12
「……くん! キリト君ってば!!」
悲鳴にも似たアスナの叫びに、俺の意識は無理やり呼び起こされた。頭を貫く痛みに顔をしかめながら上体を起こす。
「いててて……」
見渡すと、そこは先ほどのボス部屋だった。まだ空中を青い光の残滓が舞っている。意識を失っていたのは数秒のことらしい。目の前に、ぺたりとしゃがみこんだアスナの顔があった。泣き出す寸前のように眉根を寄せ、唇を噛み締めている。
「バカッ……! 無茶して……!」
嗚咽混じりの声と同時に、俺の首にすごい勢いでしがみついてきた。
「……あんまり締め付けると俺のHPがなくなるぞ」
冗談めかして言うと、アスナは真剣に怒った顔した。直後、口に小さな瓶を突っ込まれてしまう。緑茶にレモンジュースを混ぜたような味の液体が流れ込んでくる。HP回復用のハイ・ポーションだ。これであと五分もすれば数値的にはフル回復するだろうが、頭痛と全身の倦怠感は当分消えないだろう。
アスナは俺が瓶の中身を飲み干したのを確認すると、またしっかり抱きつき、胸に顔を埋めてきた。今度は当分離れそうもない。長い髪をゆっくり撫でてやると、小さくしゃくりあげはじめた。アスナの身体から伝わる暖かさに、ようやく俺にも生き残った実感が湧いてくる。
足音に顔を上げると、クラインが遠慮がちに声を掛けてきた。
「生き残った軍の連中の回復は済ませたが、コーバッツとあと二人死んだ……」
「……そうか。ボス攻略で犠牲者が出たのは67層以来だな」
「こんなのが攻略って言えるかよ。コーバッツの馬鹿野郎が……。死んじゃ何にもなんねえだろうが……」
吐き出すようなクラインの台詞。頭を左右に振ると太いため息をつき、気分を切り替えるように、
「……そりゃあそうと、オメエ何だよさっきのは!?」と聞いてきた。
「……言わなきゃダメか?」
「ったりめえだ! 見たことねえぞあんなの!」
気付くと、アスナを除いた、部屋にいる全員が沈黙して俺の言葉を待っている。
「……エクストラスキルだよ。〈二刀流〉」
おお……というどよめきが、軍の生き残りやクラインの仲間のあいだに流れた。
通常、様々な武器スキルは系統だった修行によって段階的に習得することができる。例えば剣なら、基本の片手直剣スキルがある程度まで成長すると、新たな選択可能スキルとして〈曲刀〉や〈細剣〉、〈両手剣〉などがリストに出現する。
ところが、中にはスキル出現の条件がはっきり判明していない物がある。ランダム条件ではとさえ言われている、それがエクストラスキルと呼ばれるものだ。身近なところでは、クラインの〈カタナ〉も含まれる。もっともカタナスキルはそれほどレアなものではなく、曲刀をしつこく修行していれば出現する場合が多い。
そのように、十数種類知られているエクストラスキルの殆どは最低でも百人以上が習得に成功しているのだが、俺が持つ〈二刀流〉と、ある男のスキルだけはその限りではなかった。この二つは、おそらく習得者がそれぞれ一人しかいないユニークスキルとでも言うべきものだ。今まで俺は二刀流の存在をひた隠しにしていたが、今日から俺の名が二人目のユニークスキル使いとして巷間に流れることになるだろう。これだけの人数の前で披露してしまってはとても隠しおおせるものではない。
「ったく、水臭ぇなあキリト。そんなすげえウラワザ黙ってるなんてよう」
「スキルの出し方が分かってれば隠したりしないさ。でも俺にもさっぱりわからないんだ」
それは本当だった。一年ほど昔のある日何気なくスキルウインドウを見たらその名前が出現していたのだ。きっかけなど見当もつかない。以来、俺は二刀流の修行は常に人の目が無い所でのみ行ってきた。ほぼマスターしてからは、例えソロ攻略中、モンスター相手でもよほどのピンチの時以外使用していない。無論いざという時のための保身という意味もあったが、それ以上に無用な注目を集めるのが嫌だったからだ。いっそ俺の他に早く二刀流を持った奴が出てこないものかと思っていたのだが……。俺は言葉を続けた。
「……こんなレアスキル持ってるなんて知られたら、しつこく聞かれたり……いろいろあるだろう、その……」
クラインが深くうなずいた。
「ネットゲーマーは嫉妬深いからな。俺は人間が出来てるからともかく、妬み嫉みはそりゃああるだろうなあ。それに……」
そこで口をつぐむと、俺にしっかと抱きついたままのアスナを意味ありげに見やり、にやにや笑う。
「……まあ、苦労も修行のうちと思って頑張りたまえ若者よ」
「勝手なことを……」
クラインは腰をかがめて俺の肩をポンと叩くと、振り向いて〈軍〉の生存者達のほうへと歩いていった。
「お前たち、本部まで戻れるか?」
クラインの言葉に一人が頷く。まだ十代とおぼしき男だ。
「よし。今日あったことを上にしっかり伝えるんだ。二度とこういう無謀な真似をしないようにな」
「はい。……あ、あの……有り難うございました」
「礼なら奴に言え」
こちらに向かって親指を振る。軍のプレイヤー達はよろよろと立ち上がると、座り込んだままの俺とアスナに深々と頭を下げ、部屋から出ていった。回廊に出たところで次々と結晶を使いテレポートしてゆく。
その青い光が収まると、クラインはさて、という感じで両手を腰にあて、言った。
「俺たちはこのまま75層の転移門をアクティベートして行くけど、お前はどうする? 今日の立役者だし、お前がやるか?」
「いや、任せるよ。俺はもうヘトヘトだ」
「そうか。……気をつけて帰れよ」
クラインは頷くと仲間に合図した。六人で、部屋の奥にある大扉の方に歩いて行く。その向こうには上層へと繋がる階段があるはずだ。扉の前で立ち止まると、カタナ使いはヒョイと振り向いた。
「あーその……なんだ……。今日は助かった。礼を言う。これからいろいろあるかも知れんが……何かあったらいつでも言ってくれ」
ぶっきらぼうな上に迂遠な言い回しだ。俺は苦笑すると、わかった、と言う代わりに手を上げた。奴は二ッと笑みを浮かべ、扉を開けると仲間と一緒にその向こうへ消えていった。
だだっ広いボス部屋に、俺とアスナだけが残された。床から吹き上げていた青い炎はいつの間にか静まり、部屋全体に渦巻いていた妖気も嘘のように消え去っている。周囲には回廊と同じような柔らかな光が満ち、先程の死闘の痕跡すら残っていない。
まだ俺にしがみついたままのアスナに声をかける。
「おい……アスナ……」
「…………怖かった……キリト君が死んじゃったらどうしようかと……思って……」
涙まじりのその声は、今まで聞いたことがない程かぼそく震えていた。
「……何言ってんだ、先に突っ込んで行ったのはそっちだろう」
言いながら、俺はそっとアスナの背に両腕を回した。その途端、はぁっ、と深い吐息を漏らしてアスナが俺に上体を預けてきた。支えきれず床に仰向けに倒れてしまう。俺の上に乗る格好になったアスナは、そのまま全身を絡ませるようにしっかり抱きついてきた。
「……あんまり派手にやるとハラスメントフラグが立つぞ」
「いいよ……そんなのどうでも……」
無論それには大いに賛成だ。俺たちは長い時間床の上でお互いの体の感触を確かめ合った。たとえデータで出来た擬似的な身体だとしても、生命の暖かさは本物だと、そう思えた。
翌日。
俺は朝からエギルの雑貨屋の二階にシケ込んでいた。まずい茶を不機嫌に啜る。
すでにアルゲード中――いや、多分アインクラッド中が昨日の『事件』で持ちきりだった。フロア攻略、新しい街へのゲート開通だけでも十分な話題なのに、今回はいろいろオマケがついていたからだ。曰く「軍の大部隊を全滅させた悪魔」、曰く「それを単独撃破した二刀流使いの五十連撃」……。尾ひれが付くにも程がある。どうやって調べたのか、俺のねぐらには早朝から剣士やら情報屋が押しかけてきて、脱出するのにわざわざ転移結晶を使うハメになったのだ。
「引っ越してやる……どっかすげえ田舎フロアの絶対見つからないような村に……」
ブツブツつぶやく俺に、エギルがにやにやと笑顔を向けてくる。
「まあ、そう言うな。一度くらいは有名人になってみるのもいいさ」
「他人事だと思いやがって……」
奴は今、俺が昨日の戦闘で手に入れたお宝を鑑定している。時々奇声を上げているところを見るとそれなりに貴重品も含まれているらしい。下取りしてもらった売上げはアスナと山分けすることにしていたが、そのアスナは約束の時間を過ぎてもさっぱり現れない。フレンドメッセージを飛ばしておいたのでここに居ることはわかっているはずだが……。
昨日は、74層の迷宮区でそのまま別れた。アスナはギルドに脱退届けを出してくると言って、KoB本部のある55層グランザム市に向かった。クラディールとの事もあるし、俺も同行しようかと申し出たのだが笑顔で大丈夫と言われては引き下がるしかなかった。
すでに待ち合わせの時刻から二時間が経過している。ここまで遅れるからには何かあったのだろうか。やはり無理矢理にでもついて行くべきだったか……。込み上げてくる不安を抑えこむように茶を飲み干す。
俺の前の大きなポットが空になり、エギルの鑑定があらかた終了した頃、ようやく階段をトントンと駆け上ってくる足音がした。勢いよく扉が開かれる。
「よう、アスナ……」
遅かったじゃないか、という言葉を俺は飲み込んだ。いつものユニフォーム姿のアスナは顔を蒼白にし、大きな目を不安そうに見開いている。両手を胸の前で固く握り、二、三度唇を噛み締めたあと、
「どうしよう……キリト君……」
と泣き出しそうな声で言った。
「大変なことに……なっちゃった……」
新しく淹れた茶を一口飲み、ようやく顔に血の気が戻ったアスナはぽつりぽつりと話しはじめた。気を利かせたエギルは一階の店先に出ている。
「昨日……あれからグランザムのギルド本部に行って、あったことを全部団長に報告したの。それで、ギルド辞めたいって言って、その日は家に戻って……。今朝のギルド例会で承認されると思ったんだけど……」
俺と向かい合わせの椅子に座ったアスナは、視線を伏せてお茶のカップを両手で握り締めながら言った。
「団長が……わたしの脱退を認めるには、条件があるって……。キリト君と……立ち会いたい……って……」
「な……」
一瞬理解できなかった。立ち会う……とはつまりデュエルをするということだろうか。アスナのギルド脱退がどうしてそんな話になるのか? その疑問を口にすると、
「わたしにもわかんない……」
アスナはうつむいて首を振った。
「そんな事しても意味ないって一生懸命説得したんだけど……どうしても聞いてくれなくって……」
途方に暮れた幼子のような瞳で見つめられ、俺は胸の奥にある種の痛みを覚える。おいで、と手を差し伸べると、アスナはほっとしたように小さく微笑んで、俺のひざの上に飛び込んできた。細い体を抱きしめ、髪を撫でてやると甘えるような鼻声を出して胸に頭をこすりつけてくる。動物みたいな奴だ。
「……ともかく、一度グランザムまで行くよ。俺が直接談判してみる」
「ん……。ごめんね。迷惑ばっかりかけちゃうね……」
「何でもするさ。大事な……」
言葉を探して沈黙する俺を、アスナがじっと見つめる。
「……攻略パートナーの為だからな」
少しだけ不満そうに唇を尖らせたが、アスナはようやく持ち前の輝くような笑顔を見せた。
最強の男。生きる伝説。聖騎士等々。血盟騎士団のギルドリーダーに与えられた二つ名は片手の指では足りない程だ。
彼の名はヒースクリフ。俺の〈二刀流〉が巷で口の端にのぼる以前は、約四万のプレイヤー中唯一ユニークスキルを持つ男として知られていた。
十字を象った一対の剣と盾を用いて攻防自在の剣技を操るそのスキルの名は〈神聖剣〉。俺も何度か間近で見たことがあるが、とにかく圧倒的なのはその防御力だ。彼のHPバーがレッドゾーンに陥ったところを見た者は誰もいないと言われている。大きな被害を出した50層のボスモンスター攻略戦において崩壊寸前だった戦線を十分間単独で支えつづけた逸話は今でも語り草となっているほどだ。
ヒースクリフの十字盾を貫く矛なし。それはアインクラッドで最も堅固な定説のひとつなのだ。
アスナと連れ立って55層に降り立った俺は、言いようのない緊張感を味わっていた。無論ヒースクリフと剣を交える気などない。アスナの名をギルド名簿から削除してくれるよう頼む、目的はそれだけだ。
55層の主街区グランザム市は別名鉄の都と言われている。他の街が大抵石造りなのに対して、街を形作る無数の巨大な尖塔はすべて黒光りする鋼鉄で作られているからだ。鍛冶や彫金が盛んということもあって人口は多いが、街路樹の類はまったく存在せず、深まりつつある秋の風の中では寒々しい印象を隠せない。
俺は不本意ながら顔を隠す為に巨大な黒革のフード付マントを装備していた。寒そうに剥き出しの両腕をこすっていたアスナが、無言でマントの中に潜り込んでくる。俺とアスナの身長はそれほど変わらないので多少見映えは悪いが、これなら注目を集めることだけは避けられそうだ。俺たちはゲート広場を横切って歩き出した。磨きぬかれた鋼鉄の板を連ねてリベット留めした広い道をゆっくり進む。アスナの足取りが重い。これから起こることを恐れているのだろうか。
立ち並ぶ尖塔群の間を縫うように十分ほど歩くと、目の前に一際高い搭が現れた。巨大な扉の上部から何本も突き出した銀の槍からは、白地に赤の十字を染め抜いた旗が垂れ下がり寒風にはためいている。ギルド血盟騎士団の本部だ。
アスナはすこし手前で立ち止まると、俺のマントの隙間から顔だけのぞかせて搭を見上げた。
「昔は、39層の田舎町にあったちっちゃい家が本部でね、みんな狭い狭いっていつも文句言ってたわ。……ギルドの発展が悪いとは言わないけど……この街は寒くて嫌い……」
「さっさと用を済ませて、なんか暖かいものでも食いに行こうぜ」
「もう。キリト君は食べることばっかり」
笑いながらマントの中で俺に抱きつくと、アスナはしばらくそのままじっとしていたが、やがて、「よし、充電完了!」と言って勢いよく飛び出した。そのまま広い歩幅で搭へ向かって歩いていく。俺は慌てて後を追った。
幅広の階段を昇った所にある大扉は左右に開け放たれていたが、その両脇には恐ろしく長い槍を装備した重装甲の衛兵が控えていた。アスナがブーツの鋲を鳴らしながら近づいていくと、衛兵達はガチャリと槍を捧げて敬礼した。
「任務ご苦労」
ビシリと片手で返礼する仕草といい、颯爽とした歩き方といいほんの一時間前に俺のひざの上で甘えていた奴と同一人物とは思えない。俺はおそるおそるアスナの後に続いて衛兵の脇を通り抜け、搭に足を踏み入れた。
街並みと同じく黒い鋼鉄で造られた搭の一階は大きな吹き抜けのロビーになっていた。人は誰もいない。
街以上に冷たい印象の建物だな……。
そんな事を思いつつ、様々な種類の金属を組み合わせた精緻なモザイク模様の床を横切って行くと、正面に巨大な螺旋階段があった。
金属音をホールに響かせながら階段を昇っていく。筋力パラメータが低い者なら絶対途中でへばってしまうだろう高さだ。いくつもの扉の前を通りすぎ、どこまで昇るのか心配になってきたころ、ようやくアスナは足を止めた。目の前には無表情な鋼鉄の扉。
「ここか……?」
「うん……」
アスナが気乗りしない様子で頷く。が、やがて意を決したように右手をあげると扉を音高くノックし、答えを待たず開け放った。内部から溢れた大量の光に、俺は目を細めた。
中は搭の一フロアすべてを使った円形の部屋で、壁は全て透明のガラス張りだった。そこから差し込む灰色の光が、部屋をモノトーンに染め上げている。中央には半円形の巨大な机が置かれ、その向こうに並んだ五脚の椅子にそれぞれ男が腰掛けていた。左右の四人には見覚えがなかったが、中央に座る男だけは見間違えようがなかった。聖騎士ヒースクリフだ。
外見にはまるで威圧的な所はない。二十代半ばだろうか、学者然とした、削いだように尖った顔立ち。秀でた額の上に、鉄灰色の前髪が流れている。長身だが痩せ気味の体をゆったりした真紅のローブに包んだその姿は、剣士というよりはこの世界には存在しないはずの魔術師のようだ。
だが、特徴的なのはその目だった。不思議な真鍮色の瞳からは、対峙したものを圧倒する強烈な磁力が放出されている。会うのは初めてではないが正直気圧される。
アスナはブーツを鳴らして机の前まで行くと、軽く一礼した。
「お別れの挨拶に来ました」
その言葉にヒースクリフはかすかに苦笑し、
「そう結論を急がなくてもいいだろう。彼と話させてくれないか」
そう言ってこちらを見据えた。俺もフードをはずしてアスナの隣りまで進み出る。
「久しいな、キリト君。いつ以来かな?」
「67層のボス攻略戦です」
ヒースクリフは軽く頷くと、机の上で骨ばった両手を組み合わせた。
「あれは辛い戦いだったな。我々も危うく死者を出すところだった。トップギルドなどと言われても戦力は常にギリギリだよ。──なのに君は我がギルドの貴重な主力プレイヤーを引き抜こうとしているわけだ」
「貴重なら護衛の人選に気を使ったほうがいいですよ」
ぶっきらぼうな俺の台詞に、机の右端に座っていたいかつい男が血相変えて立ち上がろうとした。それを軽く手で制し、
「クラディールは自宅で謹慎させている。迷惑をかけてしまったことは謝罪しよう。だが、我々としてもサブリーダーを引き抜かれて、はいそうですかという訳にはいかない。キリト君――」
ヒースクリフはひたとこちらを見据えた。金属の光沢をもつ両眼から、強烈な意思力が噴き上げてくる。
「欲しければ、剣で――〈二刀流〉で奪い給え。私と戦い、勝てばアスナ君を連れていくがいい。だが、負けたら君が血盟騎士団に入るのだ」
「…………」
俺はこの謎めいた男が少しだけ理解できたような気がしていた。結局この男も剣での戦闘に魅入られた人間なのだ。その上、自分の技に絶対の自信を持っている。脱出不可能のデスゲームに囚われてなおゲーマーとしてのエゴを捨てきれない、救い難い人種。つまり、俺と似ている。
ヒースクリフの言葉を聞いて、今まで黙っていたアスナが我慢しきれないというように口を開いた。
「団長、脱退はわたしの意思です。……初心者だったわたしを拾って、いままで育ててくれたことには感謝しています。ただ、ここにはもうわたしの居場所はないんです。ゲームクリアという目的はみんな同じはず、ギルドを出ても戦いをやめるわけじゃ……」
なおも言い募ろうとするアスナの肩に手を置き、俺は一歩前に進み出た。正面からヒースクリフの視線を受け止める。半ば勝手に口が開く。
「いいでしょう、剣で語れと言うなら望むところです。デュエルで決着をつけましょう」
「も――!! ばかばかばか!!」
再びアルゲード、エギルの店の二階。様子を見ようと顔を出した店主を一階に蹴り落としておいて、俺は必死にアスナをなだめていた。
「わたしががんばって説得しようとしたのになんであんな事言うのよう!!」
揺り椅子に座った俺の膝の上にちょこんと腰掛け、小さな拳でぽかぽか叩いてくる。
「悪かった、悪かったってば! つい売り言葉に買い言葉で・・・」
小さな子供にするように頭を撫でてやるとようやくおとなしくなり、俺の胸にぽふっと体を預けてきた。ギルドでの様子とギャップがありすぎて、笑いがこみあげてくるのを苦労して飲み込む。
「大丈夫だよ、一撃終了ルールでやるから危険はないさ。それに、まだ負けると決まったわけじゃなし……」
「う〜〜〜……」
俺の上で丸くなり、眠気を覚えたように目をパチパチしながらアスナが唸る。
「……こないだキリト君の〈二刀流〉を見たときは、別次元の強さだって思った。でもそれは団長の〈神聖剣〉もいっしょなのよね……。あの人の無敵っぷりはもうゲームバランスを超えてるよ。正直どっちが勝つかわかんない……。でも、どうするの? 負けたらあたしが脱退するどころかキリト君がKoBに入らなきゃならないんだよ?」
「考えようによっては目的は達するとも言える。俺はアスナといられればそれでいいんだ」
以前なら逆さに振っても出てこないような言葉だ。アスナはちらりと俺を見上げるとにっこり笑い、そのまま目を閉じた。夕暮れのアルゲードの活気に満ちたざわめきが窓の向こうからわずかに流れ込んでくる。
言ったことは正直な気持ちだったが、ギルドに所属するのはやはり抵抗がある。以前一度だけ所属した、今は存在しないギルドの名を思い出してかすかな痛みを覚える。まあ、簡単に負ける気はないさ……と俺は胸の中で呟いた。
髪を撫でてやっているうち、アスナは小さな寝息を立て始めた。つられたのか俺も強い眠気を感じる。今日は朝から色々あって、迷宮攻略の倍は疲れた。
「おっと……」
アスナを起こさないようにそっと左手を振ってメニューを出し、エギルに「お前は一階で寝ろ」とメッセージを飛ばしておいて、俺は本格的に目を閉じた。
13
先日新たに開通なった75層の主街区は古代ローマ風の造りだった。マップに表示された名は〈コリニア〉。すでに多くの剣士や商人プレイヤーが乗り込み、また攻略には参加しないまでも街は見たいという見物人も詰め掛けて大変な活気を呈している。それに付け加えて今日は稀に見る大イベントが開かれるとあって、転移門は朝からひっきりなしに訪問者の群を吐き出し続けていた。
街は、四角く切り出した白亜の巨石を積んで造られていた。神殿風の建物や広い水路と並んで特徴的だったのが、転移門の前にそびえ立つ巨大なコロシアムだった。うってつけとばかりに俺とヒースクリフのデュエルはそこで行われることになった。のだが……。
「焼きグルコーン十コル! 十コル!」
「黒エール冷えてるよ〜!」
コロシアム入り口には口々にわめき立てる商人プレイヤーの露店がずらりと並び、長蛇の列をなした見物人にあやしげな食い物を売りつけている。
「……ど、どういうことだこれは……」
俺はあっけにとられて傍らに立つアスナに問いただした。
「さ、さあ……」
「おい、あそこで入場チケット売ってるのKoBの人間じゃないか!? 何でこんなイベントになってるんだ!?」
「さ、さあ……」
「ま、まさかヒースクリフのやつこれが目的だったんじゃあるまいな……」
「いやー、多分経理のダイゼンさんの仕業だねー。あの人計算高いから」
あはは、と笑うアスナの前で俺はガックリ肩を落とした。
「……逃げようアスナ。20層あたりの広い田舎に隠れて畑を耕そう」
「わたしはそれでもいいけどぉー」
ニコニコしながらアスナが言う。
「ここで逃げたらす――っごい悪名がついてまわるだろうねえ」
「くっそ……」
「まあ、自分で蒔いた種だからねー。……あ、ダイゼンさん」
顔を上げると、KoBの白赤の制服がこれほど似合わない奴もいるまいという横幅のある男がでっぷりした腹を揺らしながら近づいてきた。
「いやー、おおきにおおきに!!」
丸い顔に満面の笑みを浮かべながら声をかけてくる。
「キリトさんのお陰でえろう儲けさせてもろてます! あれですなぁ、毎月一回くらいやってくれはると助かりますなぁ!」
「誰がやるか!!」
「ささ、控え室はこっちですわ。どうぞどうぞ」
のしのし歩き始めた男の後ろを、俺は脱力しながらついていった。どうとでもなれという心境だ。
控え室は闘技場に面した小さな部屋だった。ダイゼンは入り口まで案内すると、オッズの調整がありますんで、などと言って消えて行った。もうつっこむ気にもなれない。すでに観客は満員になっているらしく、控え室にも歓声がうねりながら届いてくる。
二人きりになると、アスナは真剣な表情になり、両手でぎゅっと抱きついてきた。
「……たとえワンヒット勝負でも強攻撃をクリティカルでもらうと危ないんだからね。特に団長の剣技は未知数のところがあるし。危険だと思ったらすぐにリザインするのよ。こないだみたいな真似したら絶対許さないからね……」
「俺よりヒースクリフの心配をしろよ」
俺はにやりと笑ってみせると、アスナの両肩をぽんと叩いた。
遠雷のような歓声に混じって、闘技場の方から試合開始を告げるアナウンスが響いてくる。背中に交差して吊った二本の剣を同時にすこし抜き、チンと音を立てて鞘に収めると俺は四角く切り取ったような光の中へ歩き出した。
円形の闘技場を囲む階段状の観客席はぎっしりと埋まっていた。多分一万人は居るのではないか。最前列にはエギルやクラインの姿もあり、「斬れー」「殺せー」などと物騒なことを喚いている。俺は闘技場の中央に達すると立ち止まった。直後、反対側の控え室から真紅の人影が姿を現した。歓声が一際大きくなった。
ヒースクリフは、通常の血盟騎士団制服が白地に赤の模様なのに対してそれが逆になった赤地のサーコートを羽織っていた。鎧の類は俺と同じく最低限だが、左手に持った巨大な純白の十字盾が目を引く。どうやら剣は盾の裏側に装備されているらしく、頂点部分から同じく十字をかたどった柄が突き出している。
俺の目の前まで無造作な歩調で進み出てきたヒースクリフは、周囲の大観衆に目をやってさすがに苦笑した。
「すまなかったなキリト君。こんなことになっているとは知らなかった」
「ギャラは貰いますよ」
「……いや、君は試合後からは我がギルドの団員だ。任務扱いにさせて戴こう」
言うと、ヒースクリフは笑いを収め、真鍮色の瞳から圧倒的な気合を迸らせてきた。思わず圧倒されて半歩ほど後退してしまう。俺達は現実には遠く離れた場所に横たわっており、二人の間にはデジタルデータのやり取りしか無いはずだが、それでもなお殺気としか言いようのない物を感じる。
俺は意識を戦闘モードに切り替え、ヒースクリフの視線を正面から受け止めた。大歓声が徐々に遠ざかってゆく。すでに知覚の加速が始まっているのか、周囲の色彩すら微妙に変っていくような気がする。
ヒースクリフは視線を外すと、俺から十メートル程の距離まで下がり、左手を掲げた。出現したメニューウインドウを、視線を落とさず操作する。瞬時に俺の前にデュエルメッセージが出現した。もちろん受諾。オプションは初撃決着モード。
カウントダウンが始まった。周囲の歓声はもはや小さな波音にまでミュートされている。全身の血流が早まってゆく。戦闘を求める衝動に掛けた手綱をいっぱいに引き絞る。俺は背中から二振りの愛剣を同時に抜き放った。ヒースクリフも盾の裏から細身の長剣を抜き、ピタリと構える。
盾をこちらに向けて半身になったその姿勢は自然体で、無理な力はどこにもかかっていない。さすがに初動を読むのは無理か。ならばこちらから突っ込むまでだ。
二人ともウインドウには一瞬たりとも視線を向けなかった。にもかかわらず、地を蹴ったのはDUELの文字が閃くのと同時だった。
俺は沈み込んだ体勢から全力で飛び出した。地面ギリギリを滑空するように突進していく。
ヒースクリフの直前でくるりと体を捻り、右手の剣を左斜め下からバックハンドでヒースクリフに叩きつけた。十字盾に迎撃され、激しい火花が散る。が、俺の攻撃は二段構えだった。右にコンマ一秒遅れで、左の剣がフォアハンドで盾の内側へと跳ね上がる。二刀流突撃技『クロス・スパイラル』だ。
左の一撃は、惜しいところでヒースクリフの長剣に阻まれた。さすがに奇襲を許したりはしないか。俺は技の余勢で距離を取り、向き直る。
今度はヒースクリフが盾を構えて突撃してきた。巨大な十字盾の影に隠れて、奴の右腕がよく見えない。
「チッ!」
俺は舌打ちして右方向にダッシュ回避しようとした。盾の方向に回り込めば攻撃に対処する余裕ができると踏んだからだ。
ところが、ヒースクリフは盾自体を水平に構えると、その先端で突き攻撃を放ってきた。クリムゾンのエフェクト光を引きながら巨大な盾が迫る。
「くおっ!!」
俺は咄嗟に両手の剣を交差してガードした。激しい衝撃。数メートル吹き飛ばされる。一回転して立ち上がる。なんと盾にも攻撃判定があるのか。まるで二刀流だ。手数で上回れば一撃勝負では有利と踏んでいたがこれは予想外だ。
ヒースクリフは俺に立ち直る余裕を与えまいと、ダッシュで距離を詰めてきた。十字の鍔を持つ右手の長剣が、〈閃光〉アスナもかくやという速度で突き込まれてくる。敵の連続技が開始された。俺は両手の剣をフルに使ってガードに徹する。〈神聖剣〉の連続技については可能な限りアスナからレクチャーを受けておいたが、付け焼刃の知識では心許ない。瞬間的反応だけで上下から殺到する攻撃を捌きつづける。
八連撃最後の上段斬りを左の剣で弾くと、俺は間髪入れず右手で単発重攻撃〈ヴォーパルストライク〉を放った。
「う……らぁ!!」
青い光芒を伴った突き技が、十字盾の中心に突き刺さる。構わずそのまま撃ち抜く。
今度はヒースクリフが跳ね飛ばされた。盾を貫通するには至らなかったが、多少のダメージは「抜けた」感触があった。奴のHPバーがわずかに減っている。が、勝敗を決する程の量ではない。
ヒースクリフは軽やかな動作で着地すると、距離を取った。
「……素晴らしい反応速度だな」
「そっちこそ硬すぎるぜ……!!」
言いながら俺は地面を蹴った。ヒースクリフも剣を構えなおして間合いを詰めてくる。
超高速で連続技の応酬が開始された。俺の剣は奴の盾に阻まれ、奴の剣を俺の剣が弾く。二人の周囲では様々な色彩の光が連続的に飛び散り、衝撃音が闘技場の石畳を突き抜けてゆく。強敵を相手に、俺はかつてない程の加速感を味わっていた。感覚が一段シフトアップしたと思うたびに、攻撃のギアも上げてゆく。
まだだ。まだ上がる。ついてこいヒースクリフ!!
全能力を解放して剣を振るう法悦が俺の全身を包んでいた。多分俺は笑っていたのだと思う。剣戟の応酬の最中、それまで無表情だったヒースクリフがちらりと表情らしきものを見せた。何だ。焦り? 俺はヒースクリフの奏でる攻撃のテンポがごくごくわずか遅れた気配を感じた。
「らあああああ!!」
その瞬間、俺は全ての防御を捨て去り、両手の剣で攻撃を開始した。〈スターバースト・ストリーム〉、恒星から吹き出すプロミネンスの奔流のごとき剣閃がヒースクリフへ殺到する。
「ぬおっ……!!」
ヒースクリフが十字盾を掲げてガードする。構わず上下左右から攻撃を浴びせ続ける。奴の反応がじわじわ遅れてゆく。――抜ける――!!
俺は最後の一撃が奴のガードを超えることを確信した。盾が右に振られすぎたそのタイミングを逃さず、左からの攻撃が光芒を引いてヒースクリフの体に吸い込まれてゆく――
――そのとき、世界がブレた。
「!?」
どう表現すればよいだろう。時間をほんの僅か盗まれた――と言うべきか。何十分の一秒、俺の体を含む全てがピタリと停止したような気がした。ヒースクリフ一人を除いて。右にあったはずの奴の盾が、コマ送りの映像のように瞬間的に左に移動し、俺の必殺の一撃を弾き返した。
「な――」
大技をガードされきった俺は、致命的な硬直時間を課せられた。ヒースクリフがその隙を逃すはずもなかった。憎らしいほど的確な、ピタリ戦闘を終わらせるに足るだけのダメージが右手の剣の単発突きによって与えられ、俺はその場に無様に倒れた。視界の端で、デュエル終了を告げるシステムメッセージが紫色に輝くのが見えた。
戦闘モードが切れ、耳に渦巻く歓声が届いてきても、俺はまだ茫然としていた。
「キリト君!!」
駆け寄ってきたアスナの手で助け起こされる。
「あ……ああ……。――大丈夫だ」
アスナが、呆けたような俺の顔を心配そうに覗き込んできた。負けたのか――。俺はまだ信じられなかった。最後の瞬間、奴が見せた恐るべき反応は何だ。あれがヒースクリフの強さだというのか。地面に座り込んだまま、やや離れた場所に立つヒースクリフの顔を見上げる。
勝利者の表情は、しかしなぜか険しかった。金属質な両目を細めて俺たちを一瞥すると、真紅の聖騎士は物も言わず身を翻し、嵐のような歓声のなかをゆっくりと控え室に消えて行った。
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「な……なんだこりゃあ!?」
「何って、見たとおりよ。さ、早く立って!」
アスナが強引に着せ掛けたのは、俺の新しい一張羅だった。慣れ親しんだボロコートと形はいっしょだが、色は目が痛くなるような純白。両襟に小さく二個と、背中にひとつ巨大な真紅の十字模様が染め抜かれている。言うまでもなく血盟騎士団のユニフォームだ。
「……じ、地味な奴って頼まなかったっけ……」
「これでも十分地味なほうよ。うん、似合う似合う!」
俺は全身脱力して揺り椅子に倒れこむように座った。例によってエギルの雑貨店の二階だ。すっかり俺が緊急避難的居候先として占拠してしまい、哀れな店主は一階に簡素なベッドを設えて寝ている。それでも追い出されないのは、二日と空けずアスナがやってきて店の手伝いをしているからだ。宣伝効果は抜群だろう。
俺が揺り椅子の上でうめいていると、すっかりそこが定席だとでも言うようにアスナが膝の上に乗ってきた。ひなたの猫のようにぐんにゃり溶けた格好でしばらくごろごろ言っていたが、急にがばっと上体を起こすと、真面目くさった顔で、
「あ、ちゃんと挨拶してなかったね。ギルドメンバーとしてこれから宜しくお願いします」
ペコリと頭を下げる。
「よ、よろしく。……と言っても俺はヒラでアスナは副団長様だからなあ」
右手を伸ばしてほっぺたをぐにぐに引っ張ってやる。
「こんなことも出来なくなっちゃったよなぁー」
「む―――っ!!」
ぽかりと一発叩かれてしまった。俺は笑いながら両手でアスナの体を抱き寄せた。ゆっくり椅子を揺らしながら髪を撫でてやると、条件反射的に眠そうな顔をするのが動物のようで面白い。
晩秋の昼下がり。気だるい光の中でしばしの静寂が訪れる。
ヒースクリフとの闘い、そして敗北から二日が経過していた。俺は条件どおり血盟騎士団に参加した。今更じたばたするのは趣味ではない。三日間の準備期間が与えられ、明後日からギルド本部の指示に従って75層迷宮区の攻略を始めることになる。
ギルドか――。
俺のかすかな嘆息に気付いたアスナが、腕の中からちらりと視線を送ってきた。
「……なんだかすっかり巻き込んじゃったね……」
「いや、いいきっかけだったよ。ソロ攻略も限界が来てたから……」
「そう言ってもらえると助かるけど……。ねえ、キリト君」
アスナの榛色の瞳が真っ直ぐ俺に向けられる。
「教えてほしいな。なんでギルドを……ひとを避けるのか……。ベータテスターだから、ユニークスキル使いだからってだけじゃないよね。キリト君優しいもん」
俺はしばらく無言でアスナの髪を玩んでいた。
「…………もうずいぶん昔……、一年半くらい前かな。一度だけギルドに入ってたことがある……」
自分でも意外なほど素直に言葉が出てきた。この記憶に触れる度に湧き上がってくる疼痛を、アスナの体温が溶かしていくような、そんな気がする。
「迷宮で偶然助太刀をした縁で誘われたんだ……。俺を入れても六人しかいない小さなギルドで、名前が傑作だったな。〈月夜の黒猫団〉」
アスナがふふ、と微笑む。
「リーダーがいい奴だった。何につけてもメンバーの事を第一に考える男で、皆から信頼されていた――。ケイタという名の棍使いだった。メンバーには両手用遠距離武器の使い手が多くて、フォワードを探しているって言われた……」
正直、彼らのレベルは俺よりかなり低かった。俺が無闇と上げすぎていたと言うべきか。俺が自分のレベルを言えば、彼らは遠慮して引き下がっただろう。だが、当時の俺はベータ出身のソロプレイヤーとして単独で迷宮に潜る毎日にやや疲れていたせいか、〈黒猫団〉のアットホームな雰囲気がとても眩しいものに見えた。俺はレベルと、ベータ出身であるという事を隠してギルドに加わることにした。
〈黒猫団〉のメンバーは、皆現実世界でも友人同士だったんだとケイタは言った。特にケイタと、メンバー中唯一の女性プレイヤーだった黒髪の槍使いは幼馴染の間柄で、二人の雰囲気は傍から見ても特別なものがあった
ケイタは俺に、槍使いが盾剣士に転向するコーチをしてやってくれないかと言った。そうすれば前衛が俺を含めて三人になり、バランスの取れたパーティーが組める。俺は引き受けた。
黒髪の槍使いは、控えめなおとなしい女の子だった。ネットゲーム暦は長かったが、性格のせいでなかなか友達が作れないんだと笑っていた。俺は、ギルドの活動が無い日も大抵彼女に付き合い、片手剣の手ほどきをした。
俺と彼女は色々な意味で良く似ていた。自分の周囲に壁を作るクセ、言葉たらずな所。やがて、訓練以外の時間も二人で過ごすようになるまで、そう長くはかからなかった。
彼女は、ケイタには嘘はつけないと言った。俺達は二人でケイタに会いに行った。リーダーは黙って彼女の話を聞いていたが、いつもの笑顔でうなずくと、俺に「彼女をよろしく頼む」と言った。別れ際にちらりと寂しそうな顔を見せたのが、隠し事のできない奴らしかった。
それからしばらくたったある日、俺達はケイタを除く五人で迷宮に潜ることになった。ケイタは、ようやく貯まった資金でギルド本部にする家を購入するべく売り手と交渉に行っていた。
すでに攻略された層の迷宮区だったが未踏破部分が残されており、そろそろ帰ろうという時、メンバーの一人が手付かずのトレジャーボックスを見つけた。俺は手を出さないことを主張した。最前線近くでモンスターのレベルも高かったし、メンバーの罠解除スキルが心許なかったからだ。だが、反対したのは俺と彼女だけで、三対二で押し切られてしまった。
罠は、数多ある中でも最悪に近いアラームトラップだった。けたたましい警報が鳴り響き、部屋の全ての入り口から無数のモンスターが湧き出してきた。俺たちは咄嗟に緊急転移で逃れようとした。
だが、罠は二重に仕掛けられていた。結晶無効化空間――クリスタルは作動しなかった。
モンスターはとても支えきれる数ではなかった。メンバーはパニックを起こし逃げ惑った。俺は、今まで彼らのレベルにあわせて封印していた上位剣技を使い、どうにか血路を開こうとした。しかし、恐慌状態に陥った彼らは通路に脱出することも思いつかず、一人また一人とHPをゼロにして、悲鳴と破片を撒き散らしながら消えていった。彼女だけでも救わなければ、そう思って俺は必死に剣を振るい続けた。
しかし間に合わなかった。こちらに向かって助けを求めるように必死に手を差し出した彼女を、モンスターの剣が無慈悲に切り倒した。ガラスの彫像のように儚く砕け散るその瞬間まで、彼女は俺を信じきった目をしていた。
ケイタは、今まで仮の本部としていた宿屋で、新居の鍵を前に俺達の帰りを待っていた。一人生き残った俺だけが戻り、何があったかを説明している間ケイタは無言で聞いていたが、俺が話し終わると一言、「なぜお前だけが生還できたのか」と聞いた。俺は、自分の本当のレベルと、ベータテスト出身なのだということを告げた。
ビーターのお前が俺達に関わる資格なんてなかったんだ――
ケイタの言葉は、鋼鉄の剣のように俺を切り裂いた。
「……その人は……どうしたの……?」
「自殺した」
俺の胸の上でアスナの体がビクリと震えた。
「外周から飛び降りた。最期まで俺を呪っていただろう……な……」
自分の声が詰まるのを感じた。心の奥底に封印したつもりの記憶だったが、初めて言葉にすることによってあの時の痛みが鮮烈に蘇ってきた。俺は歯を食いしばった。アスナを抱きしめたかったが、お前にはその資格はない――と心のどこかで叫ぶ声がして、両の拳を固く握る。
「もう……嫌なんだ……目の前で……仲間を殺すのは……」
目を見開き、食いしばった歯の間から言葉を絞り出す。
不意に、アスナの両手が俺の顔を包み込んだ。穏やかな微笑を湛えた美しい顔が俺のすぐ目の前にある。
「わたしは死なないよ」
ささやくような、しかしはっきりとした声。硬直した全身からふっと力が抜けた。
「キリト君と二人なら、絶対に死なない」
そう言って、アスナは俺の頭を胸に包み込むように抱いた。柔らかく、暖かな暗闇が俺を覆った。目を閉じる。
記憶の暗幕の向こうに、オレンジ色の光が満ちた宿屋のカウンターに腰掛けてこちらを見ている黒猫団の連中の顔が見えた。俺は両手をそっとアスナの体に回した。
翌々日の朝、俺は派手な純白のコートの袖に手を通すと、アスナと連れ立ってグランザム市へと向かった。今日から血盟騎士団の一員としての活動が始まる。と言っても、本来なら五人一組で攻略に当たるところを、副団長アスナの強権発動によって二人のパーティーを組むことになっていたので実質的には今までやっていたことと変らない。
が、ギルド本部で俺を待っていたのは意外な言葉だった。
「訓練……?」
「そうだ。私を含む団員四人のパーティーを組み、ここ55層の迷宮区を突破して56層主街区まで到達してもらう」
そう言ったのは、以前ヒースクリフと面談したとき同席していた四人の内の一人だった。もじゃもじゃの巻き毛を持つ大男だ。どうやら斧戦士らしい。
「ちょっとゴドフリー! キリト君はわたしが……」
食ってかかるアスナに、片方の眉毛を上げると不遜げに言い返す。
「副団長と言っても規律をないがしろにして戴いては困りますな。実際の攻略時のパーティーについてはまあ了承しましょう。ただ、一度は実戦の指揮を預かるこの私に実力を見せて貰わねば。たとえユニークスキル使いと言っても使えるかどうかはまた別」
「あ、あんたなんか問題ならないくらいキリト君は強いわよ……」
半ギレしそうになるアスナを制して、俺は言った。
「見たいと言うなら見せてやるさ。ただ今更こんな低層の迷宮で時間を無駄にする気はない、一気に突破するが構わないだろうな?」
ゴドフリーという男は不愉快そうに口をへの字に曲げると、三十分後に街の西門に集合、と言い残してのっしのっしと歩いていった。
「なあにあれ!!」
アスナは憤慨したようにブーツで傍らの鉄柱を蹴飛ばす。
「ごめんねキリト君。やっぱり二人で逃げちゃったほうが良かったかなぁ……」
「ままならないな」
俺は笑ってアスナの頭にぽん、と手を置いた。
「うう、今日は一緒にいられると思ったのに……。わたしもついていこうかな……」
「すぐ帰ってくるさ。ここで待っててくれ」
「うん……。気をつけてね……」
寂しそうに頷くアスナに手を振って、俺はギルド本部を出た。
だが、集合場所に指定されたグランザム西門で、俺はさらなる驚愕に見舞われた。
そこに立つゴドフリーの隣に、最も見たくなかった顔――クラディールの姿があったのである。