「えーとつまり、ユウキとジュン、テッチが近接前衛型、タルケンとノリが中距離、シーエンが後方援護型ってことね」
アスナは腕を組み、武器防具を装備したスリーピングナイツの面々を見回した。
昨夜紹介されたときは軽装の普段着姿だったが、今は全員がエンシェント・ウェポン級の武装に身を固めている。絶剣ユウキはきのうと同じ黒のハーフアーマーに細身のロングソード。サラマンダーのジュンは小さな身体に不釣合いとも思える赤銅色のフルプレートをがっちり装備し、背中には身長と同じほどの長さのある大剣を吊っている。
巨漢ノームのテッチも同じく肉厚のプレートアーマーに、さらに戸板のごとき巨大なシールドを携えている。武器はごつごつした突起を四方に伸ばした、いかにも重そうなメイスだ。
眼鏡のレプラホーン・タルケンはひょろっとした体を真鍮色のライトアーマーに包み、武器は恐ろしく長いスピア。その隣に立つ姉御肌のスプリガン・ノリは、金属を使っていない道着ふうのゆったりした防具をまとい、これまた天井に届きそうな長さの鉄棍を携えている。
そして、唯一のメイジらしいウンディーネのシーエンは、僧侶ふうの白と濃紺の法衣と、ブリオッシュのように丸くふくらんだ帽子を身につけ、右手に細い銀色のスタッフを下げていた。全体としてはバランスが取れたパーティーだが、強いて言えば補助回復役が少し弱い。
「ってことは、わたしはヒーラーに回ったほうがいいみたいだね」
腰のレイピアを剣帯ごと外しながらアスナが言うと、ユウキがすまなそうに首を縮めた。
「ごめんねーアスナ。あれだけ剣が使えるのに、後ろに回ってもらっちゃって」
「ううん、わたしじゃ盾役はできないし。そのかわり、ジュンとテッチにはばしばし叩かれてもらうから、覚悟してねー」
にやにや笑いを浮かべ、重装備の二人を見る。猛烈な体格差のあるサラマンダーとノームのコンビは一瞬顔を見合わせたあと、同時にがしゃんとアーマーの胸を叩いた。
「お、おう、まかせとけ!」
威勢はいいものの引き攣ったジュンの台詞に、全員が愉快そうな笑い声を上げる。
アスナはアイテムウインドウを開くと、外したレイピアをその中に格納し、替わりに魔力増幅効果のあるねじれた杖を取り出した。生木そのままの、先端に葉っぱが残る一見貧相なアイテムだが、実は世界樹のいちばん天辺の枝を切ったものだ。入手するには巨大な守護竜の猛攻撃をかいくぐる必要がある。
「さて、と」
杖でとん、と床を突き、アスナは言った。
「じゃあ、ちょいとボス部屋を覗きに行きますか」
連れ立ってロンバールの宿屋を出て、常夜の空に飛び立った。
予想したとおり全員がスティックなしの随意飛行で、その滑らかな飛びっぷりにアスナはあらためて感嘆する。とても、ALOにコンバートして間もない者たちとは思えない。これはもう、VRMMOゲームに対する慣れというよりも、その根幹を成すNERDLES技術そのものへの適応力が高いと言わざるを得ない。稀にそのようなプレイヤーがいるのは確かだが、アスナの長いゲームプレイ経験のなかでも、直接知っているのはキリトやリーファといったごくわずかな数に留まっている。
それが六人も集まっているとは、一体どのような経緯で結成されたギルドなのだろうか。よくよく考えてみると、今日は一月八日であり、世間一般では仕事始め学期始めである。アスナの学校は万事余裕のあるカリキュラムのせいでまだ数日の休みが残っているが、ギルドメンバー六人全員をこんな昼間に集めるのは普通ではなかなか困難なのではないだろうか。
単純に考えれば、突出した強さのことも含め、ゲームに実生活のすべてを費やす超コアプレイヤーの集団である、と判断するのが妥当だろう。しかしアスナは、それも違うと感じていた。スリーピングナイツの面々からは、その手のギルドにありがちな我執の強さが見て取れない。皆が皆、どこか清流のような透明感を身にまとっている。
いったい、生身のプレイヤーはどのような人たちなのだろう、とアスナがいつもなら殆ど気にしないことを考えていたその時、前方を飛ぶユウキが相変わらず元気な声で叫んだ。
「見えたよ、迷宮区!」
はっとして眼を凝らすと、連なる岩山の向こうに、一際巨大な塔が見えた。円筒形のそれは地上から上層部の底までまっすぐに伸びている。根元からは、ひとつが小さな家ほどもありそうな水晶の六角柱がいくつも突き出し、放つ青い燐光で闇のなかの塔をぼんやりと照らし出している。迷宮への入り口は、塔の下部にぽっかりと黒く開いていた。
しばしホバリングし、入り口の周囲にモンスターや他パーティーの姿がないのを確認してから、ゆっくり降下する。最後尾のアスナは、地に足がつくと、六人に続いて巨大な塔を見上げた。空中から眺めるのとはまた異なる、まさしく威容と言うべきその姿に、しばし圧倒される。
「……じゃあ、打ち合わせどおり、通常モンスターとの戦闘は極力回避で行きましょう」
アスナが言うと、さすがに顔を引き締めたユウキたちは無言で頷いた。それぞれ腰や背中に手をやり、じゃりんと音高く得物を抜く。
シーエンが銀のスタッフを掲げ、立て続けにいくつもの補助スペルを詠唱した。七人のパーティーメンバーの体をライトエフェクトが包み、視界の右端、HPバーの下部に複数のアイコンが点灯する。つづいてノリがキャスティングを行い、全員に暗視魔法を掛けていく。
準備が完了したところで、もういちど顔を見合わせて頷きあい、前衛のユウキから迷宮区に踏み込んだ。入り口からしばらく続いた天然の洞窟が、石畳を組み合わせた人工の迷宮に変わると、明らかに周囲の温度が下がり、湿った冷気がアスナの肌を撫でた。
SAO時代に散々苦労させられたとおり、迷宮区内部はうんざりするほど広く、また出現モンスターのレベルもフィールドとは比較にならない。その上、アルヴヘイム地上に存在するダンジョン群と同じく、中ではまったく飛行できない。マップデータはあらかじめ購入しておいたが、それでもボス部屋までは最短でも三時間はかかるだろう。
――と、事前に予想していたのだったが。
わずか一時間と少しで、目の前に幅広の回廊とその奥の巨大な扉が出現したとき、アスナはあらためてユウキたちの実力に舌を巻く思いだった。個々の戦闘能力はそれなりに把握していたつもりだったが、更に見事と言うべきは六人の連携技術だ。言葉もなしに、小さな身振り手振りだけで立ち止まるべきところは立ち止まり、突っ切るところは突っ切っていく。アスナはほとんど、パーティーの最後尾をただ付いていけばよかった。モンスターと戦闘になったのはたったの三回であり、それすらも、アスナの指示に従って瞬時にリーダーの個体を屠ったため敵群が混乱したところを簡単に振り切ることができた。
ボス部屋への回廊を前進しながら、アスナは少々ぼやきたい気分で傍らのシーエンに囁きかけた。
「なんだか……わたし、本当に必要だったのかなあ? あなたたちを手助けできる余地なんて、ほとんどないような気がするんだけど……」
すると、シーエンは目を丸くして、ふるふるとかぶりを振る。
「いえ、とんでもない。アスナさんの指示があったからトラップも一度も踏みませんでしたし、戦闘もすごく少なくてすみましたし。前の二回では、遭遇する敵ぜんぶと正面から戦っちゃったので、ボス部屋につく頃には随分消耗しちゃって……」
「……それはそれで凄いけどね……――っと、ユウキ、止まって」
アスナが少し高めた声で言うと、前衛三人はぴたりと足を止めた。
すでに、ボス部屋へと続く長い回廊も半ば以上を踏破し、突き当たりの、おどろおどろしい装飾を施された石扉の細部までが見て取れる。回廊の両脇には一定間隔で円柱が立っているが、その陰を含めて、モンスターの姿はない。
訝しそうな顔で振り向くユウキやジュンに向かって、唇に人差し指をあててみせてから、アスナは大扉の左側、最後の円柱の向こう側に視線を凝らした。
回廊の照明は、円柱上部の壁龕に据えられた火皿の青白い炎だけだ。ノリの暗視魔法の補助があっても、ゆらゆら揺れる石壁の影の微細な動きは捉え難い。が、直感的に、アスナは視界の一部分に違和感を覚えたのだった。
手振りでユウキたちを退がらせて、アスナは右手の杖を掲げた。早口で少し長めのスペルワードを組み立てながら、左手の平を胸の前で上向ける。
詠唱が完了すると、手の平のうえに、胸ヒレを長く伸ばした小さな魚が五匹出現した。青く透き通るその魚たちに顔を寄せ、目指す方向に向かって軽く息を吹きかける。
途端、魚たちはぴちちっと跳ねてから、空中を一直線に泳ぎはじめた。対隠蔽呪文用精霊『サーチャー』を召還したのだ。五匹はわずかな角度をつけて放射状に泳いでいき、うち二匹が、アスナの眼に止まった空気の揺らぎの中に突入した。
ぱあっと青い光が広がった。サーチャーが消滅し、その奥で、一瞬だけ緑色の膜が出現してから、たちまち溶け崩れるように消えた。
「あっ!」
ユウキが驚いたような声を上げた。さっきまで何もなかった円柱の向こうに、忽然と三人のプレイヤーが姿を現したのだ。
アスナは素早く視線を走らせた。インプ二人、シルフ一人、全員が短剣装備の軽装だ。と言っても、武装のグレードはかなり高い。知った顔はなかったが、カーソル横に表示されたギルドタグには見覚えがあった。中盤以降、アインクラッドの迷宮区を立て続けに攻略している大規模ギルドのエンブレムだ。
迷宮区で、周囲にモンスターもいないのにハイドしているとは穏やかではない。一般的にはPKの手口だ。アスナは向こうの遠距離攻撃に備えて再び杖を掲げ、傍らでユウキたちもがしゃりと武器を構えなおす。
だが、予想に反して、三人組のひとりが慌てた様子で片手を上げて叫んだ。
「ストップストップ! 戦う気はない!」
焦った声の調子は演技とは思えなかったが、アスナは警戒を解かずに叫び返した。
「なら、剣を仕舞いなさい!」
すると、三人は顔を見合わせ、すぐにそれぞれの短剣を腰の鞘に収めた。アスナはちらりとシーエンを振り返り、囁いた。
「連中がもう一度抜剣するそぶりを見せたら、すぐにアクアバインドを掛けて」
「わかりました。うわあ、対人戦ははじめてですよ。どきどきしますね」
どきどきというよりもワクワクしているかのように目を輝かせるシーエン及び仲間たちの様子に、わずかに苦笑してから、アスナは三人組に向き直った。ゆっくりと数歩近寄り、言う。
「PKじゃないなら……何が目的でハイドしてたの?」
再びちらりと視線を交わしてから、リーダーとおぼしきインプが答えた。
「待ち合わせなんだ。仲間が来るまでにMobに襲われたら面倒なんで、隠れてたんだよ」
「…………」
もっともらしく聞こえるが、どこか怪しい。隠蔽呪文使用中は馬鹿にならない速度でマナが消費されるため、数分ごとに高価なポーションを飲み続ける必要がある。そもそもこんな迷宮の最奥まで辿り付けるなら、そこまでしてモンスターとの戦闘を避ける必要は無いはずなのだ。
しかし、これ以上こちらから難癖をつけることもできそうになかった。万難を排するならこちらからキルするという手もあるが、大規模ギルドとトラブルになると後々色々面倒なのも確かだ。
アスナは疑問を飲み込んで、軽く頷いた。
「わかったわ。――わたし達、ボスに挑戦に来たんだけど、そっちの準備がまだなら先にやらせてもらってもいいわね?」
「ああ、もちろん」
ことによると、更に巧言を重ねてボスモンスターへの挑戦を妨害してくるかも、と予想したのだが、あにはからんや痩身のインプは短く即答した。そのまま、二人の仲間を手振りで下がらせ、自らも大扉の脇へと退く。
「俺たちはここで仲間を待つから、まあ、がんばってくれや。じゃあな」
わずかな笑みを頬に浮かべ、インプは仲間のシルフのほうにあごをしゃくった。頷くと、シルフは両手を掲げ、慣れた口調でスペルワードの詠唱を開始する。
たちまち、術者の足元から緑色の空気の膜が沸きあがり、三人の体を覆い包んだ。すぐに膜の色がすうっと薄れ、揺らぐように消えたときには、そこにはもう誰の姿も見えなかった。
「…………」
アスナはしばらく口もとを引き締めたまま、再びハイドした男達のほうを見つめていたが、やがて肩をすくめるとユウキのほうに向き直った。絶剣の異名を持つ少女は、いまの不穏なやり取りにもまったく気分を害した様子は無いようで、大きな紫の瞳をきらきらさせたまま、アスナに向かって軽く首をかしげてみせる。
「……とりあえず、予定どおり一度中の様子を見てみましょう」
アスナが言うと、ユウキはにいっと笑いながら大きく頷いた。
「ん、いよいよだね! がんばろ、アスナ!」
「様子見と言わず、ぶっつけでぶっ倒しちゃうくらいの気合で行こうぜ」
威勢のいいジュンの言葉には、アスナも笑いを返すしかない。
「まあ、それが理想だけどね。でも、無理して高いアイテム使ってまで回復しなくていいからね。あくまで、わたしとシーエンがヒールできる範囲内でがんばるってことで、いいわね」
「はい、先生!」
茶目っ気たっぷりに答えるジュンのおでこを指で突いておいて、アスナは他の五人を順繰りに見ながら続けた。
「死んでも、すぐには街に戻らないで、ボスの攻撃パターンをしっかり見ておいてね。全滅したら、いっしょにロンバールのセーブポイントに戻るってことで。――フォーメーションは、ジュンとテッチが最前面でひたすら耐える。タルケンとノリはその両翼から攻撃。ユウキは自由に遊撃、可能ならボスの背面に回ってみて。で、わたしとシーエンが後方で補助回復、と」
「了解」
一同を代表して巨漢のテッチが重々しい声で言う。左手のタワーシールドをがしゃりと掲げ、右手のメイスを肩に担ぎ、大扉のすぐ前にジュンと並んで立つと、ちらりとアスナを振り向いた。
アスナがぐいっと頷き返すと、ジュンが空いている左手を扉に掛けた。肩を怒らせ、ぐいっと力を込める。
黒光りする岩でできた二枚扉は、一瞬抵抗するかのように軋み声を上げたあと、ごろごろと雷鳴に似た音を回廊全体に響かせながらゆっくりと左右に割れはじめた。内部は完全な闇――
と思ったのも束の間、ドアのすぐ前で、青白いかがり火が二つ、ぼうっと吹き上がった。続いて、さらに左右に二つ。わずかな時間差を置いて、無数の炎が輪を描くように立ち上っていく。
ボス部屋は完全な円形だった。床面は磨かれたような黒石、広さも相当なものだ。いちばん奥の壁に、上層へと繋がる階段を隠す扉が見える。
「――いくわよ!」
アスナが叫ぶと同時に、ジュンとテッチが思い切りよく部屋の内部に走り込んだ。残る五人もすぐに後を追う。
全員が、決めたとおりのフォーメーションにつき、それぞれの武器を音高く構えた、次の瞬間。部屋の中央に、荒削りの巨大なポリゴンが湧出した。黒いキューブ状のそれは、たちまち幾つも組み合わさり、角が面取りされ、みるみるうちに情報量を増していく。
最後に、ばしゃーんと無数の破片を宙に散らして、ボスモンスターが実体化した。身の丈4メートルはあろうかという黒い巨人だ。見上げるほどでかい上に、頭が二つ、腕が四本あり、それぞれの手に凶悪な形をした鈍器を握っている。
地震のごとく床を揺らして、巨人は着地した。下半身に対して上半身のボリュームが異様に大きく、体をかなり前傾させているが、それでも二つの頭ははるか上空に位置している。
赤く光る四つの眼で、アスナたちをしばし睥睨したあと、巨人は轟くような咆哮を上げた。上側の二つの手に握られた破城槌並みのハンマーを高く振り上げ、下側の二本の腕で、錨も吊るせそうな太い鎖を床に打ち付けて――。
「だああああ、負けた負けた!!」
最後に転移してきたノリが、ばんばんタルケンの背中を叩きながら、愉快そうに喚いた。
ロンバール中央広場に面した、ドーム状の建物の中。部屋の真ん中、一段低くなった床に立つ位置セーブクリスタルの周囲に、アスナたち七人は転送されていた。無論、67層ボスである黒巨人の猛攻の前にあえなく全滅したからである。
「ううー、がんばったのになあー」
無念そうに肩を落とすユウキの襟首を、アスナはがっしと掴んだ。
「ふえ?」
いぶかしい顔をするユウキを引っ張り、そのまま部屋の隅へと走り出す。
「みんなも、早くこっちきて!」
とりあえず宿屋に戻って休憩兼残念会、などと言っていたジュンたちも、ぽかんと顔を見合わせたあと、すぐに後を駆けてくる。
建物の中には誰の姿もなかったが、念を入れて入口まで声の届かない場所に全員を集めると、アスナは早口で捲し立てた。
「のんびりしてる余裕はないわよ。ボス部屋の前にいた三人、覚えてるでしょ?」
「ええ、はい」
シーエンがこくりと頷く。
「あれは、ボス攻略専門ギルドの偵察隊だわ。同盟ギルド以外のプレイヤーがボスに挑戦するのを監視してるのよ。多分、前の層も、その前も、ユウキたちがボスと戦ってるところをハイドして見てたはずよ」
「えっ……わあ、ぜんぜん気付かなかった!」
「恐らく、わたし達の人数から、攻略に成功する可能性は無いと判断したのね。だから、妨害よりもボスと戦わせて攻撃パターンの情報収集することに作戦を切り替えたのよ」
「ううー、もしかして今までボクたちが全滅したあと、すぐに攻略されちゃったのはそのせいなの……?」
「間違いないわね。ユウキたちががんばりすぎて、ボスの手の内を最終段階まで丸裸にしたから、彼らも攻略に踏み切れたんだと思う」
「と、いうことはつまり……」
シーエンが柳眉をひそめて呟く。
「今回も、噛ませ犬役を演じてしまったということですか……?」
「……なんてこった」
タルケンの嘆き声に、五人もがっくりと肩を落とそうとしたが、その前にアスナはばしんとユウキの肩を叩いた。
「ううん、そうと決まったわけじゃないわ!」
「え……? どういうことなの、アスナ?」
「まだ現実では昼の二時半、こんな時間に何十人も集めるのは、いくら大規模ギルドでも大変なはずだわ。少なく見積もっても二時間くらいはかかると思う。その間隙を突くのよ。――いい、あと五分でミーティングを終えて、三十分でボス部屋まで戻る!」
「ええー!?」
さすがのスリーピングナイツ達も、今度こそは驚愕の声を上げた。それに向かって、アスナはにこっと笑いかける。
「わたし達ならできるわ。それに――ボスもきっと倒せる」
「ほ、ほんと!?」
「きっちり冷静に、弱点を突ければね。作戦はこうよ。ボスは巨人型、多腕なのが厄介だけど、正面をきっちり作れる分、非定型クリーチャータイプよりマシだわ。攻撃パターンは、ハンマーの振り下ろし、鎖の薙ぎ払い、頭を下げての突進。HPが半減してからは、プラス広範囲ブレス攻撃。さらにHPが減ると、武器四つでの八連撃ソードスキル……」
アスナは床にホロパネルを広げると、手早くボスの攻撃パターンを列挙した。次に、それぞれに対する詳細な防御方法を指示していく。
「……だから、ジュンとテッチは鎖は無視していいわ。ひたすらハンマーに集中して。次に弱点だけど、ハンマーの振り下ろし攻撃を、武器や盾で受けないで空振らせて、床を叩かせるとコンマ7秒くらい硬直時間があるわ。その隙を逃さずに、ノリとタルケンはきっちり強攻撃を入れて。あと、背中側にもかなりの隙がある。ユウキはひたすらバックを取って、突進系のソードスキルで攻めていいわ。鎖は真後ろまで届くから気をつけてね。で、ブレスへの対応だけど……」
作戦会議でこんなに喋ったのは、間違いなく血盟騎士団時代以来だ、と心の隅で思いながら、アスナは思い切り口を回転させた。六人は真剣な顔でこくこくと頷きつづけている。
まるで学校の先生にでもなったかのような感慨をおぼえつつ、アスナはぴたり4分でレクチャーを終えた。次にアイテム欄を開くと、預かっていた攻略予算で買い込んだ大量の回復ポーション類を、まとめて実体化させる。
がしゃがしゃんと音を立て、床の上に色とりどりのガラス瓶の山が出来た。それを、先刻の挑戦で皆が受けたダメージ量に従って次々に分配していく。最後に、青い瓶に入ったマナ回復薬を自分とシーエンのポーチに放り込み、すべての準備が完了した。
アスナは背筋をぴしっと伸ばすと、全員の顔を見回して、微笑みながら力強く頷いた。
「もう一度言うけど、あなた達……ううん、わたし達なら、あのボスに勝てる。ずーっと前からここで戦ってるわたしが保証するわ」
すると、ユウキもいつもの邪気の無い笑みを浮かべ、言った。
「ボクの勘は間違ってなかったよ。アスナに頼んでよかった。もし攻略がうまくいかなくても、ボクの気持ちは変わらないからね。――ありがとう、アスナ」
「……その言葉は、祝勝会の時までとっておいてね。じゃ……もう一度、がんばろう!」
再びロンバールを飛び立った六人は、掛け値なしの全速飛行で迷宮区を目指した。最短距離をまっすぐ飛んだので、フィールドモンスターに何度かターゲットされたが、ノリの幻惑魔法で眼をくらませて一気に突っ切る。
巨塔まではほんの五分で辿り付いた。立ち止まらずに入り口に飛び込み、今度は足を使って最上階へと駆け抜ける。さすがに狭いダンジョンの中では、モンスター群の真ん中を突破するわけには行かなかったが、かわりに絶剣ユウキがその本領を発揮し、リーダー個体をほとんど一息に斬り倒した。
設定したタイマーが28分を経過したとき、ついに目の前にボス部屋へと続く回廊が現われた。広い通路は、ゆるく右に湾曲しながら、螺旋状に塔の中央部まで伸びている。
「おっしゃあと2分ッ!!」
ジュンが叫ぶと、ユウキの前に立ってスプリントを始めた。
「あっ、こらまてー!」
それをユウキが追っていく。
このぶんなら、どうにか例のギルドの鼻を明かせそうだ、と思いながら、アスナも懸命に走った。ぐるぐると円を描きながら一行はたちまち回廊を走破し、ついに例の大扉が目の前に――
「!?」
扉の前に広がる光景に、アスナは驚愕しながら両足でブレーキを掛けた。ユウキとジュンも、ブーツで床をがりがり擦りながら急停止する。
「な……なんだい、これ……!?」
アスナの傍らで、ノリが呆然と囁いた。
ボス部屋の扉へと至る、長さ十メートルほどの回廊は、およそ二十人ほどのプレイヤーでぎっしりと埋まっていた。
種族はまったくバラバラだが、唯一共通しているものがあった。全員のカーソル横のギルドエンブレムだ。さきほど、扉の前でハイドしていた三人と同じものである。
遅かった!? まさかこんなに早く――、と内心で歯噛みしてから、アスナはおや、と思った。ボス攻略にしては、人数が少ない。二十人、つまり三パーティーというのは、噂に聞くこのギルドの攻略チームのおよそ三分の一程度である。
つまりまだ全員が集まっているわけではないのだ。こんな迷宮の最奥部を集合場所にするとは大胆な話だが、その分連中も焦っているということか。
アスナは流石に眉をしかめているユウキの隣に歩み寄ると、濃紺のロングヘアに隠された耳に口を寄せた。
「大丈夫、一回は挑戦できる余裕はありそうだわ」
「……ほんと?」
ほっとしたような顔を見せるユウキの肩をぽんと叩き、アスナはつかつかと集団へ歩み寄った。全員がまっすぐ視線を注いでくるが、何故か口もとに妙なにやにや笑いを浮かべている者が多い。
それを無視して、アスナは集団のいちばん前に立つ、一際ハイランクの武装をまとったノームに話し掛けた。
「ごめんなさい、わたし達ボスに挑戦したいの。そこを通してくれる?」
だが、太い腕を見せつけるように前に組んだノームは、アスナの予想の及ばないことを口にした。
「悪いな、ここは今閉鎖中だ」
「閉鎖……って、どういうこと……?」
唖然としながら訊き返す。ノームは大げさに眉を上下させると、何気ない口調で続けた。
「これからうちのギルドがボスに挑戦するんでね。今、その準備中なんだ。しばらくそこで待っててくれ」
「しばらくって……どのくらい?」
「ま、一時間てとこだな」
ここに至って、ようやくアスナは男達の魂胆を理解した。彼らは、ボス部屋前に偵察隊を配置して情報収集に当たらせるだけでなく、攻略に成功しそうな他集団が現われたときには更に多人数の部隊で通路を物理的に封鎖するという作戦を取っているのだ。
このところ、一部の高レベルギルドによる狩場の独占が問題になっているという噂は聞いていた。だがよもや、中立域においてこんな露骨な占領行為がまかり通っているとはまるで知らなかった。
自然に声が尖ろうとするのをどうにか堪えながら、アスナは言った。
「そんなに待っている暇はないわ。そっちがすぐに挑戦するっていうなら別だけど、それが出来ないなら先にやらせて頂戴」
「そう言われてもね」
しかしノームはまったく動じる様子もない。
「こっちは先に来て並んでるんだ。順番は守ってもらわないと」
「それなら、準備が終わってから来てよ。わたし達はいつでも行けるのに、一時間も待たされるなんて理不尽よ」
「だから、そう言われても、俺にはどうにもできないんだよ。上からの命令なんでね、文句があるならギルド本部まで行って交渉してくれよ。16層にあるからさ」
「そんなとこまで行ってたらそれこそ一時間経っちゃうわよ!」
つい大声で言い返してしまってから、アスナは唇を噛み、自分を落ち着かせるために大きく深呼吸した。
どう交渉しても、彼らに道を空ける気はないらしい。ならばどうするか。
ボスがドロップする金品をすべて提供するという取引を申し出るというのはどうだろう。いや、ボス攻略の魅力はアイテムだけではない。莫大なスキルアップポイントと、剣士の碑に名を残す名誉という実体のない付随物もある。とても連中が飲むとは思えない。
あるいは、不当行為としてGMに訴え出るという手段もあるにはある。しかし、基本的に運営サイドはプレイヤー間のトラブルには干渉したがらないし、双方の言い分を申し立てて裁量を待っているうちにも時間はどんどん過ぎていく。
八方塞りで立ち尽くすアスナを高いところから一瞥して、ノームは交渉終了と見たか身を翻し、仲間のほうに戻ろうとした。
その背中に向かって、アスナの斜め後ろにいたユウキが声を投げかけた。
「ね、君」
立ち止まり、肩越しにひょいと振り返るノームに、いつもの笑顔のままのユウキは元気な声で訊ねる。
「つまり、ボクたちがこれ以上どうお願いしても、そこをどいてくれる気はないってことなんだね?」
「――ぶっちゃければ、そういうことだな」
直截なユウキの物言いに、ノームもさすがに鼻白んだ様子だったが、すぐに倣岸な態度を取り戻して頷いた。それに向かって、ユウキはにっこりと笑いかけると、短く言った。
「そっか。じゃあ、仕方ないね。戦おう」
「な……なに!?」
「ええ……?」
ノームの男と同時に、アスナも驚いて声を漏らした。
中立域ではプレイヤー・キルが可能なALOではあるが、実際にプレイヤーを襲う行為にはルールに明文化されている以上のしがらみが色々と付随する。相手が、大規模なギルドの所属員であるとなれば尚更だ。たとえその場では勝利しても、事後にギルドあげての報復があるかもしれないし、恨みをゲーム外にまで持ち出されることだって無いとは言えない。最初からPKをプレイスタイルとしている者以外は、大ギルド相手に戦闘を吹っかけることはほとんどできないのが実情なのだ。
「ゆ……ユウキ、それは……」
そのへんのことをどう説明したものか、アスナは口を開いたものの言葉に詰まった。そんなアスナの背中を、ユウキは笑みを消さないまま、ぽん、と叩く。
「アスナ。ぶつからなきゃ伝わらないことだってあるよ。例えば、自分がどれくらい真剣なのか、とかね」
「ま、そういうことだな」
背後でジュンが相槌を打つ。振り返ると、五人とも平然とした態度でそれぞれの武器を握りなおしている。
「みんな……」
「封鎖してる彼らだって、覚悟はしているはずだよ。最後のひとりになっても、この場所を守りつづける、ってね」
ユウキは再びノームに視線を投げかけると、小さく首を傾け、言った。
「ね、そうだよね、君」
「あ……お、俺たちは……」
まだ驚きから醒めやらぬ様子の男に向かって、腰の剣を音高く抜き、ぴたりと剣尖を据える。ふっ、と口もとの笑みを薄れさせ――
「さあ、武器を取って」
ユウキのペースに飲まれたように、ノームは腰から大ぶりのバトルアックスを外すと、ふらりと構えた。
次の瞬間、小柄なインプの少女は、一陣の突風となって回廊を駆けた。
「ぬあっ……」
ようやく事態を理解したとでもいうように、ノームは目を丸くして唸り声を上げると、大きく斧を振りかぶる。だが、その動きはいかにも遅すぎた。ユウキの黒曜石の剣は、闇色の軌跡を残して低い位置から跳ね上がり、男の胸の真ん中を捉えた。
「ぐっ!」
ユウキの1.5倍近い身長のノームは、その一撃だけでぐらりと体勢を崩した。そこに、真っ向正面の上段斬りが襲い掛かる。どすっ、と重い音を立ててノームの肩口に剣が食い込み、HPバーを大幅に削り取る。
「ぬおおおお!!」
ついに男は怒りの雄叫びを上げ、目の前の少女に向かって思い切り斧を振り下ろした。さすがに有名ギルドでパーティーリーダーを張るだけあって、そのスピードは中々のものだったが、"絶剣"ユウキの相手はいかにも荷が重すぎた。
バキィン、と甲高い音がして、斧はユウキに触れるはるか以前に大きく弾かれた。体を泳がせるノームの眼前で、ユウキはぐうっと弓を絞るように右手の剣を大きく引いた。同時に、刀身が血のような赤い光を放つ。キリトが得意としていた片手剣用単発ソードスキル、『ヴォーパル・ストライク』だ。
爆発じみた衝撃音が回廊を突き抜け、壁を震動させた。ユウキの放った突き技はノームの胸の中央を深く貫き、そのHPバーをあっけなく吹き散らした。周囲を染めた真紅のライトエフェクトが消えると同時に、男の巨体を黄色い炎が包み、直後、その姿は溶け崩れるように消滅した。あとには、小さな残り火がひとつ漂うだけだ。
ボス攻略専門ギルドと銘打つだけあって、突然の襲撃には慣れていなかったのであろう残りの者たちは、ここに至ってようやく事態を呑みこんだようだった。
「て、てめえええっ!!」
一人のサラマンダーが腰から大ぶりの曲刀を抜き放つと、怒号を発した。それを合図に、全員がみるみる殺気立ち、それぞれの武器を高く掲げる。
「さて、私たちも行きますか」
シーエンがあくまで落ち着いた声で言うと、アスナの肩をぽんと叩いて微笑んだ。
「えー……っと……」
どういう顔をするべきか咄嗟に判断できず、とりあえず強張った笑みを浮かべてみたアスナのすぐ隣を、どりゃあああと威勢のいい声を上げながらジュンが駆け抜けていく。そのすぐ後ろにヘビーメイスを担いだテッチが続き、更に槍と鉄棍をプロペラのように回しながらノリとタルケンが追従する。
いまや明確に敵となった相手集団も、一戦交えると決まってからの動きは速かった。前面に重装甲のノームやサラマンダーが並び、鉄の壁と化して、一人突出しているユウキ目掛けて殺到してくる。
ユウキには、後退する気はさらさら無いようだった。いきなりソードスキルで迎撃するつもりらしく、大上段に高く振りかぶった剣がまばゆい紫に発光する。その右翼にジュンとタルケン、左翼にテッチとノリが突入し、くさび型のフォーメーションを作る。
双方が激突した瞬間、ががぁん!! という大音響が炸裂し、立て続けに幾つものライトエフェクトが弾けた。たちまち秩序なき混戦が始まり、広い回廊は剣戟の音に満ち溢れた。
ユウキが対人戦闘に熟達しているのは、アスナが自分の剣で確かめているが、彼女以外のメンバーも、戦う相手がモンスターからプレイヤーになったところでまるで臆することなく得物を振り回した。ジュンの大剣とテッチの戦槌は、その重量を活かして真正面から敵の防御を崩し、出来た隙をタルケンの長槍とノリの鉄棍が的確に捉えていく。ユウキのほうはと言えば、持ち前の超絶回避力を存分に発揮し、殺到する複数の武器をひょいひょいと掻い潜っては敵の懐に密着して、必殺のカウンターを叩き込んでいく。
数倍の人数相手に、まさに獅子奮迅と言うべきスリーピングナイツの戦いっぷりだったが、しかし敵集団も容易には倒れなかった。後方に控えたメイジ隊が途切れることなく回復魔法を詠唱しているせいだ。
あまりの乱戦による偶発的ヒットで、ユウキ以外のメンバーのHPも徐々に減り始めたようだった。アスナの隣でシーエンがヒール呪文の詠唱を始める。
と、集団からするりと抜け出し、アスナとシーエンに向かってダッシュしてくる影が二つあった。レザー系の軽鎧、手には鈍く光るダガーを装備したアサシンタイプだ。
その連中が、数十分前にボス部屋の前でハイドしていたプレイヤーだと気付いたとき、ようやくアスナも肚を決める気になった。長い杖を両手で構えると、頭上で風車のようにぶんぶん回転させ始める。
「ふんっ!!」
気合とともに体ごと振り回すと、黄色い光の帯を引きながら、世界樹の枝は飛び掛ってきたアサシン二人を真横から薙ぎ払った。コンコーン! と薪を割るような音を立てて二人は跳ね飛ばされ、床に叩きつけられる。
攻撃者たちは、まさかウンディーネのメイジから棒術系ソードスキルによる反撃を受けるとは思ってもいなかったようで、床に転がったまま一瞬目を丸くした。その隙を逃さず、アスナはダッシュで距離を詰めると、一人を回転系三連撃、もう一人を突き技四連撃で仕留める。
倒した相手が紫と緑の炎に包まれて消滅するのに目もくれず、アスナは振り返ると、シーエンに向かって言った。
「ヒールは一人で大丈夫?」
さすがに驚いたような顔をしながらも、シーエンはこくりと頷いた。
「ええ、多分間に合うと思います」
「じゃあ、わたしは敵のヒーラーを排除してくるわ」
にっ、と唇の端で笑ってみせて、アスナは手早くウインドウを出すと杖をアイテム欄に放り込み、かわりに愛用のレイピアを装備した。たちまち、腰の周囲を銀色の光が取り巻き、ミスリル糸を編んだ剣帯と、それにぶら下がる同素材の鞘が実体化する。
しゃらんと音を立てて細く長い剣を引き抜き、アスナは前方の混戦地帯を睨んだ。双方入り乱れた戦士たちはほぼ回廊の幅いっぱいに広がっているが、強いて言えば右側の層が薄い。
すーはー、と一回呼吸を整えて、アスナは思い切り石畳を蹴った。右手のレイピアを腰溜めに構え、全力でダッシュする。速度が充分乗ったところで、進行方向でこちらに背を見せて戦っているユウキに向かって大声で叫ぶ。
「ユウキ!! 避けて!!」
「へ……? ――わあ!?」
ひょいっと振り向いたユウキは、突進するアスナを視認するや慌てて飛び退った。そのむこうで、剣を振りかぶったまま硬直するサラマンダー目掛けて、アスナは姿勢を低くしてまっすぐ剣を突き出した。
ばっ、と剣先から純白の光が幾筋も迸り、たなびくようにアスナを包んだ。直後、ふわりと体が浮き上がる感覚。アスナは彗星のように長く光の尾を引きながら、猛烈なスピードで突進していく。
「うわああっ!!」
ようやく我に返ったサラマンダーは、左手の盾を体の前にかざそうとした。だがギリギリ間に合わず、その体の中央にレイピアの先端が触れた。
途端、まるで暴走する巨獣に轢かれでもしたかのように、サラマンダーは宙高く弾き飛ばされた。ユウキの剣によってHPをほとんど削られていたらしく、その体は空中にあるうちに真紅の炎を噴き上げて四散する。
彗星と化したアスナは、一人を屠ってもまったく勢いを削がれることなく、更に後方の敵本隊に向かって一直線に突入した。たちまち三、四人が同じように吹き飛ばされ、ある者は空を舞い、ある者は地面に叩きつけられる。細剣カテゴリの長距離突進系ソードスキル、『フラッシング・ペネトレイター』なる技だ。発動するためには充分な助走が必要なため、一対一の戦闘では使える場面はほとんど無いが、このように敵集団を突破するためには非常に有効な手段となる。
一瞬のうちに鎧と盾の鉄壁を貫通し、更に十メートル近くも飛翔してから、アスナはようやく迷宮の床に着地した。靴底でがりがりと火花を散らしながらブレーキをかけて停止し、うずくまったまま顔を上げる。目の前では六人ほどのローブをまとったメイジたちが固まり、呆然とアスナを見下ろしていた。
「どーも」
アスナはにこっと笑いかけると、立ち上がりながら右手のレイピアをぎゅん、と後ろに引き絞った。
集団戦になにより重要なのは、実は前面に立つ近接戦闘要員の能力よりも、後方のバックアップ態勢である。そんなわけで、回復要員を排除された敵集団は、ユウキたちの猛攻撃の前にあっけなく潰滅した。
アスナが再びレイピアを仕舞い、杖を取り出していると、近寄ってきたユウキがばしんと背中を叩いた。
「やるねえアスナ! ボクでもなかなかあんな無鉄砲な突撃はしないよー」
あはは、と笑われ、アスナもやや複雑な笑みを返す。
「そ、その言われ方は心外だなあ。先に彼らをぶっとばしちゃったのはユウキじゃない」
「うーん、まずかったかなあ……?」
今更のように首を傾げられると、アスナも笑いながら否定するしかない。
「ううん、そりゃちょっと驚いたけど、終わってみればこうするしかなかったって感じだし。それに……」
じっ、とユウキの大きなアメジストの瞳を見る。
「なんだか、忘れてたことを思い出させてもらった感じ。ぶつからなければ、伝わらないこともある……。ほんと、そうだよね」
「ぼ、ボク、そんな深い意味で言ったわけじゃないよ」
照れたように肩をすくめるユウキに向かって、アスナはもう一度微笑みかけた。
「わたしも、ずーっと昔は知ってたはずなんだ。本音を飲み込んじゃダメな時だってある……」
「……?」
「……ねえ、ユウキ」
不思議そうに目をしばたかせるユウキに向かって、アスナは口を開きかけたが、思い直して首を振った。
「ううん、ごめん、後にする。それより、さっきの人たちがまた押しかけてくる前にボスを倒しちゃわないと」
先刻まで床に漂っていた二十幾つのリメインライトは全て消え去っていた。恐らくロンバールのセーブポイントで蘇生し、攻略ギルドの本隊と合流したあとは、数倍の勢力になって殺到してくるだろう。
アスナは振り向くと、五人の仲間たちに声を掛けた。
「みんな、だいじょぶ? 疲れてない?」
「へーきへーき! これくらいで消耗するような鍛え方はしてないって!」
肩に鉄棍を担いだノリが、がっはっはと笑いながら隣のタルケンの背中をばしばしと叩く。のっぽのレプラホーンは、眼鏡をずり下げながらわざとらしくゴホゴホ咳き込んでみせるが、激戦に疲労した様子はまるで無い。
あはは、と笑いながら、アスナは視界の端のHP、MPバーを確認した。戦闘直後に飲んでおいたポーションの効果で、ちょうどフル回復したところだった。
皆が全快したのを確認したユウキがぱちんと両手を叩き、元気な声で言った。
「じゃ、もいっちょ行こっか!」
おー、と唱和しつつ、アスナたち六人はそれぞれの武器を高く掲げる。手早く打ち合わせどおりの隊列に並びなおし、アスナとシーエンの補助スペル詠唱が終わったところで、ユウキが右手を回廊どんつきの大扉に掛けた。一瞬ぐっとためてから、思い切り開け放つ。
今度は青いかがり火がすべて点灯するのを待つことなく、全員が内部に駆け込んだ。この照明の演出は全フロアで共通しており、最初のひとつが灯ってからボス湧出が終わるまでが、攻略参加の猶予時間となる。
重低音を響かせながら、四角い岩のようなポリゴンが出現した。みるみるディティールが増加し、黒巨人がその姿をほとんど完成させたころ、背後の回廊から遠く無数の靴音とときの声が響いてきたが、アスナはもうほとんど注意を払わなかった。
雷鳴のような雄叫びを轟かせ、ボスモンスターがずしんと着地するのと同時に、両扉が重く震動しながら動き出し、数秒でぴたりと閉ざされた。
小瓶の栓を親指で弾き飛ばし、中の青い液体を一息に呷りながら、アスナはマナ回復薬の残存数をちらりと確認した。腰のポーチにぎっしりと詰まっていたはずのポーションだが、四十分を超える激戦のあいだにみるみる消費され、残すところあと三本だけとなってしまった。一緒にヒーラー役を受け持っているシーエンのほうも似たような状況だろう。
前衛攻撃役の面々も限界まで頑張ってはいるのだ。黒巨人の攻撃パターンのうち、回避可能なものは全て避けている。しかし、巨人のふたつの口から時折放たれる毒属性の広範囲ブレスと、二本の鉄鎖で周囲を狂ったように薙ぎ払う全方位攻撃だけはいかんともし難い。その二つが飛び出すたびに、アスナとシーエンは最上級の全体回復スペルの詠唱を余儀なくされるため、マナポイントがいくらあっても追いつかない。
こちらの攻撃も、ノリの棍とタルケンの槍、ユウキの剣がもう無数にクリーンヒットしているのだが、まるで耐久力無限の鉄壁を叩いているような嫌な手応えだ。ボスは時折四本の腕を体の前で交差させて防御姿勢を取り、そうなると実際に鉄のように硬くなってすべての攻撃を弾くため、徒労感もいや増していく。
喉元までせり上がってくる焦燥感を、ポーションと一緒にむりやり飲み下して、アスナは声を張り上げた。
「みんな、もうちょっとだよ! もうちょっとだけ、頑張ろう!」
――と言ってはみたものの、五分前にも同じことを叫んでいるのだ。ボスモンスターはHPバーを確認することができないため、残りHPはその挙動から推測するしかない。戦闘開始時にはのろのろと動いていた黒巨人が、今は恐慌状態とでも言うべきおお暴れっぷりなので、体力が残り少ないのは確かなはずだが、それすらも希望的観測の域を出ていない。
こういう先の見えない長期戦では、後方でバックアップするプレイヤーはマナポイントが減少していくだけだが、前線で敵の猛攻に晒されるフォワードは実際に精神力、集中力を消耗させていくことになる。通常のボス攻略戦では、最前面に立つプレイヤーはおよそ十分で控えと交替するのがセオリーなので、それを考えればスリーピングナイツの面々の頑張りは驚異的と言える。
しかしさすがに疲労は隠し切れないようで、アスナの呼びかけに、おう! と元気な声で応えたのはユウキだけだった。小柄なインプの少女だけは何十分経っても憔悴の色ひとつ見せず、軽快なステップで巨人の槌と鎖をかいくぐっては右手の剣で的確にダメージを入れていく。
いままで、ユウキの強さを超絶的な反射速度としてとらえていたアスナだが、ここにきてまたひとつ認識を新たにさせられる思いだった。集中を途切れさせることなく剣を振るい続ける意思の強靭さは、これもかつてのキリトに匹敵するかもしれない。
ふと、アスナは、何度目ともしれない回復スペルを詠唱しながら、眼前の光景を遠い記憶に重ね合わせていた。
まえのアインクラッドの、七十何層だったかのボス攻略戦で、キリトも似たような巨人タイプ相手にたった一人で奮闘したものだ。敵の猛攻を避けに避けまくり、両手の剣を機関銃のようなスピードで振り回して、ボスの弱点らしき脇腹へと――
「あっ……」
アスナは、不意に訪れた電撃的な閃きに、思わず短い声を漏らした。途端、詠唱中だったスペルをファンブルしてしまい、ぼふん! と周囲に黒煙が立ち込める。
しまった、と首を縮めたが、アスナに続いてキャスティングしていたシーエンの魔法が危ないところで間に合った。前方で毒ブレスに包まれていたテッチたちのHPバーが、たちまち安全圏まで回復する。
ちらりと視線を向けてきたシーエンに、アスナはごめん、というように左手を立ててから、早口で言った。
「シーエン、ちょっと思いついたことあるの。30秒だけヒール任せていい?」
「ええ、大丈夫です。私はまだマナに余裕ありますから」
頷くシーエンに向かってもういちど手を上げてから、アスナは右手の杖を掲げた。大きく息を吸ってから、限界のスピードで新たな呪文の詠唱を開始する。
スペルワードが組み立てられるに従い、アスナの前にきらきらと氷の粒が出現し、それはたちまち凝集して、四つの鋭い氷柱を作り出した。氷のナイフが出来上がると同時に、アスナの視界に青い光の点が表示される。非追尾型攻撃スペル用の照準点だ。
アスナは慎重に左手を動かし、青い光点の位置を微調整して、黒巨人の二つの頭のすぐ下、喉もとへとあわせた。巨人がどすんどすんと前進し、上側の二本の手でハンマーを大きく振り上げたその瞬間――
「えいっ!!」
アスナは右手の杖をぶんと振った。たちまち、四本の氷柱は青い軌跡を引きながら飛翔し、狙い違わず巨人の二本の首のつけねに命中した。
「グオオォォォォ!!」
途端に黒巨人はどこか悲鳴じみた声をもらし、ハンマー攻撃を中止して、四本の腕を首の前でしっかりと交差させて体を丸めた。そのまま五秒ほど防御姿勢を取ってから、ふたたび腕を振り上げて、戦槌を思い切り石畳に叩きつける。
ずどどーんという大音響とともに床が地震のように揺れ、アスナは転ばないように両足を踏ん張りながら、小さく呟いた。
「やっぱり……」
再び訝しそうに首を傾げるシーエンに、簡単に説明する。
「あの防御行動、ランダムかと思ってたけどそうじゃなかった。首元にウィークポイントが設定されてるんだわ。弱点探してる余裕なかったから、はなっからアテにしてなかったんだけど……」
「じゃあ、そこを攻めれば倒せるんですか?」
「少なくとも、効率は良くなる……と思うけど、ちょっと場所が高いな……」
巨人の身長はおよそ四メートル、首筋を狙おうにも、タルケンの長槍でもぎりぎり届かない。フィールドでならいくらでも飛んで攻撃できるが、迷宮区ではそれができない。
「カウンター覚悟でソードスキルを使うしかないかもですね」
シーエンの言葉に、アスナもあごを引く。飛行不可圏ですこしでも滞空しようと思ったら、突進系のソードスキルを使うか、あるいはジャンプして連撃系の技を繰り出すしかない。当然、使ったあとには硬直時間が待っており、無防備に落下していくところを狙い撃ちにされるのは必至だ。無論、スペルで蘇生を試みることはできるが、成功率は100%ではなく、また詠唱も気が遠くなるほど長いためにがたがたとパーティー全体が崩壊することにもなりかねない。
しかし――、ユウキなら、一も二もなくやってみようと言うに違いない。そう思いながらシーエンの顔を見ると、華奢な外見とはうらはらに肝っ玉の据わっているウンディーネも、ぐっと力強く首肯した。
「わたし、前に出て作戦を伝えてくる。もう少しだけヒール役お願い」
「任せてください!」
アスナはポーチから残りのポーションのうち二つをつかみ出し、シーエンに渡すと、くるりと踵を返して走りはじめた。
十メートルほどの距離を一瞬で駆け抜け、黒巨人に近づいた途端、真横からうなりを上げて鉄鎖が襲い掛かってきた。慌てて首を縮めて回避するが、肩ぐちを先端の錘がかすめて、たちまちHPが減少する。
それに構わず走りつづけ、ユウキのすぐ後ろに達すると、アスナは叫んだ。
「ユウキ!!」
剣を振りながらくるっと振り向いたユウキは、目を大きく見開いた。
「アスナ! どうしたの?」
「聞いて、あいつには弱点があるの。二本の首のまんなかを狙えば大ダメージを与えられるはずだわ」
「弱点!?」
ユウキは再びくるっと振り向くと、食い入るように巨人の頭を見上げた。途端、遥か上空から大樽のようなハンマーが降ってきて、二人はあわてて飛びのく。続いて発生する震動波を垂直跳びで回避しながら、ユウキは叫んだ。
「高い……ボクじゃ、ジャンプしても届かないよ!」
「ちょうどいい踏み台があるじゃない」
アスナはにっと笑うと、少し離れたところで戸板のような盾を掲げ、鎖の乱舞からノリを守っているテッチに視線を向けた。すぐに、ユウキも納得したかのようににかっと笑い返してくる。
二人は同時にダッシュすると、テッチの後ろ三メートルほどの位置に回りこんだ。ユウキが口に両手をあて、この体のどこから、と思うような大声を出す。
「テッチ! 次にハンマー攻撃がきたらすぐにしゃがんで!!」
巨漢ノームは、振り向くと豆つぶのような目を見開いたが、すぐにこくこくと頷いた。
黒巨人はひとしきり鎖を振り回したあと、大岩のような上半身を反らせて空気を吸い込み、一瞬溜めてから二つの口を大きく開いて、ごばぁぁー! と黒いガスを吐き出した。たちまち周囲は硫黄のような悪臭に包まれ、前面にいる皆のHPがみるみる減少する。
が、ブレス攻撃が終わった瞬間、見事なタイミングで青い光が降り注ぎ、体力を回復させていく。巨人は続けて、上側の腕に握った二本のハンマーを高く振り上げた。
ユウキが腰を落とし、ダッシュの用意をする。アスナはその小さな背中に向けて、早口で言った。
「最後のチャンスよ! がんばれ、ユウキ!」
ユウキは背を向けたまま応えた。
「まかして、姉ちゃん!!」
ねえ……ちゃん?
思わぬ呼び方をされ、アスナがぱちくりと瞬きをしたその時にはもう、少女は猛然と地を蹴っていた。
前方では、巨人が床をぶち抜く勢いで二つのハンマーを叩きつけた。ででーん! と衝撃音が響き渡り、放射状に発生する震動波を、テッチがしゃがみこんでやり過ごす。
直後ユウキも跳んだ。左足をテッチの広い肩に掛け、右足で分厚いヘルメットの天辺を踏みつけて――
「うりゃああああ!!」
鋭い掛け声とともに、ユウキはまるで見えない翅をはばたかせたかのように、高く飛翔した。一直線に巨人の胸元に迫ると同時に、右手の剣を大きく引き絞り、
「やーっ!!」
再度の気合を迸らせながら、二つの首の接合部目掛けて、凄まじいスピードで突き込んだ。青紫色のエフェクトフラッシュが迸り、円形の部屋中をまばゆく照らし出した。
空中においてソードスキルを発動させた場合、たとえそこが飛行不可圏内であったとしても、技が出終わるまでは使用者が落下することはない。ユウキは黒巨人の正面に滞空したまま、電光のように右手を閃かせつづけた。右上から左下に向かって突きを五発。そのラインと交差する軌道でもう五発。重い音とともに剣先が急所を抉るたび、巨人は四本の腕を捻じ曲げて悲鳴じみた絶叫を上げる。
バツの字を描くように十発の突き技を叩き込んだあと、ユウキは再び体を大きくひねり、右手の剣の刀身に左手をあてがった。
瞬間、刃から放たれた閃光の、あまりの眩しさにアスナは思わず目を細めた。ユウキの黒曜石の剣が、今だけは金剛石に変わったように見えた。白く輝く剣は、ジェット戦闘機じみた衝撃音を響かせながら、バツ字の交差点、巨人の首元の中心に突き刺さると、そのまま刀身の根元まで深く深く貫いた。
巨人が絶叫を止めて凍りついた。アスナも、ジュンやテッチ達も、そして右手をいっぱいに伸ばしたユウキも、時間が停止したかのような静寂のなかで、ぴたりと動くことをやめた。
やがて、埋まり込んだ剣を中心に、巨人の黒光りする肌に蜘蛛の巣のような白い亀裂が発生した。罅割れは、その内部から放たれる白光の圧力に耐えかねるように、ぴしぴしと長さと太さを増していく。それはみるみるうちに巨体の四肢すべてに広がり――
立ち木が裂けるような鋭い音とともに、二つの首の接合部から、黒巨人は真っ二つに断ち割れた。直後、ガラスの像が圧潰するかのように、四メートルの巨体すべてが大小無数の塊となって砕け散った。ほとばしった純白の光が、物理的な圧力をともなって押し寄せ、アスナの髪を激しく揺らした。重低音と高音が入り混じったエフェクトサウンドがドーム中に荒れ狂い、十数秒後、鈴を鳴らすような硬質の音色を高く引きながら薄れ、消えて行った。
円周部からドームの薄闇を照らしていた青いかがり火が、激しく揺れ、一瞬薄れて、なんの変哲もない橙色へと変わった。同時にボス部屋全体が明るい光で満たされ、漂っていた妖気の残滓を追い払った。
気付くと、すべてが終わっていた。
「……はは……やっ……たぁ……」
アスナは掠れた笑いを漏らすと、その場にぺたんとへたり込んだ。顔をめぐらせると、ボスが消滅した場所にポカンとした表情で立ち尽くしていたユウキと、目が合った。
小柄な少女は、数秒間も訝しそうに瞬きを続けていたが、やがてその口もとに薄っすらと微笑みがにじみ出て来た。それはたちまち、いつもの、輝くような満面の笑みへと変化する。
右手の剣を鞘に戻すのももどかしく、ユウキはだっとアスナに駆け寄ってきた。2.5メートルほども手前で、両手をいっぱいに広げて地を蹴り、そのままどすーんとアスナの胸に飛び込んでくる。
「ぐはっ!」
アスナは大げさな悲鳴を上げてみせると、ユウキと一緒に床に倒れ込んだ。そのまま、至近距離で互いの目を覗き込んでから、同時に爆発するように笑い出す。
「あははは……やった、勝った……勝ったよ、アスナ!」
「うん、やったね! あ――……疲れた――!!」
上にユウキを乗っけたまま、手足を大の字に広げてばったりと床に伸びる。周囲では、同じくへたり込んでいた仲間たち五人が、それぞれの格好でガッツポーズをし、歓声を上げていた。
と、アスナは、頭の上のほうからギギギ……と重い音が響いてきたのに気付いた。視線を向けると、さかさまの視界のなかで、入り口の大扉がゆっくりと開いていく。
突然、その扉が左右に激しく叩きつけられた。奥から、無数のプレイヤー達がときの声とともに突入してきた――が、すぐに内部の異変に気付いて立ち止まると、戸惑ったようにきょろきょろと周囲を見回す。
ボス攻略ギルドの面々の先頭に立つ、一際高級な装備にびっちりと身を固めたサラマンダーの大男と、アスナの目が合った。大男の顔に、じわじわと理解と屈辱の色が浮かぶのを、アスナは少々痛快な気分で眺めた。
「へへ……」
にんまりと笑みを浮かべてみせたあと、アスナとユウキは、床に転がったまま同時にVサインを作って、男達に突きつけた。
数十通りの捨て台詞を残して攻略ギルドが引き上げたあと、アスナとスリーピングナイツの面々は、ボスモンスターがドロップした鍵を使って、部屋の奥の扉を開けた。長い螺旋階段をひたすら登り、東屋ふうの小さな建物の床から飛び出すと、そこはもう前人未到の68層だった。すぐ近くに見えた主街区まで一息に飛び、中央広場の転移門をユウキがアクティベートしたところで、ボス攻略クエストは全て終了となった。
さっそく、青く光るゲートを使ってロンバールの街まで戻ってきた七人は、広場の片隅で輪になると、あらためてばしんばしんとハイタッチを交わした。
「みんな、おつかれさま! ついに終わったねえー」
笑みとともに言いながら、アスナはそこはかとない寂しさを感じていた。あくまで傭兵である身としては、契約の終了はすなわちひとまずの別れを意味する。
ううん、これから友達になればいい、時間はたっぷりあるのだ――と思い直していると、不意にアスナの肩をぽん、とシーエンが叩いた。見ると、整った顔にはいつになく真剣な色が浮かんでいる。
「いいえ、アスナさん。まだ終わっていません」
「……え?」
「大切なことが残っていますよ。――打ち上げ、しましょう」
がくっと膝から崩れ、もうっ! と拳を振り上げてから、アスナは両手を腰に当てた。
「うん、やろう! どーんと盛大にやろう」
言うと、ジュンがにやっと笑みを浮かべた。
「なんせ予算はたっぷりあるしな! 場所はどうする? どっか大きい街のレストランでも貸し切りにすっか」
「あ……」
アスナはふと思い立つと、両手の指先を組み合わせながら、皆の顔を見回した。
「えっと、そういうことなら……わたしの家にこない? ちっちゃいとこだけど」
それを聞いたユウキが、ぱっと顔を輝かせる。だが、どうしたことか、その笑顔は雪が溶けるようにたちまち消え去ってしまった。そのまま、軽く唇を噛んで俯いてしまう。
「ゆ……ユウキ? どうしたの?」
戸惑いながらアスナが声をかけても、いつも元気だった少女は顔を上げようとしなかった。代弁するかのように、シーエンが口を開いた。
「……あの……ごめんなさい、アスナさん。気を悪くしないで頂きたいんですけど……私たちは……」
だが、言葉は最後まで続かなかった。ずっと下を向いていたユウキが、突然鋭く息を吸い込むと、右手でシーエンの手をぐっと掴んだのだ。
ユウキはぎゅっと唇を引き結び、ゆがめた眉のしたで大きな瞳に切々とした光を浮かべて、じっとシーエンを見つめた。何かを言いかけるように二、三度唇が小さく動いたが、音が発せられることはなかった。
だが、シーエンにはユウキが言いたいことがわかったようだった。口もとに、ごくごくかすかな微笑を浮かべると、右手でユウキの頭をぽんと撫で、アスナに向き直った。
「アスナさん、ありがとう。お気持ちに甘えて、お邪魔させて頂きますね」
いまの一幕の意味が理解できず、アスナは首を傾げた。しかしすぐに、その場の空気を吹き散らすようにノリがいつもの豪快な声で言った。
「そうと決まったら、まず酒だな! 樽で買おう、樽で!」
「ここには、ノリさんの好きな芋焼酎は無いですよ」
眼鏡を押し上げながらぼそぼそとタルケンが口を挟むと、たちまち厳しい突っ込みが背中に飛んだ。
「なんだとこら! いつアタシが芋焼酎好きなんて言ったか! アタシが好きなのは泡盛なんだぞ!」
「色気の無さじゃ一緒じゃんかよ」
ジュンの更なる突っ込みに、皆の笑いが続く。一緒に笑いながら、アスナはユウキに再び視線を向けた。ユウキの顔にもようやく笑みが戻りつつあったが、その瞳に揺れるどこか切なそうな色は、まだ完全には消えていなかった。
まず、連れ立って現時点では最大であるアルゲードの街のマーケットに赴き、大量の酒と食料を買い込んでから、一行は18層に転移した。
小さな村の広場から飛び立ち、深い雪に埋もれた森を眼下に見ながら南を目指す。氷の張った湖を一息に越えると、木立の中にぽかりと開けた空き地と、そこに立つ小さなログハウスが見えた。
「あっ、あそこ!?」
ユウキのはしゃぎ声に、こくこく頷く。
「そうだよー……あっ」
アスナが答えるや否や、ユウキは両手を広げると、一気に加速した。そのまま、まっすぐ家の前庭目指して落ちていく。直後、ぼふーんと盛大な雪煙が上がり、近くの森から驚いた鳥の群が飛び立った。
「……まったく」
シーエンと顔を見合わせて笑ってから、アスナも翅を一打ちして着陸体勢に入った。しばし滑空してからすとんと庭に降り立つと、待ちきれないように足踏みしていたユウキに引っ張られるようにしてドアに向かう。
家に、仲間たちの誰かがいたらさっそく紹介しようと思っていたのだが、残念ながら部屋は無人だった。
「へえー、ふうーん、ここがアスナのおうちかあ!」
ユウキは嬉しそうに、床から生えたテーブルや、赤々と火が燃えさかる暖炉、壁に掛けられた剣などと見てまわっている。残り六人はテーブルの周りに集まると、それぞれのアイテム欄から買い込んできたご馳走を取り出した。たちまち謎の酒肴が山のように積み重なる。
ノリの希望どおり大樽で仕入れたワインの栓を抜き、黄金色の液体をなみなみと注いだグラスが並ぶと、それでもう宴席の準備は完了した。キッチンでアスナの調味料コレクションに見入っていたユウキをジュンが掴まえてリビングに引っ張ってきて、七人そろってテーブルにつく。
乾杯の音頭をアスナが辞退したので、ユウキが握ったグラスを掲げて、満面の笑顔で叫んだ。
「それでは、ボス攻略成功を祝して……かんぱーい!」
乾杯! の唱和と、かちんかちんとグラスがぶつかり合う音が続き、全員が一気にワインを干す。あとは、たちまち秩序無きどんちゃん騒ぎへと移行した。
ジュンとテッチが先刻倒したボスの話、ノリとタルケンがALOに存在する酒の話で盛り上がっている隣で、アスナはユウキとシーエンから、今までコンバートしたVRMMO世界の話を聞いていた。
「間違いなく最悪だったのはねえ、アメリカの『インセクサイト』っていうやつだよー」
ユウキは両手で体を抱くような素振りをしながら、顔をしかめた。
「ああ……あれはねえ」
シーエンも苦笑いしながら首を縮める。
「へえ……どんなやつ?」
「虫! 虫ばっか! モンスターが虫なのはともかく、自分も虫なんだよぉー。それでも、ボクはまだ二足歩行のアリンコになったんだけど、シーエンなんか……」
「だめ、いわないでー」
「でっかいイモムシでさ! 口から、い、糸をぴゅーって……」
そこで我慢しきれないように、ユウキはけたけたと笑った。シーエンの、憤慨したような幻滅したような顔に、アスナも一緒になって笑う。
「いいなあー、みんなでほんとに色んなところに行ってるんだねえ」
「アスナは? VRMMO歴、かなり長そうだけど」
「わたしは、えーと、ここだけなんだ。この家を買うお金を貯めるのに、随分時間が掛かっちゃって……」
「そっかー」
ユウキは顔を上げると、もう一度、目を細めてリビングを見渡した。
「でも、ほんと、すっごく居心地いいよ、このお家。なんだか……昔を思い出すって感じ」
「そうですね。ここにいると、本当にほっとします」
シーエンもこっくりと深く頷く。
と、不意に、その小さな口がアッというふうに開かれた。
「ど、どうしたの、シーエン?」
「しまった、忘れてました! お金と言えば……私達、アスナさんにお手伝いをお願いするときに、ボスから出たものを全部お渡しするって約束してましたよね。どうしましょう、こんなに色々買い込んじゃって」
「うわ、ボクもすっかり忘れてた!」
申し訳無さそうに肩をすぼめる二人に、笑いながら手を振ってから、アスナは口を開いた。
「いいよ、いいよ。少しだけ、何かもらえれば。あ、ううん――やっぱり……」
そこで口をつぐみ、すうっと息を吸う。
ボス攻略戦の前から、ぼんやりと考えていたことを言葉にするチャンスだ、そう思って、アスナは真剣な顔でユウキを見た。
「やっぱり、何もいらない。その代わり、お願いがあるんだ」
「え……?」
「あのね……契約はこれで終わりなんだけど……でも、わたし、ユウキともっと話したい。訊きたいことが、いっぱいあるの」
どうすれば、ユウキのように強くなれるのか――それを、教えてほしい。胸の奥でつぶやきながら、アスナは続けた。
「わたしを、スリーピングナイツに入れてくれないかな」
「…………」
ユウキは、すぐには答えず、きゅっと唇を噛んだ。見開かれた大きな目に、再びもどかしそうな光がたゆたう。
いつのまにか、シーエンも、そして他の四人も、話を止めてじっとユウキとアスナを見ていた。訪れた静寂のなか、ユウキは長いあいだ無言でじっとアスナを見つめていた。やがて動いた唇から、そっと発せられた声は、いつに無く弱々しく揺れていた。
「あのね……あのね、アスナ。ボクたち……スリーピングナイツは、もうすぐ……たぶん、春までに解散しちゃうんだ。それからは、みんな、なかなかゲームには入れないと思うから……」
「うん、わかってる。それまででいいの。わたし、ユウキと……みんなと、友達になりたい。それくらいの時間はあるよね……?」
アスナは身を乗り出し、じっとユウキの紫色の瞳を覗き込んだ。だが、初めてのことだったが、ユウキはすぐに視線をそらしてしまった。そのまま、小さく左右に首を振る。
「ごめん……ごめんね、アスナ。ほんとに……ごめん」
何度もごめん、とつぶやくユウキの声はいつになく辛そうで、アスナはそれ以上言い募ることができなかった。
「そっか……。ううん、わたしの方こそ、無理なお願いしてごめんね、ユウキ」
「あの……アスナさん、私……私たちは……」
傍らで、シーエンがユウキの言葉を補おうとするかのように言いかけたが、珍しく彼女も言うべき言葉が見つからないようだった。
アスナは、揃ってつらそうな顔をしている皆をぐるりと見渡すと、場をとりなすようにぱたんと手をたたき、意識して元気な声を出した。
「ごめんねー、急に変なこと言って、困らせちゃって。景気づけに、アレ、見にいこう!」
「アレ……?」
首を傾げるシーエンと、俯いたままのユウキの肩を同時にぽんと叩く。
「肝心なことを忘れてるね! そろそろ更新が反映されるころだよ、アレ……『剣士の碑』!」
「おっ、そうか!」
ジュンが大声とともに立ち上がった。
「いこういこう! 写真撮ろうぜ!!」
「ね、いこ?」
アスナがもう一度言うと、ようやくユウキは顔を上げ、小さく笑った。
まだどこか元気のないユウキの手を引き、転移門から飛び出すと、アスナは『はじまりの街』の中央広場を見渡した。
「ふわー、やっぱここは広いなあ! さ、こっちだよ、みんな!」
巨大な王宮に背を向け、花壇の間を縫うように早足で歩くと、すぐに前方に四角い『黒鉄宮』の姿が見えた。アインクラッドでも最も有名な観光スポットのひとつなので、初心者からベテランまで、多くのプレイヤーが出入りしている。
高いメインゲートをくぐり、建物の中に踏み込むと、ひんやりとした空気が肌を撫でる。異常に高い天井に、プレイヤーのブーツが鉄の床を叩く音が無数に反響している。
かんかんと高い足音を立てて、アスナとユウキたちは奥の大広間に向かった。二つの内門を抜けると、一際静謐な感じの空間が広がり、その中央に巨大なモノリスが鎮座していた。
「あれか!」
せっかちらしいジュンとノリが、アスナとユウキの両側を抜けて走っていく。数秒遅れで剣士の碑の足元まで達すると、アスナも顔を上げ、びっしりと並ぶ文字列の末尾を探した。
「あ……あった」
不意に、ユウキが呟いた。アスナと繋いだ手に、きゅっと力がこもった。同時に、アスナも見つけた。黒光りする鉄碑のほぼ中央、『Braves of 67th floor』の表示のあとに、日本語で七人の名前が深々と刻み込まれていた。
「あった……ボクたちの、名前だ……」
どこか呆然としたようにユウキが呟く。その瞳がかすかに潤んでいるのを見て、アスナも胸が詰まるような気がした。
「おーい、写真撮るぞ!」
ジュンの声が後ろから響いて、アスナはユウキの肩を掴むと、くるんと半回転させた。
「ほら、笑わないと」
アスナの言葉に、ようやくユウキもにこっと笑顔を見せる。六人が碑の前に並ぶと、ジュンは握っていた記録クリスタルのポップアップウインドウを操作し、タイマーを設定して手を離した。クリスタルはそのまま空中に留まり、上部にカウントダウン表示が瞬く。
駆け寄ってきたジュンがユウキとテッチの間に収まり、全員が笑顔を浮かべた瞬間、ぱしゃっと音がしてクリスタルが光った。
「おっけー!」
再びジュンが駆け戻っていく。アスナとユウキは、もう一度振り返って鉄碑を見上げた。
「やったね、ユウキ」
アスナは手を離すと、ユウキの頭をそっと撫でた。ユウキはこくんと頷いたあとは、長いあいだずっと七人の名前を見つめていたが、やがてかすかな声で呟いた。
「うん……やった、ついにやったよ、姉ちゃん」
「ふふふ」
それを聞いて、アスナはつい笑みをこぼした。
「ユウキ、また言ってる」
「え……?」
何のことだかわからない、というふうにユウキはアスナの顔を見た。
「わたしのこと、姉ちゃん、だって。ボス部屋でも言ってたよー。ううん、わたしは嬉しいけど……――!?」
何気なく言いかけた言葉を、アスナは途中で飲み込んだ。
ユウキが、両目を限界まで見開いて、口もとを手で覆っていた。その紫色の大きな目に、みるみるうちに大きな雫が盛り上がり、こぼれると、頬を伝って次々に滴った。
「ゆ……ユウキ……!?」
息を飲んで手を伸ばそうとしたアスナから、ユウキは二歩、三歩と後ずさった。その唇が動き、掠れた声が流れた。
「アスナ……ぼ、ボク……」
不意にユウキは俯くと、溢れる涙をぐいっと拭って、左手を振った。出現したウインドウを、震える指で叩く。たちまち、その小さな体を、白い光の柱が包み――
それを最後に、"絶剣"ユウキは、アインクラッドから姿を消したのだった。