銀河おさわがせマネー ハヤカワ文庫 SF1310 ロバート・アスプリン&ピーター・J・ヘック 斎藤伯好訳 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)募《つの》らせて |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)|ゲーム進行補佐《クルビエ》 底本の本文中の《》は≪≫に置き換えてあります ------------------------------------------------------- [#表紙 〈"img\APAHM_表紙.jpg"〉] [#ページの左右中央] 銀河おさわがせマネー [#改ページ] [#口絵 〈"img\APAHM_口絵1.jpg"〉] [#口絵 〈"img\APAHM_口絵2.jpg"〉]       1 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 二七八[#「執事日誌ファイル 二七八」はゴシック体]  もっとも幸運な状況でさえ、破滅の因子を含んでいる。ローレライ宇宙ステーションにおけるご主人様の中隊の任務も例外ではない。  一見したところ、ローレライのような第一級ギャンブル・リゾートでの任務は、最近まで宇宙軍の笑いものだった中隊にとって割のいい仕事かもしれない。まさしく、長いあいだオメガ中隊は無能で反抗的なクズの吹き溜まりだった。わがご主人様ウィラード・フール様(宇宙軍ではジェスター大尉≠ニ名乗っておられる)は少しばかり軽率なご行動をお取りになり、罰としてオメガ中隊の指揮官に任じられた。平和協定調印式に機銃掃射を加えるよう命令したのだから、無理もない。しかし、ご主人様は運がよかった。裕福で有名なフール・プルーフ武器製造会社の跡取り息子であるがゆえに、宇宙軍からの完全追放をまぬがれたからだ。ご主人様に荷の重い任務を与えれば、きっと苛立ちを募《つの》らせて自分から辞職するはずだと、上官のかたがたは考えた。カネ持ちのドラ息子なら、若さゆえに、またいくらでもバカな真似をしでかすだろうとの期待[#「期待」に傍点]もあった。  それにもかかわらず、ご主人様はオメガ中隊を宇宙軍で随一の集団にしようとご決心なさり、並々ならぬ手段を講じてゴールまでの長い道のりを歩みはじめた。だが、ご主人様には何人もの強敵がいる。ローレライでの任務も、ご主人様を| 陥 《おとしい》れるための罠《わな》と見受けられた。ローレライはギャングに支配され、さまざまな誘惑に満ちあふれている。中隊員の大半が破滅に追いやられても不思議ではない。しかし、おおかたの予想を裏切り、ご主人様の中隊は大成功をおさめた。これには敵も面食らった。それでも懲りずに、敵対者どもは、ご主人様を破滅させる新たな手段を見つけようとしている。  いまオメガ中隊は新入隊員を迎えようとしている。ご主人様が指揮をとられるようになって以来、いちばんと言っていいほどの大事件である。このように緊密な組織においては、いかなる人員異動であれ、大きな衝撃を及ぼす。ましてや、敵が選んだ新兵を迎えるときの衝撃は計《はか》り知れない……。 [#ここで字下げ終わり] 「もういつでもドッキングできる」  フールはクロノメーターを確認した。この五分間だけで、もう三度目だ。宇宙ステーションの到着ラウンジじゅうに、数多くの時刻表示板がある。だから、フールが何度もクロノメーターを見るのはイライラしている証拠だと、傍目《はため》には映るだろう。とめどもなくしゃべりつづけながらウロウロ歩き回っている姿を見れば、なおさらだ。フールは間違いなくイライラしていた。 「どちらにしても、二、三分遅れたところで、たいした違いはありません」と、ブランデー曹長。オメガ中隊に新《あら》たに加わる隊員をフールといっしょに出迎えにきた。「とにかく新入隊員が来たら、わたしたち全員でうまく対処します。そうできるように、わたしが徹底させてきました」 「ああ、そうだったな」フールは賞賛をこめてブランデーを見た。「新入隊員がすんなり馴染《なじ》めるように、きみは今度も全力を尽くしてくれるはずだ。きみの能力をよく知っているぼく[#「ぼく」に傍点]にはわかるよ、ブランデー。でも、今回は並みの新入隊員ではない。今までにはない珍しい事態だ」 「ガンボルト人のことですか、中隊長?」と、アームストロング中尉。新入隊員を迎えにきたのは、この男を含めて三人だ。きちんと制服を身につけ、姿勢をただして堅苦しく直立している。だが、どこか、くつろいだ表情が見える。「ガンボルト人のどこに問題があるのか、わたしにはわかりません。ガンボルト人は銀河で屈指の戦士です。そのような連中を仲間として迎え入れるのは光栄なことだと思います」 「たしかに、そのとおりだ」と、フール。「しかし、ガンボルト人は他のヒューマノイドとの混成部隊で任務を遂行したことがない。それに、今回の三人は、わが中隊への配属を特別に志願してきた。立派に任務を果たしたわれわれ[#「われわれ」に傍点]へのご褒美《ほうび》というわけだろう。でも……」しだいにフールの声は小さくなった。ブランデーは、きっぱりと首を横に振った。 「中隊員たちがガンボルト人を受け入れるかどうかが問題だとおっしゃるのですか? ご心配には及びません、中隊長。この中隊は宇宙軍でいちばん辛抱強いかもしれません。そもそも、わたしたちは、自分たちが背負わされてきた汚名を返上しなければならない立場です。同じ兵舎で暮らす仲間をバカにしてる余裕はありません」 「言い換えれば、敗北者に選択権はないということだ」と、フール。「たしかに、かつてはそのとおりだったかもしれない。宇宙軍司令部からどんな試練を与えられても、黙って受け入れるしかなかった。でも、われわれがそれを変えようとしている」 「いいえ、中隊長[#「中隊長」に傍点]はもうお変えになられました」と、アームストロング。「中隊長がいらっしゃらなければ、わたしたちは今も惑星ハスキンの沼で見張りをしていたはずです。それが今や、宇宙軍のエリート集団になりました。何もかも中隊長のおかげであります」 「いや、ぼくだけの手柄じゃない」と、フール。「チームが一丸となり、全員が貢献した結果だ。実を言うと、だからこそ新入隊員のことが心配なんだ。ガンボルト人は正規軍の中で独自のエリート集団を作ってきた。そのうちの三人がわれわれの仲間になるなんて、不思議でしかたがない。三人はわが中隊に馴染《なじ》めるのか? ほかの仲間から孤立するんじゃないか? いったい……」  だがフールの言葉は、クラクションの大音響と、到着ドアのそばで点滅する赤い表示ランプにさまたげられた。表示には、こう書いてある――〈航宙船がドッキングします。お降りのお客様を出迎えるご準備をしてください〉フールと二人の部下はドアに向き直った。もうすぐ、いくつかの疑問が解明される。  宇宙ステーションにカジノを建設する利点は、真の二十四時間営業が可能になることだ。特別な昼夜の周期がないため、来訪者は現地の時刻に合わせる必要がない。おかげで、宇宙旅行のない時代に時差ボケ≠ニ呼ばれた症状に陥《おちい》る心配もない。だから、〈ファット・チャンス〉カジノには、時刻を問わず熱心なギャンブラーたちが押し寄せる。逆に言えば、フール中隊は時刻を問わず騒動の鎮圧に乗り出さなければならない。しかし、カジノの昼間′x備を担当するマスタッシュは、本当に騒動が起こるとは予想していない。禿頭《はげあたま》で明るい赤色の|口ひげ《マスタッシュ》を持つこの長身の下士官はバーにすわり、強い風味の一杯の紅茶を飲みながら、早い午後の客たちを超然とした目でながめた。だが、何から何まで監視するつもりはない。マスタッシュの本来の任務ではないからである。不正を働く者を見つけるのは、ほかの中隊員だ。ウェイターや|ゲーム進行補佐《クルビエ》や常連客に変装して、大勢の人々のあいだに紛れこんでいる。外見は優雅なカジノだが、その裏では、最新式の監視装置の助けを借りて別の目が光っていた。  もちろん、マクシーン・プルーイット一味による事件が決着してから、騒動は少なくなった。〈ファット・チャンス〉を出し抜こうとしても無駄だ――そういう噂がギャンブラーたちのあいだに口コミで広まったせいだ。それでもまだ、警備スタッフの目をごまかせると思うケチないかさま[#「いかさま」に傍点]師もいる。しかし、すぐにペテンを見破られてさりげなくプライベート・ラウンジへ連れ出され、ステーションを出発する次の船で追放された。警備スタッフは、まさにプロフェッショナルに徹してその一連の作業を行なった。企《たくら》みに失敗したいかさま[#「いかさま」に傍点]師たちは、たいてい冷静に自分の運命を受け入れた。なにしろ、ビジネスにはそういう危険が付きものだ。  だからこそ、イヤホンから静かな声が聞こえてきたとき、マスタッシュは驚いた。中隊員たちがマザー≠ニ呼ぶローズの声だ。マザーは通信センターで、中隊員たちをつなぐ大事な連絡役を務めている。 「目を覚ましなさい、老いぼれさん」と、マザー。からかう口調だ。「どうやら危ない取引が始まりそうよ。あなたのようなお年寄りに昼寝が必要なことは知ってるわ。でも、こんなお楽しみを見過ごしてまでまどろむ[#「まどろむ」に傍点]なんて恥よ」 「どこで不正行為があったって?」マスタッシュは飛び起きた。ささやくような声だ。だが、腕輪通信器の超高感度の指向性マイクなら、隣のテーブルの人間には聞こえない小声でも拾ってくれる。 「ブラックジャック・テーブルよ、ダーリン」と、マザー。「そこの五番テーブルで、夫婦者と思われる男女が手のひらに隠したカードをこっそり回してたわ。わたしから女性ディーラーに知らせて、時間稼ぎをしてもらってるところ」 「ようし」マスタッシュは立ちあがった。「その区域を警備しているのは誰だ?」 「ディーラーは雇われの民間人よ。トラブルの始末は警備スタッフにまかせて、任務の邪魔をするな――そう命令を受けてるの。問題の部屋の周囲に、中隊員を装った俳優をふたり配置してあるわ。本当は、そのふたりに何とかしてもらいたいんだけど。でも、いかさま[#「いかさま」に傍点]師たちに逃げられないよう近くの非常口にガブリエルがいるわ。それに、万一ガブリエルが助けを必要とした場合のために、同じ区域をスシとドゥーワップが極秘に警備してるの。すでに、ふたりは五番テーブルに向かってるわ。ねえ、おじいちゃん、どうなるか見てるだけで震えてきそうでしょう? どうせ、いかさま[#「いかさま」に傍点]師たちは、あなたをどこかの普通の小父さん≠ニしか思わないわ」 「わかった、マザー。ついでに、そのいかさま[#「いかさま」に傍点]師たちをきみに引き合わせてやるよ」マスタッシュは笑った。  もちろん、そんな危ない目をするつもりはない。ギャンブル・テーブルが徹底的に監視されていることを、わざわざ敵に知らせるのは、不合理だ。まともな客まで財布のひもを固くしかねない。それに、プロのギャンブラーに警備の内幕を見せるのは、「このカジノをつぶしてください」と言うに等しい。  マスタッシュは芸術的なすばやい動きで席を離れた。だが、ことさら急いでいる様子は見せない。あわてる下士官を見たら、ほかの中隊員は自分たち全員にとって[#「自分たち全員にとって」に傍点]憂慮すべき事態が起こったと思うだろう。かつてマスタッシュは正規軍のベテラン下士官だったが、強制退役後に宇宙軍に加わった。いかにも軍人らしいきびきびした態度と、慎重に磨きあげられた英国の特務曹長%I雰囲気が、〈ファット・チャンス〉の秘密警備任務の隠れみの≠ノふさわしい――そうフールは認識した。まずマスタッシュと中隊の制服を着た俳優たち(本物の中隊員と同じように、どんなに手強《てごわ》い事態にも対処できる)が人目を引きつける。そのあいだに本当の警備チームが準備を進め、敵に気づかれないうちに、どんな危険にも対応できる態勢を整えるというわけだ。  マスタッシュが量子スロットマシーンの列を回って、カジノのブラックジャック区域に入ったとき、まさにその事態が起ころうとしていた。五番テーブルの空《あ》いた席にドゥーワップがいる。そこから手を伸ばせば届くほど近くに、ずんぐりした一人の男がすわっていた。灰色の髪。明るい色のシャツと、仕立てのいいビジネス・スーツ。その横にいるのは、男と同年代の女だ。やや身体の線が出すぎるドレスを着て、けばけばしく染めた髪を大げさに結《ゆ》いあげてある。一見すると、妻といっしょに休暇を楽しむ旅のセールスマンという感じだ。しかし、もしマザーの言うとおりなら――たぶんそのはずだが――この二人は、いかさま[#「いかさま」に傍点]師という正体を隠すために無邪気な旅行者を装っている。テーブルの端《はし》に立っていたスシがテーブル全体を見渡した。ゲームを始める前に、このテーブルでカードがどう流れているかを見極めているといった体《てい》だ。マスタッシュが視界に入ると、女性ディーラーは目をあげた。マスタッシュは女性ディーラーにウインクした。この些細《ささい》な事件も、もうすぐ解決する。マスタッシュは前に進み出て、男の肩に後ろから軽く手を置いた。 「失礼ですが、お客様」バカ丁寧だが、まぎれもなく力を見せつける口調だ。男は肩ごしに振り返り、チラリとマスタッシュの黒い制服を見た。次の瞬間、誰も予想しなかったことが起こった。その男女がいきなり自分たちの椅子を後ろへ引いたのだ。思わずマスタッシュはよろめいた。マスタッシュが体勢を立て直す間《ま》もなく、女はクルリと身体の向きを変え、マスタッシュの腹に集中パンチを浴びせた。マスタッシュは女よりもずっと背が高い。目の前にあるマスタッシュの腹部は、女にとって殴りやすい標的だ。  女はマスタッシュが予想したよりも強かった。この中年旅行者を撃退するために、マスタッシュは今まで積んだ訓練をすべて思い出さなければならなかった。だが、マスタッシュのほうがリーチは長い。そこで、女がすわっていた椅子をつかんで目いっぱい向こうへ押し戻し、そのまま腕を突っ張りつづけた。女はテーブルと椅子にはさまれる形になった。マスタッシュにパンチを食らわそうにも手が届かない。やがて、ドゥーワップが近づいてきた。マスタッシュを助太刀《すけだち》するためだ。さらに、遠くから黒い制服の集団が近づいてくる。今のマスタッシュにできるのは、このまま女を押さえつけ、連れの男が女を助けようという気を起こさないことを祈るだけだ。運がよければ、かすり傷ですむかもしれない。  しかし、連れの男にも、それなりの考えがあった。男は女を救おうとはしなかった。その代わりにテーブルに飛び乗り、スシにフライング・キックを見舞った。  スシは争いから少し離れ、すでに体勢を整えていた。男女のどちらかが逃げだそうとしたら、いつでも阻止できる。だから、不意打ちを喰《く》らっても、見事な反射神経と訓練のおかげで危機を回避できた。普通なら、相手のキックをかわそうと首をすくめるところだ。だが、スシは後ろに身をそらした。男の足は標的を失い、虚《むな》しく空《くう》を切った。さらにスシは、勢いあまって宙に舞う男の腹部に体当たりを喰らわせた。男の体勢を崩すためだ。作戦は成功した。ぶざまに男は椅子の上に落ち、椅子の後ろ脚がパリッと大きな音を立てて折れた。  しかし、男を突いた勢いで、スシもバランスを崩した。クルクル回って後ろのテーブルにぶつかり、床《ゆか》に四つん這《ば》いに倒れた。しかも、男のすぐそばだ。スシは飛び起き、戦う構えを見せた。男が逃げてくれればいいのだが……。いや、そうでなくても、呆然と床に横たわっていてくれたら……。だが意外にも、男はきちんとファイティング・ボーズを取っていた。もはや、そんなことをしても意味がない。自分が中隊員たちに囲まれていると、男は悟ったはずだ。逃げるつもりがないなら、不正を暴《あば》かれたとたんに黙ってあきらめるべきだった。いや、まさか…‥  あらためてスシはまじまじと敵を見た。ゆったりしたスーツに灰色の髪――近くでよく見ると、染めてあるらしいとわかる。ほんとうは男盛りと言っていい。明らかに武術で鍛えあげたたくましい身体。アジア系の顔。不意にスシは理解した。  スシは立ちあがり、ゆっくりとお辞儀した。 「あなた様をお待ちしておりやした」声を落とし、日本語で男に話しかけた。「耳寄りな仕事がございやす。しかし、部外者の前ではお話しできやせん」 「わしらの組はペテン師と取引しねえ。わしの今日の仕事は、おまえを殺すことだけだ」と、男。唸《うな》るような声だ。 「そう判断をくだすのは、ちと早計でございやす。ほら、このとおりです!」スシは左手でそっと合図し、両腕を脇に落とした。どうにでもしてくれと言わんばかりの態度だ。  たちまち男の表情が変わり、くつろいだ姿勢になった。 「そうか! そうなのか! どうやら話し合うだけの価値はありそうだな。だが、たしかに、あんたの言うとおりだ――部外者に話を聞かれちゃまずい。もっとも、ここに、わしらの言葉を理解できるやつがいるとは思えんがな」 「少しお待ちください」と、スシ。「あなた様があっしの尋問に応じる気になったと、ほかの仲間に伝えてきやす。そのあとで、どこか思う存分に話せる場所へ行きやしょう。仲間は、あっしには疑いを抱《いだ》かないはずです。あっしのことを中隊長に忠実な男だと信じておりやすからね。こちらの姐《あね》さんを安全な場所へお連れさせやす。危害は加えさせやしやせん。あなた様のお好きなときに、姐さんをお迎えにきてくだせい」 「そいつはいい。本人に、そう言っておくぜ」と、男。  そのヤクザと思われる男とスシは、テーブルの周囲にいるほかの面々を見た。マスタッシュが女性の腕に手をかけている。スシがヤクザと日本語で話しはじめてから、女は暴《あば》れるのをやめた。日本語を理解できるらしい。 「わたしは、この男と話がある」スシはマスタッシュに言った。「男の言うとおりに、その女を待機ラウンジに連れていってくれ。もう女が騒動を起こす心配はないはずだ。わたしが責任を持つ」  マスタッシュはドゥーワップを見た。ドゥーワップはうなずいた。 「おまえには自分のしようとしてることがわかってるのか? それなら、おれは心配しない」と、ドゥーワップ。「でも、気をつけろ。このチンプンカンプンな言葉をしゃべる男が本当のことを言ってないとわかってるなら、無視したほうがいいぞ」 「心配するな、どうにかなる」  スシはヤクザに向き直り、並んでカジノを出た。二人の姿が見えなくなる前に、いかにもカジノらしいにぎわい[#「にぎわい」に傍点]が戻ってきた。 「あの三人です」と、ブランデー。  それが誰のことか疑う余地もない。人間と同じくらいの大きさのネコが宇宙軍の制服を着ていれば、人ごみの中でも目立つ。ガンボルト人は、誰にも気配を悟られずに敵陣に侵入する能力を持つという。だが、今はこそこそする必要もない。三人は弾《はず》むような足取りで入国ラウンジに姿を現わした。エネルギーの固まりのような特大ネコたちは、すばやく四方八方に目を走らせた。三人の後ろから、同じ制服を着たヒューマノイドの一団が控えめにラウンジへ入ってきた。これもまた新入隊員たちだ。すぐさまガンボルト人たちは、固まって立っている三人の制服姿の地球人を見つけた。やがて滑《すべ》るように近づいてきて、気をつけ≠フ姿勢でフールの真ん前に立った。一人のガンボルト人が翻訳器のスイッチを入れた。 「ただいまより、われわれ新入隊員は任務につきます、中隊長!」ガンボルト人の発声器官は、一定周波数内の地球人の声を出すことができる。しかし、翻訳器を使ったほうが、はるかにスムーズにコミュニケーションが取れる。 「オメガ中隊へようこそ!」フールは一歩、前へ出た。集まったすべての新入隊員がふぞろいな列を作るのを待って、言葉をつづけた。「ぼくがジェスター大尉だ。こちらはアームストロング中尉。そして、こちらのブランデー曹長がきみたちの訓練を担当する。のちほどホテルでほかの仲間や士官たちと顔合わせしてもらう。きみたちを仲間として迎えることを嬉しく思う」アームストロングがクリップボードを取り出した。「あとを頼む、中尉」 「了解、中隊長!」と、アームストロング。いつもながらのキビキビした敬礼を添えた。アームストロングは身体の向きを変え、新入隊員たちと向き合った。「気をつけ! 今からブランデー曹長が点呼を取る」  ブランデーは前へ進み出て、アームストロングからクリップボードを受け取り、新入隊員たちをながめ回した。これほど間近《まぢか》でガンボルト人を見るのは初めてだ。三人とも体調は良好そうで、真新しい制服がしなやかな体型を際立《きわだ》たせている。ガンボルト人が噂どおりの戦士なら、このトリオはオメガ中隊にとって強力な助っ人になるはずだ。ほかの新入隊員たちは反抗心とバラバラな個性をむき出しにしていた。まさにオメガ中隊員にふさわしい。  だが、いつまでも新入隊員の品定めをつづけるわけにはいかない。ブランデーはクリップボードに目を落とし、名前を読みあげはじめた。 「デュークス?」 「はい、曹長」三人の中でもいちばん大柄なガンボルト人だ。黄褐色《おうかっしょく》の身体は百八十センチを超える。目は薄緑色で、左耳が少し破れている。  ブランデーはぼんやり考えた――これは男性なの? それとも女性? 訓練を積んでいない地球人の目では、ガンボルト人の性別を即座に見分けることはできない。おまけに、ガンボルト人は性別に関係なく軍隊入りするという。しかし、ブランデーにはわからなくても、ガンボルト人の目には男女の違いがはっきりわかるらしい。 「オメガ中隊へようこそ、デュークス。次はガルボ?」 「はい、曹長」と、二人目のガンボルト人。本人の選んだ名前が示すとおり、翻訳器を通して聞く声は高めで女らしい。だが、ほかの二人のガンボルト人との外見的な違いは、少しきゃしゃ[#「きゃしゃ」に傍点]なことだけだ。身体は黒に近い毛でおおわれ、やや明るい色の下毛がのぞく。 「オメガ中隊へようこそ、ガルボ。ルーブ?」 「はい、わたくしです、曹長」と、三人目のガンボルト人。デュークスより数センチ背が低いが、身体つきはがっしりしている。毛は灰色で、頬《ほお》に長い房毛がある。ほかの二人と比べて目が大きく、声も楽しげだ――もっとも、そう聞こえるのは翻訳器のせいかもしれない。 「オメガ中隊へようこそ」と、ブランデー。「スレイヤー?」 「へい」と、やせたヒューマノイド。頭を剃りあげており、一本の獣骨が鼻を横に貫いている。またしても性別を見分けるのが難しい。  ブランデーは、こういうタイプの新入隊員を扱い慣れている。 「へい≠ニは何ですか? 仮にも、わたしは曹長[#「曹長」に傍点]よ、スレイヤー」  スレイヤーはたじろぎ、何やらまともな返事をつぶやいた。  ブランデーはうなずいた。最初はこんなものだ。これから宇宙軍の隊員として鍛《きた》えあげるための時間はたっぷりある。今は、誰が訓練を担当するかを思い知らせるだけでいい。ブランデーは次の名前を読みあげた。「ブリック?」  ここに集まった新入隊員は十数人以上いる。だが、ガンボルト人ほど有望そうな者はほかに一人もいない。ブランデーは点呼を取り終わり、アームストロングを見た。 「新入隊員は全員そろっています、中尉」 「よろしい」と、アームストロング。しかし言葉をつづけようとしたとき、新《あら》たな声にさえぎられた。 「おれの名前がまだ呼ばれてないぜ、曹長さんよ」朗々とした太い声だ。「おれも、ほかの連中と同じように新しくこの中隊に加わった。タイミングよく、中隊長じきじきの要請を受けてね」  ブランデーは声の主《ぬし》を見た。ずんぐりしたヒューマノイドだ。黒くて長い髪を後ろになでつけ、その髪よりも黒いサングラスをかけている。一列に並んだほかの新入隊員と同じく、黒い服を着ていた。だが、フールの中隊員が身につけている宇宙軍の制服よりも派手なジャンプスーツだ。第一、この見知らぬ男のくつろいだ姿勢と、にやけた表情は少しも軍人らしくない。気まずい沈黙を破ったのはアームストロング中尉だった。アームストロングはピンと背筋を伸ばした。 「オメガ中隊入りを任じられたのなら、きみもほかの隊員に混じって一列に並び、任務につくことを報告しろ。われわれは宇宙軍のメンバーだ。きみにその意味がわかるかね?」 「ああ、もちろんわかるさ」男はゆっくりと歩き、ガンボルト人の横に並んだ。わずかに姿勢をただし、見よう見まねでお辞儀した。「ジョーダン・エアズ牧師、ただいまより任務につきます。どうか、牧師《レヴ》と呼んでくれ」 「いったい、あなたは……」ブランデーは、あらためて表情や口調に怒りをこめ、次の言葉を口にしようとした。だが、フールが口をはさんだ。 「ちょっと待ってくれ、ブランデー。牧師って……」フールの当惑した表情は、顔いっぱいの笑みに変わった。フールは手を伸ばし、レヴに握手を求めた。「もちろんですとも! あなたは、ぼくが宇宙軍司令部から派遣してもらった中隊付きの牧師さんですね。オメガ中隊へようこそ」  フールはいたずらっぽくアームストロングを見た。 「中隊付きの牧師さん?」アームストロングはレヴを見つめた。「そう言えば、中隊長からお開きしてました。うっかり忘れるところでした。司令部からの緊急通信は牧師さんの件に触れていなかったものですから……。失礼いたしました、エアズ牧師。どうかお許しください」 「いや、ちっとも気にしてないさ」レヴは、もとのくつろいだ姿勢に戻った。「それから、おれのことはただのレヴと呼んでくれ、中尉。そう大げさに扱うなよ。おれも、みんなと同じように仕事をしにきただけなんだから」 「そうこなくちゃな」と、フール。「そろそろ〈ファット・チャンス〉に戻ろう。きみたちは、そこで仲間の隊員と顔を合わせ、任務を始める。非常に興味深い勤務期間になるはずだ」 「そのために、われわれはここへ来ました」と、デュークス。いちばん大柄なガンボルト人だ。笑顔に近い表情を浮かべている。だが、大きくて鋭い犬歯(いや猫歯≠ニ言うべきか?)のせいで、人間の笑顔よりは凶暴に見える。 「じゃあ、行くわよ!」と、ブランデー。「二列になって、わたしについてらっしゃい」  フール中隊の新入隊員たちは肩にカバンをかけ、ブランデーと士官たちの後に従った。やがて入国案内所のそばを通りすぎた。列をなす旅行者たちは好奇の目を向けてきた。外へ出ると、〈ファット・チャンス〉ホテルと新しい任務へ向かうホバー・バスが待っていた。すぐにカバンを積み、バスに乗りこんだ。バスは混雑した道路を避けて、走りはじめた。  中隊員たちも旅行者たち(結局はカジノでカネを浪費することにしか興味のない連中だ)も、バスまで中隊員たちをこっそり追ってきた黒い小さな人影に気づかなかった。人影は注意深く道路の端《はし》に身を寄せ、できるだけ人目を避けながら徒歩でバスを追った。 [#改ページ]       2 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 二八一[#「執事日誌ファイル 二八一」はゴシック体]  世間の悪党たちは、ギャンブルを自分たちの領分と考えている。したがって、まともな実業家がこの世界に足を踏み入れると、濡れ手で泡《あわ》をつかもうとする連中から冷ややかな視線を浴びるはめになる。居心地が悪いのは、言うまでもない。  ローレライの組織暴力団《マフィア》を統率するのは、マックス≠アとマクシーン・プルーイットだ。わがご主人様への挨拶代わりに、マクシーンはすばらしい統率力を見せつけてくれた。暴力に訴えてカジノの客を脅《おど》し、追い払う作戦に出た。さらに、詐欺師やいかさま[#「いかさま」に傍点]師を送りこみ、カジノの収益をしぼり取ろうとした。こういった戦略を使えば必ず〈ファット・チャンス〉カジノを倒産に追いこめると、自信たっぷりである。カジノのオーナーへの多額の貸付金と引き替えに、カジノそのものを手に入れるつもりだったらしい。  しかし、マクシーンが予想したほど事はうまく運ばなかった。ご主人様は完全装備した中隊の圧倒的な兵力を利用して、マクシーンの乗っ取り計画を阻止した。多少ながら事前に情報をつかんでいたおかげでもある。しかも、そのうちの大部分は、わたくしが提供した情報だ。だが、マクシーンの企《たくら》みが失敗しても、略奪を目的とする悪党どもは次々に外部から侵入してきた。これが避けられない事態であることを、ご主人様は承知しておられる。しかし、どれほど短期間に略奪者の顔ぶれが入れ替わるかということや、この不愉快な略奪劇にどの程度マクシーンが手を貸しているかということについてはご存じない。 [#ここで字下げ終わり] 「またジェスターを見くびるような真似をするつもり?」  ラヴェルナは読書を中断し、本から目をあげた。ジェスター≠ニは、宇宙軍でのフールの偽名だ。いつもの癖でこの名を呼んでしまう。だが、もちろん、ラヴェルナもマクシーンも、フールという本名を知っている。「もう忘れたの? 命があっただけでも運がよかったのよ」 「忘れちゃいないわ」と、マクシーン・プルーイット。「そもそも、記憶力が良くなければ、この世界では生きていけないわ。わたしが今まで生きてこられたのも、そのおかげよ。あなたこそ[#「あなたこそ」に傍点]、それを忘れてしまったの?」  マクシーンは射るような目で、チーフ・アドバイザーのラヴェルナをにらみつけた。だが、この長身の黒人女性ラヴェルナには冷静にリスクを分析する能力があることを知っているし、頼りにもしていた。この能力のせいで、ラヴェルナには|氷の女《アイス・ビッチ》≠ニいう恨みのこもったニックネームがある。 「あなたの言いたいことはわかったわ」ラヴェルナはしおり[#「しおり」に傍点]代わりに本に人差し指をはさんだ。「でも、これだけは覚えといて――いつかはジェスターの中隊も配置換えになるわ。後任が決まったら、ジェスターは〈ファット・チャンス〉への興味を失い、もっと目を光らせやすい場所にカネを注《つ》ぎこむはずよ。まだ時間はあるわ。動きだすのは、誰がジェスターの後釜《あとがま》にすわるか、わかってからでも遅くない。あなたは、これからもずっと、ここにいるんですもの――致命的な過《あやま》ちを犯さないかぎりはね」 「今すぐに、もういちど〈ファット・チャンス〉をねらうのは間違いだ――そう言いたいのね」マクシーンはうなずいた。 「わたしには、わかるのよ」ラヴェルナは椅子から身を乗り出した。「初めてジェスターとやり合ったとき、あなたは圧倒的に有利な立場にあった。それなのに、ジェスターは立場を逆転させたわ。あなたにとっては、むしろ運がよかったのよ――ひとまず〈ファット・チャンス〉をあきらめるだけで済んだんだから。でも、今度またジェスターに立ち向かったら、永久に〈ファット・チャンス〉から手を引かなければならなくなる。身近でトラブルが起これば、すぐにジェスターは黒幕の正体を嗅《か》ぎつけるわ。それに、あなたが見舞うパンチよりもはるかに強烈なパンチを返してくる男よ」 「望むところだわ」と、マクシーン。「すでにテーブルには賭け金が並べてあるのよ。もう後には引けないわ。長い目で見ろ≠ニ口で言うのは簡単よ。あなたはジェスターがいなくなるのを待ってればいいんだもの。あの男が〈ファット・チャンス〉の売上金を全部ポケットに入れるのを、指をくわえて見てる必要はないのよね」 「わたしがここからいなくなるとでも思ってるの?」と、ラヴェルナ。「わたしだって、ずっとここにいるつもりよ。だって、わたしにとっていちばん興味があるのは、あなたのビジネスを円滑に進めることなのよ。だからこそ、自然の流れにまかせるよう忠告してるんだわ。つねに有利な立場にあるのはカジノ経営者よ。つまり、このローレライではあなた[#「あなた」に傍点]だわ。とにかく可能性を信じるの。そうすれば、最後に笑うのはあなたよ」 「わかってるわ」  マクシーンは窓辺へ行き、通りを見おろした。ホテル最上階にあるスイート・ルームからのながめは壮観だ。立ち並ぶカジノの照明が眼下できらめいている。このホテルは軌道を周回する宇宙ステーション上にあった。だから、戸外≠ニ言っても、現実には、この部屋と同じ屋内≠ノなる。それでも、戸外の仮想世界≠見ているだけで心がなごむ。カジノも客の心をなごませてくれる――少なくとも、客がカジノに注《つ》ぎこむカネを持っているあいだだけは……。  マクシーンは窓枠に両手を置き、しばらく外をながめた。やがて、振り向きもせずに言った。 「でも、もうひとつ問題があるわ。成功は成功を呼ぶものよ。ジェスターの〈ファット・チャンス〉経営がうまくいきつづけたら、ほかのみんなの利益があがらなくなってくるわ。それに、ジェスターの中隊が配置換えになった後も、ジェスターはカジノを任せられる頭のいい人間を置いていくはずよ。わたしたちが手を焼くような切れ者≠ね。このままではジェスターの勢いは止まらなくなる。今こそ、わたしたちが歯止めをかけなければいけないのよ。だから、混乱を招くように、ちょっとした罠《わな》を仕掛けてやったわ。連中は予想もしてないはずよ」 「そう言えば、ヤクザの集団がステーション入りしたと聞いたわ」と、ラヴェルナ。「今日の午後、〈ファット・チャンス〉のブラックジャック・テーブルで一悶着《ひともんちゃく》あったそうよ。あれはヤクザのしわざね」 「ええ、騒ぎがあったことは聞いてるわ」と、マクシーン。「とにかく、あなたの忠告は覚えておくわ。罠を仕掛けたのがわたしだとは、誰も気づかないようにするわ。何もかも、ほかの誰かのしわざだと思うでしょうね。わたしは、いつもの手数料をもらって、ジェスターの小さな帝国がサメのようないかさま[#「いかさま」に傍点]師たちに取り囲まれてゆくのを見物させていただくわ。おもしろくなりそうね、ラヴェルナ」 「うまくいくといいわね」と、ラヴェルナ。言葉とは裏腹に、これから先に待ち受けるトラブルを見越した表情である。もちろん、トラブルを予測して未然に防ぐのもラヴェルナの仕事だ。これ以上、マクシーンがわたしに余計な心配をさせないでくれればいいんだけど……。でも、そうなれば、マクシーンには、わたし[#「わたし」に傍点]のようなアドバイザーを雇う必要がなくなる。つまりレモンという材料がなければレモネードを作れない≠ニいうわけね。ふたたびラヴェルナは本を読みはじめた。  フールはホバー・バスを降り、〈ファット・チャンス〉カジノの正面玄関をくぐった。新入隊員を私室に案内するのはブランデー曹長に任せてある。レヴはブランデーの冷たい視線を無視し、ここが自分の居場所だとばかりにフールの後ろにピッタリ張りついた。ほかの新入隊員といっしょに並んで歩きなさい――そう命令したい気持ちをブランデーは我慢した。レヴの階級については何も聞かされていないからだ。この仕事が終わったら、中隊長に尋《たず》ねよう。なにしろ、このオメガ中隊においては、普通の軍隊の生活様式や規律が通用しない。だが、そこがこの[#「この」に傍点]中隊のいいところだ。レヴはカジノに足を踏み入れ、厳粛な顔で辺《あた》りを見回した。にぎやかなギャンブル・テーブル。露出度の高い制服を着たウェイトレスたち。せわしく行き来するバーテンダー。熱狂する常連客たち。人ごみの中に、ひときわ目を引く宇宙軍の黒い制服姿がチラホラ見える。カジノの警備を担当する中隊員たち――本来なら、このレヴを師≠ニ呼ぶべき連中だ。 「ここがおれの仕事場ってわけか」レヴはつぶやいた。「主の教えを説くチャンスだ。このチャンスを避《のが》す手はない」つづいて、フールに聞こえるように言った。「中隊長、お許しいただけるなら、しばらくここに残らせてください。これから主の御心《みこころ》を伝えることになる人人と会っておきたいんです。私室を決める時間は、たっぷりあります」 「もちろん、いいですとも」フールはうなずいた。  レヴは見よう見まねの敬礼をし、人ごみの中へ消えていった。いつレヴが離れていったのか、ほとんどフールは気づかなかった。フールの視線は、こちらに向かってくるマスタッシュに注《そそ》がれていたからだ。 「軍曹、何か用かね?」  年長のマスタッシュはフールと並び、歩調をそろえて歩きだした。 「スシが消えたのであります、中隊長」と、マスタッシュ。いつもながらのイギリス訛《なま》りの早口だ。「ブラックジャック・テーブルの一つに男女二人組のいかさま[#「いかさま」に傍点]師がいるのを、〈陰《かげ》の眼〉が発見いたしました。スシとドゥーワップが始末をつけに行きました。しかし、相手の男が武道の達人で、ケンカ沙汰《ざた》になったのであります」 「そいつは珍しい」フールは目をまるくした。「負傷者は?」 「負傷者があったとの報告は受けておりません。備品が少し壊れましたが、すぐに取り替えました」 「よろしい」フールは足を止め、マスタッシュに向き直った。「事件があったのは、いつのことだ?」 「中隊長が出発された直後であります」と、マスタッシュ。「今から四十分はど前になります。最初の騒ぎの後、スシはその男といっしょにカジノを出ていきました。ドゥーワップにどうにかなる≠ニ言っただけで、詳細は告げませんでした。しかも、カジノを出るときに、腕輪通信器のスイッチを切ったのであります。ひとまず、女を拘禁してあります。男がケンカをやめたとたんに、子犬のようにおとなしくなりました。しかし、口を割ろうとはしません。この女もスシたちの行き先を知らないのではないかと、わたしは思います。もちろん、われわれにも見当がつきません」 「スシが通信器のスイッチを切ったって?」フールは懸念の色を浮かべた。「あまり賢明な行動とは言えないな。ぼくはスシの判断を信じている。でも、今度ばかりは……」 「中隊長のお気持ちはよくわかります」と、マスタッシュ。苦々《にがにが》しげな口調だ。「手続きばかりにこだわってもいられませんが、通信器を切る前に、考えられる行き先をマザーにだけは告げるべきでした。その点については弁解の余地はないと思うのであります」 「いったいどうやってスシの居所を突きとめるつもりだ?」 「今のところ、目立たない方法を取っております」と、マスタッシュ。「事件を知ってすぐに、レンブラント中尉に連絡いたしました。中尉は、スシか例の男の姿を見かけたら報告するよう全中隊員に指示をお与えになりました。しかし、これまでのところは何の報告もありません。男がスシの通信器を操作しているのではないかと、われわれは疑っております。通信を傍受される可能性がありますので、全中隊員向けの一般通信をとりやめました」 「その男に通信器を奪われたという証拠でもあるのか?」と、フール。 「今のところはありません」と、マスタッシュ。「しかし、レンブラント中尉とマザーに話をお聞きになるのがよろしいかと思います。二人は、スシがカジノ・フロアから姿を消した直後からの状況を把握しております。まだ口外していない情報もかなりあるようです。敵の耳に入っては困りますので」 「ああ、もちろんだ」と、フール。「このまま調査をつづけてくれ、軍曹。きみは、できるかぎりのことをしてくれているらしいからな」  フールはきびすを返し、通信センターへ向かった。マスタッシュよりもたくさんの情報を持つ者がいるとすれば、マザーだ。黒い服を着た小さな人影が、大きなダーダニアン・シダの鉢植えの陰《かげ》から様子をうかがっている。だが、フールもマスタッシュも気づかなかった。人影は、エレベーターの並ぶ場所へ向かうフールの後をすばやく追った。 「当分のあいだは、ここがあなたたちの部屋よ」  ブランデーはホテルの三階にあるスイート・ルームのドアを開《あ》けた。  軍隊の通常の兵舎制度を廃止したのも、フールが行なった改革の一つだ。オメガ中隊の指揮を引き継ぐと同時に、フールは全中隊員を兵舎からホテルに移動させた。フールの望みどおりに兵舎が改築されるあいだ、中隊員たちは町で最高のホテルに宿泊した。出来上がった新兵舎はホテルよりも快適だった。フールはローレライでも、この主義を貫くつもりである。ホテルの外で極秘任務につく数人を除いて、全中隊員が〈ファット・チャンス〉ホテルの最高の部屋を使う。 「いい部屋だ」ルーブは重い荷物を肩からおろし、床《ゆか》に置いた。  つづいて、デュークスが何か声を発した。翻訳器を通して聞くかぎりでは、どうやら賛同のつぶやきらしい。ブランデーは驚かなかった。例によってフールが徹底的に調査した結果、ガンボルト人には地球人スタイルのベッドがふさわしいという結論が出たからだ。そうでなくても、フールはガンボルト人に使い心地のいい寝具を取りそろえただろう。オメガ中隊の地球人に快適なホテルのベッドを用意してやるのと同じだ。宇宙軍は、あらゆる種族に平等な宿泊設備を提供するのを方針としている。平等に居心地の悪い兵舎をあてがわれているのが、ほかの大半の部隊における実情だ。しかし、フール中隊では一兵卒から士官まで、平等に贅沢《ぜいたく》な兵舎を与えられていた。  いちばん小柄なガンボルト人のガルボは無言で部屋を見回してから言った。 「わたくしたちは三人でこの部屋を共有しなければならないのですか?」 「どうして、そんなことを訊《き》くの? 何か問題でもあるの?」と、ブランデー。けげんな表情だ。  ガンボルト人の部隊では男女の扱いに差別はない――フールが慎重に調査し、そう結論づけた。ガンボルト人の男女が兵舎を共有しても問題はない。三人で大きなスイート・ルームを共有すればよく、わざわざ二つの部屋を用意する必要はないと思った。それに、カジノの警備は二十四時間体制の仕事だ。ルームメイトどうしの勤務スケジュールも異なる。そのため、眠らなければならない者がいる一方で、起きて任務につかなければならない者もいる。そういう事態を想定して、スイート・ルームはいくつもの小部屋に仕切られてあった。 「そのとおりです」ガルボはブランデーに向き直った。「わたくしがこの中隊への配属を志願したのは、異星のかたがたと一緒に任務につきたいからです。ガンボルト人だけが特別扱いされるのでは何の意味もありません。それなのに、最初から、わたくしをガンボルト人だけの部屋へ押しこむおつもりですか? ほかに、わたくしの使える部屋はないということですか?」  ブランデーは驚いた。だが、ガルボの要求ももっとも[#「もっとも」に傍点]だ。そもそも、ガンボルト人が異星人との混成部隊に配属されること自体が珍しい。したがって、配属を志願したガンボルト人が、ガンボルト人どうしで部屋を共有するのを拒否するのも無理はない。今までブランデーは宇宙軍において、これとは比べものにならないほど奇妙な事態に遭遇してきた。現に、宇宙軍の古参兵の大半にとって、まったく風変わりなところのない新入隊員ほどうさんくさい[#「うさんくさい」に傍点]ものはない。 「わかったわ、なんとかしましょう」と、ブランデー。「でも、せっかく来たんだから……デュークスとルーブ、あなたたち二人は持ってきた荷物を一時間以内にほどきなさい。それから、一五〇〇時に補給室へ行って、チョコレート・ハリー軍曹から必要品をもらってきて。一六〇〇時には大舞踏室で、あなたがたを含めた新入隊員全員に対する新人教育《オリエンテーション》と任務の割り当てを行なう予定よ。わかった?」 「了解いたしました、曹長」と、三人のガンボルト人たちは声を合わせて答えた。 「オーケー。ガルボ、さっそく、あなたの部屋を探しましょう。一五〇〇時までに、全員の部屋と任務を決めておきたいの。しばらくのあいだは落ち着く暇がないかもしれないけど、いいわね?」 「了解いたしました、曹長」ふたたびガルボは荷物をかつぎあげた。 「よろしい」 と、ブランデー。  このガンボルト人たちは理想的な兵士になりそうだと、噂されてるわ。それなら、このオメガ中隊に腰を落ち着けることになっても、三人にとって不都合はないはずよ。オメガ中隊を宇宙軍一のエリート部隊に変えてみせる――たしか、そう中隊長は断言したわ。三人のガンボルト人が入隊してきたおかげで、また一歩、中隊長の夢が実現に近づきそうね。とにかく、いずれ結果が出るわ。ブランデーはガルボを従えて、廊下を歩きはじめた。  タスク・アニニは、〈ファット・チャンス〉カジノの入口のそばのスツールに腰かけていた。趣味の悪いスーツを着た二人の地球人が近づいてくる。タスク・アニニは地球人の服装に関心がない。それでも、そのスーツがひどい代物であることはわかった。安っぽくて体型に合っていない。おまけに、デザインも野暮《やぼ》ったい。フールが指揮官になる前のオメガ中隊の制服と同じくらい冴《さ》えないスーツだ。 「すみませんが、〈ファット・チャンス〉カジノへはどう行けばよろしいのでしょうか?」と、背が高いほうの地球人。  それほど背の高さが違うわけではないが、この二人を見分ける手だてはほかになかった。二人とも平凡な顔立ちで、くすんだ茶色の髪を短く切りそろえ、とんでもなく流行遅れの黒いサングラスをかけている。二人とも同じ書類カバンを持っていた。どこかの化学工場で大量生産された濃い灰色のカバンだ。スーツと同じようなはっきりしない色をしている。 「〈ファット・チャンス〉……なら目の前です」と、タスク・アニニ。慎重な口調だ。  二人の地球人が妙な素振りを見せたわけではない。だが、いやな雰囲気を感じた。こういう第六感は当てになる――ボルトロン人のタスク・アニニが地球人との付き合いの中で学んだことの一つだ。現実に、論理的で厳密な分析よりも、第六感に頼るほうが良い解決策を得られる。  背が低いほうの地球人は顔をあげ、看板を見た。 「たしかに、そのとおりですわね」  声を聞いて初めて、タスク・アニニはその地球人が女性だと気づいた。ゆったりしたスーツと短く刈りこんだ髪のせいで、一見しただけでは女性とはわからない。もう一人の地球人――男だ――が、タスク・アニニに問いかけてきた。 「カジノの従業員のかたですか?」 「そう……です」と、タスク・アニニ。しかし、そう断言していいのか自信はない。中隊員たちがこのローレライへやってきたのは、カジノの警備をするためだ。カジノと自由契約を交《か》わしているものの、正規の従業員ではない。もちろん、フール中隊の一員であるタスク・アニニは、〈ファット・チャンス〉の共同所有者でもある。もっとも、全中隊員が株を持っているため、ひとりひとりの持ち株はそれほど多くない。それでも、全中隊員の株を合わせれば、大株主になる。 「では、あなたにお話をうかがいましょう」と、男の地球人。「われわれは、このカジノの経営状態について情報を集めています。いくつか質問に答えていただけませんか?」 「何でも訊《き》いてください。差し支えない範囲、答えます」と、タスク・アニニ。油断のない口調だ。  この二人の地球人は、商売敵《しようばいがたき》のカジノの回し者か? それとも、カジノをねらう犯罪組織の一味か? タスク・アニニは目を細めた。ただでさえ怖いイボイノシシのような顔が、いっそう凄《すご》みを帯びた。 「言い方をあらためましょう」男は上着のポケットから札入れを取り出し、ポンと叩いた。蓋《ふた》が開《ひら》き、ホロ身分証明書が現われた。男はそれを手に取り、タスク・アニニの鼻先に突きつけた。男のホロ映像は実物よりいちだんと冴《さ》えない姿だ。ホロ身分証明書の上にIRS≠ニいう頭文字があり、その下に特別調査官ロジャー・ピール≠ニ記してある。 「実は、あなたの雇い主が莫大な額の所得を隠しているという情報を得ましてね」と、ピール。「法律に定められた調査を妨害すれば、あなたも政府機関に対する詐欺罪に問われますよ。念のために申しあげておきますが、これは重罪です」  タスク・アニニは不意に立ちあがった。タスク・アニニの身長は二メートルを越える。今や、その樽《たる》のように分厚い胸が二人の地球人の目の前に立ちはだかった。 「ジェスター中隊長、裏切れと言うか?! タスク・アニニ、そんなこと絶対しない! 中隊長を裏切ること、許されない行為だ」 「まあまあ、落ち着いてください。すっかり勘違いなさっているようですね」と、女性調査官。穏やかな口調だ。「指揮官に対するあなたの忠誠心には敬意を表します。その忠誠心こそが軍隊を動かす力です。でも、ときには一歩進んで、さらに上の者に忠誠を尽くさなければならない場合もあります。あなたの指揮官は大将に報告しなければならないし、大将は民間当局に説明しなければなりません。星際税務局《IRS》も民間当局の一つとして、重要な役割を携っています。あなたには、われわれに協力する義務があります」 「中隊長がそう言うなら、協力する」と、タスク・アニニ。「でも、中隊長にやめろと言われたら、協力しない。さあ、帰れ」タスク・アニニは一歩つめ寄った。たくましい身体と鋭い目つきで威嚇している。  二人の星際税務局《IRS》調査官は思わず後ずさった。 「わかりました」と、ピール。「情報を得る方法なら、いくらでもあります。せいぜい面倒に巻きこまれないように注意してください。さもないと、あなたの指揮官と同じ厄介事に巻きこまれますよ」 「面倒に巻きこまれる?」タスク・アニニの声がとどろいた。星際税務局《IRS》調査官たちは、また一歩、後ずさった。「とっとと帰れ。中隊長の邪魔するな」 「わたくしたちは仕事をするために、ここへ来ました。あなたと同じようにね」と、女性調査官。「任務を果たすまでは、ここを動くわけにはいきません。この調査が終わったときに後悔しないように、わたくしたちの味方についたほうが身のためですよ、同志」 「タスク・アニニ、どっちの味方につけばいいか知ってる」タスク・アニニは唸《うな》った。「おまえたち、中隊長の味方じゃない。おれの同志でもない。勝手に同志なんて呼ぶやつは嫌いだ」  タスク・アニニは、さらに一歩つめ寄った。そのとたんに調査官たちはクルリと背を向け、あわてて逃げだした。 「中隊長! いいところに来てくださったわ。ねえ、こんなの信じられる?」  ディー・ディー・ワトキンズの声だ。急ぎ足で廊下を歩いていたフールは振り返った。連れだって消えたスシと謎の男についての調査状況を聞くために、通信センターに向かうところだ。ディー・ディーの抱《かか》える問題を解決するには、余分な時間とエネルギーが必要になる。だが、無視すれば、よけいに面倒な事態を招くだけだ。 「何かご用ですか、ミス・ワトキンズ?」フールは、できるだけ関心のある振りをした。小柄な金髪女優ディー・ディーは両手を腰に当てて立っていた。自分の邪魔をする者がいたら、オメガ中隊全体を敵に回してでも戦ってやる――そんな形相《ぎょうそう》だ。小さな女の子が着るような花柄のエプロンドレスに、おさげ髪。この格好でこれほど凄《すご》みのある雰囲気を出せるとは、たいしたものだ。たしかに大女優の素質があるのかもしれないな――フールは思った。 [#挿絵039 〈"img\APAHM_039.jpg"〉] 「ちょっと見てよ」と、ディー・ディー。「レックスったら、ショーのラストナンバーで、このバカげた衣装を着ろって言うのよ。わたしの成功をねたんで、足を引っぱるつもりなんだわ」  もういちどフールはディー・ディーの衣装をまじまじと見た。ディー・ディーの最大の魅力である女っぽさよりも、可愛らしさを前面に押し出してある。それでも、ぴったりと身体に沿い、脚線美も充分にあらわ[#「あらわ」に傍点]に……  フールは、売り出し中の若手女優の顔に視線を引き戻した。 「ミス・ワトキンズ、申しわけないが、ぼくは中隊の任務に忙しくてショー部門の状況を把握していません。ただ、個人的には、それほどバカげた衣装だとは思いません。でも、ご存じのように、ぼくは専門家ではありませんから……」  ディー・ディーはますます顔をしかめた。 「がっかりしたわ、中隊長。あなたがこの衣装はダメだとおっしゃってくれたら……」  だが、ディー・ディーの次の言葉は、「その男をつかまえろ!」という叫び声にかき消された。何の騒ぎかとフールは振り向こうとした。そのとたんに黒い服を着た小さな人影がカジノの裏口から飛び出してきて、フールとディー・ディーのあいだを真っすぐに走り抜けていった。フールとディー・ディーはバランスを崩して、よろめいた。さらに、同じ裏口から出てきた制服姿の二人の中隊員が、猛烈な勢いで迫ってくる。二人は何とかディー・ディーをよけようとするあまり、自分たちが衝突した。一人は壁にぶつかって跳《は》ね返り、小さな鉢植えのカエルノキにしがみついた。だが、もう一人は倒れこみ……まともにフールの脚にぶつかってきた。床にひっくり返ったフールを見て、ディー・ディーが悲鳴をあげた。 「ああ、なんてこった。中隊長、申しわけありません」  鉢植えにしがみついていた中隊員は、あわててフールを助け起こし、フールの制服の汚れを払おうとした。もう一人の中隊員が顔をあげた。茫然《ぼうぜん》とした表情でディー・ディーの脚を見つめている。やがて、ようやく自分が転《ころ》ばせた相手が中隊長だと気づき、急いでフールの顔に視線を移した。それから、すばやく身を起こし、気をつけ≠フ姿勢を取った。 「すんません、中隊長」 「大丈夫だ、怪我はない」フールは二人の中隊員に目を向け、自分を助け起こしてくれたほうの中隊員に尋《たず》ねた。「ガブリエル、いったい何の騒ぎだ?」 「スパイを見つけました、中隊長」と、ガブリエル。「この〈ファット・チャンス〉に潜入してたんです」 「ガブリエルの言うとおりなんすよ、中隊長」と、もう一人の中隊員。フールは思い出した――たしか、ガブリエルのパートナーのストリートだな。ロックホールというスラム街出身の痩《や》せたいかつい[#「いかつい」に傍点]男だ。なかなか地球語が堪能《たんのう》だが、興奮すると――今もそうだが――フールにも理解できないほどお国訛《なま》りがきつくなる。 「おれたちが見つけたとき、あいつはこっちへ向かってました。中隊長を尾行してたに違いないっすよ」 「ひょっとすると殺し屋かもしれません」と、ガブリエル。苦々《にがにが》しげな表情だ。 「殺し屋だって?」フールは笑い飛ばした。「まさか、そんなはずはない。第一、きみたちの追っていた男が何ものか知らないが、その気になれば、ぼくを殺すチャンスは充分にあったはずだ。それなのに、あの男はぼくを殺さなかった。いったい、どういう根拠があって、あの男がスパイだと思うのかね?」 「簡単なことなんすよ」と、ストリート。「まず、あの男と同じ種族はオメガ中隊には存在しません。なにしろ、ちっこいトカゲみたいなやつですからね。この中隊には、地球人以外はボルトロン人のタスク・アニニと二人のシンシア人しかいません。新しくネコみたいな連中が入隊したと聞きましたが、トカゲはいませんぜ、中隊長」 「じゃあ、カジノの客かもしれない」と、フール。まだ半信半疑らしい。 「どうしてカジノの客が宇宙軍の制服を着てるんすか?」と、ストリート。「あいつはスパイです。おれのカネを全部、賭けてもかまいません」  フールは眉をひそめた。あの男がそばを駆け抜けていった直後に、自分はひっくり返った。だから、男の顔はよく見ていない。しかし、身長一メートルくらいのトカゲに似た姿を見た記憶はある。それに、たしかに[#「たしかに」に傍点]宇宙軍の制服を着ていた。ひょっとすると、内密にぼくを見張るために、宇宙軍司令部が監視官を送りこんできたのか? 「どっちにしても、もう男は逃げてしまった」と、フール。「きみたち二人は持ち場に戻って、しっかり目を光らせてくれ。ぼくは怪しい人物が侵入した可能性がある≠ニ全中隊員に知らせるようマザーに指示を出す。それから……」 「もう知らせましたわ、ダーリン」フールの腕輪通信器から声が聞こえてきた。マザーだ。「宇宙軍の制服を着た小さなトカゲ型エイリアンが逃亡中だと伝えました。そのうち見つけられると思います」 「けっこうだ」と、フール。考えこむ表情だ。侵入者の外見を表現したマザーの言葉を聞いて、何かがひっかかった。でも、いったい何がひっかかるのか? まあいい、すぐにわかるだろう。「スシの行方《ゆくえ》について何か報告があったか?」 「有益な情報はありませんわ、いとしい人。でも、それとは別の情報を入手しました。実は、われわれはスシと例の男の会話を録音してたんです。二人の会話は日本語でしたが、翻訳器にかけました。結論を出すのはまだ早いと、わたしは思います。でも、レンブラント中尉はすっかり動揺して、スシが中隊を離れるのではないかと心配してるんです。この録音をよくお聞きになって、中隊長ご自身で判断なさってください」  フールは腕輪通信器を耳に押しつけた。だが、流れはじめた録音の声に神経を集中しようとしたとき、ディー・ディーが足を踏み鳴らした。 「中隊長ったら! わたしは相談事があって、ここへ来たのよ! それなのに、いったいどうなっているの? いきなり、あなたの二人の部下に突き飛ばされそうになったと思ったら、今度は無視されるなんて。言っておきますけどね……」  精神集中を邪魔されたフールは、ディー・ディーを見おろした。ディー・ディーは、これ以上はないというほど顔をしかめている。 「ミス・ワトキンズ、失礼ながら、ぼくは今、機密情報に耳を傾けようとしていたんです。もう少しお待ちいただければ……」 「もう少し待てですって? ちょっとは、わたしに目を向けてくださったらどうなの?! レックスがわたしのショーを台なしにしようとしているのよ。あなたが一言、注意してくだされば……」 「中隊長、厄介《やっかい》なこと……なりそうです」タスク・アニニが廊下の角《かど》から姿を現わし、急いでフールに近づいてきた。怒り狂うディー・ディーを完全に無視している。「二人の地球人、中隊長を探しにきました。おれから何か聞き出そうとしてます。でもおれ、何も言ってません。あいつら厄介事……起こしたがってます」 「厄介事? どうして、きみはそう思うんだ?」と、フール。いつもは無口なボルトロン人が心配してわざわざ知らせにくるのだから、よほどのことだろう。 「ホロ身分証明書、見せられました。IRS≠ニ書いてありました」と、タスク・アニニ。「おれ、その意味がわかりません。でも、たいへんなことになるとナットに言われて……報告にきました」 「星際税務局《IRS》だって?」と、フール。「いくら連中がぼくを調べたって、何も出てきやしないよ。ぼくの帳簿はきれいなものさ。なにしろ、税法の起草者よりも税法に詳しいビーカーがついているんだから」 「中隊長! もう[#「もう」に傍点]我慢できないわ。いいかげんに、わたしの話を聞いてください」と、ディー・ディー。通りの向こうにあるホテルのプールが凍りつきそうな声だ。 「よう、坊や。あんたがここのボスかい? ちょうど、あんたを探してたところだ」  少し離れた場所から、どら声が聞こえてきた。大柄な三人のヒューマノイドが廊下の幅いっぱいに並んで、近づいてくる。そのうちの二人は、どうやら男性らしい。顎髭《あごひげ》を伸ばし放題にしているのが、なによりの証拠だ。三人とも、デニムや革の服を着ていた。いたるところに、金属の飾り鋲《びょう》やチェーンや当て布がついている。むき出しの腕には、それぞれ絵柄の違う入れ墨が彫ってある。だが、三人に共通する入れ墨が一つあった――燃えさかる炎にはさまれた大きな赤いR≠フ文字だ。真ん中の男は、タスク・アニニと同じくらい大きい。鉄兜《てつかぶと》に、真鍮《しんちゅう》の鼻輪。左右の耳にも何かぶら下がっている。そのうちの一つは、人間のドクロの形をしていた。三人はふんぞり返ったまま歩いてきて、フールの前で足を止めた。フールが手を伸ばせば届く距離に、三人のうちのリーダー(とにかく、そう見える男)がいる。  フールは姿勢を正した。 「ご覧のとおり、ぼくはこの若い女性と話をしている。用が済んだら、喜んできみたちの話を聞こう」  もういちどフールはディー・ディーに向き直った。いきなり現われた三人に面食らって、ディー・ディーは声も出せない。 「おいおい、とぼけようってのか?」リーダーとおぼしき大男は鼻で笑った。「くだらねえ話は後にしな。こっちは大事な用があるんだ。あんた、チョコレート・ハリーつて名のケチな野郎を知ってるか?」 「チョコレート・ハリーはケチな野郎じゃない」タスク・アニニは唸《うな》りながら近づいてきて、フールのそばに立った。「それから、中隊長と話すときは言葉に気をつけろ。どうなっても知らないぞ」  三人のヒューマノイドは笑った。 「このイボイノシシが何て言ったか聞いたかい?」低くてドスのきいた声だ。だが、女性であることは間違いない。「あたいたちレネゲイズ団に口のききかたを教えようなんて、お門《かど》違《ちが》いだよ」 「じゃあ……きみたちがレネゲイズ団なのか」と、フール。すでに|チ《C》ョコレート・|ハ《H》リーから事情を聞いた。ハリーに侮辱されたことを恨んで、かつての暴走族仲間レネゲイズ団が復讐を誓っているという。オメガ中隊で補給担当軍曹を務めるハリーの所在を突きとめられるはずはない――そうフールはたかをくくっていた。だが、どうやら誤算だったようだ。 「ぶっちゃけた話をさせてもらうぜ、兵隊さんの坊や」と、大男。「おれたちレネゲイズ団の仲間は、あと数百人はいる。その全員でチョコレート・ハリーを探してるんだ。その口ぶりだと、あんた[#「あんた」に傍点]とそっちのイボイノシシはやつの居所を知ってるらしいじゃねえか」 「たとえそうだとしても、きみたちに関係ない」と、フール。「チョコレート・ハリーはオメガ中隊の一員だ。きみたちとのあいだに、どんないざこざ[#「いざこざ」に傍点]があったかは知らない。だが、忘れたほうがいいぞ。われわれは、なんとしても仲間を守る」 「仲間だって?」女は廊下に唾《つば》を吐き、ニヤリと笑った。歯が何本か欠けている。「あいつを仲間よばわりするのは勝手さ。だけどね、あのデブはあたいたちのものなんだよ、坊や。あたいたちに捕《つか》まったら、あいつがどんな目にあうか、わかるかい?」 「三つの方法で切り刻まれるのき」大男は意地悪そうにフールをにらみつけた。そのとき初めて、もう一人の男が言葉を発した。 「つまり、深く……大きく……何回も……というわけだ」  低いしゃがれ声だ。完全な無表情が声の不気味さを際立《きわだ》たせている。その男はジーンズのベルトに差した鞘《さや》を軽く叩いてみせた。振動ナイフの柄《え》が見える。 「そんなことさせない。おまえたち、近寄れない」と、タスク・アニニ。三人のレネゲイズ団の後ろから、かんだかいホイッスルの音がした。振り向いた三人の目に映ったのは、マスタッシュだった。六人の中隊員を従えて立っている。中隊員たちは、これ見よがしにベルト給弾式ショットガン〈ローリング・サンダー〉を振り回した。 「おれたち怒らせたくなかったら、とっとと帰れ」と、タスク・アニニ。 「クソッ」レネゲイズ団の大男は押し殺した声で言い、振り返ってフールを見た。「おれたちは、あんたたちとやり合うつもりはない、坊や。このガキどもにオモチャを引っこめるよう言ってくれ。今は騒ぎを起こしたくないからな。だが、必ずチョコレート・ハリーに伝えろ――おまえの居場所を突きとめた。もう逃げても無駄だ≠チてな」  レネゲイズ団の三人はそろってきびすを返し、集まった中隊員たちの前を大股で通りすぎた。これだけの武器を前にしながらも、なんとか平静をよそおっている。やがて、三人の姿が見えなくなると、フールはこらえていた息を一気に吐き出した。自分とディー・ディーが人質に取られていたら、ショットガンも役に立たなかったはずだ。しかし、ひとまず、その心配はなくなった。 「中隊長! 今度こそ、この衣装の話を聞いていただけますわね?!」  ディー・ディーの声だ。フールはわれに返った。長い午後が幕を開《あ》けようとしている。 [#改ページ]       3 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 二八五[#「執事日誌ファイル 二八五」はゴシック体]  軍隊を指揮するのは楽ではない。規律が甘いことで有名な宇宙軍においても、事情は同じだ。わがご主人様は、落ちこぼれとはみ出し者[#「はみ出し者」に傍点]の吹き溜まりである中隊の指揮官に任ぜられた。もちろん、そのような中隊をエリート集団に変えることはおろか、いくらかましな集団にすることさえ難しいと承知しておられた。しかし、固い決意を表明なさっただけでなく、それを実現してしまわれた。みずからが少なからぬ犠牲を払われたことは言うまでもない。とくに、ご主人様の成し遂げられた任務の大半に上官の妨害が入ったことは、察するに余りある。  明らかに、ローレライでの数々のご成功も、ご主人様に対する敵の憎しみをあおっただけであった。 [#ここで字下げ終わり]  ブリッツクリーク大将は足音も荒々しく執務室に踏みこんだ。また今日も憂鬱《ゆううつ》な一日になりそうな気がする。最近は、ずっとこの調子だ。早めに退役しようかと考えたくもなる。そのせいで恩給を減らされてもかまわない。しかし、このままあっさり地位を失うつもりもなかった。少なくとも目的を達成するまでは引き下がれない。 「新聞のプリントアウトをご用意いたしました、閣下」と、副官。  やつれた表情の女性少佐だ。副官になって三年たつ。宇宙軍に三人しかいない大将の一人の副官を命じられるのは、この上なく輝かしい配置転換だと数年前には思った。政界とのつながり[#「つながり」に傍点]も、資産も、軍人としての才能もないが、野心だけはある――そんな士官にとっては昇進への近道のはずだった。だが、ブリッツクリーク大将の副官の座におさまって以来、後悔の念が頭から離れない。その副官――スパローホーク少佐は、特別に自動編集した新聞の束をブリッツクリークに手渡した。上級士官の大半がコンピューター・ネットから直接に情報を取り出す。しかし、ブリッツクリークは昔ながらの印刷技術の信奉者で、プリントアウトを古き良きハードコピー≠ニ呼ぶ。  ブリッツクリークはプリントアウトをパラパラとめくり、ゴミ箱に投げ捨てた。 「くだらん記事ばかりだ」  ブリッツクリークは奥の部屋へ行こうと、身体の向きを変えた。  スパローホークが咳払《せきばら》いした。 「失礼ながら、閣下の副官に任ぜられて以来、わたくしは閣下のお読みになる記事を選別してまいりました。しかし、ここ一年ほど、閣下はほとんど目も通さずにプリントアウトを捨てていらっしゃいます。記事の選別基準を再検討するか、選別範囲を拡大する必要があると存じます。いったい閣下はどのような記事をお望みでございましょうか?」  ブリッツクリークは足を止め、スパローホークをにらみつけた。よけいなことを訊いてしまったのではないか――スパローホークは後悔しはじめた。 「まだわからんのか? わしは、あのジェスター大尉がヘマをしでかして免職に追いこまれるのを待っとるんだ。関係のない記事までチェックする必要はない。遅かれ早かれ、あのバカは大失敗をやらかして銀河じゅうの新聞のトップを飾るはずだ。そのときこそ、あいつにふさわしい罰をくだしてやる。それが宇宙軍のために、のちのちまで感謝されるわしの功績になり、わしも安心して退役できる」 「仰せのとおりです、閣下」スパローホークは一瞬、顔をしかめ、言葉をつづけた。「では、先ほどの記事をもういちどご覧ください。実は、わたくしも最初は見落としてしまいました。閣下がお探しになっておられる記事に当てはまるかどうか、すぐには判断がつかなかったからです。しかし、必ず閣下も興味をお持ちになると存じます」 「本当か?」ブリッツクリークはかがみこみ、ゴミ箱からプリントアウトを拾いあげた。今度は、さっきよりもゆっくりと目を通した。しだいに困惑の色が広がり、やがて顔をあげた。 「少佐、つまらんなぞなぞ遊び[#「なぞなぞ遊び」に傍点]をわしが楽しむと思うかね? いったい、どの記事だ? どうして、わしが興味を持つかもしれないと思ったのか?」 「三ページ目の記事です、閣下」と、スパローホーク。内心、ブリッツクリークが問題の記事を二度も見落としたことをおもしろがっている。「ランドール星の新政府について書いてあるはずです」 「ふーむ……」ブリッツクリークはサッと記事を読んだ。だが、ますます困惑し、当てつけがましくスパローホークにプリントアウトを突きつけた。「ジェスターの記事など、どこにもないぞ、少佐」 「仰せのとおりです、閣下」と、スパローホーク。のんびりした口調だ。スパローホークは思った――どうやら説明してさしあげるしかなさそうね。宇宙軍の最高位にまで昇りつめたブリッツクリーク大将だけど、それほど頭はよくないみたいだから。「閣下がジェスター大尉の名を知るきっかけ[#「きっかけ」に傍点]となった事件を覚えておられますか? もっとも、当時のジェスター大尉はスカラムーシュ≠ニ名乗っていました」 「よく覚えておる」ブリッツクリークは唸《うな》った。「あのろくでなし[#「ろくでなし」に傍点]はパイロットに命令し、平和協定調印式に機銃掃射を加えおった。だが、辛い、すばやく警告が行き渡り、地上にいた全員が避難できた。いや、幸いとは言えないかもしれん。多少なりとも負傷者が出ていれば、われわれはジェスターを檻《おり》の中に放りこめたはずだからな」 「仰せのとおりです、閣下」と、スパローホーク。「しかし、ランドール星こそがその事件の舞台であったことをお忘れのようですね」 「いや、もちろん覚えておる」と、ブリッツクリーク。「あれからランドール星は何とか持ちこたえ、新政府が誕生した。だが、われわれには何の関係もない。そうだろう、少佐?」 「たしかに仰せのとおりかもしれません」スパローホークは根気よく言葉をつづけた。「もちろん、直接の関係はございません。しかし、その第五パラグラフにご注目ください。閣下にとって有益な情報が記してあるはずです。それとも、わたくしの思い違いでしょうか?」 「そのようだな」ブリッツクリークは手にしたプリントアウトをチラリと見た。「まあいい、誰にでも巧みな戦略を立てる才能があるわけではない。しかし、わしのそばについておれば、きみにも基本を学ぶチャンスがある」 「仰せのとおりです、閣下」  だが、スパローホークには確信があった――もういちどブリッツクリーク大将は問題のパラグラフを読むはずよ。これ以上は何も言わなくても、この記事の利用法を自分で理解するわ。大将だって、それほどおバカさんではないはずだもの。わたくしが見つけたこの記事のおかげで、もうすぐ大将はジェスター大尉に復讐できる。そうすれば、大将は退役し、わたくしは解放されるわ。  ブリッツクリークはプリントアウトを奥の部屋に持ちこみ、ドアを閉めた。ブリッツクリークの姿が見えなくなると、スパローホークは自分のコンピューターの前にすわった。スパローホークの持ち株は、ずっと高値を保ってきた。だが最近のニュースによると、伸びが頭打ちになっている。そろそろ株を売って、ほかに投資したほうがいいかしら?  経済分析の画面を十数ページ見終わったとき、インターコムが鳴り、ブリッツクリークの怒鳴り声が聞こえてきた。 「スパローホーク少佐! すぐに参謀本部に通信をつなげ! いや、映話会議を召集する。ゴッツマン大使もお呼びしてくれ。とうとうジェスターの問題を解決する糸口を見つけた!」 「ただちに手配いたします、大将閣下」スパローホークは笑みを浮かべた。ブリッツクリークがお偉方に何を願い出るつもりかは察しがつく。たまには苦労が報《むく》われることもあるのね。 「よお、ドゥーワップ、調子はどうだい?」調理担当軍曹のエスクリマは、届いたばかりの新鮮なアスパラガスの束から目をあげて尋ねた。この若くて柔らかいアスパラガスは、水耕栽培と遺伝子操作による奇跡の産物だ。それでもエスクリマは、たっぷり時間をかけてアスパラガスの一つ一つを厳しくチェックした。こうしてキッチンに運びこまれてきた食材を点検するのも、エスクリマの仕事だ。「まだ相棒は見つからんのか?」 「そうなんです、軍曹。スシのやつ、どこに隠れたかわからないけど、とにかく見つからないんです」ドゥーワップはアスパラガスを並べたカウンターの端《はし》で立ち止まり、キッチンを見回した。「客を驚かさないよう気をつけながら、みんなで探してるところです。軍曹はスシを見ませんでしたか?」 「うむ、見かけなかったぞ」キッチンじゅうを見回してみろと言わんばかりに、エスクリマは大きく手を振った。ドゥーワップの目に入ったのは、何かを刻む二人の下働きと、豪華な最新式〈サーマスター・マルチレンジ〉の上で湯気をあげる数個の大鍋だけだ。「少なくとも今日は見てない。最後にスシに会ったのは日曜日だ。給料日まで、ちょっとカネを貸してもらおうと思ったんでね。近ごろ、まったくツイてねえから……」 「ツイてないのは、おれも同じです」ドゥーワップは目をギョロつかせた。「おれは今までカード・テーブルの事情に通じてるという自信を持ってました。中隊長の雇ったプロのギャンブラーに手ほどきしてもらってから、ますます自信を持つようになりました。今じゃ、どんないかさま[#「いかさま」に傍点]師のトリックだって見逃しません。それなのに、ゲームに勝てないんです。不正を見破る方法を教えてもらう前よりも、ツキが落ちてる気がします」 「同感だ」と、エスクリマ。「スシがいなきゃ、たった二枚の五セント硬貨も儲《もう》けられない。スシが出資してくれたら、どうにかゲーム台に戻って、ツキを取り戻す賭けに出られるんだが……」 「そうなんですよ。おれも、かろうじてゲーム台に残れるくらいのカネをいつもスシから借りてます。でも、今度の給料が出たら、まとめて返さなきゃなりません。だから、スシが帰ってこないほうが、おれにとっては都合がいいんです」ドゥーワップは顔をしかめ、あわてて付け加えた。「もちろん本気で言ったんじゃありませんよ、軍曹」 「ああ、わかってる」と、エスクリマ。「だが、スシが行方をくらますはずはない。なにしろ、これだけ大勢にカネを貸してるんだからな。とにかく、スシがおれたちの借用書をヤクザの手に売り渡さないよう祈るしかない。借金を踏み倒すと、ヤクザからひどい目にあわされるって話だ。そんな事態を避けるためにも、急いでスシを見つけてくれ。給料の三カ月分も、おれたちの仲間のスシから借りててさえ気分が悪いのに、カネ貸しで儲《もう》けようとする連中に借りを作るのは、ごめんだぞ」 「まったくです。おれたちがカネを返せなくても、スシなら、足の骨をへし折るような真似はしませんからね」と、ドゥーワップ。「スシを見かけたら、できるだけ早くマザーに知らせてください。いいですね?」 「もちろんだよ」エスクリマはうなずいた。「幸運を祈るぜ」 「その幸運が、ほかのことにも使えるといいんだがな」ドゥーワップはつぶやきながら、ドアを出ていった。  エスクリマは答えなかった。すでに頭の中は夕食の準備でいっぱいだった。 「まさか、そんなバカなことがあるはずないわ」  ブランデーは、途方に暮れるフロント係をにらみつけた。ブランデーの隣にガルボが立っており、受付デスクの前に列をなす宿泊客たちから好奇の眼差《まなざ》しを浴びている。誰もが惑星間ニュースでガンボルト人を見たことはある。だが、宇宙軍の制服を着た本物のガンボルト人がほんの二メートル先にいるのだから、話は別だ。しかも、接近戦では銀河一の強さを誇るというそのネコ型エイリアンの評判を知っているだけに、いっそう目が離せない。しかし今だけは、ガンボルト人よりも地球人のブランデーのほうが凶暴に見えた。まさに爆発寸前だ。 「たった一部屋なのに、どうして用意できないの?」と、ブランデー。もういちどフロント係はコンピューターをチェックした。「部屋代は中隊長の口座から引き落としてくれればいいのよ。やり方を教わらなかったの?」 「申しわけございません、お客様。先ほどから、ずっとエラー・メッセージが出つづけておりまして……」フロント係は横目でガルボを見た。  ブランデーといっしょにここに現われてから、ガルボは銅像のように突っ立ったままだ。まだ十分くらいしかたっていないが、ガルボの様子が気になってしかたがない。 「じゃあ、口座番号を間違えて入力してるんじゃないの?」と、ブランデー。「宇宙軍の取引に使う中隊長の口座よ。わかってるの、坊や?」 「もちろんでございます、お客様」と、フロント係。痩《や》せて神経質そうな若い男だ。左の小鼻にしゃれた金のリングをはめ、青い粉を散らした新ジョージ王朝ふうの左右非対称《アシンメトリー》なウィッグをつけている。「当システムはマクロ命令に従っています。ですから、いちいち口座番号を入力しなくても、フール様のディリチアム・エキスプレス・カードの口座にアクセスできるはずでございます。フール様のクレジットカードに問題があるとは思えません。いったい、どうしてこのようなことになるのか‥‥‥」 「ねえ、坊や、早く原因を突きとめてよ。そうでないと、このガンボルト人がロビーで寝るはめになるわよ」と、ブランデー。「ガルボがお客を獲って食うとは思わないけど、従業員の一人や二人に噛みつくくらいのことはするかもしれないわ。それがイヤなら、さっさと部屋を用意しなさい」 「できるかぎりの努力をいたします、お客様」と、フロント係。「もういちど試して、それでもダメなら、手作業で入力してみます」  いかにも不承不承というムッツリした表情だ。しかし、ようやくブランデーの脅《おど》しを本気にしはじめたらしい。その証拠に、すばやく指を躍らせて、左前腕の皮膚に埋めこまれた人造のタッチパッドを必死に叩いている。  すでに脅しの効果は充分なはずだ。それでも、ブランデーはフロント係をにらみつづけた。ふと受付デスクから目をそらしたとき、黒い服を着た小さな人影が見えた。カウンターの角《かど》を曲がって、こちらへ突進してくる。マザーから警告があった例の侵入者に違いない!  本能のなせる技《わざ》か? それとも、訓練の賜物《たまもの》か? 軍隊生活が長いと、その二つを区別するのが難しくなってくる。とにかくブランデーは、すばやく身をかがめ、侵入者を見据えた。そう言えば、さっきまで背後でざわめき[#「ざわめき」に傍点]や何かを追う足音が聞こえてたわ。何もかも、この侵入者のせいだったのね。 「そっちへ逃げたぞ!」 「早く捕《つか》まえろ!」  さらに、ひときわ大きな声。 「スパイだ!」 「そこへ直れ!」  ブランデーの声が響きわたった。いかにも古参曹長らしく貫禄《かんろく》たっぷりな声だ。少しでも軍事訓練を受けたことのある者なら、思わず反応してしまうだろう。案の定、黒い服を着た侵入者も足を止めた。ほんの一瞬だが、ブランデーは侵入者の姿をはっきりと見た。宇宙軍のジャンプスーツを着た身長一メートルほどのトカゲだ。たっぷり一秒間、そのトカゲとブランデーは目を合わせた。  われに返ったトカゲが動きだそうとしたとき、すでにブランデーはトカゲの胴体に飛びかかっていた。しかし、トカゲのほうがすばやかった。トカゲはブランデーをかわし、サッと左に飛びのいた。ブランデーは目標物を失い、床《ゆか》にうつぶせに叩きつけられた。すかさずトカゲはクルリと背を向け、ロビーの向こうの開《あ》いているドアめざして走りだした。 「あいつを捕《つか》まえて、ガルボ」ブランデーは叫んだ。床に大≠フ字に横たわったままだ。トカゲは一気に加速し、たちまちフルスピードに達した。左へ行くと見せかけて右へ身をかわしたり、自分の背の高さくらいまで飛びあがったりしながら逃げてゆく。ブランデーはポカンと口を開けて、トカゲを目で迫った。  だが、ガルボはトカゲ以上にすばやかった。  動いた気配すらない。それなのに、いつの間にかトカゲの前に立ちはだかっていた。ガルボはゆっくりと片手でトカゲの襟首《えりくび》を押さえ、もう片方の手でトカゲの胸ぐらをつかんだ。指先を大きく広げ、鉤爪《かぎつめ》をトカゲの胸に食いこませている。 「動かないで」と、ガルボ。だが、言葉とは裏腹に、トカゲが逃げるのを期待する表情だ。逃げたいなら、逃げなさい。こっちは捕《つか》まえる楽しみをもういちど味わえるわ=\―ネコに馴染《なじ》みの深い地球人なら、このガルボの気持ちを理解できるだろう。しかし、トカゲは動こうとしなかった。 「すばらしい。よくぞ、わしを捕まえた」翻訳器を通してトカゲの声が聞こえてきた。「実にすばらしい。感服いたしたぞ。さて、ピエロ中隊長に報告しよう」  ブランデーは、なんとか呼吸を整えて立ちあがった。背後に、激しい追跡劇を繰り広げた中隊員たちが整列している。侵入者が捕まったので、ブランデーの次の指示を待っているらしい。ブランデーはいぶかしげにトカゲを見た。 「ピエロ中隊長ですって?」と、ブランデー。眉をひそめている。「そんな人いないわよ。それよりも、あんたは何者なの? わたしたちの仲間でもないくせに、どうして、この中隊の制服を着てるの?」  トカゲは、ほんの少し背筋を伸ばした。ガルボに押さえつけられているため、こうするのが精一杯だ。 「わしはゼノビア軍のクァル航宙大尉だ」と、トカゲ。「軍事オブザーバーとして、この中隊に臨時配属された。ピエロ中隊長に報告する義務がある。中隊長に会わせていただきたい」 「軍事オブザーバー?」ブランデーはガルボに合図した。ガルボはクァルの襟《えり》をつかんだ手をわずかにゆるめた。「そう言えば、そんな話もあったわね。でも、どうして、こんな場所をコソコソ歩き回ったり、わたしたち中隊員から逃げ出したりしたの?」 「あんたがたの行動を監視しとった」と、クァル。「この中隊が緊急事態に対応できるかどうかを見極めるのも、わしの任務の一部だ。だから、わしは奇襲をしかけてみた。あんたがたは迅速に対処した。とくに、こちらの隊員は見事だった」  クァルは自分の襟首を捕《つか》まえているガルボを指し示した。 「この男はスパイです。そうに決まってます、曹長」ガブリエルは唸った。クァルを追いかけてきたせいで、息切れしている。同じようにクァルを追ってきたほかの中隊員たちも、いっせいに賛同のつぶやき[#「つぶやき」に傍点]を漏らした。 「静かにしなさい」ブランデーは中隊員たちのほうを振り向いた。「この男がスパイかどうか判断をくだすのは、中隊長にお任せしましょう。全員、持ち場に戻りなさい。ひとまず、この件は解決したわ。解散」 「了解、曹長《トップ》」と、一人の中隊員。だが、熱のこもっていない口調だ。中隊員たちはきびすを返し、それぞれの持ち場へ戻っていった。  ふたたびブランデーはクァルとガルボに向き直った。 「わかったわ。わたしたちの用が済みしだい、あなたを中隊長のもとへ案内しましょう。でもね、中隊長の名前はジェスターよ。ピエロじゃないわ。ガルボ、この男が逃げ出さないように、しっかり見張っててちょうだい」 「了解、曹長」と、ガルボ。翻訳器から聞こえてきたのは、ネコが喉《のど》を鳴らすような声だ。  ブランデーの見るかぎりでは、クァルは落ち着いていた。もっとも、ブランデーは、この恐竜に似たウロコだらけの生き物の表情を読む訓練を受けてはいない。一方、ガルボはあらゆる事態を想定し、警戒をゆるめなかった。まさに、この状況にふさわしい行動だ。  ブランデーはフロント係を見た。フロント係はポカンと口を開《あ》け、目の前の光景に見とれている。いや、フロント係だけではない。その場に居合わせた宿泊客の大半が呆然と突っ立っていた。みんな、興奮を求めて〈ファット・チャンス〉にやってきた客たちだ。それでも、あんなものを見られるとは予想していなかっただろう。だが、今のハプニングを楽しんだかどうかはわからない。ブランデーにとって、もう一つ気がかりな問題が残っている。 「ねえ、坊や、まだ部屋を用意できないの? それなら、わたしがこのガンボルト人を説得しましょうか? 今夜はフロント係の坊やの部屋で眠りなさいって」  そのとたんにフロント係は顔色を変え、もういちど必死にコンピューターのキーを叩きはじめた。 「これはどういうわけだ?」  アームストロング中尉は補給室をながめた。ホテルの補給室を改装して、宇宙軍が使用している。今朝、アームストロングがこの補給室の前を通りかかったときには、何の異状も見られなかった。それなのに今や、辺《あた》り一面が武装キャンプと化している。携帯食糧や重機用オイルの入ったダンボール箱を積みあげてバリケードを築き、箱と箱のあいだにレーザー・ワイヤー[#ここから割り注](剃刀の刃状の四角の小鉄片がついた囲い用鉄線)[#ここまで割り注]を張りめぐらせてある。さらに、バリケードの向こうには、石鹸の木箱を組み合わせて作った隠れ場所があり、その上からヘルメットのてっぺんが見える。  不本意ながらアームストロングは誇らしく思った。落ちこぼれのオメガ中隊員が短時間のうちにこれほどのものを築きあげるとは、予想していなかったからだ。フールが着任するまでは、こんなことのできる連中ではなかった。 「立ち止まって身分を明かせ」レーザー・ワイヤーを張ったバリケードの内側から、翻訳器を通した声が聞こえた。「両手をあげろ。急に動いたりするな」 「アームストロングだ」アームストロングは目を見張り、翻訳器の声の主《ぬし》を探した。「ルーイ、きみなのか? わたしを知っているはずだよな、ルーイ? いったい、これは何の真似だ? 侵略に備えているつもりか?」 「それ以上は近づくな。合言葉は?」 「合言葉?」アームストロングは顔をしかめた。補給室に入るのに合言葉など必要なかったはずだ。以前は、通りすがりの者がおもしろ半分に中をのぞいても、とがめられなかった。規則が変更になったのか? 「おい、チョコレート・ハリー、そこにいるのか?」  補給担当軍曹のハリーなら自分を中へ招き入れ、このわけのわからない真似について説明してくれるだろう。 「ここにチョコレート・ハリーという者はいない」声が答えた。「近づくな。手をあげろ」  アームストロングは両手をあげ、腕輪通信器が声を拾える程度に口を近づけた。 「マザー、補給室の様子がおかしい」落ち着いた口調だ。「チョコレート・ハリーにつないでくれないか?」 「わたしにしかできない仕事ですわね」と、マザー。「さあ、落ち着いて、坊や。すぐにつないであげますからね」  やがて、通信器から別の声がした。 「いったい誰だ? 手短に頼むぜ。こっちは忙しいんだ」 「ハリーか? こちらはアームストロングだ。この補給室のありさまは何だ?」 「たしかにアームストロング中尉の声に似てるな。でも、証拠がない」と、ハリー。一瞬の間《ま》の後、ハリーは言葉をつづけた。「では、問題です。昨シーズン、ギャラクティック・リーグをダントツの優勝に導いたのは誰でしょう?」 「へっ?」しばらくのあいだ、アームストロングは必死に考えた。「ええい、わからん。ハリー、こんなバカげたクイズはやめろ。わたしはグラヴボールのことなんか何も知らん」 「残念でした! グラヴボールじゃなくて、スクラムブル・ボールです。でも、それで充分だ。あんたは間違いなく[#「間違いなく」に傍点]アームストロング中尉だってわかりましたよ。おれの知るかぎりでは、これほどスポーツに疎《うと》いのはアームストロング中尉だけですからね。それで、何のご用ですか、中尉?」 「ハリー、わたしは補給室の外にいる。この部屋は、まるで要塞だな。何を守るつもりだ? カジノからくすねてきたカネか?」 「補給室の外ですって? その辺に怪しいやつは見当たりませんか、中尉?」 「わたしのほかには誰もいない! わたしを中へ入れるよう見張りの者に言ってくれ。わたしは中隊の仕事で来たんだ」 「了解、中尉。でも、急いでくださいよ。それから、妙な行動は取らないでください。ルーイは引き金をひきたくてウズウズしてます」  アームストロングは立ちあがり、笑みを浮かべて見張り役のシンシア人ルーイに手を振った。それから、ドアの外に作られた急ごしらえのバリケードを慎重にくぐり、補給室に入った。たえずルーイのスプラット銃が自分に向けられているかと思うと、落ち着かない。やがて、ようやくドアの前にたどり着いた。わずかに開《ひら》いたドアの隙間から、銃口が真っ直ぐアームストロングに向けられている。だが、すぐに、アームストロングが通り抜けられるだけドアが開《ひら》いた。 「どうぞ中へ入って椅子にすわってください。コーヒーを飲みますか?」  ハリーはアームストロングを招き入れた。しかし、視線をドアの外に向けたままだ。アームストロングは急いでドアをくぐり、勧められた椅子にドッカと腰をおろした。 「いったいぜんたい何が起こったんだ?」と、アームストロング。「またしても犯罪集団が襲撃してくるというのか?」 「それくらいなら、まだまし[#「まし」に傍点]ですよ」ハリーはドアに重そうな金属のかんぬき[#「かんぬき」に傍点]をかけた。 「とうとう、やつらに見つかっちまいました。ずっと前から、こうなることはわかってたんです。でも、やつらが踏みこんできて、おれを連れてっちまうようなことはないはずです、中尉。そんなことをすれば、向こうからケンカをふっかけたことになりますからね」 「何の話かさっぱりわからん」と、アームストロング。「そもそも、やつら≠ニは誰だ? なぜ、その連中がきみを追い回すんだ?」 「話せば長いことなんです、中尉」と、ハリー。「でも、かいつまんで話しましょう。おれがアウトロー・ホバーサイクル・クラブの暴走族の一員だったことはご存じですよね?」 「ああ、もちろんだ。有名な話だからな」と、アームストロング。 「じゃあ、おれがレネゲイズ団を怒らせた話もご存じですか? おれは、やつらの仕返しが怖くて宇宙軍に逃げこんできたんです。今の中隊長が転任してくるまでは、この中隊はどうしょうもない集団でしたから」 「ああ、その話も聞いた」と、アームストロング。「すると、その一件が……」 「身から出たサビってやつですよ。レネゲイズ団は、おれに仕返しするためにやってきたんです。間違いありません。連中が中隊長と話してるのを聞いて、すぐにルーイが知らせてくれました」  話すあいだも、ハリーは自動ショットガン〈ローリング・サンダー〉を磨きながら、窓に打ちつけた板の隙間の向こうを落ち着きなくうかがいつづけた。 「たとえレネゲイズ団が襲撃してきても、そのときはそのときだ」と、アームストロング。「きみも知っているとおり、中隊の一員を攻撃するのは中隊全体を敵に回すということだ。われわれは、なんとしてもきみを守るぞ、ハリー。ここに侵入したところで、きみを連れ去ることはできないことを連中に思い知らせてやる」 「恩に着ます、中尉」と、ハリー。「でも、おれが少しくらい自衛策を取ったとしても、悪くないですよね? なにしろ、あのレネゲイズ団は本当に凶暴な連中なんです」 「もちろん、きみを責めるつもりはない。だが、もう少し中隊員たちが必要物資を手に入れやすいようにしてほしい。きっと中隊長が問題解決のために力を貸してくださるはずだ。それにしても、もう一つ理解できないことがある」と、アームストロング。 「えっ、何ですか?」と、ハリー。 「レネゲイズ団は仕返しするために、もう何年も銀河じゅうを駆けずり回ってきみを探しつづけてきたんだろう? レネゲイズ団にそこまでさせるとは、きみはいったい何をやらかしたんだ?」 「何って……それは……誰もやらかしたことがないくらいひどい[#「ひどい」に傍点]ことです。あんなことをされて黙ってるホバーサイクルの暴走族はいないと思います」 「どういうことだ?」 「やつらのホバーサイクルをメチャメチャにしてやったんです[#「やつらのホバーサイクルをメチャメチャにしてやったんです」はゴシック体]」と、ハリー。死刑を宣告するような声だ。  フールは通信センターに飛びこんだ。まるでオオカミに追われているかのように慌てている。だが、ある意味では、このたとえ[#「たとえ」に傍点]は正しい。 「さあ、聞かせてもらおうか。マザー、スシの捜索はどうなっている?」 「○※☆♯$×」と、マザー。ほとんど聞き取れない声だ。通信装置を通すと雄弁になるマザーだが、面と向かって話すときは、以前と同じ恥ずかしがり屋のシュリンキング・バイオレット≠ノ戻ってしまう。マザーは通信コンソールの向こうにかがみこんだ。今にも消えてしまいたいと言わんばかりの様子だ。 「ああ、悪かった。もう少しで忘れるところだったよ」  フールは通路に戻ろうとした。あらためて腕輪通信器を使ってマザーと話すためだ。 「その件に関しましては、わたくしがお答えいたします、ご主人様」ビーカーが立ちあがった。部屋の片隅にあるデスクに向かって、ポケット・コンピューターのポータブレインを操作していた。「この事件を知りましてから、ずっと状況を観察いたしておりました。手短に申しあげましょう。いっしょに消えたスシと謎の男は、今もこのホテル/カジノ内におります。充分な保安措置を取っておりますので、外に逃げることはできません」 「録音の声を聞いたよ」と、フール。「お礼参りにきたヤクザみたいな感じだった。きっと、スシの刺青《いれずみ》がニセモノだと気づいた誰かが、日本のヤクザに知らせたんだろう」 「はい、わたくしも同じ印象を持ちました」と、ビーカー。「そうなりますと、スシはたいへん厄介な事件に巻きこまれた可能性があります。ヤクザというのは内密の協定を重視します。部外者がヤクザの一員をよそおったら、笑いごとではすまされません。それだけに、一刻も早くスシを見つけるべきだと存じます」 「スシの部屋は、もう調べたのか? いっしょに消えた男の部屋は?」と、フール。 「スシの部屋はもぬけ[#「もぬけ」に傍点]の殻でございました、ご主人様」と、ビーカー。「もう一人の男については、受付デスクの監視記録と、ブラックジャック・ルームの監視カメラの映像を照合いたしました。ご存じのように、このホテルでは、ルーム・キーを渡すときに、すべての宿泊客の顔を記録いたします。監視カメラの映像と受付デスクの記録は一致しませんでした。つまり、その男は変装の達人か――ヤクザなら、それも不可能ではないはずです――あるいは、ホテルの宿泊客ではないか、どちらかだと思われます」 「連れの女は身分証明書を持っていなかったのか?」 「身元がわかるようなものは何も持っておりませんでした」と、ビーカー。がっかりした表情だ。「レンブラント中尉が調査の指揮をとっておられますが、これほど手がかりのない女性に出会ったのは初めてだとおっしゃっています。なにしろ今の時代には、洋服や宝石やアクセサリーや財布など、何を買っても店のコンピューター・システムに記録が残りますし、買った商品そのものが身元を示す証拠になります。必要なら、保安システムを使って、さらに徹底的な調査を行なわせます。ひょっとすると、何かわかるかもしれません」 「いや、時間を無駄にするだけだ」フールは首を横に振った。「その女がそこまで徹底的に身元を隠しているのなら、すでに、ほかにも万全の準備を整えてあるんだろう。それでも、ぼくは手を尽くすつもりだがね」 「わたくしも異存はございません、ご主人様」と、ビーカー。「ですが、細《こま》かい仕事は専門家にお任せになるのが無難かと存じます。ところで、さしあたって一つだけ良いニュースがございます」 「そうか、いいタイミングだ。実は、このまま今日はドン底まで落ちこむのかと心配になってきていた」と、フール。「どんなニュースだ?」 「例の侵入者の正体が判明いたしました。結局、侵入者ではなく軍事オブザーバーでございました。クァル航宙大尉を覚えていらっしゃいますか?」  フールは一瞬、眉間《みけん》にしわを寄せた。 「クァル……クァル…‥ああ、思い出した。ゼノビア人のクァルだな? そう言えば、クァルがわが中隊に配属されることになると、ブリッツクリーク大将から聞いた覚えがある。たしかにそうだ! じゃあ、クァルがここに来ているのか? どこにいるんだ?」 「ブランデー曹長とガンボルト人の女性がクァルを捕《つか》まえて、ホテルのフロントに連れてきております」と、ビーカー。「クァルは侵入者をよそおいながら、中隊がどれほど迅速に緊急事態に対応できるかを観察していたのでございます。いずれご主人様の耳にも入ることと思いますが、中隊員の中にはクァルの任務を誤解している者もおります。クァルをスパイではないかと疑っているのでございましょう」 「その点は心配ない」と、フール。「クァルを送りこんできたのはブリッツクリーク大将だ。だから、クァルに悪意がないことは保証されている。きっと隊員たちもわかってくれるだろう。そうなれば、もう何も問題はないはずだ」 「おっしゃるとおりです、ご主人様」と、ビーカー。だが、まだ納得がいかないらしい。 「もう一つ問題がございます。ブランデー曹長がガンボルト人の女性に個室を用意しようとしたところ、ご主人様のクレジットカードに不備があることがわかったらしいのです」 「まさか、そんなはずはない」と、フール。「いいかい? ぼくたちはホテルのオーナーなんだ。クレジットで払うとオーナーが言っているのに、ホテル側が断ると思うか? しかも、ぼくが使っているのはディリチアム・エキスプレス・カードだぞ」 「肝心なのは、そこでございます」と、ビーカー。「ご主人様のその[#「その」に傍点]ディリチアム・エキスプレス・カードに問題があると思われるのでございます。わたくしたちの気づかないうちに、金融市場にきわめて珍しい事態が生じたのかもしれません。そうでなければ、このようなことが起こるはずがございません[#「起こるはずがございません」に傍点]」 [#改ページ]       4 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 二九四[#「執事日誌ファイル 二九四」はゴシック体] 「大金持ちは普通の人とは違う」と、誰かが言った。  非常に賢い人は答えた――「たしかに、大金持ちは普通の人よりもカネをたくさん持っている」  わがご主人様も大金持ちだ。ご主人様のご成功は、この事実のおかげである。  ご自分の中隊をエリート集団に変えるために、ご主人様はさまざまな方策を講じられた。たとえば、中隊員たちに一流の宿泊施設や最新鋭のトレーニング設備を用意してやり、四つ星レストランも顔負けの豪華な食事をお与えになった。もちろん、ほかの指揮官でも、この程度のアイデアを思いつくかもしれない。だが、軍の財務部の反対意見をものともせずに実行に移せるのは、大金持ちだけだ。つまり、ディリチアム・エキスプレス・カードを見せびらかして「支払は、このカードで」と言える人物だけが、特別な任務を成し遂げられる。  しかし、ホテルの若い従業員がいつものようにご主人様のカードで精算しようとしたところ、そのカードに問題があった。このままでは、ご主人様が慎重に築いてこられたすべて[#「すべて」に傍点]のシステムが崩壊する。しかも、どうやら、ご主人様の領域を荒しているのは強力な人物らしい。 [#ここで字下げ終わり] 「ディリチアム・エキスプレス・カードの口座に侵入するとは、たいした芸当だ」と、ヤクザの男ナカダテ。ナカダテとスシは、〈ファット・チャンス〉ホテルのビジネス別館の談話室に二人きりですわっていた。ホテルの娯楽施設の一つだが、ギャンブル目的の観光客はほとんど寄りつかない。 「あっしの腕前をほんのちょっとお見せしただけです」スシは、フールの口座に侵入するために使った映話装置をおろした。「口座を凍結するなんざ、ほんの小手調べです。その気になれば、残金を丸ごと引き出すこともできやす。しかも、侵入の形跡すら残しやせん。もちろん、誰がどうやったかなんて絶対にバレる心配はありやせん。あっしらの世界で役に立ちそうな才能だとは思いやせんか?」 「前にも、こういう技《わざ》を見たことがある。だが、これほどすばやくはなかった。おまけに、あんたは大して複雑な機械を使ったわけでもない。こんなのは初めてだ」と、ナカダテ。しぶしぶながらも賞賛の色を浮かべている。  二人は声を落として話をつづけた。もっとも、盗み聞きされたところで、話の内容を知られる心配はない。このあたりに日本語を理解できる者はいないからだ。 「あなた様がおっしゃるその機械ってのは、例のバカでかいやつでしょう? あんなものを持っていることを相手に知られたら、それこそ何もかも台なしになりやす」スシは椅子に深深ともたれた。「誰でも、剣を持つ相手だけを警戒して、丸腰の相手には注意を向けないものでやす。愚か者は、素手の相手がいちばん怖いことを忘れておりやす」 「忍者みたいなことを言うな」ナカダテは顔をしかめた。「だが、どうして、わしに手の内を明かす気になった? わしはあんたの腕前を知っているし、あんたが自分のボスを裏切るつもりだということも知っている。だから、あんたを消すかもしれん。あんたがその技《わざ》を使って、わしらの組を| 陥 《おとしい》れようとする前にな」 「愚か者は自分の剣でケガをいたしやす。しかし、利口な人間は自分の剣を折るような真似はいたしやせん」と、スシ。穏やかな口調だ。「あっしには確信がございやす。あなた様は――あなた様を送りこんできたのが誰かは存じやせんが――あっしの存在価値がわからないほど愚か者ではないはずでやす。たとえ、あっしの価値があなた様にわからなくても、あっしの身は安全でやす。少なくとも、あなた様があっしを偽者扱いしようとしたときと状況は変わっておりやせん」 「あんたが例の合図≠知っていたのに驚いた」と、ナカダテ。「あの合図を偽のヤクザが知っているはずはない。それでも、あんたを仲間と認めるわけにはいかない。第一、証拠がない。あんたをどう始末するか、まだ迷っている」  スシは両手を広げ、肩をすくめた。 「あっしを始末する必要がありやすかね? たとえ、その必要があるとしても、あなた様に決定権がおありなんですかい?」 「わしは、この辺《あた》り一帯を仕切るバーニング・ツリー一家の者だ。ヘマをやらかした罰として、重い荷物を背負わされた――つまり、あんたの正体を暴《あば》いてこいと命じられたんだ。できれば、楽な道を選びたい。しかし、あんたは自分で言うように、またとない掘り出し物かもしれねえ」と、ナカダテ。 「じゃあ、あなた様が背負ってるお荷物をあっしが降ろしてさしあげやしょうか?」と、スシ。目の端《はし》にかすかな笑みを浮かべている。だが、口元は笑っていない。ひょっとすると、ナカダテはスシの本意に気づいたのかもしれない。しかし、そんな素振りは見せなかった。 「その必要はない。わしの背中は丈夫にできてる」と、ナカダテ。「だからこそ、わしはヤクザ社会で生きてこられた」 「厄介な仕事をこなすご努力はご立派でござんす」と、スシ。「しかし、ご自分の仕事を必要以上に厄介にする理由はありやせん」 「たしかに、そういう考えかたもあるな」と、ナカダテ。「だが、はっきり言おう。この問題を解決しても、必ずもっと厄介な問題が新《あら》たに持ちあがるはずだ。しばらく様子を見るのがいちばんの得策だろう」 「そのとおりかもしれやせん」と、スシ。「でも、あっしにいい考えがございやす。様子を見る必要はなくなるはずでやす」 「へえ、そうかい?」と、ナカダテ。「だがな、よく聞け――わしのあだ名は石頭≠ニいうんだ。兄貴分からそんな名前をちょうだいしたのも、立派な理由があるからだ」 「そのあだ名に誇りを持ってらっしやるようでやすね」と、スシ。真顔だ。「でも今は、あっしの提案を聞いてやっておくんなせえ。後の判断はあなた様にお任せいたしやす。まず知っておいていただきたいのは……」  しばらくスシは話しつづけた。最初のうち、ナカダテはいぶかしげな表情で耳を傾けた。だが、話が終わるころには、大きく目を見開いていた。 「失礼、少し話をさせてくれないか?」  声をかけられた若い中隊員は顔をあげた。黒いジャンプスーツに黒サングラスの男が目の前に立っている。長いもみあげ[#「もみあげ」に傍点]を残して、髪をオールバックにしてあった。しかし、襟元《えりもと》に宇宙軍の記章がついているのを見て、中隊員はホッとした。 「ええ、いいですよ。三十分後にはカジノの警備につきますけど、それまでは自由時間ですから。それで、どういうご用ですか?」 「つまりな、おれは靴を左右反対に履いちまったような違和感を覚えてるってことだ」と、見知らぬ男。「この中隊に配属されたからには、どこで、どんなふうに自分が役に立てるかを知りたい。おれの名前はレヴだ」その男――レヴは中隊員に握手を求めた。「きみの名前は?」 「ギアーズと呼んでください」と、若い中隊員。「階級は一等機関兵です。自分で言うのも変ですが、機械をいじるのは大の得意です」 「けっこう、けっこう。若者は自分の仕事に誇りを持つべきだ」レヴは満足そうに手をもんだ。「おれも自分の仕事に誇りを持ってる。だからこそ、この中隊に配属されて大喜びした。なにしろ、この中隊は、古くさい問題を斬新な方法で解決するという評判だからな。実は、このおれ[#「おれ」に傍点]も同じタイプの男でね」 「それはまた嬉しい話ですね」ふとギアーズは、レヴの襟元《えりもと》にもう一つ記章がついていることに気づいた。本職を示す記章らしい。古風なデザインの楽器をかたどってある。たしかエレキ・ギターとか言ったっけ。「どういうお仕事を担当していらっしゃるんですか、レヴ? 珍しい記章をつけていますね。でも、何の印《しるし》なのか忘れてしまいました。まさかミュージシャンではありませんよね」  レヴは低い含み笑いを漏らした。 「ある意味では、そう一言えるかもしれん。おれは魂の安らぐ音楽を奏《かな》でるからな。でも、残念ながら、これはおれが属してる教団の記章だ。おれは新任の中隊付き牧師さ。つまり、全中隊員に神の御教《みおし》えを説くのが、おれの仕事さ。隊員の中には、キリスト教徒も、ユダヤ教徒も、大ホリスティック教徒も、多神教徒も、イスラム教徒も、反ノーフィアン教徒もいる。でも、おれは誰にでも分け隔《へだ》てなく助言と慰めを与えるつもりだ。故郷では、おれの教団は〈新《あら》たなる黙示の教会〉とか〈主の教会〉とか呼ばれてる」 「おっしゃることはごもっとも[#「ごもっとも」に傍点]だと思います」と、ギアーズ。丁寧な口調だ。「ところで、お話って何でしょう?」 「そうそう、実はね、きみの悩みを聞かせてもらいたいんだ」レヴはギアーズの隣にかがみこみ、目の高さを合わせた。「きみの悩みでも、周《まわ》りの人の悩みでも、何でもいい。きみたちみんなの悩みを解決すること――それがおれの任務なんだから」  ギアーズは力なく微笑した。 「もちろん、自分にとって何がいちばん大きな悩みかはわかっています。でも、あなたに解決できる問題だとは思えません」 「驚くなかれ、主ご自身も悩みを抱《かか》えておられた」と、レヴ。「きみやおれ[#「おれ」に傍点]には想像もつかないほど大きな悩みだ。しかし、主はそれを克服され、全世界に聞こえるよう声高らかに呼びかけられた――住処《すみか》≠去られるその日までずっと。だから、きみの悩みを打ち明けてみろ。解決する方法があるなら、いっしょにそれを見つけようじゃないか。きみとおれ[#「おれ」に傍点]と、そして何よりも主のお力によって……」 「あのう、ツイてないだけだと言われそうなんだけど、つまりは、それが悩みなんです」と、ギアーズ。 「たしかに、誰にでもツイてないときがある。でも、ツキは変えられるんだ。誰でも、運を取り戻して以前よりもツキを大きくすることができるぞ。主ご自身がなさったようにね」と、レヴ。 「本当にそうならいいんですけど」と、ギアーズ。「でも、ぼくが落ちた穴から抜け出すには、かなり大きなツキを取り戻さなければならないと思います」  ギアーズは言葉を切り、レヴを上から下まで見つめ回した。やがて、レヴの様子に満足して、話をつづけた。 「このローレライにやってきたころは、みんながはしゃいでいました。ぼくだけではありません。今まで何の刺激もない僻地《へきち》に縛《しば》りつけられていた連中に、退役後のための蓄《たくわ》えを作るチャンスができたんですから、当然です。おまけに、中隊長はプロのギャンブラーを連れてきて、トリックの見破り方を教えてくれました。もうこれでゲームに負けるはずがないと、ぼくたちは思いました。今では、非番の中隊員はほとんどがカジノへ行って運だめしをします。ブラックジャックでも、クラップス[#ここから割り注](二個のサイコロを使うゲーム)[#ここまで割り注]でも、ポーカーでも、マジックでも――勝つチャンスのあるゲームなら何でもやります。でも、スロットマシーンやスーパーストリング・ルーレットには手を出しません。それぐらいのことはわきまえています」  レヴは真顔でうなずいた。 「きみの気持ちはよくわかる。主ご自身も長い年月をカジノで過ごされ、毎日のように大きな誘惑と向き合われた」  ギアーズはうなずいた。だが、うわの空《そら》だ。 「とにかく、見かけほど簡単な問題じゃないんです。プロのギャンブラーに不正の見破り方や勝率の見積もり方を教われば、何もかも簡単にいきそうなものです。それなのに、いざテーブルに賭《か》け金が積みあげられると、なかなか冷静に考えられなくなります。ここに来てから地球時間で七カ月たちますが、ぼくは給料の四カ月分を全部すってしまいました。でも、それほど重症ではありません。だって、有り金がたったの数ドルしかなくても、全部をギャンブルに注《つ》ぎこむやつもいるんですから。それに、衣食住に必要なものは軍から支給されます。それでも、やっぱりツキが変わって窮地から抜け出せたらいいのにと思います」 「たしかに、考える必要のある問題だな」レヴは立ちあがった。「主もご理解くださるだろう。主ご自身にも、普通の男と同じように兵役に従事なさった時代があったからね。どうやら、ここには、おれのやるべき仕事がたっぷりありそうだ。何から始めればいいのかもわかった。ありがとさんよ、お若いの。またいつか話をしようぜ」 「いいえ、こちらこそありがとうございました。ええと……レヴ」と、ギアーズ。「もし、あなたのおっしゃる主がぼくたちの運勢を変えてくださったら、大勢の中隊員が感謝を捧げると思います」 「おれから主にうかがってみるよ」レヴは低く含み笑いした。「約束しよう」 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 二九八[#「執事日誌ファイル 二九八」はゴシック体]  ご主人様は指揮官にふさわしい資質をいろいろと備えておられる。中でも、重要な決定をくだすべきときに絶対的な自信を示される能力がすばらしい。しかし私生活でも、このような自信を持っておられるわけではない。ご主人様は誤って平和協定調印式に機銃掃射を加え、軍法会議にかけられた経験をお持ちだ。あのときは処罰の決定を待つあいだ、まったく落ち着きを失っておられた。まるで監察官にベッドメーキングのやり直しを命じられたらどうしよう――そう思いながらビクビクしている新兵のようだった。  だが、私生活で――わたくしと二人きりのとき――どんな迷いをお感じになろうとも、部下の前でそれを見せてはならないと、今ではよくわかっておられる。まさに今、一度にいくつもの危機が迫っているらしい。どうやら、ご主人様が敢然と立ち向かわれるべきときがきたようだ。  そういうわけで、ご主人様がわたくしをお呼びつけになり、目下の問題の対処方法を一つ一つ話しはじめられたときも、わたくしは驚かなかった。しかし、ご主人様がそれぞれの問題に優先順位をおつけになったのには驚かされた。わたくしの考えた優先順位とかなり食い違っていたからだ。 [#ここで字下げ終わり]  フールは部屋に集まった四人の顔をながめ回した。フールが政治家なら、自分のブレインと呼びたい面々だ。直属の部下である三人――レンブラント中尉、アームストロング中尉、ブランデー曹長――と、執事であり、個人的な親友でもあるビーカー。おそらくフールにとって、もっとも頼りになるのはビーカーだろう。軍の問題を客観的に見られるだけでなく、極秘にどこへでも出かけていって、誰とでも話をできるからだ。中隊員たちもビーカーの口が固いことは充分に承知している。だからこそ、ビーカーには何でも打ち明けることができた。  さっそく、フールは用件を切り出した。 「みんなも知っているとおり、厄介な問題が一度に持ちあがった。最初にこれだけは言っておく――われわれが解決できないトラブルは一つもない。現に、いま起こっている問題を一つ一つ見ても、わが中隊にとって脅威となるものは一つもない」 「嬉しいお言葉です、中隊長」と、アームストロング。「今日は大混乱の一日でした」 「大混乱どころじゃないわ」ブランデーも、今日は落ち着かない午後を過ごした。「スシは無許可でどこかへ消えちゃうし、ゼノビア人のスパイごっこには振り回されるし、おまけにホテルのフロントでもさんざんモメて……本当にてんてこ舞いだったんだから。そのうえ、あの新入隊員たちを特訓しなきゃならないのよ。まあ、ガンボルト人の三人は問題なさそうだけど」 「その程度のトラブルなら、まだましだ」と、アームストロング。安楽椅子でくつろぎ、どうにか例の模範姿勢を保っている。「チョコレート・ハリーがバリケードを作って立てこもった。ハリーの頭が変になったのではないとしたら、これは本当の乱闘さわぎになるかもしれない」 「チョコレート・ハリーは、あのホバーサイクル暴走族の連中を異常に怖がっているわ」と、レンブラント。軽蔑する口調だ。「でも、あんな連中を追っ払うくらいなら、二、三人の中隊員がいれば充分よ」 「補給室の様子を見に行ってみろ。今の言葉を撤回したくなるぞ」と、アームストロング。「あの強固なバリケードを見るかぎりでは、ハリーにはレネゲイズ団を追い払うためにおれたちの力を借りるつもりがなさそうだ。自分の敵が何者なのかをよく承知しているらしい」 「そう言えば、ハリーはレネゲイズ団という無法者のホバーサイクル暴走族の一員だったわね」と、ブランデー。「あのハリーを脅迫するなんて、あなどれない連中だわ。でも、このローレライでは、暴走族もチンピラどうしのケンカをするみたいなわけにはいかない。だって、レネゲイズ団は史上最強の中隊を敵に回すことになるんですもの。でも、武装した団員を何百人も連れてきたわけじゃないんでしょ? それなら、ちっとも怖くないわ」 「われわれにとって……というよりも、われわれの任務にとって怖い相手と言うべきだな」と、フール。「いくらレネゲイズ団がチンピラどうしのケンカに強くても、われわれに太刀《たち》打ちできるはずがない。それでも、娯楽施設のド真ん中で乱闘をされたら、深刻な事態を招く。もちろん、酒場には殴り合いの一つや二つは付きものだ。しかし、カジノの客――言うまでもなく民間人だ――を中隊と暴走族の大乱闘に巻きこんだ経緯を軍法会議で説明するなんて、ぼくはゴメンだぞ」 「その点については、おっしゃるとおりです」と、ブランデー。「武力行使が許されないなら、わたしたちはどうすればいいんですか? レネゲイズ団は昔のことを根に持って、ハリーの隠れ家を探し回ってたそうですね。ハリーの居場所を知ったとたんにスペース・ライナーに飛び乗って、この銀河でナンバー・ワンの高級リゾートまで追っかけてきたくらいなんですよ。それほどの怒りが簡単におさまるとは思えません。わたしたちがハリーを連れてきて、申しわけありません。あんなことは二度といたしません≠ニ謝らせただけじゃすまないはずです」 「ああ、ぼくも同じ意見だ」と、フール。「でも、この問題はしばらく保留にしよう。検討中の問題の一つには違いないが、ほかにもっと解決を急ぐ問題がある。ジグソーパズルというのは、最初の一コマ、二コマをきちんとはめれば、あとはおのずと出来上がるものさ」 「正当な取り組み方ですね」と、レンブラント。以前、フールがいないあいだ、プレッシャーをものともせずに強固な決断力を見せつけた中尉だ。「どの問題から取りかかりましょうか? チョコレート・ハリーとレネゲイズ団の件ですか? それとも、スシの失踪事件? ゼノビア人スパイの問題もあります」 「いちばん重要なのはレネゲイズ団の問題だ」と、アームストロング。そっけない口調だ。「あの連中を何とかする必要がある。そうしないと、あいつらは銃撃戦を始めかねない」 「わたしはそうは思わないわ」レンブラントは眉をひそめた。「スシがヤクザと共謀しているとしたら、危険な情報がヤクザ一味に漏れる恐れがあるわ。スシは、この中隊の中でもいちばん頭の切れる隊員よ。説明を受けていなくても、中隊上層部の考えを理解できるはずだわ。だからこそ、いったん中隊を裏切る決意を固めたら、とてつもなく危険な存在になり得るのよ」 「危険ですって? いい? 本当の危険ってのは、つまり、こういうことよ」と、ブランデー。「事実はどうであれ、中隊員の半数がクァル航宙大尉をスパイと信じこんでるわ。そのせいで、中隊全体の士気が下がってるのよ。とにかく、クァル航宙大尉をどこか遠くへ追い払ったほうがいいわ。そうしなければ、中隊員たちは、いつクァル航宙大尉に裏切られるかとビクビクしてなきゃならなくなるんだから」  ビーカーが片手をあげ、遠慮がちに言葉を発した。 「ご主人様、差し出がましいことを申しあげるようですが、何よりもディリチアム・エキスプレス・カードの問題を優先させるべきではないでしょうか? ご主人様の口座を自由自在にあやつることのできる人物がいるとすれば、ご主人様にとっては非常に危険な敵であると思われます」 「鋭い指摘だな、ビーカー」と、フール。ほかの三人もうなずいた。ビーカーは軍事には疎い。しかし、ビーカーの広範囲にわたる知識は中隊員たちの尊敬を集めていた。ビーカーが意見を述べることはめったにない。だが、ひとたびビーカーが発言すると、誰もが熱心に耳を傾ける。 「実に鋭い意見だ」フールは言葉をつづけた。「でも、その問題は時が解決してくれる。ぼくは、そう考えるな。それよりも、きみたちは本来のわれわれの任務を忘れているんじゃないか?」 「何とおっしゃいましたか、中隊長?」と、ブランデー。中隊長は軍規をすべて暗記した上で、わざと一つ一つの規律を破ってるんじゃないか――ずいぶん前から、そう思えてしかたがない。現に、フールの輝かしい成功は、そういった規律が無意味であることを証明した。だが、もちろん、すべての下士官がそのことには気づいている。しかし、いくら無意味な規律でも、むやみに破ることは許されない。とにかく上官には絶対服従するよう部下を手なずけてしまえば、部下は指揮官のもとで一致団結して戦う。上官の命令がどんなに無意味であろうと関係ない。大昔から、どんな軍隊組織もそのような形で機能してきた。ときどきブランデーは思うことがある――辞職に追いこまれるまでに、フール中隊長は軍隊の根本理念まで変えてしまうんじゃないかしら?  気まずい沈黙が広がっていることに、ブランデーは気づいた。しかも、フールが期待をこめた目でこちらを見ている。 「曹長、新入隊員を迎えたことを忘れたのか? 今のうちに宇宙軍のやり方を教えこむべきだとは思わないか?」と、フール。  アームストロングは仰天した。 「中隊長、いま話した重大な問題を無視なさるおつもりですか? どれを取っても、われわれの今までの功績をぶち壊しにするような問題ばかりですよ」 「無視するつもりはない、アームストロング」と、フール。静かな口調だ。「しかし、すべての問題が一度に悪化しないかぎり、二、三日もあれば、この危機を乗り切れるはずだ。新入隊員とは、これから長く付き合っていかなければならない――おそらく、連中が退役するまでね。この中隊が成功を重ねていけるかどうかは、新入隊員をどう訓練するかにかかっている。ほかの部隊で悪い色をつけられていない新兵をわが中隊に迎え入れることができたのは、幸いだった」 「中隊長、ガンボルト人にもいっしょに訓練を受けさせるんですか?」と、ブランデー。ついさっき、ガルボがいとも簡単にゼノビア人を捕《つか》まえるのを目《ま》の当たりにしたばかりだ。信じられないほど機敏だった。ガルボよりもすばやい知的生命体は見たことがない。「銀河じゅうを探しても、接近戦でガンボルト人にかなう者はいません。これは誰でも知ってることです」 「いくらガンボルト人といっても、まだ訓練を積んでいない」フールは根気強く言葉をつづけた。「軍隊とチンピラの寄せ集めの違いは、訓練を受けているかどうかという点だ。われわれは落ちこぼれの集まりから優秀な中隊を作りあげ、高く評価されている。そればかりか、とうとう隊員を初歩から鍛えあげるチャンスを手に入れた。さっそく訓練に取りかかり、新入隊員たちを立派な中隊員にしこんでやろう」 「了解、中隊長!」と、アームストロング。どうしてこれがいちばん重要な問題なのかわからないという表情だ。だが、フールの忠実な部下である以上、それを口にするわけにはいかない。それに、フールが決めた方針は、最初はうまくいきそうにないと思われても、結果的に成功する場合が多い。アームストロングは思った――今度も悪い結果にならなければいいのだが…‥ 「グレート・ガズマ、ふたたびお目にかかれて光栄です、ピエロ[#「ピエロ」に傍点]中隊長!」と、クァル。  オーダーメードの黒い制服姿がキマっている。背が低いことを除けば――身長は一メートル弱しかない――宇宙軍の正式な士官として立派に通用する。もちろん、〈ファット・チャンス〉カジノの四つ星レストランは、この小柄なエイリアンのために特別席を用意した。既知の文明種族なら、どんな種族にでも席と食事を提供できる――それが、このレストランのセールスポイントだ。ゼノビア人の客を迎えるのは初めてだが、レストラン側の対応は申し分ない。ハンモックに似た装置を取りつけてある肘掛《ひじか》け椅子は、クァルにとって快適なはずだ。 「わが中隊に配属された軍事オブザーバーがあなた[#「あなた」に傍点]だったとは、嬉しい驚きです」と、フール。 [#挿絵089 〈"img\APAHM_089.jpg"〉]  カジノの高級レストランで食事を取るのは珍しい。大株主であるフールには当然ながら、その権利がある。代金も請求されない。だが、調理担当軍曹のエスクリマの腕前は〈ファット・チャンス〉ホテルの料理長にも引けを取らない。おまけに、中隊員専用の食堂を利用すれば、面倒も、時間の無駄もない。エスクリマの料理を楽しみながらレポートに目を通すこともできるし、中隊員たちと話をするために料理皿ごとほかのテーブルに移動しても、誰にも文句を言われない。食事をお代わりするのも自由だ。  しかし、今夜だけは特別だった。フール中隊がゼノビア人の賓客をもてなすのだから、いつもよりもフォーマルな雰囲気を演出する必要がある。ピカピカの銀器……雪のように白いテーブルクロス……ボーンチャイナの食器……二十ページもあるワインリスト……。地球人と違って、クァルがこんなものを喜ぶとは思えない。それでも、自分が最高のもてなしを受けていると、すぐにクァルも気づいた。  しかも明らかに、クァルは楽しんでいた。マグロの海藻巻きにワサビをたっぷり載せ、次次に口に放りこんでゆく。フールたちは会食の前に緊急会議を行ない、ゼノビア人の食習慣について議論した。その結果、生《なま》の食材――ゼノビア人にとっては普通の食事だ――を丸飲みするクァルを見たら、(同席者はもちろん)ほかの客も不快に感じるだろうという結論に達した。しかし、料理長は機転をきかせ、生《なま》の魚を海藻で巻くアイデアを出した。クァルも事前に快諾し、こう言った――「なんといっても、兵士たる者は困難に慣れる努力をしなければなりません」  翻訳器を通したクァルの声は、必死に笑いをこらえているように聞こえた。  今やフールの目の前で、アームストロングが生魚《なまぎかな》料理をおそるおそる飲みこもうとしている。フールは思った――あのとき、クァルはこの状況を想像して笑ったんだな。たしかにアームストロングは意気地のない男だ――とくに食べ物に関しては。 「ピエロ中隊長をはじめとする中隊員のみなさんに、今日のわし[#「わし」に傍点]の悪ふざけをお許しいただければうれしいのだが……」翻訳器からクァルの声が流れてきた。ときどき言葉の選択を誤るが、アクセントは完璧だ。「馴染《なじ》みのない部隊をよく理解するには、まずその部隊が不測の事態にどう対処するかを見なければなりませぬから。じっくり観察するためには、ここに到着すると同時に行動を起こす必要がありました。作戦を誰かに知られてしまった後では遅いのです」 「ごもっともです」アームストロングは料理を見つめた。これが生《なま》の魚じゃなくて、野菜チップを添えたミディアム・レアのデラックス・プラズマバーガーだったらいいのに――そう言いたげな表情だ。「しかし、せめて中隊長にだけは、クァル航宙大尉の目的を知らせておいていただきたかったと思います」 「でも、ピエロ中隊長は、わしがこの中隊に配属されるという通知を受けておられたはずです。そうですな?」クァルはフールを見た。 「もちろん通知は受けていました」と、フール。「少し前に、ブリッツクリーク大将から連絡がありました」 「わしの任務についても、大将からお聞きになったのでしょう?」と、クァル。  フールは一瞬、口ごもった。 「おっしゃるとおりです。こちらの戦法と……倫理観を研究するためだ――たしかに、そう開きました。でも、いま改めて考えてみると、どうして倫理観≠研究なさりたいのかよく理解できません」 「なるほど。倫理観≠ヘ自明のものではありませんからな。ゼノビア帝国は地球との条約締結を望んでいます。もちろん、実現するに越したことはありません。でも、その前に、条約を結ぶ相手がどんな種族なのか……どんな行動パターンを取るのかを知りたいと、われわれは思っています。もっと大事なのは、相手が約束を守るかどうかという点です。わしがやってきたのは貴中隊を研究して、そういった疑問を解明するためです」  クァルの表情から本心を読み取ることはできない。おまけに、翻訳器を使っても、声音《こわね》の微妙な変化まではわからない。急にフールは心配になってきた――もしクァルが地球人は信用できない≠ニ報告したら、どうなるんだろう? 考えただけでゾッとする。この異星からの使者とのあいだに一つでも誤解が生じたら、次々に不愉快な事態を招くことになりかねない……。ひょっとしたら、ブリッツクリーク大将は故意にぼく[#「ぼく」に傍点]をおとしいれようとしているのだろうか?  フールと同じ結論に達したレンブラントが尋《たず》ねた。ワイングラスを持ちあげたままだ。 「つまり、ゼノビアと地球の条約締結が実現するかどうかは、クァル航宙大尉の提出する報告書しだいというわけですね?」  クァルは生魚《なまぎかな》をもう一切れ飲みこんだ。その瞬間、恐ろしいほど鋭い歯がのぞいた。 「レンブラント中尉、たしかに、われわれは信用と倫理観を重視する。もちろん、わしはオブザーバーの一人にすぎない。ほかにも何人ものオブザーバーが地球を訪れ、貿易や政治のリーダーと会っておる。相手を充分に知らなければ、賢明な決断はできない。言うまでもなく、われわれと最初に接触した地球人がピエロ中隊長であったことは幸いだった。今夜、こうして将来の有益な関係を願いながらテーブルを囲んでいるのも、ピエロ中隊長の広いお心のおかげだ」  クァルはエビをひとつかみ口に放りこみ、大きく歯をむき出した。これが笑顔であってほしい――少なくともフールはそう思った。ピッタリと身体に合った宇宙軍の制服を着ていなければ、クァルはミニチュアの恐竜にしか見えない。尖った歯をむき出すと、よけい恐竜そっくりになる。だが、クァルは悪意を持って、そんないたずら[#「いたずら」に傍点]を仕掛けたのではないはずだ。それに、間違いなくクァルはゼノビア帝国の公式外交使節だ。クァルがスパイだという証拠がないかぎり、フールをはじめとする中隊員たちはクァルの言葉を信じるしかない。たとえ、同席者にとってクァルのテーブルマナーが、どんなに耐えがたいものであろうとも……。  その夜の食事にフールはすっかり満足した。もちろん、グラスに二、三杯だけ口にした最上級ワイン――ヴィンテージものの〈ボーディ・グラン・クリュ・ブラン〉もすばらしかった。今日は何かと事件の多い一日だった。できれば、早めにベッドに入りたい。しかし、迫りくる危険を無視するような真似はしないと、さっき部下たちに約束したばかりだ。フールは通信センターに立ち寄ることにした。新《あら》たな進展がないかを確認し、何かいい解決法を考えよう。  目的地につづく階段を十数段おりたとき、アルコーブの陰《かげ》からささやき声がした。 「中隊長!」  フールは振り返り、暗がりをのぞきこんだ。民間人の服を着たきゃしゃな人影が潜んでいる。 「スシ!」と、フール。怒りを帯びた口調だ。「いったいどうしたんだ? たいへんな騒ぎになっているんだぞ。わかっているのか?」 「多少は察しがついています、中隊長」スシは人差し指を唇《くちびる》に当てた。「とにかく大声を出さないでください。二人きりになれる場所を探している暇はありません。それに、あのヤバい連中にこんな話を聞かれたら、わたしはキムチにされてしまいます」 「中隊員の中には、きみが裏切り者ではないかと本気[#「本気」に傍点]で疑いはじめた者もいる」フールは思わず声を荒らげた。だが、すぐに自分もアルコーブに身を隠し、声を落とした。「洗いざらい話してくれ。でも、悪い話は聞きたくない」 「いい話ですよ、中隊長。とてもいい話です」と、スシ。言葉とは裏腹に困惑の色を浮かべている。「昼間、カジノに来ていた男女のことは、もうお聞きになったはずですね」 「ああ。最新の情報によると、その女性をまだ拘禁してあるそうだ」 「そうでしたか」と、スシ。「それを聞いて思い出しました。もう、その女を釈放しても大丈夫です」 「きみがそう言うからには、ちゃんとした理由があるんだろうな?」と、フール。疑わしげな表情だ。 「もちろんです。でも、最初から説明させてください。わたしがこの刺青《いれずみ》を入れたとき、本物のヤクザが現われたらどうするつもりかと、中隊長は心配してくださいました。覚えていらっしゃいますよね?」  フールはうなずいた。「今日、その心配が現実になったというわけだ」 「おっしゃるとおりです。でも、ヤクザの一人が現われたのは偶然ではありません」と、スシ。「きっと、このステーション内の誰かがわたしのことを密告したのでしょう。現に、あの男はわたしを探しにきたんです。わたしが偽のヤクザだとわかったら、わたしのはらわた[#「はらわた」に傍点]をメチャメチャに並べ替えるつもりだったそうです。まさに機能しなくなるほどにね」 「言うまでもなく、きみは偽者のヤクザだ」と、フール。「でも、どうやら、きみのはらわた[#「はらわた」に傍点]は今も機能しているらしい。もっとも、必要があれば、ぼくがいつでもはらわた[#「はらわた」に傍点]を元の位置に戻してあげるよ。それより、まだ判断のつかない問題がある。きみは、そのヤクザに何を話したんだ?」  スシは息をのみ、力なく笑みを浮かべた。 「すでにお話ししたように、わたしの一族は裏社会とつながりを持っています。もちろん、単なる情報収集のためです。わたしがやろうとしていたことは自分で思っているよりもずっと危険なことだと、中隊長はおっしゃいました。でも、あれから、わたしは実家に電話して、叔父から情報を聞き出したんです。つまり、ヤクザ・ファミリーの幹部しか知らないような名前と合図をいくつか教えてもらったというわけです」 「そのせいで叔父さんがひどい目にあわなければいいけどな」と、フール。「そういう情報を使うのは危険すぎる。信頼できる情報なのかどうかを確認もしないで使うのは、もってのほかだ」  スシは真顔でうなずいた。 「それくらいのことは、わたしにもわかっていました、中隊長。本当です。でも、わたしを探しにきた者がいると知ったとき――わたしは何カ月もこのステーションを動かなかったんですから、無理もありませんが――すでにヤクザの一員の振りをしたことがバレて厄介な事態になっていると悟りました。だから、見当違いの合図を使ったところで、それ以上に悪い状況におちいるはずはありません。そこで、一《いち》か八《ばち》かの賭けに出たんです」 「そのギャンブル好きのせいで、いつか本当にトラブルに巻きこまれるぞ」フールは首を左右に振った。「とにかく、きみは合図を使ったんだな。それで、どうなった?」 「あの男がカジノで騒ぎを起こしたことは、もうご存じかと思います。あの男は最初から目立つ場所にいて、わたしの注意を引こうとしました。そのうえで、大胆にも、連れの女と二人でいかさま[#「いかさま」に傍点]を始めたんです。マスタッシュ軍曹が取り押さえようとしたとたんに、二人は暴れだしました。でも、二人の本当の標的は、わたしでした。事情を察したわたしは、あの男に合図を送りました。合図と言っても、挨拶みたいなものですけどね」すばやくスシは指で合図をしてみせた。「その男も――どうでもいいことかもしれませんが、ナカダテという名の男です――最初は信用しませんでした。でも、二言か三言だけ話すうちに、どこかカジノの客が見ていない場所で話し合う必要があると思いはじめたようです。自分たちを待っているよう女に告げ、わたしたちは二人でカジノを出ました」 「それだけは賢明な処置だったな。少なくとも、きみ自身の安全のために人質を確保しておいたんだからね。しかし、敵と二人きりで人気《ひとけ》のない場所へ行くなんて、自殺行為だぞ」  フールはため息をついた。最悪の事態を考えはじめていただけに、スシの無事な姿を見てホッとした。だが、実際に何が起こっているのか――あるいは、スシの話がすべて事実なのか――を見極める必要がある。 「こう言っては何ですが、ナカダテが本気でわたしを殺すつもりだったとしたら、人質の女がいようといまいと大した違いはなかったはずです」と、スシ。押し殺した声だ。「ナカダテが女を警備員に引きわたしたとき、女の役目は終わりました。女も、それを承知していました。それに、万一、わたしの身に何かあったとしても、あの女が中隊長のほしがるような情報を持っていたとは思えません」 「ま、そのとおりだな」と、フール。「まるで宙港のコンビニで生まれ育ったみたいに、あの女は身元の割れるものを何も所持していない――そう警備員から聞いた。しかも、あの女は本当に何も知らないかのように振る舞っている。ブラックジャック・テーブルで不正を働いた――女を拘禁した理由はそれだけだ。でも、必要があれば、その事実を証明できる。それなのに、どうして女を釈放しなければならないんだ?」 「あの女が本当に何も知らないからです。それに、あの女が本気で脱出をくわだてたら、中隊員の誰かがケガをします。なにしろ、ケンカの強い女なんです。それほどの危険を冒してまで、女を拘禁しておく価値はありません」  フールは顎《あご》をさすった。 「うーん……たしかに一理あるな。しかし、この件については、もう少し考えさせてくれ。話を例のヤクザに戻そう。二人きりになってから、きみはナカダテとどんな話をしたんだ?」 「わたしはナカダテの知らないヤクザ・ファミリーの一員をよそおいました。ナカダテの知らないファミリーがあっても不自然ではありません。ヤクザ社会には、各ファミリーをまとめる中央組織がないからです。でも、絶対的な証拠を見せなければ、ナカダテは信用しなかったでしょう。わたしがヤクザ・ファミリーの仕事も手伝わずに宇宙軍で何をしているのかと、不思議がっていました。そこで、中隊長のカネをくすねている振りをすることにしたんです」 「ぼくのカネをくすねている[#「ぼくのカネをくすねている」に傍点]だと?!」フールはスシの襟首《えりくび》をつかみ、声を張りあげた。 「ぼくのクレジット口座にいたずらしたのは、きみか?」  スシは人差し指を唇《くちびる》に当てた。 「落ち着いてください、中隊長」静かな口調だ。「ナカダテは、わたしが聞いたよりも大勢の仲間を連れてきているかもしれません。もしそうだったら、どうなるんですか? 中隊長のカネをくすねていると信じこませようとした[#「信じこませようとした」に傍点]だけで、本当にくすねたわけじゃありません。中隊長のカネは皇帝の愛娘《まなむすめ》よりも大事に守られています。ご存じのとおりですよ」 「ぼくが知っているのは、今日の午後にぼくのディリチアム・エキスプレス口座が凍結されたということだけだ」と、フール。「あれがきみの仕業だというなら……」 「もちろん、わたしがやりました」と、スシ。落ち着いた口調だが、早口だ。フールに口をはさまれたくないらしい。「いいですか、中隊長? わたしは中隊長の味方です。そうでなければ、こんなことをお話しするわけがありません。その気になれば、中隊長のカネを自分の口座に移して、最速のスペース・ライナーで逃げ出すこともできたはずです。それに、ほかのいろいろな可能性を考えてみてください。わたしが中隊長の口座に侵入できるということは、敵の口座にも侵入できるということです。ナカダテの仲間の給料の支払いがとどこおったり、ナカダテの注文した品が届かなくなったりしたら、われわれはナカダテよりも優位に立てます。そうでしょう?」 「だったら、どうして計画を実行する前に話してくれなかった?」と、フール。 「そんなことが可能だと知れば、中隊長は事前に防衛手段をお取りになったかもしれないからです。わたしが中隊長の立場なら、間違いなくそうしたはずです。それに、もし本当に中隊長が防衛手段をお取りになったとしたら、わたしが本物の悪党だということをナカダテに信じてもらえなくなったかもしれません。でも、すでに口座の凍結を解除しておきました、中隊長。どうぞご確認ください。少しでもカネが減っていたら、ご自由にわたしの隠し口座から引き出してくださってけっこうです」 「そうさせてもらうことになりそうだな」と、フール。抜け目のない表情だ。「それにしても、たとえヤクザから身を守るためとはいえ、どうして、こんなに過激な方法を使ったんだ?」 「絶対に見逃せないチャンスだと思ったからです、中隊長」と、スシ。「本物のヤクザが現われたら、どんな手を打とうかと、ずっと考えていました。ヤクザは、そこら辺のチンピラ集団とはわけが違いますからね。とにかく、ヤクザというのは長い目でものを見ます。ナカダテは、中隊長の口座に侵入する腕を持つわたしを自分たちのファミリーにとっても危険な存在であると考えました。どうやら、その場でわたしを消すつもりだったようです。だからこそ、わたしが生かしておく価値のある人間であることを、ナカダテに信じこませる必要がありました。それで、ヤクザ・ファミリーの頂点に立つスーパー・ファミリーの一員である振りをしたんです」  フールはいぶかしげな表情を浮かべた。 「ヤクザ社会には複数のファミリーが存在するが、すべてのファミリーを統括する組織はない――さっき、きみはそう言ったはずだ」 「おっしゃるとおりです、中隊長」と、スシ。「少なくとも今までは、そういった統括組織はありませんでした。わたしが今日、考え出したんですから」 「そんなことをナカダテが信じると思うのか? あの男がもういちど自分のファミリーに問い合わせて、きみにだまされたと気づいたら、どうなる?」 「その点についても、ちゃんと対応策を考えてあります」と、スシ。「通信センターの装置を使って、わたしの一族にメッセージを送るんです。ヤクザ社会をいっそう強力で儲かる組織にするためのスーパー・ファミリーが本当に[#「本当に」に傍点]存在するらしい――連中は、そういう噂を流すでしょう。先ほども申しあげたとおり、ヤクザは長い目でものを見ます。自分たちにとって長期的メリットがあると思ったら、とりあえず協力してくれるはずです」  フールはスシを見つめながら、しばらく考えをめぐらせた。 「そのとおりかもしれない。でも、きみの言うスーパー・ファミリーが、ベガ人の偽造した大金と同じようにインチキだと気づかれたら、どうなると思う? またしても、きみはヤクザたちに追い回されるだろう。今度こそ、言い逃れできないぞ」  スシの笑みが広がった。 「そのことなら心配いりません。デタラメだとバレるはずがありません、中隊長。そこが、この計画のすばらしいところです。何と言っても、このわれわれがヤクザのお株を奪おうとしているんですからね! さあ、通信センターへ行って、計画を実行に移しましょう」  スシは階段をおりはじめた。今度ばかりは何も言わずに、フールは後を追った。 [#改ページ]       5  隊形[#ママ 体型・体形?]を維持するにはうってつけの場所だわ――ブランデーは、〈ファット・チャンス〉カジノ/ホテル総合ビルの大舞踏場を見まわした。目の前のダンスフロアに、十数名の新入隊員が気をつけ≠フ姿勢で整列している。そのうちの三名はガンボルト人だ。この初めての訓練集会のために、全員がホテルの中央コンピューターによる自動モーニング・コールを利用して起床した。すでにホテルのフィットネス・センター(カジノ客には見向きもされない施設だ)から、さまざまな訓練用具が運びこまれている。今回の集会では、軍規の基礎教育だけでなく、肉体鍛錬も行なう予定だ。  ブランデーは好奇心をあらわにして新入隊員たちを見つめた。今回のように、いきなり新兵が中隊に配属されるのは珍しい。原則的に、新兵は基礎訓練キャンプを経て、兵士になるための基礎を学ぶ。その中には兵士の素養なし≠ニして教練指導官を嘆かせる連中や、あまりにも反抗的で、どこへ行っても厄介者扱いされる連中がいる。今までのオメガ中隊員の大半は、そういった素材≠ノよって構成されてきた。そのせいで中隊は宇宙軍のもの笑い[#「もの笑い」に傍点]の種だった。しかし、フールが着任して状況は一変し、みにくいアヒルの子≠フ集団が白鳥≠ノなれることを証明した。  これほど大勢の新兵が入隊してきたのは、オメガ中隊に対する宇宙軍司令部の方針が変わった証拠なのか? フールの指揮下で中隊が成功をおさめたことによって宇宙軍のお偉方が考えを変え、ましな素材≠送りこむ気になったのか? それともやはり、この新兵たちは制服を着る前は、はみ出し者や落ちこぼれ者だったのか? いや、そんなことはどうでもいい。入隊する前の事情がどうであれ、この連中をオメガ中隊にふさわしい兵士に育てあげるのがブランデーの仕事だ。ブランデーは思った――さあて、そろそろ始めましょうか。訓練の結果は凶≠ニ出るかもしれない。それでも、先のばししたところで吉≠ノ転じる保証はないわ。 「さあ、新入りさんたち、よく聞きなさい」ブランデーは一歩だけ前へ進み出て、よく通る声を張りあげた。「これから行なわれる訓練の中には、あんたたちの気に入らないものもあるかもしれないわ。でも、あんたたちの好き嫌いなんて、わたしの知ったことじゃないの。わたしは自分の任務を果たすだけ。必ず、あんたたちを一人前の宇宙軍兵士に育てあげるわ。たとえ、あんたたちの半数が命を落としてもね。わかった?」  新入隊員たちは同意のつぶやきを漏らした。だが、とうてい、やる気があるとは思えない。 「もういちど言ってごらんなさい[#「もういちど言ってごらんなさい」はゴシック体]」ブランデーは声を限りに叫んだ。  これは古くから伝わる教練指導官のテクニックだ。こういう場合、たいてい誰かが騒ぎたてる。教練指導官は、それをネタに新兵たちを派手に叱り飛ばす。新兵たちから筋《すじ》の通らない答しか返ってこなくても、かまわない。要は、自分たちが新しい環境に入ったことと、ここでは階級と訓練と規律がすべてであることを思い知らせてやればいい。バカバカしい規則だと新兵たちは思うかもしれない。ここ数十年のあいだに宇宙軍の高級幹部に昇進した面々が大した連中ではないことから判断しても、たしかにバカバカしい規則には違いない。それでも必要に迫られて、口先だけで従うことを覚えるはずだ。そのうちに逃げ道を見つけるのがうまくなり、叱られて、みじめな思いをしなくなる。いざというときに部隊にとって困るのは、こっそりと規則を破る抜け目ない隊員ではなく、バカ正直に規則を守る隊員だ。しかし、そのような兵士を作らないためにも、規則厳守をきちんと教えこまなければならない。 「あのう、曹長、みんなが同じことを言ったわけではありません」と、最前列に並んだ新入隊員。丸顔の若い地球人だ。身長は平均よりも低めで、腹が少し出ている。真剣な目と辛抱強そうな微笑が、落ちこぼれクラスに当てがわれる教育ロボットを思い出させた。  理想的なきっかけ[#「きっかけ」に傍点]とは言えないが、とにかく、ここから説教を始めるしかなさそうだ。 「そこのあんた、名前は?」と、ブランデー。鋭い口調だ。 「マハトマです、曹長」と、その新入隊員。まだニヤニヤしている。  ブランデーはがっかりした。たとえば、曹長≠ニ呼ぶのを忘れたり、女性であるブランデーをサー≠ニ呼んだり――そういう新兵にありがちな失敗をマハトマが犯さなかったからだ。それなら、なんとか手持ちのネタを使ってガツンとやるしかない。これもフールの主義だ。 「何がおかしいの、マハトマ?」ブランデーは前へ出て、マハトマと向き合った。 「おかしい≠ニいうのは適切な言葉ではありません、曹長」と、マハトマ。夢見るような笑みを浮かべたままだ。「どうせ、この世は……はかない[#「はかない」に傍点]ものなんですから」 「はかない?」と、ブランデー。こんな言い訳を聞いたのは初めてだ。一瞬、肩すかしを喰《く》らった気がした。 「そのとおりです、曹長」と、マハトマ。「われわれは非常に短期的な視野でものを見ています。違いますか? 今日、ここに存在しているものが、明日には、もうなくなってしまいます。それなら、細《こま》かいことにこだわる必要はないはずです。何もかも消えてしまうんですから」 「そんなことを考えてるの?」ブランデーは怒鳴り声をあげ、マハトマの顔の真ん前まで近づいていった。こんなことをされれば、だれでも身を固くする。しかし、マハトマはひるまなかった。「たしかに、あんたは宇宙軍の制服を着てるかもしれないわ。でも、話す内容も、見た目も、まだ民間人のままね。床《ゆか》に腹這いになって腕立て伏せをして。そうね、手始めに百回やってごらんなさい。そのうちに長い目でものを見られるようになるわよ。腕立て伏せが終わっても、まだそうやってニヤニヤ笑いつづけてられるかどうか、見ものね。さあ、始めなさい[#「さあ、始めなさい」はゴシック体]!」 「はい、曹長」マハトマは笑顔のまま、腕立て伏せの体勢をとった。「ちょうど百回やらなければならないでしょうか? それとも、百回近くやればいいんでしょうか?」 「百回と言ったら百回よ」と、ブランデー。「背中を曲げるんじゃないわよ。その兵士らしからぬ締まりのない尻を突きあげたら、蹴とばすわよ。わかったわね[#「わかったわね」はゴシック体]?」 「はい、曹長」マハトマはブランデーを見あげた。「自己鍛錬のチャンスをくださいまして、ありがとうございます」 「始め[#「始め」はゴシック体]!」と、ブランデー。  最初は演技のつもりだったが、だんだん本当にイライラしてきた。言われたとおりに、マハトマは腕立て伏せを始めた。顎《あご》はあがっていないし、腰も曲がっていない。だが、とにかく動きがゆったりと落ち着いている。ほかの新入隊員たちの口から失笑が漏れた。ブランデーは新入隊員たちをにらみつけた。 「あんたたち、なにがおかしいの? いいわ、あんたたちも全員、腕立て伏せ百回[#「いいわ、あんたたちも全員、腕立て伏せ百回」はゴシック体]! 始め[#「始め」はゴシック体]!」  新入隊員たちは四つん這いになり、腕立て伏せを開始した。しかし、マハトマのように平然とこなす者はいない。ブランデーは思った――これでいいのよ。マハトマみたいに超然としてられたんじゃ、こっちは拍子抜けしちゃうもの。やっと、わたしの計画どおりにことが運びだしたようね。 「背中を曲げるんじゃない[#「背中を曲げるんじゃない」はゴシック体]!」ブランデーは誰にともなく叫んでから、該当者を探しはじめた。 「曹長、すみませんが、次は何をすればいいのでしょうか?」翻訳器から声が聞こえてきた。ブランデーが振り向くと、三人のガンボルト人が立っていた。ブランデーは顔をしかめた。 「腕立て伏せよ。腕立て伏せを百回やりなさい。あんたたちにも命令に従ってもらうわ」 「もちろんです、曹長」と、ルーブ。「ご命令どおりに百回やりました。ほかの皆さんは、まだ終わらないようですね。そのあいだに、われわれは何をいたしましょうか?」 「百回終わったって? そんなはずないわ」ブランデーは腕時計を見た。命令を出してから二分とたっていない。ブランデーはますます顔をしかめた。「きっと手を抜いたのね。どんなふうにやったのか見せてごらんなさい」 「はい、曹長」三人のガンボルト人は声をそろえて応じ、いっせいに腕立て伏せを始めた。一秒に二回のペースだ。背筋を伸ばして、腕をいっぱいに突っ張り、一瞬だけ床《ゆか》に胸をこすりつける。ブランデーが見とれているうちに、またしても三人は百回の腕立て伏せを終えた。呼吸も乱れていない。三人の後ろでは、地球人たちがフウフウ言いながらノルマをこなしつづけていた。まだ半分の五十回にも達していない者が大半だ。経験上、ブランデーは知っていた――達成できる者はほとんどいないだろう。  もういちどブランデーはチラリとマハトマを見た。相変わらず、落ち着いた様子でゆっくりと腕立て伏せをつづけている。心ここにあらずという表情だ。息づかいも荒くない。不意にブランデーは思った――わたしが知ってるかぎりでは、最高にへんちくりん[#「へんちくりん」に傍点]な訓練だわ。でも、少なくともガンボルト人は問題はなさそうだ。ガンボルト人が手本を示せば、ほかの連中もペースをあげようと頑張るかもしれない。  だが、まだブランデーは知らなかった――ガンボルト人が手本を示しても、期待するほどの効果がないことを……。 「生きたニワトリですか?」と、調理担当軍曹のエスクリマ。気むずかしそうに鼻にしわを寄せている。「もちろん手に入りますよ。少々、値が張りますけどね。でも、いったい何に使うんですか? この中隊には――おれも含めてですが――味の違いがわかるやつなんていません。人造鳥《クローンバード》のカツレツと、手間をかけて羽をむしった本物のニワトリとの区別もつかないんですからね。レシピに骨付き肉って書いてあるなら、骨付きクローンバードだって用意できますよ。どうして、大枚はたいて、ニワトリなんていう大昔の食材を手に入れなきゃならないんですか?」 「地球人に食べさせるわけじゃないのよ」と、レンブラント中尉。エスクリマに負けないくらい苛立《いらだ》ちをあらわにしている。「そもそもレシピなんてないの。クァル航宙大尉が召しあがるんだから。つまりね、ゼノビア人には生きた食物を口にする習慣があるの」  一人の女性が顔をあげた。どうやら料理人助手らしい。クロワッサンを許せたトレーをオーブンに入れようとしている。 「生きた食物を? オェーッー」 「わたしも最初は同じ反応をしたわ」と、レンブラント。「でも、中隊長はクァル航宙大尉に特別な計《はか》らいをしたいと考えていらっしゃるの。クァル航宙大尉は軍事オブザーバーとして派遣されてきたわ。だから、ゼノビア帝国が地球と条約を結ぶか、それとも戦争をしかけてくるかは、わたしたちのもてなし[#「もてなし」に傍点]をクァル航宙大尉がどう評価するかで決まるのよ」  エスクリマはカウンターから身を乗り出した。肘《ひじ》から下が小麦粉だらけだ。 「あのトカゲは、中隊員専用の食堂で生きたニワトリを食うつもりなんですか?」と、エスクリマ。笑みが消えている。 「そうでないことを祈りたいわ」レンブラントは首を横に振った。「昨日の事件のせいで、すでにクァル航宙大尉は充分すぎるほど気を悪くなきってるわ。なにしろ、逃げるクァル航宙大尉をみんなで追いかけ回して……たいへんな騒ぎだったのよ」 「あのゼノビア人はスパイだという噂です」と、助手。「だから、お偉方はあいつを送りこんできたんでしょう? あいつに中隊長がだまされたら、中隊長の評判が落ちると思ってるんですよ」 「ゼノビア人がスパイをして、中隊長の評判が悪くなるのを待ってるのか?」と、エスクリマ。振り向いたとたんに、開《あ》けっ放しのオープンの扉が目に入った。エスクリマは助手を叱りつけた。「さっさと残りのトレーを入れてしまえ。全部いっぺんに焼きあげなきゃならないんだぞ。おまえの仕事は料理を作ることだ。スパイを見張ることじゃない」 「はい、軍曹」あわてて助手の女は仕事を再開した。 「でも、今の女性が言ったことにも一理あるわよ。クァル航宙大尉がこの中隊に派遣されることを願い出たのは、わたしたちがクァル航宙大尉にとって初めて出会った地球人部隊だったからだわ。あのとき、新《あら》たな世界を求めて探検していたクァル航宙大尉は、わたしたちが駐屯《ちゅうとん》していたハスキン星にたどり着いたというわけよ。だから、その[#「その」に傍点]わたしたちがいるローレライへ来れば、ほかでは受けられないような手厚い歓迎を受けられると思ったんでしょうね。でも、ひょっとすると、ここなら、スパイしやすいと考えたのかもしれないわ。わたしたちの戦法を研究するのも任務の一つだって、自分で言ってたもの。クァル航宙大尉がゼノビア帝国に戻って、わたしたちの戦法がどんなものか参謀に詳しく報告するつもりかもしれないわ。まさにスパイ行為よ」 「じゃあ、あいつがゼノビアに帰れないようにしてやったらどうです?」と、エスクリマ。肉切り包丁の柄《え》をさすっている。  レンブラントはそれに気づき、首を左右に振った。 「そんな事件を起こしたら、ますます中隊長の立場が悪くなるだけよ」と、レンブラント。きっぱりとした口調だ。「昨夜の晩餐会で、クァル航宙大尉はそう断言したのよ。わたしたちはクァル航宙大尉に協力せざるをえないわ。だって、条約交渉の成否はクァル航宙大尉の報告書にかかっているんですもの。たとえクァル航宙大尉がわたしたちの周囲をうろついて、思いつくままにメモを取っても、わたしたちにはどうすることもできないわ」 「じゃあ、おれたちは焼けたフライパンと熱いオープンにはさまれてるみたいなもんですね」と、エスクリマ。「あのトカゲはスパイです。それなのに、あいつのために、わざわざ特別料理を作ってやらなきゃならないんですか? いったい、どうしてですか?」 「中隊長のご命令だからよ」と、レンブラント。沈んだ口調だ。「実を言うと、わたしだってイヤよ、エスクリマ。たった一人の異星人を満足させるために全中隊員が食欲をそがれたり、その異星人の気に入る料理を出さなかったからといって戦争を起こすのは、ゴメンだわ。でも中隊長は、誠意を尽くしてクァル航宙大尉をもてなすべきだと考えていらっしゃるの。だから、こうしてわたしが頼みにきたのよ。とにかく、生きたニワトリを手に入れておいてね。こっちは、クァル航宙大尉にわたしたちの目に触れない場所で食事をしてもらうよう手を打つわ。それから、エスクリマ――今の話を口外しないよう、あなたの部下にもよく言っておいてね。それでなくても、クァル航宙大尉は充分に嫌われ者なんだから。火に油を注《そそ》ぐような真似はやめてちょうだい」 「もちろんですよ、中尉」エスクリマはひきつった笑顔をレンブラントに向けた。「おれがそんな噂を広めるはずがないでしょう? いくら味オンチのエイリアンだからって、おれのおいしい料理よりも生き餌《え》を選ぶなんて許せません」 「そのとおりだわ」と、レンブラント。クスクス笑っている。「昨日は、ホテルのレストランの料理を食べてもらったでしょ。あれがまちがいだったのかもしれないわ。一度でもあなたの料理を味わったら、クァル航宙大尉も地球の食事に夢中になるはずですもの」 「そうですとも」と、エスクリマ。真の料理人としての自信に満ちあふれた口調だ。「しかも、その一流料理が無料《ただ》で食えるんですからね!」 「失礼ですが、宇宙軍の中隊員のかたですか?」  クァル航宙大尉は顔をあげた。二人の地球人が立っている。 「いかにも、そのとおりだ。ピエロ中隊長ひきいる悪名高き部隊に配属されて、わしは非常に満足しておる」 「その中隊長のことで、うかがいたいのですが」と、背が高いほうの地球人。クァルの目には区別がつかないほど、二人ともそっくりに見えた。「わたしはピール特別税務調査官です。こちらは、わたしのパートナーのハル特別税務調査官です」  ピールは身分証明書を示した。クァルにとっては、何の意味もないただのカードだ。それでも、カードの上のホロ映像が目の前の顔と一致することはわかった。 「なんなりとお尋《たず》ねください」クァルは歯をむき出した。地球人が笑顔≠ニ呼ぶ友好の印《しるし》だ。「しかし、知らないことは申しあげられませんぞ。そもそも、わしは何も知らん。だから、それを知るために、ここに派遣されてきたのだ」 「もちろんです」ピールはハルに合図した。ハルは書類カバンを開《あ》け、小型マルチコーダーを取り出した。「われわれは、あなたの中隊長が莫大な所得を隠しているとの確かな情報をつかんでいます。予備調査によると、このカジノはライバル店と比べてはるかに高い収益をあげているようです。間違いありませんか?」 「それが本当だといいがな」クァルは後ろの繁華街を見た。三人を見おろすようにカジノの建物がそびえている。「わが恩人の成功を目《ま》の当たりにするのは嬉しいものだ。ところで、それは記録装置かな?」 「そのとおりです。すべてのインタビューを正確に記録するよう規則で定められていますからね」と、ピール。「個人で使用するために、中隊長がカジノの収益の一部をごまかしているらしい――そういう噂を聞いたことはありませんか?」 「さあ、知らんな。わしはここに来てから日が浅いものでな」と、クァル。「その装置を使うと、音声だけでなくて映像も記録できるのかな? わが帝国の仲間が興味を持ちそうな機械だ」 「政府から支給された標準的なマルチコーダーですわ」と、ハル。警戒する口調だ。「でも、残念ながら、わたくしたちは備品について民間人と議論することを許されておりません」 「なるほど」またしてもクァルは笑顔を作った。「しかし、ご覧のとおり、わしは兵士であって、民間人ではない。この制服を見ればわかるだろう?」 「そこのところの区別が難しいのです。したがって、この場合、制服を見ればわかるというあなたの判断方法は不的確です」と、ピール。「それに、われわれは、あなたの中隊長の財政状態を調べにきました。備品の話をするためにきたのではありません。さて、お差し支えなければ……」 「そのような記録装置なら、わしの任務にも使えそうだ」クァルはマルチコーダーに手を伸ばした。「売ってくださらんか? 地球のカネなら山ほど持っとるぞ」 「政府からの支給品を売ってはならないと、規則で定められています」  ハルは、物欲しげに伸びてくるクァルの手からマルチコーダーを遠ざけた。顔をしかめている。ハルが表情を変えたのは、これが初めてだ。 「ああ、また規則か」と、クァル。「あんたたちは絶対に規則を破らんのか?」 「口をつつしんでください」ピールは片手をあげて、クァルを制した。「政府の税務調査官に規則違反を犯すよう教唆《きょうさ》すると、重罪に問われますよ。これ以上、しつこく質問をおつづけになるなら、当方としては上司に報告せざるをえなくなります」 「喜んで、あんたの上司に会わせていただこう」と、クァル。歯をむき出したままだ。「上司もこのローレライにおられるのか?」 「残念ながら、ここにはおりません」と、ハル。「このローレライ宇宙ステーションは脱税者の巣窟《そうくつ》として悪名の高いところです。しかも、地元の行政当局の圧力により、われわれ星際税務局も権力を充分に行使できない状態です。カジノのオーナーには、ギャンブルで大金を得た客に所得申告書を配布する義務があります。それにもかかわらず、申告書が当方に提出されることはほとんどありません。たとえ提出されたとしても、正確に記載されているかどうか疑わしいものです」 「ジェスター中隊長――別名ミスター・フールが脱税をしているという証拠をあげれば、星際税務局《IRS》はここに永久的にとどまる権限を手にすることができます。さらに、ほかのカジノのオーナーについても、脱税を立件することができるようになります。われわれの任務は、脱税者を芋づる式に摘発するきっかけ[#「きっかけ」に傍点]となるのです。だからこそ、規則に従って厳密にことを運ばなければなりません。まさに今が正念場《しょうねんば》です」 「非常に有意義な話を聞かせてもらった」と、クァル。「わが国の税務当局も、あんたがたのやり方に興味を覚えるじゃろう。しかし、残念ながら、ピエロ中隊長の財政状態について話すことはできん。わしの知らんことだからな」  ピールはハルを見た。 「このかたのおっしゃることは本当だと思いますわ。このかたは、わたくしたちの欲しい情報を持っていらっしゃらないようです。このまま、このかたに質問をつづけても、時間を無駄にするだけです」ハルはマルチコーダーのスイッチを切った。 「そのようだな」と、ピール。不承不承という口調だ。「どうもお仕事のお邪魔をしてすみませんでした。でも、また別の機会にお話をうかがうかもしれません」 「あんたがたに会えて、本当にためになりましたぞ」クァルはぎこちなくお辞儀し、またしても歯をむき出して笑った。やがて、その場に立ったまま、二人の星際税務局《IRS》特別調査官が去ってゆくのを見守った。  少し離れたカジノの戸口の裏で、タスク・アニニがこの様子を鋭い目で見つめていた。クァルをどう理解していいのかわからない。だが、自分が星際税務局《IRS》の特別調査官たちを好きになれないことだけは確かだ。少なくともタスク・アニニにとっては、それがクァルに対する疑いを深める要因になった。  食事どきを除くと、オメガ中隊員たちが一堂に会することはめったにない。任務も勤務時間帯もさまざまなので(カジノが二十四時間営業であるため、無理もない)、全員が集まる機会のないまま数週間が過ぎることもあった。したがって、中隊員がひしめき合う大部屋で話をするのは、フールにとっても珍しい。  フールは部屋を見回し、ざわめき[#「ざわめき」に傍点]がおさまるのを待った。深刻な雰囲気を感じ取り、オメガ中隊員たちは声をひそめた。いつもなら、中隊長の話が始まる前に派手に騒ぎたてるはずだ。それなのに、今日は全員がおとなしい。最後に入ってきた数人の中隊員たちが、空《あ》いている席に着いた。ようやくフールは演壇にあがり、咳払いした。中隊員たちは静まり返った。 「大勢のみんなに集まってもらえて嬉しい」フールは中隊員たちを見回した。「きみたちも知っているとおり、これは任意参加の集会だ。今は任務を離れられない中隊員たちのために、今日もういちど同じ集会を開く予定だ。ほかに参加を希望する者がいたら、そう知らせてやってくれ」  フールはレヴを見やってから、中隊員たちに視線を戻した。 「われわれの中隊に大勢の新メンバーが加わった。きみたちの中には、すでに新入隊員と顔を合わせた者もいるだろう。新入隊員がこの中隊に馴染《なじ》めるよう、きみたち全員で気を配ってほしい。われわれは宇宙軍ナンバーワンの中隊であるとの評判を得ている。わが中隊に配属されたからには、その特別な集団の一員であることを新入隊員にも自覚してもらいたい」  いっせいに賛同のつぶやきが漏れた。フールは場が静まるのを待って、話をつづけた。 「すでに会った者がいるかもしれないが、これから一人の新メンバーを紹介したい」フールは隣に立つレヴを身振りで示した。「ここへ来る旅の途中で、ぼくはいいことを思いついた――きみたちにとって、悩みごとを相談できる相手がいたらいいんじゃないかとね。困ったときに頼れる友人がいれば、心強い。たしかに、この中隊の士官や下士官は、部外者とは比べものにならないほど、きみたちの特別な事情を理解している。でも、必ずしも、いい相談相手になれるとはかぎらない。そこで、ぼくは宇宙軍司令部に中隊付き従軍牧師の派遣を依頼した。その牧師が数日前に到着した。すでに当人は何人かの中隊員と会い、それぞれの事情を理解しはじめている。本人から、全中隊員に自己紹介したいとの申し出があり、こうしてみんなに集まってもらった。暖かく歓迎してもらいたい。新しい中隊付き牧師のレヴだ」  フールが話をつづけるあいだ、レヴは演壇の横に無言で立ちつづけた。頭を垂れ、胸の前で両手を組み合わせている。最終弁論に備える弁護士のような表情だ。ようやく演壇に進み出ると、礼儀正しい拍手がやむのを待って言葉を発した。 「ありがとう、みんな。この忙しい毎日の中で、ときどき、おれたちは何かの声を耳にする。無視するわけにはいかない声だ。恋人の声かもしれないし、母親や妻の声かもしれない。わが中隊長のような偉いお方の声ということもあるだろう。あるいは、心の底からの静かな声が、おれたちのやり忘れてる仕事を思い出させてくれることもある。おれたち教団関係者は、これを聖なる声≠ニ呼ぶ。この中隊に来いという聖なる声≠ノ導かれ、おれは今、きみたちの前にいるってわけだ」  レヴは言葉を切り、うつむいて深呼吸した。それから、顔をあげて中隊員たちに目を向け、ふたたび話を始めた。 「おれがここへ導かれてきたのは、きみたちに主[#「主」に傍点]の話をするためだ」厳《おごそ》かな声が響きわたった。 「主だって? どんな主だ?」と、ガブリエル。男も女もエイリアンも――全中隊員が同じ疑問を抱《いだ》いた。 「いい質問だな、お若いの」レヴは演壇の前へ進み出た。満足そうに両手をこすり合わせている。「実にいい質問だ。古くから語りつがれてきたこの話を聞けば、きっと疑問が解ける。おれにとっては、暗唱できるほど何度も聞いた話だ。でも、きみたちは聞いたことがないはずだから、もういちどおれがこの話を口にしても差し支えないだろう。遠い昔、地球に貧しい少年がいた。本当に貧しかったが、一つの才能に恵まれていた。自分の力を最大限に利用しようとする意気込みもあった。やがて、少年は持てる力を最大限に発揮した。なんと、わずか数カ月で、地球の人々がもっともあこがれる男になった。あらゆるスクリーンや印刷物や通信媒体に登場し、このカジノよりもはるかにすさまじい[#「すさまじい」に傍点]勢いでカネを稼《かせ》ぎまくった。欲しいものは何もかも手に入れたと言っていい。しかし、それから、少年――いや、その男が――どういう行動に出たかわかるか? 仕事をピタリとやめて、兵士になったんだ。士官でも、軍曹でもない。銃を携《たずさ》えて行進し、上官の命令どおりに動く正規兵だ」 「その男が本当に主だとしたら、なんでそんなことしたんすか?」と、別の中隊員。レヴの記憶が正しければ、たしかストリートという男だ。「カネで士官の地位を買えばいいじゃないすか?」 「貧しい少年時代を忘れたくなかったからだよ、ストリート」レヴは気取った態度で、中隊員たちの前を行ったり来たりした。「兵役を終え、庶民《しょみん》に夢を与える生活に戻ってからも、男は少年時代を忘れなかった。よほど、普通の少年だったころを忘れたくなかったんだろう。でも、あるとき、少年時代を忘れないようにするための手段が必要だと悟った。だから、庶民と接することをやめなかった。みんな、少年時代の自分と同じように貧しい人ばかりだったからね。男は人々の心をつかんで離さなかった。それでも、少しも傲慢《ごうまん》な態度を取らなかった。世界じゅうのどこへでも行くことができ、どんな人とでも――大統領や総督や、名乗るのも忘れて見とれてしまうような美女とでも――対等に話すことができた。それにもかかわらず、庶民のそばを離れようとしなかった。男はラスベガス――いわば昔の地球の〈ローレライ宇宙ステーション〉みたいな街だ――へ行き、ギャンブルでカネをなくした人々に恵みを与えた。人々を不幸のドン底から救うには、そうするしかなかったからだ。男が主になったのは、まさにそのとき――本当に自分を必要としている人々のもとへ赴《おもむ》いたとき――だった。おれの言う意味がわかるか、ストリート?」レヴはストリートを指さした。ストリートはうなだれている。しかし、その目は真剣そのものだ。 「なんとなくね」と、ストリート。曖昧《あいまい》な口調だ。腕組みをしてすわったまま、レヴのほうを見ている。だが、レヴと目を合わそうとはしない。 「きっと[#「きっと」に傍点]わかったはずだよ」レヴは拍手した。「さて、主はカジノへ出向き、貧しい少年が世界の頂点に昇りつめた話を人々に聞かせた。さらに、自分の才能を兄いだし、その才能に導かれるままに進め≠ニ教え示した。だから、おれは、きみたちのいるこの[#「この」に傍点]ローレライに来て、ことのほか懐かしい気分を味わってる。なんといっても、ここは、〈この世での住処《すみか》〉を離れる前に、主が使命を果たすべく赴《おもむ》かれた場所を思い出させるからな」  たいてい聴衆の顔を見れば、自分の言葉がどう受け止められたか、レヴにはわかる。オメガ中隊員の顔を見るかぎり、うっとりした表情を浮かべている者が少なからずいた。レヴの言葉が中隊員たちの心に響いた証拠だ。無言でうなずく者もいれば、レヴの話に元気づけられて、いつもよりも顎《あご》を高くあげている者もいる。レヴは思った――いいぞ、この調子でテンポをあげよう。おれのペースに巻きこんでやる。 「主は、きみたちの気持ちをよくわかっておられる」と、レヴ。いよいよ調子が出てきた。今やノリノリだ。「落ちこんだ時期もあったが、ふたたび主は這《は》いあがった。〈うらぶれた街〉を歩き、結局は〈|慈悲の国《グレースランド》〉[#ここから割り注](<グレースランド>とは米国にあるエルビス・プレスリーの旧邸宅のこと)[#ここまで割り注]に戻ってこられた。軍隊に入り、普通の男と同じように職務を果たした経験もある。困難な事態に遭遇しても、立ち直るすべ[#「すべ」に傍点]を知っていた。しかも、その立ち直り方にも品格[#「品格」に傍点]があった。ハリウッドへ行こうと、ラスベガスへ行こうと、つねに貧しい少年時代を忘れなかった。だから、主は、立ち直ろうとするきみたちに手を差しのべるだろう。必ず救ってくださるはずだ!」 「でも、どうやって?」列の後方から声がした。 「そう、おれはそれを説明するためにここへ来た」と、レヴ。満面の笑みを浮かべている。 「主は長い年月をラスベガスで過ごされた。そのせいで、どのように人々がカジノで身上《しんしょう》をつぶしてゆくのかをよく知っていた。賭け事に負けてスッテンテンになっても、まだ勝てると信じ、借金してまでカネを賭ける。あげくの果てに、借金返済のためのカネを高利で借り、貴重品まで売り払ってしまう――そんな調子さ。きみたちの中にも、同じ状況に置かれてるやつがいるよな。おれの対処法を教えてやろう。きみたち全員が、進んで主の教えに従うことを誓ったら、ギャンブルで作った借金を教会が肩代わりしよう――全額を一括払いでね。そうすれば、きみたちは立ち直りの道を歩みはじめることができる。どうだ?」 「そんなうまい話、信じられないな」  部屋の後方からさっきと同じ声が聞こえてきた。やがて、声の主《ぬし》が立ちあがった。振り向いた全中隊員の目に映ったのは、ドゥーワップの姿だった。疑《うたぐ》り深い表情だ。 「ただ儲《もう》け≠ネんて、おれの主義じゃない。何か落とし穴があるんだろ、レヴ? おれはもう水面に顔だけを出してアップアップしながら、ワラでもつかみたい気分なんだ。でもな、何も知らない赤ん坊じゃない。取引の内容を全部、開かせてもらおうか? 主に借金を肩代わりしてもらったら、その代わりにおれ[#「おれ」に傍点]は何をさせられるんだ?」 「まだわからないのか、お若いの?」と、レヴ。「とにかく、きみたちは熱心な信者になることを誓えばいい。主のお言葉に従い、主の教えを大勢の人々に広めてくれればいいんだ」 「そんなことはわかってる」ドゥーワップは腕組みした。「でも、何か裏があるんだろ? おれに話してみろよ、レヴ。あんたの誘いに乗るかどうかを決めるのは、それからだ」  ドゥーワップは期待をこめた表情で立ちつづけた。ほかの中隊員たちは押し黙り、レヴの返事を待った。 「きみたちは真の信者にならなければならない」と、レヴ。「つまり、昔の地球にあった〈|慈悲の国《グレースランド》〉に参詣する必要があるということだ。それを成し遂げるまでは、真の信者とは言えない。それから、主の雰囲気を真似《まね》てくれ。熱心な信者の中には、いっそう完璧に似せるために整形手術を受ける者もいる。もっとも、今すぐに手術が必要というわけじゃないがね。それから……」 「ちょっと待て、レヴ」と、ドゥーワップ。「整形手術だって? おれのこの顔を変えろってのか?」 「そのとおりだ、お若いの。外見を変えると、行ないも変わる。きみは情け深い男に変われるはずだ。きみたちのために主が何をしてくださるか、よく考えてみろ。主に対して感謝を示したいなら、顔を変えるくらいは何でもない。ほら、実はおれも整形してるんだ」レヴは顔の片側を交互に見せ、ドゥーワップに視線を戻して微笑した。「どうだい、お若いの?」  ドゥーワップはレヴを見た。仮面のように無表情だ。部屋じゅうがシーンと静まり返った。誰もがドゥーワップの返事を待っている。  ようやくドゥーワップはレヴの顔を見たまま、言葉を発した。 「勘弁してくれ。おれにはできない。たしかに、おれはスシに借金がある。その〈|油の国《グリースランド》〉とやらへの巡礼の旅に、スシを送り出してしまいたいくらいだ。しばらくは返済をまぬがれることができるからな。それでも、整形するよりは、自分で借金を返すはうがいい」 「なんだって?」と、レヴ。あんぐりと口を開《あ》けている。「なぜだ? おれの申し出のどこが気に入らないんだ?」  ドゥーワップはまともにレヴの目をのぞきこんだ。 「レヴ、つまりな、あんたみたいな顔にされるくらいなら借金を背負ってたほうがましだってことさ」  室内は爆笑の渦《うず》に包まれた。 [#改ページ]       6 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 三〇七[#「執事日誌ファイル 三〇七」はゴシック体]  ご主人様は、中隊が軍の優先事項に専念していれば隊員たちも外部の問題のことを忘れ、そのうち問題自体も自然に解決するだろうと確信しておられた。ところが、わたくしの心配が的中して、この考えは楽観的すぎることがわかった。この問題がまだ隊員全員の意識のすみに残っていたのだ。そのため、中隊の幹部たちはいつ事態が沸騰して本物の危機に発展するかと、つねに不安な状態に置かれることになった。  しかし、迫りくるこの危機にもまったく影響されない人物がいた。ひとりは、ホテル内を観察してまわっては謎めいた言葉を残してゆく航宙大尉クァル。もうひとりは、ギャンブルでこしらえた借金を肩代わりしようという申し出をドゥーワップが公然とことわったにもかかわらず、かなりの改宗者を獲得しつつあるレヴ≠アとジョーダン・エアーズ師である。このふたりを別にすれば、あとは例のとおりの混乱ぶりであった。 [#ここで字下げ終わり] 「オーケー、新兵は全員整列!」ブランデーの号令が響いた。新入隊員たちは、あわてて集まってきて隊列の形に並んだ。ほとんどが、まだもたもたして動きが悪いが、そのうちすぐにこの段階を卒業するだろう。だがガンボルト人だけは、水が坂を流れるようにピタリと列の中におさまった。何をやらせても、これほど自然にこなしてしまう隊員は今までに見たことがない――ブランデーは舌を巻いた。 「さあ、これからはお楽しみよ。今日から、いよいよ、素手での戦闘訓練に入るわ。助手をつとめるのはエスクリマ軍曹」  体操用のぶあついマットの上に立ったブランデーは、手に持った教練用の音声装置が頼りなく見えるほど立派な体格をしていた。調理担当軍曹のエスクリマがその横に立つと、どう見ても人間のミニチュア銅像にしか見えない。ところが、そう思ってみくびっていると大まちがいをする。これから、新入隊員たちもそれを思い知らされるはずだ。 「じゃあ、これからわたしが基本の動作を実演するわ。あとで、みんなにもやってもらうわよ。だれか志願者はいない?」  新兵たちは落ち着かない様子で顔を見合わせた。ブランデーの手ごわさは、すでに全員が見て知っている。二つの手が、ためらいがちにそろそろと上がった。ブランデーはそれを無視して、マハトマを指名した。 「ちっとも難しいことはないのよ。まず、あなたにやってもらうわ」  小柄な丸顔の男――丸い腹はすでに丸みを失いかけている――マハトマは、前に進んできてマットの上に立った。ブランデーはマハトマと向かい合った。 「これから、スローモーションで動きを見せるわ」ブランデーは隊員たちに言った。「多くの技《わざ》の基本になるごく[#「ごく」に傍点]初歩的な動作よ。よく見ていて」  ブランデーは、マハトマに近づいた。 「まず最初にどうなるか、よく見るのよ」  ブランデーは手を伸ばして、マハトマの胸のまんなかをドンと押した。マハトマは、あとずきりしながらバランスを保った。 「さあ、マハトマ。わたしがどう動いて、あなたがどう動いたか言ってちょうだい」と、ブランデー。 「曹長がわたしを押して、わたしはあとずさりしました」例によって、マハトマはニヤニヤしながら言った。「でも実戦で、敵がこんなふうに黙って胸を突かせてくれるでしょうか?」  まるでジョークを言うような口調だ。ブランデーに何をされても、マハトマはただニヤニヤするばかり。そしてそのあとで、訓練全体を台無しにしかねない質問をしてまぜかえす。ブランデーは、ここはひとまず相手に調子を合わせることにした。 「それはあとで説明するわ。いまのポイントは、わたしがあなたを押すと、あなたはバランスを失ってぐらつくってことよ。うしろに倒れかけたあなたは、あとずさりしてバランスを回復する。口で説明すると簡単よね。でも、もう一度おなじことをやってみましょう。こんどは、少しちがうわよ」  ブランデーはマハトマに近づいて、また胸のまんなかを押した。だが、こんどはブランデーの足がひょいと外側にまわりこんでマハトマの足をひっかけ、マハトマはバランスを保つことができずにマットの上でバッタリと仰向けに倒れた。 「どう、今のわかる?」ブランデーは、ほかの隊員たちに問いかけた。「あとずさりできないようにすると、相手はどこへも動けない。つまり、倒れるしかないわけ」ブランデーはマハトマに手を貸して起き上がらせた。「じゃあ、こんどはあなたがやってみて」 「はい、曹長」  マハトマは答え、ブランデーの胸をドンと押して足をブランデーの足のうしろへ回した。ブランデーが倒れる。だがブランデーは倒れながら身体をひねり、マットに身体がつくと同時にクルリと後方回転して起きあがった。 「いまのが第二のポイントよ」と、ブランデー。「相手が起きあがりかたを知ってるときは、有利な立場も長続きしないってことね。そういうときは、すぐに次の体勢に入らなければいけないの。さて、次はだれにやってもらおうかしら?」  ここでたいていブランデーは、民間人のときに多少とも武道の訓練を受けた者を指名する。このとき、新入隊員のひとりが――さっき手を挙げたふたりのうちのひとりだとブランデーは気づいた――顔にうっすらと笑いをうかべた。 「オーケー、スラマー。こんどはあなたの番よ」  スラマーは自信満々の歩きかたで列から出てきて、ブランデーと向かい合う位置に立った。体重を両足に均等にかけている。武道の心得があることはあきらかだ。体格もなみの新兵をうわまわっている。ブランデーは笑いをかみ殺した。 「そうね、もうちょっと互角の勝負らしくしたはうがいいわね。わたしはあなたより、十キロは重そうだから(実際には二十キロはちがいそうだったが、難癖《なんくせ》をつける者はいなかった――面と向かってはだれも言えない)。こっちのエスクリマ軍曹のほうがあなたの体格に近いから、代わってもらいましょう」  エスクリマが前に出てブランデーと入れ替わった。エスクリマの顔は無表情だ。これで今度は新兵のほうが、体重で有利になった。おそらくエスクリマより十五キロは重いだろう。腕のリーチも十センチ以上長い。 「オーケー、スラマー。じゃあ、あなたのほうからエスクリマに技《わざ》をかけてみて」と、ブランデー。  ブランデーが予想したとおり、スラマーはニッコリと笑顔をうかべてエスクリマに近づいた。あきらかにブランデーが実演してみせたような単純な技ではなく、なにか目を見張るような投げ技をかけるつもりらしい。スラマーは小柄な軍曹の片腕をつかみ、身体をグイと回して背負い投げをかけようとした。次の動きは速すぎて目では追いつけなかった。だが最後には、スラマーの身体がかなりの高さからドスッと、すごい音をたててマットに落ちた――それも背中からだ。エスクリマは、なおもスラマーに鷹《たか》のように襲いかかり、片膝で腕を押さえながらスラマーの喉《のど》に手をかけ、もう一方の拳《こぶし》を鼻先にぴたりと突きつけた。 [#挿絵129  〈"img\APAHM_129.jpg"〉] 「これが第三のポイントよ」倒された仲間に畏《おそ》れの目を見張る隊員たちに、ブランデーは解説した。「敵を決して見くびるなってことね。戦闘になったら、きれいな戦いなんてないの。ルールも、審判も、待ったもなし。格好をつけても得点にはならない。スラマーは、エスクリマを相手にいいところを見せようとしたの。その結果がこれよ」  エスクリマがスラマーを起きあがらせた。スラマーは、エスクリマに膝で押さえつけられた腕をなでながら隊列の中へ戻っていった。 「オーケー、じゃあみんな、ふたりずつのペアを組んで。いまわたしがやってみせた動きを、自分たちで試すのよ。教えたことを忘れないでね。全員がこの練習を終えたら、また別の技《わざ》を教えるわ」と、ブランデーは言った。新入隊員たちはペアを組んでマット上に広がり、ブランデーが実演してみせた技を練習しはじめた。当然ながら、少数ではあるが、これほど初歩的な動作でもうまくできない者がいる。かと思えば、これみよがしにもっと複雑な技をひけらかそうとする者もいた。そこまではおおむね、ブランデーが見慣れたいつもながらの練習風景だった。例外はガンボルト人だ。そのネコ特有の身体的な特徴は、すべてに予想外の展開をもたらした。うしろへドンと押すと、足をひっかけてもヒラリと後方へ宙返りしてストンと着地する。その俊敏《しゅんびん》さは、ほかのヒューマノイドのどんな運動選手でもかなわないほどだ。またしてもガンボルト人たちは、ほかのヒューマノイドの相棒とは段ちがいの能力を見せつけた。今ではそのことに気づいたほかの隊員たちが、口々にブツブツと不満を漏《も》らしはじめた。練習が終ったときには、多くの新入隊員たちの顔にハッキリとあきらめの表情が現われた。訓練が進むにつれ、やる気をなくした顔がますます増えた。ガンボルト人がやると、どんなことでも簡単そうに見える。ほかのヒューマノイドたちは三人が自分たちと同じ民間から入隊したばかりの新人なのに、もうすでにはるかに差をつけられていることを急速に悟りはじめた。通常ならブランデーは、優秀さが明らかな新入隊員をどうあつかえばいいかを心得ている。なんといっても曹長には、軍隊で何年も訓練を積んだ強みがある。どんなことでも怖じ気づかずにやってのけるところを見せてやれば、新入隊員は必ずついてくるはずだ。たとえばエスクリマのような相手をサッと何度も倒すとか、あるいは少し高度な武道の技《わざ》をやってみせただけでも、新入隊員は恐れをなす。だが、ガンボルト人の優秀さは半端ではなかった。エスクリマでもガンボルト人たちを押さえこめるかどうか、ブランデーにも自信がない。先見の明などなくても、この先どうなるかは目に見えている。これは厄介な問題になりそうだわ。 「中隊長、レネゲイズ団はまだこの周辺をうろついています」と、レンブラント中尉。「なにか連中を追いはらう方法があればいいんですけど」 「でもカジノへの出入りを禁止する口実になることは、何もしていないんだろう?」と、フール。鉛筆でデスクをコツコツと叩いている。  これで二、三日つづけて当直士官のブリーフィングが未解決の問題を提起するばかりになった。どうにも気に入らない。だが今のところ、どの問題も手の打ちようがない。 「それはそうですが、一般的な迷惑行為を口実にすれば禁止できます」と、アームストロング中尉。「それも、われわれの権利のひとつです。わたしが見るかぎり、このローレライでは、カジノのオーナーがその気になれば何をやっても違法ではありません。おそらく、まぎれもない殺人までふくめて」 「長いあいだ、犯罪組織がここを牛耳《ぎゅうじ》ってきたことの数少ない利点のひとつですね」レンブラントもうなずいた。「わたしたちは、どんな理由をこじつけてでも〈ファット・チャンス〉への立入を禁止することができます。でも、レネゲイズ団をこの宇宙ステーションから追放することはできないと思いますわ。賭博のテーブルでイカサマをやったとか、カジノの器物に損害を与えたとか、クレジットカードで不正を働いたとか、とにかく犯罪の現場を押さえないかぎりダメです。でもレネゲイズ団は用心深くて、そんなことをしないようにしていますわ」 「その連中はどこに泊まっているのですか?」と、ビーカー。「もしかしたら、お仲間のカジノのオーナーのかたにご助力をお願いできるかもしれません」 「レネゲイズ団が泊まってるところは〈タンブリング・ダイス〉です」と、レンブラント。苦々《にがにが》しげな表情だ。「マクシーン・プルーイットの拠点です。あの女性[#「女性」に傍点]に助力を頼めだなんて、ご冗談でしょう?」 「たしかにな」と、フール。困惑した口調だ。「それどころか、チョコレート・ハリーがここにいることがレネゲイズ団に知れたのは、あの女のせいだと聞かされてもぼくは驚かないな」フールは眉間にしわを寄せた。「だいたい、外部からあれだけの人間が一度に問題を起こしに押しかけてきたこと自体、おかしいじゃないか。そうは思わないか?」 「レネゲイズ団、ヤクザ、星際税務局《IRS》でございますな」と、ビーカー。「たしかに、ひとつのパターンがございます。しかし、ともかく今のところ、スシはヤクザの追及をかわしたようです。それに、ご主人様の個人的な会計帳簿も申しぶんのない状況にあることは、このわたくしが保証いたします。たとえ税務局員がアラ捜しをしましても、とくに悪意を持って会計検査しないかぎり、ご主人様は無傷でくぐり抜けられると確信しております」 「よくやってくれた、ビーカー」と、フール。「その方面のことは、おまえを全面的に信頼してるよ。でも、チョコレート・ハリーの問題はなんとかしないとな。補給室を要塞に変えたおかげでレネゲイズ団は撃退したが、この騒ぎで中隊の能率は落ちている。真空グリースの缶や予備のバッテリーを取りに行くときでも、途中に警備のチェックポイントがあるために、ついそれなしで済まそうとする。これはつまり、装置の何かの部分が正常に働かないということだ。そうかといって要塞を武装解除させると、こんどはハリーがレネゲイズ団に狙い撃ちされる」 「そうなるとまた、レネゲイズ団の動きをどう押さえるかという問題に逆戻りです」アームストロングは顔をしかめて言うと、椅子の腕をピシャリと叩いた。「いっそのこと、やつらが油断しているときを狙って誘拐してしまいましょう。そのうえで、なんとでも理由をつけてローレライから追放すればいい。マクシーンがわめこうがどうしょうが、やつらを追放してしまえばこっちのものです」 「その方法だと、無関係の人々を傷つける恐れがございます」ビーカーが指摘した。 「中隊が民間の一握りのチンピラも満足にあしらえないとしたら、そのはうが情けないよ」アームストロングは顎《あご》をグイとそらせて胸を張った。「中隊長、われわれは今よりもっと上手に事態を処理できるはずです」 「隊員たちが、自分の面倒は自分で見られる人間だということは知ってるさ、中尉」と、フール。「だが、ここは閉鎖された空間だ。民間人も大勢いる。やりたいからといって、好き勝手に職権を濫用するわけにはいかない。何をやってもうまくいかなければその方法を試してもいいが、その前にまず、ほかに手がないか考えたい」 「その方法には、ほかにも難点があります」と、レンブラント。「最近のこの騒動がマクシーン・プルーイットのせいなら、レネゲイズ団を追放しても一時的な解決にしかなりません。あの女のことだから、きっとまた、わたしたちを困らせる別の方法を考えるはずです。わたしたちがここにいるかぎり、嫌がらせをやめないでしょう」 「そのとおりだ」フールは目を閉じて、目の間の鼻梁《びりょう》をマッサージした。「ぼくも最近の騒動の背後には、あの女がいると思う――証拠はないが。マクシーンが繰りだす無数の嫌がらせに振り回されていると、そのうち別の方面から真の脅威が迫ったときに、われわれは対応する能力を失う。これは古典的なゲリラ戦法だ」 「なにか直接、マクシーンをふんづかまえる方法はないもんですかね」と、アームストロング。 「ないな。それをやると越権行為になる」と、フール。「それに、多数の民間人を巻きぞえにする危険もある。その種の直接行動に出るには、明白な挑発行為があったという事実が必要だ。しかし、マクシーンもバカじゃないから、そんなことはしない。たとえしたとしても、ブリッツクリーク大将がそれをねじ曲げて中隊の評判を落とすのに利用するだろう」 「わたし思うんですけど、ここでの任務はもう中隊にはふさわしくなくなったんじゃないでしょうか?」と、レンブラント。「この任務を受けたときは、ローレライは願ってもない任地のように感じましたし、いろいろな困難を別にすれば、任務自体はやりがいのあるものでした。でも、カジノの警備はわたしが入隊した目的とは違います。もっと大きな使命を持ちたいと思う隊員の士気にも、マイナスの影響を与えていると思うんです」 「フム、そうだな――ぼくも、ちょうど同じことを考えていた」と、フール。「カジノの警備にエリート中隊は必要ない。仕事といえばバーでの喧嘩に割って入ったり、イカサマ師ににらみをきかせたりするぐらいだからな。何も難しいことが要求されないので、多くの隊員たちが緊張感を失いかけているんじゃないかと、ぼくも心配している」 「わたしも同感です」と、アームストロング。「この仕事は民間人でも、われわれと同じようにできますよ。マクシーンの干渉さえなければ、制服の俳優をここに残して警備につかせることもできるんですがね。難しいもめごとは訓練した警備員グループにまかせるようにすれば、ここは今と同じように安全です」 「おそらくそうだろう」フールもうなずいた。「その案のただひとつの弱点は、マクシーン・プルーイットは依然としてここに居すわっているという点だ。たとえマクシーンがいなくなっても、ほかのギャングが後釜《あとがま》にすわるだろう」 「また、振り出しに逆戻りですね」と、アームストロング。「この〈ファット・チャンス〉がこれほど儲かっていなければ、ここから手を引くことを中隊長に進言するんですがね」 「そりゃ、ぼくだって今すぐにも売り払いたい――値段さえ折り合いがつけばな」と、フール。「投資家がおかす最悪のミスは、売りどきを逃すことだ」  ビーカーも同感だと言う表情でうなずいた。 「でも、お忘れにならないでください――それと同じくらいいけないのは、狼狽《ろうばい》して早く売りすぎることです。ご主人様がカジノを捨て値でお売りになれば、それこそマクシーン・プルーイットの思うつぼでございます。すぐにとはいかなくても、半年もしないうちにカジノの支配権を手に入れるでしょう」 「そうね。きっと、わたしたちが表玄関から出ていくと同時に、裏口から入ってくるでしょう」と、レンブラント。 「よし、じゃあ、決まりだな。当分はこのまま現状維持でいこう」と、フール。「そのうち、次の任地へ移動するチャンスが来るはずだ。そのときには、われわれも準備ができているだろう。それまでは現状で我慢しよう」 「わかりました」と、レンブラントとアームストロング。ふたりとも、特別うれしそうな表情ではなかった。 「一度に、たくさん……たくさん起こりすぎてる」と、タスク・アニニ。疲れた口調だ。「これよくない――小さなミス、大きなミスになる」 「言いたいことはわかるわ」と、スーパー・ナット。  この小柄な隊員はちょうど勤務時間が終ったばかりで、まだカクテル・ラウンジのウェイトレスの衣装を着ていた。これだと、あまり人目を引かずにカジノの客のあいだを動きまわれる――空のグラスを持ったギャンブラーが相手だと、そうはいかないが。 「この中隊は全員が一つのチームになって取り組めば、どんなトラブルでも解決できるわ。でも、チョコレート・ハリーが例のならず者のホバーサイクル暴走族たちに追われて籠城《ろうじょう》してしまったおかげで、いまじや補給室へ行くにもひと苦労よ。それに、あなたも見たでしょう?――中隊長のことを、こそこそ嗅《か》ぎまわる星際税務局《IRS》の調査官たち。おまけに、中隊にはスパイも潜《もぐ》りこんでるみたいよ」 「軍隊の教科書に、こういうときの戦法が出てた」と、タスク・アニニ。この巨漢のボルトロン人隊員は毎晩、夜ふかしして、ほかのヒューマノイドに関する本を読みあさっている。とくに、アームストロングの蔵書の軍事史にはくわしい。「一方の敵に対抗して陣地を守りながら、もう一方の敵に兵力を集中する。各個撃破≠チて言われてる。理論ではうまくいく。でも実際は、そう簡単にはいかない」 「実際にはそう簡単にはいかない=vと、スーパー・ナット。「これは中隊の標語にすべきね。隊員のほとんどは、これを地で行ってるもの。普通のやりかたをしない指揮官に恵まれて、わたしたちは幸運よね。そう思わない、タスク?」  タスク・アニニは鼻を鳴らした。ブタの鳴き声そっくりの音だ。ボルトロン人をよく知らない者がこれを聞いたら、ブタの鳴き声だと思うにちがいない。だがこれは、地球人でいえばクスクス笑いにあたる。 「幸運以上だ」と、タスク・アニニ。「おれたちの中隊に回されたくらいだから、中隊長、よっぽどひどいことをしたにちがいない。でも、中隊長バカ《フール》じゃない――冗談でもなんでもないよ。おれたちが宇宙軍一の中隊になれることを教えてくれたし、そのために頑張れと励ましてくれる。中隊長、きっと銀河で一番の指揮官ね」 「わたしもその意見に賛成よ」と、スーパー・ナット。「でもね、中隊長はこれまで敵を作らないできたわけじゃないわ。その敵も全部が全部、宇宙軍以外の者ってわけでもないの。マザーから聞いたんだけど、宇宙軍のお偉方は中隊長のために赤恥をかいたとカンカンなんですって。中隊長をとっちめてやろうと機会をうかがってるそうよ。それはつまり、わたしたちにも火の粉が降りかかってくるってこと。これまでは無事に来たけど、いつもう一方の靴が落ちてくる[#ここから割り注](「不快なことが完結する」という意味)[#ここまで割り注]かわからないわ」 「靴が落ちる音なんてしてない」タスク・アニニは、何を言っているのかと言いたげに目を細めた。「それ、いつ起こるんだ?」 「ちがうわよ、タスク。言葉どおりの意味じゃないの。わたしが言ってるのは、中隊がどこかひどい任地へ飛ばされるんじゃないかってこと。たとえば、戦争宙域のどまんなかとかね。そうやって中隊長を困らせようってわけよ」 「そんなことない。今、どこも戦争やってない」タスク・アニニは辛抱づよく言った。「あんた心配しすぎだ、ナット」 「そうかもしれないけど」と、スーパー・ナット。「でもね、このまえ戦争があったのは、そう昔のことじゃないのよ。噂だと、中隊長がここへ送られる原因になったヘマをやらかした場所が、その戦地だったそうだから。あなたは噂に関心があるかどうか知らないけど、みんなの話では、中隊長はパイロットに命じて敵地を機銃掃射させたんですって――そこで平和協定調印式が行なわれているとも知らずにね。銀河は広いのよ。どこでまた戦争が起こるかわからないわ。わたしたちだって、いつのまにか気がついたら戦地に送りこまれてるかもしれないのよ」 「だれと戦う?」タスク・アニニは疑わしげな顔をした。もっとも、タスクは特別あつらえの黒メガネをかけているので、表情を読みとるのはむずかしい。このメガネは繊細な目を通常光線から保護するためのものだ。「戦う敵いないのに。航宙が始まる前の地球とちがって、いまは全部の種族が暮らせる空間ある。戦争する理由ない」 「だったら、どうして宇宙軍なんてものがあるのよ?」スーパー・ナットは腰に両手をあて、けんかごしで巨体の相棒を見あげた。「それを言うなら、正規軍や宇宙連邦軍だって同じよ。もし、もう戦争がないとしたら、政府はありもしない戦争のために大金をはたいて軍隊を抱《かか》えこんでるわけ? でも、わたしが言いたいのはそんなことじゃないわ。戦争がなくたって、お偉方が中隊長を痛めつける方法はいくらでもあるってこと。嘘じゃないわ、タスク――きっとお偉方は、鵜《う》の目|鷹《たか》の目でそれを探してるはずよ」  タスク・アニニは、また鼻を鳴らした。 「中隊長ひとりじゃない。大将たち、なんとかして中隊長を困らせようとするけど、おれたちがそうさせない。中隊長が困ると、おれたちも困る」 「ちゃんとわかってるじゃない、タスク」と、スーパー・ナット。「でもね、ひとつ忘れちゃいけないことがあるわ。大将たちはたいてい、自分のせいで配下の兵士が困ろうがどうしょうが気にもしないってことよ。わたしたちは、問題が消えてなくなるまで投入しておくだけの役立たずの兵士ってわけ。そこへいくと、中隊長はちがうわ。隊員のことを本当に気づかってるのよ。どこか胸の奥深くで、自分もわたしたちと同じだと思ってる。だから、わたしたちも、中隊長をかばってあげなきゃいけないの」 「おれたち絶対、中隊長をかばう」タスク・アニニも同調した。「だから、もう一方の靴が落ちてきてもどうってことない。それが床に落ちる前に、おれたち受けとめる」 「そう、その意気よ」と、スーパー・ナット。「そうと決まったら、パブへ行ってみない? もう一方の靴をはいてるのはだれか、あそこならわかるかもしれないわ」  〈ファット・チャンス〉カジノの地下にある〈オールド・イングリッシュ・パブ〉は、オメガ中隊専用の社交場というわけではないが、そこへ行けばいつも隊員たちがたむろしている。飲みものをすすったり、ゲームを楽しんだり、ダーツ遊びをしたり。もちろん、はるか昔から軍隊関係者が非番のときにしていたような話を楽しむ者もいる。隊員たちは別に民間人のカジノ客を締め出しているわけではない。そんなことをしたら、中隊長の大目玉をくらう。だが、このパブの雰囲気を決めているのはあきらかに隊員たちだった。  それにしても今夜の店内はとくに賑やかだった。制服・私服、思い思いの隊員たちがいくつかのグループに分かれて店内のあちこちに固まっている。ひとつのテーブルでは、トンクと呼ばれるゲームが、いままさに真剣勝負の真っ最中だ。これまでのところストリートが大勝ちしているが、ダブル・|]《クロス》もここ何番か、たてつづけにツキに恵まれて勝っている。ふたりの間で交わされる軽口も賭け金が大きくなるにつれ、しだいに声が大きくなってきた。騒騒しい音を発する立体ビデオ装置からいちばん遠く離れた隅《すみ》のテーブルでは、ドクとマスタッシュが静かにゲームの手を差していた。静かだが、必ずしも穏やかではない。電撃《ブリッツ》チェスだ。そばで二、三人の隊員がゲームのゆくえを見まもりながら、勝った相手と勝負しようと順番を待っている。  別の隅《すみ》のテーブルでは、ドゥーワップが次から次へと話しまくっていた。ほとんどが、とても本当にあったこととは思えない話ばかりだ。だが本人は、直接自分が関《かか》わったわけではないが全部この目で見たことだと、くりかえし強調している。まわりを囲む聞き手のなかには、イブニング・ショーの合間に立ち寄ったディー・ディー、ジュニア、スーパー・ナット、そしてタスク・アニニの顔が見える。おそらく地球人社会の事情について限られた経験しかないせいだろう、ドゥーワップの話を面白半分に聞くような顔をしていないのは、このタスク・アニニひとりだけだ。 「そこで、おれはおまわりに言ってやった――ああ、この建物は全部おれのものだ≠チてな」と、ドゥーワップ。「だけど、おまわりがそれを真《ま》にうけないのがわかったから……」 「どうして警官が建物をうけとるんだ?」タスク・アニニがドゥーワップに目をくぎづけにしてたずねた。 「建物じゃないよ、タスク。話のほうき、わかるだろ?」ドゥーワップは手の指先でテーブルをカチャカチャと叩いた。この巨人のボルトロン人に話の途中で邪魔されたのは、これが初めてではない。 「話をうけとる? その警官、雑誌の編集者か?」タスク・アニニはますます顔をしかめた。 「あのなあ、タスク、おれにもちっとは休みをくれよ」と、ドゥーワップ。まわりの聞き手から、どっと笑い声があがった。「これじゃロボットに酒を売るほうがましだ。とにかく、おれの話を最後までやらせてくれ。質問はあとだ、|わかったな《カビッシュ》?」 「でも、おれわかってない」これまで何度もドゥーワップの話につきあっているタスク・アニニはねばった。「だから質問する」  ドゥーワップは両手を挙げた。 「いいから、ちょっとのあいだだけ質問をやめてくれよ、いいな? ところで、どこまで話してたっけ?」 「たぶん、ブタ箱にぶちこまれそうになるところまでじゃないかな」だれか、聞き覚えのある声の主《ぬし》が言った。ドゥーワップがハッと顔を上げると、スシがニコニコしながら立っていた。 「よう、相棒! どうしてたんだよ!」ドゥーワップは、はじかれたように立ちあがり、スシの肩に腕を回した。「このまえ聞いたときは、ヤズーカたちにさらわれたって話だったぞ」 「ヤクザ≠セ。それもひとりだけだ」スシは笑って答え、ドゥーワップと肩を抱きあった。「でも、さらわれたんじゃない。おれたちはある場所へ行って交渉したんだ。まあ、こちらの思いどおり、うまくいったと言っていいだろう」 「おまえのことだから、きっとまた怪しげな手を使ったんだろう」と、ドゥーワップ。フールがスシと組ませるまでは、ドゥーワップは頭を使う巧妙な手口のペテン行為にはまったく無知だった。「その話を聞かせてくれよ、な?」 「おいまて、おまえ[#「おまえ」に傍点]の詰まだ終ってない」  スシが、あいた椅子にすわりこんでウェイトレスに合図するのを見て、タスク・アニニが抗議した。 「つづきはあとだ、タスク、またあとでな」ドゥーワップは手を振ってタスク・アニニをなだめた。「スシは大きな芝居をうってたんだ。その結果がどうなったか知りたい。さあ、話してくれよ、相棒、早く話せ!」  スシは前に身を乗りだして話しはじめた。「たぶん、きっかけはみんなもう知ってると思う。おれはカジノで勤務についてた。ブラックジャックのセクションだ。そこでディーラーが、客のふたりがインチキをやってるのに気づいて……」 「シーッ! 言葉に気をつけろ、スパイが来る!」と、タスク・アニニ。 「スパイ? どこに?」スシは、きょとんとした。 「大きな声で言わないで。こっちへ来るわ」スーパー・ナットがスシの肘《ひじ》に手をかけて、小声でささやいた。「ここはわたしたちにまかせて。くわしいことはあとで話すから」  スシがうなずくと同時に、航宙大尉クァルがテーブルへやってきた。全速力で走っているときのクァルは敏捷《びんしょう》そのものだが、ふだんの歩きかたはマンガのようなよちよち歩きだ。 「ごきげんよう、諸君」と、小柄なゼノビア人クァル。「お仲間に入ってよろしいかな?」 「入るなと言っても入るんだろ?」と、ドゥーワップ。そっけない口調だ。 「おお、これはユーモアだな!」と、クァル。  クァルの翻訳器がシューシューという音とウーウーという犬のうなり声の中間のような奇妙な音を発した。おそらく翻訳器はゼノビア人の笑い声を地球人の言葉に置き換えようとしているのだろう。しかし、その意味はどうであれ、隊員たちのご機嫌を取り結ぶには役立たなかった。  クァルは近くのテーブルから空《あ》いた椅子を引っぱってきて、タスク・アニニとドゥーワップの間に落ち着いた。ふたりはクァルに冷ややかな目を向けた。 「すると、隊員の諸君はこうやって夜を過ごされるのか?」と、クァル。みんなの顔を見まわしている。 「そんなこと、だれが知りたいってんだよ?」と、ドゥーワップ。これ以上話しかけられては迷惑だという口調だ。クァルの翻訳器は、微妙な口調のちがいを区別するようにはセットされていない。 「これは失礼、まだ自己紹介していなかったかな? わしはクァル航宙大尉」そう言ってニッと歯をのぞかせた。「ゼノビア帝国の大使館駐在武官だ」 「あなたがだれかは、みんなもう知ってるわ」と、スーパー・ナット。つららが落ちてきそうな冷ややかな口調だ。「どういう目的でここへ来たのかもね」 「すばらしい!」クァルは、ピシャリとテーブルを叩いた。「わしに同情してくださるわけだな? これはぜひとも、諸君に一杯ずつおごらなくてはならん!」 「何も飲みたくない」と、しらっとした顔でタスク・アニニ。 「おれもだ」と、ドゥーワップ。  ドゥーワップのグラスは空《から》だった。だれかにおごると言われてドゥーワップがことわることは滅多《めった》にない。だが、そのテーブルについていただれもが、申し出をことわった。  ただひとりの例外はスシだ。 「たったいま来たばかりで、喉《のど》が乾いた。おごってくれるなら、もらいますよ」 「すばらしい!」クァルはまた、ピシャリとテーブルを叩いた。「同僚の諸君がだれも喉が乾いておらんというのは残念だが、また別の機会もあろう。諸君の飲みものを持ってこさせる習慣が、わしは大いに気に入った。自分でプールへ行くより、交流の機会がふえる」 「交流したいと思うならね」スーパー・ナットが意味深長な目でチラッとクァルを見ながら言った。「考えてみれば、わたしはもう充分に交流したから、今夜はこれで切りあげるわ。タスク、あなたは?」 「タスクも、もういい」ボルトロン人も同意して立ちあがった。立つと頭が天井に届きそうなほど高く、小さなゼノビア人を見おろす格好になった。「ほとんどのみんなと楽しく過ごせてよかった」それだけ言うと、スーパー・ナットのあとにつづいて立ち去った。 「わたしもそろそろ、三回目のステージの準備をしなくちゃ」  ディー・ディーが言って立ちあがった。テーブルにいたほかのみんなも、ひとりまたひとりと次々に理由をつけて出ていった。とうとう最後に残ったのは、飲みものが来るのを待つスシとクァルだけになった。 「これだけ多くの諸君が出ていかねばならんとは残念だ」と、クァル。「みんなと知り合うのは別の機会にするとしよう」 「そのようですね」  スシは自分の椅子をクァルの近くへ寄せた。「でも、だからといって、ぼくたちが知り合っていけない理由はない。聞かせてください、航宙大尉。ぼくたちのことを知りたいそうですが、どんなことに興味があるんですか?」 「それはもう、どんなことでも知りたい」バーのきらめく照明に、クァルの歯がキラリと光った。「諸君は、いろいろな面でわれらの種族と大いにちがっておる。まずだな……」  ふたりの会話は、夜ふけまでつづいた。 [#改ページ]       7 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 三一〇[#「執事日誌ファイル 三一〇」はゴシック体]  幸福な人生を送れるかどうかの鍵はタイミングにある。カネにまつわることが、まさしくそうだ。たとえば株を早く売っても遅く売っても、しまったと思う。同じことは軍隊でもいえる。決戦時の予備軍を司令官が早まって投入すると、兵力を温存していた敵に撃退される恐れがあるし、かといって遅すぎては負け戦さになる。部屋に入るというようなつまらないことにさえ、間《ま》のいいときと悪いときがある。  ご主人様は、いいタイミングをつかむことに天性の素質をお持ちのかたである。おそらく、これは遺伝だろう。お父上が、新製品を導入するタイミングの決めかたに抜群の冴《さ》えをお持ちだからだ。そう考えると、それ以上に神秘的ではあるが、もっと役に立つご主人様の性格的な特徴もやはり遺伝かと思われる。その特徴とは、周囲の人間すべてに、たったいま自分がしたことはまちがっていなかった……これでよかったのだ……と思わせる能力だ。 [#ここで字下げ終わり] 「出来すぎ?」アームストロングは突然、笑いだした。「隊員のなかに出来すぎがいるって? こりゃ初耳だ。この中隊が、そんなことで非難を受けるなんて前代未聞だよ!」 「これが最後にならないよう願いたいものだ。ぼくは心からそう思ってるよ、中尉」フールはデスクの向こう側に回りながら言った。「だが、それが問題だとブランデーが言うなら、話を聞いてみよう。どこが問題なんだ?」  ブランデー曹長の顔は、いつになく心配そうだった。 「それが中隊長、例のガンボルト人たちがあまり優秀なので、ほかの隊員たちがついていけないんです。腕立て伏せを百回やれと命じると、ガンボルト人はほかの隊員が二十回もやらないうちに百回やってしまいます。素手で戦闘訓練をさせると、ほかの隊員はガンボルト人の身体に触ることもできません。障害物コースはまだ走らせていません――まだ、公園で設営中ですから――が、あれを走らせたらきっと、ガンボルト人以外の隊員はまるで病人のように見えるでしょう。わたしのこの階級章を賭《か》けます」  アームストロングが感嘆したようにヒューと口笛を鳴らした。 「すばらしいじゃないか。ぼくはかねがね、この中隊にはほかの隊員の手本になるような隊員が必要だと思っていた。これでやっと、ほかの隊員が見習ういい目標ができた」 「でも、それができないんです」ブランデーが首を横に振って言った。「レーザー光線と競争するほうがまだいいでしょう。スピードや体力や敏捷《びんしょう》性で差が出るようなことをさせると、あの大ネコたちは地球人と段違いの力を見せつけるんですから。おかげで、訓練中の新入隊員の全員がやる気を失いかけています。何か対策を考えないと、士気がガタ落ちです、中隊長」 「たしか、ぼくがこの中隊に着任した当初も同じような問題があったな」フールはデスクの椅子を引きだしてすわると、前に身を乗りだした。「その問題に、解決策の答を出してくれたのが障害物レースだった。覚えているか?」 「ええ、覚えています」と、ブランデー。「あれがこの中隊の転換点でした。あれでわたしたちは教えられたんです――数人だけでは達成できないことでも、全員がひとつにまとまって力を合わせればできるんだって」 「新入隊員にもその教訓を学んでもらわないといけないな」と、フール。「とくにガンボルト人には、この教訓が必要だ。だが、そのためには、この訓練にちょっと手を加える必要がある。きみたちの意見を聞かせてくれないか? ぼくはこんなことを考えているんだが……」  フールはスケッチボードに歩みよって、オメガ中隊の障害物レース訓練に加える変更の概要を説明しはじめた。最初のうち、アームストロングとブランデーはその案に疑問を抱《いだ》いたようで、次から次へと欠点を指摘した。そのたびに、フールは計画を変更した。そのうち、三人はおたがい知恵を出し合って新しい訓練コースの案を考えることに熱中した。これでよしと三人の意見が一致したとき、すでに深夜になっていた。だが、この時点で三人とも、これが最終的な結論だという自信を持った。しかし、この計画がうまくいくかどうかは、あくまでも困難に立ち向かう新入隊員のやる気にかかっている。これまでのところ、新入隊員にそれだけの気力があるとは思えない。そこが変わらないかぎり、フールのオメガ中隊は生まれ変わる前の劣等生の集団に逆戻りする危険がある。 「いったい、あそこはどうなってるの?」  マクシーン・プルーイットは〈ファット・チャンス〉カジノのほうを指さした。これは必要のない動作だ。マクシーンが言おうとしていることは部屋じゅうの全員にわかっている。 「おれが見たかぎりじゃ、なんの動きもないようです、ボス」と、アルテア・アリ。フールのオメガ中隊を標的にした計画がいよいよ実を結びそうだと聞いて、とっさにマクシーンはこのアリを〈ファット・チャンス〉の監視役に送りこんだ。「騒ぎがあったのは、あの一日だけです。あの日だけはヤクザの男が喧嘩をふっかけるし、チビのトカゲが追っかけっこをしてカジノじゅうを逃げまわるし、税務局のやつやホバーサイクル暴走族が現われるし、大騒ぎでした。でも、それっきり音沙汰《おとさた》なしです。あの軍隊のやつらは、ふだんと変わりません」 「軍隊じゃないわ――宇宙軍よ」と、ラヴェルナ。 「宇宙軍でもなんでもいいですよ」アリは、バカバカしいと言わんばかりに手を振った。 「銃を持って制服を着てりゃ、おれには軍隊です。要は、やつらは何も変わりないってことですよ」 「そのとおりよ」と、ラヴェルナ。「中隊はあすの午後、大がかりな訓練をすると発表したわ。一般人にも開放するんですって。もちろん、わたしたちも見に行くわ。わたしも行こうと思ってるの。でも、中隊がいつもと変わらないようにやってるのは確かね。まるで、わたしたちが仕掛ける挑発行為を気にも留めてないみたい――あんなに中隊を困らせようと、陰《かげ》でいろいろ糸を引いたのに。カネを握らせたのも、ひとりやふたりじゃないわ」 「もっと効果があるかと思ったのに、これじゃ期待はずれもいいところだわ」マクシーンは苦虫をかみつぶしたような顔をした。「じっとしていられない……いえ、それ以上よ。あんな圧力をかけられたら、今ごろはおろおろ[#「おろおろ」に傍点]して駆けずりまわってなきゃいけないはずだわ。いったい、どうしたというの?」 「例のヤクザの代理人は、二日前に船でステーションを離れたしね」と、ラヴェルナ。「その男も、一緒に来た女も、わたしたちにはなんの連絡もなしに行ってしまったから、何があったかはわからないわ。でも、ふたりが捜しにきた相手の男――例のニセのヤクザが今もピンピンしていることは確かよ」 「そのとおり。おれも昨夜、パブでそいつを見た」と、アリ。「でんと落ち着いてましたぜ」  マクシーンは、ますます渋い顔をした。「例のレネゲイズ団はどうしてるの?」 「まだあそこで粘《ねば》ってます」と、アリ。「おれが見たところでは、まだ動きらしい動きはありません。でも今、ホテルの一部が封鎖されて、部外者は立入禁止になってます。こんなことは今までなかったことです。何か新手《あらて》の秘密兵器でも隠してるのかもしれません。でも、おれはあの大バカ野郎のチョコレート・ハリー――つまり例のホバーサイクル乗りたちが追ってる男がそこに隠れてるんじゃないかとにらんでます。二対一で賭《か》けてもいいですよ」 「そう。じゃあ、遅かれ早かれ、いつかは出てくるわね――もし、本当にそこにいるとしたら」マクシーンはうなずいた。「わたしたちはレネゲイズ団の連中を張りつかせておいて、その男が出てきたところをつかまえさせればいいわけね。べつに難しいことじゃないはずよ。一流ホテルの部屋に無料《ただ》で泊まらせて、飲み食いまでこっち持ちだもの。けっこうな話だと思わない?」 「そっちは、おれにまかせといてください」と、アリ。「しかし何も行動を起こさなくても、時間がたてばやつらも神経にこたえるでしょう」 「もし、じりじりして苛立《いらだ》ってきたら、そのときは何か仕掛けてやるわ」と、マクシーン。「昔ふうの発煙弾でも、ピシャリと当たれば、たいていの人間はおびえて隠れ家から出てくるし……」 「中隊員たちは、なみの人間とはちがうわ」ラヴェルナは首を横に振った。「わたしだったら、そんな小細工に賭けてみようって気にはなれないわね」 「あんた、いつからそんなに中隊員の肩を持つようになったの?」マクシーンがかみついた。「あの変な服装の執事に甘い言葉でそそのかされて、わたしを裏切ろうっていうんじゃないでしょうね?」 「バカなこと言わないで」と、ラヴェルナ。「あなたは、わたしに事実を言わせるためにオカネを払ってるのよ。だから事実を言ってるだけ。今までだって、手加減して言ったことは一度もないわ」 「手加減してるなんて言ってないわよ。中隊の味方をしてると言ってるの」マクシーンも負けずに言いかえし、立ちあがってテーブルを回ってきた。そしてラヴェルナに指を突きつけ、顔をくっつけるようにして怒鳴った。「もし、わたしを裏切ったりしたら、あんたはもうおしまいよ。いいわね?」 「そんなこと、よくわかってるわよ」と、ラヴェルナ。落ち着き払った口調だ。|氷の女《アイス・ビッチ》≠ニいうニックネームが、今ほど似つかわしく思えたことはない。 「わたしはどんな幻想も抱《いだ》いてないわ。あなたにとって手放せない人間になることでしか、わたしの安全は保証されないことは百も承知してるわ。だから、今そうしてるじゃないの――ーあなたに必要な情報を提供してるのよ。こんなことは言う必要もないことだけど――あなたも覚えてるでしょう? このまえ、あなたがフールの中隊員に荒っぽいことをしようとしたときのことよ。あれを覚えてたら、あの中隊を本気で怒らせてみようとは思わないはずよ。でも、チョコレート・ハリーを隠れ場所から追いたててレネゲイズ団に引き渡したら、きっと連中は黙っていないわ」 「なにも、わたしたちがやるとは言ってないわよ。ただ、ちょっとあちこちで脅しをかけてやれば……」 「あなたがどんな腹づもりでいるかはわかってるし、きっとあなたはそうするはずよ。やりたければ、やればいいわ。それが、あなたの流儀なんだから。でも、結果がどうなっても文句は言わない振りをするのはやめてほしいわね。わたしが警告したことにも腹をたてないでもらいたいわ」  マクシーンは顔をしかめながらも、うなずいた。 「オーケー、言いたいことはわかったわ。面倒は起こさないようにするわよ。あの中隊長には、まだ星際税務局《IRS》のふたりがつきまとってるしね。アリ、あの連中のことで何か報告はない?」 「あちこち首を突っこんで質問してまわってますが、それだけです」と、アリ。「でも、それが連中のいつものやり口なんです。突然、どこからともなくフラッと現われては書類を見せて、身ぐるみはいでも税金をおさめろとくるんですから、やられるほうはたまったもんじゃありません。もし、あの軍隊の若造が連中のルールどおりにやってないようだと、おしまいでさ。カジノ商売をやってる者の中に、あのハゲタカどもと互角に渡り合えるやつはいないでしょう。そうなったら、カネを儲《もう》けるどころの騒ぎじゃなくなりますよ」 「これからも、わたしに報告してちょうだい」と、マクシーン。「税務局があの男の調査に乗りだしたからには、もうあっちの流儀にまかせるしかないわ。あとは、ローレライのほかの人間に目をつけないように祈るだけね」 「たとえば、ここにいる人たちなんかにね」と、ラヴェルナ。皮肉のこもった口調だ。マクシーンはしげしげとラヴェルナを見た。だが、|氷の女《アイス・ビッチ》≠フ顔にはなんの感情も現われていない。たぶん、今のは何気《なにげ》なく言った言葉だろう――それとも微妙な言いかたではあるが、もしかしたらラヴェルナは、自分で認めた保証以外にも、何かボスのマクシーンから身を守る方法があると匂わせているのだろうか。どういう意味にしろ、マクシーンは気に入らなかったが、今は様子を見るしかない。 「ちくしょう、客をこんなに乱暴にあつかっていいのか!」  無表情な顔をしたふたりの用心棒に〈スリー・デューシズ〉から有無を言わさず退いたてられながら、ギアーズはわめいた。用心棒の男たちは何も答えなかった。玄関まで来ると、ふたりはギアーズを両脇から抱《かか》えあげ、二回ほど振ってから表の通りへほうり投げた。ギアーズはうずくまった姿勢で通りに落ちたが、すぐに起きあがり、両手を握りしめて男たちに立ち向かおうと振りむいた。遅かった。ふたりはギアーズが戻ってくるのを確かめもしないで、ドアの奥へ姿を消していた。  ギアーズはしばらく立ちつくして、どうしようかと考えた。腹の中は怒りで煮えくりかえっている。だが、店の中へ駆けもどってあの用心棒たちとやりあうほど酒に酔ってはいない。あの[#「あの」に傍点]一番は、もう結果が出たのも同然だったのに。上衣のポケットをたたいてみると、財布はまだあった。用心棒の男たちは、勝ったカネを受け取りにレジまでギアーズをむりやり連れていったあと、この財布をポケットにねじこんだ。ギアーズのチップを正直に現金に替え、そのカネを財布に詰めこんでから通りへほうり出したのだ。だが、もう二度と〈スリー・デューシズ〉へ来るなとクギを刺すことも忘れなかった。必勝法を知っている客はどこの賭博場《とばくじょう》でも嫌われる。その方法で本当に勝てるとなれば、なおさらだ。  どうする?――ギアーズは自問した。時刻はもう遅い。だからといって、ローレライで時刻が重要なわけではない。カジノや酒場は一日二十四時間、店を開けて、いつでもカモが現われて店にカネを落としてくれるのを待っている。だが、ギアーズにとっては時刻が重要だ。あと四時間たらずで〈ファット・チャンス〉での勤務に戻る準備をしなければならない。その時間までに、少しは仮眠もとっておかなければならない。そうしないと、勤務中に居眠りしてチョコレート・ハリーに怒鳴られる。できれば、そんなことは避けたい。  ギアーズはため息をつき、通りの先にある〈ファット・チャンス〉のほうを見ながらゆっくりと首を振った。今夜のツキは最高だった。勝ちかたを知っていても、大きく儲《もう》けるにはツキが必要だ。ところが、今夜はサイコロの目が面白いほどよく当たった。こんなに絶好調なのに、その最中にやめたら、きっとあとで後悔する。ギアーズは〈ファット・チャンス〉とは反対方向へ向かい、べつのカジノを探して歩いた。  ふと気がつくと、見慣れない地区に迷いこんでいた。ギアーズがふだん行きつけている場所よりも照明が暗く、人通りも少ない。それに危険でもある……遅ればせながら、そんな考えがチラリと頭をかすめた。  そのときだった。横あいの路地から突然、大きな黒い人影が現われ、ガラガラ声で言った。 「ここはおまえさんの来るところじゃないぜ、兄弟」 「誰だ?」と、ギアーズ。そのときふと、この通りにいるのは自分とこの男だけだと気づいた。 「名前を言うほど間抜けじゃないさ」と、見知らぬ男。意外にも物わかりのよさそうな口調だ。薄明かりのなかで、男が作業着を着ているのがわかった。重労働に慣れた筋肉質の身体。しかも大男だ。男はギアーズに近づいてきて言った。「おれのことは知らんほうがいい。しゃべってほしくないし」男が大きな手を伸ばした。「カネを出せ。そうすりや見逃してやる」 「出してたまるか」ギアーズは男にクルリと背を向け、いきなり逃げだした。たしか、この通りの次の角《かど》に酒場があった。そこへ駆けこんで〈ファット・チャンス〉に応援を頼もう。  だが二歩も行かないうちに何かが横からぶつかってきて、ギアーズを地面に押し倒した。襲ってきた男に馬乗りになられたギアーズは、ウッと息を漏《も》らした。男の手にナイフが光っている。それを見て、ギアーズの頭から反撃しようという考えがふっとんだ。 「どうしてそう急ぐんだ、兄さん?」馬乗りになった男が耳元でささやいた。「話はまだ終ってねえぜ」 「おとなしくカネを渡せばよかったのに」大男がギアーズのかたわらにきて膝をついた。しんから悲しんでいる口調だ。「なのに、友達まで巻きこんでしまった。こいつはおれよりずっと質《たち》が悪いんだぞ」 「そりゃねえだろ、チャッキー」と、馬乗りになった第二の男。「この近辺のやつらは、この兄さんみたいなやつが好きじゃないみたいに思われるじゃねえか。でもおれたち本当は、この兄さんみたいなやつが大好きなんだぜ」 「カネを出し惜しみしなけりゃってことだろ」と、チャッキー。「ようし。じゃあ、今この友達がおまえさんの手がカネに届くようにしてやるから、そのカネをこっちによこすんだ。そうすりや黙って別れてやる。いいか、妙な気は起こすなよ。この振動ナイフでいいようにされたくはないだろ?」  第二の男がすわり直した。それで胸と腕にかかっていた重しがとれた。だが、両脚はまだ押さえつけられたままだ。振動ナイフがギアーズの無防備な腹の上をさまよった。 「おい、いまの話を聞いただろ? さあ、カネを出しな。そうすりや誰もケガはしねえ」その夜のギアーズは大儲けしていた。これだけあれば今までの借金を帳消しにできる。だが、振動ナイフが相手では、すべてが水の泡だ。 「わかった、落ち着いてくれ」と、ギアーズ。「いまポケットに手をやるから」  ギアーズはポケットのほうへ手を伸ばした。だが、ポケットに手が近づいた瞬間、脚を押えつけている男が振動ナイフを振りまわしてギアーズの手首をつかんだ。 「じっとしてろ」と、男。「中に何が入ってるか見てみよう」男はギアーズのポケットに手を入れて財布を取り出した。「この兄さん、やっぱりいい坊やだぜ」  そう言って財布を相棒に渡した。 「この友達が今までに人を何人刺したか、それを聞いたらおまえさんびっくりするぞ。刺された連中は、みな、こいつより素早く動けると思ったんだろうが」チャッキーはそう言って財布を開《あ》け、ヒューと口笛を吹いた。「この兄さん、今夜はよっぽどツイてたらしいな」  もうひとりの男がカネに目をやった。いまがチャンスだ! ギアーズは素早く男の手首をたたいて振動ナイフを跳ねとばし、さらに男の喉《のど》にパンチを見舞った。男は横へふっとんだ。喉を詰まらせてむせている男を押しのけて自由になったギアーズは、あおむけにひっくりかえっているチャッキーに飛びかかった。チャッキーは腕をまっすぐにつっぱってギアーズを寄せつけないようにした。その間に、息をつけるようになった男が振動ナイフを拾いあげ、ギアーズの首にうしろから腕を巻きつけて締めあげた。次の瞬間、脇腹のあばら骨に振動ナイフが突きつけられるのがわかった。ギアーズの身体から力が抜けた。 「チョッ、チョッ。いまのはあんまり利口じゃなかったな」と、チャッキー。同情する口調だが、これは見せかけだけだ。「これでおまえさんを傷つけないわけにいかなくなった。おれたちに刃向かって無事でいられると思われちゃまずいんでな」  そのとき、一方のすみで何か動くのがギアーズの目に入ったかと思うと、機械がかった声が言った。 「おお、グレート・ガズマ、なんと奇妙な光景だ! これが正当な商取引なのか?」 「おまえにゃ関係ないことだ」チャッキーが威嚇するように声の主《ぬし》――いまではゼノビア人航宙大尉クァルだとギアーズにもわかる――のほうへ近づいていった。「だまって失せろ。失せないと、おまえまで面倒なことになるぞ」 「おお、なんということだ。そこにいるのはわしの同僚のひとりではないか」クァルは三人のほうへ近づいてきた。「軍人として、仲間を見殺しにはできん」 「そこから一歩でも近づいてみろ、こいつの内臓をえぐりだすぞ!」腕でギアーズの首を締めあげている男がわめいた。「あっちへ行け。そうすりやおまえに手出しはしねえ」 「その意見には異議ありだ」と、クァル。「身の危険があるのはおまえたちだ。その地球人を離したほうがよいぞ」 「あいにくだが、そうはいかねえ」と、チャッキー。「おれたちはこれから、ゆっくりと後退する。友達に怪我をさせたくなかったら、そこでじっとしてろ。おれの相棒は不安を感じたら何をするかわからんぞ。もう、そうとう興奮している」 「それは残念」クァルは歩いていた足をとめて、腰のベルトの何かにさわった。「それでは、しばらくの活動停止期間が必要だな」  クァルが手を出して……何か[#「何か」に傍点]をした。ギアーズは急に眠気に襲われ、崩れるように地面に倒れた。もうろうとする意識のなかで自分の首を絞めていた男の腕がゆるみ、ギアーズが倒れると同時に相手の男も隣に倒れるのがわかった。いったいどうなってんだ――ぼんやりする頭でギアーズは考えた。クァルがギアーズのそばにやってきた。 「安心してよいぞ、ご友人。もう心配ない」と、ゼノビア人クァル。「いま、マザーと連絡をとって応援をよこしてくれるよう頼んだ。これで災難は終りだ」  何をしたのかはわからないけど、クァルがおれの命を救ってくれた……ギアーズは思い、そこで意識を失った。 「あいつを信頼するのは間違いなのかなあ、ビーカー?」  フールは朝食の合間に読んでいたプリントアウトの束を横に置いて、椅子に背をもたれた。 「スシのことでございますか?」ビーカーは、コーヒーカップを下に置いた。 「そうだ」と、フール。「ぼくのディリチアム・エクスプレス・カードの口座を自由に操作できる男をこのまま信頼すべきか? それとも、あのカネの保護措置をとって――ぼくが信頼していないことをあいつに知らせるか? しかし、いつの日か、この中隊の全員の安全がその信頼にかかってくる」 「人はつねに、信用と安全のバランスを考えなければなりません」と、ビーカー。「中隊には全員が知っておかなければならない事柄があります――たとえば、日常使うパスワードのように。しかし、極秘情報はひと握りの人間にしか知らされません。それでも、だれもそれを信用問題だとは考えません。知る人間が少ないほうが、全員が安全でいられる場合もあるのです。あなた様の口座にアクセスできる人間を制限したほうがよいのは自明のことでございましょう」  フールはジュースをひと口のみ、顎《あご》をなでた。 「いい助言だ、ビーカー。だが問題は、はたしてディリチアム・エクスプレス口座以上に安全なものがあるかという点だ。もし、あの口座にスシが侵入できるとしたら、スシが侵入できないものがあるだろうか?」 「おそらく、ございませんでしょう。しかしながら、ディリチアム・エクスプレス口座が万全でないとなると、それに代わるものが必要です」 「そうだろうな」と、フール。「しかも厄介なのは、この情報を押さえる手段がないことだ。たとえ、あのヤクザの代理人をつかまえたとしても解決にはならない。組長《ボス》たちに報告していないかどうか、確かめようがないんだから。なかには、何があったか見当をつけた者がいるかもしれない」 「さよう、精霊《ジン》はすでにビンから出てしまいました」と、ビーカー。いつもどおり無表情だ。「こうなると、こちらとしては打撃を最小限に押さえることが目標となります。ですが、これを強みに変えることができれば、なおよろしゅうございます」 「わからんな――クレジット口座が無防備なことを他人に知られることが、いったいどうして強みになるんだ?」フールはテーブルの席から立ちあがって、部屋の中を行ったり来たりしはじめた。「ぼくが見るかぎり、今度のことで何か強みを握った者がいるとしたら、ズバリ言ってスシだけだぞ」 「はい、そこでございます。わたくしは、スシの技術をうまく利用する手があるのではないかと考えております」と、ビーカー。「ときには、あることができると他人に言いふらすことが、実際そうするのと同じ効果をもたらす場合があります。ご主人様の部下にディリチアム・エクスプレス口座を操作できる者がいると噂になれば、その情報はたちまち地下の犯罪社会に知れ渡るでしょう。この高等技術をマネしようと躍起になる者が数多く出てくるのは間違いございません。しかしもちろん、そのころにはすでにご主人様は、そのような行為から資産を守る措置をとっておられるはずです」 「なるほど」と、フール。「しかも、その連中がそうしているあいだは、別の方面から攻撃してくる恐れはないわけだ。ふうむ――明るい希望が見えたとまではいかないが、やってみて損はないな。しかし、それでもまだ資産を守る方法は必要だ。かといって、簡単に手をつけられなくなっても困るし」 「その点は、わたくしに提案がございます。ご主人様もきっと興味をお持ちになるはずです」ビーカーは、口もとに微笑をうかべた。 「ほう、そうか?」と、フール。「何を考えてるんだ?」  ビーカーが答えようとしたとき、フールの腕輪通信器が鳴った。 「ぼくだ――マザーか?」今度はどんな危機が持ちあがったのだろう。 「急いで身支度を整えてください、中隊長」と、腕輪通信器から聞き慣れたマザーの声。「中隊長の大好きなお偉いさんが、ホロ映話で会いたがっておられます」 「ブリッツクリーク大将か?」フールの顎《あご》が、ガタンと落ちた。 「ええ、どうやらそのようですわね。わたしが中隊長なら、急いで話をしますわ。必要ならどれだけでも話を引きのばしますけど、それであのトカゲ顔のかたの陰気な性格が明るくなるとは思えません」 「三分だけくれ」と、フール。「どんな用件か、ブリッツクリーク大将は言わなかったか?」 「ご冗談でしょう」と、マザー。「とにかく、早くしてください――もうその三分は始まってるんですから。ブリッツクリーク大将をはぐらかして楽しみたいのはやまやまですけど、時間稼ぎをしていると知れたら何をされるかわかったものじゃありません」  マザーは通信を切った。 「ブリッツクリーク大将からだ」フールはビーカーを見た。「まったく、いいときに呼び出してくれたものだ」 「さようでございますな」ビーカーは品定めするような目でフールを見た。「お話をなさる前に、まだ髪にお櫛《ぐし》を入れる時間がございます。ブリッツクリーク大将はあのご性格ですから、ホロ映話の最初の五分間を、ご主人様のみだしなみのアラ探しに費やされても不思議はございません」  フールは顔をしかめた。 「制服を着替える時間があればいいんだが、そうしても無駄だろうな。今度は悪いニュースじゃないことを祈ろう」 「恐れながらご主人様、あのブリッツクリーク大将といえども、いま以上に状況を悪化させるのは不可能ではないかと存じます」ビーカーはそう言ってひと息入れ、参考意見をつけくわえた。「もちろん、いま以上に状況を悪化させる方法があれば、ブリッツクリーク大将は喜んでそうなさるでしょうが」  ブリッツクリーク大将は笑顔だった。見ていて気持ちのいい笑顔ではない。だがフールは無視して、ブリッツクリーク大将が言うことに全神経を集中した。 「中隊長、われわれの見解はこれまで必ずしも一致しなかったが、だれかきみが中隊向けに作りあげたイメージを買った人物がいるようだ。きみの中隊を、ある任務につけるよう要請があった――宇宙軍にとっては、まぎれもない名誉の任務だ。むろん、それにふさわしい能力がきみの中隊にあるとしての話だがね。隊員たちに職務を果たす能力がなければ、きみの中隊を派遣したいとは思わん」 「ありがたいお言葉に感謝します」と、フール。用心深い口調だ。フールは気をつけ≠フ姿勢で、部屋の反対側に写るブリッツクリーク大将のホロ映像と向かい合っていた。ブリッツクリーク大将にはこちらの動きがすべて見えるし、こちらからもブリッツクリーク大将の動きが見える。できるだけ、感情をおもてに出さないようにしなければならない。すぐにムカッ腹を立てるブリッツクリーク大将のような人物を相手にするのは容易ではない。 「ぼくは部下の中隊員たちを全面的に信頼しております」フールはつづけた。「どのような任務でしょうか?」  ブリッツクリーク大将は、あいかわらずニヤニヤしつづけた。 「つい最近、内戦が終結したばかりの惑星がある。じつをいえば、最終段階では事態の収拾がつかなくなるのを避けるために、宇宙連邦が介入したんだがね。わが宇宙軍もこの介入に参加した一そのことをわしは誇りに思っておる。この介入によって、惑星では新政府が政権につき、情勢はしだいに落ち着いて軌道に乗りはじめた。しかしもちろん、なかには新しい秩序を喜ばない一派もいる。そこで、宇宙連邦では軍隊を送りこんで秩序の維持につとめてきた。そのうちの正規軍から派遣された平和維持部隊が、こんど交代することになってな。われわれの働きかけが功を奏して、ゴッツマン大使は宇宙軍の部隊を交代要員として受け入れることに同意した。じつは、これにはちょっとした政治工作が必要だったのだが、宇宙軍が要請に応じられるとわかると、ゴッツマン大使はきみの中隊をよこしてほしいと言ってきた」 「まさに大当たりというわけですね」と、フール。「その惑星はなんという惑星でしょうか?」 「何かバカげた名前だった――ええと、なんだったかな……」ブリッツクリーク大将は眉をしかめ、それから前かがみになって、どこかスクリーンから見えないところにあるコンピューターのキーをたたいた。「ランドールだ。その惑星はランドールと呼ばれておる」  フールは、ちょっと考えてから言った。 「その名前は覚えがありません――もちろん、だからといってどうこう言うわけではありません。先方は、とくにわたしの中隊を名指しで要請してきたのでしょうか?」 「そのとおりだ、中隊長」ブリッツクリーク大将の顔に猛禽《もうきん》じみた笑いが戻ってきた。「これにはわし自身も驚いた――これまできみは、必ずしもわしが思い描く理想的な模範士官ではなかったからな。だが、きみはマスコミ受けが良く、ニュースでたびたび好意的にとりあげられてきた。どうやら、それが実ったらしい。あれこれ考えあわせると、心配したほど宇宙軍のダメージにもなっておらん。そこでわれわれは、きみの中隊にローレライでの警備任務を切りあげて、ランドールへ転属する準備にとりかかってもらったほうがよかろうという結論に達した」 「わかりました」と、フール。それから、ひと呼吸置いてつづけた。「じつはその、閣下もご承知と思いますが、この中隊は〈ファット・チャンス〉カジノの大株主になっています。つまり契約によりカジノの所有者になっておりますので、配置転換後の警備が充分に行なわれるかどうかについては、当然ながら重大な関心を持っております。出発する前に、補充要員の手配をしなければなりません。その時間を少しいただけないでしょうか?」  ブリッツクリーク大将の笑顔が消えた。 「中隊長、余計なおせっかいをしている場合ではないぞ。惑星全体の住民が、きみの中隊が来て守ってくれるよう要請しておる。それなのに、きみは自分の財布の心配をしているのか? 宇宙軍の兵士にあるまじき態度だ。そんなことは断じて許すわけにはいかん!」  フールも譲らなかった。 「閣下、失礼ながら、ローレライの安全は中隊だけの問題ではなく、はるかに多くの人々に関《かか》わる問題です。毎日、何千人もの観光客がこのステーションにやってきます。平均の滞在日数は五日間。そのあいだにひとり平均、三千ドルのオカネを使います――ギャンブルはもちろん、ホテル、食事、みやげ、娯楽……。家族連れや、子供連れも来ます。このすべての人々が安全な環境を期待してやってくるのです。このなかには隠退生活者もいますし、普通の労働者も大勢います。みんな、夢の休暇を過ごすためにコツコツとオカネを貯めてきた人たちです。カジノの安全が脅《おびや》かされる事態になれば、影響を受けるのはぼくの財布よりも、この人々です。この人々のほうが失うものが大きいのですから」 「りっぱな心がけだな」と、ブリッツクリーク。「だれかほかの士官の口から出た言葉なら、そのとおりだ。だが、きみの口から聞くと、自分の利益を守るための見せかけの博愛主義のようにしか聞こえん。率直にいえばだな、中隊長、きみはチーム・プレーができぬ人間だ」 「失礼ながら、そのご意見には異議があります」と、フール。頭に血がのぼってきた。「ぼくは部下をチームの一員としてだけでなく、ファミリーとして扱っています。じつをいうと、隊員たちは人気取りだけで物を言う人間を容赦しません。ぼくが口先だけでこんなことを言ったら、たちまち見抜かれます」 「たぶんな」と、ブリッツクリーク大将。一瞬、フールの激情にたじたじとなった。だが、すぐに気を取り直した。前のめりになって送信カメラに――自分の映像を見ている相手に指を突きつけている。「だが宇宙軍では、任務を受け入れるにあたって士官が勝手に条件をつけることは許されておらん。どうしても任務を拒否するというなら、軍法会議を覚悟することだな。そこできみの意見を言えばいい。しかし、ことわっておくが、命令不服従で軍法会議にかけられればマスコミでのきみの人気など毛筋《けすじ》ほども役にたたんぞ。それに、わしは遠慮なく軍法会議にかけるつもりだ。さあ、どうする? ランドール行きを受け入れるのか、受け入れないのか、どっちだ?」  フールは一瞬もためらわなかった。 「閣下、宇宙軍の命令であれば、中隊はどこへでも行きます」 「よし。じゃあ、これで決まりだな」と、ブリッツクリーク。だが、あまり満足した口調ではない。フールを命令不服従で軍法会議にかける口実をフールが与えてくれるのではないか……と期待していたことが、容易に想像できる。ブリッツクリークは訝《いぶか》しげに眉をひそめてフールを見た。「さっそく、きみの中隊をランドールへ輸送する準備にかかるんだ。期限は――」ブリッツクリークは下を向いて、またコンピューター表示を見た。「六十標準日だ。ブリッツクリークより以上!」  そこで通信が切れた。 「やれやれ、これで片づいた」フールはため息をついてビーカーのほうを向き、疲れた微笑を浮かべた。 「はい、さようでございますな」と、ビーカー。「これでご主人様は、中隊をローレライから引き上げることが可能になりました。そうしても、だれも動機を問題にすることはできませんし、あなた様のご体面がそこなわれることもございません」 「そのとおりだ」と、フール。「でも、それだけじゃないんだ、ビーカー。もし、ぼくが本当はこの転属を望んでいる[#「望んでいる」に傍点]と知ったら、ブリッツクリーク大将は意地になって邪魔しようとしただろう。だが今のところは、できるだけ長くわれわれを新しい配属先に引き留めようとするはずだ。おかげでぼくは、その間に中隊を立て直すことができる。この新しい任務で中隊にはやりがいのある共通の目標ができた。この種の動機づけこそ、ここでの任務に欠けていたものだ」 「そうでございましょうな」と、ビーカー。疑わしげな口調だ。「わたくしは中隊のポートフォリオの資産を増やすチャンスがあるだけでも、充分な動機づけになっていると思います。しかし、おそらくそれは軍人の精神構造をわたくしが充分に理解していないせいでしょう」  フールはニヤリと皮肉っぽく笑った。 「軍人の精神構造? ブリッツクリーク大将との対面を見たあとで、おまえがそのふたつの言葉を並べて口にするとは驚いた」  ビーカーは鼻を鳴らした。 「あのブリッツクリーク大将の精神的な能力は、なみの計算能力以下でございますな。しかし、中隊の隊員のなかには、わずかでも知性をのぞかせる隊員がいます。残念ながらわたくしに言わせれば、大部分はその発揮のしかたを間違えております。わたくしが申したのは、ここの隊員たちのことでございます」 「ああ、よかった」と、フール。「このぼくのことを皮肉っているのかと思った」 「ご主人様」ビーカーは、ふだんにもまして背筋をまっすぐに伸ばした。「ここではっきりとお断わりしておきます。もし、わたくしがご主人様をけなすようなことを申しあげたいと思ったら、そのときは自分の意図をぼかしたりせず、疑問の余地のないようにはっきりとそう申しあげます」 「けっこうだ。おまえが気分でも悪いんじゃないかと心配してた」と、フール。「さて、まだひとつ問題が残ってるな。ブリッツクリーク大将から望みどおりのものを引き出したところで、今度はそれをどう使ったらいいだろう?」 「はい、それでしたら、まず中隊のかたがたにお知らせすることから始めるのがよろしいかと存じます。わたくしが想像しますに、隊員のなかには、ご主人様ほど希望に燃えてローレライを離れるわけにはまいらぬかたもいるようです」 「やれやれ、このカジノともいよいよお別れと思うと寂しくなるな」  仲間の隊員三人とランチ・プレートをテーブルに置きながら、ドゥーワップが言った。中隊が配置替えになるという噂は、午前中のなかばには中隊全体に広まった。一時間もすると、オメガ中隊の隊員の会話はもっぱらその話題でもちきりとなった。 「あら、ほんと?」スーパー・ナットは眉を吊りあげた。「本物の惑星に戻れるなら、わたしはそのほうがいいわ。日光は自然の日光だし、空気は新鮮だし……」 「おれ、日光あまり強くないほうがいい」と、タスク・アニニ。こちらは夜行性の種族の出身だ。「でも、新鮮な空気を吸うのはいい。やわらかな土、足の裏に気持ちいい」  ドゥーワップはすでに食事をかきこみ始めていた。それでもフォークを二回、口に運ぶ間に口をモグモグさせながら言った。 「おれは根っからの都会育ちだからな。でも、今度おれたちが行くところは本物の奥地だっていうぜ――ジャングルや沼地ばかりだとさ。ろくに歩道なんかなくて、日が沈んだら寝るしかないようなとこさ」 「それ、ちがう」と、タスク・アニニ。「ランドール・シティはローレライより人が多い。建物も多い。タスク知ってる――地図や本で勉強した」 「ああ、そうかい。でも、そこで何すんだい?」ドゥーワップがうなった。「だってさ、ここじゃどんな遊びもできる。ちょっとした賭けごとなんかやる場所もたくさんある。ランドールにゃ何があるんだ?」 「ここほどじやないのは確かだな」と、スシ。新しい任地のことを聞くとすぐに、スシは自分でもそこのことを調べた。「鉱山の採掘が行なわれていたころはランドールにもかなりにぎわうリゾート地があったが、それはおれたちの祖父《じい》さんの時代の話だ。現在は観光がおもな呼び物となっている。いい海水浴場や景色のいい山があるそうだ。おそらくアミューズメント・パークなんかも、いいものがあるんじゃないかな」 「へえ、そいつはいいや」と、ドゥーワップ。「おれ、宇宙軍に入隊してからはいいジェットコースターに一度も乗ったことがないんだ」 「わたしたち、そんなことのために行くんじゃないわ」スーパー・ナットは、その日の夕食のためにエスクリマが作ったバターホーン・ロールをもうひとつ取った。「わたしたちには任務がある――それだけよ。氷の塊《かたまり》だけの小惑星に送られないだけでも、儲けものだと思ってるわ。宇宙軍じゃ、言われたところに行くしかないんですもの。スシ、そのバターを取ってくれない?」  スシはスーパー・ナットにバター・プレートを渡した。 「ナットの言うとおりだよ。中隊長が指揮をとるようになってから、おれたちはかなりツイてる。ニュースを見てみなよ。おれたちが飛ばされそうなひどい場所が、どれくらいあるかわからないんだから」 「ニュースなんて見るわけないだろ」と、ドゥーワップ。バカにしたような口調だ。「おれに言わせりやあんなもの、時間の無駄だ」 「だから、おれたち、あんたに質問しない」と、タスク・アニニ。「スシとナットが言うこと本当だよ。おれたち、行かされそうなひどい場所、たくさんある」 「そりゃそうだ。だから、おれたちが行くところもそういうとこさ」ドゥーワップはロールパンを取った。「そこじゃ、つい最近まで戦争やってたっていうんだろ? だったら、まだ撃ち合いやってるかもしれないぜ。なにしろ平和維持軍が必要なくらいだ。ひょっとしたら、おれたち[#「おれたち」に傍点]だって撃たれるかもしれない。そういう場所がここよりいいなんて言ってほしくなないね」 「あんた、自分で言ってほしくないこと、なぜおれたちに言うんだ?」と、タスク・アニニ。「おれ新しい土地、見てみたい。好きでも嫌いでも、どうせ行くんだろ? だからタスク、そこ好きになる」 「りっぱな態度ね」足をとめてこのやりとりに耳を傾けていたブランデーが言った。「ドゥーワップが行きもしないうちから、愚痴をこぼしてるのにね」 「いやだなあ、曹長、休憩ぐらいゆっくり取らせてくださいよ」ドゥーワップは傷ついたように顔を上げた。「愚痴ぐらいこぼしたって、いいじゃないすか」 「ええ、いいわよ。好きなだけこぼすといいわ」と、ブランデー。「でも、行ってから、そこが気に入っても、みんなの同情は期待しないでね」  ブランデーはニヤリと笑い、デザートのカウンターへ歩みよった。 「いまのはいったいどういう意味なんだ?」テーブルのほかのみんなが笑うなか、ドゥーワップが言った。 「さあ、わたしにもよくわからないけど」と、スーパー・ナット。「きっと、どういうことになっても、あなたは愚痴をこぼすと言いたいんじゃないの?」 「そりゃそうだな。言えてる」と、ドゥーワップ。まだ、きょとんとしている。「愚痴でもこぼさなきゃ、時間をつぶせないよ」  テーブルのほかのみんなは、また笑った。 「じゃあ、あなたは行ってしまうのね」  ここは〈タンブリング・ダイス〉カジノの〈ドミノ・バー〉。ラヴェルナは、淡い照明に照らされた奥の席でビーカーと向かい合っていた。近くの席に客はいない。午後もこの時間になると、カジノの客の大半はギャンブルのテーブルへ向かう。飲みものが欲しくなれば、フロアまで持ってきてもらえる。静かに話すには申しぷんのない場所だ。 「惑星から惑星へ渡り歩くのが、わたくしの仕事ですから」ビーカーは肩をすくめた。「この仕事をするしか能のない人間です」 「そんなこと信じないわ」ラヴェルナはグラスをもてあそびながら、まっすぐにビーカーの目を見て言った。「あなたは今すぐにでも隠退して一生、安楽に暮らせるはずよ。違うなんて言わないで――あなたから二、三のことを聞いたあとで調べたの。だから、あなたがどれくらいの財産を持ってるか知ってるわ。隠退生活の住まいに小惑星を買うほどじゃないでしょうけど、定期的にお給料をもらってないと生活に困るほどでもないはずよ。あなたがその気にさえなれば、ずっとここにいられるはずだわ」 「おそらくそうでしょう――もっとも、ここはわたくしの理想的な隠退場所とは程遠い環境ですが」  音響装置から金管楽器の音楽が数小節、流れてきた。ビーカーは言葉を切り、慎重に言葉を選びながら言った。 「あなたが、わたくしの財政状態を調べたことを包み隠さずお話しくださったので申しますが、じつはわたくしもあなたの財政状態を調べました。それによれば、あなたにも財政的に今の雇い主のもとにとどまる理由はないように思われます」 「ええ、財政的にはね」ラヴェルナはテーブルに目を落とし、それからビーカーを見あげた。「でも、いますぐ切符を買うわけにはいかないの。わたしが言ってること、わかるでしょう、ビーカー?」 「はい、おっしゃることはわかります」と、ビーカー。「ですが、ひとつだけ指摘させてください。もし、本当にここから離れたいとお望みなら、方法はあります。いったんこのステーションから出てしまえば、姿を消すのは簡単です」 「ええ、もし一生隠れて暮らすつもりならね」  ラヴェルナは首を横に振った。「そういう暮らしも、たいていのことに比べれば悪くないと思うわ――いままで時間がなくて読めなかった本がたっぷり読めるし、自分で本を書こうと思えば書けるし。わたしは今まで、人目に立つような暮らしはしてこなかったわ。でも、問題はそういうことじゃないの。わたしは知りすぎてるのよ。そのわたしが自分の手のおよばないところへ逃げるのをマクシーンが黙って見のがすはずはないわ。たとえマクシーンがいなくなっても……」 「マクシーンの後継者が黙っていないでしょうな。寝返ったあなたが何をバラすか――あるいはバラすよう仕向けられるか、気が気ではなくなるでしょう。しかも、後継者はあなたとは個人的になんのつながりもなく、したがってためらう理由もない」  ビーカーは身を乗りだし、音楽にまざれて話が周囲に聞こえなくなるように声を落とした。 「ですが、もしやってみようという気がおありでしたら、わたくしのご主人様と宇宙軍がお力になれます。民間人にはマネのできない方法で」  ラヴェルナは長い間だまりこみ、やがて言った。 「でも、フール中隊長はその方法をわたしのために使ってくれるかしら? あの人が善意でやってくれるとは、とても思えない――たとえ、あなたがわたしのために頼んでもね。それに宇宙軍にしても、わたしは入隊するような柄《がら》じゃないわ。とにかく、もうこの歳ではね」 「ところが宇宙軍では、むしろ過去から逃れるために入隊するのが伝統となっております」ビーカーはかすかに微笑《ほほえ》んだ。そして椅子にすわりなおすと、けばけばしい装飾の室内を見まわし、それから身を乗りだして話をつづけた。「少なくともわたくしのご主人様の中隊では、食事も宿泊設備も申しぶんございません。どこの豪華ホテルにもひげをとらないほどです。それに、退役後の福祉プランも充実しております。もちろん、仕事はときに危険なこともございますが……しかし、あなたはそういうことには当然、慣れておいででしょうから」 「ちょっと、やめて。あなた、まるで新兵募集の曹長さんみたいになってきたわ」ラヴェルナはささやき、それから熱心にビーカーの目を見た。「でもそれ、まさか本気じゃないでしょう?」  ビーカーは両手の指先を合わせた。 「わたくしはただ、ここに残るという決断の代案として申しあげているだけです。といいますのも、わたくしもやはり、あなたと同じことを心配しているからです――いつかはだれかが、知りすぎたあなたを目障りだと考えるにちがいないと。あなたは聡明で鋭い知性の持ち主でいらっしゃいますから、そのときが来る前に逃げることをすでにお考えでしょう。あなたの雇い主の影響力がおとろえ、新しい競争相手が台頭している今がチャンスです。論理的に、これほどいい機会はありません。しかしながら、それを決めるのは、あくまでもあなたご自身です」  ラヴェルナは左右へ視線を走らせて、話が聞こえる場所にはだれもいないことを確かめた。 「ええ、そうね、ビーカー。あなたの言うとおりかもしれないわ」と、ラヴェルナ。「わたしは一時のはずみで物事を決めるつもりはないの。でも、あなたは考える材料をくれたわ」 「あまり長くお考えにならないはうがよろしゅうございます」と、ビーカー。「このチャンスは、いつまでもここに転がってはおりませんから」 「わかってるわ」ラヴェルナは、それきり黙りこんだ。音響装置は、うねるような短調のダンス曲を流していた。二十年も前の曲だ。この曲がはやっていたころ、ふたりはともに若かった。無邪気な世間知らずの若者だった時代。当時はどちらもまだ、今のように重い責任を背負ってはいなかった。ふたりの会話が再開すると、話題は自然にほかのことへ移っていった。 [#改ページ]       8 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 三二九[#「執事日誌ファイル 三二九」はゴシック体]  ローレライを訪れる一般の観光客はグラッドストーン公園のある場所を知らず、中に足を踏み入れることはまずない。ここは、この宇宙ステーションの人気観光スポットには入っていないからだ。そもそも、観光客めあてにはできていない。この公園の正式の用途は、宇宙ステーションの大気再循環装置の補助――つまり、大気中の余分の二酸化炭素を除去して、かわりに有機的に生成された新鮮な酸素を供給することにある。現実には化学処理装置も完璧に近いほどよくできていて、まったく同じ働きをしているのだが、多くの人々はそう思わない。あいかわらず、広さ二十平方キロの公園の木々や草によって自然に¥化された空気のほうが、再循環装置で人工的に″りだされた空気よりましだと固く信じている。  もしできるものなら、カジノのオーナーたちは何のためらいもなくこの公園の草や木を掘り起こして、そこにまたカジノを建てるだろう。結局のところ公園は、ほぼ完全にギャンブルで成り立っている宇宙ステーションの経済にはまったく役だっていない。ローレライを訪れる観光客のおめあては人工照明のきらめきであり、深夜おそくまでつづく浮かれ騒ぎであり、ひと晩で大金を儲けたりスッたりするカジノの熱狂と興奮である。このような客にとっては、この公園があることを知っているだけで心が休まる。だが現実に、ここまで足を運ぶ客はほとんどいない。  だが、フルタイムで働く住民たち――ホテルやカジノ、酒場、レストランの従業員たち――には、羽を伸ばしてくつろぐ場所が必要だ。ときにはサイコロ賭博《とばく》のクラップス・ゲームのテーブルではなく、緑でおおわれた場所を見たいと思うのが人情だろう。そういうわけで休日ともなれば、ゲーム補佐役のクルビエはここで自転車を乗りまわして気分を一新し、カクテル・ラウンジのウェイトレスはベンチにすわり、花壇をながめて目の保養をする。カジノのボスたちの間でも、この公園は従業員を野外ピクニックに連れていく絶好の場所として人気があった。ボスたちはここで豪華なごちそうを並べて気前のいいところを見せ、野原に出て従業員と即席のグラヴボールを楽しんで親近感の演出につとめた……。 [#ここで字下げ終わり]  この宇宙ステーションに到着して間もないころから、フールのオメガ中隊は定期的にグラッドストーン公園を教練場に使っていた。ここには、深い森や附けた草地から岩だらけの山腹まであり、自然の£n形が変化に富んでいる。本当の惑星表面で遭遇する地形のシミュレーションにはうってつけの場所だ。フールは中隊のローレライ勤務がこの先もずっとつづくとは思っていなかったし、いずれ宇宙軍のお偉方は、オメガ中隊をかつてない厳しい試練となる任務につけるだろうと覚悟していた。その命令が来るまでに、隊員たちの準備ができているようにするつもりでいた。  だが、きょうの訓練は特別だ。大勢の見物人が押しかけているからではない。これまでも少数の住民たちが中隊の演習を見物することは珍しくなかった。その中には、〈ファット・チャンス〉カジノを警備する中隊員たちの弱点を探ろうと、ライバルのカジノから送りこまれたスパイもいる。フールはその挑戦にこたえて、演習では必ずスパイたちを怖《お》じ気《け》づかせるような訓練を見せた。だから、たとえカジノを力ずくで乗っ取ろうと考える愚か者がいたとしても、そんな野心は打ち砕いてやったという自信がある。もちろん、マクシーンのたくらみが自他ともに認める敗北に終ってからは、現実にそんな気を起こす者はいなかった。  きょうの訓練は前もって宣伝されたため、伝説のガンボルト人をひと目でも見ようとする好奇心いっぱいの見物人で大きな人だかりができた。宣伝では、このネコ型エイリアンが銀河一の優秀な戦士と評判の高いこと、他のヒューマノイドとの混成部隊へ入隊を志願したガンボルト人はこの三人が初めてだということが強調された。だが宣伝は、フールがこの訓練でもくろんでいる計画にはひとことも触《ふ》れていない。通常、このような計画が事前に公表されることはないので、誰も尋《たず》ねようともしなかった。  フールは教練場の一方の端に隊員たちが建てた展望台の上から、集まってきた群衆を見わたした。群衆の中に、レネゲイズ団の三人がいる。フールの足もとに集合した中隊員たちを熱心に見つめていた。チョコレート・ハリーが来ていないかどうか見にきたんだな――フールは思った。もちろん、補給担当のハリー軍曹は、きょうの訓練を免除されている。それでも最終的に、いつかはレネゲイズ団と対決しなければならないだろう。これは避けられない。フールはハリーの立てこもりを止めようとは思わなかった。対決があるとしたら、ハリーが自分で選んだ土俵で対決させてやりたい。このならず者のホバーサイクル暴走族をどうやってハリーの土俵へ引きずり出すか――腹案は、すでにできている。じつは、それもこの訓練のねらいのひとつだ。  フールは立体双眼鏡(宇宙軍の標準支給品ではない。オプトロニクス社製の特注品で、映像記録用に余分のメモリーと赤外線強化・ぎらつき低減・無限焦点装置つきだ)で群衆を見わたした。すぐに、見慣れた二つの顔が目にとまった。星際ニュース・サービスの取材をするリポーターのジェニー・ヒギンズと、ホロ写真家のシドニーだ。フールのオメガ中隊は、指揮官の華麗なスタイルにジェニーが目をつけて以来、一躍、マスコミに取りあげられた。マスコミの注目を浴びるようになったことには必ずしもいいことだけがあるわけではない。だが全体としてみれば、よかったとフールは思った。評判を裏切らないように努力するほうが、汚名をそそぐよりいいに決まっている。  見物人の中には、ほかにも見覚えのある顔がまじっていた。ライバルのカジノの警備主任が五、六人はいる。中隊の能力の情報収集に来たらしい。マクシーン・プルーイットもフールをカジノ業界から追いだす計画はやめたと正式に表明したにもかかわらず、チーフ・アドバイザーのラヴェルナを偵察によこした。マクシーン自身も見にきているかもしれないが、そこまではよくわからない。  群衆の中にはスポーツ観戦気分の者たちがあふれていた。観戦者の大半が、これから起こることを楽しみに――その結果に賭けるのを楽しみに来ている。何人かの賭け屋が早くも即席のスタンドを立て、賭け率を決めて、賭けを受けつける準備をしていた。訓練のくわしい内容が公表されていないことは問題ではなかった。開ける材料があり、カネを払って賭ける人間がいれば、それだけで充分だ。フールはにっこりした。自分が頭の中で考えていることを観衆が知ったら、賭け屋の商売は大ピンチになるだろう。フールはビーカーを使って代わりに賭けさせたい誘惑にかられたが、意味がないと気づいてやめた。興味を引くほどの大きな賭けは、たいてい賭け率がゆがめられ、勝ってもわずかな配当にしかならない。それも、賭け屋が受けつけてくれたらの話だ。  しかもフール自身は認めたくないが、この賭けに勝つとはかぎらない。フールは賭けていた――カネは賭けなくても、賭けていた一これから厳しい試練に立ち向かおうとする集団にだ。かつてオメガ中隊を、正規軍随一の精鋭部隊であるレッド・イーグルスと対決させたのも危険な賭けだった。今度は、ズプのしろうと隊員たちを銀河一の戦士として名高いガンボルト人と対決させようとしている。フールの思惑《おもわく》と反対の結果に賭けようとする人間はいくらでもいるだろう。この計画が絶対うまくいくという保証はない。 「中隊長、準備ができました」フールのすぐ横で、声がした。  フールは、ハッと物思いから覚めた。ブランデー曹長が近づいたことに気づかなかった。 「よくやってくれた、ブランデー。観客たちをこれ以上待たせるわけにはいかないな。さっそく、訓練開始だ!」 「わかりました!」ブランデーは少し離れて待機する制服の小集団のほうへ回れ右し、命令をどなった。「ガンボルト人は前列中央へ!」  三人のガンボルト人たちは隊員の列からスルリと優雅に出てきて、気をつけ≠フ姿勢をとった。 「障害物コースは、中隊の隊員に自信を持たせるために工夫されたものよ」隊員に聞かせると同時に、観客にも聞こえるようにブランデーは言った。「この中隊には独自の障害物コースの走りかたがあるの。みんなもそのうち体験するはずだけど、きょうは新しい仲間のために特別の訓練をするわ。わたしたちを手伝ってくれるのは、ゼノビア帝国からこられた軍事オブザーバー、クァル航宙大尉よ。クァル航宙大尉、用意はいかが?」 「用意はできておりますぞ、コニャック[#「コニャック」に傍点]曹長」  ゼノビア人の翻訳器が答え、小柄なトカゲ型エイリアンのクァルがニッと歯を見せて前に進み出た。フールにはクァルは笑っているのだとわかるが、観客の大半がギョッとして身を引いた。この日のクァルは、いつもの正装用の制服ではなく、黒い戦闘服を着てランニング・シューズをはいている。ブランデーは三人のガンボルト人のほうを向いた。 「これから航宙大尉に障害物コースを走ってもらうわ。航宙大尉がスタートして三分したら、次はあなたたちがスタートするのよ。あなたたち三人の役割は、航宙大尉をつかまえてゴールまで連れていくこと。でも、航宙大尉はなんとかして自力でゴールインしようとするはずよ。けっして、おたがい怪我をさせないように注意してね。それ以外なら、どんな戦術を取ってもかまわないわ。なにか質問は?」  ガンボルト人の三人は首を横に振った。中隊に入隊してから、同僚の地球人がしているのを見て覚えたジェスチャーだ。 「じゃあ、オーケーね」と、ブランデー。「航宙大尉、用意ができたらスタートしてください」 「ボンサイ[#「ボンサイ」に傍点]!」ゼノビア人クァルは叫んでコースを走りだした。クァルのスタートを見届けると、ブランデーは隊員たちのほうを向いた。 「ああそうそう、この訓練のことで、もうひとつ言うのを忘れていたわ。あなたたちガンボルト人がスタートしてから三分後に、ほかの新入隊員たちがあなたたちを追うことになってるの。この隊員たちの役目は、あなたたちが航宙大尉をつかまえるのを邪魔することよ。この場合も、他人を傷つけないかぎりは何をしてもかまわないわ」  たちまち、新入隊員の顔がびっくり仰天の表情に変わった。 「曹長、それ何かの冗談じゃないですか?」と、マハトマ。「そりゃもちろん、わたしたちも精一杯、努力します。でも、ガンボルト人の実力はこの目で見てます。きっとわたしたちが最初の障害物も越えないうちに、クァルを引っ立ててゴールインしますよ」 「やりもしないうちから、あきらめないで」ブランデーはクロノメーターを見た。クァルはコースを爆走している。ホテルで中隊員に追われ、あまり愉快とはいえない追跡劇を演じたときと同じ敏捷《びんしょう》な走りだ。「あと二分でスタートよ」 「あれだけ先行してるから、ガンボルト人につかまる前にクァルはゴールインするんじゃないか」新入隊員の誰かがつぶやいた。「おれたちが勝てるとしたら、それしかない」  何人かの隊員の頭が、同意してうなずいた。  一方、そのあいだに見物の群衆はことのなりゆきに息をのみ、あわてて決着がつく前に賭けておこうとした。 「あのトカゲは稲妻みたいにすばしっこいぞ」見物人のひとりが言った。「ネコにつかまる前にゴールに着くというのが五十人もいる」 「うちの歩《ぶ》はトカゲに一対二、ネコには五分五分だよ」と、賭け屋。見物人に近づいてゆく。 「そんなはずはない。ネコに三対一でなくちゃ!」  ガンボルト人のおそるべき評判――そして〈ファット・チャンス〉のロビーでガルボがあっという間にクァルをつかまえたという噂。このふたつが効いて、賭けの一番人気はガンボルト人だった。この情勢では、クァルの賭け率はすぐに一対五から一対六になるだろう。地球人の新入隊員たちのことは、だれも本気で考えようとは思っていないようだ。 「あと一分」と、ブランデー。ガンボルト人たちは手足の筋肉を伸ばし、競走にそなえて柔軟体操をはじめた。ほかの新入隊員と同様、ガンボルト人もフル装備の雑嚢《ざつのう》を背負って走る。これが中隊の伝統で、こればかりはフールも変えるつもりがない。だが、これでまた、ガンボルト人が地球人の新入隊員よりさらに有利になることは明らかだ。ガンボルト人のネコ型の身体は、どこをとっても鍛えぬかれた地球人の一流の運動選手よりも地力《ぢりき》でまさっている。  突然、見物人のだれかがヒッと息をのんだ。 「見ろ! トカゲが止まっちまったぞ!」男は叫んでコースを指さした。  そのとおりだった。全体の距離の四分の一ほど走ったところで、障害物のないオープン・スペースに出たクァルが立ちどまった。ぺたりと地面にすわりこんでいる。 「あいつ、いったい何やってんだ?」見物人のひとりが言った。この男はゼノビア人クァルに大金を賭けている。「へばっちまったのか、それとも頭がオカシくなったのか?」 「これは八百長だ!」もうひとりの賭け手が叫んだ。「カネを返せ!」 「お客さん、むちゃ言わんでくれよ」その客の賭けを受けつけた賭け屋が言った。「カネを失いたくなかったら、最初から賭けないことだ。両賭けしたかったら、ネコに二対五で受けつけるよ」 「ガンボルト人、スタート!」ブランデーの号令が響きわたった。同時に、三人のガンボルト人は投石器からはじき出されたようにコースへ飛びだした。信じられないペースでグングン飛ばしてゆく。それでいて少しも無理している様子がない。三人の視線はぴたりとクァルに注がれていた。一方のクァルは、短い距離を走っただけのどこからも丸見えの場所で悠々《ゆうゆう》とくつろいでいる。無礼な態度とも思える。賭けをした客の何人かがコースを見て、ガンボルト人のスピード感あふれる優雅な走りに驚嘆の声をあげた。だが、何人かが札束を振りながら賭け屋に殺到してゆく。一分もたたないうち、クァルの賭け率は一対十に落ちた。賭け屋は殺到する客を必死におしとどめ、まだ負け犬のクァルに賭けようとするお人好しのカモを先に受けつけようと躍起になった。 「ようし、もういいわね」  コースのかなたへ走り去るガンボルト人を見送ると、ブランデーは腰に両手を当て、新入隊員たちと向かい合った。「みんな、よく聞いて!」ブランデーは大声でどなった。「あなたたちは、もうりっぱな宇宙軍の兵士よ。でも、それだけじゃないわ一オメガ中隊の隊員なの。ということは、ファミリー≠チてことよ。わたしたちには、わたしたちの障害物コースの走りかたがあるの。いまからそれを見せるわ」  ブランデーは、ひもで胸に下げた笛を手に取った。そしてそれを口に当て、ピーッと鋭く吹き鳴らした。観衆の中から、目立たないように平服でまざれこんでいたオメガ中隊の隊員たちがいっせいに出てきた。全員ではない――〈ファット・チャンス〉の警備の特別任務をつづけるために、一定の人数は残す必要があった。それでも、新入隊員の小隊はいっきょに十倍にふくれあがった。 「このみんなが、あなたたちのファミリーよ」と、ブランデー。「わたしたちは全員でいっしょに走るのよ――士官も、下士官も、新入隊員も、地球人も、シンシア人も、ガンボルト人も――みんな[#「みんな」に傍点]よ! さあ、これからわたしたちの走りかたを見せてやろうじゃない!」  ガンボルト人のスタートから三分が経過したかどうか、だれも問題にしなかった。観客たちがポカンと口を開《あ》け、目を丸くしている間に、オメガ中隊はフールとブランデーを先頭に、なだれをうって飛びだした。新入隊員も、たちまちその波にのみこまれた。前方では、ガンボルト人が航宙大尉クァルにあと数十メートルと迫った。ところが、ふたたび立ちあがったクァルはここへきて俄然《がぜん》すばしっこさと機動力を発揮しはじめた。カジノでオメガ中隊の半分に追いかけられながら逃げまわったときと同じだ。デュークスは全速力で獲物《えもの》に突進しようと決めていた。いよいよ獲物に急接近してつかまえようとした瞬間、トカゲ型エイリアンのクァルは左へ動くと見せかけて、サッと右へ横滑りし、ヒョイともぐってデュークスの両手の下をすり抜けた。この機転でクァルはいっとき難をのがれ、まっさかさまに飛びこんでいったデュークスは、宙返りしてすぐに体勢を立てなおした。  クァルには次の作戦を考えている余裕はなかった。息つく暇もなく、ルーブがクァルに迫ってきた。クァルはいきなり猛ダッシュしてルーブから逃げだした。ところがその先には体勢を立てなおしたばかりのデュークスがいた。デュークスは待ってましたとばかり、クァルをつかまえようと両腕を広げた。  だが、ガンボルト人のふたりがクァルを追いつめたかに見えたその瞬間、クァルがまた突然、方向転換した。全速力でクァルを迫ってきたルーブは急停止できない。勢いあまってルーブはまともにデュークスと衝突し、二人のガンボルト人はもつれ合って倒れ、目をまわしてその場に伸びた。そのすさにクァルは全速力で逃げた。こうなったらあとは、ほかのふたりから数歩だけ遅れて走っていたガルボしかいない。ガンボルト人の中で、まだ立っているのはこのガルボだけだ。ガルボは急いで方向転換し、クァルの尻尾の先に二メートルのワイヤでつながれたようにピタリとクァルを追走した。  それまでクァルはジグザグのコースを走り、数歩ごとにめまぐるしく方向を変えていた。だが、ここへきてクァルは考えを変えたのか、障害物コースのスタート地点に向かってまっしぐらに逆走しはじめた。ガルボもピッタリとついてゆく。だが、その距離はまったく縮まらない。ガルボから数メートル遅れて、デュークスとルーブもようやく立ちあがって追跡を再開した。やがてクァルの前方に、しだいにスピードを上げながら走ってくるオメガ中隊員たちが見えてきた。  観客たちは熱狂した。コース全体を見おろす丘の上からは、すべての動きが手にとるように見える。賭け屋は、ガンボルト人がクァルをつかまえるほうに賭ける補助の賭けを受けつけはじめた。一番人気はガルボだが、デュークスやルーブに賭ける客もいる。クァルのすばしっこさも見ものではあったが、クァルが三人のガンボルト人から逃げおおせるほうに賭けるのは、あきらめの悪い大穴ねらいの客だけだ。  事実、クァルは自分でしかけた罠《わな》に自分からはまっていくように見えた。クァルの前方にそそり立つような高い壁がそびえている。小さなトカゲにとってはおそるべき障害だ。ガンボルト人の場合よりはるかに厳しい。コースに出るときはクァルもなんとかこの壁をよじ登ってきたが、スピードも落とさずにスイスイ飛び越えたガンボルト人とは比較にならない。獲物《えもの》が窮地に追いこまれたのを悟って、デュークスとルーブはそれぞれクァルの両側にまわって逃げ道をふさいだ。ついに自分の負けを認めたのか、クァルは壁の三メートルほど手前で立ちどまると、追跡者と向かい合ってニッと笑った。その瞬間、クァルの背後の壁が倒れた。壁の向こう側に、オメガ中隊の全員が待っていた――全部で百人以上はいるだろう。中隊の先頭はフールだ。フールは前方を指さして叫んだ。 「ゴールを目指せ! 全員いっしょだ!」  オメガ中隊は、津波が押しよせるように前進した。クァルとガンボルト人たちのいる場所までくると、隊員たちはガンボルト人とクァルを抱えあげ、仲間の肩に乗せていっしょに走った。だれもがまるでグラヴボールでチャンピオンになったかのように、大声で歓声をあげてはしゃいだ。一行の通り道には障害物があるが、そんなことは問題にならなかった。オメガ中隊はそのままスピードを落とさず、ゴールまで走りつづけた。オメガ中隊が通ったあとの障害物コースは、パンケーキのようにぺちゃんこに踏みならされていた。 [#挿絵195  〈"img\APAHM_195.jpg"〉] 「いったいあそこであったのは何だったのか、いまでもよくわからないわ」ジェニー・ヒギンズは椅子に背をもたれ、頭のうしろで両手を組んだ。「ガンボルト人がゼノビア人を追いかけまわし、中隊のみんながワーツと押しかけたと思ったら、四人をさらってそのままゴールイン――なんにも決着がつかなかったんですもの。賭け屋はガンボルト人が負けたんだって言い張ったけど、結局あそこで賭けた人たちは、全部の賭けをご破算にさせてしまったわ。いったい何がねらいだったんですか?」  フールはにっこりした。ジェニーのような素敵な女性がテーブルの向かいにすわっているのだから、にっこりするのは当然だ。 「あれには中隊のために掲《かか》げた目標が二つあったが、二つとも達成できたと思う」と、フール。「ほかにも達成したい長期の目標が二点あったが、こちらの結果はまだ出ていない」 「それはどういうことか、教えてくださる? それとも、ここにすわって自分で考えないといけないのかしら?」と、ジェニー。からかう口調だ。  フールは肩をすくめた。 「べつに、秘密にするほどのことじゃない。第一のねらいは、新入隊員に中隊の一員としての自覚を持たせることだ――ファミリーの、と言ったはうがいいかもしれない。じつは、この障害物コースを走らせる第一の目的がそれなんだ。ぼくたちは個人個人ではなく、中隊として障害物コースを走る。ひとりでは達成できないことでも、全員が一つになってやればできることを隊員たちに教えるためだ」 「ええ、それはハッキリしてたわ」と、ジェニー。「わたしが知るかぎり、その強い団結心があなたの中隊の特徴ですもの。でもそれだけでは、どうしてゼノビア人を先に走らせたのかも、ガンボルト人に追わせたのかも説明がつかないわ」 「クァル航宙大尉は、われわれの仲間に加わったときに出足をしくじった。隊員たちにスパイを働いているかのような印象を与えてしまった。ところが数日前の夜、隊員のひとりが暴漢に襲われたところをクァルが救って、クァルの誤ったイメージはかなり払拭《ふっしょく》された。でもぼくは、クァルも仲間だという隊員の意識をもっと確実なものにしたかった。さいわい、ぼくが提供した役――ガンボルト人に追われるウサギの役――をクァルがすすんで演じてくれたんで助かったよ」 「すすんで?」ジェニーは笑った。「それどころか、わたしにはクァルが心から楽しんでるように見えたわ。ともかく、ゼノビア人の表情がわたしに読めるかぎりではね」 「うん、ぼくもそう思う。クァルには変わったユーモアのセンスがあるが、追われることに一種のスリルを感じるようだ。おそらく、クァルの住む世界では自分たちが狩りをする側だから、かわりに獲物の役を演じるのが楽しいんじゃないかな」 「そう……それで納得できたわ。でも、どうして中隊の全員じゃなくて、ガンボルト人にクァルを追わせたの?」 「二つ理由がある」フールは身を乗りだし、声を落として話した。「じつは、ここからの話はあんまりおおっぴらにしたくないことなんだ――といっても、察しのいい人間にはおおよそ想像がつくだろうが」 「中隊の評判を傷つけるようなことは絶対に書かないわ。そのことは、あなたもよくご存じのはずよ」 「ぼくも、きみにはずいぶん助けてもらったと思ってる」と、フール。「ともかく、ガンボルト人が銀河一の戦士として評判が高いことは、きみも知ってると思う。ガンボルト人はこれまで、ガンボルト人だけの精鋭部隊にしか入隊しなかった。そのガンボルト人がこの中隊に入隊を志願したことは、それだけで非常に名誉なことだった」 「それは想像がつくわ」そう言ったあとで、ジェニーはフールの表情に気づいた。「でも、それにはマイナス面もあったということね」 「図星だ」と、フール。「ガンボルト人がほかの新入隊員より優秀なことがあまりにも一目瞭然《いちもくりょうぜん》だったんで、ほかの新入隊員がやる気をなくしてしまった。ぼくはその対策をとる必要に迫られた。クァル航宙大尉をガンボルト人に追わせれば、ガンボルト人は優秀さを誇示できる――これは重要なことだ。ガンボルト人にも達成感を持たせることが必要だからね」 「でも、すぐにはクァルをつかまえられなかったから、自慢の鼻も少しへこんだでしょうね」  フールはうなずいた。 「ガンボルト人たちは、チームとして行動するまでクァルを追いつめられなかった――まさに、ぼくが望んだとおりの展開だった。ガンボルト人は一匹狼で、単独で行動しがちだ。このガンボルト人に、チームの一員としての自覚を持たせることも重要なポイントだった。ここは、ぼくの賭けだった。それまでクァルが逃げていられるかどうかが鍵だったからね」 「そして、ガンボルト人がクァルを追いつめた瞬間、中隊が押しよせて四人をさらっていった……」ジェニーは顎《あご》に人差し指をあてた。 「そのとおりだ」フールは思わず手のひらに拳《こぶし》を打ちつけた。「ぼくはガンボルト人がクァルを追いつめるのに成功した瞬間に、中隊がガンボルト人に追いつくという形に持っていきたいと思っていた。その達成感を、中隊の一員という自覚につなげてはしかったんだ。そのタイミングが微妙なところだったが、クァルはみごとにやってくれた。きみだから言うが、うまくいって正直ほっとしたよ。隊員たちがガンボルト人やクァルを抱《かか》えあげ、仲間として迎え入れたとき、全員が一つになった。ぼくは隊員たちに、競争する個人としての意識を捨てて、ファミリーの一員になることを教えたかった。おたがいの能力に誇りを持つことを教えたかったんだ。これで、その基礎ができたと思う」 「そう願いたいものね」と、ジェニー。「きょうの結果を見て思ったんだけど、あの中隊がわたしたちの側でよかったわ。あんなに優秀な人たちを敵に回したくないもの」 「ジェニー、きみはぼくたちの親友だよ」フールは、ますますにこやかに微笑《ほほえ》んだ。もし、このジェニーの反応が観衆の典型的な反応だとしたら、この日の訓練は、フールが口には出さない最終的な目標も達成した可能性が高い。あとは、きょうの訓練を見てほしい人物が見ていたことを祈るだけだ……。 [#改ページ]       9  士官食堂から通信センターへゆくには、ホテルの舞踏室のある棟を通り抜けるのがいちばんの近道だ。フールとアームストロング中尉は打合せを兼ねていっしょに朝食をすませたあと、それぞれのオフィスへ向かおうと大舞踏室を通った。.大舞踏室では、ゼノビア人のクァル航宙大尉がワニのような口を開《あ》けてニヤニヤしながら、新入隊員たちに準備運動をさせていた。これから、武器を持たない戦闘訓練に入るらしい。一連の挙手跳躍運動を、次々とリズムを変えて行なっている。リズムの順番が変わってメチャクチャになると、ブランデーでさえ笑い声をあげて脱落した。新入隊員たちは、最初のころよりも熱心に見えた。  フールはこの光景を見て微笑した。 「どうやら、クァル航宙大尉がスパイだという噂は消えたらしいな」 「はい、中隊長」と、アームストロング。フールと並んで大股《おおまた》に足を進めている。「訓練の中で、クァル航宙大尉をガンボルト人に追いかけさせたのは、まさに天才的なアイデアでした。クァル大尉の敗色が濃厚になるのが当然ですから、新入りたちはクァル大尉を応援します。これでかなり隊員間の溝《みぞ》が埋《う》まりました」 「そうだな。まだまだ一件落着とはいかないが」と、フール。「しかし、クァル大尉がギアーズを救ったのは実に幸運だった。ギアーズを知ってるな? 配車センターにいる…‥街で強盗に襲われた男だ。ギアーズの命が助かったのは、おそらく大尉がスタンガンを使ったおかげだろう」 「はい、非常に幸運でした」、アームストロング。「腰を据えて計画を立てたって、あんなにうまく評判があがるもんじゃありません」  フールは不意に足を止めてアームストロングの顔を見た。 「フーム……正直に答えてくれ、アームストロング。きみはあの救出劇が、見た目どおりのものかどうかと疑ってるな?」  アームストロングはポカンと口を開《あ》けた。 「まさか、そんなことは……。いや、確かに、やろうと思えばできますね。まわりくどい方法ですが、クァル大尉が自分で筋書きを考えることも可能だと思います。しかし、あの強盗たちが筋書きを知った上で雇われたのか、だまされて片棒をかついだのかは知りませんが、どっちにしても、今後あの犯人たちの口をふさぐのは難しくなります。クァル大尉に、あの連中を口止めできるとは思えません」 「ローレライの保安当局へ出向いて、強盗たちが刑務所へ送られる前に詳しい尋問を受けたかどうか、確認してくれ。おそらく、ケチな追いはぎ[#「追いはぎ」に傍点]がまずい相手を襲っただけだろうと思う。だが、もしもクァル大尉が現場に居合わせて救援を要請したことに不自然な点があるなら、できるだけ早めに知っておきたい」 「了解」と、アームストロング。うかない顔だ。「最近はずっとこんな調子ですね。何か問題が解決したと思うとすぐ、これまでは考えてもみなかった別の側面が現われます」 「残念ながら、そのようだな、中尉」  フールは同感してうなずいた。アームストロングはいつも問題を単純な形で捉え、きれいに解決したがる。フール自身も、現実は決して白黒をつけられるものではないと知るまでに、かなり時間がかかった。運が向けば、アームストロングも、指令を下《くだ》す立場になるまでには、フールのように考えられるようになるだろう。現実の世界にある灰色の部分なんか、おれの人生には関係ない≠ニ思って生きるのと、その姿勢にこだわって部下たちの生命と安全を危険にさらすのとは、別物だ。アームストロングは現実の複雑さを学ぶのに手間取るかもしれないが、まだまだ捨てたものではない。  二人がドアを通って通信センターへ入ると、マザーが恐怖の目を向け、パッとコンソールの陰《かげ》に隠れた。 「おはよう、マザー」と、フール。マザーの返事は、いつものように聞き取れない小声だ。フールはため息をついて、そのまま自分のオフィスへ入った。そしらぬ顔で仕事をつづけていればいい。そうすればマザーもいつか、面と向かって他人と接するときでも、急に殻《から》に閉じこもったりはしなくなる――フールはそう期待した。このやり方がきくかどうか……自信はないが。  フールが自分のオフィスに入ると、デスクトップ通信器のランプが点滅していた。通信が入っている印《しるし》だ。フールは通信器のヘッドセットを取りあげた。 「はい。マザーか?」 「いとしの中隊長さん、お気づきじゃないようですので、お知らせします」マザーの快活な声が飛び出した。少し前にまともにフールの顔も見られなかったにしては、大胆な口調だ。 「面会希望者が数人きました。理由は、わたしにはわかりません。まだ、あのうるさい星際税務局《IRS》の税務調査官たちを相手になさる気にはなれないでしょうね」 「まだ無理だ、マザー」と、フール。「なんと言って、あの二人を追い払ってくれたんだい?」 「中隊長は午前中はスケジュールがいっぱいですので、のちほど改めてご予約をお願いいたします。たとえば十年後などはいかがでしょう?≠ニ申しました。これは本心です、いとしい人。新しい任務のための中隊再編成のお時間も、あまり残っていません」 「そっちはなんとかなる」と、フール。「運がよければ、税務調査官との話し合いは、われわれがこのステーションを出たあとまで延期できる。それだけ時間があれば、ぼくの税金問題はビーカーがなんとか処理してくれるはずだ。今日は、ほかにどんな予定が入っている?」 「もう一つ、民間人のグループがぜひお会いしたいとせがんでいます。全部で三人のグループで、チャーム・スクールの落第生みたいな格好と振舞《ふるまい》をしてます。三人の名前を知りたいですか?」 「三人――と言ったか?」と、フール。急に興味をかき立てられた。「ぜひ、名前を聞きたい」 「了解、いとしい人」マザーが面会希望者の名前を聞き出すあいだ、通信はとぎれた。「|石割り《ストーンカッター》<Wョンソン、ナイフ≠フジョー、|隕 石《アステロイド》≠フアニーだそうです。〈レネゲイズ・ホバーサイクル・クラブ〉の代表だと言っています。追い返しましょうか?」  フールは椅子の中で背筋を伸ばした。 「いや、ぜひとも中へ通してくれ」と、フール。うって変わってキビキビとした口調だ。「だが、先に補給室へ回線をつないでくれないか? この中隊の大問題をもう一つ片づけるときがきたようだ」 「軍曹、それじゃレネゲイズ団のやつらが現われたら、おれたちは何をすればいいんで?」と、ダブル・|]《クロス》。釘づけされた板の隙間《すきま》から外をうかがった。ホテルの補給室を改装したものがオメガ中隊の補給室だが、ここをチョコレート・ハリーが板で囲って立てこもっている。外の風景に異常はない。 「四の五の言わせず、吹っ飛ばすんだ」シンシア人ルーイの声が翻訳器から流れ出た。声の主《ぬし》は今にも決戦が始まると言わんばかりに、自動ショットガンを振りまわしている。 「口で言うのは簡単さ」と、チョコレート・ハリー。「問題は、第一陣を吹っ飛ばしただけじゃ終わらないってことだ。あとから次々とくる――何回もな。あいつらはケリがつくまでてこずった[#「てこずった」に傍点]だけでも、執念深く恨《うら》みつづけるんだ」 「ああ、わかりますよ」と、ダブル・|X《クロス》。「おれが育ったクランボでも、いつもスランビーンズ団とラッツァーズ団がいがみ合ってました。中には荒っぽいやつがいて、岩石放電《クラッグボルト》トラックのヘッドライトをかっぱらっては、朝飯前だと言わんばかりに笑い飛ばしてましたよ」 「おれだって、そんな機会があれば尻込《しりご》みはしないさ」チョコレート・ハリーは鼻であしらった。記憶するかぎりでは、自分は岩石放電《クラッグボルト》トラックが走る惑星にいたことはない――その確信があればこそ、大きなことも言える。「名声を手放したくなけりゃ、戦いのえり好みはできないよ」 「そうすね、軍曹」と、ダブル・|]《クロス》。分別のある宇宙軍隊員らしい返事だ。目の前にいない敵――地球人だろうと異星人だろうと怪物だろうと――よりも、直接の上官である軍曹のほうが怖い。 「誰かくる」と、ルーイ。ささやき声だ――細かいニュアンスまでは伝わらない翻訳器を通して聞こえてきた。チョコレート・ハリーは身を乗り出し、保安カメラのモニター画面を見た。補給室に近づく者がいれば必ず映る。 「あわてることはない。中隊長だ」と、ハリー。言葉を切り、ちょっと間を置いてからつづけた。「いや、中隊長みたいに見える[#「見える」に傍点]けど……」 「おれが調べてきましょうか?」ダブル・|]《クロス》がマイクを取りあげた。 「いいや、おれが中隊長専用の周波数で呼びかけてみる」と、チョコレート・ハリー。「レネゲイズ団は誰かを中隊長に化けさせるかもしれないが、通信システム全体を手に入れるのは無理だ。どっちみち、レネゲイズ団はそんなやりかたはしない――あいつらなら、まっすぐドアまでやってきて、おれを呼び出す」  チョコレート・ハリーが腕輪通信器のスイッチを入れようとしたとき、スピーカーから紛れもないフールの声が流れた。 「ハリー、そこにいるのか? 話がある」 「ここにいます、中隊長」と、チョコレート・ハリー。「中へ入ってきてください――撃ちゃしません」 「ああ、きみがぼくを撃つとは思ってない」と、フールの声。「だが、ぼくが連れてきた人たちを撃とうとするかもしれないし、暴発もある」 「どういう意味ですか、中隊長?」と、ハリー。モニターでフールの隣に立つ人間たちを見ると、ハリーの声は一オクターブ跳《は》ねあがった。「あぶない、中隊長! そいつらはレネゲイズ団です!」  フールの落ち着き払った声が聞こえた。 「ハリー、この人たちは何もしないと約束してくれた。きっと、きみと話し合ったほうがいいと思ったんだろう。われわれを中へ入れて、話し合いに応じてくれないか?」  しばらくチョコレート・ハリーは何も答えなかった。顔は無表情だが、頭はフル回転している。ようやく考えがまとまった。 「中隊長、その連中が何もしないと、保証してくれますか? 連中が武器を持ちこまないと、中隊長が保証してくれますか?」 「保証するとも。この三人は丸腰だ。入れてくれるか?」 「わかりました。おい、ダブル・|X《クロス》、中隊長とレネゲイズ団のやつらを中へ入れろ。やつらに変な真似《まね》はさせるな。だが、向こうが先にしかけてこないかぎり、こっちからは撃つなよ。わかったか?」 「了解、軍曹」ダブル・|]《クロス》はドアのかんぬきをはずした。補給室の外からフールとレネゲイズ団の三人がバリケードのあいだを縫って近づき、オフィスのドアから入ってきた。中に入るとレネゲイズ団の三人は足を止め、チョコレート・ハリーに目を据えた。補給担当軍曹ハリーは握りしめた両手を腰に当てて立ちすくんだ。フールは、ハリーのそばに近づいた。 「楽にしろ、ハリー」と、フール。小声だ。「きみの問題を解決しよう」 「おれはこいつらを知ってます」と、チョコレート・ハリー。三人から目を離さない。 「ストーンカッター″ジョンソンだな? それに、昔からの相棒のナイフ≠フジョーとアステロイド≠フアニーだ。こんな所で[#「こんな所で」に傍点]おまえたちのいやらしい[#「いやらしい」に傍点]面《つら》に出くわそうとは思わなかったぜ」 「悪くねえ道具立てだ、ハリー」と、図体《ずうたい》の大きなストーンカッター<Wョンソン。チョコレート・ハリーに向かってうなずいた。「喧嘩《けんか》を始めるんなら、自分の身の守りかたくらいは心得ておかなきゃならん」 「宇宙軍は戦いかたを知ってる」と、フール。静かな口調だ。「あの教練はほんの一例にすぎない」 「なるほど、迫力ある見ものだった」と、ストーンカッター・ジョンソン。憎々しげにうなずいた。「あのネコどもが、おまえを守ってくれるってわけだ。おまえの味方はほかにもいる。おまえにチョッカイを出すやつは、ちょっと考えるだろうな」 「そうとも」と、ハリー。「おまえだって考えたほうがいいぜ、ストーンカッター。考えなおしたって、誰の損にもならねえ。そうだろ?」 「おい、ハリー。おれたちはとっく[#「とっく」に傍点]に考えたんだよ」と、ストーンカッター。「おまえがこのステーションにいると聞いて、どうしたらいいか、クラブは投票で行動を決めた。新入りの連中の中には、もう何年もたってるから、おまえを追っかけるのは無意味だと言うやつもいた。だが、おれたち古株は、おまえがおれたちのホバーサイクルに何をしたかを忘れられなくてな。何年たとうが、復讐する」 「ほかの連中が死に絶えておれたち二人しかいなくなったとしても、問題じゃねえ」と、ナイフ≠フジョー。険悪な顔で、振動ナイフの鞘《さや》の辺《あた》りをモゾモゾと探《さぐ》った。だが鞘の中身がないことを思い出し、悪態をついて手のひらに拳《こぶし》をたたきつけた。ジョーの背後で、シンシア人のルーイがショットガンを握りしめた。 「いったい、どういうわけだ、これは?」と、チョコレート・ハリー。フールを振り返った。 「中隊長、こいつらは話し合いにきたはずじゃないんですか!」 「話し合ってるじゃないの」と、アステロイド≠フアニー。ニヤリと笑ってみせたが、歯の欠けた隙間《すきま》が目立つ口もとに温かみはない。「お行儀よく話し合うわよ」 「みんな、落ち着け」と、フール。「ぼくはきみたちに、今さら仲よくなってくれとは言わない。だが、問題そのものはなんとか解決できるはずだ。きみたちレネゲイズ団はチョコレート・ハリーに復讐すると言った。きっと、それなりの理由があるんだと思う。過去に何か事件があったことは、ハリーも否定しないだろう」 「まったくクソみたいにこきたない[#「こきたない」に傍点]事件だったぜ」ストーンカッター<Wョンソンがどなった。「否定するとしたら、ハリーはとんでもねえ嘘つき野郎だ」 「できれば、汚《きたな》い言葉は使わずに話してもらいたい」と、フール。声が急に冷ややかになった。「きみにどんな正当な言い分があっても、そんな言葉はなんの役にも立たない。われわれがここへきたのは、喧嘩《けんか》を終わらせる方法を捜すためだ。いがみ合いが終わらなければ、宇宙軍の任務に支障が出る」 「終わらせるのは、何も難しいことじゃないわよ」と、アステロイド≠フアニー。あざける口調だ。「わたしたち三人とこのデブを放《ほう》っといて、五分だけ邪魔しないでくれれば、あっという間《ま》に片がつくわ」 「ハリーの取った方法は、きみたちには意外だったかもしれない」と、フール。穏やかな口調だ。「だが、これではわれわれがめざす解決の方向からそれてしまう。宇宙軍は、自分の面倒は自分で見る。ぼくの指揮下の軍曹を攻撃すれば、きみたちは中隊全部を敵にまわすことになるぞ。相手はハリーだけじゃなくなる。ぼくの指揮下にある全隊員が相手だ」 ストーンカッター<Wョンソンはアステロイド≠フアニーの肩に手を置いた。 「そういうことだ、アニー。さっきも中隊長が言っただろ。おれはこの中隊長の言葉を信じる。おれたちだって、仲間の誰かが追われてりゃ同じことをするだろう――少なくとも、昔はそうだった。小生意気なガキどもが入ってきて、ライダーの伝統がくたばっちまう前はな」 「アーメン――つてとこだな、ストーニー。今は昔とは違う」と、ナイフ≠フジョー。過ぎた時代を懐かしむような表情で付け加えた。「この前おれが他人の耳を切り落としてから、もう五、六年はたつ」まばらな顎髭《あごひげ》をかきむしり、ものほしげにチョコレート・ハリーを見つめている。 「中隊長!」と、ハリー。悲鳴に近い声だ。「このまま、こいつらにおれを脅《おど》させておくつもりですか?」 「クソくらえだ!」翻訳器からルーイの声が飛び出し、小柄なシンシア人はショットガンを振りかざした。「こんなやつらは吹っ飛ばしてやる!」 「脅してるのはどっちだ?」と、ストーンカッター<Wョンソン。顔をゆがめている。 「中隊長、あんたがおれたちを罠《わな》にかけたとは思わねえが、こいつがあんたのやりかたなら、こっちも相手になってやるぜ」  ストーンカッター・ジョンソンが武道の防御姿勢を取ると、ほかの二人も身がまえた。 「みんな、落ち着け」フールがどなった。「ルーイ、武器をおろせ。誓って言うが、この人たちは丸腰だ。こっちも武器を捨てて話し合うんだ。さて、ハリー、ぼくが聞いたところでは、この人たちがきみに腹を立てているのは、きみがこの人たちのホバーサイクルにいたずら[#「いたずら」に傍点]したせいらしい」 「それは……」ハリーは口ごもった。 「いたずらなんてもんじゃないわよ」アステロイド≠フアニーが叫んだ。「ホバー回路の配線を逆につないだのよ。おかげで、走らせたとたんにホーグがひっくり返ったわ」 「それに、サドルにスピード接着剤を塗りたくりやがった。おれたちは、ジーンズをぬがなきゃホーグから降りられなくなった」と、ナイフ≠フジョー。拳《こぶし》を振りまわした。 「おまけに、反応タンクにヘリウムを入れやがった。集合コンバーターが黒焦げになった」と、ストーンカッター。「他人のホーグにそんなことをするやつは、誰だろうと……その、ライダーには向かねえんだ。そういうやつは……本物のライダーには……なれねえ」 「今の話は本当か、ハリー?」と、フール。チョコレート・ハリーを振り返った。 「そのう、中隊長、そりゃ確かに、そんなような……」  ハリーは口ごもりながら言いはじめた。 「説明はあとでいい、ハリー。今ぼくが知りたいことは、一つだけだ――この人たちの話は本当か?」  チョコレート・ハリーは精いっぱい背筋を伸ばして敬礼した。 「本当であります、中隊長!」 「よし、知りたかったのはそこだ」と、フール。「楽にしていい、軍曹。ぼくは、宇宙軍は自分の面倒は自分で見る≠ニ言った。本気だ。だが、この人たちには、きみに償《つぐな》いをさせる権利がある。きちんと償われたかどうか、ぼくが確認する。ここに立てこもるのをやめて仕事に戻るには、それしか道はないぞ」 「で、おれはどういう罰を受けるんですか?」と、チョコレート・ハリー。フールとレネゲイズ団とを交互に用心深く見た。 「何も」と、フール。抗議しかけたほかの者たちを、片手をあげて制した。「ハリー本人に対しては、何もしない。ここは、古い格言に従《したが》おう――目には目を、歯には歯を≠セ。軍曹、きみのホバーサイクルはどこにある?」 「中隊長!」ハリーは殴《なぐ》られた雄ウシのように床に膝《ひざ》をついた。「中隊長、それだけは勘弁《かんべん》してください。耳を切り落とされたほうがまし[#「まし」に傍点]です! なまくら[#「なまくら」に傍点]の針で全身にペイズリー模様の刺青《いれずみ》を入れられてもいい! エアロックから宇宙へ放り出されたほうがいい! 中隊長、おれのホーグを渡すのだけは勘弁してください!」 「こいつの耳を切り落とすのも、おもしろいだろうな」と、ナイフ≠フジョー。邪悪な笑いを浮かべている。 アステロイド≠フアニーの目も光った。 「いいとも、さあ、切り落とせ」ハリーが泣き声でわめいた。「両耳とも切り落とすがいい。おれをノコギリで丸坊主にして、煮立った中華マスタードの中に放りこむがいい。だが、おれのホーグには手を出すな!」 「ホバーサイクルはどこだ?」と、フール。「早く答えろ、ハリー。ホバーサイクルを渡さなければ、おまえの階級を剥奪《はくだつ》する」 「けっこうです。おれを二等兵にしてください、中隊長」と、ハリー。ひざまずいたままだ。「いちばん下っぱまで落としてください。営倉にぶちこんで、鍵をブラックホールに放りこんでください。食事は砂糖とコーヒーだけでいい。文句は言いません、中隊長。ほんとです、ひとことも言いません。だから、おれのホーグを渡すのだけはやめてください」 「なあ、中隊長さんよ」と、ストーンカッター。フールに近づいた。「このハリーをあんたがどうしようと、おれたちはかまわん。こいつに壊されたのは、おれたちのホーグだ。やつのホーグさえ渡してくれりゃ、あとはどうなろうと、おれたちの知ったことじゃない」 「そうか」と、フール。「約束してくれるか? きみたちにホバーサイクルを渡せば、ハリーに対する恨《うら》みは忘れてくれるんだな?」 「ホーグさえもらえりゃ、こっちはそれを好きなように料理するまでさ」と、ストーンカッター。横目でフールを見た。「もらえば、それで終わりだ。このストーンカッター<Wョンソンが言うんだから、レネゲイズ団のメンバーで逆らうやつはいない。そうだな?」仲間の二人を振り返った。 「そのとおりよ」アステロイド≠フアニーがニタリと笑顔を見せた。 ナイフ≠フジョーもうなずいた。 「よし、これで決まった」と、フール。「ハリー……ホーグを出せ」  取り乱してすすり泣きながら、チョコレート・ハリーはオフィスの奥のドアを指さした。フールが大股《おおまた》に歩み寄ってドアを開《あ》けると、ピカピカのホバーサイクルが現われた。どんなライダーでもよだれをたらしそうな、豪勢なホーグだ。レネゲイズ団の三人も、いっせいに息を呑んだ。 「これはきみたちのものだ」と、フール。「持っていくがいい。だが、約束は守ってもらうぞ。宇宙軍は、約束を破る相手には容赦《ようしゃ》しない」 「心配はいらんよ」と、ストーンカッター<Wョンソン。「予想以上のものをもらった。チョコレート・ハリー、これで喧嘩はやめ[#「やめ」に傍点]だ。これから先、おまえはおれたちから逃げる必要はない」 「感謝するよ」と、ハリー。苦々《にがにが》しげな口調だ。「耳を切り落とされたはうが、まだましだ。いつまでもそこに突っ立って、見せつけるな――ホーグを持って、行っちまえ」 「よしきた。二度は言わさねえ」と、ストーンカッター。仲間に合図すると、三人はそろってニヤニヤ笑いながら、ホバーサイクルを補給室の外へ押し出した。ドアが閉まった。  しばらくは誰も何も言わずに、閉まったドアを見つめた。やがて、ハリーが声をひそめて一言った。 「やれやれ、中隊長……、うまくいったようですね!」 「もちろんだ」と、フール。「あの三人に関するかぎり、復讐は終わった。三人は、きみが命よりも大事にしているたった一つの物を手に入れたと思ってる。ついでに言うが、見事な演技だったぞ、軍曹」 「ありがとうございます。通信器で連絡を受けてから、この手で行くしかないと思ってました。あいつらがおれの大事なホーグを持っていったときは、ほんとにちょっと吐き気がしましたよ。このステーションじゃホーグが使えないことはわかってますが、あれはおれの古馴染《ふるなじ》みですからね。いろんな思い出があるんです」 「まあまあ、代わりを手に入れてやるから。ぼくが約束を破らないことは知ってるだろう。きみが自分で型を選べばいい――あの三人が自分の惑星へ帰ったら、すぐにな」フールはチョコレート・ハリーの背をたたいた。 「いい話ですねえ、中隊長」と、ハリー。笑顔だ。やがてその顔は、何かを懐かしむ表情に変わった。「ほんとは、そんなに急いで手に入れる必要はないんです。ここじゃ乗るチャンスもないし、使わないでほっとくのはホーグにもよくありません。そのうち中隊がまた、どこかの惑星に行くでしょう。そのときに、エンジンをかけて走らせればいいんです。新しいホーグを手に入れるのは、そのときまでお預けにしますよ」 「なるほど」と、フール。「だが、古いホーグをなくしたのは気の毒だったな。あの三人は、ほんとにきみのホーグを壊すだろうか?」 「あいつらだって、そこまで頭にきちゃいませんよ」と、ハリー。「それより、あれをトロフィーみたいに持って帰って見せびらかすでしょうな。何か印《しるし》くらいはつけるかもしれないが、本物のライダーはホーグを壊したりはしないもんです。賭けてもいいですが、まめに手入れをして、ときどき乗りまわしますよ。そうやって、おれに対する復讐が成功したことを見せびらかすんです」 「きみは、復讐が成功したと思うか?」と、フール。一瞬、ハリーは考えこんだ。 「まあ、そうでしょうな――向こうの立場から見れば。でも、おれのほうも、欲しいものを手に入れました。二度と手に入らないと思ってましたがね」 「何を手に入れたんすか?」と、ダブル・|X《クロス》。窓に打ちつけた板をはがしはじめている。ハリーは至福の笑みを浮かべた。 「心の平安だよ、相棒。心の平安てやつさ。銀河じゅう探《さが》しても、これにかなうものはないね」  テーブルの上座《かみざ》についたフールは、会議室の中を見まわした。民間人ばかりの集団を相手に話すのは、初めてだ。〈ファット・チャンス〉――ホテルとカジノ――の支配人やマネージャー、各部門のチーフたちが顔を並べている。フールは自分に言い聞かせた――部下の中隊員たちを相手にするときのように、こっちの命令に無条件で服従してくれると思ってはいけない。今度こそ、こっちの言うことが正しいと納得してもらわなければならない。  同時に、〈ファット・チャンス〉の大株主であるオメガ中隊の代表として、フールはそれなりの権威を持って、この会議に臨《のぞ》んだ。この権威には落とし穴もある。フールの計画に大きな欠点があっても、誰も指摘しないかもしれないということだ。ボスのまちがいを指摘するには度胸がいるからだ。まあ、これは最初にオメガ中隊の指揮を任《まか》されたときにも直面した問題だ。次の任地で仕事をするあいだ、優秀な人材をローレライに残しておけばいい。きっとこっちの計算ミスを見つけて、手に負えなくなる前に修正してくれるだろう。 「皆さんお集まりですね。では、始めましょう」フールの声に、ざわめきが静まった。「もうニュースをご存じだと思いますが、ぼくの中隊は別の任務につくことになりました。つまり、オメガ中隊はもうカジノの警備ができなくなります」 「それは聞いています。まったく、とんでもない災難だとしか言いようがありません」と、ガンサー・ラファエル。〈ファット・チャンス〉の元オーナーだ。フールはこの若者をこのまま名目上の支配人に据え、中隊が立ち去ったあとの当面の経営責任者にするつもりだ。 「あなたの中隊がいなければ、マフィアが堂々と入ってきて、銃を突きつけてカジノを乗っ取るでしょう。率直に言いますが、あなたがたを乗せた船がローレライを離れると同時に、マフィアが姿を現わすはずです」 「マフィアは、好き勝手なことができないようにしてあります」と、フール。ラファエルへ顔を向けた――大丈夫だろうか? この元《もと》オーナーを過大評価したのでなければいいが。 「この近くに姿を現わすほど大胆な真似《まね》はできないでしょう。あなたたちを無防備なまま放り出して立ち去るつもりはありません」 「ごもっともですが」と、ラファエル。「宇宙軍がこのカジノを警備していることは、誰でも知っています。この評判があるうちは、ぼくたちは安全でしょう。でも、あなたがたがいなくなったら、赤ん坊の一隊が銀行の金庫を警備するに等しい格好になります」 「そんなことはありませんよ」と、フール。「この場のかなりの人がすでに知っているはずですが、カジノにいた〈オメガ中隊〉の大部分は、軍服を着た俳優たちです。本物の中隊員は民間人の姿で、陰で調査を行なっています。ですから、制服姿の中隊員が二、三人姿を消しても、通常の異動だと思われるでしょう。一般人の目には、中隊がまだここにいるように見えます。ぼくがローレライを離れても、警備に影響はありません」 「もちろん、ありませんとも」と、俳優のドク。この二、三カ月、ほかの俳優たちに各中隊員の仕草《しぐさ》を真似《まね》る練習をさせてきた。ドク自身は宇宙軍の制服を着て、軍曹の袖章をつけている。マスタッシュが本物のオメガ中隊とともにここを去ることを見越しての昇進≠セ。ドクは今もマスタッシュの姿勢を真似《まね》て、テーブルの端《はし》で棒のように直立している。 「以前は、このカジノはマフィアの標的でした」と、ドク。「ギャングどもが、今度のオーナーはちょろい相手だと思っていたからです。中隊がカジノの経営にも関《かか》わってると知ってからは、連中はかなりおとなしくなりました。それに、このあいだのレースで中隊は障害物コースをメチャメチャにしましたから、宇宙軍の制服姿を二、三人チラつかせるだけで、ならず者は寄りつかなくなるでしょう。あの噂が広まれば、いつもの荒っぽい酔っ払いより手ごわい問題が起こるとは思えません」 「酔っ払いを扱うのに、オメガ中隊はいりませんよ」と、これも俳優のレックス。カジノの余興プログラムの監督を引き受けている。「舞台の裏方を何人か使って時間外に用心棒の役をさせ、ドクのチームを援護します」 「それらしく見せかけておけば、このカジノの経営はつづけられますよ」と、カジノ支配人役のタリー・バスコム。引退したディーラーだが、フールに引っぱり出され、〈ファット・チャンス〉のギャンブルの監視役を任《まか》された。「警備上われわれに必要なものは、オメガ中隊の評判だけです」 「ほかの部門は、それぞれ有能な人物の手に任されている」と、フール。「レックスのおかげで、余興はステーション一だし……」  レックスは得意のプロらしい¥ホみを浮かべた。 「まあ、大部分はディー・ディー・ワトキンズのおかげですよ。あの娘は、ぼくがこの業界に入って以来、はじめてお目にかかるような気まぐれ芸術家ですがね」 「業界に入って以来? すると、おれなんか考えたくもないほど遠い昔の話だな」と、ドク。小声だが舞台用のささやき声なので、部屋の隅々《すみずみ》まで通る。 「だがディー・ディーは、あの厄介《やっかい》な性質を補《おぎな》ってあまりある素質の持ち主だ」と、レックス。顔をニヤリと崩すと、全員が笑い声をあげた。「長期契約にサインさせましたから、しばらくは、このままやっていけます」 「もう一つ、ぼくがいなくなってすぐに手配しなければならないことがあります」と、フール。「ぼくが長く留守にしてもマフィアが動きださないように、今まで秘密裏《ひみつり》に進めていた計画を実行に移したいのです。皆さん、この計画については、この部屋の外へ出たら一言も口にしないでください。秘密が守られなければ、この計画は失敗します。ビーカー?」 「はい、ご主人様」フールの背後の椅子に無言のまま座っていたビーカーが、立ちあがってドアを開《あ》けた。すると……フール[#「フール」に傍点]が入ってきた。 「おはようございます、皆さん」と、入ってきたフール。声まで、もとからいるフールとそっくりだ。 「なんてこった。あんたは自分のクローンを造ったんですか?」と、タリー・バスコム。ワイワイいう大騒ぎの中で、ひときわ大きく声が響いた。 「ちょっと違う」と、フール。「これはアンドロマチック社に注文して、こちらの設計どおりに造ってもらったアンドロイドです。あまりたくさんの機能はありませんが、われわれの目的にはこれで間に合います。たいていは、机の前に座らせて忙しそうな格好をさせておけばいい。しかし、このアンドロイドはカジノを歩きまわったり、座って酒を飲んだりもできます。会話も可能です――あまり複雑な内容でなければ。話が一般的な話題からそれたら、会話を切りあげるようにプログラムされています」 「大尉、まさか、お留守のあいだ、このアンドロイドにカジノを経営させるというんじゃないでしょうね?」と、ラファエル。 「いや、これ[#「これ」に傍点]には経営はできません」と、フール。「経営は、あなたと、あなたのスタッフにやってもらいます。これの仕事は、ときどき姿を見せて、ローレライの人たちに、ぼくがまだここで仕事をしていると思わせることです。本物のぼくと話す必要があるときは――そんなことは、あまりたびたび起こってほしくありませんが――通信器で連絡してください」 「しかし、中隊長、あなたはよくニュースに出るかたです」と、レックス。「新しい任地であなたの中隊がマスコミの注意を引いたら、銀河じゅうにあなたの映像入りで紹介されるでしょう。そうなれば、あなたはここから何光年も離れた場所にいることがばれて[#「ばれて」に傍点]しまいます」 「ニュース映像をそのまま信じる人間はいません」と、フール。「政治家の顔写真なんか、ストック映像の中から何度も使われてる。当たり前の話題なら問題はありません。ジェスターはしじゅうあちこちへ出向いては、こまごました仕事を片づけている≠ニいうことにしておいてください。アンドロマチック社によれば、この型のアンドロイドは政治家によく利用されるそうです。われわれの目的にも役立つでしょう」 「それじゃ、道化《フール》の代わりを|とんま《ダミー》が務《つと》めるってわけですな」と、ドク。顔を大きくほころばせてニヤリと笑った。  一同の笑い声がおさまると、ラファエルが言った。 「何もかも手配してくださったんですね。これからしなければならないのは、細かい部分の打合せだけのようだ」 「そうだと思います」と、フール。「それも、早ければ早いほどいい。われわれがいなくなれば、これまで中隊が使用していたホテルの部屋を宿泊客用にまわせます。いくらかは収益も増えるでしょう。もちろん、多少は修復が必要でしょうが……」  会議は具体的な仕事の話に入った。アンドロイドのフールは本物のフールの背後に立って、ときおり誰かの意見に賛成するかのようにうなずいた。しばらくすると、アンドロイドに注意を払う者はいなくなった――フールが期待したとおりの反応だ。 [#改ページ]       10 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 三四一[#「執事日誌ファイル 三四一」はゴシック体]  中隊のローレライ出発の日取りが決まると、準備は着々と進んだ。いちばんの難関は、 中隊がこの宇宙ステーションから引き上げることを公《おおやけ》の目から隠しとおす点にある。とりわけ、常日頃から儲《もう》けの大きいカジノ〈ファット・チャンス〉を支配しようと好機をうかがっている地元の犯罪グループに気づかれてはならない。  犯罪組織の親玉たち――中でもマクシーン・プルーイット――の目をあざむくためには、とくに複雑な計画が必要だ。わたくし自身がその計画で一役買わねばならないと知ったのは後になってからのことだった…‥ [#ここで字下げ終わり]  レンブラント中尉は腕輪通信器を見た。銀河標準時の二十一時二十九分だ――あと三十分ほどで、フールの中隊を運ぶ航宙船の最終便が出航する。今までのところは何もかも期待した以上に順調だ。いかにも軍隊式に時間を厳守して遂行されたと言いたいところだが、今のレンブラントは中隊の内情を知りすぎていた。重量のかさむ中隊の備品類はすでに発送され、ランドールの軌道上でこの航宙船の到着を待っているはずだ。中隊員たちの大半は、すでに航宙船に乗りこんでいる。  心配なのは、大半≠ナあって全員ではないことだ。  レンブラントは、ギリギリまで現われないメンバーは誰か充分に承知していた。その一人は、中隊長だ――これは驚くことではない。フールは〈ファット・チャンス〉に残り、誰にも知られず中隊が引き上げられるよう最後の細かい処理をこなしている。執事のビーカーもまだ来ていない。だが、これは心配ない。ビーカーは民間人であり、当然、中隊の規律や規則には縛《しば》られない。おそらく主人のフールと一緒にいるか、フールに頼まれた用事をしているのだろう。だが、ふだんのビーカーは必ず時間を守る。航宙船に乗り遅れるとすれば、やはり驚くべき事態だ。  まだスシとドゥーワップが来ないのも心配だった。何かトラブルが起こると、たいてい、この二人のうちのどちらかに関《かか》わりがある。どうやら今回は二人とも関わっているらしい。レンブラントの知るかぎり、二人がこれまで航宙船に乗り遅れたことはない――少なくとも、今のところは――。だが、あの二人のことだから、誰かに追われて時間スレスレに駆けこんでくる可能性は充分にある。添乗警備官の目の前であわてて航宙船のドアを閉めることにならなければいいけど……。レンブラントは、これまでかなりの時間をかけてオメガ中隊のイメージアップに努めてきた。逃げるようにこのローレライ宇宙ステーションを去らなければならないのは残念だ。  あと三十分も心配しつづけて過ごすなんてごめんだわ――と、レンブラントは読みかけていた美術史の本を引っぱり出した。二十世紀のモダンアート≠ノ大して興味はない。すっかり廃《すた》れたずっと後の時代になってもモダン≠ニ呼ばれるなんて変だわ。だがこの本の著者は、ピカソをデッサンの天才だ≠ニ評する。レンブラントは読みかけの頁《ページ》を開いて、つづきを読みはじめた。  マクシーン・プルーイットは、通信器に自分ではほとんど出ない。呼出音を聞くこともまれだった。マクシーンは人からの連絡を待つのではなく、自分から連絡をする。マクシーンに連絡する必要がある人のためにオフィスの番号があり、日中は秘書が、夜間は留守番サービスが受け答えをする。自宅の番号に連絡してくるのは非常に親しい友人たちだけで、最近は、その数も少ない。それに、自宅にかかった場合はラヴェルナが応対する。そのため、マクシーンがしっこい呼出音に気づいたのは少し時間がたってからのことだった。いつものようにホロテレビが大音量で鳴り響いており、通信器は八室の|続き部屋《スイートルーム》の別の部屋に置かれている。マクシーンには、重要な連絡を逃したらどうしようかという不安はない。そんな心配は相手がすることだ。受話器を取る気になるまで通信器の呼出音を鳴らしておくのも、取る気がなければ呼出音を消してしまうのも、完全にマクシーンの自由だった。たとえ重要な連絡が通じなくても、困るのはわたしじゃない……。  だが、耳障《みみざわ》りな呼出音は五分以上もつづき、ラヴェルナは受話器を取らない。ラヴェルナったら、いったいどこにいるの? ついに、マクシーンは自分の仕事部屋――九十五パーセントはラヴェルナが使っているのだから、ラヴェルナの仕事部屋と言っていい――へ行き、受話器を取り上げた。この通信器は音声だけで通話する原始的なタイプだ。マクシーンの仕事がらみの相手は、自宅に映話器を置くことを喜ばない。 「どなた?」マクシーンは唸《うな》るような声で応えた。 「おや、ミセス・プルーイット、いらっしゃらないかと思いました」聞き馴染《なじ》んだ声だ。 「ジェスター大尉」と、マクシーン。本名はフールだということは知っている。だが、この連絡は予想外だった。「どんなご用かしら、大尉?」  フールの役に立とうという気はなかったが、武装した宇宙軍中隊を従えている相手には最小限の礼儀を示したほうがいい。 「ぼくの執事のビーカーの居所を教えてください」フールは噛みつくように言った。「いや、それより、返していただきたいんです――できれば無傷でね」 「あんたの執事?」  マクシーンは顔をしかめた。「あんたの執事のことなんて知らないわ」 「ごまかすのはやめてください、ミセス・プルーイット」と、フール。「ビーカーは、あなたのいるホテルの近くで行方がわからなくなったんです。ビーカーがあなたの部下に会いにいったのは確かです。さあ、返す気があるのかどうか答えてください」 「何の話だかわたしにはさっぱり……ちょっと待ってちょうだい」突然マクシーンの頭の中で一つのことがひらめいた。「あんたの執事がわたしの部下の誰に会いにきたって言うの?」 「正確な名前は知りません」と、フール。硬い口調だ。「リヴォルノだったか……ラヴェルネだったか……確かそんな名です」 「ラヴェルナ? なんてこと! 大尉、あとでかけなおしてもいい? ちょっと調べてみるわ」マクシーンは歯ぎしりした。 「待ちましょう」フールはマクシーンに自分の通信コードを教えた。「でも、あまり長くは待たせないでください。なぜ返事が遅いのかとぼくが部下を送りこんで探《さぐ》らせるのは、あなたにとっても不本意でしょうから」 「何も隠すことはないわ」マクシーンは鋭い口調で言い放った。「頭を冷《ひ》やすのね――すぐに連絡するわ」  マクシーンは受話器を叩きつけるように置き、ラヴェルナを捜しはじめた。スイートルームのどこにもラヴェルナがいないことは、すぐにわかった。下のバー――ラヴェルナの行きつけの店――にも急いで連絡したが、やはりいない。ラヴェルナを最後に見たのは、ホテルの出入口に立つガードマンらしい。午後三時から四時ごろ、地味な服装の中年男性と一緒にこのホテルを出たという。あの執事だわ! 「バカな女!」マクシーンは受話器を叩きつけた。さて、これからフールにどう説明しようかしら? 「ほんとに時間は足りるんだな?」と、ドゥーワップ。 「大丈夫だ、任《まか》せとけ」と、スシ。開いたパネルの前に屈みこみ、複雑な回路をのぞきこんでいる。「静かにしろよ。今は神経を集中しなくちゃならない。誰か見てないか見張ってろ」 「ああ、わかった」ドゥーワップは身体をかきながら、ぽうっとしているふりをした。目を、カジノのオフィス群に隣接した狭い路地に向ける。ローレライに夜はない。だが今は、この宇宙ステーションで基準としている銀河標準時の夕方だ。通りには数人しかいない。早めの夕食を終えた人や、当直勤務《シフト》明けのカジノ従業員だ。だが誰も、修理工の作業衣を着て道具を広げ、開いたパネルのそばに屈みこんでいる二人を気にしていない。ただ自然にふるまえ――ドゥーワップはスシからそう言われていた。今のところはうまくいっているらしい。 「誰も見てないぜ」ドゥーワップは振り向き、スシの作業をのぞきこんだ。一つのチップを取りはずし、その溝《みぞ》にピッタリ合うもう少し複雑なチップを代わりに埋《う》めこむ――それが、今回の仕事だ。簡単なようだが、たまに取り付け位置がマニュアルの図と違うことがある。それに、時間が限られていると、簡単な作業でもうまくいかないことがある。前の修理に使ったワイヤーが一本あり、切断してよけておいて、作業が終わったらまたつなぎ直さなければならなかった。これで、数分よけいに時間がかかりそうだ。仕事を成功させるためには、必要だと思った以上に時間の余裕をみたほうがいいと言うが、なるほどそのとおりだ。  おまけに、こっちを見ている者がいた。 「スシ!」ドゥーワップは歯のあいだから押し殺した声を出し、不安な素振りを見せないよう努めた。「カジノの警備員だ!」 「落ち着け」スシは新しいチップをパチンとはめこみ、古いチップをポケットに入れた。 「さあ、あとは切断した修理用のワイヤーをつなぎ直すだけだ」 「急いでくれ。おい、こっちに来るぞ!」と、ドゥーワップ。 「よし、こうなったら……」スシは溶接レーザーを手に取り、急いで取りはずしたチップのベースにレーザーを当てた。それから立ち上がって、大声で言った。「これを見ろよ。ひどいもんだ」 「どうした?」と、ドゥーワップ。その背後から肩越しに警備員がのぞきこんでいる。 「ひどい部品を使ったもんだ。こんな安物、すぐダメになるのは当然さ。面倒がってちゃんとした部品を買いにいかないからだ」スシは、前任の修理工の仕事を非難しはじめた。 「遅くまで働いてるんだな」と、警備員。 「ああ、リヴェラコスにこの仕事をすませるよう言われたんだ」と、スシ。当然、このカジノの修理工チーフの名は調べてあった。「次の当直勤務《シフト》は若い新入りでね、遅刻してやがる」 「ああ、そいつなら見たことある」と、警備員。いつだって何人かの新入りがいるものだ。 「まだしばらく来ないだろうな」 「誰かの血縁じゃなきゃ、クビだぜ」と、ドゥーワップ。不満げな口調だ。ドゥーワップと警備員はそれから数分間、職場で縁者びいきや、えこひいきがまかり通っていることをグチり合った。そのあいだにスシはひざまずいて黙々とワイヤーをつなぎ終えた。 「よし、やっと完了だ」と、スシ。「こんなに帰りが遅けりゃ、かみさんに殺されちまう」 「幸せ者だな、かみさんを見つけたのか?」と、ドゥーワップ。 「幸せ者≠セと? とんでもない!」と、スシ。警備員も笑った。警備員のからかいの言葉を聞きながら、二人でなんとか重たいパネルを元に戻し、ドゥーワップが留め金具で固定した。スシは急いで道具を片づけた。 「それじゃあ、またな」警備員は狭い路地をぶらぶらと戻っていった。 「ああ、また」と、スシ。だが、当分は会えないだろう。突然、何かまずいことでも起こらないかぎり、今から一時間以内に自分たちは深宇宙にいるはずだ。二人は道具をまとめ、修理≠ナ出た残骸を片づけ、さりげなく路地を離れた。通りの向こうにさっきの警備員が立っていた。だが、こちらにはまったく関心がなさそうだ。スシとドゥーワップは、急いでその場を立ち去った。  ふたたび通信器が鳴ったとき、マクシーンは作り話でフールを丸めこむつもりでいた。大股で通信器に歩み寄り、受話器を取り上げた。 「はい?」  階下のガードマンからだ。 「ボス、宇宙軍の大尉が部下の兵士を何人か引き連れてやってきました。ずいぶん怒っている様子です。このままじゃ客が逃げちまいます。どうしましょう?」 「そのままそこに引き止めておいてちょうだい――銃は相手の目に触《ふ》れないように隠して。すぐ下へ行くわ」マクシーンは素早く答えた。  マクシーンは受話器を置いて戸口へ向かいかけたが、ふと立ち止まって、自分の拳銃をチェックした。弾《たま》がこめられ、いつでも使える状態だ。一瞬、拳銃は置いていこうかと思った――宇宙軍中隊員の武器が相手では、ほとんど何の役にも立たないからだ。トラブルを防ぐどころか、トラブルを招くことになりかねない。だが、長年のあいだに身についた習慣が勝った。マクシーンは目につかない位置に隠したホルスターに拳銃をしまい、勢いよく部屋を出た。  下のロビーに、フールと六人の中隊員がいた。近くにズラリと並んだ最新式スロットマシーン群の向こうから、旅行客が何人かフールと中隊員たちを見ている――コインを注《つ》ぎこむ手はずっと動きつづけたままだ。客のなかでも心配性の者は、まだ勝てそうなのに、チップを換金しようと会計窓口に並んでいる。何人かのでっぷりと太った紳士――私服のカジノ警備員たちだ――がロビーの座席を占《し》め、そ知らぬふりをしながら武装した中隊員たちを見張った。  フールは、マクシーンを見るなり詰め寄った。 「そろそろいい時間でしょう、ミセス・プルーイット。ビーカーがこの建物内にいたという確かな情報をつかみました。さあ、どこに隠しているんです?」 「隠してるですって? 気は確かなの?」と、マクシーン。当惑した様子だ。「なぜ、わたしがあなたの執事を隠さなきゃならないの?」 「わかりません。でも、とにかく返していただきたいのです。なるべく早く」と、フール。 「いいこと? わたしはあんたの執事の居場所なんて知らないし、知りたいとも思わないわ。どうぞご自由にお調べになったらいかが?」  マクシーンは、見られたくないものを隠しとおす自信があった。この建物は、ときには捜索隊に踏みこまれることを想定して建てられている。何年ものあいだには踏みこまれたことも二、三度あったが、名目ばかりの秘密エリア――カジノ従業員たちがグループ単位で見張りや警備を行ない、完全に合法で害のないエリアだ――より奥へは誰も入ったことがない。マクシーンが本当に隠したい場所は、この上なく巧みに隠されていた。 「居場所を知りたいと思わないんですか?」と、フール。「ぼくの執事があなたのチーフ・アドバイザーのラヴェルナと一緒に失踪したとしても?」  マクシーンはフールを見おろした。「だったらどうだと言うの? ラヴェルナは立派な大人よ」 「執事のビーカーはぼくの仕事の内容を熟知しています。ラヴェルナがその半分でもあなたの仕事の内容を把捉していれば、われわれは、どちらも困ることになるでしょうね」フールはシーッと言って、辺《あた》りを見まわした。「どこか話のできる場所はありませんか? 人に聞かれない安全な場所は? ここは人が多すぎてイライラします」 「同感だわ」マクシーンは機を逃さなかった。「本当のことを言わせてもらえば、ここにいるのは大半があんたの中隊員よ。すぐにここから追い出してほしいわ。そうすれば、武器に見とれているお客たちも、また賭《か》けを始められる。話し合いの場所はそのあとで用意するわ」 「いいでしょう」フールは中隊員たちを見た。「ぼくはこれからミセス・プルーイットと話をする。きみたちは外で待機してくれ――しっかり状況を見張ってろ。ぼくが中にいるのは三十分だ。それ以上かかりそうなら連絡する」フールは腕輪通信器をボンと叩いた。「三十分たってもぼくからの連絡がなければ、きみたちのほうから連絡してくれ。ぼくから返事がなければ、そのときはどう行動すべきか知ってるはずだ――いいな? やるべきことをやれ」 「了解しました、中隊長!」と、分隊長。軍曹の袖章《そでしょう》を付けた身体の大きな男だ。その大男の合図で、中隊員たちは列をなしてドアから出ていった。  マクシーンはうなずいた。「どうぞ、こちらよ」  マクシーンのあとに続いてフールはオフィスへ行き、勧められるまま椅子に腰かけた。大きなデスクをはさんでマクシーンと向き合う形だ。 「さて」と、マクシーン。「なぜ、わたしがあんたの執事のことを知ってると思うの?」 「ご存じだと認めたも同然でしょう」と、フール。「ラヴェルナは立派な大人≠セとおっしゃいましたね――あなたは二人が一緒にいたことをご存じだ。そうでなきゃ、そんな言い方はしません。どうです? この件に関して協力してもらえれば、どちらにとっても時間の節約になります。ぼくはビーカーに戻ってきてほしいし、あなたもラヴェルナに戻ってもらいたいはず……理由は違うでしょうが、望んでいることは同じです。互いに協力すれば、双方の利益になります」 「どんなふうに協力するの?」マクシーンはまばたきもせずに尋ねた。 「そうだ、利点をご理解いただければ、きっと行動を起こしてくださるはずです」と、フール。「ぼくはこんなふうに考えています。われわれは、この宇宙ステーションの情報源に関してはあなたがたにかないません。ある程度の情報網はあっても、あなたがたほどではありません――まだ、今のところはね。だが、われわれはあなたがたに入手できない情報を得ることがあります。それに、この宇宙ステーション外の情報源の収集は、われわれのほうが格段上です」 「あら、そうかしら?」と、マクシーン。「でも、とりあえずそういうことにしておきましょう――入手した情報をすべて共有しようというのね? でも、どちらかが隠し事をするのを防ぐにはどうするの?」 「そこなんです、ミセス・プルーイット」と、フール。「微妙な内容の情報については、双方とも話そうとしないでしょう。でも、われわれは互いに相手を信頼し、互いに相手のためになる情報は何でも教え合わなければなりません。また、失踪した二人を誰が見つけるにしろ、無傷で連れ戻さなければなりません――死んだ執事など何の役にも立ちませんからね」 「つまり、抵抗したので撃った≠ニいう言い訳は通用しないってことね?」と、マクシーン。「でも、わたしは部下の自由をそんなふうに拘束するのは好きじゃないわ。きっとあとでとばっちり[#「とばっちり」に傍点]を食うもの」 「ラヴェルナがどうかは知りませんが、ぼくにとってビーカーを失うことはひどい損失です」と、フール。「ビーカーを傷つけたり、事故など起きないでしょうね?」 「大丈夫よ」と、マクシーン。「あんたも同じようにするなら、お互いに役立つ情報を流したからって損はしないでしょう。もしあんたの執事を見つけたら、必ず引き渡すわ。必ずね」 「われわれもラヴェルナを見つけたら送り返しましょう」と、フール。「さて、今のところわれわれのつかんでいる情報をお教えします。ビーカーは、ランチ・デートのためこのホテルを訪ね、そのあと戻っていません。さっきビーカーの部屋を調べましたが、なくなっているものはありません。戻らないつもりなら持っていきそうなものはすべて部屋に置かれたままでした。持ち出したものはわずかな……えー、中隊の所有物だけです。ぼくが支給した仕事で使うものです。それがわかってすぐ、あなたにご連絡したのです」 「実は、ビーカーさんがここを出ていくのを見た者がいるわ」マクシーンは、フールの推測を認めた。「確かにランチタイムのころよ――ラヴェルナと一緒だったらしいわ。あの二人はきっと自由になる道を選んだのよ。二人とも分別のある大人だもの」 「そうですね。おそらく、ビーカーは――」そのとき、腕輪通信器の音がフールの言葉を遮《さえぎ》った。 「ジェスターだ」フールは、相手の声が漏《も》れないように受話器を耳にくっつけた。だが、マクシーンの耳にも興奮した声が聞こえてくる――声の高さからすると、相手は女性だ。 「いつ?……なるほど。確かか?……そうだな、当局に宇宙空間まで追跡させてはならん。向こうに着けば捕《つか》まえられる。向こうに誰か連絡できる相手は? わかった、見失うなよ。ジェスターより、以上」 「二人はステーションを出たのね?」と、マクシーン。 「ええ。航宙船219でパトリオット定期船に乗りつけ、船は三時間前に超光速で出航したそうです。次に泊《と》まる宙港はトランネイです。人を手配し、船が到着したら二人を捜させるつもりです。トランネイに知り合いは?」 「たぶんいるわ」と、マクシーン。トランネイを縄張りにしているのほどのファミリーだったかしら? 確か、トランネイまでは九十日ほどかかるわ――だとすると……? 三週間も船に乗っていれば、ラヴェルナも気づくはずだわ……。  マクシーンが物思いにふけっていると、フールの声が割って入った。「オフィスに戻りしだい、船の到着情報をお知らせしましょう。もう、二人を捕まえたも同然です。ワープ航宙している定期船から降りることはないでしょうから」 「よかった」と、マクシーン。「これで取引は成立ね――それじゃ、お引き取り願えるかしら? 武装したあなたの部下たちにこれ以上うちの客をおびえさせないようにね」  二十一時四十八分――出航時刻まであと十分ちょっとだ。フールが時間までに現われなければ、レンブラントは航宙船の出航を遅らせるつもりだ。何があっても時間どおりに出航せよ、と命じられていたが、レンブラントには自分で判断を下す権限がある。いざとなったらその権限を行使するつもりだ。中隊長を置き去りにするなんて考えられない。  静かなチャイムが響き、レンブラントの見張る通路に誰かが入ってきたことを知らせた。レンブラントは読んでいた本を置き、立ち上がった。トラブルが起こるとは考えていなかったが、念のため武器をホルスターから抜いて構えた。万一の事態に備えて、レンブラントはゼノビア型スタンガンをフール・プルーフ武器製造会社が改良した武器を身につけた。  広い通路は明るく、向こうから近づいてくる二人の姿がよく見えた。宇宙軍の黒い制服に、オメガ中隊《ギャング》の記章が付いている。制服は見慣れたものなのに、二人の顔には馴染《なじ》みがなかった。一人はほっそりした肌の黒い女性で、まったく知らない顔だ。もう一人はずんぐりした男性で、軍曹の袖章《そでしょう》を付け、似合わない顎髭《あごひげ》をフサフサとたくわえている。見覚えがあるような気はするんだけど……。  目を見て、やっと正体がわかった。 「ビーカー!」レンブラントはささやくように言った。変装しているが、ビーカーに間違いない。「そのフサフサした顎髭《あごひげ》はいったいどうしたの? それに、お連れの方はどなた?」 「新兵です、中尉どの」と、ビーカー。低く唸《うな》るような声だ。「乗船を許可していただけますか?」 「許可しますわ、軍曹」レンブラントは、面白がっている素振りを表《おもて》に出さないよう注意した。ビーカーが宇宙軍の制服を着ているとは驚いた。おまけに、同伴の女性は新兵の年齢をはるかに越えている――いくら宇宙軍が入隊条件がゆるいことで有名だとしても――。軍曹≠ニ新兵≠ヘレンブラントに敬礼し――本来なら平服姿のレンブラントに敬礼は必要ないのだが――航宙船の入口の中へ消えていった。  レンブラントは通路をのぞいたが、ほかには誰も見当たらなかった。腕輪通信器の時刻を見ると、まだあと一章を読み終えるくらいの時間がある。レンブラントはまた椅子に座って本を手に取った。  半ページ読んだところでふたたびチャイムが鳴り、レンブラントは顔を上げた。誰かが近づいてくる――中隊長だ。レンブラントは本を置いて立ち上がった。 「間に合ってよかったですわ、中隊長。うまくいきましたか?」 「ああ、すべて順調だ」と、フール。「レックスたち俳優陣は宇宙軍兵士として充分に通用する。マクシーンは、ビーカーとラヴェルナが失踪したというぼくの筋書きを信じてくれた。二人は無事に航宙船に乗ったのか?」 「ええ、ついさきほど。うまく変装していて、ビーカーだとはわかりませんでしたわ。あれなら、ビーカーのお母様でもわからないでしょうね」 「それはよかった。全員そろったのなら、ぼくたちも航宙船に乗って出航するとしよう。時間まで待つこともあるまい」 「まだダメですわ、中隊長」と、レンブラント。「スシとドゥーワップからまだ連絡がありません」 「あの二人組か!」と、フール。「やつらが最後の最後まで何らかのトラブルに巻きこまれることを覚えておくべきだったな」 「中隊長が二人に用事を頼んだんではないんですね?」と、レンブラント。渋《しぶ》い表情だ。 「二人が出航に間に合わない場合は、どうします?」  フールはどうしようもないと言うように首を横に振った。「速い船に乗れば、ベルヴューの乗り換え所でわれわれに追いつくのも可能かもしれないが、莫大な費用がかかるだろう」 「それに、そんなことをすれば、ワープのループに捕《と》らわれて、乗り換え所に着くのが一年後になる――あるいは一年早くなる――可能性もあります」と、レンブラント。「わたしたちが現われるまでの一年分の食事代と部屋代をあの二人に払わせてやればいいんですわ」  フールはクックッと笑った。「そうだな、やつらがもし本当に航宙船に乗り遅れたら、中隊に戻るには莫大なカネがかかる。スシは恐ろしく頭が切れるが、時はカネなり≠フ結果を充分に計算しなかったらしい」 「いい教訓になるでしょうね」レンブラントは笑ったが、ふと真顔になった。「でも、本当にトラブルに巻きこまれていたらどうします?」 「あの二人が口八丁で切り抜けられないことは、数分で片づきはしない。数分とは言わないが、あまり長く待っても仕方がないだろう。出航時間は――」フールは腕輪通信器の時刻を見た。「――二十二時十五分だ。あの二人が航宙船に乗ろうと乗るまいと変更はしない。指示はあとで出す。それから、レンブラント……?」 「何でしょう、中隊長?」  フールは、レンブラントの目を見て言った。「あの二人が現われるのをギリギリまで待つのはいいが、きみ自身が遅れないよう気をつけてくれよ」 「承知しました、中隊長」  レンブラントはドアのそばの席に戻った。とりあえず、読みかけの章を最後まで読むことにしよう。 「尾《つ》けられてるか?」スシが、前を向いたまま訊いた。両腕を広げた範囲内の普通の話し声を拾えるくらいに、腕輪通信器のマイクのボリュームを上げてある。腕輪通信器を使っていることを周囲の人々に気づかれるのはまずかった。話しているのを聞かれるほど誰かが近づいてくればこの方法はやめなければならないが、今のところその心配はなさそうだ。 「何とも言えないな」腕輪通信器のスピーカーからドゥーワップの押し殺した声が響いた。「周《まわ》りに人がいるんだ――あまり話はできないぞ」 「わかった、とにかく急げ――用心するんだぞ」と、スシ。数ブロック後ろから誰かに尾《つ》けられている気配があった。たまたまかもしれない。カジノの警備員に疑われた可能性もある。二人は別々の方向へ分かれた――本物の修理工なら別々の帰途につくはずだ。スシもドゥーワップも尾行をまくのには慣れている。もしどちらか一方が捕《つか》まれば――それでも、両方が捕まるよりはマシだ。  次の曲がり角《かど》に営業中のコンビニエンス・ストアがあった。店の外の角《かど》のところにひどい身なりの男がふたり立っている。カジノでスカンピンになって身動きの取れなくなった連中だろうか? ローレライに居住するには〈労働証明書〉が必要だ。つまり、カジノの従業員をクビになれば、すぐに別の仕事を見つけるか、ローレライを立ち去るかしかない。だが、仕事もないのにとどまる者があふれていた。たいていは、次こそ勝とうと掛《か》け金を調達しようとして故郷へ帰るチケットを質入れしてしまった運のないギャンブラーだ。しばらくの間は人にせびったり、たまに小銭を稼《かせ》いだりして食いつなぐこともできる。だが、遅かれ早かれ保安警官に捕まり、ローレライを去るはめになる――運賃とローレライの保安警官に言い渡された罰金を支払えるだけの貸し付けを受けるために、厳しい抵当を課せられて――。そういった連中はたいがい危険ではない。だが、その二人の男が安全でない可能性も残っている。どちらか見きわめている時間はない。スシは通りを横切った。即座に二人の視線が追ってきた。  自然にふるまえ。用心を怠《おこた》るな。もしやつらが追いかけてきたらどうすればいいかを考えろ――スシは自分自身に言い聞かせた。コンビニは、通りが幅の広い枝道と交差した角《かど》にある。その枝道を左へ数ブロック行ってから右へ行けば、航宙船が出航する宙港に着く。  スシは、急いでいることを悟られないように足を速めた。二人の男はまだこっちを見ている……。 「おい、ちょっと!」男の一人が叫んだ。  スシはいきなり駆けだした。後方で取り乱した叫び声が響いた。足音が迫ってくる。スシはチラリと振り返って男たちが追いかけてくるのを見ると、近いほうの男の足元めがけて修理工の道具箱を巧《たく》みに投げつけた。男は転んで四つん遣いになり、もう一人の男は倒れた男をよけようとしてよろめいた。そのすきにスシは何歩かリードした。こうなったら一センチでもかせいだほうがいい。  スシは走りながら、上下左右にこまかい動きを加えた。誰から逃げているのかわからないが、考えられる相手なら、いつ背中に弾《たま》を撃ちこんでくるかわからない。二人の男は立ち上がり、またスシを追いはじめた。こうなると、ただの泥棒であるわけがない。泥棒なら修理工の所持金など狙わずに、さっき放り投げた道具をカネに変えようとするだろう。  もう一度スシは振り返った。追手との距離はさっきよりも開いている。前を見ると、曲がり角までのあいだにいるのは二人だけだ。たぶん旅行者だろう。今までのところは、二人ともスシに何の反応も示さない。スシは、できるだげその二人を近づけないことにした。  一人目の男は、スシが追い越そうとすると、建物に身体をくっつけるように道の片側へ寄った。関《かか》わりを持ちたくないのは明らかだ。だが、ふり[#「ふり」に傍点]だけかもしれないと考え、スシは男をグルリと避けた。一方、もう一人の男はまったく動こうとしなかった――道をふさぎもせず、よけもしない。そのとき、後方からすさまじい音と怒った声が響いた。スシはどちらによけるべきかを一瞬で判断した。前方の男がハッと驚いて飛びのくのを見て、スシは振り返って後ろを見た――追手の二人が通りの向こうへ消えてゆく。ドゥーワップが立ち上がり、全速力でこっちに駆けてきた。  スシは、驚いている男をヒョイとよけて先を急いだ。まもなく追いついたドゥーワップと並んで角《かど》を曲がり、航宙船入口に続く狭い通路に入った。通路の先に、レンブラント中尉が本を手に持って立っている。もう安心だ。二人は素早く|ハッチ《出人口》をすり抜け、サッとドアを閉め、席に着いた。フールはジロリと見たが、何も言わなかった。数分後、航宙船はローレライを発《た》った。 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 三五〇[#「執事日誌ファイル 三五〇」はゴシック体]  ローレライを離れたからといって、あの宇宙ステーションでの数々の出来事に対するご主人様の心配がなくなるわけでは決してない。実のところ、航宙船が最初の宙港に着くまでに解決しなければならない問題がいくつかあった。 [#ここで字下げ終わり]  フールはデスク越しに、ビーカーと並んで座っている女性を見た。正直なところフールには、この問題をどう扱えばいいのかわからない。これまで一度もビーカーの個人生活を意識したことはなかった。ビーカーにも個人生活があるということすら認めていなかった。だが、うろたえても仕方がない。なんとか対処しなければならない。 「さて、ラヴェルナ、あなたは宇宙軍への入隊を考えている――そう理解していいんだね?」と、フール。 「宇宙軍の航宙船に乗せてもらってローレライを出る唯一の方法は、宇宙軍に入隊することだと言われました」と、ラヴェルナ。ビーカーを見ている。 「うむ、厳密にはちょっと違うがね」と、フール。「宇宙軍の慣例では、民間人に乗船許可を与える場合がいくつかある。たとえば重要人物や高級士官の肉親である場合だが……えー、これらには該当しないだろう?」 「ご存じのはずですわ」と、ラヴェルナ。「運賃はお支払いします――もし、その点がご心配なら。クレジットカードの使用がマクシーンにばれないようにスクランブルをかけることもおできになるんでしょう?」 「もちろん」と、フール。「だが、あなたに運賃を支払っていただくつもりはない。ぼくは中隊長として自由裁量の予算を持っているし、もちろん、自分のカネを何に使おうと中隊には関係ない――わずかな例外はあるがね」 「ミス・ラヴェルナの運賃の件でしたら、わたくしが支払います」と、ビーカー。 「いえ、わたしが自分で払うわ」と、ラヴェルナ。「もうその話は置いておきましょう、いいわね? それより教えてくだきらない? もし宇宙軍に入隊すると決めた場合――まだ決心はつかないけど――自分の任務に関して、どんな選択ができるんですの?」 「正直な話、ぼくは宇宙軍の規則を熟知しているわけではない」と、フール。「ぼくにわかるのは、新入隊員徴募士官が説明するほどには選択の幅はないということだけだ。希望するのは自由だが、宇宙軍は必要性に応じて任務を割り当てる」 「そうじゃないかと思いましたわ」と、ラヴェルナ。うっすらと微笑《ほほえ》んでる。横目でチラリとビーカーを見た。「でも、知りたいんですの。もし、わたしが何か専門の資格に向いているのであれば、宇宙軍は訓練を受けさせてくれるでしょうか?」 「もちろん」と、フール。「訓練が終わったあとのことまでは保証できないがね。たとえば、あなたが量子力学の訓練を受けてアルタイル4の任務につくことを志願するとしよう。あなたは訓練を受け、きっと無事に資格も取れるだろう。だが、銀河を横断する途中で大した仕事もしないで死んでしまうかもしれない」 「わかりましたわ」と、ラヴェルナ。「もう一つ。もし、わたしが入隊を決意した場合、過去の素姓《すじょう》は隠しとおせるんでしょうか?」 「ああ、大丈夫だ」と、フール。「絶対にばれないとは言えないがね。知っていると思うが、チョコレート・ハリーは入隊時に暴走族時代のニックネームをそのまま使っただけじゃなく、自分の過去を少々ばらしすぎた――そのため、昔の敵に居場所を突き止められた。もちろん、ぼくの本名は隠したって誰もが知っている。だが、あなたの場合は事情が異なる。とりわけ、行方をくらまそうと動きだしたからにはね」 「宇宙軍に入隊しない道も残されていますぞ」と、ビーカー。平静を装っているものの、声にどことなく切迫した感じがある。 「わかっているわ」ラヴェルナはビーカーの目をジッと見た。「でも、わたしはマクシーンの仕事の内容を知りすぎてるの。追われるのは確実だわ――たとえマクシーンがローレライでの支配権を失おうともね。わたしと関《かか》わりを持った人は誰でも――一緒に失踪したあなたも――追われることになるわ」 「それくらいの危険はじゅうじゅう承知していますとも」と、ビーカー。 「でも、わたしはあなたを危険にさらしたくないの」と、ラヴェルナ。熱のこもった口調だ。「わたしたち二人の身の安全を守るには、別れ別れになるしかないわ。そうすれば、こんな作り話を押しとおせばいい――わたしがあなたをだまして逃亡を手伝わせ、奪えるものを奪ってあなたを捨てた――とね。マクシーンたちはその話を信じて、あなたのことは放っておくわ。わたしの居場所を知らなければ、あなたもわたしを裏切ることはできないでしょうしね」 「あなたの居場所くらいは知っておきたいものですな」と、ビーカー。今度は明らかに声に感情が表われていた。だが、依然として無表情を保っている。 [#挿絵247 〈"img\APAHM_247.jpg"〉] 「いつか連絡できるときが来るわ」と、ラヴェルナ。「わたしたち二人とも子供じゃないんですもの。長い目でものを見られるはずよ。数年たてばわたしは宇宙軍の服務期間を終えるし、あなたもいつか引退する日が来る。そのときになれば、おのずと道が見えてくるわ。それがいちばん賢明だと思うの」 「それじゃ、やはり入隊するつもりなんだね?」と、フール。「もしよかったら、上級訓練を志願する手続をとるあいだ、あなたがわれわれの中隊に属して基礎訓練を受けられるよう仮命令を出すこともできる。あなたの配属場所がわかりしだい、送り届けてあげてもいい」 「いろいろご配慮くださってありがとう、中隊長」と、ラヴェルナ。「でも、中隊長やビーカーと同じ場所に長くいれば、きっと誰かがわたしの行方を捜しにきます。適当な乗り換え所に着いたら、基礎訓練を受けられる宇宙軍の基地へ送り出してくださるとありがたいわ。そのほうが、わたしたち全員の危険が最小ですみますもの」 「よくわかった」と、フール。「賢明な措置だ。そのように手配しよう。ところで、もし希望があるなら上級訓練の申請もしておくがね」 「ええ、お願いしますわ」と、ラヴェルナ。「実は、優秀な緊急医療補助者になりたいとずっと思っていたの。宇宙軍は緊急医療補助者を必要としているかしら?」 「ああ、たぶんね」と、フール。驚いた表情だ。「申請しておくよ。それじゃあ、ほかに何もなければ、ぼくはその件に取りかかることにしよう。船を乗り換えるまで、もうしばらく時間がある。二人で一緒に過ごすといい。幸運を祈るよ、ミス・ラヴェルナ」 「ありがとう、中隊長」ラヴェルナはめったに見せない笑顔で応えた。「正直なところ、運を頼らずにすめばいいと思っていますわ」 「きみたち二人の口から本当のことを聞きたい」フールは、オフィスに呼びつけた二人をにらみつけ、精いっぱい威圧的な態度を取ろうとした。だが、効果のほどには自信がない。 「何について本当のこと≠話せばいいんですか、中隊長?」と、スシ。いたずらっぽい表情が十五歳の少年のようだ。 「まったくです、おれたち何もしてません」と、ドゥーワップ。どう見ても潔白には見えない顔だ。フールはため息をついた。腕をねじ曲げでもしないかぎり、このコンビからは何も聞き出せまい。 「わかった、はっきり言おう。きみたち二人は誰かに追いかけられ、航宙船にもう少しで乗り遅れるところだった。ともかく、航宙船の出入口《ハッチ》を閉める前に逮捕状を持って出入口《ハッチ》に近づく者がいなかったのは幸いだったな。場合によっては、きみたち二人をあの宙港に置き去りにするところだった」 「でも、わたしたちは遅れたわけじゃありません、中隊長」と、スシ。落ち着いた口調だ。 「出航の一時間前に航宙船に乗りこんでいようと、三十秒前に到着しようと、いざ出発というときその場にいて、シートベルトを締めることができれば、問題ないように思えますがね」 「ぼくもたいていの場合ならそう思うだろう」と、フール。「ぼくが部下の管理に関して甘い点は変えようがない。ローレライに残してきた俳優チームからの最新の報告がなければ、一言も注意しなかっただろう」 「何だか知らないけど、おれたちには関係ありませんよ」と、ドゥーワップ。まるで賄賂を贈りそうもない相手から賄賂を受けとったとして収賄の罪に問われた宇宙連邦評議員のように、腹立たしげだ。 「中隊長は、わたしたちがこんなに離れたところから何かを操作できるとお考えなんですね。そりゃ、買いかぶりってもんです」と、スシ。「何でもわたしたちの仕業《しわぎ》ってわけじゃありません。ご存じのように、ローレライにはさまざまな犯罪組織のプロが山ほどいますからね」 「ほう、きみが反射的にぼくが犯罪の話をしていると察したとは興味深いな」フールは怖い顔をして二、三歩ゆっくり歩くと、いきなりクルリと振り向き、二人を正面から見据えた。 「何をしていてあんなに遅れた? おまけに、あの修理工の作業衣は何だ? 何を修理するふりをしてた?」 「ふり[#「ふり」に傍点]ですって?」  スシとドゥーワップは同時に訊《き》き返した。 「ちょいと待ってください、中隊長。おれたちが何かを修理しようとしてたんなら、もう修理が終わって調整ずみってことじゃないですか?」と、ドゥーワップ。 「調整ずみ[#「調整ずみ」に傍点]とは、妥当な表現かもしれんな」と、フールはスシの目を正面からのぞきこんだ。 「〈ファット・チャンス〉の収益が、わずかずつだがどこかへ流出しつづけている――各個人のクレジットカードの使用額からほんの少しずつ――われわれの航宙船が出航する直前からずっとだ。各個人にとっては気づかないほど少額だが、航宙船出航から一週間のローレライ・ステーション全体の流出額をトータルすれば相当なものになる。さて、その怪《あや》しいカネがどこへ流れていると思う?」 「ほう、中隊長、そりゃ面白いご質問ですね」と、スシ。「その事件がわたしたちに関係しているとお考えなんですね」 「確かに、ディリチアム・エキスプレス・カードに細工する方法を知ってる人間なら、こんなことも考えつくかもしれん」と、フール。「もちろん気づいていると思うが、きみたちは、自分たち自身の利益の一部をピンはねしてるんだぞ――二人とも〈ファット・チャンス〉の共同経営者なんだからな。中隊の仲間全員からピンはねしてることは言うまでもない」 「ちょっと待ってください、中隊長。おれたちがその犯人だという証拠はないでしょう?」と、ドゥーワップ。「やり方を知ってるからって犯人とはかぎりませんよ。ローレライ・ステーションはペテン師だらけですからね」 「ああ、カジノ開業以来そういった連中がウヨウヨしているのは事実だ」  フールに射るような目を向けられ、ドゥーワップはあわてて床に視線を落とした。「だが、きみたち二人があのローレライ宇宙ステーションを去るまで――修理工に変装し、ヤクザの一団に追われてでもいるかのように航宙船に逃げこんでくるまで――は、こんな複雑な細工を考え出す者は誰もいなかった。もう一度、質問する――きみたち二人は何を調整≠オてたんだ?」  スシとドゥーワップはチラリと顔を見合わせた。フールは黙って様子を見ている。しばらく沈黙が続いた。別の手に切り替えるべきかとフールがあきらめかけたとき、ようやくスシが肩をすくめて言った。 「わかりました、中隊長。見抜かれちまったんなら、これ以上は隠しても無駄でしょう。わたしたちは、ローレライ・ステーションの環境制御コントロール・システムにアクセスするパネルを開《あ》けてたんです。たいがい誰も知りませんが、クレジットカードの処理はすべて、何の興味もそそらないほかのくだらないものと一緒くたに中央コンピューターで制御されています。でも、〈ファット・チャンス〉にはつながってないはずだったんですがね。わたしはただよその[#「よその」に傍点]カジノから失敬しようとしただけです。中隊の仲間の利益をくすねるつもりなどこれっぽっちもありませんでした」 「ほう?」と、フール。「証拠がなければ信じられんね」 「じゃあお話ししましょう。わたしは前にも〈ファット・チャンス〉の中央コンピューターにチップを埋めこんだことがあります。中隊長のクレジットカードを凍結してヤクザ連中をだましたときです。別のカジノで中隊長のカードを使えと言われなかったのは幸いでした――そんなことをしたら計画がすべて台無しになるところでした。しかし、そのチップは、〈ファット・チャンス〉と別のシステムのあいだで一方向にしか働かないフィルターの役目もしてたんです。あのときすでに、わたしはこのちょっとしたイタズラを企《たくら》んでいました。なぜうまくいかなかったのか、理解できません」  フールはスシに歩み寄り、顔をくっつけるようにして怒鳴《どな》った。 「その理由はおそらく、きみがぼくの銀行預金口座にどうやって侵入したかをビーカーとぼくが発見し、妨害したからだろう。システム全体は調べられなかったが、そのソフト・プログラムにオーバーライドを書き入れることはできた。そのせいで、きみがそのちょっとしたイタズラ≠実行したとき、〈ファット・チャンス〉は残りのシステムとつながってしまった。それで、きみのチップはわれわれの中隊の収益からもピンはねすることになったんだ」 「うまくいきっこないって言っただろ?」と、ドゥーワップ。むっつりしている。「中隊長はおれらよりずっと上手《うわて》さ、スシ」 「そうらしいな」と、スシ。「わかりました、中隊長。元どおりになるように、チップを入れ替えた場所をお教えしましょう。それから、〈ファット・チャンス〉からピンはねした分は全額お返しします。それでいいですか?」 「手始めはそれでいい」と、フール。「だが、残念ながら、もう少しやってもらわなきゃならん。ほかのカジノからくすねた分もすべて返してもらいたい。もし今回の件できみたちに少しでも儲けさせたら、きみたち自身のためにならない」 「承知しました、中隊長」と、スシ。暗い表情だ。「本当は、〈ファット・チャンス〉からくすねた分だけ切り離して考えるより、全額を返すほうが簡単なんです」 「よし。それじゃあ、できるだけ早くやってくれ」と、フール。「この航宙船からやれるのか? それとも、超空間《ハイパードライブ》を脱するまで待たなければならないのか?」 「中隊長のデスクの通信器を使ってやれます」と、スシは指さした。 「この話し合いが終わりしだい取りかかってくれ」と、フール。「もう一つ言っておく。新しい赴任先に到着した直後から、きみたち二人の行動を規制させてもらう。ランドールでの任務は軍事的なものだ。軍規に従って行動しなければならない。つまり、これ以上きみたち二人を野放しにするつもりはない。わかったな?」 「わかりました、中隊長」と、スシ。  ドゥーワップも同じように答えたが、スシよりさらに声が沈んでいる。どちらの表情も暗い――当然だろう。 「よし」フールは二人の目を見て言った。「それじゃあ、スシ、その通信器を使っていいぞ。きみたちチンピラ二人が中隊の一員としてどのように行動すべきかを学ぶか、見せてもらうことにする。きみたち自身のためにも――中隊全体のためにも――しっかり学んでくれることを望む」  スシとドゥーワップはうなずいた。フールは通信器を指さし、二人を見張る椅子に腰かけた。ここでこうしていれば、ひょっとするとほかにも何かがわかるかもしれない……。 [#改ページ]       11 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 三六九[#「執事日誌ファイル 三六九」はゴシック体]  例によって、わがご主人様は、中隊の新《あら》たな赴任先に関する概況説明書を注意深くお読みになった。ランドール星へは、初め採鉱コロニーとして入植が始まった。この惑星には、珍しい鉱物資源となる土壌が豊富にあったからだ。だが、それは二百年前のことだ。ムガール一族と呼ばれる鉱山のオーナーは、惑星外から囚人を雇い入れた。鉱山で一定期間の労働を終えれば、土地と自由を与えるという条件付きだ。ムガール一族が繁栄したのは、囚人たちの流した汗のおかげだった。ランドール星の人々は、アトランティスという未開の熱帯の島に首都を築いた。やがて、その街はリゾート地として当時の富裕層の人気を集めた。  しかし現代においては、本土の鉱山のオーナーは大半が惑星外の企業連合だ。しかも、年々、採掘されつくした鉱山から利益を得るのが難しくなっている。もとのオーナーたちは利益をむさぼりつくし、新たな世界を求めてランドール星を離れていった。そのほうが自由に贅沢《ぜいたく》を楽しむことができるからだ。その結果、ランドール星の統治権は、官僚と中間管理者の手に握られたままになった。政府は、鉱山労働者や農業従事者、工場労働者、小規模な貿易商人などを思いのままに支配した。この連中は、気ままに職や居住地を変える贅沢を許されていない。  今から数年前、惑星全土に革命の気運が高まり、暴力を鎮圧するために宇宙連邦の軍隊が派遣された。やがて、革命勢力が権力を握り、それによって平和が確立した。新体制のもとで、旧政府は反対勢力になった。徹底抗戦を誓う少数の者が本土に逃《のが》れて反対運動を行なったが、もはや焼け石に水だった。  平和そのものは歓迎された。だが、惑星外の軍隊の干渉を受けたことは、大勢の人々にとって苦い思い出となった。とくに、宇宙連邦のパイロットが平和協定調印式に機銃掃射を加えて以来、その思いはいっそう強まった。いわれのない機銃掃射を命令した宇宙軍の士官は、スカラムーシュ中尉だった。その名が宇宙軍の名簿から消えてまもなく、ジェスター大尉はオメガ中隊の指揮官に任じられた。この事実は、ランドール星ではあまり知られていない。もっとも、いずれは広く知れわたるはずだ。  しかし、ご主人様がブリッツクリーク大将から受け取られた概況説明書には、なぜか、その事実が記《しる》されていなかった。 [#ここで字下げ終わり]  ランドール星のアトランティス宙港はお粗末だった。まさに発展途上の惑星にふさわしい。滑走路の割れ目から伸びた雑草……ペンキの剥《は》げかかった建物……。何もかもが、ここで重要な出来事などなかったと証明している。しかし、オメガ中隊にとっては、すばらしい場所だ。着陸した航宙船から転《ころ》がり出たとたんに、中隊員たちは思いきり身体を伸ばした。一年数カ月ぶりの本物の[#「本物の」に傍点]空を見るためだ。耳を澄ませば、広々とした砂浜に打ち寄せる波の音が遠くから聞こえてくる。 「やっと本物[#「本物」に傍点]の惑星に戻れてホッとしたわ」と、レンブラント。もちろん、異議を唱える者はいない。少し離れた場所で、灰色の制服を着た人影が隊列を組んで立っている。正規軍の平和維持部隊だ。オメガ中隊は、この部隊に代わってランドール星の平和維持にあたる。平和維持部隊の後ろでは、地元報道陣がカメラを回していた。フールは士官たちを呼び寄せ、そろって正規軍へ挨拶しに向かった。 「ラーキン大尉ですね?」フールは平和維持部隊の指揮官に声をかけた。 「ええ、そうですわ。ランドール星へようこそ、ジェスター大尉」黒髪の若い女性だ。ラーキン大尉は前へ進み出て、フールと固い握手を交《か》わした。「お会いできて光栄です。でも、できれば、わたくしたちも、もう少しここに留《とど》まりたかったわ」  つづいて、フールはラーキンの両脇に立つ部下を紹介され、握手した。 「ところで大尉、この惑星について、とくに知っておくべきことが何かありますか?」と、フール。静かな口調だ。 「これからお渡しする概況説明書には、たいしたことは書いてないはずです」ラーキンはニッコリ笑った。「ここは楽しい惑星ですよ。住民も、わたくしたちを快く受け入れてくれているようです。騒動らしい騒動もありません。わたくしたちが最後に出動したのは、アストロボールの優勝祝賀会のときでした。といっても、ちょっとした騒ぎを鎮圧しただけです。気候はいいし、気味の悪い虫や獣《けだもの》もいません。おまけに、本土にいる反乱軍も実におとなしいものです。あなたがたにとって、楽な任務になることは間違いありません」 「おっしゃるとおりなら、ぼくも嬉しいですよ」と、フール。「ぼくはトラブルに巻きこまれやすい質《たち》なんです。でも、一度くらいは楽な任務につくのもいいですね。前回の赴任地では、予想外のトラブルが続出しました」 「ジェスター大尉、このランドールで厄介《やっかい》な目にあいたければ、ご自分でトラブルの種《たね》を探しに行くしかありませんわ」と、ラーキン。「わたくしは、ここに一年以上も滞在しました。でも、トラブルの気配すらありませんでした」 「それは幸運でしたね。できれば、われわれもあやかりたいものです」と、フール。ラーキンはうなずき、民間人の服を着た一団を指さした。フールたちからいちばん近い建物の前に立っている。「地方自治体のかたがたをご紹介しますわ。お待たせしては失礼ですからね」 「ええ、ぜひとも」  フールはラーキンと並び、きびきびと大股で歩きだした。二人の大尉の部下たちも後を迫った。目指す一団までの距離の半分ほど進んだとき、近くの建物の屋根から鋭い銃声が聞こえてきた。ほとんど同時に、何かが勢いよくフールの頭上をかすめ、背後の地面に当たった。 「伏せろ! 銃撃されている!」  フールは叫び、とっさに地面に身を伏せた。まもなく、数名の中隊員がアスファルトに身体を投げ出す音がした。フールの命令が届いたらしい。しかし、撃たれた者がいるかどうかはわからなかった。いちばん近い隠れ場所は、六メートルほど先に停めてある地上専用車だ。その車めがけて、フールは匍匐《ほふく》前進を始めた。さっきの銃撃は、ぼくをねらったものなのか? それとも、無差別攻撃か? どちらにしても、下手に動くと、次の標的にされてしまう。  フールは地面を這《は》いながら、おそるおそる周囲を見た。例の民間人たちがクモの子を散らしたように逃げてゆく。しかし、どうやら怪我人はいないようだ。そのとき、またしても銃声が聞こえた。フールは速度をあげて、さらに這い進んだ。誰かがそばを通りすぎ、すばやく狙撃者のほうへ向かってゆく。足音が聞こえたというよりも、その気配を感じた。スプラット銃をかまえたルーイに違いない。例によって飛行ボードに乗っているはずだ。フールは思った――囮《おとり》になるつもりか? なにしろルーイは小柄で、ねらいにくい標的だ。だが、ツキは狙撃者のほうにあるかもしれない。  次の瞬間、何かもっと大きなものが轟音とともに、フールの頭上を駆け抜けていった。今度ばかりは、思わずフールも顔をあげた。新しいホバーサイクルにまたがったチョコレート・ハリーだ。サイドカーにスパルタクスを乗せている。飛行ボードとホバーサイクルにはさまれれば、狙撃者は逃げ道を失う。しかし、もし互角の激戦になったら……。フールはその考えを振り払い、急いで隠れ場所へ向かった。  ようやくたどり着くと、先に避難したラーキン大尉が地上専用車にもたれかかっていた。拳銃を握っている。ラーキンは、急ぎ足で近づいてくるフールを見つめた。 「わたくしにとっては幸運でした。ここを離れる直前になって、ようやく部隊が活躍できたんですもの」と、ラーキン。 「ご滞在を延長なきりたいなら、大歓迎ですよ」フールは一息つき、さらに付け加えた。 「狙撃者が誰なのか、あなたにも見当がつかないでしょうね」 「まったく手がかりがありません」と、ラーキン。「でも、あなたの部下は迅速に対応しましたね。まるで、こうなることを予想していたみたいでした」 「行動は迅速にです」と、フール。  二発日の銃弾が発射されたのを最後に、銃声は聞こえなくなった。しかし、だからといって、これで安全とは言い切れない。フールは振り返り、オメガ中隊が上陸した場所を見つめた。事態を把握するためだ。中隊員たちの大半は、手ごろな避難所を見つけて隠れている。ブランデーがシャトルのひさし[#「ひさし」に傍点]から頭を出した。立ち並ぶ建物の屋根を双眼鏡で観察しながら、腕輪通信器に向かって何か話している。おそらく、銃撃に対処するための指示を出しているのだろう。フールはブランデーに目を向けたまま、自分の腕輪通信器に手を伸ばし、スイッチを入れた。 「こちらジェスター……どういう状況だ、曹長《トップ》?」 「わたしも今、確認しようとしてるところです、中隊長。チョコレート・ハリーとシンシア人が偵察に向かいました。でも、まだ狙撃者の影も形も見つかりません。中隊長はご無事ですか?」 「かすり傷ひとつない。ほかのみんなは、どうだ?」と、フール。 「身を隠すときに擦《す》り傷や打撲傷を負った者が数名います。でも、重傷ではありません。あとは、レヴの制服の縫い目が裂けたくらいです」  フールは含み笑いをした。 「裂けた個所まで報告する必要はない。知りたくもないしね。さて、ブランデー、きみたちに周辺一帯の安全を確保してもらいたい。民間人を守るためだ。ガンボルト人たちを送り出し、建物の屋根の上を偵察させてくれ。たった一人の狙撃者のために、われわれが一日じゆうここに張りついているわけにもいかない」 「了解、中隊長。でも、わたしが安全を確認するまでは隠れててくださいね。その辺に潜んでる共犯者が銃撃してくるかもしれません」と、ブランデー。  やがて、黒い制服を着た三人のガンボルト人が一線に並び、すばやくフールに近づいてきた。宙港の安全を確認したうえで、さらなる銃撃に備えるつもりらしい。だが、それ以上の銃撃はなかった。それでも、安全宣言を出すには早すぎる。まだ狙撃者を見つけていない。 「ぼくは標的にされるのに慣れていないからな」  フールは落ち着きなく行ったり来たりした。すでにビーカーと二人で宙港ターミナル内の保安室に移ってきた。今も、宇宙軍と正規軍の兵士たちは、フールを標的とする新《あら》たな狙撃者がどこかに潜んでいないか調べている。ターミナルの別室では、国防省長官のメイズ大佐をはじめとするランドール政府代表団がフールたちを待っていた。 「ご無礼を申しあげるようですが、このような事態が起こることは宇宙軍に入隊なさる前にご想像がついたはずでございます。標的になりたくなければ、こういった職業をお選びになるべきではありません」と、ビーカー。主人に対する同情が感じられない口調だ。 「まあ、ぼくを個人的にねらったという証拠はない」と、フール。期待をこめた口調だ。「着陸場にいた者なら、誰でもよかったのかもしれないぞ」 「その可能性はまずないと、わたくしは思います、ご主人様」と、ビーカー。「服務期間中は、まったくトラブルはなかった――そうラーキン大尉もおっしゃいました。したがって、今日の銃撃事件はわれわれの到着をねらったものと結論づけるのが妥当でございます」 「どうも腑《ふ》に落ちないな、ビーカー。ぼくたちに敵意を持つ者が、この惑星にいるわけがないだろう? だって、ぼくはここに一度も足を踏み入れたことがないんだから」 「ご自分に正直になられたほうがよろしいと思います、ご主人様」と、ビーカー。「かつて、この惑星はニュー・アトランティスと呼ばれておりました。この事実を無視することはできません。この惑星における内戦がどのような形で終結したか、お忘れになったわけではないでしょう? あのとき、一人の若い士官がみずからの判断で、平和協定調印式に機銃掃射を加えました。ご主人様はあの事件をよく覚えていらっしゃるはずでございます。結果的に、ご主人様は軍法会議にかけられ、現在の地位に任じられたのですから」  またしてもフールはウロウロと歩きはじめた。 「あの事件[#「あの事件」に傍点]を忘れられるはずがないだろう、ビーカー? どうしてブリッツクリーク大将がオメガ中隊をここに派遣したのかは最初からわかっていた。ぼくの敵がいそうな場所は、銀河の中でもここしかないからな」 「もう一つ、宇宙軍司令部をお忘れでございます」と、ビーカー。そっけない口調だ。 「ああ、そうだったな」と、フール。「あの事件の罪滅ぼしをしたい――それも、今回の任務を引き受けた理由の一つだ。でも、ぼくは首都を訪れたことはない。だから、まさか、ぼくを知る人物がここにいるとは予想もしていなかった。しかも、すでに、ぼくは宇宙軍における偽名を変更した。誰かがその情報を滴らしたに違いない」  ビーカーは真顔でうなずいた。 「スカラムーシュ中尉と名乗っておられたころのご主人様の前歴が、地元の特定の集団にとっては興味深い問題なのかもしれません。情報を漏らしたのがブリッツクリーク大将ご本人だったとしても、わたくしは少しも驚きません」 「そうとしか考えられないな。もっとも、それを証明しようとしても無駄だろうけどね」と、フール。「もっと大事なのは、ぼくの到着と同時に銃撃を開始しようと企《くわだ》てたのはどんな連中かってことだ」 「その筈はすぐに見つかるはずでございます」と、ビーカー。「ご主人様が平和協定調印式に機銃掃射をお加えになったとき、いちばん損をしたのは誰でございましょうか?」 「つまり、このぼく以外にというわけだな?」と、フール。皮肉のこもった笑みを浮かべている。「おそらく、最終的に平和協定が結ばれたら、いちばん困る連中だろう。旧政府――それも、いまだに抵抗しつづけている連中かもしれないな」 「わたくしも同じ考えでございます。連中にとって、あの機銃掃射はまさに踏んだり蹴ったり≠セったことでしょう」 「えらく料簡《りょうけん》の狭いやつらだな」と、フール。「ぼくだって、特定の集団をねらったわけじゃなかった」  しばらくのあいだビーカーはフールを見つめつづけた。 「おっしゃるとおりかもしれません、ご主人様。しかし、本当に自分がねらわれたかどうかを正しく判断できる者はそう多くないはずでございます。たとえ職業兵士でも、銃撃を受ければ、自分個人の空間を侵害されたと感じるでしょうから」 「でも、当時の状況を考えてくれ」と、フール。「ぼくは戦闘時における軍事的立場を最大限に利用しようとしただけだ。あれは誰かの暗殺をねらった攻撃ではない。さっきのが暗殺を企《くわだ》てての銃撃だとしてだが」 「よくぞ違いに気づいてくださいました」と、ビーカー。穏やかな口調だ。「しかし、どうやら、あの一件を根に持つ者がいることは明らかでございます」 「そうだな、その連中と話をつける必要がありそうだ」と、フール。「ある意味では、われわれはそのために来たようなものだ。そうだろう?」 「ここへ来れば、厄介《やっかい》事にわずらわされることもなくなるだろう――わたくしは、そう確信しておりました。しかし、そのようなことを信じたわたくし[#「わたくし」に傍点]が愚かでした。このどうしようもない楽天主義を何とかしなければなりません」 「ぼくとしては、その皮肉を何とかしてもらえるとありがたいけどね」と、フール。「でも、皮肉を言わなくなったら、おまえらしくないだろうな。とにかく、ぼくが到着したのをきっかけ[#「きっかけ」に傍点]に、ふたたび反乱軍が敵意をむき出しにするかもしれない。もしそうなら、わが中隊の平和維持任務が危険にさらされることになる。ぼくとしては、黙って見過ごすわけにはいかない」 「ご主人様を狙撃するとは、賢明なやり方とは申せません」と、ビーカー。 「そのとおりだ。だから、まずは反乱軍を見つけ出し、ぼくが敵でないことを納得させる必要がある。何かいい方法はないか?」 「今日の出来事から判断するかぎりでは、反乱軍は話し合いには興味がないようでございます」 「それでも、何とかして連中の考えを変えさせてみせよう。それまでは……」  ドアが開《ひら》き、アームストロング中尉が顔を出した。 「中隊長、ようやく事態が収拾したようです。よろしければ、ランドール政府代表団のもとへご案内いたします。ずっと中隊長をお待ちになっていらっしゃいます」 「よし、わかった」と、フール。「あの銃撃はぼくをねらったものだと、その連中[#「その連中」に傍点]が決めつけていなければいいんだがね」 「お役人がそのようなことを考えるはずがございません」と、ビーカー。陰鬱《いんうつ》な口調だ。 「政府が銃撃事件に無関係だとすればの話ですが」  だが、すでにフールと二人の中尉は部屋を出た後だった。  フールはアームストロングとレンブラントを従えて、オフィス・エリアに向かう通路を進んだ。やがて、広いオフィスにたどり着いた。今日のために急遽《きゅうきょ》、会見場に選ばれた部屋らしい。ドアに〈宙港管理者室〉と標示してある。フールたちは中に入り、忙しそうな数人の職員のそばを通り過ぎた。壁のあちこちに、額縁入りの写真が飾られている。写真の中の海岸や夕陽は、この島が――少なくとも戦争が行なわれていないときには――熱帯の楽園であることを思い出させた。  三人は、さらに奥のオフィスに入った。フールたちを出迎えたのは、顎髭《あごひげ》をたくわえた大男だ。男は強烈な臭《にお》いのする葉巻を吸っており、濃緑色の制服の袖に驚くほどたくさんの年功袖章をつけている。その男の両脇に、同じように制服を着た男が一人ずつ立っていた。二人とも、表情が険《けわ》しい。窓のブラインドはおろしてある。三人の男は、近づいてくるフールたちを無言で見つめた。  フールはデスクの前で足を止め、気をつけ≠フ姿勢を取った。 「メイズ大佐、わたしは宇宙軍のジェスター大尉であります。平和協定が守られているかどうかを監督するために派遣されてきました。わたしの信任状を奉呈《ほうてい》いたします」  アームストロングが前へ進み出た。そのまま、顎髭《あごひげ》の大男――メイズ大佐の前のデスクに書類一式を置き、フールの横に戻ってきた。メイズは書類に目も通さず、手も触れなかった。葉巻を口から離し、フールの目をまともにのぞきこんだ。 「この惑星では、きみの自己紹介は不要だ、ジェスター大尉。いや、スカラムーシュ≠ニ呼ぶべきかな?」 「できれば、ジェスター≠ニお呼びください、大佐」と、フール。「宇宙軍には、入隊と同時に過去を捨てるという伝統があります。偽名を使うのも、その一例です。以前の名前や生き方に干渉する権利は、誰にもありません」 「実にロマンチックな伝統だ」と、メイズ。軽蔑の色を浮かべている。「名前を変えて宇宙軍の制服を着ただけで、過去から避れられる――それだけで、きみたち兵士の気が楽になるな」 「過去から逃《のが》れられるとは思っていません」と、フール。どうして、メイズ大佐とこんなつまらない議論をするハメになってしまったのか? 「しかし、名前を変えたほうが、現在の任務に心を集中できます。入隊した理由をいちいち説明する必要もありません。だからといって、過去に追いかけ回されないとは言い切れませんが……」  メイズはうなずいた。「たしかに賢明な手段かもしれない。しかし、きみの場合は別だ。この惑星では、大勢の人々がきみのしたことを覚えている。いずれ、きみもそのことに気づくはずだ。わし自身としては――政府の意見を代弁するわけでもあるが――きみに対して悪意はない。それどころか、きみはわれわれの英雄だ。きみが機銃掃射の命令を出してくれたおかげで、旧政府の最後の抵抗が打ち砕かれた。今日の銃撃事件が起こるまで、われわれは本土の反乱軍の噂を聞いたことがない。どうやら反乱軍の連中[#「反乱軍の連中」に傍点]も、きみの正体を知っているらしい」 「反乱軍がわたしを狙撃したと、大佐は確信していらっしゃるのですか?」と、フール。 「わたしの部下が迅速に対処したのにもかかわらず、狙撃犯を取り逃がしました。しかも、犯人は身元を示す手がかりを何ひとつ残していません。そもそも、わたしが標的だったのかどうかも、わかりません。わたしが標的だったと考えるのが妥当とは思いますが……」  メイズは葉巻を一服した。 「きみが来るまで、反乱軍はこれといった活動をしなかった。ジャングルで野営し、自分たちだけで戦闘訓練を行なっていただけだ。民衆は誰ひとりとして、連中を支持していない。酔っぱらってでもいないかぎり、それくらいのことは連中にもわかるはずだ。しかし、きみが到着したとたんに――なにしろ、連中からすれば、きみは自分たちを踏んだり蹴《け》ったりしたにっくき[#「にっくき」に傍点]よそ者だ――きみを狙撃した。どうだね、大尉? まさに妥当な推測だとは思わんか?」  メイズの両側に立つ二人の男は、声をあげて笑った。  フールはアームストロングとレンブラントをチラリと見た。二人とも、何がおかしいのかわからないという顔をしている。 「もう一つの可能性を思いつきました、大佐」と、フール。「政府の中に、大佐以上に反乱軍を恐れている人物がいるとしたら、どうなりますか? ひょっとすると、今日の暗殺未遂事件を企《くわだ》てた、その人たちかもしれません。自分たちの代わりに平和維持部隊が反乱軍に制裁を加えてくれるはずだ――そう考えたのでしょう。もちろん、単なる推測にすぎません。しかし、可能性を否定することはできません。違いますか?」  メイズは顔をしかめた。 「言うまでもなく、そのような可能性を認めるわけにはいかん。われわれは平和的な政府だ。現に、平和協定により、軍隊の武装を完全に解除した。今や、軍隊は建設作業や保安業務を請け負うだけにすぎない。したがって、この惑星に存在する武装集団は、きみの中隊と本土の反乱軍だけだ」 「なるほど」と、フール。「では、それが事実なら、この惑星にわれわれは必要ないということになりますね。われわれにとっては出番が少ないにこしたことはありません。いったい、われわれにどんな仕事をしろとおっしゃるのですか?」 「目下のところ、われわれは観光収益を増やすプロジェクトに取り組んでおる」と、メイズ。「きみが、この惑星の経済状態をどこまで把握しているかは知らんが……」 「大佐がビックリなさるほど、よく知っております」と、フール。すでにビーカーと二人で、赴任先の財政状態を徹底的に調査してある。新任務を、中隊にとって(もちろん、フールとビーカーにとっても)有益なものにするためのチャンスをうかがうためだ。とくに心を動かされるようなネタはなかった。しかし、本当に何もないかどうかは、実際に赴任先の地に足を運んでみなければわからない。 「そうか、では、このことも知っているはずだな――つまり、この惑星の鉱山は一世代以上も前に枯渇《こかつ》し、その後、それに代わるものは何ひとつ見つかっていない。人々の働き口もほとんどない。住民の多くは自給自足の農業従事者だ。もっとも、自給自足できるだけでも、まだまし[#「まし」に傍点]だ。旧政府は製造業を発展させようとした。しかし、うまくいかなかった」 「その理由なら、わかっています」と、フール。「この惑星で作られる製品には、ほかの惑星の製品と比べて、品質にも価格にも魅力がありません。だから、惑星外での需要がないんです。それでも、政府のかたがたは、どうしても自力で経済復興なさるおつもりなのですね」 「そのとおりだ、大尉」メイズは葉巻をもみ消した。「よくぞ、そこまで調べたな。たしかに、わが国の景気は低迷しておる。旧政府は、まったく改善の道を見つけることができなかった。今度は、われわれが何とかする番だ。旧政府よりはうまくやれると信じている」 「わかりました」と、フール。心の中でカネ儲けの虫≠ェうずきだした。「それで、どのような方法を考えていらっしゃるのですか?」 「われわれは外貨を必要としている。外貨を得るためには、惑星外から観光客を集めるしかない」と、メイズ。非の打ちどころのない理論だ。「そこで、観光産業を発展させたいと考えておる」  フールはうなずいた。ローレライ宇宙ステーションの観光客がどれほど大きな収益をもたらしたかを思い浮かべている。 「基本計画としては悪くありませんね、大佐。おそらく、もっとも手堅い賭《か》けと言えるでしょう。しかし、成功させるには、ほかの惑星には真似のできない呼び物が必要です。たしかに、このランドール星には美しいビーチや山々があります。でも、ビーチや山々なら、銀河じゅうのどこにでもあります」 「そのとおりだ」と、メイズ。気取った口調だ。「だが、われわれを見くびってもらっては困る。われわれの計画はすでに実行に移され、着実に進行しておる。今に、ランドール星は、この星区でいちばんの観光地になるはずだ」 「けっこうなお話ですね」と、フール。「しかし、経済が健全でなければ、産業を確立させることはできません。よろしければ、あなたがたの計画をお聞かせいただけませんか? 実は、わたしは、つねに投資先を探しています。もちろん、充分に魅力的な見返りが期待できればの話ですが」 「大尉、わしはそのような質問に答えられる立場にない」メイズは立ちあがった。「その件については、産業開発省と話をして自分で確かめてほしい。惑星外からの投資を受け付けているかどうか、わしは知らんのでな。わしの知るかぎりでは、きみがランドールに貢献する最善の方法は、反乱軍を押さえこむことだ。連中の勢力が弱いうちに、われわれ政府の計画を妨害しないよう阻止してもらいたい。今日の一件を見て、連中がどれほど必死になっているかわかったはずだ。なにしろ、われわれの成功を目《ま》の当たりにするくらいなら、何もかも破壊しかねん連中だからな。きみを当てにしているぞ、大尉」 「どうかご安心ください。ランドール星の安全と成功をうながすために、全力を尽くします」と、フール。「政府の動向を見守るとともに、もちろん反乱軍からも目を離さないようにします。しかし現時点では、ひとまず中隊員たちを落ち着かせ、そのうえで目標達成のための最善策を決定したいと思います」  しばらくフールとメイズ大佐は見つめ合った。この話し合いのあいだに解決策が見つからなかったのは明らかだ。やがて、フールは二人の中尉を従えてクルリと背を向け、大股で部屋を出た。 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 三七三[#「執事日誌ファイル 三七三」はゴシック体]  中隊が好意的な評判を得たにもかかわらず、ご主人様には一つの心配ごとがあった。今まで中隊が成功をおさめてきたのは平和な環境に置かれていたせいだと、お気づきになったのである。本格的な戦闘と言えば、犯罪集団を相手にしたローレライ宇宙ステーションでの一件くらいしかない。たしかに、あなどれない敵ではあったが、結果的に、訓練を受けた軍隊とは比べものにならないとわかった。しかし、宙港での銃撃事件以来、このランドール星は予想した以上に厳しい赴任地であることが明らかになってきた。  ランドール星に平和が戻ったというブリッツクリーク大将の言葉を、誰もが信じたわけではない。内戦から復興した――それも、外部の力によって取り戻した平和だ――惑星が、解消されないままの不満をたくさん抱《かか》えていることは、少し考えれば想像がつくはずだ。ご主人様も、平和が回復していないことを痛感しておられる。暗殺未遂事件や、 ランドール政府の冷淡な対応が、何よりの証拠だ。  そこで、新《あら》たな本部(首都の西の新開発地区にある〈ランドール・プラザホテル〉)に到着すると同時に、ご主人様の中隊は戦闘の可能性を見こんで準備を開始した。 [#ここで字下げ終わり] 「さて」と、ブランデー。腰に両手を置いている。「みんな、今朝ここで何が起こったか知ってるわね?」  新入隊員たちはざわめいた。いつか銃撃されるかもしれない――そう覚悟したうえで宇宙軍に入隊した者ばかりだ。それでも、漠然とした想像が現実になったのはショックだった。その思いが全員の顔や声に表われている。 「今日のところは怪我人は出てないわ」ブランデーは話をつづけた。「この状態がつづくといいわね。でも、万が一、ふたたび何者かに銃撃されたときのために、態勢を整えておく必要があるわ。つまり、わたしたちも反撃するという意味よ」 「失礼ですが、曹長」隊列の中から声がした。  ブランデーは文句を言いたい気持ちを我慢した。またマハトマか。いつもニヤニヤして、バカ正直に命令に従う男だ。おまけに、ときどき誰にも答えられない質問を浴びせてくる――あまりのしっこさに、説明のつかないことを説明しようとして誰もが半狂乱になる。また今度も例の質問が飛び出すのかしら? まあいいわ、少しは時間かせぎができるかもしれない。 「マハトマ、しばらく質問を遠慮してちょうだい。いいわね?」 「ご命令でしょうか、曹長?」 「今はタイミングが悪いのよ、マハトマ」 「しかし、曹長、わたしはどうしても知りたいので……」 「とにかく今はダメなんだってば、マハトマ[#「今はダメなんだってば、マハトマ」はゴシック体]!」  沈黙していた新入隊員たちがいっせいに[#「いっせいに」に傍点]どよめいた。ブランデーは新入隊員たちをにらみつけた。ふたたび全員が口をつぐんだ。これ以上、ブランデーを怒らせたくはない。だがマハトマは笑みを浮かべたまま、次のチャンスをうかがった。ブランデーは首を横に振り、演説をつづけた。 「では、これから、新《あら》たに支給された武器を紹介するわよ。実はね、この中隊が宇宙軍で最初に使うことになったの。中隊長のコネのおかげね。とくに、このランドール星で威力を発揮するはずよ。なにしろ、ここでわたしたちが出くわすのは、大半が非戦闘員なんだから」  ブランデーは振り返ってデスクを見た。大きな防水シートがかけてある。シートの端《はし》をめくりあげて、デスクの上に並ぶ銃を一つ手に取り、新入隊員たちに向き直った。 「これがフール・プルーフ社製モデルSRlよ。工場の説明によると、非軍事目的の武器としては数十年ぶりの進歩ですって。でも、わたし自身は、それどころじゃないと思うわ。だって、本当に価値のある非軍事目的の武器を見たのは初めてですもの。なんといっても、殺意を持って向かってくる相手を殺さずに阻止できる唯一の武器よ」  厳密に言えば、ブランデーの説明には誤りがある。高速走行する乗り物の運転手や、泳いでいる者や、綱渡りをしている者を失神させれば、結果的には殺すことになる。しかも、もし動揺して、近距離から攻撃してくる相手を撃ち損じたら、言うまでもなく自分の身が危なくなる――この点においては、ほかの武器と変わりない。しかし、敵と味方が入り乱れての戦いにおいては、SRlは良い結果を生むはずだ。  ブランデーは銃を掲《かか》げた。 「さあ、数分後には、これが各自に一艇《いっちょう》ずつ行きわたるはずよ。でも、その前に部品の説明をするわね。すべての部品の名前を全員に覚えてもらいたいの。それぞれの役割についても、自分で説明できるくらいになってほしいわ。まずは、いちばん重要な部分から……これが前面照準器よ。あんたたちの中には、非常に小さな攻撃目標に向かってライフルを発射した経験者もいるでしょうね。この銃の照準域はライフルよりもずっと広いわ。理由は二つ。たとえビームが手足にしか命中しなくても、その効果は全身に及ぶ――これが一つめよ。足に命中させれば、それだけで期待どおりの効果を得られるというわけね。もう一つの理由は、|可変式ビーム幅調整機能《VBSA》よ。これは、後で説明する|可変式ビーム幅調整機能《VBSA》制御装置によってコントロールされ……」  ブランデーの話は延々とつづいた。ブランデーが銃の各部分の目録――回りくどい説明を何度も繰り返したもの――に手を伸ばすころには、新入隊員たちの目はうつろになりはじめた。いつもなら、全員の注意を喚起するために、居眠りしそうな者を見つけては鋭い質問を浴びせるところだ。だが、今日は……。  そのとき突然、ストッキングで覆面した人影が新入隊員の列に飛びこんできた。片手に振動ナイフを握っている。室内は大混乱になった。いきなり、侵入者は若い女性中隊員の首に太い腕を巻きつけた。女性中隊員は、宇宙軍ではブリック[#ここから割り注](煉瓦、快男子≠意味する)[#ここまで割り注]と名乗っていた。だが、ブランデーは思った――仲間うちでは、もっと優しげなニックネームで呼ばれてるはずよね。 「全員、動くな」と、侵入者。しゃがれ声だ。人質の顔の前で振動ナイフを振り回している。いっせいに新入隊員たちは息をのみ、大半が後ずさりした。しかし、ブランデーは見逃さなかった――三人のガンボルト人だけは身構えたまま、その場を動こうとしない。侵入者の隙《すき》を見つけて飛びかかるつもりらしい。 「妙な行動を取ったら、この女が血まみれになるぞ」侵入者はブリックを盾にしながらブランデーに向き直った。「そんな銃など少しも怖くない」 「けっこうね」ブランデーは発射ボタンを押した。ビームは侵入者とブリックに命中した。二人は音も立てずに床《ゆか》にくずおれた。やがて、侵入者の手から振動ナイフがカチヤリと落ちた。次の瞬間、ガンボルト人の一人が飛びかかり、侵入者を床に押さえつけた。もう一人の新入隊員スレイヤーが振動ナイフを拾いあげた。 「なんだ、スイッチも入ってないぞ」スレイヤーは侵入者の上にかがみこみ、ストッキングをはぎ取った。「どこかで見た男だな」  ほかの新入隊員たちも集まってきた。全員が当惑の色を浮かべている。 「見覚えがあって当然だわ」と、ブランデー。「この男性は、わたしたちの仲間なんだから。配車係のギアーズよ。この銃の威力をあんたたちに教えるために、悪役を買って出てくれたの。ルーブ、もうギアーズを解放してあげてちょうだい。ギアーズは誰にも危害を加えないわ」  ルーブはギアーズから離れて立ちあがった。ほかの新入隊員たちが様子を見ようと周《まわ》りを取り囲んだ。ギアーズとブリックはぐったりと床《ゆか》に横たわったままだ。しかし、正常に呼吸しているのは明らかだし、負傷した様子もない。 「厳しい状況においてこそ、この銃が有効であることを教えたかったのよ。たとえば、大勢の人間が入り乱れている場所で敵だけを撃ちたい……という場合ね」と、ブランデー。「従来の武器なら、そういう状況での発射がためらわれるでしょう? たとえ標的を充分に絞《しぼ》りこめても、撃ち損じを恐れたら、せいぜい相手に怪我を負わせる程度で終わってしまうわ。ギアーズは以前にも、このビームを浴びたことがあるの。だから、ビームの威力をあんたたちに見せつけるために、今回も志願して撃たれ役≠ノなってくれたのよ」 「そのとおりです」と、ギアーズ。すでに頭をあげられるくらい身体機能が回復してきた。「クァル航宙大尉がこの銃を使って、ぼくの命を救ってくださった。だから、ぼくはこの武器の大ファンになった。ブランデー曹長に協力を申し出たのも、銃の威力をきみたちに見せたかったからだ。なにしろ、怪我ひとつさせることなく、たちどころに敵を気絶させられる」 「ギアーズが立ちあがれるようになるまで、あと数分かかるわ」と、ブランデー。「つまり、そのあいだに敵の武器を取りあげられるってことよ。それに、射程内にいる仲間を傷つける心配もないわ。ブリックの様子はどう?」 「わたくしは大丈夫です、曹長」と、ブリック。弱々しい声だ。「まだ手足に力が入りません。でも、どこにも怪我はありません」 「ギアーズとブリックを連れていって、壁にもたれさせてやってちょうだい」と、ブランデー。「二人の回復を待つあいだにデモンストレーションをつづけるわよ。時間を無駄にはできないの。この銃の威力は充分にわかったはずよ。次は、ひとりひとりに操作してもらうわ」  しだいに新入隊員たちは関心を示しはじめた。おかげで、残りの説明はとどこおりなく終わった。ブランデーは思った――まれに見る成功だわ。あのマハトマでさえSRlに心を奪われて、得意の質問攻めをするどころじゃないんだから。 [#改ページ]       12 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 三七六[#「執事日誌ファイル 三七六」はゴシック体]  ひとつの惑星が平和維持部隊の派遣を受け入れることは、政府が自惑星の平和を維持できないという事実を公認するのと同じだ。したがって、ランドール政府はオメガ中隊を必要悪≠ニ考えた。市中を巡回する警察官が、野犬狩りを見て見ぬふりをするようなものだ。警察官は立場上、野犬狩りをする者を取り締まらなければならないが、だからといって野犬を放置するわけにはいかない。ご主人様はランドール政府との交渉の席で、さまざまな公共事業の企画運営に中隊員を差し向けるご提案をなさったが、ことごとくランドール政府に拒否された。政府はランドール星におけるオメガ中隊の駐屯《ちゅうとん》を正式に受け入れるための条件を提示した。その条件とは、オメガ中隊が反政府勢力――旧政府の残党とその支持者たち――を制圧することだ。  政府の頑《かたく》なな態度に反して、一般の住民は宇宙軍に悪意を抱かなかった。中隊員たちは、ご主人様の指示にしたがって街へ行き、商店やレストランで金銭を使い、目に見える形で住民に利益を与えた。オメガ中隊はランドール星の住民を守っている≠アとを印象づけるためだ。こうしたご主人様の方針は予想どおりの効果をもたらした。たちまち、中隊員たちに対する住民の評判は良くなった。だが、そのぶんだけランドール政府が中隊員たちを見る目は冷ややかになった。 [#ここで字下げ終わり] 「おい、見ろよ。あの身体の大きなおじさんの鼻、変な形をしてるぜ」だれかが通りの向こう側でささやいた。  タスク・アニニは、ささやき声を聞きつけて立ち止まり、通りの向こう側にいる子供たちを見た。さびれた街なみだ。プラザホテルから数ブロック離れただけで、街の様子はガラリと変わる。昔、この地区は工場を中心に賑《にぎわ》っていたが、今は見る影もない。子供たちの後ろに建つ荒れ果てたビルに看板が掛けてある。その看板には、政府がビルを没収したことと、近いうちにビルを取り壊してランドール・パークへ通じる道路を建設する予定だと書いてあった。 「こんにちは」と、タスク・アニニ。「わたしの名前、タスク・アニニ。きみたち、この街に住んでるのか?」  子供たちは顔を見あわせて小声で話し合った。なにげなく口走った一言が風変わりな異星人の注意を引いたことに、とまどっている。  そのとき、いちばん度胸のありそうな少女が前へ進み出て言った。 「おじさんは軍人さん?」 「いや、違う」と、タスク・アニニ。「宇宙軍の兵士。ただの軍人とは違う」  タスク・アニニは子供たちを驚かせないように、ゆっくりした足取りでゴミだらけの通りを横切った。身長二メートルを越えるイボイノシシに似た男が、人を驚かせずに行動するのは難しい。だが、中隊長からランドールの住民と親しくせよ≠ニいう指示が出た。平和主義者のタスク・アニニにとって、この指示どおりに行動する機会に恵まれたことは嬉《うれ》しい。 「あたしはバッキー。宇宙軍の兵士なんて、ちっとも怖くないわ」と、少女。タスク・アニニを睨《にら》みつけた。少女の身長はタスク・アニニの半分しかない。バッキーの後ろにいた別の子供が、かん高い声を上げた。「バッキーの本当の名前は、クラウディアっていうんだ」 「よけいなこと言わないでよ、アブドル!」と、バッキーことクラウディア。肩越しに振り返ってアブドルを睨み、タスク・アニニに向き直った。バッキーの服は、あちこちが破れている。ほかの子供たちと同じだ。バッキーは薄汚れた顔に挑戦的な表情を浮かべた。負けず嫌いな性格なのだろう。おそらくバッキーが子供たちのリーダーだ――そうタスク・アニニは判断した。 「バッキー、きみ、この街に住んでるのか? それとも、おじさん見にきたのかい?」と、タスク・アニニ。片方の膝《ひざ》をついて、子供たちと目の高さを合わせた。巨体のボルトロン人タスク・アニニは、宇宙軍に入隊してから自分よりも身長の低い地球人たちと生活するうちに、相手に威圧感を与えずに話すコツを身につけた。立ったまま話しかけてはいけない。相手がタスク・アニニの大きさに圧倒されてしまうからだ。タスク・アニニが座るか膝《ひざ》をつくかして、身長の低い相手に目の高さを合わせて話せば、相手も心を開《ひら》いてくれる。逆に、身体の大きさで敵に恐怖感を与え、無駄な戦いをせずに敵を追いはらうこともできる。だが、いまタスク・アニニがすべきことは敵を追いはらうことではなく、ランドール星の子供たちと親しくなることだ。 「わたしはヘイスティングズ通りの向こう側に住んでるの」と、バッキー。「わたしの家は一戸建てよ。借家じゃないわ。買ったのよ」いかにも自慢げな口調だ。 「おじさん、キャンディ持ってる?」もう一人の少女がバッキーの横に進み出て言った。クシャクシャした麦わら色の髪。物欲しげな青い瞳が、痩《や》せっぽちの少女の小さな顔には不釣り合いなほど大きく見える。 「きみ、名前は?」と、タスク・アニニ。少女の質問には答えなかった。残念ながら、キャンディは一つも持っていない。今度この街へ来るときは、必ずキャンディを持ってこよう。とにかく今日は子供たちと話せただけでも大成功だ。 「この子はシンディっていうの」と、バッキー。「わたしの妹よ。甘えん坊だけど、とってもいい子なの」  バッキーは妹のシンディを見た。二人とも、どことなく顔だちが似ている。タスク・アニニは最初に子供たちを見たときから、二人が姉妹ではないかと思っていた。 「シンディ、お母さんが知らない人からキャンディをもらってはダメよ≠チて言ったでしょ」と、バッキー。 「このおじさんは人≠カゃないもん」と、シンディ。実に論理的だ。数人の子供たちがそのとおり≠ニ言いたげに、うなずいた。子供たちにとって、たしかにタスク・アニニは知らない人≠セ。だが、ふだん子供たちが目にする人[#「人」に傍点]の姿と、イボイノシシのようなタスク・アニニの姿は、まったく違う。だが、シンディの力強い論理に感心している場合ではない。子供たちはキャンディを手に入れようと、相手の隙《すき》をついて攻めてくる。なんとかして態勢を立て直さなければならない。 「今日、キャンディ、持ってきてない」と、タスク・アニニ。「今度くるとき、持ってくる。でも、お母さんに聞いてくれ。おじさんのキャンディ、きみたち、もらっていいかどうか。おじさん、きみたちのお母さんに叱られたくない」 「おじさんの鼻も変だけど、話しかたも変だな」と、アブドル。キャンディを手に入れることができないとわかると、タスク・アニニの外見や話しかたがランドールの人々と違う点を突いてきた。 「うるさいわね、アブドル!」と、バッキー。「このおじさんは異星人よ。話しかたが違うのは当たり前でしょ」 「ぼくは、このおじさんが嫌いだ」アブドルは唇《くちびる》をとがらせた。「それに、ランドールに異星人なんているわけないよ」  タスク・アニニは考えこんだ。アブドルの間違いを指摘するのは簡単だが、そのためにランドール住民とオメガ中隊との関係が気まずくなっては困る。アブドルは恒星間航宙をしたことがないのだろう。宇宙には、自分と姿かたちが違う生命体が数かぎりなく存在する。宇宙に出れば、だれもが異星人だ。異星人どうしがうまくやってゆくには、お互いに違いを受け入れなければならない。恒星間航宙は子供たちにとって良い社会勉強の場になる。だが、子供たちが宇宙に出る機会を持てないのは、貧しさのせいだ。恒星間航宙のすばらしさを子供たちに語ってきかせるのは、かわいそうだ。恒星間航宙の話題を避けながら、異星人について教えるには、どうすればいいんだろう?  そのとき、子供たちの視線が、ある一点に集中した。 「わぁ、すごい! あれはなに?」と、バッキー。驚いて口をポカンと開《あ》けた。  タスク・アニニは振り返って、子供たちの視線の先を見た。タスク・アニニにとっては見なれた光景だ。シンシア人のスパルタクスが巧《たく》みに飛行ボードを操縦して角《かど》を曲がり、すいすいと障害物を避《よ》けながら近づいてくる。タスク・アニニはスパルタクスに向かって手を振った。 「おじさんの友達、スパルタクスだ。いま、こっちに来る」と、タスク・アニニ。 「うわあ、あれ[#「あれ」に傍点]がおじさんの友達かい?」と、アブドル。「あの乗り物は、なんだろう?」  アブドルは子供らしい純粋な好奇心に満ちた表情で、目を輝かせながらシンシア人を見た。宇宙軍の制服を着た大きなナメクジ≠ノ差別的な言葉を投げかける様子はない。 「わたしが乗っているのは、飛行ボードだ」と、スパルタクス。身体にたすきがけにした翻訳器から、豊かな声量のバリトン歌手を思わせる声が聞こえた。貴族的な堂々とした口調だ。スパルタクスはシンシア人の母星では下層階級の出身だが、初めて会った相手に褒《ほ》められると、驚くほど口調が変わる。ふだんの親しみやすい話しかたとは、まったく違う。なんとなく似合わない気もするが、こんなふうに口調が変わるのは、多くのシンシア人に見られる傾向なのかもしれない――そうタスク・アニニは思った。だが、この子供たちにはわからないだろう。 「すごいわ!」と、バッキー。「わたしにも乗りかたを教えてくれない?」 「言葉で説明するよりも、やってみるといい」と、スパルタクス。「今度ここへ来るときは、タスク・アニニに手伝ってもらって、飛行ボードを何台か持ってくる。きっと中隊長も許してくださるはずだ。そうすれば、みんなで一緒に練習できる」 「やったあ!」と、アブドル。目を丸くしている。「おじさんたちって、本当にかっこいいね!」  タスク・アニニはイボイノシシのように鼻を鳴らしてクスクスと笑った。どうやら、アブドルに異星人どうしがうまくやってゆくには、お互いに相手の違いを受け入れなければならない≠アとを教える苦労はなさそうだ。スパルタクスの飛行ボードは子供たちの新しい遊び道具として受け入れられ、ヒューマノイドの排他主義を打ちくずす強力な武器になるだろう。 [#挿絵287 〈"img\APAHM_287.jpg"〉] [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 三七八[#「執事日誌ファイル 三七八」はゴシック体]  ランドール星での生活は快適である。ローレライ宇宙ステーションで四六時中、カジノのけばけばしい人工照明の光にさらされ、いかさま[#「いかさま」に傍点]師やマフィアに囲まれて神経をすり減らしていた日々を思えば、どんなところでも天国だ。しかし、ローレライを知らなくても、ランドール星そのものが持つ魅力――美しい自然環境――に気づかない者はいない。中隊員たちは首都やその周辺地域の調査を開始し、プラザホテルに近い浜辺や島の北端の山岳地帯が、まるでガイドブックの写真のように美しい景勝地であることを知った。また、ランドール料理は昔の地球の伝統を色濃く残している。エスクリマ調理担当軍曹は大いに興味をそそられ、いくつかのメニューを自分のレパートリーに加えようとしていた。今後、軍曹の手で中隊に供《きょう》される食事が、いちだんとすばらしさを増すことは確実だ。 [#ここで字下げ終わり]  エスクリマはプラザホテルの厨房《ちゅうぼう》を見まわした。磨《みが》きこまれた調理器具が並べられ、食欲をそそる香りが厨房全体に満ちている。プラザホテルのレストランは超一級だ。そこに足を踏み入れ、実際に調理を体験できる宇宙軍の調理担当軍曹は、おそらく自分だけだろう。  おなじみの匂《にお》いが鼻をつく。ニンニクや月桂樹《ベイリーフ》、コショウ、タマネギ、トマトの混ざったピリッとする匂いと、鍋の中でグツグツと湯気を上げる米や豆の柔らかな匂い。さらに、数種類の肉料理の匂《にお》い。蒸し焼き、直火《じかび》焼き、煮こみ料理、いため物……。さて、これは何の肉だ? おそらく、ランドール星にしか住んでいない動物の肉だろう。だが、その肉が地球人に食べられるものかどうかはわからない。  まあ、そのうちわかるだろう。エスクリマはプラザホテルの料理長と会うことになっていた。料理長は自分の厨房《ちゅうぼう》を宇宙軍の食堂に変えられるのではないかと心配しているようだ。だが、それは誤解だ。エスクリマは料理長の誤解をとくために、ここへやってきた。エスクリマは熱く煮えたぎる鍋に近づき、ふたを取って中をのぞきこんだ。ほんのりとスパイスが香るシチューだ。具は、塩で味つけした肉と、タマネギと……まだある。エスクリマはシチューの味見をしようと、周囲を見まわしてスプーンを探した。  そのとき、後ろから声がした。 「あの……あなたは正規軍の調理担当軍曹でいらっしゃいますね?」 「いいえ、正規軍ではありません。わたしは宇宙軍の下士官です」と、エスクリマ。スプーンが見つからない。募《つの》る苛立《いらだ》ちを隠しながら話した。相手は、白い帽子とエプロンという伝統的なコックの服装に身を包んでいる。 「わたしはエスクリマ軍曹です。E―9レベルの調理師免許を取得しております。今日は厨房の視察にまいりました。わたしと料理長が厨房を共同で使用する件については、お聞きおよびのことと思いますが……」 「もちろんです」と、料理長。「これは実に……なんというか……興味ぶかい[#「興味ぶかい」に傍点]経験になりそうですな」 「え? いま何ておっしゃいましたか?」と、エスクリマ。「すみません。ついすばらしい厨房《ちゅうぼう》に見とれてしまって。こうして歩いているだけで、もりもりと食欲がわいてきます。ここで作られる料理を食べない宇宙軍の兵士がいたら、そいつに生命反応があるかどうか確かめるべきです。ところで、ここで初めて拝見した料理があるのですが、料理法を教えていただけませんか? これは何という料理ですか?」 「ヌートリアの|炊きこみご飯《ジャンバラヤ》です」と、料理長。「クレオール料理の一種ですな。そちらは甘酢風味のヌートリアとビンゴ豆の炒め物、もうひとつはヌートリアの蒸し焼きにパルメザンチーズをかけたもの――この三品が今夜のメニューです」 「ヌートリア≠ナすか?」と、エスクリマ。困惑した口調だ。「それは肉の一種ですね?初めて聞く名前です。その肉は、桶《おけ》に入れて熱成させたものですか?」 「いや、そうではありません。どうも勘違いなさっておられるようですな。ヌートリアは肉の加工方法を指す言葉ではありません」と、料理長。笑みを浮かべている。「ヌートリアはランドール星で最も有名な動物です。しかし、もとからランドール星に住んでいたのではありません。地球のムガール人によって持ちこまれたのです。当時、ヌートリアは珍しがられて、馬と同じ価格で取引されました。もっとも、あのころは馬もコバンアジのような食用魚も、みな高価でしたがね。しかし、そのあとヌートリアは低地の湿原で繁殖をつづけ、いまでは、われわれの主要なタンパク源として定着しています」 「なるほど。ヌートリアは地球の動物なんですね」と、エスクリマ。「料理には生肉を使うべきです。わたしは人工肉を使いません。生肉が手に入らない場合に、やむをえず使うだけです。ヌートリア肉には、どんな特徴がありますか?」 「エスクリマ軍曹、ご冗談はおやめください。本当にご存じないのですか? ヌートリア肉は非常にコクのある味です。蒸し焼きにしたり、スパイスをきかせたソースで煮こんだりすると最高ですな。ほかにも、いろいろな料理に使えます。鶏肉や牛肉と同じように用途が広くて、しかも価格はずっと安い。|炊きこみご飯《ジャンバラヤ》は、まずヌートリア肉と野菜を煮こみ、そこに米を加えて仕上げます。この鍋は肉と野菜を煮こんでいる途中です。味見をなさいますか?」  エスクリマは料理長から手わたされたスプーンで煮汁をすくって口に運んだ。 「すばらしい味だ! 料理長のおっしゃるとおり、ヌートリア肉はいろいろな料理に使えそうですね。この|炊きこみご飯《ジャンバラヤ》を中隊の食事に出せば、たちまち長い行列ができますよ。こんなにおいしいヌートリア肉を鶏肉よりも安い値段で買えることができれば、ふところ具合の寂しい宇宙軍にとって、これほどありがたいことはありません!」  料理長は笑みを浮かべた。 「わたしの言葉を信じてください、エスクリマ軍曹。一度ヌートリア肉をお使いになれば、今まで鶏肉や牛肉を使っていたところを、すべてヌートリア肉に変えたいとお思いになるはずです」 「では、善は急げ≠ナす」と、エスクリマ。「さっそく今夜から厨房《ちゅうぼう》に入り、ヌートリア料理の手順を拝見させていただきたいのですが、よろしいですか?」  まもなく二人のコックは活発な論議を展開しはじめた。さまざまなスパイスに関する知識を披露《ひろう》し合い、どこで採れた野菜が一番おいしいかを話し合った。二人の厨房の芸術家≠ェ互いの脳ミソを吸い合うかのような激しい論議は、いつ終わるとも知れず、つづいた。その様子を見た助手たちは不安を感じながらも、今夜の料理がいつもよりずっとすばらしいものになることを予感した。 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 三八一[#「執事日誌ファイル 三八一」はゴシック体]  ランドール・プラザホテルから道路を隔てた真正面に、広い空き地があった。空き地の周囲は塀《へい》で囲まれ、〈立入禁止〉の貼り紙がしてある。ご主人様は立入禁止の理由をお調べになった。その結果、この空き地は〈ランドール・パーク〉建設予定地の一部であることがわかった。〈ランドール・パーク〉とは、政府が経済復興政策の一環として巨額の資金を投じる一大プロジェクトである。しかし、完成後の〈ランドール・パーク〉がどんなものになるかを正確に知っている住民は一人もいなかった。 [#ここで字下げ終わり] 「中隊長、われわれのプロジェクトに異星の資本を入れることはできない。申し訳ないが、きみからの資金協力の話はなかったことにしよう」と、ボリス・イーストマン。囲い口調だ。 生意気な若造め!≠ニ言わんばかりの苦々《にがにが》しい表情を浮かべている。イーストマンのオフィスは狭く、カーテンや机や椅子といった調度品は安物ばかりだ。いまのイーストマンの地位では、オフィスや調度品を自分の思いどおりに変えることさえできないのだろう。フールが望んでいたのは、〈ランドール・パーク〉建設プロジェクトの責任者と面会することだ。だが、責任者≠ニして現われたのは、プロジェクトの内容を変更する権限を持たないイーストマンだった。政府側が平和維持部隊の指揮官であるフールと真面目に話をする意志を持っていないことは明らかだ。 「ミスター・イーストマン、ランドールの歴史のお話はよくわかりました。しかし、ぼくがこちらへ伺《うかが》ったのは、あなたの講義を受けるためではありません」と、フール。苛立《いらだ》っている。  さんざん人を待たせておいて、このザマか! フールは開発省の庁舎であるネオ・バウハウスふうの大きなビルに到着したとき、すぐイーストマンに面会できると思った。いきなり面会を申し入れたわけではない。前もって約束したことだ。だがフールは、いくつもの窓口をたらい回しにされた後《あと》、しばらく控え室で待たせられた。やっと受付係のデスクにたどりついたかと思うと、またしても形式的な手続を求められた。受付係は無関心な表情を装《よそお》いながらも、ときおりギラギラした好奇心に満ちた目をフールに向けた。だがフールはじっと耐えた。そして、ようやくイーストマンのオフィスへ通された。 「それはよかった」と、イーストマン。「異星の人々にはランドール星の状況を理解してもらえないことが多い。ランドール星には長い歴史がある。われわれが異星からの資本協力を受けないという方針を囲めたのは、過去の特殊な事件が原因だ」 「たしかに、その特殊な事件≠ランドールの人々よりも深く理解することは、異星人のぼくには不可能かもしれません」と、フール。いつもなら、とっくに自制心をなくして新しい敵を増やすところだが、今日はギリギリのところで苛立《いらだ》ちを抑《おさ》えている。フールは面会の前にランドール星の経済事情を広範囲にわたって調べてきた。おそらくフールの知識はイーストマンよりも深いだろう。だが、今ここで自分の知識をひけらかしても、イーストマンの感情を害するだけだ。 「しかし、ぼくが求めているのはランドール星の歴史の知識ではありません。あなたがたが異星の資本提供をお受けにならない理由≠聞かせていただきたいのです。低迷している経済状態を底上げするには、異星の資本を受け入れるのが一番てっとりばやい方法だと思いますが……」 「たしかに異星の資本を受け入れれば一時的には経済が潤《うるお》う。しかし、根本的な解決にはならない」と、イーストマン。フンと鼻を鳴らした。「きみもランドール人だったら理解できるだろうが、この星は、もともと鉱山の採掘を目的とするコロニーで……」 「わかってます。ランドール星の歴史については、前もって資料を読みました」と、フール。そろそろ我慢の限界だ。「ランドール星は西暦二五二一年に、ニュー・ボルティモアの探検隊によって発見されました。探検隊に加わっていた地質学者のアルバート・ベルペリオは、北部大陸で数種類の珍しい鉱物を大量に含む火成岩の塊《かたまり》を発見しました。現在は、その場所にベルペリオの名前が地名として残っています。さて、ベルペリオと隊長のマーティン・ランドールはニュー・ボルティモアへ戻り、鉱石を採掘するための資金として四億一千七百万クレジットを調達しました。採掘が始まったのは二五二六年で……」  フールは数分間にわたって、記憶していた歴史の知識を事細《ことこま》かに話しつづけた。 「中隊長、もうけっこうだ!」イーストマンは顔を真っ赤にしてフールの言葉を遮《さえぎ》った。「きみがランドール星の歴史に詳しいことは、よくわかった!」  イーストマンは大きなハンカチで額《ひたい》の汗をぬぐって、話しつづけた。 「おそらく、きみはランドール星の経済が一世代前に破綻《はたん》したことも知っているのだろうな」 「知っています。相次《あいつ》ぐ鉱石採掘技術の進歩が、その原因です。地層から鉱物だけを抜き取る装置が開発され、ランドール星ほど鉱物資源が豊かでない星でも、大規模な採掘をせず効率的に鉱物を得られるようになりました。装置の開発を行なったのはランドール人で、販売権をにぎったのはムガール人です。ところがムガール人は、ある日、唐突に販売権を手放しました」 「ムガール人の連中はクズだ! あいつらはランドール星を食い物にして骨までしゃぶりつくし、利益を独占して姿を消した。ランドール星は破綻の道をたどるしかなかった!」イーストマンは起りこぶしを机に叩きつけた。「その一件で、ランドール人は重要なことを学んだ。二度と同じ失敗を繰り返してはならない――資本協力という甘い言葉につられて、ランドール星を異星人の思いどおりにさせてはならない! 〈ランドール・パーク〉の建設資金は、住民からの税収で賄《まかな》う。きみのような資本家どもの世話にはならん!」  フールは、どうにか怒りを抑《おさ》えて話しだした。 「ミスター・イーストマン、あなたのお話は少しおかしいようです。お気づきかもしれませんが、われわれの中隊がランドールの商店やレストランで使ったカネは、すでに相当な金額に達しています。われわれはランドール経済に貢献しているのです。〈ランドール・パーク〉が完成し、異星からの旅行客が大勢つめかければ、ランドール経済は今後ますます異星人のおかげで潤《うるお》うことになります。〈ランドール・パーク〉の建設資金に異星の資本を少し組みこむだけで、計画はスムーズに進み、ランドール経済の復興は早まります。そうお思いになりませんか? ランドール星にとっては決して悪い話ではないはずです」  イーストマンは首を横に振った。 「中隊長、きみたちのおかげで一部の商店が大いに利益を上げたことは間違いない。だが――聡明なきみなら、すぐに気づくと思うが――これでは、きみたちから施《ほどこ》しを受けるのと同じだ。われわれは、きみの中隊が平和維持部隊としてランドールに駐留することを正式に認めたわけではない。きみたちが反政府勢力を排除してくれれば、われわれが平和維持部隊の駐留を認める大義名分が立つ。あとは何をしようと、きみたちの自由だ。買い物をするなり、食事をするなり、心ゆくまで楽しみたまえ」 「本気でおっしゃっているのですか?」と、フール。ぐっと眉根《まゆね》を寄せて顔をしかめた。「このまえ反政府勢力のお話を伺《うかが》ったときは、冗談だと思いました。以前ランドール星に派遣された平和維持部隊の報告書によれば、ここ数年のあいだ反政府勢力は大きな動きを見せていないようです。われわれが宙港に到着したとき、ぼくは反政府勢力と思われる連中に狙撃され、ようやく反政府勢力が動きだしたかと思いました。しかし、狙撃は失敗に終わりました。それ以来、動きらしい動きはありませんし、本当に反政府勢力が手をくだしたかどうかもわかりません。ぼくには反政府勢力を武力で排除する必要があるとは思えないのです。むしろ、話しあいで和平の道を模索すべきではないでしょうか」 「反政府勢力には旧政府の残党が含まれている。ふたたび政権の座に返り咲くことを狙って、いつ何時《なんどき》どんな行動を起こすか、わかったものではない。危険の芽は小さいうちに摘《つ》みとるべきだ」と、イーストマン。怒気を含む口調だ。「あの連中は人民を解放する≠ネどと言いながら、まったく人々のためにならない行動をとる。首都で発生する犯罪の大部分は、反政府勢力が陰で糸を引いている。きみが狙撃された一件にも、反政府勢力が関《かか》わっていることは間違いない。そのようにして、われわれの経済復興政策を常に妨害しつづけているのだ。〈ランドール・パーク〉建設用地の塀《へい》に貼られた三枚の紙を見たかね? そのうちの一枚は反政府勢力の連中にボロボロにされた」 「それは、ぼくも見ました。しかし貼り紙を破るなんて、じつに子供じみた行動です。その程度で経済復興政策の妨害になるとは思えません」と、フール。「もちろん、用心に越したことはありません。とりあえず反政府勢力の状況を探《さぐ》ってみます」  イーストマンはいきりたった。 「状況を探《さぐ》る≠セと? そんな手ぬるいことをしている場合ではない。一刻も早く反政府勢力を排除したまえ!」 「ミスター・イーストマン、われわれの任務は反政府勢力を排除することではありません」と、フール。「ランドール星における内戦につながる動きを確実に阻止《そし》することです。反政府勢力が首都を攻撃したり、なんらかの暴力的な行動をとったりした場合、われわれは反政府勢力の動きを抑《おさ》えます。同じ理由で、政府が暴力的な手段で反政府勢力を排除しようとした場合、われわれは政府の動きを抑えます。しかし正直なところ、ぼくは武力を行使《こうし》したくないのです――政府に対しても、反政府勢力に対しても。武力に訴えるだけではランドール星に平和は訪れません。まずは低迷する経済を復興させるべきです。ぼくが資金を提供することで、みなさんのお手伝いができれば、これほど嬉《うれ》しいことはありません。それをお話しするために、ぼくはこちらへ伺《うかが》ったのです」 「さっき言ったように、われわれはきみからの資金提供を受けたくないのだ」と、イーストマン。「きみとわたしとの話しあいは、終わったようだな」 「残念ながら、あなたのおっしゃるとおりです」フールは椅子から腰を上げた。「そのことを理解するのに、一日かかりました」  フールはイーストマンのオフィスを出た。後ろでドアがバタンと閉まった。  ニュー・アトランティスの東海岸は、ランドール星で最高の海水浴場とされていた。どこまでもつづく琥珀色《こはくいろ》の砂浜は美しく、海水は温かい。波打ち際《ぎわ》から沖にかけて、ゆるやかに海底が傾斜している。波は穏やかだ。かなり沖のほうへ出なければ、大波にさらわれる心配はない。海岸の周辺には更衣室や遊歩道、食堂といった設備が整っているが、美しい景観を損《そこ》なってはいない。  オメガ中隊員たちはランドール星に到着した朝、新しい中隊本部であるプラザホテルに荷物をおろした後《あと》、まる一日の休暇を与えられた。さっそくサンライズ・ステート・ビーチに到着したレンタカーのホバーバスは、水着姿の中隊員たち二十五名を吐きだした。ビーチマットやクーラーボックス、浮き輪、サーフボードといった荷物も一緒だ。  まだ朝早いせいで、浜辺に広げられたビーチマットやビーチパラソルの数は少ない。中隊員たちがビーチマットを広げる場所を選ぶ余地は充分にあった。ブランデーは波打ち際に近い大きな砂丘の上を選び、そこに荷物を置くと、まっすぐ海へ向かった。二十四人の中隊員たちはワーツと歓声を上げてブランデーの後《あと》を追った。まもなく海辺は大騒ぎになった。頭を海に突っこむ者。水をかけあう者。波打ち際を駆けまわる者……。その様子を見て、たちまち一般の海水浴客は離れてゆき、浮かれ騒ぐ新参者を遠まきに眺《なが》めた。  しばらくして、ランドール人の若者ふたりが砂浜に残った中隊員たちに近づいてきた。二人のうちの片方がクァル航宙大尉に話しかけた。 「あなたがたは、この土地のかたではありませんね」  クァルはスーパー・ナットに頼んで、自分の身体を砂に埋めてもらっている途中だ。 「そのとおり。きみの観察眼は、なかなか鋭い」と、クァル。アロサウルス属の恐竜のような歯を見せてニヤリと笑った。  ランドール人は思わず後《あと》ずさりした。だが、小柄な女性が恐れもせずに、恐竜のような歯を持つ生命体の身体に両手で砂をかけているのを見て、ふたたび話しかけてみることにした。 「あなたは異星人なのに、|流 暢《りゅうちょう》にお話しなさいますね」 「安心したまえ。われらゼノビア人は、みな言葉を話す。わし以上に雄弁な者もいる」と、クァル。笑い声のこもった陽気な口調だ。「コーグ第一総統の話しぶりを、一度お見せしたいものだ」 「そうですか。大したものですね」と、ランドール人。痩《や》せた身体つきの若者だ。どう見てもヘアスタイルが左右非対称で、髪を刈りなおす必要がある。「ぼくはオキダタと申します。こっちはガールフレンドのワンダルンです。ぼくたちはサウス・ウォートンから来ました。〈|砂の惑星《デューン》パーク〉から少し行ったところです」 「わしはその地区を知らぬが」と、クァル。「そこにお住まいのあなたがたにお会いしたからには、訪れてみることとしよう」 「クァル、相手が名のったときは、あなたも自分の名前を言うのが礼儀よ」スーパー・ナットは笑いながら言い、二人の若者に向きなおった。「この人はクァル――こちらの習慣には、あまり詳しくないのよ。わたしはスーパー・ナット。わたしたちは街の西側にあるランドール・プラザホテルに泊まってるの」 「すごいわ! あそこは高級ホテルじゃないですか!」と、ワンダルン。目を丸くしている。「ずいぶん優雅なご旅行ですね」 「いいえ、違うわ」と、スーパー・ナット。「わたしたちは仕事できたのよ。今日は上司が特別に休暇をくれたから、みんなで海に来ることにしたの。ここはとてもきれいね。来てよかったわ」 「すばらしい上司だな」と、オキダタ。「ぼくが前に勤めていた会社の上司は、ひどいもんだった。ぼくは妹の葬式で会社を休んだとき、事前に連絡しなかった≠ニいう理由で会社をクビになりました。それこそ事前の解雇通告も何もありません。さんざん交渉した結果、なんとか失業保険をもらえることになったんです。新しい職を探そうと思っても、この不況では求人が少ないし……。いま、政府が新しい遊園地を作っていて、そこで働く人を募集したんですが、大勢の希望者が殺到しました。ウィーゼルで求人があったときも大変な騒ぎでしたが、それ以上でした。結局、ぼくは選考にもれて、いまだに仕事を探してます。このままでは、ぼくが仕事を見つける前に失業保険の給付期間が終わってしまうかもしれません」 「それはお気の毒ね。前のお勤め先では、どんな仕事をなさってたの?」と、スーパー・ナット。 「遊園地で技師をやってました」と、オキダタ。「正確に言えば、技師見習です。工具を運んだり、こぼれた機械油を拭いたり、身体を汚す仕事ばかりしてました。それ以外に仕事はなかったんです。仕事が終わって家に帰るころには、頭から爪先《つまささ》まで真っ黒でした。それでも、食べるためには働くしかありません」  オキダタは笑みを浮かべて話しつづけた。 「遊園地で働くことは、子供のころからの夢でした。父は印刷工をしていて、ぼくにも印刷工になってほしいと考えてました。でも、ぼくは遊園地で働きたいと、ずっと思ってました」  オキダタはスーパー・ナットとクァルを横目で見て、急に親しみをこめて話しだした。 「あなたがたは、どうですか? ぼくは異星の人たちが仕事でランドール星へ来るとは思いませんでした。ぼくたちランドール人が、まともな仕事にありつけなくて困っているというのに……」 「お気持ちは良くわかるわ」と、スーパー・ナット。  クァルの身体はスッポリと砂に覆《おお》われた。スーパー・ナットは砂の最後の一杯をかけると、両手についた砂を払い落とした。 「わたしの故郷でも、求人が少なくて大変よ。だから、わたしは宇宙軍に志願したの。わたしたち宇宙軍は平和維持部隊としてランドール星に来たのよ。あなたも宇宙軍に志願して、わたしたちと一緒に働いてみない?」スーパー・ナットはニッコリした。 「軍の仕事は朝も夜も関係ないから、交代要員がたくさん必要なんでしょうね」と、オキダタ。「ぼくは内戦が終わってから、一度も銃を撃っていません。内戦が終わったあとのランドール星は荒れ果ててしまいました。でも、ただひとつ嬉《うれ》しかったのは、もう銃を撃つ必要がないということでした。でも、ぼくはこのチャンスを生かしたい。毎月きまった給料がもらえるなら、ぜひ宇宙軍に志願しようと思います」 「わたしも志願しようかしら」と、ワンダルン。「わたしは一年前に学校を卒業して、それからずっと仕事を探してます。何度か短期のアルバイトをしたけど、どれも期間が短くて、二週間もありませんでした。わたしの友達も、みんな同じ状態です。仕事を見つけるのを諦《あきら》めちゃった娘《こ》もいます」 「あらあら、そんなに簡単に志願を決めないでよ」と、スーパー・ナット。「宇宙軍に入れば、毎月きまった給料がもらえるし、一日三回の食事も出るし、自分の母屋以外の星へ行くこともできるわ。でも、身体を汚す仕事が多いことも事実ね。まずは中隊長に会って話を聞いてみたらどうかしら? 宇宙軍の仕事が、あなたがたのご希望に添うかどうか、わかると思うわ。二週間のアルバイトとは違うのよ。これから何年も勤めることになるんだから、ちゃんと考えて決めないとね」 「わかりました。そうします」と、オキダタ。だが言葉とは裏腹《うらはら》に、いぶかしげな表情を浮かべている。 「宇宙軍で働けることは名誉だ」と、クァル。砂山の下から声を上げた。「ピエロ中隊長は、めったに経験できぬことを経験する機会を隊員たちに与えてくださる。しかし、きみたちはまだ若すぎる。憧《あこが》れだけでは、与えられた機会を生かせんぞ」 「そうですね。よく考えてみます」と、ワンダルン。オキダタの手を取った。「行きましょ、オーキー。ねえ、新しい遊園地が完成したかどうか見にいかない?」  二人の若者は浜辺をブラブラと歩きだした。遊歩道の向こうに中規模の遊園地が見える。若者たちが立ち去った後《あと》、海から上がったタスク・アニニが滴《しずく》をたらしながら、スーパー・ナットに駆け寄ってきた。光に敏感な目を守るため、黒くて分厚《ぶあつ》いゴーグルをかけている。 「スーパー・ナット、あの二人、だれだ?」と、タスク・アニニ。スーパー・ナットが顔をしかめていることを心配した。「あの二人、あんたを回らせたのか?」 「あなたが心配するようなことは何もなかったわ」と、スーパー・ナット。浜辺を歩いてゆく若者たちの後ろ姿を見ている。「わたしが気にしているのは――あの二人の話が事実だとしたら――ランドール星の大勢の若者たちが仕事に就《つ》けなくて困ってるってことよ。そのせいで、わたしたちの仕事がやりづらくなるかもしれないわ」 「つまり、おれたち若者たちから仕事を奪った≠ニ思われてて、恨《うら》まれているということか?」と、タスク・アニニ。「それ違う。おれたちランドール星に来て職に就いたんじゃない。おれたち人々に利益を与えに来た。これから先、もっとたくさん利益を人々に与えられる」 「それでもランドールの人たちは、わたしたちに良い感情を持ってないかもしれないわ。ランドールの人々が持ってないオカネを、わたしたちは持ってる。しかも、オカネを使いまくってるわ。それを見たら、人々は平気ではいられないはずよ」と、スーパー・ナット。首を左右に振った。 「たしかに、今の状況は問題を引き起こすかもしれん」と、クァル。「わしらの力で状況を変えられることもあるが、力の限界があることも知っておく必要がある」 「なかなかの名言ね」と、スーパー・ナット。「今回の任務が、わたしたちの力の限界を越えてないことを祈るだけだわ」 「小さな女傑よ、恐れることはない」クァルはクスクスと笑った。「わがゼノビア帝国には、こんな| 諺 《ことわざ》がある――沼は砂漠よりも水が多い。川は沼よりも水の流れが速い=v 「え? どういう意味なの?」と、スーパー・ナット。クァルの話を聞いていると、いつも疑問に思うことがある――あの翻訳器は正しく作動しているのかしら? 「気にするな」と、タスク・アニニ。「いま、おれたち海にいる。ここで考えこんでも、しかたない。さあ、泳がないか?」 「海まで競争よ!」  スーパー・ナットとタスク・アニニは海へ向かって駆けだした。クァルは砂に身体をうずめたまま目を閉じて、気持ちよさそうな笑みを浮かべた。 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 三八七[#「執事日誌ファイル 三八七」はゴシック体]  ランドール星の現政権に対するご主人様の感情は、やや懐疑的な色あいを帯びはじめた。ご主人様はランドール星の経済復興に一役を買おうと、〈ランドール・パーク〉建設計画への資金協力を政府にご提案なさった。だが、政府は明らかに〈ランドール・パーク〉に関する具体的な情報をご主人様に提供することを渋っており、〈ランドール・パーク〉の建設資金は膨大なものになる≠ニ公言しておきながら、ご主人様の資金協力をきっぱりと拒否した。  ご主人様に懐疑心を芽生えさせた原因は、ボリス・イーストマンの不自然な態度である。イーストマンはオメガ中隊に反政府勢力の武力排除を求め、その理由として、宙港でご主人様が狙撃された一件に反政府勢力が関《かか》わっていることを強調した。ご主人様はイーストマンの言葉に何か裏があるとお考えになり、塀《へい》で囲まれた〈ランドール・パーク〉建設用地の中に何があるのかを探《さぐ》ろうと決意なさった。しかしながら、ご主人様のご決意を促《うなが》した原因がボリス・イーストマンだけだと断言するのは、少し事実と違うような気もする。ご自分の提案が政府に受け入れられなかったことに対して、仕返しをなさりたいというお気持ちが、ご主人様のお心にまったく存在しなかったとは言いきれない。心理的な問題はともかく、ご主人様は複数の惑星間データベースを駆使して〈ランドール・パーク〉に関する情報収集につとめたが、なんの収穫もなかった。そこで、ご主人様はデータベースの助けを借りず、ご主人様なりの方法で調査をなさろうと思いたった――〈ランドール・パーク〉建設用地へ中隊員を差し向けたのである。 [#ここで字下げ終わり] 「おれたちは何を探《さが》せばいいんだ、スシ?」と、ドゥーワップ。ドゥーワップとスシは、さびれた街の中にいた。ここは昔、ランドール・シティの工業団地として栄えた地域だ。二人とも私服姿で、ゴミだらけの道に立っている。ほかの人影は、ほとんどない。たまに見かける歩行者はドゥーワップとスシの姿に気づくと、道を横切ったり、さっと路地に入ったりして二人を避《さ》けた。街に活気がないと、人の心まですさんでしまうものか――そう思わずにはいられなかった。 「中隊長は、おれたちが探すべき物をはっきりと指示なさらなかった」と、スシ。表面に赤サビが浮いた塀《へい》の前に立った。塀には文字が書いてある。ところどころ消えた文字を補《おぎな》うと、≪〈ランドール・パーク〉建設用地≫と読めた。スシは塀の隙間《すきま》をのぞきこんだ。プレハブ小屋が見える。壁は落書きだらけだ。地面には割れた酒ビンが大量に落ちていた。鮮《あざ》やかな青い花をつけた高い木が一本、雑草だらけの土に生えている。見たところ、金目の物は一つもない。 「まいったな」と、ドゥーワップ。「こんなに面白くない景色を見たのは、ハスキン星の沼地に駐屯《ちゅうとん》したとき以来だぜ。おれたちをこんなところへ行かせて、なにを探すかも指示しないなんて、中隊長はどういうつもりだ? どうやって探すべきもの≠探せばいいんだよ?」 「頭を使え」と、スシ。「おまえも聞いただろ、政府はこの塀の中で秘密のプロジェクトを進めているそうだ。だが中隊長はプロジェクトの中身をご存じない。ただ、そのプロジェクトに膨大な資金が必要だってことは、はっきりしてる。おそらく政府が作っているのは、とてつもなく大きなものだ。いくら秘密のプロジェクトでも、大きなものなら人目につく。それに、この街には古びた建物が多いから、新築中の建物は特に目立つ。まあ目立つ建物といっても、ホットドッグ・スタンドでないことだけは確かだな」  ドゥーワップは顔をしかめた。「そんなに大きくて目立つものだったら、わざわざここへ来なくても、プラザホテルの屋上に昇れば見えるじゃないか。高倍率の双眼鏡を使えば、塀《へい》の隙間《すきま》からのぞくよりも、ずっとよく見えるさ」  スシは肩をすくめた。「もちろん中隊長は、それを実行なさった。でも何も見えなかった。この塀の中で作られているものは大きいが、高さはないのかもしれない。上から見てわからなければ、スパイを送りこんで塀の中を探《さぐ》らせようと中隊長がお考えになっても、べつに驚くことじゃない。中隊長が欲しいのは空軍の目じゃなくて、歩兵の目だ。中隊長は、おれたちが何か有益な情報をつかむことを期待なさってる。だったら、おれたちはその期待に応《こた》えるしかない」 「なるほど。あんたの言いたいことはわかった」と、ドゥーワップ。割れたレンガの破片をけとばした。近くの建物から落ちてきたものらしい。「おれが言いたいのは、中隊長が探してるものは、ここにはないってことだ」 「ああ。今の段階では、そのようだな」と、スシ。「でも、たっぷり時間はある。そのへんを歩いてみよう。そろそろバーが開《あ》く時間だ。この街にも、賭博《とばく》好きの飲んべえがいるはずだ。そういう連中から秘密のプロジェクトの話を聞きだすついでに、あぶく銭《ぜに》をせしめてやろう」 「おいおい、夢は大きく持とうぜ」と、ドゥーワップ。「チャンスはどこに転がってるかわからない。あぶく銭どころか、二キロのダイヤモンドの山にぶちあたることだって……おい、この音はなんだ?」  スシは立ち止まって耳を澄ませた。遠くから、一定のリズムを保つ鈍《にぶ》い音が聞こえてくる。大きなハンマーで太い木材をたたくような音だ。スシはニヤリと笑って言った。 「よくわからんが、おれたちは獲物《えもの》の近くにいるのかもしれない。音は、どっちから聞こえてくる?」 「進行方向にむかって右側からだ」と、ドゥーワップ。「行ってみよう」  二人は、ガラクタが放置された空《あ》き地と崩れかけたビルに挟《はさ》まれた道を歩きだした。音は、しだいに大きくなってくる。 「たぶん、これは杭《くい》うち機の音だな」と、スシ。 「もしかしたら機械じゃなくて、図体《ずうたい》のデカい男が大きなハンマーを振るってるのかもしれない」と、ドゥーワップ。大げさに怖がるそぶりをした。「そんなやつと丸腰でご対面するのは、ごめんだぜ。こっちが簡単にやられちまう」 「心配するな。きっと、そいつはいい奴《やつ》だ。おれたちを大きなハンマーでぶちのめしはしないさ」と、スシ。笑みを浮かべている。「おれたちの後ろには宇宙軍で最高のオメガ中隊がついてる。それに、おれはヤクザのファミリーを代表する男だ」 「ああ、そうだな。忘れてたよ」と、ドゥーワップ。「だったら、あんたが先に行ってくれ」  スシはドゥーワップの上腕を拳《こぶし》でたたいた。「わかったよ、トラの皮をかぶったネコめ。おれの予想としては、若い連中がクラブハウスかなんかの建築現場で作業してるだけだと思う。ただ気になるのは、連中がおれたちに群《むら》がってきて、キャンディをくれ≠ニかカネをくれ≠ネんて騒ぎだしはしないかってことさ」 「なあ、相棒。おれが育った街は、こことそっくりなんだ」と、ドゥーワップ。歩きながら、目を左右に動かして、あたりの様子を窺《うかが》っている。「おれは八歳になるころには振動ナイフを持ってたし、ひげを剃《そ》りはじめるよりも先に戦闘ナイフを使いはじめた。おれと同じような悪ガキどもは、この街にもいるはずだ。ガキどもが群がってきたら、気をつけたほうがいい。とんでもないことをやらかすかもしれん」 「そうだな。でも、おれたち二人は、この街のガキどもよりも有利な立場にいる」と、スシ。 「どういうことだ、スシ?」 「第一に、きみは子供のころに、こういう街で生き抜くテクニックを身につけ、そいつを生かして十五年もやってきた。だが、ここの子供たちはまだ勉強中の身だ。第二に、きみが知らないテクニックを、おれはたくさん知っている」  ドゥーワップはうなずいた。「ああ、それもそうだな。だが、おれにはまだ心配なことがある」 「よし。おれがその心配を切り落としてやるから、話してみろ」 「あの音を立ててる奴《やつ》がガキじゃなくて、大の男だったらどうする?」  スシはニヤリと笑った。「そのときは、もっと気をつけるしかないさ。さあ、行こう」  二人は音のするほうへ向かって歩きつづけた。  フールとブランデーは、プラザホテルのプールサイドでテーブルをはさんで座り、日光浴を楽しみながら、新入隊員の訓練の進行状況について話しあっていた。最初はどうなるかと思った新入隊員たちも、訓練のおかげで鍛《きた》えられ、そろそろ中隊の通常任務をこなせる程度にまで成長した。フールは、できるだけ多くの部署に新入隊員を配置し、早く現場に慣れさせようと考えている。  問題は、隊員を二人ずつの組に分ける場合の組みあわせだ。まったく経験のない新入隊員を経験ゆたかな古参の隊員と組ませるべきか、あるいは既存のペアを残して、新入隊員どうしでペアを作るべきか……。ブランデーは既存のペアを残すべきだと主張した。フールは一度すべてのペアを白紙に戻し、新入隊員を加えて新しいペアを作るべきだと主張した。議論のすえに出た結論は、二つの案の中間点に落ちついた。つまり、ひとつひとつのペアを個別に検討して、残すべきペアは残し、組みあわせを変えるべきペアは変えるということだ。まず残すべきペアとして二人の意見が一致したのは、タスク・アニニとスーパー・ナットのペアだ。では、スシとドゥーワップのペアをどうするか? 「あの二人を組ませたのは、お互いに学びあうところが多いと思ったからだ」と、フール。「ドゥーワップは衝動に駆られやすい。とくに、自分の物と他人の物を区別しようという意識が薄い。釘付けにしていない物は何でもかすめとってしまう。スシは、ものすごく計算だかい。下手をすると、お高くとまったやつ≠フ見本だなんて言われかねない。両極端の二人がペアを組めば、それぞれの悪い部分を打ち消しあって、うまくいくと思ったんだが、うまくいきすぎた[#「いきすぎた」に傍点]。このままだと二人が結託《けったく》して良からぬ方向へ走りそうだ。このペアを解消して、どちらかを新入隊員のマハトマと組ませれば、倫理観が身につくかもしれん」 「マハトマにとって、あの二人は毒が強すぎます」と、ブランデー。「ドゥーワップとスシのことは、神がお守りくださいます。このペアは残すべきです。完璧な組みあわせだと思います」 「完璧すぎる」と、フール。首を左右に振った。「われわれがローレライを出発した日から、どうも二人の様子がおかしくて……」 「中隊長、お言葉に気をつけてください。いまドゥーワップとスシが、こっちへ来ます」と、ブランデー。プールの向こう側を見やった。「ニコニコ笑ってますよ。良い知らせがあるのかもしれません」 「いや、違う。賭《か》けてもいい」と、フール。ドゥーワップとスシに向きなおった。「きみたち二人は、今まで何をしてたんだ?」 「仕事です」と、スシ。「〈ランドール・パーク〉の様子を探《さぐ》ってきました。あの塀《へい》の中に何があったと思います?」 「きみたちの表情から察するに、ぼくが聞きたい話ではないようだな」と、フール。「とにかく話を聞こう。つづけてくれ」 「いやだなあ、中隊長。おれたちをもっと信用なさるべきですよ」と、ドゥーワップ。「これでも、おれたちは場数《ばかず》を踏んでます。そうそうヘマはやらかしません」 「中隊長は、おれたちの話をお聞きになりたくないようだ」と、スシ。ひじでドゥーワップの脇腹をつついた。「おれたちが話そうが話すまいが、数カ月後に〈ランドール・パーク〉が完成すれば、わかることだ」 「ああ、それもそうだな。中隊長に建築現場へ足を運んでもらって、ご自分の目で確かめていただけばいい」と、ドゥーワップ。片目をつぶってみせた。 「すまない。ぼくは、きみたちの性格をもっとよく理解するべきだった」と、フール。二人の部下の目を見て、できるだけ誠実な口調で話しつづけた。「ぼくは、きみたちの性格を誤解していた。それに、きみたちがせっかく報告しにきてくれたのに、つまらないケチをつけてしまった。悪かった」 「それはつまり、中隊長がおれたちに謝ってくださってるってことですか?」と、ドゥーワップ。スシに向き直った。「おれたちの信用は回復したってことか?」 「おれには、そう聞こえた」と、スシ。直立不動の姿勢をとった。「中隊長、われわれが行なった偵察任務の状況をご報告させていただきます。プラザホテルの正面玄関を出発したのは一三〇〇時、その方角は……」 「ふざけるのもいい加減にして! 長ったらしい前置きはたくさんよ!」と、ブランデー。「結局、あんたたちは何を見つけたの?」 「曹長が、ふざけるのをやめろ≠ニさ」ドゥーワップはスシに言った。「このぶんだと、おれは新入隊員といっしょに訓練のやり直しをさせられるかもな……」 「そんなにふざけるのが好きなら、つづけなさい。わたしの考えてることが、わかるはずよ。それでもいいの?」ブランデーは低い声で凄《すご》んだ。「さあ、話して!」 「中隊長も曹長も、おれたちの話をお聞きになりたいのは、よくわかりました」と、スシ。話の腰を折られて不満げな表情を浮かべていたが、その場の全員が話を聞く態勢になったのを見てニヤリと笑い、話をつづけた。「では話します。おれたちが見つけたのは、ジェットコースターです」 「ジェットコースター[#「ジェットコースター」に傍点]?」ブランデーとフールは同時に声を上げた。 「そうです。しかも、一つだけではありません」と、スシ。「少なくとも三つのジェットコースターがあり、それぞれが違う設計のものです」  フールはポカンと口を開《あ》けた。「間違いないんだろうな?」 「選挙で不正をしてはいけない≠チていうのと同じくらい、当たり前のことです」と、ドゥーワップ。 「ご自分の目でお確かめください」と、スシ。肩をすくめた。「われわれが見たものがジェットコースター以外のものに見えるのであれば、喜んでご意見を聞かせていただきます。まだ建設中なので、もしかしたらジェットコースターではないのかもしれません。また、ジェットコースターと思われる三つのほかに、もう一つ建設中のものがあって、これは完全に隠されていて見えませんでした。とにかく、この配置図をご覧ください。現段階でわかることは、これだけです。この配置図を描くために、税金滞納で差し押さえとなった工場の屋根に昇らなければなりませんでした」 「ジェットコースターとはね……」と、ブランデー。「どうもわからないわ」 「わかるさ」と、フール。「ぼくには経済復興政策の中身が見えてきた。いや、最初からわかりきったことだよ。政府は巨大なテーマパークを作ろうとしてるんだ!」 「わかりきったことを、なぜ秘密にしておくんでしょう?」と、ブランデー。顔をしかめている。「観光目的で建設するものなら、銀河全体に宣伝しようと考えるのが普通だと思います」 「それはそうだ」と、フール。「ぼくに考えつく理由はただ一つ――アイデアが盗まれるのを恐れてるのさ。ランドール政府は異星人に干渉されることを異常に警戒している。異星人が自分たちに協力してくれる≠ニいう考えかたをしないんだ。ぼくたちはランドール人の考えかたを変えなければならない」 「おっしゃるとおりです」と、ブランデー。「でも、どうやって変えるんですか?」 「まだわからない。少し考える時間をくれ。思いついたら話すよ」 [#改ページ]       13 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 三九三[#「執事日誌ファイル 三九三」はゴシック体]  ランドール政府がひそかに進めている事業が巨大テーマパークであることが判明し、数々の疑問が解けた。これで、惑星外の客を呼びこむための政府の戦略はわかった。ランドールを一大遊園地として売り出し、銀河における絶叫マシーンのメッカにするつもりらしい。たしかに、妙案にはちがいない。類のない見事な砂浜と安定した気候、エキゾチックな風景を備えた惑星ランドールは、すでに有名な観光スポットとして知られている。望ましい自然に、人の手による最高の娯楽を付け加える――巧妙な戦略であり、ランドール人の気性にも合う。  だが運の悪いことに、政府の事業にはいくつか不利な点もあった。少し前の戦乱――反乱軍の活動ぶりが大げさに報告された――のおかげで、休暇をランドールで過ごそうと考える観光客は減った。派手な宣伝キャンペーンを行なえば、この悪印象は拭《ぬぐ》い去れる。ところが政府は、この方面に力を入れる気がまったくない。健全な広告の力を熟知なさっておられるご主人様は、ぜひとも宣伝活動が必要だとお考えだった。たまたま、ある会談がもとで、事態は別の展開を見せることになった。 [#ここで字下げ終わり] 「いとしの中隊長、起きてください」  通信機からマザーの声が飛び出し、フールは思わずビクッとした。眠っていたわけではない。ひそかに集めた新しい情報の分析に気を取られていただけだ。 「面会希望者がきています。ランドール人です」と、マザー。 「われわれが知っている人物か?」 「名前はオキダタだそうです。スーパー・ナットとクァル大尉を知っていると言っています。まだ若い男です。もしかしたら、ナットとお近づきになりたい[#「お近づきになりたい」に傍点]んじゃないでしょうか? 宇宙軍に入りたいそうです」 「まるで、ぼくが新兵募集担当士官にでもなったみたいだな。ほかにも仕事が山ほどあるのに」と、フール。ふと、ラヴェルナのことが頭に浮かんだのだ。この面会希望者を、もっと暇な者の所へまわそうか? 一瞬、そう思った。だが、気が変わった。外部の人間と接するのも、いい気分転換になるかもしれない。この若者と話せば、この惑星での任務に役立つ情報が手に入るはずだ。「通してくれ」  入ってきたオキダタの服装は――ランドールの民間人をあまり知らないフールから見ると――アルバイトの面接にきた学生のような感じだった。若者はいくぷん緊張ぎみにフールと握手すると、すすめられた椅子に腰をおろした。 「浜で、オメガ中隊の人たちと会いました」と、オキダタ。「仕事がなくて失業者が多いと言うと、入隊してはどうかと言われました。本気かどうかわかりませんが、いつまでたっても仕事が見つからないし、それならいっそ、宇宙軍の仕事がどんなものか話を聞いてみようかと思ったんです」 「なるほど、きみの質問すべてに答えられるかどうかはわからない」と、フール。「だが、まずどんな仕事を捜しているのか話してごらん。きみの希望に合う仕事が宇宙軍にあるかどうかは、ぼくにもわかると思う」 「ぼくは、もともとジェットコースターの技師でした……失業したとき、ほんとは政府の新しい遊園地に就職することになってたんです。ところが、従兄《いとこ》が反乱軍にいるため、採用は取り消されました。誘導尋問にひっかかったんです」 「本当か?」と、フール。上等の肉に跳びつく飢えたイヌのような勢いだ。「きみに写真を見せたら、何を写したものかわかるだろうな?」  つづく十五分で、フールはジェットコースターを初めとする絶叫マシーンについて、これまでの生涯で手に入れた分よりも大量の知識を手に入れた。オキダタの入隊希望は変わらなかった。隠し撮りしたホロ映像から判断すると、政府のテーマパークには、現存するジェットコースターの最高峰――ウルトラマシーンとでも言うべきもの――が建設されているらしい。 「規模の見当がまちがってなければ、これはランドールで最大のジェットコースターになります」と、オキダタ。感心して頭を振っている。「最初の下り坂が始まる位置が高い。たぶん、〈ドレサージュ・パーク〉にある〈キングスネーク〉より十メートルは高いでしょう。車両はものすごいスピードで滑《すべ》り降ります。それに、ほら、ここのらせん状[#「せん状」に傍点]のループ構造を見てください! 宙返りが連続するんです! 誰だって乗りたがるに決まってますよ」 「しかし、一つ問題がある」と、フール。「きみの話から考えると、ランドールの住民はよほど絶叫マシーンや遊園地に熱をあげているらしい。そうなのか?」 「そうだと思います。ぼくはほかの惑星へ行ったことがありませんから、よくわかりませんけど。でも、とにかくランドール人はジェットコースターが大好きです」  オキダタはものほしげに、新しいジェットコースターのホロ映像を振り返った。フールは机に肘《ひじ》をついて両手を組み、その上に顎《あご》を乗せた。 「わかった。では、ランドール史上で最大の……おそらく銀河でも最大のテーマパークを造るというのが、政府のマスター・プランだな。食糧の不足を補う巨大な娯楽……失業者問題を解決するより先に、楽しみを与えてしまおうというわけだ。しかし政府は、この計画を秘密にしている。きみが政府のテーマパークに就職したとしても、きっと何も教えてもらえなかっただろう。あの何もない土地でガチャガチャと大きな音を立てて、政府が何をしているのか――ぼくの中隊員たちは、しのびこんで探《さぐ》り出さなければならなかった。なぜ政府は、この計画を派手に宣伝しないんだろう?」 「そうですね、ぼくの考えですけど」と、オキダタ。「すでに五つか六つ絶叫マシーンの遊園地があって、たがいに足を引っぱり合っています。どこか一ヵ所に新しい乗り物ができると、客はそこへ流れます。別の所にもっとすごい乗り物ができれば、そっちへ流れます。だから、政府が新しい遊園地を建造するという噂が洩《も》れれば、ほかの遊園地は隠しカメラやら何やら、いろいろな手を使って建設現場を探《さぐ》り、開園前に秘密を盗もうとするでしょう。最初の下り坂はどのくらいの高さから始まるか?″……宙返りは何回あるか?″……ビデオを使った人工映像で視界をコントロールするのか?=c…。新しい絶叫マシーンが登場すると、その列に並ぶ人間の半数がほかの遊園地のスパイだったりします。自分たちの遊園地のために、できるだけアイデアを盗もうとするんです」 「それじゃ政府は、個人が遊園地を経営する場合と同じ方針で、事業を運営しているのか」と、フール。「本当の勝負は、惑星外の客を引きつけられるかどうかだ。それなのに、客の数をこれまでと同じ程度に見積もって、ほかの遊園地に客を奪われまいとしているわけだ」 「そこまでは考えませんでした」オキダタは頭をかいた。「でも、そう考えると筋が通りますね」 「惑星外の客を獲得したければ、惑星外へ宣伝しなければしょうがない」と、フール。手のひらをピシャリと机にたたきつけた。「客がたくさんランドールへ来るようになれば、競争相手のことなんか心配する必要はない。ランドール人全員に行きわたるだけの職ができる。政府は古いやりかたにこだわっているが、勝負の性質が変わったのだ。きっとほかにも、変えていかなければならない点が……」  オキダタは思いきって口をはさんだ。「ぼくみたいな経歴の人間も、こちらでお役に立てるかもしれませんね」微笑を浮かべている。 「そのとおりだ」と、フール。急に立ちあがった。「中隊のオフィスで入隊申込書の用紙をもらいたまえ。ぼくが考えている仕事には、きみが適任だ」 「つまり、ぼくに宇宙軍に入隊しろとおっしゃるんですか?」と、オキダタ。フールの動きを目で追っている。ホロ映話器やプリントアウトをブリーフケースにしまいはじめたフールが、顔をあげて答えた。 「まだ入隊というわけではない……民間人のコンサルタントとして雇うことになるだろう。きみにうってつけの仕事があることは確かだ。とにかく、用紙に記入して提出したまえ。中隊はこれから忙しくなる。きみも、われわれといっしょに働いてもらいたい」 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 四〇五[#「執事日誌ファイル 四〇五」はゴシック体]  これまでに中隊が把握したランドールの状況の中で、反乱軍の人数は未知のまま残っていた。形の上では、オメガ中隊がランドールへきた目的は、政府の利益を保護すると同時に、反乱軍の利益をも保護することである。しかしながら、ご主人様がランドールへ降り立たれたときに狙撃された事件をのぞけば――これも本当に反乱軍のしわざかどうか、疑問の余地はあるが――反乱軍は気配すら見せていない。ご主人様は、この点が腑《ふ》に落ちないご様子だ。ご主人様のご性格では、いずれはご自分で反乱軍と対面なさって、実情を把握しようと思われるはずだ。〈ランドール・パーク〉の実態が判明したことが、この行動のきっかけとなった。  言うまでもなく、わたくしはご主人様のこのお考えを、あまりにも楽観的すぎると思った。かといって、ご主人様がわたくしごとき者の異論に耳をかたむけてくださるとは思えない……。 [#ここで字下げ終わり] 「なるほど、これがランドール政府が建設中の代物《しろもの》か」と、フール。  探すものさえわかれば、あとは簡単だ。フールは超小型ロボット・カメラをいくつか、問題のジェットコースターの近くにしかけた。政府の昆虫型警備ロボットに追われて破壊されたが、その前にホロ映像を転送してきたため、政府の巨大なジェットコースターの全貌がつかめた。 「いや、驚きましたな、ご主人様」と、ビーカー。主人の肩越しにホロ映像をのぞきこんでいる。「僭越《せんえつ》ながら、わたくしの意見を申しあげますと、現実ばなれした事業です」 「だが、なかなかすばらしい」フールは椅子の背にもたれた。「外貨を集めてこの惑星の景気を回復するには、テーマパークはまさにおあつらえむき[#「おあつらえむき」に傍点]だ。いや、こんな巨大なジェットコースターは初めて見た」 「わたくしなどの見かたよりも、ご主人様のご判断のほうが正しいことでございましょう」と、ビーカー。明らかに、フールはどランドール政府の計画に感服していない。「わたくしは、一つの事業にすべての資本を投資するのは、きわめて軽率なやりかただと考えます。それに、ご主人様もご指摘なさいましたが、政府は惑星外の投資家に興味を示しません」 「まあ、ぼくが投資を申し出たときはそうだった」と、フール。「残念ながら、この惑星の人々が歴史から学んだことは、外貨に経済を支配させない≠ニいう点だけだ。おかげで、政府は一つの事業に全資産を注《つ》ぎこんでいる。それも、きわめて危ない事業に」 「この種の行為が破滅につながることは、歴史が証明ずみでございます」と、ビーカー。重重しい口調だ。「この事業が失敗すれば……」  途中で言葉を濁《にご》したビーカーに代わってフールが先をつづけた。 「失敗すれば、ランドールの経済が破綻《はたん》する」椅子から身を乗り出し、ホロ映像を指さした。「このとんでもない[#「とんでもない」に傍点]代物《しろもの》自体は決して悪い案ではない。これ一つで、政府は目的を果たせそうだ。あと一歩で……」  不意に、フールは夢見るような表情を浮かべた。  ビーカーはフールの考えを察した。 「ご主人様、オカネをどぶに捨てることをお考えでしたら、ローレライへ戻られて、マクシーン・プルーイットの経営するカジノで何かゲームをなさったほうがよろしゅうございます。そのほうが、今お考えのやりかたよりもオカネを失われるペースはかなり遅く、気をもまれる機会は少なくなりましょう」  フールはクスクス笑った。 「ぼくの考えをすべてお見通しなんだな、ビーカー。でも、聞いてくれ。政府の方針でどう見てもまずいのは、経済再建を〈ランドール・パーク〉だけに頼っている点だ。この惑星にはテーマパークを成功させるだけの資本がないし、ノウハウを持つ人間もいない」 「ただし、ご主人様だけは別でございます」と、ビーカー。ニコリともしない。 「そう、ぼくは別だ」と、フール。自己満足を絵に描《か》いたような笑顔を見せた。 「ご主人様は、この惑星の人々の殺し合いを防ぐために派遣されたのでございます。この惑星の経済を再建するためではございません」 「だが、ここでは殺し合いは起こっていない。だから、何かほかに妥当な仕事をしなければならない」 「ランドールの人々は、戦争が終わってからは殺し合いをしておりません。しかしながら、ご主人様のお命を狙った者は、まちがいなく存在いたします」 「命を狙ったかどうかは、まだ立証されていない。政府は、反乱軍のしわざだとぼくに思わせたがっている。ぼくが中隊員を派遣して反乱軍を鎮圧させればいいと思ってるんだ。実のところ、メイズ大佐なら、部下に命じてぼくを狙撃させるくらいはやりかねない[#「やりかねない」に傍点]」 「だからといって、反乱軍がご主人様に危害を加えないとはかぎりません。反乱軍は当然、あの機銃掃射事件の責任者があなた様であることを知っております」 「ああ、そうだ。まあ、遅かれ早かれ、いつかはあの事件と向かい合わなければならない。だが、あの事件で負傷者は出なかった……いつまでも身をかわしているより、真っ向から取り組んだほうがいい……うん、考えてみるとそれも悪くないな。反乱軍の本部はどこにあるんだろう?」  これを聞いて、ビーカーはあんぐりと口を開《あ》けた。 「ご主人様! オカネをどぶに捨てるだけでも言語道断ですのに、お命を捨てることまでお考えですか! こればかりは断じて賛成するわけにはまいりません」 「そんなにいちいち心配するな、ビーカー」と、フール。立ちあがり、部屋の中をウロウロと歩きはじめた。猛烈な勢いで考えをめぐらせている。「ランドール政府がどう思おうと、われわれは特に現政府を支援するために派遣されたわけではない。ぼくが受けた命令は、全住民を支援しろということだ。全住民≠ニ言うからには、反乱軍も含まれる。反乱軍にぼくの助力を受け入れる気があれば、支援してもいいわけだ」 「しかしそれでは、どうか殺してくれ≠ニわざわざ申し出るようなものでございます。ご主人様、この件に関しましては、わたくしといたしましても、あなた様がお出かけになるのを黙って見送るわけにはまいりません」 「もちろん、見送ってほしいとは思ってない」と、フール。「ぼくが反乱軍に会いに行くときは、おまえもいっしょに行くんだ。ぼくは、おまえと牧師《レヴ》を連れていくつもりだ」 「は?」ビーカーは目を丸くした。「いったいなぜ、従軍牧師などをお連れになるのでございますか?」  フールはあきれたように両手を広げた。 「もちろん、レヴは平和主義者だからさ。平和目的で接近する目印として、これ以上の人物はいないだろう? それに、おまえはどう見ても非戦闘員だ。つまり、この顔ぶれなら威嚇《いかく》には見えない。反乱軍についての情報がまったくの間違いならともかく、そうでないかぎりは、おまえたち二人にはほとんど危険はないはずだ。同時に、おまえたちの存在が、ぼくの生命の安全を保証してくれる。反乱軍がぼくを恨んでいるとしても、無関係な第三者の前でいきなり軽率な行動に走るのはためらうだろう」 「よくわかりました、ご主人様。もうご決心なさったのですね」ビーカーは椅子から立ちあがった。「わたくしは旅行の支度をしてまいります。ご出発はいつでございますか? 中隊員の皆様に、ご旅行の目的だけでもお知らせなさるのでございましょうな? 中隊員の皆様は、軍事的な見地から的確なアドバイスをくださるかと存じます」  フールは首を横に振った。 「中隊員たちは、武装した分隊を引き連れてゆけと言うに決まってる。だが、それはまずい。この任務は極秘にしなければならない。ぼくは、ランドールの若い民間人と知り合いになった。反乱軍のキャンプに、この若者の従兄《いとこ》がいるらしい。キャンプへ行く道を知っているそうだ。貴重な時間を無駄にしないために、できるだけ早く出発すべきだろう」 「かしこまりました。ただ、ご自分が何をなさっておいでか、おわかりでございますね」 「もちろん、わかってる」と、フール。明るい口調だ。「ぼくは、この惑星全体を救うつもりだ。われわれは、そのために派遣されてきたんじゃないか」 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 四〇六[#「執事日誌ファイル 四〇六」はゴシック体]  オメガ中隊がローレライを離れたため、カジノ〈ファット・チャンス〉は不安定なまま残され、きわめて危険な状況に転化する可能性を秘めている。ご主人様は、ご自分のふりをするようにプログラムしたアンドロイドの替え玉で大丈夫だとお考えだが、わたくしには過信は禁物だと思われる。いつかは、ローレライのマフィアにからくりを見破られるであろう。そのときは、いったいどうなることやら……。 [#ここで字下げ終わり]  マクシーン・プルーイットはホロテレビをにらみつけて、わめいた。 「あの小ずるい若造ったら!」  一瞬しか映らなかったが、あの顔を見まちがえるはずはない。一ドル札の肖像みたいに頭に刻みつけられている。長年ローレライのマフィアのボスをつとめているが、マクシーンの邪魔をしたのはこの男だけだった。ジェスター大尉ことウィラード・フール――武器製造会社の跡取り息子だ。  ではフールは今、ここから銀河の直径の四分の一も離れた惑星にいるのか――フールが何をしているというニュースだったかは、よく聞いていなかった。マクシーンがこのニュース番組を見たのも、良心がうずいたためだ。これまでは、マクシーンの代わりにラヴェルナが外界の出来事《できごと》を見聞きしてくれた。マクシーンに関係のありそうなことは、ラヴェルナが見きわめて知らせてくれた。おかげでマクシーンは事業の経営に専念でき、(不正な手を使ってではあるが)苦労して得た利益を享受した。ラヴェルナが逃亡した今、外の事件を検討してくれる人間はいない。これもフールのせいだ。  わからないのは、どうやってフールがこちらに気づかれずにステーションを去ったかだ。密偵たちの報告によれば、フールは毎日カジノ〈ファット・チャンス〉に姿を見せている。制服姿の中隊員たちも、何人かが警備に当たっている。それなのに、ニュースではフールとオメガ中隊がランドーロとかなんとかいう惑星にいると言った。いったい、どういうことかしら? きっと、どちらかのフールが替え玉だわ。それでツジツマが合う。マクシーンは自分の経営するいくつかのカジノで、同じ♂堰sだ》し物を同時に上演したことがある。それぞれのショーで本物のスターをほんの短時間だけステージに出し、あとは替え玉を使って、実際よりも長くステージにいるように見せかけた。フールもこの手を使ったにちがいない。この発見をどう利用してやろうかしら? もちろん、このチャンスを逃す手はないわ。隙《すき》を見つけたら、すかさずつけこむ――それが勝負の世界だ。これまで、さんざんフールに 〈ファット・チャンス〉の乗っ取りを妨害されてきた。最後にこっちがあのカジノをかすめ取ったら、さぞ気分がいいだろう。  もちろん、すべてはフールが替え玉を使っているかどうか≠ノかかっている。フールが今でもローレライにいて、反撃してくるようなら、表立った動きはできない。あの中隊には、すでに煮え湯を飲まされた。また同じ目に遭《あ》うのはごめんだわ。でも、もし〈ファット・チャンス〉にいるフールが替え玉なら……話は違ってくる。  替え玉かどうかを突き止めるのは、それほど難しくないはずだ。フールなら、オカネにものを言わせて厳しい尋問に耐えられる人物を雇い、自分の代わりをさせるだろう。でも、替え玉によく教えこんでいない事柄《ことがら》もあるはずだ。不意を突かれたら、答えられない質問もあるにちがいない。直接フールと対面する必要はない。映話をすれば、相手が本物かどうかわかる。ただし、質問は巧妙でなければならない。映話する前に、質問を考えておかなければならない。 「ホロテレビ停止」マクシーンは鋭い口調で命じた。映像は途中でまたたいて消え、部屋は静かになった。前はホロテレビがついていても、考えごとの邪魔にはならなかった……ラヴェルナがいたときは、マクシーンに代わっていろいろなことを考える役目を、ラヴェルナが引き受けてくれた。マクシーンは思った――ラヴェルナがフールの執事と駆け落ちしたなんて話を真《ま》に受けたりして、わたしもバカだったわ。二人とも、フールが連れていったに決まってる。まあ、それも簡単に突き止められるでしょう。居場所を突き止めたら、つて[#「つて」に傍点]を頼って助けてもらえばいい。こういうときこそ、シンジケートお好みの娯楽場を経営している事実が役に立つのよ。これまで、ほかのシンジケートのメンバーが姿を見せれば気前よく部屋も食事も無料にし、ショーには特別席を用意した。将来の必要を見越した先行投資だった。今度はこっちが配当をもらう番だわ。  マクシーンは、問題の惑星にいる知り合いを思い出そうとした。なんていう惑星だったかしら? もっと注意して見ていればよかった。もう一度ホロテレビをつけて二十分くらい見ていれば、また同じニュースを放送するわ……いいえ、そんなことはしなくてもいい。こういうことをさせるために、人を雇ってるのよ。誰かにニュースを見るように命じて、わたしはフールをどう料理するか考えましょう――マクシーンは内線電話の受話器を取り、ボタンを押した。  意外にも、呼出音が聞こえなかった。数秒後に人工音声が答えた。 「おかけになった内線は、応答がありません。発信音のあとにメッセージを……」  マクシーンは悪態をついて通話を切った。今まで録音メッセージを聞かされたり、待《ま》たされたりしたことはなかった。必要なときにいないんじゃ、なんのためにあのマヌケどもにオカネを払ってるんだか、わかりやしない。ラヴェルナがいたころは、こんなことはなかったのに……。  別の番号にかけてみようかしら? 一瞬そう思ったが、すぐにピシャリと受話器を置いた。責任者にヤキを入れてやらなきゃ。呼出しに応《こた》えなかった怠け者を見つけて、ここのボスは誰かを思い知らせてやろう。しばらくこんなことはやってなかったけど、部下の罰しかたはまだ覚えてるわ。罰を受ければ二度と忘れないでしょう――マクシーンは恐ろしい笑みを浮かべて、ドアへ向かった。  ところが、行き着く前にドアが開《ひら》いた。マクシーンはギョッとして立ちすくんだ。わたし以外に、このドアを開《あ》けられる人間はいない。武器に手を伸ばしたとき、ドアの外にいた男が近づいてきて言った。 「そんなことはよしたほうがいいですよ、ミセス・プルーイット。ここはわれわれが包囲しました。星際税務局の調査官を攻撃すれば、厳罰に処されます」 「星際税務局の調査官ですって?」と、マクシーン。思わず息を呑んだが、すぐに落ち着きを取り戻した。「わたしの部屋でいったい何をするつもり? ここは、あんたたちの管轄外でしょ。ローレライの法律では、あんたは不法侵入のかどでわたしに射殺されても文句は言えないのよ。撃ち殺されないうちに出ていきなさい」 「残念ながら、あなたはまちがっておられます。ここはわたしの管轄区です」男は紙入れを開いて、|ホロ身分証明書《ID》を見せた。星際税務局《IRS》≠フ文字の下に特別税務調査官ロジャー・ピール≠ニ書いてある。「宇宙連邦は、刑法と民法については各宙域に独自の裁量を認めています。しかし、税法はどこでも同じように適用されます」 「税法ですって? わたしが税金のことで捕《つか》まるはずはないわ」と、マクシーン。「あんたたちに〈ファット・チャンス〉のことを密告したのは、このわたしよ。あんたたちが調べるのは不届きな宇宙軍のペテン師どもであって、わたしじゃないわ」 「誰を調べるかは、われわれが決めます。〈ファット・チャンス〉については調査中です。しかるべきときに、しかるべき措置をとります。しかし、あなたが組織的な所得隠しを行なっていたと判断する材料はそろいました。ご同行ねがいます、ミセス・プルーイット。二、三、お前ねしたいことがありますので」 「弁護士がくるまで、どんな質問にも答えませんからね!」マクシーンはわめいた。「すぐに出ていかないと、警備員を呼ぶわよ」 「あなたの弁護士と警備員たちは、すでに拘留されています。話があるなら、税務局の調査本部でうかがいましょう」ピールは手のひらを上に向けて手を差し出した。「武器をこちらへ渡しなさい。そうなさらないと、ますます面倒なことになりますよ」  マクシーンは口汚《くちぎたな》く悪態《あくたい》をついた。だが、あきらめて武器を手渡し、口をつぐんだ。長いあいだカジノを経営してきたから、運が尽きたときは自分でわかる。どうやら、わたしも年貢のおきめどきらしいわ。  オフィスの隣の控室から騒ぎが聞こえてきたとき、ブリッツクリーク大将は、面倒なことになったと思った。約束もないのに跳びこんできて面会を強要するあつかましい人物は、一人しかいない。 「大将閣下がいらっしゃることはわかってるのよ、少佐」その人物の声が聞こえた。「さあ、わたくしの前に立ちはだかって突き倒されるほうがいいか、道を空《あ》けてわたくしを中へ入れるほうがいいか、早く決めなさい。どちらにしても、わたくしは大将閣下にお会いしますからね。閣下がどうお思いになろうとも」  こういう場合に備えて、非常口つきのオフィスをもらっておきたかったんだ――ブリッツクリークは思った。そう思ったのは初めてではない。だが、たとえ裏から逃げても、いずれは対決せざるを得ない。歯医者に行くのを延ばすようなもので、先送りすれば事態が悪化するだけだ。ブリッツクリークはインターコムのボタンを押した。 「少佐、バトルアックス大佐を待たせることはない。中へ通してくれ」  できるだけ平然と言ったつもりだが、自分でもわざとらしく聞こえた。  ドアが開《あ》いて、バトルアックス大佐がズカズカとオフィスへ入ってきた。開《ひら》いたドアの向こうに、副官のスパローホーク少佐の姿がチラリと見えた。待たされたバトルアックス大佐におとらず、不満げな表情だ。大佐を待たせたのを自分の落ち度のように言われて、不愉快なのだろう。ブリッツクリークは思った――いずれ、この二つのまちがいのツケを払わされるだろう。大将になっても部下から守ってもらえないとは、つらい立場だ。 「おはようございます、閣下」と、バトルアックス。きちんと敬礼している。答礼しながら、ブリッツクリークは少し安心した。少なくとも大佐には、軍隊の礼儀を無視する気はないらしい。だからといって、楽しい会見になるわけでもない。 「座りたまえ、大佐」と、ブリッツクリーク。「わざわざ足を運んでくれるとは、どんな用件かね?」  喜んで迎えるふりをするんだ。そうすれば、いきなりガミガミどなられることはないかもしれん――そう思って自分を励ましたが、自信はなかった。  バトルアックス大佐は、大将の机の向かいの椅子に腰をおろした。 「大将閣下、ニュースを見ました。また閣下が陰《かげ》で糸を引いていらっしゃいますね」 「なんの話だね?」ブリッツクリークは驚いたふりをした。 「惑星ランドールのニュースです。宙港で、現政府に対抗する反乱軍のしわざと思われる発砲事件があったようですね」 「ランドール……どこかで聞いた名前だな……」  大佐は気短《きみじか》にさえぎった。 「もちろん、よくご存じのはずです。閣下は、宇宙軍の一中隊を平和維持軍としてランドールへ派遣するよう、わざわざ統合参謀本部まで掛け合いに出向《でむ》かれました。頻繁《ひんぱん》になさることではありませんから、覚えていらっしゃるはずです。思いがけなく早々《はやばや》と老《ふ》けこまれたのなら、別ですけど。閣下はフールの中隊を――ジェスター大尉の中隊を――ランドールへ派遣なさったのですね」 「おお、そうだった、そうだった」と、ブリッツクリーク。「あの中隊が、もう一つめざましい手柄を立てるだろうと……」 「わたくしに向かって、そんな戯言《ざれごと》やめていただきましょう」と、バトルアックス。「ジェスターは、ニュー・アトランティスと呼ばれていたころのランドールに機銃掃射をするまでは、話題にものぼらない存在でした。あの事件のあと、ジェスターは順調に名をあげ、閣下はジェスターを目の上のコブと感じておいでです。今回、閣下はジェスターを、銀河でただ一つ、ご自分より痛烈にあの男を恨《うら》む人々がいる場所へ転属させました。これを偶然だとおっしゃるのですか?」 「むろん、そうだ……いや、あー、違う……」ブリッツクリークは真っ赤になった。「ええい、クソ、何が言いたいのかね、大佐?」  バトルアックスは立ちあがり、机の上に身を乗り出した。 「大将閣下、そろそろお認めになってはいかがですか? 閣下がどうお思いになろうと、ジェスターは上《のぼ》り坂の人気者《スター》です。閣下が初めから認めてくださっていれば、ジェスターのおかげで宇宙軍全体の評判があがったはずです。ところが、ジェスターは宇宙軍の輝かしい例外≠ニみなされています。これが宇宙軍のほかの中隊だったら、正規軍が派遣されていたあんな微妙な場所に、統合参謀本部が簡単に派遣すると思われますか? ジェスターの中隊だからこそ、期待されたのです。ここでジェスターがぶざまな失敗でもすれば、宇宙軍全体の評判はガタ落ちです。閣下は目先のことしか見えていらっしゃいませんが、もっと先が見える者もおります。こんなご計画をわたくしたちが黙って見逃すと思っていらっしゃるのなら、大まちがいです」ブリッツクリークをにらみつけ、やがて身体を起こして、思い出したように付け加えた。「失礼はお許しください、閣下」 「とほうもない非難だ」と、ブリッツクリーク。冷汗をかいている。「わしは、そんなことは何一つ認めんぞ」 「大将閣下、率直に申しあげますが、そうおっしゃると思っておりました。もしジェスターがランドールでしくじったら、どうなるか―― わたくしを初め何人かの者は、結果が自分に跳ね返ってくることを承知しております。ですから、決して[#「決して」に傍点]ジェスターが窮地に陥《おちい》ることのないよう、できるかぎりの手を打たれたほうがよろしいでしょう」 「大佐、本当のところ、わしには何をそんなに心配する必要があるのかわからん。宇宙軍の大尉たる者、自分の面倒くらいは自分で見られるはずだ。それができないとすれば、気の毒なことではあるが、われわれの責任ではない」  バトルアックスは険悪な顔でうなずいた。 「よくわかりました。閣下がそう出られるおつもりなら、それでけっこうです。ごきげんよう、閣下」  バトルアックスは敬礼し、大将のオフィスから出ていった。ブリッツクリークは椅子の背に寄りかかった。まだ、それほどまずいことにはなっていない。だが、ランドールの情勢には目を光らせておいたほうがいいだろう。ジェスターが面倒に巻きこまれたら、救出に駆けつけて、わしの名があがるように計らおう。そうとも、敵の苦境を利用して利益を得るにはもってこい[#「もってこい」に傍点]の場面だ。覚えておくとしよう。 「中隊長がどこへ行ったって?」と、アームストロング中尉。信じられないといった表情だ。まだ一杯目のコーヒーを注《つ》いだばかりで、いつものしゃちほこばった[#「しゃちほこばった」に傍点]モードには入っていない。 「ほら、中隊長がマザーあてに残した手紙よ」と、レンブラント中尉。一枚の紙切れを突き出した。「ともかく、手紙は残してくださったわ。わたしたちに個人的に話してくださったほうがよかったのに」 「おれたちがその話を聞いたら、やめるように説得しただろう。だから話さなかったんだよ」と、アームストロング。紙からチラリと視線をあげた。「ビーカーとレヴを連れていったのか。どの辺《あた》りへ行ったか、わかるか?」 「反乱軍の本部は、どこか大陸にあるらしいわ」と、レンブラント。片手を漠然と大陸の方角に向けて振った。「でも、正確な場所はわからないの。その点に関しては何も情報がないって、マザーが言ってたわ。中隊長はマザーに頼んで調べていたのよ――ともかく、少しはホッとしたわ。少なくとも、ただ出たとこ勝負[#「出たとこ勝負」に傍点]で出発したわけじゃないんだから。でも、反乱軍は今のところ、間近で監視しなきゃならないほどのトラブルは起こしてないの」  アームストロングは眉をひそめた。「スパイ衛星が捉《とら》えた位置情報はないのか?」 「ランドールの衛星網はまだ初歩の段階なのよ」と、レンブラント。疲れた口調だ。「政府の秘密計画を探《さぐ》ったときに、中隊長がそう言ってたわ。鉱山で栄えた時代に打ちあげた古い気象衛星が一一、三個だけ。ついでに|位置把握システム《GPS》や通信目的の装置も積んでいるけど、軍事目的の衛星は一つもないわ」 「一つも? この惑星じゃ、少し前まで戦争をしてたんだろう?」 「ええ、そうよ」と、レンブラント。コーヒー沸かし器のそばへ行ってコーヒーを注《つ》ぎ足した。「でも、思い出してちょうだい。この惑星には国家は一つしかなくて、常に敵を監視している必要はなかったのよ。内戦が起こったときには経済はすでに崩壊していたし、どちらの陣営も別の惑星と手を組んだりはしてなかった。ここの戦争は原始的なの。機甲部隊もない……空軍もない……長距離ミサイルもない。スパイ衛星もない。内戦が終わってからも、政府軍の保安部隊にとっては反乱軍なんか脅威じゃなかったから、わざわざオカネをかけて軍事衛星を打ちあげたりはしなかったのよ」 「まあ、小さな利点とはいえ、ないよりはましだ。少なくとも、ランドールの誰かが本気で攻撃を始めたくても、宇宙軍の中隊一個をしのぐ装備すらないわけだからな。予備のレーダーと交換に、中隊長を返してもらえるんじゃないかな」 「そうね」と、レンブラント。コーヒーにクリームを少し加えた。「ただ、先に中隊長がどの地域へ行ったのかを探《さぐ》り出さなきゃ。留守のあいだに緊急事態が持ちあがったら困るもの。わたしは、思いきった処置を取る前に中隊長に相談したいわ」  アームストロングはコーヒー・カップから顔をあげた。「そんなに大した問題じゃないだろう? 腕輪通信器を使えば、中隊員全員の位置を確認できるんだから。それとも、何かおれがまだ知らないことがあるのかい?」 「そうなのよ。中隊長以外は全員、腕輪通信器を置いていったの。そして中隊長は、通信器のスイッチを切ってるのよ。きっと、捕虜になった場合に、ハイテク技術が反乱軍に伝わらないようにという配慮ね。通信器ひとつじゃ、反乱軍にも大して役には立たないでしょうけど。通信器は、最低限ふたつなければ意味がないわ」 「チェッ。それじゃ向こうから連絡してくるまで、おれたちは中隊長とは通信できないってことか」 「そういうこと。中隊長が帰ってくる気になるまで、何事《なにごと》も起こらないことを祈るわ」 「反乱軍が役に立つ人質を手に入れた≠ネんて思ってくれないことを、祈ったほうがいい」 「ええ、そうね」レンブラントはコーヒーを飲みほしてカップを置いた。「あなたは通信センターへ行って、マザーと二人で、中隊長の居場所を探《さぐ》る方法を考えてくれない?」  アームストロングはコーヒーカップを取りあげて椅子から立ちあがった。 「すぐ行くよ。中隊長から連絡があったら知らせる」 「ええ、お願い」  レンブラントはアームストロングの後ろ姿を見送ってから、その日の勤務スケジュールに視線を移した。中隊長が留守のあいだは、レンブラント中尉が代理で指揮を取る。今回はビーカーの助けは得られない。レンブラントは思った――わたしが指揮を取っているあいだに、緊急事態なんか発生してほしくないわ。わたしはきっと、中隊長の居所を突き止めるだけで手いっぱいよ。  フールの一行は大陸へ深く食いこんだ入り江に沿ってホバー・ジープを走らせ、反乱軍の基地へ向かった。小さな交易所を通り過ぎてから踏み分け道が曲がり、大きなジャングルに入った。急に道幅が狭《せま》くなり、密生した植物が両側から迫ってくる。同時に、刺したり噛《か》んだりするさまざまな虫も寄ってきた。道がもう少ししっかりしていれば、ホバー・ジープのスピードをあげて虫を振り切るところだが、これでは無理だ。頻繁《ひんぱん》に虫をたたきつぶすしかない。反乱軍はこの虫をどう始末してるんだろう? それとも、自由の身でいる代償として、いさぎよく我慢してるんだろうか? フールはそんなことを考えた。  運転手とガイドをつとめるオキダタは、キャンプに入らないうちにホバー・ジープを止めた。 「反乱軍がどんな電子機器を使ってるかわかりませんが、何か、近づくものを感知する装置があるはずです」そう言って、ピシャリと蚊《か》をたたいた。「ここから先は、おそらく監視されてます」 「中隊本部を出たときから、それは覚悟してるよ」と、フール。  額《ひたい》の汗を拭《ぬぐ》っている。覚悟は誇張ではない。宙港で二発の銃弾が身体をかすめて以来、フールはオメガ中隊本部から外へ出るたびに、また狙われるかもしれないと思った。まだ実際に銃弾が飛んできたことはないが、これまでは反乱軍のキャンプに近づいたこともなかった。反乱軍が休戦協定を尊重しているうちは、狙撃はされないだろう。尊重していれば[#「いれば」に傍点]の話だが……。 「反乱軍と通信できるかどうか、試してみてくれ」と、フール。「血の気の多い見張りが驚いて発砲したりしないうちに、打てるだけの手を打っておくほうがいい」 「ちょっと遅すぎたな」驚くほど近くから、知らない声が聞こえた。  フールが顔をあげると、目の前に大きな銃口があった。武器の向こうに、痩《や》せた男の姿がある。迷彩服を着て顎鬚《あごひげ》を生《は》やし、額《ひたい》に赤いバンダナを巻いた姿だ。男が近づいてくると、黄金の耳輪が見えた。前歯にある金歯と同じ色だ。 [#挿絵343 〈"img\APAHM_343.jpg"〉] 「全員、両手をあげてもらったほうがいいな」反乱軍の男は、とってつけたように言った。 「ちょっと、誤解しないでください――おれはあんたたちの味方です」と、オキダタ。憤然とした口調だ。 「それが本当かどうか、確かめてる暇はないんだよ」と、反乱軍の男。「両手をあげろ。あとで味方かどうか確かめてやる」 「休戦協定があるはずだ。だから、われわれはここへきた」と、フール。解いて[#ママ 説いて?]聞かせる口調だ。「それに、運転手は両手をあげたままでは運転できない」 「わたくしは、そんなことにこだわるつもりはございません」と、ビーカー。両手をあげている。「目下、ご自分の要求を押し通せる立場にいらっしゃるのは、こちらの紳士ですので」 「車なんか、おれの知ったことか」と、銃を持った男。「外へ出ろ。急におまえたちを乗せたまま走り出されちゃかなわん。おまえたちだって、おれにあわてて引き金を引かれちゃ困るだろ?」 「おれは困るね」と、レヴ。両手を高くあげている。「ほら、見てくれ。撃っちゃイヤだよ…‥いま車から出るから」 「よし、利口なやつだ」反乱軍の男はうなずいた。車の外へ出るレヴを見守り、出てきたレヴに、銃身を動かして脇《わき》へ寄れ≠ニ指図した。「よし、次のやつ――山高帽をかぶったおまえだ。早く出ろ」 「かしこまりました」と、ビーカー。「どうか、銃口をこちらへ向けないように気をつけてください。わたくしの健康保険には、戦争による負傷の補償は含まれておりません。この状況のもとで怪我《けが》をすると、戦争による負傷とみなされてしまいます」  男が銃でフールとオキダタを促《うなが》してホバー・ジープから出しているあいだに、反乱軍の兵士がさらに二人、姿を現わした。二人は宇宙軍の制服を見るとポカンと口を開《あ》けたが、懸命に変な動きを見せたら撃つぞ≠ニいう表情を作って、一行に銃を向けた。誰も変な動きは見せなかった。車の外へ出た四人が両手をあげたまま並ぶと、新たに現われた反乱軍の一人が口笛を吹いた。 「ヒューッ! バスター、こりゃ大した獲物だな」 「そうだとも」と、フール。「さあ、獲物をできるだけ有効に利用したければ、われわれをきみたちの上級士官の所へ連れていってくれ」 「要求はおぼえておく」と、バスター。最初に一人で現われた男だ。顔をそむけて下|生《ば》えの中へ唾《つば》を吐いた。「だが、おまえたちみたいな妙ちくりんな団体は見たことがない。二人は黒い制服だし、ほかの二人は最高の晴れ着ときた。なんだか、トランプの絵札みたいに派手なやつらだな。なんの目的でここへきた?」 「きみたちが勝てるように、支援するためだ」と、フール。「さあ、上官の所へ連れていってくれ」 「おれたちが勝てるようにか?」バスターは目を丸くした。「そりゃまた、久しく耳にしてないとっぴ[#「とっぴ」に傍点]な申し出だな。おまえたちみたいなへんてこな連中が、おれたちにどんな支援をしてくれるというんだ?」 「これだ」フールは腰に留めた革の弾薬入れを指さした。 「手をおろすな」と、バスター。「そこに何を入れてる? 秘密兵器なら、かなり小さいものだな」 「秘密兵器じゃない」と、フール。「だが、どんな軍隊でも、何よりもまず必要とするものだ。きみたちの上官の所へ連れていってくれたら、ぼくがこれを開《あ》けて上官に説明するあいだ、きみたちもそばで聞けるように口添えする。連れていくのを必要以上に遅らせるなら、口添えするのはごめんだ」  バスターは声をあげて笑った。 「おれがお偉方への口添えなんか頼むようになったら、世も末だぜ。だが、おまえのやりかたは気に入った。要求どおりにしてやろう。この車はここに置いといて大丈夫だ。このまま道を進めば、すぐキャンプに着く。軽はずみな真似《まね》はするなよ――おれはすぐ後ろからついていく」 「信じてください。わたくしどもがここへまいったこと自体が、すでに軽はずみな行為なのです。これからしばらく、あなたがたと一緒にジャングルを歩くはめになったというだけでも」と、ビーカー。「どうか、お忘れにならないでください――われわれは、休戦協定を信じてここへきたのです」 「忘れないでおこう。おれの記憶が吹っ飛ぶようなことが何も起こらなければな。さあ、歩け」  一行はジャングルの中の道を進んだ。後ろからついてくるバスターが、口笛で陽気な曲を吹きはじめた。フールは両手をあげたまま、せっせと歩いた。制服が汗まみれになり、顔の周《まわ》りにハエが群がる。ハエを追えないのは不便だが、不用意に手を動かせばバスターたちに誤解されかねない。密生した木々の向こうで、何かの群れが低く不気味な鳴き声を発した。この惑星の生き物だろう。危険な動物ではないらしい。反乱軍は鳴き声など気にしていないようだ――フールはそう思ったが、すぐに考え直した。反乱軍は武器を持っているが、こちらは持っていない。  現実のジャングルの姿に直面して、フールは今さらのように不安になりはじめた――予定ほど簡単に事が運ぶだろうか? もしも計算違いだったら、何もしなかった場合よりもかえって厄介《やっかい》なことになるかもしれない。 [#改ページ]       14 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 四一〇[#「執事日誌ファイル 四一〇」はゴシック体]  惑星ランドールで最初のジェットコースターは、失業した鉱山技師J・T・ドレサージュによって造られた。鉱山町で、若者たちが廃車になった鉱石運搬車に乗って線路上を突っ走る光景を目にしたのがきっかけだ。ドレサージュは払いさげられた線路を安く買い入れ、借金をしてランドール・シティ郊外の土地を買い、あぶなっかしい木製の架台を組んでジェットコースターを造った――〈命知らず〉と呼ばれたジェットコースターである。これが大衆を引きつけた。ドレサージュは短期間で借金を返済したばかりでなく、近くの土地を新たに二平方キロ買いこんで事業を拡大し、ランドールで最初のテーマパークをオープンさせた。 〈ドレサージュ・パーク〉の成功に目をつけた小実業家たちが、貯金を持ち寄って、首都の南側にテーマパークを造った。これが〈|砂の惑星《デューン》パーク〉である。ジェットコースターだけではなく、ほかの乗り物やアトラクションも増やした。二、三年後には、ランドール人はみな、休暇の締めくくりにはアトランティス島のテーマパークへ行くのが当たり前だと思うようになった。テーマパークは、ムガール一族の鉱山主たちの資金に頼らずに発展した。ランドール初の、独自の事業である。二つのテーマパークは(つづいて次々と現われた小さな遊園地も)ランドール人の――鉱山の利益は異星人のムガール人たちに吸いあげられ、ランドール人は雇い人として働くだけだったが――誇りを表わす重要なシンボルになった。ムガール人たちがもっと旨みのある手つかずの惑星を求めて退去し、惑星をランドール人の手に残したため、象徴としての意味はますます強まった。  この時点で、惑星ランドールは充分すぎるほどの歓楽の場を手にしていた。だが、まもなくランドール人も気づいた一このままでは暮らしが成り立たない。鉱物資源を触り取られ、資金提供者たちが引きあげたために、どうしようもなく職が不足した。これが原因となって、やがて革命のきざしが現われる……。 [#ここで字下げ終わり]  フールたち四人と反乱軍の見張りは、靄《もや》の漂《ただよ》う鬱蒼《うっそう》としたジャングルを進んだ。思ったほど歩きにくくはない。ときおり、地球から持ちこまれた樹木や動物が目につく。(初期の入植者たちはかなりの数のオウムを持ちこんだらしい――あるいは、逃げ出した数羽のつがい[#「つがい」に傍点]が爆発的に子孫を増やしたのかもしれない。)かすかに紫色を帯びたランドールの植物にまじる地球原産の明るい緑色の葉が、一行がたどる踏み分け道に異様な美しさをそえた。もっとも、連行されるフールにとっては、足を止めて眺めるほどのものでもない。この道の先に何が待っているか――そのほうが気になる。  やがて踏み分け道の行く手に、飛び石のある小川が現われた。川の向こうに反乱軍のキャンプが見える。こんな場所では、空から攻撃されたらひとたまりもないな――フールは思った。ランドール政府は反乱軍を武装解除することばかり強調するが、空爆すらしないところをみると、反乱軍はすでにかなり無力な存在なのではないだろうか?  キャンプには迷彩色の二人用テントがたくさん並んでいた。明らかに異星から持ちこまれたもので、色が周囲の植物に溶けこんでいない。テントのあいだに、調理のための焚火《たきび》がいくつかある。あちこちで武器を持った男女の小さなグループが地面に座ったり、作業をしたりしている。仕事は、料理から建設――テントよりは大きくて、長持ちしそうな小屋を建てる――まで、さまざまだ。制服らしいものは見当たらないが、かなりの者が額《ひたい》に赤いバンダナを巻いている。これが反乱軍の公式の印《しるし》のようだ。  バスターは空き地の中央を指さした。大きなテントがあり、そばに立てた間に合わせのポールにカラフルな旗がひるがえっている。政府ビルにあったランドールの旗とは違う。こちらは反乱軍の旗だろう。 「あそこだ」  フールたちはバスターのあとについて大きなテントへ向かった。途中、キャンプのあちこちから好奇心に満ちた視線を向けられた。  大きなテントの入口にひさし[#「ひさし」に傍点]が突き出ており、その下の折り畳みテーブルに向かって、痩《や》せた男が座っていた。白髪まじりの髪が野戦帽からはみ出て[#「はみ出て」に傍点]、房飾りのようにさがっている。この男だけは本物の軍服らしいものを着ていた。だが、バンダナは付けていない。バスターがフールたちを引き連れてテントに近づくと、男は顔をあげた。 「そいつらは何者だ?」男が横目でフールたち四人を見た。 「森の中で見つけました」と、バスター。「ホバー・ジープで森まできて、おれに向かって、あんたに会いたいと言いました。それで、連れてきたんです」 「身体検査をして、尋問したか?」と、男。四人の宇宙軍の制服に目を向ける。 「いや。見たところ武器は持ってませんから、そのまま連れてきました。前にいるこの男が、あんたと話をしたいと言ったんで」 「保安手続き上、許しがたいヘマだ」と、男。どう見ても、この男が反乱軍のリーダーだ。「もしも、こいつらが武器を隠して持ち歩いていたら……」 「まあ、ちょっと待ってくださいよ」バスターが口をはさみ、手でフールたちを指し示した。「こいつらをよく見てください。こっそり武器を持ちこむほどの度胸がありますかね? 武器を抜いたとたんに全員がひき肉になることは、わかりきってるんですよ。そりゃ、こっちも少しはやられるかもしれませんがね。こいつらが、自殺したがってるように見えますか?」 「いや、そんなことはない。だが、保安手続きにはそれなりの理由がある」と、リーダー。「おまえが判断ミスを犯したのは、これが初めてじゃないぞ」 「この人は立派な判断を下《くだ》したと思います。われわれを、直接あなたのところに連れてきたんですから」と、フール。「ぼくの話を聞いてくだされば、きっと興味をお持ちになると思いますが。あなたがたにとっても、大きな利益になる話です」 「そう言うおまえは何者だ?」反乱軍のリーダーはフールをにらみつけた。 「宇宙軍のジェスター大尉です」フールは小さく会釈した。「連れは、従軍牧師のレヴ、それに運転手と執事です。執事はぼく個人が雇った者で、宇宙軍の人間ではありません。あなたのお名前は?」 「運転手と執事だと? フン!」と、リーダー。「おまけに、従軍牧師ときた。確かに、こんなやつがきたのは初めてだ。わしに会いたいという人間は、たいてい歩兵隊か何かを引き連れてくる」遅ればせながら名を尋《たず》ねられたことを思い出し、胸をそらせて答えた。「わしはレ・ドク・テプ、新生ニュー・アトランティス共和惑星の仮大統領だ」 「ああ、では、ぼくが捜していた相手はまちがいなくあなたです」と、フール。「大統領、革命を勝ち取る方法を持ってまいりました」 「なんだと?」と、レ・ドク・テプ。またしてもフールの制服に目を向けている。「平和維持軍の者か?」 「そうです。実を言うと、ぼくが指揮官です」フールはニコリと大きな笑みを浮かべた。 「おまえか!」レ・ドク・テプは椅子から跳びあがってフールに指を突きつけた。「元スカラムーシュ中尉というのは、おまえだな?」  フールの笑みは消えなかった。 「大統領は、わが宇宙軍の伝統をご存じないようですね。宇宙軍の隊員にとっては、過去の呼び名はどうでもいいのです。たとえ、ある人間が……」 「おまえがあの[#「あの」に傍点]スカラムーシュか!」と、レ・ドク・テプ。バスターと見張りたちを振り返ってどなった。「こいつを捕《つか》まえろ!」 「お邪魔いたしますぞ、ストロングアーム中尉!」  ランドール・プラザホテルの最上階に置かれた通信センターへ、ゼノビア人の航宙大尉クァルが跳《と》びこんできた。  アームストロングは、読んでいたプリントアウトから顔をあげた。 「おはようございます、クァル大尉。何かいいニュースはありますか?」 「ピエロ中隊長のことであれば、残念ながら悪いニュースしかない」と、クァル。「より正確に申せば、ニュースは一つもない。フール中隊長に関する情報を入手なきったかな?」 「何もないです」と、タスク・アニニ。大型コンピューターのズラリと並んだモニター画面を前にしている。「反乱軍の捕虜になってる可能性、いちばん高い」 「中隊長がホロ・ドラマのヒーローみたいな真似《まね》をしてくれるから、こんなことになったんだ」と、アームストロング。イラ立ちをこめて、プリントアウトをデスクトップのコンピューターの上にたたきつけた。「反乱軍のキャンプを捜しにいくなんて、捕虜にしてくださいと頼みにいくようなもんじゃないか。反乱軍が中隊長を生かしておいてくれることを祈るばかりだ。生きていてくれれば、救出するチャンスはある」 「よくぞ言われた、ストロングアーム[#「ストロングアーム」に傍点]中尉」と、クァル。「この中隊ほどの力量があれば、救出はいつでも可能だ。しかし救出活動を始める前に、巧妙なプランを練らなければならんな」 「それより先に、反乱軍の居場所を突き止めなければ」と、アームストロング。「予定のコースを置いていってくれなかったところを見ると、ジャングルを踏み分けて奥へ進んだようです。中隊長は大陸へ渡ってから、勘《かん》を頼りに進んだと思います。われわれも同じことをすれば、道が見つかるかもしれません。だが、反乱軍のキャンプを見つけても、中隊長がいるという保証はありません」 「たしかに、ない。でも、いい計画と思う」と、タスク・アニニ。「まず反乱軍のキャンプ見つける。運よければ、キャンプの誰か、どこかで中隊長を見かけてるかもしれない」 「タスク・アニニの言われるとおりだ」と、クァル。歯を剥《む》き出して、ニヤリと肉食恐竜の笑みを見せた。「ジャングルによく慣れた兵士を集めて、偵察班を送ればよろしい。反乱軍のキャンプが見つかれば、ピエロ中隊長も見つかる」 「ジャングルによく慣れた兵士ですか」と、アームストロング。考えこむ口調だ。「その方面の技術は、これまで考えたことがありませんでした。ガンボルト人はその点でいちばん優秀です。ほかには……」 「お知らせしておくが、わしがタマゴから孵《かえ》って育った惑星の環境も、この惑星とあまり違っておらんぞ」と、クァル。「中尉がわしの天賦《てんぷ》の才をを活用しようとお考えなら、わしは偵察班の班長を志願したい」  アームストロングは顎《あご》をさすった。「先に、レンブラント中尉に話を通しておかなければなりません。中隊長の不在中は、レンブラントが指揮官ですから。宇宙軍の士官でない人物が、宇宙軍の兵士を指揮していいものかどうか――ちょっと問題でしょうね」 「クァル大尉、ジャングルに慣れてる。問題ない」と、タスク・アニニ。  アームストロングは首を振った。 「タスク・アニニ、きみが気をつけなければならないのはそこだ。われわれ軍の人間が物事《ものごと》を一定の方式で進める理由を、きみは理解していない」 「完璧《かんぺき》に理解してる」と、タスク・アニニ。不満げな口調だ。「でも、その方式をどう思ってるか、口に出して言ったら失礼ね」 「ボルトロンのかた、援護を感謝するぞ」と、クァル。ニヤリと牙を見せた。「しかし、ストロングアーム中尉の言われるとおりだ。指揮系統という鎖につながれている以上、勝手なことはできない。レンブラント中尉に、このプランに対する同意を求めよう。しかし、できるだけ手を尽くして、賛成していただけるようすべきですな。では、タマゴを生んでくださった母上様、コンピューターで各中隊員の出身地を調べて、ここと地形が似た惑星の出身者を選び出していただきたい」 「はい……」と、マザー。今まで自分の仕事場にほかの人間がいるという事実を必死に無視してきたが、面と向かって話しかけられてはしょうがない。蚊《か》の鳴くような声で返事をしたが、言われたとおりキーボードに向かって検索の指示を打ちこんだ。まもなくクァルとアームストロングは、取りあえず救出計画を考え出した。オメガ・ギャングと呼ばれるこの中隊にしても、荒っぽい計画だ。だがアームストロングは、次第にうまくいきそうな気がしてきた。 「何をボサッとしとる?」と、レ・ドク・テプ。フールを指さしてどなった。「こいつを捕《つか》まえろ!」  反乱軍のキャンプに凍りついたような沈黙が降りた。 「でも、テプ、捕まえろと言われても……」と、バスター。バツが悪そうに、右耳の下をボソボソとかいた。「われわれはもう、こいつを捕まえてます。縛《しば》れとでもいうんですか?」 「逃げ出さないように身柄を確保しろと言っとるんだ、バカ者どもめ!」テプはわめいて、折り畳みテーブルの周《まわ》りを歩きまわった。「この男は、革命の最大の敵の一人だ!」  見張りが急に緊張して、武器をあげた。バスターがフールに近づき、肩に手を置いて話しかけた。 「おまえも、おまえの仲間も、妙な真似《まね》はしないな? テプの言うことが本当なら、おまえは厄介《やっかい》な立場になるかもしれんぞ」 「なぜ厄介な立場になるのか、わかりませんね」と、フール。視線はテプの目へ向けたままだ。「ぼくがスカラムーシュ大尉であることを認めたとしても――ぼくは認めていませんがね――連邦の平和維持軍という資格でここへきている以上、ぼくには外交官特権があります。ぼくの任務を妨害するのはまずいですよ」 「まずいだと?」テプは冷笑した。「それどころか、事実を知って満足しておる。わしは満足すれば、その結果にも落ち着いて対処するタチだ」 「ちょっと待ってくださいよ、テプ」と、バスター。銃を地面に立て、それに寄りかかっている。「あんたが満足するのはけっこうですけどね、おれにはまだ、何がそんなに不満なのかわかりません。こいつを処刑したら、こっちだって、連邦が送ってくる戦闘艦にたたきのめされますよ。首都の連中だけがうまいことレーザー・ビームやミニ核爆弾をかいくぐって、あんたの満足にケチをつけたらどうします?」 「首都の連中はおれたちに手を貸して、ニュー・アトランティス最大の敵を処罰してくれるさ!」と、テプ。だが、どなり声に勢いがない。 「本当ですか?」と、バスター。そんなバカな≠ニ言わんばかりの口調だ。いったん言葉を切ってから、先をつづけた。「ランドール・シティの政府ビルは、この男よりろくでもない真似《まね》をして今の地位におさまった連中もいると思いますがね。話を戻しますが、こいつは、戦闘艦をよこしてでも取り返す価値のあるやつ……どえらいことをやってのけた男かもしれません。それなのにあんたは、こいつがなぜおれたちの敵なのかさえ教えてくれない」 「そのとおりだ、テプ」と、見張りの一人。もう一人もうなずいた。「で、この男は何をやらかしたんです?」  テプはフールを指さして答えた。 「こいつは恥知らずにも、平和協定調印式の場に機銃掃射をかけるよう命じた。ただでさえ屈辱的な条件付き降伏に応じたわれわれに、さらに侮辱を加えた張本人だぞ!」 「ああ、そうか。その話なら聞きましたよ」と、バスター。「あんたをはじめ、お偉方のズボンがかなり焦げたって話ですね」フールを振り返った。「今の話に、まちがいはないか?」 「まあ……」フールは口ごもった。「しかし、あの事故では死亡者は一人も出ませんでした」 「中隊長、ここは正面きってにらみ合いをする場合じゃありませんよ」レヴがフールの肩に手を置いた。 「どういう意味だ?」バスターは顔をしかめた。「おれは、やった≠ゥやらなかった≠ゥ、どっちかしかないと思うぞ」 「こいつは確かに[#「確かに」に傍点]やった」と、テプ。口調に自信が戻っている。「やっていなければ、ただ否定したはずだ」 「いい所を突きましたね」と、バスター。「しかし、こっちの男の言うことも聞きましょう」 「おお、ありがとう、息子よ」と、レヴ。「おれが言いたいのは、一人の人間はいろいろな面を持つということだ。また、いつも見せている姿が、その人間の実態以上に大事だとはかぎらない。今は、この人に対する過去の恨みを忘れるんだ。さもないと、あなたがたは栄光に満ちたチャンスを逃してしまう」 「何を言ってるんだか、おれにはさっぱりわからん」と、バスター。顎《あご》をかいている。「テプ、こいつが何を言ったか、わかりましたか?」 「レヴが言いたいのは、こういうことです」と、フール。「ぼくが平和協定調印式のときに何をしたにせよ、あるいはしなかったにせよ――ぼくは、消えかけた火をもう一度かき立てる必要はないと思いますが――ぼくのほうでは償《つぐな》いをする気があるということです。ぼくが受けた命令は、この惑星に平和をもたらせ≠ナす。この惑星の現政権を誰が担当しているかについては、何も言われなかった。場合によっては、あなたがたが政権を取っていたかもしれない。だから、ぼくはあなたがたを援助するつもりです」 「そいつはうまい話だ」と、バスター。重々しい口調だ。「おれたちの代わりに、戦って勝ってくれるというのか? こりゃ、話を聞かせてもらわなきゃならんな」 「カネで許してもらおうというつもりなら……」と、テプ。 「もちろん、そのつもりです」と、フール。ベルトに手を伸ばし、ポーチから高額紙幣を一束とり出した。「カネでなんでも買えるとは思っていません。しかし、カネを軽蔑する理由もありません。ぼくの提案を簡単に説明すると、こうなります――あなたがたは革命を実現させる。ぼくはその方法を伝授する。話に乗りますか?」  レ・ドク・テプは札束を見おろし、やがてフールへ視線を戻した。 「われわれは、仕返しにこのカネを盗むかもしれんぞ。どうやって防ぐ?」  フールは肩をすくめた。「カネを手に入れるのは難しいことじゃありません――コツを知っていればね。あなたがただって、二、三日でこのカネを増やすこともできる。その点に専念すればです。あなたがたにはもっと多額のカネが必要だ。これだけを盗んでも、焼け石に水でしょう。ぼくは力の及ぶかぎり、あなたがたを援助します」 「現政府に勝てるだけの武器を買ってくれるというのか?」と、テプ。興味をおぼえたらしい。 「武器は必要ありません。ぼくなら、自分のカネをそんなものに使ったりはしませんね。ぼくが伝授するのは、武器を使わなくても勝てるやりかたです。あなたがたが必要とするものは……」  フールは計画をかいつまんで話しはじめた。聞きながら、反乱軍のリーダーは何度かうなずいた。テプとバスター――バスターは明らかに、この集団の上級士官だ――が、ときどき口をはさんで質問した。まもなくフールは折り畳みテーブルの上に一枚の紙を広げ、概略の説明に取りかかった。午後の日が傾いてゆく。 「失礼、レミー」と、ドゥーワップの声。「おれたちを、今度の救出作戦に参加させてくれ」  レンブラント中尉がスケッチブックから顔をあげると、目の前にドゥーワップとスシが立っていた。フールが留守で中隊の指揮が自分一人にのしかかっているときでも、レンブラントは観察力を落とさないよう、わずかな時間を見つけて写生に励んだ。絵を描いていれば、今ごろ中隊長はどんな目に遭《あ》っているか≠ネどと考えなくてすむ。 「だめよ」と、レンブラント。 「そりゃ、どういう意味です?」と、ドゥーワップ。「おれたちにだって志願する権利はある」 「権利はあるわ」レンブラントはスケッチブックを脇《わき》に置いた。「でも、わたしは誰も殺されずに仕事ができるチームを編成しなきゃならないの。もちろん、中隊長を含めて誰も≠諱Bあんたたち二人は、今回の任務には向いてないわ」 「どうしてです?」と、ドゥーワップ。「おれたちだって、ほかの連中と同じくらい頭は働くんですぜ。中隊長だって、それは知ってる。それに、おれたちは中隊長に借りがある。ジェスター中隊長みたいにおれたちにもチャンスを与えてくれた指揮官は、初めてだからな」 「そう思ってくれるのはうれしいわ。あんたたちがお利口なことも知ってます――いつだって、抜け目がないわ。でも、あんたたちはジャングル向きじゃないの。今回の任務には、ジャングルに慣れた隊員が必要なのよ」  ドゥーワップはクスクス笑った。 「おれは弱肉強食《ジャングル》で困ったことがない。おれをこの惑星のどこにでも落としてくれれば、半径百キロ以内に悪名を轟《とどろ》かせてみせまずせ」  レンブラントは首を振った。 「返事はノーよ。ほかにも任務はたくさんあるでしょうし……」 「救出班が中隊長を救出できなければ、ほかの任務なんてありませんよ」と、スシ。「それにしても、どんなふうにやるんですか? 突進して撃ちまくるんですか? それとも、もっとスマートにいきますか? 中隊長を解放しろと、反乱軍を説得するとか? 中隊長に怪我をさせないためには、それが一番だと思いますがね。それができるのは、われわれだけです。われわれなら、チャンスさえ与えられれば、ヘビを相手にスニーカーだって売りつけてみせますよ」 「ヘビですって? なんのこと? ……ああ、わかったわ。なるほどね」レンブラントは立ちあがって、スシの胸に指を突きつけた。「あんたならできるかもしれないわ。でも、問題はそこじやないのよ。救出班は文字どおりジャングルの中へ人らなきゃならないの。あんたたちをいちいちトラブルから助け出してたら、中隊長を救出するどころじゃなくなるわ」  スシはそれでも引ききがらなかった。 「最後には、われわれみたいなのが必要になりますよ。こういうのはどうです? ジャングルへ出かけた偵察班が中隊長の居場所を見つけたら、次にわれわれが出かけて交渉に当たるんです。居場所さえわかれば、われわれはその位置までホバー・ジープで飛んでいっておろしてもらえばいい。それなら中尉も、われわれがジャングルの中で迷子になる心配をしなくてすむでしょう」 「おれはジャングルなんか怖くないぞ」と、ドゥーワップ。 「わかってるわ、ドゥーワップ。だからこそ、あんたはジャングルに慣れているとは言えないのよ」と、レンブラント。言い返そうとするドゥーワップを片手をあげて制し、先をつづけた。「スシのアイデアはいいかもしれない――その点も認めます。でも、どの場所で中隊長が捕虜になっているのかを確かめてからでないと、オーケーは出せないわ。中隊長の現在位置がわかるまでは、どの方法が一番いいかもわからないし、中隊長が救出を望んでいるかどうかもわからないのよ。あんたたちに舌先三寸で反乱軍を丸めこんでもらうとか、武力で反乱軍と対決するとかといったことは、まだ考えてないわ。今の段階でわたしにわかるのは、あんたたちはジャングルに慣れていないってことだけ。わかってちょうだい」 「まあまあ、中尉、そんなに用心しすぎなくてもいいんじゃありませんかね?」と、スシ。「でも、わたしのプランを考慮していただけるようですから、われわれは退散して仕事に戻ります。ありがとうございました」 「あんたのプランは覚えておくわ」と、レンブラント。「でも、それ以上の約束はできないわよ。さあ、あんたたちにはどこか別の所で仕事があるんでしょ?」 「わかりました。それじゃ、仕事に戻ります」と、ドゥーワップ。二人はあたふたと退散した。  レンブラントはため息をついて、スケッチブックに手を伸ばした。なんとか、この絵をしあげてしまわなければ……。 「中尉、話あります」聞き慣れた声がした。「中隊長、反乱軍の捕虜になってる。おれ、救出班に加わりたい」  またしても、レンブラントはため息をついた。 「タスク・アニニ、あんたがジャングル惑星の出身だとは、ファイルのどこにも出ていなかったわ」  この分では、偵察班のメンバーが決まるまで何度も同じことを言って、ほかの隊員たちを宥《なだ》めつづけなきゃならないんじゃないかしら?  結局、アームストロングとレンブラントは二段構えの中隊長救出作戦を考え出した。まずクァルとガンボルト人たちが、持って生まれた能力を活用して、中隊長が捕虜になっているらしい反乱軍のキャンプの位置を確かめる。クァルの報告から、中隊長が救出を望んでいることが納得できれば、武装した志願者たちが救出に向かう。  日が暮れてから、ホバー・ジープが海を越えて大陸に降下し、反乱軍のキャンプがあると言われる地域の海岸に、クァルの率いる偵察班をおろした。クァルと三人のガンボルト人は、すぐさま暗がりへ駆けこんだ。満潮時の波の跡より二十五メートルほど奥の暗いやぶの手前で、もう姿が見えなくなった。四人の姿が消えると、ホバー・ジープは向きを変え、中隊本部のある島へ飛びたった。  陰《かげ》の中からホバー・ジープを見送ったクァルは、ガンボルト人を振り返って言った。 「さて、われわれは音を立てずに進まなければならん」  ガンボルト人たちはうなずき、暗闇に強いクァルの目は、この動作を見分けた。ガンボルト人たちの目も、クァルが無言で示したついてこい≠ニいうしぐさを捉《とら》え、あとについて進みはじめた。  四人は身軽にジャングルの中を進んだ。よけいな食糧や装備は持っていない。周囲で手に入る食べ物を利用する。四人とも狩りをする種族だ。調査の結果、初期の入植者が持ちこんだ動物はもちろん、この惑星の動物も食べられることがわかった。ガンボルト人はヌートリアが大好物だ。エスクリマが初めて中隊の食事にヌートリア肉の料理を出したとき、デュークスは一切れ食べて、「ネズミによく似た味で、うまい――しかも、身体が大きくて食べでがある」とほめちぎった。ほかの二人もうなずいた。たまたまこの賛辞を耳にしたブランデーは、この言葉をうかつにエスクリマの耳に入れないよう気を配った――伝えるなら、ちゃんとほめ言葉として伝えなければならない。  偵察班は大きな川に沿って西へ進んだ。途中で北へ曲がって、奥地に入った。クァルの足取りは速い。ガンボルト人たちも楽々とついてきた。真夜中も近くなったころ、丸木橋が見つかった。木が自然に倒れて川をまたいだように見え、橋の手前と先に細い踏み分け道が伸びている。四人は両岸で人間の臭跡を探した。 「左の岸のほうが、地球人の臭《にお》いが強いわ」と、ガルボ。小さな声だ。「この方向に集落があるはずよ」  興奮して、尾をムチのように激しく振っている。  クァルは地図を引っぱり出して調べた。 「地球人の地図では、この辺《あた》りに町は出ておらん。だが猟師のキャンプがいくつかと、交易所が一つある。交易所のほうが近い」 「キャンプや交易所にしては、臭いが強いわ。地球人がたくさんいるんじゃないかしら」と、ガルボ。「でも、猟師は大集団で狩りをするのかもしれないわね。わたしたちの惑星のガウルフみたいに」  デュークスとルーブもうなずいた。 「男の臭いと女の臭いがまじっている」ルーブが鼻をうごめかせた。 「地球人の猟師は、男女混合の集団で狩りをするのか?」と、クァル。「わしらゼノビア人は、狩りは一人でする。わしらの習慣から地球人を判断することはできんな」 「地球人の軍隊だって男女混合ですわ」と、ガルボ。「ガンボルトでも同じです。地球人はきっと、狩りも混合でするんでしょう。もっと近づけば、中隊長の臭いを嗅ぎ分けかもしれません」 「|いやはや《ガズマ・テール》! 地球人みたいな貧弱な歯をした種族も狩りをするとは、奇妙なものだな」クァルはニヤリと歯を剥き出し、ガンボルト人たちは機嫌のいいネコのように喉《のど》を鳴らした。 「ガルボの言うとおり、左側の臭《にお》いをたどるとしよう」  四人はふたたび暗闇の中を進んだ。夜明け前に、四人の気配に驚いて、小さな獣《けもの》がピョンと跳び出した。二度目に跳ぶ前にルーブが捕《つか》まえ、四人は歩きながら獣を手早く分けて朝食をすませた。前方に地球人の臭いが濃くなってきた。  朝のシャワーを浴びたレンブラントがタオルで身体を拭きながら浴室から出たとき、通信器の呼出音が鳴った。レンブラントはタオルを落として通信器を取りあげた。 「こちらレンブラント。何かあったの、マザー?」 「ホヤホヤのニュースです、レミー」快活な声が返ってきた。「小さなトカゲの魔法使いと三匹のネコちゃんが、反乱軍のキャンプを見つけました。中隊長もいるそうです」 「中隊長は自由の身? それとも捕虜になってるの?」  マザーはすぐには答えなかった。 「まあ、そこが微妙なところでしてね。ご存じのように、クァル大尉はおかしなしゃべりかたをなさいますから……」 「|こいつは驚いた《グレート・カズマ》!≠ニかね」と、レンブラント。思わず笑い声をあげ、あらためて鋭い口調で尋《たず》ねた。「それで?」 「とにかく、偵察班は中隊長を見つけました。でも中隊長の姿がチラリと見えたときに、キャンプの警報にひっかかり、見張りが近づいてきたので、急いでその場を逃げ出したそうです。中隊長が自由の身かどうかまでは、確認できなかったと言ってました。クァルの話では、反乱軍の一人はいつも銃を持っているそうです。でも、それだけでは中隊長が捕虜になっているとは断定できませんよね?」 「ええ、できないわね」と、レンブラント。「やれやれ……、偵察班に、少なくとも一人は地球人を入れておくべきだったわ。そうすれば、中隊長が拘束されているかどうか、もっとはっきりわかったのに。救出班を送るかどうか決めるのに、ゼノビア人の心を読まなきゃならないなんて」  レンブラントの独《ひと》り言《ごと》に、マザーの声が割りこんだ。 「ほかにご命令はありませんか、レミー? 別の通信がいくつか入ってきてるんですけど」  レンブラントは迷わずに答えた。「そのうちの一つがクァルからだったら、すぐわたしにつないで。そうでなかったら、引きつづきクァルを呼び出してちょうだい。それから、救出班を待機させて。いつでも出発できるようにさせてほしいの。わたしも、服を着たらすぐ通信センターへ行くわ」 「あらあら、今すぐ誰かにカメラを持ってゆかせたほうがいいかしら?」  レンブラントは含み笑いを洩《も》らした。 「カメラを無事に取り戻したいなら、やめておくことね。忘れないで――クァルから通信が入ったら、すぐにわたしにつないでちょうだい。レンブラントより以上」  通信を切ると、レンブラントはタオルを拾いあげ、急いで身支度をすませた。 「ご主人様、差し出たことではございますが、中隊本部へ一度も通信していらっしゃらないのではありませんか?」と、ビーカー。フールと執事に与えられたテントへ入ってきたところだ。「わたくしがレンブラント中尉かアームストロング中尉でしたら、今ごろは、あなた様の身の安全について心配しているはずでございます」 「この作戦は、確実に秘密にできるかどうかが肝心なんだ、ビーカー」と、フール。ポータブレインで進めていた作業の手を止め、結果を外部記憶装置に保存すると、椅子の背に寄りかかってビーカーの顔を見あげた。「ぼくたちがここにいることをランドール政府が知ったら、反乱軍を援助したり、そそのかしたりして何をする気か――と疑うだろう」 「実際に[#「実際に」に傍点]そんなことをなさっておいででは?」 「非常に狭《せま》い意味では、そのとおりだ。もっともぼくは、この惑星全体の利益になることをしているんだと、立派に申し開きできる。だが、尋問が始まる前に計画を軌道に乗せて、少しは進めておいたほうが、申し開きもずっと説得力があると思う」  ビーカーの顔に、かすかに賛成しかねる表情が浮かんだ。 「思うに、ランドール政府は、どんな申し開きも自分たちの観点から判断するのではないでしょうか? あなた様の行為を反乱軍に味方したものと決定すれば、政府はこの惑星からオメガ中隊を移転させるよう連邦に申請するはずです。あなた様が多大な時間と努力を注《つ》ぎこまれた結果は、ご自身の評判を落とすだけかもしれません。もっとはっきり申せば、司令本部のブリッツクリーク大将に、あなた様を宇宙軍から放り出す格好の口実を与える結果になりかねません」 「ブリッツクリーク大将やその同類は、宇宙軍を連邦の物笑いのタネにした」と、フール。「さいわい、上層部には話のわかる士官もいる。何人かは、ぼくのおかげで宇宙軍がマスコミの注目を集めたことを知っている。宇宙軍にとっては目新しい事態だ。上官たちは、後悔するようなことをしでかす前に、まずぼくの言い分に耳を傾けてくれるだろう。ちょっと雲行きが怪しくなったからといって、いきなりぼくを放り出しはしないさ。今となっては、失うものが大きすぎるからな」 「率直に申しあげますが、やりすぎれば、上官のかたがたは間違いなくあなた様を放り出すと思われます」と、ビーカー。「ご主人様、宇宙軍におけるご自分の価値を過大評価なきらないでください。宇宙軍にとって何が望ましいかという点については、上官のかたがたの考えかたは、必ずしもあなた様のお考えとは一致いたしません」  フールはますます深く椅子の背にもたれ[#「もたれ」に傍点]、首の後ろで手を組んだ。 「やれやれ、ビーカー、相変わらずメンドリみたいに心配性だな。そんなに心配するな。ぼくは自分が何をしているか、ちゃんとわかっているよ。この計画は、いずれ大成功をおさめる」 「おそらく、おっしゃるとおりでございましょう」と、ビーカー。こわばった口調だ。「ですが、あなた様が見落としていらっしゃる別の可能性を指摘するのも、わたくしの務《つと》めかと存じます」 「見落としている可能性? なんだ、それは?」 「ご主人様が反乱軍を援助していらっしゃることをランドール政府が知った場合、連邦に抗議する代わりにこのキャンプに向けて先制攻撃をかけてくるかもしれません。仮に政府が優秀な軍備を隠しているとすれば、半日でこのキャンプが壊滅しても不思議はないでしょう。あなた様は、巻き添えになられたお気の毒な犠牲者として発表されます。あるいは政府は、攻撃を受けた反乱軍があなた様を殺したことにするかもしれません。キャンプが全滅してしまえば、政府の見解に反論できる者はおりません。宇宙軍は、その気があれば、あなた様の死後に勲章をくれるかもしれませんが」 「だからこそ、この作戦は秘密にしなきゃならないんだ。心配するな、ビーカー。危ない事態からはうまく抜け出せるさ。おまえがここから出たければ、反乱軍の誰かにこっそり本部へ送り返してもらってもいい。そうすれば、おまえは安全だ」 「ご主人様、そのお言葉は心外でございます。わたくしが自分の身の安全を第一に考えて、こんなことを申しあげたとお思いですか?」  フールの眉がピョンとあがった。 「おや、そうじゃなかったのか? これは驚いた。おまえは自分の身の安全を大事な徳目と考えているはずだぞ」 「いかにも、そう心得ております、ご主人様。しかし、自分の財産を守ることもまた、いかなる場合にも、わたくしの行動を決定する重要な要素となっております。実を申しますと、わたくしは本部へ送り返してもらう≠ニいうご提案に必ずしも反対ではございません。しかしながら、あなた様がここで進めていらっしゃるご計画が成功すれば、わたくしにとっては格好の投資の機会が訪れます。それで、あとでチャンスを逃《のが》したと後悔しないために、わたくしも今の段階から、ご計画に関与したいと思っております」  フールは大きくニヤリと笑った。 「ははあ、なるほど。おまえにも自分なりの計算はあると思ってたよ。それなら、このプランの検討を手伝ってくれないか? ランドール政府に邪魔される前に事業を軌道に乗せられるかどうか、確かめておきたいんだ」  フールがポータブレインを指さすと、ビーカーは身を乗り出してスクリーンを見つめた。数分後には、二人は事業をうまく進める方法を模索していた。ビーカーが本部へ帰る話は二度と出なかった。 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 四一二[#「執事日誌ファイル 四一二」はゴシック体]  ついにレンブラント中尉は、中隊長からの連絡を待つよりも、救出班を送ったほうが後悔は少ない≠ニの決断を下《くだ》した。クァル航宙大尉からの通信はとだえたままで、以後の報告が入ってこない。中尉が最悪の事態を想定したのも無理はなかった。  救出班はアームストロング中尉が率いることになった。アームストロング中尉はすでに、反乱軍のキャンプがある辺《あた》りの地域に詳しい船頭を雇っていた。衛星からの乏しい情報をもとに、救出班は、命を奪うこともできる武器とゼノビア型のスタンガンを携えて出発した。当然のことながら、行く手に何が待ち受けているかは知るよしもない。 [#ここで字下げ終わり]  平底船は音も立てず、水面を滑《すべ》るようにすばやく川を進んだ。 「反乱軍は、沼地を移動するときはいつも船を便いやす」と、船頭。ハンセンという名だ。「こういう沼の多い入り江だと、水に跳《と》びこむヌートリアよりも早く姿を隠せますでな」 「反乱軍は、捕《つか》まれば最後だ」と、アームストロング「ここらの川は、おれにはどれも同じに見える。衛星で惑星表面をスキャンする|位置把握システム《GPS》がないと、道がわからなくなりそうだ」  ハイテク惑星で育ったアームストロングは、惑星全土に情報を届ける衛星網があって当たり前だと思っている。 「GPSですと……フン!」ハンセンは水面に唾《つば》を吐いた。「おれに言わせりや、あんなもんは|純然たるクズ《GPS》≠ナがすよ。自分が地図のどこにいるかは教えてくれやすが、いる場所がわかっても、そこからどこかへ行く道がわかるとはかぎりやせん。沼地は絶えず変化しやす。地元の人間に船で案内させるのが一番でさ」 「そうかもしれない」アームストロングは固い笑みを浮かべた。「だが、どっちの味方かわからない相手に頼るのは、どうも……。いや、気を悪くしないでくれ――よくある話だ。きみは、その気になれば、おれを道に迷わせて帰れなくすることだってできる。そうだろう? GPSがあれば、帰れるチャンスはある。この惑星の上空にも、あと二つ三つは衛星を打ちあげてほしいものだな」 「前方、何か見えます」タスク・アニニが船首の向こうを指さした。立ち木の列に切れ目があり、木々のあいだからチラチラと建物らしいものが見える。 「戦闘準備」と、アームストロング。中隊員たちは武器を手に取り、行く手に目を据えた。あれが反乱軍のキャンプだろうか? いよいよ、あそこに向かって発砲するのだろうか? アームストロングが次に言葉を発するまで、答はおあずけだ。 「あれはボビー・ツェルニーの家でやすよ、心配するようなもんじゃありやせん」と、ハンセン。「ボビーじいさんは、食糧やら魚の餌やら密造酒やらを少しずつ売ってやす。いや、売ったり、交換したりってとこですか。売る品物や相手のことなんか、じいさんは気にしやせん。ずっとそうしてきやした。飛び道具なんぞ持ち出す必要はありやせんよ」 「普通なら心配しないわ」と、スーパー・ナット。身体より大きく見えるローリング・サンダー・ベルト給弾式ショットガンを構え、ニコリと笑ってみせた。「でも、わたしたちがこの惑星に降りたとき、何者かが中隊長を狙撃したわ。中尉の予想では、中隊長は今、捕虜になっているのよ。だから、武器を構えたほうがいいかもしれないでしょう? 撃つときに邪魔にならないように、あなたは伏せていたほうがいいわ」 「最初の一発で船が転覆するかもしれやせんが、まあ、そうしたほうがよさそうでがすな」と、ハンセン。「あんたたちも、そんなでかい[#「でかい」に傍点]銃を抱《かか》えてるんでやすから、気をつけたほうがようござんすよ。これみたいな平底船がひっくり返ると、甲板の上であちこちの人や物が跳ね飛ばされやす。おれの言うことを聞いといたほうが利口ってもんでござんすよ」 「聞こえた」と、アームストロング。「全員、発砲に備えて足場を確保しろ。標的が近づいている」  中隊員たちは小さな船の上で散開し、重さを均等に分散させた。たいていの者は甲板にうずくまったり、うつぶせになったりして、敵に狙われにくい姿勢をとった。結果として重心も低くなり、船も安定する。船頭のハンセンはスーパー・ナットの忠告に従《したが》って、舵《かじ》の下に身を伏せた。船は川の曲がり角を通過した。立っているのはアームストロングだけだ。  そのとき、トラブルが発生した。 [#改ページ]       15  船頭のハンセンはこの川をよく知っていると言ったが、川の曲がり目を通過したとたんに、船は何かに衝突した。水中に厚く積もった泥だ。船首の近くに立っていたアームストロングは船の前方へ放り出され、泥の部分を飛び越えて、背が立たない深い水の中へ落ちた。  ほかの者も大半が船から投げ出されたが、泥の上の浅い所に落ちた。深さは五十センチほどで、アームストロングのように水中には沈まない。だがタスク・アニニだけは激しく泥にたたきつけられ、ゴボゴボと肺の中の空気を吐き出した。船から落ちなかった者も、甲板の上でゴチヤゴチヤにもつれ合っている。まったく幸運なことに、武器を発射した者は一人もいなかった。武器の威力を考えると、一つでも発射されていれば大惨事になったかもしれない。ゼノビア型のスタンガンでも、水中でビームが当たれば溺れ死ぬ。  水面にアームストロングの頭が現われた。あちこち見まわしてから、泥まみれの中隊員たちがジタバタしている浅瀬へ向かって泳ぎはじめ、足の立つ浅瀬へあがると尋《たず》ねた。 「何が起こった?」 「浅瀬に乗りあげやした」と、ハンセン。船首へ駆けつけて船べりから外側を見おろし、船の被害を調べてから、アームストロングをにらみつけて言った。「伏せなきゃよかったでがすな。立ってれば、このいまいましい浅瀬が見えたのに。やれやれ、船がぶっ壊れるところでやした」 「船がぶっ壊れる? こっちは隊員が死ぬところだったぞ!」アームストロングはどなり、立ちあがると――つるつる滑《すべ》る泥の上では、容易ではない――中隊員たちに命じた。「ようし、全員、船に戻れ!」 「そう急がんでもよござんす」と、ハンセン。片手をあげて中隊員たちを制した。「船に穴が開《あ》いて浸水しとりやす。全員が乗ったら沈むかもしれやせん」 「しかし、こんな川の真ん中で立ち往生するわけにはいかない」と、アームストロング。「ともかく、岸につけてくれ。そのくらいは大丈夫だろう?」  アームストロングは交易所のある方角を指さした。一キロほど先だ。地元の人間が何人か岸辺へ寄ってきて、座礁した船と、もがく[#「もがく」に傍点]中隊員たちをポカンと見つめている。 「浸水がかなり激しいござんすな」と、ハンセン。「こりゃまちがいなく、岸に着く前に沈みやす。二、三人なら、乗せたまま運べやしょう。落ちたかたたちは、陸地の応援を頼んで拾いにこなきゃなりやせんな。ここの連中はカヌーを持っとりやす。でなけりゃ、皆さんが一人残らず水の中に入って船べりにぶらさがってくださってもよござんす――重心を低くしますんで。濡れがんすが、そのほうが皆さんおそろいで早く岸に着けやす」  言い終わるか終わらないうちに、船にいちばん近い浅瀬でバシャンバシャンとつづけざまに三度、大きな水音があがった。 「あれは何?」と、スーパー・ナット。船から落ちなかった一人だ。音のしたほうへ顔を向けたが、水面に次々と広がる波紋しか見えない。 「ヌートリアでやす」と、ハンセン。気味の悪そうな口調だ。「このあたりには、たくさん棲《す》んどりやす。とにかく、皆さん船べりにつかまったほうがよござんすよ。水中でヌートリアの邪魔をするのはまずいすから」 「急げ」と、アームストロング。「武器を船に入れろ。これ以上ぬらすな」 「いや、これ以上ものを乗せたら船が沈みそうでやす」と、ハンセン。「皆さんが全員、水の中へ入ってくだされば、銃くらいは運べやんすがね」 「わたしは水中でヌートリアと格闘したくはないわ」と、スーパー・ナット。「それに、わたし一人くらい乗っていたって、たいして重くないでしょ」  ハンセンはうなずいた。「オーケーでやす、小さなレディーさん。あんたさんは船に残って、ヌートリアに目を光らせてくだきりやよござんす。ほかのかたには銃を甲板に置いて、水の中へ入っていただきやしょう。船べりにつかまってくだせえ。そうすりや、船を岸に着けられやす」ハンセンにとって幸運なことに、スーパー・ナットはヌートリアを見張るのに気を取られて、小さなレディーさん≠ニ呼ばれても怒る余裕がなかった。  船の上に残っていたドゥーワップとマスタッシュが、水中にいる中隊員たちから武器を受け取って、前部甲板に績みあげた。それが終わると、二人はブツブツ言いながら水中に跳《と》びこみ、船べりにつかまった。ハンセンが船のエンジンを――穴を広げないようにソッと――かけると、船は跳《は》ねあがって岸へ向かった。岸には見物人が六人ほど集まっている。ヌートリアの気配はない。  やがて川は浅くなり、船べりにぶらさがる中隊員たちの足が底に触れた。水中の中隊員たちは手を放し、川底を歩いて岸へ向かった。  ハンセンがスーパー・ナットを振り返り、前方を指さした。 「岸にいる連中に、係留索を投げてやってくだせえ。船をつないでもらいやす」  スーパー・ナットはショットガンをおろして、ロープを取りあげた。ところがロープを持って向きなおると、ハンセンがショットガンを突きつけていた。 「さあ、お嬢さん、ヘタなことを考えなさんな。銃を持ってるのは、今じゃ、おれ一人でがんす。こんなかわいい娘を撃つのは嫌《いや》でござんすからね」 「だましたのね!」と、スーパー・ナット。「わざと浅瀬に乗りあげたのね」 「いや、違う。あれはミスでやす。だが、ミスってのは、いつだって逆手《さかて》に取って有利に事を運べるもんでさ。さあ、両手をあげていただきましょうか」  岸に集まっていた見物人たちが船に乗りこんできて、甲板に置かれた武器を次々と取りあげた。アームストロングが足を止めて、ハンセンをにらみつけた。 「おれたちを裏切って、反乱軍に引き渡したな!」と、アームストロング。 「ちょっと違いやす」と、ハンセン。「おれも[#「おれも」に傍点]反乱軍のメンバーなんすよ。おまえさんたちを、リーダーのレ・ドク・テプの所へ連れていきやす。処置はリーダーが決めるんでがす。リーダーの命令があれば、すぐにでも銃を返しやす。でも、それまでは危険を冒《おか》すわけにはいかんせん」  そのとき、船から百メートルと離れていない所で、ジャングルの中から大きなネズミのような獣《けもの》がヨチヨチと出てきた。獣はそのまま浅瀬を下《くだ》り、川へ入った。 「いったい全体、あれはなんだ?」と、ドゥーワップ。 「なんだ、知らんのかい。あれはヌートリアだよ」見物人の一人が答えた。ゼノビア型のスタンガンを構えている。「肉はうまい。心配するな。ハエも殺さないおとなしい動物だよ」  スーパー・ナットは振り向いてハンセンをにらんだ。 「ヌートリアのことでも嘘をついたわね!」  ハンセンは照れくさそうにニヤリと笑った。 「そういうことでやす」  ずぶぬれの中隊員たちは水をポタポタたらしたまま、両手を縛られ、反乱軍のキャンプまで細い踏み分け道を歩かされた。足を止めることは許されなかったが、急き立てられもしなかった。三十分もしないうちに、レ・ドク・テプの大テントの前に並ぶ小テント群が見えてきた。  見張りの一人が一行の姿を認めた。「そいつらは何者だ、ハンセン?」 「おれたちのキャンプを捜してる兵隊たちでやんすよ。なんの用かは知らんけど、銃を持ったまま近づかせるわけにはいきやせん。誰かが怪我《けが》をしちゃまずいすからね」 「わたしの手が自由だったら、怪我をするのはあんたよ。覚えてなさい」と、スーパー・ナット。険悪な顔だ。 「この連中の制服は、あの大尉の服と似てるな。テプが毎日のように話しこんでる男だよ」と、見張りの男。「こいつらがあの大尉の部下なら、手を縛ったまま連れていくのはまずいかもしれないぞ」 「まあ、知り合いがキャンプにきてるなら、こいつらも飛び道具を人に向けはせんだろう」と、ハンセン。「テプが決めやすさ。それがテプの仕事でやんすからな。さあ、ついてこい」  ハンセンは手を振って中隊員たちを促《うなが》すと、テプの大テントへ向かった。一行が大テントに近づくと、ふさふさした黒髪を赤いバンダナでまとめた若い女が立ちあがった。古い猟銃を持っている。 「あら、ハンセン。テプは仕事のことで会議中よ。すむまで待ってちょうだい」 「仕事の会議でござんすと?」と、ハンセン。「なんてこった。パイラー、今までは、そんなことは一度もなかったじゃござんせんか。テプは歳を取って、気取り屋になったんでござんすか?」 「歳を取って利口になったんだ」と、別の声。やがて反乱軍の制服を着たテプがテントから出てきた。その後ろから、宇宙軍の黒い制服を着た男がついてくる。 「テプ!」と、ハンセン。「本気で言ったんじゃありやせん。気を悪くせんでください」 「中隊長!」と、アームストロング。そのまま、息も継がずにつづけた。「この男に、おれたちを解放するように言ってください」 「知り合いかね?」テプが片方の眉をあげて、フールを振り返った。 「ぼくの部下です」と、フール。「ぼくを見つけようという以外に、特に危険な行為をしていないのでしたら、解放していただきたいと思います」 「フム、この小さなレディーさんだけは例外にしてほしいやんすね、テプ」と、ハンセン。「少なくとも、おれがこの人と喧嘩《けんか》する態勢を整えるまでは……」 「これは、ぼくの落ち度です」と、フールはテプの肩に手を置いた。「関係者全員にお詫びします。秘密が洩れては困ると思うあまり、用心しすぎました。ぼくからの報告が入らなければ部下たちがぼくを捜しにくることくらい、心得ておくべきでした。ぼくを捜せば、必ずこのキャンプの人たちと接触したはずです。場合によっては、もっと深刻なトラブルになっていたかもしれません」 「作戦を秘密にしなければならない場合もあることは、わかっております」と、アームストロング。縄《なわ》をほどかれた手をさすっている。テプがうなずいて承諾したので、ハンセンは中隊員たちを次々に解放した。 「上官が何も言ってくれないときは、それなりの理由がある――そこまで考えるべきでした。反乱軍と接触するために、中隊長がご自分でここまで出向かれたのが問題のはじまりでした。そうなさらなければ、こんな危険は冒《おか》す必要はなかったんですから」と、アームストロング。 「まあ、そういうことだな」と、フール。「実を言うと、こちらの作業もちょうど仕上《しあ》げにかかったところだ。反乱軍は、武力放棄に同意してくれた! 今後は武力攻撃はせず、アトランティス島に帰って、政府との平和交渉に参加する」 「武力を放棄した?」アームストロングはあっけにとられた。「それはすばらしい……実にすばらしいことです、中隊長。どうやって説得なきったんですか?」 「この惑星の人々の考えかたがわかれば、そう難しいことでもなかったよ」と、フール。「ぼくは一つだけ約束すればよかった。この人たちが銀河で最大のジェットコースターを造るために、援助を惜しまない――という約束だ」 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 四二〇[#「執事日誌ファイル 四二〇」はゴシック体]  反乱軍と共同で事業を進めるというご主人様の決断は、問題はないように思われた。レ・ドク・テプは最初こそ敵意を見せたものの、部下の多くの者よりもはるかに実務にすぐれた人物であることがわかった。テプがこの事業を細部まで的確に把握し、達成可能な目標を前にして政治信条を棚上《たなあ》げする意向を示したことに、ご主人様は満足された。お二人は腰を据えて、反乱軍のランドール社会への復帰について相談なさった――企業家としての復帰である。  事業のアウトラインがまとまると、ご主人様はオメガ中隊本部へ戻られ、反乱軍がテーマパークを建設するためのご自分の仕事に着手なきった。まず、政府のテーマパーク予定地から道路をはさんですぐ隣にある土地の所有権を確保された。実際の所有者は、今は法人となった反乱軍のリーダーたちである。リーダーたちにとっても、ジャングルでキャンプするよりはいい身分だ。ランドールの法律では異星の住民がランドールの事業に参加することは禁止されているため、ご主人様は表立《おもてだ》って動くことができない。そこで新しいテーマパークの所有者たちに資金を貸しつけたり、外部の専門家を招いたりといった形で、事業を援助なさった。  予想されたことだが、この事実を知ったランドール政府はいい顔をしなかった。 [#ここで字下げ終わり]  ランドール・プラザホテルのフィットネス・ルームでフールが|ボート練習機《ローイング・マシーン》をリズミカルに動かしていると、通信器の呼出音が鳴った。一瞬フールは、呼出を無視してこのまま漕ぎつづけたいと思った。ここ数日、反乱軍のキャンプにいたため、いつもの運動メニューを消化できなかった。ちょうど気分が乗ってきたところだし、このまま……。だが、腕輪通信器の表示は〈優先〉になっている。フールの邪魔をしても知らせたほうがいい大事な用件だと、マザーが判断した証拠だ。フールは片方のオールを離して、通信器を口もとに近づけた。 [#挿絵385  〈"img\APAHM_385.jpg"〉] 「こちらジェスター」 「お邪魔してすみませんね、ハンサム・ボーイ」  マザーの快活な声が聞こえた。「地元のお偉方が二人、すぐに中隊長に会いたいと言っています。この二人の名前がそのまま通す$l物のリストにありましたので、お知らせしました。通しましょうか? それとも先に服をお召しになりたいですか? 二人とも、頭から湯気を出してカッカしています」 「相手しだい……用事しだいだな」と、フール。「なんの用事か聞いたか?」 「はい、了解。すぐ確認します、いとしい人」と、マザー。通信がいったん切れてから、あらためて声が聞こえた。「いやらしいほうがメイズ大佐で、醜いほうがボリス・イーストマンとのことです。中隊長とは面識があるそうです。用事については、メイズ大佐が言うにはスパイ行為、扇動《せんどう》および犯人|隠匿《いんとく》の件≠セそうです。中隊長、またおいた[#「おいた」に傍点]をなさったんですか?」 「ちょっと違うな」と、フール。「とにかく、二人に会ったほうがよさそうだ。五分でぼくのオフィスへ行く」 「お客さんたちにそう伝えます」と、マザー。ちょっと間《ま》を置いてから、言葉をつづけた。「着替えができる時間じゃありませんね。お着替えをなさらないおつもりですか? あらあら、いけない坊やね」 「お客さんたちがそんなに熱心にぼくに会いたがってるのなら、待たせるのは失礼だろう」と、フール。「それに、ぼくが水泳パンツだけで現われれば、すぐに会いたい≠ニいう希望をまじめに受け止めたとわかってもらえる。別に、まずいことにはならないさ。すぐにそちらへ向かうと伝えてくれ」  そう言うと、フールはタオルで額《ひたい》の汗を拭《ぬぐ》い、ホテルの裏手の廊下を通って自分のオフィスへ向かった。  メイズとイーストマンは待合室にいた。イーストマンは座って神経質に指を鳴らし、メイズはまるで檻《おり》に入れられた猛獣のようにイライラと部屋の中を歩きまわっている。フールがキビキビとした足取りで入ってゆくと、二人は険悪な顔で振り向いた。 「ようこそ。お待たせして申し訳ありません」と、フール。「われわれ軍の人間は、いつも身体の調子を整えておかなければなりません。このところ運動の時間が取れませんでしたので、失礼して補っておりました。で、ご用はなんでしょう?」  フールは二人の来客に向かって、自分のオフィスの開《ひら》いたドアを示した。 「おせっかいを焼く時間だけは、たっぷりおありのようですな」と、イーストマン。けわしい口調だ。立ちあがって両手を握りしめている。 「何をおせっかい≠ニ言うかによりますね」と、フール。できるだけ穏やかな口調を心がけた。「どうぞ中へ。中で話し合いましょう」  二人はブツブツ言いながらフールのあとについてオフィスへ入った。フールはドアを閉め、二人に大きなソファをすすめると、自分は机の端《はし》に腰を乗せた。 「さて、お二人にいいニュースがあります。ぼくはレ・ドク・テプと反乱軍を説得して、武力を放棄させる任務についていました。少し前に戻ったばかりです。レ・ドク・テプは反乱軍を解散することに決めました。ご満足いただけると思います。反乱軍は、今後は政府の転覆を狙うのではなく、強力な経済を打ち立てる作業に参加します」 「経済を打ち立てるですと? 経済を破壊すると言っていただきたい」と、イーストマン。「真相はわかっていますぞ。無法者どもが〈ランドール・パーク〉と張り合って、テーマパークを建設するそうですな。政府が何百万も資金を注《つ》ぎこんだ事業を、危険にさらしてくれるわけだ」  フールは微笑した。「レ・ドク・テプの新しいテーマパークは、いろいろな職を生み出します。これは政府にとっても望ましい事態だと思いますが」 「こちらの作業員を盗むつもりだろう。政府が訓練した作業員を!」イーストマンはガミガミと噛みついた。「政府の職を与えられて感謝すべき者たちだ」 「作業員がそちらの職に満足していれば、テプが引き抜くのは無理です」と、フール。「イーストマン次官、ぼくは実業家です。需要と供給の法則に照らして利益が危ぶまれる事業には、手を出しません」 「もちろんそうだろう。だが、きみは経済の法則をもてあそぶ[#「もてあそぶ」に傍点]こともいとわん」と、メイズ大佐。険悪な表情だ。「大尉、本官はきみの功績を否定するつもりはない。反乱軍に武力を放棄するよう説得したのなら、心からお祝いを申しあげる。だが、一つ確認したい――レ・ドク・テプは確かに貧乏ではないが、こんな大事業を始める資金はないはずだ。資金はきみが提供するのだろう?」 「ぼくはテプにビジネス・ローンを申し出ました」フールは肩をすくめた。「すべて、ランドールの弁護士に相談した上で実行しました。弁護士は、完全に合法的だと保証してくれています」  イーストマンが声を荒らげた。 「きみならカネにものを言わせて、自分の言いなりに動く弁護士を見つけるだろう。われわれに法律の話なんかしないでもらおうか、大尉。きみはこの惑星に到着して以来、ランドール政府を切り崩すようなことばかり――」 「これだけはハッキリさせておきましょう、イーストマン次官」と、フール。「ぼくは、銀河統合参謀本部から命令を受ける立場です。ランドール人の指図で動くわけではありません。ぼくは、現地の住民の意見を無視するほどバカでもありません。建設的な意見なら、ランドール人の言葉にも耳を傾けます。しかし、今までランドール政府から聞かされた言葉は非難と脅迫ばかりでした」 「きみが自分でそう仕向《しむ》けておるのだろう」と、メイズ。「まあ、きみの常識はともかく、根性だけは大したものだと認めよう。だが、われわれの仲間に入れてもらえるなどとは思わんことだな。大尉、きみは雑魚《ざこ》にすぎん。自分でわかっておるかどうかは知らんが」 「ぼくはエゴのかたまりじゃありませんがね、大佐」と、フール。「しかし、ぼくを脅《おど》すのはやめるよう、おすすめします。効果がないことは、もうおわかりのはずです。ついでながら、大佐、警察はもう狙撃犯を逮捕しましたか? 警察業務はあなたの管轄だと思いますが」 「どういう意味です? 不愉快な言いかたですな」イーストマンがムッとして口をはさむ。 「本官に答えさせてくれ、ボリス」メイズが片手をあげてイーストマンを制し、フールに向きなおって言葉をつづけた。「大尉、きみと手を結んだ元《もと》反乱軍の何人かに尋問させてもらえば、警察はすぐにも狙撃犯を見つけ出すはずだ。本官はそう確信しておる。ああ、それで思い出した。こちらからも質問がある。反乱軍のリーダーたちを、いつ法廷に出頭させるつもりかね?」 「リーダーたちはなんの罪も犯《おか》していないと、ぼくは確信しています、大佐」と、フール。「あなたは、口ではいくつも罪状をあげられましたが、犯罪行為の確固たる証拠は誰も示してくれません。証拠がないのに反乱軍を逮捕するのは、平和協定違反だと思います」  メイズ大佐は立ちあがった。 「ボリス、ここにいても時間の浪費だ。宇宙軍司令部の大将がこの妨害行為を耳にすれば、大尉の返答も変わってくるだろう。それまで、われわれは自分の仕事に専念しようではないか」 「では、ごきげんよう、大佐」と、フール。「お二人とも、こちらのテーマパークがオープンするときは忘れずにいらしてください。お二人のために、テプに無料チケットを取っておいてもらいます」 「反乱軍の遊園地がオープンする日など、こないだろう」と、イーストマン。「失礼する、大尉」  イーストマンとメイズは大股《おおまた》にオフィスを出ていった。 「|絶叫マシーン《ジェットコースター》だと?」アームストロングは閉口して頭を振った。「あんなものに乗ると胃がでんぐり返る。銀河系の半分を旅して、胃がでんぐり返る物に乗りにくるなんて、どういう人種だ?」 「わたしに聞かないでよ」レンブラントが答えて、椅子の背に深くもたれた[#「もたれた」に傍点]。二人はブランデー曹長をまじえて、ホテルの会議室でフールを待っていた。中隊の新しい事業についてブリーフィングを受ける予定だ。「わたしは賛成も反対もしないわ。つまりね、一度はおもしろがるものだけど、〈ウルトラ・ドラゴン〉に乗るために三十分も浜辺で並んだりはしないってこと」 「三十分? 昨日の午後は、列が消えるまで七十分はかかったぞ!」と、アームストロング。絵に描《か》いたような当惑顔だ。「乗っているあいだは十分とつづかないのに! この田舎の惑星じゃ、ジェットコースターがいちばんありふれた娯楽なんだからな」 「そんなこと、ランドール人に聞こえる所で言わないほうがいいわ」と、ブランデー。「こういう惑星の人たちは、ジェットコースターを大まじめに考えるのよ。それに、確かに[#「確かに」に傍点]すごい乗り物よ。わたしは、列を作って待つだけの価値があると思うわ。タスク・アニニも、スーパー・ナットに説得されて乗ってから、気に入ったみたいよ。ドゥーワップとマハトマは、もう一度、列に並んで乗ったわ」 「マハトマ? ドゥーワップなら不思議はないが、マハトマとは……」アームストロングは言葉を切って頭をかき、やがて言った。「おれはマハトマという男をわかってないらしい」 「あら残念。わかっていれば、わたしたちみんなが教えてもらえるのにね」と、ブランデー。くすくす笑っている。「でも、ランドール人はまるで絶叫マシーンの虜《とりこ》ね。ランドール・シティはそんなに大きな都市でもないのに、遊園地が五つもあって、どの遊園地にもこの種の乗り物が二つか三つはある――とにかく、観光案内にはそう出てるわ。反乱軍のテーマパークを、それに見合うものにしなきゃいけないのよ。できれば、それをしのぐ形にね。だから、あんたがたも乗り物酔い防止の薬を呑んで、何回か乗ってみたほうがいいわ。わたしたちはジェットコースターを造る手伝いをするらしいから」 「その仕事なら、もう始まってる」と、アームストロング。観念した口調だ。「中隊長はもう決めてるんだ。おれは、それさえわかっていればいい。だが、試乗はドゥーワップとマハトマにさせてやろう。おれはこの中隊の士官なんだから、ちょっとくらいいい思いをしたってバチは当たらないだろう」 「士官だからいい思い[#「いい思い」に傍点]をする? そいつは、これまで聞いたうちで最高のジョークだな」  フールが悠然《ゆうぜん》と会議室へ入ってきて、抱《かか》えている丸めた青写真の束をドサッとテーブルの上に置いた。フールのあとから背の高い男が入ってきた。メタリック・シルバーのジャンプスーツ姿で銀色がかったゴーグルをかけ、髪まで銀髪だ。部下たちの好奇心に満ちた顔を見て、フールは言った。 「紹介しよう。こちらは、われわれのコンサルタントを務《つと》めてくれる巨匠《マエストロ》マリオ・ジピーティだ。銀河系の、絶叫マシーン設計の専門家でいらっしゃる」 「お目にかかれて、わたくし、とても光栄でございますね」と、マエストロ。きつい訛《なま》りに、派手なお辞儀が加わる。「ごいっしょに、|銀 河 系《ギャッラークシー》初の最高の絶叫マシーンをば、完成させましょう!」ギャラクシー≠ニいう言葉を、ギャッラークシー≠ニ発音する。 「マエストロ・ジピーティはわれわれの研究資料として、銀河じゅうの絶叫マシーンの設計図を持ってきてくださった」と、フール。「ご自身の新しい設計もいくつか入っている。これまでの絶叫マシーンにはない新設計だそうだ。マエストロの力を借りれば、われわれも〈ニュー・アトランティス・パーク〉を惑星一おもしろいテーマパークとしてオープンできる」 「惑星一ではなく、ギャッラークシー[#「ギャッラークシー」に傍点]一でございますよ!」と、マエストロ。大きく手を振りまわすので、アームストロングがビクッとして一歩きがった。 「おもしろいのはけっこうですが」と、アームストロング。「安全性も確認しなければならないでしょう?」 「安全性ですと? ヘン!」マエストロ・ジピーティはパッと両手を広げた。「真の絶叫マシーン愛好者は安全性など気にいたしません! 乗って、突進する――それがすべてでございますよ!」 「もちろん、乗客の安全は保証される」と、フール。「反乱軍のリーダー格の一人が、ジェットコースターの建設とメンテナンスの実績を持つ技師だった。現在ランドールにあるジェットコースターのいくつかは、この男が造ったものだ。履歴書を検討したが、この男の造ったジェットコースターはどれも怪我人《けがにん》を出したことがない。一、二の例外は、乗客側の責任で起こったものだ。ぼくはこの男に、今日の会合に参加してくれるよう頼んだ。もうそろそろ……」そのとき、ドアにノックの音がした。「きっと本人だ。ブランデー、中へ入れてやってくれないか?」  ブランデーがドアを開《あ》けると、痩せて強靭《きょうじん》な身体つきの男が入ってきた。白いもののまじった顎髭《あごひげ》を生やし、耳に金の輪をさげている。まだ迷彩服で、反乱軍の制服代わりの赤いバンダナを巻いた姿だ。 「よくきてくれた、バスター」と、フール。「こちらはマエストロ・ジピーティだ。絶叫マシーンの専門家として名高い」 「ジピーティ? ふうむ」と、バスターは銀色のジャンプスーツの男を横目で見た。「聞いたことはあります――実際に会えるとは思わなかった」  ジピーティは背筋を伸ばして胸をそらせた。 「わたくしが参ったからには、ご安心ください! こちらの惑星に史上最高の絶叫マシーンを完成させてごらんに入れます!」 「まあ、特別な代物《しろもの》にはちがいない」と、バスター。いっこうに感銘を受けた様子もない。「いいですか、マエストロ、あんたはおれに図面と明細書を渡す。|プラスチック鋼《プラスチール》で造れるものであるかぎり、おれはその設計のとおりにマシーンを造る。それでよろしいかな?」 「よし、完璧《かんぺき》な取引だ」と、フールは何か言いかけたジピーティをさえぎって、言葉をつづけた。「さあ、マエストロの図画を見せてもらおうじゃないか」笑みを浮かべて最初の設計図を広げると、一同は周《まわ》りに集まった。  三分もたたないうちにジピーティとバスターの意見が衝突し、延々《えんえん》と議論がつづいた。だがフールに促《うなが》されて、話し合いは先へ進んだ。ジェットコースターが今にも建設できそうな運びになった。話を聞いていると、まるで、すでに建設が始まっているかのようだ。事業がスタートする前にマエストロ・ジピーティとバスターのどちらかが相手を殺さなければ、建設は順調に進みそうだ。 〈ニュー・アトランティス・パーク〉建設に当たっての最優先事項は、〈ランドール・パーク〉の巨大マシーンよりも印象的なジェットコースターを造る≠ニいうことだった。オメガ中隊員たちは〈ランドール・パーク〉の巨大ジェットコースターを〈物体]〉と呼んだ。単純な眩暈《めまい》と吐き気を呼ぶ<Wェットコースターくらいしか造ったことのない人間たちにとって、〈物体]〉は恐ろしく強大な競争相手だ。しかも、ここはジェットコースターを惑星最高の芸術とみなすランドールだ。目の肥えた住民全員の興味を引かなければならない。だが、マエストロ・ジピーティは自分の夢の実現とも言うべきジェットコースターを考え出した。この乗り物にはすぐさま〈ジッパー〉というコード・ネームがつけられた。〈ジッパー〉はスタート直後に、〈物体]〉よりも五メートル高い所まで昇《のぼ》りつめる。最後の直線コースには、急激に左右に振られる個所が普通では考えられないほどたくさんある。おまけにジピーティは、「ギャッラークシー[#「ギャッラークシー」に傍点]一の高いループを造って、逆さで走る時間を長くしたほうがよろしゅうございます」と、うるさくすすめた。図面で比べると、〈物体]〉が小さく見える。この〈ジッパー〉が、〈ニュー・アトランティス・パーク〉最大の呼び物として採用された。  フールは〈ジッパー〉だけでなく、ほかにいくつかジピーティの設計したジェットコースターを採用するつもりでいた。だが、ここで異論が出た。もう一人のコンサルタントになった地元の住人オキダタからだ。 「中隊長、今の段階でそこまですることはありません。〈ジッパー〉はまちがいなくスリル満点のジェットコースターになります。しかし、政府がこの建設を知ったら、これを上回《うわまわ》るものを造ろうとするでしょう。そうしたら、こちらもまた、その上を行く乗り物が……少なくとも、こちらが二流には見えないような乗り物が必要になります。ほかの計画は取っておいたほうがいいですよ。いずれ必要になります」  これを聞いて、マエストロ・ジピーティは今にも癇癪《かんしゃく》を爆発させそうになった。 「これを上回《うわまわ》る≠ナすと?こちらが二流に見える≠ナすと? 田舎者の設計したマシーンなど、わたくしの設計の足もとにも及ぶものですか! ここにあるものを一つ残らず造ったって、ご心配はございませんよ!」 「もうちょっと落ち着いてほしいですな、マエストロ」と、バスター。「この若いのが言うことにも一理ある。おれはこいつが生まれるずっと前からジェットコースターに乗ってるから、わかるんだ」  フールが決定を下《くだ》した。 「もう少し様子を見よう。全作業員を一つのジェットコースターに集中させれば、〈ジッパー〉の完成は早くなる。それから次の仕事を考えても、遅くはない」 「そんなご心配などナンセンスでございますよ!」ジピーティはブツブツ言ったが、多数決で押しきられた。  ジピーティの予想はまちがっていた。やがて、オキダタが心配したとおりのことが起こった。 [#改ページ]       16 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 四二六[#「執事日誌ファイル 四二六」はゴシック体]  テーマパークの建設をしたことのないかたは、これを単純なことだと思うかもしれない。いくつか乗り物を置いて、食べ物やみやげ物を買う場所を造れば、あとは門を開《あ》けて、カネが転がりこんでくるのを待つだけ――そう思うかもしれない。ほかの人々が平坦な道だと思う場合でも数多くの障害を予測するわたくしも、この事業がこれほど複雑な展開を見せるとは思わなかった。その点では、ご主人様も同じでいらした。これほど困難なものだと予想なされば、けっしてこの事業に手を出されなかったであろう。  ご主人様は例によって、銀河じゅうの専門家にアドバイスを仰《あお》がれた。ご一族を通して豊かな人脈を持ち、ごく限られた人物しか接触できない人々とも対面できる。ご主人様の行動ぶりを知る者には意外ではないが、反乱軍との契約書にサインなきってから数日のうちに、エンターテインメントとテーマパークの設計の大家《たいか》が、こちらの陣営に加わった。もちろん、巨匠《マエストロ》マリオ・ジピーティも、ジェットコースターの設計面で手腕を発揮した。俳優のレックスがローレライ・ステーションからやってきて、屋内および屋外のライブ・ショーの計画を検討してくれた。  オメガ中隊内部では、ご主人様はエスクリマに命じて飲食サービス・エリアの計画を立てさせた。目的は、食通にも通用するごちそうを大勢のお客に提供することだ。反乱軍にも、さまざまな才能を持つ人材がそろっていた。バスターは一流の建築技師で、どんな奇抜《きばつ》なアイデアでも現実に動く機械に仕立《した》てあげる超人的な能力の持ち主だ。オキダタは実用的な知識の宝庫のような人物である。  当然ながら、ランドール政府はいちいちクチバシを突っこんできた。必要とされよう がされまいが、おかまいなしに……。 [#ここで字下げ終わり]  ランドール政府が噛《か》みこんできたのは、〈ジッパー〉の建設に取りかかって二日目の午後だった。黒いホバー・カーの列が〈ニュー・アトランティス・パーク〉の入口に到着し、開発省次官ボリス・イーストマンが現われた。視察官たちを引き連れている。フールは門のそばでイーストマンを迎えた。 「お越しくださるとは光栄です、イーストマン次官」と、フール。本気で歓迎するかのように大きな笑みを浮かべている。「ご来園のお客様に楽しんでいただく準備はまだできておりませんが、もちろん、いつでも歓迎いたします」 「大尉、これは社交的な訪問ではない」と、イーストマン。辺《あた》り一帯で忙しく進む作業へ冷たい目を向けている。「きみたちは必要な許可を得ないまま、ここの工事を開始した」 「それは、まったく事実無根です、イーストマン次官」と、フール。相手を宥《なだ》めようと片手をあげた。「起工前に、必要な許可はすべて取りました。ぼくは軍に入隊してから規則に執られる経験を積んでいますので、自分のやりたいことを実行する前には必ず、条件が整っているかどうかを確認します。途中でダメだとわかるのは嫌《いや》ですからね。ぼくのオフィスへきていただければ、喜んで許可証をお見せします」 「その許可証には非常に興味がある」と、イーストマン。疑わしげに目を細めた。「今朝の時点で開発省には、許可証を発行したという記録が一つもなかった」 「きっと官僚特有の形式主義のおかげで、作業が停滞しているのでしょう」と、フール。仮のオフィスを設置した建物を示した。「ぼくのオフィスはこちらですが……」 「お邪魔しよう。この遊園地が規則にかなっているかどうか、明らかになるだろう」イーストマンはお供を引き連れて、フールのあとにつづいた。  地面をならす機械を据えつける手を止めてフールと役人たちのやり取りを見守っていたチョコレート・ハリーが、ニヤリと顔をほころばせた。 「記録に残しておきたい光景だな。ニワトリが列を作ってキッネのあとについて穴へ入っていくなんて、初めて見た」 「そんなにノンキにかまえてて大丈夫か?」と、バスター。ポリポリと顎髭《あごひげ》をかいた。「あの役人どもの顔つきは、まるでプロの犯罪者だ。あの次官は、ワイロだけで動く男だな。袖《そで》の下を受け取って、給料の三倍ものカネをかせいでいるにちがいない」 「心配するな」と、チョコレート・ハリー。「あの気取り屋どもは中隊長がさばいてくれる。今にあいつらも認めるさ――必要な許可証が全部そろってるどころか、申請用紙の予備まであるってことをな。中隊長は、役人を買収する名人だ。きっとワイロを拒《こば》ませない手を考え出すさ。しかし、これは経済の法則に反するな」 「経済だと? とんでもない。これは物理の法則に反するっていうんだ」と、バスター。視察官たちが現われたときに手放したレンチを、あらためて取りあげた。「でも本当に、あの中隊長がおまえさんの言うように切れる男なら、おれたちはこのまま仕事を進めたほうがいいな」 「そうだな」ハリーも自分の仕事に戻った。  やがて、イーストマンと視察官たちがオフィスのある建物から出てきた。役人たちはまっすぐホバー・カーへ向かい、乗りこんで市街地へ戻ってゆく。許可証に不備があったとしても、作業を中断するほど深刻なものではなかったらしい。少なくとも、このときは問題にならなかった。 「こんな設計……こんなのはガラクータです」と、マエストロ・ジピーティ。ガラクタ≠ガラクータ≠ニ発音する。本人は大まじめだが、まるでノミの市で物色でもしているかのようなのどかさ[#「のどかさ」に傍点]だ。「これでは――」ジェットコースターの図上の長い上昇部分を指さした。「――あっという間《ま》に降下が終わる。まっすぐな降下でなく、左へ曲がるから、いかにも危険な感じがするんです。しかし……フン! こんなのは子供でも見破れるトリックです。ガラクータ[#「ガラクータ」に傍点]です!」 「わかってる、マエストロ」と、バスター。辛抱強い口調だ。巨匠《マエストロ》ジピーティの〈物体]〉批判はこれが初めてではない。これまでにも何度となく、ライバルである政府側の巨大ジェット・コースターの欠点を聞かされた。「おれたちのテーマパークにはガラクタはいらない。だからこそ、あんたにきてもらったんだ。こっちの絶叫マシーンを設計するためにな」青写真の山の上に、別の青写真を乗せて指さした。「さあ、教えてくれ。この部分の交差する支柱にかかる負担は、どのくらいだ?」 「全部、書き出しておいたじゃありませんか!」と、ジピーティ。頭を振り立て、長い髪を肩の後ろへ振り飛ばした。「設計図を読んでいないのですか?」 「何度も読んだよ。今じゃ、設計図を作った人間よりもよく知ってるくらいだ。おれが知りたいのは……」 「何をバカな! このマエストロ・ジピーティよりもよく知っている≠ナすと! きみは修理工としては一流かもしれませんが、そんなことはチッポーケなことです! チッポーケです! 天才の魂《たましい》は……」  バスターの口調は変わらなかった。 「そうとも、あんたがそう言うんだから、あんたは天才にちがいない。だから、あんたならわかるだろう――レールのここの部分を、定員いっぱいまで客を乗せた列車が通過するとき、どのくらいの力がかかる? 設計図は確かによくできてる。だが現実にこの代物《しろもの》を造るのは、おれだ。一両の車に二十四人が乗るとして、乗客の平均体重が百十キロとすると……」  ジピーティは怒りを爆発させた。 「それは重たすぎます! わたくしは一人あたり九十五キロとして計算したのですよ!」 「太った人間ばかりの団体が乗ったら、どうなる?」と、バスター。あわてず騒がず、同じ口調で話を進めた。「ジェットコースター全部を乗車禁止にするのか? おれの計算では、少なくとも……。なんだ、あれは?」  大きな爆発音がし、つづいて人々のわめき声が聞こえた。パークの門の近くから濃い煙があがっている。 「失礼、マエストロ。何が起こったか見てきたほうがよさそうだ」バスターはジピーティに背を向け、騒ぎの大きくなるパークの入口へ向かって駆け出した。ジピーティは〈ニュー・アトランティス・パーク〉の方向をすかし見て、顔を真っ赤にした。 「能ナーシども! ヒキョーウ者! わたくしの美しいマシーンの建設を妨害するとは、ナニゴートだ! そんなやつら、コーロしてやります! 皆ゴローシにしてくれますー」  煙は消える気配もない。どこか遠くで警報が鳴りはじめた。今日もまた、いつもと同じような一日になりそうだ。  ホロテレビに、保安帽をかぶった男女が映った。遠くに、空を背景にした巨大な建築物が見える。縦横に支持材の走るジェットコースターの架台だ。特徴のある曲がり角や下降線が目を引く。手前で、リポーターのジェニー・ヒギンズがレ・ドク・テプにインタビューしていた。 「〈ニュー・アトランティス・パーク〉は、われわれの自由な生きかたを立証するでしょう」と、テプ。「この惑星がアトランティスと呼ばれた時代からの伝統である自決主義と、自由な冒険心と、困難な仕事――これらの価値を、具体的な形で表わすものです。同時に、家族そろってすばらしい休暇を過ごせる場所になります」 「政府が建設している新しいテーマパーク〈ランドール・パーク〉と比べると、どう思いますか?」と、ジェニー 「政府は、人々が何を求めているかを正しく理解していません」と、テプ。胸をふくらませている様子は、まるで、余分な空気を吸いこめば説得力も増すと言わんばかりだ。「政府は昔ながらの姑息《こそく》な手段にしがみついています。国民に食べ物と娯楽さえ与えておけば、政治に不満は抱《いだ》かない≠ニ思いこんで、中身のない娯楽を与えるつもりです。アトランティス人の魂《たましい》のことを、まったく考えていません。われわれは、アトランティス人の伝統を……人々に勇気を与えるものを、目に見える形で表わし、銀河系全体にわれわれ固有の豊かな文化を示すつもりです」 「噂では、この惑星に建設される予定の二つのテーマパークが、最高にスリリングな絶叫マシーンを造ろうと競い合っているとのことですが」と、ジェニー。「相手に勝つために、どんな対策をお考えですか?」 「絶叫マシーンは〈ニュー・アトランティス・パーク〉でも最高の芸術品です。われわれのマシーンは、銀河系でも有名な専門家の知恵を借りると同時に、この惑星の住人である技術者の知識と腕を利用して、建設します」  通信器の呼出音が鳴った。フールはホロテレビの音量を落とし、通信器に答えた。 「どうした、マザー?」 「お邪魔してすみません、いとしい人。またイーストマン次官とメイズ大佐がお見えです。お会いになりますか?」 「先へ延ばしても意味はないだろうな」と、フール。ため息をついた。「通してくれ」  まもなくオフィスのドアが開いて、二人の役人が勢いこんで入ってきた。 「そら、動かぬ証拠だ」と、イーストマン。ホロテレビの投影区画に見えるジェニーの姿を指さした。「これをどう説明するつもりかな?」 「テーマパークのいい宣伝になると思いました」と、フール。「この宙区《セクター》の主要な惑星で、三十分ごとに放送されています。これで惑星外から訪れる客が増えれば、政府のテーマパークも潤《うるお》うはずです」 「そういう無礼な反応は予想ずみだ」と、イーストマン。フールに指を突きつけた。「ランドール政府の秘密を公開したことはどうだ? あれは、どこから見てもスパイ行為だぞ」  フールの眉があがった。 「政府の秘密? なんのことをおっしゃっているのか、見当もつきませんね」  メイズがフールの机の上に身を乗り出した。 「きみは、友人のジャーナリストに〈ランドール・パーク〉の話を洩《も》らしたことを否定する気か?」 「もちろん、否定しますよ」と、フール。椅子の背にもたれて言葉をつづけた。「ジェニーは優秀なリポーターですから、自分の力でニュースになりそうな事柄《ことがら》を見つけだします。到着以来、取材に明け暮れているようです。ぼくは〈ニュー・アトランティス・パーク〉のことをジェニーに話しました。その点は否定しません。大佐、宣伝は、この兢争に勝つための大きな要素です。テプがぼくに借金を返してくれるためには、テプのテーマパークが惑星外の客を獲得しなければなりません。ほかの惑星の住民に、ここのテーマパークのことを知ってもらう必要があります。そのためには、リポーターに知らせるのが一番です」 「ついでに、われわれ政府側の持ち札もさらけ出すよう仕向《しむ》けたわけだ」と、メイズ。「こちらがきみと同じ手を用いれば、われわれは莫大な費用をかけることになる。だが放《ほう》っておけば、きみを広報で優位に立たせたままになる」 「ジェニーに話して聞かせるくらい、大した費用はかかりませんよ」と、フール。「あなたがただって、インタビューの要請を断《ことわ》らなければ……」 「われわれは政府の規則に執られている」と、イーストマン。「政府の秘密を謝らせば監獄入りを覚悟しなければならない。いちばん軽い罰則でも、現在の地位を失う」 「ぼくがあなたなら、規則を変えますね」と、フール。「この惑星の将来がかかっているのですから」 「われわれをこんな厄介《やっかい》な立場に追いこんだ張本人は、きみだ」イーストマンは顔を真っ赤にして声を張りあげた。「気をつけないと、われわれも極端な手を使わざるを得なくなるぞ」 「そちらはそちらで、必要なことを実行してください」と、フール。「ぼくは、特定の党派にとってではなく、この惑星全体にとって、いちばん望ましいと思うことを実行します。お二人とも、ほかにご用はありませんか?」 「今のところは、ない」と、メイズ大佐。イーストマンの肘《ひじ》を取ってドアのほうへ押してゆく。「だが、覚悟しておけ。いずれまた、別の用事ができる」  団体の幹部が聞きたくない言葉はたくさんある。中でもボス、トラブルです≠ヘ最悪だ。ランドール・プラザホテルの食堂に跳びこんできたオキダタが最初に言ったのが、その言葉だった。フールはおいしいランドールふうのカキ料理を食べている最中だった。エスクリマがこの地方の料理から取り入れたメニューだ。小ぶりのカキは、地球から開発途上惑星へ輸出される品目の中でも、いちばん人気が高い。特にランドールでは、よく消費される。  フールは口もとからスパイスのきいたソースを拭《ふ》き取って言った。 「抜き打ちの視察があったし、発煙弾も投げこまれた。山師がピケを張ったこともあった。送電をとめられたこともあった。われわれはどれも切り抜けた。だから今回は、ミサイルが突っこんでくるというのでもないかぎり、もう少し待ってくれ。このカキ料理を片づけてしまいたい。オキダタ、座って飲み物でも頼むといい。ところで、どんなトラブルだ?」 「政府が新しい絶叫マシーンを造りはじめました」と、オキダタ。フールの向かいの席にスルリと腰をおろした。「見たところ、こちらの〈ジッパー〉より高さがあるようです」 「なるほど、きみの予測どおりだ」フールはため息をついた。「マエストロの別の設計図を検討しなければならないな」 「もっとスリル満点の設計図を持っていてくれるといいんですけどね」と、オキダタ。ウェイターがきたので話を中断し、アイス・コーヒーを注文してからフールに向きなおった。 「政府の新しいマシーンは、設計についてはまだよくわかりませんが、最初の降下は〈ジッパー〉よりも五メートル高い位置から始まるようです。ダブル・ループらしいものがあって、二つ目のループは逆に回るらしい――大変なマシーンです」 「こちらも、もっとうまくやらなければならないな」と、フール。「できるだけ、向こうの新しいジェットコースターを研究してくれ。バスターとマエストロを呼んで、向こうに追いつく方法を考えよう。いいところをさらわれたまま終わるわけにはいかない」 「了解!」と、オキダタ。やる気満々だ。「これは、おもしろいことになりますよ!」 「絶対にな」と、フール。「カネもかかるがね」 「そりゃそうです」オキダタは顔を輝かせた。「楽しいことには、カネがかかるもんでしょう?」  フールは肩をすくめた。いくらカネがかかっても、ディリチアム・エキスプレス・カードでカバーできるだろう。  ランドール政府の新しいジェットコースターは〈野獣〉と名づけられた。超小型ロボット・カメラが盗み撮りしたホロ映像には、高く上へ突き出たレール部分(機密保持用の囲いに一部が隠れている)が映っている。ホロ映像を調べたコンサルタントたちは、マエストロ・ジピーティの設計図をもとに、〈野獣〉をしのぐ乗り物を設計しはじめた。コード・ネームは〈傑作〉だ。最大下降線は〈野獣〉より十メートル長くする。降下のスピードも長さも、〈野獣〉より上だ。オキダタの提案を取り入れ、メンテナンス面ではバスターの指摘を参考にして、〈傑作〉の建設が始まった。まだ〈ジッパー〉の仕上《しあ》げが終わっていない段階だ。宣伝は重要な戦術の一つであるというフールの信念に従《したが》って、マスコミへの発表も起工前に行なわれた。  架台ができはじめてまもなく、政府の役人たちがテーマパークの門までやってきた。ほかならぬボリス・イーストマンを先頭とする安全性調査団だ。 「これについてはイーストマン次官、すでに公園課から許可をもらいました」門前で出迎えたフールが言った。「問題は何もないはずです」 「問題はあるのだ、大尉」と、イーストマン。作り笑いを浮かべている。「きみたちが建設しているジェットコースターが、安全規定に違反するらしいとわかった」 「安全規定だと?」バスターが怒りを爆発させた。「おれは、あんたたちが考え出した安全規定の一つ一つを守った上に、それ以上の安全基準まであれこれ考えて造っている。ちくしょう! こいつの圧力ポイントはどれも、二倍の重量を想定して造ってるんだぞ。違反していると言うなら、どこが違反しているのか、はっきり示してくれ」 「きみは最近の法律には疎いようだな。ジャングルに隠れて革命ごっこをしているあいだに、時流に遅れたのだろう」と、イーストマン。作り笑いがますますいやらしく[#「いやらしく」に傍点]なった。イーストマンはバスターに厚い印刷物を渡して、言葉をつづけた。「文明社会へ戻ったからには、われわれの法律に従《したが》ってもらおう。問題の個所は十四ページにある」  バスターは急いでページをめくり、問題の規定を読んだ。やがて顔をあげ、印刷物をフールに渡した。 「この卑怯者《ひきょうもの》!」と、バスター。「ジェットコースター一つの最大許容高度が、おまえたちの新しいマシーンの高さと同じじゃないか。おまけに、この規定は先週できたばかりだ!」  フールはすばやく規定に目を通した。バスターの言うとおりだ。 「これは明らかに、われわれが勝てないようにするための小細工ですね」と、フール。眉をひそめてイーストマンを見返した。「制限を強化して、自由兢争を妨害するつもりですか?」 「なんとでも言いたまえ」と、イーストマン。相手を見くだす表情だ。「規則は規則だ。ジェットコースターが規定に違反すれば、きみたちの遊園地は全面的に閉鎖する。さあ、規定に従《したが》ってもらおうか。それとも、視察官たちが測量を始めてもいいのかね?」 「法廷でケリをつけてやる」バスターがつぶやいた。両手を握りしめている。「だが、裁判は何カ月もかかる。法廷で争っているあいだはジェットコースターが完成しない」 「規定どおりに追っても勝てるさ」と、フール。「イーストマン次官、ご忠告ありがとうございました。しかし、こんなことでわれわれがあきらめるとお考えなら、それはまちがいです」 「そうだろうな、大尉」イーストマンはニヤリと笑った。「だが、覚えておくがいい。われわれは監視をつづけるぞ。法定高度より一センチでも高かったら、この遊園地は立入禁止にする。では、ごきげんよう!」 「ごきげんなんか悪いに決まってる」と、バスター。噛みつくような口調だ。イーストマンはすでに背を向けて、遠ざかってゆく。フールはバスターの肩をたたいた。 「心配するな。この競争を始めたときから、妨害が入ることはわかっていた。だが、まだ勝てる。向こうがしたことは、自分の足を引っぱる結果にしかならない。今さら規定を廃止するわけにはいかないし、こちらを負かすのがますます難しくなるだけさ!」 「そうだといいんですがね」と、バスター。だが、フールの計画を聞くと大きくニタリと顔をほころばせた。「なるほど、そいつは痛快だ」 「よし」と、フール。「これからしなければならないことは、このアイデアを現実に形として生かすことだ。さあ、仕事にかかろう!」  二週間後に、メイズ大佐が〈ニュー・アトランティス・パーク〉予定地へやってきた。フールが出した最新の広告を振りかざしてわめいている。 「尻尾をつかまえたぞ、大尉! この遊園地は今日で閉鎖だ!」 「お言葉ですが、大佐、こちらの新しいジェットコースターの高さは、そちらの視察団が測量ずみです」と、フール。「どこを取っても規定どおりの建築であることは、おわかりのはずです」 「では、誇大広告で有罪だ」メイズは葉巻を地面に落とすと、踵《かかと》で踏みつぶした。「このパンフレットには、ジェットコースターは規定より十五メートル高い″と出ている! きみが約束を果たせないのなら、詐欺罪で訴えるぞ。言っておくが、ランドール人はこの種の詐欺に対して甘い顔をしない。数年前に〈|砂の惑星《デューン》パーク〉のジェットコースターの一つが広告より十秒分だけコースが短いことがわかって、幹部全員が辞任に追いこまれた」 「その話は聞きました。しかし、見てください――新しい規定に違反しないように、架台の頂上の十メートルは切り取りました。それだけではありません」フールはメイズを手招きし、建設現場へ入れた。 「ここから先は、保安帽を着用していただかなければなりません」と、フール。合板の囲いの外側に掛かったヘルメットの棚を指さした。囲いの内側では、〈傑作〉のレール部分が地面の近くを走っている。フールは自分のヘルメットをスポッと頭に乗せ、メイズ大佐が大きさの合うヘルメットを選ぶのを待った。それからメイズを案内して、囲いの入口を通った。見張りに立つ制服姿の中隊員にうなずいてみせ、中へ進む。囲いの中へ入ったメイズは、薄暗い照明にしばらくまばたきを繰り返した。やがて目が慣れると、ポカンと口を開《あ》けた。 「こいつは規定の歪曲《わいきょく》だ! 規則をこんなに安直に解釈していいわけがない!」 「逆ですよ、大佐。われわれは非常に注意深く規定を研究した結果、この設計を選んだのです」と、フール。地面の大きな穴へレールが入りこみ、少なくとも二十メートルは下降線が長くなっている。フールは穴を指さして説明した。「規定では、地上部分の高さは明確に制限されています。しかし、下降線全体の長さについては一言も触れていません。大佐、このジェットコースターは完全に合法的なものです」 「このヤクザ者め。必ず工事を中止させてやるからな」メイズは唾《つば》を吐き捨てた。  フールは相変わらず笑顔のまま、言葉をつづけた。「この設計に変更せざるを得なくしてくださったことを、感謝します。コースの最後で暗い穴の中へ突っこむ形になりました。どこまで落ちるかわからないというスリルが味わえます。あの規定を知らせていただかなければ、思いつかなかったでしょう。マエストロ・ジピーティは、ランドール政府のおかげで非常に強いインスピレーションを受けた≠ニ言っています」 「ちくしょう、大尉、このラウンドはきみの勝ちだ」と、メイズ。頭からヘルメットをむしり取った。「だが、見ているがいい。最後に笑うのはわれわれだぞ。失礼する!」足を踏み鳴らして囲いから出ると、入口のドアをたたきつけて閉めた。 「これだけじゃすみそうもないな」離れた所から様子を見守っていたバスターが言った。「連中が今度はどんな新手を考え出すか、楽しみだ。またおもしろいことが起こるな」 「バスター。信じられないかもしれないが」と、フール。「これ以上おもしろすぎる場合だってある」 「そういう場面に出会ったら、おれにも覚悟がある」と、バスター。手を止めていた仕事に戻った。  フールはため息をついた――請求書がきたときに払うのは、バスターじゃないからな。 〈ランドール・パーク〉の囲いの内側で、新しいジェットコースターの建設が進みはじめた。ロボット・カメラが、このジェットコースターの目立つ特徴を次々と捉えた。地中まで降下する〈傑作〉を真似《まね》て、下降線を〈傑作〉よりさらに三メートル長くしている。そこで、基底の岩盤にぶつかった。非常に固い玄武岩だ。フール側の技師たちはすでに、これより深く掘り進むと極端に費用がかかると判断していた。政府側の新しいジェットコースターは〈怪物〉と名づけられた。政府が新しい規定を廃止しないかぎり、〈怪物〉は(少なくともこの地域では)下降線については最長記録を持つ形になる。マエストロ・ジピーティはカンカンになってわめいた。 「連中は恥シラーズです! 悪党以外の何者でもない! 仕事を政府がヒトリジーメするために法律を制定します! フン! このジピーティが思い知らせてくれます!」 「そうだな、マエストロ。こうなったら、相当にスリリングなものを考え出してもらわなくちゃ」と、バスター。「政府のおかげで、こっちは跳《と》びあがったり突き落とされたりしたんだ。今度はこっちが政府を左右にゆすぶってやる番だ。何かすごいアイデアはないか?」 「少し待ってください!」ジピーティはどなった。「今に、目にモノ見せてやります!」だが、いっこうにスリリングなジェットコースターの案は出てこない。マエストロにはもう無理だと、皆が思いはじめた。  オキダタが咳払《せきばら》いした。「まだ使っていない案が一つあります。潔癖な絶叫マシーン・ファンは、ごまかしだと言うかもしれません。もしかしたら、使わないほうがいいかも……」 「ぼくは潔癖なファンではない」と、フール。「今この瞬間にぼくが知りたいのは、あの官僚主義に凝り固まった規則屋どもを打ち負かす方法だけだ。政府側よりいいジェットコースターを造れるなら、どんなに高くついても実行したい。どうかね、マエストロ?」 「どんなアイデーアですか?」と、ジピーティ。顔をしかめている。 「反重力です」と、オキダタ。 「ああ、それなら使ったことがあります」と、ジピーティ。片手をヒラリと振って否定した。「大変なセンセーションを巻き起こしました――全員が乗って、ガッカリするまではね。ジェットコースター愛好者は落下の感覚を楽しむのであって、浮遊感を求めているのではありません」 「そのとおりです」と、オキダタ。「おれも子供のころ、反重力を使ったマシーンに乗りました。あれは大失敗作でしたね。誰も二度と乗らなくなりました。マエストロの言ったとおりでした――あれは落下でなく、浮遊の感覚です。でも、別の使い方もあるはずです」 「そんなものはありません!」と、ジピーティ。だが、誰も聞いていない。 「つづけてくれ、若いの」と、バスター。向かいの空《あ》いた椅子に両足を乗せた。「おれたちは政府の上をゆくジェットコースターを造らなきゃならんのだ。向こうは競争でズルをした。いいアイデアがあるなら、おれは聞きたい」 「わかりました。それじゃ話しましょう」と、オキダタ。「昔のマシーンは反重力装置を、上昇線の終わる山のてっぺんで使いました。マシーンがレールを離れて空を飛ぶような感覚を与えようとしたんです。ただ、うまくいかなかった――滑《なめ》らかすぎて。おれが考えてる使いかたは、もっと微妙なものです。反重力装置は上昇線の途中で使います。車両のスピードを落とさないためです。この方法だと、後続の山がどれも最初と同じ高さでもスピードが殺されないので、ますます激しい勢いで降下するように感じます。スピードが落ちませんから、コースももっと長くできます。反重力を効果として使うのではなく、強調のために使うんです」 「こいつはうまくいきそうだ」と、バスター。「もちろん、効果のほどは試してみなけりゃ……」 「そのために、試乗者がいる」と、フール。「設計図を作って、見せてくれ。負けるわけにはいかない。このジェットコースターに全力を注ぎこもう」  フール個人としては、一刻も早くジェットコースターだけでもテーマパークをオープンさせたくなってきた。どんどんかさむ建設費用を払うために、少しでもカネを取り戻したい。だが、内部の施設がすべて完成しなければ開園はできない。請求書の金額がかさむばかりだ。  どんな芸術作品も観客がいなければ成り立たないのと同じように、ジェットコースターも乗客がいなければ意味がない。車両が乗客を乗せてガタゴトとレールの上を走るまでは(音を立てるほうが望ましい――あまり静かなのはかえってよくない)、まだ得体の知れない代物《しろもの》だ。真価を事前に確かめるために、試乗班が作られた。  試乗班には、オメガ中隊でも筋金入りの絶叫マシーン・ファン二名が加わった。ドゥーワップとマハトマだ。この二人はタスク・アニニと同様、乗っているだけでレール上の小さな欠陥の位置をピタリと感知する。ガンボルト人――特にルーブ――も試乗者として適任だ。ルーブが最後まで叫び声もあげずに乗っていれば、コースがおとなしすぎるということになる。試乗班の班長に、フールはブランデーを選んだ。ブランデーならにらみ[#「にらみ」に傍点]をきかせて、メンバー全員の注意をコースの分析に集中させておける。ただおもしろがっただけで試乗を終えることはないだろう。 〈傑作〉の試乗が終わったとき、マハトマが片手をあげて言った。 「曹長、質問してよろしいでしょうか?」 「質問を許さなければ、心の平安は得られないような気がするわ」と、ブランデー。「今度はなに、マハトマ?」 「われわれが試乗する目的は、こちらのジェットコースターが政府のよりもいいかどうかを確認するためですね?」 「みんなそう思ってるわ」と、ブランデー。 「しかし曹長、片方しか知らずに二つのものを比べるには、どうすればいいのですか?」 「なんですって?」ブランデーの顔に、困惑の色が浮かんだ。マハトマの質問を受けたときによく現われる表情だ。 「考えてみてください、曹長。リンゴとオレンジを比べたいと思ったら、リンゴを食べてからオレンジも食べるでしょう? そうじゃありませんか?」 「リンゴとオレンジを比べるなんて、そんなこと誰もしないわ」ブランデーは眉間《みけん》に皺《しわ》を寄せた。「そんなことをして、いったい……」  マハトマが口をはさんだ。 「それでは、みんなはなぜ、いつも、わたしが比べてもいないのに、きみはリンゴとオレンジを比べようとしている≠ニ言うのでしょう? わたしが比べようとしたら、曹長はそんなことは誰もしない≠ニおっしゃいます」 「ブランデー、これ、マハトマの言うとおりね。ちゃんと意味ある」と、タスク・アニニ。 「あんた[#「あんた」に傍点]の言うことも、そのまま受け止めろというの?」と、ブランデー。からかう口調だ。タスク・アニニの頭のよさは、中隊員たちの尊敬の的《まと》になっている。だが、論理の筋道が必ずしも地球人の発想とは一致しないため、話がわかりにくい。 「いいかい、ブランデー」と、タスク・アニニ。「おれたち、自分たちの[#「自分たちの」に傍点]ジェットコースターを試しただけ。向こうのジェットコースター乗ってない。それなのに、こっちのがいい、あっちのがいいのか、どうしてわかる?」 「ああ、わかったわ」と、ブランデー。「なるほど、マハトマの質問はちゃんとした意味があるわね。ただ政府のジェットコースターは、向こうのテーマパークがオープンするまでは乗れないのよ。考えてみれば、バカな話ね……」 「なあ、曹長。すごい考えが浮かんだけど」と、ドゥーワップ。 「やれやれ、事態が紛糾してきたわ」ブランデーはわざと恐ろしげに目を覆った。「あんたのすごい考え≠ニやらを開かずにすますわけにはいかないでしょうから、話すといいわ。でも、わたしは聞くだけよ。聞いても、何もしないわよ。いい?」 「いいとも、曹長、あんたは何もしなくていいすよ」ドゥーワップはニヤリと笑った。「おれと仲間に任《まか》せてくれりゃ……」 「わかったわ。でも、わたしは話をすっかり聞くまで、何一つあんたに任《まか》せる気はないけど。さあ、言ってしまいなさい、ドゥーワップ。どうせ、後悔するんだから……」  ドゥーワップの話はブランデーの予想に反する内容だった。ドゥーワップが詳しく説明すればするほど、いい話だと思えてくる。気がつくとブランデーは、初めの決心をひるがえしてドゥーワップの提案を承諾していた………。 〈ニュー・アトランティス・パーク〉の囲いは、一般市民に建設の進み具合を知らせながらも、ある程度の秘密を保てるように造られている。ドゥーワップの提案は、競争に役立つ情報は何も与えずに、ランドール人の好奇心をそそる≠ニいうことだった。だが、これはランドールの習慣には反する行為だ。ジェットコースターの細部は――全体の高さから座席の色まで――普通は企業秘密として扱われる。  オキダタとドゥーワップが〈ランドール・パーク〉の入口に寄せてホバー・カーを止めたときも、やはり政府側の二名の警備員の姿が目に入った。パークの囲いの高さは三メートルあり、上端にカミソリのような鋭い刃のついた鉄条網が渡されていて、のぞき見もできない。入口は強い投光照明に照らし出されている。警備員が近づいてくると、オキダタはドゥーワップにささやいた。 「おれが話をつけます。この二人は知り合いなんです。おれなら話が通じやすい」  ドゥーワップは疑う表情でオキダタを見返した。 「わかった。だが面倒なことになったら、すぐおれに任《まか》せろ。おれなら、舌先三寸でどんな面倒でも切り抜けられるから」 「ええ。でも、あんたが切り抜けて、おれはどうなるんです? 置き去りにされるんですか?」と、オキダタ。ふざけてドゥーワップを肘《ひじ》でつつくと、向きを変えて警備員たちに言った。「やあ、フーツィーとアニーじゃないか! しばらくだなあ」 「本当にしばらくぶりね、オキー」と、女の警備員。黒髪のたくましい女で、ダーク・グリーンの制服を着ている。「話ができなくて残念だけど、ここは関係者以外は立入禁止なの。ここで車を止めてもらっちゃ困るわ」 「そいつは困ったな、アニー。おれは、あんたたちに話をしようと思ってるんだ」と、オキダタ。ないしょ話を持ち出す口調だ。「提案があるんだよ」 「オキー、ここで車を止めないほうが身のためだぞ」と、もう一人の警備員。こちらがフーツィーだろう。言葉とは裏腹に、暇の奥でクスクス笑い声を立てている。「この前おまえの提案を聞いたときは、もう少しでおれたち二人とも退学になるところだったしな」 「ああ、だけどあれ、おもしろかっただろ?」と、オキダタ。ドゥーワップからはオキダタの顔は見えないが、声の感じではニヤついているらしい。「取引だ――ランドールでいちばんスリリングなマシーンに、タダで試乗するってのはどうだい?」 「ランドール一スリリングなマシーンなら、この中にあるわ」と、アニー。うさん臭そうに目を細めている。 「そりゃ、まあ、そうだ」と、オキダタ。「でも、通りの向こうに何があるかは知らないだろう?」 「反乱軍のテーマパークがある」と、フーツィー。「おまえ、あそこで働いてるのか?」 「そうさ。向こうも政府と同じくらい給料はいい。それに、向こうのマシーンは政府のよりずっとおもしろそうだぞ。ああ、もちろん、おれは反乱軍側の話しか知らないけどな。おまえたちだって、政府側の話しか知らないんだろう?」 「ちょっと待って」と、アニー。ホバー・カーの窓枠に寄りかかった。「わたしたちを、こっそり反乱軍のマシーンに乗せてくれるというのね? あんたが〈|砂の惑星《デューン》パーク〉で働いてたころに、よく〈イタチ〉に乗せてくれたのと同じパターンね」 「そうだ。今度はボスとの面倒はないよ。今のボスは、おれたちのマシーンがどんなにすばらしいか、ランドール人に知らせたがってる。そのためには、二、三回、無料で試乗させるのが一番いいと思ってる。そうすれば噂が広まるからな」 「それで、無料試乗とやらのお返しに、こっちは何をすればいいの?」と、アニー。目をますます細め、警戒心をあらわにした。  このときになってオキダタは、前にタダで〈イタチ〉に乗せてやったときにアニーから受けた返礼を思い出した。だが、今さら話を変えるわけにはいかない。 「まあ、あんたたちが乗ってるあいだ、おれと友達がここで門を見張って……」 「あーら、そう!」と、アニー。「わたしたちがクビになっても、あんたが代わりに給料を払ってくれるわけ? へーえ。取引はなしよ、オキー。今でも、仕事は少ないんですからね。ここでクビになんかなっていられないわ」 「もうちょっと条件をよくしてもいいぜ」と、ドゥーワップ。身を乗り出してアニーに笑顔を向けた。 「誰、この人?」アニーは身を引いた。 「おれの友達のドゥーワップだ」と、オキダタ。内心、口をはさまれたことにがっかり[#「がっかり」に傍点]した。 「そういうことさ、ベイビー、いい取引があるんだ」と、ドゥーワップ。「あんたとあんたの友達のうち、〈ニュー・アトランティス・パーク〉を開園前に見たいやつなら、誰でもいい」 「悪く思わないでくれ。おれ個人としては、そっちのマシーンに乗ってみたくてたまらない」と、フーツィー。「だが、おれたちは政府から仕事をもらってる身だ。おれたちだけじゃない。ほかの警備員もいるし、監督も、コンピューター関係者も……」 「問題ないさ。誰だって大丈夫だ」と、ドゥーワップ。  フーツィーには信じられないらしい。 「問題を起こしたら、おれたちは監獄に入れられる。おれはそんなのはゴメンだ」 「そんなに心配するなって」と、ドゥーワップ。「あらゆる面を考慮したんだ。だが、よけいな興味を引かない所にこのホバー・カーを止めてから、人目につかない所で相談したほうがいいな。どこか、いい場所はあるか?」 「まっすぐ二ブロック進んでから、右へ曲がって、止めて」と、アニー。決然とした口調だ。「それからこっちへ戻って、警備員の休憩所へきてちょうだい。絶対、誰にも見られないようにしてよ」 「心配するなよ」と、オキダタ。「誰もおれたちのことなんか気にしないさ。すぐに戻ってくる」そう言うとホバー・カーのギアを入れ替え、その場を離れた。腕のいい漁師のような微笑を浮かべている――魚は餌に食いついた。 「このジェットコースター、なんて名前だ?」タスク・アニニが、そびえる架台を見あげて尋ねた。囲いの中へ入って見ると、政府のジェットコースターは立って乗る形のものだった。肩を固定するハーネスには厚い詰め物がつめこまれ、客が乗車位置に立つと自動的に降りてきて拘束する。 「おれたちが〈野獣〉と呼んでるやつです」と、オキダタ。「政府がなんと呼んでるかは知りません。どうでもいいでしょう」 「全部に乗ってみよう」と、マハトマ。メモ帳にあわただしく何かを書きつけている。「しかし、報告するときに備えて、一つ一つ区別しておく必要があるな。オキダタ、きみが名前を知らないのは残念だ」 「名前だけはどうしても聞き出せませんでした」と、オキダタ。それ以外は何もかも、今のところはうまくいっている。アニーとフーツィーは試乗班を門の中へ入れ、借りてきた$ン計図を渡してくれた。車両を走らせるためのさまざまな操作が出ている。予定に変更がないかぎり、遊園地内の警備員は試乗班が立ち去るまで現われないはずだ。囲いに隠れて試乗班の姿は見えないし、昔も遠くまでは聞こえないだろう。 「それじゃ、エンジンをかけるとするか」と、ドゥーワップ。「運転のしかたはわかってるな?」 「おれは小生意気なガキのころから乗ってましたからね」と、オキダタ。だが、地球人から見ればこの男は二十歳そこそこにしか見えない。「動かしかたはどれも同じです。心配ありませんよ。たとえ政府だって、おれに動かせないものなんか造れやしませんよ」 「おまえさんなら、福利厚生部も動かせるってのか? さぞかし失業者が減るだろうな」と、ドゥーワップ。だがオキダタはすでにその場を離れ、コントロール装置のある近くの小屋へ向かっていた。ドゥーワップは肩をすくめ、仲間の試乗者たちのあとについて先頭の車両に乗りこんだ。一分あまりたつと、乗り場の近くのスピーカーからオキダタの声が流れた。 「みんな、用意はいいですか?」  ドゥーワップはほかの試乗者を振り返った。タスク・アニニ……マハトマ……ガンボルト人のデュークスとガルボ……ほかに六人のメンバーが立って、位置についている。 「全員、乗車した」と、ドゥーワップ。小屋から見えるよう親指を立ててオーケー≠フ身ぶりを加えた。  静かな機械音とともに肩のハーネスが降りてきて、乗客を固定した。 「万事、順調か?」と、ドゥーワップ。形式的な質問ではない。ハーネスが正しく装着できなければ、乗客はカーブか逆さになった所で振り落とされる。全員、異常なし≠ニ答えた。この点は予想どおりだ。地球人しかいない惑星でも、ジェットコースターはさまざまな体格の客が乗れるように造る。ボルトロン人や二人のガンボルト人がうまく固定されないようなら、ほかにも乗れない客が出てくる。乗れる客の体格が制限されれば、儲《もう》けが減る――遊園地の経営者にとって、これは事故より恐ろしい事態だ。ハーネスはさまざまな体格に合わせて装着できるはずだ。 「ようし、それじゃ行きますよ」オキダタがスイッチを入れた。車両が、長くけわしい傾斜を昇《のぼ》りはじめた。囲いの上端より高く昇ると、眼下に未完成の遊園地がチラリと見えた。片側に、別の二つのジェットコースターがある。一つは今夜じゅうに中隊員が試乗する予定のものだ。もう一つは建設中だが、邪魔が入らなければ、こちらも開園前に試乗する。遠くに、レストランや店などの施設を含む建物が見えた。入植初期の採鉱キャンプに似せた造りだ。  車両が斜面の頂上に昇りつめ、一瞬、動きが止まった。緊張が高まる。次の瞬間、車両は垂直に近い斜面を勢いよく下《くだ》りはじめた。降下というより落下に近い。純粋な興奮に包まれながらも、ドゥーワップは頭のどこかで、マハトマが激しく息を吸いこむ音を感じた。ガンボルト人の一人が金切り声をあげた。なるほど、このジェットコースターは大したもんだ……。 [#挿絵426 〈"img\APAHM_426.jpg"〉] [#挿絵427 〈"img\APAHM_427.jpg"〉]  目に見える下降線の終点よりも先まで、落下がつづくような気がした。突然、車両が水平になり、動く方向が変わった。そのために、乗客たちは一瞬、身体が押しつぶされそうなGを味わった。急激なS字状のターンがつづき、激しく揺《ゆ》さぶられる。次は最初のループだ。逆さになったコースを直立したまま疾走するのには、不思議な爽快感《そうかいかん》がある。ループを抜けると、行く手に第二のループが見えてきた。  ドゥーワップの視野の隅《すみ》に、コントロール小屋のそばにいる二人の警備員の姿が映った。オキダタの両腕を捕えて小屋から引きずり出したところらしい。ドゥーワップは思わず、ジェットコースターから降りるところを予想した――乗ったときとは、かなり違う雰囲気になっている。おれたちは一杯くわされたんだろうか? それとも、ただ運が悪かったんだろうか?  車両が二つ目のループにさしかかり、ドゥーワップはまた二、三分、警備員のことを忘れた。  やがて車両のスピードが落ち、滑《なめ》らかに止まった。レールのそばで警備員たちが待ちかまえていた。詰め物をしたハーネスが自動的に乗客の肩からはずれる。警備員の一人――大柄な男で、力こぶがドゥーワップの胴まわりくらいもある――が前へ進み出た。 「よし、おまえたちは楽しい思いをしたわけだ」と、警備員。「さあ、いっしょにこい。今度は、楽しい思いはできないぞ」顔をしかめ、眉がやけにさがって見える。 「しかし、それでは計画が狂います」と、マハトマ。明るい口調だ。「われわれはまだ、ほかのジェットコースターにも乗らなければならないんです」 「そうか、まだ目をまわしたいのか。おれが手伝ってやろう」と、大柄な警備員。険悪な顔で前へ出てきた。  タスク・アニニが片手を突き出した。「マハトマに無礼な口、きくな」恐ろしい目で警備員を見おろしている。二人のガンボルト人がタスク・アニニの両側へ進み出た。怒りの表情を浮かべた二メートル十センチのイボイノシシ型人……それに、百八十センチのネコ型人が二人――この三人を前にして、さすがの警備員も足を止めた。そのすきに、ドゥーワップはメンバーのあいだをすり抜けて前へ出た。 「おい、いきなり決めつけるのはやめてもらおうか」と、ドゥーワップ。警備員に見とがめられるようなことは何もしていない――懸命に、そんな表情を装った。「事情を最初から説明するよ」 「おまえたちは政府の地所に侵入した。今すぐに説明を始めたほうがいいぞ」と、警備員。偉そうな態度に戻っている。ドゥーワップなら体格で威圧できると見たのだろう。 「おれたちは、本当は侵入したんじゃなくて……」と、ドゥーワップ。 「口答えは許さん」と、警備員。ハムの固まりのように丸々とした片手をあげ、平手打ちを食らわそうと前へ出た。  だが、平手打ちはドゥーワップには届かなかった。かすかな電子音がしたかと思うと、大柄な警備員は地面にくずおれた。マハトマの様子に気をつけていた者は、警備員に向けられた小さな器械に気づいたかもしれない。だがそれがSRlゼノビア型スタンガンだとわかったのは、オメガ中隊員だけだ。  ドゥーワップは倒れた警備員を見おろして、肩をすくめた。 「説明しようとしたのに、聞かないんだからな」そう言うと、倒れた仲間を見つめるもう一人の警備員に向き直った。「大丈夫だ。少したてば、もとに戻る。だが、急いで話さなきゃならん。取引に加わってもらおう。取引の内容は……」  まもなく中隊員たちは、次のジェットコースター〈怪物〉に乗りこんだ。今度は邪魔は入らなかった。 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 四三五[#「執事日誌ファイル 四三五」はゴシック体]  ご主人様も気づかれたとおり、絶叫マシーンの建設は、反乱軍のテーマパーク建設に対する援助活動の一環にすぎなかった。テーマパークには、ほかのさまざまなアトラクションも必要である。流しのミュージシャンや山車《だし》、行列、コンサート、イカサマのないゲーム類――どれも一応、このテーマパークのテーマと関係がある。反乱軍が味わったジャングルでの風変《ふうがわ》りなキャンプ生活を体験してもらう趣向だ。コンピューター・シミュレーションで現地の野生動物を創り、人工の川と沼地を掘って、水を満たした。船で交易所≠ワで行き、交易もできる。扱われる商品は、迷彩服……赤いバンダナ……おもちゃの銃……など多種多様である。  飲食物を提供する施設と洗面所も必要だった。また、あまり歩きたくないお客のために、園内の一つの場所から別の場所へすばやく移動できる設備もあったほうがよい。もちろん、切符を売る人員や、店やレストランを監督する人員、いろいろな施設を運営して閉園後には掃除する人員も必要となる。最終的には、このテーマパークの従業員数は数千名にのぼった。この時期までに、ランドールの裕福な人物が数人、後援者となって資金を援助してくれるようになった。だが資金の大部分は、相変わらずご主人様のポケット・マネーから出ていた。 [#ここで字下げ終わり] 「惑星を侵略して政府を転覆させるほうが簡単だったんじゃないかな」フールはコンピューターのスクリーンから顔をあげて、ぼやいた。スクリーンには、ディリチアム・エキスプレス・カードでの取引額を詳しく示したマトリックス精算表が出ている。「もっと安くあがるはずだった」 「もう少し早めにお考えになるべきでしたね、ご主人様」と、ビーカー。フールの背後から、肩越しにスクリーンをのぞいている。「その上、あなた様はすでにこの惑星で、政府を一つ倒す行為に関《かか》わられました。平和協定調印式の場に機銃掃射を命じられたことを、お忘れでいらっしゃいますか?」 「忘れられるものか。レ・ドク・テプにたびたび言われるからな。ぼくが向こうに借りがあるということを忘れさせないためだろう。ぼくは、いわば何から何まで質に取られているんだ、ビーカー。このテーマパークが儲からなかったら、この先、借金の返済だけで一生を終えることになりそうだ」 「ですが、ご主人様、いくつか好ましい徴候もございます。地元のホテルは開園日の予約でいっぱいでございます。ほとんどが、惑星外のお客です。お友達でいらっしゃるリポーターのジェニー様が流してくださった宣伝が、効を奏したようでございます」 「ジェニーに向かって、ぼくたちの宣伝をしたなんて言わないでくれよ。ジェニーにしてみれば、報道番組のつもりなんだから。しかし、おまえの言うとおりだな――非常に貴重な宣伝だった。お客という形で結果が現われることを期待しよう」 「いかなる形であれ、外貨が流入するのはけっこうなことでございます。今の段階で、反乱軍がローンを自分で清算できる資力を手に入れるようであれば、初めから借金しようなどとは考えなかったでしょう」 「そのことは、わかりすぎるほどわかってるよ」と、フール。スクリーンに並ぶ数字の列を見つめ、コンピューターに一連の指示を打ちこんだ。「ざっと計算してみたが、最低限の経常費の支出分を取り返すためだけでも、〈ニュー・アトランティス・パーク〉は一日に平均四千人の客を……年間およそ百五十万人の客を入れなければならない」 「この惑星の全住民が、少なくとも年に一度はここへ来てくれなければ困るわけでございますな」ビーカーはうなずいた。「ご主人様、現にこの惑星の人口に対して、これほど多数のアトラクションを用意したのでございますから、それも夢ではないと存じます」 「そうだな。しかし、それ以上の効果が出ないかぎり、ぼくにはカネが入ったとは思えない。少なくとも支出の二倍の金額が入ってこなければな。そうでないと、ぼくのカネは湯水どころか滝みたいな勢いで流出する一方だ」 「ディリチアム・エキスプレス社が援助してくれますでしょう」と、ビーカー。「なんと申しましても、あなた様の信用は完璧でございますし……」  フールの通信器がピーッと音を立てた。 「やあ、マザー。今度はなんだ?」 「レ・ドク・テプが面会を希望しています、いとしい人」と、マザー。「青写真の束を持っています。あの目つきは、中隊長にまたオカネを使わせる魂胆です。わたしも、宇宙軍に入るより自分の遊園地を造ればよかったかもしれませんわ。それとも中隊長は、直接わたしにオカネをくださるほうがいいのでしょうか?」  フールはうめいた。「テプをここへ通してもらったほうがいいようだ」  これでまた、マトリックス精算表に現われる総額が変わる。ちゃんと黒字に戻るんだろうか? フールは不安を覚えた。 [#改ページ]       17 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 四四二[#「執事日誌ファイル 四四二」はゴシック体]  さまざまな妨害があったものの、ついに、〈ニュー・アトランティス・パーク〉をオープンさせて客の入りを調べるばかりという日が明日に迫った。レ・ドク・テプの計画どおり、反乱軍のテーマパークと政府のテーマパークは同じ日にオープンする。二つのテーマパークの開園日が重なれば、ランドールの近代史上で画期的なイベントになる――その確信は日を追うごとに強くなった。〈ランドール・パーク〉の入場者を増やすため、政府はこの日の学校や官公庁を休みにし、民間企業の多くがこれにならった。この分では、〈ニュー・アトランティス・パーク〉の入場者もかなり増えるだろう。  惑星外からの観光客は、開園日の一週間前から続々とランドールに到着した。惑星外観光客のおかげで、ランドールの各種の商売が活気づいた。ホテルやレストランや店は満員になり、浜辺や、前からある遊園地にも人があふれた。ご主人様が頻繁《ひんぱん》に行なわれた宣伝活動の成果だ。少なくとも、新しくオープンする二つのテーマパークに対する興味は充分にかき立てられた。  ただ、ご主人様が予想もされなかった、まったく違う種類の来訪者もあった。 [#ここで字下げ終わり] 「あ、うー……」と、レンブラント。 「そりゃまた、けっこうな[#「けっこうな」に傍点]コメントだな」と、アームストロング。プリントアウトしたインターネット政治論評から顔をあげ、レンブラントを見た。  二人は朝食をとりながらニュースに目を通していた。今の今まで、二人とも無言だった。  レンブラントは、アームストロングが読んでいるプリントアウトの上に、自分が読んでいた紙を投げ出した。 「ちょっと、下の左側のニュースを読んでごらんなさい。あなただってけっこう[#「けっこう」に傍点]なコメントをしたくなるはずよ」 「≪開園するテーマパークを外交団が訪問≫」アームストロングが読みあげた。「なんだ、いいニュースじゃないか。お偉方が来てくれれば宣伝効果もあがる」 「その先を読んで」 「≪宇宙連邦のゴッツマン大使と平和維持活動監視団を乗せた航宙艦〈ダーデインの誇り〉が、惑星ランドールの周回軌道に到達した。スポークスマンによれば、同監視団のランドール訪問は数週間前に計画されたものだが、奇《く》しくも惑星規模の祝祭日に到着できて、満足しているという≫」アームストロングは顔をあげた。「それで?」 「その先よ」 「≪同艦には軍の代表団も同乗しており、指揮官は……≫」アームストロングは青くなった。 「なんてこった!」 「わたしの言いたいことがわかったでしょ」と、レンブラント。「すぐ中隊長に知らせなきゃ」立ちあがると、アームストロングの手からプリントアウトを取りあげた。 「待ってくれ。まだベーコンが一切れ残ってるんだ」と、アームストロング。朝食の皿に手を伸ばしている。 「急いですませて。これは非常警報《レッド・アラート》≠烽フだわ」  レンブラントはテーブルを離れ、振り返りもせずにフールのオフィスへ向かった。食堂にいる中隊員たちが振り返って二人を見た――レンブラントが先に立ち、アームストロングが急いであとを追ってゆく。オフィスへ向かった二人が食堂の奥から外へ出てドアが閉まったとたん、正面入口の近くに座っていたマスタッシュが跳《と》びあがって叫んだ。 「気をつけ! ……ブリッツクリーク大将閣下、ようこそおいでくださいました!」  食堂内の中隊員たちはアタフタと立ちあがった。皆、ポカンと口を開《あ》けている。見るからに高官を迎え慣れていない光景だ。マスタッシュとマハトマが、どうにかタイミングをはずさずに敬礼した――あまり厳《きび》しい軍曹なら、とても敬礼≠ニは認めない仕草《しぐさ》だ。ほかの者も一度は敬礼のしかたを覚えたはずだが、とっくの昔に忘れている。  だが、そんなことはどうでもよかったらしい。ブリッツクリーク大将は脇目《わきめ》もふらずに、ものすごい勢いで食堂を通り抜け、中隊長のオフィスへ向かった。これまでのフールと上層部の口論を知らなかった者も、今こそ、自分たちの指揮官の首が切られるかどうかの瀬戸際だと悟《さと》った。 「ジェスター、おまえの行為はどれもこれも権限を逸脱《いつだつ》しとる」ブリッツクリークは、がなり立てた。「おまえは憎むべき反乱軍と結託し、指揮下の中隊を使って、守るはずの現政府の転覆を図《はか》った。フン! だが、おまえはこれで宇宙軍から追放されるわけではない――わしなら、営倉へ送ってやるがな」 「閣下、お言葉ですが、ぼくはどの点についても申し開きできます」と、フール。直立不動で自分の机の前に立っている。見事な落ち着きぶりだ――大将のランドール到着を知ったのがほんの二分前だとは、とても思えない。 「そりゃ、そうだろう」と、ブリッツクリーク。険悪な顔だ。「自分の策略をいかにも無害に見せかけるのは、おまえの得意な手だ。だが、わしの目はごまかせんぞ。今回は、おまえが自分で償《つぐな》いをする。さぞかし愉快な光景だろうな!」  ブリッツクリークのわめき声がとぎれた隙《すき》を狙って、フールは口をはさんだ。 「閣下、ぼくが実行したのは、受けた命令の範囲内のことだけです」 「命令の範囲内だと? ハン! 真相はわかっておる」と、ブリッツクリーク。大きな大理石の机の周《まわ》りをまわってフールに近づき、相手の鼻先で指を振った。「だが、おまえと議論している暇はない。ただちにおまえの中隊長の任を解き、軟禁する。今すぐ自分の居室へ戻れ。わかったか?」 「はい、閣下」と、フール。口調も表情も変わらない。「部屋に客を迎える許可をいただけますか? ぼくは、自分の執事に会う必要があります。答弁の準備のために、部下たちに連絡する許可もいただきたいと思います」  ブリッツクリークは片手を振った。その手が机の上にあったプラスチックのコーヒー・カップにぶつかり、空《から》のカップを床に落とした。だが、ブリッツクリークは気づかなかった。 「許可する。言っておくが、そんなものはなんの役にも立たんぞ。しかし、わしがおまえの権利を奪ったと言われても困る。警告しておく――部下の支持を集めて、わしに対する反乱を企《くわだ》てたりするな。そんなことをすれば、反乱罪だ。もう行ってよい!」 「了解!」フールは敬礼し、ブリッツクリークに背を向けて自室に向かった。フールは思った――そのうちに、このトラブルは片づく。これまで何度も上官ともめたが、いつも解決した。今回はちょっと手間がかかるかもしれない。自分の上官と、自分が守ってやったこの惑星の政府が手を組んで、こっちの息の根を止めようとしている。だが、必ず片づけてみせる……絶対に解決したい。 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 四四五[#「執事日誌ファイル 四四五」はゴシック体] ご主人様のように物事《ものごと》を自分の手で処理することに慣れた人々は、自分の自由にならない事柄《ことがら》もある≠ニいう点を忘れがちだ。ところが、こういった活動的な人々は扱いにくい物事を頭から追い出し、自分がすぐに扱える問題に注意を集中したがる。そのあげく、故意に考えないようにしていた事柄が急に目の前に現われ、抜き差しならない事態に陥《おちい》ったと知って驚く。 [#ここで字下げ終わり]  フールがホテルの廊下を自分の部屋へ向かおうとしたとき、どこかで見た気がする二人組が行く手をふさいだ。軍服ではないが、制服と似た雰囲気の服を着ている。 「フールさん?」と、背の高いほうの客。男だ。 「はい、フールです。しかし、残念ながら今はお話しできません」 「大尉、お話しいただけないというのは、あなたご自身のご決心でしょうか?」と、男。もう一人は女だ。「しかし、われわれは政府の重要な仕事でここにきました。お時間を割《さ》いてくださったほうが賢明ですよ」男は紙入れを開《あ》けて身分証を見せた――星際税務局《IRS》の特別調査官ロジャー・ピールだ。  フールはハタと額《ひたい》を打った。 「何か忘れてるような気はしたんだ! ローレライ宇宙ステーションで、ぼくを捜していらしたかたがたですね?」 「そうです」と、ピール。「ここで見つけたからには、どうしてもお話ししたい」 「あとでお話しするより、今すませてしまったほうがよさそうですね」と、フール。ため息をついた。「現時点で、あなたがたとお話ししたところで、今より事態が悪化することはなさそうです」 「おそらく、おっしゃるとおりでしょう、フールさん」と、女のIRS調査官。「でも、警告しておきます――わたくしたちの仕事は、あなたにとって事態が悪化する<^ネを見つけることです」薄笑いを浮かべている。だが、冗談のつもりではなさそうだ。 「では、いっしょにきてください」と、フール。  三人はフールの居室へ向かった。 「ご主人様、どちらを先に片づけましょうか?」と、ビーカー。「あなた様の営倉入りを防ぐべきでございましょうか? それとも、破産を防いだほうがよろしいでしょうか?」自分のポケット・コンピューターのポータブレインを手にして座ったまま、落ち着き払って主人を見つめた。フールは落ち着きなく部屋の中を行ったり来たりしている。 「まず、この軟禁を解いてもらったほうがいい」と、フール。「〈ニュー・アトランティス・パーク〉は明日の朝オープンする。ぼくは開園に立ち合いたい。ほかの問題は必要ならば独房の中で処理できる。だが、ぼくには開園に立ち合う権利があるはずだ」 「驚くべきお言葉ですな、ご主人様。しかし開園日だけ、あなた様の軟禁を解いてくださるようにブリッツクリーク大将を説得する方法は必ず見つかると存じます。おそらく見張りがつくでしょうが、そのくらいのご不便は我慢なさってください」 「それでいいよ。おまえなら必ず、なんとかして目的を果たしてくれるだろう。ほかのことは……その……星際税務局《IRS》には、ぼくの納税記録はおまえが管理していると話したんだが、あの二人は聞いてくれなかった。いつも脱税者ばかり相手にしているから、きちんと法律に従《したが》って納税している人間を想像できないらしい」 「すべての法律に従った結果、かえって所得の確定申告を提出するときに違反を犯してしまう恐れもあります」と、ビーカー。そっけない口調だ。「あなた様の追徴金はどのくらいとされていますか?」 「罰金と利子を入れて、二千万といったところだ。もちろん、バカげた話だ。そもそも、ぼくは、罰金や利子を払わなければならないような違反を犯していない」 「あなた様がいちずに常識を信じていらっしゃるご様子には、非常に勇気づけられます。でも残念ながら、IRSは常識とはまったく違う体系にもとづいて活動しております。IRSのやりかたは、軍の上官が二言か二言で人を拘束してしまうのと同じくらい、驚くべき力を発揮します」 「まあ、おまえが解決策を見つけられないなら、ほかの誰にも見つけられないだろう。そこには、すべての記録が入ってるんだろう?」 「はい」と、ビーカー。自分のポータブレインを見つめてうなずいた。「会合の場を設けて、調査官にあなた様の納税記録を見せましょう。ただ、それにはかなりの時間がかかります。いくつか違った方面から無実を訴えないと、調査官たちは納得してくれないかもしれません。いくらか裏ガネを払って――二、三百万ほどでしょうか――退散してもらうほうが、簡単でしょう」 「それじゃ、ヤクザにゆすられるのと同じじゃないか!」と、フール。「そんなのはごめんだ!」 「かしこまりました。ただ不運なことに、IRSはこちらの訴えを検討するあいだ、あなた様の資産を凍結することができます。ディリチアム・エキスプレス社が全面的に盾となってくれれば、預金は守れます。でも、あなた様がご自分で個人的な支払いをなさるのは難しいかと存じます」 「ぼくがこの先も中隊を指揮していくとすれば、もっとカネが必要になる」 「ブリッツクリーク大将は、あなた様から中隊の指揮権を取りあげるおつもりでしょう。ここは焦らずに、わたくしがIRSに対抗しているあいだに、大将の計画を挫折させる方法をお考えになったはうがよろしいかと存じます」 「ぼくも努力してるんだ、ビーカー。嘘じゃない」と、フール。いったん言葉を切ってから、先をつづけた。「まあ、正直なところ、大将に対抗するより先に破産を防ぎたいところだ。だが、その件はおまえに任《まか》せるよ、ビーカー」 「ご信頼に感謝いたします。ご主人様」  フールは微笑した。「信頼するのが当然だ。おまえがぼくの財産を守ってくれたのは、これが初めてじゃない」 [#ここから2字下げ] 執事日誌ファイル 四四八[#「執事日誌ファイル 四四八」はゴシック体]  いざとなると、ご主人様の軟禁を解いてもらうのは予想した以上に簡単であった。レ・ドク・テプに頼んで、ゴッツマン大使に請願してもらうだけですんだ――テーマパークがオープンするのはジェスター中隊長の尽力の結果だから、ぜひ……≠ニ。大使は反乱軍のリーダーだったテプを、ランドール政界の重要人物とみなしている。大使はブリッツクリーク大将に、ジェスター中隊長の軟禁は政治的に望ましくない結末をもたらす≠ニ連絡してくれた。驚いたことに、ランドール政府もこれを支持して、罪状が立証されていない人間を開園イベントに参加させないのは、あまりにも過酷すぎる処置だ≠ニ表明した。これだけで充分だった。ご主人様は自由の身になられた――とりあえず、開園日だけは。 [#ここで字下げ終わり]  レ・ドク・テプは〈ニュー・アトランティス・パーク〉の事務所がある展望台の窓から、遊園地の門の外に並ぶ客の列を見おろした。今は午前八時十分前。客の列は夜明け前からできはじめている。列の先頭につくために、前の晩から門の前で野宿して待った客もいた。オメガ中隊の警備員に「野宿は禁止されている」と言われなければ、もっと前から泊まりこんだだろう。  テプはフールを振り返って言った。 「おめでとう、大尉。感謝する。わしは何度か、このテーマパークがオープンする日はこないだろうとあきらめかけた。だが今、成功の瞬間が訪れた。見るがいい。圧倒されるはどの人波だ。われわれの信念の正しさが、いま証明されようとしている」 「あまり興奮しないでください」と、フール。「開園日に集まる大群衆は、半額サービスの入場券を手にした人たちです。こちらの宣伝がお客の気を引いたのです。宣伝面では、政府を完敗させました。本当の勝負は、目新しさが失せたころにどのくらいのお客が入るかです」言葉は用心深いが、顔は明るい。回転式の改札口を通ってクネクネと伸びる人の列を見ると、自然に笑いがこみあげてくる。目の届くかぎりどこまでもつづく列だ。 「〈ランドール・パーク〉の入場者は、どのくらいでしょうか?」と、レンブラント。 「向こうも、長い列がいくつもできている」と、フール。「こっちのほうが少し有利かな。だが人数を確認するまでは、なんとも言えない。まだ開園したばかりだ」 「入場者を引きつづき確保する工夫をしております」と、レンブラント。「出口でチラシを配っています。≪開園日の半額入場券の半券をお持ちのかたは、今後一年間は、同じく半額で〈ニュー・アトランティス・パーク〉へ入場できます≫と印刷しました」 「それはすばらしいアイデアだ」と、テプ。「こっちのテーマパークでわれわれの主張が優《すぐ》れていることをわかってもらえば、政府のケチな作戦を支持する者は確実に減る」 「ぼくは、どちらのテーマパークにも引きつづきお客が入ってくれたほうがいいと思いますよ」フールはテプの肩に手を置いた。「〈ニュー・アトランティス・パーク〉の成功は大事なことです。しかし、この惑星の住民全体が豊かな暮らしをすることのほうが、もっと大事です。それが実現するかどうかは、惑星外の客をどれだけ引きつけるかで決まります。ランドールの住民だけでは、テーマパークを支えることはできるでしょうが、この惑星の経済を立てなおすことはできません。二人の人間のあいだで一ドルを数秒ごとに何度もやり取りして、両方が一分で十ドルを手にした≠ニ言うようなものですからね」 「おれたちは、そこまで落ちぶれちゃいませんよ」と、オキダタ。フールの言葉でその光景を想像したらしく、クスクス笑っている。「惑星外からの入場者をどのくらい安定して獲得できるか、長い目で見守っていきます。でも、とにかく立派にスタートは切りましたね」 「ジェニー・ヒギンズの開園中継が広く放送されれば、大きな助けになる」と、フール。人ごみの中を動くリポーターとカメラマンを指さした。ほかにも報道関係者の姿が目につく。マスコミは大衆の興味を引くニュース種《だね》を見逃さない。「マスコミの宣伝よりもっといいのは、口コミだ。ぼくも下へ降りて人ごみの中へ入ってみよう。ぼくはまだ、どの絶叫マシーンにも乗っていないんだ」 「そうこなくちゃ」と、テプ。「それでこそ、おまえさんも立派なニュー・アトランティス人になれるというもんだ!」 「お供します」と、レンブラント。「入場者数のチェック態勢を確認しなければなりません」  展望台の階段を降りると、園内のメイン・ストリートに出た。通りでは観光客の団体が、動きはじめたばかりの新しい乗り物に向かって流れてゆく。のんびりと、みやげ物産をのぞく者もいる。  展望台の外へ出たところで、レンブラントが足を止めた。 「中隊長、もう話してくださってもよろしいでしょう。何かご心配ごとがおありですね。なんですか?」  フールは振り向いて答えた。 「星際税務局《IRS》から、巨額の税金を滞納していると言われた。事実無根だから、もちろん争うつもりだが、そっちに時間をとられて中隊の仕事ができなくなりそうだ。きみの負担が増えるかもしれない……ぼくが配置転換にならないとすればだが」 「配置転換ですって?」レンブラントはその場に凍りついた。「そんなことは、わたしたちが承知しません! わたしたちが命に代えても阻止します!」  フールはうっすらと笑みを浮かべた。 「レミー、気持ちはありがたいが、ブリッツクリーク大将はぼくをお払い箱にしたがっている。あの大将のやり口を考えると、ついでにオメガ中隊そのものも解散させるだろう。この中隊は、大将の経歴に汚点を残す存在だからな」 「そんな企《たくら》みを成功させたら、かえって致命的な汚点になるだけです」と、レンブラント。二人はあふれんばかりの群衆にまじって通りを進みはじめた。「お偉方はこれまで、この中隊をうまく活用できませんでした。ジェスター中隊長がいらしてから、二、三年で中隊が生まれ変わりました。中隊長は、これまでのお偉方のやりかたを覆《くつがえ》す形で成功なさったのです。同時に、お偉方が、優秀な中隊員に会っても相手の素質を見抜けない能なしばかりだったことも証明されました」 「大将に聞こえる所で、そんなことは言わないでくれよ」と、フール。微笑まじりだ。「ぼくをほめてくれるのは嬉しいが、現実に、中隊員たちは皆それぞれ優秀な素質を持っている。そのことは、きみにもよくわかっているはずだ。われわれの努力が実って、ようやく価値ある業績を残せた。それなのに、それがすっかり無駄になってしまうとしたら残念だ」 「中隊長、われわれの業績が無駄にならないよう、わたしは最善を尽くします」レンブラントは小さな交差点で立ち止まった。この先は、店やアトラクションがもっと多くなる。「とにかく今は、ご努力の成果を楽しまれてはいかがですか? 中隊長が楽しめないようでしたら、このテーマパークにはどこかに大きな欠陥があります。このままお話をうかがいたいのですが、ほかに仕事がありますので、失礼します」 「ありがとう、中尉」と、フール。「きみも成果を楽しんだほうがいいぞ」  だが、レンブラントはすでに、目的ありげな確固とした足取りでその場を離れてゆくところだった。  フールは活気に満ちた人ごみで気を引き立たせながら、正午近くまで園内を見てまわった。やがて、昼食をとりながらテプの話を聞くために、テーマパークの中央にある事務所へ戻った。テプはすでに、午前中の入場者数の報告を受けていた。どちらのテーマパークにも客がつめかけたが、推定では〈ニュー・アトランティス・パーク〉のほうが客が多いようだ。惑星外の客の入りが違うらしい。フールの宣伝がきいた証拠だ。園外で入場券を買う客の列は、相変わらず長い――フールとテプは明らかな成功を祝って、シャンペンで乾杯した。フールはひそかに、この盛況が一日で終わってほしくないと思った。もっと先までつづいてくれなければ困る。  昼食後も、フールは園内を見てまわった。子供たちが群がって、飛行ボードの順番を待っている「押すのはやめてよ、アブドゥル[#ママ アブドル]! みんな、自分の番がきたら乗れるわよ」一つの乗り物から降りた客たちは顔を輝かせて、すぐ次の乗り物の列に並ぶ。フールはアイスクリームを食べながら〈船長〉の列に並んだ。バーチャル・リアリティを利用した小船の形の乗り物だ。船を操縦して急流をさかのぼる感覚を味わい、反乱軍のキャンプのそばのジャングルへ入ったところで終わる。本物の船の操縦とは似ても似つかないが、非常におもしろい。  悩みを抱《かか》えてはいたが、やがてフールは自分が楽しんでいることに気づいた。知らないうちに、顔に笑みが浮かぶ。テプから新たな入場者数を聞こうと、フールは事務所へ戻りはじめた。ところが、事務所へ通じる道に入ると、聞き慣れた声に呼び止められた。 「そろそろ戻る時間だぞ、ジェスター」  事務所の外にあるベンチから、ブリッツクリーク大将が立ちあがった。しばらく前から、ここで待っていたらしい。フールの鼻先で指を振ってわめいた。 「うまくやったな、ジェスター。おまえは、これが命令に従《したが》う″s為だというのか? そうだとすれば、おまえの反乱≠フ感覚はおかしい」  ブリッツクリークは怒りに身を震わせた。こんなに取り乱した姿を見るのは初めてだ。この様子を見ると、フールは何も言えなくなった。だが、大将に納得してもらえるよう、ここでもう一度、努力しなければならない。 「閣下、ぼくの立場をご理解いただきたいと思います」と、フール。ソワソワと辺《あた》りを見まわした。だが、事務所の近くには客が寄ってきそうな場所はない。少なくとも、これから大目玉を食らう姿を誰かに見られる恐れはなさそうだ。 「どこを理解するというのだ?」と、ブリッツクリーク。そう言いながら、目立たない隅《すみ》のほうへ後退してゆく。どこか遠くから、妙に明るいブラスバンドの演奏が聞こえた。「守るべき政府の敵を援助し、そそのかした言い訳でもしたいのか?」  フールは必死に平静な口調を保った。 「閣下、ぼくはそのような行為はいっさいしておりません。むしろ、武力を放棄して平和的な計画を採用するよう反乱軍を説得し、この惑星の政情を安定させました。確かに、反乱軍を武力で鎮圧すれば、ランドール政府は満足したかもしれません。この惑星に着いたとき、何者かがぼくを狙撃して、ぼくに武力で応戦させようとしました。犯人はきっと、ぼくが狙撃犯を反乱軍だと思いこんで、反撃のために兵を送ると考えたのでしょう。しかし、それでは新《あら》たな戦いが起こるだけです。ぼくが受けた命令は平和を守れ≠ナした」  ブリッツクリークはフールの前にぬっと立ちはだかった。 「オムレツを作るにはタマゴを割らなければならないのだ、ジェスター。おまえはその点の認識に欠けとる。士官としての最大の欠点だ」 「お言葉ですが、そうは思いません。人命や資産の損失を軽視した解決方法は、宇宙軍の名を汚《けが》します。ぼくはその点をはっきりと認識しております」 「損失を軽視するだと? 反乱軍のために何百万というカネを投げ出したのは、おまえだぞ! おかげで、今では銀河じゅうのゲリラが宇宙軍にビジネス・ローンをたかろうとするありさまだ!」  ブリッツクリークは前へ進み出て、フールを壁際《かべぎわ》まで追いつめた。 「閣下、ぼくは、反乱軍が武力を放棄したと宣言するまでは何も与えませんでした。反乱軍が体制内で活動することを承知すれば、その人たちに個人的なビジネス・ローンを提供することは命令違反にはなりません。成功した実業家は、政府を倒そうとは考えないものです」 「まさしく卓見ですな、大尉」聞き慣れない声がした。  フールとブリッツクリークがそろって振り向くと、事務所から出てきたらしい人物が立っていた。非のうちどころのない立派な服装で、中央に切れこみの入った意志の強そうな顎《あご》を持ち、頭の真ん中で分けた灰色の髪をフサフサとなびかせている。 「ゴッツマン大使!」と、ブリッツクリーク。一歩あとずきった。もう後退しようのないフールは、壁にピタリと身体を押しつけた。「知らぬこととはいえ……」 「知らぬとは、わたしがここにいたことをですかな? 立ち聞きしたとしたら申し訳ありません」と、ゴッツマン大使。一礼してから、フールへ向きなおって微笑した。「レ・ドク・テプ氏の話をうかがうために、ここにきました。しかし、フール……失礼、ジェスター大尉にもお会いしたいと思っていました。お目にかかれて光栄です、大尉。宇宙連邦政府は、この任務における貴官たちの進歩を、多大な関心を持って見守ってきました」 「こちらこそ光栄です、大使」と、フール。大使と握手をかわした。「われわれの進歩が、その……ご関心にたがわず、ご満足いただけるものだといいのですが」 「非常に満足しています」と、大使。「お二人とも気を悪くしないでいただきたいが、われわれ外交官は、どこかへ平和維持軍を送る時点で、すでに失敗を認めたも同然だ≠ニ覚悟するものです。軍を出すのは、外交官として最後の選択です。ですから、とても元には戻せない状況を……まるでブラックホールに吸いこまれたかのように手の打ちようがない状況を、軍が発砲しないで劇的に復旧してくださったとなると、心から満足いたします」 「しかし、ときには発砲せざるを得ないこともあります」と、ブリッツクリーク。不満げな口調だ。フールへチラリと意味ありげな目を向けた。 「もちろんですとも」と、大使。ものやわらかな口調だ。「しかし、いったん武力を行使してしまうと、元の状態に戻すのはいっそう困難になります。先にほかの方法を残らず試してから、最後の手段として使ってほしいものです。ですから、この惑星での大尉のご活躍ぶりには感銘を受けました。今ではランドール政府も、建設競争によってテーマパークの質が向上したことを認めています。しかし、わたしはその話をしにきたわけではありません。別の用事です。ごいっしょに一杯いかがですかな? 提案があります――お二人にとって、ご損にはならない話だと思います」 「かしこまりました」と、フール。当惑した表情だ。とりあえずブリッツクリーク大将と休戦できるなら、どんな申し出にも同意したい。いずれまた議論を再開しなければならないだろうが、今は不利だ。大使の提案に耳を傾けても、こちらには何の損もない。  ブリッツクリークもしぶしぶ承知した。フールにとって損にはならないことが、自分にも利益になる――それが信じられないらしい。二人は大使のあとについてメイン・ストリートを進み、小さなバーに入った。ドアの上に〈ジョーの|密 造 酒《ジャングル・ジュース》〉と看板が出ている。草で造った小屋のような外見は、まるでジャングル映画のセットから抜け出たかのようだ。その前を、興奮した子供たちが黄色い声をあげて、次の乗り物へ駆けていった。  店の中には迷彩服を着たバーテンがおり、果汁入りのカクテルはどれも、ランドールでとれるヴンガ・ナッツの殻の形をしたグラスで出される。有線放送で流れる音楽は・パーカッションを多用したリズミカルなタイプだ。店内には二、三人の客がいた。惑星外からきた客たちが、新品の麦ワラ帽をかぶってテーブルに向かい、楽しげに会話している。  フールもブリッツクリークも、世間話をする気分ではなかった。だがゴッツマン大使は、注文した飲み物を待つあいだ、物慣れた調子で気軽に冗談を連発した。飲み物がくると、自分の〈入植者パンチ〉に形ばかり口をつけ、両手を組み合わせてテーブルの上へ身を乗り出した。 「さて、お二方、わたしがここへきた本当の理由は、ゼノビア人に関することです」 「ゼノビア人ですか?」と、ブリッツクリーク。ありありと当惑の色をうかべている。 「クァル航宙大尉のことですか?」と、フール。急に不安がこみあげてきた。ブリッツクリーク大将に叱責されたときより、はるかに大きな不安だ。 「そうです」と、大使。「ご承知のように、クァル大尉はゼノビア帝国政府を代表して、わが宇宙連邦と同盟を結ぶかどうかを決める予備調査を行なうために、貴官の中隊を視察にきた人物です。当然、定期的にゼノビアへ報告を送っていました」 「そうですか」と、フール。「当然ですね……そうするはずです。しかし、クァル大尉はオメガ中隊にすっかり溶けこんでいたので、報告をやめさせようとは考えませんでした」 「そんなことだろうと思った」と、ブリッツクリーク。冷笑する口調だ。「いかにも、いきあたりばったり[#「いきあたりばったり」に傍点]のおまえらしい」 「邪魔しようとしても無理だったでしょう」と、大使。「クァル大尉は、ゼノビア軍の極秘通信設備を使っていましたからね。どういう仕組みの機械か、わたしには――畑違いですから――わかりません。しかし、こちらの技術部は最初から掌握《しょうあく》していました。ともかく、政府はクァル大尉の報告内容を残らず傍受できました」 「それはけっこうでした」と、フール。ブリッツクリークから目をそらして大使を見やり、また大将へ視線を戻した。「その……望ましい内容であればですが……」 「クァル大尉は、こちらの戦法と倫理観を詳しく研究することになっていました。貴官の中隊を視察しながら、どちらの面でも非常に多くのことを学んだようです」 「思ったとおりだ!」ブリッツクリークが片手でバンとテーブルをたたいた。「ジェスター大尉、きみはわれわれを敵の手に渡した! あのトカゲどもには、こちらの機密事項も筒ぬけだったにちがいない。きみがはしたガネ[#「はしたガネ」に傍点]のためにどんなバカなことでもやってのける人間だということは、最初からわかっていた。だが、同胞を敵に売り渡すとは……。言っておくが、これは軍法会議ものだぞ。今度ばかりは、小言だけではすむまい」 「大将、貴官の非難は的はずれだ[#「的はずれだ」に傍点]」と、大使。うんざりした口調だ。「クァル大尉は、オメガ中隊の戦法は相手の意表を突くものだ≠ニ報告した。何度か、これほど予測のつかない種族と戦うのは自殺行為だ≠ニまで言っている」 「本当ですか?」と、ブリッツクリーク。あざける口調だ。「まあ、機密保持に対するジェスターの違反行為は、どうやらあまり深刻な結果にはならなかったようですな。しかし、違反そのものを大目に見るわけにはいきません。こうした行為の影響は必ず現われます。盗んだ知識を、敵が完全に自分のものにしたときに」 「大将、歴史上の前例はわたしも知っている」と、ゴッツマン大使。ヴンガ・ナッツの殻《から》の形をしたグラスをクルクルまわしている。「話を最後まで聞いていただきたい。肝心なのは、われわれの倫理観についてクァル航宙大尉がなんと報告したかだ。こちらのほうが説得力があったらしい。われわれ地球人は不道徳きわまる種族で、例外は、友人に対する忠誠心だそうだ。クァル大尉はまさにこの点を、同盟を結ぶ大きな理由とみなしている。現に、わたしが急遽《きゅうきょ》この惑星へ派遣される直前に、ゼノビアから同盟関係を結びたいという正式な申し入れがあった。この同盟を可能にしてくれたことに対して、わたしからもジェスター大尉に感謝の意を表したい」 「感謝《かんしゃ》ですと?」ブリッツクリークは呆然《ぼうぜん》とした。まるで顎《あご》が重くて口が閉まらないかのようにポカンと口を開《あ》けている。「つまり、大使は……」 「ジェスター大尉は、政府の懸案事項を実に見事に解決してくれた――このランドールの件も、ゼノビアとの同盟の件も。ジェスター大尉が命令を拡大解釈した点が処罰の対象になれば、すでに同盟関係にある有力な惑星国家の中には、大尉の業績を変に誤解するものも出てくる。これほど望ましい結果が出ただけに、それは避けたい。宇宙連邦政府としては、宇宙軍の活動にチョッカイを出すような真似《まね》はしたくないが……、ここまで言えば、わかっていただけるでしょう」 「わかりました、大使。わしは風に向かって唾《つば》を吐くようなバカな真似《まね》をする歳ではありません」と、ブリッツクリーク。ジン・トニックのグラスを取りあげると一息で飲みほし、立ちあがった。「宇宙連邦政府がわざわざ軍の世話まで焼いてくださるのですから、ジェスターの命令違反の罪は問わないことにしましょう――今回だけは。だが、ジェスター大尉には宇宙軍のやりかたを学んでもらったほうが、ためになると思いますな。ごちそう様でした、大使」 「どういたしまして」と、ゴッツマン大使。愛想のいい口調に戻っている。「長い目で見れば、今回の処置も宇宙軍にとって損はないと思います」  店を出てゆくブリッツクリーク大将の姿を、フールは目で追った。出口にはビーズのカーテンがかかり、その際に低レベルのフォース,フィールドが張ってある。店内の涼しい空気を包みこんで、外へ逃がさないためだ。やがて、フールは大使に向きなおった。 「大使、なんとお礼を申しあげていいかわかりません。何かぼくにできることがあれば……」  大使は微笑した。 「大尉、政府は貴官の予想よりも早くお礼をいただくつもりですよ。実のところ……」 「失礼します、おふたかた」別な声が割りこんできた。フールと大使が顔をあげると、地球人の男女が立っていた。星際税務局《IRS》の調査官……ピールとハルだ。 「おや、ここでお会いするとは意外ですね」と、フール。内心とは裏腹の言葉だ。「どういうわけか、あなたがたが〈ニュー・アトランティス・パーク〉へおいでになるとは予想もしませんでした。ごゆっくり楽しんでいただきたいと思います」 「少しも楽しくありませんな、フールさん」と、ピール調査官。ユーモアのかけらもない口調だ。「われわれは仕事で、ここの事務所へまいりました――あなたを捜してね。あなたの上官でいらっしゃるブリッツクリーク大将に出会って、居場所がわかりました。あなたがどこにいるかと尋《たず》ねたところ、ここを指《さ》して教えてくださいましたので」 「それはまた、まれに見る幸運でしたな」と、大使。「おかけになって、ごいっしょに飲み物でもいかがですか?」 「そうですね。では、少しだけ」と、女性調査官ハル。手近な椅子を引いてストンと腰かけた。ピールは唖然《あぜん》としたが、肩をすくめて別の椅子を引き出し、ハルの隣に腰をおろした。大使がウェイターを呼んで二人の注文を取らせると――ピールは甘みをつけないアイス・ティー、ハルはテキーラ・トニックだ――フールは椅子に深く座りなおして、調査官の話を待った。  ピールは大使を見て、肩をすくめた。 「第三者の前で仕事の話をする習慣はありませんが、今回は特例としましょう。フールさん、わたしは調査の結果に失望しております。どう見ても、ほかに解釈のしようはありません。あなたはローレライのカジノ〈ファット・チャンス〉の業務で、あなた個人の利益を最小限に抑《おさ》えるよう手配なさいました。調査の結果、不正な操作は一つも見つかりませんでした。異例の事態です」 「別に異例ではありません」と、フール。「まともなどジネスだったというだけのことです。プログラムは、ぼくの執事が作ってくれました」 「あの執事さんは、ぬかりのない人物ですね」と、ハル。テキーラ・トニックを飲みながら、話をつづけた。「わたくしたちは、まったく太刀《たち》打ちできませんでした。執事さんが自分で規則を作ったと……あなた個人の利益を視野に入れて、プログラムを作成したとおっしゃるのですね。わたくしたちが二、三百万の使途不明金を見つけるたびに、執事さんがどれも的確に説明をつけてしまいました。正直なところ、わたくしたちのチームにも欲しい人物ですわ」 「こちらも正直に言わせていただけば、ああいう人物がそちらにいなくてよかったですな」と、フール。「では、ぼくの脱税容疑はすっかり晴れたのですね?」 「そればかりではありません」と、ピール。陰気な声だ。「怖いもの知らずの執事さんのおかげで、開発途上の惑星へ投資する場合は、二種類の控除が適用されることもわかりました。もちろん、あなたの場合にもあてはまります」 「なるほど。それは助かります」フールは背筋を伸ばした。 「いずれ適用されるはずです。しかし、まだ実行されておりません」と、ピール。「フールさん、ご記憶かもしれませんが、あなたは惑星ランドールへこられたとき、常人にはめったに手が出ない超空間《ハイパースペース》航宙をご利用なさいました。それで時間をさかのぼった形になり、日付としては、ローレライを出るより先にこちらに到着したことになります。あなたがここに到着なさるまで、ランドール人に対する貸付は行なわれなかったはずですが、執事さんは、この種の場合にも控除が適用された前例を見つけました。あなたの四半期前からの収入に対しても、二種類の控除が適用されるべきだと主張なさいました」  ピールはグッタリと椅子に沈みこむと、テーブルの向こう側からフールをにらみつけた。しばらくして、ようやく話を締めくくった。 「フールさん、あなたの執事さんが示した数字に誤りがなければ、あなたは追徴金を取られるどころか、還付金[#「還付金」に傍点]を受け取られるはずです!」 [#改ページ]       18  星際税務局《IRS》の税務調査官たちがバー〈ジョーの|密 造 酒《ジャングル・ジュース》〉を出てゆくと、ゴッツマン大使はフールを連れてテーマパークの事務所へ戻った。事務所では、開園を祝うパーティーが始まっていた。レ・ドク・テプがバーテンをつとめ、冷やしたアルデバラン・シャンペンを注《つ》いでまわっている。  ドアが開《あ》いてフールが姿を見せると、歓声があがった。テプがフールに、シャンペンをたっぷり注いだコップを渡した。シャンペン用の細長いグラスはもうなくなったらしく、水を入れるコップだ。 「スピーチだ。スピーチをしてくれ!」テプがどなった。オメガ中隊員たちも、「スピーチ! スピーチ!」と声を合わせた。フールは椅子の上に乗って片手をあげた。ようやく騒ぎが静まった。 「スピーチは短く切りあげるつもりだ」と、フール。「あまり言うことはない。それにみんな、スピーチを聞くより飲むほうがいいはずだ」  またしても歓声があがった。 「ゴッツマン大使が教えてくださったが、〈ニュー・アトランティス・パーク〉も〈ランドール・パーク〉も、今日は目を見張る盛況ぶりだったそうだ。ぼくの見るところでは、予想以上の成果ではないかと思う。われわれができるかぎり最高のテーマパークを造ろうと努力した結果、政府もテーマパーク建設に熱を入れた。そして今、きみたちみんなのおかげで、惑星ランドールには銀河で最高のテーマパークが二つ[#「二つ」に傍点]完成した!  もう一つ、ローレライ宇宙ステーションのカジノでも、予想以上の利益があがっていることがわかった。中隊員全員が、投資額のほぼ二倍の儲《もう》けを手にしている。税金対策の手段を用意したから、活用してもらいたい。ぼくは今、税金については適切な忠告が欠かせないという有益な事実を学んだばかりだ。  そして最後に、クァル航宙大尉に感謝したい。軍事オブザーバーとして……また、よき友として、この七カ月間、わが中隊と行動をともにしてくれた。ゴッツマン大使のお話では、クァル大尉は任務を完了したのでゼノビアへ帰られることになったという。だが、この先いつまたオメガ中隊へこられても、われわれはクァル大尉を歓迎するだろう」 「クァル! クァル!」という叫びとともに、新たな歓声があがった。隅《すみ》に立つ小さなゼノビア人クァルは、ニヤリと笑って、水の入った大きなコップをあげた。ゼノビア人はアルコール飲料を飲まず、水を飲む。だが、クァルはほかの誰にもおとらず楽しんでいる様子だ。 「最後にもう一つだけ、言っておこう。これで、スピーチは終りにする。ゴッツマン大使がおっしゃるには、わが宇宙連邦はゼノビア帝国との平和条約に調印したそうだ。クァル大尉に対するわれわれの歓待ぶりが、多少はものを言ったのかもしれない。これで、わが〈銀河おさわがせ中隊〉の帽子に、もう一つ羽飾りが加わった! だから、ぼくに乾杯の音頭を取らせてもらおう――宇宙軍でいちばんすばらしい部隊であるオメガ中隊に。これにケチをつける者がいれば、ぼくは相手が誰でも……たとえ大将であろうとも、戦うつもりだ。乾杯!」 「いいぞ!」マスタッシュが叫び、中隊員たちがドッと湧き立った。事務所の外で、バンドがスキップしたくなるようなダンス・ミュージックを演奏した。少し離れた所から、ガタゴトとコースを昇《のぼ》るジェットコースターの音が聞こえた。先頭の車両が急な下《くだ》り坂を降下しはじめたらしく、乗客の絶叫があがっている。フールはコップをあげて冷たいシャンペンを一息に飲みほし、頭を後ろへそらして、大声で笑った。いま振り返ってみると、今日は実にいい一日だった。 [#改ページ]    解説 [#地から3字上げ]翻訳家 [#地から1字上げ]大森 望 「出ました!」 「なんやいきなり。なにが出たて? 大連チャン大当たりか?」 「ちがうって。とうとう出ました万馬券……じゃなくて、≪銀河おさわがせ中隊≫シリーズ第三弾、『銀河おきわがせマネー』」 「おさわがせまね? それどこの方言?」 「じゃなくて、おさわがせ、マネー。マネーはカタカナ。英語で言うと money 、日本語で言うとおカネ」 「カネか。すまん。カネなら返せん。夏のボーナスが出たら必ず……」 「じゃなくて、ほら、ロバート・アスプリンの」 「ああ、アスピリン」 「それは八年前のネタだってば」 「そやったかなあ。もう忘れてるわ」 「ほら、大金持ちの御曹司が宇宙軍に入って、落ちこぼれ中隊まかされてポリス・アカデミーする……」 「ああ、あれか。宇宙一の無責任中隊長は大富豪」 「だからそっちは七年前のネタでしょ。ええかげんに成長したら」 「すんませんな、いつまでもアホで」 「とにかく、あのシリーズの新作が六年ぶりに出たわけよ」 「あのときできた子供がもうランドセルしよって小学生か。時のたつのははやいもんや」 「あほか。勝手に子供つくるな」 「おまえも怒ると関西弁にもどるクセ、ぜんぜん変わらんなあ」 「うるさい。人の話は黙って聞きなさい」 「はいはい」 「一冊目の『銀河おさわがせ中隊』が出たのが九二年の二月でしょ。二冊目の『銀河おさわがせパラダイス』は九三年の六月で……」 「七年も翻訳ださんとほっといたんか。早川書房もやることがえげつない」 「じゃなくて、原書も去年アメリカで出たばっかり。アスプリンにとっても七年ぶりのシリーズ最新作なんだってば」 「七年もぶらぶらしてたんか。うらやましいな、アスプリン」 「遊んでたわけじゃなくて、ほら、≪マジカルランド≫のシリーズが大人気だし……」 「これや。ファンタジーにかまけて、人気のないSFはほったらかしか」 「そんなことないって。げんにこの『銀河おきわがせマネー』だって、≪ローカス≫のベストセラーリストでペーパーバック部門の一位になってるくらいだもん。読者が待ちに待った新作だったわけよ」 「しかしなあ、いくらアホ中隊でも、七年もほっといたらふつうグレるで。いまごろヤンキーやな。女やったらガングロに厚底サンダルで心斎橋歩いてるわ――とかネタ振っても、次の巻が出るころには意味不明やな。七年もたったら……」 「ごほん。なんか、噂ではアスプリンさん、しばらくスランプだったみたいよ」 「そういうときはアスピリン飲んで寝たらすぐ直る」 「…………」 「まあ、要するにさぼってたわけや」 「本人も、それじゃ読者にもうしわけないと思ったらしくて、今回はピーター・J・ヘックさんと合作」 「へっくしょん?」 「ヘックさん。つてしょむないボケはやめてんか」 「で、だれですかその人は?」 「なんかヒゲのおっさん」 「なんやそれは」 「よく知らないけど、なんかミステリ畑の人みたいね。SFの小説書くのはこれがはじめてなんだって」 「ふうん。外人選手を助っ人に呼んだわけか。タラスコみたいなもんやな。今年のタイガースはちょっとちゃうで」 「毎年言ってろ。って阪神の話じゃなくて……」 「『銀河おさわがせマネー』の話やろ。で、どうなったんや?」 「ええと、ウィラード・フール大尉率いるオメガ中隊は、あいかわらずローレライ宇宙ステーションのカジノホテルで暮らしてます」 「なんで?」 「ちゃんと読めよ。だから二巻目の『銀河おさわがせパラダイス』で、カジノ警備の任務を与えられて……」 「ああ、なんかまた大儲けしとったな」 「そうそう。フールさんの場合、なにをしても儲かってしまうという」 「金持ちはどんどん金持ちになって、貧乏人はいつまでも貧乏なままや。どうせ」 「ま、中隊の隊員には、給料みんなカジノのギャンブルに突っ込んで借金まみれになってるやつもいるけどね」 「そらあかん。仕事と遊びはちゃんと区別せんと。自分が働いてるパチンコ屋で玉はじくようなことをしたらあかんで。人としてまちごうてるね、それは」 「はいはい。まあ、ひさしぶりのせいか、前半はレギユラー・メンバーのおさらいと新メンバー紹介……」 「まだ増えるのか。モーニング娘。の新メンバーも覚えられんのに」 「SMAPのメンバーひとりしか言えないもんね、あんたの場合」 「ほっとけ。男には興味ないんじゃ」 「もう若い女の子の区別もつかないんじゃないの。でも、≪おきわがせ≫組はちゃんと区別がつくからだいじょうぶ。今回登場する最強の新メンバーなんか、人間サイズの特大猫トリオ」 「よっぽど忙しいんやな、オメガ中隊も」 「は?」 「いや、猫の手も借りたいと……」 「(無視して)ガンボルト入っていう猫型のエイリアン種族なんだけど、とにかくめちゃくちゃ運動神経がよくて、なんでもできちゃうわけ。あんまり優秀だから、ほかの新兵がやる気をなくしちゃうという」 「そうそう、オレもそれで苦労したわ。本気出さんようにせんとね」 「(無視して)あとは謎の牧師さんとか、トカゲ型エイリアンでゼノビア帝国公式外交使節のクァル航宙大尉とか……」 「赤組とか青組とか」 「じゃなくて、あか組4と黄色5と青色7だって。モーニング娘。と、ハワイ出身五人組のココナッツ娘と、太陽とシスコムーン改めT&Cボンバーズの三グループを混ぜ合わせて再編成したクラス替えユニットで、数字がメンバーの人数を示してるからわかりやすい……ってちがう!」 「勉強になるなあ」 「メモするなーー」 「あとはメンバーの名前と年齢と住所と電話番号」 「うるさい。ええと、オメガ中隊オリジナルのおなじみメンバーのほうもたいへん。スシはヤクザに追い込みかけられるし、チョコレート・ハリーは暴走族に追われて、おまけに星際税務局の調査官までやってきて……」 「ヤクザに暴走族に税務調査か。人生やね」 「そしてビーカーさんのロマンスにも新たな展開が……」 「おまえそんなにあのおっさんが好きか」 「ほっといて」 「しかしまたカジノの話か。前とたいしてかわらんやんけ」 「しょうがないなあ。ほんとは読んでからのお楽しみなんだけど、じゃあちょっとだけ。今回、フール中隊は、カジノを離れて新たな任地へと向かうのです。それも、われらがウィラード・フールにとっては思い出の惑星、ランドールへ」 「里帰りか」 「そこでフール中隊は、なんとアミューズメント・パーク建設に邁進するのだ。どうだ驚いたか」 「カジノの次はゆうえんちか。ええ気なもんや。みなさんどう思いますか」 「巨大ローラーコースター建設合戦がもう最高」 「あかん。あれはあかんで」 「なにが?」 「絶叫マシンたらゆうやつ。あれは人間が乗るもんちゃうわ」 「あ、聞いた聞いた。こないだ社員旅行で八景島のシーパラダイス行って、ブルーフォールに乗ったんだって?」 「わしも男や」 「どうせ女の子のまえでええかっこするつもりやったんでしょ。翌日、会社休んだそうやね。ぶぶ」 「うるさい。わしはなあ、地に足のついた生活がしたいんじゃ」 「とりあえずパチンコと競馬と麻雀やめたら」 「…………。しかし、宇宙軍の中隊がなんで遊園地とか絶叫マシンとかつくるんや」 「それは読んでのお楽しみ。はい、これ。とっととレジ持ってってね」 「あ、ちょ、ちょっと……」  と、そんなわけで……もクソもないのだが、七年間のご無沙汰でした。われらがオメガ中隊ひさびさに再登場のシリーズ第三弾、『銀河おさわがせマネー』をお届けする。原題は、A Phule and His Money。一九九九年末にエース・ブックスから刊行されたばかりの、≪おさわがせ≫シリーズ最新作である。  近来まれに見る爆笑ミリタリーSF(宇宙版M★A★S★Hとか、吉本新喜劇銀河劇場とか)として、日本でも人気が高いシリーズなのに、新作が出ないことには翻訳しようがない。どんどん新刊が出てくる≪マジカルランド≫シリーズを横目に、フール中隊はどうしたっ。と悔し涙に枕を濡らす読者の声にこたえるべく、今回、元編集者の強力な助っ人を起用して、ようやく第三弾の登場となったわけである。最近の合作っていうと、若い作家が書いた原稿を巨匠がちょちょっと直して、名前は巨匠のほうが倍のでかさで印刷される――みたいなパターンが目につきますが、アスプリンがいきなりそういう巨匠商売に手を染めたわけではたぶんない。もともとアスプリンは、≪スター・トレック≫でおなじみのジョージ・タケイとか、奥さんのリン・アビイとかを相手に合作長篇を何冊も書いてきた人(最近ではリンダ・エヴァンズと合作で、時間SFの≪タイム・スカウト≫シリーズを書いている)。したがって、「ひとりで書いてても煮詰まってなかなか進まないなあ」 ってときに共著者の助けを借りるのは、自然な選択だったんじゃないかと推察されるわけである。  さて、読者のほうは何年も待たされたわけだが、作中では、前作『銀河おきわがせパラダイス』の結末から、ほとんど時間が経過していない。  おなじみオメガ中隊のメンバーたちは、あいかわらず高級ギャンブル・リゾートのローレライ宇宙ステーションで、カジノ兼ホテル 〈ファット・チャンス〉警備のパラダイス生活を謳歌している。だが、いつまでもいいことばかりは続かない。  前作でこっぴどい目に遭ったマフィアの女ボス、懲りないマクシーン・プルーイットは、またまた邪悪な計画を策謀中(この人、どことなくドロンジョ系のキャラですね)。オメガ中隊が銀河に名声を轟かせた(?)せいか、宇宙軍から次々に謎の新入隊員が送り込まれてくるし、ヤクザの名を騙ったのがばれて本物から脅されたスシはいずこへともなく逃亡、チョコレート・ハリーはホバーサイクルの暴走族、レネゲイズ団の報復から身を守るべく、ホテルの一画にたてこもる――と、もう冒頭からてんてこまい。  シチュエーション・コメディふうのドタバタギャグにますます磨きがかかり、後半はこのシリーズらしい新展開も炸裂する。待てば海路の日和あり。しかしまあ、次の巻まではこんなに長く待たされずにすむことを祈りたい。  最後に、初登場の共著者、ピーター・J・ヘックについて簡単に紹介しておく。ご当人のウェブサイト(http://www.sff./net/people/peter.heck/)に書かれているバイオグラフィによれば、ピーター・J・ヘックは、メリーランド州の小さな町、チェスタータウンの生まれ(生年は不明)。  ハーバード大学とジョンズ・ホプキンズ大学で学位をとり、いくつかの大学で教壇に立ったあと、航空貨物会社や楽器店に勤務。その後、ライター兼編集者として出版業界の仕事をはじめ、SF部門の担当編集者としてエース・ブックスに勤務。一九九五年、マーク・トゥエインを探偵役にした歴史ミステリー、≪Mark Twain Mysteries≫シリーズの第一作、Death on the Mississippi で作家デビューを飾る。その後も、A Connecticut Yankee in Criminal Court ('96)、The Prince and the Prosecutor ('97)、The Guilty Aboard ('99) と、このシリーズを順調に書き継いでいる。まあ、世間的には歴史ミステリー作家でしょうか。  SF専門誌に書評を書いたり、コンベンションに参加したりはしていたようだが、SFを書くのはこれがはじめてだとか。シリーズの雰囲気は前二作とほとんど変わってないので、助っ人としてはいい仕事をしていると言っていいだろう。今後もこのコンビがつづくなら、がんばってアスプリンの尻をたたいていただきたいものである。 --------------------------------------- 銀河《ぎんが》おさわがせマネー SF1310 二〇〇〇年五月二〇日 印刷 二〇〇〇年五月三一日 発行 著者 ロバート・アスプリン    ピーター・J・ヘック 訳者 斎藤《さいとう》 伯好《はくこう》 (一般小説) [R・アスプリン&P・J・ヘック] 銀河おさわがせマネー.zip 44,113,740 904453e01c6323c97d633f5520bf046bcd346bfd テキスト化 スチール 公開日 2011/07/21 校正