期待にたがわずに不老長寿薬を満載してきていたのだったら、今ごろは数十億の資金をかかえて、大きな顔ができていたところだ。そのあてがはずれて、貧乏もどん底に近い。  アマルフィは薬品《ドラッグ》本位制の発生した筋道を考えてみた。  歴史の本流からほとんど切り離された|渡り鳥《オーキー》にとっては、そのような制度がただ一人の名も知らぬ天才の霊感にも似た頭脳のひらめきから生れたように思えることが多い。周囲の情勢というものを知ろうにも、知るすべの全くない現在、そのような制度がある一組の情勢から自然発生的に生れたと考えることは困難だった。  しかしそれでもなお、現実に生れている。生れてみれば、なかなか気のきいた発明でもあった。薬品類はその治療効果と、入手の難易によって価値を正確に格づけすることができる。低いコストで大量に合成できる薬品は、新しい貨幣制度の一セントとか五セントに相当する単位通貨となり、合成できない、手に入れにくい、しかもつねに需要の方が供給よりも多い薬品は、百ドル以上に相当する単位となる。  また、薬品は高価な物でも薄めることができるから、負債の支払いに融通がきく。薬品は金属貨幣と同じように、実験室の試験によって真偽を見わけることができる。そして最後に、薬品は時代遅れになるのが速いから、どんなに略奪的な手段を使っても、一人占めしたり、隠退蔵することのできない、流通速度の大きな通貨として適している。  全く立派な貨幣制度だ。負債を支払うために一トン半ものゲルマニウムを運びまわるのが、実際的でなかったのと同様に、一立方センチの何分の一にも足りないわずかな量の薬品を現実の取引きに使うことはできないから、やはり紙幣もあるのだろう。  いずれにしろ、薬品本位制の世界では市は貧しかった。新しい紙幣の手持は全然なかった。もちろん、さしあたりの必要品を手に入れるには、ありったけの金属ゲルマニウムを全部売り払わなければならない。地球がその兌換を保証するゲルマニウム本位制の紙幣も、アコライト星団の連中にわざわざ地球まで兌換しに行く気があれば、それに相当するゲルマニウムの市場価格の五分の一ほどで売れるかもしれない。  市の持っている実物の薬品を取引きに使うわけにはいかない。市の生命を維持するのにぜひとも必要なのだ。今後新しい経済の元で、個人の予算から医療費にどれだけ割《さ》かなければならないことになるのか、その額の大きさにアマルフィは頭が痛くなった。とりわけ、不老長寿薬は恐るべきジレンマの種になりそうだ。手持の不老長寿薬を目先きの資金の欠乏を救うために活用した方がいいのか、それとも乏しいながらも生きながらえた方がいいのか……?  アマルフィはうなるよりほかに訴える力のない、生けにえ[#「生けにえ」に傍点]の背なかに鞭をふるう僧侶のように、頭の中の石のように冷たく硬い通廊を、次から次へと容赦なく論理を押し進めていった。  市は貧しい。アコライト星団の界隈で、とにかくも名目の立つような分量の仕事を見つけることはできない。新しいスピンディジーがなければ、ほかの区域で仕事を探すこともできない。  そうなると、残されているのは都市のジャングルだけだ。ほかにはどこにも行くあてがない。  アマルフィは今までにジャングルに足をとめた経験がなかった。そのことを思うと、われ知らず両方の手のひらを自分の太ももにこすりつけていた。頭の中には──『ジャングル』ということばとならんで──『|決して《ネバー》』ということばがあった。その二つのことばがいつでもそこにあることは、自分にもわかっていた。市は、どんな場合にでも人の世話にならずに生きて行かなければならなかった。どんな危機に見舞われようとも、必ず無事に抜け出さなければならなかった。つねに自力でやり通さなければならなかった。  そうした、今では月並み文句となってしまったお題目の中で、『|決して《ネバー》』ということばには『今こそは』という臨機応変の意味の含まれていることがわかった。  アマルフィは、鐘楼の手すりからぶらさがっている送話器をとりあげた。 「へイズルトンか?」 「はい、市長《ボス》。決心がつきましたか?」 「いや、まだだ」アマルフィはこたえた。「われわれは何かの目的があって、あの都市を盗み出したと思われている。そこでわれわれは、今ここで見切りをつけて、ここから抜け出すチャンスがあるかどうか、その判断を下さなければならない。何人か装備をととのえた人間を派遣して、調べさせてもらいたい」  へイズルトンはしばらくこたえなかった。  そのしばらくのあいだに、アマルフィは、そんなことは末梢的な問題にすぎず、すでに判断はついているのだということを悟った。その頭の底の床を地球の詩人、テオドア・ロートケの一句が|火とかげ《サラマンダー》のようにノソノソと這って行った。   〈縁《へり》が中心を喰うことはできない〉 「わかりました」へイズルトンの声が聞こえた。  永遠とも思われる半時間が過ぎてから、もう一度、同じ声がした。 「市長《ボス》、あの都市はわれわれの市よりも、もっともっと悪い状態のようですよ。推進装置はまだ立派に働いていますが、もちろん、どれもこれも調整がまるででたらめ[#「でたらめ」に傍点]です。それに、よく調べてみると、全体が構造的に弱っているらしい。修理技師達の調査は行きとどいています。ほかのことはともかくとして竜骨《キール》が折れている──乗組員でなく、アコライト星の連中が強制的に着陸させたに違いありません」  へイズルトンが、アマルフィのことさらに理解を避けているある種の謀反をめぐって、どっちとも決心しかねている現在、かれの報告してきた事項のどれ一つにしても、当然予想されたこととして片付けるわけにいかないのは、いうまでもなかった。  へイズルトンがあれほど警戒していたにもかかわらず、アマルフィの心の中に罪悪感の絶え間もなく積み重なっていることを百も承知して、そんなことをいっているということも考えられた──さもなければ罪悪感そのものが、そんな疑念を起こさせるだけなのかもしれない。いずれにしろ、アマルフィは自分の先見の明はともかくとして、へイズルトンが向う見ずによその市を手に入れようとしていることも、仲間の平和を保つためには許す気持になっていた。  その気持を、かれはすぐには口に出さなかった。 「君はどうすればいいと思うかね、マーク?」 「見棄てた方がいいでしょう、市長《ボス》。最初わたしがこの都市をこっちの物にしたいと主張したことは、許していただくほかありません。欲しい物は手に入りました。われわれの〈シティ・ファーザーズ〉は、向うの都市の〈シティ・ファーザーズ〉の知識の全てを自分の物にしています。新しいスピンディジーのもらえなかったことは残念だが、それは乾ドックの要る仕事です」 「よし。現在の軌道をはずれないように、スピンディジーの強度を三十四パーセントにして戻ってきたまえ。強度をそれ以上にあげないように、くれぐれも注意してくれ。さもないと、強すぎるスピンディジーが二パーセク以内の範囲に、自分の位置を知らせることになって、われわれ自身の離脱作業を防害されるおそれがある」 「わかりました」  ところで、考えなければならないのは地方警察のことだった。アマルフィの市は不法行為に対する逮捕令状ばかりでなく、国有財産の窃盗、そして道連れにしたあの都市でアコライト星の技術者の死んだこと、そんなこんなで弱味をにぎられている。  安全なのはジャングルだけだ。それも、さしあたり安全だというにすぎない。ジャングルではこの市の一つぐらい、少なくともしばらくは、三百もの都市の中にまぎれ込むことができる──その都市の多くは、アマルフィの市など及びもつかないほど強力な武装がととのっているはずだ。  そのような都市の押しあいへしあいの中に、もしかすると、伝説的なヴェガ星の軌道要塞──|渡り鳥《オーキー》の仲間入りをした唯一の非地球人的構築物であり、現在では宇宙人による大がかりな開拓の物語りの中心でもあった──それを、ついにわが目で見届けるチャンスがあるかもしれない。ほかの渡り鳥連中の誰もがそうであるように、アマルフィも伝説の魅力には勝てなかったが、そんなことよりも具体的なくだらない事実をよく知っていた。  宇宙連合の母体である惑星の潰滅するまで、その要塞衛星はヴェガ星のまわりを公転していた。それから──ヴェガ星人は、かつて戦艦以上に大きな物体を系外に発射したことはなかったのだから、全く思いがけなく──要塞は、突然、警察の巡洋艦隊の警戒線を突破して行方をくらましてしまった。それ以来、その噂さえ聞かれず、伝説ばかりが成長していった。  ヴェガ星人そのものは魅力など毛筋ほどもない人達だったが、その軌道要塞の物語りがなぜそれほど|渡り鳥《オーキー》達に愛好されたのか、それを説明することは容易でなかった。もちろん、|渡り鳥《すーキー》達は一般に警察を嫌い、地球に対する愛情など全くないと広言もした。しかし、そんなことは要塞の伝説がそんなにも|渡り鳥《オーキー》仲間に広まった理由の説明にはならない。  今では、その要塞は不死であり無限であるといわれている。それは銀河系のあらゆる区域で奇蹟をあらわした。それは宇宙のいたるところに行きわたり、同時に宇宙のどこにも決して見あたらなかった。それは渡り鳥仲間のベイウルフであり、シドであり、ジーグルドであり、ガーウィンであり、ローランドであり、クフーリンであり、プロメシウスであり、レミンカイネンであり……。  急に背筋が寒くなった。あまりにも突拍子もない考えが頭に浮かんできてアマルフィは、本能的に考えることをやめてしまった。  あの要塞は──数世紀も前に破壊されてしまったはずだ。しかし、それが今でもなお存在するとすれば、いやでもある種の結論を下さないわけにはいかないし、それに基づいて行動することもできるのだが……。  そうだ、できる。確かにできる。  やってみる価値がある……。  だが、もし実際にそんなことになるとすると……。  決心はついた。アマルフィは、その考えを頭からキッパリと追い出してしまった。  一方、一つだけ確信の持てることがあった。アコライト星団の連中が、ジャングルを労力のプールとして利用し続ける限り、その同じ星の警察がたった一つの犯罪都市を捜すために、ジャングル全体をメチャメチャにしてしまうような危険をおかす気づかいはないものと考えていい。アコライト流の考え方では、|渡り鳥《オーキー》は一人残らず、定義からして罪人だった。  自分の市に関する限り、その考え方は全く正しいとアマルフィは思った。今や、市は宇宙の無宿者であるばかりでなく──定義によって──骨の髄まで救いようのないならず者[#「ならず者」に傍点]だった。  いずれにしろ、行先きは決まった。 「市長ですね? そこへ戻ります。何かうまく切り抜ける手がありますか? とにかく、早く手を打たないと──」  アマルフィは露台の上の方に輝く赤い矮星をじっと見あげた。 「切り抜ける手はない。われわれは負けたよ、マーク。ジャングルへ行こう」 [#改ページ]     4 ジャングル  ジャングルを構成する都市は、小さな赤い太陽のまわりの軌道に沿って、あてどもなく漂っていた。  標識燈を点けて、スクリーンのそこかしこに所在を示している都市もいくつかあるが、ほとんどの都市は標識燈にまわすだけの余分のパワーもないのだ。このように混みあった区域では、標識燈のあるなしが都市の生命《いのち》とりにもなりかねない。しかし、それでもなお、スピンディジー遮蔽《スクリーン》を維持するためのパワーの方がもっと大事だった。  一つだけ、まぶしいばかりに明るく輝く都市があった──標識燈は全部消えていた。明るいのは街路照明のせいだった。  その都市には余分のパワーがあって、そのことをわざと見せびらかしているのだ。それも、標識燈を点けておくという、誰でもが守らなくてはならない基本的な規定などはそっちのけにしてでも、ただ見せびらかすだけのために、パワーを浪費しているのだということをみんなに知ってもらいたがっている。  その明るい都市の映像をアマルフィは冷静にながめた。明るい都市が赤色矮星に近いいい位置を占め、その太陽の遮蔽されない自然重力場の影響で、空間構造が著しくひずんでいるために、映像はあまりはっきりしていなかった。また、途中の空間に、ほかの|渡り鳥《オーキー》都市の小型のスクリーンの飽和していることが、映像をいっそう見えにくくしていた。  アマルフィ自身の市のスクリーンは、赤い太陽から十八天文単位の距離、つまり地球の属する太陽から天王星までのへだたりにほぼ等しい距離の内側を、都市のジャングルを通して透視する能力はなかった。だから赤色矮星も、アマルフィの目には十分の一等級程度の星にしか映らなかった──四光年離れているG0星の方がずっと近いように見えた。  しかしどう見ても、三百を越える渡り鳥都市の全部一つ残らず、少しずつでも太陽の暖かみ[#「暖かみ」に傍点]の恩恵を受けられるほど、赤色矮星の間近に密集できるわけはなかった。外側で我慢しなければならない都市ができた。もっとも多くのパワーを自分のために利用することのできる都市が、衰えかけた太陽の火のそばの一番気持のいい場所を占領することになり、一方、一エルグのパワーさえ惜しまなければならない都市が、外側の暗闇[#「暗闇」に傍点]の中で寒さに震えているということも当然であり予想されることだった。  そうだとすれば、その明るい都市が地方条令にも常識にも反することをしてまで、自分の存在を宣伝しなければならないというのは意外なことだった。その一方では、警察に護衛されたアコライト星の宇宙船が、ジャングルの心臓部めがけて容赦なく割りこんでいっていた。  アマルフィは、いくつも並んだスクリーンの列を見あげた。このほとんど使われたことのない市庁舎《シティホール》の一室に足を踏み入れたのは、今年になってからこれが二度目だった。  ここは昔ながらの|応 接《レセプション》ホールだが、千二百年ほど前、市が初めて宇宙へ飛び立った直後以来、監視スクリーンのかなり複雛なシステムが設備してあった。この設備は、市が高度に開発され進んだ文明を持つ星と接触しようとしている時に限って利用された。それはどこかよその渡り鳥に出し抜かれない先に、外交関係、法務関係、経済関係など各方面の役人達との面倒な交渉をいち早くかたづけてしまうためだった。アマルフィもジャングルの中などで、この応接ホールの役に立つことがあろうとは夢にも思っていなかった。  渡り鳥都市のジャングル、そこでの生活がどんな物なのか、まるで見当がつかなかった。  スクリーンの一つが明るくなった。古いスタイルの実用的な仕立てだが、植物性の生地を使った地味な服を着た女性の等身大の姿があらわれた。その女性の目つきは硬いが、筋肉は硬くなかった。アコライトの商人らしい。 「前にアナウンスしたように」女商人は冷たい声でいった。「任務はハーン星の臨時開発計画である。われわれの契約を結ぶことのできる都市は六都市、代金は請負方式によって支払われる」 「|渡り鳥《オーキー》都市に告げる」別の声が聞こえてきた。  三番目のスクリーンがだんだん明るくなった。空間格子の局部的な歪《ゆが》みのせいで、映像の安定するまでに少し時間がかかったが、それまでにでも、アマルフィはおぼろげな輪郭からおよその見当はついた。どんな種類の歪《ゆが》みにしろ、警官らしい姿から恰好まで見分けがつかないほど、映像を乱してしまうことなどめったにあるものではない。  やがて顔がはっきりしてくると、その警察のスポークスマンが、あとで無価値と知ったゲルマニウムを賄賂[#「賄賂」に傍点]につかませた当の相手のラーナー警部とわかって、少しばかりびっくりさせられた。 「秩序を乱す都市が一つでもあれば、全部の都市の雇用契約を認めない。いいか、全部の都市だ。わかったな? それぞれの都市は正式の手続きにしたがって、希望する請負価格を申し出るように。採否は募集側の婦人の判断によって決定される。ジャングルの域外において、犯罪容疑のために手配されている都市は、ジャングルを離れた場合にその責任を自《みずか》ら負わなければならない──われわれとしては、旅行中の免責を申し出るつもりはない。もし万一不穏当な行為があれば──」  スクリーンのラーナー警部は人さし指を自分の頚にあてて、横に引いて見せた。どうしてだか、こればかりは昔からその特殊な意味を失ったことのない身振りだった。  アマルフィはうなるような声を出して、音声のスイッチを切った。  ラーナーも女商人もまだしゃべり続けていたが、別のスクリーンに映像があらわれかけているので、そっちが何をしゃべるのか、アマルフィはそれを聞かなければならなかった。商人と警官との話の内容は、ほとんどそっくりそのまま予言することさえできたはずだった──事実、アマルフィは〈シティ・ファーザーズ〉からその件についてあらかじめ聞かされていたのだったから、実際にしゃべるのを一応聞いてみたのも、万が一にも予告になかった内容がありはしないか、それを確かめるだけのためだった。  しかし、赤色矮星に近いあの明るく輝いている都市──ジャングルの統領《ボス》、放浪の王者《キング》──はどんなことをいうだろうか……。  それを前もって予想することは〈シティ・ファーザーズ〉はいうに及ばず、アマルフィでさえできなかった。ラーナー警部と女商人が声の出ない口を動かし続けているあいだに、四番目のスクリーンのチラチラと落ちつかない映像が固まりかけていた。すでに、応接室はゆっくりとした、重々しい、けだもの[#「けだもの」に傍点]のように自信に満ちた声に完全に占領されていた。 「どの都市も六十以下の請負価格を承知してはならない。Aクラスの都市はハーン星の仕事に、百二十四を要求せよ。Bクラスの都市は、商人がAクラスの都市の中から選ぶだけ選んでしまうまで、それよりも下の値を入れてはならない。六つの都市の全てがAクラスから選ばれるとは信じられない。このハーン星との取引きにCクラスの都市の参加する余地はない。落伍した都市はわれわれが面倒を見よう。今すぐにでも……」  映像がはっきりした。アマルフィは、飛び出しそうに大きく見開いた目で睨みつけた。 「……あるいは、警官が立ち去ってからでも。さしあたっていうことはこれだけだ」  映像が消えた。古びた金属の綱でできたケープをまとった、からだの曲った、髪の毛のない男の姿はその後長いあいだアマルフィの記憶の中に立ちはだかっていた。  |渡り鳥《オーキー》のキングは溶岩で作られた人間だった。たぶんかつては生身《なまみ》の人間だったこともあったのだろうが、今は何か地質学的な現象のように、岩の割れ目から飛び出した黒い石の柱が荒々しくねじゆがめられて、人間の形になったように見えた。  その顔は、もはやそのために生命《いのち》を失うようなことはないが、今もなお征服されず解決されずに残るただ一つの病気──癌[#「癌」に傍点]──に傷ついて、ゾッとするほどみにくい。  アマルフィの頭のなかでつぶやくような声がした。市長の右耳のうしろの乳様突起に埋めこんだ小さな振動器《バイブレーター》から聞こえてきた。 「シティ・ファーザーズの予言した通りのことをいっていますね」  山手の司令塔内の自分の部署から話しかけるへイズルトンの声は低かった。 「しかし、あれぐらいのことで済ませるほど正直《ナイーブ》者とは、とても考えられません。何しろスピンディジー遮蔽《スクリーン》を分極《ポラライズ》して、宇宙線を防ぐことを誰も知らなかったずっと昔から、宇宙を飛びまわっている頑固じいさんですからな。どんなに少なく見積もっても、生れてから二千年は経《た》っているに違いない」 「そう、それだけの暇[#「暇」に傍点]があれば、悪知恵もずいぶん蓄《た》め込めるわけだ」アマルフィは相手と同じように低い声で、相槌を打った。  軍人風の高いカラーの下に咽喉《のど》マイクがあった。第三者の目に映る限りでは、スクリーンの前に突っ立ったまま身じろぎもせず、口もきかず、一人ぼっちだった。アマルフィは唇を動かさずにものをいう技術を身につけていたが、今はその区域の交信条件が乱れていて、声を低くすれば傍受される心配もなさそうなので、その技術をこころみようとはしなかった。 「口でいうことと心の中とがそっくり同じだとは思えない。だがわれわれとしては、ここしばらくじっとしているのが一番よさそうだ」  アマルフィは補助戦闘タンク、つまり、色分けされた光の点が動いて、それぞれの都市と、近くの太陽と、アコライト星の宇宙船の大きさはともかくおたがいの関係位置を示すようになっている、三次元の図表《チャート》に目をやった。そのタンクはデスクのように偽装され、うしろの方からでなければ、のぞき込むことができなかった。したがってアマルフィ以外の目からは全く見えなかった。  それで見ると、アコライト側の勢力は商船が一隻と、それに警察艦が四隻だった。警察の艦艇の一隻はラーナーの乗っているに違いない司令巡洋艦、そのほかは軽巡洋艦だった。  たいした勢力ではないが、そうかといって、この場合全艦隊をそろえる必要もなかった。|渡り鳥《オーキー》都市がその気になれば、最低限度の編成で、たとえ味方の側にある程度の犠牲は出るにしても、ラーナーとその手下をジャングルから追い払うことはできる──しかしラーナーが正規軍の救援を求めたあと、|渡り鳥《オーキー》連中は一体どこへ逃げるあてがあるだろうか? その質問自体が答えになっている。  今度は、遠い壁の曲面に沿って高く一列に並んだ、二十四の小型の個人用スクリーンに映像があらわれた。二十三人の顔がアマルフィを見おろした──Aクラスの都市全部の市長の顔だった。二十四番目のスクリーンはアマルフィ自身の都市の分だった。アマルフィはもう一度、音声の主《メイン》スイッチを入れた。 「さあ、始めていいかね?」アコライト人の女がいった。「ここには二十四の都市の番号《コード》がある。代表者もみんなそろってるようだ。それにしても、近頃の渡り鳥は臆病になったもんだよ──この簡単な仕事に値を入れたのは、三百の都市の中でたったの二十四じゃないか! そんな心がけだから、渡り鳥に落ちぶれたのさ。まともに働くのをこわがってるんだからね」 「われわれは働く意志がある」キングの声が聞こえた。  しかし、そのスクリーンは灰緑色のままだった。 「番号《コード》をよく見て、気に入ったのを選びたまえ」  女商人は声の主《ぬし》を探した。 「減《へ》らず口はおよし」  するどい声だった。 「さもないと、Bクラスの都市から志願者を求めるよ。その方がよっぽど安くてすむからね」  反応はなかった。女商人は手にした番号表《コードリスト》に目を通した。しばらく経《た》ってから三つの番号を呼び、それから、かなりためらったあげくに四つ目の番号を呼んだ。  アマルフィの頭の上の四つのスクリーンから映像が消え、図表《チャート》タンクの中では緑色に光る点が四つ、赤色矮星から外の方へ移動し始めた。 「あとハーンY号星で必要なのは、高圧の仕事を引き受ける都市だけなんだがね」女商人はゆっくりとした口調でいった。「このリストには高圧を専門とする都市が八つ載ってるよ。そこのお前さん──お前さんはどこだい?」 「ブラドリー・ヴァーモントだ」顔のひとつがこたえた。 「高圧の仕事なら、お前さんのつけ値はいくらだね?」 「百二十四だがね」ブラドリー・ヴァーモントの市長は不機嫌そうにいった。 「ほほう! お前さん、ずいぶんお高くとまってるじゃないか。ちっとは需要供給の法則のことでも勉強しないと、そのうちにここでじっとしたまま腐っちまうよ。お前さん──お前さんはドレスデン・サクソニーとかっていったね。お前さんのつけ値は? いいかい、必要なのは一都市だけだよ」  ドレスデン・サクソニーの市長は、頬骨の高い、黒い目のよく光るやせた男だった。明らかに栄養失調と見てとれる状態なのに、いかにも楽しそうにしている。少なくとも、顔には微笑を浮かべていたし、目を大きく見せている暗い影の中で、瞳[#「瞳」に傍点]がキラキラと光っていた。 「われわれは百二十四を要求する」  意地の悪い冷淡さをあらわにした口調だった。女商人は目を細くした。 「へえ、そうかい? 偶然の一致ってやつだね? それで、お前さんは?」 「同じだ」三人目の市長は、気乗りのしないいい方でこたえた。  女商人はクルリと身をひるがえして、アマルフィの顔にまともに指をさした。キングの君臨している市のようにひどく古い都市であれば、誰を指さしたのか、それを判断することはできないのだが、ジャングルに住みついている都市のほとんどは三次元補償装置をもっていた。 「お前さんは、一体どこの誰だい?」 「われわれはその質問にこたえるつもりはない」アマルフィが口をきいた。「それにいずれにしろ、われわれは高圧の専門家ではない」 「そんなことはわかってるよ。あたしだって符号《コード》が読めるんだからね。しかしお前さんのとこは、あたしの見たこともないほど大きな都市だし、あたしは何も、お前さんのお腹《なか》がどうのこうのといってるんじゃないんだよ。それに、お前さんの都市はなかなか近代的だから役に立ちそうだ。百で引き受けてくれれば、この仕事はお前さんのもんだよ──それ以上は出せないね」 「興味はない」 「お前さんは肥ってるばかりでなく、おバカさんだよ。自分からこの地獄の穴にはまり込んできたくせに。それに、お前さんは告発されて、コソコソと……」 「なるほど、君はわれわれの素性を知っている。それをなぜ訊くんだ?」 「そんなことはどうでもいいよ。自分で住んでみるまでは、ジャングルがどんなとこだか、お前さんなどにはわかりやしないんだ。気のきいた人間なら、そんなことのできるうちに仕事を引き受けて、こんなとこから出て行くんだね。予定の期間内に仕事を仕あげてくれるなら、百十二出していいよ」 「君はわれわれの責任を免除することを拒絶したのだから、今さら仕事の心配までしてくれるには及ばない。われわれはどれほど金を積まれても、高圧の作業には興味がないのだ」  女商人は声を出して笑った。 「お前さんは嘘までつくよ。お前さんだって、あたしと同じに仕事をしてる|渡り鳥《オーキー》を逮捕する者などいないってことを、よくよく知ってるじゃないか。仕上げてしまえば、仕事をやめるのはわけのないことだよ。じゃあ、こうしよう──百二十出すよ。これであたしの出せるギリギリだし、高圧の専門家の要求してる値に比べて、たった四しか少なくないんだからね。いいところだろう?」 「いいところかもしれない」  アマルフィはゆずらなかった。 「しかし、われわれは高圧の作業をやらない。それにわれわれは、すでにラーナー警部から仕事のあることを聞いてすぐに、偵察衛星《プロクシー》をハーン星に出してその報告を聞いている。われわれはその仕事が気に入らない。その仕事をやりたくない。百二十でも、百二十四でも、引き受けるつもりはない。わかったかね?」 「わかったよ」  女商人のことばには悪意が込もっていた。 「また、あとで話をしよう」  キングは何とも知れない、しかし、敵意のあらわな表情でアマルフィをみつめていた。こっちの推測が正しければ、キングはこっちのことを|渡り鳥《オーキー》都市の結束に便乗して、少しばかりやりすぎると思っているのだ。また、それほどまでに独立独歩を主張するのは、ジャングルで指導権をにぎろうという野心があるからなのだと、そんなことを考えているのかもしれない。確かに、少なくともそんな考えが頭の中に浮かんできたことには間違いがない。  そうなると、残されているのは、Bクラスの都市の中から契約を結ぶ相手を選び出すことだけだった。しかしそれが始まるまでにはしばらく時間がかかった。  わかってみると、女はただの商人ではなかった。相当な企業家なのだ。彼女は二十の都市と請負契約を結んで、熱い星に近すぎるほど近い、ある小さな惑星のウラニウム原鉱を採掘するという下等な仕事をやらせようとしている。二十もの都市がよってたかって採掘すれば、その惑星も何ヵ月もかからないうちに、隕石ほどに小さな、しかも穴ぼこだらけのがらくた[#「がらくた」に傍点]の塊になってしまうだろう。それを目腐《めくさ》れ金《かね》で手っとり早くやってのけようというのが、彼女のやり口らしい。  やがて、女商人がまだ心を決めかねているうちに、思いがけなく別の声が聞こえてきた。弱々しいはっきりしない声だった。スクリーンに顔は出なかった。 「その仕事はわれわれが引き受ける[#「われわれが引き受ける」に傍点]。われわれにやらせてくれ[#「やらせてくれ」に傍点]」  いくつものスクリーンから、ブツブツとつぶやく声がもれた。いくつかの顔に同じ影が走ったように見えた。  アマルフィはタンクをのぞきこんだが、そこからは何も読みとれなかった。信号が弱すぎたのだった。その声が遠く離れたジャングルの周辺の都市──死にもの狂いでエネルギーを求めている都市──からのものだということ、確信できるのはそれだけだった。  アコライトの女商人はちょっととまどったようだった。たとえジャングルの中ででも、ある程度の大まかなルールは守られなければならないはずだと、アマルフィは苦々しく思った。女商人もほかの応募者と交渉する前に、飛び入りに割り込んでこられるのは迷惑だと感じているらしい。 「よけいな口を出すな」  キングのたしなめる声は前よりもずっとゆるやかで重々しく、その重さはほとんど触って感じられるほどだった。 「向うに自分で選ばせるがよい。Cクラスの都市には用がないはずだ」 「われわれが[#「われわれが」に傍点]その仕事を引き受ける。われわれはずっと昔から鉱山都市だった。鉱石を精錬することもできる。ガス拡散法でも、質量分光法でも、質量クロマトグラフ法でも、要求されればどんなことでもやる[#「どんなことでもやる」に傍点]。われわれにはそれがやれる[#「やれる」に傍点]。われわれはどうあっても、その仕事をやらせてもらわなければならない[#「ならない」に傍点]」 「それはほかの都市も同じことだ」キングは冷たい無感動ないい方でこたえた。「自分の番の来るのを待て」 「われわれは死にかけている[#「死にかけている」に傍点]! 餓え、寒さ、かわき、病い!」 「ほかの都市も同じ状態なのだ。君は、われわれがすき好んでこの境遇に甘んじているとでも思うのか? 自分の番を待て!」 「もういい」女商人がだしぬけに口を出した。「わたしの選ぶ相手を、はたからああでもないこうでもないといわれるのは迷惑だよ。とにかくこの仕事がかたづけばいいんだ。誰だか知らないけど、今声を出した人、自分の座標を申し出なさい。そうすれば──」 「座標を申し出るがいい。君の舌の根の乾かぬうちに、その座標にディラック魚雷をぶちこんでやる!」キングは吠え立てた。「アコライト人に訊きたい、その石掘りの仕事に、一体どれだけ支払うつもりなのだ? ここには六十以下で働く都市は一つもない──絶対にない」 「われわれは五十五でいい[#「五十五でいい」に傍点]」  女商人は気持の悪い微笑を浮かべた。 「どうやらこの厄介者ばかり集まった区域にも、正直な仕事をはした金で引き受けるチャンスにありつけることを喜ぶような都市があると見える。次は、誰?」 「何もわざわざCクラスの都市を選ぶことはないじゃないか」選にもれたAクラスの都市の中から、不平の声があがった。「われわれも五十五でいい。とにかく仕事にありつけば損はない」 「それならば、われわれは[#「われわれは」に傍点]五十だ」即座に、仲間はずれの都市がささやくような遠い声で受けた。 「歯をへし折ってやるぞ! それから、君だ──君はコキラヴィル・コンゴだな? そのうちに、自分がうっかり舌を動かしたことを後悔するぞ」  早くも、図表《チャート》タンクの緑色に光る点の中に、ざわめきが起こっていた。大型の都市のいくつかが、自分の軌道を離れようとしている。女商人の顔にあいまいな不安の表情があらわれかけていた。 「おい、へイズルトン!」アマルフィが早い口調でつぶやいた。「どうも、よくならないうちにもっと悪くなりそうだ。できるだけ早く準備をととのえて、わたしが命令を下すのと同時に、赤い太陽に近い、空席になった軌道のどれかにもぐり込めるようにしておいてもらいたい」 「これ以上速度をあげることなど、とてもできそうにありませんが──」 「できれば、速度はあげたくない。われわれが、一般の傾向に逆らうような動き方をしていることをさとられないように、ゆっくりと行動しなければならないだろう。それから、これもできればだが、さっきわきから割り込んできたあの外側の都市の位置を求めて欲しい。それが注意を引かずにはできないようなら、すぐにやめるんだ」 「わかりました」 「ハジイのねまき[#「ねまき」に傍点]にかけてでも、お前さんがたには思い知らせてやる!」女商人がわめき叫んでいた。「今日は、一切合切ご破算だよ。どこの誰にも仕事はやらない。一週間|経《た》ったら戻ってくる。その時分になれば、お前さんがたも少しは常識という物をとり戻しているかもしれないからね。さあ、警部、さっさとこんな所から抜け出そうよ」  とはいったものの、抜け出すことは容易でなかった。アコライトの宇宙船団と開けた宇宙空間とのあいだには、重装備の都市の群が一種の|波  頭《ウエーブフロント》をつくって、その波は弱小都市の寒さに震えている外側の暗黒の中へ拡がっていっている。その二番目のもろく弱い殻にはCクラスの都市の大部分が集まって、恐慌状態を呈している。さらにもっと外側では、せっかくの仕事の契約を反古《ほご》にされた都市が怒りを心頭に発しながら、ジャングルへ引き返そうと突進してきている。そんな状況が三次元図表タンクの中の、色とりどりの光の点の動きにあらわれていた。  |応 接《レセプション》ホールには、躁狂患者の大部屋のようにさまざまの声が騒々しく入り乱れていた。そのほとんどは、請負代金についてせっかく約束した線の破れてしまったのは、自分の責任ではないということを申し開きしようとしている市長達の声だった。どこかでは、いくつかの都市が混乱の影にかくれて、まだでも、アコライト人の女商人に向かって、新しい値をつけようとして叫び立てている。その全ての騒乱を通して、キングの声がオーストラリア土人の|うなり板《ブル・ロプラー》のように、空気をかきまわした。 「邪魔ものをかたづけろ!」ラーナー警部が叫んだ。「ずっと外まで道を開けるんだ」  その声にこたえるように、図表《チャート》タンクの中には、突然髪の毛のように細いサファイア色の線が飛びかった。乱射される中間子ライフルの静電気がスピーカーの声を雑音でかき乱し、スクリーンに映る絶望的な大きな口をあけた顔を縞模様で消した。ラーナー警部の表情が恐怖に、自分のおかれた状態が非常に危険な物だということにふいに気づいた人間の恐怖に、こわばった。アマルフィは警部が何かに手をのばすのを見た。 「よし、へイズルトン、前進《スピン》!」  欠陥のあるスピンディジーがむせぶような音をたて、市は苦痛をこらえるように重々しく動きだした。ラーナーの肘がグイッと腹のあたりに引き戻され、警察の船からべーテ爆雷《ブラスター》の青白い誘導火が走ってきた。  数秒|経《た》つと、何かが熔融爆発の白熱の苦悩の中に消えた。──そこは混乱するジャングルの中心からとほうもなく遠く離れた位置だったので、アマルフィは最初はげしい怒りとともに、ラーナーが恐怖を与えるだけのために|渡り鳥《オーキー》都市を無差別に破壊しようとしているのだと、そう思った。  やがてラーナーの顔の表情から、その一弾が目標を定めない盲射だったのだということがわかった。ラーナーもアマルフィと同じように、そしてたぶんは同じ理由から名も知らぬ傍観者の不慮の死を目のあたりに見てびっくりしている。  その反応の深刻さに、アマルフィはあらためて驚かされた。ラーナーにもまだ望みはありそうだ。  今度は、どこかのとんでもない|渡り鳥《オーキー》都市が警官に向かって発射した。しかし、弾丸はとどかなかった。中間子《メゾトロン》ライフルは元来軍事的な武器ではなかったし、それにアコライト人達はもうほとんどジャングルから抜け出してしまっていた。  つかの間、アマルフィは、ラーナーが仕返しに数発のべーテ爆雷を密集区域へ投げ込むのではないか、とそう思った。しかし、警官も少しは残っている良識をとり戻しかけているらしく、少なくとも司令巡洋艦からはそれっきり打ち返してこなかった。これ以上砲火を交えると、くだらない喧嘩沙汰にすぎないこの事件も、本格的な暴動に発展して、アコライト海軍《ネービー》の助けを求めなければならないことになるおそれがあると、ラーナーがそう考えたのかもしれない。  いかなアコライト星人も、そんなことを望むわけはない。それでは、熟練した労働力の源泉を自分から断ち切ってしまうことになるのだ。  市のスピンディジーが停止した。  応接ホールから鐘楼へのぼって行く石づくりの階段から、無気味な煙ったような赤いあかりがもれてきた。 「市長《ボス》、市はあのいやな臭いのするちっぽけな星のそばに停泊しています。ここからキングの市の軌道まで百万マイル以下です」 「よくやった、マーク。艦載艇を出してくれ。訪ねて行ってみよう」 「わかりました。何か特別な装備が要りますか?」 「装備か?」アマルフィはゆっくりとした口調で訊き返した。「そうだな──いや、要らない。だが、アンダスン署長を一緒に連れて行った方がいい。それから、マーク──」 「何です?」 「ディーも、連れて行きたまえ」  キングの市の市庁舎は古い大理石作りの、壮大な、見る人に極めて強い印象を与える建築物だった。その周囲は一段低く、それほど大きくはないが、同じように威厳のある美しい構築物に囲まれていた。その中に、重量感のある古い型のカンティレヴァ式の橋があった。アマルフィには、そんな物が何の役に立つのかさっぱり見当がつかなかった。  その橋は、市を二つに分割するおそろしく幅の広い大通りをまたいでかかっていた。大通りには全く交通がなかった。今では歩行者しか渡さない橋にも、人通りはあまりなかった。  アマルフィは、結局、その橋の保存されていることには歴史の尊重以外に何の意味もないのだと判断した。ほかの全ての|渡り鳥《オーキー》都市の場合と同様に、キングの市でもエアカーを利用するのが正常な交通様式なのだから、そのほかに似つかわしい感情はなさそうだった。市庁舎《シティホール》と同じように橋は美しかった。保存するについては、そのことも話題にのぼったかもしれない。  エアカーは少し揺れて、それから着陸した。 「さあ、諸君、着きました」  運転手がドアを開けた。 「ようこそブダペストに来られました」  アマルフィはディーとへイズルトンのあとから広場に降り立った。ほかにも、たくさんのエアカーが赤く染まった空から舞い降りて、すぐそばに着陸した。 「大きな会議があるらしい」へイズルトンがいった。「この市のおえらがたばかりでなく、外の都市からの客も参加して。そうでなければ、運転手が歓迎のことばを述べたりするわけがありません」 「わたしもそう思う。われわれはその会議にちょうど間にあったようだ。わたしの意見では、キングも自分の臣民からこっぴどく吊しあげられているね。ラーナーと射ち合いをやったり、みんなの仕事をふい[#「ふい」に傍点]にしたり、キングの株もかなり下落したに違いない。そうだとすると、われわれも大手を振って玄関を入れる」 「玄関といえば」へイズルトンが口を出した。「この墓のような建物の入口は、どこだろう? ああ──きっとあそこだ」  アマルフィ達は、玄関先にものものしく立ち並ぶ大きな円柱の影を足早やに通り抜けた。中に入ると、ロビーでは背中の曲った人物や威勢のいい連中が幅の広い古めかしい階段の方へ歩いて行ったり、小さなグループを作って、豪奢な薄暗がり[#「薄暗がり」に傍点]の中で声をひそめながら、さも重大らしく語りあったりしていた。  この入口のホールのシャンデリアはすばらしかった。それほど明るくはないが、とや[#「とや」に傍点]にかかった孔雀のような不思議な魅力を放っていた。  誰かに袖を引っぱられて、アマルフィは振り返った。年をとったスラブ風の顔をした、やせた男が側に立っていた。その黒い目は、おさえつけた茶目っ気で生き生きと輝いていた。 「この場所はわたしにホームシックを起こさせるよ」やせた男はそんなことを話しかけた。「もっとも、自分の住む町にこんな岩の塊みたいな大きな建物があっては困りますがね。ところであなたは名もない都市のためを思って、先方のつけた値をかたっぱしからはねつけたあの市長だね? そうでしょう?」 「いかにもそうだ」アマルフィは薄暗がりの中で目をこらしながら、相手の姿を見さだめた。 「そういう君はドレスデン・サクソニーの市長のフランツ・シュペヒト君だね? 何かお役に立つことがありますかね?」 「いや、別に。ありがとう。ただ、わたしをお見知りおきいただきたかっただけです。中に入ってから、誰か知った相手が欲しいということになるかもしれない」  やせた市長は階段の方へうなずいて見せた。 「わたしは今日のあなたの態度を立派だと思った。しかし、中にはそれを恨む者もいるかもしれない。なぜ、あなたの市には、名前がないんですか?」 「ないわけではない」アマルフィはこたえた。「しかし、われわれには場合によって自分の市の名前を武器として、さもなければ、少なくとも挺子《てこ》として利用しなければならないことがある。そうでない場合には、わざと名前を伏せておく」 「武器として! さあ、そうなると、ここは一つ、じっくり考えてみなければならない。またあとでお目にかかりましょう」  シュペヒトは唐突に立ち去って、影のように見える人の群の中にまぎれ込んだ。  へイズルトンが当惑顔でアマルフィをみつめた。 「どういうつもりなんでしょう? 援護射撃をしてくれようというのかもしれませんね?」 「そんなところだろうな。いずれにしろ、あの先生のいうようにこの騒ぎの中では、友人がいて助かることもあるだろう。とにかく上に行ってみよう」  どの|渡り鳥《オーキー》都市よりも古い、宇宙旅行そのものよりさえ古い、帝国の戴冠式場だったこともある大ホールでは、すでに会議が進行していた。  壇の上にはキング自身が立っていた。目のあたりに見るキングはとほうもなく背が高く、頭が禿げ、みにくい傷痕の残る顔は見るからおそろしく、無煙炭のように黒光りしていた。想像も及ばないほどの老齢だった。何の奇もなく平穏無事に、まるで石のように古びていた。自分の市の色彩豊かな背景をバックにして、自分自身は歴史を失った古さだった。  この男がブダペスト全市の衆望をになう市長だとは、とても信じられない。この市の航海日誌には、最近の日附けで血にまみれたページがあるのではないかと、アマルフィはそんな気がしてならなかった。  それにもかかわらず、キングはそれほどの努力もせずに、反抗的な|渡り鳥《オーキー》都市連中の支配権をガッチリと手中におさめていた。その砂利を流すようなすさまじい声は、岩石の山がいっきに崩れ落ちるように会衆の頭の上にのしかかり、その荒々しい運動量《モメンタム》だけでかれらを圧倒した。  ときたま平土間からきこえる抗議の泣きごとも、キングの叱咤の前には、逃れようのない雪崩に怯える小羊の泣き声のように、甲斐なくむなしく消えた。 「君達は頭が狂っている!」  キングは割れ鐘のような声を出した。 「君達は責任者を見つけ出そうとして、がらにもなくいきり立っている! よし、わたしが責任者を教えてやる! その責任者をどう処分すればいいか、それも教えてやろう。教えてやるから、君達がそれをやるんだぞ。君達全部がだ!」  アマルフィは牛のように強い両肩を有効に活用して、一筋縄ではゆかない市長や市の支配人のギッシリと詰まった中をかきわけて進んだ。へイズルトンとディーは手に手をとってそのすぐあとに続いた。  |渡り鳥《オーキー》連中はアマルフィの強引なやり方にブツブツと不平を鳴らした。しかし、かれらはキングの痛烈な非難攻撃と、自分達自身のキングの遮二無二リーダーシップを奪ってしまう戦術に対するはげしい無統制な反抗とにかまけて、アマルフィに対しては、ほんの一瞬、イライラした態度を見せる以上のことはできなかっ た。 「なぜ、われわれはこんな所にグズグズして、アコライト星の田舎《いなか》者野郎にこづきまわされなければならないのだ?」キングは吠え立てた。「君達はうんざりしている。わたしもうんざりしている。わたしは元々こんなことを引き受けるつもりはなかったのだ! わたしがここに来た時には、君達はたがいにせりあって、ただも同然の値をつけていた。せりが終るときまって、仕事にありついた都市はすっからかんになってしまった。君達に団結の仕方を教えたのはこのわたしだった。自分達の権利をどうやって守るか、それを君達に教えたのはわたしだった。請負価格の最低線をつくり、それを維持する方法を君達に教えたのはわたしだった。その価格の最低線の破れた時にどうすればいいか、それをこれからわたしが君達に教えよう」  アマルフィは手をうしろにのばしてディーの手をつかみ、自分のすぐそばに引き寄せた。そこは、ほとんど壇につかえそうな群衆の最前列だった。キングは気配を感じて、口をやすめ、見おろした。  アマルフィはディーの手が発作を起こしたように自分の手をにぎりしめるのを感じた。自分もにぎりかえした。 「よし、わかった」  アマルフィは自分がその気になって声を出せば、かなり大きな空間をその声でいっぱいにすることができた。 「教えてもらおう。それができなければ、黙りたまえ」  アマルフィ達の顔をまともに見据えていたキングは、ケイレンを起こしたような身動きを見せた──ひと足うしろへさがろうとしかけたようにも見えた。 「君は一体どこの何者だ?」どなるような声でキングが訊いた。 「わたしは、今日、価格の最低線を守り通したただ一つの都市の市長だ」アマルフィはこたえた。  どなったり叫んだりするようには見えなかったが、どうした加減なのか、その声はホールのすみまでよく通って、決してキングの声よりも小さくはなかった。群衆の中を早口のつぶやきが伝わって行き、誰も彼もがアマルフィの方へ首をのばした。 「われわれはここでは一番新しい──そして一番大きな大きな都市だが、今度初めて、君達が仕事をせり落すやり方を見せてもらった。全く鼻もちがならないと、われわれはそう思う。君が賃金の水準《レベル》を低い所に決めたことはともかくとして、相手のいいなりに、どんな値でも仕事を引き受けるというそんなやり方はまっぴらごめんだ」  そばにいた誰かが振り返って、横目づかいにアマルフィの顔を見た。 「あんたがたは空間を喰って生きて行けるらしい」  冷淡な口調だった。 「われわれは食物を喰っている。そんな歯ごたえのない物を喰うつもりはない」アマルフィはどなり散らすようないい方でこたえた。「そこの壇の上にふんぞり返っている、ああ君だ──さあ、この混乱状態から抜け出す、とっときの大計画とやらを聞かせてもらおうじゃないか。どんな計画にしろ最低賃金制よりも悪いはずはない──絶対にない」  キングは壇の上を往ったり来たりし始めた。  アマルフィの話が済むと、クルリと向き直って、両手を腰に当て肘を張り、両足を開いて立ちどまった。前に突き出した禿頭が色のあせた壁かけをバックにしてキラキラと光った。 「聞かせてやる」  大きな声だった。 「聞かせてやるとも。それを知って君の吹いたほら[#「ほら」に傍点]の結末がどうなるのか、一つとっくりと見せてもらうことにしよう。望むなら、君はあとに残って、アコライト星人から威勢のいい賃金をもらえるものかどうか、やってみるがいい。しかし、根性があれば、君もわれわれと一緒に来るはずだ」 「どこへ?」アマルフィは冷静に訊き返した。 「われわれは地球をめざして進軍する」  つかの間、気の遠くなるような沈黙が支配した。やがて、ホールにはうなり声の合唱が起こった。  アマルフィはニヤリと白い歯を見せた。反応は必ずしも友好的ではなかった。 「待て!」キングはどなった。「とにかく待つんだ! 一つ聞きたいが──われわれがアコライト星人と争うことにどんな意味があるのだ? 連中はどうせ田舎まわりのやくざにすぎない。連中だって地球の目が隅々までとどいていれば、自分達の奴隷市場作戦も、非公認の戦力も、恐喝も、うまくいきっこのないことは、われわれと同様、百も承知なのだ」 「それならば、なぜ地球の警察を呼ばないのか?」誰かが訊いた。 「呼んでも来てくれないのだ。来られないのだ。銀河系には、それぞれの区域の星団から物資の供給を受けてくらし[#「くらし」に傍点]を立てている|渡り鳥《オーキー》都市が、いくらでもあるに違いない。この不景気はどこに行っても同じことだ。地球の警察も、あらゆる方面に同時に人員を派遣するだけの余裕はない。  しかし、われわれはそんなことをしてもらう必要はない。こっちから地球へ乗りこんで行って、堂々と権利を要求すればよいのだ。われわれは一人残らず、全て地球の市民なのだ──ここにヴェガ星人がまぎれこんでいない限り、全部が地球人だ。君はヴェガ星人だとでもいうのかね?」  傷跡の目立つ顔がアマルフィを見おろして、無気味な微笑を浮かべた。神経質な忍び笑いがホールの端から端まで伝わって行った。 「そうでなければ、われわれは地球へ行って、政府に保釈を要求することができる。いずれにしろ、ほかに何のために政府という物があるのだ? 政治家どもを何世紀ものあいだ肥らせておけるほどの金《かね》を、一体誰が作り出すのだ? 政府が世界を治め、税金を取り立て、罰を加えるのは、それが|渡り鳥《オーキー》都市のためでないとすると、一体何のためだ? 君はそのベルトの下に軌道要塞でも隠しているような腹をしているが、ひとつこたえてみたまえ!」  前よりも大きな遠慮のない笑い声が起った。しかしアマルフィは自分の腹のことをからかわれるのに、すっかり慣れっこになっていた。それにそういう針を含んだ嫌味が出てくるのは、相手がいうべきことばを失った徴侯に違いなかった。  かれは落ち着きはらってこたえた。 「われわれの半数以上はここへ来た時にすねに傷をもつ身だった。それもこの区域の法律に違反したわけではなく、何かの点で地球の秩序を乱したというかどで追われていた。ある都市は数十年ものあいだ、そのような違反事件の罪を問われて、地球へ連れ戻されるのを避けて逃げまわっている。君は自分自身を皿にのせて、どうか存分に料理していただきたいとばかり、地球の警察に差し出すつもりなのか?」  キングは耳半分ほども聞いていないようだった。二度目の大笑いの波に、わが意を得たりとばかり大きく崩した表情をそのままにして、ディーの顔に見とれていた。 「われわれはディラック放送であらゆる方面の全ての|渡り鳥《オーキー》都市に呼びかける。こういうつもりだ。『全員こぞって地球へ帰ろう。勘定のかた[#「かた」に傍点]をつけに帰るのだ。われわれは銀河系の全域にわたって、地球のために重労働に服してきた。そのわれわれに地球が酬いたのは、われわれの金を紙屑に変えることだった。地球がそれをどうかた[#「かた」に傍点]をつけてくれるか、それを確かめに帰るのだ』──われわれは落ち合う日時と場所を決める──『宇宙人の根性を持った|渡り鳥《オーキー》都市はわれわれに続け』とね。これでどうだ、え?」  アマルフィの手をにぎるディーの手に、とても女の力とは信じられない強い圧力が加わった。アマルフィはキングに口ではこたえなかった。金属を思わせる目で見つめ返しただけだった。  戴冠の間のずっとうしろの方から、ついさっきなじみになったばかりの声が聞こえてきた。 「その無名の都市の市長の発言はまことにもっともである。地球の立場からすると、われわれは最悪の場合、潜在的な犯罪者の危険な集団なのだ。せいいっぱい好意的に見たところで、不満を抱く失業者の群なのだから、そのような連中が大挙して地球の附近に集まることは望ましくないはずである」  へイズルトンが人を押し分けて最前列まで出てくると、ディーのかたわらに立ち、いどみかかるような目でキングの顔を睨みつけた。しかしキングは視線をへイズルトンの頭越しにそらせてしまった。 「誰か、もっとよい考えを持った者がいるか?」  色の黒い大男の口調はそっけなかった。 「ああ、ここに、気のいいヴェガ星人のじいさんがいた。じいさんならいい考えでいっぱいだ。ひとつ、じいさんの意見を聞いてみるとしよう。きっとすばらしい意見を聞かせてもらえるに違いない。きっと天才なんだ、そのヴェガ星人は」 「さあ、今ですよ、市長《ボス》」へイズルトンがささやいた。「こっちの思う壺だ!」  アマルフィは自分の手をディーの手から解き離して──優しくそうするのは、なかなか大変だった──無器用に、しかし何のわけもなく壇の上にとびあがると、群衆の方へ向きなおった。 「おうい、そこのダンナ」誰かが大声をはりあげた。「ダンナがヴェガ星人などであるものか!」  群衆は落ちつかない笑い声をあげた。 「ヴェガ星人だといったおぼえはない」アマルフィはやりかえした。  へイズルトンが素早く顔を伏せた。 「君達は子供の集まりなのか? 君達をこの絶望的な状態から解放してくれる、そんな神秘的な星はどこにもない。集団を組んで向こう見ずに地球に押しかけて行ったところで、どうにもならない。容易なことで抜け出す方法はないのだ。もし君達に根性があれば、なかなか手ごわいが、一つだけ方法がある」 「きかせてくれ」 「声を大きくしろ!」 「やってみようじゃないか」 「よし」  アマルフィはキングをその場に釘づけにしたまま、ハプスブルグ王家の巨大な玉座の所まで歩いて行って、そこに腰をおろした。  立っているときのアマルフィは、柄は大きくてもキングに比べるとずっとみすぼらしかった。しかし玉座にすわると、キングの方が小さいばかりでなく、いかにも場違いに見えた。壇の奥の方から、アマルフィの声は今までと変らず力強く響きわたった。 「諸君、われわれのゲルマニウムは今や無価値だ。紙幣もそうだ。われわれの働いた仕事さえ、今となっては何を基準にとっても、価値がありそうには見えない。そこがわれわれにとっては問題なのだ。地球にしたって、それをどうしようもない──地球も破産しかけている」 「まるで教授だ」  キングのしっかりと結んだ唇が引きつれた。 「黙りたまえ。君に頼まれたからここにあがったのだ。いうだけのことをいってしまうまではここから降りない。われわれの誰もが売らなければならない商品は、労働力だ。手仕事、重労働、そんなものには何の値打ちもない。機械にやれることだ。しかし頭脳の働きは、頭脳以外の何物をもってしても代えることができない。芸術と純粋科学とはどんな機械も及ばない領域のものだ。  ところで、われわれは芸術を売るわけにはいかない。それを創り出すことができない。われわれは芸術家ではないし、その素質もない。銀河系には、その方面の需要を満す、全く別の社会がある。しかし純粋科学の分野での頭脳の働きなら、われわれも売ることができる。われわれがしょっちゅう、応用科学の分野で頭脳の働きを売ってきたのと同じことだ。  もし自分の|切り札《カード》をうまく使うことができれば、通貨制度がどんな物であろうと、それとは無関係にどんな場所ででも、こっちの付け値で売れる。最後のとっときの商品だ。長い目で見れば、|渡り鳥《オーキー》以外には誰もうまく売ることのできない、そういう種類の商品なのだ。  その商品を売れば、われわれはアコライト星団ばかりでなく、そのほかのどんな星団にでも取って代わることができる。しかも、われわれはそれに自分達の思い通りにどんな値でも付けることができるのだから、不景気の場合にでも今までよりはずっとうまい汁が吸える」 「証明してみろ」誰かが声を出した。 「わけのないことだ。この近辺には三百の都市が集まっている。それだけの都市のためこんだ知識を綜合して活用しよう。それほどたくさんの〈シティ・ファーザーズ〉を一ヵ所に集めるのは、史上初めてのことだ。また、それほどたくさんの、それぞれの科学の各種の部門に、特殊の知識と技能を持っている大きな組織が糾合《きゅうごう》されるのも初めてのことだ。  もし、われわれがたがいに相談し合い知的な資源を利用しあえば、われわれは技術的に銀河系のほかの連中よりも、少なくとも千年は前進することになるだろう。現在、独立した専門家なら、ほとんどただも同然の金で雇うことができる。しかし独立した専門家で──独立した都市にしろ、惑星にしろ──われわれ全部と太刀打ちできるものはない。  それこそは、諸君、はかり知れない価値のある通貨、宇宙全部に通用する通貨、つまり人類の知識なのだ。ところでこの銀河系には、最新の、といっても、われわれなら誰でも知りつくしているような種類の、平均して地球よりも一世紀ほど遅れている知識に、すすんで金を出そうという未開の世界が八千五百万もある。だが、われわれがめいめいの持っている知識を出しあって綜合すれば、もっとも進歩した惑星も、地球自体でさえわれわれの提供する物を買いたいあまりに、通貨制度の混乱をも招きかねないことになるだろう」 「質問!」 「ああ、君はドレスデン・サクソニー市だったね? どうぞ、シュペヒト市長」 「綜合した技術が解答だということについて、あなたには確信があるんですか? あなたは、単なる技術は機械の領分であると、自分でそういわれた。古代のゴーデル教会の教理によれば、単独の機械であろうと、機械の組み合わせであろうと、そんな物が人間の思想にそれほどの進歩をもたらすことはあり得ない。設計技師はそれがどんな形の物になるかということの見当もつかないうちに、その機械の働き[#「働き」に傍点]を頭の中で完成させなければならない」 「一体どういうことなのだ、研究会《セミナー》なのか?」キングが口をさしはさんだ。「そんなことよりも──」 「聞こうじゃないか」誰かが叫んだ。 「今日のあの騒ぎ[#「騒ぎ」に傍点]のあとで──」 「いいたいことをいわせろ。いうことはわかるぞ!」  アマルフィはしばらく待ってから、口を開いた。 「よろしい、シュペヒト市長。どうぞその先を」 「わたしは要点をいおうとしていたところだった。つまり、君がわれわれの問題の解答として提案しているのは、機械にはできない仕事なのだ。だからこそ都市の市長には、〈シティ・ファーザーズ〉の及ばない権威がある」 「全くその通りだ」アマルフィは、こたえた。「わたしも、われわれの〈シティ・ファーザーズ〉の全部を完全に接続してしまえば、それだけで自動的にわれわれは解放されると、そんなことをいおうとしているのではない。何よりも相互の位置の問題があるから、接続の方式はよっぽど慎重に決定して、接続の程度が知識の集積でなくその消滅という結果をもたらさないようにしなければならない。ちょうどそこに、君の話したことのいい例がある。つまり位置の問題は、それが量であらわせないという理由で、機械には処理することができないのだ。  わたしはこれを、問題を解決するなかなか手ごわい方法だと、そういったが、そこには何の誇張もあるわけではない。機械の蓄積した知識を持ち寄った上で、われわれは、それを何かの役に立てる前に、解釈し判読しなければならない。  それには時間がかかる。時間の浪費だ。技術者は、あらゆる段階ごとに知識の集積を照合確認しなければならない。〈シティ・ファーザーズ〉が、渡される情報を確実に受けとるように監視しなければならない──われわれの知る限りでは、〈シティ・ファーザーズ〉の情報記憶能力には限界がないということになっているが、この前提は、未だかつて実用的な段階でテストされたことがない。技術者は、情報が綜合されて結局どんな知識になるかということを検査しなければならない。その検査の結果を〈シティ・ファーザーズ〉に通して、論理上の誤りを発見し、〈シティ・ファーザーズ〉の使用する論理の適用されない論理以前の欠陥の有無を確かめ、さらに、全ての検査済みの事項について、新しい意味が含まれているか、いないかをチェックし、それが含まれている場合には、最初から照合確認をやり直さなければならない──そのような事項はなん千となくあるはずだ……。  一通りかたづけるだけでも、二年以上、おそらくは五年近くかかるだろう。〈シティ・ファーザーズ〉は、受け持っただけの仕事を数時間でやってのけ、あとの時間は人間の頭脳の働きに費やされる。その仕事の進んでいるあいだは、われわれもみじめな思いをするだろう。しかしみじめな思いなら、すでにたっぷり味わっている。仕事の終ったあかつきには、われわれは銀河系のあらゆる区域を、大手を振ってまかり通ることができるようになる」 「まことに結構な答弁だ」  シュペヒトは、静かな声で話したが、そのことばの一つ一つが、小さなミサイル弾のように静まりかえった、汗に湿った空気をするどくつらぬいた。 「諸君、わたしは、無名の市の市長のいうことが正しいと思う」 「とんでもないことだ!」  キングが、自分の前の空気をはらいのけようとするように手を振りながら、壇の正面まで大またに歩いて行って、吠えたてた。 「アコライト星人に、身動きもならぬほどがんじがらめに縛りつけられていながら、科学者の真似ごとをして五年も坐りこむとは、誰がそんなことを望むのか?」 「誰が、チリヂリバラバラになることを望むのか?」誰かが甲高い声でいい返した。「誰が地球[#「地球」に傍点]とことを構えることを望むのか? わたしは望まない。わたしはできる限り、地球の警察には近寄りたくない。そんなことは|渡り鳥《オーキー》仲間の常識だ」 「警察だと!」キングがさけんだ。「警察がねらっているのは一つ一つの都市だ。千の都市が、いっせいに地球をめがけて進軍したらどうだ? どこの警察が一つぐらいの違法行為があったといって、一つの都市をしつこく追いかけまわすものか。君が警官だったとして、群衆が自分に襲いかかってくるのを見たら、君はその中の退去命令に違反したり、または三パーセントの果実冷凍契約を隠したりして逃げていた一人の人間を逮捕して、その群衆を解散させようとするか? そんなことが渡り鳥仲間の常識なら、わたしはそれを喰って見せる。  君達は一人立ちのできないひよっこ[#「ひよっこ」に傍点]だ。そこが厄介なのだ。今日も、君達はこづきまわされて、さんざんな目に会わされた。全く弱虫だ。しかし君達のよく知っているように、法律はアコライト星人のような宇宙の屑みたいな野郎どもでなく、君達を保護するために存在するのだ。  こんな所に地球の警官を呼び寄せて、保護してもらうわけにいかないことは、決まりきった話だ──警官の数が少なすぎる。われわれの方も少なすぎる。それに、すねに傷を持つ身のわれわれは、かたっぱしから逮捕されるかもしれない。だが数千の|渡り鳥《オーキー》都市がいっせいに進軍すれば──それも、当然君達に属するはずの物を渡してもらうように地球に要求するための平和的な進軍なのだが──誰も君達の都市の一つ一つを調べることなどできるはずはない。それを、君達は怯えているのだ! 君達などジャングルにうずくまり込んで、死ぬのを待つがいい!」 「おれ達はいやだ!」 「おれ達もごめんだ!」 「いつ出発するのか?」 「間もなくだ」  シュペヒトの声がした。 「ブダペスト市長、君はわれわれを向こう見ずの|暴 走《スタンピー卜》に駆り立てようとたくらんでいる。質問はまだ終わっていない」 「よし、わかった」  キングはさからわなかった。 「筋を通すことには、わたしも賛成する。投票で決めよう」 「投票の用意はまだできていない。質疑応答が残っている」 「そうかね? そこの大きな椅子におさまりこんでいる君──君はまだ何かいうことがあるかね? 君もシュペヒトと同様に、投票がこわいのか?」  アマルフィはわざとのようにゆっくりと立ちあがった。 「わたしもいうだけのことはいわせてもらったのだから、投票の結果にしたがおう。ただし、それが物理的に可能だとしてのことだ──投票が即刻地球へ飛べと出ても、われわれのスピンディジーはその旅行に堪えられそうにない。いずれにしろ、わたしはいうだけのことをいった。大挙して地球へ押しかけることは自殺行為だ」 「ちょっと待った」またもやシュペヒトの声が割りこんだ。「投票に先立って、わたしはさっきからわれわれに助言してくれている人の素性を知りたい。ブダペストの市長は、われわれもよく承知している。だが──君は一体どこの誰なのだ?」  戴冠の間には、一瞬、死の静寂がみなぎった。  その質問の重大なことは、ホールに詰めかけた全部の人達がよく知っていた。|渡り鳥《オーキー》仲間うちでの威信のあるなしは、長い目で見て、宇宙へ飛び出してからの年月と、宇宙間に口から口へと伝えられて行く情報によって、大物と折り紙をつけられること、この二つだけで判断される。  アマルフィの市は両方とも得点は高かった。その市の素性をはっきりさせさえすれば、少なくとも五分五分のチャンスで、投票をリードすることもできるのだ。名を明かさないままでも、市のジャングルでの評判はかなり高かった。  へイズルトンもそう思っているらしいことは、ほかから見えないように、しかし、はげしく手を振って、うながすように合図して見せることからわかった。 いってしまった方がいい[#「いい」に傍点]、市長。このチャンスを逃がしてはいけない[#「逃がしてはいけない」に傍点]。いいなさい[#「いいなさい」に傍点]  アマルフィは、心臓の鼓動をしばらく静めてから、口をひらいた。 「シュペヒト市長、わたしはジョン・アマルフィだ」  幅の広い大波が真一文字に寄せるように、軽蔑の気配がホールいっぱいに伝わって行った。 「さあ、これで質疑応答は終わった」  キングは、乱杭歯《らんぐいば》をむき出しにした。 「ようこそ当市へおいでになられたミスタ・アマルフィ。ところで、どうかこの壇を降りてもらいたい。そうすれば、われわれは投票にとりかかることができる。しかし、この市にはゆっくりしていてもらって、すこしも差しつかえない。わたしは、君と男どうし二人だけで話し合いたい。いいかな、ミスタ・アマルフィ?」 「いいとも」  アマルフィはかさばった巨体を軽々とおどらせて、ホールの床にとび降りると、ディーとへイズルトンとが手をつなぎ合って立っているところへ戻って行った。 「市長《ボス》、なぜいってやらなかったんです?」へイズルトンがささやきかけた。  その顔はこわばっていた。 「それとも、あなた自身がせっかくの見せ場を棒に振ることを望んだんですか? すばらしいチャンスが二度あった。それを二度ともあなたはふい[#「ふい」に傍点]にしてしまった!」 「もちろん、知っていてやったことだ。ここへわざわざやって来たのもそのためだ。わたしは、ダイナマイトを仕掛けてやるためにここへきた。ところで、君とディーとは早くこの市を出た方がいい。さもないと、われわれの市へ戻らせてもらうためだけにでも、ディーを、キングに人身《ひとみ》|御供《ごくう》にくれてやらなければならないことになるかもしれない」 「あなたはそこまで考えて、筋書きを書いたのね、ジョン」  ディーは責める口調ではなかった。事実をそのまま口にしただけだった。 「そうかもしれない」アマルフィはこたえた。「君にはすまないと思うよ、ディー。だがそこまでやらなければやる甲斐がないのだ。こんなことをいって、君の慰めになるかどうか、それはわからないが、わたしには、そこまで行けばキングをごまかしおおせる自信もあった。さあ、行きたまえ。行かないと面倒なことになる。マーク、なるべく騒々しく目立つように出て行った方がいい」 「あなたはどうなさるの?」ディーが訊いた。 「あとで行くよ。さあ!」  へイズルトンは、しばらくのあいだ、アマルフィの顔を見つめた。それから、からだの向きをかえると、怯えて気乗りのしない若い女をうしろ手に引っぱって、群衆の中を押し分けて行った。かれの騒々しく目立つようにするやり方は独特な物だった。つまり徹底的に静かにやってのけたのでその姿の見える範囲内にいた一人残らずの人達が、かれの出て行こうとしていることを知ってしまったのだ。  足音さえ、全く聞こえなかった。湧き立つように騒がしいホールの中での、かれの音なしの構えは、まるで教会の中でサイレンがうなり出したほどにも目立った。  アマルフィはそのままじっと立って、キングに、大事な人質がまだ自分の命令を忠実に守ってそこにいることを見とどけさせた。やがてキングの注意がほかへそれた瞬間に、膝を少し曲げて、背を低くし、目立ちやすい頭の禿《はげ》が壇から見えないように頭をうしろへそらせ、普通以上の音を立てないように気をつけながら、まわりの人達の渦の中にまぎれこんだ──つまり簡単にいえば、事実上姿を消してしまった。  そのころには投票がたけなわだった。キングがそれを中断させて、アマルフィが抜け出さないように戸口の閉鎖を命ずるまでには、少なくとも五分はかかりそうだった。へイズルトンとディーとが、わざと人目をひくような派手な退場の仕方をしたあとだから、投票の最中に緊急命令を出したりすれば、キングのねらっていることは痛いほどあからさまになってしまう。  もちろん、キングが壇にのぼる前に、個人用の送信器を用意するだけの先見の明があったとすれば、成り行きはもっと違ったものになっていたかもしれない。キングがそれをしなかったことは、キングがブダペストの市長になったのが、それほど前のことではなく、また、その地位を尋常な手段で勝ち得たのではないという、アマルフィの確信を裏書きした。  しかし、ディーとへイズルトンは無事に逃げのびたことだろう。アマルフィ自身も切り抜けられるはずだ。その問題に関する限りでは、アマルフィはキングよりも六歩ほど先んじていた。  アマルフィは、群衆の中をそこからドレスデン・サクソニーの市長の声が聞こえていたと、大まかな見当をつけた方へ移動して行った。そのくたびれた鳥のようなスラブ人はわけなく見つかった。 「あなたは、なかなか自分の武器を使おうとしない」  シュぺヒトの声は低かった。 「君の期待にそむいてすまない、シュペヒト市長。君は実にうまい工合にお膳立てをしてくれた。いずれにしろ、君の質問はこっちの思う壺にピタリとはまり込んだと、そういえば、君も少しは気が晴れるかもしれない。わたしは全くありがたかった。そのお返しに、君の質問にこたえよう。君は謎解きが得意かね?」 「謎解きって?」 「レッツェルンだ」  アマルフィはドイツ語に翻訳した。 「ああ──判じ物だね。いや、しかしやってみよう」 「二度まで二つの名を持っていたのは、どこの市だ?」  そのこたえを出すぐらいのことなら、シュペヒトも謎解きが得意である必要はなさそうだった。あごがダランと垂れ下がった。 「するとあなたは、あのニュー──」  アマルフィは、相手がいいかけるのをおさえるように手をあげて見せた。 「ここだけの話だ」  シュペヒトは息を詰めてうなずいた。ニヤリと白い歯を見せて、アマルフィは宮殿を抜け出した。  前途にはまだ辛い長い道のりが待ってはいるが、これから先はずっとくだり坂になるはずだった。地球への『進軍』は、投票の結果によって実現するだろう。  今となっては、ジャングルに残されているなすべきことは、その進軍を秩序を失った|暴 走《スダンピート》にかえることだけだった。  自分の市に帰りついて、アマルフィは突然のように、自分がひどく疲れていることに気がついた。  ヘイズルトンが周辺地区の署長に命じて迎えに出した、それも二度目の小艇に乗って、そのまま自分の部屋に戻り、夕食をとどけるようにいいつけた。  夕食を部屋にとり寄せたのは失敗だったと、そう結論しないわけにはいかなかった。市の食糧はひどくとぼしくなっていて、自分のために用意された食膳──市に住むほかの誰でもと同じように、めいめいの好みを完全に承知している〈シティ・ファーザーズ〉の用意した食膳──は貧弱だったし、食欲をそそらなかった。  メニューには、日ごろ野蛮人の飲み物として軽蔑しているオリオン座のベータ星、ライジェル星で産出する発煙性の葡萄酒もあった。そんな物が出るのは、この市にそのほかの飲み物は水しかないことを意味するとしか考えられない。  疲労と、孤独と、ハプスブルグ王家の接見室からいきなりエンパイア・ステート・ビルディングの塔の下の、何の飾りもない新しい部屋──そこは市が摩擦場昇降設備を採用するまで、エレベーターの動力室だった──へ環境の急変したこと、それに憂欝な食事とが組み合わさって、アマルフィの気持は、めったにないほど深く沈みこんでしまった。  自分が|渡り鳥《オーキー》都市の将来を見通すことができたと思ったことも、それほど慰めにはならなかった。  ちょうどそのとき部屋の戸口が虹彩のように開いて、へイズルトンがドアの開閉装置を自分のベルトにかけ戻しながら、黙って入ってきた。二人はしばらく、石のように硬い表情のまま、たがいに睨み合った。  アマルフィが椅子を指さして見せた。 「すみません、市長《ボス》」  へイズルトンはそういいながら、動こうとはしなかった。 「ご存じのように、わたしは今まで緊急の場合でなければ、自分の鍵を使ったことがありません。しかし、今はその緊急の場合じゃないかと、わたしはそう思います。われわれは窮地に追いこまれています──あなたがその問題を扱うやり方は、わたしには正気の沙汰とは思えません。わたしは市がこの難局を切り抜けて生き残るために、本当のところを打ち明けていただきたい」 「坐りたまえ」  アマルフィは重ねてすすめた。 「ライジェルの葡萄酒でもどうだ?」  へイズルトンは顔をしかめながら腰をおろした。 「いつでものことだが、君には何でも打ち明けるよ、マーク。わたしは自分の計画を立てるのに、君をのけ者にしたりはしない。もっとも、君を仲間に入れるとかえって自分が背中から射たれるかもしれないと思うときは別だ。時々そんなことのあったことは、君も認めるだろう──もう二度と例のトール第五惑星でのようなことは練り返さないでもらいたい。あの時にだって、わたしは君の味方だったのだから。あの時のへイズルトン流の手品に反対したのは〈シティ・ファーザーズ〉だった」 「わかりました」 「よろしい。では何を知りたいのか、それを話してみたまえ」 「あなたが、あそこでどうするつもりだったのかということは、ある点まではわたしにもわかります」  へイズルトンは前置きもなくいきなり要点にはいってきた。 「あなたがディーを通行券代わりに使って、あの集会にもぐり込んだのは、なかなか抜け目のないトリックだった。われわれの存在そのものが、キングに対する政治的な脅迫だったことを考えると、あなたにもあれ以上のことはできなかったと思う。いいですか、わたしは個人的にはどうにも気持がおさまらず、今でもあなたを恨んでいる。しかし、ああすることが必要だったのは、わたしも認めます」 「それはなによりだ」市長は、うんざりしたような口調でいった。「だが、そんなことは、たいした問題ではないよ、マーク」 「個人的な感情を別にすれば、それも認めます。見逃せないのは、あなたがあれほど苦心してねらいをつけたチャンスをまるっきりあきらめてしまったことだ。知識をプールするという計画は全くみごとだった。しかも、それを成功させるチャンスは二度もあった。  まず第一に、キングはわれわれが自分達のことをヴェガ星人だと主張すれば、それで通るようなチャンスをわざわざ作ってくれた──誰一人として、その要塞を目のあたりに見たことのある者はいない。それに、あなたはからだつきからたいした面倒もおこさずに、ヴェガ星人で通るほど地球人離れしている。ディーとわたしはヴェガ星人らしくないが、それは変種だということにしてもいいし、さもなければ異教徒ということでもいい。  だのに、あなたはそのせっかくのチャンスを棄ててしまった。その次には、ドレスデン・サクソニーから来た市長が、われわれが自分達の素性を明かすことによって、ほとんど全部の人をわれわれの味方につけることもできるチャンスを与えてくれた。あなたがそのチャンスをうまくつかんでいれば、投票に勝つことができたはずだ。それどころか、ジャングルのキングを二度と立ちあがれないような目に会わせてやっていたはずだ。そのチャンスまでも、あなたは見逃がしてしまった」  へイズルトンはポケットから計算尺《スライドルール》をとり出して、不機嫌に滑尺をあちこちへ動かした。へイズルトンとしては別にめずらしくもない仕種だったが、ふだんならその前に、でなければそのあとに、計算尺を実際に役立てる場面があった。しかし、今晩のそれは、どう見ても神経のいら立ちをあらわすただの手ずさみだった。 「しかし、マーク、わたしはジャングルのキングにはなりたくなかった」  アマルフィのことばは、ゆっくりと出てきた。 「現にその任にあたっている人間に、その責任を負わせておく方がずっといい。このジャングルで犯された、あるいは近い将来に犯されるあらゆる犯罪は、全て地球の警察の手にかかれば、とどのつまりその人間の罪に帰されてしまう。そんなことよりも何よりも、この区域の|渡り鳥《オーキー》連中は、自分がジャングルにいるあいだに遭遇したあらゆる不運が何から何まで、その人間の個人的な責任であると、そう主張するだろう。そんな仕事はまっぴらごめんだ。わたしは、あのキングに自分がそれを望んでいると思い込ませたかっただけなのだ……そういえば、君は例の周辺地区の質量クロマトグラフの技術を持っているとかいう、あの都市を呼んでみたかね?」 「呼んでみましたよ。応答がありません」 「よろしい。ところで、知識をプールするという案のことだが、あんな物は役に立たないよ。何よりも、渡り鳥連中をそれが効果をあらわすようになるまで、そんなことにかかりきりにさせておくわけにはいかない。|渡り鳥《オーキー》連中は哲学者ではない。かぎられた範囲内でのことは別として、科学者でもない。かれらは技術者であり、商人なのだ。ある意味では冒険家でもあるのだが、かれら白身は自分を冒険家だとは思っていない。かれらは実際家[#「実際家」に傍点]なのだ──そういうことばをかれら自身が使っている。それは君も聞いているはずだ」 「聞いています」  へイズルトンの口調にはとげ[#「とげ」に傍点]があった。 「わたしも聞いている。そのことばにはいろいろさまざまの意味が込められている。|渡り鳥《オーキー》連中を分析的な計画の仲間入りをさせようものなら、どうにもこうにも動きがとれなくなる。連中の求めるのは純粋無用の原理ではなく、原理を組み合わせた応用なのだ。一つ所に長いあいだじっとしているのは、連中の性《しょう》に合わない。じっとしていなければならないのだ、と、連中を納得させたとすれば、何が何でも動こうとはせず、とどのつまりはおそろしい爆発を起こしてしまうのが関の山だ。  だが、そんなことは序の口にすぎない。マーク、君は知識をプールする計画の本当の狙いがどこにあるのか、少しは見当がついているかね? わたしは何も君を困らせようとしているのではない。あのホールででも、見当のついた人はいなかったようだ。もしわたしの狙いに気がついていれば、わたしは笑いものにされて、あの壇から引きずりおろされていただろう。その点ででも、|渡り鳥《オーキー》連中は科学者ではなかった。連中の見通しはあまりにも性急で、推理の長い鎖を結論までたどって行くだけの辛抱がしきれなかった」 「あなただって|渡り鳥《オーキー》の仲間ですよ」へイズルトンは指摘した。「そのあなたは、とにかくも結論を出して見せた。あなたはそれをやりとげるまでに、どんなに長い時間がかかるかということを説明して聞かせた」 「いかにも、わたしは|渡り鳥《オーキー》仲間の一人だ。わたしは一通りかたをつけるだけにでも、二年から五年かかるだろうと、そういった。わたしは|渡り鳥《オーキー》の一員として、真理に近い物で間にあわせることにかけては専門家だ。計画を立てるだけで二年から五年かかる! それからあとの仕事を仕上げるには、マーク、数世紀はかかるだろう」 「それも、やっつけ仕事で?」 「いや、この宇宙にはやっつけ仕事というような物はない」  アマルフィは発煙性の葡萄酒の方へ手をのばしかけたが、最後の瞬間に思いとどまった。 「われわれのねらいをつけたいくつかの都市には、かつてかれらの遭遇した、技術的に水準の高いあらゆる文化の科学的知識が蓄積されている。そうした蓄積にありがちな情報の空隙《ギャップ》はともかくとして、最低に見積もっても、それは約五千の惑星にいっぱいのデータに相当する。確かに、われわれは二年から五年の歳月を費やせば、その知識をあますところなくプールすることができる──わたしがあの集会で述べたように、〈シティ・ファーザーズ〉には、わずかに一時間とちょっとで、それを全部とり入れ、分類してしまうことができるのだ。  そのあと、われわれはそれを綜合しなければならない。綜合するのは君なのだ、マーク。君はそれを何かの役に立てることができるほど、徹底的に知りつくさなければならない。そこまでやらなければ、それを売りに出すことはできない。そういう仕事を、君はやりたいと思うかね?」 「思いません」  ことばはゆっくりと出てきたが、返答は即座だった。 「しかし、アマルフィ、あなたがどこまでもそういうやり方を押し通すとすれば、あなたが何をしようとしているのか、わたしにはわかりっこないじゃありませんか。あなたはただ暇潰しだけのためだけに、あの集会にわざわざ出かけて行ったのではない。そこまではあなたを信頼できます。だからこそわたしは、あなたの一切の行動が、地球をめざしての進軍を中止させるよりも、むしろ強行させるためにたくらまれた巧妙なトリックだったと、そう考えないわけにはいかないのです。  あなたはあそこに集まった都市に、はっきりとした、上《うわ》べは健全な、しかし、あまり魅力のない代案を提示した。その代案を拒否したときに、かれらは自分では意識せずに、キングの術策に陥ち入っていたのです」 「全くその通りだ」 「そうだとすると」  へイズルトンは急に顔をあげて、すみれ[#「すみれ」に傍点]色の目を光らせた。 「バカげたことだと思います。どれだけ巧妙に仕組まれていたにしても、とにかくバカげていますよ。あまりにもうまくできすぎていて、自分自身がだまされてしまうようなことが、よくあるものだ」 「そうかもしれない。いずれにしろ地球に向けて進軍するか、ジャングルに留まるか、選択がそのどっちかに限られていたとすると、都市はジャングルに留まる方を選んでいたはずだ。それを認めることは賢明だっただろうか?」 「どっちみち、われわれはジャングルにグズグズしているわけにもいきません」 「もちろん、そんなことはできない。そうかといって、われわれだけでここを抜け出すわけにもいかない。われわれとして、この星団を逃れる唯一の方法は、都市の集団移動にまぎれ込むことだ。ほかにどうしようがあるかね?」 「わかりません。しかし、あなたの頭の奥の方には、ほかにも何かがあるに違いない」 「それを自分が前もって承知していないということが、君には気に入らないのだ。君にそれが読めない理由は、わたしにはわかっている。君にもわかっている」 「ディーですか?」 「その通りだ。君の質問は的をはずれていた。君は感情に駆《か》られて、なぜわたしがディーを連れて行くのかと、そう質問した。その時には、その質問もある意味では適切だったが、決して一番大事な質問ではなかった。もし君がもう少しうしろにさがって、問題の全体を見渡していたならば、わたしが地球への進軍を実行させることを望んだ理由も見通せていたはずだ」 「これから気をつけることにします」へイズルトンは厳しい口調でいった。「しかし、わたしはやっぱり口でいってもらいたかった。市長《ボス》、あなたとわたしは、年ごとにかけ離れていきます。昔は、わたしたちの考えることは非常によく似ていたものです。そのうちに、あなたは一部始終をわたしに打ち明けてくれないのが、くせのようになった。今になって思えば、それも訓練の手段の一つだった。全体の計画が気になればなるほど、わたしは自分でいろいろと工夫しなければならなかった──それはあなたがどう考えるか、それを読みとることだった──こうして、わたしはあなたと同じことを考えるように訓練されていった。もちろん一人前の市の支配人になるには、そっくりあなたと同じように考えなければならない。あなたの不在の時にわたしが代わって下す判断は、そっくりそのまま、あなたのいる時に、あなた自身の下すはずの判断でなければならなかった。  それがはっきり飲み込めたのは、例のゴート公国とのいざこざが起こってからだった。あの事件は、あなたとわたしとが真に重要な情勢のかもし出されるまで、おたがいに離ればなれになっているという最初の機会だった──その情勢を、わたしはユートピア星から市へ戻ってきて報告を聞くまで、ほとんど全く知らなかった。  戻ってきてみると、自分があなたと同じように考えなかったのが、かえって幸運だったということがわかった。わたしが初めて、あなたの計画の全貌を理解しそこなったことが──そして、わたしに独力で謎解きをさせるというあなたの訓練法が──あなたの頭の中のわたしの運命を決定していたらしい。あなたはわたしをお払い箱にして、カレルを後継者として訓練していた」 「正確な記録文学《ルボルタージュ》だ」アマルフィは皮肉めかしたいい方でいった。「もし君が、わたしの訓練の苛酷なことを責めるつもりなら──」 「バカな人間は他人に学ぼうとしないと、そういうんですか?」 「いや、違う。バカな人間は全く学ぼうという気持がない。しかしわたしは、自分の訓練の激しいことを別に否定はしない。先を話したまえ」 「もうあまり話すこともありません。わたしは、ゴート公国とユートピア星との事件で経験したことから、あなたと同じ考え方をすることが、時には自分にとって致命的になりかねないということを学びました。わたしはあなたの流儀でなく、わたし自身の流儀で考えて、ユートピア星を立ち去りました。その方が正しかったことは、われわれがヒー星に立ち寄った時に裏書きされました。もしわたしが、その情勢を何から何まであなたと同じように考えて判断していたとすれば、われわれは今でもまだあの惑星にグズグズしていたことでしょう」 「マーク、君はあいかわらず要点に触《ふ》れていない。わたしにはわかる。われわれがしばしば、それもわたし自身の頭とはもっともかけはなれた頭の産み出したものであるという理由の故にこそ、君の計画に期待をかけたことは完全に真実だ。それはどういうことなのだ?」 「こういうことです。あなたは現在、わたしの創意から出た物は、何によらず、跡形もなく消してしまおうとしている。いかにも、あなたはわたしの創意を尊重してくれた。あなたはそれを市のために利用し、〈シティ・ファーザーズ〉が保守主義を楯にとって反対する時には、弁護もしてくれた。だが、今はあなたは変ってしまった。わたしも変った。  この頃、わたしはますます地球人らしく、地球人のことを気にかけながら考えるようになってきているらしい。わたしはもはや、たまさかの時のことは別として、自分が何事も大目に見るのが名人のへイズルトンであるような気がしない。あなたの側では、それとちょうど反対の変化が起こっている。あなたは次第に、地球人の利害関係を疎外するようになってきている。あなたは機械を見る目で人を見ている。こんなことがもう少し続くと、そのうちにあなたは、〈シティ・ファーザーズ〉とどっちがどっちだか区別がつかないようになりますよ」  アマルフィは自分のいわれたことを考えてみようとした。ひどくくたびれて、齢をとってしまったような気がした。まだ不老長寿薬を注射する時期ではなかった。十年以上も間《ま》があった。  しかし、自分にはこの次の注射を受ける機会がめぐってこないだろうとわかっているだけに、自分のすでに経てきた、永い永い年月が背中に重くのしかかっていた。 「さもなければ、わたしは自分のことを神様だと思い始めているのかもしれない。君はマーフィー星で、そのことでわたしを責めた。マーク、君は数百年ものあいだ、渡り鳥都市の市長をつとめるということが、どれだけその人の人間らしさを失わせてしまうか、想像してみたことがあるかね? わたしの考えでは、君は──君自身の責任は決してわたしのそれよりも軽くはない。ただ、その責任の種類が少し違うだけなのだ。そこで君に訊きたいのはこういうことだ。君のいうその変化は、ディーが初めてこの市にやって来た時からのことらしいが、そうではないのか?」 「もちろんそうです」  へイズルトンは急に目をあげた。 「ユートピア・ゴート事件の時以来のことです。ディーがこの市に来たのはその時だった。彼女はユートピア星人でした。あなたは、彼女に責任がある、と、そういおうとしているんですか?」 「君の場合と反対の変化がこのわたしに起こったのも、同じ事件以来のことだ、とはいえないだろうか?」アマルフィはくたびれたようなしつこい口調でいった。「マーク、君は、わたしもディーを愛しているのだ[#「わたしもディーを愛しているのだ」に傍点]ということに気がつかないのか?」  へイズルトンは凍りついたようにからだをこわばらせた。顔がまっ青になった。突然焦点を失った目を、ぎごちなくアマルフィのみじめな夕食の残り物に向けた。  しばらくしてから、手に持っていた計算尺を、まるでそれが砂糖を紡《つむ》いでできている物であるかのようにていねいに、テーブルの上に置いた。 「気がついています」  へイズルトンの口から、やっとのことでことばが出てきた。 「気がついていました。しかしわたしは──自分が気がついていたということを、納得したくなかったのです」  アマルフィはどうしようもないという風に、大きな両手を拡げて見せた。半世紀以上も使う必要のあったためしのなかった|身振り《ジェスチャー》だった。市の支配人は見ていないようだった。 「そういうことだとすると」  へイズルトンの声は、急にひどく硬くなった。 「そうだとすると、市長、わたしは──」  ことばが途切れた。 「あわてることはないよ、マーク。そうだとしても、実際には情勢にそれほどの変わりがあるわけではない。落ちつきたまえ」 「市長──わたしは[#「わたしは」に傍点]、やめます[#「やめます」に傍点]」  一つ一つ区切って発音されたそのことばは、銅鑼《どら》を叩く大槌のように、それも銅鑼の振動の周期に正確に合わせて打ち叩き、それを粉砕せずにはおかない大槌のように、アマルフィの心の奥底に強い衝撃を与えた。何をいわれようと覚悟はできていたが、そのことば[#「ことば」に傍点]が出てくるとはよもや思ってもいなかった。  自分がどれほど絶望的な状態に置かれているか、これまでわれながら実感のなかった事実をグサリと突き刺すように思い知らせてくれたのが、そのへイズルトンの発言だった。  わたしは[#「わたしは」に傍点]、やめる[#「やめる」に傍点]、というのが、宇宙人が星の世界に見切りをつけるときの伝統的なきまり文句だった。  そのことばを口に出した|渡り鳥《オーキー》は、都市から、また都市が時空をつらぬいて宇宙に描く軌跡から、自分を切り離してしまう。それを口にした|渡り鳥《オーキー》は、自分から惑星人になってしまう。  そして──それは、のっぴきのならない最後のことばだった。そのことばは、|渡り鳥《オーキー》の法律に特筆大書されている。それを拒絶することはできない──ひっ込めることもできない。 「そうか」  アマルフィの声には力がなかった。 「しかたがない。いずれにしろ、もう間に合わないのだから、君をせっかちすぎると責めようとは思わない」 「すみません」 「ところで、君と別れるのはどこにするかね? もよりの惑星に立ち寄るか、それとも、市の次の目的地までこのまま行くか?」  このように、どちらかを選ばせるのも伝統にしたがっただけなのだが、へイズルトンはそのどちらにも気乗りがしない風だった。唇が青ざめ、からだを少し震わせているように見えた。 「それは、あなたがこの次にどこへ行こうと計画しておられるかによります。わたしはまだ聞いていません」  へイズルトンの心の乱れが伝わって、アマルフィも落ちつかない気持になった。自分ではそれを認めたくはなかった。  感情や理屈を抜きにすれば、前[#「前」に傍点]支配人に決心をひるがえさせることができないわけではない。それをすすめることもできるはずだ。へイズルトンの口にしたそのことばは、アマルフィの知る限り、立ち聞きもされていなければ、録音もされていない。  ただ『|裏切り者《トリーチャー》』と呼ばれている、食卓の給仕を統轄する〈シティ・ファーザーズ〉の一部課がそのことばを記憶しているとすれば別だが、そのチャンスは少ない。しかしたとえそんな可能性があるとしても、〈シティ・ファーザーズ〉が|裏切り者《トリーチャー》の記憶銀行《メモリー・バンク》を総ざらいする気を起こすのは、五年に一度以上ということはちょっと考えられない。それに|裏切り者《トリーチャー》は、もともと|渡り鳥《オーキー》連中の食事の嗜好《しこう》型を記憶することにしか関心を持たないし、そのような嗜好型は変るにしてもそんなに目まぐるしく変る物ではなく、そのほとんどは意味もない変りようなのだ。  いずれにしろ、ここしばらくはへイズルトンがやめたことを、〈シティ・ファーザーズ〉には知られない方がいい。  しかし、市の支配人に辞意をひるがえさせるというような考えは、アマルフィの頭に浮かびもしなかった。それには、市長はあまりにも|渡り鳥《オーキー》根性に徹しすぎていた。  仮にそうすることを勧告する人があったとしても、アマルフィは、へイズルトンがいったんその最後のことばを口にした以上、市の周辺地区の警察署の平巡査と同様、どんな些細《ささい》なことでも自分の命令にしたがわなけれはならないのだ、といって反対したことだろう。また、へイズルトンがそんな屈辱を忍ばなければならない理由も、数えあげて見せたことだろう。たとえそのことばが、どれほどかたくへイズルトンと自分とのあいだだけの秘密として守られようとも、現実にはそれをとり消すことができないのだということを証明して見せたことだろう。もし強《し》いられれば、自分がそのことばを決して忘れられないことを、そしてへイズルトンも忘れられないことをはっきりさせたことだろう。  自分がへイズルトンの意見にさからって何かの計画を決めるごとに、市の支配人はその恨みを心に秘め、それが積み重なって辞《や》める気にもなったのだと、そんな説明をして見せたかもしれない。あるいはまた、二人の男同士のあいだの争いは根が深く、へイズルトンが「わたしは、やめる」と、そんなことを口にしてしまった今は、もうどうにも抜きさしのならないところまで来てしまっていると、そう思っただけなのかもしれない。  だが実際には、アマルフィの頭には、そんなこんなのどれもがなかった。へイズルトンは「わたしは、やめる」とそういった。アマルフィは生粋の|渡り鳥《オーキー》だった。渡り鳥にとって、「わたしは、やめる」ということばは最後の通告だった。 「いや」市長は即座にこたえた。「君はやめたいといった。万事はそれまでだ。君にはもう、命令の形で伝えられる以外に、市の方針《ポリシー》または計画について知る資格はない。マーク、今こそは、君がわたしと同様に、自分の思考訓練を実際の役に立てることのできる、またとない機会だ──君はきっと、〈シティ・ファーザーズ〉と同じように考えることだって難しくないに違いない──何しろ、これからは君が方針《ポリシー》について何かを知ろうとすれば、より所はそれしかないのだからね」 「わかりました」へイズルトンは硬苦しくいった。  それからしばらく黙っていた。アマルフィは待った。 「では、次の市の目的地で」へイズルトンはこたえた。 「よし。それまでは、君は辞職を予定されている支配人だ。カレルを呼び戻して、君の後任者として訓練すると同時に、〈シティ・ファーザーズ〉に前もってカレルの就任を予定したデータを与える仕事にかかりたまえ。こんどの選挙では、前に君の選挙された時より以上のゴタゴタをあの連中に起こしてもらいたくはない」  へイズルトンの表情がすこし硬くなった。 「承知しました」 「それから、市をジャングルの周辺の方へ移動させて、君の呼び出すことのできなかったあの都市と出会うようにしてもらいたい。わたしは、この市を対数曲線的な加速度の得られるような軌道に乗せて、最後には市自体の全駆動力を集中的に働かせることができるようにしたいのだ。その途中チームを二つ編成して、一方のチームには大急ぎでスピンディジーの故障を調査させ、もう一方には質量クロマトグラフを働かせるのに必要な処置を、何事によらずとらせるのだ。機械の分解に必要な工具も用意させたまえ。乾ドックで使うほどの大きさはなくてもいいが、それ以下の仕事なら、何にでも間にあうだけの大きさは欲しい」 「承知しました」 「もう一つ、例の都市が死に絶えたと思わせて、その実はそうでなかった場合にそなえて、アンダスン署長の一隊に待機させた方がいい」 「承知しました」へイズルトンは、もう一度同じことばをくり返した。 「それだけだ」  市の支配人はぎごちなくうなずくと、まわれ右をしかけたと思ったとたんに、こわばったような顔がだしぬけに崩れて、せき[#「せき」に傍点]を切って落したようにしゃべりだした。 「市長《ボス》、わたしの行く前に、これだけは聞かせてください」  へイズルトンの両手の拳《こぶし》はしっかりとにぎられていた。 「今までのことは何もかにもが、わたしにやめるといわせるためだったのですか? あなたはわたしを追い出す以外に──さもなければ、わたしの方から出て行くように仕向ける以外に──自分の計画を自分だけの物にしておく方法を思いつくことができなかったのですか? わたしはあなたの恋物語《ラブストーリー》を信じない。信じるもんか。わたしがこの市を出るときには、ディーも一緒に連れて行くということをあなたは知っている。あの|最 後 の 宣 告《グレート・デナンシエーション》はほかの人ならともかく、あなたがあんなことをしたのは口から出まかせなんだ。ただのでっちあげ[#「でっちあげ」に傍点]にすぎない。あなたなど、わたしがあなたを愛しているほどにも、ディーを愛していやしないさ──」  そこまで一気にしゃべり通したへイズルトンは、まっ青《さお》になった。その瞬間、アマルフイは相手が気を失うのではないかと思った。 「君の一点勝ちだよ、マーク」アマルフィはすなおに認めた。「何もわたしだけが最後の宣告の芝居の筋書きを書いたわけでもなさそうだがね」 「それは、一体どういうことなんです、市長!」 「いや、何でもない。わたしとしては、これ以上のことをするわけにはいかないのだ。君にはずいぶん何度も、さよなら[#「さよなら」に傍点]をいわされたものだが、今度こそは最後でなければならない──それも、今度はわたしでなく、君の選んだ道なのだ。さあ、行って仕事にかかりたまえ」 「はい」  へイズルトンは身をひるがえすと、大またに歩いて出て行った。ドアがいっぱいに開くのとほとんど一緒だった。  アマルフィは眠っている子供のように、深いため息を吐いた。それから、|裏切り者《トリーチャー》のスイッチを〈かたづけ〉の方へ切りかえた。  |裏切り者《トリーチャー》の声がした。 「食事は、もういいんですか、市長?」 「一体どういうつもりなんだ? わたしを、一度の食事のあいだに二度も毒殺しようというのか?」アマルフィはどなりつけた。「超波放送《ウルトラフォン》の回線を繋いでくれ」  |裏切り者《トリーチャー》の声はすぐに変った。 「通信部です」  きびきびとした声だった。 「市長だ。アコライト星団の第四十五辺境保安隊のラーナー警部を呼び出してもらいたい。あまり簡単にあきらめるな。今いったのは最後にわかっている所属だが、その後昇進している。突きとめたら、わたしの代理と名乗って、ジャングルの都市が組織を作って、ある種の軍事行動を起こそうとしている、今からできるだけ早く一艦隊を派遣すれば、その計画を中止させることができるはずだと、そう伝えるのだ。わかったか?」 「わかりました」通信部の男は、アマルフィの命令を復諭した。「あなたがいわれるのでしたら、そのようにします、アマルフィ市長」 「ほかに誰がそんなことをいうかね? とにかく、ラーナーにこっちの位置を突きとめられないように、その点は特に注意してもらいたい。できれば、パルス変調方式で送信した方がいい」 「それはだめです、市長《ボス》。われわれは、今、ミスタ・へイズルトンのいわれた仕事にかかっています。しかしどこかこの近くに、アコライト星の強力なAM方式の超波放送局があります。われわれの通信をその局の送信波に同調させて搬送すれば、警察の探知器をごまかすことができます。それでいいでしょうか?」 「その方がいいくらいだ。すぐにかかってくれ」 「もう一つあるんです、市長《ボス》。昨年命令された大型無人艇がやっと完成しました。ディラック装置も搭載してあって、いつでも発進できるそうです。わたしは詳しく調べてみましたが、なかなかよくできているようです。ただ大きさが救命艇ほどもあって、それだけ探知されやすいのが難といえば難ですが」 「よし、わかった。しかしそっちの方は待たせておけばいい。送信にかかってくれたまえ」 「かしこまりました」  声は聞こえなくなった。  焼却炉へ通じるシュートの口がだしぬけに大きく開いて、食器類がテーブルを離れ、まじめくさった行列を作りながらそっちの方へ飛んで行った。葡萄酒のグラスは、小さな彗星のように毒々しい尾を引いていた。  考えこんでいたアマルフィは最後の瞬間にとびあがって、グラスをつかまえようとしたが、間に合わなかった。シュートは一番しまいにグラスを飲み込むと、さも満腹したような音を立てて口をしめた。  テーブルの上には、へイズルトンの忘れていった計算尺だけが残っていた。  |渡り鳥《オーキー》たちは急いで仕事にかかり、死んだ都市のスピンディジーを基礎からとりはずし、それを自分の市の倉庫に運び込んだ。大きな機械がぞくぞくとは運び込まれると、へイズルトンはますます当惑顔になったが、その自分の疑問を決して口には出すまいと決心している様子だった。  しかし、カレルの方はそんな自己抑制に悩んだりはしなかった。 「こんなにたくさんの中古|駆動機《ドライバー》を、一体どうするつもりだろう?」  三人とも市の周縁部の出入口に立って、ぶかっこうにかさばった荷物が宙を運ばれてくるのをながめていた。 「われわれはほかの惑星へ行こうとしているのだ」  へイズルトンの口調は平板だった。 「確かにその通りだ」アマルフィは同意した。「君も、われわれが間に合うように、君の星の神様にお祈りするんだな、マーク」  へイズルトンはこたえなかった。 「間に合うって、何に間に合うんですか?」カレルが訊き返した。 「それはスクリーンに見えてくるまでいわないでおこう。虫の知らせみたいな物だが、大体は当っていると思う。いずれにしろ、われわれがかつてなかったほど急がなければならないということだけはいえる。ところで、マーク、例の質量クロマトグラフの装置はどうだ? 何かいうことはあるかね?」 「ありません」へイズルトンはこたえた。「これまで千度も見たのと少しも変りはないようです。理論はどう見ても立派だが、この市の持主にだって、使いこなせないでしょう」 「そのままにしておけばいい」アマルフィは即座に決断を下した。「われわれはあの女商人にどんな技術でも提供できると、そんなことをいったが、それはどうも、やけ[#「やけ」に傍点]を起こしたあまりの出まかせだったらしい。もしそれが採用されていたとしたら、とんだ恥をかくところだった。わたしは自分達がそんな誘惑にさそいこまれることを望まない」 「この場合には、知識でも装置と同じぐらいに役に立ちます。連中の〈シティ・ファーザーズ〉は、われわれがその装置から苦心して手に入れることができるほどの情報は、残らず自分の物にしてしまうだろう」 「誰かが、その都市のジャングル脱出のことをわれわれに教えてくれるだろうか?」カレルが割ってはいった。「わたしは、あなたがたがキングの都市へ行った時には、一緒ではなかったし、今でも地球をめざして進軍するなどという思いつきは、全く正気の沙汰ではないと思っていますよ」  アマルフィは黙っていた。しばらく間をおいて、へイズルトンが口を開いた。 「正気の沙汰であるともないともいえる。ジャングルは、本物の地球軍を迎え撃つだけの勇気はない。しかもこっちへ来ようとしている地球軍の一部隊のあることは、誰でもが知っている。だから都市は、大急ぎでどこかほかへ移りたがっている。しかし連中は、まだ自分達が紛争区域外の権威当局の前に事件を持ち出すことができれば、アコライト星団の警察そのほかの地方組織に保護してもらえるものと、少しは望みを持っている」 「そこがわたしにはどうにもわからない」カレルがいった。「一体どうして、その連中は自分達が公平な扱いを受けるものと思い込んでいるんだろう? それに、なぜ連中はそんな長い旅に出るかわりに、ラーナーのしたようにディラック放送で地球と連絡をとらないのだろう? ここから地球までは六万三千光年ほどもあるし、連中はそれほどの苦難を耐え忍ばずに、それだけの長途の旅行を成しとげることができるほどには、組織されていません」 「そして、連中はそこへたどりついてからでも、ディラック放送を通じて、地球と話をつけるつもりなのだ」アマルフィがカレルのいい足りないところをつけ加えた。「もちろん、全部が全部とはいわないが、この進軍にはデモンストレーションの意味もある。キングは、都市のそうした大がかりなデモが、自分が話をつけようとしている相手に何かの印象を与えることを期待しているのだ。近頃では地球が静かな牧歌調の世界だということを忘れない方がいい──そんな世界の空いっぱいに、ポンコツ都市の大群が姿をあらわしたら、それこそ大変な騒ぎになるだろう。  公平な扱いを受けるかどうかということについてだが、キングは何世紀も昔からの、話を持ち込んできた相手を少なくとも不公平には扱わないという伝統を、あてにしているのだ。カレル、君におぼえていてもらいたいのは、|渡り鳥《オーキー》都市がこれまで千年のあいだ、われわれの全銀河系文化の重要な統一勢力であったということだ」 「それは初耳です」カレルはいくぶん疑わしそうな口調でいった。 「しかし、それは全く本当のことなのだ。君は蜜蜂という物を知っているかね? そう、それは花の蜜を吸う、地球の小さな昆虫だ。蜜を吸いながらからだに花粉をつけて、それをほかの花へはこんで行く。つまり、それは植物の異花受精に欠かすことのできない要因なのだ。生物の住む惑星ならほとんどどこにでも、同じような昆虫がいる。蜜蜂自身は、自分が世界の生態学に重要な役割りをはたしていることを知らない──蜜蜂にしてみれば、できるだけたくさんの蜜を集めること以外に目的はないのだ──しかし、だからといって蜜蜂の重要性が少しでも減るものではない。  都市は長いあいだ、その蜜蜂に似た役割りをつとめてきた。そのことを、たとえ都市自体は一般に気がついていないにしても、進歩した惑星、特に地球の政府はよく承知している。惑星は都市を信用しないが、それでも都市が宇宙文化の発達に欠かせない物であり、保護しなければならない物であることは知っている。惑星が海賊都市《ビンドルスティッフ》に強硬な態度を見せるのも、同じ理由からなのだ。海賊都市《ビンドルスティッフ》は病気にかかった蜜蜂といっていい。病気にかかった都市の運ぶ病毒は健全な都市に、新しい技術そのほかの重要な知識を、惑星から惑星へと伝えて行くのに欠かせない都市に、植えつけられて根を生《は》やす。都市も惑星も同じように、犯罪都市から自分自身を守らなければならない。しかし、そこには全体として考えなければならない文化もあれば、個々の都市、個々の惑星の安全もある。そしてその文化を維持するためには、合法的な|渡り鳥《オーキー》都市の銀河系全域にわたる通行の自由が維持されなければならない」 「そのことをキングは知っているんですか?」カレルが訊いた。 「もちろん知っている。キングは生れてから二千年も経《た》っているのだから、知らないはずはない。そっくりその通りにはいわないだろうが、いずれにしろ煎じつめればそのような考え方をよりどころ[#「よりどころ」に傍点]として、キングは地球への進軍をやりとげようとしているのだ」 「それでもなお、わたしにはそんなことは向こう見ずの冒険のように思えますがね」  カレルは釈然としないいい方をした。 「われわれは全てほとんど生れた時から、地球を、特に地球の警察官を信用しないようにしつけられているから──」 「それには、警察の連中がわれわれを信用しないからというよりほかには、何の理由もないのだ。つまり警官達は、都市の犯したどんなに些細な違反も決して容赦しないようにしつけられている。ところが、放浪生活を送る以上、地域の法律のわずかばかりの違反はどうしても避けられないのだから、|渡り鳥《オーキー》としては警官と出会わないようにするのが利口なやり方ということになる。しかし、|渡り鳥《オーキー》と警官とのあいだにわだかまる真の憎しみについては、両方に責任がある。つねにそうであった」  市の下面の、三人のながめている目の前で、主倉庫の大きなドアがゆっくりと閉まった。 「あれが最後の一つだ」へイズルトンがいった。「さて、今度は、われわれがマーフィ星から盗んだ万能都市を置いてきた場所まで戻って、あの都市の駆動装置も手に入れることにしますか」 「そうしよう」アマルフィがこたえた。「それを済ませた上で、マーク、われわれはハーンY号星へ行く。カレル、君は小型の核分裂弾を二発ほど用意しておきたまえ──あの星にはアコライトの守僻隊が駐屯している。われわれの手に負えないほどの大部隊とも考えられるが、いずれにしろ面倒な交渉をするだけの暇はない」 「ハーンY号星なんですか、われわれの行先きは?」カレルが念を押した。 「やむを得ない」  アマルフィの口調には、思いなしか焦燥感があった。 「さしあたりあてにできるのは、そこしかないのだ。それに、今度はその惑星を自然の自転変換ベクトルにまかせて勝手にどこへでも飛んで行かせずに、われわれの方で、その飛行をコントロールしてやらなければならないことになりそうだ。銀河系を飛び出して遠くへ持って行かれるのは、もう一度きりでたくさんだからね」 「そうなると、選り抜きのチームを作り、そのコントロールの問題について〈シティ・ファーザーズ〉と協力した方がよさそうですね」へイズルトンが発言した。「ヒー星では〈シティ・ファーザーズ〉と相談もしなかったのだから、今度はためこんでいる情報のうち、役に立ちそうな物をどんなかけら[#「かけら」に傍点]でも一つ残さず、かたっぱしからふるい[#「ふるい」に傍点]にかけてみなければなりません。市長、あなたがほかの都市の知識をかき集める計画の実現にあれほど熱心だったのも、なるほどこういう時のためだったんですね。そんなことなら、あの計画をもっと早く実行にうつしていればよかった」 「いや、わたしだって、それほど前からこのことが頭にあったわけではない。しかし今となっては、わたしも事態がこんな風に展開してきたことを残念だとは思っていないのだ」  カレルが口を出した。 「結局、われわれはどこへ行くんです?」  アマルフィは、気閘《エアロック》の方へ行きかけた。前に同じ質問をディーから受けたことがあったが、それにこたえるべきことばのあったのは、これが初めてだった。 「故郷《ホーム》へ」 [#改ページ]     5 ハーンY号星  ハーンY号星──それはアマルフィが自分の市を着陸させたことのあるどこよりも荒涼とした一枚岩だった──を誘導スピンディジー飛行にそなえて装備する仕事は、信じられないほど手間がかかった。  駆動機は主要基点ごとに正確に配置して、その小惑星の重心の位置にしっかりと、とりつけなければならなかった。それから全部の駆動機を一つ一つ、たがいにバランスするように調整しなければならなかった。それに飛行開始の日のきた時に、惑星全体に完全な操縦性を持たせることのできるような駆動力を与えるに充分な数のスピンディジーは、そろっていなかった。  その厄介な仕事をすっかり仕上げてしまったところで、ハーンY号星の飛行が安定性に欠けた誤差の大きな物になることは、始めからわかっていた。  しかし主操縦桿の作動にしたがって、少なくとも指図《さしず》されたのに近い飛びかたをすることができるはすだった。アマルフィの考えでは、それだけの操縦性があれば充分だった──いや、充分だと思いたかった。  偵察衛星パイロットのオブライアンから決まった時間をおいて、地球をめざす都市集団の進軍の進捗《しんちょく》状況についての報告があった。進軍の途中、仕事のありそうな魅力的に見える惑星系を通過するたびに、集団を脱落する都市がかなり出たが、集団の本体は相変らず母なる惑星をめざして、ひたむきに飛行を続けている。  偵察衛星《プロクシー》は小さな月ほどにもはっきり見えるはずだが、今までのところそれをねらい射《う》ちした|渡り鳥《オーキー》都市は一つもなかった。オブライアンは、偵察衛星に最高のスピードで立体的な正弦曲線を描かせ、その軌道を次から次へと修正していきながら、進軍する都市集団のまっただ中を通り抜け、あるいはそのまわりを飛びまわらせ続けた。その偵察衛星が、どの都市かのレーダーのスクリーンに一部の飛跡をあらわし、それが隕石の飛跡と見あやまられなかったとしても、そのコースを火器を照準して待ち伏せできるほど精密に予測するには、そこらの普通の計算器なら、四六時中休みなく働かせなければならないだろう。  全くすばらしい衛星操縦術だった。アマルフィはへイズルトンが辞職したあとは、市の支配人の職務から市自体の操縦の仕事を分けてやってもいいと考えた。カレルは生来のパイロットというほどではないし、オブライアンがカレルにとってなくてはならない人物だということは、はっきりしている。  ハーンY号星の改装の始まったときに、〈シティ・ファーザーズ〉はEデイ──進軍する都市集団が地球の光学望遠鏡の可視範囲に到達する日──を、五十五年四ヵ月二十日と算定していた。大型衛星のパイロットから入ってくる報告によれば、移動する都市ジャングルから足の遅いのろま都市が落伍して、集団のまとまりが次第によくなり、全体としてスピードをあげることができるようになるにつれて、現在位置の座標が、予測よりもそのたびごとに繰りあがってきた。  新しい計算の結果がデスクに届けられるごとに、アマルフィは葉巻《シガー》の消費速度を高め、部下の人達と機械との労働をますます強化した。  しかしオブライアンが、自分はそろそろ不安になってきたが、それでもなお、いずれは間に合うものと、それをあてにしている、と報告してきた時には、すでにハーンY号星の装備が始まってからたっぷり一年が過ぎ去っていた。 「ミスタ・アマルフィ、集団は緑の濃い牧場の誘惑に負けた二つの都市を失いました」偵察衛星のパイロットは報告した。「しかし、そんなことは毎日のように起こっています。新しく集団に加わった都市も一つありますよ」 「新しく加わった都市があるというのか?」  アマルフィの声は緊張した。 「一体どこから来た都市なのだ?」 「知りませんね。衛星のコースがコースだから、わたしが一つの方向を注目していられる時間は、一度にせいぜい二十五秒ぐらいのもんです。集団の中を突き切るごとに、わたしは都市の数を数えなければなりません。最後にまわってみたときに、その都市はずっと以前からそこにあったようにスクリーンに映っていました。しかし、それだけじゃない。それは、わたしの今までに見たことのないようなすごい都市なんです。書類をあたってみても、そんな都市は見あたりません」 「どんな都市だ?」 「何しろすごい大きさです。わたしはここしばらくのあいだ、自分の衛星が誰かに探知されることを心配する必要はなさそうです。その巨大な都市が、ジャングルの全部の探知器に緊急警報の悲鳴をあげさせているに違いありません。それに、その都市は密閉されています」 「それはどういう意味なの?」 「グルリを滑らかな殻《から》で包まれているんですよ、市長。普通の都市のように、平らな台の上にビルディングが建ち、そのまわりをスピンディジー遮蔽《スクリーン》が包んでいるという風じゃないんです。大きさを別にすれば、都市というよりはちゃんとした宇宙船に似ています」 「その都市と集団とのあいだには連絡はあるのか?」 「それはありますよ。進軍に参加を希望し、キングはそれをオーケーしました。キングは喜んだと思います。|渡り鳥《オーキー》都市総動員の呼びかけに応じた最初の都市だし、どう見ても一流の都市らしいですからね。その都市は、リンカーン・ネヴァダと名乗っています」 「でたらめでもなさそうだ」  アマルフィは顔の汗を拭いた。 「その都市をちょっと見せてもらいたい、オブライアン」  スクリーンが明るくなった。アマルフィは、もう一度顔を拭いた。 「よし。君は衛星を集団から充分に離して、今後も監視を続けてくれ。『リンカーン・ネヴァダ』を、衛星と集団とのあいだに入れるようにするといい。射ってくるようなことはあるまい。衛星が集団に属していないことを知らないはずだからね」  オブライアンが諒解の返事をよこすのを待たずに、アマルフィはスイッチを 〈シティ・ファーザーズ〉に切りかえた。 「今の仕事は、これからどのくらいかかるかね?」 「アト六ヵ月ハカカル、市長」 「それを、少なくとも四ヵ月に切り詰めてくれ。それから、現在位置から地球の軌道と交叉している小マゼラン雲までの距離を出して欲しい」 「ソンナコトヲイッテモ、市長、小マゼラン雲ハ、アコライト星団カラ、二十八万光年モハナレテイルノダ!」 「ありがとう」アマルフィは冷笑するような口調でいった。「わたしはそんなところへ行くつもりはない。安心したまえ。その三点を結ぶコースを求めたいだけだ」 「ヨロシイ。計算ハデキテイル」 「Eデイに地球の軌道を通過するには、いつスピンディジーを始動しなければならないだろうか?」 「星雲ノ中心カラ周縁部マデノ距離カラ計算シテ、今日カラ五秒ナイシ十五日ノアイダニ始動スレバヨイ」 「だめだ。その期限内にスタートすることはできない。ここからそこまでの完全平射弾道を求めてくれ」 「ソノ弧ハ、九百五十八ノ直撃弾道ト、四十一万一千二ノ至近距離ヲカスメル弾道ヲ含ム」 「それを使いたまえ」 〈シティ・ファーザーズ〉は沈黙した。  アマルフィは、機械でも肝《きも》をつぶすことがあるのだろうかと思った。〈シティ・ファーザーズ〉が、最短距離を結ぶ弧を採用しないだろうということはわかっていた。そのような無理な行程を採用することは、〈シティ・ファーザーズ〉の要求されている、もっとも基本的な守則、何よりも市の安全をはかれ[#「何よりも市の安全をはかれ」に傍点]という方針と矛盾する。  市長はそんなことを気にしていなかった。そういう指令を出したのも、ハーンY号星での建設のテンポを横目で見ながらのことだった。そのテンポも、そんな思いがけないことのあったあとでは、かなり早くなるだろうと、アマルフィには強い予感があった。  事実、それからちょうど十四週間|経《た》つと、アマルフィはハーンY号星の主操縦桿に手をのばした。 「始動《スピン》!」  ハーンY号星がその故郷のアコライト星団から離れて、銀河系にたどりつくまでの一部始終は──ことに計測化の分野で──歴史に残る物語りだった。  ハーンY号星は水星よりもずっと小さな、全くちっぽけな世界だったが、それでも人の住む銀河系の区域内を、これほど巨大な物体が光速を超えるスピードで飛行した例は、かつてなかった。以前に銀河系の周辺部から飛び去り、今はアンドロメダ星団のメッシアー31への道のりを、かなり先まで進んでいるヒー星を例外として、このような天体がスピンディジーに限らず、そのほかのどんな物にしろ駆動機の助けを借りて飛行したためしは、今までに一度もない。  その飛跡は、有効範囲内の全ての探知器の記録装置に消えることのない傷跡を残し、感覚をそなえた観察者の頭脳に刻み込まれた記憶も、少なからず強烈だった。  理論的には、ハーンY号星はアマルフィの〈シティ・ファーザーズ〉の算定した長い弧、アコライト星団の外周から銀河系の表面を横断して小マゼラン雲の中心(もちろん、その質量中心。大小いずれのマゼラン雲も銀河系から分離したばかりなので、渦状星雲の特徴である明確な動くことのない軌道中心はまだできていなかった)までとどく弧を、飛ぶことになっていた。実際にも、飛んでいる惑星の平均の運動は、その理論的な弧に忠実に沿っていた。  しかし、ハーンY号星ほどの飛行速度──昔ながらの光の自由速度Cを何十倍してもなかなかあらわしきれないほどの速度──になると、定められた軌道からほんのわずかでも外《そ》れようものなら、百万分の一秒という短時間に反応する〈シティ・ファーザーズ〉でさえ補正する暇もないうちに、途方もない遠方まで突っ走ってしまう。  ほかの宇宙人と同じように、アマルフィも宇宙空間──真の速度をはっきり自覚させるような目標のあまりない媒体──を超光速度で旅行することには充分に慣れていた。また|渡り鳥《オーキー》仲間の一人として、地面を走る乗り物で惑星を旅行したこともあった。そうした乗り物は、間近に目標がありすぎて、危険を感じさせるほどの速度で走るように思われた。それが今、アマルフィは星の群がるあいだを超速度で運動することがどんな物かということを、身をもって体得しつつあった。  ハーンY号星の速度では、星がほとんど地下鉄の軌道のわきの桁《けた》の列のように密接して並んでいるように見える──しかもその軌道がしょっちゅう大きく曲って、レールのあいだに二つか三つの桁《けた》を挟んだりするからなおさら厄介である。一度ならずアマルフィは、半秒前には見えもしなかった星が、まともに自分の頭を目がけて飛んでくるのを見て、市庁舎《シティホール》の鐘楼に立ちすくんだ。  アッという間に大きくふくれあがり、目のくらむばかりの光で全天を満したかと思うと──。  暗黒。  アマルフィは、その星をハーンY号がかすめた時に、シューッという音が聞こえたはずだと、そんな理屈に合わないことを考えた。惑星のスピンディジー遮蔽《スクリーン》は強度をあげ、ほとんど正反対に分極されていたが、それでも近日点通過の瞬間に浴びせかけられた幅射線のせいで、顔がまだヒリヒリした。  もちろん〈シティ・ファーザーズ〉の軌道修正には、何の問題もなかった。厄介なのは、ハーンY号星が迅速な軌道修正に即座に応じられるほど敏感な宇宙船ではないというだけのことだった。〈シティ・ファーザーズ〉の指令を、よろめきながら数光年もの距離の道草を喰った死んだ惑星を、元の軌道に引き戻すだけのベクトル推力に変えるまでには、何秒もかかった。  もう一つ無視できない理由があった。ハーンY号星の軸のまわりの回転の全部が、軌道上の推進運動に変換された時に相当程度の軸秤動までが一緒に変換されてしまったために、それによって起こる惑星の行程のよじれ[#「よじれ」に傍点]は、どうにも手のほどこしようがなかった。  もしアマルフィが、万能都市や疫病都市でそうしたように、惑星の表面に自分の市のスピンディジーを配置しとりつけていたのだったら、ハーンY号星も操縦梓の動きにもっと敏感に反応していたかもしれない。少なくとも、秤動は秤動のまま残しておくことができたはずだ。惑星が少しぐらい傾いたところで、軌道をまっすぐに飛び続ける限りは、それほど問題にもならなかっただろう。  しかしアマルフィは、どんな理由にもまして説得力のある理由で、市の駆動機には手をつけていなかった。市が生き残るためにという理由だった。機械のうちただ一基だけは、ともかくもハーンY号星の飛行に力を貸していた。それは十六丁目の大型|尖軸《ビヴォット》スピンディジーだった。そのほかの機械は、あのガタガタになった、しかし今はほとんど冷えきってしまった、二十三丁目の機械も含めて、停止したままだった。 「……自由惑星に告ぐ。自由惑星に告ぐ……生存者がいるなら、応答せよ……南十字《クルックス》のエプシロン星、君達はあの天体に呼びかけて応答を得たのか? ……自由惑星に告ぐ! 君の星は、われわれと衝突をまぬがれないコース上にある──畜生! ……パリヌリのエータ星に告ぐ、われわれを間一髪でかすめた自由惑星は、君達の方へ向かって進んでいる。その惑星には、生存者がいないか、さもなければ操縦の自由を失っている……自由惑星に告ぐ。自由惑星に告ぐ──」  人の住む惑星系のそばを通過し、迂回し、かすめ、危うくかわし、時にはその系のまっただ中を突き切るたびに、春の連続洪水のように外の世界から市へ流れこんでくるそのような狂気じみた呼びかけに、いちいちこたえている暇はなかった。呼びかけに対して応答するぐらいのことはできたが、応答した以上、何かの説明を要求されるだろうし、二つ三つ問答をくりかえすかくりかえさないうちに、ハーンY号星は呼びかけた方の超波放送《ウルトラフォン》の到達範囲から飛び出してしまう。  よっぽど差し迫った問い合わせには、ディラック放送でこたえられないこともないが、それにも厄介な問題が二つあった。その一つ、それはたいしたことでもないが、とにかく質問があまりにも多すぎたし、それにいちいち相手にならなければならない理由は、全くなかった。もう一つのその方がずっと重要だったのは、何をこたえるにしても、それを、地球と、その地球をめざして都市のジャングルと行動を共にしている、例の正体の知れない都市に聞かれるかもしれないということだった。  地球に何を聞かれようとも、それはあまり気にならなかった──地球は、ハーンY号星の飛行のことをたっぷり聞かされていた。比喩的な意味にしろ、ディラック放送が満員になる[#「満員になる」に傍点]というようなことがあるとすれば(事実、あり得ることだった。ディラック送信機が、無限に多い電子軌道の一つ一つに洩《も》らさず同調するように調整されているということは考えられない)、地球のディラック送信局は、まさにハーンY号星の描く弧に沿ったおびえた惑星のわめき叫ぶ声で満員だった。  しかし正体の知れない都市のことは、アマルフィもひどく気にしていた。  オブライアンは、その都市を自分の偵察衛星の視野の中心に着実にとらえ続けた。鐘楼の手すりにとりつけた小型のスクリーンは、アマルフィがその方へ目を向けようが向けまいがそんなことはおかまいなしに、キラキラとよく光る罪もなさそうな円球を映し出した。  その|渡り鳥《オーキー》のジャングルへの──そして地球進軍への──新参者は、渡り鳥の隠れ家にまぎれこんでからこのかた、集団から外へ出ようとする運動はおろか、すこしでも興味を引きそうな動き方は全くしなかった。時々、ジャングルのキングと会話をかわした。たまには、ほかの都市とも話をした。  ジャングル全体に退屈の気分がみなぎって、都市間の往来がかなり見られるようになった。しかし、オブライアン、あるいはアマルフィの知るかぎり、新参都市にほかから訪問者のあったためしはなかった。そこからよそへ小艇の出たこともなかった。それはもちろん当然のことだった。|渡り鳥《オーキー》は孤独を好んだ。交際の申し込みを断わっても、その口調に積極的な敵意があらわれていなければ、それは状況がどうあろうとも必ず容認された。要するに、その新参都市はメッカからメジナへ逃走した回教徒の一人として、その集団に全くよく溶け込んでいた──マクベスに出てくる、ダンシネーンへ行く途中のバーナムの森の一本の樹だった。  たとえジャングルの中の誰かが、その都市の正体に気がついていたとしても、アマルフィにはそれらしい徴候が見えなかった。  大きな星が一つ、青白く光りながらロケットのように市の上空を飛び過ぎ、見る見る小さくなって、暗闇の中へ消えた。アマルフィはそのことを簡単に〈シティ・ファーザーズ〉に告げた。ジャングルはここ数日のうちに地球の見える位置に達するだろう──地球のディラック放送は、ジャングル接近のニュースにますます多くの時間を割《さ》くようになり、ハーンY号星は次第に相手にされなくなった。  アマルフィは〈シティ・ファーザーズ〉を十二分に信用してはいたが、それでも頭の上を威嚇《いかく》するように星に飛びかわれてみると、たとえ〈シティ・ファーザーズ〉の計算がどれほど正確に見えようとも、Eデイに間に合わないのではないか、早すぎるのではないかと、そんなことを思いわずらわずにはいられなかった。  だが〈シティ・ファーザーズ〉は、ハーンY号星はまさしくEデイに地球の属する太陽系に到達するだろうと、頑強に主張し、アマルフィも自分を無理にでも抑えつけて、そのこたえに満足しないわけにはいかなかった。この種の問題に、かつて〈シティ・ファーザーズ〉が誤りを犯した例はなかった。アマルフィは落ちつきなく両肩をすぼめて、天文局に電話をかけた。 「ジェークか? 市長だ。君は痙攣性震動《トレビデーション》ということを聞いたことがあるかね?」 「くだらない質問ですな」天文技術者は怒ったような口調でこたえた。 「そうか。それならば、われわれの現に飛んでいる軌道にある程度の痙攣性震動《トレビデーション》を導入するには、どうすればいいだろう?」  天文技術者は、それがくせの人をイライラさせるクツクツ笑いを洩らした。 「だめですね。それは太陽の周辺の空間の条件です。それに質量が足りません。確か必要な最低限の質量は、十の三十乗キログラムの一・五倍です。しかしこれは〈シティ・ファーザーズ〉に訊いて確かめてください。いずれにしろ、わたしの計算もオーダーはあっています」 「勝手にしろ」  アマルフィは電話を切って、葉巻に火を点けようとした。空を飛ぶ星を片目で睨みながらでは、なかなか面倒な仕事だった。どういうものか、葉巻は星が一つ飛ぶたびに短かく縮こまるように見えた。その神経質な葉巻にやっとのことで火が点くと、今度はへイズルトンを呼び出した。 「マーク、君はいつだったか、音楽家の演奏の仕方をぼくに説明してくれたが、あれは、確か曲の中間の部分をゆっくり演奏できるように、始めと終りとを正しい速さよりもいくぶん早めにするというようなことだった。そうだったね?」 「そうです。テンポ・ルバート──文字通りに訳して、|盗まれた《ロブド》テンポという奏法です」 「わたしのやりたいのは、われわれが太陽系を横断するときに、この岩の山の運動に何かそれに似たような変化をとり入れて、全体の飛行時間には損失がないようにすることなのだ。いい考えはないかね?」  すぐにはこたえがなかった。 「別に思いつきませんね、市長。そういった種類の|調 節《コントロール》は、ほとんど純粋に直覚的なものです。おそらく、オブライアンに操縦機構を調整させるよりも、あなたが自分の手で調節する方がうまくいくでしょう」 「わかった。ありがとう」  これも、やっぱりだめだ。  この速度では、自分の手で調節するなど問題外だった。生き身の操縦者《パイロット》は、アマルフィでさえ、とてもハーンY号星を直接操縦できるだけの速い反射能力は持っていない。この惑星を飛行中に、一秒かそこらのあいだ、直接に操縦することができたらと、それを望めばこそ痙攣性震動《トレビデーション》を導入したいと思ったのだ。たとえそれが導入できたとしても、惑星のコースに必要なことのわかっている決定的なかみそり[#「かみそり」に傍点]の刃尖ほどの変化を与える能力が自分にあるかどうか、それは自信がなかった。 「カレルだね? ここへあがってきてくれないか?」  ほとんど即座に若者は姿をあらわした。  露台《バルコニー》に出ると、矢のように飛び来たり飛び去る星に目を見はった。心の中の不安を厳しく抑えつけている様子だった。 「カレル、君は、初め通訳としてわれわれの仕事を手伝ってくれたのだったね? そうだったのなら、音声《ボイス》タイプライターを使用する機会がたびたびあったに違いない」 「はい、ありました」 「よし。それでは、君はそのタイプライターの印字円筒《キャリージ》が戻って、行《ぎょう》を一つ送る時にどんなことが起こるか、それをおぼえいるはずだ。円筒は戻る途中でちょっとブレーキがかかり、円筒止めがしょっちゅう強く叩かれて変形することを防ぐようになっている。そうだろう? そこで、わたしの知りたいのは、どんな仕掛けでそういう風になるのかということだ」 「小型の機械では、円筒に運動を伝えるケーブルが滑車でなくカムに巻かれています」  カレルは、そういいながら顔をしかめた。 「しかし、われわれが秘密会議の時に使う大型の多重式の機械は、クライストロンとかいう電子管を利用してコントロールされます。それが、どんな働きをする物なのか、わたしには見当もつきません」 「調べたまえ。ありがとう、カレル。それこそは、わたしの探し求めていた物なのだ。わたしは、そのような装置をわれわれの今の操縦回路に組み入れて、地球の太陽系を通過する時に、最大の制動《ブレーキ》効果を発揮させ、定められた時刻に星雲に到着できるようにしたい。できるだろうか?」 「できます。たいして難しいことでもなさそうです」  カレルは、いわれるのを待たずに下へ降りて行った。一秒|経《た》つと、大きくふくれあがった、斑点のあるまっ赤な太陽が市をすれすれにかすめた。インチで測れそうな近さだった。  電話のブザーが鳴った。 「市長──オブライアンです。都市の集団は地球に接近しつつあります。接続しましょうか?」  アマルフィは愕然とした。  もう、そんなところまで? こっちの市は、まだ目的の場所からはるかに遠く離れているというのに。  これでは、時間に遅れないように到着することのできるような速度は、とても考えられない。星が地下鉄の支柱の列のように目まぐるしくあらわれては消えて行くのが、急にいかにも心強く思われてきた。 「よし、わかった、オブライアン。大型のヘルメットの方を接続して、待機するんだ。全回路のディラックをフルにして、それから、市のコースをいつでも予備の方へ切りかえられるように用意をしておいてくれ。ミスタ・カレルはもう君と連絡をとったかね?」 「いや、まだです。しかし、あなたか、さもなければどっちかの支配人の命令だと思うんですが、〈シティ・ファーザーズ〉の操縦用記憶装置がさかんに活動しています。どうやら、われわれは地球の衝《しょう》の位置に達したあと、電子計算機によるコントロールを中止することになるようです」 「その通りだ。よし、オブライアン、繋いでくれ」  アマルフィは大型のヘルメットを頭にかぶった……。  そして、ジャングルの世界に戻った。  都市の全集団は今や大幅に減速して、いわゆる『地方星群《ローカル・グループ》』──地球の太陽を中心とする半径五十光年の仮説的な球圏──に進入しようとしていた。この球圏は過去数世紀にわたって、外へ向けての移動が行なわれていたにもかかわらず、今もなお銀河系の人口中心だった。そして、現在も|渡り鳥《オーキー》連中の頭のまわりで鳴り響いている挑戦の鬨の声は、さながら歴史の声だった。  エリダヌス座の四十番星、小犬座のプロキオン、クルーゲル座の六十番星、大犬座のシリウス、白鳥座の六十一番星、わし座の牽牛星《アルタイル》、RD−44048、狼座の三百五十九番星、ケンタウルス座のアルファ星……時には地球自体から挑戦の声のあがることもめずらしくはなかったが、そんなものは古代ギリシャ、さもなければマサチューセッツ州の呼びかけの声とほとんど変らなかった。  すでにジャングルのキングは宿なしの都市に教えこんで、どうにか戦闘体形をとらせることに成功していた。その体形は、軸の長さ一万八千マイルに及ぶ巨大な円錐だった。円錐の尖端には、純粋に防禦的な軍備以上のものは持っていそうにもない小都市が集まっていた。その、実際には彗星の頭のようにまるい抛物面《バラポロイド》になっている尖端部のすぐうしろには、最大級の都市が続いて、円錐の胴部を作っていた。  キング自身の市もその一員だったが、例の『新参都市』は、大きさからいえば、当然そこにいていいはずだのに、ずっとうしろの円錐の底面の円周に相当するあたりを飛んでいた──その都市がそんな位置にいたからこそ、アマルフィの市からは、最初にまず円錐のほとんど全体を視野におさめることができたのだった。オブライアンはジャングルの本体はどれだけ犠牲にしようとも、その新参都市だけは視野から逃さないようにと命じられていた。  円錐の壁の大部分は、中規模の堅固な都市で構成されていた。これらの中都市もそれほどの重装備を持っているらしくは見えないが、戦艦以外のどんな攻撃にも耐える程度に分極された遮蔽《スクリーン》を作ることのできるスピンディジー装置を搭載しているという利点があった。  全体として見れば、手持ちの材料だけを使って、なかなかうまく編成されていると、アマルフィはそう思った。差しあたって攻撃の意図もなさそうに見せかけながら、戦力は充分に蓄積され、かなりの防禦能力も備えている。  アマルフィは、両方の肩で支えた重い透視ヘルメットの工合を少しは楽になるようになおして、片手を露台《バルコニー》の手すりの操縦桿の近くに置いた。それと一緒に、耳の中でガンガンとよく響く声がした。 「地球防衛センターより都市へ告ぐ」  重々しい声だった。 「現在位置に停止して、公式の資格審査を待て」 「とんでもないことだ」キングの声が応じた。 「重ねて警告する。現在有効な評議会の裁定は、|渡り鳥《オーキー》都市が地球から十光年の距離以内に接近することを禁じている。また、四つ以上の渡り鳥都市の集結することをも禁じている。しかし、われわれは制限距離以内に接近しないことを条件として、後者の集結禁止の条項を当分適用しないことを通告する権限を与えられている」 「われわれは、その制限距離を越えて進入しつつある」キングの声がいった。「われわれをよく見てもらいたい。われわれは、こんな所にもう一度ジャングルを作るつもりはない──われわれは、理由もなしにここまでわざわざやって来たのではない」 「そのような状況の元においては──」  地球防衛センターのスポークスマンは、全て規定にしたがって運用される極端な官僚主義の容赦のない無頓着さでことばを続けた。 「関与した都市は、法の規定にしたがって解散を命じられる。あらゆる場合におけると同様に、この場合にも情状酌量の余地は全くない」 「いや、百のうち九十四まではだいじょうぶだ。われわれは侵略軍ではないし、一つ二つ声を大にして訴えたい不満はあるにしても、だからといってそんなことで地球を脅迫しようとしているわけではない。われわれがこうしてここまでやって来たのは、これよりほかに公正な扱いを受ける方法が見出せないからなのだ。われわれの望むのは、正義、それ以外の何物でもない」 「警告は発せられている」 「それはこっちも同様だ。君達には、われわれを攻撃することはできない。君達には、その勇気がない。われわれは立派な市民だ。ごろつき[#「ごろつき」に傍点]ではない。われわれは、正義の行なわれることを望む。それが行なわれることをこの目で確かめるために、われわれはやって来た」 〈シティ・ファーザーズ〉の走査機《スキャナー》が新しい周波数をキャッチして、カチリという音と一緒に、別の新しい声が聞こえた。 「第三十二警察隊。こちらは総司令部のマクミラン副司令官。青色警報。青色警報。応答せよ」  もう一度カチリと音がして、今度はキングがジャングルとの交信に使っている周波数に同調した。 「諸君、進行を停止しよう」キングの声がした。「体形はそのままにして、土星の軌道上、土星よりも十度前方の黄道の北十五度に設営《キャンプ》することにしよう。あとで正確な座標を連絡する。そこに設営することについて妥協が成立しない場合には、今度はいや応なしに火星の軌道へ移ることにする。しかし、できれば対等に交渉したい」 「こっちはそのつもりでも、向こうが対等に扱かってくれるかどうか、それがどうしてわかるんだ?」誰かが出しゃばって反間した。 「それが我慢できなければ、君はアコライト星団へ戻りたまえ。どうでもいいことだ」  カチリ。 「もしもし、総司令部。こちら、第三十二警察隊のアイゼンシュタイン隊長。青色警報諒解。第三十二警察隊、青色警報諒解」  カチリ。 「おい、円錐の底部の君達、進行を停止しろ! 停止しないと衝突するぞ」 「だいじょうぶだよ、ブダペスト君」 「もう一度調べてみるんだ。この辺までくれば、質量増加が著しいから──」  カチリ。 「総司令部マクミラン副司令官より第八十三警察隊へ。青色警報。青色警報。応答せよ。第三十二警察隊。赤色警報。赤色警報。応答せよ」 「第三十二警察隊アイゼンシュタイン、赤色警報諒解」  カチリ。 「地球へ告ぐ。プロサーパイン二号より地球防衛センターへ。われわれは都市を逮捕しつつある。処置について指令ありたい」 「プロサーパインというのは、一体どこだ?」アマルフィは〈シティ・ファーザーズ〉にたずねた。 「プロサーパインハ、冥王星《プルートー》ノ軌道ノ外側ニアル直径一万一千マイルノガス巨星デアル。距離ハ──」 「わかった。もういい」 「地球防衛センターよりプロサーパイン二号星へ。よけいな手出しはしない方がいい。この事態は総司令部が処置する。行動に出るな」  カチリ。 「もしもし、総司令部。第八十三警察隊フィオレリ副隊長、青色警報諒解。第八十三警察隊青色警報諒解」  カチリ。 「ブダペスト。われわれは挟撃される!」 「わかっている。わたしのいったように設営《キャンプ》したまえ。われわれが具体的な侵略行動に出ない限り、連中はわれわれに手を出す気がないのだ。連中もそれを知っている。警察の連中の牽制行動にだまされるな」  カチリ。 「こちら、冥王星《プルートー》。われわれは都市集団の尖兵を捕捉する」 「手を出すな、冥王星《プルートー》」 「集団が設営するまで、二度と捕捉のチャンスはない──われわれとプロサーパインはたがいに衝の位置にあるが、海王星と天王星は全く飛行線の外にはずれているから──」 「とにかく手を出すな」  アマルフィの視野の中で、地球の太陽は次第に大きくなっていった。大きくなるといっても、偵察衛星《プロクシー》の速度、つまりジャングルの速度に合わせて、極めてわずかずつだった。市自体からはまだ見えもしなかった。  ヘルメットの中の太陽は、無限大の距離に焦点を合わせたレンズ系を通してのぞいた炭素電弧《カーボンアーク》のように、輪郭のわからない小さな閃光《スパーク》だった。  だが、誰が何といおうとも、それはまぎれもない故郷の太陽だった。それを見つめるアマルフィの喉元には、妙に重苦しい物がこみあげてきた。この瞬間に、ハーンY号星は銀河系宇宙の中心部を金切り声をふりしぼりながら横断していた。その中心部には、地球からでは中間の稀薄な星雲にさえぎられて、ほかの銀河系宇宙のように特に稠密な星の集団は見えない ハーンY号星のうしろには、そこでは全ての太陽が幻影《まぼろし》であり、そこから逃げ出すことは奇蹟であるといわれる暗黒星雲がわだかまり、行く手には新しい驚威の充満する銀河の反対側の支流がのびていた。  アマルフィはヘルメットの中の目の前に浮かぶ、輪郭のはっきりしない、小さな黄色い閃光《スパーク》が、なぜそんなにも耐えがたく自分の目を痛め、涙を溢れさせるのか、それを理解することができなかった。  ジャングルはほとんど停止しかけていた。すでにスピードは星間巡航速度まで落ち、なおも制動を続けていた。それから十分|経《た》つと、都市の集団は太陽に対して静止した。偵察衛星《プロクシー》の送像器を通して、アマルフィの目は宇宙空間の距離感に慣れた目で見てあまり遠くないあたりに、前に一度だけ見たことのある物を捕えた。太陽系の土星だった。  買いたてのあまり精度の高くない、調節もよくできていない家庭用反射望遠鏡で、初めて空をのぞいた地球の素人天文家でも、この環《わ》のはまった巨大な惑星を、これほど新鮮な目でながめることはできなかっただろう。アマルフィはしばらく茫然とした。目のあたりに見たものは、信じられないほど美しいばかりでなく、とてもこの世の物とは思えなかった。  かたい環《わ》のはまったガス巨星! すぐそこの裏庭に、これほどすばらしいものがあるというのに、自分はなぜ太陽系を離れてよそへ行ってしまったりしたのだろう?  その巨星は、普通のハーンY号星ほどの大きさの衛星のほかに、そのまわりをまわるもう一つ別の惑星──直径三千マイル以上の惑星──をともなっていた。  カチリ。 「われわれはしばらくここに仮泊する」キングがしゃべっていた。「おい、どうしたんだ? 最後尾の君達は、まだ進行を続けて距離をつめてきているではないか。われわれはこの位置で停止しなければならないのだ──何度いっても君達にはそれがわからないのか?」 「われわれは順調に制動している、ブダペスト。あの徐行しているのは、新参の大きな都市だ。どうも何か故障が起こっているらしい」  偵察衛星《プロクシー》の送ってくる映像を見ても、その判断はあたっているようだった。その巨大な球状の都市は、ジャングルの本体からかなり離れ、円錐の底面の円周よりも、ずっと前の方へ出ていた。進行につれて球全体がガタガタと揺れ、時々予期しない、制禦できない分極が起るらしく、まっ暗になった。 「あの都市を呼び出して、助けが要るかどうかたずねてみたまえ。ほかの都市は軌道に入るように」  アマルフィは大声をはりあげた。 「オブライアン──時刻だ!」 「予定通りです」 「この操縦桿がいつ動かせるようになるか、それはどうしてわかるんだ?」 「いつでも動かせますよ、市長」操縦技師《パイロット》はこたえた。 「あなたが操縦桿を握れば、その瞬間に〈シティ・ファーザーズ〉の接続が切れるようになっています。制動が効いて、速度曲線が下降し始める五秒前に警報のブザーが鳴り、それから二度目に加速度の変化する点まで、半秒ごとに信号音が送られます。最後の信号音と一緒に、そのあと約二秒半のあいだ、操縦はあなたの自由にまかされます。その時間が過ぎれば、操縦桿は動かなくなり、一切は、ふたたび〈シティ・ファーザーズ〉のコントロールに戻されます」  カチリ。 「マクミラン副司令官、これからの対策はどうするつもりだ? 君に対策があればということだが」  アマルフィは、ディラック受信機に入ってきたその新しい声を聞いた瞬間に、嫌悪を感じた。平板な、鼻に響く、不安のまじったある種の独善以外には、何の感情もない声だった。  この男は面と向かいあっている時にでも、いつも相手の顔でなく、どこかよその方を見ながらしゃべるだろうと、アマルフィは即座にそう思った。こんな声の持主が地球の表面のどこかで攻撃軍にそなえて空を見張ったり、自分の仕事の用で駈けまわったりしているはずはない。そんなことは人にまかせて、自分は地下室のそのまた地下室あたりでうずくまりこんでいるに違いない。 「今のところ、対策はありません」警察の総司令部の声がこたえた。「連中は停止しています。どうやら、こっちの説得にしたがう気になったようです。万一に備えて、アイゼンシュタイン隊長に警戒させています」 「副司令官、あの連中は法律を破っている。われわれの禁止区域の境界線を無視して接近した。また集団の規模そのものも法律に反している。君はそれがわかっているのか?」 「わかっています、大統領」  総司令部の声には尊敬の念がこもっていた。 「もし、かたっぱしから逮捕することをお望みならば──」 「いや、空飛ぶ放浪者どもを一まとめにして収容するだけの刑務所はない。わたしが望むのは行動だ、副司令官。あのら連中には思い知らせてやらなければならない。都市の集団を勝手気ままに地球に接近することを認めるわけにはいかない──悪い先例を作ることになる。そんなことは宇宙道徳の堕落だ。われわれが開拓者の美徳をとり戻さない限り、地球は光輝を失い、宇宙の交通路には草が生《は》えるだろう」 「わかりました。はばかりながらなかなか結構なおことばです。わたしは、いつでもご命令にしたがいます、大統領閣下」 「わたしの命令は、何かの手を打てということだ。とにかく、あんな連中に頭の上でグズグズされてはうるさくてたまらない。どう始末しようと、君にまかせる」 「はい」  副司令官はひどくきびきびとした声を出した。 「アイゼンシュタイン隊長、作戦Aを開始せよ。第八十二警察隊、赤色警報、赤色警報」 「第八十二警察隊、赤色警報諒解」 「アイゼンシュタインより総司令部へ」 「こちら、総司令部」 「マクミラン副司令官、わたしは辞表を出そうと思っています。大統領閣下は、何も特に作戦Aの発動を指示されたわけではありません。わたしは、そんなことに責任を負わされたくないのです」 「命令にしたがいたまえ、隊長」  総司令部の声は楽しそうだった。 「君の辞表は受けとろう──ただし、作戦の完了した時にだ」  都市はそれぞれの軌道で平衡を保っていた。緊張の気配があった。数秒のあいだ、何事も起こらなかった。  やがて、梨のような形をした不恰好な警察の戦艦が、どこからともなくジャングルの周囲に続々とあらわれ始めた。ほとんど同時に、四つの都市が沸騰するガスの雲と化した。  その強い光輝に一時はスクリーンに何も映らなくなったが、偵察衛星《プロクシー》のディンウィディー送像器が急速に感度を下げたので、ふたたびまぶしい光を通して見えるようになった。  都市の集団はまだそこにあった。呆然としているように見えた──呆然といえば、アマルフィもただもうあっけにとられてしまった──よもや地球がこれほど汚ない手を使うことができようとは、夢にも思っていなかった。犯罪性と凶暴性とが、よっぽど理想的に組み合わされない限り、これほどにも残忍な感情を作り出すことはできないはずである。しかし大統領とマクミラン副司令官とは、おたがいのあいだに必要な組み合わせを作りあげているらしい……。  カチリ。 「戦え!」キングの声が吠え立てた。「戦うんだ、このバカ者ども! やつらはわれわれを全滅させようとしているのだ! 戦え!」  もう一つの都市が燃えあがった。警察の連中はベーテ爆雷を使っていた。水素・ヘリウム爆発の輝度に合わせて感度を下げたディンウィディー送像回路は、その武器の淡い誘導光束《ガイドビーム》を捕えることができなかった。戦えというキングの命令に効果的にしたがうことは、なかなか容易ではないはずだった。  しかし、ブダペスト市はすでに円錐の尖端部を離れて、地球をめがけて弧を描きながら、警察の艦艇に応射していた。その一発が命中した。白熱して融ける金属の塊が、アマルフィのヘルメットの中のスクリーンに薄暗いしみのように映って、また消えた。  いくつかの都市がキングのあとを追った。その数が増えた。やがて、だしぬけのように大きな波がうねった。  カチリ。 「マクミラン、喰い止めるんだ! 君を射殺させるぞ! 連中は地球侵略をくわだてている──」  一秒ごとに、新しい警察艦が飛び出してきた。渡り鳥都市の陣営のまわりには、気体の分子、塵埃《じんあい》、凝縮した金属と水の蒸気などが立ち込めて、雲状の惑星のように次第にその所在をはっきりさせるようになった。その薄い雲を通して、どうやら見えるようになったベーテ爆雷の誘導光束《ガイドビーム》が飛びかった。しかし太陽もその雲を照らすので、反射光が全景をギラギラと光らせ、ディンウィディー送像回路もあまり役に立たなかった。  その光景をながめながら、アマルフィは雄牛座《タウルス》のNGC一四三五号星を思い出した。あの時には、爆発したいくつかの都市が|すばる《プレイアデス》にかわる新星となった。  だがいま見る新星は、都市の生れかわりばかりではなかった。円錐形の陣の外側にも新星があった。驚いたことには、見ていると、警察艦はほとんどあらわれるかたっぱしから爆発していった。応射しているのは、陣形をはなれて無秩序に群がっている都市だったが、その連中はもともと戦争機械としては効率の悪い都市ばかりだから、それほど激しい警察側の損害の主因としては、問題になるはずもなかった。  何かほかのことが、何か今までにない新しいことが起こっていた──警察軍の中で、何かわからないが真に致命的な武器がその威力を発揮している……。 「第八十二警察隊、作戦Aのa──二倍の規模でやれ!」  警察の砲艦が一隻、この世の物とは思われない無音の焔をほとばしらせて、爆発炎上した。  都市軍は勝っていた。警察軍の戦艦は一度に三つの都市を相手にまわして、しかも息づかいが荒くなることもなかった。それに作戦の始まった時には、一都市あたり少なくとも五隻の戦艦があった。都市軍の側には全く勝ち目はなかった。  それでも、都市軍は勝利をおさめていた。都市は怒りを沸騰させながら、地球をめがけて雪崩れ込んで行った。その致命的な武器のために、警察軍の艦艇は天空のいたるところで、唐綿《とうわた》の実のようにはじけていた。  そして、狂ったように地球をめがけて殺到する都市集団の少し前方に、操縦の自由を失ったようにのたうちまわる巨大な銀色の球体の姿が見えた。  アマルフィは、今こそ、地球そのものを限りなく小さな青緑色の点として見ることができた。その点は夢のような速度で大きくなっていったが、アマルフィはそれをもっとよく見定めようとはしなかった。見たくなかった。故郷《ふるさと》の太陽を見ただけで、アマルフィの目は感傷の涙に曇っていた。  しかし、その目はたえず地球の方へ戻って行った。地球の極には氷がキラキラと光って……。  ……ジーッ……  その音に、アマルフィはびっくりした。ブザーはずっと鳴っていたのだが、それが聞こえなかったのだ。市の太陽系通過まであと二秒半──いや、そんなにないかもしれない。自分があの青緑色の惑星と夢うつつのうちに戦っているあいだに、一体何度ブザーが鳴ったのか、まるで見当がつかなかった。  最大限に直観を働かせて、今がその時刻だと推定するほかには方法がなかった……。  カチリ。 「地球の諸君に[#「地球の諸君に」に傍点]告ぐ。われわれ宇宙の都市は諸君を訪問する[#「宇宙の都市は諸君を訪問する」に傍点]……」  アマルフィは操縦桿を輪を描くように三ミリほど動かした。その瞬間に、操縦桿は〈シティ・ファーザーズ〉にひったくられた。  地球は消えた。地球の太陽も消えた。  ハーンY号星はたちまちのうちに加速し始め、速度をとり戻して、そのために二つの渡り鳥都市が生命を捨てた銀河の表面を横切って行った。 「……諸君の造物主も、全知全能不老不死の後継者である宇宙人が[#「宇宙人が」に傍点]、能力の劣る、宇宙に飛び出すこともできない墜落した地球人の支配者として似つかわしい[#「墜落した地球人の支配者として似つかわしい」に傍点]ことを認めている。われわれは、間もなく諸君に指示を与えて[#「諸君に指示を与えて」に傍点]──」  その大げさないいまわしをする声は、突然聞こえなくなった。アマルフィの目に映った祖先の惑星の最後のイメージ、青い光の点も、何秒か前に消えてしまっていた。  ハーンY号星全体が急にひどく傾いて鳴り響いた。アマルフィは露台《バルコニー》の床に重々しく投げ出された。重いヘルメットが頭と肩からはずれて落ち、ジャングルの戦闘の光景は見えなくなった。  もうどうでもよかった。その衝撃と、奇妙な声の聞こえなくなったことは、ジャングルの戦いの終わったことを意味した。地球の恐れていた危機のなくなったことを意味した。そして、渡り鳥都市の──それもジャングルの都市だけではなくアマルフィ自身の市も含めて、一つの階層としての渡り鳥都市全部の──終末を意味した。  ハーンY号星の岩石を通して、市庁舎《シティホール》の鐘楼にも伝わったその衝撃こそは、瞬間的ではあったが、アマルフィの手ずからの操縦がみごとであり、正しかったことを意味するものだった。  ハーンY号星の主半球のどこかに、巨大な白熱の噴火口がある。その噴火口、そして、熔融したその内壁に溶けこんでいる金属塩類、そこに、|渡り鳥《オーキー》の語り伝える中でももっとも古い伝説の墓があった。  その伝説のヴェガ星軌道要塞。  征服されたのは、あとにもさきにもただの一度だけというヴェガ星軍の戦力を結集し、蒸溜し純化した精鋭がストライクをねらって、レーンに邪魔物のなくなるのを待ちながら、どれほどの年月のあいだ、銀河系をむなしくうろつきまわっていたのか、今となってはそれも永遠の謎というほかはない。その謎の答えは退化してしまったヴェガ星群自体に求めたところで、見つけ出せるはずはない。銀河系のどこででもそうだったように、軌道要塞はその母なる星においてさえ、神話の中にしか存在しないのだ。  しかしいずれにしろ、かつてそれは現実の物だった。それは、地球に対するヴェガの恨みを晴らすチャンスの到来を待っていた。あらゆる星に君臨したヴェガ星の青白い栄光を回復できる望みがあったわけではない。巨大なヴェガ星を相手にまわして、どうにも説明のしようのない大勝利をおさめた、平凡な太陽の平凡な惑星に、必殺の一撃を加えるというただそれだけが目的だった。  その要塞でさえ、単独で地球に勝てる見込みはなかった──しかし渡り鳥都市の地球をめざす進軍の混乱にまぎれて、しかも、地球が自分の市民の都市を焼き滅ぼすことをためらって手遅れになることを期待し、今度こそは完全な勝利が得られるものと予想していた。伝説の中にかすんだ、永い永い流浪の旅から、いちかばちか最後のこのチャンスに賭けようと、都市に化け、夢物語りの主人公になりすまして、舞い戻ってきたのだった。  余震のT波が鐘楼をゆるやかに揺り動かした。アマルフィは手すりにつかまりながら立ちあがった。 「オブライアン、市を切り離して、惑星はそのまま行かせるんだ。市の軌道を切りかえろ」 「大マゼラン雲へ行くんですね?」 「その通り。さっきの震動でどこかに損害があったのだったら、修繕させたまえ。へイズルトンとカレルにもいっておいてくれ」 「かしこまりました」  それにしてもヴェガ星の要塞の勝利は、ほとんど確定しかけていた。それが、たまたま仲間に見棄てられてあてどもなく宇宙をさまよう、とある小さな世界と行き会ったばかりに、ふいになってしまった。しかし地球は、そのことの千分の一ほども知るはずはなかった。知っているとすれば、ハーンY号星が太陽系の中を突き抜けたということ、それだけにすぎない。そのほかの証拠は一切合切、今はハーンY号星の主半球の冷えかけた噴火口の中で、煮えたぎり融けてしまっている。そしてアマルフィは、そのハーンY号星が地球の目から永遠に失われてしまうようにするつもりだった……。  地球が|渡り鳥《オーキー》連中の目から失われてしまったように。  古ぼけた市長室には全員が集まっていた。  ディー、へイズルトン、カレル、ドクター・シュロッス、アンダスン署長、ジェーク、オブライアン、技師連中、そしてこの場に顔は見せていなくても、全市に行きわたった送受両用の拡声装置を通じて、市民全体が、〈シティ・ファーザーズ〉までが参加していた。  こういう集会はこの前の選挙以来初めてだった。それはへイズルトンを幹部の椅子に送りこんだ選挙だったが、現在出席している人達の中に、その時のことをよく憶えている者は、〈シティ・ファーザーズ〉を除けばほとんどいなかった──だから、ほかのことはともかくとして、特にその当時の記憶を今度のこの集会に効果的に利用するというような才覚の持ち合わせは、誰にしてもなさそうだった。もともとムード作りなどということは、この連中の得手ではなかった。  アマルフィが話し始めた。その声は穏やかで、感情をまじえず、没個性的だった。  全ての人達を、一つの組織体としての市を相手にした話し方だったが、その目はまともにへイズルトンに向けられていた。 「何よりもまず必要なのは、全部の諸君に、われわれの現におかれている大体の物理学的ならびに天文学的状況を理解してもらうことである。しばらく前に、われわれがハーンY号星からこの市を切り離した時に、その惑星は小マゼラン雲へ向かって進んでいた。銀河系宇宙の北の方から来た諸君のために説明するならば、その星雲はこの主星雲から離れて、南の分肢に沿って移動している二つの伴星雲のうちの一つである。今もなお、ハーンY号星は同じ道を進んでいる。よっぽどのことが起こらない限り、その惑星はめざす星雲に達し、それを突き抜けて、さらに宇宙空間の奥深く進み続けるだろう。  われわれはジャングルの仲間に入っていたあいだに、ほかの都市からかき集めた装置機械のほとんど全てをあの惑星に置いてきてしまった。それはやむを得ないことであった。それをこの市に移そうにも、その余地はあまりなかった。また、そういつまでも、ハーンY号星にかじりついているわけにもいかなかった。なぜかといえば、地球はその惑星が銀河系を離れてしまうまでは、さもなければ、われわれの市がその惑星に便乗していないことを確認するまでは、十中八、九われわれを追跡してくるにきまっているからだ」 「なぜです、市長?」いろいろな声がほとんど同時に、拡声器から出てきた。 「理由はいくつもある。われわれがハーンY号星に太陽系の至近距離を通過させたこと──そればかりでなく、ほかの惑星系の中を通り抜け、惑星間の主要交通圏内に立ち入らせたこと──は地球の法律の重大な侵犯であった。さらに、地球はわれわれが行きがけの駄賃に都市を一つ血祭りにあげた一件で、われわれに黒星をつけている。地球はあの『都市』の正体を知らないのだ。ところで重要なのは、たとえそれを秘密にしておいたとしても、われわれが歴史に殺人犯として書き残された場合に、それがどんな結果になるか、かれらにはそれがわからないということだ」  ディーは、納得できないという風に身じろぎをした。 「なぜわたし達がその責任をとらなければならないのか、わたしにはわからないわ。だって、ジョン、わたし達のやったことは、本当は地球にとってたいした大手柄だったのよ」 「それは、われわれがまだ最後までかたをつけてしまってはいないから[#「まだ最後までかたをつけてしまってはいないから」に傍点]だよ。ディー、君には、ヴェガ星人といえば、ほんの三世紀ほど前に初めてその名を耳にした大昔の人間だ。それまでは、君はユートピア星にいて、銀河系の歴史の主流から切り離されていた。しかしいずれにしろ、事実は、地球の前に銀河系宇宙の大部分を支配していたのは、ほかならぬヴェガ星であり、ヴェガ星人は相手にまわせばつねに危険なやつらだったし、今もなお、つい先頃われわれが見せられたように危険な相手であるということだ。あの要塞も、決して飲まず喰わずに真空の中で生きていたわけではない。われわれと同様に、時々はどこかの星に立ち寄らなければならなかった。それに軍用の衛星だったから、その補修と維持も、自分だけの力では手がまわり切らなかった。  銀河系のどこかに、ヴェガ星の植民地がある。そこは今でも危険だ。ヴェガ星の虎の子の武器がどんな運命におそわれたか、そのことは、絶対にその植民地に知られないようにしておかなければならない。その自分達の要塞が最初の計画には失敗したが、いつの日にかまた次の機会をねらって戻ってくるに違いないと、そう信じこませておかなければならない。要塞が破壊されたことを知らせてはならないのだ。さもないと、連中はべつの要塞を建造するだろう。  その二つめの要塞は、最初のやつの失敗したあとを引き継ぐだろう。最初の要塞が失敗したのは、今まで地球を支配してきた放浪性の文化のためだった。|渡り鳥《オーキー》にやられたのだ。たまたま、われわれの市がその役割りを果たすめぐり合わせにあったわけだが、われわれがその時にいたのは決して偶然ではなかった。  しかし|渡り鳥《オーキー》連中も、ここしばらくは銀河系のどこへ行っても役に立てそうにはないし、歓迎される要素にすらなれそうにない。また銀河系宇宙そのものも、とりわけ地球は、その期間中ずっと不景気のために赤ん坊のように弱くなる。  もしヴェガ星人が、自分達の要塞が地球をめがけて突進し、間一髪で撃破するところだったということを聞けば、かれらはそのニュースを受けとったその日から、もう一つの要塞の建造にとりかかるだろう。そうなれば……。  いや、ディー、とにかく、秘密は守らなければならないことになるだろうね」  ディーはまだ少し得心のいかない顔で、助けを求めるようにへイズルトンを見た。しかし、相手は頭を振った。 「われわれ自身の立場は今のところよくも悪くもない」アマルフィはことばを続けた。「われわれは、まだハーンY号星の速度をそのまま維持し続けている。その速度は、われわれが故障したスピンディジーをかかえながら、ともかくも市を操縦できるようにするための苦肉の策として、ヒー星を飛行させた時の最高速度よりはずっと遅い。何といっても、われわれの市の質量は惑星のそれに比べるとはるかに小さいのだからね。この市を周回しながら円錐形を描くように飛行させて、その内側のもよりの星に立ち寄ることもできる。結局、地球はハーンY号星の飛び去った跡を追うことしか考えない。連中には、市の現在の飛行経路など全く見当のつけようもないのだ。  われわれの駆動機関が古ぼけておぼつかなく、われわれの市が二度と昔の元気の一部をでもとり戻せる見こみのないことを、諸君にもよく考えてもらいたい。今度どこかに寄港するとすれば、われわれはそこにいつまでも腰を据えてしまうことになるだろう。われわれには、新しい機関を買い入れる金《かわ》がない。新しい機関がなければ、金を作ることができない。だから、つぎにどの星に立ち寄るかという問題は充分慎重に考えてみる値打ちがある。そこで、君達に一人残らず、この会議に出席してもらったというわけなのだ」  技師の一人が発言した。 「市長《ボス》、本当にそんなに悪い状態なんですか? ある程度は、われわれの手で修理もできるはずですが──」 「市ハコノ次ニ着陸スレバ、モハヤ飛ビ立ツコトハデキナクナルグロウ」〈シティ・ファーザーズ〉の平板な声が聞こえてきた。  技師はあとのことばを呑みこんで、そのままま引きさがった。 「今の軌道をこのまま進めば、われわれは結局、二つあるマゼラン雲の大型の方へ行くことになるはずだ」アマルフィは説明した。「現在の速度で飛ぶとすれば、約二十年かかる。もし実際にそこへ行くことを望むならば、その旅程をさらに六年延長するように計画を立てなければならない。というのは、今のわれわれの速度は大きすぎて、いきなり普通の速度まで減速しようとすれば、市の全部の駆動機関が壊れてしまうおそれがあるからだ。  わたし自身としては、大マゼラン雲こそは、まさにわれわれのめざす行先きであると、そういいたい」  どよめきが湧きおこった。全市が驚きの喚声に包まれた。  それを押さえるように、アマルフィは片手をあげた。部屋に顔を見せている連中のざわめきは、それでも少しずつ静まっていったが、市のほかの場所では、なおしばらくのあいだ騒然の気配が続いた。それも異口同音に反対を唱《とな》えるというのではなく、大ぜいの人達が、おたがいどうしのあいだで議論をたたかわす、気負い立った声のかもし出す騒音のようだった。 「諸君の気持はよくわかる」  市民の大多数が、もう一度自分の話に耳を傾けることのできる状態に立ち戻ったことを見極めた上で、アマルフィは口を開いた。 「前途ははるかに遠い。しかも星雲のこちらの側には、一つか二つの植民地のあることも予想されないでもないが、そこで星仲間の通商関係が確立されているとは考えられないし、銀河系宇宙の本体とのあいだの交易などは、これはもう存在しないに決まっている。われわれはそこに定住しなければならないことになるだろう──土にまみれた農業を生活の糧《かて》とすることになるかもしれない。  それは、|渡り鳥《オーキー》であることをあきらめ、宇宙人であることをあきらめるということだ。それがなかなかあきらめ切れる物でないことは、わたしも知っている。  しかし、わたしは仮に何かの奇蹟があらわれて、われわれのこのくたびれた老《お》いぼれ都市に、もう一度昔のスタミナをとり戻させることができたとしても、銀河系本体のどこへ行ってみたところで、われわれには、もはや仕事はないのだということ、どんな仕事にしろありつける望みはないのだということを諸君に思い出してもらいたい。  われわれには選択が許されないのだ。われわれはどうあっても自分達の根を生《は》やす、われわれ自身の惑星、自分達の物だと主張することのできる惑星を見つけ出さなければならないのだ」 「ソノ点ヲハッキリサセテオカネバナラナイ」〈シティ・ファーザーズ〉の声が割り込んできた。 「これからそうするつもりだ。諸君は誰でも、銀河系の経済がどんなことになっているか、それは百も承知している。つまり完全に崩壊してしまっているのだ。主要交易圏内で通貨が安定していたあいだは、われわれが働けば、支払ってもらえる金もあった。ところが、今はもうそんな安定通貨は存在しない。現在地球で採用されている|くすり《ドラッグ》本位制は、われわれのような都市では考えられない。なぜかといえば、都市はその|くすり《ドラッグ》を通貨としてではなく、宇宙を渡り歩けるだけ生き永らえるための長寿薬として利用しなければならないからだ。疫病のはびこる可能性もある──しばらく以前にわれわれがそれを経験したことは、諸君の記憶にも残っていることと思う──しかしそれは別にしても、われわれが文字通り不老長寿を前提として生きているという事実は動かせない。それを商売の道具にまで使うことはできない。  しかも|くすり《ドラッグ》本位制は、まだ始まったばかりだ。しかしやがては、この制度もかつてのゲルマニウム本位制と同じように、もっと速くもっと決定的に崩壊してしまうだろう。銀河系は厖大な広がりを持つ。何かの安定した基盤の上に経済が立ち直るまでには、一ダースほども新しい通貨制度が生れるだろう。そうなるまでにも、それぞれの区域で数千の地方的な通貨制度が運用されるだろう。そうした過渡的な通貨制度の空白期間は、少なくとも一世紀にわたって続くものと──」 「スクナクトモ三世紀ニワタッテダ」〈シティ・ファーザーズ〉が訂正した。 「よろしい。三世紀にわたって続くものと考えられる。わたしの見方は甘かったようだ。いずれにしろ、われわれが少なくともある程度の安定すら求められないような経済の中では生計を立てられないこと、そうかといって、銀河系の経済がふたたび固まるまで、このままむなしく待っているわけにもいかないことは、議論の余地もなくはっきりしている。何よりもわれわれには、結局は安定にたどりつくとしても、その場合にそこにわれわれ|渡り鳥《オーキー》仲間の入り込める余地が残されているかどうか、それを知る方法がないのだ。  率直にいって、この宇宙にわれわれ|渡り鳥《オーキー》の生き残ることを祈ってくれる連中があるとは思われない。ことに地球は、例のジャングル都市の『進軍』の一件以来、態度を硬化してくるだろう。あの進軍には、わたしもヴェガ星人をそれにうまく巻きこめる自信があったから、実行をそそのかすのに骨を折ったのだが。しかし、たとえその進軍がなかったとしても、|渡り鳥《オーキー》都市は不景気のために役にも立たない廃物になっていただろう。不景気の歴史は、経済的混沌のあとには必ず極端に厳しい経済統制の一時期の続くことを示している──その期間にはあらゆる変動要素、商品投機、無制限の信用、自由市場、競争的賃金などのような部分的にしか統制することのできない要素は、全てシャットアウトされる。  われわれの市などは競争労働を生活の手段とする都市の窮極の姿に近い。かりにそれがこの過渡期の混乱時代を通じてずっと続けられたとしても──実際にはできるはずのないことだが──新しい経済の中では、そんな物は時代錯誤的な存在になるだろう。グズグズしていれば、われわれが政府の選んだどこかの惑星に、強制的に着陸させられることは、まず間違いがないと思われる。  わたしのいいたいのは、政府につきまとわれ、連中の勝手に選んだ惑星への着陸を強制されないうちに、早手まわしに、自分達の落ちつき先を自分達の判断で選びたいというただそれだけのことなのだ。われわれは、政府がその版図《はんと》と主張することの予想されるもっとも遠い辺境から、さらに数百パーセク隔たり、しかもその版図の中心から、また政府が将来領域内にとり入れそうなあらゆる区域から、着実に、それもかなりのスピードで後退しつつある場所を選び、いったんそこへ到着したからには、その土地に深く深く根を降ろすのだ。  われわれが自由を欲しいままにしていた宇宙世界には、今や新しい帝国主義が始まろうとしている。今後も自由であるためには、われわれは帝国主義の野望の及ぶことの予想されるあらゆる辺境をはるかに乗り越えて、そこにわれわれ自身の小帝国を創建しなければならないのだ。  しかし、われわれはその困難にぶつかって行こうではないか。渡り鳥の時代は終わった[#「渡り鳥の時代は終わった」に傍点]」  誰も何もいわなかった。あっけにとられた顔が、たがいに表情を探りあった。  やがて〈シティ・ファーザーズ〉が落ちついた声で発言した。 「要点ハコレデハッキリシタ。現ニワレワレハソノエラバレタ区域ノ解析ヲススメテイル。四、五週間ノウチニ、担当ノ部署カラ報告書ガ提出サレルハズデアル」  大きな部屋にはなおも沈黙が続いていた。|渡り鳥《オーキー》達は自分達の聞かされた話の内容を吟味《テスト》していた──|味わって《テースト》いたという方がいいかもしれない。  放浪生活は終わった。  自分達の惑星ができる。大地に定着した都市。その都市では決まった時刻に朝日がのぼり、夕日が沈む。季節の移り変りがある。重力場発生装置のやむときのない騒音から解放された静寂。恐怖も、争いも、敗北も、追跡もない。自給自足の世界──そして、空の星は永遠に光の点にすぎない。  惑星にしがみついて生きている連中なら、自分達の習慣にそれほどの変革をもたらすような提案は、おぞ毛をふるって即座に拒否するだろう。しかし、|渡り鳥《オーキー》は変化に慣れていた。変化こそは、かれらの生活の中で唯一の安定した要素だった。それはまた、惑星に住む連中の生活の中ででも、唯一の安定した要素であるのだが、その連中はまだそのことを身にしみて感じてはいないのだ。  たとえそうであっても、|渡り鳥《オーキー》達が変化に慣れているばかりでなく、事実上不死に近い寿命を保っているのでなければ──宇宙旅行以前の旧時代人のように、展翅板にピンでとめられた昆虫の標本さながら、一世紀に満たない生涯にしばりつけられているのだったら──アマルフィもことの成行きに安んじているわけにはいかなかったことだろう。  寿命が短かければ、のんびりと落ちついてはいられない。数年のうちにも、どこかにはかない生命《いのち》のかげろう[#「かげろう」に傍点]達の黄金郷《エルドラド》を見つけてやらなければならない。しかし年齢の征服は、ファウスト的な焦燥をほとんど解消してしまった。三世紀か四世紀|経《た》つうちに、人々は未知の物を探すことに飽きてしまった。  かれらは、未来を平安で豊かな安息所の待つ彼岸《ひがん》としてでなく、単にまだ経過していない時間の領域であると考えることを学び──事実そのように考え始めた。かれらは、現在から芽生える物、現在から繰り広げられていく物に関心を持つようになり、未来について考えるにしても、つねにその未来のもたらすかもしれない大変革がどんな物であれ、それを無頓着に受け容れようとする態度を崩さなかった。もはや『安全保証』という名のもとに、大変革を求めて生命を燃やしつくすようなことはなかった。  簡単にいえば、かれらはすこしばかり現実的になり、すこしどころでなくくたびれていたのだ。  アマルフィは静かに待った。確信があった。最初に持ち出される反対意見が、その価値から見て最低の物だろうということは、察しがついていた。そういう反対意見をあしらうことに不安はなかった。  しかし沈然が予想したよりもはるかに長く続いているので、アマルフィは自分の議論が、ことに終りの方で、抽象的になりすぎたのではなかったか、と思い始めた。そうだとすると、ここで誰でもが関心のあるごく身近な問題に触れておいた方がいい。 「わたしの述べた解決策はほとんどの諸君を満足させるに違いない」  きびきびとした口調だった。 「へイズルトンは今の職務《ポスト》をしりぞくことを願い出ているが、わたしの提案はもっとも効果的に、かれをその職務から解放することになる。われわれもそれによって警察の追求から解放される。カレルは、今でもそれを望んでいるのならば、市の支配人《マネージャー》の職につくことになる。しかし、わたしとしては、かれには着陸した市の支配人になってもらいたい。というのは、わたしはカレルを操縦士《パイロット》としては信頼していないからだ。わたしの提案は──」 「市長《ボス》、ちょっとわたしにもいわせてください」へイズルトンが口を出した。 「いいとも、マーク」 「あなたのいわれることは、何から何まで非常に結構ですが、あまりにも極端にすぎます。われわれがなぜそんなに遠くまで行かなければならないのか、わたしにはその理由がわかりません。いかにも、大マゼラン雲はハーンY号星の進路からはずれています。銀河系宇宙からはるかに隔絶しています。また、たとえ警察の連中がわれわれを探し求めて、そこまでやってきたとしても、その星雲があまりにも大きすぎ、住人も少なく、複雑すぎて、手の打ちようもないということ、それも認めます。しかしわれわれは、銀河系を離れずに、同じ効果をあげることはできないでしょうか? なぜわれわれは刻一刻と銀河系から遠ざかって行くそんな星雲に、すみかを求めなければならないんです? それも、何だか途方もなく大きなスピードで──」 「毎秒三百四十四マイル」〈シティ・ファーザーズ〉が声を出した。 「黙りたまえ。なるほど、そういうことなら、たいして速くもないようだ。しかしそれにしても、その星雲までの距離は大変なものだ──おい、また正確な距離はこれこれとよけいな口出しをしたりすると、君の真空管を残らずぶち壊してくれるぞ──だから、われわれがもう一度銀河系に戻りたくなった場合には、またどこかの惑星に便乗して飛ばなければならないことになります」 「わかった」  アマルフィはうなずいた。 「それで、君にはどんな代案があるのだ?」 「どうして、われわれの銀河系の中の、どこか大きな星団に隠れてはいけないんですか? アコライト星団のようなちっぽけな星屑の寄せ集めではなく、ヘラクレス座の中の大星群のような大物にでも。われわれの現在描いている円錐形の軌道の内側にも、そういう星団が少なくとも一つはあるに違いない。局部的な空間の歪みを正確に知らないかぎり、スピンディジー航法の不可能な、ケフェウス型変光星群さえ存在しないとは限らない。そういう場所を選べば、われわれは警察の追跡を免がれながら、しかも経済情勢が向上し始めた場合には、すぐにも仲間入りのできる銀河系宇宙の内部にとどまることになります」  アマルフィはその問題について論争をこころみようとはしなかった。  筋からいえば、このような異論を立てるのは、今のところ飛行する市の実質的な指揮権を奪われているカレルであるはずだった。それを、自分から引退を申し出たへイズルトンが最初に持ち出してきたという事実だけで、アマルフィにはなにもいうことはなかった。 「経済情勢が向上しようがしまいが、わたしにはそんなことどうだってよくてよ」思いがけなく、ディーが割り込んできた。「わたし達が自分自身の惑星を持つというその|考え《アイディア》はいいじゃないの。警察のやつらからできるだけ遠くへ逃げるためにも、ぜひそうしたいわ。その惑星が本当に自分の物になるのなら、わたし達が二世紀だか三世紀だか先にもう一度|渡り鳥《オーキー》都市の生活に戻れるかどうかなんて、そんなこと問題にしなくたっていいじゃない? そうなったら、もう|渡り鳥《オーキー》なんかになる必要はないわ」 「君がそんなことをいうのは」へイズルトンが相手になった。「君が生まれてからまだ二、三世紀しか経《た》っていないし、それに惑星での生活の方が、まだしも身についているからだ。われわれの仲間には、君よりもずっと齢をとった連中もいれば、渡り歩くのが好きな連中もいる。ぼくは、何も自分勝手なわがままをいっているわけではないよ、ディー。それは君にもわかっているだろう? ぼくだって、こんながらくた都市におさらばできたら、さぞやサッパリするだろうな。しかし、ぼくにはどうもこの提案全体が少し臭い気がする。市長、あなたはまさか、市の幹部の交代を封じるそれだけのために、われわれに着陸を強いようとしているのではありますまいね? そんなわけにはいきませんよ」 「もちろん、よくわかっている」アマルフィはこたえた。「わたしは市の着陸と同時に、自分の辞表を君のと一緒に提出する。しかし、今はまだ市の責任者として、与えられた任務を忠実にはたしているつもりなのだが」 「いや、わたしはそんな意味でいったわけではない。もう結構です。そんなことでなく、わたしの知りたいのは、どういうわけで、われわれはわざわざはるばると大マゼラン雲まで行かなければならないのかということです」 「それをわれわれの物にするためにですよ」だしぬけのようにカレルが口を出した。  へイズルトンがびっくりしたように振り返った。しかし、カレルははるか天空のかなたに心を奪われて、その目も自分より年長の相手を見てはいなかった。 「われわれがどれを選ぶことになるか、それはわからないが、いずれにしろそのわれわれの惑星ばかりでなく、島宇宙そのものがわれわれの物になるんだ。マゼラン雲は、大も小も両方とも、それぞれ小さな島宇宙《ギャラクシー》です。ぼくは銀河系の南部人《サザナー》です。大小二つのマゼラン雲が火花の|つむじ風《トルネード》のように、美しく夜空を横切って行くのが見える惑星で大きくなりました。大マゼラン雲は、それ自体の公転の中心をさえ持っています。ぼくの故郷の惑星からは近すぎて見えませんでしたが、地球から見ればはっきりとしたミルンの渦巻きの形になっています。しかも、その二つの星雲は、銀河系本体から次第に遠ざかり、自身の独立をかちとろうとしているんだ。  ねえ、マーク、これは惑星一つだけの問題ではありませんよ。惑崖など、どうでもいいことです。この市を飛ばすことはできなくても、われわれは宇宙船を建造することができる。植民地を作ることができる。自分達に都合のいい経済を打ち立てることができる。われわれ自身の島宇宙《ギャラクシー》だ! これ以上何を望めるというんです?」 「そんな考え方は安易にすぎるよ」  へイズルトンは譲ろうとしなかった。 「わたしは自分の欲しい物を手に入れるために戦うことに慣れている。このわれわれの市のために戦うことに慣れている。だがわたしは、自分の腕の力よりも頭を使いたい。君の宇宙船、君の植民地、どれにしたところで、それにとりかかるまでには草を刈ったり、土を掘りかえしたり、そんな単純で退屈な仕事を山ほどかたづけなければならない。そこに、わたしがこの計画に反対する理由の核心があるのです、市長。無駄なことですよ。われわれは、そのほとんどが全く経験のないことを、いやおうなしにやらされることになるんですからね」 「わたしは君達とは意見が違う」  アマルフィのことばは静かだった。 「大マゼラン雲にはすでにいくつかの植民地がある。いずれも、宇宙船ではなく都市の創設した植民地だ。当時は、ほかにそれだけの宇宙旅行のできる設備がなかった」 「だから?」 「だから、われわれがどこかに場所を見つけて、そこに腰を落ちつけ、土を掘りかえすくわ[#「くわ」に傍点]をとり出そうにも、そんなことの無事平穏にできるチャンスはまずない。星雲のどの部分にしろ、それを自分の物にするには、われわれは戦わなければならない。その戦いは、かつてわれわれの経験したことのないような大がかりな戦いになりそうだ。  というのは、われわれの戦う相手がほかでもない|渡り鳥《オーキー》だからだ──おそらくは自分達の歴史とか、祖先から伝えられた物とか、そんな物はほとんど忘れてしまっているだろうが、いずれにしろ|渡り鳥《オーキー》には違いない連中、われわれよりもずっと以前からわれわれと同じことを考え、今は自分達の特権をどこまでも守り抜こうとしている|渡り鳥《オーキー》の連中だからだ」 「連中にはその権利がありますからね。しかし、われわれをそれと同じように──ほとんど同じように待遇してくれそうな巨大な星団があるというのに、なぜほかの連中の縄張りを荒さなければならないんです?」 「それは、その連中自身が縄張り荒しだからだ──ただの縄張り荒しならまだいい。都市という物が、銀河系でその存在をはっきりと認められていたその昔に、なぜ自分達だけそんなに遠い道のりを大マゼラン雲まで出かけて行ったのだろう? なぜその連中は、どこかの大きな星団に落ちつかなかったのか? 考えてみたまえ、マーク! 連中は海賊都市《ビンドルスティッフ》だったのだ。つまり大マゼラン雲まで行かなければならなかったのは、犯罪をおかして、主星雲に属する全ての星を敵にまわしてしまった都市なのだ。その一味にどんな都市があるか、君達も一つは名前をあげることができる。そして君達の知っているその都市も、遠くあの星雲に逃げて行っているに違いない。それがIMT(惑星間交易支配都市《インターステラー・マスター・トレーダーズ》)だ。トール第五惑星が今でもまだ当時のことをおぼえているばかりでなく、銀河系の生きとし生ける全ての者が、その都市の住人の最後の一人まで殺しつくさなければおさまらない気持を煮えたぎらせている。そうなっては、たとえその旅の五十年を飢餓に苦しもうとも、大マゼラン雲のほかのどこに行き先きがあるだろうか?」  へイズルトンは両手をゆっくりと、しかし力を込めて、こねまわし始めた。指の関節が白くなったり赤くなったりした。 「そうだ、|狂犬ども《マッド・ドッグス》だ」  へイズルトンの唇が薄くなった。 「やつらがどこかへ行ったとすれば、あそこよりほかにない。ところで、わたしはどうしてもありかを突きとめたい都市があります」 「それはできないかもしれないよ、マーク。星雲は広い場所だからね」 「確かにそうです。それに、ほかにもいくつかの海賊都市がそこへ行っているでしょう。しかし|狂犬ども《マッド・ドッグス》が行っているとすると、わたしはどうあってもやつらにめぐり合いたい。わたしは、トール第五惑星であの連中と間違えられたことをおぼえています。苦い虫を噛みつぶしたようないやな思い出です。ほかの都市はどうでもいい。わたしに関する限り、やつらを始末すれば、大マゼラン雲はわれわれの物です」 「新しい島宇宙《ギャラクシー》」ディーがほとんど声を出さずにつぶやいた。「基地のある島宇宙。わたし達の基地のある島宇宙」 「|渡り鳥《オーキー》の島宇宙《ギャラクシー》だ」カレルが口を動かした。  市全体に沈黙が拡がって行った。それも、今度は論争をはらむ沈黙ではなかった。その一人一人が、めいめい自分だけの想いにふける群衆の沈黙だった。 「ミスタ・へイズルトン、ミスタ・カレル、コノ両名ノ発表政見《プラットフォーム》ニ、ナニカツケ加エルコトハナイカ?」〈シティ・ファーザーズ〉が大声をはりあげた。  そのまじない[#「まじない」に傍点]師のような平板な声は、超高速で宇宙を飛ぶ市のあらゆる隅々まで行きわたった。  アマルフィの予想していたように、最高方針についての長い時間をかけて委曲をつくした議論が、〈シティ・ファーザーズ〉に、この選挙が市の支配人《マネージャー》を選ぶというというよりは、むしろ市長を選ぶための物だということを納得させたのだ。 「モシ、ツケ加エルコトガナク、マタ、立候補者ノ追加モナイノデアレバ、ワレワレハ今スグニデモ、投票ノ集計ニカカルコトガデキル」  しばらくのあいだ、誰もがあっけにとられた顔になった。やがてへイズルトンにも〈シティ・ファーザーズ〉の誤解がわかって、クツクツと笑い始めた。 「つけ加えることはない」  へイスルトンはそうこたえたが、カレルは何もいわなかった。わけのわからないままにニヤリと白い歯を見せただけだった。  十秒ののち、|渡り鳥《オーキー》、ジョン・アマルフィは幼い島宇宙《ギャラクシー》の市長に選ばれた。 [#改ページ]     6 I M T  市はしばらく空を舞い、それから早朝の暗闇の中を、惑星の執政官から着陸地点と指定された広い荒野をめざして、音もなく降りて行った。  この時刻には、おぼろに輝く無数のダイヤモンドかとも見まがう小マゼラン雲は、天空のほとんど三十五度を覆い、その下線が西の地平線に隠れ始めたばかりだった。その星雲の沈んでしまうのは、五時十二分のはずだった。六時になれば、地球もそれに属する故郷の銀河系の手前の縁部《エッジ》が見えてくるはずだが、夏のあいだは、日の出の方がそれよりも早かった。  アマルフィには全てが申し分なかった。  これからの数ヵ月間、故郷の銀河系宇宙が夜空にあまり見えるようにならないという事実は、着陸するのにこの惑星を選んだ理由の一つでもあった。瀕死の都市が、そしてその市民もが、これから直画しようとしている情勢は、それだけでも多すぎるほどの問題をかかえているのに、その上満たされることのない|郷 愁《ホームシック》に悩まされて、事態を複雑にすることはなかった。  市は着陸した。  スピンディジーの最後に残ったかすかなうなり声も聞こえなくなった。そのかわりに、下の方からもっと雑然とした物音、忙しく立ち働く人達のざわめきと、運び出される重い機械のぶつかりあう金属音やエンジンの轟音が急速に湧き起こってきた。いつものように、地質学チームが時をうつさず活動を始めようとしていた。  しかし、アマルフィは今すぐに下へ降りて行く気持はなかった。そのまま市庁舎の露台《バルコニー》にのこって、星屑を厚く敷きつめた夜空をながめていた。大マゼラン雲の星の密度は、この星団群以外の部分でも極めて高かった──星と星とのあいだの距離にしても、何光年というのでなく、何光月という場合の方が多かった。  たとえ市自体をもう一度動かすことが不可能だということになったとしても──六十丁目のスピンディジーまでが、二十三丁目の機械に続いてポンコツになってしまったことを考えると、まずそうなるに決まっていた──貨物用宇宙船を利用して、この星から惑星間貿易を始めることはできるに違いない。市の生き残った駆動機をかたっぱしからとりはずし、宇宙船一隻ごとに一機ずつ据えつけていけば、ちょっとした商船隊ができることになる。  とても銀河系宇宙の、たがいに遠く散らばったさまざまな文明をたずねて巡航したようなわけにはいくまいが、それでもとにかく一種の貿易には違いない。そして貿易こそは、|渡り鳥《オーキー》にとって酸素のような物なのだ。  アマルフィは見おろした。星明かりに照らされて、枯草の野原が西の地平線までのび拡がっていた。東の方は、その同じ野原が一マイルほど向こうでとぎれ、その先の土地は小さな正方形に規則正しく区切られている。その小区画の一つ一つが、それぞれ独立した別の農場になっているのかどうか、そこまでははっきりしないが、どうもそんなことのようだった。  惑星の執政官達が市に着陸の許可を与えるのに使ったことばにも、封建制を思わせる調子があった。  ながめているうちに、あまり遠くない、市と東へのびる荒野とのあいだに、まっ黒な骨組みだけのような背の高い構築物が立ちあがった。地質学チームが早くも調査用の|やぐら《デリック》を据えつけたのだ。  露台の縁《へり》の電話のブザーが鳴った。アマルフィは受話器をとりあげた。 「市長《ボス》、これからボーリングにかかります」へイズルトンの声だった。「こっちに降りてきませんか?」 「よし、降りて行こう。音響探鉱の方はどんな工合だ?」 「まだ何の手応えもありませんが、間もなくはっきりするでしょう。どうもこのあたりは油田地帯のようです」 「前にもあてのはずれたことがあったね。いずれにしろ、ボーリングを始めたまえ。わたしもすぐそこへ行くから」  受話器を元に戻すか戻さないうちに、ボーリング錐《ドリル》の岩を噛みくだく騒々しい音が夏の夜のしじまをかきみだし、市のビルディングにこだました。銀河系宇宙でこそ、ボーリング探鉱などはすでに一世紀も時代に遅れた技術だったが、大マゼラン雲に属するどの惑星にしろ、分子の破壊に歯向かう声を耳にしたのは、これが初めての経験に違いない。  アマルフィは途中次から次へと質問攻めに会って、現場に着いたときにはもう夜が明けかけていた。試験坑のボーリングは完了し、錐《ドリル》が引き抜かれているところだった。二つ目の|やぐら[#「やぐら」に傍点]が立っていて、その頂上からへイズルトンが手を振った。アマルフィも挨拶を返しておいて、エレベーターでのぼって行った。  やぐらの頂上には強い暖かな風が吹き、へイズルトンのイアフォンを止める金具《クリップ》の下の髪の毛は、すっかりクシャクシャに乱れてしまっていた。外界には風が吹いている。全く当然のことなのだが、何年ものあいだ、市の綿密に調節された空気に慣れていたアマルフィは、その事実にわけのわからない感動をおぼえた。 「どうだ、マーク?」 「ちょうどいいところです。そうら、出ますよ」  土中からとび出してきた岩心《コア》が横桁にぶつかり、一番|やぐら[#「やぐら」に傍点]全体がグラグラと揺れた。そのあとに続くはずの黒い噴水は見られなかった。  アマルフィは手すりから乗り出すようにして、試料採取《サンプリング》班員が試料管《カートリッジ》をロープで吊りあげ、ソロソロと地面まで降ろすのを見まもった。巻揚機がガタガタと音を立ててとまり、モータがあえぐようにうなった。 「だめだなあ」へイズルトンはうんざりしたような声でいった。「あんな執政官《プロクター》のいうことを、うっかり信用したのがいけなかった」 「いずれにしろ、どこかこの辺の地下には油があるさ。そのうちに見つかるだろう。とにかく下へ行ってみようじゃないか」  地上では試料管《カートリッジ》が開かれていて、主任地質学者が質量《マス》ペンシルを使って、採取した岩心《コア》の層構造を説明しているところだった。市長のずんぐりとしたからだが試料の置かれたテーブルに影を投げると、地質学者は爬虫類のような意地の悪そうな目をチラリとアマルフィに向けた。 「油の出るドーム構造がない」  地質学者のことばは簡潔だった。  アマルフィはそのことを考えてみた。市が故郷の銀河系宇宙と永久に縁を切ってしまった今となっては、金になるような仕事のないことは、市にとって容易ならない大問題のはずだった。しかし、さしあたりとにかくも喰《た》べていくために、何はともあれ手に入れなければならないのは油だった。この地方の通貨をたっぷり稼《かせ》がせてくれる仕事を探すのは、もっとずっとあとのことでよかった。今は、採掘権を手に入れるために支払う金のために働かなければならないのだ。  この惑屋と最初に接触した時には、そのくらいの手間稼ぎはわけのないことのように見えた。土着の人達は特に規模の大きな、誰にでもまぎれもなくそれとわかる油田ドームならともかく、それよりも深い層からの採油には成功していなかったから、市の利用できる油は充分に残されているはずだった。一方市の方では、採油坑を掘り進むときの副産物として、執政官《プロクター》の持ち出した条件を満足してありあまるほどの低品位モリブデンとタングステンを採取することができるだろう。  だが、分解《クラック》して食糧にする油もないとなると……。 「あと二本試掘したまえ」アマルフィは断を下した。「そのうちにきっと含油層にぶつかる。そこにジェリー状のガソリンを圧入して、油を分離させればいい。一緒に十一号の砂利を押し込んで、その薄い層を開けておくのだ。ドームがなければ蒸溜採油方式でいこう」 「昨日《きのう》は焼肉《ステーキ》、明日《あした》も焼肉《ステーキ》」へイズルトンはあてつけるようにつぶやいた。「だけど、今日は肉にもありつけない」  アマルフィは自分の血が太い首筋を頭に駈けのぼるのを感じながら、いきなり市の支配人の方へ向きなおった。 「君は、何かほかのやり方で喰っていけるとでも思っているのか?」  噛みつくような激しい口調だった。 「この惑星は、これから先、われわれの故郷になるのだ。君はこの星の土着の人間のように、農業でもやればいいというのかね? 君は、例のゴート星襲撃からあと、そんなくだらない考え方は卒業してしまったとばかり思っていたのだが」 「何もそんなつもりでいったんじゃありません」  へイズルトンの声は静かだった。かれのひどく宇宙焼けした顔が青ざめるということは事実上あり得ないはずだが、その風雨に鍛えぬかれたたくましい銅色の顔は、かすかに青味を帯びていた。 「わたしも、あなたと同様に、われわれがここに永住するようになるのだということはよく承知しています。ただ、ある惑星にこれからずっと腰を落ちつけようというのに、その仕事がほかの場合と同じように、こんなことで始まるのが、なんだかおかしかっただけです」 「悪かった」アマルフィはなだめるようにいった。「どうも神経を立てすぎるようだ。ところで、われわれは、まだ自分達がどのくらいゆっくり暮せるようになるのか、そんなことはさっぱり見当がついていない。土着の連中は、この惑星の鉱山を採算のとれるほどの深さまで採掘したことはないし、しかも鉱物は何もかも一緒くたに炉に放り込むという荒っぽいやり方で精錬している。この食糧問題をうまく切り抜けることができれば、われわれの前には、この星雲全体を申し分のない企業体に一変させるチャンスが開かれることになる」  アマルフィは突然のようにやぐら[#「やぐら」に傍点]に背中を向けると、市から遠ざかる方角へゆっくりと歩き始めた。 「すこし歩きたい。君も来るかね、マーク?」 「散歩ですか?」  へイズルトンはとまどった顔になった。 「どうして、また──いや、行きますよ、市長《ボス》」  二人はしばらくのあいだ、荒れた野原をあてどもなく黙って歩きまわった。  足元は悪かった。土は粘土質だが、いたるところが深くえぐられて谷になり、それが、ことに早朝の薄明かりでは、なかなか見分けがつけにくかった。  地面には青い物が少なく、ときたま背の低い餓えたように貧弱な灌木の茂み[#「茂み」に傍点]とか、茎の硬いいらくさ[#「いらくさ」に傍点]に似た草のとぼしい群落とか、わずかに土にすがりついている|メヒシバ《クラブグラス》のような雑草とかが見られるだけだった。 「これでは、あまり農業に適した土地とは思えませんね」へイズルトンがいいだした。「何もわたしがその方面に明るいというわけではありませんが」 「君も市から見たように、もっと遠くへ行けば、少しはましな土地があるようだ」アマルフィも口を開いた。「しかし君のいう通り、いかにも荒れている。全くひどい。こんなところが、放射能的に安全だといわれても、検出器の読みを自分の目で確かめるまでは、信用する気になれないよ」 「戦争ですか?」 「ずっと昔には、戦争もあったかもしれない。しかしこうなった原因の大部分は地質学的なものだと、わたしはそう思うね。この土地はあまりにも永く放っておかれた。そのために、表土がすっかりなくなってしまったのだ。この惑星のほかの地域が、あれだけ徹底的に耕作されているらしく見えることを考え合わせると、わけのわからないことだね」  二人は深い谷の斜面を半分すべるように駈け降り、それから、向こう側の斜面をよじのぼった。 「市長《ボス》、わたしはどうしてもはっきりさせて欲しいことがあるんです」へイズルトンはあらたまった口調でいった。「われわれは住人のいることのわかったあとでも、この星をあきらめなかった。それはなぜですか? ここに来るまでには、ほかにも充分にわれわれの役に立ちそうな星をいくつか通りすぎました。われわれは、この地方の住人達を強引に追い出してしまうことになるのでしょうか? そんなやり方は、どうもわれわれとしてはあまり得意なことではありませんね。たとえ、それが合法的な、いや、正しいことであるにしてもです」 「マーク、君はこの大マゼラン雲に地球の警官がいると思うのかね?」 「思いません。しかし|渡り鳥《オーキー》がいます。わたしの望むのは、警官の側から見て正しいことではなく、|渡り鳥《オーキー》にとって正しいことです。さあ、こたえてください、市長」 「よくよく考えた上で、少しは強引に押さなければならないかもしれない」  アマルフィは頭をかしげた。二人の顔には二つの太陽がまともに照りつけていた。 「問題はどこを押すか、それをうまく判断することだけだ。マーク、君もわれわれがここへ来る途中、外側の惑星の連中と話したときに、連中が、この星の住人のことをどういう風にいっていたか、それを聞いたはずだ」 「まるで毛嫌いしていますね」へイズルトンは自分の足首についた草の実をていねいに取りながらこたえた。「あの執政官連中が、早い時期の遠征隊をあまり歓迎しなかったんでしょう、たぶん。しかし、それでも──」  高みにのぼりついたアマルフィが制するように片手をあげた。支配人はスイッチが切れたように口をつぐんで、市長の側までのぼりついた。  すぐそこ、数メートル先からよく耕された土地が始まっていた。二人の──生き物がこっちを見ていた。  一方はまぎれもなく男──チョコレート色の肌に、|濃 青 色《ブルー・ブラツク》の頭髪をモジャモジャと生《は》やした、まる裸の人間の男性だった。その男は、何か大きなけだもの[#「けだもの」に傍点]の骨で作ったらしい一枚刃のすき[#「すき」に傍点]の柄の所に立っていた。すき[#「すき」に傍点]のうしろには、それまでにおこしてきたうね[#「うね」に傍点]が何条も並んでのびている。ずっと遠くの畑の中に、背の低い小屋が見える。  男は目の上に手をかざして、ほの暗い荒野越しに|渡り鳥《オーキー》都市の方をながめているらしい。両肩はおそろしく幅が広くたくましいが、今のように直立していても、背中が曲って前かがみになっている。  すき[#「すき」に傍点]を引っぱる硬そうな革紐の輪の中に入って、紐にからだをもたせかけているのは、これも人間──女性だった。その女は両腕とそれに頭も前に垂れている。男と同じように色の濃い、いくぶん長目の髪の毛が垂れかぶさって、顔は見えなかった。  へイズルトンが凍りついたように身じろぎもせずにいるうちに、男は頭をさげて、二人の|渡り鳥《オーキー》の顔をのぞきこんだ。その目は青く、思いがけなくするどかった。 「あなたがたはあの都市から来た人達かね?」  へイズルトンの唇が動いた。農奴《のうど》の耳には何も聞こえなかった。  へイズルトンは、アマルフィの右の乳様突起に埋め込まれた受話器にだけ聞こえる、自分の咽頭マイクを使ってしゃべっていた。 「これは驚いた。英語じゃありませんか! 執政官《プロクター》達は|宇 宙 語《インター・リンガ》を使っています。一体どういうことなんでしょう、市長? この星雲はそんなに昔から植民されていたんでしょうか?」  アマルフィは頭を振った。 「わたし達は、あの市の者だ」  英語で、声が外に出るいい方をした。 「君の名は何というのかね?」 「カーストだよ、だんな[#「だんな」に傍点]」 「わたしに『だんな[#「だんな」に傍点]』ということはない。わたしは君達の支配者の仲間ではないのだ。これは君達の土地なのか?」 「いいや、だんな[#「だんな」に傍点]。ああ、まただんな[#「だんな」に傍点]といっちまったが、ほかに何といったものだか──」 「わたしの名はアマルフィだ」 「ここは役人たちの土地だよ、アマルフィ。わたしはこの土地を耕しているだけだ。あなたがたは地球の人かね?」  アマルフィは横目づかいに、すばやい視線をへイズルトンに投げかけた。市の支配人の顔には何の表情もあらわれなかった。 「そうだ」アマルフィはこたえた。「それがどうしてわかったのか?」 「あなたがたの大事業を見てわかった。一つの都市を一晩のうちに作りあげるのは大変な仕事だ。IMTでさえ、『太陽の指と腕を持った男が、七人かかって作った』と、詩人が詠っている。つまり、七日かかったということだ。それを、荒地の中に一晩で二番目の都市を作りあげたとは──いいようのない大変な事業だよ」  カーストはすき[#「すき」に傍点]から離れた。たくましい筋肉の一筋一筋が痛くてたまらないというような、たどたどしい足どりだった。  女がすき[#「すき」に傍点]の曳《ひ》き皮から頭をあげて、顔にかかる髪の毛をかきあげた。|渡り鳥《オーキー》達をまともに見据える目はどんよりと曇っているが、その奥の方には、警戒の色が燐光のようにゆらめいていた。女は手をのばして、カーストの肘をつかんだ。 「よしなさいよ」  カーストは女の手を振りはらった。 「あなたがたは一晩のうちに都市を作りあげた。あなたがたは、わたし達が祭りの日にするように、英語《イング》を話す。あなたがたはわたしのような者に、小さな金具のついた鞭を使うかわりに口をきいてくれる。あなたがたはきれいな服を着ている。織りの上等な色|布《ぎれ》を使った服を着ている」  それが、カーストにとって、生れてからこのかた一息にしゃべり通した一番長い文章だったことには、疑う余地もなかった。その努力のためににじみ出る汗が額にこびりついた泥を流して、顔に筋を作った。 「君のいう通りだ。われわれは地球から来た。しかし地球を離れたのはずいぶん昔のことだ。そういえば、君も地球の人間だね?」 「それは違う」  カーストは一足うしろにさがった。 「わたしはここで生れた。仲間もみんなそうだ。誰も地球人の血筋だなどというものは──」 「わかった」  アマルフィは相手のことばを途中でさえぎった。 「君はこの星に生れた。だが、君は地球人だ。ところで、わたしはこの星の支配者である執政官《プロクター》達を地球人だとは思わない。あの連中はずっと以前に、トール第五惑星というほかの惑星で、地球人と名乗る権利を自分から失ってしまったはずだ」  カーストは皮膚の硬くなった手のひらを自分の大腿にこすりつけた。 「よくわからないが、教えてもらいたい」 「カースト!」女が訴えるような声でいった。「およしなさいよ。都市が一晩でできても、わたし達にはどうせ縁のないことなんだから」 「教えてくれ」  カーストは引き下がらなかった。 「わたしどもは生れてから死ぬまで畑を耕す。そして休日になると、地球の話を聞かされる。それが今、不思議なことが起こった。地球人の手で都市が作られた。その都市に住む地球人がわたしどもに口をきいてくれて──」  ことばが途切れた。喉に何かがつまった様子だった。 「それから?」アマルフィは優しくうながした。 「教えてくれ。地球人が荒地に都市を作ったからには、役人達も、もうこれ以上、知識を自分達の一人占めにしておくことはできない。たとえあなたがいなくなってしまったとしても、わたしどもは空っぽになった都市から、その都市が風と雨に打たれて廃墟となるまでは、いろいろのことを学ぶだろう。アマルフィのだんな[#「だんな」に傍点]、もしわたしどもが地球人なら、どうかわたしどもにも、地球人が教わるように教えてもらいたい」 「カースト」女が呼びかけた。「そんなこと、わたし達の柄にないよ。お役人がたの魔法なのさ。魔法はみんなお役人がたの物だよ。その人達はわたし達を子供から引き離すつもりなんだよ。荒地で死なせるつもりなんだよ。わたし達を誘惑しているんだよ」  農奴は女の方へ向き直った。そのけだもの[#「けだもの」に傍点]じみた、皮膚にひび割れの入った、筋肉のたくましいからだの動きには、何とも形容のできない優しさ[#「優しさ」に傍点]があった。 「お前は行かなくてもいい」  それは語の切れ目の聞きとりにくい、宇宙語の方言だった。普段使いつけていることばらしい。 「お前はすき[#「すき」に傍点]を引っぱって、仕事を続けた方が楽しいだろう。だが、これはお役人とは何の関係もないことだ。お役人がわざわざこんなところにやって来て、わたしどものように卑しい奴隷を誘惑したりするはずがない。わたしどもは法律にしたがい、十分の一税を払い、休日を守っている。地球から来た人達だよ」  女は自分のあごの下に、労働に荒れて硬くなった両手をにぎりあわせて、身を震わせた。 「休日以外の日に、地球の話をしてはいけないのよ。でも、わたしは畑の仕事を済ませてしまうわ。そうしなければ、子供達が死んでしまう」 「では、来たまえ」アマルフィが男の方に声をかけた。「教えることはたくさんある」  驚いたことに、農奴の男はその場で両膝を地面についてしまった。アマルフィがどうしたものかと考えているうちに、カーストはまた立ちあがって、荒地の端にいる二人の方へよじのぼってきた。助けようと片手を差し出したへイズルトンはその手をカーストにつかまれたとたんに、危うく宙を切ってひっくり返りそうになった。農奴は|くい打ち機《パイルドライバー》のように強くたくましく、石のように硬い両足を踏んばった。 「カースト」女が呼んだ。「晩になるまでに帰って来られるの?」  カーストはこたえなかった。  アマルフィは先に立って、市の方へ戻り始めた。へイズルトンも二人のあとを追って別の斜面を降りて行こうとしかけたが、何かに気持を動かされて、もう一度、小さな農場の方を振り返って見た。女はまた頭を前に垂れ、その頭の乱れもつれた髪の毛が風に吹かれていた。女は重そうなすき[#「すき」に傍点]の曳き皮にもたれかかり、すき[#「すき」に傍点]はふたたび、石の多い畑の土におぼつかなくうね[#「うね」に傍点]を切り始めていた。いうまでもなく、今はもう、そのすき[#「すき」に傍点]の方向を導く人の姿は見えなかった。 「市長《ボス》」へイズルトンは咽頭マイクに話しかけた。「聞いていますか、それともヘンデルのメサイアを口ずさむのにかまけて、聞く暇などないということですか?」 「聞いているよ」 「わたしは、どうもこの人達から惑星を盗むことには、気が進まないんですがね。わたしなら、そんなことはとてもできませんよ、ぜったいに!」  アマルフィはこたえなかった。こたえようのないことは、よくわかっていた。自分達の市は二度と空へ舞いあがることがないのだ。この惑星が自分達の故郷なのだ。ここよりほかに行くあてはなかった。  すき[#「すき」に傍点]を曳きながら小声で歌う女の声が次第に遠くなって行く。それは、そこには見えない腹をすかせた子供達に心を通わせる単調な子守唄だった。へイズルトンとアマルフィは勝手に空から降りてきて、この哀れな女から、石だらけの、今は何の作物もとれない土以外のあらゆる物を奪いとろうとしているのだ。  市は──ただ永い時間を生きてきたというだけの、市に住む男達や女達とは違って──年老いていた。長生きをするということと、年老いるということとは、全く別物なのだ。そして全ての老境に入った英知ある者と同じように、その過去の罪障が極めて表面に近い所まで浮かびあがって来ていて、|郷 愁《ノスタルジー》にしろ、自責にしろ、ほんのわずかのきっかけ[#「きっかけ」に傍点]がありさえすれば、いつでもさらけ出される。  この頃では、どんな種類の情報にしても〈シティ・ファーザーズ〉から引き出そうとすれば、ほとんどお決まりのように、辛うじて最高の道徳律がなごりをとどめている機械に出すことのできる限りのもったいぶった口調で、お説教を聞かされることになっている。  アマルフィも〈シティ・ファーザーズ〉に違反事項の一覧表を作るように頼んだ時には、自分がどんな目に会うか、その覚悟は充分にできていた。そして、その覚悟の通りどえらい目に会わされた。 〈シティ・ファーザーズ〉は、市が初めて宇宙にとび立ってからこのかた、昔の地下鉄《サブウェイ》が一度も掃除されていないことが発見された、十世紀ほど前のその日までの違反事項を細大もらさず並べ立てた。そんな事件があって初めて、若い|渡り鳥《オーキー》達は市に地下鉄という物のあったことを知ったのだった。  しかしアマルフィは、右の耳がイアフォンの圧力で痛かったのも我慢して、その仕事にかじりついた。くだらない苦情とか、逃したチャンスを惜しむ、物欲しそうな思い出話のゴタゴタとした積み重なりの中から、正確な事項が次から次へとはっきりあらわれてくる。  アマルフィはため息をもらした。 〈シティ・ファーザーズ〉のいうことをまとめると、結局は地球の警察がこの市を思い出すことがあるとすれば、その理由は二つしかないといろことのようだった。その一つ、市には書き並べると長い表ができるほどたくさんの違反事項があり、しかも、今なお出頭命令に応じていない。その二つ、市が大マゼラン雲を目ざして銀河系を立ち去ったことが、数世紀前にこの市よりもはるかに古い、そして、はるかに悪名の高い都市──かつて、トール第五惑星で大量虐殺の大罪を犯し、警察の人間であれ、生き残った|渡り鳥《オーキー》仲間であれ、あらゆる人の胸にそのいまわしい記憶をいまだにとどめている都市──のとった行動とそっくりよく似ている。  アマルフィは回想の途中で〈シティ・ファーザーズ〉のスイッチを切り、痛む耳からイアフォンをはずした。目の前には、市のあらゆる機能を管理する計器やスイッチをとりつけた管制盤がのび拡がっている。その大部分は今でも役に立っているが、一番大事なブロック──この市を星から星へと飛行させたことのある操縦台──は永遠に死んでしまった。  市は着陸したのだ。  今となっては、この貧しい惑星を自分達の物と認め、その上で確実に自分達の物として手に入れるほかに選択の余地はなかった。  それも、警察が認めるならばという前提があってのことなのだ。もちろん、大マゼラン雲は着実に、しかも次第にその速度を加えながら、銀河系宇宙から遠ざかっている。また地球の警察当局が、その桁はずれの長距離宇宙飛行を敢行してまで、この一人ぼっちのみじめな渡り鳥都市を追いつめ逮捕しようと、決断を下すまでにはまだ時間がかかりそうだ。しかし、いずれその決断は下されるに違いない。  |渡り鳥《オーキー》都市掃蕩作戦が進んで──警察がすでに、宇宙飛行都市の過半数を撃破してしまっただろうということに疑問の余地はない──銀河系宇宙がきれいになればなるほど、最後に残ったわずかばかりのはぐれ者[#「はぐれ者」に傍点]を追いつめることが、ますます急がれるはずだ。  銀河系宇宙の衛星的な位置を占める星雲が、地球人のあらゆる技術を拒絶するほど近づき難い物だとは、アマルフィも思わなかった。宇宙を、レンズ状の銀河系から大マゼラン雲まで横断する準備のととのう頃には、警察もそれだけの技術──アマルフィの市の利用したよりもはるかに洗練された技術──を完成しているだろう。もし大マゼラン雲を追おうと思い立てば、警察はそれに追いつく方法を見つけ出すだろう。もし……。  アマルフィはもう一度、イアフォンを耳にあてた。 「質問したい。警察当局にとって、われわれの逮捕はそのための技術をわざわざ開発して間に合わせなければならないほど、切迫した重大問題なのだろうか?」 〈シティ・ファーザーズ〉は果てしのない過去の回想から呼びさまされて、しばらく意味のない雑音を出した。  やがて、ことばが聞こえてきた。 「ソノ通リダ、アマルフィ市長。コノ星雲ニ来テイルノガ、ワレワレダケデハナイコトヲ、心ニトメテオイタホウガイイ。トール第五惑星ヲ忘レルナ[#「トール第五惑星ヲ忘レルナ」に傍点]」  それが、その苔のむすほど古いスローガンが、|渡り鳥《オーキー》都市という物を見たこともない、全く思いもよらない惑星にさえ、|渡り鳥《オーキー》連中を心の底から憎ませているのだ。それほどの残虐行為を働いた都市が、うまうまとこの星雲まで逃げおうせている可能性が全くないとはいい切れない。ずいぶん昔に起こったことだ。  しかし〈シティ・ファーザーズ〉のいうことが正しければ、たとえその可能性がいかに少なかろうと、遅かれ早かれ、警察はここにやって来て、いまだにほとぼりのさめないその犯罪の、地球人としての償いに、アマルフィ自身の市を滅ぼしてしまおうとするに違いない。  トール第五惑星を忘れるな[#「トール第五惑星を忘れるな」に傍点]。  あの略奪され、殺戮された世界が忘れ去られない限り、安全な都市は一つもないのだ。はるかに遠く、故郷のレンズ状の衛星であるこの処女星雲でさえ、安全な隠れ家《が》ではないのだ。 「市長《ボス》。いや、失礼。お忙しいとは知りませんでした。しかし、ご都合のつき次第、作業の予定表を作らなければならないもんですから」 「わたしは今すぐでもいいよ、マーク」  アマルフィは管制盤から振り返った。 「やあ、ディー。あなたの惑屋はお気に召したかな?」  若い女は微笑を浮かべた。 「美しいわ」それだけしかいわなかった。 「まずまず美しいといえますね」へイズルドンも反対はしなかった。「この荒地は義理にも賞《ほ》められないが、他の土地は悪くはないらしい──現在農地になっている所から想像されるよりは、ずっといい。第一あんなに畑を小さく区切ってはだめですよ。それに、このわたしだってあの農奴達のやっているよりも少しはましな[#「ましな」に傍点]耕し方を知っています」 「別に意外ではないね」アマルフィは落ちついた口調でこたえた。「わたしの意見では、この星の支配者達の権力は、その全部がとはいわないまでも、部分的には、もっとも初歩的な段階より以上の農業知識が一般に普及するのを防ぐことによって維持されている。いうまでもないことだが、このようなやり方は、政策としても、もっとも幼稚な種類に属する物だ」 「政策といえば、われわれはこれからどうするかということについて意見が一致していません」へイズルトンも平静にいった。「しかし、その問題が解決点に到達するまでにも、われわれは市を運営する仕事を進めていかなければなりません」 「なるほど。それで、予定表はどうなっている?」 「市のすぐそばの荒地に小さな土地を耕させ、栽培試験のために条件をととのえさせています。すでに、大がかりな土壌分析にとりかかっています。もちろん、こうしたことは当座の間に合わせにすぎません。結局は、いい土地の方へ手を拡げなければならないことになるでしょう。市とこの星の代表者とのあいだの、暫定的な貸借契約の草案ができあがりました。それによれば、農奴の配置転換を最少限にとどめ、同時に年間を通じて無駄のない完全な作付け計画の立てられるように、土地の所有権を地理的に分散させ、季節的に輪換《りんかん》させることになります──これは、本質的には昔ながらの限定植民契約ですが、この星の住人の物の考え方がわれわれと違っていることを考慮に入れて、そっちの方へかなり重みをかけてあります。わたし自身としては、先方が調印に応じるに違いないと思っています。それから──」 「いや、調印には応じないだろうね」  アマルフィは相手の続けようとすることばをさえぎった。 「そんな物を見せてもいけない。そればかりではない、君が荒地の実験菜園に何を植えつけたか知らないが、それは一本残らず抜きとってもらいたい」  へイズルトンは片手を自分の額にあてて、激しい怒りをあらわした。 「一体どういうことです、市長《ボス》。われわれは、まだ、かごの中のりす[#「りす」に傍点]のまわす車のように、陰謀、その上にまた陰謀と、際限もなくくり返す、昔ながらの型にはまった習慣から抜け出せないのですか? 率直にいいます。わたしはそんなことにはもうあきあきしました。あなたには千年でもまだ足りないのですか? わたしは自分達がこの惑星に植民して永住するためにやってきたのだとばかり思っていた!」 「その通りだ。永住したい。しかし、昨日《きのう》、君自身がわたしに思い出させてくれたように、現在、この惑星はほかの人達──われわれが合法的に追い出すことのできない人達の持ち物になっている。今のままの状態では、われわれとしては、その連中に自分達がここに腰を落ちつけるつもりでいるという気配をすら見せるわけにはいかない。すでに連中は、われわれに居すわられることをひどく懸念して、その徴候を探り出そうと、絶えずわれわれを監視しているのだ」 「ひどいわ」  ディーが足早にすすみ出て、アマルフィの肩に手をかけた。 「ジョン、あなたは地球への進軍の終わった時に、ここに故郷を作るのだと約束したのよ。かならずしもこの惑星ではなくても、この星雲のどこかに。約束したのよ、ジョン」  市長は目をあげて、女を見た。  自分がこの女を愛していることは、この女もへイズルトンもよく知っている。二人とも正義の前には容赦のない|渡り鳥《オーキー》の法律《おきて》を──そして、そんな物がたとえ具体的には存在しなくても、その法律《おきて》にしたがって行動せずにはいられない、アマルフィ自身の鉄のように硬い誠実な気質を──充分に承知している。都市のジャングルでの危機に迫られて、その愛の存在をへイズルトンに告白させられたあの時まで、ほとんど三世紀ものあいだ、この二人の若者達はそんな感情を自分が抱いていようとは、疑いもしなかったのだ。  しかしディーは|渡り鳥《オーキー》のしきたり[#「しきたり」に傍点]という物になじみが薄く、それに何といっても女なのだ。自分が愛されていることを知るだけでは、満足できなくなっている。この女は、早くもその知識を役立てようとしているのだ。  危険な時期はすでに過ぎ去って、今はただ、おたがいにとって何の役にも立たない献身的な愛情の残滓だけがなごりをとどめているにすぎないのだが、そのことに気がつくのにこの女が若すぎることは確かだった。  アマルフィの心の中では、農奴カーストの姿がディーにとって代っている。アマルフィの耳に今聞こえているのは、農奴の口から出る、かってはディーもたずねたことのある、無邪気ないじらしい質問なのだ。アマルフィは大人《おとな》としての数千年にわたる生活の経験によって、自分が一つだけでなく、千ものそうした質問にこたえることができるようになっていることに、自分でも気がついている。しかしこの女には、そんなことが到底わからないのだ。  もし誰かが、アマルフィのことを男ざかりに入ったばかりだと、そういったとしても、この女には理解できないだろう。大声をあげて笑いだすかもしれない。そうしたことに気がついて、アマルフィはわれ知らず微笑を浮かべていた。 「もちろん、わたしは約束をした。わたしは過去千年のあいだ、自分のした約束に背《そむ》いたことがない。今後も背かないつもりだ。君達がわたしの努力に少しでも手を貸してくれれば、この惑星は必ずわれわれの故郷になるだろう。ここへ来るまでにわれわれの通りすぎてきたどの惑星よりもこの星はまさっている。その理由はたくさんある──理由のうちの二つほどは、冬の星空が見えるようにならないとはっきりしてこないし、一世紀|経《た》たなければ、表面にあらわれない理由も三つか四つある。  しかし、わたしにもどうにもならないことが一つだけある。それは、約束を今すぐに果たすということだ」 「わかったわ」  ディーは笑顔を見せた。 「わたしはあなたを信頼しているのよ、ジョン。でも辛抱し切れないわ」 「そうかな?」  アマルフィは平気な顔をしていた。 「辛抱し切れないといえば、わたしも以前、ヒー星でそんな気持になったことがある。しかし、思い出になってしまえば、それもたいしたことではなかったような気がするものだよ」 「市長《ボス》」へイズルトンが割り込んできた。  いくぶん冷たい声だった。 「それがだめだとすると、われわれのこれからの行動について何か代案を示してくれませんか? あなた自身は別として、この市の者は男も、女も、横町のネコ[#「ネコ」に傍点]も、誰も彼もが、スタートの号砲の鳴り響くのと一緒に、この惑星の全面に散らばって行くつもりでいます。あなたのこれまでの話を聞けば、誰しも、そんな風にことが運んでいくだろうと考えないわけにはいかなかったのです。それがもっとあとのことになるというのなら、遊んでいる手はいくらでもあります。何か仕事をさせてください」 「以前に、金になる仕事を求めて、惑星に立ち寄ったときに、いつもやっていたようにやりたまえ。惑星を開拓するようなことはやらなかったはずだ。野菜畑を作ったり、そのほか農業に類することに手をつけてはいけない。油タンクをいっぱいにしたり、この地方に固有のクロレラの種を交配して雑種強勢《へテロシス》を探索したり、市の水源を補充したり、そのほかやることはいくらでもある。そういえばこの前聞いた時には、われわれは今でもまだ、クロレラ・ピレノイドーザのTX七一一〇五号種を利用しているということだったが、その種はここのように冬の季節のある惑星で培養する藻類としては、高温性にすぎるようだね」 「だめです」  へイズルトンは決めつけた。 「そんなことではこの惑星の役人どもをごまかすことはできても、あなた自身の市民をごまかすことが、どうしてできるというんですか? たとえば、市の周辺地区の警察の連中をどうするつもりです? アンダスン署長の部下達は、一人残らず、自分達が臨検隊を編成してほかの都市に乗り込んだり、市を防衛したり、そのほかの軍事的な任務に服したりする日の、二度とこないことを知っています。その連中十人のうちの九人までは、自分達の装具を永遠に投げ棄て、土にまみれた農作業にとりかかりたくて、ウズウズしています。かれらをどうなだめろというんです?」 「連中を荒地の中の君の実験菜園へ行かせ、そこに生えている物を何から何まで抜きとらせたまえ」  へイズルトンはディーに手を差し出して、昇降通路《リフトシャフト》の方へ行きかけた。それから、いつものくせで、また何か思いついたように向き直った。 「しかし、市長《ボス》」  その声には今までの元気はなかった。 「あなたはどういうわけで、この星の役人どもがわれわれがここに居すわることを警戒していると思うんですか?」 「執政官は正規の労働契約を要求した」アマルフィはこたえた。「連中はそういう契約の例のあることを承知していた。契約が結ばれると、連中は契約条項の完全な遵守《じゅんしゅ》を強要している──その中には、市は契約終了の期日までにこの惑星を立ち去らなければならないという条項が含まれている。そんなことは、君も知っている通り、不可能だ。われわれにはこの惑星を立ち去ろうにも、それができない。しかしわれわれは、できるだけ遅い時期まで、今にも立ち去ろうとしているように見せかけなければならないのだ」  へイズルトンは、納得できない表情を変えようとしなかった。ディーが安心させるように手をとったが、それにも気がつかない様子だった。 「それに対して、役人達がどんな手を打ってくるか、それはわからない」アマルフィはことばを続けた。「わたしは何とかして探り出そうと努力している。しかし、今のところわかっているのは、役人達がすでに警察に通告したということだけだ」  その教室の灰色のぼんやりとした照明、部屋を明るくするというよりは、空気の中に幕を張ったように見えるくすんだ照明の中で、〈シティ・ファーザーズ〉の記憶細胞《メモリー・セル》から出てくる声と画像は、意識して、覚悟を決めてその部屋に入った人の感官にさえ、圧倒するように突きささってきた。  アマルフィはその圧力を心臓の表面のすぐ下にじかに感じた。漠然と不愉快だった。それには、〈シティ・ファーザーズ〉の伝えようとしていることを自分がすでに知っているせいもあった。その強められた印象は、ほとんど今経験したばかりのことのような生々《なまなま》しさで、いやおうなしに心臓の中にまで入り込んでこようとするのだった。  アマルフィは苦痛を感じて目の前で手を振った。監督《モニター》を探すと、肘の所に立っていた。いつからそこにいたのか、全然気がつかなかった──自分がどのくらいの時間、学習催眠の状態に入り込んでいたのか、それも見当がつかなかった。 「カーストはどこだ?」  ぶっきらぼうないい方だった。 「われわれが最初に連れてきた農奴だ。その男に用がある」 「はい、この部屋の前の方の椅子にかけています」  教室の管理人と看護人とをかねた任務を持たされている監督《モニター》は、そばの壁の隠し戸棚の方へ向き直った。戸棚の扉が開いて、背の高い金属製のコップが宙に浮いて出てきた。監督はそのコップを手にとって、そこらじゅうに置いてある寝椅子のあいだを縫いながら、部屋の向こうの方へ歩いて行った。  普段なら、平均の知能を持った子供にテンソル計算を教えるのには、五百時間とかからないし、また受動的教授法だけで教えることのできる課程は限られているので、寝椅子のほとんどは、空いているのが普通だった。しかし、今はどの寝椅子も占領されていた。しかも、子供はほとんど見えなかった。  教室には、ほとんど聞きとれない二つの声が一緒に流れていた。その一方の声が、こんなことをしゃべっていた。 「海賊都市《ビンドルスティッフ》に転身した都市の中には、海賊行為、略奪など常套的な政策をとらずに、遠隔の世界に定着し、圧制的な統治を確立した物がある。そのような都市の大多数は地球警察によって滅ぼされた。都市という物は効率的な戦闘機械ではなかった。最初の攻撃にもちこたえた都市は、時として、政策上のさまざまな理由から、そのまま権力の座にとどまるのを許されることがあった。しかしそういう都市は、例外なく交易からしめ出された。地球の勢力圏の辺境には、今もなおそのような自然発生的な帝国が残っている可能性がある。こうした帝国主義のぶり返し[#「ぶり返し」に傍点]のもっとも悪名高い例は、トール第五惑星の滅亡であった。それはもっとも初期に地球をとび出した|渡り鳥《オーキー》都市、そのころすでに『狂犬』という天下にとどろく|あだ名《ニックネーム》を、かちえていた極めて好戦的な都市の所業である。この|あだ名《ニックネーム》は|渡り鳥《オーキー》都市のあいだにも、惑星の住人達にもよく通っているが、その意味は……」 「連れてきました」監督《モニター》が低い声でいった。  アマルフィはカーストを見おろした。農奴はすでにかなり変っていた。太陽と風と土|埃《ぼこ》りにチョコレート色に染めあげられ、哀れとも思えないほどけだもの[#「けだもの」に傍点]じみた、ゆがめられすり減らされた人間の漫画、そんな姿はもうどこにもなかった。  寝椅子の上に、からだをかがめて横たわっているカーストは、無邪気で、未完成で、何の経験もなく、胎児のようだった。かれの過去──といっても、それほどの過去があるわけもなかった。自分では、今のイーディットを五人目の妻だといっているが、本人は、どう見ても二十歳になっているかいないというところらしい──いずれにしろ、その過去は全くいいようもなく単調な厳しいものだった。だからこそ、チャンスが与えられると、まるでたった一枚着ていた衣裳を脱ぎ捨てるように、あっさりといさざよく脱ぎ捨ててしまったのだ。この男はどこのどの|渡り鳥《オーキー》の子供よりも、はるかに本質的に子供なのだと、アマルフィは思った。  監督《モニター》が肩にさわると、農奴はうるさそうに身じろぎをして起きあがり、すぐに目を開けた。感情の込もった青い目が物を問うようにアマルフィをみつめた。  監督が中味の冷たさに露のおりたアルマイトのコップを渡すと、カーストはそれを飲んだ。刺戟性の液体がくしゃみ[#「くしゃみ」に傍点]を誘い出した。小さなくしゃみだった。ネコ[#「ネコ」に傍点]のように、自分がくしゃみをしたことに気がついていない様子だった。 「どんな工合だね、カースト?」アマルフィはたずねた。 「とてもむずかしい」  農奴はそうこたえておいて、コップの中味をもう一飲みした。 「しかし一度意味がつかめると、全部がいちどきにわかってしまうような気がする。役人はIMTが雲に乗って空《そら》から来るという。昨日までは、わたしはそのことをわけもわからずに信じこんだ。今日はわけがわかるようだ」 「そうだろう。それに、君は一人ぼっちではない。市で勉強をしている君の仲間は何十人もいる──まわりを見ればわかるだろう。その連中の学んでいるのは物理学とか、文化形態学とかばかりではない。自由を学んでいる。最初に教わるのは憎む自由だ」 「その学課はわたしも受けている」  カーストの声は深く冷たく落ちついていた。 「しかし、あなたは用があるといって、わたしを起こした」 「そうだ」  アマルフィは厳しい表情でうなずいた。 「実は訪問者がある。それが誰だか、君には見分けがつくと思う。役人だ。やってきた目的が、わたしにもへイズルトンにも、どうにも腑に落ちないのだが、はっきり突きとめることができない。われわれを手伝ってもらえないかね?」 「この男はしばらく休ませた方がいいんですが、市長さん」  監督は賛成しないようだった。 「催眠状態からいきなり覚醒させられるのは相当なショックです。少なくとも、一時間は休息が必要です」  アマルフィはそんなことをいわれたのが信じられないような顔つきで、監督を睨みつけた。その一時間がカーストにも市にも待てないのだ、といいかけたが、それよりもずっと短いことばで用が済むことに気がついた。 「消え失せろ」  監督は、逃げて行ってしまった。  カーストは裏切り者を一所懸命に見つめた。スクリーンに映っている男は背中を向けていた。市の支配人の事務室に置かれた作戦タンクをのぞき込んでいる。間接照明が髪を剃って油を塗った頭を光らせている。  アマルフィはカーストの左の肩越しに見ていた。口にくわえた新しい葉巻《シガー》を、歯がしっかりと噛んでいる。 「あの男はわたしと同じように頭に毛がない。頭骨から判断すると、青年期をまだそれほど過ぎているとは考えられない。せいぜい四十五歳だな。誰だかわかるかね、カースト?」 「まだわからない」カーストがこたえた。「役人はみんな頭を剃っている。こっちを向いてくれさえすればわかるのだが──ああ、そうだ。ヘルドンだ。一度しか見たことはないが、見ればすぐにわかる。えらい役人にしては若い。九人統領《グレート・ナイン》の中のやり手だ──あの役人を農奴の友人《シンパ》だと思っている者もある。少なくともほかの役人に比べると、鞭の使い方が、それほど早くない」 「何の用でここにやってきたのだろう?」 「たぶん、話してくれるだろう」  カーストの目はその執政官の映像から離れなかった。 「あなたのご要求は、わたしによく理解できないのですが」スクリーンの上のスピーカーから、へイズルトンの声がよどみなく聞こえてきた。  市の支配人の姿は見えないが、声の調子から表情がわかるように思えた。子ネコのような声を出して、子ネコのような微笑を浮かべて、虎のように猛々しい気持を隠しているのだ。 「もちろん、わたしどもは、お客様に新しいサービスをご提供申しあげることができるとうかがえば、これほど嬉しいことはありません。しかし、反重力装置ぐらいの物がIMTにないとは夢にも思いませんでした」 「わたしだってバカではない、ミスタ・へイズルトン」へルドンがいった。「ご承知のようにIMTも、かつてはあなたの市のように、宇宙をとびまわる放浪者であった。われわれは、あなたの市が全ての|渡り鳥《オーキー》都市がそうであるように、自分自身の世界を持ちたいと望んでいることも承知している。ここまで立ち入ったことを申しあげて、お許し願えるだろうか?」 「結構ですとも」へイズルトンの声がいった。 「では申しあげるが、あなたがたが暴動を起こそうとくわだてておられることは、全く歴然としている。あなたがたは、これまでのところ、慎重に契約書の条項を守っておられるが、それはわれわれ同様、それを破る決心がつかないからにすぎない。その限りにおいて、警察はわれわれの双方を保護してくれる。あなたがたのアマルフィ市長には、農奴があなたがたの市民と話すことは違法であると申しあげた。ところが残念なことに、それは農奴に対してだけ違法であって、あなたがたの市民に対してはそうでない。われわれの側で、農奴をあなたがたの市から遠ざけておくことができないとすれば、あなたがたの方でわれわれに代ってそれをする義務はない」 「だから、面倒な問題が起こらずにすんでいます」 「全くその通り。もう一つ申しあげたいが、あなたがたの革命の時期の来た時には、わたしはあなたがたの勝利を疑わない。あなたがたが、われわれの農奴にどのような武器を持たせるつもりなのか、わたしにはわからない。しかしいずれにしろ、われわれの集めることのできる武器よりは優れた物であると思われる。われわれには、あなたがたの技術がない。わたしの仲間はわたしに同意しないが、わたしは現実主義者なのだ」 「なかなか面白いお話です」  へイズルトンの声がしてから、しばらく話はとだえた。その沈黙のうちに、何かを軽く叩く音が聞こえた。へイズルトンの指先がデスクの表面を叩いているのだと、アマルフィは想像した。  ヘルドンの顔には表情がなかった。次の場面が待ち切れない気がした。 「われわれの仲間は、自分達の物は自分達で守ることができると信じている」やっとのことで、ヘルドンは話を続けた。「もしあなたがたが契約以上に長居をすれば、かれらはあなたがたに対して宣戦するだろう。正当な理由は、かれらの側にある。しかし残念ながら、地球の正義の使徒は手のとどかないはるかかなたにいる。あなたがたが勝利をおさめるだろう。そこでわたしの関心は、われわれの逃亡の手段を見出すことにある」 「スピンディジーですか?」 「まさにその通り」  へルドンは口の角に石のようにこわばった微笑を浮かべた。 「あなたには包み隠しをせず正直に申しあげよう、ミスタ・へイズルトン。もし戦争になれば、わたしはほかの仲間に劣らず、この世界をわれわれの物としておくために戦うつもりだ。わたしがここにうかがったのは、あなたがたにはIMTのスピンディジーを修理することができるというそれだけの理由しかない。わたしが大がかりな反逆に加担することを期待しても、それは無駄なことだ」  へイズルトンは頑固に間の抜けた応待を続けようとしているらしい。 「しかし、なぜ、わたしがお手伝いをしなければならないのか、その理由がわかりませんが」 「どうかよく考えてもらいたい。われわれは戦わなければならないと信じているから戦う。おそらくは勝ち目のない戦いになるだろうが、いずれにしろ、あなたがたの市もある程度の損害を蒙る。というよりは、よっぽどの運がつかないかぎり、あなたがたの市は修理のできないかたわ者になるだろう。ところで、わたし自身と、ほかにもう一人を除いては、IMTのスピンディジーがまだ役に立つ状態にあることを知っている者はない。つまり、それを利用して逃げようと努力する者はいないということだ。その代りに、あなたがたを負かそうと努力するだろう。しかし機械が修理されて、頭のいい人間が指揮をとれば──」 「わかりました」  へイズルトンが相手のことばを途中でさえぎった。 「要するに、あまり怪我人の出ないうちにIMTを飛行させて、この惑星を都市もろとも立ち去りたいということなんですね。その代償として、惑星をわたしどもに提供し、わたしどもの側の損害を最少限にとどめるチャンスを作ってやろうとおっしゃる。なるほど。なかなか面白い。とにかくそのスピンディジーを見せていただいて、修理ができるかどうか、確かめることにしましょう。だいぶん時間が経っているに違いないし、使わずに放置された機械はだめになっていることがあります。まだ何とか修理できるというのであれば、それから商談に入ることにしましょう。どうですか?」 「まあしかたがないだろう」へルドンは不満らしい口調でいった。  しかし、執政官《プロクター》の目には冷やかな満足の光があった。アマルフィにはそれがすぐにわかった。自分でも、そうした心にもない口をきいたことがたびたびあった──しかしそれにしても、もう少しうまく隠したものだ。  かれはスイッチを押して、スクリーンの画像を消した。 「どうだ? 何をねらっていると思うかね?」 「厄介なことだね」カーストはゆっくりと口をきいた。「ただにしろ、金《かね》をもらうにしろ、あの男に何かをしてやるのはバカげたことだ。口ではあんなことをいったが、本心は違う」 「もちろん違う」アマルフィは相槌を打った。「誰だ? ああ、マーク、君か。君はあのお客様をどう思うかね?」  へイズルトンは昇降通路《リフトシャフト》から出てくると、管理室の弾力性コンクリートの床の上で軽くひとはねした。 「あれは喰わせ者ですよ。しかし危険な人物だ。自分の知らない何かのあることを心得ています。自分のねらい[#「ねらい」に傍点]をわれわれが察知していないことも、ちゃんと承知しています。それに、ここは向こうにとってはホームグラウンドです。どうも気に入らない組み合わせです」 「わたしも気に入らないね。敵が情報を洩らし始めた時には、警戒しなければいけない。君は、執政官の大多数が、IMTに修理すれば使えるスピンディジーのあることを、本当に知らないと思うかね?」 「それは知らないはずだ」カーストが口を出した。  アマルフィとへイズルトンは、そろってそっちの方へ向き直った。 「あの人達は、あなたがたがこの星を自分の物にしようとしているとは思ってもいない。少なくとも、そのためにわざわざやって来たとは考えていない。いずれにしろ、気にしていないことは確かだ」 「どうしてだ?」へイズルトンが訊き返した。「わたしなら気にする」 「あなたがたは数百万人の農奴を使ってはいるが、所有[#「所有」に傍点]しているわけではない」  カーストの口調に憎しみは感じられなかった。 「あなたがたはその鼻奴を働かせて、賃金を支払う。それがこの星の役人にとっては悩みの種なのだ。やめさせるわけにもいかない。あなたがたの支払う金《かね》が、地球の権力にバックアップされた合法的な物であることを役人達は知っている。わたしどもがその金を稼ぐことをとめることができない。そんなことをすれば、たちまち暴動が起こるだろう」  アマルフィはへイズルトンの顔を見た。市の支払っている金はオックドルだった。この星では合法的だった──しかし、銀河系では紙切れ同然だった。ゲルマニウムとしか兌換されない旧時代の遺物にすぎなかった。この星の支配階級の連中が、それを知らないほどうぶ[#「うぶ」に傍点]だということがあり得るだろうか?  それともIMTが都市として古すぎて、故郷であるレンズ状の銀河系経済崩壊を即時に知らせるディラック送信の施設を持ち合わせなかっただけなのだろうか? 「スピンディジーはどうだ?」アマルフィがたずねた。「さっきのへルドンのほかに、九人統領《グレート・ナイン》のうちでは誰がそのことを知っているかね?」 「まず、アソールが知っている」カーストがこたえた。「アソールというのは統領会議の議長で、統領仲間での宗教気違いだ。噂では、いまでもまだ、毎日ヨガの行《ぎょう》を三十課程全部、それも|抽象的な梯子《アブストラクト・ラダー》を一段ずつのぼる行《ぎょう》までやっているということだ。予言者のマールヴィンが人間が空を飛ぶことを永遠に禁じたというので、アソールもこの時代になって、IMTが飛ぶことを許そうとしない」 「かれにはかれなりの理由があるのだ」へイズルトンが考えながらいった。「宗教が周囲と隔絶した真空の中に存在することは滅多にない。宗教はそのまわりの社会に影響を及ぼす。結局のところ、かれはおそらくスピンディジーを恐れているのだ。そのような武器があれば、わずかに数百の人数で革命を起こすこともできる──この星のような封建制度をくつがえすには充分すぎるほどだ。だからIMTも、わざとスピンディジーを故障したままにしておいたのです」 「それから、カースト」  アマルフィは癇を立てたように手をあげて、へイズルトンを制した。 「ほかの連中はどうなのだ?」 「ベマイディもいるが、これはほとんど問題にならない」カーストはいった。「そうだな、どうもわたしは、そういう役人達にほとんど会ったことがないのでね。ほかには、ラレぐらいのものではないだろうか。腹がでっぷりとふくれて、気難しい顔をした老人なのだが。大体はへルドンの側の人間だ。しかし、ヘルドンと連れだって歩きまわるようなことは滅多にない。この人は農家のかせぐ金《かね》のことをほかの人達ほど気にかけていないはずだ。その金をわたしどもからとりあげる方法を考え出すだろう──地球人がこの惑星を訪れたことを記念する休日を制定するなどして。大体が、十分の一税のとり立てがこの人の仕事なのだ」 「かれはへルドンがIMTのスピンディジーを修理することを許すだろうか?」 「いや、許さないだろうね。ヘルドンがそれを秘密にしなければならないといったのは、本心なのだと思うがね」 「どうだかね。いずれにしろ、気に喰わない話だ。表面では役人連中は──警察の力をかさに着て──われわれを脅《おど》し、契約期限の切れるのと一緒にこの惑星から追い出して、そのあと、われわれの農奴に支払った金《かね》を残らずとりあげようとしているように見える。しかしよくよく考えてみれば、そんなことのできるわけがない。警察はIMTの素性《すじょう》を知ったら──いつまでも知らずにいるはずはない──連中は運のついていることを喜びながら、われわれの市と一緒にそっちの方も撃破してしまうだろう」 「というのは、IMTがトール第五惑星で──あんなことを──やった|渡り鳥《オーキー》だからかね?」  アマルフィは、突然、自分の喉ぼとけ[#「喉ぼとけ」に傍点]をいつもの場所にじっとさせておくのが難しくなっていることに気がついた。 「それはもういい、カースト」  怒った声だった。 「われわれはこの星雲にまでその話を持ち込みたくないのだ。君達の学習用テープからも、そのことは削除しておかなければいけなかった」 「わたしは知ってしまった」  カーストの声は落ちついていた。 「別に意外ではなかった。役人達はその当時から少しも変っていない」 「忘れるんだ。君は聞いているのか? 忘れるんだ。すっかり忘れてしまってくれ。ところで、カースト、君は一晩だけ元の何も知らない農奴に逆戻りすることはできないかね?」 「わたしの土地に帰るのかね?」カーストは訊き返した。「弱ったな。女房はもう新しい男と一緒になっているに違いないし──」 「いや、君の土地へ帰るのではない。わたしはへルドンからいってきたらすぐに、あの男と一緒に、問題のスピンディジーを見に行くつもりだ。重い器具を持っていかなければならないことになるだろう。だから、どうしても手伝いが要る。君が来てもらえるだろうか?」  へイズルトンは眉を釣りあげた。 「ヘルドンの目をごまかすことはできませんよ、市長《ボス》」 「それをやってみる。もちろん、かれはわれわれが農奴を教育していることを知っている。しかしひと目見ただけで、その農奴が教育を受けたかどうか、そんなことは、かれには決して見抜くことができない。かれの今までの経験が邪魔をするのだ。かれは知性を持った農奴というものを考えることに慣れていない。われわれのところに、教育を受けた農奴が数千人もいることを承知していながら、実際にはそれを恐れていない。われわれが農奴を武装させ、暴動を起こさせるかもしれないとまでは考えている。しかし農奴に小火器の扱い方よりは少しましなこと──そしてはるかに危険なこと──を習いおぼえる能力があるとは、想像することもできないのだ」 「どうして、それが確信できますか?」へイズルトンが訊いた。 「類推によってだ。君はテティス・アルファ星に属するフィツジェラルトという惑星で、そこの住人が馬と呼ばれる動物をあらゆることに──荷車を曳かせることから、競走にまで──使っていたのをおぼえているね? よろしい。では今度は、君がある土地を訪れて、そこで何頭かの馬が人間のことばをしゃべることを教え込まれたと、そんな話を聞いたとしよう。君がその土地で働いているうちに、誰かが麦わら帽子をかぶり、背中に荷物を積んだ、あと脚の関節のこわばった老いぼれ馬を引っぱって、手伝いにやってくる。 (カースト、たとえが悪くて君にはすまないが、仕事《ビジネス》は仕事だ)  君は、決して、その馬が話に聞いた人間のことばをしゃべる馬の一頭だとは思わない。君は、馬がことばをしゃべる物だと考えることに慣らされていないのだ」 「わかりました」  へイズルトンはカーストの当感したような顔に向かって、ニヤリと笑って見せた。 「大体どういう作戦で行くんです、市長? 心づもりはできているということですが。その作戦に名前はつけないんですか?」 「いや、つけるつもりはないよ。長ったらしい名前の方がいいというのなら別だがね。作戦のたびにもっともらしい名前をつけたりするのは、政治的偽装の一つの手段にすぎない」  アマルフィは、わざとのように面白くなさそうな顔をしているカーストの視線をとらえて、自分の笑顔をもっと崩して見せた。 「さもなければ、君のライバルに君に頭突《ずつ》きを喰わせたい気を起こさせる、洗練された技術だね」 [#改ページ]     7 故  郷  IMTは、石だらけの土に根をおろした戦没者墓地のように何年|経《た》っても変らない、ずんぐりとした都市だった。  その静かさも墓場の静かさに似て、事務所から扇のような──上の縁がギザギザになっていて、音を立てる小さな金属製のビラビラのついた、穴のあいた扇のような──職杖を持って出てくる役人達は、死人の中を歩きまわる修道僧のようだった。  なぜそんなに静まり返っているのか、もちろん、そのわけはわけなく説明ができる。農奴はIMTの壁の中では話しかけられない限り、自分から話をすることは許されていないし、それに農奴に話しかける役人もほとんどいない。その上に、アマルフィの心の中では、トール第五惑星の虐殺された数百万の人達の強いられた沈黙が、この都市の空気を包んでいた。役人達自身は、今もなお、その生々《なまなま》しい沈黙を感じることができるだろうか?  そのこたえはほとんど即座に得られた。  通りすがりの茶色の肌をむき出しにした一人の農奴が、はばかるようにアマルフィたちに目をやり、ヘルドンを認めると、指を一本あげて、自分の唇にあてた。それがこの土地での尊敬の気持をあらわす作法なのだ。ヘルドンは軽くうなずいただけだった。  アマルフィは、もちろん、ことさらな注意を向けるようなことはしなかった。しかし、心のなかで思った。  黙っていろという合図なのか、あれは? そうらしい。だが、へルドン、もう間に合わない[#「間に合わない」に傍点]。秘密は洩れているのだ[#「秘密は洩れているのだ」に傍点]。  カーストは時々もつれた眉毛の下から、ヘルドンの顔に油断のない視線を走らせながら、重い足を運んだ。役人に対して、必要以上に気をつかっているように見せかけていた。  三人は朽《く》ちかけた公共広場を通った。広場のまん中には、ほとんど原型をとどめない彫像の群があった。以前にはどんな形だったのか、まるで見当のつけようもないほど風化してしまっている。もともと彫像は、何のためにそこにあるのか忘れられるのが普通なのだから、そんな姿こそふさわしいのだと、アマルフィは面白く思った。  古びた台座の上の、目だけがはっきりとわかる石の塊[#「塊」に傍点]は、特有のねじれた穴の開いている中程度の大きさの隕石だったとしても、別におかしくはなかった。  しかし、古代地球のヘンリー・ムーアという名の彫刻家の流儀にしたがって、黒い石の塊からくり抜いた空間は、確かに以前には意味があったのだとわかった。そこには、一人の強そうな人間が別の弱い人間の首筋に足をかけた像が立っていたのだ。  ヘルドンも足をとめて、その記念碑を見た。かれの心の中では、何かの種類の葛藤が起こっていた。それが何であるか、アマルフィにはわからなかったが、見当はついていた。  ヘルドンは若い男だった。だから執政官《プロクター》としてはおそらく最近選ばれたばかりなのだろう。カーストの証言によれば、九人統領《グレート・ナイン》のほかのメンバーのほとんど──アソール、べマイディそのほか──は最初からメンバーだった。簡単にいえば、かれらはトール第五惑星で暴虐の限りをつくした連中の子孫ではなく、秘蔵の不老長寿薬を用いて今の時代まで生きのびた、当時その事件に関係した当人その者なのだ。  ヘルドンはその記念碑に目をやった。記念碑にくり抜かれた空間に、そのような像の立っていたことからすると、かつてIMTが実際にトール第五惑星の思い出を誇りにしていたことは明らかであり、九人統領の中の老人達が、今こそそれを誇りにしてはいないかもしれないが、なお有罪であることはまぎれもなかった。  その事件に直接関係のないへルドンは、ほかの統領達の仲間に自分も入ったものかどうか、そのことについて迷っているのだ。もっとも、かれも統領の一人なのだから、事実上は入っていることになるのだが……。 「正面がその寺院だ」へルドンが彫像から目をはずして、だしぬけにいい出した。「機械はあの寺院の下にある。今頃の時刻に、こんなところに来る人はないはずだが、念のために確かめてみた方がいい。ここで待っていたまえ」  こんなところに来る人[#「こんなところに来る人」に傍点]、というのは農奴のことなのだ。ヘルドンは決心をつけていた。かれも統領の一人だ。トール第五惑星の思い出をそのはと胸におさめていた。 「誰かがわれわれのことに気づいたらどうする?」アマルプィがたずねた。 「この広場は誰も通らないのが普通だ。それに、わたしはこの広場のまわりに部下を配置して、偶然通りかかる人があれば、よそへまわらせるようにしてある。ほかへ行ったりしなければ安全だ」  統領はスカートをたくし寄せて、大またにその大きなドームのある建造物の方へ歩いて行き、急に細い路に入って見えなくなった。  アマルフィのうしろで、カーストがのこぎり[#「のこぎり」に傍点]の目を立てるような声で、しかし、ひどく優しげに歌い始めた──民謡のようなものらしい。アマルフィは音痴ではなかったにしても、そのかつてはカザンという名の町に関係があったに違いないメロディはあまりにも古すぎて、どこの何という曲なのか聞き分けられなかった。しかしふと気がつくと、音をたよりに野ねずみを追いかけるふくろう[#「ふくろう」に傍点]のように熱心に、カーストの歌に耳を傾けていた。  カーストは歌った──。 [#ここから3字下げ] マールヴィンの正義の怒りは風に乗って荒野を焼き払い 反逆者の武器は滅びた その深夜、星も月も見えなかった IMTは空へ昇った 落下! [#ここで字下げ終わり]  アマルフィが自分の歌に聞き入っているのを見て、カーストはあやまるような身振りをして、歌うのをやめてしまった。 「続けたまえ、カースト」すぐにアマルフィはうながした。「そのあとはどうなるのだね?」 「時間がない。歌詞は何百となくある。どの歌い手も、少なくとも一つは自分の歌詞をつけ加える。しかしいつでも、こういう一節で終ることになっている」 [#ここから3字下げ] 墓の煉瓦は血でくろずみ 高い塔はくつ返って土と化した マールヴィンをはずかしめる者は生かされぬ 魂は泣きながら宇宙へ追い出された IMTは空へ昇った 落下! [#ここで字下げ終わり] 「たいしたものだ」アマルフィは厳しい口調でいった。「われわれは実際にスープの中に溺れそうになっている──やがて、スープ鉢の底に沈んでしまうだろう。その歌をせめて一週前に聞かせてもらいたかった」 「わたしの歌で何がわかったのか?」  カーストは腑に落ちない顔だった。 「古い伝説を歌っただけのことだが」 「君の歌を聞いて、ヘルドンがなぜスピンディジーを修理したがっているのか、そのわけがわかった。ヘルドンが本当の目的を打ち明けていないことは知っていたが、あの古いガリヴァー旅行記に出てくる浮島ラピュタの故事には気がつかなかった──新しい都市の竜骨《キール》はそんなことのできるほど強くはないが、この都市がまともに落ちてくれば、われわれの都市はひとたまりもなく潰れてしまう。われわれの方では、落ちてくるのをじっと待っていなければならないのだ!」 「わたしにはよくわからない」 「簡単なことだ。君達の予言者マールヴィンは、IMTをくるみ割りのように使った。この都市を敵の頭の上に飛ばして、落下させた。確か、このやり方は宇宙飛行の始まるよりずっと以前に思いついた夢物語りだ。カースト、君はわたしから離れないようにしてくれ。ヘルドンの目の前で、君に必要なことを伝えなければならないことになるかもしれない。だから注意して……シーッ、かれが戻ってくる」  統領はいつの間にか、細い横町から出てきていた。ボロボロに崩れかけた敷石の上を、こっちの方へ急ぎ足で歩いてきた。 「アマルフィ市長」へルドンはいった。「どうやら、あなたの貴重な助力を役立てる用意はととのったようだ」  へルドンはピラミッドの形に突き出た石に片足をかけて、踏みつけた。アマルフィは注意深く見守っていたが、何事も起こらなかった。|携 帯 燈《フラッシュライト》をその地下室の別に特徴のない石壁に向けてまわりを照らし、それからまた、床の方へ戻した。ヘルドンがイライラしたように、小さなピラミッドを蹴りつけた。  今度は遠い雷のような音が聞こえてきた。やがて長さ五フィート、幅二フィートばかりの石のブロックが極めてゆっくりと、ひどくきしりながら、あたかも一方の端が蝶番でとめてあるように持ち上がり始めた。市長の携帯燈の光束が開いた口に射しこんだ。幅の狭い階段が照らし出された。 「わたしはガッカリした」アマルフィが口を開いた。「この下から、大昔の空想科学小説家のジュール・ヴェルヌが──さもなければ、ガリヴァー旅行記のジョナサン・スウィフトが──出てくると思ったのに。よし、ヘルドン、案内してもらおう」  へルドンは湿気を避けて、スカートをたくしあげながら階段を用心深く降りて行った。カーストがしんがりだった。背負った荷物の重さにからだを低く曲げて、両腕をダランと垂れていた。  階段の踏板は市長のサンダルの薄い底革を通して、冷たくヌラヌラと感じられた。アマルフィは葉巻に火を点けたくてたまらなかった。湿った空気の中に強烈な香りをまざまざと嗅ぐことができるほどだった。しかし、両手を自由にしておかなければならなかった。  この湿気では、スピンディジーも使い物にならなくなっているかもしれないと、そんな考えが頭の奥の方で固まりかけていたが、それは棄ててしまった。考えるのはわけのないことだし、その方がいいと思う気持もあったが、実際にそんなことだったら、結局は、自分達にとって大変な災難になる。  この惑星を自分の物と呼べるようになるためには、IMTをもう一度空を飛べるようにしなければならない。  IMTが舞いあがった時に、それが自分の市の上空を脅かさないようにするにはどうすればいいか、そこまではまだ考えつかなかった。いつも危機に見舞われた時にはそうせずにいられなくなるのだが、アマルフィは頭の中でその都市を操縦していた。  階段が突然おしまいになった。そこは小さな、まるで洞穴のように小さな、冷たいジメジメとした部屋だった。携帯燈の目玉が動きまわり、とまった所にたまご形の通路があった。その通路はにぶい色をした金属製の扉で閉じられていた。扉の金属はどう見ても鉛に違いなかった。  するとIMTのスピンディジーは運転中に放射能を出すタイプの物だったのか?  それはすでに悪いニュースだった。そうであれば、その機械はアマルフィの仮に見当をつけていたよりもはるかに年代の古い旧式の物だということになる。 「これか?」 「これだ」  へルドンはうなずいて、扉の小さな把手《ハンドル》をまわした。  バルブを引くと、時代物の蛍光燈が青い光を放って、機械のまるい背中を照らし出した。空気は全く乾いている──この大きな部屋は完全に密閉されていたらしい──アマルフィは失望のあまり、逃げ出したい苦しい気持を抑えることができなかった。  巨大な機械を見わたして、かれは|操 作 盤《コントロールパネル》か、それに相当する物を探した。 「どうだね?」へルドンが耳ざわりな声で訊いた。  かなり緊張している様子だった。ヘルドンのたくらんでいるのは、九人統領《グレート・ナイン》の公式の方針ではなく、個人的な冒険なのかもしれない。アマルフィはふとそんなことを思った。  公式の物でなければ、場所もあろうにこんな所で、|渡り鳥《オーキー》の一人と一緒にいるのを仲間の統領達に見つかりでもしたら、ヘルドンとしては、申し開きのつかない窮地に追い込まれることになるはずだ。 「何か試験をしなくていいのかね?」へルドンがうながすようにたずねた。 「しなければならない」アマルフィはこたえた。「わたしは、ただ、機械のサイズを見て、少しばかり驚いているだけなのだ」 「ご承知のように、これはみんな旧式の機械だ。確かに、最近ではずっと大型の物が作られているに違いない」  もちろん、そんなことはなかった。新型のスピンディジーはこの十分の一の大きさで立派に働く。相手がそれを知らないという事実は、ヘルドンの正確な立場にまた新しい疑いを抱かせることになった。  アマルフィは、ヘルドンが自分に検査のため以外のことで、スピンディジーに触れることは許さないだろうと思っていた。IMTにも事細かに指導してやれば、修理をする能力のある連中がいくらでもいるはずだ。ヘルドン自身にしろ、ほかの統領にしろ、アマルフィの説明を理解するに充分な物理学は心得ているはずだ。ところがこうなると、その確信はグラついてきた──相手にそれとさとられずに、この機械をどれだけいじりまわすことができるものか、それはへルドンの本当の目的が何であるかということにかかっていることになる。  市長は金属製の階段を反重力発生機の上を走っている通路までのぼって、そこで立ちどまり、カーストを見おろした。 「おい、そんな所に突っ立っているんじゃない。道具を持ってあがってこい」  カーストは素直にいうことをきいて、金属製の階段をよじのぼってきた。ヘルドンもそのあとについてきた。アマルフィは二人には目もくれずに、ジェネレーターの外被《ケーシング》にあるはずの検査用の窓を探し、見つかるとその窓を開けた。  中には複雑な調整回路らしい配線と、それにある種の監視装置《モニター》──おそらくはデジタル計算機──のための増幅器とが見えた。増幅器《アンプ》には、アマルフィがこれまで、こんなにたくさん一つの回路に集められているのを見たことがないほどの数の真空管が使ってあった。しかもそれとは別に、直流電流を真空管のヒーターに供給するための電源が附属していた。真空管のうち二本は、それぞれアマルフィの握り拳ほどの大きさがあった。  カーストがかがみこんで、背中の荷物を作業台におろした。その荷物から、アマルフィは細い黒い電線《ケーブル》をひっぱり出して、その二またに分れた尖端を手近のソケットに差し込んだ。電線のもう一方の端《はし》の小さな電球が、ネオンの赤い色に光った。 「計算機は、まだ生きている」アマルフィは検査の結果を報告した。「正確に働くかどうかは別の問題だ。主調整盤のスイッチを入れていいかね、ヘルドン?」 「わたしが入れてこよう」へルドンは階段を降りて、部屋の向こうの方へ行った。  アマルフィはほとんど間をおかずに、検査窓の方へ顔を向けたまま、唇を動かさずに低い声でしゃべった。カーストの耳にとどいたことばは、聞き取りにくいものだったに違いない。  唇を動かさずにしゃべる技術といっても、唇の動きを伴う、たとえばwのような子音を、動きを伴わないyのような子音で代用するというそれだけのことなのだ。その結果出てくる声を、咽頭マイクの場合のように、共鳴箱の内部から電気的にとり出すと、元のことばとあまり違わずに聞こえ、ただ、わずかに不明瞭になるだけである。しかし話し手の鼻咽腔《びいんこう》の外部から聞くと、それが日本人の片言英語のように聞こえる傾向がある。 「ヘルドンを注意して見ていたまえ、カースト。どのスイッチを入れるか、よく見とどけて、その場所をおぼえるんだ。わかったね。よろしい」  真空管が点《つ》いた。カーストは一度だけ、ごくわずかにうなずいて見せた。戻ってきたへルドンはアマルフィが配線を検査するのを下から見あげた。 「役に立つかね?」  おし殺した声だった。必要なだけの声を出すのもはばかっている様子だった。 「役に立ちそうだ。真空管が一本、ガスでだめになっている。そのほかにも、ところどころに故障がありそうだ。大がかりなことをやってみる前に、全体を調べてみた方がいい。真空管のテスト装置はあるだろうね?」  へルドンは自分の心のうちを外にあらわすまいと、目に見えるほどの努力をしていたが、それにもかかわらず、その顔には安堵感がありありと拡がった。おそらく自分の仲間の人間なら、どれほどの努力もなしにごまかしおうせていただろうが、|渡り鳥《オーキー》都市の市長なら誰でもそうであるように、筋肉の動かし方や身振りで行なわれる、接続詞を省略した|並 列 話 法《パラタキシック・スピーチ》を日常の会話同様にわけなく読みとることのできるアマルフィにとっては、ヘルドンの表情は署名《サイン》された告白状ほどにもはっきりと、当人の内心を暴露していた。 「あるとも」へルドンはこたえた。「それだけで済むのか?」 「とんでもない。この回路の半分ほどをひっぺがして、使える所にはトランジスターを組み込まなければいけないね。必要なゲルマニウムはわれわれが合法的な価格で譲ってあげていい。ここにはざっと見積って、ユニットあたり二百本から三百本の真空管が用いられている。飛行中に真空管の故障が起こったら──そうだね、そんなことになったら、それこそかけ値なしにお陀仏《だぶつ》だ」 「では、どうすればいいか、それを教えてくれるかね?」 「たぶんね。われわれにこの系統《システム》を端から端まで全部検査することを許してくれれば、どこをどうすればいいか、正確なところを教えてあげられるのだが」 「よし、わかった。しかし、長びいては困る。余裕はせいぜい半日しかないのだ」  予想していたよりは余裕があった──たっぷりあった。  それだけの時間があれば、少なくとも主管制器の所在を突きとめるだけのことはできる。ヘルドンの表情が口にしたことばの内容と、まるで裏腹[#「裏腹」に傍点]だったことはひどく気になったが、いまさら前言をひるがえすわけにもいかない。カーストの荷物から紙とペンとをとり出して、目の前の配線を大いそぎでスケッチし始めた。  一台目の重力発生器の構造についてかなりはっきりした概念ができてしまうと、二台目の要所要所のスケッチはずっと楽だった。時間はかかったが、ヘルドンはしびれ[#「しびれ」に傍点]を切らせた様子も見せなかった。  三台目のスピンディジーが済むと、もう図面には欠けた所がなかった。アマルフィはもう一台ある四台目を何のためだろうと、不審に思った。配線をたどってみると、発生器の出力の主曲線が精度の低い大ざっぱな再生回路によって決定されている仕様出力《スぺック》と一致しなくなった場合に、ほかの三台の発生器の損失《ロス》を補うように設計された補助発生器《ブースター》であることがわかった。  その補助発生器《ブースター》はフィードバック回路の出力側、計算器の前でなく後に置かれているので、計算器の補正は全てそれを通らなければならないようになっている。これでは、補正が行なわれるたびに、小さいが見逃すことのできない出力の動揺が起こるはずだと、アマルフィは判断した。要するにIMTのスピンディジーの配線は、原始時代のクロマニヨン人の仕事としか思えないほど幼稚な代《しろ》物だった。  しかしともかくも、これでこの都市は飛行できるのだろう。そこが大事なところなのだ。  アマルフィは補助発生器《ブースター》の検査を済ませて、苦しそうに立ちあがり、背中の筋肉をのばした。今までにどれだけの時間がかかったのか、見当がつかなかった。数ヵ月が過ぎ去ったような気がした。ヘルドンはあいかわらず見ていた。目の下に青いくま[#「くま」に傍点]ができているが、その目は今も大きく見開かれ、鋭さを失っていなかった。  それにアマルフィは、まだ、この地下室のどこにもIMTのスピンディジーの管制を行なうことのできそうな設備を見つけ出していなかった。管制室はどこかほかの場所にあるのだ。主管制ケーブルはこの地下の洞窟の天井をまっすぐに突き抜けるパイプに入り込んでいた。  ……IMTは、空へ昇った[#「空へ昇った」に傍点]/落下[#「落下」に傍点]……  アマルフィはわざとのように大きなあくびをしてから、またからだをかがめて、補助発生器《ブースター》の検査窓の蓋板を締めつけた。カーストはそのすぐそばで、高い張り出しの上でまどろむネコ[#「ネコ」に傍点]のようにのんびりと気持よさそうに眠りこけている。  ヘルドンは見守っていた。 「この仕事はわたしが引き受けなければならないことになりそうだ」アマルフィはへルドンに話しかけた。「全く大仕事だ。数週間かかるかもしれない」 「そんなことだろうと思ったよ」  へルドンは腕を組んだ。 「それを確かめるだけの時間があってよかった。しかし、君のいうような部品の取り換えをするわけにはいかないようだな」 「取り換える必要がある」 「それはあるかもしれない。だが、こういう装置には大きな安全係数がとってあるに違いない。さもなければ、われわれがこの都市を飛行させるようなことは、初めからできなかったはずだ」 (「われわれが」といった。「われわれの祖先が」とはいわなかったことにアマルフィは気がついた。ヘルドンは自分があの犯罪にかかわりのあることを自分から告白したのだ。その罰は受けなければならない) 「君はそれで機械の効率を増加させると、そういうが、われわれとして、そんな嘘だか本当だかわかりもしないことを真に受けて、われわれ自身の手に負えない大事な機械を君にいじくりまわさせるわけにいかないことは、君にもわかると思うがね、アマルフィ市長。今のままでともかくも運転できるのならば、それで充分としなければならないだろう」 「ああ、運転はできる」  アマルフィはいいながら、自分の道具を順序を立てて拾い集めにかかった。 「しばらくはね。しかし、いずれにしろ安全とはいえない」  へルドンは両方の肩をすぼめて見せると、螺旋階段を部屋の床まで降りて行った。アマルフィは道具包みの中味をいじるようなふりをして、あとに残った。それから、わざと大げさな動作でカーストを蹴りつけ──それも監視するために生れついたような人間が相手では、ただの演技では役に立たないことを知っているので、思い切り蹴とばして──目をさまさせ、身振りで包みを拾いあげさせると、ヘルドンのあとを追って下に降りた。  ヘルドンは顔に笑いを浮かべていた。決していい笑顔ではなかった。 「安全ではないというのかね? いや、わたしも安全だと思ったわけではない。しかし今のところ、その危険は大部分が政治的な物であると、わたしはそう思う」 「なぜだ?」アマルフィは自分の呼吸が荒くならないようにつとめながら、反問した。  急に、からだ中の力が抜けてしまったような気がした。どれだけの時間が経《た》ったのだろう? 見当がつかなかった。 「今何時頃だか、君にはわかっているのかね、アマルフィ市長?」 「朝にはなっていると思うが」  アマルフィはぼんやりとこたえて、カーストの左の肩の包みがずり落ちそうになっているのを押しあげてやった。 「どっちみち、ずいぶん経《た》っている」 「その通りだ」  へルドンはもう自分の表情を隠さなかった。はばからずに勝ち誇った顔を見せた。 「君の市とわたしの市とのあいだに結ばれた契約は、本日の正午にその効力を失った。今はその正午をほとんど一時間過ぎている。われわれは徹夜した上に午前中いっぱいここにいた。アマルフィ市長、君の市は契約に違反して、いまだにわれわれの領土を立ち去らずにいるのだ」 「うっかりして──」 「いや、うっかりとはいわせない。われわれの勝利だ」  へルドンは長衣《ローブ》のひだ[#「ひだ」に傍点]から小さな銀色のチューブをとり出して、口で吹いた。 「今後、君を捕虜として待遇する、アマルフィ市長」  小さな銀色のチューブは耳に聞こえるような音を出さなかったが、すでに部屋には十人の男が姿を見せていた。その男達のかまえている中間子《メゾトロン》ライフル銃は、IMTのスピンディジーと同様に、おそらくはカンマーマン時代以前の旧式の物だった。  しかし、これもスピンディジーと同様に、使えないことはなさそうに見えた。  カーストは全身をこわばらせて、立ちすくんだ。アマルフィは指でそっとあばら骨を突っついて、そのこわばりを解きほぐすと、自分の小さな包みの中味をカーストの包みの方へうつしはじめた。 「君は地球の警察を呼んでいる、と思うが?」 「手配をしたのはずっと以前のことだ。だから、そっちの退路はすでに断たれている。ところで、アマルフィ市長、もし君がこの地下室に細工をして役に立たなくすることのできるような管制装置があり、わたしがそれを喜んで探させると期待していたのなら、君はわたしをよっぽどの間抜け者と思っていたわけだ」  アマルフィは何もいわずに、道具を順々にかたづけていった。 「君は動きすぎる、アマルフィ市長。両手を高くあげて、ゆっくりとこっちを向きたまえ」  アマルフィはいわれた通りにして、からだをまわした。さしあげた両手には小さな黒い物、形も大きさもたまご[#「たまご」に傍点]ぐらいの物が一つずつにぎられていた。 「よっぽどかどうか、思った通りの間抜け者だったというだけのことだがね」アマルフィは普段の会話とかわらない口調でいった。「わたしがここに何を持っているか、君にも見えるはずだ。わたしが射たれるようなことがあれば、一つだけでも、両方一緒にでも、落すことができる。いや、落す。射たれなくても落すかもしれない。君の幽霊都市にはもううんざりした」  へルドンは鼻を鳴らした。 「爆薬かね? ガスかね? バカバカしい。そんな小さな物にこの市を破壊するだけのエネルギーが詰め込めるわけはない。わたしをそんな物にだまされるほどのバカだと思うのか?」 「いかにも。いろいろのことがそれを証明する」  アマルフィは落ちつきはらっていた。 「君がIMTに足を踏み入れたわたしを、だまし討ちにしようとたくらむ可能値は極めて大きかった。だから、わたしの方では、その気になれば護衛《ガード》を連れてきて、君のそのたくらみ[#「たくらみ」に傍点]を出し抜くこともできた。君はわたしの市の周辺地区警察の連中にはまだ会っていないが、なかなかの強者ぞろいだ。その連中は永いあいだ勤務を離れているから、連れてきて君の親衛隊の諸君と何か一悶着起こすチャンスでもあれば、大喜びだろう。それを、わたしがボディガードもなしに自分の市を離れた理由は、ただ一つ、ほかにもっと手軽な自衛の手段があったからだと、君はそれに気がつかなかったのか?」 「それがそのたまご[#「たまご」に傍点]かね?」  へルドンはせせら笑った。 「実は、これは君のいう通り、本物のたまご[#「たまご」に傍点]なのだ。黒いのは警戒のためにアナリン染料で殻を染めてあるのだ。中の卵胚には地球産のリケッチア菌の突然変異によって得られた変種──われわれの研究所で開発された空気伝染性の新種だが──その菌が接種してある。この菌に感染すれば二時間で肺胞が破壊される。こうした突然変異による新種の開発には、宇宙空間はすばらしい研究室だ。二世紀ほど前に、ある農業を専門とする|渡り鳥《オーキー》都市がその技法《テクニック》を教えてくれた。たった二つのたまご[#「たまご」に傍点]だ──しかし、これを落したら最後、君は這いずってでも、わたしをわたしの市まで追ってきて、その菌の感染に特効のある抗生物質の注射を受けなければならないことになる。その抗生物質もわれわれ自身の手で開発した物だ」  短い沈黙があった。その沈黙はへルドンの荒々しい息遣いによって、なおいっそうの空虚を感じさせた。武装した男達は落ちつかない視線を黒いたまご[#「たまご」に傍点]に向けて、ライフルの銃口をそらせた。  アマルフィは慎重に考えた上でこの武器を選んだのだった。昔から、静止的な封建社会では疫病ほど恐れられる物はない──それほどたびたび、疫病の恐ろしさを見せつけられているのだ。 「やむを得ない」へルドンがやっと口を開いた。「わかった、アマルフィ市長。君と君の奴隷とはこの部屋を出ることについて、安全を保証され──」 「この建物を出ることについてだ。もしわれわれのあとを追って、階段をのぼってくる足音が少しでも聞こえたならば、わたしはこのたまご[#「たまご」に傍点]を君に投げつける。それで思い出したが、これは激しい勢いで破裂する──菌が卵胚の中で多量のガスを発生して、内圧が高くなっているからね」 「よろしい」へルドンは歯のあいだから声を押し出すようしていった。「では、建物を出ることについて、安全を保証する。しかし、アマルフィ市長、君は勝ったわけではない。君が自分の市に帰りつくことができたとすれば、ちょうどそのころIMTの勝利──君のおかげで手に入ることになった勝利──を目のあたりに見ることになるはずだ。いざとなったときに、われわれがどこまで徹底的にやれるか、君もきっと驚くにちがいない」 「いや、驚かない」  アマルフィの声は抑揚がなく、冷たく、まったく非情だった。 「わたしはIMTのことを何から何まで知りつくしているのだ、ヘルドン。君達の市は悪名高き|狂い犬《マッドドッグ》のなれのはてだ。君が死んでも、君と、君のIMTの全市民が死に絶えても、トール第五惑星の記憶は残る[#「トール第五惑星の記憶は残る」に傍点]」  へルドンの顔がざら紙のような色になった。思いがけないことに、ライフル銃手のうち、少なくとも四人までが同じように顔色を変えた。  やがてへルドンの肉づきのいいきのこ[#「きのこ」に傍点]を思わせる頬に、血の色が戻ってきた。 「出て行け」  しわがれた、聞こえるか聞こえないかの低い声だった。それが急に甲高いわめき声に変った。 「出て行け! 出て行け!」  二つのたまご[#「たまご」に傍点]をさりげなく手玉にとりながら、アマルフィは放射能を遮蔽する鉛の扉の方へ歩いて行った。カーストも足をひきずるようにそのあとに続き、ヘルドンの前を通るときには、ペコペコと頭をさげて見せた。アマルフィはそのわざと農奴らしく見せた演技が、少しオーバーだったのではないかと思ったが、ヘルドンは目の前を馬が一頭通ったほどにも、気にしていなかった。  鉛の厚い扉が閉まって、ヘルドンの怒りに燃えながらも怯えている顔と、古びたスピンディジーの上の蛍光燈の輝きをさえぎった。  アマルフィはカーストの肩の上の包みに片手を入れて、たまご[#「たまご」に傍点]の一つを発泡シリコーン製の容器に戻し、その手で不恰好なシュマイサー加速ピストルをにぎってとり出した。そして、そのピストルをズボンのベルトの内側に差し込んだ。 「危いところだった。上へ行こう、カースト。急ぐんだ。さあ、わたしはすぐうしろに続く。あの機械の管制器が一体どこにあるのか、君の見当はどうだ? 管制関係のケーブルはあの地下室の天井を上に抜けていたが」 「この寺院の一番高い所だね」  カーストはそうこたえながら、狭い階段を二、三段とびでのぼって行った。しかし、それが少しも苦労らしくは見えなかった。 「そこには九人統領《グレート・ナイン》の会議の開かれる星の間がある。どこをどう通ってそこへ行けるのか、わたしは知らない」  階段をのぼりつめると、冷たい石作りの前室に出た。アマルフィの携帯燈が床面を照らしまわって、ピラミッドのような突起を見つけ出した。カーストがそれを蹴りつけた。  うなるような音がして、斜めに持ち上がっていた細長い石の板がおりてきて、階段口をふさぎ、ほかとかわらない石の床の一部になった。その石の蓋《ふた》を下から押し上げる方法もあるには違いないが、ヘルドンはそれを利用する前にためらうはずだ。石の板が動くときには音がする。あとを追ってきたことが、すぐアマルフィにわかるほどの音がする。ちょっとでも音がすれば、アマルフィは黒いたまご[#「たまご」に傍点]をにぎって、身構えるだろう。それをへルドンは知っている。 「君はこの市を出て、探し出せるだけの農奴をここへ連れてきてもらいたい。いや、それには時間がかかる。誰かが地下室に行って、さっき君におぼえておくように頼んだスイッチを引っぱって切らなければならない。わたしがそれをやるわけにはいかない。わたしは君のいったその星の間に入り込まなければならない。ヘルドンはわたしがそこへのぼっていたと見当をつけて、あとを追ってくるだろう。  カースト、君はへルドンがここを通りすぎてから、階下《した》へ降りて行って、あのスイッチを切るんだ」  二人は、最初にへルドンに案内されて、この寺院に入った時に通った低いドアの所まで、たどりついた。そこから、ほかにも上の方へのぼって行く階段があった。ドアの下から強い日光が差し込んでいた。  アマルフィはその古びたドアを細く開けて、外をのぞいた。午後の明るさの中で、ドアの外の狭い横町は、IMTの建てこんだずんぐりとした建物に日光をさえぎられて、夕暮れととり違えそうに薄暗かった。五、六人の鉛のように鈍《にぶ》い色の目をした農奴が通りすぎた。そのあとから、一人の役人が半分眠りながら歩いて行った。 「さっきの前室に戻る道はわかるかね?」アマルフィはドアを細目にあけたまま、声をひそめて訊いた。 「道は一本しかないから」 「よし。それでは戻りたまえ。その包みはこのドアの外に降ろしておくといい。そんな物にはもう用がない。ヘルドンの部下がこの階段をのぼって行ったらすぐに、君は地下室へ降りて、あのスイッチを引っぱってくれ。それからこの市を出るんだ。管制系統の真空管の全部が点火してから働き始めるまでには、約四分かかるだろう。その貴重な時間は一秒たりとも無駄にはできない。わかったね?」 「わかった。しかし──」  寺院の上の方を何かが砂利のなだれ[#「なだれ」に傍点]のようなものすごい音を立てて通りすぎ、遠ざかって行った。アマルフィは片目をつぶって、もう一方の目を空へ向けた。 「ロケットだな。わたしは時々、自分が、なぜこんな原始的な惑星に来ることを頑固に主張したのか、われながらわからなくなることがある。しかし、そのうちには、わたしもこの星を好きになることをおぼえるかもしれない。では、カースト、好運を祈るよ」 「しかし」カーストは階段の方へ行こうとしかけたアマルフィに向かって、ロケットの騒音のために中断された自分のことばを続けた。「上に行けばわな[#「わな」に傍点]にかけられるよ」 「かけられるものか。アマルフィに限ってだいじょうぶだ。『しかし』はもういい。さあ行きたまえ」  ロケットがまた一つ、頭の上を通り過ぎ、はるかに遠い所で重い爆発音が聞こえた。アマルフィは雄牛のように勢いこんで、星の間めざして階段をのぼって行った。  階段は長く、幅が狭く、大きな弧を描き、その上、蹴込み[#「蹴込み」に傍点]も踏み板も腹が立つほど小さかった。アマルフィは役人達が自分では階段をのぼらないことを思い出した。農奴の腕に抱きかかえられて、運び上げられるのだ。だから、このネコ[#「ネコ」に傍点]のためにできているような階段も、足がかりとして役に立てばよく、急いでのぼるときにのぼりやすいことなどは考えられていないのだ。  アマルフィの見当をつけたところでは、階段は寺院の円屋根《ドーム》の外側をひとまわり半して、頂上までゆるやかにのぼっているらしい。なぜだろう? たとえ、農奴に運び上げられるにしても、統領達が何もわざわざ長い階段をのぼる必要はないはずだ。なぜ、会議室が円屋根《ドーム》の頂上などではなく、たとえばスピンディジーの据えつけてある地下室にあってはいけないのか?  なぜか?  その理由の一つは、最初の半まわりまでのぼりきらないうちに明らかになった。下の方から円屋根のすき間を通って人声が聞こえてきた。どこかで集会が開かれているらしい。ゆるい螺旋を描く階段をもっとのぼり続けて行くと、初めはただのざわめき[#「ざわめき」に傍点]だったのが、次第にはっきりしてきて、しまいには、そのざわめきの中から、一人一人の声がほとんど聞き分けられるようになった。  数学的にいって、半球の底にあたる所が会議室の床になっているこの寺院を建造した建築家は、その床に寺院の中で発生する音波が集中するように工夫したらしい。一種の|ささやきの回廊《ホイスパリング・ギャラリー》なのだ。統領が会議室の床に耳を押しあてれば、下の会堂に参詣《さんけい》する群衆の中でささやかれた、陰謀の匂いのするただ一言も、漏らさずに聞くことができる。  アマルフィもその巧妙さを認めないわけにはいかなかった。教会のある惑星の陰謀家達は、一般に教会堂を秘密のうちに計画を立てるのに絶好の安全な場所と考える傾向がある。アマルフィの属する宇宙では、教会を認めている惑星はほとんど例外なく、革命に見舞われていた。  アマルフィはイルカ[#「イルカ」に傍点]のように荒い息を吐きながら、ギリシャ式の螺旋階段の最後の一のぼりをよじのぼった。  のぼりつめたところに、固く閉ざされた二重ドアがあった。ドアはビザンチン風をまねた唐草模様でいちめんに飾り立てられていた。アマルフィはその飾りを観賞する暇も惜しんで、ドアの中央のちょっと上にはめこんである一対の合成サファイアの下を叩いた。強く叩いた。ドアは大きく開いた。  失望がアマルフィを棒立ちにさせた。そこは離心率の小さな楕円形の部屋だった。修道院の一室のように飾りがなく、家具といえば重そうな木製のテーブルが一つと、それに九つの椅子が、今は壁際に押しつけてあるだけだった。  ここには管制装置は見あたらず、それを隠しておけるような場所もなかった。  窓のない部屋だった。窓のないことが知りたいと思ったことを教えてくれた。会議室を寺院の円屋根《ドーム》の頂上に持ってこなければならなかったもう一つの理由は、この附近のどこかにIMTの操縦室が設けられているということだった。そしてそれは、IMTのように古い都市では、視野の広いことが何よりも重要であることを物語っている──それには市で一番高い構築物の頂上に操縦室を設け、できるだけ全周の三六〇度にわたって、視野を妨げられないようにしなければならないのだ。  ここではまだ高さが足りない。  天井を見上げた。大きな石の板の一枚に、大型の硬貨よりも大きくない半円形のくぼみ[#「くぼみ」に傍点]があった。その縁がかなり磨《す》り減っている。  アマルフィはニヤリと一人笑いをして、テーブルの下をのぞきこんだ。案にたがわず、そこには、一端に中世紀の鉾《ほこ》槍のような鈎のついた棒が折りたたまれて、金具に吊ってあった。アマルフィはそれをとりはずして、長くのばし、鈎を天井の板のくぼみにあてがった。  その石の板は、階下の地下室に降りる階段口をふさぐ床板と同じように、一方の端の蝶番を支点にして、簡単に降りてきた。統領達の祖先は、場所によってメカニズムを変えるというような手間はかけなかったのだ。板の降りてきた方の端は、テーブルの表面に触れそうになっていた。  アマルフィはテーブルの上にとびあがって、斜めになった石の面をよじのぼった。半分までのぼると、体重が加わったために移動した重心がどこかにある釣合い機構《メカニズム》を働かせて、石の天井板は人間を一人乗せたまま持ち上がって、元通りに閉まった。  まさにそこが管制室だった。制御盤でいっぱいになった小さな部屋だった。どの制御盤にも、埃が厚く積もっていた。東西南北の各方角に一つずつ、厚いガラスのはまった円窓が開いて、そこから町が見おろせた。頭の上にも窓があった。制御盤の一つに、緑色のランプが一つだけ光っていた。そっちの方へ歩いて行くうちに、そのランプが消えた。  カーストが電源を切ったのだ。  アマルフィはその農夫が無事にもう一度脱出できることを願った。かれが好きになっていた。かれの風雨にさらされた、感情に動かされない、どんな衝撃《ショック》にも耐える勇気と、知識に飢えた猛烈な食欲とには、昔知っていた誰か[#「誰か」に傍点]を思い出させるものがあった。そのだれかが、二十五歳の頃の自分自身であることを、アマルフィは気がつかなかった。そしてそれを告げることのできる人は、誰も生き残っていなかった。  スピンディジーも本質的には単純な機械なのだ。アマルフィはそれほどの手間をかけずに、管制器がこっちの思い通りに働くように調整《セット》して、そこからほかに動かされないように鎖錠《ロック》し、また、いろいろな部分に少しずつ手を加えて、操縦の自由度が著しく制限されるようにした。むしろ触《さわ》るたびに厚い埃にあとが残るので、自分がどこをいじって何をしたかということをさとられないように隠すことの方が、厄介な問題だった。  それも、ついには、それしかないただ一つの方法で解決された。自分の着ているシャツを脱いで、それで制御盤全部にはたき[#「はたき」に傍点]をかけてまわったのだった。おかげで、やたらにくしゃみ[#「くしゃみ」に傍点]が出て、しまいには涙まで出たが、とにかくも目的は達した。  あとは、ここを脱出するだけだった。  すでに下の会議室では物音がしていた。しかしいきなり攻撃をかけられる気づかいはなかった。まだ、黒いたまご[#「たまご」に傍点]を一つ手元に持っているし、ヘルドンもそれを知っている。それに鈎のついた棒もこっちの手にあるのだから、この管制室に入ろうとすれば、ヘルドン達は人梯子《ひとばしご》を作って、それをのぼってくるよりほかに方法はない。連中はそんな軽業《かるわざ》のまねのできるようないいからだはしていないし、またそれができたとしても、顔を一蹴りされれば、ひとたまりもなくやっつけられてしまうぐらいのことは承知しているはずだ。  しかしアマルフィにしても、自分の残りの生涯をIMTの管制室に閉じこもったまま過ごすつもりはなかった。この市を脱出するまでに、許される余裕は約六分しかない。  四秒ほどのあいだ、超速度で頭を回転させたあげくに、アマルフィは石の板の上に立って、重心をかたよらせ、そのまま会議室のテーブルの上まですべりおりた。  あっけにとられた一瞬が過ぎると、たちまち、五、六人の両手がのびて、アマルフィはつかまってしまった。ヘルドンが怒りと恐怖のために、それと見分けのつかないほど形相《ぎょうそう》の変った顔を突きつけた。 「君は何をしたんだ? こたえろ。こたえなければ、八つ裂きにしてやる!」 「バカなことをいうな。部下にわたしを離すようにいってくれ。君の安全保証はまだ有効なはずだ──君の方でそれを無効にするつもりなら、わたしにはさっき見せたのと同じ武器がある。離せ、さもなければ──」  ことばの終らないうちに、ヘルドンの護衛《ガード》たちは手を離した。ヘルドンはぎごちなくテーブルの上によじのぼると、坂になっている天井板を這うようにしてのぼり始めた。ほかにも何人かの長衣《ローブ》を着た頭のはげた男達が、先を争うようにあとに続いた──統領達までが姿を見せていることから察すると、ヘルドンは恐怖に駆られたあまり、自分のやったことを同僚に打ち明けてしまったらしい。  アマルフィはあとずさりに会議室を出て、階段を二段降りた。そこでからだをかがめて、残してあった黒いたまご[#「たまご」に傍点]を注意深く戸口の敷居の上に置き、怒りに燃えている兵士達にバカにしたような身振りをして見せると、あとは一目散に螺旋階段を駈け降りた。  ヘルドンが管制器のスイッチを入れて、自分がアマルフィを追いかけているあいだに、反重力発生器の電源を切られていたことを発見するまでには、しばらく、たぶん一分はかかるだろう。それから、部下の誰かを地下室まで走らせて、電源スイッチを入れさせるまでに、どんなに急いでも、もう一分はかかる。さらに、真空管が温まって働きだすまでに、四分間。  合計六分|経《た》つと──IMTは空に舞い上がるだろう。  アマルフィは寺院の入口から横町へ、それから表通りへ、びっくりして立ちすくむ一人の役人を突きとばしながらとび出した。うしろで、叫び声があがった。からだをかがめて走り続けた。  表通りは二つの太陽の残照の中で、薄暗かった。一番近い角をめがけて、影の中を走った。行く手の建物の軒蛇腹《コーニス》が急に熔岩のように白く輝き、赤くなって、やがて暗くなった。それと一緒に響いた中間子《メゾトロン》ライフルの発射音は、アマルフィの耳には入らなかった。ほかのことに夢中になっていたのだ。  それから、角を曲った。記憶にある市の外に出る最短の経路は、今まで走っていた道を曲らずにそのまま行くのだったが、それは今さら問題外だった。焼き殺されるのは嫌だった。別の道をとって、IMTをギリギリの瀬戸際までに脱出できるかどうかは、やってみるまではわからない。  とにかく走り続けた。もう一度射たれた。射った男は誰を相手に射ったのか、自分では知らなかった。どこの誰ともわからない曲《くせ》者が走っているから射ったのだった。こうした場合の最初の一発は、ふいを喰らった人間の一種の反射運動なのだ。したがってねらいの悪いのが当然なのだが……。  地面が震えた。  眠っている大きなけだもの[#「けだもの」に傍点]が蝿を追おうとして、皮膚をケイレンさせるような、微妙《デリケート》な震え方だった。  アマルフィはない力を無理にもふりしぼって、なおいっそう速く走った。  また地面が震動した。今度の方が強かった。そのあとに長く引っぱったうなるような響きが、市の岩盤をうねるように波打ちながら伝わって行った。その異様な響きに驚いた役人や農奴が、そこらじゅうの建物からあふれ出してきた。  三度目の震動の起こった時には、市の中心の方で何かが押し潰されるような音がした。アマルフィは群衆の目あてのない恐怖に駆られた渦の中に巻きこまれ、両手と、歯と、硬い頭を使いながら押しわけて行った……  うなりは次第に高くなった。だしぬけに地面がとびあがった。  アマルフィは前に投げ出された。もみ合う群衆も一緒に投げ出され、束ねた小麦のように、頭を同じ方向に向けて倒れた。いたるところで、気違いじみた悲鳴があがった。建物の中が大変な騒ぎだった。アマルフィの頭の上で、窓が破裂したように砕け、震動する空気を切って一人の女性が降ってきた。  アマルフィは起きあがって、血の混じるつばを吐き、また走りだした。前方の舗装道路には、狂人の作ったモザイクのように、不規則な割れ目が入っていた。その少し先に、大きな石の塊が積み重なって堤防のように長くのびていた。アマルフィは、唐突にも、どこかよその惑星で何世紀も前に見た防波堤を連想した。  石の堆積を越えてしまってから、それがIMTの本来の都市の境界線以外の何物でもないことに気がついた。その石のつまった大きな溝の向こう側にも、建物は立っているが、溝その物は、かつての渡り鳥都市がこの惑星に着陸した時に、その周辺部が土にめりこんでできた物なのだ。  アマルフィは溝の対岸をめざして、石から石へととび渡って行った。ここがどこよりも危険な場所だった。もし、IMTが今上昇し始めたならば、このゴロゴロしている石の中で、挽き肉のようにすり潰されてしまうだろう。しかし、それまでに荒地のはずれまでたどりつくことができさえすれば……。  うしろでは、うなりが次第に調子を高めてきて、今では無限に長い金属の板を引き裂くような音になっていた。前方の荒地の向こうには、双子《ふたご》の太陽のなごりの光の中に、自分の市がキラキラと輝いている。  その周囲では戦いが起こっていた。市の縁から小さな明るい閃光がひらめいている。アマルフィの音を聞いたロケットが四基、矢のように空を横切り、黒い物を落して行った。渡り鳥都市はその黒い物の数だけ、煙りを吹きあげた。  やがて、正視できないほどまぶしい爆発が起こった。アマルフィが視力を回復した時には、ロケットは三基しか見えなかった。あと数秒で全滅してしまうだろう。〈シティ・ファーザーズ〉がねらった的をはずすことはなかった。  アマルフィの肺は熱くなった。サンダルの踏み心地が芝草に変った。はりえにしだ[#「はりえにしだ」に傍点]の蔓《つる》に足をとられてアマルフィはまた倒れた。  起き上がろうとしたが、起き上がれなかった。かつて昔の反逆都市のあったあとの、枯れた芝生が脅かすようにゴウゴウと鳴った。アマルフィはからだを転がした。IMTの背の低い塔という塔が一斉に傾いた。市のまわりの地面が持ち上がって波のようにうねった。思いがけもなく、今渡ってきた溝を埋めた石の堆積の上に、強く赤い光が細い線になって見えてきた。市の底をくぐって[#「市の底をくぐって」に傍点]、太陽の光が輝いている[#「太陽の光が輝いている」に傍点]のだ……。  光の線の幅が広くなった。古ぼけた市は激しく弾《はず》んで、空に浮いた。永く根おろしていた市の底が地面から引き裂かれる音は耳を痛くした。その巨大な物体の縁から、絶望的に荒野に身を投げる人の姿があった。そのほとんどは農奴だった。役人連中は、もちろん、IMTの飛行を操縦しようと、夢中になっているのだ……。  市はあたりを圧倒しながら、空へ舞い上がった。速度が加わっていった。  アマルフィの心臓は早鐘のように激しく鼓動した。万一、ヘルドンとその仲間達が今のうちに、アマルフィが管制器にどんないたずら[#「いたずら」に傍点]をしたか、それに気がつくようなことがあったとしたら、カーストの口ずさんだ古い叙事詩《バラード》の内容は再演され、役人どもの圧制統治は永遠に安泰な物となるだろう。  しかし、アマルフィのやったことに間違いはなかった。  IMTの都市は上昇をやめなかった。早くも、一マイル近くの上空にあって、なおも加速を続けている。そのことに気がついて、アマルフィは腹の底にこたえるような喜びに打たれた。一マイルものぼれば、空気はかなり薄くなる。役人どもはその時にどうすればいいか、そんなことはとっくの昔に忘れてしまっている……。  一マイル半。  二マイル。  市の姿はだんだん小さくなった。五マイルの上空では、片側だけの輝く、ゆれうごくインクのしみ[#「しみ」に傍点]にすぎなかった。七マイルまでのぼった時には淡く光る点だった。  剛《こわ》い毛の生えた頭と一対の巨大な肩とが、そばのくぼみ[#「くぼみ」に傍点]から、ソロソロと持ち上がってきた。カーストだった。しばらくは目を空へ向け続けていたが、十マイルの上空に舞い上がったIMTはもう見えなかった。  その目がアマルフィを見た。 「戻って来られるのか?」  かすれた声だった。 「戻って来られない」アマルフィはこたえた。  息遣いが次第におさまってきていた。 「油断をしてはいけない、カースト。まだ終らないのだ。役人どもが地球の警察を呼び寄せていることを忘れるな──」  そのことばが終らないうちにIMTが──ある意味では──ふたたび姿を見せた。はるかに高い空に、第三の太陽が輝いた。その光は三秒か四秒のあいだ続いた。やがて薄くなって消えた。 「地球の警察は逃亡をくわだてる渡り鳥都市に注意するようにいわれてきたのだ」  アマルフィの口調は穏やかだった。 「それが見つかった。そこでかたづけた。もちろん、めざす相手とは違っていたのだが、そんなことはわかるわけがない。警察の連中は引き返すだろう──そしてわれわれも、君も、君の仲間達も、故郷に還るのだ。地球の故郷へ、永遠に」  二人のまわりに人声が聞こえた。思いがけない変事を目のあたりにしてひそめた声だった。しかしそのひそめた声にはほかにも何かがこもっていた──IMTの支配していた惑星ではほとんど口にされたためしのない何かがあった。  それは自由[#「自由」に傍点]と呼ばれるものだった。 「地球の?」カーストがオウム返しに、アマルフィのことばをくり返した。  二人は痛さをこらえながら立ちあがった。 「それはどういうことなのか? ここは地球ではないから──」  荒野の向こうに、渡り鳥都市は輝いていた──市は芝草を刈るために、キャンプを張っていた。そのうしろから、星の雲がのぼってこようとしていた。 「今はここが地球だ」アマルフィはいった。「われわれは全て地球人なのだ、カースト。こことは別の銀河系宇宙の中に埋もれている、たった一つのちっぽけな惑星、何もそれだけが地球というわけではない。地球ということばには、そんな物よりもはるかにもっと大事な意味がある。  地球は、場所を指す名ではない。一つの思想なのだ」 [#改ページ] [#改ページ]     「宇宙都市」シリーズと思索的作家ブリッシュ [#地付き]伊 藤 典 夫    SFという短い名前で呼ばれるジャンルは、現実から飛躍した設定という一つの共通点を除けば、クラークからブラッドベリまで、驚くほど多種多様な傾向に分れている。  その中で、一般にハード・サイエンス・フィクション≠ニ称される作品群がある。ハード≠ヘ、いうまでもなくかたい≠意味する英語。批評家によっては、 Science Fiction という言葉を使う。要するにかたいSF∞科学に重点をおいたSF≠ニいうわけである。  しかし、言葉から直接受けとられるような科学にこりかたまった難解なSF≠ナは決してない。たとえば、最近本シリーズで出版された、この系列の長篇を二、三挙げてみよう。アーサー・C・クラークの『渇きの海』、ハル・クレメントの『重力の使命』などがそれである。お読みになった方ならご存じと思うが、頭が痛くなるような小説ではなかったはずだ。むしろそれらは、その非常に論理的な展開によって、逆の効果をもたらす──頭をすっきりさせる──といっていいかもしれない。  このタイプのSFは、提出された一つのアイデアに、作者が自分の持っている広汎な科学知識を総動員して取り組み、異常な状況を設定するところから生れる。だから、そこにつぎつぎと起る事件は必然的なものであって生半可なSF作家たちの小説にありがちなプロットの技巧をほとんど必要としない。その点でハード・サイエンス・フィクション≠ヘ一九四〇年以前の荒唐無稽なスペース・オペラとも、明らかな一線を劃している。  むろん、科学に比重をおきすぎた、頭でっかちな小説になる危険もないではない。しかし、作者が人間を見失わないかぎり、これらの作品が、一般の小説ではぜったい接することのできない、SFの一つの醍醐味であることは否定できないだろう。  ジェイムズ・ブリッシュの「宇宙都市」 Cities in Flight 四部作は、これらのうちでもアクションと創意に富んだ典型的なハード・サイエンス・フィクションとして、米英の読者から親しまれているシリーズである。  全体的なテーマは、抗死剤と反重力の発見に端を発する地球人の銀河系進出の物語で、本書は、その第三部にあたる。しかし、それぞれ数百年の時代的開きがあるので、独立した作品として読んで、いっこう差支えない。  やがて本シリーズで刊行される第一部 They Shall Have Stars には、作者自身の手になる年表が巻末につくはずだが、ここでは「宇宙都市」シリーズに親しんでもらう意味で、全体的な構成をいちおう解説しておこう。  第一部 They Shall Have Stars (アスタウンディング誌に発表された Bridge, 1952 と At Death's End,1954 の二つの中籍をまとめて、書き足したもの)は、このシリーズのプロローグに相当し、後の三つの長篇の大前提となる、二十一世紀初頭の抗死剤と反重力の発見までの経過が、平行に描かれている。特に反重力のエピソートは、木星大気中に氷Wを材料に、高さ三〇マイル、幅八マイル、長さ数百マイルの「橋」を建造し、第五衛星からロボット車でコントロールして重力の性質を調べるという意表をついたアイデアで、この長篇の発表されたときには、木星のビビッドな描写とあいまって、大変な評判になった。長さはプロローグらしく、いちばん短い。  第二部は、第一部より十世紀後の三十一世紀を舞台にしている。この間、人類は銀河系に進出するが、自由陣常の没落とともに反重力(スピンディジー)の知識も忘れられ、二世紀にわたる暗黒時代が訪れる。しかし二十四世紀の末のスピンディジー再発見により、かつての自由陣営に属していた都市は、|渡り鳥《オーキー》都市となって宇宙空間に脱出していく。そして地上に残った最後の大都市ニューヨークも、三一一一年〈シティ・ファーザーズ〉(くわしい説明はないが、都市を管理する電子頭脳らしい)の許可がおりて、渡り鳥都市の一つとなる。  第二部 A Life for the Stars は、星に憧れる十八歳の少年が、数々の試練を受けて不死の栄誉を与えられ、ニューヨークの都市支配人に任ぜられるまでの物語。少年の名前は、クリスピン・ディフォード。第三部である本書では、失策がもとで〈シティ・ファーザーズ〉に射殺されたことになっている。作品としては、これがいちばん新しく、一九六二年、いまはアナログと名を変えた元のアスタウンディング誌に二回にわたって連載された。  第三部『地球人よ、故郷に還れ』は、それから四世紀後、ディフォードの失策により地球警察から追われる身となったニューヨークが、|宇宙の裂け目《リフト》まで逃げのび、放浪する惑星ヒーとはじめて接触するところからはじまる。そして、三・五世紀にわたるさまざまな冒険を経た後、銀河系をあとに小マジェラン雲へと渡り、一つの惑星を見つけて新しい故郷を作る。第二部で脇役として登場するニューヨーク市長、ジョン・アマルフィは、ここではじめて主役となり、それから数十年後に設定されたクライマックス、第四部へと話は進んでいく。  本書『地球人よ、故郷に還れ』 は、はじめ Okie,1950 'Bindlestiff,1950 (以上アスタウンディング誌)、 Sargasso of Lost Cities,1953(トウ・コンプリート・サイエンス・アドヴェンチャー誌)、 Earthman,Come Home,1953 (アスタウンディング誌)、の四つの中篇として発表され、一九五五年に単行本になった。だから、長篇ではあるが、ニューヨーク市の四つの冒険というテーマでまとめた連続中篇の趣きが強い。  本書のテキストとなったエーヴォン・ブックスのペーパーバック版は、作者自身の手で第一話 Okie が省略されている。(ユートピアとゴート公国という二つの惑星の戦争にニューヨークが介入し、それを終結させる話だが、副主人公ディー・へイズルトンが新しく加わるという以外に、大した展開はない)  そして、第四部 The Triumph of Time (書下し)では、放浪星ヒーが虚無の中に水素の発生源を発見したことから、反宇宙の存在が明らかになり、やがて人類は彼らの知らぬうちに破滅が近づいていたことを知る……。  これでもわかるように、「宇宙都市」シリーズは、E・E・スミスのレンズマン・シリーズにも匹敵する壮大な宇宙ドラマということができるだろう。ブリッシュは、この四部作を一冊にまとめて、「宇宙都市」 Cities in Flight という題名にしたいらしいが、残念ながらまだそれは実現していない。  ジェイムズ・ブリッシュは、一九二一年生れのアメリカ人。生物学者を志して、ラトガース大学とコロンビア大学に学んだが、「成績簿のAが、科学よりも文学に多いことに気付いて」いつのまにか、小説を書くようになったという変り種。創作のかたわら、教師をしたり、医学研究所の研究員になったりしたが、やがて第二次大戦がはじまり、一九四二年から四四年まで陸軍に籍を置いた。戦後は、ニューヨークに本社を置く大製薬会社のサイエンス・エディターをしながら、小説を書き続けている。  SF作家としてのデビューは一九四〇年で、それから一、二年、スーパー・サイエンス誌などにかなり短篇を書いたが、認められるところまではいかなかった。やがて第二次大戦で、創作活動は一時中断されたが、五〇年「宇宙都市」シリーズをひっさげてカムバックを果し、五三年の中篇 A Case of Conscience で一流作家の仲間入りをした。  作風は、クレメントなどといっしょにハードSFと呼ばれているが、クレメントがSFのゲーム性に重きをおいた非常にテクニカルな作品を書くのに比べ、ブリッシュには、アシモフさえ彼を評して「もっとも高度の教養を身につけた作家」といったほどの、あらゆる分野にわたる深い知識にうらづけられた思索的作品が多い。一九五九年には、前述の中篇を単行本に書き直した A Case Of Conscience で、SF作家としての最高の名誉であるヒューゴー賞を授けられている。また評論家としても活躍しており、昨年には、彼が一九五二年から六二年まで、ウィリアム・アセリング・ジュニアの筆名でファン雑誌に発表したSF評論が、 The Issueat Hand という題名で単行本にまとめられ、アドヴェントという小さな出版社から発行された。  これを読むと、ブリッシュのSFに対する厳しい態度がうかがわれておもしろい。  彼は、優れたSFを、シオドア・スタージョンの定義に賛成して、こう考えている。「SFとは、科学的意味づけを不可欠のものとし、人間的問題と人間的解法を持った、人間を中心にして成立する小説である」 『地球人よ、故郷に還れ』は、この定義に見事にかなっているといえないだろうか。  以下に、ブリッシュのこれまでの著作をあげておく。アステリスク(*)は、英国で最初に出版されたもの。括弧内は、改題された本国のペーパーバック版の題名である。  1. Jack of Eagles (ESPer), 1952  2. The Warriors of Day, 1953  3. Earthman, Come Home, 1955 本書(「宇宙都市」シリーズ)  4. They Shall Have Stars* (Year 2018!), 1956 (「宇宙都市」シリーズ)  5. The Seedling Stars, 1957  6. The Frozen Year, 1957  7. A Case of Conscience, 1958  8. The Triumph of Time, 1958 (「宇宙都市」シリーズ)  9. VOR, 1958 10. Galactic Cluster, 1959 (短篇集) ll. The Duplicated Man, 1959 ( Robert Lowndes と共著) 12. So Close to Home, 1961 (短篇集) 13. Titans' Daughter, 1961 14. The Star Dwellers, 1961 (少年向) 15. A Life for the Stars, 1962 (「宇宙都市」シリーズ) 16. The Night Shapes, 1962 17. Doctor Mirabilis,* 1964 (伝記小説) 18. The Issue at Hand, 1964 (評論集、 William Atheling,Jr. 名義) 19. Best S-F Stories of James Blish,* 1965 (短篇集) 20. Mission to the Heart Stars, 発表年代不明 21. Welcom to Mars, 発表年代不明 22. A Torrent of Faces, 発表年代不明( Norman L. Knight と共著) [#改ページ] [#(img/03/271.jpg)入る]