銀河おさわがせ中隊 ハヤカワ文庫 SF961 ロバート・アスプリン 斎藤 伯好訳 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)従卒《バットマン》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)|落ちこぼれ《フール》中隊 ------------------------------------------------------- [#ページの左右中央] 銀河おさわがせ中隊 [#改ページ] [#口絵 〈"img\[ロバート・アスプリン] 銀河おさわがせ中隊 口絵.jpg"〉] [#改ページ] [#ここから2字下げ] 執事日記ファイル 〇〇一[#「執事日記ファイル 〇〇一」はゴシック体]  昔から言われていることだが、すべての偉人は伝記を書くに値する。そこでわたくしは、わがご主人様の宇宙軍でのご活躍をひそかに書き留めることにした。ご主人様がはたして偉人と呼ぶにふさわしい資質を備えた方か疑問をはさむ向きもあるかもしれない。そういう人々には、わがご主人様こそ偉人と呼ぶにふさわしいお方だと自信を持ってお答えしよう。わたくしがこのような日記をしたためるほど親しくお付き合いいただいたのは、身に余る光栄である。さらに言うなら、ジンギス・カンとジェロニモを偉人と考えている人々がいることも事実なのだ。  まずは自己紹介から。わたくしは従僕、軍人の言葉を借りるなら従卒《バットマン》である。(知性にかける方々のために申し上げるが、従卒《バットマン》と言ってもあのみなさまおなじみのマンガの主人公とは無関係だ。ケープという代物はまったく意味のないこけおどし[#「こけおどし」に傍点]で、あのように野暮なこれ見よがしの服装はおやめになるよう、ご主人様方には口を酸っぱくしてご忠告申し上げてきた)。わたくしの名前はビーカー。さん≠熈様≠烽「っさい不要。  ご主人様には、ご入隊以前からお仕えしているが、真に書き留めるに値する業績は軍法会議から始まると思われる。正確にいうなら、最初[#「最初」に傍点]の軍法会議から。 [#ここで字下げ終わり]  待合室の装飾はまるで、みすぼらしいドサ回り一座の楽屋だった。むきあった壁の前にさえない[#「さえない」に傍点]色のくたびれたソファが二つ、それを取り囲むように折りたたみ椅子や木の椅子。こちらはまだ新しいが、いかにも安物だ。一つだけあるテーブルの上には考古学者が飛びつきそうな古びた雑誌が取り散らかしてある。  部屋の中には男が二人いた。部屋のたたずまいには馴染めないが、お互いの存在は苦にならないらしい。ひとりは中背のずんぐりした男で、これっぽっちもスキは無いが保守的な民間人の、こういうところで言う平服に身を包んでいる。血色のよいつややかな顔は平然としており、待つことには慣れてるようだ。ソファの一つにどっかと腰を降[#ママ 下ろし]ろし、膝の上に置いたマイクロ・コンピューターをのんびり見つめているが、もう一人の人物には知らん顔を決め込んでいる。  もう一人の人物は、表情にも態度にもまるで落ち着きがない。さっきから部屋の中をうろうろと歩きまわっている。棒切れのようにやせているが、その細い体からは、抑えきれないエネルギーが発散していた。その不安そうな様子とイライラした歩き方は、まるで、産婦人科病棟の待合室で赤ちゃんが生まれるのを徹夜で待っているトラである。というより、黒ずくめの制服から言えば豹といったところか。宇宙軍の制服に黒が選ばれたのは黒く染めれば元の色が隠れるからだ。美的効果やカモフラージュ効果のためではない。そもそもこの制服は懐具合のさびしい宇宙軍が、あちこちの軍隊のあまりものを大量に買い込んだ結果の産物である。といっても、この人物が着ているのは標準支給制服ではない。襟には中尉の襟章がついている。宇宙軍の制服の規格がいい加減なのを目いっぱい利用して、士官の多くがそうするように、この男の制服も特別|誂《あつら》えだ。場合が場合とあって型はわざと地味なものを選んでいるが、材質と縫製技術はとてつもなく素晴らしい。 「まったく、いつまで待たせるつもりだ?」  中尉は五十回目に部屋をまわりながら、大声で叫んだ。  ソファの男は顔をあげようともせず、初めて反応した。 「わたくしには分かりかねます、ご主人様」  中尉はここぞとばかりに苛立ちをぶつけた。 「その卑屈な執事°C取りはやめろ、ビーカー! いったい、いつからお前は自分の意見を言わなくなったんだ? いつだって遠慮なんてしなかったのに」  ビーカーは目を上げて中尉を見た。 「それでは申し上げますが、宇宙軍にご入隊以来……というよりそうご決心なさって以来、あなた様は少しばかり無口におなりのようです。しかし、この場合に限って申し上げれば、ただいまの質問はたんなる修辞的な物かと存じますが」 「それは……ま、いい。とにかく、答えろ。さあ、ビーカー。ぼくと話をしろ」  執事はゆっくりともったいぶってコンピューターを脇に置いた。 「かしこまりました。では、もう一度ご質問を」 「だから、どうしてこんなに時間がかかるんだ?」中尉は再び歩き出しながらいった。今度は考えてしゃべっている分だけ発音の速度が落ちている。「だって、ぼくは有罪を認めたんだぞ」 「いまさらわかりきったことで恐縮ですが」ビーカーは応じた。「有罪が確定したら、残るのは処罰の問題です。法廷は、あなた様の過ちに対してどのような処罰を下すべきか決めかねているのでございましょう」 「どうしてそれがそんなに難しいのだ? 僕はまちがいを犯した。まさに、そのとおりだ。でも、まちがいなら、ほかの連中だってやってるはずだぞ」 「そのとおりです」執事は応じた。「ではございますが、今回のような途方もないまちがいはそう多くはありません。平和協定調印式に機銃掃射を加えたのがご主人様ではなくほかの人物であったなら、わたくしは今ごろ新聞にかじりついているでしょう」  中尉は事件を思い出して顔をしかめた。 「そんなこととは知らなかったんだ。通信装置がいかれてて、戦闘中止の命令は届かなかったんだからな。それに、通信装置を使うなとも命令されていたし」  ビーカーは辛抱強くうなずいた。話はもうすべて聞かされている。それでも、まだ蒸し返さないではいられない中尉の気持ちもわかった。 「ではございますが、あなた様が受けておられた命令は隠密《おんみつ》の哨戒《しょうかい》任務で……惑星外の船の動きを監視して報告する――それだけだったはずです。攻撃を仕掛ける権限はなかったのです」 「でも、攻撃するなとは命令されていなかったぞ! 戦闘は、ここぞという時に先制攻撃したほうが勝つ」  ビーカーの眉がピクンと上がった。 「戦闘ですと? しかし、相手の抵抗はなかったはずですぞ」 「だから攻撃したんだ。わが船の計器は、敵が防護ネットを解除したのを察知した。だから素早く動いてちょっとばかり叩いてやれば、やつらはビビっちまって暴動はすぐにも収まると思ったんだ」 「もうすでに収まっていたのです」ビーカーは情け容赦なくいった。「だから防護ネットを解除したのです」 「そんなこと知るもんか! 僕はただネットが取れたから……」 「血の気の多いパイロットに攻撃命令を下された。そのあいだ、わずかにトイレに駆け込むくらいの時間しかございませんでした」 「通信の手違いの見本みたいなもんだ」中尉は執事の視線を避けてブツブツ言った。「あんなことで、なぜ、お偉方はこんなにカッカしてるんだ? 建物だけを攻撃目標にして人は攻撃しなかったから、けが人は出ていないはずだぞ」  ビーカーは涼しい顔で天井を見つめた。 「損害額は一千万ドルを超えるとか聞いております……」 「そのとおりだ。だから、それは僕が……」 「……それに、式場の国旗もズタズタになさってしまわれたとか……」 「いや、まあ、それは……」 「……それに、大使の個人所有の航宙艇を吹き飛ばしたのは最悪でございました。それも当方の大使の……」 「ID|無線標識《ビーコン》を流していなかったからだ!」 「それは休戦命令が出ていたからでございます」 「でも……ええい、クソ! そんなこと知るもんか!」  中尉は言いあいをやめ、ビーカーの向かい側のソファにどさっと腰を降[#ママ]ろした。 「どんな処罰だと思う、ビーク?」 「不忠者のそしりを受けるかもしれませんが」執事はコンピューターを手に取った。「わたくしは、あなた様のご処分を決める立場の方々に同情いたしております」  今回の軍法会議における被告は下級士官なので、宇宙軍の規定により士官が三人いれば法廷は成立した。おりしも、その法廷には重苦しい空気が立ち込めていた。これは同席している上級士官のせいでもある。  宇宙軍の隊員は三つの名前を持つといわれている――生まれた時の名前、入隊時に選んだ名前、人からつけられた名前だ。公式記録には二番目の名前が記入されるが、ほとんどの場合、三番目の名前のほうが通りはいい。これは、在籍中の個性や行動を見てまわりの人間がつけるニックネームだ。とはいえ、下級士官たちが自分につけたニックネームを公式に認める上級士官はめったにいない。  しかし、バトルアックス[#ここから割り注](戦斧、がみがみ女≠意味する)[#ここまで割り注]大佐は、自分で選んだ名前とニックネームが一致するまれなケースだった。血色の悪い馬面、鋭い目つき――相手に対する敬意も心遣いも畏怖の念も、まったく感じさせない視線だ。洒落《しゃれ》っ気のある連中を暗黙のうちに非難しているかのような、やぼったい作りの制服。相手をする者は、まずそのいかめしい雰囲気に縮み上がってしまう。ただ相手をしているだけでも恐ろしいのに、眼でもつけられた日にはおしまいだ。この女性大佐と仕事をしているとまるで年取った母親に仕事をさせられているような気がしてくる。今回のような場合、この大佐の眉の上げ下げ一つ、経歴書記入のさじ加減次第で、誰かが有罪になったり、失業者になったりするのだ。  これだけでも他の二人は居心地が悪いのだが……それだけではない。大佐は宇宙軍司令部から、とくにこの軍事法廷を取り仕切るために、なんの前触れもなくいきなりやって来たのだ。普通の視察のように努めてさりげなく振る舞ってはいるが、兵站業務の現状から見て、大佐が軍事法廷開催の通知を受けると同時に飛び出してきたことは明白である。その意味するところは明らかだ。つまり、司令部はこの裁判に並々ならぬ関心を寄せており、その成り行きを見守っているというわけである。ところが困ったことに、同席した二人の士官には司令部が何を考えているか、その意向がまるでつかめていない。問題の兵士を見せしめにしなければならぬという事だけは想像がつく。とにかくここは慎重に行くしかない――暗黙のうちに二人はそう合意した。そして、二人で善玉と悪役を演じ分けて、大佐の意向を探ることにした。一時間が過ぎた。大佐はまだ何の反応の見せない。ほかの二人の論争≠じっと聞いているだけだ。 「裁判記録をもう一度よみますか?」 「何のために? そんなものを読んだって、何も変わりはないだろうが?」  ジョシュア少佐がどなった。オリーブ色の肌と、生まれつきの血の気の多さで、いとも簡単に悪役になりきっている。しかし、このゲームにもいい加減うんざりしてきたし、そろそろ決着をつけたくなってきた。 「こんな議論をいつまで続ける気だ! あの男は有罪だ。本人も、それを認めている! ここで甘い顔をしたら、やつの罪を許すことになる」 「しかし、ジョッシュ……あのいや……少佐、|情 状 酌 量《じょうじょうしゃくりょう》の余地もあるはずですが」  丸々と太ったハンプティ大尉は善人役を演じるのになんの困難も感じなかった。弱い者の味方をするのには慣れているのだ。だが、今回ばかりはさすがの寛大さも迫力不足の感がある。それでも勇敢に挑戦を受けて立った。 「わが軍の下級士官には率先して指導力を発揮してほしい――常々そう言っております。何かをしでかすたびに懲戒《ちょうかい》していたら、全員が命令書に書いてあることしかしなくなってしまいます」  少佐はフンと鼻を鳴らした。 「ああいうことを奨励するのかね! 血に飢えたお調子者――たしかマスコミはそう言っていたな」 「規則もマスコミの顔色しだいというわけですか?」 「そうは言っておらん」ジョシュア少佐は応じた。「しかし、宇宙軍のイメージも無視するわけにはいかん。それでなくても宇宙軍は屑の吹き溜まりだと思われている。これでは、犯罪者や敗北者の楽園と思われてしまう」 「ボーイスカウトがお望みなら、宇宙軍のほかに正規軍がいます」大尉はそっけなく言った。「宇宙軍は確かに天使の寄り集まりではありません――この部屋にいる人間も含めての話です。われわれの使命はこの男の疑わしい行動を審判することで、宇宙軍の評判を救うことじゃありません」 「わかった。では、その行動とやらを見てみよう。どう考えても、やつのやったことは救いようがない」 「中尉は、おっちょこちょいパイロットの一人に命令して、勝手に機銃掃射をしてしまった。パイロットに対する命令を出し間違え、こういったミスを犯した指揮官は何人でもいます。この中尉の指導力だけを問題にするのは賢明でしょうか?」 「指導力≠ニ犯行を煽《あお》る能力≠ニは別物だ。あの中尉には、二、三年ぐらい営巣に入って頭を冷やしてもらえばいい。そうすれば実弾を発射するときには、もう少し慎重になるだろう」  大佐が割り込んだ。「こちらはそれでは困るのよ」  大尉は少佐との論争をやめ、やっと話に入ってきた大佐のほうを見た。 「少佐の指摘は妥当よ。提案する刑も見あっているわ。でも実は……少佐の知らない重要事項があるの」  大佐は、一語一語の正確さを確かめるかのように言葉を切った。少佐と大尉はじりじりしながら待った。 「こんなことは言いたくないんだけど――というより言う必要もないんだけど――入隊時の隊員はまっ白な紙のようなものよ。入隊前の履歴に惑わされたり、そういうものを気にしたりすることさえ、あたくしたちには許されていないわ。その幻想を守るために、ここでお願いしたいの――あたくしがこれから発言することは絶対に口外しないって」  二人がうなずくのを確かめて大佐は話を続けた。まだ口調が重い。 「あの中尉がお金で肩書きを買った事実は、もちろん知ってるわね。そうでもしなければ、あの男は宇宙軍士官にはなれなかったはずよ」  何か目新しい情報が聞けるのかと、少佐と大尉は無言で待った。宇宙軍が士官任命辞令を売っている――というよりは士官をやってみたいという人間に大金を吹っかけて金儲けをしていることは周知の事実だ。 「あの男が執事を連れていることは気づいておりました」大尉がつとめて愛想よく応じた。「たしかに見栄っぱりですが、まあ、だれにだって若干の見栄はあるものでして」  大佐は大尉の言葉を無視した。 「肝心なのは……あなたたちが中尉みずから選んだ名前の意味を考えた事があるかどうかよ」 「スカラムーシュですか?」ジョシュア少佐が顔をしかめた。「小説の登場人物だというのは知っていますが」 「つまり、あの中尉は剣士気取りなのですよ」少佐に負けじとばかり大尉が割って入った。 「小説以前の問題よ。あの名前の起源はイタリアの喜劇なの――道化とか愚か者を意味する言葉」  少佐と大尉は顔をしかめ、ひそかに目を見交わした。 「どういうことです?」やがて少佐が言った。「それと、これがどういう関係が……」 「愚か者――FOOL――のFをPHにすると……|PHULE《フール》になるわ」 「はあ……」  大佐は溜息をつき、「待って」と手を上げた。 「あなた、自分の腰の銃を見てちょうだい」  少佐はきょとんとしてピストルを引き抜き、掌の上でひっくり返しながら眺めた。と、そのとき、大佐が何をいいたいのかがわかったらしい。 「すると……」 「そういうことよ、大尉」大佐は陰気な表情で頷いた。「あなたの部下のスカラムーシュ中尉は、あのフール・プルーフ武器製造会社のただ一人の跡取り息子なの」  少佐はぎょっとして手の上のピストルを見つめた。確かにフール・プルーフのロゴが入っている。そうだとなると、少佐が懲罰を加えようとしている問題の中尉は銀河系屈指の若き億万長者なのだ。 「しかし、どうしてそんな人間が宇宙軍に入隊を……?」  少佐はあわててその先の言葉を飲み込んだ。口が裂けても言ってはならない言葉なのだ。急にばつが悪くなって、掌のピストルをまたひっくり返しながら、あとの二人の冷たい視線を避けた。中尉の経歴を暴露すること自体、完全な規則違反である。その上、隊員に関して決して口にしてはならない質問があった――なぜ入隊したか?≠ニいう質問だ。  ようやく気まずい雰囲気が薄れると、大佐はまた話を始めた。 「判決を下す前に考慮すべきことがいくつもあるの。まず、フール・プルーフ社は銀河系最大の武器メーカーであり、販売会社だという事。宇宙軍が武器と弾薬をフール・プルーフ社から買い付けていることは言うまでもないわ。また軍を辞めた物を雇い入れてくれる唯一にして最大の会社でもあるの。そこで問題は、中尉の違反行為が、軍とフール社との関係を危険にさらすほど重大かという事になるわね。あたくしたちが退役した後の就職先でもあるのよ」 「しかし、大佐、何かで読んだのですが、確か中尉と父親の仲はあまりうまくいっていないとか」  大佐は大尉をジロリとにらみつけた。 「そうかもしれないけど、家族は家族。ひとり息子が営倉に何年か入れられたときに父親がどんな反応を示すか、一か八《ばち》か賭けてみる? あたくしは、とてもそんな気にはなれないわ。第一、あの中尉を営倉に入れて、いつか当の中尉が会社を継いだときに、退役したから雇ってくださいなどと言える?」 「中尉が辞職してくれれば話は簡単なんですがね」ジョシュア少佐が陰気な口調で、つぶやいた。新しい展開に考え込んでしまっている。 「そのとおりよ」大佐が冷静に言った。「でも中尉は辞職しなかったわ。それに、軍の規則は知っているはずよ――隊員を処罰することはできるが、やめさせることだけはできないってことをね。中尉が自分の意志で辞職すればいいんだけど、強制はできないわ」 「刑をウーンと重くすれば、いやになって辞めるんじゃないですか」ハンプティ大尉が勢いこんで言った。 「そうかもしれないけど、あてにはできないわ。中尉が辞めずに刑を受けたりしたら、それこそ大変なことになっちゃうわ」 「しかし、無罪放免ってわけにはいかんでしょう」少佐が言った。「これだけマスコミに騒がれたんですからな。見せしめのためにも中尉を懲戒しておかないと、われわれが笑いものになってしまいます」 「それは、そうね」大佐は緊張した笑顔を見せた。  ジョシュア少佐は顔をしかめた。 「なにか、ご思案がおありなんですか、大佐?」 「マスコミの追跡をかわすために隊員の名前を変えるのは、なにも今回が初めてではないってことよ」 「つまり、やつを見逃すというのですか?」大尉が口をはさんだ。「あんなことをしでかしておいて? それじゃまるで…‥」 「なにも、見逃すなんて言ってないわ」大佐があわてて応じた。「でも、この特殊な状況においては、営倉へ入れる以外の方法を考えたほうが賢明じゃないかって思うの。たとえば、配置転換――それも不愉快きわまりないところへ転勤させるのよ。カウボーイ・サーカスみたいなあの男の行為をこの法廷がどう思っているか、だれの目にもはっきりと分かるところへ行かせたらいいわ」  いったいどこがいいだろうか。士官たちは然りこんで任地の心当たりを探した。 「中尉ではなくて大尉なら」沈黙を破って少佐が独り言のように言った。「オメガ中隊に送れるんだが」 「それは何?」大佐が鋭い声で問いかえした。  ジョシュア少佐は夢から覚めたかのように目をパチクリさせた。そうだった、裁判長をつとめる大佐は司令部の人間だった。 「いえ、その……なんでもありません。つい口に出してしまって」 「オメガ中隊って聞こえたけど……」 「はあ」 「あなたは知っているの、大尉?」 「何をですか?」ハンプティ大尉は少佐のうかつきを呪いながら応じた。  大佐はふたりの男をにらみつけた。 「いい? あたくしは宇宙軍にあなたたちより二倍も長く在籍しているのよ。目も見えるし、バカでもないわ。変なオトボケはやめてちょうだい」  ふたりの男はばつ[#「ばつ」に傍点]が悪そうにもじもじした。まるで校長室に呼びつけられた小学生だ。 「宇宙軍は正規軍より規模も小さいし、地味です。実戦部隊というよりは保安部隊のようなものです。正規軍は、それぞれ単一の惑星出身の兵士で組織されていますが、宇宙軍では、そんなことを望めません。だからこそ入隊希望者は、だれでもフリーパスで入隊できるという方針でやってきたのです。この募集方法のおかげで、大佐にも司令部にも大変なご迷惑をおかけしています。わが宇宙軍の規律や規則は非常に甘いものになっているのですが、それでもまだ軍隊生活にうまく適応できない者がいます。はみだし者、人生の敗残者……言い方はさまざまですがね。オメガ中隊というのは服務規定に違反して落ちこぼれた隊員たちの総称なんです。オメガ中隊と称する者は司令部が発見しだい解散させられるのですが、潰しても潰しても出てくる。オメガができたといううわさはひそかに宇宙軍中に広がり、そのうちだれかがうっかり司令部に漏らして潰される。だが、結局また同じことの繰りかえしです」  大佐は人差し指でイライラとテーブルを叩いた。 「そんなこと、あたくしには分かってるわ。単刀直入に訊くけど、今はオメガ中隊があるの?」  もはや正直に答えないわけにはいかない。嘘もだめだ。宇宙軍の中では正直ということがいちばん重視される(部外者に何を言おうとどうでもいいが、部内での嘘は許されない)。宇宙軍の士官は、みな、都合の悪い事実の公表を省略したり、半分だけホントの事を言ったりする達人なのだが、こんなふうに問い詰められては逃げ隠れできない。大佐はそこを狙ってきた。 「ええ、まあ……」ハンプティ大尉はなんとかうまく言いつくろおうと、口の中でモゴモゴ言った。「たしかに、定員以上の人見を集めている隊はありますが……ま、ここの生活になじめない連中が多少おり……」 「落ちこぼれや問題児ね」大佐が、ずばりと応じた。「はっきりさせてちょうだい。それは、どこにあるの?」 「惑星ハスキンです」 「惑星ハスキンって?」大佐は顔をしかめた。「聞いたことないわね」 「入植前に惑星の沼を探険した植物学者がいて、その学者の名前を使って命名された惑星です」ジョシュア少佐が助け舟を出した。 「そう、思いだしたわ。たしか、沼の鉱山業者との契約で駐屯《ちゅうとん》している部隊がいたわね。そこが落ちこぼれ者たちの吹き溜まりになっているってわけ?」  ハンプティ大尉が、こっくんとうなずいた。大佐が冷静に聞いてくれたのでほっとしている。 「そこの指揮官《CO》は……転入者を認める審査がゆるやかで……」 「どこもかしこもゆるやかすぎる人よ。思いだしたわ」大佐は陰気な声で言った。「ゆるやか、ね……うまく言うわね。あなた、マスコミで働いたほうがいいかもしれないわね。それで、どうしたの?」 「司令部の手を煩わさなくても、いずれ状況は改善されると思います」少佐は、仲間を司令部に売る形になった不名誉な結果を挽回《ばんかい》しようと懸命に弁明した。「うわさによると、今の指揮官の任期はもうじき終わるそうですが、もう再志願はしないようです。新しい指揮官《CO》が今度はきちんとやるでしょう」 「そうかもしれないけど……そうはならないかもしれないわ」 「もし大佐が問題の中隊の再配置について憂慮なさっているのなら」少佐があわてて言った。 「いずれ自然な形で……」 「あたくしはスカラムーシュ中尉をどう処罰するか考えているのよ」大佐は無愛想に言った。 「忘れないでちょうだい――それが、この話しあいの目的なんだから」 「はあ……そうでした」ハンプティ大尉はほっとすると同時に、話題の方向の意外な変化に驚いた。 「つまり……」大佐は話を続けた。「そういうことならば、ジョシュア少佐の提案もまんざら捨てたものではないと思うの」  少佐と大尉はすぐには大佐の考えについてゆけず、やっと理解したときには当然のことながら、ひどく驚いた。 「まさか。やつをオメガへ送るというのですか?」ジョシュア少佐が問いかえした。 「そうよ。あなた、いま言ったわね――オメガ中隊は現に存在するって。司令部の本来の方針はオメガ中隊を解散させることだけど、今度だけは役に立ちそうね」  大佐は目を輝かせて身を乗りだした。 「いい? 問題の中尉を辞めさせるには、つらくて、ぱっとしない仕事につかせることよ。もし辞めなくても、ハスキンなら都合よく遠方だし、もうこれ以上あたくしたちに厄介をかけることもなくなるわ。この方策の最大の利点は、中尉の父親も中尉本人も、罪をつぐなうチャンスをくれなかったという理由で、あたくしたちを非難できないってこと」 「しかし、あそこで空きそうな士官のポストというと……指揮官《CO》しかありません」少佐が抗議した。「つまり、少なくとも大尉でなければなりません。だからわたしは……」 「昇進させなさい」 「え、昇進させるんですか?」大尉が目を丸くした。あの男が自分と同じ階級になる――信じられない。「あんなことをしでかしたのに、ご褒美を上げるんですか? そんなバカな……」 「大尉、オメガ中隊の指揮官にすることがご褒美になるとでも思ってるの? たしかに形だけは昇進だけど」  ジョシュア少佐が露骨にいやな顔をした。 「お話はわかりますが、中尉自身は罰を受けたと自覚するでしょうか? やつは新入りだから、オメガ中隊がどんなものか分かってもいないでしょうし……」 「赴任すればわかるわ」大佐は陰気に言った。「じゃあ、これで一件落着ね」 [#ここから2字下げ]  やけっぱちから生まれたこの決定とともに、すでに汚点だらけの宇宙軍の歴史は新たな章に入る。軍事法廷の士官たちはそれとは知らず、この落ちこぼれ者の集団にとんでもない[#「とんでもない」に傍点]指揮官を与え、新たな生命と魂を吹きこんでしまった。この集団は、やがてオメガ・ギャングの名で一躍有名になる。マスコミは面白半分に〈|落ちこぼれ《フール》中隊〉と呼んだ。 [#ここで字下げ終わり] [#改ページ]       1 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 〇〇四[#「執事日誌ファイル 〇〇四」はゴシック体] 管理職は時間の許すかぎり、あるいはそれ以上に仕事を抱《かか》えこむ≠ニいう言葉を聞いたことがある。この言葉がどれほど正確かの詮索は置くとして、新任地へ赴かれる準備期間中のわがご主人様はたしかにこの言葉どおりであった。  ここでいう仕事とは、わがご主人様の場合、無数の買い物であった。みずから商店へ足を運ばれることもあれば、コンピューターでなさることもある。この日誌を読み進めばお分かりになるだろうが、ご主人様はそういった財政状況にある人々には似つかわしくなく、お金を使うことに決して躊躇なきらない。ふたつの品物の選択を迫られると、決まってその両方をお買い求めになってジレンマを解消なさる。これはまことにもって非情なご性癖である。なぜなら、これらの買い物の保存管理をさせられるのは、ほかならぬこのわたくしだからだ。  ご主人様がお召し物やあれやこれやのお買い物に熱中されたということは、その他の重要なお仕事がないがしろにされたことにほかならない。それは例えば、新任地の状況の研究などである。充分な準備なしにご主人様を新任地へお連れするわけにはゆかない。そこであたくしは、例によって、この欠落部分を補充せざるをえない気持ちになった。  注:この日誌には欠落部分がある。これはわたくしが故意に削除したり、抜き取ったためだ。取るに足りない些細なことを細かに述べたり、この時期の行動が世間の注目の的となった場合に軍法会議で証拠として利用される恐れのある部分である。 [#ここで字下げ終わり]  ポータブレインは、究極のポケット・コンピューターだった。その威力は絶大だ。相手がコンピューター回線を持っていれば、ほとんどすべてのデータベースや図書館へアクセスできる。また、どんな小さな店にも注文ができるし、だれとでも、どんな会社とでも直接に話をしたり、伝言を残したりできた。それもコードのプラグを電気のコンセントか電話線につなぐだけでいいのだ。それだけではない。折り畳み式のスクリーンつきでコンピューター全体の大きさはペーパーバック大なのだ。要するに、マイクロ回線という最新テクノロジーの勝利だ。だが、ちょっとした問題があった。一台分で小さな会社が一つ買えるほど高価なのだ。ごく少数の大企業の豪勢な重役を除けば、だれもが簡単に買えるような代物ではない。それに、金銭的には可能でも、おおかたの連中はもっと安いコンピューターですませている。それというのも、お偉方は、リサーチや連絡などという取るに足りない仕事は下っ端に押しつけておけばいいからだ。そういうわけで、銀河系全体で使用されているポータブレインは十台もない。それをウィラード・フールは二台も持っている。一台は自分用、もう一台は執事用。レジで行列しなくてすむなら、それくらいの出費は安いものだ――フールはそう判断している。  この数時間、宇宙港に無数にあるスナックバーのひとつに腰をすえたフールはコンピューターに向かいっきりだ。カラスのように二本の指でキーを叩きながら手紙を書きまくっている。さらさらと最後のサインを終えると、コンピューターをポケットにしまった。 「さてと、当座の仕事は終わったぞ、ビーク」フールは盛大な伸びをしながら言い渡した。 「後は、新しい任地に着いてからだ」 「ちょうど良いときにおやめくださいました」執事がそっけなく言った。「これで輸送に間に合いますでしょう」 「心配するな」フールはコーヒーを飲みおえようと、紙コップに口をつけた。だが、すぐに顔をしかめて紙コップを下に置いた。コーヒーが冷めていたからだ。この分野だけは科学技術の進歩から取り残されている。「乗るのは民間機じゃないぞ。われわれを惑星ハスキンに運ぶのはチャーター便だ。少しくらい遅れても待っててくれるさ」 「その自信を少し分けていただきたいものです。われわれが遅れれば、パイロットはフライトをキャンセルして、ちゃっかり料金の半分だけを受け取って消えるということも考えられます」  フールは小首をかしげて執事を見た。 「おまえ、今日はずいぶんと暗い顔をしているな、ビーカー。あの軍法会議以来ずっと、陰気くさい顔をしている。何か心配事でもあるのか?」  執事は肩をすくめた。 「宇宙軍の寛大きに、いまひとつ気が許せませんのです」 「というと?」 「ひとつは、チャーター便です。通常の商業便の代わりにチャーター便を使うなどということは、しみったれの宇宙軍にしては少し変です」 「なんだ、そんなことか」フールは笑った。「惑星ハスキンへ行く商業便は三カ月に一便しかないからさ」 「わかっております」ビーカーが陰気にうなずいた。「それにしても、今回の任地はいささか僻地《へきち》すぎるとはお思いになりませんか?」 「ビーカー、ぼくの昇進と、それにともなう新任務が不満なのか?」  フールの声にはとげがあった。執事は答えるのをためらった。フールは機嫌がいいときは気持ちの良い人間なのだが、ひとつまちがうと氷のように冷徹になる。逆上してわめきちらすタイプではない。氷のナイフを突き立てられるのはごめんだ。とはいえ、この主従のあいだには暗黙の合意があって、嘘や隠し事はいっさいなかった。ビーカーは勇気を奮い起こして言った。 「昇進と転勤がいっしょに訪れたのがどうも……腑《ふ》に落ちません。それも、あなた様がちょうど軍法会議にかけられておいでのときでした。それに、軍隊でのお名前を変えろと言ってきたのも奇妙です」 「そうは思わないが」フールは冷たく言ったと思うと、いきなりニヤリと笑った。「まったく疑問の余地はないな。奇妙な臭《にお》いだ。臭うも臭う、鼻が曲がるよ。これは絶対に褒美なんかじゃないな」  ビーカーはほっと気をゆるめた。 「お許しくださいませ。やはりお気づきでいらっしゃいましたか。ですが、その……世間で言うところの島流しにあうにしては、あなた様が非常に快活でいらしたものですから、あたくしは心配いたしておりました」 「当然だろう」フールは肩をすくめた。「いいかい、ビーク、ハスキンがどんな場所であろうとも、営倉へ行くよりはましだぞ。それに、一度は指揮官をやってみたかった。そのために宇宙軍の士官になったんだからな」 「はて、新しい任務が営倉よりましだと判断してもよろしいものでしょうか?」執事は言葉を選んで言った。 「どうしてさ?」フールが眉を吊り上げた。「隊員たちの中に厄介者でもいるというのか?」 「そのとおりでございます」ビーカーがスキを見せずに笑った。「あなた様のコンピューターに隊員たちの記録をインプットしておきました――書類をお運びになるお手間が省けるかと存じまして。ご旅行のときには、いつも大変なお荷物でございますから」  ビーカーは、荷物のそばに立っているポーターたちの方へかすかに顎《あご》をしゃくってみせた。 「まったく、おまえの言うとおりだ。さて、それでは出発するか」  フールはさっと立ち上がると、ポーターたちに合図した。 「さあ、こっちだ。光陰と航宙船は矢のごとし。行くぞ、ビーカー、出発だ」 「ジェスター大尉ですか?」  それが自分の新しい名前と階級だとわかるまでに、フールは少し時間がかかった。 「そ、そうだ」フールはあわてて応じた。「出発準備は完了したか?」 「はい、大尉。いつでも……ゲッ、あれはなんです?!」パイロットが言った。  山のように荷物を積んだカートが三台、ポーターに押されてゴロゴロとやってくる。 「ああ、あれかい? ぼくの私物だ。どこに運べばいいか教えてくれ。あとはポーターがやる」 「待ってください! 荷物は前もって計量しなければなりません。出発間際になって涼しい顔してあんな荷物を運びこまれたんじゃあ、目も当てられませんよ!」  フールは心の中で溜息をついた。いやな予感がしていたのだ。しかし、宇宙軍と契約しているとはいえ、航宙船の中ではパイロットが最終責任者だ。こっば役人同様、このパイロットも自分の権力に酔い痴《し》れていやがる。しかし、幸いなことにフールはこの手のトラブルを解決する術《すべ》には長けていた。 [#挿絵31 〈"img\[ロバート・アスプリン] 銀河おさわがせ中隊 031.jpg"〉] 「いいかい、キャプテン――そう呼べばいいんだよね。積荷目録を見ればわかると思うが、すでに積みこまれた貨物は、きみが契約した輸送重量より軽いんだよ。かなり、軽い。その分をぼくの荷物が埋める。とはいえ、軍人が無料で運べる重量よりは重いから、その分の超過料金は私費で払った。いまさら置いていくわけにはいかないんだ」  たしかに貨物の重量は軽い――パイロットは気づいていた。おそらく、取り締まりを気にしたからだろう。積み荷が軽いぷん、燃料が節約できる。パイロットは内心しめたと思っていた。が、ここへきてその浮いた燃料代が吹っ飛んだ。 「ええ、ええ、そうですかい……超過料金を私費負担なきったんじゃしょうがありませんな。どうぞ、積みこんでください。しかし、積みこみ作業は手伝いませんよ」 「もちろんだよ」フールはなだめる口調で応じた。「積みこみ場所をポーターに教えてやってくれ。あとはポーターがやってくれる」  身の回り品を入れたスーツケースを二個抱えてタラップを上ってきたビーカーが、振りかえって言った。 「先へ行って荷物をほどいておきます」 「げっ、あれは何者です!?」パイロットが叫んだ。 「ビーカーだよ。同行する執事だ」 「つまり、いっしょに来るんですかい? 冗談じゃない! 宇宙軍には一名――いいですか、一名の人間だけを運ぶよう言われてるんです。つまり、あんただけですよ!」 「そうだろうね。ビーカーは宇宙軍に在籍しているわけじゃない。あの男はぼくの個人的なつき人だ」 「わかりました。つまり、あの人は乗れないということです」  フールは指の爪を見つめた。 「貨物の重量をチェックすればわかることだが、ぼくが払った超過料金の中にはビーカーの重量分も入っている」 「へえ、そうですかい。しかし、人間を荷物扱いするわけにはゆかんでしょうが」  フールは航宙船を挑め回した。 「これはコスモス1421だろう、キャプテン? 六人は楽に乗れるはずだ。これはチャーター便だし、ほかに乗客はいない。ビーカーが乗る場所くらいあるはずだよ」 「そういうことじゃないんです」パイロットは負けずに言いかえした。「人間を他の惑星へ運ぶには書類やら通関やらいろいろ問題があるんですよ。ビーカーとかいう人のことは聞いてませんからね」 「そうだったな」フールは上着のポケットに手を入れた。「必要な書類ならここにある」 「へえ?」 「ほらね。ぼくが、きみに規則違反をやらせるわけがないだろう?」  フールの手からパイロットのクリップボードに何かが落とされた。 「おや! これは……」 「ちゃんと調べてくれよ、キャプテン。すべて、ばっちりだろう?」  パイロットは無言でまじまじと見つめた。当然のことだ。いきなり千クレジット札を見せられれば、一般庶民はまちがいなくこういう反応を示す。それをフールは知っていた。 「ま……これで、なんとか通関はできるでしょう」パイロットはゆっくりと言った。目は札に釘づけになったままだ。 「けっこう」フールはうなずいた。「さてそれじゃあ、ポーターたちに荷物の置場を指示してくれないかな。われわれも乗船しよう」 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 〇〇七[#「執事日誌ファイル 〇〇七」はゴシック体]  これまでの日誌を読みかえしてみたところ、ご主人様の新任務の準備に関して、わたくしの記述がかなり辛辣《しんらつ》なものであることに気づいた。ご主人様とわたくしは別々の人間であり、それぞれ価値観も異なっていることをご理解願いたい。あたくしたち主従はしばしば意見を異にするが、これらの差違に関するあたくしの意見は批判ではなく、あくまでも補足にすぎない。日誌をつけているのがあたくしであるため、あたくしの意見や好みが反映されやすくなるのはいたしかたないが、偏《かたよ》った見方はできるかぎり避けるつもりだ。しかし、わたくしが登場する場面で偏りがあるのはやむをえない。読者諸氏には、そこのところをお含みのうえで、お読みいただきたい。  その気になられるとご主人様は、あたくしなどよりはるかに熱心に調査に没頭された。指揮官としての任務が始まるまでに、きちんと、これを完了なさるかどうか当初は心配したものだ。したがって時間切れを見越して、いざというときのために基本的なブリーフィングができるよう準備はしておいた。だが、いざ蓋を開けてみると飛行時間は長く、ご主人様が準備を完了なさるには充分な時間的余裕があった。  時間といえば、この日誌は時間の流れに沿って記入されていることにお気づきだろう。ときには飛んでいる箇所もある――旅行者には日づけや時間など意味がないからだ。惑星間や恒星系間の旅行の場合は特にそうだ。地球時間でいつなのか知りたい場合には、あたくしが記録した種々の出来事が掲載された新聞記事を地球の図書館で閲覧なさればよろしい。 [#ここで字下げ終わり]  フールはラップトップのコンピューターから目を上げた。ビーカーは船室の椅子の中で眠ってしまっている。これは驚くには当たらない。宇宙を旅行する人間は時間の感覚をなくすのだ。明かりをつけるときが昼で、消すときが夜だ。フールにとっては願ってもない状況だ。ときおり食事と仮眠に時間をさくだけで、あとは仕事に没頭できる。しかしビーカーの睡眠パターンはそれほどいいかげんではなかった。そういうわけで、フールとビーカーの生活のサイクルが完全にすれちがうことも珍しくない。いつもなら、それで不便はない。だが、今のフールは話し相手を求めていた。  フールは、しばらくどうしようかと迷ったが、やはり我慢できなかった。 「ビーカー?」精いっぱい優しくささいやいた。  ビーカーが本当に眠っていれば、聞こえなかっただろう。だが、ビーカーの目はすぐにパッチリと開いた。フールはほっとした。 「なんでございましょう、ご主人様?」 「眠っていたのかい?」 「いいえ、ご主人様。ただ目を休めていただけでございます。何かご用で?」  フールは自分の目もずいぶんと疲れていることに気づき、椅子の背にもたれて、指先でこめかみをもんだ。 「話し相手になってくれ。このファイルをずっと見ていたら、頭の中がゴチャゴチャになってしまった。こいつとは別に、おまえの考えを聞かせてくれ」  執事は眉にしわを寄せて、自分の感情を整理してみた。重大な事柄に関して主人に意見を求められたのは、これが最初というわけではない。決定や行動に最終的な責任を持つのが主人であることはまちがいないのだが、それでも主人に信頼されてときどき意見を求められるのはうれしいものだ。 「惑星ハスキンの住民たちは自給しています。人口は約十万人」ビーカーはゆっくりと話しはじめた。「しかし、このことはわれわれの任務とはあまり関係ありません。暇な時間をつぶすくらいの文化的環境はできているという程度の意味合いです。  今回の任務は表面的には容易です。しかし惑星にある湿地帯の金属含有量は、商業的な採掘に耐えるほど多くはありません。ひとにぎりの人々が、これらの湿地帯を掘り起こして細々と生計を立てています。採掘で惑星の生態系が脅かされることはありませんが、湿地帯は湿地帯で、危険なことも数多くあります。したがって、周囲に目を配りながら、同時に採掘に集中するなどという芸当はできません。そこで鉱山業者たちは結束して宇宙軍を雇い、見張りに当たらせているというわけです」  ビーカーはいったん言葉を切り、まとめに入った。 「われわれにとって楽なのは、環境団体の圧力がかかって採掘は週に一日だけと限られていることです。それも厳重な制限つきです。しかし、わたくしが思いますに、明確にはされていませんが今回の任務には二つの性格があるようです。鉱夫たちを保護することと、かれらが環境保護の線から外れないよう監督することです。ま、どちらにしろ、われわれは週に一日だけ警備に当たればよいのです。しかし、これが厄介の種です。一見楽な仕事に思われますが、中隊員たちが自由時間をもてあますのは考えものです」 「問題はそこか」フールがけわしい口調で言った。  執事はうなずいた。 「そこでございます。宇宙軍は何事もオープンですから、これは秘密でもなんでもないのですが、宇宙軍の人員のかなりは前科者です。投獄よりも軍のほうがましだというので入隊してきた連中です。あなた様の指揮下に入る中隊員の履歴を調べましたが、この前衛地には異常に高いパーセンテージの……その……」 「問題隊員がいる」 「いいえ、そんな生やさしいものではございません」ビーカーが修正した。「履歴の記述の行間を読まずとも、中隊が大きく二分できることは明白です。ひとつはすでにお気づきのとおり、乱暴な連中で、入隊時の誓約などどこ吹く風、軍隊生活に全然なじもうとしないやからです。ふたつめのグループはその正反対。生まれつきの、あるいは後天性の平和主義者で、これもまた軍隊生活には容易に溶けこめない連中です。あなた様が指揮をなさる中隊の隊員たちはひとり残らず、このどちらかのグループに属します。要するに、あたくしが熟考しました結果、あなた様の新しい中隊は、ひとり残らず、その……つまり、落ちこぼれとはみだし者[#「落ちこぼれとはみだし者」に傍点]なのです。ほかに呼びようのない連中で」 「ぼくと同じじゃないか。そうだろ、ビーカー?」フールが皮肉たっぷりに笑った。 「そう考えている人々もいるようでございます」執事は落ち着き払って応じた。  フールは背伸びをした。 「ぼくも、おまえの分析には賛成だ。ただし、ひとつだけ違うところがある」 「と、おっしゃいますと?」 「おまえは二つのグループに分けられると言ったが、かれらにはグループをグループたらしめる団結はないように思う。グループにも、中隊そのものにもだ。かれらはグループ≠ニか所属≠ニかの意識をまったく持っていない烏合《うごう》の衆《しゅう》だ」 「そのとおりでございます。グループ≠ニいうのは、あくまでも便宜的な呼び名でして」  フールがからだを乗りだしてきた。疲労の色は濃いが、目が輝いている。 「その便宜的な呼び名というやつがクセものなんだよ、ビーク。ぼくは、そんなものに縛られたくない。この中隊員たちは、その、なんと言った?」 「落ちこぼれにはみだし者[#「落ちこぼれにはみだし者」に傍点]でございます」 「そう、そういう呼び名でいっしょくたにここに送られてきた。ぼくは、その連中を一つのグループに――団結力のある塊に――作り上げなければならないんだ。そのためにはまず、各人をひとりの人間として見てやらなければならない。人間だよ、ビーカー! 最後には、きまって人間なんだ。商売だって軍隊だって、鍵になるのは人間なんだよ!」 「お言葉ではございますが、あなた様の中隊員がすべて人間≠フ範疇《はんちゅう》に入っているわけではございません」執事が冷水を浴びせた。 「非ヒューマノイドがいるのか? そうだった、三人いたな。何者だったかな? たしか…」 「シンシア人がふたりに、ボルトロン人がひとり。つまり、ナメクジが二匹に、イボイノシシが一頭でございます」 「覚えておこう」フールは不機嫌な声で応じた。「人種差別は侮辱の中でも最低のやつだ。ぼくは絶対に許さないぞ……たとえ、おまえでも、冗談でも許さない。どんな人種だろうと、どんな経歴の持ち主だろうと、かれらはぼくの指揮下にいる中隊員だ。適切な礼儀をもって扱われ、呼ばれなければならない。分かったか?」  主人の一時的な感情の爆発と真の怒りとを、ビーカーはとうの昔から区別できるようになっていた。しかし、主人がこういう種類のことに敏感だったとは知らなかった。これは覚えておかなければならない。 「分かりました、ご主人様。今後は気をつけます」  フールは説教が効いたのに満足して、からだの力を抜いた。 「それにしても」フールは考えながら言った。「地球が同盟を結んだ異星は三千以上あるのに、この二種族だけが中隊に入ってきたのは不思議だな。ガンボルトにも一人か二人ぐらい入隊して欲しいと思うのは高望みってものだろうが」 「ネコですか?」ビーカーは、それ以上の言葉を飲みこんだ。「あの人種の者は正規軍に入隊するようです。それどころか、全員がガンボルトからなる中隊もあるとか」 「だろうな」フールは顔を歪めた。「あれほどの運動神経や戦闘能力があれば、職場だって選《よ》り取《ど》り見取《みど》りだから」 「たしかに……その、あなた様が授かった隊員たちとは月とスッポンの逸材たちですからな」執事は待ってましたとばかりに言った。「ご主人様は本当に……この寄せ集めの連中を筋金入りの兵隊に鍛えることができるとお思いですか?」 「前にもやったことだ。あの|悪 魔 軍 団《デビルズ・ブリゲイド》は最初の特別|営繕《えいぜん》部隊だったが、あれも最後には…」 「特殊部隊になりました」ビーカーがあとを続けた。「ええ、あたくしも存じております。しかしながら、あれはたしか合衆国とカナダの混成部隊で、カナダが精鋭の戦闘部隊を送りこんだのに、アメリカはそれに対抗してはみだし者や前科者を送りこんだのでした。たしかにあなた様の部隊には、はみだし者や前科者が揃っておりますが、それと対抗する精鋭な人材がおらぬようです。とても第二の悪魔軍団とはいかないようですな」 「そのとおりだ!」フールは声を立てて笑った。「軍隊の歴史は、おまえ以上にくわしいやつはいなかったな。しかし、やれるかどうか分からないが――もっと正確に言うなら、このぼくがやれるかどうか分からないが――とにかく最善を尽くしてみる」 「もったいないお言葉でございます」ビーカーはからだを伸ばして、あくびをした。「で、ほかに何か……?」 「眠ってくれ」フールはラップトップ・コンピューターに手を伸ばした。「起こして悪かったな。話し相手になってくれて、ありがとう」  ビーカーはフールのコンピューターに目をやった。 「ご主人様は、どうなさいます? 惑星ハスキンに到着するまで、ゆっくりお休みになっておかないといけません」 「え? そういえば、そうだなあ。いや、すぐに終わる。住民たちのことをちょっと調べておこうと思ってね。これから付きあう連中だからな」  フールはコンピューターの上にからだを屈めた。それを見て執事は首を横に振った。仕事上のライバルの身辺を調査するとき、フールがどういう情報を要求するかビーカーはいやというほど知り尽くしていた。クレジットカードの支払い状況、学歴、家族、前科。今回の任務でも手抜きはしないはずだ。そのためには、うんざりするような作業が何時間も――何十時間とまではいかないが――続く。たいていの人間なら、とっくに疲れきってぶっ倒れてしまうほどの重労働だ。しかし、フールはいったんこうと決めたことは必ずやる男だ。言いくるめたり、おだてたりして決心を変えさせることはできない。ビーカーにできることは、まんいちこのとんでもない人物が倒れたときのために、そばにいてあげることだけだ。  ビーカーは首を振りながら自室へ引き揚げた。 [#改ページ]       2 [#ここから2字下げ]  執事日誌ファイル 〇一三[#「執事日誌ファイル 〇一三」はゴシック体]  ご主人様が新しい部隊に初の挨拶をなさる場にあたくしは居あわせなかった。中隊員の経歴は完全に把握していたが――そのうちの何人かとは後日、個人的に親しくもなるのだが――わたくしは公式な中隊員ではないため、出席を遠慮したのだ。  したがって、宿舎の相互通話装置を盗聴して会合の進展具合を見守ることにした。この装置は、鍵穴から盗み聞きするという伝統的な技法を高度なハイテク装置に仕立てあげたものに過ぎない。ご主人様にはプライバシーを守る権利がある。そのためには、ご主人様の行動およびお仕事の大変さを、わたくしは充分に知っておかなければならないのだ。 (たしかに、このことをご主人様と公然と話しあったことはない。だが、ご主人様から直接うかがっていない情報に基づいてあたくしが行動をしても、ご主人様は何もおっしゃらないし、どうしてそんなことを知っているのかとお叱りを受けることもない) [#ここで字下げ終わり]  中隊の娯楽室は宿舎の中でいちばん広い部屋だったが、夜になってもだれも寄りつかない。あまりにも殺風景で、気が滅入るような場所だ。中隊員がゴミを拾うのをやめたため、カビの生えた残飯があちこちに散らかり、娯楽室全体が臭い。  しかし、その部屋も今夜ばかりは満員だった。新任の中隊長の挨拶があるという噂が流れ、点呼があるかもしれないと恐れた中隊員たち全員が集まってきた。  椅子の数が足りず、玉突き台やラジエーターの角も椅子がわりになった。だれがだれに席を譲るかで中隊の序列は一目瞭然だった。娯楽室は、ゆっくりと満杯になっていった。中隊員たちは皮肉まじりの退屈を装おうとしたが、新任の中隊長への興味は押さえがたいらしく会話はもっぱらそのことに集中している。若い連中は特にそうだった。 「ずいぶんごゆっくりのお目見えだな」若いのが不満そうに言った。「宿舎に一週間こもりっきりで、そのあいだだれとも話をしてないんじゃないか。あの執事が食堂から食事を運んだり、町へ使いに出かけたりしただけだ」 「執事つきの士官なんて聞いたことあるか?」 「聞いたことはないけど、大いにありうるぞ。士官なんて連中はみんなお金持ちのおぼっちゃまだからな。士官のポストを金で買っておいて、偉そうな面をしていやがる」 「どんな挨拶をするんだろう?」  近くにいてそれとなく話を聞いていた曹長は、この最後の言葉にどうしても一言言いたくなった。曹長は三十歳になったばかりの顔色の悪い女性だ。座っていれば並の体型だが、立ち上がるとその大きさに改めて驚かされる。 「教えてあげるわ」曹長はわざと退屈な振りをして一言った。 「頼むよ、ブランデー曹長」  階級と体格とは対照的に曹長の身のこなしは滑らかで落ち着いており、話を始めようとすると全員が注目し、聞き耳を立てた。 「新任の中隊長なら、だれでも言いそうなことよ。まず、冗談。きっと中隊長の手引きに書いてあるんだわ。隊員の前で話をするときはまず冗談で始めることってね。とにかく、冗談で始まって、次に、これまでがどうであれ自分はこの中隊を宇宙軍で最高の中隊にしてみせるとかなんとか言う。どうやって実行するかなんて、もちろん言わないわ。とにかくそうするんだって言うだけ。つまり、あたしたちはこれから何週間も訓練やら点検やらを受けつづけることになるわ。でも、そのうち箸《はし》にも棒にもかからないあたしたちにうんざりして、転勤を画策するようになるって段取りよ」  そういうこった――年季の入った隊員たちは同意のつぶやきを漏らしたり、曹長の分析を面白がってニヤニヤと笑ったりした。中隊長なんて、どいつもこいつも似たり寄ったりのものだ。 「そこで、道は二つあるわ」ブランデーが続けた。「中隊長がサジを投げるのを待つか、ごまをすってこのドブから転勤するときにいっしょに連れてってもらうか――そのどちらかよ」  しばらくぎこちない沈黙が続いたあと、比較的新しい隊員が全員の思いを代弁した。 「ほかの隊へ行けば、いい目が見られるのかい、曹長?」  曹長は床につばを吐き捨ててから答えた。 「それは、いい目というのをどう考えるかによるわね。湿地の警備はクソ面白くもないけど、でも銃で撃たれるよりはましよ。結局……」  部屋の向こうの隅で二人の中尉がモジモジしている。それを見て曹長は、声を落とした。 「……どこへ行っても同じような能なし士官がいるだけ。あの連中の得意技は告げ口とカバンを抱えることだけ。あたしがなぜこの中隊にいるかって言うと、給料がいいから。ねえ……オメガ中隊って、どういう意味だか知ってる?」  そのとき、椅子が倒れる音と歓声と口笛がして、全員が一瞬はっとした。だが、またスーパー・ナットが暴れているのだとわかると、全員がもとの表情に戻った。  スーパー・ナットは宇宙軍の中で体格が最小の兵隊だった。ひどい癇癪《かんしゃく》持ちで、ちょっとしたことですぐに感情を爆発させる。爆発の原因は現実のこともあれば、思いこみのこともある。特にいけないのが、彼女の身長、あるいはその不足に関する発言だ。 「今度はなんで爆発してるのかしら?」ブランデーはなかは独り言のように言った。 「知ったことか」聞きつけたひとりが言った。「この前なんか朝飯の行列に並んでいたら、いきなり飛びかかってくるんだから。おれはただコックに、ホットケーキを小さめに作ってくれって言っただけなのに」 「やりそうなことね」曹長はうなずいた。まわりの連中は面白そうに笑っている。「それにしても、あれだけしょっちゅう喧嘩してれば、喧嘩がうまいはずだと思うでしょう。ところが、あれを見てよ」  スーパー・ナットの攻撃の的になっている隊員はゲラゲラ笑いながら、掌をナットの頭の上に突っ張らせてナットを遠ざけている。ナットはやみくもにゲンコツを振り回すだけだ。  ブランデーは悲しげな表情で首を横に振った。 「これじゃまるで、宇宙軍の中隊というよりは小学校の運動場だわね。さっき言いかけていたのはこのことなのよ。ここにいる変わりものや能なし全員を鍛えなおすとしたら……」 「気をつけ!」  アームストロング中尉の声が室内にこだました。だが、みんな知らん顔をしている。噂によると、アームストロング中尉は正規軍から追いだされたとのことだ。自分より階級が上の士官が部屋に入ってくると反射的に号令をかけてしまう癖がいまだに抜けない。この中隊には、そのような伝統はないのだ。階級に対する礼儀は好きな人間が守ればいいことで、特に強制されてはいない。したがって、だれもそんなことはしない。しかし、アームストロングの号令で新任の中隊長が部屋に入ってきたことはわかった。車隊員はそろって首を伸ばして新しい中隊長を見た。  中隊長はドアを背中にし、休めの姿勢で立っていた。あくまで泰然としており、体内にエネルギーがみなぎっている。そこにいるだけで威圧感があった。制服の黒光りするジャンプスーツは金色のパイピングがほどこしてあり、すらりとしたからだをますます細く見せている。ピカピカに磨き上げたしんちゅうの柄《つか》をつけた長剣が飾帯で腰に下がっている。部屋中を見回す射るような目つきがなければ、まるでマンガの登場人物のようないでたちだ。その眼差しと沈黙にいたたまれなくなって、数人の隊員がモゾモゾと立ち上がり、気をつけらしい姿勢を取った。だが、この中隊長にとってはそのような隊員たちも、座ったままの隊員たちも眼中にないらしい。 「聞くところでは、諸君は全員が落ちこぼれにはみだし者[#「落ちこぼれにはみだし者」に傍点]だそうだが」中隊長はいきなりぶちかました。「ぼくはそうだとは思わない。だが、諸君の行動を見ていると、自分でそう思いこんでいる者がいることは明らかだ」  中隊員たちはたがいに目を見交わし、汚れた制服と部屋の中のゴミにいまさらのようにドキッとした。いくつかの目が曹長に向けられた。最初は冗談を言うはずじゃなかったのか? 曹長は知らん顔をして、中隊長の言葉に聞き入る振りをしている。 「たしかに今の諸君には、いわゆる完全な兵士と呼ばれるものが備えるべき能力と性質が欠けている。しかし、完全な兵士など現実にはありえない。したがって諸君に完全な兵士になって欲しいとは願わない。ただ、有能な兵士になって欲しい。有能≠ニは、手元にある物あるいは人を使って任務を遂行する能力のことだ。あれがあれば、これがあればとゴネているあいだに、仕事や世の中はドンドン先へ行ってしまう。諸君はない物ねだりに時間をかけすぎたために、自分自身の強さを見失っているのだ。ぼくはそこを指導したい」  中隊長はふたたび部屋をねめ回した。 「ぼくの名はジェスター中隊長。諸君の中隊長になった。諸君の履歴は見せてもらった。かなりのことがわかった。おかえしに、ぼく自身のことを話そう――秘密好きの中隊の伝統からは少し外れるかもしれないがね。ぼくの本名はウィラード・フール。父はフール・プルーフ武器製造会社の社長だ。これでわかったと思うが、ぼくは大金持ちだ」  かすかなざわめきが起こった。全員が中隊長を見つめている。 「宇宙軍は士官任官試験を有料にして金を集めている。よく言われるところの階級を売る≠ニいうやつだ。諸君の中には、これを嫌う者もいるだろう。でも、ぼくはこの制度の存在についても、それを利用したことについても弁解するつもりはない。その昔、大英帝国の軍隊では日常的に階級の売買が行なわれていた。しかも英国軍隊は強かった。さらに、当時の伝統の中で、もう一つぼくが実行したいものがある。すなわち、中隊長はその配下の中隊を自分の財布で賄《まかな》うのだ。このことを話す前にひとつだけ明確にしておきたいことがある。ぼくが使う金は遺産ではない。父がぼくに元手となる金を貸してくれた。それは分割払いで、とっくの昔に払いおわっている。十代のころのぼくは、すでに億万長者だった。ぼくはそれを、傾きかけた会社や企業を買収して優良企業に育て上げることで得たんだ。この中隊でも同じことをするつもりだ。素材を開発し、利用するのが管理職の仕事だ。この中隊が有能な中隊にならなかったら、その責任は諸君にではなく、このぼくにある。  そこで、特別装備だが……」  フールが片方の袖をまくりあげると、幅広の皮ベルトが出てきた。ベルトには時計のような機械がついている。 「諸君にこれを支給する。これは小型通信器で、公用にもプライベートな電話としても使える。これがあれば諸君はいつでも司令部に連絡が取れるし、司令部も諸君とコンタクトできる。ぼくもここにひとつ持っている。昼夜を問わずいつでも、だれでも好きなときに、ぼくを呼びだしてくれ。とはいえ、ぼくも眠る時間が必要だし、ほかに重要な仕事も抱えている。そのような場合の通信は庶務係か、ぼくの執事が応答するはずだ。重要な問題であれば眠りも仕事も中断できる。しかし本当に重要かどうかをしっかり確認してから電話してくれ。  ところで、ぼくの執事のことだ。諸君はまだ会ってはいないかもしれないが、もう話だけは聞き及んでいることと思う。執事の名前はビーカー。ぼくの雇い人であると同時に、友人でもあり相談相手でもある。ぼくはビーカーを非常に尊敬している。したがって諸君も、かれにふさわしい礼儀をもって接してほしい。これは命令ではなく、お願いだ。しかし、ビーカーは中隊員ではないから、中隊の序列には属さない。したがって、ビーカーの言葉はかれの個人的な見解であって、ぼくや宇宙軍の命令でも公式見解でもない。同様に、ビーカーは諸君の秘密を尊重し、それを守るはずだから、かれに秘密を打ち明けたり、かれがいる場所で秘密を漏らしても心配はない。ビーカーが諸君の秘密をぼくや諸君の上官に報告することはありえない。執事の仕事は卑屈だと思う者もいるかと思うが、ここ数年来の給料とその投資のおかげでかれは立派な金持ちになっている。つまり、ビーカーは生活のために執事をやっているのではなく、やりたいからやっているのだ。  ここでもうひとつ言っておきたいことがある。兵役期間が終わった後の人生設計を立てている者がこの中にいるかどうか、その日のために蓄えをしている者がいるかどうか、ぼくは知らない。だが、もし財政的な準備ができていなければ、これからやることだ。お金の扱いかたは、ぼくの得意とするところだ。この特技をこの中隊のために役立てたい。諸君も、自分の力と特技を、それが賞賛すべきものであれ、うさん臭いものであれ、中隊のために役立ててほしい。ぼくが株のポートフォリオを作るから、給料の一部や蓄えを投資したい者は投資してくれ。かならず儲かると保証はできないが、ぼくのポートフォリオで損をしたことはない。個人的には給料の三分の一の投資をすすめるが、その金額も、投資をするかどうかもすべては諸君の気持ち次第だ。この件に関して質問があれば、休憩時間か非番のときに来てくれ」  中隊長は部屋中を見回した。 「話したいことはまだまだあるが、今日はここまでにしておこう。今日のところは、ぼくがどういう人間で、中隊のために何をしたいと思っているかを理解してもらえればいい。しかし、みんなも知っているように言うは易《やす》し、行なうは難《かた》し≠セ。諸君はぼくの言葉よりも行動に興味を持っているだろう。したがって今日のおしゃべりは、これで終わる。  このあと、ぼくの部屋で士官と下士官ひとりひとりと面接をする。何か質問は?」  聴衆のあいだから低いざわめきが起こり、やがて後ろのほうから声が上がった。 「噂では、知事が公舎に軍旗衛兵を置くそうですが」  中隊長は首をかしげた。 「初耳だな。明日の朝一番に調べてみる。しかし、そうなっても不都合はないと思うよ。湿地帯の警備のいい息抜きになるだろう」 「これだからね……すいませんが、中隊長」ブランデーが面倒くさそうに言った。「中隊長はお分かりじゃないんです。噂では、知事はわれわれの代わりに正規軍を呼んできて、その任務に就かせるつもりらしいんです。正規軍がカッコいい制服で街をのし歩いているときに、こっちは湿地帯のお守りです……いつだってそうですけど」  地響きのようなうめき声が中隊員たちのあいだに広がった。そういうことか――フールは唇を真一文字にかみしめた。 「なんとかしよう」フールは固い口調で言った。「ほかに何かあるか?」  フールは待った。沈黙。フールはうなずいた。 「よろしい。では最後になったが、諸君は装備一式をまとあて、明日の朝一番に移動できるよう準備を整えておくこと。しばらくこの宿舎から出る」  あちこちで不満の声が上がった。新しい中隊長は隊員たちに野営をさせて、その技量を判定するつもりらしい。 「どうしてです? この宿舎をいぶして消毒でもするんですか?」  だれかが大声で言った。周囲からクスクス笑いが漏れたが、フールは気づかないふりをした。 「いや、改築だ」フールはこともなげに言った。「工事のあいだ、われわれはプラザホテルへ転居する」  みんなはあっけに取られて声も出せなくなりた。プラザホテルはこの惑星で最高に高くて、豪華なホテルだ。カクテル・ラウンジで一杯やろうと立ち寄った隊員もいたが、値段と格式の高さを見て逃げだしてきた。  娯楽室に入ってきて初めてフールは笑顔を見せた。 「諸君、すでに言ったように中隊はこれから変わってゆく。士官と下士官は、ぼくの部屋の外に集合。急げ!」 [#改ページ]       3 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 〇一四[#「執事日誌ファイル 〇一四」はゴシック体]  ご主人様は宇宙軍の伝統を尊重して、中隊員の兵役以前の経歴についてはいっさい問われなかった。しかし、わたくしは中隊員ではないから、その原則に従う必要はないと思う。それで、ご主人様ならびにあたくしの今後の人生と幸福に影響を与えそうな個人に関する資料を作成することにした。  これは大体において容易な作業だった。最初は各中隊員が兵役登録した時期と場所における警察の記録やニュース記事をコンピューターで調べるところから始めた。さらに入念な調査を要する場合もあったし、ときには類推や推測に頼らざるをえないこともあった。中隊にいる二名の中尉の場合がこれだ。 [#ここで字下げ終わり] 「やあ、アームストロング中尉……それに、レンブラント中尉。座ってくれたまえ」  フールは自分の部屋をできるだけ狭く、質素にしておいた。何かを発表するとき以外、大きな会合は意味がないと信じていたからだ。だから、部屋の中に客用の椅子は二脚しかない。 「失礼します」レンブラントはうなずいて椅子の一つに手を伸ばした。それほど背は低くない女性なのだが、身長二メートルはあるアームストロングのそばでは小柄に見える。黒い髪に丸顔。からだつき全体が丸っこい。太っているのではないが、腰のあたりががっしりしていて、どう見てもきゃしゃ[#「きゃしゃ」に傍点]な体格ではない。 「ありがとうございます。しかし、立っているほうが楽ですから」  レンブラントのふくよかな尻が椅子におさまろうとしたとき、まるで新兵募集のポスター写真のように休めの姿勢をきめたアームストロング中尉が大声で答えた。レンブラント中尉は降ろしかけていた腰を上げ、アームストロング中尉のそばに立った。アームストロングの休めの姿勢を真似ているつもりらしい。レンブラントはむくれ面で、アームストロングは、「してやったり」と笑みを浮かべている。このふたりのつばぜりあいはフールの目にも明らかだった。 「よろしい」フールは言った。「手短かに切り上げよう。きみたちふたりとは、中隊の中でいちばん厳しく接することになると思う。ぼく自身にはもっと厳しくするつもりだ。これは、ぼくがカネを払って士官のポストを買ったからではない。さっきのミーティングで言ったとおり、この中隊には中心となる指導者が必要だ。中隊員をその気にさせて引っ張ってゆくためには、われわれは常にかれらより一歩先をいかなければならない。きみたちふたりには、ぼくが別件で手が離せないときに代理をつとめてもらう。ぼくのやり方や考え方に慣れるまで多少のことは大目に見るが、怠慢だけは許さない。怠慢以上に我慢ならないのが思慮のなさだ。きみたちふたりには常に思考と分析を行なって欲しい。たとえば……アームストロング中尉」 「はあ?」 「勤務報告書によると、きみは軍規係として軍規を守らせる仕事をやりたいようだな。そうだろう?」  一瞬、アームストロングの見せかけの自信が揺らいだ。 「わたしは……その……」アームストロングはどう答えていいかわからず、しどろもどろになった。 「なんだね?」 「そのとおりであります」 「けっこう」中隊長は、ほほえんだ。「ではこれはどう考える……隊員たちに命令して軍規を守らせるのと、みずからが良い手本を示すのと、どちらがよりよい方法かな?」 「良い手本となるほうです」アームストロングは勢いよく答えた。こういうことなら任せて欲しい。 「じゃ、きみはどうしてそれを実行しないのだ?」  アームストロング中尉は顔をしかめた。真正面を直視していた視線が宙に浮き、この面接が始まって以来初めて中隊長の目をまともに覗きこんだ。 「あの……それは、どういうことでしょうか? わたしは常に良い手本となるよう心掛けています。あの……自分は中隊で最高の隊員になるべく努力しているつもりですが」 「きみならやれる」フールはすぐに認めた。「だが、きみは大事なことを一つ見落としている。口うるさい威張りやだと思われて、うれしいはずがないだろ? きみは、そう思われているんだ。きみのやり方は、かえって中隊員を適正な軍隊行動から遠ざけている。きみのようになりたくないと、だれもが思っているからだ」  アームストロングが口を開きかけ、フールは身ぶりでそれを制止した。 「話はいい。その代わり考えて欲しいのだ。話を聞くのは、それからだ。きみの厳格さを少しばかりの優しさで和《やわ》らげることができたら――規律正しい軍人も人間だということを示すことができたら――隊員たちは、命令されたからじゃなく自分の意志で、きみに付いてくるようになる」  アームストロング中尉はフールを凝視していた視線をむりやり上げて真正面の宙を見据え、一度だけすばやくうなずいた。これが、フールの言葉に対する唯一の反応だった。 「そこでレンブラント中尉、きみの番だが」中隊長は椅子を回してふたりめの中尉に向きあった。「きみには自分が皆の手本になるつもりがない。きみを手本にする者もゼロだ」  中尉は驚いて目をパチクリさせ、フールの目を真直にのぞきこんだ。 「記録によると、きみは軍曹たちに中隊をすっかり預けてしまっているらしいな。きみは指揮に就いているべきときに、スケッチブックを持ってほっつき回っている」フールは言葉を切って悲しそうに首を横に振った。「ぼくだって芸術は好きだよ、レンブラント。きみが非番のときに芸術にいそしむのはきみの自由だ。きみの兵役期間が終わったときに個展を開いてあげてもいい。しかしだ、勤務時間中は中隊に注意を集中してほしい。軍曹たちはかれらなりに有能だし、自分たちが中隊を取り仕切っていると信じこんでいる。だが、かれらの注意は目先の仕事にしか行っていない。長期的な見通しがないのだ。それが、きみとアームストロング中尉と、そしてぼくの仕事だ。ここでわれわれがしくじると、中隊はつまずく。そのためには、われわれは中隊員一人ひとりの、また組織全体としての能力を熟知し、何が起きているかを正確に把握しておく必要がある。われわれ三人は週に一回ずつ会合を開き、軍隊とは何か……この中隊の現状はどうかを話しあう。きみたち二人には大いに情報を提供して、活発に参加してもらいたい。わかったかな?」 「は……はい、中隊長」 「けっこう。やる気がある者は、みなぼくの同志だ。きみもだぞ、アームストロング。われわれ三人は中隊の目となり脳となる。つまり、チームの中のチームとして働くのだ。それで思いだしたが……」  フールはふたりの中尉のあいだの空間で指を振った。 「きみたちふたりの小競りあいは見たくない。これからは、きみたちはパートナーだ。たがいの個性を許容できるようになること、これが最初の命令だ。たがいに相手の強さをやっかむのではなく、頼りあえるようになれば、ふたりの個性がいい方向で発揮されるはずだ。たがいに相手を尊敬しろとまでは言わないが、いずれそうなることを願っている。きみたちふたりは、ひとつのバケツを両側から持っているようなものだ。バケツを落としたり、水がこぼれたりしないよう歩調を合わせて歩くことを学んでくれ」  中隊長は椅子の背にもたれ、手を振った。 「もう行っていいよ。ふたりでコーヒーでも飲みながら、たがいの共通点を探ってみてくれ」  フールの顔にかすかなほほえみが浮かんだ。 「ただし新米の中隊長は無理難題をふっかけるとんでもないやろうだという意見は困るよ」  食事係のエスクリマ軍曹はやせぎすの浅黒い小男で、ウエーブのかかった髪は黒く、黒い目と目のあいだが開きすぎている。しわくちゃのクルミ色の顔は、いつもニヤニヤ笑っていた。そのニヤニヤ笑い以外には、とりたてて見るべきもののない男だ。  フールはエスクリマ軍曹の大げさすぎる敬礼に応えて、しばらくこの男を観察した。 「きみのプライバシーを侵すつもりはないのだが、きみはフィリピン系かな?」  小柄な軍曹はこくりと首を縦に振った。そのあいだもずっと笑いつづけている。 「フィリピン人は古代地球では最高のコックで、最強の闘士だったそうだな」  軍曹は謙虚に肩をすくめただけだったが、笑いが少し広がった。 「それにしても、食堂の食事はもう少しなんとかならないものかな?」  フールは慎重に言葉を選んで言った。記録によると、エスクリマ軍曹は過去三回にわたって、料理をけなした者を襲っている。そのうちふたりは入院した。食事をもっと良くできないかと言うのはいいが、まずいとは決して言ってはならない。  フールのこの控え目な言い方でも、コックの目が一瞬ギラリと光った。だが、すぐにその光は消えて、コックはまた肩をすくめた。 「そうは言われてもねえ……メニューは中隊が決めるんすよ。おれはメニューどおりの料理を作れって言われてるだけです。それに、中隊から支給される肉は……なんてったっけ、そう、硬いんです。補給担当軍曹に言ってやったんです――この肉をどう料理しろっていうんだって。こんなカチカチの肉をどう料理するんだ。なんならおまえが料理してみろってね。すると、やつは肩をすくめて答えたんです――中隊の予算では、これが精いっぱいだ。あとはおまえが、なんとかしろ≠チて。だから、おれはいっしょうけんめい料理してるんす。そいでも……」  コックは大げさに肩をすくめ、思わせ振りに頭をのけぞらせて言葉を切った。 「わかった。そういうことなら、予算と、メニューのことは気にするな。とにかく中隊員にはうまいものを食べさせてやってほしい。隊員たちは、いつでも外食ができるほどの給料をもらっていない。ぼくは中隊長で、きみはコックだ。ぼくはこの中隊の食事を宇宙軍の中で最高のものにしたいんだよ」  エスタリマ軍曹は何度もうなずいた。 「わかりました。おれだって、もう我慢の限界にきてたんです」 「ではそのように手配しよう」フールはうなずいて、メモ帳の項目を一つ消した。 「今日はこれだけだ、軍曹」  軍曹は大げさな敬礼をした。それに応えようとしてフールはあることを思いだした。 「そうだ……もうひとつあった。軍曹、きみのエスクリマという名前だが、例のフィリピンの武術が得意だからそういう名前がついたのかい?」  コックは控え目に笑いかえし、肩をすくめた。 「それを中隊員の希望者――このぼくも含めてだが――に教えてくれないか? その武術のことはあまり知らないんだが、剣とよろいで武装したマゼランたちを撃退したというのだから、研究の価値はあるはずだ」 「座ってくれ、軍曹……きみはチョコレート・ハリーだな?」 「ハリーと呼んでください」軍曹は巨体を椅子に沈めながら言った。「友だちはC・Hと呼びますが」 「わかった。ぼくもC・Hと呼ばせてもらおう」フールはメモ帳に書きつけた。「すぐに友だちになるんだからな」 「へえ、どうしてそんなことがわかるんです?」軍曹は疑うように顔をしかめた。「あの、すいません……中隊長……しかし、おれが覚えているかぎり、士官はおれたちのような志願兵とは親しくしないもんです」 「悪かった。ちょっとあわてすぎたな」フールはノートをめくった。「きみは、ぼくが思っていたとおりのケチなイカサマ師だな」  補給担当軍曹は目を細めた。目が肉づきのいい顔に埋もれている。そのままの表情で軍曹は椅子の背にもたれた。 「いいですかい、中隊長、今のは完全に人種差別的なご発言ですぜ。おれたち有色人種は全員が泥棒だとでも言うおつもりですか?」  名前でわかるように、チョコレート・ハリーは黒人だった。しかし、その肌は真っ黒ではなく、明るい茶色だ。毛深くて、モジャモジャしたとげのような髭《ひげ》をたくわえている。それとは対照的に頭は短く刈りこんであった。分厚いレンズの眼鏡を額に押し上げ、ハリーは中隊長をにらみつけた。巨漢だけに大変な迫力だ。 「え?」フールはノートから目を上げた。「いや、とんでもない。今このメモで確かめたんだが、きみの知能指数は平均以上だ。そのきみが補給担当軍曹をやっていれば、闇市に隊の物資を横流しして金儲けするのも当然だよ。もしまちがっていたら、謝る」  ハリーはニヤリと笑った。 「ありがとうございます、中隊長。士官から謝ってもらえるなんざ、おれのような者には毎日あることじゃないですからね」 「待ってくれ、軍曹」フールもにっこり笑った。「もしまちがっていたら、と言っただろう。きみに謝る前に、ここでしばらく待ってもらわなければならない。きみの書類を押収し、資材倉庫を閉鎖し、一品目ごとに在庫を調べ、監査をして、ぼくがまちがっているかどうかを判断する必要がある」  補給担当軍曹の顔から笑いが消えた。まるで猫ににらまれたネズミだ。不安そうに唇をなめ回しながら、視線をすばやくフールからドアへ走らせた。 「それには……およびません、中隊長」ハリーは慎重に言った。「たしかに、ここだけの話ですが、過去二、三カ月のあいだに……その……置場をまちがえた品物が少しばかりあったかもしれません。もしそうしろと言われるんでしたら、紛失した機材をここ数週間で見つけだしておきます」 「そうじゃないんだ、C・H」フールはほほえんだ。 「なるほど、そういうことなら」ハリーは密談でもするかのように身を乗りだした。「おれと中隊長で山分けということで……」  フールはいきなりゲラゲラと笑いだした。軍曹はあっけにとられている。 「悪いんだが、ハリー。そんなことじゃないんだ。ぼくはきみの邪魔をしたり、追及したりしようとしているんじゃない。それどころか、その反対だ。きみには今やっていることをもっと大々的にやって欲しい。ぼくも力になるよ。いますぐ、倉庫にある品物の処分にかかってくれ」  軍曹は顔をしかめた。 「とんでもねえ、中隊長。その大胆なやり方は好きだけど、この中隊の物資をそんなふうに始末したら、たちまち勘づかれちまいますよ。おれがからっぽの倉庫のお守りをしてるってことをどうやって隠すんです?」 「まず第一に、何も隠さない」フールはニヤリと笑った。「これは軍規に従った行動だ。第九五四条二七項に補給担当軍曹は、老朽化もしくは余剰の機材を破壊あるいは売却によって処分することができる≠ニあり、また第九八七条八項には中隊長は、中隊の機材が修理もしくは交換を要するか、あるいはスクラップとみなして処分されるべきかを決定すること≠ニある。さて、わが隊の機材は戦闘部隊のものというよりは博物館のものにふさわしい代物だ。そこで、きみの出番となる」  ハリーはうなずいた。 「いいですねえ。グッときちゃいます。ただひとつ、倉庫は結局からっぽのままというのがどうも……」 「大丈夫だ。二、三週間のうちに資材が届けば倉庫は満杯になるはずだ。全員に話したように、ぼくは自由に機材を新しい物と交換できる……もちろん、ぼくが自腹を切ってね」 「なるほど」軍曹は椅子の背にもたれ、目を細めて中隊長を観察した。「しかし、そうなるとまるっきり別の問題が持ち上がってきます。中隊長がそれほどの金持ちなら、どうしておれを使うんです? 自腹を切ってまで中隊の資材を買いこんでどんな得があるんです? どうして古い資材を売って、おれに金儲けをさせてくれるんですかい?」  フールは、子供を相手にしているかのように大きな溜息をついた。 「なあ、C・H、世の中には店で売っていない物もあるだろう? ぼくは、通常の資材なら、それを買うための金もあるし、手段も知っている。しかし、ときどき闇市でしか手に入らない品物が必要なこともあるのだ。だからきみは古い資材をパスポートにして闇市に潜りこみ、地下の供給組織へのパイプラインになって欲しいんだ。わかったかい?」 「わかりました」ハリーは歯を見せて笑った。 「おれは今まで白人を兄弟≠ニ呼んだことはなかったけど、中隊長のことはそう呼ばせてもらいますよ」 「いや、今の段階では相棒≠ョらいにしておいてくれ」フールはあわてて言った。「いいかい、このゲームにはいくつかのルールがあるんだ。中隊のルールじゃなくて、ぼくが決めたルールだ」 「へえ。どうも話がうますぎると思った。やっぱしなんかあるんですな」 「まず」フールは軍曹のせりふを無視して話を続けた。「売った後でこちらの害になるような物は売らないこと。自動装置[#入力者注 オートマチック?]の武器を売るときは、完全自動作動に切り替えるセレクター・スイッチを取り外すこと。取り外したセレクター・スイッチを次の週に安く売りさばかないこと。当中隊の機材は旧式だが、われわれや地元警察に向かってぶっぱなされたくない代物がたくさんあるんだ。この惑星上で、完全な自動操縦[#入力者注 オートマチック(自動装填)の誤訳?]の武器を持っているのはわれわれだけだから、軽率な行動は許されない。武器が新式のものに交換されれば、これはもっと重要な問題になる。腕時計式の通信器もそうだ。闇市に潜りこむために標準品をいくつか使うのはかまわないが、中隊用のものは門外不出だ。私用回線をモニターできるのはわれわれだけにしておきたい。少し考えればすぐにわかることだが、例えば、この会話をだれかに聞かれていたらまずいと思うだろ?」  補給担当軍曹は顔をしかめた。 「そりゃそうです。しかし、ちょっとやっかいな仕事ですね」 「ルールその二。闇市の売却で得た金は中隊に還元されること。ただし、きみの手間賃を差し引くのはかまわない。これは、きみが私的な時間を中隊のために割いてくれたことに対する正当な報酬だ。だが、書類のつじつまはうまく合わせておくようにしてくれ。それさえ大丈夫なら、ぼくは何も言わない。しかし、ぼくは品物の相場は、たとえ闇市の値段でも、かなりよく知っているつもりだ。きみが不当な手数料を取っていると知ったら、すぐさま追いだす」 「どこから追いだすんです?」ハリーは挑発するように言った。「この惑星から出られりゃ万万歳《ばんばんざい》ですよ」 「そんなことを言っているんじゃない」フールはほほえんだ。「ぼくの教室から追いだすってことだ。いいかい、C・H、今のきみはケチなコソ泥だ。しかし、ぼくの側について、ぼくのやり方を学べば、大きな勝負ができる。それに、退役後のための軍資金の調達方法も教えてやれる。わかったかい?」 「座ってくれ、ブランデー」フールは椅子を指して古参曹長に言った。「待たせて悪かったな。しかし、きみとはいちばん最後に話がしたかったんだ」 「どうぞお気になきらず」長身の女性曹長は肩をすくめて椅子に座った。「軍隊で学んだことがあるとすれば、士官を待つってことだけです」  フールはこの露骨なあてこすり[#「あてこすり」に傍点]を無視した。 「時間も遅いし、われわれも疲れている。要点だけ話そう」フールは椅子の背にもたれて、自分のからだを抱くように両腕を胸の前で組んだ。「教えてくれ――この中隊で最大の問題はなんだと思う?」  ブランデーは目をパチクリさせて眉を吊り上げ、口笛を吹くかのように唇をすぼめた。 「ずいぶん荒っぽい質問ですね」曹長は投げだした足の位置をずらして言った。「どこから始めていいか。中隊長に少しでも脳ミソがあれば、この中隊がクズの吹き溜まりだってことくらいはお分かりでしょう。どこを見ても問題ばかりで……」  ブランデーは最後まで言わず、首を振った。 「ぼくが見たところ、いやに目立つ問題がひとつある」フールは、ずばりと言った。「ぼくが解決できそうもない唯一の問題がね」 「どういう問題ですか?」 「きみだ」  ブランデーはギクリとして顔をしかめた。 「わたしですか?」 「そうだ。だが、誤解しないでくれ。きみは優秀だ。中隊の中でも抜群の人材だ。きみの記録を見ても、ぼくが一週間にわたって観察した結果からしても、きみはぼく以上に優秀な指導者だ」フールは首をかすかに横に振った。「だが、問題はその他人を冷笑する性格だ。ライト兄弟が最初の飛行機を設計しているところへ行ったら、きみはこう言うだろう――そんなもの飛びやしないわよ≠チて。その飛行機が処女飛行で頭上を通過すると、こう言う――着陸で失敗よ!≠チてね」  ブランデーは顔にかすかな笑いを浮かべ、「でしょうね」と認めた。  フールは、にこりともしなかった。 「その皮肉は、この中隊には不要だ。古参曹長たるべき者には慎んでもらいたい。ぼくはこの中隊を変えるつもりだ。すべての中隊員をガッチリ把握して、各人に自分の意見を持ってもらいたいと思っている。しかし、リーダーたるきみが志願兵に向かって、おまえたちはクズだ、救いようがないバカだと言いつづけていたら、ぼくはお手上げだ。ぼくは二面戦争を想定している。敵は司令部と中隊員たちだ。きみまで敵に回している余裕はない」  古参曹長は、まっすぐ中隊長を見かえした。 「つまり、配置転換ですか?」  フールは顔をしかめた。 「確かにそう考えたこともあった。きみだけは真剣にそうしようかと思った。しかし、いやなんだ。簡単すぎる。努力もしないで諦《あきら》めるようなものだからな。きみの能力と、リーダーとしての資質に、ぼくは感心している。だから、敵対するのじゃなくてたがいに協力していきたい。それが可能な唯一の方法は、きみに変わってもらうことだ」  ブランデーは唇をかんで考えこんだ。 「正直言って、変わりたいと思っても変われるかどうかわからないのです。癖ってものは、なかなか直りません。わたしは昔から、ずっとこうなんです」 「だから、断言しろとは求めていない」フールは懸命に説得した。「今の段階では、努力してみると約束してくれればいい。いいかい、ブランデー……クソ! 心理学者ごっこは大嫌いなんだが、ぼくが今まで出会ってきた冷笑屋たちのほとんどはかなり重症だったが、それでも、みな本当は心優しい連中なんだ。かれらはひどく傷つけられた経験を持っている。だから、またガッカリしたり傷ついたりするのが怖くて、希望を持つことをやめたのだ。きみがそういうケースかどうかわからないし、それはどうでもいいことだ。ただ、きみの冷笑で相手を落ちこます前に、相手にチャンスを与えてやって欲しい。中隊員にチャンスをやってくれ。このぼくにもね」  しばらく沈黙が流れた。ふたりは突然、思いもしなかった親近感を感じて妙な気恥かしきをおぼえた。先にフールが負けて口を開いた。 「よく考えてくれ。その結果、努力する価値がないと判断したら、ぼくにそう言ってきてくれ。配置転換の手筈を整えよう」 「ありがとうございます」ブランデーは立ち上がって敬礼をした。「考えてみます」 「なんとか……」 「なんでしょう?」 「きみ自身にチャンスを与えてみてくれないか」 「ご主人様?」  フールは目を開けた。入口のところに執事が立っている。 「なんだ、ビーカー?」 「お邪魔をして申しわけありません。しかし、明日は移動日になっておりますので、少しお休みになられたほうがよろしいのではないかと」  フールは立ち上がり、あくびをしながらこわばったからだを伸ばした。 「そのとおりだな、ビーカー。きみがいてくれなかったら、ぼくはどうなっていることやら」 「まったくでございます。で、面接のほうはうまくいきましたか?」  フールは肩をすくめた。 「最高とはいかないが……最低の出来でもないな。しかし、いくつか大事件があったぞ。あのブランデーが――古参曹長が、敬礼をして部屋を出ていったんだ」 「それは大収穫」ビーカーはフールに優しくつき添ってドアを出た。 「それに、レンブラント――絵描きになりたがっている中尉だが、アームストロングとの面接が終わったあとで遠慮がちに、ぼくにモデルになってくれないかと言ってきた。肖像画のモデルかと思ったら……裸の人体の研究をしたいんだとさ。ちょっと驚いちゃったよ」 「なるほど。で、お引き受けになったのですか?」 「考えておくと答えておいた。まあ、悪い気はしないよ。たくさんいる中から選ばれたんだから。それに、彼女の絵の勉強の手助けをしてやるのも中隊長としては……」 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル補足[#「執事日誌ファイル補足」はゴシック体]  ご主人様にお知らせするのは、僭越《せんえつ》に過ぎるとあたくしは思った。と言うよりは、お知らせする気力も勇気もなかったのだ。だからご主人様ご自身で発見していただくことにした。わたくしはすでにレンブラント中尉の作品を見ている――完成品と描きかけの両方を。レンブラント中尉の絵は一枚残らず風景画だった。少なくとも、現在までのところは。 [#ここで字下げ終わり] [#改ページ]       4 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 〇一九[#「執事日誌ファイル 〇一九」はゴシック体]  全中隊員を居住区へ移動させて宿舎を改築することは、まさに一大事業だった。ほとんど手ぶらの中隊員たちは軽々と移動できたが、中隊の備品、特に厨房用具《ちゅうぼうようぐ》の梱包と保管は全中隊員が総出でやっても時間を食う面倒な仕事だった。そういうわけで、実際にホテルへ移動したのは正午ごろになってしまった。  中隊員と居住民をあっと言わせたいわがご主人様は、中隊員を家畜のようにトラックで輸送することを避け(しかし、中隊員たちが食事する様子を観察したあとでは、この方法がいかに適切なものであるか――わたくしは理解した)、ホバーリムジンを数台借り切った。贅沢《ぜいたく》だと思われるかもしれないが、ご主人様は元来それほど倹約家ではなく、こと人を驚かせるためならお金に糸目はつけない。  移動のあいだ中、中隊員たちはいつになくはしゃいでいた。まるで遠足へ行く小学生のようにさえずり、腕時計式の通信器を新しいおもちゃのようにいじくり回しつづけた。わたくしが同乗した中隊員のひとりは、前夜のご主人様の言葉――ビーカーは秘密を守る人間である――が、真実であるかどうかを試そうとしてきた。 [#ここで字下げ終わり] 「あの、ビーカーさん……」  執事はラップトップ・コンピューターから目を上げ、敵意も好意もない表情で、話しかけてきた中隊員のほうを見た。 「ビーカーだけでけっこう。さん≠ヘ不要です。余分な呼び名は不適当であり、必要ありません」 「ああ、ま、とにかく、その……新しい中隊長のことを少し教えてもらえないかと思って。かなり長いおつきあいらしいから」 「そのとおりです」ビーカーはスクリーンを畳み、コンピューターをポケットにしまった。 「しかし、ご主人様のプライバシーに立ち入るわけにはまいりません。わたくし個人の見解だけを述べさせていただきます」 「どういうことだい?」 「つまりね」反対側に座って窓の外を眺めていたブランデーが、会話を聞きつけて口をはさんだ。すでに車内のほかの連中は興味津々でビーカーの応答を待っている。「ビーカーさんは中隊長の個人的な秘密をバラすつもりはない……だから、自分が感じたことだけを話してくれるっていってるのよ」 「ああ、そうか。それで、いいよ」 「ここで、あるいは将来において、あなたがたからうかがった話は絶対に口外しませんのでご安心ください」  どういうこったい? 中隊員は助けを求めるようにブランデーを見た。 「つまり、あんたの言ったことを、だれにもしゃべらないってこと」 「わかった。それで、その……あの中隊長はあてになるのかな? おいしい話ばっかしするけど、どこまで本気にしていいのかな? それからあんた、もってまわったような言葉づかいをやめて、もっとポンポンわかりやすく話してほしいよ。あれじゃ通訳がいるぜ」 「かしこまりました」ビーカーは考えこみ、指で膝を叩いた。「つまりご質問の意味は、あたくしのご主人様……あなたの中隊長が……信用できる人物であるかどうか――そういうことですね? ご主人様は常に、お仕事においても私生活においても、徹頭徹尾……いや、失礼……とても、公正であられます。ご主人様が信頼できるかどうかという点ですが……たしかに、ご主人様はひどくバランスを欠いておいでです」  リムジンの中がショックで静まりかえった。最初に口を開いたのは古参曹長だった。 「バランスを欠いてるって、どういうこと? あの中隊長は正気を失ってるっていうの?」 「とんでもない、そんな意味ではありません」執事はあわてて否定した。「簡単に言おうとして、つい言葉の選択を誤まりました。ご主人様は多くの成功した実業家と同じ性癖をお持ちなのです。つまり、ひとつのことにとり憑《つ》かれてしまわれる。お仕事が生活のどこに位置するかということではなく、お仕事が生活そのものになってしまうのです。全宇宙のすべてのことをお仕事に結びつけてしまわれるんですな。目下のところ、ご主人様は、この中隊のことに夢中になっておいでです。この中隊を前進させ、そして守るために、ご主人様はすべてのエネルギーと資財を注ぎこむおつもりです。率直に申しまして、このようなご主人様のご努力の場に居あわせられたみなさまはきわめて幸運であられます。過去の経験からいたしまして、ご主人様がいったんこうと決められたら絶対に失敗なさいません」 「ちょっと、いいかしら」ブランデーが面倒くさそうに言った。「いま目下のところ≠チて言ったあね。あなたのご主人様が、もし別のピカピカ光るオモチャに気を取られてしまったら、わたしたちはどうなるの?」 「ああ、それでしたらご心配いりません。ご主人様はお仕事にとりかかられたら、きわめて粘り強いかたでいらっしゃいます。もちろん、その場合……」  ビーカーは途中で言葉を切った。 「その場合、なに?」 「その……みなさまの中隊長は、無限と思えるほどのエネルギーとパワーでみなさまを駆り立てるでしょう。ご主人様の計画や行動に対してみなさまが消極的であっても、その姿勢は変わらないはずです。ただ、ご主人様がやる気をなくすとしたら――途中で匙《さじ》を投げるとしたら、それはただひとつ、中隊の内部で大規模な抵抗が起きたときでしょう。みなさまは、現在の印象をかたくなに維持しつづけることです。個人的にも中隊全体としても」 「どういうこと?」 「このままバカを続けろってこと――さもないと中隊長は、おれたちを見捨てるってこと。そうだろうが、ブランデー?」 「ええ? ああ、そういうことね。バカの振りだったら任せておいて、ビーカー。ちょっとガッカリしたけど、あなたのご主人様とはうまくお付きあいしてみようと思うわ。ねえ、みんなもそうするでしょ? それがいやな人は今すぐ申し出てちょうだい」  この言葉をきっかけにして、車中ではにぎやかに話が始まった。そのかたわらでビーカーが無言のまま微笑《ほほえ》んでいるのに気づく者はいなかった。  プラザホテルには昔ほどの賑いがない。新しい近代的なホテルの出現で、すっかり影が薄くなってしまった。だが、それでもりん[#「りん」に傍点]とした威厳と気品を備えている。通りを隔てた公園の噴水には若い不良たちが落書きを書きなぐっており、公園そのものも長いこと手入れがされていない。公園の利用者は浮浪者だけで、昼間は歩道でスケートボードの曲芸を見せ、夜ごとにベンチを取りあってケンカを繰りかえす。だが、このホテルは周囲で何が起きようとまるで眼中にないかのようだった。ちょうど夏休み中に七人の子供の面倒を見る母親の姿に似ている。  ある日、この静寂が唐突に破られた。ホバーリムジンの最初の一台がホテル正面の乗降口に到着し、オメガ中隊員たちと荷物を吐きだしたのだ。先導車に乗っていたフールは、私用の荷物と格闘する隊員たちを残してフロントへ向かった。 「いらっしゃいませ」フロント係は、玄関のガラス越しに見える集団を不安そうに見やった。 「ウィラード・フールだ。予約が入っているはずだよ――百ルームとペントハウスを使う」  フロント係は一瞬ためらったが、コンピューターのキーボードのほうへからだをずらした。たまたま、フールの手の届かないところへ移動した格好になった。 「はい、確かに| 承 《うけたまわ》っております。ウィラード・フール様……ペントハウスでございますね」 「それに百ルーム」 「あの……それが、ペントハウスだけのご予約になっておりますが」  フールの笑顔がかすかにこわばった。だが、困惑の表情は見せていない。 「もう一度調べてみてくれないかな? 一週間前に予約したはずだ」 「はい、確かに承りましたが、その後でキャンセルされております」 「キャンセルだって?」フールの声がとがってきた。「だれがしたんだ?」 「支配人とお話しいただけますか? ただいま呼んでまいりますので、少々お待ちください」  フロント係はフールの答えも聞かず、背後のドアから飛びだしていった。フールがイライラと待つあいだにも、ホテルのロビーは隊員たちで溢《あふ》れかえってきた。  ローレンス(決してラリーと呼んではならない)・ボンベストは年齢にはふさわしくない地位と権力を手に入れていた。今の仕事に就いてまだ日は浅いが、ホテル支配人になるために生まれてきたような男だった。プラザホテルを鉄の拳で取り仕切り、そのワンマン振りは従業員たちの不評を買っている。だが今のように、ホテル業につきもののトラブルが起きたときには従業員たちは支配人の確固たる態度をありがたがり、その後ろへあわてて隠れこむ。疲れて苛立った旅行者たちがたびたびこの岩にぶつかってくるが、岩はびくともしない。岩の支配人はいかにもベテランらしく落ち着き払った態度で奥の部屋から出てきて、一目で状況を見て取った。 「わたくしが支配人ですが、どうかなさいましたか?」  フールは目を細めて、支配人の真鍮の名札をチラリと見た。 「ちょっと問題が起こったんだ、ボンバストさん。ぼくはウィラード・フールだ。百ルーム分の予約をキャンセルしたのはだれだい?」  フロント係の男は、支配人に見とがめられる心配がないところで笑いをかみ殺していた。フールは従業員が支配人につけたあだ名を偶然に口にしたのだ――ボンベストではなく、ボンバスト[#ここから割り注](大言壮語)[#ここまで割り注]。このときまで、面と向かって支配人にそう呼びかけた者はいない。 「ボンベストです。その予約をキャセルしたのはわたくしです」 「どうしてだい?」 「予約をなさったかたの入力ミスだと思ったからです。予約は従業員ではなくコンピューターがお受けしておりますので、このようなミスがよく起こります」支配人は気取って笑ったが、フールは無視した。「百ルームを数週間選ばせておくことは、営業上許されません。実際にご予約いただきましたのが一室なのか十室なのかも分かりませんでしたので、念のためにキャンセルさせていただきました。ご到着なさってから必要なお部屋の数を確認させていただきたいと存じまして」 「なるほど。どうやら予約が入ったときにクレジットカードの番号をチェックしなかったようだ?」 「いたしておりません。さきほど申し上げましたように、百ルームもあけておく経費は莫大なものになりますので」  フールが魔術師のように手をくねらせると、支配人の目の前のフロントデスクの上にクレジットカードがばらりと落ちた。 「その膨大な経費とやらも、これでかたがつくだろう」  名誉を重んじるボンベストはさすがにあわてず、へつらわず、カードを手に取って裏がえし、その署名を確かめた。ディリチアム・エキスプレス発行のこのカードは、銀河系でもとびっきりの大金持ちしか持つことのできないカードで、通常は会社を売買するときにだけ使われる。必死に冷静を装ったが、抑えることのできない畏怖《いふ》の念が支配人の心の中で沸き起こってきた。 「わかりました」支配人はゆっくりと言った。 「さっき、きみは明言した。いま、ぼくはここに来ている。早急に必要な数の部屋を用意してもらいたい。予約どおり百ルームだ」  フールは満員のロビーの方へ首を振って見せた。  すでにボンベストは、その団体客には気づいていた。ディリチアム・エキスプレス・カードを目の前にして、支配人は、営業成績の飛躍的な向上と、この中隊を自分の領土に受け入れる不安との両方を秤《はか》りにかけた。どちらにしても、自分の給料に変わりはない。支配人は腹を決めた。 「申しわけありませんが、フールさん。現在、百ルームはお取りできません。もしよろしければ、どこか別の場所に、もっと……みなさまにふさわしい宿舎を見つけるお手伝いをさせていただきますが」  なさけない言いわけだ、支配人はフールが怒りを爆発させるものと覚悟した。だが、フールは薄ら笑いを浮かべただけだ。支配人は驚いた。 「そんなでたらめは聞きたくないな、ボンバスト」 「ボンベストです」 「……あの予約をしたときに見たコンピューター・データによると、百五十ルームあるうちの十ルームしか客は入っていない。ま、そんなことは、どうでもいい。さしあたりこの難局を乗り切るには三つの方法がある。その一、ぼくがきみとホテルを相手取って訴訟を起こし、宿泊客はその人種、宗教、性別、あるいは職業を理由に宿泊を拒否されてはならないという法に訴える。だが、これは手間暇がかかりすぎて、いますぐ部屋が飲しいという要求に応えてくれるものではない。その二、きみが物わかりよく百ルーム分の鍵を渡す。その三……」  フールの笑いが大きくなった。 「……ぼくがこのホテルを買い取って、オーナーの意向をもっと的確に判断できる支配人を雇い入れる」  ボンベストは、法律的には手も足も出ない立場にあることをさりげなく指摘されて、内心少少びびった。しかし三番目の方法を耳にして、フールが素人であることが明白になった。少しばかりいたぶって[#「いたぶって」に傍点]やろう――そう支配人は心を決めた。 「じつは現在宿泊客が少ないために従業員を減らしておりまして、プラザホテル自慢のきめ細かなサービスがみなさまに行き届かないのです。ホテルの評判を落とすよりは、みなさまにほかのホテルへお泊まりいただくほうがよろしいかと存じます。また、プラザホテルを買い取られる件でございますが」支配人はかすかに微笑《ほほえ》んだ。「これは、まさに実態のないご脅迫です。このホテルはチェーン組織でして、オーナーは複数になっております。つまり、複合企業の持ち物なのです。その企業に、このホテル一軒だけの売買を持ちかけることがおできになるかどうか」  フールは憮然として首をゆっくりと振った。 [#挿絵82  〈"img\[ロバート・アスプリン] 銀河おさわがせ中隊 082.jpg"〉] 「あのね、ボンバスト……」 「ボンベストです」 「……わかっていないのは、きみのほうだよ。チェーンのオーナーはウェッブ・コンバインで、そこのCEO、つまり経営責任者はレギー・ペイジだ。少なくとも三週間後に開かれる次の重役会議までは、そのはずだ。レギーは今やばい[#「やばい」に傍点]立場にある。パルナUの新しいリゾート・コンプレックスに限度額ギリギリまで借金したところへもってきて、下請け業者がストライキを起こしてしまった。第一四半期のうちで三番目の災難だ。早いところ現金を用意して買いとってしまわないと、レギーの仕事はもちろん、プロジェクト全体が完全に水の泡になってしまう。だから、今ぼくがこのホテルを買い取る話を持ち掛けたら、レギーは喜んで乗ってくるはずだよ」  ボンベストは額のあたりがじっとり湿ってくるのを感じた。フールは、さらに話をつづけた。 「だけど、これは脅しじゃないよ。ぼくはこのホテルを買い取れるけど、その手続きには少なくとも二十四時間はかかる。ということは、契約が完了するまで中隊を別のホテルへ移動させなきゃならない。しかし厄介なことに、中隊員にはこのホテルに泊まると言ってしまった。きみのまぬけなゲームに調子を合わせて、ぼくがそれを撤回したら、ぼくは中隊全員の前で恥をかくことになる。きみはクビになるな。再就職しようとしても、その会社は全部ぼくが買い取って、この惑星では働けないようにしてやるぞ。このさき一年間分の航宙船の切符を全部買い占めて、きみをこの惑星に釘づけにしておく。脅しってのは、こういうのを言うのさ。その違いがわかるかい?」 「は、はい」  フールの表情が、いつものなごやかな笑顔に戻った。 「さて、おしゃべりはこれくらいにしよう。みんなにとって、もっとも賢明な方法は、きみが部屋を貸してくれて、従業員の数を増やす手だてを講じることだ」  ボンベストは威張り屋で頑固者ではあったが、バカではなかった。岩だって生きてゆかなければならない。億万長者とケンカしてもボンベストの、つまりホテルのためにならないことは明白だ。そう即座に判断して、ふたりのやり取りを見守っていたフロント係のほうへ向きなおった。 「宿泊客カードを百枚と、各部屋に鍵を二個ずつ用意してくれ。最上階から始めて、プールサイドの部屋も使え。どなたをどの部屋に入っていただくか記録に残すから、カードの記入が終わってから鍵を渡せ」  支配人はフールに向きなおった。 「ほかに何か?」 「実は、その……ちょっと待ってくれないか。おおい、アームストロング! レンブラント!」  ふたりの中尉は人込みをかき分けて中隊長のそばへやってきた。 「隊員を二人ずつ組みあわせて、部屋割りをしてくれ。きみたち幹部はペントハウスのなるべく近くの部屋に入ってもらいたい。ペントハウスを、ここにいるあいだの指揮所にする。どの部屋にだれが入ったかリストを作ること。それから荷ほどきは待てと伝えてくれ。相部屋の相手が決まったら、また移動してもらうことになる」 「わかりました」 「ビーカー!」 「はい」  フールの行動の癖を知っている執事は、すでに、そばにきて立っていた。 「ボーイを頼む。ボーイは部屋を案内するだけで、荷物を運ぶ必要はない、操りかえす、荷物を運ぶ必要はない。ただカートの手配だけを頼めばいい。それから、チップをちゃんともらっているかどうか確かめてくれ。いいな?」 「わかりました」 「さて、ボンベスト、もう百枚の宿泊者カードを用意してくれ。部屋割りが完了したら記入させる」 「それでは……二度手間ですから、それまでこちらのカードの記入も遅らせましょう」 「心づかいはありがたいが、そうしていると一週間かかってしまう。われわれの組織化は、まだ完全じゃないんでね。そのために、ホテルの業務が| 滞 《とどこお》っては申しわけない」 「いえ、そんな……その、おそれいります」 「きみがいるあいだに、もうひとつだけ頼みたいことがある。通りの向こうの公園だが、あれはこのホテルの所有物かね?」 「はあ、まあ……しかし、どなたでもご利用いただけます」 「けっこう。ときどき連動や訓練に使わせてもらうよ。そうだ、噴水の掃除をやらせてもらえないかな? 費用は、ぼくが負担する」 「かしこまりました。恐縮でございます」  ボンベストは平静さを取り戻した。まだいくらか動揺してはいたが、中隊長がその勝利にもかかわらずきわめて上品で寛大なのに気持ちの良い驚きを感じた。この一見物騒な連中を泊めても、それほどひどいことにはならないかもしれない…… 「ボンベストさん!」  支配人は顔を上げた。レストランのシェフ、ビンセントが鬼のような形相でロビーを横切ってくる。 「ビンセント、頼むからそう大声を張り上げないでくれ。今ちょっと……」 「だれか……わたしのキッチンをのぞくやつがいるんです! こいつらと同じような格好をした男が!」シェフは、何事かと集まってきた中隊員たちに向かって腹立たしげに指を振り立てた。「今すぐ、やつを追っ払ってください! どこの馬の骨だかわからないやつにそばにいられちゃ、仕事が手につかないんですよ!」  ボンベストはにっちもさっちもいかなくなったことを感じた。フールとこれ以上争うのはごめんだ。しかし、シュフをこのままにしておくわけにもいかない。 「あの……フールさん、なんとか……」 「申しわけない。なにか誤解があるようだ」中隊長はみんなを静めるように手を上げた。 「中隊の食事係に中隊の食事をましなものにするよう命令した……しかし、それは新しい宿舎に戻ってからの話だった。とにかく、その食事係と話をしてみよう」 「すいません。キッチンをのぞいてたのは、わたしです」  全員が振りかえった。エスクリマ軍曹が立っている。 「あの……なんと言うか……申しわけない。キッチンがどういうふうになっているか見たかっただけなんだ。見る前に、見たいと頼めば良かったんだけど、コックがいなかったもんで、つい勝手に……ごめんよ。コックに黙ってキッチンに入ったのは悪かった。謝るよ」 「そうら、わかっただろう?」ボンベストは微笑みながら、シェフの肩をたたいた。「悪気はなかったんだ。軍曹は謝っているじゃないか」 「当然だな」ビンセントは傲慢《ごうまん》に鼻先であしらった。「まいるよな……料理については才能のかけらもない軍隊の飯係が、おれのキッチンに入ってくるなんて」  エスクリマの目が一瞬ギラリと光った。だが、どうやら笑顔をキープした。「そのとおりだ。申しわけない」 「ちょっと待った」フールがけわしい表情で二人の男のあいだに割ってはいった。「エスクリマ軍曹はまちがいを犯した、だから謝った。だからといってシェフが軍曹のコックとしての才能を侮辱する権利はない。たしかに軍曹は、きみほどうまく料理できないかもしれない。でも、料理の才能のかけらもないビン洗いなんかじゃないぞ。それに、軍曹が属しているのは正規軍じゃない。軍曹は宇宙軍のオメガ中隊員だ。今の発言を謝ってもらいたい」  ボンベストはシェフに目を向けた。だが、シェフは譲る気配を見せない。 「そんな必要はない! おれが謝る前に、おれがまちがっていたことをやつに証明してもらおうじゃないか。料理用のボウルと洗面器の区別がつくところを見せてもらおうじゃないか」  この種の無礼にフールがどういう反応を示すか? さっきのことを思いだしながら、支配人は、すぐに新しいシェフが見つかるだろうかと考えはじめていた。しかしフールには、さっきとは別の作戦があった。 「よろしい」フールは応じた。「ここのキッチンとレストランを丸一日貸して欲しい……あさってはどうだろうエスクリマ軍曹に中隊の食事を用意させてみたい」 「おれのキッチンでかい?」シェフは、かなきり声を張り上げた。「冗談じゃない……」  事態の一大危機を感じ取った支配人が口をはさんだ。 「しかし、費用のほうが……」 「五千ドルもあれば足りるだろ?」中隊長は平然と応じた。「もちろん材料は、こちらで調達する。キッチンの従業員は、ぼくの負担で有給休暇とする。ただし……」フールは振りかえってシェフに言った。「きみだけは、いてもらう。きみには通常の二倍の給料を、ぼくが支払う。きみは黙ってキッチンに座って、エスクリマ軍曹の仕事を見ていればいい。できあがったら食事にも参加して、吟味してくれ。そのときに改めてエスクリマ軍曹に謝る機会を設けよう――謝る必要があるときみが感じたらの話だがね。いいかな?」  シェフは何度か口をバクバクさせてから、無言でうなずいた。 「よろしい。それではエスクリマ軍曹、キッチンでの手伝いに必要な人員のリストを作ってブランデーに渡してくれ。C・H!」  フールが大声を出す必要はなかった。補給担当軍曹は近くをうろついていたからだ。 「はい、中隊長?」 「明日は通常の業務から離れてよい。エスクリマ軍曹が作った品物のリストを受け取って必要な物を調達してくれ。最高級品を手に入れるんだぞ。いいな?」 「わかりやした。あの……中隊長?」ハリーは声を落として中隊長の耳に口を近づけた。「ほんとうにやる気ですか? 正直いって、うちの中隊のメシがパッとしないことは事実です」 「ご心配はありがたいがね」フールも声をひそめて応じた。「でも、あのエスクリマはみんなが思っているより腕のいいコックだよ。もしそうでないとしても、中隊員がよそ者にけなされるのを黙って見ているわけにはいかん。エスクリマ軍曹に反撃のチャンスを与えてやるのが、ぼくの任務だ」 「中隊対ホテルの戦いですね? わかりました。やりましょう。任せといてください」 「ありがとう、C・H。頼むぞ」フールはニヤリと笑った。「そのホテル対中隊の戦い≠セが……あまり勝ち目はなさそうだな」 「おれは生まれてこのかた、ずっと勝ち目なしの人生を送ってきました」ハリーはウインクをした。「今さら勝ち馬に乗り換えようと思っちゃいませんよ」  フールはハリーに手を振って別れ、フロントに向きなおった。 「こんなことになって申しわけない、ボンベスト。でも、この事態を切り抜けるには、これが最上の方法だと思う」 「わかっております、フールさん。あなたのお申し出と解決策は、この場合きわめて寛大なものだと存じます。ペントハウスの鍵をお持ちになりますか? 少しお休みになられたほうがよろしいでしょう」 「そうだな……しかし、そうもしてられないんだ。鍵は執事のビーカーがもらって荷物を運ぶ。ぼくは居住区の重要人物の何人かに電話をかけなくちゃいけないんでね」 「知事ですか?」  フールは頼りない笑顔を見せた。 「警察署長のほうが先だ」 [#改ページ]       5 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 〇二一[#「執事日誌ファイル 〇二一」はゴシック体]  軍隊を描いたアクション/冒険小説などではめったに触れられていないが、指揮官の大事な仕事のひとつは意外にも、地元民間人と兵士たちとの橋渡し役である。兵士たちが民間人と交流する姿もまた、現実には、まず世間の目にとまることはない(それもそのはずで、平常の軍務というものが、ほとんど例外なく退屈きわまりないものだからだ)。ただし、それも指揮官がマスコミの扱いを最低限まちがえないかぎり言える話だ。まんがいちそんな事態にでもなれば、その指揮官または部隊は必ずや、残忍もしくは愚鈍なものとして、あるいはその両者を合併したものとして、やり玉にあげられることになる。  入植地へ移動させた隊員たちの個性を考えれば、ご主人様がハスキン警察署をご訪問されたことは、必要かどうかはともかく、賢明だったと思う――本来なら拍手してさしあげるところだ。しかし、この戦法に厄介な問題がからんでいることは容易に想像がついた――つまり警察署長の人柄が問題なのである。  法執行の世界は、まことに複雑だ。この世界の人間は普通、大きく二つに分けることができる。つまり警察管理者と警官だ。ハスキン星の警察管理者は警視総監の肩書きを持ち、ハスキン議会の議席も有している。一方、ご主人様が交際相手に選ばれた警察署長は、いわゆる街≠ノおける日々の法執行を調整し、処理する責任者、つまりは人々の定義によるところの警官≠ナある。  文学では、意志の強い者同士のあいだに、すぐに友情が芽生える話がよく見られる。ところが現実では、そういった者同士の出会いは、丘に二匹目の虎を放したときと同じ結果を生む傾向にある。つまり、眼を合わせたとたんに憎しみの火花が散るのだ。 [#ここで字下げ終わり]  ゲッツ警察署長は雄牛のような男で、机のまえで反《そ》っくりかえっているよりもフットボールの試合に出て、サイドラインを歩き回っているほうが似合いそうだ。髪はきれいに剃ってあった。噂によれば、後退する前髪の生えぎわをごまかそうとして剃ったらしい。だが、その効果はなく、押しつぶされたカボチャのような頭部をいっそう引き立たせているだけにすぎない。頭部は肩から直接生えているように見えた。くたびれた白のワイシャツの袖を目いっぱいまくりあげ、脂肪のかけらもなさそうな力こぶを覗かせている。ごつい右手のこぶしに刺青《いれずみ》されたミランダ≠フ文字が、警官として持ち場を巡回していた当時をしのばせる。笑みを浮かべたときでさえ――もっとも、めったに笑いはしないが――しかめ面と食いしばった下あごは変らない。そして今は当然、笑みを浮かべてはいなかった。  ゲッツ署長の今の表情には、真新しいカーペットの上へ犬の糞を落とされたときに見せる温かさと好意しかない。しかし署長室に舞いこんだ黒服の細身の男に対するゲッツ署長の気分を説明するには、これでもまだ好意的な表現だろう。 「もういちど確認させていただくが、大将――」 「大尉です」フールは穏やかな口調で訂正した。  だが、ゲッツは、まったく無視して話しつづけた。「きみは約二百名の兵士を、この入植地へ移した。そして宇宙軍が借りている兵営施設を改築するあいだ、兵士たちは入植地に滞在する」 「ええ、そうです」 「そして、そのあいだ、兵士たちは制服姿で、わたしの街をえらそうに、いばり散らして歩きまわる。まるで、もめごと屋が、どこで騒ぎを起こそうかと捜しまわるようにな」 「そんなことはありません」 「いや、このわたし[#「わたし」に傍点]がそう感じとるんだ!」ゲッツは椅子から身を乗りだして怒鳴った。「あんなオモチャの兵隊が街をうろつけば、軍人と勝負したがっている街のごろつきどもの鼻先で赤い布を振るようなものだ」  フールは、さしあたり今は軍人≠ニいうレッテルづけを聞き流すことにした。 「しかし、ゲッツ署長、うちの隊員は以前にも入植地へきております。それと今回の場合とで、いったいどこが違うのか……」 「以前は二百人もの団体ではなかった点が違うだけだ!」警察署長は吠えた。「これまでは宇宙軍の者がきても、ここらのごろつきに数で負けておったから、まったく乱闘騒ぎにはならなかった! それが、こうして、きみが勢力を五分にしてしまった以上、宇宙軍の連中は、どこへでも出入りし、好き勝手なことをするだろう。ということは、連中がなにかするたびに厄介なことになるに決まっている」 「わかりました」フールは、かすかに笑みをうかべた。「どうやら、ぼくは街における警察の力を過大評価していたようです。こちらのデータでは、それほど入植地が崩壊寸前の犯罪の温床とは出ていなかったものですから」  突然、警察署長の顔が、わきおこる赤紫色の嵐雲のように、ふくれあがった。これまでこの顔でにらまれた何人もの部下が小便をもらし、ロッカールームへズボンを替えに走ったほどだ。 「聞き捨てならん!」ゲッツの声が轟いた。「ここの犯罪発生率は最低で……」  赤紫色の嵐雲は、わきおこったときと同じように、みるみるうちに消え去り、あとには赤みを帯びた顔だけが残った。やがて、その顔の赤みも次第に引いていった。それでもまだ警察署長は、うつ向いて机の上のファイルを凝視している。  フールは辛抱づよく、ゲッツの言葉を待った。  ようやくゲッツは顔を上げた。いぶかしげに太い眉をしかめ、眼に険悪な光を宿らせている。 「危うく引っかかるところだったよ、大将」ゲッツは食いしばった歯をむきだした。「なにか、おれにかま[#「かま」に傍点]をかけて聞きだしたいことでもあるのかね?」 「ぼくは、ただ、署長に、ご自分のおっしゃっている言葉の意味をわかっていただきたかっただけです」フールは肩をすくめた。「署長の言葉どおりですと、うちの隊員たちは、これまで行きたいところへも行けず、やりたいこともできなかったことになります。隊員たちにも、ここの住民と同じように入植地で楽しむ権利があるはずですし、ぼくの知るかぎりでは入植地のどこにおいても、隊員たちがお金を使えば喜ばれています。ですから、ぼくが勢力を五分にした≠ニころで、謝ったり、是正したりすべき点があるとは思えません。それから断っておきますが、ぼくは大尉≠ナす。大将≠ナはありません」  警察署長は唇をかたく閉ざしたまま、ニヤリと顔をひきつらせた。 「失礼」と、署長は謝った。まるで申しわけなさそうではない口調だ。「きみたち宇宙軍の階級にはあまり関心がないもんでな。じつをいうと、宇宙軍の兵隊そのものをほとんど完全に無視している――ただし、法を犯さんかぎりはだ。もし、違法行為をすれば……平穏な町をかき乱す犯罪者として扱う。それは、かまわんだろうね?」 「しかし、巡査部長……」 「署長だ!」 「失礼しました」フールはニッと歯を見せた。「署長は階級を重要視されていないようでしたので、ぼくはてっきり……」  フールは後の言葉を宙に浮かした。  ゲッツは、一瞬じろりとフールをにらみつけ、 「いいだろう、大尉[#「大尉」に傍点]」と、うめくように言った。「これで満足だろうが」 「けっこうです。それで、署長、先ほど言おうとしていたのですが、うちの隊員は違法行為を犯した民間人とまったく同じには扱えないのではありませんか? たしか、これに関しては規定があって、宇宙軍兵士の懲罰《ちょうばつ》は当地の指揮官――つまり、この場合、ぼくですが――その指揮官の判断に任され、民間の裁判にはかけられない、となっているはずです」 「そうだったかな?」 「ええ、たしかに」フールはきっぱりと言い切った。「署長が、その規定についてお詳しくないのでしたら、写しを取り寄せて提出しましょう――」 「いやけっこう。むろん、わたしは熟知しとる」署長は、ぶっきらぼうに手を振った。「つまりは、こういうことだ。今までは、われわれ警察が、きみのところの強情な坊やを逮捕して宇宙軍基地へ引き取りにくるように連絡を入れても、いつも結局は留置所で一晩泊まって頭を冷やすことになった。それなのに突然規定どおりに≠ニ言われて、びっくりしただけだ」 「指揮官によって、なにを優先するかは異なります」フールは応じた。「それは警察でも同じでしょう。ただ、これだけは言っておきます。このぼく[#「ぼく」に傍点]がハスキン星駐屯部隊の隊長であるかぎり、隊員のだれ一人として、警察の留置所で腐らせるような目にはあわせません。もちろん、警察に拘留《こうりゅう》されていることをちゃんと伝えていただければの話ですがね。しかしぼくは、きっと署長なら迅速に連絡してくださるものと信じております」 「心配は、いらん。必ず知らせる」ゲッツはニヤニヤした。「ただし、それが迅速に伝わるかどうかは、宇宙軍側がちゃんと通信を受けるかどうかによるだろうな」 「入植地にいるあいだ、われわれはプラザホテルのペントハウスを本部とします」そう言いながら、フールは手帳に何ゃら走り巻きをし、そのページを破って、署長の机の上へ投げた。 「それが本部の電話番号です。まだご存じないといけないので、念のため。もし、ぼくがいなければ、ほかの者が電話を受け、その内容をただちにぼくのところへ知らせてくれるはずです」  ゲッツはまったく動かず、そのメモを取りあげるどころか、フールに向かって顔をしかめた。 「わかりきったことを聞いて申しわけないが、大尉[#「大尉」に傍点]」ゲッツは冷静な口調で言った。「きみは、さっき、わたしが宇宙軍の兵隊に迷惑をかけられることはないと明言した。それなのに、なぜ兵隊たちが逮捕されたときの警察の処置に念をおすのかね?」 「ぼくは、これまで以上に迷惑をおかけするとは思えないと言っただけです」フールは応じた。「まったく警察沙汰を起こさないなどとは言いませんでした。ときどき、ちょっとした騒動が起こる可能性はあり、そのことは署長もぼくも理解しあっているはずです。ですから、ぼくは、もしなにかが起きたときに事態を円満に処理するための協力体制を二人のあいだで確立しておこうと考えているだけです」 「いいだろう。もし[#「もし」に傍点]なにかが起きたとしても、安心して――」  そのとき机の上の電話が鳴り響き、話をさえぎった。警察署長は眉をひそめ、受話器を取り上げた。 「ゲッツだ。なんだ、いったい? そうか。じゃあ、つないでくれ」  警察署長はフールと視線をあわせ、そのまま薄笑いを浮かべて、受話器に向かって話しかけた。 「署長ですが……ええ……わかりました……しばらく切らずにお待ち願えますかな」  ゲッツは受話器の通話口を手で押さえ、椅子の背にもたれて、フールにニヤニヤ笑いかけた。 「驚くなよ、大尉[#「大尉」に傍点]。どうやら早々と、きみが言うちょっとした騒動≠ェ起きたらしい」 「どうしたのですか?」 「今、プラザホテルの支配人から電話が入っている。きみの品行方正な部下が二名、ホテルのロビーで派手に喧嘩している。どうするかね? きみが自分で処理するか? それとも、うちの署員に喧嘩を止めにいかせるかい?」  フールは受話器へ手をのばした。警察署長は一瞬ためらってから、受話器をフールに渡した。 「フールです、ボンバストさん。どんな様子ですか?」 「いいえ、わたくしはボンベ――おお! フールさまでしたか」ホテル支配人の声が受話器を通して返ってきた。「あの……いえ……べつに、なんでもございません」 「なんでもないのなら、どうして警察へわざわざ電話をかけたりするんだい?」 「わたくしは、ただ……フールさまにご連絡のしょうがなかったものですから。あの、じつは今、お二人の……兵士の方がロビーで暴れておいでです。あたくし個人としましては目をつぶってさしあげたいのですが、もしまんがいちなにか事故でもございますと、わたくしが経営者側から責任を取らされることになり、おまけに、あたくしの安全管理が怠慢だということに――」 「喧嘩をしてる一人は女性かい?」 「はあ?」 「しっかりしてくれ、ボンバストさん、男か女かぐらいわかるだろうが。一人は女性かね……かなり背の低い?」 「じつを申しますと、そうでございます」 「ちょっと、そのまま切らずに待っててくれ」  フールは受話器の通話口を手で押さえて、ゆっくりと一から十まで数えた。 「ボンバストさん?」 「はい、フールさま」 「まだ喧嘩は続いてるかね?」 「ええと……いいえ。終わったようでございます」 「それでは、もうこの件はこれでいいんだね。ああ、それから、ボンバストさん」 「はい、フールさま」 「ちょっとした喧嘩ぐらいで、いちいち警察に面倒をかける必要はないと思うよ。ぼくがいなかったら、中尉か軍曹に知らせてくれれば片づく。ホテルに損害を与えた場合は、ぼくが弁償する。それで、いいだろ?」 「は、はい、フールさま」 「じゃあ、これで」  首を振りながら、フールは受話器を机の上の受け台に戻した。 「ご迷惑をおかけしました、ゲッツ署長。この件は、これで片づいたと思います」 「それはどうも。われわれ警察の仕事量を軽減していただき、大いに感謝する」 「ぼくが処理するはずじゃなかったですか?」フールは眉を吊り上げた。「たしか、先ほど署長から――」 「ところで、今、フール≠ニかなんとか言ってたようだが、なんのことかね?」警察署長はフールの言葉をさえぎった。「きみの名前は、たしか、ジェスターと……失礼、ジェスター大尉だとうかがったように記憶しているが」 「ジェスター大尉というのは、宇宙軍における職務上の名前です」フールは説明した。「あいにくクレジットカードがまだ本名で登録されたままなので、中隊をホテルにチェックインさせる際に、本名でサインしなくてはならなかったのです」  今度は、ゲッツ署長が眉を吊り上げた。 「クレジットカードだと? それじゃあ、ジョークじゃなかったのか――ホテルが損害を受ければ自腹を切ると言ったのは? みすぼらしい宇宙軍の部隊が、よくプラザホテルを仮宿舎に当てられたもんだと不思議には思っておった。だが、ようやくこれで分かりかけてきた。きみは、いったい何者なんだね、大尉?」 「宇宙軍では一般に、その種の質問をすることは無作法とされております、署長」  ゲッツは歯をむいて残忍な笑みを浮かべた。 「ところが、わたしは宇宙軍に属してはおらんのだよ、大尉。わたしには、この入植地の治安を維持する責任があり、当然、その中には、ぶらりとやってきた不審者を調べる仕事も含まれる。とくに、それほど稼いでいるようにも見えんのに金使いの荒いやつは要注意だ。だから、わたしには、なんでも質問できる特権がある。というわけで、あらためて訊くが、宇宙軍へ入るまえは何をしていたのかね?」  フールは肩をすくめた。「今と同じです。裕福でしたよ。お調べくだされは、すぐに、ぼくの財産が怪しいものでないことは分かっていただけます。ちなみに、あのつづりはPH≠ゥら始まります……つまり、フール・プルーフ社の|PHULE《フール》です」 「へええ、そいつはすごい!」ゲッツは吐き捨てるように言った。「なあ、大尉。わたしは、軍事のためなら民間人の決まりなど無視して何にでも介入できるという了見の軍人も大嫌いだが、それ以上に嫌いなのは、なんでも金で解決できると思っている金持ちの坊ちゃんだ。これだけは教えてさしあげよう、ミスター・フール、この入植地の法律は売り物ではない。きみのところの兵隊が行儀よくしていれば、われわれ警察も手荒なまねはしないが、もし、ちょっとでも違法なことをすれば――」 「なにもせずに、兵士たちをぼくに引き渡してくださる。先ほど話しあったとおりにね」フールはゲッツの言葉を引きとった。「電話が鳴る前に、そうおっしゃったでしょう、署長?」 「ああ、かすり傷ひとつ負わせやせんよ……ただし、もちろん、逮捕に抵抗しない場合にかぎるがね」 「もし、うちの隊員が逮捕に抵抗して怪我をしたとしても」フールは冷ややかに応じた。「その傷は逮捕のためにやむをえず警官から受けた傷であってほしいものです。そうすれば隊員の抵抗≠ェ手錠をかけられるまえ[#「まえ」に傍点]であったと確信できますから」  ゲッツの顔が、また赤紫色にふくれあがった。 「うちの署員は容疑者に手錠をかけたあとで乱暴を働いたりはしない。きみの言いたいことは、それだけかね?」 「それでしたらもう、ぼくと署長とのあいだには、なんの問題もないはずです」フールは微笑した。「いいですか、署長。ぼくはここへ、あなたに喧嘩をふっかけにきたわけでもないし、ましてや買収して、なにか手心を加えてもらいにきたわけでもありません。思いだしてください。お金という言葉が出たのは、プラザホテルから電話がかかってきたあとでした。それも、署長が強いてお訊きになったときに、やっと出てきた言葉です。ぼくは、ただ、署長に、われわれ中隊が入植地へ移ったことをお知らせして、なにか事件が起こったときは喜んで警察のお手伝いをするとお伝えしたかっただけです」  警察署長は小首をかしげた。 「わたしの思いちがいでなければ、大尉、きみは新しい隊長だが、きみの部下は前からハスキン星に駐屯していた兵士たちなんだろう?」 「ええ、そうです」 「だったら、こう言っちゃなんだが、きみの部下に応援を頼むほど絶望的な状況は、ちょっと考えつかないね」ゲッツは、また例の残忍な笑みを浮かべた。「しかし、まあ、われわれ多忙な警官に援助を申し出てくれたことには心から感謝する。礼をいわせてもらおう。ということで、そろそろ、おいとま願えないかな。仕事が残っとるもんでね」  フールは自分自身に腹をたてながら、プラザホテルへ引きかえした。警察署長との面談は期待したほどにはうまくゆかなかった。かなり控え目に言ってもゲッツ署長と事態を静める合意が得られるどころか、逆に火をつけただけの結果に終わったようだ。  フールは警察署長との会話を思いかえし、あのとき、瞬間的に自制心をなくした原因を探った。署長に隊員への敬意がまるでなかったことと、金持ちの坊ちゃん≠ニいう立場を皮肉られたことの、どちらが大きく影響したのだろうか? フールは、おもに前者が相手に腹を立てさせた理由だと考えたかったが、後者もまたゲッツ署長をうまく扱えなかった一因であったと認めざるをえない。すぐにカネで問題を解決しようとする≠ニ非難したゲッツの言葉に痛いところを突かれ、フールは平静を欠いてしまった。  フールは唇をすぼめてこの方面からの非難をはねかえす心の壁をもう一度支えなおした。昨日、ぼくは隊員たちに、「成果をあげろ」と話したが、あれは父から受けいれることのできた数少ない教訓のうちの一つを真剣に生かそうとしてのことだ。  父は、ぼくに正しい人生の道≠歩ませようとして、よくこう言ったものだ――いいか、大事なのは結果だ。自分の人生に必要なもの、あるいは、あった方が望ましいと思うものなら、使えるだけの道具や武器を利用して手に入れたとしても、なんにも悪いことはない。もちろん、効果があると思えばカネにものをいわせてもいい。カネを使ったからといって、取り立てて不公平なことでも、不当なことでもない。スポーツ選手が持って生まれた力と運動神経を生かしたり、魅力的な女性が美貌を武器にしたりするのと同じことだ。人生というゲームは、つらいものだ。わざわざ天から授かった利点に背を向けて、余計な荷物を背負わなくとも充分につらい――。 「ちょっと! 中隊長! こっちへ!」  フールは、はっ[#「はっ」に傍点]として顔を上げた。見ると、中隊の補給担当軍曹がプラザホテル近くの路地から、しきりにフールを手招きして呼んでいる。物思いにふけっていたフールは、大声で呼ばれるまで、このチョコレート・ハリーの巨体にも気づかなかった。よく見ると、隊員は他にも何名かいた。みな、建物の陰から首を出し、心配そうにホテルの入口を見つめている。  その隊員たちの様子が、まるで、いたずら小僧どもが悪さをして隠れているように見えたので、フールは思わず笑みをこぼしそうになるのをこらえ、向きを変えて隊員たちの方へ歩いていった。歩きながら、先刻のゲッツとのやり取りを頭に浮かべる。おかげで深刻そうな顔をつくれた。 「どうかしたのか、ハリー? 警官でもきてるのか?」 「もっと深刻です、中隊長」軍曹は首を振った。まだ首をのはして、ホテルの入口を見つめている。「ホテルのロビーに新聞記者がきてます。宇宙軍の者と話がしたいっていうんです」  フールは安堵のあまり力が抜け、笑いだしかけ、その直後に困惑した。新聞記者の存在そのものは、たいして恐ろしくも危なくもない。それなのに、まわりの隊員全員が心配そうな顔をしている。それも真剣そのもので、冗談だとは思えない。 「こんなふうに固まっていてはだめだ」フールは、はっきりとした結論を出せないまま指揮を取った。「これでは、隠れるどころか、かえって人目を引く」 「中隊長の言うとおりだ」チョコレート・ハリーが大声で怒鳴った。「がん首そろえて見てるこたあない……なんにも起きちゃいないんだから。おまえと……それから、おまえ、ここでしっかり見張ってろ! あとの者は下がって路地を引きかえすんだ。ほら、早くしないか。おれたちが何か企んでるように思われちまうぞ」  補給担当軍曹は一瞬、口を閉ざして、自分の命令どおりに皆が移動するのを確認すると首を振ってフールの方へ向きなおった。 「申しわけありません、中隊長――おれたち、ちょっと、あわてちまって。それだけです。でも、中隊長だけでも冷静でいてくれてよかった。おかげさまで、身の隠し方を思いだしました」 [#挿絵106  〈"img\[ロバート・アスプリン] 銀河おさわがせ中隊 106.jpg"〉] 「あやまってもらうことはないよ、|C ・ H《チョコレート・ハリー》」と、フールは応じた。「しかし、今ひとつ釈然としないんだが、新聞記者に嗅ぎまわられたからって、どうしてそんなに大騒ぎするんだ?」  チョコレート・ハリーは突然、身をこわばらせ、さっと目を細めた。そして、頭を振り冷ややかに笑った。 「なんてこった!」チョコレート・ハリーは、びっくりするような大声を張りあげた。「中隊長が将校だってことをコロリと忘れてましたよ。おれたち志願兵は、あんたがた将校たちとは無縁の問題を抱えてるとだけ言っときましょう。ま、聞き流しといてください」 「聞き流すわけにはいかない」フールは厳しい口調で言いかえした。「この前にも話しただろう、C・H。われわれはみんな、仲間なんだ。だから仲間の問題は、われわれ全員の問題だ。そりゃあ、ぼくが今後出くわす問題をすべて解決できるとは断言できない。でも、とにかく問題の中身を知らないかぎり、なにひとつ解決しない。だから、ここはしばらく我慢して、この愚鈍な将校に、いま何が問題なのかを正確に説明してくれると、ありがたいんだがね」  補給担当軍曹は驚いて目をぱちくりさせ、それから、もう一度、ホテルの入口の方を不安げにチラリと見やって、やっと答えた。 「いいですか、中隊長、つまりこういうことです。あんたがた将校は、まったく汚れのない経歴をお持ちなんだろうが、おれたち志願兵は大抵、やばい状況から抜け出すために宇宙軍に入隊したんです。中には、いまだに昔の仲間に追いかけられてるやつもいる――隠れ家《が》の情報を得ようと躍起になっている連中にね。だから何がいちばんいやだって、新聞記者やなんかに今の居場所や仕事を記事にされたり写真に撮られたりするほどいやなことはないんです。言ってる意味がわかりますかね? 背中に標的をぶらさげて撃ちにきてください≠チて叫んでいるようなもんなんですよ」 「なるほど」と、フールは考えこんだ。 「だいたい、そんなとこです、中隊長」チョコレート・ハリーは大げさに肩をすくめて締めくくった。「まあ、ときどき、ただ、こうして逃げればいいんですから――」  フールは、いきなり顔を上げた。 「その言葉は二度と言うな、軍曹」フールは冷ややかな声で、ゆっくりと命じた。「ぼくの指揮下にいるかぎり、絶対にしてはならないのは逃げることだ」  フールは補給担当軍曹に背を向け、路地の向こうの端で固まっている一団に向かって声を張りあげた。 「宇宙軍! 集まれ……今すぐ! 見張りの者もだ! 全員集合……早くしろ!」  逃亡者たちは、そろそろと歩きだした。困惑した眼をたがいに見かわしながら、なぜ中隊長が不機嫌なのか――その原因を探ろうとしている。 「いま気になることを開いたが、きみたちはマスコミを恐れているそうだな。今の居場所の情報がもれたら、過去にかかわっていた者に見つかってしまうと心配してるそうだな。まず最初に、いまこの場で言っておく。マスコミに慣れろ。連中は、これからもやってくるだろう。今後、われわれの行動がニュースになる機会は多い。マスコミから隠れようとするな。連中との話し方を覚えろ。そうすれば、自分[#「自分」に傍点]が記事にしてほしいことを書いてくれる。この問題に、ぼくが気づいた以上は、いつか必ず機会をもうけて、インタビューのうまい受け方を学べるようにしよう。それまでは、ただノーコメント≠ニだけ答えて、あとは将校に任せろ。気をつけてほしいのは、マスコミの連中に限らず、だれにも、自分たちの拠点から連れだされないようにしてくれ。場所が兵舎でもホテルでも同じことだぞ」  フールは言葉を切り、さっと一同を挑めまわして、さらに話を続けた。 「いまの話で、もう一つ、思いだした。ここにいる者は昨晩、ぼくが話をしているとき、自分以外のだれか別の者に話していると思っていたようだな。ぼくは、そんなつもりじゃなかった。きみたちのうちの何人かは、ある者から、あるいは、ある状況から逃げるために宇宙軍へ入った。それは、ぼくも知っている。中隊の全員が知っていることだ。それに対する、ぼくの答えは、こうだ――それがどうした?″  マスコミに今の身元や所在を知られたところで、あるいは、なにかの拍子に情報がもれて、昔の知りあいが捜しにきたところで、どうってことないじゃないか。きみたちは今や、オメガ中隊の一員だ。隊員に手を出そうとする者は、中隊全員[#「全員」に傍点]を相手にしなくてはならない。この中隊に所属しているという意味は、そもそも、そういうことなんだ。われわれはみんな、家族だ。つまり、これからは自分の問題を一人で解決しようとしなくていい。わかったか?」  あちらこちらで、うなずく顔が見え、ぼそぼそと答える声がした。「はい、中隊長」 「聞こえない!」 「はい、中隊長!」  隊員たちの叫ぶような返事に、フールは笑みを返した。 「それでいい。さて、それでは、わが[#「わが」に傍点]宿へ戻るとしようか。あとで、ぼくはカクテル・ラウンジで、記者のインタビューを受けているだろうから、興味のある者は、そばで聞いててもいいぞ。無料《ただ》の酒を断る記者や宇宙軍兵士には、まだお目にかかったことがない」  賛同の叫びや喜びあう歓声がばらばらと起こり、隊員たちは路地の隠れ場を放棄して、ホテルの方へ歩きだした。たがいに、ひやかしながら歩いているが、多分に声が大きすぎ、はしゃぎすぎる。自信がなく、おたがいに相手の勇気に類ろうとしている者同士に見られる行動だ。しかし、ともかくも隊員たちは歩きだした。一団になって歩きだしたのだ。  フールは、隊員のほとんどが列をなして路地から出てしまうのを待ち、それから後に続いて補給担当軍曹の横に並んだ。 「どうだ、C・H、考えは変わったか?」 「なんともいえませんね、中隊長」チョコレート・ハリーは、ゆっくりと首を振りながら答えた。「中隊長の話は理屈のうえでは、よさそうに聞こえます。だけど現実に、おれたちがどれほど凶悪な連中に嗅《か》ぎまわられているかが、中隊長には分かってないように思います。正直いって、おれたちが本当に、そういう連中とやりあうはめになったら、おれは中隊に勝ち目があるとは思えない。だってね、そりゃあ、おれは喧嘩に関しては中隊の中でも、たぶんいちばん強い部類に入るでしょうが、昔のギャング……いや、昔の仲間のなかではいちばんの臆病者でしたからね」  フールは、補給担当軍曹が自分の過去をうっかり漏らしそうになった言葉を礼儀正しく聞き流した。昨日、個人面談をして以来、チョコレート・ハリーが一匹狼ではなかったようだとはうすうす感じてもいたのだ。 「だったら、中隊をどんな連中がやってきても戦えるようにするのは、われわれ幹部の責任だろう。まあ、何はともあれ、こちらの方が銃だけはたいていの者より多くつぎこめる。だから、隊員たちに銃口の向けかたを教えればいいんだ」  フールはジョークのつもりで言った。だが、チョコレート・ハリーは笑うどころか、真顔で、ゆっくりうなずいた。 「手始めとしては、それでいいでしょう。簡単にはいかないでしょうがね。そうだ、こうしよう、中隊長。おれも中隊長のインタビューに同席して一杯やります。そのあとでなら、もう少し話ができるかもしれません」 「ぼくは、かまわないよ、C・H。しかし、きみは記者のそばにいたくないんだろう?」  軍曹は、うなずいた。「確かに苦手です。だけど、さっき中隊長が路地で言ったことを聞いて、もっともだと思いました。どうせ、いつかは、おれも捜しまわられてる連中に見つかるんです。そう覚悟を決めもまえば、記者なんてちっともこわくありません。それに、たった一回のインタビューで事態がどれほど悪くなるっていうんです? そうでしょう?」 「ご主人様……起きてください、ご主人様!」  執事の執拗《しつよう》な呼び声に、フールは深い眠りの底から必死で這いあがった。 「起き……てるよ」やっとの思いで返事をした。「しまった! いま何時だ、ビーカー? ちょっと目をつぶってただけのような気がするけど」 「お休みになられてから二時間少々たってございます」 「本当かい? まる二時間も眠ってたのか」フールは顔をしかめ、ベッドの上で体をむりやり起こした。「どうしてこう体が言うことをきかないのかなあ」 「ことによりますと、昨夜、お休みになる前に召し上がられたアルコールの分量と関係しているのかもしれません」執事は助言を添えた。「ずいぶんご機嫌[#「ご機嫌」に傍点]のご様子で部屋に戻ってこられましたから」  威厳をそなえた保護者がたいていそうであるように、ビーカーもまたフールが自前で酒を飲むことを認めておらず、その口調には、あからさまな叱責の色がこもっていた。 「そうだ、チョコレート・ハリーといっしょに、新聞記者が帰ったあと、もう二杯ほど飲んだんだ」フールは、ひたいを両手の指先でこすりながら、弁解するように言った。「もっと早く切りあげるはずだったんだが、ブランデーが千鳥足でやってきて――」 「お話の途中で申しわけございませんが」と、執事が口をはさんだ。「ただいま隣の部屋にご主人様宛ての通信が入っておりまして、応答をお待ち願っております」 「ぼくに通信だって?」 「はい。ホロ映話通信でございます。それも宇宙軍司令部からですので、ただご伝言をお受けするのではなく、ご主人様をお起こしする必要があると感じた次第です」 「すばらしい――司令部から朝一番にホロ通信が入ってくるとはね。制服に着替えるから、ちょっと待ってくれ」 「失礼ながら、ご主人様は昨夜から制服をお召しになったままです。お休みになられるときにご注意申しあげたのですが、かなり眠たそうなご様子でしたので」  フールはわが身をふりかえった。たしかに制服姿のままだ。見たところ、制服はフールの頭と消化器官ほど傷《いた》んではいない。フールは顎《あご》と上唇をさっと撫で、このままひげを剃らずにホロ映話に出ることにした。これ以上、司令部を待たすよりは、そのほうがいい。 「グズグズしてもなんの得にもならないしな」そう言って、フールは隣室へ向かった。「用件はなんだと思う、ビーカー?」 「さあ、なんでしょうか……先方が少々取り乱しておられるのはまちがいないようでございますが」と、執事は肩をすくめた。そして持ち前の心配症が頭をもたげたらしく、言い足した。「ご承知おきいただきたいのですが、あたくしがご主人様を起こしにまいりますときに、ホロ映話をつないだままにしておかなければなりませんでした。したがって、ご主人様が隣室へ入られると同時に、お姿がカメラに写ります」  フールはドアの取っ手に手をかけたまま立ち止まり、顔をしかめた。 「間一髪だったな。ご忠告に感謝するよ、ビーカー」 「お知らせしたほうがいいだろうと思いましたもので。ご主人様は驚かれると不作法な振るまいをされがちですからね……ことに朝の早い時刻におきましては」  ホロ映話というのは、送信者の立体像を受信者側の空間に投影し、また同じように受信者の像を送信者側へ送りかえす装置だ。臨場感がありすぎて困惑するほど効果的な通信手段だが、同時に通信コストがかかりすぎる欠点を持つ。そのため宇宙軍では通常、定期的な伝達事項や業務報告などを伝える場合は、もっぱら従来どおりのコムタイプ通信システムを使っている。コムタイプシステムに伝達事項をためておき、星間通信の混んでいないときを選んで、まとめて送る。すると、それは受信者側のコンピューターに電子的に記憶され、受信者は自由に、それを呼びだしたりプリントアウトして目を通したりできるのだ。そのためホロ映話を使用するのは緊急時に限られ、送信者が伝達事項を確実に受信者へ伝えたいときや、送信先の相手を見ながら話をしたいとき――たとえば、叱責したり、かみなりを落としたりする場合に使われる。したがって、ホロ映話通信がかかってきた場合は、保健所の疫病検査か税務署の税務監査を受けるときのような反応を示すのが普通だ。 「はい、バトルアックス大佐」フールは部屋の中に投影された像の前に立った。「なんのご用件でしょうか?」  宇宙軍のホロ映話装置は、正規軍の放出物資を購入した、今は製造中止の機種だ。もともと性能が疑わしいうえに定期点検もしておらず、映像はいつも不鮮明である。今朝も例外ではない。しょっちゅう映像が二重になったり、ぼやけたりしている。フールの気分は、ますます悪くなった。フールは充血した眼で捕らえどころのない像を見つめながら、なんとか和《なご》やかな雰囲気を保とうと努めた。しかし、こんな努力をしてもむだだったかもしれない。 「それでは、ジェスター大尉[#「大尉」に傍点]」バトルアックス大佐は、あいさつも前置きもなしに、いきなり用件を切りだした。「今朝のニュース記事の説明からはじめてちょうだい」 「今朝のニュース記事ですか?」フールは演をしかめた。「まだハスキン星は夜明け前です。今日のニュースは、まだ見ておりません」  そう言ってフールは執事に目くばせした。すでに執事はそっと部屋に入ってきており、フールの後ろで控えていた。ビーカーは心得顔にうなずき、自分の超小型コンピューターをポケットから取りだして、問題の記事を呼びだしはじめた。 「まだ見ていない? わかったわ。では、あたくしが重要な場所を読んであげましょう……先ほど、あたくしの[#「あたくしの」に傍点]上官から読んで聞かされた部分よ」  バトルアックスはメモ帳を取りだし、それを参照しながら話しつづけた。 「ええと……まず、見出しから。まずプレイボーイ大将?≠ニ書いてあって、その下に詳しい注釈が加えてあるわよ。フール・プルーフ社の次期社長ウィラード・フール氏がハスキン星の精鋭部隊を率いる≠チてね。そのあとの本文が、また、ひどい調子なの」  カメラの受像範囲の外でビーカーが手を止め、大げさに眼をむいてフールを見た。そんなビーカーを無視してフールは昨日の記者の首を両手でしめつける自分の姿を心の中で思い浮かべた。 「はい、どの部分が大佐のお怒りを買ったかは、だいたい察しがつきます。しかし、これだけは断言できます。ぼくは記者からインタビューを受けているあいだ、自分の階級が大将だなどと一度も言っておりませんし、ほのめかしてもおりません。おそらく、記者が早合点したか、効果を誇張するために書いたのだと思います。この点につきましては、ぼくが責任を持って正しい階級を記した訂正文を、もちろん、過去・現在・未来の大将全員に対する謝罪文とともに掲載させます」 「問題は、それだけじゃないわ。そのあとの記事についても説明してちょうだい」 「そのあとの記事をですか?」そう言って、アールはビーカーから渡された手のうえの超小型コンピューターの画面を見つめた。「今、手もとに記事が届きましたが、大佐が記事のどの部分の説明をお求めになっているのかがわかりません」 「本当にわからないの? では、まず訊くけど、なぜ新聞発表などしたの?」 「それなら、答えは簡単です」フールはニッコリと笑った。「新聞発表なんてしておりません。おそらく、中隊がホテルへ移ったときにホテルの者がマスコミに情報を流し、それで記者がインタビューをしにやってきたのでしょう。大佐がどれだけマスコミの経験をお持ちかは存じませんが、自分の経験では例外なく、マスコミがネタを求めてやってきたときは、こちらから話題を提供してやるのがいちばんよい結果を生みました。そうしないと、マスコミは勝手に話をこしらえてしまうのです。こちらから進んで話題を提供してやれば、今回の階級のことのような若干の事実関係をまちがえるだけですみます。そのほうが、まったくの作り話を報道されるよりはまし[#「まし」に傍点]です。ここの隊員たちの持つ複雑な過去を考え、インタビューをぼく自身のことだけに限らせました。そのほうが、あまり公表したくない領域に踏みこまれるよりは賢明だと考えたからです」 「ちょっと待ってちょうだい。話を戻して――ホテルの者が、あなたがたの宿泊をマスコミに知らせたというところまで。なぜあなたは記者に宇宙軍で使う名前ではなく、本名を教えたの?」 「彼女は、すでに本名を知ってました……」 「彼女ですって?」 「ええ、そうです。記者は女性でした……それも、かなり魅力的な女性です。もちろん、インタビューのあいだ、そんなことは口にしていませんし、ぼくの本名を利用しようなどという気も起こしませんでした」 「……そこが問題だったのかもしれないわね」 「はあ?」 「いいわ。先を続けてちょうだい、大尉。でも、ようやくこれで、ことの次第が分かりかけてきたわ。それで、名前についてはどうなの?」 「ですから、その女性記者は、ぼくの名前を聞いて、捜しにきたのです。こんなことは、ぼくにとって、しょっちゅうあることなんですよ、大佐。ホテルの内部の者と手を組んで有名人を見張らせたりするのはマスコミのよくやる手でしてね。好むと好まざるとにかかわらず、ぼくの名字はマスコミに注目されやすいんです。つまらないゴシップ欄の記事も含めての話ですが」 「それなのに、どうして本名をホテル側に教えたのよ?」 「クレジットカードに書いてあったんです、大佐。銀行業界というのは、まったく保守的なところで、ニックネームや偽名ではカードを発行してくれません。大佐もご存じのとおり、ぼくは金銭的に恵まれた境遇におりますが、中隊全員を高級ホテルに滞在させるだけの現金を持ち歩くことはできません。宇宙軍は偽名を使うように奨励しておりますが、本名に関しては、使えとも禁止するとも規定していません」 「……なるほど。もうちょっと話を戻してちょうだい。宇宙軍での名前を使わなかった点はひとまず置いといて、ホテルの話にしぼるの。なぜ中隊を高級ホテルへ移したの?」 「繰りかえすようですが、大佐、隊員を隊長が望むところへ移してはならないとする規定もありません。それも隊長が費用を肩代わりするのであれば、まったく問題は――」 「あなたにそうする権利があるかどうかを尋ねているんじゃないわ」バトルアックスは口をはさんだ。「中隊を移した理由[#「理由」に傍点]を聞いているのよ」  フールは、ちらりと手に持った超小型コンピューターの画面を見た。 「それに関しては記事の中に書いてありますよ、大佐。兵舎を改築するので、中隊の仮宿舎が必要だったのです」 「そうすると、記事のその部分は書かれているとおりなのね?」 「はい、大佐」 「じゃ、これは分かっている、ジェスター大尉? そこの兵舎も土地も、宇宙軍が地元の宅地開発業者から借りているのよ。それから、これはどうかしら? 借りているものを修繕したり改築したりする場合は、その前に貸主の許可がいるってことも」 「はい、承知しております。じつを申しますと、大佐、宇宙軍が現在借りております建物と土地は、ぼくが地元業者から買い取りました。ですから、改築許可については、なにも問題はありません。しかし誤解のないように、いまここで公式に大佐に確約しておきます。もし宇宙軍とのリース契約がこのまま継続し、将来、契約を更新することになった場合でも、リース料を値上げするつもりはありません」 「ご親切にどうも」大佐は苦々しげに答えた。「まったく面白い人ね、あなたって。でも、ここだけの話だけど、もし宇宙軍がハスキン星から撤退することになった場合、そこはどうするつもり?」 「通常でしたら、だれか地元の人間を雇って、代わりに管理してもらうところですが」フールは応じた。「ここの場合は、すでに改築後の施設の買い手が現われておりまして、売り払うときはいつでも買いたいと正式な申し出を受けております。どうやら設計士の見取り図を見たらしく、非常にすばらしいカントリークラブになるそうです」 「その売買は当然、あなたに利益をもたらすはずね?」 「もちろんです」 「あたくし、自分が平静なのが不思議なくらいだわ。記事の話に戻るわよ、大尉。単なる仮宿舎なのに、なぜ中隊をハスキン星の最高級ホテルへ移さなければならなかったの? ついでに、どうしてあの部隊を精鋭部隊と呼べるのかも説明してちょうだい」 「それも、あの記者の思いこみにすぎません。ぼくはただ、ハスキン星である任務≠ノついていると言っただけなのに、記者が勝手に早合点したのです。それから、われわれの仮宿舎のグレードについてですが……あの、ざっくばらんに申しあげてよろしいでしょうか、大佐?」 「ええ、どうぞ。でも、この高価な映話を無駄づかいしないでね。こんなことなら、コレクトコールにすればよかったわ」 「われわれの兵舎を改築するのも、豪華ホテルを仮宿舎に当てるのも……今後、大佐のお耳に入ることは、すべてオメガ中隊を生まれ変わらせる計画の一環なのです。オメガ中隊の隊員は長いあいだ敗北者として扱われ、敗北者と呼ばれつづけたために、みずから敗北者と思いこむほかはなく、それに合った行動をとってきました。ですから、ぼくは隊員たちを優秀な者として扱うことにしたんです。競技会に向けて特訓を受けているトップクラスのスポーツ選手のように扱うつもりです。そうすれば、きっと勝利者のような行動をとるはずです。自分を勝利者として見られるようになるからです」 「その論理でいくと、もし隊員たちが兵士のように見えず、兵士のような行動を取れなかった場合、どうして兵士のように戦えると言えるのかしら? 理論の信じすぎはいけないわよ、大尉」 「そんなに危ない橋だとは思いません」フールは、きっぱりと言い切った。「それに、もし危険な勝けだとしても……ま、賭けるのは自分のカネですからね」 「それはそうね」バトルアックス大佐は唇をすぼめて思案ありげに答えた。「いいわ、ジェスター大尉。この件については、当分のあいだ、あなたのしたいようにしてちょうだい。あなたの考えが効果をあげれば、宇宙軍のためにもなるわ。もしうまくゆかなかったとしても、手がける前より悪くはならないし。でも、わかってると思うけど、あなたの本名が世間に知れてしまった以上、もし、このまえの任地でしたような大失態を演じれば、もう身を隠すことはできないわよ」 「もちろん承知しております」 「あたくしが言おうとしているのはね、大尉、この件で、あなたは宇宙軍以上に攻撃されやすい立場に立ったことに気づいてほしいってこと」  大佐の声には本物の懸念の気持ちがこもっており、フールは朝のぼんやりした頭の中で温かいものを感じた。 「もちろん承知しております」フールは同じ言葉を操りかえした。「ご心配いただき、ありがとうございます、大佐」 「いいのよ。この騒動に関するこちら側の処理は、あたくしが引き受けるわ。あなたは中隊の改革だけに専念してちょうだい。もっとも、持てる時間と精力を全部つぎこんだとしても、まだ足りないとは思うけど。でもこれからは、あなたやオメガ中隊の行動がマスコミに狙われそうになったら、できるだけ前もって知らせてちょうだい。朝っぱらから驚かされるのがきらいなのは、なにもあなた一人じゃないのよ」 「はい。きもに銘じておきます」 「あ、それから大尉……」 「はい、なんでしょうか、大佐?」 「兵舎の改築のことだけど……どのくらい日数がかかるの?」 「見積もりでは、二週間ということですが」  勝ち誇ったような笑みが大佐の顔に浮かび、そして消えた。 「そうだと思ったわ。おもしろいことを教えてあげましょうか、大尉。あたくしの妹が家にポーチを増築するときの見積もりも二週間だったの。バトルアックスより、以上!」  フールは大佐の立体像が完全に消えるのを待ち、それから深々と安堵の溜息をついた。 「思ったよりうまくいったな」 「はい、ご主人様」ビーカーが応じた。「ところで、ご主人様は兵舎と土地ばかりではなく、改築を請け負った建築会社もお買いになったことをおっしゃいませんでしたね」 「なんとなく、まだ言わないほうがいいような気がしたんだ」フールはウインクした。「それはそうと、ここの通信装置には専任の担当者をつけるつもりだ。忘れてたら注意してくれ。この仕事までビーカーが引き受けることはない」 「それはけっこうですな……感謝いたします」 「礼をいう必要はないよ、ビーカー。もうすぐ賃上げ交渉の時期だから、交渉に有利な材料を握られたくないだけだ」  フールは伸びをして、窓の外を見た。 「それで……今日の仕事の予定はどうなってる?」 「かなりの量でございます……ですが、先刻お起こししたときにおっしゃったとおり、まだ時刻が早うございます」 「でも、もう起きてしまった。仕事に取りかかろう。軍曹以上の全員に呼びだしをかけてくれ。特に、チョコレート・ハリーは絶対くるように言ってくれ。中隊長が働いているのに、あいつらを寝させておく道理はないものな」 [#改ページ]       6 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 〇二四[#「執事日誌ファイル 〇二四」はゴシック体]  沼地で警備の任務についた中隊の様子がどうであったか、ここであからさまに印象をしるすのは差しひかえたい。しかし、この任務に参加されたご主人様の第一日めの印象がどうだったか、きっと興味を持たれる方もおられるだろう。それを書かないのは詳しくは教えたくないとか、あたくしにその能力がないからではない。たんにデータがないからだ。わたくしは中隊といっしょに沼地へ行かなかった。一日が終わり、宿舎に引き上げてきた兵士たちの制服を眺めたときは、つくづく行かなくてよかったと思ったものである。 [#ここで字下げ終わり]  ボンベストは中隊がホテルに滞在しているのを仕方がないと、なかは諦めかけていた。シーズンオフのこの時期に、レンタル料がたっぷり入ってくるのだからホテルにとってありがたいことには違いない。兵士たちも最初に思っていたよりはおとなしく、物を壊したりすることもない。中隊が泊ってくれてうれしい――ボンベストは本気でそう思おうと努力さえした。しかし、その日の午後おそくホテルの正面に横づけした中隊の輸送機から吐きだされてきたものを見たとたん、そんな気持ちはみるみるしぼんでしまった。まさに泥人間というしかないしろものだったからである。  腰から上、または腕の下から上だけを見ればホテルが迎えたばかりのお客と分かる。しかし、災難ライン≠ゥら下は灰緑色の泥にべっとりおおわれ、一人ひとりの特徴も制服もまるで見分けがつかない。泥はネバネバしているように見えたが、泥を着た当人にいつまでもくっついているほどの粘着力はないらしく、薄片やかたまりがハラハラするほど歩道に落ちている。このままではロビーのカーペットがめちゃめちゃにされてしまう。 「そこで止まれー」  指揮官、というよりボンベストにいわせれば一団の頭領の声が、あたりにぴしりと響いた。泥だらけの兵士たちはいぷかしげな顔をしながら、ロビーの入口前でぴたりと足を止めた。  支配人が驚き顔で見守っていると、部下たちと同じいかがわしい沼地の泥を制服にたっぷりつけたフールが前列の兵士のあいだをかき分け、まるで地雷原を渡るようにそろそろとデスクへ歩み寄ってきた。 「やあ、ボンベスト」デスクにたどりつくなり、指揮官は陽気に声をかけた。「すまないけど管理サービスを呼んで……いや、いい。これで間に合う」  フールはデスクの上に積んであったその日の新聞の束を二つ抱え上げた。この時代になってもまだハードコピーを好む者は大勢いるのだ。その束をたがいに重ねあわせて脇の下に抱え、比較的汚れていない制服のシャツのポケットから紙幣を数枚取りだした。 「これを……それで足りるな。おっと、まだあったよ、ボンベスト」 「はい、なんでしょうか、フールさま」支配人はうわの空であった。どうやって手を汚さずに紙幣を数えたものか――思案の最中だったのである。だれか代わりの者に頼む以外に答えはなさそうだ。 「メイン舞踏室の準備はできたかい?」 「はい、ご指示どおりにできあがっております。軍曹のご指示に従い、中に間仕切りを立てて男女のプライバシーを守れるようにいたしました。また、スペースをふやすために、となりの会議室を一つ空け――」 「わかった」フールは相手の言葉をさえぎった。「じゃ、すぐ入れるんだな?」 「さようで。なんなら、わたしからフールさまが到着されたことをお知らせいたしましょうか」 「いやいい、ボンベスト。ともかくありがとう」指揮官はドアのほうへ戻っていった。「よし! みんなよく聞け!」  待っていた兵士たちは静かになった。 「斥候《せっこう》任務の者は、この新聞紙をドアとエレベーターのあいだのカーペットの上に敷いてくれ。他の者は、その上から足を踏みだきないように、ゆっくりと渡れ。余った新聞紙はエレベーターの横に置き、めいめい一つかみずつ取って自分が歩く床の上に広げるように。体をきれいに洗うまでは汚すのを最小限に食いとめる。わかったな?」 「はい!」 「ルームサービスはどうなったんだ?」  うしろのほうでだれかがやじ[#「やじ」に傍点]を飛ばした。笑いが広がり、あちこちから野卑な答えが返ってくる。  フールは手を振って、みんなを黙らせてから言った。 「その質問に一度だけ答えよう。われわれはこのホテルの客だから、もちろん管理サービスを受けられるし、ランドリー・サービスも自由に使える。そのように契約しておいた」  兵士たちのあいだから歓声がわき上がった。フールは手を振ってそれをさえぎった。 「しかし、注意しておく。これは特別待遇だが、乱用してはならん。このサービスにつく従業員たちが不必要に不愉快なことをさせられたり、部下の怠慢や無分別のためによけいな時間をかけさせられたりしているのがぼくの目に留まったら、そのときは次のようなことになる。まず、従業員たちにはかかった仕事に見あう割増金が支払われる。第二に、その割増金はぼくが個人的に支払う正規の費用からではなく、おまえたちの給料から差し引かれる。最後に、これらのサービスはキャンセルされ、従業員がしていた仕事は追加任務として隊員が分担する。おまえたちが従業員の努力に対して充分に感謝し、それにふさわしい礼儀と配慮でふるまえるようになったと見きわめがつくまではな。わかったか?」 「はい!」 「よし! じゃあ、みんな二階に上がって体をきれいに洗い流せ。それからメイン舞踏室に集合し――」  またピーピーとやじの声が上がり、指揮官の話はさえぎられた。しかし、今度のやじの標的が指揮官でないのは明らかだった。フールは説明を中断し、隊員たちの注意をとらえたものを見ようと振り向いた。 「ようっ!」 「イカすじゃないか?」 「女ども、あれをみろよ!」 「色男、キスはどうだい?」  チョコレート・ハリーがホテルのドアの枠の中にすっぽり収まって立っていた。いや、立っていた≠ニいう表現では不充分だ。ふくらんだナシのような体つきのハリーが棒のようにまっすぐに背を伸ばし、小作人たちを見渡す金持ち男爵のようにキザな笑顔をうかべて澄ましかえっている。そのハリーの得意顔も、隊員たちのひやかしも、理由は一見してあきらかだった。制服だ。  ハリーは色あせてすり切れた正規の制服ではなく、まっ黒なビロードのジャンプスーツに身を包み、ピカピカに輝いていた。いつものだらしない格好からは想像もつかない驚くべき変身である。ぽかんと見とれている泥だらけの仲間と比べると、まるで新兵募集のポスターからたったいま抜け出てきたようだ。いちばん柔らかい皮を選んで作られたように見えるスエードのブーツはふくらはぎまであり、幅広のヒールがハリーの背を底上げしている。ハリーはそり身になって威儀を正し、さっと指揮官に閲兵式のような敬礼をした。 「メイン舞踏室の準備ができました!」  フールは補給担当軍曹の芝居がかった報告にうんざりしたが、制服を着たハリーがみるからにうれしそうにしているので、おかしくなった。ハリーはこの新しい衣装を見せびらかしたくてたまらないらしい。それで、フールに報告するこの機会を利用して仲間の前で披露してみせたのだろう。フールはこみあげる笑いをかみ殺して敬礼を返した。 「ごくろう、C・H。われわれもすぐ行く。全員に待っているように言ってくれ」 「はい!」  またも派手な敬礼。しかたなくフールも答礼し、隊員たちのほうを向いた。 「いま言ったとおり、体を洗ったらみんなメイン舞踏室に集合するように。もう気づいていると思うが、おまえたちの新しい制服がきょう到着した。仕立て屋が一人ひとりに最終的なフィッティングをおこなうために待機している。では、解散」  最後の言葉は隊員たちの感激の叫びにかき消されてしまった。隊員たちは注意された新聞紙のことも忘れてホテルの中へ殺到した。  そのあとからついていくと、チョコレート・ハリーはエレベーターの前で順番待ちをする隊員たちに取り閉まれていた。みんな、口々に制服をほめそやしている。 「軍曹」 「はい」  補給担当軍曹は仲間から離れ、急いでフールのもとにやってきた。 「そう固くなるな、C・H。その制服、なかなか似合ってるよ」 「ありがとうございます。つまり……これでいいんでしょう?」  ハリーは首を伸ばし、ロビーの鏡のひとつに自分の姿を映した。 「しかし、制服は袖つきのデザインだったんじゃなかったのか」 「ええ、箱から出てきたときはそうでした」と、ハリー。「責任者と相談して取ってもいいということになったんです。おれはこのほうが好きです。なんてったって、このほうが動きやすいですよ」  それを証明しようとハリーは腕を前後に振り、がっちりした筋肉を曲げてみせた。 「なるほど、それもそうだな、C・H。ぼくの制服も二着ばかりそう変えてみようかな」  一瞬、ハリーと制服デザイナーが口論している場面がちらりと思い浮かんだ。だが、フールはそれを押し殺した。 「試してみてください、隊長。きっとすごく似合いますよ。おっと、いけねえ! もう行かなくちゃ。しばらく忙しくなりそうです」 「よし、行っていい、軍曹」  フールは離れていくハリーを見送ると、通俗芝居の悪漢よろしく忍び足でフロントデスクに歩み寄った。 「ちょっと頼みがあるんだがね、ボンベスト」 「はい、なんでしょうか、フールさま」 「もう少ししたら、チャーリー・ダニエルズという人物がぼくを訪ねてくるはずだ。来たら、まっすぐぼくのペントハウスに案内してくれないか。そうしてくれると助かる」 「よろしゅうございますとも。ああ、ところでそのかたは、ひょっとしてあのチャールズ・ハミルトン・ダニエルズ三世さまでは?」 「そうだ。来たら上に通してくれ」 「ミスター・ダニエルズでいらっしゃいますね?」ビーカーは問いかけた。  ペントハウスのドア口に現われた筋張った男はうなずいた。 「そうだ。ジェスター大尉にお目通りしたい」  執事はちょっとためらってから、わきへ身を退いて訪問者を中へ通した。 「なかなかいい調度だ」訪問者は部屋の中を眺めながらゆっくりと客間のほうへ進んだ。「それに広々としている」 「実際、必要以上に広いんですよ……ほんとにくつろぐには広すぎる」寝室から現われたフールが答えた。シャワーを浴びた頭をまだタオルで拭っている。「ここを借りたのは、臨時本部にこれだけのスペースが必要だったからです」  フールは続き部屋の奥にごたごた置いてある通信装置のほうを示した。一人の隊員が装置の番をしながら、暇をもてあまして飛びだしナイフを研《と》いでいる。 [#挿絵132  〈"img\[ロバート・アスプリン] 銀河おさわがせ中隊 132.jpg"〉] 「けっこうだ」ダニエルズは、いかにも同感という表情で、うなずいた。「しかし富をこれみよがしにひけらかすようなものは、あまり持たんほうがいい。富があろうとなかろうと、その心がけは大切だ。いつも言っているだろう」  訪問者はあきらかにこの自説を実践しているらしかった。フールとの面会に着てきた服装は、色のあせたブルージーンズに質素なグレーのスエットシャツ、それにカウボーイブーツという気取らないものだ。日に焼けた赤い顔の小じわのあいだから、薄く開いた目が油断なく踊っている。それをよく見ていないと、この人物の真実の姿は見とおせない。その日暮らしの貧しいなまけ者どころか、チャールズ・ハミルトン・ダニエルズ三世はこの惑星でも屈指の富豪の一人なのだ。 「ミスター・ダニエルズ、なにかお飲み物をさしあげましょうか?」と、ビーカーが言った。部屋に通したのがご主人様にふさわしい人物だったことに安心している。 「そうだな、向こうに見えるバーにブランデーがあればツーフィンガーほどいただこうか……ついでながら、わたしのことはチャーリー≠ニ呼んでくれたまえ。ミスター・ダニエルズ≠ノなるのは弁護士に会うときだけだ。わたしと他の人物の弁護士の両方にね」 「わかりました、ミスター……チャーリー」 「そいつはぼくが引き受けるよ、ビーカー」フールはタオルを寝室に投げかえし、ドアを閉めた。「かわりに下のメイン舞踏室へ降りて監視していてくれないか」 「やったあ!」通信装置の番をしていた隊員がとつぜん叫んだ。「ついでに、おれも服を合わせにいくと言ってくれよ。代わりにここの面倒をみてくれるやつが来たらすぐにいくってさ」  執事はつんと眉を上げて隊員を見た。 「……お願いします」隊員はあわててつけ足した。 「わかりました」 「いまいっしょに行ったらいいじゃないか……ドゥーワップ、だったな?」フールがバーのほうから声をかけた。「コンソールはチャーリーと話しているあいだ、ぼくが見ていよう」 「ありがとうございます、隊長」隊員は椅子から飛び出てナイフをポケットに収めると、執事のあとについてドアから外へ出ていった。 「ああ、ほっとした」と、ダニエルズ。頭を回し、首を伸ばしてドゥーワップが聞こえないところまで行ってしまったのを見届けている。「きみの部下がわたしに向かってナイフを研いでいる前で話すのかと、気が気じゃなかった。失礼を許してもらっていうなら、きみはそれで一つ|強み《エッジ》を握ることになる。つまり、わたしをここへ招待してくれたのがビジネスのためだったとしてだがね」 「そこまで思いついていたんなら、あいつをここに残しておくんだった」フールは笑い、ブランデーの入ったグラスを手渡した。「でも、立ち寄ってくれてほんとに感謝します、チャーリー。ぼくのほうから出向くべきなんですが、中隊を立てなおすのに手いっぱいだったんです」 「かまわんさ。下の舞踏室でいったい何をやってるのかね。みんないやに興奮しているようだが」 「きょう、中隊の新しい制服が届いたんですよ。みんないいやつばかりなんですが、いまは新しいオモチャで遊べるようになった子供たちみたいにワイワイやってるところです。どいつも自分が最初に着せてもらいたいんですよ。それを仲間に見せびらかそうというわけです」  ダニエルズはうなずき、「それでか。わたしがホテルに入ったら、ロビーに何人も集まって走りまわっていた。しかし正直いって、連中の着ていた制服は今までの政府支給の制服とは似ても似つかなかったな」と言ってブランデーをすすり、横目でいたずらっぽくフールを見た。 「たしかにあれは標準的な制服じゃありません」フールはいごこち悪そうに認めた。「われわれのために特別にデザインしてもらったんです。実戦用、正装用、作業用と、ひと揃いの衣装全部です。あのデザイナーはごぞんじじゃないですか――この惑星の住人で、オーリー・ヴァーダンクという名前の人です」 「オーリー? というと、あのヘルガの息子の?」 「そう……でしょうね」と、フール。「この入植地でぼくが名前を知っているデザイナーは、この人物だけなんです」 「いいんじゃないかな」ダニエルズはうなずいた。「才能のある男だから、この仕事をうまく利用できるだろう。作品を見せるいいチャンスになる。わたしはいつも思ってたんだ。服をデザインするような男はちょっと……まあ、言いたいことは分かるだろ……しかし、それもオーリーに会うまでだった。肩なんか牛みたいだよ、あの男は。小柄なかわいい女と結婚している。しかし、気むずかし屋でね。デザインするものをあれこれ言われるのが好きじゃない。あの男に仕事をさせたと聞いて、ちょっと驚いた」 「秋物商品の全利益に見あう額を出そうと申し出たんです」フールは肩をすくめ、飲み物をのぞきこんで指でかきまわした。「それを聞いたとたんに議論する気がなくなったようです」 「思いきった提案をしたものだな。まったく豪勢な提案だ」と、ダニエルズ。「もっとも二百人からの隊員全部がいちどに寸法合わせに押しかけては、あの男も尻蹴りコンテストに出た一本足の男よりも忙しいだろうと思うがね」  フールはこのきわどいたとえにあからさまにニヤニヤしながら答えた。 「それほどひどいことにはならないでしょう。二十人ほど助手をつけましたから。この入植地じゅうの仕立て屋に頼みました。すくなくとも、見つかった連中はみんなかき集めましたよ」  ダニエルズはおおげさに鼻を鳴らした。「きっとみんな大喜びでいっしょに仕事をするんだろう。きみは実にスマートな男だな、フール。シャッポを脱ぐよ。しかし、わたしを呼んだのは、なにか仕事の相談があったからなんだろう?」 「そうです」フールは椅子から身を乗りだした。「きょう沼地でやったことを話したかったんです」 「きみの隊のことはよく知らないが」と、ダニエルズ。「われわれはきょう一日かなり楽しく過ごしたよ。三つばかりいい石を手に入れた。きみも見たがるかもしれないと思ってここに持ってきた」  ダニエルズはポケットから引き紐のついた小さな布製の袋を取りだし、フールに投げてよこした。袋を開けてひっくりかえすと、手の中に小石がこぼれ落ちた。 「きれいですね」いかにも熱のこもった声に聞こえるように努力して、フールは応じた。  じつのところ、それはまったくつまらないものだった。小さな石ばかりで、大きいものでもビー玉ほどしかなく、小さいのはやっと豆つぶほどしかない。まだらのある鈍い茶色をしているが、こんなのなら庭の砂利の中にいくらでも転がっていそうだ。 「まあ、今はたいしたものには見えないかもしれんが」ダニエルズが口を添えた。フールの心中を見抜いたらしい。「しかし、磨いてちょっと手を加えればいい石になる。これが出来上がりだ」  ダニエルズは手を差しだして指輪を見せた。指輪につけられている石はフールが持っている石より大きく、幅はたっぷり三センチはある。原石と同じ茶色だが、つやつやと豊かな光沢を放って輝き、ダニエルズが手を動かすと、それにつれて底の深みからまばゆい青と赤の縞模様が踊った。虎目石とファイヤーオパールをうまくかけあわせたら、こんなものができるかもしれない。 「ほんとにきれいですね」フールはもごもごと言った。こんどは本音《ほんね》だ。こんなものは今までいちども見たことがない。しばらくは指輪の中で踊る色の動きから目を離すことができなかった。 「中隊に警備してもらっているあいだにわれわれがどんなものを採っているか、きみも見たいんじゃないかと思ってね。むろん、値段が高いのはめったに採れない。きみがいま手に持っているもので、おそらく隊員たちの三カ月分の滞在費を払ってもまだおつりがくる金額で売れるだろう」 「ほんとですか?」フールは心底、感嘆した。そして石を注意深く袋に戻し、ダニエルズに返した。「正直いって、そんなに価値のあるものだとは思いませんでした。うーん、この石の値打ちは……隊員の前ではしゃべらないほうがいいかもしれないな。いや、別に、やつらを信頼しないというわけじゃないんですが……」 「出来心を誘うものをいたずらに目の前に置くのは考えものだ。そういうことだろう?」ダニエルズはにやりとした。「ご忠告はありがたいがね、フール。その点はすでにわれわれも考えている。それに、このきれいな石を持って逃げる者がいたとしてもどうせ役には立たん。このあたりの者はみんな、われわれがどういう人間かを知っている。よそ者がこの石を売ろうとしたら美人コンテストに出たゴリラみたいに目立ってしまう。ここでは売ろうにも売れないし、一つでもなくなった石があるうちは、われわれは絶対に航宙船やシャトルに離陸許可を出すことはしない」 「よかった」フールはうなずいた。「それなら、なにも問題はないわけだ。しかし、じつはぼくがお話ししたかったのは、任務についた隊員たちがどうだったかということなんです」  ダニエルズはしばらく考えこむように目を細めていたが、やがて頭を振ってブランデーをもう一口すすった。 「いいだろう。今日も、いつもの連中の様子と違うようなところは何もなかった。といっても、別に注意して見ていたわけでもないが」 「やつらのほうもそうでした」フールはあっさりと言った。「すくなくとも、スキャナー以外にはなんにも注意を払っていませんでした」 「スキャナー?」 「そうです。ごぞんじでしょう、危険なものが近隣一帯に入りこんだら知らせるようにプログラムされているやつ」 「それは知ってる。じつを言うと、あれを配ったのはわれわれだ。保険会社の連中がわれわれの事業のためにとくに考えだした条件の一つでね。それがどうして問題になるのかね」  フールは立ち上がって部屋の中を歩きはじめた。 「それに頼りすぎていることが問題なんです。すくなくともぼくの見るところではね。もしあれが作動不良を起こしたら――それより、もし何か装置のプログラム・データに入っていないものが迷いこんできたりしたら――だれかがかみつかれるか何かするまでわれわれは気づきません」  ダニエルズはしわを寄せて顔をしかめた。 「それは考えなかった。しかし、きみの言うことももっともだ」 「それに、こっちのほうがもっと重要ですが」フールは続けた。「隊員たちが機械に頼りきってしまって、自分の考えることまで機械まかせにしているのが気に入りません。たしかにぼく自身、いつもコンピューターを使ってますがね。しかし、判断を必要とするような場合には、コンピューターに対して人間の頭脳を働かせるようにしているつもりです」 「すると、どうしろというのかね?」 「訓練コースをやらせたいんです。それで隊員たちにこの地域のあらゆる危険な生命体に慣れさせるんですよ。それがすんだら」フールはちょっとためらい、大きく息を吸いこんで一気にしゃべった。「装置のスイッチを切ります。そうなれば、隊員たちは自分の観察と判断に頼って仕事をしなければならない。もちろんなにか事故が起きた場合、迷惑するのは鉱夫たちだということは承知しています。それで計画を進める前に、われわれを雇った企業合同の長であるあなたの了解を取っておきたかったのです」 「なに、そんなことか」と、ダニエルズ。「それならわたしのほうは問題ない。最初に確認を取ってくれなかったら、そうはいかなかったかもしれないが。いずれにしてもあの沼地にはそう危険なものはいない。さっきも言ったとおり、あの装置は保険会社を満足させるためにつけただけのものだ。それまではスキャナーなしでもけっこううまくやっていた。警備もいなかった。保険会社の連中がもっと文明化しろのなんのとうるさく攻めたてるから、しかたなくつけたがね。だから遠慮はいらん、どんどん訓練してくれ。鉱夫たちへの連絡はわたしが面倒みよう」 「感謝します、チャーリー」フールはにっこりし、申し出がすんなり受け入れられたことにほっと胸をなでおろした。「そうなると、保険料率にも影響が出ますが……」 「それも心配無用」と、鉱山主は言った。「隊員たちに、スイッチを切っているときでもすぐ使えるようにしておくよう言ってくれたまえ。それで充分だ。問題が起きたり賠償請求をしたりしなければならなくなったときは、装置の一時的な作動不良″が起こったとかなんとか、われわれのほうでどうにでも理屈をつける。保険屋は規則を考えだすのは好きだが、実際に沼地に出てきてわれわれが指示に従っているかどうか見にくるようなやつにはまだ一人も会ったことがないね」 「できれば保険詐欺には手を染めたくはないのですが」フールは慎重に言った。「でも、そうしなければ――」  腕の通信器がピーピー鳴った。フールは話を中断して呼びだしに答えた。 「ジェスター中隊長だ」 「ビーカーでございます。お話の途中、申しわけありませんが、ちょっと下までお越しいただけませんでしょうか」 「何があったんだ、ビーカー?」 「シンシア人の新しい制服のフィッティングでゴタゴタが起きたようです。くわしく申しますと、仕立て屋のほうがどうしてもフィッティングできないとデザイナーに食い下がっていまして」  フールは顔をしかめた。「わかった。話がすんだらすぐそっちへ行く……そうだな、あと十五分くらいだ。ジェスターより以上」 「シンシア人というと、どの連中だったかな?」ダニエルズは好奇心をそそられた様子だ。 「え? ああ失礼、チャーリー。つい、そっちに気を取られてしまって。シンシア人というのは……そうだ、あなたも任務についていたのを見ているはずですよ。眼が飛び出て、腕がひょろ長い非ヒューマノイド型の生命体です」 「あのちっぽけな連中かね? それなら知ってる。言葉を聞き取るコツさえのみこめば、気だてのいい可愛い連中だ。いい考えがある。中隊長、きみの通信器でそのビーカーという男とちょっと話をさせてくれないか?」  フールはちょっとためらっただけで、すぐに応じた。 「いいですよ、チャーリー。ちょっと待ってください」  フールは腕の通信器に手ぼやくビーカーの番号を打ちこんだ。 「ビーカーでございます」 「ビーカー、ジェスターだ。チャーリーがきみと話したいそうだ」  フールはダニエルズのほうへ腕を伸ばし、片手でマイクを指差した。 「ビーカーかね?」鉱山主が言った。距離をボリュームで埋めようとするかのように、無意識に声を大きくしている。 「はい、さようでございます」 「そこにいる仕立て屋のなかにジュゼッペという男はいないかね?」 「さあ、ちょっと分かりません。しばらくこのままお待ちいただければ――」 「背の低い小柄な男だ。口ひげをはやした干しブドウのような顔をしている」 「はい、その方ならおられます」 「じゃあ、その男のところへいってチャーリー・ダニエルズがこう言っていると伝えてくれないか。その小さなエイリアンに制服を合わせられないというなら、ここにいる指揮官にその役立たずの仕立て屋のことをよく話しておくってな。ボウリングの玉だろうとゼリーの山だろうと仕立て屋ならちゃんと合わせろ。そう伝えてくれ」 「かしこまりました」  ダニエルズは椅子に背を戻し、フールにウインクした。 「これで一件落着だ」 「ジェスターより以上」フールは通話を完結させ、装置を切った。「ありがとう、チャーリー」 「なあに、お役に立ってこっちもうれしい」鉱山主はグラスを置いて立ち上がった。「保険のほうは心配ないさ。まんいち何かあったら、われわれでなんとか手を打つ。見たところ、隊員の心配だけできみはてんてこ舞いさせられそうだ。大仕事だが、うまくやるようにな!」 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル補足[#「執事日誌ファイル補足」はゴシック体]  もちろん、ご主人様は隊員たちの心配ばかりではなく、ほかの点でも相当に努力された。とりわけ指揮を取りはじめて数日間というものは、中隊の一人ひとりを知ろうと骨身をおしまず精力をかたむけられた。たとえばこの日は早朝の司令部の呼びだしで始まり、隊員たちに同行して初めて警備の任務につき、隊員たちの新しい制服を支給し、スキャナーの使用をめぐってチャーリー・ダニエルズ氏と面談するという忙しい一日だったが、それでも終わりになさらず、部下の士官を呼んで深夜のミーティングを開かれるといった具合だ。 [#ここで字下げ終わり] 「まず初めに」フールは椅子から身を乗りだして言った。「くりかえしになるが、このミーティングをやる理由は、われわれが指揮する一人ひとりの隊員について、おたがいの考えや観察を出しあって洞察と理解を深めるためだ。一般隊員は勤務時間外にだれを友人に選ぼうと、だれを遠ざけようと自由だが、われわれ士官にはその特権はない。個人的な好き嫌いは抜きにして中隊のすべてのメンバーと協力し、すべてのメンバーを役立てなければならない。そのためには自分の扱う相手やことがらについてよく知っておくことが必要だ。わかるな?」 「はい!」  フールはしゃちほこばった返事にたじろぎ、疲れたというように目をこすってごまかしたが、むりにつくろう必要もなかった。とにかく今は、ペントハウスのソファに呼んだ二名の中尉たちをできるだけくつろがせなければならない。初めて話したときに比べればあきらかに打ち解けてはいたが、まだフールの前では緊張し、神経質になっているのがはっきりと見てとれる。 「この時間についても謝っておきたい。もう遅いのは分かっているが、今日の任務の記憶がまだ新鮮なうちにメンバーリストの第一回めの洗いなおしをすませておきたいのだ。とくにぼくの記憶が新鮮なうちにな」  そこでニヤッとしたが、反応なし。フールは内心ため息をつき、雰囲気をやわらげようとする努力をあきらめた。中尉たちの緊張をときほぐすには時間をかけて親しみを増す以外にない。 「よし。見たところ、きみはかなり細かくメモを取っているようだな、レンブラント中尉。きみの観察から始めようか」  レンブラントはびくりと体をこわばらせ、逃げ道でも探すようにまわりをさっと見渡した。だれかほかの者が差されたと思いたがっているらしい。 「わたしですか? わたし……だれから始めたらいいんでしょうか?」  フールは肩をすくめた。「きみが選べ。おそかれ早かれすべてのメンバーについて討議する。だれから始めようと問題じゃない。それにな、レンブラント」 「はい?」 「もう少し肩の力を抜け。これは内輪の話しあいなんだから、考えていることをざっくばらんにしゃべればいい。いいな?」  レンブラントは深く、ゆっくりと息をしてうなずいた。 「それじゃ、初めにことわっておきますが、データの大部分はブランデー曹長から口頭で入手したものです。自分自身まだ……隊員たちをなんとか掌握しようと努力している最中なので、まずそこから取りかかるほうがいいだろうと考えたんです」  フールはうなずいた。「しっかりした考えだ。下士官は隊員たちのいちばん身近で働いている。下士官がすすんで意見を出したときは、充分に耳を傾けることが大事だ。続けたまえ」 「おそらく方法としては、変わり者に入る隊員から始めるほうがいいでしょう」と、レンブラント。少し落ち着いてきたらしい。「こういう隊員たちをどうするか、対策を考えるにはかなり時間を取られるはずです。早いにこしたことはありません」  レンブラントは途中で中断してノートをばらばらとめくり、あるページで手を留めた。 「この前提で話を進めると、個人的にわたしがいちばん手を焼いている問題人物はいわゆるドジな連中の一人です。この女性隊員は――」 「いま何といった?」  フールの口から言葉が飛びだした。考える暇もなかった。二人の中尉は見るからにドギマギし、フールは内心、悪態をついた。気軽なミーティングがこれでぶち壊しだ。 「ドジ……です。ともかく、ブランデーが言ったのはそうでした。二人で話したとき、ブランデーは問題を起こす隊員たちを二つのグループに分けました。それが、ドジとワルだったんです」 「なるほど」  フールの心はシーソーのように揺れた。中尉たちは無言でフールを見ている。とうとうフールは頭を振って溜息をついた。 「気軽な雰囲気でミーティングを続けるために、この場を黙ってやり過ごしたいとは思う」と、フール。「二人には心おきなく自由に発言してもらいたいからな。しかし、きみは微妙な一点に触れてしまった、レンブラント。だまって見過ごすわけにはいかない。士官であろうと下士官であろうと、中隊のリーダーには人を傷つけるような言葉で隊員たちやグループを呼ぶ癖はつけてほしくないのだ。そういう習慣はものの見方や態度にまで影響する。自分では落とし穴にはまっていないつもりでも、聞いている者は隊員たちを軽蔑しているとしか思わないだろう。そう思われてもしかたがない。きみたちにはそういう習慣に陥らないよう積極的に努力してもらいたい。少しでも身につきかけていたら早く絶ち切れ。きみたち二人ともがだ。中隊のすべてのメンバーはわれわれの敬意を受ける価値がある。もし尊敬できないとしたら、それはまだ観察が足りないということだ。隊員が悪いんじゃない。わかったな?」  中尉たちは、そろそろとうなずいた。 「よし。それじゃ、レンブラント、この問題についてブランデーにしゃべり方を改めるようにきみからよく話しておいてくれ。おそらくブランデーはぼくたちの中でいちばんの違反者だからな」 「わたしが話すんですか?」レンブラントは青くなった。中隊一てごわい曹長と対立するのがいやなのだ。はっきりと顔に出ている。 「おれがやるよ、レミー」メモ用紙に急いで何か書きつけていたアームストロングが買って出た。 「アームストロング中尉、それはありがたいが」フールは穏やかに言った。「この問題はレンブラント中尉に自分で処理してほしいんだ」 「はい、分かりました」  フールはアームストロングのこわばった姿勢をじっと見つめ、首を横に振った。 「いや、中尉、どうやらきみは分かっていない。ありがたいと言ったのは本当だ。きみの申し出には実際、感謝する。きみらが協力しあって問題を解決しようとしているのがよく分かった。普通ならむしろ奨励するところだ」  フールは熱心に身を乗りだした。 「ぼくは何も、きみにはブランデーを説得できないと考えているわけじゃない。レンブラント自身がやるべきことだと思うからだ……その理由は二つある。第一に、ブランデーが隊員たちに貼っているレッテルについて言いだしたのはレンブラントだ。もし、レンブラントが言った問題できみが、あるいはぼくがブランデーに話すとしたらどうなる? ブランデーは、レンブラントが告げ口して懲らしめてもらおうとしたと思いこむだろう。そうなれば、権威ある上官の立場を固めようとするレンブラントの努力は水の泡だ。ぼくには二人の士官が必要なのだ。士官とスパイのコンビは不必要だ。第二はレンブラント、きみの問題だ。こうした問題は自分でじかに相手に話すことが大事だ。たしかにブランデーは手ごわい。ここにいる三人のだれもブランデーと角《つの》つきあわせたいとは思わないだろう。しかし、もしアームストロングやぼくの陰に隠れるのを許したら、きみは勇気を出して自分で飛びこんでいこうとはしないはずだ。それでは有能な士官となるために必要な自信が身につかない。だからこそ、きみからブランデーに話してもらいたいのだ」  言いおわって二人の中尉とかわるがわる目を合わせた。二人は分かったとうなずいた。 「問題は、ブランデーにどう話すかだな。よけいなお世話かもしれないが、ぼくのささやかな助言を聞いてくれるなら真正面から持ちだすのはよしたほうがいい。むろん神経質になるのは分かる。できるだけさり気なく、普通の話のように持ちかけるんだ。おそらくブランデーは、われわれのあいだで自分の言葉遣いのくせが話しあわれたとは気づかずに乗ってくるだろう。命令や脅しには頼らないほうがいい。そのほうがこの中隊はうまくいく」 「やってみます、中隊長」 「よし」フールはきっぱりとうなずいた。「その問題はこれで充分だ。次に進もう。さっきぼくが話を中断する前、きみはいちばん手を焼いている隊員のことを話していたな?」 「ええ、そうでした」レンブラントはそう言い、またしてもメモをめくった。「わたしが考えていたのはローズのことです」 「ローズ?」アームストロングが鼻を鳴らした。「シュリンキング・バイオレットだろ?」 「ほかの隊員たちはそう呼んでるわね」レンブラントも同意した。  フールは眉をしかめた。「ぼくはまだ会っていないようだ」 「そう言われても驚きません。会っていたらたぶん、覚えていらっしゃるはずです。ローズ、通称シュリンキング・バイオレットは、これまでわたしが会ったうちではだれと比べてもおそらくいちばんの恥ずかしがり屋です。話ができないんです。もごもご言って、そっぽを向くばかりで」 「おれはもう話すのを諦めたよ」アームストロングが口をはさんだ。「どうやら中隊のみんなもそうらしいです。といっても、器量は悪くないんです。ローズがここに来たときは大勢の男たちが知りあいになろうと努力したものです。しかし、いつまでも切り裂きジャック≠ンたいに扱われてたんじゃだれだってうんざりしますからね」 「それは女子も同じよ」と、レンブラント。「だれが話しかけてもだめみたい。あれじゃあね。非ヒューマノイドを相手にしたほうがまだ話しやすいわ。すくなくとも、半分くらいは話があわせられるんだもの」 「なかなか興味のある話だ」フールは考え深げにつぶやいた。「自分で話してみなければならんな」  アームストロングは顔をしかめた。「せいぜい幸運を祈りますよ、中隊長。五、六語でもしゃべらせられたら、りっぱなものです。ここに到着してからそんなにしゃべったことが一度もないんです」 「ところで非ヒューマノイドといえば」と、フールが言った。「きみたちに考えを聞きたいと思っていた。じつを言うと、ペアでチームを組ませるときは二人いるシンシア人を引き離したいのだ。地球人には非ヒューマノイドと話したり行動したりするのは難しいと思う。もし二人をいっしょに組ませたら、それがますますやりにくくなる。ただ、一つだけ問題がある。引き離した場合、シンシア人がどう反応するかが分からない。きみたちはどう思う?」 「心配することはないでしょう、中隊長。不平は言いませんよ」アームストロングはにやにや顔でレンブラントにウインクした。「そうだろ、レミー?」 「そうね」相棒はわざと間のぴした調子で言った。「たぶん問題にはならないでしょう」  フールは二人を交互に見た。 「どうやらぼくには通じない冗談みたいだな」 「ほんと言うと、中隊長」レンブラントが説明した。「あの二人はそんなにうまくいってるわけじゃないんです」 「ほう?」 「じつはですね」と、アームストロング。「どうやら二人の母星にはぬきさしならない階級偏見の問題があるらしいんです。そういう状況から逃げだすために、二人は惑星外に出たわけです」 「二人の名前がすべてを物語っています」レンブラントが続けた。「一人はスパルタクス。下層階級の生まれです。もう一人はルーイ、つまりルイ十四世の略称だと思うんですけど、こちらは貴族階級の出です。二人はどちらも、宇宙軍に入れば憎むべき別階級¥o身の連中とは交わらずにすむと考えていたらしいんです。二人ともこの中隊に配属されることになってどんな気分かは、ご想像がつくでしょう」 「なるほど。しかし、二人がおたがい嫌いあっているために任務に支障が出るようなことはないかな?」 「その点では実際、二人ともかなり洗練されています」と、レンブラント。「暴力に訴えるようなことはありません。ただ、できるだけおたがいに近づかないようにしているだけです。それができないときは、にらんだり、何かぶつぶつ言ったりすることはあるようです。少なくとも、そうしてると思うんですけど。眼柄《がんぺい》と翻訳器だけが頼りですから、はっきりしたことは分かりません」 「でも中隊長、結論からいえば別の相棒を振り当てられても二人は反対しないでしょう」アームストロングはにやりとした。 「この点はオーケーだな」フールはリストの項目をチェックして消した。「さて、つぎはだれだ?」  フールが終わりを告げるころにはミーティングの雰囲気もかなりくつろいでいた。三人ともくたくたに疲れ、つまらない冗談にまで口元がゆるんでけらけら笑ったりした。  フールは成果に満足して二人をドア口まで案内した。長いミーティングのあいだに三人には親密感が生まれたが、ひとつまちがえばつかみあいの喧嘩になってもおかしくないところだった。 「時間のことをすっかり忘れてしまった。悪かったな」フールは二人に言った。「明日は遅くまでぐっすり眠れ。昼になったら、また続けよう」  二人の中尉は大げさにうめいた。 「おい、まだあるんだぞ! がんばってくれよな……二人とも」 「がんばってくれ≠セとき」アームストロングは相棒にしかめっつらをした。「疲れてぶっ倒れるまでご苦労さんとは言っちゃもらえない。もちろん明日はまた、やり残したところから続けるんだろ」 「自分の知らないことをあたしたちが知ってたからよ」と、しかつめらしい顔でレンブラント。「カラカラになるまであたしたちを絞り上げて、すんだらポイよ」  フールは声を上げて笑った。 「さあ、戻って少し眠ってくれ。これが終わるまでは少し元気をつけておいてもらわなくちゃな」 「まじめな話、どうしてそんなに急ぐんです、中隊長?」レンブラントが壁に体をもたれて訊いた。「メモを比べながらの内輪の話しあいはどうなったんですか?」 「きみがずばり言ったよ」と、フール。「きみたちは隊員たちのぼくが知らない側面を知っている。あさってはみんなにコンフィデンス・コース≠走ってもらうから、その前にできるだけ多くの情報を仕入れておきたい。実際はもう明日だがね」  時計から目を上げたフールの視線は、まじまじとこちらを見つめる二人の目とぶつかった。二人の顔にはもうユーモアの表情はない。 「どうしたんだ?」  アームストロングが咳払いした。 「失礼ですが、中隊長。いまおっしゃったのは、われわれがあさってコンフィデンス・コースを走らなければならないということですか?」 「そうだ。話していなかったかな?」  フールは頭を集中させて、この七時間のあいだに言ったことと言わなかったことを整理しようとした。 「いいえ、聞いていません」 「すまん。言ったと思っていた。新しいコンフィデンス・コースを最優先で完成するよう建築会社に命じておいた。今日、終わったと連絡が入ったんだ」 「というとつまり、うちの中隊にコンフィデンス・コースを走らせるとおっしゃるんですか?」レンブラントの口ぶりは、聞きちがえであってほしいといっているかのようだ。 「もちろんそうだ。あいつらも見かけだけは、ひととおり兵隊らしくなった。そろそろ行動や感情面でも兵隊らしくふるまえるように鍛える時期だ。そうだろう?」  この夜はじめて、あの威勢のいい反射的な同意のコーラスが返ってこなかった。二人の中尉は、まるでフールに別の頭が生えたように、ただただ突っ立ってフールを見つめた。 [#改ページ]       7 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 〇八七[#「執事日誌ファイル 〇八七」はゴシック体] 読者のなかにはあたくしと同じような方々、つまりもって回ったしかつめらしい言い方をする軍隊用語に不慣れな方々もおられるだろう。そういう方々のためにことわっておくと、軍隊用語というのは一種独特のお遊び言葉で、軍の活動や態勢を当たりのいい非公式の言葉でカムフラージュするため、特別に考えだされたものである(わたくしが個人的に気に入っているものに、負傷者を非戦闘部隊と呼ぶ例がある)。|自信づけ《コンフィデンス》コースもその一つだ。  じつのところ、これは道に一定の間隔で障害物を置いておき、兵士にできるだけ短い時間で走りぬけさせるレースだ。早い話、われわれ一般人が障害物レースと呼んでいるものである。しかし軍人が一般人≠ニ言われないのは、なにも偶然ではない。軍の秘められた過去のある時期に(お気づきのように、軍人は退役後か退役まぢかでないと軍について書いたりはしないものだ)、古臭い障害物レースのイメージを変えようという決定がなされたのだ。そのとき軍が選んだのはコースを変えることではなく、呼び方を変えることだった。目的を理解していればコースを走らされる者には受け入れやすいだろう……そう考えたのだ。その目的とはつまり、兵士たちに逆境でもりっぱに任務が果たせることを身をもって体験させ、自信をつけさせる≠ニいうもの、まず兵士たちが与えられたコースを走破できることが前提となる。  個人的にいえば、コンフィデンス・コースを利用して兵士たちに自信を植えつけよう、あるいは回復させようというご主人様の考えに、わたくしは疑問を感じている……もし訊かれたらそう答えるだろう。隊員たちのファイルをくわしく調べ、おまけに本人たちとじかに会うというありがたくない喜びまで経験したわたくしとしては、あの隊員たちがはたして自分の靴紐もきちんと結べるかどうか怪しいものだと考えている。ましてや障害物コース――いや失礼、コンフィデンス・コースが走破できるとはとうてい思えないのだ。初めてコースに挑戦した隊員たちから感想を集めてみたが、この気持ちは変わらない。 [#ここで字下げ終わり]  気まずい沈黙がその場をおおっていた。隊員たちがコンフィデンス・コースを走るのを……というより走ろうとしているのを少人数の一団が見守っている。四人のうち、落ち着いて熱心に見守っているのは指揮官だけのようだ。男まさりのブランデー曹長は閲兵式《えっぺいしき》のようにくつろいだ姿勢で立ち、隊員たちのこっけいな走りっぷりを露骨な軽蔑の目でせせら笑っていた。一方、二人の中尉は目もあてられないという表情でときどき顔をそむけては、落ち着かない様子で視線を交わしあっている。すくなくとも今だけは居心地の悪さで二人の気持ちは一致しているらしい。  こうなることは訓練を命じたときから分かっていた……当然だ。この中隊はふだんから宇宙軍のゆるい基準から見ても、この上なく劣る成績しか上げていなかった。何度もそう警告を受けている。しかし、フールはいい成績を期待していないことを口には出さず、むしろ新しい命令を出してコースを走る条件を変えた。六人のグループに分かれて一人ひとりのタイムを測る方法をやめ、かわりに中隊全体の成績で評価することにしたのだ。つまりタイマーをスタートさせたら、最後の隊員がゴールに到着するまでやめないのだ。そのうえフールは、武器や雑嚢《ざつのう》までそろったフル装備で走るように命令した。これには隊員たちから恐怖と不満の声がごうごうと上がった。コンフィデンス・コースを走れと言われただけでも仰天した隊員たちは、この新しい条件をつけられて完全にやる気をなくした。このときばかりは隊員たちの心は一つになった。ひょっとしたら新任指揮官をリンチにかける楽しい空想にふけった者がいるかもしれない。  結果は予想されたとおり、さんざんだった。ほとんどの隊員は障害のうち少なくともいくつかはクリアできた。しかし、まがりなりにも兵士にふさわしい身のこなしや技術で全部をクリアできる者となると、これが一人もいない。大多数はなりふりかまわず、がむしゃらに走っていってもしくじってしまうありさまだ。いくらもしないうちに、コースのあちこちにコブのような隊員たちの塊ができた。難しい障害物の前で立ち止まって固まる者、何かブツブツ言いながらいじけた顔で上官のいる丘のほうをにらんでいる者……。  アームストロングとレンブラントには、こうなることが分かっていた。二人はフールにそう進言しようかと思ったのだが、あいまいな居心地悪さにとりつかれて実行できなかった。着任するにあたってフールは、隊員のことは二人の個人的な責任だときびしく戒《いまし》めた。同じ責任は当然フールにもあるが、着任する前に起きたことにまでフールが責任を認めることはない。つまり、隊員について開いたミーティングで三人のあいだには明らかに友情がめはえたとはいえ、中尉たちにとっては、中隊のこの現状は自分たち二人の責任というわけだ。そう考えると腹が立つが、コースを走る隊員たちのなさけないありさまを見ていると、やはり自分たちのせいだという小さなつぶやきが聞こえてくるのはどうしようもない。  普通の条件でもっとコースを走らせておくべきだったろうか? たぶん無理にでも柔軟体操をさせ、体力をつけさせるようにしていたら少しは事情が違ったのではないか。もちろん、ほんとにそんなプログラムを実施しようとしたら、たちまち事故に見せかけて背中を撃ちぬかれていただろう。それは二人とも承知している(その可能性は今でもあった。フールが今日の訓練のため武器弾薬を隊員たちに支給したとき、二人が青くなったのはそのせいだ)。しかし、やってみようともしなかったという事実は残る。  しかたがない、過ぎたことは過ぎたことだ。どんなに状況が悪くなろうと、今となってはせいぜい仏頂づらで眺めているしか手はない。二人は全身に広がる恐怖をおさえ、隊員たちそれぞれの活動に注意を向けた。  ちょうど、小柄なおてんば隊員スーパー・ナットが高さ三メートルの板壁に向かって走っていた。これはとくに挑戦しがいのある障害物だった。よほど運動能力に自信のある者でないと、まずその高さに圧倒されてしまう。そのため、何回か走って飛び越えられなかった連中が完全にやる気をなくしてしまわないように、横に小さな迂回用のわき道がつけてあった。ほとんどの隊員がこのルートを選んだことはいうまでもない。申しわけにしろ一度でも板壁にチャレンジすればいいほうで、それさえしないちゃっかり者[#「ちゃっかり者」に傍点]も多い。しかし、スーパー・ナットはそうではなかった。  スーパー・ナットが一気にスパートして飛び上がった。しかし、やっと中ほどあたりにドンと大きな音をたててぶつかっただけだった。近くの丘に立って見ていた上官たちはその昔を聞いて思わずたじろいだ。無駄だったとはいえ、真剣な努力だ。何もしないで、わき道を通過していった連中に比べれば、まわり道を通る資格は充分にあるといっていいだろう。しかし、スーパー・ナットの考えは違っていたようだ。  地面から起き上がって装備をかけなおすと、スーパー・ナットはふたたび猛然と壁に飛びかかった。意気ごみはむしろさっき以上だったが、結果は今度も失敗だった。スーパー・ナットはまたジャンプし、壁にぶつかる音が丘の上の上官たちの耳にも聞こえてきた。そして、またジャンプ……。  他の隊員たちがその横を次々と通りすぎていったが、スーパー・ナットはまだ頑として壁に挑戦しつづけた。壁にぶつかる音がするたびに、二人の中尉は自分のことのように顔をゆがめ、首をすくめた。鬼曹長のブランデーまでが小柄な女性隊員の根気づよさに舌を巻いた表情で頭を振っている。しかし、フールの行動は予想もつかないものだった。  フールは他の三人が気づかないうちにすばやく丘を下り、壁に歩みよった。スーパー・ナットが走りだすとフールはこっそり速度を合わせていっしょに走り、スーパー・ナットが飛び上がると同時にかがみこんでそっと尻を手で押し、壁を越えさせた。スーパー・ナットはあきらかに驚いたらしかったが、後ろも見ずに次の障害へ向かって走っていった。ありがたいことに、助けてくれたのがだれの手だったかには気づいていない。  スーパー・ナットを見送っていた三人がフールに視線を戻すと、フールは三人を怒ったようににらみつけて戻ってきた。 「あの娘《こ》が落ちこぼれだとしたら」フールは怒鳴った。「このぼくは、とうの昔にクレジット会社のブラックリストに載ってるよ!」  さすがのブランデーも二人の中尉と気まずそうに目を見交わし、どう答えたものかと言葉を探した。さいわいフールが言葉を続けたのでその必要はなくなった。今度は前より声が穏やかだ。 「よし、もう充分だ。曹長、みんなを召集しろ。今度は訓示だ」  ブランデーにはそれ以上の言葉は必要なかった。フールが取り入れている変化には疑問を感じているが、腕輪通信器がじつはとても気に入っていて、早く使ってみたくてしょうがなかったのだ。さっそく放送ボタンを指で押し、隊員たちに呼びかけた。 「訓練中止! くりかえす、訓練中止! 全員、閲兵場に集合するように! 今すぐ集合!」  アナウンスが終わると、コースのほうから何人かのうれしそうだが弱々しい声が上がった。ほとんどの隊員が即座に訓練を中止し、目を伏せて、とぼとぼと丘のほうへ集まってくる。ひどい出来だったのは自分でも分かっているのだ。おれたちにこんなことができると期待するほうがまちがっている――そう思ってもいた。とはいえ、きついお叱りが待っていると思うと楽しくはない。  ブランデーは集まってきた隊員たちの前ではむっつりと怖い顔をしていたが、内心は鼻高々だった。フールには冷たすぎると言われたが、ブランデーの評価はまちがっていなかった。きょうのこの出来で一目瞭然だ。できれば、中隊長がかたくなに弁護してきたこの落ちこぼれたちの欠点を中隊長自身の口から一つひとつ数え上げてもらいたいものだ。 「言うまでもないが、今日の出来はひどいものだ」最後の連中が戻ってくるとフールは口を開いた。「どこがまちがっているのか、おまえたちのなかにそれを言う頭や勇気のある者はいるか?」 「おれたちゃみんなクズなんだ!」  うしろのほうから声が上がった。そう言うのが義理だとでも思っているようだ。ほかの隊員たちも同じ意見らしい。しかし、フールには黙って聞き流すつもりはない。 「今のはだれだ?」フールは声のしたほうを見た。  フールの視線を浴びると隊員たちはそれを避けるように次々とあきへどき、最後に黒髪のネズミのような顔をした一人の隊員が残った。 「おれです……中隊長」その隊員はもじもじと答えた。 「ドゥーワップだな?」  フールは数日前にこの隊員が通信係をしていたことを思いだした。 「はい、そうです!」 「ほんとはデワップなんだろ」だれかが大きな声で言った。くすくす笑いが広がり、笑われた隊員は怒りと恥ずかしさで顔をまっ赤にした。  フールはまったく無視した。 「いいか、ドゥーワップ。思ったことをはっきり言うのはいい……しかし、その考えはまちがっている。大まちがいだ」  隊員たちはとまどったように眉をしかめた。ひとり、ブランデー曹長だけが不機嫌そうに顔をしかめている。 「まちがいというのは、おまえたちがそこにいて、われわれが」と、フールは丘の上にいる四人を示した。「ここにいることだ! 前にも言ったな。われわれの仕事はおまえたちといっしょに働くことだ。おまえたちを有能な兵士にすることだ。やってみて失敗してはガッカリするおまえたちに対して、ここからダメだ、ダメだ≠ニ言うはかりがわれわれ指揮官の仕事ではない。むしろ、謝らなければならないのは最初からこのコースを走らせようとしたぼくのほうだ。しかし、言いたいことを分かってもらうにはこうするしかなかった。ここで約束しよう。おまえたちだけでコースを走るのは、これが最後だ」  隊員たちが水を打ったようにシーンと静まりかえる中を、フールは丘の上から隊員たちのいる平地に降りた。ほかの上官たちも居心地悪そうにフールのあとに続いて下に降りた。とまどっている者からムッとしている者まで三人三様だが、こうなった以上フールに従うしかない。 「よし、これでいいな」フールはうしろの隊員たちにも見えるように、前列の隊員たちに合図して膝をつかせた。「さっきも言ったとおり、ぼくたちは一つのチームだ。ぼくたちみんなが一つのチームだ。おまえたちの最初のまちがいは、一人ひとりがバラバラにコースを走ろうとしたことだ。コースにはもちろん障害物がある。何かやろうとすれば障害はつきものだ。一人の力だけではだれがやってもできない場合がある。しかしいっしょに力を合わせてやれば――一つのチームとして助けあい、いっしょに問題を考えていけば――ぼくたちにできないことは何ひとつない。何ひとつもないんだ! まず、これを前提として受け入れることだ。いいか、しっかりとその胸に刻みつけろ。ぼくたちにできないことはない。あとは、どうやって助けあうかという問題だけだ。一つのチームを組むメリットはそこにある」  隊員たちはフールの確信に引かれ、その言葉にしがみついた。だんだんその気になってきたようだ。 「それじゃ個別の問題に移ってチームがどう役に立つか考えてみよう。あの三メートルの壁が問題だな」  コースに立ちはだかっている板壁を指さすと、隊員たちはうなずいた。苦々しい顔をしている。 「身長と体力さえあれば乗り越えられることは見ただけではっきりしている。しかし、身長や体力がない者にはどうしようもない。たしかに一人ひとりがバラバラにやった場合はそうだろう。しかし、ぼくたちはそうじゃない。ぼくたちは一つのチームだ。だから、背丈がないという理由だけで困っている仲間を置きざりにしたりはしない。自分が越えるんだという考えは捨てろ。ぼくたち全員があれを越えるにはどうすればいいかを考えるんだ。もし、だれか一人があの上に登って、あとからくる仲間に手を貸してやるとしたらどうだ? だれでも、もっと楽に乗り越えられるはずだろう。もっといいのは、おまえたちのうちの重量級の者が集まって肩で階段を作る方法だ。この方法だと立ち止まらずに進んでいける。肝心なのはダメだ、できない≠ニ打ちひしがれるのではなく、自分たちの力を最大限に引きだすことだ」  隊員の一部に笑顔がのぞいた。フールの抑えきれないエネルギーが効果を及ぼしはじめ、変革への希望がめばえてきた。 「もう一つ例を上げよう」フールは続けた。「おまえたちの中には足の遅い者もいる。とくにシンシア人はそうだ。体がスピード向きにはできていない。しかし、足が遅いのは恥ずかしいことじゃない。たまたま体の形がそうなっているだけの話だ。足が遅いからといって、ひけめを感じる必要はない。空が飛べないからといって恥ずかしいとは思わないんだからな。これは解決できる問題だ。シンシア人はチームの一員だから、ぼくたちが解決できるように手を貸さなくてはならない。もしこのコースのような状況が起こったとして、時間は大事な要素だがシンシア人を後に残したくないとしたら、そのときはみんなで力を合わせて助けろ。必要なら運んでいってやれ。野戦パックが二倍になってもそうするんだぞ。いいか、ぼくたちの目標は、全員が一つにまとまって有能な兵士のかたまりになることだ。そのために必要なことはなんでもしなければならない。さて、今度はほかの障害物のことだが……」  フールは通称ピット≠ニ呼ばれるひと続きの障害物のほうへ移った。隊員たちがそのあとにぞろぞろと続く。最初の一つにたどりついて後ろを振り向くと、今度は合図もしないうちに前列の隊員たちが腰をかがめている。  この障害はさし渡し一・二メートルほどの溝でできており、中には気持ちの悪いヘドロや藻、泥水がほぼ満杯近くまで溜めてある。溝の上には枠が組まれ、そこから太いロープが三本下がっていた。隊員たちはロープにぶら下がり、ブランコのように揺すってこの溝を渡っていかなければならない。実際やるとなると、見かけ以上に大変だ。 「ここには一つネックがあることに、ぼくは気づいた」フールは言った。「おまえたちのなかには仲間を押して最初の振りをつけてやるアイデアを思いついた者もいた。そこまではいいが、本当の問題は別にある。先へ進んでいくには三本のロープじゃ足りないということだ」フールは溝をのぞきこんだ。「おまえたちが新しい制服を大いに誇りにしているのは知っているが、今は戦闘状態という想定だからな。戦闘中は制服の心配なんかしていられない。だれか、この溝の深さを知ってるか?」  隊員たちはたがいに顔を見あわせている。フールは答えを待たずに続けた。 「先制攻撃を別にすれば、戦闘でいちばん大事なのはデータ、つまり情報だ。ブランデー曹長!」 「はい、なんでしょうか?」 「この溝の深さを手っ取りばやく測る方法をみんなに見せてやってくれないか?」  隊員たちはフールの大胆さに目をみはった。相手はみんなに怖がられているブランデーである。しかし、ブランデーはほんの一瞬ためらっただけですぐに行動に移った。大きなストライドで一歩前に進み出ると、プレスのきいた制服とピカピカのブーツのまま、迷わず溝に飛びこんだのだ。中に入ってみると、泥水は盛り上がったバストの下までやっとあるかないかの深さしかない。それを確かめると、ブランデーはせいいっぱいの威厳を保って溝の端まで渡っていった。どことなく港に入るビスマルク≠ノ似ていないこともない。  ブランデーの平然とした態度をいつもうらやましく思っているアームストロングが、にやにや笑いを隠そうともせず、うれしそうにレンブラントの肘をつついた。しかし運悪く、フールに見つかってしまった。 「中尉、きみたちもだ」 「はい?」  フールに顎で溝のほうを差されて士官二人は足がすくんだ。しかし、曹長に手本を見せられてはやらないわけにいかない。しかたなく二人は制服ごと泥水の中に入った。見ていた隊員たちは大喜びだ。 「これで分かったろう」フールの口調は冷静だった。「ロープの前に並んで順番待ちをするより、渡ってみるはうが実際は早い。では、ぼくのあとに続け。次の問題を考えるのは、そのあとだ。ここの深さを忘れるな。背の低い仲間に手を貸すことも忘れないように」  フールは向きなおって溝のふちから中に飛びこみ、向こう側につくとブランデーが差しだした手につかまって、はい上がった。隊員たちがそのあとからレミングの大群のようにつぎつぎと飛びこんでいく。フールがほかにどんな手を用意しているか、先が楽しみになってきた。  次の障害も似たようなものだったが、溝は前よりも広く、三本の丸太が渡してあった。フールはためらわずひょいと丸太に飛び乗って向こう端に渡ると、ずぶ濡れのアームストロングについてくるよう手で合図した。 「今度はそう難しくない」フールが向こう側から言った。「しかし、ある程度の敏捷《びんしょう》さが必要だ。われわれの中にはもちろん敏捷でない者がいるし、敏捷であってもバランスを崩すまいとすると時間がかかる。だから、われわれの必要に合うように手を加えればいいのだ……タスク・アニニ!」  二メートルを越すボルトロン人の大男タスク・アニニは隊員の中でもいちばんの力持ちで、目立つ存在だ。おまけに紐のような黒髪、突き出た牙、不格好な頭と、イボイノシシやフランケンシュタインの怪物も顔負けの奇怪な容貌をしている。タスク・アニニは前に進み出て丸太の一方の端を持った。フールとアームストロングがもう一方の端を抱え、いっしょに丸太を転がして中央の丸太の横につけた。まもなく三本の丸太がそろった。 「これでずっと渡りやすくなった」フールは間にあわせの橋のまんなかまで進み、足で踏んで強さを確かめた。「しかし、全員が急いで渡るとなると、まだ少し頻りない。だれか雑嚢にロープを詰めている者はいないか?」  だれも持っている者はいない。 「しかし、ナイフは全員が持ってるな。支給品で最高の切れ味とはいかないが、今はそれで充分まにあう。ドゥーワップ?」 「はい、中隊長!」 「だれかとパートナーを組んで丸太を結ぶロープを取ってきてくれ」 「はあ?」 「頭を使え! さっきの障害地点で見つかるはずだ。もちろん、そうしても隊員のためなら物をくすねてもいいというおまえの主義には違反するまい」  隊員のあいだからひやかしと歓声がわき上がった。ドゥーワップはふだんからしっかりと留めてないもの――つまりクギや鎖で留めてないもの――ならなんでも調達してくれるという評判の持ち主だ。 「さて、待っているあいだに」フールが手を振って声をかけると、隊員たちはまだにやにやしながら静かになった。「次の障害をどう切りぬけるか考えよう。だれか、いいアイデアを持っている者はいないか?」  運命のなせるわざか、ボンベストはちょうどそのとき勤務中で、しかもロビーにいた。そこへコンフィデンス・コースと格闘した隊員たちががやがやと帰ってきた。  ドゥーワップが最初にロビーに入ってきた。ヘドロと、制服にこびりついている乾きかけた泥のせいで見分けもつかないほどだが、あきらかに上機嫌らしい。濡れた札束をフロントデスクにどさっと置き、カウンターに積んであった新聞の山をすくい上げた。 「おい、スーパー・ナット!」ドゥーワップはドアをくぐってきた次の隊員に声をかけた。こちらは背の高さ、というより背丈のなさでかろうじて判別がつく。「手を貸してくれ! 中隊長が言ったことを覚えてるだろ。あのバブーンどもがロビーをのこのこ歩いていったら、おれたちの給料から洗濯代が差っ引かれるんだぜ」  興味を引かれて見守る支配人の前で、二人は正面ドアからエレベーターまでの通り道に新聞紙をずらりと敷き並べた。敷きおあると同時に、最初のグループが正面ドアに姿を見せた。 「おまえ見たか、中隊長に呼ばれたときのブランデーの顔……」 「あんなところを見るとは思わなかった……」 「やあ、ボンバスト! ランドリー・サービスを呼べよ。稼ぎになるバイトの仕事があるぜ!」  それを聞いてまわりからどっと笑いが起こった。ボンベストはなんとか笑顔を崩すまいと必死に努力した。ボンバストというニックネームで呼ばれるのは大嫌いなのだ。しかし、ベソをかいたような顔にしかならなかった。  ワイワイガヤガヤやっている隊員たちの中から、一人が離れてフロントデスクに歩み寄った。 「ボンベスト! だれか人をやってプールを開けてくれないか。隊員たちは少し遊びたいらしい。バーやレストランでやるよりプールでやるほうがみんなのためだ」  さすがのボンベストも今度ばかりはギョッとした表情を隠そうともしなかった。もし、この泥だらけのものがしゃべらなかったら、それがフールだとはとうてい気づかなかっただろう。フールのように社会的地位も教育もある人間が一般兵士にまじってどろんこ遊びをするなんて常人には考えられないことだ。 「プール、でございますか?」ボンベストは力なく言った。泥だらけのフールの姿に魅入られたように目を奪われている。  フールは支配人の表情に気づいたが、その意味をかん遠いした。 「心配するな、ボンベスト」フールはにっこりと笑った。「プールに入るまえにシャワーを浴びさせるからな」そう言って新聞紙のちらかったロビーを示した。「やつら、カーペットの掃除代にもこと欠くみたいだし、ましてやプールサイドをごしごしこするはめにおちいりたくはないだろう」 「さようですな」 「そうだ、ルームサービス係にビールをワゴン三台分、各階に届けるよう頼んでくれないか。もちろん、ぼくのつけ[#「つけ」に傍点]だ」 「みんなあなたさまのつけ[#「つけ」に傍点]でございましょう、フールさま」ボンベストはようやく落ち着きを取り戻した。  フールはそこでいったん立ち去ろうとしたが途中で思いなおし、興奮してしゃべらずにはいられないという様子でフロントデスクによりかかった。 「それは分かってるが、今日は特別なんだ、ボンベスト。あいつらにはぼくからの褒美のしるしだと言っといてくれ。ほんとだよ、今日のあいつらを見せたかった。まだ確かめたわけじゃないが、コンフィデンス・コースをあいつらより早く走った部隊はどこにもないんじゃないか」 「たしかに、みなさまご機嫌のようですな」支配人はあいづちを打った。この友好的な会話の雰囲気は壊したくない。 「そりゃそうだろう。今日だけで、あのコースを十回以上も走ったんだからな。終わりにしなけりゃ今でもまだ走ってるだろう」 「また、どうしてそんなことを? つまり……まだ早いのでは」 「まずコースを作りなおきなくてはいけない」フールは泥まみれの顔をニヤッとゆがめて誇らしげに言った。「それで思いだした。建築会社の連中に連絡を取って今日じゅうに取りかかれるかどうか訊いてみなくちゃならん」 「それは……ご心配ないようですよ。よくやっているようです」 「そうか、それはよかった。しかし、気がかりはシンシア人だな。手助けがないと仲間についていけない。もっと早く進めるように何か対策を考えてやらないとやる気を失ってしまう」  ボンベストがどう答えたものか思案していると、そこへ二人の人物が近づいてきた。 「ウィラードさん? ウィラードさんじゃありません?」  フールは振り向き、にっこりした。司令部から呼びだされるもとになったインタビュー記事を書いたあの新聞記者だ。まだ二十にもならない若い娘で、柔らかな茶色の髪と、かっちりとしたオフィス・スーツでも隠しきれない曲線美の持ち主だ。 「やあ、ジェニー。驚いたな、こんな格好なのによく分かったな」 「もう少しで見過ごすところだったんですよ。こちらのシドニーがあなたじゃないかと教えてくれたんです。ホログラフィー写真家はそう簡単にはだませませんわ」ジェニーは連れのほうを向いた。「シドニーは変装して旅行中の有名人を見つけるのが得意ですの」 「そのようだ。その技術がどういうときに役に立つかよく分かった」フールはしかたなく笑顔を見せた。有名人にまとわりつく目ざといホログラフィー写真家というのは、弱った動物にむらがるハゲワシのようで、どうも好きになれない。そのうえこの男は人当たりがよく、肩幅が広く、ウエーブのかかった髪をしていて、おまけにハンサムだ。気に入らない。ジェニーにくっつきすぎているのも気に入らない。しかし男は全身からくつろいだ気軽な雰囲気を発散させつづけた。フールのような激しい気性の人間には真似のできない芸当だ。 「よろしく、シドニー」フールは白い歯を見せて握手した。「ところで今日はいったいどんな用だい、ジェニー? われわれが水の上を歩く技術でもマスターしないかぎり、このあいだのきみの記事以上のものは書けないと思うがね」  フールは皮肉をこめたつもりだったが、フールに会って感激しているジェニーには通じなかった。 「編集長からあなたについて毎週、連載記事を書くように言いつかりましたの。写真もつけて……もし、よろしければですけど。少しお話を聞かせていただいて、二、三枚写真を取らせていただくだけでけっこうなんです。ご都合のよい時間を指定していただいてもけっこうですわ」 「なるほど。しかし、あいにく今は人前に出られるような状態じゃないな」フールは泥だらけの自分の体を指差した。「今日はコンフィデンス・コースを走ってたんで……」 「まあ、ほんとですの? トップニュースにうってつけですわ……」 「……それに、どうせ書くなら中隊のことも書いてほしい。読者にとっては、ぼくのことしか書いてない記事よりずっと面白いだろう」 「そう……ですね」ジェニーはあまり気乗りしない様子だ。フールといっしょに過ごすチャンスを逃したくないという気持ちがありありと見えた。「あなたや、あなたがなきっている活動を他の人々がどう見ているかとか、そういう面を書き加えるのもいいかもしれませんわね」 「よし、それで決まりだ。あとの段取りはこっちにまかせてくれ……おい、ドゥーワップ! ブランデー!」  エレベーターからラウンジに行きかけていた二人に手を振ると、二人は話をしている三人のほうへやってきた。 「こちらの二人がわれわれのコンフィデンス・コース訓練について記事を書きたいそうだ」フールが説明した。「おまえたちからくわしく説明してくれないかな」 「ホロ写真も取るんですか!」ホログラフィー写真家の機器を目ざとく見つけたドゥーワップが大声で言った。「こいつはすごい! まかせてください、中隊長」 「でも……ちょっとまずいわね。二人とも、見ただけでは、なにをしてきたか分かりませんもの」ジェニーは如才なく応じた。さすがはインタビュー記者だ。  二人はもうシャワーと着替えをすませていた。まだ濡れている髪を除けば、コンフィデンス・コースで悪戦苦闘した跡はどこにもない。 「だいじょうぶ」ドゥーワップがあわてて言った。「今すぐ上へいって別の制服に着替えてきます」 「もっといい考えがあるわ」ハンサムなホログラフィー写真家にいちはやく目をとめたブランデーが落ち着き払って言った。「通りを渡って公園に行けばいいのよ。あそこの噴水に飛びこんでずぶ濡れになるの。あたしたちがコースでどれだけ汚れていたかを一般の読者にそのまま見せてあげるの」  写真家は豊かな体つきのブランデーを値踏みするように眺め、ジェニーの肘をつついた。 「それでいいよ。行こう」  一行がホテルを出ようと歩みだすと、フールは写真家の腕をつかんでわきへ引きよせた。 「シドニー……ちょっと話がある。ジェニーはあのとおり記事を書くのに熱中している。いったんエンジンが掛かったらひとりで軍隊でもなんでも引っぱっていくだろう。しかし、きみはもっと冷静でいてもいいはずだ」 「どういうことです……?」 「隊員にはいろいろな者がいる。ホロ写真を取るまえにそれをチェックしておいたほうが身のためだとだけ言っておこう。新聞に出てからでは遅い。隊員のなかには過去を捨てるために入隊した者もいるんだからな」 「えっ?」写真家はまわりを見回そうとしたが、フールは相手の動きを制止して話をつづけた。 「写真を取ったりしたら、やつらはその機器をあんたの喉に突っこむかもしれないぜ。そうならなくても、ぼくが個人的にあんたの経歴に関心を持つ。あんたのその経歴が続くあいだはな。分かったか?」  シドニーはフールの目を見た。どうやら今は報道の自由うんぬんを持ちだすべきときではないようだ。 「了解、ミスター・フール」シドニーはさっと敬礼した。そのしぐさは、まんざらおどけだけでもなかった。  フールは写真撮影の騒ぎにはあまり関心がなかった。いつのまにかその日は、近くでネズミのように群れて遊んでいる子供たちのほうに引きつけられていた。子供たちはスケートボードに乗ってワイワイやっていたが、集まった隊員たちを見て何事かというように近くに寄ってきた。ジェニーが怖い顔でしっしっと追い払っても、すぐにまた寄ってくる。とうとうそれが五度目となり、今度は警察を呼ぶと脅されてようやく自分たちのいつもの遊びに戻っていった。近くにいるホロ写真家へのあてつけのつもりか、さっきよりいちだんと威勢よく騒ぎ立てている。  スケートボードで遊ぶのにいちばんいいのは歩道のような表面の固い場所だが、どんな場所でも滑れないことはない。そんなスケートには不向きな難しい場所で技を見せるのが子供たちの大きな自慢だ。公園のベンチの上やデコボコの芝生の上まで滑り場所にしている。なかでもお気に入りの芸当は、傾斜をくぼ地へ向かって滑っていき、はずみを利用してフェンスを飛び越え、写真家が背景にしている噴水の中に着地するというものだ。ボードは水面では一段と速くなるので、噴水の中を滑るのは子供たちにとってなんの造作もない。新聞社の連中が抗議の声を上げるころにはとっくにどこかへ姿を消している。  フールはしばらく子供たちの様子をじっと見つめていたが、やがて子供たちが次の策を練りに集まっている場所のほうへぶらぶらと歩いていった。子供たちはいつでも路地の中へ逃げこめるように身構えながら、近づいてくるフールをゆだんなく見守っている。フールは子供たちににっこりほほえみかけて声をかけた。話せる距離まで近づいたが、子供たちはまだ逃げる様子を見せない。 「なんか用でもあるのかよ」リーダーらしい少年が言った。「おじさんも噴水につかったらどうだい」  子供たちがくすくす笑った。フールもいっしょになって情けなさそうに笑った。フール自身はまだシャワーを浴びる暇もなく、このわんぼくどもよりひどい格好だったからだ。 「そのボードのことを少し聞かせてほしいんだ。そいつに乗るのは難しいのかい?」  子供たちは顔を見あわせた。気に入った人間にボード乗りを自慢したい気持ちと、おとなをからかってみたいという誘惑のあいだで心を引き裂かれているらしい。だが結局、ボードが勝った。 「最初はちょっと難しいけどね」スポークスマン役の少年が言った。「重心を低くしていないと転げ落ちてしまうんだ」 「じゃあ、少し練習すれば……」 「うんと練習しなきゃ」 「うんと練習すれば、たいていのことはできるようになるのかい?」 「やってみる?」 「コツさえわかればな……」  いったん垣根が取れると、情報は洪水のように飛びこんできた。子供たちは大好きなボードのことをいっせいにしゃべろうとした。フールはしばらく黙って聞き、手を振って静かにさせた。 「おじさんがほんとに知りたいのは別のことなんだよ」なにやら陰謀めかした声で言うと、子供たちは輪を縮めて集まってきた。「きみたち、シンシア人にこの板の乗り方を教えられるかい? シンシア人に会ったことはあるかい?」 [#改ページ]       8 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 〇九一[#「執事日誌ファイル 〇九一」はゴシック体]  コンフィデンス・コース演習を成功裏に終えたことで、隊員たちの態度が目に見えて変化してきたように思う。もちろん、新しい制服≠フ着用による誇らしい気分も手伝ってのことだ。とにかく、中隊全体が、そして隊員それぞれが、手段にこだわらずに一致団結してやれば、なんでもできる!≠ニいう新しい中隊長の信念を受け入れはじめたようである。  これまで隊員たちは、非番のときにも自分たちの拠点であるホテルを離れようとしなかった。だが、ここへきて急に外出しはじめたかと思うと、あっという間に入植地のいたるところで姿を見せるようになった。そして、子供が新しいオモチャをことあるごとに見せびらかすように、隊員たちは入植地で様々な難問を見つけては例の一致団結方式≠フ威力を試して回っている(応援の要請があろうとなかろうと、おかまいなしにだ!)。入植地の住民たちの多くは、この活動的で好感の持てる一団をハスキン星へ新たに導入された正規軍の部隊だと錯覚しつつある。どうやら隊員たちのプロジェクト≠ヘ、おおむね善行≠烽オくは市民生活の改善≠ニ住民たちには受け取られているようだ。しかし、残念ながら、すべてのプロジェクト≠ェ法律の枠内に納まったわけではなく、おかげでご主人様は警察と隊員たちとのあいだに入って多忙をきわめられた。  以上のようなことを別にすれば、ご主人様は持てる時間の大半を各隊員のさらなる人物把握に費やされた。中隊を二人ずつのペアに分けるおつもりである。しかし、こうしたご主人様のご努力の結果わかったことは、やはり、わたくしが当初から危惧《きぐ》していたとおりのものであった。オメガ中隊に所属する隊員は、一様に一筋縄では行かぬ者ばかりである。 [#ここで字下げ終わり] 「相席させてもらっていいかな?」  スーパー・ナットが朝食の皿から顔を上げると、テーブルの横に中隊長が立っていた。スーパー・ナットは肩をすくめ、「どうぞ」と手を振って中隊長を自分の真向かいの席に招いた。中隊の中でもっとも背の低いスーパー・ナットは、美人とは言えないが、けっして魅力のない女性ではない。両側のほお骨から鼻にかけて濃いソバカスがあり、ハート型の顔と褐色のショートヘアとが相まって、ちょっと小妖精《ピクシー》のようにも見える。小妖精といっても、キュートで都会的なティンカー・ベルのようなタイプではなく、農場にいるような若くて元気いっぱいの小妖精だ。  フールはゆっくりとコーヒーをかき混ぜながら、これから話そうとしている内容を頭の中で言葉にまとめた。 「まえまえから、きみに話そうと思っていたんだが――」フールが、ようやく切りだすと、スーパー・ナットは片手を上げてフールの言葉をさえぎった。そして、しばらく口をもぐもぐさせ、やがて口の中のものをゴクリと飲みこんでから言った。 「おっしゃらなくても分かってますわ、中隊長。わたしの喧嘩のことでしょう?」 「いや……まあ、そうだ。ぼくにはどうも、きみが必要以上に……取っ組みあいをしているように思えてならない」 「取っ組みあい[#「取っ組みあい」に傍点]ですか」小柄な隊員は溜息をついた。「もっと身長があれば、なぐりあいって言ってもらえるんだけどな。あ、失礼しました。実は、これには理由があるのです、中隊長」  スーパー・ナットは、またナイフとフォークを動かしながら言葉を続けた。 「わたしは九人兄弟姉妹の中でいちばん小さいのです。末っ子という意味じゃありません。いちばん背が低いのです。両親とも働きに出てまして、家にはあまりおりませんでしたから、だいたいなんでも兄弟姉妹で決めてやってました。でも、子供なんて平等の精神≠ニか思いやり≠ニかには興味がありませんでしょう。うちもそうでした。自分で自分を守らなければ、だれも守ってくれないんです。ただ、やられっぱなしです。さっきも言いましたとおり、わたしはいちばん小さかったので、あまりにも悲しい目にあわされたり、山のように家事を押しつけられたりしないためだけに、死に物狂いで戦わなくてはならなかったんです。五歳年下の妹に使い回されまいと頑張る姉の気持ちが、お分かりになりますか?」  フールは急に質問を向けられて、まごつきながら、なんと答えたものかと言葉を探した。幸い、スーパー・ナットは答えを求めていなかったらしく、また話しだした。 「まあ、そんなような理由で、いじめられるな≠ニ思った相手には、だれかれかまわず飛びかかってゆくようになってしまったんです。だって、わたしほど背の低い者が、相手に先に殴らせるわけにはゆきませんもの。そんなことを許せば、喧嘩をする前に決着がついてしまいます。相手にパンチを決めたいと思うなら、先制攻撃するしかありません。先に攻撃しても必ずしもうまくゆくとはかぎりませんが、少なくとも勝つチャンスはありますから」  スーパー・ナットは言葉を切ってコーヒーをすすり、さっとナプキンで口を拭って、また話しはじめた。 「こんなことは、いまさら言うまでもない、あたり前のことですわね。わたしがしょっちゅう喧嘩をふっかけて、隊のまとまりを壊していることはよく承知しています。でも、これは小さいころからの習慣ですから、自分でも改められるとは思えません。中隊長がどうしてもお困りなら、わたしを他の隊へ転属させてくだきってもけっこうです。やれやれ、これから何度、移ることになるのやら」  フールは落ち着き払って聞いていたが、内心、この小柄な隊員のあまりの率直さに少々面食らっていた。しかも、依然として中隊をまとめるうえでの不安材料であるスーパー・ナットに、いつのまにか好意さえ抱いていた。 「そんなことはまったく考えていない」と、フールは即座に転属の可能性を否定した。「しかし、いつも負けてばかりで悔《くや》しくないのか? 勝ち目のありそうな相手にだけ向かっていけばいいのに」  このとき、初めてスーパー・ナットは気づまりな様子を見せた。「あの……中隊長、わたしはこれまで、勝算があろうとなかろうと、自分を守り、自分の信念を貫くことが大切だと信じてきました。勝てそうなときにだけ喧嘩をするのは……弱い者いじめです。わたしは、こんなふうに育ったので、弱い者いじめをするような立場にはなく、それで自分に少しこだわりすぎているのかもしれません」  中隊長は、なるほどと感心した。弱い者いじめをしないと言うスーパー・ナットの信念は的を射ている。 「しかし、少しは勝ちたいだろう? せめて、たまには」 「もちろん、そう思います」スーパー・ナットは答えた。「誤解なさらないでください、中隊長。だれにでも見さかいなく喧嘩をふっかけるからといって、初めから負けるつもりではないんです。この点に関して何かアドバイスしていただければ、ありがたいのですが」 「じつは、いま考えていたんだが、なにか武術を身につけたらどうだろう……たとえば空手とか。他にもいろいろあるが、そもそも武術というものは背の低い民族が護身用に、あみだしたものだし」  そのときフールは、スーパー・ナットが小悪魔的な笑みを浮かべていることに気づいて口をつぐんだ。 [#挿絵184  〈"img\[ロバート・アスプリン] 銀河おさわがせ中隊 184.jpg"〉] 「武術は、かなり身につけております。じつをいうと、わたしは三つの流派の空手で段位を持っているのです。韓国空手、日本空手、そして沖縄空手です。おまけに、柔道と、いくつかの中国武術でも段位を持っています。ところが、どんな武術でも技を決めるには冷静でなくてはなりません。問題はそこです。わたしはカッとなると――もっとも、そうならなければ喧嘩はできないのですが――頭に血がのぼり、習得した技を完全に忘れてしまって元のもくあみになっちゃうんです」 「三つの流派、か」フールは、力なくスーパー・ナットの言葉を繰りかえした。 「ええ、そうです。最初の夫が各種武術の道場を開いておりましたから、いくらでも稽古《けいこ》を受けられました。あの、中隊長、ちょっと失礼してよろしいでしょうか? 炊事当番にあたっておりますので」  そう言ってスーパー・ナットは立ち去り、その後ろ姿をフールはポカンとして見送った。 「ちょっといいですかね、中隊長?」  フールが驚いて見上げると、チョコレート・ハリー補給担当軍曹がペントハウスの戸口に立っていた。戸口に立つというより、戸口が洋梨型の黒人の巨体で覆いつくされているという感じだ。巨体が戸口全体を占領している。 「ああ、かまわない。入ってくれ、C・H。なんの用だ?」  フールはさりげない口調と態度を慎重に装いながら答えた。しかし内心では、いったいどんな用件でチョコレート・ハリーがねぐら[#「ねぐら」に傍点]である補給室を離れ、ここへやってきたのかを知りたくてうずうず[#「うずうず」に傍点]していた。新しい制服を支給した日以来、チョコレート・ハリーとは通りがかりに声をかけるぐらいで、はかにはなにも話をしていない。この補給担当軍曹は特別任務をかなりうまくこなしているようだが、中隊再編成に関してはどう思っているのだろうか。フールは、それが知りたかった。  チョコレート・ハリーが、ゆっくりと部屋の中へ入ってきた。メガネの分厚いレンズの奥から部屋中を眺め回している。まるで不審な者が――あるいは掘出し物が――隅に隠れているとでも思っているような様子だ。やがて、チョコレート・ハリーは短く刈りこんだ髪を片手でひとなでして、ようやく口を開いた。 「じつは、中隊長」ひどくかすれた例の声が、なぞめいた口調で豊かなひげのあいだから洩れ出た。「おれ、ここんとこ、ずっと考えてたんです。例の件――スパルタクスとルーイに与える銃をどうするかの問題を覚えてるでしょう?」  フールは、さりげなさを慎重に保ちながら、うなずいた。その二人のシンシア人については、移動手段の問題以外にも、まわりと調和させるうえでの難題がいくつかあった。なかでも捨て置けない問題が、武装方法に関してである。シンシア人の腕はひょろ長いが針金のように強靭《きょうじん》であるため、中隊の兵器庫にある武器なら、どれでも手に持つことができる。問題は、蟹《かに》の目のように飛び出た眼柄《がんぺい》である。地球人に見られるような横に二つ並んだ目の形に合わせて作られた照準器が、どうしてもシンシア人の目には適さないのだ。演習に出かける際には、二人のシンシア人にも他の隊員と同様に銃を持たせているが、「少なくとも狙った近くへ弾を飛ばせることを証明して見せるまでは一発たりとも撃つな」と特別に厳命してあった。 「なにか解決策が見つかったのか、C・H?」 「たぶん、これで大丈夫だと思うんです」そう答えると、急に軍曹はそわそわ[#「そわそわ」に傍点]しはじめた。 「あの……おれ、入隊する以前は、ある……団体《クラブ》に所属してました。かなり無茶な連中ばかりのね。ま、そんなことはどうでもいいんですが、その中に目の不自由な男が一人いて、喧嘩のときには足手まといだったんです。そこで、そいつは銃身のえらく短い散弾銃を手に入れてきて、せっば詰まったときに撃ってました。なにも、ばっちり命中させる必要はないんです。だいたいのところへ弾が飛びさえすりゃあいいんだから。で、考えたんですが……スパルタクスとルーイにも、これを使わせたらどうかと……」フールは、チョコレート・ハリーの提案を受けて考えこんだ。その銃身の短い散弾銃は接近戦むきの古典的なもので、新型の自動装填銃の原型になった銃だ。確かに有効には違いないだろうが、今はもう軍隊では通常使われていない。しかし、警察隊ではまだ非常事態の場合に使用されている。せっかく、こうしてチョコレート・ハリーが初めて中隊のために自主的に提案してきたのだ。やる気をなくさせるような返答はしたくない。 「なかなかの妙案だな、C・H」フールは心を決めて、こう答えた。「じつをいうと、数日後にフール・プルーフ社から営業マンがくることになっているから、持ってきた銃の中で使えそうなものがあるかどうか捜してみよう」 「そいつはいい、中隊長。なんだったら、おれもいっしょに捜しましょうか? 安物や闇市の不良品と違って、最新式の銃にお目にかかれる機会は、そう何度もあるわけじゃないもんで」 「もちろん、きみにも参加してもらうつもりだ」中隊長は微笑した。「そのつもりでいてくれ。しかし、その散弾銃をシンシア人に持たせるにしても一つだけ問題が残るな。シンシア人が少なくとも銃口を狙う方向へ向けられるかどうかだ。これは、まさに命にかかわる重大問題だぞ。となると、必然的に二人のシンシア人をそれぞれだれか信頼のおける隊員と組ませなきゃならない。しかし今のところ、進んでシンシア人とペアを組みたいと言ってきた者はいない。動きの鈍いシンシア人は戦場で足手まといになる――みな、そう思っているらしい。飛行ボードを使う方法がうまくいけば、状況は変わるかもしれないが、それまではなんとも……」 「なんだ、そんなことなら心配いりません、中隊長」軍曹は濃いひげの中から歯を見せてニヤリと笑った。「おれのホーグのサイドカーに一人ぐらいなら、いや、たぶん二人とも乗せられる。あいつらの面倒くらい、おれが見ますよ!」 「きみの何に乗せるって?」 「おれのホーグ……ホバーサイクルです。あのですね、中隊長、まえまえから疑問に思ってたんですが、どうして軍隊では戦闘にホーグを便わんのですか? 普段の生活ではまったく重宝してるし、あの飛行ボードを使えば、どこへだって行けるのに」  このとき、フールはなんとなくチョコレート・ハリーにうまく乗せられているような気がした。この調子で、戦闘でのホバーサイクルの使用を認めさせる腹かもしれない。ま、いいか、役に立つなら……。 「それじゃあ、C・H、きみの、その……ホーグとやらを見せてもらおう。そうだな……明日の勤務時間終了時までに持ってきてくれ。一度、この眼で実物を見てみたい」 「了解、中隊長!」 「ああ、それから、C・H、非ヒューマノイドの話が出たから、ついでに聞かせてくれ。タスク・アニニには、どんな銃が適していると思う?」 「タスク・アニニに適した銃だって?」軍曹は目をぱちくりさせた。「冗談でしょ、中隊長。あいつには何を持たせたって変わりませんよ。どっちみち、撃たないんだから」 「なんだって?」 「知らなかったんですか、中隊長? あのボルトロン人は図体がでかいから凶暴に見えますが、ガチガチの平和主義者なんです。怒鳴りもしないし、銃なんか撃ちやしません」  夜もだいぶ更《ふ》けたころ、ようやくフールはベッドサイドのテーブルの上に散らばったメモから目を離し、上体を反らせて大きく伸びをした。今日は、ここまでにしよう――そう決めたとたんに、フールは急に空腹を覚えた。夕食を(またもや)抜いてしまった。こんなに遅い時間では、ホテルのレストランもバーもとっくに営業を終えている。それは分かっているのだが、集中していた気持ちが途切れたとたんに空《から》っぽの胃袋がなにか食べないことには寝つけないぞ≠ニ警告している。  スナック頬の自動販売機が一台あるにはあるのだが、二階下まで降りなければならない(ペントハウスのスイートに泊まるような客は、あまり自動販売機を利用しないらしい)。しかし、ビーカーは数時間も前に自室へ帰してしまったし、メインルームにいる通信当番の隊員を呼んで買いに行かせるのも気が引ける。なにしろ、自分のものぐさ[#「ものぐさ」に傍点]以外に正当な理由がないのだ。やはり、自分の足で買いに行くしかなさそうだ。  そう決心したフールは、ふと、儀礼的に事務室へ顔を出していく気になった。 「下で、何か夜食を買ってこようと思うんだが――」フールは仕切りのドアを開け、ポケットの中で小銭を探りながら声をかけた。「きみも何かいるかい?」  通信当番の女性隊員は驚いて、読んでいた雑誌から弾《はじ》かれたように顔を上げた。ひょいと頭を下げ、あわてて首を左右に振っている。ほんの一瞬であったが、フールは女性隊員の赤面した顔を見てとった。〈野菜のタネ〉のカタログに載っているトマトのように真っ赤になっている。  中隊長は立ち止まって、女性隊員を見つめた。見つめながら、記憶の中のあちらこちらのファイルや会話の断片から情報をかき集めた。  ――そうだ。この女性は、まえに中尉たちが問題にしていたローズという名前の隊員に違いない。話していたとおり、確かに魅力的な女性だ。プラチナブロンドの髪の、いわゆる柳腰の美人≠ニいうやつだ。話しかけられると亀のように首を制服の中に引っこめる癖が魅力をマイナスしている。  通信当番表にローズの名が出たとき、ローズを当番から外してはどうかというブランデーからの提言があったのだが、フールはあえてローズにもみんなと同じように通信当番をやらせることにした。しかし、こうして現実に、うつむいて目をそらせるローズを目にすると、少し杓子定規《しゃくしじょうぎ》にやりすぎたかもしれない――そうフールは反省した。この様子では、通信を受けただけで卒倒してしまうだろう。応答するどころではない。 「一ドルをくずしてもらえないかな?」フールはポケットの小銭を無視して、ふたたび話しかけた。  このフールの問いかけに、ローズは顔をさらに赤らめ、また同じように首を横にすばやく振っただけで無言を返した。  それでもまだ、フールはあきらめずに、ゆっくりとローズに近づいた。 「きみとこうして話しているうちに、急に聞いてみたくなったのだが、ぼくの中隊再編成の試みについて、きみはどう思っている? 改善されていると思うかい? それとも、みんなの時間を無駄にしているだけだろうか?」  ローズは顔をそむけ、しばらくしてからようゃく、なにか答えた。 「……」  フールは二、三回、目をぱちくりさせて、身を乗りだした。 「申しわけないが……もう一度言ってくれないか? よく聞こえなかった」  女性隊員は今にも卒倒しそうな様子で、答える代わりに頭をわずかに横に振り、肩をすくめた。  これ以上の無理強《じ》いは拷問だと悟ったフールは、とうとうローズとの対話を断念した。 「それじゃあ、ちょっと行ってくるから」そう言って、フールはドアの方へ向かって歩きだした。「五分で戻る。通信が入ったら、そう伝えておいてくれ」  フールが引き下がると、ローズは少々ほっとした様子で何も答えずに、ただ大きくうなずいて見せた。  フールは後ろ手でドアを閉めると同時に、まるで今まで息を止めていたかのように、ふうっと頬をふくらませて大きく息を吐きだした。ローズほどの極端に内気な人間と接すると、こちらまで神経過敏になることを知って、フールは少なからぬ驚きを覚えた。恥ずかしがり屋の隊員の痛々しいほどまで恥ずかしがる姿を前にして、自分もひどく自意識過剰に陥ってしまった。そして自分が、こんなにまでローズを狼狽《ろうばい》させるようなことを何か言ったのか、何かしたのか――知らず知らずのうちに自問しつづけていた。なんとなく自分がバンビの母鹿を撃ち殺した男のような気がしてくる。  物思いにふけりながら、フールはエレベーターを待たずに階段で下りることに決め、自動販売機のある階へ向かった。  中尉たちが問題の多い隊員≠ノローズを挙げたのも、もっともな話だ。おそらく、ローズを部下に持てばだれでも、そう思うだろう。また今度いつか、話しかけてみよう――体調のいいときにでも。注意深く観察していれば、ローズをくつろがせるすべ[#「すべ」に傍点]が見つかるかもしれない。といっても、あんな感度をずっと取られたら、こちらとしても、おちおち観察してられやしない。あの女性の前の自分は、まるで怪物みたいじゃないか。  そのとき、まるで、それが合図であったかのように、突然、足下の階段から悪夢が立ち上った。フールは下ろした足を――そして、心臓も――止めて、凍りついた。 「うわあ[#「うわあ」はゴシック体]……ああ、なんだ、タスク・アニニか!・びっくりする……いや、すまない、そこにいるとは知らなかったものだから」 「べつに謝ってくれなくていいすよ、中隊長。いることが分かっていても、おれに驚く者は大勢います。今の中隊長は、おれに出会うとは思っていなかった。だから、さぞ驚いたでしょう」  そう言いながら、大きなボルトロン人は首を横に振った。もっとも、首を振ると言っても、人間のように首を軸にして顎を左右にまわすのではなく、犬みたいな鼻を中心にして頭を回転させるのだ。フールは初めて、それを知った。この非ヒューマノイドの隊員の姿は、あらゆる好条件がそろった状況で出会ったとしても、かなり恐ろしい。それが、深夜の階段で鉢あわせたのだ。恐ろしいどころの話ではない。  タスク・アニニは太い樽のような胴体をした身長二メートルをゆうに超える大男で、ほとんどの地球人はタスク・アニニに軽く見下ろされてしまう。よほど背の高い地球人でも、見上げなければタスク・アニニのビー玉のような黒目と視線を合わせることはできない。茶色がかったオリーブ色の皮膚は、色といい、肌あいといい、人間の肌というより、むしろ獣の皮に近い。これで、どす黒い体毛がびっしり生えていれば、まさに獣の毛皮そのものだ。しかし、全体の印象を決定づけている特徴は、なんといっても、母親――あるいは、同じ人種のボルトロン人――だけが愛せるのだろう不細工な顔だ。長く引き伸ばした顔で、鼻のところが大きく突き出ており、下あごから鼻の左右に牙のようなものが二本ずつ張り出している。おそらく、牙《タスク》・アニニの名前は、ここから取ったに違いない。 「ところで、きみとは、申しわけないことに、まだ一度も話をしたことがないな」中隊長は言った。心の内では、まだ落ち着きを取り戻そうともがいている。 「そのことも謝ってくれなくていいすよ、中隊長。お忙しいのは分かってます。本当に、よくやっておられる。なんでも手伝います」  フールはボルトロン人の返事を半分うわの空で聞いていた。階段に積まれた本の山が気になってしかたがない。 「ここで何をしてたんだ、タスク・アニニ? 読書かい?」  隊員はうなずいた。馬が興奮したときにするように、頭を大きく上下に振っている。 「おれは、あまり寝る必要がないので、本をたくさん読みます。ここで読めば、ルームメイトは部屋の明かりをつけたまま寝なくてすみます」  しゃがみこんで本を見ていたフールは、眼に新たな期待をこめてタスク・アニニを見上げた。 「えらくたくさんの本だな。どうしてこんなにいっぱい持ってくるんだ?」 「今夜、読みます」 「これを一晩で、か?」  ふたたび、ボルトロン人は頭をぐいと後ろへ反らして、上下に大きく振った。 「おれは読むのが速いんですから。地球人は知識が豊富です。宇宙軍へ入ったのは、地球人の知識を学ぶためです。勤務期間が終われば、教師になりたい」  中隊長は、このボルトロン人に対する評価を急いで訂正した。図体がでかくて、たどたどしい地球語を話すために、タスク・アニニの知性は隊員の平均より少し劣っているとだれもが考えがちだ。しかし、このボルトロン人は、シンシア人のように翻訳機に頼らず、異星語をどうにか話せるぐらいにまで習得している。ということは、考えればすぐに分かるように、タスク・アニニの知能レベルはかなり高い……そして、プライドも相当なものだ! たとえ粗野な地球語を話して相手に愚鈍な印象を与えるとしても、とにかく地球語を話せるかどうかは、タスク・アニニにとって明らかにプライドに関わる問題なのだ。 「ペントハウスの事務室を使うといい」フールは、新たな発見に高鳴る胸を押さえながら言った。「ここよりは落ち着いて読めるし、眼にも、その方がいいだろう」 「ありがとうございます、中隊長。本当に、ご親……切に」  ボルトロン人は、最後の言葉をちょっととちり[#「とちり」に傍点]はしたものの、即座に本を拾い集めだした。 「ぼくも手を貸すよ。……なあ、タスク・アニニ、きみが心から協力を申し出てくれているなら――つまり、今の当番勤務時間以上の協力という意味でだが――実は、きみに手伝ってもらいたいことがあるんだが」 「なんでしょう?」 「ぼくのところへは司令部から、報告書のコピーやら規約の変更通知といったものが、山のように届く。ほとんどが紙くず同然なんだが、一応、全部に目を通して、重要事項がないかどうかをチェックしなくてはならない。規則変更があったりしたら大変だからな。そこで、ぼくの代わりに通信文に目を通して重要事項だけを抜きだしてくれれば――」  突然、フールの手首の腕輪通信器がピーッと鳴った。フールは話を中断して、しばらく迷った。このまま呼びだしを無視してタスク・アニニと話しつづけようか。しかし、自分が応答しなければ、代わりにローズが通信を処理しなくてはならない。そこに思い至って、フールは作動ボタンへ手を伸ばした。 「こちら通信センター」腕輪通信器のスピーカーから声が聞こえた。「今夜は、どんな難題解決のお手伝いをいたしましょうか?」  フールは、名乗ろうとした言葉を舌先で止めたまま、凍りついた。いったいだれの声だろう? この応答には、向こうも驚いたらしい。微妙な沈黙を置いて、またスピーカーから声が流れてきた。 「あの……ジェスター中隊長はそこにいらっしゃるかしら?」  フールには、その声が明らかにブランデーのものだと分かった。そうすると、もうひとつの声は……。 「|偉大なる白人の親玉《グレート・ホワイト・ファーザー》[#ここから割り注](インディアンが米国大統領≠呼ぶ言葉)[#ここまで割り注]――またの名をビッグ・ダディ――は、ただいま席をはずしております、曹長。中隊長は密《ひそ》かに、顔を洗いにいかれました。大統領だって食事をするし、トイレにも行きますわ」 「だれ……だれなの[#「なの」に傍点]、あんた?」中隊の最古参曹長は詰問した。 「こちら、ローズです、曹長……このローズが偽物だと言うんですか? わたし、まじめに、真剣に今夜の通信当番を勤めているんです。曹長が今朝サインなさった当番表に、これがわたしの任務だと書いてありました」 「あのローズが?」タスク・アニニが低く響く声を出したが、フールは手を振って黙らせ、次のやりとりに耳を澄ませた。 「ローズですって?」ブランデーの声には明らかな驚きの響きがあった。「とても信じられない……じゃあ、中隊長がお戻りになったら、わたしが話をしたいと伝えといてちょうだい」 「ちょっと待って、ブランデー大曹長さん。わたしが中隊長にそのようなことをお伝えする前に、ほんとうにその必要があるかどうかを、もう一度よく考えてみてください。中隊長は毎日ポテトチップしか食べてないし、二時間しか睡眠をとってらっしゃらないんですよ。わたし、中隊長がお戻りになったら、転《ころ》んで床に顔をぶっつけて二、三時間、失神してくだきるといいと思ってるくらいなんです――つまり、急病か何かにかからないかぎり、中隊長には一晩じゅう何かやらなければならないことがあるってことです。いくらこの世が忙しいからといって、なにも中隊長を毎日徹夜させる必要はないと思いますわ。そうでしょう?」 「ローズ、あんた、酔っぱらってるの?」  フールは思わず笑いだしたくなるのを懸命に堪えて、盗み聞きを続けた。 「絶対に、酔ってなんかいません。曹長こそ、天下無敵のやかまし屋だわ……それに、曹長は話をすり替えようとしてます。こんな夜中に、あのすばらしい中隊長に話をしたいなんて、絶対にいやらしい話にきまってます。よかったら、中隊長がお目覚めになるまでに曹長のラブレターを代筆しときましょうか?」 「ま、いいわ、偽物ローズ。そっちがそう出るんなら、夜があけるまで待つことにするわ。ラブレターは、今、わたしが自分で書いてる最中《さいちゅう》」 「なにさ、ブランデー・ワイン。ご自分でも分かってるでしょうけど、最近のあなたは威張《いば》りすぎてるわよ。曹長だからって格好ばかりつけて、将校たちが見ていないときにかぎって楽しい雰囲気をこわしてばかりいるんだから。よく潮時を見て、少しは反省したらどうなの?」 「あんた、いったい自分を何様《なにさま》だと思ってるの? わたしの母親?」 「わが力強い中隊がぎくしゃく[#「ぎくしゃく」に傍点]せずにスムースに活動できることを願う忠実な中隊員よ。わたし、あまり、あの怖い者知らずの中隊長のお力にはならないかもしれないけど、どうしたら、わが中隊が最大限に能率よく実力を発揮できるか、よく考えて行動したいと思ってるの。この気持ちを分かってちょうだい。それとも、曹長にはまだ無理かしら?」  通信器を通して、はっきりとブランデーの高笑いが聞こえた。 「分かったわ。この勝負は、あんたの勝ちね。わたしは、ちょっと眠るわ。明日また話しましょ。じゃ、おやすみ……お母さま。ブランデーより以上」 「あのローズが?」  通信器が沈黙すると、タスク・アニニが先刻の疑問を繰り返した。 「まちがいなく、あのローズだ」フールはニヤリと笑った。「さあ、よかったらいっしょに来い、タスク・アニニ。あの女性と話をしに行かなければならん[#「行かなければならん」に傍点]」  フールは飛ぶように階段を駆けあがり、情熱と真剣さを込めてペントハウスのドアを壊《こわ》さんばかりの勢いで開けた。 「今のやりとり[#「やりとり」に傍点]を聞いたぞ、ローズ」フールは部屋に駆け込むなり、叫んだ。「きみは、じつにすばらしかった!」 「………」ローズは無言を返した。  フールは困惑して立ち止まり、つい一瞬前まで自信とウイットにあふれた雄弁家だった女性中隊員をまじまじと見つめた。ローズは、フールが部屋を出たときと同じ様子に戻り、赤らめた顔を伏せている。 「ご‥…ごめん。大きな声を出すつもりはなかった」フールは慎重に話しかけた。「ただ、ブランデーからの通信を上手に処理してもらって感謝したかっただけだよ」  ローズは顔を赤らめて肩をすくめた。しかし相変わらず視線をそらせている。 「じゃ、ぼくはきみのアドバイスに従って、これから少し眠るとしよう。あ、そうそう、タスク・アニニに、この部屋に上がってきて読書をするように言っておいた。もうじき、上がってくると思うよ」  今度は、かすかに、うなずいてくれた。しかしローズの反応は、それだけだった。一瞬ためらった後、フールは自分の寝室に通じるドアの中へ引きさがった。  寝室に入ったフールは閉じたドアに背をもたせかけ、時間をかけて考えこんだ。やがて長い熟慮のすえに、腕輪通信器のボタンを選んで押した。 「こちら、徹夜サービスの通信センターです」いまや、おなじみとなった声が応答してきた。 「あなたに残された余生をどう生きるべきか――ご決断なさるお手伝いをいたしましょう。どのような問題がおありなのですか?」 「ローズか? ジェスター中隊長だ」フールは応じ、微笑を浮かべて椅子の中へ身を沈めた。 「あらあら、大変な中隊長さんですこと。まだ、おやすみにならないんですか?」 「ロージー、きみの軽妙な話しかたを聞いたおかげで、どんなに交信が楽しくなったかしれやしない。感謝の言葉を言わないうちは、とても眠れない」 「どうも、ありがとう、中隊長。通信センターの一人ぼっちの夜も、今のおほめの言葉ですっかり明るくなりましたわ。なんとか、過ごせそうです」 「あ、それから」フールは急いで話を継いだ。「ぜひとも教えてほしいんだが、きみは面と向かって話をするときと今とで、どうしてこうも様子が違うんだい?」 「それは……では、あと一本だけマッチをつけて差し上げましょう。今夜は本当になにも起こらないようですから。ただし、約束よ――マッチの火が消えたら、おやすみになってください」 「よし、わかった。それで?」 「お話しするほどのことではないのですが。わたしは子供のころ、ひどい吃音でした。こんにちは≠ニ挨拶するだけでも、十五分もかかったくらいです。ですから、学校では、ずいぶんからかわれました。それで、わたしは嗤《わら》われるのがいやで、しゃべらなくなったんです」  中隊長は、「なるほど」とうなずいた。ローズの身の上話に聞きいって、自分の所作が相手に見えていないことに気がつかない。 「そんな状態でしばらく過ごすうちに、だれかが、わたしを実験してみようと思いついたらしいんです。わたしは頭にヘッドホーンを着けられて、中の音量を自分の声が聞こえなくなるまで上げられました。すると、どうなったと思われます? なんと、みんなと同じように普通に話せたんです! どうやら、自分の声を恐れる気持ちが障害になっていたらしいんです。原因が分かって、それから少し症状がよくなりましたけど、やはり面と向かって話すのは無理でした。それで、わたしは小さなラジオ放送局に就職したんです。その放送局では本当に、どんな仕事でも引き受けました。DJもやりましたし、ニュースも天気予報もコマーシャルも担当しました。でも、おもに受け持っていたのは視聴者参加番組での電話応対です。まったくなにひとつ問題なく過ごしてました――ただし、それは人と顔を合わせて話す必要のないあいだだけのことです。その放送局で働きだしてから五年くらいたったころ……その放送局は買収されてしまったんです。新しいオーナーは放送局全体のオートメーション化を因り、わたしはクビになりました」 「それで、宇宙軍に入ったんだね」フールは深刻な表情で、ローズの代わりに言葉を結んだ。 「その前に、二、三、ほかの仕事もやりましたけど、だいたい、そんなところです。でも、こんな話をしたからといって、同情はなさらないでください、ビッグ・ダディ。今はもう一人前の大人ですし、ここへ入隊することも自分で決めたのですから」 「じつは」中隊長は言った。「さっきから考えていたんだが……どうだろう、今後もずっと通信センター勤務に就かないか? ただし、そうなると、沼で見張りをする楽しみを捨ててもらうことになるが」 「それは名案ですわね。よく考えて、あとでお返事いたします。それまで、どうか、おやすみください。たしか、ほんの少し前に、そのようなお約束をだれかさんからいただいたように思いましたけど」 「分かった。寝るよ」フールはニッコリと微笑んだ。「楽しかったよ……マザー。ジェスターより以上」  腕輪通信器をカチリと切って、中隊長は立ち上がり、伸びをしてからベッドの方へ歩きだした。今日は全般的に、いい一日だった。新しい事務要員ばかりか熟練通信手まで、自分で見つけた。二人がちゃんと仕事をこなせば、それぞれに新たな袖章を与えてもらえるよう推薦してやろう。  そんなことを考えながら服を脱いだフールは、パンツ一枚になって、ようやく、はた[#「はた」に傍点]と気づいた――夜食を買い忘れた。 [#改ページ]       9 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル一〇四[#「執事日誌ファイル一〇四」はゴシック体]  ご主人様の中隊を二人ずつの組に分けるお試みは、じつに画期的なものであった。数週間にも及んだ難事業であったが、その効果は、てきめんに現われた。  だれとだれを組ませるかの選定にはきわめて慎重な態度で臨《のぞ》まれており、それゆえ、おおかたの隊員たちは素直に選定結果に従うものと思われる。しかし、ご主人様は不満や抗議の声があがることも覚悟しておいでのようだ。言うまでもないことだが、ご主人様は、これしきのことで絶対に挫《くじ》けるような人物ではない。 [#ここで字下げ終わり] 「あの、すみません、中隊長。ちょっと、お時聞いただけないすか?」  フールはコーヒーカップからチラリと視線を上げた。二人の隊員がテーブルの横で、もじもじしながら立っている。ドゥーワップとスシだ。どうやら、今朝のコーヒータイムは、そう平穏には行かないらしい。 「ああ、いいとも。座りたまえ」 「いえ、そう長くかかる話じゃないすから」と、ドゥーワップは首を横に振った。きめの粗い顔をした中肉中背の男で、その黒いちぢれ髪はいつも汚れて見えた。 「おれたち、別のパートナーに変えていただけないかと思って。つまり、その、まだペアの決まっていない者が何人かいるらしいし――」 「きみたち二人とも、同意見なのか?」フールは相手の言葉を、さえぎった。 「そうです、隊長」と、スシが素っ気なく答えた。ドゥーワップより頭一つ背の低い、きゃしゃな体型をした東洋人だ。まったく文句のつけようもないくらい規定どおりの身なりをしている。 「わたしたちは性格も価値観も、おたがいに相容《あいい》れないのです。このような二人が、いつまでも鼻を突きあわしていては、中隊の円滑な運営に多大な悪影響を及ぼすことになると思います」 「なるほど」フールはけわしい顔でうなずいた。「座れ、二人とも」  今度の口調は誘いではなく、命令だ。ドゥーワップとスシは、しぶしぶ椅子に座った。 「さて、と。きみたちの言う相容れない価値観″とやらについて詳しく聞かせてもらおう」  二人の隊員はたがいに横目で視線を交わしあった。どちらも先に不平をこぼすのがいやらしい。やがて、ドゥーワップが口を切った。 「スシはいつも、おれを見くだすような物言いをするんです。自分が難しい言葉をたくさん知ってるのをカサにきて――」  中隊長は片手をあげて、ドゥーワップの話をさえぎった。 「きみのパートナーのボキャブラリーが、いま話しあっている問題と関係があるとは思えないがね」 「それだけじゃ、ありません」ドゥーワップは頬を紅潮させて言いかえした。「おれのことを、いかさま師って呼ぶんです。それも面と向かってです!」 「わたしは、ケチなコソ泥野郎と言ったんだ。事実、そのとおりだろうが!」スシが辛辣《しんらつ》に訂正した。「隊の調和を乱す恐れのある者は――それも、塵芥《ちりあくた》のような――」 「ほら! おれの言ったとおりでしょう?」ドゥーワップはフールに訴えた。「こんなやつといっしょに、どうしておれがやっていけると思います? こんな――」 「やめんか![#「やめんか!」はゴシック体]」  むちを打ったようなフールの声が響きわたった。二人の隊員はびっくりして、押し黙った。  フールは二人が上体を引いて座りなおすのを待ち、それからスシに向きなおって言った。「ここで、少し明確にしておきたいことがある。正確に言うと、どういう者をケチ[#「ケチ」に傍点]なコソ泥野郎と呼ぶのかね?」  東洋人はチラリとフールを見やり、それから天井をじっと見上げた。 「ケチなコソ泥野郎≠ニは、その犯罪活動において、予想される報酬に見あわない危険をおかす者をさします」 「犯罪活動だと!」 「座ってろ、ドゥーワップ!」フールは目をスシに向けたまま、命令した。「黙って話を聞いていれば、きみのためにもなるかもしれん」  ちぢれ髪の隊員は浮かした腰をゆっくりと椅子に戻した。フールはスシに質問を続けた。 「スシ、ぼくの聞きちがいでなければ、きみがドゥーワップをパートナーにしたくない理由は、盗みを働くからというより、盗みの報酬にあるようだな」  かすかな笑みがスシの唇に浮かんで消えた。 「おっしゃるとおりです、中隊長」 「では、教えてくれ。きみ自身の考えでは、どの程度の報酬があれば……ええと、さっき、なんと言ったかな? ああ、そうだ……犯罪活動だ。その犯罪活動を容認できるのかね子」 「まあ、最低でも二十五万ドルは欲しいところですな」東洋人は即座に言い切った。  ドゥーワップが、がばっと蕨を上げた。 「二十五万ドルだと……なに寝言《ねごと》いってやがんだ!」  フールとスシは、ドゥーワップを無視して話を続けた。 「当然――」フールが冷静な声で言った。「八百万か九百万あれば、なおけっこうだな」 「当然です」スシがフールを見つめたまま、うなずいた。  ドゥーワップは首を左右にまわして、しかめ面で二人を交互に見ていたが、とうとう、しびれを切らして問い詰めた。 「いったい全体、なんの話だ?」  ようやく東洋人は溜息をつきながら首を振り、先に睨《にら》みあいを切り上げた。 「今、ジェスター中隊長がていねいな婉曲《えんきょく》表現でおっしゃったのは、この中隊の指揮を取られた当初から知らぬ顔を決めこんでこられたということだ。具体的に言うと、中隊長とわたしが宇宙軍へ入隊する以前に……あるビジネスの場で出会ったことを匂わせておられる」 「二人は顔見知りだったのか?」 「さらに」スシは話しつづけた。「中隊長は、選択の余地を与えてくだきっている。わたしが、ある疑惑を受けて――つまり、数百万ドル横領の嫌疑を掛けられて実業界を去ったことを口にするもしないも、わたし次第だと、ね」 「まったく証拠は上がらなかった」と、フール。  東洋人は微笑した。「コンピューターというのは、実にすばらしい機械ですな」 「ちょっと待ってくれよ!」ドゥーワップは、たまりかねて叫んだ。「おまえが九百万ドルをせしめたと言ってんのか?」 「手元にはもうない」スシは顔をしかめた。「一連の……なんと言うか、まあ、下手な投資なるものにすべて食いつぶされてしまった」 「下手な投資ってなんだ?」 「ギャンブルによる借金という意味だ」フールが横から教えた。 「お話し中のところ申しわけございません、中隊長」  いつのまにかブランデー曹長がテーブルのそばに来ていた。 「ええと……わるいが、あとにしてくれないか、ブランデー?」フールは上体を後ろへ反らせて答えた。「今、ちょっと取りこみ中なんだ」 「お手間は取らせません」そう請けあって、ブランデー曹長は強引に言葉を続けた。「隊員の中から儀仗兵《ぎじょうへい》の役目の件に関する質問が出ておりまして、なにか新しい情報でもございましたら、お聞かせ願えませんか?」 「来週、知事にお目にかかる予定だ」フールは応じた。「それまでに、なんらかの方策を立て、こちら側の狙いどおりに事が運ぶようにしたい」 「了解いたしました、中隊長。お話し中、申しわけございませんでした」  ふたたびフールは目下の懸案事項へ注意を戻した。見ると、スシは東洋人特有の謎めいた表情をわざとらしく浮かべ、遠くを眺めている。もう一方のドゥーワップは畏敬《いけい》の念をこめた眼差しでスシを見つめていた。 「よし分かった。それでは、よく開いてくれ、二人とも。ぼくはなにも帽子の中から名札を取りだして、きみたち二人をペアにしたわけではない。二人がペアを組めば、おたがいに学びあえると思ったからなんだ。  スシ、きみはもう少し肩の力を抜いた方がいい。その点で、ここにいるドゥーワップは、ものごとの楽しみ方を教えてくれる見本のような男だ。それから、ドゥーワップ、おそらくきみはスシと組むことで得をする。つまり、人生の目標が一段高いものになるはずだ。まあ、とにかく二人とも、そんなに早急にうまく行かないと決めつけてしまわずに、このペアでしばらく試してみてくれないか?」 「なんですか! それじゃあ、中隊長は、おれが泥棒だと思ってるんですね」ドゥーワップが、つっかかってきた。  フールは冷ややかな眼でドゥーワップを見すえた。 「こんなことまで言いたくなかったんだが、ドゥーワップ、隊員たちから私物の紛失届がずいぶん出ているぞ」 「そいつは、おれが悪いんじゃありません! このホテルの鍵が、ちゃち[#「ちゃち」に傍点]すぎるんだ! どこもかしこも、簡単に中へ入れるんです」 「そりゃ、すごいー」フールは急に興味をおぼえたように言った。「その技術を他の隊員にも教えられるかい?」 「わけないす」ドゥーワップは口元をほころばせた。「あんなもの、だれにだってできる」 「よろしい」と、フール。「それでは、みんなに知らせるから、興味のある者は明日、きみのところへ集まって講習を受けることにしよう」 「喜んで引き受けましょう、中隊長」 「きみの部屋の前に志願者を集合させる」  ドゥーワップの顔が青ざめた。 「おれの部屋?」 「そうだ。いろいろなタイプの鍵の扱い方を教えてやってほしい。ドアでも、スーツケースでも、ありったけの技を頼むぞ。鍵は、きみの部屋のドアや持ち物についているものを使ってくれ」 「でも……」 「わかっているだろうが、まんがいち、ここ数週間のうちに、きみの持ち物の中へ紛れこんだ&ィがあるなら、講習を始める前にもとの持ち主のところへ紛出≠ウせた方が賢明だろうな。きみも、そう思うだろ?」  ドゥーワップは浜に打ち上げられた魚のように口をパクパクさせた。まったく言葉が出てこない。 「おい、どうした、相棒」スシは声を立てて笑いながら、ドゥーワップの肩を叩いた。「どうやら裏をかかれたようだな。このラウンドは、おれたちの負けだ。午後から二人で、遺失物取扱所ごっこでもやった方がよさそうだ」 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル補足[#「執事日誌ファイル補足」はゴシック体]  すべてのペアが難産のすえ誕生したわけではなく、中には、まことに珍妙な決まり方をした組もあった。なんといってもいちばんの変わり種は、非番の隊員たちのあいだに起きた例の事件――ホテルのカクテル・ラウンジでの事件――の後に誕生したペアであろう。 [#ここで字下げ終わり]  最近のホテル内のカクテル・ラウンジは隊員専用の観を呈していたが、少数ながら民間人の客も常に混ざっていた。中隊がマスコミに取り上げられだしたために、それに惹かれて隊員たちをこっそり見物しにきた者もいれば、くつろぎにやってきたラウンジが軍服姿だらけなのでびっくりしたものの、単に場所を譲りたくないという理由で居座っている者もいる。ところが、ほとんどの場合、隊員たちと民間人はたがいに断固として柏手が存在しないがごとく振るまう傾向にあった。  ただし、隊員たちが民間人の存在に気づいていないと言うわけではない。近ごろ隊員たちのあいだでは大声でジョークを飛ばしたり、手荒なふざけあいをすることが多くなっていたが、ここへ飲みにやってくるときだけは、ほとんど大声は出さないし、乱暴なまねはしなかった。というのも、どの隊員の心の内にも、この店に出入りできなかったころの辛い思い出がいまだに残っていたからだ。フールが赴任してきて、そして中隊がプラザホテルに仮住まいをするようになって初めて、隊員たちはラウンジへ入ることを許された。このため暗然の了解により隊員たちは、このラウンジでくつろぐときは努めて神妙にかしこまっていた。  ところが、この日の夜はラウンジに不穏な気配が漂っていた。カウンターに座っている三人組の民間人が、なにやら騒動を引き起こそうと狙っている様子だ。三人とも、例の中途半端な年頃である。責任ある行動を取れるほど大人ではないし、かといって、子供扱いするには大きすぎた。おそらく入植地の向こうの町にある大学の学生だろう。運動部の部員かもしれない。身なりが、それを物語っていた。この街のチンピラにしては、服装が良すぎる。それに、そういう街の連中なら、どんなに騒いでいるように見えても、ある種の生存本能を身につけているものだ。何をしても許してもらえると思う子供時代の甘い考えを幼いころに捨て、自分の才覚で致命的な事態に巻きこまれないように生きてきた連中なのだから。しかし、この三人組の若者には、そういうものが感じられない。  若者たちは、わざとらしく、はしゃいでいた。人目を引こうとしているか、騒動を起こそうとしてるか、あるいはその両方を欲している連中特有の振るまいだ。まず、三人は頭を寄せて、なにかささやきあう。そのあいだ、目は、ある特定の人物やテーブルに向けたままだ。そして、突然、いっせいに大声で笑いだす。それも、椅子がひっくりかえりそうになるくらい大きく体を前後に揺すぶって馬鹿笑いをする。それでも、「なにがそんなにおかしいんだ?」とだれも詰め寄ってこないと知ると、また次の標的を決め、いっそう声高に同じ所作を繰りかえす。  隊員たちは、このわざとらしい三人組を頑として無視していた。しかし、言葉を交わすまでもなく、全員の胸の内は、「すぐにでも、この出しゃばりな連中をどうにかしてやらなければ気がすまない」という思いで一致していた。ところが困ったことに、どうやら、みな一番手になりたくなさそうなのだ。若者を怖がっているのではない。確かに、見るからに健康体で、一対一で勝負すれば互角の戦いになるかもしれない。しかし、数のうえでは中隊組の方が完全に勝っており、三人をやっつけて外へ放りだすくらいわけはない……わけはないが、そこが熟慮の要するところで、隊員たちを悩ませた。その結果、残念ながら、ぜひとも開始ボールを蹴りたいという結論に達した者は出てこなかった。困り者の連中とはいえ、袋叩きにしては、中隊が非難されるだけだろう。とりわけ、今のように民間人が見ている前でやるのは、まずい。仮に、このじゃま者と同人数でやりあったとしても、いい歳をした軍人≠ェ弱い者いじめをしていると取られかねない。それに、まんがいち隊員が負けでもしたら、中隊の面目をつぶすことになる。そのうえ不運なことに、中隊長とその執事もラウンジに居あわせている。目立たない奥のテーブルで、二人ともポケット・コンピューターに夢中の様子だ。民間人の前でも、やむを得ない場合は喧嘩を始めないでもないが、上官の目のあるところで、軍人対民間人の殴りあいの仕掛け人にだけは絶対になりたくない。  結果、中隊全員はグラスをぎゅっと握りしめ、カウンターから聞こえてくる執拗《しつよう》なやじ[#「やじ」に傍点]に耳を貸すまいと頑張っていた――心の中で、最悪の事態にならないうちに、店の者か中隊長みずからが介入してくれることを、ひたすら願いながら。ところが、あいにく中隊長は、今度はビーカーと頭を寄せて話しこんでおり、中隊長もビーカーも部屋の反対側で起きつつある異変に気がつかないらしい。  そこへ、スーパー・ナットが入ってきた。 [#挿絵214  〈"img\[ロバート・アスプリン] 銀河おさわがせ中隊 214.jpg"〉]  一瞬、隊員たちは、はっと息をのみ、不安で体をこわ張らせた。もし、これが西部劇なら、「保安官を呼べ!一悶着あるぞ!」などというセリフが飛びだすところだ。しかし、現実である以上、隊員たちは次善の策を取るしかない。 「おーい! スーパー・ナット!」 「こっちだ、ナット!」 「ここ、空《あ》いてるぜ!」  小柄な隊員は、その場で立ちつくした。いきなり大勢から誘いを受けて、びっくりしている。隊の仲間たちは、必死で避けられない出来事をなんとか回避しようと、まだ、もがいていた。もちろん、すべては無に帰した。 「なあ、おい、あの娘《こ》に一杯おごってやりたいんだが、あの身長じゃ、カウンターに手が届かないよな!」 「あははははは」  沈黙がラウンジ中に重く垂れこめた。スーパー・ナットは、ゆっくりと首をまわし、耳障りな声のした方へ目を向けた。 「おい、見ろよ! 怒ったぜ! なんだ、やる気か、チビ?」  中隊組は、加勢すべきかやめようか迷った。スーパー・ナットは肩をいからせ、つかつかと大股に部屋を横切り、敵の方へ向かっている。人の喧嘩には干渉しないというのが中隊のしきたりだが、この場合、いかに傑作なスーパー・ナットの大暴れが見物できると言っても、自分たちの仲間がやられるのを傍観していたくはない。だれの目にも、この喧嘩の結末は明白だった。スーパー・ナットが出しゃばり三人組のうちの一人を殴れるかどうかも疑わしいというのに、三人全員を相手に回しては、とうてい勝ち目はない。しかし、スーパー・ナットは明らかに、やる気になっている。  かすかに椅子を引く音がした。どの隊員も決断を下しかねていた。ただし、全員が、これだけは決めていた――もし、スーパー・ナットをひどい目にあわせたら、三人まとめてラウンジからつまみだしてやる。PR活動なんて、くそくらえだ!  そのとき、突如、薄暗がりの中から巨大な影がぬっと現われて、スーパー・ナットの前に立ちはだかった。 「ああ……ナット?」タスク・アニニの低い声が響いた。きしるような、それでいて耳に心地よい声だ。「中隊長が、こう伝えろとおっしゃった――もし店の物を壊したら、自分で払え……全部」  小さな隊員は、くるりと後ろを向き、今の伝言に抗議を申しこもうと、目で中隊長を捜した。そのあいだ、対戦相手の三人は、狙った獲物の前に立ちふさがるタスク・アニニの姿をまじまじ[#「まじまじ」に傍点]と見つめつづけた。  すでに述べたとおり、ボルトロン人は、真っ昼間に相手が相応の心の準備をした上で出くわしたとしても、強烈な印象を与える。ましてや、天井の低い薄暗いカクテル・ラウンジで唐突に出会えば、壁の一部が意を決して歩きだし、自分の席までやってきたように感じられる。しかも、その壁には変な形をした巨大な頭部――牙《きば》まで生えて、もつれた黒髪がうなじまで伸びている――がついていた。  三人の厄介者たちは立ち上がろうとして、すでにその必要のないことに気がついた。亡霊が現われたときに無意識に立ち上がっていたのだ。これもタスク・アニニが、それほど巨大だったからである。 「お……おまえは、その女に味方するのか?」一人が、やっと言葉を発した。 「こいつの言っている意味は」もう一人が言い足した。「もし、おれたちが、その女と喧嘩をすれば、おまえとも、やりあうことになるのかって訊いているんだ」  ボルトロン人は、ハッと驚いて一歩|退《ひ》いた。 「まさか。とんでもない……わたしの助けなんか必要ない。わたしより、彼女の方が強い……ものすごく強い!」  三人は同時に唾をごくりと飲みこみ、スーパー・ナットを見た。 「悪いことは言わない」タスク・アニニは懸命に説得した。「今すぐ、出ていけ。出ていかなければ、だれかが怪我する……かなり、ひどいことになる」  ボルトロン人の声からは、むきだしの誠意と事態を憂慮している様子が紛れもなく、うかがえた。ただし、日頃の温厚な気質が感じられない。若者たちは突然、身の危険を察知して怖じ気づいたらしく、代金をカウンターの上に放り投げ、泡をくってラウンジから退散した。スーパー・ナットは、まだフールの目を引こうと合図を送っていたが、フールの方は知らん顔でビーカーと話しこみつづけていた。  このカクテル・ラウンジ事件≠フあと、スーパー・ナットとタスク・アニニがペアを組んだことは言うまでもない。威勢のいい小さなスーパー・ナットと、おっとりした巨人との組みあわせは、申し分ないように思われた。だが、その数日後、また騒動が持ち上がった。今度は、カクテル・ラウンジ事件≠フ場合と異なり、なんの前兆も警告もなく勃発した。  近頃、隊員たちはプラザホテルのレストランを勤務後の集会所がわりに使っていた。雑談や読書など、ホテルの個室では狭すぎたり、カクテル・ラウンジの照明では暗すぎる場合に利用するのだ。たいてい二、三十人がたむろしており、そのときも、その連中を目当てにしてブランデーは夜遅くレストランへやってきた。寝る前に、コーヒーでも飲みながら軽くおしゃべりを楽しむつもりだった。  ブランデーはマグカップを片手に室内を見わたし、山のような書類と取り組んでいるタスク・アニニに目をとめた。 「ハーイ! タスク!」ブランデーはタスク・アニニの横にドスンと膜をおろした。「どう? うまく行ってるの、あんたとチビは? チビが部屋で仕事をやらせてくれないの?」  ボルトロン人は顔を上げて、黒いビー玉のような眼をブランデーに向けた。 「ブランデー曹長、おれのパートナーをチビと呼ばないでくれ。パートナーがいやがる」  ブランデー曹長は面食らいながらも、タスク・アニニの無礼な返答を笑い飛ばそうとした。 「なによ……別に悪気はないんだから、いいじゃないの。あのチビが身長を気にしてることくらいは、よく知ってるけど――」 「おれのパートナーをチビと呼ばないでくれ!」  ボルトロン人はいきなり立ち上がって怒鳴った。ブランデーはみんなの視線がこちらに集まるのを感じて、タスク・アニニに忠告した。 「落ち着いて話しあいましょう、タスク。いったい何が気にさわったの?」 「おれのパートナーが今の呼びかたを聞いたら、カンカンに怒る。あなたと喧嘩しなくてはならない。あなたは、きっと怪我する。だから、おれのパートナーをチビと呼んではいけない!」  レストラン中の者が、この中隊の巨人対巨人の対決に注目しており、ブランデー曹長は、自分の地位と権威がかかっていることにはた[#「はた」に傍点]と気づいた。 「よく聞きなさい、タスク・アニニ!」ブランデーは怒声を張り上げた。「わたしはね、いままでだれにも口のきき方を注意されたことなんてないの。中隊長にだってされてないのよ! わたしがナットをチビと呼ぼうと思えば、そう呼ぶの……あんたに、とやかく言われる筋あいじゃ――」  ボルトロン人が握りしめたこぶしでブランデーの脳天をガツンとなぐった。ブランデーはびっくりした表情のまま椅子から後ろ向きに転がり落ちた。  ほかの者は、みな、呆然として二人を見つめた。中隊一の平和主義者が怒りに震えながら、床に尻もちをついたブランデー曹長を見おろしている。 「警告しておく、ブランデー曹長。おれのパートナーをチビと呼ぶな!」  ブランデーが殴られる光景を目にしたのは、ずいぶん久しぶりのことだ。それにもかかわらず、だれの胸の内にも決して忘れられないなにか[#「なにか」に傍点]があった。ブランデーはとまどいを払いのけるように頭を振ると、あたりを見まわし、椅子の脚に目をとめた。 「わたしの流儀を見せてあげようじゃないの!」ブランデーは低い声ですごみ、ボルトロン人に躍りかかった。  フールが溜息をつきながら制服の点検をしていると、部屋の入口をドンドン叩く音がした。 「お入り、スーパー・ナット」そうフールが答えると同時に、またもや激しいノックの音がひびいた。  やがて中隊一小さな隊員が真っ赤な顔をして部屋に飛びこんできた。自分が来ることを知っていたらしいフールの口調に気づかない様子だ。 「中隊長! ご存じですか? わたしのパートナーが頭に包帯をして、部屋で寝こんでいるんです。もしかすると、軽い脳震盪《のうしんとう》を起こしてるかもしれないって、ドクターが」 「ああ、開いたよ」 「では、あのあばずれ[#「あばずれ」に傍点]、ブランデーの仕業《しわざ》だということも、ご存じですか?」 「それも開いた」 「それで、どのような処分をなさるおつもりですか?」  フールは平然とスーパー・ナットを見つめた。 「なにもしない」 「なにもなさらない[#「なにもなさらない」に傍点]? でも、ブランデーは――」 「きみのパートナーが起訴されるのを見るくらいなら、なにもしない方がまし[#「まし」に傍点]だ」  スーパー・ナットは熱弁を中断して、しばし目をぱちつかせた。 「起訴されるって、なんの罪でですか? おっしゃる意味が分かりません」 「まあ、掛けなさい、ナット」フールは静かな声で説明しはじめた。「今回の事件を、ぼくが| 公 《おおやけ》に承知しているとなると、先に手を出したのはタスク・アニニで……その結果、ブランデー曹長が正当防衛でタスク・アニニを叩きのめしたという目撃者の証言を認めざるをえなくなる。ぼくとしては、そんなことは認めたくない。だから、きみの言うあばずれ[#「あばずれ」に傍点]が異議を申し立ててこなければ、ぼくは喜んで今回のことには目をつぶる」  スーパー・ナットは一瞬ひどく顔をしかめ、やがて首を振った。 「そんなこと、信じられませんわ、中隊長。きっと、みんな嘘をついているんです。タスク・アニニは、この中隊の中でいちばん優しい心の持ち主なんですよ。そのタスク・アニニが、どうして、ブランデーを殴る気になったか、それなりの理由があったはずです」 「ひとつ質問させてくれ」中隊長はゆっくりと言った。「きみはブランデーと喧嘩をしたいと思ってるのかい?」  小柄な隊員は口をゆがめて、渋い顔をした。 「できることなら、よけて通りたいですわ」スーパー・ナットは、しぶしぶ認めた。「わたしが冷静さを失わず、前にお話ししたような武術の技を覚えていたとしても、ブランデーが相手ではブドウの皮をむくように簡単に片づけられてしまうでしょう。ブランデーの強さは格別ですもの」  フールは心得顔でうなずいた。 「今回の喧嘩の理由も、そういうことだ」 「どういう意味ですか、中隊長?」 「ブランデーは、きみのことを小馬鹿にしたような呼び名を使って話したらしいな。そこで、きみのパートナーは心配したんだ。ブランデーが、きみの前でそんな呼び名を使えば喧嘩になり、おそらくきみが怪我をするだろうとな」 「ええ、もちろん、戦います。たとえ相手がブランデーだって……」  スーパー・ナットは、はっとして口をつぐんだ。フールの言わんとする意味が分かった。 「ちょっと待ってください。では、わたしのためにタスクがブランデーを殴った――そうおっしゃるのですか?」 「その場にいた全員が、そう証言している。タスク・アニニは、まだ自分の方が、きみよりブランデーに太刀打ちできると考えたんだな。もちろん、タスク・アニニは、きみと違って、武術を習ったこともない。根性とファイトだけで戦おうとしたんだ」  スーパー・ナットは悲しげに首を振った。 「そんなもので通用するような相手じゃないのに……それくらい、わたしも心得ています! 本当です!」 「タスク・アニニはパートナーを守るために、やるしかないと判断して実行しただけだ」フールは言った。「きみも、タスクを見習ったらどうだ?」 「どういう意味ですか、中隊長?」 「考えてもみろ、ナット。きみのパートナーは、こぶしを振り上げたこともないのに、きみを怒らせまいと喧嘩をした。きみが自分自身の感情を抑えられないのなら、この次にはカッとなる前に、タスク・アニニのことを思いだすといい」  そのとき、ドアをそっとノックする音がした。フールが応答すると、ブランデー曹長がゆっくりと部屋に入ってきた。 「失礼します、中隊長。こんばんは、ナット」  スーパー・ナットは、感情のない穏やかな表情を装った。一方、フールは普段どおりの表情で迎えた。 「やあ、ブランデー」と、フール。「タスク・アニニの件で来たんだろ?」 「いいえ……でもまあ、そういうことになるかもしれません。じつのところ、スーパー・ナットを捜しておりました。きっと、ここだと皆が言うものですから」 「なにか、ご用かしら?」 「じつはね、ナット、あなたに謝らなければならないことがあるの」 「謝るですって?」 「そう。今回の経緯《いきさつ》をよくよく考えてみたら、元はと言えば、わたしが悪かったわ。別に悪気があって、あんなふうに呼んでたわけじゃないの。本当よ。ただ、あれであなたがどれだけ傷つくかなんて考えたこともなかっただけなの。ほんとにもう、なにやってたのかしら。身長のことで、からかわれたときの気持ちは、このわたしがいちばんよく知ってるはずなのに。ま、とにかく、考えが足りなかったわ。だから、謝りたいの。以後、気をつけるように心がけるわ」 「そうしていただけると、ありがたいわ、ブランデー。とっても嬉しいわ。でも、謝るべき相手はタスク・アニニでしょ」  ブランデーは、ニヤリと笑った。 「ここへくる前にタスク・アニニのところへ行ったの。そしたら、謝るならスーパー・ナットに謝ってくれ、わたしは関係ない≠ニ言ってきかなかったのよ」 「そうだったの」 「ともかく、二人に謝っておくわ。これで、わだかまりは溶けたかしら?」  スーパー・ナットは差しだされたブランデーの手を取り、二人は厳粛《げんしゅく》な顔で握手を交わした。 「それでは、中隊長、わたしの用件はこれですみましたので。ナット、ここの用事がすんだら、その後にでも、わたしの部屋へ寄りなさいよ。身長のことで、からかわれたときの対処法を二、三知ってるから、ビールでも飲みながら教えてあげるわ」 「用事なら、ほとんどすみました」そう言って、小柄な隊員は中隊長に向かって問いかけるように眉を吊り上げた。 「あと、もう一点だけ訊いておきたい、ナット。話が飛んで申しわけないが、エスクリマ軍曹が指導している棒術教室について、きみはどう思う?」  スーパー・ナットは唇をわずかに噛み、そして答えた。 「正直に申し上げますと、中隊長、あまりうまくいってるようには思えません。エスクリマ軍曹は確かに棒術の名手でいらっしゃいますが、指導はそれほどお得意ではなさそうです。ものすごい速さで模範演技をやられるので、生徒の大半は何をやっているのか分からないんです……分かるのは、わたしのように武術の心得があって、慣れた眼をもっている者だけです」 「ぼくもまったく同意見だ」フールは言った。「もし、いやでなければ、あの教室を引き継いでもらえないだろうか?」 「わたしがですか? まさか! わたし、棒術は知りません」 「あの教室の指導をエスクリマとバトンタッチしてもらいたいという意味だ。引き継いだ後は、きみの得意なものを中隊の皆に教えてくれればいい。そうすれば、他に何かないかぎり、隊員たちはもうそんなに、きみをからかわなくなるだろう。ちゃんとした稽古《けいこ》の場で、きみがどんなにすごいかを見ればな」 「まあ、やってみますけど」スーパー・ナットは疑わし気に答え、突然、ニッと笑った。「では、中隊長がフェンシングを教えてくださるなら、引き受けることにいたします。どうでしょうか?」 「よし、決まりだ」と、中隊長は応じた。「それでは二人とも、そろそろ、おいとま願おうか? ぼくにも仕事を片づけさせてくれ」 [#改ページ]       10 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル一一一[#「執事日誌ファイル一一一」はゴシック体]  隊員たちの自己を見る目やたがいを見る目の変わりようにも驚かされるが、入植地住民側の中隊に対する態度が一変したことも同じく、いや、それ以上の特筆すべき事柄である。なかでも、とりわけ激変ぶりを見せたのは、警察署のゲッツ署長であろう。 [#ここで字下げ終わり] 「わざわざ寄っていただいて恐縮です、署長」そう言いながら、フールは、きびきびと警察署長と握手を交わした。ここはプラザホテルのロビーである。 「いやなに、ご親切にも武器特別デモンストレーションにお招きいただいたので、せめてものお礼に、会場までお連れしようと思ってね」と、ゲッツ署長は応じた。「おお、そうだ。このあいだごちそうになったお礼をまだ言ってなかった。きみのところの料理長の作った料理は、じつにうまかった……ただ、何を食べていたのかが今でも分からない」 「じつを言いますと」フールはニヤリと笑った。「ぼくもなんです。毒でもないかぎり、材料を訊くのはマナー違反かと思って黙ってました。ことに、あの料理長のエスクリマは、自分の料理に関して少なからず神経質になる傾向がありましてね。しかし、それにしても、うまかったなあ」 「ああ、ほんとに」署長も同意した。「特に、あの豚の丸焼きは、こたえられん味だった。あの前日に大学の畜産学部から三匹の豚がいなくなったという届け出を受けたばかりでね。あまりの偶然に驚いた」  フールは心の中で悪態をついた。エスクリマの料理の材料を調達する際に、チョコレート・ハリーが、かなり不正な手段を使っていたことを、フールはあの饗宴《きょうえん》の翌日になって初めて知った。そうと分かっていれば、警察署長の招待を見あわせるか、あるいは、せめて料理が豚だと分からないぐらいにまで小片に切り分けさせ、それからテーブルに出すように言い聞かせるぐらいの手は打てただろう。ところがフールは今の今まで、あの料理のことは気づかれずにすんだと安心しきっていたのだ。 「二、三日、待っていただけるなら」フールは、すまして言った。「あの料理に使った材料の領収書をそろえられると思います」 「二、三日?」ゲッツの両眉が、さっと吊り上がった。「もし、おたくの補給担当軍曹が領収書の偽造に二時間以上かかるようなら、やつの腕も落ちたもんだ」 「いや、なに、その、実は署長……」 「冗談だよ、中隊長」警察署長は突然、いたずらっぽくニヤリと笑った。「ちょっと、からかってみただけさ。あの大学の学生なら、組合加盟やゴミ集め競争とかなんとか称して、入植地から実験動物を欲しいだけ手に入れている。豚が二、三匹いなくなったって、まだ充分あるさ。ただ、わたしはきみに知ってもらいたかっただけだ。われわれ警察が、まったくなにも……なんだ、ありゃ?」  フールは警察署長の指す方を見やり、口もとをほころばせた。 「あれですか? あれは、単なる移動手段の一つの試みです。今のところ、驚くほど、うまくいってます」  二人が注目したのはスパルタクスだった。その労働者階級出身のシンシア人は、飛行ボードの上でバランスを保ちながら、階段の最上段に立っていた。長くカーブした階段がホテルの中二階からロビーまで続いている。フールと警察署長が見ていると、スパルタクスは体重を前にかけて飛行ボードをグンと押しだし、階段を下りはじめた。急なカーブも恐ろしいほどの加速もものともせずに下へおりてくると、まったく平然とした様子でロビーを移動した。立ち話をしている隊員たちの一団を器用に避けてロビーを横切っていく。隊員たちはスパルタクスが横をすり抜けても見向きもせずに、まったく無視していた。フロントにいるホテル従業員も同様に目もくれない。 「ここでは、あんな光景は、さして珍しくもないようだな」ゲッツは、ロビーでの反応のなさに気づいて、抑えた口調で言った。 「あまりほめると、いい気になって見せびらかしますから」と、フール。「そうなると、たいてい物事はだめになります。しかしまあ、よくもあれだけうまく飛行ボードを操れるようになったもんだ……飛行ボードに乗って生活していると言ってもいいくらいです。署長がスパルタクスをご存じなかったとは驚きですね。ほとんど毎晩、通りの向こうの公園で、たむろしている少年たちと飛行ボードの技を競いあってますよ」 「失礼します、中隊長」フールは、きょろきょろとあたりを見回した。いつの間にか中隊の補給担当軍曹が、そばに来ていた。軍曹からきびきびとした敬礼を受け、フールは姿勢を正して返礼した。 「おはよう、C・H。さっきまで、きみの話をしていたところだ。どうした?」 「どうもしません、中隊長。そろそろ、武器のデモンストレーションが始まる時刻だから、おれのホーグで中隊長をお連れしようかと思って」 「今回は遠慮しとくよ、軍曹。こちらのゲッツ署長が乗せてくださるそうだから……おっと、失礼。二人とも面識はあるんだったかな?」  チョコレート・ハリーの視線が横へ滑って、警察署長の見つめる眼とぶつかった。 「お……おれは、ゲッツ署長のことはよく聞いて知っております」 「わたしも、きみについては詳しく聞いておるよ、軍曹」ゲッツは唇を引き結んだまま微笑した。「われわれの世話になるようなことはせんでくれよ。まあ、いずれ、きみとは……話をすることになるだろうが」 「チョコレート・ハリーの言うとおり」フールは、ああてて割って入った。「われわれも、そろそろ出発した方がいい」  中隊の新しい兵営施設は完成間近となり、隊員のだれもが兵営へ戻れる日を心待ちにしていた。最優先で造られた施設の一つが(正確にいうと、コンフィデンス・コース演習場に続いて二番目に造られたのが)射撃練習場であり、今日は中隊全員が武器のデモンストレーションのために、そこへ集合していた。フール・プルーフ社の営業マンは、おびただしい数の武器を並べ、その営業用のよく回る舌で説明して歩いた。説明しながら、中隊長のことを何度もウィリー≠ニ呼ぶので、そのたびにフールは顔をゆがめ、ほかの者はみな――なかでも警察署長は――顔をほころばせるという難点はあった。だが、それを除けば、その営業マンは武器に関する豊富な知識と見事な手さばきで、たちまち一同の注目と尊敬を集めた。  やがて隊員たちに観覧席から下りて試し撃ちをするように指示が出て、デモンストレーションは最高潮に達した。しばらくは軍曹たちが大わらわで興奮した隊員たちを抑え、暴徒と化きぬように取り締まっていたが、それも次第に落ち着くと、ほどなく場内はパンパン、ドッカーンという銃声で満ちあふれた。隊員たちは嬉々として各種の標的をズタズタに射ち裂き、弾《はじ》き飛ばしている。 「すばらしい武器ばかりだな」そう言って、ゲッツ署長が観覧席の中隊長の横にドスンと腰をおろした。 「まったくです。きっと署長には、お気に召していただけると思っておりました。特に、あのプラスチックとゴムでできた|お情け弾《マーシー》≠ヘ、よかったでしょう。フール・プルーフ社が苦心した作品です」  警察署長は顔をしかめた。「確かに、あれはいい。ただし、撃つときに容疑者が保護メガネかなにかをかけていればの話だ。わたしが署長でいるあいだは、怪我をさせずに撃てるなんて空言《そらごと》を信じこむよりは、撃たないか本気で撃つかのどちらかを取る。もちろん、わたしの部下が射撃場で見せるほどには、実際の現場で撃てないことは知っている。白状すると、うちの連中の射撃の腕前は緊急時になると、きみの部下の練習時と同じくらいひどい」  もちろん中隊の隊員たちは、射撃の名手というにはほど遠い。それは一目で分かった。標的に当たったとすれば、それはめったやたらに撃ちまくった結果であり、狙った上のことではない。  今度はフールが顔をしかめた。 「ぼくはもっと、ひどい腕前の射手を見たことがあります。といっても、これ以上大勢のひどい腕前の射手がそろったところを見たことがありませんがね。それから、ぼくはそういうひどい腕前の者を指導したこともあります。本当は、このデモンストレーションを中止するところだったのです――もっと隊員たちを直接そばで見てやれるようになるまで待とうと思いましてね。しかし、これはフール・プルーフ社の巡回デモンストレーションの一環ですから、一度逃せば、この星域にまた回ってくるまで二カ月ほど待つことになります。それで、やっぱり開いてもらうことにしたのです。しかし、これで隊員たちの頭に射撃の基礎を叩きこむまでもの長いあいだ、自動銃やレーザー照準器から目をそらさせておくには相当苦労するでしょうね」  ゲッツは射撃ラインを見つめたまま、うなずいた。 「その点では同意見だな、中隊長。習い初めに、ちゃんと教えこんでおかないと、いつまでたっても射撃技術を学ばずに火力や仕掛けに頼ることになる」  中隊長は首をまわして、警察署長をしばし見つめた。 「こんなことを尋ねるべきじゃないのかもしれませんが」ようやくフールは口を開いた。「わたしや隊員に対する署長の態度が、初めてお会いしたときに比べて、ずいぶん柔らかくなったような気がしてならないのですが」 「ミスター・フール、そりゃあときには、わたしも頑固になりはするが、これでも努めて心を開いているつもりだよ。うちの警邏《けいら》巡査の大半が手放しで、きみのところの隊員を褒めてるよ。中隊のだれかが警察無線の傍受に凝っているらしく、ここ数週間で何度か緊急コールに応じて、数名の隊員が姿を現わしたと聞いておる。報告によると、隊員たちは別になんの介入も邪魔だてもしないらしい。しかし、きみも知ってのとおり、現場に二、三名の制服姿が立っているだけで、それがどんな色であろうと、群衆が手に負えなくならずにすむ場合が多い」 「やはり思ったとおりだ」中隊長は言った。「ぼくつねづね人間は、基本的に自分を善人だと思っているものだ≠ニ信じておりました。うちの隊員たちが、やればできると分かった以上、さらに自分のイメージを高めようとしはじめたとしても不思議ではありません」  警察署長は、フールの言葉をさえぎるように片手を上げた。 「いやいや、取りちがえてもらっちゃ困る。だれも、きみの部下がキリスト生誕の夜に馬小屋の上で舞う天使のようだ≠ネんて、ふざけたことを言ってやしない。ただ、署内での評判がいいので、隊員に対する――そして、きみに対する――わたしの態度も和《やわ》らいだというわけだ」 「しかし、まだ、和らぎ方が充分とは言えないようですね。うちの隊員が警察で事情聴取を受けるたびにあなたは宇宙軍司令部に知らせていますからね」フールは皮肉たっぷりに言った。  ゲッツは溜息をついて肩をすくめた。 「そちらの司令部からじきじきに依頼を受けたもんでね、しかたがないんだよ、中隊長。きみがハスキン星へ到着すると同時だった。宇宙軍のことに口出しするつもりは毛頭ないが、軍の上層部に、きみをあまり快く思っていない者がいるようだな。少なくとも、きみがなにか失敗しないかと目を光らせていることだけは確かだ」  フールは眉をひそめた。「そうでしたか。ご忠告を感謝します」 「忠告って、なにがだね?」警察署長は、まったく見当もつかないという顔で言った。「わたしは、ただ、職務として住民の一人からの求めに応じて情報を提供しただけだ。なにしろ、この町を守り、この町に奉仕することを誓ったもんでね」 「分かりました」フールはうなずいた。「まあ、とにかく、礼を言っておきます――住民の一人として。そこで、ものは相談なのですが……」 「中隊長!」  その呼び声には、紛れもなく危急を知らせるものがあった。 「ちょっと失礼、署長。どうした、タスク・アニニ?」 「スパルタクスが銃を撃とうとしてる!」  射撃ラインをちらりと見ただけで、それは分かった。シンシア人が例の飛行ボードの端に乗り、ひょろ長い腕の下に散弾銃を抱えこんでいた。そばで、チョコレート・ハリーが大げさな身振りで銃の使い方を説明している。 「そのようだな」と、中隊長は応じた。「しかし見たところ、ちゃんと、そばに――」 「ニュートンの運動の第三法則をご存じないんですか?」  フールは顔をしかめた。「なんの法則だって?」 「ほら、あれだよ――」ゲッツ署長が言いかけた。だが、最後まで言いおえられなかった。  ドッカーン[#「ドッカーン」はゴシック体]!  シンシア人の飛行ボード操縦術は見事なもので、散弾銃を撃った反動で飛行ボードから振り落とされずに猛烈な勢いでコマのようにくるくると回転しはじめた……ただし、間近にいた者に尋ねれば、ボードから落ちてくれた方がよかったと答えるかもしれない。日ごろニュートンの運動の第三法則など考えたりしたことのなかった連中が、このときばかりは全員、その法則をありありと思いだした――すべての運動には等しい力の作用と反作用が働く! 教養があろうとなかろうと、射撃の名手であろうとなかろうと、隊員たちの生存本能に狂いはなかった。一瞬にして、観覧席にいる者も含めた全員が物陰に屈みこむか、あるいは地面に身を伏せた。  幸い、スパルタクスは散弾銃をたった一発試しただけで、その騒ぎは、この上なくこっけいなものに終わった。もし、これが自動装填式の散弾銃を使っていたら、笑いごとではすまなかっただろう。 「わたしが思うに」ゲッツ署長はゆっくりと言いながら、頭を起こしてフールを見た。「あの手の銃は、やつこさんには反動がちょいと大きすぎる。少なくとも、あのボードに乗っているかぎりは、だめだ」 「ぼくも今、そう思ったところです」中隊長は腹ばいになって隠れている観覧席の椅子越しに、じっと向こうを見やった。「しかし、困りました。シンシア人は蟹《かに》のような目をしているために、あまり正確に銃を撃つことができません。それで散弾銃を試させていたのです。反動の影響を見たかったものですから」 「あまり反動のない銃を使えばいいんだろ」ゲッツは眉間《みけん》にしわを寄せた。「スプラット銃はどうかな?」 「スプラット銃?」 「空気銃だよ。圧縮空気で小さなペイントボールを撃つんだ。署の連中の中にも、週末に楽しむウォーゲームで、それを使っている者がいるらしい」 「ああ、あれですか」フールは首を振った。「オモチャのくせに本物の銃より値が張るやつですね」 「そのオモチャ≠ナも、なかには自動装填式の銃口初速が時速四百キロ以上出るものがある」 「本当ですか?」フールは驚いて眉を吊り上げた。「それは知らなかった。しかし、いくらペイントボールを速く飛ばせたところで、実際の戦闘で人を撃てるかどうかは疑問ですね」 「そうかな」ゲッツは残忍そうな笑みをたたえたまま、また元の観覧席の椅子にゆっくりと座った。「ひょっとすれば、HEペイントボールの供給元を捜しだせるかもしれん」 「高爆発性《HE》ペイントボールですか?」フールは、すっかり話に引きこまれていた。「あれは使用が許可されてましたか?」 「きみはびっくりするかもしれないがね、ミスター・フール、法律条文を字句どおり守っていない品物が手に入ることは警察でも気づいているんだよ」 「そういうことですか。それで、この情報の見かえりに何をお望みです?」 「好意として受け取っておいてくれ」警察署長は言った。「もちろん、おかえしに、ちょっとした頼みごとを聞いてもらえると嬉しい。たとえば……署内で毎年恒例のパーティーが来月あるんだが、それに、きみのところの例の料理長を貸してくれるというのは、どうかな?」 「そんなことでしたら、地域広報活動《コミュニティー・リレーション》として処理できるでしょう」フールはニヤリと笑った。「しかし、もう一度、合法的な散弾銃が本当に使えないかどうか、調べてみたいと思います」 「悪く思わんでくれ」そう言って、ゲッツは椅子から滑るように降りて、また先刻のようにうつぶせに寝た。「その実験は、ここで拝見させてもらうよ」  ところが結局、スパルタクスは散弾銃で二発目を試みるのを辞退した。愛用の飛行ボードから降りるくらいなら、武器はあきらめて飛行ボード上に留《とど》まった方がいいというのが、その理由だ。  チョコレート・ハリーは、それでも挫《くじ》けずに、今度は上流階級出身のシンシア人のルーイに散弾銃を強引に教えた。飛行ボードの技でスパルタクスにかなわなかったルーイは、「あんなものに乗るのは品がなさすぎる」と言いわけして、とうに飛行ボードを乗りこなす努力をやめていた。そのため飛行ボードに乗ることで生じる不安定な足もとの問題はルーイにはまったく関係がない。体を地面にしっかり固定して(やがては、チョコレート・ハリーのホーグのサイドカーに乗って)、ルーイは散弾銃を充分に使いこなせるようになった。いや、少なくともフールが以後の使用を許可するぐらいにまでは上達した。  最後の仕上げに、一人の隊員がドイツ風アンティークのヘルメットをどこからか探しだしてきて、眼柄《がんぺい》に合うようにヘルメットの上部に穴を開けてルーイにかぶせた。チョコレート・ハリーが大きなホバーサイクルにまたがり、その横のサイドカーには、アンティーク・ヘルメットから眼柄を出して自動装填散弾銃を握りしめたルーイがちょこんと乗っている――このチョコレート・ハリーとルーイの姿が現われると、全員が釘づけになって呆然と見つめた。現にゲッツ署長さえも、「犯罪現場に、あのコンビが現われると、パトロール隊の一分隊まるごと出向くよりも効果があがる」と言ったくらいだ。  不思議なことにルーイは、こうして中隊での存在が認められると、下級階層出身のシンシア人の同僚を嫌う気持ちが和らいだらしく、飛行ボードを母星に輸入するビジネスをスパルタクスといっしょに始めるまでになった。スパルタクスが数々の実演を入れた使用説明ビデオテープを作成する一方で、ルーイは自分の一族のコネと影響力を駆使して役所の手続きを突破し、必要な免許や事業許可の獲得にかかった。事業開始資金は中隊の全員が金を出しあって都合した。 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル補足[#「執事日誌ファイル補足」はゴシック体]  中隊内でのペアが固まり、パートナー間の絆《きずな》が強まるにつれ、隊員たちの仲間意識も高まってきた。数えきれないほど見られた隊員同士の反目や意見の不一致も影をひそめ、新たな一体感が中隊内に広がりはじめた。要するに、隊員各自が自己の劣等感や軍人として不適切だと思う気持ちを克服するにつれて、ほかの者の欠点も大目に見られるようになってきたということであろう。  しかし、中には、そう簡単に自分の能力に自信をもてない者もおり、そういう者が酒におぼれる姿も、ときおり見られた。 [#ここで字下げ終わり]  中隊がプラザホテルで過ごす最後の夜だった。新しい兵営施設が完成したので、各自それぞれに荷物をまとめて明朝の引っ越しに備えるようにという命令が出た。隊員たちは荷物をまとめおえると、ほとんどの者が自然と、最後の夜を軽く祝うためにカクテル・ラウンジに集まった。もちろん、ラウンジには中隊全員が座れるだけの席はない。それにもかかわらず、ラウンジは和やかな雰囲気に包まれていた。おおかたの者が文句も言わずに、壁にもたれて立つか、グループごとに床に腰を下ろしている。あるいは、あちらこちらの話の輪を無頓着に渡り歩いている者もいた。このような軍関係者のパーティーによく見られるように、かなりのグループで自意識の突っぱりあいがおこなわれていた。隊員たちは、これまでの経歴の中で自分がどんなにひどい任務を果たしたかをぐちりながら、そのじつ、自慢しあった。 「……沼がひどいところだと思うの?」ブランデーはニヤリと笑いながら、グラスを握って見せた。「わたしが、かつて所属していた部隊はね、なにを警護していたと思う? なんと、氷山よ! なんのための警護だか分からなかったけど、とにかく支給された装備だけでは寒くて寒くて我慢できなかったわ。それで、だれかとぴったりくっつきあっていなきゃならなかったの。なにが言いたいか分かる?一人で立ってると、衣装が凍っちゃうのよ」  一同は短く笑った。みな、次の話し手になろうと身を乗りだしている。 「あのときは、ほんとにつらかったわ」スーパー・ナットが、いちばん先に声を張り上げた。 「わたしが二番目に送りこまれた部隊は……あら、三番目だったかしら……どっちだっていいわ! とにかく、そのときの中隊長というのが、背の低い者を毛嫌いする人だったの。わたしったらバスケットボールをやっても、ボールに使われちゃうくらいだから。その中隊長が、ある日、わたしをオフィスへ呼びつけて、こう言ったわ――」 「本当につらい任務とはな、こういうことを吾うんだ!」  話が中断されたので、一同は、むっとして声のした方を見やった。アームストロング中尉が千鳥足で、こちらへやってくる。 「どこ……で任務に就《つ》いたとか、なにをやらされた、なんていう次元の話じゃあない。本当につらいのは、まとわりつく亡霊に悩まされながら勤務に就くとき……それも、その亡霊がてめえの……おやじで、そのおやじが最高の勲章を授かった軍人ときた日にゃ……その息子は、おやじの評判の十分の一の価値でも認めてもらおうとして全人生を捧げなくっちゃあならない。つらい任務とは、こういうのを言うんだ! おれは、ただもう、あのクソおやじが長生きして、なにか一つでも、しくじってくれるのを願うだけだ」  隊員たちは、ばつが悪そうにたがいに目と目を見交わした。アームストロングはグラスをなんとか口につけようとしていた。 「あの……中尉、そろそろ、お休みになられては?」沈黙を破って、ブランデーが慎重に言葉を選びながら言った。  アームストロングは、しかつめらしい顔をブランデーの方へ寄せた。しきりに目をしぼたたき、目の焦点を合わせようとしている。 「そう……だな、ブランデー曹長のいうとおり……士官らしからぬ言動は慎まんとな。それ……では、ちょっと外の空気にあたってから寝るとしよう。おや……すみ、諸君」  中尉は気をつけの姿勢を取って挙手しようとしたが、できなかった。それらしい動作をすると、表戸口へ向かった。ときおり壁に手をつき、ぐらつく体を支えている。  一同は、しん[#「しん」に傍点]としてアームストロングを見送った。 「士官にして名門の出か……クソくらえだ」だれかが嘲りの乾杯をした。 「……本当はね、こんなこと、言いたくないんだけど」スーパー・ナットが切りだしにくそうに言った。「中尉をあんな泥酔状態で街を歩かせるには時刻が遅すぎやしない?」 「へん、知ったことか。あんな野郎!」 「そうね。でも、あの人だってわたしたちの中隊の仲間よ。自分と同じ制服を着ているうちは、中尉が危険な目にあうのを黙って見てるわけにはいかないわ。行きましょう、ナット。中尉がつぶれるまで護衛をするのよ」ブランデー曹長が応じた。  壁にもたれながら鉢植えの陰で、そのやりとりを聞いていたフールは、心の内で、ほくそ笑んだ。ますます隊員たちは、おたがいのことに目を配るようになってきている。友情からであれ、中隊の名誉を漠然と守ろうとする気持ちからであれ、すべては軍隊精神につながる。この調子で行けば、ゆくゆくは……。  突然、腕の腕輪通信器がピーッと鳴り、フールの思考を絶った。 「マザー?」フールは通信器をオンにして呼びかけた。「まだ上にいたのか。きみもここへ降りてきて――」 「問題が発生したもようです、ビッグ・ダディ」通信手はフールの言葉をさえぎった。「警察署長から通信が入っております。お急ぎの様子です」  フールは胃の力が抜けてゆく感覚に襲われた。酒のせいではない。 「つないでくれ」 「おつなぎしました。どうぞお話しください、署長」 「ミスター・フール? 至急こちらまで出向いてもらえんかな。おたくの隊員が二名ほど厄介なことになった。この件に関しては、わたしにも手の打ちようがない」 「連行された理由はなんです?」フールは訊いたが、なかば署長の返答を予知していた。 「家宅侵入罪の現行犯で捕まったらしい」署長は告げた。「そこまでならたいしたことはないんだが、押し入った家が、こともあろうに知事の家で、しかも犯人を捕まえたのが知事だ!」 [#改ページ]       11 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル一一二[#「執事日誌ファイル一一二」はゴシック体]  ご主人様は問題やジレンマにぶつかると、なんでもすぐカネずく≠ナ解決しようとするお方に思われるかもしれない。だが、あたくしは別の一面もお見受けしている。こと政治家に関しては、かならずはっきりと一線を画されるのだ。これはなにも、いわゆる圧力団体≠ノ影響されるのがお嫌いだからではない。清廉潔白な政治家なんていちど買収で味をしめたらもう終わり!≠ニ主張する一派に賛成なさるからでもない。官選の公僕たる者は職務に対して余分の支払い≠受けるべきではないと固く信じておられるためである。  ご主人様がおっしゃるには、こうだ――ウエートレスや賭博ディーラーは、チップで収入を捕えるので最低限の給料しかもらっていない。だからチップを払わないと、事実上、生活の道を奪うことになる。しかし、公務員はもらっている給料の範囲内で生活するのがすじだ。公務員が本来の仕事をして余分のもうけを獲得しようとするのはとんでもないゆすり行為だ。そんなやつは刑務所に入って当然だ!  こういうお考えだから、お会いになる政治家にご主人様の評判がよろしくないことはいうまでもない。 [#ここで字下げ終わり]  書斎に案内されてきたフールを見てウィンガス知事は思わず内心ほくそえんだ。この男、政敵からはウィンガスをもじってウィンドガストと呼ばれている。この入植地に大富豪が住んでいると知ってから、どうやって選挙運動寄付金≠せしめようかと知事自身も思案を重ねてきた。パーティーや昼食会の招待状を送りつけてもなしのつぶて[#「なしのつぶて」に傍点]、中隊員たちのために有利な条例の制定≠におわせて個人的に寄付を要請してみたが、これもまったく無視された。  ところがである。やっとチャンスがきたのだ。ただ単にフール武器製造会社の御曹司《おんぞうし》に会えるチャンスがきただけではない。そのチャンスが交渉には願ってもない有利な¥況のもとで訪れたのだ。これも二人の隊員を監獄にぶちこんだせいである。もう首根っこをおさえたも同然だ。こうなれはなにもはした金[#「はした金」に傍点]で手を打つことはない。あわてず騒がず、じっくりと絞り取ってやろう。 「やっと会えたな、ミスター・フール……それともジェスター中隊長とお呼びしたほうがいいかね?」知事はにっこり笑い、デスクの向こうのレザー張りの椅子に背をもたれた。フールは来客用の椅子に腰をおろした。 「ジェスター中隊長と呼んでください」フールはにこりともせずに答えた。「これは社交訪問ではありません。宇宙軍の中隊長として公式にうかがったのです」 「そのとおり」ウィンガス知事は満足げにうなずいた。「きみは社交的な招きには応じない。よろしい、では本題に入ろう。いったいどんな用件か? わたしは故意に無関心を装ってきたが、率直にいうと、もっと早くくると思っていたよ」 「こちらにくる前に立ち寄らなければならないところがあったからです」フールはあっさりと答えた。「うかがった用件は、いま留置場に入れられている隊員二名に対する起訴を取り下げていただきたいとお願いすることです」  知事は首を横に振った。 「それは無理な注文だよ。あの二人は犯罪者だ。この部屋の窓のすぐ外で、しかもこのわたしが捕まえた。逃がしてやったらまた盗みに入るかもしれない。そんなまねはさせん。そうはいっても、そちらになにか提案があれば話は別だ……ま、魚心あれば水心というからね」 「起訴を取り下げていただく理由は二つあります」フールはキッとして言った。「あなたが本当に気にしているのはたった一つしかないことはよく承知してますがね。第一に、あの二人は知事の家に忍びこもうとしてはいなかった……」 「わたしの話をよく聞いていなかったようだな、中隊長」知事は笑った。「あの二人はこのわたしが捕まえたのだ!」 「つまり、知事の家から逃げようとしていたんです」フールは気にする風もなく続けた。「あの隊員たちは知事が正規軍に与えている儀仗兵《ぎじょうへい》の任務につきたくてたまらなかった。ドゥーワップとスシの二人は、知事にそのチャンスを与えさせるためのものを見つけようとこの家に押し入ったのです。それを利用して、ぼくから知事に圧力をかけさせようとしたのです」  フールは話を中断して首を振った。 「ある意味では、ぼくの責任です。そういうものを探しにいきかねない連中に事情を話してしまったんですからね。二人はぼくの代わりにそれを手に入れようとし、ともかくもそれを探しだして持ってきた。ぼくは返してこいと命じました。二人はそのとおりにしましたよ。知事が二人を捕まえたのは、そのあとでこの家を出ようとしていたときです。つまり、犯罪はなかった。起訴を取り下げる理由としては、これで充分なはずです」 「犯罪はなかっただと!」知事は鼻を鳴らした。「そんな話が信じられるかね、中隊長。かりに信じるとしてもだ、二人は現にわたしの家に押し入っておる。しかも、きみの話では二度もだ!」  フールはちらりと引きつったように笑った。こんなすごみのある笑いを見せたのは、これが初めてだ。 「はっきり覚悟を決めてもらいましょうか、知事。信じようと信じまいと、そんなことは関係ない。それでもまだ覚悟を決めかねるというのなら……」フールは知事のデスクを指差した。 「左側のいちばん下の引き出し、オールド・ビジネス≠ニラベルの貼ってあるファイルの中にある――あの二人が戻したのはそれです。おわかりですか?」  知事の笑顔は、選挙に負けたあとの支持者のように跡形もなく消えうせた。 「するときみは……」 「知事のセックスの好みなんかに興味はありません」と、フール。「ぼくはもっぱら同じ種族を相手にするのが好みですが、あなたがだれを、何者を相手にしょうが知ったことじゃない。記念の写真を保存していたってべつにかまいません。ただ、あの二人を返してくれさえすればいいんです。もちろん、二人が法廷に立たされるようなことになれば、ぼくはやつらのために証言に立ちます。盗まれたとされているどぎつい[#「どぎつい」に傍点]わいせつ写真の内容をくわしく説明しますよ。マスコミは、さぞかし喜ぶでしょうな」 「なにも証明できるものか」知事は、まっ青な顔で応じた。「きみはまさか……あの写真のコピーを取ったのではあるまい?」 「取ったといいたいところですがね」と、フール。「じつは取っていません。この情報を利用する気はないんです。だから部下に戻すように命じたんですよ。そうは言っても政治家の評判なんてデリケートなものだ。そうでしょう? スキャンダルのうわさが立っただけで政治生命が脅かされることだってある。実際にそれが証明されようとされまいと問題じゃない。そこで問題は、ぼくの部下を訴えることがはたして知事の政治生命を危険にさらすほど価値のあることかという点です」  ウィンガスはフールをじっとにらみつけていたが、やがてひったくるように電話を取り、腹だたしげに番号を打ちこんだ。 「ゲッツ署長を呼びだしてくれ。知事のウィンガスだ……もしもし、署長かね? 知事だが……ああ、家内は元気だ、ありがとう……ちょっと頼みがある。そこに留置している二人の隊員だが、起訴はやめることにした……そのとおりだ、出してやってくれ……理由なんかどうでもいいだろう! 言われたとおりにすればいい!」  知事は電話をガチャンと置くと、しばらく窓の外をじっと見つめた。それから、かんしゃくが収まるのを待ってフールのほうへ向きなおった。 「さあ、これでいいだろう、ジェスター中隊長。これで一件落着だ。ほかに用がないなら、これで失礼する。写真を始末しなければならん」  ところが驚いたことに、フールは動こうとしなかった。 「じつは、ここにいるあいだに、もう一つ話しあっておきたいことがあるんですがね」 「もう一つ?」 「そうです。さきほど儀仗兵の任務の話が出たと思いますが」 「おお、そうだった。写真をネタに使うつもりはないと言ったあの仕事のことだな」  知事は驚くべき早さで怒りを隠した。この変わり身の速さが政治家の身上だ。これができない者に政治家はつとまらない。ここで腹を立てればうっぷん晴らしにはなるが、相手は将来いつ自分の味方になってくれるか、あるいは寄付をくれるかしれない人物である。一瞬、知事は思った。ひょっとしたら、これはやはり寄付がらみの話かも! 「じつをいいますと、ウィンガス知事」と、フールは言った。「この状況はわれわれ相互の利益になるかもしれないんですよ」  やっぱり。思ったとおりだ。情実の売りこみ口上はうんざりするほど聞かされたので、ちょっと回りくどい言いかたをされるとすぐにビンとくる。おかしなことだが、陳情にくる人間というのはズバリと要求を出してくることはめったにしないものだ。カネを出すときもまたしかり。こういうときは相手が最後の口上にたどりつくまでじっとしんぼう強く待っているしかない。残る問題は、いったいどれくらいのカネを出すつもりでいるのかという一点だけだ。そこまでたどりつくのに、あとどのくらい持たされるのか。 「そう、それこそ政治というものだな」ウィンガス知事はしたり顔で言った。  フールは鋭い目で室内を見渡し、革綴じの本や、壁を飾っているオリジナルの美術品につぎつぎと目を留めた。 「なかなかいい部屋ですね」 「そうかね。まあ……」 「しかし、これでも奥さんがお住まいのアルタイルわきのタウンハウスはどじゃないでしょう」  知事はしんぼうが肝心とばかりじっと我慢していたが、自分の財産のことを持ちだされてさすがにムッとした。おまけにどこで開いたか、妻のことまで知っている。 「それはそうだ。ところで、われわれがいま話しあっているその運動資金の寄付はいったいどのくらいになりそうかね?」 「寄付?」フールは肩をしかめた。「どうやら知事は何か勘ちがいしていらっしゃるようです。これは寄付の話ではありません。いま、たしか運動資金とかおっしゃったようですが、収入以上の暮らしをしている人に対して、そんなことをする必要はありませんよ」  知事の顔が紫色に変わった。 「だれから開いたんだ? わたしが収入以上の暮らしをしているなどと!」 「だれ≠ナはありません、知事。むしろ何≠ニおたずねになるべきでしょう。はっきりいえば知事が現在申しこんでおられるローンです。率直に言って、あのローンを受けられなかったとしたら、この一年を破産しないで乗りきるのはとうてい無理でしょうね」 「あれはただの強化ローンだ。あれで……ん! 待てよ! その情報は秘密扱いのはずだ! わたしの財務内容まで調べまわるなんて、きみはいったいどんな権利があってそんなことをするんだ?」 「ええ、たしかに秘密扱いです」フールは涼しい顔で応じた。「ぼくはたまたま知事がローンを申しこまれた銀行の審査会の一員でしてね。役目上、大口のローンに関わるリスク評価には最大限の判断を行使しなければならない。知事のローンもその一つです」  知事はガーンと一発くらったようにどっかと椅子に沈みこんだ。 「つまり、儀仗兵の契約を宇宙軍に与えないかぎりローンの承認は拒否するというのかね?」 「知事の判断力と信頼性の評価に、その一件が影響なしとは言いきれない、とだけ答えておきましょう」 「なるほど、わかった」 「しかし、いま知事がおっしゃったことで、はっきりさせておきたいことがあります。ぼくは一方的に契約をよこせといっているのではありません。正規軍と平等に、自分たちの力でこの仕事を勝ちとるチャンスを隊員に与えてほしいのです」  ウィンガス知事は頭をかしげ、いぶかしげに目を細めてフールを見た。 「ちょっと訊いていいかな、中隊長。なんで単刀直入によこせと言ってしまわないのかね? そう言われてもわたしは反論できる立場にはない」 「もっともなご質問です」と、フール。「じつは隊員たちに自信をつけさせたいんです。正規軍と公平に競争して契約を勝ちとることができれば、確実に自信がつきます。たとえ勝てなくても、満足のできる闘いができればそれでいいんです。カネで契約を買ったり、知事に圧力をかけて契約させたりしてはかえって逆効果です。隊員たちは、ぼくがカネで買ってやるしかないと考えているのだと思うでしょう。どう見てもそうとしか思えないはずです。ところが、ぼくはそう考えてはいない。公明正大に競争すればやつらは正規軍にけっしてひけを取らない、それどころか互角以上に闘える。ぼくはそう信じています」 「興味深い話だ」知事はつぷやき、考えこむように窓の外をじっと見たが、やがて首を振った。 「しかし、無理だ。わたしは力になれん。いわば頭に銃をつきつけられたのも同然の状態だから正直に言う。いつものわたしならきみからカネを貰い、うまく出しぬかれてしまったといって戻ってくるんだが、なにせこんな状況だ。きみはわたしが裏切ったと解釈してローンの申しこみを拒絶するだろう。しかし実状をいえば、わたしは隊員たちの力にはなれないのだ。そのチャンスを与えてやることさえできない。じつは、もう正規軍と契約をすませてしまったのだ。そうしてやりたくても、どうにもならん」 「そんなことは分かっています」フールは落ち着いて応じた。「でも、一つだけ抜け道があります……問題は知事にその気があるかないかですが」 「どういうことかね?」 「この入植地の条例ですよ、もちろん。あの条例によれば、競争入札の検討手続きを踏まないまま一方的に公共事業契約を結ぶことは禁じられています」 「悪いが、そんな条例は――」 「じつは、ここにそのコピーを持ってきました」  フールはポケットから一枚の書類を取りだして知事のデスクの上に広げた。 「ごらんのとおり、入植地評議会全員のサイン入りです。しかも、日づけは知事が正規軍と契約を結んだ日の一週間前です」  ウィンガス知事は書類を取り上げようともせず、疑わしげにフールを見つめた。 「中隊長……この書類のオリジナルを見せてくれと言ったら、そのサインはまだ濡れてるんじゃないか。どういうわけか、そんな気がしてならない」 「さっき言いませんでしたか。今夜ここにくるまえに、二、三カ所寄ってこなければならなかったって」  知事は降参だという表情で両手を上げた。 「いいだろう! わたしの負けだ! 正規軍がここにきたら、きみたちが契約獲得のチャンスを得られるようにすぐにも競争の手配をしよう! それでいいかね? それともわたしの犬も持っていくか? あいにくわたしには娘がおらん」 「それで充分です、ウィンガス知事」フールは立ち上がり、知事のデスクの上から書類を引っこめた。「やはり、知事に相談してよかったと思っています。この問題はかならず解決できると確信していました」 「ジェスター中隊長!」  フールはドアノブに手をかけて立ちどまった。 「なんでしょうか?」 「きみは選挙に出ようと考えたことはないのかね?」 「ぼくがですか? いや、ありません」 「けっこうだ」 [#改ページ]       12 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 一二一[#「執事日誌ファイル 一二一」はゴシック体]  これまでの記録を読みかえしていて気づいたことがある。どうやらあたくしの記述は、あたかもご主人様がつねに物事を把握しておられ、あらゆる出来事を正確に予測されていたかのような印象を与えるらしい。しかし、実際はそうではない。状況にすばやく適応し、不意をつかれても巧みにそれを隠してしまうという点では、ご主人様はたしかに非凡な方である。だが、それでも不意をつかれたことは事実だ。ご本人はあまり認めたくないようだが、それも一度や二度のことではない。  わたくしがはっきりとそう断言できるのは、ご主人様が明らかに不意討ちをくわされた(少なくとも、わたくしの目にはそのように見えた)現場に光栄にも一度ならず居あわせていたからである。 [#ここで字下げ終わり]  隊員がクラブ≠ニ呼ぶ中隊の新しい施設は、これまで滞在してきたプラザホテルにもひけ[#「ひけ」に傍点]を取らない快適な施設である。ここにはすでに紹介ずみのコンフィデンス・コースや射撃場のほかに、プールやサウナ、中規模のジムがついており、小さな会議に使える部屋もいくつか用意されていた。しかし、ふたを開けてみると、隊員たちが集まる場所は主として集会室とカクテル・ラウンジを兼ねたダイニングホールになってしまった。広びろとした部屋のあちこちにテーブルが置かれ、快適なソファや暖炉も備えられている。勤務時間外に隊員同士でくつろぐにはまさにもってこいの場所だ。その結果、ここは通常のルートでは入ってこない情報やうわさを交換しあう絶好の場所ともなった。  フールは朝食のテーブルにつく前にちょっと立ちどまり、ざわめくダイニングホール内を見渡した。今朝、明らかに何ごとかがあったらしい。室内のあちこちでテーブルに隊員たちが寄り集まり、額を寄せあって、何か夢中でひそひそ話しあっている。ときにはくすくす笑いがもれ、おもわくありげな視線がチラチラッとこっちに注がれる。なかにはフールに気づいて、これ見よがしに肘をつついている者もいた。  フールが隊員たちのそんな振る舞いを不思議に思い、少なからず好奇心をそそられたのはいうまでもない。まるで教室に持ちこんだカエルをのぞき見ながら、教師がこれを見つけたらどうするだろうと興味しんしんで見守る小学生のようだ。ところが困ったことに、どういうわけで隊員たちがこんな奇妙な態度を取っているのかとなると、フールにはまるきり見当がつかない。ついにフールは自分で推測するのをあきらめ、執事のビーカーのいるテーブルにどっかりと腰をおろした。 「おはよう、ビーカー」フールはなかばうわの空で室内を見回しながら言った。考えごとをしていなければ気づいたはずだが、このときビーカーはポータブレインにかかりっきりで、フールの挨拶に顔も上げなかった。 「おはようございます」 「教えてくれ、ビーカー……隊員たちは、ぼくには話さないことでも、おまえには話す……信頼に反することならしかたがないが、そうでなければ教えてくれ。今朝はみんないったいどうしたんだ?」 「あたくしはかなり正確に想像できます」  フールは部屋を見回すのをやめてビーカーを見た。無意識にビーカーの頭のてっぺんを見つめている。いまや隊員のあいだでは有名になった頭だ。 「どういうことなんだ?」と、フール。  ビーカーはコンピューターのスクリーンから目を上げ、さも面白そうに意地の悪い目で主人を見た。 「ブランデーが中隊の基金に大金を寄付しました」 「ビーカー、教えてくれる気はあるのか、ないのか?」 「つまり、これに関係したことでございます」ビーカーは人を食った顔で答え、コンピューターのスクリーンをフールのほうへ向けた。  スクリーンには雑誌から抜粋した一ページが表示されていた。縮小サイズだが、スクリーンの上に踊る見出しの衝撃度には関係なかった。 [#ここから3字下げ] 地獄の美女たち[#「地獄の美女たち」はゴシック体]  フール中隊の女性隊員はSサイズ、Mサイズ、そして(特)Lサイズの三通り!! [#ここで字下げ終わり]  ページいっぱいに写っていたのは、品良くいえば生まれながらの輝き≠まとったブランデー、スーパー・ナット、そしてなんとあのマザーの、ひと目でそれとわかる姿だった!  ビーカーは主人の顔をじっと見つめ、驚きやうろたえた様子が現われるのを待った。しかし、フールの表情にはなんの変化も現われない。まるで会社の損益報告を調べているときのように無表情である。ただ一つ異常な反応をうかがわせるのは、ディスプレーを見つめる時間がいやに長いことだ。これはフールの日常の癖を知りぬいているビーカーでなければわからない。ふだんは情報を呑みこむのも決断も速いフールが、今はフラッシュにしようとして失敗した一枚のカードをテレパシーで変えてみせるシーンでも見ているかのように目をスクリーンに釘づけにしている。 「お望みなら、これをプリントアウトして拡大ハードコピーに取ってもよろしゅうございますが……いかがなさいますか?」黙り込んだフールになんとか口をきかせたくてうずうずしていたビーカーが、とうとうこらえきれずに言った。 「もちろん、やってくれ。当然じゃないか、ビーカー」声は穏やかだが、フールの目はあいかわらずスクリーンに釘づけになっている。 「手間ひまはまったくかかりません」ビーカーは容赦なくつづけた。「隊員の方々からも同じ申しこみを受けておりますから、もう二、三枚増えてもどうということは――」 「この記事はこの惑星版だけかな、それとも恒星間版なのかな?」 「どちらだと思われます?」  フールはようやくスクリーンから目を上げ、しばらく反対側の壁を見るともなく見てから答えた。 「そうだな、たぶん……」 「あら、中隊長! もうごらんになったんですか! おはよう、ビーカーさん!」  ビーカーは礼儀正しく立ち上がり、ブランデー曹長に挨拶した。 「おはようございます。じつは中隊長とあたくしも今、ちょうどその話をしていたところでございます」 「まあほんと? 中隊長、ご感想は? この齢にしては悪くないでしょう?」 「もちろん……なかなかいいよ、ブランデー」フールは、やっとのことで応じた。笑顔が妙にこわばっている。「三人ともいい」 「そうでしょう」ブランデーはにこにこ顔で、「正直、最初はちょっと心配だったんです。もうとう[#「とう」に傍点]のたったこの体で若いモデルと並ぶんですものね」と、体を揺すってみせた。「でも、ためしに撮ってみたらとってもいい出来だったんでオーケーを出したんです」  ビーカーは、「なるほど」とうなずいている。 「おお、そうだ。あなたに頼まれた予備のコピーが今日の午後に出来上がりますよ」ビーカーはにっこりした。 「まあ、すてき! いくらお払いすればいいの?」 「お代は、けっこうです。あたくしの――というよりもっと正確にいえば、中隊長の――好意と受け取ってください。使わせていただいたのは中隊長のプリンターですから」 「中隊長、ありがとうございます。じゃ、わたしはこれで……ファンが待っているので」  ここでようやく貝のように黙りこくっていたフールが口を開いた。 「あ、そうだ……ブランデー」 「はい、なんでしょう?」  二度もバクバク口を開きかけて、やっとフールは質問を一つだけにしようと決めた。 「どんな手を使ってマザーを承知させたのかね?」 「承知させた≠ナすって? これを思いついたのはマザーなんですよ! じゃあ……また後で!」  二人が目を丸くして見守るなか、ブランデーはまわりからわき起こる口笛やひやかしに陽気に手を振りながらさっそうと歩み去り、テーブルに固まっていた隊員たちの輪の一つに収まった。 「マザーの思いつきだったそうですよ……ご主人様」ビーカーが平然と繰りかえした。  フールは気のぬけたような笑いをうかべて室内を見まわした。 「さぞキリストもお嘆きだろう!」フールは歯をくいしばって言った。この数年で口にした言葉の中ではいちばん罰当たりな言葉である。「おまえには、それが分かってるのか――」  ピーッ。とつぜん、腕の通信器の呼びだし音が鳴ってフールの言葉をさえぎった。このけたたましい緊急呼びだしは、これまで知られている全宇宙の知的生命体の神経にはなはだしい不快感を与えるようにわざと音を合わせてある。フールは設計回路上で唯一可能な方法、つまり通信に答えることによってその音を黙らせた。 「マザーか?」 「朝食のお邪魔をしてほんとに申しわけありません、ビッグ・ダディ。でも、司令部のバトルアックス大佐からホロ電話なんです。ぜひとも中隊長と話したいとおっしゃっています」 「すぐ行く」フールは立ち上がった。「ジュスターより以上」 「さっきのご婦人ではありませんが」ビーカーがひやかした。「中隊長にもファンがお待ちかねなんですな!」  ペントハウスに司令部を置いていたころの習慣に従って、通信装置は指揮官フールのオフィスの隣りに置かれていた。しかし、置き場所が変わっても受信したホロ映像の質は少しも良くなっていない。通信の内容も同じだ。 「中隊長、この馬鹿ばかしいおふざけはいったいどういうこと?」  バトルアックス大佐のホロ映像がカーペットの一メートルたらず上にふわふわと浮いた。もっともこれは大佐が怒りに震えているためで、通信器の故障のせいではない。その取り乱した態度――いや、乱れた制服の状態――を一見しただけで、大佐がいつものような事前の準備もなしにあわてて通信してきたことは明らかだ。 「馬鹿ばかしいおふざけ?」 「しらばっくれないで、ジェスター! あのけがらわしい〈T&Aマガジン〉に載った女性隊員の写真よ!」 「ああ……あれですか!」フールは現代の雑誌配布システムの驚くべき進歩に内心、感嘆した。 「はい、それなら知っています。あれのどこが問題なんでしょうか?」 「どこが問題かですって? あんなことをされて宇宙軍の体面がどうなるか分からないというの?」 「失礼ですが、大佐……体面とはなんの体面ですか? この宇宙軍の体面でしょうか?」 「あたりまえでしょ、ジェスター!」  どんなに追いつめられても表面は冷静さを失うな。長年そう訓練してきた経験がいまここで役に立った。 「いや、まったく分かりませんね。ぼくの中隊のことをマスコミで読まされるのはもううんざり……この前の話しあいで、大佐ご自身がそうおっしゃったはずです――中隊が酒場で喧嘩騒ぎを起こしたときに。それにこれは重要なことですが、ぼくが聞いた範囲ではお話の隊員たちはあのとき非番でした。問題の写真は自由時間内に撮ったものです。宇宙軍の規則は、指揮官が隊員の勤務時間外の私生活に立ち入ることをはっきりと制限しています……第一四七条から一六二条だったと思いますが」  大佐の映像はフールを怖い顔でにらみつけた。 「いいわ、ジェスター。それじゃ、あなたのそのゲームを続けましょうか。第一八一条では、軍に在籍中の隊員が雇用やサービスに対して個人的に賃金や心づけなど、あらゆる形の報酬を受けとることを明確に禁じています。勤務中であろうとなかろうとです!」 「しかし、第二一四条はあきらかに隊員が自由時間に仕事やサービスをすることを認めています。もちろんこれには条件があり、報酬は隊員個人の所得として受けとるのではなく、直接または間接に所属の隊に支払われなくてはなりません。問題の雑誌に掲載された隊員たちへの支払いは、この規定の細目に要求されているとおり、隊の基金に全額引き渡されています。その点は保証します」 「その条項なら、あたくしもよく知っているわ、ジェスター」大佐はすかさず応酬した。「どういうわけか、あなたがあれを記憶していても驚かないけど。しかし、あたくしが記憶しているかぎりでは、あの条項の残りの部分には、そのような勤務外の活動には中隊の指揮官の承認が必要であると明記してあるはずよ。あなた、あれを承認したというの?」  フールは背中で指を組んだ。宇宙軍には嘘をついてはならぬという規則がある。少なくともあとですぐばれるような嘘はつけない。それを頭に入れて指を解き、慎重に言葉を選びながら答えた。 「バトルアックス大佐……よろしいですか……率直に申し上げて、あれは隊員本人の体です。それを見せるなという権利はぼくにはありません。もちろん見せろという権利もありませんがね」  大佐はキッと唇を結び、やがて長々と溜息をついた。その分だけ、しぼんだように見える。 「なるほど、わかったわ、中隊長。またしてもうまくすり抜けたわわ。でも、覚悟しておいてちょうだい――司令部にこの件を説明するのが楽しみだわ」 「承知しました、大佐」フールはその場面を想像してニヤリとしかけ、必死にこらえた。「ぼくも隊員たちも、大佐のご尽力には深く感謝します」 「そちらの変わり者のみなさんによく言っておいてちょうだい。感謝の気持ちをあらわしたいなら、あたくしが司令部に説明する機会をこれ以上ふやさないようにって。いいわね?」 「はい、しっかりと伝えます」 「よろしい。バトルアックスより以上」  ホロ通信はすぐには切れず、一瞬、大佐の顔にニヤリとした表情が横切った。その瞬間に、映像は消えた。 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル補足[#「執事日誌ファイル補足」はゴシック体]  わたくしがいつも不思議に思うことが一つある。成功した人々がきまって自分自身の成功に驚いているように見えることだ。そのいい例がご主人様の率いる中隊である。ご主人様は、このオメガ中隊を一人前の立派な軍隊に仕立て上げるというはっきりした目標をかかげて赴任された。そして隊員たちの自信を高めることによってこの目標を達成しようと計画され、そのために日夜ひたすら努力された。それにもかかわらず、その努力がやっと実を結びかけると、どうやらご主人様ご自身がその事実に面くらってしまわれたのである。  むろん、中隊の進歩の速さにはいささか日を見張るものがあった。後になって考えてみれば、わが家にありついた野良イヌほど主人に忠誠を尽くす者はいないというのは疑いようのない事実だ。しかし、そのときは隊員たちの突然の張り切りように、あたくしもご主人様も少なからず落ち着かない気分にさせられた。 [#ここで字下げ終わり] 「……最後に、うれしい報告がある。中隊の有価証券明細表《ポートフォリオ》の残高が、この前の報告からまたかなり増えた。興味のある者には報告の詳細を配るが、手っとりばやく結論を言ってしまえば、現在のわれわれの持ち分は八倍に増えた。つまり、前回に報告した投資ファンドが、一ドル当たり今は八ドルになっている勘定だな」  これを聞いて、集まった隊員たちのあいだにざわめきが走った。儲けで何をやろうかと興奮したようにささやきあう者もいれば、前回の報告で増えたと聞いてはやばやとカネを引きだしてしまい、儲けそこなったとブツブツうめく者もいる。  隊員たちが集まったのはフールが定期的に開く報告集会である。べつに腕輪通信器でわざわざ連絡するまでもないが、さりとて掲示板に掲示するだけではすまされない事項を話したり、ときに応じて隊員たちとじかに顔を合わせて意見交換する場を設けておくことも大事だとフールは考えたのだ。隊員たちも集会の通知を受けるとまじめに出席してフールの期待に応えた。  隊員たちのざわめきが収まるのを待ってフールは手を上げ、静かにさせた。 「よし、ビジネスの話はこれくらいでいいだろう。次の話に進む前に、何か質問や意見はないか?」 「はい、あります!」  アームストロング中尉が古典的な気をつけの姿勢で起立した。表情が固い。何人かの隊員がにやにやしながら袖をつつきあっている。フールはそれに気づいたが、正規軍くずれのアームストロングの習慣を面白がっているのだろうと考えて気にしなかった。 「よし、中尉。なんだ?」  アームストロングは答えず、閲兵式ふうに肩や肘を怒らせて文字どおり行進してきた。そしてフールの前で足を止め、ぴしっと敬礼した。なにごとかという顔のフールが答礼するまで、その姿勢を崩さなかった。 「中隊長! 隊員全員の依頼により、不肖わたくしが代表して苦情を申し述べさせていただきます……よろしいでしょうか!」  その言葉と同時に、出席していた隊員全員が無言で立ち上がり、アームストロングの教科書どおりのポーズをまねた姿勢を取った。  フールはあえて隊員たちのほうを見ないようにしたが、この一斉行動には内心たじろいだ。何を言おうとしているのかは分からないが、全員一致の意見らしい。いったい何が不満だというのか? 「楽にしていいぞ、中尉……みんなもだ。これは内輪の集会だからな。その問題というのは、いったいどんなことかな?」 「はい、じつは……中隊長が配給された制服に不満があるのであります」 「ほう。というと、どの制服かね?」 「全部です。|華やかさ《カラー》に欠けるというのがわれわれの一致した意見であります」 「華やかさに欠ける?」  フールは思わず隊員たちのほうを見た。全員にやにやしながらフールを見守っている。 「どうも分からんな。黒という色は宇宙軍の制服に指定された色だ。あまりバツとしないかもしれないが、わざわざそれを変える理由はないんじゃないか。たとえ司令部の許可が出たとしてもだ。まあ、許可は出ないだろうがね」 「制服の色を変えたいのではありません。アクセントになるものをつけ加える許可をいただきたいのです。どういうものかと申しますと……」  アームストロングはポケットから何かを取りだしてフールに差しだした。 「……中隊のシンボルとして、この記章をつけることを許可していただきたいのです。いかがでしょうか!」  記章は真っ赤なダイヤ形の布でできいた。黒糸で道化《ジェスター》のキャップを小粋にかぶった頭蓋骨《すがいこつ》の図案の縫い取りが刺繍《ししゅう》してある。  フールは記章をじっと見つめた。隊員たち全員が息を詰めて見守っている。やがてフールは言葉ではもどかしいというように記章の裏のシールをはぎ取り、手のひらで自分の制服の袖にべたりと貼りつけた。それからゆっくりした動作でかっちりと気をつけの姿勢を取り、隊員たちに敬礼した。  隊員もいっせいに答礼した……次の瞬間、部屋の中は喜び、祝いあう隊員の歓声で大騒ぎになった。 「中隊長、気に入ってくれたんですか?」 「レンブラント中尉が図案を考えたんです! すてきでしょう?」 「みんなでカネを出しあって……」  隊員たちはフールのまわりに集まってくると、みんなでしゃべったり肩をたたきあっていたのをやめ、たがいに手伝いあって制服の袖に記章をつけた。これだけの記章がいちどに現われた手ぎわのよさから見て、前もって配られていたことはまちがいない。隊員たちは不意討ちをくわせる最後の瞬間まで、フールには見られないようにこっそり隠し持っていたのだ。 [#挿絵269  〈"img\[ロバート・アスプリン] 銀河おさわがせ中隊 269.jpg"〉]  ひとりになったフールが自分の部屋で椅子に座って脱いだばかりの制服についている記章を眺めていると、執事のビーカーが入ってきた。 「これを見たかい、ビーカー?」 「はい。クローゼットをごらんになってください。ご主人様の制服の全部につけておきました」 「すると、おまえもぐる[#「ぐる」に傍点]だったのか?」 「内緒にしておいてくれと頼まれましたもので。隊員たちはご主人様をびっくりさせたかったのでございます」  フールはあきれたという表情で頭を振った。 「たしかにあれは効いたよ。まさかあんなことをするとは思わなかった」 「敬意のしるしとお考えになるべきでしょう。ご主人様が隊員のためになさったご努力に感謝し、これからも支持を誓うという気持ちをあらわすためにしたことでしょうから」 「わかってる。ただ……ぼくにはなんと言ったらいいか分からないんだよ、ビーカー。今でもそうだ。どうにかして感謝の気持ちをあらわしたかったのだが、何かドジなことをしてしまいそうな気がしてパーティー会場をはやばやと抜け出さなければならなかった」 「記章を受けとられたことだけで充分でございましょう。ちょうど、父親が子供の作品をオフィスの壁に飾ってほめてやるようなもので」  フールは、「いやいや」というように頭を振った。 「そんなものじゃ言いたりない。ぼくのいちばんいいシナリオでも、隊員の団結がこんなに早く実現するとは予想できなかった。ほんとだよ、ビーカー、ぼくがやつらの親だったとしてもこんなに誇らしい気分にはなれないだろう」 「論より証拠でございますな。ところで、あす正規軍がくると聞いたときの反応はどうでしたか?」 「まだ言っていない」フールは溜息をつき、元気をなくして椅子に座りこんだ。「そこまで言わないうちにあれを仕掛けられてしまった。いったん始められると雰囲気を変える勇気はとても出なかった。今夜はお祝い気分に浸らせておいていいだろう……明日はすぐくる」 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル補足[#「執事日誌ファイル補足」はゴシック体]  ある人々にとっては興味深い話だろうが、歴史上の記録によれば娼婦≠意味するのにフッカー≠ニいう言葉が初めて使われたのは旧地球のアメリカ南北戦争当時のことである。このとき、フッカー将軍は従軍中に汚れたハト≠自分のつき添いとして引き連れていた。将軍のキャンプを訪れた者があの女性たち≠ヘだれかと兵士に訊くと、「あれは|フッカー将軍の女《フッカーズ》だ」とだけ答えが返ってきた。それ以来、この表現が使われるようになったというのである。  それを知れば、ご主人様が指揮される中隊の隊員たちが入植地の街に繰りだすと、地元の人々は「あれは|フール中隊の連中《フールズ》だ」とだけ説明したというのもうなずけよう。このフールズ≠ニいうニックネームは、このあとも、しばらく隊員たちについてまわった。 [#ここで字下げ終わり] [#改ページ]       13 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル一二二[#「執事日誌ファイル一二二」はゴシック体]  ご主人様とて不意打ちを食らって驚かれもすると前に記したが、ときには、自分のしかけたわな[#「わな」に傍点]にかかることもある。だいたいにおいてご主人様はマスコミを巧みに利用されるが、苦境に立たされる原因もマスコミである場合が多い。 [#ここで字下げ終わり]  見るからに落ち着かないムードが隊員たちを覆っていた。中隊全員が整列して、いらいらしながらシャトルの到着を待ち受けている。今のところは休め≠フ状態――つまり、足の位置を動かさなければ身動きしても会話をしてもよい状態――なのだが、話し声は一言も聞こえない。沈黙したまま、みなソワソワと不安げな様子だ。それぞれが思い思いに考えこんでいる。 「本当に、これでうまくゆくんでしょうか、中隊長?」  士官は自由に歩き回れる。だがフールも、隊列の前で動かなかった。いつもの行ったり来たりする癖を出すまい……冷静な姿で中隊の手本を示そう……としている。そのフールは、このレンブラントの遠慮がちな問いかけを受けて、内心ホッとした。これで気を紛らわすことができる。 「対戦相手を出迎えるのが礼儀だろうが」フールはけわしい顔を装って答えた。 「その点では同感です」レンブラントは応じた。「でも、正規軍側は宇宙軍に対して礼儀を守りません」 「そのとおりだ」フールは厳しい口調で答えた。「言っておくが、レンブラント中尉、われわれがここにいる本当の理由は礼儀とは関係がない」 「は?」 「考えてもみろ。みんなが神経質になっているのは、自分たちが来るべき|競 技 会《コンペティション》で正規軍にぼろ負けすると思っているからだろうが。無理もない。正規軍はスーパーマンぞろいで、宇宙軍はカスの集まりだ――長いあいだ、そう思いこまされてきたんだからな。そこでだ、自分たちが恥ずかしくない行動を取ろうとすれば、その思いこみも必然的に崩れてくる。こうして出迎えているのも、そのための第一歩だ。みんなに早く|競 技 会《コンペティション》をやらせてやりたい。そうすれば、正規軍の兵士も同じ人間で、パンツを履《は》くときは自分たちと同じように片足ずつ履くことが分かるはずだ。ぼくの言う意味が分かるかい?」 「は……はい、なんとなく」  レンブラント中尉は明らかに納得できない様子だったが、突然、隊列のあいだから叫び声が上がり、それ以上のフールの講釈を受けずにすんだ。 「きたぞ!」 「見ろ、あそこだ!」 「おれの遺体は前の女房のところへ送ってくれ……あいつに食わしてやりたい!」  雲を突き抜けて現われたシャトルが、一直線に滑走路の先端へ向かってくる。 「よおし……中隊、用意!」  この号令は、まだ休め≠フ状態だが気をつけ≠フ準備をせよというものだ。その場で腰をおろしていた隊員は大急ぎで立ち上がり、ズボンの尻を払って、隊列を立てなおした。  隊員全員の眼が見守る中で滑走路に降り立ったシャトルは、ゆっくりとターミナルビルへ近づいてきて、中隊の隊列の五十メートルほど手前で停止した。それから永遠とも思えるときが流れてハッチが開き、タラップが降ろされ、先頭の乗客が降りてきた。  一瞬の間を置いて、隊列全体がぎわめきだした。 「中隊長!」アームストロング中尉が張りつめた声でささやいた。「ご存じですか、あの者たちを?」 「ああ分かっているよ、アームストロング中尉」 「レッド・イーグルズです!」 「分かっていると言っただろう、アームストロング中尉!」 「しかし、中隊長……」 「中隊……気をつけ!」  フールは轟《とどろ》くような声で号令をかけた。アームストロングとの会話を切り上げるためでもあり、きちんとした軍隊ぶりを正規軍に見せるためでもある。しかし本心は、考えをまとめる時間が欲しかったのだ。  まばゆいばかりの正装軍服に身を固め、トレードマークの赤いベレー帽をかぶった一団が列をなしてタラップを降りてくる。あのいでたち[#「いでたち」に傍点]を見れば、この一団が何者かはまちがえようがない。レッド・イーグルズだ! なにを思ってか正規軍は、儀仗兵の任務のためにエリート戦闘部隊を送りこんできた!  レッド・イーグルズは、ある意味では宇宙軍と似ている。この部隊は正規軍には珍しく単独の惑星出身者で固めずに、複数の惑星文化の見本市のような様相を呈していたからだ。ただし、似ているのもそこまでだ。レッド・イーグルズと言えば、これまで数々の栄誉に輝いた評判の部隊で、正規軍の中でも最精鋭と見なされている。レッド・イーグルズへ入るための競争は激烈で、部隊の人員に空きが生じるたびに、この栄誉に浴しようと文字どおり何百人もの入隊希望者が殺到する。これまでに何度かレッド・イーグルズをもっと平均化して他の部隊なみにしよう≠ニする試みがなされたが、そのたびに揉みつぶされてきた。そのたびに指摘されるのは、レッド・イーグルズだけが特権を――レッド・イーグルズは最高のメンバーで構成される≠ニいう特権を――与えられている事実だ。結局この特権は、いまだに与えられつづけている。  そんなことを頭の中で思い浮かべながら、フールは兵士たちがタラップの下でぶらぶらと歩き回るのを眺めつづけた。レッド・イーグルズの兵士たち全員が中隊の隊列をまったく無視している。中隊の方へは一度も目をくれずに、談笑しながらぶらついていた。  最後に、一人の貫禄のある男が大股でタラップを降りてきた。男は左右も確かめずに滑走路を横切ると、まっすぐフールの方へ向かってきた。鍛え抜かれたスポーツマン特有の体を揺するような[#「体を揺するような」に傍点]ゆったりとした歩き方だ。 「ジェスター大尉かね? オドンネル少佐だ」  フールは呼びかけられてドキリとしたものの、どうにかきびきび[#「きびきび」に傍点]と敬礼をした。 「ようこそハスキン星へ、少佐」  オドンネルは返礼もせず、手を差しだして握手しようともしない。 「ああ、たしかに大歓迎だな」オドンネルは冷ややかな笑みを浮かべた。「そうだろ、ジェスター大尉。われわれを迎えた今のきみの気持ちは、おそらく、ここへ着いた今のわれわれの気持ちと同じくらい幸せだろうからな。さてと、どこで話をする? できればエアコンの効いた部屋がいいな。こんなくだらない用件は一刻も早く片づけてしまいたい」  フールが憮然としてターミナルビルを指し示すと、オドンネル少佐は大股に歩いてフールのわきをすり抜けていった。 「アームストロング中尉、レンブラント中尉」そう叫んで、フールは二人の士官を手招きした。 「はい、中隊長」 「なんでしょうか、中隊長?」 「中隊を兵営へ連れて戻り、ぼくが帰るまで待機していてくれ。今後のことが決まりしだい、すぐ戻る」 「しかし、中隊長」 「言われたとおりにしろ! ただし、運転手を一人残すのを忘れるな。協議が終わった後はゆっくり歩いて戻る気分にはなれないだろう」  フールがターミナルビルへ入ると、また一つ驚くことが待ちかまえていた。入るとすぐに、オドンネル少佐の姿が目に入った。よそよそしく握手を交わしている。その相手は……ウィンガス知事だ! 「おお! ジェスター中隊長!」知事はにこやかな笑みを浮かべた。「さあ、こっちへきたまえ。もうオドンネル少佐とは挨拶をすませたそうだな」 「ええ、さきほど」フールは答えた。「しかし正直なところ、驚いております。たかが儀仗兵《ぎじょうへい》ごとき任務に、正規軍がレッド・イーグルズを送りこんでくるとは予想しておりませんでしたから」 「こう言えば、少しはきみの気が晴れることを願うが、ジェスター大尉」オドンネルは苛立たしげに言った。「驚いたのは、おたがい様だ。うちの司令部の連中は、きみの指揮する勇敢な部隊を取りあげた記事を愛読していたらしい。なにがなんでも正規軍のメンツを保ちたいようだ。驚くなかれ、われわれは戦闘中であったにもかかわらず、その任務を外されて、ここへ送りこまれたんだ。きみらと本気で勝負しろと指令されてな」  口ぶりからすると、明らかにオドンネル少佐は今回の指令を軽んじていた。 「さてと、もしよければ、さっそく本題に入ろう。はやく競技会とやらの条件を決あて、兵士たちを落ち着かせてやりたい」 「すると……すでに少佐は競技会のことをご存じなのですね?」フールは言葉を選びながら慎重に問いかけた。 「ああ、知っているとも。ここにおられる知事が、わざわざ事前に知らせてくださった」  フールが知事に視線を向けると、知事は満面に笑みをたたえて扇をすくめた。 「それくらいのことはしてもいいだろう。そもそも、これは正規軍と契約ずみの仕事だった」  フールは怒りを抑えた。ここで怒りを爆発させても、ウィンガスを喜ばすだけだ。もちろん腹の中は、知事の裏切りに対する怒りで煮えくりかえっている。 「ええ。お立場は分かります」なんとかフールは言葉を返した。 「わたしが聞いているところでは」オドンネルが、もどかしげに話しだした。「われわれは、これから儀仗兵を請け負う契約をかけて第三者の立ちあいのもとで三種目の技能を競いあう。われわれ正規軍側が一種目を選び、きみらがもう一種目を選ぶ。残る一種目は、協議のうえ決定する。よろしいな?」  フールは体を強ばらせて、うなずいた。オドンネル少佐に協議の主導権を握られているのが気に入らない。 「よろしい。それでは、われわれは密集教練を提案する。なんといっても儀仗兵の仕事は、ほとんどこれに尽きる。きみらは何にする?」  フールはがっくり[#「がっくり」に傍点]した。軍隊に必要な一般的技能の中で密集教練ほどフール中隊の不得意とするものはない。 「われわれは、コンフィデンス・コースを提案します」フールは応じた。  このとき初めてオドンネル少佐は、びっくりした表情を見せた。眉が吊り上がってベレー帽の|びん革《スエットバンド》に隠れかけている。 「コンフィデンス・コース?」オドンネルはおうむがえしをし、「けっこうだ、ジェスター大尉がどうなろうと、わたしの知ったことではない。次に、残る一種目についてだが……」と、手を振ってウィンガスを示した。「知事からうかがったところによると、きみ以下、中隊の面面はフェンシングを得意としているそうだな。そこで、どうだろう、フェンシングの三種目……フルーレ、サーブル、エペを行ない……そのうちの二種目を取った方が勝ちということにしては?」  フールの頭の中で警鐘が鳴りだした。なんとなく手回しが良すぎる。 「知事から、ずいぶん多くのことを聞かれたようですね」フールは時間稼ぎに言った。 「イエスかノーか、どちらだね? さあ早く答えてくれ、ジェスター大尉。こんなことに丸一日かけているわけにはいかんぜ」 「ひとつ教えてください、オドンネル少佐。少佐は、ご自身ではフェンシングをなさいますか?」 「わたしかね? エペなら多少の経験はあるが」 「それでしたら、少佐のご提案に、ほんの少しだけ条件をつけさせてください。三種目の試合はそのままでけっこうですが、エペを最後に持ってきていただきたい……しかも対戦は隊長同士ということに。そうすれば、勝負が最後までもつれこんだ場合に、われわれ隊長同士で決着をつけることができます」  オドンネル少佐はニヤリと笑った。 「望むところだ、ジェスター大尉。受けて立とうじゃないか……そこまでゆくかどうかは疑問だがね」 「試合の展開は予想できませんよ、少佐」フールは、ひきつった笑みを浮かべた。「ぼくの部下は、ぼくに似て他人を驚かせる名人ばかりですからね」 「では今度も驚かせてもらいたいものだ」オドンネルは即座に言いかえした。「ただし、びっくりしないからといって怒るなよ」 「それでは、これで話はまとまったね」知事が、あわただしく立ち上がった。 「あと一つだけ……確かめさせてください、少佐」フールは食い下がった。「いま仮にレッド・イーグルズが勝ったとします。その場合、正規軍は本当に最精鋭の戦闘部隊を儀仗兵の任務に就けるつもりなのですか?」  オドンネルは視線を横へ走らせ、ヘビのような目つきで知事に返答をうながした。 「そのことなら、確か基本契約の中に、こういう条項が盛りこまれておったはずだ。正規軍の一部隊が本任務を請け負うものとするが、どの部隊を任務に当たらせるかの決定権は正規軍が保有する……さらに、いかなるときでも正規軍の人員構成上の必要に応じて、正規軍はみずからの判断により部隊の入れ替えを行なうことができる」 「つまり、正規軍はレッド・イーグルズを使って契約を確保し、契約を結んだ後は、まったく別の部隊とレッド・イーグルズを入れ替えるつもりなのですね?」  フールがウィンガス知事に問いつめると、知事は、「しかたがない」という表情で肩をすくめた。 「これがショービジネスというものだよ、中隊長……それとも、こう言ったほうがいいかな――これが政治だ!」 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル補足[#「執事日誌ファイル補足」はゴシック体]  ご主人様といえども完璧《かんぺき》ではない点について、これまで腹蔵《ふくぞう》なく記してきた。しかし、そのせいでまちがった印象を与えてしまうことのないように、以下のことを急いでつけ加えたい。わたくしが拝見させていただいたかたがたの中で……お仕えしたかたがたの中で、窮地に追いこまれたときの強さは文句なしにご主人様が最高である。 [#ここで字下げ終わり] 「これほどの裏切り行為の、インチキの、二枚舌の――」 「もういい、アームストロング!」中隊長はピシャリと言った。「知事の道徳観や遺伝的欠陥を論じている暇はない。今は作戦を練らなければならないんだ。競技会[#「競技会」に傍点]は明日だぞ!」 「中隊全員が、まだダイニングホールで待機しているのですが、中隊長」ブランデーが頭で中隊長室の戸口を示した。「皆になんと伝えれば、よろしいでしょうか?」 「約三十分後に、中隊長の説明があると伝えろ。あ、それから、ブランデー……そのあいだに、われわれ中隊は、すでに勝った≠ニ皆に言っといてくれ」 「勝った、ですか?」 「そうだ。正規軍が、われわれとの競技に勝つためにレッド・イーグルズを送りこむと決めた時点で、われわれは勝ったんだ。たとえ、明日、中隊がこてんぱんに負けたとしても、正規軍の平均的な[#「平均的な」に傍点]部隊なら中隊は勝てたのではないか≠ニいう疑念が人々の心に残るじゃないか」 「そうはおっしゃいますが、中隊長」と、曹長は自信のない声で応じた。「あ、いけない……忘れるところでした。ドゥーワップがこれを、中隊長にと」 「なんです、中隊長、それ?」と、レンブラントは首を伸ばしてフールの見ている紙片をのぞきこんだ。 「え? ああ、これか。これはレッド・イーグルズのメンバーリストだ。ターミナルビル近くのどこかに置き忘れていったみたいだな」 「ビーカーに頼んで、そのリストの人物をコンピューターで調べてもらいましょうか?」 「いや、それには及ばない、アームストロング。もう分かったよ。くそっ! 前もって調べておくべきだった!」 「なにがお分かりになったのですか?」  いつのまにか二人の中尉はフールに寄り添い、リストに書かれた名前を暗号文ででもあるかのように見つめた。 「道理でオドンネルがフェンシングの試合を提案したはずだ」フールは独り言のようにつぶやいた。「この名前を知ってるかい? 上から三番目の名前だ。アイザック・コービン! 三惑星合同サーブル選手権で五年連続優勝した男だ! 一体全体、あのコービンが正規軍で何をやってるんだろう?」 「とりあえず、われわれの勝利を阻止する準備でしょうね」アームストロングは顔をしかめた。 「これで、少なくとも一試合は落とします」 「そうかもしれんし、そうでないかもしれん」フールは思案ありげにつぶやいた。「きっと――」  突然、手首の携帯通信器がかん高い音を上げ、フールは口をつぐんだ。 「バトルアックス大佐が中隊長のお顔をごらんになりたいとのことです……中隊長!」 「ほうら、きなすった。すぐに出るよ、マザー」 「いつもながら新聞を騒がせているみたいね、ジェスター大尉。確かに、公開競技で正規軍と競うことは大変なことだけど」 「開いてください、大佐。われわれ相手に正規軍がレッド・イーグルズを出してくるとは思わなかったのです。マスコミの取材に協力して騒ぎを大きくした責任は認めます。ですが――」 「まあ、待ちなさい。気を静めてちょうだい、ジェスター大尉」バトルアックスはピシャリと言った。「あたくしは、あなたをやりこめるためにホロ電話をかけたわけじゃないのよ。明日の競技会[#「競技会」に傍点]に備えてあなたを激励しようと思っただけ。こんなことを言って気を悪くしないでほしいんだけど、今のあなたには、なによりも励ましが必要だと思ったの」 「おっしゃるとおりです」フールは鼻を鳴らした。「申しわけございませんでした――大佐にかみつくなんて。明日のことで頭がいっぱいで、少々いらいらしてたもんですから」 「じゃあ、このホロ電話はすぐに切るわ。ここだけの話だけど、ジェスター、勝てる見こみはわずかでもあるの?」 「チャンスは常にあります、大佐」フールは即答した。「しかし、まじめな話……密集教練については、やるだけはやってみますが、おそらく負けるでしょう。とにかく最後まで、あきらめずに戦うとしか申せません。コンフィデンス・コースなら絶対に負けないと確信していたのですが、あのレッド・イーグルズ相手では……なんとも。ただ、一つだけ確実に、われわれ中隊が有利だといえる点があります。判定は公平に行なわれるとはいえ、中隊はハスキン星の地元住民にかなり人気があります。ですから、地元の利が中隊に幸運を招かないとも限りません」 「あなたには、あきれるわ、ジェスター大尉」バトルアックスは声を立てて笑った。「それから、あなたの無計画ぶりにもね。ひょっとすると、あなたは知らず知らずのうちに、ますますけわしい道へ足を踏み入れているのかもしれないのよ。明日のあなたたちのパレードにけち[#「けち」に傍点]をつけるつもりはないんだけど、こうして正規軍のエキスパートが颯爽《さっそう》と惑星外から乗りこんできたからには地元住民と親しんできた中隊はかえって見映えがしなくなる可能性がある。つまりレッド・イーグルズを、それだけ新鮮に……実体以上にエキスパートらしく見せてしまうってこと!」 [#改ページ]       14 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 一二九[#「執事日誌ファイル 一二九」はゴシック体]  幸運にも、宇宙軍対正規軍の競技会全種目に立ちあわせていただく機会に恵まれた……ただし、一観戦者としての参加であって、審判員としてではない。わたくしの日ごろの心がけとして、中隊のこっけいな行動には、ご主人様と直接に影響する場合を除き、感情を差しはさまぬことにしている。しかし隊員一人ひとりにも、中隊という組織そのものにも、わたくしが親近感を抱いていることは自分でも認めることであり、このときも、間もなく始まる戦いで隊員たちがありとあらゆる精神的支援を必要とすることになりはしまいかと案じていた。結果を先に記すと、やはり、わたくしの予想は的中していた。  競技会は宇宙軍の兵営で行なわれた。この兵営の施設には、さすがのレッド・イーグルズも感銘を受けたようである(中隊の隊員たちに対しては、それほどでもなかったようだが)。ウィンガス知事が列席しておられ、ハスキン議会の議員全員と地元高官の顔も並んでいる――審判員を勤めるお歴々である。そして、予想どおり、マスコミ関係者の姿も見られた。  密集教練に関しては多くを語るのをやめ、行なわれた≠ニだけ記すのがいちばん良いように思える。中隊は、民間人から見ても分かるような致命的ミスもそれほどなく、よろめきながらも試練に耐え抜いた。特に目を覆うような場面もなしに最後まで、やりおえた。とはいえ、どちらの部隊が技術的に優れていたかは疑う余地もない。レッド・イーグルズは、通常の軍事教典にのっとった演技――つまり、右向け右、左向け左、回れ右などのくだらない動き――だけにとどまらず、エキジビション教典の技までも披露した。ここで再度、非軍人であるお仲間のために説明させでいただくと、このエキジビション教典の技というのは、ライフル銃を回転《スピン》させたり、隊列を波のように動かして見せたり、ライフルをほうり投げて交換するといったもので、だいたいにおいて何がなんだか分からぬくらい複雑に移動しながら行なわれる。この演技が審判を始め見物席中をうならせたことは申すまでもなく、レッド・イーグルズの演技に何度となく大拍手が浴びせられた。あたくしは、どうにか自制して拍手を控えていたが、かような自己抑制を働かせているのは、どうやら見物人の中で、わたくしただ一人のようであった。  最後を飾って、再度、レッド・イーグルズが最高等難度の技を、それも目隠しをして合図も号令もなしに披露するとのアナウンスが流れ、やがてレッド・イーグルズは、恐ろしいまでの正確さで演技を開始した。  この最後のレッド・イーグルズの演技が、それでなくても気落ちしていた中隊の隊員たちを失望のどん底へ突き落としたと思われるかもしれない。ところが不思議なもので、まるで正反対の効果を生みだした。レッド・イーグルズの演技中、あたくしの席まで、中隊の隊列から隊員たちのささやく声が漏れ聞こえてきた。その意見を要約すると、だいたいこういうことになる――レッド・イーグルズは、あんな派手な技≠ワで出してこなくとも勝てたはずだ。それなのに、エキジビション用の演技をやったのは、自慢≠キるためか、そうでなければ中隊を実際以下に見せる≠スめだ!――レッド・イーグルズの演技が終了するころには、これまでになかった邪悪な決意のようなものが隊員たちを包んでいた。単なる契約を賭けての競技会が、隊員の眼には突如として、恨みに満ちた復讐劇に見えはじめたようである。  あたくしは、このとき、次の種目であるコンフィデンス・コースに対しても悪い予感を覚えた。 [#ここで字下げ終わり]  正規軍のシュペングラー曹長は、コンフィデンス・コースの持ち場である鉄条網と機関銃のそばに立ち、先刻の驚きを思いだして、また首を振った。  おれが長年の軍隊生活で出くわした気ちがいざたの中でも、とりわけ今日の事は特異な部類に入るに違いない。宇宙軍の連中には確かに根性がある……その点は認めよう。ただし、その分、おつむが軽い。密集教練でレッド・イーグルズに完敗したあとだけに、宇宙軍側が、それ以上の屈辱を受けるのを避けて、残る競技を辞退したとしても驚かなかっただろう。ところがどうだ。連中は辞退するどころか、競技の続行に意欲を示し、そればかりか、次のコンフィデンス・コース競技に過酷なルールを提案してきた。それも聞いたこともないような過酷なルールだ!  シュペングラー曹長は、すばやく愛用の赤いベレー帽を取り、さっと額の汗をそでで拭って、またかぶった。コンフィデンス・コースを走りおえたばかりのシュペングラーは、まだ汗をかいていた。おまけにベレー帽のせいで、熱がなかなか逃げてゆかない。  もしシュペングラーが、あのとき、中隊長たちの話し声が聞こえる位置におらず、自分の耳で聞いていなければ、あの過酷なルールを持ちだしたのが宇宙軍の中隊長だとはとうてい信じられなかっただろう。  まず驚いたのは、コンフィデンス・コースを宇宙軍の中隊長が実戦ルールと称する状態で行なうことにしたことだ。この実戦ルール≠ニは大ざっばに言うと、武装して完全野戦装備をつけた状態をさす。宇宙軍側が飛行ボードやホバーサイクルの使用許可を求めてきたが、もめた結果、正規軍のオドンネル隊長が譲らず、それらの使用は禁止となった。  しかし、シュペングラーが心底から驚いたのは、この後のことだ。黒い制服を着た宇宙軍の中隊長はコンフィデンス・コースを団体で行なうことを主張し、さらに、抜かした¥瘧Qにはタイムペナルティを設けて、各人の合計タイムではなく、隊としての通過タイムで競おうと提案したのだ。正規軍のオドンネル隊長は、これにも難色を示した。レッド・イーグルズは、たったの二十名なのに対して宇宙軍は約二百名いるわけだから、人数をそろえる際に宇宙軍はお荷物≠おろして最強の二十名で対戦できるというのが、その理由だ。シュペングラーは、そのとき心の中で思った。それくらいの便宜を宇宙軍に与えたところで結果にはほとんど影響はないだろう、と。しかし、シュペングラーは黙っていた。士官同士の話には口をはさまぬに越したことはない。すると信じられないことに、宇宙軍の中隊長は、「どんな方法にしろ参加人数を減らすつもりはない。中隊全員の通過タイムで競いたい」と言い切ったのだ。たった二十名のレッド・イーグルズ相手にである! 正規軍のオドンネル隊長は、この前代未聞の提案に口もきけないくらい驚き、それ以上なんの修正も加えずに即座に相手の条件を受け入れた。  いま思いかえしても、シュペングラーは無意識に信じがたい思いで首を振った。これほどまでに部下を信頼する指揮官というものに対して、瞬間的に敬意を感じないでもないが、まわりの状況から見て、あの中隊長は気がふれているとしか言いようがない。たとえ実力が互角でも――もちろん互角ではないが――あれだけ大勢が一度に、それもタイムを競わせて、コンフィデンス・コースを走るのは兵站《へいたん》学的に見ても自滅行為だ!  レッド・イーグルズのコンフィデンス・コースの結果は実戦ルール≠フせいで少々さえないものとなった。とはいっても、野戦装備や武器が特に邪魔だったからというわけではない。レッド・イーグルズの兵士たちは実際の戦場で、こういう装備や武器を携帯したまま寝起きしたことが何度もあり、かさばる荷物も動きにくさも、なんら気にならない。それに引きかえ、ミッキー・マウスを演じること、つまり、そういう装備をつけて教育映画どおりにコンフィデンス・コースを走り抜けることには、かなり手を焼いた。コース上の障害物は参加者の能力を試したり訓練したりするために特別に作られたものであり、トレーニングを卒業してしまえば、その後、このような難しい障害物に、まずお目にかかることはない。例をあげると、これまでのシュペングラーの戦闘経験の中で、ライフルを握ったままロープを伝って溝を渡るはめになったことは一度もない……正確にいうと今日の午後までは一度もなかった。加えて、もう一つ、レッド・イーグルズには気持ちのうえでの問題があった。これについては、シュペングラー自身も感じたことだが、この競技会を真剣に受けとめられないのだ。なにしろレッド・イーグルズ全員の頭に、宇宙軍がクズの集まりであると刻みこまれており、ハスキン星へ到着して以来、その思いをくつがえすものに兵士たちは出会っていない。こんな状況で、持てる力を出しきるだけの馬力と頑張りを引きだすことは、不可能ではないにしても、至難の技である。むしろ逆に、できるだけ手を抜こうとする傾向にあった。レッド・イーグルズはコンフィデンス・コースをまずまずのタイムで、もちろん、障害物を一つも抜かさずに走りおえたが、自己ベストにはほど遠い結果となった。  目の上に手をかざして日差しを避け、シュペングラーは宇宙軍中隊の集合しているスタートラインの方を見やった。  ここまでくれは、あともう少しだ。せいぜい半時間もすれば、この愚かな競技会も終わる。シュペングラーは、あの宇宙軍の連中ならコンフィデンス・コースに半時間もかからないような気がした……つまり、途中で放棄するだろう、と。そうして、正規軍は儀仗兵《ぎじょうへい》の契約を――そしてメンツを――保ち、レッド・イーグルズは予定どおり、街で楽しい夜を過ごす。  今の階級をもたらした持ち前の用心深さで、シュペングラーは持ち場をくまなく点検した。宇宙軍の兵士がコースのこの地点にさしかかったときに、シュペングラーの仕事は始まる。兵士たちが鉄条網の下をくぐっているあいだ、その上の一定の高さのところを機関銃で撃ちまくるのだ。鉄条網は、うまいぐあいに支柱に留められており、こんなものは実際の戦場では絶対にお目にかからない。この障害物の狙いは、砲火を浴びながらも最低限の行動を取れるかどうかを参加者自身に体験させることにある。そしてまた、この地点はだれにとってもコースにおける最大の難所であり、タイムを競う場合には、ここでもっとも時間をくうことになる。とにかく、どれだけ急いでも速やかに鉄条網の下をくぐることはできない。というのも、ここを通り抜けるには、仰向けになって足で体を押しながら鉄条網の下をくぐることが要求されるからである。そのあいだ、手を使って鉄条網の下端を持ち上げ、胸に抱えたライフルも通過させねばならない。  鉄条網から約二十メートル手前に機関銃を載せた台が一段高くなっている。その台に上がったシュペングラーは、すぐに異常に気がついた。機関銃の銃口を一定の高さで固定しておくために通常使われる小さなフレームがない! ということは、参加者を実弾で機銃掃射しないように銃口を支える役目は、すべて射撃手が担うことになる!  シュペングラーは小声で悪態をついた。  道理で、鉄条網をくぐりながら、えらく弾道が低いと思ったはずだ。いいだろう、そっちがその手でくるなら、こっちにも考えがある。競技会が終わったら、レッド・イーグルズのときに機関銃を撃った宇宙軍の曹長を詰問してやろう。なんという名前だったかな、あの女……ブランデー? そう、ブランデーだ。  シュペングラーは薄笑いを浮かべ、ハスキン星行きが決まったときに回し読みした雑誌のグラビアを思いだした。  残念ながら、うちの部隊には、ああいう手あいはいない。レッド・イーグルズほどの部隊にも女はいることはいるが、そういう女は、体格から見ても物腰から見ても、のっぺり顔の骨太の筋肉質系統の遺伝子の持ち主だ。ダンスフロアや雑誌のグラビアに置くよりは、トラックかブルドーザーの運転台のほうがよっぽど似合う。あの女、ブランデーを、そんなにきつく詰問するつもりはない。いっしょに軽く酒でも飲むか、握手をして……。  そのとき、スタート合図の銃声が鋭く鳴り響き、シュペングラーははっとわれに返った。宇宙軍が出発した。しかしシュペングラーの持ち場へくるまでには、まだたくさんの障害物があり、だれもいない鉄条網の上を撃っても意味がないため、シュペングラーには機関銃をかまえるまでに、しばらく見物する余裕があった。  最初、シュペングラーは、宇宙軍のスタートがそろわず、複数の群れ≠ノ分かれて教科書どおりの方法で走るものとばかり思っていた。というのも、五、六名が、先にスタートラインから飛びだしたからだ。その後でシュペングラーは、中隊全体が確かに動きだしたことは動きだしたが、やみくもにつっ走るというよりは、地面に食いこむような着実な足取りで、軽く走っていることに気づいた。 [#挿絵295  〈"img\[ロバート・アスプリン] 銀河おさわがせ中隊 295.jpg"〉]  ほほう。思ったより、統制の取れた部隊だ。斥候《せっこう》を出すとは――当然、先導役をさせるのだろうが――工夫したもんだ。まるで実戦さながら――ああ、そうだった、実戦ルールだった。いったい宇宙軍のだれが、こんな周到な役割分担作戦《ロールプレイ》を思いついたのだろう?  シュペングラーは、奇妙な姿をした二人の非ヒューマノイドをおもしろそうに見つめた。ええと、何星人だったかな? シンシア人だったかな? その二人の非ヒューマノイドはチームメイトに文字どおり担がれていた。シュペングラーは負傷した仲間を運ぶ演習として同じようなことを自分でやりもしたし、指揮をとったこともある。しかし、コンフィデンス・コースの全コースで試みる場面には、お目にかかったことがない。それから、向こうに見える男は確か……そうだ! さっき会った宇宙軍の中隊長だ! 中隊長が兵士といっしょにコースを走っている! よく見れば、ほかの士官たちも走っているじゃないか。ということは、指揮官全員が参加しているのか!  シュペングラーの心の中から宇宙軍を軽蔑していた気持ちが抜け落ち、それに代わって、このガラクタ部隊に対して、不承不承ではあるが次第に敬服する気持ちが混ざりはじめた。連中はレッド・イーグルズとは比較にならない。それは確かだ……足もとにも及ばない。しかし、いま所属している部隊で頭角をあらわせない者なら、入りなおす部隊として、この宇宙軍部隊は悪くない。  本隊の前方を走る人影がシュペングラーの目を引いた。  いったい何を……? 見たところ、斥候≠フ一人が第一障害物の木製の骨組みに登り、渡しロープ≠切り落としているらしい。その男は切り落としたロープを下で待っているチームメイトに放り投げ、受け取ったチームメイトは、次々に、その捕獲物をたすさえて、コースの先へ走っていった。  やめろ、なにをするんだ! いったい何をやらかす気だ? それに第一、ロープなしであとの者が、どうやって溝を渡るんだ?  シュペングラーの心のつぶやきに答えるかのように、本隊の先頭ランナーが溝のへりに到着した。残されたロープには目もくれず、へりから淡々と溝に飛びこむと.胸の高さまで泥に浸って……そのまま、そこで立ち止まった! 後続のランナーが、その肩を踏んで、もうひとつ向こうの泥の中へ飛びこみ……。  踏み石だ! そうシュペングラーが悟ったと同時に、踏み石が溝の端から端までつながり、本隊が、ほとんどスピードを落とさずに溝を渡りはじめた。泥の中に立った仲間の肩から肩へと足を移している。これだけの要領のよさから見て、この障害物はよほど徹底的に練習を積んだに違いない。背の低い者用として、踏み石の間隔が狭くなっている。  シュペングラーの脳裏に、高校の授業で読んだ、ある物語――記憶に残っている数少ないうちの一つ――が浮かんだ。レンニントンとアリの軍隊≠ニいう題名の、|大 農 園《プランテーシヨン》の農園主が進攻してくるアリの軍隊と戦う話だ。シュペングラーは、じわりじわりと持ち場に向かって進撃してくる宇宙軍の兵士を見ているうちに、ゾクリと寒気を覚えた。心の眼に映ったアリの大群の押し寄せる像が、迫りくる黒服の団体に重なりあう。シュペングラーには、もはや、この宇宙軍部隊が今朝ほどこっけいなものに思えなくなっていた。もし、連中が……  突然、ドーンという鈍い音が聞こえた。なにか間近で爆発したような音だ。シュペングラーは反射的に頭を下げた。最初は、とんでもない大事故が起きたと思ったシュペングラーにも、徐々に事情が飲みこめてきた。  なんと、宇宙軍の連中が障害物を爆破しているのだ!  恐ろしさと激怒で震えながらシュペングラーが見ているうちに、またもう一つの障害物――今度は三メートルの壁――がドカーンという音とともに一瞬にして崩れ落ちた。あたり一面にブロックの塊や破片が雨のように降りそそぐ。その爆発音の残響が消えかけたとき、黒い一団が現われた。土煙の舞う中を力強い足取りで、シュペングラーの方へ向かってくる。もうすぐそこだ。シュペングラーは戦慄《せんりつ》を覚えた。  それでも、鉄のような歴戦戦士の自制心で、シュペングラーは目の前の光景に背を向け、弾薬を機関銃に装填しはじめた。  宇宙軍の作戦を容認するかどうかの論争はオドンネル隊長にお任せしよう。おれの仕事は、連中が鉄条網の下をくぐるときに、まちがいなく頭を起こさせぬようにすることだ。この障害物だけは、だれ一人として容易なことでは通れない。煙弾をまわりで炸裂《さくれつ》させても無理だ……  そのとき突然、天地がひっくりかえった。シュペングラーは乱暴に突き倒されて、仰向けに台の上にドシンと叩きつけられた。わけがわからないまま、シュペングラーは必死に起き上がろうとしたが、またベタリと押し倒された。今度は恐ろしく強い力だ。 「……やい……そのまま、じっとしてろ。わかったか?」  黒曜石のような瞳の浅黒い顔が、見上げるシュペングラーの眼に見えてきた。黒服を着た宇宙軍兵士が、上からのしかかってくる。顎《あご》の下にはナイフの先のようなものがチクリと触れた。 「な、なんの真似だ?」シュペングラーは顎を動かさずに話そうとして、あえぎながら言った。 「やめないか……」  顎の下にある尖ったものがグッと押しつけられ、シュペングラーは口ごもった。 「中隊長に言われた。エスクリマ、障害を取りのぞく手伝いをしてくれ≠チて、な。おまえは障害だ……そうだろ? だから、取っつかまえとく。お望みなら、殺してやるよ」  この男がジョークで言っているのかどうか――あるいは、はったりで脅しているのかどうか――に自分の命を賭ける気はしない。そう判断したシュペングラーは即座に男の提案を検討し、結局、おとなしく、その場で押さえつけられている方を選んだ。もちろん、腹の底は怒りで煮えくりかえっていたが、どうすることもできず、鉄条網がワイヤーカッターで破られるのを持ち場から眺めていた。まもなく、中隊全体が歩調を落とさず、最難関となるはずの地点をさっと通り抜けていった。 「まさか、このまま宇宙軍を見逃すとおっしゃっているのではないでしょうね……隊長?」  宇宙軍の豪華なゲストルーム≠フ一室が、競技会中のレッド・イーグルズ控え室として割り当てられていた。その部屋の中で、ぐったりとした様子のオドンネル隊長が、一等曹長に渋い顔を向けていた。 「見逃すなどと言った覚えはない」オドンネルは厳しい口調で応じた。「抗議を申し立てるつもりはない、と言ったのだよ」 「しかし、連中はコンフィデンス・コースを走ったわけではありません……破壊しただけです!」 「われわれにだって、できたはずだ……考えついていればな」オドンネル隊長は即座に言いかえした。「装備の中に道具は入っていたし、おまけに実戦ルール≠ニはっきり宣言されていた。実際の戦闘でなら、われわれも破壊したはずだ。われわれは固定観念にとらわれてしまった」 「しかし、あんなやり方は一般的ではありません」曹長は吠えた。 「今朝、われわれが用いたエキジビション軍事教典も一般的ではなかった。まあ、仕方がないだろうな、われわれが先に相手に有無を言わせず見せびらかしたんだから。そして今度は、相手が同じことをしてかえしたまでだ。これで、あいこだ」 「では、レッド・イーグルズは宇宙軍の一勝を認めるのですね?」シュペングラーは、隊長のプライドに訴えようとして言った。 「結果をよく見てみろ、シュペングラー曹長。われわれの負けだよ。宇宙軍は障害物を一つも抜かさずに、われわれのタイムを上回った……それも十倍の人数でだ。むろん、こちら側にも責任はある。われわれが相手の勝利に一役買ったことはいうまでもない。今日のコンフィデンス・コースの出来は、じつに冴えないものだった。はっきり言って、われわれが勝利者にふさわしいとは思えない。こちらが手を抜いていたのに対し、相手は全力でぶつかった。これでは、勝利者と言えるわけがない」  シュペングラーは素直に恥じ入った様子を見せ、隊長の視線を避けるようにして、つぶやいた。「あれほど手ごわいとは、みんな思っていなかったものですから」 「いや、そうではない。われわれは敵をひどく過小評価してしまうほどに、うぬぼれ、自信過剰になっていたと言うべきだ」オドンネル隊長は言った。「貴重な教訓を与えてくれたことに対して、宇宙軍に感謝しなくちゃならんだろうな、曹長。この教訓を得たのが実際の戦場でなかっただけ、幸運だった。少なくとも、ここでは、われわれはまだ生きている……しかも勝つチャンスは残っている」 「正直申し上げて、隊長」と、シュペングラーは慎重に話しだした。まるで自分の言葉に驚いているような様子だ。「こんなことを口にするとは自分でも信じられないのですが、わたしは、あの適中とは実際の戦闘で対戦する気にはなりません」  オドンネル隊長は顔をしかめた。「気を落とすな。わたしも、今、同じようなことを思っておったところだ。しかし、わたしは別に、連中に銃でわき腹を狙われたって気にならんよ……連中に敵とまちがえられていないと確信できればな」  オドンネルは自分のジョークに、おもしろくもなさそうに笑い、首を振った。 「もうこの話はこれくらいにしよう。そろそろ今夜のフェンシングの試合に気持ちを集中させなくちゃならん。正規軍のメンツを保つ最後のチャンスだ。もちろん、われわれの名誉がかかっていることは言うまでもない」 「なにか問題があると、お考えですか、隊長?」曹長は、いぷかしげに訊いた。「われわれには、コービンがついているんですよ」 「確かに、うちにはコービンがいる」オドンネルはうなずいた。「しかし、それだけでは、三勝負のうちの一つにすぎん。今はもう、あの連中が残りの二勝負をすんなり渡してくれるとはとうてい思えんよ」 [#改ページ]       15 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 一三〇[#「執事日誌ファイル 一三〇」はゴシック体]  はたして読者諸氏には、フェンシング・トーナメントに臨《のぞ》んだ経験がおありだろうか。実際に選手《フェンサー》として、あるいは選手《フェンサー》と感情的にか職業的に関わりがあってフェンシングにじかに携わっておられない限り、会場へ行かれたこともないと思う。これは、フェンシングが観戦用のスポーツではないという単純な理由による。試合に慣れていない目には、剣の動きはあまりにも速すぎて捕らえられない(フェンシングが競技者が入場料を支払い、観客は無料で観戦できる≠ニいう数少ないスポーツであることをここに書き留めておくのも有益なことと考える)。  フェンシングの試合は通常、半ダースから数ダースの試合路《ストリップ》≠ェ設置できる大競技場か大体育館で行なわれる。競技者はプール≠ニいうグループに分けられ、プール内で競いあう。上位二名ないし三名が次の回戦に進む。そこで新しいプールに組み分けられ、もう一度同じプロセスが始まる。参加者のほとんどは選手とコーチで占められ、競技区域の中に固まっている。そして選手の友人や家族が主体のまばらな観客が、退屈して、だらんと観客席に寄りかかっている。最終戦になってようやく試合がおもしろくなってくるのだが、そのころにはほとんど観客はいない。予選落ちした選手たちが、さっさと装具をまとめて帰っていってしまうからだ。  しかしレッド・イーグルズ対ご主人様の中隊の最終試合が、こういう状況のもとで行なわれたのでないことは言うまでもない。 [#ここで字下げ終わり]  オドンネル少佐は柔軟体操の手を休め、ぞくぞくと増えてくる観客を眺めた。試合に備えて精神統一するあいだ、気を散らすものをいっさい無視しようと決意していたにもかかわらず、少佐の心は驚きでいっぱいになりかけていた。  クレージーだ!  コンフィデンス・コースでオメガ中隊が用いた戦法も正統なものではなかった。だがこれは……前代未聞だ! 宇宙軍オメガ中隊の全員が駆けつけ、フロアの片側の観客席を埋めつくしている。その向かい側には、少佐の指揮するレッド・イーグルズの隊員たちが座席に陣取っていた。みんな、決戦試合に直接出場できないので不満な顔をしている。少佐を心から驚かせたのは、観衆の存在だった。  もちろん、少しは観客も来るだろうとは思っていた。だが体育館のフロアの両側の席を観衆がぎっしり埋めるとは予想もしなかった――それも、たかがフェンシングの試合に。なんと言うことだ! マスコミまで試合を記録におさめようと立体《ホロ》ビデオ・カメラをセッティングしている! バスケットボールかバレーボールの試合なら、まだいい。あるいは、剣士の闘いの始まりを待つコロシアムなら!  今の自分は飛んで火に入る夏の虫になったのではないかオドンネルは急いで心のうちから、頭にこびりついて離れない不安な気持ちを締めだした。確かにコンフィデンス・コースではびっくりさせられた。だがフェンシングの試合路の上では、たいしたことは仕掛けられるはずがない。フェンシングには統一ルールというものがあるのだ!  あのフールという男――軍隊ではジェスター大尉と呼ばれている男――は、この人出に圧倒されていないらしい。数分前には、公式試合が始まるのを待つ観衆を退屈させないため、部下の一人に棒術の模範演武をやらせると発表した。すると、衣装に身を固めた姿が立ち上がった。たちまちレッド・イーグルズのあいだにざわざわと関心の波紋が広がった。なんと、その演武者は午後の競技の最中に部下のシュペングラー軍曹にナイフを突きつけたオメガ中隊員だった。背の低い茶色の姿がブーンと音を立て、棒を形がかすむまでぐるぐる回転させている。回したり打ちつけたりして、網の目のように目まぐるしく絡《から》みあう棒の動きを目にして、自分の部隊と、あの悪名高い男とのあいだで因縁の決闘≠やるのだという決意が、オドンネルの心から急速に消えていった。レッド・イーグルズは全員が接近戦を得意としている。そのおかげで、自分が知らない型の格闘技の使い手とは戦わないようにする知恵を身につけてもいた。  フロアで実演されている閃光のようにきらめく模範演武を無視して、オドンネルは、後ろの壁際で静かにウォーミングアップしている小さな人影を観察した。  選手名簿を交換したとき、オメガ中隊がフルーレ[#ここから割り注](フェンシングの基礎種目。剣先の突きだけで攻撃する)[#ここまで割り注]の試合に女性をエントリーさせているのを知って、少佐は(またしても)驚かされた。すぐに立ちなおり、自分の側からもフルーレには名簿上の選手のかわりに女性隊員を出そうといった。だが相手方の中隊長はこのせっかくの申し出を断った。 「そちらはベストメンバーを選んだはずです。われわれも同じようにしました」というのがフールの唯一のコメントだった。  フルーレはフェンシングでもっともよく戦われる種目だが、奇妙なことにイーグルズは、これをいちばんの苦手にしていた。コービンに次ぐ隊内第二のフェンシングの名手として、いつもならオドンネル自身がフルーレを担当しただろう。コービンはもちろんサーブル[#ここから割り注](突くだけでなく切ることもできる競技)[#ここまで割り注]だ。エントリーした三人のうちいちばん弱い選手を出すまでもなく、二試合をこなしただけで競技会を終わらせることができたろう。ところがフールに、エペ[#ここから割り注](剣先の突きだけの競技。体のどこをついても有効)[#ここまで割り注]の試合に出るよう仕向けられた。三番目の最終戦まで試合がもつれる可能性がある。問題は、エペが不安定な&衰だということだ。もし剣先のコントロールに失敗したり、タイミングが微妙にはずれたら……。  オドンネルはふたたび自分の準備に注意を引き戻した。今は、いたずらに不快な想像にふけっているべきときではない。間もなく、実戦できっぱりと決着がつく。  いつのまにか模範演武は終わり、審判――大学フェンシング部のコーチ――が観衆に呼びかけるためにマイクを手にとった。オドンネルは、その男に以前会ったことがあった。すばしこい小柄な男だ。立体《ホロ》ビデオ・カメラと大観衆の前でこの試合の進行役をつとめるとあって明らかに神経過敏になっている。それでも、観客のために競技のルールを説明する声は確固たる自信に満ちていた。  少なくともこの競技ルールの説明だけは少佐も容易に無視でき、ストレッチング連動を再開した。耳にタコができるほど聞かされた内容であり、完全に暗記している。ロープにぶら下がりながら剣で切りつけあう≠フを見物したくてうずうずしている素人の観衆に、フェンシングの微妙な得点ルールを――たとえば優先権≠説明するのが非常に難しいことも承知していた。これは、暴れ者を扱ったたくさんの映画やホログラムで描写されたフェンシングによる誤解である。  簡単にいうと優先権≠ヘ、フェンシングが生まれるもととなった決闘の本来の精神を保存するために考えだされたルールだ。フェンサーAがひとたび剣を持つ腕を伸ばし、敵の有効面[#ここから割り注](ついたときに得点となる身体の部分)[#ここまで割り注]を脅かして、アタックを宣言≠キると、フェンサーBは反撃の前に、剣先を払うなどして脅威を取りのぞかなければならない。これは、もし競技者が、負傷や死をもたらす可能性のある真剣≠使っていたら、敵の突きを無視したまま攻撃するのは自殺行為で、非常に無謀だという論理から定められたルールである。優先権の考え方自体は単純なものだが、問題は試合の相当部分が、目のくらむような一撃の後で競技者が判定をじりじりして待つのに費やされることにあった。これは審判が、一瞬の攻撃ごとにどちらに優先権があったかを明確にしたうえで、トウシュ=Aすなわち得点がどちらに与えられるかを決定しなければならないからだ。草の成長を見守っているほうがまだしも興奮する。優先権の裁定を待つよりもっと退屈なのは、その理由の説明に耳を傾けることだけだった。  ようやく審判は説明に区切りをつけた――というか、諦《あきら》めた――そして声を張り上げ、第一試合の開始を宣言した。 「今晩の第一試合は、サーブルです」スピーカーがブーンとうなった。「サーブルでは剣先で突くことも、刃の部分で斬りつけることもできます。有効面は腿のつけ根より上の部分で、腕、頭、背中を含みます」  審判は、一息いれてメモに目を落とした。 「正規軍レッド・イーグルズ部隊代表はアイザック・コービン、三惑星連合サーブル選手権を五年連続で獲得しました!」  オドンネルは小声でチュッと悪態をついた。観衆のあいだに驚愕《きょうがく》のつぶやきが広がっている。コービンの記録に気づかれないか、少なくともコメントされずにすむことを期待していたのだ。だがそううまくは行かなかった。試合が始まる前から、オメガ中隊の代表は負けても当たり前だと思われてしまった。オメガ中隊の負けなら、予想どおり。まんいち勝ちでもしたら、大番狂わせということになる。 「そして、宇宙軍代表はエスクリマ軍曹。今までサーブルの経験はまったくありません!」  オドンネルはポケットから対戦者リストを引っ張りだし、すばやく確認した。観衆の驚きは完全に無視している。  ほら、これだ。エスクリマ軍曹……こいつがサーブルを戦うのか! 自分の試合とフルーレを戦う女性選手のことで頭がいっぱいだったので、サーブルの選手を完全に忘れていた!  道理で、模範演武者は棒を引き渡し、フェンシングの胴衣《ジャケット》とマスクをつけるのを二人の中隊員に手助けしてもらっていたわけだ。  悪くない考えだ――オドンネルはひきつった笑みを漏らした――チャンピオンの相手に未経験者というまったく予測できない対戦者をぶつけるとはな。それにしても相手側は、こんなことで試合の結果に何かの効果があるとでも思っているのだろうか? コービンは相手が初心者だからといってペースを乱されるほどやわ[#「やわ」に傍点]な未熟者ではない。  結局、オドンネルの見こみは正しかった。コービンは、経験にとぼしい敵を相手に、簡単に勝利をものにした。だが、必ずしもオドンネルが納得できる圧倒的勝利ではなかった。  最初にエスクリマがいくつかの有効打を命中させた。アタックしようとするコービンの手首に、稲妻のような速さで激しい一撃を打ちこんだのだ。しかしオドンネルの予想どおり、チャンピオンはたちまち単純攻撃を成功させたり、優先権を取って命中を得点に変えたりして、エスクリマの阻止打[#ここから割り注](相手の攻めを封じる打ち)[#ここまで割り注]を無視できるようになった。つまりチャンピオンのほうが剣の使い方を良く心得ており、その知識が勝利に結びついたのだ。  エスクリマは接近戦に持ちこみ、剣先を低くかまえて相手の脚を狙い、スピード感で観衆を興奮させた。だが剣先が相手に命中しても無効打≠ニ判定されるだけだった。しかも二度、審判から身体接触の警告を受けた。フェンシングにおける身体接触は厳しく禁じられている。  大半の観衆はルールをよく知らなかったので、エスクリマの動きに拍手喝采を浴びせつづけた。だがその動きが無効とされたり、相手にトウシュが認められるたびに呆然として、低く、「シーッ」や「ブーッ」という不満の声をもらし、しだいに沈黙してしまった。  フェンシングに対する無知を最後までさらしてエスクリマは、試合に決着がついたとき、さらに明白なミスを犯した。最後のトウシュの判定を待て、コービンはマスクを手早くはずし、握手しようと前に進み出た。だがエスクリマはまだ闘いつづけたのである。しばらくのあいだ、無意味な攻撃をつづけたあとで、相手がもう闘っていないことに気づいたエスクリマは、平然と自分のサーブルを脇の下にはさみ、コービンの手をつかんで勢いよく一回振った。そしてマスクを取り、まばらな拍手が起こっては消えるのを、うろたえて見回した。 「エスクリマ軍曹!」  鋭い声が、むちを打つように響いた。エスクリマは中隊員席の方を振りかえった。それまでずっと座っていた中隊長が、気をつけの姿勢できりっと立っている。すでに自分自身が出場する試合に備えて胴衣を着こみ、出場準備を整えていた。中隊長は注意深く、慎重に、エスクリマに向かって剣を掲げ、栄誉礼をおくった。隊長の後ろでゆっくりと、さざなみが広がるように中隊員全員が立ち上がった。隊長に加わって、敗北した軍曹に敬礼している。  イーグルズの隊長はしばらく困惑の表情をつづけた。オメガ中隊はあまり敬礼をしないと聞いていたのだが……。正しい軍隊儀礼によると栄誉礼をおこなうのは、隊の指揮官だけということになっている。つまりジェスター大尉だけだ。全隊員が同時に敬礼するという慣習はない。とはいえ、この光景は、なかなかいい感じだった。  エスクリマは仲間をしばらく見つめ、うなずいて敬礼に答えると、硬直した姿勢のまま、向きなおってフロアを離れた。観客のあいだから自発的に、ざわざわと拍手が新たにわき上がるのも無視していた。 「次なる種目はフルーレです。武器は剣先のみ使用し、有効面は前面と背面を含む上体全部です。ただし、頭と腕は含まれません。宇宙軍代表は二等兵……スーパー・ナット。対するレッド・イーグルズは、ロイ・デービッドソン伍長」  審判のアナウンスと第二回戦の開始を無視してオドンネルの心は、観客の目に映らぬ場所で繰り広げられている小さなドラマに釘づけにされた。  少佐の位置からは、中隊席の後ろの壁が見渡せた。オドンネルの目を捕らえたのは、エスクリマの姿だ。たったいまレッド・イーグルズのサーブル・チャンピオンと戦った相手だ。棒術を使う軍曹は仲間から顔をそむけ、後ろの壁にうずくまっている。頭を垂れて肩を丸め、惨めさを絵に描いたような姿だ。  オドンネルには、その理由がすぐに飲みこめた。だれもがコービンの勝利を予想しており、中隊長は一か八かの賭けをしてエスクリマをエントリーしたのだろう。だがエスクリマは中隊長の期待に応えられなかった。闘志満々の誇り高き小戦士は、明らかに本気で試合に勝って意気揚々と凱旋《がいせん》するつもりでいたらしい。そして今、試合の敗北のみならず、仲間たちをがっかりさせた責任感にうちひしがれているのだ。  さらにオドンネルが見守っていると、フールが現われた。最初は軍曹の後ろに立っていたが、やがてひざまずき、打ち解けた様子ながらも真剣に話をしている。遠すぎて話の内容を聞き取ることはできなかったが、オドンネルには、なんとなく心の中でその会話を再現できるような気がした。  中隊長はもう一度、今終わったばかりの対戦でエスクリマが勝つのは不可能だったと説明しているのだろう。おそらく、自分で引き受けずに、勝ち目のない戦いに軍曹を送りだしたことを詫びているのかもしれない。さらに、あの試合なれしたチャンピオンからいくつか得点を奪ったことを賞賛しているだろう。あれは、かなり経験を積んだフェンサーでもなかなかできないことだ。その意味でエスクリマは、まさに中隊の名誉を上げてくれた。  ようやくエスクリマの顔が上を向き、しばらくするぐ中隊長の言葉にうなずきはじめた。やがて二人は立ち上がった。エスクリマを席に戻す前に中隊長は、もう一度そばに寄ってかがみこみ、仕上げに一言二言ささやいた。それから軍曹の肩を優しくぽんとたたいた。  オドンネルも思わずいっしょになってうなずいていた。  いいことだ。あの小柄な軍曹は、なかなかたいした選手だった。あれほどの精神的外傷《トラウマ》にうちのめされているときに、とても一人きりにしてはおけない。少佐が進行中の試合に目を向けると、フールに対する高い評価がまた一段と上がることになった。 「……最初のアタックは、はずれ……パッセ[#ここから割り注](かすったが有効でない)[#ここまで割り注]……最後に剣先を戻す前に、|反  撃《コントルアタック》有効。トウシュは右……得点、三対一!……|かまえて《ガルデ》[#En garde アン ガルド?]!」  三対一?  オドンネルは両選手の動きに注意を集中した。  いったいどうなってるんだ? どうしてわたしの部下が試合開始早々三対一で負けているんだ? 「|始め《アレ》! |突け《フェンス》!」  審判の合図に従ってすばやく剣が舞い、何が起きているかが分かった。  中隊を代表する小柄なフェンサーは――なんと言う名前だったか? ああ、そうだ、スーパー・ナットだ――リーチの短さを補う方法を身につけていた。ナットはデービッドソンが突ける範囲《ファーント》ぎりぎりまで後退している。自分からはアタックできない位置だ。その上でイーグルズのフェンサーの攻撃を誘い、おびき寄せていた。ときおりナットは、アタックの届く範囲内へちょっと戻るが、それから……。  迫り来る剣先をひらりとかわしたスーパー・ナットが、自分より長身の相手の近くへ鋭く踏みこんだのを見て、少佐は顔をしかめた。デービッドソンは剣を持ちなおすために、後退しようとした。だがスーパー・ナットは後退する相手の動きを追い…… 「|やめ《ホールト》! 最初のアタックは、はずれ。防御の姿勢に戻ってから、反撃が到達! トウシュは右! 得点、四対一!」  あの女は小さすぎる。有効面などないに等しい! ちくしょう、息を吸ってフルーレ剣の後ろに身を隠すとは! まったくあのフットワークときたら……。  まるでテリアがブルドッグをからかうみたいに、スーパー・ナットがデービッドソンをおびき寄せ、試合路を後ろ向きに、はずむように踊るように下がるのを、オドンネルはじっと見ていた。あの変幻自在の、片足でピボット回転するフットワークを、前にどこかで見たことがあった。はっきり思いだせなかったが、断じてフェンシングの試合路上ではなかった! またしてもオメガ中隊は流派もわからぬ格闘技の使い手を送りこんできた。この選手は、その特技をフェンシングに応用しようとしている! デービッドソンにはコービンほどの経験がない。明らかに相手の意表をつく動きで平常のフォームを狂わせられていた。  イーグルズのフェンサーは必死に態勢を回復し、トウシュを続けて二つ取ろうとして失敗した。だがオドンネルには、すでに結果が目に見えていた。試合路を這いまわっている小柄な敵のフェンサーは動きが縦横無尽《じゅうおうむじん》であり、むざむざと三ポイントを失うはずがない。しかも……。  オドンネルの考えに呼応するかのようにスーパー・ナットは走りはじめ、前進《フレッシュ》アタックを打ちこみ、ふたたび防御の態勢をとった。デービッドソンからアタックをしかけてくる隙を突こうと待ちかまえている。 「やめ! アタック有効! トウシュは右! 五対三! 宇宙軍の勝ち! トーナメントは一勝ずつで同点!」  スーパー・ナットが対戦者に敬礼してマスクを取ると、観衆の拍手と歓呼の声がどっと沸き上がった。スーパー・ナットは太陽のように顔を輝かせて、ほほえんでいる。対戦相手や審判の手を握って激しく上下に揺すり、賛辞をつぷやく二人に、「ありがとう」とうなずき、中隊席のほうを向いた。  今度は中隊長からの合図《キュー》などいらなかった。自然に中隊全員が立ち上がり、勝利者に敬礼した。スーパー・ナットは口の端が耳に届くほど大きな歓喜の笑みを浮かべ、勢いよく剣を振って礼を返した。ちょっと大げさで、おどけた返礼になった。中隊員たちの堅苦しい姿勢が崩れ、こぞってスタンドの外に飛びだしてスーパー・ナットを取り囲んだ。 「よかったぞ、ナット!」 「この調子で行こう!」  最初にスーパー・ナットのところへ到達したのは、不格好な長身の非ヒューマノイド隊員タスク・アニニだった。この人物がそこに居るだけで、レッド・イーグルズの面々は落ち着かない気分になった。タスク・アニニは、心からの親愛の気持ちをこめてナットを宙に抱え上げ、きつく抱き締めた。熱意のこもった優しい手つきだった。そのままで抱き方を変え、残りの中隊員の歓声のうえに高く掲げた。 「申しわけありませんでした、隊長」  簡潔な謝罪の言葉が聞こえた。オドンネルは体育館のはしから注意を引き戻した。 「気にするな、デービッドソン」オドンネルは優秀な部下の腕をかるく叩き、きっぱりと言った。「いつもいつも勝てるわけじゃない。決着をつけるのは、どうやらわたしの仕事だ」 「はい、隊長」伍長が答えた。オメガ中隊員たちがまだ浮かれ騒いでいるフロアに、刺すような視線を投げかけている。「大丈夫ですか? やつらは役立たずかもしれませんが、すこぶる狡猾《こうかつ》です」  オドンネルは伍長の判断に同意して、うなずいた。 「本当のことをいうとな、伍長、わたしにも分からん。十分たったら、もう一度聞いてくれ」  デービッドソンは、ちらっと笑みを漏らした。 「分かりました。ご健闘を、隊長」 「次なる最終戦は……」審判のマイクの声が、ラウド・スピーカーを通してブーンとうなった。オメガ中隊員たちが静かになって席に着くのを、いったん口を閉じて待っている。 「ありがとう。次なる最終戦はエペです。優先権ルールの説明で頭が混乱した皆さん、お喜びください。エペには優先権はありません――先に剣を相手に当てたほうがトウシュを獲得します!」  このアナウンスを歓迎して、拍手と笑い声が短くざわざわっと聞こえた。審判はにやりと笑った。 「これは、エペ戦が決闘から発展したものだからです。名誉の決着をつけるのを、相手の死に代えて最初に流れた血≠もってすると決闘の掟《おきて》が変えられたときにエペが生まれました。最初の血は、身体のどの部分から流したものでもかまいません。腕も脚も含みます。したがってエペ戦では全身が有効面となります」  オドンネルはボディコードを剣の釣鐘型の鍔《つば》に隠れたソケットに差しこみ、マスクと剣を引き寄せた。来るべき試合に備え、精神統一を始めており、流れるような動作は、まるで儀式のように、無意識のうちに行なわれていた。 「電気判定器のランプを見れば」審判が続けた。「どちらがトウシュを得たか、すぐ分かります。判定器は、送電リールとボディコードで両フェンサーに接続されています。先に剣を相手に当てたのはどちらか、二十分の一秒以内に判定されます。その時間内にほぼ同時に命中させた場合は、両方のランプが点灯し、相打ちとなります。これはよく起こることで、その場合には両選手に得点が与えられます」  早く試合を始めればいいのに――そうオドンネルは思った。決勝戦の緊張が一層に重くのしかかりはじめ、いらだっている。なんとかオドンネルは緊張をほぐそうと、利腕《ききうで》を振り回した。緊張すれば体は固くなり、固くなれば反射が遅れる。勝者と敗者がほんの一瞬で分けられるスポーツにおいては、これは致命的な失敗となる可能性があった。 「最終戦は両チームの隊長同士で行なわれます。正規軍レッド・イーグルズの代表はマシュー・オドンネル少佐……対する宇宙軍の代表はジェスター大尉!」 「負けるなよ、大尉!」 「オ……メ……ガ……ちゅう……たい!」  体育館の応援席は激励の叫びを反響させる共鳴管となり、興奮のルツボと化した。これはフェンシングの試合ではない。まるでボクシング試合のオープニングだ。だが、この騒ぎも対戦相手であるフールの耳には届いていないらしい――そうオドンネルは見てとった。二人は試合路のうえに足をのせ、試合路の境界線の端にあるバネ仕掛けでもとに戻るリールにボディコードをつないだ。たがいに相手と審判に礼をし、マスクをかぶり、かまえの姿勢をとる線まで足を進めた。 「両フェンサー、用意はいいか?」 「けっこうです」 「|かまえ《レディ》!」 「始め! 突け!」  午後と夜の試合を見たオドンネルは、フールを予測不能な風変わりな手に頼って得点をとる変則的なフェンサーだと思っていた。ところが両者たがいに位置につくと、フールが教科書どおりの伝統的な防御姿勢をとるのを見てうれしい驚きを感じた。  けっこうだね、きみ。本格的だよ。どれほど優れた剣士か、お手並み拝見といこう。  フルーレやサーブルでは通常、パッと激しいアタックを相手の胴体の奥深くまで到達させ、それがうまく命中すれば得点となる。それに対しエペは、いうなれば狙撃者の剣法だ。相手の腕や手に――ごくたまには利き脚に――すばやい突きをくれて、トウシュを得る。  二人の男が試合路を前へ……後ろへ……と動くにつれ、観衆のあいだにゆっくりと沈黙が広がっていった。両者たがいに相手の、ごくかすかな動きの気配を探っている。  オドンネルはジェスターの防御のかまえをじっと見つめた。もう観客の様子は目に入らない。  ……剣を持つ手は肩の高さでまっすぐに伸ばし、特大の鐘型鍔の後ろに腕と手を全部隠している……体を丸め、バネのようなステップで小幅に前進と後退を繰りかえしながら、守備範囲にはまるで隙がない……古典的だ! ここには安っぽい気軽なトウシュはない! もし相手が、こちらのアタックを誘いかけてきたなら……。  一瞬の隙を突いてオメガ中隊長はアタックしてきた……高まったエネルギーが爆発したという感じではない。剣をだらりと下げ、まるで虚脱しているような表情だ。それなのに……。  ビビーッ! 「やめ! 点灯一個! トウシュは右! 得点、一対○! 両フェンサー、用意はいいか?」  少佐はやっとのことで審判のコールの意味を理解した。心の中は自分自身に対する怒りでいっぱいで、スタンドの拍手は耳に入らなかった。  脚! 利き脚を突かれた! よりによって……。  もちろん脚に対する突きも認められている。しかし実際の試合では、めったにお目にかからない。防御側が利き脚をさっと引っこめると、攻撃側は目標なしに取り残される。のみならず、腕の全部が逆襲打の危険にさらされてしまう! それでも、ときおり低位置をねらうアタックが防御側を不意打ちする場合がある。だが相手の状況が……  オドンネルは心の中から自己批判を締めだした。かわりに、審判の指示に従ってふたたびかまえの線につくと、次のトウシュに意識を集中した。  オーケイ、お利口さん。いともやすやすとおまえの手にはまったことから、わたしがコチコチになっていると思ってるな。きみに脳みそがあるなら次のアタックも同じ脚をねらうふりをしてフェイントをかけてくるだろう。わたしが防御に過剰反応するのを当てにしているな。そうするときみは、わたしが防御態勢を固める前に、高い位置からアタックしてくるはずだ。よし、待っているぞ、坊や、だから……。 「始め! 突けー」  ビビーッ! 「やめ! また、点灯一個!」  フールは、審判が攻撃開始の合図で手を振り下ろすやいなやアタックした。フェイントではない。狡猾なだましうちでもなかった。すばやい機敏な突きが……またしても、脚を襲ってきた!  二対○!  そろってかまえの線で仕切りなおしながら、少佐は、いらだちをなんとか抑えようと努めた。  この曲者と来たら、二度も同じだまし手をかけてきやがった! 「始め! 突け!」  過酷な試合が続いた。オドンネルにはほんの少しも精神的に立ちなおる時間が与えられない。  フールは足をうるさく踏み鳴らした。少佐の神経を高ぶらせる音だ。  音のフェイントのわな[#「わな」に傍点]に落ちるな! この野郎の策略なんだから……。 [#挿絵321  〈"img\[ロバート・アスプリン] 銀河おさわがせ中隊 321.jpg"〉]  フールは前に出てきた。自分の剣でオドンネルの剣を受け止め、剣先を押さえている。オドンネルの正確無比の防御の突きを、手首をさっと返して片側へ払いのけ、自分の突きを相手のマスクに真正面からピシッと決めた。  ビビーッ! 「やめ!」  オドンネルは、得点を加算する手続きに背を向け、相手にトウシュが与えられるあいだ、腕をふり、肩を回しつづけた。  自分に敗北の危機が迫っていたオドンネルは相手が足を踏み鳴らす音に反応しないよう気持ちを引き締め、腕に力を入れた。次に敵のアタックを軽く受け流そうとオドンネルが剣に柔軟な動きを取り戻そうとした瞬間、フールは攻撃の機会をとらえた!  三対○! だめだ! 柏手の動きを心から閉めだせ! 次のかまえの最初の突きのことを考えろ……やつは、きっと相打ちをねらってくる!……相打ちが二つきまれば、試合は終わってしまう! 「両フェンサー、用意はいいか?」 「はい!」と、フール。 「ちょっと待ってください!」  オドンネルは深く息を吸い、ゆっくりと吐きだした。相手は試合の遅延に抗議するかもしれない。だがそれならなおのこと、コントロールを取り戻す時間が稼げるというものだ……そしてフールの勢いにも水をさせる。  ところが少佐がかまえの線について剣を持ち上げるまで、審判もフールも何も言わなかった。 「用意できました!」 「始め! 突け!」  オドンネルは驚いた――フールはアタックをしかけてはこない。剣をかまえたまま、じっと待っている。しばらく間があいた。そこには古典的な剣士の姿はない。フールのエペの剣先は、鐘型鍔より上にあった。それほど高くはない。やっと一インチ。だが……  考えをまとめるより先に、オドンネルはアタックした。  ビビーッ! 「やめ! 点灯一! トウシュは左! 得点、三対一!」  考えていた以上に、うまくきまった! エペの防御においては、どんなにわずかでも剣を腕から傾けて持てば、勝負を捨てることになってしまう。たとえ外見ではそうと分からなくても、有効面が露出してしまうのだ。剣先を相手の鐘型鍔の側面に沿って滑らせながら、オドンネルはフールの腕の下部をわずかに捕らえた……必ずしも正確な突きではない。だがトウシュを得るには充分だった。さあ、このろくでなしめ! これでおのれのミスに気づいただろう! 「始め! 突け!」  ビビーッ! 「やめ!」  またやったぞ! これで三対二だ!  オドンネルはかまえの線につき、トウシュが与えられるのを待った。相手に防御の穴を分析する暇を与える前に、早く試合を再開したい。 「両フェンサー!、用意はいいか?」 「はい」 「けっこうです!」 「始め! 突けー」  ビビーッビーッ! 「やめ! 双方とも点灯! 相打ち! 得点は四対三!」  四対三! これからは慎重にやらなければいけない。もう一つトウシュをとられると……終わりだ! いまフールのアタックがおれの腕をかすったのは、やつの運が良かっただけだ。少佐は、さらに攻撃の態勢をとりつづけた。まだ相手は、こちらの腕の下を突こうとしている。おそらく、少佐の反応を引きだすためにフェイントを……。 「始め! 突け!」  少佐は剣先を慎重にぐっと引いた。相手の鐘型鍔からチカッと光が反射した。  ビビーッ! 「やめ! 点灯一! トウシュは左! 得点は四対四。いよいよ、決勝のマッチポイントですぞ、諸君。両フェンサー、用意はいいか?」  やるんだ! さあ、あと一つ。来い……よく考えろ! あとトウシュ一つだ! 「始め! 突け!」  しばらくのあいだ、両フェンサーとも審判の合図がまったく聞こえなかったかのようだった。微動だにせず、たがいを凝視しあっている。自分が無防備な姿勢になるのを嫌って動けないのだ。ただひたすらに相手が仕かけてくるのを待った。ようやく、フールがゆるゆると慎重な動きで剣を持つ腕を六インチほど上げた。オドンネルに連続して突かれた部分ががら空きになっている。攻撃を誘っているらしい。凍りついたシーンがつづき、かたずを飲む観衆たちの心臓の音が聞こえるような静けさだった。やがてオドンネルが滑るようにするっと前へ進み、相手の誘いを受けてたった。フールの剣先は下を向いている。アタックをさえぎろうとして、空転したかに見えた。そして……。  ビビーッビーッ! 「やめ!」  どちらが先にトウシュを奪ったか見ようと、オドンネルはさっと電気判定器のほうへ頭をめぐらした。  両方のランプがついている! 相打ちだ!  フールはマスクをぐいとはぎ取り、脇の下に抱えて、審判とオドンネルにあいさつした。そのまま敵対関係の終わりをあらわす伝統の握手をしようと、腕を前に伸ばして大股で相手に近寄っていった。 「すばらしい試合でした、少佐。ありがとうございました」  虚をつかれた表情でオドンネルは反射的にライバルと握手を交わした。 「だが……試合は……」ようやくオドンネルが口を開いた。 「トーナメント規則の協定によります」オメガ中隊長はきっぱりといった。「そうではありませんか?」  最後の言葉は審判に向けられた。審判は首を縦に振り、肩をすくめた。「ええ……今の場合は最後の得点が相打ちによるものでしたから、双方とも負けになります……」 「そうなんです! よろしいですか?」と、フール。 「……ではありますが、勝者を決める優勝決定戦を行なうこともできます――トウシュ一をかけた一回勝負で」審判は元気を取り戻した。「それは、お二人の意志によります」 「どうしたものかな……」オドンネルはマスクをはずしながら考えこみ、あいまいな返事をした。 「少佐」  かすかなささやきが聞こえた。それが自分の心の中で浮遊している幻覚ではなく、現実のフールの声だとオドンネルが理解するまで、少し時間を要した。二人の目と目が合った。 「引き分けましょう」と、フール。 「なんだって?」オドンネル少佐は問いかえした。  オドンネルの対戦相手は、目だけ観衆に向けてほほえみかけながら、腹話術師のように唇を動かさずにしゃべった。 「引き分けましょう。競技会の優勝を分かちあうのです……そして、契約も。ぼくは今ここで、どちらの部隊が負けるのも見たくありません。あなたも、そうでしょう?」  良き戦闘指揮官というものは、決断を迷っては生きのびられない。オドンネルもその例外ではなかった。 「トーナメント規則に関して同意を得ました」審判のほうを向き、オドンネルは大げさに肩をすくめた。「レッド・イーグルズと宇宙軍は規定に従います。今の試合は双方の負けと発表してください」  オドンネルはきびすを返し、確固たる足取りで部下のもとへ歩いていった。審判のアナウンスが静まった体育館に響き渡ったころ、ようやくオドンネルはボディコードをはずさなければならないことに気づいた。審判の説明を歓迎するまばらな拍手が起こった。だが観衆の中には困惑したつぶやきが広がり、その拍手を次第にかき消してしまった。  レッド・イーグルズの面々の顔つきから、狐につままれたような気持ちでいるのは観衆だけではないことが分かる。 「一体全体、どうなったんですか……少佐?」シュペングラー曹長が、隊長を迎えて腰を浮かした。 「ああ、曹長、つまりだな――」 「中隊! 気をつけえ!」  オドンネルは振り向いてフロアを見渡した。  宇宙軍オメガ中隊全員が立ち上がっていた。中央にジェスター大尉が一歩前へ出て立っている。密集隊形教練競技の最中には見られなかった教則本に描かれたような正確さで、全員がレッド・イーグルズに敬礼を送っていた。  オドンネル少佐はしばらくその光景をまじまじ[#「まじまじ」に傍点]と見つめた。オメガ中隊の敬礼の姿勢は揺るがない。軍隊規定では、返礼されるか、相手の人物や部隊が視界を離れるまで敬礼しつづけることになっている。  オドンネルは、あわてて命令した。 「レッド・イーグルズ……気をつけえー」  そして到着以来初めて――実際の話、レッド・イーグルズの歴史が始まって以来初めて――正規軍のピカ一部隊は宇宙軍に敬礼した。今の場合、まさに、その意義があった。  熱い湯にどっぷりつかると、身も心もいやされる。フールは筋肉がほぐれていくのを感じながら、心ゆくまで解放感を味わった。 「ご主人様」  不本意ながらフールはゆっくりと頭をもたげ、目を開いた。 「なんだ、ビーカー?」 「もうご用はございませんか?」 「朝まで電話をつなぐなとマザーに頼んでおいてくれたかい?」 「はい、ご主人様。実は、マザーはすでに指示がなくてもそうしていたらしゅうございます。祝辞が何通かと、お若い女性リポーターが何回か連絡してきたようです」 「またか?」フールは目を閉じ、バスタブにもう数インチ身を沈めた。「一日にいったい何回インタビューしたら気がすむんだろう?」 「インタビューのことで電話してこられたのではないと存じます、ご主人様」 「ほう?」 「マザーの言葉からそういう印象を受けました。メッセージの内容を伝えてきたわけではございませんが」 「そうか!」 「ほかに何かございますでしょうか?」 「いや、もう行っていい。今夜はおしまいだ、ビーク。まったく、たいした一日だった……みんなにもな」 「まことに、さようでございました」 「おやすみ、ビーカー」  返事がなかった。  おかしい。この執事は、いつも儀礼を厳しく守る男だ。  なんとなく不審に思い、フールは目を開けた。ビーカーはまだ待機している。だが、いつになく居心地悪そうだ。 「何か、気になることがあるのかい……ビーク?」 「ご主人様……あたくしはめったに、あなた様のおやりになることを詮索したり、質問をさしはさんだりいたしませんが……」  執事はためらった。言葉を捜しあぐねているようすだ。 「そうだな。で、どうした?」 「今宵の試合のことでございます。わたくしは以前にも、ご主人様がフェンシングの試合にお出になったのを拝見したことがございます。したがって、あなた様の技能とスタイルをいささか存じあげていると自負しており……」  ビーカーの声がまた途切れた。 「それで?」フールは促《うなが》した。 「はい……これは、あたくしの好奇心からの疑問でございます。ご理解いただけると存じますが、内密の話でございます。実は、いぶかっております――その、ご主人様が試合を、お投げになったのではないかと。つまり、意図的に引き分けに持ちこまれたのではないかと」  フールは、ふうっと長い息を吐き、答える前に深々とバスタブの中へ沈みこんだ。 「いや、違うよ、ビーク。たしかに、そう考えたことは事実だ。だからリードを奪ったとき、叩きのめすかわりに相手を同点にしてやった。でも、最後は本気で戦ったよ。確実に引き分けられるなんて自信はなかった。ただ、中隊の名誉を汚したくないと思っただけだ。最後のトウシュは、本気で勝ちにいった。結果は――当初の望みどおり引き分けになったが――あれは、まったくの幸運さ」 「あの……どうも理解しかねるのですが、なぜ、勝利より引き分けのほうを望まれたのでしょう?」  フールは目を開け、頭を上げた。ニタニタ笑っている。 「おまえはしっかり見ていなかったようだね、ビーカー。結局は、ぼくたちの勝ちだったんだよ」 「どういうことでございましょう?」 「考えてもみろよ。わが愛すべき宇宙軍オメガ中隊、クズのなかのクズどもが、レッド・イーグルズと戦って一歩も譲らなかったんだ――正規軍随一の部隊とだぞ。それに観客にとっては、試合に勝ったのはエスクリマさ。コービンの得点になったのは、やつがルールに詳しかったからだ。だが現実のルールなし[#「ルールなし」に傍点]の戦いなら、エスクリマに切り刻まれていたよ。試合路に足を踏み入れる前から、われわれは勝利者だった。実際、はっきりイーグルズの勝ちといえるのは、教練競技だけさ――でも、あれは線香花火みたいなもんだよ。あれで実際の戦闘能力が優れていると感じた人間は一人もいないさ」 「分かりました」 「ほんとうに、分かったのかい?」フールの声が急に熱を帯びた。「われわれはやつらをこてんぱんにのした。だから、死者を鞭打つ気はない。レッド・イーグルズは、たしかに評判どおりのトップ集団だ。その名声を守ってやるために顔を立てて、愚にもつかない名誉|儀仗兵《ぎじょうへい》契約を分かちあう必要があるというのなら、喜んでそうしてやるさ。必要でもないのに、わざわざ敵を作ることもないからな」 「おそらく、中隊員たちはがっかりしていることと思います。辛辣《しんらつ》な言い方かもしれませんが、ご主人様の論理の機微を、かれらが理解しているかどうか疑わしゅうございますから」 「ちゃんと理解してるさ。そんなに途方もない話じゃないだろ?」フールは、またニヤニヤした。「たった一日で、隊員たちがどれほど考え方を変えたか分かるかい? 今朝までは一人もレッド・イーグルズ相手に勝ち目があるとは思ってもいなかった。それなのに同じ日の夜には、引き分けたことに失望しているんだぞ! ほんとうは全員がなんだってやればできると信じはじめているんだ!」 「そのようにお仕こみなさいましたのはご主人様のご功績でございますな。そうは申しましても、今夜、勝利を祝うことができましたなら、どんなにかすばらしかったことでしょう」 「そりゃ、そうさ。でもそのかわりに、レッド・イーグルズの隊員たちといっしょになって街で酒を飲んでいるだろうから、同じことだよ。ぼくの予想では双方が、さかんに議論しあっているはずだ――同点決勝が行なわれていたら、はたしてどちらの隊長が勝っただろうかってね」 「まったく、仰せのとおりでございます、ご主人様」 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル補足[#「執事日誌ファイル補足」はゴシック体]  わたくしは心から懸念していた。ルールに則《のっと》り、きちんと管理された競技会で勝利をおさめさせて、中隊員たちに自信をつけさせたほうがよかったのではないか? もちろん、この試合に勝ったからといって必ずしも現実の戦いで勝てるとはかぎらない。だが残念ながらあたくしは、ご主人様までが、中隊がなんでも達成できるという誤った信念にずるずるはまりこんでいくのではないかという危惧《きぐ》を否定することができない。そんなことはない≠ニいうご主人様の確言を得てはいるが、やはり不安だ。兵士たちがこうした信念から自信や団結心を持つのはいい。しかし指揮官には、それは許されない。そんなことをすれば中隊そのものが破滅してしまう。その真理を歴史が雄弁に物語っている。 [#ここで字下げ終わり] [#改ページ]       16 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル一五二[#「執事日誌ファイル一五二」はゴシック体] [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] [注:より数字に強い読者なら、今回の日誌と前回とのあいだに、いつもより脱落の多いことにお気づきだろう。この期間あたくしは、あまたの興味深いできごとを見聞きしてきた。だが以下の記述には直接関係しないのでここでは割愛し、次に起こる、より重要な事件に焦点を合わせたい。後ほど時間が許すならば、おそらくフィクションとしていささか粉飾をほどこして、省略したエピソードをいくつか公表する運びになろう。しかしながら今のところはただ、競技会に続く二、三週間の手短かな要約をはさむにとどめよう] [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ]  ご主人様の率いる宇宙軍オメガ中隊を相手に引き分けるしかなかったレッド・イーグルズの無能ぶりを、正規軍は決して快く思っていなかったはずである。だが、どうやらイーグルズに対する新しい命令はまたしても書類仕事の混乱の中でうやむや[#「うやむや」に傍点]にされてしまったらしい。これは、どこの組織にも見られる現象だ。とにかく、いかなる理由かは知らないが――懲罰なのか、官僚制の無能のせいなのか知らないが――レッド・イーグルズは新たな任務を与えられなかった。ここ惑星ハスキンに、長いこと放って置かれたのだ。これが単なる事務上の見落としによるものであればいいのだが、正規軍がレッド・イーグルズを処罰する意図をもっていたのだとしたら、失策だといわざるをえない。  波乱にとんだ初顔合わせだったにもかかわらず、イーグルズと中隊は意気投合した。部隊間の会合とお定まりのバーめぐりを続けるうちに二つのグループは親しさを増し、友情の花を開かせた(自然の他花受粉のようなものだった)。  レッド・イーグルズは、中隊員がわが家と呼ぶクラブ≠ェ気にいった様子で、宿舎にいるよりクラブで過ごす時間のほうが多くなった。もちろん、こうした交際から中隊員も大いに利益を受けた。レッド・イーグルズが射撃練習場やコンフィデンス・コースで助言やヒントを与えてくれたからだ。やがて両部隊のあいだではフェンシングの練習に対する興味が目に見えて高まってきた。フェンシングの練習は、いつでもできる。  この期間においてもっとも銘記すべきは、ご主人様がようやく自分の率いる部下について、さしあたり必要な知識を得たと満足したことである。そして今度は、本来の任務に注意を向けられた。すなわち、管理業務である。ご主人様は、中隊の戦場作戦の監督を、ますます中尉たちに任せるようになった。そのあいだ一方でご主人様は、より広い長期的な視野で中隊全体の改善策に取り組んでおられた。  そのため、例の重大事件が発生したとき、ご不運にもご主人様は現場で隊員たちとともに沼の警備に当たってはいなかった。 [#ここで字下げ終わり] 「そいつがブツを引き渡してくれるのは確かなんだな、C・H?」フールはカクテル・ラウンジのドアを横目でにらみ、じりじりした口調でいった。ドアを気にするのは、もうこれで二十回目だ。「まんがいち時間の無駄だった場合は……」 「まあまあ、そうカッカしないでくだきいよ、中隊長」チョコレート・ハリー補給担当軍曹は応じた。フールに飲み物のおかわりを持ってこいとバーテンに合図を送っている。「あいつが手に入れたといった以上……ほんとに手に入ったんですよ。おれはただ、カネのやりとりをする前に顔合わせをしといたほうがいいと思っただけなんで」  この持って回った会話のテーマは、ナイフだった。ハリーが、最新型のアクション・ナイフを大量に調達できる筋を見つけたと自信たっぷりに請けあったのだ。ばね仕掛けのナイフであるが、ジャック・ナイフのような横から刃の出る旧式の飛びだしナイフとは違う。ボタンに触れただけで柄から刃がシュッと一直線に現われるだけではない。ロック・レバーを解除してボタンを押すと、四十ボンドのばねの仕掛けで、刃がダーツのようにすっとんでいく。小さなミサイルといったほうがいい。法律では使用を禁止されている。それで、取り引きにはスパイ活劇じみた舞台を用意したのだ。  ハリーがコネをつけた相手はクラブまで出向いてくるのを拒否し、古めかしい社交場のプラザホテルのラウンジで会うことに合意した。このホテルで中隊員は全員が顔を覚えられている。だから取り引き相手が来たときに、フールたちがボンベスト支配人や従業員たちに親しく話しかけられていると、相手を怖じ気づかせてしまう懸念があった。 「在庫調べのほうはどうなっている?」フールが尋ねた。深い意味はなく、ただ会話を続けるためだ。「来週やってもいいかい?」 「いつでもOKですよ、中隊長」ハリーは、にんまりした。「ただ、そのときは前の制服を着てきてくださいよ。棚卸し作業ってのは、ほこりまみれになりますからね」 「いや、ぼくが自分で調べるつもりはない」 「やらないんですか?」ハリーはいやな顔をした。「やらないのに、おれの部下たちはあんな準備をさせられたってわけですか?」 「やらないとは言っていないよ。まず、スシに調べさせる」 「スシですって? なんてこった、中隊長。そりゃないすよ」  スシのパートナーであるドゥーワップは口が軽い。だれかのヘマを耳にしたら、たちまち中隊じゅうに知れわたってしまう。スシにも横領の前科があり、そのこともドゥーワップのおかげで即座に中隊じゅうに知れわたってしまった。 「密猟者には密猟者をだよ、C・H」フールはにっこりした。「スシはぼくよりも目のつけどころを心得ている。もちろん、あとでスシの仕事ぶりをチェックするつもりだがね」 「でも、それじゃあ……おや、面倒なやつがきましたぜ」  フールはハリーの視線をたどった。ちょうどゲッツ署長がラウンジに入ってきたところだ。まっすぐ二人のテーブルに向かって歩いてくる。 「リラックスしろ、ハリー」フールは小声でささやいた。「何も言わないうちから、堅くなることはない」 「でも、相手が相手ですからね、中隊長」 「いやあ、中隊長……ご機嫌いかがかな、軍曹?」ゲッツはテーブルごしに立ち止まった。 「ごいっしょしてもかまわんだろ、それとも、お邪魔かな?」 「実を言うと、署長」わざとらしく時計を見ながらフールがいった。「人を待っていましてね」  署長はフールの言葉を無視して椅子を引き寄せ、招待を受けたように悠然と腰を落ち着けた。 「ほう、それは奇妙な話だなあ」署長はバーテンに手で合図を送りながら、にたっと笑った。 「実は駅でウィーゼル・ハニカットという男を取り押さえた。昨夜の話だ。何件かの強盗容疑でね。そいつがなんと言ったと思う? 弁護士を呼べと要求するかわりに、ここで待ってるきみに今日は行けない≠ニ伝えてくれというんだよ。それで、わたしがやって来たというわけだ――公僕としてな。ひょっとしたら、きみの待ち人ってのは、こいつじゃないか?」 「いや……」 「それならいい。では、わたしと酒を飲む時間はあるわけだな――それに、いくつか質問に答える時間も。たとえば、きみたちとウィーゼルとの関係はどうなっとる?」  最後のせりふは怒鳴り声になった。ゲッツは快活な装いをかなぐり捨て、二人をにらみつけている。 「そいつは中隊長にここで入隊の話をしたいといってきただけですよ」ハリーがすかさず答えた。  フールは氷の塊がのどに詰まったような顔をしている。 「入隊だと?」署長の眉が生えぎわにぶつかりそうなくらいに吊り上がった。「この中隊は補充する人間をえり好みしないとはきいとるがね、ウィーゼルだけは別だ。いくらきみだって手にあまると思うよ。しかも、もうすでに一人、横流しの名人を抱えこんでいるのだからな」  署長はハリーの顔をまじまじと見つめた。ハリーはもぞもぞと椅子の中で体を動かした。 「規定により、入隊に興味を示す者とは、だれとでも面接することになっています」フールは応じた。「入隊前の経歴は問いません。おっしゃったように、だれでも……もと警官だった者でも受け入れる建前になっています」  署長は高笑いを返した。ハリーは弱々しい笑みを漏らしただけである。 「たしかに一理あるな、中隊長」ゲッツ署長は慇懃無礼《いんぎんぶれい》な会釈を送った。「だが、ウィーゼルの採用は無理だ。やつにとっても収入の大幅減になるからな。きみが個人的にスカウト代を払ってやれば話は別だがね」 「ただ話をするだけだったんですよ」ハリーがボンボソといった。手で空《から》っぽのグラスをもてあそんでいる。「その……具体的なことは何もなくて」  署長はしばらく唇をかみしめ、やがてうなずいて応じた。「わかった。その話はこれで打ち切りにして、乾杯といこう。きみたちと親睦《しんぼく》を深めるためにな。だがな、いっておくぞ――ウィーゼルを惑星外へ追放するときには、わたしは自分の手で事務手続きをやる」  バーテンが酒を給仕にきたので署長は口を閉じ、自分の代金を払った。落ちこぼれ中隊から賄賂《わいろ》を受け取ったと見られるのを恐れているらしい。 「おれはクラブに戻ってましょうか、中隊長」ハリーが耳打ちして腰を上げかけた。  フールは手で制してもとどおり座らせた。「落ち着け、C・H。署長も、親睦を深めるためだといっておられる。きみたち二人がおたがいにもっと良く知りあうのはいいことだ」 「残りの悪党どもはどこにいるのかね? さしつかえなかったらの話だが」ゲッツ署長は酒を一口のんだ。「今日は町のどこにも見かけなかったぞ」 「今日は勤務日ですから」フールが説明した。「怖いもの知らずの隊員たちは腰まで沼につかっていますよ。鉱山労働者を沼の生態系から守ると同時に生態系を労働者たちから守るためです。C・Hとぼくが非番日を同じにしたのは、あくまでも単なる偶然ですよ。ほかの日だったら二人とも隊員たちの仲間に加わってるはずなんですがね」 「まったく、そのとおりなんです」ハリーは心から笑みを浮かべて同意した。ゲッツがラウンジに入ってきて以来初めてだ。 「おい」ゲッツ署長がささやきかけた。「あそこでかわいいリポーターさんと座っているのはイーグルズの隊長じゃないか……あの娘の名はなんといったっけな?」 「ジェニー」フールはそちらを見ないようにして答えた。「だったと思いますよ。でも、なぜ?」 「きみが、あの娘を私的所有物にしているんじゃないかと思ってね。それとも、きみと正規軍との共同財産かい?」 「彼女は独立した女性です」フールは応じた。「ぼくの知るかぎりでは、そうでした。二、三回夕食をともにしましたが、だからといって――」  フールの言葉をさえぎって腕輪通信器がピーッと鋭い昔を立てた。  あれほど邪魔するなと言い残してきたのに‥…フールは呼びだしに応答すべきかどうか思案した。だが命令に反してまで呼びだしをかけてくるのは、よほどの重大事に違いない。そう思いなおして、コントロールに手を伸ばした。 「ちょっと失礼、署長。こちらジェスターだ。マザー、どうかしたのか?」 「トラブルが発生しました、中隊長」通信担当者の声が返ってきた。いつものジョークはない。 「なんだ?」 「直接お聞きください。今から戦地の作戦部とおつなぎします……どうぞ、中尉」 「ジェスター中隊長ですか? レンブラントです」 「なにごとだ、中尉?」 「困った事態が起きました。一刻も早く報告したほうがいいと思いまして」  フールは胃が痛むのを感じた。だが声だけは冷静さを保って応じた。 「何が起きた? 最初から話せ」 「ドゥーワップがトカゲに狙撃されました」 「トカゲ?」 「トカゲのような生物です。サイズは少し大きいようですが。まだ、正体不明です。とにかく、そいつが撃ちかえしてきて――」 「どうしたって?」 「撃ちかえしてきたんです、中隊長。スタン光線《ビーム》のようなものを発射しました。ドゥーワップは生命を取り止めましたが意識不明です。つまり、あの沼地に未知のエイリアン集団が陣取ってたってわけです。知能は高く、武装しています」 [#改ページ]       17 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 一五三[#「執事日誌ファイル 一五三」はゴシック体]  あたくしは民間人としてただ一人、エイリアン侵入軍≠ニの対決に立ち会う光栄に浴した。といっても具体的な任務があったわけではないし、とくにお呼びがかかったわけでもない。この初遭遇に、非番の隊員まで現場召集の緊急出動がかけられたと聞いて矢も盾もたまらず、みずからくっついていくことにしたのである(なおマザーだけは、入植地との通信連絡の任に当たるため、クラブで待機することになった)。通常ならば、ご主人様はわたくしを追いかえされたに違いない。だが、輸送のためには一員たりとも割けないと判断されたか、はたまた、ただ単にあたくしの存在などまったく眼中になかったのか。いずれにしてもご主人様は現場のほうが心配で、そんなことにかまっていられるようなご様子ではなかった。 [#ここで字下げ終わり]  中隊員のほとんどは、沼地のわずかな隠れ場所にかがんだり、腹ばいになったりして百メートルのライン沿いに散らばっていた。フールはブランデー、レンブラントの二人といっしょにかがみこんで状況を話しあった。三人とも陰謀をささやくように声を低め、ときおり頭をもたげたり身をよじったりしながら、かがんで身をひそめた丘の陰から前方のようすをうかがっている。  三人が見つめているものは前方一キロメートルたらずのところにあった。二百におよぶ装填ずみの武器が同じ場所を狙っている。その目標は見てくれの悪い、ぶざまな姿の巨大航宙船だ。この沼地に無数に点在する小さな沼の見通しのよい浅瀬に、ロープで留められたフロートの上に乗って浮かんでいる。フールが駆けつけてから、航宙船の中でも外でも、動きらしい動きは何もない。だが、隊員たちの神経をカミソリの刃のように鋭く研ぎ澄ますには充分な近さだ。 「……小さな連中です……トカゲにしては大きいでしょうが、われわれに比べると格段に小さいです」レンブラントが説明した。「目撃したのはまだ数例ですが、だいたい地球人の身長の半分でしょう」 「武器を持っていると大きく見えるものだ」と、フール。きびしい顔だ。「ドゥーワップの容態は?」 「まだ医者には見せていませんが、心配ありません」ブランデーが答えた。「電気ショックをかけられたような状態でした。気絶しましたが、あとに残るような損傷は受けていないようです。任務に戻るなり、大声でわめいています」 「もうしばらく安静にさせておけ。何か隠れた後遺症があるといけないからな。必要になるまでは、わざわざ危険にさらすこともないだろう」 「わかりました」 「アームストロングから何か連絡はないか?」 「まだ、護送班につき添って鉱山労働者を入植地へ移送中です」レンブラントが報告した。 「アームストロングは、現場から一キロの圏外に出たら、班を離れて現場に戻りたいといってきました。でも中隊長のご命令では、居留地に到着するまで護衛を続けたほうがよいとのことでしたので」 「そのとおりだ」フールはうなずいた。「エイリアンが沼のどこに、どれだけ配置されているか、正確につかむまでは鉱山労働者の護衛を続けないとな」  アームストロングが牽制《けんせい》作戦を指揮し、レンブラントが鉱山労働者護送の指揮をとってはどうかという提案がされた。しかし、フールはその反対がいいと判断した。戦闘指揮官としては明らかにアームストロングのほうが優れている。万一、労働者が引き上げている最中に別のエイリアン集団に遭遇した場合を考えると、アームストロングを護送任務に当てるほうが論理的だ。一方、レンブラントは以前スケッチ旅行をしていただけあって、この沼地の地形にくわしい。偵察と情報収集にはうってつけだ。 [#挿絵346 〈"img\[ロバート・アスプリン] 銀河おさわがせ中隊 346.jpg"〉] [#挿絵347 〈"img\[ロバート・アスプリン] 銀河おさわがせ中隊 347.jpg"〉] 「居留地にはもう連絡してあるんですか?」ブランデーが、眠っているようにじっとしている航宙船のほうを盗み見ながら訊いた。 「ぼくが連絡を受けたとき、ゲッツ署長もいっしょだった」フールが答えた。「われわれが対峙《たいじ》しているのはいったい何者か、詳しい情報が入るのを待ちかまえている。同時に、危険が迫ったらすぐにも動員をかけられるよう、非番の警官をかき集めているところだ」 「どの時点で危険と判断するんです、中隊長?」レンブラントが迫った。「すでに一人撃たれているんですよ」 「こっちが先に発砲したからだろ」フールが指摘した。「きみの報告では、負傷はしていないそうじゃないか。それにあれ以降、銃撃戦はないんだろう?」 「ありません……すべてご命令どおりにしています」ブランデーがあわてて答えた。「少し前に、航宙船のあたりで若干動きがありましたが、どちらも発砲はしていません。こっちの姿も見られたと思いますが、はっきりしたことは分かりません」 「どんな動きがあった?」 「スパルタクスが報告してきました。ちょっと待ってください。直接、聞いていただきます」  フールが口をはさもうとすると、ブランデーはすばやく呼子《よびこ》がわりに低い口笛を吹き、スパルタクスを招いて三人に加わるよう合図した。スパルタクスは見通しの良い場所を滑るようにやってきた。体をぺたりとかがめているので、まるで飛行ボードの上にだらんと置かれた豆袋のように見える。  この非ヒューマノイドを斥候《せっこう》に選ぶのは妥当ではなかったかもしれない。飛行ボードのすばやい動きは、人間たちのゆっくり、こそこそした動きより目につきやすく、敵の注意を引きつける危険が大きい。しかし、見たところ水の上ではこの敏捷性《びんしょうせい》がかえって役に立っているらしく、敵の目に留まらずに任務をまっとうしているようだ。少なくとも砲撃は受けていない。 「見たことを中隊長に報告してちょうだい、スパルタクス」ブランデーが命じた。「エイリアンが航宙船の周囲で何をしていたのか、お聞きになりたいそうよ」 「はい、中隊長」スパルタクスは報告を始めた。「エイリアンは船の横のパネルをあけ、しばらく中をいじくりまわしていました……何をしているのか、はっきりとは見えませんでした。それから蓋をして、ふたたび中に引っこみました」  体にたすきがけにした翻訳器から、スパルタクスの音楽のような高音の声が流れた。まるで鈴がチリンチリン鳴っているようだ。聞いていると、フールはどうしても『オズの魔法使い』のマンチキンから軍事報告を受けているような気分になってしまう。 「武装しているようだったか?」 「いや……していないと思います。パネルの外側には、砲撃できそうな開口部や装置は見られませんでした」 「エイリアンはきみを見たのか?」 「ときおり、何人かがこっちを向きました。しかし、あたり全体を見回している様子で、とくにわたしを見ているわけでもなかったようです。おそらく……」  フールたちの後方で、何かがサッと動いた。フールはすばやく手を上げてスパルタクスを黙らせた。一瞬、緊張が流れた。やがて少人数の人影が姿を現わし、物陰から物陰へとこっそり進みながら近づいてきた。 「こんなところへ、いったい何をしにきたのかしら?」  ブランデーがつぶやいた。ほかの三人も同じことを考えた。近くにいて人影に気づいた隊員たちも同じ気持ちらしい。しかし、答えはすぐに出そうだ。一人の男がグループから離れ、腹ばいになってフールたちのほうへ前進してきた。 「遅くなって申しわけない、中隊長」正規軍のオドンネル少佐だった。ほかの面々に軽く会釈している。「儀仗兵《ぎじょうへい》任務にフル装備が必要とは予想もしなかったよ。荷ほどきして配るのに時間を取られてしまった」  オドンネル少佐は口をつぐみ、視野に入る中隊員たちを見渡した。それから、配下のレッド・イーグルズ隊員たちのほうをちらっと振りかえった。 「これまでの戦況を報告してくれないか。そうすれば部隊を配備しよう。おたくの隊員は少人数に分かれて引き上げればいい。われわれが援護する」 「失礼ですが、少佐」フールは冷たい声で切りかえした。「いったい何をしようというんです?」 「何を?」オドンネルは面食らった。「決まってるじゃないか。戦場の指揮をとるのだ」 「どんな権限で?」 「おいおい、そんなことは言わんでもはっきりしてるだろ。エイリアンの新種、しかも敵となる可能性のあるエイリアンとやりあおうというんだ。これは宇宙軍の仕事じゃない。われわれ正規軍の仕事だ」 「そうはっきりとは言いきれません」 「するときみは……」 「お言葉ですが」フールは少佐の反論をさえぎり、一段と声を張り上げた。「われわれオメガ中隊は、この沼地に住むものや、ここから侵入してくるものからハスキン惑星の市民を守るために雇われたのです。少佐はわれわれの任務を妨害しようとしておられる。ご助力の申し出には感謝します。軍隊儀礼について議論しようというのなら喜んで応じますよ。しかし、今は忙しくて手が離せない。申しわけありませんが、お引き取り願えませんか?」 「権限といったな?」オドンネルは切り口上になった。懸命に怒りを抑えている。「よかろう。きみのルールでやろうじゃないか。通信器をよこしたまえ。司令部に訊いてみればすむことだ」 「残念ながら少佐、われわれの通信網は隊員間だけしか使えません。どうしてもと言われるなら、歩いて居留地へ戻り、どこかで通信設備を見つけて――」 「だまれ、フール!」オドンネルがとうとう怒りを爆発させた。「いったいどんな権利があって正規軍に命令を下そうというんだ? ずうずうしいにもほどがある」 「それはどうですかね、マシュー」フールは低い声で応じた。「よく考えてください。今われわれの人数は少佐の指揮する隊員の十倍はいますよ」  そう言われてオドンネルはハッと気づいた。回りの隊員たちがこぞって二人のやり取りに聞き耳を立てている。そのうえゾッとするほどの武器がエイリアンの航宙船ではなく、レッド・イーグルズの方へも向けられていた。 「われわれを脅迫する気か?」オドンネルは、武器に目をくぎづけにしてわめいた。「正規軍が味方として駆けつけたというのに、本気で発砲命令を出すつもりなのか?」 「ええ、今すぐにでも」ブランデーが平然と応じた。 「もういい、曹長」フールがすばやく制止した。「少佐の質問に答えましょう……レンブラント中尉?」 「はい、中隊長」 「あのエイリアンについてだが、変身したり、低レベルの精神コントロールを用いて錯覚を起こさせたりする能力がないという動かぬ証拠はあるか?」 「ありません」 「つまりあのエイリアンが、人間に、それもわれわれの良く知っている人間に化けてわが軍に潜入してくる可能性があるわけだ。そうだな?」 「それは……たぶん……あるかもしれません」 「お聞きのとおりです、少佐。必要とあれば、どんな侵入者であれ、隊員たちに自己防衛をさせるのが指揮官の当然の務めです。その侵入者が、たまたま正規軍部隊に生き写しだったとしても例外ではありません」 「しかし……」 「とりわけ」フールは声を落として続けた。「通常の行動パターンとは違う態度をとっているような場合は油断できない。そちらの負けのようですな、マシュー。頭を冷やしてもう一度やりなおしませんか……初めから」  オドンネルは賢明にもフールの忠告に従った。そして、何度か息を深く吸ったり吐いたりしてようやく話を続けた。 「つまり正規軍に指揮権は譲れない、というのだな?」 「そのとおりです、オドンネル少佐」フールはきっぱりと答えた。「この件は契約上の仕事の範囲内にありますから、事態を解決するのはわれわれの責任です。他の隊には任せられない。それがぼくの考えです。早い話が、他人のけんかに口出しは無用ですよ」  少佐は、待機しているイーグルズのほうを振りかえった。 「中隊長、本心からわれわれの手助けなどいらんというのか? せめて援護だけでも受け入れてくれないか?」フールの気持ちは揺らいだ。レッド・イーグルズのようなチームが控えていてくれる利点をむげに否定することはできない。 「その場合は予備隊としてぼくの指揮下に入っていただきますが、それでもよろしいですか?」  オドンネルは心もち背を伸ばしてさっと敬礼した。 「それしかこのワルツの輪に加わる方法がないというなら、答えはイエス≠セ、中隊長! これより任務につく」  とても無条件降伏とは言えないしろものだったし、後できっとこのつけが回ってくるはずだと、そこにいるもの全員が承知していた。しかし、オドンネルがオメガ中隊の命令を受けるというのなら、その言葉は信用してもいいだろう――少なくともこの任務が終わるまでは。 「けっこうです、少佐」フールも同じようにきっちりと敬礼を返した。「では、部隊を二百メートルはど後退させてください。支援が必要になったら、そのときはお知らせします。ありがとうございました」 「必要になったとき、それを知る方法は?」お礼の言葉を無視して少佐が問いかえした。フールはあたりを見回して、声を少し張り上げた。 「タスク・アニニ!」 「はい」呼び声に応えて、巨人の隊員が肘をついて這い寄ってきた。 「オドンネル少佐とレッド・イーグルズが予備位置につく。同行してくれ。支援が必要になったときは、きみの腕輪通信器を使って指示を出す」 「いやです、中隊長」 「なんだって?」フールは一瞬、あぜんとした。 「よそへやらないでください。一生けんめい働きます……訓練もしました。おれにも、みんなと同じに戦う権利がある。ほかの人をやってください……おねがいです、中隊長」フールはボルトロン人の誠実さ丸出しの願いをどうしたものか、途方にくれた。かわりに行くものはいないかと見回したが、だれも目を合わせようとしない。どうやらみんな急に、エイリアンの航宙船に対する関心を高めはじめたらしい。 「よしわかった、タスク。では、きみの通信器を貸せ」 「は?」 「それを渡して、部署に戻れ」タスク・アニニはしばらくもたもたと吊紐をいじくり、大切な腕輪通信器を外してフールに渡した。それから地面をのたくって持ち場に帰っていった。 「たしかあいつは平和主義者のはずだが」ボルトロン人の後ろ姿を見送りながら、オドンネル少佐がいった。 「そのはずですがね」フールは通信器をオドンネルの腕にセットするのに忙しく、うわの空で答えた。「できました、少佐。ポケットベル信号に調節しましたから、鳴りだしてもそちらの位置がもれる心配はありません。必要なときには三回ピーッと鳴らします。具体的な指示を開くには、このサイドレバーを押して送信/受信モードにしてください。それ以外は装置にさわらないでください。操作に慣れていないと、誤って他の部署で騒音を出してしまう恐れがあります。よろしいですか?」 「わかった」通信器を受け取りながら少佐はうなずいた。「呼びだしにそなえて待機している」 「けっこうです。では、出発してください。それから少佐……もう一度、感謝します」  オドンネルは体をひねって敬礼を返し、急ぎ足でイーグルズの隊員たちの方へ戻っていった。 「ほんとに少佐を信用してるんですか、中隊長?」と、ブランデー。まだ信用できないらしい。 「ちょっと待て……」フールは急いで自分の通信器を合わせた。「マザーか?」 「通信センターです、中隊長」 「オドンネル少佐とレッド・イーグルズが、タスク・アニニの通信器を使って通信網と接続している。この地域の外へは絶対に発信させないようにしてくれ。いいな、絶対にだ。少佐の位置の監視も頼む。動きはじめるようだったら、ただちに連絡せよ。聞こえたか?」 「了解しました」 「ジェスターより以上」フールは通信を切り、ブランデーのほうへ向きなおった。「質問に答えよう、曹長。もちろん、ぼくは少佐を信頼している。信頼こそ、軍隊内の敬意と協力の基礎だ」 「おっしゃるとおりです。馬鹿なことを口にして申しわけありません」 「よし、それじゃこのパーティーの大本《おおもと》に戻ろう」フールはちらりと笑顔をのぞかせた。「観察の結果、この珍客について得られる情報はすでに充分収集できたと思う。スパルタクス、きみの翻訳器を貸してもうぞ」 「わたしの翻訳器をですか?」シンシア人はチャイムのような声を出した。 「そうだ。きみはルーイの近くへ持ち場を変えろ。必要なときは、ルーイに翻訳してもらえばいい」 「失礼ですが、中隊長」レンブラント中尉が不審げな顔で訊いた。「翻訳器をなんに使うんですか?」 「あの船の生命体と交信してみたい。おたがいに相手の言葉が話せるとは期待できんだろ」 「でも、それは…….つまり……賢明でしょうか?」 「友好的かもしれん相手に発砲するよりは賢明だろうよ……友好的でなくても、待ちくたびれて、だらけ切ってしまうよりはましだ。そのあいだに敵は攻撃準備を整えてしまうかもしれんからな」と、フールは応じた。「どっちにしろ、連中の意図を探っておかなければならん」 「自分から射的場のカモになるというんですか?」ブランデーが顔をしかめた。「もっと犠牲の少ない者をやったほうがいいんじゃないですか、中隊長? 最初の一斉攻撃で指揮系統をふっとばされたんじゃたまりません」 「ぼくのいないあいだはレンブラント中尉が指揮をとれ。一時的にか、永久にそうなるか、それはなんとも言えないが。それに」フールはまたニヤリとした。「まったく無防備のままで行くつもりはない。ドゥーワップは発砲したとき、どこまでエイリアンに接近していた?」 「約五十メートルです。それが何か?」 「つまり、こっちの武器の有効射程距離はまだ知られていないってことだ。できるだけ小火器の射程内でこの出会いを設定しよう。心配なら、少しくらいは援護してもかまわん。さあ、伝言を伝えてくれ……五分後に出発だ」 「わかりました」 「それから曹長、一つ頼みがある。全員が安全装置をかけていることを確認してくれないか。ぶっぱなすのが大好きなこいつらの標的にされちゃかなわん。ぼくだって、そこまで命知らずじゃない」 [#ここから2字下げ] 執事日記ファイル補足[#「執事日記ファイル補足」はゴシック体]  むろん、わが軍と対峙するエイリアン軍に何者がいるのか、どういうことが行なわれているか、あたくしはいっさい、関知していない。したがって、エイリアンの航宙船の中でのできごとを記した以下の記述はまったくの想像にすぎない。しかしながら、ここに再現した内容がいいかげんなデタラメでないことも確かだ。そう信じる根拠は二つある。  第一はもちろん、この出会いの結果からである。  第二は、論理的な観察による。人類や、人類と同盟関係を結んでいる種族は今まで、このエイリアンにまったく遭遇しなかった。ということはつまり、このエイリアンの母星基地はわれわれの場合と同じく、はるかかなたの辺境にあるはずだ。言い変えれば、こうした僻地《へきち》の任務に着く者が、社会の各層からエリートや模範と見られるような連中かどうかは疑わしいということである。 [#ここで字下げ終わり]  ゼノビア人探険隊の航宙大尉クァルは今の事態に不満だった。おろおろして、頭の中はパニック状態に近い。新しい報告が入るたびに、個人的な救済の望みがこの手からずるずると滑り落ちていく。  こんなところに長くいなくても、任務に成功しさえすれば、そのうちハラー第二総統の怒りも収まるだろうというのが、クァルの腹づもりだった。この任務を命じられたのはその怒りが原因である。ゼノビア人はもともと、いつまでも恨みを抱くような種族ではない。ハラー総統は、例のささいな判断の誤りにいつまで怒りを持続しているだろうか……。それに、一介の下級将校に二千周期を経た骨董の壷と、汚物処理用の装飾容器の見分けがつくとだれが期待したりできるだろうか? しかもあれは、結婚パーティーでひと晩中飲み明かしたあげくの出来事なのだ。しかし今回の事態は、さらにひどい恥の上塗りになりそうだ。 「知的エイリアンを攻撃するなんて、どうしてそんな馬鹿なことをしてくれたんだ、オーリ?」クァルは目の前の乗組員にわめいた。「どんなエイリアン文化に遭遇しようと、直接接触は避けるという服務規定にはなはだしく違反しているぞ、忘れたのか?」 「でも大尉、向こうが先に発砲したんです!」 「それが、やつらに知性があるという証拠ではないか」 「失礼ですが、大尉」副官のメイゼムがあいだに割りこんできた。「エイリアンが武器を持ち、制服を着ているのが知性のある証拠だとおっしゃるのでしょうか……それとも、とくにオーリを標的にしたことをおっしゃっているのでしょうか?」 「両方だ!」クァル大尉はかっとなって言いかえした。「だが、記録にはそう書くなよ、メイゼム。この会話は絶対に日誌に書いてはならん」 「お言葉ですが、航宙日誌をきちんとつけるのはわたしの任務です。そうしないと、職務の怠慢になり――」 「上陸前に知的生命体がいないかどうかをスキャナーで確認するのも、おまえの任務だろうが!」クァルが相手をさえぎった。「おまえの責任感はどこへ行ってしまったのだ?」 「覚えておいででしょうか、大尉」メイゼムは平然と応じた。「あのときスキャナーは作動不能でした。というのも、なんとしても通信装置を修理せよという大尉のご命令に応じるため、装置を一部取りはずしていたからです」  ひょっとしたら、この乗組員たちも自分に与えられた処罰の一つなのではないか――ふと、クァルは疑った。そう感じたのは、これが初めてではない。 「では、今は機能しているというんだな?」 「もう少しで動きます、大尉。その修理のために、われわれは――」 「そんなことはどうでもよい! 早くスキャナーを使えるようにしろ! なんとしても――」 「大尉! スキャナーが動きだしました!」  それまでの行きがかりも階級の上下もすっかり忘れ、二人の将校は何人もの尻尾を踏みつけながら、われ先にスクリーンに駆けつけた。 「これは、いったいなんだ?」 「いったいいくつあるのか……!」 「グレート・ガズマ! これを見ろ!」 「何千と出ている!」  実はスクリーンには数百の光点が写っているだけだったが、それでもたった六人のゼノビア航宙船の乗組員に比べれば、はるかに多数だ。 「これは興味深い」メイゼムが考えこんだ。「この二つを見てください――いや、ここに三つめが出ている! 大尉、この表示は一種以上の知的生命体がいるという証拠です。どうやらわれわれはエイリアンの連合軍に直面しているようです。明らかに一種族がその多数を占めてはいますが」 「やつらがしゃべるキノコだろうとなんだろうとかまわんー」クァルはピシリといった。「やつらのほうがわれわれよりも多い。それも圧倒的にな。当然、武装しているに違いない。離陸の用意をしろ! 今のうちに逃げるのだ!」 「残念ながらそれはできません、大尉」 「なぜだ、メイゼム?」 「離陸用中継装置の部品を、スキャナーの修理に使ってしまったからです……大尉のご命令で」  クァルは一瞬、船の自爆装置は機能しているだろうかと考えた。だが、もともとそんなものはない。 「未知の敵に包囲されたまま、ここで立ち往生しろというのか――」 「大尉! ごらんください!」  正面に並んだ軍勢から離れて、光点が一つ、航宙船に近づいてきた。 「早く! 映像に出せ!」  スクリーンの画面は、航宙船の外の実景に切り替わった。今まで光点だったものたちが、やぶや倒木のうしろに潜んで隠れているのが見えた。ただ一人、黒い服に身を固めた者が開けた空き地に立っている。 「胸くその悪くなるような生き物だ」 「でも、大きいぞ」 「それがどうした?」  乗組員たちが不安そうにしゃべっているそばで、クァルは無言で、画面に映る姿を観察した。 「やつは白い布を振っているが、あれには何か意味があるのだろうか?」クァルがようやく口を開いた。 「ご存じでしょうが」オーリがくちばしをはさんだ。「わたしが基礎訓練を受けていたころを思いだします。あのような小さな布切れを武器の標的に使いました」  航宙大尉はオーリをじろりとねめつけた。 「それは疑わしいぞ、オーリ。自分を撃てと誘ったりするか」 「でも、やつらはわたしを撃ちました!」 「それはそうだ。しかし、やつらは知能が高いという証拠が出ておる」 「あれを、大尉」メイゼムが二人のやり取りに割って入った。  スクリーンに映る人かげは大きな動作で武器を上に掲げてみせ、それをそっと足もとに置いた。 「どうだ、これではっきりしただろう」 「ある種の挑戦の儀式じゃないでしょうね」 「今のところは交渉を望んでいると考えよう」クァルは決断を下した。「わしが外へ出てみる」 「それは賢明でしょうか、大尉」副官メイゼムが問いかけた。 「おそらく賢明ではあるまい……だが、今はそんなことは言っておられん。わしが時間を嫁ぐから、おまえはそのあいだに離陸装置の修理ができるかどうか確かめろ」 「艦砲で援護しましょうか?」 「艦砲などというものが備えつけてあればけっこうなアイデアだが、これは探険船だ。戦艦ではない。忘れたのか?」 「そうでした。申しわけありません」 「大尉」メイゼムが小声で呼んでクァルを横へ引っぱっていった。「エイリアンとの話しあいは慎重になさったほうがよいかと思います。ゼノビア帝国がどれほど強大な国家か、やつらに悟られてはなりません」 「心配するな、メイゼム」クァルはコントロール・ルームにちらりと最後の一瞥《いちべつ》をくれて言った。「われらの真の力を悟られてなるものか」 「さて大尉、これでおたがいのコミュニケーションが可能になったので」と、フールは切りだした。「まず、当方が正当な理由なく貴艦の乗員に発砲したことをお詫びしたい。あなたがたが知的な種族だとは知らなかったため、予想もつかない出来事にびっくりして反射的に撃ってしまったのです。さらに、そちらの反撃が非常に寛大であったことにも感謝したい。わたしの部下が失神させられただけで、即座に射殺されなかったことに感銘を受けました」  クァルは翻訳器に心を奪われていた。もちろん、ありふれた物を眺めているように見せかけたが、首からぶら下げるのだと納得するにはしばらくかかった。しかし、装置がいったん所定の位置に納まり、クァルの獣皮に触れると、この奇妙なエイリアンの発するうなりや舌打ち昔がたちまち意味をもつイメージに翻訳され、クァルの心に直接訴えかけてきた。おそらくこれが連中の使っている言葉なのだろう。自分の思っていることが、考えるさきからおかしなノイズに翻訳されていくのは少々うす気味悪い。だが、それだけの価値はあった。おかげで両方とも好んで戦いたいわけではないことが確認できたのだ。 「謝罪は喜んでお受けする。だが、クラウン中隊長――」 「失礼だが、わたしはオメガ中隊長です」 「ああ……なるほど」  翻訳器で送られてきたイメージは、クァルがエイリアンの指揮官に話しかけたときに心に描いたものとまったく同じだった。どうやら、翻訳器の性能は最初に思ったほどよくはないらしい。 「ともかくわしの言いたいのはだ、中隊長……そのう、中隊長、遺憾《いかん》ながらわれわれのあいだには少々誤解があったということだ。じつは攻撃を受けたとき、わが方の乗組員は食物を狩っておった。持っていた武器は、とくに狩猟のために作られたものだった」 「というと……おっしゃることがよく分かりませんが、大尉」 「われらゼノビア人は生きた食物を好む。そのため狩猟用の武器は、兵器のように殺すためではなく、相手を失神させるように作られている」 「なるほど、分かりました。とにかく被害がなくてよかった」フールはまた、にっこりした。 「失礼だが中隊長、それは友好のしぐさなのか?」 「なんのことです?」 「その、牙をむくしぐさだ。何度もやっているようだが、敵意を表わす作法だとも思えん」 「ああ、これですか。これは笑顔です……たしかに、おっしゃるとおり友好の表現です。気にさわるようならやめます」 「いや、かまわん。正しく解釈しているかどうか確かめたかっただけだ」両代表が二つの種族のあいだに横たわる相違に新たな認識を迫られているあいだ、ぎこちない沈黙が流れた。 「ところで、大尉」フールがようやく口を開いた。「そちらの目的が敵対的なものでないことは確認しましたが、どんな任務でこられたのかお聞かせ願えませんでしょうか? お役に立てるかもしれません」クァルはこの質問をじっくりと考えてみた。ほんとうのことを話しても害があるとは思えない。 「われわれは探険隊だ」クァルは説明した。「入植地や研究基地にふさわしい新しい惑星を探すのが任務だ。この地に上陸したのは、このような沼地がわれわれの必要にかなう理想的な居住環境だったからだ」 「なるほど」フールは考え考え、うなずいた。「しかし、残念ながらこの沼地は禁猟区に指定されています。実際、わが軍がここにいるのはこの沼地の警備を務めるためなのです」 「そうか、わかった、大尉」ゼノビア人はあわてて答えた。「わしの言葉を信じてくれ。われわれは貴官らとこの土地の所有権を争うつもりはない。宇宙は広大だ。先住者と争わずに手に入れられる居住地は他にいくらでもある。この地域がすでに占有されていると分かったからには、別の方向を探険すればいいのだ。そうと分かれば、できるだけ早く出発したい……すぐにも出発する」 「なにも急ぐことはありません」フールは応じた。「なんとか解決法が見つかるでしょう――おたがいの利益になるような方法がきっとあるはずです」 「ほう? 失礼、貴殿の誠実さを疑うつもりは毛頭ない。しかし、さっき沼地は使えないと言ったではないか」 「この沼地はそうです。しかし、われわれが支配する宇宙にはまだ、同じくらい役に立ちそうな沼地が他にもあります。それらの位置を知っておけば探険も楽になるでしょうし、その必要すらなくなるかもしれません。前もって許可を取っておけば、定住権を争う必要もありません」  クァルは関心をそそられた。そのような協定を結ぶことができれば、自分は一躍、探険隊の英雄になれるだろう。もうこれ以上、汚名に苦しめられることもなくなる。とはいえ、うますぎる話には眉つばものが多いのも事実だ。過去の経験で懲りている。 「どうにもわからん」クァルは用心深く答えた。「われわれの種族が例外なのかもしれないが、知性にはある程度の利己主義がつきものだと常々わしは考えておる。きみの種族はなんの見かえりもなく、ただで自分のものをくれてやるというのか?」 「そうは言いません。もちろん、われわれも見かえりを要求します」フールはニヤリと笑った。「相互の@益になる方法、といったのを忘れないでください。しかし、われわれが見かえりに望むのほほんのささいなものです」 「ささいなもの、とは?」 「そうですな……こまかい相談に入る前に、例の狩猟用スタンガンの射程距離は正確にどれくらいか、教えていただけませんか?」 「どうでした、中隊長」 「戦闘になるんですか?」 「やつらの目あては何ですか?」フールが戻ってくると、隊員たちは日ごろの訓練そっちのけでまわりに群がってきた。フールはそれには答えず、手を振って静かにさせると、腕の通信器を操作した。 「はい、通信センターです」 「マザーか? 惑星外通信に接続してくれ。親父と話したい…‥」フールはコードナンバーを知らせ、集まってきたじれったそうな[#「じれったそうな」に傍点]顔の隊員たちを見回した。 「ぼくのしゃべることをよく聞いていれば質問のほとんどは答えが出るはずだ。さしあたり、警戒は解いていいぞ。エイリアンには敵意はまったくない。それは確かだ。戦闘にはならん。だれか馬鹿なやつが――」 「ウィリー? おまえか?」フールは通信器に注意を戻した。 「父さん? ぼくだよ」 「どうした? 兵隊ごっこ[#「兵隊ごっこ」に傍点]はもう飽きたのか?」 「父さん、親にこんなことは言いたくないんだけど、今は黙って聞いてください! 父さんに関わってくるかもしれない状況が発生したんです。今は、いがみあってる暇はないんです。分かってください」  しばらく間があき、はっきり姿勢を変えたと分かる口調が返ってきた。 「分かった、ウィラード。要点を言いなさい」 「フランクおじさんはまだ、あの開発会社を持っているんですか? ほら、安い沼地を買い上げて利用可能な土地に変えるというやつです」 「たぶん、まだ持ってるはずだよ。このまえ聞いた話では、税金のがれに利用しているらしい。いつも赤字すれすれで――」 「今すぐ、おじさんに連絡して、その会社を買い取ってほしいんです――手に入るかぎりの沼地もいっしょに買い取ってください」 「ちょっと待ってくれ……」  ふたたび間があき、やがてスピーカーからくぐもった話し声が聞こえてきた。 「オーケーだ」父親の声だ。「いま、手を回している。ところで、わたしに協力させるからには当然、それだけの理由があるんだろうな?」 「もちろんです。いい取り引き話があるんです。じつは未知のエイリアン新種族が沼地を捜しています。開発の必要はありません。場所を教えてあげるだけでいいんです」 「エイリアンの新種? なにか代わりに提供するものを持ってるのか?」 「交換条件は豊富な新技術です。この取り引きで新種の武器の独占生産販売権が手に入ると聞いたら、父さん、なんと答えますか?」 「どこが目新しいんだ?」 「スタンガンです。簡単に持ち運びのできるポータブルの動力パックつきで、有効射程は約三百メートル。最大のマーケットは警察でしょうが、父さんなら他にいくらでも買い主を見つけられるはずです」 「いい話のようだな、今までのところは。で、仲介業者《ブローカー》はだれだ?」  それを聞いて、フールも隊員たちもにっこりした。 「問題はそこなんです。あいにくですけどね、父さん、ブローカーはこのぼくなんです。でも、心配ありません。父さんが協力してくれれば、必ずなんとかなります」 「よし……いいだろう。この前と同じだな。少し落ち着いて、くわしい話を詰める用意ができたら連絡してくれ。足もとを見るなよ。歩合は、こっちにまかせるんだぞ。いいな?」 「わかりました。これで取り引き成立ですね。じゃあ、これで」  フールは通信を切った。そして、エイリアン襲来の第一報を受けて以来、初めて深々と安堵の息をついた。  ぼくの歩合だって? そんなこと考えてもいなかった。いや、待てよ。ゼノビア人には沼地の鉱物採掘権なんて必要ないんじゃないか――この惑星においても、すでにかれらが支配している領域においても。 [#改ページ]       18 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 一六二[#「執事日誌ファイル 一六二」はゴシック体]  ご主人様の経歴の一部がどこで終わり、次の部分がどこから始まるか、はっきり区切りをつけるのは困難である。だが、ご主人様が宇宙軍で迎えた最初の山場は、ゼノビア人との遭遇ではなく、軍司令部首脳たる某幹部らの視察≠ナあったといえよう。  官僚制には典型的とも言える視野|狭窄性《きょうさくせい》のため、首脳陣は、ご主人様の行動の結果よりも、そのためにとった手続きや方法に、はるかに深い関心を抱いているようであった。 [#ここで字下げ終わり]  一般大衆はふつう、宇宙軍の動向にはあまり興味がない――たとえお偉方の動向であっても。ところが惑星ハスキンの宙港に降り立ったとき、司令部からの一行は、待ち受ける市民の群れに少なからず驚いたようだ。ほとんどが野次馬だったが、一行は目ざとく、申しわけ程度に駆けつけた記者の姿を見つけた。 「惑星間ニュース・サービスのジェニー・ヒギンズです」自分の体とマイクとカメラ・クルーを盾にリポーターが、最初に出てきた幹部の行く手をさえぎって名乗りを上げた。「ここ、惑星ハスキンに駐留中の宇宙軍オメガ中隊長ジェスター大尉を、先日のゼノビア人との対決の件で処罰するためにいらしたというのは、事実ですか?」 「ノー・コメント」  バトルアックス大佐が、口の中でもぐもぐいって邪魔物をすり抜けようとした。フールのマスコミに対するあしらい方にはもちろん批判的だったが、実を言うと、大佐自身でリポーターを相手にした経験は数えるほどしかなかった。そのわずかな経験から、リポーターに対しては用心深く身構えるようになっていた。 「ではもしジェスター大尉が処罰を受けずにすむのなら、なぜあの事件の直後に指揮権を解かれ、今も軟禁状熊に置かれているのでしょう?」リポーターはしつこく迫った。 「取り調べによって行為の合法性はもとより、妥当性が裁定されるまで、ジェスター大尉の権限を一時停止するのが、われわれの奉仕する文明惑星市民に対する義務だというのが、宇宙軍の意向よ」女性大佐は応じた。  ブリッツクリーク大将は、宇宙軍を統帥する評議会のメンバーたる三将軍の一人である。大将もバトルアックス同様、この歓迎ぶりには内心驚いていた。だが退役を間近に控えた今は少しぐらいマスコミに顔をさらしても求職活動の妨げにはならないだろう――そう即座に判断をした。かえって、もし仕事が見つからない場合に書く回顧録の出版元をつかむチャンスが増えるかもしれない。 「では視察の本当の目的は、ジェスター大尉をうわさどおり軍法会議にかけるというよりも、ただの事情聴取を行なうためなんですね?」リポーターのジェニーがダメを押した。 「そのとおりだ」大将が答えた。「取り調べの結果、必要とあらは軍事法廷を開催する準備を整えてきてはおるがね」  大将としては、軍事法廷が開かれたときのために予防線を張っておいただけだったが、リポーターは、大将の言外の含みにすかさず飛びついた。 「ジェスター大尉は惑星ハスキンの居留地に侵入したエイリアンの脅威を未然に防いでくださいました。それなのに、なぜジェスター大尉が宇宙軍の軍事法廷にかけられ、懲罰《ちょうばつ》を受けるのか、視聴者に説明していただけますか?」  大将はリポーターにけわしい鋼《はがね》のような視線を浴びせた。 「お嬢さん」大将はいった。「惑星間ニュース・サービスのリポーターといったね?」 「ええ、そうです」ジェニーはきっぱりと答えた。この問いの意図がいったいどこにあるのか内心どきどきしている。 「ジェスター大尉にゼノビア人のような未知のエイリアン民族と和平協定を結ぶ権限があると思っとるのかね?」 「もちろん、思っていません」 「失礼、ヒギンズさん」バトルアックス大佐が、自己に課した沈黙を破って口をはさんだ。 「あなたがリポーターとして――あるいは、どんな資格でもいいけど――敵対するかもしれない未知のエイリアンと出会ったとしたら、いったいどうします? 自分や他の人に対して当面の脅威となるものを除去するのは必要とあれば、権限などおかまいなしにどんなことを言ったりしたりしても、それは正当な行為になるとお思いにならない?」 「もう充分だ、大佐」リポーターが返事をする前に、大将がピシリといった。「このインタビューはすでに終了したものと考える、ヒギンズさん。いずれ事情聴取をしてから、宇宙軍の立場は公式声明として発表されるだろう」  大将はきびすを返し、バトルアックス大佐を従えて宙港ターミナルまで闊歩していった。  一行の| 殿 《しんがり》をつとめるジョシュア少佐は、しかめ面で不快感を表わしている。旅のあいだ中ずっと、大将と大佐のあいだで交わされたこの議論を、少佐は無言で見守りつづけてきた。旅行が始まったときから、両者はいっこうに歩み寄りを見せなかった。いずれにせよ、この議論自体はなんらかの形で終わりを告げるだろう。軍事法廷後のオメガ中隊の解体と再編成を監督するため、ジュシュア少佐が中隊の指揮をとることになる……というのは、大将が軍事法廷を開くと決めているからだ。少佐自身は、中隊の解体にも再編成にも、あまり熱意を持っていない。しかし、そのどちらも避けては通れないようだ。 「侵入したエイリアンの脅威を未然に防いでくださいました≠ゥ」大将はリポーターの声色をまねていきりたった。「まだ、そんなたわごとを信じとるのか?」 「お言葉ですが大将閣下、これはお認めいただかなくてはなりません。宇宙軍がマスコミからヒーロー扱いきれるのは、喜ばしい変化ではないでしょうか?」バトルアックス大佐は、大将の気にさわると知りながらも思わず進言した。 「もしあれが許されるというなら、それはそれでけっこうなことだ」大将はじれったそうに怒鳴った。「報告によると、ゼノビア人は死ぬほど怖がっていて、ただ自分の体の獣皮が無傷なうちに、惑星から逃げだしたいと思っていただけなのだ。あれは絶対に侵略ではなかった」  マスコミが作り上げた印象を正す無数の機会を逃したのは、大将自身ではないかと指摘したいのを、大佐も少佐もじっとこらえていた。司令部には、ゼノビア人の侵略≠ニいうストーリーから生まれた宇宙軍に対する好意的な評判を維持したいという暗黙の合意があった。意見が分かれたのは、事件の焦点にいる男を処罰しても、その評判が保てるかどうかという点だった。バトルアックス大佐はそれをいぶかっていたのであり、そもそもフールを罰したいとは思っていない。  一行は、宙港の特別集会室に落ち着いた。大将は、中隊が目下所有している施設を事情聴取の場として使ってはどうかという勧めを、操りかえし断りつづけた。 「当地でジェスター大尉は、かなりの人気を博しているようですわ」大佐が、ふたたび話を切りだした。「行為の是非はともかく、大尉とその荒くれ部隊は現在、居留地で賞賛の的になっています」 「だからこそ一刻も早くこの件を片づけて、やつを追いだしたいのだ」大将は応じた。「ところで、なんで遅れとる? ジェスター大尉はどこだ?」 「隣室に待たせてあります」ジョシュア少佐が答えた。「われわれの到着する前からずっと」 「では何を待っとるんだ?」 「法廷の書記を捜しております、閣下。どこかで迷子になっている様子でして」 「とにかく、始めませんか?」バトルアックス大佐が、さりげなく提案した。「まずは尋問から」 「いや、だめだ」大将が却下した。「あいつの面の皮を壁に釘づけにするときは、すべて法にのっとって行ないたい。手続きの過誤による抜け穴がいっさいあってはならぬ。やつはなんとかして抜け出ようとしているだろうからな。少佐、書記を捜しにいってこい……おい、あれはいったいなんだ?」  建物の外でエンジンの力強い音がプルンプルンと、やかましく響いた。話しあいのあいだに穏やかに始まったものが、次第にボリュームを上げ、今では無視できない状態になっている。  ジョシュア少佐は窓に歩み寄り、シャトル離着陸場を見おろした。大将と大佐の視野には入らない何かを凝視している。 「大将」そのまま、振りかえりもせずにいった。「あれをごらんになった方がよろしいかと存じます」  騒音の正体は、一ダースものホバーサイクルだった。ライダーは全員が中隊員で、エンジンをふかしつづけている。さらに目を引くのは、ホバーサイクルに先導されている行進だった。  全中隊員がうち揃って、シャトル離着陸場と宙港とのあいだのスペースに入ってこようとしている。レッド・イーグルズが競技会で行なう華やかな演技などはない。だが、近づいてくる行進にこめられた決意の何かが、見る者に強烈な印象を与えていた――威嚇《いかく》しているのではなく、ただ完全な隊列を組んで整然とやってくるだけなのだが。さらにこの印象は、装填ずみとおぼしき武器を含む、フル装備と戦闘服に身を包んでいるという事実で、いやがうえにも強められている。  軍曹たちの怒号のような命令が響きわたり、隊列はぴたりと静止した。全員が直立不動の姿勢をとっている。と同時にホバーサイクルのエンジンのスイッチもいっせいに切られた。しばらくのあいだ、それまでの騒音を上回る残響がこだまするかのような静寂が続いた。 「いったい全体、あそこで何をしとるんだ?」大将がいった。大佐や少佐と同じように窓外の光景に目を奪われている。 「推測を口にしてよろしければ、閣下」バトルアックス大佐が隊形に日を吸いつけられたままつぶやいた。「中隊長に対する支持を表明するデモ行進ではないかと思います」 「あれがデモだと? まるで宙港を強襲しそうな勢いじゃないか」 「平和的なデモ行進だとは申し上げませんでしたわ」大佐は、くそまじめな笑みを浮かべた。 「やつらの武器には弾薬挿弾子がついとるぞ」大将が目ざとく見つけた。「だれが許可した? ジェスター解任後、いったいだれを中隊長代理に任命した?」 「最上級の階級を持つレンブラント中尉です」バトルアックス大佐が答えた。「今、隊列の先頭におります。レンブラントの横に立っているのが、もう一人の中尉であるアームストロングだと思います。どうやら、われわれとシャトルとのあいだに隊列が陣取っているようですわ」 「地元の警察を呼びましょうか?」ジョシュア少佐が不安にさいなまれて訊いた。 「やつらはわれわれの僚友ということになっておるのだ、少佐」大将はピシリと切りかえした。 「仲間から身を守るために警察を呼んだとあっては、相当なまぬけに見えるのではないかね?」 「仰せのとおりです、閣下。申しわけございませんでした」 「外へ出て隊列の指揮をとれ、ジュシュア少佐。やつらを解散させ、兵舎に戻って次の命令を待つように言え」 「わたくしがですか、閣下?」  運よくその瞬間、救世主が現われた。行方不明だった法廷書記が部屋にそっと入りこみ、記録装置のそばの定位置に座った。なぜか幸せそうな表情で、窓の外で起こっていることにはさっぱり関心を示していない。さえない馬面《うまづら》の女性だ――ホロ画面では典型的にセクシーな秘書に見えたのに。 「遅くなってすみません、大将」書記が声をかけた。 「いったいどこにおった?」怒りと不安のはけ口を見つけて、大将が詰問した。 「さしでがましいようですが」バトルアックス大佐が中に入った。「今は一刻も早く訴訟手続きに入るのが大事かと思います――これ以上遅延させてはなりません」 「おお! そうだ……そのとおりだった。ありがとう、大佐。こちらの準備は整ったとジェスターに言ってやれ」  フールが入室する寸前に、軍事法廷の判事トリオは着席した。フールは気あいを入れて正確に部屋の中央まで大股に歩き、きびきびと敬礼した。 「ジェスター大尉であります……ご命令により出頭いたしました、閣下!」  ブリッツクリーク大将は、法廷書記のほうを見やりながら、ぞんざいに手を上げて敬礼を返した。 「ジェスター大尉の行為を事後審理するため、審理法廷が召集されたと記録にとどめ置くように。本官が統括し、陪席者はバトルアックス大佐とジョシュア少佐である」  大将は目の前の人物に注意を向けた。 「さて、大尉」うちとけた口調で言った。「われわれがなぜここにいるか、もちろん分かっているだろうな」 「いいえ、閣下。見当がつきません。本官の行為が事後審理の対象になると申し渡されましたが、本官といたしましては、そうした吟味を受けるべきいかなる行動もとった覚えがございません」  この陳述には、バトルアックス大佐ですら驚いた。フールが抗弁しなくても、バトルアックス大佐は好意的な審理を行なうつもりでいた。まさか本人が無罪を主張して自己弁護しようとは思いも寄らなかったのだ。  これは不吉な雲行きだ。せめて権限を踏みはずさざるをえない状況だったと主張すれば、情状酌量の余地があった。それを、自分に非のあることを認めないとなると、その余地がなくなる。  これで勝ったも同然――大将は頬に獲物を狙うサメのような笑みをうかべた。 「ジェスター大尉、きみは自分に未知のエイリアンと和平協定を締結する権限があると考えておるのかね?」 「いいえ、閣下。そのような権限は、連合評議会だけに属するものであります」 「ほう、すると……」 「しかし閣下のご質問が本官や部下にどのような関わりがあるのか皆目、見当がつきません」 「分からんだと?」大将は眉をひそめた。 「大将……よろしいでしょうか」バトルアックス大佐がすばやく割って入った。「ジェスター大尉、ゼノビア帝国臣民との先の会談を、どう申し開きするつもり?」 「はい、大佐、本官は中隊員と未知のエイリアンとのあいだに小競りあいがあったという報告を受けました。それで、ただちに警備契約を結んでいる鉱山労働者の安全確保対策を講じました。しかるのち、エイリアンが居留地やわが連合全体に対する脅威となるか判定するため、先方の指揮官と接触しました。話しあいの結果、先方の駐留は計画的なものでも攻撃を目的としたものでもなく、単に装置が故障したためであるということを、そして小競りあいが生じたのは両陣営がたがいに不安をいだき、相手の正体を知らなかったからであることが明らかになりました。それで、こちらから謝罪したところ、先方はそれを受け入れてくれました」 「それから……」しばらく沈黙が続き、大将がうながした。 「以上が、本官とゼノビア人との公式交渉のすべてであります。閣下、これは宇宙軍の現地指揮官に与えられた指針を逸脱するものではないと確信しております」 「沼地と武器を交換する協定のほうはどうなんだ、大尉?」  フールは無邪気な表情で答えた。 「たしかに本官はその契約の仲介人の役割を務めました、閣下。しかしそれは後日のことで、本官が非番のときにおこなったことであります。この契約は二人の個人のあいだで――具体的にいうと、ゼノビア人探険軍クァル航宙大尉と本官の父とのあいだの商取り引きであります。本官の知るかぎりでは、わが連合にもゼノビア帝国にも、この取り引きが拘束や影響を及ぼす可能性は、まったくありません。先に申し上げましたとおり、単に二個人間の貿易契約であり、この件における本官自身の役割は、軍規で許されている――」 「そんなことは知っているわよ、大尉」なんとか笑顔を作りながらバトルアックス大佐が口をはさんだ。「あなたの記録には軍規が引用されてばかりいるわ」  ブリッツクリーク大将は驚きと困惑の表情で首を横に振った。 「これが合法的だと? つまり連合未加盟のエイリアン種族と商売をすることがか」 「本官の関知しますかぎり、このような契約を禁じる特別な法律はありません。もしわれわれがゼノビア人と戦争状態にあれば、話は違ってくるでしょうが、連合に加盟しておらず、実際に戦争状態にもない知的エイリアンとの取り引きを禁じる法律はないと信じます」フールはすらすらと答えて大佐と少佐に微笑《ほほえ》みかけた。「税金取りはこの取り引きに異議を申し立てる根拠をなんとか見つけようとするかもしれません。そのような論争に備えてフール・プルーフ武器製造会社は、法律専門家を雇っております。本官の最初の主張を繰りかえしますと、この件の適法性を問う問題が仮に存在するにせよ、なぜそれが宇宙軍や本官、特に本官の指揮する中隊に関係するのか、その理由が思い当たりません」  マスコミとの短い会見で、宇宙軍のジェスター大尉に対する違法行為の嫌疑が晴れただけでなく、同大尉にゼノビア事件を解決した功により勲章が授与されたと発表された。一躍名士となったフールは静かに酒をくもうと、近くのバーに引きこもった。宙港内のバーだ。 「やれやれビーカー、これで肩の荷が下りたよ。一時は、あまりにも非常識だという理由で銃殺されるかと思ったぜ」 「お疑いが晴れてよろしゅうございました、ご主人様」執事は自分のグラスを乾杯のしぐさで掲げてうなずいた。 「隊員がああいうデモをしたことも、まったく問題になってないよ」そう言ってフールは物思いにふけった。「中隊の有価証券一覧表《ポートフォリオ》の収益が公表されたとき、みんなの反応はどうだった?」 「まだ発表は行なわれていないと存じます、ご主人様。わたくしがその知らせを伝えましたとき、中尉たちはデモの準備に余念のないようでございました」 「なるほど」フールは応じた。「じゃ、ぼくが自分で言おう。急に金持ちになったと知って、隊員たちはどうするだろう?」 「いつかお尋ねしようと思っておりましたが、ご主人様、あの有価証券一覧表《ポートフォリオ》でなきっている投資は……法的にも倫理的にも、公明正大だと言いきれるのでございましょうか?」 「どういうことだ、ビーク?」 「つまり、ご主人様が大株主でいらっしゃる会社の株を買うのは――とりわけ合併や新製品開発の発表直前である今は――インサイダー取り引き≠ニみなされるのではないかと危惧しておるのでございます」 「ナンセンス」フールは平然と笑いとはした。「偶然だよ偶然……それに、ぼくが自分の事業を信頼して投資しなかったら、だれが投資するんだい?」 「ま、ご主人様がそうおっしゃいますなら」 「今晩夕飯をいっしょにどうだい、ビーカー? 実を言うと今日は、中隊の制服を見たくない気分なんだ」 「残念でございます、ご主人様。ディナー・デートの約束がありまして」 「ほう?」フールは問いかけるように肩を上げた。 「法廷書記とでございます」執事が打ち明けた。 「本当か? あの女性が、きみのタイプだとは思わなかったなあ」  ビーカーは溜息をついた。「もちろん、あたくしの好みのタイプではございません。しかし、中隊員のデモ行進が到着するまで引き止めておく程度まで話が弾みました」 「そいつは、すばらしい。では、ビーク、遠慮なく出かけてくれ。勘定は、ぼくのツケにしていいよ」 「ありがたく、そうさせていただきます、ご主人様」  シャトルの中でバトルアックス大佐は、フールたちとは違う内容の会話をしていた。 「まことに、大将閣下、ジェスター大尉はオメガ中隊を根本から変えてしまいました。中隊長危うしと知って隊員がいかに結集したか、ごらんになられたことと思います。そのうえ、マスコミの人気も高いものがあります。あの中隊に対する評価が今や一変しました。ジェスター大尉は宇宙軍の最精鋭部隊を率いていることになりますわ。閣下は違うお考えかもしれませんが、あたくしは、この人気を利用したほうがいいと思います。この沼の警備などをさせておいてはもったいないですわ」 「ああ、わしも、あの中隊の任務を考えなおすつもりでおるよ、大佐」大将は答えた。「わしの机の上には、あの中隊の力にふさわしい事態がいくつかある。一度、あの連中がどんなにすばらしい|悪党ども《トラブルバスターズ》か……あるいはそうでないかをはっきり確かめてみよう」  大将の漏らした笑みには、温かみのかけらもなかった……。 [#改ページ]     解説 [#地付き]大森 望  「ごっつぅひさしぶりやん、元気してた?」 「ま、ぼちぼちやな。会社やめてからヒマでヒマで。どや、最近なんぞおもろい本ないか?」 「せやねえ、これなんかどう? めちゃ笑えるで」 「『銀河おさわがせ中隊』? しょむないタイトルやなあ、翻訳もんのくせしよってからに。だいたい、おさわがせ≠ソゅうのは英語でなんていうんや?」 「いや、原題はたしか、『フールズ・カンパニー』いうて……」 「なに、『フールズ・カンパニー』? アホの会社? ほう、吉本興業の本かいな」 「あはなこといわんといて。フールいうてもスペルは Phule で、これが主人公の名前なんよ。ま、アホのフールともひっかけてあるけど。カンパニーは会社やのうて、軍隊用語で中隊いうほうの意味やねん」 「アホの坂田の軍隊か。で、どんな話?」 「うん、そのウィラード・フールが、宇宙軍の中尉やってんけど、めちゃめちゃなドジを踏んでもうて、辺境の惑星に飛ばされてまうねん。で、どうしようもない落ちこぼれを集めた中隊の指揮官になって、それをなんとか立てなおす、と」 「『ポリス・アカデミー』そのまんまやないか。しばくど、しまいにゃ」 「そう思うやろ。それがちゃうねん。きっちりひねってあってやね、このフールゆう人が、めちゃめちゃ金持ちなんよ。銀河系最大の武器メーカーの御曹司《おんぞうし》。自分でも商売の才覚があって、親から借りた資金を元手に稼ぎまくって、銀河有数の億万長者になっとんわん。せやし、問題はみんな金で解決する」 「おお、こんどは筒井康隆の富豪刑事」か。金持ちの軍人とは考えよったな」 「ほんで、ちゃんと執事までおんねんやんか」 「おお、冬はええわな。ふかふかでぬくいし、女っ気がのうてさびしい夜も……」 「あほ、それはヒツジや。こっちはシツジ。先祖代々、ご主人に仕える、忠実で沈着冷静なバトラーちゅうやつ。はら、イギリスの映画とか小説によう出てくるやん。びしっとスーツ着てて。ごっつう渋いねんで。うち、いっぺんでええから実物見てみたいわあ」 「そんなもん、うちに来たらなんばでもおるで。わしなんか、毎晩、執事の数かぞえながら寝てるくらいや」 「ひつこいな、あんたも。まあ、それはともかく、この本は、その執事がご主人さまの活躍を書き留めた日誌、ゆう体裁になってるわけ」 「軍隊に執事連れてってどないすんねん。どうせやったらメイド連れていかんか、ぼけ。軍隊いうたら男ばっかしやろ、そらみんな喜ぶで、メイドの土産≠ェ来たいうやないか」 「いや、宇宙軍いうのは、正規軍とちごて、あんまし権威がないねん。戦争もあんまりしてへんみたいやし。せやから、入りたい人間はだれでもはいれて、女の子もぎょうさんおんねん」 「『オネアミスの翼』みたいやな。王立宇宙軍のほうは女っ気なかったけど」 「で、主人公のフールが中隊に赴任すんねんけど、田舎の星のことや、兵舎とかやたらにボロっちいねん。こんなんではあかん、ゆうてな、フール中隊長はんが、まるごと土地・建物を自分で買い取って、リゾートホテル並みの駐屯地《ちゅうとんち》を建設するわけや。その工事のあいだ、中隊の人間二百人引きつれて、その星でいちばん豪華な高級ホテルに乗りこむ、と。ごっつええ感じやろ?」 「おまえはダウンタウンか。せやけど軍隊がホテル暮らしやて? わしなんか、三年前に桜ノ宮のホテルで二時間休憩したんが最後やど」 「連れ込みにホテトル嬢呼ぶのといっしょにせんといて。日本でいうたら、オークラとかニューオータニ級のホテルやで。そういうホテルの中で、はみだし中隊のドタバク訓練がはじまるというわけや」 「んなもんがおもろいんか」 「ほんま、最高やで。絶好調の紳助くらいはいくわ。だいたい集まってる連中が連中や。武器や装備をかたっぱしから横流ししてる補給担当軍曹やろ、やたら気の短いチビ女やろ、対人恐怖症でだれとも話がでけへん恥ずかしがりやろ、平和主義者で鉄砲撃てへん、身長二メートルの怪物みたいな顔した異星人やろ。そういうハミダシ連中が、だんだんいっちょまえになってきて、クライマックスは、正規軍の最精鋭部隊との勝負。めちゃめちゃ燃えるやんか。阪神が優勝したときを思い出したわ」 「聞いてると、なんや『がんばれベアーズ」か、『アパッチ野球団』みたいやな」 「ふっるいなあ、あんたも。ま、そういうのんのミリタリーSF版ゆう感じもあるけど、早い話、『富豪刑事』プラス吉岡平の〈宇宙一の無責任男〉シリーズのノリやわ」 「ほなC調か」 「あっちは|平 均《たいら・ひとし》でこっちはフールやし、ま、近い線とちゃう? タイラー艦長にはじゅうぶん張りおうてるわ。そうそう、作者の名前がまたえらいかわいいねん。アスプリンやて」 「アスプリン! けったいなやつやな。親の顔が見たい」 「親がつけたんちゃうて、名字やろ。バスクリンみたいでおしゃれやわあ」 「どこがや。風呂入れたら緑色になんのか、その本は」 「うん、ようあったまるし、頭痛なんか一発で治るよ」 「あほ、それをいうならアスピリンじゃ」 「失礼しました、ほなさいなら」  と、そんなわけで……もくそもないのだが、本書はロバート・リン・アスプリンが一九九〇年に発表した長篇 Phule's Company の全訳である。ユーモアSFの長篇でほんとに笑えるのって意外と少ないんだけど、これは正真正銘、爆笑の一冊。なんなら吉本新本格スペオペと名づけてもらってもいいのだが、ディクスン&アンダースンの〈ホーカ〉シリーズや、ハリイ・ハリスンの『宇宙兵ブルース』なんかと互角に張れる、近来まれに見る上質のユーモアSF。正直、どうせまたB級量産型スペオペとタカをくくってたんだけど、おみそれしました。作家の数が多いだけあって、アメリカSFは奥が深い。  ――てな話はですね、わたしを信用して本文をものの十ページも読み進んでいただければ一発で了解できることなので、これ以上ごたくは並べず、すみやかに解説者のつとめをはたすことにしたい。アスプリンの作品が邦訳されるのは本書がはじめて。となれば、当然、毎度おなじみ作者の略歴紹介が幕をあける。  ロバート・リン・アスプリンは、一九四六年ミシガン州生まれ。兵役終了後、会計係、給与アナリスト、原価会計士など、事務関係の地道な職業を転々としたあと、一九七七年、The Cold Cash War で作家デビュー。これは、タイトルが示すとおり、近未来の企業間戦争を扱ったハイテク近未来サスペンスSFで、当時としてはけっこう斬新な内容。ハイテク企業に会計士として勤務した経験がみごとに生かされたわけで、へんてこな名前ともあいまって、日本のSFマニアのあいだでもそこそこ話題になった(というか、名前を覚えられた)。  さて、作家デビュー直後から、アスプリンは量産体制に突入、七九年には、爬虫類《はちゅうるい》エイリアンと昆虫型エイリアンの戦争を描く異色のミリタリーSF( The Bug War )、宇宙海賊ハンターを主人公にしたスペオペ(Tambu)、さらにはジョージ・タケイ(そう、〈スター・トレック〉のあの人ですね)と合作した、近未来産業スパイもの+忍者アクションのいかにもきわものっぽいサスペンス(Mirror Friend, Mirror Foe)と、たてつづけに三長篇を発表している。  もっとも、皮肉なことに、アスプリンの名前を一躍有名にしたのは、これらのSF長篇群ではなく、リン・アビイと共同で編集したアンソロジー・シリーズだった。その第一冊目が、一九七九年、エース・ブックスから出版された『盗賊世界』 Thieves' World(創元SF文庫より刊行予定)。ファンタジイやRPGに興味のある人なら、名前くらいは聞いたことがあるかもしれない。共通の舞台やキャラクターを使って複数の作家が競作する、いわゆるシェアードワールド・ファンタジイ≠フ嚆矢《こうし》となったシリーズである。サンクチュアリと呼ばれる都市が舞台で、フリッツ・ライバーの名作〈ファファード&グレイマウザー〉シリーズの雰囲気を想像していただければ、あたらずといえども遠からず。  アスプリンとアビイは、まず、それぞれのキャラや舞台となる世界について詳細な設定資料を作成(テーブルトークのロールプレイング・ゲームでゲームマスターがやる作業ですね)。それをいろんな作家のところに送りつけ、殺さないかぎりどんなふうに使ってくださってもいいですから、これで小説を書いてみませんか……ともちかけて、紆余曲折《うよきょくせつ》のあげく、どうにか第一巻刊行に漕ぎつけたという次第。この企画が、八〇年代からのファンタジイ・ブームに乗って大当たり、現在までに十数冊を数える人気シリーズとなって、類似企画も続々と登場、アスプリンは、シェアードワールド・ファンタジイ生みの親(の片割れ)として、歴史に名を残すことになる。 〈盗賊世界〉シリーズの編集と同時に、アスプリンはみずからもファンタジイ・シリーズをスタートさせる。主人公は、安全確実な盗みを実現するために魔法使いに弟子入りした少年、スキーヴ。ところが、お師匠さんがあっけなく殺されてしまい、異次元から召喚された魔物、アーズとともに、世界支配をたくらむ異次元生物と戦うはめに……。ひとことでいうと、『うしおととら』の西洋版のようなこの〈スキーヴ&アーズ)シリーズ(別名〈Myth〉シリーズ)、タイトルがことごとく駄洒落でできていることからも想像がつくとおり、地口・楽屋オチ満載の、ドタバク・ユーモア・パロディ・ファンタジイ。〈盗賊世界〉同様、これまた大成功をおさめて、合本やグラフィック・ノベル(イラスト入り単行本)まで含めると、現在までにトータル十三冊という長寿シリーズになっている。  そんなわけで、ファンタジイの世界で大成功をおさめたアスプリンが、久々にSFに復帰、故郷に錦を飾ったのが、この『銀河おきわがせ中隊』。売れる小説≠フノウハウを、お得意のミリタリーSFのジャンルにこってり盛りこんで、あっという間に読める爆笑のエンターテインメントが誕生したわけだ。いよいよ本格的にフール中隊の活躍がはじまる……というところでのジ・エンドに不満を持った方もいらっしゃるだろうが、もちろん、この話にはつづきがある。すでに刊行されている第二巻、Phule's Paradise では、われらがフール中隊は宇宙ステーションのカジノ警備の任務につくことになる。はやくつづきが読みたい! とおっしゃる向きは、ハヤカワ文庫SF編集部に続刊希望のお便りをどうぞ。  最後に、アスプリンの著作リストを掲げる。重複を避けるために、長篇を合本にした〈スキーヴ&アーズ〉シリーズのオムニバス単行本は除外してある。また、前述のとおり、リン・アビイと共同編集の〈盗賊世界〉シリーズが現在までに十三冊あるほか、リチャード・ピニ、リン・アビイ、アスプリン編の別シリーズのシェアードワールド・アンソロジーも刊行されている。 1 The Cold Cash War(1977) 2 Another Fine Myth(1978) 〈スキーヴ&アーズ〉シリーズ1 3 The Bug Wars(1979) 4 Tambu(1979) 5 Mirror Friend,Mirror Foe(1979) *ジョージ・タケイとの共著 6 Myth Conceptions(1979) 〈スキーヴ&アーズ〉シリーズ2 7 Myth Directions(1982) 〈スキーヴ&アーズ〉シリーズ3 8 Hit orMyth(1983) 〈スキーヴ&アーズ〉シリーズ4 9 Myth-ing Persons(1984) 〈スキーヴ&アーズ〉シリーズ5 *ケイ・レナルズとの共著 10 Myth Adventure One(1985) 〈スキーヴ&アーズ〉シリーズ *フィル・フォグリオとの共著/グラフィック・ノヴェル 11 Little Myth Maker(1985) 〈スキーヴ&アーズ〉シリーズ6 12 Duncan and Mallory(1986) 〈ダンカン&マロリー〉シリーズ1 *メル・ホワイトとの共著/グラフィックノベル 13 M.Y.T.H.Inc.Link(1986) 〈スキーヴ&アーズ〉シリーズ7 14 Duncan and Mallory:The Bar-None Ranch(1987) 〈ダンカン&マロリー〉シリーズ2 *メル・ホワイトとの共著/グラフィック・ノヴェル 15 Myth-Nomers and lm-pervections(1987) 〈スキーヴ&アーズ〉シリーズ8 16 Duncan and Mallory: The Raiders(1988) 〈ダンカン&マロリー〉シリーズ3 *メル・ホワイトとの共著/グラフィック・ノヴェル 17 Cold Cash Warrior(1989) *ビル・フォーセットとの共著 18 Phule's Company(1990) *本書 19 M.Y.T.H.Inc.in Action(1990) 〈スキーヴ&アーズ〉シリーズ9 20 Phule's Paradise(1991) *18の続編 ------------------------------------------- 底本 銀河《ぎんが》おさわがせ中隊《ちゅうたい》 ハヤカワ文庫 SF961 一九九二年二月二十九日 発行 一九九七年七月三十一日 七刷 著者 ロバート・アスプリン 訳者 斎藤《さいとう》 伯好《はくこう》 (一般小説) [ロバート・アスプリン] 銀河おさわがせ中隊.zip 17,975,581 88d1a68246af8b9e78a406035135d6cd919ca684 公開日 2011/06/22 テキスト化:スチール 校正: