ドアの向こうは、ドーム状の広大な空間だった。六角形の金属タイルを敷き詰めたフロアがどこまでも広がり、彼方にトラス構造の支柱が連続する壁と天蓋が見えるものの、ほとんど闇に飲まれている。上空には、街で見たのと同じような巨大なホログラムがゆっくりと回転しているが、それは謎の広告ではなく、明朝体の日本語フォントで「第三回 バレット・オブ・バレッツ予選会場 開始まで あと7分30秒」と書いてある。
どうやら俺たちはほとんど最後に会場入りしたようで、フロアには既に数百人は下らないプレイヤー達がたむろしていた。三々五々固まり、盛大にくわえ煙草の紫煙を噴き上げたり、ボトルごと酒をあおったりしている連中は、地上で見たプレイヤー達よりも更に数倍怪しく、剣呑で、俺はおもわず「うわっ」とうめいていた。強面大男のエギルだってここに混じれば目立つまい。
だがシノンはまるで気にするふうもなく、すたすたと壁際を歩いていく。と、その姿を目に留めたプレイヤーの一団が低くざわめいた。やはり彼女は相当な有名人なのだ。この世界では珍しい女性プレイヤーだから、というだけではなく、突出した強さのせいでもあるのだ、きっと。――などと思っていると、男達の視線が俺を捉え、そして新たなどよめきが波のように広がった。反射的に首を縮める。
確かにこの世界には、せいぜい目立って「死銃」氏と接触するために来たのではあるが、こういう場所で直接の注目を集めるのはどうにも苦手だ。
慌てて俺もドアの前を離れ、シノンの後を追った。
すたすたと歩いていくシノンは、やがて壁際に人気の無いスペースを見つけると、そこにすとんとしゃがみ込んだ。マフラーをぐいっと引き上げ、深く顔を埋める。その姿からは他人を拒絶するオーラが強烈に放たれているが、俺は図太い神経を発揮してそれをやり過ごし、シノンの隣にどっこいしょと腰を下ろした。
「……ついてこないで、って言った」
苛立ちを帯びた、氷点下の声が流れる。
「心細いし……どうせあと数分だしさぁ」
子供のように言い返すと、盛大なため息が返ってきて、それきりシノンは黙り込んだ。
数十秒間の沈黙のあと、俺が懲りもせずに話し掛けようとしたその時、新たな足音が俺たちに近づいてきた。膝をかかえて座り込んだまま顔を上げると、それは灰色の長髪を垂らした背の高い男だった。
ダークグレーにもう少し明るいグレーのパターンが入った、迷彩の上下を身につけている。肩から、やや大型の機関銃、多分サブマシンガンではなくアサルトライフルという奴を下げ、痩せた体に似合った鋭い顔立ちだ。歴戦の兵士、というよりは、特殊部隊の隊員といった雰囲気である。
男は俺には目もくれず、シノンをまっすぐ見て微笑を浮かべ、口を開いた。
「遅かったね、シノン。遅刻するんじゃないかと思って心配したよ」
その馴れ馴れしい口調に、俺はまたシノンの言葉のナイフが出るぞー、と思って首をすくめたが、以外や水色の髪の少女は身にまとった雰囲気をふっと和らげ、小さな笑みを浮かべて答えた。
「こんにちは、シュピーゲル。ちょっとしょうもない用事に引っかかっちゃって。あれ、でも……あなたは出場しないんじゃなかったの?」
シュピーゲルと呼ばれた男は照れくさそうに笑いながら右手で頭をかいた。
「いやあ、迷惑かもと思ったんだけど、シノンの応援に来たんだ。ここなら、試合も大画面で中継されるしさ」
どうやら男はシノンと旧知の間柄らしく、すとんと彼女の前に腰を下ろして胡坐をかいた。
「それにしても、しょうもない用事……って?」
「ああ……ちょっと、コノヒトをここまで案内したりとか……」
シノンが、打って変わって冷たい目を一瞬だけこちらに向ける。俺はやれやれ、と思いながらうつむけていた顔を上げ、シュピーゲルという男にむかってかるく会釈した。
「どーも、こんにちは」
「あ……ど、どうも、はじめまして、シュピーゲルといいます。ええと……シノンの、お友達さんですか?」
それなりに雰囲気のある、強そうな男ではあるが、どうやらシュピーゲルはその鋭い外見に似合わず礼儀正しい性格のようであった。あるいは――やはり俺の性別を誤解しているのか。
どう答えると面白いかなあ、と思いながら俺が言葉を捜していたとき、シノンが短く吐き捨てた。
「騙されないで。男よ、そいつ」
「えっ」
目を丸くするシュピーゲルに、しかたなく名乗る。
「あー、キリトと言います。男です」
「お、男……。え、ていうことは、えーと」
シュピーゲルは混乱した表情で俺とシノンを交互に見る。へえ、ふーん、と思った俺はちょっとした悪戯心で、男の混乱に燃料を注いでみることにする。
「いやあ、シノンにはすっかりお世話になっちゃって、いろいろと」
「ちょっ……な、何もしてないわよ私は。だいたいアンタにシノンなんて呼ばれるおぼえは……」
「またそんなつれないことを言う」
「つれないもなにも、赤の他人よ!!」
「武装のコーディネイトまでしてくれたのに?」
「そっ……それは、アンタが……」
と、そこまで掛け合いを続けたときだった。
突然、甘い響きの女性NPCボイスが、大音量で待機エリアに響き渡った。
『大変お待たせしました。ただ今より、第三回、バレット・オブ・バレッツ予選トーナメントを開始いたします。エントリー・プレイヤーの皆様は、カウントダウン終了後に転送されます。幸運をお祈りします』
直後、会場じゅうに拍手とうおおっという歓声が湧き上がる。
喧騒のなかシノンはすっくと立ち上がり、俺にびしっと右手の人差し指を向けた。
「決勝まで上がってきなさいよね! その頭すっ飛ばしてやるから!」
俺も腰を上げ、にっと笑って答えた。
「デートのお招きとあらば参上しないわけには行かないな」
「こっ、この……」
進行していた10秒のカウントダウンがゼロに近づき、俺はシノンに手を振ってから転送に備えようと前を向いた。そして、じっと俺を見ていたシュピーゲルと視線が合った。
その鋭い目に、明らかな警戒と敵意の色を見て、これはちょっとやりすぎたかな、と思ったのも束の間――俺の体を青い光の柱が包み、たちまち視界の全てを覆い尽くした。
転送された先は、暗闇の中に浮かぶ一枚のへクスパネルの上だった。目の前に、斜めに浮かぶ緑色のホロウインドウがあり、上部に「カーゴルーム」の表示がある。更にその奥に、こちらは垂直に「準備時間:残り58秒 戦場タイプ:古代遺跡G」と書かれたウインドウ。
おそらく、指定されたマップに適合する装備を整えるための準備時間として一分間が与えられているのだろうが、余分なアイテムも、マップの知識も持ち合わせていない俺にはまったく意味がない。右手の指先で、カーゴルーム・ウインドウ下部のOKボタンを押して消去する。
デジタル数字が、蝸牛の歩みほどの速度でのろのろと減少していくのを待つ間、俺はあるひとつの突飛な可能性についてぼんやりと考えていた。
あのシノンという少女の、あまりにも極端な変貌。触れたもの全てを切り裂くナイフのような殺気。
エレベータの中で、まるでテレパシーのように俺の脳裏に響いた声を思い出す。「強い奴を、全員殺す」――荒唐無稽と言えばそれまでの、あまりに直截な台詞ではあるが、俺はなぜかかのSAO世界においても何回とは憶えがないほどの戦慄を感じていた。ゲーム内のロールプレイを超えたリアルな殺意が、彼女の小さな身体から強烈に放射されたかのようだった。
電子信号が作り出す虚構世界において、あそこまでの「意思」を感じさせるプレイヤーにはほとんど会ったことがない。女性プレイヤーでは、端的に言えば、激怒した時のアスナ以外には知らない。いや――「閃光」、そしてそれ以前は「凶戦士」とまで呼ばれたアスナでも、あのような獰猛さを俺に感じさせたことはなかった。
有りうるだろうか? あの水色の髪の少女が、俺の捜す「死銃」その人である、というようなことが?
菊岡が俺に聴かせた音声ファイルに記録されていた死銃の声、あの、金属が軋むような不快な声と、シノンの甘く澄んだ声とはまるで違う。だが、ここはSAOとは異なる、あくまで通常のゲーム世界だ。一人のプレイヤーが複数のキャラクターを所持し、ログインごとに使い分けるということはごく当たり前に行われている。
それに、口ぶりからすれば、シノンはバレット・オブ・バレッツ本大会進出に絶対の自信を持っているようだった。「死銃」はきっとその大会に出てくる、という俺の予測が正しければ、候補者は30人にまで絞られる。シノンはその一人、ということになる。
心情としては、こんな可能性は検討したくない。俺をショップに案内し、あれこれ説明してくれたときの彼女からは、まったくと言っていいほど殺気を感じなかった。それどころか、そこはかとない寂しさ、人恋しさを漂わせていたような気すらした。一体どちらが本物のシノンなのだろう……
――ここでいくら考えていても結論は出ない。剣を交えれば、いや銃を撃ち合えば、きっと何かが分かるだろう。
そう思って、伏せていた視線を上げたその瞬間、残り時間表示がゼロになった。俺の体を、再度の転送感覚が襲った。
放り出されたのは、陰鬱な黄昏の空の下だった。
甲高い笛のような音を引いて、風が過ぎ去っていく。上空の黄色い雲が恐ろしい速さで流れ、足元の枯草がざわざわと揺れる。
すぐ傍らには、古代ギリシャ風――だかローマ風だかの、巨大な円柱がそびえていた。3メートルほどの間隔を置いて、コの字型に何本も連なっている。ある柱は上部が崩れ、あるものは完全に倒れて、はるか昔に滅びた神殿の廃墟といった趣だ。
俺はとりあえず、手近な柱にぴたりと体を寄せてから素早く周囲を見渡した。
枯れた草原が四方どこまでも続き、その彼方に、今いる場所と似たような遺跡が点在している。シノンの説明によればフィールドは500メートル四方ということだが、地平線までは数十キロとありそうだ。きっと不可視の障壁が設定してあるのだろう。
更に解説を思い出す。対戦者は、現在少なくとも200メートル離れた位置に出現しているはずだが、とりあえず見渡したところ人影のようなものはない。きっと、俺と同じようにどこかの遺跡に隠れているのだ。
このまま俺も隠れ続けて、敵が痺れを切らせて動いたところを発見する、という作戦もあるが、どうも「待ち」は性分ではなかった。それよりも、とりあえず最寄の遺跡まで全力ダッシュして、あえて銃撃されることで敵位置を確認するほうが手っ取り早いなあ……と思いながら、何気なく左手で、腰に装備されているハンドガン、確かFN−ファイブセブンなる名前のソレの感触をたしかめた時だった。
一際激しい風が、ざああっと吹き渡って、周囲の草原を激しく波打たせた。突風が過ぎ去り、草が再び立ち上がった、まさにその瞬間。
俺の目の前、わずか20メートルほど離れた草むらから突然、ザッ! と人間が立ち上がった。
すでに両手でぴたっと構えられたアサルトライフル、その機関部に押し付けられた髭の生えた頬、顔の上半分を覆うレンズのついたゴーグルと、ダミーの草が伸びたヘルメットなどが一瞬で目に焼きつく。
いつのまにそんなところまで接近されたのか、まるで分からなかった。その理由の一端は、彼が身に付けた迷彩服にあるのは明らかだった。周囲の草むらとまったく同じカーキ色の地に、細い縦縞のパターンが入っている。なるほど、これがあの60秒の準備時間の効用か――と思う間も無く。
敵が右肩に構える黒いライフルから、無慮数十本の赤いラインが伸び、俺を含む周囲の空間をびっしりと貫いた。
「うわっ!!」
俺は思わず悲鳴を上げ、同時に思い切り地を蹴り、飛んでいた。もっとも「弾道予測線」の密度が薄かった方向――上空へ向かって。
直後、敵のライフルがカタカタカタ! と軽快な音を立て、右足の脛部分に立て続けに二回の衝撃を感じた。視界の右端に表示されていたHPバーが、がくん、がくんとほぼ一割減少する。とてもじゃないが、避けきれる弾数ではない。シノンが警告してくれた、「フルオート射撃」という言葉を今更のように思い出す。
俺は空中でくるりと後方に宙返りして、背後にあった円柱の上端に着地した。とりあえず反撃してみようと、左手で腰からファイブセブンを抜く。
が、それを構える余裕すらも敵は与えてくれないようだった。再び、俺の身体に無数の予測線が突き立った。
「わああ」
情けない悲鳴を上げ、円柱の後ろに飛び降りる。が、更に一弾が左腕を掠め、HPが削られる。
降り注いだ弾の雨のほとんどは石の柱に命中し、ビシビシビシと音を立てて細かい破片を飛散させた。ばくばく言う心臓を押さえつけながら、必死に体を縮め、円柱の陰にうずくまる。
いやはや、これは確かに剣対剣の戦闘とはまったく違う!
あの弾除けゲームのNPCガンマンによる銃撃は、二秒のインターバルを置いて三発程度のリズムで、それを避けるのにも全神経の集中を要したのだが、いくらなんでもこんな――秒間十発以上とさえ思える連射には手も足も出ない。
俺の右腰に下がる「フォトンソード」であの髭面をぶった斬るには、どうしたってすぐ目の前まで接近しなくてはならないが、そこまでたどり着く前に穴だらけにされるのは必至だ。
完全に回避するのが不可能なら、どうにかして銃弾を「防御」するしかない。だが生憎、この世界には飛び道具を防いでくれるマジックシールドのような物は存在しない。SAOなら、剣を盾のかわりにする武器防御スキルというものがあったのだが――
俺はふと、右腰に下がったままの光剣に手を添えた。この剣で、せめて何発か銃弾を防ぐことができれば……だが、そんな離れ業を実現するためには、襲ってくる弾の軌道を正確に予測する必要が……
いや――それは可能だ。可能なはずだ。なぜなら、弾の軌道は、「予測線」がきっちり教えてくれるではないか。
俺はごくりと生唾を飲み込み、右手で光剣を強く引いて金具から外した。
現在、銃撃は一時的に止んでいる。おそらく、再び草むらに身を沈め、左右どちらかから回り込んでくるつもりだ。
俺は目を閉じ、聴覚のみに集中した。
あいかわらず風がびゅうびゅうと鳴っている。その甲高い音を、意識から排除する。波立つ草原の乾いた葉擦れの音、規則的に繰り返されるそのリズムの中に、イレギュラーな音を探す。
居た。
左斜め後方、7時の位置を、かすかな不規則音源が9時方向へとゆっくり移動している。二〜三秒動いては停止し、こちらを探る気配を感じる。
敵の移動が再開し、止まり、そしてまた動きはじめた、その瞬間。
俺は右足で思い切り地面を蹴り飛ばし、男の潜む位置へと一直線の全力ダッシュを開始した。
よもや、隠れているはずの自分に向かって敵がまっすぐに突っ込んでくるとは、髭面の男も想像しなかったのだろう。枯草の中から体を起こし、膝立ちになってライフルを構えるまでに一秒半ほどのタイムラグがあった。
その時点で、俺は男との距離約25メートルを半分近く詰めていた。走りながら、右手に握ったフォトンソードのスイッチを、親指でスライドさせる。ヴン、と頼もしい音とともに、青紫色に輝く刃が長く伸びる。
三たび、敵のアサルトライフルから伸びる10本以上の着弾予測線が表示された。
首筋をちりちりと疾る恐怖を抑えつつ、冷静に観察したところ、赤く細いラインはすべてが同時に現われたわけではなく、ほんの少しずつの時間差があった。その差がつまり、ライフルのマガジンから吐き出されてくる弾丸の順序、というわけなのだろう。
ダッシュする俺の、現実と比べれば相当に小柄な身体をしっかりと捉えている予測線は合計で6本あった。あとは全て、上下左右にわずかずつ外れている。ごく近距離であることを考えると、敵のライフル――もしくは射手自身の命中精度は案外大したことはないのかもしれない。
久々のガチンコバトルの緊張感に、ようやく俺のスイッチも入りはじめたようだった。視界の余白部分が放射状に引き伸ばされ、ターゲットの姿だけが鮮明になっていくような、懐かしいアクセル感。ゆっくりと流れていく時間のなかで、意識だけが猛烈なスピードで回転しはじめる。
黒い敵ライフルの銃口が、パッとオレンジ色に光った。
その瞬間、俺の体をポイントする6本のライン、その初弾と次弾の軌道を、光剣の刀身で寸分の狂いもなく遮る。
バッ、バシッ!! ――とまばゆい火花が、光の刃の表面に弾けた。それを意識した時にはもう、俺の右腕は電光のように閃き、三弾め、四弾めの軌道を結ぶ線分にフォトンソードを重ねている。再度、銃弾が高密度のエネルギーによって消滅させられる衝撃音。
「当たらないはず」の銃弾が耳もとで立てる唸りを、一切無視して突進し続けるのはかなりの精神力を要する行為だったが、俺は歯を食い縛って更に剣を動かした。五――そして六! 命中弾のすべてを剣で叩き落し、残る距離を一気に駆け抜けるべく全力で地面を蹴る。
驚愕のせいか、レンズつきゴーグルの下、濃い髭に囲まれた男のアゴががくんと落ち、口が大きく開かれた。だが、それでも男の両手はすさまじい速さで動き、空になったマガジンをリリースすると同時に腰からスペアを引き抜いてライフルに叩き込もうとする。
そうはさせじと、俺は左手に握っていたファイブセブンを男に向けた。指に力を込めた途端、男の胸を中心に薄い緑色の円が表示されて驚かされるが、構わず立て続けに五回、引鉄を絞る。
意外に軽い反動が肘から肩へ伝わると同時に、緑の円は小さく収縮し、男の上半身をきっちり収める程度のサイズになった。その内部、男の肩とわき腹に二発が命中し、残り三発は背後の草むらへと消えていったが、どうやら当たった弾は男の防弾装備を貫通してダメージを与えたようだった。ぐらりとよろめいて、僅かにたたらを踏む。
その時間で充分だった。
間合いに入った瞬間、俺は体を小さく右に捻り――
仮想の大地を突き破る勢いで踏み込むと同時に、ダッシュのスピードを余さず乗せた全力の直突き、SAO世界であれば《ヴォーパルストライク》と呼ばれた必殺の一撃を、敵の胸板に叩き込んだ。
まるでジェットエンジンのような振動音とともに、光の刃はあっけなく根元まで貫通した。行き場の無いエネルギーの嵐が、一瞬敵の体内で吹き荒れるような感触。
直後、凄まじい光と音が俺の右手元から円錐状に放射され、敵の身体を無数のポリゴン片に変えて空間に拡散させていった。
痺れるような戦闘の余韻を全身に感じながら、俺はゆっくりと体を起こした。ヴヴン、と音をさせて光剣を左右に切り払い、一瞬背中に収めそうになってからスイッチを切る。
カラビナ状の金具で右腰に剣を吊り、左手のハンドガンもホルスターに収めると、ようやく溜めていた息を長く吐き出して、黄昏の空を仰ぎ見た。ちょうどその時、流れていく雲をスクリーンにして、コングラチュレーションの表示が浮かび上がった。
このしんどい戦闘が、あと四回か――と思い、がくりと肩を落とす俺の体を、転送エフェクトの青い光が包んでいく。寂しい風鳴りが徐々に遠くなっていき、大勢の人間が立てる喧騒がそれにとって変わったときには、俺はもう待機エリアへと戻っていた。
どうやら、場所も転送されたときと同じ壁際のようだった。きょろきょろと左右を見渡すが、シノンとシュピーゲルの姿は無かった。シノンは戦闘中としても、彼女との関係が少々気になるあの男はどこに行ったのだろうと周囲を見渡すと、少しドームの中央寄りの場所に、覚えのあるグレーの迷彩服姿があった。こちらに背を向け、上空を見上げている。
俺も視線を上向けると、予選開始前は残り時間の表示が浮いていた場所に、マルチ画面のホロモニターが出現していた。4×4個の巨大な画面それぞれに、さまざまなフィールドで銃をぶっぱなしまくるプレイヤー達の姿が映っている。
おそらく、現在同時進行している数百の試合のうちいくつかを中継しているのだろう。時折、不運なプレイヤーが銃弾を受けて四散し、勝敗が決するたびに、フロアにたむろする無数のプレイヤーから大きな歓声が湧き上がる。
どれどれ、シノンの試合は映っているかな、と思いながら俺も数歩前に進んだ。右上から一つずつ確認していくが、カメラが引き気味なのでどうもよくわからない。あの目立つ水色の髪を見つけようと、じっと視線を集中する――
――だから、いきなり右耳のすぐ近くで声がした時は、心臓が止まるほど驚いた。粘つくような、それでいて金属質な響きのある声が、直接耳に注ぎ込まれた。
「君、強いね」
「!?」
反射的に飛び退りながら振り向く。
立っていたのは、俺より少しだけ背の高い――つまりはどちらかと言えば小柄なプレイヤーだった。
性別はわからない。黒いぼろぼろのマントを体に巻きつけてフードを目深に下ろし、更に顔の下半分を布で覆っているからだ。わずかにフードの奥、暗闇の中で光る眼だけが見て取れる。ナイフで切ったように細く吊りあがり、暗赤色の小さな瞳が瞬きもせずに俺を見ている。
「あ……アンタは?」
反射的に聞くが、黒マントのプレイヤーは答えずに、音も無く俺に歩み寄ってきた。ここは街中で、アタックはできないはずだと判っていても、無意識のうちに腰の剣に手が伸びる。
黒マントは再び俺の眼前数センチにまで顔を近づけると、まるでエフェクターにでも通したかのような非人間的な声で言った。母音が多重にブレる不快な響きに、肌が粟立つ。
「試合、見てたよ。それ……光剣だね。珍しいね、ここで剣を使うなんて」
「…………」
「それに……どこかで見たような動きだったよね。今はもう無い、別のゲームで、だけどね」
――まさか……。
「ねえ……名前、教えてよ」
名乗るべきではない、そんないわれもない強迫観念に捕われ、俺はためらった。しかし――試合経過のデータを参照すれば、どうせ分かってしまうことだ。
「……キリト」
短く告げた、その途端、フードの奥で細い目が一瞬見開かれた。点のごとき瞳孔が、血の色の光を放ったような気がした。
黒マントは、さらに一歩踏み出し、殆ど俺の頬に唇を接するほどに顔を寄せてきた。幾らなんでもこれはハラスメントだろう、突き飛ばしたって文句は言われない――と分かっていても、俺はすでに相手の粘つくような気に呑まれていた。
超至近距離からじっと俺の目を覗き込みながら、黒マントは言った。
「キリト……その名前…………騙りだったら、君、殺すよ?」
「…………!?」
「本物だったら…………ふ、ふ……やっぱり、殺すけどね」
絶句する俺の目に、男の視線がスキャン・レーザーのように突き刺さる。脳の内側を、くまなく走査されているかのような錯覚に襲われる。
数秒間硬直したあと、どうにか動揺した意識を立て直して、俺は黒マントの目を睨み返した。
「……騙りとか、本物とか、どういう意味だ」
「さっき、君が使った剣技……いや、ソードスキルと呼ぼうかな。分かるんだよ、僕も昔、使ってたからね」
「お前は……」
「そうさ、《生還者》だよ。君も、そうなんだろう? でも、あの世界にいたプレイヤーで、その名前を知ってる奴はごく少ないはずだよね。本人か、その周囲の攻略組か……あるいは、彼の、敵か」
「……なら、お前はそのうちのどれなんだ。なぜ《キリト》を殺したがる」
「もちろん、三つ目……敵だからに決まってるじゃないか」
「……敵……?」
「ギルド《ラフィン・コフィン》。聞いたことあるかい?」
その名前を聞いた瞬間、首筋に氷の息を吹きかけられたような気がして、全身が総毛立った。足元の、金属タイルがいつのまにか木板――棺桶の蓋に変わり、それがゆっくりとずれていく。青白い手が音も無く突き出し、俺の足首を握る。
悪魔の顔が描かれた棺からはみ出した腕――「笑う棺桶」のギルドエンブレム。
こいつは亡霊……過去から現われた亡霊だ。そう思いながら、俺は反射的に首を振っていた。
「……いや、知らないな」
「…………」
黒マントはしばらく無言で俺を凝視し続けたあと、すっと体を引いた。完全な闇に隠れたフードの奥から、電子的な声が低く響いた。
「……もし騙りなら、その名前を使うのはやめたほうがいいよ。殺したいと思ってる奴は僕だけじゃないだろうしね」
「殺す殺すって……あの世界はもう無くなったんだ。HPがゼロになることはあっても、もう誰も死んだりしない」
「ふ、ふ……本当に、そうかな?」
「何……?」
男は、ボロボロのマントの前をわずかに開くと、その隙間で右手を動かし、腰のホルスターから大型のハンドガンを少しだけ抜き出した。艶消しの黒に塗装された銃身に、細く刻まれた深紅のラインが目を引く。
反射的に俺も右腰の光剣に手を添えるが、黒マントはそこで動きを止めた。
「君も、すぐに知ることになる。あの世界でたくさん、たーくさん殺したプレイヤーキラー……いや、《マーダラー》には本当の力が宿っている、ということをね」
「なんだと……」
本当の力。つい最近も、その言葉を聞いた。菊岡が持っていたファイルの中で、目の前の男と似た声の持ち主が確かにそう叫んでいた。
「お前……お前が……」
掠れた声でその先を言おうとした時、背後で声がして、俺は口をつぐんだ。
「一回戦は勝ったみたいね」
素早く振り向くと、立っていたのは水色の髪の女の子――シノンと、灰色の迷彩服を着たシュピーゲルだった。戦闘の余韻のせいか、シノンの藍色の瞳はきらきらと光り、頬にはわずかに赤味が射している。どうやら彼女も勝ったらしい。
シノンは、少しだけ訝しそうな顔で俺と黒マントを見比べたあと、肩をすくめた。
「新しいお友達? 意外に社交的なんだ」
「……いや……」
どう答えたものか迷って一瞬口ごもっていると、黒マントがシノンに数歩近づいて言った。
「ふ、ふ、そうなんだよ。彼とは――言わば同郷でね」
男の異様な雰囲気に気付いたのか、シノンが唇を結んでわずかに身を引いた。だが黒マントは更にシノンににじり寄っていく。
「君、スナイパーのシノンだよね。……一度、戦いたいと思っていたんだ。ブロックが違うから、予選では当たれないけどね」
「…………」
シノンは無言のまま、剣呑な眼光で黒マントを睨む。と、彼女を守ろうとするかのように、シュピーゲルが一歩踏み出し、シノンと黒マントの間に立った。
「ちょっと、君……」
だが黒マントは、シュピーゲルの抗議の言葉を遮るように短く首を振り、滑るように退いて距離を取る。
「ふ、ふ、まさかここで撃ったりしないよ。あくまで本大会のフィールドで……大勢が見ている前で、ね」
それを聞いたシノンの、獲物を狙う猫の瞳がきゅっと細まった。
「……あんた、名前は?」
「……モルターレ」
短く答え、黒マントはフードの奥の細い目でシノンを、次いで俺を凝視した。すうっと、宙を浮くようにこちらに近づいてくる。再び耳もとで、いんいんと響く金属的な声。
「君とは、一度じっくりと思い出話をしたいね。できることなら――リアルでね。……おっと、二回戦が始まるようだ。じゃあまた……本大会で会おうね」
しゅうしゅうと擦過音の混ざる笑い声をかすかに漏らし、モルターレと名乗る男はぼろぼろに解れたマントの裾を踊らせながら、熱気と歓声の渦巻く人込みのなかへと歩み去ってたちまち見えなくなった。
俺はいまだ動揺から醒めず、棒のように立ち尽くすことしかできなかった。
《ラフィン・コフィン》――、その名はすでに遠い過去、混沌とした記憶の海に没したはずだった。あの世界での二年のあいだに次から次へと襲ってきた、嵐のような戦闘の連続のひと欠片でしかないはずだった。
だが、黒マントにその名を出されたとき、俺は反射的に嘘をついた。知らない、と否定した。
それはつまり、俺の中にまだ罪の意識が消えずに残っているというということなのだろうか?
いや――罪悪感は有って当然だ。そう感じて当たり前のことをしたのだから。しかし、それでもなお、あれは必要なことだったのだと……やらなければならなかったのだという確信とともに、あの記憶は解決済みの判を押されて記憶のファイルの奥底に埋まっていたはずなのに。
「レッド」ギルド《ラフィン・コフィン》の名前は勿論憶えていた。忘れるはずも無い、そのメンバーを……俺はこの手で……
「妙な知り合いがいるのね」
傍らで声がして、俺は過去から引き戻された。二、三度まばたきして顔を上げると、隣でシノンが眉をしかめ、黒マントが消え去った方向を睨んでいた。
「……あ、ああ……いや、知り合いって訳じゃ……」
わずかに首を振って呟くと、シノンが怪訝な顔で振り向いた。
「……何、魂抜けたみたいな顔をしてるの」
「え……」
「初戦はビギナーズラックで勝てたかもしれないけど、次からはそうも行かないんだからね」
俺はとりあえずいつものペースを取り戻そうと、無理矢理片頬に笑みを浮かべた。右手の指先を、スッとシノンの頬に伸ばしながらささやく。
「嬉しいな、そんなに心配してくれるなんて。安心していいよ、決勝では必ず君と……いってえ!」
バシッと俺の手を弾き、ガツンと向こう脛を蹴飛ばして、シノンは一メートルほども飛び退った。
「ば、馬鹿じゃないのアンタ! その頭を跡形無くすっ飛ばしてやりたい、それだけ!」
青い火花の飛び散りそうな視線で俺を一撃して、ぐるんと振り向く。
「こんなアホに付き合ってられない。行こう、シュピーゲル。…………?」
この炸裂弾のようなお姫様を守る騎士殿は、さぞかし怒っているだろうと思って俺もシュピーゲルに視線を向けた。しかしアッシュグレーの髪を垂らした痩身の男は、俺とシノンのやり取りなど目に入らない様子で、じっとフロア中央の人波――モルターレが去っていった方を見ていた。
「ねえ……ちょっと」
シノンが腕を突付くと、シュピーゲルはハッと顔を上げた。
「あ……な、何?」
「行くよ。ちょっとでも、次の対戦相手の試合を見ておかないと」
「う、うん、そうだね」
もう俺には目もくれず、シノンはすたすたとマルチモニターに向かって歩き始めた。シュピーゲルは一瞬俺に目を向けてから後を追った。
「やれやれ……」
俺はため息をつき、壁に背をつけてずるずると座り込んだ。
何を考えていいのかすらも分からなかった。ここで聞くはずのない名前を聞いたショックが、未だに思考を妨げている。
これは一体何なのだ。何かの罠……俺を呼び寄せる陰謀なのだろうか? 黒マントが《死銃》で、俺の命を狙っている……? 復讐のために……?
そんな訳はない。あの菊岡が、ケチな計画の片棒を担ぐはずはないし、そもそも仮想世界で人を殺す力なぞ存在しないというのが俺の結論だったのではなかったか。
第一、黒マントが死銃だと決まったわけでもない。依然として、恐るべき殺気を隠し持つ少女シノンがそうである可能性は残されているし、大会に出ていないとは言え、どこか底の見えない男シュピーゲルが死銃だという可能性だってある。疑いだせばキリがない。出くわす奴出くわす奴すべてが怪しく思える。
いや――それだけではない。
抱えた膝の間でどこか狂おしい笑みを浮かべながら、俺は熱に浮かされたように考えた。
実は、忘れたはずの過去に捕われた俺が、アミュスフィアを被るたびに第二の人格に取って代わられ、この世界にやってきて、殺人者が身に付けるという「本当の力」とやらでプレイヤーを殺している――という可能性だって有り得ないわけじゃない!
軽やかな効果音に顔を上げると、目の前に、二回戦の開始を告げるウインドウが出現していた。転送カウントがカシャカシャと減少していく。
俺はふらりと立ち上がると、思考そのものを放棄し、意識を戦闘モードへと切り替えた。
今はただ戦うだけだ。戦い、勝ちつづけるうちに、おのずと真実が姿を現すだろう。結局、VRMMOワールドで何かを得ようと思ったら、戦うしかないのだ。
カウントダウンがゼロになった。再び青い転送光が足元が伸び上がって、俺を未知の戦場へと誘っていった。
(第四章 終)