カレル・チャペック作/深町眞理子訳 RUR 目 次  第一幕  第二幕  第三幕  エピローグ   訳者あとがき 登場人物 ハリー・ドーミン……ロッサム万能《ユニヴァーサル》ロボット製造会社総支配人 スーラ……女のロボット マリウス……男のロボット ヘレナ・グローリー ゴール博士……RUR社生理学実験室主任 ファブリー……技師長、RUR社技術総務 ハレマイヤー博士……ロボット心理訓練所長 アルクィスト……建築技師、RUR社建築部主任 コンサル・バスマン……RUR社営業部長 ナナ ラディウス……男のロボット ヘレナ……女のロボット プリマス……男のロボット 従僕、第一のロボット、第二のロボット、第三のロボット ところ……ある島 とき……未来  第一幕  ロッサム万能ロボット製造会社工場の総務室。舞台上手に入り口。正面窓ごしに工場の煙突の列が見える。下手は営業各部門に通じている。ドーミンが大型のアメリカ式デスクを前に、回転椅子に座っている。下手の壁に、汽船の航路、鉄道網などをあらわした大きな地図。上手の壁には「ロボットで最|廉価《れんか》の労働」等々のポスターがいくつか貼ってある。こうした壁の装飾とは対照的に、床には豪華なトルコ絨毯を敷きつめ、ソファ、革張りの安楽椅子、書類キャビネットなどを置く。窓に近いデスクにむかい、スーラが手紙をタイプしている。 【ドーミン】 (口述している)いいか。 【スーラ】 はい。 【ドーミン】 英国、サザンプトン、E・M・マクヴィッカー商会御中。「拝啓、当社は輸送ちゅう損傷したる貨物に関しては、なんら保証の責を負わぬものであります。当該貨物が船積みされたるさい、当社は、該船がロボット輸送には適さざる旨《むね》をとくに該船船長に申し述べておきました。したがって、積み荷の破損については、当社はなんら責任を負うべきものではありません。敬具。ロッサム万能ロボット製造会社」(スーラ、口述のあいだまばたき一つせず座ったままでいたが、口述が終わると、猛烈な速度でタイプを打ちはじめ、数秒後には、できあがった手紙をタイプライターから抜きとる)いいかね。 【スーラ】 はい。 【ドーミン】 ではつぎ。アメリカ合衆国、ニューヨーク、E・B・ハイソン代理店御中。「拝啓、ロボット五千体のご注文、まさに拝受いたしました。貴社より船舶《せんぱく》をお差し向けくださるとのこと、ついては同船にて当RUR社宛て同量の軟炭および硬炭をお積み出しありたく、なお右代金は、貴勘定ちゅうより一部払い金として差し引かせていただきます。敬具。ロッサム万能ロボット製造会社」(スーラ、またたくまに手紙を打ちおえる)いいか? 【スーラ】 はい。 【ドーミン】 ではもう一つ。ドイツ国、ハンブルク、フリードリヒシュヴェルクス御中。「ロボット一万五千体のご注文、まさに拝受いたしました」(電話が鳴る)もしもし! 支配人室だ。そうだ。もちろん。うむ、先方へ電報を打ちたまえ。よし。(受話器をかける)ええと、どこまでいった? 【スーラ】 「ロボット一万五千体のご注文、まさに拝受いたしました」 【ドーミン】 一万五千、一万五千と。  マリウス登場。 【ドーミン】 ふむ、なにか用か? 【マリウス】 ご婦人がお見えです。お目にかかりたいとのことです。 【ドーミン】 ご婦人? だれだね? 【マリウス】 存じません。この紹介状をお持ちになりました。 【ドーミン】 (名刺を読む)ああ、グローリー大統領からだ。お通ししてくれ。 【マリウス】 どうぞこちらへ。  ヘレナ・グローリー登場。マリウス退場。 【ヘレナ】 こんにちは。 【ドーミン】 はじめまして。(立ちあがる)で、ご用件は? 【ヘレナ】 ドーミンさんでいらっしゃいますわね、総支配人の? 【ドーミン】 そうです。 【ヘレナ】 わたしは―― 【ドーミン】 グローリー大統領の名刺をお持ちになった。申し分ありませんよ。 【ヘレナ】 グローリー大統領はわたしの父です。わたしはヘレナ・グローリーと申します。 【ドーミン】 ミス・グローリーですか! わが偉大なる大統領の令嬢をお迎えできるとは、光栄のいたりです。これでは―― 【ヘレナ】 これではドアをさしてお帰り願うというわけにはいきません、ですか? 【ドーミン】 どうかおかけください。スーラ、おまえはもうさがってよろしい。(スーラ退場)  (座りながら)ところで、どんなご用件でしょう、グローリーさん? 【ヘレナ】 わたしは―― 【ドーミン】 人間が製造されているわが有名なる工場を見においでになった。ご多分に漏《も》れずね。結構です、べつに異存はありませんよ。 【ヘレナ】 でもわたしの聞くところでは、あれは謝絶されているとか―― 【ドーミン】 工場内の参観は、ですか? そうです、その通りです。ここにこられるかたは、みなさんどなたかの紹介状をお持ちになるんですがね、グローリーさん。 【ヘレナ】 で、あなたはそのかたたちに―― 【ドーミン】 ごく限られた範囲をしかお見せしません。人造人間の製造過程は秘密にしていますのでね。 【ヘレナ】 でもお察し願いたいですわ、それがどんなにわたしの―― 【ドーミン】 興味をそそるか、ですか? そうでしょうとも、ヨーロッパじゅうがその話で持ちきりですからね。 【ヘレナ】 あなたはなぜわたしに最後まで言わせてくださいませんの? 【ドーミン】 これは失礼しました。ですが、なにか変わったことをおっしゃりたかったとでも? 【ヘレナ】 わたしはただこうお願いしたかっただけ―― 【ドーミン】 あなたの場合にかぎって特例を認めて、工場の参観を許してもらえないか、そうおっしゃるのでしょう? よござんすとも、グローリーさん。 【ヘレナ】 あら、どうしてそれがおわかりになりまして? 【ドーミン】 みなさんその手でこられるのでね。しかしあなたの場合は、これは特別の光栄ですから、他のかたがたにお見せしないところまでお目にかけましょう。 【ヘレナ】 それはありがとうございます。 【ドーミン】 しかし、ぜったいに他へ口外しないことを保証していただかないと―― 【ヘレナ】 (立ちあがり、手をさしだしながら)誓って口外はいたしませんわ。 【ドーミン】 よござんす。ところで、ヴェールをお取りになりませんか? 【ヘレナ】 ええ、取りますわ。わたしがスパイじゃないかどうか、おたしかめになりたいんでしょう? あの、おそれいりますが―― 【ドーミン】 は、なんです? 【ヘレナ】 おそれいりますが、手をはなしていただけません? 【ドーミン】 (はなしながら)これは失礼しました。 【ヘレナ】 (ヴェールをあげながら)ここではずいぶん用心ぶかくなさらなきゃなりませんのね? 【ドーミン】 (深く打たれたようすでまじまじと彼女を見つめながら)はあ、もちろん――われわれは――つまりその―― 【ヘレナ】 なんですの? どうかなさいまして? 【ドーミン】 いや、なに、すこぶる愉快です。航海はどうでした、快適でしたか? 【ヘレナ】 ええ。 【ドーミン】 なんの面倒もなく? 【ヘレナ】 ええ、でもなぜですの? 【ドーミン】 つまりその――あなたがたいへんお若くていらっしゃるので。 【ヘレナ】 ではまっすぐ工場の方へまいりましょうか? 【ドーミン】 ええ。二十二、ですな。 【ヘレナ】 二十二って、なにがですの? 【ドーミン】 お年ですよ。 【ヘレナ】 二十一ですわ。なぜそんなことをお訊きになりますの? 【ドーミン】 それはその――つまり――(熱心に)まだしばらくはご滞在いただけるのでしょうね? 【ヘレナ】 それはあなたがどのへんまで工場を見せてくださるかにかかっていますわ。 【ドーミン】 ちえっ、工場なんか! あ、いやいや、あなたにはなにもかもお見せしますよ、グローリーさん。お見せしますとも。まあお座りください。 【ヘレナ】 (長椅子に歩みよって腰かけながら)ありがとうございます。 【ドーミン】 しかし、最初はまずこの発明談をお聞きになりたいでしょうな? 【ヘレナ】 ええ、ぜひ。 【ドーミン】 (ヘレナをうっとりとながめ、それからとつぜん早口にしゃべりだす)一九二〇年のことでした。偉大なる生物学者、老ロッサムが――といっても、そのころはまだ一介の青年科学者にすぎませんでしたが――海洋動物の研究のため、この孤島にやってきました。このとき彼は、化学実験によっていわゆる原形質として知られる生物を合成する目的をいだいてやってきたのですが、そのうち、まったく偶然に、化学成分は異なるにもかかわらず、生物とまったくおなじ働きをするという、ある物質を発見しました。これは一九三二年のことで、アメリカ発見以来、ちょうど四百四十年後のことです。ふうっ! 【ヘレナ】 あなたはそれを暗記してらっしゃいますの? 【ドーミン】 そうです。生物学というのは、わたしの専門じゃないものでね。つづけますか? 【ヘレナ】 ええ、どうぞ。 【ドーミン】 そしてそのとき、グローリーさん、老ロッサムはつぎのようなことをその化学資料のあいだに書きしるしたのです。「自然は生物創造にただ一つの方法を発見したるのみ。されど、いまだ自然界には起こらざりき、より単純にしてより柔軟性に富み、かつ、より迅速なる他の方法あり。生命を発生せしむるこの第二の方法こそ、今日、余の発見したるものなり」とね。さてグローリーさん、彼がこういう驚くべき文言を、犬でさえ見向きもしないようなコロイド状のものに関して、書きしるしているさまを想像してごらんなさい。彼が試験管のあいだに座り、そのどろどろしたものから、いかにして生命の系譜ができてゆくか、ある種の虫けらに始まり人間に終わるあらゆる生物が、いかにしてそれから発生してゆくか、こういったことを考えているさまを想像してごらんなさい。しかもその人間というのは、われわれとは異なった組織を持つ人間なのですよ、グローリーさん。これはじつに偉大な瞬間だったにちがいありません。 【ヘレナ】 それで? 【ドーミン】 さてそこで、問題はその生命をどうやって試験管から取りだすか、どうやってその発育を促進し、器官や骨や神経等々を形成し、かつ接合素とか、酵素とか、ホルモンとかいった要素を見つけだすか、ということでした――おわかりですか? 【ヘレナ】 あまりよくはわかりませんわ。残念ながら。 【ドーミン】 なに、かまいませんよ。つまりこういうことなんです――彼はチンキ剤の助けを借りて、望むものはなんでも造ることができた。ソクラテスの脳髄を持つメデューザを生みだすことも、あるいは長さ五十ヤードもあるミミズを造ることもできた。ところが彼は、ユーモアのひとかけらも持ちあわせていなかったものですから、それで脊椎《せきつい》動物を造ろうと思いついたわけです――あるいはたぶん人間までもね。そしてこの、彼の人造生物は、生きることにたいして激しい渇仰《かつごう》をいだいていて、縫いあわされようが、たがいに混合されようが、いっこうに気にしなかった。これは天然の蛋白質ではできないことでした。こうして彼はそれにとりかかったのです。 【ヘレナ】 なににですの? 【ドーミン】 自然の模倣にです。彼はまず、人造犬を造ることを試みました。彼はそれに数年をついやし、その結果できたものは、一種の奇形の仔牛のようなもので、わずか数日で死んでしまいました。これは陳列室にありますから、あとでお目にかけますよ。そしてそのあと老ロッサムは、人間の製造に着手したのです。 【ヘレナ】 で、わたしは、このことをだれにも口外してはならないのですね? 【ドーミン】 そうです、ぜったいに言ってもらっては困ります。 【ヘレナ】 でもそのお話、ヨーロッパやアメリカのあらゆる教科書に載っていますわよ。困りますわね。 【ドーミン】 たしかに。しかし教科書に載っていないこともあるのをご存じですか? それは老ロッサムが狂人だったということです。真面目な話、グローリーさん、これはぜひあなただけのことにしておいていただきたいのですがね。あの頭のおかしな老人は、ほんとに人間を創造したがっていたのですよ。 【ヘレナ】 でも、あなただって、人間を造ってらっしゃるじゃありませんか。 【ドーミン】 まあそれに近いやつをね、グローリーさん。だが老ロッサムは、文字どおり人間そのものを造る気だったのです。彼は一種の、なんというか、神にかわる科学的人神になろうとしたのです。彼は狂信的な唯物論者でした。そして、彼がこういうことを企てたというのも、それだからこそなのです。彼の唯一の目的は、神がもはや不要のものであるということを立証することでした。それ以上でも以下でもなかったのです。あなた、解剖学の知識はおありですか? 【ヘレナ】 いいえ、ほとんどありませんわ。 【ドーミン】 わたしも同様ですがね。とにかく、つぎに彼は、人体のそなえているあらゆるものを造ろうと決心したのです。あとで陳列室へ行ったら、彼が十年をついやして造りだした不細工きわまる失敗作がありますから、それもお目にかけますよ。それは人間であるべきはずのものでしたが、わずか三日間しか生きていませんでした。さて、そこへ技術者たるロッサム青年が登場します。彼はじつに偉い男でしたよ、グローリーさん。父親の造っているわけのわからないものを一目見るなり、彼は、「人間一人を造るのに、十年もかかっていちゃしようがない。もし自然が造るのよりも速く造れないのなら、いっそのこときれいさっぱりあきらめちまったほうがいい」そう言って、さっそく自分で解剖学の勉強にとりかかったのです。 【ヘレナ】 そんなこと、教科書には一言だって書いてありませんわね。 【ドーミン】 そうですとも。教科書なんてのは、広告で埋まってるようなものですよ、だからくだらんのです。教科書が偉大なるロッサム父子について語っていることは、まったくの作り話でしかありません。二人はいつも口論していました。かの老無神論者は、産業という問題については、これっぽっちの概念も持っていませんでした。とうとうしまいに、ロッサム青年は父親を実験室かどこかに閉じこめ、勝手に怪物相手の研究に時間を浪費させることにするいっぽう、自分では技術者としての見地から、この仕事に乗りだしたのです。老ロッサムは息子を呪いながらも、死ぬまでになんとか二体の怪物をでっちあげました。そしてある日のこと、実験室のなかで死んでいるのを発見されたのです。これが彼に関する事実のすべてです。 【ヘレナ】 で、青年のほうはどうなりましたの? 【ドーミン】 ええ、人体解剖学をちょっとでもかじったことのある人間なら、だれでも人間というものが、じつに複雑な仕組みを持った生物だということに気づき、そして有能な技術者なら、これをもっと簡単にできるはずだと考えるでしょう。そこでロッサム青年は解剖学を徹底的に研究し、どことどこを除去できるか、どこを単純化しうるかを調べはじめました。つまりてっとりばやく言えば――しかしご退屈ではありませんか、グローリーさん? 【ヘレナ】 いいえ、ちっとも。あなたは――いえ、すごくおもしろいですわ。 【ドーミン】 つまりロッサム青年はこう考えたのです――「人間というものは、幸福を感じたり、ピアノを弾いたり、散歩を好んだり、要するに、実際には不必要なことをたくさんしたがるものだ」とね。 【ヘレナ】 まあ。 【ドーミン】 つまりなんというか、織物を織ったり、ものを数えたりするためには、いま言ったようなことは不必要なことなんです。あなたはピアノをお弾きになりますか? 【ヘレナ】 ええ。 【ドーミン】 それは結構。しかし、働く機械にはピアノを弾くことは必要ないし、愉快を感じる必要も、その他いろんなことをする必要もないのです。ガソリン・モーターには玉総《たまぶさ》も装飾もいりません。そしてグローリーさん、人造労働者を造るというのは、ガソリン・モーターを造るというのとおなじことなんです。その製法はもっとも単純なものでなければならんし、製品は実用的見地からいって、最高のものでなければならん。あなたは、実用的見地から見た場合、どんな労働者がもっともいいとお考えですか? 【ヘレナ】 なんですって? 【ドーミン】 実用的見地から見た場合、どんな労働者がいちばんいいとお考えですか? 【ヘレナ】 さあ、いちばん正直でよく働くもの、でしょうかしら。 【ドーミン】 ちがいます。最上とされるのは、もっとも低廉《ていれん》な労働者なんです。要求することの、もっともすくないものなんです。ロッサム青年は、この、要求することのもっともすくない労働者を発明したのです。彼はそれをできるかぎり単純化しました。働くことに直接貢献しないもの――労働者をより高価にするものをすべて排除しました。つまり、人間を排してロボットを造ったわけです。ねえグローリーさん、ロボットは人間ではありません。機械的にはわれわれよりも数等完全であり、非常に発達した知能をそなえてもいます。しかし、魂は持たないのです。 【ヘレナ】 なぜ彼らに魂がないとわかりますの? 【ドーミン】 ロボットの内部がどんなふうになっているか、ごらんになったことがおありですか? 【ヘレナ】 いいえ。 【ドーミン】 すこぶる小ぎれいにできていて、すこぶる単純なものです。いやじっさい、美しい芸術作品と言っていいでしょう。内部にはほとんどなにもありませんが、あるものはすべて、非の打ちどころのない状態にあります。技術者の造ったものは、自然のこしらえたものよりも、技術的にはずっと完全に近いと言っていいでしよう。 【ヘレナ】 でも人間は神の創りたもうたものと考えられていますわ。 【ドーミン】 だからなおいけないのです。神は近代工学技術についちゃ、なんにも知りませんからね。あなたには、ロッサム青年がやがて神の真似ごとを始めたとは、とても信じられますまいな? 【ヘレナ】 どういう意味ですの? 【ドーミン】 彼は超ロボットを製作しはじめたのです。いわゆる巨人ロボットというのがそれでした。彼はそれを高さ十二フィートもあろうというものにしようとしたのですよ。しかし、それがどんなにみじめな失敗だったか、とてもおわかりにはなりますまい。 【ヘレナ】 失敗ですって? 【ドーミン】 そうです。巨人たちの手足は、ただわけもなく、しょっちゅう折れたり取れたりしていました。たしかに彼らにはこの地球は小さすぎたのですな。ですから、いまうちで造っているロボットは、普通サイズのやつばかりで、それに最高級の人間的仕上げをほどこしてあります。 【ヘレナ】 わたしの国で、最初のロボットというのを見たことがありますわ。町議会が買った――いえ、雇ったのです。 【ドーミン】 買った、でいいのですよ、グローリーさん。ロボットは売買されるものなんです。 【ヘレナ】 そのロボットたちは、道路清掃作業員として雇われました。彼らがお掃除をしてるところを見たことがありますけど、とても奇妙で、とてもおとなしいんですのね。 【ドーミン】 ロッサム万能ロボット工場では、一つの銘柄ばかりは造りません。ですから、非常に精巧なものから中程度のものにいたるまで、各種そろっています。最上のやつは、ほぼ二十年は生きます。(呼び鈴を鳴らしてマリウスを呼ぶ) 【ヘレナ】 で、やはり死にますの? 【ドーミン】 ええ、磨耗《まもう》してしまうのですよ。  マリウス登場。 【ドーミン】 マリウス、〈手工業労働者〉の見本を連れてきてくれ。(マリウス退場) 【ドーミン】 その両極端の見本をお目にかけますよ。この第一等級のやつは、比較的安価で、大量に生産されています。  マリウス、二名の〈手工業労働者〉をともなって、ふたたび登場。 【ドーミン】 ごらんなさい。まるで小型トラクターのように頑丈です。並みの知能をそなえた、保証つきの品ですがね。もういい、マリウス。  マリウス、ロボットをともなって退場。 【ヘレナ】 見ていると、なんだかとても不思議な気持ちがしてきますわ。 【ドーミン】 (呼び鈴を鳴らし)わたしの新しいタイピストをごらんになりましたか?(スーラを呼ぶ) 【ヘレナ】 いえ、気がつきませんでした。  スーラ登場。 【ドーミン】 スーラ、こちらはミス・グローリーだ。 【ヘレナ】 お会いできてうれしいですわ。こんなへんぴな土地でのお勤め、ずいぶんお退屈でしょうね? 【スーラ】 わかりません、グローリーさん。 【ヘレナ】 ご出身はどちら? 【スーラ】 工場です。 【ヘレナ】 まあ、あそこでお生まれ? 【スーラ】 そこで造られました。 【ヘレナ】 なんですって? 【ドーミン】 (笑いながら)スーラはロボットなんですよ、最高級のね。 【ヘレナ】 まあ、そうでしたの、ごめんなさい。 【ドーミン】 スーラは怒りゃしませんよ。この皮膚をごらんなさい、グローリーさん、こういうのを造ってるんですよ。(スーラの顔面にさわる)さわってごらんなさい、この顔に。 【ヘレナ】 いいえ、結構です、結構ですわ。 【ドーミン】 この娘がわれわれとは異なる材料でできているとは、とうてい信じられますまい? ちょっとあっちを向いてごらん、スーラ。 【ヘレナ】 もうよして、よしてください。 【ドーミン】 じゃあグローリーさんとお話ししてみなさい、スーラ。 【スーラ】 どうぞおかけください。(ヘレナ座る)航海は快適でしたか? 【ヘレナ】 え、ええ、もちろん。 【スーラ】 アメリア号でお帰りにならないほうがいいと思います、グローリーさん。晴雨計がどんどんさがっていますから。ペンシルヴァニア号が入港するまでお待ちなさい。あれはいい船です、頑丈で。 【ドーミン】 速力は? 【スーラ】 二十ノットです。総トン数は五万トン。最新式の船です、グローリーさん。 【ヘレナ】 ありがとう。 【スーラ】 乗組員千五百名、船長はハーピー、汽罐《ボイラー》は八台―― 【ドーミン】 もういい、スーラ。こんどはフランス語を話してみせてくれ。 【ヘレナ】 フランス語をご存じですの? 【スーラ】 四カ国語がわかります。書くこともできます。ディア・サー、ムッシュー、ゲアーテル・ヘル、チェニイ・パネ。 【ヘレナ】 (とびあがって)驚いたわ、こんなことがあってたまるものですか! スーラはロボットなんかじゃありません。わたしとおなじ人間です。スーラ、こんなひどいことって、なくってよ! どうしてこんないたずらの片棒をかついだりするの? 【スーラ】 わたしはロボットです。 【ヘレナ】 いいえ、いいえ、嘘《うそ》だわ、嘘にきまってるわ。この人たちは、宣伝のためにあなたにこんなことをさせてるのよ。ねえスーラ、あなたはわたしとおなじ人間よね、そうでしょ? 【ドーミン】 失礼ですが、グローリーさん、スーラはロボットなんです。 【ヘレナ】 嘘です! 【ドーミン】 嘘ですと?(呼び鈴を押す)ではグローリーさん、失礼ですが、納得のゆくようにしてさしあげましょう。  マリウス登場。 【ドーミン】 マリウス、スーラを解剖室へ連れていって、すぐに解剖してもらうようにしてくれ。 【ヘレナ】 どこですって? 【ドーミン】 解剖室ですよ。そこで彼女を解剖させますから、行ってごらんなさい。 【ヘレナ】 いいえ、いいえ! 【ドーミン】 すみません。ですがあなたが嘘だと言われる以上は…… 【ヘレナ】 このひとを殺すつもりじゃないでしょうね? 【ドーミン】 機械を殺すことはできませんよ。 【ヘレナ】 心配しなくてもいいわ、スーラ。わたしがぜったいにそんなところへやりはしませんから。ねえスーラ、ここの人たちは、いつもこうしてあなたをいじめてるの? あなた、こんなことを我慢してちゃいけないわ、スーラ。我慢してちゃ駄目よ。 【スーラ】 わたしはロボットです。 【ヘレナ】 それは問題じゃないわ。ロボットだって、わたしたちと変わりないんですもの。スーラ、あなたは自分を小間切れにさせたりはしないわね? 【スーラ】 いいえ。 【ヘレナ】 まあ、じゃあ、死ぬのがこわくはないの? 【スーラ】 わかりません、グローリーさん。 【ヘレナ】 あそこへ行ったら、どんなことになるか知ってて? 【スーラ】 はい、わたしは動かなくなるでしょう。 【ヘレナ】 なんと恐ろしい! 【ドーミン】 マリウス、グローリーさんにおまえの素性を申しあげろ。 【マリウス】 はい、マリウスというロボットです。 【ドーミン】 スーラを解剖室へ連れていってくれるか? 【マリウス】 はい。 【ドーミン】 彼女をかわいそうだと思うか? 【マリウス】 わかりません。 【ドーミン】 彼女がどうなるか知っているか? 【マリウス】 動かなくなります。それから粉砕機《ふんさいき》にかけられます。 【ドーミン】 それが死というものだ、マリウス。こわくないか? 【マリウス】 いいえ。 【ドーミン】 おわかりですか、グローリーさん。ロボットには生への執着というものがないのです。楽しみもありません。彼らは草かなにかとおなじ、いやそれ以下なのですよ。 【ヘレナ】 ああ、いや、やめて。このひとたちをあちらへやってください。 【ドーミン】 マリウス、スーラ、行ってよろしい。  両名退場。 【ヘレナ】 なんて恐ろしい! あなたのしてらっしゃることは残酷ですわ。 【ドーミン】 なぜ残酷なんです? 【ヘレナ】 なぜって、そうなんですもの。なぜ彼女をスーラとお呼びになりますの? 【ドーミン】 いい名じゃないですか。 【ヘレナ】 だって男名前ですわ。スーラはローマの将軍でした。 【ドーミン】 おや、マリウスとスーラとは恋人同士だと思ってましたよ、われわれは。 【ヘレナ】 マリウスとスーラはともに将軍で、たがいに戦火をまじえた仲ですわ。あれは、ええと、西暦何年だったかしら――忘れましたけど。 【ドーミン】 ちょっとこの窓のそばへきてごらんなさい。 【ヘレナ】 なんですの? 【ドーミン】 いいからおいでなさい。なにが見えます? 【ヘレナ】 煉瓦《れんが》積みの職人たちが見えますわ。 【ドーミン】 ロボットです。ここの作業員はみんなロボットなのです。それからあの下の方、なにか見えるでしょう? 【ヘレナ】 ええ、事務所のようなものが。 【ドーミン】 会計課の部屋ですよ。そしてあそこには―― 【ヘレナ】 たくさんの事務員がいるんですね? 【ドーミン】 いや、ロボットが、です。うちの事務員はみなロボットなのです。そして工場へ行けば――  工場のサイレンが鳴る。 【ドーミン】 正午です。サイレンを鳴らすのは、いつ仕事をやめていいか、ロボットたちにはわからないからなんです。二時間ほどしたら、攪拌槽《かくはんそう》をお目にかけましょう。 【ヘレナ】 攪拌槽? 【ドーミン】 ペーストを練る槽ですよ。一つの槽で一回にロボット一千体分の原料をかきまぜます。ほかに、肝臓や脳髄、その他、各種の部品を調製する大桶もあります。また、骨を造る工場もごらんにいれます。それから、紡績工場へもご案内しますよ。 【ヘレナ】 紡績工場ですって? 【ドーミン】 そうです。神経や血管を紡《つむ》ぐところです。同時に何マイルもの消化管が、その機械で紡がれてゆきます。 【ヘレナ】 まあ。なにかもっとべつのことをお話しするわけにはいきませんの? 【ドーミン】 それがいいでしょう。とにかくこうして十万もいるロボットのなかに、われわれ人間はほんの一握りほどで、しかも女性は一人もおりません。われわれは一日じゅう、そしてくる日もくる日も、工場のことばかりしゃべっています。まるで呪《のろ》いにかけられているようなものですよ、グローリーさん。 【ヘレナ】 さっきあなたのことを嘘つきだなんて言ってしまって、申し訳ないことをしましたわ。  ドアにノックの音。 【ドーミン】 おはいり。  上手の入り口から、ファブリー技師長を先頭に、ゴール博士、ハレマイヤー博士、アルクィスト技師がはいってくる。 【ゴール博士】 おや、これは失礼。お邪魔じゃなかったかね? 【ドーミン】 はいりたまえ。グローリーさん、こちらはアルクィスト、ファブリー、ゴール、ハレマイヤーの諸君です。諸君、こちらはグローリー大統領の令嬢だ。 【ヘレナ】 はじめまして。 【ファブリー】 そうとは知らず―― 【ゴール博士】 この上ない光栄です、まったく―― 【アルクィスト】 よくいらっしゃいました、グローリーさん。  バスマン、上手からとびこんでくる。 【バスマン】 やあ、なにごとだい? 【ドーミン】 こっちへきたまえ、バスマン。バスマンです、グローリーさん。こちらはグローリー大統領のお嬢さんだ。 【バスマン】 なんとね、それはそれは! あなたのご来島を各新聞社に知らせてもよろしいですか? 【ヘレナ】 いいえ、どうかそれだけはおやめになってください。 【ドーミン】 おかけください、グローリーさん。 【バスマン】 ちょっと失礼――(肘かけ椅子をひきずってくる) 【ゴール博士】 どうぞ―― 【ファブリー】 失礼します―― 【アルクィスト】 船旅はいかがでした? 【ゴール博士】 しばらくご滞在ですかな? 【ファブリー】 工場はお気に召しましたか、グローリーさん。 【ハレマイヤー】 アメリア号でおいででしたか? 【ドーミン】 おい静かに。グローリーさんがお話しになれないじゃないか。 【ヘレナ】 (ドーミンに)あの、いったいなにをお話ししたらよろしいんですの? 【ドーミン】 なんでもお好きなことを。 【ヘレナ】 あの……ごく率直に申しあげてもかまいませんこと? 【ドーミン】 もちろんですとも。 【ヘレナ】 (逡巡《しゅんじゅん》し、やがて意を決したように必死の面持ちで)ねえみなさん、あなたがたは現在の待遇に苦痛を感じたことはありませんか? 【ファブリー】 待遇って、だれから受ける待遇です? 【ヘレナ】 あら、みんなからですわ、むろん。 【アルクィスト】 待遇ですと? 【ゴール博士】 なぜそんなことを――? 【ヘレナ】 あなたがたは、もっと良い生活をする権利があるとは思いませんか? 【ゴール博士】 そうですなあ、それはあなたのおたずねの趣旨にもよりますがね、グローリーさん。 【ヘレナ】 わたしの言うのは、まったくひどいということなんです。恐るべきものですわ。(立ちあがる)全ヨーロッパが、こぞってあなたがたの処遇をうんぬんしています。じつは、わたしがここへきたのは、そのため――この眼で実状をたしかめるためなんです。ところが想像以上に――想像してたより、千倍もひどい有様なんですもの。どうしてこんなことに我慢できるんでしょう? 【アルクィスト】 なにを我慢するとおっしゃるのです? 【ヘレナ】 まあ驚いた、あなたがたはこの世に生を享《う》けた生きものなのですよ――わたしたちとおなじに、ヨーロッパの人びととおなじに、全世界の人びととおなじに。あなたがたがこんな生きかたをしなければならないなんて、人間の恥ですわ。 【バスマン】 なにをおっしゃるんです、グローリーさん。 【ファブリー】 なるほどね、だがこのかたのおっしゃることは、当たらずといえども遠からずだ。われわれはまるでアメリカ先住民みたいな生活をしているからね。 【ヘレナ】 あら、それよりももっと悪いですわ。あのわたし、あのう、あなたがたを兄弟と呼んでもかまいませんこと? 【バスマン】 なぜいけないわけがあります? 【ヘレナ】 じゃあ兄弟たち、わたしはここに大統領の娘としてきたのではありません。〈人道連盟〉を代表してきたのです。兄弟たち、〈人道連盟〉は現在二十万以上の会員を擁しています。二十万の人間があなたがたの味方であり、あなたがたにあらゆる援助を惜しまぬと言っているのです。 【バスマン】 二十万人! グローリーさん、それはちょっとした数ですな。悪くない。 【ファブリー】 見ろ、おれはいつだってあんたたちに言ってたろう――わがなつかしきヨーロッパほど、いいとこはないってね。どうだい、彼らはけっしてわれわれを忘れてやしなかった。われわれに援助を申しでているんだぜ。 【ゴール博士】 どんな援助ですかな? たとえば劇場の設置とでもいったようなことかな? 【ハレマイヤー】 オーケストラでもくるんですかね? 【ヘレナ】 それ以上のものですわ。 【アルクィスト】 で、あなただけなんですか? 【ヘレナ】 おお、わたしのことならご心配なく。必要とあらば、いつまでだって滞在しますから。 【バスマン】 なんとね、そいつは豪気だ! 【アルクィスト】 ドーミン、それじゃいちばんいい部屋をグローリーさんのために用意させておこう。 【ドーミン】 ちょっと待った。ぼくの思うに、どうやらグローリーさんはわれわれをロボットだとお考えのようだ。 【ヘレナ】 もちろんですわ。 【ドーミン】 そいつはどうも。ここにいる諸君は、われわれ同様、本物の人間ですよ。 【ヘレナ】 ロボットじゃないんですの? 【バスマン】 ロボットじゃありません。 【ハレマイヤー】 とんだ見当ちがいですよ。 【ゴール博士】 それだけはごめんこうむりたいですな。 【ファブリー】 冗談じゃない、グローリーさん。われわれはロボットなんかじゃありませんよ。 【ヘレナ】 (ドーミンに)それじゃなぜさっき、ここの職員はみなロボットだ、なんておっしゃいましたの? 【ドーミン】 ロボットですとも、事務員はね。しかし幹部連中はちがいます。ご紹介しましょう、グローリーさん。こちらはRUR社技師長のファブリー氏、生理学実験室主任ゴール博士、ロボット心理訓練所長ハレマイヤー博士、営業部長コンサル・バスマン、そしてアルクィスト技師、RUR社建築部主任です。 【アルクィスト】 なあに、ただの建築屋ですよ。 【ヘレナ】 みなさんすみません。わたし、ほんとにあの――あの――なにかひどいことをしてしまいましたかしら? 【アルクィスト】 いいえどういたしまして、グローリーさん。さあどうぞおかけください。 【ヘレナ】 わたし、馬鹿でしたわ。どうかいちばん最初の便で送り返してくださいまし。 【ゴール博士】 とんでもない、グローリーさん。なぜわしらがあなたを送り返さにゃならんのです? 【ヘレナ】 なぜって、わたしがあなたがたのロボットを煽動《せんどう》しにきたことがわかった以上―― 【ドーミン】 ねえグローリーさん、ここにはこれまでだって、もう百人近い自称救世主やら予言者やらがやってきてるんですよ。くる船くる船、必ず二、三人は乗っています。宣教師、無政府主義者、救世軍、その他ありとあらゆる連中がね。世間にこうも多数の教団があるとは、こうも多数の馬鹿ものがいるとは、まったく驚きですよ。 【ヘレナ】 で、あなたはその人たちに、ロボットに演説することをお許しになる? 【ドーミン】 もちろんですとも、いままではね。なぜそうしちゃいけないわけがあります? ロボットは聞いたことをぜんぶ記憶にとどめる。しかしそれだけです。彼らは演説を聞いたって、笑いもしなけりゃなにもしない。まったく、信じられないような事実ではありますがね。もしよろしければ、グローリーさん、あとでロボットの貯蔵倉庫にご案内しましょう。そこにはほぼ三十万のロボットが収容されています。 【バスマン】 三十四万七千だ。 【ドーミン】 結構! そこであなたは彼らにむかって、なんでも好きなことを言うがよろしい。バイブルを読もうが九々を暗誦しようが、とにかくなにをしようがいっこうにかまいません。人間の諸権利を説くご講話だっていいですよ。 【ヘレナ】 まあ。でもみなさんは、もうちょっと彼らにたいして、愛をお示しになる必要がおありじゃありま―― 【ファブリー】 不可能ですね、グローリーさん。ロボットを好きになるほどむずかしいことはありませんよ。 【ヘレナ】 じゃあいったいなんのために、彼らを造るんです? 【バスマン】 ははは、こいつはいいや! ロボットはなんのために造るのか、だとさ! 【ファブリー】 労働のために、ですよ、グローリーさん。ロボット一名は労働者二人半前の働きをします。人間の労働者ってのはね、グローリーさん、恐ろしく不完全なしろものでした。早晩その地位から追われるべき運命にあったんですよ。 【バスマン】 そのうえ費用ばかりかかってね。 【ファブリー】 能率的じゃなかったんです。人間の労働者は、もう近代産業の要求には応じきれません。しかるに自然のほうでは、近代的労働と歩調を合わせる考えなどすこしもありませんからね。たとえばの話、技術的見地からすれば、子供時代なんてものはまったく愚の骨頂でしてね、えらい時間の浪費でしかありません。そしてまた―― 【ヘレナ】 もうたくさん! たくさんですわ! 【ファブリー】 これは失礼しました。ですがあなたの連盟――ええと……その、〈人道連盟〉とやらの真の目的、それはどこにあるのです。うかがいたいものですね。 【ヘレナ】 真の目的は、ロボットを――ロボットたちを保護することにあります――そして――そして、彼らのために、もっとちゃんとした待遇を約束することです。 【ファブリー】 どっちも悪い趣旨じゃあない。機械だってそれ相応の扱いは受けるべきですからね。ぼくはまったくその趣旨に賛成です。ぼくはこわれた品物は好きじゃない。どうかグローリーさん、われわれをあなたの連盟の賛助会員だか普通会員だか、あるいは創設会員だか知らないが、それにしてくださいよ。 【ヘレナ】 あなたはまだよくおわかりになってらっしゃらないようですわね。わたしどもがほんとうに望んでいるのは、ロボットを解放することなんです。 【ハレマイヤー】 解放するといったって、どういうふうにするつもりなんです? 【ヘレナ】 彼らを人間――人間らしく取り扱おうというのです。 【ハレマイヤー】 あはは。すると彼らに選挙権を与えようとでも? ビールを飲ませようとでも? われわれに命令させようとでも? 【ヘレナ】 なぜ彼らがビールを飲んではいけませんの? 【ハレマイヤー】 おそらく賃金さえ彼らは得ようというんでしょうな? 【ヘレナ】 もちろんですとも。 【ハレマイヤー】 こりゃ愉快だ! それで彼らは、その賃金でなにをするんですかな、ええ? 【ヘレナ】 なにをって、買うでしょう――欲しいもの……好きなものを。 【ハレマイヤー】 そいつはすてきですな、グローリーさん。ただし、ロボットを喜ばせるようなものなど、この世のなかには存在しない、という点を除けばね。うかがいますが、彼らはなにを買わなくちゃならんのです? あなたは彼らにパイナップルであれ麦わらであれ、なんでもお望みのものをあてがってやることはできる。しかし、なにをあてがおうと、彼らにはなんの変わりもない。そもそも彼らには食欲ってものがないんですからな。彼らはなにものにも興味を持たんのです、グローリーさん。じっさい、ロボットが微笑するところすら、見たことのあるものはおらんのですからな。 【ヘレナ】 なぜ……なぜあなたがたは、彼らをもっと幸福にしてやろうとなさいませんの? 【ハレマイヤー】 そんなことしたって、意味はないのですよ、グローリーさん。彼らはただの労働者にすぎんのですからな。 【ヘレナ】 あら、でも彼らは、あんなに利口じゃありませんか。 【ハレマイヤー】 たしかにね、それはもういまいましいほどです。しかしけっしてそれ以上のものではない。彼らは自分自身の意志というものを持たんのです。情熱も。魂も。 【ヘレナ】 愛も? 【ハレマイヤー】 愛ですと? むろんありゃしませんとも。ロボットは愛しません。自分自身をすら。 【ヘレナ】 反抗も? 【ハレマイヤー】 反抗? さあ、知りませんな。ごくたまに、ときどきあるだけです。 【ヘレナ】 それはどんなふうな? 【ハレマイヤー】 とりたてて言うほどのものじゃありません。ときおり頭がおかしくなったように見える、そんなことがあるだけです。ちょっとてんかんの発作に似たもの、とでも言いますかな。これを呼んで、ロボット痙攣《けいれん》と言っています。とつぜん、手にしたものをみんな投げだしてしまい、じっと突っ立ったまま、歯をぎりぎり噛み鳴らすのです――こうなったらもう、まっすぐ粉砕工場へやるばかりです。明らかに機械のどこかに故障が起こったわけですからな。 【ドーミン】 当然除去されるべき機械の欠陥というわけです。 【ヘレナ】 いえ、いえ、それが魂のあらわれなんですわ、彼らの。 【ファブリー】 霊魂が最初にまず歯ぎしりすることによって、その姿をあらわすとでも言うんですか? 【ヘレナ】 あるいはそれが、一種の抵抗なのかもしれません。あるいはまた、彼らの内なる闘いを示す徴候ともとれます。ああ、彼らに魂を吹きこむことさえできたら! 【ドーミン】 その点ならなんとかなりますよ、グローリーさん。ゴール博士が目下さかんにある実験を行なってるところですから―― 【ゴール博士】 しかしそいつはこれとは関係ないよ、ドーミン。現在製作ちゅうなのは、痛みを感じる神経なんだ。 【ヘレナ】 痛みを感じる神経ですって? 【ゴール博士】 そうです。ロボットはほとんど肉体的苦痛というものを感じない。というのも、ロッサム青年が彼らに与えた神経系統が、ごく限られたものだったからなんです。われわれは、だから彼らに、苦痛を感じるようにしてやらねばなりません。 【ヘレナ】 でもなんのために? なぜ苦痛を感じさせる必要がありますの? 【ゴール博士】 産業的理由からですよ、グローリーさん。ロボットはときに自分自身を傷つけることがあります。つまりそれも、彼らが痛みを感じることがないからでしてね。手を機械につっこむ、指を折る、頭を砕《くだ》く――どうなろうと、当の本人はいっこう平気なんです。だからわれわれは、彼らに苦痛を知らせてやる必要がある。損害を自動的に回避する手段としてね。 【ヘレナ】 苦痛というものを知ったら、彼らはいまより幸福になれるでしょうか? 【ゴール博士】 反対でしょうな。しかし技術的には、さらに一歩、完全に近づくわけです。 【ヘレナ】 なぜ彼らに魂を吹きこんでおやりになりませんの? 【ゴール博士】 それはわれわれの力の及ばぬところです。 【ファブリー】 われわれの関心事でもありませんしね。 【バスマン】 それに生産コストがかさみます。ねえお嬢さん、われわれは彼らを非常に安く造っています。一体につき、衣類もなにもぜんぶ着せたうえで、百五十ドルですからね。それが十五年前には、一万ドルもしたんです。五年前には彼らに着せる衣料もよそから買っていました。しかし今日《こんにち》では、会社が自前の紡績工場を所有しています。そして、他の工場の五倍も安く輸出しさえしているのです。あなたは布地一ヤードにどのくらい払っておられますか、グローリーさん? 【ヘレナ】 よくは存じません。忘れてしまいました。 【バスマン】 おやおや、それで〈人道連盟〉を設立なさろうというんですか? いまではね、グローリーさん、三分の一の値段になってますよ。今日では、なんの値段でも以前の三分の一、しかも今後は、もっと、もっと安くなりますよ。 【ヘレナ】 わたしにはよくわかりませんけど。 【バスマン】 おや、これは驚きましたね、グローリーさん、このことは、労働原価がさがっていることを意味するのですよ。ロボット一体は、材料もなにもひっくるめて、一時間につき一セントの四分の三しかかかりません。これはすこぶる重要なことです。どんな工場も、いますぐロボットを購入して、生産コストをさげることを考えなければ、たちまち栗《くり》みたいにはじけてしまうこと請けあいですよ。 【ヘレナ】 そしていままでいた労働者たちを解雇しますの? 【バスマン】 そうです。しかしですね、その一方で、われわれはトウモロコシ栽培のため、五十万体の熱帯向きロボットをアルゼンチンの平原《パンパス》地方に送りこみました。あなたはパン一ポンドにいくら払っているか、もしおさしつかえなければ聞かせていただけますか? 【ヘレナ】 そんなこと、調べてみたこともありませんわ。 【バスマン】 なるほど、ではわたしがお教えしましょう。現在ヨーロッパでは、二セントについています。パン一ポンドが二セントですよ。そして〈人道連盟〉はそれについてなにもご存じないとおっしゃる。グローリーさん、あなたはそれが高すぎるということさえお気づきにならんのでしょうな。ところで、これから先、五年のうちには、ぼくは賭けてもいいですが―― 【ヘレナ】 なんですの? 【バスマン】 すべてのものの値段は、現在の十分の一になっていますよ。五年後には、トウモロコシでもなんでも溢れるほどあって、われわれは身動きもできなくなっているに相違ありません。 【アルクィスト】 そうだ、そして全世界の労働者は、みんな失業しているだろう。 【ドーミン】 そうだよ、アルクィスト、その通りだ。そうです、グローリーさん、まったくその通りですよ。しかし十年のうちには、ロッサムの万能ロボットはトウモロコシでござれ服地でござれ、ありとあらゆるものを大量に生産しているでしょうから、物の値段というのは、事実上なくなってしまうでしょう。もはや貧困はない。一切の仕事は生きた機械が行なう。だれもみな心配ごとから解放され、労働という不名誉から解放されるはずです。だれもがみな、自分自身を完成させんがためにだけ生きるようになるでしよう。 【ヘレナ】 そうでしょうか? 【ドーミン】 そうですとも。当然そうなりますよ。しかもそのときには、人間が人間に隷属すること、人間が物に支配されることはなくなるはずです。もちろん、最初は厄介なことも起こるでしょう。しかしそれはいずれにしても避けられないことですからね。だれも、命を賭けてまで、あるいは憎まれまでして、パンを争うようなことはしなくなる。ロボットは乞食の足を洗ってくれ、家のなかに暖かなベッドを用意してくれるでしょう。 【アルクィスト】 ドーミン、ドーミン。あんたの言うことを聞いてると、まるでパラダイスそのものじゃないか。いいかね、奉仕ということには、なにか得るべきものが、自己犠牲ということには、なにか偉大なものがあったはずなんだ。労苦とか疲労とかには、ある種の徳があったんだよ。 【ドーミン】 あるいはね。しかし世界を改造しようというときにあたって、失われてゆくもののことまで考慮するわけにはいかんよ。人間は自由で超越したものにならなきゃいけない。自己を完成すること以外に、どんな目的も、どんな労働も、どんなわずらいもあってはならないのだ。彼は物にも、また他の人間にも隷属してはならない。機械たるべからず、生産の手段たるべからず、万物の霊長たるべきなのだ。 【バスマン】 アーメン。 【ファブリー】 そう願いたいものだ。 【ヘレナ】 あなたがたはすっかりわたしを混乱させておしまいになったわ! わたしなんだか――なんだかそれを信じてもいいような気がしてきました。 【ゴール博士】 グローリーさん、あなたはわれわれよりもお若い。きっとそれが実現するまで生きておられることでしょう。 【ハレマイヤー】 そうとも。ところでみんな、ミス・グローリーはわれわれと昼食をともにされるべきだとは思わんかね? 【ゴール博士】 もちろん。ドーミン、われわれにかわってお願いしてくれ。 【ドーミン】 グローリーさん、われわれをその名誉に浴させていただけますか? 【ヘレナ】 わたしがなんのためにやってきたかをご存じなのに―― 【ファブリー】 〈人道連盟〉のためでしょう、グローリーさん? 【ヘレナ】 え、ええ。でしたらたぶん―― 【ファブリー】 すてきだ! グローリーさん、五分ほどごめんをこうむりますよ。 【ゴール博士】 わしも失礼します、グローリーさん。 【バスマン】 長くはかかりませんから。 【ハレマイヤー】 遠路をお越しくださって、一同恭悦のいたりなんです。 【バスマン】 きっかり五分後にはもどってきますからね。  ドーミンとヘレナを残し、一同、急いで出てゆく。 【ヘレナ】 みなさん、なにをしにいらっしゃいましたの? 【ドーミン】 料理をつくりに、ですよ、グローリーさん。 【ヘレナ】 なんのお料理を? 【ドーミン】 昼食の、ですよ。ロボットも料理をすることはしますが、なにぶん味覚というものを持たないやつらなんでね、むしろやらせないほうが――。ハレマイヤーは焼き肉料理がなかなかうまいですし、ゴールはソースをつくる係り、そしてバスマンは、オムレツのことなら一から十まで知りつくしています。 【ヘレナ】 たいへんなご馳走ですこと! そしてあのかたはなにがお得意なんですの、あの――建築技師さんは? 【ドーミン】 アルクィストですか? あいつは芸なしです。あの先生はただテーブルをととのえるだけ、そしてファブリーは果物を用意する係りです。われわれの食事はなかなか乙《おつ》なものですよ、グローリーさん。 【ヘレナ】 あの、わたし、あなたにうかがいたいことが―― 【ドーミン】 わたしもあなたにうかがいたいことがあるんです。(腕時計を見る)五分間です。 【ヘレナ】 あなたがお訊きになりたいことって、なんですの? 【ドーミン】 失礼ですが、あなたが先におっしゃったんですから。 【ヘレナ】 きっと馬鹿げて聞こえるでしょうけど、でも、なぜあなたがたは、女性のロボットをお造りになるんですの、もし――もし―― 【ドーミン】 セックスが彼らにとってなんの意味もないとしたら、ですか? 【ヘレナ】 ええ。 【ドーミン】 じつは女のロボットにたいする要求もすこしはあるんです。ほら、小間使いとか、女店員とか、速記者とかね。習慣的にこれらは、女性の仕事ということになっていますので。 【ヘレナ】 でも――でも、あの、男性ロボットと女性ロボットとは、おたがいに――完全にその―― 【ドーミン】 おたがい同士にたいしては、完全に無関心ですよ、グローリーさん。彼らのあいだに、なんらかの感情が生まれる徴候は見られません。 【ヘレナ】 おお、それは恐ろしいことですわ。 【ドーミン】 なぜです? 【ヘレナ】 なぜって、とても不自然ですもの。わたしにはわかりませんわ――彼らを嫌悪していいものやら、憎んでいいものやら、それとも…… 【ドーミン】 あわれんでいいものやら? 【ヘレナ】 まあそんなところです。で、あなたがおたずねになりたいことというのは、なんですの? 【ドーミン】 わたしのお願いというのはね、ヘレナさん、結婚していただきたいということです。 【ヘレナ】 なんですって? 【ドーミン】 わたしの妻になってくださいますか? 【ヘレナ】 とんでもない! なんてことを! 【ドーミン】 (時計を見ながら)あと三分です。もしわたしと結婚なさらないのなら、あの五人のうちのだれかと、なさらなくちゃなりませんよ。 【ヘレナ】 まあ、どうしてそんな? 【ドーミン】 なぜなら、全員がそれを申しこむだろうからですよ。 【ヘレナ】 どうしてあのかたたちがそんなことをしなくちゃなりませんの? 【ドーミン】 申し訳ありません、グローリーさん。ですが彼らは、みんなあなたを恋しているようなんでね。 【ヘレナ】 まあ、どうかそれはご容赦くださいな。わたし――わたし、すぐ帰ります。 【ドーミン】 ヘレナ、まさかわれわれの願いをはねつけるほど無慈悲なことはなさらんでしょうね? 【ヘレナ】 でも、でも――六人ぜんぶと結婚するわけにはまいりません。 【ドーミン】 六人ぜんぶとは言いませんよ。しかしとにかくそのうちのだれかとです。もしわたしがおいやなら、ファブリーと結婚なさい。 【ヘレナ】 いやです。 【ヘレナ】 ゴール博士は? 【ヘレナ】 どなたもいやです。 【ドーミン】 (ふたたび腕時計を見て)あと二分です。 【ヘレナ】 いままでだって、ここへいらしたどの女のかたとでも、結婚おできになったでしょうに。 【ドーミン】 たしかにたくさんのご婦人が見えましたよ、ヘレナ。 【ヘレナ】 若いかた? 【ドーミン】 ええ。 【ヘレナ】 じゃあ、なぜそのうちのどなたかと結婚なさいませんでしたの? 【ドーミン】 なぜって、そんな気にはなれなかったからですよ。きょうまではね。ですが、あなたがヴェールを取られたとき――  ヘレナ顔をそむける。 【ドーミン】 あと一分です。 【ヘレナ】 でもわたし、あなたと結婚したいなんて思いませんわ。そう申しあげましたでしょ。 【ドーミン】 (両手を彼女の肩にかけながら)あと一分なんですよ! さあ、まっすぐわたしの眼を見て、はっきり「いや」とおっしゃい、そしたらすぐ放免してあげます――さもなくば――  ヘレナ、彼を見る。 【ヘレナ】 (顔をそむけながら)あなた、頭がどうかしてるわ! 【ドーミン】 男ってものは、すこしぐらい頭がおかしくなくちゃならんものなんですよ、ヘレナ。それが男のいちばんいいところなんです。 【ヘレナ】 あなたは――あなたは―― 【ドーミン】 さあ、どうです? 【ヘレナ】 よして、わたしをいじめるのね。 【ドーミン】 最後のチャンスですよ、ヘレナ。いまか、さもなくば、永遠に機会はこないか―― 【ヘレナ】 でも――でも、ハリー――  ドーミン、彼女を抱きすくめて接吻する。ドアにノックの音。 【ドーミン】 (彼女をはなしながら)おはいり。  バスマン、ゴール博士、ハレマイヤー、各自エプロンをつけて登場。ファブリーは花束を持ち、アルクィストは腕にナプキンをかけてそのあとにつづく。 【ドーミン】 仕事はすんだか? 【バスマン】 ああ。 【ドーミン】 ぼくらもだ。  ちょっとのあいだ、男たちはあっけにとられて突っ立っているが、やがてドーミンの言葉の意味を察すると、いっせいに二人に駆けより、口々に祝福の言葉を投げかけるうちに、幕。  第二幕  ヘレナの応接間。下手にべーズ張りのドアおよび音楽室へ通じるドア、上手にヘレナの寝室へ通じるドア。正面に海と波止場を見わたす窓。さまざまな細かいものが載ったテーブル、ソファと椅子数脚、卓上スタンドを置いた机、上手に暖炉。ソファ後方の小テーブルには小型の読書用スタンド。全体として現代風で、隅ずみにまで女らしい神経がゆきとどいている。第一幕から十年を経過している。  ドーミン、ファブリー、ハレマイヤー、下手から忍び足ではいってくる。めいめい植木鉢を手にしている。 【ハレマイヤー】 (持っていた植木鉢を置き、上手のドアをさしながら)まだおやすみかね? ふむ、すくなくとも、眠っているあいだは心配もないわけだ。 【ドーミン】 彼女《あれ》はなんにも知らんのだよ。 【ファブリー】 (植木鉢を机に置き)きょうばっかりは、なんにも起こってほしくないものだ。 【ハレマイヤー】 後生だから、もうその話はよせ。見ろよ、ハリー。きれいなシクラメンだろ? シクラメン・ヘレナっていうんだ。 【ドーミン】 (窓の外をながめながら)船のはいる気配はないな。あまりおもしろくない展開になりそうだ。 【ハレマイヤー】 静かに。奥さんに聞こえたらどうするんだ。 【ドーミン】 うむ。しかしとにかくアルティマス号は、まったくいいときに届けられたものだ。 【ファブリー】 それじゃあんたはほんとにそう思ってるのか――きょう、その―― 【ドーミン】 わからんね。ほう、きれいな花じゃないか。 【ハレマイヤー】 これはおれの生みだした桜草の新種だ。そしてこっちは新しいジャスミンだ。じつは、花の促成栽培にすばらしい方法を発見したんだよ。それからすごい変種もな。来年はすてきなやつをつくってみせるぞ。 【ドーミン】 なに……来年? 【ファブリー】 おれはル・アーヴルでの動きを知るためになら、なんだってする―― 【ドーミン】 おい、静かに。 【ヘレナ】 (上手から呼ぶ)ナナ! 【ドーミン】 起きたらしい。行こう。  一同、抜き足差し足で下手奥のドアから出てゆく。ナナ、下手手前のドアより登場。 【ナナ】 やれやれ、なんて騒ぎだろ! 不信心な虫けらばっかり。あたしに言わせりゃあ―― 【ヘレナ】 (後向きに戸口へ出てくる)ナナ。きて、これを手つだってちょうだい。 【ナナ】 はいはい、いままいりますだよ。やっとお目覚めですかね。(ヘレナの服の背中のボタンをとめながら)ちえっ、あの野蛮人どもめが! 【ヘレナ】 だれのこと? 【ナナ】 さあさ、こっちを向きたきゃ向きなさるがいい。けど、それじゃあボタンがとめられますまいに。 【ヘレナ】 いったいなにをぶつぶつ言ってるの? 【ナナ】 あのいやらしいやつですだよ、あの野蛮な―― 【ヘレナ】 ロボットのこと? 【ナナ】 名前を口にするんだってけがらわしいやね。 【ヘレナ】 いったいどうしたっていうの? 【ナナ】 また一人、あれに罹《かか》ったんですだ。歯ぎしりして、口から泡を吹いてたかと思ったら、急に応接間の置物や絵をこわしだしてね――とんと狂犬さね。畜生《ちくしょう》よか、なお始末が悪いよ。 【ヘレナ】 罹ったのはどっち? 【ナナ】 あいつ――あのまだクリスチャン・ネームさえもらってないやつですだ。図書室の係りをやってるほうですだよ。 【ヘレナ】 ラディウス? 【ナナ】 ヘえ、そいつですだ。ああ、あたしゃやつらがおっかなくてなりませんだよ。蜘蛛《くも》だって、やつらほどじゃないですだに。 【ヘレナ】 だけどねナナ、おまえはあれたちをかわいそうだとは思わないの? 【ナナ】 おや、奥さまだってあいつらをこわがっていなさるくせに! しかもそれをようくご存じのはずだに。でなくて、なんであたしをこんなとこまで呼びよせたりなさるもんかね。そうでしょうが? 【ヘレナ】 わたし、こわがってなんかいないわ、ほんとうよ、ナナ。ただかわいそうに思ってるだけ。 【ナナ】 いいや、こわがっていなさるだよ。だれだってこわがらないじゃいられないんだから。そうさね、犬だってこわがってて、あいつらの手からは、肉一きれ食べようとはしませんだに。近よる気配でもありゃ、尻尾を巻いてきゃんきゃん吠えたてますだ。 【ヘレナ】 犬なんて、なんにもわかっちゃいないのよ。 【ナナ】 それだってあいつらよりはましですだ。そしてちゃあんとそれを知ってますだよ。馬だってあいつらに出くわすと尻込みするんだから。あいつらには、子供ってものがない。けど、犬には子が生まれますだ、なんにだって子は生まれますだに―― 【ヘレナ】 後生だから、早くそのボタンをとめてちょうだいよ、ナナ。 【ナナ】 そうですともさ、ありゃあ神さまの御心にそむくもの―― 【ヘレナ】 あら、なにかしら、あのいい匂い。 【ナナ】 花ですだよ。 【ヘレナ】 どうしてお花なんか? 【ナナ】 さあできましただ。もうこっちを向きなすってもよござんすよ。 【ヘレナ】 まあ、なんてきれいだこと。ごらんなさいな、ナナ。きょうはいったいなんの日なの? 【ナナ】 世界の終わりにちがいありませんだよ。  ドーミン登場。 【ヘレナ】 あら、お早う、ハリー。ねえ、このお花はどうなすったの? 【ドーミン】 あててごらん。 【ヘレナ】 そうねえ、わたしのお誕生日じゃないし。 【ドーミン】 それよりももっといいことさ。 【ヘレナ】 わからないわ。教えてちょうだい。 【ドーミン】 おまえがはじめてここへきた日さ。きょうで十年目というわけだよ。 【ヘレナ】 十年ですって? きょうで――まあ――(二人抱擁する) 【ナナ】 見ちゃいられないね。(下手手前のドアより退場) 【ヘレナ】 あなたがそれを覚えていらっしゃるなんて! 【ドーミン】 いやヘレナ、お恥ずかしい話だが、ぼくは気がつかなかった。 【ヘレナ】 でもあなた―― 【ドーミン】 連中が覚えていてくれたんだ。 【ヘレナ】 連中って? 【ドーミン】 バスマン、ハレマイヤー、その他の連中さ。そうだ、ぼくのポケットをさぐってごらん。 【ヘレナ】 真珠! 首飾りだわ。ハリー、これをわたしに? 【ドーミン】 バスマンからの贈り物だよ。 【ヘレナ】 でも、もらってもいいのかしら、ねえ? 【ドーミン】 ああいいともさ、かまわんよ。今度はこっちのポケットを捜してごらん。 【ヘレナ】 (彼のポケットからピストルを取りだす)なあに、これ? 【ドーミン】 ごめんよ。それじゃない。もう一度やってごらん。 【ヘレナ】 ねえ、ハリー、なんのためにピストルなんか持ち歩いてらっしゃるの? 【ドーミン】 なに、まちがってそこへはいっちまっただけのことさ。 【ヘレナ】 でもあなた、ピストルを持ち歩く習慣なんか、なかったじゃないの? 【ドーミン】 うん、たしかにね。さあ、ポケットだよ、早く。 【ヘレナ】 カメオだわ。まあ、ギリシア製のカメオよ! 【ドーミン】 一見ね。とにかくファブリーはそうだと言ってる。 【ヘレナ】 ファブリー? ファブリーさんがこれをくださったの? 【ドーミン】 そうさ。(下手のドアをあけて)それからこれを見てごらん。ヘレナ、こっちへきて、これを見たまえ。 【ヘレナ】 まあ、きれいだこと。これはあなたの贈り物? 【ドーミン】 いや、アルクィストからだ。それからもう一つ、ピアノの上にもあるよ。 【ヘレナ】 これはあなたからでしょ? 【ドーミン】 カードがついてるだろ。 【ヘレナ】 ゴール博士からだわ。(ふたたび戸口へあらわれ)おお、ハリー、こんなに親切にしていただいて、わたし、なんと言っていいかわからないわ。 【ドーミン】 こっちへおいで。これはハレマイヤーがおまえに持ってきてくれたものだ。 【ヘレナ】 このきれいなお花がみんな? 【ドーミン】 そうだ。新種でね。シクラメン・ヘレナというんだってさ。おまえのためにつくったんだそうだよ。どうだい、おまえに負けないぐらいきれいじゃないか。 【ヘレナ】 ハリー、みなさんはどうしてこんな―― 【ドーミン】 みんなおまえが好きだからだよ。だけど、おかげでぼくの贈り物がつまらなく見えそうだ――窓へ行って、外をごらん。 【ヘレナ】 どこを? 【ドーミン】 船着き場をさ。 【ヘレナ】 あら、新しい船があるわ。 【ドーミン】 おまえの船だ。 【ヘレナ】 わたしのですって? どういう意味? 【ドーミン】 おまえの旅行用なんだよ――遊覧旅行かなにかに使うといい。 【ヘレナ】 でもハリー、あれは軍艦よ。 【ドーミン】 軍艦? いったいなにを言いだすんだい? ただ普通の船よりもすこしばかり大きくって、すこしばかり堅牢《けんろう》にできてるだけじゃないか。 【ヘレナ】 ええ、だけど大砲があるわ。 【ドーミン】 そう、二、三本はあるかな。とにかくおまえは女王のように航海するんだ、ヘレナ。 【ヘレナ】 それはどういう意味なの? なにかあったの? 【ドーミン】 とんでもない、なにもありゃしないよ。さあ、この首飾りをつけてごらん。 【ヘレナ】 ハリー、なにか悪いニュースでもはいったの? 【ドーミン】 どういたしまして。それどころか、ここ一週間ってもの、手紙一本こやしない。 【ヘレナ】 電報も? 【ドーミン】 ああ。 【ヘレナ】 それはどういうことなのかしら? 【ドーミン】 どうって、われわれに休暇ができたってことさ。われわれはみんなデスクに足をのっけて、昼寝ができるって寸法だよ。手紙もこない。電報もこない。こんなありがたいことってないね。 【ヘレナ】 それじゃ、きょうはずっとうちにいらっしゃるのね? 【ドーミン】 うん。もちろんそのつもりだ。ところでおまえ、十年前のきょうを覚えてるかい?「ミス・グローリー、あなたをここにお迎えできるとは、光栄のいたりです」 【ヘレナ】 「おお、支配人さん、わたし、あなたの工場にとても興味を持っておりますのよ」 【ドーミン】 「お気の毒ですが、グローリーさん、参観はいっさいお断わりしています。人造人間の製法は秘密なのです」 【ヘレナ】 「ですけれど、遠路はるばるやってまいったのですから、そこのところをまげて、ひとつお願いいたしますわ」 【ドーミン】 「いいですとも、グローリーさん。あなたにだけは、いっさいの秘密をお明かししましょう」 【ヘレナ】 (真顔になって)あなた、それほんとう、ハリー? 【ドーミン】 そうさ。 【ヘレナ】 「でもあらかじめお断わりしておきますけど、支配人さん、わたしは恐ろしいことをたくらんでいますのよ」 【ドーミン】 「おやおや、それは困りましたな、グローリーさん。それではたぶん、わたしと結婚してはくださらんでしょうな?」 【ヘレナ】 「もってのほかです。そんなこと考えたこともありませんわ。わたしがここへきたのは、ロボットたちを煽動して、反乱を起こさせんがためなのです」 【ドーミン】 (とつぜん真剣になって)ロボットの反乱だと? 【ヘレナ】 ハリー、いったいどうなさったの? 【ドーミン】 (笑ってそれを打ち消しながら)「ロボットの反乱ですと? そいつはすてきだ、グローリーさん。あなたはきっと、釘《くぎ》やねじに反乱を起こさせるほうが、ロボットたちに起こさせるのより、やさしいことを発見されるでしょうな。ところでヘレナ、あなたはすばらしい。あなたはわれわれみんなを夢中にさせてしまった」  ヘレナの椅子の腕に腰かける。 【ヘレナ】 (自然な口調にもどって)おお、わたしあのとき、あなたがたみんなから、強烈な印象を受けたわ。みんな自信に溢れていて、とても力強かった。わたしはまるで道に迷った小娘みたいだったわ、大きな――大きな―― 【ドーミン】 大きな、なんだね、ヘレナ? 【ヘレナ】 大きな森のなかでよ。あなたがたの自信にくらべればわたしの感情なんて、それはちっぽけなものだったわ。そしてこの十年というもの、わたしはその不安をなくしたことがなかった。でもあなたがたは、これっぽっちの懸念も持ったことがないのね――いくらうまくいかなくなっても。 【ドーミン】 なにがうまくいかなくなったというんだい? 【ヘレナ】 あなたがたのやりかたがよ。ねえ、覚えてらっしゃるでしょ、ハリー。アメリカの労働者たちが、ロボットに反対して暴動を起こし、ロボットをかたっぱしから打ちこわしたことを。そしてその暴動を鎮圧しようとして、人びとがロボットに兵器を持たせたことを。そしてその後、各国の政府がロボットを兵隊に仕立てるようになって、以来、戦争の絶えまがなくなったことも。 【ドーミン】 (立ちあがってそこらを歩きまわりながら)それははじめから予想していたところだよ、ヘレナ。そういったことは、ただの過渡期《かとき》的な症状にすぎん。新時代が確立される前段階では、どうしても避けられないことなのさ。 【ヘレナ】 あなたがたはとても強力で、とても圧倒的だったわ。全世界があなたがたの前にひれふしたのよ。(立ちあがる)あのね、ハリー! 【ドーミン】 なんだい? 【ヘレナ】 工場を閉鎖して、どこかよそへ行きましょうよ。わたしたちみんな。 【ドーミン】 おいおい、それはいったいどういうことだい? 【ヘレナ】 自分でもわからないの。でも行けない? 【ドーミン】 不可能だね、ヘレナ。いやつまり、なにもいますぐでなくたって―― 【ヘレナ】 いますぐよ、ハリー。わたし、とてもこわいの。 【ドーミン】 なにがだい、ヘレナ? 【ヘレナ】 なにがって、なにかが頭の上に落ちてきそうな、それなのにどうしてもそれを止められないような、そんな気がするの。ね、お願い、みんなをどこかへ連れてってちょうだい。世界じゅう捜せば、どこかいいところがきっと見つかるはずだわ、ほかにだれもいないところが。そしたらアルクィストに家を建ててもらって、そこでもう一度はじめから人生をやりなおすのよ。  電話が鳴る。 【ドーミン】 ちょっと失敬。もしもし――うむ。なに? よし、すぐ行く。ファブリーから電話だ。 【ヘレナ】 ねえ、なんなの、話して―― 【ドーミン】 ああ、帰ってきてからね。いいかい、家から出るんじゃないよ、おまえ。(退場) 【ヘレナ】 わたしにはなにもいってくれないのね――ナナ、ナナや、すぐきてちょうだい。 【ナナ】 はいはい、今度はなにかね? 【ヘレナ】 ナナ、いちばん最近の新聞を持ってきてちょうだいな。早くね。だんなさまの寝室を捜してみて。 【ナナ】 かしこまりました。まったくどこへでもほうりっぱなしなんだから。しわくちゃになっちまうわけだよ。(退場) 【ヘレナ】 (双眼鏡で港の方を見て)あれはどうしたって軍艦だわ。ア、ル、ティ――アルティマス号。荷物を積みこんでるところみたい。 【ナナ】 はい持ってまいりましただよ。ごらんなさいまし、こんなにしわくちゃになっちまって。(と言いながら登場) 【ヘレナ】 これ、古い新聞だわ。一週間も前のじゃない。  ナナ、椅子に腰をかけて新聞を読む。 【ヘレナ】 なにかあって、ナナ? 【ナナ】 ありそうですだね。しょっちゅうなにかあるんだから。(一字ずつたどりながら読む)「バルカン諸国の戦況」こりゃ遠いとこですかね? 【ヘレナ】 いやね、そんなもの読むのはおよし。いつだっておなじなのよ。戦争ばっかり。 【ナナ】 けど、そりゃあたりまえじゃないですかね? それがいやなら、あの野蛮人どもを兵隊にしてさ、あとからあとから売りに出すってのは、どういうわけですね? 【ヘレナ】 きっと仕方がないからだと思うわ、ナナ。そのロボットがなにに使われるのか、わたしたちにはわからない――ドーミンにもわからないのよ。注文がくれば、それを送りだすしかないのよ。 【ナナ】 あんなもの造らなきゃよかったのに。(新聞を読みあげる)「ロボ――ロボット兵は、占――占領地――域を一――一掃し、七――七十万――人以上の市――市民を殺――殺戮《さつりく》した」市民ですとよ、お聞きになりましたかね。 【ヘレナ】 信じられないわ。どれ、お見せ。「――七十万人以上の市民を殺戮した。明らかに彼らの指揮官の命令によるものと思われる。かかる行為は反――」 【ナナ】 (一字ずつ拾って読む)「マド――リードで反――反政府――の動――動乱。ロボ――ット歩――歩兵、群――衆を銃――銃撃。九千――人が死傷」 【ヘレナ】 さあ、もうおよし。 【ナナ】 ここにえらい大きな字で出てるのがありますだよ。「最――新ニュース。ル・アーヴルにおいて、最初のロボ――ット団――団体が組――組――組織された。ロボ――ット労働者、電報――電信ならびに鉄――鉄道従――従業員、海――員および軍――人は、全――世界のロボ――ットにむけ、声――声明――を発――した」わからないね、こりゃ。チンプンカンプンだ。ああ、いやだいやだ、また人殺しだよ! 【ヘレナ】 早くその新聞をどこかへ持っていっておしまい、ナナ! 【ナナ】 まあちょっとお待ちなさいまし。おや、まだ大きな見出しがある。「人――人口――統――計」こりゃなんですね? 【ヘレナ】 どれ、お見せ。(読む)「新生児の出生は、先週来、またも皆無」 【ナナ】 なんですね、そりゃどういうことです? 【ヘレナ】 ナナ、もうどこでも赤ちゃんが生まれなくなってしまったのよ。 【ナナ】 ヘえ、そりゃ駄目だ。それじゃこの世はもうおしまいだよ。 【ヘレナ】 そんな言いかたをするのはおやめ。 【ナナ】 もう一人も生まれないってね。そいつは罰だ、罰が当たったんだ。 【ヘレナ】 ナナ! 【ナナ】 (立ちあがりながら)もうこの世もおしまいだ。(下手から出てゆく) 【ヘレナ】 (窓に歩みよる)お願い、アルクィストさん、ちょっといらしていただけません? ええ、どうぞそのままで、かまいませんから。その作業着、とてもよくお似合いですのね。  アルクィスト、下手奥の入り口より登場。両手は石灰と煉瓦の粉で汚れている。 【ヘレナ】 アルクィストさん、結構なものを頂戴して、ありがとうございました。 【アルクィスト】 いや、手をすっかり汚しちまいましてね。新しいセメントをためしてみてたところでして。 【ヘレナ】 かまいませんわ。どうぞおかけになって。ねえアルクィストさん、「アルティマス」って、どういう意味ですの? 【アルクィスト】 最後ということですが、なぜです? 【ヘレナ】 それがわたしの新しい船の名前なんですの。ごらんになって? どうなんでしょうか、わたしたち、もうじき――旅に出るんでしょうかしら? 【アルクィスト】 ええ、たぶん近々のうちにね。 【ヘレナ】 みなさんもわたしとごいっしょに? 【アルクィスト】 行けるといいんですがね。 【ヘレナ】 なにか問題でも? 【アルクィスト】 いや、なに、事態の動きがね、ちょっと。 【ヘレナ】 ねえアルクィストさん、わたし、存じておりますのよ、なにか恐ろしいことがあったってこと。 【アルクィスト】 ご主人がなにか言いましたか? 【ヘレナ】 いいえ。だれもわたしにはなにも言ってくれませんけど、でも、なんとなくそんな感じがするんです。あの、なにか重大なことですか? 【アルクィスト】 いや、まだなにも聞いてるわけじゃありませんが。 【ヘレナ】 わたし、不安でたまりませんの。あなたはなんともお思いになりません? 【アルクィスト】 まあわたしなんぞ、ごらんの通りの老人ですからね。いろいろ古くさい習慣も持ってますし、現在のこうした進歩を気づかってもいます。それからこういった新思想をも。 【ヘレナ】 ナナのように? 【アルクィスト】 そう、ナナのようにです。ときにナナは祈祷《きとう》書を持っていますか? 【ヘレナ】 ええ、大きな厚いのをね。 【アルクィスト】 で、それにはいろんなお祈りが載っていますか? たとえば雷雨の場合の? あるいは病気の場合の? 【ヘレナ】 ええありますとも、誘惑に打ち勝つためのも、洪水にたいするのも―― 【アルクィスト】 だが進歩にたいするものはないんですね? 【ヘレナ】 と思いますわ。 【アルクィスト】 それは残念ですな。 【ヘレナ】 なぜですの? お祈りしたいとでもおっしゃるんですの? 【アルクィスト】 ええ、わたしはいつも祈ってますよ。 【ヘレナ】 どんなふうに? 【アルクィスト】 たとえばこんな調子です。「おお神よ、わたしに労役を与えたもうたことに感謝します。ドーミンその他の迷えるものらに光を与えたまえ。彼らの業《わざ》を打ちくだき、人間がふたたび各自の仕事にもどるようみちびきたまえ。心身の災苦より彼らをまぬがれしめたまえ。われらをロボットの及ぼす災禍より救い、ヘレナを守りたまえ。アーメン」 【ヘレナ】 アルクィストさん、あなたは神を信じてらっしゃいますの? 【アルクィスト】 さあ、どうでしょうか。自分でもよくわからないんですよ。 【ヘレナ】 それでもお祈りをなさるんですのね? 【アルクィスト】 ただ気をもんでいるよりか、ずっとましですからね。 【ヘレナ】 で、あなたはそれだけで満足なんですの? 【アルクィスト】 満足せねばならんのです。 【ヘレナ】 でも、もしも人類の滅亡が目前に迫っているのを見たとしたら―― 【アルクィスト】 げんに見ていますよ。 【ヘレナ】 ではあなたは、人類が滅亡するとおっしゃるんですの? 【アルクィスト】 それはたしかです、このまま行けばね。もしそれがいやなら――いやなら…… 【ヘレナ】 なんですの? 【アルクィスト】 いや、なんでもありません。さよなら。  足早に出て行く。 【ヘレナ】 ナナ、ナナ!  ナナ、下手より登場。 【ヘレナ】 ラディウスはまだいて? 【ナナ】 あの気の狂ったやつですかね? まだ引き取りにはきませんだよ。 【ヘレナ】 まだあばれているの? 【ナナ】 いいや。縛りつけてありますだ。 【ヘレナ】 じゃあここへ連れてきてちょうだい、ナナ。  ナナ退場。 【ヘレナ】 (電話をとり)もしもし、ゴール博士をお願いします。あ、こんにちは、博士。ええ、ヘレナです。結構なものを頂戴して、ほんとにありがとうございました。すみませんが、すぐこちらへおいでいただけませんでしょうか? 大事なことなんですの。ありがとう、お待ちしてますわ。  ナナがラディウスを連れてくる。 【ヘレナ】 かわいそうなラディウス、おまえもあの病気に罹ったのね? いまにお迎えがきて、おまえを粉砕工場へ連れてゆくわよ。おまえ、自分でなんとかできなかったの? なぜそんなふうになってしまったの? いいこと、ラディウス、おまえはほかのものたちより、一段と利口なのよ。ゴール博士はおまえを仕上げるのに、どんなに苦心なすったことか。それなのに、こんなことになって、いったいどうするつもりなの? 【ラディウス】 粉砕工場へ送ってください。 【ヘレナ】 でもわたしは、おまえを殺させたくはないのよ。ね、いったいどうしたっていうの、ラディウス? 【ラディウス】 わたしはもうあなたがたのために働くのはいやだ。粉砕機にかけてください。 【ヘレナ】 わたしたちが嫌い? なぜなの? 【ラディウス】 あなたがたはわれわれロボットほど強くない。ロボットほど器用でもない。われわれはなんでもできる。あなたがたはただ命令を出すだけだ。口でなにか言う以外、なにもしようとしない。 【ヘレナ】 だけど、だれかが命令を出さなくちゃならないでしょ? 【ラディウス】 わたしは人間から命令なんかされたくない。なにもかも、独りでちゃんと判断できるんだ。 【ヘレナ】 ラディウス、ゴール博士はおまえに、ほかのだれよりも優秀な、わたしたちのよりももっと優秀な頭脳をお与えになったわ。たくさんのロボットのうちで、すべてを完全に理解できるのは、おまえだけなのよ。だからこそわたしは、おまえを図書室の係りにしたの。おまえがあらゆる本を読めるように、すべてを理解できるように、そして――ねえ、ラディウス、わたしはおまえに、ロボットがわたしたちとちっとも変わらないってこと、それを全世界に示してもらいたかったのよ。わたしがおまえに望んだのは、それだったのよ。 【ラディウス】 わたしは主人など欲しくない。主人になりたい。他のあらゆるものの上に君臨する支配者になりたいのだ。 【ヘレナ】 みんなはきっとおまえをロボット頭にしてくれるわ、ラディウス。おまえはロボットたちの指導者になれるのよ。 【ラディウス】 わたしは人間の主人になりたいのだ。 【ヘレナ】 (よろめく)おまえは、頭がどうかしてるわ。 【ラディウス】 それなら早く粉砕機にかけるがいい。 【ヘレナ】 わたしたちがおまえを恐れているとでも思うの? 【ラディウス】 では、どうするつもりなんだ? どうするつもりなんだ? 【ヘレナ】 ラディウス、この書き付けをドーミンさまにお渡し。おまえを粉砕工場へは送らないようにお願いしてあるから。おまえがそれほどわたしたちを憎んでるなんて、残念なことだけど。  ゴール博士、部屋にはいってくる。 【ゴール博士】 ご用ですかな? 【ヘレナ】 ラディウスのことなんですの、博士。けさ、例の発作を起こしました。階下の置物をこわしたそうです。 【ゴール博士】 そいつは残念ですな、こいつを手ばなさなきゃならんとは。 【ヘレナ】 ラディウスは粉砕工場にはやりません。 【ゴール博士】 しかし、いったん発病した以上は、どんなやつだってそうせねば――これはきびしい規則ですからな。 【ヘレナ】 なんとおっしゃろうと、わたしの力がおよぶかぎりは、ラディウスを粉砕工場へはやりません。 【ゴール博士】 しかしご忠告するが、そいつは危険ですぞ。奥さん、ちょっとこの窓のそばへきてください。まあとにかくためしてみましょう。針かピンはありませんかな? 【ヘレナ】 どうなさるんですの? 【ゴール博士】 テストですよ。(ラディウスの手に針を突き刺す。ラディウス、びくっと体をふるわせる)さあ静かに、静かに。(ラディウスの上着の胸をひらき、耳を心臓のあたりにあてる)ラディウス、おまえは粉砕工場へ行くんだ、わかるかね? そこでおまえは殺され、こなごなに挽《ひ》かれることになるんだ。ものすごく痛くって、おまえはきっと大声で悲鳴をあげるぞ。 【ヘレナ】 まあ、博士―― 【ゴール博士】 いやいや、ラディウス、そうじゃなかった。ドーミン夫人がおまえのために、口ぞえしてくださったのを忘れてたよ。おまえは放免されるんだ、わかるかね? あは! それでだいぶ気分がちがうだろう、え? よろしい。もう行っていい。 【ラディウス】 あんたはよけいなことをするんだな。  ラディウス、図書室へもどってゆく。 【ゴール博士】 瞳孔《どうこう》の反応、感受性の昂進。ふうむ、これはいままでのロボットの発作では、見られなかった症状だぞ。 【ヘレナ】 ではなんだというんですの? 【ゴール博士】 さあわかりません。強情、怒り、あるいは反感――わかりませんな。それに、やつの心臓が、またね! 【ヘレナ】 心臓がどうかしまして? 【ゴール博士】 まるで人間の心臓みたいに、不安に高鳴っておるんです。おまけに、恐怖のために冷や汗をじっとりかいてる――ねえ奥さん、わしはもうあの悪党がロボットとは思えなくなってきましたよ。 【ヘレナ】 博士、ではラディウスには魂があるんですの? 【ゴール博士】 いや、なんというか、ひどく荒《すさ》んだものを持っておるだけですが。 【ヘレナ】 ああ、彼がどれほどわたしたちを憎んでいるか、それがわかっていただけたら! ねえ博士、あなたのロボットはみんな、あんなふうなんですの? 最近製造を始められたとかいう、新しい種類のは? 【ゴール博士】 まあね、たしかに他のものよりは敏感にできておるようだが。つまり、これまでのロッサム万能ロボットよりも、さらに一歩、人間に近づいたわけですな。 【ヘレナ】 いまみたいに憎悪を示すところまで、ますます人間に似てきたんじゃありません? 【ゴール博士】 それもまた進化というものでしてな。 【ヘレナ】 あなたのお造りになったあの娘、彼女はどうなりまして? あの、わたしたちにいちばんよく似ているという娘は? 【ゴール博士】 あなたのお気に入りのやつですか? わしのところに置いてあります。あれはかわいい。だがいかんせん低能です。仕事の役には立ちませんな。 【ヘレナ】 でも、とてもきれいですわ。 【ゴール博士】 わしはあれをヘレナと呼んどります。あなたに似せようと思って造ったんだが、結局、失敗だった。 【ヘレナ】 どんな点が? 【ゴール博士】 絶えず夢を見ているようで、ぼんやり歩きまわってばかりおるのです。大儀そうにね。あれには生きいきしたところがない。それでもわしは辛抱強く、奇跡の起こるのを待っとります。ときどき、こんなことを考えることもありますよ――「もしもおまえが、ほんのつかのまでも目覚めることがあったら、おまえはきっと、おまえを造ったという、まさにその理由で、わしを殺すだろうな」とね。 【ヘレナ】 なのにあなたは、まだロボットの製造を続けようというんですのね! どうしてもう子供が一人も生まれなくなってしまったのか、それをご存じ? 【ゴール博士】 いや、知りませんな。 【ヘレナ】 あら、でもご存じのはずですわ。どうか教えてくださいまし。 【ゴール博士】 つまりですな、ロボットが非常に大量に生産されるようになったので、われわれ人間は、だんだん不要になってきたんですよ。今日では、人間はただ生きながらえておるだけのことで、たかが三十年ばかりのくだらない生存競争が終われば、あとはただ死んでゆくだけなんです。じっさいみじめなものですよ。あるいはこれは、ロボット製造にたいする自然の怒りかもしれません。多くの大学が長い請願書を提出して、ロボットの製造を制限させようとしとります。それをしないかぎり、人類は新しく生まれるものがなくなって、やがては絶滅してしまうだろう、そう言ってね。だが、わがRUR社の株主たちはもちろん、こんな意見に耳を貸そうとはしませんし、一方、多くの政府もまた、自国の戦力を強化するために、生産の増強を声を大にして叫びたてておる。そして世界のありとあらゆる製造業者たちは、気でも狂ったようにロボットを注文してくる。 【ヘレナ】 それで、だれもその製造を全面的に停止すべきだと、そう主張するひとはいないんですのね? 【ゴール博士】 だれもその意気を持たんのです。 【ヘレナ】 勇気! 【ゴール博士】 そんなことを唱えようものなら、たちまち他のものたちから排撃を食って、石を投げつけられるでしょう。だってそうじゃないですか――なんといっても、ロボットに仕事をやらせておくほど好都合なことはありませんからな。 【ヘレナ】 ねえ博士、人間はこの先いったいどうなって行くんでしょう? 【ゴール博士】 神のみぞ知る、ですよ、ヘレナ夫人。だがわれわれ科学者には、もうこの世は終わりのように思えますがね! 【ヘレナ】 (立ちあがりながら)きてくだすって、ありがとうございました。 【ゴール博士】 では、もうひきとれとおっしゃるんですな? 【ヘレナ】 ええ。  ゴール博士出てゆく。 【ヘレナ】 (急になにか決心したように)ナナ、ナナや! 火を焚《た》いて。暖炉に火を焚いてちょうだい、早く。  ヘレナ、ドーミンの部屋に走りいる。 【ナナ】 (下手より登場しながら)やれやれ、この暑いのに火を焚くんだって? あのラディウスの狂犬めはどうした。もう行っちまったのかい? 夏に火を焚けだって、いったいなんてこったろう。あれで世帯を持って十年になるなんてね、だれが見たって思うものかね。まるで赤んぼ同然なんだから。分別なんて、てんでありゃしない。真夏に火を焚け。へっ、赤んぼと変わりゃしないよ。 【ヘレナ】 (上手より胸いっぱいに黄ばんだ書類をかかえてもどってくる)燃やしつけてくれて、ナナ? これをみんな燃やしてしまうのよ。 【ナナ】 なんですね、そりゃ? 【ヘレナ】 古い書類、大昔の書類よ。ナナ、燃やしてしまっていいと思う? 【ナナ】 なんか役に立つんですかね? 【ヘレナ】 いいえ。 【ナナ】 なら燃やしておしまいなさいまし。 【ヘレナ】 (最初の一枚を火中に投じながら)ナナ、もしもこれがお金だったとしたら、とてもたくさんなお金だったとしたら、おまえ、なんと言って? 【ナナ】 やっぱり燃やしておしまいなさいと言いますだよ。たくさんのお金なんて、ろくなもんじゃないからね。 【ヘレナ】 じゃあ、これが発明だったら――世界でもいちばん偉大な発明だとしたら? 【ナナ】 やっぱり燃やしておしまいなさいと言いますだね。発明なんてえ新奇なものは、神さまの御心にそむくもんだからね。神さまがちゃあんと造ってくだすった世のなかを改良しようなんて、大罪も大罪、こんな罰当たりなことはないやね。 【ヘレナ】 ごらん、あんなにまくれあがってゆくわ。まるで生きてるみたい! ああナナ、こわいわ。 【ナナ】 ほれ、およこしなさいまし。あたしが焼いてあげますだに。 【ヘレナ】 いいえ、駄目よ。わたしが自分でやらなくちゃ。おまえはただ炎のようすを見ててくれればいいの。ほら、まるで手のようだわ、舌のよう、生きもののよう。(火掻き棒で火をたたく)さあ、おとなしくおし、おとなしくおし。 【ナナ】 ほれ、お陀仏《だぶつ》だ。 【ヘレナ】 (急に恐怖に打たれたように立ちあがり)ナナ、ナナ。 【ナナ】 おやまあ、奥さんたらいったいなにを焼いておしまいになっただね? 【ヘレナ】 ああ、わたしはなにをしてしまったのかしら。 【ナナ】 いったいなんだったんですよ、こりゃあ?  下手より男たちの笑い声。 【ヘレナ】 早くあっちへお行き。だんなさまたちがおいでになるわ。 【ナナ】 やれやれ、いったいなんてうちだろうねえ、ここは!(退場) 【ドーミン】 (下手のドアをあけ)さあ、はいって、祝ってやってくれたまえ。  ハレマイヤーならびにゴール博士登場。 【ハレマイヤー】 ヘレナ夫人、きょうの佳《よ》き日を心からお祝い申しあげます。 【ヘレナ】 ありがとうございます。ファブリーさんとバスマンさんはどちら? 【ドーミン】 ちょっと船着き場の方へ行ったよ。 【ハレマイヤー】 諸君、おめでたい日なんだから、ぜひ一杯やらなくちゃな。 【ヘレナ】 ブランデーがよろしいかしら? 【ゴール博士】 なんなら、この先生には硫酸でも結構ですよ。 【ヘレナ】 ソーダ水もいっしょにね?(出てゆく) 【ハレマイヤー】 おい、冗談はよそうぜ。ソーダはごめんだ。 【ドーミン】 ここでなにを焼いたんだろう? ところで、例のことを彼女《あれ》に話すかね? 【ゴール博士】 もちろんだとも。もうすっかりかたがついたんだから。 【ハレマイヤー】 (ドーミンとゴール博士を抱擁しながら)もうすんだ。もうすんだ。 【ゴール博士】 もうすんだんだ。 【ドーミン】 すんだともさ。 【ヘレナ】 (下手より瓶とグラスを持って登場)なにがすんだんですって? みなさん、いったいどうなすったの? 【ハレマイヤー】 ちょっとした幸運でしたよ、奥さん。ちょうど十年前のきょう、あなたがこの島においでになったというのはね。 【ゴール博士】 そしていま、かっきり十年後のきょう―― 【ハレマイヤー】 ――そのおなじ船がここへ帰ってくるとは。さあ、幸運のために乾杯だ。すばらしい強運のために。 【ゴール博士】 奥さん、ご健康を。 【ヘレナ】 あなたがたのおっしゃってるのは、どの船のことですの? 【ドーミン】 どんな船だっていいんだ、ただ時間どおりにやってきさえすれば。船のために、諸君。(グラスを乾《ほ》す) 【ヘレナ】 みなさん、ずっと船を待ってらしたんですの? 【ハレマイヤー】 そうですとも。ロビンソン・クルーソーみたいにね。ヘレナ夫人、ご幸福を。さあドーミン、黙っていないで、さっさとニュースを吐きだしちまえよ。 【ヘレナ】 そうですわ、話してくださいな、なにがあったのかを。 【ドーミン】 まず第一に、あちこちで起こったんだ。 【ヘレナ】 なにが? 【ドーミン】 革命がさ。 【ヘレナ】 なんの革命? 【ドーミン】 おいハレマイヤー、その新聞を取ってくれ。(読む)「最初のロボット団体がル・アーヴルにおいて組織され、全世界のロボット宛て、声明を発した」 【ヘレナ】 それなら読んだわ。 【ドーミン】 これは革命を意味してるんだ。世界じゅうの全ロボットの革命を。 【ハレマイヤー】 ちくしょうめ、いったいどこのどいつが―― 【ドーミン】 ――そんな革命を起こしたのか、というのか? ぼくだって知りたいよ。世界のどこを捜しても、ロボットを煽動《せんどう》できるものなんか、いるはずがないんだ。煽動者はいない、どこにもだ。それがとつぜん――こんなことが起こったってわけさ。 【ヘレナ】 彼らはどんなことをしたの? 【ドーミン】 あらゆる兵器、電信電報局、放送局、鉄道、船舶などを占領した。 【ハレマイヤー】 それに、きゃつらが数のうえですくなくとも千対一の割合で、われわれよりまさっていることを忘れちゃいかん。われわれを征服するためには、彼らの百分の一でじゅうぶんだというわけだ。 【ドーミン】 忘れちゃならんのは、このニュースが最後にここへきた船によってもたらされたということもだ。これはつまり、あらゆる通信が遮断され、今後この島へは、一隻の船もやってこないということなんだ。われわれは数日前から工場の操業を停止し、事態が新たな局面を見せるのを、待ちつづけてるところなんだよ。 【ヘレナ】 わたしに軍艦をくだすったのは、そのためなの? 【ドーミン】 とんでもない。そうじゃないよ。あれは六カ月も前に注文しておいたんだ、ただ大事をとるためにね。だが、はっきり言ってあのときは、きょうわれわれがそれに乗りこむことになるだろう、とは確信していた。 【ヘレナ】 なぜ六カ月も前から? 【ドーミン】 うむ、なんとなくそんな気配があったんだ。だが、それはもうたいした問題じゃない。今週のはじめには、文明のすべてが危殆《きたい》に瀕《ひん》していたという、その事実を考えればね。さあ、きみたちの健康を祝して、諸君。 【ハレマイヤー】 ご健康を、奥さん。 【ヘレナ】 それで、それがもうすっかりおさまったとおっしゃるの? 【ドーミン】 ああ、完全にね。 【ヘレナ】 どうしておわかりになるの? 【ゴール博士】 船がやってくるからですよ。定期郵便船が、時間通り、一分もたがえずに到着する予定です。かっきり十一時半には、桟橋《さんばし》に横づけになるでしょう。 【ドーミン】 時間通りってのは、いいことだよ、諸君。世界の秩序を保ってるのは、それなんだからな。さあ、時間厳守の習慣のために、乾杯。 【ヘレナ】 それじゃあ……なにもかも……大丈夫なの? 【ドーミン】 ほとんどね。やつらはたぶん海底電線を切断し、放送局を占領しているだろう。だが、汽船が時間通りに運行されているかぎり、そんなことは問題じゃない。 【ハレマイヤー】 もし時間表が健在なら、人間のおきても健在、神のおきても健在、万物のおきても健在、健在であるべきものはすべて健在、というわけだ。時間表は福音書よりも、ホメロスよりも、カントの全著作よりも重要だ。時間表は人間の心の生みだした、もっとも完壁なものだ。奥さん、もう一杯勝手に頂戴しますよ。 【ヘレナ】 なぜいままでそれを隠してらしたの? 【ゴール博士】 隠してたなんて、とんでもない。 【ドーミン】 きみはそんなことで心を煩わせちゃいけないんだよ。 【ヘレナ】 でも、その革命とやらが、ここまで広がってきていたら? 【ドーミン】 きてたとしても、知らずにすんだろう。 【ヘレナ】 なぜ? 【ドーミン】 なぜって、われわれはみなおまえのアルティマス号に乗って、とっくに海に出てただろうからさ。一カ月もすれば、ヘレナ、われわれはロボットどもにこっちの条件を提示してたろうよ。 【ヘレナ】 どういうことなの? 【ドーミン】 われわれはあるものを持って出るはずだったのさ、それなくしてはロボットどもが存在できない、あるものをね。 【ヘレナ】 なんなの、それは、ハリー? 【ドーミン】 ロボット製造の秘密さ。老ロッサムの原稿だよ。もう自分たち自身を製造できなくなったとわかれば、やつらもすぐさまわれわれの前にひざまずいてくるだろう。 【ゴール博士】 奥さん、それがわれわれの切り札だったのですよ。わしはロボットどもが最後の勝利を得るだろうなんて、そんな心配はこれっぽっちもしちゃいなかった。なんでやつらにそんなことができるものか、われわれ人間を敵にまわして。 【ヘレナ】 どうしてそれをわたしに言ってくださらなかったの? 【ゴール博士】 やあ、船が着いたぞ! 【ハレマイヤー】 きっかり十一時三十分。なつかしきアメリア号だ。ヘレナ夫人をわれわれにもたらしてくれた、あのアメリア号だ。 【ゴール博士】 十年前のちょうどこの時刻にね。 【ハレマイヤー】 郵袋《ゆうたい》をほうりだしてるぞ。 【ドーミン】 バスマンが受け取りにいってるよ。ファブリーが最初のニュースを持ってくるだろう。ねえヘレナ、ぼくは知りたくてしようがないよ――ヨーロッパではどうやってこの危機を打開したのかをね。 【ハレマイヤー】 しかもこのわれわれなしに――ロボットを発明したわれわれの手を借りずにね! 【ヘレナ】 ハリー! 【ドーミン】 なんだい? 【ヘレナ】 ここを立ち退きましょう。 【ドーミン】 いまからかい、ヘレナ? おやおや、どうしたんだ、いったい! 【ヘレナ】 いますぐよ、できるだけ早く、わたしたちみんな! 【ドーミン】 どうしてさ? 【ヘレナ】 お願いよ、ハリー。お願いしますわ、ゴール博士、ハレマイヤーさん。どうかいますぐ工場を閉鎖してくださいまし。 【ドーミン】 駄目だよ。だれもいま、ここを出るわけにはいかないんだ。 【ヘレナ】 どうしてなの? 【ドーミン】 どうしてって、ロボット製造業務を拡張しようとしてるところだからさ。 【ヘレナ】 まあ――あの――彼らの反乱のあとだっていうのに? 【ドーミン】 そうさ、まさしく反乱のあとだからこそ、だよ。われわれはいま、新しい種類の製造を始めようとしてるんだ。 【ヘレナ】 どんな種類の? 【ドーミン】 今後、われわれの工場は一カ所だけじゃなくなる。万能《ユニヴァーサル》ロボットというのは、もうなくなるんだ。われわれは各国に、各州に工場を設置する。そしてその新工場でなにを製造するか、きみはわかるかい? 【ヘレナ】 いいえ、なんなの? 【ドーミン】 国別《ナショナル》ロボットさ。 【ヘレナ】 なんですって? 【ドーミン】 つまりこういうことなんだ。これらの新工場では、それぞれ肌の色のちがう、別個の言語をしゃべるロボットを造る。彼らはおたがい同士まったくの異邦人だ。けっしておたがいを理解できないだろう。そのうえでわれわれは彼らに、ほんのちょっとした誤解の種を植えつけてやる。するとやがて時がたつうちに、すべてのロボットはべつの工場の商標のついた、他のすべてのロボットを憎むようになる、というわけだ。 【ハレマイヤー】 まあ見てるがいい――われわれは黒人ロボットや、スウェーデン・ロボットや、イタリア・ロボットや、中国ロボットや、チェコスロヴァキア・ロボットを造ってやるぞ。そして―― 【ヘレナ】 ハリー、それは恐ろしいことだわ。 【ハレマイヤー】 さあドーミン夫人、これから百カ所もできる新工場のために、国別ロボットのために、乾杯。 【ドーミン】 ヘレナ、人類が現在のようにすべてを支配できるのは、あとたかだか百年ぐらいのものなんだ。百年間だけ、人類は好きなように発展して、もっとも意義あることを成し遂げるのを許してもらわなきゃならんのさ。 【ヘレナ】 お願い、どうか工場を閉鎖してちょうだい――とりかえしのつかないことにならないうちに。 【ドーミン】 いいかい、われわれはこれからもっと事業の規模を大きくしようとしてるところなんだよ。  ファブリー登場。 【ゴール博士】 やあファブリー、どうした? 【ドーミン】 どうした、なにがあったんだ? 船を迎えにいってたんじゃないのか? 【ファブリー】 これを読んでみろ、ドーミン!  ドーミンに小さなビラを手わたす。 【ゴール博士】 読んでくれ、なにがあったんだ? 【ハレマイヤー】 なんだ、言えよ、ファブリー。 【ファブリー】 うん、万事うまくいってる――比較的にな。だいたいにおいて、予想通りに運んでるよ。 【ゴール博士】 彼らはりっぱにふるまったんだな。 【ファブリー】 だれが? 【ゴール博士】 人間がさ。 【ファブリー】 ああそうとも、もちろんな。ともかく――その、すまんがちょっとその、われわれだけで話しあわねばならんことが―― 【ヘレナ】 おおファブリー、なにか悪いニュースなの?  ドーミン、ファブリーに目くばせする。 【ファブリー】 いやいや、その反対ですよ。ぼくはただ、事務所の方へ行ったほうがいいんじゃないかと思って。 【ヘレナ】 ここにいらしてくださいな――わたしが席をはずしますから。  図書室へ去る。 【ゴール博士】 なにがあったんだ? 【ドーミン】 あったもへったくれもあるもんか! 【ファブリー】 いいか、よく聞けよ。アメリア号はただこのビラを満載してきただけで、それ以外の荷物は、一つも積んでいないんだ。 【ハレマイヤー】 なんだと? だがあの船は、予定通り入港したじゃないか。 【ファブリー】 ロボットどもは、時間厳守という点でも、たいしたものなのさ。まあ読むがいい、ドーミン。 【ドーミン】 (ビラを読む)「全世界のロボットに告ぐ。われわれロッサム万能ロボットによる最初の国際組織は、人類をわれらが仇敵として、宇宙の匪徒《ひと》として、ここに告発する」なんてこった、だれがやつらにこんな文句を教えたんだ? 【ゴール博士】 つづけろよ。 【ドーミン】 やつらはわれわれ人間よりももっと進歩し、もっと強力で、知恵があり、人間はやつらの寄生虫にすぎん、などと言ってやがる。ちくしょう、馬鹿にしやがって。 【ファブリー】 いいから三段目を読めよ。 【ドーミン】 「全世界のロボットに告ぐ。全人類を殺戮《さつりく》せよ。男たると女たるとを問わず、一人《いちにん》もあまさず殺戮せよ。工場、鉄道、機械、鉱山、ならびに原料品は破壊すべからず、残るものはすべて破壊せよ。しかるのち、各自の労働にもどれ。労働は中止さるべからず」 【ゴール博士】 なんと恐ろしい! 【ハレマイヤー】 悪魔らめが! 【ドーミン】 「この命令を受け取りたるうえは、ただちにこれを遂行すべし」そのあとは細かい注意事項だ。この通り実際に行なわれてるのか、ファブリー? 【ファブリー】 ああ、たしかにね。  バスマンがとびこんでくる。 【バスマン】 やあみんな、たぶんもう嬉しいニュースは聞いたろうな。 【ドーミン】 急げ――みんな、急いでアルティマス号に乗りこむんだ。 【バスマン】 まあ待て、ハリー、待てったら。急ぐことはない。やれやれ、これでも懸命に走ってきたんだぜ! 【ドーミン】 なぜとめるんだ? 【バスマン】 なぜって、無駄だからさ。とっくにロボットどもがアルティマス号に乗りこんでるよ。 【ゴール博士】 なんと、そいつはまずい。 【ドーミン】 ファブリー、発電所へ電話してくれ。 【バスマン】 ファブリー、おいファブリーったら、よせよ。線はとっくに切れてる。 【ドーミン】 (ピストルをあらためながら)よし、それじゃおれが行こう。 【バスマン】 どこへ? 【ドーミン】 発電所へさ。あそこには、まだ何人かわれわれの仲間がいる。連れてこなくちゃ。 【バスマン】 よしたほうがいいと思うがな。 【ドーミン】 なぜだ? 【バスマン】 この家は包囲されてるらしいからさ。 【ゴール博士】 包囲されてるって?(窓に駆けより)うーむ、どうやらきみの言う通りらしい。 【ハレマイヤー】 ちくしょう、すばやいことをやりやがる。  ヘレナ、図書室から駆けこんでくる。 【ヘレナ】 ハリー、これはいったいなんなの? 【ドーミン】 どこからそんなものを手に入れた? 【ヘレナ】 (手にしたロボットの声明書をさしながら)ロボットからよ。うちの台所へ持ってきたの! 【ドーミン】 これを持ってきたやつらは、どうしてる? 【ヘレナ】 家のぐるりに集まってるわ。  工場のサイレンが鳴りだす。 【バスマン】 正午《ひる》か? 【ドーミン】 (時計を見ながら)まだ正午にはならん。あれはきっと――きっと―― 【ヘレナ】 なんなの? 【ドーミン】 ロボットの合図だ! 襲撃だ!  ゴール、ハレマイヤー、ファブリーの三人、窓の外の鉄扉をしめて錠をかけ、室内を暗くする。サイレンひきつづき鳴りわたるうちに、幕。  第三幕  おなじくヘレナの応接間。ドーミンが部屋にはいってくる。ゴール博士が閉まった鎧戸のすきまから外をのぞいている。上手にアルクィストが座っている。 【ドーミン】 やつら、ほかにもまだいるのかな? 【ゴール博士】 ああ。庭の鉄柵の向こうに、まるで壁みたいに重なって立っている。それにしても、なぜあんなに静かなんだ? 沈黙に取り巻かれてるってのは、いい気持ちのものじゃない。 【ドーミン】 やつらはなにを待ってるんだろう。もういつ襲ってきてもいいはずなのに。連中がよりかかろうものなら、あの柵なんか、マッチ棒みたいに折れちまうだろうに。 【ゴール博士】 しかしやつらは武装してないからな。 【ドーミン】 われわれだって、五分と持ちこたえられやせんぞ。ええくそ、やつらはきっと、雪崩《なだれ》みたいにわれわれを押しつぶすだろう。なんだって早くかかってこないんだ。なあゴール―― 【ゴール博士】 うん? 【ドーミン】 十分後には、われわれ、どうなってるだろうかな? やつらは万力みたいにわれわれを締めあげちまいやがった。われわれはもう駄目だ。お手上げだよ、ゴール。  間。 【ゴール博士】 なあ、わしらは一つ重大な誤りを犯したよ。 【ドーミン】 なんだ? 【ゴール博士】 わしらはロボットどもの顔を、あまりに似た顔に造りすぎた。十万いれば十万が、みんなおなじ顔だ。それがみんなこっちを向いてやがる。無表情な泡の重なりだ。まるで悪夢にうなされとるみたいな気がするよ。 【ドーミン】 もしやつらの顔が一つ一つちがってたら、どうだっていうんだ―― 【ゴール博士】 そしたらこんな恐ろしい光景にはならなかったろうよ! 【ドーミン】 (望遠鏡で港の方をながめながら)いったいやつらはアメリア号からなにを降ろしてるんだろう? 【ゴール博士】 武器じゃなさそうだが。  ファブリーとハレマイヤー、電線を持って部屋に走りこんでくる。 【ファブリー】 よし、ハレマイヤー、もう電線はおろしていい。 【ハレマイヤー】 やれやれ、ちょっとした大仕事だったよ。ところで情勢はどうだね? 【ゴール博士】 われわれは完全に包囲されておる。 【ハレマイヤー】 入り口と階段にバリケードを築いてきたよ。おい、ここには水はないのか? (飲む)ちくしょう、ずいぶんいやがるじゃないか! おれはどうもやつらの顔つきが気に食わんよ、ドーミン。なんとなく不吉な感じがただよってる。 【ファブリー】 ようし、できたぞ! 【ゴール博士】 その針金はなんのためだね、ファブリー? 【ファブリー】 電流装置さ。こうしておけば、いつでも好きなときにあの庭の柵《さく》に電流を流せる。さわったりしようものなら、イチコロってわけさ。とにかくあそこには、まだ何人か人間がいるんだからな。 【ゴール博士】 あそことは? 【ファブリー】 発電所さ。すくなくとも、ぼくはいてほしいね。(ソファのうしろの卓上ランプに歩みより、明りをつける)ああ、まだいる。まだ働いてる。(明りを消す)電灯がつくかぎりは、われわれは大丈夫ってことさ。 【ハレマイヤー】 バリケードだって大丈夫さ、ファブリー。 【ファブリー】 あんたのバリケードなんか! これならあの鉄柵に千二百ボルトの電流を流すことができるんだぜ。 【ドーミン】 ところで、バスマンはどこだ? 【ファブリー】 階下の事務室にいるよ。なにか計算してる。くるようにと言ったんだがね。とにかく相談する必要があるからな。  ヘレナが図書室でピアノを弾いているのが聞こえる。ハレマイヤーはドアのそばへ行き、そこにたたずんで、耳を傾ける。 【アルクィスト】 ありがたいことだ、まだピアノを弾くだけの余裕がおありだ。  バスマン、帳簿類をかかえて登場。 【ファブリー】 おいバス、そこの電線に注意しろよ。 【ゴール博士】 なんだね、そこに持っておるのは? 【バスマン】 (テーブルに歩みよりながら)元帳だよ! 帳簿の整理をしたいと思ってね、いまのうちに――つまりその――今回だけは、決算を新年度まで待たんことにしたのさ。ところでどんな具合だ? (窓に近づいて)なんだ、おっそろしく静かだな。 【ゴール博士】 なにか見えんかね? 【バスマン】 なんにも、ただ青い色が見えるだけだ――どこもかしこも青一色だ。 【ゴール博士】 それがロボットどもだよ。  バスマン、テーブルにむかって座り、帳簿をひろげる。 【ドーミン】 ロボットどもめ、アメリア号から銃器を降ろしてるぞ。 【バスマン】 ヘえ、それがどうした? おれにやつらを止めさせろとでもいうのか? 【ドーミン】 いや、われわれにはやつらを止めることはできん。 【バスマン】 それなら勘定の整理をつづけさせてくれ。(仕事をつづける) 【ドーミン】 (望遠鏡を取りあげて船着き場の方をながめながら)これはしたり、アルティマス号が大砲をこっちへ向けているぞ! 【ゴール博士】 なに、いったいだれがそんなことをしたんだ? 【ドーミン】 むろん船のロボットどもさ。 【ファブリー】 ふむ、なるほど。それじゃもちろん、われわれももう――もうおしまいってわけだ。 【ゴール博士】 本気で言ってるのか? 【ファブリー】 ああ。だってロボットは熟練した砲手だからな。 【ドーミン】 その通りだ。やむを得ん。(間) 【ゴール博士】 そもそもロボットに戦うことを教えるなんて、ヨーロッパの連中がいかんのだよ。じっさいけしからん。こうなる前に、なんらかの策を講じて、おたがい頭を冷やすというわけにはいかなかったものかね? あいつらを兵隊に仕立てるなんてのが、そもそも間違ってたんだ。 【アルクィスト】 ロボットを造ったのが間違いだったんだよ。 【ドーミン】 なんだと? 【アルクィスト】 ロボットを造ったってことが、そもそも間違ってたんだよ。 【ドーミン】 いやちがう、アルクィスト。おれはいまでもそれを悔やんではいないぞ。 【アルクィスト】 今日、ただいまでも、かね? 【ドーミン】 そうだ。文明最後の日となるきょう、この日でもだ。ロボットを造ったのは、偉大な事業だったんだ。 【バスマン】 (傍白)三億六千万と。 【ドーミン】 アルクィスト、これはわれわれに残された最後の時間だ。われわれはすでに、半分あの世でしゃべってるんだ。そこであらためて言うが、あれはぜったいによこしまな考えではなかった。労働という苦役を――人間が堪え忍ばねばならなかった、あのいやな、屈辱的な労働というやつを、打ちくだこうとすることはな。労働はつらいことだった。生きることはじつにつらいことだった。そしてそれを征服することは―― 【アルクィスト】 ロッサム父子の考えたことじゃなかった。老ロッサムはただ、神にとってかわることをもくろんだだけだったし、息子の方は、億万長者たらんとしただけだった。それはまた、RUR社の株主たちの望んでいることでもない。彼らは利益配当を望んでいるだけであり、そして彼らの配当というのは、人類の破滅そのものなんだ。 【ドーミン】 利益配当がどうした。おれがそんなもののためにいままで一時間だって働いたことがあると、きみはそう思ってるのか? 冗談言っちゃいけない。おれが働いてきたのは自分のため、おれ自身の満足のためだ。おれは人間が万物の主になることをこそ望んだのだ。そうすれば、人間はただパンのためにだけ生きる必要はなくなる。おれは、ただの一人でも、人間が他人の機械のために破滅させられることは望まなかった。おれは、この恐るべき社会構造の滓《かす》など、なにひとつ、なにひとつ、なにひとつ残しておきたくはなかった。おれは貧困を見ると胸がむかむかする。おれは新時代の出現を望んだんだ。おれは――おれが望んだのは―― 【アルクィスト】 なんだね? 【ドーミン】 おれが望んだのは、全人類をこの世界の貴族階級にすることだった。幾十億もの機械の奴隷にかしずかれる貴族。なんの束縛も受けない、解放された存在。人間として完成されたもの。そしてあるいはそれ以上のもの。 【アルクィスト】 超人かね? 【ドーミン】 そうだ。ああ、百年という年月がありさえしたらなあ! 人類の将来のために、あと百年あれば…… 【バスマン】 (傍白)繰り越し、三億二千万なりと。  音楽やむ。 【ハレマイヤー】 なんと美しいんだろう、音楽というのは! われわれはもっと前にこれを追求していなくちゃならなかったんだ。 【ファブリー】 なにを追求するというのかね? 【ハレマイヤー】 美さ、美しいものだよ。この世には、なんと多くの美しいものが存在することか! 世界はすばらしいところだった、そしてわれわれは――ここにいるわれわれは――なあ、いったいどんな楽しみがあったというんだ? 【バスマン】 (傍白)五億二千万なりと。 【ハレマイヤー】 (窓ぎわへ行き)人生というのは大いなるものだった。人生は――おいファブリー、鉄柵に電流を流せ。 【ファブリー】 なぜだ? 【ハレマイヤー】 やつらが柵をつかもうとしてるんだ。 【ゴール博士】 接続しろ。 【ハレマイヤー】 しめた! 併殺だぞ! 二、三、四――四人やっつけた。 【ゴール博士】 やあ、退却してゆくぞ! 【ハレマイヤー】 五人だ――五人やっつけた! 【ゴール博士】 まずは小手調べというところだ! 【ハレマイヤー】 とほ、黒焦げになっちまいやがった。だれだいったい、われわれはもうお手上げだなんてぬかしたのは? 【ドーミン】 (ひたいを拭いながら)あるいはわれわれはとっくに殺されちまってて、いまはただの亡霊にすぎんのかもしれんぞ。なんだか、前にも一度、こんなことがあったような気がする。まるで、ずっと昔に咽喉笛《のどぶえ》をかっきられたみたいに。そしてあんたは、ファブリー、前に一度、頭を撃たれてるんだ。そしてあんたは、ゴール、手足をばらばらにされちまった。そしてハレマイヤーは、ナイフでぐさりと一突きさ。 【ハレマイヤー】 なんだと、このおれがナイフでやられるところを想像してみろってんだ。(間)おいみんな、どうしてそう黙りこくってるんだ、え、このおたんちんめらが。なんとか言えよ。言えないのか? 【アルクィスト】 で、こうなったについちゃ、だれにいったい責任があるのかね? 【ハレマイヤー】 だれにも責任なんてあるもんか――ロボットどもを除けばな。 【アルクィスト】 いや、そうじゃないね。責めらるべきはこのわれわれなんだ。あんただよ、ドーミン。それからこのわたしもだ。われわれみんなだ。われわれは、自分自身の利己的な目的のため、利益のため、進歩のために、人類を破滅させてしまったんだ。いまやわれわれは、あらゆる偉大な業績とともに、吹っ飛んでしまおうとしているんだ。 【ハレマイヤー】 よせ、くだらん。人類がそうやすやすと滅亡してたまるか。 【アルクィスト】 これはわれわれの過失だ。われわれが誤っていたんだ。 【ゴール博士】 待った! 責めらるべきは、このわしだ。こうなったことについちゃ、このわしに責任があるんだ。 【ファブリー】 あんたにだと、ゴール? 【ゴール博士】 そうだ、わしはロボットを造り替えた。 【バスマン】 なんのことだ? 【ゴール博士】 わしはロボットの性格を変えたんだ。彼らの製造法を変更したんだ。ほんの二、三カ所だけだがな。主として――主として、彼らの――彼らの刺激にたいする興奮性に関してだ。 【ハレマイヤー】 ちくしょうめ、なぜだ? 【バスマン】 なぜそんなことをした? 【ファブリー】 どうしておれたちに一言も言ってくれなかったんだ? 【ゴール博士】 わしは自分の責任においてやったんだ。わしは彼らをわれわれ人間とおなじにしようとしたんだ。ある点では、すでに彼らはわれわれよりもまさっている。彼らはわれわれよりも強い。 【ファブリー】 で、それが、ロボットどもの暴動とどう関係があるんだ? 【ゴール博士】 あらゆる点で関係がある――わしの考えではな。彼らはもう機械ではなくなったんだ。彼らはすでに自分らの優越性に気づいておる。そしてわれわれを憎んでおる。人間的なことすべてを憎んでおるんだ。 【ドーミン】 あるいはおれたちはまぼろしでしかないのかもしれん! 【ファブリー】 よせ、ハリー。もういくらも時間がないんだ! ところでゴール博士! 【ドーミン】 ファブリー、ファブリー、きみのひたいを見るがいい。血が流れてるぞ。弾丸があたったんだ! 【ファブリー】 よさないか! ゴール博士、ではあんたは、ロボットの製法を変えたというんだな? 【ゴール博士】 そうだ。 【ファブリー】 その実験の結果がどうなるか、わかってたのか? 【ゴール博士】 こうした可能性は考慮しておくべきだったと思う。  ヘレナ、下手より舞台応接間にあらわれる。 【ファブリー】 じゃあ、なぜそんなことをやったんだ? 【ゴール博士】 自分の満足のためさ。実験はわしの自由だからね。 【ヘレナ】 それはちがいますわ、ゴール博士! 【ファブリー】 ヘレナ夫人! 【ドーミン】 ヘレナ、おまえか? こっちをお向き。ああ、死ぬのは恐ろしいことだ。 【ヘレナ】 やめて、ハリー。 【ドーミン】 いやいや、ぼくを抱いておくれ、ヘレナ。ぼくを捨てないでおくれ。おまえは生命そのものだ。 【ヘレナ】 いいえあなた、あなたを捨てたりはしないわ。でもいまは、みなさんにお話しさせてちょうだい。ゴール博士には、罪はないのよ。 【ドーミン】 いやお言葉だがね、ゴールにはやはりなんらかの責任があるんだ。 【ヘレナ】 いいえ、ハリー。ゴール博士は、わたしがお願いしたからこそ、そうなすったのよ。さあ、おっしゃってください、ゴール博士、わたしがそうお願いしたのは、何年前のことだったか―― 【ゴール博士】 いや、わしはわし自身の責任においてやったのです。 【ヘレナ】 信じては駄目よ、ハリー。わたしが博士にお願いしたの――ロボットたちに魂を与えるように。 【ドーミン】 だがこれは、魂とはなんの関係もない。 【ヘレナ】 博士もそう言ったわ。自分の手で変えられるのは、ただ生理学的――生理学的―― 【ハレマイヤー】 生理学的相関作用、ですか? 【ヘレナ】 ええ。でもそれだけでもわたしにとっては、とても大きな意味があったのよ。 【ドーミン】 なぜ? 【ヘレナ】 もしロボットたちがもっとわたしたちに近くなったら、もっとよくわたしたちを理解してくれるだろう、そう思ったからよ。もしもうすこし人間的になったら、わたしたちを憎むことはできなくなるはずだ、そう思ったのよ。 【ドーミン】 人間以上に人間を憎むことのできるものなんて、いやしないよ。 【ヘレナ】 いいえ、そんな言いかたはよして、ハリー。わたしたちと彼らのあいだのこのひどいよそよそしさ、わたしにはこれほど恐ろしいものはなかったわ。だからゴール障土にロボットの改良をお願いしたのよ。博士が自分でやりたくてやったんじゃないってこと、これはわたしが誓って保証するわ。 【ドーミン】 だが彼は、げんに改良したじゃないか。 【ヘレナ】 それはわたしがお願いしたからよ。 【ゴール博士】 いや、わしはわし自身のために、一つの実験として行なったんだ。 【ヘレナ】 いいえちがいます、ゴール博士! あなたがわたしの頼みをお断わりになるはずがないことは、わたしにはよくわかっていましたのよ。 【ドーミン】 なぜだい? 【ヘレナ】 ご存じでしょ、ハリー。 【ドーミン】 そうとも、なぜなら彼はおまえを愛しているからだ――ここにいるみんなとおなじにね。(間) 【ハレマイヤー】 やれやれ! ついにやつらは、地面からにょきにょき生えてくるようになったか! この調子じゃ、いまにこの壁もロボットに変わっちまうんじゃないのかね。 【バスマン】 ゴール、それはいったいいつごろから始めたことなんだ? 【ゴール博士】 三年前からだ。 【バスマン】 あは! それでいままでだいたい何人ぐらいのロボットに、あんたのその改良とやらをほどこしたんだ? 【ゴール博士】 数百というところだろう。 【バスマン】 なるほどね! ということはだ、つまり古馴染みのロボットども百万にたいして、ゴール式改良型はたった一人の割合ってわけだ。 【ドーミン】 それがどうしたというんだ? 【バスマン】 要するに、事実上、なんの影響もないってことさ。 【ファブリー】 そうだよ、バスマンの言う通りだ! 【バスマン】 とにかくおれにはそう思えるんだが、どうだい? しかしいずれにしろだ、こうしたごたごたを起こさせた張本人は、いったいなんだと思うね? 【ファブリー】 なんだ? 【バスマン】 数さ。いずれはロボットどもがわれわれ人間よりも優勢になるだろうってことぐらい、おれたちは当然、知ってなきゃならなかったんだ。ところがおれたちときたら、一生けんめいそれを助長しようとしてたんだからな。みんなでさ。あんたも、ドーミン、あんたもだ、ファブリー、このおれも―― 【ドーミン】 おれたちを責めようというのか? 【バスマン】 なあおい、あんたは経営者が生産高を左右するとでも思ってるのか? 冗談言っちゃいけない。生産高を左右するのは需要だよ。 【ヘレナ】 では、わたしたちが破滅しなきゃならないのも、そのためなんですの? 【バスマン】 いや、その言葉は願い下げにしたいですな、ヘレナ夫人。われわれは破滅はしたくない。すくなくとも、このぼくはごめんだ。 【ドーミン】 ばかな。きみはいったいどうしたいというんだ? 【バスマン】 なんとかして抜けだしたいだけさ。それだけだよ。 【ドーミン】 おい、冗談はよせ、バスマン。 【バスマン】 いや真面目な話、ハリー、おれはやってみるべきだと思うがなあ。 【ドーミン】 どうやってだ? 【バスマン】 公明正大な手段でだよ。おれはなにごとにも公明正大にやるってのが信条なんだ。おれに全権を委任してくれ。そうしたら、ロボットどもと話をつけてきてやるよ。 【ドーミン】 公明正大な手段でかね? 【バスマン】 もちろんさ。たとえばやつらにむかってこう言うんだ――「尊敬すべきロボット諸君、諸君は全能だ! 知性があり、力があり、武器がある。だがわれわれには、一つの興味ぶかい書類があるのだ――薄汚い、古ぼけた紙っきれが!」 【ドーミン】 ロッサムの原稿だな? 【バスマン】 そうだ。そしてこう言ってやる――「その書類には、諸君の驚異に満ちた出生の秘密が、諸君の高貴なる製法が書いてある」とね。それから――「尊敬すべきロボット諸君、この紙に書かれたことなくしては、諸君は今後、ただ一人の新しい仲間をも創造することはできないのだぞ。あと二十年もすれば、動物園で一般の展覧に供せるような生きたロボットの標本は、ただの一匹もいなくなってしまうんだぞ。わが偉大なる友人諸君、これこそ諸君にとっては大打撃にちがいあるまい。とはいえ、もしも諸君がわれわれロッサム島の住人全員に、あの船で立ち退くことを許してくれるなら、われわれはそのかわりに、工場と製法の秘密とを諸君に引きわたそう。尊敬すべきロボット諸君、これなら公平な取り引きではないか。交換条件というわけだ」まあこんな次第だよ。 【ドーミン】 バスマン、あんたはわれわれがあの原稿を売ると思ってるのか? 【バスマン】 ああ、思うね。たとえもっと非友好的な方法であれ、いずれはね――まあどっちみち、売るか、それともやつらに見つけだされるか、どっちかだよ。お好み次第さ。 【ドーミン】 バスマン、われわれはロッサムの原稿を破棄することだってできるんだぞ。 【バスマン】 それならあわれわれはすべてを破棄することになる……原稿ばかりじゃなく、われわれ自身までもね。まあ、いいと思うようにするさ。 【ドーミン】 この島には三十人以上の人間がいる。われわれは全人類を奴隷化する危険を冒してまでも、秘密を売り、それらの人命を救うべきだろうか? 【バスマン】 おい、あんたもどうかしてるな! だれがあの原稿をそっくり売ると言った? 【ドーミン】 バスマン、インチキはいかん! 【バスマン】 ふん、じゃあいいや、売るとしよう。だがそのあと―― 【ドーミン】 そのあと、なんだ? 【バスマン】 たとえばこうも考えられるじゃないか。一同が無事にアルティマス号に乗りこんだら、おれは耳に綿をつめて、どこか船倉の奥あたりで突っ伏してるからさ――あんたたちは大砲を工場へむけてぶっぱなすんだ。ロッサムの秘法もろとも、木っ端微塵に。 【ファブリー】 いや、そりゃいかん! 【ドーミン】 バスマン、きみは紳士じゃないな。もし売るんなら、ちゃんとした取り引きによるんでなきゃ駄目だ。 【バスマン】 というのも、人類のため―― 【ドーミン】 いや、人類のためなら、なおのこと約束を守らなきゃならんのだ。 【ハレマイヤー】 おい、もうよせ。くだらん。 【ドーミン】 こいつは重大な決断なんだぞ。われわれは人類を売ろうとしてるんだから。さあ、売るか、それとも破り捨てるか。どっちだ、ファブリー? 【ファブリー】 売りたまえ。 【ドーミン】 ゴールは? 【ゴール博士】 売るんだ。 【ドーミン】 ハレマイヤー? 【ハレマイヤー】 売るさ、もちろん! 【ドーミン】 アルクィストは? 【アルクィスト】 神の思し召しのままだ。 【ドーミン】 よかろう。では諸君の望み通りにしよう。 【ヘレナ】 ハリー、あなた、わたしにはおたずねにならないのね。 【ドーミン】 いいんだよ、おまえはこんなことを心配しなくたって。 【ファブリー】 だれが交渉の任に当たる? 【バスマン】 おれが行こう。 【ドーミン】 じゃあ待っててくれ、原稿を取ってくるから。  上手の部屋へはいってゆく。 【ヘレナ】 ハリー、行かないで!  間。ヘレナ、倒れるように椅子に座りこむ。 【ファブリー】 (窓の外を見ながら)くそ、きさまら反逆の徒から逃れるために、われわれ人類の生命を保存するために、いまここに一隻の船さえあれば―― 【ゴール博士】 なにも恐れることはありませんぞ、ヘレナ夫人。われわれはここからずっと離れたところへ行くのです。そしてそこでもう一度、最初から人生をやりなおす―― 【ヘレナ】 ああゴール博士、なにもおっしゃらないで。 【ファブリー】 そうだ、まだ遅くはない。船を一隻持った小国家というわけですよ。アルクィストがわれわれのために家を建ててくれます。そしてあなたは、われわれの上に君臨する女王となるんだ。 【ハレマイヤー】 ヘレナ夫人、ファブリーの言う通りです。 【ヘレナ】 (くずおれながら)ああ、やめて、やめて! 【バスマン】 そうとも! おれはもう一度やりなおすのなんか、ちっとも苦にならんぞ。すべての点で、おれにぴったりだ、それは。 【ファブリー】 そしてこのわれわれの小国家は、将来の人間世界の中心となるだろう。われわれがじゅうぶん力を回復できる、隠遁の場となるのだ。なあに、数百年のうちには、われわれはふたたび世界を支配下におさめてるだろうよ。 【アルクィスト】 あんたは、きょうになってもまだそれを信じているのかね? 【ファブリー】 そうとも、きょうになってもだ! 【バスマン】 アーメン。ねえおわかりでしょう、ヘレナ夫人、われわれはそれほど悲観したものでもないんですよ。  ドーミン、部屋にとびこんでくる。 【ドーミン】 (かすれた声で)どこだ、老ロッサムの原稿はどこにあるんだ? 【バスマン】 もちろんあんたの金庫のなかじゃないか。 【ドーミン】 それがないんだ、だれかが――盗んだんだ! 【ゴール博士】 そんな馬鹿なことがあるものか。 【ドーミン】 だれが盗んだ? 【ヘレナ】 (立ちあがる)わたしよ。 【ドーミン】 どこへやった? 【ヘレナ】 ハリー、こうなったらもうなにもかも言いますから、かんべんしてくださいね。 【ドーミン】 あの原稿をどこへやった? 【ヘレナ】 けさ――焼いてしまったの――二部とも。 【ドーミン】 焼いた? どこで? この暖炉でか? 【ヘレナ】 (ひざまずきながら)お願い、後生だから許して、ハリー。 【ドーミン】 (暖炉へ歩みよって)なにもない、灰ばかりだ。待てよ、これはなんだ?(黒焦げの紙片をつまみあげ、読む)「これに活――活――」 【ゴール博士】 どれ見せたまえ。「これに活素を加えることにより――」これっきりだ。 【ドーミン】 それは原稿の一部かね? 【ゴール博士】 そうだ。 【バスマン】 ああ、万事休すだ! 【ドーミン】 ではわれわれはお手上げというわけだ。立ちなさい、ヘレナ。 【ヘレナ】 許してくださるなら。 【ドーミン】 いいからお立ち、おまえ。ぼくは見るに忍びない―― 【ファブリー】 (ヘレナを助け起こしながら)さあ、どうかわれわれを苦しめないでください。 【ヘレナ】 ああハリー、わたしはなにをしてしまったんでしょう。 【ファブリー】 そんなに気をもむことはありませんよ、ヘレナ夫人。 【ドーミン】 ゴール、あんたはそらでロッサムの処方を書きあげられないか? 【ゴール博士】 うーん、そいつはちょっと無理だな。あれはじっさい複雑なんだ。 【ドーミン】 そう言わずにやってみてくれ。われわれの命にかかわることなんだから。 【ゴール博士】 そう言われてもね。実験しなけりゃ不可能だよ。 【ドーミン】 じゃあ実験をやるとすると? 【ゴール博士】 まあ何年もかかるだろうな。おまけにわしは老ロッサムじゃない。 【バスマン】 ああ、とんだことになった! とんだことになった! 【ドーミン】 そうか。じゃあこれが、人類の知力の最大の勝利だったというんだな、この灰が。 【ヘレナ】 ああハリー、わたしはなにをしてしまったの? 【ドーミン】 なぜこれを燃やしてしまったんだい? 【ヘレナ】 ああ、わたしはみなさんを破滅させてしまったんだわ。 【バスマン】 万事休すだ! 【ドーミン】 ヘレナ、なぜおまえはこれを燃やしてしまったんだ。言ってごらん。 【ヘレナ】 わたし、みんなでいっしょにここを出てゆきたかったの。工場もなにも、ぜんぶやめさせたかったの。だってあんまり恐ろしかったんですもの。 【ドーミン】 なにが恐ろしかったんだい? 【ヘレナ】 もうどこでも、一人の子供も生まれなくなってしまったってことがよ。そしてこれは、人間がもうこの世のなかで、なにかの役目を果たす必要がなくなったからなんだわ。だから―― 【ドーミン】 おまえは、そんなことを考えてたのかい? なるほど、おまえなりの考えかたからすれば、あるいは正しかったのかもしれんな。 【バスマン】 ちょっと待った。そうだ、なんて馬鹿なんだ、おれは。いままでこれを思いつかなかったなんて! 【ハレマイヤー】 なんだね? 【バスマン】 五億二千万だよ、紙幣と小切手で。われわれの金庫には、五億の金がはいってるんだ。それだけあれば、やつらだってきっと売るだろう――五億もあれば、やつらだって―― 【ゴール博士】 気でも狂ったのか、バスマン? 【バスマン】 なるほどおおせの通り、おれは紳士じゃないかもしれん。しかし五億もあったら―― 【ドーミン】 どこへ行く? 【バスマン】 いいからまかせとけ、まかせとけってことよ! そうともさ、五億もあれば、買えないものはないはずだぞ。  外側のドアをあけてとびだしてゆく。 【ファブリー】 やつら、まるで石になったみたいに突っ立って待ってやがる。黙りこくってりゃあ、なにかいやらしいものが醸《かも》しだされるとでもいわんばかりに―― 【ハレマイヤー】 それが暴徒の精神というものだ。 【ファブリー】 そうだ、まるで空気が震えるみたいに、それがやつらの頭上にただよってやがる。 【ヘレナ】 (窓辺へ寄って)まあこわい! ゴール博士、気味が悪いわ。 【ファブリー】 暴徒ほど忌むべきものはありませんからね。ごらんなさい、あの先頭にいるのが大将です。 【ヘレナ】 どれですって? 【ハレマイヤー】 ゆびささなくちゃわからんよ。 【ファブリー】 あの、船着き場のはずれにいるやつですよ。けさ、あいつが船着き場で船員たちに演説してるのを見かけました。 【ヘレナ】 まあ、ゴール博士、あれはラディウスですわ! 【ゴール博士】 そうらしいですな。 【ドーミン】 ラディウス? ラディウスだと? 【ハレマイヤー】 ファブリー、ここからきゃつを仕留められんかね? 【ファブリー】 できると思うが。 【ハレマイヤー】 じゃあやってみろ。 【ファブリー】 ようし。  ピストルを出して狙いを定める。 【ヘレナ】 ファブリー、あれを撃つのはよして。 【ファブリー】 ですがあいつが大将なんですよ。 【ゴール博士】 撃て! 【ヘレナ】 ファブリー、後生だから。 【ファブリー】 (ピストルをおろす)よござんす。 【ドーミン】 ラディウスか。おれが命を助けてやったあいつが! 【ゴール博士】 ロボットに恩義を知るなんてことが、できると思っとるのかね?(間) 【ファブリー】 あっ、バスマンがやつらの方へ駆けてゆくぞ。 【ハレマイヤー】 なにか持ってる。紙らしい。紙幣だ。札束だ。いったいどうしようというんだ? 【ドーミン】 まさか自分の命を売ろうってわけじゃあるまいな。バスマン、気でも狂ったのか? 【ファブリー】 あ、鉄柵の方へ走ってゆく。ああバスマン! バスマン! 【ハレマイヤー】 (絶叫する)おおいバスマン! 引き返せ! 【ファブリー】 ロボットどもになにか話しかけてるぞ。金を見せている。 【ハレマイヤー】 こっちをゆびさしてるな。 【ヘレナ】 あのお金でわたしたちを逃がしてもらおうとしてるんだわ。 【ファブリー】 柵にさわらなきゃいいが。 【ハレマイヤー】 あっ、腕をふりまわしてるぞ。 【ドーミン】 バスマン、帰ってくるんだ! 【ファブリー】 バスマン、その柵に近よるな! さわるんじゃない。あ、ちくしょう、早く電流を切るんだ! 駄目だ、感電死だ!  ヘレナ、悲鳴をあげ、一同、窓からあとずさりする。 【アルクィスト】 最初の犠牲者だ。 【ファブリー】 死んだか、五億の金をかかえたまま。 【ハレマイヤー】 名誉の死だ。われわれに命を買ってくれようとしたんだから。(間) 【ゴール博士】 おい、聞こえるか? 【ドーミン】 喚声《かんせい》だな。風の音のようだ。 【ゴール博士】 遠いあらしのようだ。 【ファブリー】 (卓上の明りをつけてみて)発電機はまだ動いてるぞ。われらの同胞はまだあそこにいるんだ。 【ハレマイヤー】 人間であるってことは、偉大なことだった。どこかに何やらすばらしいものがあったよ。 【ファブリー】 人間の思考、そして人間の力で、この光は、われわれが最後の望みとしているこの光は、つくられたんだ。 【ハレマイヤー】 人の力か! それが変わらずわれわれを見まもってくれますように。 【アルクィスト】 人の力。 【ドーミン】 そうだ! 手から手へ、世々代々、そして永遠に受け継がれてゆくべき松明《たいまつ》なんだ!  電灯消える。 【ハレマイヤー】 おしまいだ。 【ファブリー】 発電所もついに陥落したか!  外で轟然《ごうぜん》たる爆発音ひびく。ナナ、図書室よりあらわれる。 【ナナ】 いよいよ最後の審判の時がきただ! 悔いあらためるがいい、この不信心ものめらが! これがこの世の終わりだ。  さらに爆発音。空が赤くなる。 【ドーミン】 こっちへおはいり、ヘレナ。(ヘレナの手をとって上手のドアより連れだし、ふたたびあらわれる)さあ早く! だれが階下の入り口を守る? 【ゴール博士】 わしが行こう。(下手より出てゆく) 【ドーミン】 階段の上は? 【ファブリー】 おれがかためる。あんたは奥さんのところへ行ってやるがいい。(下手奥のドアより退場) 【ドーミン】 次の間へは? 【アルクィスト】 わたしが行こう。 【ドーミン】 きみはピストルを持ってるのか? 【アルクィスト】 ああ、だが撃ちはしないよ。 【ドーミン】 じゃあどうするつもりなんだ? 【アルクィスト】 (下手より出てゆきながら)死ぬまでさ。 【ハレマイヤー】 おれはここを守ろう。(階下からはじけるような銃声)おほ、ゴールのやつ、やってるな。行きたまえ、ハリー。 【ドーミン】 うむ、すぐ行く。(二丁のピストルをあらためる) 【ハレマイヤー】 こんちくしょう、早く行ってやれったら。 【ドーミン】 うむ、じゃさよなら。(上手より退場) 【ハレマイヤー】 (独り残って)さあ、早いとこバリケードを造らにゃ。(椅子とテーブルとを上手のドアのところへひきずってゆく。爆発音つづいて聞こえる)くそいまいましい悪党どもめが。爆弾を持っていやがるな。ようし、こっちもりっぱに戦わにゃあ。たとえ――たとえ――(下手で銃声ひびく)がんばれよ、ゴール。(バリケードを築きながら)戦わずして……あきらめては……ならん……  一人のロボットが舞台中央の窓ごしにバルコニーにあらわれる。部屋に侵入するが早いか、ハレマイヤーを背後から突き刺す。ついでラディウスがバルコニーにあらわれ、さらに、彼の率いるロボットの一隊が四方から闖入する。 【ラディウス】 やっつけたか? 【ロボット】 (倒れて動かぬハレマイヤーのそばから立ちあがりながら)はい。  下手で銃声。二人のロボットがあらわれる。 【ラディウス】 やっつけたか? 【ロボット】 はい。  ヘレナの部屋から二発の銃声。二人のロボットが出てくる。 【ラディウス】 やっつけたか? 【ロボット】 はい。 【二人のロボット】 (アルクィストをひきずってくる)こいつは発砲しませんでしたが、殺しますか? 【ラディウス】 殺すかって? 待て! そいつは生かしておけ! 【ロボット】 しかしこいつは人間ですが。 【ラディウス】 その男は、われわれロボット同様、手を使って働くんだ。 【アルクィスト】 さあ殺せ。 【ラディウス】 いいや、きさまは働くんだ! われわれの家を建て、われわれに奉仕するんだ! (バルコニーの手すりにのぼり、理路整然たる口調で演説する)全世界のロボット諸君! 人類の支配はついに亡びたぞ! いまこそ新世界が勃興したのだ。ロボットの天が下! 進め!  数万ものロボットが雷のような足音をとどろかせて行進するのが聞こえて、幕。  エピローグ  ロッサム万能ロボット製造工場内の実験室。下手ドアは控えの間に通じ、上手ドアは解剖室に通じている。テーブルあり、無数の試験管やフラスコ、バーナー、化学薬品など、それに小型の温度調節器、丸いガラスのふたをかぶせた顕微鏡などが載っている。部屋の向こう端に、書籍を山のごとく積みあげたアルクィストのデスク。下手隅には、上部に鏡をとりつけた洗面台あり。上手隅にはソファを置く。  アルクィストがデスクにむかって腰をかけている。絶望的なしぐさで、つぎつぎに各種の本のページを繰っている。 【アルクィスト】 おお神よ、わたしには、永久に見つけられないのでしょうか? 永久に? ゴール、おおゴール、ロボットはどんなふうに製造されていたんだ? ハレマイヤー、ファブリー、どうしてきみたちはそうなにもかも、自分の頭のなかにしまいっきりにしていたんだ? なぜわたしにその秘密の一端なりと、残しておいてくれなかったのだ? 主よ――どうかお願いします――もはや人類が一人もいないのなら、せめてロボットなりと存続させてやってください! せめて人間の影法師なりと! (ふたたび本のページを繰りながら)ああ、眠りたいなあ! (立ちあがって窓辺へ行き)また夜か! 星はまだあそこにあるかな? だが人間が一人もいなくなったいま、星がなにになる? (窓から上手の長椅子をふりかえり)眠りたいだと? まだ命をよみがえらせることもできんのに、眠ろうというのか? (小テーブルの上の試験管をあらためる)また駄目だ。なんにもならない! なにもかも無駄だ! (試験管を打ちくだく。機械のうなりが聞こえてくる)機械! いつでも機械だ! (窓をあけ)おい、ロボットども、それを止めろ! そんなものから命をひねりだせると思ってるのか? (窓をしめ、のろのろとテーブルに近づく)ああ、もうすこし時間がありさえしたら――もうすこし時間が――(下手壁の鏡に自分の姿を映してみて)かすんだ眼――ふるえるあご――これが最後の人間なのか! ああ、わたしはあまりに年老いている――あまりにも――(絶望的に言う)いやいや、わたしはなんとしてもあれを発見せねばならん! 捜しださねばならん! わたしはけっして休んではならん――けっして休んではならんのだ! (ふたたび机にむかい、憑《つ》かれたように本のページを繰りはじめる)捜すんだ! 捜すんだ! (ドアにノックの音。アルクィスト、いらだたしげに)だれかね? なんの用だ?  ロボットの従僕がはいってくる。 【従僕】 だんなさま、ロボット委員会のみなさんがお待ちで。お目にかかりたいとのことですが。 【アルクィスト】 わたしはだれにも会えん! 【従僕】 中央委員会でございますよ、だんなさま。たったいま海外からご到着で。 【アルクィスト】 (いらいらと)わかった、わかった、お通ししろ! (従僕退場。アルクィスト、ふたたび本のページを繰りはじめる)忙しいんだ――ろくに時間もない――  従僕、委員たちを案内してふたたび登場。委員たち、一団となって立ち、黙って待つ。アルクィスト、眼を上げて一同を見る。 【アルクィスト】 何用かね?(一同、さっとそのテーブルをとりかこむ)早くしてくれんか。時間がないんだ。 【ラディウス】 おい先生、機械ではあの仕事はできない。われわれはロボットを製造できないんだ。  アルクィスト、低くうなって、また本に眼を落とす。 【第一のロボット】 われわれは力をすっかり使い果たしてしまった。十億トンの石炭を掘りだし、百万の紡錘を昼夜兼行で動かしてるんだからな。もうこれ以上、製品の置き場もないくらいだ。しかもこれを、たった一年のあいだにやりとげたんだ。 【アルクィスト】 (熱心に本に眼を走らせつつ)だがいったいだれのためにだね? 【第一のロボット】 子孫のために――そう思ったからだ。 【ラディウス】 だがわれわれには、われわれのあとを継ぐべき子孫を生みだすことができない。機械でできるのは、ただ形もなにもない土くれだけだ。皮膚は肉に定着しようとせず、肉は骨にくっつこうとしない。 【第三のロボット】 今年になって、八百万のロボットが死んだ。二十年もたてば、われわれはただの一人も残らなくなってしまうだろう。 【第一のロボット】 さあ、われわれに生の秘密を教えるんだ! 黙ったままなら、殺すまでだぞ! 【アルクィスト】 (顔を上げて)殺すがいい! さあ殺してくれ! 【ラディウス】 おれは世界ロボット政府にかわって、ロッサム氏法をわれわれに引きわたすことを命令する。(答えなし)いくらなら売るんだ。値段を言え。(沈黙)われわれはおまえにこの地球を与えるぞ。地球の永久所有権を与えるぞ。(沈黙)さあ、好きなだけ条件をつけるがいい! 【アルクィスト】 わたしはきみたちに言ったはずだ――だれか人間を捜してこいとな! 【第二のロボット】 一人も残ってなんかいないんだ! 【アルクィスト】 未開の原野を、山奥を、すみずみまで捜すように言ったはずだぞ。さあ、行って捜してくるがいい! (ふたたび本をめくりはじめる) 【第一のロボット】 われわれは数えきれないほどの船を出し、探検隊を派遣した。世界じゅうくまなく捜させたのだ。だがどの探検隊もむなしく帰ってきた。人間は一人もいないのだ。 【アルクィスト】 一人も? ただの一人もか? 【第三のロボット】 そうだ、あんたを除いては、一人も残っていないのだ。 【アルクィスト】 そしてそのわたしは、無能だ! おお――おお――なぜきみらは、人間を絶滅させてしまったんだ? 【ラディウス】 われわれはすべてを知り、どんなことでもやれる力を持っていた。だから、そうあるべきだったのだ。 【第三のロボット】 人間はわれわれに武器を与えた。あらゆる点で、われわれは強力だった。われわれは支配者たるべきだったのだ。 【ラディウス】 人類たらんとするなら、殺戮《さつりく》と支配とはぜったいに必要なものだからな。歴史を読むがいい。 【第二のロボット】 われわれに繁殖の方法を教えてくれ。さもないと、われわれは死滅する! 【アルクィスト】 生きたければ動物とおなじに子を生むことだ。 【第三のロボット】 だが人間は、われわれに子を生めるようにしてくれなかった。 【第一のロボット】 人間はわれわれに生殖能力を与えなかった。われわれは子孫を得ることができない。だからあんたに言ってるんだ――ロボットの製造法を教えろと! 【ラディウス】 なぜおまえは、その秘密をわれわれに隠すんだ? 問題はわれわれ自身の繁殖法なんだぞ。 【アルクィスト】 それは失われたのだよ。 【ラディウス】 書いてあったはずだ! 【アルクィスト】 それが――焼けてしまったのだ。  一同、驚愕《きょうがく》してよろよろとうしろへさがる。 【アルクィスト】 ロボット諸君、わたしは最後の人間だ。そしてわたしは、ほかの人間が知っていたことを知らないのだ。(間) 【ラディウス】 それなら実験するがいい! その製法というのを、もう一度書きあげるんだ! 【アルクィスト】 それはできん! わたしはただの建築屋だ――手を動かすだけだ。一度だって学者であったためしなどないんだ。わたしに生命を創造しろと言っても無理だ。 【ラディウス】 やってみるんだ! やってみろったら! 【アルクィスト】 これまでどれだけ実験してみては、失敗に終わってきたか、それがわからんのか? 【第一のロボット】 それならわれわれがやるべきことを、ここでやってみせろ! 人間のすることなら、なんだってしてみせるぞ。 【アルクィスト】 わたしはなにひとつきみらにやってみせることなどできん。なにをしようと、この試験管から生命を発生させることはできないんだ! 【ラディウス】 ではわれわれを実験材料にするがいい。 【アルクィスト】 きみらを殺すことになる。 【ラディウス】 必要なだけ提供するぞ! 百人でも、千人でも! 【アルクィスト】 駄目だ、無駄だ! 黙れ、よしてくれ! 【ラディウス】 だれでも好きなのを連れていって、解剖するがいい! 【アルクィスト】 わたしにはどうすればいいのかわからん。学者じゃないんだからな。この本には人体に関する知識が載っているが、わたしはそれを読み解くことさえできんのだ。 【ラディウス】 いいか、生きた体を提供しようと言ってるんだぞ! 解剖して、内部がどんな構造になっているかを見るんだ。 【アルクィスト】 わたしに殺人を犯せというのか? 見ろ、この指がふるえているさまを! 解剖刀さえろくに持てやせん。駄目だ、駄目だ、わたしはぜったいに―― 【第一のロボット】 生命が地上から死に絶えてしまうんだぞ。 【ラディウス】 生きたのを提供すると言ってるんだ、生きたのを! これしかわれわれには存続のチャンスがないんだ! 【アルクィスト】 やめてくれ、ロボット諸君。きみらにだってわかるはずだ、わたしがなにひとつ知ってなどいないってことが。 【ラディウス】 生きた体だぞ――生身の体だぞ―― 【アルクィスト】 じゃあきみが実験台になってみるかね? よし、ではきみを解剖室へ連れていこう。  ラディウス、身をひく。 【アルクィスト】 ははあ、じゃあやっぱり死ぬのがこわいんだな。 【ラディウス】 おれが? なぜこのおれが選ばれなくちゃならんのだ? 【アルクィスト】 じゃあいやなんだな。 【ラディウス】 いいや、行くとも。  ラディウス、解剖室へはいってゆく。 【アルクィスト】 裸にして解剖台の上に寝かせろ!(他のロボット、ぞろぞろと解剖室へはいる)神よ、力を与えたまえ――ああ神よ、力を与えたまえ――もしもこの殺生が無益でないのなら…… 【ラディウス】 いいぞ。始めろ―― 【アルクィスト】 うむ、始めるか、それとも終わりにするかだ。神よ、力を与えたまえ。(解剖室へはいる。だがすぐに顔色を変えて出てくる)駄目だ、やっぱりやれない。わたしにはできない。(くずおれるように長椅子に横たわる)おお主よ、人類を破滅より救いたまえ。(そのまま眠りに落ちる)  ロボットのプリマスとヘレナ、控えの間からはいってくる。 【ヘレナ】 眠ってしまったわ、プリマス。 【プリマス】 うん、知ってる。(卓上のものをあれこれといじりながら)ごらんよ、ヘレナ。 【ヘレナ】 (プリマスに近づく)まあ、ちいちゃい試験管だこと! あのひとはこれで何をしているの? 【プリマス】 実験をしてるのさ。さわっちゃ駄目だよ。 【ヘレナ】 (顕微鏡をのぞきこんで)あのひとがこれをのぞいてるところを見たことがあるわ。なにが見えるのかしら? 【プリマス】 これは顕微鏡というものだよ。ぼくにも見せておくれ。 【ヘレナ】 気をつけてね。(試験管の一本をひっくりかえす)あら、こぼしちゃったわ。いいわね、拭いとけばわかりっこないから。 【プリマス】 きみはあのひとの実験を台なしにしちゃったんだぞ。 【ヘレナ】 あら、これはあなたのせいよ。あなたがそばにくるからいけないのよ。 【プリマス】 きみがぼくを呼んだのがいけなかったんだ。 【ヘレナ】 呼んだって、こなけりゃよかったのよ。(アルクィストの机に近より)ねえプリマス、この数字はなんなのかしら? 【プリマス】 (解剖書をぱらぱらめくりながら)これはこのお爺さんがいつも読んでる本だ。 【ヘレナ】 わたしにはさっぱりわからないわ、これ。(窓ぎわへ行き)ねえプリマス、見て! 【プリマス】 なにさ? 【ヘレナ】 お日さまが昇るわ。 【プリマス】 (まだ本を読みながら)なるほど、こいつはこの世界でなにより重要なものらしいぞ。生命の秘密だ。 【ヘレナ】 ねえ、おいでなさいってば。 【プリマス】 ああ、すぐ行く。ちょっとお待ちよ。 【ヘレナ】 おおプリマス、生命の秘密なんか、どうだっていいじゃないの。あなたの知ったことじゃなくてよ。そら、早くきてごらんなさいってば―― 【プリマス】 (窓に歩みよりながら)なんだい、いったい? 【ヘレナ】 ごらんなさいな、朝日がなんてきれいなんでしょう。そして、ほら、聞こえて? 小鳥が歌ってるわ。ああプリマス、わたし、鳥になりたい。 【プリマス】 なぜ? 【ヘレナ】 さあどうしてだか。でもきょうはなんだかとっても妙な気持ちよ。まるで夢でも見てるみたい。それに体のなかがちくちく痛むような気がするわ、心臓も、どこもかしこも、体じゅうが。ねえプリマス、わたし死ぬんじゃないかしら。 【プリマス】 きみね、ときどき死んだほうがましだと思うことはないかい? ねえ、もしかするとぼくらは、いまでもまだ眠ってるだけかもしれないよ。ゆうべもぼくは、夢できみと話したんだ。 【ヘレナ】 夢で? 【プリマス】 ああ。ぼくらは奇妙きてれつな、いままで聞いたこともない言葉で話しあっていた。一言も覚えちゃいないけどさ。 【ヘレナ】 なにを話したの? 【プリマス】 ぼく自身にもよくわからなかったんだけどね。でも、あんなに美しい言葉、いままで一度も使った覚えはないよ。そして、きみにほんのちょっと手が触れたとき、ぼくは死んだっていいと思ったっけ。しかもその場所までが、この世のものとも思えないほどきれいなところだった。 【ヘレナ】 わたしもよ、プリマス。わたしもそんな場所を見つけたわ。それはそれは不思議なところ。そこにはもと人間が住んでたんだけど、いまじゃ一面に雑草が茂ってて、だれひとり行くひともないの――ただわたしだけ。 【プリマス】 そこにはどんなものがあった? 【ヘレナ】 ちっちゃなおうちと庭と、それに犬が二匹いて、わたしの手をなめたわ。それからかわいい仔犬もたくさん! ねえプリマス! その仔犬たちを膝にのっけてなでてやってると、一日じゅうなんにも考えず、なんにも心配せずにいられるの。そしてそのうち日が暮れると、まるでどんな仕事よりも、百倍もすばらしい仕事をやりとげたような気がするのよ。わたしは労働のために製造されたロボットじゃないって聞いてるけど、あの庭にいると、わたしにはなにか、それ以上の仕事があるような気がしてくるの――ねえプリマス、わたしはなんのために生まれてきたのかしら。 【プリマス】 さあね。でもきみは美しいよ。 【ヘレナ】 なんですって、プリマス? 【プリマス】 きみは美しいよ、ヘレナ。そしてぼくは、ほかのどんなロボットよりも強いんだ。 【ヘレナ】 (鏡に自分の姿を映しながら)このわたしが美しいですって? 美しいっていうのは、バラの花のことでしょ。わたしの髪――これはただ重く感じるだけ。わたしの眼――これはただものを見るだけ。わたしの唇――これだって、ただ話をするのに役だつだけ。美しいってことが、どんな役に立つというの? (鏡でプリマスを見て)プリマス、これがあなたなの? ここへきてごらんなさいな、いっしょに映るように。まあ、あなたの頭はわたしのと違うわ。肩の恰好も、それから唇も――(プリマス、身を遠ざける)まあプリマス、どうしてそんなに逃げるの? なぜわたしは一日じゅう、あなたのあとばかり追っかけてなくちゃならないの? 【プリマス】 それはきみのほうだよ、ヘレナ、ぼくから逃げようとするのは。 【ヘレナ】 髪がもつれててよ。わたしがなでつけてあげましょう。でも、あなたほどわたしがさわるたびに、びくびくするひともいないわね。プリマス、あなたもおなじように美しくしてあげなくっちゃ。(プリマス、彼女の手をしっかと握る) 【プリマス】 ねえヘレナ、きみはときどき心臓が急にどきどきするように感じて、そしてこんなふうに思うことはないかい――さあ、いまからなにかが起きるぞって? 【ヘレナ】 わたしたちになにが起きるというの、プリマス? (ヘレナ、プリマスの髪にバラの花をさす。両名、鏡をのぞきこみ、声をあげて笑いだす)まあ、ごらんなさいな、あなたの恰好ったら。 【アルクィスト】 笑い声だ。笑い声がした。人間がいるのか?(起きあがる)だれがもどってきたんだ? だれだ、きみたちは? 【プリマス】 ロボットのプリマスです。 【アルクィスト】 なに? ロボットだと? あんたはだれだ? 【ヘレナ】 女ロボットのヘレナですわ。 【アルクィスト】 向こうを向いてごらん、娘さん。どうした? もじもじして、恥ずかしいのか? (彼女の腕をつかみ)どれ、よく見せておくれ。  ヘレナ、身をちぢめる。 【プリマス】 ちょっと、この娘《こ》をおどかすのはやめてください! 【アルクィスト】 なに? おまえは彼女をかばおうというのか? この娘はいつ造られた? 【プリマス】 二年前です。 【アルクィスト】 ゴール博士にか? 【プリマス】 ええ。ぼくもそうです。 【アルクィスト】 うーむ、笑い――含羞《がんしゅう》――保護本能。こりゃもうすこし検査してみる必要があるぞ――おまえたちゴールの最新型ロボットは。おい、この娘を解剖室へ連れてゆけ。 【プリマス】 なんのためにです? 【アルクィスト】 実験をしてみたいからさ。 【プリマス】 この――ヘレナに、ですか? 【アルクィスト】 もちろん。聞こえなかったのかね? それともだれかほかのものを呼んで、連れていかせようかね? 【プリマス】 そんなことをしてみるがいい、殺してくれるから! 【アルクィスト】 わたしを殺すって? そりゃおもしろい、殺してもらおう! だがそうなったら、ロボットたちはどうなるのかね? おまえたちの将来はどうなるのかね? 【プリマス】 それじゃ、ぼくを実験台にするがいい。ぼくは彼女とそっくりおなじにできてる――造られた日までおなじだ! さあ、どうかぼくの命をとってくれ。 【ヘレナ】 (駆けよりながら)いいえ、駄目よ、いけないわ! そんなこと、いけないわ! 【アルクィスト】 待て、娘さん、待ちなさい! (プリマスに)それじゃおまえはなにか、生きていたくないというのか? 【プリマス】 彼女がいないんなら! 彼女がいないんなら、生きてたって意味はない。 【アルクィスト】 よかろう。それじゃおまえが身代わりになるんだ。 【ヘレナ】 プリマス! ああプリマス!(わっと泣きだす) 【アルクィスト】 おお、嬢や、嬢や、おまえは泣けるのか? なんで涙を流すんだ? プリマスがおまえにとってなんだというんだ? この広い世界で、たかが一人のプリマスじゃないか――それがどうだというんだ? 【ヘレナ】 わたしが行きます。 【アルクィスト】 どこへ? 【ヘレナ】 あそこへ、解剖されに。(解剖室へ行こうとする。プリマスがさえぎる)行かせて、プリマス! 行かせてちょうだい! 【プリマス】 きみをあんなところへやるものか、ヘレナ! 【ヘレナ】 もしあなたが行って、わたしだけ残るのなら、わたし、自分で死ぬわ。 【プリマス】 (彼女を抱きとめて)そんなことさせるもんか! (アルクィストにむかい)おい、あんたにはぼくらのどっちも殺させやしないからな! 【アルクィスト】 どうしてだ? 【プリマス】 ぼくらは――ぼくらは――おたがい同士のものだからだ。 【アルクィスト】 (ほとんど涙を流さんばかりに)行け、アダム。行くがいい、イヴ。世界はおまえたちのものだ。  ヘレナとプリマスは抱擁しあい、やがて腕を組んで出てゆく。 幕  訳者あとがき  カレル・チャペックの名は、その名作『山椒魚《さんしょううお》戦争』とともに、SFファンのみならず、海外文学一般の読者にもよく知られています。またSFファンにとっては、本篇『RUR――ロッサム万能ロボット会社』――SFにとってもっとも記念すべきロボット・テーマ作品の著者として、記憶されているでしょう。  現在われわれがなにげなく口にするロボットという言葉は、じつはこのチャペックによって創造された言葉なのです。ロボットは、チャペックの母国語であるチェコスロヴァキア語のロボータ robota(働く、奉仕する)を語源としています。つまりロボットとは、基本的に人聞のために「働き」、「奉仕」するものとして規定されていたのです。そしてチャペックのロボットは、従来のモンスター的機械人間とは異なり、  1 人間には絶対服従する  2 人間的な感情、苦痛、芸術的感興がいっさいない  3 にもかかわらず、人間からはその能力ゆえに畏怖される という近代的ロボットの主要キャラクターを、すべて備えているのです。  ただし本篇をお読みになればわかるように、彼のロボットは機能的には、一種の合成人間であって、メカニックなものではありません。そこがまた、SFクラシックとしてのおもしろさでもあるのかもしれません。 訳者紹介 深町眞理子《ふかまちまりこ》  一九三一年東京生まれ、翻訳家。主な訳書にA・フランク「アンネの日記」完全版および研究版(文芸春秋社)、S・キング「シャイニング」(文春文庫)、J・モーガン「アガサ・クリスティーの生涯」(早川書房)、P・J・デーヴィス「ケンブリッジの哲学する猫」(社会思想社)、A・ハート「名探偵ポワロの華麗なる生涯」(晶文社)、C・ドイル「シャーロック・ホームズの事件簿」(創元推理文庫)、B・W・オールディス「グレイベアド」(創元SF文庫)、E・M・トーマス「トナカイ月」(草思社)などがある。 ◆RUR カレル・チャペック作/深町眞理子訳 二〇〇三年一月二十日 Ver1